* さて、歌舞伎がある、俳優座の『どん底』がある、建日子「秦組」の『月の子供』もある。これは初演を、やす香と一緒に下北沢で観た。今度は大塚だ、小さな劇場だけに爆発的な亢奮に舞台と客席が熱中するだろう。よりよく手が入っているといいが。
* 疲労せぬように、はやめに休もう。
2010 1・5 100
* 明日は俳優座公演。「どん底」はこの劇団には記念碑的な演目。期待したい。引き続き、秦建日子の作・演出秦組の公演は『月の子供』。しっかり仕上がっていますように。
2010 1・12 100
* 新宿の紀伊國屋サザンシアターで俳優座公演の翻案「どん底」と、ひきつづき、大塚の萬劇場で秦建日子作「月の子供」を観てきた。サザンシアターでは香野百合子さんと出会い、親しく新年の挨拶。
俳優座のあと、新宿高島屋十四階の「庖厨菜館」で中華料理と甕出しの紹興酒を。
さらに建日子芝居の後には、萬劇場の前、銘酒の店で、「浅間山」とおでんとでほこほこ温まってから家に帰った。大塚駅で河出書房の小野寺氏もいっしょの建日子たちとすれちがった。
西武線では『安曇野』第五部の後半に読み耽ってきた。
* 俳優座の芝居は、ゴーリキーの原作を、明治維新早々の東京「どん底」の宿にたむろする人たちに場面を変え創り出していた。可知靖之や村上博、中野誠也、伊東達広、河野正明、島英臣ら俳優座のいまや重鎮たちを選りすぐった達者な舞台作りで、その点に遺漏はすこしもなかった。が、さて、原作を翻案して、派遣村時節の今日に、どんな切なるメッセージを送ってきたかと観ると、じつは「メッセージ無し」という舞台なのに拍子抜けがした。うまい時代物の群像劇として、最下層の暮らしザマを達者に見せくれたのは喜びだが、「ええじゃないか」どころか、こんなことでは明治維新も「ダメじゃないか」の歎きが、時代を突き上げる怒濤の声を呼び起こすまでには、纏まらなかった。非力のまま、無情のまま、の嘆き節を奏でて、力強いうったえや侮りがたい下層民の性根は、ちっとも表現できていなかった。
もともとチエーホフ劇にしてもそうだが、ゴーリキーの「どん底」も、登場人物が百年先の未来へ希望をもつ空しさと悲しみの芝居に、つい、なってしまう。チエーホフやゴーリキーの現在時にはそれで意味が持てても、その百年二百年後の現実を明瞭に「満たされぬ不如意の現代」と知ってしまっている今日のわれわれが、その「希望」の声にそうそう安げに共感できないところが、今日のチェーホフ劇などのまさに「喜劇的な悲劇ぶり」なのであるが、コーリキーには、輪をかけてその「未来への希望」が辛くて空しい。現代に演じる「どん底」が、有効なメッゼージ劇として成り立ってくれない。そもそも最貧困層の怒りが、未来への希望へすりかえられては、お笑いにしかならない。彼等こそ「いま・ここ」の闘いに激動しなければ、ものごと一寸も動きなどしない。それは、今日の派遣村現象にもはっきり言わねばならない現実ではないか。
メッセージのまるで聞こえてこない「どん底」に拍子抜けしたと、脚色・演出家にわたしは苦情を言う。タダタダ、ベテランたちの旨い科白だけが楽しめたということ、これは嬉しさも三分の一である。
* 秦建日子作の「月の子供」はリアリズム劇ではない。
だがシュールの技倆が出来ているわけでなく、シュール沢山な内容で樽の箍がはずれ、かなりばらけた芝居のまま、ダンスのエネルギーだけで継ぎ足し継ぎ足し終幕へ、ちからづく運び込んでゆく。或る意味で無理芝居。或る意味でエネルギッシュに活躍する芝居。ま、整合的にお話などムリに分からなくてもいいや、なんとなく分かるからオモシロイやという芝居である。
わたしのようにダンス大好き男には、その場面がフンダンにあるので「有難うよ」という所。だれが巧くてだれがヘタなどと、ヤボなことも言わなくて済む。
しかし、ぐっとくる感銘が無い。ただもう出演する誰も彼もがセイいっぱい嬉しげに躍動してくれるから、気分はすこぶる弾む。それでも単調感も宿している。勢いよく箍のはずれた樽が、それでも「樽」の感じのまま転がり続ける勢いの好さが、身上であった。
* サザンシアターと小劇場、ま、勝負無しか。いやいや俳優座の懐かしい諸兄のお芝居に、やはり敬意を払っておく。だが、超満員そして若々しい熱気と躍動感では、断然建日子芝居に分があった。芝居のあとで食った、高島屋の手綺麗な中華料理と、大塚の酒とおでんの味わい。そういう「分かれ」のようでもあったなあ、やはり。
* 一等わたしを惹きつけたのは、『安曇野』の踏み込んだ「天皇と天皇制」への小説の中での熱い言及であった。
2010 1・13 100
* 四月末、松たか子のコクーンでの面白そうな芝居、日と座席とが決まりましたと知らせがあった。
2010 3・26 102
* 今日は、松たか子のサマセット・モーム劇。面白さで、気分をふっとばしてくれますように。体調。行けるか。ま、服を着てしまえば行けてしまうだろう。
あとは連休。なーんにもしない休息期間に、する気なら、出来る。
* 雨に降られて渋谷文化村。
コクーンの芝居は、作サマセット・モーム演出クラリーノ・サンドロヴィッチ「2人の夫とわたしの事情」主演は松たか子、共演に段田安則と渡辺徹。
おもしろく笑わせてくれ、その笑いのふと凍り付くところがモームのタッチか。
松たか子という女優の「科白」のきれの鮮やかに魅力的なこと、今日も遺憾なく楽しませてくれた。「戦争」という人の歎きと苦痛を下敷きにしながら戦後の人心のゆるみへ否応なく動いている「当時」のヨーロッパ事情に気付かないとただのお笑いじみるが、そうではなく、そういう転変の中でビクともしない一人の美しい女のアッケラカンとしたエゴに向こうずねを蹴られるような芝居であった。松たか子ほどうまいから出せる繊細に美しい女体と心理のアツカマシい魅惑。「ラ・マンチャの男」のアルドンサに匹敵する、また聖少女の闘いを描いた「ひばり」に匹敵する、傾向は異なるけれど特異に弾けた等量等大の持ち味として、これは、この優れた女優の持ち役になろう。
久しぶりにやす香のお友達を誘って、三人で見た。前から六七列の中央通路ぎわを用意していただき、遠眼鏡なしでもらくらく観られた。感謝。
遠くへ脱線することはさけ、東急本店の上で「なだ万」を奢った。ま、まずまずの献立か、こっちの舌が弱っていたか。
渋谷からは地下鉄の一直線で保谷へ帰れる。急行だとそれは早い。行き帰りも「水滸伝」に夢中。雨中の駅まえではタクシーが一台待っていてくれた。
* 芝居がよく弾けて、乾燥した笑いをたくさんくれたので、じわーっとかいていた冷や汗も引いて行き、ほとんど苦痛なく帰ってきた。すこし声が擦れている程度。
ま、これで休める、世間さまも大型の連休でお楽しみであろう、わたしも、一気に山を越えた気安さのまますこし休息しよう。
2010 4・27 103
* 昨日の松たか子の芝居はうかと数えられぬほど「場」数をもっていたが、幕開き第一場が、目覚ましいまで心地よく活溌だった。松たか子が女神のように軽やかだった。わけがあった。
西尾まりという女優。むかぁし田村正和が現代ドラマに熱心に領域を広めていた頃の小娘役で出ていて、たいして可愛くないのに「先」の在りように奇妙に期待を持たせた子だったが、はたせるかなしぶとく生き残っている。おもしろい持ち前を身につけ、今も活躍している。この女優が、昨日も、板付きのままいきなり気儘に喋る喋るご機嫌の奥様松たか子に、どう動かれてもクッ付きくっ付き平然と美爪(マニキュア)術に精出しながら、口も達者にしたたかご機嫌を伺っていた。この二人の、コントラスト。こぶとりのからだつきで終始自身の手先へ身を屈めている西尾まりに対し、松たか子ときたら、じつによく似合った惚れ惚れする濃紫のうすぎぬをほっそりと軽やかに身に纏っている。実に美しい。松たか子ってこんなに美人だったんだあといきなり喜んでいたが、この二人が、あだかも奥様の手先ひとつで「連繋」しながら、めまぐるしく(奥様の)気儘で部屋中を「移動」する。この二人の「微妙に一つに繋がれた」演技が、さながら異型の舞踊組曲のようで、観ていて、はらはらし、うきうきし、どきどきしながら、軽快に軽妙に、あきれるほど美しい。その間中、松たか子は自分の「二人の夫と愛情」について好き放題に喋り続け、西尾まりはすかさずすかさず相の手をいれ、奥様の爪の面倒を見続けている。
昨日の芝居は、もう、ここで、これだけで成功を予測させた、いや成功していた。「科白」がキワだっていたのだ。
* 現代の人は、「科白」という言葉を理解していない。いや、忘れている。そのために芝居を「観るカンドコロ」が手に取れていない。舞台のおえらい批評家たちのよくもまあ飽きもせず「オベンチャラ」ばかりと惘れる新聞評などに、いつもウンザリしているが、彼らの専門家たる批評に、演劇や歌舞伎を、「科白」の有機的関聨と分別し理解した視線・視野がないので、ほとんど全て出たとこ勝負の「評判」に阿ったホメかケナシばっかり。彼らに「科白」と「台詞」はどう違うか尋ねてみるといい、同じ意味ですよと嘲笑が返ってくるだろう。
むかしのしっかりした人の佳い文章を読んでいて、「白」「白」と出てくる。一瞬戸惑うまでもなく、すぐ「ことば」「もの言い」「せりふ」の意味と諒解した。手紙の後ろなどに「敬白」と書き添える。「敬ってまうす」つまり「白」は、言語として言う、伝えるのである。
「科」は意味が違う。すなわち「シナ」「しなしな」「しなやか」「シナをつくる」と謂うように、こっちは言葉でなく「からだ」が「こころ」をあらわす動作を幾段も高く、立派な「所作」に昇華してゆく機微・機能を示している。
「台詞」は、台本に書かれた話し言葉。
しかし「科白」は違う。「科」と「白」との、「所作」と「言語」との一元化合」した「有機的な昇華」の魅力・魔法として、役者に厳しく期待される、高度な演劇美の最要件。
「科」と「白」の二つが化合し、ともに一つの美しい火の玉となり火花を散らせば、そこには、最高度の所作音楽が、すなわちそれが「能」と謂うべき演劇美・歌舞伎美が実現する。その旨い下手の落差は、如実に役者がつねに暴露している。最近で謂えば、吉右衛門の「絶景かな」と、橋之助の「ゼッケエかな」の落差である。この際、この一語を一人は科白として豊かに表現し、もう一人は台詞としてただ口にしていた。
昨日の松たか子と西尾まりのかなり永い時間の「アンサンブル」がまさに「科白」劇の妙たる生きたダンシング・デュエットであった。松たか子のあの奥様役は、エゴの無意識の権化。しかもその美しさが、純粋に透明感高くあらわれ、まこと惚れ惚れした。二日このかたの体違和を、まるまる癒されていた。功徳であった。
ホンの一齣の感謝を述べた。
* それでも比較的熟睡してすこし遅く起きた今朝も、盗汗していた。寒い日。冷たそうな雨。「こどもの日」まで八、九日何の予定も負担も無い。
2010 4・28 103
* 資料やゲラを読みに出掛けなければ。どうしても机のある階下へおりても、目の前でテレビが鳴っていては思案も何も。なんであんなにテレビを付けっぱなしでないと暮らせないのだろう。
来週は月曜歯医者、それに演舞場歌舞伎がある。、次週は夏場所、次いで俳優座があり、そして講演旅行。それらの間に、「湖103」を、桜桃忌メドにうまく進めないと、これが遅れると、七月法廷の心用意に障ってくる。忙しい老人だこと。
2010 5・7 104
* 新宿、紀伊国屋ホールでの、俳優座公演『沈黙亭のあかり』を観てきた。一言で言って、ダメ。凡作。
作の意図も、観念が先行し、持ってまわってキレわるく、作意を伝える説得の妙も表現の妙もなく、さらに演出に創意も切れ味も何も感じ取れなく、俳優たちはほとんど手探りでもてあましていた。退屈して何度も居眠りが出た。テレビの間延びした二時間ドラマと同じ、一時間できゅっと引き締めて創れる材料ではないか。客はよく入っていて、笑いも洩れ終幕に拍手も出ていたが、私、冷え冷えとして面白くなかった。
* それより何より別に嬉しかったのは、亡き演出家増見利清さんの夫人で女優の野村昭子さんと劇場の中で会えたこと。妻もともども、しばらく親しく立ち話できた。シェイクスピア劇の演出で著名であった増見さんの充分お元気だった昔から、なにかにつけご厚意を戴き、最も古くは、玉三郎とそのころ片岡孝夫 (現・仁左衛門)とで演出された『天守物語』に、夫婦して招待されたのが有り難かった。妻ははじめてこの芝居で、「演出」に感銘を受け、以来どんな芝居にも親しむようになった。
俳優座と加藤剛のために漱石原作『心 わが愛』をわたしが脚色したときにも、なにかと増見さんに助言を戴いた。
「湖の本」刊行このかた言い尽くしがたく支援して下さり、増見さんが亡くなったあとも夫人の野村さんの「湖の本」への支持は実に手厚く、ほんとうに愛読し続けて下さっている。
野村さんにはこれまで一度も御礼を申し上げる機会がなかった、今日の親しい初対面、何より嬉しかった。
* 三越裏の船橋屋で天麩羅を食べ、笹一を二合のみ、副都心線で帰ってきた。
副都心線を利用すると、保谷から池袋、新宿、渋谷へ一本で行ける。有楽町線をつかえば銀座、聖路加へひと筋、練馬から大江戸線に乗れば都内を一回りできる。保谷の交通の便は昔から見ると格別。
2010 5・26 104
* 今日は俳優座の稽古場に入る。ここの実験的な公演はおおかた期待を裏切らない。楽しみにして熱暑下へ身を挺してゆくのです。
2010 7・21 106
* 堀越大史が演出した「ブレーメンの自由」は、主役荒木眞有美の好演で、とびきり刺激的ないい舞台に充実し、劇的緊張がじつに快かった。主題も観念に流れずストレートに具体的で、しかも本質を衝くはげしさで生きる喘ぎを自由と性と絶望とへ注ぎ込み、爆裂させた。自由も絶望も観念のようでいながら、性・それも女の性欲に収斂されると凄まじいまで具体化する。キリスト教社会の沈澱した偽善・独善と不徹底とが絡まりつき、自由も絶望もまるで吐瀉物のようにモノ化してしまう。冷たい機械のような殺意が働き始めると、狂気以上の女の正気がまるで善意そのものかのように働いて悲劇が喜劇化して行く。自由も絶望もその機微に乗じてあたかも天国の安息を殺す女に約束するのである。
俳優座の芝居はいつもこうであって欲しい、テレビから丸写しのようなホームドラマや時代劇でなく、脚本も演出もビリビリと震動するまさに新劇の秀作・意欲の舞台で、ぜひ毎度埋めてほしい。実験の意欲を失わないで欲しい。稽古場のLABO好演には、こういうとびきりの意欲作が再々出るので、劇場での本劇場へよりもわたしはいそいそと出掛けたくなる。妻も同じことを言い、わたしがうっかり見過ごしていても予約しておいてくれる。
* 堀越大史を舞台で観てきたわが家の歴史は凄いほど長い。そして演出の舞台にもこれで何度か出逢っていると思うが、俳優座魂の俳優の、あまり多いとは言い切れないなかの貴重な一人である。期待を先へまた延ばした、こっちの老い先はもう短いのだが。
それと、若い俳優達の熱気が、意欲が、わたしはある一頃の沈滞から息吹き返して熱く成ってきている嬉しさも実は感じている。荒木眞有美のゲーシェ・ゴットフリート夫人の人間的な「宗教劇」に、あらためて拍手を惜しまない。
* 六本木から丸ビルへ。髪の薄くなったアタマの焦げてくるのをおそれて、帽子を買った。
学童や学生の昔を除いてわたしが帽子をかぶったのは二度ほどのごく短い期間だつた、だれもが吹き出すほど似合わない。似合わないとみなが笑う、いや嗤う。
で、どうせ嗤われるならチンケなやつをわざと選ぼうと。店員の薦めてくれた柔らかい藁を編んだようなのは妻に譲った。妻の方にはるかに似合った。わたしは、どうしようもない赤や緑など色とりどりパッチワークのような妙なやつを買った。
帽子がないとこの炎暑の下を、物騒で歩けないのだから仕方がない。そして東京駅のスタンドで鮨を食ってから、帰った。電車の中では息子の『ダーティ・ママ』を読んでいた。まるでマンガのようなカバーが恥ずかしかった。湖の本の満ち足りたヌードの方がずっと美しい。
2010 7・21 106
* むかし、あれは誰の招待であったか、埼玉県の大宮までシェイクスピアの「リチャード三世」を妻と観に出掛けた。主演は市村正親、演出は有名な誰かサンであった。大きな劇場の二階に席をもらっていて、それよりもまだ高い天井から、開幕草々等身大の馬やなにかがドサドサと舞台へ投げ込まれるのに度肝を抜かれた。
「リチャード三世」は読んでも面白いが、舞台では、さらに面白く刺激的。市村の演技も刺激に満ちていた。
2010 8・3 107
* 俳優座が、九月の、二つの公演に招待してくれる。一つは美苗の処女作戯曲とか。異色の圧力ある女優としてのデビュー以来観てきたが、*十年、初めて戯曲を書いたと。
もう一つは、これはめったにない大塚道子、岩崎加根子、も一人(名前、ど忘れ)のベテラン三女優が競演するという。
どっちもシアターXというのが悪くない。建日子が劇作・演出家としてデビューした劇場だ。両国橋に近い。好きな町。
2010 8・11 107
* 松たか子が来る正月にコクーンで「十二夜」をやると報せが来たので、すぐ座席を注文した。このまえ尾上菊之助がガラス張り舞台でやり、父菊五郎が役の上で盛んに嗤われていた。嗤っていた大将格に市川亀治郎がいた。面白かった。
松たか子の舞台がもう目に見えてくるようだ、なんと、片岡亀蔵や笹野高史に加えて串田和美まで出演するという、しかも端っこのほうでかな。出演は顔ぶれを揃え、ちょいと贅沢品だ、楽しみだ。
2010 8・21 107
* 東池袋のシアター・グリーン(BIG TREE THEATER)で、劇団昴の公演、畑澤聖悟書下ろし新作・黒岩亮演出の「イノセントピープル」を観てきた。初めての、大きくない劇場だが、客席の配置が急な傾斜、前から五段目真中央は特等席で見やすかった。休憩なし二時間余の八場面を要領よく廻して、たいへん見応えがあった、さすが「昴」という上演で。食い入るように舞台に引き込まれていた。
アメリカのロスアラモスで、最初の原爆を、エノラゲイに載せて広島へ送るまでの「若い研究者グループと家族たち」の実に七十数年に及ぶ歴史を、流れも密度もよく追いかけ、なかなかの作行き。あの、「親の顔がみたい」の作者なら、なるほどと納得する。
* 原爆製造の苦心と意義とモラルとを、それに密着していた人達の「自負と満足と不安・悩みと反省と」を巧みに織り交ぜ加えて、若い子世代の、ベトナム海兵隊での重傷、またイラク海兵隊での戦死もふくめ、ねじ込んでくるほど息もつかせぬ問題提起、提起で、主人公技術者の九十歳までをねつちりと書き継いでいた。
主人公の娘は、親達の反対を押し切って、日本の広島で被爆者と結婚し、原爆禁止運動に生涯を捧げ、孫娘一人をのこして死んでいた。その葬儀に、主人公は、九十の老躯をおして車いすの息子と二人広島へやってくる。
亡き娘の夫や、ほかにも同じく被爆した日本人たちは、原爆製作に親しく携わったという此の老いたるアメリカの父親に、せめて、わるいことをしたと頭をさげてくれないかと迫る。老いた主人公は「気の毒だと思う」とつぶやくまでが精一杯。
そんな緊迫した場面へ、いましも妊娠している孫娘が外から帰ってきて、祖父や伯父と感動の初対面、というところで暗転。そのまま閉幕になる。
この場面では妻もわたしも思わず泣いた。が。
しかし、この感銘は、アメリカから来た老いに老いたお祖父ちゃんと、孫娘との感動の初対面に共感したというにすぎない。原爆抜きの感動である。緊迫して対峙した双方。被爆者たちの迫りようと、苦汁を飲みながらも詫びるに到らない原爆開発者の粘り。それが、そんな情緒的な初対面で、ふうっととぎれてしまうのは、問題であった。この身籠もっている初対面の孫娘に、優しい言葉ででも被爆者たちと同じ「祖父への問い」を発してもらえなかったかと、惜しい気がした。
* それにしても<アメリカ人とアメリカ国の論理や感情で、むきだしの差別感ももろとも容赦なく喋りまくらせた舞台作りは、なかなか辛辣で迫力溢れ、ああそうか、こんなあんばいであるのかと、観ていて苦いきつい容赦ないモノを喉もとへ突き込まれた。その作劇の方向には賛成できた。
日本人の心情や感情でこの問題を展開すると、わりと単調な主張に終わりかねない。
オイオイ、そこまで君たちは言うのかい、言い募るかいと、怒りもまじって、アメリカ人男女たちの台詞を聴いて、聴かされて、あのラストへ来てちょうど好いのだが、土壇場で、すうっと空気が抜けて甘く終えたのは、かえずがえす惜しかったと思う。
役者たちは、殆ど知らぬ顔に見えた。
それでも、いい舞台を見せてくれてありがとうと、こころよく痛いほど拍手してきた。
* 西武の「築地植むら」で食べ、日盛りを避けて避けて帰ってきた。東池袋のどら焼やで買ってきたのが、美味しい。
2010 8・26 107
* 妻は、三越劇場へ息子が書いたという歌手の「和田アキ子伝」とかを観に出かけた。あとで息子がご馳走してくれるというが、わたしは失敬して、留守をしながら、午前中、たくさんものを読んでいた。
午後は国立近代美術館で大きな「上村松園展」の特別内覧会に招かれていたが、これも失礼し、別の日に気儘にゆっくり見せて貰うことに。
すこしでも着実に仕事を前へ前へ押し出しておきたく、午後も、その方にかかる。かなり空腹、おそい昼食に暫く階下へ。
2010 9・6 108
* 花柳春さんから、三日つづき国立劇場での舞踊の会の、初日に、私作詞の荻江「松の段」をアレンジし、「のちの細雪」と題し平野啓子の語りも入れてなにやら趣向するらしく、妻ともどもの招待状が来た。はて。
* 原知佐子が主演する新劇の案内も。この前三人で歌舞伎をみたとき、秋には芝居するからね、「死んじゃだめよ」と釘を刺されていた。
2010 9・7 108
* 十月日生劇場の「カエサル」の座席券が送られてきた。
2010 9・10 108
* 暑さの中、両国へ。
古格の「天亀八」で昼食。一本海老の太いこと。掻き揚げのからっと豪快なこと。飯も漬け物も汁も、みなきれいに平らげた。
この店で、むかし結納式をしましたと話を聴いていた。店の人に聴くと、昔はそういう式の客よくがあり、二階の鶴の間、亀の間をつかいました、亀の間組はあとあととても良かったそうですと。
本所のシアターXで、所属の女優美苗の作で、森一演出、俳優座公演の「心の止り」を観た。満員。別に感心まではしないが、素人作者の素人感覚で捉え得た人情の機微が、訥々とモノを言って、観客の実感をうまく刺激、共感の笑いや溜息を盛んに誘っていたのがおもしろかった。野暮な舞台装置で野暮に野暮にドラマがねっちりと描写的な場面を重ねて行く、その泥臭さの中
に、泥には泥の機微がまじっていて観客を納得させて行くのである、それが面白かった。はじめのうち少し寐たが、だんだん「機微」効果があがってきて面白くなった。贔屓の美苗らしかったか、実はもっと激しく啖呵を切るような舞台になるかと予想していたが、ホームドラマ。しかしベテランの玄人さんがつくるホームドラマというより、みっちりと根気よく書き込んだ「私小説感覚」で、それで成功した。手慣れて小綺麗なホームドラマになどしてしまえば、またわたしの癇癪玉にふれたろうが、そうはならなかった。身につまされて観た人が多かったようだ。好きな村上博がうまいもの。片山万由美の奥さん、もっぱら機微の機微たる実感を刺激して主婦層観客に芝居を売り込んだ。美苗は寧ろへたに見えた。あの役は誰か別の女優にやらせてもよかったか知れないが、美苗の映えない芝居ぶりが、安く浮かんだホームドラマに見せず、野暮な私小説ふうに「ねばり強い演劇」へ持ち込んだのだ、あれでよかった。
最後の幕切れ近い場面では、なんとなく加藤剛の先生と香野百合子の奥さんのふたりへ、舞台の外から話しかける「こころ」の「私」を想わせた。あれでよかったのか、あれは甘かったのか、議論がありそうだ。
* 帰りは大江戸線で練馬経由で帰ってきた。
2010 9・11 108
*昼前、昼過ぎに郵便封筒に「湖の本」の住所印を捺した。予約読者用と、寄贈のものとは分けて捺さねばならない、寄贈先には「謹呈」とも捺さねばならない。それから宛名を貼り込まねばならない。とにもかくにも、しなくて済まぬ事はしなくてはならぬ。つまるとか、つまらぬとか、言うても始まらない。
疲れて睡いが、国立劇場での大きな舞踊大会で、わたしの「松の段 細雪」が花柳春、西川瑞扇らで舞われるので、それだけでも観て帰ってこようと思う。少し涼しいので助かるが、からだの芯は抜けたようにバテている。
* 外へ出れば車中ででも校正が進むと、夕方から三宅坂へ。けだるくて、保谷駅でも池袋駅でも帰ろうかと迷ったが、押して地下鉄に乗った。永田町から僅かな距離を大劇場までタクシー。
第五十八回舞踊華扇会は盛況、一回に座席有りませんから二階へどうぞと言われた。まさか。
それでも二階でしばらく息をととのえたくて、手洗いに。落ち着いたので、一階の前の入り口から入り、適当な空き席をみつけて座り込む。こういう会は、誰もがはじめからしまいまで座席にいるものでない。一人ぐらいの席は幾らでも見付かる。
三日有る初日の夜の部へ妻と二人の券が贈られてきていたが、妻は失礼した。
清元の「月」を藤間友が舞ったが、長丁場がもちきれず退屈させた。
長唄の「旅」は尾上菊紫郎が達者に踊り、花柳寿美女もよく連れて。今藤長十郎の曲もおもしろく。
次の清元、ベテランらしき藤見裕香の「柏の若葉」は、上半身の達者な分、下半身がいかつく太く運びも乱れて、よくなかった。
* 次いでお目当て、わたしが作詞の荻江「松の段」を平野啓子のナレーションを加えて「のちの細雪」に演出。
花柳春が現世の松子夫人を、西川瑞扇があの世の重子さんを舞い踊った。つけたしに可愛らしい花柳春百華の信子さん(こいさん)まで登場したのには愕いた。ああいう新演出の場合は、ちょっと事前にことわってくれるといいが。ま、演じてくれるのはけっこうで、重ね重ね工夫して貰っていい。
春の舞がやや重く、瑞扇の踊りが現世的に軽く明るく。いまいちだん、俗化しないで高雅に練って欲しい。
松子夫人の生前のつよい希望は、「松の段」は一人舞でと。それで夫人直々に今井栄子に頼まれ、小劇場で一人舞をさせられた。さすがに奥さんのセンスは「格」をよく観ておられた。登場人物をふやすと、説明的に俗になりショウになり、死なれて独り此の世にある松子夫人の悲しみが生きてこない。
それにしても荻江の二世壽友の作曲は美しい。荻江にはめずらしいとも。いろんな人達により、もう七度か八度も演じられている。最初にわたしに作詞を頼んでくれた藤間由子は亡くなった。娘の抄子ちゃんに舞って貰いたい、追善の為にも。
* 楽屋へ寄って、春と瑞扇に声を掛け、小雨の中を帰ってきた。
2010 9・15 108
* 土砂降りに巡回バスを待ち、今月三度目の両国へ。秋場所は終えて閑散。駅前のホテルレストラン楊貴妃で昼食のあと、シアターXでまた俳優座公演は、堀江安夫作・袋正演出の「樫の木坂四姉妹」。大塚道子、岩崎加根子、川口敦子という三人の大きな女優が競演した。
* なにも云わない。いや、たくさん云いそうだ…が、大いに甘いことを云う。今日は立って拍手したいほど三人の女優に酔った。優れた科白に酔った。熱くたぎってくる感動に酔った。この人たちをわたしは、俳優座の舞台でもう四十年近く観てきた。だが三人揃ってのアンサンブルに酔ったのは初めて。
舞台は長崎原爆の後遺症劇と一言で謂えば言える、が、「演劇の命」はそういう筋書きで一義的には決まらない。筋書きは演劇の玄関口にすぎないとさえ云える。
真に優れた演劇では、観客は、俳優の科白つまり「科 肉体の活躍」と「白 言語の沸騰」とが、相乗的・魔術的に輝かせるリアリティに感動、つまり震え戦くのである。「活躍」と謂い「沸騰」と謂うが、それはそのまま烈しい動きや音声を意味していない。今日の三人の女優たちはほとんど囁くようにものを云い、原爆病と老齢とで運動力はほとんどもたない、のに、「からだ」は「科」を生き生き表現し、「ことば」も「白」を生き生き表現し、身動き・物言いともに的確で美しかった。観て取れない、聴き取れない、何一つも無かった。
「把握」が強ければ「表現」も強くなるのは創作の自然であり鉄則。裏返せば、たいていの凡な創作では、把握が弱くて表現が行き届かないのだ、が、今日の舞台はいつもの不幸な観劇体験の逆の嬉しさを、みごとな「科・白」で、少なくも此の私の胸に、りっぱに届けてくれた。静かに静かに且つ強く感動できた。
演劇の魅力とはそうあるのではないか。そうあるべきなのではないか。
* この芝居は、必ずしも観客を励まし鼓舞し、よくいう「元気をもらう」タチのそれではない。それどころか堪らない悲しみのほうを、くやしさのほうを沢山胸に打ち込んできた。それも、だが、演劇本来の生きた効果である。働きである。目的ですらある。
わたしはふつう、歌劇ではない舞台で役者や俳優が歌を歌って呉れるのを歓迎しないし、時には嫌うが、今日の舞台では必然味を受け容れ、それも自分自身の思いに生かして、協働して受け取れた。
必ずしも完璧な脚本とは思わないのだが、誠実で、発信すべきはすべて、すこし過剰なほど発信し、わたしは進んで全部を汲み取った。不快なものは少しもなかった、その意味で、脚本も演出も含めて今日の「舞台」は、そのままで、私流の評価・物言いをすれば、「作品」に成っていた。
文学も美術もむろん演劇も、創作されたモノに、モノが、皆当然のように「作品がある」「作品である」のではない。
創作され制作された「だけ」のそれらは、まだ、単に「作」「作物」の域に止まっている。
しかも、人に人品・気品や繪に画品・気品があるように、それが「作品になる」「作品がある」ためには、ことに演劇のような高度に総合的な作の場合、気稟の清質が起ち上がるためには、よほど魔術的な恵みを受け取らねばとても「成り」がたい。横綱白鵬六十二連勝時の述懐ふうに謂い替えるなら、よほどもよほどの「努力」の末にえられる「運の良さ」で、やっと舞台に美しい「作品」が生じるのである。
今日の「樫の木坂四姉妹」は、三人の優れた女優たちの率先協力の「努力努力」がなにもかもを引っ張り引っ張ったのであろう、心地よい佳い清い深い「作品」を、観客の思いの底に実現・成就してくれたとわたしは思うのだ、立って拍手したかったほどに。感謝。
* 雨はやんでいた。両国から月島で乗り換え一路保谷まで帰ってきた。
2010 9・28 108
* 小雨の中、下北沢の「劇」小劇場で原知佐子主演の「私だけのクラーク・ゲーブル」を観てきた。少し泣かされてきた。
いまどき、このドラマを我が事と身につまされて受け取る人、どんなに多いか知れない。
十年まえ夫に死なれた老妻と、姉妹の二人娘を芯に、若き日の夫、また初老の夫の幽霊が登場する。イザベル・ドゥ・トレドの作を中村まり子が訳し、中村は演出にも加わり、長女をも演じていた。巧みな脚本で、ほぼ間然するところ無く、我が友の原知佐子はニンにも年齢も合い、伊達にはこの世界で永く苦労していない余裕綽々の好演で、ああこんなに巧いんだと感じ入った。出会いの昔から相思相愛、それも互いに熱愛の夫婦であった、夫の死後も妻はいつも夫と話し合っていた。娘二人とよりも夫と話していたかった。娘たちは母を愛していた。いい家族であったが、それでも夫は十年前に死に、自殺であった。彼は愛用のブーツの中に遺書と装填したピストルを入れて遺していた。遺書には切々と愛妻にむかい、少しでも早く来て欲しいと書き置いてあった。妻は十年「遅刻」して、階段から落ちて、死んで行く。
娘たちは真相を知り、こもごもの感慨にふけるのを、妻を迎えにきた若い日の、また年老いた夫と、妻とが眺めている。
問題を含んだ芝居であったが、数年前に、愛する夫・実相寺昭雄に先立たれている原知佐子にすれば、「そのままにすればいい」芝居であり、優しく美しく演じていた。おみごと。
* 折しも我々の同学同期の友の重森埶氐(ゲーテ)に死なれたばかり。
はねたあと、ロビーで告げ、知佐子絶句。「代わりに少しでも永く元気に生きようよ」と知佐子は覚悟をまた新たにしたようで、握手して別れてきた。妻は、われわれの一期おくれの、やはり、美学。しんみりした。
雨が少し増していて。本多劇場の向かい、小劇場隣の「バー ボルザーノ」で佳いワインを選んで早めの夕食をしてきた。保谷まで戻って、幸いタクシーが一台待っていてくれた。
2010 10・9 109
* 日生劇場の「カエサル」を楽しみ満喫してきた。すばらしい出来で、名優松本幸四郎の真価が従前に発揮され、面白かった。 『ローマ史』も『ガリア戦記』も愛読してきたから、劇の進行を理解するのに何の遺憾も無い。そしてカエサルの真価もよく把握されていた。わたしの想い描いていたカエサルと僅かに異なるのは、舞台の彼が髪ふさふさの好男子であったこと。じつは此の希代の「女たらし」でもあつた英雄の髪は、いたってうすかったと。他は、立派な理解により書き取られた魅力十分のカエサルであった。
詳しくは、明日に書く。
2010 10・13 109
* きのうの日生劇場、幸四郎の「カエサル」は、掛け値なく面白かった。ああ、高麗屋はこれを演じてみたかったんだ、分かるなあという共感の深さをわたしは大喜びした。
わたしはギリシアの歴史以上に初期ローマの建国の努力に関心と共感をもってきた。その象徴的な帰結として現実を見極めて身も心も働かす理想家のシーザー、即ちカエサルに共感していた。あるいは彼はブルータスらに殺されなかったならローマの共和制を帝政に変害していた、かも、知れないが、そうも思われぬ余地を彼はのこしていたし、なによりも『ガリア戦記』がさながら体現していたように、カエサルは「理想のローマ」版図をひろげたかったろう。奴隷として支配する版図拡大でなく、ひとしくローマ市民の世界をなるべく平等に広げようと。そのためには生粋ローマの永世貴族化に自負を満たしたいばかりの元老院支配を、カエサルはそのままは肯定しなかった。
そういう理想家を舞台はとても分かりよく表現して、カエサルのありようには今日の政治もぜひ求めたい英気と確信とが見えて心地よかった。幸四郎がみごとなカエサルによって幸四郎自身の「現代批評」を成し得ていたのがわたしはすこぶる嬉しく、満足したのである。前から五列の真ん中に絶好席を用意して貰っていて、わたしは高麗屋の満足の笑みをまのあたりにし、掌がすり減ってしまいそうなほど拍手を送ってきた。いい舞台は嬉しいなとほんとうに思う。
九月に、染五郎が懸命の「引窓」に共感し、また俳優座の「樫の木坂 四人姉妹」に酔い、十月には我當ら松嶋屋三兄弟その他の「盛綱陣屋」に泣き、原知佐子「私だけのクラーク・ゲーブル」の好演にしんみりし、そして幸四郎をはじめ高橋恵子のセルヴィリーアや渡辺いっけいのキケロや水野美紀の溌溂とした女奴隷らの「カエサル」に熱中できた。とても幸せな一ヶ月がつづいていたのだ。感謝感謝。
2010 10・14 109
* 赤坂レッドシアターで、松本紀保の出演している芝居「動かない生き物」を観てきた。面白くも観たし、それで何なのという後味のもの足り無さもあった。演劇言語でなく、素話しの投げセリフに終始する芝居で、役者たちの出入りや繋ぎは練達していたが、さりとて役者の体が脈動し躍動してその美事さを観客に伝えるという芝居ではなかった。それで何なのと思いつつ拍手して外へ出た。松本紀保ほどの柔らかい感性を躍動させるには、もっと柄の大きい強い深い台本が欲しいと思う。
* 赤坂見附から銀座へ。有楽町のビッグカメラで消耗品を補充し、生憎と不味い中華料理を酒で流し込むように食べて帰ってきた。やはり網野善彦『中世の非人と遊女』の圧倒的な面白さに、満員の電車を立ちづめも気にせず保谷まで。
冷えていた。建日子に貰ったもうジャンパーを着て出て荷物にもならなかった。
* 発送の用意しながら、篠原涼子主演の「金の豚」とかいう題のドラマの初めらしいのを観た。この女優は、息子の書いた女刑事の「雪平夏見」役で弾けて、抜群にイメージアツプされた。もっと昔から、ちょっと味わい有る女優だが脇役かなと気に掛けていたのが、雪平夏見で俄然生彩を発揮し、トップスターにのしあがり、魅力ますますのいい女に成った。コマーシャル写真を見ていても表情完熟、いつも目を惹く。是は観たいと思った。
うん、いい出来だった。会計検査院の検査員というのが新しい。
このあいだ、似た名前のもう一人売れっ子、米倉涼子の国税査察官もの「ナサケの女」も観て、ま、面白かったけれど、あれには今や懐かしいほどの宮本信子がご亭主の監督映画で大活躍した「マルサの女」という先行作がある。会計検査院の、しかも元刑事かと間違えられるような隠れ前科者という設定が、篠原涼子の味を引き立てていて、ちょいと身を乗り出して観ていた。
2010 10・27 109
* 発送にあけくれていて、とても楽しみにしていた、七日、友枝さんの能をすっかり失念失礼していたことに、今朝になって気付いた、まこと申し訳なく頭を掻いている。こういうことが、次々に増える。老いを言いわけにしておれない。ごめんなさい。このようにしてだんだん、現世の楽からも我から遠のいて行くのだなと心寂しい。前に万三郎の、また昭世の、能を観損じた。梅若靖紀の能にも、また観世の「清雪忌」にも招かれているが。
2010 11・11 110
* このところ圓生についで、就眠の前に、文楽、志ん生、小さん、三木助、可楽、柳昇、金馬などの噺を聴いていた。優れた文章に「文体」があるように、うまい落語には鮮明に「話体」の興奮がある。圓生の精緻な想像力と話術に迫るほどのはいないが、それぞれに一国一城を堅固に守って秀逸。ただ、すべてが故人となっている。
* 高座への出囃子を、関東のどの噺家ももっている。それもいいが、ま、短くて、記号か符丁か合図の程度。
ところが圓生百席は、噺の始終に出囃子とはちがう音曲や囃子や唄をたんまり聴かせてくれ、中には圓生自身がすばらしい喉を聴かせてくれる。痺れる嬉しさだが、こういう面白い音楽がいっつたい今やどこへ散佚し消滅したのだろうと思いもする。
明治の初めに、この手の音楽の妙味を、国是かのように追放してしまい、音楽といえば西洋音楽や声楽に強引に限られた。よほど狭く限られた狭斜の巷か花柳界か歌舞伎等の舞台でしか聴かれなくなった。少なくも一般社会からは消え失せ、大の音楽好きな若者達も、誰も、長唄も清元も常磐津も新内も浄瑠璃にも自ら口を出すことがない。端唄も小唄も地唄もやらない。都々逸の楽しみすらない。是は奇妙に不思議な話で。面白くないなら仕方がない、が、面白いのである。唄も面白いが、楽器のアンサンブルも途方もなく面白く豊かに美しいのである。わたしも妻も、テレビからそういう音楽が聞こえると、おやとそっちへ顔も耳も向ける。引き寄せられる。
昨夜も藝能花舞台で福助がおもしろい新内に合わせ、さすが惹き寄せる踊りを見せていたが、福助の藝にだけではない、音曲のおもしろさにふと用事の手をとめて聴き惚れたのである。
現代とのコラボレーションとして津軽三味線だけはときどき登場しているが、我が友、望月太左衛が懸命に努力し公演しているような近世音曲・音楽の現代的な再現が、もっと世に迎えられて活躍すると佳いのにと思う。
* 日本舞踊はけっこう普及しているが、これは歌舞伎舞踊とは質が違い、武原はんや井上八千代級の名人ものはべつだが、概して歌舞伎役者のそれよりうんとずっと水っぽく、観ていられない。
昨日の藝能花舞台でも、またいつもの舞踊家の出演かと見過ごす気で一瞥し、お、と思った。ちがうのだ歌舞伎役者の踊りそのものが。ありゃら、福助じゃないか、と忽ち惹き込まれた。
女形の踊りは女性の舞踊と、根本、タチがちがう。濃厚で充実していて美しい。踊る技術にプラスして実にふんだんに、女性舞踊家のそれよりも表現が「べつの栄養分」を湛えている。福助なら福助の占めている時空支配の質が、ただの女性舞踊家のそれとはまるで異なる。魅力に溢れる。或る意味、踊りの技の冴えからすれば福助よりも玉三郎よりも菊之助よりも上手な舞踊家のいるだろうことは認めている、承知している、が、しかも時空の活躍する面白さが、歌舞伎役者の舞踊はまるで別だ。タチがちがう。
女が女をどう美しく舞い踊ってくれても水っぽく、その上に妙にムズムズする気味の悪ささえ時に感じてしまう。「性」としての女を感じてしまうらしい。歌舞伎役者の「女」にもむろん性的に誘惑されるけれど、その女ぶりはカッコつきに「女」と謂うしかない、とてつもない副作用の効いた魅力に満ちている。福助だと気付く前にその「女」にわたしは取り付かれていた、そして面白い音曲の妙にも。
2010 11・15 110
* 当たる卯歳正月は、歌舞伎の高麗屋も松嶋屋も大阪松竹座へ出勤で。かわりに、俳優座が、記念の「リア王」に招んでくれている。松たか子の芝居も予約が出来ている。晴れ晴れと年を迎えたい。
2010 11・16 110
* 俳優座の川口敦子さんからも、礼の手紙。巡業中らしい。そういえば、作・演出・主演の芝居を観てもらい感謝しますと、やはり俳優座の女優美苗さんからも。
2010 11・17 110