ぜんぶ秦恒平文学の話

舞台・演劇 2003年

 

* 俳優座公演のシェイクスピア「から騒ぎ」を観てきた。芝居は可も不可もなかった。だが、なんでこんなノンセンスな古めかしいものを観せてくれるのか、劇団の意図がわからない。せめて現代の大企業か地方都市へでも移してモダンにアレンジしてみせれば、今少し意味も伺えようが、公爵や伯爵の出てくる、お姫様の出てくる恋の「から騒ぎ」がそっくりそのまま演じられても、「それらしく」「それらしく」類型的に演じられるばかりで、何の刺激も興味もない。どうたわいなくても歌舞伎ならそれなりの官能美も刺激もあるが、六百か七百年も昔のヨーロッパ中世の無意味な「から騒ぎ」を、二十一世紀にわざわざ演じるのなら、調理を考え、もっとリアルに楽しませてもらいたい。俳優座の演目としては三流に近い。堀越大史も鵜野樹理も好演だったし、だれもとくに気になる変な芝居はしなかったが(神父役は明らかにヘタクソだったが、)それだけではつまらない。
今ひとつ、おそろしく観客層が高年齢に傾いていたのが、俳優座のために心配であった。

* 池袋に戻り、ひさしぶりにパルコで天麩羅と、甲州の美酒「笹一」を楽しんでから帰った。妻が「ぺると」に寄って行こうというので、コーヒーを呑んで帰った。
2003 1・28 16

* 別れてそのあと、千石の三百人劇場で、ブルガリアのネジャルコ・ヨルダノフ作「ゴンザーゴ殺し」を見た。「ハムレット」に趣向した手強い、密度のある、おもしろい脚本で、よく盛り上がった。ハムレット劇の徹したもじりでありながら、存分に劇的な主張を遂げていた。痛切な批評のドラマであった。
前半の舞台は、脚本の妙味に俳優が追いつききれない息の浅さや息切れがやや窺われ、少し気疎い思いもしたが、後半へ来ると、劇性に大きな変化が現れ、それにつれ、政変含みの抑圧国家崩壊のドラマが、無辜の民にすれば牢獄国家からの解放にも繋がってゆくと俄然読めてきて、例えば「北朝鮮」型現代の地獄もまざまざと、上演の意図が鮮明に烈しく露出してきた。批評辛辣な現代味が、どろっと溢れて出た。面白かった。徹頭徹尾、ハムレット劇に乗っかっりながら、一つの政体の自壊が、陰険に進んでゆく。劇団「昴」の意気のつよさがうかがえ、わたしはこの企画と上演に賛成だ。
総じて上演と脚本のよさが先行し、演技陣は、ま、ソツないというものの、若手の方に少し物足りない薄さがのこった。内田稔、石波義人、高木均が流石に手堅く凄みをだし、水野竜司も難局を乗り切り、女優もべてらんの小沢寿美恵と若い米倉紀之子が張り合った。王国の陰険な政権にいたぶり尽くされる、城内に拉致軟禁されてきた劇団の役者達が、チャールズ、ヘンリー、エリザベスなどと名乗っていたのもおかしかった。
どんな芝居にするだろうと心配していたが、久しぶりに「昴」の佳い舞台に出逢った。三百人劇場で、俳優座制作部の山崎菊雄氏と会った。彼に見せて貰った先日の俳優座シェイクスピア劇「から騒ぎ」より、今日の「ゴンザーゴ殺し」の方に、現代のシェイクスピアを感じさせる気迫が感じられた。シェイクスピアだからといって、やはりピンと張りつめた新たな工夫の意志で、目一杯取り組まないと、演じ甲斐が薄れてしまう。新劇は、やはり時代とどこかでつよく斬り結んでいて欲しい。

* はねてから、白山方面へ歩いているつもりが、勘違いで巣鴨へ戻っていたので、そのまま池袋に帰り、メトロポリタンホテル地下の「ほり川」で、とびきりの鮨を食べて帰った。妻がお気に入りの店。店にはいるまでは少し胃が重い気分であったが、うまいものに出逢うと、忽ち酒もうまく、くつろいだ。よかった。喫茶室で、抹茶のアイスクリームをとり、口もさっぱりして、電車は保谷まで寝て帰った。
2003 2・13 17

* 三軒茶屋まで芝居を見に行く。倉本聡作「屋根」の主演は、「タクラマカン」のヒーロー納谷真大。二階最前列に佳い席が取れていた。ほぼ満席。以前、一度原知佐子の芝居を見に来たことがある。
さて今日の芝居は、一言に尽くせば「感動的な駄作」。納谷君はとてもよくやっていた、彼の純な持ち味が新婚初夜から八十過ぎて腰の八重に折れた爺様まで、遺憾なく出ていて、うまいへたよりも、その誠実な演じ方に好感。大きな拍手を、本気で送った。
但し倉本脚本の平板でいいかげんなことは目を覆うばかりで、よくある、「この場面は事実ではありません」と但し書き付きのシミュレーション・シーンのようなのを、平べったくただ並べて行く。前半の戦時中がことに手薄。新聞紙を写真に写し、その時期時期の唄を流し、時代・時世・時世粧をコラージュのように貼り混ぜにつなぐなんて、とても本格分厚な「演劇」とはいえない。只の「場面」集にすぎない。そんなやりくりで、大正半ばから平成八年までをパネルの展示会並みにひっぱるのでは、劇的感動はとても起きない。
それにもかかわらず、したたか涙を誘うのは、むろん劇的効果ではない。要はその時代を生きてきた私たちのような世代観客の思い出が、感傷的に、刺激されてしまうだけのハナシ。
納谷君たちの演じた夫婦二人の生涯だけが浮かび立ち、他の出演者たちは、全くのお添えもの。それはそれを狙ったともいえようが、いかにも半端であった。
敗戦後場面の組み立てでは、幾らか巧みな演出も無かったワケでないし、楽しみもした。だが、大いに受けた「つまらない」世相への風刺数え歌なども、その時に限って拍手喝采大笑いが集まったというのは、裏返せば、つまり舞台が「劇的」に組み立てられていないことへの「批判と失望」の笑いだと言えたのである。
なにより割り切れなかったのが、エンディング。何のために腰が曲がるまで悲喜こもごも生き抜いてきた老人夫妻なのか、簡単に感傷的に、ほとんど無意味に「死」の世界へ送り込んでしまおうという舞台の結末には、作者の神経を疑った。なんだ、こんなチャチなことをやっつける作者であったのかと。
もう云わない。
納谷真大は秦建日子作・演出の「タクラマカン」で懸命に好演し感動させてくれた俳優。その誠実な熱演は今日の舞台でも生きていて、それには満足したのだ、それでよしとしよう。駄作の罪は、全て倉本聡作劇のチャチなことに有る。

* 三軒茶屋からまっすぐ水天宮まで乗り、また中華料理の「翆蓮」で食事。紹興酒と汾酒。妻の注文でフカヒレの姿煮を主にした、セット料理。最後の、タピオカの入った冷たい杏仁豆腐までが、とても旨かった。この店へは去年の十二月雨の中を、誕生日に拘わらずひとりできて、食事したのが二度目。望月太左衛さんの会がこの近くで有ったのだった。
店の女の子がわたしを覚えていた。食事に満足し、帰りに三原堂で三笠を五つ買い、日比谷線で銀座へ、銀座一丁目から有楽町線で保谷へ、ゆっくり寝て帰った。
2003 2・26 17

* 中村扇雀丈から、「六月の渋谷コクーン」はいかがとメールのお奨めがあり、演目も知らず日も分からないが、折り返し、お願いした。すぐに承知と返事が来た。コクーンはやけに広く感じる劇場で、以前に一度出掛けたのは妻の好きな澤田研二の芝居だったが、あまり遠くてつまらぬ思いをした。芝居はいい席でみるのが何と云っても嬉しく、必要な心用意でもある。観劇のツテや、縁は大事に大事に、芝居一つでも気持ちよく楽しみたいものと、大げさだが、そう思っている。今度のコクーン、福袋を手にした心地で、何が観られるかなあとそわそわする。
2003 4・9 19

* 俳優座公演「九番目のラオ・ジウ」は中国人劇作家によるシンガポールを舞台にしたドラマ。八人の姉をもち九番目に男と生まれた英才少年が、公的な英才組織への参加を拒んで、親・姉・義兄ら一族の期待に背いて人形を操る人生に一身を投じようとする。
類似のはなしは、たしかマット・デーモン主演の数学の天才が恋に奔る映画にも、ジョディ・フォスターが天才少年の貧しい母親役を演じた映画その他でも、繰り返しとりあげられており、今日の舞台が、先行する類似の劇性に比して斬新であった、衝撃であったというところは少しも受け取れなかった。
大勢の登場人物がさかんに動き叫び騒々しいまで賑やかなのはともかく許せるとして、少年の運命を左右した操り人形芝居の場面が、余りに粗雑で、美しさも懐かしさも魅力もないのは致命的であった。どうしても、こういうドラマは観念的な訴えに成りやすい。演出のところどころにわたしは共感できる工夫を幾つかみつけはしたけれど、全体のまとまりは、原作のせいかも知れないが、お世辞にもよくなく、雑駁の印象を免れなかった。わたしと妻は、「と」列の中央、いちばんのいい席に招待席をもらっていたけれど、めったになく、すぐの前後左右で、途中居眠りの鼾が無遠慮に合唱していて驚いた。しかしそれも無理な異様な粗雑な芝居であった。
どうも、このところ俳優座の芝居が不作つづきではなかろうか、やはり時代にも訴え、しかし時代を超えても感動させる問題作や秀作をみせて欲しい。新劇のいまや本家である。通俗的な主題でもかまわないが、作劇と舞台は藝術的に緊迫した仕上がりのモノを期待する。役者がわるいのではない、みな熱心に誠実に演じているが、問題は「企画」ではなかろうか。

* 劇場を出たのが四時少し過ぎ。近くの蕎麦屋で、わたしはモリと菊正一本で小腹を温めた。妻は季節はずれの鍋焼き饂飩で注文の失敗。
元の朝日テレビがあったあたりに、六本木ヒルズとかいうゴタゴタしたあまり美的でない建築群が、人を呼んでいた。妻はまた来ようと言うが、わたしは二度と願い下げだと感じた。毛利庭園を上から覗いたが、水たまりの周囲にコンクリートの単調な通路をつくって、樹木にも石組みにも池にも風情は少しも無い。京都の庭とはちがうのだ、厳しい注文など付ける気もないが、あそこをそぞろ歩きたいとは滴も思わない。

* で、日比谷線で日比谷のクラブにまわり、うまいウイスキーを二種類、二杯ずつ、生のままで楽しんだ。お酒など飲めなかった妻も、インペリアルをダブルで、美味しいと言い言い飲みきり、少しも障らなかったのはたいへん結構であった。サイコロに切った味付け濃めのステーキと、旨い蝸牛を、肴に。これがわたしの好きな定番。フランスパンのスライスと。そしてグレープフルーツのフレッシュジュースで口中サッパリとして、丸ノ内線経由で帰った。帰ってみると、やはり楽しかった半日の外出であった。

* 幾つもメールが来ていたし、手紙も。すべて処理した。原稿も書いたし、発送の用意も進めた。
2003 5・12 20

* 明日は新劇。新劇という言い方がちっとも新しく無くなっている。明日の俳優座も新劇というより商業演劇寄りかもしれない。何でもいい、面白がらせてくれるか、考えさせてくれるか。そのあと、二三の個展など見歩いて帰りたい、妻の体力次第だが。
2003 6・10 21

* 雨を案じていたが外はほうっと晴れ間の光。もうやがて、芝居を観に出掛ける。

* 新宿サザンシアターで俳優座公演は、山田太一脚本・安井武演出「しまいこんでいた歌」を、濱田寅彦、中野誠也、片山万由美、松島正芳の三世代と、可知靖之、香野百合子の夫妻、その娘佐藤あかりと恋人田中壮太郎とで演じた。ややミスキャスト気味の佐藤あかりのほかは好演と謂って差し支えなく、クセの強い中野誠也も、今日はとても楽しめて見やすく共感できたし、一本調子になりやすい香野百合子もいつもとサマ変わりの面白い色ある芝居を見せてくれた。片山万由美は、ま、わかりやすい役どころをたいへん達者に切り回して頷かせた。ことに田中壮太郎が気味悪いほどリアルに青年の妙な感じをうまく表し、濱田寅彦も芝居の要の位置をしっかり守って、敬意を覚えた。名優可知靖之には荷が軽すぎたのでは。
そんな次第で俳優たちはみな軽妙に演じ、けっこう笑わせてくれた。だがその笑いは湿性のくすくすわらいを出ず、ぬるい湯の中で思い出し笑いをしているような気分。それも悪いことではないが風邪もひきそうな、よく言ってもわるく謂ってもマイルドなマイルドな小技の展開に終始した。熱ッとはじけるような感動はどこにも無い。
演出がわるいのではなく、演出はそつなく巧みに、殆ど一カ所の破綻もなく仕廻していた。
一にも二にも、なまぬるさの根底は、作者山田太一のおおいがたく平凡な、人間と人生との把握のあまさに在ると感じた。全体にわるくはなかったが、さて何のどこが芝居として胸に残ったかというと、凡庸な常識的な答案を読んだときのような脱力感だけがあり、よくて七十五点とつけて、それ以上のモノは絞っても出てこない。グーではあるが、グッドではなかった。何故だろう。

*「しまいこんでいた歌」という題で、ぜんぶが浅く薄く明かされている。人はだれでも一つや二つは、「しまいこんでいる」歌、という名の鬱屈や挫折や苦渋を抱えている。一つや二つで済んでいれば恩の字だ。作者は言う、吐き出せばいい。思い切って歌えばいい。そしてそれだけで終わるドラマなのだ。
その程度なら、昔、新派で、花柳章太郎と水谷八重子で感銘を与えた、埴輪を割ってみんなが悩む芝居があったり、その辺に類似のテーマの作品がごろごろしている。山田太一はパンフレットの「作者贅言」ではやくも予防線をはり、ソンナニ深刻なことではなくどこにもあることを、現実の問題として「浅く掬って」みただけけだと謂っている。
現代の劇の全部がそんなもんだとは謂わない、が、たしかに現代劇の一面をリードしているかのような山田太一にして「この程度でござい」と、はなから浅く諦め、彫り込みや突っ込みをほうり投げている以上、人の魂に突き刺さってくる問題提起のなかなか出て来ないのは当然だろう。
大技が小技よりいいとばかりは言えないが、作者のなかに軽評論家の姿勢しかなくて、軽演劇以上の、時代への烈しい寄与、深い寄与のあり得よう道理がない。山田太一がオレの知ったことかと言うのは自由であるが、その時は俳優座の企画に対してモノを問わねばならないだろう。舞台が何かを強く投げかけてこないのは、作品が何も持っていないというのに、同じ意味である。頭がマッシロになるほど嬉しくて興奮して爆笑していたこの間の「コクーン歌舞伎」をわたしは懐かしく思い出していた。あれは筋書きとしてはド・ナンセンスだが、演劇の劇性は爆発して、ファシネートに輝いていた。燃えていた。
山田太一作る今日のドラマは、くすくすとにやにやとの間に合わせのくすぐりの中で、「しまいこんでいた歌」という説明的な題名だけがころころと舞台を転げていた。

* 例えば舞台の頭でパソコンをいじっている場面があったが、わたしの実感では、この作者は、パソコンのもつ毒や意義などにはなにも感じていないと分かった。つよくそんな気がした。このサイバー環境の強烈な毒性などに意識が在れば、こんな緩くてぬるいただ常識的な自覚の薦めではなく、たとえば、昨日今日にも現にうかうかと議会を通過してしまった「出会い系サイト規制法案」などの孕んでいる人間社会の危機状況などを痛切に引っぺがして行きながら、まるでべつの刺激にも感銘にも興奮にも富んだ劇=はげしきモノ、が生み出せたろう。現代はそういう劇を通して批評されて良い。
「しまいこんでいた歌」という「題」だけ読んだなら、もう、全部が分かってしまうような手ぬるい劇は、劇でも何でもないと謂わねばならぬ。誰でも出会い系サイトの規制、それは必要賛成と叫ぶだろう。わたしだって、出会い系サイトなんてものは無くていいと思う。しかしこれを法で「規制」することが、出会い系サイトなどと全く無縁で無関係なあなたやわたしの電子メディア環境を破損し、私民の人権は拘束され監視され個人情報はたちまちに奪い取られても仕方ないようなことに成り行くオソレを、百パーセント含んでいる。現代にコミットする狂言作者なら、こういうところへビビッドに具体的に反応し作劇して欲しい。「しまいこんでいた歌」の思い切って歌えよというそれだけ足りてしまう説法では、笑いも思いも熱くならないのは当たり前だ。

* だが、そういう題材の選択を超えて、山田戯曲のなぜ、それが、少なくも私にはつまらないのか。映画「マトリックス」にあんなに刺激を受けた私にすれば、つまるわけがないのである。
つまり、夢に過ぎないと想われる現世の現実から、どうかして真実存の自由な人間として覚めたい、覚められるはずたと願っているわたしにすれば、山田太一の示していることは、夢の現実を夢とも気付かず、ただ夢の世をほんの少し熱い血の人間らしく生きたが良いぞと薦めているに過ぎないから、つまらないのである。迷妄や虚仮の世界での迷妄や虚仮を、ほんのポッチリ本気で受け容れてみようよと謂っているだけの話だから、そんな程度ではわたしには全くつまらないのである。所与としての現世閾値を少しも超えようという気概がない。「しまいこんでい」る歌なら「しまいこ」まずに歌えとただそれだけのこと、歌の質にもなにも触れていない。「今・此処」の現実に対し不安や批判や意欲をもっているように見えても、じつは何も示していない。「しまいこんでいた歌」とは、具体的な熱の塊でなく、ただ「言葉」の紙切れとして気軽に使われている。
山田太一の舞台芝居は、いつもこのように、ぬるま湯のように物足りない。

* 高島屋でファックス用紙を重いのに少し多めに買い込み、中央線で東京八重洲口に移動して、京橋まで歩いた。陶彫展で「湖の本」の久しい読者の出品作を二つ観て、また近くの、うどんの「美々卯」わきの南天子画廊で、京都藝大名誉教授吉原英雄氏の個展に参上。例によりたいそう興味深いコラージュ風の墨の作品が並んでいて感銘を受けた。
「美々卯」は堺に本家がありうどんが自慢の店と、わたしは谷崎潤一郎の書簡を調べていて教えられた。鶏なんばを取り、樽酒一合。
そして妻の体力消耗にあわせて、それ以上はどこへも寄らず銀座一丁目から帰った。保谷に着いてから「ペルト」で旨い珈琲をのみ、ゆるゆる歩いて帰った。雨には降られずに済んだ。
2003 6・11 21

* 一時半、俳優座稽古場LABO公演、「法王庁の避妊法」つまり有名な「オギノ式」を題材にした芝居に招んでもらい、妻と観に出掛けた。篠田達明原作から、飯島早苗、鈴木裕美が作し、藤原留香が演出した。LABO公演は、俳優座の有志が稽古場の明いたところを利用して自主的に勉強公演しているらしく、委員に堀越大史や星野元信、檜よしえ、青山眉子や早野ゆかりらが入っている。演出の亀井光子も入っている。
稽古場は、むろん本舞台よりずいぶん狭い。しかし狭い空間での芝居には魅力も凝集しやすく、わたしは概して好意的に見てきたし好きにもなっている。近年忘れがたい俳優座の舞台は、むしろ稽古場での作品が多い。
あの「オギノ式」をどう見せてくれるのだろうと、招待状の来たときから興味を感じていた。一つにはオギノ式の発見で世界の産婦人科学にノーベル賞級の名声を博した荻野久作博士の、そのオギノ式の画期的論文がまさに成る契機の一つであった、長男荻野博先生には、わたしは医学書院の編集者時代に原稿執筆などでたいへんお世話になっていた。ご縁があった。そしてうちの妻も、ひとしきりはオギノ式の御厄介になっていた時期がある。
受胎妊娠は、月経と月経の間の一体いつ成っているのか、排卵確認のそのいわば算出推定が、世界の学界のじつは久しく久しい「謎」の難問とされてきた。欧米の学者たちはそれをいつも月経開始日から先へ何日「後」と推定しようとしていた。荻野博士はこれを逆転し、月経開始からもとへ戻って何日「前」にという理論を実証された。コロンブスの卵であったが、この発見には、受胎とか出産とかいう従来の神秘を、人間の配慮下に計画的に左右できる普通の事柄におし変えてしまうという革命的な変換が絡んでいた。生みたい人はそれへ近づけたし、生みたくない人も又それを避け得た、が、それでいいのだろうかという深遠な問題にも、当の荻野博士や身の回りの人達が、現に荻野夫人が当面し、悩まれた。だが理論は完成されて、その結実としてあの荻野博先生が生まれた。博とは「博士論文」の博の字に由来している。
そういうドラマであり、作は純朴に質実につくられて配役の一人一人が、二時間半ちかい舞台をだんだんに煮つめ盛り上げて、感銘を与えてくれた。わたしは拍手を惜しまなかった。この間の、サザンシアターでの山田太一作よりも、ツクリは古めかしいし演出も演技もオーソドックスでとくべつうまくもなかったが、問題の把握に、誠実な力がにじみ出ていた。好感をもった。いや、ところどころでわたしは涙こみ上げたし、それが嬉しくもあった。
ベテランの青山眉子らのことは云わない。荻野博士役の河内浩ははじめのうち少しハラハラさせたが、誠実に演じてくれ、人間的な共感を無理なく誘い出した。夫人役の木下菜穂子も右に同じく、だんだんよくなる、いい役だった。患者野村ハナ役の久保田涼子も、懸命だった。助手医師役の巻島康一も、荻野の友人外科医役の石田大も、看護婦役の安藤麻吹も、みな、役割を汚さない清潔な分かりいい芝居で、「人物」を実直に働かせていた。みんな、うまい芝居であったとは云いにくい、が、気持ちよく演じた。だから感銘が残った。拍手のし甲斐があった。
そしてこれはタダの古い昔のサクセスストーリーではない、今日のマジメも不真面目もを通じて、二十一世紀の性風俗とまっすぐ響きあってくる材料なのである、それをとりあげて企画してくれたのも嬉しいことで、それでこそ「新劇」ではあるまいか。

* 満足したので、日比谷線で銀座へまわり、妻がお気に入りの「福助」のカウンターで、お馴染みになった板サンの接待で、お任せの肴や鮨を食べた。酒はみぞれにした。家内はなんだか知れない梅酒ッぽいあかいカクテルグラスを舐めていた。石垣貝やトロや鯛が、烏賊も白身も背青のも、みんな旨かった。鮨飯をもうすこし締めてにぎってくれるともっとよかったか。
同じ建物の中にあるカフェで飲んだコーヒーが、変哲もないのにうまかった。その足で池袋経由、帰宅。雨もよいの傘も使った外出だったが、目あての芝居が面白かったので機嫌は上等であった。
2003 6・24 21

* あ、もう十二時だ。じつは、今日の楽しみに「小石川の家」のビデオを出しておいたが、もう遅い。明日は病院へ行く日。そして、夕方には芝居に招かれている。診察の済んだあとは何となくほっとして、ま、今日ぐらいはと思う。芝居までに独りの時間が少しある。「福助」には一昨日行ったし、その前日には「きく川」だったし。ま、明日のことは明日楽しんで物色しよう。
2003 6・26 21

* 五時開演、妻も合流しての浜木綿子主演「帝劇」公演は、遺憾なことに、前後を通して見る気も行儀も失せる、気の低いヤッツケであった。どうして浜木綿子なる名うての女優があれほど志低く、面白くもなく陳腐な舞台をつくって満足しているのか、気が知れない。客席の笑いや拍手も、有るには有っても、いつもに比べれば無いも同然の煮えない調子の低いもので、席もかなりアイていた。音楽がわるい、舞台美術もただただダサイ。半世紀以前の帝劇センスかと誤解されないか。
わたし自身は、わたしの解釈による「春琴自害」を凛烈に演じてくれる女優として、俳優座の栗原小巻か映画女優の吉永小百合か、また田中裕子らとともに、内心浜木綿子も夢見てきたのだが、かなり個性的な春琴が出来るとみていたのだが、帝劇での「浜」芝居は、近年は悉くと云おう、問題にならないほど低調で、時に、特に今日など、なげやりで客をなめているのではないかとすら云わざるをえず、失望、失望。
本気で、芝居づくりを、気根や姿勢からして立て直さないと、女優としてもじり貧にならないかと、心より惜しむ。一人天下のためか、芝居にひどいクセをつけてしまい、それを寧ろ得々とヒケラカシているのだから始末がわるい。

* 日比谷の「東天紅」で、ゆっくり夕食し、汾酒と紹興酒を楽しみ、銀座一丁目まで散策して、有楽町線で帰宅。
2003 6・27 21

* 三田佳子と桂三枝、それへ中村扇雀参加の明治座の席がとれたと連絡がきた。どんなものやら。
2003 8・6 23

* 九月の歌舞伎座に久々に我當が、吉右衛門の「河内山宗俊」に付き合って、高木小左右衛門で出演する。芝翫と福助、富十郎と雀右衛門という佳いコンビの舞踊が入る。すぐ注文した。
明治座の三田佳子、桂三枝、中村扇雀という見世芝居もそれなりに楽しみたい。この前の明治座は風間杜夫らのドタバタ「居残り佐平次」が手ひどくつまらなかった、ぜひ名誉挽回して貰いたい。
十月には、またお待ちかねの平成中村座、たぶん今日製作発表の筈と、夜前のメールで「扇の会」の予告を貰っている。むろん中村勘九郎が太い柱、ぜひ観たい。
2003 8・7 23

* 浅草寺境内、平成中村座公演の昼夜通しの座席も、昨夜中村扇雀丈の厚意で無事にとれた。勘九郎がすごい力の入れようらしい、楽しみ楽しみ。重陽の佳日には、明治座で三田佳子、平幹二朗、桂三枝に中村扇雀が加わってのエンタテイメント劇がある。また劇団昴はテネシー・ウィリアムスの芝居を、俳優座の稽古場ではチェーホフの「ワーニャ伯父さん」をやる。浅井奈穂子のピアノリサイタルも、大学の友の女優原知佐子が平家物語を読む会もある。十月藝術祭参加歌舞伎座も昼夜ともに楽しみ。九月十月は、寸暇ないほど楽しみがつづく。ひょっとすると京都でのペンクラブの大会にも往くか行けるかするかも知れない。
そんな中に指し挟まっているNHKでの出演は、任ではないととはっきり分かつて居るので、やや苦にしている。
2003 9・5 24

* 明治座へは日比谷線の人形町から歩いた。人形町は、ペンクラブのある茅場町から一駅、気に入っている下町である。すこし劇場入りのまえに散策、ただ、今日の東京の暑さはしたたか身にこたえ、けだるかった。しのだ寿司の総本店で弁当を買っていった。芝居のはねたあとの人形町が楽しみであった。
明治座は綺麗な劇場。成駒屋(扇雀丈)の番頭さんに、まず次の平成中村座公演、昼夜通しの切符各二枚を受けとり支払いを済ませる。発売が始まっても容易に手に入らないと聞いており、有り難いこと。
今日の芝居は、映画の三田佳子が座長格、平幹二朗と桂三枝が、そして中村扇雀が脇をかためた「日本橋物語」。他に、二宮さよ子など。可もなく不可もない明治座芝居で、帝劇芝居より、なお軽いかもしれない。あまり軽い芝居は、観ていて、かえって疲労する。興奮で発散することがないから、なにかが身内にたまる。なにが率爾ということなく、平幹が真面目に芝居を起こしていたし、三枝にしてもわるふざけなく芝居してみせた。扇雀にいたっては、きりりと男役で、しかも珍しい創作舞踊を洋楽で演じ、相応に楽しませてくれた。二宮さよ子に至っては熱演であった。
三田佳子は、映画女優としてもあまりよく知らない。テレビで医者などやっていたのを記憶している。この人の出世作は、たぶん水上勉原作の「越前竹人形」や「五番町夕霧楼」ではなかったか。今日の芝居では、演技実力の程を察しるのは難しかった。なにかしら調子づいた芝居の作り方で、戸惑いがのこり、可とも不可とも馴染みきらなかった。
物語はそこそこ作ってあったけれど、感動作とはほど遠い、段取り芝居であった。

* 四時前にはね、外はぎとぎとする暑さ。どっと疲れが出たので、無理せず銀座にもどり、銀座でも無理せず池袋にもどって、やはり体力には食べて熱源をと、パルコの上へあがって多年馴染みの「船橋屋」で天麩羅にした。天麩羅ほど当たりはずれのない食べ物は少ない。甲州の「笹一」をコップに二杯。妻もやっと元気を回復、心地よい酔いのまま保谷まで電車で寝て帰った。タクシーもつかわず、ゆっくり歩いた。
半日の楽しみ、そこそこのものであった。前から四列めの花道に近い通路際という最良の席で、グラスの必要もなかった。有り難かった。
2003 9・9 24

* カンカン照りの、夏雲高い日盛りに頭も額も焼かれる思いで、保谷の道を駅へ歩いた。千石の三百人劇場へ一時半、ピタリ開場。妻とわたしに、とても見やすい良い席が用意されていて、暑ささえひっこめば、快適なコンディション。映画「私生活」などでも知られたノエル・カワード作、三百人劇場総帥の福田逸訳、そしてRADA(英国王立演劇アカデミー)のニコラス・バーターが演出の「花粉熱」は、予期以上、とても面白かった。新劇の演出と演技とを堪能し、舞台の終幕をこころもち惜しむほど、二時間半が充実した。昴、俳優座、青年劇場、円、PFDなどから俳優女優が寄り寄りの意欲公演という性格で、舞台づくりに、結束したつよみがよく出ていた。RADAイン東京10周年記念公演。九人の出演者にだれが主役ということのない完全な競演・共演、これがうまく行って、一人一人が力演し、しかもアンサンブルまさにナイス。褒めるなら皆を褒めたい。磯部万沙子、米倉紀之子、桜典子、一谷真由美それに井出みな子ら女優が颯爽と芝居し、森一、塩山誠司、櫻井久直、海浩気ら男優は、やわらかに女の意気を吸収していた。舞台装置はすこしチャチに薄かったけれど。
中流家庭の、夫は小説家、妻はもと人気女優、そして姉娘・弟息子。一家は異様な混乱のままつよく結束した、すべてが芝居がかりの、お話にならない徹底的なジコチュウ家庭。なにかしら、とてつもない価値観で夫婦親子は結ばれている。狂気とも、みごとな生気とも、いえる。そんな四人家族の家へ、週末、四人のそれぞれの招待客たちがやってきた。ドラマはそこから始まる。そして最後に、卵の黄身と白身とをわけたように、家族四人の時空間と、来客四人のそれとが引き分けられて、客たちは一家を否定的に見捨てて家から脱走してゆく、が、この四人家族はそれにすら気が付かず、客のことなど問題外に忘れ果てたかのように、ひたすら彼等家族同士の関心事で一つの卓を親密に囲んでいる。お互いに「毒」を煮詰め合っている家庭でありながら、他人の「清き声」になど耳も傾けないでおれる、おっそろしいような暮らしである。
喜劇的なつくりが効果を持ち、相当笑わせられる。客は思わず吹き出したり声を放って呆れ笑ったりする。それらの反応もまた劇的に組み込まれた必然のドラマのようですらある。客も共演している。

* こういう実のある舞台に遭遇すると、新劇の醍醐味だと素直に嬉しくなる。

* 劇場前の「お綱寿司」で自慢のいなり寿司を十個買い、有楽町の「きく川」へ鰻をたべに地下鉄三田線でまっすぐ。ところが休み。それではと日比谷の「東天紅」まで歩き、中華料理で満腹。フェンチュウとラオチュウ。店は閑散としてわれわれで借り切ったよう。
また有楽町へ戻り、すいた有楽町線でぐっすり居眠りのママ、一路保谷に帰った。
今週のまず第一日は楽しいみもので、ケッコウ。
2003 9・15 24

* 正月に藝能花舞台でわたしの「細雪 松の段」を舞った花柳春が、三越名人会で、また「松の段」を舞うという通知があった。
2003 9・16 24

* 朝からひどいスキャン校正に悩まされていた。そこへ、三越劇場から電話で、十月二十八日火曜昼十二時半から、「三越名人会」が、荻江節の「細雪松の段」を上演すると。そういえば先日NHKの駒井氏から電話で依頼がきて、妻が聞いていた。花柳春の一人舞らしい、佳い試みだ。この間、春と西川瑞扇とのせっかくの「松の段」を、会議とぶつかり見損ねている。久しぶり。今度は招待の機を逸すまい。
十一月木挽町の顔見世は、夜の部に「近江源氏先陣館」が出る。播磨屋吉右衛門が、家の藝の佐々木盛綱。京屋雀右衛門、松嶋屋我當らが共演。昼は演目上割愛して、こちら、は是非観たい。音羽屋菊五郎の所作がある。大切りに浪速の成駒屋が時蔵の小春を相手役に「心中天網島」河庄を観せてくれる。行かざらめやも。
2003 9・25 24

* 同じ明後日と明々後日、日暮里のあるお寺で、観月で知られたお寺で、親友の女優原知佐子らが、平家物語をどうとかした催しをやる。どっちかの日にと招かれている。原知佐子は「祇王」の母とじを演じるらしい。さ、月は、どんなか。三十日に行けるか十月一日か、久しぶりに顔を見にゆく。大学専攻の同窓で、太宰賞の授賞式には花束贈呈の役に出てきてくれた、今では最も長い親交の一人である。息子のドラマにも一度出てくれた。
2003 9・28 24

* さ、明日は午後一番に俳優座稽古場。「ワーニャ伯父さん」は、前からの楽しみ。本劇場では俳優座のも劇団昴のも観てきたが、狭い稽古場での濃密な演技が楽しみ。そのあと、妻とデートして夕食し、一緒に観月の本行寺で平家物語を聴く。さ、どんなものやら。実相寺昭雄夫人である原知佐子の平家読みや、いかに。せっかくのお招きである、それも平家物語である。月は、どうか。秋冷えか。
2003 9・30 24

* 十一時、ひとり、俳優座稽古場に向かう。時間早く、近くの「正直屋」で鰻定食の昼にする。

*「ワーニャ伯父さん」は稽古場の密度を効果満点に活かし、撞球台を一つ据えた簡明な舞台に、緻密に劇が組み立てられた。演出も演技も文句なく、成功、と観た。幾度も観てきた同じ此の劇のなかでも、最良の「ワーニャ伯父さん」が仕上がっていたと躊躇なく云おう。
ワーニャが圧倒的なリアリティー。地味で器用でもなく、だが芯に剛力ある加藤佳男の、これは武骨に心優しいみごとな代表作になった。切ない堪らないワーニャ伯父さんが、呻き絶望し、しかも不条理に堪えるためだけに、またも「働き」はじめる、何の役にも立たぬモノに奉仕するしか「生きるアテ」も見つからぬままに。わたしは息が苦しくなり、怒りにふるえ、舞台に駆け上って、ワーニャのために彼に替わって無性に乱暴を働いてやりたかった。憎き「知識人」を撃ち殺してやりたかった、まぎれもなく自分自身を撃ち抜く思いも抱いたまま。空洞化した形骸の「知識人」を告発する、それだけに終始したドラマではないが、だからといってその点を見過ごしてしまうわけには行かない。
先日の三百人劇場の「花粉熱」も意欲的な面白い舞台であったが、感動という点からも、完成度からも、今日の俳優座の袋正演出「ワーニャ伯父さん」は、きれいにその上を行った。あの、スタンディングオベイに湧いた野田版「鼠小僧」やコクーンの「夏祭浪花鑑」よりも、劇的感銘は深かったと云っておく。まぎれなく「今・此処」で喘ぎ生きる自分自身の問題と交響するもの。嘆きも痛みも絶望も閉塞感も。
チェーホフは、貫く棒の如きものでワーニャと私とを殆ど刺殺した。「今・此処」の「今・此処」なるがゆえの苛酷な残酷。ワーニャと彼の姪とだけが、そんな「今・此処」を永劫の罰かのように背負い、神の愛を夢見ようとする。
このドラマは、ドラマに即して汲むべき具体的な感銘と、ドラマを超えて読み取らざるを得ない「歴史」的な衝撃の強さとの、二重の力を持っている。それはチェーホフ劇の特色の一つであり、ことに此の「ワーニャ伯父さん」において顕著である。ワーニャやソフィヤの絶望的に強いられた、それしか残っていない不毛の「働き」は、いやほど具体的で現実的で不条理を極める。
ところが気が付くと、それは間違いなく「今・此処」の我々の苦痛そのものなのだ。
瑞木和加子という女優に出逢った。この役のためにあらわれたかのようにドキドキする不安な魅力と絶望を全身に抱いて、暗く光っていた。平田朝音のばあや、島英臣の居候は、名演だった。島の奏でるハモニカの哀調も美しかった。そして中吉卓郎のあの憎くうつろな「知識人」の存在感が凄かった。
あの芝居、あの演出・演技、やはり稽古場でこそ活かされた。広い平たい本舞台ではどうか分からない。
ややこしい感想は消去して、ただ一言、今年観てきた舞台で最高、と言ってあげたい。俳優座に。それ以上に、感謝をこめてチェーホフに。

* 大江戸線で西武線練馬駅ホームへ戻り、妻と四時半に出逢って、池袋西武の「伊勢定」で早めの夕食。わたしは今日二度目の鰻。
日暮里北口の本行寺に入った頃は、もう夕暮れも果てかけて。
「平家物語を演じる」という触れ込みで、語り芝居「俊寛」と琵琶語り「知盛」と語り合わせ「祇王」という番組。
俊寛の岡橋和彦は赦免と足摺そして俊寛最期までを、姿正しく美しく、独りでみごとに演じた。平家の詞章がいかに的確に書けているかをさながらに示した。
岩佐鶴丈の薩摩琵琶で、あれは「知章」と云うべきだろうが知盛愁嘆の名場面を、琵琶の魅力で語りとおした。正統な平曲ではない、現代味を活かした琵琶楽の演奏。
「祇王」は「俊寛」とともに、いわば清盛悪行を主題に据えた唱導もの、意向鮮明なドラマであり、これに我が友原知佐子は、母刀自で出演。清盛、祇王、仏、刀自、そして地語りとともに祇女の役が、みな熱演した。こういう演劇活動もあるのだなと感じ入った、危うがっていた妻も、とても平家物語がよく分かるのに感心し感嘆していた。
熱中と緊張のあまり、肝心の今様歌をうたいあげるところで祇王がつまづいたのは気の毒で惜しかった。「仏も昔は凡夫なり われらもいづれは仏なり」と謳う本文をつかっていたが、あっというまに「ほとけはいずれも凡夫なり」とやってしまった。が、さ、それはあまり聴衆に気付かれて居なかったと思われる。この祇王サンの熱演、たいへん印象的であった、好感した。

* 原知佐子と逢い、主宰した岡橋和彦氏とも少し立ち話しした。
本行寺本堂をうまく舞台にしていたが、客席には、湖の本の読者で親しい竹田昭江さんの姿も見えていた。とりまぎれ特に話すことも出来なかったが。
満たされ満ち足りて、日暮里から池袋、また保谷の家に帰った。
2003 10・1 25

* 十一月歌舞伎座の券がきた。花道芝居が手に取れる、まえから五列目、有り難い。我當は白髪の北条時政で「盛綱陣屋」に。吉右衛門、雀右衛門。鴈治郎の「河庄」も。菊五郎の踊りも。
今月末にどうぞと、浜畑賢吉氏のシアターXへの招待もあった。長谷川平蔵役だという、殺陣がみられそう。建日子が初めての作・演出でデビューした劇場だ。帰りに妻とチャンコの「巴潟」に二度立ち寄っている。好成績で千秋楽を終えた大関といっしょになり、妻は大関と握手してご機嫌であった。
2003 10・17 25

* 明日は電子文藝館の委員会。そのあと卒業生二人と会う。あさっても卒業生二人と会う。
来週は月曜から木曜まで街へ出ている。三越名人会で久しぶりに荻江節「細雪 松の段」の舞を観る。浜畑賢吉が火付盗賊改・長谷川平蔵を演じる舞台「光る島」もある。テネシー・ウィリアムズの芝居もある。招待が続いている。その間に、ロサンゼルスからの旧友夫妻を迎える。前の機会にはわたしがひどい風邪で逢えなかった。
それら全部に先立って糖尿の診察がある。先でよかった、アトでは気が縮む。
月が替わるとすぐ、人気も実力も今抜群の友枝昭世が、能「野宮」に招んでくれている。名曲である。月半ばには観世栄夫の能「清経」にも招かれている。名曲の中の名曲。能は佳い能だけを、狂言も佳い狂言だけを観れば十分。昭世の会では名人萬の「富士松」が、栄夫の会では気鋭萬齋の「清水」が出る。珍しい。
さらには俳優座が、稽古場での「三人姉妹」に、本公演の「冬物語」と「マクベス」とに、相次いで招待してくれる。その中間で歌舞伎座の「近江源氏先陣館」や「河庄」などがある。豪華に藝能堪能の秋。悠々楽しみたい。

* いつか、出たくてもからだがもたなくなるだろう、それがいつのことか、なるべく二人揃ってゆっくりでありたいと願っている。用心もしている。機会の「数」をへらしても、より佳い機会を楽しみたい。そのために、久しく地道な蟻になって懸命に働いてきたのだ、力をあわせて。いい苦労をしておいたと感謝している。
2003 10・23 25

* あいにくの雨ながら、三越劇場の三越名人会に。さすがに和服のきれいどころの多いのは、それに関西風の声音が多く混じるのは「はんなりと上方の華」の触れ込みで。司会の後藤美代子はもたもたと、あまりに冴えない語りで、元はNHKの花形アナウンサーであったことが信じられないほど。たぶん、ものを見てもよく見えなかったのか、眼鏡をかければいいのに、と。
一番の地唄舞「芦刈」は、どうしようもなく、つまり下手くそ。
二番の花柳春の荻江節「細雪 松の段」は、私の詞に、二世荻江寿友作曲。まずまず。後段へかかって盛り上げたが、前半は不安定だった。容姿にどこか谷崎松子夫人に似かよう位と品があり、後半に進んで私にも感慨深いあわれを覚えたが、やや振付けに説明的なくどさがあり、その分すこし俗に踊りっぽくなるのは惜しかった。この荻江の佳い曲は、これからも再々舞ってくれる人の有りそうな気がする。
三番の「都だより」は大阪北の新地が担当。座敷踊りの域を出ない雑駁な振りごとで、京ものも大坂ものも踊りとしてがさつで品下がった。
此処で中休み。妻が席を立っている間に、若い愛らしい洋装の人に声を掛けられた。一瞬とまどった。お名前を聞き返した。湖の本の佳い読者で、「e-文庫・湖(umi)」にも、しっかりとした力ある長編を貰っている人で、むろん初対面、びっくりした。思いがけなかったので、ちょっと直ぐに反応出来ず失礼したが、またお目にかかる機会も有ろうと、楽しみは先に延ばした気で、どぎまぎとアイサツを返した。
中休み後は、清元「保名」で。立方は京都先斗町の市園。これが「名人会」らしい名人級の見事な出来映えで、大いに満足した。寸分の乱れも弛みもないきちっとした所作と情感で、名曲を苦もなくゆうゆうと演じきり堪能させた。心からの拍手を送れた嬉しさは深く、ほほう、先斗町にこんな名手がいたかと感嘆した。感謝、感謝。この舞なら何度でも繰り返し観ていたいと思った。歌舞伎役者の舞台よりも、まさしく舞踊として完成された技倆に触れる満足があった。よかった、来た甲斐があったと。
もうそのあとの宮川町の宮川音頭は失礼し、妻と三越百貨店の外へ出た。雨は、ひどくはないがまだしっかり降っていた。
2003 10・28 25

* 井上靖を記念したい原稿ももう送った。明日は、浜畑賢吉の芝居を観る。
2003 10・28 25

* 秋葉原経由、両国駅で下車。時間が十分あったので大きな大きな建物の江戸博物館のほうへ歩き、風邪のふきすさぶ広い広いところで、したかに背を押し続けて、まるで風式ジャグジイバスのような按配に風を受けた楽しんだ。温かくて、寒風ではなく、風力につきのめされそうなのを堪えて楽しんだ。博物館の方へは挙がらずに、清澄側へ降りて街中をそよろそよろと歩いた。
めざすシアターXへは、会場の十分前についたので、喫茶店でわたしはコーヒーわ、妻はナタデココのなにやら甘そうな物を。

* 浜畑賢吉主演の「光る島」は、火盗改奉行長谷川平蔵による人足寄場建議と建設のはなしで、殺陣ひとつないはなはだ真面目なもの。江戸の物騒のなかで若い無宿者達の更正いやむしろ厚生のために手にワザを与えて自立させたい授産場として建設されたのが人足寄場。無宿つまりはホームレスを、鉄砲州や佃島の外へ江戸の海を埋め立てて囲い込み、労賃を支払い給食もしてものを産み出す技を教え与えたわけである。ま、言うほどに生やさしいことではなかったろうが、その辺は人情話の中へまずまず整理し取りまとめて、一つの芝居に仕立てたのである。浜畑賢吉はその風貌と口跡とを活かして長谷川平蔵を情味ある人物として好演した。ほろりとさせる彼の生い立ちなどもからめ、若者の未来のために一条の光となって、平蔵は異色の幕吏たる立場をまっすぐ押し立ててゆく。気持はとても佳い。が、二三のベテランのほか若い連中がお世辞にもうまくないので、舞台に熱気が盛りあがってこない。むしろ感傷的になってくる。草笛などを何度も吹くので、ほろほろと物哀しくばかりなる。その辺がむしろ惜しかった。凛々と明日へ勇気づける芝居でいいのだが。
劇場の一番前の真ん中に陣取ったので芝居は手に取るよう。浜畑さんも気付いたであろうか。
ああ、此の劇場、此の舞台で息子は、秦建日子は「作・演出家」としてデビューしたのであったなあと妻と思い起こしつつ、それがもう何年の昔になるのか思い出せない、それほど昔になった。「ブラットホーム・ストーリイ」だった。師匠のつかさんも「プラットホーム」で佳いじゃないかと言われ、むろんわたしたちも同じことを言ったが建日子はガンとして長たらしい題にこだわった。
2003 10・29 25

* 午後二時、千石の三百人劇場。テネシー・ウイリアムズが二十六歳の処女作(この筆名での)である、「ナイチンゲールでなく」を観た。
いわば獄門島というか、三千五百人もの犯罪者を収容した監獄島の話で、残虐非道の監獄所長役が、かつてロックンロールの花形歌手であった藤木孝、これは実に適役、とてもよく演じていた。
一つのストーリイが有ると言うより、ひたすらに無残な監獄内の話に終始するのだが、重厚な舞台装置と的確な照明転換で場面を素早く移動させ、重量感豊かにシビアな舞台が三時間つづいて、力に煽られ息も継げなかった。つよい力作であった。なにのカタルシスも無げであったけれど、演劇としての効果は烈しく、明快で、終始全身で惹きつけられた。佳い舞台だった。

* 三日間の出ずっぱり。前週の週末からすると五日間になるアレコレの楽しみで、楽しみは楽しみながら、さすがに疲労も溜まっていた。妻もよくこの三日間をもちこたえてくれた。
帰りは五時過ぎになっていたから、巣鴨の寿司「蛇の目」で、うまい肴と寿司とをゆっくり楽しんで、ほっこりと息を吐くようにして帰宅した。
これで二日間は休息できる。
2003 10・30 25

* 今、劇団「昴」を率いている福田逸さん(故福田恆存先生ご子息)のメールを頂戴した。此の「闇に言い置く 私語」を読んでくださっているとは、仰天した。先日の「花粉熱」への感想がお目にとまった。劇団員の何人かへもコピーして転送した下さったらしい。恐縮する。
歌舞伎への感想にも触れられて、当代の「立ち方」では吉右衛門がすぐれていると。この前、「河内山」を観たが、晩の「俊寛」は敬遠してしまったが、優れていたともある。吉右衛門の「俊寛」は、以前に一度観ている。先代以来の、全く「吉右衛門」の播磨屋芝居だ、わるかろうわけはない。よくて辛くて、泣いてしまうのである。
平家物語にとっていわば俊寛系の(平曲風に謂えば)「句」は、高山のようにそびえて裾野も広い。長い。その経緯がすべて清盛の「悪行」という裏打ちになる。そして、かなり読んでシンドイ登りづらい高山に属する。カタルシスがないのである。気の弱いわたしは、ニゲタのだった。だが、舞台は目に見えている。残っている、とても強く。
2003 11・8 26

* わたしの読者だと、多くの人が、このメールで何を言ってきているか、すぐ判る。「なが」「な」「かが」…。ノリコは、そんな町へも。そんな町ではないかナと、少しオソレはなしていた。
さっきから、急速に冷えてきた。今夜は寒そうだ。明日は「電子文藝館」の委員会。明後日の晩は音取で「清経」の能。とてもとても楽しみ。明々後日の昼過ぎには日中文化交流協会の中国作家代表団歓迎会が有楽町であり、さらにその翌日は、俳優座の「三人姉妹」に招かれている。同じこの劇団でも、だんだん「三人姉妹」を演じる女優達の顔ぶれが変わって行く。それだけ年をとってきたわけだ。
俳優座とは、優に三十年、本当に長いおつき合いで、身に余る厚意を得続けてきた。感謝している。
2003 11・10 26

* 歯科の処置を受け、痛み止めとたぶん化膿止めとを貰ってきた。奧の歯の噛み合わせが気味悪く軽い痛みが残っている。しかし食事は気をつけつけ出来るようになった。帰り久しぶり「ぺると」へ寄り、コーヒーを呑みながらマスターとゆるゆるお喋りしてきた。
もう湖の本の再校が出揃ってきた。これから発送の用意で断然忙しくなる。師走をらくにするには、十二月早々の発送がいい。しかし月末の二十六日水曜からは、「ペンの日」を皮切りに三日間に四つの観劇が予定してある。「ペンの日」までに用意が出来ていると、この観劇が感激になり、そして発送に繋げるのだが。その為には集中しないといけない。明日は六本木で「三人姉妹」の舞台が待っている。本格の新劇にはそれなりの気力をもって出向かないといけない。劇場を出る頃はもう街は宵灯りで溢れているだろう。
2003 11・13 26

* 歯痛はまだおさまらない。

* チェーホフ作、俳優座の「三人姉妹」は、安井武演出の本公演。眼鏡の必要なく、前席の客の頭もない、足も楽な絶好席。開演前に安井氏に声をかけられた。初対面。わたしの此の「私語」を聴いているという。先日の福田透さんといい、思いも掛けなかった人たちが、このサイトを目にしている。恐れ入ります。ま、そんなことで、だが、ウソも書かないが。あくまで「闇に言い置く」ものと心得ている。

* 先日稽古場の「ワーニャ伯父さん」でも感じたが、俳優座のこの二作品とも、前作は演出の袋正が、今回の作も演出の安井武が、新たに訳して台本を創っている。
共通して謂えるのは、たいそう舞台が明快に、ある速度感をもって、つまり停滞しないで進行する。相当原作の科白を刈り込んでいるのではないか、チェーホフの原作は、ロシアの時代の風もあろう、明快でも明晰でもなく、空気は粘っているし、登場人物の心情もさらさらとは乾いていない。暗い吐息を、よく言えばしみじみと、わるく謂えばじとじとと、はらんでいる。袋さんも安井さんも、そこは思い切り明るませ、風を通して、舞台時間の足をはやめている。舞台の運びがそのために分かりいい。チェーホフもいいが、暗鬱でもあるなあという印象は、たいていいつもつきまとう。「桜の園」「かもめ」がそうだ。今回連続公演された二作は、その点、原作が或る程度分かりいい面白みを持っているけれど、それを一段と明快に強調した点で、訳・演出者の「意図」と「方法」のかなりはっきり見えた舞台であった。成功していた。

* 観ながら、或る、重要なと思われる「感想」を持った。実は今頼まれている、明日が締め切りの原稿の「主題」そのもののような「感想」であり、それを早く書きたいけれど、やはりその前に、舞台の感想の方を先にあらあら書いておく。
配役によって、また舞台装置によって、演技も演出も変わってくるのは当たり前である。三人姉妹の配役も、過去に観たいろんな実例とは一変してみえた、当然だ。
幾らか戸惑ったのは、過去の三人姉妹は長幼の序が観てすぐ分かったのに、今回は、中野今日子の長女オリガと鵜野樹理の次女マーシャとが、いくらか背格好や衣裳の印象から、混乱した。中野は品のいい位も定まった美しい立ち姿で適役だったし、とくに後半の舞台に、芯になる空気を与え得ていたと思う。とはいえ黒という強い色彩のドレッシイな服装で、すでに人妻の次女マーシャが、はなから感情を露わにした表情や姿態で舞台中央を占めると、すこしだけバランスが崩れるような不安を覚えた。終始覚えた。
末のイリーナを演じた若い木下菜穂子は、柔らかい反応と佳い科白声とで、三時間の劇に、よく光る一筋を貫き通して、まず成功していたと思う。「働きたい」と高く張った胸を覿面にすぐ傷ませて、「モスクワへ」と哀しい夢を追いながら、最後には婚約者の死をすら内心に「分かって」受け容れていたイリーナの、あの絶望と希望との交錯。彼女はああいう「感じ」なんだと思っているわたしの理解、先入主に、木下は結果としてよく添ってくれた。ほぼ満足した。イリーナは、そう複雑な女性ではない。
それからすると、オリガには、長女である立場を超え、もっともっとどうしようもない彼女自身の絶望があり悲痛があり、それが観客の胸をかきむしるぐらいであっていい筈だが、やや大人しく抑えて、爆発しきらなかった。爆発という演技的な「山」が一つ聳えないことには、あの舞台に対し突起・突出した主題上の刺激が与えられない、そういう役どころにオリガという長女は在る。在る筈ではないかと思う。オリガがもっと遙かに魅力的に強く共感される必要があり、そのためには、一度だけでもでいい、観客が息を呑んで忘れられないようなもっと鮮烈な「噴火」が欲しかった。
これまでのいろんな「三人姉妹」で、わたしは、劇的なマーシャや若々しいイリーナよりも、オリガの、恋も結婚もしらずに本意なく学校の校長にまで押し込められて行く、暗澹とした気品と抑制とに、心惹かれてきたものだ。今少し妹二人を圧する上背も欲しかった。
マーシャの鵜野は、姉と妹に、ヴェルシーニンへの恋を告白したあたりから、ほんものの、「やぶけた」芝居に高まってゆき、終幕へ身を投げていった。アンサンブルとしては少し大柄すぎて舞台を混乱もさせたマーシャだが、それは、彼女の、日々に落ち着ききれない絶望がさせたわざだと好意的に見ることも出来る。ただ、演出のせいか科白の翻訳のせいか分からない、此の女優の一課題なのかも知れないのだが、マーシャの苦悩が、主には、薄く上わすべりなムーディな表現でのみ説明されていた感じなのが、物足りないといえば物足りなかった。あれだけ本を読み詩を引き合いに出しながら、知的な抑制はなく、三姉妹のなかでひときわ露わに荒廃した雰囲気を情的に流していたのは、勘定ちがいというものではなかろうか。マーシャを「情」のままに表現すると、品がやや落ちて同情が薄れてしまうのではないか。
三人姉妹が「知・情・意」を仮に示していると読めば、長女からこの順番にあてるのは普通の理解だろう。だが、それをあえて押し戻し、演技の上では、オリガを「情」をおさえた情愛の女、マーシャは意志を歪めて自身が支えられなかった女、イリーナは知に走って夢を買う以外の道を失った女「かのように」表現してみると、それぞれの二重構造が顕れるのかも知れない。

* 伊東達広のヴェルシーニンは、こんなに紳士的でいいのと驚くほど好感に包まれていたので、むしろ少し戸惑った。いつもの舞台ではあまり好きにならない男だ、それが今日の舞台ではちがっていた。うん、こういうヴェルシーニンがあり得て、伊東はうまいなあ、マーシャが恋に落ちたのはもっともだと思った。これは演出の勝ちであったのだろう。しかし科白の美しいほどの安定は、伊東達広という俳優の魅力の芯であろう、それにぐいと引きこまれた。負けた。
可知靖之の酔いどれ医者は、ぐらつく舞台に安定をはかる分銅のような役を果たしてソツがない。誰よりも怠惰で投げやりな、しかし只一人の正常な男である内面を、誰からも最後まで隠しおおせていた。老獪な。

* 翻訳のいい意味でもわるい意味でも刈り込んで軽く明るくした所を、田中壮太郎のトゥーゼンバッハ男爵は、深くは勘定をつけず、額面のママ受け取ってしまい、そのため科白も身ごなしも日本の現代の若者劇と同じぐらい味の薄い芝居をしていた。少なくもイリーナはこの男爵と、明日にも結婚式を挙げ、未来を頼んで家庭を持ち、働いて生きようとしていた。誠実な妻に成る気でいた。そういう男爵であったからは大事な存在だ。その大事さがちっとも出せなかった。もっともイリーナは、この夫に選んだ男を愛してはいなかった。そう明言もした。男爵はだがイリーナを深く愛していた。だからこそ絶望しつつ決闘で撃たれて死んで行く。
しかし男爵の絶望も、決闘に至る深刻な内側の経緯も、未来への男爵が持ち前の希望の喪失意識も、ほとんど田中は表現しきれなかった。田中の演技に、男爵の存在感に、ともに観客として同情しきれないがために、「三人姉妹」の大きな一つの悲劇が其処で糸が切れた。悲劇の表現が、もう一つのマーシャのそれの方へ、比較として偏り引きづられた。
原作の意図はどうだろうか。チェーホフの意志や意図は、あの誕生日を迎えて張り切っていたイリーナと、婚約者の死を聴きながら未来へ視線を放つイリーナとを結んだ「一線」の、その歴史的「延長上」に本当は何が可能か、何が希望できるか、希望はなくていつまでも絶望か、という暗い暗い吐息のような、問い。その「問い」を動機にしていたのではないのか。その問いの重要な一環を成したトゥーゼンバッハ男爵が、終始存在感を明晰に示せずに、軽く軽く右往左往して舞台から消えていったところが、痛切であるべき幕切れに、ある空虚な穴をのこしたのではないか。
舞台は終えて暗転し、ほんとうならもう拍手の渦であるはずが、拍手を客はためらった。照明がもどって俳優達が俳優達の顔で整列している、それを確認したところで拍手になった。客のためらい。それも遺憾の一つであった。科白の一々を引用し場面の一々を再現して言えばもっと具体的だが、それは此処では実現出来ない。それも遺憾。

* 「三人姉妹」がよく分かって面白かったことでは、かつてないほど今日の舞台はよかったのである。チェーホフを楽しむ演出はこれだなと思った。と同時に、チェーホフ劇は、とうてい楽しいとか嬉しいとかいえるようなものではないんだなとも、つくづく思い知らされた。この先はもう現実の舞台からは離れて、わたしとチェーホフとの直面の話題になる。ならざるを得ない。
だが、それは約束の原稿としてべつに書かねばならない。一つだけ言っておくが、チェーホフがとは敢えて言わないが、チェーホフ劇の登場人物は、まぎれもない上昇史観に金縛りになっている。金縛りというふうにわざと言うのは、その上昇史観は、現在の退屈や倦怠や不幸や暗澹からのがれ出たい一念に発した、一首の「埋め合わせ上昇史観」であり、はかない夢である。夢が儚かったことはその後の歴史が既に示していて、この先の上昇も約束されていない。そういうことを、いましも極東日本の我々観客は感じて観ていた。いや私はそうであったと限定しよう。チェーホフの人物達は「未来に失恋」するであろうことを知らずに、憧れずにおれなかった。モスクワは如何。百年後は如何。二百年後は如何。チェーホフは夢に終わると見て、トゥーゼンバッハを死なせたのか。イリーナやオリガの夢を哀れと愛したのであろうか。
チェーホフ劇を観るのは存外に辛い、切ない、哀しすぎるのは、彼女たちが高く指さしていたそのちょうどその「未来」に、今しも私たちが生きているからだ。その今がやはり重く暗く険しいと知っているからだ。

* 劇場からの帰路をあえて曲げて、久しぶりに、何ヶ月ぶりかで「美しい人」の和食の店へ立ち寄った。明るい座席の空いているのを期待した通り、「美しい人」はお久しうございます、おかげんが良くないのかと心配しておりました、と喜んでくれた。お酒の種類の少ない店であったのが、新規に沢山仕入れていた。中に「久保田」の萬寿が入っていた。千寿もいいが、萬寿はその上だ、300mlで五千円、とびきりの最高級。奮発した。いやまあ、じつに美味かった。料理も、今晩はひとしおの献立で、言うことなし。二時間半。湖の本の再校が、ずいぶんずいぶん沢山はかどった。店ではだれも苦情をいわず、気の済むまでごゆっくりと黙って放っておいてくれる。料理を運んでくれるのはたいてい他の人だが、「美しい人」がほんの時々お酌に来てくれる。黙ってきて、黙ってついでくれる。わたしも、有り難うとしか言わない。そして店の外へ笑顔で見送られて、帰ってきた。「美しい人」のこの店と、日比谷の「クラブ」とがあるだけでも、わたしの気持はとても落ち着く。
2003 11・14 26

* 原田奈翁雄さんの原稿依頼には、「この時代に……私の絶望と希望」を書くようにと、ある。人は、いつの世にもこういう自問自答は重ねてきたのであり、今はまたそれのふさわしい時機だと原田さん達は認識されているのだろう。でも……少し迂路迂路してみるのを許して戴こう。

* 俳優座でチエーホフの芝居をつづけざま二つ観てきた。
チェーホフ戯曲の上演は、日本では珍しくない。「かもめ」「桜の園」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」など、日本の新劇のおはこに部類される。芝居の好きなわたしは機会があると、観てきた。
チェーホフ劇は好きか。好きだ。だがその先はあまり聞かれたくない。悲劇的な結末なのに原作の題の上に「喜劇」と添えてあったりする。ややこしい。軽妙な味わいのチェーホフの短編小説に慣れてから舞台を観たりすると、重苦しい違和感にまいってしまうこともある。
チェーホフの芝居は、帝政ロシア時代の風もあろう、明快でも明晰でもなく、空気は粘っているし登場人物の心情もさらさらと乾いてはいない。暗い吐息を、よく言えばしみじみと、わるく謂えばじとじととはらんでいる。チェーホフの芝居は暗鬱でもあるなあという嘆息が、だいたいいつもつきまとう。わたしの殊に好きな「三人姉妹」や「ワーニャ伯父さん」でもそうだ。むしろ、とりわけそうであると言いたいほどだ。何故。何故だろう、と永く思いあぐねてきた。
なんてイヤな一日だったか。なんてつらい毎日であることか。もうイヤ。もう堪えられない。気が狂ってしまう。チェーホフの女達はどの舞台でもそう叫んで泣く。堪えられない、もう。分かる。ワーニャ伯父さんやソーニャを、オリガやマーシャやイリーナ三姉妹を観ていると、贅沢を言うななどとは決して思わない。生きながら重い墓石に抑えられているようで、まさしく気が滅入る。そして彼や彼女らは、しかし、とか、けれどと声を振り絞るようにして言い出す。明日という未来に期待しよう、五十年、百年、二百年の未来にはきっとなにもかも明るく充たされて良くなっている、と。
これがチェーホフ劇の基調音である。そして陪音として、何百年経ったって何も変わらないさ、今のママさというほぼ全否定、絶望のつぶやきもチェーホフは忘れずに響かせる。「三人姉妹」の末の妹を愛して明日の結婚を控えながら、死ぬと承知の決闘におもむき銃声一発に斃れる醒めたトゥーゼンバッハ男爵がそれだ。だが総じて「今・此処」の不条理に苦しんで、未来に希望を託しているのがチェーホフ劇のつらい紳士淑女たちの「哲学」であり、「三人姉妹」の中の妹で人妻マーシャとのひとときの情事におちた、ヴェルシーニン中佐のおはこだ。彼はおそらくその空疎を分かっているのであり、しかし三姉妹はその「哲学」を信じるしか道がなくて、眼をはるかな未来へ送るのである。
「今・此処」の暮らしはあまりに酷い。辛い。堪らない。けれど未来は明るいだろう、夜が明けるようにだんだん良くなるに違いない。
おそらくチェーホフもそう思っていた、或いはそう思いたかった。まだ来ぬ「未来」に対するせつない恋、それがチェーホフ劇の基調であるが、その基盤は、只今現在への底知れない不信と絶望なのであり、まだ見ぬ恋より現実の方が遙かにけわしく人間を金縛りにしている。金縛りの痛苦から来る幻影かのようにチェーホフは、いや、チェーホフ劇の人物達は、「未来」に恋している。夢見ている。チェーホフこそ、「この時代に……私の絶望と希望」を、あまりにあらわに書き続けていた作者だと謂える。

* チェーホフ劇を観ていて感じる息苦しい悲しさは、どこから来るか。
チェーホフや彼の作中人物達が、明るい未来への「恋にやぶれて」いたこと、「失恋」していたこと、そんな「未来」はやはり無かったらしいことを、現に「今・此処」の日常体験により、如実に二十一世紀初めを生きている我々は「知ってしまって」いる。此の痛切な「現実」を彼等は知らずに我々は「知っている」からではないのか。
反論もあろう、こんなに「良くなっている」ではないかと。例えば帝政的絶対権力は無くなったではないか、と。だが、ほんとうにそうだろうか。また例えば、こんなに何もかも「便利になっている」ではないか、と。だが、全ての機械的な便利の徳を、根こそぎ覆い尽くすほどに、核の脅威も、サイバーテロの脅威も、大きく現に居座って、そんな便利は瞬時にふっ飛んでしまいかねない。時代の真相が良いとか悪いとかは、この事繁き巨大時代に簡単に言えることではない。
それにもかかわらず、こういうことは謂える。
今日よりも明日・未来はきっと良くなるものと希望しがちな人や国民があるだろうし、その一方、明日という未来に望みはもてない、だんだん悪くなるものと絶望しがちな人や国民もある、ということ。上昇史観と下降史観。先へ行くほどよくなる。いや、わるくなる。我ひとりの人生や我が家族・家庭の将来が、ではない。もっと広く、たとえば「ロシア人」の、「日本人」のこの先はといったマクロな判断である。
2003 11・15 26

* 優秀企業に勤務する卒業生女子の一人が、去年から参加している「ミュージカル集団コーラス・シティ」第32回公演の「EDITORS」を、妻と観てきた。日比谷線八丁堀の、「労働スクエア東京ホール」はペン本部からも近く、なんとなく馴染んだ土地なので、億劫ななにもなく、雲一つない快晴の秋空の下を、気をはずませて出向いた。
わたしはダンス・ミュージカルが好き。演技が美味いのへたのなど気にせず楽しめる。日頃はめいめいに自分の仕事をもった人達で構成された劇団であり、それにしてはといっては失礼なほど、きちんと仕上げた熱気と意欲の佳い舞台だった。
演出に感心した。おそらく台本のまま読んでも感興をおぼえるかどうか分からない組み立てなのを、音楽とダンスと人物や場面の流れるような自在な動かしかたで、求心力に富んで元気いっぱいの舞台に仕立てていた。
総合大出版社の、ジャンルを異にする四つの編集部と、会社から邪魔にされている第五編集室。文藝ありトレンディあり週刊誌あり総合雑誌あり。それぞれの持ち味や問題をうまくからめながら、左遷されて行く実力あり誠意ある編集長や編集者が、第五室へ追いやられ、それもいずれ「構造改革」路線のどこかの宰相風専務の意向で整理されてしまいそう。そんなこんなの中で、第五室が頑張るのである。
出版や編集にはわたしも内から外からかなり豊富に体験しているので、又一入の興味も湧いた。おなじ演劇でもミュージカルであるために、或る程度の無理やありえそうにない不自然もかなり雲散霧消してくれる。フムフムとなかなか面白い。これほど全面的に「編集と編集者」に取材して芝居にしたものは、わたしは聞いたことがない。「編集者」小説では断然先駈けた作品を書いたつもりのわたしには、「EDITORS」という題からして、惹きつけられていたのである。
さて私の元学生サンは、去年から入団とは思われない颯爽たるダンスと歌と働きで、大いに活躍していた。彼女はその社の編集者ではなく、左遷されてしまう総合誌の出来る女編集者と、がっちり組んだ、いわばフリーの記者役で、場面の大きな転換に繋がる取材で第五室の意欲の仕事に、応援もし、弾みもつけるという大事な役であった。それを元気に小気味よく果たして、ダンスのなかではめざましい横転回も見せたり、わたしは、あの大人しい声も聴かせないような「早蕨」サンがと、感嘆を久しうした。そもそもミュージカルに出るから見てくださいとメールしてきたのにも、仰天した。ほんまかなと疑った。あの物静かな、むしろネクラな風の女性がダンスして歌を歌うって。
だが、じつにおみごとであった。わたしは、真面目な熱意の編集がいかに恵まれずに行き詰まりやすいかを、よくよく知っているので、途中何度もほろりとした。涙が頬に伝う時もあった。しかも楽しんだのである、大いに。

* フイナーレにたくさん拍手を送ったあと、ロビーで「早蕨」サンと握手した。わたしの顔をみて歓声をあげて大喜びしてくれた笑顔は美しかったし、若い元気に溢れていた。会社では硝子関連の当然研究職に任じて、もうベテランの意気に近づいているだろう。その人のこういう表現活動である、心より拍手も称賛も送りたい。そうしたいことを、そうして、楽しんで成功させているのだ、どんなに楽しんで演技しているかは観ていてありあり分かった。それが嬉しかったし楽しかった。

* 妻と八丁堀から茅場町の方へ歩いたが、土曜日で店も開いていないので、日比谷へ戻り、例により「東天紅」て小さなコース料理を堪能した。ボジョレーヌーボーをグラスでとり、わたしは別にフェンチュウを二杯。静かなわたしたちの穴場の一つ。ゆっくり芝居のことや何かを話しながら、佳いメニューのうまい中華料理であった。
とっぷり暮れた宵の有楽町を歩いて地下鉄一本で保谷駅まで帰った。北風が吹いて冷えてきていたが、妻は元気で歩くと云う。風に向かって歩いた。黒いマゴが迎えに出てきた。
2003 11・22 26

* 六本木へ一時前につき、俳優座劇場で指定席の券を受け取る。制作の山崎菊雄氏、「佳い席をご用意しました」と、にこにこ。感謝して、ひとまず劇場裏の喫茶店にいつものようにまわって、休息。玉子サンドウィッチとコーヒー。
なるほど佳い席であったが、やがて開幕の前になり、われわれの隣席へ加藤剛夫妻が入って、ビックリしながら久闊を叙した。久しぶりで。懐かしく。また、珍しいことで。なるほどこれは「佳い席」であった。

* シェイクスピアの「冬物語」を、松岡和子の訳、W.ガリンスキーの演出で。この演出家は三十一歳の俊秀とあとで山崎氏に聞いた。じつは、それまで演出家がロシアの人とは気付いてなかった。俳優座の誰が演出しているのかな、と、あれこれ推測しながら観ていた。
「冬物語」は、日本でいえば、けっこうに歌舞伎仕立ての芝居である。
ボヘミアの王を宮廷に迎えたシチリア王が、后とボヘミア王の仲を邪推し、腹心のカミロに殺害を命じるが、カミロはその理不尽な邪推と不正義を避けるため、ボヘミア王を故国へ逃がし、自身も亡命する。シチリア王は、嫉妬のあまりついに王妃をゆるさず、牢獄で生まれた娘をも僻地に送って、廷臣に殺害すべく命じる。障碍のある兄王子も死に、王妃も牢に死んだと知らされた王は、そこへ来て、いたく己の非を悔いる。
そういう前半のあらすじを、一つ一つ目出度く覆して行くのが後半の舞台で、まずしい家に救われて育ったシチリア王の美しい娘は、ボヘミア王の王子と恋に落ちている。父王の猛反対に屈しない王子とその娘は、あのカミロにも勧められてシチリアの宮廷へのがれて行く。ボヘミア王への不当な嫉妬の悲劇を痛悔しているシチリア王は、よろこんで王子達を迎え、娘の美しさにまたひとしお亡き王妃への思い出をかきたてられるのだが、まだ自分の娘とは知るよしもなかった。そこへボヘミアの王もカミロも娘を育てた家の者も、シチリアの宮廷を訪れて、お察しのような目出度い事態に至るが、さらにこの「歌舞伎」は展開し、生き写しと見えた美しい限りの亡き后の像が、身動きし口をきき、悔いた王を許して抱き合い、また娘をも祝福する。王妃は死んでいなかったのである。
しかしあの障碍のある、母を愛し父を愛していた王子はよみがえることがない。この王子はいわば霊性の「鳥」の化身かの如く生きて、また死んでいた。この鳥は死せる肉親にまた魂を呼び戻すほどの隠れた役割を持ち得ていたのであろう。死の儀礼に、幾種もの鳥の「役」のものが、死者の霊を慰め鎮め奉仕することは、日本の神話でも天若日子の死の際に如実であるが、障害者の帯びやすい不思議の霊能をこの王子がこの舞台では持ち得ていたように想われる。

* こういう筋立てはいわば「伝奇」であり歌舞伎劇のおはこである。翻案して時代物に創ることは容易である。そして事実、従来のシェイクスピア劇として上演すれば、まさに歌舞伎的にものものしい荘重劇にもなったのである。
ところが若き演出家ガリンスキーは、このいわば歌舞伎を、狂言の手法に置き換えて、あるいはマリオネットなどの簡素で質素な村芝居風に翻案し翻訳して、一つの舞台に仕立てた。なかなの冒険であり大胆な新シェイクスピア劇への挑戦である。
俳優達を「少しとまどわせ」た演出ともわたしはあとで漏れ聞いたが、さもあろう。さもあろうが、懸命に俳優達は応えて、それでも応えきれないものは舞台に幾らか残っていた。
歌舞伎の芝居は、めんめんと感情や所作や言葉で情況を塗り込めて行ける。それで演じる方も観客も酔って行く。マカ不思議も何のその、やすやすとやってのけるから歌舞伎なのである。幽霊も出れば神様も出る。何でも来い舞台になれる。
ところが狂言は、余白をうずめない演劇である。俳優の言葉と肉体とが、それだけが活躍する。劇の時空に白く浮かんだ隙間をきちっとうずめる力は、役者の滑舌と口跡の音楽的な力感と美しさ、そしてきびきびと決まった所作の鮮度でもたらされる。
今日の舞台では、演出の意図と意欲を活かせるほど、俳優達の滑舌と口跡美に欠けていた。科白の美味い川口敦子でも、幕開きの出だしはすべてひわひわと軽薄で、舞台を引き立てる芯の一人としての感銘薄く、だれかが「お妃さま」と呼んだとき、村女への冗談かと思いかけたほど、そこが宮廷であり王妃である「位」も確かさも欠けていた。能役者達が舞台の「位」をどう読むかに力を致すのと、まるでかけ離れて、あの場面を印象づける、リアルな、ではないリアリティーのある理解が、欠けていたとしか思えない。
シチリア王の中野誠也は、もともと滑舌も口跡も甚だ難のある俳優であり、その難が今日もヒドク耳障りであった。この人など、もっと狂言役者や歌舞伎役者達の明瞭な「語り」に学ばねばなるまい。少なくも自分の舞台の「声の粘り」「言葉のねじれ」を、録音で何度も自ら聴き確かめて、これでも観客にきちんと聴き取られているだろうかと懸念しつつ、是正の利く限りは是正し、よく自己批評しなければいけないだろう。科白の聴き取りにくい名優というのは、ついぞいたタメシはないのである。加藤剛にいつでも感心するのは、科白が美しく明晰なこと。どんなに早口、どんなに小声、でも、それなりに悠々と朗々と演劇の声で「明瞭に」話し聴かせ得ないようでは、新劇の優れた俳優ではとうてい有り得ない。
歌舞伎、能、狂言の芯の役者達の科白は、なかみはむちゃくちゃに妙でも、言葉としては明晰にしかも美しく届いてくる。ましてシェイクスピア劇ではないか。今日のようなつまり「狂言」芝居に近い明晰空間では、筋書きのややこしさを伝えるだけでなく、演劇言語としての魅力で勝負する理解が、覚悟としても必要であったろう。訳も、あまり魅力的とは思えなかった。「目に入れても痛くない」式の通俗語法が平気で混じっていた。
もっとも中野の芝居も後半の舞台ではそれなりに引き締まっていた。前半は、これが王であろうかとなかなか思いにくい、紙屑のような軽さであった。ボヘミア王の武正忠明は、王の位をそこそこに出し得ていたのだから、比較に於いてシチリア王はマリオネット人形か影絵芝居の人形のようにひょろりと薄かった。
あの王は、あの時に限り取り憑かれたのである、嫉妬に。それを分からせるためには、余のことでは賢王であり得た確かさを「位」として身に帯びていないとおかしい。この優れた王様が何を物狂いされたかと廷臣のみんなが思って止めたり諫めたりしているのは、彼等の王への愛と信頼があればこそである。中野の王は、あれでは観客からももろに軽蔑されてしまう。しかしそれは間違っているし、そんなうすっぺらいままの王では後半の悔いの深さが訝しいものになってしまう。
また若い王子王女たちの恋の芝居も、口跡よわく滑舌まずく、美しくもなく、魅力もなかった。この二人が光り輝くことこそ、この芝居が大きく映える要件なのに。
立花一男の大らかな芝居が、小川敦子のポーライナの緩急の口跡と吹っ切れた身動きが、また執行佐智子の美しい語りが、ひかった。小山力也のカミロは佳い感じで喋ってくれる俳優なのだが、今日の舞台では、なにかしら肉体的な魅力に乏しかった。

* そういうわけで、斬新な演出家の意図を、俳優達がよく生かし切れなかった舞台とわたしは観た。はっきり云って全体にミスキャストではなかったか。
だが、妙に面白く惹きつけられ、意表に出て心憎い舞台でもあった。七十点ぐらいに感じた。純熟させての再演を期待したい。

*「冬物語」は好きか。わたしはもともと好きな劇の一つに数えている。しかし、今日のように斬新な「冬物語」は予想もしていなかった。この驚きは、俳優座のためにはたいへん好もしい成果である。
明日は同じ劇団・劇場・俳優達で、「マクベス」を観る。今日はカミロの小山力也がマクベス、大きく演じてくれるだろうか。ダンカンはむろん中野誠也、これは適役だろうと想う。小川敦子の活躍に期待している。

* すぐ大江戸線で練馬へ、そして大泉学園駅へもどり、「ゆめりあホール」での、語り芝居と琵琶による「平家物語」を待った。このまえ日暮里の正行寺で、原知佐子らと一緒に平家を「語り」の、今日は岡橋和彦の一人舞台。その岡橋の親切な招待があった。
「ゆめりあ」の中をひとまわり歩いた。新しく出来た建物と店舗とで感じが佳い。時間があったので駅北口へ出て、まずまずの風情の蕎麦屋に入った。風に冷えたからだを鍋焼きうどんとビールで温めた。蕎麦は酒の肴になる食べ物、日本酒を置いてないのには失望したが、温かい物は温かくてうまくて、ゆっくり、妻と、芝居やら何やらとぎれなく話しながら、気分良く休息した。

* 七時開演。演目は、祇園精舎、足摺、木曽最期、敦盛最期、那須与一、壇ノ浦合戦。そのうち那須与一だけは鶴田流薩摩琵琶の岩佐鶴丈が琵琶で語り、余は、岡橋和彦が語り芝居で美しく演じてくれた。活字で読めば難しい分からないと嘆くかも知れない人も、美しく力ある読み語りに魅入られて聴いていれば、ことごとく理解でき感銘を受ける。木曽最期など、泣かされた。熊谷・敦盛も、壇ノ浦も、流石に名文、心打たれ心しおれた。
帰りがけ岡橋さんの懇切な挨拶があり恐縮した。私からのおみやげに、「風の奏で」を持参した。
2003 11・28 26

* ああ、ああ。今日は雨。それでも今日の「マクベス」は楽しみ。シェイクスピアではない「マクベス」なのである。そして演出はもう一人のロシア人。俳優座も企画に奮励している。嬉しいことだ。
2003 11・29 26

* 俳優座劇場で、イヨネスコ作「マクベス」を観てきた。この作者について特別の予備知識は無かった、シェイクスピアの原作をパロディ化したものだろうと想って出掛けた。そうかも知れない、そうでないかも知れないが、舞台を観てみればそう思ってもいいようだ。
見終えての一番の感想。沙翁の「マクベス」という作品が底知れず畏ろしいものだと云うことを、今更のように怖いほど実感した。原作を素材に、ストーリイなどはむしろ忠実なほど下敷きにしながら、今日の舞台、たいへん面白い批評でもう一つの別の「マクベス」劇に仕立てていた。
正直のところ、チェーホフですら原作をなぞってあのまま舞台に乗ると、重いなあと感じ、こんなふうに知恵もなく舞台化してて本当に佳いのだろうかと、惑うことがある。ましてシェイクスピアとなると、原作に近く、ただ短くしての上演では、観ていてつらい辛抱が要ることが多くなった。日本の劇場では、シェイクスピアのままシェイクスピアを上演できる時代相にはないのである。いきおい、思い切って原作を批評的にアレンジしながら新解釈の現代化・今日化を計ろうかと、劇団劇場の企画段階でも考え、劇作家もまた考え、演出家も考える。そういう傾向の一成果として、今日の舞台が提供されているように思う。
わたしは、劇作として今日の「マクベス」は、昨日の「冬物語」より格段に面白いと感じた。明らかに「マクベス」であり、だが時空を超えて現実の日本にも根を生やしている「マクベス」であった。時には、舞台へ向かって「小泉純一郎 !!」と野次りたくさえなった。「マクベス」劇には魔女が現れる。リアルなだけの芝居ではない。そしていつもの例によって例の舞台では、この「魔女」がむしろ弱点になり、舞台がつくりものめくのに、今日の舞台では主役は魔女たちかと錯覚するほど、よく働いた。魔女は世界から別世界へ、時代から別時代へ移り住みつつ、その世界や時代を混乱させる「役」をしている。ダンカンとマクベスの世界を崩壊させておいて、あとに、とてつもない悪王の悪権力を置きみやげに、はるかなべつの世界や時代へジェット機に乗るようにして天翔り去る。そういう魔女集団を率いて、小川敦子の魔女1は、時にダンカン妃、時にマクベス妃となり誰よりもよく働いた。魔女2を演じた古関すま子の踊りも感じが出ていた。わたしも妻も実は小川敦子という女優に記憶がなかった。ほう、おもしろい人が出て来たなと思う。あれで人品というものが「位」として自在に出せれば頼もしい。
魔女に比べればダンカンもマクベスもワキ役であった。中野誠也のダンカンは昨日のシチリア王にくらべればはるかに水を得て泳いでいたし、小山力也も昨日のカミロよりは役を心得て大きく演じていた。だが彼等が主役でなく、受け継いで行くバンコーの子のマンコーが、この舞台では、インパクトが強い。この今後久しく続くであろう王朝の始祖は、ありとあらゆる悪徳と悪権力のシンボルとしても自ら宣言することで、一気に現代への不敵で苦々しいメッセンジャーともなる。ブッシュやフセインや金正日や小泉純一郎の祖先となる。そういう終幕が猛烈に無気味な唸りとともに、さながらの地獄を現じて、幕となるのだから、凄いと云えばこんな凄い「マトリックス」を見せられたのかと、わたしは少しオソレをなし、肌に粟したのである。
昨日の「冬物語」は、いわば原作の「歌舞伎」劇を強引なほど簡明に「狂言」化して役者の力量がついてゆけなかった、だが面白い芝居だった。
今日の「マクベス」は明らかに何人かのシテとその後シテを用意した複式の夢幻能のようであった。演出にも演技にもその意図が窺い見られたと思う。魔女と大公夫人とは一体に、バンコーとマンコーとも一体に、この世界を潰滅させたほんもののシテであり、その点では二人の凡愚の大公は、ワキかワキツレのような卑小な存在であった。卑小さを中野も小山もよく出したといっておく。
ではホンモノのワキとしてこの舞台またはこの世界と時代を把握していたのはだれか。それは、虫取りの網をもち日本の学童の制服を着て舞台を何度か往還していた少年であったのかも知れない。
この「マクベス」劇も権力の歴史も、マトリックスも、その少年のふりまわしている小さな虫取り網にとらえられる虫にひとしい、何事でも実は有り得ない、幻覚、夢に過ぎないと。

* ま、そんなふうに見終えて俳優座劇場を出て来た。雨であった。この雨の一粒のなかにすら、あのような悪徳の歴史の一切は含まれているのかも知れぬと想った。『家畜人ヤフー』のなかで、ある女性の服のポケットを覗き込むと、其処に「歴史」そのものがありありと一切「入っていた」という表現をみて、感じ入ったことがある。それぐらいの想像力を或いは今日の「マクベス」は現代人に要求していたかも知れない。たいへん面白かった。役者達も、今日の芝居ではみなが生き生きと泳いでいる小魚のように見えた。
但し、一人が、一人舞台で長ぜりふの長丁場を演じているときなど、力不足か、聴いていて退屈してしまうことが何度かあったことも、書き添えておく必要がある。
2003 11・29 26

* 三百人劇場で、ひとり、劇団昴歳末恒例のディケンズ原作「クリスマス・キャロル」を観てきた。河田園子の初演出作品だという。妻も観ればいいのに、知りすぎていると言う。繰り返し観ているし、読んでいるし、わたしもよくよく筋書きは知っているけれど、このドラマ、よく知っているようで、まだ知り得ない深みがあると想われて仕方がない。道徳的なお説教劇でも基督教の宣伝劇でもクリスマスのキャンペーンでも、ない。それらいずれも少しずつは仮に有るにしても、それだけでおさまらずに感動的に闇の彼方からはみ出てくる魅力と魔力と批評とがある。生きる自分を問いかけられ、問われて答えきれぬままに、ある畏怖と哀情と謙遜とを伝えられる。必ず流す涙も、感傷の涙でなく、なにかしら感謝の涙である。得体知れぬ自分に気付かせてもらえる。
演出は真っ当な正攻法で、器用でも独特でもなかったけれど、それがこの芝居には向いていると納得させる誠意があった。そういう誠意をシンボリックに表現し得ていた存在として、子供の頃のクリスマスへねじけた大人のスクルージを導いた、綺麗な聖霊役をあげておきたい。田村真紀の聖霊が、スクルージの様子を見やる視線にも表情にも、誠実なかなしみが、また的確な同情と批評とが終始表現されていた。もし人間が目に見えないちからに守られていたいと願うとき、その力は、たぶんこの聖霊のような表情をしているのに違いない。
劇団昴の歳末の「クリスマス・キャロル」を少なくも三度は観ているし、三度とも演出は変わっている。今日のはもっともオーソドックスで、素直な少年の魂のようにここちよく舞台が光っていた。お世辞にも巧いとはいうまいが、むしろ巧かったりしない方が生き生きするドラマなのであろう、気持ちよくいっぱい涙を眼に溜めてきた。
2003 12・13 27

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