* 先へ先へ すこしも足踏みなどしておれないのが、むしろ今のわたしの健康法になっている、とも謂える。ま、やれる限りやって行くだけ、出来れば歌舞伎なみの楽しい何かと出くわしたいが。
そういえば、建日子がちかぢかに作・演出の芝居「らん」を三度目、公演するとか。「らん」はよく書けている芝居で、前進座劇場でも俳優座劇場でも見応えがした。また、どれほどに手直しが利いたか、観に行くことになっている。
2018 1/14 194
* 寒けして、洟と咳と、くしゃみ。なんとなく不調。
明晩、新宿での夜の建日子作・演出劇「らん」を観にゆくのはヤメにして建日子に通知した。ザワザッと背から寒い。
愉快でない鬱陶しい心身の日々が続いている。明日一日はゆっくりやすむ。とかく胸に軽いが深い痛みが揺れる。妻のニトロをもらうことが、ゆるやかな間隔ながら、断続している。
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☆ 羽生清 著 『楕円の意匠』 四 蛇鱗紋 -舞台の奥- より抄・引用
あわや、お組が法界坊に組み伏せられようとしたとき、要助の身元引受人甚三郎は自分の掘った落とし穴に落ちた法界坊から吉田の家宝「鯉魚の一軸」を取り 返す。そして、要助とお組を逃がす。二人が歩き出そうとすると、野分姫の霊が現れ祟りで動けなくなる。「鯉魚の一軸」を開くと威徳に恐れをなして霊は消 え、二人は無事に立ち去る。穴から出てきた法界坊は甚三郎に傘で打ってかかるが逆にやられる。
甚三 思い知ったか。
法界 チエヽ、殺さば殺せ。思いこんだるあのお組、生きかわり死にかわり、恨みを晴らさでおくべきか。
強欲な法界坊に翻弄される二人の美女。野分姫が死に、お組は逃れる。甚三郎はお組と要助を葱売りの姿にして「隅田川」の土手へ逃がす。凄惨な殺戮の場が 一転して桜花咲く隅田川に変わると、これまでの騒々しい喜劇は怨念劇舞踊「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」になる。
名にし負う、月の武蔵に影清く、霞を流す隅田川、
岸を分くれば下総と、昔は言うても今もなお、
よしある人の言問はば、色在原を都鳥、群れ寄る波に
せかれては、伊達な浮世を渡し守。
そこで野分姫ゆかりの袱紗を焼いて回向をすると、お組がもう一人現れる。
松若 ヤアくそなたもお組、こちらもお組、コリヤどうじゃいのう。
お賎 ほんにコリヤ、こちらもお組様、あちらもお組様。
松若 お組が二人になつたわての。
お組と同じ娘姿に潜んだ二つの霊。お組と見まごう振りの奥から、突如、野分姫の怨恨と法界坊の執着が顕れる。殺された娘と殺した僧との霊の合体。異様な のに、舞台の禍々しさを懐かしく想う私がいる。そもそも、私と他者の間が、そんなに明快に分離できるのか。いつも行い澄ました私を生きて疲れてしまった人 間たちが、舞台にとけ込んでいる。自分の殻から出てきた観客の気が一つの波長に揺れて動く。そのとき、人は誰にでも成る。
性別も年齢も国籍も関係ない。人間であることさえも。狐でも蛇でもかまわない。いっとき、そのような時間を持つことで、私は、私であることを許される。 その私がさまざま登場人物と一つになって楽しむ小説や芝居。殆ど、疑問を感じずに読む本や観ている映画、その鑑賞を可能にしている根拠は私の奥にあるさま ざまな私ではないか。
安珍の清廉が清姫の情念を駆り立てる。二人は光と影、一心同体。それを見せる『隅田川続悌(すみだがわごにちのおもかげ)』。(中村=)仲蔵が、初代新 七に望んで、立役でも踊れる鐘入までをつけた葱売りの所作を書いてもらzた曲のため、この芝居は今日まで生き永らえたといわれる。
「道成寺」から生まれた「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」。だから、法界坊は鐘を曳いて登場し、最後は鬼になる。
清姫と安珍は「双面」。清姫の業を引き出したのが安珍なのだから、安珍に無罪は許されない。無意識の偽善は女の側にあるばかりではない。存在自体が罪で あるような良い男、業平も源氏も女たちの潜在意識が要求していた役割、女たちを喜ばせ、悲しませ、生きていることを感じさせる役割を果たしただけかもしれ ない。
安珍と法界坊、口説かれて逃げ回る模範僧と女に目のない破戒僧。どちらが罪深いのか。己の成仏のため娘の命がけの願いも無視する身勝手。それは、「あは れ」を知る雅男(みやびお)の対極にある。女は「この世で男にまとわりつき、あの世で成仏のさまたげになる」などと、己の弱さを他人のせいにし逃げ回るの が名僧か。
娘と見れば、野分姫もお組も諸共に妻にしようとする法界坊は、業平や源氏に近いけれど、雅な「いろごのみ」が嫌らしい「いろきちがい」に変わるのは、い つだろう。引用に次ぐ引用で、古典的な教養なしに芸能は楽しめない。実は現在を楽しむ能力を持っていたら、古典の方は自然に身に付く仕組みになっているの かもしれない。
法界坊は、乞食坊主。高僧でありながら、吉田家の姫に狂う清玄を登場させて、言葉を批評した南北作の『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしよう)』 (文化十四年・一八一七)。
序幕、高僧清玄による剃髪の時を待つ桜姫の前に、かつて一度の契りで子までなした盗人釣鐘権助が現れる。
心づかねば引きしむる、はずみに腕の入れ墨に、
鐘に桜も有明の、灯に一目見たばかり、どんな顔
やら殿御やら、知らず別れたその跡で
盗みのついでに自分を犯した顔も知らない男に思いを募らせ、去り際に男の腕に見た「鐘に桜」の入れ墨を自らの腕に施した桜姫。二度と男に会えまいと得度 しようとした矢先の再会に、二人は人目を忍んで抱き合う。この桜姫は清玄が愛し心中を企て一人死なせてしまった稚児白菊丸の生まれ変わりだったのである。 それを知った清玄は盗人権助の罪を着る。
* 「日 本の美意識はどこから来たか」と問いながら、この著は、美しい構成で、遠く「古事記」では黄泉比良坂や吾妻に「言葉の霊」を問い、伊勢物語と業平の「道中 の景」を問うて愛の深秘に迫り、歩を運んで源氏の六条御息所から四谷怪談へまたぐ愛の計り知れぬ懼れをまさぐった後へ、この日高川と隅田川にくりひろげら れる美意識をさながら自身「体験」してみるかのように、なおなお著述後半へ思索されて行く。この著者の意識の原点は「古事記」にあり、それは日本の古典展 開の揺るぎない大きな原点であることをわたしも共感している。源氏物語や平家物語を語るに当たっても、深い思いは古事記に探らざるを得ない、そんなこと を、どれ程の人が心得ているのだろうか。
神話と物語 怨霊と幽霊 島原と吉原…。合わせ鏡の対比から「日本」の男と女が抉られてゆく羽生清よさん(京都造形藝術大学教授)の洞察と方法、そして述懐の文章には、びっくりさせるほどの独自性がある。「名著」だと敢えていう所以。
* 上に取り上げられた舞踊やお芝居のいずれもをわたしも妻も繰り返し耽美してきた。あの勘三郎が演じた法界坊のごときは、「平成中村座」の「松」の席、われわれの顔がくっつくほどの真近へ宙をとんできて、笑いながら妻のペットボトルからお茶を含んで去っていったものだ。
「櫻姫東文章」は、受賞のすぐ後に某劇団のアングラ公演へ招待されて初めて観た。怖い芝居だったが底光りして美しかった。のちに紀伊国屋劇場で新劇の人た ちの、そしてむろん歌舞伎座でも何度も観てきて、羽生さんの挙げられているこれらはみな、これこそ「もの凄い」しかしまたじつに「美しい」世界なのであ る。
わたしは「四谷怪談」は怖くて遠慮してしまうのだが、この本での羽生さんの「お岩」への愛と共感の深さには教えられた。そしてこの著者は、ここでも私が 観てきたとヽ視線・視点で「四谷怪談」の根を「古事記」に見抜いておられ、敬服した。これは、そうなければならぬ視点なのである。
2018 4/18 197
* 俳優座からの五月の招待が来ている。かなり御無沙汰して来た。楽しみに出かけたい気でいる。
なにもかも、出不精で行き詰まる。出かけるなら楽しく出かけたい。思い切って病院と縁を切って行くことも大事かなとは思うが。診察よりも「検査」の重み には頼りたく。感染症内科、内分泌科、そして腫瘍内科は血液や尿を検査してくれる。これは、頼むに足る。眼科は、やめた。泌尿器科での前立腺のケアは、こ のさきに何が起きるか知れず、縁を繋いでおきたい。消化器内科、循環器内科とも縁は欲しいのだが、診察の待ち時間は途方もないと分かっているので、問題が 生じるまでは出向かない。
2018 4/18 197
* 俳優座の早野ゆかりさんから芝居を観て欲しいと案内があった。六本木での本公演から招待があって久々に受けたところだったが、連日になるが本所の「シ アターX」へ出かけるときめた。視力のために、ごく前の席を二つ取っておいてくれると。「心 わが愛」初演のころは若手の美しい女優さんだったが、もう中 堅の上を行く人。踏ん張って出かけるきっかけを貰ったとおもうことに。
なにしろ高麗屋が今年は、いや来年も 三代襲名興行で東京を離れっぱなし、歌舞伎に手が届かない。いつも目のためにも観劇にも心づくしの絶好席をもらっているので、かえって余の機会へ手が出ない。
2018 5/10 198
* 来週は月末の日曜をはさんで久しぶりに俳優座の芝居や聖路加の診察が相次ぐ。この週明けには建日子が何処だか郊外の薔薇園へ行かないかと誘ってくれている。億劫でもあるが外出して歩くという「機会」には相違ない。
2018 5/16 198
* 思い立って、久しぶりに 原作・夏目漱石 脚本・秦 恒平 演出・島田安行 俳優座公演・NHK藝術劇場版 『心ーわが愛』 を、 配役 先生・加藤剛 静・香野百合子 K・立花一男 私・寺杣 奥さん・阿部百合子の『心ーわが愛』 で観た。 初演は、やす香の生まれた翌年だったか。
いまは主演女優級の 早野かおり が ズブの新人だった。
* おっそろしく生真面目に、しかも我流に創り上げている。
立花君の演じた出色の「K」が 亡くなってしまっている。ビデオから○版にしたが、可能ならもう少し画調の良い版を手に入れておきたいが。
2018 5/17 198
* 今日は晴天で暑い。歌舞伎ではないが、久々の観劇。ほんとうに久々。
* お出かけには最良のお天気。
* 俳優座稽古場公演「首のないカマキリ」を、最良席で観せてもらった。題名からも、「命」の継続を念頭に置いて作者(横山拓也)の言いたいこと はよく分かった。案内のチラシ表に「カマキリのオスって交尾中にメスに食べられても、最後まで交尾を続けるんだって、」と言ってある。さこで作の意図がか えって、ちいさく痩せた。「作」ないし「作品」の真価は「言いたい」ことの「言い方= 把握と表現」にある。作者なるものは真実その点で常に苦労と工夫を重ねる。
その点で今日の舞台は、言いたいなかみでは十分誠実であったけれど、言い方は尋常・平凡で「寸」短く「幅」狭 く「底」を浅くしていた。
しっかり拍手は送ってきたが、どうみても七十点どまりの訴求力というしかなく、個人的には胸をつまらせ涙線のゆるみにも負けて いたが、「創作」への感銘や感動ではなかったのが心残りで惜しかった。演者には甲乙というほどのバラツキはなく、しかし、さしてほむら立つ好演というには逸れて、印象もうすかった。
新劇はとかく「言いたい」が先行し「言い方(把握と表現)」がお留守に成りやすい。
ま、久々に、楽しませては貰った、感謝。
* 劇場を出たときもう疲労していたが、せっかくのお天気に謝意を表し、日比谷へ出、ホテルの一階で例のパンケーキとキールロワイヤルで乾杯した のがかえって堪えた。そのまま帰っても良かったが、二月以降立ち寄っていない五階のクラブまで上がったものの、わたしはコーヒーが精一杯、妻も似たような アンバイで、飲み食 い抜きという珍しい仕儀で失敬してきた。ただし新規の置き酒を妻が贅沢に出費してくれ、次に出向く機会が楽しみになった。
わたしにもう歩きまわる元気なく、丸ノ内線、西武線でまっすぐ帰ってきた。往きも帰りも、三度まで席を譲って下さる方があり有難かった。よほど、よたよたしていたのだろう。
* しかし、明日も本所まで、早野ゆかり主演の芝居を観に行く。両国は、夏場所、栃の心の活躍で陽気に満ちているだろう。さてさて、疲れないように出かけたい。
☆ 先日は
ご本をお送り頂きまして有難うございました。いつもお気遣い頂きまして有難うございます。
体調は如何でしょうか。
明日14:00公演、お待ちしております。
お席のご案内は場内係にお願いしております。
どうぞお気をつけていらして下さいませ。 早野ゆかり
2018 5/25 198
* 本所松坂町 旧吉良屋敷近くの劇場へ行ってくる。体調、宜しくない。いわば全身不快。毎度のことゆえ無視をこころがけて。
* 演題は、「死詩ノ詞」と。戦後に自死した劇作家加藤道夫への熱いオマージュ(頌讃)を工夫の構想で山本健翔が詩劇化し演出した。台本には早野ゆかりが ちぎらゆかりの名で協力したとあり、山本の「加藤道夫と私」なる「語り」からごく自然に各場面へ流れ込むトーンを為していた。何度か挿入ないし場面を主導 した松本真咲の舞踏、見応えがあった。
加藤道夫が存生中の劇作を観るおりは無く、活字では一、二を読んでいて、その余の鮮明な印象は持っていない。勘三郎と玉三郎が演じた「末摘花」が加藤の 作であったか、覚えがない。印象を強いて語るのは避けておく。木下順二とも福田恆存とも三島由紀夫とも泉鏡花とも強く触れ合っては想われない。その「なよ たけ」は加藤の代表作であろうが、「竹取物語」ないし「なよたけのかぐやひめ」への把握は、わたしにはやや「文学青年」の一風ある思い入れのように見えて いる。
* 劇場を出て両国駅へ、まだ大相撲の打ち出しに二時間近くあったので、駅前のちゃんこ「霧島」へ上がって、二人でやっと出て来た鍋の半分ほどを食べて満 腹し、市ヶ谷経由で帰ってきた。往きも帰りも乗り換えるつど座席を譲られ、感謝感謝。雨降らず、暑くなりすぎず、佳い半日であった。
2018 5/26 198
* 例年雨季まえから梅雨明けへの時季は妻のきまっての難所で、発熱したり、時には去年のように入院したりする。今年も、軽熱・微熱を出し、昼にかすかに雑炊を一椀食しただけで寝入っている。
花園神社特設舞台での、観たい松本紀保主演「天守物語」も、目下はパスの構え。わたしも妻も医者・病院通いが重なる。余儀ないまでも乗り越えて行かねば。
* 辛うじて夕方には起きて夕食を作ってくれた。食後わたしは潰れたように暫く眠り、妻と交替して起きて、ひとりテレビを観ていたが。疲れた。
* 大事な眼鏡の一つを見失い見つからない。見当がつかないまま、シンから腐っている。こんな気分のママ五月を見送ることになった。
妻の軽快を願う。
2018 5/31 198
* 今朝も『風姿花伝』をはらはらめくっていて、「物学(ものまね)條々」に目をとめ、もう久しい自身の思い理解に触れてくる「科」という一字に出会っ た。ああ是へ立ち止まるとながくなってしまうなあと躊躇ったが、日頃も気になり気にしている一字だけに、通過しかねるのである。
☆ 風姿花伝第二 物学條々
物まねの品々、筆に尽し難し。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにもいかにも嗜むべし。およそ、何事をも、残さず、よく似せんが本意なり。しかれども、また、事によりて、濃き、淡きを知るべし。
先づ、国王・大臣より始め奉りて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は、及ぶべき所にあらざれば、十分ならん事難し。さりながら、よくよく、言葉を尋ね、科を求めて、見所の御意見を待つべきか。
* こと細かには立ち止まらない、ここに謂う「言葉を尋ね、科を求め」とは、何かということ。
* いま、舞台で謂う「せりふ」を漢字に書くに「台詞」とする人の方が多い。台本にある詞とい理解か。しかし、もう一つに、昔から「科白」という表記があるが、どういう意味か、今日では大方の舞台・演劇人が忘れ果てているように歎かれる。
「科」とは何、「白」とは何。
「白」には、表白、自白、告白、白状などの熟語があり、何らか「言葉」で言い表す状況が察しられる。
一方の「科」には、「シナ」をつくるなど謂うようにな、肉体・身体による表現行為が察しられる。「言葉を尋ね、科を求め」という言句には「セリフ」が本 来持ちかつ表すべきものが謂われている。それの分かっていない俳優は、喋っているときは「躰」での科よき表現が置いてきぼり、躰を使っているときは「言葉 (表白)」での表現が置いてきぼりになる。ちゃちな初心の演劇を舞台で見るとこの「科」と「白」との有機的な美しい調和が成ってない。セリフといえば「台 詞」としか考えていない不勉強がバカバカしいほど露呈してくる。
建日子のごく初期の作演出舞台にも、口を酢くしてよく「科・白」の注文を付けたのを思い出す。
もう久しく、こっちのからだが言うこと聞かず、建日子の作・演出芝居も観ていない。
2018 8/26 201
* 津川雅彦と朝丘雪路夫妻への告別の会で、奥田瑛二という俳優が、弔辞で、生前津川に「藝術至上主義」を語りかけて痛罵され、「エンターテイメント 人を喜ばせる」のこそが俳優の天職だと叩かれたと語っていた。
これはまこと考慮と反省とに値する問題点で、津川の認識は、天の岩戸前のウヅメの舞遊びこのかた「遊藝者」たちが処世の鉄則なのであった。またそのゆえ にこそ遊藝者たちは神代このかたついこの戦前まで、優に二千年を人外視の痛烈な迫害と侮蔑・差別に地獄の苦しみを負い続けてきたのだった。それが日本の歴 史の「倫理に悖る」過酷な一面なのであった。理解できない人はわたしの著『日本史との出会い』ちくま少年図書館の一冊その他関聨の論著を読まれたい。
「人を喜ばせる」とは、じつに単純に分かりやすそうで、歴史的にはじつに複雑を極めた人間社会の負荷・負担の一面でもあったのである。「遊藝・藝能」の 人がまさしく地に這う境涯から、あたかも貴族・華族かのようなめざましい転換を体験し実現し得てきた「人間の、日本人の歴史」の或る意味凄まじさは、静か に心深く顧みられ、いかなる意味ででも「人間の人間による人間差別」は切に非難し解消されねばいけない。いまや社会の強者然と高慢化しつつある、その実た いした「藝も能もない喧しいだけの自称藝能人たち」にもそれは逆に言わねばならぬのである。
「藝術至上主義」などという名目が、いまもかすかにでも世渡りしている現実は、苦笑に値するとわたしは思っている。この人間社会に、「至上」などという 価値観をばらまくことほど罪なものは有るまい。「アメリカ・ファースト」などと蛮声を張りあげるバカな大統領がその醜くも露骨な実例である。
驕るなかれ。ほんとうに「人を喜ばせる」とはじつにじつに難しいことと心得て、むろん小説家も含む藝能・遊藝の人は、恥ずかしくない「藝・能」を渾身磨 かねばならぬ。亡き津川雅彦は、よくガンバッたなとわたしは眺めていた。惜しんで余りあるあの美空ひばり、中村勘三郎を思い出す。
万葉歌人たちや、紫式部、和泉式部、西行、兼好らこのかた、文学・文藝の歴史とて別でなく、西鶴、近松、芭蕉、秋成、蕪村らを経て迎えた、明治大正昭和の文豪達の「藝術」にわたしは感謝を忘れない。真実「喜ばせ」てもらったからである。
藝能人が浅い感覚から「藝術」をはねのけて驕ってしまっては大きく間違うのだとも、よく優れた先達に学んで欲しいと思う。
2018 11/22 204
* 来年の十月、松本白鸚(と謂うよりも、前「幸四郎」というのが親しめる)が、1969年の日本初演以来半世紀を演じ続けてきた「ラ・マンチャの男」を、帝劇で公演と知らせてきた。わたしたち夫婦は、何度も繰り返し観てきたし 今度も 元気なからだで 揃って観に行きたい。
思えば、1969年は、わたしが受賞して「作家」生活に入った年、来年六月の桜桃忌で「満五十年」になる。三十三歳であった。
以来、喜怒哀楽のすべてを超えて、半世紀、わかりよくいえば「選集」三十三巻の結晶があり、「湖の本」145巻の刊行があって、なお、新しい先へと歩むだろう、歩みたい。
天皇・皇后さんのご成婚は、1954年四月十日だった。三十日足らず先だち、わたしたちは京都を去り東京の新宿区河田町で、三月十四日、六畳一間の新婚生活をはじめた。
勤め先は本郷東大赤門前、研究医書専門の出版社、醫学書院だった。
自称も他称も「まむし」といわれた怖い社長の金原一郎は、十五年半の在職中、退職の日まで、終始わたしには仁慈の人であった。心より感謝し、選集28の口絵に、生前手づから贈って下さった(告別用)喜寿の写真を収めた。
編集長は、森鴎外記念館の館長でもあった碩学・長谷川泉だった、ためらいなくわたしを「作家」生活へ送り出し、亡くなるまで親切を尽くして公私に応援してくれた。
わたしは、ともすると『癇癖談(くせものがたり)』を書いた上田秋成に似たかという苦い自意識を抱いてきたが、また、これまでに何度か、人からも吾からも「ドン・キホーテ」と笑われ、笑ってきた。
「ラ・マンチャの男」こそ、わたしの理念・理想であったかもなあと、今にして、仄かに思う。つよく思う。来年十月を楽しみに待とう。
新篇 日々に成る
是れ声名を愛するにあらず
旧句 時時に改む
無妨( はなは)だ性情を悦ばしむる
祇(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦して一生を過ごさんと と、白楽天に倣って。
2018 12/24 205