* このところ、何度も、グノーの歌劇「フアウスト」を、ただ音楽として聴きながら、原作を想っている。つれて、ミルトンの『失楽園』をなんともいえない 憧れ心地で思い出す。幼少、誰にも知られずわたしは河原町三条の基督教教会へ行ってみたいと想っていたのも思い出す。あれはどうしたのだろう、中学生の 折、人に貰ったとは想われない、偶然に拾ったのかしれないが十字架の鎖を持っていた。英語の先生に見せたら「コンタツ」と謂うものと教わった。身につけは しなかったし、いまでもどこかに仕舞い込まれているのかも知れない。
小さい頃から、家には漢籍も古典籍も信じられないほど豊富だった。だが、そんな中に、誰かから送られたらしい小型の良い新約聖書があり、じつは、わたし はその文語体が気に入り、福音書などはみな繰り返し読んでいた。基督教の空気は、誰からでもない教会からでもない、一冊の聖書から吹き込まれていた。かす かに教会へ気が動き、そのままになった。コンタツとやらを拾っても身には帯びなかった。まったく同時にわたしは、仏壇の般若心経や燈明の色に惹き込まれ、 また地獄の想像に夜中泣き叫ぶ子だった。
高校生のうちか大学入学のころには裏千家から茶名を受けていた。希望した一字は「遠」つまり茶名は「宗遠」とつけられたが、これが「老子」から得た一字 で、老子も荘子も唐詩選も白楽天も、みな祖父の遺していた蔵書で、例外なく小学生の頃のわたしの愛玩書だった、愛読書とまではとても云えなかったが。
わたしは、聖書も含めて古典や歴史書との出会いが、いわゆる小説などの読み物と出逢うよりよほど早かった。変わり者にならずに済まない環境がはなから養家にあったのだ。
* いま、わたしはこの「私語」の冒頭、櫻につつまれた自分の写真に添えて、
あのよよりあのよへ帰るひとやすみ と、述懐している。
まだ生まれていない無のあの世から、いずれ死んで行く無のあの世への、みぢかい旅のこの世。ま、ひとやすみしているようなこの世。前世に物語はなかった し来世にも物語はない。「あらゆるものが最終的に源に帰る。それが自然だ。源が終着地だ。元気に自然に生き静かに自然に死ぬとは、それを知るということ。 苦労や苦行で光明(悟り)を得たがる、死んで天国や極楽へ行きたがる、みな無意味で不自然な「目的地」を幻想しているに過ぎない。天国も地獄も、聖職者が こじつけた不自然な論理の荒唐無稽な絵解き。
中学の頃、わたしはもうひとかどの免許ももった茶の湯好きだったが、ある時、教室で図画の先生から指名され、「お茶で大切なんは何や。言うてみ」と問われた。もぐもぐと、実感のないわびのさびの和敬清寂のと言いかけていたうが、先生、一語「自然や」と。
* バグワンも「自然」と言う。ブッダが、なによりも根源の自然を言う。来て帰る「源」である「自然」を「禅(ディアナ)」と。地獄極楽の仏教などは、後世の宗門仏教が利用した方便であった。 2016 1/6 170
☆ 如月に
お正月は、スケジュールが多くて、31日の日曜迄楽しみました。
今月は、早速、今日、建仁寺、東陽坊の月釜に出向きました、ついでに、お菓子をお送りしました。(体力が着くかと葛湯を、小豆が体に良いと仙太郎の最中を)ご賞味下さい。
-親指のマリア- 力を入れて読んでます。
歌舞伎の事、先代の役者等 楽しんで読みました。有難うございました。
今夜は此にて 京・小松谷 華
* 建仁寺東陽坊の月釜とは、なんと懐かしいこと。家からは、祇園町をとおり抜ければもう其処に在って、秦の叔母に連れられても独りででも、なんども出向 いた馴染みの月釜。菓舗の「仙太郎」もちかく、いまこの界隈は書き続けている小説「清水坂(仮題)」の舞台そのもので。嬉しい、いい後輩である。呼びかけ てくる声も聞こえる。 2016 2/5 171
☆ 遠様
昨今、気候不順ですが、お変わり御座いませんか。
次つぎと、お仕事に無理をされているのでは? と心配です。
私は、12日久しぶりに日吉ヶ丘の友だちと嵐山へ行って来ました。お天気も良くリフレッシュできましたが、翌日は一日鼻炎がひどくて、参りました。
19日の土曜日は、三年ぶりに、リフレッシュされたお茶室で雲岫会のお茶会を開催します。
先日 遠さんのHPを見ました折、東工大の桜が美しく、見とれておりました。
円山のさくらがおとなしいので、観光に来られる方には気のどくに思います。
早、来月は都をどりです。
甘い物と、すはまのお団子とお抹茶を送りました。
すはまは、祇園の松葉屋さんも早くから作られてなく、お口にあうかな?
京都はこれから観光シーズンで大変です。住み辛く成りました。
季節の変わりめです、お気を付けて下さいませ。
(携帯からは、沢山書けないのでパソコンにした。) 京・北日吉 華
追伸 メール送って、夕方になって、選集12巻届きました。有難うございました。
毎回頂き恐縮です。お大事に。 華
* 「雲岫会」か。限りなく懐かしい。この日吉ヶ丘高校茶道部の名もわたしが決めたのだった、創作された「茶席」にすでに「雲岫」と名付けられていたのを貰ったまでであるが。あの六十三年も昔に、帛紗捌きから手ほどきしたなかの一人が、華さんが、いまも「雲岫会」を守ってくれているとは。感謝しきれない。、
2016 3/14 172
* 「また、おいしいもん送ったげます」と言い寄越していた京都の「華」さん、すてきにカッコいいバウムクーヘンを朝の内に送ってきてくれた。ありがとう。
高校の茶室雲岫席で茶の湯初歩の手ほどきをした二つ下の後輩が、今日只今もおなじ茶道部をまもり育ててくれている。こどもを育てて貰っているような安堵がある。
あのころの、わたしから手ほどきをうけた仲間達の何人もが、いまも「湖の本」も介していろんな便りを寄せてくれる。もう六十余年になる。不徳なれど孤ではないという私の安心はさほど虚構ではない。
2016 4/22 173
* 十一時半、ヘンリック・シェリングのモーツアルト、バイオリン協奏曲24番を気持ちよく聴いている。なるべくなるべく気持ちよく日々を送り迎えたいのだ、不快に落ちて溺れたくない。
楽当代の茶碗を観たり、家蔵の茶碗を持ち出して手に慈しんだりしている。バイオリンとピアノの懐かしげな調和音の心地よさ。 さ、それでももうやすんだ方がいいぞ。
2016 5/28 174
☆ 六月になりました。
額あじさいがにぎやかに咲き始めました。
可愛らしい綺麗なお干菓子を見つけました、近頃お抹茶がお好みの様で、我が家の買い置きの物を一緒に送りました、明日着く様です。
抹茶は小分けして、残りを冷凍保存したら良い様です、漉して使ったらなお美味しいです、楽しんで下さい。
京の宿、一件、案内の栞を入れて置きました。御所の近くならくに荘とか、京都ガーデンパレス、等が有ります、昔の共済組合の宿です。他に外資系ホテルもありますよ、こんな所かな?
どう動かれますにも、無理をなさいません様、まずはお知らせまでに。 今熊野 華
* 以前なら選者を永く務めていた美術賞のスポンサーに頼めば宿も、らくに、とれたが。なにしろ京のホテルは観光の外国人で溢れているとばかり、聞かされている。京都に家を残しておきたかった。しゃーないナ。
健康のためにもと抹茶を毎日しっかり点てている。小さい頃からお茶を点てるのは得意だった。すこし茶筅をもつ手の振りに硬さが出ているので、せいぜい元 へ戻して、茶碗の底までよくよく点ったお茶を味わいたい。京都には味も見た目もいい干菓子がいろいろに有る。気遣いの濃やかな華さん、いつもよく選んでく れる。感謝。
そういえば、干菓子ではないが、秋には芝翫を嗣ぐという橋之助が、今日、祇園の中村楼・二軒茶屋で祇園豆腐を不思議そうにテレビの画面で食べていた。そ れも懐かしかったし、彼が八坂神社南門が正門だと教わって不思議そうな顔をしていたのも可笑しかった。大方の人はあの四条大路末正面石段上の朱の門こそ正 門だと思うだろうか、どんな神も君主も正式には「南面」するのであり、祇園社正門はむろん拝殿南の下河原通りへ開いた門であり、その門脇に中村楼が昔から 在るというのが、老舗の風情になっている。奥が深い。
* ウーン、懐かしい。
2016 6/1 175
* 京・今熊野の宗華さん、いい抹茶をたくさんと、京干菓子の粋を幾いろも贈ってきて下さった。日々にお茶を点てる習いが根付いて、宇治茶と京菓子の美味しさをまさしく満喫できる。感謝感謝。
2016 6/2 175
☆ 秦 恒平様 迪子様
湖の本創刊三十年 本当におめでとうございます。よくなさいましたね。 一番に思うことは
迪子さんの御協力 御助力です。ほんとにほんとに御苦労様でした。
一番始めまだみんな京都に居た(=最初の私家版の)頃です、 小畠さん、良子ちゃん姉達が 恒平ちゃんがこんな文章書かはるなんて信じられへんと口々に噂して居りました。 そしい今 あれから六十年以上でしょうね。
今立派な文学者に成られ 私は自慢自慢のお友達です。一杯教えて頂いて居ります。ありがとうございました。
お二人の写真の前にピンクの紫陽花がいけてあります。今年はあじさいの豊年で近所に配っています。他に白木槿もピンクのも満開です。毎朝切ますのが楽し みです。お茶のお稽古(=先生)まだ続けて居ります。ふしぎに私はヒザが痛くなく皆さんに羨ましがられてゐます。でも頭の方がボチボチです。今日は私の 84歳の誕生日です。
どうぞお体お大切に、 そして書き続けて下さい。 千代 ロサンゼルス
* お姉さんも小畠さんももう亡くなっている。この二人にも、わたしは叔母の代りに稽古を見ていた。わたしは美しくて正しい作法の教え方がわりと的確だった。年かさの誰もわたしの代稽古をイヤがらなかった。
千代さんは、いまなおアメリカで現役のお茶の先生をされている。「四海皆茶人」を実践されている。
2016 6/22 175
☆ 寒暑有代謝
宗 遠様 夕時家に戻ると階下で町内会の夏祭りをやっていて、裸電球のぼんぼりに子供達の浴衣姿が照らされていました。夜には向かいの札幌ドームで花火が 上がり、間近で音と光を楽しみました。いかにも夏らしい風情でしたが、風は冷たく、職場に戻ると気温は18度になっていました。
寒暑有代謝 (寒暑ニ 代謝アリ)
人道毎如茲 (人道モ ツネニ カクノ如シ)
仕事柄、地球温暖化に対応する研究も手がけていますので、南の酷暑・豪雨と北の冷夏は気になるところです。
「寒暑有代謝」は文字通り天然自然に振り回される農業の姿であり、「人道毎如茲」は農業研究に従事する自らの姿、悩みでもあります。
但し私はお酒が飲めませんので、茶を喫するのみですが。
箭のごとく過ぎ去ってゆく今は、後で思えば貴重な時なのに、ただ雑事に追われ無為に過ごしているような気がしています。
なにより、奥様共々お元気で過ごされますよう。
またいつかお目にかかれますことがありますよう。 札幌市 宗哲
* maokatさんが「茶名」で呼びかけてきたのは初めてかも。この農業研究者は、風雅の気味をただよわせた創作や文章も書かれ、何編も、わたしの電子 文藝館 「e-文庫・湖(umi)」 に掲載されている。また、そのような宗哲さんらしい述懐の文章が読みたいなあと思ってきた。
大事な事へ「背を向ける」危うさは言うまでもない、が、それだけに、静かな内奥に風雅をやしなう気力はとても大事と思っています。
宗哲maokatnは、お酒はやらないが、ふだんに、お茶を点てていると。生来の好み、よく聴いて知っている。彼はたしか表千家流。
わたくし 裏千家の宗遠hatakn も、この二月近く 毎朝お茶を点てて、妻に一服 わたしは二服 かならず喫している。茶筅をよく用いて底の底まで濃やかに泡立て、そのふっくらと盛り上 がった美しい茶を美味しく戴いている。さすが茶筅はすこしずつ消耗し、お茶は残り少ないまで幾缶も服してきた。補充はデパートで。よくよく喫茶は身に適っ ており、菓子もいつも頂き物があって有り難い。
* わたくし、しかし宗哲さんとちがい、お酒も大好き。この一と月足らずに、越乃寒梅、青磐雄町、大和櫻、三千盛そして今は二升の能登誉、これがまたじつに旨くて、ぞっこん惚れている。惚れるとは正にこういう事。
しかも、酒茶論の古来落ち着くところ、いつも両方が佳いと結論されてきたように、お茶とお酒とはじつにうまく合う・適うのです。そのことを、中学高校大 学の昔に此の宗遠めは、実践し承知してきた。幸せという感懐の「酒茶」は嬉しい一象徴なのである。しかし人には強いません。宗哲さんも、どうぞ奥様ととも に健康でお幸せに。
2016 7/24 176
* 朝一番に、宇治の水谷(佐々木)葉子先生、宇治茶をたっぷり送って下さる。
わたしは子供の頃から親が「茶くらひ」と謂うほどよくお茶をのんだ、戦時中でたいそうなお茶ではなかったが、番茶大好きだった。いまでも変わらない。こ の半年余は、毎朝自分に二服、妻に一服ずつ抹茶を点てて服している。叔母の稽古場このかた抹茶も大好きで、もう欠かせない。抹茶は、茶碗で茶筅をつかって 点てている。わたしの流儀では茶筅をしっかり用いて濃やかに茶をたてる。五年生頃から叔母らに「恒平のお茶は美味しい」とおだてられては頻りに茶をたて茶 の稽古に励んでいた。叔母の弟子達にも高校生の頃は代稽古で教えていたほど。宇治の抹茶は、さすがに美味しい。
2016 8/28 177
*京の清水の奥、清閑寺というお寺を深く愛したことは、長編『冬祭り』最期の閑居に選んでいることで明らか、文字も音も風を奏でて美しい。「閑」とは。多 くの場合、あの芭蕉の秀句に親しみ「閑(しづ)かさや」岩にしみいる蝉の声を聴く。閑静、閑雅、閑居。みないかにも清らかに静かな風情。
しかし「閑」の字は、もともとは「とざして、いれない」のである。閑静、閑雅、閑居のどの閑にもその原義が生きている。雑念・雑事を静かに、しかしきっ ぱりと拒んでいる。それ自体が生き方になる。即ち、閑事。だが、無為の閑居をいうてもいない。生きてあるからは何事かを為してまた成して生きる。その何事 かをも実はこの二字は端的に問うている。挨拶である。如何と挨(お)しまた拶(お)している。
* 裏千家十世 柏叟 認得斎宗室 筆「閑事」の二字を珍重している、筆が豊かに働いている。悠然とかなり厳しく、いささか俗をも見捨てていない。見飽かない。
この裏千家十世の、夫人も優れた茶人で、松平家から娘婿に迎えた十一世の精中・玄々齋宗室をよく薫陶し「中興」を以て樹たしめた。この夫人は京・洛北の旧家「舌(ぜつ)」家から千家に入った人。この家のこと、知りたい。
* 玄々齋の月を愛でた一軸を、久しく愛してきた。いずれ、紹介しよう、名月の時季に。
2016 9/1 178
☆ 床に「聴雪」の軸が掛かり、号には「欠伸子」とありました。
昨日、大徳寺塔頭庭先の一畳台目御茶室で、薄茶一服いただきました。
客座には膝詰めで、正客・和尚様、次客・熊倉先生、三客・私、お詰め福森先生。偶々ことの成り行きで…同席賜わった二十分間に、いくつか気付いた事がございました。
身体が触れ合うほどの間近で共に茶を喫するとは、戦乱の世であれば、さぞ意味深い事と思いやられ、その事を肌身をもって感じました。
桃山時代に、綺羅を飾った殿方が身近に隣客の息遣いをうけながら、三人も四人も集って一碗を回し飲む、その意味深長を体感致しました。
京都で日々を送っていると、数多の不思議に出会います。
「お茶」は日常にあって、身構えることでも特別なことでもありません。東京でお稽古をしていた時には解らなかったことが、お稽古に通っていない今解ったり、そうだったのか!と、合点がいったりすることが沢山あります。
先生の『茶ノ道廃ルベシ』を読み返す時、京都で暮らしているからこそ気が付けること、京都のモノやコトを見て解ることが沢山あります。
塔頭寺院の小間には「聴雪」と書かれた江月宗玩の色紙がありました。
広間には「黄鴬」から始まり「光・香・東風」と春の息吹に満ちた言葉が散りばめられた表装美しい古嶽宗亘の大幅が掛っていました。
寺院の苔むした庭に芽吹いた蕗の薹の写真を送付させていただきます。
少しなりとも京都の風がお届けできたなら、嬉しく存じます。 百
* 一畳台目の席は、極限まで縮めた茶室で、大人が四人は自体ムリに近い。亭主とも三人(二人客)ならこの上なく密度のたのしめる和敬清寂かつ歓談の一座になる。が、それにしても羨ましい。熊倉さんの名もなつかしい。「百」さんの神出鬼没にも感嘆する。
「聴雪」の二字を床がけにされている江月宗玩の別の一軸をわたしも架蔵していて、真跡だといいがと願っている。
* 京の風がこころよく吹いてくる。
2017 1/31 182
* 「序論・演戯としての茶の湯点前の成立 美学的課題の発掘のために」という怖ろしいような題目の卒論の副論文100枚が、一学年下にいた妻に清書しても らったまま、ひょっこりとものの下から現れた。主論文は「美的事態の認識機制」と題していたはず。びっくりボン。書庫へはいると何がかくれているやら知れ ない。
2017 2/25 183
* すこしく雨、バタバタしないで、ほどよく出かけて、今夜は幸四郎の「引窓」 藤十郎・仁左衛門の「女五右衛門」 さして海老蔵の「助六」に菊五郎、雀 右衛門、秀太郎、左団次、歌六を楽しんでくる。からだに余裕が有れば一つ展覧会に脚を向けたくはあるのだが、ムリはしない。
* 日比谷のクラブからの帰宅が十一時半になり、以下の記事は翌日に書いている。
* 昼過ぎに松屋裏のフレンチ「ボン・シャン」へ。アスパラガス、赤と白とのワイン、とろけるような黒毛和牛モモ肉が美味かった。デザートとわたしはエスプレッソ。恰好の午食の店と親しくなって便利重宝。
食後すぐ銀座から竹橋の国立近代美術館へはしり、楽家代々の茶碗展、今日開幕。
何と云っても、初代長次郎と本阿弥光悦が天然・自然に美しい極みの安定した造形で、しかも茶の湯の茶にひたと適当している。茶碗などそんな気で見たこと など無かった妻が、わたしもビックリしたほどそんな初代と光悦との茶碗を立ちつしゃがみつ可能なら四方から、熱心を極めて観ていた。佳いことだった、明ら かに美しい魂にふれていたのであり、たいへん価値ある宝を取り込んでいたのだ。「茶碗」という造形には、他のいかなる工藝に増して不可思議に底知れぬ魅力 が籠もって在る。茶碗は単なる飾り物ではなく「用」を抱えて手近にある。用のママに「用そのもの」が美しい魅力を湛えて底光りがしてくる。「目」の対象で あるばかりかななにより「手・掌」との感触の親和がモノを云う手来るし、そう無くては茶碗が茶碗にならない。茶碗であるかぎりは茶碗の「用」を成し得ずに 歪曲の造形に走ることは出来ない、その点では長次郎や光悦やのんこうの茶碗も楽家歴代々茶碗も、基本形は変えたくても変えられない。しかし、何かしら歴代 々なり独特の楽茶碗を生み出さねばならない。先へ先へ時代がゆくほどもの凄いとまでいえる造形への負荷がかかってくる。当代吉左衛門の茶碗を観てわたしは それを痛感し、痛感に応えての十五台目のいわば闘技に惚れて、躊躇無く第二回の京都美術文化賞に強く推したことであった。妻の当代の茶碗を観ながらのつぶ やきに「オブジェ」の一語もまじったのをわたしは聴いていた。「佳い展覧会を観たわ」とも。それが今日のことであるのをわたしも喜んだ。
すこし落ち着いたら、所蔵の楽茶碗をとりだし手にとって愛しむように観てみたい。
2017 3/14 184
* 昼の寝起きにたまたま途中から観た「鑑定団」に、奇跡のような道入(のんかう)の平黒茶碗があらわれ息を呑んだ。樂旦入の、また裏千家玄々齋のみごとな箱書きも。重要文化財として保護して欲しいほどの名品だった。のけぞった。
柴田是真ら名工五人の合作になる調度箪笥にも感じ入った。
さすが浅草、いいものが出た、が、持ち出してきた大方の人はその品の値打ちをしらずにいい値なら売ってハワイへなどと云うから、仕方もないが、情けない。情けながりながらわたし自身も叔母から譲り受けたたくさんな道具の始末にじつは困惑もしている。道具は、多少でも趣味と愛情のある持ち主にこそ渡って行くべきなので、その点、うちの後継者は、落第。困っている。熱心に買いに来る道具屋が東京でも三軒ほどあるが、まだ呼び込んではいない。むしろ愛蔵してくれる若い人たちに出逢って、さし上げたいのだが。
2017 7/16 188
* 玄関に小堀宗中筆と伝える雪月花三幅対のうち「月」を掛けた。
月 そらにのみ見れともあかぬつき影の
水なそこにさへまたもあるかな 宗中
「月」 一字が大きく美しく書けている。歌は、月並みだが。宗中は、小堀遠州子孫、旗本小堀家の中興をうたわれる茶人で「政優」の名とされているが、上の三幅対の箱蓋には「小堀政廣筆」と銘記されていてやや悩ましい。
この「月」の軸を廣い床にかけ、京の蹴上、都ホテルの茶室で叔母の美緑(みろく)会が釜を掛けた。のちに渡米してサンフランシスコで結婚した大谷良子さん(ロス在住池宮千代子さんの姉)を、この「月」の軸の床まえで撮った写真が一枚遺っている。
軸は、よく映えた。はなやかに思い出の多い茶会であった。淡々斎好み、みごとな「松」蒔絵の美しい「末広」銘の茶器を用い、わたしの見つけてきた「須磨」焼と称したおもしろいかき分けの茶碗を替えに使って、能「松風」を趣向の茶会にしたのを覚えている。
茶器の「末広棗」は高麗屋のお祝いに謹呈し、「須磨」の茶碗は池宮さんに謹呈した。
宗中筆と伝える「雪月花」三幅対、指導に当たっている後輩加門宗華さんに託して母校日吉ヶ丘高茶道部「雲岫会」に寄贈できればと想っているのだが、どうでしょう。
2017 9/17 190
☆ 拝復
高著 御恵贈賜り、篤く御礼申し上げます。
宛先を拝見して、永らく、ご無音に打ち過ぎておりましたこと、申し訳なく存じおります。
この荷を開封しましたのは、何を隠そう滝井です。
先生の八十路と同じく、何時の間にやら 服部(=友彦)以下男性陣が定年退職し、私が最年長になってしまいましたため、歴代編集局長の席末を汚しております。それに伴い 三年前に京都本社に転勤、現在は(琵琶)湖の末端に 昭和九年生の母と暮しながら通勤しています。
近況が長くなりました。
「京都」「茶の湯」「古典」の文字が並ぶ第二十二巻を弊社に、いや、私にお送り下さった御心に応えて、一年をかけてでも、この一巻を読み通し、理解することが叶えば 汚している席の塵の一片でも払われるかも知れないという思いです。
秦先生には、どうぞこれからも御健勝にて、
有り難きことを全うされますよう、心よりお祈り申し上げます。 草々 淡交社 滝井真智子
* 驚いた。石塀小路育ちの元気な嬢ちゃんが服部さんのあとを襲って「編集局長」になっていたとは。東京支社の「なごみ」で活躍してた頃、何度も何度も原 稿を書いたり連載したりしたのを思い出す。ナンと言っても母上が昭和九年生まれ(わたしが十年)だもの、まだ若い若い。小津安二郎の映画で浪花千栄子の娘 役をしていた石塀小路育ちの山本富士子と出会うと「滝さん」を思いだしたモノだ。
2017 10/7 191
* わたしは強いては茶道という言葉を口にせず字にも書かないで来た。事実上無縁で来た柔道、剣道も柔術、剣術でよかろうと眺めていた。「**道」と名乗 られてあるに出会うつど暑苦しい閉口・辟易で眺めていた。「道」と名乗り始めればおおかたがご大層に形骸化してゆくと惜しんだ。
相撲道などと言い張るのもコッケイ至極、少なくもわたしは土俵上の相撲を藝とも技とも術とも眺めて楽しみ喜んでいるだけ。「いい相撲だった」と拍手喝采 するときだれが「道」など思うだろう、稽古の成果や青年たちの気概を愛して終えている。よってたかって相撲という藝を、或る意味では神事にかかわる健闘や 敢闘を褒め勝負を楽しんでいるだけのこと。道徳のお手本など望んでいない。八百長や賭け勝負に堕しないで欲しい。それだけだ、頑なに固陋な「道」の売り込 み、御免蒙る。
2017 12/2 193
* 入浴中に寒気がして慌てた。しっかり漬かりながら校正していた。湯も熱かったはずだが。汗を出している内に急いで出て、しっかり厚着し、うまい酒の一 升瓶をあけて気に入り唐津のぐい飲みで一合余を飲み干した。選集今回の校正は、われながら面白くて楽しい。
「茶ノ道廃ルベシ」は、「花と風」「手さぐり日本」「女文化の終焉」などと並んでとびきり若書き一冊だ が、おそらく現代茶道に論及してこれほど的確に批評し切れたどんな類著も無いとわたしは確であると共に、「日本史に学ぶ」「洛東巷談」らとも共に、まさしく「秦 恒平の思想書(エッセイ)」の中核に成っている。他に類のない論攷かつ提言と成っている。そう信じている。
「茶ノ道廃るべし」はむかし北洋社から出版して版を重ね、講談社版に転じても詠まれたが、二度とも、 かなりきつい茶の湯業界の締め付けが来た。ついには版を絶たれてしまった、が、それでもよく廣く今にも記憶され、愛読しまた刺激された読者が多かった。今度「選集」の一部に入るけれども、単独で再刊されても、「ちくま少年図書館」もそうだが、毫も 古びないまま新鮮な訴求力を示せると思うのだが。
2018 1/3 194
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「馴れ馴れしさは、社交生活のすべての規則の弛緩に近いもので、気楽な付き合いと呼ばれるものに人を到達させるために、放縦が持ちこんだものである。これ は自己愛の所産の一つであって、すべてをわれわれの弱さに合わせようとして、良俗の強制する奥床しい隷属からわれわれを引き離し、また良俗を気楽なものに する途を求めるあまり悪徳に堕さしめてしまうのである。
女性は生来男性よりも柔弱なために、いっそうこの弛緩に陥りやすく、またそこでより多くを失う。女性の毅然とした品位が保たれず、人が彼女に払うべき敬意が薄れてしまい、貞淑はその権利の大部分を失う、と言うことができる。」
* 馴れ馴れしくするのもされるのも、おそらく大方の人は嫌いだろうと思う。自分からそう接した相手など永い歳月に思い当たらない、独りもなかったと思 う。むしろ男性同士にはときとして馴れ馴れしく出てくるタイプがいたと思うが、あれは男社会の競い心でもあるのだろうし、所詮親しくはならなかった。
茶の湯を介して知った「淡交」とは少年来念願の境地であったけれど、簡単な文字のママの理解ではとてもとても到達どころか近づきもならない、難しい人間関係だとしみじみ思う。少なくも賢さよりも聡さがよほど大事になる。
2018 4/18 197
* 勤め先で「庶務課」の責任をもつことになり、(夜前の夢です。)社に来客があれば茶をたてて供することにして以来、社内で立礼の茶法を習いたい者が何 人も出現、専務や編集長の奨励もあって稽古をはじめた。希代な、ありうべくない夢ではあったが、医学書院で十五年半の編集者務めのあいだに、わたしたちの 結婚して二年暮らした市ヶ谷河田町でのアパート一室へも、うんと遠くなった当時保谷町の社宅へまでも茶の稽古に通ってきた人らが何人かいたのは事実。
同じ社宅の独身寮にいた人らにも稽古を頼まれ、建日子誕生の数ヶ月前まで教えていた。その同じ社宅住まいだった後輩編集者の一人が、のちに、東北学院大 教授から米沢短大の学長さんまで勤め上げた仙台市住まいの遠藤さん。いまも久しい「湖の本」の読者、よく仙台名産の美しい蒲鉾など送って来て下さる。
社宅のお弟子には、もう一人遠藤さんの仲良しのお連れがあり、その二人に何かのおり戴いた白玉(しらたま)の小ぶりの湯飲みたちが実にいい姿と上品な色 で、何十年にもなるが、お正月にはかならず福茶の用に愛し続けている。ふしぎでもないが、多年愛用しつづけているとわれわれ夫婦とも、下さったその人をた ちをそれは心親しくよく想い出せて、何十年も再会していないなど、思われない。
2018 7/16 200
* 朝いちばんに京の「華」さん、お心入れの甘味名菓たっぷりを頂戴した。日吉ヶ丘へ高一入学、茶道部へ入ってきた後輩に、割稽古の一から教えた。今は執心出精のお茶の先生をしている。その間、六十数年。久しいことだ。
さらに久しい、冨松賢三君のような、国民学校の戦時このかたの友達もある。
ものを書き、読んでもらえてこその歳月と思う、有り難いことだ。
* 機械の起ってくれるまで、今朝は「風姿花伝 物学條々」の「老人」を読んでいた。
能では、「老人の物まね、この道の奥義」「第一の大事」とある。
「花なくば、面白き所あるまじ。」「老人の立ち振舞、老いぬればとて、腰・膝屈め、身を詰むれば、花失せて、古様に見ゆる」「ただ、大方、いかにもいか にも、そぞろかで(はしたなくならず)、しとやかに立ち振舞ふべし。」「花はありて年寄と見ゆる 習ふべし。」「ただ、老木に花の咲かんが如し」と。
* 高校二年、三年で茶道部に稽古をつけていた昔から、『風姿花伝』のこの年齢を追うての「物学條々」の教えには舌を巻いていた。今でもまことに新鮮に、ゆるぎなく信頼できる。
2018 8/29 201
☆ 昨日、
すこし体調に余裕があったので、光悦寺まで出かけました。
このところ、先生に『京』をお伝えできず…心苦しく過ごしておりましたので… わずかなりとも、お目の慰めになりましたならと、タブレットから送信させ て頂きます。多分、写真はお届けできるかと存じますが… 相変わらず、HPは拝見できない状態が続いていて、残念でなりません。 立 冬の声を聞いた頃から、冷え込む日も多くなってまいりました。 どうぞ、くれぐれもお身体お大切になさって下さいませ。
先生と奥様がお元気であられます様に。 祈っております。 京・鷹峯 百 拝
洛北・光悦寺の秋晴れ
* 光悦会ではじめて、そして只一度 光悦の茶碗で一喫した体験は感動の余りに記憶からは霧消した、が、洛趣会の懐かしさ、またひとり自転車で光悦寺まで はしり、広い庭に散在の茶室の縁をかり、持参の茶菓と湯で一服また一腕、こころゆくまで鷹峯を眺めて喫茶・安息した早朝の清寂など、忘れない。
2018 11/17 204
* 「山上宗二記」をはたしてわたとし読むだろうかと案じていたが、すこぶる興味深く、茶の湯各種のの諸道具の所在や所持・伝来・特色・価値などを、余分な説明抜きに端的に羅列して行くのが、かえって実感に伝わってきて興趣津々の面白さ。岩波文庫を買って置いて良かった。
2018 11/17 204
☆ ありがとう御座いました。
今日、午前中に到着しました。
あまりにも立派で、びっくり。
早速に 我が家の床へ。半間で小さいのですが、掛かりました、なんとカンロク! です。お濃茶を頂きたい気持ち。遠慮なく 頂戴します。
荷造りも上手だったので 破損無く届きました、奥様に感謝です。
この後、女性は大変な仕事を!頑張ります。
暮れから寒くなるようです。
ともども、お大事にお過ごし下さい。 京・今熊野 宗華
* 無事着 よかった。
函の外に 毛筆で
若宗匠 玉 と 寿 横物
御箱書御願申上ます
林 弥男
箱の蓋裏に 鵬雲斎若宗匠時代の自筆箱書
自筆 寿 玉 横物 鵬雲
何歳頃の若書きか分かりませんが。
この宗匠は あまり達筆のひとではありません、昔から。
「林弥男」 は 知恩院古門前通りで古美術商の大家 「林」「本家」の婿で、総番頭だった人。
「林」は 京の道具屋としてはとびきり大きい一統の「本家」でした、今は商い絶えたそうですが、「千家」家元筋へも、宗匠らの方から辞を低くするほど、大きな存在、商家でした。
「弥男(みつお)」は、わたしの小説『或る雲隠れ考』(「湖の本 17」「選集 17」所収)で、本家の娘「千代」の婿に入る「弥一」に相当、 ヒロイン「阿以子」の父親です。
もっとも小説の骨格はリアルですが、物語がフィクションなのは、いつも通りです。
今の裏千家大宗匠の「若宗匠」時代の「若書き」ながら 大きな「祝儀物」として重宝でき、わたしたちも、連年、正月の居間に掛けてきました、が、大暴れする幼いネコの「ふたり」が、絶対に引っ掻き落とすと分かっているので、お正月前に、心籠めて 呈上します。
一切、遠慮も斟酌も返礼も無用です。私の「思い」です、喜んで酌んで下さい。返礼も遠慮も、ゼッタイに無用です。
今の内なら、うまく頼まれれば 鵬雲斎自身 或いは当代宗匠の「箱書」がもらえるでしょう、今となっては珍しい 使い勝手のめでたい 大物の軸ですから。
ま、道具屋の「扱い」ですから マッカなニセモノということも無きにしもあらずですが、間違いないと観てきました。
おめでたいお正月用の一軸なのは 相違有りません。 宗遠
* 読者で、はっきり裏千家系のお茶人と知れている人は、海外に一人、京に一人、関東で一人しか識らない。関東のお一人とは面識がない。持ち腐れになる茶 道具を道具屋に扱わせて金に換えるのは、実、気が進まない。気心知れて真実心親しく思っている読者筋へ、できれば差し上げたいというのが本音である。趣味 も関心も知識もない、しかも心通わない先へ投げ込むのではモノが可哀想すぎる。仕方なく、銀座で一軒の道具屋と繋ぎだけはつけてあるが。ほかに三軒ほど電 話で見せよと頼んでくる道具屋があるが、信頼に到らない。
かりにも美術館つとめをし、植物としての「茶」や、漆器に関心を深めかけていた娘の秦朝日子なら、ものの値打ちを少しは分かって大事にしてくれるだろうに、と、これも情けない。
2018 12/24 205
* 国立近代美術館の工芸館から、近代工芸の名品、人間国宝の「棗」 すべてみせますという、いつもの「二名様」招待が来ている。わたしもいろんな棗・茶 器が昔から好きで、幾つか大事に所蔵してきたので、「行きたいなあ」と思うが、たかが竹橋なのに、遠いなあとビビってしまうのが情けない。一人では妙に心 細く、妻をあまり長く歩かせたくもない。案内の写真をみていると蒔絵のハデハデしいのが目立つが、棗や茶器は むしろ、すがた・かたちの気品にわたしは惹 かれる。こんな派手な繪のモノで茶碗や茶杓と品良く「置き合わせ」られるかなあと、ちと心配。自己主張してしまうと工芸はむしろ自分を殺してしまいかねな い。
けど、観たいです。会期はわたしの誕生日から来年の紀元節まで。
* 九時過ぎ。 もう限界。
2018 12/25 205