* 年賀状、恐れ入るほど沢山戴いた。恐れ入ります。
申し訳ないが、このまま失礼致します、もう目の前へ次々の仕事が待っていますので。
* 十一時になる。建日子らが帰ったあと、ずうっと「からだ言葉の日本」について思案を重ね続けていた。腹部に不穏がある、少し飲み過ぎたのかも知れない、食べるべきを食べなくて。
もう機械から離れる。
2018 1/1 194
* ほぼ終日、「ある寓話 ユニオ・ミスティカ」の結びに目を皿にしていた。
もう二、三、前半に、また後半に、巧く加えたい、容赦なく削りたい箇所がある。根気があれば、程遠くなくゴールインが見えてくるだろう。
2018 1/3 194
* 入浴中に寒気がして慌てた。しっかり漬かりながら校正していた。湯も熱かったはずだが。汗を出している内に急いで出て、しっかり厚着し、うまい酒の一 升瓶をあけて気に入り唐津のぐい飲みで一合余を飲み干した。選集今回の校正は、われながら面白くて楽しい。
「茶ノ道廃ルベシ」は、「花と風」「手さぐり日本」「女文化の終焉」などと並んでとびきり若書き一冊だ が、おそらく現代茶道に論及してこれほど的確に批評し切れたどんな類著も無いとわたしは確であると共に、「日本史に学ぶ」「洛東巷談」らとも共に、まさしく「秦 恒平の思想書(エッセイ)」の中核に成っている。他に類のない論攷かつ提言と成っている。そう信じている。
「茶ノ道廃るべし」はむかし北洋社から出版して版を重ね、講談社版に転じても詠まれたが、二度とも、 かなりきつい茶の湯業界の締め付けが来た。ついには版を絶たれてしまった、が、それでもよく廣く今にも記憶され、愛読しまた刺激された読者が多かった。今度「選集」の一部に入るけれども、単独で再刊されても、「ちくま少年図書館」もそうだが、毫も 古びないまま新鮮な訴求力を示せると思うのだが。
2018 1/3 194
* 選集第二十七巻を編成し終えた。またも五百頁を越す大冊になる。面白い佳い一巻になって呉れるだろうと、私も楽しみに待つ気持ち。
2018 1/6 194
* 台所で、「千載秀歌」を克明に二度目の初校。千載集は勅撰和歌集だが、そ こから秀歌を選び抜いて補注と感慨を加えるのは茂吉の『万葉秀歌』と同じく、私の気の入った仕事、仕上げたのが平成十二年正月人日(七日)、聖路加の人間 ドックで胃癌と診断されて二日後であった。その正月七日晩の写真が撮れていた。体重87キロ近かった。六年過ぎ、この間、一度も新幹線に乗っていない。今 朝の体重は、67キロ。
2018 1/8 194
* 選集第二十七巻を、今、仕立てている。ケッコウに進んでいる。
* 昨日は文壇の古老高田芳夫さんから新年を祝した立派な色紙を、今日はの染織家渋谷和子さんの美しいお作を頂戴した。
年賀状、今日も、まだ数通届いていた。
さ、いよいよ、選集第二十四巻の納品を待って、送り出す。希望の方も増えて。厳しく限った部数から、やはり幾らかは残しても置きたく、しかし喜んで下さる方、また研究施設や図書館へも入れたい。
相次いで湖の本138巻も月末か二月初めには出来てくる。いよいよ「今年」が忙しく始動する。
2018 1/9 194
* 外へめったに出ないので厳しい寒さも、知らずにいる。烈しいと謂えるほどの喉の渇き、胸の灼けに悩んだりしているが、水分や青汁や野菜ジュースで対抗 しながら、仕事している。だんだんに選集は収束へ向かって行く。長編の新作は、一つは「脱稿」と呼べる少し前まで来ているが、売り物にはとうてい危ない作 なので、先行きが見えない。。
もう一つは、せめて瀬戸内海の景色を実の眼で瞥見なりしたいと願うのだが。小さく収束してしまうかどうか。ま、粘ろう。
2018 1/13 194
* 古井由吉氏の「妻隠(つまごみ)」という粋な題の作を読みはじめた。「八雲立つ出雲八重垣妻隠みに」が初出の古語、いまわたしの書いている長編『ユニ オ・ミスティカ』の初章見出しに「八重垣つくる」を用いていて気を惹かれた。古井作は昭和四十五年(一九七〇)十一月群像に発表とある。わたしは同じ年の 二月「畜生塚(新潮)」三月「秘色」(展望)六月「或る『雲隠』考」(新潮)を発表し五月には単行本『秘色』を筑摩書房から出していた。前年には『清経入 水』で受賞し、翌月には『蝶の皿』(新潮)を発表していた。
斯くも麗々しげに同時期の自作を挙げてみたのは、「ああそうか、<小説>とは、この古井さんの『妻隠』のように書かれた物で、当時のわたしの、いや今日 に到るまでわたしの全ての創作は、「物語」と受け取られてきたんだろうなという、あまりに遅幕な思い当たりを真実笑いたかったからである。
わたしの受賞第一作『蝶の皿』は「新潮」の新人賞特集に並べられたのだが、あのときの絶望的な衝撃は忘れられない、わたしは即座に「作家、さよなら」と 手記を書いて、このような文壇ではやって行けないと諦めたものであった。わたしは小説家には成れない書き手だと刺されるように感じた。
古井さんの「妻隠」を、同じ大系版の二段組み七頁分まで読んできて、上の思い出と只今の感想とで、まさしく笑いだしてしまったのだ、そうか、小説ってこういうふうに書くんだ、と。
ただ、こうは言うておきたい。わたしは、谷崎や鏡花や荷風や川端や三島ばかりを愛読したのではなかった。藤村、漱石、鴎外、露伴、花袋、直哉、秋声、龍之介なども十二分に愛読できた。
けれど、なぜか佐藤春夫の「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」は読み進めずに投げ出したのを想い出す。佐藤の他の作はそうでもなかったのに、著名な上記二作には、文学の「文章」は確かに在り、しかし、いつまでも物語が、いわゆる文学としての筋が、「展開」しなかった。
「作家さよなら」は、結局 わたしを「騒壇」の外へ自ら押し出したことになる、が、その実はその「騒壇」でこそ、わたしの厖大な依頼原稿の山は築かれて いたのだ。要するにわたしは、自分の願のままに創作し構想し出版したかったのだと思い当たる。わるい意味でもいい意味でもわたしは頑固で、たぶん時には頑 迷であったのだろうよ。
2018 1/14 194
* 選集の新巻編輯で、苦心惨憺。内容と頁数との兼ね合いは無視できず。かなり長時間唸っていたが、決せず。
2018 1/16 194
* 選集第二十七巻を、表紙、口絵、總扉、奥付を除いて全部入稿した。
わたしの、小説を含めて自発的と心している仕事は、「死なれて死なせて」「身内 島の思想」「花と風」「平安女文化」「中世論」「谷崎論」「藝能 茶の 湯・能」「古典と和歌」「ことば、京言葉、からだ言葉 こころ言葉」「差別批判」そして「京都論」という風になる。もうかなりの範囲を選定し収録した。予 定ではあと六巻。大量の文章がとり残されるだろうが、創作、詩歌・美術、講演・対談等、各般随筆選、年譜年表などまで、ハテ、手がうまく廻るか。執筆年表 がとてもわたしの手で纏まりそうにないが、記録は、九分半まで出来ている。
わたしの後半生の文学活動が一貫して電子メディアの利用によって捗ってきたことも忘れがたい。
健康と体力への不安がいつも忍び寄ってくる。今生を楽しみたい希望も失せ果ててはいないが、時間が足りそうにない。選集のためにはあとどうしても二年は 取り組まねば。湖の本の材料は、まだ二十巻分はラクに編めるが、からだとアタマとが追いつくか。脳のほころびはじりじり拡がっていると実感している。
2018 1/17 194
* 友人の「王十八の山に帰るを送り、仙遊寺に寄せ題す」とある白楽天の詩を、なつかしく読んだ。「仙遊寺」は、わたしが高校時代にどっぷり浸って、寺内の来迎院を舞台に処女長編『慈子 斎王譜』を書いた京の御寺(みてら)「泉涌寺」の前名または異名である。
曾て太白峰前に住し
数(しば)しば仙遊寺裏に到り来たる
黒水澄みし時 潭底出で
白雲破るる処 洞門開く
林間に酒を煖めて紅葉を焼き
石上に詩を題して緑苔を掃ふ
惆悵(ちふてふ)す 舊遊 復た到ること無く
菊花の時節 君の迴るを羨む
* なんと、懐かしい。なんと、羨ましい。
たしか高倉天皇は「林間に酒を煖めて紅葉を焼き」の心情から、衛士が帝愛玩の紅葉を焼いたのをゆるされた。
わたしは、ただただ泉涌寺が懐かしい。帰りたいのだ。
「黒水澄みし時 潭底出で 白雲破るる処 洞門開く」と。泉涌 来迎。
どんなに愛したろう、あの清寂を。
* 小説を書き継ぎたくて機械へもどっても、眼の不自由でよぎなくまたまた中休みしなければならない。仕方ないと諦めながら、想いついたり、思案したり。『ある寓話』の発端など、かなりに手を加えた。
2018 1/21 194
* 大事な捜し物をしながら、この機械の四面の極み無き混雑をすこしでも新たようと苦心惨憺したが、埃は舞い、労のみ重なって、効は無し。今さらに無用のものの多いことと棄てがたいこととに愛想も尽きて呆れるばかり。
それでいて、オオッとばかり久しぶりに目に入った材料に刺激されて「書きたく」なる。これ、書き上げるまで命があるだろうか。このごろはコレがついて廻って、情けない。
2018 1/21 194
* 筑摩の大系、古井・黒井・李・後藤篇の「解説」を担当されていたのが、川島至さんだった。川島さんは、わたしを、江藤淳の後任に東工大教授として呼んで呉れた当時の主任教授だった。
川島さんには、ごく早い時期に親切な書評を何度かしてもらっている、「異端の正統」というとらえ方だった。わたしは、作家としての出だし、盛んに「異 端」と謂われた。「清経入水」も「蝶の皿」も「畜生塚」も「慈子」も「秘色」も「或る雲隠考」も、みな「異端」といわれ、しかし同時に「美と倫理」の作風 とも評され、それなりに文学の「正統」を体しているというフクザツな受け取られ方だった、よく。
ビックリするが、わたしのような作風の作家は、当時同時代にほかに見当たらなかった。
今一つ、早くからわたしの作で際立ったのは、「美と倫理」の文学と受け取られながら、今日で謂う「不倫」の愛が何のためらいもなく書き継がれていたこと。不倫小説と謂われた覚えはなく、まだ「不倫小説」と批評される作もめったに無い時節だった。
わたしは、不倫などという批評のされ方はしなかったが、一作家としては、直哉も潤一郎も、藤村も漱石も、荷風も鏡花も必然の作風と共に不倫を書いてい た、書かない人は少なかったと自覚していた。当然だった。夏目漱石は「門」の中で、「誠」という物言いと共に主人公達の不倫の愛に深い意義を与えていたの である。
2018 1/21 194
* 古井由吉作「妻隠」を読み終えた。なによりも「文学である文章」に敬服した。わたしはこういう小説はまず今後も書くまいが、こういう「小説」が書かれ うる文学の可能性は嬉しく信じたい。解説者の川島至さんは古井文学には「作者」が存在しない、作に作者が干与しない稀有の文学といわれているが、「妻隠」 は、自筆年譜にもいう保谷在住新婚頃の古谷氏を髣髴とあらわしていると読めた。一つには、極くまぢかい同時期に、ほとんど様子も違わない間取りの社宅で、 ま、新婚の頃を暮らしていたから、その類似親近感に引っ張られて読んだせいかも。古井由吉、黒井千次、坂上弘といったわたしと同世代作家達が「内向の世 代」と評されていた作風としての「内向」へはわたしは向かわなかったと思う。わたしがもぐり込んだのは、歴史や他界をふくんだ「時空間」だったと自覚して いる。
* 片づけている内に手に取り、「承久記」と関連資料に読み耽っていた。「初稿・雲居寺跡」が露呈しているようにわたしは源平闘諍の十二世紀にも匹敵して承久の変に関心が深かった。「京都」の歴史的運命を変えてしまった遺憾な「変事」という思いが少年時代からあった。
その一方でというか、同様にというか、わたしは「秘色」や「蘇我殿幻想」や「みごもりの湖」や「風の奏で」でも、上古・古代の「変」事を繰り返し書いて きた。「変」は、新井白石の歴史観の骨格・結節を成している重要な概念で、白石好きなわたしはこれをよほど早くから「意識」し、小説の話材を探索してきた のだ。承久の変こそは古代が中世へ変貌する厳しい契機だった、わたしは、せめて『初稿・雲居寺跡』にそこそこの「結び目」をつけてやりたいのだ、が。
時間が、欲しい。
2018 1/22 194
* やがて十一時。「ある寓話」を、巻き返し前進させておいて、機械から離れよう。
2018 1/22 194
* 気に掛けている或る京都市内の一地点周辺の地図にこのところヒマをみては見入っている、その関連の捜し物に苦慮もしているが、いろんな想像の、それも恐ろしげな繪が、脳内にうち重なって見えてきている。役に立つかなあ。
2018 1/23 194
* 雪は、降る雪も積む雪も、たしかに美しい。そのあとが難儀。
つい先頃、新聞に応挙の名品「雪松図」の写真が出ていた。此の作は応挙のと限らず、世界の絵画ともヒケをとらぬ名品と思っている。
松に雪…。書いている長い小説は「雪と松」の物語になる。
* 「平成は穏やかであったか」20枚の原稿を書けと頼まれ、断りそびれた。書き始めねばならない。
* 八時半、京は機械の仕事を長時間続け、もう眼は潰れている。
2018 1/25 194
* 色川大吉先生に寝る前の読書、過ぎると眼をますます悪くするよと注意して戴いた。
今、順不同に新岩波文庫版『源氏物語』は「須磨」巻に入る。合わせて亡き島津忠夫さんの『「源氏物語」放談』を。これは強かに痒いところへ手の届いた「放談」めく研究成果本でありがたい。面白い。
ああもう何度、十何度目になるだろう、二十度めちかいパトリシア・マキリップの『星を帯びし者』をまたまた面白く、滑り込むように別世界へ歩を運び始め た。引き続いて三巻の相当な長編だが、一度は原作でも読んでいて、ほぼ隅々まで記憶しているが、愛読書とは、『源氏物語』も同じで、それでも読んで行って 新しい感銘も発見も得られる。
『家畜人ヤプー』の作者今は亡き沼正三の『マゾヒストMの遺書』がずんずん読める。読み終える頃にはぜひ『家畜人ヤプー』をわたしも書評した都市出版版の完成本で、数度目を読み返したい。
羽生清さんのじつに特異に構想構成されて多彩な挿絵意匠にも心惹かれる『楕円の意匠 日本の美意識はどこからくるか』を、再び、第一章「水辺葦 言葉の 霊」から読み進めて終えようとしている。神々の黄泉比良坂そして倭建の吾妻がたり。次の章は、伊勢物語の世界へ踏み込まれるらしい。世の才媛かとおぼしき 方、かかる詩情と洞察の日本論を書かれては如何か。
面白いのは、やはり鏡花の『芍薬の歌』 作風の違いを超え、「文学の文章」として昭和の戦後をあまりに温和しいが呼吸し得ているのは、筑摩大系本で今今読んでいるなかでは、古井由吉、竹西寛子、やや手荒いが富岡多恵子。
もう一冊は『口説音頭集成』です。とにかくも果てなく読みたくなり、わたしが選べばどの本も面白いのだから、処置無し。
* 加えて、私の「選集」の校正ゲラも慎重に読まねばならない。いま、第二十六巻を初校しており。もう明日にも第二十五巻の再校ゲラが飛んで来そう。
* しかし、なによりかより大事に頭も心も費消気味につかって連日呻いているのは、書き懸かりの小説の進行と成熟。そのためにわたしは癇癪玉を百も身に抱いたままでも生きている、毎日。
この日々の「私語」もまた掛け替えない相当量の創作のつもりでいる、ここにはウソは書かないが。
2018 1/27 194
* さて『ある寓話』が最終に間近く大きな景色にであうだろう、心静めて書ききりたい。無用に焦り慌てまい。
2018 1/30 194
* 小説のために、ここ数日、それ以上も、息をつめて「それ」を思っている。なかなかまとまった絵柄にならないが、急かず、歯を食いしばるように眼裏の闇に追っている、追いつめようとしている。『ユニオ・ミスティカ』は思いがけなかった方面へ根を生やしたがっている。
2018 2/4 195
* 落ちつかない。吶喊し突貫したい、まっ暗い高い壁。
*めげてしまわず、期限の迫った原稿を書いたり、しておかねばならん校正その他の仕事をしたり、読み継いでいる七八種の本を、心惹かれながら読み耽ったりしていた。
明日中には久しぶりの引き受け原稿「平成は穏やかであったか」20枚を書き上げる。もう三分の二は初稿出来ているが、ま、慎重に。
2018 2/5 195
* 歌集『少年』を何度か改版している間、わたしは俳句へは、気持ち距離を置いていて、蕪村は愛読しても芭蕉にすらやや身を引いていた。子規でも短歌の方に早く親しんだし、虚子よりも左千夫や節へ先に身を寄せた。
しかし徐々に俳句は難しいと歎きつつも芭蕉に胸打たれ、子規や虚子の句に心惹かれ、俳句の「俳味」を思いまた愛する気持ちを受け容れていった。
不幸にして、古今の歌集にくらべことに近代のすぐれた俳句集を多くは所持していない。私的に親しかった数人の句集を戴いて愛玩してはきたが、史的な展望で 近代現代俳句を所有は出来ていない。幸い三省堂の呉れた本に、稲畑汀子編『ホトトギス 虚子と一〇〇人の名句集』一冊があり、座右においてしばしば手をの ばすが、俳句は難しいという思いはなかなかあらたまらない。ひとり、ついつい虚子の境涯にのみ引き寄せられている。これだけの百人が夥しい作で選ばれてい ても、心惹かれ心打たれる句は決して多くない、むしろ少ない。
けれど、わたしは一心に近代俳句を読んで味わっている。そしてそれなりにわたし自身の「理解」も得つつある。
いつか、その「初感」を纏めてみようと思っている。外野、黙れと、またまた怒られるかも。
2018 2/13 195
* もう前世紀のことになるが「東京新聞夕刊」でことによく読まれてきた匿名「大波小波」欄に、前後十年の余も寄稿し続けていた。いわば私の「批評」を磨く砥石のような絶好欄であった。
最初に、「秦さん書きませんか」と依頼されただけ、で、そのあとは筆と思いにまかせ寄稿するだけ、採用するしないは編集局の裁量だったが、驚くほどよく採ってくれた。時には連日採ってくれたこともあり、寄稿内容が別の場で話題にされることも、まま、有った。
ま、そういつまでもする仕事でないと思い、新世紀に入って数年で自然と遠のいたが、「湖の本」の二巻分も溜まっているのではないか。ま、「前世紀の遺物」という言い訳で、この際まとめておければ、秦 恒平・一筆呈上「批評」のサンプル集ともなるだろうか。
2018 2/17 195
* 「選集」26巻の初校を終えた。兄恒彦との往復書簡を収め得て、感慨深い。元気でいてくれたら、もっともっと多く話したかった。「京都」を語りあうのに此の兄ほと゜屈強の話し相手はなかったろう。死なれたことの最も重いものを兄はわたしに遺していった。
「湖の本」139巻を入稿もした。
2018 2/17 195
* 「選集」第二十六巻の初校済みを送り返した。第二十五巻の責了へ歩を進めるが、近いうちに第二十七巻の初校ゲラが届くと通知が来ている。「湖の本」139巻の初校出も早いことと想われる。
* たまたま重なった依頼原稿の一本は一応送ってあり、もう一本はムズカシイ原稿だが枚数は少ない、その少ないところがムズカシイとも。好き勝手な随感随 想なら、いくらでも書ける。この日録のあちこちから拾って纏まるだろうモノも数知れず、その気で文章は書いている。ミスタッチの誤記など気にしていない。 気づけば正確にすぐ直せるのだし、読んで下さる人も察して下さるものと甘えている。
2018 2/19 195
* 仕事しては寝て休み 起きて仕事してはまた寝て休んでいる。一つには眼を休めるためだが、不可解な疲労感は抜けない。嬉しいこと楽しいことがあると、たと えば佳い映像や劇をテレビなどで見つけると心身の晴れを感じる。庭へ来る小鳥たちを見つけてもホッと嬉しい。黒井マゴがいてくれたら、どんなに楽しくここ ろやすまるだろう。国会の映像や総理の顔や声が目に耳にくるとヘドが出そうになる、リクツは謂えない、ただ不快感に掴まれる。ま、こういうことは、お互い 様であろう。
もう二十年も三十年も昔にした対談や鼎談を機械に入れて校正しいると、懐かしく嬉しくなる。今日は、今西祐一郎さんがまだ九大助教授の時代に、教授の中 野三敏さんと三人で、「日本の古典とエロティシズム」を話しあった初出誌を読み直していて、面白かった。とうじわたしは東工大へも出ていた。話題が高潮し てくると、もう一時間も二時間も時間をくれていたらと、話し足りていない、残り惜しい気がしたほど。
あの鼎談が済むとすぐ、わたしと同い年の中野教授は持参の風呂敷からやおら「上出来」の春画帖を披露してくれた。春画は苦手だが、性の話題には「古典」 とも「歴史」とも「日本人」とも意味深く絡み合う機微が豊富で、いままさに書き継いで仕上がろうとしているわたしの『或る寓話』も、あの鼎談の頃にはひそ やかにわたしの身内に孕まれてたのかなと思ったりする。
* わたしは文学部の出だが「文学」の専攻生ではなかった。しかし顧みれば、なんと大勢の文学・古典・日本史の優れた学者達に親しくしていただいてきたか と、瞬時、頬が熱くなる。上司でもあった長谷川泉さんを別にしても、ちょっと疎かに名を挙げにくいほどわたしは大先達の「学者・研究者」らの知遇を得続け てきた、今にしてなおしかり、今西さんや長島弘明さんのようにすこしお若い先生方とのお付き合いも途切れていない。いちど、本気でお名前を列挙してみたら 我ながら驚嘆するだろう。
妻に、よく笑われる、お年寄りにばかりモテル人ね、と。文学生活を顧みても、「まったくだ」と頭を掻くしかないほど。そのいっとう最初が、太宰治賞選の 満票であったなあと、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫という錚々たる選者先生のお名を思い出す。
2018 2/20 195
☆ お元気ですか、みづうみ。
雨が降りそうですが、ほんのり暖かくて春の雨という言葉が似合います。
本日は一つ質問させてください。
昨日の私語で、羽生清(きよ)さんの『楕円の意匠』について「語の正しい意味でのみごとな『エッセイ』である」と書いていらっしゃいます。『「研究」の名に悪酔いした程度の自称研究者では こういう独創の所産・創出、なかなかあり得ない』とも。
広辞苑の説明によるとエッセイは「①随筆。自由な形式で書かれた思索的色彩の濃い散文、②試論、小論」です。また同じく随筆については「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。漫筆。随想。エッセー」とあります。
昨今の書店にエッセイとして並ぶのは、後者の随筆をさすものが多く、作者が肩肘張らずに書いた身辺雑記であったり、作家や芸能人の余技として書かれた感想文のようなものがあふれていて、エッセイは小説や詩より気軽な読み物扱いされる傾向があることは否めません。
しかしながら、秦恒平のエッセイはそのような仕事ではなく最高の文藝です。
選集第二十二巻(女文化の終焉・十二世紀の美術・趣向と自然・中世の美術・中世の画人たち・光悦と宗達)のあとがきで、みづうみはエッセイについて、こう書いていらっしゃいます。
「エッセイ」とは最も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智である。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって「言葉の藝術」になる。
みづうみの文学活動における「語の正しい意味でのエッセイ」とは何か、なぜあえてエッセイを書きつづけていらしたか、頭の悪いわたくしに、もう少し詳しく教えていただけましたら幸いです。
これからお昼ご飯です。昨夜作って一晩寝かせた野菜のカレーはおいしいのですよ。
雀 雀隠れに餌を撒き夫婦信じ合ふ 相模ひろし
* いつもの句名乗りの「雀隠れ」が季節感を招く。草木の芽が、春になりようやく伸びて、雀がとまったとき、からだが隠れて見えぬほど茂ったことを謂う「雀隠れ」きいわゆる季語なのである。作者を知らないが、おもしろい句だ。
* さて「エッセイ」だが。わたしは世間で軽く謂う随筆・漫筆・雑文の類とは異なって、自身に対し躾けているエッセイへの思いは、上に引用されてあるように、最 も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智の散文表現、それを「エッセイ」であると。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって本質志向する「言葉 の藝術」それが「エッセイ」であると。成し得ているとはとても言いがたいが、湖の本を「創作」と「エッセイ」とに分けたときから、わたしはそう自覚してき た。「エッセンス」という意味で「言葉の本質の精華」をこそ「エッセイ」は表すのだと。表したいと。
2018 3/5 196
* 洛中の杉本秀太郎と洛外のわたしとの京都対談はケッサクだった。
追いかけて、歴史学者の脇田晴子さんと、正月の新聞で二日にわたり「利休」を語り合った対談も面白い。
わたし自身の記憶以上に、コレまでに数多い対談、鼎談、座談会をしてきた。受けたインタビュー記事も、大小結構残っているし、講演と放送原稿となると、 手が回らず放り投げてあるのも含め何十回もそれ以上も引き受けていた。アタマの体操としてはかなりいい刺激になったし、話し言葉を介して見つけていったポ イントも有った。
東京へ出て来てもう満五十九年が過ぎている。昭和三十四年(1959)二月末に妻と上京し、そのまま用意の新居(新宿川田町のアパートの六畳一間)へ入 り、すぐ、本郷の医学書院へ採用前の見ない出勤、そして三月十四日に新宿区役所へ結婚届を出したその晩に、妻の母方親類(伯父)の家へ妻の兄妹はじめ親戚 らが集まって披露と対面の機会をつくってもらった。
五十九年は永くも夢のようでもある。もう事を終えたのでもない、終えるということは無いだろう。
2018 3/7 196
* ある年の正月元日の新聞のために「利休」四百年を記念の対談をし たとき、お相手は滋賀県立大学名誉教授、対談当時は鳴門大学教授だった脇田晴子さんで、のちに文化勲章を得られるほどの中世商工業専門の歴史学者とも何も 知らなかった。読み返していても、まるで脇田さんに聞き役を務めて貰ってたような成り行きで。ただ生年はわたしより八歳も若く、それにしては一昨年の逝去 は早すぎたと惜しまれる。長生きしてきた間には、いろんなことが有ったんだと可笑しくなる。
2018 3/8 196
* 「湖の本」139巻を要再校用意した。「選集」25巻校了へ漕ぎ着けた。「選集」26巻は再校進捗、「選集」27巻は 初校進捗、「湖の本」140、 141巻も入稿の用意が進んでいる。湖の本創刊三十二年の頃には、仕掛かりの小説、せめて一作にしっかりメドをつけたい。もう少し、もう少しのところで濃 い深い闇の底を這い回っている。
2018 3/11 196
* 「湖の本」114は「ペンと政治」と題し2012・12・8 に「序にかえて」を書いて、あえて一文士の私が「政治」に触れると述べ、本の表題には はっきりと「新世紀へ、崩壊の跫音」と挙げた。続いて「湖の本」115でも「ペンと政治 二上」として「福島原発爆発」そして「変節野田内閣」をはげしく 責め、「湖の本」116では「ペンと政治 二下」として、「野田総理の惨敗・安倍<違憲>内閣・迫る国民の大不幸」と国と国民の前途を憂えた。さらに「湖 の本」122では「九年前の安倍政権と私」と題し、好む内閣の悪政により国民に迫ると予言した「大不幸」が歴々の事実と化して国と国民の上にのしかかって くる怖ろしさに言及し筆誅した。さらに時を重ねて今日只今の、一例がモリトモ・カケイのていたらく、さらに大きくは極東での書くの脅威と緊張に対するとて ものことケッコウとは申しかねる拙な外交等々、もう、エエカゲンにしてんかと歎かずにおれない。
ある雑誌は、わたしに「平成は穏やかであったか」と聴きにきたが、わたしは、これは「平成」の両陛下にこそ真率にお伺いしたいと願ってしまうほど、真正 直なところ、憲法の尊重、平和の希求、国土と生活との安全、主権在民と基本的人権、福祉等々、あらゆる面に置いて新世紀の日本の政治、ことに第一次以来の 安倍政権のウソクササにはほとほと怒りの余りに泣けてくるのである。
昨日今日に思い至ったのではない、わたしは「崩壊の跫音」を新世紀の早くからきっちり予言していて、予言は不幸にも外れてくれなかった。
2018 3/12 196
* 沼正三の、「遺書」のエッセイや物語『ヤプー』を読んでいると、つくづくわたしは、マゾヒズムもサディズムも無いなんとも早やまともな健常普通人でしかないことに、いささか落胆しそうになる。
* ま、しかし、『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』がどんな風に纏まるのか、纏めたい仕上げたいのか、自分との問答は、もう暫く根気よく続くらしい。
2018 3/19 196
* 午前に寝、午後も寝て、大儀に目ざめたら四時だった。心身がそれを望んでいるのなら、暫くは付き合ってやろうと思う。
もう「湖の本」139巻の再校が出て来た。「選集25」送り出しまで一週間、用意は間違いなく間に合う。四月中ないし連休前か中には上記「湖の本」を、さらに桜桃忌までには「対」の次、第140巻も送り出したく、それももう心用意して行かねば。出来なくはあるまい。
* 昨日、江古田二丁目バス停ならびの大櫻たち、咲きはじめたのも、一斉に蕾の紅らんだのもあった。それでいて今日も明日も真冬並みの寒さと。国会もお天気も、狂うておはそうず。
* ここ暫く手の出ないでいた長い創作を今日は読み返していた。わるくはない。
本もいろいろ読んだ。読書の前後に寝入ってたりした。本を発送の用意も九分九厘まで手を掛けた。
2018 3/20 196
* そして昨日 今日 わたしはわたしの『或る寓話』へも立ち向かっている。
2018 3/22 196
* 「湖の本」140の初校ゲラも届いた。139の要再校戻しはほぼ目前のこと、141入稿の用意もほぼ出来てある。「選集」は第二十七巻まで目下自動的 に流れ進行中。その次をどう編むかは、まだ決めていないが急ぐことは無い。明後日からの第二十五巻を送り出してからは、書き下ろしの創作へ集中できるだろ う、ぜひそうしたいと願っている。
2018 3/27 196
* 昨夜、重ねて亡き柏原兵三さんの短篇「毛布譚」を読んだ。健康な均衡を保って心温かい。措辞文章淡々の味わい、穏和で家庭的な私小説の極に位置する か。志賀直哉の私小説には時に反世間的な「劇」的展開が読めてハッとさせられるが、柏原さんの私小説には「劇」の影がさり気なく抑制されてある。教養的な と評判されているようだが、平衡を保って心慎ましく家庭的な、と謂いたい善意の世界に読める。わたしには、書けない。
小学館版「昭和文学全集」第三十二巻「中短篇小説集」の中ほどで、柏原兵三作「贈り物」に次いでわたし秦 恒平作「廬山」が収録されている。世界と作風との差異は、目に見えて、著しい。
しかしながら、今回のわが読書企劃でかつて読み知ったことのない柏原文学に出逢ったのは胸に柔らかに灯のともる感覚だった。他にも心ひかれた二、三の同世代作家の作風とも顕著に異なって読めた。わたしはこうは書かない、書けない、という心地もまた確か。
妻にも読んでもらった、予想通りに、肯定・親和・好意的の受容であった。
2018 4/3 197
* 何としても、仕掛かり二つの小説を心ゆくまで書き上げたく、選集も、予定のもう八巻(未編集は六巻)を仕上げたい。
なぜ、こう心身に活力を欠くのか自分でも分からない、あるいは、分かっている、のかも分からない。
わたしは今、昨秋の妻が院手術の頃のように、事を挙げて「祈る」ということをしないでいる。ただ、妻が両親からうけついだという鐵観音像に向かい、また 秦の両親と叔母との位牌に向かい、毎朝夕、お互い過ぎ来し八十余年の数々を念頭に、「有り難うございました」と頭を下げ、且つは今日只今も護られているの を「有り難うございます」とのみ、心ゆくまで繰り返し頭をさげている。尽きるところ、わたしにはもう、「感謝」しか無くなっているようだ。くだくだしい言 葉での祈りはしていない。過去を感謝し今日を感謝するだけ。
* ロクなことをしてこなかったことも、根が、ロクな人間でないことも承知している。今更 仕方がない。意馬心猿をしょせんはよう鎮め得ないヤツとして、このまま衰えて行くと諦めかけている。かけているという未練も笑えてしまうが。
ま、正気のある間は、もう、一とがんばり粘るとしよう。
2018 4/5 197
* ずうっと、『或る寓話』に組み合っていた。小説世界へ入っていくと疲れを忘れてられる。ただ、眼は疲れる。
2018 4/6 197
* 花粉のせいかと想うが、旧臘このかた、久しくも洟とくしゃみに悩まされ続けている。
十一時、もう機械から離れよう。
『ユニオミスティカ 或る寓話』はたいへんな作に成ってきて、しかもなおなおの展開欲も加わり、呻いている。
最近、「これが純文学だ」と自ら吠えている小説集をもらったが、本当にそうならば、わたしは「純文学」など書きたくない。
今夜からは坂上弘氏の、さ、何を読もうか。
2018 4/7 197
* 茫然と 機械にただ触って、あれこれしている。頭の中では、小説の嶮岨に足踏みしている。
天気が良ければ出かけたい気があっても、何処へという何のアテも思い浮かばない。外で、独りでウカと酒を飲むのはもう、アブナイという以上に、危険な気がしている。
間違いなく楽しめるのは、優れ本の読書だけか。それも視力を尽くしていうアンバイに成って行く。それならば「読む」よりは「書く」方へ死力を尽くしたい、たとえ思うたままの「有即斎箚記」であろうとも。
2018 4/8 197
* 今ぶん 「秦 恒平選集」でいえば、第一巻から第十七巻の戯曲「こころ」批評「こころの心見」までが、わたしの小説・創作と、以降第十八巻「梁塵秘抄 閑吟集」からさき がわたしの論攷や批評を含んだ思想とエッセイの世界に入っている。後にもう二巻ばかりは小説・創作をと記しているが、予定してきた三十三巻では漏れ落ちる 仕事がでるだろう。
何にしても、わたしの文学・文藝は創作と思想との両翼で、その片方だけで見終えてしまうことは出来なかろうと私自身感じている。
「身内 島の思想」「一期一会」「花と風 古代と中世」「谷崎潤一郎」「古典 文学と藝能」「女文化」「和歌と美と美術」「手の思索」「死なれて死なせて」「京都と京ことば」「手の思索」「身と心 からだ言葉・こころ言葉」そして「ペンと政治」「バグワン」…そして敢えて謂えば、「性の衝動」。
どの創作にも、わたしのエッセイ・思想は裏打ちのように貼り付きしみ通っているのではないか。
2018 4/9 197
* 昨夜、坂上弘氏が昭和四十四年の二月に発表した「野菜売りの声」を読んだ。なんらの感興も得なかった。仔細に見ると文章にも渾然の筆はつかわれてい ず、要するに「母」と「息子」との切り離れのまったく無い私小説(語り手が作者自身では無かろうとも)に終始し、そのなかに文学的な感銘、志賀直哉からな ら得やすかった純度の高い感銘は得られなかった。
この昭和四十四年桜桃忌にわたしは「清経入水」で受賞し、「新潮」八月号の新人賞受賞者特輯では坂上氏の新作その他七八人の作とならび、わたしの「蝶の 皿」も掲載された。「清経入水」や「蝶の皿」が、その時期新人文壇の露わな「私小説・身辺小説」傾向とどれほど懸け離れていたか、わたしは、これが文壇、 これが作家というのなら自分は「作家さよなら」だと即、そんな手記を書いたのを覚えている。しかしわたしは立ち止まった。「清経入水」は当時最高と黙され た選先生の満票当選であったし、「蝶の皿」の反響もよかったのである。受け容れられる余地が全くないのではないと感じられ、で、引き続きわたしは「畜生 塚」「慈子」「或る雲隠れ考」「秘色(ひそく)」などを発表していった。
わたしには絶対に現実に葛藤すべき実父母をもたなかったから、親と子とで紡いでいるような「私小説世界」は持っていなかった。わたしは「他人」「世間」 と関わりつつ「身内」を願う行き方しか生来持たなかったのだ。柏原兵三氏「徳山道助の帰還」「毛布譚」、高井有一氏「寒い河」、坂上弘氏「野菜売りの声」 のような「親子」小説をわたしは書くすべだに持って無かった。わたしは血縁や家族でない「他人」にこそ人生の真を探索していた、少年の胸の内で、いつも。
2018 4/10 197
* 今度の巻の、実質は 「能 死生の藝」「能の平家物語」と「宗遠、茶を語る」「茶ノ道廃ルベシ」の二本の柱で支えている。
いま、能と茶と どっちが現代日本人により近しいか。
言うまでもない、日本人は、老いも若きも、目ざめた朝から晩おそくまで、時として、いろんな種類のお茶ないしお茶代わりを呑み、暮らしの拠点を茶の間に主に置いている。
わたしは「日本人の茶好き」を「茶の湯」世間の独占所有かのようには考えも語りも説きも書きもしてこなかった。
そこを理解して私の「茶」ばなしに近づいて下さると、例外なく、日本人の日々の暮らしと独特に密接してくるのだが。
2018 4/11 197
* 十時。何としても、次の「湖の本」139の納品、五月十一日発送までに、『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』集結へ向かう最後の難所・関所を踏み破りたいが。
2018 4/12 197
* むやみやたらに 京都 流行だが、けっこうだが、 ただ 上澄みの一辺倒で わたしの いわゆる 「洛東巷談 京都縦横無尽」「京のわる口 京ことばの凄み」ふうの大きな半面がほとんど省かれている。それはそれで宜しいけれども「京都」の凄みも知ってていいのでは。
2018 4/14 197
☆ 西洋の
多くの古典に眼を通されていることを知り、それが先生の著書の通奏低音として静かに響いていることを知り あらためて敬服いたしております。
私が、西洋の古典文学を意識して読むようになったのは高校時代からでした。
大きな影響を受けたのは、桑原武夫著『文学入門』(岩波新書)です。巻末に西洋の小説50選リストがあり、これらを大学卒業までに9割方読みました。
社会人になると、手に取る本は、金融、法律、会計、統計などなど実践的なものばかりで古典文学をひもとく余裕はなかなかありませんでした。たまにモームやシャーロック・ホームズのペーパーバックの頁を繰る程度でした。
プラトンは、高校時代に大学受験を目前にしてなぜか突然本屋に注文して手に取り
ました。爾来付き合いを続けています。
古典ギリシア語を学び原典に触れるようになってからようやく少し理解できるようになりました。(この辺のことを奈良康明先生の仏典を読む会の会報に寄稿した昔の文章を添付いたしました。お目通しをしていただければさいわいです。)
会社を定年退職し5年間で三つの大学院をハシゴしましたが、これは専ら環境問題の研究に専念しました。
ようやく11年前から哲学書を楽しめるようになりました。
病と上手に付き合いながらマニアックにギリシア哲学の原典講読を続けていきたいと考えております。 篠崎仁
* 添付されていたギリシア哲学体験記も読ませてもらった。
ギリシア哲学については、つとに原始佛教との意味ある接触を識っていたので、むしろ佛教の側から好奇心を伸ばしていたが、何と云ってもギリシア哲学はプ ラトンなので、「饗宴」や「ソクラテスの弁明」などを先行させながら、岩波文庫のプラトン本を古本も含め買い集めて、読めるだけは読んだ。夢中になった程 ではなかった。一年で放棄し東京へ走った、大学院での専攻が哲学・美学だった。
ま、わたしはとにかくも雑食の読書家だったし、芯の関心は、日本史、日本の古典、日本の美学、日本の信仰にあったから、西洋哲学は、時代を飛び飛びいろ んな古典的哲学書をつまみ読みしていただけで、大方は、必要に応じ通史的な「西洋哲学史」をおよそ便宜に利用していたに過ぎない。
* 少年の昔から法然上人に惹かれて、日本化した浄土佛教を識って行き、遠祖ともいえる晋の恵遠を「廬山」に書いた。滝井孝作・永井龍男に芥川賞へ推され、永井先生には「美しい小説、美に殉じた小説」と書いて頂いた。
後年には、そして今も、禅へ心惹かれ、「バグアン」と出会って今日がある。
基督教への好奇心的な関心も早く芽生えて、とにかくもあの浩瀚な旧約も新約聖書も通読してきた。関連の映画もあまさず観てきたが、教会の歴史や在りよう には厭悪感もあり、むしろ基督教典への入門や解説をたくさん読みつぎ、ついに新聞小説で、「親指のマリア 白石とシドッチ」を連載した。
日本の神道へはじかには近寄らず、柳田国男全集 折口信夫全集を手もとに揃えて濫読に近く多読した。私の目線は高踏にはなく民俗へ向いた。もともとわた しは、信仰という人間の心根にこそ関心はあっても、宗教・教派・教団という党派色のきつい組織は毛嫌いしてきて、今も変わらない。
* こんな粗雑な回顧ででもいささか自身を顧みられたのを篠崎さんに感謝する。
2018 4/15 197
* 封筒に、わたしの住所印などを発送予定の数に満ちるだけは事前に捺しておかねばならない、これは根気仕事でかなりシンドイが、ま、やがての「湖の本」 139分は捺し終えた。宛名印刷して封筒に貼らねばならない。足りない分は宛先と住所を手書きせねばならない。出来本の送り出しこそ一等の注意力、腕力を 要する労働なのである。
云うまでもなく、収支はつくなわない、当然の赤字っているが、幸いそれは気にしていない。選集も湖の本も建日子さんの支援が有るのでしょうと云う人が、ときどきいるが、両方とも、ビタ一文の支援も手助けもしてもらっていない。
稼いだだけは使い果たして死にたいと昔から考えてきた。だんだん近い気がしている。せめて、もう三年、待ってくれるといいが。妻の、母親の面倒は息子がみるだろう。
* この「私語」も、追い追い、老い老い、もじどおり「闇に言い置く」感じになって行く。育ての親たちに手をつき頭を深くさげて京都を離れてきた日々をこのごろよく思い出す。秦の父がひとりで京都駅へ見送ってくれた。
来年春にはあれから六十年になる。ウソのように驚かれる。ウソではなかったのだ。それどころか秦の父も母も叔母も東京へ引き取って、みな「平成」に入っ て見送った。三人とも九十歳を越す長命で、一番からだの弱かった母が、九十六歳まで生き抜いてアトを追った。耳も目も歯も弱っていたがボケていなかった。 今でいう誤嚥で逝ってしまった。
* ほんとうに可能なら、三十三巻で「選集」を結びとめ、ほどをみて「湖の本」を終刊にしてなお正気と体力とが残っていれば、京都へ一部屋でも借りて帰り たいという願い、無くはない。だが、それは以下にも気弱。「湖の本」の種はまだまだまだ尽きないかぎり奮迅すべきかとも。からだや気が保てればいいが。食 べられない、食べたくないというのが、なにより今、心もとない。
2018 4/15 197
* 「myb」の新装新刊5号が届いた。大きな「特集①」は「『平成』は穏やかな時代だったか」で。八人の筆者のトリをとって、実に実に久しぶりのわたしの原稿が掲載されている。編集室は、ま、喜んでくれた。云うべきを、よく考え、取り纏め云うたまでのこと。
この春は、紅書房の依頼にも久々に応えた。ま、恥ずかしくなく責に応じ得たと思っている、句集の俳人奥田杏牛さんからも名だたる「久保田 萬壽」一升を戴いて恐縮した。
* 植物病理学者で茶人でもある北海道のmokatさんが出張先の灘で選んで送って下さった純米大吟醸の一升は名付けて「風花」でした。もとより「花と風」とは私の詞藻と思想面での代名詞。実に心得ていて下さり嬉しかった。
* とにかく原稿料で稼がない、出版は即出費だけの代名詞であり、卑しいけれども、ご好意の品が配達されてくるいわば「花」や「風」の賑わいを、老夫婦は心より感謝し喜んでいる。
* ああ それにしても 「おだやかではおれなかった『平成』」が、もう、三十年とはね。
2018 4/16 197
* ただ懐かしいのではなく、京都へはどうしても帰らねばラチの明かないアテがある。
実は、脚を延ばし、瀬戸内の目当てへも行きたい。
行けないためにと謂うのは情けないが、それ有って、書きかけの小説は一つは九割がた、一つは六、七割がたで、苦悶しつつ頓挫し二年を経ている。京都が懐かしいと繰り返す時、わたしの想いは苦悶に近い。
しかし、小説の取材は、観光・物見遊山でない。一種の狂気に入って独り其処に同化し作の世界や人物と対話しつづけなければ無意味な散策に尽きてしまう。
しかし、私の心身に現に生じている臆病と億劫とは、宿を予約し新幹線に乗るというそれだけをもさせない。ぜひ独りで動かざるを得ないし、さだかなアテド もなくひたすら歩きまわらねば済まない。実を云うと目指しているその方面に、わたしは、ほぼ不案内なのである、行ったことも観たこともない京都なのであ る。疲労し、そんな出先で潰れたら、と想うと二の足を踏んでしまう。
もしかりに建日子が同行してくれると言い出そうが、それでは父子の「観光」旅行なみにむしろ京都を識ったわたしが息子にサービスすることになる。作中世界との対話はとてもそんな遊び心地では実現できないほど幻怪に難しかろうと、今も、看ている。
他の、何を措いても第一の優先事でありながら、実現出来ない。弱ればますます出来なくなる。わたしが「京都へ」というとき、現実世界の誰や彼やに会いたい見たいでは、無い。進行中の作世界と何より何処より出会い…たい、のだが。
2018 4/17 197
* 自分の今の仕事に停滞を来しているしんどさも手伝い、いろんな優れた著作にいまわたしは心身を浸し続けてもいる。
2018 4/18 197
* 選集第二十七巻の初校をようやく終えた。なんと600頁に辛うじて抑えた。重い本になるが、読みやすさや面白さではうまく纏まったと思える。ほっとし ている。次は、第二十六巻を慎重に責了にし、作家生活満四十九年の桜桃忌までに刊行しく、合わせて第二十八巻の編輯を進めねば。予定では、あますところ六 巻分。とても満ち足るワケに行くまいから、少しでも残念・未練を減らすべくよく工夫して編成しなくては。ムリに強行すれば作家生活満五十年の日までに仕上 げられなくはないが、もはや何を急ぐ必要もない、「湖の本」百五十巻も「選集」三十三巻も、ただただ健康との相談を大事にゆっくり楽しめば良い。
* 「湖の本」はこの六月十九日までに百四十巻になる。平均すれば、これらの一巻一巻は量的に市販単行本のほぼ一冊分に相当している。つまり三十二年かけ てそれだけの本を出版してきた、送り出してきたわけで、これは「湖(うみ)の本」というかつて例のない類のない発明がさせた仕業である。三十二年前にわた しはすでに人も驚く数の市販単行本をすでに持っていたし、持てていたことが「湖の本」を可能にしてくれた。この可能が、わたしの「読んで・書いて」の跡絶 えない日々の結果を「出版」というかたちに実現してくれた。三十二年前のわたしにコレがなかったら、幸い依頼原稿は跡絶えずに原稿料は稼いでいたろうが、 秦 恒平著という「単行本」は容易にうまれてはくれなかったろう、それが「良い本」よりも「売れる本」へ狂奔していた当時いらいの出版状況で、今日はさらに悪 く煮詰まっていると、とても本など出して貰えないと文学作家達は歎いている。開店休業を強いられるか、安直読み物へ筆を枉げるしかないという。
* 或る社の或る編集者は、叛逆の敵前逃亡と嗤い、到底十册も出せまいと断言したが、わたしは、ま、本ものの「編集者」で、そのうえ有り難い「いい読者」をもつ「作者」であった。
そのわたしの背中を、ただ黙って押して、「湖の本」のためいっとう肝腎で一等有り難い印刷会社を一言半句なく即座に紹介して下さったのが、文藝春秋の寺田英視さんだった。
むかし、亡くなった鶴見俊輔さんのインタビューを受けたとき、鶴見さんは、多くの作家がどんなに秦さんの「湖の本」に習いたいと願ってるか知れません よ、ただ残念ながら条件が調わない。第一に継続可能な作品の量と質と産出力、第二に熱い「いい読者」、第三に編集・製本の技術、第四に家族の協力、第五に 疲労を超えて行く事務能力 が、大概の作家たちにはとうてい望めないからねと云われた。
* 「選集二十七巻」600頁を一気に「要再校」請求の手を入れて、宅急便に託してきた、
* 上の作業しながら吉永小百合の映画「伊豆の踊子」を聴いていた。高橋正樹の高等学校の「書生さん」役は、彼生涯の出来役で、その後は無用に気張るばっ かりでほぼ観るに堪えないが、この映画ではさっぱりと初々しい。最近のイケメンたちよりよほどいい。「伊豆の踊子」の書生さんでは、ヒロインと結婚し ちゃった彼が好き。ひはり主演「伊豆の踊子」の「書生さん」はややイカツイ青年だった。
この映画観るつど、川端康成が「感動」源をむ抱いたまままっすぐ人々の胸へ撃ち込んだ名作は、やはり「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」に尽きていて、その後は 作がだらしなくなるが希薄になるか奇に走っている。わたしの偏見かな。
2018 4/19 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「貴顕の人の打ち明け話にもましてわれわれの自惚れをくすぐるものはない。なぜならわれわは、そうした打ち明け話はほとんどの場合、単に虚栄心からか、も しくは秘密を胸にしまって置けないためにされるにされるに過ぎない、ということは考えないで、これをわれわれ自身の人徳の然らしむるところだと見なすから である。」
* 兼好法師考で、彼が自讃の一条、法聴聞の暗い堂内で貴女にしなだれ寄られたのを、半世紀も昔の論攷ないし創作時に解したのが、上記とまさしく同じわたしの観測であった。
2018 4/20 197
* 選集 予定だと あと六巻 四苦八苦して算段してみたが、少なくも二、三巻は足りないと見えてきた。あたまの禿げるほど無いチエを絞って「編輯」という仕事をとりあえずは一応完遂するしかない。ウーム。
2018 4/20 197
* 吉村昭さんの「海の柩」「休暇」「ハタハタ」を読んだ。このどれ一つにも作家吉村の年譜的背景は関わりなく、すべてが興味ある題材を見つけて追いかけ た調査結果のような小説になっている。作者の生な血液型が関与していない創作なのだ。そうかそういう作者がいるんだと発見した気分。
わたしも、どれかそんな小説を書いたろうか。只の一作も無い。どの作にも私の生身の血が流れ込んでいる。それが佳いのか悪いかは知らない。自分と切れた調べ仕事のような小説読み物で佳いなら、わたし、今でも、幾つでも書けるなあ。
2018 4/22 197
* 金井美恵子さんの短篇「帰還」「腐肉」など読んだ。作風、分からなくはない。しかし趣向の短篇としては切れ味は今一つで、不思議も奇妙も怖さも、今一つもの足りなかった。少し長い作も読んでもようか。
* で、此の巻に収録した自作も読むのか。
ま、それは時間を節約しよう。いま思っても、あ、しまったという作品選択はしていない。
* そうそう。それよりも、こういう全集には「月報」が付いて、収録作者について「語って」貰えている。吉村さんには「早稲田文学」での盟友らしい岩本常雄氏が、金井さんには俳優の殿山泰司さんが書かれている。
わたしを紹介して下さったのは、太宰治賞の選者のお一人でもあり、文学・史学・哲学の碩学として知られた唐木順三先生であった。ふるえるほど嬉しく、また恐縮した。
どんなことを書いていて下さったか、畏れ多いが、本が出た当時どれほどわたしが嬉しかったか、察して頂けようかと。
☆ 秦 恒平の独自性 唐木順三
秦恒平氏の生れ、育つたのは京都の祇園界隈、中学も其処、高校も其処から遠くはない。大学は同志社。少年の時から『源氏物語』に取憑かれ、光源氏、薫大 将、匂宮、その光のかがやきや陰翳、薫りつや匂ひの濃淡や色合を己が感覚世界に移して、よろこびやあはれを共にするといふ早熟さであつた。高校生のときに は同居してゐた叔母に茶の湯を習ひ、習ひに習つてほどなく代稽古をするといふほどの域に達した。『源氏物語』と茶の湯、五十四帖の、時とともに展開し、読 む者の心にさまざまな想念と自由な情景をかもしだす物語と、狭い茶室の中に人と人とが寄合つて、茶を点(た)て、茶を喫するといふ単純な行為の中に主客と もどもの共同空間、共通感情をかもしだす茶会式と。この拡散と集約、自由と規制との二つの方向を、本人の意向に拠るか否かは別として、若い秦恒平が合せ兼 ねたといふことが、後の創作活動にとつての要(かなめ)となつてゐると思はれる。
祇園といふ遊里を含む一帯には伝統につちかはれた芸事(げいごと)、稽古ごとが、なほ生きてゐて、其処に住む人々の行住坐臥にも、ゆきずりの挨拶言葉に もおのづからにそれがあらはれてゐた。観世父子の「稽古は強かれ、情識は勿れ」とか、「能(のう)は若年より老後まで、習ひ徹るべし」といふ一徹さが、謡 ひにも舞ひにも、また市中の茶の湯の稽古にも、さまざまな芸事にもなほ残つてゐたと、秦恒平を通して、否応なく納得させられる。同志社を卒業後、東京に出 て、医学書院といふ全く畑違ひの職場に身を置いて、みやびだの幽玄などとは無縁の年月を過してゐる間に、この作者の脳裡に、京都が、祇園が、またそこでな じんだあれこれのひとびとが、濾過された形であらはれ、それを文字言葉で造型する作業の結実が、読者を誘つて夢ともうつつともつかぬ境へつれこむのかもし れない。例証を挙げる煩をはぶくが、たとへば『月皓く』の一篇だけでも読めば十分に納得が
いくだらう。大晦日の夜、暗く苦しい道へ入つてゆくかもしれぬ女客を迎へ入れての茶席には、「一陽来復」といふ軸が掛けられてゐる。主も客も、その席につ らなつた若い作者も、ひとこともその女客の境遇に触れないながら、一碗の茶を点じ喫するといふ所作のなかに、この女性への思ひやり、心づくしのほどが、炭 火のほのぼのと赤い中にただよつてゐる。一陽来復などといふ平々凡々の言葉が、この折なればこそ生きて働いてゐる。
小学校で「アイウエオ」 の五十音図で仮名を教へるのに不服を言ふのではないが、家庭では親から口うつしで「いろはにほへと」の四十八文字を唄つて教へ てほしいと、さういふことを秦氏は言つてゐる。それが仏語の「諸行無常、是生滅法」に由来することなど、どうでもよいが、「いろはにほへどちりぬるを」と いふ語感、やまとことばの美しい音律と、いろはにほふといふ微妙なことばづかひを、幼いときから口うつしに伝へてほしいといふのである。とにかく秦氏ほど 京言葉を美しく書き誌しうる作家は他にはないだらう。『閏秀』の中に、上村松園の母のいとなむ茶舗の店先での会話が出てくる。母が店先に立つた客に声をか ける。「まあお寄りやしとくれやす」。客がそれに応じて、「さうどすな、ほなちよつと休ませてもらひまひょ」。一見なんでもない対話ながら、この短い応答 のなかに、母の顔、客の顔、その所作までがでてくる。もうひとつ、随筆集『優る花なき』の中の「京ことばの秘密」から引く。東京の秦宅へ、いまは七十五歳 になつた京都の叔母を引取つた。これまで京都の祇園町から一歩もよそへ出なかつたこの老婆の京ことば。お医者さんがかくかく言つたの場合は「お言(い)や した」、御用聞の場合は「言うとつた」、近所の奥さんの場合は「言うたはつた」。かう言はれ、誌されれば、この三様の言葉づかひ、その区別もわからないこ とはない。然しお医者さんだけの
三人だつたとしても、この根つからの京都女性は、相手の年齢や人相や応待の仕方によつて三様の言ひ方をするだらう。そして、それを聞く周辺も、その三様の つかひわけによつて相手の人柄とともに、それをいふ女性の心理をも理解するだらう。それが京言葉の微妙で隠微なところであると同時に、王朝以来の宮廷歌人 また女房日記のみやびの一様相でもあらう。それをそれとして示してゐるところに秦作品の独自性がある。然しまた『茶ノ道廃(すた)ルべシ』といふ近著の示 してゐる、茶道の「家元制度」や職業茶人に対する痛烈卒直な批判、そのしたたかな心ざまもまた秦氏一流のものである。この本は裏千家の機関誌ともいふべき 『淡交』、その肩書に「茶道誌」とつけられてゐる月刊誌に連載されたものの集成である。ここでも秦氏の茶の湯に対する執念と自信のほどを感じる。茶が 「道」などといふ抽象にかたまる以前、点茶、喫茶の所作と心づくしが即ち茶寄合だといふのである。
* 京都(祇園) 言葉(京ことば) 茶の湯 源氏物語 そして 批評。 パチッと観てとって戴いていて、ただ頬を熱くする。1978年5月の月報であ る。唐木先生方に太宰賞とともに背を押して頂いての作家生活、まだ満九年に足りない時機であった。おそらくわたしは此の文学大系に入集、最新参作家であっ たろう。以来、まる四十年。唐木先生も第二回受賞の吉村昭さんも、同じ月報で吉村、金井、秦三人との「出会い」を書いてくれていた第九回受賞の宮尾登美子 さんも、亡くなっている。く地上手な宮尾さんが、月報でわたしに触れて何を云うて呉れてたかも、懐かしいまま、覗いておこう。
☆ 三つの出会い (抄) 宮尾登美子
(前略) 秦さんとの出会いも吉村(昭)さんと同じ日の禅林寺(=太宰治のお墓がある。)で、この時期秦さんはまだ(本郷の医学書院に=)勤めていて課 長の要職にいたはずだった。この日、吉村さんが秦さんと私を吉祥寺の小料理屋でご馳走してくれたが、このときの秦さんの印象はまことに張り充ちて若々し く、私は彼の洋々たる前途を予見する思いがした。加賀乙彦氏によれば、この頃の秦さんは(勤務時間中にも=)喫茶店をハシゴしながら時間を拾っては小説を 書いていたそうで、それにしてはその頃もいまも颯爽として変らず、仮にもこの人は人前に疲れた顔などさらしたことがないように見える。同じ受賞作家(=第 七か八回受賞だったか)の三神真彦氏もそれをいい、そのあと、「彼はほんとにいい!やつでねえ」と !つきで強調するのを忘れないが、これは要するに、秦 さんが人生に対してなみなみならぬ闘志を持ち、男らしく果敢にそれに立ち向っていることの何よりの証し、とはいえないだろうか。先年(井上靖団長ら日本作 家代表団の一人として)中国から帰ってのち秦さんはまた一まわり大きくなり、且つハンサムになりまさったことをもつけ加えておこう。(以下略)
* ハハアっと承ってはおいたが、作家にも、超多忙の中間管理職としても気を張って打ちこんでいたのはその通りだった。三神さんも、はやくに亡くなった。
2018 4/23 197
* 浴室で、源氏物語「薄雲」巻でさきの太政大臣、光君の舅が亡くなり、藤壺女院も病い篤いまでを読んだ。
戦後日本史で、岸信介らがアメリカの支配的政策とも同調しながら安保条約改定への姿勢を見せている辺を読んだ。
たまたま見つけた昔々といっても1980年代の「新潮」で、丸谷才一、大岡信、進行役で三浦雅士三者の吉田健一さんを語る鼎談を読んだ、おおむね当時文 壇の力絵図のようなことも混じったり、流石に面白く読んだが、吉田さんが新聞の文藝時評ででも、評論や詩は語っても日本の現代小説を全く認めも読みも取り 上げもしなかったと三人ともどね断言談笑しているのはどうかと思った。
吉田さんは、わたしの小説「閨秀」を朝日新聞の文藝時評全面を用いて絶賛して下さっていたのをわたしは忘れない。あれは喜多流家元の次男喜多節世の結婚 披露宴に出て、娼妓の中原名人に次いで祝辞を述べてきた帰宅の途次であった、夕刊を買ったら、文藝時評の全面を用いて吉田健一さんはこの上無しと思う絶賛 の文を寄せられていたのだ。
こういう一事から垣間見ても文壇人の口から出任せは往々あるということで、こうした一つ一つの積み重ねにであいつつわたしは「湖の本」をひっさげつつ「騒壇餘人」として文壇離れを実行していったのだった。
* やはり「新潮」の昭和四四年八月号、これは六月桜桃忌にわたしが太宰賞を受賞した直後であったが、「新人賞特集」に「蝶の皿」をと云われてハイハイと 承知した。その特集には「阿部昭」「佐江衆一」「坂上弘」「渡辺淳一」他三人ほどの新人賞作家が並んでいたのを、今日たまたま書庫で見つけてそれぞれ三頁 ほどずつ読んでみたが、「蝶の皿」はさながらに「異物」のように懸け離れた作であり表現であり文章であった。わたしは、自作に自負してはいたものの、他の 大方。というより全部がこんな索漠とした小説でこれが現代日本文学というのであるなら、こりゃ「作家、さよなら」だよと、その題で、その日のうちに手記を 書いた。書き置いたそれが今も家のどこかに眠っているはず。
2018 4/24 197
* 二階の廊下、外向き窓の下に文庫や新書用の書棚が並んでいて、部屋側の壁一画に、鮨の「きよ田」二台目が送ってきてくれた半畳大沢口靖子の写真がかけ てあり、この廊下を「靖子ロード」と勝手にわたしは呼んで、階下から機械のある仕事部屋へあがってくるつど、ちょっと立ち止まって棚を溢れた本のいろいろ に手を出してみる。
いまも又しても秦の祖父の蔵書であった手帖大の田森素齋・下石梅處共選『頭註和訳 古今詩選』を見つけてきた。大阪文友堂書店蔵版で明治四十二年十二月 二十五日発行「正價五拾銭」八十翁中洲の「思無邪」と題字がある。まさかに本嫌いだった秦の父が十二歳で手にした本とは思われず父が日ごろ「学者や」と畏 怖していた祖父鶴吉の蔵書に相違ない。日本人の作を先行させつつ古来漢詩の名作を蒐めてある。訓みのみ示し敢えて釈一切を省いてあるのが、いっそ有り難 い。
述懐 大友皇子
道徳承天訓 道徳天訓を承け
鹽梅寄眞宰 鹽梅眞宰に寄る
羞無監撫術 羞づ監撫の術無きを
安能臨四海 安(いづくん)ぞ能く四海に臨まん
開巻の第一首、あの壬申の乱に叔父大海女皇子(天武帝)に背かれ敗れた弘文天皇が皇太子時季の述懐であろう、三、四句に接し胸の熱きを覚える。大友妃十 市皇女は大海女の娘であった。鮒鮓の腹に父蹶起をうながす密書を含めて吉野へ送り、父天武は妃(亡き天智帝の娘)とともに起った。夫大友に背いた十市はの ちに神隠しかのように雷爆死した。わたしの小説「秘色(ひそく)」はこの世界を書いた現代小説である。
* ただ五言七言等を問わず また絶句律詩等を問わず、和製の漢詩はむしろ大友皇子ら、せいぜい菅原道真あたりまでを絶頂に、時代を下るにつれ、ことに幕末維新期の甚だしい和臭・稚拙・絶叫は読むに堪えなくなる。いわゆる詩吟という詠詩法のひどい悪影響である。しかも近世の、ないし日本史上でも最高位詩人とあげて良い新井白石の作を只一首も収録していない。
「明治」の本には、詩とかぎらず、往々奇態に捩れた国粋・権道主義が臭う。今日につづく長州閥政権の基本姿勢はまさに反動極みなき「明治」賛美を腹に持っ ていて、警戒を要すること甚だしい。勝海舟 坂本龍馬らの影もささず、水戸の幕末に聞こえた藤田東湖の如きは「夢攻亞米利加」と題して「絶海連檣十萬兵 雄心落々壓胡城」とぶちあげ、目が覚めて冷や汗を流している。
* 実はこの詩集のほかに、当面の創作に刺激を呉れる一冊を見つけて、ホクホクと機械の前へ来ていながら、その前に、ちと落書きに時を移した。
* 「湖の本」141巻本文を入稿した。「選集」第二七巻をどう編輯するか、思案を重ねている。
2018 4/26 197
* 今日、行方のホドはまだ暗闇ながら、長い小説へ思い切った舵をとってみた。いずれはぶち当たらねば済まない難所と覚悟していたが、ほんとうに永らく手がかりも見つけられなかった。我慢して闇の底を匍うて進むしかない、今日はもう休みたい。
2018 4/27 197
* 長編のため、昨日から「探索」をはじめ、ちりちりと、一つ輪を絞って、望外のいい音色が聞こえてきた。辛抱よく、辛抱よく。
* ああ、もう夕方か。寝坊していると生きている時間が減る。つい遅くまでいろんな本を読んで寝ると、明け方に、まるで怪談のひどい夢見で不快なまま寝過ごす。まったく困ったもの。
* 手が痺れるほど重い事典を何冊も繰っていて、字の小さいのにほとほと、閉眼? しかし、面白い。
2018 4/29 197
* 時間を掛けてちと面白づくの短篇をとまま巧く滑り出し書き継いだのを、機械操作のワケの分からないミスで一瞬に消してしまった。もう、そんなことに腹は立てないことにし、辛抱強くゆりなおすことにした。惜しいのは、「時間」です。
2018 4/30 197
* 明け方の夢は、変、大いに変ではあったが、襖も庭先の障子も開け放たれた三十畳ほどな廣い茶座敷にえらそうな武家も紳士も男ばかりの大人達がいならん で、これから台子の茶が点つらしかった。座の世話をしていたのは巌谷大四さんと藤間紀子さんとで、誰が手前とは分からないが正客が、十五代将軍を辞した徳 川慶喜さんだと耳に入った。巌谷さんはわたしを見つけると中へ入れ入れと誘われ、けれど礼儀として前将軍家へ何か一冊自著を奉呈しなさいと云われる。摩訶 不思議にわたしもたちどころに『親指のマリア シドッチ神父と新井白石』一冊を正客の座前へ持ち込んだ。慶喜さんは、「おお白石か」と声をあげて、しば らく白石の進退と詩とについて身を入れて話され、わたしも受け答えしていたが、そのまま、客座の末へさがった。この大人数で「お詰め」は、しんどいなと思 ううち、台子手前に歩を運んで出たのが、誰か分からない、ナントも驚いた洋服の若い人で。巌谷さんと高麗屋夫人とは、相並んで東(とう)、半東役を引き受 けながら、温容と美しい言葉とで座は和み、そのまま溶けるように夢は流れて消えていった。
いつもこんなならラクなのに、いつもは、なんとも凄惨な、狭い暗い町の底を匍うように彷徨うたりするのだ。で、寝たくなく、つい寝床で何冊も何冊も本を 読むのがまた良くないのかも。「家畜人ヤプー」だの、野坂昭如の「エロ」とか「とむらい」とか、やたら蛇の出る鏡花とか。わずかに源氏物語に癒やされる。
これまでで、いっとう役に立った夢は半世紀も昔の、「清経入水」の出だし、かなあ。夢も体験のうちと思うことにし、とにかくも魘されまい。
* 四月が逝く。なにがあったとも覚えない、櫻もろくに観なかった。こうして老いて行くのかと思う。
2018 4/30 197
* また十一時になってしまい、明日へ繋ぐと。
あと十日の余裕で、「湖の本」149。これはもう、「ビックリ・ポン」ですよ。しかしまた 秦 恒平だからこそ、という「仕事」でーす。
2018 4/30 197
* まったく新しい、在来と別の仕事を小説としてこの一両日來続けている。寄り道の体ではあるのだが、気を入れててきぱきと書き上げて仕舞おうとしている。
* 眠さと疲労感とで、午後、二度も一時間ホドずつ寝潰れた。それでも仕事の手は休めていない。
2018 5/2 198
* 性を主題の晩年作をと随分昔から心がけてきて今苦心惨憺しているのだが、そのために、機械のあちこち、奥道や横道や隠れ道を悪く探訪し、きわどい、な いしきれいな女写真も、けっこう取材してある。随分著名な女優も、おう、こんなの有るのとビックリの佳い写真を機械のなかに残してくれているので、これも 「取材」と割り切ってけっこう集めてある。これだけは自身で撮ったものは無い。撮ってみたいか…イヤイヤ。
* 飛び入りで追ってきた小説、早足で進んでいる。が、十一時過ぎた。休みたい。
2018 5/3 198
* それは気を入れて想像に身を任せながら書き留め続けていた。さ、どうなるのか。からだを運べないなら想像を働かせねばすまない、それに永らく躊躇していた。
想像に任せて良いわけでない、想像の働いてない仕事は写実でも幻想でも欠けてくる。想像とはいえ何のより所も持たない想像はでたらめになる。危ない危な い。徹した推敲が結局欠かせない。推敲という才能をもてないままの書きっぱなしは、見かけ元気そうでも芯が弱い。自分のほんとうの文体、本当の構想力は 「推敲」の中で感触し把握しなければ。銓衡に満票で当選受賞した初稿「清経入水」から雑誌「展望」に晴れて発表した「清経入水」への、只一晩の徹底推敲で わたしは途方もないご褒美の体験ができた。いまもそう思っている。
2018 5/5 198
* さ、あすは朝から「湖の本」139巻、懸命に発送作業。気をひきしめ、怪我無く済ませたい。ひきつづいて六月には{選集}第26巻、「湖の本」140巻で創刊32年をしっかり迎えたい。
書き下ろし長編二つとも苦闘を重ねて行く。
2018 5/10 198
☆ (前略)
早速拝読いたしておりますが、よくこれだけ当時の文壇の権威たちに、葉に衣着せぬもの言いをされたと、感服いたしました。秦様の求道者的一面を改めて知 ることが出来ました。匿名とはいえ、作者の名は知れて了う文壇の中でずい分損をされたことと拝察すると同時に、秦様の面目躍如という思いもいたしました。
ますますのご健筆を。 敬具 持田鋼一郎
* 文藝出版社の編集者だった人。わたしの「大波小波」寄稿をみて、「匿名とはいえ、作者の名は知れて了う文壇の中でずい分損をされたことと拝察」は、すこぶる率直で、その世界の在りようがかなり露骨に察しられて面白い。
わたしがいろんな「損」らしきを背負い込んでいたらしいとは、何人もの同業ないし編集者らワケ知りのの口から聞いていたし、わたしは、いつも「どうぞお構いなく」と思っていた。
なによりも、考え得るあらゆる「損の合算」ほどの「得」をわたしは「ことの最初に」何の理解もなく承けていた。投稿も応募もせず、向こうから、選者満票の太宰治賞当選付きで「作家」として文壇に登録された。
これは、他に比類無い珍しい事例であり、その辺の事情は、津村節子さんにじつに率直で的確な述懐がある。
津村さんは同人誌に属したまま数回も直木賞候補に挙げられて授賞されず、ついに芥川賞受賞で津村さんのいわゆる「同人誌作家」から「晴れて作家」になら れた。「候補では意味がない」またもとの「同人誌作家」に戻るだけ。津村さんは切実にそれを云われている。夫君の吉村昭さんは芥川賞候補にやはり数度挙げ られながら授賞成らずに、第二回太宰治賞で奥さんの津村さんより一足早く同人誌作家から「作家」になられた。津村さんの上の述懐には、夫妻しての多年のく やしさ、なさけなさがしみ通っていていて、胸を打たれた。わたしは、そのような感懐の片端をすら察した、味わった体験無しに、まるで当たり前のようにある 日突然「作家」として文壇に迎え入れられ、仕事は跡絶えたことがなかった。みるみる著書を山と積んでいった。わたしはいかにも無神経に、実は文壇事情のな にも知らないまま、ただ当たり前に書きに書きまくっていたのだが、それが「いろんな損」に結びついていたか知れぬとは、それさえ察していなかった。ときど き人に囁かれて、そんなことって有るのかなあと思っていた。
2018 5/16 198
* さ、また、あしたから気を換えて苦悶をすら羅楽しみに、「仕事」しよう。
あの世よりあの世へ帰るひとやすみ
の今生、あんまりな長ッ尻はいけないよとそろそろ囁かれている。損も得も無い。津村さんは、ただもう「書きたい 書きたい 書きたい 書きたい」と云ってられた。たぶん今も毎日そう思われているだろう。
幸い算盤は捨て果てているが「読み・書き」の勉強は八十年続けてきて飽きはきていない。
2018 5/16 198
* ピンポンとチャイムが鳴った気がして急いで寝床から玄関へ出たが、誰もいず。そのまま二階機会の前へ来た。機械が作動するのに信じがたいほど時間が掛かる。じっと辛抱して待つのも、修業のようなもの。待つ間に本を見ている。
わたしの新刊「一筆呈上」 いまのところ見当はずれは見つけていない、概して今も共感、つよく共感できる。「大波小波」欄へ本一冊になるほども書いた人、どれほど居ただろうか。「匿名とはいえ、筆者の名は知れて了う文壇」と、元・筑摩書房の編集者はためらいなく証言!してくれていて、世間知らずのわたしなど今頃に「やっぱりそうか」とむしろ感心してしまう、そういう世界であった、今もあるのだろうか「文壇」とは。「騒壇餘人」への道はついていたのだと、分かり良くなった。
2018 5/17 198
* 「一筆呈上」はすべて前世紀の古証文、当時の世情や風聞や思念によって「批評」として書いた者。今日からすれば当たらぬ事もあるし、しかし、今日なおまったくこの「批評」に堪え得ていない遺憾な現実も夥しいというところで、共有ないし再批評して欲しいと願っている。
2018 5/18 198
* 津村節子「さい果て」はぐいぐい読ませる徹底私小説(としか思われない、二人だけの主役夫婦も、わたしの多少は存じ上げている吉村昭・津村節子さんを 実感豊かに映しているとしか思われない。)で、真摯に書き抜かれてある。この真剣で切なるひょうげんからすると、「新潮」昭和四十四年九月号の新人賞作家 特集に登場の私小説は、敢然とした私小説にも徹しきれないぬるい作ばかりで、これらの中へ反私小説の唯美的幻想作「蝶の皿」を寄せていたわたしが、これが 属すべき文壇という者なら、とてもとてもやってられないと直ちに「作家さよなら」の手記を書いて篋底に秘め置いたのもムリがない、わたしはあの特集を観て 識って、もはや日本の優れた私小説は死んだか、物語は空しく殺されるかだと実感した。幸い、そうとばかりは謂えないのを津村節子さんの「さい果て」や亡き 柏原兵三や古山高麗雄の「プレオー8の夜明け」などが教えてくれた。
2018 5/20 198
* 昨夜、長編「さい果て」に、同系の後日篇「玩具」「青いメス」を添えての津村節子作『さい果て』を読み終えた。おもえばここ数年、現代日本の文学を「読 んだ」という実感も覚えもほとんどなかったあとでこれと出会い読み終えたのは、一事件であった、つまり面白く共感し感情移入しつつ読んだ、読めたというこ と。
一つには吉村昭・津村節子というご夫婦作家の少なくもご主人の吉村さんとは、ともあれ同じ「太宰治賞」を受けた同士のご縁があり、かつわたしの印象と作 中の 夫「志郎」サンの印象とはよくうまくカブっているのだ。総じてこれは「志郎モノ」と読んで佳いほどの、妻からの夫への観察・批評、それを下支えて生き生き した夫妻物語になっているのだ、それへ惹き寄せられ、わたしは読み切った。「夫婦ないし夫婦愛」を書いて出色の表現であり、身辺私小説しか書けない「書き た い人」たちの好適な、文句の挟めない佳いお手本になっている。筆が萎縮していない。書くべきはおどろくほど率直に端的に効果的に書かれている。
感じ入りました。
それにしても津村作にせよ柏原兵三作や古山高麗雄作にせよ、「徹した私小説」というつくりで成功し、いわゆる「物語」は少ない。まだ筑摩大系「ウシロから」読み の中で、物語には多くは出会えてない。野坂、五木、井上ひさし氏のなかにはあるだろう、富岡多恵子作にもあったか。
ま、私小説のようにつくりながら実は思い切った物語を 書いてきた私と、同じまたは似た意図で書いてきた人も大勢あるのだろうが、めったに好例に出会えない。
2018 5/23 198
* 選集二十八巻の編輯に取り組み始めた。原稿の多さに溜息をつく。
2018 5/24 198
* 明日の午後おそめ、久しぶりの聖路加で二科の診察を受けてくる。降らねばいいが、降って涼しいのもいい。
六月が逼ってきた。選集26と湖の本140の発送を挟んで、作家生活49年、湖の本創刊32年の桜桃忌が来る。暑い真夏も来る。心身健やかに慎重に乗り切りたい。
2018 5/27 198
* 横になっても、脚の攣縮痛と肩や頸の痛みは退かず。サロンパスを貼りに貼る。
外出続きであったとはいえ、こんなテイタラクでは衰弱してしまう。なにより、どんな旅も難しくなる。
五月はあと三日。「選集26」を六月八日に送り出しの用意は、この月内に出来る。すぐ引き続いて二十二日の「湖の本140」発送用意に掛からねば。六月はよほど忙しくなる。
しかも何よりは、長編創作の、鍛錬。渦を巻いてきている。
2018 5/28 198
* わたしは世離れてはいるけれど、ミルトンの壮大な『失楽園』 また『アラビアンナイト』に心酔し、また近代現代の日本史を学んでいる。
五木寛之の「ソフィアの秋」はイコンという美術と、グルジア方面の牧歌的なロマンスに惹かれて読み進み読み終えたが、やはり、何処かで「なげやり」な読 み物の域を出なかったのは残念。今は井上ひさしの「手鎖心中」に期待している。大庭みな子作は何を読むか選びあぐんでいる。
なんといっても『失楽園』『千夜一夜物語』で心を洗われている。
岩波文庫新版の第四巻の出を、待望している。
* 『手鎖心中』も面白くは読み進められるが、それは描かれている世間をわたしも知識として持っているからで、小説としては要は時代もの。わたしはまった く同時期の最上徳内を描いたが時代物にはしなかった、その気がなかった。わたしは「徳内さん」と二人で田沼の昔の、そして昭和の現代の蝦夷地・北海道を 「旅」してまわった。歴史を今に活かすように構想した。時代小説はつまらない。わたしはいろいろ歴史の人を描いてきたが時代劇にしたことなど有ったろう か。
2018 5/29 198
☆ 秦様の
以前のご本「中世と中世人」の中に書かれている西行法師の終焉の地弘川寺を訪ねました。
大阪天王寺から、電車で40分。富田林からバスで30分。1時間に1本。
一人で訪ねるには、不便が、反対にじっくりと行けるかなと、計画しました。
今年は西行法師生誕九百年にあたるそうで、記念館も展示など整備されたそうです。
文覚上人作と伝えられている座像も拝観させていただきました。
書や絵画など興味深い資料が展示されていました。
西行文庫として大きな書棚が設置され、その中に秦様の「中世と中世人」のご本も立派に。書棚には鍵がかかっていました。先に読んできていて良かったと。
記念館の開館時期は春は五月十日までだったのですが、住職様の優しいご配慮で開けてくださいました。花の時期は大層な賑わいだそうですが、この日は他にお客様は四人。
立派なお堂が山の中に厳然と静寂に包まれて、その中で西行上人様を偲べました。
慈雲法師が建てた西行堂の上の山へ。緑濃い中鶯の声に誘われるように西行法師の墳墓の前に。
慈雲法師の墳墓にも頭を垂れてまいりました。
静かな良い時間を過ごすことができました。
今年の秋には和歌山県立博物館で西行の特別展が開催されるとのこと。
西行人気も高まり、花、紅葉の時期だけでなくこのお寺も訪れる人が多くなることでしょう。
この4・5年の間に、花の寺勝持寺へは花が咲き始める前に、吉野の西行庵へは山桜が散り始める頃、讃岐の白峰御陵へは謡の稽古仲間たちと、それぞれの旅は何時も秦様のお作を思い起こしながら、訪ねることができました。
旅の充実 感謝申し上げます。 練馬区 持田 晴美
* 西行を旅したのは何十年の昔だろう、平凡社の「太陽」に『花月西行』を書くべく、編集者の出田興生さんと何日も旅をしたのが、しみじみ懐かしい。おか げで幾つかり小説にもエッセイにも論攷にも展開していった。弘川寺を大阪から車で探し探し尋ね当てたのはもう晩景に近かった、よく覚えている。
2018 5/30 198
* 今もそうか、書店と縁を切ったような暮らしで知れないが、昔は本や雑誌を買うと「付録」が附いていて、本体の方は失せ果てても付録だけ残ったというこ とは、幾つか在る。これはのちのち「参考」に使えると思うと捨てがたいそういう「付録」は、ものの下や間にでも捨てずに記憶に置いていた。いま手にしてい るのは旺文社の「歌に見る近代世相史」とある小冊子で「懐しの明治・大正・昭和歌謡集」とある。敗戦後の昭和三十五年までの年表が附いているから、わたし たちが新宿河田町に住み長女朝日子が生まれた年まで、「皇孫ご誕生」とは今の皇太子さんのこと。「ハガチー事件でアイク訪日中止」は、安保闘争の激化を思 い出させる。社会党委員長浅沼稲次郎が暴漢に刺殺されたが、暴漢を祀る動きもあり、米日保守の左派撲滅への動きが露呈してきた頃に当たる。この冊子は東京 で手に入れ、わたしは「小説を書こう」としてすでに反戦の「或る折臂翁」と向きあっていた。
* この歌謡集にはあの「りんごの歌」を最後に「昭和時代 戦後」の歌は出ていない。明治の最初は「宮さん宮さんお馬の前に」の「トンヤレ節」である。歌 は世に連れ、或る面では一級の史的証言を成す、こういうのは、時勢を読むのにとても有効な好資料いや史料として参看できる。今も頁を繰ってそして目を閉じ てモノ思うことがある。わたしは徹して軍歌、国威発揚歌が嫌いで通してきた。しかも時に急激に口に甦ってきて暗然とする。「わがおほきみに召されたる い のち栄えある」だの「父よあなたは強かった」だの、不快であった。
2018 6/6 199
* 九時前 選集第二六巻 納品。直ちに送り出し作業にかかる。
「京都」でまとめた一巻、とても一巻で足りないのだが、わたしの一生、わたしの文学にとって、「京都」はその芯棒に相当している。もう一巻「京のエッセイ・随筆」巻が欲しいが、巻数の残り少なく割愛となるかも知れない、心残りになりそう。
* 妻の荷造り作業のペースを落としているので、毎回の三分の一も捗っていないが、それで好いとしている。ことに、選集は篤志のご助勢の方のほかは殆ど全部を施設・大学・各界知己への寄贈に当てているだけ、日程に追われてはいない。
2018 6/8 199
* 夕飯のあいだ、あと、 深作監督の歴史劇鴎外原作『阿部一族』を久しぶりに観て感動、感銘を新たにした。日本の、劇場映画ではない「テレビ劇」では、 間違いなく今日まで「最高の名作」と謂うてわたしは憚らない、並ぶモノをただ一作も知らない。画面の隅々まで、科白の一つ一つまで、配役の一々の表情や動 きまで残り無く記憶していながら、ウブで無垢の感銘に浸され、完成度ゆたかな脚色藝術の力に、幾度も嗚咽した。セリフのどの一つまでも完璧に書けていた。
「阿部一族」こそはわたしの反戦思想、反権力思考の不動の原点であり、六林男の無季俳句
遺品あり岩波文庫「阿部一族」
に心から哀悼と共感をささげて来た。鴎外先生、よく書き置いて下さったと感謝にたえぬ。
この一作に匹敵する現代近代を描ききった藝術抜群のテレビ劇を、まだ、一つも挙げることが出来ない。
* 劇映画「戦場に架ける橋」の途中からを午前中に作業しながら観・聴きしていた。
* わたしは夏目漱石の「心」を舞台劇のために脚色している。「竹取物語」を朗唱劇として書き下ろしてもいる。
映画のシナリオも「懸想猿」「続・懸想猿」と題し、シナリオセンターでの課題作として提出して当時松竹の副社長か専務をされていた城戸四郎さんに「80 点」と評価して貰っている。城戸さんも評価に関わられた評論家岸松雄さんも、評点に添え口を揃えて「小説家」になりなさいと奨めて頂いた。その道へ進んで お奨めにしたがって良かったと思う。それでいて、今以てわたしは創作劇でないめ優れた原作の脚色シナリオへの夢という欲というかを諦めていない。秦建日子 の舞台はもっぱら彼の創作劇であるだけに、「脚色」への好奇心をわたしは捨て切れていない。まして、鴎外の「阿部一族」や向田邦子の「風たちぬ」をまた繰 り返し観た今、そういう余分な色気に惹かれてしまう。
疲れてへとへとなのに、どうしてわたしはこうよぶんな好奇心へ色めくのだろう。
2018 6/10 199
☆ 『一筆呈上』
ピリリと辛い 読んでいると、声まで聞こえてくるような お顔まで見えるような……
痛快 痛快…… 鎌倉 橋本美代子
* わたしの「大波小波」寄稿には 匿名に隠れて邪まに人や事や物を貶めようと謂う気は無かった。人気のコラヌを利してわたの「批評」を文と藝とでおもしろくもヒリリと辛くも表現したかっただけ。
2018 6/10 199
* 浴室で歩、かつて岩波の「文学」に載った座談会「洛中洛外図屏風について」を読み返し、とても面白かった。上杉本の洛中洛外図屏風」が岡見正雄先生と 兄弟の佐竹教授の手で刊行された頃の記念の座談会で、名古屋工大から 教授も加わられ、わたしはおそらく岡見先生の推挽で中に加えられたと思う。岡見 先生は精緻を極めた『太平記』の校注や「室町ごころ」の提唱でも当時学界に聞こえた大先生であったが、わたしの高校時代の「古典」の先生でもあられた。京 極裏寺町のお寺のご住職でもあり、学校へは袴姿に洋靴で登校されるような異彩の「ボーズ」先生だった。学界に名高い大先生などと誰も思っていなかった。古 典の授業ははじめから終いまで先生の朗読だった。受験勉強の連中はブーブー歎いていたが、わたしは先生の朗々と読まれる古典の文章を耳に聴きながら悟れる モノが多かった。耳を澄まして聴き入っていた。
作家になってから、よく励まして下さり、祇園町でご馳走になったりもした。
* それはそれとして「洛中洛外図」座談会でも岡見先生の発言はふわふわと「京都」の天上をただよう念仏のようで、しかも示唆に富み、わたしは多くをまた教えて頂けたと思っている。わたしはまだ若僧だった。えらいところへ呼び出されるなあとびっくりした。懐かしい。
2018 6/14 199
* 選集二十七巻は念校依頼分が届いたら、全紙「責了」に入念に手を掛ける。「湖の本」141巻は内容充実、少しいつもより分厚い一巻にもなるが、纏め得 てよかったと思っている、跋文、ツキモノなど添え、表紙もともに、140巻の出来てくる二十二日よりさきに「要再校」で送り返せる。
2018 6/17 199
* 「湖の本」141 表紙、あとがき、奥付添えて 全要再校で送り返した。「選集127」の要念校ゲラが届いたので、急ぎはしないが、「湖の本140」 発送など間にも「全責了紙の点検」を進めて月内には責了にする。じつは「選集28巻」の編輯に苦慮している。原稿が足りないのではない、予定で残り六巻分 には有り余っていて、どうきりぎりいっぱい入稿しどう残り惜しく剰すかに頭を悩ましている。ま、生きている間書き続けるのだろうから選集に収録できない作 や文が居残るのは当然の話。ま、思い切るしかない。
それよりも書きかけの長編二つをスッパリと仕上げることだ。
2018 6/18 199
* また気ぜわしくなってきたが、明日「四十九年」めの桜桃忌午後には、妻の入院で延期していた歯医者へ夕方には出掛け、あと、その脚で街へ出ようかと話 している。明後日には聖路加の内分泌診察があり、金曜にはもう「湖の本」第140巻発送が始まる。三十二年ものあいだ140回も本を「発送」という力仕事 を重ねてきたわけだ、なんという珍な作家で珍な夫婦だろうか。そして七月早々にはまた聖路加へ通う。どんな暑い真夏を迎えるのだろう、関西の大地震の被害 たいへんと聞くが、あの人この人らみな無事を願わずにおれない、天災地災も、政災もまこと叶わない。
* 小説を前へ前へ押し進めたいと、せめてそればかりを願っている。バテて潰れないように気を付けたい。
2018 6/18 199
☆ 秦先生
先日はありがとうございました。御礼遅れ申し訳ありません。
学生時代と同じように、先生に問いかけられ、私たちの感じたことをぶつけ、また、違った角度から見ることを促され、また考える、という楽しい時間を過ごすことが出来ました。
先生も、私たちの話を聞きたい、と言われていましたが、時間と共に、ご自分でよく話され、まだまだお元気だな、と感心・安心しました。
私としては、先生の「島」の話に 新たな光を与えていただいたことが、最も大きな収穫でした。
これまで 1人しか立てない島に2人(以上でも=)が立つ、幻想かもしれないそういう島にはとても静かなイメージを持っていました。一つの島に一緒に立 てる奇跡という言葉のイメージから、勝手にそう思っていたのだと思います。しかし、どうやって二人で立てるようになるか、ということがずっとわかっていな かったのです。それは奇跡を待つことによってしか作りえないのではないか、というとても受動的なイメージをもっていました。
しかし、今回、「私が「呼びかけ」ているのですよ。そのそれぞれの呼びかけで海全体はワァーワァーとにぎやか・うるさい…のかもしれないですね。そういう中で、その呼びかけに応えるのです」というお話を聞いて、ふっと腑に落ちました。
私にとって「呼びかけ」が、音のある世界が とてもクリアにイメージでき、受動的ではなく、能動的に「二人で立つことを欲していることを表すことが、そ の世界を成立している重要の要素である、という認識が生まれ、とてもうれしく、そして安堵しました。自分に何かできるんだ、と。
いつも自分の認識の話ばかりで申し訳ありません。もっと文化的な話が出来ればいいのですが。
また、お時間を作っていただくお願いをさせて頂きます。次回は、また輪を大きくできればと思っております。よろしくお願いします。 柳博通 東工大院卒 建築家
* 申し分なく、嬉しい。
2018 6/22 199
☆ 謹啓
梅雨も半ば。今年は明けも早く、暑さ厳しくなりそうとの予報、奥様ともども健康をご案じ申上げます。
さてこのたびも御「選集第二十六巻」を頂戴いたしまして誠に有難うございました。
今集は、秦さんの過去、現在、未来にかかわる「京都」とあって、中身も厚さも尋常ならざるものと感じます。
まずは、北澤恒彦さんとの「兄弟往復書簡」を拝読、改めて実兄恒彦様との心の交流が実生活同様、束の間といってもよいような短い時間であったと知るにつ れ、このような形で「京都」を語り合ったこと、本当に貴重で示唆深い交歓のときだったと思います。甥の黒川創さんにもご兄弟の血が色濃く流れていてご活躍 になっているのでしょうね。
御身大切に。御礼まで。 徳島高義 講談社役員
* 思い立と、よく往復書簡を実現しておけた。よかった。書簡やメールの往来こそあれ、やはりこうしたたとえ「湖の本」であれ表立ったかたちで言い交わし 語り交わしていないまま死なれていたらどんなにか寂しかったろう。「湖の本エッセイ28」の『死から死へ』は江藤淳の自死から兄北澤恒彦自死までの半年を 日記でつないだものだが、重いきつい辛い二つの死であった。わたしには死ぬなと教えていったような二人であった、一九九九年の後半年だった、歳月の歩みの 険しくも速いことよ。
2018 6/23 199
* ここ暫くは重労働を要する仕事へはすこし間が開いて、そして「選集27」と「湖の本141」が出来てくる。八月九月のこととしたい、むしろその次の編輯が先行する。それより先に、しかかりの小説のガッチリした進行と補強が大切で、頭から離れない。
* 一つ階段を踏んだ。
2018 6/23 199
* 書きかけの小説に、呻きながら、肉をつけて。ただただ、息を呑むばかり。今日一日何をしていたかと思う。美味いのは、酒ばかり。
2018 6/24 199
* 読んでいる本は、みな、抜群に好い。
ミルトンの『失楽園』の宇宙大、壮麗の世界詩。ゲーテの『フアウスト』をはるかに超えた宇宙大の叙事詩の美しさ。
『千夜一夜物語』の野放図に華麗なミマ語りの面白さ。
『聊斎志異』の化け物世界の懐かしさ。
新井勝紘さんの『五日市憲法』のなにもかも諳記してしまいたいほど名「研究」行為の面白さで紡ぎ出される明治私民らの立憲行為の火傷しそうなほどの尊い熱さ。
そして、いまさらに チクショーそうであったかと呻くほど身に痛くも親しくもあり、気づききれなかった数々の「敗戦後日本史」の真相。
* しかしメインは「読書」ではありえず、苦悶の熱を噛むほどじりじりと小説世界の石垣を、建物を、築いて行かねばならない。何を書いているの。「ユニオ・ミスティカ」では分かるまい。
少なくも一作の主題は「老境の性」と覚悟するしかない。
カケイ・モリトモのウソのかたまりも、カジノ法への恥多い政治屋の動機も、ワン of TRUMPのみっともない恥ずかしさも、身を刻んで痛いけれど、ホットケ と嗾してくる内心の声にツイ従いたくなる。
2018 6/24 199
* じっくり構えて、長い小説の構想を 変えないまま太らせ始めた、肥満体にはしないつもりだ。
2018 6/25 199
* 腹具合、なんとなくノロリと重い。その一方で改善されて行くらしい全身症状も認知できている。腸が微かにククーっと音を上げている。視野がくらく、しょうじきなところ躰は寝たいらしいが、わたしはもう少し小説と組み合いたい。十本の指先がみな痺れて感触が萎えている。
2018 6/25 199
* 小説をジリッと進めて。もう機械の字が霞んできている。階下へ降りる。
2018 6/28 199
* 今日は小説へもしっかり手を掛けた。
2018 6/29 199
* じりじりじりと書き進んでいる。長編の到るところへ目を向け直し直ししてね畢竟それを楽しんで居るかとも。しかし、もう目が見えない。
2018 7/1 200
* 筑摩書房の社長山野浩一氏が退任の通知、「長い間、御世話になりました」と手書きが添っていた。長い間「たしかに湖の本」はきちんと送っていたが、長 い間、年度年度の「太宰治賞」の通知一つ来なかった。「母港」へ船を寄せることすら出来ない無縁の三十年だった、よほど「湖の本」など嫌われたらしい。
2018 7/3 200
* 夕食前に、今日届いた「三田文学」で、坂本忠雄(元・新潮編集長)さんが石原慎太郎氏への聞き役を勤められた長い対談を読んだ。次号にも続くらしい。
石原氏の例の両手足をふりまわして一人舞台のような言いたい放題は、ほとんどわたしには縁がないなりに、二人での話題に登場の、小林秀雄、永井龍男、大 久保房男等々多数の今は亡き文壇人の名前には、私なりの懐かしい交渉や接点があって、そんな思い出にも手伝われてついつい読んでいった。
小林秀雄という人があつて私の「清経入水」選者満票の招待受賞はあり得た。わたしは私家版を小林さんにおそるおそる謹呈はしていたらしいが、筑摩書房の 「展望」も「太宰治文学賞」の存在も全く知らなかった、それほど「遠い外」にいて一気に文壇へ招いて貰った。あの大冊「本居宣長」を人を介して当時の勤め 先へ贈り届けても下さった。中村光夫さんから、「あんたのような人がもっといなくてはいけないんだが」と文壇へ慨嘆の言を聴き、また吉田健一さんに小説 「閨秀」を朝日時評の全紙を用いて絶賛されたときにも、わたしは小林秀雄という人の存在を見えない電波のように感じていた。
ただ、わたしは、石原氏がまさしく文壇での賑やかな先輩同輩後輩との付き合いようを謳歌されているのとは逆に、めったなことで人に文壇人には顔を合わさ なかった。本のやりとりに限ろうとして、会わなかった。それでも、作品『廬山』を芥川賞に推して下さった瀧井孝作さんにはお宅へ何度も呼ばれ、また同じく 永井龍男さんのお宅へも、一度だけ「帯」を戴いた単行本『廬山』を持参し鎌倉まで出向いた。瀧井さんにも「本」の帯を戴いたことがあるが、本の題を「糸瓜 と木魚」にしたかつたのに版元のきつい註文で「月皓く」に換えられていたのを瀧井先生は無視され、帯では「糸瓜と木魚」を大きく取り上げて下さつて、とて も嬉しかったのを忘れない。
永井龍男さんはコワイひとだったと対談の二人とも話されてたが、わたしにはいつも親切に優しい方であった。わたしが甚だ反文壇的な「湖 の本」を始めると、永井先生はすぐさま、十数人もの購読者を紹介して下さり、実に有難く励まされた。おなじ事は福田恆存さんも、あッという間に御親切にご 配慮下さった。嬉しかった上に、ビックリした。劇場で、初めてご挨拶したとき、「アア、想ってたような人ですね」と、それは優しい笑顔だったのにもビック リした。
井上靖さんに中国まで連れて行って戴いたのも、ある日突然に御電話で誘って下さったのであり、むろん同行した他の作家・詩人らとも、その折が初対面だった。
「群像」の鬼といわれた編集長大久保房男さんとの接触がいつであったか、俳人の上村占魚さんが紹介して下さったのだろう、「群像」との作のヤリトリは一 度も無かったのに、亡くなるまでそれは親しくして戴いた。その余恵のように、今も、「鬼」の弟子と自称の徳島高義さんや天野敬子さんのご親切を毎度得られ ている。しかし、このお二人とたとえ道ですれちがっても、わたしは見わけられまい、さほどまでわたしは、概して文壇の人たちと は「淡交」に徹しながら作家生活を六十年近くも続けてこれたのだ。
* ただ、淡交の親交者は、文壇を遠くはみ出て、文化界のひろくに、我ながら驚くほど知己を得てきた。わたしは孤立して生きてきたのでは、全く無い、ただ残念なことに多くはもう先だって逝ってしまわれているのだが。
2018 7/7 200
* 日曜の夜、七夕の夜。壮大で壮麗なミルトン『失楽園』と小一時間 向きあっていた。
もう十時半。 今日は小説とも 辛抱よく向きあっていた。じりじりとまるで匍匐前進です。
2018 7/8 200
* 一昨夜の夢は凄いもので無気味に怖かった。
例によって、しかもますます暗澹として規模も大きく狭苦しく封鎖された、あれは局見世のならんだ遊里ではない、あきらかにみじめな暮らしと乏しい灯しと 人の蠢きだけが密集して奥深い迷路だった、わたしは例によって路上に行き迷い、ふと小路を求めて踏み込んださきからもう戻りもならずに奥へ奥へ狭く折れ曲 がった陰惨な路地を進むしかなかった、なんとか明るいふつうの町通りへ抜け出したいと怖さに怯えて脚を運ぶうち、急な石崖へそまつに梯子が投げかけてある のを必死で登った、登り切った…ら、日のさんさんと照った広い白いのっぺらぼうなまるで布貼りのような坂が降っていた、わたしは身を投げるように駆け下 り、すると背後からも坂下でもわたしを追いかけ待ち伏せる人数の喚声がひびいてわたしは必死で追跡をよけて町なかへかけこんだ。やがての西に鴨川が流れて いて、しかもなお川西の遠くで大きな爆発の烟が黄色い噴水のように見えた。
わたしは夢で、何処へまぎれこみ、何処へ抜け出られて、何処へ遁げていたのか。分からないままいつものように夢覚めた。動悸がしていた。
* むかし「雲居寺跡 初恋」を書いたとき、絶望の別れを「雪子」とふたり、京の町、町をひたひたと歩いて歩いて歩きまわる場面を書いた。あの小説世界で の体験のおそろしいような補足をわたしは繰り返し夢見ているのだろうか。「月天心 ままづしき町を通りけり」という蕪村の句をわたしは底知れない何かのつ ぐないかのように想うのである。京都と切り離せない悪夢のように想われる。この三ヶ月ほどの間に、だんだんと怖さの度を越しながらもう同様の夢を三度も四 度も見ている。
2018 7/15 200
* 午前から、もう四時半まで、眼のための少しの中休みは入れながら、懸命に選集第二十八巻編輯の「読み」に没頭してきた。要事が、ほんとにいろいろ在る。放って置くことはできない。
わたしの「選集」は、決して「全集」ではない。選に剰って取り残される多くが出る。さまり一巻一巻の主題への纏まりをつけている。手当たり次第に葉容れていない。「選集」としてわたしなりの編輯術を働かせている。分かっていて貰えると思っている。
2018 7/15 200
* わたしのしてきた文学や思索の仕事には、幾つか、他の人からは出てこなかったキイワードがある。
「身内と島の思想」「花と風」「和歌と古典と日本史」「死なれて 死なせて」「手さぐり日本」「からだ言葉・こころ言葉」「茶の湯と一期一会」「京都」そして「女文化」という理解など。これらはみな一連に縄のように綯い合わされ「もらひ子」少年の昔から血肉になっている。
これらを鎖のような分子列とみれば、すべての分母には何がなるだろう、大胆すぎるもの言いかも知れないが「女」であろうか。
* 一冊の本ほどのいいわけが必要になるかも知れぬが、「男はきらい 女ばか」という少なくも日本人観を、あれは医学書院へ入社し二年も経ったかという 頃、編輯を担当していた看護系月刊雑誌のちいさな「埋め草」記事に自身で書いた「自覚」がある。この自覚はたやすい説明では通じまいが、じつは今も描き続 けている小説へも匂いのように流れ込んでいる。男は添え物で、やはり京の祇園近くの女の人たちの中で成人していった男の「自覚」なのである。
そんな自覚を心身に抱いたまま、この近年にフェミニズムやジェンダーのかなり基本的な著書なども勉強してきながら、時折りにともいえない、かなりしきり に考えるのが「男と女」のことという一般論より、敗戦後久しい日本ないし東京の風俗感覚に色どられ、近年とみにやかましい「セクハラ」とは何かという、そ う、課題でも問題でもない、つまりは一種「不審のようなもの」である。
* このまま「古事記」「万葉」「古今」「伊勢」「蜻蛉」「枕」「源氏」 ああ並べ立てれば日が暮れそう、「平家」「謡曲」「とはずかたり」から西鶴、近 松、南北、黙阿弥さらには明治以来の文豪達の作など、稲妻のようにはしり流れる「日本人のセクハラ」史は、大冊の論攷を優に可能にするほど材料豊富、元気 な昔なら、あの『死なれて 死なせて』や『能の平家物語』などの倍も三倍もの書き下ろしが、一気に書けたろう、が、今はそんな気持ちはない。で、もう此処には、これ以上は書かない、 創作中の長編や短篇、小説の世界へ譲る。
2018 7/16 200
* (沢口)靖子ロード、つまりは階段を上がった窓ぎわを機械のある書斎までの短い廊下に、文庫本ばかり入る書棚が並んでいて暫時窓の外へ向き立ち止まる ならいの、今朝、表紙に補修のある本文に滲みもある『無名草子』一冊を見つけた。いわば平安女文化・文藝への物語ふうに創った初の「文藝批評集」なのであ る、「一 いとぐち」の書き出しから心優しくももの静かな、しかしはきはきもした女語りの「ことば・文章」が佳い。奥付では昭和十九年、つまりわたしが八 歳二ヶ月になる二月十五日の「第二刷」岩波文庫であり、定価四十銭 特別行為税相当額二銭 合計四十二銭ではあれ、む ろんわたしに買えたわけなく、秦の祖父の蔵書に一冊の岩波文庫も無かったし、この当時は祖父と母とわたしとは 丹波の山奥に戦時疎開中であった。恐らくは 上京結婚就職後に御茶ノ水駅ちかくの古本屋で安く買っておいたに相違ない、わたしは日本の古典の岩波文庫古本なら何でも買える限り買っていた。まことに廉 価であった。「梁塵秘抄」も「西洋紀聞」もそうして手にし愛読した。京都このかたわたしが所持の岩波文庫は「平家物語」上下「徒然草」そして島津久基校訂 の「源氏物語」六册本ぐらいだった。
『無名草子』の著者は、藤原俊成説 俊成女押小路女房説などあるが、昭和十九年本の校訂者富倉徳次郎は憶説と退けて、単に
一 建久・建仁の頃に在世の人
二 物語・歌集等について廣い知識と批判力とを持つてゐる人
三 女性であること
四 隆信・定家と親しき人(本文の中に「隆信の作りたるとてうきなみとかやこそ云々」「定家少将の作りたるとて」とか見えて隆信・定家に對して敬称を用ひてゐない所からの推定)
の四条件に當る一女性であり、その人については不明であるといふを穏當と考へる」と解説されている。
* 此処まで書いて、一女性への幾つかの思案も名も想い浮かんでいながら、今日は妻の通院診察の留守に「選集28巻」の編輯と読みとにたっぷり時間と視力 を費やした。それでも疲れて階下へ行くと、アコとマコとが、兄弟で半ば睡りながら熱愛の態で互いに抱きかかえて毛づくろいしたりしていて。じつに見ていて 気分よく心和む。同時に生まれた実の兄弟なればこそ、われわれの姿がなければないであくことなく互いに親愛している。嬉しくなり、羨ましくもなる。
励まされて、難儀な仕事へも根気よく挑み続け、先への道もほぼ見当たった気がしている。
* それにしても此の親愛する古機を、根気よくなだめなだめ画面を作り続けるわたしの粘りもなかなかです。 とても追っつかないけれど、昔ならもう『無名草子』の女作者を小説に仕掛かっていただろう。「慈子」「雲居寺跡・初恋」「加賀少納言」「秋萩帖」「あやつ り春風馬堤曲」「月の定家」「夕顔」「三輪山」「秘色」「絵巻」そして「みごもりの湖」も「清経入水」「最上徳内」「親指のマリア」も、みなチカッとした 思いつきから生まれた子供達だ。
そのような子供をまだわたしは生めれば生む気になれる。からだは老いているが、作品を願う生気は、精気も、剰っているらしい。怪我などしたくない。病気もしたくない。
しかし「食事」めく食欲は払底し、ただのどへ通りいい水気や柔らかいものばかり口にしている。何を食べても堅くて歯が痛い。医者は顔を見ると歯を抜くと云う。抜きたくない。
* 「無名草子」いとぐちの語り口の物静かに懐かしい味わい、ただものでない。隆信や定家に近くて親しい、しかも文彩の才気をたっぷり持った女性は、すくなくも二人すぐ思い当たる。
安倍だのトランプだのカジノだのカケイだの…、もうイヤだ。
ジョーカーか魔かトランプの塔が建ち崩れはやまる世界の平和
吹くからにアベノリスクのうそくさい屁よりも軽い自画自賛かな
* この重病体に等しい酷暑炎夏の気象が、今年だけとだれが謂えようか、死者は毎日出ている。しかもどんな報道も、「オリンピックは安全・万全か」という 当然の危惧をチラとも口にしない。聴いていない。観客ばかりでなく、鍛え抜いたからだの参加選手へも熱暑の危害を案じて対策すべきは当然だろうに。
2018 7/17 200
* 八時半 「選集」第二十八巻を、電送入稿した。またも大冊になるが、ウン、よし。
2018 7/18 200
* 「選集」第二十八巻の初校が出てくるまでに、もう二度は読めている「第二十七巻」を全紙責了にしておきたい。もう手放しても大事ない辺まで出来ている、あと、もう少し。「発送用意」と「責了用意」とが調うと、創作・小説へ集中の時間が出来てくる、それが心頼み。
2018 7/23 200
* 颱風が近づいているらしい。異例の東海から関西、中国への進路が予測されているが、先頃大きな怪我のあった方面ゆえ、事なきをただ願う。
☆ 異常気候らしく
思いがけない進路をとっている台風12号、東京の今の空模様はいかがでしょうか。
こちらは曇りですが まだ明るい空です。数日前までかなり暑い日が続いたので、昨日の34度でいっそホッとしたくらいでした。
昨日本を送りました。北沢恒彦氏の本を読んだことがないと書かれているのを読んだことがあります。偶然北沢氏の『隠された地図』見つけたので、思わず買い求めました。
本の後ろの黒川氏(=創 実兄故恒彦の長男)が書かれた年譜だけを読んだのですが、胸が詰まりました。鴉ご自身と重なる多くの事柄が映されています。
ちょうど昨日のHPに丸山真男氏の『日本の思想』からの感想が述べられており、『隠された地図』の中の丸山理論に関しての著述に、鴉の関心が重なるかと思いました。
もしこの本が既にお手元にあるとしたら・・差し出がましい事とも思いますがご容赦ください。
今日は午後あたりから台風の影響が強まりますでしょうか、くれぐれも大切に、用心して過ごされますように。 尾張の鳶
* 尾張の鳶の好意、配慮、まことに有り難く。有難う。
むろん、甥に当たる黒川創(北澤恒)が亡父北澤恒彦の年譜を詳細末尾ににあげているこの一冊、その署名はオロカ存在をすらわたしは今日まで知らなかった、知らされても送られてもいなかった。
兄の「自死」したのは、江藤淳が七月二十二日に「自死」 を報じられたと同じ一九九九年(平成十一年)の十一月二十二日であった、らしい。二十三日朝六時半頃、恒彦次男の北澤猛の電話で告げられた。やがては「二 た昔もまえ」のことになる。わたしは京都での葬儀にも、思い出の会といった催しにも出掛けなかった。兄の年譜に尽くされていると思う謂わば「北澤恒彦の公 生涯、表生涯」に実弟のわたしは徹底して無縁によそで育って指一本も触れる折がなかった。生まれ落ちて以後に初めて再会したのが、もはやお互い壮年時で、 その後もわたしは「兄の表世間」とはまったく触れなかった。兄とのことで、鶴見俊輔はよく心得ていたらしいが、わざとは触れて話すことが無く、兄について わたしに片言でも話しかけてくれた人は、筑摩の編集長だった原田奈翁雄や作家の真継伸彦、井上ひさし、小田実らだった、われわれの間柄にまったく気がつい てなかったと云い、井上さんは「失礼しました」と、真継さんは「えらい男だよ」と囁いてくれたし、小田さんとは亡くなるまで親しく、「敬愛の気持を込め て」とまで献辞を添え『随論 日本人の精神』を贈ってくれたりした。
兄とは、亡くなる暫く前間で、頻繁に交信したり、時に会って食事したり一緒に人と会ったり忙しく立ち話で別れたり、「往復書簡」をもちかけて京都の話をしたりはしつづけながら、それでも、わたしは
兄の表世間へも兄の知友らの間へも一切意識して顔を出さなかった、唯一の例外は茶房「ほんやら洞」主人の甲斐扶佐義氏ひとりであろう、彼とはわたしの編輯 していた「美術京都」で対談もし写真家として京都美術文化賞を受けてもらってもいる。しかしひの甲斐氏からも兄の遺著のことは何一つ聞き出す機械すら無 かった。
* 兄のことを死以来忘れていたときは無い。つい先頃の「選集」第二十一巻には往復書簡を容れて反響があった。しかし北澤家からはなにも聞けなかった。そういう二人の生まれつきなのだと思うことにしてきた。
* 黒川創のあんだ北澤恒彦年譜にも、わたくしの名前が出てかすかに実親らと戸籍上の関係だけは記録されてある、わたしは恒彦の表社会とは全く無縁に等し かった以上、それが自然なのであろう、記憶の限り、一度だけ兄らの何かの会合で「作品」として「秦 恒平への手紙」というのを読んで発表したと有りびっくりした。その年次をいま覚えていないが、或いは兄弟往復書簡「京・あす・あさって」の実現した昭和五 十四年(一九七九)九月-十月より後日のことであったろう、推量に過ぎない。
* 兄がわたしを「弟」とみた上で手紙を寄越したのは、実は大昔のことで、東京で暮らし始めてからも何度か来信が、時に電話もあって「会わないか」とあっ たが、わたしはその全てを受けいれなかった。芥川賞候補になり瀧井孝作、永井龍男両先生に推された「廬山」を筑摩の「展望」に出したときにも、その作にも 触れながら兄が「家の別れ」というエッセイを「思想の科学」に出して送ってきてくれた。それは読んでいる。が、それでもわたしから兄の京都の勤め先を顔を 出し、ものの十分足らずも立ち話の初対面を実現したのは、ずーうっと後年であった。
わたしはそれを悔いているだろうか。悔いていない。そして出会って以降もわたしは兄と弟とだけの「付き合い」に終始して満足していた。その結果として、 兄はもう死んでいて、わたしの全く知らない兄の知友らの顔を見、声を聴くだけの葬儀にも思い出会にも、とても堪え得なかった。行かなかった。行かなくても 兄恒彦は弟わたくしの内にいつでも入ってくる。今もそう信頼している。
* 兄は筆まめでもあり親切でもありいろんなモノを、仕事の上の書類やレポートなどもたくさん送ってきた。メールになる以前の私信も、長年月に相当量届い ていて、復刻とまでいかなくても書き写して電子化データにはしておけるだろう、もうそんな残年がわたしに許されていそうにないのも慥からしいが。
* 年譜のことにばかり触れていたが、まだ『隠された地図』本文は、一行もまだ読んでいない。北澤恒彦の著書のうち五条坂の陶芸にふれたような一冊が記憶にある。『家の別れ』と総題した一冊がうちにあるのかどうか確認できていない。
ま、兄のそのような本や雑誌へのもの言いは、それこそ北澤恒彦の世界・世間のモノと思っている。「深田(阿部)ふく」と「吉岡恒」との仲にいしくも生ま れ落ちた兄と弟との世界・世間は、「北澤」とも「秦」とも縁の切れた別の「身内」なのである。それがわたしの向こうまで持って行く覚悟である。
* 「湖の本 エッセイ20 死から死へ 闇に言い置く」の末尾で、兄の死を思い新たに悼んだ。
* 兄の『隠された地図』本文の三編は、いずれも私の理解や関心の外にあった。もののみごとに私たちの知的理解や関心の範囲はズレていて、接点は、やはり、往復書簡で交叉し語り合えた「京都」であった。
2018 7/28 200
* 昨日の兄の遺著にかかわる文面の乱雑を整えておいた。関わって、しておきたいことは幾らも有るが、わたしは今、その辺で立ち止まっているワケ に行かない。客観的には、または検査データからはわたしの健康状態はむしろ良好と告げられている、が、主観的には、危殆の意識を捨てがたくいる。よく朝日 子が悲鳴をあげて抗議したのを覚えている、「パパがいうと、みんな当たっちゃうんだから」と。当てたくなどないが、現実に切に時間は惜しまねば。「長編小 説」を少なくも一つは心ゆくまで脱稿し、「選集」を予定の残る七巻まで健康にし終えておきたい。もし叶うなら、そのあとへ、ゆたかな「読み書き」の楽しみ と「私語」の時間を少しは恵まれたい、妻といっしょに。
2018 7/29 200
* 「湖の本 141」発送の用意は九分九厘出来た。「選集 27」が九月十日に出来る予定、その送り出し用意も早めにし遂げておいて、創作の日々に向きあい たい。辛抱に辛抱してモノのしかと煮えてくるのを誘い誘い待っている。欲の深い仕事で、それゆえにコトが破産する懼れはあるが、恐れまいと堪えている。
2018 7/29 200
* 時分の小説を、ジリッと前へ運べた。八朔、それでよしとしよう。
2018 8/1 201
* 恒彦兄の奥さんから便りがあった。「兄弟往復書簡」の入った選集を送っておいた簡単な礼であった。兄の死から二十年、その永さをどう生きてきたかという嘆息のような短文であった。
* 遺著『隠された地図』は甥の編んだ「北澤恒彦年譜」をざあっと一度読んだだけで、本文の三編は、「ミシュレの日記から」も「書評・丸山真男<反動の概念>」も「セブンティーンの<武装>」もとても手早くは読めそうにないので、そのままになっている。
年譜を卆読して、一つ感想があった。
わたしは自身の生涯でじぶんから他広い世間の他者を頼んで働きかけた覚えがほぼ無い、有るなら三册の小説私家版をつくったのを、やみくもに巨きな名前へ へ宛て、なにのアテもなく送付しただけがほぼ唯一例で、谷崎潤一郎、志賀直哉、小林秀雄といった或る意味で世間知らずな無謀な送本だったが、他は、太宰賞 の受賞も、文芸家協会やペンくらぶ入会も、作家代表としての訪中・訪ソも、東工大教授も、日本ペンクラブ理事も、京都美術文化賞の選者も、京都府文化功労 賞も、尽く、むこうから舞い込んだだけで、わたし自身その為に指一本動かしたということがない。これは別段自讃でも自慢でもなく、要するにわたしは高校へ 入学して以降、上京結婚就職り後も、ずーうっと、ほぼ一度として自分から動いて世間に「仕事」「創作」以外の地位や名前を求めなかったし、社交的な交際も まったく求めなかったとイウこと。実に大勢の多彩な知己知友はみなわたしの「仕事」「著作」を介してのみの親愛だった、だから何十年にわたって親しい人と も出会ったことの一度もない人のほうが断然多い。
これに較べると、た兄恒彦の生涯は活気に満ちて自発的な都邑との出会いや交渉に、舌をまくほど積極的で、著名な学者、作家、文化人、活動家たち、飛び抜 けて年かさな人とも若い人たちとも、めまぐるしく交際交渉しながら「火炎瓶闘争」の高校時代から「ベ平連」も「家の会」も市民活動・政治活動もじつにアク ティヴ、あまり使わないことばではあるが「すごいナ」という実感をしかと持った。
われわれ二人の中でも、わたしから働きかけて実現したのは「往復書簡」の一度だけ、しかし兄は高校生の昔に始まって結婚後にも頻々と会おうと伝えてきた、わたしは断り続けていたのだった。
* 実の兄弟でも、性質は、行動性は「ちがう」のだという実感、それが今度手にした遺著一冊の大きい感想になった。なんで本の題を「隠された地図」というのか、少なくも年譜からは読み取れなかった。兄ならこう付けるナという実感が無い。
2018 8/2 201
* 「NCIS」の再放映を面白く観てから、このところ気に入っている「グッド・ドクター」にも観入ってきた。
もう十一時過ぎている。 今日も長く書いている小説を前進させた。足を停めず、書き進みたい。
もう機械を離れよう、幸い明日も明後日も、今月は、月末まで病院通いもない。炎暑の日々、出ないのが予防の最有力。怠けるなどとビビらず、せいぜい涼し くからだをやすめながら「読み・書き」そして「観て」過ごしたい。老いてとはいえ、ありがたい日々である。美味いお酒も戴いている。
2018 8/2 201
* アースシーは此の世の世界ではない、その半分でも一部でもなく、ゴントに生まれたゲドやアチュアンに生まれたテナーらの住む異世界であり、わたしは、い ま、ほとんどその世界の空気を吸っていて、此の、日本やアメリカや中国の在る地球世界の現実とも歴史とも無縁にありたいとほとほと願っている。同じように わたしはあのヘドのモルゴンやアンのレーデルルらの世界、現実の地球世界と無縁な異世界を旅し続けたいと願っている。それはわたしの或いは致命的な弱さか も知れず、或いは決定的な批評であるのかもしれない。
安倍晋三やトランプ。習近平、プーチンをはじめとする統治支配の意識しか持てない政治家ども、その亞型のようなスポーツマンシップの雫もない監督や理事 長や会長どもの顔を日々見せつけられるイヤラシさ。ゲドのような魔法使いがいて欲しいと此の八十三にもなろうという爺いが本気で願いつつ日々反吐を吐いて いる。
* 残日乏しく、わたしにはもうゲドやテナーを、モルゴンやレーデルルを、かれらの住む世界のような別世界を書き表すことはとてもできまいが、わたしは本 音のところ源氏物語や細雪や夜明け前よりも「アースシー」のような世界が書きたかったのだと、思い当たっている。やれやれ。なさけないはなしだ。
* 機械に最末期症状があらわれてきた。仕事を中断してしばらく席を外しても画面が消えることは無かったのに、電源からして消えているようになった。また 電源の最初から画面を展開することは出来るが、たいへんな時間ロスになる。小説の場合、句読点一つの変更も創作行為であり、即、保存しておかないと原稿が 元の黙阿弥に戻る。神経質なほどいちいち保存しておかねば危ない。いよいよ新しい機械を買わねばならないか、懸念されるのは新しい機械を設定できるかどう か、もはや自信がない。困惑。
* 昔ながらの、メールと一太郎とだけの仕事に切りつめれば乗り越せるだろうか。原稿が書けて、印刷所への送稿さえ可能なら選集も湖の本も続けられる。 ホームページは最悪の場合断念しても、わたし自身の「読み・書き・考え」は自在に保存できる。つまり文字どおりの「隠居」「閑事」の生活になる。潮時であ るのだろうか。
2018 8/3 201
* 長い小説がどれほど長いかの実感を掴みながら「劇」を組み入れねばならない。劇のおよそは掴んでいるが、どの辺でという「程」の慥かさを掴むには慎重を期している。
* 難しいアヤの一つを、からみつかれぬまま、フックラと適切に物語に置きたい。こうした要所がまだこの先に何カ所も現れる筈。慌てずに。
2018 8/4 201
* 「自分の家」と題した、何年と知れないが「七月三十日、三十一日」と業務上の日付のある新聞記事の校正刷りだしが、もう明日には読めなくなるという古 びようで見つかった。妻に書き取ってもらった。記事内容には記憶がある、が年次は忘れ果てていて、機械の中に記録されているかどうかも不明。しかし記事内 容は自分史にとっては捨て去れないもの、見つかってよかった。あきらかに「畜生塚」時代の思いなどを後年へ反映させている。危うく拾い取った。おおよそは 読者には知られている認識ではあるが「文章」というものは、いろんな面でメモとは別の顔色をしている。
書き写しておく。
* 『自分の家』 秦 恒平 (執筆年次は目下不明 某年真夏の新聞原稿らしい。)
母は近江の国、能登川町の阿部家に生まれた。父は山城の国、当尾(とうのお)の里の大庄屋吉岡家に生まれた。わたしは京洛の西、太秦(うづまさ)にちかい西院(さい亦はさいいん)で生まれたらしい。生まれると間もなくから、わけあって両親とはなれ、当尾の父方祖父母の屋敷で数年を過ごした。
なだらかな田畑の奥に石垣をついて、雲つくほどの柿の老樹と競うように屋敷は建っていた。大きな鈎の手になって、街道から門までながい土の道だった。年 寄りのほかに、まだ幼かった叔父叔母らも一緒に暮らしていたと思うが、さだかな記憶がない。それより以前の記憶はなにも無く、以後の記憶もほとんど無い。 わたしには、加茂町当尾での日々はあたかも前世。思いだせるかすかな痕跡のようなものすら、わたしは前世のこととして強いて忘れようとしながら育った。
満で四つか五つにならぬうちに、わたしは、京都市内のつまり養家である秦家へもらわれて行った。養いの母となるらしい人が、大きな木の飛行機で「ほら ブーンブーン」と機嫌を買いながら、カン高い声でもの言う。ただならぬ運命を感じ、息をひそめて周囲の様子をうかがったていたのが、まだ当尾でのことか、 もう知恩院新門前の電器商であった秦家へ連れてこられてからであったか、それもはっきりしない。そういう記憶をはっきりと追いつめるという事が、わたしに は、断乎としてタブーであった。おのが生い立ちの根を、むしろ、こつこつと記憶から断ち落とし落としすることで、わたしは「もらひ子」の自分を自由にし た。実の親たちもしょせん他人なら、育ての親たちも他人であり、揺るぎないその確認こそが、幼いわたしには、心を時空のさなかへ解き放ちまっさらの身で世 間を生きて行ける保証となり、基盤となった。
わたしは他人の「家」に根を預けているという意識を嫌った。自分が始祖となるはずの「家」を切望した。その「家」は普通の家庭とはちがっていた。そのま まあの世へ持ち運んで、「身内」として互いにゆるしあった大勢、妻子や孫もふくめた大勢と一緒に暮らせる家、本来の自分の家、のことであった。
いまも、おなじことを願っているだろうかと、ときどき考える。ふっと、笑えてくる。そういう笑いを黙然と胸に抱いたまま来た。抱いているのが重くなると「小説」を書きたくなった。本当の「身内」を尋ね歩くような小説ばかり、書いてきた気がする。 (作家)
* 『ある寓話 ユニオ・ミスティカ』にずうっと食いついている。わたし自身には差し支えないとして、こんな作をどんな読者が歓迎できるだろう。そこで拘泥してはいけないので、読者のことは想わぬことにしている。自己満足を貫くことでさくのかたちを丈夫にしたい。
2018 8/6 201
* わたしの眼も末期症状で、小一時間もせぬまに曇ってしまう。乱視や複視や蛇行視がはじまる。点眼と眼鏡の交替、裸眼視等々で凌いでいるが、一時間でも寝てしまうのが一等の効果。
* いろんな仕事を、余命残年と秤量しながら、なんだか「競走」ように進行に思い悩む。
なによりも書きかけの長い小説、難しい小説の二つ、発表するしないは別にしても、納得ゆく仕上がりに気が急く。より長い方の、謂わば「オイノセクスアリ ス」は、四百字用紙換算で千枚を超しつつあるかも。思い切り搾りながら、しかと書き込みたい。本舞台は、むろん、両作とも、京都。
十一月新装南座のこけら落としは高麗屋三代の襲名興行で、白鸚さんに誘われている。
2018 8/14 201
* 選集第二十八巻の初校も順調に捗っている。
2018 8/16 201
* 『失楽園』で、イブはアダムにあさはかに反抗しまこと浅はかに蛇にもぐりこんだサタンの甘言に惑わされて堅く禁断されていた知識の木の実をむさぼり食い、あまつさえ夫のアダムにまで喰わせた。アダムは絶望的にイヴのあとを追い敢えて禁断の実を食ってしまった。
* 男と女とのかほど険しい危機そのものの対向は、他に例があるまい、ユダヤ教やキリスト教に流れた執拗なほどの女性蔑視の根源をこのエデンの園でのイブ の高慢と浅薄にみるのだろうかと、「失楽園」の詩句に肌に粟する心地で読み耽った。わたしが謂う「男はキライ女バカ」はご愛嬌なみの感想だけれど、エデン の園での「女」イヴの「ばか」はどう言い繕えばわたしのなかで温和に落ち着くのだろうか。わたしは一頃、異様に熱心に「マリア」を勉強したが、「イヴ」へ 溯るのが怖いほどに気重だった。しかし今は『失楽園』また「創世記」に拠りながら、またわたしなりの元に女を書いている創作行為のなかで、ますます「女」 が分かりにくくなってきた。「女バカ」という根深い感想の新ためようがダンダン望み薄くなって行く。フェミニズムにはあまり気乗りしていないがジェンダー という視野・視点はいま「オイノセクスアリス」に苦悶しながらも落とせないようだ。
2018 8/21 201
* 此処で 一つ 私どもとしては 「思い切って重大な提示・広告」を致します。「ご遠慮無くご利用」下さい。
今日現在も 「秦 恒平・湖(うみ)の本」の「全巻継続購読者」(ほぼ全員が 創刊以来の全巻購読者)の皆さんに「限らせて頂きます」が、三十余年にわたる「湖の本既刊本」(現在141巻 今後も継続)の、「小説・エッセイを問わず、どの巻であれ、何册であれ、在庫の限り」を、ご希望次第で、例外なく「無料で呈上」します。
「文学」の作として、お仲間なり、ご子弟・ご知友なりと、宜しいように自由にご利用くだされば、作者・著者として幸いです。
ただ、「巻」によっては、すでに在庫のもう払底、ないし払底しかけているのもあります。しかし斟酌なく、むしろ秦を助けると思って、「何巻を何冊」と、ご遠慮なくご要望下されば、可能な限り、すべて無料で、荷造りして送り出します、何の御斟酌にも及びません、喜んで差し上げます。
私ども夫婦の「残年寡き」を思えば、「一つの潮時」と、たった今、ハッキリ思い立ちました。発送にいささか年寄りのモタモタのありがちなのは、ご容赦下さい。
一つには、没後に在庫を残しても、事実上私の本意を践んで残部を活用できる者は無く、故紙同然に廃棄されるのは必至だからです。いっそ秦を援けてやると思われ、ご遠慮なくお申し越し下さい。
* 今日も予定した仕事はきっちり済ませた。「選集27」の出来に慌てることは無く、体力を大事に温存していたい。もっぱら創作へ心を用いつつ、「選集28」の初校は遅滞なく進めてある。
「湖の本142」を興味をもって貰えるように、工夫しながらほぼ腹案に沿って半ば以上組み立ってきている。
十時半をまわってきた。就寝前の読書を楽しみに階下へ下りる。「失楽園」らうちこんでモノを思い続けている。昔々の新潮社版世界文学全集の古本を三冊、 飛びつく思いで買ったのはまだ新制中学の頃、二冊は『モンテクリスト伯」上下で、もう一冊は「ボヴァリー夫人・女の一生」だったのが今も西の棟の振るい書 架に残っていた。無性にまた、『モンテクリスト伯』を此の古い上下巻本で読みたくなった。まだ読まれていない佳い本が数えきれず書庫にも、二棟の幾つもの 書架にもあり、死ぬ前に読んでおきたいなあとつくづく思う。みれんがのこるとかると、面白い佳い本を読みあましたまま逝くことかなあと思う。
2018 8/22 201
* 此処で 一つ 私どもとしては 「思い切って重大な提示・広告」を致します。「ご遠慮無くご利用」下さい。
今日現在も 「秦 恒平・湖(うみ)の本」の「全巻継続購読者」(ほぼ全員が 創刊以来の全巻購読者)の皆さんに「限らせて頂きます」が、三十余年にわたる「湖の本既刊本」(現在141巻 今後も継続)の、「小説・エッセイを問わず、どの巻であれ、何册であれ、在庫の限り」を、ご希望次第で、例外なく「無料で呈上」します。
「文学」の作として、お仲間なり、ご子弟・ご知友なりと、宜しいように自由にご利用くだされば、作者・著者として幸いです。
ただ、「巻」によっては、すでに在庫のもう払底、ないし払底しかけているのもあります。しかし斟酌なく、むしろ秦を助けると思って、「何巻を何冊」と、ご遠慮なくご要望下されば、可能な限り、すべて無料で、荷造りして送り出します、何の御斟酌にも及びません、喜んで差し上げます。
私ども夫婦の「残年寡き」を思えば、「一つの潮時」と、たった今、ハッキリ思い立ちました。発送にいささか年寄りのモタモタのありがちなのは、ご容赦下さい。
一つには、没後に在庫を残しても、事実上私の本意を践んで残部を活用できる者は無く、故紙同然に廃棄されるのは必至だからです。いっそ秦を援けてやると思われ、ご遠慮なくお申し越し下さい。
2018 8/22 201
* 機械の温まる? のを待つ間に、珍しく中世説話の『今物語』巻頭一話を、三木紀人さんの解説で勉強した。「源氏の下襲の尻は短かるべきかは」と、「大 納言」が所持の扇繪をめぐる傍輩たちの誤解を見抜いて囁き去っていった女房に大納言が心奪われてしまう。扇の繪、弁という官職、その特徴ある下襲、源氏物 語の場面への読みや推察、その間違いの指摘など、わずか文庫本12行の説話が生きもののように揺らぐ面白さ。教えられた。
三木さんは朝日子が御茶ノ水に在学の頃の教授であられただけでなく、わたしが医学書院に就職して間なく、母校の紀要に論文が送りたくて、仕事の間をぬす んで会社から目の前の東大国文学科を訪れ、書庫へ入れてもらえないか本が読みたいと頼みこんだとき、応対して許容してくれたのが三木さんであった。わたし は毎日のように書庫へ通って学生、院生らの勉強にまじり、けんめいに「徒然草」関連の文献を読みかつノートしつづけた。徒然草の執筆時期を追った論文は二 回にわたり母校専攻の紀要に載ったが、それより何よりこのときの勉強が、最初期作の一つの仕上げになった長編『慈子(初題は『齋王譜』)のなかへ濃厚に生 かされた。いまも胸の鳴るような思い出である。
講談社学術文庫『今物語』も三木紀人さんに戴いた。
* 上の三木さんとのように、わたしは、作家としてスタート以降、幸いに、信じがたいほど優れた国文学・日本史学の学者・研究者に仕事を識っていただけ て、永く長くいろいろに教えても応援してももらえた。とてもお名前を列挙などできないほど大勢、それも目を剥くような森銑三、下村寅太郎、角田文衛、岡見 正雄といった大先生から「ファンレター」も貰っていた。文壇という世界へは我からこまごま近寄ることはしなかった代わり、他分野の碩学や優れた藝術家に は、敬愛しつつ親しんで、多くの示教に恵まれつづけた。残念、しかし当然にも、もう九割の余も亡くなられたが、今も、梅原猛さん、久保田淳さん、興膳宏さ ん、井口哲郎さん、信太周さん、高田衛さん、今西祐一郎さん、長島弘明さん、黄色瑞華さん等からそれぞれに多く深くを、つい先頃までは島津忠夫さんに源氏 物語の読みの詳細を感嘆しつつ教わっていた。
* ご縁というものを、わたしは大事にしている。大先輩にも、若い後生らにも。
2018 8/23 201
* わりと、すんなり機械稼働してくれいる。
* いずれ上野の池之端で撮ったのだろう、上に出してある「蓮」の写真が、われながら好きで、動きやすい心を静めてくれる。八坂神社の西楼門から撮った 「石段下四条の夜色」もわれながら、胸に沁みる。高木冨子さんの「浄瑠璃寺夜色」の繪も、観るから懐かしい、いわばわが生気と正気の拠住となっている。原 作畫は観ていない、もらった写真を観ているのだが、これで十分。
写真というのには、こころ捕らえてくる魅惑があり、溺れたくはないが、いい写真を撮りたい、撮れるととても嬉しいという魔にいつも憑かれる。わたしの撮った写真のここ十五年の「作」は一枚のこらず、ワイシャツの胸ポケットに入る小さなコニカ・ミノルタ「DIMAGE X50」 で撮ってきた。わたしには機械など選べない。有楽町の大きな店で、孫娘ほどの若い店員に、あなたのオジイチャンに選んで上げるなら「どれかナ」と頼んだら 上のカメラをすぐ選んでくれた、以来、十五年ちかくこのファインダアーからなにもかも覗いてきた。充電器も電池二本も即座に買ってきた。愛機である。
* 写真機には憧れた。
とても欲しかったが、大学時代でもカネというものを月に数千円、小一万もロクに持てなかった。辛うじて叔母の代稽古で小遣いを稼いでいたが、 父よりは金主と頼みいいこの叔母に、強請りにねだって五万円という金額をなかば強奪し、河原町の「さくら屋写真機店」のウインドウで何ヶ月も垂涎の的で あった「ニッカ」カメラが買えたのだった。昭和三十年になるならずの頃で、思えば、ライカマウントの分相応な高級品だった。むろん、重くもあった。
中国へ作家代表団にまじって出掛けたときは、軽量の安いカメラを持っていったと思う、ソ連の作家協会に招待された時も重いニッカは置いていった。
* 花の、やや逸らした角度からの美しい接写が好き、やや得意でもある。
* こんな感想をただ書いていても、わたしの「書く」楽しみ、書き飛ばさない「楽しみ」は、止めどない。随感随想の「文藝」連鎖と、ホームページ前置きに書いている通り。
ただ、これをやりすぎていると、仕事の進行に障る。
* 「選集28」を校正しながら、内容には満足出来ている。量的な圧縮には苦心。
「湖の本142」の大要は、原稿も揃って問題ないのだが、配列に苦心の最中。
2018 8/24 201
☆ 「今物語」の二 忠度と扇
薩摩守忠度(さつまのかみただのり)といふ人ありき。ある宮ばらの女房に物申さんとて、局(つぼね)の上ざまにてためらひけるが、事のほかに夜ふけにければ、扇をはらはらと使ひ鳴らして聞き知
らせければ、この局の心しりの女房、「野もせにすだく虫の音や」とながめけるを聞きて、扇を使ひやみにける。人しづまりて出であひたりけるに、この女房、 「扇をばなどや使ひ給はざりつるぞ」と言ひければ、「いさ、かしかましとかや聞こえつれば」と言ひたりける、やさしかりけり。
かしかまし野もせにすだく虫の音や我だに物は言はでこそ思へ
(現代語訳〉
薩摩守忠度という人がいた。ある宮様に仕える女房に物を言い掛けようと、女の部屋のあたりでためらっていたが、思いのほか夜が更けてきたので扇を使って 音を立て、合図で自分のきているのを知らせたところ、その部屋にいた事情通の女房が、「野もせにすだく虫の音や」と誦(ずん)じたのを聞き、扇を使うのを やめた。
人が寝静まってから女房と会った時にこの女房が、「扇をなぜお使いにならなかったのですか」と聞くので、「さてねえ。うるさく聞こえたらしいので」と言ったとか。優美なことであった。
かしかまし……(うるさいことよ、野原で所狭しと鳴く虫の声よ。こんなにあなたのことを恋い焦がれている私でさえだまって耐えているのに)
* 薩摩守忠度は平家一門でも剛勇で知られた武将で、また優雅な歌人としてもただならぬ存在であった。わたしはこの忠度説話がことに好き。「女文化」を肌 身に理会していた平家の公達に比し、源氏の大将らは義経ですら不行儀にざらついていた。「アカ勝て シロ勝て」でやかましかった子供の頃は太平洋戦争への 前夜、わたしは幼稚園前から国民学校へ上がろうとしていた。源平闘諍のいきさつはあらかたもう心得ていて、わたしは終始「アカ」旗の平家贔屓だった。「女 文化」ないし「女文化の終焉」という歴史観はそのころから自身で紡いでいた。「徒然草」とともに新制中学で真っ先に岩波文庫『平家物語』上下巻をお年玉で 買い入れ愛読したのも(秦の父のだったろうか)通信教育用の教科書「日本国史」や人に借りた絵本などの感化であった。「女文化」へ身を添えながら大人に なって行く「男」をわたしは教養の如くに自身に律していたかと思われる。
2018 8/25 201
* その夏バテ危険の今日にも、昼過ぎのバスで駅へ向かい、聖路加病院へ診察を受けに行く、といってもものの五分のいしとの対話・歓談で服薬の処方箋を 貰ってくるダケなのである。ま、「お出掛け」のチャンスとして極端な運動不足をすこしでも解こうというワケ。校正ゲラをたくさん持ち、さらには、リュー サー女史の「解放神学」で、(おもに米国の)キリスト教女性蔑視がいかがなものかも勉強してくる。知的に気を張っているとたしかに自覚的な疲労は少ない、 軽いと感じられる、錯覚なのかも知れないが。
* いまも『今物語』で、また『風姿花伝』で、或るかねての思いを肥やす、ヒントのようなものが得られ、どう生かそうかなあと楽しみに思っている。
* すこし遅れたが、編輯に苦心した「湖の本142」も、ま、無事に入稿できた。単行本でも雑誌でも此のほぼ未公開の「新巻」は、ややポレミークの気味もあり、楽しんで頂けようか。
校正中の「選集28」は多く知名の作家・学者・藝術家らとの彩どり賑やかな対談・鼎談・座談会の「選」と、各方面へ出向いてのいかにも秦 恒平らしき講演の「選」とで、最多頁の大冊に成ろうとしている。選集全巻の中でも、特異で平易な追究を見せている面白い「選集27」は、九月上旬には送り 出せる。準備はもう出来ている。悪しき「夏バテ」に陥らぬよう用心しなくては。
2018 8/27 201
* 十一時になった。ガンバリ過ぎたか。
今日は、校正のほかに、キリスト教神学の本三冊ばかり、目次を拾って覗く程度ではあったが、確かめたいことのある気持ちで調べてもいた。一般にアメリカでのと限って「解放神学」といわれるものにも、大きな裂け目があることなど、確かめられた。
さ、機械から離れる。
2018 8/27 201
* 昨日は炎天下を聖路加から三笠会館まで歩き、食事の後また銀座一丁目まで歩いた。帰宅して遅い夕食もした。寝る前にシカかリノ校正の纏まりをつけ、「選集28」初校了の目先が見えてきた。
リーゼを服して、読書後、ミルトン叙事詩の大作『失楽園』上下巻を、数年ぶりに「再読」了。初めて読んだときより更に更に心惹かれてほぼ一字一句も疎か にせず熟読した。わが飜訳読書史中の一白眉とも謂えようか。今回はことに「イヴ堕罪」をめぐって胸の痛いような問題意識を多感に強いられた。
キリスト教史の各時代の教会また教父たちの執拗を極めた「女性」に対する「蔑視」「排除」の烈しさにも他の参考文献で再確認してゆきながら、奇妙にいた たまれない違和感にいっそ苛まれる心地がしている。この問題は、ま、目下『オイノセクスアリス』創作中のわたくしには、擦れちがって通り抜けられる問題で は無い。
一時前に寝入って、幸いに、よく寝た。この頃は妙に律儀な夢をみて、幸い疲れない。有り難い。
2018 8/28 201
* 谷崎先生が、昔も昔お若い頃、年寄ったら自作をゆっくり読み直すのが楽しみと述懐されていて、谷崎文学ならさもあらんと羨ましいほどに感じていた。企 んだわけでないが、選集を決意して、はからずも自作の大方を克明に読み返すことになった。予定の三十三巻へ、もう残り五巻、溢れて剰るモノも相当出来てし まうが、それはそれ。むかし、むしろ実感のまま「わたしは寡作で」と書いていたのを読んで人に怒られたことがあった。たしかに創作とエッセイと、両翼・両 輪に、「寡作」では無かったとかなりにビックリしている。問題は、それほどの「作」に「作品」が添っているかで、これは読者が判定されること。
断っておくが、現在のわたしの視力、それでもわたし独りで校正しており人に頼んでいない。言い訳になるが見えにくい為のイージイ・ミス、誤植、は出てい る。その大方は、読者に察しのつく程度であってくれるようにと願っている。「は・ぱ・ば」にはとくに見損じがあるようだ。もし時間と体力がのこれば、読み 返して正誤表を造っておきたいが、出来るかなあ。
* 気になっていることのために、フランチェスコ・ペトラルカの「わが秘密」を持ち出してきた。フランチェスコのさまざまな問いに、最大の教父ともいわれるアウグスチヌスが徹底して応え、時に激しく討議がつづくが、主眼のアウク゛スチヌスの教えにある。
いま、わたしはその偉大な教父のキリスト教神学の問い返さざるを得ない疑念を持ちはじめている。ことに性ないし情欲・情念にかかわる見解をよく確かめたいのだ。
2018 8/29 201
* とても愉快とは謂えないタチの創作に手と時間を掛けていて、不快に疲れたのは宜しくない。投げ出してもいいと思うが、ケッタイはケッタイなりに一種の発見は成る。ま、もう暫くガマンか。
* 660頁ほどのを600頁程には縮めたいと願いながらの初校が、もう一息で済む。600頁まで減頁は届かないかも、ま、根気よく頑張った。何とか成る。
2018 8/31 201
* 九月になった。やす香の生まれ月だ。俳優座が「心 わが愛」を初演した月だ。生まれてくる初孫をわたしはあのころ男の子でも女の子でも「こころ」と名 付けたいような気でいたが、よして良かった。なにしろ「心は頼れるか」と批判し続けてきたわたしの「こころ」観なのだから。「静かな心」ほ得られなかった 漱石・先生。そのあとを追いたくはない。名付けるならやはり「しづ」さんか「しづか」さんであったか。いやいやそれはもう『蝶の皿』に用いていた。あれは あれに極まっていた。
わたしの此の機械の真向こう数十センチに、妻が、マミイが愛を込めて画いた幼い日のやす香の佳い鉛筆画が飾ってある。大学へ入ろうという頃の女学校制服のやす香の笑顔も手の届く近くに額に入っている。もう何年か、一日も欠かさず孫のやす香はわたしのそばに居る。
2018 9/1 202
☆ 炎暑お見舞い申し上げます。
殊の他、異常な暑さに音を上げながら、毎日を過ごしています。
先日は『湖の本141』を頂戴いたしまして誠に有難うございました。
總タイトルの「語り合う日本の古典風景」は、日頃、ご著作で馴染み仲となったテーマで、それぞれの分野で活躍されている学者先生などの活達な発言も面白 く、身になりました。「日本の古典とエロテシズム」「今様の世界」「洛中洛外屏風をめぐって」がそれですが、小生にとって、最も手応えのあったのは、杉本 秀太郎氏との対談「洛中洛外・歴史の風景」で、ご両所、京都で生れ、育ち、文学を目指した者ならではのやりとりが言外に滲み出て、良かったですねえ。秦さ んの杉本氏評、「洛中生息の井伏鱒二の山椒魚」には思わず、大笑いしました。
大暑をやり過ごした時のお躰、応えると案じます。
ご自愛専一に。 講談社役員 元・出版局長 徳
* 「対談」は、一種独特の創作行為で、ぶつかりあって咲く火花に妙趣がある。この一冊、幸いに受けてくれて嬉しく、お相手の皆様にもどうかご容赦いただきたい。
☆ お元気ですか。
蒸し焼きになりそうな通院は さぞお疲れになりましたでしょう。お怪我ありませんように。
今日は お願い、です。
永く購読してきました「湖の本」ですが、色々プレゼントしたりしまして、現在、相当に歯抜け状態になっています。厚かましいお願いですが、もし在庫冊数に余裕がおありでしたら、「湖の本全冊」頂戴できますでしょうか。
お送りいただける場合は、力仕事ですので、何度かに分けていただければと存じます。くれぐれもご無理のないかたちでお願いいたします。当然のことですが、送料着払いになさってください。よろしくお願い申し上げます。
九月に入りました。台風も来るそうです。
どうぞお大事にお過ごしください。 読者
* わたしからの「私語」の上での申し入れ・要望に副ってご希望頂いたと思う。本が、実質的にわたしの手もと以外で生きてくれるのは、なにより本望。何方に も無制限にというわけにも行かず、一応、創刊以来「全巻ご購読下さっている方々」を念頭に、いわば「湖の本」活用・利用のご協力を願っている。本が、お役 に立ちますように。
送本、手早くとは行きませんが、間違いなく全巻を揃えましょう、先ずは荷造りの函から物色しますので。暫時お待ち下さい。
なお残部が、他巻に比し僅少になっている巻も出来てきています。ご希望の方はいっそお早めにお申し越し下さい。
2018 9/1 202
* 直哉の「母の死と新しい母」を、またまたまた、読んだ。清い冷たい水で顔を洗ったように清々しく嬉しい作品。作には品の有ると無いの大きな落差のあること をわたしは直哉の文章・文体から学んだのである。「母の死と新しい母」から真っ先にそれを教わった。「母の死」はいたましく恐ろしく胸に沁みた。「新しい 母」への直哉少年の慕情は、美しいほどに淳で、羨ましかった。わたしは「実の母」を受けいれなかった。「育ての母」には、懐きたいのにどこかいつも怕かっ た。
2018 9/2 202
* 今日午後には「選集28巻」の初校が戻せる。「湖の本142」の初校が今し方到着。仕事はほぼ停滞なく進んでいる。有り難し。
* 「オイノ・セクスアリス」など、アタマになかった。都内の読者が期待して待っているとメールを寄越されて、これは、「ヰた・セクスアリス」よりはるかに今の作者に嵌っていると喜んだ。「非売品」の「選集三十三巻」を無事これで大尾とできるだろうか。
* 「湖の本142」は、快調に初校進みそう。
2018 9/3 202
* ツイッターもフェイスブックも登録され、一時期、記事も送っていたし、そのまま残存しているのかも知れない、が、遺憾なことに、わたしの機械でそれらを開いてみること、ましてや記事を送ったり反応したりが、「マッタク不能」となってしまい、もう数年になる。
日に二十、三十度も、運営当局からだれそれサンから連絡を求められていますなどの通知が降るように届くが、どんな記事や消息や通知も「マッタク窺い知ることができません」。随分失礼も重ねているかと思うけれど、もし必要なご連絡や消息は、私のメールへ直にご通知下さい。
* ソシアル・ネットの悪用や犯罪行為は、今世紀の初めに、日本ペンクラブに電子メディア委員会を理事提案したときにすでに予測し危惧し憂慮した通りの惨 状をも呈している。諸刃の剣で、一面に驚嘆の便宜もあるのは明瞭な事実だが、半面の腐臭を帯びた人間悪跳梁の世間とも成ってしまって、ますます悪行の手は 込んでくるだろう、機械というもののそれは悪魔性と謂うしかない。
わたしは、東工大の田中君に懇望して此の機械に「ホームページ」をつくってもらったとき、専門家の彼ですら、こんな巨大に育つものとは想像もしていなかった。
実際にいま一般に「ブログと」謂われているいわば「借家・アパート」住まいをわたしは避け、「公式ホームページ」という「自宅」を創ってもらった。此処でならば、わたしの「ことば」は明白に秦 恒平の文責でまっすぐ世界へ送り出せる。
何よりも何よりもネット世界での全ての発言には、誠実な文責を明らかにというのが、わたしのもう久しい、機械を使い始めて以来の不動の主張なのである。ホームページでなら、それが実行できる。
* 文責に欠けた、または故意に欠き隠したたぐいのソシアル・ネットでの「無責任ないし悪意一切の根無し発言」をわたしは無視し、チラとも覗き見ることが無い。フェイスブックにもツイッターにも、機械の不備不調故障が直っても、復帰の気持ちは全然無い。
私の述懐や批評や消息は、メール以外の一切、此のホームページ「作家・秦 恒平の文学と生活」の内、「闇に言い置く 私語の刻」でのみ明記する。わたしへのご連絡は、文責確かなメールか郵便かでお願いしたい。
2018 9/4 202
☆ 「旅に出るので」と短く書いたからでしょうか。
フーテンの寅さんのような感じがするのでしょうか。或いは少々自棄になっているのではないかなど。平常心100%からはやや遠いくらいの、ただし普通の気持ちで、勿論楽しんで用心して旅行します。しかも今回は全くの個人ではなくツアーです。
台風は昨日午後の2,3時間、風雨ともに激しく、部屋にいても ゴーッという音で揺すられるようでしたが、関西の被害ほどではありません。
関空は何度も利用してきましたが、復旧までにやや時間がかかりそうで、経済的な影響も危惧されているとか。
「キリスト教の、教父や法皇達の、教会の、女性やユダヤ人・ユダヤ教にむけた本質的な蔑視のきつさ」と書かれています。
イエスがどのような生涯を生き、のちの者たちに何を託したかは最早推測も出来ませんが、キリスト教が確立されていく過程で様々な操作が為されたことは言 うまでもなく。幾たびもの宗教会議と正統異端の確執闘争。近親憎悪とでもいうのでしょうか、ユダヤ教やイスラム教に対する攻撃の歴史。そして女性蔑視・・ それは仏教においてさえ確かにある・・。
マリアとイヴ、さらにユダヤ教やキリスト教が生まれた中近東、ことに文明化の早かった地域エジプトやメソポタミアの宗教や世界観も無視できず、そこまで領域を拡げる必要さえ生じます。例えば、エジプトの神々の中のイシス、オシリス・・・生命再生の場での女性の重要性。
旧約聖書の中のエデンの園の禁じられた果実のくだりでのアダムとイヴも、注意深く読むと、いっそアダムの軽さ弱さも浮かび上がってきます。全てがイヴの誘惑の結果ではない・・。
マリア崇拝は殊にカトリック教会の古代から中世にかけての宗教会議で正統異端が厳しく論じられ、規制し、ローマ教会の権力が増大するにつれてマリア崇拝 も「利用」されてきたのではないでしょうか。ラテン国家イタリアやスペインのマリア崇拝と、家庭内でのマンマの位置。聖母たるマリア、そしてもう一人のマ リアの微妙な問題もあります。
先頃話題になった本と映画『ダ・ヴィンチコード』その他多くの本が出版されていますが、処女・聖女・母なるマリアと対極にあるマグダラのマリア。彼女は イエスの妻ではなかったかと。例としてレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の絵のキリストの脇に坐るのはマリアだと提起されていますし・・。
ユダについてもさまざまな論が展開されています。
興味だけを頼りに読み進むのは確かに面白いですが、時に自分に慎重であるようにと促しています。
遅ればせの勉強でも何でも、とにかく勉強も知識も、すべてすべてどんなに追いかけても追いつけない、際限ない。そして自分に与えられた時間は圧倒的に残りわずかと痛感し、いっそすべて断念したらいいなど思ってしまいます。
先日の「湖の本」から今様の歌を挙げれば
「我等は何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ」です。
本当にそう思います。
そして「今は西方極楽の弥陀の誓ひを念ずべし」という立ち位置を得てはいません。
とりとめないことを書き連ねてしまいました。
残暑厳しい今日でした。くれぐれもお身体大切に、大切に。 尾張の鳶
旅は黒海とカスピ海に挟まれた地域、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアに行きます。
* グルジア(ジョージア)とは懐かしい。
* 世界的な宗教には、少年の昔からとぎれなく関心をもちつづけ、仏典にも、旧約・新約聖書にも、ギリシァ・ローマ神話にも、コーランやユダヤ教の日々の行儀にまでも、粗い目は通し通し続けてきた。
新聞連載の『親指のマリア』でシドッチ神父を書くために、地中海の神話も含めて、キリスト教史をあたう限り調べた記憶もまだ新しい。
そして、近年、フェミニズムやジェンダーへの関心や読書と帯同して、キリスト教の「解放神学」をことに気を入れて読んできた。一つには今書いている長い 小説のためにも必要があり、一つにはミルトンの『失楽園』へ巨細に目を向けながら、もういちど創世記や教会史の面から「第一のエバ」ないし「マリア」に関 わる自分なりの思いにポイントを見つけたくなっていた。当然に、女と男と、肉と性との問題から、わたし自身の『オイノ・セクスアリス』ないし「ユニオ・ミ スティカ」の創作により良かれと意図してきた。
わたしには、昨日今日の興味や関心を超えた、しかしまだまだ理解不足な、重くて沢山な宿題なのである。
尾張の鳶には、いろいろと教わってこれた。何といってもわたしは鳶さんのように「西欧の空気」を直かに呼吸したことがないのだから、もどかしい。
映画「ダビンチコード」その他「絵解き」ふうの探索からは、面白くはあったが、さて身に沁みた実感は得られなかった。マグダラのマリア、ないしイエスの妻に関しては、ロレンスの小説などでも目に触れてきた。
中学でバーグマンの映画「ジャンヌ・ダーク」を観て以来、アヌイの劇「ひばり」や、ミラ・ジョボビッチの映画なども介して、ジャンヌに寄せてきた重い関心にも、どこかキリスト教と「女」との問題が絡んでいると思っている。
* ま、疲れるワケです。
2018 9/5 202
* 「湖の本」142の初校をし終えた。ここ暫く余力を持てる。目の疲れはひどいが、この一巻も、いかにも「わたくしの批評と述懐」らしき二十編に編輯できたと思う。
十日の「選集」27出来待ちへ、明日、明後日の二日間。夏バテに備えたい。
十月中旬まで気の張る外出もなく、散髪はサボって真っ白い蓬髪もよしとしよう。白い鬚を蓄える趣味はない。
九時半だが、睡い。やすめということだ。やすむといっても、床に就けば十册もの読み継いでいる本がまくらもとに積まれてある。昔も昔の新潮社世界文学全 集版の「モンテクリスト伯」は全編を上下二巻に収めてあり、古本屋で買いそれは愛読したモノ。今回は文庫版でなくその懐かしい重い本で読み始めている。読 み物としては、世界一の傑作と思っている。現代史、解放神学、筑摩の大系本、直哉全集等々、けれど、つとめて寝てしまうようにしている。寝て休むのがいろ いろに最良と思えるので。ゆーっくりの入浴も。
2018 9/7 202
* 選集28の再校を始めた。わたくしの読者には今度の特大の一巻は、持って重いと叱られても、内容的には喜び、楽しみ、いろいろにもの思って戴けると思う。
まだ選集29をどう編もうか、思案を決めていない。あと、五巻。小説のために二巻分は取り分けておきたい、と、なると三巻分にどう何を選ぶか、何を何ゆえに割愛するのか、唸り続けるだろう。
しかし、何よりも、書きかけの長い小説を、納得して仕上げねば。
2018 9/14 202
* 漢字のたった一字が虫食いになった短歌や俳句の、その一字だけを推察して埋めるぐらい、「カンターン」と思われるなら、優秀な東工大生たちが四苦八苦 したのを尻目にしてみられるといい。よほどの詩人、歌人、俳人、文人になる気で試みないと、ま、惨敗する。出題者のわたしでも同様に試みられたら惨敗の憂 き目をみるだろう。東工大生はみな優しかった、だから「秦サン」に同様の課題を突きつけたりしないでくれた。じつは、それは恐ろしいことであった。以来、 いかなる同様の挑戦的出題も受け付けないと決めている。逃げている。
十ほど、例題を並べておきます。埋めるのは「漢字一字」に限ります。作者の原作を越す名作に仕立てることも可能なのです、秦教授はむしろそれを学生諸君に期待していました。
死ぬまへに( )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる 小池 光
起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の( )を流せよ 齋藤 史
病む母の( )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿(ゆまり)し給ふ 綴 敏子
父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く( )をおもへる 若山 牧水
草まくら( )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り 土田 耕平
平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを( )もまた言ふ 池田 勝亮
独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ( )であること 岡井 隆
父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の( )子とうつれよ 佐佐木幸綱
思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( )き苦しみといふ語ありにき 清水 房雄
亡き父をこの夜はおもふ( )すほどのことなけれど酒など共にのみたし 井上 正一
子を連れて来し夜店にて愕然とわれを( )せし父と思えり 甲山 幸雄
* 学生達がこの十倍二十倍の出題にいかに四苦八苦していい頭を使ったかは、湖の本『青春短歌大学』上下巻に丁寧に報告してある。
* 「鏤月裁雲」の季節。平穏であって欲しい。
2018 9/15 202
* 東工大でお隣の部屋においでだった橋爪大三郎さんに頂戴した本から多大に学んでいる。すばらしく「勉強になる」。ほんものの学者、研究者で、しかも人 間学らにつうじた方のお仕事からは学びやすい。上野千鶴子さんの本格の研究もいつもわたしの目の鱗を剥がしてもらえる。山折哲雄サントのとの対談は「漫 才」なみであったけれど。
2018 9/16 202
☆ ご著書御礼
秦先生、 朝夕、ひんやりした風を感じ、躰も少しずつ楽になってまいりました。人間同様この猛暑で痛んでしまった植木鉢の草花の手入れを楽しんでいます。
利 休梅やブーゲンビリアが狂い咲きなのか、遠慮がちに花開き、私が「お姫様」と呼んでいる真っ白の木槿も、今頃になって一日一輪か二輪、可憐な花を楽しませ てくれます。狭い庭やベランダを行ったり来たり、背中が痛いのも忘れ、重い植木鉢を運ぶのも楽しい時間です。(後が大変ですが)
『選集第二十七巻』有り難うございます。
好みからいえば「古典の、こころとからだ」からかなと思いましたが、ぱらぱらとめくり「からだ言葉の日本」も読み出したら面白くて止まりそうにありません。
でも巻頭の、先生の東工大の講義風景の写真を見て(なんと大勢!遅く行ったら席がない!)、「青春短歌大学」から読み始めることに決めました。つまり全巻興味津々です。有り難うございました。 ただし、卒業試験はきっと赤点でしょうね。
一問目、(理)(想)と書きましたから。 愛知 珊
* なんでも無げであるが「からだ言葉」「こころ言葉」への着眼は、日本人の心身観の理解と腑分けにこのうえない文化遺産なのである。しちめんどうな「心」論 や「身体」論をはねとばしそうに的確な示唆を与えてくれる、多くを拾えば拾うほど。亡き川嶋至主任教授が、ほとんど辞を低うするほどに、これを論文に仕立 てて博士になり、大学院大学へも残ってほしいがと云われたのを感慨深く思い出す、わたしには、博士になる気も、教授職を長びかす気もなかったので、低調に 遠慮したのも思い出になった。
2018 9/20 202
* 七時。もう睡い。選集二十八巻の前半、十三篇の対談・鼎談・座談会再校を終えた。懐かしく、そして幸せな思いをした。
2018 9/20 202
* 「少年」という歌集を持っている。文字どおりに少年時代の歌集である。久しく歌を離れていたのが、老境に入ってぽつぽつと述懐の体で「光塵」「亂聲」 の二册を「湖の本」にしたが、これを一つに纏めて別題をと一思案、「老蚕」の二字を得た。「老蚕繭を作る」と宋の蘇東坡の言がある。激越なまで老いても努 力をやめないが、酬われはしない、と。そのとおり。「少年」「老蚕」と対になる。「光塵」「亂聲」ともすこぶる気に入っていて、ことら光塵には何の典拠もなく瞬時にただ思い浮かべた二字であった。二つとも中で生かすことになる。
2018 9/22 202
* 外国人資金や資本で国土が無拘束に買い取られないよう、法整備が厳に切に望まれる。いま、いわゆる帝国主義手法で他国の国土と要衝や設備をおさえるこ とに飛び抜けて熱心なのは中国。中国は自国民を他国に扶植して制圧するすべに古来長けている。華僑もしかり屯田兵を常駐ないし永住させて行くことに熱意も 方策ももっている。日本政府は、政治家はそういう点の勉強をしっかり対応してくれ得るのだろうか。
かつて、(さきの湖の本「一筆呈上」で多くの人をびっくりさせたが、)わたしは東京新聞夕刊の人気の匿名コラム「大波小波」に数年にわたり沢山な投稿を 続けていたし、もし今も続けていれば、手ぬるい感じの新刊本の評判なんかでなく、うえのような問題に一石も二石も投じ続けているだろう。
いったい今、文藝の世界に批評のガイセツと筆力を以て鳴らした、小林秀雄、河上徹太郎、唐木順三、中村光夫、臼井吉見、吉田健一、山本健吉、伊藤整、平野謙らのような批評家、誰がいるのだろうか、知らない。
2018 9/23 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 二 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 蛇は南アジアの代表的に多い動物、同様に蓮華も。
わたしは、もう久しくも久しく愛欲の行為などとは無縁になりきっているが、未練であるのか、奇妙なガンバリであるのか、愛欲を断ち捨てたいなどとはじつ は思っていない。「ぐっとくる」という生気は、すくなくも未だ見捨てたくはないらしいのである。すくなくも「オイノ・セクスアリス」を懸命に書いている間 は。ハハハ。
2018 9/25 202
* 雨もよいでもあり、空腹感すらないほど食欲なく、銀座から一気に帰ってきた。校正はかなりの量、出来た。講演の「色の日本」、また島崎藤村を語った二 つ、論攷にひとしいエッセイとして、これでよしと思った。小説世界と論攷世界とが完全に両翼を成しているのが、わたしの文学世界。その思いを日々に確かめ えている。わたしのうちに、伊藤整のような先達のあゆみへの共感が、いつ知れずインプットされていたと謂える。
帰宅しても、うけた郵便もなく。伊藤さんに戴いた「越乃寒梅」を唐津のぐい飲みでしっかり味わい、蕎麦を少々で本日の食事は、了。
2018 10/5 203
* 『モンテクリスト伯』を読んでいて、ふと立ち止まった。「物好き」という語彙に「アマチュア」と、ルビ。膝を打った。わたしはこの理解を肯定的に積極的に自覚的に受け容れる。
2018 10/8 203
* 長い小説の推敲と添削をえんえんと続けてきたが、全体に、湖の本の三、四册分ほどに絞って、もっと絞ったり書き加えたりしたいと思っているが、全体の 四分の一ほどで第一部はほぼ纏まろうかとしている。それだけでも「湖の本」で発表しておこうか先を待つかと思案しはじめた、が。
2018 10/12 203
* 機械を煮立たせながら、キャロル・クライストとジュディス・プラスカウ共編の『女性解放とキリスト教』のなかの、P.トリブルの論考「イヴとアダム 創世記二、三章再読」を読んでいた。
今にして自身驚くが、この手の論著を何冊もわたしは手に入れていた。あけてみると、どの本も真っ赤に傍線が引かれている。何がわたしを催していたのか。 いま書きかけの、もう七割がた纏まろうとしている長編小説の背後にこれらの知見を置こうとしていたのだろう。想えばこの小説に手をかけて以来もう十年にな ろうか覚えていないほど遠い以前のこと。何が書きたかったのか。いまだにわたしは薬研を膝に抱いてごしごしとヤッテいる。
* 今日は、酒の気を抜きながら 大方の時間を小説二つの進行に掛けていた。
2018 10/16 203
* 選集第29巻の編輯に着手。
2018 10/15 203
* 六十一年前になるか、まだ大学生の昔の今日、秋晴れの大文字山へ一つ下の妻と登った。山頂を、すこし東側へ隠れた草の斜面から、大きな大きな 比叡山を仰向きに並んで寝ころんだまま眺めていた。それだけで、また山を下りた。紅葉の十一月二十六日には二人で鞍馬山へのぼり貴船へ降りた。求婚したの はその歳の師走十日だった。妻はまだ三年生だった。翌春わたしは院へ進み、けれど妻の学部卒業と合わせて院をやめ、京をはなれ東京に職を得て二月末に上 京、即、結婚して市谷河田町に暮らし、東大赤門まえの医学書院で働きはじめた。六畳一間の家賃が五千円、初任給は一万二千円(肇の三ヶ月は八割支給)、わ たしの財布はいつもカラだった。(妻には両親からの遺産が残っていたし、わたしは院の奨学金と京での蔵書を処分してきた蓄えはあったが、会社のボーナスも 含めて、将来のためにと手を付けなかった。)社の食堂では十五円で丼飯とみそ汁が買えた。みそ汁を飯にかけての昼飯でほぼ二年間過ごした。二年目の七月二 十七日に朝日子が生まれ、郊外の保谷社宅に入れた三年目の七月末から、突如、小説(短篇「少女」と長篇「或る折臂翁」)を書き始め、以降一日も、元日も病 気でも途切らせず、決然、貯金を使って私家版本を四冊つくった。上京結婚から十年め、書き始めて七年目、思いもよらなかった太宰治賞受賞の日を迎えた。昭 和四十四年(一九六九)の桜桃忌であった。八十三歳の来年は「作家生活五十年」になる。「秦 恒平選集」は三十三巻完結に近づき、「秦 恒平・湖の本」は百四十五巻には達しよう、加えて五十年を記念の新作長編(願わくは、中編も)が成って呉れるか、心して日々を元気にと願う、なによりも妻 が無事の健康を心より祈る思いで、願う。
* わたしは少年の昔から「歴史」好きだった。自身の生きようにも「歴史」を創って行くという意志・意欲 が昔からあった。その意味ではわたしは佳い意味での無心には成りにくい性質をもっている。生活を、人生を構造物のように思うことで自身をむしろ励ましてき た。以前。東工大で「結婚」を「学」に譬えてみよと挨拶を入れたとき、多くの返事のなかで「建築学」と応えてきたのに同感していた自分をいまも記憶してい る。が、さて…、この先をどう構築する気なのか、もう卒業して成るように成って行きたいのか。
この「私語」の上の方へ掲げた仙厓画「お月様いくつ 十三七つ」にそえ、わたしは数年前の自句、「柿の木にに柿の実がなり それでよし」と書き添えている。はて。はて。
2018 10/16 203
* アウグスティヌスと正統キリスト教の教義史を「性愛」ないし「女性」の方面から観ていると、キリスト教自体の異様な変容や変質の歴史が見て取れるのに 驚いている。わたしはペトラルカの『わが秘密』が終始アウグスティヌスとの対話というかたちで表明されているのに惹かれて読んだのだったが、そこの著での 対話者二人は「女神・真理」の前で「ペトラルカその人」にほかならず、歴史的な『告白』の筆者、あのほぼ絶対の存在であった教父アウグスティヌスとは別の 造形であった。実の教父アウグスティヌスの「性愛」「女性の肉」を語る内容も調子も徹底して否定・否認で貫徹されていた。わたしは、あのミルトンの『失楽 園』を知り、むろん旧約の「創世記」を繰り返し読むうち、第一のマリアというエバを原拠になされていったアウグスティヌスらに根底を置いた基督教会の「女 性蔑視」ないし「性愛」「結婚」「出産」等の徹底否定の歴史が、しかもそれが保ちがたく頽廃劣化して行く経緯が疎ましくも嗤えてきたのだった。ことに老い の性を通して微妙な「性愛」が書けるものかどうかと心がけている身には、アウグスティヌスや法皇らの言い様はあまりに厳格というより過剰に歪んだ「性」 「女性」蔑視の教条と見えてきたのだった。
* とはいえわたしは知られた「女文化」の論者であり、必ずしも女性を評価の言説でなく、男性の優越のもとに咲いてきた花であったと認識している。それを 当然とも容認しないが否認もしてこなかった。しかも正統キリスト教を守った教父や法皇らの古代中世にわたる女性や性愛や結婚・出産への偽善と矛盾をはらん だ蔑視には、顔を歪めてきた。
* こういう見解をわたしが此処へ書くのは、此処へ訪れる人に「読んで」と強要などしていない、読む人は読み、読まない人は読まなくて何差し支えもない 「私語」である。しかし「メール」は送る貰うともにただの「私語」ではない。相手構わずに書く物ではない。相手・読み手と関わり合わないただ自前の思惑や 行為や事例を一方的に送って構わぬものではない、少なくもそれでは、いくら貰ったメールでも面白く懐かしくは文面を喜べない。楽しめない。教えられもしな い。
* 語りかけるというのは、難しいことである。機械でメールというのをはじめた昔から、送るメールよりも、貰うメールの表現に多大の興味を持ち、それらの 自在で自然な再構成や再利用が面白い文藝の創作に役立つだろうと観てきた。だから、務めてそれらを「資材」と観じ、保存保管し表現を見直しいわば添削も推 敲すらもし続けてきた。そんな勉強の結果も、少しずつ形に、作物に成って行くだろう。
2018 10/16 203
* 夕食後もずっと小説「ある寓話 オイノセクスアリス(仮題)」を推敲していた。「湖の本」の上巻または第一册としてなら、もう手を放せそう、だが。
2018 10/16 203
* 暫くぶりの外出で、ホッコリと疲れた。もう一週間もすると「湖の本」142j巻が出来てくる。それまでに「選集28巻」600頁を越す大冊を責了で渡 してしまいたい。前後して「湖の本」143巻が組み上がってくるだろう。「選集29巻」の編成にも本腰を入れねばならない。それら全部にさきがけて、新し い創作が着実に成って行かねばならず、気が抜けない。
2018 10/17 203
* 岩波文庫に『王朝秀歌選」一冊のあるのを二階廊下でみつけた。公任選と思われる「前十五番歌合」「後十五番歌合」を読み、わたしなりに勝・負また持を判じ てみた。佳い歌もむろん在ったがやはり先年の時代差でいっこう感心できない歌も幾つもあった。番われた双方を佳いとみた番だけを拾っておく。
前十五番の内
六番
人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな 堤中納言藤原兼輔
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし 土御門中納言藤原朝忠
十一番
琴の音に峰の松風通ふらし
いづれのをより調べ初めけむ 斎宮女御徽子女王
岩橋の夜の契りも絶えぬべし
明くる侘しき葛城の神 小大君
十二番
嘆きつつ独り寝(ぬ)る夜の明くる間は
いかに久しきものとかは知る 傅殿母上(藤原道綱母)
忘れじの行末までは難(かた)ければ
今日をかぎりの命ともがな 帥殿母上(高階貴子)
十五番
ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島隠れ行く舟をしぞ思ふ 人丸
和歌の浦に潮満ちくれば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る 赤人
後十五番の内
三番
世の中にあらましかばと思ふ人
亡きが多くもなりにけるかな 藤原為頼朝臣
夢ならで又も見るべき君ならば
寝られぬ寝(い)をも嘆かざらまし 相如
* 時代を超えて選ばれてある前十五番から秀歌と見えるのを。
春立つと言ふばかりにやみ吉野の
山も霞みて今朝は見ゆらむ 壬生忠岑
色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける 小野小町
み吉野の山の白雪積もるらし
古里寒くなりまさるなり 是則
有明の月の光を待つ程に
我がよのいたく更けにけるかな 仲文
* 後十五番にはいわば当時当代の秀歌が採られている。
限りあれば今日脱ぎ捨てつ藤衣
果てなきものは涙なりけり 道信中将 (藤衣は喪服)
暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照らせ山の端の月 和泉式部
行末のしるしばかりに残るべき
松さへいたく老いにけるかな 藤原道済
我妹子が來まさぬ宵の秋風は
來ぬ人よりも恨めしきかな 曾根好忠
いにしへの奈良の都の八重櫻
今日九重に匂ひぬるかな 中宮大輔(伊勢大輔)
あしひきの山時鳥里馴れて
たそがれ時に名乗りすらしも 輔親
さばへなす荒らぶる神もおしなべて
今日はなごしの祓(はらへ)なりけり 長能
八重葎茂れる宿の寂しきに
人こそ見えね秋は來にけり 恵慶法師
世に経れば物思ふとしもなけれども
月に幾度び眺めしつらむ 中務卿具平親王
* みな、三船の才を謳われた和漢朗詠集の選者藤原公任が選んでいる。
先人の選にとらわれずに自分でも五十番百番の選を試みてみたいものだが、ヒマが無いなあ。
2018 10/22 203
* 『選集28巻』全責了紙を印刷所へ送った。
* 終日、小説二作に取り組んでいた。
その間に、機械の負担を軽くすべく内容の重複などを整理もしていた。夕食後、一時間ほど夢を見ながら仮睡。寝入る前に『国家』『源氏物語』などを読み進んでもいた。
2018 10/18 203
* 「俊成三十六人歌合」をつぶさに鑑賞後、今度は定家撰の「八代集秀逸」をことごとくわたしなりに判じてみた。今度は後鳥羽院による「時代不同じ歌合」 これは以前にも丹念に読んで楽しんでいるが、新しい好みでいちいち判別してみる。「古今・後撰・拾遺等」の作者で「左方」を、「後拾遺・金葉・詞花・千 載・新古今等」の作者で「右方」としてある。歌人は百人、百五十番、二百首。こういうカタチで選び抜いた「秀歌」に出逢う楽しさと、それにも自分なりの合 点・納得も不承もあり、自分でも撰んでみたいと思いこんだりするのが楽しい。時間さえあれば、二十一世紀の感覚で選び直してみたいものだ、定家の「百人一 首」には敬意を払いつつ敢えて歌の重複は、むしろ厳格に避けて。
これって、すばらしい楽しみなんだがナア、ヒマが無いなあ。ただし、八代集を文庫本で携帯してさえいれば病院の外来ででも喫茶店や電車の中ででも出来る こと。ただ、八代集のワクをはずして撰ぶ対象を各家集や国歌大観へまで広げるのは事実上もう時間のないわたしには不可能。
それにしても、楽しめることは、いくらでもあるもの。美空ひばりの好きな佳い歌を十撰んで十編の短篇が書けないかと思っていたのだが。
* 九時半。朝の、です。仕事にかかります。
* 機械に向いていて、ふうッと息を入れて目をとじひと休みの時、なにより嬉しい美味いのは和三盆糖の小粒の干菓子、「二人静」など口に入れると甘味がしみ入るように心和らげてくれる。
* 12時半 胸に空洞が出来たように、ふうっと草臥れている。
* 四時過ぎ、懸命に長い小説を、書き改め書き加えていた。ずきずき頭痛がする。熱中すればするほど歯を食いしばるので、歯茎が痛い痛い。
2018 10/27 203
* 手洗いに立ったあと、寝そびれる思いがしたので枕元の「湖の本」対談ゲラを読み、そのまま床をはなれてきた。ラジオは宝生流の謡曲を聴かせている、ワキか たを謡っているのは東川光夫さん、久しい「湖の本」の読者である。この早朝に謡曲は懐かしい。聴きながら後鳥羽院の「時代不同歌合」の一番一番をわたしの 思いで判じている。百五十番のやっと二十五番まで。
「持=勝ち負け無し」としたのは、
四番 あすからは若菜摘まむと占めし野に
きのふもけふも雪は降りつつ 山部赤人
ささなみや國の御神のうらさびて
古き都に月独りすむ 法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)
六番 和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る 山部赤人
わたの原漕ぎ出でて見れば久方の
雲居にまがふ沖つ白波 藤原忠通
十五番 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の
千代の古道跡はありけり 中納言行平
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成
二十番 色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける 小野小町
松の戸を押し明け方の山風に
雲も懸からぬ月を見るかな 正三位家隆
* 謡曲「通盛」がちょうど終えた。通盛に死なれた小宰相の悲しみ。静かに静かに清々として楽屋の囃子が聞こえている。 七時になる。
2018 10/28 203
☆ ご本拝受の御礼
秦 兄 いつも有難うございます。
巻末私語の刻「2007.8.19」分の 「らしい」だけの存在が、きらいだ。 を見て同感と叫びました。 私自身はと言えば大学生時代は学生らし くない、社会人になったら社会人らしくない、と言われっぱなしのはみ出し野郎だったので、いまだに年寄りらしくもないなどと言われていますが、それでいい のだと言い聞かせてきました。
20日は 日吉ヶ丘(高校)の互福会があり 30名の参加で 東京からの箕中夫妻と久し振りに歓談しました。
「ハイド氏は・・」の方は 紙本と違って人目にもつかず、やはり口コミやSNSを駆使しないとダメなようで、目下Facebookを検討中です。それでも Amazonのプライム会員は \0 の設定なので 何人かは見てくれてはいるようです。
いろいろと有難うございました。今後ともよろしくお願いします。 京・岩倉 森下辰男
* もう11年余も昔の「私語・述懐」だが。「世の中の秩序や安全のためには<らしい>方がややこしくなくていいのであろうが、ウンザリだ」と書いてい た。「みな、<自身>をやすやすと見喪って時代や社会の鋳型どおりの<枠>内に安住している」と、例の美空ひばりに共感していたようだ。
わたしの「闇に言い置く 私語の刻」は1998年にホームページが出来て以来、莫大な、ほぼ間違いなく10万字分も 上の 此のたぐいのわたしの思い・ 考え・批評・述懐に満ち満ちている、筈。わたしを作家として論じようというほどの人が此処を通過していては論旨の根を堅められまい。
2018 10/28 203
☆ 御礼
秦様 「湖の本」142号、ありがとうございました。
「流通する文学」、「作家自身による出版」、自分が出版社に在籍したことがあり、著述や翻訳を業としてきただけに、身につまされつつ拝読しました。
パソコンの操作に弱いと同時に、紙の本に対する愛着が強い私は今でも取り残され、細々とものを書いておりますが、今後ますます絶望的になってゆくだろうという予感がします。
藤村が妻をめくらにしたり、子供を死なせたりしながらも小説を書き続け、自費出版した態度に、書くということの業を負った作家のど根性といったものを改めて感じた次第です。
もはや今の出版界は長期低落どころか短期陥落の時期に差し掛かっているのではないかとさえ感じます。編集者が「感動」より「売れる」を優先して本を出す時代に対する貴重なご発言、共感いたします。
短歌の試問にはまた落第のようです。
現在、西行を集中的に読んでおり、次は西行を書こうとしておりますが、出してくれる本屋はまずないだろうと考え、何となく悲観的になりますが、そんな時、秦様の存在は大変な力になっております。
ますますのご健筆、お祈り申し上げます。 持田 拝 元・筑摩書房編集者
* 妻の診察、今日の結果は珍しく上乗で、嬉しくなった。その妻が、外来の待ち時間に読んで、今度の「湖の本」巻頭の「流通する文学」が面白かった良く書けていたと、珍しく褒めてくれたのに照れた。
講談社の天野さんのお手紙にも、つよく触れられていた。
わたしも躊躇なく巻頭に置いた。
持田さんも言われるように、おそらく文学・文藝との実のある関わりでいえば、今日、「書籍出版」はもはや壊滅に同じいのであろう。時代をリードする文 学・文藝作品の噂など、かき消えたように無いが現実である。「文豪」がいないのである、鴎外(阿部一族 渋江抽齊)、漱石(それから こころ 明暗)、藤 村(家 新生 夜明け前)、秋声(黴 あらくれ)、鏡花(高野聖 歌行燈)、荷風(濹東綺譚)、直哉(暗夜行路)、潤一郎(痴人の愛 芦刈 春琴抄 細雪 夢の浮橋)、川端(伊豆の踊子 雪国 山の音)、三島由紀夫にならぶような、江湖の喝采を得たらしい「名作」の噂を聞かない。これでは文藝復興は、事 実、じつに覚束ない。その一つの表れは、日本の「文藝家」や「ペン」を「世界」へむけ「代表」しているのは「誰なのか」と観れば、すぐわかる。
いま一つを云うなら、今日日本の文学・文藝の世界に、真に畏敬され重きを成している批評家の仕事もまた、事実、観も聴きもならないという現実、これが情 けない。小林秀雄 河上徹太郎 中村光夫 福田恆存 山本健吉 唐木順三 臼井吉見 平野謙 伊藤整 等々の仕事を超えて行く今日的な文学批評の、噂さえ 聞こえてこない。じつに心細い。
* 今日、何の自慢にも成らない走り書きのような小説「女坂(二)」をパワハラ、セクハラに触れて書き上げておいた。
2018 10/30 203
* 後鳥羽院の『時代不同歌合』百人、百五十番、三百首のすべてをわたしなりに判じ終えた。三首ともに「勝ち」ないし秀歌と採ったのは、中納言行平、小野小 町、元良親王、蝉丸、右大将道綱母、和泉式部の六人。もとよりその十八首が三百首中の最優秀歌というのではない、その判別はまた別種の鑑賞によらねばなら ない。ともあれ三百首のうち百十七首を秀歌とわたしは撰んでおり、そこからかりに十首を撰するとなるとよほど思いを注いで読み分けねばならない。なんとも 心嬉しい楽しみではあるのだが容易でない。後鳥羽院、よく撰んでおいて下さったと感謝する。
2018 10/31 203
* 王朝秀歌選、堪能した。
思い切って、芭蕉百句 蕪村百句を 楽しんで自選してみようか。容易でないが。百句に絞るのは容易でない、先ずは三百も撰んで土台を得てからか。そんなヒマは無いだろうな。
なら、またも王朝物語の粋を、宇津保、落窪から中世物語まで「読んで楽しむ」にとどめるか。わたしの古典体験の薄い部分はあきらかに「西鶴」 一代男 一代女 五人女ぐらいしか読んでいない。気が進まないできた。まだしも「近松」へは舞台や人形を介して縁があったし、所詮は舞台によって読み取るのが本筋 だろう。
* 小説「女坂 二」を書き上げ、脱稿した。
2018 11/1 204
* 「選集第二十九巻」初校出。恰好の頁数になっていた。いろいろもう四册となり、小説のために二巻分を残すとするともう編輯出来るのは二巻だけ。収録洩れが思ったより大量に残りそう、ま、それも大きくは「余裕」と謂うもの、と諦める。
2018 11/8 204
* 夕近くから横になり本を読むほどもなく寝入って、朝かと思い目ざめたのが六時前だった。なんとなく肌寒く、しかも汗ばむようで、ぞくぞくもする。
夕食後、今日届いた歌集を、家集というてもいいのだが、校正し始めた。歌の校正など簡単に思えてそにあらず、歴史的かなづかいを確かめ始めるとたいへん な手間になる。弱った視力でおおきな思い大辞典をあっち開きこっち開きあまりにちいさなかなもじを確かめるのだから、あたまもふらふらする。しかし、短歌 はわたしの文学・文藝の人生に少年のむかしから魁けた創作であり、関わってきた仕事は、その重みも量も優に選集の一巻分に大きく剰るのである。
* 文字どおりの「少年」の作と、老境に入って再開ともなくよほど姿勢も思いも一転して作を積むように績み紡いできたので、大きく家集としての名を『老 蚕』とし、そのなかに、「光塵」「亂聲」「戯歌」としておさめた。老いた蚕の好き放題に吐きだした繭玉になっていよう。『少年』「老蚕』は、ま、歌集であ り家集でもあるが、わたしの短歌に関わる仕事には撰歌と鑑賞というそう軽くはない範囲がある。『青春短歌大学』はそれなりに好評裡に文学好きな読者を納屋 間瀬も悔しがらせもした。
もう一つ、金澤の松田章一さんにいつぞや鑑賞の名著と文字どおりに絶賛いただいた『愛の歌・友情の歌 はるかに照らせ』を共編しておいた。もうそれで選集一巻に剰るほどの大冊と成った。校正にしっかり時間を掛けたい。
2018 11/8 204
* 二時半。小説「清水坂(仮題)」に没頭していたが。
キャスリーン・フェリアーの打ち込まれるほど腹に響いて力づよいコントラルトで、いま、シューマン曲の歌を聴いている。ブラームスの、シューベルトの曲 もあとに控え、全21曲も。ボイド・ニール弦楽合奏団、指揮ボイド・ニール。圧倒の女声で、魅力発散。「女の愛と生涯」と題されたシューマン歌曲集作品 42を いま聴き終えた。シューマンのもう二曲があり、ついで、ブラームスの二曲がある。聴き飽かせない堂々の歌唱、揺るぎない。
なんて佳いのだろう、美しい藝術は。録音は、日本で謂う敗戦後の数年になされていて音源に瑕瑾なくもないが、それを圧し越えている。
シューベルトの七曲が始まる。
「算盤」を欠いた「読み書き」の日々と云ってきたが、このところ東工大時代に研究費で買っておいたラジオのおかげで「聴く」が加わってくれているのが、幸せ、仕事していても一日中「聴いて」も楽しめている。「観る」はどうあっても外へ出掛けて行かねばならない。
* いまは、もうお終いまえの「清しこの夜」を歌いおえ、伝承曲でおなじみの「神の御子は今宵しも」で歌いおさめようとしてくれている。
満足した。その間にも「清水坂」の推敲と進行に食いついていた。
いつしかに雨の音 しとど。外のうすぐらい一日だった。 四時半をもうまわった。
2018 11/9 204
* 昨夜、夕食のあと、フイと床に就いたままなんと真夜中三時半まで寝入っていた。
茶をのみにキチンに入ったが、そのまま、歌集『老蚕』前半の「光塵」をゆっくり校正し終えた。いかに歴史的仮名遣いの確認に手がかかるか自信がないのかに愕ろいてしまう。綺 麗に歌を組みつけた貰え、しんみりとわが述懐の一首一句を詠みかえして行けた。二時間ほどで床へもどりそのまま源氏「螢」巻、『国家』そして『山上宗二 記』をそれぞれ面白く読みつぎ、さらに『モンテクリスト伯』を読んだ。大デュマのいわば息の長さには感嘆し、時にはその克明に徹しているのに嘆息もするの だが、なかでもマクシミリヤンとワ゛ランティーヌの広い庭の垣を隔てた逢い引きの対話は文字どおりに綿々また綿々で驚かされる。大デュマがこの大長編より 以前に一世に冠たるフランスの戯曲家であった史実を思い出すべきだろう。
2018 11/10 204
* 「選集」二十九巻の初稿が捗っている。
2018 11/11 204
* 午前中、歌集「老蚕」の校正、これがなかなか手間取る。
2018 11/12 204
* 郵便代金が地方別で別価格になり、その分別がややこしくてイヤになる。ま、選集あと六巻の辛抱と思っている。湖の本を創刊以来、いわゆる郵送(宅送)にイヤというほど悩まされ続けてきた。「出版」の沈滞にたぶんこれが大いに響いているであろう。
2018 11/13 204
* 「オイノ・セクスアリス ある寓話」 少なくも三部の第一部は まず手放してもいいところへ漕ぎ着けた。
この「寓話」 悲劇になるか喜劇になるか、先は、まだ延々波瀾に揺すられつづけ、読者は顔を蔽われるだろう。
* 胃袋がない。食道へ、細い十二指腸を引っ張り上げて直に繋いであると聞いた。余裕の「食べ溜まり」が無いのだ、食べたものが軽快に嚥下できず、モノに もよるが、麺類などをウカと啜ると胸元で渋滞して苦しい。時には、咳き込み、吐く。で、つい食が進まない、食べたくなく、食べまいと、食事を抑制してしま う。食べると、食べ疲れるのだ。
今日も夕食後の疲労に負けて三時間も寝入ってしまうことで、苦痛から逃げた。
* 九時過ぎて。「ある寓話」の第二、三部の展開を、またまた検討にかかった。「魔」という字が胸へ来る。
そういえば、「一文字日本史」を学鐙に三年連載していた最中に、数理哲学で世界的な下村寅太郎先生から「フアンレター」を戴いてビックリしたが、あのとき、先生は「魔」の一字をも思っておられた。わたしはあの頃「魔」に触れて書く用意が無かった。
わたしは、今、セクスアリスというよりも エロスの底をかきまぜながら「魔」に触れようとしているのかも。あるいは…魔の京都か。
どうなるか、どうするか、まだ強いては決め付けていない。検討し検覈する体力と気力とが切望される。もう余分なことに力を割いてはおれない。仕残しがあり、それどころか、もっと新たな、したい、書きたいことが切ないほど湧いてくる。
秦の、父は九十一まで、叔母は九十三まで、母は九十六まで生きた。いちばん弱いと見ていた母がいちばん長命した。わたしの生母や実父の享年を憶えていない。
* なににしても、ややこしい「作」の検討をわたしはわたしに強いねばならぬ。それも、一作でない。苦しくても、よく食べて、体力を養わねばと願う。家の 内にわたしを必要とする力仕事も決して無くならない。ま、洋服箪笥や衣裳箪笥を二つもひっ抱えて廊下越えに部屋から部屋へ移転するなどは、もう願い下げに したいが、出版の仕事もしているかぎり、壮年でもラクでない力仕事は無くならない。幸いにまだ六十三、四キロの体重を維持していて、これは結婚当時二十代 の健康時と同じ。もう減らす必要はない。むしろ美味しく食べる知恵をもたねば。
2018 11/16 204
☆ 秋深く
紅葉も進み、秋が深くなりました。庭の椿もそれぞれに蕾を膨らませています。先日訪れた鶴林寺の参道で、遠目では山茶花かしらと思ったのは椿でした。
今日も真っ青な秋空で、歩き回れば汗ばむでしょう・・地球温暖化という言葉が嫌でも浮かんできます。
日常のさまざまなご苦労、とくに体調と御自分の意志との葛藤を読むほどに思いやられます。大切に、大切にと遠くから述べるしかできませんが・・。
京都に帰りたいと時折書かれている鴉に 気候の良い時に無理なさらず京都に、とわたしが書いて・・鴉の返信には 「毎日毎夜 京都を いたるところ 歩いています。」とあり、一瞬絶句。そしてさすが作家の魂は強靭にして潤沢なのだと思い知らされました。
こんな風に書くとお叱りを受けそうですが、全面降伏でした。それでも愚かに付け加えるなら、やはり実際に京都での日々を過ごされますように・・と鳶は思います。
京都徘徊の顛末を書いて欲しいです。
昨日の記載に 辻邦生の大冊上下「春の戴冠」とあり、懐かしく思い出しました。この本との出会いは長く、今までに三回ほど読み直しました。ルネサンスや フィレンツエを歴史書や旅行記で読んでも、なかなか実感がもてなかった頃に読んで、体熱ある呼吸している人間を感じ取れた(気が)したのです。イタリア は、フィレンツエはわたしにとって特別な街です。でした と過去形で書きそうになりますが。
『背教者ユリアヌス』のテーマも興味あるものでした。
辻氏は原稿を書き上げて殆んど推敲することなく終えたと、ものの本で読んだことがあります。その点では疑問も残ります。また彼の視点と座標が何処か浮き 上がっているのかもしれないとも。(もっともわたし自身かなりその傾向にありますが。)ただし日本の小説家の中で特異な位置にあって 清々と輝いていると 感じます。
旅の後に絵を三点、小品ですが描きました。3号、10号、そしてもう少しで終わる20号Pです。いずれも朽ちていくような感があるものですが、それが自分の心象風景かと問われれば半ば肯定することにします。
「わたしは、今、セクスアリスというよりも エロスの底をかきまぜながら「魔」に触れようとしているの かも。あるいは…魔の京都か。」と書かれている。 以前 川端康成の晩年について話した時に、やはり「魔」に触れてらした。下村寅太郎先生も晩年に「魔」 の一字を思ってらしたのでしょうか。
「もう余分なことに力を割いてはおれない。仕残しがあり、それどころか、もっと新たな、したい、書きたいことが切ないほど湧いてくる。」
鴉の切実が響いてきます。
繰り返し、どうぞお身体たいせつに、仕事進みますように。 尾張の鳶
* 野垂れ死ぬ覚悟が 大事と感じている。よき友の視線や声を心底ありがたく思っている。
* 長谷川泉さんが、昭和文学史の試みを成されたとき、その一章にたしか「反リアリズム」と題して辻邦生と秦恒平の二人を挙げていて下さった。辻さんとは、中国の招待でご一緒に旅が出来た。四人組追放直後だった。
あの旅から帰国するとわたしは、作家代表団の一人である責めを果たす気持ちで、すぐ、「華厳」を書いた。この素早さには解散の顔合わせのおり井上靖団長 以下同行のみんながビックリしてくれた。「華厳」は自愛の作の一つ、リアリズムか反リアリズムかは思わず、小説はいつもこう書きたいと願ってきた。そのよ うに書いた。
* 十時過ぎた。マリア・ジョアオ・ピレシュのピアノ曲を鳴らしながら、二た色の「魔」界をかきまぜていたが。生涯かけて拘ってきた、戸惑い迷ってきた何 かが否応なく此処へ来て目に見えてきたようで、ひどく息苦しい。もう、やすもう。大笑いできるような本が読みたい。小説を読んで腹が痛むほど笑い転げたの は一作だけ、漱石末席の弟子であったさの作家の名もど忘れし、題はまったく覚えていないが、あの笑いは蘇らせたいもの。
2018 11/18 204
* 明後日の「選集」しばらくぶりの第二十八巻の出来を待ち、毎度ながら気を張っている。ま、通過点と受けいれよう。残る五巻。第二十九巻はすでに進行中、ほぼ初校を終えようとしている。
第三十巻をどう編集するか、悩ましい。なにより、小説が、苦悶しつつ出番を待ちわびている、やはり、小説を優先せねば。
2018 11/24 204
* あすの「選集28」納品をひかえ、いつものように今日は神経がピリピリする。本が届いて玄関に積み上げると、瘧が落ちたように落ち着くのです。明朝 は、本を受けいれるとそのまま聖路加へかけつけ診察を受け処方箋をもらってくる。ちょっと暢気に街で遊んで帰ってくるぐらいだといいのだが。明後日は妻が 定期の診察を受けに行く。いつもそっちの方にわたしは緊張もし案じもしてしまう。
* 長い小説の第二部に、相応の展開ないしその可能性が掴めた気がする。
2018 11/25 204
* 六時半、朝一番のメールで、京都の「シグナレス」森野公之さんから、依頼というより懇願してあった「現地」写真が十葉ちかく電送されてきていて 感激した。感謝感謝、感謝に堪えない。
地誌は調べが付いても、風景・光景は目で、耳で、鼻で、手足で捕えないと。どれも今のわたしには不可能であったが、辛うじて親切な写真を送って貰え、嬉しくてならない。有難うございました。
2018 11/27 204
* メールがうまく送れていないようで、ワケ分からす困惑している。シグナレスの森野さんへの礼文も、送信済みに成らない。ウーン、弱る弱る。
しかし送ってもらえた十枚ほどの写真はまさしくわたしの夢見つつ望んでいたとおりの光景で、興奮を抑えがたい、嬉しい、有り難い。有難う有難う。
* 気づかぬうちに「オフライン」とかになっていて、送信が滞るらしい。このため来信も停頓するのではないか。
2018 11/27 204
☆ 秦 恒平様
拝復
「秦恒平選集 第28巻」お送りいただき恐縮しています。
本に添えられた手紙に “久しぶりに金原社長を拝し給え’’ とありました。
文面の意味をもう少し知りたいと思いお手紙します。
金原社長にお会いしたいということは、故金原一郎社長を題材にした小説をお考えなのでしょうか。
もし、金原社長(現在は、優会長、俊社長)にお会いしたいなら私より七尾清氏がいいと思います。まだ現役で医学書院の特別職(別紙名刺)で活躍されています。七尾氏に連絡を取り金原(俊)社長へ趣旨を伝えられる方が良いと思います。
取り急ぎご連絡いたします。
天候が不順です、くれぐれもご自愛ください。 敬具 向山肇夫 医学書院後輩
追伸
ペンクラブの電子文藝館は、全国の文学館とリンクを広げています。これが出来るのも秦館長
の遺産があることだからと思っています。
* この手紙には、驚いた。
向山君は入社早々わたしの係につき、わたしに追い回されながら仕事を覚え、わたしの退社のころは課長になっていた。小説三部作『迷走 課長たちの大春 闘』の初編「亀裂」の冒頭へ登場の課長職の、ま、モデルである。彼も定年で退職してしまえばさぞ退屈してるだろうと、理事時代に推薦してペンクラブに入 れ、わたしの委員会で手がけていた「ペン電子文藝館」のあれこれを手伝ってもらった。いまでは、すっかり「ペン会員」を楽しげに満喫している。金原一郎社 長とは、私的にはほとんど一言も口をきいたこと無かろうと思うが、まさかに俤など忘れてはいまいと、口絵のある「本」を上げた。
七尾君は、わたしの課長時期に入社し、配属されてわたしから雑誌編集の仕事を習った。よく働いてくれた。そのうちにわたしは太宰治文学賞を受け、作家と 兼業の五年を編集者のママ過ごし、退職。この七尾君の姿も、小説『迷走』のどこかでスケッチしたと憶えている。彼が、いまだに同じ会社で奉公していると知 り、いささかならず「呆れ」ぎみにビックリした。
* 敬愛も思慕もした金原一郎社長を、「小説」に書こうなど、つゆ思ったこともない。そんな関わりから現在只の 「孫」にでもあたるであろう医学書院会長 や社長に「わざわざ」会いたいなど、少しも思わない。往年の深い深い謝意と敬愛とを「本」の中でつたえて、ご霊前にも と思ったまでのこと。
本郷赤門わきの医学書院に、わたしは十五年半勤めた。その年の八月末で社長は「相談役」へ退かれたのを機に。同日付けでわたしも退社したのだった。
ひとえに金原一郎社長、長谷川泉編集長からつねに無言・無形の鞭撻を受け続けた十五年余であった。この出逢いがなくて、わたしの「作家」五十年など、容易には実現しなかったはず。
2018 12/7 205
* 人間には命綱の水道を、安易に民間企業に委ねようなどと、安倍自民・党利自儘な政治の血迷いは、果てしない。
* それでも小説は書けているし、推敲も利いてくる。
『寓話 オイノ・セクスアリス』は、おそらく、少なくも全三部の第一部だけで、「湖の本」ほぼ一巻に嵌ってくれそう。公表は此処までにしておいたが無難かも知れぬとやはり思うのだが。
書き上げてしまうことが、肝腎。
第一部の半分まで、また克明に、カッチリ推敲し続けていた。ここまでなら今すぐでも手放せそうに思えるが、やはり難所はこの先へつづく。ガマンして向き合うしかない。音楽も聴かず。九時半。疲れて、腹具合が気味悪い。
2018 12/7 205
* はやく床を出たのは、やや色気のあるいい夢の跡、そのままモノを思っていたから。モノというのは、ちかごろ「女性文化」という「表記」を大きな旗印にした研究団体や論攷・主張のたぐいが目に附くからで。
「女性文化」なんて在るのかな。「男性(の)文化」が在るとわたしは思っていないように、「女性(の)文化」も在るとは思えない、どっちにしても「男性」 がからみ「女性」がからんで初めて文化というなら文化の存在を可能にしている。だからわたしは数十年前から「女文化」と謂い、「男文化」も念頭にそれらは それぞれに男との、女との関わりを欠いても無視しても在り得ないのだと説いてきた。その上でわたしは日本文化は、ことに古代以降の文化的素質は「女文化」 とみるのが適切で的確と感じてきた、そう語り続けてきた。男性の、女性のという「限定」は事実を以てして「在り」得ないる。そんなものが在るなら指さして 教えてもらいたい。そして概して謂うなら日本は神代このかた「女ならでは夜の明けぬ國」であったに相違なく、しかしそう思いそれを受けいれてきたのは 「男」だったではないか。遊び、遊所。それは女性の専有であり得たか、男性がかかわって行くから成り立った世界だろう。政治の世界は「男性」専有世界で あったのか、そう思い込んでいる人は、モノの表・裏が見えていない。「男文化」には女の支えがあった、「女文化」には男の関心が裏打ちされていた。「男性 文化」など無かったし、「女性文化」も無かった、為政の関与をさまざのに受けいれてこその「男文化」「女文化」があり、日本文化はたぶんにより「女文化」 であったし、今も…とわたしは眺めている。
* こういう「おさらえ」を、暁暗の寝床の中でしていたのである、わたしは。
* 手の届くところにいつも谷崎先生ご夫妻がおられる。大谷崎の毅い顔、松子夫人の紫上もかくやという美しいお顔。
以前はいつもいつも谷崎先生に睨み据えられ萎縮したが、ようやく近ごろは穏やかに見ていただいていると感じられる。
目の前の 谷崎先生ご夫妻と 若き日の沢口靖子
書架この上に 福田恆存全集 森銑三著作集 古寺巡礼 京都など。
2018 12/9 205
☆ 秦恒平選集28巻
ありがとうございました。
「島崎藤村文学と私」の中の出版社批判、私も出版社に勤務した経験があるだけに、深く共感いたしました。
このところ近くの図書館から村上春樹の小説を借り出し、8割くらい彼の作品を読みました。
確かに彼の作品は 社会や個人の背後に潜む闇の部分に迫ろうとするモチーフがあり、ストーリーの展開は読者を引き付ける力があり、間違いなく「才能」を感じさせます。
ただ、藤村や漱石と比べるとやはり 軽いという気がいます。もっともその軽さがベストセラー作家であるゆえんであるかもしれませんが。
藤村・漱石のような若い作家の出現を期待しております。
ますますのご健筆お祈りいたします。 鋼 拝 評論家・翻訳家・歌人
* わたしは不勉強で 村上さんの作を一つも識らずにいる。うえの批評に「軽さ」が指摘されているが、まだ東工大にいた ころ、評判らしい村上作を学生に借りて読み始めたが、文章が、「フワフワのポン」みたいに思え、そのまま撤退した。建日子が何冊かは今も持っているか知れ ない、借りて、腰を入れて読んでみたい。とにかくも、今日の大きな作家、しっかりした作家の、本格の作に出逢ってみたい。
低度の「読み物」は要らない。
むかし、「ペン電子文藝館」の館長をしてた頃、日本ペンクラブ理事諸氏に自作の提供を、それはもう繰り返し求めに求めたが、出してくれる人は少なく、出 してくれた作で、ウムと頷けたほど今も記憶に残る小説には一作も出逢えなかった。わたしの提案し設置した物故作家ら「招待席」には、紅葉・露伴・鴎外・漱 石・藤村・鏡花・一葉らにはじまり直哉、潤一郎、川端、太宰、三島、清張等々、さらには不幸にして湮滅作家にちかかった人たちからも、ガーンと胸に響く傑 作、力作、問題作がたちどころにたくさん呼び込めた。「ペン電子文藝館」が一気に輝いた。日本の「近代」文学は立派だったなあと確信できた。
だが、現代、それも「平成」を背負って、鳴り響くほどの作、真実の評判作には、わたし自身の不勉強もあろうがいっこう出逢えない。自身忸怩の思いで情け ないが、総じて現代文藝は軽く、ちいさく、一度でポイの消耗品のよう。「文学の世界」を足音も高く重く率いて歩く文豪らが、近代日本、すくなくも敗戦後の 昭和までには何人も実在したのに。創作者といつも帯同して、倶に、大きな批評家・研究者もおられたのに。今日の批評・研究で大柄に地響きするような何の評 判も聞けない。埋め草のような仕事ばかりになり、それも不要ではないが、やはりお手軽。
長谷川泉さんの、鴎外作せいぜい中篇の「ヰタ・セクスアリス」一作に、千枚もの詳細稠密の研究のあるのを昨日再発見し、往年碩学にとって「研究」の何であるかを痛い ほど思い知らされた。
わたしは「研究者」への人生を遠慮し「大学に残る」という道を自ら避け、作家の「創作」そしてつねに「述懐としての批評・観察」を両 翼に、ま、残念ながら低空飛行してきた。「文学・文藝」への責任は容易に果たせていないのを嘆いている。
2018 12/10 205
* 年の瀬やみづの流れとひとの身は と 其角
ふした待たるるその宝船 と 大高源五
これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭小屋はもたぬ と 11 12 21 と 七年前に。
二期胃癌診断の二週間前だった。歌集『亂聲』の巻頭に置いている。
* もう「選集」へは、何を収めるかよりも、何を容れないでおくか、の思案に成ってきている。よそ目にはお笑いごとであれ、わたしには厳しい自己批評にな る。人に即して文学者と美術家に関わった批評と述懐を、膨れあがるのを抑えながら、わたしの人生に根ざしたこの一巻は外せない。「創作」分に少なくも二巻 はぜひ宛て得たい、足りてくれるかどうか。と、残るはあと一巻しかない。「私」自身を取り纏めて置きたいが。
* 予定の『秦 恒平選集』三十三巻を仕遂げたあとへも、わたしに寿命があり意欲と気力のある限り「文学」生活は死ぬまで続く。それはそれで、運命に委ねる。健康でありたい。
2018 12/12 205
* 『ある寓話 老いのセクスアリス』第一部、絞って、また書き込んで、推敲して、ともあれまずは脱稿といえるところまで持ち運んだ。第二部、第三部に は、物語の展開を含みつつ、他愛なげに険しい道を浮きつ沈みつせざるを得ない。ぐっとガマンしながら粘り抜いて老いの無惨か滑稽か充実化を造形し続けた い、第一稿は末まで出来ているのであるが、本番はこれからだ。
* 幸いに、穏やかな師走を歩んでいる。怪我なく、無事に越年したい。
* 機械と、組み討ちのように、それでも霞んで干上がった視力で仕事を進めている。とけいを見ても何時だが張りが見えない。
2018 12/12 205
* 『ある寓話』 第二部 順調に読み進んでいる、ただし二部、第三部とも本筋でも脇筋でもなくしかし軽々しくてはならぬ別話と波瀾とが 順調をあえて阻まねばならない、そこが難関になりそう。
小説に取り組んでいると疲れを忘れている。が、機械から離れるとひきずられるように疲れが来る。
加えて 「選集30」の編輯にもとりかかり、原稿を読み起こしている。「對談・講演 選」の28巻よりいちだんと内容の濃い重い一巻にまとまるだろう。 頁がハジケないでくれるといいが。全編を校正しつつ構成も考慮しつつ「読み」直すというのは、よほどシンドイ、重い仕事である。創作とコレとを、前後に背 に負うて、この仕事はとても年内に片づかない。
次の外出は、十七日の聖路加、ことし最後の検査と診察。誕生日はどうなるか、どうするか、この何年かは、なんにも無しで過ごしてきたが。
2018 12/13 205
* 作家五十年、作家また画家と限定しても、これほど付き合いの悪いわたしにして、実に多くの文学者、研究家、美術家、芸能の方々と識り合い触れ合いまた 引き立てて戴いたと、今にしてあきれるほどである。三十三、四歳で作家として迎えられたのだから、そう若くなかった、が、若いと言えば断然若かったので、 先達の諸先生に引き立てられたことは数限りない。思い出の一々を書き出せば大きな一巻がたちどころに出来てしまう。思い出の中で大切にしている。こんど 「選集第三十巻」には関連の熱い文章をしっかり集めておく。
2018 12/14 205
☆ 秦 恒平様
選集28巻 ありがとうございました。
先月は 関西吉岡家いとこ会があり (神奈川・川崎在住の、わたしには異母妹にあたる=)昭子さん、ひろ子お二人が久しぶりに泊まっていかれました。
(孝一君の)姉が孫娘の写真を送ってくれました。母(=わたしには叔母)のひ孫の風貌かと思うとおもしろいものです。
良いお年をお迎へください。 孝一 拝
* 京都四条大橋の西南づめ、南座から鴨川を西へ隔てた支那料理の(と子供の頃から思いこんでいた)東華菜館五階へ寄ったらしい。
写真の人数をざっと数えると、幼児二人を除いて、総勢二十一、二人。ま、旧家とはそういうものだろう、最年長の広田英治さんが八十八歳とある。
川崎の妹二人はとにかく、他の、だれ一人もわたしは識らない、面識も記憶もない。血縁上の「いとこ」というと、この他に 存命であれば北澤恒彦も数えられていたか。
ま、父方でこうなら、生母近江能登川の阿部家方「いとこ」らも大変な人数だったろうなと思う。むろんだれ一人とも面識無い。
恒彦のことは分からないが、わたしには、こういう集いの「感覚」は、ま、まったく無い。
秦家には、「もらひ子」のわたし以外に無かった。建日子が今のまま子供をもってくれないかぎり、秦家は秦建日子で「絶」える。これだけは、秦の両親や叔母に申し訳ない。
わたしたち夫婦の血縁は、独りだけの孫・押村みゆ希に伝わるだけ、この孫娘が結婚したか、親になったか、まったく分からない。やす香の死後、只一度も逢えていない。
* 所詮、わたしに「血縁}はあまりに淡い。
しかし、「身内」という「島」の思いを確かと創り上げてきた必然に、わたしは生涯迷い無く立ってきたし、今も立っている。それでよかった。
* いまも書き進めている小説での「実感」では、しかし、わたしの生涯の主題・拘泥は、まちがいなく「もらひ子」という「身の程」にあったことが、よく分かる。痛いほどよく分かる。生涯わたしはそんなことで「もがき」続けていたらしいのである。
2018 12/16 205
* 機械に向けてボヤクからだが、やや失調気味のからだのこと、不調の機械のことで、いろいろ叱られたり教わったりのメールを戴いて、恐縮この上ない。
とにもかくにも、ガンバッテみるつもり、どうガンバルのかも、しかとは、よく分かっていないのだが。
何より、『ある寓話』の第一部をともあれ仕上げたと思うので、つぎは第二部を徹底させて行きつつ、今一つの『清水坂(仮題 題は決まっているが、ナイショにしておきたい)』を、能う限りおもしろく取り纏め仕立てたい。
明日には、やはり大冊になる『選集』第二十九巻の再校が出そろう。大事の記念碑の一つとして、美しく仕遂げたい。
『選集』第三十巻の編輯と本文の研覈は、毎日の仕事として、少なくも三分一量はもう進展している。新春の月半ばには無事入稿できるようにする。
「湖の本」143の「責了」は、年内、もういつなりと出来るところへ来ている。ただ「湖の本}144の編輯には手を付けていない。「145」も含めてすこし先をみながら、ゆっくりめに進めたい。
2018 12/17 205
* 「モノ凄い」と謂いたくなる嵩の、「選集」第二十九巻の再校が出そろって届いた、口絵も、函表紙も。
口絵の再校を頼み、併せて「湖の本」143巻の本紙を「全責了」 表紙のみ校正出を頼んで、宅急便で送ってきた。
* 選集29のメインを成す半ば以上の赤字合わせを慎重に終えた。ずいぶん、これで再校のハカがいったと思う。この巻の成るのは、あえて、他に増してといいたいほど、嬉しい。
2018 12/18 205
* 来年の十月、松本白鸚(と謂うよりも、前「幸四郎」というのが親しめる)が、1969年の日本初演以来半世紀を演じ続けてきた「ラ・マンチャの男」を、帝劇で公演と知らせてきた。わたしたち夫婦は、何度も繰り返し観てきたし 今度も 元気なからだで 揃って観に行きたい。
思えば、1969年は、わたしが受賞して「作家」生活に入った年、来年六月の桜桃忌で「満五十年」になる。三十三歳であった。
以来、喜怒哀楽のすべてを超えて、半世紀、わかりよくいえば「選集」三十三巻の結晶があり、「湖の本」145巻の刊行があって、なお、新しい先へと歩むだろう、歩みたい。
天皇・皇后さんのご成婚は、1954年四月十日だった。三十日足らず先だち、わたしたちは京都を去り東京の新宿区河田町で、三月十四日、六畳一間の新婚生活をはじめた。
勤め先は本郷東大赤門前、研究医書専門の出版社、醫学書院だった。
自称も他称も「まむし」といわれた怖い社長の金原一郎は、十五年半の在職中、退職の日まで、終始わたしには仁慈の人であった。心より感謝し、選集28の口絵に、生前手づから贈って下さった(告別用)喜寿の写真を収めた。
編集長は、森鴎外記念館の館長でもあった碩学・長谷川泉だった、ためらいなくわたしを「作家」生活へ送り出し、亡くなるまで親切を尽くして公私に応援してくれた。
わたしは、ともすると『癇癖談(くせものがたり)』を書いた上田秋成に似たかという苦い自意識を抱いてきたが、また、これまでに何度か、人からも吾からも「ドン・キホーテ」と笑われ、笑ってきた。
「ラ・マンチャの男」こそ、わたしの理念・理想であったかもなあと、今にして、仄かに思う。つよく思う。来年十月を楽しみに待とう。
新篇 日々に成る
是れ声名を愛するにあらず
旧句 時時に改む
無妨( はなは)だ性情を悦ばしむる
祇(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦して一生を過ごさんと と、白楽天に倣って。
2018 12/24 205
☆ ありがとう御座いました。
今日、午前中に到着しました。
あまりにも立派で、びっくり。
早速に 我が家の床へ。半間で小さいのですが、掛かりました、なんとカンロク! です。お濃茶を頂きたい気持ち。遠慮なく 頂戴します。
荷造りも上手だったので 破損無く届きました、奥様に感謝です。
この後、女性は大変な仕事を!頑張ります。
暮れから寒くなるようです。
ともども、お大事にお過ごし下さい。 京・今熊野 宗華
* 無事着 よかった。
函の外に 毛筆で
若宗匠 玉 と 寿 横物
御箱書御願申上ます
林 弥男
箱の蓋裏に 鵬雲斎若宗匠時代の自筆箱書
自筆 寿 玉 横物 鵬雲
何歳頃の若書きか分かりませんが。
この宗匠は あまり達筆のひとではありません、昔から。
「林弥男」 は 知恩院古門前通りで古美術商の大家 「林」「本家」の婿で、総番頭だった人。
「林」は 京の道具屋としてはとびきり大きい一統の「本家」でした、今は商い絶えたそうですが、「千家」家元筋へも、宗匠らの方から辞を低くするほど、大きな存在、商家でした。
「弥男(みつお)」は、わたしの小説『或る雲隠れ考』(「湖の本 17」「選集 17」所収)で、本家の娘「千代」の婿に入る「弥一」に相当、 ヒロイン「阿以子」の父親です。
もっとも小説の骨格はリアルですが、物語がフィクションなのは、いつも通りです。
今の裏千家大宗匠の「若宗匠」時代の「若書き」ながら 大きな「祝儀物」として重宝でき、わたしたちも、連年、正月の居間に掛けてきました、が、大暴れする幼いネコの「ふたり」が、絶対に引っ掻き落とすと分かっているので、お正月前に、心籠めて 呈上します。
一切、遠慮も斟酌も返礼も無用です。私の「思い」です、喜んで酌んで下さい。返礼も遠慮も、ゼッタイに無用です。
今の内なら、うまく頼まれれば 鵬雲斎自身 或いは当代宗匠の「箱書」がもらえるでしょう、今となっては珍しい 使い勝手のめでたい 大物の軸ですから。
ま、道具屋の「扱い」ですから マッカなニセモノということも無きにしもあらずですが、間違いないと観てきました。
おめでたいお正月用の一軸なのは 相違有りません。 宗遠
* 読者で、はっきり裏千家系のお茶人と知れている人は、海外に一人、京に一人、関東で一人しか識らない。関東のお一人とは面識がない。持ち腐れになる茶 道具を道具屋に扱わせて金に換えるのは、実、気が進まない。気心知れて真実心親しく思っている読者筋へ、できれば差し上げたいというのが本音である。趣味 も関心も知識もない、しかも心通わない先へ投げ込むのではモノが可哀想すぎる。仕方なく、銀座で一軒の道具屋と繋ぎだけはつけてあるが。ほかに三軒ほど電 話で見せよと頼んでくる道具屋があるが、信頼に到らない。
かりにも美術館つとめをし、植物としての「茶」や、漆器に関心を深めかけていた娘の秦朝日子なら、ものの値打ちを少しは分かって大事にしてくれるだろうに、と、これも情けない。
2018 12/24 205
* わたしが、自身の小説・創作のためにも、「メール」につよい意識と関心を持ち、莫大に集積・蒐集・分別ろ利用していることは、何度も書いている。 「メール」は「恋文のように書け」とは、コンピュータに関わる依頼原稿の真っ先最初に書いたことで、今も、およそ「そう」考えている。わたしから「恋文」 のようなメールを受け取った人は、男女を問わず日本中に大勢おらける。ウソを書いたことはないのである。そういう気持ちで書くのである。
「恋文」は、しかし、じつにじつに難しいのである。やがて、わたしの新作の長編は、実例にちかいメールの創作に出遭われるだろう、覚悟していて下さい。.
2018 12/24 205