ぜんぶ秦恒平文学の話

詩歌 2017年

 

述懐 平成二十九年(2017) 正月

しら露も夢もこのよもまぼろしも
たとへていへば久しかりけり       和泉式部

人はうそにてくらす世に
なんぞよ 燕子が実相を談じ顔なる   閑吟集

世のなかは霰やなう 笹の葉の上の
さらさらさつと ふるよなう        閑吟集

年々にわが悲しみは深くして
いよよ華やぐ命なりけり          岡本かの子

春愁に似て非なるもの老愁は         登四郎

はかなしとまさしく見つる夢の世を
おどろかで寝(ぬ)る我は人かは     和泉式部

一枚の餅のごとくに雪残る           川端茅舎

あけぼのの恵方を染めてしづかかな    みづうみ

去年(こぞ)のまま此歳とおもふ 静かかな 湖

愛執といはれじただに愛は愛
愛をかなしと読みしひとも在り      遠

なにしにぞわれは生まれし あら笑止
なにしにわれの問ふ問ひでなし     遠

あすありとたがたのむなるゆめのよや
まなこに沈透(しず)くやみの    みづうみ

笑門來福 印

淡々齋好み 蓬莱山 末広棗
2017 1/1 182

あけぼのの恵方を染めてしづかかな

去年(こぞ)のまま此歳とおもふ 静かかな

* 賀正  いま、事なく新年を迎えた。無事是好日と祝う。

花さそふ風のほのかににほふまで
春はきにけりわれのさ庭に

木まもりの柿ひとつ照りて日新たに
八一(やいち)の春をただに迎へし

あらけない世の行く果てに身をちぢめ
歎いてゐても詮無いぞ 起てよ

うそくさい闇の世ながらさりながら
心な折りそ 眼をみひらいて   秦 恒平
2017 1/1 182

* 夕食後、建日子をいまや秦家の「当主」と頼んで話しあった、が、「して欲しいことが有れば、そう言ってほしい、言われたことはする」と。
その、「して欲しいことが有れば、そう言ってほしい」が、少なくも、わたしには途方もなく重い。「頼まれたことはする」の前に、まず頼まれねばならぬ事を「箇条書きに書き出してほしい」とは、途方に暮れるほどキリがない。「老いの日々」と「書く」しか手がない。
「親には頼まない」が、「子供には頼りたい」とわたしは「自問自答」に書いている。
あの新門前の、育ての恩有る老親たちに、あれこれ「頼まれた」からわたしは四半世紀かけてその老後を見守った・頑張ったのではない。わたしの方で無い知 恵と時間と労力を掛け、恩義有る父も母も叔母もをようやっと京都から東京へひきとり、妻と二人して三人とも最期を見送った。世話は不充分に過ぎていただろ う、しかし、「頼まれたから」そうしたのではない。「当主である子」の自覚と責任とでそうした。菩提寺とも親密に付き合ったし、墓も新しくした。三人に難 儀が有れば、大変な連載や文債をわんさか抱えていても、吹っ飛ぶように京都へ走った。妻も走ったのだ。妻は難儀な舅の病院付き添いで、心臓をいためもし た。

* このさき、難しい晩年を、日一日、わたしたちは迎えねばならない。長寿は、いつしかに身に帯びた罰のようになってきた。

* 幸い、わたしには最期まで「仕事」というクスリがある。服み忘れまい。

しんしんとさびしきときはなにをおもふ
おもひもえざるいのちなりけり     遠
2016 1/1 182

ネコとノコと黒いマゴもゐてさもこそは
和(おだ)しき後世(ごせ)のわれらの家ぞ

* ネコノコ黒いマゴの家に隠れ蓑が落ち葉して、その枝にかけた餌籠にもう何日も以前から小鳥たちがやってきては嬉々として餌を食べて行く。猫たちも華やいだ気分で嬉しかろう。妻もわたしも喜んでいる。絶えず話しかけている。少なくも私に他の墓は要らない。
2017 1/3 182

* 気が付くと、妻のほか人間と話していない。それも妻がおおかた独りで喋っている。わたしはおおかた聞いている。
かわりに、墓のネコたちや、手洗いのライオン太郎、次郎、小次郎や、犬のヘンリー、猫のモーリーや、また横綱白鵬と日馬富士の写真たちへ、ひっきりなし無邪気なほど優しく朗らかに話しかけている。囃し舞ってくれるお獅子人形と一緒になって玄関でわたしも舞ってやると、「秦 恒平さん江」とサイン入りの「靖子」の澄ました顔写真が笑ってくれる。
書斎には谷崎先生夫妻の写真がある。仰いて頭を下げる。部屋中のいろんな繪や写真たちへ話しかけている。
リアルな暮らしに疲れ、とかく、絵空事の世界へ独り這入って行く。支那の或る古代人のように、そういう「部屋」をわたしは持っている。書籍もまたそう「部屋」に類している。しかし作によってはよけい気鬱になる。「リチャード三世」も「椿説弓張月」も、重い。
光源氏は玉鬘を髭黒大将にうばわれ、紫上を息子の夕霧に見られ…。「螢」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」藤袴」そしていましも少女「真木柱」が泣いている。源氏物語世界に音もなくものの影が降りてくる。

* 自殺した兄恒彦に、生きていて欲しかったなとしみじみ思う。

* 小さなメモ用紙にボールペンで走り書きしたのが出てきた。かなり昔のもの、自分の走り書きの字を、向こう側に置いて眺めるのは初めてかな。

ありとしもなき抱き柱抱きゐたる
永の夢見のさめて今しも
来る春をすこし信じてあきらめて
ことなく「おめでたう」と我は言ふべし (言ひたくもなし)

* むかしむかし『斎王譜』(慈子)を私家版の本にしたとき、関西の友人のひとりだけが、「繪空事の不壊の値」という言葉にたちどまり、言おうか聴こうか という様子だったが、それ以上は言わずわたしも話さなかった。のちに論者たちはむろん此処へ立ち止まってはいたが、ま、通り過ぎていった。

* 絵空事の一生だったかなと、小さな息をついている。もう少し、夢を見ていたい。 2017 1/6 182

* 起床五時半。不快の極みというほどの夢見に、床を出てきた。どうにもならなかった。死のうとしていた。
こんなときは仕事をするしかない。

* 冷ゆる手に頬をはさみて目をとぢて
はるかの闇を翔びゆくわれぞ
2017 1/10 182

* おいの身におひ安かれとくだされし
かろき鞄を背負ひて立てり

背負う鞄は戦時の国民学校へ入学の大昔から、ほぼ記憶にない。
これなら、とにかくももう片手が使える。ACE マウリッィオ ゾルタサーリとか書いてあるが何も分からないが、感謝感謝。ただ都内へ出てみるには大層かしらん。先ずは富士山でも見にゆこうか。

☆ せめて片手が空いている方が、いくらか危険回避できますから 使ってみてください。杖、と聞き気になっていましたので。
雪、今夜は積もるでしょう。  尾張の鳶
2017 1/14 182

* 『亂聲』を、ほぼ編み終えた。歌いまた舞い遊ぶ宴のまえに、幕の内で、鼓笛また鉦鼓を以て盛んにもて囃したのだという、古人らは。わたくしに、もうそんな晴れやかな宴はない、終焉のほかには。ま、思うがまま、わが為わが手で出放題に囃しおく一巻になろうか。
2017 1/19 182

* ジョーカーか魔かトランプの塔が建ち
崩れはやまる世界の平和
2017 1/21 182

* 起床11:00 血圧<135-60(70)> 血糖値87 体重66.4kg

* 尿が出て便も出て食えて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし

* およそ 余の実事は「なんじゃい」と吐き捨て、思いは「絵空事の世」にある。 2017 1/22 182

* 尿が出て便出て食えて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし
この中でいちばん困じているのは「食う」「食える」で、妻に気の毒なほどなにもかも食い気を誘ってくれない。まどもに食事しないので、仕事から休みに階 下へ降りるとラチもない駄菓子を食い強い酒を飲んで、居眠りし、また仕事に二階へ上がる。目は疲れていて、容易にキーが見えない。いちぱんシャンとしてい るのは寝床に脚を入れたまま坐った姿勢で照明あかるく校正したり読書したりの時。機械の反射光が目を疲れさせるのだ。
2017 1/25 182

* 昨夜、もう機械をしまう直前にこんなメールが妻から来た。
「 鵯のこぼし去りぬる実の赤き
作者は誰でしょう 」
終日といっていいほどテラス脇の隠れ蓑へ鵯が二羽ときに三羽も来る、目白も鳩も来る。餌をおいてやるのに妻は忙しいほどだ。
しかし、いかに妻の「駄句」といえど「去りぬる」というもの言いはあり得ない。ま、子規のころより溯った作者だろうが。
返事。
「名も無い人の駄句ではと。
鵯のこぼしてゆきし実の朱き  ならば如何。
「し」音「サ行」音を重ねた諧調が、まるでちがう。「し・さ」のつづきは鈍い。
鵯のこぼし去りぬる実の赤き
「こぼし去りぬる」なんて、俳句の軽みがブチこわし。「こぼし・去りぬる」と動詞をむだに説明的に重ねたのが重苦しく、「の」の音二つも、かろやかには響きあっていない。
ただ、「赤き」の形容は結句として働き宜しく、ここを「赤さ」と名詞に云いとめては重く暗くなる。 「赤」という字はナマで、すこし気恥ずかしい。  遠

* どう見つけたのか、妻から、「蕪村です」とメール。蕪村先生に恐縮なれど。
2017 1/27 182

 

ピカソの 平和

 

 

述懐 平成二十九年(2017) 二月

鳥のねにおどろかされて暁の
ねざめしづかに世をおもふかな  後村上院

冬蜂の死にどころなく歩きけり      村上鬼城

降る雪の音こそなけれ澄み入りて
かすかに光るいのちなりけり    中村三郎

いくたびも雪の深さを尋ねけり      正岡子規

とほどほにさかりてあはぬひとつ世の
限りといへばあひたかりけり    水町京子

よのなかは霰よなう 笹の葉の上の
さらさらさつと ふるよなう      閑吟集小歌

寒ければ寒いと言つて立ち向ふ     恒平

薄切りに大根を焼き味噌を置いて
茶漬け食わうと妻を笑はす     遠

虚子の句を噛むほど読んで力とす    湖

ジョーカーか魔かトランプの塔が建ち
崩れはやまる世界の平和 秦 恒平
2017 2/1 183

 

* 朝から、もう三時近くまで、たぶん百五十枚まででおさまりそうな小説(仕掛かりの長編とは別作
)に取っ掛かっていて、面白くなってきた。いちばん機嫌のいい折りである。しかし何より眼精疲労は甚だしく目薬をつかい、濡れた綿をつかい、眼鏡をうるさいほど取り換えて、とどのつまり機械の前でお手上げになり休息する。
休息にはそのへんの本へ無差別に手を出すのだから、やはり目はつかってしまう。音楽がいちばんいいのだが。
で、さっきから寺に触れ手に取っていたのが、金版捺し表紙の字も絵もくすんだ漢詩集で。なになに、越山芳川伯爵題詩 清国公使胡大臣題詩の志士必誦 袖珍版「宋 謝畳山 輯」の『千家詩選』で、「日本 四宮憲章 訓」とある。秦の祖父旧蔵の遺品だ。
ちなみに奥付をみると明治四十一年十二月二十五日に東京神田の光風楼書房から初版出版、翌年三月十八日には訂正四版が出て、「定価金五拾銭」百五十頁にやや満たない。
こういう本は、表紙をめくってから目次へ辿り着くまでに盛んに偉い人たちの題詩や揮毫や緒言が十人近く居並ぶ。清国との友好だか交流だか親善の高まって いた時期とみえ、日清一如のていを成していて、しかし、ありがたいことに宋の謝畳山輯に背かず精選編輯された詩はすべて漢詩、和製漢詩は含んでいない。 「志士必誦」の志士に拘泥しなくていいようだ。
巻頭に宋の程明堂「春日偶成」と風雅の作である。

雲淡風軽近午天   雲淡ク風軽シ近午ノ天
傍花随柳過前川   花ニ傍ヒ柳ニ過随ヒ前川ヲ過グ
時人不識予心楽   時人ハ識ラズ予ガ心ノ楽シキヲ
將謂倫閑学少年   マサニ謂ハントス 閑をヌスミテ少年ヲマネブト

一読、なかなか、単なる風雅ではない。むしろ「程子オモヘラク」時節時好を楽しみ思っているものを、時人の蒙、知己ならざるを慨嘆するの気味が濃い。「閑学少年」とは、少年の遊蕩に堕していると。「明堂先生」は宋河南の人である。朱子とともに程朱とならび称された。

* よろしき休憩であったけれど、目は休まらなかった。
秦の祖父鶴吉の遺してくれたこうした漢籍の類が、はるかに立派な大冊までいまもたくさん家に在る。とりわけて『韓非子』を読んで、盗用のマキァベリズムを識ってみたいのだが、時間がねえ。
2017 2/2 183

* 「百尺竿頭、一歩を進む」とはよく聞きもまた云いもする。行くところまで行ってさらにその先へどう進むか進んでいるのかと自問したり他を批評したていていりしている。
しかしこの一句の出と把握とはそんな自問や批評を絶対的に超えていて、その真意を聴くだけでも容易でない。『無門關』第四十六則「竿頭進歩」には、こう有る。

石霜和尚云(いは)く、「百尺竿頭、如何(いかん)が歩を進めん」。又た古徳云く、「百尺竿頭に坐する底(てい)の人、得入(とくにう)すと雖然(いへど)も未だ真と為さず。百尺竿頭、須(すべか)らく歩を進めて十方世界に全身を現ずべし」。
無門曰く、
「歩を進め得、身を翻(ひるがへ)し得ば、更に
何れの処を嫌つてか尊と称せざる。
是の如くなりと然雖(いへど)も、且(しばら)く道(い)へ、
百尺竿頭、如何(いかん)が歩を進めん。嗄(さ)」。
頌(じゅ)に曰く
頂門の眼(まなこ)を瞎却(かっきゃく)して、
錯つて定盤星(じょうばんじょう)を認む。
身を拌(す)て能く命を捨て、一盲衆盲を引く。

文字列を読んで行くのが精一杯と、降参する。
訳注の西村恵信師はこう読まれている。

☆ 石霜和尚が言われた、「百尺の竿頭に在るとき、どのようにしてさらに一歩を奨めるか。」
また古徳が言われた、「百尺竿頭に坐り込んでいるような人は、一応そこまでは行けたとしても、まだそれが真実というわけではない。百尺竿頭らそらに歩を進めて、あらゆる世界において自己の全体を発露しなくてはならない」と。
無門は言う、
「一歩を進めることができ、世界のただ中に身を現じることができたならば、
ここは場所がよくないから、尊しとはいえないなどという処がどうしてあり得よう。
そうはいうものの、一体どのようにして百尺竿頭から歩を進めるのか、
言ってみるがいい。さッ」
頌(うた)って言う、
頂門の眼を失えば、
無用のものに眼がくらむ。
身を投げ命を捨ててこそ、
衆生を導く人ならん。

* 「定盤星」は、天秤の竿の起点にある星印で、モノの軽重に関わらないムダ目を云う。

* こんな手引きに手を預けて終えていては、しかし何事ともならぬまま、言葉にのみ躓いてしまう。わたしはそう感じている、目下は。そしてたとえ「百尺竿頭」にいま在ろうとも、在ること自体が大きな躓きであると、も。
2017 2/8 183

* 歌集『亂聲(らんじゃう)』をほぼ編み終えている。
2017 2/16 183

* 「和泉式部日記」を興趣に魅されて読み終えた。和する歌「和歌」相聞贈答のおもしろさのなかで、愛にむ満たされた女の「つれづれ」に逆らいまた靡いて実存的な侘びの深みに静かに身も心も沈めてゆく。その雅びのせつなさ、また強さに惹きこまれた。
2017 2/17 183

 

* わたしより四つ年上で同じ大学の経済を出ていた人の「詩集」をもらった。「ほんやら洞」とも縁があったらしい。「フォークソングの歌詞から生活語詩の 提唱へ」と帯に書かれてある。「歌詞」ではあるだろうが、「詩」は汲みにくい。世間にはあまりに自称「作家」も多いが、「詩人」「歌人」「俳人」という安 い名乗りも多過ぎるなあ。「学者」もなあ。「政治家」も。「大統領」も、壊れておるよ。
2017 2/21 183

* 「水甕」という大きな短歌結社が臨時増刊で「五十年史」を出したのは、昭和三十八年(一九六三)五月だった。わたしはもう東京で、勤めながら独りで小説を書き始めていた。
その四百数十頁もの分厚い雑誌に、386人の「水甕人自選歌」も掲載されていて、作者五十音順と思われる一等最初に、「給田みどり」の名のあるのには、 これまでも何度も目をとめてきた。五十音のトップであるからは、「きゅうた・みどり」ではない、姓は「あいた」と読まれているのだ。
わたしの中学時代の、また、亡くなられるまでもわたしの懐かしい恩師であった「きゅうた・みどり」先生は、たしかに歌を詠まれ、当然にもわたしの短歌に つよい後押しをして下さった。尾上柴舟門の「水甕」に加わっておられたかは知らないのだ、が、いかにもという印象はある。
で、今回は掲載十首を丁寧に読み返し、まちがいないあの「きゅうた」先生だと確信した。
もともと「あいた」と苗字を読むのが本来で、しかし戦後の新制の栄中学では、だれにも分かりよく「きゅうた・みどり」先生で通されていたのだろう、他の先生方も例外なく「きゅうた先生」と呼んでおられた。生徒にも慕われて、ほんとうに優しいいい先生だった。

* ここまで書いて急に先を書くのが惜しくなった。べつに、新ためてていねいに一編の私小説なりエッセイなりに仕立てられる、そう催すちからが湧いてきた。
この「私語」は、文藝連鎖にもと心がけてきたので、ここから出発して別作として書き進めたらと感じたり思ったりした例・箇所は沢山ある。その可能性を実 感していながら、つい、そのまま通過していた。それでいいとも思っていた。わたしのこれらの「私語」を或る程度の分類に応じて、只、並べただけの例えば 「京の散策」や「詩歌断想」や「文学を読む」や「ペンと政治」などがそれなりに読者の皆さんに許容されてきたのも、断片の発語なりに文藝という意思や意欲 を持ち続けてきたからだろうと、ま、思っている。
わたしの「内」に、書かれて膨れようとしている酵母のような種がまだ無数に生きていて、出番を待ってくれているという実感がある。なかなか、ボヤッと遊んでいられない。
2017 2/26 183

 

述懐 平成二十九年(2017) 三月

利のやつこ位のやつこ多き世に
我は我身のあるじなりけり        佐佐木信綱

春愁ににて非なるもの老愁は         能村登四郎

少年や六十年後の春の如し          永田耕衣

わが父は人に愛され世わたりに
敗れて死にき吾れはその子ぞ      岩谷莫哀

もの言はぬ男となりてわが居れば
世の常人はもの多くいふ         五味保義

ししむらゆ滲みいずるごときかなしみを
脱ぎてねむらむ一と日は果てつ     田井安曇

こころしてものいふべしと叱りつつ
われはかなしむ うそくさい世を     遠

あけぼのは春と定めてためらはず      みづうみ
2017 3/1 184

あはれかな雛の見送るなかぞらを
やす香は逝けりおもひのこして

春弥生の迎へに                     2017 3/3 184

* 二月二十五日にやす香 みゆ希が姉妹で遊びに来て、二人で雛人形を全段嬉しそうに飾って行った。それが最期となり、その年の七月、姉やす香は肉腫という最悪の癌で二十歳の誕生日も待たず永逝、あの雛祭りからすでに十一年が過ぎた。

やす香死なせ黒いマゴも死なせ老い二人
八十路を日々に目をあげて生く
2017 3/3 184

* 起床8:45 血圧<135-60(70)> 血糖値77 体重67.2kg

* いちばんに散髪。

* 櫻の芽すこし寒げにふくらんで
空をみている僕もみている  湖
2017 3/12 184

* 三島由紀夫が自決のあとを追うように割腹死を遂げた村上一郎さんは、初対面から最期までわたしに殊に優しい心遣いの人であった。恐縮するほどたびたび私の作に好意的に触れて下さり、歳末のアンケートに吉行淳之介とならべて私の名を挙げてられたりした。
亡くなったのは一九七五年 昭和五十年三月二十九日だった。
それより前、三月二日に、ふいと村上さん、自宅からはるばる徒歩で我が家へ訪ねてみえた。ちょうど居間に雛人形を段飾りしていて、それにも喜ばれ、目の 前で盆点てながらお茶を点ててあげたのをとても喜ばれて、静かに穏やかに腰をおちつけて雛たちのまえでわたしと妻とへ話しかけ話しかけして、来て好かった 好かったと、また静かに歩いて帰って行かれた。「お別れに来て下さった」と後に妻としみじみ話し合うたのを忘れない。
村上一郎と桶谷秀昭とを同時に喜多能楽堂で引き合わせてくれたのは馬場あき子だった。桶谷さんはそれより以前にわたしの「畜生塚」を推賞して下さっていたし、無名鬼を名乗っていた村上一郎という歌人にして思想家はそれまで何も知らなかった。
つい最近、「りとむ」同人の山口弘子さんが、その村上一郎の奥さんであった今は長谷えみ子さんを「無名鬼の妻」の題で作品社から本にし、なかに私の一文を使ったのでと本が送られてきた。
村上夫人ともわたしは村上生前からお目に掛かっていて、繪に描いたような佳人と思っていた。夫君を見送られたあとにも、お目に掛かることは何度もあっ た。夫人はいつしかに馬場あき子の門にはいって短歌に執心出精され、長谷えみ子の名で佳い歌集を一冊出され、その出版記念会にもわたしは出席してお祝いを 申したのだが、そのあと、朝日新聞の時評で、その盛大を極めたような出版記念会をわたしは厳しく批判したのだった。記念会は夫人の人柄にも歌風にもふさわ しからぬもの騒がしいモノで、祭り上げられた歌人が、いかにもお気の毒に思われたのだ。あのころは何かというと歌人たちが出版記念会を競い合っていて、背 景には結社の威勢開陳の気味も露骨だった。わたしはそういうのが嫌いなタチで、長谷さんにはまったく似合わない盛会をうとましく思ったのである。
ほんとうに久しく、ご縁が絶えていて、わたしよりよほど年長の「無名鬼の妻」が健在であると山口さんの新刊で知った、知れたのは嬉しかった。長谷さんは記念会のあとに結社から離れられ、べつの仲間との歌作にうちこんでこられたと聞き、胸をなでおろした。
2017 3/21 184

* 昨夜 五木寛之氏が観心寺を訪れている写真をここちよく観ていた。けさは本州極北の雪との暮らしぶりを観ていて心を洗われた。
政治の醜悪に心身のよごれるのを心より厭う。憎む。

春やくる人やとふともまたれけり
けさ山里の雪をながめて    赤染衛門

あは雪も松の上にしふりぬれば
久しく消ェぬ物にぞありける   藤原国行

後拾遺和歌集の冬の歌を拾った。雪と松と。この取り合わせが、いま、いつも頭にある。
2017 3/24 184

* 昨日の大阪場所千秋楽、大怪我らしい新横綱と角番ながら横綱に一勝先んじている大関との相撲、百人が百人横綱に分がないと予想しているようだったが、 わたしは本割りの取り組み前から、これは横綱が勝つと予告し、事実勝ち、決勝戦もまちがいなく横綱が勝つと予告して、その通りだった。わたしは此の横綱贔 屓ではないので、気持ちでは大関に本割りで勝って優勝して欲しかったのだが、二人を見ていて、とても大関に勝ち味が見えないと確信した。まったくその通り だった。
むかし、娘の朝日子がなにかのおりにわたしが口を利きかけるのをほとんどヒステリックに「言わないで! パパがそう言うとそうなってしまうんだから」叫 んだのを思い出した。何のちからもちでも無いけれど、まま、そういうことはあったので、むしろ自分で自分に用心もしている。
二〇一一年一〇月二三日にわたしは前歌集「光塵」を締めくくる歌を詠み、ほぼ一月後に本になっている。その歌は、こうであった。

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ

年明ける前にわたしは自発的に人間ドックを予約し、年明け早々の正月五日には、動かし難い胃癌二期を見つけられた。

死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ

と、その日に述懐している。
二〇一二年二月十五日、八時間の胃全摘手術を受けた。術後の一部に、癌転移を残していたという。
あれから、五年過ぎた。この五年、老いの華やぎは我ながらめざましかった。
「湖の本」は一三四巻に達し、『秦 恒平選集』は、明後日、なんと第十九巻が、早や出来てくる。小説の新しい未発表作もいくつも送り出して行く。不安が、無いではない、が、ただただ一日一日を生きて行くだけ。誰にも真似をさせない。
2017 3/27 184

述懐 平成二十九年(2017) 四月

おもしろの春雨や 花の散らぬほど降れ  隆達小歌

春暁や人こそ知らね木々の雨        日野草城

春雨や降るともしらず牛の目に       小西來山

ものの芽をうるほしゐしが本降りに     林 翔

風雅とはおおきな言葉老の春        高濱虚子

仕事のみ倦まずするより能のなき
おのれがつまりしあはせなりき     高村豊周

更科の蕎麦に菊正この上の
美味は望まぬけふのわが身ぞ     遠

蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし
夕餉はなにが喉とおるらむ       遠

あらけない世の行く果てに身をちぢめ
歎いてゐても詮無いぞ 起てよ     八一

高木冨子・画  南山城 浄瑠璃寺
]棟方志功・画  青裳観音像
2017 4/1 185

* 「道徳」教育発足 「教育勅語」の復帰 体育に「銃剣道」 「防衛予算の拡張」 場当たりの「原発再稼働」 強引な「避難手当解除と危険は無視の帰還指示」 労働環境悪化と強制労働の当然視。
悪いことばかりが「政治」の名で為されて行く。大反動時代へ日本はもう突入し、戦争体験の無い好戦政治家と国民との悲惨な心中死と亡国への悪衝動が露出してきた。

あらざらむ此の不慥かな身の終(はて)を
なに歎くまじ けふの明日(あした)ぞ

なんて夢を見ているが、そうは行かぬ。たしかなことは 「あらざらむ」 所詮は死んで行く、という事実のみ。「今日の明日」のようなあたりまえの死後が待っているだけと思いたいのだが。
2017 4/2 185

* 悪政が、信仰し平和で安穏な市民生活がさまざまに脅かされてくるにつれ、ますます老いて行くわれわれの家庭生活にも「不安の陰気」が這い寄ってくる。 上野千鶴子が示唆し続ける「おひとりさま」時代が、かならずどちらかに近づいてくる。願わくは妻に長生きしてもらいたい、妻はまだしも息子「ら」に「頼れ る」と期待を寄せているらしいが、わたしの場合はその期待は無理とみてほぼ今から断念している。なんとか「おひとりさま」生活をわたし自身で設計するしか ないと思っているが、設計できるアテはほとんど無い。
願わくは老夫婦二人して怪我無くすこしでも長生きし、せめて力あわせて「選集」だけは完結させ、そのさきは、順当にわたしが先にこの世に「さよなら」を告げたい。
明後日には、妻も傘寿の傘をぬぎ八十一歳になる、わたしは同じその日に術後五年経過の最終検査と診察をうけに聖路加へでかける。
心配は無いか。無いと言い切れる保証の無いのが再発であり、術後もうらやましいほど元気だと見ていた人も何人も亡くなっていった。幸い、わたしは腫瘍内 科の検査だけでなく、感染症内科でも内分泌科の検査でも、この五年、いつも良い結果を出していたけれど、疲労きいつもずっしり重く、なにより「食」が、う まく通らずに細く細くと気を遣い続けてきた。

尿が出て便出て食へて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし

何が起こるかはたぶん医師にも判らないのである。米壽とまで願えれば仕事はできるが、それは妻に譲って、わたしはせめてもう五年…でいい、せめて怪我なくひとにメイワクかけないで余命残年を全うしたい。ネコたちの仲よく寝ているこの家で命終えたい。
2017 4/3 185

* 隠れ蓑に鵯ひそと羽うちて朝日しづかに羽づくろひせり

ひよどりの胸ふくらませ黒き尾をチチと鳴きたかくあげて勇まし

めをとかと息ひそめ見る鵯の二羽が朝日に映えてうごかず
2017 4/4 185

* 春風や闘志いだきて丘に立つ   という虚子の句にひしと背を打たれる。

* 風雅とはおおきな言葉老の春   という同じ高濱虚子の句も胸に抱く。

* 遠山に日の当りたる枯野かな   というやはり虚子の句を忘れたことがない。

* 虚子とは何の縁もない。子規の弟子で俳誌「ホトトギス」を興して近代俳句を領導した巨匠で漱石に名のない猫の物語を書かせたひとといった史的事実しか知らないが、その句の大きくも堅牢で風雅な味わいにいつも魅了される。

虚子の句を噛むほど読んで力とす

と、八年前の一月に述懐したのが『光塵』に容れてある。
2017 4/6 185

* この機械は用の足せる稼働までに十分はかかる。気ぜわしくすると動かなくなり最初からやり直さねばならないので、一度稼働すれば一日中でもそのままにしておく。
冷えた機械が温まって(と勝手に想っているのだが)稼働までの時間をわたしは身近な短かな読書に宛てるべく手の届くところに詩歌集その他を常備している。
今朝は中学以来の恩師が最初の歌集『むらさき草』をしみじみと読み、あとがきも懐かしくしみじみと読みおえて、三十分ほども機械は放っておいた。懐かしい懐かしいしみじみとした時間であり先生のまことにお優しい、お顔やお声の甦ってくるお歌であった。泣きそうになった。

* 毎日毎日、トランプだ金正恩だプーチンだイスラム國だテロだ戦争だそして不出来を極めた安倍内閣だと見聞きしているのが、じつに堪らない。しかし目を背け腰を引いてもおれない。で、求めて古典を読み、詩歌にふれて自身をもなんとか清まはりたしと願う。
けさの、給田みどり先生のお歌は、身にも思いにもしみじみしみ通った。恋しいほどに懐かしかった。中学時代の或る夏休みの朝であった、北野の西、紙屋川 の先生がフイと東山知恩院下の我が家に見えて、親たちにことわって、少年のわたし一人をすうっと奈良の薬師寺と唐招提寺へ連れて行って下さった。ああ、な んというすばらしい初体験だったろう。仏像、塔や金堂や境内、西の京のたたずまい。一言の奨めもなかったけれど、わたしは、噴いて湧くように、稚くて拙い 短歌をいくつもあの日のあと創ったことであった。
2017 4/9 185

* 引退したスケートの浅田真央さんについて、熱弁の、長いメールをもらった。わたしは浅田選手のスケートより「人」の方に敬愛を覚えて永く来たが、フィ ギュアスケートを舞踊の一種と眺めてしまう目には、跳んだり跳ねたりの成功や失敗でとかく謂う競技感覚、採点審査にのりにくく、愛好して競技の勝ち負けに 心寄せるならいを殆ど持たずに来たので、メールに謂われているぜんぶを理解した、理解しようとしたとは謂えないし、しかも絡めて、わたし自身の文学へも話 題が及んで行くのには、筆者にも、浅田真央さんにもお気の毒な気がした。しかし浅田真央への筆者の思いには協賛の人も多かろうと、転記させてもらう。

☆ お元気ですか、みづうみ
素晴らしいお天気のもと歌舞伎を楽しんでいらしたご様子拝読しまして、仕事漬けのみづうみに時々このような休日がありますこと、ほっといたします。

震災以後テレビニュースを見る習慣は棄てたのですが、浅田真央選手引退会見はつい観てしまいました。(他に共謀罪など報道すべき重要ニュースが山ほどある のでこのことばかりニュースになるのは腹立たしいのですが)浅田選手の重圧から解き放たれたような晴れやかな表情を見て嬉しく思いました。
ご迷惑省みず、浅田選手について前から考えていたことをみづうみに書いておこうと思います。そのためにYou Tubeで ソチオリンピックの動画などを調べていましたら、浅田選手の演技が出てくるわ出てくるわ、ロシア、アメリカ、フランス、フィンランド、中国、イタリアなど の海外放送の日本語翻訳字幕つきという動画まで色々あったので驚きました。熱心なファンがいるものです。彼女がいかに愛されていたかの証明でしょう。
そこで 感じたのは、海外の解説者のほうが正しいことを言っていると思っている日本人ファンが多いということでした。日本のスケート中継の解説者やアナウンサーは 彼女の真価を充分伝えていたのだろうか。伝えているとしてもごく控えめな情緒的賛辞であって、たいていはポイントを外しているのではないか。日本人選手な のに、重要な試合においては褒め過ぎてはいけない選手だったような気がします。
彼女の ソチでのフリー演技のプログラムが女子選手の中で一番難しいものであること、トリプルアクセルは体力のある男子選手でも難しい技であること、女子選手で彼 女だけがそれに挑戦し続けていること、そういう客観的なことも日本の解説ではなんとなく曖昧にされていますし、何より採点システムそのものがおかしい、こ んな低い点数は浅田選手に失礼だ、なんてことは外国放送だから言えることで、日本では口が裂けても言えないようでした。

私見ですが、女子フィギュアスケート選手は浅田真央とそれ以外の選手に分けられるくらい、彼女は傑出した選手、天才的な選手だったと思っています。海外では「アイス・クイーン」とか「ゴッデス」と表現されることもしばしばなくらいでした。

 

それにもかかわらずなぜ金メダルに届かなかったのか。明らかな理由は、彼女がトリプルアクセルというリスキーな技に固執し大舞台で失敗したからです。で は、彼女がこのジャンプに成功したら金メダルだったのか。バンクーバーオリンピックのショートプログラムではきれいに成功しましたが、彼女と首位選手の点 差は大きく開いていて無理でした。フリーでの失敗は、神のように完全無欠の演技でない限り絶対逆転できないという極度の緊張と重圧の結果ともいえたでしょ う。最高難度の技を成功させても大きな加点にならないという彼女に著しく不利な採点システムの改変はなぜされたのか。もともと彼女には金メダルの可能性は なかったのではないか。彼女は本当に公平な闘いができたのか。そう疑っているファンの多さが動画を観ているとよくわかります。自分たち日本のファンが浅田 選手を愛するあまり勝手に妄想しているのではなく、海外放送ではこんな発言もあると訴えたかったのでしょう。
浅田選 手をみていると、日本における天才の処遇の惨状をみる思いがしてなりません。浅田選手がアメリカの選手であったなら、ライバルが韓国選手でなかったら、彼 女はらくに金メダルを手にしていたでしょう。これほどの優れた選手に金メダルを獲らせることができなかったのは、日本スケート連盟の悪意に近い無為無策で しょう。
ネット では「お前らちゃんと仕事しろよ」と暴言吐かれていたくらいですが、日本スケート連盟は本当に不可思議な動きに終始しました。浅田選手を狙い撃ちしている ような採点システムの改変に一度たりとも抗議せず、ソチオリンピックの練習場に砂利だらけのリンクを使用することを浅田選手に強要し(他に良いリンクがい くらもあったのに)、あげく選手には命のように大切なスケートの刃を傷める状態でショートプログラムを迎えることにさせたのは、つまり浅田選手にだけは金 メダルを獲らせないという強い圧力が働いていたのかと勘繰りたくなるくらいでした。彼女は金儲けのための人寄せパンダでいるだけでよかったのかと。
浅田選 手の立派なところは、理不尽な仕打ちの数々にも一切の言い訳をせず、黙々と練習し、スポーツマンとして誠実に正攻法でフィギュアスケートの正統を貫いたこ とでしょう。しかも彼女は金メダルのための妥協をしなかった。トリプルアクセルは失敗して当然の挑戦であってもあきらめなかった。トリプルアクセルという 最高のものを目指すと金メダルは獲れないとは思わなかった。トリプルアクセルなしの金メダルなら欲しくなかったのかもしれません。
自分の理想のスケートを実現すれば金メダルもついてくると純粋に信じていたのは戦略として失敗だったとしても、トリプルアクセルを封印する妥協は、画家 なら売り繪を描くような妥協で、そのような妥協は天才のものではないのでしょう。浅田選手は意識していなかったかもしれませんが、彼女は金メダルを目指し ているつもりで、じつは人間の身体能力の限界に挑戦するというスポーツの理想を追いかけたことになります。
フィ ギュアスケートルールに詳しい人間ほど、バンクーバーでもソチオリンピックでも浅田選手が金メダルを獲れないことは知っていたでしょう。あの状況で理想や 正攻法が勝てる道はまずなかった。みづうみは以前に「採点競技」はなくしたほうがいいと書いていらしたように記憶していますが、スポーツとダンスの中間に あるようなフィギュアスケートを、審判の採点で優劣つける矛盾が浅田選手の場合ほどはっきり露呈したことはなかったように思います。
浅田選 手は技術主体で表現力がない、キム・ヨナ選手は表現力に優れているとよく言われてきましたが、奇妙な話だと思ってきました。表現力なら浅田選手にも充分あ り、その上彼女は完璧な身体のラインを持ち可憐でエレガントです。フィギュアスケートにおいては表現力の方が重要で表現力を競う競技であるなら、それはバ レエという身体藝術と同じものになります。オリンピック種目であるならば、身体能力の極限の技術に挑まなければスポーツの意味がありません。
海外の解説者たちは、ソチのフリー演技の浅田選手を観ながら、最初のうちはジャンプを褒めたり、回転不足をとられるかもしれないなどと話しているのです が、後半になって例外なく沈黙してしまいます。終わってしばらく間があって、また話し始めるのですが、どうやら泣いている解説者も何人かいたようでした。 そこには勿論、ショートプログラムでこの演技ができたら金メダルがとれたのにという同情の気持ちはあったでしょうが、その程度のことでは百戦錬磨の解説者 が涙を流したりはしないでしょう。悲運のアスリートはこれまでも山ほどいました。

一人の解説者が次々にジャンプを決めていく浅田選手に対して呟くように、ため息のように話した外国語がこう翻訳されていました。

「凄いファイターだ」

ひとがひとに贈る最高の賛辞だと思いました。勝てるように闘う人間と、勝目のない理想のために挑んでいく人間のどちらにほんものの勇気があるのかは、言う までもありません。どん底からのフリー演技で、彼女は果敢にトリプルアクセルに挑戦し、そして六種類もの三回転ジャンプを見事に跳んだのです。

そ の演技に対して、殆どのジャンプが回転不足と採点され、フリー演技は三位ということだったのは何か悪い冗談のようでした。審判は心が痛まなかったのでしょ うか。本来採点などできない何かを採点するとこういう滑稽な茶番劇になるのでしょう。英語圏のコメントには「痛ましいほど低く評価されている」というもの がありましたが、ほんとアホらしいことでした。彼女のジャンプは採点基準において完全ではなかったでしょうが、挑戦しない完全のほうが挑戦した不完全より 金メダルにふさわしいのか。完全な回転が評価基準だとしたら、そこに浅田選手の居場所は最初からありません。
浅田選手の演技に涙した人間の多く は、彼女が金メダルに届かないことを充分知っていたでしょうが、それでもなお理想に挑む一途な美少女の中に、純粋なスケート魂、不屈の闘志、信じられない ような勇気溢れる真のファイターを見出して胸揺さぶられたのだと思います。フィギュアスケートで落涙するという経験は私も初めてでしたが、彼女のあの演技 から、これまでの彼女のフィギュアスケートに捧げてきたすべてがありありと迫ってきて鳥肌が立ったのです。浅田選手はその選手生活で金メダルを目指しなが ら、じつは金メダルを超えたものに到達してしまって、結局金メダルの無意味さをこれ以上ないほど教えてくれた稀有の選手でした。
もっと も勝者でなければ、金メダルでなければ意味がないのがスポーツの常識で、敗者は敗者として遇するべき、思い入れはセンチメンタルという立場があるのはたし かなことです。浅田真央は戦略がなかったから負けた。戦争はどんな卑怯な手を使っても勝たなければ意味がない、勝てば官軍だというのは現実です。だから、 私は勝ち負けがすべてのスポーツはそんなに好きになれないし、戦争には憎悪と嫌悪しかありません。

フィギュアスケートにおいてもうあれ以上の演技を観ることはないでしょう。十年くらい経って次の天才が出てくるようなことでもない限り、私はフィギュアス ケート競技は卒業。観なくていいと思っています。そして、金メダルが商業的成功への切符でしかない昨今のオリンピックそのものにも冷めていくばかりです。 メダルを獲ったら芸能界か政界の花道が待っているなんて。
蛇足ながら最後は専門家のきれいな言葉を引用して浅田選手についてはおしまいにします。

確かにオリンピックの金メダルを手にすることはできませんでしたが、3回世界選手権で優勝した彼女は疑いようもなくここ10年で最高の女性スケーターでした。エレガントで勇敢で、本当の意味でチャンピオン(勝者、闘士)です。
サイモン・リード ユーロスポーツ解説者

フィギュアスケートにあまり関心のおありにならないみづうみに長々書いて申しわけございませんでした。
でも、わたくしの中ではみづうみに関連がある部分もありましたので書きました。

多 くの日本国民は浅田選手の天才を理解し応援し、愛していましたけれど、スケート連盟をはじめとする日本社会のシステムは、浅田選手のような傑出した才能を 守り育てていくことが出来ませんでした。「忖度」という言葉が話題のこの頃ですが、日本社会のシステムは組織の権力者たちの気持ちを「忖度」することで動 いていて、突出して優れたものや革新的なものに対して、上の顔色をうかがうばかりです。天才に対しての正当な評価の機会を逸し時には嫉妬まじりの妨害まで するのです。日本という国の宿痾ともいえるでしょう。「神」のいない国には神の刻印である「天才」が存在しては扱いに困るのかもしれないと思うこともあり ます。

 

わたくしの中では浅田真央という天才の、日本に生れたがゆえに強いられた不当な扱いと、文学者秦恒平の不当な処遇がどこか重なってしかたありません。

「秦恒平論」の手直しを続けていますが、自分の力の足りなさに絶望的になっています。うまい譬えが思いつきませんが、ネズミがゾウについて語るような、タ ツノオトシゴが天翔ける龍について語るような、とてつもない距離があります。ネズミはゾウのことを自分と比較できないほど大きいとしか言えませんし、タツ ノオトシゴは龍が天に向かうものとしか言えません。ほんとに、秦恒平と角逐する天才よ出てきてほしい、わたくしの代わりに書いてほしいと思っています。
湖の本も選集も、どれほど大胆不敵、剛毅で不屈なファイターの仕事であるのか、語り尽くせません。
春  惨として驕らざるこの寒牡丹  虚子

* 人の世を人の手がうそでかきまぜて
勝つの負けのと 欲張りなさる 有即斎
2017 4/16 185

* 安倍内閣の粗製お友達・濫造大臣、出るわ出るわ、防衛、文科、法務、復興、地方創成等々、昔の内閣なら、総辞職ないし解散が当然だった。厚顔無恥内閣と謂うべし。

* ま、厚顔無恥は、此のわたくしでもあろうけれど。

* この前の「光塵」と、こんどの「亂聲(らんじゃう)」と、どうかしらんと思い思いいたが、今朝新集を読み返し、なるほど、こういう老境を歩いてきたか と、想像や創作を我からおもしろく、納得した。納得できた。大嗤いされよう、罵倒さえされようか、だが、厚顔無恥でござると知らぬ顔でまかり通る。
2017 4/18 185

☆ シンガポールから
短いメールを書いていましたが、携帯画面でわたしの手際が悪く、すべて何かしら語らないまま終わったという思いを強くしていました。
三月からのHPを読み返し、鴉の日々を思い描いておりました。御身体の事、そして時間のこと。まさに「欲しいのは、時間、時間、時間。時間と健康。」ですね。
「花やいでしかも重たげな恐怖へも繋がって行く小説世界への意欲を、鬱蒼とした中世
の風景から昨夜の或る読書で甦らせることが出来た。」と書かれています。小説世界への「うながし」、老年期であるゆえの一層の切迫感を抱えて噴出する貴重な時期を迎えていらっしゃると感じます。
帰国以来、気忙しく数日が過ぎ、疲れや喪失感・・けだるさに襲われています。確かに確かに忙しかった、帰国、京都行き、絵の講習会。京都では醍醐と鴨川沿いを上賀茂神社までも歩き、桜を堪能しました。賀茂川には鴉も鳶も悠然と舞い飛んでいました。

* ・・戦後の保守権力とその手先の執拗な排撃をうけて潰され・・あらゆる労組と社会党との壊滅はそ の象徴であった。・・泣きたくなるほど時代錯誤劇に見えてしまう。
* 働く人こそが民主主義の健康な担い手でなければ、國と時代とは少数独裁強権の支配により好き勝手にされて行く。

そのように書かれるお気持ちのほぼ全てを納得しつつ、さて自分がどのように行動しているかとなれば、恥じ入るばかりの不甲斐なさですが、見続けています。
世界に眼を向けるとそのような多くの状況、多くの事象にぶつかります。
トルコのエルドアンはクーデター事件をきっかけにして大規模な弾圧を開始し、大統領権限を2029年まで自己にとって最大限まで行使できるような選挙結 果が、遂に昨日出てしまいました。エルドアンの顔がヒットラーに見えてしまうのはわたしの勝手な思い込みでしょうか、危惧に終わったらいいのですが・・。 フランスも、オランダも・・・何処の国と限定しなくても。
そしてアフリカや中近東からの難民の群れは今も続いています。

シンガポール、暑いので殆ど家の中。滞在後半から孫たちが「保育園」に通い始めたので、その送り迎えに片道歩いて十分。上の子が特にわたしに甘えて・・ おんぶして通いました。出発前から脚の痛みはありましたが、背負えるのも今回が最後と思い気合を入れて? 歩きました。身体をかばい過ぎて運動不足になる のも避けたかったのです。
保育園では午前は中国語を話す先生、午後は英語を話す先生に替わるのだそうです。
出国手続きのゲートで別れる、その時になって状況を察した孫は何回も縋りついて泣きました。その後、家までの三十分ほど眠い筈なのにじっともの言わず放心状態だったと後になって聞きました。可愛い分だけ、つらい。
再びの日常を始めます。シンガポールではない、他の場所への旅に憧れはありますが、今は日常へ。
御身体、どうぞご自愛ください。
佳い季節、楽しまれますように。   尾張の鳶

* わたしの視野など、狭い狭い。そして、日々、しんどい。

* こんな、自分に問う歌で「亂聲(らんじゃう)」を終えていた。

余念なく眠つてをればよいものを
なぜ起きてくる 死にたくないのか

疲労が滲んでいるが、まだ、目は覚まさねば。
2017 4/18 185

☆ 骸骨さん
23日のHPには・・「部屋」に(源氏物語の)夕霧、(一代男)世之介、(九相死骸骨版の)「一休骸骨」が、「呼べば襖の向こうから顔を出してくれる。骸骨さんは凄いと書かれてあり、気持ちが引っかかっていました。
『清経入水』以来、或いはこれまで折に触れて述べられてきたこと、夢の中に襖があり、開けても開けても世界が部屋が広がり続いていく、自在にものに出会う。それは秦文学の原点であると読者であれば十分に理解していることですが、それでも胸衝かれる思いになります。
そして昨日25日の胸苦しさと・・浴槽に浸かって校正をされた・・!
とにかくまず第一にお身体ご自愛ください。
わたしは骸骨さんは怖いし出会いたくありませんが、ただただ優しく美しいものばかりに出会えたらと思っています・・。
桜が散り、若葉の季節ですが、わたしの庭の八重桜は今が満開です。明日は風が吹くらしく、やはり花に嵐・・でしょうか。庭に木を植える余地は既にないの ですが、まゆみと藤を買い求めました。そして課題で描くことになっている白牡丹も。今はまだ蕾ですが、この状態から何枚もスケッチする予定です。
繰り返し、どうぞ大切にお過ごしください。
『乱聲』楽しみにしています。  尾張の鳶

* 「一休骸骨」は一休作と仮託された、中世「九相詩」本の剽げた骸骨版で、「九相詩」 のように生々しくも凄まじい美女が死屍の九変相を「不浄観」のように描いたり歌ったりしたのと趣がちがい、全て、陽気そうでさえある骸骨たちが立ち現れ、 さまざまな愛慾変相などを演じて見せてくれるので。
わたしのいわゆる「部屋」とは、「清経入水」の冒頭にあげた前文中の、あのアケテもアケテもとは違い、ま、気持ちは似ているのだけれど、長編『最上徳 内』冒頭に書いていある、さまざまな人たちとの「出会い部屋」のことである。紫式部とも会うが紫上とも逢える、いっそ陽気に喜戯愛慾にはげみ合う骸骨とも 逢える「部屋」のことである。ま、「蛆たかりととろぎ」たる女神の死屍によりは、ものも訊ねやすい。
「亂聲(らんじやう)」は、楽しみにされない方がいいと思います。

* 藤の植えられる庭とは羨ましい。

ひよどりの来啼かぬままの隠れ蓑
葉は満ちたりてかぜに光れる  八一
2017 4/26 185

☆ 京・町衆のたのしみ
先生にお伝えしようと探していたものが、今朝ようやく見つかりました。
どこかに書き写しておいたのに… なかなか見つけられなかった。
もう、ご存知のものばかりかもしれないけれど…
また、お好みとは違っているかもしれないけれど…
「京」が詠みこまれているので、取り急ぎ送らせていただきます。
京都の町で暮らし始めた時、ご紹介いただいた老舗の商家に勤めました。そのお家には茶室が四つあり、玄関脇の大炉を切った茶所は、どなたもが入れる開か れた場所でした。先代のご主人はお花が好きなお方で、床の間には季のものが、何時もそよと咲いていました。床掛けも、ご主人自身が楽しまれるかのように、 月に二、三度掛けかえておられました。
気軽な短冊なども掛かることがあり、その中の幾つかをお伝え申します。

春くれば京のやまなみ絵のごとし
光悦のやま宗達のやま 吉井勇

いざくまむ京をつらぬく岩清水 十一代中村宗哲

仁清のかまあともなくしぐれけり よみ人しらず

宗達の屏風ありやとみてあるく
鉾町あるきおもしろきかな 吉井勇

そして

京極のちまたの塵もなつかしや
昔ながらの京とおもへは 谷崎潤一郎

お忙しいなか、失礼をいたしました。 百  拝

* 仁清の句が佳い。

* なつかしみひもとく京のよみものに
はさみわすれし恋のおもひで   みづうみ

☆ 京・町衆のたのしみ
先生にお伝えしようと探していたものが、今朝ようやく見つかりました。
どこかに書き写しておいたのに… なかなか見つけられなかった。
もう、ご存知のものばかりかもしれないけれど…
また、お好みとは違っているかもしれないけれど…
「京」が詠みこまれているので、取り急ぎ送らせていただきます。
京都の町で暮らし始めた時、ご紹介いただいた老舗の商家に勤めました。そのお家には茶室が四つあり、玄関脇の大炉を切った茶所は、どなたもが入れる開か れた場所でした。先代のご主人はお花が好きなお方で、床の間には季のものが、何時もそよと咲いていました。床掛けも、ご主人自身が楽しまれるかのように、 月に二、三度掛けかえておられました。
気軽な短冊なども掛かることがあり、その中の幾つかをお伝え申します。

春くれば京のやまなみ絵のごとし
光悦のやま宗達のやま 吉井勇

いざくまむ京をつらぬく岩清水 十一代中村宗哲

仁清のかまあともなくしぐれけり よみ人しらず

宗達の屏風ありやとみてあるく
鉾町あるきおもしろきかな 吉井勇

そして

京極のちまたの塵もなつかしや
昔ながらの京とおもへは 谷崎潤一郎

お忙しいなか、失礼をいたしました。 百  拝

* 仁清の句が佳い。

* なつかしみひもとく京のよみものに
はさみわすれし恋のおもひで   みづうみ

☆ 「ユニオ・ ミスティカ」へと
連なっていく『亂聲』、ドキドキしながら待ってます。  九

* このドキドキは、厭わしいほどに裏切られる。  ☆ 「ユニオ・ ミスティカ」へと
連なっていく『亂聲』、ドキドキしながら待ってます。  九

* このドキドキは、厭わしいほどに裏切られる。
2017 4/27 185

述懐 平成二十九年(2017) 五月

山鳥のほろほろと鳴く声聞けば
父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ           行基

しだり尾の長屋々々に菖蒲哉            服部嵐雪

水すまし流れにむかひさかのぼる
汝(な)がいきほひよ微(かす)かなれども  斎藤茂吉

かにかくに祇園はこひし寐るときも

人間は心を洗う手はもたないが
心を洗う心はおたがいにもっている筈だ      小熊秀雄

篁の竹のなみたち奥ふかく
ほのかなる世はありにけるかも       中村三郎

詩歌などもはや救抜につながらぬ
からき地上をひとり行くわれは        岡井隆

まあだだよ。もういいよとは言はれまじ。
もういいよとは、もうおしまひぞ。       遠

はろばろと昭和は遠くうす澄みて
なにも見えねば目をとぢてゐる        湖

なつかしみひもとく京のよみものに
はさみわすれし恋のおもひで         みづうみ
2017 5/1 186

☆ ご本 拝受
お元気ですか。いつもお心にかけていただいてありがとうございます。
安倍総理は2020年までには憲法を変えると意気込んでいますが、私はそんな人物の首をすげ替えたい。真の「主権在民」実現をめざして余生を費やすつもりです。与えられた時間は多くありませんが。今後ともどうかよろしく。

ありがとうございました。十分ご自愛のうえご活躍ください。 京 岩倉  辰

* 「干支のままの辰男の友のあらたまの年祝(ほ)ぎ呉るるメールの春よ」と歌ったのが五年前の元日でも五日の人間ドックで、
癌の疑ひ十分と医師は数枚の写真に指さした。分つてゐた。
死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ
と歌っていた。
この友に、昨日ここへ掲載した発布当初の「日本国憲法のはなし」、送ってあげよう。
2017 5/4 186

* 「谷崎の歌」を読み終えた。松子夫人のおゆるしを得て豪華限定の『谷崎潤一郎家集』を手書きの原稿から克明に再現し刊行した昔を懐かしんでいる。わた し自身も『少年』のむかしから、老いてのちの『光塵』そして今度の『亂聲』をつくってきたが、少年好きの人からはなんたる雑な変貌よと笑われているか知れ ないが、それもこな谷崎愛という方へこかしている。谷崎先生は歌を国風おそらくは和歌と思い徹しておられながら、しかも歌はいわば汗や小便のように自然に 排泄していいものと言い切ってられた。わたしはこの谷崎流へためらいなく身を寄せていったのだ。
谷崎の歌は、歌人や評家また身よりからも酷評されることしばしばであったけれど、どうして、なかなか手誰の歌人でもあった。ぎくしゃくして面白くもなん ともない、わたしからいえばヘタクソとしか言いようのない有名短歌人は世間に溢れているが、その無味乾燥ぶりには和歌しらず、和歌わからずの鈍な不勉強が 禍していることに気がついていない。
ま、わたしの歌は、そんな批評すら承けるにあたらない私の好き勝手な妄想であり、お嗤いください。

うそくさいモノ・コト・ヒトやわれも然かと
痛いほど目とぢなみだこらへつ
ウソでないホントのオモヒに身を燃して
オロカなままに歩き果てばや
瀬をはやみいなともいはで稲舟の
行方もなみに漕ぎぞかねつる
2017 5/5 186

* ひとつぶの米ものこさず雉鳩の
テラスにおりて食ひて行きつも  遠

* 鵯はこのごろはどっと増えた虫のたぐいをご馳走にしているらしい。
2017 5/7 186

* 久しい読者でもあってくれる正古誠子さんの第三歌集『卯月の庭』は、堅実に鋭角的な措辞の妙の光った写意・写実、近来「短歌」集の収穫かと思われる。願わくは、豊か味が添いたい。
2017 5/8 186

 

* こんなざれ和歌が、どこかに混じっていた。

あらざらむこひのうき身を游(あそ)ばせて
世をしら波に流されて来し    みづうみ

☆ 浮き世ではありますが
遊び心をもって 賑々しく過ごしたいものです。御健勝をお祈りしつつ。 敏  妻の従弟
2017 5/8 186

* 毎朝、毎日、毎晩、八十一どころか少年のままの幼い、だが生き生きとした気分で気儘に過ごしているのが、ときに恥ずかしいが、ときにとても嬉しい。枯淡とか仙境など所詮縁のないものだと明きらめている。
あらけない世の行く果てに身をちぢめ
嘆いてゐても詮無いぞ 起てよ   遠

* 西日をさけてこの機械部屋の西の窓はいつも雨戸がかけてある。しぜん戸袋は空いていて、そこへ何かしら鳥が巣をつくったらしい、ことこと、ことッとかそけく音がする。観たい、が、そっとしておこうと思う。
2017 5/11 186

* 『女文化の終焉 十二世紀美術論』を読み返している。書き下ろしたのは四十五年ほども昔、また三十台だった。背丈にも及ぶかの参考文献を全部読み終えてから書き始めたのを想い出す。
いま、三十代作家でこのような論考を書き下ろし続ける人はいないと思う。あの当時でもじつはいなかった。わたしはあたりまえのように小説も書きエッセイも書き、長い広い両翼のように思いながら空高くをよほど孤独に飛翔していた。
しかし、いま想い出せばわたしは太宰賞以後、出版社づきあいはともあれ、けっして孤独な書き手ではなかった、ある時ある場所で吉行淳之介と筒井康隆とに 「よくまああんなに書くねえ」と冷やかされたほど、本は売れないけれど原稿依頼はひっきりなしに続いて、自然それらか本になっていった。十年で六十册も単 行本を出していた若い作家は事実は珍しかったのだ、しかもわたしは通俗読み物は一切書かなかったのだ。井上靖は訪中国日本作家代表に誘ってくれた。江藤淳 は東工大教授の後任に推してくれたという。梅原猛は日本ペンクラブの理事に引っ張ってくれた。文藝春秋の寺田専務は、わたしの「湖の本」刊行に凸版印刷所 を推薦紹介してくれた。
ずうっとわたしは、そういうあれこれをただ偶発的な幸運としか思えていなかった。そうではなかったと、近年つくづく思い当たるようになった。
「清経入水」のような不思議な小説が、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫ほどの難しい大先生達の満票で太宰治賞に選ばれてい たというほどの当選はよく見聞きすれば稀有の一語にすでに尽きていた。そんなこともわたしは判らなくて、ただただおずおずと「売れない作家」業を遠慮がち に歩んできたのだった。
「女文化の終焉」は古代と中世のはざま百年の文士的論攷として、いま八十一歳の見聞から推しても、懸命の力作であるとともに、文藝としての批評でありたくしんじつ勉強したものだと微笑ましくなる。心ゆく仕事をわたしはし続けてきた。そう、いま、はっきり言える。

* またまたものの下の下の中の方から、手荒に破った紙にこんな夢の句が三つ おおきなボールペンの字で書かれて出て来た。裏の印刷文には前世紀末の経済記事が出ていて、前歌集「光塵」期の作だろうと思うが意識して棄てていた句とも云える。記録だけしておくか。

妻抱いてなすにすべなき夢の夢

曙のありとしもなき姫ごとや

春愁といはでやあらん妻の尻

なんだこりゃ。
2017 5/22 186

* 九時半、寝過ぎた、故紙を出さねばと跳び起きたら五時半だった。小さな枕時計の針もまともに見えなくなった。
故紙 無事に大量に外の我が家の塀際へ出した。何年もそこへご近所からも出てくる。重い紙の大荷物運び出しを、近くで済ませられるのは助かる。

* 台所の流し場もほぼ、綺麗に、とはゆかぬが片づけた。
建日子が生まれる前の妻が絶対安静を言い渡されていた間も、むろん勤めには出ていたが、五時には社を飛び出し、池袋で食べ物を仕入れ、帰ってなんとか食 事を作って朝日子と食べていた。顔が揃い言葉がかわせる、それだけで安心であった。年の瀬へ迫っていたので、なんとか正月やすみを無事にすごし、医師達が 病院に揃っているときに出産させたかった。神、仏に願った。建日子誕生は一月八日の晩であった。

のぼるのかくだるのかわれらの老の坂
ドンマイ(do not mind)花も嵐もある道

と、去年の桜桃忌にうたった。その桜桃忌がまた近い。胸はって相次いで 第20 21巻 自信の「選集」が送り出せるだろう。「湖の本」新作の中編小説「黒谷」「女坂」二作、もう責了にできるのだが、発送さきの数多い作業に は、なにか工夫をしないと妻をつかれさせてはならないし、しばらく待機のままで。

* 妻は病室での読書に歌集を求め、てもとに届いていた正古誠子さんの新刊歌集を皮切りに何冊も病室へ運んだ。高校時代の国語の上島史朗先生、中学の給田みどり先生のも。俳句よりも歌が分かりよかったらしく、ことに正古さんの歌に共鳴を覚えたらしい。

* わたしは、高校へ入るすこし前に東山線(京の市電通り)菊屋橋わきの古本屋で斎藤茂吉自選の歌集『朝の蛍』をなけなしの小遣いで買ったのが最初で、愛 読のうちに一気になにかしら眼が開け、歌集『少年』の歌が出来ていった。茂吉本は寶と謂うてよく、ほかに導きは無用なほどであった。あんな貴重でやすい買 い物はなく、書庫のなかにうもれて光っている。和歌は『小倉百人一首』に、短歌は茂吉の自選一冊で徹底して学んだ。
いい大人になってからは谷崎潤一郎の国風歌二冊の自筆稿に触れる機会があり、松子夫人のお許しを貰って『谷崎潤一郎家集』を編み大阪の湯川書房で二種類の豪華本を創った。
わたしの第一歌集『少年』は高校の三年間の作を大きな中心に、朝日子が生まれる頃までの作で編み、数種の本に成って世に容れられた。先ずは茂吉の、つい では牧水の感化があったろう。岡井隆が自選二度の「昭和百人一首」に、二度とも『少年』から各一首ずつ選抜してくれていた。嬉しいことであった。
第二歌集『光塵』は、はるかに遅れて平成二十三年秋に編んだ、その直後に癌を病み、五年を過ぎたところで第三歌集『亂聲(らんじやう)』を編んだ。気儘に自在な行儀のわるい放歌録である。

* 九時過ぎた。今夜こそ安眠したい。ともあれ妻が諸検査の結果も、険悪でなくて何よりであった。よかった。お見舞い下さった皆様に、お礼申し上げます。
2017 5/24 186

* 私の第二歌集『光塵』に添えた「詩歌断想(一)」を見返していてふとこんなところへ目をとめた。
今の時節に、まんざら遠くない発言なので、ここへ再録しておきたくなった。2001年の2月2日の述懐である。15年も以前であるが。

☆  何の番組だか、昼ごろ、歌壇の将官や佐官級が一般の短歌を品評し顕彰している番組があった。推薦して、「じつに」とか「きわめて」とか強い言葉で褒めてい るいる短歌作品を読んでも、いっこうに感心できないことに驚いた。説明的な歌、ガサガサした歌、舌をかみそうな歌、観念的な理屈の歌、要するに感動のまっ すぐ伝わってこないへたな歌が、次から次に推され、褒められ、それでは作者より「玄人」を自認しているらしい推薦者・選者の鑑賞眼の方を疑うしかなかっ た。
たとえば俵万智の褒めあげた作には、「コンビニが」「コンビニが」と二度出てくる。二度出るのは必要なら少しも構わない。しかし、「が」という助詞の用い 方に歌人として何故疑問をもたないか。「が」は、格助詞の「の」にくらべて、いやしい、きたない、という語感を国語の伝統ではもってきた。そしてその短歌 では、「コンビニの」でむしろ正しい表現であった。事実、直ぐ次に登場して馬場あき子の推した短歌では、同様の第一句にちゃんと「の」を用いていた。散文 を書いていても、「が」と書いて、すぐ「の」の方がここではいいなと、書き直す例が多い。「が」は濁音の響きも感じわるく、必要なら必要だが、一音一音に 心を入れるはずの歌人詩人にして、俵万智のような無神経なことでは、なるまいに。国語の先生ではなかったのか。いや、国語審議会か何かの委員ではなかった のか。

☆ ソ連崩壊に関して、こんな歌が或る歌集にあった。気持ちは分かる、が、あるいは「短歌」での表現の限界をも感じさせる。こんなに簡単にいわれては受け取れない、もっとややこしい感想が胸にあるだろう、一頃の大人なら誰にでも。

搾取して富まむ所業を罪悪と断ぜし思想はいさぎよかりき
人の理想かなへし国と言ひあひて恃みたりしが無力にほろぶ

しかし「戦陣回顧」しての次の作など、とても秀歌とは言えないけれど、届いてくる毅い何かはある、はっきりと。

直立し吸ひし煙草は恩賜とか味は格別のものにあらざりき
菊の紋の煙草恩賜と渡しやる人死なしむるなんぞたやすき
人間を神とまつるはなじまずと靖国神社参拝を問はれ答ふる 畔上知時

さきの番組のような場合、わたしなら、この三首にも少し立ちどまりはしても、推さない。だが、ものは感じさせてくれる。そういう作品に出逢いたいと思うが、ただの概念ではいやだ。この場合など、これは実感だなとよく分かる。

楯などにされてたまるかその上に醜(しこ)はひどいとひそひそ言ひき
天皇は神にあらずと口ごもり部隊長に答へき二等兵われは
慰安所とは何かと問ひし少年兵帰隊し笑ふここちよかりきと
たはやすく鎮魂といふなたましひの鎮まるべきや蛆わかせ死して
侵略と言ひ敢へしばし黙したり戦ひ死にし友があはれに
営庭に集められ学生服に固まりぬかく兵とさるる思ひ惨めに
慰安婦にふれず戦地より還りしと言へば不具かと呆れられたり
毛一筋残さず爆死せしありき笑ひて戦争體験語るを憎む

こういう記憶に久しく堪えながら同じ作者に以下の短歌が出来てくると、読むわたしも、ほっと息を吐く。

とりし掌の温みは知れり年長くたづさひしもの妻の掌ぞこれ
家建てて移り住みきし九世帯それぞれに喪のことありて三十年

門過ぐる我にかならず吠えし犬この頃吠えずただよこたはる

畔上さんはかつてわたしの上司であった。上司としてよりも歌人としての畔上さんをわたしは敬愛していた、今も。お元気でと心より祈る。
歌集『時を知る故に』はお名前にからめた好題で、ほかにも印象的な歌、胸に残る歌がいくつも有った。いずれも「私史の玉」であり、上に挙げたどれ一つも わたしは先の番組のような場面で安易には称揚しないだろう。「歌史の玉」とまではいい得ないのだ。 2001 2・2

* 何も付け加えずにおく。こうした感想は、感想として単独に書き下ろしてきた原稿ではない、このホームページの「私語の刻」と題してある日々の日記であ り、二十年近い間に原稿用紙にすれば十万枚できかない感想を日々に書き置いてきた。そのままでは読み返すのも大変を極めるが、一人の親切な暑い愛読者が、 これら全日記を三十種類ほどに主題別に分類してくださったので、望めば直ちに「詩歌断想」だの「京の散策」だの「ペンと政治」だのとして独立編纂が利くの である。感謝して余りある恩恵であった。すでに何冊も何冊もの「湖の本」として編纂されている。
2017 5/25 186

* 印刷所へ原稿を添付フアイルとして送付したのが、メールごと、何度も届かないという事故が起きている。やり直していると「届きました」という時もある。案じている。仕事の能率が違ってくる。今回は三度送って三度届かない。
で、同じ方法で同じモノを妻のメールへ送ってみた。メールは届いている。メールならは他の何方へもちゃんと届くのだろうか。

* 気が腐る。

☆ メール届いています。安心して下さい。
通信不安定なところあれば、やはり心配ですね。
この五月はいろいろなことがありました。天気も急に夏の暑さかと思えば翌日は冷えたり。
病院の予約が取れなければ、長いこと待って一日がかりになりますが、それは苦しいでしょう。
わたしより歳上の人、歳下の人、この五月には親しい人のつらい消息を知りました。晴れ渡った空の青が哀しい。
めげず、日々を生きます。
鴉、 元気にお過ごし下さい。 尾張の鳶

* ま、なかなか想うままにはこの世のこと、成らないなあと思う。不思議なことかどうだか、こんなときこのところ無条件に手を出して頁を繰っているのはわたし自身の三册の歌集。なんとなくなんとなく自身の気持ちを納得したいと思うのか。

みなづきといひし水菓子なつかしく隠れ蓑うつ雨のおと聴く

と、五年前、二月十五日に胃全摘のうえに胆嚢も摘除したあの歳の、六月(みなづき)に歌っている。それ以前にもう一度入院し、七月にはまた目の手術で三度目の入院もした。

眼を病んで手術(オペ)受けて暑い日退院(かへり)来ぬ
あるがままあるがまま仕事に向かふ

子供の頃、お菓子「みなづき」の当たるのは、嬉しかったなあ。

* 印刷所とのやりとりを重ねるうち、「無事に届いた」と。ああーあ、よかったよかった。
2017 5/29 186

* 五月尽  六月を奇麗な風の吹くことよ 子規  と、いきたいもの。
2017 5/31 186

述懐 平成二十九年(2017) 六月

はかなしや命も人の言の葉も
頼まれぬ世を頼むわかれは    吉田兼好

老残のこと伝はらず業平忌        能村登四郎

思ひ見ればわれの命もこの一つの
眼鏡を無事に保てるごとし      柴生田稔

諫鼓鳥我もさびしいか飛んでゆく     中川乙由

死の側(がは)より照明(てら)せばことにかがやきて
ひたくれなゐの生ならずやも   斎藤史

六月を奇麗な風の吹くことよ        正岡子規

梅の実の熟れのにほひの目に青く
日の照る午後の遠きおもひで      湖

惚(ほう)けたる老いそれなりに花やいで  有即斎

黄の花にサボテンの露の匂ふよと
在りしやす香の声きく今朝ぞ       祖父
2017 6/1 187

* 選集から、私なりの詞華集は省けない。少なくも、実作と鑑賞とは。詞華集は、組み付けが難しい。ことに歌も句も詩のようなのも混じっていると。少しずつ、用意はしておかないと、急には入稿用意できない。

* わたしの歌集は『少年』で始まるが、それ以前、また時期も重なって、沢山な割愛作がある。電器屋をしていた父の店で剰っていた裏白宣伝用紙を丁寧に畳んで、沢山な日々の歌作を几帳面に書きためていたのが手元に溜まっているハズである。ちょいと読み返してみたいとも思い、割愛したものだ処分した方が良いとも。けっこう思いでも詰まっていて、電器資料としても興味は在る。
2017 6/6 187

☆ 「誠願游崑華」
「湖の本」を手にする時、いつも裏表紙の「帰去来」の印をしばらく眺めて、それから頁を繰って読み始めます。
時には、陶淵明の仰ぎ見た『南山』へ、先生の御作を読み始める前に行ってしまうことがあります。
その刻まれた「帰去来」の文字を眺め過ぎてしまうと… 『廬山(南山)』へ連れて行かれてしまいます。行って游んでしまいます。
帰るところは、何処なのか? 私は、麓の田園地帯ではなく山中へ。
小学生の低学年だった頃のこと 「大きくなったら、何になりたいですか?」と聞かれて 「雨や霧」と答えて、叱られたことがありました。同級の皆が積極的に希望をもって、なりたい職業を答えているのを見ながら…同調できず、また心にもないことは言えなかったので…
「水辺の御地蔵様」
と仕方なく答えた記憶があります。今、そのことを思い出して、仕方なく答えた理由が「なりたい」ではなく、「戻りたい」であったからだと気付きました。子供の頃からずっと、「今いるところは、違うので、早く帰りたい」と感じながら、毎日を過ごしていました。
帰るところは、何処なのか?
『廬山』の他にも『巫山』『嵩山』『泰山』へ。
それら山々の「雲や霧、雨となって降りそそぎ、漂っていた『気』」であったので、そこへ戻りたいと思うのです。
そんな思いを抱きながら、長じて美大の図書室で「文選」を繰っている時に 『巫山の夢』が目に留まり「あしたには雲となり、ゆふべには雨となって戻ってまいりましょう」と書かれてあるのを読んだ時、此の世にも私が帰る場所があるのだと安堵したのを覚えています。
「雲や霧、雨(風)」が 「幽玄」となって「お能」の世界にたち現れると知れて、能楽堂の見所に座れば連れて行ってもらえると知れて、ずいぶんと楽になりました。
お能を見つづけるうち、最初に「帰るところ」は京都だろう、と思い至りました。「帰りたいところ」はたくさんにあるけれど… 先ず、京都に帰らなければ、何も始まらない。始められない、と思って、京都にまいりました。
先生、お忙しくおられる時に、このような思いつくばかりのことを綴り、恐れ入ります。また日をあらためて書かせていただきます。   百 拝

☆ 陶潜
言はんと欲するもわれに和するもの無く、
杯を揮つて孤影に勧む。
日月は人を擲てて去り、
志有るも騁するを獲ず。
此れを念ひて悲悽を懐き、
暁を終ふるまで静まる能はず。
2017 6/8 187

* わたしは詩歌の現代語訳にははっきり反対で、大意を紹介しても訳さないようにしている。詩歌はあくまで原作のままの「うったえ」に応じるべしと。散文 でも、古典ないし文語の作を成るべく現代の散文に訳したくはない。上の学研版「枕草子」の選訳のほかには同じく学研版「明治の古典」シリーズ中の泉鏡花篇 を担当し、なかの一短編「龍潭譚」だけを今日語に訳した。主部にあたる現代語の名作「高野聖」「歌行燈」には、チエを絞って深く読みかつ慎重に、すくなか らぬ脚注を附した。その脚注にわたしは自信をもっている。煎薬
2017 6/17 187

* 祇園祭か。縄手の「蛇の目」で鱧を食べたなあ。もうあの店は無い。「千花」でしみじみ飲みたいなあ。あそこで一緒に飲んだ田中勉、もうこの世にいない。鰻の美味い「梅の井」の三好閏三もいない。
友よきみもまた君も逝つたのか
われは月明になにを空嘯(うそぶ)かん
天野悦夫も逝ってしまった。重森ゲーテもいない。
2017 6/18 187

* 陶潜に聴く
人も亦た言へる有り、
「心に称(かな)へば足り易し」と。
此の一觴(いっしょう)を揮(ふる)ひ、
陶然として自ら楽しむ。

* 陶淵明はこのとき、ひろびろとした野中の渡し場で、口を漱ぎ、足を洗い、遠くにひろがる風景に心ほぐれて盃をかたむけながら飽かず眺めていた。
はて、わたしはどうか。自然の風景には恵まれていない、出向いて行かないのだから。
いま、わたしは蘇東坡の「大楷字帖」を開いている。
「豊樂亭記 宋廬陵歐陽脩撰 眉山蘇軾書」 と書き始めてある一字一字の清明にして堅固な世界。陶然とは謂うまい、凛然か。
2017 6/19 187

* 前川前文科省事務次官の記者会見を聴いた。菅官房長官らの愚劣なまでゴマカシとしか聞こえぬ弁明も聞いた。もうすこし魂のある代議士かと見誤ってきた のを恥ずかしく思う。総理、官房長官、副官房長官の厚顔無恥に心底呆れる。文科大臣の中途半端なうろうろと狼狽えザマも見苦しい。
しやつとしたこそ 人はよけれ   という室町小歌が口をついて出る。
2017 6/23 187

 

* 十一時には検査を終え、診察室に呼ばれたのが一時四十分。おかげで持参の校正はたっぷり出来た。しょせん二時にいったん閉まる店での昼食は無理と、薬 局で処方薬受け取り終え、日比谷線で銀座へ出、そこでアアっと気付いた。今日は月曜。出光美術館の「等伯と水墨画の風」展は観られない。
シャアない…。
結局行きつけ三笠会館、今日は最上階「大和」で鉄板焼黒毛和牛と貝柱、魚を二種。さ、そんなに食べられるか知らん。ワインは遠慮し「豊醇」とやら生ビールにした。独りの専用テーブルなのを幸い、食い気よりも校正の続きを読みつづけ、望外のハカが行った。
三笠会館を常用するのは、和仏伊中華焼き肉と階が揃っている上に、昼間の閉店時間が無いから。時間外れにいつでも入れる店で、頼りにし易いから。フレンチの「榛名」が一等よく、中華の「秦淮春」は美味い紹興酒を出してくれる。
焼き肉はかなり腹が張った、が、校正しながら、食べきった。美味くてたっぷりのコーヒーをお代わりまでした。そして帰り際、失敬して、だいたい食べた程度を出してきた。
諦めきれず出光美術館まで歩いたが、やはり閉まっていた。
帝劇モールの鰻「きく川」をちょと覗き、なじみの店長と立ち話だけして、そのまま有楽町線で小竹向原乗り換え、西武線の快速でいっそひばりヶ丘まで乗り越し、各駅で一駅の保谷へ戻った。
車中で、少しく。
投げ出して少女の脚は盛んなり白くて太くて老いの目を奪ふ
やかましく静かなふたりの少女ゐて喧しい方の美貌が眩しい
帰ったら茶を点てたいと、保谷駅売店で、いささかお粗末ながら「京」をちらつかせた和菓子を四色買った。
目の前で一台タクシーが行ってしまったし、さすが肉の勢いか元気なので、徒歩で、明いていれば酒だけを少しと寿司店「和可菜」の様子を見にいった。「三 週間の入院」という留守番電話がとても気がかりで案じていた、退院してればいいがと確かめたかったのだ。残念だが、三週間を一日過ぎていたが店は「断り」 の張り紙のまま閉まっていた。胸が痛んだ。
しかたなく、大きな背負い鞄を背負い、手の指に菓子包みをぶらさげ家までしこしこ歩いた。いつになく今日はヘバってしまわず、しっかり歩いた。さすが、黒毛和牛。

* 吉備の人、岡山のすばらしい「マスカット」の大房を留守の家へ届けて下さっていた。二〇〇六年五月十六日にもマスカットを戴き、
掌において身の衰への忘らるるマスカットの碧(あを)の房の豊かさ
と歌っている。

☆ 冠省 東京と様異なり関西は雨の日の少ない梅雨にしてなかなか雨読の境とまいりません。気象まで住みにくい世になりました。
秦 恒平選集第二十巻ご恵与たまわりありがとうございます。矢つぎばやのご刊行に驚嘆、味読追いつかぬこと もったいないことです。
湖の本拝読当時、読者の落度の推理、ご考証、一々に合点がゆき、古典専攻の学生と談じ合ったことなつかしく思い出します。当時、深い谷崎愛にまでは思い 及ばず、これなくして作品の真の理解ありえないこと、よき読者に恵まれること、谷崎作家冥利のことと今にして思いあたります。
奥様 どくだみ活け花のことうかがい、故郷から移し植えてこの時期楽しんでいた母のこと思い出します。
どくだみの白きがひそと厠かな
亡くなったいとこがふるさと大使を務め、お届けは郷里の物、それにしても変わりばえのしいない物のみと苦笑していました。確かに変わりばえせず申し訳ありませんが (稲庭)うどん少々お届けしたく、奥様 返書どうかご放念ください。
お礼申し述べること遅くなり恐縮です。
お揃いでお大事にと念じております。 草々   神戸大学名誉教授  周

* 十薬の白い花をひそやかに妻が手洗いに置いていた、それを吟じられたか。
付けて   とのもは雨にかぜの匂ひて
2017 6/26 187

* 秀歌秀句をさりげなく引いてくるのは、たやすいことでない。いつもメールに添えて季の俳句を呉れる読者がいて、よく吟味されている。
わたしの好みと知っていて古歌を添えて、また主にしたメールももらうことがあるが、かなり意味や意図の直か付けになり、とかく歌の妙や秀がしみじみとれていない。秀歌・秀句の「撰」は容易くはない。優れた物語での相聞・応酬や引歌のうまさにはいつも感嘆する。

* とはいえ近年のわが作歌・作句の行儀悪く構わないことは、度が過ぎているとあちこちで叱られているだろう。
2017 6/30 187

述懐 平成二十九年(2017) 七月

しかりとてそむかれなくに事しあれば
まづなげかれぬあな憂世の中   小野 篁

良き歌を幾つか読みて鎮まりし
心のまにま今宵眠らむ        井上光貞

草づたふ朝の蛍よみじかかる
われのいのちを死なしむなゆめ  斎藤茂吉

ゆふぐれは雲のはたてにものぞ思ふ
天つ空なる人をこふとて       古今集 よみ人しらず

ながむれば心もつきて星あひの
空にみちぬる我がおもひかな    建礼門院右京大夫

遙かなる岩のはざまにひとりゐて
人目思はでもの思はばや      西行法師

木もれ日のうすきに耐へてこの庭に
鳩はしづかに羽ばたきにけり    恒平

青もみぢ少女は傘をすぼめたり     遠

なにをしに生きてある身の無意味さを
ふとはき捨ててしごとにむかふ   有即斎
2017 7/1 188

* 上にあげた歌の中に西行のが混じっていて、ある人
遙かなる岩のはざまにひとりゐて
人目思はでもの思はぱや
の末語が「半濁点」ですと教えてくれた。むろん「ばや」でなくては。いまわたしの一番の難点は視力の極の不安定で、濁点か半濁点か、よく間違えて打っている。訂正のご親切忝ない。が、ふと高望みもしてしまった、「ひとかふた」と問いかけては。
西行のひとりといへる心あれど
われはふたりと懐(おも)ふかなしさ
といった別世界も成り立つだろう、小説『四度の瀧』でそのような万葉古歌を作中に用いたのを思い出す。清少納言ほどセンスと勘のいい才女なら、(時代は逆 行するが)行成であれ斉信であれの問いかけには、単に、「ばや」 とだけ応えただろう。清少納言贔屓で紫式部嫌いだった劇作家田中澄江さんは、少納言は、 きっと、目ぢからの聡く慧い魅力の美女であったろうと云われていた。さもなくて行成や斉信らほど智・情をかねた「みやび雄」らのああ惚れ込むわけがない と。
2017 7/1 188

* 老いの自覚では、わたしの場合、脚力の衰え、手先の痺れ、視力の喪失、記憶力の低下、食欲の減退が挙げられる。もう一ついえば、いい意味でも、宜しくない のかも知れないが「無雑作に」慣れるないし流れること。こまごまと執着せずに「やっちゃって」いる例が増え、広い意味で行儀がわるくなっている。つまり 「構わなく」なっている、衣食住や物言いに。よろしくもないが、よくない一辺倒とも思っていない。しぜん「文学・文藝」にもそれはよかれあしかれ表れてい るだろう、往時『少年』の短歌と近年・昨今の『光塵』『亂聲』の述懐をみくらべても歴然としていて、それが衰えの表れとばかりは云えない。
この七日に出来てくる「湖の本135」の小説二作「黒谷」「女坂」も無雑作なほど短い時間で或る意味書き流している。若い日々の入念に入念を積んだ創作とはあっさり書き置いている。
この二作をいっそ気軽に合間に書いて、現にうんうん云いながら書き継ぎ書き直し続けている長編にしても、姿勢も方法も念の入れ所もやはり若い日々のもの とはちがう。違って当然と思いながら根気よくやっている。この根気よく気を入れてまだ書けていること、を、生き延びている老いぢからと思っている。
いい感じに無雑作な作も創り続けたい。
2017 7/5 188

* 佐高信が、あの与謝野鉄幹の詩「誠之助の死」をまっさかさまに誤解し、赤恥をかいているらしい。ああ情けない。
共謀罪法が強行可決されて、わたしは即座に「誠之助の死」をもちだし、明治の「大逆事件」に言い及んだ。その後、同じ詩を話題にあちこちでものを申していたらしい例も見聞きした。
佐高信の、軽率という以上の「読み」の弱さには呆れてしまう。困ったモノだ。まともなことをまともに言える論客だけに、より自重し、日本語のセンスを学び直して欲しい。このままでは三文論者に成り下がる。
2017 7/5 188

 

* 拾遺和歌集を手にとってあけた頁に、いきなり雅致女(まさむねのじょ)式部、まさしく和泉式部の一首が目に来た。
暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかにてらせ山の端の月
はじめて出逢ったとき ハッと目をとじ胸に手を置いて、「ああ、はるかに照らせ」と祈った。
この日録の冒頭、花にうもれた自身の写真に「あの世よりあの世へ帰るひとやすみ」と書き添えて、わたしは今もそん思いで暮らしている。
式部の歌についで、こんな和歌も読んだ。
極楽ははるけき程と聞きしかど
勤めて到るところなりけり   仙慶法師
特別な秀歌ではないが、この法師なりの納得、会得、頓悟のごときが端的に息するように表れている。ただ遙かに遠いだけでない、今生をよくよく「勤めて」こそ到りうる極楽なのだ、そうなのだと。
十、十一世紀のわが知識階層は、聖行・勤行をつくし得てこそ極楽は可能と明らめ諦めていた。「勤め」は容易なことで成らなかった。空也の、恵心の、そし て十二世紀法然の念仏易行へは距離があったのだ、まだ。「勤めて到る」の厳しい重さにどう取り組むか。美しい写経、美しい造佛・造寺はみな「勤め」の積も りで成されていた。信仰が美と美術に置き換わっていた。中世の親鸞も日蓮も道元も美の表現には頼まなかった。

* 後拾遺和歌集もパラッとあけてみた其処に、何重にも◎をつけて伊勢大輔の一首があった。
別レにしその日ばかりは巡りきて
いきもかへらぬ人ぞ戀しき
わたしの「点鬼簿」にも、いまや、数えがたいまでそれぞれ生前の氏名が「親族」「恩師」「先達」「親友」「各界知己・知友」等々、あまりに多すぎるほど居並んでいる。まこと「別れにしその日ばかりは年々に巡り」くるが、だれ一人生きかえって声を掛けてはくれない。
このごろ、そんな故人の夢をよく見ている。夢の間は自覚がなく、目ざめてから、あああのひとだった彼だったと思い至る。夜前は、ロス在住池宮さんの、は やくにシスコで亡くなった姉の大谷良子さんを夢見ていた。秦の叔母に茶の湯、活け花を習いに来ていた。わたしより五、六歳上の美しい人であった。
2017 7/6 188

* 近代の唱歌歌詞でいちばん好きかもしれない大和田建樹の「旅泊」がしきりと思い浮かぶ。

磯の火ほそりて 更くる夜半に
岩うつ波音 ひとりたかし
かかれる友舟 ひとは寝たり
たれにか かたらん 旅の心

月影かくれて からす啼きぬ
年なす長夜も あけにちかし
おきよや舟人 おちの山に
横雲なびきて 今日も のどか

今日も のどか だけが ややわたしの思いに逸れるけれど。

* 兎を追った山も 小鮒を釣った川も もたないけれど 唱歌「故郷」は独りときおり口ずさんで、声が涙ににじむ。父母もなく友がきも多くうしなったが 雨に風につけても 山紫に水明るく 思ひいづる故郷はいつも在る。
2017 7/9 188

* 郵便局送りも終えた。自転車で運んでゆく頭が熱射に焦げそうだった。往きの下り坂はラクだが、帰りはウンウン。ちょっとやそっと、この夏は出歩けない、出るなら雨の日か。
白楽天に詩がある。

人々避暑走如狂   人々暑を避け走りて狂するが如し
獨有禅師不出房   独り禅師の房を出でざるあり
可是禅房無熱到   禅房に熱の到ること無かるべけんや
但能心静即身涼   ただ能く心静かなれば即ち身も涼し

参りました。
2017 7/10 188

☆ 湖の本 届きました 頑張りますね。有難う
まぁ なんと暑い事。
私はウオーキングが減り、運動不足気味なのに食欲は旺盛、ヤレヤレとお腹をさすってます。
元気印だった弥栄中の一人が 最近 車椅子生活になりショックを受けています。
あなたは元気ですね。
余談ながら再放送の「科捜研の女」の沢口靖子さん
美しいから  話は別として 観てみて。  花小金井  泉

* なにしろ日々万歩あるいてきた老女、食欲旺盛とは羨ましい。
靖子(うちでは沢口も敬称も、いつも略で話している)の「科捜研」は、舞台が京都。昔々の一年後輩さん、京都のいろんな映像がきっと懐かしいのだろう。祇園石段下のわれらが弥栄中学も廃校になってしまって…。

はろばろと昭和は遠くうす澄みて
なにも見えねば目をとぢてゐる
2017 7/10 188

* 伊勢は、百人一首中最優秀の名歌を記録されて、紀貫之とあい対峙した古今・後撰和歌集の閨秀、その伝記を、ふと読みはじめ引き込まれた。大学の先生の書かれた本では退屈し抛っていたが、べつの女性の著を手にしたら、ずんずんこころよく読まされて、このぶんでは数日で読み終えるだろう。
伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしか
ひとはかほどのまことをしらず

* むかしは小説に惹き込まれると藤村のあの長い「新生」でも夜通しで読み切った。そういうことは幾度も繰り返し、さまざまに教えられた。講談社版の「日本文学全集」百余巻はまことかけがえない教科書であり感動や感嘆の宝庫であったが、この近年、新しい文学でふるえ得た体験が全然無い。なんとももの足りなくて、自然、古典や和歌や漢詩の世界へもぐりこんでしまう。
2017 7/11 188

☆ 拝復
「黒谷」 ずいぶん以前の落想の趣、谷崎愛の一環と拝読。秦文学を電話で話すことのあった年下の友人も逝き、他に回覧供する者とてなくなり、もったいないかぎりです。
「黒谷」巻頭第一行を読み落し 「ものの順」にて合点がゆくあり様、 近親相姦など性愛の業のおどろおどろしさにおののきながら、料理尽くし、花尽くしに女文化を味読いたしたところです。
何だか順繰りに災害が襲うようで、せめて原発地域だけは無事でと願うばかりです。それにしても被害地の無惨なニュースを被害なき地でてれび見物など罪深さ感じられてなりません。
くれぐれもお揃いでお大事にと念じております。
裏表紙印に応じまして
帰去来はかなはぬ夢か梅仕事   周    神戸大名誉教授

* 帰りなんいざ闇の世を闇の世へ   遠
2017 7/18 188

* 催しがなくても便座で両肘を両膝に置きふかぶかと頭を垂れている。今はさほどでないが、抗癌剤の一年は、ひたすらこの姿勢で苦痛を堪えに堪えていた。いまもその名残り、しんどいとそういう姿勢に就いている。ときにはそのまま寝入って辛さを遁れたこともあった。いまも時折寝入ってしまう。寝入れる幸を想う。
ことし一月末にも、
余念なく眠つてをればよいものを
なぜ起きてくる 死にたくないのか
と独りごちた歌を『亂聲』に入れていた。胸の内で末句を「死ぬのがこわいか」と自問もしていただろう。
2017 7/19 188

* 晴れやかに澄んだ朝空にめざめて、けれどテレビは稲田だの上西だのガマン成らないヘンな女議員の顔と言葉を流してくる。きかなきぁいいのだが聞こえてくる不快感。女だけではない、男議員も安倍総理をはじめ不快を強いる不出来大臣や官僚のていたらくに情けない思いばかりしている。政治屋の話題は、せめて気持ちいい「朝」のうちはヤメテと言いたい。
仕方なく、手を伸ばして昔の人の和歌など、気晴らしにひろい読む。
はるばると野中に見ゆる忘れ水
絶エま絶エまを歎くころかな      大和宣旨
七夕はあさひく絲のみだれつゝ
とくとやけふの暮をまつらん      小左近
露ばかり逢ヒそめたる男の許に
つかはしける
白露も夢もこの世もまぼろしも
たとへていはゞ久しかりけり     和泉式部
かくばかり隈なき月をおなじくは
心のはれて見るよしもがな      賀茂成助
2017 7/21 188

* 服部友彦さんに頂戴した初の句集、昼寝こと『華胥枕』全編、佳句と読んだのにしるしつけながら一気に読み通し二度読み通した。
漢字、ことに漢語の多用と体言止めの多いのは現代俳句のアタマの硬い通弊で、「俳句」という「俳」味をさかしらに殺しがちになるのは、受け取りにくい。まして一句に二語三語も漢語を並べて調子取った句は、何方の句集でもたいてい苦笑一読のままに通り過ぎる。
全三百七十七句とある中から二十句ほどに爪印をつけたろうか。
服部さんの「自選十句」が本の帯に出ていたなかで、重なったのは次の二句。
蛤となりし雀の出来心
着茣蓙吊る幻住庵に誰かゐる
なぜこれが作者とわたしの両方で、と、訝しむ人多かろうけれど。
ほかのもあげてみる。
唐黍や「陳」とひとこと虚子の評
ネクタイの蝶跳びはねて入園す
二人してかなかなに黙(もだ)分かちあふ
夏はじめ赤味噌を足す合せ味噌
宗匠の茅の輪をくぐる裾さばき
蟻穴を出てひそひそと国憂ふ
葛城(かつらぎ)の山駆け上る昼の雷(らい)
父といふ絶滅危惧種障子貼る
無患子を熊野土産に拾ひたる
葉桜や安否の知れぬ人のこと
掻揚げの新玉葱の薄ごろも
落石のあとの谺や青葉谷
コスモスの家ポストへの行き帰り
冬菊や死後ある如き弔辞聞く
ぼんやりと目をあづけゐる薄氷
逃げ水の逃げゆく先の昭和かな
小春日やままごとの座の正座の子
縄跳びの祇園甲部の少女かな
茶人で文化人で編集者で読書家の服部さんらしい、あまりにらしい趣味の句は、知解を誘われるぶんつい遠慮し、ほぼ通り過ぎた。

* しかし、わたしに俳句はたいへんムズカシイ、よく分からないというのが正直なところ。「光塵」の句らしきも、「亂聲」の句らしきも、気の低いお笑いぐさを脱していないと苦笑のみ。
深く敬愛する俳人は、芭蕉、蕪村、子規、虚子、そして登四郎、かナ。
何としても、わたしには、上代和歌が断然身にも心にも親しい。
2017 7/23 188

* 「竹取物語」の三連続講演録を読み返し始めた。「枕草子」訳も半ば近くまで再校した。
重く重くなってしまっている古物なみの愛機を少しでも軽くしようと機械が呑み込んでいる厖大なコンテンツの用心のためのダブリ分を思い切って削除している。優に1500ファイルほども棄てた。
おなじ事を、上京六十年このかたの郵便物にもぜひ敢行しなくては。極端に謂えば一通あまさず年度ごとに残っている、狭い家中のどこかに。メールは一瞬でみな消去出来るが、大小の紙の郵便物を点検の気力も体力も場所も、無い。

やかましいこの世の日照り目をつむる  遠
2017 7/23 188

* 孫の命日 娘の誕生日

天の川を越えてやす香のケイタイに
文月(ふづき)の文を書きおくらばや
おじいやんはケイタイ嫌ひですかと問ひながら
目をほそく細く笑まひしやす香
出ておいで 夢にうつつにやす香しだい
この肩に来て うたへ好きな歌を
最期の日々
来て来て来てと お土産はお蜜柑と呼びかけて
苦しかりけめ生きたかりけめ

露吹いて梶の葉の香に朝日子の
ひそやかに照る今朝のさびしさ

 

おじいやん!
2017 7/27 188

* こんなときは何が気の休めになるか、結局は横になって新しい岩波『源氏』を読み、小説のように、いやへたな小説よりよっぽど面白い山下道代の『伊勢』を読んだり、京都の地誌調べに没頭したり、機械の前で自分の『光塵』や『亂聲』を拾い読みながら機械の中の音楽を聴いたりしている。
2017 7/27 188

* 今日も、伊勢、紫式部、清少納言、泉鏡花らと、ひたとお付き合いの一日だった。清々しい。

* 無雑作なほど歌や句を日記にも書いているので、妻が羨ましがる。歌に簡素なもの言いから親しみたいなら、まずは正岡子規の竹の里歌に親しむことを奨めたい。口語歌やそれに類した現代の短歌と称する例は、送られてくる歌誌に満載だが、なにが藝術やら、大方は無惨にひどい。
優れた歌人は明治以降にも大勢いた。大正にも昭和前半にもいくらも敬愛に値する歌人や歌作に出会えた。わたしの選し鑑賞した『愛、はるかに照せ』を読んでご覧なさい。心打つ短歌のむねにしみいる表現が満載されている。
現在今日の歌誌集団が、いちばん野放図に乱雑でいけない。美しくもおもしろくもクソもない。ヘタクソである。惘れる。
なんとか組といった親分の権力組織としか見えない集団もある。
しかし真摯に良く打ちこんで静かな結社もある。個性豊にいい表現につとめている数少ない優れた歌人もむろんおられる、が。
2017 7/28 188

* 昼過ぎ、かなり暑い。
花火の浅草へ 往復よほどシッカリしていないと夫婦して凹むかも。克服してくれば、次のステップ、短い旅への自信になる。

* 生憎の小雨になったが、ごろごろ会館前でタクシーをおり、浅草寺の大賑わいの中をゆらゆらゆらと散策、大きなホテルの上の階の食堂街で、海鮮和食で軽く夕食した。酒は避けた。ビールが冷えて美味かった。妻が脂っけを禁じられているので、好きな米久でのすきやきは諦めていた。この食道街、また来ても佳いなと思った。
六時半に、招かれている先へ、着。雨になっていた。様子を見て待つべく、太左衛さんの案内で近くの店でお茶を呑んだ。花火強行とわかり、雨の屋上は避けましょうと太左衛さん(弟・望月太左衛門、望月朴清)のお姉さんの私室へ通してもらい、窓際から真正面の花火をタンノウした。お喋りは女性がたにまかせ、わたしは一時間半、じいッと花火に吸い込まれていた。有り難かった。
やす香の告別式のばん、わたしたち祖母夫婦は、来会を硬く拒まれていた。わたしは太左衛さんの花火の招きに応じて、天上したやす香といっしょに夜空をみあげながらやす香と語り続けていた。太左衛さんは、静かによくいたわってくれた。忘れない。

おじいやんと呼びて見上げて腕組みて
はげましくれし幼なやす香ぞ
2017 7/29 188

* 昼過ぎ、かなり暑い。
花火の浅草へ 往復よほどシッカリしていないと夫婦して凹むかも。克服してくれば、次のステップ、短い旅への自信になる。

* 生憎の小雨になったが、ごろごろ会館前でタクシーをおり、浅草寺の大賑わいの中をゆらゆらゆらと散策、大きなホテルの上の階の食堂街で、海鮮和食で軽く夕食した。酒は避けた。ビールが冷えて美味かった。妻が脂っけを禁じられているので、好きな米久でのすきやきは諦めていた。この食道街、また来ても佳いなと思った。
六時半に、招かれている先へ、着。雨になっていた。様子を見て待つべく、太左衛さんの案内で近くの店でお茶を呑んだ。花火強行とわかり、雨の屋上は避けましょうと太左衛さん(弟・望月太左衛門、望月朴清)のお姉さんの私室へ通してもらい、窓際から真正面の花火をタンノウした。お喋りは女性がたにまかせ、わたしは一時間半、じいッと花火に吸い込まれていた。有り難かった。
やす香の告別式のばん、わたしたち祖母夫婦は、来会を硬く拒まれていた。わたしは太左衛さんの花火の招きに応じて、天上したやす香といっしょに夜空をみあげながらやす香と語り続けていた。太左衛さんは、静かによくいたわってくれた。忘れない。

おじいやんと呼びて見上げて腕組みて
はげましくれし幼なやす香ぞ
2017 7/29 188

☆ 秦先生
奥様
おはようございます。
昨日は雨の中のお出かけ、おつかれさまでした。
段取り悪く、お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
また先生には貴重な御本を頂戴いたしまして、おそれいります。
有難うございました。
昨日の花火大会は私にとりましても
いままでと違い、落ち着いてみることができ、姉とも久しぶりに話をすることができました。
ありがとうございました。
お送りしたあの帰り道、車を拾えたので、まだ先生方が近辺にいらっしゃるようでしたらと思いケイタイへお電話してしまいました。失礼いたしました。
また来年、よろしくお願いいたします。
追伸
先生、奥様にお目にかかれて同行した**さん(邦楽のお弟子さん)も大変よろこんでいました。
奥様とのピアノつながりの会話をきいていて 連弾のように感じました。
いつも接している音楽の影響は大きいなと思いました。
発見でした!!
囃子をしているとどういう会話になるのかな?
お祭りみたい!? などと考えてしまいました。
感謝申し上げます。
惚(ほう)けたる老いそれなりに花やいで ありがとうございました。   望月太左衛

* 太左衛さん
なによりも 久々にお目にかかれたのが 心強う嬉しいことでした。お姉さんとも久しぶりした、無体なとびこみにかかわらず終始ご親切に お部屋までお入れ下さり、すばらしい花火を存分にほれぼれと見上げることができました、なにもかも太左衛さんのご好意からと、帰る道、道も二人して心から喜び感謝しておりました。

言問へば花とばかりぞ川開き

一閃のいのちか光(かげ)か花火かな

惚けたる老いそれなりに花やいで

こんなことを思いながら夜空を見上げていました。亡き孫娘も天上でいっしょに見ていたにちがいなく。

お弟子さんにもおめにかかれて嬉しく。またそんな機あって話の花も咲かせたいものですとお伝え下さい。
夕べは、言問通りを あのまま河童橋とかいうあたりまで、ゆっくりゆっくり歩きまして、そこの交叉点で、脇からきたタクシーに乗れましたので、そのまま池袋まで走りました。西武線でも二人とも座れまして、さしたる疲れなく保谷駅からまたタクシーで、十一時過ぎに帰宅しました。

思い切って、頑張って、出掛けて、本当に良かった、有り難かったと心から笑い合ったことでした。これで少し自信を付けて、こんどは電車に乗り一泊ぐらいの旅もと願っています。

けさは、わたくし、さすがにかなり朝寝坊しましたが、もう元気に仕事をはじめています。

アドレスを存じません、お姉さんに、くれぐれもくれぐれも御宜しく御礼の気持ちお伝え下さい。

太佐衛さん   ありがとう。 ますます御活躍を。怪我せず事故に遭わずにお元気で。

七月三十日 午後          秦 恒平
2017 7/30 188

述懐 平成二十九年(2017) 八月

子らのいふ醜きもろ手汝(な)を守(も)りし
皺ぞたたかひをしかも越え来て       山本友一

夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような 僕の父親          荒木とよひさ

遺品あり岩波文庫「阿部一族」           鈴木六林男

杜子美(杜甫) 山谷(黄庭堅) 李太白にも
酒を飲むなと詩の候か               隆達小歌

くすむ人は見られぬ
夢の 夢の 夢の世をうつつ顔して        閑吟集

庭の面(おも)はまだかわかぬに
夕立の空さりげなく澄める月かな      源頼政

こころしてものいふべしとわれを叱り
われはかなしむうそくさい世を        遠

戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ     遠

祇園 八坂神社本殿 拝殿
此処が わたしの 故郷

京・祇園 八坂神社 西朱楼門石段上から 四條大通りの夜色に臨む。
この街いっぱいに わたしの青春があった。

2017 8/1 189

☆ 「よろしゅう、おたのもうします。」
八月朔日に、農家の方々が新穀をおさめ「田の実の節句」として祝う初穂献上の風習が、武家の贈答儀礼「八朔の禮」に転じていったのは何時のことであったのか… 思い出せません。
旧暦に則ってなされる行事ですから、本来ならばまだ先の(今年の暦では)九月二十日ちょうど彼岸の入りの頃にあたるのですが…
毎年この日、八月一日の夜のニュースには、凛として華やいだ祇園藝妓舞子の方々の御挨拶まわりの映像が放じられます。「田の実」が「頼み」になったのだと、どなたかに伺った覚えがあります。恩義ある方に御禮を申し上ぐる日。
先生、此の度も同じ時代に生まれ合わせ、御作を読むことのできる仕合わせを、御本を送付いただいて、手にすることのできる有り難さを、深く感謝し心より御禮申し上げます。
猛暑の最中に送り出し作業の、お身体へのご負担は、さぞや…と、祈るような気持ちでおります。
何のお慰めにもならないとは存じますが… 勤め先に、八坂神社から授与されたばかりの護符がありましたのを、写真に撮ってみました。勝手ながら、添付させていただきます。
どうぞ、お大切になさりながら…と、お祈り致しております。  京・鷹峯   百 拝

* 八朔(八月の一日=朔)の今日(京)は、新門前の我が家のまえも、端麗に正装した祇園甲部の藝妓が、西町の京舞井上八千代家へ 「よろしゅう、おたのもうします」とあいさつに出向く姿を、例年、見かけた。我が家は新門前通り仲之町の東端にあり、西之町には井上流家元(=京観世片山九郎衛門家)の住まいがあり、祇園の女たちはこの日はのこらず日頃の謝意をつたえに参集する。たぶんそんなニュース映像は今日もながれるだろう。

夏の夜もすゞしかりけり月影は
庭しろたへの霜とみえつゝ   民部卿長家

なんの誇張でなくこの詠のままに、足もとから浮かぶような涼しい夏の月影を浴びたこと、何度もあった。この和歌、ただ歌合のための修辞でなく、みごとな写実であったと想う。
2017 8/1 189

☆ 暑い日が
続いていますがお元気の御事と存じます。
当尾、今のところ皆 元気に致して居ります。
二、三日前より 恒平様の本を整理いたして居りましたところ、本を開けると 紙きれと共に (「死なれて 死なせて」の御本です。) そのビラの用紙には 当尾の叔母様へと… 感激いたし涙があふれ出ました。
いつかの日、はんげっしょ の だんご作ってた時に。 暑い暑い日でした。

結婚式の時は 9人の兄弟皆々元気でしたが 今は私一人になりました。
私も昭和三年産まれで 木津川市より 1m四方の座布団を頂きました。
恒平様 いつまでもお元気でネ、 頼りにして居ります。
新茶が少々入りましたので お送り致します。    当尾   吉岡嘉代子

* 守叔父さんの奥さん 叔母さんの 思いがけないお便りを戴いた。嬉しく、胸を熱くする。

* この日ごろわれのさ庭に米まけば
鳩のきて喰ふが 嬉しくてならぬ   湖
ぽォと呼べば鳩のつがいは羽うちて
小屋根のはじに胸ふくらます
2017 8/4 189

☆ (谷崎潤一郎への)重い巻が
二巻重なりました。ありがとうございます。両巻ともすでに読んだはずの文章を確かめながら、果してどれだけ理解して生きたかりしにたものやら、印象をたどって読み返したいと思っています。
先日友人が贈ってくれた『句集』の中に
暑き日のインクの色は青がよし
というのがありました。そこで、久々にモンブランのROYAL BLUE をとり出してみました。選集のお礼には、ちゃんとした<こと>を書く自信がないので、近況を二つ書きます。(お読み捨てください)。
一つ、七月二十六日は、森山啓の野の花忌で、毎年安宅の海浜にある詩碑の前で偲ぶ会が催されます。小松の文芸協会の主催です。その時、記念俳句会があって、お招きをいただいている私も参加せざるを得ません。一年に一度きりの作句です。今年の兼題は「露草」でした。
つゆ草やいまのいのちをいとほしむ
と、投じましたら三位に入りました(投句数──出席者──は三十二句)。
当地では相当の俳人もいる中での入選で、申し訳なく思ったことでした。
二つ目は刻印についてです。
毎年能美市老人クラブで連合会余技展というのがありまして、係の人に請われて、ここ二三年来、刻字を出品しています。作品は「大事」と彫りました。お大事にとそのままです。(このこと前にお話したかも知れませんが──)
秦さんのホームページに「閑事」のことが書かれていまして、秦さんと私の現在の格差は、「閑事」と「大事」のそれかなと思ったりして、貧弱な生活を恥じています。
お二人様どうぞお大事に。 (乱筆失礼) 八月二日
井口哲郎  前・石川近代文学館館長

* 井口さんのこの柔らかに深く寛いだ行文の優しさに、いつもいつも心惹かれる。わたしの「閑事」など、まだまだ硬直していて、恥ずかしい。
「つゆ草」の発句に次韻して
つゆ草やいまのいのちをいとほしむ  哲
老いのなさけを人とわかちて       平
2017 8/5 189

* 上掲の写真三点、心を澄ませたいと心底願って掲げている。心淵を汚してくる不快はかぎりなく打ち寄せる。せめてマスコミを軽率に騒がせる他人のあれこれに心を乱したくない。到らぬ自身の気持ちを清いもの美しいものに励まされたい。
世中常なく侍りける比、久しうおとせぬ人の許に
つかはしける
消エもあへず儚きほどの露ばかり
有やなしやと人のとへかし     赤染衛門
2017 8/8 189

* ひとつぶの米ものこさず雉鳩の
テラスにおりて喰ひて行きつも
2017 8/13 189

☆   世中常なく侍りける比、久しうおとせぬ人
の許につかはしける      赤染衛門
消エもあへず儚きほどの露ばかり
有やなしやと人のとへかし
文集の蕭々暗雨打窓聲といふ心をよめる  太貳高遠
戀しくば夢にも人をみるべきに
窓うつ雨にめをさましつゝ

* 平安の和歌は「思い」をうたっている、人に呼びかけている。現代の結社短歌は、ほとんどが、推敲を経ないガサツな語句でただ五七五七七を観念で埋めている。
2017 8/14 189

☆ 京の大文字
送り火を賀茂川岸辺から。松ヶ崎の「妙法」も微かに。
今年になってからも数人と界(よ)を異にし、胸に迫る想いを送り火と重ねました。
神戸の詩の集まりと絵の教室に参加して帰宅する予定です。
天候不順なこの夏、お身体大切に。 尾張の鳶

☆ 哀傷  後拾遺和歌
ありしこそ限なりけれあふ事を
などのちのよとちぎらざりけん    源兼永
立チてのぼるけぶりにつけておもふ哉
いつ又我を人のかく見ん       いづみしきぶ
などてかく雲がくるらんかくばかり
のどかにすめる月もあるよに    命婦乳母

* 消えゆくをさだめと花火きほひ咲く

いまここの生きの命よ秋さりぬ

この道はどこへ行く道 ああさうだよ
知ってゐるゐる 逆らひはせぬ
2017 8/17 189

* 望郷のおもいに惹かれ、歌集『少年』を読み返してみた。岡井隆さんの自選二種の「昭和百人一首」で、二度とも、名だたる専門歌人にまじって各一首採ってもらった。歌詠み小説家への嬉しい勲章であった。
2017 8/18 189

* 終日、歌集の組みを工夫し再編していた。わたしの文藝で、短歌等は、小説や論攷やエッセイと対峙して動かない創作世界。選集には、いい感じでぜひ入れたい。散文のように或る程度機械的に割り付けできない、やはり少し贅沢に余白をもって掲示したいと苦心している。
おかげで目はカサカサに乾いてしかも視野は濡れたように霞んでいる。もうすぐ十時。
感心に、九時過ぎると酒は呑まない。ものもあまり食べない。ついつい食べないで済まそうと思うのだ、あの食いしん坊だったわたしが。腹にたまるのが辛い。二度も入院した腸閉塞を三度もやりたくない。結局は酒、ワイン、ビールに頼り、酒の肴と果物で食事している。

* 出掛けたいと思っていたが、つい仕事へ気が行く。生き急いでいるなと思うこともある。

まあだだよ。もういいよとは言はれまじ。もういいよとは、もうおしまひぞ。
2017 8/20 189

* 夜前「総角」のあとで、久保田淳さんに戴いた『藤原定家全歌集』の四十頁余の「解説」を一気に通読、久々に定家卿の生涯を要領よく復習できた。幾つも新たに教わった。定家と限らず「侍従」という官職名の意味は「おとしものを拾う」ことと。侍従の唐名は「拾遺」と聞くと、あ、なるほどと。わたしも歌集を編んで『光塵』のあたまには前歌集『少年』拾遺を、『亂聲』のあたまには『光塵』拾遺を置いていた。
朝廷での「侍従」とは、では何を。要するに「あれこれ」か。定家はわずか五歳で正五位下に叙せられ侍従となって以来延々とじじゅうであったことに不満だった。中断して以降よほどの大人になって官位をあげてからもまた「侍従」だったことがある。一種なんでもやの無任所官なのか、定家は熱心に「蔵人頭」を願ったけれど叶わなかった。蔵人所というのは令外官で、天皇に直属して諸事に応じる。「侍従」は、ま、朝廷内の「あれこれ」に随時に応じていたのだろう。定家一代の自選歌集の総題は『拾遺愚草』である。拾いに拾い取ってある。
2017 8/25 189

述懐 平成二十九年(2017) 九月

秋のはじめになりぬれば 今年の半ばは過ぎにけり
我がよふけゆく月影の かたぶく見るこそあはれなれ  慈円

生涯の影ある秋の天地かな        長谷川かな女

石に腰を、墓であつたか           種田山頭火

石越ゆる水のまろみをながめつつ
こころかなしも秋の渓間に      若山牧水

強風に逆行し逆行しこの先に
憩ひあらんとふと妄想す       富小路禎子

蝉よ汝 前世を啼くな後世を啼くな
いのちの今を根かぎり鳴け     恒平

親は子といふて尋ねもするが
親を尋ねる子は稀な         山家鳥虫歌

かう生きてあゝ生きてなどおもふなよ
お月様幾ツ十三七ツ         恒平
2017 9/1 190

* 「恋人同士が電話すら出来ずにいて、一週間ぶりの日曜に顔を合わせる。そんな時の身振り一つ、ため息一つは、どんなに雄弁であり、ーー食べ物に譬えるなら、おいしいことだろう。」
六十に手の届くオバサンが、若い女性作家のこんな小説中の一節に身もだえしそうに共感し嘆賞しているのを知って、ビックリしたことがある。気持ちの問題 ではない。この小説と称する文章、この幼稚さにびっくりし、それに共感できるオバサンの幼さにもビックリした。いつまでも少年であり少女であるのは佳いこ とでもあろう、が、幼稚はダメ。
それにこの作家の、これは、表現ではない、押しつけに同じ、説明である。表現でなく説明に惹かれている内は「読む」ちから、深まらない。
人につかはしける    紀長谷雄朝臣
ふしてぬる夢路にだにも逢はぬ身は
なほあさましきうつゝとぞ思ふ
2017 9/1 190

* 座右に詩歌の集をおかずにおれない。和歌集では後撰、拾遺、後拾遺三集を手放せず、日々に文字どおり愛翫している。なかでも後拾遺へ手が出る。

女の許より帰りてつかはしける     少将藤原義孝
君がためをしからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

男の、頼めてこざりけるつとめて    赤染衛門
やすらはで寝なまし物をさ夜ふけてかたぶくまでの月をみし哉

幼小来 感嘆してやまない歌が同じ和歌集の見開きに出ている。
月々に数多送られてくる現代歌誌のどの頁にも、なにを歌おうが、かほどの表現と真情に出逢うことは ぜったい と云いきれるほど無い。そもそも「うた」の「うったえ」も「うたう美しさ・みごとさ」も現代短歌は棄て果てている。屑の多産に過ぎない。
昨日触れた正岡子規最期の「九月十四日の朝」一文が湛えていた、あの美しい詩人の眼の真率を識らず、ただムリムリに造作されている今日の「歌」の汚さは目にあまる。
古代の人など、ただ遊んでいただけなどと思っていては恥ずかしい。
2017 9/2 190

☆ 陶淵明に聴く。

靄靄たる停雲
濛濛たる時雨
八表 同じく昏く
平路 これ阻まる
静かに東軒に寄り
春醪 独り撫す
良き朋は悠邈たり
首を掻きて延佇す

停雲は、親友を思ふなり。罇(たる)には新醪(しんろう)を湛へ、園には初栄列なる。願へども言(ここ)に従はれず、歎息、襟(むね)に弥(み)つ。

* 逢いたい友はみな遠くにある。はや界(よ)を異にしてもいる。
2017 9/3 190

☆ 陶淵明に聴く。

晨曦の夕(く)れ易きを悲しみ、
人生の長き勤(くる)しみなるを感ず。
同じく一(み)な百年に尽き
何ぞ歓び寡くして愁ひ殷(おほ)きや。

人はみなわずか百年の寿命で終るというのに、なにゆえこのように歓びは寡く、愁いのみ多いのであろうか。
2017 9/4 190

☆ 陶淵明に聴く。

儻(も)し行き行きて覿(み)ること有らば、
欣びと懼れと中襟に交々(こもごも)ならん。
竟(つひ)に寂寞として見(まみ)ゆること無く、
独り悁想して以て空しく尋ねん。

もし、こうして歩いているうちに、あなたにお逢いできたら、
欣びと懼れが、わたしの心にこもごも湧きたつでしょう。
けれど結局は心寂しいままに終わり、逢うことはなく、
ひとり哀しい思いを抱いてむなしく尋ね歩くばかりでしょう。
2017 9/5 190

☆ 陶淵明に聴く。

在世無所須
惟酒與長年

世に在って須(もと)むる所無し
惟(た)だ酒と長年のみ。
2017 9/6 190

* データ保存の間は機械が使いにくい。機械から離れるわけにも行かない。で、後撰、拾遺、後拾遺和歌集に詳細にいろんな爪印のつけてあるのをさらに点検しつつとびぬけた秀歌を選んでいた。
また手の届くところへ出してある史籍集覧『参考源平盛衰記』のたまたま四に手を触れ、ぱらっと開いて「実定卿厳島詣」の各種記事を逐一読めたのが、いま も思案中の仕事のためにも勿怪の幸いだった。この本は、なみの平家物語では手に入らないおはなしもフンダンに集めていて、わたしのような小説家には、お宝 なのである。
2017 9/7 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
最も微妙な狂気は最も微妙な叡智より成る。

* モンテーニュの「エセー」にも殆どこの通りの言表がある。叡智と謂うは憚るが、優れた創作は、微妙な、最も微妙な狂気に導かれる。万、相違ない。

☆ 陶淵明に聴く。

人も亦(ま)た言へるあり。
「心に称(かな)へば足り易し」と。
2017 9/8 190

☆ 白楽天に聴く
蝸牛角上 何事を争ふ
石花光中に此身を寄す
富に随ひ貧に随ひ且つ歓楽せん
口を開きて笑はざるは 是れ癡人
2017 9/10 190

☆ 後拾遺和歌集を読む

にごりなく千世をかぞへてすむ水に
光をそふる秋の夜の月         平兼盛
ふる里は浅茅が原とあれはてゝ
夜すがら虫の音(ね)をのみぞなく   道命法師

ほのかにもしらせてしがな春霞
かすみのうちにおもふ心を       後朱雀院御製
かくとだにえやは伊吹のさしも草
さしもしらじなもゆる思ひを       藤原実方朝臣          2017 9/11 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

小倉山たちどもみえぬ夕ぎりに
妻まどはせるしかぞなくなる     江侍従
のこりなき命ををしと思ふ哉
宿の秋萩散りはつるまで       天台座主源心
独(ひとり)してながむる宿のつまに生ふる
忍ぶとだにもしらせてし哉       藤原通頼
わぎも子が袖ふりかけし移り香の
今朝は身にしむ物をこそおもへ   源兼澄
2017 9/12 190

 

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

秋風にしたばや寒くなりぬらむ
こはぎが原に鶉なくなり       藤原通宗朝臣
寂しさに宿を立チ出デてながむれば
いづくもおなじ秋の夕暮       良暹法師
逢フまでとせめて命のをしければ
恋こそ人のいのちなりけれ     堀河右大臣
さりともと思ふ心にひかされて
今まで世にもふるわが身哉     西宮前左大臣
こひこひてあふとも夢にみつる夜は
いとゞ寝覚ぞわびしかりける    大中臣能宣朝臣             2017 9/13 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

白菊のうつろひ行クぞ哀なる
かくしつゝこそ人もかれしか     良暹法師
紅葉ばの雨とふるなる木の間より
あやなく月の影ぞもりくる       御製
けふよりはとく呉竹の節ごとに
夜はながゝれと思ひけるかな    源定季
君がためをしからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな      少将藤原義孝
2017 9/14 190

☆ 啓
昨日(12日)『枕草子』を受取りました。「学研版」は、教員時代に授業で活用させて頂く機会はありませんでした。ただ図書館で借りて、気楽に読んだ記憶があります。私も「定 子」は気になる存在です。何となく孤独感を感じさせるお人に思えます。清少納言は、それを感じとりながら、そしらぬ顔で、一生懸命にお伽ぎをしている。そ れが読む私にも伝わってくるような気がするのです。「秦恒平訳」からは、特にそんな気分が強く感じられたように思います。「商売気」(授業という)を離れ て読んだせいかもしれません。──もう一度ゆっくり読ませていただきます。秦さんの「枕草子」のカセットテープを久々にとり出してみたのですが、テープが 劣化していて明瞭さに欠けていました。しかしアノ京都風な語り口だけはなつかしく響いてきました。
昨日は、出かける矢先に『湖の本』が届きました。それで「受取」が後になりました。(お払い込みを慥かに頂戴致しました。秦)
実は、鶴賀若狭掾の新内を聞きに行ったのです。私の脚色した「註文帳」を演ってもらってから、二十年来のお付合いになります。数年前、若 狭掾さんが、白山市松任学習センターコンサートホールの名誉館長になられて以来、毎年一、二回の演奏会が開催されています。昨晩の浄瑠璃は、ご自身の脚本 の「酔月冗語」(「花井お梅」のパロディ)でした。藤山新太郎さんの「手づま」の併演がありました。(私はじっくりしたおとろえのない新内だけを聞きたい のですが、 中略)
「おとろえ」といえば、お出かけも、夜(の運転=)はパスしてくれと家の者がいいます。本数の少いダイヤを何とか選んで、バスを使いました。それはそれ なりの気分は味わいましたが少し情ない思いです。ほとんど毎日の散歩も、五千歩前後が、苦になることもあります。年が年だからあたりまえだと、自分で自分 を慰めている次第です。ただ毎日の生活にはそれなりに対応できるだけでも「いいのかな」と思っています。
秦さんのおことばにひかれて、『古文真宝(前集)』を引っばり出してあちこち拾い読みしています。
どうぞお二人には、お大事に、お大事に。 九月十三日  井口哲郎  前・石川近代文学館館長

* 日に「五千歩」とはのけぞって尊敬します。わたしなど出かけもしないので、家の中はともかく、半月、二十日にも戸外杖衝いて五千歩なんて歩けていませんねえ。タマに自転車でポストまで走りますが三、四分で往復できる近さ。腕力はあるけれど、脚力は危機にちかいです。

* 井口さんの自動車に夫婦して乗せて頂いたことがあり、此の自動車は国産のいかなる乗用車とぶつかっても壊れませんと聞いてビックリしたのを忘れない。
井口さんのお手紙は私信という以上にいい随筆を読むようにいつも楽しむ。封緘の「白露」の印も美しい。「朱明(夏)白蔵(秋)」の印を彫って頂いてい る。まぢかにお若い頃の作と伺った陶淵明のなつかしい詩句を彫られた大作も頂戴している。「選集」の謹呈印はおおかた井口さんに甘えて戴いた作である。此 の月末にはまた選集新刊に印を捺す。
『古文真宝』前集へいま手を伸ばした。五言古風短篇をひらけばすぐ陶淵明の「四時」や、好きな賈島の「訪道者不遇」に出会えて、しばし瞑目。

四時        陶濳
春水満四澤 夏雲多奇峰 秋月擧明輝 冬嶺秀孤松

訪道者不遇    賈島
松下問童子 言師採薬去 只在此山中 雲深不知處
2017 9/15 190

 

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

あふ坂は東路とこそきゝしかど
心つくしのせきにぞありける
今はたゞ思ひたえなんとばかりを
人づてならでいふ由もがな     左京大夫道雅

心にもあらでうき世にながらへば
恋しかるべき夜はの月かな     三條院御製
もろともに同じうき世にすむ月の
うらやましくも西へ行クかな     中原長国妻
* 玄関に小堀宗中筆と伝える雪月花三幅対のうち「月」を掛けた。

月   そらにのみ見れともあかぬつき影の
水なそこにさへまたもあるかな     宗中

「月」 一字が大きく美しく書けている。歌は、月並みだが。宗中は、小堀遠州子孫、旗本小堀家の中興をうたわれる茶人で「政優」の名とされているが、上の三幅対の箱蓋には「小堀政廣筆」と銘記されていてやや悩ましい。
この「月」の軸を廣い床にかけ、京の蹴上、都ホテルの茶室で叔母の美緑(みろく)会が釜を掛けた。のちに渡米してサンフランシスコで結婚した大谷良子さん(ロス在住池宮千代子さんの姉)を、この「月」の軸の床まえで撮った写真が一枚遺っている。
軸は、よく映えた。はなやかに思い出の多い茶会であった。淡々斎好み、みごとな「松」蒔絵の美しい「末広」銘の茶器を用い、わたしの見つけてきた「須磨」焼と称したおもしろいかき分けの茶碗を替えに使って、能「松風」を趣向の茶会にしたのを覚えている。
茶器の「末広棗」は高麗屋のお祝いに謹呈し、「須磨」の茶碗は池宮さんに謹呈した。
宗中筆と伝える「雪月花」三幅対、指導に当たっている後輩加門宗華さんに託して母校日吉ヶ丘高茶道部「雲岫会」に寄贈できればと想っているのだが、どうでしょう。
2017 9/17 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

黒髪のみだれてしらずうちふせば
まづかきやりし人ぞ恋しき       和泉式部
中たゆるかづらき山の岩ばしは
ふみゝる事もかたくぞ有ける      さがみ
あらざらむこの世のほかのおもひでに
今一度の逢フ事もがな         和泉式部

曇る夜の月とわが身の行末と
おぼつかなきはいづれまされり   大納言道綱母
夜をこめて鳥の空音ははかるとも
よに逢坂の關はゆるさじ       清少納言
2017 9/18 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

契りきなかたみに袖をしぼりつゝ
すゑの松山浪こさじとは        清原元輔
恋しさを忍びもあへずうつせみの
うつし心もなく成にけり         大和宣旨

いつしかとまちしかひなく秋風に
そよとばかりもをぎの音せぬ     源道済
まつ事のあるとや人の思ふらん
心にもあらでながらふる身を     藤原兼綱朝臣
2017 9/19 190

 

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

恨み侘びほさぬ袖だにある物を
恋にくちなん名こそ惜しけれ      相模
人の身も恋にはかへつ夏虫の
あらはにもゆとみえぬばかりぞ     いづみしきぶ

ものをのみ思ひしほどにはかなくて
浅茅が末によは成にけり        和泉式部
消エもあへず儚きほどの露ばかり
有やなしやと人のとへかし        赤染衛門
2017 9/20 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  旅の歌と雑の歌と

わたのべや大江のきしにやどりして
雲居に見ゆる生駒山哉         良暹法師
風ふけばもしほの煙打チなびき
我も思はぬかたにこそゆけ       大貳高遠
いそぎつゝ舟出でしつる年の内に
花のみやこの春にあふべく       式部大輔資業

世中を何にたとへん秋の田を
ほのかにてらすよひのいなづま    源順
恋しくば夢にも人をみるべきに
窓うつ雨にめをさましつゝ        大貳高遠
しかすがにかなしきものは世中を
うきたつほどの心なりけり        馬内侍
2017 9/21 190

* もう一冊持ってきたのが「口説音頭集成」上巻。古来盆踊りで音頭として延々口説きうたわれた歌詞の集で、冒頭には「会津の小鐵」ついで「赤垣徳利の別れ」。七五調なみに延々と語りつぐ。まことに面白い。
わたしは、もうむかし、戦時疎開で丹波の山の中へ逃げ込んでいたとき、部落の祭に「友さん」という小父さんが聴いたこともない名調子で延々と八木節とや らを謳うのを小さな神社の拝殿に腰かけて聴いたことがある。意味のある言葉は何一つ覚えないが、「よいとよいやまっか どっこいさぁのせぇ」と何度も挟ま れる囃したては耳に残って忘れない。もう一つ、この祭の時、たまたま秦の父も京都から来ていてわたしの横にいたが、友さんの口説きか音頭かとにかくも紅潮 に達していたときに父は、突如として「友さん、ばっかりィ…」と大声を投げた。そんな父もかつて知らなかったし、その叫びが声援に類するらしいとは察した が、かつて知らず意味不明に奇妙だった。あのとき拝殿前の猫の額ほどせまいところで女の大人や子供がせいぜい六七人でへんに侘びしげに影のように踊ってい た気もするが夢のよう。

* 奈良県宇陀郡菟田野町で採録された「会津の小鐵」は長い長い口説きだが、

人に親分親分と
立てられますが悲しさに
引くに引かれぬ男の意地
剣の刃渡り数知れず
浪花で生れ江戸育ち
今ぢゃ京都の会津部屋
本名向坂仙吉じゃけれど
差した刀が長曽根小鐵
部屋と刀が仇名と成って
会津小鐵と人が呼ぶ
梅の浪花の皆の衆が
唄ひ出したるそのまた唄が
此の赤万膏薬でも
会津の小鐵がソテツでも
難波の福さんお多福でも
薬缶藤平が鉄瓶でも
馬屋のつぼ竹が竿竹でも
衿に大瓢箪背中に兵の字揚げりゃ
年期が増すばかり
あれが小林兵吉さんと
唄われました名物男
会津小鐵の売出しを
これ持ちましてよ
弁賊姫事 実明らかな
説明も成らないけれど
学びましたるお粗末だけを
悪声ながらも伺ひませう
京都北野天満宮の
東門に宅構へたる
男前なる文治と言ふて
やくざとせいの一匹鴉
ひょんな事から間違い起し
けんかの相手と役人と
間違いまして一刀の元に
斬殺したるそのために
軽くて打首重ねて磔
どちらにしても命のない所
小鐵の子分の小太郎が
親分小鐵に話しして

以下、延々延々延々と音頭の口説きが続いて行く。それに乗って盆踊りが続いているのかどうかわたしには見えないが、どうもそうらしい。敗戦後の京都でも 爆発的に流行った「盆踊り」の唄とはめちゃくちゃに異なっている。わたしらはあの頃、「瑞穂音頭」「京都音頭」「東京音頭」「炭鉱節」「真室川音頭」など で踊り狂っていて、「会津小鐵」や「赤垣源蔵」や「赤木谷悲恋心中口説」等々のごときは夢にも知らなかったが、田舎田舎には独特の音頭口説が遺っていてちゃんと唄い語りえた役の人がいたのにちがいない。書庫から持ち出した二大册には二百に及びそうな「音頭口説」が書き取られてあり、堪らなく刺激的に面白そうである。こういうのをわたしも、よく買って置いたと感心する。
じつは「説経」が読みたかったのだ、「山椒大夫」などのような。説経節と音頭口説とは筋が違っているような気がする、よく知らないので何とも謂えない が、「音頭口説」出来れば全部読みたい。もう四半世紀早くに読んでいたらわたしは不思議な小説を何編か書けていた気がして、もったいないロスをしたとやや 悔いている。わたしの身内にひそんだ「根の哀しみ」にかならず何かが触れて来るに相違ない。

*とにかくも「音頭口説」の多方面に多彩なのにおどろく。伝説や説話への、伝説や説話からの、双方向での浸潤のほどを察して、日本の文学文藝の理解から取り外してはなるまい。
2017 9/22 190

* 枕草子や宇治十帖を、さらには泉鏡花など耽読の一方で、日本の各地に伝承され語られ唄われ囃され踊られてきた「音頭口説」にも読み耽ると、いきらか身 を二つに引きちぎられるような感興へ落ちこんで行く。音頭・口説きはまさしく通俗の最の最たる表現だが、大方、七七七五音で唄われ語られ、七七音で結ばれ て行き、日本語の性質・素質からにじみ出るように湧いた表現でもあって、とても顔をそむけられない。極端なことをいえば、上の泉鏡花のみごとな魔術的な日 本語にしても、じつは、源氏物語や枕草子よりも、音頭口説を根に抱いているのだと読みたくなる、そう掴んだ方が正確だというほどの感触に痺れてくる。日本 文学の研究や批評に関わる人たちに、大きく廣く欠損している視野が有りはせぬかと気がかりである。

* それにしても読みはじめた鏡花の「高野聖」の出だし、痺れそうに懐かしい。「清心庵」の女と千太郎との対話の旋律もそれはもう面白いのナンノ。文学・文藝の底の深さの嬉しさよ。
2017 9/22 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

ありしこそ限なりけれあふ事を
などのちのよと契らざりけむ     源兼長
立チのぼるけぶりにつけておもふ哉
いつ又我を人のかく見ん       いづみしきぶ

思ひしる人もありけり世中を
いつをいつとてすぐすなるらん    前大納言公任
水草ゐしおぼろの清水底すみて
心に月の影はうかぶや        素意法師
程へてや月もうかばん大原や
おぼろの清水すむなばかりに    良暹法師               2017 9/23 190

* しら玉の坏(つき)になごりの酒くみて思ひのたけのかぐやひめこそ
月見れば千世の八千世も想はるるあなかぐやひめ来ませわが家に

* 焼き山女魚の竹筒に熱燗酒をそそいで、白玉の坏(つき)でしみじみ秋を迎えている。
2017 9/24 190

* 源氏物語や枕草子の人たちなら、無数の同時代和歌や歌謡をよく覚えていて、片言の「引き歌」でちゃんと意思疎通ができたが、同じ真似を現代人同士、大昔の和歌や歌謡の一部を引いてものを言い交わそうなどは、よほどの場合以外はお話にならずヘンなイヤミに陥ってしまう。
名古屋の河文の若女将とわたしが閑吟集のうたで言い交わしたことがあるのは、相応の下地が双方に出来ていたから可能で面白かったが、ワケ分からず突っかけられたら、キョトンどころかアタマに来るだろうと思う。
秦の母や父はサイコロ・ゲーム半ば賽の目のひとつにも、面白い地口をよく口にしたが、誰もがワケ分かっていたのだから面白かった。平安時代の女同士男同士ないし男女の仲でも、相手が分かるワケのない引き歌で困らせたりはしなかった。
2017 9/24 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「もしわわれ自身が思いあがっていなければ、他人の追従がわれわれを毒することはありえないだろう。」
「追従はわれわれの虚栄心に俟たなければ通用しない贋金である。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と
などてかく雲がくるらんかくばかり
のどかにすめる月もあるよに      命婦乳母
むらさきの雲のかけても思ひきや
春の霞になしてみんとは         左大将朝光

思ひやれとふ人もなき山里の
かけひの水のこゝろぼそさを      上東門院中将
わかれ行ク舟は綱手にまかすれど
心は君がかたにこそひけ        藤原孝善

* 今日出かけなくて済んだのは、ほっこりと有り難い。なにとなく、いま、わたしはなかぞらに浮游の気味で頼りない。
しかし『参考源平盛衰記』第四十ないし四十六巻から多くの欲しかった知見が得られた。昔の袖珍版和綴じ和紙本はなんと軽くて柔らかいか、老人が寝ころがって読み進むのにほんとうに助かった。
『音頭口説集成』は大判で堅牢な製本で重い。しかしなかを読むのは至極く面白い。松園さんに「少女深雪」と題したそれは美しい繪があり、「朝顔日記」ヒ ロインとは知っていたけれどそんな芝居もしらねばそんな本も読んだことがなかったのに、「口説き」にはちゃんと載っていて、ゆっと話の筋が読み取れたのも 有り難かった。なにしろ七七七五調で口説いて行くからどう長かろうとどんどん読まされる。大冊の二册、みな読んでしまいそうだ。参勤交代の道中で三人は斬 り捨て御免を公儀にねだって聴許されていたと謂う「明石の殿さん」というのはひどいヤツであった、あちこちで怨嗟の音頭口説きにされている。
十巻選集版の泉鏡花本は四六版情勢ながら軽く造られていて、いまは『高野聖』を楽しんでいる。深い山道をゆく聖のしもとをしきりに蛇が出て悩ますのが叶わないが。やがては山蛭が雪のように笠へ降り次ぐであろう。
宇治十帖はやがて浮舟登場の「東屋」巻へ到着する。新岩波文庫版の第二巻到来が待ち遠しい。
2017 9/25 190

☆ 鯨呑蛟闘波血と成るも 深澗遊魚は楽しみて知らず    白楽天

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

いかばかりさびしかるらん木枯の
吹キにし宿の秋のゆふぐれ      右大臣北方
うたゝねのこのよの夢のはかなきに
さめぬやがての命ともがな       藤原実方朝臣

を鹿ふすしげみにはへる葛の葉の
うらさびしげにみゆる山里      大中臣能宣朝臣
七重八重花はさけども山吹の
みの一つだになきぞかなしき    中務卿兼明親王           2017 9/26 190

* ものの端っこだけ聞きかじっていて、じつはよく知らないこと、沢山ある。「朝顔日記」の少女深雪のことなど全く知らなかった。「音頭口説」に教えられ た。阿波の少女おつるのものあわれな巡礼のはなしはホンの端っこは何度も聞きかじってきたが何も知らぬと同じだったのを、やはり「音頭口説」の「阿波の鳴 門」をつぶさに聴いて、思わほろりとず泪した。
「音頭口説」は読みはじめると投げ出せない、そこに七七七五調、七七調の魔力が働いて引き摺られて行く、それも快調 に。
いま鏡花の名作 『高野聖』をずんずん読んでいるが、むろんもう何度目の通読か知れないのに、今度はふと真新しい感想をもった。これは「音頭口説」の目を瞠るみご とな芸術化のように読めば読める。聖の「語り」の美事さは、「口説」の野卑にして未熟なと天地ほど大違いであるけれども、根は日本の民衆の「音頭や口説 き」を好んだ生地の、美事な仕上げの感がある。『龍潭譚』でもそうだったと今にして気が付く。「物語り」というも「小説」というも、根に、歌って語る「音 頭口説」と「囃 し」の楽しい風習が下敷きを成している。「あ、そうかあ」と目からウロコを落としたように、思う。
「エンヤ、エンヤマッカ、ドッコイサノセェ」と聞いた戦時中 丹波の山奥の、篝火もわびしいささやかな宮前の八木節囃し声と盆踊り、もろ肩脱いでえんえんと口説き続けた「友さん」の名調子。ああ、よく体験しておいたと、ふ と目尻に泪を溜める。
2017 9/26 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と
とゞめおきて誰を哀とおもふらん
こはまさるらんこはまさりけり      いづみしきぶ
見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし
心もしらぬ撫子の花            上東門院
見んといひし人ははかなくきえにしを
獨露けき秋の花かな           藤原実方朝臣

男に忘られて侍りける頃
物思へば澤の螢もわが身より
あくがれ出ヅる玉かとぞみる      和泉式部
貴布禰の神 御返し
奥山にたぎりて落ツる瀧つ瀬の
玉ちるばかりものな思ひそ

☆ 晩桃花  白楽天
一樹の紅桃 亞(た)れて池を払ふ
竹遮り松蔭(おほ)うて晩くに開く時
斜日に因るに非ざれば見るに由無く
是閑人ならざれば豈に知るを得んや
寒地材を生ずるも遺(わす)られ易く
貧家に女を養ふも嫁ぐこと常に遅し
春深う落んと欲するも誰か憐惜せん
偶々白侍郎(楽天)来て一枝を折る
2017 9/27 190

* どこか、綿のように疲れている。心因によるのか。気候か。利き腕で頸の後ろを掴むと電氣が走るように痛む。

☆ 舊房   白楽天
壁を遶(めぐ)る秋聲 蟲絲を絡(まと)ふ
簷(えん)に入る新影 月眉を低(た)る
牀帷半ば故(ふ)りて 簾旌(=簾)は斷え
仍(なほ)是れ初寒 夜ならんと欲する時

* ま、こんなふうに暮らしている。
2017 9/28 190

 

述懐 平成二十九年(2017) 十月

空をあゆむ朗朗と月ひとり       荻原井泉水

月天心貧しき町を通りけり       与謝蕪村

石に腰を、墓であつたか        種田山頭火

芋の露連山影を正しうす        飯田蛇笏

やはらかき身を月光の中に容れ    桂信子

良夜かな赤子の寝息麩のごとく    飯田龍太

秋風や不称念仏馬の耳         恒平

柿の木に柿の実が生りそれでよし  宗遠
2017 10/1 191

* 十月、秋の述懐には、胸に沁みる俳句を選んで、もらった。
2017 10/1 191

☆ 夜雨 微雨夜行  白楽天

早蛩(こおろぎ)啼きて復た歇(や)み
残燈滅(き)えんとして又 明らかなり
窓を隔てゝ夜雨を知る
芭蕉 先づ 聲あり

漠々 秋雲起り
稍々 夜寒生ず
自づと覚ふ裳の湿ふを
點(燈火)なく 聲もなし

* わが昔人らが白楽天の詩をことに慕い愛したきもちが分かる。
いまわたしはこれらを少年の昔から秦の祖父の蔵書に見出し愛玩してきた、国分青厓閲・井土靈山選、文庫本よりなお幅の狭い『選註 白樂天詩集』(明治四 十三年五月初版)で毎日読んでいる。この本には、忘れがたい反戦・厭戦の七言古詩「新豊折臂翁」が入っていて、国民学校三年生を終え丹波の山奥へ秦の祖父 や母と戦時疎開するより以前から愛読していた、「兵隊には行きとない」と思いながら。その久しい思いから作家以前の処女作「或る折臂翁」(選集⑦巻所収) を書いたのだった。秦の祖父は、夥しい数のこういう漢籍や古典を所蔵していた、ただし読んでいるのを観たことは無かった、長持の底や箪笥の戸袋などから発 見していったそれらすべては少年・秦 恒平のまつしく所有に帰し、その大方を京都から東京へ移していた。祖父はちいさい「もらひ子」のわたしにはこわい人であったが莫大な恩を受けている。「古 典」という詞藻と表現の結晶をさながらに「思想(エッセイ)」としてわたしは敬愛し親愛できた。これが無かったらわたしは作家に成れていなかったろう。
だが、これらの古典籍も、やがては廃棄されてしまう。「精神」としてこれらを引き受け得る子孫をわたしは持てていない。やんぬるかな。
2017 10/3 191

☆ 秋房の夜  白楽天

雲は青天を露はして 月 光を漏らす
中庭 立つ久しうし 却つて房に帰る
水窓 席冷やかに 未だ臥す能はず
残燈をかかげ尽くして 秋の夜は長し                       2017 10/4 191

* 奈良の歌人東淳子さん、金沢の作家金田小夜子さん、愛知・知多郡の久米則夫さん、まことに有り難くご支援を戴いた。

* 東淳子さん、新刊の歌集を頂戴した。堅固に慥かな批評の歌ではじめられてある、丁寧に読みたい。
文化出版局の中野完二さんも銘酒「やまと櫻」を下さる。
2017 10/7 191

* 昨日戴いた東淳子さんの新歌集『とはに戦後』を、就寝前に、最終章から読みはじめ、「衝撃」的な、歌われてある内容にも歌われてある措辞と表現とにも、感銘と共感を得た。
東さんは今日の短歌界で屈指の、真の詩人とわたしは久しく敬愛してきたが、こんどの集でこの(わたしとそう年齢・年功の違わない)歌人は、凛然と、ズレ もクルイもない日本語で、「戦後」を歎き怒り、「現在日本」に憮然たる不承の思いを、ただ観念ででなく、事相の凝視と批評とで「歌い」抜いており、聊かの 蕪雑や雑駁を峻拒して美しい、きりっとした「日本語」を創作し得ている。
びっくりするほど、感じ入った一首一首のゆえに、こころみに、短歌表現になど何の関わりも持たない妻に、おなじ最後の章から読ませてみたら、好餌に食いついた魚のようにみごと歌集に掴み込まれてしまったのは、愉快であった。
短歌の行儀をたしかに備え、措辞のおろそかの少しも無いままに「現実日本」を一首一首が突き刺している。
この歌人は、人間の時間は、洋の東西も古今もなく 「戦後」 を抱いて生きる時間・歳月と見切っている。仇疎かに生きていない、生きられない人なのである。

わが歌に身丈のありてそこよりは
遠くへ翔びたちゆけぬ言葉ら

と結ばれてはいるが、立派な歌集に恵まれたと思う。
2017 10/8 191

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷と雑の歌

恋しさにぬる夜なけれどよの中の
はかなき時は夢とこそみれ     大貳高遠
別レにしその日ばかりは巡りきて
いきもかへらぬ人ぞ恋しき      伊勢大輔
きえにける衛士のたく火の跡をみて
煙となりし君ぞかなしき       赤染衛門
年ごとにむかしは遠くなりゆけど
うかりし秋は又もきにけり      源重之

入道摂政かれがれにてさすがに通ひ侍りける頃、
帳の柱に小弓の矢を結びつけたりけるを、ほかにて
とりにおこせて侍りければ、つかはすとてよめる
思ひいづる事も有じとみえつれど
やといふにこそ驚かれぬれ       大納言道綱母

* 後拾遺和歌集の、おおよそ前詞を割愛しても 歌ひとつで秀歌と味わえるものを書き抜き終えた。女文化の粋である、和歌。和泉式部 赤染衛門 伊勢大輔 道綱母ら、女流の傑出していたことが実感できる。
2017 10/13 191

* 奈良の東淳子さんからも、新歌集『とはに戦後』にふれて送った手紙に、「たっぷりの勇気と元気をいただきました」と。
2017 10/14 191

☆ 陶淵明

廬を結んで人境に在り、
而も車馬の喧しき無し。
君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると、
心遠く 地自(おのづ)から偏なり。
菊を採る 東籬の下(もと)、
悠然として 南山を見る。
山気 日に夕に佳し、
飛鳥 相与(あひとも)に還る。
此の中に真意有り、
弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。

* 「欲辯忘言」 弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。
真意を存じてしかも斯く在りたいもの。忸怩たるあり。

* 仕事にかからず、『古文真寶』をめくり続けていて、ふと目に入った陳師道の「妾薄命二首」が胸に沁みた。「妾薄命」は古来の楽府題で、姫妾の薄命(不 運・不幸)にしてその福を全うできないのを詠うのだが、この師道はまさしくその境涯を切々と表現しながら実は、多年恩顧学問の師に先立たれた悲しみと、節 を枉げていまさらに他に赴くを厭い、師の墓辺に残年を生きたいと謂うのである。
ことに第二首の声涙きわまって詩句の美しいのにおどろくが、顧みて想えば「不思議」を蔵した詩境ではある。小説にしたいほどの劇情が窺える。
たまたま見つけた詩篇であったが、『古文眞寶』には、かようにも獲がたい寶が溢れている。幸い前後集・私蔵本は久保天随の「釈義」が懇切で優れ、御蔭でおおかた私にも読めて、有り難い。
かかる優れた漢籍にいろいろ親しんでいると、あの「中国」という国が、極み無く膨脹しつつ古・今一体なのか別モノなのかが「混乱」してくるのが可笑しい。
古の中国にはもっぱらその高い深い「文化」で接しており、今日の中国とは容認しがたい「政治や、けったいな行俗や迷惑な事件」でしか伝わってこないのだから。現代の中国の文明ではない「文化」
の知見を持ててないということである。わたしの僅かに識っているのはときどき戴いている中国現代の戯曲集のそれなりの面白さだけで。今日現代の詩も小説も美術も音楽も陶芸も、識らないのである。
2017 10/15 191

* かつて感じたことのない程、苦痛で深いな選挙戦である。堪えて、顔をそむけまいとはしている:が。
「勝敗、決まりきってるのに投票に行くの」などと、わたしたちの息子までが言う。むかしむかし、聞いて耳の汚れた「お賢い人ら」の科白だ。

☆ 陶淵明に聴く。

先師 遺訓あり、
余(われ)豈(あ)に云(ここ)に墜さんや。
「四十にして聞ゆる無くんば、
斯(こ)れ畏るるに足らず」と。
我が名車に脂さし、
我が名驥に策(むちう)たん。
千里は遙かなりと雖(いへど)も、
孰(たれ)か敢えて至らざらんや。

「墜」とは、放棄。の意味。「名車」「名驥」は内なる真の才能・力量の意味、贅沢な自家用車のことではない。その才・力に真の脂をさし鞭打たずしては、所詮 千里を行くことは出来ない。
処世をだけ賢く願う人は、なんで苦労して「千里」をなど、「一里二里」で十分ですと云う。一理は有ろうが。
2017 10/16 191

 

☆ 陶淵明に聴く

萬化は相い尋繹す   尋繹=推移交替
人生 豈(あ)に労せざらんや
古より皆没する有り
之れを念へば中心焦がる
2017 10/18 191

* 陶淵明に聴く

翼翼たる帰鳥  載(すなわ)ち翔り載ち飛ぶ
遊を懐(おも)はずと雖も  林を見れば情は依る
雲に遇へば頡頏(きっこう)し  相鳴きて帰る
遐路 誠に悠かなるも  性愛 遺(わす)るる無し

「翔」はまわりまわり飛ぶ。
「頡頏」は上へ下へ避けて飛ぶ。
「遐路」は遠い道。天空。
「性愛」は古巣への忘れられぬ情愛。

* 迪子 元気に帰ってくるのを 待っているよ。
2017 10/29 191

☆ 陶淵明に聴く
静かに念(おも)ふ 園林の好(よ)きを
人間(じんかん) 良(まこと)に辞すべし
当年 何ぞ幾ばくも有らんや
心を縦(ほしいまま)にして復(j)た何をか疑はん
2017 10/31 191

述懐 平成二十九年(2017) 十一月

空きよく月さしのぼる山の端に
とまりて消ゆる雲のひとむら      永福門院

空をあゆむ朗々と月ひとり           荻原井泉水

面白のお月や 二人見ば猶          隆達小歌

露寒や凛々しきことは美しき          富安諷生

桔梗(きちこう)や男も汚れてはならず    石田波郷

歯が抜てから顔の静けさ            武玉川

こころしてものいふべしとわれを叱り
われはかなしむうそくさい世を      宗遠

真夜中にふと妻の手をつかみたる
われを孤りにするなよ妻よ        恒平
2017 11/1 192

☆ 陶淵明に聴く

丈夫 志有りと雖も
固(もと)より児女の為に憂ふ
2017 11/1 192

* かねて不調をご当人からも伝えられていた弥栄中学同送の西村肇君が、九月になくなっていたと森下辰男君から報せてきた。
「肇サン」とみなに親しまれ、本来なら生徒会長だったわたしのなすべき同窓会の設営に、いつも率先当たってくれた心温かな名幹事役で、京都の大きな織物会社の役員さんであった。「湖の本」購読も最初から、まことに久しい深い縁であった。とても寂しい。
田中勉、三好閏三、そして西村肇。わたしの耳に届いてこない少なからぬ訃も避けがたい事実となっていよう。

友よきみもまた君も逝ったのか
われは月明になにを空嘯(うそぶ)かん
2017 11/12 192

 

☆ 白楽天に聴く

往時は渺茫としすべて夢に似
旧遊は零落して半ば泉に帰す

* それでも 歩んで行く。
2017 11/17 192

☆ 白楽天に聴く  「晩秋閑居」

地は僻にして門深う送迎少く
衣を披いて閑坐し幽情を養ふ
秋庭は掃はず藤杖をたづさへ
閑に梧桐の黄葉を蹋んで行く
2017 11/18 192

* 亡き大岡信さんの遺著『日本の詩歌』(コレージュ・ド・フランス講義録)を遺志により頂戴した。前に、『自選・大岡信詩集』『うたげと孤心』も戴いて いる。井上靖さんにさそわれ、大岡さんとも御一緒に中国を訪ねた旅はおもしろかった。四人組が追放された直後で、われわれ一行は人民大会堂で当時国会議長相当職の周 恩来夫人と会談した。「秦先生はお里帰りですか」とトウ・エイチョウ夫人に笑顔を向けられたのを忘れない。わたしの名は中国読みなら「チン・ハンピン」 と、断然まともな中国名なのだ。井上靖団長なら「チンシャン・チン」で、山本健吉さんなら「シェンポン・ゲンジー」だった。山本さんに、秦さんの名はいい なあと羨ましがられたのも、懐かしくも面白く。山本さんももうおられない。
あの旅に同行した井上靖夫妻、巌谷大四、伊藤桂一、清 岡卓行、辻邦生、大岡信また日中文化交流協会白戸秘書長も、みな亡くなっている。同年の筈の秘書佐藤純子さんと私とだけが生き残っている。まさしく「生き 残る」という実感だ。昭和五十一年(一九七六)十二月二週間の旅だった。私は満四十一に成ろうという若さ、いまの、眞半分の若さだった。
大岡信さんは、生来の文運に豊かに恵まれた優れた文化文藝の「批評家」だった。著書の交換も頻繁であった。二、三歳も年長であったろうか。点鬼簿中の大事な名の一人である。
2017 11/18 192

☆ 白楽天に聴く  「菊花」

一夜新霜は瓦に著きて軽く
芭蕉新たに折れて敗荷傾く      敗荷 は 枯れて行く蓮
寒に耐えては唯東籬の菊あり
金粟の花開きて暁は更に清し
2017 11/19 192

 

☆ 白楽天に聴く  「聞蟲」

暗蟲喞々として夜は綿々たり
況んや是れ秋陰雨ふらんと欲するの天
猶ほ恐る 愁人の暫く睡りを得んことを
聲々移りて臥床の前に近づく

雨をもたらす寂しい秋夜 人は蟲の音を聞きつつも睡りを得たく 蟲は人の寝静まるを厭うて臥所に近づく、と。
白楽天の全詩集、岩波文庫などに無いだろうか。書店と謂うところへついぞ行かないので分からないが。たしかに白詩は琴線に想い親しく響いてくる。日本人 の詩歌というと和歌、俳句、近代詩と論いやすいがむろんそんなことはないと大岡信さんの著『日本の詩歌』は真っ先に注意し、次いで挙げているのが「漢詩」 なのがおもしろい。歌謡や川柳などに先んじて日本人の、創作も含めた「漢詩」愛好を挙げるのは、重要で適切である。その篤い下地になったのが「白詩の感 化」であった。中国にまで名を響かせた菅原道真、新井白石、頼山陽らも輩出している。
中国という国には、現今の政体への不信や不快からも馴染みにくいのだが、その久しい「文化」には敬愛を禁じ得ない。なかでも陶淵明、白楽天の詩に李杜をも超えて最も魅される。陶詩の境涯、白詩の抒情。
2017 11/20 192

☆ 白楽天に聴く  「清明の夜」

好風朧月清明の夜
碧砌紅軒刺史の家       刺史は、知事に相応
獨り廻廊を巡り行きつ復た歇(やすら)ひ
遙かに弦管を聴きつ暗に花を看る

白居易は杭州の刺史であったかと記憶している。
井上靖らと杭州に旅した日の晴れやかな湖色が目によみがえる。
2017 11/21 192

 

☆ 白楽天に聴く  「舊詩巻に感ず」

夜深けて吟罷め一長吁す    一長吁(う) ホーッと溜息をつく
老涙燈前に白鬚を濕ほす
二十年前の舊詩巻
十人酬和九人無し

* 中国に招かれ作家代表団として同行した諸氏十人の九人は、故人となられた。「現代語訳・日本の古典」や「現代語訳・明治の古典」で名を連ねた先輩諸氏の大方も故人となられた。いまや文字どおりに「先生」と申し上げるお人は広い世間に十指に満たない、か。じつに一長吁、老涙白鬚(はくしゅ)を濕ほす心地。
2017 11/22 192

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す」

巧拙も賢愚も相ひ是非す
何如ぞ一酔尽く機を忘る
君知るや天地中の寛窄を
鵰鶚も鸞皇も各自に飛ぶ

日馬富士事件の各社報道に触れていると、もはや是非をただかき混ぜて高見の見物を気儘にしているよう。鵰鶚(貴乃岩)も鸞皇(横綱)も各自に飛んだのだろう。一酔の機をしらぬ人らの是非にまた終わるか。
2017 11/23 192

☆ その後いかがですか
大変冷たい日々が続きますが、いかがお過ごしですか、
京都も紅葉が見頃になりました、
先日嵯峨へ用事があり出向きました、
外国の観光客が多くて、東山も同じく、その上、国宝展、東福寺の紅葉で 日本人も大勢の人出です、結構な京・東山に住んでいるので大変も半分です、
久しぶりに買い物に出ましたので 何か美味しい物を、手が掛からず、食せるかと、今回はスープにしましたが有名ホテルは撤退されて 良さそうな物が見付からず、適当な物を送りました、明日午後に届くとか? ご賞味下さい。
奥様も家に帰られるとつい無理に成りますので 十分に、無理せずにご静養されます様に、
来月は早ゃ顔見世です 南座の耐震工事がまだ出来ず 今年は岡崎の旧京都会館での顔見世です、1日に行って来ます。
くれぐれも無理をされずに、今年を過ごされます様に。  京・北日吉  華

* 山茶花に染みし懐紙に椎の実を
ひろへば暮るる東福寺僧堂
はりひくき通天橋の歩一歩(あゆみあゆみ)
こころはややも人恋ひにけり

十六、七歳、高校一、二年生の頃は、東福寺紅葉の秋もひっそり閑としていた。夕暮れの境内がことに好きで、こころこめて短歌をつくっていた。授業途中で教室を抜け出ては東福寺や泉涌寺を訪れていた。
2017 11/23 192

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す 二」

蝸牛角上 何ごとを争ふ       せせこましい世の中で
石花光中 此の身を寄す       火花ほども短い今生に
富に随ひ貧に随ひ 且つ歓楽せん
口を開きて笑はざるは 是れ癡人

早く逝った愛しい孫のやす香は、「笑う」「笑っている」のを、ほとんど身の哲学と心得た少女であった。その人生は、だが 悲しいかな石火光のようにあまりに短く果てた。いま、やす香はわたしの身のそばで写真と化って笑ってくれている。

薔薇と象と鶴と仏様と、笑っているやす香
2017 11/24 192

☆ 白楽天に聴く  「村夜」

霜草蒼々 蟲は切々
村南村北 行人絶ゆ舊
獨り前門を出でて野田を望めば
月は明らかに蕎麥の花雪の如し

蒼々は、青白う物凄い意、青々となると春草の形容。。「さうさう さうさう 蟲は切々」 詞藻、身に沁む。わたしの暮らしている西東京にも、少し歩けばかかる風情を共感できる。
2017 11/25 192

☆ 白楽天に聴く  「舊房」

壁を繞る秋聲 蟲絲を絡ふ
簷に入る新影 月眉を低る
牀帷半ば故(ふ)りて簾旌斷え
仍是初寒夜ならんと欲する時

我が家も、年々に故り行く。
2017 11/26 192

☆ 白楽天に聴く  「閑坐」

暖には紅爐の火を擁し
閑にして白髪の頭を掻く
百年慵裏に過ぎ
萬事酔中に休す
論ずる莫れ身在るの日
身の後も亦た憂ひ無し
2017 11/27 192

* 吉川幸次郎、小川環樹が編集・校閲した『白居易』上下巻(岩波書店)を送ってもらった。文字の小さいのが残念、作は辛うじて読めそうだが註はあまりに細字で、視力は届かない。しかし、詩は読める。
毎朝読んでいる「選註 白楽天詩集」は国分青厓・閲 井土霊山選、明治四十三年八月第四版、定価金六十五銭の袖珍版で、文庫本より小さめだが幸い字は大 きい。絶句、律、古詩に分類してあり、かなりの厳選で、戴いた岩波版ほどは網羅されていない。この愛読してきた明治の本に出会ったのは国民学校の三年生以 前、そしていつしか「新豊折臂翁」を識って、小説という物が書きたくなった。根気よく胸に抱きしめ、会社勤めの第一次安保闘争時に刺戟され、とうどう書き 始めたのが処女作『或る折臂翁』だった。わたしの白楽天は、平安古典からの照り返しでなく、秦の祖父が蓄えていた数多い漢籍中のちいさな一冊『白楽天詩 集』に直かに衝突していたのだった。
残年は幾ばくとも知れないが、白楽天の詩、陶淵明の詩からは終生多くを恵まれ続けるだろう。
高木正一注の上記『白居易』上下を送ってきて下さった「尾張の鳶」に、感謝感謝。初見の作にたくさん出会いたい。ことに白詩の極めつけ自選の「新楽府」全五十詩が上巻に揃っている。公任や少納言の気分で読み続けたい。
2017 11/27 192

☆ 白楽天に聴く  「酔中紅葉に対す」

風に臨む 杪秋の樹    杪は、木末より転じ、ものの末 晩秋
酒に対す 長年の人
酔ふ貌は霜葉の如く
紅と雖も是れ春ならず

ま、私もこんな所です。
2017 11/28 192

* 起床8:10 血圧131-62(63) 血糖値86 体重65.0kg

☆ 白楽天に聴く  「不睡」

焔短く寒缸盡き           缸は燈皿
聲長く曉漏遅し           曉漏は水時計
年衰へては自づと睡る無く
是れ三尸を守るためならず   庚申の風を謂うている

年衰え、夜半に仕方なく目ざめて本を読んでいたりする、わたしも。ムリにも醒めずムリにも睡ろうとしない。枕べには、読み物は置かない、やはり源氏や枕が恰好と。
2017 11/29 192

☆ 白楽天に聴く  「閑吟」

苦(ねんごろ)に空門の法を学びしより
銷し尽くす 平生種種の心
ただ詩魔のみ有って降すこと未だ得ず
風月に逢ふつど一閑吟す

憎らしいほどの境涯 とうてい静かな心のもてない私であるが、せめては斯く、創作をつづけたい。
2017 11/30 192

 

述懐 平成二十九年(2017) 十二月

目に見えぬ道の勾配を老いわれの
足が知つてゐて散歩する日々       早川幾忠

鳥かげの窓にうつろふ小春日を
木の実こぼるる音しづかなり        金子薫園

はらはらと黄の冬ばらの崩れ去る
かりそめならぬことの如くに         窪田空穂

海に出て木枯帰るところなし            山口誓子

遠山に日の当りたる枯野かな           高濱虚子

ルノアルの女に毛糸編ませたし          阿波野青畝

蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし
夕餉はなにが喉とほるらむ         秦 恒平

これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭部屋はもたぬ      みづうみ
2017 12/1 193

☆ 白楽天に聴く  「暮に立つ」

黄昏独り立つ仏堂の前
満地の槐花 満樹の蝉
大抵 四時 心総て苦しきも
就中 腸の断つは是れ秋天

しみじみ、身に痛いまで。
2017 12/1 193

 

* 「湖の本」128の再校ゲラが出揃ってきた。 さ、 師走です。

これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭部屋はもたぬ
2017 12/1 193

☆ 白楽天に聴く  「遺愛寺」

日を弄し渓に臨んで坐し
花を尋ね寺を繞りて行く
時々鳥語を聞き
處々是れ 泉聲

泉涌寺来迎院が懐かしい。「慈子」はどうしているだろう。
2017 12/2 193

☆ 空港で
シンガポールへの搭乗口にいます。
先月ルーマニアに行く時は成田からでした。
お互い、生きているのですから、生かされているのですから。感謝します。
お元気にお過ごしください。  尾張の鳶

* 藤森佐貴子さん(島津忠夫さん遺族)からご馳走を戴く。
すさみ市の妻の従弟からも、海の幸を戴く。
中学高校同窓の横井千恵子さん、京の漬け物をいろいろ戴く。

* 予想した以上に、「尾張の鳶」にもらった『白居易』上下巻が、嬉しい。漢詩集というと律詩とか絶句とかに分類されているが、編輯校閲された吉川幸次 郎、小川環樹両碩学は、上巻に、詩人自負自選の「諷喩詩」百二十首余から、我が平安朝の詩歌を多大に感化した「新楽府」五十首を置き、下巻には諷喩詩中の 「秦中吟」三種を冒頭に抜き、次いで「閑適詩」「感傷詩」を並べ選し、ついで「律詩」の多くを選抜して、最後に年譜を添えられてある。
胸の内を清みやかに洗われるほどの感興を誘われ、幸福感に打たれる。有り難し。まことに有り難し。
漢詩と聞くだけで閉口する人があまりに多く、正直の所、漢詩が好きで座右から手放せないなどと云った人に出会ったことがないのだが、清冽これに過ぎるも のを多くは知らない。和歌、俳句、歌謡、そして漢詩は、わたしの日々のよろこびを成し呉れて歳久しい。有り難いと謂うに尽きる。

☆ 鏡に感ず 白楽天

美人 我れと別れしとき
鏡を留めて匣中に在り
花顔去りてより
秋水に芙蓉無し
年経て匣を開かざりしに
紅き埃りの青銅を覆へる
今朝 一たび払ひ拭ひて
自づから顦顇の容を照す
照し罷わり重ねて惆悵す
背に双つの蟠れる龍有り

「双蟠龍」の艶めかしさ、春愁遙かに、老愁はひとしお。
2017 12/2 193

 

☆ 白楽天に聴く  「自ら戯るる三絶句 心、身に問ふ」

心 身に問ふて云ふ 何ぞ泰然たる
厳冬暖被 日高(た)けて眠る        暖被 暖かく着込んで
君をして快活なら放(し)むる恩を知るや否や
早朝せざるより来(こ)のかた十一年    早朝 朝早い出勤

身 心に報ふ

心は是れ身の王 身は是れ宮
君 今 居りて我が宮中に在り
是れ君が家舎は君須(すべか)らく愛すべし
何事ぞ恩を論じて自ら功を説くとは

心重ねて身に答ふ

我の粗慵 休罷早きに因り
君に安楽を遺るの歳事多し
世間老苦の人 何ぞ限りあらん
君を閑なら放めざるも奈何せん

難儀な憂き世の偓促・奔走から、心である我が幸い早く引退してやったればこそ、身であるそなたは斯く永く安楽ができているのだ、と。
わたしはまだ心身に性懲り無く拍車をかけているの、かも。ウム。
2017 12/3 193

 

☆ 白楽天に聴く  「閑詠」

月に歩して清景を憐み
松に眠りて緑陰を愛す
早年詩思苦み
晩歳道情深し
夜は禅に学び坐する多く
秋は興を牽きて暫く吟ず
悠然 両つの事の外
更に心留むる處無し

ちょっとカッコ良すぎるナア、しかし心惹かれてやまない。「早年詩思苦み」は実感、「晩歳道情深し」か…。「悠然 (書いて 読んで)更に心留むる處無し」こそ切に願わしい。
2017 12/4 193

☆ 白楽天に聴く  「詠懐」

委順は浮沈に任せてより
漸く覚ゆ多年功用深きを
面上 憂喜の色を減除し
胸中 是非の心を消盡す
妻児は問はず唯酒に耽り
冠盖は皆慵く只だ琴を抱く
長く笑ふ 靈均の命を知らず
江蘺叢畔 苦らに悲吟せしを

楚の屈原(靈均)が天命に安んじ得ず 澤畔に行吟し「泪羅(べきら)の鬼」となったのを、白居易は笑っている。白詩には先人の胸懐を斯く批評し去った例が、まま見受けられる。
「面上憂喜の色を減除し  胸中是非の心を消盡す」とは、我れ八十二愚傁 とても及ばず、「琴詩酒」に親しむもなお屈原の悲憤を偲ぶことが多い。やれやれ。
2017 12/5 193

☆ 白楽天に聴く  「自題酒庫」

野鶴 一たび籠を辞して
虚舟 長しへに風に任す
愁ひを送りて閙處に還し
老ひを移して閑中に入る
身 更に何事を求めんや
天 将に此の翁を富ましむ
此の翁 何れの處にか富む
酒庫 曾て空しからざること

斯くありたいが、なかなか。「愁ひを送りて閙處(とうしょ)に還して」しまえない。
2017 12/6 193

☆ 白楽天に聴く  「感有り」

往時は追思する勿れ 追思すれば悲愴多し
来事は相迎ふる勿れ 相迎ふれば已に惆悵
兀然として坐するに如かず 塌然として臥すに如かず
食来れば即ち口を開き 睡来れば即ち眼を合す
二事最も身に關す
安寝餐飯を加へ 忘懐行止に任せ
命を委して脩短に随ひ
更に若し興来るあれば
狂歌酒一盞

* 眼科の診察には失望落胆するばかり。視野の清明は目ざめて小一時間もなく、以降は水の底を歩いているにひとしく、夜になればもう機械の字は九分がた推察して読むだけ。なによりも視野がすっきりと清んで見えない。
困りますといえば、疲労ですねと。疲労を和らげるお薬はと問えば、ま、ありますけどねと。そして緑内障の点眼薬「たぶろす」が一ヶ月後の再診までに十五 本。「たぶろす」点眼は日に一回、左右に一滴ずつ。点眼の瞬間だけ、視野が明るくなるが、五秒ともたない。視力は、1.2と。視力があっても、視野は暗く 滲んだまま。 どうにか、ならないの。「兀然として坐するに如かず 塌然として臥すに如かず」のみか。「狂歌酒一盞」か。

* 病院のアト、松屋裏で、京風の懐石で一盞また一盞してきた。帰路は「保谷行き」を幸い、「塌然」寝入っていた。
2017 12/8 193

☆ 白楽天に聴く  「独り在る」

飲徒 歌伴 今何くにか在る
雨と散り雲と飛び尽く廻らず
此れより香山風月の夜
ただ応に是れ一身の来
2017 12/8 193

* 「尾張の鳶」さん、中国詩人選の『白居易』上下巻に次いで、岩波文庫版、川合康三訳注『白楽天詩選』上下巻を送ってきて下さった。字も大きめで読みやすい。感謝、感謝。
祖父譲りの『選註 白楽天詩集』もあり、これでほぼ完璧に白楽天世界に親しめる。
岩波文庫で、さきには松枝茂夫・和田武司訳注の『陶淵明全集』上下巻も「尾張の鳶」に戴いており、祖父が遺してくれた古本『唐詩選』も『古文眞寶』も手近にそろっているので、漢詩世界は十二分に楽しめる。漢詩が、平安和歌と並んで、ますます心親しく思われる。
2017 12/8 193

☆ 拝復
はや寒波到来 ふるえあがっております。東京はいかがかと案じております。奥様ご療養とうかがい早いご快復念じております。「秦 恒平選集」第二十三巻ご恵与たまわりありがとうございます。限定私家版いただくご縁光栄 せめてよき伝搬者たらんの思いはあるのですが、なかなか果たせず ふがいないことです。
刊行時評判の「日本史との出会い 中世に学ぼう」 全編貫いて 人の下に人を作らず、人の上に人を作らずに裏打ちされ、歴史に学ぶとはこのことと感服したこと思い出します。学生ともども大いに鼓舞されたのですが、ますます下落の途たどるかの現状、茫々四十年です。
実は、六波羅蜜寺からの帰途、異界に迷い込んだかの思いで足早に立ち去り再び訪れることなく、余人はさておき、見て見ぬふりのわが身の罪深さ引きずっております。天皇の名の下の悲劇の数々。伯父は戦病死です。
ご看病多忙のおりくれぐれもお大事に。
通院待合室で古い歳時記冬の部に入営の季語を見出しました。
秋病むや妻添ひくれて比翼読み
かわりばえせず恐縮ですが (稲庭=)うどん少々お送りしました、  草々  信太周

* くれ秋を病む妻の手のちひささよ  遠
2017 12/8 193

☆ 白楽天に聴く  「独り在る」

泰山は毫末を欺くを要せず
顔子は老彭を羨む心無れ
松樹は千年なるも終に是れ朽ち
槿花は一日なるも自ら榮と為す
何ぞ須ひん世を恋ひ常に死を憂ふること
亦た身を嫌ひ漫りに生を厭ふこと莫かれ
生去 死來 都べて是れ幻
幻人の哀楽 何の情にか繋けん

* 白居易の最も自負自愛したのは自身名付けての、「諷喩詩」であった。彼自選自負の詩集『新楽府』に収めた大方の作がそれであった。
彼には、他に、「閑適詩」また「感傷詩」さらに数多の「律詩」があり、わたしが毎朝此処に引いて愛誦しているのは、大方が先の「諷喩詩」以外の詩句であ り、かの平安朝男女ら以降後世にまで、日本人の「白詩」愛好はもっぱらそれら「閑適・感傷」の詩、美しい情感に溢れた「律詩」へ集中し、時世・事変への烈 しい諷諫や批判をこめた「諷喩詩」から感化や影響を受けた例がほとんど見られなかった。その事実は、碩学吉川幸次郎、小川環樹両師が編輯校閲の『白居易』 下巻解説が明記している、即ち「国情の相違によるのか、それともまた、これを受けいれた人人の、文学にたいする心がまえの違いによるものであったのか、」 「いずれにしても注目すべき現象」であると。

* わたしは実のところ白居易の詩のを包括的な予備知識など、此の最近ですらほとんど持たなかった。大人になってからもそのような知識はほとんど望まず、国民学校の少年以来ただただ、秦の祖父の遺してくれていた明治版『白楽天詩集』にとりつき、好き勝手に読み耽ってきた、それだけだった。
ただ、こういう事実がハッキリしたのである、即ち上の吉川・小川先生らの「指摘」を受け、新ためて顧みれば、わたしはその袖珍版『白楽天詩集』の中から、他の多く「閑適・感傷」の律詩によりも遙か強い思いで、文字どおり終始一貫「新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)」という反戦詩に強い関心や共感をもち、いつしかに、その詩から小説の創作を願いつつ、ついに昭和三十七年(一九六二)満二十七歳の誕生日に、処女作『或る折臂翁』を脱稿したのだった。その日その地点から、わたしは事実上「小説家人生」へ踏み出したのだった。
知るよしもなかったが此の、白楽天原作「新 豊折臂翁」こそは、彼が最も自負した詩集『新楽府』「諷喩詩」群の最たる一作であったのだ、そんなことを、わたしは、「尾張の鳶」から最近に戴いた上記の 本で初めて承知したのである。日本の文学史で、白楽天の「諷喩詩」に影響された例の無きに等しかったと聴くにいたって、また一つ私自身を証言しうる一項が 確認できたとは、望外のことと云わずにおれぬ。
こういう詩であった。


新豊(しんほう)の老翁八十八、頭鬢髭眉(とうびんしゆび)は皆雪に似たり。玄孫扶(たす)けて店前に向うて行く。左臂(さひ)は肩に憑(よ)り、右臂(ゆうひ)は折る。
翁に問ふ、「臂を折りしより幾年ぞ。」兼ねて問ふ、「折ることを致すは何の因縁ぞ。」
翁云ふ、「貫属は新豊県。生れて聖代に逢ひ征戦なし。聴くに慣る黎園歌管の声、識らず旗槍(きそう)と弓箭(きゆうせん)とを。
何(いくば)くもなく天宝大いに兵を徴(め)し、戸(こ)に三丁(てい)あれば一丁を点ず。点じ得て駆り将(もつ)て何処にか去る。
五月万里雲南(うんなん)に行く。聞説(きくならく)、雲南に濾水(ろすい)あり。椒花(しようか)落つる時、瘴煙(しようえん)起る。大軍徒渉(としよう)すれば水湯の如し。未だ十人過ぎずして二三は死すと。
村南村北哭声(こくせい)哀し。児(じ)は爺嬢(やじよう)に別れ、夫は妻に別る。皆云ふ、前後蛮を征する者千万人、行きて一も廻(かえ)る無しと。
是時(このとき)、翁の年二十四、兵部牒中(へいぶちようじゆう)に名字(みようじ)あり。夜深(ふ)けて敢て人をして知らしめず、大石(たいせき)を偸(ぬす)み将(もつ)て槌(つい)して骨を折る。弓を張り旗を簸(ふ)る倶に堪ず。茲(ここ)より始めて雲南を征することを免る。骨砕け筋傷む、苦しからざるに非ず。且つ図(はか)る、揀退(かんたい)郷土に帰らんことを。
此の骨折り来たる六十年、一肢廃すと雖もー身全し。今に至りて風雨陰寒の夜、天明に到るまで痛みて眠らず。痛みて眠らざるも終に悔いず、且つ喜ぶ、老身今独り或るを。然らずんば当時濾水(ろすい)の頭(ほとり)、身死し魂(こん)孤にして骨収められず、応(まさ)に雲南望郷の鬼と作(な)り、万人冢上(ちょうじょう)に哭すること呦々(ゆうゆう)たるべし。」
老人の言、君聴取せよ。君聞かずや、開元の宰相宋開府。辺功を賞せず、黷武(とくぶ)を防ぐ。又聞かずや、天宝の宰相楊国忠(ようこくちゆう)。恩幸を求めんと欲して辺功を立つ。辺功未だ立たずして人怨(じんえん)を生ず。
請ふ、問へ新豊の折骨翁に。

* 読み下しは全てにルビがあった。読めれば「折臂翁」の曰く、ほぼ完全に国民学校の三年生は理解した。すでに当時、兵役を科されての出征を見送る町内外 の儀式は頻々として有り、わたしはそれを勇ましい儀式だなどと夢にも思わず、自分なら、イヤと内心に拒んでいた。白楽天という詩人のこれこそ胸を打つ作品 と全身で受容し続けていた。
白居易のこれが「諷喩詩」である。毎朝にひいている閑適・感傷の律詩とははっきり異なっている。わたしの文学は、此処に樹ったのである、本来は。今も、逸れてなどいない。
2017 12/9 193

* 求婚六十年

むそとせの長い永い道のふたり旅
一と言にいへば   おもしろかりし  恒平
よくぞ来たりし  迪子

☆ 白楽天に聴く  「夜雪」

已に訝る衾枕の冷やかなるを
復た見る窓戸の明らかなるを
夜更て雪重きを知り
時に折竹の聲を聞く

* 川合康三訳注 岩波文庫『白楽天詩選』上下巻の「解説」を読みはじめ、七十年にして初めて白楽天(白居易)の詩につき、多くを教わった。かかる知識はんつて自ら求めてもこなかった。ただもう久しくも久しく詩作にのみ接してきた。それはそれ、と思っている。
とにかくも三種類の白詩本を文字どおり身近に置くことが出来、岩波文庫『陶淵明全集』上下巻も間近にあって、とても嬉しい。
2017 12/10 193

 

述懐 平成二十九年(2017) 十二月

目に見えぬ道の勾配を老いわれの
足が知つてゐて散歩する日々       早川幾忠

鳥かげの窓にうつろふ小春日を
木の実こぼるる音しづかなり        金子薫園

はらはらと黄の冬ばらの崩れ去る
かりそめならぬことの如くに         窪田空穂

海に出て木枯帰るところなし            山口誓子

遠山に日の当りたる枯野かな           高濱虚子

ルノアルの女に毛糸編ませたし          阿波野青畝

蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし
夕餉はなにが喉とほるらむ         みづうみ

これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭部屋はもたぬ      恒平

求婚六十年

むそとせの長い永い道のふたり旅
一と言にいへば   おもしろかりし  恒平
よくぞ来たりし  迪子
2017 12/10 193

☆ 白楽天に聴く  「閑臥」

盡日 前軒に臥し
神閑 境また空し
山あり枕上に當り
事心中に到る無し
簾は巻く 牀を侵すの日
屏は遮る 座に入るの風
春を望み春未だ到らず
應に海門の東に在らん
2017 12/11 193

☆ 白楽天に聴く  「陶公の旧宅を訪ふ 抄」
「余 夙に陶淵明の人と為りを慕ふ」等の序があるのは割愛する。

我は君の後に生まれ 相ひ去ること五百年
五柳の傳を読む毎に 日に思ひ心拳拳たり
昔 嘗て遺風を詠じ 著はして十六篇と成す
今来りて故宅を訪ふに 森(おごそ)かにも君は前に在す若し
樽に酒有るを慕はず 琴に絃無きを慕はず
慕ふは 君が榮利を遺(わす)れて 此の丘園に老死せしこと

* 陶潜に白居易があり 白楽天に陶淵明があり、さればこそわたしは二人を心に慕うのである。

* 人の世は軽薄に騒がしい。世常のむしろそれが平穏という意味でもあるのを否みはしないが、忍び寄る日本列島「最期」の危機は跫音を日々に強めている。 日増しにそれをわたしは感じる。受くべき送葬の儀式を置き去りに熱い火の粉とかき消えた無数の日本人原爆被害者たちを、安倍総理は覚えてもいないようだ、 トランプ米国のまえへ、日本列島をあの真珠湾なみに「謹呈」する気でいるのか。なにより、米と朝とを心して誘導し調整する高邁な「外交力=悪意の算術」こ そ今は望まれるのに。
いま日本人に「帰去来」可能な、いかなる美しき田園も北朝鮮の弾道下に見下されている。
日本も核を持てば好かったなどと決して思わない。
貪欲に利益文明へ狂奔し、豊かなるべき人文・文化を足蹴にし続けた、「文質彬彬」の真価を知らない蒙昧政治を憎む。それをまさしく選挙しつづけた国民多くの錯覚をも悲しむ。
2017 12/12 193

* 心身とも、何となく草臥れ、ヘバっている。腹への食べ物の収まりがうまくないのか、食べると気も身も重苦しく不快になる。困る。「 蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし夕餉はなにが喉とほるらむ」という戯れ歌は胃全摘そして三月退院の年の十一月の作、さらに四年余の今年正月末には、
尿が出て便出て食へて目が見えて読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし」と詠い、同日、「余念なく眠ってをばよいものをなぜ起きてくる 死にたく ないのか」とも自問している。体調としては、しかし、いのよりマシだったのかも知れない、いまは心身とも堪え性が薄れている。めざましい嬉しさや楽しみに 欠けているのかも、例年だと十一月の顔見世、師走の観劇、この十数年欠かしていなかった。
2017 12/12 193

☆ 白楽天に聴く  「杪秋の獨夜」

限り無き少年は我が伴に非ず
憐む可き清夜も誰と同うせん
歓娯は牢落して 中心少く
親故は凋零して 四面空し
紅葉の樹は飄る 風起こるの後
白髪の人は立つ 月明かなる中
前頭 更に蕭条の物有り
老菊 衰蘭 三両叢

* 老境は斯くの如く、だが、幸いにわたしはまだまだ少年の友にも心静かな夜にも恵まれ、楽しみもあり達者な知友も少なくはない。
しかし、白詩の謂うところの寂寞も足もとまで着々せまっている。目も心も背けて居れない。
2017 12/13 193

☆ 白楽天に聴く  「老いに任す」

愁へず 陌上に春光尽くるを    陌 は街路
亦た任す 庭前に日影斜くを
面は黒く 眼は昏く 頭は雪白
老まさに更に増加無かるべし

* ま、こんなところですか。

* 米・北朝の剣呑極まりない切迫をテレビは報じてやまないが、日本政府は思案に暮れているのだろう、音もたてない。戦端ひらかれれば北朝鮮の攻撃地は、 たちまちに米本土でなく滞日米軍基地に定まり、その多くは首都東京の郊外住宅地に接近して在る。一瞬にして数十万国民の悲惨な死が予測されているという。
しかし日本政府は、総理も、防衛相も外相も、官房長官も、ただ唖者のごとく緘黙のままおずおずと米国のダメな大統領の方へ尻尾を振っている、らしい。「老まさに更に増加無かるべ」きわれわれはまだしも覚悟出来るが、若い国民と国土とはどうなるのか。
明けて新年の二月が危ないとの観測をさまざまにテレビは伝えてくれるが、報道の何が真意なのか。ミサイルが東京と近郊とに雨降りかねない懼れと、例えば 一貴乃花の神懸かり「角道」とやらに振り回されている相撲協会の話題とが、等価値、等間隔でただ平然報じられてくる現実。一億一心の昔を懐かしみなどしな いが、あまりに日本国と日本国民の現実意識、あたかも砂塵のただ吹き巻くごとくではないか。

* 白楽天の詩に、ただ心静かにふれ且つ読んで思って日一日を追っている、わたし。愚か賢かを問わない。
2017 12/14 193

☆ 白楽天に聴く  「自喜」

身慵く 勉強し難し
性拙く 遅迴し易し
布被 辰時に起き
柴門 午後に開く
忙は能者を駆り去り
閑は鈍人を逐ひ来る
自ら喜ぶ 誰かよく会せん
才の無きは 才有るに勝る

* 将棋の若き渡辺竜王とコンピュータ棋王ボナンザの決闘に引き込まれた。此処には悪しき政治、悪しき経済の入り込む隙がない。その透明さに心許せる快味 を覚えた。ボナンザが押していると見えていたのが、ただ一手で竜王の強烈な逆転決勝があった。将棋には疎い疎い、少年時代からの苦手な競技であるが、それ でも終盤の攻め合いには息を呑んだ。将棋の面白さへもかすかに行為と好奇心をもった。
妻と囲碁を楽しむにはちょっと落差が大きいと思うが、将 棋なら、追っつ辛っつ、早晩わたしの方が負かされてしまいそうな予感がある。わたしのアタマはとても将棋的に働いていないのでは、囲碁の方へ親しいので は、と久しく思ってきた。妻は、逆のように思える。わりに佳い将棋盤と駒とがあるのだ、引っ張り出してこようか、などと思うほど渡辺竜王の勝ち将棋に朝か ら刺激された。「閑は鈍人を逐ひ来る」のか。
2017 12/15 193

☆ 白楽天に聴く  「中隠 抄」

人生まれて一世に處(お)り
其の道両つながら全うし難し
賤は即ち凍餒に苦しみ
貴は則ち憂患多し
唯だ此の中隠の士のみ
身を致すこと 吉且つ安
窮通と豊約との
正に四者の間に在り

* 人、貴賎のみならず老若の別を歩まねばならない。
老いて悩ましいのは、病い。家人が病むと、自分が病むより心安くおれない。
2017 12/16 193

☆ 白楽天に聴く  「微之を夢む」

晨起き風に臨み一たび惆悵す
通川 湓水 相聞を断つ
知らず 我を憶ふは何事にか因る
昨夜三迴 夢に君を見る

「微之」は生涯の親友、詩人元稹。時に二人は通州と江州に遠く別れ消息を欠いていた。
一夜の夢に三度も友と相見て。「惆悵」という白楽天頻用の哀情が身に沁みてつたわる。
2017 12/17 193

☆ 白楽天に聴く  「劉十九と同宿す」

紅旗破賊は吾が事に非ず
黄紙除書に吾が名は無し
唯だ嵩陽の劉處士と共に
棋を囲み酒を賭け天明に到らん

「黄紙除書」は軍功による昇官を通達の任命書。定家卿の「紅旗征戎は吾が事に非ず」の原典。
今日終局の戦争では 紅旗も歓呼も吶喊も死闘もなく、核爆弾でカタが付いてしまう。「棋を囲み酒を賭け天明に到」って倶に果てるか。
2017 12/18 193

☆ 白楽天に聴く  「香鑪峰の下 石上に題す」

日高く睡り足るも猶ほ起くるに慵し
小閤 衾を重ねて寒さを怕れず
遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香鑪峰の雪は簾を撥ねて看る
匡廬は便ち是れ名を逃るる地
司馬は仍ち老いを送る官為り
心泰らかに身寧きは是れ帰處
故郷は独り長安に在る可けんや

匡廬とは、私も小説に書いた「廬山」の呼び名。司馬とは、政治犯に与えられている官職で、待遇はあるが職務は無い。けっこうなこと。
わざわざ故郷へ帰ろう帰ろうというでなく、「心泰らかに身寧きは是れ帰處」なにも「長安(京都)」だけが故郷ではあるまい、と。この東京には遺愛寺も香鑪峰も無く、核爆弾の懼れは杞憂とは見過ごせない難儀な都であるが、幸い目下の所「日高く睡り足るも猶ほ起くるに慵く 小閤 衾を重ねて寒さを怕れず」に居れるのは幸せなこと。
2017 12/19 193

 

☆ 白楽天に聴く  「江南謫居  抄」

澤畔 長き愁の地
天邊 老いんの身
蕭條 残活の計
冷落 舊交の親
草合して門に径無く
煙消えて甑に塵あり
憂へて方しく酒の聖なるを知り
貧して始めて銭の神なるを覚ゆ
虎尾は足を容れ難く
羊腸は輪を覆し易し
公蔵と通塞と       行蔵 は 出仕退隠 通塞 は 運不運
一切 陶鈞に任す    陶鈞 は製陶の轆轤 転じて 造物主を謂う

「一切任陶鈞」とは、まこと願わしく到りがたい境涯。斯く在りたい。
2017 12/20 193

カレンダー写真
笑顔の次郎 太郎 小次郎
我らが日々愛し語らいやまぬ孫たち
人と対話の機会がなく、それでわたしは家中の何にでもしょっちゅう
話しかけているが、ことに便座の目の真ん前の獅子兄弟とは、余念
なくそれは仲よくテクらでも会話する。彼らは笑顔で向きあってくれ、
わたしのどんな話しかけにもイヤな顔しないのです。 嬉しい孫たち。
2017 12/21 193

* やそふたつ積んで壽(よはひ)を手に享けつ
日光(ひかげ)しづかな朝の狭庭に

* 九九と覚え上なき数の八一に
一つ上越す冬至生まれぞ        恒平

* 長寿を祝う故国近江の名酒「金亀」を盃に、妻が心づくしの赤飯と吸い物で、ささやかに朝食。

☆ 白楽天に聴く  「食後」

食 罷りて一覚の睡り
起き来たりて両甌の茶
頭を挙げ日影を見るに
已に復た西南に斜めす
楽しき人は日の促(はや)きを惜み
憂ふる人は年の賖(なが)きを厭ふ
憂ひ無く楽みも無き者は
長きも短きも生涯に任す
2017 12/21 193

☆ 白楽天に聴く  「冬至の夜 家を思ふ」

邯鄲客裏 冬至に逢ひ
膝を抱き燈前影身に伴ふ
想ひ得たり家中夜深けて坐し
還た應に遠行の人を説着すべし

* 久しくかかる「旅客」となっていない。わたしがもし旅にあらば、留守の妻は独り、話し相手も無い。
2017 12/22 193

☆ 白楽天に聴く  「晏坐閑吟」

昔は京洛聲華の客為(た)りしも
今は江湖潦東の翁と作(な)る
意気銷磨す 群動の裏(うち)
形骸変化す 百年の中(うち)
霜は残鬢を侵して多くの黒無く
酒は衰顔に伴ひて只だ暫く紅し
頼(さいは)ひに禅門の非想定を学び
千愁 萬念 一時に空し
2017 12/23 193

☆ 白楽天に聴く  「眼花を病む」

頭風 目眩 衰老に乗じ
秖(た)だ増加する有り 豈に瘳(い)ゆる有らんや
<春秋左氏傳に云ふ 加ふる有りて瘳ゆる無し、と>
花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り    花 霞み目
柳 肘上に生ずるは亦た須く休すべし    柳 瘤
大窠の羅綺は看て纔かに弁じ    大柄で綺麗な模様は見わけられても
小字の文書は見て便ち愁ふ
必ず若し黒白を分かつ能はざれば
却て應に悔無く復た尤め無からむ

いささかヤケクソだが、いまのわたしの頼りない霞み眼に、そのまま。ああ。
2017 12/24 193

 

☆ 白楽天に聴く  「四雖を吟ず 抄」

酒 酣の後
歌 歇む時
君に請ふ 一酌を添へつつ
聴け 我の四雖を吟ずるを
年 老ふと雖も
命 薄きと雖も
眼 病むと雖も
家 貧しと雖も
躬を省み分を審らかにすれば何ぞ僥倖
酒に値(あた)り歌に逢ひ且つは歓喜す
榮を忘れ足るを知つて天和に委ね
亦た應に生生の理を尽すを得べし

* 年越えの借財なく、穏やかに新年を待つのみ、とはいえ、まだ雑煮の白味噌が買えていない。
2017 12/25 193

☆ 白楽天に聴く  「遇吟」

人生は変改して故(もと)より窮まる無し
昔は是れ朝官 今は野翁
久しく形を朱紫の内に寄せ        朱紫は身分高い官僚の衣
漸く身を抽き蕙荷の中に入る       蕙は香り草の帯 荷は蓮華の衣
情無き水は方円の器に任せ
繋がぬ舟は去住の風に随ふ
猶ほ鱸魚(ろぎょ)蓴菜(じゅんさい)の興有り
来春は 或ひは江東に往かんと擬(ほっ)す

* 白楽天に向きあっているだけで、ほかに何を云う必要も無く思えてくる。
不愉快とも、向きあわねばならぬ例はある。が、そんな必要の全然無い不愉快とも顔をつきあわさねばすまない「現実」がある。
いま、新聞は、眼の弱さもありほぼ全く観ていない。何の不自由も無い。この上に、テレビ番組の九割がたを見え無くし
、観たい番組だけは予約録画できたら、暮らし気分、よほどスッキリする。それほど不快、不出来な喧しい、下品に低俗なドラマや阿呆な喋くりばっかりが多すぎる。
2017 12/26 193

☆ 白楽天に聴く  「任老」

愁へず 陌上に春光尽くるも
亦た庭前日影ただ斜めなるも
面は黒く眼は昏く頭は雪白
老い應に更に増し加ふ無し
2017 12/27 193

☆ 白楽天に聴く  「冬日に負ふ」

杲杲として冬日出で       杲杲 日の出の明るさ
我が屋の南隅を照す      古詩には 我が秦氏の楼を照らす と。
喧を負ひ目を閉ぢて坐せば
和気 肌膚に生ず
初めは醇醪を飲むに似て
又 蟄する者の蘇るごとし
外は融けて百骸暢び      骨という骨がほぐれ
中は適ひ一念も無し       安らかで雑念も無い
曠然在る所を忘れ
心は虚空と倶たり

* 斯く在りたいが。あまりに、私、愚劣。
2017 12/28 193

 

☆ 白楽天に聴く  「履道の居 其の一」

嫌ふ莫かれ 地窄く林亭小さきを
厭ふ莫かれ 貧家 活計微なるを
大いに高門有るも寛宅を鎖し
主人老いに到るも曾て帰らず
2017 12/29 193

☆ 白楽天に聴く  「北窓の三友  抄」

今日 北窓の下
自ら問ふ 何の為す所ぞ
欣然 得たり三友
三友 誰とか為す
琴罷めば輒ち酒を挙げ
酒罷めば輒ち詩を吟ず
三友 逓ひに相引き
循環して已む時無し

詩を嗜むは淵明あり
琴を嗜むは啓期有り
酒を嗜むは伯倫有り
三人は 皆な我が師

三師 去て已に遠く
高風 追ふべからず
三友 游 甚だ熟し
日として相随はざる無し
2017 12/30 193

☆ 白楽天に聴く  「洛陽に愚叟有り  抄」

洛陽に愚叟有り
白黒 分別無し
浪跡 狂に似たりと雖も
身を謀る 亦た拙ならず
盤中の飯を点検すれば
精に非ず亦た糲に非ず
身上の衣を点検すれば
余り無く亦た闕くる無し
天の時 方に所を得て
寒からず復た熱からず
体氣は 正しく調和し
飢えず なほ渇せず
眼を放ちて青山を看
頭は白髪生ふに任す
知らず天地の内にし
更に幾年活くを得ん
此れ従り身を終ふに到る迄
尽(みな) 閑日月と為さん

* 好縁を得てしばらくの間、白楽天に聴き続けてきた。
境涯遠く及ばないが、歳末、ただ懐かしく「洛陽の愚叟」を懐うて、新年を迎えたい。
2017 12/31 193

* 特別大晦日のようにも過ごしていない。八時過ぎたし、ま、やすもうかと、思いつつ「選集第二十七巻」に宛てても良い「編輯」手始めを順調に終えた。機械の中に往時の全仕事が幸い整備保管できていることの有り難さを思う。
来年も、なんとか無事に仕事を続けたい。

* 九時半。さ、階下へ。美味い酒をすこし飲んで、やすみたい。源氏物語の、版を異にした二册、泉鏡花選集の「芍薬の歌」、筑摩版現代文学大系、四女性作 家らの最後の巻、音頭大系、その他の資料類を枕元に積んで読み継いでいる。三十二巻の「絵巻全集」の全月報は大満足して読み終えた。
機械の側でも、白楽天や陶淵明の詩集を愛読中だが、明日の元日からは、またバグワンを読み返して行きたく思っている。

* ではでは。新年には是非新作の小説に自身納得したい。

* だれもだれも健康ですように。

舌少し曲り目出度し老の春         虚子

倦む日なきわが酒に年立ちかへる    占魚

ゆつくりでいいと云ふまに除夜の鐘    恒平                2017 12/31 193

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