ぜんぶ秦恒平文学の話

自作を云う 2023年

 

* こんな、「自作を云う」古い記事が有った、「2021 1/1」とあれば、一昨年「元日」の日記の内にあたる。
『 〇 八時半。ごく フツーの元日を過ごした。「湖(うみ)の本」151書き下ろしの仕上げへ、腰を入れる。 囿 亹 赧 蠹 閔 戄 礮 礟 囮 纔 靚 等々の、ちょっと視線を走らせただけで、こんな、あんまり見ない漢字を機械の底から探し当てては、その読みも振りかなしなくてはならない。秦の道楽だとただ 叱られるかも知れぬ。」
2023 1/2

* 書き継いでいる小説を、思いのほか「長いナ」と実感しつつ読み返してきた。敢えて敢えて、書き進んで行きたい。
2023 1/2

* 正月三ケ日が過ぎようとして、はや疲労の極にある。なにをしたでもない、小説を読み返して先を窺い、また、年賀状から住所録へと。後者は目疲れがひどいが,必要な仕事。一般教育の教授を退任して、はや四半世紀に逼り、それでも親しい年賀状をくれる卒業生が十人に余るとは。わたしを覚えてて懐かしくも親しくも想っててくれるのだ、かつての私自身にそんな大教室・一般教育の先生は(専攻の三先生のほかに)無かった、年賀状を差し上げ続けもしなかった。「先生」と呼んで今も恋しいほどな方々は、やはり中高校の頃の先生方になる。決して忘れない。

* なぜ、こう疲弊するか。三ケ日が過ぎて行く。過剰なほど、やがて忙しくなって行く。「161」が納品されれば,力仕事の発送。「162」初校出も重なってくる。校正紙ごとは、普通に優先される。「163」の編集も。底荷をしかと罪ながら新鮮な上積みも。創作の進行と脱稿を。しかし、からだを潰せば、みな潰れる。性急に走らぬ事ぞとは思うけれども。
2023 1/3

* 歩みもならぬ密林を分けてゆくようだ,創作は。頭へ、脚へ、なにが絡んで来るや知れないが,安易に立ち止まればそれまでとなる。それは凶器に似た脅迫だ。
2023 1/4

* 名酒「奥丹波」に酔うて 食卓に突っ伏していた。昔にやはり頂戴して謡っていた。

雨降り冷え冷え ひなあられ 白酒いやいや 奥丹波 辛口ひたひた 富士夫作 刻銘「花」とよ ぐいと呑め 土色くろぐろ うまざけの さかなはなになに 菜種あえ 雛にもそれそれ 召し上がれ 蛤汁(はまつゆ)あつあつ 弥生を待つ待つ 06 02 26

雛の春を待ちながら 第四歌集『亂聲』の巻頭「光塵拾遺」に。 歳月の速やかに愕く。
2023 1/5

* 寒い。ゆびさきを出した手袋の手が痛いほど冷たい。元旦以降の叙事・字句を新ためておいた。目も手も濁り萎えてゆき、書き損じは始終のことになりやすい。丁寧な分を書き置きたい。
2023 1/6

* 体調の不穏は改まっていない。一つには寒い。寒がりなので寒いのがきつい。
手持ちの全部のカメラが使用不可ないし不可能となり、やまやま写真を撮りたいのに撮れない。カメラを買いに行きたいが、不可能なこと、困惑。加えて私にカメラを適宜適確に使用する技能が無いらしいことにも、ことに困惑。小さいカメラの三機がみな、現在使用できないのでは、新しく買ってもダメかなあ、わたしの「機械バカ」が徹してきている。

* その一方 紙くずの山かと惘れていたのを、念のため点検してみると、何十年もむかしの「若書き」の筆で 書き始め、書きさし、書き終えても居る短い小説が、そのままに打ち棄てられていて、一部読み直してみると、これはイケますねという原稿が幾つも現れ出て、ビックリ。こういことも、ある。
「湖の本」よりずっと以前の書きかけや試筆の短編中編だと、文藝誌に持ち込むにはある程度の長さが必要だった。しかし短編には短編なりに味がある。点検しなおそうと想う、「湖の本」に恰好に発表できるのだから。
2023 1/10

〇 秦さん
新年を迎えましたが、お元気でしょうか。連日の寒さは身に応えますが、ありがたい日の光をかみしめて日々を過ごしています。 中・高同窓  元 日立役員

◎ 親愛なる テルさん。
新年になりました。なにとかガンバリたいと願いながら、去年の残暑来の体疲労は加わる一方で、せいぜい努めて遣っていますが、疲弊は加わる一方、やせ細っています。
幸いに私の「読み/書き・読書と創作」の日々は「家の中」で可能ですので、仕事に引き摺って貰うよう努めながら、昨秋来は、奈良・平安交期の左道の怪事件を引き受けた今日現在の異様を書き継いでいます一方、新年には、現代の視野からの「或る往生傳」を日々に今日も書き継いでいます。
「湖の本」新刊も いま二冊並行していて、やがて発送また初校という荷を背負っています。実に疲労困憊の極にいますが、それが私の「残年」と覚悟しています。

小説だけでなく、或いはそっちへ転換しそうでもありますが、私の卒業した「有済」小学校の「有済」とは「如何」を、三條、粟田を含めた「京都」の問題として書き継いでいます。これは、テルさんにも、きっとお考えがあろうかとも。教わりたいことが幾らも在ります。
戴いていた師走初めのメールには、異存や異見はなく、私なりに漠と「世界」を眺めつつ、もはや私には残り少ない「日本」の見聞を、どう咀嚼するか、もう吐き出し吐き捨てて置くかと、思うばかりです。
少なくも今後の「日本」に軍事的緊急に兵事として応じる術など「無い」「あってはならない」「自滅を急ぐだけ」と思っています、だからこそ大事なのは必至・必死の適切を欠いては絶対ならない「外交」の智慧と能力だけしか無い、残っていないと、その点「幕末明治」の日本の志士や元勲たちの聡明な勇気が慕われます。坪谷善四郎という人が明治半ばに著していた、千頁を越す「明治歴史」上下巻には、それはそれは多くを学びました。
武器に、垂れ流しの金を使って戰争に備えるのでなく、金と知恵の一切を、聡明で勇気ある外交と果断、かつ堅実に賢い貿易とで、国土と国民の日本を護り抜いて貰いたい。そう祈るばかりでいます。
テルさん。お元気で。お元気で。若い人を励まして下さい。   秦 恒平
2023 1/11

* 書きかけ、書きさし、それも殆どが「作家」以前ないし直前・直後と思われる原稿が、どさっと見つかっている。いわば「湖の本」でもう試みてきた「花筺」の3とも4とも5とも拾い摂って良さそうなのがある。手の足せる者から、もう二、三、機械に書き写しておいた貸が、まだまだ在る。
むかし、高校生だったが、気張って谷崎潤一郎の創元社刊「作品集」六巻を買ったとき、未完成途中作が遠慮無く出ているのに驚きながら、それらにも「作家」の息や体臭のおもしろみを覚えたことがある。書きかけるのにも、書きさすのにも作家の個性や意地が在る。
活字で公表するには、何としても出版・編集という厳重な関所が在り、或る「長さ」と「仕上がり」は要件で在った。信心の懸命の試みにもその壁は厚かった。たが作家は書きたい、心みたいモノをもってそれに引っ張られる。私もそうであったことが、今度見つかった大昔の試作・未成作にみてとれるのが、われながら愛おしくまた面白かった。幸いにわたしは誰も持たない「湖の本」という場と読者とを確保しており、「花筺」を拾い満たすことは出来る。試みておこうと喜んでいる。どういう木でこんなものをこんな風に書き出したのかと、我乍ら新鮮にびっくりもしている。

無数の「書きたい」志望者が世に在るのは、明治以来なんら変わりないが、明治いらい私のような「湖の本」レベルの世に通用する自前の発表場の持てる物書きは、事実、独りとしていない、この事実の意義をハキと認識されていたのは亡き鶴見俊輔さんであった。

* 終日よく働いたが、申告に疲労も。
2023 1/12

* 夢には悩まなかった、が、書き継いでいる「或る往生傳」に決定的な想、乃至は論点を得、反芻し続けていた。
尿意に床を起つこと五度、か。どうしても睡眠は分断された、が、毎夜のこと。
2023 1/13

* 積む疲労困憊は払う術も無い、が、内から「やれ」と衝き上げられる「書き」置きの仕事が尽きなくて、追って追って行くのみ。
2023 1/13

* 十三日の金曜であったか。何を謂うのだったか。キリスト受難か。

* 手をそめたことではあり、ある程度『花筺』3を拾っておく。帯同して書き継いでいる創作の二三も押して行く、が、「初校」が出てくるか、新巻の納品ももう間近に逼っている。この双方はハンパ仕事で葉無く、いつもながら緊張する。なげださない。小さくとも大きくとも仕事は仕事。
2023 1/13

* 来世無し 現世のみ 来世を祀れとは、今生・現世の祀りごと(政治)を怠る者のウソも方便。未生・後生の来世など、無い。

* 繰りかえすが『或る往生傳』への、これが我が發明、と。
2023 1/14

* 昨日は多くの時間をつかい、往年、原稿用紙に手書きで「書きさしてやめた」が、「捨てはしないで保存」の、「小説」以外の何ものでもない文章の、有題・無題合わせて七、八種もを機械に容れていた。よほど長いのも、400字用紙に2枚から8、9枚ほどのも。書き殴った一篇も無く、長い短いこそあれ、今の私からも改め推敲や添削を要する何も無く、それぞれ「小説」を「書き出し」の文章として仕上がっていた。だが、そのまま見捨てられ、しかし廃棄処分されなかったのは、長い短いこそ措けば銘々に自立・独自の場面と趣味を擁していたから、と、想えた。それぞれに、このさき、どんな小説へ仕上がっていたか、と、微笑めた。用いている「原稿用紙」から見て、遠くは「作家」以前の就職なかから、「作家」として自前の用箋を作って以後早い時期と、総じて半世紀は以前の「仕事」だった。こんなふうに、さまざまに、いろいろに着想しては書き起こして多くは保留されるのが「創作者」の常だと思う。そんな多くの中から書き継がれ仕上がりの作として脱稿され、編集者の手へ渡る。
わたしは自身「寡作」と思い込んでいてそんな述懐を書きとめたことが有り、即座に当時著名な女性の装幀者に「寡作どころか」と多作を呆れられてビックリしたことが有る。事実、今日とも鳴って振り返れば公表し書物化した作だけで大きな選集が「三三巻」「湖の本」が既に160数巻にも成っていて、活字化されてない書き置きでもまだぞろぞろ見つかる。昨日触っていたのも、それらの一部で、しかも書き殴ったものはない。短い長いなりに誰に読まれてもいい「私の文章」を成している。捨ててはしまえないなと思った時に、たまたま「花筺 はなかたみ」という雅な伝統の容れ物のあるのに気づいた。
〇 つみためしかたみの花のいろに出でてなつかしければ棄てぬばかりぞ
「秦」は「恒平」はこんな風に着想し発送し書き始めるのか、とは思われてそう恥ずかしくない「かきさし」が見つかった、本人もビックリ」というだけの事であるが、文章での創作者の「これが本来」なのではと確信する。幸いに「湖の本」に収録できて読者も手を受けていて下さる。眞実、ありがたい。
2023 1/15

* 疲労をすら捍格せず、目の前へ寄ってきて奇態に興味を惹く「創作作業」を、この一両日倦まず続けている。棄てがたい作業であり、好結果も生んでいて、どくしゃのもちへ送れるのも遠くない。
興を惹かれてそれが「文筆/文章ないし創作」と関わる以上は見過ごさない、と、「残年」を落ち着いて数える心地で取り組んでいる。疲れても当然な心身起業、もうのめのめ逃げない。
2023 1/16

* 「湖の本 161」の刷り出し、むかしの勤め先流に謂うと「一部抜き」が送られてきた。「世をしら波に」と題した巻頭の年代記風エッセイが胸を熱くし、懐かしい。こう生きてきたよと実感を喪っていない。書いて起きたかったことが書き置けて、やや思い満たされた。エッセイは組合わせ宜しく配列すると「創作そのもの」に「読めるモノ」に成る。
2023 1/19

* 自然な思いと考えているが、ながい将来を見込んだ計画はやはり控えないし諦めている。八七というこの年齢、「うしろ向き」とたとえ謗られようと私はじしんなりに、選り見て整うべきを整え置くのもいくらかは務めかと自覚し、「湖の本」の編集にも自然それは反映してきている。回顧が主なので無い、直哉流にはひさしい「暗夜行路」を納得して残年でさらに補いたいと思うのみ。それにもかかわらず、日々の予定には新作の小説が、一、二、三、四、五なお幾つも着手され進行している。見捨てることは出来ない、創作者として「あたりまえ」。
昨日、久しい実積を積んだまさに「専門」編集者伊藤雅昭君の「編集者人生」を締め括った一冊『編集後記』が送られてきた。必然必至の一冊哉と賞嘆拝見した。
私は、「創作者・文筆家・歌人」即ちいわゆる『作家以前・作家生活者」として少年來生きてきて、その途中もよほど早くからまた「編集者」でもある技倆・力量をフル開展させて、現に『私家版本四冊刊行』時期を通り抜け、現在までに『湖の本 百六十餘巻刊行』『秦恒平選集三十三巻刊行』を、すべてなんら停滞無く「編集し・製作し・刊行し」続けてきた。この同じ道を、心して終焉まで歩む、それが現在の心境で、無事安穏の最老境を手放しで喫しようなど考えない。そういうことには馴染まない体質で気質で願望の持ち主なのだと呆れる人、さげすむ人には、どうぞと、道を譲るだけ。私はそういう俗人なのであり、遁れようが無い。遁れたいとも願わない、逆なのである。もし私を弾劾するなら、作家・編集者としての「仕事」そのものを批評・批判して戴きたい。

* 「湖の本 162」発送用意分の全部が宅配扱いの手へ渡った。最初便は今日にも届くだろう、どなたから第一報が帰ってくるか。

* 「湖の161」新刊一便、練馬の持田さんへ、もう届いたと。一安心、一と山は越した。
2023 1/22

* それにしても旧臘来の疲労の蓄積は執濃い。ぐだぐだしている余裕無く、じつのところ 長短の数作もが、「手をかけよ・かけろ」と作者の私に対しご機嫌が悪い。私もそうしたい。それでいて、心神がヤケに寒い。
2023 1/23

〇 ご本ありがとう。秦 兄
齢相応に身体は部品交換をしたい器官を各所に持ちながら、何とか今年も越年できて安堵しています。福盛、藤江、団、明さん、渡辺節子、中村(山口)節子らも元気に越年の由、賀状が届いています。
今夜から明日にかけて大雪との予報どおり、午前零時の今、雪は降り続いています。数年前までなら、朝一開門と同時に、圓通寺の庭の雪景色の写真を撮りに出掛けたのですが、今は僅か3分ほどの距離が億劫で その気になれません。
二冊目の世直し本も書きはじめたものの、網膜剥離の術後も左眼はほとんど機能せず、片目でキーの打ち損じなどが多く、中々捗りません。
打ち損じといえば、兄の「湖の本」の安倍晋三が安「部」晋三に化けていましたよ。
安倍が銃殺されたニュースを見た時、最初に脳裏をかすめた四字熟語は「因果応報」でした。
萩市にメール友が居ますが、安倍晋三の祖父の安倍寛は地元では聖人と崇められた人格者で、東条首相に退陣を迫り反戦平和主義を貫いた政治家であったとか。因果応報も母方の祖父である 岸信介のDNA遺伝子のためでしょう。
岸一族の被害者の一人、山上徹也の裁判が注目されます。
又 メールします。体を労わって下さい。  辰

* ナントナント。あの圓通寺ちかくの住まいとは、羨ましい。私が小説の中で寺院を印し商的に初めて描いた、描けたのは『畜生塚』であったと懐かしく想い出す。愛しい「町子」と、ふっとぷように市中から馳せていったのが、新聞記事に誘われての感動の「圓通寺」体験だった。「町子」は私の書いてきた数々のヒロインの中でも突出して読者に愛されたと思われる。その愛が後押しの力に成りわたしは「作家」への道を誠に幸運にシカモ早足に歩き出したのだった。圓通寺か……、懐かしい。
2023 1/25

* 機械を盲目的にキイ打ちしていると、安部 阿倍の混雑がよく起きる。
一つには。ホームベージからの公開電送が出来ないので、、いずれ「湖の本」へ編集時に直せばいいやと放って措いてて仕舞う。それが修正落ちで残っている。やれやれ。 どうか「察して」読み替えて下され。
2023 1/25

* 小説を、半歩か一歩前へ押したかと思う思う、睡い疲れにも押し込まれている。眠るか。ワケの分からぬ事も起きている。いま此処でキイを押し続けている間にも、此の場の左方間近で間隔正しく「ぴっ」「ビッ」と鳴る。電話機そして置時計があるが、今までそんな音は聞かないし、電話機にも久しく久しく手を触れた事も無いのたが。時計の方かな。ま、鳴りたけりゃ勝手に鳴ってろ。
2023 1/26

* 夜分、機械へ来たが なにとしても普段の画面が呼び出せず、嘆きに沈んで、小さいもう一つの機械を明けていた、ら、全くワケ分からず、平生の画面が現れていた。もう、老耄のアタマをえんま様にでも振り回されている感じ。もう、「機械日乗」の先は、アウトなのかも。ただ「書き進んで」「先が楽しみ」になろうとしている「小説」数作の原稿が消えては困ると心細く案じているのだが。

* 寒い。心身、寒い。明日が案じられる。
2023 1/26

* 短編小説『或る往生傳』一稿を成した。
2023 1/27

* 湖の本無162 初校出。これは相当を手を焼きそうだ。
2023 1/28

* 湖の本 162 の初校が出た。全体に部厚い。初稿によほど精力が必要かも。

* 昨日初稿脱稿の新作『或る往生傳』 こころして推敲し第二稿に仕上げたく、しかし跡を押してくる別の作が、少なくも、二、三。ボヤっとはしてられないぞ旗楽翁よ。勢いつけて書き進めねば。不思議なほど仕事が途絶えない。ポカンとは休めない。いいことか。よろしくないのか。分からない。前へ歩くしかない。

* 間断なく身のそばでの、ピ、ピ音、やまない。何が鳴るのか、機械バカのわたしには見つけられない。五月蠅い、が。

* 届いた初稿を読み始めると、信じられない杜撰になっている。普通の校正マンなら簡単に直しておくミスがみなミスのままゲラに刷られてある。何故ミスに成っているのかも分からない。げんなり。しかも身辺の「ピッ」音の断続は止まない。どう消し止められるのかが分からない。なにもかも、末期現象、末期症状か。疲れは加わるばかり。負けてしまうワケにも行かぬ。機械から離れて、寝るか。
2023 1/28

* 山瀬ひとみさん堂々の『読者の仕事』に驚嘆、その、わが初期作『慈子(あつこ)』評価にまさに驚嘆し感謝し、こうまで「読み」解かれて行くかと肌に粟立つものがある。「いい読者」はありがたく、また怕くもある。着物を一枚ずつ剥がれる心地。かつて原善クンや永栄啓伸さんらいろいろの読者が、批評家として読み解いてくれたが、山瀬さんのは、批評の評論の読解のと謂うレベルになく、「身内」からの同化と異化とからの痛いほどの「ラブレター」に思われる。ついに、こういう「秦恒平」の読み手が現れたかと、のけぞった。
2023 2/2

* 前夜に床に就き、夜中はほぼ一時間余ずつ尿意に、起つ。尿量は各回十分に。これで体重は増えない。雲散「夢」消。ただ、起き際に「見送る」「見送らない」とう姿勢・態度・生きように思いいたっていた。日々の「生・活」で、見送ることも見送らないことも起き、わたしは、いずれかなら「見送らない」で執拗なのかと思われる。「見送った」らおしまいになる。「見送らず」に可能なら関わり育てて行く執拗を、私は生涯受け容れることで時々になにかを成し遂げ創ってきたと思う。「みおくる」という無為の清々を必ずしも好しとも良しともしてこなかったと、今しも気づく。「見送る」のは清々しくも想えようが、放任の怠惰のまま自堕落に落ちる。「見留め・認め」つつ見送る者は見送れば好く、私は立ち止まって、無考えには「見送らない」できた。そこに秦恒平の『私語の刻』が「意味」も「役」も成してきた。
2023 2/4

* 目下、私の要事は「湖の本 163」の編集。「162」の再校が出揃ってこぬまに「入稿」のメドを掴んでおきたく。願わくは、春の到来。寒いのは弱り身に祟り目に成りやすく。
いま、、ゆーうっくり時間をかけてきた「左道變」を書き継いでいるが、仕上がりには、まだ、先がある、か。次巻には仕上げてある最新作と、「花筺 3」をいろいろに「はんなり盛れる」といいが。
2023 2/6

* 機械とも原稿とも組み討ちの悪戦苦闘、ストラッグルという語感そのまま。投げ出せば、負け。我慢のほかなく、投げないこと。

* 茫漠として、フラフラした、文字のママ「迷・惑」仕事ながら、粘って、そこそこに仕切りが付いた今日の仕事。一息ついて。十一時にちかい。寝に行くしか、ない。
2023 2/8

* 午前働き、午後は二時半頃から、夕飯後も手の止められない集中しも間違いやすい難儀仕事に継続打ち込んで、 九時半。まあ、なんとか。ガンバるとあとあと堪えるのだが。分かっているのだが。雑用では無いのだ、どうしても必要な編集・製作、そして創作のための、みななにかを「つくる」しか道のないしごとなので。
2023 2/9

* 先日『慈子』を所望され贈った京都の直木和子さん、高校の縁だろうとは想ったが記憶に無かった。今朝、礼状が届いて、懐かしく納得した。叔母の秦宗陽が、裏千家業躰金澤家での茶の湯稽古同輩だった東福寺内大機院主、わたしもよく識っていた直木宗幾さんの、二女と。あるいはフィクションながら『慈子』冒頭の大臺機院茶席や座敷を拝借しての叔母が社中らでの初釜場面などに、大事に登場して貰ってたか知れない、間違いないと想う。それだと、十分懇意であったはず、記憶はまだよく戻らないが、東福寺内の立派な塔頭あの大機院の「直木さん」となると、秦の叔母とはごく濃やかなお仲間うち、新門前へもよく話し込みに見えていたし、なんとも懐かしい。『慈子』を新ため読まなくては。

* 「慈子」の出を読んでみた。作者にして、さほどはぶ゜ぷんまで鮮明には覚えてないものだと、自覚した。が、あきらかに大機院で初釜の茶事など書いていた。徐は手東福寺から泉涌寺来迎院へ場面点じてひろいん、父に死なれたヒロイン「慈子」を訪れている。
「美しい限りの小説を」と覚悟して書き始めた原題は『齋王譜』だった。私家版の三冊目、これが、円地文子さんから「新潮」社へ廻って、「新潮」誌との縁とはならなかったものの四冊目私家版へ弾みが付いて、その表題作『清經入水』の太宰治賞へ連絡が付いたのだった。小説『慈子』は、或いは一、二に永く愛読された私の作であったかも知れない。
2023 2/10

* そういえば昨晩は妻と映画、最高に盛りの頃の木暮実千代・デビューしたばかりの若尾文子の『祇園囃子』(編集短縮されていたが)を久しぶりに観た。高校生も早い時季だったが、四条河原町の映画館、満員の立ち見で独りで観た。かなりの刺戟作と観た、少年ながら。
育った家は、抜けロージの一本で花街・甲部乙部の祇園町と背中合わせだった。尋常の道路は無く、「隔て」られていた。いくら隔てても、祇園のこと、子供にもよーく知れていた。秦の父に甲部と乙部とどう異なうと聞くと、現下に「藝妓と娼妓と」と。明快。とはいえ、藝妓の甲部とて…と子供心に「分かって」いた。その分かっていた内実をえぐるように描いて見せたのが映画『祇園囃子』、高校生とてなにも吃驚などせず、即、納得した。通った祇園石段下戦後新制の「弥栄中学」へは、乙部の子も甲部の子も同学年で大勢通学していた。じつに「異色」の新制中学だった。私の処女作で、好評注目されてそのごの足どりを華やかにしてくれたのが「祇園の子」だった。幼い実在したヒロインは、利発によく出来た「祇園乙部」の置屋育ちの子だった。知恩院新門前から通学のわたしは、その印象清潔な同年女生徒を、遠見に、敬愛すらしていた。昨晩観た映画「祇園囃子」は
変わりなく胸に食い込んだ。「男」という「獣を」概して「嫌う」ようになって「学んだ」映画であった。なにとなく、見聞体験の材料はまこと豊富なのに、わたしは「祇園」をめったには小説にしてこなかった。
2023 2/11

* オヤ。もう正午。
「湖の本 163』入稿用意進捗。「編成・編集」が難しい。吶喊のほかない、この先は。
2023 2/11

◎ 目覚めも近い時分から「思い想うこと」あり、長短はともあれ重い大きな創作、最晩年の大作を着想した。今日からそのための用意を心がける。粗忽に、慌てまい。

* 「湖の本163」入稿への大準備が出来た。編成上の調整が出来れば、入稿、可能。
2023 2/17

* 「らしくても、らしくなくても、踏み出し出し今日を明日へ。老境へ逃げこむまい。勉強の一語は あだおろそかに転がっているので無い。勉強とも人とも、人は出会う。出会うことが、大切。
2023 2/18

* 夕刻までに「湖の本 162責了 163入稿」の用意をともにほぼ終えた、執拗にガンバッタものだ、しかし、疲れもきつい。
2023 2/21

* 「湖の本 162」思案し、敢えて「三校」を印刷社へ依頼した。自転車で、ごっそり投函に行けた。脚を上げて尻が乗りさえすれば、乗って走るのは何でもない、脚しっかりと、坂も苦にしない。乗り降りにしくじると横転のおそれ。それが分かっているので慎重に乗車に脚を上げている。
自転車はじつに快適。幸いに脚はそうは弱ってない。

* 追い掛けて「湖の本 163」入稿の用意が出来ているのを、念入りに確認して、これも今日明日に「入稿」する。「湖の本」は、汚く謂うてもしまうと、一種私の「吐瀉」でもある。私なりの「出産」でもある。生きている証である。
2023 2/22

* とは云いつつそれはそれ、これもこれで、「湖の本162」要三校に次いで「湖の本163」入稿の手を、取り合えず、尽くした。明日、投函すれば、しばらくは、別途の創作等に集中出来そう。「ぼんやりと休憩」というヒマはもう私には無い。が、グタグタッと、全身、参っている。
2023 2/23

* 大きな要を昨日のうちにほぼ整えていたので、暫くは落ちついて創作へ向かえる。こうも、事繁い老境を想ってみなかったが。ま、成るがママに為し続けるだけ。
2023 2/24

* 久しく印刷機故障と諦めていたが、祈る心地でいま,試みたら、「あとがき」不足分を印刷してくれた。感激。これで「湖の本 162」は、本紙の三校出を待ち校了出来る。
2023 2/25

* 夕方、妻と、実に久しぶりに俳優座劇団公演,夏目漱石原作・秦恒平劇作『心』を、加藤剛、香野百合子主演で、懐かしくもしみじみと観直して、色んな場面と科白とで泣けた。気恥ずかしくもあり、しかし強く踏み込んで私なりの「想や情や劇」を真摯に打ち出していた。初めのうちは首もひねったがやはり「k」の登場からは私の創作度が深まり、妻とも頷き頷き観ていられた。この舞台のあちこちに妻の想も組み入れられていて、懐かしくも胸に響いて各場面からの放射が嬉しく快かった。ああこんな創作もしていたんだと王師の感慨が深々と蘇って嬉しかった。
漱石の『心』は、弥栄中学を私の一年早くに卒業していった慕わしくも愛おしかった「姉さん(梶川芳江)」が記念にと私の手にのこしい謂った文庫本、署名もしてあった。その『心』は我が聖書ともなり、数十百度も読みに読み返した名作なのである。そんなことは識らない俳優座を代表していた人気の加藤剛が、私に『心 わが愛』として脚色を強く希望し依頼してきたのだった。加藤剛も演出の村上安行ももう亡き人。お嬢さん・奥さんの香野百合子も母親の阿部百合子も,それ以上に「k」も「私」も美事な好演だった。懐かしく涙の浮かぶのは当然しごくの舞台だったのだ。幕が降りて、拍手が永くやまなかった。

* おかげで、色んな事を華々しくもさせて貰えた永い人生であった。
2023 2/26

* 朝食後、そのまま卓へ俯せ十時過ぎまで寝入ったようだ。健常の心神と謂いがたい。
なのに、その後も午まで、午食を終えるとやはりそのまま卓に伏して三時まで、寝室へ退散視して五時まで、要するに日のあるうちを通して寝潰れていた
晩は、新しい短編を書き起こしていた。が、七時半、もう私の視力は霞みきっているやすむしか無い。
明日で、二月は果てる。
2023 2/27

* 「湖の本 162」三校ゲラが届き、即、「責了紙」として郵送した。三月十四日の、64年めの結婚記念日頃には「第一六二巻 わが作家人生のまえがき とめども波の 洞然風聲」刊行、發送出来るだろう。
自転車での郵送の脚で、久しぶりに下保谷の奥寄りを走ってきたが、ぼろにいろいろ想い出しながらも途に迷い、かなりり遠回りになって戻れた。「セイムス」に寄り、このごろややクセめいてきた買いものをして家に帰った。ヘルメトをかぶって走ってきたが、脚は相当疲れた。「一と仕事」して、ひと寝入りもして、あと『遠い太鼓』という、ゲリー・クーパー主演、密林での戰闘映画を観た。底知れない大密林のなかの河や沼や木々や草むらでの戰闘は、観ていてもほとほと疲れました。
2023 3/3

◎ 「かくあい(かくわい)ということば
久しくも久しい「友」であり「師」である「常用の辞書」、久松潜一監修『新潮国語辞典』の、もはや表紙も背も裏も頁の中にさえ手荒にガムテープで補強されて,片時も「読み・書き・読書と創作」の仕事のそばを去らないのに,心底感謝している。新潮社で「新鋭」の名のもとで「書き下ろし」長編小説が数人の新人にもとめられ、私は、一,二年も『みごもりの湖』と取っ組んでいた始めに、編集担当の池田君が上の辞典を呉れた、何よりも言葉と表現を大切に、と。
あれから何十年になるか、往時は渺茫と遠くかすんでいるが、此の辞典は無二の友として身のそばを離れなかった。有難くも心強かった。
「国語辞典」に身を寄せて愛し信頼していない「書き手」など、同じ文藝の仲間と私は思えない。思わない。正しく識らずに無茶に遣いかねない「ことば」は、よほどの手だれでもたくさん抱えていて、なに不思議なくも、当然。その事実・現実に畏怖しない「書き手」もいい加減なもの。いい加減な発語や表現は、じつは、やたらと多いのだ。
ところで、何日か前から、私、「かくあい(かくわい)」という「もの謂い」に引っかかって来た。まだ両親や叔母と京都で暮らしていた昔から、おとなは、ときどき、「かくあい(かくわい)」が、「いい」「わるい」と口にしていた。「うまいぐあいや」「なんか、うまいこと加減できん・調子が合わん」といった感じ方らしく、それなら「具合」と同じか、ちょっと感じ違うかなあと思っていた。「工合・具合」には、「体裁、対面、都合、それに健康状態」また「道具の遣い加減」を謂う「意味・意義」がハッキリしていて、どの辞典でもそう説明している、が、「かくあい(かくわい)」が「いい、わるい」と自分でも謂うたり感じたりとは、「ちがう」と子供なりに謂いも聞きもしていた。
それとても、しかし意識して記憶に値いするとも思わず、無数の日本語、日用語の「ひとかけら」で、平時に事ごとにいつも覚え、また用いる言葉では無かったし、忘れて不自由といった語彙でも無かった。
ところが、ここの処の、いつ時分からか、老耄のすすむにつれ、なにかしら、爲るも為すも不器用になってきたにつれ、「かくあい(かくわい)」がいい、わるいと、奇妙に日用の「機微」に触れたかの「単語の一つ」が、私の「暮らし」にありあり蘇ってきた。
例えばである、身につけて間もない不馴れな着衣の釦と釦穴とが変にシチくどく合わない、合わせにくい、のが、いつしかに馴れて、手探り一つで容易に役立ってくれる。身に添いにくいと感じたモチモノや道具や衣類が、いつ知れず身に合い着こなし使い慣れている。そんなときに「かくあい」が掴めてきた、知れてきた、「かくあい」を覚え馴染んできたナ、などと「謂う」て来なかったか。
「かくあい」佳いのはうれしく、何かにつけ「かくあい」の好いと悪いの差異は、意識するしないなりに、妙に生活上の行儀や作法の「コツ」かのように思い馴れているが、私独りの独り合点か。
2023 3/4

* 私の、なにかにつけ呟くような口グセは、「ナンマミダブ」。久しぶりに阿弥陀如来の前身サマにお会いしたくなり、『浄土三部經』を書架から抜いてきた。お目にかかれるハズである。「イリアス」「源氏物語」「参考源平盛衰記」「水滸伝」「カラマゾフの兄弟」「薔薇の名前」「ホビットの冒険」に、「浄土三部經」が加わる。毎朝の日記のために「三浦梅園集」も読み進めていて、豪華な顔ぶれ、しかもみな、飛び抜けて面白い。これが私の,『読み・書き・読書と創作』とかかげた日課の表札。アタマの「読み・書き」はいわゆる「下調べ・下読み」に当たっている
2023 3/5

○ 「湖の本163」初校を明日9日午前着予定の宅急便でお届けいたします。
「湖の本162」は3月23日のお届け予定で動いております。
ご都合が悪ければ教えてください。  凸版印刷  関

* 加えて、私の方は『湖の本 164』入稿のための原稿編成に取り組まねばならない。何を「柱」にするか。休めるヒマは無い。
「休む」とは、「もういいよ」と応えて、天上の意味になる。そう思っている。
思い残すこと。もう一度でも 「京都」に身を置きたい。
2023 3/8

* 十時前。圧し込まれるように下腹部に圧迫が有る。空腹なのなら、いいが。
十時過ぎ。「湖の本 163」初校出、来着。これが、桜桃忌までに創刊37年の記念の巻に成ろうか。此の二十三日には「湖の本 162」が納品される。忙しい花の春になるなあ。心身の按配に氣をつけねば。
2023 3/9

* どう疲弊していても、機械に向かってる限りは、逃げ口上は言わない。

* 午後も、大相撲幕内の中盤まで寝ていて、夕食後にはすぐ床へのがれ、夢など見てもう朝の七時と思いつつ目覚めると、宵のうちの九時だった。かすかに歯や口腔内に違和を覚えたので、処方されていた痛み止めや抗生剤を服した。もう寝てしまう気でいる。朝に遠藤恵子さんのメールを読んだ以外に外との折衝もない。ただ、朦朧と、睡くなれば寝ていた。湖の本「163」初校もしていたが。手抜きしていた分の手が掛かっている。

* 微かに空腹だが出汁を飲ませてもらった。

* 今日一日の収穫は、朝に、心して新作『或る往生傳』を通読し、身に痺れて「脱稿」を確認できたこと。
2023 3/12

* 「湖の本 163」初校を「ほぼ」終えた、が、へとへと。それでも脚は、前へ、二、三歩進んだか。明日は、また歯科医へ通う。池袋へも脚を運べるなら…

* 「ほぼ」のアトが、奇態にシンドい。やれやれ。
2023 3/13

* 次の歯医者は、月末、三十一日と。それなら「湖の本 162」は発送も終え、「163」再校出へも届いているかしれない、「164」の入稿も出来ているといいが、と。 なによりも体調と体力の温存に配慮が大事。
2023 3/14

* 利尿剤を服さず早くから寝入った。何度か起きは起きたが間隔はながく回数も少なく。利尿剤は、午前中に服とする。「湖の本 163」の初校に手間取っているのを解消して目の前を寛げたい。
2023 3/17

* 「湖の本 163」の初校分、「要再校」郵便で返送。
5頁分の「あとがき」を書かねば。

* 九時半にちかく。二階の機械へ這い上がってきたが。全身状態、人事不省に近いシンドさ。寝てしまうより、無し。眼が、重(オモ)痛い。手首が見た目も細く、肚にチカラ無し。
寝に、階下へ降りる。幸い「要再校」本紙は送り終えてあり「湖の本 162」発送の用意はおおかた妻がして呉れてある。発送に必要な 宛名用紙か、もう五回分の用意はあるので「ガンバッテ」とハッパをかけられた。アリガト。
2023 3/17

* 刷り上がってきた『湖の本 162』一部抜きを、珍しく読み返し読み耽っていた。
私の京都時代、とは、即ち「學童・生徒・学生」時期に相当る。そしてそれらを終え、直ぐ東京へ出て、就職し、結婚したのだった。
よくよくウマが合っていたか「学校」の昔は、先生方も学友たちも、みながみなしみじみと懐かしい。「育った家」「新門前通り」の「ハタラジオ店」を基点・地盤にしていたのだから、人にも地域にも一入の馴染みは当然のこと。有済少、弥栄中、日吉ヶ丘貴、そして無試験で同志社大へ。先生方の御顔も、大勢の学友の顔も声も名も、湧き立つように蘇る。惹き込まれて読み返していた。
無意味で無駄な、国立大への受験や受験勉強などに手間や時間を取られず、成績推薦の無試験ですっと大學へも進んだ。青春の貴重な時間をかけて私は「京都と日本史」とを「歩き回る」ことで身につけた。それで良かったと今もしみじみ思う。
2023 3/19

○ 尾張の鳶に。
今朝二十日は、五時に機械の前へ。 疲弊・疲労が甚だしく、昼間は寝潰れてしまうので、「朝早の午前」に仕事時間をかためてます。
「湖の本」 「162」は刷了、うまく纏まってます。週末には納品・発送。
「163}は初校了、再校出待ち。小説・掌説ないし拾遺を発表。「164」は入稿用意の「編集中」
歯は、下左奥に2、3本のほか、上下に歯無し。
三月十四日は結婚64年、實に久々に、歯科のアト、池袋へ出、佳い食事をしました。「読み・書き・読書と創作・勉強」の以外は、ヘトヘトの疲労困憊で「瀕死のサマ」に寝潰れています。
花見に出る「からだにちから」無く、辛うじて 此の田舎「下保谷」近隣で、よその農家の庭に咲いてそうなのを、躰が許せば 散策、眺める程度かナ。
脚力は大切に、機械で可能な限り鍛えています。よろよろが本来の自転車乗りは、脚だけで、らくらく「ポスト」ぐらいへは走れます、ヘルメットして。
食は、相変わらず極度に細く。それでも、時折微かに空腹を感じたりも。このところは、そんなところ。
戴いた『浄瑠璃寺夜色』を日夜、嘆賞、喜んでいます。 お元気でカアカア
2023 3/20

* 午前、妻と、保谷北町方高へブラフラと散策の花見に。陽気宜しく櫻の開花にも、盛の満開にも、色美しくけっこう静寂の町なかで、間々大木の繁りにも春の大空にもまま魅せられ、疲れ切りもせず、満足の、ま、老夫婦がよたよたの散策を楽しんできた。おしまいに、一度入って気に入っていた店で、ラーメン等の昼食にも憩うてきた。下保谷から北町へは、流石に田畑よりは新しげな民家の並びが多かったけれども、實に静かに空は廣く、のどかに心やすまる田舎風情が楽しめた。隅田川や千鳥ヶ淵や東工大の大櫻も素晴らしいが、懐かしく思いおこして足りる。

* それよりも新作の、とはいえ相当に年月を重ねて書き継いできた作の、仕上がり進行へ気を入れて進みたい、願わくは「湖の本 164」巻頭へ持ってきたいと願っている、焦りは、せず。
2023 3/21

* 今朝、早ければ九時頃に通算「湖の本 162巻」新刊が出来てくる。三日ほど発送の力仕事が続く。誰よりも、もう私自身のために「内容」を組んでおり、今回は届いてからも何度も何度も手に執り読み返していた。『わが作家人生の「まえがき」』が纏まったのが良かった。世に「作家」と認められる以前に私は四冊の「私家版本」を作り、それは
「作家人生」へ踏み出すにゆうこうだたが、四冊の孰れにもシカとした「まえがき あとがき」を副えていて、いわば私・秦恒平の「作家宣言」の泰斗内容に成っていた、それを今回キチッととり纏めたのは本懐と謂えよう。
そして後半も、遠慮無く自己自身の「京都」に密着しつつ編成した。「やそはち歳」へと歩んでいる私自身の気持ちが弾まぬ「秦恒平・湖の本」など、もはや意味が薄れる。

* 九時過ぎに納品され。つまとの連繋で発送作業に入り、順調に午後には一便を送り出した。明日への連繋もよろしく、頑張れば明日中には荷づくりを終えるだろう。なにしろ、一九八六年の六月以来162巻目の発送、手順も心得、かつ封筒等もよりよく改変してきたり、夫婦して慣れきっている。なんとか明日にも豫定の殆どを送り出せればいいが。
2023 3/23

* ためらわず、発送作業の二日目へ。
十一時前、全発送用意を終えた。希有の能率。少し身軽に成ったのを利して、次の新しい「書き・創り」へ踏み込みたい。
2023 3/24

○ お元気ですか、みづうみ。
昨日湖の本を無事に頂戴しました。みづうみに申し上げるのを忘れていたかもしれませんが、ご本はビニール包みなしでも毎回とてもきれいに届いています。謹呈箋も お手間を考えるといつも申し訳なく思っていましたので、以後も不要とお考えいただきたく存じます。
今朝、<作家人生の「まえがき」>まで読了しました。デビュー前の若書きですのに、すでに大家にしか成りようのない凄みの文章を読ませていただきました。著作四作「まえがき・あとがき」がそれぞれ立派な独立した作品で、出発時点においてすらの、この文学的到達には 肌に粟立つものがあります。
これから「とめども波の」「洞然有聲」に入ります。この二作品は みづうみのレイタースタイルの名作のように直観します。
情けないと怒らないでいただきたいのですが、「洞然有聲」は「とうぜんゆうせい」と読んで間違いございませんか。奥深く静かでありながら聲を出すという意味に受け取ってよいものか? お教えくださいますか。
「とめども波の」の 最初の和歌三首 素晴らしいです。みづうみの名歌ベストいくつかに挙げたい。お母上からの歌人遺伝子が大輪の花を咲かせています。
もし誰かに似るのなら、容姿ではなく才能のほうが嬉しいと思うのは欲張りでしょうか。
昨日から 花冷えの雨です。どうかご体調くずされませんように。発送作業のお疲れでませんように。
毎回湖の本を心待ちにして、その期待の裏切られたことがない、そんな文学者は稀有です。 益々の高みにお上りください。     春は、あけぼの

* 作者へ出で立ち前の四冊「私家版本」への「まえがき・あとがき」を揃えてみた編成をご支持下さり、「ああ、よかった」と、嬉しく手を拍ちました。
「洞然有聲」は「とうぜんゆうせい」 志して惟うことある方々には、つねに胸深くにちからづよく響いている「聲」かと想われます。
歌三首に目をとめて戴け、幸せです。縁淡く死に別れていた生母の文藝を引き継げてますこと、母は喜んでいてくれましょうか。

◎ あかぬまの花冷えの雨もうつくしくわれの狭庭(さには)に木々とうたへる
2023 3/26

* 昨歳末一ヶ月の「私語の刻」を、『湖の本 164』のために再読していた。
2023 3/27

○ 秦 兄
差別語に関しては、書き物をしている上で、「呆け・痴呆症」から「老人・徘徊」も差別語では、という出版社の校正係から指摘され、窮屈になったなと感じたのが発端で、兄のいう被差別(同和、これからしてややこしい)という差別問題に当面します。
少年のむかし「三条うら」近辺に住まっていたので 幼少來 学校の先生や両親から、今でいう同和教育を受けていた関係で 私は「三条うら」(=大将軍神社の氏子)の悪ガキ達とは自然体で付き合っていたように思います。
そんなガキの頃の思い出話を一つ。
悪ガキの一人と大ゲンカをした時に、悪ガキが兄を連れてきてボコボコにされたので、この卑怯者と悪ガキを又ボコボコにしたのですが、翌日に悪ガキから仲直りの印にと言って大きな牛肉の塊を貰ったことがありました。
当時は公然と行なわれていた彼我の差別でしたが、大人も子供も食べ物に全神経が集中していた時代で、結婚適齢期でもなければ、子供同士が親しくしていても親たちは普段は気にも留めず何も言わなかったのは、生きることに精一杯の「戦時下・敗戦後」という特殊な時代だったからかもしれません。
今は「衣食足りた平和呆け」が総コメンテーターになって言いたい放題の無責任時代だけに差別発言も活発化しているかと思われますが、それも他人事で、わが身、わが家庭に関わる場合は、きれいごとを言っていられるか、自問自答しても現実に直面しなければ結論は出せないと思います。
孫でも居れば、父方の曽祖父は農林省の役人で大正七年に流行ったスペイン風邪で曽祖父と祖父は他界 からはじまり、生母方の大伯父たちは近衛兵の軍人たちで云々と、我が家や親族のルーツなど書き残す作業もしたかもしれませんが、息子と娘の代で我が家系は途絶えるとなると、そんな書き残しも詮ないことと する気も起りません。
しかし、差別問題に無関心ではないので 折に触れて語り合いましょう。
今日 から、文化庁が京都で業務をはじめます。地方政党の「京都党」の党首村山祥栄は上皇夫妻を京都御所へお帰り頂こうと言っていましたが、高齢になってからの移住は余程のことがない限り無理でしょう。皇室問題についても私見あり。
パソコンの件は私も機械音痴というより最近は面倒臭くなり 煩わしいことは避けているのですが、何かと便利な機器なので 少しずつ取り組んでいます。
明日は 娘と近くのドコモショップへ最新式の携帯電話を買いに行く予定です。 辰

* 要点を得て率直な感想がもらえ、教わることもあった。私の最晩年の大きな課題と化して現れるのが 京都の「差別被差別」を日本史の真相から汲み上げ、批評的に物語ることに成ろうかと、初動の姿勢にもう入っている気でいる。東山区新門前通りという、南側には(甲部…乙部 という苛酷な差別問題を内包している=)「祇園」という大きな遊郭を細い「抜けろーじ」只の二本で隔て、北寄りには、古門前通りが東西に厳しく隔ててその以北、三條大通りに到るまでの「寺裏・三條裏」といわれる相当に廣い往昔來の被差別地区が在る、浄土宗總本山知恩院の二筋の「(新・古)門前通り」が、實に大きな「遊郭」と「寺裏」とを南と北へ恰も拒むように「道」と謂える通路すら無しにガンと隔てていたのだ。
2023 3/28

* 夜十時。夕食後に寝入って、真夜中か曉毛に近いかと錯覚のまま目覚めた。体調重苦しい。昼間、よほど根をめて「湖の本 164」入稿原稿を用意していた。およそ半量の余も思うが、まさか夢であるまい。胸重く鈍い痛みあり。「生きた心地」がしていない。
2023 3/29

○ 尽きぬことの無い御作、御本、賜りました。ありがとうございます。
お身体の調子が優れられない日も多い中のご執筆、ただ感心し、感謝申し上げます。
桜も咲いていますが、天候も落ち着かず、お身体に障る事も多いと存じます。ご本発送のお疲れも残るのではと案じています。
迪子様ともに、お身体お愛いくださいますように。  晴  妻の久しい親友

○ 「湖の本 162」 『とめども波の 洞然有聲』 感謝
秦さん  いつもいつも本当にありがとうございます さきにご本を楽しんでしまい 御礼遅れて申し訳ありません
秦さんに お会いできて 本当に良かったなあと 歳も久しく 改めて嬉しがっております 幾重にも厚く御礼申し上げます

一九六四年八月二十日 秦恒平 (筆名・菅原万佐)
(東京都北多摩郡保谷町山合二二七五 医学書院社宅)

「昭和39年」年号を思うといつも「一体わたしは何をしていたんだろう」と思っています
「昭和三十七年七月三十日、私はとつぜん小説を書きはじめた。」
(わたしは 国立秋田療養所で毎日患者さんにストマイの注射 でした)
「清經入水」をまた読みました あの「清經」は帰ってきてからどうしていたのだろうかと考えています(考えつきませんが)
「少女」もまた読みたいです 本郷は戦後も古い町並みで好きでした(空襲の際「東大」があるので避けられたと聞きました)
桜も過ぎ 年度も変わります
年は年ですが「元気笑顔 元気笑顔」は忘れないようにしたいです
お知恵をいただきたいです
コロナ相変わらず 減ったり増えたりしています まだまだ くれぐれもお気をつけください どうかお大切にされてください  勝田 chiba e-old 拝

* こういうお便りを頂戴するのを 生き甲斐と いうのだと感謝
堪えず。

* 明日朝には「湖の本 163 全」の再校ゲラが届く、と。息つくヒマ無く、次巻のための巻頭部の創作の仕上げもともども、休んでは居られず、やそしち爺、「生くべく」生きること続く。嗤われてもいようけれど。
2023 3/29

* 「湖の本 163」再校出。
2023 3/30

* 日々に「私語」を書き流している、が、行文上、無意識にも気をつけ、なるべく避けているのは、語尾の「ある」「である」「のである」で。いかに乱発されているかの実例は、手近な諸誌に署名記事を寄せている人の文章から、いやほど拾い出せよう。是が行く文をくさらせこそすれ、光らせることは、めったに、無い。
2023 4/3

* 何時頃からか、とろとろと寝入っていた。眼の底から疲れが湧いてくる。読書もままならないが、「書く」ことは途絶えてならない。
「湖の本」を収束して、ホームページで「書き続けては」という声は、身近からも私自身の胸の内にも去来はするのだが、せめて「創作」した文章は「本」にしてやりたい…。 2023 4/3

 

* もう、「長編」と謂わねば済むまい創作が、あやしいまで危なく底揺れして不気味にすすんでいる。しきりに、寒け。風邪か。
2023 4/3

* 「読書量が減ってないか」と気遣ってもらっていた、が、「書いて」「書きながらの」必要な「調べ読み」は寡少でなく、いわゆる爲樂の読書は、芯に大長編の『源氏物語』『参考源平盛衰記』がズシンと居座り、加えて『薔薇の名前』がこれはもう尋常でない稠密な叙事叙述イを極めてそれが基督教の修道士や古來の修道院内での煩瑣を極めた論議や紛議に充ち満ちていて、読み進むに容易でないどころで無い困難をきわめながら、それがまた魅惑でもある。その上にこのところ「湖の本」の再々の校正読みも重なって、書いている次巻も多く、ま、満杯状態。疲れは底からも来ているのは、慥か。メールを私から送ることも、減っている。
2023 4/4

* 「湖の本 163」押して「要三校」で印刷所へ戻し、ゆとりの時間を「懐中」して肝要事に向き合いたい、と。なにも、慌ただしく急く事は無いのだ。大事なのは、仕事の「楽しめる」ということ。
2023 4/7

* 「湖の本 163」三校が出てくるまでに、題未確定の、ま、長編といえる小説を脱稿したいが、前途は未だ錯綜している。なら、思い切りの錯綜編に仕上がればいい、慌てまい。後半に収めるいつもの「私語」をも、どう編むか。
2023 4/9

○ お元気ですか、みづうみ。
<生きた心地がしない>ご体調のごようす、何をどうすれば、少しでもみづうみがご健康でお気持ちも晴れるのかと、もどかしさのまま悶々としています。あけぼのの日々はみづうみのことを想い、すっかり湿っぽくなりました。

<幸い「要再校」本紙は送り終えてあり「湖の本 162」発送の用意はおおかた妻がして呉れてある。発送に必要な 宛名用紙か、もう五回分の用意はあるので「ガンバッテ」とハッパをかけられた。アリガト。>

奥さまなればこその最高のお励ましです。今のみづうみを支えるのは『湖の本』であることを知り尽くしていらっしゃいます。夫婦は同志であることが理想ですが、お二人はまさにそのような唯一無二の「身内」でいらっしゃる。
今のわたくしはみづうみに手が届きませんけれど、「秦恒平」の論攷に悪戦苦闘しながら必死に近づこうとしています。みづうみに、書き上げたものをお読みいただけますように、どうかどうか長生きしてお元気でいらしてくださいますようにと願いながら、「読んで・書いて・考えて」生きています。
「欲しい」資料が許されるなら「年譜」が一番頂戴したいモノです。文壇デビュー以後のもの、公開されていないみづうみの年譜が、もし存在すれば是非にと思います。
わたくしの願いは、何度も申し上げましたが、未来の読者のために、著作権継承者を奥さまと建日子さまお二人だけに限定して正式な書面にしていただきたいということ、また書かれたものすべてを正しく管理保管、場合によっては出版する遺著管理人を、ハンナ・アーレントのように元気なうちに早くから決めていただくことです。この遺著管理人は一人だけにする必用はなく、たとえばウェブ担当者、ホームページの管理人も含まれましょう。ホームページは日々変化する生き物ですから、内容が同一でも常時ネット環境にあわせてバージョンアップして対応する必用があるのです。引き受け手はいらっしゃるでしょ。
今回の「とめども波の」の「有済」の章を拝読し、背筋がぞくっとして凍りついてしまいました。東京山の手育ちで、このような「凄い」話の存在を身近に一度も経験することなく、本の中の他所事としてしか知らなかった自分を深く恥じます。自分の人生が変えられるような物凄さでした。「湖の本」だからこそ出版できたもので、現在の出版界では決して日の目を見ることのない話。この見て見ぬフリの臭い物に蓋をしてきた日本人の罪深さに慄いて恐怖を感じるのは、わたくしだけではないはずです。怖い、ひたすら怖い、酷い話でした。何がコワイと言って、自分を含めたふつうの無関心な人間ほど醜い恐ろしい怪物はいないと思い知らされました。悪は無関心な人間の為すものと。
次巻『或る往生傳』の中に潜んでいるだろうデーモンも、きっとわたくしを変えてしまうのだろうと思っています。それがどれほど凄まじくても受けとめる覚悟はあります。
みづうみの日々にご平安がありますように。素敵な一日をお過ごしくださいますように。                             春は。あけぼの
* こういう方が在って、わたくしは文士として存在仕得ている。感謝の他ない。

* 江戸は「旅宿の境涯」と喝破したのは荻生徂徠だった。今日の東京もおおかた変更はされていない、多くの住人が「田舎」「本籍地」という根拠を地方に持ったまま、東京に、地所や住居をいわば「借りて」暮らしている。私のようにもはや戸籍上の本籍地をお国に返上してしまって何十年も何倍もの久しい者でも、根は「京都」と頑固に思い込んで断然変改しない。「旅宿の境涯」その通りですと居直ったままでいる。さもないと実感で生きていられないのだ。「東京都」さん、ゴメンナサイ。

ところで、上にご希望の、作家としても私人としてのも、「秦恒平年譜」は、もう自編は出来ない、そのヒマはない。ただ幸いに私は和歌山の三宅さんにお世話になった限定豪華本『四度の瀧』昭和六十年元旦刊行までの「年譜」は、その本にほぼ整ってある。そして、それ以降は私自身が「外向き」仕事を愛しい指揮して避けたので、文藝上野年譜は『湖の本」で、大略は確認できるはず。私事私行はてどによるが、およそ無いにおなじいいか、幸いに機械の「私語の刻」が具に書き置いているだろう。機械の雉は、強いても削除していないので、大方は機械に残って居ねだろう、板に保存した何かも有るかも知れぬ。 2023 4/10

* 「湖の本 163」三校が出てきて、きれいに「責了」できそうとは納得し其の用意はした。
2023 4/14

* 朝いちばんに「湖の本 163」責了紙、送る。

* 身辺を片付けたり見直したりしていて、いろいろなものの「在る、残っている、仕舞い込まれている」ことに、いつもながら一驚また一興、久しく「気に掛かっていた」ことの判明も行方も見つかったり。ただ、もう、そんなそれぞれに挨拶している余裕の無いのも事実。残念だが。                               2023 4/15

◎  秦 恒平短歌集 去来
『光塵拾遺』 2012 01 10  本巻の序に替えて
以下に編んだのは、いわゆる歌集でも句集でも詩集でもない。あえて謂えば「述懐」であり、谷崎潤一郎にならって謂うなら、小説家が流した「汗」のようなもの、あるいはわたくしの「口遊(くちずさ)み」に過ぎない。お笑いぐさながらそれをしも編んでおこうかと願ったのは、これも「文藝」のうちと考えたからである。
題だけ、すこしいばって、『光塵』と名付けた。
組み立ても無い。まこと気恥ずかしいほんのわずか「少年拾遺」を巻頭に添え置いた他は、長男・秦建日子誕生の数首以降よほど間をあけ、もっぱら東工大教授六十歳定年退官以後の老境、さらに七十五叟の後期高齢に向かうまま、短歌、和歌・俳句・詩のようなものをことさら区別せず、ほぼ編年、甚だ気儘に並べたに過ぎない。それはそれで老濫無頼な不良老年に相応と思っている。

わたくしには、昭和三十九年(一九六四)秋に初編の歌集『少年』がある。十五、六歳より結婚後の二十七歳頃の短歌をおさめ、そして「歌」に別れ「小説」や「批評」を書き始めた。歌集『少年』はその後いくたびも版を替えて出版され、上田三四二氏、竹西寛子さん、前田透氏らの推讃をいただき、岡井隆氏は二度にわたり氏の『昭和百人一首』に『少年』の各一首を選んで下さったし、短歌新聞社刊の文庫版に田井安曇氏は懇切な解説を書いて下さった。嬉しかった。明らかに少年のわたくしは「歌集」を編んだのであった。
但しその以前も以後も、わたくしは「歌人」であろうとは願わなかった。もう一度云うが、歌集『少年』の後は、働けば「汗」をかくほどの自然さと当然さとで和歌・短歌のようなもの、俳句のようなもの等を、ただ谷崎流に分泌し排泄してきたに過ぎない。云うまでもない、そういう姿・形での「述懐」をわたくしが好んでいたのである。

述懐するだけではなかった。古典物語はもとより、少年以来わたくしは大の和歌好き、ことに「恋」の和歌好きであった。歌謡も謡曲も好きであった。俳句は難しいと敬遠していたが、芭蕉にも蕪村にも虚子らにも傾倒した。現代の短歌俳句も講談社刊の浩瀚な「昭和萬葉集」はじめ、歌誌も句誌もよく読んできたし、『千載秀歌』『梁塵秘抄』『閑吟集』『愛、はるかに照せ(愛と友情の歌)』『青春短歌大学』等々鑑賞の著も出しつづけてきた。自分は排泄物なみの述懐で済ませていながら、プロを自称の作者達には概して辛辣、有名に遠慮せず無名にはなるべく叮嚀に立ち向かって、外野席から批評もしてきた。
そんな中の、主に短歌に限って、ホームページ中の『宗遠日乗』から、ごく僅か抄して巻末に添えてみたが、失礼なだけの蛇足であったろうか。よろしければ、十五年に及ぶ『宗遠日乗』をご自由に拾い読んでいただきたい。URLを掲げておく。 http://hanaha-hannari.jp/
(此のホームページが、令和5現在故障し閉口している。八七老の手に負えず、ただ頓首。)
2023 4/19

* 昨夜は 遅くまで、日付の変わる刻限まで、妻と、ホームペーシ復旧の用談に暮れた。何かに追われるような性急な思いは棄てた方がいい。成るように成って行くのだからと「待つ」ことを、殊に私は覚えねばいけない。

* 「なまなり 左道變」を ともかくも『湖の本 164』のため、仕上げ急ぎたい。
2023 4/20

* 「片付ける」「しまう」が、どんなに難儀か、混雑を極めた自室を見れば、瞭然。あーあ。 できることは、出来るかぎり正確にしておく。少なくも分類しての保存と不要分の消却。今はそれが大切。

* 走り書きのまま記載保存していなかった短歌などかなりの数を、「歌集 老蠶」にに記録した。
2023 4/23

* 奈良五條市の永栄啓伸さん、まことに立派な大冊『秦恒平 愛と怨念の幻想』(和泉書院)上梓、早速、送って来て下さる。感謝に堪えない。即、御礼申し上げた。
原善氏の『秦恒平の文學 夢のまた夢』 山瀬ひとみ『読者の仕事』につぐ三冊目の「秦恒平論」である。
2023 4/25

* 届いた「湖の本63」刷り出しを観ると、後半の「私語の刻」の日付が去年の「2022」で在るべきに、もう今年の「2023年」で通ってしまっている。専門の組み手、校正者の手も通っているはずなのに、気づいてくれていない。
老耄はあきらかにこういう不覚になり、すでに仕事の上を横行し始めてきた。年貢の納め時がもう来ているのだろう。
2023 4/28

* 半日をかけて進めた「入稿」のための作業が、なぜかまるで「保存」出来てなく、落胆。 それでも今日は妻と、私のいわば不覚敬愛する名作映画、一つは『ウインストン・チャーチル』と、もう一つは黒澤明が書いて監督し、スピルバーグが製作協力した『夢』、此の二作に、心魂を揺すられ感嘆できた幸福を衷心喜びたい。
私の前途はもう短く且つ険しいと覚悟しているが、楽しみたい。

* もう刷了され、五月半ばに納品される『湖の本 163』巻頭の新作『或る往生傳』は、いま、私なりの思惟とも祈願とも、また覚悟にほど近いものを、いわば露わにしている。どう読まれるだろうか。

* 「処女作」からみれば六十余年、「湖の本」創刊から「三十七年」にもなり、新しく加わって下さった読者の皆さんには「初期作品」を読む機が無いと云われている。「湖の本」巻頭に「処女作」以降の極く初期作も載せて行こうと画策している。私に、私で無くて出来ない仕事は、まだいろいろとある。『或る往生傳』には貧苦の夫婦して百十二歳まで生きたとあり笑えるが、ま、頑張ってみて佳かろうよ。
2023 4/29

* 今日 昼過ぎには、わたしの東工大教授時代の卒業生、鷲津仁志君、わざわざに、神戸から、西東京市下保谷の我が家まではるばる訪れ呉れまして、此の、故障がちに危険極まった「機械環境の徹底改善ないし断然新設」を計ってこの部屋で作業して呉れますと。感謝に堪えない、息を詰めるほどの感謝と期待とで待望の午後を待つべく、乱雑を極めた此の機械周辺をかつがつ片付けたが、イヤ、すさまじい部屋ではあるよ。

* にしても、今朝の機械作動で、なんと昨日の「私語」、無かったはずが無いのに全部失せて保存できていない。どうもこうもなく、首を傾げ、惘れ愕くのほか無いとは。
2023 5/3

* 昨日 昼過二時から晩への、わが東工大教授時代の卒業生、鷲津仁志君の、奮励と謂うよりもいっそ流麗な「マウス駆使」での、わざわざに神戸から持参の「新しい大きなパソコン一式」をわが書斎に設営、その間断ない操作進行の「すごみ・巧み」に息を呑んで感嘆、傍観、見学させてもらった。
わざわざに、神戸から、西東京市下保谷の我が家まで幅50センチに余る大きな画面はじめ付随の機械器具一式を超弩級のトランクに入れて我が家まで持参・搬入され。まさしく吃驚仰天、感謝した。
そんなのの設営から始動へなど、私になど百時間逆立ちしてもできないが、巨漢に成人していた二十数年ぶりの鷲津君は、らくらくと一段落ヘまで為し果たしおいて、私自身での使用「稽古・始動」の指導は明日にと、西武沿線に予約の宿へ帰っていった。
終始、鷲津君は話題豊富で声音も若く愉快、かえって緊張していた我々夫婦をくつろがせ聴き入らせてくれた。いろんな電動機械の珍しさでわれわれをいっぱい感嘆させても呉れた。感謝、感謝。
そして今朝は十時予定で再来、実地の始動教授をしてくれる。午後の速くには、わが櫻小次郎こと柳君も訪れてくれ、歓談の時がもてると。どうか私の、私たちの疲労つのることなく、いい時間が懐かしく楽しめますように。
とにもかくにも、二人の元私の学生君は、あれから四半世紀もの社会人で、鷲津君は大学教授、小次郎クンはベテランの建築設計/施工者。わたしは、やそしち歳もの老作家。「めでたし」と心より喜んで佳いだろう。
2023 5/4

* 昨日についで今朝は十時過ぎ我が家へ再来訪、新機械「設置作業」を続けてくれる。午後の速くには、わが櫻小次郎こと東工大院卒建築家の柳君も訪れてくれ、嬉しい心強い時が持てた。感嘆の時がもてると。どうか私の、私たち夫婦に體疲労つのることなく、快い時間が懐かしく楽しめますように願っていた。
とにもかくにも、二人の元学生君らは、あれから四半世紀に増す社会人、鷲津君は大学教授、小次郎クンは竹中でベテランの大建築設計/施工者。わたしは、やそしち歳もの老作家。「めでたし」と、心より喜んで佳いだろう。

* とはいえ、新設機械での私専用ホ-ムページ「開設」「始動」には、相当な長時間がかかり、難しそうで、私には理解浸透とはゆかない。
ちゃん「仕上がりました」らしい、が「機械バカ」の私自身ではまだ指一本の試働も始動も出来ていないまま、
夕方になったので、そこで作業は終え、徒歩、三人で寿司の「和かな」まで。だが、私、ただもう疲労困憊と強硬な腰痛、背痛前傾で、杖つきながら前へ仆れかけること甚だしく、柳君の腕に掴まって、辛うじて転倒はせぬまま、「和かな」へ転げ込む。
歓談、そして酒肴。鷲津君は汽車の時間だろう先に見送り、柳君と二人、更に歓談のあと、タクシーをよんでもらい、帰宅、柳君は自転車で帰っていった、が、無事で有りますようにと、気の利かない祈りを「自転車での帰路」へ祈った。

* で、さて新しい機械クンへの順応は。 先行していた機械と新機械との連携は。
私、分かってない。指一本も付けられないほどの疲労。 明日に、明日以降に希望を持ちたい、この前機と今回設定設置の新機との無事の連繋が、ともあれ当座ゼッタイに必要。わたしに、それが励行、確認可能か。ただただ、なお不安。
今、十時過ぎ、休む。妻も、我が家には何十年希有の「来客」で体調をつよく崩し、床に就いている。

* じつに「大仕事」だった、「ただ傍観していただけなのに。疲れた。
2023 5/4   後で書き直し

* さて新設定された大きな新しいコンピュータとの、佳い馴染みを、わたくしの衰えた頭脳と認知力とでどう、得られて行くのか。心配。
2023 5/5

* さて、いまだ立ち往生、と謂うより私の「会得不全」ですんなり活躍して貰えない「新設定パソコン」に慣れ馴染み、世界・世間へ私の自力/自前で「私語の刻」が送り出せるようにならねば。
出来るかなあ。やってみる、遣りづける。それです。

* まだまだ、新機械への「移行には難問題」有り。舊機械でならすらら書ける文章が新機械では馴染まない。慣れないと謂うことだろうが、この舊機械は まだまだとても手離せない。それが分かった。
独りでは新機械をワンコース遂げることがなかなか出来なくて、妻にそばで支援/助言されながら、九時半、へとへと。もう階下へ「脱落」する。
2023 5/6

* さて新設定された大きな新しいコンピュータとの、佳い馴染みを、わたくしの衰えた頭脳と認知力とでどう、得られて行くのか。心配。
2023 5/5

○ 鷲津です.  昨日は,無事お帰りになられたと柳さんから聞きまして 安心いたしました.お寿司ありがとうございます.遠慮なく頂戴してしまいましたが,大変失礼いたしました.
奥様も,二日連続で伺ったため,お疲れになられたのではないかと拝察いたします.
お大事になさってください.
また出張の際に伺えますので,お困りの際はお教えください.読者ほか皆々様に新しい「私語の刻」が伝わりますよう,楽しみにしております.  鷲
取り急ぎ,失礼いたします.

* さて昨日2023/05/05 東工大卒の鷲津・柳両君に設定してもらった新しいパソコンが私の手で、順調に作動してくれるか。結果的には私の手に負えないまま神戸へ帰っている鷲津君に報告。その連繋で急遽連休中の東京の柳君が駆けつけてくれ、鷲津君との電話も加わりながら再度設定調整があり、柳君は、最後には作動/作業手順を二枚の紙に簡明に箇条書きして呉れた。それに従い柳君に教わりながら機械的に実習しその通りに機械が働き始めて呉れるのを確認、感謝感激の間々、懐かしい東工大時代など歓談、彼は運転の車で帰っていった。

* さて、一旦休息のアト、箇条書き通りに遣ってみて、扨て、なかなか自在とは往かなかった、立ち止まり立ち往生し、もう今晩はと断念し、疲れも加わっていたので寝入ると決めた。
さてさて私が「ハタラジオ店」の父を「継いであげられなかった」のは、ドダイ「失格」の私は絵に描いたほどの「機械ばか」と痛感せざるを得ない。

* ところがそこへ、一人の親しい読者友人がメールで、「ホームページが回復していて嬉しい」と。
エエッと仰天、しかし私が私の新しい機械画面を開いて認知する「能」が無い。遠くの読者が読めたとは、と、妻の機械で実見してもらうと、ナンと『秦恒平の文学と生活』なるホームページ、画面に「改善・復帰」していた、つまりは東工大卒業生生君らは、あッたり前に故障ホームページを回復改善してくれていて、当の使用者ボケた作家の「秦恒平」だけが、理解も技術も確保し得ていないダケだった。
情けないよ。そしてもう床に就き、五月五日今日只今は「お手上げ」のまま終えるとした。
此の記事は、「従來の舊機械画面」で在来の日録・私語のままである。
2023 5/5

〇 ホームページ復旧なさったのですね。おめでとうございます! 嬉しいです。
「疲労困憊」とはうかがっていましたが、それでも尚 お仕事に励まれているご様子  などうかがえて、少し安心いたしました。
昨日は、父八九歳の誕生日。父も母も、大きな病気もなく、好きなこともモノもあり、元気でいてくれるのは、娘として何よりの幸せです。七月ころには帰省もできればと思っています。
昨日今日と初夏のような陽気で、海に入って遊んでいる人さえいましたが、来週は三月並みの寒さに戻るとか。お体くれぐれもお大切になさってください。 市川

* さて、いまだ立ち往生、と謂うより私の「会得不全」ですんなり活躍して貰えない「新設定パソコン」に慣れ馴染み、世界・世間へ私の自力/自前で「私語の刻」が送り出せるようにならねば。
出来るかなあ。やってみる、遣りづける。それです。

* まだまだ、新機械への「移行には難問題」有り。舊機械でならすらら書ける文章が新機械では馴染まない。慣れないと謂うことだろうが、この舊機械は まだまだとても手離せない。それが分かった。
独りでは新機械をワンコース遂げることがなかなか出来なくて、妻にそばで支援/助言されながら、九時半、へとへと。もう階下へ「脱落」する。
2023 5/6

* 歯医者へ二人で。済んで、車で、生け風呂のメトロポリタン・ホテル 二階和食の店で。イタリアの好い赤ワインを一本美味くのみながら。珍しい、というよりも、いささかヤヤッコシイ和食で、「湖の本 163」発送了を自祝、乾杯してきた。

幸いというべきか、「湖の本 164」の初校出までに間があり「165」入稿もこれからの用意。差し迫って厳しく追い掛けられる作業はなく、「読み・書き・読書」以上に「創作」に打ち込める。仕掛かりの長編などをシッカリ追い掛けたい。
2023 5/12

* 今回の「湖の本」では何と云っても 『或る往生傳』が作家人生をしめくくる「結語」の一作とこころしていたこと。すぱっとそこを観てとっていただいた天野さんに感謝して敬礼する。嬉しかった。
2023 5/17

* ヒロシマに集った主要國のトップ等が、バイデン米大統領はじめ、集ってあの原爆資料館に40分の時をもちい、あの悲惨を極めた原爆今回被害の資料や実情に触れたこと、これにまさる今回サミットの成果は在るまい、主催した日本国岸田総理の大きな成果であった。あの原爆資料館へは、往年、ヒロシマへ編集者勤務の一環で出張したとき、思い切ってはいり、痛い極み胸打たれて這う這う出たのを想い出す。その脚で奔って、会社の仕事は投げだし船で安藝の宮島へ渡ったのだった、胸の騒ぎを静めねば居れなかったのだ。
あの宮島体験から、後に太宰治文學賞へ結ばれた受賞作『淸經入水』が生まれたのだった。往時渺茫とはいえ、胸に刻まれ忘れがたいヒロシマ体験では在ったよ。
2023 5/20

* 歯科医、「中華家族」で遅めの昼食、三時半にもなって帰宅。
もう「湖の本 164」初校が出てきた。急ピッチも構わない、成るものは成るものと、頓着も斟酌も無く進めて行く。
2023 5/20

〇 > 解決できる一つの方法は、「舊機で従來のまま日々に書いている」それを、「新機に転送・貼り付け」 または「usbを使って」「舊機の創作や記事の全部を、新機に、転送・貼り付け出来れば、その後は「新機」で書き継げばいい、それが有難い」のですが、その道も、手順方法も私には分からぬままなのです。質問もし依頼もしているのですが、依然 半歩も進まない。  秦

〇「書く」だけに徹するとお決めになったら如何でしょう。芸能人のブログなどは、原稿を書いて他の誰かが更新するかたちが多いと思います。そうなさったらいい。今さら新しい機械のあれこれをいじるのは時間の無駄です。読者は「新しい作品や文章」を文學/文藝として受け容れ読むことが喜びで、秦さんのパソコンスキルの上達は期待しません。
たとえば、毎日でも一週間に一度、一か月に一度でもかまいませんが、書かれたものをメールに貼り付けてお送りいただけましたら、当方でホームページの「私語の刻」を更新することは可能です。もちろん、秦さんか東工大卒の方にホームページ更新手続き、アクセスの仕方を教えていただかなくてはなりませんが、それは難しい作業とは思いません。
欠落部分の復旧も、データの「私語の刻」だけを拾っていただいて、USBなどにコピーしてお送りいただけましたら、こちらで実行します。是非ご検討ください。
今日は雨の予報ですが、もう梅雨入りかもしれません。湿度が高い季節はやっかいです。くれぐれもお大事にお過ごしください。 曙

* なにをどうすれば済むのか、私によく分かって居ない。
それよりも、当面は「湖の本 164」の初校をより正確にしとげて、新刊を送り出しつつ、次の{新刊 165」の構成、組み立てを思案したい。ホームページが如何にも難なく淸しく毎日に送り出せると確信出来るまでは「私語の刻」は「湖の本」新刊の後半部に公開して行けば済むこと。
2023 5/20

* 「湖の本 164」初校すすめながら、晩の遅くに速くから心惹かれてきた映画、トム・ハンクスらが演じた『ダ・ビンチコード』にも見入った。イエス・キリストとマグダラのマリア「夫妻」との「血脈の子孫」を描き出していた。在りえたことだろう。キーになる言葉の「ローズ 薔薇」に惹かれる。いまもよほど真剣に読み進んでいるウンベルト・エーコの大長編『薔薇の名前』との関連を興味津々想い描きながら。
その一方、湖の本のために初校している吾が処女作二編『少女』そして長編『或る折臂翁』へよほど強烈に惹き戻されてもいる、「よく書いたなあ」と感謝しながら。
2023 5/22

* 「湖の本 164」初校、順調に進み、「あとがき」「アトづけ」「表紙」入稿分を副えて「要再校」段階へ送り出せる。

* 寒いほどに冷え冷えと、あまり気分のいい一日ではなかったが、各種各方面の仕事は気ままに割り振りながら、寝たければ寝、生協から届いた四合瓶もチビチビと楽しんで過ごした。何よりも『或る折臂翁』の初校を読み切った衝き上げような「震撼」は凄かった。
2023 5/24

* この日録が、何種かにバラけている、のを調整するのにこの朝を虚しく費消。よほど集中/注意して仕事しないと、もう耄碌の害は防げまい。情けなし。
2023 5/25

◎ 日本唱歌詩 名品抄  26    (岩波文庫『日本唱歌集』を参照、秦が「抄」。)
○ 旅 愁     犬童 球渓   明治40・8
一 更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思ひに、ひとりなやむ。
戀しやふるさと、なつかし父母、
夢ぢにたどるは、故郷(さと)の家路。
更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思ひに、ひとりなやむ。

二 窓うつ嵐に、夢もやぶれ、
遙けき彼方に、こころ迷ふ。
戀しやふるさと、なつかし父母、
思ひに浮ぶは、杜のこずゑ。
遙けきかなたに、こころまよふ。

* 国民学校の昔によく口ずさんだ、すこし小声で、複雑な思いで。私には恋し    い「ふるさと」は無く、「なつかし」い実父母を識らなかった。日々の暮らしは   「もらひ子」された京都市東山区東大路西入ル(知恩院)新門前通り仲之町だった    家の脇の、細い、途中ひとくねりした「抜けロージ」を南へ駆け抜けると、そこ    は謂うところの「祇園花街」北端の新橋通りだった。こっちは有済小学区、あっ    ちは弥栄小学区だった。故郷では無かった、「現住所」であり生みの母の顔も實    の父の顔も覚えがなかった。近所の子やおとなからは「もらひ子」とささやかれ    また言われていた。この唱歌はまさしく私が幼少來、青年・結婚までの「人生旅    愁」の歌であった。大声では歌えなかった。
一つ付け加えておく、京都市は幸いに戦災にほぼ完全に遭わずに済み、敗戦直    後の、戦時「国民学校」から京都市立「有済小学校」に戻った校庭には、全国各    地から、また海外から帰還家庭のまさに種々雑多の識らない生徒が加わっていた。    女生徒立ちの服装はもんぺからハイカラまで、目を奪った。好きな女の子も見つ    けた。そういう此の大方は、時期が来るとみな銘々の故郷や移転先へ散り戻って    ゆき、おのづと「別れ」体験が生じた。わたしは、横浜へ帰ると聞いた「新田重    子」という成績優秀でスポーツもよくした女生徒と人生初の「別れ」体験を時勢    により強いられた。寂しいものだった。女の子たちはそんな私を囃して何人も出    声を揃え「コーイシや新ィッ田さん、なつかし重子さん」と囃した、それが少年    小学生、私の『旅愁』であった。忘れない。

* 自身に断っておく、いま、此処にこういうふうに書いてきたことは生まれ育ちの「愚痴」なんかでは、ない。その後の人生を豊富に活きるために蓄えていた、謂わば「堆肥」であった。これらがあって、自身の歩みの紆余曲折に「味」がついた。その「味」こそが創意や創作や發明をうながす契機活動へと多様に押し上げてくれた。
「堆肥」という言葉は、戦時疎開ののうそんで目の当たりに実感した。「堆肥」無くては実りは瘠せる。人の個性は、活くべき「堆肥」の量や質に養われると識らぬままでは、かぼそい草のようなものしか生まない。
2023 5/27

* 昼まえ、柳君が来て呉れ、新旧なー二台のパソコンに連絡をつけ、また「新機」「ひらかな打ちを」可能にするなど、大改革を為遂げて行ってくれた。画期的な自体へ私のパソコン世界は転移移動した。

〇 秦先生   鷲津です
本日,柳さんがかなり進めていただいたとのことを 伺いました.
差支えなければ,以前お伝えしておりましたように,明日28日の夕方頃に伺って良いでしょうか?
先生がお書き進められていることは良いのですが,
こちらのページに
http://hanaha-hannari.jp/aisatsu1.htm
まだ反映されていません.
そこまでの作業と,手順書を作りたいと思います.
私は明後日の月曜から水曜まで代々木で開催される学会で出張していますが,途中,いろいろ会合等ありますので,前日の明日に作業させていただけると大変助かります.
お疲れのところ大変すみませんが,宜しくお願い申し上げます.

* 鷲津君  今日柳君が  「新機と舊機との連繋」、そして、新機の「ひらかな打ち」を「可能」にして行って呉れました。 これに、よく慣れて行きたいと思います。
さて 私自身の「パソコンに寄せる最も大きな期待」は、かつては人も愕いてくれるほども可能で在った「ホームページ」の 「再建」です。
老齢を増すに従い、いずれ 『湖の本』刊行は 労作的に断念せざるを得ないでしょう。
その時、「読者ら」が「ぜひ存続を」と願って下さるのは、「ホームページ」機能を利しての、{作と文章}との{公開と、受発信」なのです。

その設定が 明夕着て頂けて可能になるようなら、 私ども老夫妻とも 實は日々「疲弊と困憊」を加えてはいますが、どうか鷲津君来駕を得まして、「ホームペ゜ージ」 の最も簡略な「顔」を再建設していただければ、嬉しいかぎりです。

ご都合のみ せめて早いめにもお知らせ下さい。 残念、遺憾にも、ほとほと、なにのお愛想 お構いもなりませんけれども。
けっして ご無理はなさいませんように。     秦 恒平
2023 5/27

* 夜前、よせばいいのに「浮腫みどめ」を服して寝たがさいご、ほぼ小一時間ごとに尿意に起こされ続けた、何度床を起ったか知れない、朝、正七時、みごとに体重が減っていた。
そんなことよりも 新旧のパソコンが連繋してまったく新環境を成している眼前ノ事実に感謝感動、柳君の好意と奮励に篤く感謝。
そして今夕には鷲津君がみえて、「ホームページ」を設定してくれると。なんたる幸せ、感謝に堪えない。吉祥寺住まいの柳君とは時折に接して来た東工大院を卒後の四半世紀だが、鷲尾君とはいらい初めての出会い。かれは私の「教授室」をいの一番に訪ね手呉れた学生君であった、が。幸せなヤツだなキミはと、しみじみ「やそしち歳」自身の顔を近くのちっちゃな鏡に眺める。マスクで隠しているが、歯は、左奥下に二本しか無く、モガモガとしか話せない。髪は、雪白、半分ほどは残って居る。

* 鷲津君が来てくれまして 見事に、ホームページが再開しました。バンザイ。
2023 5/28

* さてさて、昨日から鷲津君のおかげで、「ホームページが復旧」したらしく、つまりは此の「秦 恒平 私語の刻」が、そのまま世界中へ搬送/展開しているというコトらしい。逼塞していた間は、各巻『湖の本』後半部へ「文意・文面を正して」送り出していた。それが、日々原文のまま無際限に出て行くとなると、気配りが何倍にも増し必要になる。日々の書き放しをホームページから避け、このところの「湖の本」編集なりに「文意と分量」を調整しつつ「ホームページ」発信すべきか。
今日只今の現状だと、過去「超長大な日々の私語」が或いは「すべてそのまま公開」されている、ということ、らしい。是より、非の気味が気がかり。

* 書いている小説のためには機械クンとの「やっさもっさ」は、只の障害。取り組む順番を間違えてはならぬ。いま、疲労の極ヘトヘトの現状とどう向き合うか。今朝も五時半に目覚め十一時半まで六時間の後半を寝入っていた。午後も三時から五時、宵も、六時から七時半まで寝込んでいた。すこし熱気があるかどうか。油断はしていない気だが。

* 当座当面、手がけ片付け始末せねば済まぬ要は、無くしてある、書き継ぐべき創作のほかは。にも焦って心身疲弊せねば済まぬことは、機械の整備もなにとなし出来ていると感じるなら、なにも無いのだから、せいぜい読みたい本を読んで、疲れれば眠っていたらいいのだ。
2023 5/29

* 佳い「読者」とは、少なくも「辭典・辭書」をつねに重寶し、且つ二讀、三讀、くりかえし読んでくれる人と、むかしに「誰か」が謂うていた。自身に徴して「そのとおり」といまも確信している。
作家への出発が太宰治賞で認められ、新潮社の依頼で「新鋭書き下ろし長編」に『みごもりの湖』を書き始めたとき、担当編集者の池田さんは、まっさきに『新潮国語辞典』を我が家にただ黙然ともたらして呉れた。気持は、即、理解した。
以来、はるか半世紀の余におよんで、現に今も私の手にその『新潮国語辞典』は在る。表紙は手擦れに傷み、背はすべて、小口も、ガムテープで労られてある。
「辞典」を用いない「書き手」を私は尊重しない。手もとにも書庫にも、明治以来現代に及んで大小各種の「事典」「辞典」はまぎれなく五十種は愛蔵し愛用している。むかし老いの黒川創が「マサカァ」と私の書庫を実見し納得して帰ったのが想い出される。辞典も事典も、ただただそれらを手に「読書然」と「愛読」してきた。歴史的仮名遣いのためにはゼッタイに必要だった、容易に正しくは覚え切れていまいが。
いまも池田さんの呉れました手擦れに満身創痍めく『新潮国語辞典』は私の寶典。今も目の前の手もとに在る。

* 「ことば」は私ら書き手には「寶」である。宝は遣われる使い方使い道により値打ちが替わる。昨今は謂うなればコマーシャル時代、テレビからは肉声の宣伝がいやほど乱射されてくる。わたくしは、それらの実演上で「ナント  スゴイ」と聞く売り言葉は信用しないと決めている。「現代」を説明し批評するに不快に大仰な「売り言葉」は、「ナント  スゴイ」そして「ヤスイ」か。
2023 5/30

* 鷲津・柳両君親切の設定が、アタマに入りきらぬまま、手にもち確かに触れ得ぬまま、今日、疲労困憊の底で藻掻いていた。鷲津君のもたらして呉れた新鋭の大機が、勿体なく私ゆえに立ち往生を強いられている、可哀想に。しかし、しかし出来ないド壺に陥ち、健康を害して寝込んだり病んだり入院したりしては、此処へ来て生涯を棒に振りかねない。「機械バカ」で所詮は終えるのがメデタイのかも。
2023 5/30

* 昔の学生君たちの「好意と設定」を、このボケた「やそしち」がうまく使えないままに使い潰し毀して行く按配。情けないが、半ば以上もアキラメ、出来ること、出来なくては困ること、つまりは「読み・書き・讀書」よりも大事な『創作と私語』だけが「出来れば良し」としよう、「ホームページ」のカッコいい運営など所詮はムリのようだ、と。
大きな「新しい機械」は、その気になれば、珍しい「景色」や「見もの」などたくさん内蔵しているのを、暇つぶしの安息に眺めてようと。
「新・旧」機械のカッコいい「連携など」に色気を遣ってないで、「書きかけの小説など」を書き進めるのを「一」に、と。ソレが私本来の「毎日」と。
と、まあ、機械クンらを「駆使」など、諦めて。
2023 5/31

* われながらナニの爲に呼吸しているかと惑うほどボーゼンとしている。心神ともに活きていない。なにか途方も無いことを始めようか、例えば『参考源平盛衰記』のおもしろい處を現代語訳してみるとか。バカな、そんな有り余るヒマなど、わたしにもう残って居ないのに。こうも書き放しているなにもかもが、もはや我が「或る往生傳」であることを自覚している。
2023 5/31

* 鷲津クンのもたらし贈ってくれた「新機」が、「文藝/文章」の用よりも、広汎・宏大な「世界」の「視覚的な妙味」のゆえに私を惹きつけ始めている。楽しみが猛然と増している。「新・舊」機の間理連繋/連絡もわたくしなりのたどたどしい手順ながら、なんとか働いて見えかけている。私の、パソコン世界が多彩に色めいて働きかけている、のかも。「読み・書き・創作」は書き馴染んでいる「舊機」を頼み、「新機」には保存と好奇心の満足に遊戯感覚も交えて付き合ってもらう。
ホームページがどうなって、、どう動いているのか、實は私自身にも明晰には見えも理解も出来ていない。神戸住まいの鷲津君には「メール」で教わり、話し相手にもなって呉れる都下近隣の柳君には、ときおり顔を見せて貰えるとありがたい、妻にも私にも「疲労」の弱りの溜まっていないときに。病気を誘いかねない「疲労」クンや「疲労」サンの来訪は、「よく自身体調を見イ見イ」しつつ有難く嬉しく歓迎したい。
2023 6/2

* 大画面の「新機」、ややちいさい「舊機」抱き込んでいる内容は、容量は、想像を絶して大きい。是等和いちいち、機械を分けて作業するのは煩わしく、間違いも起こしかねないので、ともに「總保管」機械と祭り上げ、もう一つ「ポータブル」な機械を「創作」等の「原稿専用」にし、何処へ持ち運んでも電源さえ有れば「書ける」ようにしたい。さもないと「新・舊」の大きな機械のさまざまにめざましい内容や景観に誘われすぎてしまう。謂わばこっちは「機械の楽しみ」用とし、「ポータブル」を「創作・文筆」専用に仕様と思い決め「かけ」ている。そのココロヅモリで「用意」仕掛けている。

* 思うようにコトははかどらない。それが普通と心得、踏み出すべきは踏み出す。何が、どう進んだ実感も無く、ただ対処して。
2023 6/4

* パソコン「新・舊」両機の連繋やホームページのことなど、可か不可か半端か、発信しているのかどうかなど、まるで判らない。鷲津君や柳君の目になにかしら相応に映じているのかしらん。
2023 6/5

* 「日記・日誌・私記」の習慣の無い人には、「對話/会話」はあっても、書いて「私語」する時は少なかろう。「私語」は「独語」に類し、そこに当人の「知情意」が必然働く意味で、たんに断片的な「独語」を超えている。
しかし「私語」は必ずしも世間や他者の快く受け容れるものでなかったし、今日も明日も、世間や社会で「私語」は窘められる「悪役」に近い。教室で、会議で、集会で、「私語」は窘められる代表格、幼稚園でも国民学校・小学校、高校大学、会社勤めしても「私語」は、先生や上位者や管理者には嫌われた、ま、きらう理由は立ってもいた。だから「私語」材料が身内に溢れて「随感・随想」を愛して生きまた暮らす者は、「日記や日誌や感想文や詩歌創作」へ顔を向けてきた。
私は近年に至って、と謂うより「パソコンという機械」を使い始めたちょうど前世紀末、「東工大教授」を六十歳「定年で退官」の直後、東工大生の手引きや手ほどきで「ホームページ」を開いた頃から、固有名詞ないし看板としての『私語の刻』という「自在な述懐の機構」を機械の上に持ち始めた。
以来、私の『私語の刻』は厖大な量の「吾が、最大著作」と成り続けている。人によっては「秦恒平文業の最大の表現」と評され、かなり廣く受け容れられている。『秦恒平・湖(うみ)の本』現在まで「164巻」進行のすべてに「私語の刻」が活動しているのは観られての通りである。
2023 6/7

* 私・秦恒平の「ホームページ」は「何処に開いているのでしょうか」と、不審の問い合わせ、頻り。
實は、私にも判らない。東工大卒鷲津君、柳君の「苦辛」がどう活きて働いているのか、事実は、此の私の力不足、理解が、何処へも行き届かぬまま、事実上、設定が立ち枯れているらしい。両君の好意熱意と設定に、私自身が体力消耗で途中にヘバって、マイってしまったために、仕方なく半途に立ち往生しているのだと思う。困りました、が、私の至らなさであり、両君ゆえの現状ではありません。
秦の父は、今の私のいま年齢八七歳頃まで、京都市内で現職の「ラジオ・デンキ屋」さんだった。わたしには所詮は商売を継ぐ「電機」技術を理解もちからも無かったのだ、私はひたすらに「読む」人として成人し、秦の父は徹底して本など一冊も読まず、いつもラジオの腹を暴いては機械に触れていた。その点で、父の「もらひ子」恒平はツボにはまらなかった。
2023 6/7

* いまも「文壇」なんぞと謂うことばが活きているのだろうか、在ったはあったが、私は百に余る単著・共著の本も出しておいてから、東工大教授を定年で退いて以降「秦恒平・湖(うみ)の本」そして、「パソコン活用」の『私語の刻』という自由自在の著作姿勢で、文壇とは、ほぼ一切の縁を私の側から絶ってしまった。むやみと有った放送にも講演にも対談・座談にも出ず、「湖の本」は、もう数旬を経ず「第164巻」を刊行する。ほとんと近代の文学史に他例の無い仕事振りで多彩に著述を積んできた、まさかと嗤えるヒトはいないだろう。
私は、根が「編集・製作職」に着いて堅固な出版社勤めを15年積んでおいてから、専業の作家生活へ転じた。「作家・秦恒平」を「編集し製作する」術を先に手に入れておいて、「文壇」という煩わしい世間から離れた。離れてよかった。そんな私にはやめに目に留めていて呉れたのは惜しくも早く亡くなった江藤淳であったろう、彼の推薦とも知らず私は東京工業大学教授に招聘された。コンピュータを活用の執筆や創作という縁は、それなくて私には訪れなかったろう、間違いなく。
2023 6/8

〇 秦先生 CC. 鷲津様
やはりホームページへのアップロードが上手くいっていない様子ですね。
このメール「旧機で」書かれたのでしょうか、新機でしょうか。 (舊機です。秦)
どちらにしても、一つ一つ、やって行ければいいと思います。
多分、5段階くらいあります。

0) 旧機で文章を書き、旧機に保存されているファイルからコピペしてメールを送っている(現状)。
1) 旧機で文章を書いているけれど、ファイルは新機に保存されている。
(新パソコンライブラリというフォルダ内のファイルをいじっている)
2) 新機で旧機で書いたファイルを開けられる。
3) ホームページにアップロードするソフトを立ち上げられる。
4) ホームページにアップロードするソフトのaisatsuというファイルに文章をコピペし、
上書き保存することで、ホームページが更新される。
5) 新機でそのまま文章が書ける

といった感じでしょうか。
私が前回行った時に2まではマニュアルを作り、
先生にも実地で復習していただいた感じです。
鷲津さんが 3 以降のマニュアルを作ってくれた、というリレーでした。

先生の今の感覚はどこまで行っている、という印象でしょうか。
4 までやったつもりだが、ホームページが更新されてない?という感じですか? 柳

* ウーム。心神 ヘタばっていましたので、実感というのを持ち侘びてるんやなあ。
2023 6/9

◎ 日本唱歌詩 名品抄  38    (岩波文庫『日本唱歌集』を参照、秦が「抄」。)
○  早春賦     吉丸 一昌 大正2・2
一 春は名のみの風の寒さや。
谷の鶯 歌は思へど
時にあらずと 聲も立てず。
時にあらずと 聲も立てず。

二 氷解け去り葦は角(つの)ぐむ。
さては時ぞと 思ふあやにく
今日もきのふも 雪の空。
今日もきのふも 雪の空。

三 春と聞かねば知らでありしを。
聞けば急(せ)かるる 胸の思ひを
いかにせよとの この頃か。
いかにせよとの この頃か。

* これぞ、これこそ、私の人生歌、「生歌」そのものであった。ただ季節とし    ての「早春」ではなかった、若者の、青年の、奮い立つ蹶起、決志を励ましてく    れる「みごと」としか謂えない美しい「声援・応援」歌と「青年の私」は聴き、    かつ、心して胸中に歌っていた。
学生時代からついに故郷「京都」を離れ「東京」で就職したの「早春」、社内新    聞から入社の思いを短く言えと求められたとき、なに躊躇うことなく、ただこの   「早春賦」一番の詩句を書き抜き、余の一言も加えなかった。まこと本意・本志・    決意であった、会社も仕事も、組合も、上司も、同輩も心頭に波立てず、ただ私    は「此の先へ」のびてゆく吾が「春夏秋」をどう生きて行くか、今まだ「ときに    あらず」の視野へ目を見開いて自身を正すほか何もなかった、ああ、いや、明確    に私はもう「希望」していた、「創作」「小説「文學・文藝」へ。だが「時にあ    らず」と「聲」ひとつ立てなかった、新婚の「妻ひとり」の他の誰へも。そして    「翌60年初夏」から、時の「安保とうそう」を背に感じたまま、処女作『少女』    『或る説臂翁』へ踏み出したのだった。ありがたい、すばらしい、美しい唱歌の    『早春賦』であったと、感謝はいま「やそしち老」の胸にも篤い。
掛け替えの無い私さようの「早春賦」に、むろん黙したまま、永く心そえて下さ    ったのは、当時いくつもの大學での講壇に立たれながらも、株式会社『醫學書院』    の「編集長(のちに、副社長・社長・相談役」)であった、もうすでに鷗外研究、    康成研究に「新生地」を開かれていた長谷川泉であったのは、間違いない。そし    て私の入社受験、最期の「面接」をされた社主の、鬼よまむしよと恐れられた金    原一郎社長も、私在職の15年半、いやその後も亡くなるまで實に永きにわたっ    てり、一社員に過ぎなかった私の「早春賦」に聞く耳を向けていて下さった。
* 「葬式」は反対だ、これは『告別写真だよ』と、「秦恒平君 社長」と日付も手書され、「写真一枚 お織りします お受け取り下さい」と書き添えられた、實に佳い、懐かしい上半身写真を、金原社長、或る日、突として私の当時一課長として勤めていた五階自席へまでお持ちになり、笑顔で手渡して下さった。そのお写真、いまも此の私書斎の一等間近に頂戴したまま大切に荘ってある。「拙い谷の鶯の声」をいまも聞いていてくださるだろう、長谷川先生も、もとより。
2023 6/11

* 夢の内で、いかにもそれの謂えるらしい人から、かなり年嵩な先輩作家から言われていた、「秦さんは、作家として、大きなトクをし、ソンもしましたね。いわば文壇の寵児でしたからね」と。
じつは、おなじことを色んな機會に何度も色んな人に小声で言われてきた。
つまり、どういうことか。
私はいわゆる「同人雑誌』体験とか「文學仲間」のただ一度も一人ももたず、突如として筑摩書房「展望」誌の「第五回太宰治文學賞」をもらった。芥川賞とは異なってとうぜんのように「応募・選抜」賞なのであったが、私は当時「筑摩書房」の名こそ知っていたが綜合誌「展望」の名も存在も、まして「太宰賞」の在って、すでに四度も選考され、第二回に吉村昭さんが受賞されていたなど、一切が私、知見知聞まして関心の真っ白な「以外」であった。
そんな、会社勤め全く無名の私に宛て「第五回太宰治文學賞」に当選されましたと社宅の一室ずまいだった我が家へ「電報」がきたと妻が会社へ電話してきた。「ナンじゃ、それ」としか、かけらも覚えがなく、筑摩書房から写真を撮る社まで来いと「展望」編集長の電話も来た。選者は「井伏鱒二、石川淳、臼井吉見、川上徹太郎、唐木順三、中村光夫」と畏怖しいような六氏の「満票当選」と聞いてもただ私はボーゼンとしていた。選考対象は、私がそのしばらく前に、例の独り合点で自費製作出版の四冊目の私家版作品集『淸經入水』のその巻頭表題作だと。読売はじめ各紙が「時の人」と報じ、私の見知らぬ「実父」は入院中に新聞で知った、読んだと手記を遺したが、ハテ何が何して斯うなるのか…。私家版本の『淸經入水』が、やみくもに送り届けてあった先のお一人、敬称は略してあの「小林秀雄」から選者の一人「中村光夫」へ回された、らし、かった。果然、選者満票で「現代の怪談」とも評(川上、唐木、中村)された「淸經入水」は「第五回太宰治文學賞」
推されていた。「応募」の態に処置されたのであろう、作者の私にはただ「寝耳に水」の驚愕であった。「秦さんは、作家として、大きなトクをし、ソンもしましたね。いわば文壇の寵児でしたからね」とはこういう「スタート」をも謂われていたに相違なく、それだけで終えてしまわなかった…、と、思っている。
2023 6/12

* 私が京都の弥栄中二年の三学期以前に小遣いを奮発して買った岩波文庫『平家物語』上下巻の開巻筆頭は例の「祇園精舎の鐘の声」だった。そしてすぐに「祇王妓女と佛御前」の噺だった。
今、読み続けている『参考源平盛衰記』全四八巻の第十八巻へきてやっと「祇王妓女と佛御前」の嵯峨の隠れと母子・佛四人の往生譚が読めた。ことのほかに異本の多い『平家物語』の「編集」ぶりは千差万別。その事実にこそ吾らが「十二世紀」の「妙趣」を感じ取らねばならない。私が、百冊に余る著作の「論著最初」に『十二世紀美術論』を書き下ろした動機もソレへ触れている。
2023 6/15

* なんとかして通り抜けたいと何日も藻掻いていた創作「隘路の一つ」を今し方やっと通り越した。もう 十一時半が過ぎているよ。
2023 6/17

* きのう、ながくアタマに滞留していた一山に穴を空けた、と、思う。突撃でなくて善い前進、イヤ漸進でもいい、進む有るのみ。
2023 6/18

* 今日は、熱い記念のあの桜桃忌、小説『淸經入水』が第五回太宰治文學賞に選者満票で推薦されたあの桜桃忌から、滿五十四年。幸い昨日も今日も明日も私は一作家としての文筆・創作の日々を送り迎える、迎えている、ことにただ感謝のみ。
2023 6/19

* 機械の不安絶えない。
『秦恒平 湖(うみ)の本』の今後の続刊を近々にもどこかで(170巻あたりで)収束し、あとは「機械」の安定・確実な「ホームページ」『作家・秦恒平の文學と生活』で黄海を継続できればと願懸けている、が、不幸にして「ホームページ」の精確な建設が、いや『再建』が、東工大卒有志の好意と応援にかかわらず、確かとまだ起ち上がらない。この「難所」を何としても無事通過しないでは、「先途」が望めない。ぜひにも妙案が得たいところ。
い゛んのホームページ組み立ての何か記録らしきが在る気もしている。晴々と誇らかな『ホームページの顔』をしていたが。「顔」はもういい、実質『私語の刻』により「文學とせいかつ」とを発信しつづけたい。知恵がほしい。
2023 6/21

◎ 下記文言の提案を受けたが、これは、決して受け容れない。秦

〇 みづうみ(=作家・秦恒平)は書くだけ、(ホームページ等々への=)更新は あ    けぼの(=山田あけみ)含めた誰かに託すという体制をお考えいただきたいと思    います。  あけぼの
◎ 上記の提案ないし要請は、ゼッタイに 断ります。 ノー です。
作家は「書く」だけでなく「発表・公開」にも「私事」たる権利と責任とを、持ち且  つ持たねばならないので。  秦 恒平

* 「六月病」となづけたい、ぐったり疲労・がっくり疲労にメゲているのは、私だけではない。妻も、私以上に同じく。 しかも、明日には『湖の本 165』が出来て届く。だが、創刊半世紀余にして、初めて「発送用意」が調ってない。あきらめ、居直り、ゆっくり日数をかけ、徐々に「送り出す」とする。週刊誌でも月刊誌でも無い全てが「単行著作」なのだから。
2023 6/22

* で、今、機械仕事の上で、何が、何処が、モンダイか。モンダイ無しと居直っていけないか、構わないか。「私語の刻」レベルで悩ましがるコトは無いとしよう。「創作の文章」こそが要用心。それへ精神を集めるべし。

* 「舊機」記載の今朝書きの文が、教わっている手順で「新機」へ送ったら、精確に転写されている。「新・舊」機の連繋は、成っているかと観られる、有難し。想った以上に連繋している、らしい。
2023 6/28

* 寝ているようで寝ていない、うつつに現に向き合うている仕事をしきりに夢に検討・研覈している。いま、自分が何につっ支えているか、どうする餘地や工夫がありうるか。即の役に立たないなりになにかしら「方角」は見えてきて助けられることがある。
2023 7/6

* 「小説を書く」「創作に類する文章を書く」微妙さ、容易に判って貰えていない。他の人のことは謂わない、謂えない、が、私に限っていえばその「作・文章」をもう「これまで」と手放す直前まで、何ら極端で無く「句読点」や、「…」「・」「ー」「!」等々にまでまだ決定を慮るのは常のこと。それらのただの一つを容れたり省いたりで「變化」する「何か」を、作家は、私は、いつもしみじみ「実感」している。あらかた書いておけば、アトの「公表や発信」は機械的に人手に委ねるなどということは、ゼッタイにあり得ない。手放す最期の最後の微妙に目を瞑り、人頼み、人任せで「発表・発信」したりは、決してしない・出来ない。作家/文章家の他の誰もが、などとは云わない。「私は」そうである、と謂うこと。
2023 7/8

* 何としても永く掛けてきてまだ半ばかと心している新創作の仕上げにこそ邁進しなければ。構想してあるのを、なぞり追っているのではない。作の内から必要としてくる性急を懸命に聴いて追い掛けている。成否の程も判っていない。創造と創意と執筆の混然這うような漸進であるが、怺えて、作の要求に応じて「展開」を追っている。「創る」しんどさを怺えている。

* やすやすと人づきあいし世渡りして行けない男とは、諦めている。くどい、煩いことは疲労の種にこそなれ、そこからモノは生まれ難い。「読み・書き・讀書と創作」と自身納得している中に「話し」ないし「付き合ひ」が脱けている。所詮「人なか」で生きて行きにくい本性のようだ、私は。
2023 7/9

* 晩、九時過ぎ。夕飯後、寝入っていたが、快眠でない。乗り物で帰れない夢、街なかを迷い彷徨う夢、悪意や虐めに遭い続ける夢。ばっかり。心和んで嬉しくて溜らない夢とは奇蹟のていどにしか出逢えない。よくよく私は出来悪の性根なのか。とにかく裳寝入って,夢見て其の爲にさらに疲れるとは情けなくなる。目覚めている間は着る辛さ湯苦しさは感じない、のに、寝入るとサンザンな目に遭う。 目覚めている間は心神を自律できるが、寝入るとどうにも手に負えない
それでも、もう十二時、はや零時へ跨いで、永らく思案に思案してきた小説一つの難所を、やと跨いだか、と思う。がんばった。
2023 7/9

* 夜前は「書き」仕事のハカをいかせたもう零時を半ば過ぎた時分から、独り、キチンでテレビドラマ「アストリッドとラファエル」の一回分を茫然と観て、観終えて、寝に行った。眠りはよほど雑に寸断され、つまりは書き継ぐ小説のこの先のいろいろを想っていた。五時過ぎ、起きようかと想ったが流石に根が足りないと感じてもう一寝入りした。
からだは疲れてグタグタだが、思いやアタマは刺激的である。
2023 7/10

〇 秦先生 メール配信の不具合か、本メールを今日受信しました。(もしかすると、私が見逃がしていたかもしれません)
七夕の日に熱中症とは、 星に思いをといった情熱的な熱を感じることなら雰囲気良いですが、ただただ暑い、というのは本当に気をつけなければなりません。指がじんじん鳴るというのは、重い熱中症(水分不足)かと思われますから、水分補給をこまめに行ってください。
さて、15日の件、了解しました。私の予定表から「省き」ましょう。
ただ、度々お伝えしておりますが、拙宅は秦先生の家から15分の、それこそスープの冷めない距離ですから、秦先生の調子を確認することも兼ねて、電話でご連絡差し上げようかな、とも考えます。私個人は 週末はそれほど忙しい身ではありません。(なら、博士論文書けと言われそうですが) 先週末に庭の葡萄の手入れを終えましたので、今週末は時間が出来ましたし。

先生が自分で「読者へ手渡す」ことに責任一貫持ち、それが「湖の本」として続いてきたことは、私が先生に出会った1992年「冬祭り 全三巻」を発行していた先生56歳の頃から、私自身、理解しているつもりです。また、

「残年」も「体力・余力」ももう少ないと自覚しています。
もう、いつ「終える」か知れません。
だからこそ、自身で、責任をもって努めたいのです。」

と、いう気概も理解しているつもりです。
ただ、それが「「発信」「公開」は他に委ねるという道は行きません。」には直結しない、と考えています。
なぜなら、先生が著作を刊行されていたのは、編集者がおり、発行者がいる、出版という社会でのことでしたし、先生自身、医学書院時代はその編集者であった訳です。
先生は、自身著作のすべてをコントロールしていたとは思いますが、周辺に人が介在していなかったわけではない、と考えます。
(ホームページにも スキャン後未校正のものが多くあります)
ウェブの更新を待っている人がいます。

わずらわしい元学生だな、と思われるかと思いますが、
1991年10月56歳で東工大に着任した秦先生の年齢に あと4年と近づいてきた私が 私なりに大事に人間関係をしてきた その「最も大事な関係の一つ」である秦先生の残年も少ない今に対して、一期一会で向き合いたい、と考えていることも、ご理解いただければ、と思います。
教授室で先生から
「きら星のような太宰賞選考委員の皆さんも含め、私は人間関係は大切にしてきましたよ」と言われたこと、 とても強く憶えております。そういった言葉が私の血肉になっていると再認識することが多くあります。
「お仕着せ(=押し着せ)みたいですみません。
が、それは人間関係を大事にしていることになりませんよ、と、また云われてしまうかもしれませんね。
よろしくお願いします。  櫻

* 感謝 感謝 ありがとう  深切の実意 親身の言葉と胸に響いて入ります。 秦

* 「編集者」という他人手を介さないといわゆる「出版」という関所は、むかし、おそらく今も、通れなかった。確かに私自身関所を守る「代官」であり、また時機を越えては自身「義経」であった。然様の編集者介在の「出版」であれ、今日のようにパソコンでの自身「発信」の創作や著作であれ、「手渡し」また自身「発信」ギリギリの間際まで、著者は(誰元など広げはしませんが)、私は、「句読点」の一つにさえ、「ウツ・トル」「何処・此処・其処」の仕上げに「腐心・執着・苦慮」するのです、(たとえ後日に校正という機械があると判っていても、です。)
むかし原稿用紙で脱稿の時代の私の「原稿」の蜘蛛の巣の乱れのような「手入れ」の凄みは、一つには「嗤い草」ですら有ったでしょうが、「私」という作者・著者には原稿は呼吸遣い微妙な生きもので、よく活かせるのうりをくこそが「才能」と心得ていました、だから、今も最期の最後まで自身の文章・創作に執着して「、」「。」の位置や数にも気を遣うのです。「ソコ、の、トコロ」は安易に人任せし難いのです。一種の「アホウ」なんです、が。最後の「発信」まで自身納得の作業が出来る(らしい)『ホームベージ発信』に私がしつこく願いを託するのは、それ故です。
いつも 櫻くんに逢いたい、話したい、昔のように歓談したいと願ってます。金曜の治療の日ガ「無事」に通過できて、週末に顔が観られればとは,今も思っています。もとより家内の健康もとても無視できない「老耄夫婦」なんですが。   秦
2023 7/12

* 起き抜け、六時半にならない。なにとなしにボンヤリしている。

* 書き続けてきた長編に手を掛けながら、さらに書き継いでいる。気を入れている。怺え怺え逸るまいと。
2023 7/16

* 24時間の17、8時間を床に就いた暮らしとなっている。暑いなかで、ゾワゾワ、ゾクゾク寒けしたり、水洟をかみ続けたり。宜しくない。緊要の仕事としては、八部方書き進んでいる永い小説の推敲と進捗を一に手懸けている。この脱稿に望みをかけている。「湖の本 165」入稿を当然用意して居るが、これへ長い新作が宛て得れば気がいいのだ、が。

* メールのやりとり意欲か、意志か、が逓減しているのではないか。わたしも送らない、が、送ってくる人も減ったと思う。精神を細切れにまき散らすより、我独りの「ことば」「こころ」を養う姿勢へ戻れること、大事に思う。つまりは「私語の刻」をむしろ豊かに深めては、と。
2023 7/17

* 仕懸かりの「長編」を「読み返し」ていた一日。
今日水曜は生協の四合瓶が一本届くのを、待ちかね半分がた直ぐ呑んで、また読んで、寝入って。妻も不調で寝入っていること多く、ひとりテレビで気に入りの映画「雨あがる」を楽しんでいたが、後半の画面が愚茶に乱れ頽れて。で、この機械前へ戻って親しい「e-old勝田貞夫さん」のメールを読んだところ。
2023 7/19

* 近年では際だって長い小説をまだ書き継いでいる、推敲も重ね重ねながら。日々が、滅入るほど、シンドイ。
2023 7/20

〇 秦先生  先日は、窓からのご対応ありがとうございました。
〇くんも、安心しておりました。彼は根が明るいので、お会いできて純粋に喜んでましたが、、、私は、ここ数か月「押しかけ」をしているので、お二方の体調にも少しは気づけるようになってきたようで、多少、心配しております。
奥様も暑い中、玄関先まで出て来ていただいて、申し訳ありません。
奥様、少しやせられたのではないか、と心配になりました。お体、十分にお気を付けください。

下記の「私語の刻」、より推敲をした上で、「ホームページ発信」しませんか。
先生が、メール送信するまでに十分に推敲していただき、私の方で、アップするということでも、また、先生が先日言われていたような
「今も最期の最後まで自身の文章・創作に執着して 「、」「。」の位置や数にも気を遣うのです。「ソコ、の、トコロ」は安易に人任せし難いのです。」を、実行できると思いますがいかがでしょう。ホームページに上げてから最終確認していただくことも出来ます。

さて、以下 の先生の 読みものへの考え方、及び漫画に対する考え方は、
面白いなぁ、と思いました。
私の兄は漫画はほぼ読みません。小説や現代詩を好んでいます。妻も漫画を読むくらいなら、文字を読みたい、と言っておりますし、息子:**も漫画を読むなら、本を読みたいと言っています。
私と娘:**は漫画好きなのです。娘は断言はしていないですが、デザイナーになりたいようです。娘は、文字が読めない頃から漫画を「見て」ストーリーを想像するのを実行していました。
多分、息子の方は そういうものは苦手です。彼は「わかる」ことが好きだからです。
「いい大人が漫画なぞを」と言われそうで、後ろめたさがありますが、多分、私は漫画で人を理解する術の一部を身に着けたかもしれないな、と思いました。
漫画でのキャラクターの表情や、仕草などは、それをどう表現するかといった作者の意図が現れます。多分、娘はそういうことを読み取っているようです。

想い=言葉を絵で表現するのは、
そこに何らかのフィルターや技法がからんでくるので、
文字が得意な方は、そこが許せないのではという気もします。
ただ、それがモノで表現する芸術の逃げられない道程であるし、面白いところかとも思います。
「言葉と物は一対一対応するはずがない。それがあたかも一対一対応しているかのように見せられる芸術家(建築家)が一流の建築家である、と考える」
と、学生時代、建築史研究の藤岡洋保先生がおしゃってました。
また古い話です。
ホームページへの発信の件、再度、ご検討お願いします。 櫻

* 学生くんだった櫻君も、満たされ充たされ確かな大人を、日々に生き進んでいる、と謂うことです。

* 「ホームページ」に関しては、「私自身が、私自身だけの手と理解とで発信できる、私自身のホームページ」を熱望・切望しているが、私の無技術ではゼッタイに叶わない。的確な技術背専門家を求めて依頼するしかないようだが、恰好のそんな深切で親切な技術者に、出逢えない。
以前には 實に有難い私専用のホームページを、目の前で文字通りにチャカチャカと創り上げてくれた東工大現役の院一年生の目の前での「早業」はすばらしかった
、が、以来四半世紀、尋ね当てることも出来ないのが現実。
私の現の機械にはあのときに「彼」が設計してくれた「秦恒平のホームページ」「案」とも「構式」とも謂えそうな「めざましい」記録が保存されている、が、私にはそれを活かす・理解する術が無い。

* 6:53分になっている。早起きの、功ないし効果が、有ったか。兎にも角にも、のこりFEW私は目前緊要の「読み・書き・読書と創作」に余力気力をかたむけるしか無い。
2023 7/22

* :今朝も、五時の前にひそと起きて、二階の機械へ来た。為す「仕事」はつぎつぎに在る。視力も脳力も日ごとに摩滅して行くのだ、未練は未練、なんとか追い抜かれたくない。

* 心して書き継いでいた相当量の文章が、瞬時に失せた。やれやれ。

* もう残年わずかと思っているので、追憶の昔へ自身の思いと筆とを放ちやるのを意識して許している。俗物が無慚無残の「遊戯(ゆげ)」と嗤ってもらえばいい。
2023 7/24

* 当分は 何処へも「出掛けない」と決めて、気軽くなっている。書き継いでいる「小説」を先へと運びたいし、すこし間の開いている「湖の本」新刊の編集も。
2023 7/25

〇 「湖の本 164」処女作貳編 興味深く拝読 ことに『或る節臂翁』に圧倒されました。密度の高い文章にはただ圧倒されました。戦前戦後を描いての眞実感にしびれました。 青田 作家 元中央公論編集者

〇 心より御礼申し上げます。秦先生の始筆書き下ろしの御作を拝読できありがたく存じました。また 私語の刻 先生の旺盛な執筆力に励まされております。炎暑が続きますがくれぐれもご自愛くださませ。
山梨文学館  中野和子拝

* まさしく文字通りの最初作であった、初の安保闘争に國の揺れたさなかに書き始めた日夜の緊張を熱く思い出す。
2023 7/25

* 機械の前へ、よりも横になろう、なりたいと思う方が久手、惹き込まれる。井江は冷房していて、暑さにバテテいるというより、要は心神身体が疲弊しているのだ。
それでも、とにかくも毎日、毎時に斯様「私語の刻」が書けて記録できているという、それだけに満足しよう。機械あらば後日に『湖の本』に「編輯」して毎度のように全国の読者へ「呈上」すればよい。
いま私の知りたいのは、今、また今日、「こう書き置いている文章や述懐」を、即、今にも、今日にも、機械的に「読み取れている」人等も居るのかしら、そうは出来るもので無いのか。私は常に「書いて・保存」しているが、ひろく外界へ「発信」している気は無いのだが。
2023 7/26

* 四時五時にはひとりしずかに床を離れ、二階の機械へ来て、まひるまではしにくい「述懐」の機を得ている。このところの激暑では、昼間はいねむっているのが賢い健康法かとさえ。
2023 7/30

* 作業の成行きで、不愉快きわまりない「箇所」の整理もせねばならす、吐き気がした。東都での人生、平穏でない不快な何年かに脳みそが泥塗れに汚されていた。
2023 7/31

◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)

〇 『徒然草』  岩波文庫    「*」一つ(15円)で 購読
高校一年生の国語(古文)教科書で出逢い、『平家物語』よりは読みづらいと自覚しながら、その「フィロソフィ」に牽引され、乏しい財布とも折り合えたので河原町の書店で、少しく勇躍気味に買い求めた。通読は容易でも、意讀・味読・愛読へは「時」を要し、後年、田辺爵著の大冊『徒然草諸註集成』を東京御茶ノ水駅そばの古書店で買い、大いに助けられた。私の初期小説では多く喜んでもらえた長編『慈子(あつこ)』で、私は『徒然草』への久しい深い「謝意」を小説の躰で表現できた。兼好という著者へのかなり手厳しい批評も私は「育て」て行った。古典講読のごく最初期に『徒然草』を選んだのが、たんに「*」一つ(15円)」ゆえでなかった、かなりの勇気と関心の濃さであったのを、「やそしち爺」のいまも、懐かしく思い出せる。
2023 8/4

* 心身とも沈滞し疲弊している。「気」ばかりで生きながらそれが「生気」とは承知できない。「読み」は陳彦『主演女優』中巻 『参考源平盛衰記』巻廿二、藤村『新生』に絞ったまま、「湖の本 165」を入稿すべく。「書き」は、『私語の刻」に。「創作」は長めの新作の収束を心がけている。欠けているのは「遊ぶ楽しみ」、出られるなら街へ出、大いに「買って、喰って、人と話したい」が。かえってコロナ六度目のワクチン接種を奨められている。やれやれ。

* 一つ機械に輻輳して多様にとすも類似原稿が場を占めてくる。その整理整頓に、目の疲れ、甚だしい。疲れた。「八時二十分」少年の昔に、「八時二十分」とあだなされた友だちが、いたなあ。疎いわたくしは、どういう「あだな」なのか知るのに、間がかかったりも可笑しく思い出される。
もう限界。疲れたぁ。
2023 8/4

* 霊峰と暑さと。寝苦しかったが。五時起き。入稿に備えての原稿の点検、これが容易でなく。いま十時四十五分。入稿は、一つの終点、慎重に過ぎると前へ進めない。やれやれ。

* 暑さにバテてか、メールも来ない、出しても居ない。ポツンと孤独。
2023 8/5

* 入稿原稿つ゜くり午後からこの十時過ぎまで、懸命に取り組めば酌むほど機械に翻弄されて、混乱の極みに得王師左オウしてなお精確に出来たという堪忍を機械は呉れていない。機械のせいでなく、私の老耄のゆえであろう、此の仕事ももう打ち上げ時を強いられているのか、も。今夜はもう寝るとする。楽観出来ないが悲観しても始まるハナシでない。
2023 8/8

◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『出家とその弟子』 倉田百三   借讀
高校一年生の国語の教室にみの図化に美しい女生徒が居て、いつも静かに読書していた。歌集『少年』の巻頭に、
窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる
とある其の人で、名前はしかと覚えないが、このひとから、私は『出家とその弟子』ばかりか、堀辰雄の『風たちぬ』等々静穏な私小説系の何冊もを借りて読んだ。近代も後期の純文学へ道を拓いてくれた人だが、一年生の内に転居・転校してゆき、そして「亡くなっている」という噂も後年に聞いた。はかない出逢いで在ったが、貴重な想い出を『出家とその弟子』を介して私に刻印していった。明らかに『般若心経講義』を自前で買った時機と前後していた。
『出家とその弟子』は、小説でなく戯曲だった、例のごとく私は家の中で、一心に声につくって「出家」と「弟子」とを語りわけ、』家の大人等を辟易させた。倉田百三の『三太郎の日記』なども此の頃、社会科の先生が教壇で熱心に話され、手を出したモノの歯が立たず失礼したのも覚えている。
2023 8/10

◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『更級日記』  岩波文庫  講読
京都市立日吉ヶ丘高校の二年時、友人二人と放課後の教室で「輪」読。
古典には『土左日記』以降「日記」というジャンルが出来ていて、かな書きの『紫式部日記』や『讃岐典侍日記』などかずかず読める、それらへのいわば「入門」気分で最初に『更級日記』を選んだのだ、親しみやすいと感じていた。独りでも、繰り返し、大人になってからも和かな古典の「日記」を読みつづけ、のちのちには『チャイムが鳴って更級日記』という妙に凝った小説も書いた。『更科日記』では、冒頭、父の任地から都へ帰る途次、富士足柄あたりでの深夜、何処からとなく現れて歌を唱って聴かせて、また去って行く女たちの出現に、もののあはれ、あこがれ ほどの共感を書き綴っていた箇所が、胸を打った。
「夢」をたくさん書いているのも此の日記、此の筆者の特色で、日吉ヶ丘高の校内新聞に『更級日記』を高校生なりに論じて投稿したのが、ま、作家・秦恒平、初の「論攷めく」一文になったのも想い出。
『更科日記』の筆者は、或いは紫式部のきびすに接して「物語の大作など」を書き遺している。その文藝も人ももっと論じられ、見極められて好い「超級の女流」であった。わたくしは、そう、今も思っている。
2023 8/12

* 朝、八時半。「すべき」雑用をコツコツ果たしていた、書庫とも往復しながら。しかし、ソレで宜しいワケ無く、一に成すべきは、何か、判りきったこと。創作の進捗、分かっている。が、疲労困憊は淡まらない。
2023 8/13

* 濃い敗色に掩われていったあの藻掻くような南湖の島々での日本兵惨敗の地獄苦なども、敢えて承知の務めかのようにテレビで見入った、昨日。例年の此の時期には意識し務めて往年のサンクを顧み自身その中へ混じる様にしている。忘れたいが、わすれてはならぬという自覚は失せない。国民学校一年坊主の私に既にソレしか無いと判りきっていた敗戦必至の戰争だった。先生や上級生に亡くくられようが蹴られようが、「買ったらフシギや」という、あの祖父旧蔵の白詩『新豊拙臂翁』に頷き聴き入っていた少年は、どう先生に殴りトバされ上級生に胸倉取られようが蹴倒されようが、「負けるしかない戦争」という至当の確信は脱けなかった。戰争は所詮「おかねのいくさ」鉄砲や弾や舟や飛行機の「數」で決まってくると私は感じ、それで、入学し立ての国民学校教員角牢から貼られた大きな世界地図の真っ赤い「日本列島」と宏大な真緑りのアメリカ国土を見比べ、「勝てるワケがないやん」と友だちに語った途端通りがかりの男先生に廊下の壁にたたきつけるほど顔を貼られた、ゼッタイに忘れないし、誤ったとも決して想わなかった。
「負けるに決まった戰争」を、どう、藻掻きながら相手の「上」へ出るかは、一にも二にも『悪意の算術』と私の名づけてきた「巧みな外交の技と力」なしには凌げない、どんな大昔からも、弱小国はそれでかつがつ切り抜けてきた。「歴史」が好きで学ぼうとしていた小学生私の、本能的なそれが確信だった、そしてそのまま「処女作小説」の『在る拙臂翁』へ表現されたのだった、最近「湖の本 164」に再掲し、相当な反応のあったことに首肯いている。
2023 8/14

* かみくずかのように、かきすての歌や句がかみきれごとに書いてあるのを見つけた。すうじゅうに達している。ともあれ、然るべく書き置いている。
2023 8/14

* 相原精次さん 新著『再考「鎌倉史」と征夷大将軍 「古代みちのく」と家持・文覚・頼朝』 いただく。私のいま仕懸かり中の創作とも、少しく触れ合う。今も必要会って愛読中の、水戸光圀編『参考源平盛衰記』でも少し前、盛んに文覚と頼朝との出逢いを愛読していた。
2023 8/18

◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『徒然草諸註集成』田邊爵 昭和三十七年(1962)五月刊 右文書院   新刊を昭和三十八年(1963)三月一日購読 もう東京本郷台の「医学書院」に編集職で勤務し、長女朝日子も生まれていて、もう小説を書いていた。社には近代文学(鷗外・康成等)研究の泰斗長谷川泉が編集長としてあり、師事。本書は長編『慈子』成稿のために是非に必要な優秀な参考書であった。光広本、正徹本の写真、序、凡例、六頁の目次 六九〇頁の本文、一〇〇頁の概説・索引。精微に深切、文字通りいろいろに愛読し参照し学んだ。
『徒然草』を岩波文庫で買ったのは新制中学三年生、物語本ではなく、随感随想の叙事が手強く、難渋したが、しかも敬意を保って常に愛読、高校で二人の友人と放課後に教室で輪読の記憶がある。この大部、「壱千七百圓」の高価を押して本書を買ったのもよくよくであった。それのみか、勤務時間内に私は、目の前の東京大学文学部の研究室書庫に、医学部の先生の紹介状を戴いて、数ある『徒然草』参考書を読ませて貰いに入れて貰って、一篇の論攷を母校「同志社美学」誌に寄稿までしていた。作家として世に出たい願望は強かった。
2023 8/19

* 朝一番 宮澤明子の弾く 好きな、ガルッピやスカルラッティの美しく鳴るピアノ曲を聴きながら。
昨日は ほぼ終日、新作途中の、長編、フクザツ難儀な小説を読み返していた。「まあだだよ」 「まあだだよ」 もうちょっと待って。
2023 8/20

* 今にも「一稿」のあがりそうな、比較的の著編は、思えばそれが本来かも知れない「錯雑と変化(へんげ)の難儀な仕事。諸々のアカイは棚上げし、集中してせいぜ怖わーく仕上がりますよう。
2023 8/20

◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『西洋紀聞』 新井白石  岩波文庫 古本 購読
この辺で、もう私の「青年期」も果ててよい、歳若くより「読書」を介しての生活態度も、もう「作家」という自意識が道しるべしている。ただの興味で無く「仕事」としての必要が「本」を呼び立てている。
「中世」への関心はかなり執拗であり、「近世」に「近代味」を体して「学識と政見」とに生きた新井白石へも、その延長で「意識し」て近寄った。が、それ以上にも、もう、吾が「日本国」の『北の時代』へ「窓」を立派に開いていった「最上徳内」や田沼政見への関心と敬意とが、「必然を逆に行く」かたちで『新井白石』を「呼び戻した」という自覚もあった。
幼少成年時の興味を押し超えて「作家」である秦恒平が、つよい関心で『最上徳内そして新井白石』を「必要」としたのだった、もう青年時の「卒業」とその「先」への「論攷」に近寄っていた。
この「シリーズ」での、ただ「回顧・懐旧」とは色合いを変えた読書史、『古事記』に始まり『新井白石』まで…。成るほど、と。合点。
2023 8/21

* 起き明けに二階廊下の窓から、真東の遙かに、それは美しい「東雲の空」を眺め得た。至福の無堺で会った。感動の儘を書いた記事が、例の機械のまぐれに消え失せたとは、惜しい。

*『宗遠日乗』を、簡明にその日その日の独り私的な日録とし、「私語の刻」としての「公開意図を薄める」。私の機械操作の鈍磨は甚だしくなる一方、「私語公開」の「限界」がきている。「私のココロオボエ・メモ」の程度の日録に抑え、「思いのたけ」の「私語」は私の『日常行為』から外す。そのつもりで、日々を送り迎える。
2023 8/22

* 午前十時半。寝入っていた。心身に「元気」失せ、ハツラツとした何も無い。
書き散らした 歌の紙切れがひと塊り。記録済みか判らないが、書き写しておく。

* ネコ(我が家の初世)逝きてふた月ちかくなりゐたる吾が枕辺になほ匂   ひ居る

この匂ひ酸いとも甘いとも朝夕にかぎて飽かなくネコなつかしも

線香も残りすくなく窓の下に梅雨待ち迎へネコはねむれり 一九八四 六月下旬
大むらさき紅い小椿房やかに岩南天も先垂れてをり

あはれともいはであはれや久方の光をともに櫻かがやく

あはれともいはでやみにし人ゆゑに花ちらす風のにくまるゝなれ

あらし吹くみうちの闇にふみまよひせぜの地獄へみちびかれゆく

黒いマゴの首筋をつまみ輸液する健やかなれやもうせめて五年を
十月六日
逢ふことのたびを重ねて身をせめてあはじの關を越えぞかねつる
日脚ややに伸びて元旦の空明るし    いもとせを寧樂(なら)と祝ふぞちとせまで
小椿の緋の色にふたつ咲きそめてゆたに靑葉のはれて明るし

朱鷺椿(ときつばき)莟める儘に匂ひたつ翠の七葉侍(さむら)ふまでに

可愛といふ言葉しきりに口をつく黒いマゴも朱けの椿も仔獅子三戦士も カレンダーなど
ひとつ落ちひとつのこりて姉妹(おとどい)の緋椿は今朝も咲き静まれり
一月二十七日
黒いマゴ(愛猫)の三角の耳のひとつだけ妻と寝てゐてまだ六時前
十月五日
傘の壽へとぼとぼと歩み寄る吾ら日一日の景色ながめて

たてつづけ蒲団の内へガスを撃つ病みて睡れぬ深夜のいくさ

真夜中にふと妻の手をつかみたるわれを如何ととふ吾もゐて

大根を薄切りに焼いて味噌置いて茶漬け喰わうと妻を笑はす

寒鴉カアと鳴くわれも鳴き真似す冬冴えてゐる行け寒鴉

八つ赤く一つが白き椿かな

惜しげなく花びら崩し大輪の赤い椿は地に花やげり

あらざらむあすは數へでこの今日をま面(おも)に起ちて堪へて生くべし
四月二日 生きめやもいざ

有馬山意のあら沼にふみまよひ返す情けの無きがくやしさ

ほととぎすななきそ今は亡き人の帰らぬそらに月も朧ろに

* これだけ書き出しても半ばに足りない。腰を据えて詠んだのでなく、ラクガキに近いが、結構にその時々を謡い、感じ、歎いている。「歌」であるよ。
残る半分余りは、折を見て書き取っておく。よく散らばってしまわなかった。
2023 8/26

* 昨日の「続き」を書き留めておこうか。何かしらとダヴって居るのだろうが、ま、ちっちゃな紙の切れ端にすべてが走り書き。ちっちやな挟みで括ってなければ細かな紙くずに終えて捨てられていたろう。短歌と謂うより「和歌」へ気を寄せ、「ものがたり」もをアタマに描いていると読めるものが混じる。。

〇 あしびきの山の瀬わたすかり橋の心細くも人を恋ひたし

あけぬれば来るといふなり

朝ぼらけうきもからきも川波にあらはれて行く宇治(憂事)のふるさと
夏の夜はまつに淡路(逢はじ)の風絶えてあてども波を来る舟もなし

心あてに小野の萱はら踏みわけて人とふまでのあはれ秋風
春すぎて浪速の夢もいろさめし夏の日ながに酒くむわれは

朝ぼらけ荒磯の海にましぶきて波騒(なみさい)光る吾れを喚ぶかと

さびしきにやがて孤りの胸を抱く何を此の世の旅づとにせん

瀬をはやみ言はでも洩るゝきみゆゑのなげの泪の流れやまずも

吹くからに朝原わたる小牡鹿の角かたむけて露はらふ見ゆ

村雨の月にはれゆく秋の夜の露けくも吾(あ)は人を恋ふらし
すみの江の霧の絶え間に浪よせて松におとなふ風のかしこさ
まだまだ有る、びっくり。

* 書きかけの長編に焦らず「手」を懸け書き加えても居る。第一段階として、先ずは私自身で「おもしろげ」に読めてきている。読者さまにもそうあるべく、まだまだ手を懸ける。自称「歴史屋」の仕事に成るだろう。
2023 8/27

* 此の機械(久しく遣い慣れた舊機)いつ頓挫し世離れてしまうか知れない。拝むように頼んで働いて貰っているが、「新機」はベラボーにややこしく、もう一台は、今の視力には機械自体が余りに小さい。八十七歳が最新鋭のパソコンを宥め労り労りし、機械は老いて乏しい脳味噌を「舐め」たがる。

* 長めの小説は、それだけに欲深くより改良をと請求してくる。もういいか、この辺でと容易に想わせてくれない。小説を書くとは難敵と付き合うに同じい。さてさて「付き合わねば」ならない。
いま、同世代でどんな人が「書き続け」てられるのか、全然識らない。ほぼ同期の大江さんも、吉村さんや加賀さんら太宰賞の先輩も亡くなった、とか。
2023 8/28

〇 めぐり逢ひていつも離れて酔ひもせでさだめと人の醒めしかなしみ

逢ふことの絶えてなげきのふみもみず幾山河の夢のかなしさ

人もおし吾れも押すなる空(むな)ぐるまなにしに吾らかくもやまざる

天つ風苦も憂(う)もはらへきみがためやすき陽ざしに花を咲かせて
かささぎの渡る夜空のかけ橋にわれまつ人の生けるまぼろし

あらざらむこの行く終(はて)の旅の果てと想へばさびし独り逝く道

百敷の達の山根に年ふりて人の絶えたる宮一柱

* 三日かけて書き写したこれら辛うじて散失前の「紙切れ歌」の数々は、私の「歌詠み」のさまを露わに謂い尽くしていて私自身、へえッとビックリ。根っから「和歌」にまねびて私は「短歌」を享楽していた。幼少(戦時の国民学校四年生)以来「結社」の「仲間」のという体験がまったくない、黙って読んで下さったのは、みな担任か国語の先生だけ、小学校の中西先生、中学の釜井春男先生、給田みどり先生、高校の上島史朗先生、どなたも作の全てに技術的な口出しはなさらず、お着に召したらしい作の肩に「爪シルシ」だけが着いた。結社入りを誘われたことも一度も無く、むしろ独りが佳いですと。
大學のおり、一度ある結社の短歌会に誘われ、請われて三首を提出。名無しで参加者の作全部がコピーされ互選の当票があった。結果は私の三首が一、二、三位を独占していた、なにとなくワルクて、以降、誘われても参加しなかった。
とはいえ、子規、節、茂吉らに傾倒しながらも、私の短歌はやはり「和歌育ち」を避けも、避けられもしないまま、『少年前』『少年』『光塵』『亂聲(らんぜう)』と四冊の歌集を成し、いま人生最期と覚悟の『閉門(ともん)』を成しつつある。「短歌」は私の人生で「小説」以上に身近であったということ。
2023 8/28

* 晩、たまたま歌番組に出逢って、うまい・へたの極端例に、閉口してられず、盛んに褒めたりクサシたりして楽しんだ。美空ひばりがしみじみ懐かしく、ひょっとして彼女こそがわが「初恋人」であったのかも、などと独り合点したり。
小学校六年か戦後新制中学一年の真夏も真夏、わたしは売り出して盛んなひばりと、家から間近い新橋白川ばたで、触れ合うほど間近に出会っている。ちっこい女の子だった、わたしは「ひばりが来てる」と耳にするやパンツ一枚のはだかのはだしで駆けつけたのだ、人がギシと取り巻いてる輪を潜り入るようにして、もうホンマに触れ合う近さまで攻めよったものだ、口は噤んでいた、あれで有済小学校の卒業式には卒業生答辞を読んだ生徒会長だったが、油照りにクソ暑い京の真夏の夏休みの男子にはパンツ一枚のハダカが、ま、「制服」だった。ちっちゃい幼い、見るから子供の「有名な美空ひばり」は「よそ行き」のスカート姿だった、それにも少年は見惚れたものだ、暑い暑い京都祇園の真夏の午下がりだった。傍らにせせらいでいた白川は、今も変わりなく清う流れているはず。

* こんな、ラクガキばっかりしてては、オハナシに成らん。あすからは「湖の本 165」初校という大仕事が加わる。犇めき寄ってくる「仕事の嵩」には愕ろかない。必ず、成るように成る。
2023 8/28

* よほどもう懸けている長い新作屁の筆入れが、ま、好調に進んで行くと気をやや良くして……六時半。アコやマコの朝「ごはん」は八時と。その用意まで妻は起きてこない、私の朝飯も「右に倣え」。息を入れに、朝のテレビ・ニュースでも聴きに降りてもよく、真岡さん(マオカットン)に戴いた「南部美人」というやさしいお酒もある。この年齢で私の酒量は安定して増えている。一升瓶ならセメテ五日もたせよと妻はしかるが、義理か厄介に、しかし「三日未満にラクに一升」いってしまう。お酒が「美味い・旨い」のだ。難儀なお爺さんだソーである。
2023 8/29

* 『湖の本 166』初校開始。その次の「入稿」用意にも。気張って、仕上がり間近いと待望し粘っている新作長編をぜひ巻頭に老いて一巻を纏めたい。焦る必要は何も無い。「八十八(やそはち)の壽」らは、しかと間に合わせたい。
2023 8/29

* 初校の半分を終えたけれど、ただただ眠気にまけやり、寝入っていた。もう十一時。五体萎縮、ふらふら。抵抗せず、睡魔とも病魔とも平和的ににらみ合うて、また寝継ぐ。
2023 8/30

* らしい長編作の必至・恰好の脱稿。 「湖の本 165」の機敏な「要再校・初校戻し」「表紙等つきもの・あとがきの入稿」「新作の精確な脱稿」当座の急務はコレに尽きる筈。うかと失念すまい。
2023 9/1

* 自作ながら、発表して即「芥川賞候補」にあげられ、瀧井孝作先生、永井龍男せんせいからともに「美しい、美しいかぎりの小説」と声をそろえ激賞し推薦して戴いた『廬山』を読み替えも閉ちゅ、声を放って泣けた。私のこんな意識よりはもかに以前、早くより実兄北澤恒彦(生まれてより一つ屋根に両親兄弟で暮らした覚えの、全然無い兄)が指摘して呉れていたように、今して、脱稿初出より優に五十㊿余年、初めて「啼いた」の゛ある。身の深くに備わってきている阿弥陀如来への信仰と亡き生みの両親、育ての両親や兄恒彦への哀悼が地から噴くくように共鳴してきたものか。読み貸す機會をつくりえて、良かった。
20223 9/2

* 早く起きたからと謂うて、仕事が出来るわけでない。

* 「湖の本」の用意に『隠沼(こもりぬ』という小説を読み返していた。ヒロインに濃やかに懐かしい想いが凝っていて、読み返すのがすこし辛く怕くなる。生けるヒロインと書かれている仮構のヒロインの、もう、とうにとうに両方に死なれ死なせている。ああ、そろそろ呼びに来たのかと思い、なぜか「まあだだよ」と応えにくい。場面と情感を切り接いだような作柄、私には稀か、珍しくもないか、咄嗟に判じられない、ただ懐かし「すぎる」自作だけになかなか読み返そうとしてこなかった。「龍ちゃん」の死は、現実にも作中でも痛過ぎるほど早過ぎた。
2023 9/7

* 何をしていたのか、何が出来たのか、自覚が無い。階段の最上階で前のめりに横転して撃った右腰の瘤に成った痛みが脱けない。何とも自分が頼りないままもう午になるらしい。何が急ぎのようだろう。
①「湖の本 165」「あとがき」を送らねば。
② 仕上がり近い長編を仕上げたい。
③ 「湖の本 166}を編輯し、前半と後半の原稿を用意せねば。
これぐらいを頭に入れていれば、いい。

* 心身のよわりのせいか、亡くなっている懐かしい人等のことが想い出されてならない。呼ばれていると感じるのは私の弱りで、みな、まだ頑張れよと言うて呉れる。それを聴かねばと思う。

* 九時半。もう視力が失せている。
2023 9/9

* もう、私の「書き仕事」はほどなく「断念」せざるを得まい、「独想・静思」に無事に落ち着きたいが。

* ま、いい夢に部類できたのに、記憶からは消亡した。そういうモンだ。
2023 9/10

* ホームページの復旧を望まれ、私も望んでいる、が、私の機械操作では何ともしようが無い、情けない。深切な助け手を待つしか無い。

* 小説 ことに長い小説はとても歌詠みとは同断で無い。ことに長い小説を周到に「読み直す」のはおおごと。軸はもとより、句読点の一つ一つまで思い直す。私はそうする。
そんな気振も見えぬままだらしなく書かれた日本語にコトに「小説」で出会うと情けない。
2023 9/11

* 妙に小賑やかなゆめばかり観て、めざめてしまったので、そのまま二階へ。戸外は未だ、マックラ。仕事にしたい、が。

* 晩の九時すぎ、おもに小説の書き継ぎと読み直しとに。よその世界を歩き続けていた。妻も私も夏バテひどく、交替して転んだり滑ったりしてる、危ない事かぎりない。夫婦とも視力の弱りがキツいイ、か。

* それでも、私、この時季としては書き仕事に、よほど集中しておれた、根(こん)も實(じつ)もムリにも費やしていたとも。一の目標は書き継いできた長編の「脱稿」それに尽きるという気で、添削しては推敲しては、疲れて崩れていた、が。暑さに負けて疲れるより、仕事で責められ疲れる方が、いいに決まっている。とは…、いえども。
2023 9/13

◎ 「幼少に聞き覚え唱った、妙な唄」を記憶の儘に、冒頭のみ。
〇 「第三高等学校校歌」  澤村胡夷 作詞・作曲
紅(くれなゐ)萌ゆる岡の花 緑の夏の芝露に
早緑(さみどり)にほふ岸の色 残れる星を仰ぐ時
都の花にうそぶけば 希望は高くあふれつつ
月こそかかれ吉田山 われらが胸に湧き返る  以下 十一番迄

* 此の欄の趣意としては早や「脱線」を承知で。
私が生涯で最も早く「憧れた」のは、国民学校(小学校)を出たら京都一中か二中を経て、あの吉田山の「三高」に合格し、美しい校歌「紅萌ゆる」を「わがもの」にうたうことであった。「校歌」に惚れていた。
だが、敗戦。学制も「六・三・三(小・中・高)制」に変わって夢は「泡」と消えた。
私は、試験を受ければ必ず受かる京都大學には、「気」がまるで無かった、当時火炎瓶だのデモだのの騒がしさも好まなかった、受験はせず、ためらいなく高校三年までの成績優秀の推薦で、三年生二学期の内に「同志社」への無試験入学を決めた。京都御所の静謐にひたと接した、あの「新島襄」が創立の「私学」、赤煉瓦の建物も美しいキャンパスも気に入り身も心も同志社に預けて、以降を、自由自在に私は「京都」の久しい歴史と山水自然のこまやかな美しさへ「没頭」した。「小説家」「歌人」へと「七十年の道」がもう見えかけていた。
2023 9/15

* 夜前の「浮腫どめ」し処方されている「利尿剤」とで、一時間おきに尿意に起こされた。もう慣れて國ならず、むしろその間の目覚めの内に、いま書き継いでいる長編小説への恰好の「題」を得た、これは作のために大いに有難い。ためらわず、いつものようにまだ早暁とすら謂えないうちに床を起ち、此処、機械の前へ上がってきた。血糖値も、血圧も測った。数値は皆落ち着いていると思う、が。
羽生さんに戴いた鶴屋の「柚餅」を爪楊枝に一粒、美味しく口に含んだ。
2023 9/15

* 疲労で寝入っていた。午前11時をまわっている。いま最大「要」は、書き継いでいる新しい長い小説の仕上げ。
2023 9/15

* 気が腐っていたので、処方の利尿薬は避け、常は避けている催眠の「リーゼ」を服して、それでも独り「零時過ぎ」てもキッチンで酒を飲みテレビの国際ニュースなど聴いてから、床に就いた。幸い手洗いへ起ったのは、一度。夜中にも要心のビタミンなど補強して、目ざめたのが曉暗の四時。猫「マ・ア」達の朝のトイレ用足し を脇で見、仏壇の秦の両親や亡き孫「やす香」そして我が家に歴代の愛猫たち「身内」らと静かに「話し合うて」から、此の二階へ来た。
「マ・ア」に削り鰹を遣り、私も一口含んでおいて、機械を開けた。
毀れたままの「ホームページ」が、結局東工大卒業生らの親切も行き届かぬまま、まだ復活できていない。それは大勢さんから「復旧か新設」を まま「懇願」され続けて居るの…だが。私には不可能。私も、「東工大の先生」時期から四半世紀が通過して来て、耄碌のすすむまま、所詮私にはもう「専用のホームページ」は「絶望」であるかの気配。

* 幸い夢寐に得た 脱稿遠くあるまい長編 の「好題」にも励まされ、何よりしかと書き上げたい。何を考え、何へ新たに歩み寄るのも「そのさき」のこと。
2023 9/16

* 零時過ぎには機械前に居て、いま真夜中三時過ぎ、手洗いに立ってそのまま、機械の前へ来てしまった。寝るより、起きてしまいたかった。蛇行する長い小説を脱稿へ追いたてたい、そのために。
此の作には、私自身抱いている或る「懐かしみ」が溶け入っている。

* も一つ、この際特記しておこう、「作家秦恒平」の久しい読者の、半ばを大きく越し「女性」の支援に強く支えて戴き続けていること。
「秦恒平の文化論」の個性と謂えば、京都に生まれ、育ち、学び、以降書きつづけて久しい「日本」の『女文化』論に極まるのでは。
寺田英視さんと対照になるが、私は生涯「女」に敬意と親愛と批判を呈上し続けてきた、
強いて標語にすれば「男はきらい、女ばか」となる。この「ばか」一語の秘奥を読み解いて貰えねば「作家・秦恒平」論は「山」を越えまい、か、な。

* とにかくも 孜々として「読み・書き・本を読んで・創作を」先へ先へ伸ばしたい。如何にも体調は「自壊進行中」の心細さであるが。
投げ出すまいよ、挫けて。
「寝入って、休む」のが、結局は「薬効」になるか。とにかく、やすもう、と思いはするけれど、も。晩、八時過ぎ。ウーン。
2023 9/17

* 前夜と打ってかわり、夢は見ないのに尿意に起こされ続けた様な。曉暗とすら謂えないくらがりで床を起ち、二階へ来た。待ち受けている「仕事」は二、三でない。気と体力の少しでもあるうちに、「立ち枯れ」させまいと。
2023 9/20

* ここで時計は朝の六時半。ちと、机辺に用意、九谷焼「猪(私の干支)の小盃」に「黄桜」の辛口文字通りに「一献」。筆を、怖い「左道」の闇へはこぶ。

* 八時半に朝食して、そのあとちょ横こになったのが、目ざめれば、正午とは。誰にと無く恐縮したが、その必要は無い、この慘暑と感染とに脅されている以上は、休めるうちは休んだ方がいい。とはいえ、じわと仕事上の所要は數増してきて。「湖の本 166」再校ゲラが届いたら、責了そしてで基本の要発送が軸に成りながら、「書く」「創る」要件は十字を成して大きくなるばかり。涼しく成るか。心身起つか。弱気が払えるか。
2023 9/20

〇 『湖の本164少女 』をご恵送いただき、誠に有難うございました ”始筆書き下ろしの「創作」”或る折臂翁を拝読、戦中・戦後にまたがる話の院櫂に惹かれました。初樹の父・弥繪・康岡それぞれの人格が゛心に迫り、崖が重要な役割を持つ構成と結末の急展開に驚かされました。白楽天詩からの発想にも独創性を感じました。秦さんの幼稚園生にして真珠湾攻撃を無謀と案じ、ぜったい「兵隊さん」になりたくなかったとの感覚は凄いと思いました。「不敬」「非国民」といった言葉が散見し、何の留保も無く自衛隊への好意的な論調が流通している昨今に危機感を持ちます。  励  名誉教授

* 此の、祖父鶴吉旧蔵、國分青厓閲 井土靈山選『選註 白楽天詩集』(明治四十三年八月四版)を手にした国民学校時期に巻中の七言古詩『新豊折臂翁』加えてに感動的に出会ったのが、加えて敢えて云えば「敗戦前に戦時疎開」していた丹波の山奥の借り住まいで、裏山深く独り登って見つけたある「崖」の誘いが、この、作家生活へ向かう第一筆処女作の「原点」となった。作家になってからも直ぐには世に出さなかった。期するあり、温存していた気がする。
いま此の様な「的確な読後感」を頂戴できたことを、生涯の喜びに数えたい。佳い「詩集」を遺して行ってくれた畏怖に値した秦鶴吉祖父に深く深く感謝している。秦家へ「もらひ子」された幼少はまことに幸福であった。
2023 9/22

* 夕刻過ぎて晩がたまで吐露のように寝入っていた。湯に浸かるのが精いつぱい、何処よりも目から草臥れる。齷齪しないこと。どう何が滞っても、それだけのこと。ま、文字通りに抱こう(?_?)介している小説を脱稿へ追い入れること、明日届く「湖の本165」の再校をしかと終えて「責了」へ推し進めること。跡はからだを潰してしまわないこと。
2023 9/22

* 「湖の本 165」赤字合わせ了。「再校読 責了紙へ」「表紙」初校未了。
「湖の本 166」『蛇行』要進行 脱稿。「私語の刻原稿」の作成。

「噛まれ手首」の痛み執拗。 二時前。ただたた眠りたい。とても健康とは謂えない。
2023 9/23

* 心神不調、遁れるように寝入っていた。ポツポツと、仕事。つかれてまた寝入る。時に異様に寒かったり。長い袖の毛糸のセーターにくるまれたり。瞼重く、目を明いていられない。首の周りが固く痛む。要再校の一冊分や「あとがき」はじめ、緊要のきゅうむが轡を並べている。 しかし、 しんどい。まだ八時だが。やすむ。
2023 9/23

* 夢も見ず目も冴えて、真夜中に灯り付け床の中で本を読むのは憚られたので起きて二階へ来た。かすかに瞼は未だ重いが。

* 私の『廬山』を読んだ。感動して泣いた。「小説」を読んで、心底湧く涙に斯く深く動かされた覚えは無い。芥川賞に強く推して下さった瀧井孝作先生、永井龍男先生ともども国を極め、「美しい小説、まことに美しさを極めた小説」とまで推奨して下さったのを想い出しながら、久々一気に読了した。「代表作」と何方からも推されてきた、納得できた。吉行淳之介ですら、外に思惑有って芥川賞にはおさなかったけれど、「廬山」よかつたよと、或る会合で、わざわざ寄ってきて云って呉れたのが懐かしい。
2023 9/25

* 歯科医に予約の日だが、妻が一人行くことに成ろう,私は「湖の本 165」責了用意、その、あとがき、書き継いでいる長編の追い掛け、「166」の入稿用意などとぎれなく諸要に尻を追われている。やがては米寿を控えてこんなに日々要事に追いまくられるとは。否やはないが、シンドイこと。

* 井口さん、勝田さんはじめ。メール機能を機械から喪ったという方が増えてきて、心寂しい恐慌である。かくて、いよいよ、ジリジリと有効世間が狭まって行く。やれやれ。
有難くない。
いま、まだ早暁4:44。仕事にかかる。まず、「責了紙」へ匍匐前進。
2023 9/26

* 6時。昨日の『廬山』について、『三輪山』を読み直している‥身に沁みて懐かしい,謂わば巧緻に組み立てた身の上ばなしだ。なに覚えもない「生みの母」わたくしを呼ぶ声が作中を流れる。ここに出る「三輪君」には、課長職に付いたとき新入りで配属されてきた七尾清君の風貌や物言いを借りた。
2023 9/26

* 舊作『三輪山』を、良しと読み返した。いささかも手をぬいていないことに、安堵もし喜んでいる、相次いで自愛作の一つ『隠沼』を読み返す。
舊作を アタマの働いている内に楽しんで読み返しておきたい。丁寧な気の入った仕事をしていたと胸を撫でる。
2023 9/26

* ジリジリと「湖の本 165」責了へと詰めて居る。最良の自信自愛三作を巻頭に久久読み返して、置いた。こころよい一巻と成って呉れるだろう。
2023 9/27

* 至急を要する創作・出版上の要件・要事が波だつように逼っている。すべて解決する以外に余の前途が無い。
で、今朝から一つの「關」を駆けて脱けた。終幕の大きな山が残って居るのは、もう突貫あるのみ。
「湖の本165」の確実な「責了」を確認し、「166」の充実の「入稿」を精確に果たしたい。その辺が私「米寿」への足取り、老耄に怯えないで敢闘したい。「歯」が植えもした実なくて醜くても、ほどほどに食べられるし酒も旨い。私の見た目など、論の外。私の書けること、よく書けること、「湖の本」をありがたい全国の読者のみなさんに「差し上げられ、送り続けられる」なら上乗。私たちは、幸いに、お金を稼がねばという暮らしをもう前々からしていない。
何方でも、既刊165巻以降續巻の『秦恒平・湖の本』なら、ご希望の方、どんな欠番分であれ、全巻であろうとも、ご希望の方には「在庫」の限りは「無料呈上」する。できる。

* これぞ耄碌 印刷機械の操作も忘れてできず、それでもメールでんそうという手段を頼んで「湖の本 165」の「あとがき原稿を、書き上げて印刷所へ贈った。校正を終えた本紙と表紙とは明日にも郵送して「責了」。まず、十月下旬までに送り出せるだろう。しかし「もの忘れ」の被害や故障は今後ぞくしゅつするだろう、そのコトとの「いくさ」が新たに始まるのだと覚悟。

* いやあ、まあ、よくがんばったものだが、遺制に見れば、従來から見れば 何のたいしたことではないのだ。余儀ない必然から、けわしい老耄の「いくさ」」なるが、平和外交を心がけたい。

あとがき

ごく初期作から、自愛の「三作」を今回、巻頭に置いた。誰の場合も同様と思われるが、いわゆる「初期作」には、「作家」なる文士と世ひとのまだ識らない「以前」の作と、作の熟れる「作家」と識られて「以後」の作とがある。前回「湖の本 165」の巻頭『少女』『或る折臂翁』は九年も「作家以前」の、純然「処女作」であった。
今回の三作は、一九六九年桜桃忌に筑摩書房「展望」誌に寄託の作『淸經入水』がはからずも井伏鱒二、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎。中村光夫ら選者の満票という強い推薦で「第五回太宰治文学賞」を受賞して以後、雑誌「展望」「太陽」等々に依頼されての「初期作」である。

今回巻頭の『廬山』は、最初、雑誌「新潮」から「作品持参で社へ」と呼び出されたが、私の気持ちがどうも折り合わず、作を引き揚げ、新たに筑摩書房「展望」に預けると、即、無傷で掲載され、さらに即、「芥川賞候補作」となった。芥川賞選者ではなかでも瀧井孝作、永井龍男が口を極め、「美しい、美しい限りの創作」と強く推され、受賞こそ成らなかったが、同じ選者の吉行淳之介、井上靖らにも後日、「『廬山』よかったよ」と聲を掛けられていた。
私を小説『廬山』創作へ誘ったのは、「日本の或る古典」のごく一部分の記述であったが、誰にもまだ気づかれていない。
この『廬山』が「新潮」編集室でハナから失笑されたのは、作中の男子兄弟を「太郎」の「三郎」の「四郎」のなどと呼んでいるのがバカらしく滑稽だなどというのだった。八幡太郎義家だの、佐々木四郎高綱、鎮西八郎為朝、源九郎義経だのと兄弟長幼につれて呼び名された武門は幾らもあり、『廬山』主人公「劉」の「四郎」も明らかに武門の四男坊。ものを識らない人らだと呆れ原稿は引き取って帰り、その脚で筑摩書房の「展望」編集室へ、一字一句の添削もなく預けたところ翌月にはそのまま掲載された。この作品『廬山』は以降、秦恒平初期の「代表作」かのように『筑摩現代文学大系』や平凡社の『昭和文学全集』等にも収録されている。自省のない高慢は論外だが、自作にまこと自負自信があるなら、「新人」と謂うとも卑屈に出版・編集者らの時に乱暴な「上から」目線に、縮み上がらなくて好い。「時機」の方から不思議と歩み寄ってきてくれることがある。

『廬山』』と並べた『三輪山』は、純然の創作であり、平凡社「太陽」編集室の寄稿依頼にほぼ即座に書き下ろした。一字一句に気を入れ、句読点の一つにもこまかに注意し、書き上げた。一気に書いたと覚えているが、一つには、私小説にも部類されそうなほど、作者自身の「生いたち」「育ち」「感慨」にズブと深くさし込んでいて、いくらかは作者自身の涙に、文章、表現、濡れてもいようか。虚構ながら、うそは書いていない。
三輪山をしかも隠すか雲だにもこころあらなも隠さふべしや
という萬葉古歌は。高校の教科書で習ってこのかた、私の「身も心も」しかと摑んできた。天智の近江王朝を書いた初期長編『秘色(ひそく)』にも上の和歌一首は濃い翳をさし掛けていた。胸のうち深くでしみじみと歌い続けている、今でもなお。
「奈良へ傷まんもん、買いにいこ」は、事実幼少の私が京都東山区知恩院下の新門前「ハタラジオ店」に「もらひ子」されたあとあとまで、呪文かのように秦の母や大人にせがんだそうである。この「創作」の舞台回しを務めてくれている「三輪君」のような職場へ配属の新人部下と『医学書院』勤めのむかし仲良かったのを懐かしく想い出す。ただし此の作品『三輪山』とは何らの関わりもない。

作品『隠沼(こもりぬ)』は、これこそ、作者が眞実自愛の、自分で自分に宛てて書いたせつない「恋文」と謂うておく、もとより全然無疵の完きフィクションであるが、わが胸の奥の奥、あまりに底深い「隠沼」へ此の自作を投げてもどすと、もうゼッタイに「龍ちゃん」の「マジョリカ」も「真葛の文ちゃん」の「明の宣徳染付」も生けるごとく真耀いて美しいのである。して幾らか困っテ居るのはこの二人、「もういいかい」「もういいでしょ」と私を呼ぶのである。こごえで「まあだだよ」と返辞はするのだけれど。

しつこい熱暑に喘いだ真夏、また、慘暑の九月であった。昨今の私は、昔の私を知る人の目には無惨に瘠せ、縮み、折れ曲がって、歯は無く、呂律まわらず、酒を呑んで、ろくに食べようとせずに、自身も同じ「八十七歳」の久しい妻を困らせている。もうやがての「冬至』になるとはそんな私が「米壽」を祝うとは、これは本当に赦されることだろうか。
そうは謂うが、やがて脱稿できるだろうかなり長い新作『蛇行 或る左道變』も、日々パソコンへの『私語の刻』も孜々と書き継いでいる。 まだ、死なない。
2023 9/29

* 夜前、日付の変わる少し前から独りキチンに入りテレビを見た。ふしぎと此の時間帯に好い映像が見受けられるから、ワールドニュースのついでに暫くめずらかな絵など見るのである。昨夜は潜入司祭や隠れキリシタンらの物語られて行く珍しい映像に、京都新聞連載『親指のマリア= シドッチ神父と新井白石』を書いた昔を懐かしみもした。「大きな仕事になりましたね」とわざわざ褒めて貰った大岡信さんも、もう亡くなって久しい。一律に着物を着せられ、折りごとにに「踏み絵」を強いられる棄教司祭等のそれぞれの最期など観てとれて、ああ書いた、みんな書いたなと感慨を強いられた。今朝のは、だれだったかの小説『沈黙』の映像化であったのかも。『シドッチと白石』、読み直したくなった。が、私自身の「選集」全三十三巻をみな読み返すとなると大変な精力と時間が要る。まだ死ねんなあと思う。

* わがパソコン機械環境の「ガタピシ」が日々に加わってくる。これはもう私の所詮手に負えず、もう久しい「機械での、読み・書き・私語と創作」は、やむなく遠からず挫折の懼れに摑まれている。もうやがての師走「冬至」には「八十八(やそはち)爺」になる、私。処置も無く唸り呻くばかり。 早朝・五時半

* 書き下ろし中の長編「蛇行(だこう) 或る左道變」の蛇行具合を大づかみに「点検」していた。書くべきには、相当にもう触れていて、その進み具合をアタマに入れてフクザツ・カイキな物語を力業で結んで行かねばならない。見えているようで、いやいや、容易でない。
2023 9/30

* 書き下ろし中の長編の「蛇行(だこう)」の蛇行具合を大づかみに「点検」していた。書くべきには相当にもう触れていて、その進み具合をアタマに入れてフクザツ・カイキな物語を力業で結んで行かねばならない。見えているようで、いやいや、容易でない。
2023 9/30

〇 今夜は中秋の満月、仙台・八木山のわが家のベランダからキレイに見えました。
中秋にちょうど満月になるのは、なかなか無いそうですね。
生前 母は、ススキや梨・ぶどう等々と共にお団子を「お月さま」にあげていたものです。
そんな風習も徐々に薄れ、わが家では専ら空を眺めるだけです。
お彼岸もとうに過ぎましたのに、今日の仙台は27.5℃ 汗ばむほどの暑さです。
東京はなんと30℃ 真夏日とか・・・。
ご体調管理が大変でしょう。
どうか、くれぐれもお大事にお過ごしください。 恵  元・同僚 大学教授・学長

* まん丸の耀くお月さまであったか。私はまるで地獄を覗き込んで唸っていた。書き上げて仕上げるより遁れようがない。
2023 9/30

* 早起きして二階へ来ると、他に手が出せず「日の初め」の記事となる。一日が肇まる。

* 押せ押せに要事が輻輳しているのを切り替え切り替えどれも前へ努めて精確に押さねばならない。「湖の本 165」は昨日、本紙表紙の「責了紙」を送った。「あとがき」分の4頁のみ初校の出るのを待機、やがて発送という力仕事が来る。

* 早起きには「私語・私事」にまず整理と見通しを立てるのに、気分として好都合なのだ。逃げ場が無いから面倒な「ほぐし」や「訂正・転換」にも取り組んでおける。

* 永く書き継いで来た小説、よほど擱筆の時機に逼ってきた。慎重に、大胆に…と。

* 夕刻四時。午後寝入っていた。按配しておいた屋内杖が臥背戸も見つからない、この狭い謂えなのに。見失うのはうまいが捜すのは、至極へた。

* およそ仕懸かりの仕事の「現状」は、機械画面上で「確認」した。出来た、収束をより精確に。メールもせず、届きもせず、至極孤独な現状。鳶は文字通りに、「外遊」すると。わたしは「外遊」出来ないが、「京都」か、せめて「都内」へ出てみたいが、建日子が母に電話してきて、コロナ・インフルエンザの蔓延は只ならないと。この身の弱りの今、病気はしたくない。病気でつ触れては、うまりに無念だ。「じっと我慢」の「籠り居」
で「仕事」に努めよう。
十月か。七十年近くは昔の十月十六日の真昼、妻とのデートで初めて大文字山に登り、しがいよりも比叡山の巨きく見える側斜面で景色佳さを楽しんだ、持参の魔法瓶は登山途中で木に当てて割ってしまってたが。
同じ二十六日には、二人で初めて「鞍馬山」を登って越え、貴船へ下りた。私は至極貧乏で、どんな気晴らしも出来なかったが、京都中、街も山もよく「歩いた」よ。歩くのにはお金が要らなんだ。その当時はどんな神社仏閣も鷹揚にただ觀せも入れもして呉れた。有難かった。感謝した。
2023 10/1

〇 秦さんへ  メール復活したようでです(自分へも通じました)
原因不明で何とも心許ないのですがうれしいです
秦さん 今後ともよろしくお願い申し上げます
秦さん コロナ・インフルエンザ 病院も老人ホームもまだまだ心配です くれぐれもお気をつけください。どうかお大切にされてください 転ばないでください
chiba e-old 勝田拝

* お話しのお相手が出来ますこと、何より喜ばしく安堵。
私、峡、時日をかけてきた書き下ろしの新作小説にメドをつけて、時日上脱稿へこぎ着けました。「私語の刻」も日々旺盛に書き継いでいます。
この師走「冬至」の米寿八十八に躓かぬよう木をつけて、外出無く、感染に身を護っています。中国の現代小説大長編『主演女優』 光圀の肝いりで水戸藩で編まれた四十数巻の和本『参考源平盛衰記も、中浜で楽しみ読み進みました。
疲労は烈しくも、構わずに、仕事の手は各種手を離さず努め続けています。
勝田さんの弥増しの日々ご健勝を切に願い祈ります。街で会い、うまいモンの食べられる日々の再来を想っています。
日々に機械に書いています「私語など」よみとっていただけるいいのですが。ホームページのフッス津を強くねがってはいますが、私の手では絶望で。
手段が無いもんですかねえ。 このところ真夜中、早暁に床を離れてくじごろまで仕事を押しています。昼間よりも打ち込んで書けるのですよ。昼間にポコリ ポコリ寝入っています。 お大事に。 耳寄りのおもしろいことあらば、お聞かせ下さいませ。 秦 生

* まだ八時半。それでも両の上瞼痛く重く、へとへと。尾張の鳶が、鴉の短歌を喜んで褒めてくれていた。おうおう。
すこし乱し書きにメモだけの書き留め歌を、とり留めとりまとめておこう、か。
2023 10/1

* すこし曉けの朝が冷えて、少し明けた二階窓へ冷気も流れてきた。くしゃみもし、洟も出て。十月だ。
今朝からは、昨日、やっと大方「書き終えた」らしき「長編」の、各乎検索修正をはかろうとと。添削、推敲。書き手には、一の要事ぞ。

*朝九時前、一仕事は終えていて、いま、洟水のくしゃみを連発、かすかに寒が。
2023 10/2

* 昨日で長編の一稿はほぼ成したが、長編の二稿三稿は、かきおろすよりもはるかに無我香椎むずかしいと心得ており、少しも木はゆるめ得ない。むしろ、新たに唸り呻いている。「やる」っきゃ無いのです。

* 早暁四時には機械前に腰掛けて、いま、朝の十時すぎ。
へばらずに 先へ。風邪を引いたらしいのが、宜しく無い。

* 正午。機械の混乱と私の混乱を必至に「避けよう」と懼れてい感じ。
午後も、根負けしないよう、ともあれ、新作の推敲に打ち込みたい、が。

* 二時半、懈怠さに負けて、テレビへ向いていた。寝たい、のが本音。
2023 10/2

* 真っ暗な真夜中、二階窓の外気の冷たいこと。

* 安眠できなかった。利尿剤の効果が過ぎ、腹まで下した。一時間ごとに起きて四時間と寝ていないが眠気は無い。「夜中起き」が気に入っている。まさしく「私語の刻」となる故か。さててさて、難儀にイラつく老耄をこらえて、長編の好い仕上げ、次々への心容易へ今日も奮励努力の八十七爺は足掻きます。

* 夕刻四時半、利尿薬と浮腫止めとの綜合効果か逆効果か知れない、午後は10分15分間隔で手洗いへ馳せ参じてきた。やれやれ。

* ほんとの脱稿を願永い作を再び三度目をじっくり読み返して更に添削し推敲している、すきなさぎょうではある、が、とても疲れる。が…
2023 10/3

* 例の、無縁にしかも怖い迷路と人とに行き交い続ける街區の夢…。
秋の冷えが朝晩に身に滲みて来た。そして私は書き継いできた「異様の小説世界」に自身怯えながら、孜々と推敲しているが…。
心神の健康。なによりもソレと自覚している、が…
2023 10/5

* 小説の念入りの推敲・添削が、半ばになろうと。じいっと辛抱しながら難儀を仕分けて行くのが推敲。ガマンを見捨てると、作の流れも醜く淀む。疲れるが。しかし徹した推敲なしに脱稿はありえない、譚・中編でも。まして長編は。疲れる。目も胸も。

* 明日「湖の本 165」の念校4頁分が゛届いて校了すれば。いくら遅くても二十日迄の納本となろうか。また「発送」という労働になる。
2023 10/5

* 七時前。もはら、書き次いでいる長い小説の「變化(へんげ)」の流れを読み継ぎ読み直していた。
他にも緊急と謂える仕事上の所用が三四控えているのを片付けねば先へ行けない。

* 夜十時半。部続けに今日は仕事、仕事を熱中気味に追っていた。おもに小説に組み合っていた。やるしかない。
2023 10/8

* 病院の永い待ち時間をりして耽読していた『参考源平盛衰記』での高倉天皇と小督局との戀物語などにもふれて、懐かしい極みの京都「清閑寺陵」の思い出も書いたのに、消え失せていた。機械のご機嫌はとかく荒れ模様で恐縮する。』
2023 10/16

* ごちゃごちゃと輻輳したり混雑・悶着していた機械の「日録」面を整えるのに、朝から大苦労した。
2023 10/17

* 継ぎの入稿等の作業で途方も無い錯覚・誤認のまま作業していたことに、危うく、気がついた。いよいよ「仕事」上の「末期症状」が露われ始めたと云うしか無い。気がついてよかった。いま必要なのは、『湖の本』 「165 廬山ら三作 他」の、やがて27日からの「発送」。そして「166」次巻の「構成と入稿用意」。なのに、一巻ずつずれて思い込み、後者に手が付いていない。危険に難儀・厄介なハメにおちていることに幸いにも気がついた。あきらかに「湖の本」出版継続への「躓き」、緊急の対策と用意とが絶対手に必要となった。気づいて良かった。ソレを喜びとし、立ち直って先へ進む。直ぐにも対応せねば。

* サンザンのテイタラク。自身で整理収容してあるはずの自作を機械から探し出すことも出来ず、夕食後の数時間の体力・意欲を空費・浪費して果たせず、明日に期するしかない。老耄、まさにホンモノに成ってきたか。負けてしまってはならぬ。休む。それも道の一つか。
2023 10/18

* とにかくとにかく、「湖の本 165」が27日納品されれば即「発送」が待っている。仕懸かりの要件や仕事は「待ってくれない」。へこたれてはおれない。
2023 10/20

* 鷲津くんに依れば、この「舊機」で書かれる「私語」「日録」とうは、それを「新機」に送り入れることで「『新機」から「ホームページ発信」出来ている、のだと。その現実・事実が速やかに私に理会的納得できるのを切に願う。
2023 10/21

* いま、精確に「把握の必要」なのは「仕事の現状と、早急用意すべき内容」これをウロウロに遣っているとエライ混同や抜け不足に陥る。このところそのスレスレを歩いているようだ。

* 夜九時杉、寝に寝続けていた。持ち堪える方法で持ち堪えて、無事に「発送」をおえたい。カンペキを期し且つ追うて行く「仕事」はもはや容易でないと覚悟して、やはり精確を期したい。
2023 10/21

* 此の、従來の「舊機」クンに書いている「私語」「日録」が、在る手順を踏めば「新機」へ送られていることを確か目得た。確認という自信にまで成れば、「新機」は「ホームページ」機能を備えていると謂うから、或いは誰方にも看て取れるのかも。そこの確認、確信はまだ得ていないが、ジリと前へ出た気持ち。確かめて戴けた方、お知らせ下されば有難く。

* 機械との馴れ合い不調で、莫大に時間と手間を無駄に。老耄とは、斯かることか。
2023 10/22

* 正直なところ、この機械(舊と新とのパソコン二機)をどう運用できるのか、頭痛がしてきた。
2023 10/22

◎  『月皓く』を書いたころ、なつかしい人に逢った。
〇 早くそこを遁れないと賽銭箱の柵に押しつけられ、右にも左にも動けなくなる。おけら火の火勢をもうそこに轟っと浴びながら、からがら拝殿の東側から円山公園へ飛び出す、と、ごうん一一と肚(はら)に響く知恩院(ちおいん)の鐘だった。暗やみに夢見るように幾つも火縄が舞っている。降る寒気をついて公園を抜けまだ東へ池を越えて、山の上の釣鐘堂まで除夜の鐘撞きを見に行く人が沢山いる。
「行ってみますか一一」
「いいえ、此処で聴いていましょう。もう押し合うのは大変。一一あの辺、ね、撞いているのは。あ、凄いの一一胸の底まで響くわ」
「一一」
「宏さん、あなた寒くありません」
「寒い。脚に何かが噛みつくみたい」
「歩きましょ。凝っとしてたら凍えてしまうわ」
「ね、清水(きよみず)さんまで行(い)こか」
「一一」
「あそこは人がぎょうさんお籠りしてはる。音羽の滝に打たれてる人もあるし、舞台へ出ると」
「きれい一一」
「きれい。今夜みたいに月があるとあの山の端(は)がきらきら光って、まあるいの」
「行きましょ行きましょ」
仁科さんは先に立つくらい元気に歩いた。
真葛ヶ原から二年坂、三年坂まで、流石にめったに人とも出逢わない。たまにまだ正月の用意の終らない家の前だけ灯が洩れて、その辺り二、三軒の門松や〆飾りが行儀よく

* 叔母(秦つる 裏千家茶名 宗陽・御幸遠州流花名 玉月)の「御茶の先生」「お花の先生」歴は永く 二十代から亡くなる九十近くまで。当然に稽古場へ通ってきた社中の人数も数え切れないが、私は小学校の五年生頃から稽古場に居座って、高校生の頃には代稽古し、自身も中学・高校に茶道部を起こしててまえさほうを永く教え続けた。
当然に、叔母の稽古場へ通ってくる女性の大方は私より年長、記憶の限り私より若かったのは早く亡くなって私を泣かせた「龍ちゃん」ら数人ともいなかった、か。

* 小説 『月皓く』の、上記「仁科さん(仮名)も叔母のもとへ通っていた社中の一人、六、七歳も年長だが、懐かしい人であった、後に渡米し、結婚し、亡くなった。大晦日、元旦にかけおけら日の燃え盛る八坂神社に初詣でし、淸水寺へまで行ったのも小説のママである。

* 私の思想的基盤である日本文化論が「女文化」であるのは謂うを俟たない。私は幼来京都の「女文化」と長幼の「女友だち」とで多く培われた。「懐かしく心親しい」いのはおおかた、ソレであった。
2023 10/25

『湖の本 166』入稿に無用に手間取っている。『165』がホントして納品され送りださねばならない。とくべつ何が遅滞で停頓というわけではないが、必要な作業に逼られてはいる。
2023 10/25

* やすやすとたちどころにとは行かなかったが、すこしく触っている内に、この「私語の刻」今朝の記事がそのまま「新機」同じ画面へ転写されていて呉れた。これだけでも当面の成績と受け容れておき、緊急の「要事」の方へ姿勢を向ける。
2023 10/26

* 早起きの甲斐なく、機械の諸内容に信じられない乱脈が生じていて、ただ途方に暮れ、めったやたら検索し検討していて、何がなにやら、朝早起きの時間をムダに空費して八時前。バカみたい。

* 九時過ぎ、無事「湖の本 165 廬山 三輪山 隠沼 飄忽不再(私語の刻)」納品され、発送に取り組む。「創刊して滿三十七年」の桜桃忌が目前に。
紙一枚を畳んだような個人誌はやまほどあるが、「秦恒平 湖(うみ)の本」のように、一巻一冊が丸まるの単行図書量と内容とに十分匹敵しての「37年 165巻」すべてを自作・自筆の:私家版だけで刊行し続けている例は、世界にも他例の情報が無い。
私があえてただ「文壇人」でいないからか、出版世界も報道世界も「知らん顔」をしているのおもしろ可笑しい。

* 『湖の本 165』出来、即、発送作業。夕刻、一便を送り出した。
郵封に容れた一冊一冊を日本中へ送り出す。今回は選りすぐった自信の小説三作で巻頭をかためた。なにしろ「創刊して37年」送り出し続けていて、その間に読者に出入りは自然にあり、初期作は読めてなくて読みたくても本の探し求めようが無い、『「湖の本」で選び選び再刊し』てというご希望がこのところ相次いでいる。なるほど今回の「廬山」「三輪山」「隠沼」をとなると初掲載の『湖の本』を探し当てるのが容易でないはず。これまで再刊したのは、創刊太宰治文学賞の『淸經入水』一冊だけだった。著者刊行者としても気づかねばならなかったのだ。
さて、もう三四日は、老夫婦してテ疲れてへたばらないよう気配りしつつ、読者につで、謹呈さき、゛んこく大學、こうこう、諸施設へ送り出す。作業には慣れているが、ダンボール一箱に50冊詰めの一箱ずつを運ぶ重さの、すごいこと。この暮れには米寿の私、八十七歳の瘠せた腕力には、息も止まりそうな重さで、堪えます。本の重いことにはへこたれる。
2023 10/27

* 午后三時には『湖の本 165 廬山 三輪山 隠沼 私語の刻』の発送を完了した。妻がよく手伝ってくれた。今回巻頭の小説三作には、愛着している、是非再読、初読して戴きたい。フウフして疲労は濃いが、なんとか一つの關をまた潜れた。有難し。
次へ。しかと脚を運びたい、新しい書き下ろし長編をうまく送り出したいと願、用意もほぼ出来ている。

* 自身の日常が記憶も把握も出来なくなって以。本を送り出したのはケッコウだったが、その後、何をしていたのか。覚えていない。寝る如かない。
2023 10/28

* 悪戦苦闘ながら、ガンバリ抜いて、厄介混乱遅滞を、混乱しては直し、また直しして「入稿」への基盤づくりだけは、ほぼし終えたので、寝に階下へ降りたのだった。
2023 11/3

* 少しはムリも承知のガンバリで、気がかりな「湖の本 166」入稿(送稿)を強行。すこしでも肩の荷を軽めたいと。ポストヘは自転車に乗ったが、帰りは「危険」と感じ、曳いて戻った。顚倒は、ヘルメットで少し防げても、骨折すれば容易ならぬ怪我となる。自分の足で歩ける内は歩くこと。
2023 11/6

* 長いめの新作小説を新たに「湖の本」巻頭に入れた。
次は何を。むろん理想は{新作}の小説です。

* なにともなくすらりと「私語の刻」と名づけてきたが、これはいまでは私「文藝」のとても大事な大きな一画をに成ってくれている。「私語」もまた作家の腹中を創作的に支配しているのは歴然なのだから。
どなたかが謂うて下さっていた、秦の「私語の刻」は秦の最大創意の集結ないし燃焼だとも謂えると。「私語」「私語の刻」というなにやら厄介者めいたモノに文藝としての「存在理由」を副え与えた、と。
2023 11/6

* 新しい小説を、短くも長くもよし、気持ちよく一作書き上げて「湖の本」の最期を結びたいと想うている。「170」を忘れ、こころよい第「167」巻を編みたいものだ。
2023 11/6

* 大要を 昨日ともあれサキへ送り届けたので 仕事、実務的の仕事ではラクになっている、か。とくに追われていないように思う。それなら大事は一つ「新作小説」への意味のある接近・接触。
2023 11/7

* どんなしくじりとも悟れぬまま、書いた文章を失ってしまう落胆に、何度、何十度 歎くことか。
疲労困憊のママ 落ち着き無く京を過ごしてしまう。シッカリしろよと𠮟りたい。
2023 11/8

* 機械が混乱しているのではない、私の頭脳が混乱と無理解とを極めて 時間を大量にムダにしてしまっている。
ダメだ、こりゃ。ガックリ首が前へ落ちている。

*ロクに本も読めず、テレビも憂く、とろとろと寝入ってしまう‥そんなことを何度も繰り返して一日が過ぎて行く。新しい小説もいくらか前へ話柄をのばしてはいるがるんるん乗り気とは入ってない。睡い‥それだけが慥か、か。
2023 11/10

* 妻の入院手術もあるかという指定病院での初診まえに、いま、私は一小説家として何が出来るか、するか。そこへ頭から突っ込んで行くとして何が書けるのか。
2023 11/12

* 書いたと記憶鮮明な文章が、日録から消失している。私の不器用か 機械の乱調か。いつもいつも私に歩は無いのだ、が。
戴いている書信等のぜひ記録したいと手懸けたものも、みな失せていたりする。あらたにする意気が失せてしまう。
せめてお名前を順序など無く。
相原精次さん。あたらしいお仕事と私の次巻巻頭即とが、微妙に歴史的に触れ合いそう。女真等の          宮本裕子さん。岩波「世界」のへんしゅうちょうだった高本邦彦さん、「廬山」久しぶりに読み返しました。初めて読んだ当時の感動が甦ってきました、しみじみと心に沁みます」など安井恭一さん。今回は巻頭の「廬山」「三輪山」「隠沼」三作のそれぞれに同様に触れて下さる方がの多かった。感謝。学生さんの昔から東大名誉教授までも久しく久しいお付き合いの長島弘明さんも。時間をかけてよむには今どきの若い作家らの作に全くあきたらないと。写真家の近藤聰さんは嬉しい名酒の一升びんまで副えて下さる。奈良女子大や神戸樟蔭女子大からも受領の来信。
画家松井由紀子さんもむかし夢中で読んだ作との再会を喜ばれ、むかしむかし娘朝日子と親しかった四国の糸川剛司君、世にも珍しい造りのワイン?その他沢山な贈りものを副えて「げんきにすごしています」と。お嬢ちゃんが同志社のヨットの選手で「朝子」ちゃんと。
九大名誉教授今西祐一郎先生、まことに心行くシカモ着眼にひびきのある新ろんこうとともに、お手紙戴く。東福寺大機院のお嬢さんだった直木和子さんも京のお菓子を副えて礼状を。そして聖教新聞社の原山祐一さん、それぞれに「心に沁みる思いで愛読再読」と。私語の刻での白楽天詩選にも反応され、皆々参と同じく私の老いと健康とにお心遣いを戴いた。京舞井上八千代さんのお便りも身に滲み嬉しく懐かしく。大阪池田市の陶芸家江口滉さん、今回は「湖の本」ならではの企画だったと喜ばれ、現在、閑吟集、梁塵秘抄を読み返していますと。久留米大学図書館からも謝辞を副えて受領の来信有り。

* ごく孤独に、つまり外向きに開け広げてない仕事をしてるのだが、「湖の本」継続166巻にも及んでいる刊行は、自ずとしんみり廣く濃く諸方へ浸透しつつあり、それに感謝しそれに励まされている。
2023 11/15

*「着想」とは、算数の分数で謂えば 「分子」かと。 「分母」を養い培うこと、「創作の母体で原義」かと思うけれど、七十年取ッ組んでも、みるから薄っぺらい吾が「分母」に呆れ、もうもう、保たないほど疲れた。何だか莫迦囃子でも踏んで遊び終えたくさえ。 老耄 謂うに堪えない。

* 「懸命に、元気に、洒落(しゃらく)にさえ遊び心も培いながら 創作続けて下さい。
視力を大切に。「見える」視力だけで無く、「観る」意思力も、と、涸れた「湖」の絶句です。
2023 11/16

* いま、どんな作家がどんな小説を読ませているのか、不勉強で知らない。しかし私は核なら小説を、と、忘れていない。
2023 11/18

* 新作にと「想い」寄せている仕事へ、あまり手がかりが多く書き出しそびれていた。へんなことと思われようが、しきりに「うろおぼえ」の童謡が口をついて出て、
サッちゃんはね サチコて云うんだ ほんとはね
だけど チッチャイから
自分のこと サッちゃんて 云うんだね
可笑しいね サッちゃん
「可愛いね」かもしれず、間違えててもそこは大過なく、「サッちゃんはね サチコて云うんだ ほんとはね」は「ほんと」。ただ私の知っているその「サッちゃん サチコ」は、可愛かったけれどもう「チッチャ」くはなかった、初めて顔をみた、見合うたころは、着たきり寸づまりな着物の母親が、ガラゴロ手押しで、たぶん煮焼きなどした小魚の類いを小さな「かけ声」で売りに来る荷車のわきを温和しくついて歩いて来た。我が家の前あたりに立ち止まると、待ち受けてたように近所の小母さん等が寄って気楽に喋ったり笑ったりし、わたしも母や叔母のちかくで、ボヤッと芸もなく立っていたりした。荷車の脇の(?_?)名のことくちをききうなど、あるべくももなく、しかし年格好は、わたタクシが敗戦後小学校の五年生なら向こうは三、四年かと見受けた。
2023 11/20

* 「湖の本 166」初校が出て、巻頭の小説を校正し始め、すくなくも、昂揚感が得られている。惑わず このまま校正し続けつつ、弱点が見つかれば立て直し直しして「本当の脱稿」へもって行きたい。いわば最晩年作のやや長い目の小説で、「秦恒平」なら在りうる「結構」にケッコウ挑んでいる。しっかり仕上げたい。それに成功すれば、更に次の、先の、創作へ気をしかと向けることも出来よう。まだ「終わり」ではない。
2023 11/22

* 妻の入院予定日が近づいてくる。万善に心用意して無事に退院して欲しいと願っている。私もアコ・マコもガマンし努めねば。
初校が出て、有難い。気持の芯とも支えにもなって呉れる。平常心、そして文章世界の設計に協調・親和すること。

* よく寝て 平安に在ること。
2023 11/22

* 此の日録の「私語」を、そーっと遡ってみて文量亮の莫大に我ながらおそろしくなった。

* 昨日の初校出から、打ち込んで巻頭の長編作校正に緊張ししゆうちゅうして、まだ半途。まさに題の文字どおりに『蛇行』を極めている。こういう書き方を一度はしてみたかった。
おそらく天体もそれぞに「蛇行」していよう、人の世の暮らしも「蛇行」のまま頚をもたげることも、そのまま果ててゆくのも「在る」はず。一直線も、まるく閉じても仕舞うまい。と思いつつ機械クンの機嫌を損ねたか、「初校も混乱停頓、やれやれ。

◎  来年正月には、「大きな出来ごと」が現実化すると見ていますが、囚われなく、「成るように成るを成し遂げたい」だけ。誰も、私から「私」は取り上げられないでしょう。
「湖の本」は刊行し続けるに「私自身の問題は何も無い」が、現在「扱いの業者」での「発送」が「不可能」になると、既に判っています。「発送」できない「本」を莫大に制作してたら、家が潰れますしね。「湖の本」は造れても、もう、読者に届けられなくなります。
いよいよ、納得のいく「ホームページ」を「確立」ないしはそれも「断念」かと。とても「自力」では出来ないので。
どうも、今今 此の私に「発信可能・実行のホームページ」なるモノが在るやら無いやら、私にいかにも自信の持てていない状況です。
「私語の刻」など「機械で読めてますよ」という人もいるようですが、なんとも 現状もワケも判レズにいます。
好きな「松葉」の鰊蕎麦が自分独りの手で無事「食べられるか」は、判りませんが、「食べられないワケ」は無かろと思ってます。。
とにかく、怪我無く 達者に そして意欲的に元気でいて下され。  鴉 カア

* 携帯電話を買って貰ってながら、「機械バカ」で、よう、遣えないままいますよ。
妻の入院手術をまぢかに控え、猫がふたり、私独り の留守くらしを 手さぐりで数日後から始めます。この「クソ(九十)爺」にまぢかい老境にも、あれこれと初体験が有るものです。 自転車も、もう危ないと、昨日、近くの病院までも乗り切れなくて、諦めました。
それでも、「めちゃに蛇行する新作の長い小説」を いま「初校」していますし、新たにも書き継ごうとしています。
寿命と仕事と、追っかけ合いです。ケケケ。
鳶さんや  元気に怪我無く お過ごしあれや。 鴉カア
2023 11/23

* もっぱら「湖の本」初校の確認等を寝床に坐ってし、余のなにもせす、飲み食いもせず、寝入った。
2023 11/24

* しかと点検確認して「原稿」としての所在や記述の記憶も一度。確認した覚え明旅なのに、それがどう捜しても、機械から見つけられないとは、コリャ、どうじゃ。くるったか、能登機は死んでもいたのか。呆れて、なにもかもイヤになりそう。それは困るのだ。

* 「失せた」かと困惑の機械内小説原稿、見つからない。困惑、困惑、唸るしか無いとは。
2023 11/25

* 目下の「湖の本 166」初校ゲラに壽湯養家書の脱落が確認できていて、何んな一升であるかの確認も出来ているが、その本分が機械でも見つけられてないが、少なくも一度は発見し無いようも確認しているのだから、懸命に捜すのが先決。機械上に幾つもの本文原稿を保存しつつ仕事してきたのが、混乱のもとか。今朝の一の仕事目当ては、ソレになる。
2023 11/26

* ともかくも今期「最終 結び」と思っている「166」の初校スミ 要再校ゲラの「戻し」を急ぎたく今日は熱中し続けていた,疲弊は痛みと倶に増してはいるが。

* とにもかくにも二十九日午後一番には,迪子の順天堂病院入院のために付き添うて行く。ソレまでに仕事上大事の懸案「湖の本166」初校済み「要再校ゲラ」をTOPPANへ返送したい。相当に手はかかるが、コト細かく。の戻し
2023 11/27

* 明日、妻、練馬高野台の順天堂病院に、入院。付き添って行くためにも、今日の内に「湖の本 166」要再校の初校ゲラに詳細入念注意し手を入れて「返送」用意、さまざまに問題箇所があり神経をとがらし、懸命に用意の一日に成った。駅階段から転げ落ちた痛みなどが右半身に在るが,今やそんなことは気にして居れず、妻の無事入院容易に気をつかっていいた。十ほどは妻が留守を、アコ、マコとともに私独りの生活留守居に成る。その用意、心用意も容易でない。

* が、懸命に集中・考慮して、巻末五頁もの「あとがき」、それも『秦恒平 湖の本』少なくも今一期、創刊以来38年をまずは閉じる一別の「挨拶」とも一心の回顧と反省とも謂うにあたる『あとがき』まで書けた。
明朝には、妻と病院への途次にTOPPN宛て郵送出来る。
2023 11/28

あとがき

一九八六年 桜桃忌に「創刊」、此の、明治以降の日本文学・文藝の世界に、希有、各巻すべて世上の単行図書に相当量での『秦恒平・湖(うみ)の本』全・百六十六巻」を、二〇二三年十二月二十一日、滿八十八歳「米寿」の日を期しての「最終刊」とする。本は書き続けられるが、もう読者千数百のみなさんへ「発送」の労力が、若い誰一人の手も借りない、同歳,漸く病みがちの老夫婦には「足りなく」なった。自然な成行きと謂える。
秦は、加えて、今巻末にも一覧の、吾ながら美しく創った『秦恒平選集 全三十三巻』の各大冊仕上がっていて読者のみなさんに喜んでいただいた。想えば、私は弱年時の自覚とうらはらに、まこと「多作の作家」であったようだが、添削と推敲の手を緩めて投げ出した一作もないと思い、,恥じていない。

みな「終わった」のではない。「もういいかい」と、先だち逝きし天上の故舊らの「もういいかい」の誘いには、遠慮がち小声にも「まあだだよ」といつも返辞はしているが。 過ぎし今夏、或る,熟睡の夜であった、深夜、寝室のドアを少し曳きあけ男とも女とも知れぬソレは柔らかな声で「コーヘイさん」と二た声も呼んだ呼ばれた気がして目覚めた。そのまま何事もなかったが、「コーヘイさん」という小声は静かに優しく、いかにも「誘い呼ぶ」と聞こえた。
誰と、まるで判らない、が、とうに,還暦前にも浮世の縁の薄いまま、「,此の世で只二人、実父と生母とを倶にした兄と弟」でありながら、五十過ぎ「自死」し果てた実兄「北澤恒彦」なのか。それとも、私を「コーヘイさん」と新制中学いらい独り呼び慣れてくれたまま,三十になる成らず、海外の暮らしで「自死」を遂げたという「田中勉」君からはいつもこう呼んでいたあの「ツトムさん」であったのか。
ああ否や、あの柔らかな声音は、私、中学二年生以来の吾が生涯に、最も慕わしく最高最唖の「眞の身内」と慕ってやまなかった、一年上級の「姉さん・梶川芳江」の、やはりもう先立ち逝ってしまってた人の「もういいの」のと天の呼び聲であったのやも。
応える「まあだだよ」も、もう本当に永くはないでしょう、眞に私を此の世に呼び止められるのは、最愛の「妻」が独りだけ。元気にいておくれ。
求婚・婚約しての一等最初の「きみ」の私への贈りものは、同じ母校同志社の目の前、あの静謐宏壮な京都御苑の白紗を踏みながらの、「先に逝かして上げる」であった。心底、感謝した。、いらい七十余年の「今」さらに、しみじみと感謝を深めている。

私の「文學・文藝」の謂わば成育の歴史だが。私は夫妻として同居のはずの「実父母の存在をハナから喪失していて、生まれながら何軒かを廻り持ちに生育され、経路など識るよし無いまま、あげく、実父かた祖父が「京都府視学」の任にあった手づるの「さきっちょ」から、何の縁もゆかりも無かった「秦長治郎・たか」夫妻の「もらい子」として、京都市東山区、浄土宗總本山知恩院の「新門前通り・中之町」に、昭和十年台前半にはまだハイカラな「ハタラジオ店」の「独りっ子」に成ったのだが、この「秦家」という一家は、「作家・秦恒平」の誕生をまるで保証していたほど「栄養価豊かな藝術文藝土壌」であった。
私は生来の「機械バカ」で、養父・長治郎の稼業「ラジオ・電器」技術とは相容れなかったが、他方此の父は京観世の舞台に「地謡」で出演を命じられるほど実に日ごろも美しく謳って、幼少來の私を感嘆させたが、,加えて、父が所持・所蔵した三百冊に及ぶ「謡本」世界や表現は、当然至極にも甚大に文学少年「恒平」を啓発した、が、それにも予備の下地があった。
長治郎の妹、ついに結婚しなかった叔母「つる」は、幼少私に添い寝し寝かしてくれた昔に、「和歌」は五・七・五・七・七音の上下句、「俳句」は五・七・五音などと知恵を付けてくれ、家に在ったいわゆる『小倉百人一首』の、雅に自在な風貌と衣裳で描かれた男女像色彩歌留多は、正月と限らない年百年中、独り遊びの私の友人達に成った。祖父鶴吉の蔵書『百人一首一夕話』もあり、和歌と人とはみな覚えて逸話等々を早くから愛読していた。
叔母つるからの感化は、さらに大きかった。叔母は夙に御幸遠州流生け花の幹部級師匠(華名・玉月)であり、また裏千家茶道師範教授(茶名・宗陽)であり、それぞれに数十人の弟子を抱え「會」を率いていた。稽古日には「きれいなお姉ちゃん・おばちゃん」がひっきり無し、私は中でも茶の湯を学びに学び叔母の代稽古が出来るまでにって中学高校では茶道部を創設指導し、、高校卒業時には裏千家茶名「宗遠・教授」を許されていた。
私は、此の環境で何よりも何よりも「日本文化」は「女文化」と見極めながら「歴史」に没入、また山紫水明の「京都」の懐に深く抱き抱えられた。大学では「美学藝術學」を専攻した。
だが、これでは、まだまだ大きな「秦家の恩恵」を云い洩らしている。若い頃、南座など劇場や演藝場へ餅、かき餅、煎餅などを卸していたという祖父・秦鶴吉の、まるまる、悉く、あたかも「私・恒平」の爲に遺されたかと錯覚してしまう「大事典・大辞典・字統・仏教語事典、漢和辞典、老子・莊子・孟子・韓非子、詩経・十八史略、史記列伝等々、さらに大小の唐詩選、白楽天詩集、古文眞寶等々の「蔵書」、まだ在る、「源氏物語」季吟の大注釈、筺収め四十数冊の水戸版『参考源平盛衰記やまた『神皇正統記』『通俗日本外史』『歌舞伎概論』また山縣有朋歌集や成島柳北らの視し詞華集等々また、浩瀚に行き届いた名著『明治維新』など、他にも当時当世風の『日曜百科寶典』『日本汽車旅行』等々挙げてキリがないが、これら祖父・秦鶴吉遺藏書たちの全部が、此の「ハタラジオ店のもらひ子・私・秦恒平」をどんなに涵養してくれたかは、もう、云うまでも無い。そして先ずそれらの中の、文庫本ほどの大きさ、袖に入れ愛玩愛読の袖珍本『選註 白楽天詩集』の中から敗戦後の四年生少年・私は、就中(なかんづく)巻末近い中のいわば「反戦厭戰」の七言古詩『新豊折臂翁』につよくつよく惹かれて、それが、のちのち「作家・秦恒平」のまさしき「処女作」小説『或る折臂翁』と結晶したのだった、「湖の本 164」に久々に再掲し、嬉しい好評を得ていたのが記憶に新しい。
2023 11/28

* もつぱら読み継いでいるのは明治早々の和本『参考源平盛衰記』の、今、巻二十五だが、並行して、「かなり戻って」の巻十六。
私は、もののあはれに逼られてか「源三位頼政」という武人に昔から同情を寄せ、ひととなりも、武人、歌人としての風貌にも心惹かれている。時間と躰との余裕さえあれば、『頼政』語りを抜粋して現代語譯の『頼政ものがたり』にもしたいのだが。
2023 12/1

* 朝から、怠けて寝転んでは居なかった、が、「湖の本 最終166」を無事責了したいと勉めて、疲労は部厚く心神を絞めるように掩っている。やれやれ。その気になれば用も要も、ハイハイと寄ってくる。

* コロナいらい 街へどころか、医者以外に近隣へも出歩いてない暮らし。

*[「湖の本」今度の166巻で 終える。発送の「便」が業者側から無くなってしまうので。
むろん、「書く」は、書き続ける。
ホームページを適切に完備できれば、「発信」のカタチで「作と私語と」は送り出せる。が、カッコいい「ホームページ」を自分で「創れない」のが「遺憾」も遺憾。

*ま、なにもかも終焉へ。自然な歩みと謂うべく。
2023 12/15

* いよいよ「秦恒平 湖の本」「最終」第166巻を「責了」で印刷所に託するところまで来た。ここでもまた一つ、作家人生の大事な,よけては通れないキマリが付く。

* さ,そうなったら、なったこと。いっそ手足を伸ばしすきなことをしてみるか,残年は短い、残念に潰されまい。
2023 12/16

* 起きて、寝て、腰骨の痛みやまず。視力の衰え甚だしい。機械の上でもいろんな制約や不本意が起きているのをむしろ僥倖とし、為ずに済むことは来る新年からはこころおきなく放擲してずんずん済ませる生活にしたい。姿もかたちも、わが文筆には無用というぐらいに。

* 誤植の校正は、まこと、この歳になっても、この歳になったからとも言いたいが、むずかしく、恥をたくさんかく。

* 歳暮に、メールで送れる何人かの人に『埋み火 京の底冷えに』を、恥ずかしい誤植もコミで、送った。
* 此処へ、「令和五年のあとがき」として、書き写して置こう。

◎ 謹賀迎春  令和六年

埋み火  京の底冷えに   秦 恒平 作

「さ、歳を送りましょ、おあがり」
「有難うございます。ご馳走になります。
その年の稽古茶席、最期に埋み火の客は、新年には京都を離れ、もう稽古にかよってこれないという年上の人だった。そのYさんを叔母と鈎の手にはさんで、まだ高校生だった私は、水屋に近い席で年越し出前の天ぷらうどんを、わざと元気よくふうふうふいてするする食べた。
「除夜の鐘、もう成增やろ」
「もうさっきから鳴ってるよ」
「ーーー」
「大晦日の晩にはお炭点前をして、こうやってお茶点ててつごもりそばをいただいてから、あしたの朝の大福茶まで保つように、炉の炭を灰で埋み火にしとくのどすえ。そして一年中お世話になった火ィに、えらいご厄介さんどな、ありがとうございました言うてお礼をな」
叔母が喋っているまに私は紙釜敷の炭斗を水屋から取ってきた。釜を揚げ、火種を起こし炭も新たにつぎ添えて灰匙でこなもり灰を寄せながら、山なりに、赤く燃えた火を埋めて行く。叔母も、爐縁へ膝行して出たYさんも、私が灰を盛り切った所で思わず三方から炉に向かって静かにアタマを下げた。知恩院の鐘が響き、路地を足音賑やかに連れ立っておけら詣りへ抜けて行く若い声が通り過ぎる。私は時計を覗いた。
「新年ですよ」
するともうYさんは炉端からつっと退り、叔母の方へ両手をついた。
「明けましておめでとうございます。旧年は、一方ならず、お世話になりましてーーー。どうか先生、幾久しく、お達者に」と、そこまで言ってYさんは急に両手で顔を包んでしまった。
「はい、おめでとうさんどす。あんたさんも何処へお行きやしても、お大事にな」
叔母は立ち、ひょいと床の間に片足かけてさすがに器用に、井泉水書く四字の軸の裾を三分の一ほど巻きあげて、掛釘から外して来た。
「一陽来復や。なんにもようしてあげられなんだけど、荷物にもならへん。これ、お年玉に差し上げますよって。な」
「ま、いけませんそれは先生、お大事なものを。よう覚えて、一陽来復、決して忘れませんから」とYさんは涙の顔も手も一緒に慌てて横に振った。構わず叔母はするする巻き切って、押入から箱と有合せの紙を出して来ると目の前で無造作にくるんだ。Yさんは弱ったという顔で私を見た。
「おめでとうございます」
私は両手をついて叔母とYさん半々にお辞儀した。Yさんも丁寧に返礼した。
「叔母みたいなシブチンが呉れる言うのやしーーー、遠慮せんかてええですよ」
「まあ」
あははと叔母が真先に笑った。自分で貰い物をしたほどに、私の方が嬉しかった。
叔母は立ってもう結び柳を持ちながら私たちには初詣を勧めた。毎年私は必ずこの茶室から祇園町を抜けて八坂神社へ参り、さらに知恩院か清水まで歩くのだ。
「ね、一緒に行きましょ」
私が誘うとYさんは初々しいほど一瞬含羞んだ顔をした。そして白い顔がうなずいた。急いでジャムパーを取りに離家をでた。庭に月が照って、銀色に瓦屋根が濡れていた。
八坂神社は石段も甃の参道も晴やかな初詣の人渦を幾重にも巻きこんで、見上げる空まで揺れるような賑わいだった。厄除けのおけら火を細い縄のさきにうつして貰い、、赤い火の色をちいさくくるくる回して帰る人波に、占領軍の兵隊やMPも混じっていた。
拝殿まで容易に進めなかった。もみ合うなかで足を踏まれたかいやあと叫ぶ若い女声までが新年らしく陽気で、寝おびれた鳩が屋根から屋根へ人の頭の上を羽音高く渡ると、そこまでも燃え盛る神火の焔は微塵の火の粉をばんばん吹上げて松の梢を真黒く夜空に浮かばせる。私はYさんの手を牽き引っ張るように一歩一歩神前へ近づいた。鈴を鳴らす太い綱にいくつもの手が一斉に取りつく。私たちもやっと片手だけ綱に触れ、そして掌を合わせればたちまち横から後ろから押されてよろけた。
「ずいぶん熱心に拝まれますね。何を」
Yさんは私を見て笑顔でからかった。何ということもないのだ、「恰好だけです」と返辞して、一刻も早くそこを遁れないと賽銭箱の柵に押しつけられ、右にも左にも出られなくなる。おけら火の火勢をもうそこに轟っと浴びながら、からがら拝殿の東側から円山公園へ飛び出す、と、ごうんーーーと肚に響く知恩院の鐘だった。暗やみに夢見るようにいくつも火縄が舞っている。京の底冷えをついて公園を抜け、まだ東へ池を越えて、山の上の大釣鐘堂まで除夜の鐘撞きを見に行く人が沢山いる。
「行ってみますかーーー」
「 いいえ、此処で聴いていましょう。もう押し合うのは大変。ーーーあの辺、ね、撞いているのは。あ、凄いのーーー胸の底まで響くわ」
「ーーー」
「恒平さん、あなた寒くありません」
「寒い。脚に何かが噛みつくみたい」
「歩きましょ。じっとしてたら凍えてしまうわ」
「ね、清水さんまで行こうか」
「ーーー」
「あそこは人がぎょうさんお籠りしてはる。音羽の瀧に打たれてる人もあるし、舞台へ出ると」
「きれいーーー」
「きれい。今夜みたいに月があるとあの音羽の山の端がきらきら光って、まあるいの」
「行きましょ行きましょ」
Yさんは先に立つくらい元気に歩いた。真葛ケ原から二年坂、三年坂まで、さすがにめったに人とも出逢わない。たまにまだ正月の用意の終らない家の前だけ灯が洩れて、その辺り二、三軒の門松や〆飾りが行儀よくしんと目立つ。
「ね、恒平さん」
「はい」
「ーーー」
「何ですか。言うて下さい」
「ーーーお茶習って、よかったわ」
その年の秋はじめ、叔母は嵯峨の二尊院ちかくに茶席を借りて、「正午の茶事」を社中の希望者に稽古させた。Yさんはお点前など役はつかなかったが、わざと「客」として席半ばに座っていた叔母の隣で、神妙に叔母のする通り真似て濃茶を喫み、懐石を食べていた。濃い藍ねずみにしだれ柳と籬に菊の着物がよく似合っていた。ーーーこの人に、またあんな機会があるのだろうか、本当にこの人は、京都を離れて行くのかーーー。
高い石段の上に清水寺の勅使門は凜と影を浮かべ、きらきらと屋根が光る。かすかに落ちる遠い瀧の音に聴き耳立てて空を仰げば、いっそ花やかに月かげに白く濡れて、柔毛のように木々の影がふるえて見える。
つと手を取り合ってYさんと私は石段を上り、塔の横から本堂の方へ急いだ。遠目に舞台が鏡のように照って、何人もの先客が心なし凝っとたたずんでいる。御堂の奥は大きな燈明が昏い影を常闇の底から揺り動かし、お籠りの白衣の老人夫婦や祈祷を捧げる二十人足らずの人が、みな黙々とひとかたまりの濃い翳になって蹲踞って見えた。
今度はYさんの方が永く眼をとじて合掌していた。
「何、お願いしてたん」と、私はからかった。
「また、きっとお目にかかれますように」
「誰に」
「恒平さん、に」
照れて私はあはあは笑いながら、とっとと舞台へ一人で出て行った。何だ、何だ、一体これは何だ、夢か、絵空事か、お芝居か。私は涙を頬に伝わせ、擬宝珠のある欄干に痛いほど胸を押し当てて真昏な谷底を覗いた。音羽の瀧に灯が流れ、人だかりがしている。經か陀羅尼か、声高に唱えて細い樋口を落ちる瀧に肩を打たせている白鉢巻の老女を、Yさんは厳しい横顔で息をつめて見下ろしていた。姉さんーーと、そう私は心の中で呼んでいた。死んだらあかん、死んだらあかんよと呼んでいた。寒い寒い京の底冷えだった。
あれからーー三十五、六年。Yさんは去年の師走に、カリフォルニアで、子供さんもなくひっそりと亡くなっていた。妹という人からのしらせで知った。
埋み火は、もう開くすべもな。この冬も、また、京都は冷えるだろう。  (結)
2023 12/23

* 歳暮に、メールで送れる何人かの人に『埋み火 京の底冷えに』を、恥ずかしい誤植もコミで、送った。
* 此処へ、「令和五年のあとがき」として、書き写して置こう。

◎ 謹賀迎春  令和六年

埋み火  京の底冷えに   秦 恒平 作

「さ、歳を送りましょ、おあがり」
「有難うございます。ご馳走になります。
その年の稽古茶席、最期に埋み火の客は、新年には京都を離れ、もう稽古にかよってこれないという年上の人だった。そのYさんを叔母と鈎の手にはさんで、まだ高校生だった私は、水屋に近い席で年越し出前の天ぷらうどんを、わざと元気よくふうふうふいてするする食べた。
「除夜の鐘、もう成增やろ」
「もうさっきから鳴ってるよ」
「ーーー」
「大晦日の晩にはお炭点前をして、こうやってお茶点ててつごもりそばをいただいてから、あしたの朝の大福茶まで保つように、炉の炭を灰で埋み火にしとくのどすえ。そして一年中お世話になった火ィに、えらいご厄介さんどな、ありがとうございました言うてお礼をな」
叔母が喋っているまに私は紙釜敷の炭斗を水屋から取ってきた。釜を揚げ、火種を起こし炭も新たにつぎ添えて灰匙でこなもり灰を寄せながら、山なりに、赤く燃えた火を埋めて行く。叔母も、爐縁へ膝行して出たYさんも、私が灰を盛り切った所で思わず三方から炉に向かって静かにアタマを下げた。知恩院の鐘が響き、路地を足音賑やかに連れ立っておけら詣りへ抜けて行く若い声が通り過ぎる。私は時計を覗いた。
「新年ですよ」
するともうYさんは炉端からつっと退り、叔母の方へ両手をついた。
「明けましておめでとうございます。旧年は、一方ならず、お世話になりましてーーー。どうか先生、幾久しく、お達者に」と、そこまで言ってYさんは急に両手で顔を包んでしまった。
「はい、おめでとうさんどす。あんたさんも何処へお行きやしても、お大事にな」
叔母は立ち、ひょいと床の間に片足かけてさすがに器用に、井泉水書く四字の軸の裾を三分の一ほど巻きあげて、掛釘から外して来た。
「一陽来復や。なんにもようしてあげられなんだけど、荷物にもならへん。これ、お年玉に差し上げますよって。な」
「ま、いけませんそれは先生、お大事なものを。よう覚えて、一陽来復、決して忘れませんから」とYさんは涙の顔も手も一緒に慌てて横に振った。構わず叔母はするする巻き切って、押入から箱と有合せの紙を出して来ると目の前で無造作にくるんだ。Yさんは弱ったという顔で私を見た。
「おめでとうございます」
私は両手をついて叔母とYさん半々にお辞儀した。Yさんも丁寧に返礼した。
「叔母みたいなシブチンが呉れる言うのやしーーー、遠慮せんかてええですよ」
「まあ」
あははと叔母が真先に笑った。自分で貰い物をしたほどに、私の方が嬉しかった。
叔母は立ってもう結び柳を持ちながら私たちには初詣を勧めた。毎年私は必ずこの茶室から祇園町を抜けて八坂神社へ参り、さらに知恩院か清水まで歩くのだ。
「ね、一緒に行きましょ」
私が誘うとYさんは初々しいほど一瞬含羞んだ顔をした。そして白い顔がうなずいた。急いでジャムパーを取りに離家をでた。庭に月が照って、銀色に瓦屋根が濡れていた。
八坂神社は石段も甃の参道も晴やかな初詣の人渦を幾重にも巻きこんで、見上げる空まで揺れるような賑わいだった。厄除けのおけら火を細い縄のさきにうつして貰い、、赤い火の色をちいさくくるくる回して帰る人波に、占領軍の兵隊やMPも混じっていた。
拝殿まで容易に進めなかった。もみ合うなかで足を踏まれたかいやあと叫ぶ若い女声までが新年らしく陽気で、寝おびれた鳩が屋根から屋根へ人の頭の上を羽音高く渡ると、そこまでも燃え盛る神火の焔は微塵の火の粉をばんばん吹上げて松の梢を真黒く夜空に浮かばせる。私はYさんの手を牽き引っ張るように一歩一歩神前へ近づいた。鈴を鳴らす太い綱にいくつもの手が一斉に取りつく。私たちもやっと片手だけ綱に触れ、そして掌を合わせればたちまち横から後ろから押されてよろけた。
「ずいぶん熱心に拝まれますね。何を」
Yさんは私を見て笑顔でからかった。何ということもないのだ、「恰好だけです」と返辞して、一刻も早くそこを遁れないと賽銭箱の柵に押しつけられ、右にも左にも出られなくなる。おけら火の火勢をもうそこに轟っと浴びながら、からがら拝殿の東側から円山公園へ飛び出す、と、ごうんーーーと肚に響く知恩院の鐘だった。暗やみに夢見るようにいくつも火縄が舞っている。京の底冷えをついて公園を抜け、まだ東へ池を越えて、山の上の大釣鐘堂まで除夜の鐘撞きを見に行く人が沢山いる。
「行ってみますかーーー」
「 いいえ、此処で聴いていましょう。もう押し合うのは大変。ーーーあの辺、ね、撞いているのは。あ、凄いのーーー胸の底まで響くわ」
「ーーー」
「恒平さん、あなた寒くありません」
「寒い。脚に何かが噛みつくみたい」
「歩きましょ。じっとしてたら凍えてしまうわ」
「ね、清水さんまで行こうか」
「ーーー」
「あそこは人がぎょうさんお籠りしてはる。音羽の瀧に打たれてる人もあるし、舞台へ出ると」
「きれいーーー」
「きれい。今夜みたいに月があるとあの音羽の山の端がきらきら光って、まあるいの」
「行きましょ行きましょ」
Yさんは先に立つくらい元気に歩いた。真葛ケ原から二年坂、三年坂まで、さすがにめったに人とも出逢わない。たまにまだ正月の用意の終らない家の前だけ灯が洩れて、その辺り二、三軒の門松や〆飾りが行儀よくしんと目立つ。
「ね、恒平さん」
「はい」
「ーーー」
「何ですか。言うて下さい」
「ーーーお茶習って、よかったわ」
その年の秋はじめ、叔母は嵯峨の二尊院ちかくに茶席を借りて、「正午の茶事」を社中の希望者に稽古させた。Yさんはお点前など役はつかなかったが、わざと「客」として席半ばに座っていた叔母の隣で、神妙に叔母のする通り真似て濃茶を喫み、懐石を食べていた。濃い藍ねずみにしだれ柳と籬に菊の着物がよく似合っていた。ーーーこの人に、またあんな機会があるのだろうか、本当にこの人は、京都を離れて行くのかーーー。
高い石段の上に清水寺の勅使門は凜と影を浮かべ、きらきらと屋根が光る。かすかに落ちる遠い瀧の音に聴き耳立てて空を仰げば、いっそ花やかに月かげに白く濡れて、柔毛のように木々の影がふるえて見える。
つと手を取り合ってYさんと私は石段を上り、塔の横から本堂の方へ急いだ。遠目に舞台が鏡のように照って、何人もの先客が心なし凝っとたたずんでいる。御堂の奥は大きな燈明が昏い影を常闇の底から揺り動かし、お籠りの白衣の老人夫婦や祈祷を捧げる二十人足らずの人が、みな黙々とひとかたまりの濃い翳になって蹲踞って見えた。
今度はYさんの方が永く眼をとじて合掌していた。
「何、お願いしてたん」と、私はからかった。
「また、きっとお目にかかれますように」
「誰に」
「恒平さん、に」
照れて私はあはあは笑いながら、とっとと舞台へ一人で出て行った。何だ、何だ、一体これは何だ、夢か、絵空事か、お芝居か。私は涙を頬に伝わせ、擬宝珠のある欄干に痛いほど胸を押し当てて真昏な谷底を覗いた。音羽の瀧に灯が流れ、人だかりがしている。經か陀羅尼か、声高に唱えて細い樋口を落ちる瀧に肩を打たせている白鉢巻の老女を、Yさんは厳しい横顔で息をつめて見下ろしていた。姉さんーーと、そう私は心の中で呼んでいた。死んだらあかん、死んだらあかんよと呼んでいた。寒い寒い京の底冷えだった。
あれからーー三十五、六年。Yさんは去年の師走に、カリフォルニアで、子供さんもなくひっそりと亡くなっていた。妹という人からのしらせで知った。
埋み火は、もう開くすべもな。この冬も、また、京都は冷えるだろう。  (結)
2023 12/23

○ ひときわ寒い朝に
寒いパソコンの前で(『埋み火』)読みました。ご健在、頼もしく、安堵しました。お寺の板の間の冷たさや、京都の湿った寒さがよみがえります。
先日は京都の町で迷いました。時間や、体力の見当がうまく働いていないようです。
木犀の花が散るともみじが朱くなるというもみじも、葉を落としてしまいました。
目標、サフランの花を咲かせて、パエリャをつくること。丁寧に。
お大事にお過ごし下さいますように。 豊中  美沙

○ 秦先生  掌編小説「埋み火 京の底冷えに」嬉しく拝受、拝読いたしました。ありがとうございました。
最初の数行で忽ち作品世界に引き込まれてしまうのが、いつに変わらぬ秦作品の力、魅力だなあと、あらためて頷いたことでした。
昨日今日、京といわず、日本中が底冷えしていますが、どうぞ、風邪など召されぬようお大事になさってくださいませ。
白川郷など大変な積雪だとTVで騒いでいますが、当地も、今朝、今冬初めて5センチほどの雪が積もりました。
先生のHPは、十月二十日までは拝読できます。どうかして継続なされて下さいますよう。何方か手伝って戴けないでしょうかねえ。○
今年も一週間余りとなりました。いろいろなことがあり、先生のお考えをHPなどで知りたいなあ、と思うことも多いのですが・・。  I・YAMAN

○ やそはち兄上様
美しい短編小説を読ませて戴きました。
思いがけず、年の暮れのしみじみとした京の世界をのぞかせて頂きました。
まず思い浮かんだのは、初めて京都のお宅にお伺いした時のこと、叔母様のお茶室に通して頂いたと記憶しています。私は、高校の修学旅行の途中で、迪っちゃんと(真如堂の)恒子さん?と3人でお邪魔し、アルバムなどを拝見しましたね。
小説の最初の場面がお茶室だったので、思わず私自身も高校生になった気分で読ませて頂きました。
この落ち着かない最近の世相の中で読む京都の都市の暮れの様子は美しく、初々しい「恒平さん」の気持ちや、清水寺の鐘の音、お茶室の引き締まった空気や動作所作が一段と染み入りました。
また「一陽来復」という言葉も、今の世の中の希望であるようなそんな言葉に、新しい年への希望を抱きました。
どうぞこれからも美しい文章を書き続けて下さいね。元気を出して頑張って下さい! (妻の) いもうと 琉

○ 思いもかけない贈り物 ありがとうございます。
無事に満の米寿お迎え
おめでとうございます。
寒波の後はまた季節外れの暖かさになるようですね。
どうぞお大事に よい年をお迎えください。 下関 緑

○ 秦恒平さま お歳暮「埋み火 京の底冷えに」を拝読いたしました。ありがとうございます。
来年こそ、遊びに伺いたいです。
どうぞ、お元気に。 島尾伸三 作家

○ 秦 兄
奥さんの具合はいかがですか
先ずは満八十八歳の誕生日、おめでとう。
11月3日、奥さんの病院行の件で受信以来、返信がなく案じていますが、
『埋み火 京の底冷えに』を見て 特に異変もないようで安堵しています。
地球沸騰の近年ですが、流石にきのう、きょうの京の底冷えは堪えます。
互いに老体を労わりながら、佳い年末・年始を迎えましょう。  京岩倉・森下

○ 短篇明珠 拝読 一服の良茶を喫した気分です
今年も様々な御作を拝読し 旺盛な創作意欲に心を打たれました 「汝も励め」と鼓舞されて 奮発しなければならないと思ひを新たにしました
良いお年をお迎へくださいますやう念じてをります
寺田生 作家

○ hataさん
お歳暮の小説をありがとうございました。
京都のピンと張った冬の空気を感じることができました。数年前まで参加していた除夜の舞の厳かさを思い出し、失われつつある季節感を取り戻せた気がします。
凛としていたいと思いました。
ご無理のございませんように。
感謝いたします。 沖縄  名嘉

○ 冬至になりました。
ご退院、記念日、共にお祝いなさって、、、、と理解してよろしいのでしょうか?
お歳暮、いただく立場ではないと思いますが、ありがとうございます。
京の鳥辺野にはかなり広い実家の墓地があり、父がお寺さんによくしていました.力があったのでしょう。
狭い石段を登り始めると、狭い左に軍人の墓碑、右に庶民の墓地が広がっていました。
今は谷底まで開拓、最後はマンション形式の墓になっています。一人は そこに納まりました。
地学的には、京都の有名な露頭ですが、そこから二筋の水が落ちているだけの、音羽の滝がありましたが、、みのうの瀧になれていたこどもには、滝、という言葉は⁇ という感覚でした。
今は人任せ、私は関東。
下の男の子を連れて行った夏の暑い日、地元?のお年寄りに、あんたさんえらいねと褒められたことがありました。
古い、遠い記憶ですね。
冬至も過ぎました。
少し、少しと延びていく陽を、新しい年を、うつくしくお迎ええくださいませ。  那珂良

○ 秦様  年の暮れ。良い作品を読ませていただきました。ありがとうございます。
京の年明けに 身の引き締まる思いです。
寒さはこれからとか。どーぞどーぞお身体をおいといくださいますように。
迪子さまともに揃って 良い新年をお迎えくださいますように。   練馬  晴美

○ 「埋み火」有難うございました。
秦先生の文章を読ませていただいておりますと、いつも祇園のことが懐かしく想い出されます。
大和大路新橋の家で聴いた知恩院の除夜の鐘、おけらまいり、など先生とは7,8年後ですが、ほとんど同じ記憶が残っております。
今年ももう終わりますね。
世界が無茶苦茶になった一年でしたが、まだまだ続きそうです。
来年も何とかしっかり立っていたいと思います。
京  桂    服部正実

* 体調の違和すこぶる、變。六時半をまわったところだが、やすむ。

* 読者の方、メールアドレスとお名前さえ下れば、歳暮の掌編『埋み火 京の底冷えに』をお送りできます。
2023 12/24

* 風邪気味もあり、自まま気ままに寝置きしながら、歳を終える心用意はしていた.歳を終えて新年を迎える。ものこころついて八十年は繰り返し重ねて来たこと。ただ平穏に見送りまた新たに迎えるだけ。

* し残しの、ぜひ仕上げて行きたい「創作」への思いが少なくも二,三は積んである。平成にソレへそれへと向かって行く来年でありたい。
2023 12/29

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