述懐 平成二十六年(2014)正月
あはれなりわが身のはてやあさ緑
つひには野べの霞とおもへば 小野小町
春風や闘志いだきて丘に立つ 高濱虚子
真夜中を戸外(そと)にすさべる風の音
わが子よ父はここにゐるぞも 木下利玄
愛執といはれじただに愛は愛
愛をかなしと読みし人もあり 遠
老いは老いどうおい懸けても老いは老い
悲しくば泣け来世を待つな 湖
われが着肌を好んでマゴの敷寝する
汝(な)が夢に かけて悪政などあらじ 騒壇余人
2014 1/1 147
* 今のうちに処理し置くべき事何くれ
只に煩はしき日々の過ぎゆき
「親子は一世」とは何時の代誰の事
其の一世とて危うきものを
焦りては居らぬつもりで焦りをり
幾所にも本積み置きて 清水房雄「残吟抄」
* 笑門來福
ビカソ 平和を願う
2014 1・1 147
* 十時、建日子たちを迎えて、新年の雑煮を祝う。
* 日あしややにのびて元日のそら明るく
産土(うぶすな)の宮に人のつどひ来 天神社に詣でて
2014 1・1 147
* 何年もむかしになる、歌集「光塵」のなかへ
良き人のよき酒くれて春ながのいのち生きよと寿ぎたまふ
と詠んでおいた歌を、年賀状にきれいな筆跡で用いてくれている読者がいて、嬉しかった。「七宝教室で作りました♪」と愛らしい干支の祝い午が添えてある。京山科の人、母校の図書館にお勤めと聞いている。「寒さ厳しい折ご自愛下さりお元気で! いつもありがとうございます」とも。励まされる。
2014 1・2 147
* 底知れず果て知れない尊敬と驚異の念で興深く深く読み続けているのは、断然ミルトンの『失楽園』。神の厳しい禁断をイーヴが先ず犯し、アダムもイーヴへの愛ゆえにあえて追随して禁を破って以降の二人の歎き、おそれ、述懐、悔悟の縷々として続くあたりの実感に溢れて胸震うよう詩句の勢いに、心より敬服する。容易には云いがたいことだが、もしも私で人生の読書百選するなら、この『失楽園』はきっと加えるだろう。
2014 1・15 147
* 小椿の緋の色にふたつ咲きそめてゆたに青葉の繁る明るさ 湖
* 気が萎えている。朝仕事のまま卓に伏して昼まで寝入っていた。機械の前へきたが、眼に元気が無くて仕事に手が着かない。
* 夕食もできず寝込んだ。寝ている隙間を縫うように少しずつは仕事をしていたけれど、生活感が鈍すぎる。
2014 1・16 147
* 「信仰は容易にひとを狂信的にするよ。だから、あらゆる宗教はあんなにたくさん血を流しているんだ」と、レマルク『凱旋門』の医師ラヴィックは話していた。昨日、此処へも引いて置いた。この述懐は、知性をもった誰しもの広範囲に共有している嘆かわしい実感であろう。その限りにおいてとくに新奇に耳を欹てるほどの表白ではない。『眠られぬ夜のために』のヒルテイなら、言下にそれは他の宗教が宜しくないからで、キリスト教の神こそがすばらしいと断じるだろう。そんな彼でも同じキリスト教徒いいながらも烈しく血を流しあった史実の数々を否定も否認もできないのである。神をあいだにはさんで信仰と狂信との癒されぬ齟齬の痛みはあまりに今日でも酷く酷すぎる。そしてそれら悲劇の奥に在りとされている神は、姿かたちにしてたいてい人格神、人間神である。そういう神を真実信仰し帰依するのは、それじたい容易なわざでない。たとえば日本の能にあらわれる「翁」の方がわかりよくそして神々しい。イエスまでは分かる。イエスの「父なる神」になるとなかなか分かりにくい。
わたしがミルトンの『失楽園』に讃嘆の思いを隠さないのは、うえに謂う神、人格神・人間神のわかりにくさをかなり分かりよくしてくれているからである。創造主、造物主そして宇宙の支配者である神を、こんなに具象化しえた例は他に無いだろう。アダムとイーヴとが死を課して厳しく命じた禁忌を冒すにいたるまでの人間の創造、楽園の創造、そらにそれ以前に成されていた神へのサタンらの叛逆と惰地獄。それも見事にわたしを魅了したが、アダムとイーヴとがついに楽園を追放されるまぎわに、神と御子とに代わって天使ミカエルが二人に、正しくはイーブは眠っていてアダム一人に縷々語りかつ詳細に眼に見えて預言し予告する地球と人間との未来像の厳粛さに、わたしは固唾をのんで惹きこまれた。
詩人ミルトンは清教徒として革命に加わり重きを成し、敗れて辛うじて命たすかり、失明し逼塞した。そのなかで『失楽園』という壮大な叙事詩が口述で成し遂げられた。旧約を全巻読み、新約聖書をも全巻読んだ。『失楽園』はそれら聖書通読に匹敵する衝撃をいまもわたしに与え続けている。ヒルテイの篤信の言説も、これには及ばない、敬意は惜しまないが。
2014 1・24 147
* ひとつ落ち一つのこりて姉妹(おとどい)の緋椿はけさも咲きしづまれり
可愛(かわゆ)いといふことばしきりに口をつく黒いマゴ緋の花フォトの仔獅子ら
堪えに堪え 起ちて まおもに生きたしと大寒の朝のあをぞらを仰ぐ
2014 1・27 147
* ミルトンの『失楽園』は最後の第十二巻に入っている。この本をこんなに熱心に面白く興深く考えさせられて読むとは、正直、思ってなかった。
2014 1・30 147
述懐 平成二十六年(2014)二月
夜のほどに降りしや雨の庭たづみ
落葉をとぢてけさは氷れる 上田秋成
遠山に日のあたりたる枯野かな 高濱虚子
終りなき時に入らむに束の間の
後前(あとさき)ありや有りてかなしむ 土屋文明
とほどほにさかりてあはぬひとつ世の
限りといへばあひたかりけり 水町京子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠って 茨木のり子
ひとつ落ち一つのこりて姉妹(おとどい)の
緋椿はけさも咲きしづまれり 湖
寒ければ寒いと言つて 立ち向ふ 遠
繪所預 土佐光貞画 雛来ませ
裏千家 圓能斎 淡々斎筆 節分 寶船に海老
2014 2・1 148
* 居間の軸を、ビュフェの「薔薇」の額にかえ、真下に夢前窯の原田さんに戴いた金銀彩の大壺( 夫婦の骨壺にと創ってもらった)を据えた。
霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに
春日の里に梅の花見つ
日比野光鳳のかな書きを添えて上村淳之の花鳥「早春」が目の前に架かっている。大雪のあとの日射し明るいが、道路はまだ夜来の雪を積んでいる。かなり寒い。都知事選に出かける。
2014 2・9 148
* 秦恒平 後拾遺和歌集秀歌撰 春上
(とくに十首には、作者名を付す。)
あふ坂の關をや春もこえつらん音羽の山のけさはかすめる 橘俊綱朝臣
春のくる道のしるべはみよしのゝ山にたな引クかすみ成けり
雪ふりて道ふみまよふ山里にいかにしてかは春のきつらん 平兼盛
春霞たつやおそきと山川の岩まをくゞる音聞ゆなり 和泉式部
たづねつる宿は霞にうづもれて谷野うぐひす一こゑぞする
ひきつれてけふは子日の松に又いま千年をぞ野べにいでつる
白雪のまだふるさとの春日野にいざ打チはらひ若菜摘ミみん
春日野は雪のみつむとみしかどもおひ出ヅる物は若菜也けり
山たかみ都の春をみわたせばたゞ一むらのかすみなりけり 大江正言
はるばるとやへの鹽ぢにおく網をたな引ク物は霞なりけり
みしま江につのぐみ渡る蘆のねの一よのほどに春めきにけり 曾根好忠
心あらん人にみせばや津の國のなにはわたりの春のけしきを
梅ヶ香をたよりの風や吹キつらん春めづらしく君がきませる 平兼盛
春はたゞ我宿にのみ梅さかばかれにし人もみにときなまし
むめの花かばかり匂ふ春の夜のやみは風こそうれしかりけれ 藤原顕綱朝臣
おもひやれ霞こめたる山里に花まつほどの春のつれづれ 上東門院中将
うすゞみにかく玉章と見ゆる哉かすめる空にかへるかりがね
思ひやる心ばかりはさくら花たづぬる人におくれやはする
にほふらん花の宮このこひしくてをるに物うき山ざくら哉
よの中をなになげかまし山ざくら花見るほどの心なりせば 紫式部
花みてぞ身のうき事もわすらるゝ春は限のなからましかば
わがやどの梢ばかりとみしほどによもの山べに春はきにけり 前中納言顕基
高砂のをのへの櫻咲キにけり外山のかすみたゝずもあらなん
吉野山八重たつ峯の白雲にかさねてみゆる花ざくらかな 藤原清家
* おりもよし、春遠からじ。古代のやまなみ、みやこの風情を懐かしみつつ。
後拾遺和歌集の秀歌撰は全二十巻、悉くしおえてある。拾遺和歌集の方は、いましも撰りすすめている。「なんじゃい」と、瞬時に帰って行けるこういう世界のあるのを、いつも身に沁み喜んでいる。
遠山を見つつしうたふわがこゑや川のながれのやうに去りゆく 遠
2014 2・9 148
* ミルトン『失楽園』上下巻本文を今日、二○一四年・平成二十六年二月十日早暁四時半に読了した。
キリスト教にいつも歴史的な関心は寄せ続けていたが、宗教としての根源の世界構造が見えにくかった。見えても素直には見にくかった。ミルトンは、それを統一感と美しい表現とでまさに詩的に展開して観せてくれた。ヒルテイのいささか強要してくるキリスト教よりも、対象化し構図化したまま具体的な「神」話として納得させてくれた。説教され帰依をもとめられたのではない、ここに一つの世界宗教の神話が在ると納得できたのである。
詳細な訳注が貴重で、本文は読み終えたが訳注にもきっちり目を通したい。
2014 2・10 148
* 秦恒平 後拾遺和歌集秀歌撰 夏
(とくに六首には、作者名を付す。)
白浪の音せでたつとみえつるはうの花さける垣根なりけり
きゝつともきかずともなく郭公心まどはすさよの一こゑ 伊勢大輔
またぬ夜もまつ夜もきゝつ子規花たちばなの匂ふあたりは 大貳三位
ねてのみや人はまつらん子規物思ふやどはきかぬ夜ぞなき
御田屋守けふはさ月に成にけりいそげや早苗おひもこそすれ 曾禰好忠
徒然と音たえせぬは五月雨の軒のあやめの雫なりけり 橘俊綱朝臣
さみだれの空なつかしく匂ふかな花たちばなに風や吹クらん
おともせで思ひにもゆる螢こそ鳴ク虫よりも哀なりけれ 源重之
澤水に空なるほしのうつるかとみゆるは夜はのほたる也けれ
夏の夜もすゞしかりけり月影は庭しろたへの霜とみえつゝ 民部卿長家
きてみよと妹が家路につげやらんわれ獨ぬるとこ夏のはな
夏山のならのはそよぐ夕暮はことしも秋の心ちこそすれ
* 詞書にまれには捨てがたい物もあるが、拘泥しない。あくまで、歌一首としてうったえるものだけを撰している。無案内な作者の名すら、今日われわれの鑑賞には詞書以上に無くて可なのであるが、おのづと記憶されていいとも謂える。
和歌という材料は無限なほど豊富であり、さりとて皆がみな趣味にかなうとも謂えない。撰するといういわば知的でも美的でもある営みを和歌は惜しみなく誘い出してくれる。千載でも拾遺・後拾遺でも今はただ撰んでいるが、もっと主題めく好奇の思いにも応えてくれる。そんな趣味趣向もみうちに動いているのだが、相手の数があまりに夥しく多くて、簡単には手が出せない。しかし、やってみたいと願っている。撰歌は、じつにこころよい喜びを惜しみなく呉れる。どんな雑踏の中でも、懐から佳い和歌集をもちだすだけで、たちまち別世界に入れる。逃避ではないのである。
2014 2・11 148
* 詩作の個々にとりつくまえに、訳注者である松枝茂夫さん和田武司さんの「陶淵明」案内をそれは興味深く面白く読んだ。これまでは幸田露伴校閲、漆山又四郎訳注の旧本だけを愛読してきた。陶淵明と言えばたしかに「帰去来辞」や「悠然見南山」が根であった。文字どおりの先入見に素直だった。詩人の伝にも実像にも関連した知識をほとんど持っていなかった、むしろ必要無かろうとすら思っていた。買ってきた新しい二巻本の『陶淵明全集』はパッチリと必備の視野をまず開いてくれた。感謝にたえない。
「素より貴を簡(えら)び、上官に私事せず」とある。「仕」と「隠」との間を揺れ動いたとある。躬耕の日々に世変への視野を喪っていたわけでなかった。無類に酒を好んだが酒を詩っていたわけでなく、述懐の詩世界は深く、かつ狭くはなかった。淡泊でもありしかも放埒なまで濃厚ですらあった。
中国の詩人といえば、籤とらずに真っ先にわたしは陶淵明(ないし陶潜)であり、李杜を尊重し白居易に親しんだことも、陶淵明と次元を一にならべて謂いも思いもしたのではなかった。
陶淵明の作は必ずしも量的に多くなく、確認される限りはこの文庫本全集上下巻で網羅されていると。座右一二の書となるであろうと心より喜んでいる。
2014 2・12 148
☆ 停雲 一 陶淵明
松枝・竹田氏の訳によって
靄靄停雲、
濛濛時雨
八表同昏
平路伊阻
静寄東軒
春醪獨撫
良朋悠
掻首延佇
(一) もやもやと立ちこめる雲、もうもうと煙る春雨。
八方いずこも暗く、平らな道も往き来できない。
静かに東の窓の下に身をよせて、
春に熟したどぶろくをひとりわびしく飲んでいる。
親友のいる所ははるかに遠い。
わたしはいらいらして頭をかきかき、じっと立ちつくしている。
* 良朋悠 。まことや。
2014 2・16 148
* 今日は白い石で日記を書きたくなる日だった。
☆ 人生は寄のごとく、 すること時あり。
静かにここに孔だ念い、中心 悵而たり。
人の一生も、旅の一夜のように束の間にすぎ、やつれはてるときがくるのだ。
心を静めてそのことを思いつづけると、悲しみに胸ふさがれるのである。 (陶淵明 榮木一後半)
2014 2・20 148
* 身奥がぐたっと疲れ、横になっても寝入れない。午前中校正ゲラを読んでいた程度のことで、他に身を粉にした何事もない。
☆ 人生は寄のごとく、 (しょうすい)すること時あり。
静かにここに孔(はなは)だ念い、中心 悵而たり。
人の一生も、旅の一夜のように束の間にすぎ、やつれはてるときがくるのだ。
心を静めてそのことを思いつづけると、悲しみに胸ふさがれるのである。 (陶淵明 榮木一後半)
* 「静かにここに孔(はなは)だ念い、中心 悵而たり」というほどの何も実感無く、ただ疲労している。
この陶淵明一連の四言詩には「榮木」と題されわたしもとても好きな「木槿」のこと。「(以下の=)榮木(=の詩)は、将に老いんとするを念ふなり。日月推し遷り、已に復た九夏(=夏九十日)。総角(あげまき=十二三歳の髪形)にして道を聞くも、白首にして成る無し」と序がある。いまはまだ寒い底で木槿咲く夏でなし、そもそも「道を聞く」ような殊勝な子ではなかった。老いてかくべつ学成らなかったのを悔いる実感はない。ただ疲労にはつい負けている。
2014 2・24 148
* 軽薄な人は動揺しやすい、つまり心が静かでなく簡単に気が変わる。
* いま、『陶淵明全集』が最も身近にあり、つい機械の前から手が出る。四言詩の魅力は陶淵明に尽きて他に例を見ない。
「貞脆由人 禍福無門」
まことその通り、思わず省みて嘆く。
☆ 榮木 三
嗟予小子 嗟(ああ) 予(わ)れ小子、
稟茲固陋 茲(こ)の固陋を稟(う)く。
徂年既流 徂(ゆ)ける年 既に流れ、
業不増舊 業は舊に増さず。
志彼不舎 (少年には=)彼(か)の「舎(や)めざる」ことに志し、
安此日富 (( いま老境=)此の「日(ひび)に富む」ものに安んず。
我之懐矣 我れ之れ懐(おも)ふ、
怛焉内疚 怛焉(だつえん)として内に疚(やま)し。
小子 つまらぬヤツ 固陋 頑固もの 不舎 功はやめざるにありと説いた荀子により、普段の努力を謂う 日富 詩経によって自制心のない酒を謂う 懐 自省し 怛焉 傷つき痛む
* 嗟(ああ) 予(わ)れ小子。
2014 2・25 148
* 夜中すこし寝そびれていた。六時半から灯をいれ、本を何冊か読んでから、起きた。いまわたしの読書は幸せに満ちている。『凱旋門』『愛の終り』『ペスト』『ブラックサンデー』そして『ギリシア・ローマ神話』を読み、『八犬伝』も。ちり紙のような小説も世にはびこっている中で、大作ではないが選り抜きの小説、胸に迫って花の香をたたえた作品に心満たされる嬉しさは類い無い。
そして機械の前に来ると陶淵明が待ってくれている。
☆ 陶淵明 に答ふ 四言詩
衡門の下 琴(きん)有り 書有り。
載(すなは)ち弾(たん)じ 載ち詠じ 爰(ここ)に我が娯しみを得たり。
豈(あ)に他の好(よ)きもの無からんや 是の幽居を楽しむ。
朝には園に潅(そそ)ぐことを為し、夕には蓬廬に偃(ふ)す。
衡門 横木一本の粗略な門 蓬廬 雑草の茂る陋屋 偃 ねむる
人の宝とする所 尚ほ或ひは未だ珍(ちん)とせず。
同好有らずんば 云胡(いかん)ぞ以て親しまん。
我れ良友を求めて 実(まこと)に懐(おも)ふ人に覯(あ)へたり。
懽心 孔(はなは)だ洽(かな)ひ 棟宇 惟(こ)れ隣(となり)す。
覯 偶然の出逢い 懽心 嬉しさ 棟宇 軒をつらね
伊(こ)れ余(わ)が懐(おも)ふ人 徳を欣ぶこと孜々(しし)たり。
我れに旨酒有れば 汝と之れを楽しむ。
乃(すなは)ち好言を陳べ 乃ち新詩を著(あらは)す。
一日(いちじつ) 見(あ)はざれば 如何(いかん)ぞ思はざらん。
孜々 日々に励んで怠らない。
嘉遊 未だあかざるに 誓々(ゆくゆく)まさに離分せんとす。
爾(なんぢ)を路に送り 觴(さかづき)を銜(ふく)みて欣ぶこと無し。
依依たる旧楚 (ばくばく)たる西雲。
之の子(ひと) 遠きに之(ゆ)く 良話 曷(なん)ぞ聞かん。
(一節を割愛する)
惨惨たる寒日 粛粛たる其の風。
翩(へん)たる彼(か)の方舟 江中に容裔(ようえい)す。
晟(つと)めよや 征人 始に在りて終りを思ひ、
茲(こ)の良辰を敬(つつし)みて 以て爾(なんぢ)の躬(み)を保んぜよ。
* 屈指の名作と思う。
* 読んできた小説についても書きたかったが、もう眼が霞んできた。
2014 2・26 148
述懐 平成二十六年(2014)三月
春の寒さたとへば蕗の苦みかな 夏目成美
仕事のみ倦まずするより能のなき
おのれがつまりしあはせなりき 高村豊周
真夜中を戸外(そと)にすさべる風の音
わが子よ父はここにゐるぞも 木下利玄
白き巨船きたれり春も遠からず 大野林火
あけぼのは春とさだめてためらはず 湖
歳といふ奇妙の友の手をひきて
渡るこの橋に彼岸はあるか 有即斎
なにをしに生きてある身の無意味さを
ふとはき捨ててしごとにむかふ 遠
繪所預 土佐光貞画 雛来ませ
橋田二朗先生 装画
2014 3・1 149
* 櫻より菊より梅よりも、わたしはわが家での椿の季節を喜び迎えているようだ。その椿が雪で枝折れしていた。沢山な莟をもち幾つかは赤も白も豪華に咲いていたのを妻はいくつにも分けて家の内を飾っている。花のある家が好きだ。
椿の和歌は、だが古今集以降には少ないと感じている。
わたしの目の上には井泉水さんに頂戴した「風 花」の二字額が掛けてある。受賞の翌年から雑誌「春秋」に二年間「花と風」を連載していた最中、「愛読者」として突如届けられた贈り物。『花と風』はわたしのエッセイ本の処女作となった。
和歌での「花」と「風」の仲佳さは云うまでもなく、花の大方は櫻だが薫りよい梅も風との佳いつれあいになっている。
「春風夜芳」といふこころを詠んだ後拾遺和歌集春の、
むめの花かばかり匂ふ春の夜の
やみは風こそうれしかりけれ 藤原顕綱朝臣
では風は「香」をさそっているが、櫻になると「散る」「散らす」のを嘆かせている。
櫻花さかばちりなむとおもふより
かねても風のいとはしき哉 永源法師
なまぐさい下手な歌であり、多くの家人達は、とはいえ花は散ればこそ美しくいとおしいことを風に教わっていたのだ。花を散らして新たな命をまた迎えさせるのが「風」のしごとと人はよく知っていた。散らない花はよごれてゆく。惜しみつつも花は散りゆくとあきらめていた、人は。そしてまた来る春を待ちこがれた。
春のうちはちらぬ櫻とみてしがな
さてもや風のうしろめたきに 右大弁通俊
* 「花と風」との和歌を拾い溜めてみたくなった。
2014 3・2 149
* 山本健吉さんの選ばれた詞華集は例外なくすばらしい。いまは小学館の「日本の古典」別館1を気が向くと手にしているが、手堅い撰の佳さにため息をついてしまう。それでもその中にまたわたしの好きずきがある。当分は、もし気がついたら「花と風」の歌を拾っておこう。
窓のうちにときどき花のかをり来て
庭の梢に風すさむなり 藤原良経
風かよふ寝ざめの袖の花の香に
かをる枕のはるの夜の夢 藤原俊成女
櫻花散りぬる風の余波(なごり)には
水なき空に波ぞ立ちける 紀貫之
春風の花を散らすと見る夢は
覚めても胸のさわぐなりけり 西行
みよし野の高嶺のさくら散りにけり
嵐もしろき春のあけぼの 後鳥羽院
2014 3・3 149
* 上半身を起こし、着布団をはねるまえに、手の届く左に林立した抽斗棚の一つをあけ、一掴み一見紙屑を取り出し、あんまり面白いいろんな心覚えや書き付けや資料片がいっぱいなのに驚嘆した。
何十年も昔に、飯田健一郎さんがわたしのため幾つもの印を刻して下さっていた「印影」が見つかったり、仲良しだった歌人の篠塚純子さん第二歌集『音楽』からの純子自選85首が出てきたり。元気にいまも忙しがっているだろうか、忙しいのがお好きなこの人の短歌がわたしは好きだった。「e-文庫・湖(umi )」の「詞華集」室に、二冊の歌集から懇切に選ばれてある。懐かしく読み返した。 2014 3・8 149
* 終日何をしていたやら。現実今日の政治その他への耐え難い疎ましさを堪えて、堪え通すためには、夢路をたどって他界へ心身を隠したくなる。
美しい物が観たい。手近に出逢える物は詩や和歌やすぐれた小説作品が汚れた鱗を洗い流してくれる。美術も、写真ではやはり物足りない。かといって街へ出れば一級の美術に簡単に出逢えるわけでない、どうしても博物館や一流の美術館に脚を運ばないと。
久しく上野の博物館にも根津や出光にも行けてない。
家の古美術を箱から出して手に取りたいと思うが、あまりに家の中が殺風景で遠慮してしまう。
2014 3・9 149
* 眼が、ひきつれそう。字を読み字を書くしかない仕事をしてきたのだ。これからも、逃げ出さない。
秦の祖父は明治二年に生まれ、敗戦翌年の二月末日に七十九で亡くなった。希有の長生きに思われたがまったく老衰の寝たきりだった。
まこと人の世は これやこの行くも帰るも命にて一期一会の逢坂の関
2014 3・11 149
* 疲れた合間には撰の出来てある後拾遺和歌集のいたるところを拾い読みしてビタミン代わりに。八代集のなかの「恋」歌のいいのはこの集によく集まっている。
2014 3・12 149
* 眼がギラついてきた。やすまないと。今日の校正必要分がもう25頁のこっている。校正は、家ではついつい他の仕事へも手が出るため捗らない。外へ持ち出して、どこでもいい机のあるところへ座り込むのがいい。
今晩は湯で本を読むのはやめ、百人一首と戯れていた。三首ほど。あまり巧くなかった。目はやすまったので、今日の分をもう七頁ほど読んでしまう。いい具合に黒いマゴの輸液もうまく済んだ。
2014 3・12 149
* 八つ赤く一つが白き椿かな
一つくえふたつ壊(く)えてもいきほひて濃き緑葉に椿あふるる
2014 3・14 149
* 陶淵明を読む。
学ばざるかな 狂馳子、
直だ百年の中に在るのみなるを。
* 憲法の大意と意義を守るが責務の内閣法制局長官のまさに「むちゃくちゃ」増長慢放言。安倍「違憲」総理内閣の意を受けての安倍の「番犬」と罵られても当然。こういう番犬阿呆をばかり呼び集めて洋食に配している安倍「違憲」総理の政治を「我・私」するばかりの非道ぶり、呆れ果てる。「学ばざるかな 狂馳子」よ。
2014 3・14 149
* 午前いっぱい、幾つもの仕事。起床前にしばらく、『凱旋門』『愛の終り』そして『ブラックサンデー』を読んでいた。『ペスト』も加えて、いまこの四册の海外小説に魅されている。日本の現代モノは自作を読むだけ、あとは古典それも和歌。そして中国の詩。 2014 3・16 149
☆ 「ヨウ素剤と昆布」 関久雄
ひとつぶの ヨウ素剤が あったなら よっつに わって お前たちに 飲ます
じゅっつぶの ヨウ素剤が あったなら ひとつぶ ずつ お前たちに 飲まして
残りは 近所の 子どもに 分ける
お父さんは どうするの
おれは いつも 昆布を 食べているから 大丈夫
あの日 ゲンパツ 爆発し ヨウ素剤を 求め かけずり回った 母親
だが 待てど 暮らせど 配給はこなかった
ようやく 手にした バイオ燃料で お前たちを 所沢に 送り出した あの日
死の灰も 一緒に 南下した というではないか
「ただちに 人体に 影響が出るものでは ありません」
「こどもを 外で遊ばせても 大丈夫」 と 言いながら
医大の人たちは こっそり ヨウ素剤 飲んでいたってね
誰にも言うなって 口止めされて いたってね
ああ そったに ヨウ素剤 欲しかったんだべか
ああ そったに わがだけ 助かりたかったんだべか
ウソをつくと 苦しむって わからなかったんだべか
ああ そん時から オラたちは 見捨てられていたんだべか
あれから 3年 甲状腺ガン 75人
うちの 子どもも A 2だ おめさん A2って わがっかい
のどに 水ぶくれが あるんだよ
もう 国なんか あてにすんな
ヨウ素剤なんて 待ってんな
昆布 食うべ 昆布 食って
生きのびて 見せんべ (2014年2月23日)
* 原発関連死は日ごと月ごとに増えて行き、はやくにはやくに危惧して口を酸くして言ってきたとおりに、幼小児の甲状腺癌は増え続けている、しかも原発との関連は不明などと責任逃れを言い続けている東電、行政、政治、国会。
なんということだ。
2014 3・20 149
* 陶淵明に「形影神」と題した五言詩がある。熟読味到したい詩編で、書き写したいが、機械でうつすのに字がよく見えないのが情けない。
2014 3・24 149
* こんどの「湖の本」を送る際、例の献辞に「穆穆良朝」の四字を陶淵明に借りた。「穆」「穆穆」という字義には「やわらかい」意味が添っている。「やわらかい春の雨が朝からひとしきり降って、止んだところです。お元気ですか」とすぐさま読者の挨拶があったのが愉快だった。呼応とはこういうことか。
時代のせいにするばかりではいけないが、この険しい時代に日々を迎えて「穆穆」とは容易なことでない。とはいえ、人の「穆穆」は努めて演ずる姿勢でなく、本然備わっていたい性質なのであり、だからこそこの「穆穆」のまえに身を詰むほどの恥ずかしさを感じる。
* 『陶淵明全集』上下巻、この機械の真側に置いて、とても手放せない。訳註の親切を頼みにし、ただただ詩懐がなつかしい。のがれがたく身の程を羞じる思いもある。
北京の人民大会堂で周恩来夫人に会ったとき、「秦先生はお里帰りですか」と諧謔の声をかけられたほど、「秦恒平 チン ハンピン」は中国読みして中国名としても立派に通じる。同行した井上靖でも辻邦生でも大岡信でもそうは行かなかった。ただしわたしの生い立ちに中国人とのなんらの縁も無い。無いけれども、それは秦の祖父鶴吉からの多くの漢籍を介しての感化であろう、小さい頃から中国の文化に強い敬意は持ち続けてきた。皮肉なことだが、わたしが現代中国をむしろ厭悪し始めたのは、あの「お里帰りですか」という親愛の挨拶を受けてより以降のことになる。敢えて「覇権は願わず」と表明していたせいぜい華國鉾頃までの近代中国はまだしも、「覇権」まる出しの今日の中国は好かない上に要心が肝腎と思っている。しかし近代以前の中国文化への敬愛は少しも減らない、むしろ深まり広がっている。悩ましいほどである。
2014 3・28 149
* 機械の前にいて、朝に寝起きのままの格好で、暑いと感じている。気候がはや逆転してきた。
☆ 陶淵明の詩句より。
世短意常多 世短く意は常に多し 「九日閑居」より。 九日は重陽九月九日を意味しているが、今は拘泥しない。
人生は短く 悩みは常に尽きない
「意」一字に人の世の憂いが意味されている。気を病む、気が揉める、心痛めるのである、人の「意」とは。まさしく然り。
斂襟獨 謡 襟を斂(おさ)めて獨り (しづ)かに謡へば
緬焉起深情 緬焉(めんえん)として深情起こる 緬焉 はるかに思ひやる
棲遅固多娯 棲遅(せいち) 固(もと)より娯しみ多く 棲遅 隠棲
淹留豈無成 淹留(えんりゅう) 豈(あに)成す無からんや 淹留 同処に滞留する
「豈(あに)成す無からんや」 ま、なんとか成るまいでも無かろうよ というのが陶淵明「棲遅」の境地であろう。ヒルテイの境涯よりわたしは陶潜の閑居に憧れる、但し凡常煩悩尽きず、「豈(あに)成す無からんや」とまで思い切れない。悪政の身に迫るのは独りわたくしにだけでは無いのだ。
2014 3・29 149
* 応挙という画家はわたしが敬愛する何人かのなかでランクの高いひとりである。ことに、「雪松図」に胸打たれたのを快く強く自覚してきた。
もともと「松」という樹木が、杉、檜、樅などより好きで、当代最高水準の若い女優「松たか子」が贔屓なのも、実力によるのはむろんだが、端的な「松」という名乗りを、よそながら気持ちよく愛している。彼女の舞台で失望を覚えたということが絶えて無い。希有なことである。
それは、ま、よそごとであり応挙の「雪松図」にもどってあれこれ思うとき、「松風」とは耳にも目にもする言葉だし、「雪月花」という取り合わせも、幼くから馴染んだ茶の湯の場では耳にタコほどのいわば三幅対にされている。現に叔母から伝えもつ軸物で、小堀宗中筆になる「花」「月」「雪」の簡明かつ瀟洒な三幅を愛蔵している。都ホテルでの茶会で「花」の軸をかけたこともある。あの会では、そうそう、若き日の淡々斎が「好み」の美しい松を描いた「末広棗」を茶器に用いた、あの棗は叔母もわたしも大好きだったが、松本幸四郎のお祝いに、よろこんで呈上した。これま、本題を逸れたが、「松と鶴」「松と旭」などは蓬莱山の代役をするぐらいで、元日には決まってわが家の玄関を飾る秋石画の「蓬莱図」、それはが見事な巨松に鶴と旭とを配している。
まわりくどいが、つまりは「松と雪」という組み合わせは、応挙の素晴らしい大作以前には、あまり観た記憶がない、ということ。
ところが、かねがね愛読中の『十訓抄』で、「松の貞節」という一節にひょいと出逢った。秦始皇帝が幸い松を頼んで「雨宿り」できた礼に、松に酬いて「松爵」の称と位階(五位)とを贈った逸話も、そういえば『十訓抄』の早いところで読んでいた。
で、この古典の筆者は「松の貞節」をどう書いているか、長くはない、すこし約して書き写してみる。
そもそも松を貞木といふことは、まさしく人のために、かの木の貞心あるにあらず、
雪霜のはげしきにも、色あらたまらず、いつとなく緑なれば、これを貞心にくらぶるなり。
勁松は年の寒きにあらはれ
と古人が書ける、そのこころなり
圓山応挙がこんなことを識っていたかどうか、しかし同様の感懐はきっと持ち合わせていた、だからあんな見事な「雪松図」が成ったのにちがいない。いずれこの辺の感興をわたしも創作の中で趣向に用いているのを明かすだろう。永井荷風は「 東綺譚」の女に「雪子」となづけ、谷崎潤一郎もまた「細雪」のヒロインを「雪子」と呼んで愛していた。しぜん「松・勁松」は男をあらわすだろう。 2014 3・30 149
* 「読む」ということの多い重い日々だと自覚する。からだをまだ自信を持って動かせる、動かそうという気持ちになってない裏返しかも知れない。動かす機会はなるべく活かそうと願ってはいるのだが。今朝のように溢れる日の光をみていると、生気が身内に湧いてくる。嬉しくなる。
ゆきやなぎかがやく白の濤うちて
あはれ久方のひかりあふるる
2014 3・31 149
述懐 平成二十六年(2014)四月
遅き日のつもりて遠きむかしかな 与謝蕪村
山は水はうつくしきかも衷(した)ごころ
憎める人を昨日はもちし 佐佐木信綱
ししむらゆ滲みいずるごときかなしみを
脱ぎてねむらむ一と日は果てつ 田井安曇
外にも出よ触るゝばかりに春の月 中村汀女
はんなりと老いの一途を歩みたし
来る幾としの数をわすれて 宗遠
花は春 春はさくらに匂ふ夜の
うらがなしもようつつともなく 湖
あらざらむあすは数へでこの今日を
ま面に起ちて生きめやも いざ 有即斎
東工大の大櫻
2014 4・1 150
☆ 青山墓地
じつは、昨日わたくしも青山墓地にお花見に出かけていました。姉は長い距離歩けないので、タクシーで花のトンネルを往復する花見です。
青山墓地はわたくしたちの毎年の花見の場所です。親戚のお墓もあります。姉が元気な頃は、青山墓地を存分に散策したあとに、青山斎場の前にあるウエストという喫茶店によく行きました。
椅子がゆったりして、クラッシック音楽が静かに流れ、化粧室には藤田嗣治の版画があり、長い時間いても大丈夫な、今では珍しい昔ながらの喫茶店でした。卵のサンドイッチや、メニューにはない生クリームがはちきれそうなシュークリームを注文したり、気前よくお替りのあるコーヒーなどでささやかな楽しい時間を過ごしていました。改装してからは殆ど行っていませんが。
墓地には桜がよく似合います。
最後に、教えてください。
「穆穆良朝」の正しい読み方がわかりません。漢文を素養として学んでいない致命的欠陥があるのです。(文科省を恨みます)門玲子さんのように江戸時代の漢詩を復権させてくださった方には感謝あるのみです。 世田谷 杉
☆ 陶淵明 「時運」第一節
邁邁時運 邁邁たる時運 移り行く四季
穆穆良朝 穆穆(ぼくぼく)たる良朝 うららかな季節
襲我春服 我が春服を襲ね 仕立てた春着を着て
薄言東郊 いささか東郊にす ちょっと東の野辺に遊べば
山滌餘靄 山は餘靄に滌はれ 山は靄にあらわれ
宇曖微霄 宇には微霄くもる 空にあわい虹がかかり
有風日南 風有り 南よりし そよ風が南より吹いて
翼彼新苗 かの新苗をたすく わが田の新苗をはぐくんでくれる
* 「湖の本」裏表紙のヘソにわたしは、時に「念々死去」印を、時に「帰去来」印を用いている。「帰りなんいざ」と光孝の漢文教室で初めて習い覚えて以来、陶淵明は胸中つねに一点の灯であった。理屈ではなかった。
2014 4・1 150
* 歌集「少年」や「センスdeポエム」の注文が来ている。ふと嬉しく、第二歌集「光塵」についでまた歌集が作りたくなってくる。題は「亂聲(らんじょう)」でどうかと予定している。王朝の頃、宮廷その他での舞踏などの、幕へ去るひけぎわにひときわ賑やかに演奏される音曲をいうが、わたしのはさように優雅でも華麗でもない、、例によって汗水を散らしているような、ま、乱れ歌である。乱れすぎているかも知れぬと首をすくめて遠慮している。
2014 4・1 150
* 明日はまた暫くぶりに聖路加通院。他科診察に比し簡単に済むと期待しているが、分からない。雨が降るらしい、濡れたくはないが春雨のこと、厭うまでもないだろう。湖の本と選集①との重苦しいトンネル続きから抜け、幸い校正刷りを持って外出しなくて済む。書きかけのもののプリントにどこかで落ち着いて目を通せるかも知れない。食べたいという欲が無い。コーヒーの類もからだに合わない。近くなら出光美術館も佳い、博物館本館をゆっくり蟹歩きするのも佳いかも。しかし上野は花で雑踏しているだろう。e-OLD の勝田さん玉井さんと行った向島の百花園など隅田川寄りにも心惹かれる。ま、こう想っているうちが花かも。そういえば、桜餅を食べたなあ。言問まで行けば、浅草の肉の「米久」鮓の「高勢」、柳町まで戻れば洋食の「香美屋」あり支那料理もあり豆腐の「笹の雪」蕎麦の「公望荘」もある。西洋美術館で洋画を観て「すいれん」の庭をみてワインとステーキもいい。いっそ精養軒の見晴らしの席でコニャックかシェリーで大きな海老を食べてもいいが。困るのはこんなにわざわざ書いていても腹具合はよろしくなく、食欲などすこしも出てこない。やれやれ。結局は、花を愛でたいということか。
なにとはなし、後拾遺和歌集をひらいて、好きと選んだ歌の四、五十ほどを夢中で読んでいた。明日のことは明日きめればよい。
2014 4・2 150
* ちらぬより散るこそ花のいとほしと雨をきく身に添ふおもひかな みづうみ
花よりも団子ではない酒がよい酒よりうまいコーヒーはない 有即斎
2014 4・7 150
* そんなことより何よりも今日のビッグニュースは、元の細川総理と小泉総理とが、都知事選の第二幕として「脱原発 国民運動」を立ち上げるという。精しいことはまだ知れないが、大見出しだけでも異議無く共鳴し、可能ならば応援も声援も惜しまないと言っておく。小泉お得意のサプライズを利かせつつ、かけ声だけに終わらない実質的な運動体を組織して欲しい。やるなら勝てる運動をと切望する。今日、これに勝る政治運動は無い。「安倍を倒せ」の声が津津浦浦に渦巻き起こるように希望を持つ。
* と、言いつつ、いままた陶淵明代表作の一である「帰園田居」を一気に読んで、深奥に開ける清閑の境涯を願いかつ憧れていた。私のこれは、矛盾撞着であるのかと惑う、否と内に答えつつ。
2014 4・15 150
* エリザベス・テーラーとリチャード・バートンのシェイクスピア劇「じゃじゃうま馴らし」を久しぶりに。せいぜい二メートルあまりしか着慣れていないのに、大きろのスクリーンの、せっかくのエリザベスの美貌が霞んでしか見えない。
くらやみをとばりのごともあげたしとおもひかなはぬゆめのかよひじ
2014 4・16 150
* これがわたしの「部屋」かと、見まわしている。みまわすなど適切な物言いではない、六畳の狭い上に狭苦しい小部屋だが、幸いいま向かっている機械の左かた壁面に作りつけて、頑丈で大きな木製書架が相当数の大判書籍を収納してくれている。右手には白い障紙窓が戸外の光を入れている。
部屋の中が「コ」の字に机で囲われ、その狭い真ん中の廻転倚子一つで、三面に一つずつの機械を使っている。まともに歩ける通路はなく、立っての移動はみな蟹歩きするしかない。そして沢山な本、本、の行列。湖の本もみな手の届く近くに。プリンタ、スキャナなどの機器類に覆い被さってわけのわからなくなりそうなメモや紙や小道具や筆記具が散乱している。
それでも、此処はなんとも温かい。家も庭もボロの山にして世間の顰蹙を買う人がときどき報道されるが、当人にはたまらなくその世界が温かで住み心地がいいのだろうとわたしは想ったりする、はたの人には迷惑に相違なかろうが。
わたしがやがて死んだなら、この部屋はどうなるかしらんと、しみじみ眺め回していたりする。タバコを吸わないわたしの、それが休息なのである。誰一人の役にも立たない本やモノばかりで充ち溢れているのだ。無一物の境涯に憧れながら堕落を重ねてきたんだなと苦笑いが湧く。
こんのゴモクをどうしようと悩ませまいためにも、成ろうなら自分の手でシマツをつけておきたいが、どの本もどの資料や道具もわたしの「身内」ではあるのだ。
悩ましい。そんなとき、陶淵明全集を手に取る。開いた頁の詩を黙々と読む。
2014 4・19 150
* 十一時ちかく、『秦恒平選集 第一巻』がダンボール函入りで山のような嵩で届いた。玄関がまるまる塞がった。
美しく仕上がっている。佳く出来ていればいるほど、発送には気を遣う。正直のところ気が遠くなる。ともあれ、題字を刻して戴いた能美の井口哲郎さん(元石川文学館館長)に真っ先に郵送してきた。無事に届いて欲しい。
さ、あとのことは、ボーオッとしていてどう収まりがついて行くのか見当もつかない。豪華とは謂わないが美しい清潔な本になったという嬉しさを、妻とふたりで噛みしめながら、ワインと赤飯という妙な取り合わせでともあれ祝った。そのあとは全然手もつかない。
このあとは追っかけて届く凸版印刷の請求書に、気丈に立ち向かわねばならない。豪華限定本をどんどん創ってもらっていたのは三、四十年も昔、いちばん新しいのが、わたしの五十の賀に和歌山の三宅貞雄さんが渾身の力をこめて創られた、それこそ優美に豪奢な『四度の瀧』だった、あれが「秦恒平・湖の本」のいわば旗揚げ本になった。谷崎松子さんの題字、森田曠平画伯の版画など入って組みも刷りも装幀も函も完璧だったが、当然ながら高価についた。今回本は頁数にして、倍。ずしっと重い。あえて私家版の非売本にしたのである。
ではあるが、本の姿・形よりも、「作」を観てほしい、作が「作品」を備えているか、それがわたしの、物言いは変だが「勝負どころ」。その辺を読み取って是非してくださる、またできれば永く恵存ねがえる各施設、各界の先輩・知友に感謝をこめ贈呈したい。
所詮、これは私・秦恒平の「紙の墓・紙碑」である。どこまで私の寿命がもつか、どこまで資金がもつか、或る意味で楽しめるゲームのようなものか。息子の、やはり作家である秦建日子が「発行者」の名を副えてくれたのが嬉しく、有難い。
昨日詠んだ述懐歌を、此処に、置く。
* をしげなく花びらくづし大輪の赤い椿は地にはなやげり 恒平
* 咲き残る木瓜の紅しづかなりいましばしつよく生きてありたし 湖
* 杜甫の有名な「飲中八仙歌」の最初の登場者は、賀知章。詩っていわく、
知章の馬に騎るは船に乗るに似たり 眼花(くら)み井に落ちて水底に眠る と。
この二行目の 「眼花落井水底眠」の中の「花」字がおもしろく、かつビックリした。興膳宏さんに教わっているが、「眼に花が咲く」つまり「目がチラチラするという意味になると。「歳をとって段々、字が見えにくくなりますね。そういう状態を中国語で『花 ホア』と言いますが、酔っぱらって眼がチラチラして井戸の底、水の底で寝てしまう、そういう酔いっぷりだと」杜甫は詩にしている。酔いっぷりはともかくとして、わたしの只今の眼の状態、これ、まさしく「花 ホア」であり、「ちらちら」と謂う意味もすなわち水中水底に浮遊しながらものを観ている感じなのである。「ホアっ」としている、「ホアホア」として潤んでいる。よろしくない。
20114 4・25 150
* 朝、仕事にかかる前に陶淵明の一、二を読む。及ばずながら清爽の気に満たされる。失意の詩でも高揚の詩でも。生涯陶淵明集は手放せないだろう。唐詩選は和綴じ大判の五冊評釈本を愛してきたが、文庫本を手に入れたい。手近に置ける文庫本は文字は小さいが便利でいい。
2014 4・27 150
☆ 中三、俳句の授業。テーマは「愛」。
「きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり」。
前回に習った草田男の「万緑や」に引き摺られたのか、娘を嫁がせた父の寂しさだという意見が先ず出た後、「遠き」に注目しつつ、「きみ」との関係を巡って議論白熱。
「逢ひに行く開襟の背に風溜めて」。
こちらは大きな異論は出ず、真っ直ぐに駆けてくるような( 心持ちでいてくれる) 恋人、駆けていけるような恋人を持ちたいという話になりました。
この年頃、やはり「恋」は重大な関心事のようです。
* もう昔だが、東工大で実験していたわたしの『青春短歌大学』に倣って、滋賀県のある先生が、
いくたびも( )の深さを尋ねけり 子規
と出題され、中学生諸君は懸命に独自の句づくりに励んだ。原作は「雪」。だが教室の圧倒的な支持をえた一字が、「愛」でしたとその先生から手紙を戴いた。上の二つの句作者をわたしは知らないが、「きみ嫁けり」の句の「訃」を虫食いにしておけば、至難の出題になる、かろうじて原作に達する道が無いではないが。
2014 4・29 150
述懐 平成二十六年(2014)五月
花鳥の情けは上のすさびにて
心の中の春ぞものうき 伏見院
夕燕我には翌(あす)のあてはなき 一茶
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ 于武陵 井伏鱒二訳
をしげなく花びらくづし大輪の
赤い椿は地にはなやげり 恒平
咲き残る木瓜(ぼけ)の紅(くれなゐ)しづかなり
いましばしつよく生きてありたし 湖
2014 5・1 151
☆ 陶淵明 連雨獨飲
運生は會(かなら)ず尽くるに帰す、
終古 之れを然りと謂う。
世間に松喬有らば、
今に於て定(はた)して何(いづ)れの間(かん)にかあらん。
故老 余(わ)れに酒を贈り、
乃ち言ふ 飲まば仙を得んと。
試みに酌めば百情遠く、
觴(さかづき)を重ぬれば忽ち天を忘る。
天 豈(あ)に此(ここ)を去らんや、
真に任せて先んずる所無し。
雲鶴 奇翼有り、
八表をも須臾(しゅゆ)にして還(めぐ)る。
我れ (こ)の独(どく)を抱いてより、
俛(びんべん)すること四十年。
形骸は久しく已(すで)に化するも、
心在り 復た何をか言はん。
生あるものは必ず死滅する。これは昔からそのように言われてきたことだ。この世には赤松子や王子喬のような仙人がいたというが、今日いったいどこにいるのだろう。
長老が酒を贈ってくれた。なんと、これを飲めば仙人になれるという。ためしに飲んでみると、なるほど、わすらわしさの数かずが遠く去ったような気がし、さらに杯をかさねると、たちまち陶然として忘我の境地になった。
いや、仙人の住む天界も、この境地からさほどへだたったものではあるまい。まさに天真そのもの、天とぴったり一体となり、ふしぎな翼をもった雲間の鶴が一瞬間に宇宙をかけめぐったような気持である。
わたしはこのような個性を抱きつづけて、つとめ励むこと四十年、肉体はもう衰えてしまったけれども、天と一体の心はまだ失ってはいない。それで十分であって、これ以上何を言うことがあろう。
* 形骸は久しく已に化するも、心在り 復た何をか言はん。
2014 5・3 151
* 護憲派は大バカものなどとNHKの評議員とかで作家とやら百田という男がウツケた気炎をあげていると朝刊でみた。このごろの政治環境のウソ臭さというよりウソそのものが直に露わで、情けなく恥ずかしい。かりにも公僕たるもの、國の憲法への忠誠を誓わずに職に就いているそれ自体がおかしな間違いの基である。
こういう不快事を目に耳にして一日が始まるのが情けない。
* おおむらさき 紅い小椿 房やかに岩南天白う咲き垂れてをり 遠
心身を濯ぎ洗いたくて陶淵明の「移居」の第二節を挙げて、読み味わいたい。
陶潜は四十四歳で災厄にあい、かねて念願の南村に居を移した。第一節はおおよそこのように詩われている。「むかし、南村に住みたいと願ったのは、方角を占ってそう思ったわけではない。そこには素朴な心の人が多いと聞き、その人たちと朝夕顔を合わせたいと願ったからである。そうした考えを抱いてからかなりの年を経たが、今日、ようやく引っ越すことができた。わたしの住む家だ、何もそう広い必要はない。寝るところと坐るところがあれば、それで十分だ。近所の人々がよくたずねてきて、そのたびに昔ばなしに声がはずむ。また、おもしろい文章があれば、ともに鑑賞し、疑問があれば、一緒に研究し合っている」と。なんと清々しい境涯か。
そして第二節がつづく。
☆ 陶淵明 「移居」其の二
春秋多佳日 春秋には佳日多し、
登高賦新詩 高きに登つて新詩を賦す。
過門更相呼 門を過ぐれば更々(こもごも)相呼び、
有酒斟酌之 酒有らば之れを斟酌す。
農務各自帰 農務には各自帰り、
閑暇輒相思 閑暇には輒(すなは)ち相思ふ。
相思則披衣 相思へば則ち衣(い)を披(ひら)き、
言笑無厭時 言笑して厭(あ)く時無し。
此理将不勝 此の理 将(は)た勝らざらんや、
無為忽去 忽(おろそ)かに (ここ)より去るを為す無かれ。
衣食當須紀 衣食 當(まさ)に須(すべから)く紀(おさ)むべし、
力耕不吾欺 力耕 吾れを欺かず。
春と秋は晴れた日が多く、小高い丘に登って詩を作り合う。
門前を通りかかれば、たがいに声をかけ合い、酒があればともに酌みかわす。
野良仕事のときはそれぞれ家に帰るが、ひまになるとすぐ思い出す。
そしてさっそく着物をひっかけて訪れ、談笑して厭(あ)くことがない。
こうして暮らす道理こそ何よりもまさっているのではなかろうか。軽がるしくこの土地を捨ててよそに移るべきではない。
衣食はよろしくみずからの手で作り出すべきもの、懸命に耕作にはげめば、裏切られることはないはずだ。
* 真に恒久平和の意味を思いたい。
陶淵明等のような在るべき境涯は、この「南村」にのみかぎってはいない。東西南北、村にも町にも都会にも在って当たり前の「無事」であり「生活の楽しみ・励み」である。悪政の人たちは、こういう平和の創設と維持とに公僕として尽くすべき義務を忘れ果てて権力行使の支配欲に取り憑かれている。「安倍」の名が、マスコミなどで「幸福破壊。不幸実現の代名詞」と化して来かけているが、「迫る、国民の最大不幸!」とは、安倍「違憲」内閣の発足と同時にわたしが掲げておいた予言であった。不幸にして予言は日々に露わに過ぎつつある。
2014 5・4 151
* 朝、早々に、たくさんな郵便を受け取る。「選集①」の造本、装幀、印刷等々、ほぼ絶賛というにちかく、中途半端なことをしなかったのをわたし自身も喜んでいる。健康がゆるしてくれれば、巻数を増して行くことは当然のように出来るし、恥ずかしくない作を十分用意してある。心静めて、ただただ文学のことを思って努めたい。
陶淵明の劉柴桑に和した詩の結びちかくにこのような詩句が読める。わたしの胸にもっとも当然のようにしみ込んでくる。
☆ 陶淵明の詩句を読む 「和劉柴桑」より
栖栖世中事 栖栖(せいせい)たり 世中(せいちゆう)の事、
歳月共相疏 歳月と共に相疏( あひそ) なり。
耕織称其用 耕織は其の用に称(かな)ふ、
過此奚所須 此れを過ぎては奚(なん)の須(もとむ)る所ぞ。
去去百年外 去り去りて百年の外(ほか)、
身名同翳如 身名 同(とも)に翳如(えいじょ)たらん。
世の中はあわただしい動きを見せているが、歳月の推移につれてわたしはますます世事と疏遠になり、世間もわたしを忘れてしまった。畑仕事と機織りとで日常の用は足りるのだから、これ以上、何を求めるところがあろう。百年の一生が過ぎ去ってしまえば、このからだも名もひとしく消え去ってしまうのだ。
(栖栖)あわただしく不安なさま。(称其用)必要とする費えにぴったり合う。(翳如)湮没して跡かたなくなる。如は形容詞の語尾。
* つまりいまわたしの生きて為し成していることは、浮幻の道化にひとしい自若の楽しみに過ぎない。あっはっはと笑うているのである。
2014 5・8 151
* 森鴎外作、深作監督の映画「阿部一族」を久しぶりにテレビで観る機会を得て、したたかに哀哭、胸を絞られた。わたしは十数年以前であろう初めてテレビで観て感動し、録画で繰り返し観て、もし只一つテレビ映画で日本の名作をと問われれば、まして歴史映画の突出した傑作はと問われれば、なに迷いなく此の「阿部一族」を挙げると言い続けてきた。それで間違いなかろうかと久しぶりに観て、その確信を新たにした。堪えがたく声を放つほど哭いた。
言うまでもない、鴎外は希有の大作家であり文豪であるが、その第一等の名品はと問われれば、これまた躊躇なく昔から『阿部一族』と見極めてきた。揺るぎもない。六林夫の「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」の名句を知って以後、ますますその思いを強くした。六林夫の句は、無季題ながら優れた戦争文学と大岡信さんは書いていた。然り、その通り。敗戦の季節と重ねれば「遺品あり」が強い季題になっている。
わたしの、政治というよりも、権勢・権力、支配・被支配、武士の忠義忠君などに対する憎しみに近い拒絶の思想を培ったものは、真っ先第一にこの鴎外作『阿部一族』であり、さらに確乎として憎しみを加えしめたのが深作映画の「阿部一族」であった。今も確実にそうである。湖の本で三巻の「ペンと政治」を編んだのは最近のことだが、政治悪、支配悪、権勢悪を心底憎む気持ちは、もうすでに高校時代に読んだ「阿部一族」に思想的に決されていた。
いま、心新たに、それを確認しておく。
山崎、蟹江、佐藤、真田、また一族の妻子らを演じ隣家の妻女を演じた女優子役らのだれもかもに、この映画での演技こそ一世一代の名品であったよと賞賛したい。
何度でも何度でも大事に録画してあるした此の映画を見直し見直して憎悪の念を手放すまいと思う。
* 批判すべきを批判し、怒るべきを怒り、起つべきに起つのは、自然でもあり必要でもある。看過し黙認し関わることを避けて大様がり超然がる人をわたしは敬愛しない。それだけに、批判も怒りも、また決起も、深切であらねば。情意において、態度において、、行為において慎み有るべきは当然である。
2014 5・9 151
☆ 若葉 青葉が日の光にかがやく美しい季節になりました。
このたびは いよいよの『秦恒平選集』のご出版 誠におめでとう存じます。 また貴重なご本を頂戴することが出来ました 身のしあわせ、本当に嬉しく存じます。 ありがとうございました。 私が
はじめて先生のご本を読ませていただいたのは 思えばはるかの昔、 『清経入水』ではなかったかと記憶いたします。 すごい作家が出たから 読んでみよと言われ、 それからはずっと お作品 注目して拝読してまいりました。
このたび選集第一巻の『みごもりの湖』『秘色』『三輪山』も拝読しているはずですが、 昔 おいしいお菓子をたべて そのおいしかったという味だけがしっかり残っているーーといった感じで、内容はぼやけてしまいました。 このたび あらためて しっかり読ませていただきたいと考えております。
それにつけても このたびのご本の装幀のご立派さ、このような みごとなご本 最近 なかなか手にすることが出来ません。私の
本棚の特等席、『漱石全集』のとなりに並べさせていただくつもりでおります。
最近は うみの本がとどくたびに まず あとがきを読んで おからだ おさわりないかと思い、お元気なごようすであれば 安心いたします。
くれぐれも 御身お大切に、奥様とお二人で お元気におすごし下さいますこと お祈り申しおります。 歌人 東淳子
* 国立近代美術館の村上華岳展で特別講演したとき、奈良から来て下さり、あとで豊かな薫りの大きな匂い袋を頂戴したのを覚えている。お目にかかったのはその時ぎりだが、東さんの短歌には、出会いの当初から深く心惹かれ、その歌境といい表現といい質感のただならぬを覚えつづけてきた。世間でもてはやされる高名な親分・姉御型の人ともお付き合いがあるが、東さんの哀情をたしかな言葉で精錬された静かさ毅さみごとさをわたしは殊に敬愛してきた。 2014 5・10 151
* 新宿紀伊国屋ホールで俳優座公演「七人の墓友」を観てきた。いい入りで笑いもたくさん取っていた。老若男女の七人が死後の共同墓をある寺地のうちに手に入れ、生き残ったものらが墓参を欠かさず、いずれは底の墓へ入って、みんなで仲よくあの世の暮らしを楽しみましょうと。その主筋にある一家の両親夫婦を芯にしたいろんな紛糾が絡まる。
なににしても『死なれて死なせて』の著者には、死生を問うには「軽薄な遊び半分の思いつき芝居」と見えて、感心は出来なかった。
歌人大塚陽子に、
眺めよき場所に席とり待つと言ひき遊びのごとく死をば語りき
という一首がある。
この歌は、けっして「遊びのごとく死をば語」っていた日を、懐かしんで肯定しているのではない。痛哭の思い出なのだ、「死なれる」厳しさに「死なせる」悔いすら加わっている。
「墓友はかとも」などといった当世風の軽口で済ませるには、よく生きることも、死に・死なれ・死なせることも、底知れぬ重みとともに生者をも死者をも烈しく深く襲う。
いやいや死生の問題は徹頭徹尾「生者」こそが負うた課題なのであり、「死者」に死後など在るわけがない。死後は、死なれ死なせた生者の思いに巣くう幻想である。そうと分かっていて、それでもそうは思い切れない、のも「生者」なのである。
そんな生者懸命の畏れや悲しみや重い負担のまえでは、「墓友」発想はいかにも安直。軽薄。テレビのコマーシャルのように軽々しく薄っぺらい。そのためか、京のお芝居、真率な演劇というよりも、舞台そのものが、そのまま軽いホームドラマのテレビ画面そっくりに見えて仕方なかった。
俳優座の新劇も、こんなところでうろうろしているのかと、ビックリしてしまった。
2014 5・15 151
☆ ご報告
秦先生、大変ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか?
今年の年賀状でも既にお伝えしていたかと存じますが、先週の水曜日に、長男が誕生しました。
この季節に産まれたこともあり、薫と名付けました。
かなりの難産で、妻は辛かったと思いますが、今は母子ともに順調で、明日には退院できるのではと思います。
退院してからが本格的な子育てですが、何をするにもおっかなびっくりで、期待と不安の入り混じった気持ちです。
それではまたご連絡させて頂きます。 卒業生 英
* とうとう、此処まで来たんだ、おめでとう、おめでとう。久しかった胸のつかえが、こころよく新緑の薫りに溶けて行きました。みんな、みんな、お健やかに。赤ちゃん、きみによく似ている。可愛いね。
花ややに匂ひしづかに木も草も潤ふ慈雨のとき薫るなり
正法寺と尊き名ある門の前を行き過ぎがてに風薫るなり 湖 2014 5・19 151
☆ 美しい五月を迎え
ご順調な日々をお過ごしのことと存じます。
少し家を離れ、旅行から戻りますと、立派なご本を賜っており、お礼を申し上げること遅れ 大変失礼いたしました。勿体なく存じております。
娘の家に残り、春の北欧と、ローマに住んでみました。
公の仕事を離れ、身心共にホッと致しまして、少し楽しみました。自分の時間が出来、好きなことを学びたいと思っております。
ご活躍を心から祈り楽しみに致しております。有り難うございました。 茨城那珂市 下司良子
* わたしに小説「四度の瀧」を書かせるキッカケを呉れたありがたい読者で、それが五十歳記念の豪華限定本に成った。歌人篠塚純子の歌集『点描の魚』を下敷きに、思い切り上古と現代と呼応のロマン仕立てが可能になった。此の作はいま「茨城県の文学」に収められている。
下司さんは、「湖の本」を創刊からかなり永い期間、シリーズが軌道に乗るまで、毎回20册ずつ買い上げて下さった。どんなに「湖の本」が助けられたか、わたしが励まされたか、いま思っても計り知れない。
* このところ、短歌がふと溢れるように口元へ寄ってくる。ま、いちいちは書き記していないが、そういう時が、間々やってくる。 2014 5・20 151
述懐 平成二十六年(2014)六月
良き歌を幾つか読みて鎮まりし
心のまにま今宵眠らむ 井上光貞
くすむ人は見られぬ 夢の 夢の
夢の世を うつつ顔して 閑吟集
われながら心のはてを知らぬかな
捨てられぬ世のまた厭はしき 藤原良経
少数にて常に少数にてありしかば
ひとつ心を保ち来にけり 土屋文明
花ややに匂ひしづかに木も草も
うるほふ慈雨のとき薫るなり 遠
正法寺と尊き名ある門の前を
行き過ぎがてに風薫るなり 湖
2014 6・1 152
* 後拾遺についで「拾遺和歌集」の撰歌も「恋二」まで進めているが、「後撰和歌集」からも選び始めた。長編小説「秋萩帖」を書いたときから「後撰集」に惹かれていた。だがこの集は相聞や贈答や状況歌が多く、自然詞書が豊富になり、説明抜きの和歌だけ一首の自立を重んじてきたわたしの撰歌には馴染みにくいとその作業は避けていた。しかし、裏返せばそれだけの分は物語的に面白いのである。楽しんで、後撰・拾遺を読みに読んで秀歌を選んでいる。だからどうする、といった欲はない。文庫本とペンさえ持っていれば、どのような雑踏の中ででもたちまち十、十一世紀の京都に、日本に心を遊ばせることが出来る。醜い現実の日本や世界からただ逃げていると嗤う人は嗤うだろうが、措かんかいとわたしも笑う。
2014 6・2 152
* 「湖の本120」発送の用意を、責了用意と併行して進めねば。桜桃忌にはむりだけれど六月の内に発送できるかも。そのうちには「選集②」の初稿がどさっと届くことだろう。時間を繋いで繋いで片づけ仕事を一つ一つ片づけておかないと、そんなのが山積みになったら手に負えない。実感として忙しいなあと感じている。だから、気持ち、静かに在りたいと願っている。
かほ伏せてほたる袋のものおもひうるほふ雨に白うしづかに
2014 6・4 152
* 雨の歯医者通い。気重いが。眼が疲れて、視野が滲む。そんな眼で、もういちど「隠沼こもりぬ」を読み返している。
* 歯医者への道中には、濡れては困る「湖の本120」のゲラでなく、文庫本の「拾遺和歌集」とブルフィンチの「中世騎士物語」を
持って出た。アーサー王、騎士ラーンスロット、ガウェイン、その他多数の騎士と貴婦人達とのロマンそのものの説話の面白さに出先も雨も忘れがちだった、わが朝十一世紀の恋の和歌もしみじみと。いやな現代から次元を超えて遊ぶことは、身に付いた得手である。絵空事の不壊の値を現じ体しきれなくて、何が文学だろう、藝術だろう。 2014 6・6 152
* はやく目覚めた。起きて機械の前へ。陶淵明の詩句をしばらく拾い読んでいた。「贈羊長吏」より。
千載の上を知るを得るには 正に古人の書に頼(よ)るのみ。
精爽 今は如何。 (変わりなくお元気ですか?)
駟馬は患(うれひ)を貰(まぬか)るること無く 貧賤は娯しみに交(か)へること有り。
清謡 心曲に結ぶ。 (愛した清々しい歌の数々は いつも深く胸の奥にしまってある。)
* あなたに問います、「精爽 今は如何」と。
* 原発の「中間廃棄物処理施設」は要するに金次第で決まる、と、あのたわけた石原環境大臣は泥を吐いた。あれが、原発推進主義者らの本音なのだ。本音を漏らそうと隠そうと、おまえたちのあざとい根性は知れてある。「患(うれひ)を貰(まぬか)るること無」いであろう。
2014 6・18 152
* ほとんど偏執狂めいて、しかもその暴走を総理たる名誉発露と「ド錯覚」している安倍「違憲」総理の異様さ、日本列島沈没の危機を嬉々として彼は早めようと躍起だ。自民党の正式名は「自由民主党」だが、自由も民主もまるで汚物かのように蹴散らかされている。心ある聡明で勇気ある党員はほんとうにもうもう事実、情けなく、払底したのか。大学に学んでいる青年達よ、この危機は、きみたち自身の危機ではないのか。五十年後のきみたちは、不幸な死を遂げているか、他国支配に屈敗して不幸な隷属・流浪の民になっているか、あるいは冷酷で無感情に精緻な機械に付属し、まさしく家畜同然にされているかも知れないのに。
このわたしには、今、何が出来るか、為すべきか、指示が有れば起ちたい、たとえ寿命を縮めても。
* 立葵 たち立つ丈の高きまできほひ花やぎ夏至はあをぞら 湖
2014 6・21 152
* 十一時をまわった。 雨紛微微(しづかなる雨は紛として微微たり。)
2014 6・23 152
述懐 平成二十六年(2014)七月
聖(ひじり)を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや
年の若き折戯( たは)れせん 梁塵秘抄
ふればぬるぬるればかはく袖のうへを
雨とていとふ人ぞはかなき 一遍上人
犬も/馬も/夢をみるらしい 動物たちの/
恐しい夢のなかに/人間がいませんように 川崎洋
身のうちに未知の世界を見ることを
歓びとする悲しみとする 竹久夢二
立葵 たち立つ丈の高きまで
きほひ花やぎ夏至はすぎゆく 湖
亡き孫に
天の川を越えてやす香のケイタイに
文月(ふづき)の文を書きおくらばや 爺
なるやうに なるも ならぬも なるやうに
ならす鐘こそ うつくしくなる 遠 2014 7・1 153
☆ わが家のフェンスに(手作りのアピール・写真で)
安倍内閣よ
憲法と命を守ろう
集団的自衛権の行使で
国民を戦争に巻き込むな
自民党よ
公明党よ
よくよく考えて
今日、取り付けました。
母の制作です。 山口県 翠
☆ も一つ
武器で
国は守れない
軍隊は
人を護らない
昨日のうちに わたしも こちらを。 山口県 翠
* なるやうに なるも ならぬも なるやうに
ならす鐘こそ うつくしくなる 湖
2014 7・2 153
☆ 陶淵明詩より抄
静念園林好 静かに念(おも)ふ 園林の好きを
人間良可辞 人間( じんかん) 良(まこと)に辞すべし
當年 有幾 當年 (なん)ぞ幾ばくも有らんや
縦心復何疑 こころを縦(ほしいまま)にして復(ま)た何をか疑はん
2014 7・9 153
☆ 陶淵明の詩句より
詩書敦宿好 詩書 宿好を敦くし、
林園無世情 林園 世情無し。
商歌非吾事 商歌は吾が事に非ず、
依依在 耕 依依たるは 耕に在り。
投冠旋舊墟 冠を投じて舊墟に旋(かえ)り、
不為好爵 好爵の為に (つな)がれざらん。
2014 7・12 153
* 忙しく忙しく生きている、暮らしている人は、多い。ささえるのは心身の健康だけだ、お元気ですかといつも胸の内で声を掛けながら、わたしもまことに忙しい。褒められたことではない。黙然、陶淵明を慕う。はたして今代、「義風都(すべ)て隔たらず」と謂えるか。哀しいかな、言えぬ。
「これ余(わ)れ何為(す)る者ぞ。勉励して (こ)の役(えき)従ふ。一形 制せらるる有るに似るも、素襟 易(か)ふ可からず。園田 日々に夢想す、安(いづく)んぞ久しく離析するを得んや。終(つひ)に懐(おも)ふは帰舟にあり、諒(まこと)なる哉 霜柏を宜(よろ)しとするは。」
陶淵明には自ら耕す田畑があり園林があった。それに同じいものはわたしには「書く」ことだけだ。
2014 7・17 153
☆ 陶淵明に聴く
流幻 百年の中(うち)
寒暑 日に相推(あひうつ)る
常に恐る 大化の尽きて
気力 衰に及ばざらんことを
撥置して且( しばら) く念(おも)ふ莫(な)からん
一觴 聊(いささ)か揮( ふる) ふべし
* 終日家に籠もって、あれこれ、みな必要不可欠なたくさんの仕事に打ちこみ続けていた。妻がスキャナーをつかっておよそ本一冊ほどの初出ものを電子化してくれたので、気がかりだった、放っては置けない仕事にも、急速に目鼻がついた。
七月祇園会のさなかというのに無気味に涼しく雨もぱらついた。政治も間違っている、天候もぶきみに穏やかでない。
そんなとき、したい仕事にうちこめるのは、ほんとうに本当に有り難い。
「常に恐る 大化の尽きて 気力 衰に及ばざらんことを。」
家で、この機械でしか出来ない仕事と、家ではなかなかしにくい仕事と、がある。大半の仕事や創作は機械を用いて書いたり考えたりしているが、大量の時間と、しかも急いで集中的に注意深く仕遂げねばならないのが「校正」で。
いま、「選集②」の全再校・責了、加えて「選集③」の全初校を、目の前にドッカーンと積んでいる。本組にして、ほぼ900頁。これはもう、どこか明るくてゲラの広げられる場所へ出向いてするしか無い。かつて利用したことのない、だが、保谷駅に隣接してある市の図書館分館はどうだろうか。問題は自転車置き場が無いことじゃ。
* 「選集②」再校前の赤字合わせを、終えた。これからは、ひたすら「読む」。目を労り労り読む。十一時。もう休む。
2014 7・19 153
* 陶淵明の詩句に聴く
總髪抱孤介 総髪より孤介を抱き、
奄出四十年 奄(たちま)ち四十年を出づ。
形迹憑化往 形迹は化に憑(よ)りて往くも、
霊府長独閑 霊府は長く独り閑(しづ)かなり
貞剛自有質 貞剛 自(おのづか)ら質有り、
玉石乃非堅 玉石も乃(な)ほ堅きに非ず。
少年時代からわたしは、かたくなに自分を守ったまま、
たちまち四十年(=七十年)が過ぎてしまった。
からだは自然の推移につれて衰えてしまったが、
心はいつも(=なんとか)平静でいられた。
わたしのこの妥協しない性格は天性であろうか、
これに比べれば玉石といえども堅いとは言えまい。(=とまで豪語はしないが。)
2014 7・20 153
* 浴室で「富士山の文学」「建礼門院の悲劇」を読んだ。「拾遺和歌集」の一撰を終えた。「後撰和歌集」の一撰もすすんでいる。和歌は気持ちを静かに落ち着かせる。
2014 7・21 153
* 創刊五十年記念の俳誌「鷹」から堂々とした「季語別鷹俳句集」に加えて、創刊された亡き「藤田湘子の百句」また「飯島晴子の百句」を頂戴した。「鷹」はわたしが頼まれて原稿を書いた一等早かった俳誌で、日大小児科の同人先生から声をかけられた。利休のことを書いたと覚えている。まだ作家でもなかった。医学書院の編集者だった。湘子とはのちのち、お目に掛かりこそしないがいろいろに親しくものを書き交わしたりした。わたしは俳句は難しいと手も出さなかったのに、「鷹」「みそさざい」ほか何誌ともお付き合いがあり、有名な何人もの主宰さんらとお付き合いがあった。だから俳句は短歌に劣らず読むのはよく読んできた。すべてわたしは完全な門外漢の小説家で通したが、それゆえに心親しくしてもいただき懐かしく感じてきた。これで、わたしはけっこうお付き合いは下手でない。井口哲郎さんにそれを褒めて貰ったこともある。
2014 7・22 153
* 俳句の「鷹」から送られた亡き主宰湘子の百句、これは、久しい馴染みがあって多年を経ての変容・変貌また達成もなんとなく懐かしいほど分かる。もう一冊の飯島晴子が「鷹」の猛将とは知っていたけれど句には馴染んでいなかった。なんとなく触れ合ってこなかった。こんど奥坂まやさんの紹介で「百句」を拾い読みし、なんじゃこれはと思いつつ奥坂さんの手引きでその底知れぬ大きさや新しさや説得力に心惹かれている。これはこの年になっての嬉しい出逢いのようである。
* 物覚えがわるくなったというより、記憶のきれきれの喪失に困惑している。思いのほか俳人とのおつきあいも歌人に劣らず多かったのだが名前をぶじ列挙できる自信がない。滝井孝作先生も永井龍男先生もそのお一人だが、占魚、稚魚、八束、兜太、登四郎、杏牛、湘子、羊村、杏子さんら、やっと思い出せる。そんな中へ、飯島晴子の名が加わればいいが。ただし晴子はすでに八十にして自死されている。
泉の底に一本の匙夏了る
人の身にかつと日当る葛の花
西国は大なめくぢに晴れており
猫鳴いてお多福風邪が奥にゐる
わが闇のいづくに据えむ鏡餅
大雪にぽつかりと吾れ八十歳 晴子
2014 7・24 153
* 孫のやす香をこの日付で死なせて八年になるか。やす香の母朝日子がこの日付で生まれてからは、何十年になるのだろう。一年として欠かしたことなく赤飯で祝ってきた今日の日付だが、あれ以来、一度として祝っていない。
かみなりが来て雨も来て遠のいて
なんといふ寂しい夏の今日かな
生きいそぐとは死にいそぐことなのか
みえぬ眼のまへをかきまぜてゐる
わらつてゐるやす香の写真(あれ)は泣いてゐる
泣くな泣くな泣くな 詩を読んでやるぞ
哀しみを銜(ふく)みて旧宅を過(よ)ぎり
悲涙 心に応じて零(お)つ
借問(しゃもん)す 誰が為にか悲しむと
懐(おも)ふ人は九冥に在り
門前に手を執りし時
何ぞ意(おも)はん 爾(なんぢ)先ず傾かんとは
数(すう)に在り 竟(つひ)に未だ免れず
山を為(つく)りて成るに及ばざりし 陶淵明
したいこと就きたい仕事なりたい人
させも就かせも成らせもあえず
☆ ぼくの姉の誕生日。 (建日子 facebookに)
もうずいぶん長く会っていないけれど。
そして、たった19歳で逝ってしまったぼくの姪の命日。
あれから、ずいぶん長く時は流れた。
姉さん。誕生日おめでとう。
やす香。安らかに。
2014 7・27 153
* 石牟礼道子さんから詩集「祖さまの草の邑」を戴く。けさ、山中以都子さんの詩集「水奏」を読み返しまた布川鴇さんが編輯している詩誌「午前」をも読んでいた。高木冨子さんの「優しい濾過」も目の真ん前にある。紫圭子さんからも詩誌をよく戴く。
2014 7・28 153
* こころに触れてくる詩集を大切に思うようになっている。それもほんとうにいろいろである。いい音楽を奏でて自身の魂の歎きや嬉しさや渇きを、静かに、佳いことばに「預け」てくれている詩歌に出逢うと感動する。
☆ 陶淵明の詩句に聴く
萬化は相ひ尋繹す 万物はつぎつぎと推移交替していく
人生 豈()あに労せざらんや 人生もどうして苦労しないですまされよう
古(いにしへ)より皆没する有り 昔から生るものは必ず死ぬ定めにある
之れを念へば中心焦がる これを思うと心中に焦りを観じざるをえない
何を以てか我が情に称(かな)へん わが心をどう慰めたらよいのか
濁酒 しばらく自ら陶(たの)しまん ともあれ濁り酒など飲んでみずから楽しむとしよう
千載は知る所に非ず 千年先のことはわかるはずもないし
聊(いささ)か以て今朝を永うせん とりあえず今日という日をゆったりと過ごそう
2014 7・29 153
* 来月「私語」を用意した「述懐」のなかに岩田正さんの「どんぶりを抱へてだれにも見られずに立蕎麦を食ふ時が好きなり」を貸してもらった。岩田さんは馬場あき子さんのご亭主でありよく存じ上げている。わたしにもかつてはこんな「好き」な「時」があったのに、今は麺類がとても食べにくい。残念な。いい歌かどうかの品評は控えておくが、心惹かれたのだからいい歌に違いない。わたしはもっぱら西武池袋線池袋駅地下改札内で、立ったまま蕎麦や饂飩を嘆賞していた。乗降客がいっぱい通るのである。だれか見てるかなあと思っていた。それも味のうちだった。
2014 7・29 153
* 『拾遺和歌集』の二撰を始めた。
* ラ・ロシュフコローに興味があって彼の箴言集を読むのではない。彼の箴言や考察を借りて自身のことを、心根のありようを思うのである。拾遺和歌集の和歌を品評するのが目的ではなく、撰歌を介して、自分が何に感じ何を思い何であるのかが見たいのである。平家物語を解析し探索したくて平家物語を読んだり考えたりするのではない。それを通して自分が何に惹かれ何処へ歩もうとしているのかが識りたいし実感したいのである。一休さんに「諸悪莫作」といわれれば、そういう一休さんに関心を持つ以上に、自分のために「悪」とは何でそれを「作(な)すな」とはどういうことかを考えるのである。およそそのように働く関心でなければ、たんなる知識の断片を弄んで終わってしまう。どんなに源氏物語が好き、谷崎文学が好きであるにしても、源氏や谷崎を対象としてこまかに解剖してみても生きるつよさは生まれない。自分の問題にしない、ならないような勉強では、老いの前に、干からびて崩れてしまう。
2014 7・30 153
述懐 平成二十六年(2014)八月
見るままに露ぞこぼるるおくれにし
心もしらぬ撫子の花 上東門院
大雷雨鬱王と会うあさの夢 赤尾兜子
犬も 馬も 夢をみるらしい
動物たちの
恐しい夢のなかに 人間がいませんように 川崎洋
向日葵の大声で立つ枯れて尚 秋元不死男
どんぶりを抱へてだれにも見られずに
立蕎麦を食ふ時が好きなり 岩田正
ひかりふる梢のみどり濃くゆれて
つかのまわれは生きをうしなふ 湖
岩づたひこぼるるほどの真清水の
わが尿よ尿よいとほしみ聴く 遠
2014 7・31 153
* 一日で一キロ体重増に驚いた。けれども酒は美味い。
☆ 陶淵明に聴く
何を以てか我が情に称(かな)へん、
濁酒 且(しばら)く自ら陶(たの)しまん。
千載は知る所に非ず、
聊か以て今朝(こんてう)を永うせん。
* 陶淵明の「飲酒」二十首は、酔後の気儘な述思で、酒をうたう以上に酒に寄せて心事を述べている。序の詞も佳い。
余閑居寡歓、兼此複已長。
偶有名酒、無夕不飲。
顧影獨尽、忽焉複酔。
既酔之後、輒題数句自娯。
紙墨遂多、辞無詮次。
聊命故人書之、以為歓笑爾。
余(わ)れ閑居して歓び寡く、兼ねて此(このごろ)、夜己に長し。
偶(たまたま)名酒有り、夕べとして飲まざる無し。
影を顧みて独り尽くし、忽焉(こつえん)として復た酔ふ。
既に酔ふの後は、輒(すなは)ち数句を題して自ら娯しむ。
紙墨遂に多く、辞に詮次無し。
聊か故人に命じて之れを書せしめ、以て歓笑と為さん爾(のみ)。
(序) わたしはひっそり暮らして楽しみも少なく、しかもこの頃は夜が長くなった。たまたま名酒が手に入ったので飲まぬ夜とてない。影法師を相手に独り飲みほして、飲むとたちまち酔うてしまう。酔うたあとには、二、三の詩句を書き写してひとり楽しむのが常で、いつしか書き散らしたものがふえてしまった。字句は前後の脈絡に欠けるが、ともかく友人に書き写してもらった。お笑い草にでもと思って。
* 一読 なにも言うことがない。
2014 8・6 154
☆ 陶淵明の詩に聴く 飲酒(其の一)
衰栄無定在 衰栄は定在すること無く、
彼此更共之 彼れと此れと更々(こもごも)之れを共にす。
邵生瓜田中 邵生 瓜田の中、
寧似東陵時 寧(な)んぞ東陵の時に似んや。
寒暑有代謝 寒暑に代謝有り、
人道毎如 人道も毎(つね)に (か)くの如し。
達人解其會 達人は其の會を解し、
逝将不復疑 逝々(ゆくゆく)将(まさ)に復た疑はざらんとす。
忽與一樽酒 忽ち一樽の酒と與(とも)に、
日夕歓相持 日夕 歓びて相ひ持せん。
人の栄枯盛衰は淀まった所にあるわけではなく、両lj者は互いに結びついている。
秦代の邵平を見るがよい。畑の中で瓜作りにとりくんでいる姿は、かつて東陵侯たりし時のそれとは似ても似つかぬ。
自然界に寒暑の交替があるように、人の道も同じこと。
達人ともなればその道理を会得しているから、めぐり来た機会を、恐らく疑うようなまねはしまい。
思いがけずありついたこの樽酒を相手に、夕方ともなれば酌みかわして楽しむとしよう。
* 朝いちばんにこういう詩にしみじみ頷ける嬉しさ。
「衰栄は定在すること無く、彼此(ひし)更々(こもごも)共にす。」「寒暑に代謝有り、人道も (か)くの如し。」「一樽の酒あれば、歓びて相持せん。」
2014 8・13 154
* 作業に入る。夜中少しめが醒め、拾遺和歌集の二撰をすすめたりヒルテイやマキリップやグリーンを読み、わたしの「隠水の」を校正読みしたり。すこし酒をのみ少しウイスキー「富士山麓」を含み、リーゼを一錠服して寝た。八時に目覚めた。、
2014 8・21 154
* いろんな人から、わが自作にかかわるいろんな文章を載せた自著を戴いている。ついつい、ものに埋もれて忘れていて、ふと見つけ出す。今日も二つ、見つけたので記録かたがた書き取っておく。
☆ 黒瀬珂瀾著『街角の歌』ふらんす堂刊 2008.04.01刊 より
鉄(かね)のいろに街の灯かなし電車道のしづかさを我は耐へてゐにけり 秦 恒平
掲出歌は昭和28年、作者17歳の一首。早熟な才を思わせる。電車の騒音の大きさが逆に通過後の線路脇の静寂を印象づける。名状しがたい内面の衝動を静かに押える少年の姿。人の営みから距離を置こうとする若き心が、「街の灯」を鉄色に感じさせたのか。小説家として知られる秦は、若き日の歌業を歌集「少年」として纏め、自費出版した初の小説集の巻頭に置いた。その後、この青春歌集は幾度となく単行出版され、多くの読者を得ている。(「少年」『畜生塚・此の世』昭和39年刊所収)
* 京の祇園石段下辺の市電線路を、宵の街の灯に照った「鐵のいろ」と眺めていた。想いなやめる高校生だった。こんな歌をわたしより四十二年もあとに大坂に生まれた若い歌人がみつけてくれている。
2014 8・24 154
☆ みづうみ、お元気ですか。
思わずため息のでる美しい作品、美しい選集第二巻を頂戴いたしました。関川夏央さんのお言葉のように、「光栄の極み」としか申し上げようがございません。
作家や作品を選ぶのは常に読者というのが鉄則ですのに、みづうみという作者に選ばれた読者かのような錯覚、恐れ多い有り難さで、何度も申します、光栄の極みでございます。
みづうみには、わたくしなどより遥かに素晴らしい識者・読者の方々がたくさんあるにも関わらず、少しばかりのお手伝いをしたというだけで、限定私家版、非売本を頂戴するという幸運と幸福に恵まれました。未来のみづうみの読者からも、嫉妬されるでしょう。
ご本を何度も開いては、にっこりしているところでございます。とてもうれしいです。何度も読みたくてたまりません。
切に願うのは、自分が汲み尽くせぬ清泉のような名作にふさわしい読者であることです。ほんとうにありがとうございました。
みづうみの新しい小説も、湖の本の新刊も、次の選集も楽しみで待ち遠しく思っています。
同時に、みづうみの働きすぎも心配でたまりません。熱中症を案じておりましたが、他にも不調のご様子です。この夏の熱気の重圧は異常で、元気ピンピンという方のほうが少ないかもしれません。
すべてに、一日も早い検査と診察をお受けになり、ご安心なさってくださいますように。
少し涼風を感じる頃になりましたら、一度お目にかかり、新しいお手伝いの仕事を頂戴いたしたく思っています。お出かけのご予定など早めにお教えいただければ幸いでございます。わたくしは相変わらず不出来なものを書いていますし、他の用事にも追いまくられています。 馨 茉莉花を拾ひたる手もまた匂ふ 加藤楸邨
* ぎやうさんに世辞賜はるもめうが哉 みづうみ
2014 8・26 154
☆ 陶淵明「飲酒」其五六より
廬を結んで人境にあり
而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
菊を採る 東籬の下
悠然として南山を見る
山気 日夕に佳し
飛鳥 相与(あひとも)に還る
此の中(うち)に真意有り
弁べんぜんと欲して已(すで)に言を忘る。
行止は千万端
誰か非と是とを知らんや
是非 苟(みだ)りに相形(あひくら)べ
雷同して共に誉め毀(そし)る
咄咄(とつとつ) 俗中の愚
達士のみ爾(しか)らざるに似たり
2014 8・27 154
* 機械が尋常に作動し稼働するまでに辛抱よく待って、十分ほど。その間にもっとも心惹かれるのは、陶淵明。
☆ 陶淵明 飲酒 其七 (岩波文庫に拠る)
秋菊有佳色 秋菊 佳色有り、
露 其英 露を (まと)うて其の英(はな)を (と)る。
汎此忘憂物 此の忘憂の物に汎(う)かべて、
遠我遺世情 我が世を遣(わす)るるの情を遠くす。
一觴雖獨進 一觴 独り進むと雖も、
杯尽壺自傾 杯尽きて壷自から傾く。
日入羣動息 日入りて群動息(や)み、
歸鳥趨林鳴 帰島 林に趨(おもむ)いて鳴く。
嘯傲東軒下 嘯傲(しゅうごう)す 東軒の下
聊復得此生 聊(いささ)か復(ま)た此の生を得たり。
秋の菊がみごとな色に咲いた。
露にぬれたその花びらをつんで、「憂さ払い」(酒)に浮かべると、
世俗から遠く離れたわたしの思いがいっそう深まるようだ。
独酌でちびりちびりやっているが、
杯が空になると、知らぬまに手が動いて、徳利を傾け杯を満たしている。
日が暮れて、もろもろの動きもやみ、鳥たちも林の中のねぐらに鳴きながら帰って行く。
わたしも東の軒下で心のびやかに放吟する。
まずはこの人生の真骨頂(自由)を取りもどしたか。
今日もまずまず無事に過ごせたのだ。
( ) に同じ。うるおう。( )摘むこと。菊の花は不老長寿の薬とされている。(英)花。
(忘憂物)酒のこと。(遠)決める。(遺世情)世俗から遠く離れた感情。(群動)昼間のもろもろの動き。
(嘯傲)口笛、またうそぶくこと、傲は自由で物事にしばられないこと。
2014 8・28 154
☆ 起てよ なんぞ其の波を揚げざる 屈原 陶淵明
「世人皆濁らば、何ぞ其の泥を (みだ)して其の波を揚げるざる」 屈原
「襤褸 茅簷(ぼうせん)の下(もと)、未だ高栖と為すに足らず。願わくは君 其の泥を (みだ)さんことを。」 陶淵明
ボロを着てボロ家に住むのが、高尚な暮しですかね。 あなたも一緒になってこのドブ泥の世の中を掻きみだしたらいかがです。
* 東電の非道無能はすこしも変わりなく放漫に放置されており、安倍「うそつき」政権は、東北の原発危害に責任をとらず放射能への万全の備えも怠慢に対策無きまま、再稼働・温存・あまつさえ原発輸出計画まで執拗に狙っている。國は傾きを強めており、安倍総理の表情に弱気と苛立ちが見えている。ヒットラーたらんとし、それにも成れないというコンプレックスのまま名誉心に喘いで更なる暴発へ向かっている。国民は、無力感にとらわれてはならず諦めてはならない。
2014 8・30 154
述懐 平成二十六年(2014)九月
商歌は吾が事に非ず 依依たるは藕耕に在り
冠を投じて旧墟に旋(かへ)り
好爵の為に (つな)がれざらん 陶淵明
穴惑(あなまどひ) 刃の如く若かりき 飯島晴子
雲ちりぢり学継ぎがたし迢空忌 能村登四郎
花火かないづれは死ぬる身なれども 湖
観自在の弥勒のおん瞳(め)のびやかに
吾れにとどけば涙ぐましも 宗遠
かう生きてあゝ生きてなどおもふなよ
を月様幾ツ 十三七ツ 有即斎
白隠 千葉のe-OLD 勝田老描く
2014 9/1 155
* うま酒に酔っている。陶然。暑いが、秋。
「咄咄 俗中の愚」
「吾が生 夢幻の間 何事ぞ 塵覊に紲(つな)がる。」
「一觴 独り進むと雖も 杯尽きて壺おのづから傾く。」 陶淵明
2014 9・5 155
* 死に急ぐ道に、あんまりにも咲く花の多いことよと、大学の頃、日々使っていた英和辞典奥の見返しにそんな一句を書いていた。辞書は傷みに傷んでその箇所はもう切れ失せているが、気持ち、忘れていない。もうあと何が自分に出来るだろう、出来るだろうとぼんやり思う。だがなかなか、ボンヤリとしていられない。
2014 9・6 155
轡(たづな)を紆(ま)ぐるは誠に学ぶべきも、
己に違ふは (なん)ぞ迷ひに非ざらんや。
且(しばら)く共に此の飲を歓ばん、
吾が駕は回(めぐ)らす可からず。
方向転換のすべを真似できぬとは思わない、が、
自分の本領を曲げる、これは自分を棄ててしまうことにならないか。
ま、今日のところは酒を酌みかわし歓談するとして。
それでもわが行く先をわたしはやすやす変えたりはしない。
身を傾けて一飽(いっぽう)を営(もと)めなば、
少許にして便(すなは)ち余り有らん。
此れ名計に非ざるを恐れ、
駕を息(や)めて閑居に帰れり。
あのとき、全精力を傾けて飽食の栄を追い求めていたら、
必ずや酬われて余りあり得ただろう。だが、
わたしは、それが賢明な道でないと気付いて、
他に追い使われる暮らしはすて、自由の世に帰ったのである。
死し去りては何の知る所ぞ、
心に称(かな)ふを固(もと)より好しと為す。
千金の躯(からだ)を客養するも、
化に臨んでは其の宝を消す。
裸葬 何ぞ必ずしも悪しからん、
人 まさに意表を解すべし。
死んでしまえば何もわからない、だからこそ
生きてある間の充足感を人は大事にしたい。
だが、御身大切とばかり過剰に贅沢に過ごそうとも、
さて、死んでしまえばその身とて消えて果てるだけ。
裸一貫埋葬されるのもいいではないか、
自然に帰る真意を人は解すべきである。
* しょせん陶淵明の境地に及ぶべくもない凡夫のわたしだと、心しつつ書き写しながら、いつもいささかならず心を洗われる。
2014 9・21 155
述懐 平成二十六年(2014)十月
窓越しに月おし照りてあしひきの
嵐吹く夜はきみをしぞ思ふ よみ人しらず 万葉集
やはらかき身を月光の中に容れ 桂信子
強風に逆行し逆行しこの先に
憩ひあらんとふと妄想す 富小路禎子
露の世は露の世ながらさりながら 小林一茶
かささぎの渡る夜空のかけ橋に
われ待つ人の亡きがまぼろし 遠
ちりんと鈴鳴らして在り処(ど)おしえつつ
黒いマゴはわれを隠れんぼの鬼に 湖
志功・畫
2014 10・1 156
* 『冬祭り』の冬子とモスクワの美しい公園で、二日続けて冬子の心入れ「再会」の朝食をし、満ち足りた。
てにふれて あきのすずかぜ ながれゆく
彼方(あなた)へこひの おもひおくれよ
2014 10・13 156
☆ 秦恒平先生
選集第三巻拝受。あの、えもいわれぬ香気に充ちた今集、好ましき限り。ありがたき幸せ。
狭庭の西条柿、手づくり 少しのみお届け申し上げます。 お口に合えばうれしく存じます。
何卒お体ご大切にと念じ上げつつ 不尽いただ (西条頌)
柿四十剥きて軒端に吊しけりわが秘儀ひとつ成し了ふるごと
陽に干せば甘柿よりも甘くなる渋柿なれど君は好むや
陽に干せば甘柿よりも甘くなる渋柿こそは柿の中の柿 柿の中の姫
返し
渋々とひとに読まるるわが筆のあやからましを西条の渋柿 遠
* じつにうまい甘い柿でした。遠慮深い妻が、率先手を出していました。
2014 10・27 156
述懐 平成二十六年(2014)十一月
年たけてまた越ゆべしと思ひきや
命なりけり小夜の中山 西行法師
腰据えて吐く息軽く直ぐにあれ
心おもきは歌のなきなり 尾上篤二郎
菊人形たましひのなき匂かな 渡辺水巴
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身すつるほどの祖国はありや 寺山修司
天にのぼりし魂(たま)は掌(て)にのる大きさと
きめては喚びて握りしめつつ 大塚陽子
老境
瀬をはやみいなともいはで稲舟の
行方もなみに漕ぎぞかねつる 宗遠
おほけなくうきてただよふ浮舟の
行方を波にまかせはてつも 湖
保谷紅葉
2014 11・1 157
* 葉の二枚に頬をはさまれ小椿の白い椿が徳利に咲(わら)ふ 湖
2014 11・4 157
☆ その後
おからだ いかがでしょうか? いつも「湖の本」を御恵贈いただきましてありがとうございます。以前「柳原白蓮の百首」の英訳などを送らせていただきまして 御丁寧にお手紙をいただき、ありがとうございました。この度、第六歌集を出しました。御健康のことを案じつつ、もしも御高覧いただければ幸いです。 三鷹 青木春枝 歌人・ペンクラブ会員
* 雑誌「春秋」歌誌「綱手」來送。
2014 11・4 157
* 歌誌「綱手」の主宰田井安曇さんが亡くなった。わたしの文庫歌集『少年』にいい解説を書いて下さった。「綱手」の会にも招かれ、よけいなお喋りをした。朝日子が青嵐中学のころ、国語の先生もされていた。
2014 11・5 157
* この時代遅れになった機械を、半ば事故を起こしているADSLで起動するのに十分ちかくかかる。癇癪を起こして弄ると機械はますます狂ってしまい、最初からまたやり直さねばならない。で、慌てず焦れず、その間に「陶淵明全集」今は下巻を楽しんで読む。気に嵌ってくる佳い詩句に行き会うと鉛筆でしるしを入れ、二度三度読んでみる、時に声を出して。
2014 11・16 157
* 「陶淵明全集」下巻が面白く、「後拾遺和歌集」の五選めを楽しんでいる。
2014 11・18 157
* 今日、白楽天の弟、白行簡の著に擬された希有に得難い一書を購い得た。あらましを先ず読んで深く感じた。精読する。眼のかすみが情けないが、読書はあたう限り続ける。
2014 11・21 157
* 手に入れた白行簡の書の大半は白文。白文を正確に訓み下すのは容易でない、が、そういう場合わたしは「便法」として経文読みに棒状に読み下すことにしている。「夫性命者人之本」とあれば、「夫れ性命は人の本なり」などと強いては読まないで、「フセイメイシャニンシホン」と読んでしまう。日本語に拘泥せず、「漢字」をすべて音読する。漢字の意味が汲める限りはそれで足ることを、例えば般若心経を誦することなどから経験的にほぼ承知し、それに準じて阿弥陀経や観経、大経なども誦読してきたから、いわば用言に相当の漢字などをどう音で読めばいいか適当に承知している。読んで意義の知れない難漢字が続出しては閉口だが、およそ何が言われようとしているかは此の「お経読み」で半ば以上は楽に足るのである。存外、編修者の読み下しに従うより、凡その分かりならこっちの方が早い。
で、その本、まことに興味深い。
2014 11・22 157
述懐 平成二十六年(2014)十二月
水洟や鼻のの先だけ暮れ残る 芥川龍之介
二本ほど枯穂のままに立ち残る
芒を切りて枯れしものなし 長谷川銀作
目に見えぬ道の勾配を老いわれの
足が知つてゐて散歩する日々 早川幾忠
今はには何をか言はん
世の常にいひし言葉ぞ我心なる 伴信友
われはわれといふがかなしき枯櫻 遠
むかし聴きしおやのかたらふ声したり
その戸なあけそ みおやいますに 恒平
竹喬 畫
2014 12・1 158
* 七十八年の汗を入浴で流した。心身を温めながら、「後撰和歌集」「拾遺和歌集」の撰歌を推し進めた。後撰和歌集はまだ一撰めで、佳作をあまく拾っている。拾遺和歌集は三撰め、かなり絞れてきている。が、後撰集の方がおもしろい。拾遺よりは「後拾遺和歌集」の方がずっとおもしろい。
ヒルテイの「眠れぬ夜のために」後編の、十二月十日から二十一日までも、ゆっくり読んだ。
わたしはクリスチャンでなく、信仰のあるなしに関わらず必ずしもヒルテイの言に全面信をよせてはいないが、敬服している。聴くべきは慎み喜んで丁寧に耳を澄ましている。
2014 12・20 158
* 冬至。七十九歳の初日。
いつまでも日の出づる人であつてよと
父を祝ひてくれし建日子 (小学校一年生の昔に)
日の没(い)りの最(いと)ながき夜に吾(あ)は生(あ)れき 一陽来復の春を目ぢかに
黒いマゴの吾(あ)をよぶ深夜(みよ)に目覚めゐて
遠つ前(さき)の世をうつつに恋ひし
2014 12 22 158
* ありま山いなとおもはぬ老の坂に照る月しろのこひしきは何(な)ぞ 遠
2014 12・23 158
* 正月歌舞伎座の昼夜座席券が前二列という有り難さで届いた。相撲茶屋からは初場所の番付が届いた。梅若万三郎ご夫妻には焼菓子を頂戴した。幸せに落ち着いた歳末である。「秋萩帖」は妖艶な佳境へ、泉川に添ってふかい雪杉の闇をくぐって行こうとしている。
宵やみにまどふ思ひは、はれやらで、ゆきすぎ難き小野の宮居ぞ 2014 12・25 158
* 寿司の「和可奈」が煮てくれた鯛の兜煮がじつに美味かった。
今晩はお礼に寿司と刺身二人前を出前して貰い、酒の「赤城山」で美味しく食べた。
食後の湯ではヒルテイを読み、また後撰和歌集と拾遺和歌集の撰歌をゆっくり楽しんだ。浴室に強い照明を入れてあり、湯気の効果もあり裸眼で字が読めます。
このごろ八時のDlifeドラマを一時間ぼんやり観て楽しんで眼を機械からやすめ、九時からまたうまくすれば日付の替わる頃まで仕事をしている。
うまくすると、今日の西友での買い物で、暮れに池袋まで出て行く定番の買い物に出掛けなくて済むかも知れない。
だいたい、午前から午後へ疲れが溜まり、午後から夜になるとしっかり疲れるというのがこのところの常例。その疲れを少しでも減らしたい。ほんとはその為にももっと街へ出て歩いてこなくてはいけないのだが。
2014 12・26 158
* 爪は切ったし湯も使ったが、鬚もあたっていない。元朝のこととして。
* こんなに、なにげもない穏やかな大晦日は珍しくも有り難く。どうか、誰のうえにも来る年の平安を心より祈る。
* こぞことし架け渡す橋はまぼろしに
灰のごと浮けり渡らざらめや 湖
2014 12・31 158