ぜんぶ秦恒平文学の話

詩歌 2018年

 

述懐 平成三十年(2018) 元旦 月曜日

冬の夢のおどろきはつる曙に
春のうつつのまづ見ゆるかな         藤原良経

木々おのおの名乗り出でたる木の芽かな     小林一茶

石(いは)ばしる垂水の上のさ蕨の
萌え出づる春になりにけるかも        志貴皇子

朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし      種田山頭火

劫初より作りいとなむ殿堂に
我も黄金(こがね)の釘一つ打つ       与謝野晶子

世間(よのなか)は霰よなう
笹の葉の上の
さらさらさつと 降る(経る)よなう           閑吟集

やそふたつ積んで壽(よはひ)を手に享けつ
日光(ひかげ)しづかな朝の狭庭(さには)に  恒平

翅うちてひよどり來鳴く朝光(あさかげ)に
身をまかせ吾(あ)は身命を愛しむ        湖

富士・筑波を望む美ヶ原の曙
あけぼのの恵方を染めてしづかかな

 

高木冨子・画
秦の実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

 

近影   旧臘
背後の「鶏」は刺繍 作家代表団で訪中の昔、中国政府のお土産

2018 1/1 194

 

賀正  咳ひとつして元旦を迎へけり
2018 1/1 194

☆ バグワンに聴く  『般若心経』より

おまえはそれに気づいていないかもしれない。
自分がひとりのブッダであるなどとは
それは源であり
目的地でもある
ところが、おまえは眠りこけている

* いろは歌の結びに
あさきゆめみし
ゑひもせす
と有る。はかない夢をみたよ 酔いもしないが と読みやすい、が
浅き夢見じ
酔ひもせず
と、前句は否認・否定とわたしは読んでいる。
生きて今在ると思う、それが浅はかな夢であり、覚めよと教えられている。
この感懐のもっとも自覚的に熱く世を蔽おうとしていたのが、俊成が選した千載和歌集の時代かと眺めている。夢から覚めようと願う歌、夢だ夢だと自覚している歌が、秀歌が、かなりの数見受けられて、選歌していて何度もほろっとも、はっともして頭をたれた。

* 夢の大安売りは人の世の軽率な早とちりである。夢に浮かされず、覚めて励むのが本筋である。
2018 1/1 194

賀正  よきひとのよき酒くれて春ながの
いのち生きよと壽ぎたまふ    恒平
2018 1/2 194

四体 誠に乃(すなは)ち疲る
庶(ねがは)くは異患の干(おか)す無からんことを
盥濯 簷下(えんか)に息(いこ)ひ
斗酒襟顔(きんがん)を散(さん)ず     陶淵明

* 昨日 夢 に触れてものを言った。正覚という到達の此岸に 夢 がある。生あるものの現世は夢であるのに気がつかず人は生きていると教えられてはいて も、容易に夢から覚め得ない、正覚に達しない。往時の知識人達は男女の別なくそれを識ってはいたが、夢から覚めることはめったに出来なかった。出来ない、 出来ないと歎く声は、物語にも、日記にも、ひときわ多く和歌集に見られ、わたしの見るかぎりもっとも本心から歎いていたのは千載和歌集での歌人たちであっ た。この和歌集の真率な魅力は、遺憾にも現世の夢から覚め得ない人たちの肉声を響かせる哀れにある、あるのではないか。わたしの『千載秀歌』選には多くそ ういう歌を拾ったのは、わたし自身の根深い願いの反影であるだろう。

おどろかぬ我心こそ憂かりけれ
はかなき世をば夢と見ながら  登蓮法師
* 「おどろかぬ」は目が覚めぬの意。なさけない、夢うつつに生きたままでは。

夢覚めむそのあか月を待つほどの
闇をも照らせ法のともし火    藤原敦家朝臣
* 現実現世も迷夢に過ぎぬとは、だからその迷いの闇の「夢」から覚めよとは。

人ごとに変るは夢の迷ひにて
覚むればおなじ心なりけり    摂政前右大臣
* 憂き世のことはみな「夢の迷ひ」。正しく覚めたなら等しく仏に成れる。

つくづくと思へば哀しあか月の
寝覚めも夢を見るにぞありける 殷富門院大輔
* 寝覚めも夢。その夢から真に覚めよと。それが本覚、正覚。
だが此の世からの真の寝覚めこそが難しい。哀しい。

* ただ悲観的な自覚でなく、それぞれの立場から、「夢」の浅さを覚悟しているのだと思う。
あの、いろは歌 の結びを「浅き夢みし」でなく、「浅き夢見じ」の強い否定でわたしは読んできた。
ブッダフッドは 「夢」のなかには無い。それでも夢を生きて行く、夢に浮かされずに。
2018 1/2 194

 

賀正  今・此処をつひの栖ぞ 松立てて    恒平

人生とは八十年、百年 「今・此処」の現時に尽きている。「今・此処」が「つひの栖(すみか)」に他ならない。
2017 1/3 194

☆ 水鳥を水のうへとやよそに見む
われもうきたる世をすぐしつゝ   紫式部
* 水鳥もわたくしも一緒ですよ、浮いた憂き世を漂っていますよ。

紫式部には、こういう「内省」の和歌がまま見受けられ、そのまえにじっとわたしを佇ませる。
2017 1/4 194

* 「卒寿とはこんなものかと首かしげ」と川柳のつもりらしく、妻はおもしろいと謂い、よたしは言下に否認した。「こんなものか」と「首かしげ」とはおな じ意味の重複である。短詩型がこんな鈍いこと経をやっていては困る。ただしわたしは「卆壽」にまだほど遠く、「こんなもの」も「どんなもの」も判らない。

* 「三軆千字文」を手にとってぱらぱら見ていて「知過必改 得能莫忘」(であろう)対句を見つけた。「知過ぐれば必ず新ため 能を得れば忘る莫れ」とでも読むのか。米寿過ぎて「知」は目減りの一方、新たな「能」はとても覚えられない。と謂いつつ、「からだ」の正字に「軆」と「體」のあるのを今知った。使い分ける機会も有るまいが。 わたし、今、煙草吸わない一服中です。

* へんに寒む気を感じる、ときどき。熱があるのか、気もつかず腕まくりしたりしている。
2018 1/4 194

* 台所で、「千載秀歌」を克明に二度目の初校。千載集は勅撰和歌集だが、そ こから秀歌を選び抜いて補注と感慨を加えるのは茂吉の『万葉秀歌』と同じく、私の気の入った仕事、仕上げたのが平成十二年正月人日(七日)、聖路加の人間 ドックで胃癌と診断されて二日後であった。その正月七日晩の写真が撮れていた。体重87キロ近かった。六年過ぎ、この間、一度も新幹線に乗っていない。今 朝の体重は、67キロ。
2018 1/8 194

* 口説音頭は、昔の定義に従っての歌謡や小説の生地のように、鼻面を引かれるようにどれもこれも一行読み出せば最後まで読まされる。こんなふうに書いてみよかなどと誘われそうで、怖くも成
る。

☆ 陶淵明に聴く 「榮木  抄」

嗟(ああ) 予(わ)れ小子
茲(こ)の 固陋を稟(う)く       うまれつき頑固
徂(ゆ)ける年 既に流れ       歳月容赦なし
業は舊に増さず
彼の「舎(や)めざる」ことに志し   荀子は「功は舎めざるに在り」と
此の「日々富む」ものに安んず    日々に富むのは ただ「酒量」と
我れ 之れ 懐(おも)ふ
怛焉として内に疚(やま)し      怛焉(だつえん) 傷つき痛み

* 「舎めざるに在り」と。                            2018 1/9 194

東福寺
この字が観たさに 高校生の頃 しきりに東福寺へ出向いた。
廣い境内はいつも森閑としずまっていた。黙々と歩いていた。

青竹のもつるる音の耳をさらぬこの石道をひたに歩める
雪のまじるつむじすべなみ普門院の庭に一葉が舞ふくるほしさ
2018 1/18 194

* 友人の「王十八の山に帰るを送り、仙遊寺に寄せ題す」とある白楽天の詩を、なつかしく読んだ。「仙遊寺」は、わたしが高校時代にどっぷり浸って、寺内の来迎院を舞台に処女長編『慈子 斎王譜』を書いた京の御寺(みてら)「泉涌寺」の前名または異名である。

曾て太白峰前に住し
数(しば)しば仙遊寺裏に到り来たる
黒水澄みし時 潭底出で
白雲破るる処 洞門開く
林間に酒を煖めて紅葉を焼き
石上に詩を題して緑苔を掃ふ
惆悵(ちふてふ)す 舊遊 復た到ること無く
菊花の時節 君の迴るを羨む

* なんと、懐かしい。なんと、羨ましい。
たしか高倉天皇は「林間に酒を煖めて紅葉を焼き」の心情から、衛士が帝愛玩の紅葉を焼いたのをゆるされた。
わたしは、ただただ泉涌寺が懐かしい。帰りたいのだ。
「黒水澄みし時 潭底出で  白雲破るる処 洞門開く」と。泉涌 来迎。
どんなに愛したろう、あの清寂を。
2018 1/21 194

* 相変わらず「口説音頭」も愛読し続けている。どういうものかと、判らぬまま気に掛かる人もあろうか。滋賀県米原町に伝わる「一谷嫩軍記」の(二)のアタマをちょっとだけ書き写してみよう。

ちょいと出ました私が
遠い昔の祖先より
歌い継がれた磯節を
不便ながらもつとめます
老若男女の隔てなく
どしどし踊って下されや
お願い申して皆様へ
早速ながらであるけれど
読み上げまする題目は
摂津にては一の谷
二葉の軍記の末期をば
悪声ながらもつとめます
途中さ中でわからねど
さても熊谷直実が
敦盛卿に打ち向い
これはしたりや御大将
そもそれがしと申するは
ちょうどあなたと同格の
せがれが一人有りつるが
その名を小次郎直家と
今朝東雲の戦いに
一生懸命働きしが
まめな三郎の放つ矢来たり
右のかいなに突き立てば
直ちに陣屋に立ち戻り
父上抜いてとあるゆえに
すでに抜かんとなしけるが
右や左を眺むれば
皆歴々のお方なり
卑怯見せては一大事と
わざと声は張りあげて
あいやいかには小次郎よ
戦の半ばであるけれど
たとえを引くではないけれど
それ鎌倉の権五郎(ごんごろ)は
奥州栗谷川の戦いに
鳥の海の放つ矢来たり
左の眼へ突き立てば
血潮の流るるそのままで
その矢を抜かずに権五郎
七日七夜がその間
敵を追いかけ回してぞ
ついに勝利を得たとあるに
わずかな手傷を苦に病んで
父親抜いてと言うような
畢竟か弱い小次郎は
我が子でないぞや小次郎よ
七生涯の勘当だと
叱りつけるなら小次郎は
父上さらばおさらばと
又も戦場におもむきしが
功名立てしかただし又
討死せいかいかがぞと
三千世界を訪ねても
親の心は皆一つ
経盛様(=敦盛の父)はさぞ今頃は
どこにどうしているじゃろと
お案じなさる必定なり
幸いあたりに人もなく
落ちて恥辱にならぬ場所
いざ落ちたまえや御大将と
鎧の浜砂打ち払い
御大将を駒に乗せ
まびしゃく取れば敦盛は
これはしたりや熊谷や
さすればそなたの情けにて
卑怯のようではあるけれど
塩谷の里へ落ち延びる
熊谷さらばと敦盛が
駒の頭を立て直し
半段ばかりも落ちられる
それはよけれど皆様へ
誰知ろまいとは思いしに
これぞ源氏で名も高い
平山の武者所末重が
大音声は張り上げて
やーや熊谷直実や
捕えし敵の大将を
取り逃がすとは何事ぞ
熊谷次郎直実は
二心に極まりなし
熊谷もろとも召し捕れと
どつとばかりに押し寄せる
ここの収まりどうなりますか
読みたい(=謳いたい)けれども時間なら
又の御縁とお預り
ここらで止め置く次第なり

* 「どしどし踊って下されや」と口説き音頭をとって(うたって)いるのであり、本を「読んで聴かせ」ているのではない。盆踊りのような踊りの輪へ音頭良 くうたい口説いている。いま手にしている大冊の『音頭口説集成』第一巻にだけでももの凄い数のこういう「口説」が集めてあり、こんな歌舞伎の下書きのよう なモノばかりでなく、津々浦々の悲恋や邪恋や伝承や怪談や敵討ちや、また教訓や数え歌の類が満載されている。浪花節の何段階か前の未熟・杜撰も露わである が、まさしく「物語」のタネに溢れていて、それが一種の「歌謡」として音頭をともなって縷々口説かれ、「説経節」にまではまだまだ整備されていないけれ ど、まさしく文学・文藝と芸能との謂わば「未然形」を成している。
ほぼ何もかも言い尽くされたような文豪達のさらに枯れ朽ちた枝葉末節を掘り出しては、「ほぼ無価値に」穿鑿しつづける自称「研究」よりも、こういう未開 未萌の、荒れ地ではあるが萌え出ずる未萌の要素にみちた、荒野にして沃野へも着目して呉れまいモノかと、何の保証もなくて乱暴ながらわたしは好奇心いっぱ い外野で希望している。
2018 1/23 194

* 少年来袖珍愛玩の「白楽天詩集」七言律最初作のまさしく「詩の音楽」に惹かれる。多く、音読のままに読み下すのが快適。

☆ 正月三日閑行
黄鸝巷口 鴬 語らんと欲し
烏鵲河頭 氷 銷せんと欲す
緑浪 東西南北の水
紅欄 三百九十橋
鴛鴦蕩漾 雙雙の翅
楊柳交加 萬萬條
借問す 春風来る早晩ぞ
只 前日より今朝に到る

* 「興到りて筆之に随ふ自由自在の才及び易からず」と選者井土霊山が謂う、誠哉。再読三読、生気を覚える。
2018 1/25 194

☆ 和漢朗詠集 立春
池の凍(こほり)の東頭は風度(わた)って解け
窓の梅の北面は雪封じて寒し    藤原(菅)篤茂

* 「立春の所懐 藝閣の諸文友に呈す」とある。こういう慣いを持ち合ってのお務めであった。作者は藤原氏でなく菅原氏ではないかと想われる。それなら篤茂は道真の子である、が。
王朝の男子は、不可欠の能としてこういう文彩を磨いていた。女子には無い慣わしであった。光源氏や薫大将が「学」「文」と謂うときは概ね斯かる勉強の意味であった。
2018 1/26 194

☆ 雪の美しい中、
選集が輝くように届きました。
HPで昨日雪の降るなか郵便局へ足を運ばれたことを読み 足下やお身体を案じていましたが、手渡しをしてくれた配達員の方にも感謝でした。
秦様のご本で、古典の世界からいつしか謡曲の詞章の美しさへと導いていただき、遅まきながら、古典の魅力を感じている今 とても嬉しいです。
教科書の「香爐峰の雪」から「降るものは。雪」とサロンの雰囲気を思い浮かべるまで成長させていただいている思いです。
第二十四巻とても嬉しいです。ありがとうございます。じっくりと丁寧に読みつぎたいと思います。まずは到着のお礼まで。
お二人様のご健康をお祈り申し上げます。  持田晴美  妻の親友

* 次の巻も 次の次の巻も 次の次の次の巻も 楽しんで頂けると思います。

* 読者のなかに、職分ではなくて能を観賞し、謡や仕舞を習い、能を演じる人が何人も居られる。茶の湯の人も。現代の短歌人も俳人も、川柳の人もおられ る、が、ゆはり古典を原典で堪能したり、ことに(百人一首は例外としても)和歌を豊富に常に詠めている人にはなかなか出会えない。漢詩も。漢詩はともかく も、古典文学に親炙して行かれるには和歌を読んで欲しい。和歌の面白さ豊かさ美しさ巧みさを感触できないまま源氏物語や伊勢物語や女日記の類は味わいきれ ないと思う。

* 疲れた。
2018 1/28 194

 

述懐 平成三十年(2018)二月

孤愁 鶴を夢みて 春空にあり    夏目漱石

寒雀身を細うして闘へり        前田普羅

水鳥のしづかに己が身を流す    柴田白葉女

手で顔を撫でれば鼻の冷たさよ   高濱虚子

大榾をかへせば裏は一面火     高野素十

本つくる話はたのし炉辺の酒     清水凡亭

なにをしに生きてある身の無意味さを
ふとはき捨ててしごとにむかふ       湖

紅梅 秦 恒平

ちいさな聖像画を懸け、真前に愛らしい燈明
の台を吊した一画を指さして、「紅い隅」とロ
シヤ人の通訳は教えてくれた。あれはモスク
ワの、文豪トルストイの旧居で誰だか子ども
部屋を覗きこんだ時のこと。「紅い──とは」
と訊くとロシヤでは昔から「美しい」意味に
使ってきたと。さしずめ神棚か、お仏壇か、
ナルホドと呟いたまま遠い日本の紅い色を眼
の奥で追うた。「濃きも淡きも紅梅」と言いき
った枕草子、女作者の口ぶりが懐かしかった。

高木冨子・画
秦の実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

裏千家 円能斎 節分寶船 淡々斎 海老 寄描

冬大空

2018 2/1 195

* ときどき岩波文庫の『日本唱歌集』を手にする。この音痴のわたしでも七割は唄える。今朝は「文部省唱歌」に限って観ていた。デタデタツキガの「ツキ」  はいしいはいしい の「こうま」 あたまを雲の上に出し の「ふじの山」 とけいはあさから かっちんかっちん の「とけいのうた」 春が来た 春が来 た どこに来た の「春が来た」 あれ松虫が鳴いている の「虫のこえ」 道をはさんで畠一面に の「田舎の四季」 など、詩のいいのもある。
色香も深き、紅梅の とはじまる「三才女」とは誰か、小倉百人一首に親しみ出せば「みすのうちより 宮人の」の二番は小式部内侍、「きさいの宮の仰言」 は伊勢大輔と分かった。一番の、庭木のすばらしい紅梅樹を宮中より請われ、「勅なれば いともかし うぐいすの 問わば如何に」と聞こえ上げた才女はさす がに分かりかねた。教室で先生に教わった記憶もない。この才気、伊勢であったように今、すこし朧ろに覚えているが、それよりなにより「清・紫」でないのが 趣向である。
旅順開城約成りて の「水師営の会見」はまだ心地良く唄えていた、曲にも佳い哀調があった。
大方はむしろ大好きだったのに 「我は海の子白浪の さわぐ磯部の松原に」 声を張ってよく唄ったが、せいぜい三番まで、よくよく譲っても五番までで、ことに七番の歌詞は好まなかった、今も詩の美感において、歌いたくない。
いで大船を乗出して 我は拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国
和歌の世界に吹きかよう自然美や四季の感興、花や風に愛豊かにふれた作詞が好きだった。
岩波文庫の「唱歌集」「童謡集」「民謡集」はいつも手の届くところに在る。

* 昨夜も寝る前に重たい『音頭口説集成』を読んだが、耳に目にかすかにも聞き覚え見覚えてきた凄惨な「心中」口説きがたくさん収録されている。歌舞伎の 舞台、嫋々の新内がきこえる「浦里時次郎」の心中などなど、ごくの田舎で口説かれていて、それらが多くの歌舞伎作者達による舞台が先なのか口説きの方が先 であったか、もっともっと探訪探索してもらえないものかと思う。思わずウウウと唸ってしまうほど切な哀愁が、素朴・稚拙な言句・口説のままに溢れている。 歌舞伎舞台の洗練はその裏返しに凄みさえ覚えさせる。
2018 2/4 195

* 『千載和歌集』もまたまたどっぷりと楽しんでいる。
2018 2/5 195

 

* 読書しながら泣くようになった。昔は源氏物語のことに「須磨」の巻で、いよいよ京を逃れる前に光君が父先帝の御陵へお別れにゆく場面へ来ると、決まっ てぐっと来たが、他に強い記憶はない。最近になって嗚咽に近く感動または動揺することが増えてきた。この近日での顕著な例を挙げてみよう、またしても『音 頭口説』からで、題して「越後お女郎口説」。

☆ 越後お女郎口説
越後蒲原ドス蒲原で
雨が三年日照りが四年
出入七年困窮となりて
新発田(しばた)様へは御上納できぬ
田地売ろかや子供を売ろか
田地ゃ小作で手がつけられぬ
姉はじゃんか (不器量) で金にはならぬ
妹売ろうと相談きまる
わたしゃ上州行てくるほどに
さらばさらばよお父ちゃんさらば
さらばさらばよお母ちゃんさらば
またもさらばよ皆さんさらば
新潟女術(ぜげん)にお手々をひかれ
三国峠のあの山の中
雨やしょぼしょぼ鶏るん鳥や噂くし (ママ)
やっとついたが木崎の宿よ
木崎宿にてその名も高き
青木女郎屋というその家に
五年五ヶ月五五二十五両で
長の年期を一枚紙に
封じられたはくやしはないが
知らぬ他国のぺいぺい野郎に
二朱や五百で抱き寝をされて
美濃や尾張の芋掘るように
五尺のからだのまん中ほどに
鍬(くわ)も持たずに掘られた
くやしいなあ

(小山直嗣氏編『新潟県の民謡』)
<参考>
『越後瞽女日記』所収 「蒲原農民くどき」 も、ほぼ同詞章

* 末尾のこの  くやしいなあ  で声たて泣いてしまった。
斯くも真率悲痛な肉声の「くやしいな」という活字を聴いた・読んだことがない。今も泪で字が見えない。
斯かる悲話はイヤほど知っても読んでも来た。ただ、「くやしいなあ」一語が斯くも自立独立して表現の妙を突出させた例を知らない。
音頭口説は音頭で囃しつつ歌うとも読むとも知れず語って聴かせる。時には聴きながら囃しながら踊るのである。哀調といえば通り一遍だが「哀」の全容を此処は「くやしいなあ」の呻きへ結集させた。文藝の「表現」は、真実、斯くありたい。
2018 2/6 195

* 午前中に、発送を終えた。そのあと、昼食後もとろとろしていた。うしろ頸筋疲れたくから両肩が痛んでいる。ぼろぼろの歯を、つい噛みしめて暮 らしているので、歯の根はいつも痛い。おデコあたりがうずうずとせり出しそうに疼いているが、みなみな勝手にせいと、放っておく。
何がしたいか、と云えば…寝入りたい。去年の今頃 こう歌っていた。

尿が出て便出て喰へて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし
余念なく眠ってをればよいものを
なぜ起きてくる 死にたくないのか
* たまたま頁を開いて白楽天の詩『感情 情に感ず』に目が触れた。「野菊の如き君なりき」か。

中庭、服玩を矖(さら)し 忽(こつ)として故郷の履(くつ)を見る
昔 我に贈りし者は誰ぞ 東隣の嬋娟子(せんけんし)
因りて思ふ 贈りし時の語 特(た)だ用ひて終始を結ぶ
「永(とは)に願はくは履綦(くつ)の如く 双び行き復た双び止まらんことを」と
吾 江郡に謫(たく)せられて自(よ)り 漂蕩すること三千里
長情の人に感ずるが為に 提携して同(とも)に此(ここ)に到る
今朝 一たび惆悵(ちふてふ)し 反復して看ること未だ已(や)まず
人は隻(せき)なるも履(くつ)は猶ほ双(そう) 何ぞ曾て相ひ似るを得ん
嗟(なげ)く可く復た惜しむ可し 錦の表 繍(ぬひとり)もて裏(うち)と為す
況(いは)んや梅雨を経て來(より) 色黯くして花草死するをや

* ひとはいまいかに生きつつ 山川のおもひのままに老ひたまふらん
2018 2/11 195

* 十本の手指の尖端(さき)が抗癌剤このかた痺れ切ってて、 なにより困るのが密着した紙や頁がめくりにくい。小さなボタンのはめはずしがうまくできない。ちいさな丸薬や、とにかく持ったつもりのモノを取り落とす。 後遺症の最たるモノがこれなら、この程度と感謝していいが、やはり一番答えたのは視力の不安定と歯の脆さだった。
物忘れのたぐいは年齢相応とおもうことにしている。幸い「読み」に不安はない。「書く」方で、校正などしていて、ときどき、何でこんなと呆れる尋常な漢字が書けずに驚くことがある。

* 昏 倒したように、午後を、七時まで寝入っていた。夢も見なかった。休めるときに休むのは必要なことと、諒としている。政治がらみにズブズブの冬季オリンピッ クに何の興味もなく、競技も観る気がしないが、他にも心惹かれる番組に感嘆に出会えない。仕事の他は結局読書か睡眠。それでよしと。
飲まば飲め 睡くば睡れ 生きの根よ
生(き)のままにあれ 涸れて行くとも
2018 2/12 195

* 歌集『少年』を何度か改版している間、わたしは俳句へは、気持ち距離を置いていて、蕪村は愛読しても芭蕉にすらやや身を引いていた。子規でも短歌の方に早く親しんだし、虚子よりも左千夫や節へ先に身を寄せた。
しかし徐々に俳句は難しいと歎きつつも芭蕉に胸打たれ、子規や虚子の句に心惹かれ、俳句の「俳味」を思いまた愛する気持ちを受け容れていった。
不幸にして、古今の歌集にくらべことに近代のすぐれた俳句集を多くは所持していない。私的に親しかった数人の句集を戴いて愛玩してはきたが、史的な展望で 近代現代俳句を所有は出来ていない。幸い三省堂の呉れた本に、稲畑汀子編『ホトトギス 虚子と一〇〇人の名句集』一冊があり、座右においてしばしば手をの ばすが、俳句は難しいという思いはなかなかあらたまらない。ひとり、ついつい虚子の境涯にのみ引き寄せられている。これだけの百人が夥しい作で選ばれてい ても、心惹かれ心打たれる句は決して多くない、むしろ少ない。
けれど、わたしは一心に近代俳句を読んで味わっている。そしてそれなりにわたし自身の「理解」も得つつある。
いつか、その「初感」を纏めてみようと思っている。外野、黙れと、またまた怒られるかも。
2018 2/13 195

* 杏牛さんの厖大量の新句集ゲラをようやく読み終えた。俳句は真実、ムズカシイです。
2018 2/18 195

* 短歌は「私性の詩」であり、「私」や「我」の思いや行いや境遇を歌う。
「難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身を尽くしても逢はん」と思うのは、だれでもない「私」「我」の思いであり、そう読まれそう歌われたいという表現である。
俳句は、そういう「私」や「我」をなるべくは「捨てた」世界をもっぱら表現してきた。
「古池や蛙とびこむ水の音」「白菊の目に立て見る塵もなし」「鮎くれてよらで過行夜半の門」「あるほどの菊抛げいれよ棺の中」「遠山に日のあたりたる枯野かな」など、作者の「私」は音もなく「消され」てある。しかも確然として詩情は眼前に在る。
例外ももとより有りはするが、「俳句は花鳥諷詠」という広大に感化成した高濱虚子らの主張には、究極は海山も谷川も里も家も人も我もを「捨てた」「超えた」空白に、ただ花をただ鳥を歌うだけで宏遠な世界を表現せよという提唱であったろう。
「寂しさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里」と歌う西行は、率直に「私」の思いを表現しているが、「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と 月」と吟じた芭蕉は、清しくも「私」を「消して」血の通う境涯を見せている。芭蕉が不在なのではない、「消して」示している。俳句はなによりも「私性」を 消すという「抽象」の美と世界とを捕捉し表現してきた、それが魅力だったとわたしは眺めてきた。
ただ、それがいわば常識となりきってくると、当然のように抵抗が生じ来て、またいろいろな主張があらわれる。俳句を「無私の詩」からやはり「私・我の 詩」で在らせたいとも。平談俗語の詩ではいけないと、漢字ばかりで韻律をみせる俳句も流行りを見せつつある。「挨拶」という俳諧世界の慣習を拡大して、読 者には目にも見えない「私の体験」をそのままただ真っ向書き連ねた俳句も出来てくる。
芸術は「常識」に随ってはおれない。たえず「非常識」と謂うも避けがたい奇妙の境地や境涯を開拓するのが芸術だという思いが、少なくも実作者達には、私にも、ありうる。
むずかしいことである。
2018 2/19 195

☆ 拝復
奥様ご療養とはうかがっておりましたが 手術ご大病だった由、早いご回復何よりでした。
美術館等の展観 いつもご一緒の由、 奥様の審美眼、秦さんに伍してさぞかしと、ともども、よき作家を励まし世に出すきっかけ果たされていらっしゃること敬服いたします。
卒業生と会うことも少なくなりましたが、湖の本シリーズ話題にした頃 なつかしんでおります。
寒暖日替りで 外出もままなりません くれぐれもお大事に。
湖にちなみ、テレビ映像によりまして、
氷きしむ暗夜神々湖渡る     草々   周  神戸大名誉教授

* 遠き世の恋なりひびくお神渡り  遠
2018 2/21 195

述懐 平成三十年(2018)三月

有れば厭ふ背けば慕ふ
数ならぬ身と心との中ぞゆかしき     鴨 長明

つれづれと空ぞ見らるる
思ふ人天降り来ん物ならなくに      和泉式部

ものの芽をうるほしゐしが本降りに       林 翔

永き日のにはとり柵を越えにけり        芝不器男

いちどだけ父と馬刀突(まてつ)きしたること  星野麦丘人

暮れぬ間の身をば思はで
人の世のあはれを知るぞかつは悲しき  紫式部

生きたかりしにと闘ひ死にし母なれば
生きのいのちの涯てまでもわれは     恒平

はろばろと昭和は遠くうす澄みて
なにも見えねば目をとぢてゐる       宗遠

雨降り冷え冷え ひなあられ 白酒いやいや 奥丹波
辛口ひたひた 富士夫作 刻銘「花」とよ ぐいと呑め
つち色くろぐろ うまざけの さかなはなになに 菜種あえ
雛にもそれそれ 召し上がれ
蛤汁あつあつ 弥生を待つ待つ         湖

高木冨子・画
実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

孫やす香・みゆ希の姉妹で飾っていった 雛

下保谷の 大白蓮
2018 3/1 196

☆ あそび
今年、京に春一番の吹いたのは、いつもより十日おくれの弥生朔日でした。
その日、作務(さむ)の合間、三時の茶礼につらなっておりました折、和全の茶碗を持参なされた方があり、私も一服いただきました。
添えられた「春雷」銘の菓子は、淡紅色がのどかな春をあらわし、生地のひび割れてのぞき見える黄身餡が稲光りをあらわしているとのことで、季にかなった お選びようでした。それは、美しいお菓子でしたので、いつもは賑やかにあれこれ言い交わしながらいただくのですが、今日は黙していただこうという事にな り、一同それぞれの「殖ゆ」と「はる」とを想いながら味わいました。
その後、寺蔵の天目茶碗も持ちだされて、永樂和全の話になり、『菊溪窯』で焼かれたと伺い、和全の茶碗を『菊溪焼』と呼ぶのだと教わりました。
その「菊溪」という名前をはじめて知ったのは、先生の御作を読んだ時のことです。
真葛ヶ原をわたる風に吹かれたくなり、御伴の資時に逢いたくなって、『初恋』を読みはじめました。
「菊溪」の川の流れは治水され、もはや見るかげもありませんが… 流れゆく音を耳の奥に聴くようにして読みすすむうちに、雪子の家があった場所は、今、私の勤めております会社がはじめた新しい「おもたせ」の店と、ごく近 いところと気づきました。もし、雪子の家が正伝永源院「北側の前竝び」であるならば、常光院境内に建つ私どもの店舗と重なるようでございます。
その店の 弊社ご案内の栞には、『白 haku 』  一をのせたら百。ひとつ幸せなものを口にすることで、九十九の幸せに気づきます。一日をすこし明るくする美味しい小箱をお届けできる場となりますように『白』と名づけました と、書かれてあります。

下河原のあたりに立つと、雲居寺勧進の声がきこえてくるようです。
「 ~ 山にいりてもなを心の水上はもとめがたう ~ 」 と謡う観阿弥の喝食の姿も見えてくるようです。稚児を「美の童」と呼んだのは、誰であったか忘れてしまいましたが … さまざまにモノもコトも思わずにはおれない『天狗草紙』が手のうちから広がってゆくとき、胸が苦しくなる。此の世で息をしているのが辛くなる。

 

黙然

京都は、うつくしく、おそれおおい、ところです。   百  跪拝

* まさしく 「たたずむ」鳥の静かさ寂しさ、それがまた毅く見受けられる。

* 心づよく 断乎と生き 心優しく慈く生きて 「白」壽をも手にされよ。

* 和漢朗詠集が「白」の一字を題して結ばれてある。秦皇の烏頭、漢帝の鶴髪などを謂うているのだが。最終最後の和歌は、
しらしらししらけたる夜の月影に雪かきわけて梅の花をる
胸に沁みる一字である「白」は。
2018 3/7 196

* より正しく読むことの難しさ大事さを分かっていたい。
雨月物語「仏法僧」のなかに、
わすれても汲みやしつらん旅人の高野の奥の玉川の水
という一首をめぐって、物言いがある。
この「玉川」源流には邪毒があり、それを忘れあやまって旅人が川水で渇きをいやしては危ないぞという歌だと謂われているが、それはあるまい。慈悲と万能 の弘法大師が高野山にそんな川水を残して置かれたわけが無く、そんな毒の川が「玉川」などと美しい清い名をもつわけもない。旅人はそれほど「有り難い川水 とも知らずに」どれ程大勢が古来玉川の流れに渇きを癒してきたことか と読むべしと。
わたしも、初読のむかしからこの解をすなおに聴いてきた。
2018 3/13 196

☆ 「修二會」満行
二月二十日「試別火」にはじまり、「総別火」を経、「上七日、下七日」を参籠し十一面観音悔過をなさった練行衆の方々が、三月十五日未明、満行下堂する御姿に手をあわせてまいりました。
天平勝宝四年『東大寺大佛開眼會』のあった同じ年からずっと、一度として途絶えることなく続く修二會』は、「不退の行法」と呼ばれて、悔過の場の「二月堂」は、此の世と此の世ならぬところの境をなくします。
言葉でお伝えすると長くなってしまうので、今日は、写真ばかりを送らせていただきます。
1 結界の外で、咲にほふ梅
2 正面が『二月堂』
3 『参籠宿所』いり口。右側には、吊られてある「お松明」
4 『二月堂』からの眺望。中程の屋根が『大佛殿』
5 上堂なさる練行衆の「道灯り」
6 「道灯り」の「お松明」が堂上にでたところ
7 「お松明」がとおりすぎてゆくところ
8 「お水取り」と呼ばれる「香水」をくむ『閼伽井屋』の屋根の上
にいます「若狭の國・遠敷の鵜」
古都にも、春がやってまいりました。 京・鷹峯   百  拝

* あふ坂の關をや春もこえつらん
音羽の山のけさはかすめる   橘俊綱朝臣

春来んとまつの翠の遠ちかたを
かすみ被(かづ)きつ鳶の舞ひ来る  遠

* やはり 花粉かなあ。
もう十数年になるか、せっかく上野の博物館へ行ったのに、あまりの花粉に堪えきれず泣きの涙で帰ったことがある。最悪だった。あんなでは、無い。上野へ も久しく出かけない。西洋美術館、東洋館、博物館本館。 そういえば鶯谷駅前の懐かしい蕎麦屋「公望莊」が潰されていたなあ、建て直しなら良いのだが。柳 町の「香美屋」へも、もう、六、七年も行ってない。ふらっと行ってくるか。
2018 3/16 196

* 宋の謝畳山が輯し日本の四宮憲章が訓んで註釈している光風楼書房発行『千家詩選』明治四十二年三月十八日訂正四版 定価金五拾銭の袖珍本を手にしている。これも秦の祖父の遺産、程明堂の「春日偶成」に始まって、

雲淡風軽近午天
傍花随柳過前川
時人不識予心楽
将謂偸閑学少年

は、同感惜しまない。はや花を愛し風を迎えた思いである。
「心楽しむ思いを人は分かってくれず、勤しむべきを顧みないで子どものように呆けているなどと。」
2018 3/24 196

☆ 春日  朱文公(朱子 太師徽國公)
勝日尋芳泗水濱
無邊光景一時新
等閑識得東風面
萬紫千紅總是春

* 『千家詩選』の二である。仙明治日本の漢学者はシャチコ張っていて、「道学大いに明なるの日、これ勝日」と読みとり、理に付会してあたら「春日」の喜びを諷詩かのように読む。明治末期知識人の無用の強張りであり、素直に「是春」の喜びを汲めばよい。
* 朝一番にやっと 散髪できた。頭がもしゃもしゃだと気分が腐ってきて機嫌が直らない。散髪したいしたいと二週間は気が腐っていた。「萬紫千紅總是春」と、明日は朝早くから築地での糖尿病検査へ。
2018 3/27 196

☆ 春宵  蘇子瞻(蘇軾 東坡)
春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管楼臺声細細
鞦韆院落夜沉沉

* 漢字って、美しいなあ。
2018 3/28 196

* 高木冨子さん 渾身 いのちの軌跡を、大きな詩集『痕跡』と題し、もう仕上がった草稿段階なのでもあろうが、すべてを  メールで送ってきてくれた。
なかほどに。

明日は四月一日
Poisson d`avril
その由来 諸説紛々 いずれもそれらしく
Poison de diable(demon)
悪魔の毒を連想するのは 悪意の故か
魚poissonと毒poison
sが一文字か二文字の違い
魚はイエスキリストを示唆するが
奇妙に執拗に「行く春や鳥啼魚の目は泪」の句が漂ってくる
古代エルサレム ゴルゴダの土に嘗て落ちた泪
その泪も自然に象られる
何故に魚の目に泪か  (魚もまた泣くのだよ)
わたしの目にも泪   (わたしもまた泣くのだよ)

* しかと 受け取りました。落ち着いて 精一杯 読ませてもらう。
2018 3/28 196

☆ 城東早春  楊巨源
詩家清景在新春
翠柳纔黄半未匀
若待上林花似錦
出門倶是看花人
2018 3/29 196

☆ 春夜  王介甫 (王安石)
金爐香燼漏聲残
剪剪輕風陣陣寒
春色惱人眠不得
月移花影上闌干

* 徒らに解釈しない。ただ漢字の音楽を聴くのみ。王安石も宋朝を支えまた揺るがした大きな政治家であった。
程明道、朱子、蘇軾。みな大きい名前であった。
2018 3/30 196

述懐 平成三十年(2018)四月

文章 世において もと繊塵
ただ恐る 頽波の旧津を没するを          頼山陽

一日物云はず蝶の影さす               尾崎放哉

僕ですか?/これはまことに自惚れるようですが/
びんぼうなのであります。               山之口貘

ものの種子(たね)にぎればいのちひしめける   日野草城

わか葉より小鳥墜ちつつ羽ふりて
相交歓(あひよろこ)べりその下草に       中村憲吉

花鳥(はなとり)もおもへば夢の一字かな      夏目成美

をしげなく花びらくづし
大輪の赤い椿は地にはなやげり         恒平

惚(ほう)けたる老いそれなりに花やいで      有即斎

なるやうになるもならぬもなるやうに
ならす鐘こそうつくしく鳴る             宗遠
2018 4/1 197

☆ 吾亦紅   高木冨子

自負と恐れを吸い込む日々
吾も亦 紅く燃える命
強情で不確かなものに溢れかえり
小さく息する 命

浮雲の韜晦 滔滔 やがて激しさ
激しさは怒りにも似て
際どい均衡を歩く
暗がりに 明るみに 吾亦紅咲く
2018 4/4 197

 

* 湯に漬かったまま、『青春短歌大学』の「父母」の章を読み返していて、わたしが、「父」の歌をしみじみと大切に選んでいることに胸を騒がせた。

独楽は今軸傾けてまはりをり
逆らひてこそ父であること       岡井隆

思ふさま生きしと思ふ父の遺書に
長き苦しみといふ語ありにき     清水房雄

亡き父をこの夜はおもふ話すほどの
ことなけれど酒など共にのみたし  井上正一

女子(をみなご)の身になし難きことありて
悲しきときは父を思ふも        松村あさ子

子を連れて来し夜店にて愕然と
われを愛せし父と思へり        甲山幸雄
2018 4/5 197

☆ 詩解(抄)   白楽天
新扁 日々に成る
是れ声名を愛するにあらず
旧句 時時に改め
無妨(はなは)だ性情を悦ばしむる
祗(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦して 一生を過ごさんと
2018 4/11 197

* 信じられないほど寝ていた。つまもあえて起こそうとはしなかた。かるい昼食に、たまには、と、取り置きの中の佳い葡萄酒の栓を抜いて、ちいさなグラスでせいぜい二杯飲んだか。
ぶっつぶれるように、また寝入ってしまい夕方になった。

* 寝るために生きているらしい。そして結局、起きてくる。去年の一月にこんな二首を残していた。

尿が出て便出て喰へて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし

余念なく眠ってをればよいものを
なぜ起きてくる 死にたくないのか

* 喰うと いっときはげしく カラえづき する。咀嚼が出来ないのか。

* あっいうまに晩になった。
2018 4/21 197

 

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「自然はわれわれ自身知らない諸々の能力と才覚をわれわれの精神の奥底に隠したらしい。情念だけがそれらを掘り出す権限を持っていて、時どき、人為の及びもつかない確実で完全な見識をわれわれに持たせるのである。」

* 電源を入れて、作業可能になるまでに最低でも十分以上はじっと待たねばならない。その間にロシュフコーを読み後拾遺和歌集などを読む。 勅撰の連歌集 はあったと思うし漢詩集もあったが勅撰発句集は編まれなかった。編まれなくても構わないが、私撰でもいい千句程度の一冊が欲しいものだ。解説も解釈も要ら ない。「武玉川集」も座右に運んできて置きたくなった。
賞味期限の遙かに切れている機械と我慢強く付き合うには、暫時の待ち時間に堪えねばならず、それを逆用出来る興味を身辺に簡単に見つけられるよう、和歌 集や漢詩集や江戸小事典の「砂払」などを手の届く範囲に常備してある。現代ものの詩歌句集は出してないが、上村占魚の「吟行歳時記」は座右便利している。
2018 4/22 197

* また書庫に入り時間を忘れていた。こんなの、読まずに死ぬわけにイカンなと思い思いしていると、嬉しくなってくる。
とうに亡き森銑三先生にわたしは思いの外たくさんな御本を頂戴している。小説『徳内』連載の早々にお手紙で関心を寄せて頂き、小林保治氏と二人で入院さ れていた病院へお目に掛かりに行ったときは、病室がそのまま書斎のようで、談論風発とても楽しかった、お見舞いの意味を成さないほどだった。それ以降、亡 くなられるまでに十余におよぶ新旧のご著書を戴いた。わたしはわたしで中央公論社の「森銑三著作集」全巻を買い求めて座右に置き愛読を重ねてきた。今日は 書庫から『武玉川選釈』一冊を引き抜いて二階へ持ってきた。
「武玉川」は、流れで謂うといわゆる「俳諧・発句」と後年の「川柳」との間に位置した編者紀逸の 人柄の映じたも穏和で洒落た「雑俳」集で、ことに江戸 の洒落ごころを「武」一字に誇らかに粋に示しており、なみの雑俳や川柳が陥りがちなガサツや人の悪さがない。寛延三年に初篇が成って以来、他に類例なく、 安永三年の第十八篇までもひきつづき刊行されて、川柳『柳樽』の初めて成るのを大いに刺激した。発句・川柳は衆知のように五、七、五句であるが、「武玉 川」は七、七句だけでも一句を成していてこれがとても良いと森先生は観て居られた。初篇から選釈されている冒頭初句が、

きんか頭を撫でる若君

とある。
森先生、「撫でられるのは、奥家老などの職にある老人と観てよいであらう。奥女中達に育てられていらつしやる若様が、たまたま奥家老に抱かれて、その膝 に立つと、老人の頭のつるつるに禿げて、光つてゐるのが珍しい。そこでそれをそつと撫でて御覧になつたといふ。ほゝゑましい句である。」
このまま、われわれ世間の小さな男孫とよく禿げたお祖父ちゃんとにまで広げて汲むことも出来る。どこの家でも、ちっちゃな男孫は「若様」なみであるだろうから。森先生の旧仮名遣いでの釈文、いかにもお人なりに穏和で懐かしい。
しばらく読み継ぎながら、ここへも紹介したい。
2018 4/24 197

☆ 津浪の町の揃ふ命日     武玉川

* 胸へ来る。ただ「七七」で莫大な情報量を蔵している。江戸時代にも、悲惨な津浪に人は遭うていた。
五七五の雑俳より、いっそ新奇に簡明で至妙。興味津々、こころみたくなるが、難しい。仲間があって心がけるほどでなくては、とても。

* 二階の廊下、外向き窓の下に文庫や新書用の書棚が並んでいて、部屋側の壁一画に、鮨の「きよ田」二台目が送ってきてくれた半畳大沢口靖子の写真がかけ てあり、この廊下を「靖子ロード」と勝手にわたしは呼んで、階下から機械のある仕事部屋へあがってくるつど、ちょっと立ち止まって棚を溢れた本のいろいろ に手を出してみる。
いまも又しても秦の祖父の蔵書であった手帖大の田森素齋・下石梅處共選『頭註和訳 古今詩選』を見つけてきた。大阪文友堂書店蔵版で明治四十二年十二月 二十五日発行「正價五拾銭」八十翁中洲の「思無邪」と題字がある。まさかに本嫌いだった秦の父が十二歳で手にした本とは思われず父が日ごろ「学者や」と畏 怖していた祖父鶴吉の蔵書に相違ない。日本人の作を先行させつつ古来漢詩の名作を蒐めてある。訓みのみ示し敢えて釈一切を省いてあるのが、いっそ有り難 い。

述懐   大友皇子
道徳承天訓    道徳天訓を承け
鹽梅寄眞宰    鹽梅眞宰に寄る
羞無監撫術    羞づ監撫の術無きを
安能臨四海    安(いづくん)ぞ能く四海に臨まん

開巻の第一首、あの壬申の乱に叔父大海女皇子(天武帝)に背かれ敗れた弘文天皇が皇太子時季の述懐であろう、三、四句に接し胸の熱きを覚える。大友妃十 市皇女は大海女の娘であった。鮒鮓の腹に父蹶起をうながす密書を含めて吉野へ送り、父天武は妃(亡き天智帝の娘)とともに起った。夫大友に背いた十市はの ちに神隠しかのように雷爆死した。わたしの小説「秘色(ひそく)」はこの世界を書いた現代小説である。

* ただ五言七言等を問わず また絶句律詩等を問わず、和製の漢詩はむしろ大友皇子ら、せいぜい菅原道真あたりまでを絶頂に、時代を下るにつれ、ことに幕末維新期の甚だしい和臭・稚拙・絶叫は読むに堪えなくなる。いわゆる詩吟という詠詩法のひどい悪影響である。しかも近世の、ないし日本史上でも最高位詩人とあげて良い新井白石の作を只一首も収録していない。
「明治」の本には、詩とかぎらず、往々奇態に捩れた国粋・権道主義が臭う。今日につづく長州閥政権の基本姿勢はまさに反動極みなき「明治」賛美を腹に持っ ていて、警戒を要すること甚だしい。勝海舟 坂本龍馬らの影もささず、水戸の幕末に聞こえた藤田東湖の如きは「夢攻亞米利加」と題して「絶海連檣十萬兵  雄心落々壓胡城」とぶちあげ、目が覚めて冷や汗を流している。

* 実はこの詩集のほかに、当面の創作に刺激を呉れる一冊を見つけて、ホクホクと機械の前へ来ていながら、その前に、ちと落書きに時を移した。
2018 4/26 197

☆ 高尾が出来て読売が出る   武玉川

* これは今日人には判じ物とすらいえない評判句。「読売」とは、今日で謂う「号外」。「高尾」とは地名を謂うのでなく、絶世の美容と知性・素養・人格を 一心に湛えて衆庶の敬愛をあつめえた最高級・特定の花魁・太夫・遊女の名乗りであって、高尾太夫は吉野太夫らと並んで絶巓に在った。
この「高尾」は代を嗣ぎ間隔をおいて何人か実在したのであり、その間隔がかなりあって「高尾」不在が惜しまれていたときに、何代目かが名乗って出たのを「読売」を奪うように歓迎したのである。
西鶴の「一代男」にも、身請けされ理想の妻女とたたえられた「吉野」が描かれ、歌舞伎にも、落語にも、ものの本にももて囃されるそういう人間味の尊敬された「遊女」が事実実在したらしい。
江戸時代は、おもしろい世情を湛えていた。

* 色彩には、線とならんで、口舌の必要ない魅力がある。この日録の冒頭にわたしはいつも三、四の写真を「マイピクチュア」から選んで出しているが、今掲 げている、夜の浄瑠璃寺九体堂、咲匂う大紫と皐月、愛らしい仔猫の黒、そして晴れ晴れとした富士山。それぞれの色の美しさに、とかく騒ぎがちな日々の思い を有り難く慰められている。躑躅と皐月とはわたしがカメラに入れた。こんな楽しみも、「述懐」を託した今月の歌や句とともに今今わたくしの「述懐」なので ある。
2018 4/27 197

* 「ヤママユ」「鱧と水仙」同人、もう久しいお馴染みの喜多隆子さん、新刊の第四歌集『柿の消えた空』を送って見えた。一読したが、かつてなく感心できなかった。歌が「うた」っていない。おおかたがギクシャクと斡旋も推敲も行き届いてなく、巻頭の また巻末の

暗緑の葉陰に鈴なす招魂(おがたま)の川辺に揺るる音もたてなく

くつきりとひとこえ響き夕闇の春日の森の大き静寂

まで、これは意味不明にも近く、舌も噛みそうで 胸にしみる「歌」とは聴きとれない。残念だが。

* 七七最短「武玉川」の雑俳、

子を誉めてゐる船の真ん中

の方が、はるかに正確的確におもしろく「うた」えている。
この、乗り合うてさて所在もない小さな渡船七七句のおかしさ・のどかさ、ほおえましさ、人声の聴きとれないでは、所詮 詩歌を云々するわけに行くまい、たとえ平成末年の今日人といえども。
2018 4/27 197

 

☆ 拍子に乗つて長崎の嘘    武玉川

* 唯一他国へ開港されていた「長崎」へ行ってきた観てきたといえば、世界の果てまでも観てきたかと人に思われる時代があった。つい、見聞のほかのホラを吹いてまわるヤツもいた。時代を超えて云える指摘。
2018 4/28 197

☆ 取りつき易い顔へ相談    武玉川より

* 的確に見ている。なにとなく自分にもこういう場面に遭遇しこういう塩梅に人を頼んだような弱いときが有った気がする、無かったわけがない。
こんな明察にならべては直にすぎて妙味ないが、私も、一句。

☆ 覚え無いとはうまい言ひぬけ   有即斎

* なにも高等な財務官僚だけの話でない、身に覚えのないひとは一人もいまい。   2018 4/29 197

☆ 入れ歯の工合噛みしめて見る    武玉川

* 入れ歯はよほど厄介なモノで、入れるのも外すのも、それが上も下もとなると情けないほど。殊に入れた当座はヘンにギクギクして不快なのを何とか噛みしめ噛みしめともあれ諦める。ふしぎに時間が経つとちゃんと収まってくれている。
この七七雑俳のこんな時には、貴賎都鄙・善悪・老若男女にかかわらず、全く同じ神妙に「噛みしめる」顔になっている。まさしくその無差別な、笑えない可笑しみを、句は正確に掴んでいる。
2018 4/30 197

述懐 平成三十年(2018)五月

春を留むるに 関城の固めを用ひず
花は落ちて風に随ひ 鳥は雲に入る       尊敬

白牡丹といふといへども紅(こう)ほのか     高濱虚子

草木は雨露の恵み
養ひ得ては花の父母たり              謡曲「熊野(ゆや)」

人(ひと)入(い)つて門のこりたる暮春かな   芝不器男

頭の中で白い夏野となつてゐる          高屋窓秋

水すまし流にむかひさかのぼる
汝(な)がいきほひよ微(かす)かなれども  斎藤茂吉

山の音を聴きそめしより現し身を
さびしきものと思ひしみしか          遠

ウソでないホントのオモヒに身を燃して
オロカなままに歩き果てばや         遠

めをとかと息ひそめ見る鵯(ひよどり)の
二羽が朝日に映えてうごかず         遠

高木冨子・画
秦の 実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

五月   築地明石町

モロー  一角獣(部分)
2018 5/1 198

☆ 親指に折らるゝ人は手柄なり     武玉川

* 判じ物のようだが、良くも悪しくも、謂えている。「手柄なり」とは、武玉川世界の温和な善意の反映で、逆もある。
2018 5/1 198

☆ 死んだ和尚を褒める豆腐屋    武玉川

* 大寺院のはなしではない、町の小路に溶け入ったようなお寺さんのこと、そういうお寺のちかくによく豆腐屋が店出ししていたのは、精進料理につかえる豆腐は代表格で、寺には便宜、豆腐屋には常得意だったという、江戸のはなし。今度の和尚さん 豆腐に飽きてでもいるのか。
2018 5/2 198

☆ 闇のとぎれる饂飩屋の前    武玉川

* 蕎麦屋でなく饂飩屋である。寛延のころはまだ饂飩屋が江戸蕎麦の勢いに席捲せられてなかった証言でもある。なにしろ江戸の町の夜の暗さは今日の想像を 絶していたらしい、森銑三先生は明治のなかごろまでもそうだったと云ってられる。そんな夜の闇の町通りにもうどん屋だけが外提灯を吊って店を明けていると いうのだ。武玉川の寛延期は十八世紀の真まん中ごろである。
2018 5/3 198

☆ 肩へかけると生きる手拭    武玉川
世話狂言でよく見るが、存外に身近な暮らしでも戦前までは見かけたもの。洋服を着てでは始まらない、半ば胸もはだけて浴衣のにいさんや小父さんが下駄を鳴らし、闊歩していた。手拭がバカにならなかった。
2018 5/4 198

☆ 葉ほど世間を知らぬ茶の花   武玉川

* 「茶の花じゃなあ」と、意見が出来そう。茶の木は、花よりも葉に出番がある。   2018 5/5 198

* きのうの晩、昔の「工大」院生だった白澤智恵さんの小説「リセット」を読んだ。かなりの枚数をわたしに一気に読ませる筆力はあった、だがもっといい働 きの想像力と徹した推敲があれば、いまどきの文藝誌の新人作を優に超えていただろう、惜しかったなあと、どうやら二十年近くもものの下に眠らせていたらし いわたしの迂闊を、申し訳なく思った。それでも、このままではなあ、と、暫時、読み終えたA4束の原稿を汗ばむほど掌に掴んでいた。
添えられていた手紙、建日子の作・演出「リセット」を観てくれたあと、自分の「リセット」は斯うですと送ってきた、たぶん私小説そのものらしかった。そ して手紙の末に、劇場で初対面だったとみえるわたしの妻(建日子の母親)のことを、「もっと幽霊のような方かと思っていました。とっても<人>という感じ がしました」と書き結んでいて、昨夜、妻と大笑いした。こんな面白い手紙のことも何一つ記憶にないままだったとは、迂闊で気の毒でした。たぶんわたしもバ カ忙しい日々であったのだろう。

* 白澤さんのその後を、わたしは全然知らないでいるが、書きたいと云っていた「エンターテイメント」を書き続けているだろうか。じつに優れたエッセイの書き手だったし、短歌までわたしに習って作っていた人だ。
「工大」卒の同窓さん、誰か、分かる人はと此処で頼んでおく。
ペンネームが欲しい、つけて下さいと頼まれてあれこれ電話で折衝したこともあった。使っているのかなあ、どこかで。ひょっとして母校で専攻の先生をしてるのかも。
満杯の大教室である日の授業あと、つつと教壇へ来て、「河野祐子」と「岡井隆」の歌集が読みたい、貸して下さいと云ってきた、あの「嬉しかった」心地は 忘れていない。短歌などわたしの教室以前には無縁であったろう、河野さんと岡井さんか、いいセンスしてると、この二人の歌人を名指しで惹かれてきたことに 「秦さん」は感激した。

* 猛烈小さな活字を必要あってたくさん読み耽ったため、眼が痛い。九時半。
2018 5/5 198

☆ 塩気の抜ける海女のおとろへ    武玉川

* 海女と限らず、老い病まいを見据え、こわいほど掴んでいる。
2018 5/6 198

☆ しやぼんの玉の門を出て行く    武玉川

* 門の内で、こどもが。けれどその姿は見えず出さず、ただ しゃぼん玉が門の外へふわりふわり。時を喪ったような得も謂われぬ静謐・安楽・幸福感を「表 現」して、至妙。こういう感覚を幸いにもわたしらの世代は記憶している。社宅の門へ帰ってくる、と、姿も声もなくて確かに朝日子と建日子とが、いる。
2018 5/7 198

2018 5/8 198

☆ 向ふ木挽(こびき)の揃ふ鼻息    武玉川

* 大きな木を、向こうとこっち二人がかりの大鋸で丸太に引く。気合いが揃わねばどうにもならない、その機微とも必然ともを的確に句にした手柄。揃えようとして揃うと云うより、必然、揃わずにいなくなる意気の通り、生きのはずみに美しさがある。
2018 5/8 198

☆ 殖えずにしまふ母上の金    武玉川

* 「母上」などという甘え方で母親の懐金を厚かましくアテにするのは、なにも身分ある家のドラ息子・ドラ娘にかぎらない。
わたしを育てた秦の母は、一週、十日ずつの生活費を父からもらうのに日ごろ泣きの涙でいたから、とてもとても「母上、お金頂戴」など云えはしなかった。 老いて老いて我が家の叔母も含む三人の老人はみな九十過ぎまで長命し、わたしたち家族に見送られたが、なかでも九十六まで一等生きた母が「一期の呟き」 は、人間生きの根を左右されるのは、「お金やな」であった。
母は年金も下りるようになり最期にはかなりの金額を仕舞いこんでいた。母を見送ってからわたしははじめて「母上」の「殖やし」ていたお金を謹んで頂戴したのだった。
うちの息子や娘が、妻を「母上」呼ばわりしているかは知らない。娘にも息子にも過分にはあえてしんかったが、いろいろに気配り・金遣いはしてきたつもり でいる、友達からは二人とも「貧乏人」とわらわれていたとも聞いているが。貧乏こそ、人の常というもの、そこで才覚を養う以外に具体的な努力はない。
2018 5/9 198

☆ 赤子拾うて邪魔な物知り    武玉川

* 貰ひ子だか里子だったのか知らなかった、どうも後者であったろうが四つ五つで秦の家に落ち着いた頃、母が銭湯へ連れて行くと、よう、はだかの小母さん らがわたしを見てははだかの母に「お父さんによう似てはる。ええお子や」などとひとしきり空疎なアイサツを呉れていたのをわたしはハッキリ覚えている。 「お父さんに似てはる」ワケのないことを誰もが知っていたはず。父も母も叔母もなんとかかとか辻褄をあわせてはわたしを「秦」の子と落ち着かせていたの だ、思えば「気しんど」なことであったろう。ちっちゃかったわたしは、この家がつまりは「よその云え」と分かっていてそんなことは口にしない出来れば思う まいと思いながら日々育てられていた。そのころわたしは何故か「ヒロカズ(宏一)」と呼ばれていて、京都幼稚園では「秦宏一」と名札をつけていた。妙に怖 かった祖父は「ヒロこ」と云うていた。「ひろコ連れて商売に行く」と老耄後に「譫言」をよく云うたそうだ。このヒロこの「こ」は、島津公だの楠公だのの 「公」の極端におちぶれた蔑称であったろう、京都ではよく耳にした。
昭和十七年、秦の母に手をひかれ国 民学校一年生になるべく連れて行かれた日をわたしは、櫻も咲いて晴れやかに賑わった運動場をありあり覚えているが、この時に受け付けでもらった名札らは 「秦 恒平」と見知らぬ漢字が書かれていた。母は黙然と「それでええのや」という顔をしていたので、わたしは無抵抗に受けいれた。これね「もらひ子」であるゆえ の通過儀礼のように黙過したのだった。「おまえ、もらひ子」と云われようとわたしは黙ってれば済んだが、父や母や叔母はさぞ難儀であったろう。
2018 5/10 198

☆ 六十四州眠る元日    武玉川

* もうこんな静かなのどかな元日など失せた。なによりうるさいテレビや新聞があり、信心失せの初詣や福袋さわぎなど。わたしの子どもの頃は、まったく武 玉川の通りで、朝はやに雑煮を祝ってしまうと、午前中、家の外へ出てみても人ッ子ひとりの影も戸を開けた家もなく、町通りの東の端から西の端までわたしの 踏む下駄の音が鳴り響くようであった。家の内で大人はみな寝入っていた。「お正月さんがござった」とはそう静かさであった。
2018 5/12 198

☆ 手代は婿にならむとすらむ    武玉川

* 息子の無い旦那や社長の手代・社員どものとかく見たがる、夢。悲喜劇のタネを「ならむとすらむ」と厳粛な顔を作ってひやかしている。実例を、二、三は見知っている。 2018 5/13 198

☆ 抜いた大根(だいこ)で道を教へる    武玉川

* 即、目に見える。きちっと「人」の表情や声音までが表現されていて、嬉しくなる。
2018 5/14 198

☆ 裸でよいと伯母がまた来る    武玉川

* 「伯母」が眼目、叔母ではダメ。昔は伯母は親類へ上からものが云えた。世話も焼き小言も云うた。此処は「姪」を嫁にやれやれと、本人より何よりまだ何 かと親が渋っているのに、強い「伯母」御、先方は気に入っている、持参金も道具も要らないと云うているのにと、やいのやいの。
当節「伯母さん」のちからは、どんなものか。
武玉川には上から目線で世話焼きの「伯母」さん、ちょくちょく顔をだす。

☆ 今度も女伯母一人褒め    武玉川

* 『細雪』の蒔岡家が四人姉妹、西洋にも四人姉妹の人気作があった。       2018 5/15 198

☆ 京都に来ています。
モロー、時代と一線を画し 館で制作し続けた画家でした。その館がそのまま美術館になっていて訪れたことがあります。
武玉川の 七・七句。
対話になりそう!
明日は日本画の教室、そして家に帰ります。
昨日は近くの上御霊神社の祭礼で小山郷の神輿などが練り歩くのを観ました。
鴉、 元気に元気に。  尾張の鳶

* ぬすみ酒して達者がるやつ   鴉
2018 5/19 198

☆ 雪の深さの知れる大声    武玉川

* 季節はずれですが、この春はわが家へもご近所へも「大雪」が降った。しぜんと大声も出た声のしんと雪に吸われながら聞こえるクリヤな感覚を、興趣と感じていた。

* 今朝は昨日よりよほど冷える。
2018 5/20 198

☆ 売つた屋敷を編笠で見る     武玉川

* 今の世にもかかる体験者は少なくなかろう。住み慣れた、屋敷などといえない家をうって立ち退くのは心さびしい。わたしにも覚えがある。撮り置きの写真をみるのも身が疼く。
2018 5/21 198

* 明日、建日子が郊外の廣い花園へさそってくれているが、わたしは遠慮する。この季節は、奇妙にからだに堪える。妻は、わたし以上に、この梅雨入り前の 季候に弱く、入院を含むほどの剣呑な体違和を何度も重ねてきたので、よほど要心して連れだしてもらいたい。過剰・あぶないと感じたら即、帰宅させて呉れま すように。
いま、此の欄のはじめに挙げてある蓮池の花々、写真で観ているだけで心涼しい。
広大な公園は「歩く」もいいが日照りを避ける場がすくなく、いったん疲れ始めると、ひどい。
建日子に、重々カーサンへの気配りを頼んでおく。

☆ 家内の留守を狙ふ鶏飯
女房の留守も面白いもの   武玉川

などとあるが、留守を狙って喰いたいものもなし、ほくそ笑むような話も何もない、せいぜい録画の古い映画か、寝ころんで読書か。
力の湧くにしたがい書きかけ小説の吟味を楽しみたいが。
一升瓶の「呉春」が減りそう、かな。過ぎまいと堪えつつ、減って行く。
2018 5/21 198

☆ 一人ずつ子の戻る夕暮    武玉川

* もう すっかりこういう光景は見られなくなったが、わたしの幼時もこうであった。久保田万太郎の 「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」もこうだ。路 上、子供達が集って一つの遊びに熱中している図など、もう久しく目にした覚えがない。家にテレビがあり、路上に車の往来がある。索漠。
2018 5/22 198

☆ 娘の謎を伯母が来て解く    武玉川

* 払底してこういう「伯母さん」は見なくなった。当節は伯母さん叔母さん母さん世代のほうが、「お肌がどうした」「附け鬘がどうの」「お通じにはどの薬の」とウロウロしてて、娘、息子らは「勝手に育つ赤いトマト」の気で居る。
2018 5/23 198

☆ 講中寄って褒める戒名    武玉川

* 秦の親たち三人の戒名が、幸い好もしいとみている。
わたし自身は、お寺さんに戒名をつけて貰いたいとは願っていない。秦 恒平で宜しく、ま、自身で名乗ってきた「有即斎・宗遠」でけっこう。
2018 5/24 198

☆ 生きた娘の代る人参    武玉川

* 「人参」という著効の高価薬が尊ばれた時代、親のため身内のために娘が色街へ身売りして金をつくったような話はイヤほど聞いてきた。昨今でも、「人 参」のためとは言わなくても同様なことがあるのかどうか、戦前戦中にはあった、ありえたろう。敗戦後にもあったと想われる。「生きた娘」の句に深い歎きが 籠もる。
2018 5/25 198

☆ 狸が呼んで名を替える尼     武玉川

* これは今ここへ引くほどの句ではないのだが、幼い記憶にすこし引っかかって妙に懐かしくもあるので。昭和二十年三月、京都市内から、雪の丹波山奥の、 まるで深い薬研の底を小川と村道のくねっているような小さな田舎へ、母と、戦時疎開した。わたしは国民学校三年生をそ匆々に終えてきたばかりの満でいうと 九歳余だった。
その、当時京都府南桑田郡樫田村字杉生は農家が十数軒ともないちっちゃな部落であったが、そんな集落からは街道沿いに一キロほど離れて尼寺があり、とに かくも大人の庵主さんと、も一人、今での遠い印象からすると十代後半か二十歳ほどの若い女性がひっそり暮らしていた。二年近く疎開していた間に、この尼さ ん達をみたのは数度となかったが、やはり村の若い衆は「庵主さん」ではない若い尼さんをなんとか俗名で口にしてはなにやかや言うていた。なにしろ戦時戦後 でほんものの若い衆といっても農学校生かそのちょい上、いまの高校世代しか男のすくない農村だった、そういうお寺の存在は、無縁であればあれ一種別世界め いてわたしは感じたり遠くからお寺の石垣を眺めていた。
上の句、狸だか若い衆か、なにかしら尼さんをからかいかねなかった風情で、森銑三先生はごく穏和に読まれているが、「名を替える」には何ほどか案外なドラマもありそうに読め、通り過ぎてしまえなかった。
2018 5/27 198

☆ 奇麗にしなび給ふ上人    武玉川

* 持戒正しくもろ人の帰依を受けてきたお上人がお年をめされてきたが…という。お目に掛かりたい。
2018 5/28 198

☆ 買つた屋敷を愛宕から見る   武玉川

* 「売つた屋敷を編笠で見る」の正反対、愛宕山へわざわざ登って買った屋敷を嬉しがる。編み笠で見たことはあれ、高いところからわが家を眺めるなと。とてもとても。  2018 5/29 198

☆ 緑子(みどりご)の欠(あく)びの口の美しき    武玉川

☆ 腹の立つとき大針に縫ふ    武玉川

* 前の句を受け取れない人はいまい。
さて、アトの句を実感できる女性が、おいでか、な。
2018 5/30 198

* このところ連日入浴し、湯の中で校正の読みを30頁ほど、そして本を二、三種少しずつ読む。今晩は、ミルトンの『失楽園』と、『聊斎志異』の一話を。対照も、すこぶる、妙。
岩波文庫上下で900頁を超す大作『失楽園』は原文は、散文でなく壮大な「詩」。まだ人間の世界も生まれていない遙かな太古、宇宙に、唯一最高神の君臨 に反旗をひるがえし簒奪を願って天使や悪魔の大軍が闘いを挑み、惨敗して無数の反乱者は宇宙の底の底の業火と闇に鎖された世界へ禁獄されている。その敗者 達が、首領であるサタンに率いられて今一度の天国への帰還を策謀しているところから、この壮大無比の詩巻は繰り広げられる。その反闘の足場に彼らは、至高 神によって予定されている「人間世界」に狙いを定めようとしている。
とにもかくにも「読まされて」行くそれ自体がすこぶる好奇な感触なのである。
2018 5/30 198

☆ 隠居へ孫を運ぶ雨の日    武玉川

* 些少の都会生活者に「隠居」は思い寄らないにしても、年寄りには年寄りの部屋があろう。孫の世話を押しつけ気味に頼むとも、雨ゆえの無聊なればこそ慰めにかわいい孫を預けるとも読める。武玉川の境涯なら、後者と、わたしは読みたい。

* 昨夜も二時過ぎまで次から次へ本を読んでいて、ま、そこそこに睡れてポコッと早めに目ざめた。いま、九時。このぶんでは昼間に睡くなりそう。ま、いい。あるがまま。けれど暢気にはしていられない仕事の混みようで、なるままにとは捨て置けない。

おいおいと老いをはげまし老いらくの
老いのあまえの日々を追ひ行く    遠
2018 5/31 198

述懐 平成三十年(2018)六月

死の側より照明(てら)せばことにかがやきて
ひたくれなゐの生ならずやも          斎藤 史

六月を奇麗な風の吹くことよ             正岡子規

入れものが無い両手で受ける            尾崎放哉

ゆふぐれは雲のはたてにものぞ思ふ
天つ空なる人をこふとて             よみ人しらず古今集

池水は濁りににごり藤なみの
影もうつらず雨ふりしきる            伊藤左千夫

あぢさゐや真水の如き色つらね           高木晴子

朝日子を光の間にて嫁かしめき
遙かなり我は父親にして  (六月八日)    恒平

もの忘れそれも安気(あんき)や梅実生(みせう)  みづうみ

あれもありこれもありあれもこれもなく
歩一歩(あゆみあゆみ)行くあるがままの日 有即斎
2018 6/1 199

☆ 金曜日です。
HP見て驚きました。今日は金曜日です、今日午後のうちに主治医でなくても早急に診察
していただいた方がよいと思います。土日二日待つのは不安です。早い手当てを。
僭越は重ねて承知で、敢えてメールします。  尾張の鳶

* 感謝。
わたしも、土日を手を束ねて発熱しながら週明けをまつのは危ないと感じました。医師外来へは出ていなくても泣きつく気で病院に電話し、繋がった。まずは、よかった。週明けの歯医者は予約キャンセルした。

おいおいと老いをはげまし老いらくの
老いにつまづき日々を追ひ行く    遠
2018 6/1 199

* 見失っていた大事な近用眼鏡の二つが、ケースのまま山と積んだ参考書の底から現れた、現れて呉れた。一の気がかりが失せた。ああ、よかった、が、まだ何かあったゾ。忘れる…ということが増えに増えた。ま、いいか。
もの忘れそれも安気や梅実生
と呟いてからでも、もう何年か。
2018 6/1 199

☆ 鳶といはれて酒を買ふ母    武玉川

* 子を褒められるのが、母はわがことより嬉しい。鳶が鷹を生んだねなどと客にいわれると、ほくほく愛想の酒を買いに走る母親。あたたかな武玉川の、表現。
☆ 親の闇ほかの踊は目に附かず   とも有る。盆踊りに家の少娘もまじっているのだ。
親の、母や父の、子にしてやれる心からの励ましは、これに尽きる。世間には「拝み倒しにまだ懲りぬ母」もいようが、そういう「モノ・カネ」で出来合うのは土間親にも可能と思われず、そもそもそれでは親は心淋しい。
☆ 親の闇たゞ友達が友達が    と、子の「わるさ」を友達のセイにしてしまう親であっても心淋しい。
2018 6/2 199

☆ 詠懐    白楽天
尽日松下坐 有時池畔行  尽日松下に坐し 時有つて池畔に行く
行立與坐臥 中懐澹無営  行立と坐臥と 中懐は澹(たん)として営む無し
不覚流年過 亦任白髪生  覚えず流年過ぎ また白髪の生ずるに任す
不為世所薄 安得遂閑情  世を薄(かろ)んずる無くば 安(いづく)んぞ閑情遂ぐを得ん

☆ わが幼名で捨子育てる    武玉川

* そういうことも有ったんだ…と、想う。
2018 6/3 199

☆ 親の昔を他人から聞く    武玉川

* 同様に 己が昔を他人からいろいろ聞かされたことであった。
2018 6/4 199

 

* 蕪村に「月天心まづしき町を通りけり」というのがある。「まづしき町」の読みはいろいろに有りうるが、わたしはもう何年も何年もおなじような 凄惨な家ともいえぬ家々両側から包まれた細道を夢に見る。ゆうべもかなり長い間 繰り返しそんな怖い路地をいくつも、幾度も、通っていた。わたしにはそん な原体験は無かろうと思うが、少年時代にいつしかどこかしらで擦り込んできたのだろうか。

* 概して、夢では、同じ夢に出会うという実感がある。ほかにも思い当たる数種の同じ夢見を覚えているが、いずれも原体験を察することはできない。空を游 いだりしている。山巓からふかい谿へ大きく身を投ずることもある。高い山際から深い谿へかわらけを投げたりは鞍馬の嶺で体験した反映か。
懐かしい人たちの夢が見たい。ネコ、ノコ、黒いマゴたちの夢がみたい。どう間違っても安倍晋三の顔など見たくない。
2018 6/28 199

*  胃袋を全摘し体重を一気に20キロ落としたのは結果的に好かったと思う。覿面に糖尿は改善された。いつ検査を受けても腎臓のおとろえは年齢(82歳半)相 応で肝臓も心臓もきれいですといわれてきた。筋力の衰えは情けないほどで寝床から起つのに苦労するほどだが、これはサンザ言われているのに歩かないから で、自業自得。しかし自転車で少々の坂道なららくに走っている。すれちがいにご近所さんに「お元気そう」と声をかけていただく。
それにしても疲れは早いが、お酒はシッカリ戴いている。

杜子美 山谷 李太白にも 酒を飲むなと詩の候か    隆達小歌

と居直っているが酔いは早く、よく寝入る。寝るは健康法と勝手にきめている。
2018 6/28 199

* 風が鳴っている。いろんな音がする。

* ゆるやかに寝入る心地の老いらくの
生きのいのちに届くもの音
2018 6/29 199

 

 

述懐 平成三十年(2018)七月

頼もしげなること言ひて立ち別るる人に
はかなしや命も人の言の葉も
頼まれぬ世を頼むわかれは        兼好法師

君と後会せむこと何れの処とか知らむ
我が為に今朝一盃を尽せ            白居易

草づたふ朝の蛍よみじかかる
われのいのちを死なしむなゆめ     斎藤茂吉

ブラウスの中まで明るき初夏の陽に
けぶれるごときわが乳房あり       河野裕子

杜子美 山谷 李太白にも
酒を飲むなと詩の候(さふらふ)か    隆達小歌

亡き魂のかへるよりどとなりえざる
身となりはてて夢にもあはず       五島茂

十九の夏 肉腫に愛しき孫を奪はる
おじいやんと呼びて見上げて腕組みて
はげましくれし幼なやす香ぞ        祖父

来て来て来てと お土産はお蜜柑と呼びかけて
苦しかりけめ生きたかりけめ       祖父

このいのちやるまいぞもどせもどせとぞ
よべばやす香はゆびをうごかす     祖父

天の川を越えてやす香のケイタイに
文月の文を書きおくらばや         祖父
2018 7/1 200

* 一昨夜の夢は凄いもので無気味に怖かった。
例によって、しかもますます暗澹として規模も大きく狭苦しく封鎖された、あれは局見世のならんだ遊里ではない、あきらかにみじめな暮らしと乏しい灯しと 人の蠢きだけが密集して奥深い迷路だった、わたしは例によって路上に行き迷い、ふと小路を求めて踏み込んださきからもう戻りもならずに奥へ奥へ狭く折れ曲 がった陰惨な路地を進むしかなかった、なんとか明るいふつうの町通りへ抜け出したいと怖さに怯えて脚を運ぶうち、急な石崖へそまつに梯子が投げかけてある のを必死で登った、登り切った…ら、日のさんさんと照った広い白いのっぺらぼうなまるで布貼りのような坂が降っていた、わたしは身を投げるように駆け下 り、すると背後からも坂下でもわたしを追いかけ待ち伏せる人数の喚声がひびいてわたしは必死で追跡をよけて町なかへかけこんだ。やがての西に鴨川が流れて いて、しかもなお川西の遠くで大きな爆発の烟が黄色い噴水のように見えた。
わたしは夢で、何処へまぎれこみ、何処へ抜け出られて、何処へ遁げていたのか。分からないままいつものように夢覚めた。動悸がしていた。

* むかし「雲居寺跡 初恋」を書いたとき、絶望の別れを「雪子」とふたり、京の町、町をひたひたと歩いて歩いて歩きまわる場面を書いた。あの小説世界で の体験のおそろしいような補足をわたしは繰り返し夢見ているのだろうか。「月天心 ままづしき町を通りけり」という蕪村の句をわたしは底知れない何かのつ ぐないかのように想うのである。京都と切り離せない悪夢のように想われる。この三ヶ月ほどの間に、だんだんと怖さの度を越しながらもう同様の夢を三度も四 度も見ている。
2018 7/15 200

* 「無名草子」いとぐちの語り口の物静かに懐かしい味わい、ただものでない。隆信や定家に近くて親しい、しかも文彩の才気をたっぷり持った女性は、すくなくも二人すぐ思い当たる。
安倍だのトランプだのカジノだのカケイだの…、もうイヤだ。

ジョーカーか魔かトランプの塔が建ち崩れはやまる世界の平和

吹くからにアベノリスクのうそくさい屁よりも軽い自画自賛かな

* この重病体に等しい酷暑炎夏の気象が、今年だけとだれが謂えようか、死者は毎日出ている。しかもどんな報道も、「オリンピックは安全・万全か」という 当然の危惧をチラとも口にしない。聴いていない。観客ばかりでなく、鍛え抜いたからだの参加選手へも熱暑の危害を案じて対策すべきは当然だろうに。
2018 7/17 200

* 四国の榛原六郎さん、同人誌「滴」を「謹呈の辞にかえて」 「薔薇の夢」と題したお祖父さんをしのぶ小品が送られてきたのを、今、読み終えた。五月に は六十九歳になったとある。老文学青年の筆致には骨が通っていて、しっかりもし骨ばる気味もあるが、志賀直哉に深く学んだ人のまだ成熟して行く筆つきで頼 もしい。まだまだ、書けると思う。

* それより更に驚いて、いわば「奇遇」を賛嘆したくなったのが、彼榛原氏の「滴」巻頭「短歌八首」と題したこれも思い出の小品。
短歌八首がまず並んでいて、高校生のときの宿題作だとある。ま、その出来ばえには触れない、驚いたのは宿題を出した先生というのが玉井清弘さんだとい う。おおーっと声が出た。玉井さんは、わたしが朝日新聞だったかの短い短歌時評を四度ほど連載した一度にとりあげて称賛した歌人であった。そして玉井さん は今もわたしの「湖(うみ)の本」の久しい購読者でいて下さる。いい先生に習ってたんだ、榛原クンは。
驚きは、まだ有る。「歌人の東淳子さん」がこれまた埴原六郎高校一年時代の「国語の担当教師」だとあるのだ、びっくりポンである。東さんは、初めて歌集 を戴いて以降多年にわたりもっとも優れた歌人の一人として、早く亡くなった河野裕子らとよく一緒に名前を出し、戴く歌集もつぎつぎ愛読してきたひとなので ある、東さんも創刊当初來、今も「湖の本」を購読して下さり、「選集」の刊行をさえ手厚く支援して戴いている。
玉井さんは四国にお住まいでなるほどと思うが、東淳子さんは知り合った頃から奈良に住まわれているので、ひょっとして同姓同名のとも危ぶむが、わたしの 識るかぎり気稟の清質に満ちた歌人の東淳子さんは、一人だけ。榛原産の父君は「コスモス」同人だったとこのエッセイに出ていて、「ジュン子さん」はお父さ んらの歌仲間で「アイドル的な存在だった」とか。びっくりポン、である。

* 「滴」には読者であり、「選集」をしっかと支援して下さっている星合美弥子さんが「丸帯」という短篇を掲載されていて、今、読み終え、ほーおっと息をついている。
豪華を極めた丸帯はお母さんのお嫁入りに締められた品だった。この目くるめくように美しい生地の厚い帯を、お母さんは鋏で切り刻んで、四歳の星合さんの ためのリュックサックにつくりかえ、そのようにして占領ソ連兵らに追われるように無蓋車で旧満州から苦労に耐えて耐えて日本の九州へ帰り着いたとある。
胸のつまる、しかしデッサンの利いた短篇といえば謂える作になっていた。このままでは惜しいがナアという気持ちは榛原さんの「短歌八首」以上にあった。彼はそれと自覚されつつ「薔薇の夢」を書き足し送ってくれたのかも。よく書けていた。

* 同人雑誌は降るように来るが、今度の「滴」のように、作を「読ませる」ものは稀有。おおかたは創作「ゴッコ」に近く、文学の文章文体とはあまりに程遠い。
2018 7/20 200

☆ 白楽天に聴く  「任老 老ゆるに任す」

愁へず 陌上に春光の尽くるとも
亦た任す庭前に日影斜めなるも
面は黒く 眼は昏く 頭は雪白
老ははや更に増す無かるべし
2018 7/22 200

* アレが在ったはずとアテにしていたものが見つからないと、落ち着きの悪いこと甚だしい。その辺の記憶を妻と確かめ合おうにもツーカーとは通じないこと が多くなった。しょがないですねえ。しかし仕舞ったつもりのものが貴重なモノなのにしまい場所を忘れると、とてつもなく迷惑する。「老ははや更に増す無か るべし」には相違ないが、困惑にも相違ないのであります。
2018 7/22 200

☆ 白楽天に聴く  「病眼花  眼花を病む」

頭風(とうふう) 目眩(もくげん) 衰老に乗じ
柢(た)だ増加する有り 豈(あ)に瘳(い)ゆる有らんや
(傳=春秋左氏傳に云ふ、加ふる有りてありて瘳(い)ゆる無し、と )   以下略

* 「花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り  目にかすみが生じただけでも心配」と白居易は歎いていて、まさに同病相い憐れむところだが、ま、それより も、「眼花」とは目がかすむこと、わたしの偏愛する「花」の一字は「ぼんやりする」の意味で、「頭風」の「風」もまた同じ、と詩集に釈字してある。
オー、古代と中世を目して論じたわが心入れの一書『花と風』の二字は、ともに……ウム。呵々。
「花」はわが眼をぼやけさせ、「風」はわが頭をぼやけさせているわけか。やれやれ 2018 7/23 200

* 後拾遺で哀傷の和歌を前詞ともたくさん読む。どの和歌集でも心打たれることの多いのは「哀傷」歌、歌合の出詠歌などのようにツクリものはめったに無いからだ。実情に打たれる。「死なれて 死なせて」の実感に満たされている。

子におくれて侍りける頃、夢にみてよ侍りける  藤原実方朝臣
うたゝねのこのよの夢のはかなきにさめぬやがての命ともがな

* 孫のやす香を肉腫に死なせて、はや十二年。
平成十八年七月二十七日。
われわれの娘・朝日子(やす香母)の誕生日だった。

朝日子誕生(昭和三十五年七月二十七日)
「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)のよろこびぞこれ風のすずしさ

* ふしぎに、どの勅撰和歌集の部立に、自身の死んでゆく「辞世の自覚や自哀」歌が纏まっていない。ま、当然かも知れないが。「哀傷」歌以上に読みたい気がする。
2018 7/25 200

* 東工大の「文学」で一緒だった井口時男さん(現在は東工大を出、独立の文藝批評家で、俳人とも)と最近連絡がとれていて、昨日も「鹿首」という一風あ る雑誌に、「いつも『湖の本』をいただきありがとうございます。ことに古典詩歌論から学ばせていただいています。ひょんなことから俳句を始め、けっこう楽 しくのめりこんでいます。 この酷暑、どうぞお元気で。2018.7.26」と書き添えて送ってもらった。句集『をどり手』も先頃戴いて教わるモノがあり 感じ入っていた。もうはや堅固な俳境を歩まれている。凡百の同人俳誌に見られない強硬な表現が読み取れる。

* 「鹿首」という、同人誌らしき雑誌の題に驚いたが、「詩・歌・句・美」という提唱らしい。諏訪市の研生英午(みがき・えいご)氏が「編集人」と奥付に 出ている。内部参加人(同人か)と外部参加人(寄稿者か)のかなりの人数で、短歌俳句川柳詩評論美術作がいろいろに詰まっている。なるほど…と思いながら 頁を繰った。
「同人商売」といった感の、しかも綴り方なみ小説同人誌の氾濫ぎみにヘキエキしていたが、「鹿首」はそんな域は跳び越えているよう。ま、特集題の「イメージの血層」などは、鈍なわたしの理解を超えているが、若くて元気と謂うことか。
2018 7/28 200

* 湯には長く漬かっているなとテレビなど口を揃えるが、わたしは一時間は浴室にいたい。きれい好きなのでなく、ゆっくり寛いで本が読めるのを昔から歓迎 している。今日はミルトンの『失楽園』をたっぷり愛読し、『ゲド戦記』第三部をたっぷり楽しんだ。ともに指を「十」折るうちに入れたい愛読の名品である。
神のひとり子の率いる大軍とサタンの率いる大軍との真っ向衝突からサタンらが地獄の底へ陥落いってゆくサマなど、壮大にして壮麗、息もつかせぬミルトンの詩句の冴えに惹き込まれる。
多島海世界の魔法を統べているゲド(ハイタカ)と彼を慕う青年アレンとの、世界の底知れぬ病害をあらためようという辛苦の旅に覚える畏怖の感嘆。ル・グゥインのこの名作は、わたしには「寶」である。
そして今晩は和泉式部の和歌と陶淵明の詩とを「白璧」を磨く心地で堪能していた。 2018 7/29 200

☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の一  五十歳頃の作か

人生は根蔕(こんてい)無く  飄(へう)として陌上の塵の如し
分散し風を逐つて転じ  此れ已(すで)に常の身にあらず
地に落ちて兄弟(けいてい)と為る  何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならんや
歓を得ては當(まさ)に楽しみを作(な)すべし  斗酒 比隣を聚めよ
盛年 重ねて来らず  一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し
時に及んで當(まさ)に勉励すべし  歳月は人を待たず

* この「勉励」はいわゆる学業ではない、「楽しめるときには、せいぜい楽しもう」ということと解釈されていて、それでよいと思う。何度読んでもわたしは痛く打擲されるように切ない。

☆ お元気ですか、みづうみ。
最近の東京の夏はアフリカより暑いそうですから 生きているだけで大変。サウナとクーラーを行き来しながら脱いだり羽織ったりを繰り返し、体温調節に苦 心いたします。わが家の高齢者も「お迎えが近い」とげんなりしておりますが、もう十年前からそう言い続けておりますので、この時期はただ通り過ぎるのを待 つしかないのかもしれません。
わたくしも少し外出するだけで熱中症気味に頭がボーッとして消耗したり、冷やし過ぎて夏風邪ひいたりの不調続きです。ご近所さんは長袖長ズボンでクーラー設定温度をかなり低くするのが一番、エコに貢献したら死ぬと言っておりました。

そんな毎日ですからみづうみのご不調の感じはいつもいつも心配しています。
一時間もの読書入浴はサウナの中でサウナに入るようなもので脱水や脳梗塞の危険があります。いくらお好きな時間でもこれは体調不良に拍車をかけるものと お見受けいたします。この時期は十分程度のシャワーで充分。冷房の中での読書のほうがずっと健康的です。これからのたくさんのお仕事のためにもおやめいた だけないかと申し上げることお許しください。

今年は台風で隅田川の花火が延期になりましたが、この花火の時期になると、やす香さんを想い泣きながら浅草を歩いていらしたみづうみの「私語」が思い出されます。

ホームページのやす香さんと奥さまの良いお写真を初めて拝見しました。やす香さんがみづうみと奥さまとの時間を、特別な嬉しさで楽しんでいらしたご様子が 伺われます。ベレー帽は被り方が難しい帽子の一つですが、お若いのにマフラーと一緒に上手に扱ってお似合いで、そんなところにもやす香さんの自立したお人 柄を感じました。十九歳でしたが、精神的にはもっとずっと大人でいらしたでしょう。

女には帽子の好きな女とそうでない女、帽子の似合う女と似合わない女があると思っています。帽子が好きで似合うタイプの女は、みづうみの表現をお借りする と「芝居気のある」女でしょう。帽子が似合うかどうかは、顔かたちよりある種の「気合い」があるかないかで決まります。この気合いは演技力のようなもので 「芝居気」に通じます。藝術家肌ともいえます。やす香さんがご存命であれば、恋もたくさんなさったでしょうし、魅力的でさぞお洒落なマダムになったでしょ う。何より「芝居気のある女」のお好きなみづうみの最良の話相手になられたような気がいたします。
十三回忌を迎えても癒えることのないお心のうちをお察しいたします。

やす香さんは最後のお仕事として、あの年、もう一度みづうみと奥さまのもとにいらしたのだろうと、そんなことを思いました。哀惜の念に堪えません。やす香さんがみづうみの作品の中にいのちを得ていることを幸いに思います。

いつの日も生まれるに良き日であり
いつの日も死に逝くに良き日である    ローマ教皇 ヨハネス二十三世

 

絣   白絣着てまぎれなく老いにけり   西島麦南

* ありがとうと瞑目しています。ほんとうに、ありがとう。

* 笹をゆる風と文月を見送りつ
ゆくもとまるももののあはれや

* 当代芝翫の道案内で京の地獄や極楽をともに歩んだ。平等院、即成院、松原橋、西福寺、珍皇寺そして、浄瑠璃寺。しみじみと画面に見入った。七月を見送 るに相応しく、わたしのこのホームペイジ「生活と意見」の私語を導いている美しい夜色浄瑠璃寺の深い色に身を投じたいとも願った。
2018 7/31 200

述懐 平成三十年(2018)八月

ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒   堀葦男

なんと今日の暑さはと石の塵を吹く       上島鬼貫

ねこの子のくびのすゞがねかすかにも
おとのみしたる夏草のうち          大隈言道

ともすればとはずがたりぞせられける
心ひとしき人しなければ            村田春海

思ひ見ればわれの命もこの一つの
眼鏡を無事に保てるごとし          柴生田稔

良き歌を幾つか読みて鎮まりし
心のまにま今宵眠らむ            井上光貞

ひかりふる梢のみどり濃くゆれて
つかのまわれは生きをうしなふ       恒平

正法寺と尊き名ある門の前を
行き過ぎがてに風薫るなり          恒平

戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ    恒平

花火かな いずれは死ぬる身なれども      有即齋
2018 8/1 201

☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の五  五十歳頃の作か

憶(あも)ふ 我れ少壮の時  楽しみ無きも自ら欣豫(たのし)めり
猛志 四海に逸(は)せ  翩(つばさ)を騫(あ)げて遠く翥(と)ばんと思へり
荏苒(じんぜん)として歳月頽(くづ)れ  此の心 稍や已(すで)に去れり
歓に値(あ)ふも復た娯しみ無く  毎毎(つねづね)憂慮多し
気力 漸く衰損し  転(うた)た覚ゆ 日々に如(し)かざるを
壑舟(がくしふ) 須臾(しゅゆ)無く  我れを引きて往(とど)まるを得ざらしむ
前途 當(まさ)に幾許(いくばく)ぞ  未(いま)だ止泊する処を知らず
古人は寸陰を惜しめり  此れを念(おも)へば人をして懼(おそ)れしむ

* 実感に近い、が、せめて心は頽廃(くづ)すまい。

* 仕事部屋でもキッチンでも熱中症をやりそう、十分冷房している気でいても。つい、涼しい寝室へ逃げ込んでしまう。
八月九月、よほど気を付けないと。
明るい浴室で、足湯のまま好きな本を読み耽ってるときが、安楽。公然と裸でいられるし。
いまは、ゲドとミルトンとに夢中です。どうしてこんな世界が書けるのだろう。

* 時分の小説を、ジリッと前へ運べた。八朔、それでよしとしよう。

* 國中がお天気に嬲られガマンしている。そのうえに不快極まるさまざまな「人模様」に吐き気がする。猿に成ろう。
2018 8/1 201

☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の六の抄  五十歳頃の作か

我が盛年の歓を求むること  一毫も復(ま)た意無し
去り去りて転(うた)た遠くならんと欲す  此の生 豈(あ)に再び値(あ)はんや
家を傾けて持(もつ)て楽しみを作(な)し  此の歳月の駛(は)するを竟(お)へん
子あるも金を留めず  何ぞ用ひん 身後の置(はから)ひを

* 往昔詩人の五十歳はいま私の八十余歳に同じいであろう、「時が過ぎてこうも遠くなりかかると、ああ、もうこの人生は二度とかえってこないのだなあと、しみじみ思」って「駆け去って行く残りの歳月を楽しみを尽くしてすごすことにしよう」という陶淵明の詩句に、ごく素直に共感している。日ごろをそのように過ごしているつもりでいる。
五柳先生陶淵明は雑詩其の七で、こう思いを述べている。

家は逆旅(げきりよ)の舎なれば  我れは當(まさ)に去るべき客の如し
去り去りて何(いづ)くにか之かんと欲する  南山に旧宅有り

* この詩人にはかの「廬山」のふもとに生家陶家の墓地をもっていた。彼には帰って行ける死後の家があった。
此の私には、だが、無い。
わたしは実父吉岡家の、生母阿部家の墓地の在り処も知らない、父や母の墓参をしたことがない、出来ない。所詮何れもわたしは無縁である。
わたしを育ててくれた秦家の墓は京都にあり、いまは、菩提寺との接触や墓地の世話もみな息子の秦建日子に委ねてある。わたしも妻も、出向くに出向けない からでもあるが、妻子を持たない建日子の代で「秦家」の名跡を絶やしてしまう申し訳の立たない「不孝」を思えば、とても秦の両親らと同じ墓地に眠れる気に なれない。
我に「南山」無し。
妻にも建日子にも、わたしの墓は「無用」と言い置いてあるが、はて、建日子はともあれ、妻の行き先はと、これに正直、苦慮している。
2018 8/2 201

☆  「荘子」内篇に聴く
澤雉(たくち)は(やっと=)十歩に一啄し、百歩に一飲するも、樊中(はんちう=鳥籠)に畜(やしな)は(=れラクに飲食す)るを蔪(もと)めず。神(しん=気力)は王(さか)んなりと雖(いへど)も、善(たの)しからざればなり。 (養生主篇第三)
2018 8/5 201

☆ 台風13号
台風が犬吠埼を掠めてゆっくり北上している様子。西東京は如何でしょうか。
こちらは先日の台風12号の時も何故か殆ど雨は降らず、暦の上では既に立秋ですけれど、連日38,39,40度など暑く、外に出ると皮膚感覚の違い、灼 かれる感じがします。今日も空は真っ青、39度の予想です。室内でひたすら過ごします。あまりに暑い日が続くので朝夕水撒きしているのですが、庭の樹木の 葉が落ちたり、小さなものは枯れ始めてしまいました。

普段二時間の番組などは殆ど見ないのですが、映画『日本のいちばん長い日』、NHKのドキュメンタリー・ドラマで『華族・最後の戦い』を続けて見ました。
終戦前後のことは実体験として捉えることは出来ませんが、漠然とした知識や理解以上のものを欲しい・・と思います。憲法や天皇制、或いは中国や韓国朝鮮 問題など考える時にどうしても必要なこと。昭和史の発掘には目を逸らせませんし、毎夏、この時期には戦争に関係した番組が多いので、重い気持ちになります が 意識して見ます。

カナダに住む友人は、シリアからの青年をこの一年住まいに引き受けました。その間のことを「4人の青年との生活は一言でいえば 「oncein a lifetime experience。・・物書きだったら、風刺喜劇が書けます!」と述べています。
さまざまな国で相変わらず不幸な出来事が続いています。シリア青年の背後には大きな悲劇がありますが、この一年の彼女を巻き込んだ風刺喜劇、その重みも軽さも現実なのだと思います。

家に引きこもっているので絵の方もほぼ一段落し、本を読む時間が増えました。
読み返すと以前には分からなかったことがフッと鮮明になることもあります。
原善さんの著作の解釈もその一例でした。折口信夫に関する『執深くあれ』もそうでした。かなり以前に読んだ本についても同じ感想がありました。

HPにあった八坂神社から見る四条の夜景の写真を思い起こします。
夏を乗り切って清々しく秋を迎えたいとしきりに思う毎日です。
どうぞ元気にお過ごしください。くれぐれも大切に。   尾張の鳶

* わたしも、こころして、リメーク映画『日本のいちばん長い日』を姿勢を正しながら妻と観た。もっくんが昭和天皇を、役所広司が阿南陸相を演 じていて、以前の同題映画とは場面の演出がそうとう違っていてほとんどの役者が早口に言語不明晰だったが、こういう空気感の出し方もあると同感も共感も喪 わず観続けた。八月にこういう映像に触れるのは、同じ危機を幼い(十歳)ながら友に越えてきた身には務めのような気がしてしまう。それとともに、切実に思 うのである、実感するのである、

戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ    恒平

軍国主義の「建前」になってしまう天皇制を、「国体」として悪用し続ける國になっては、絶対にいけない。悪しく歪んだ陸軍を強硬に傲慢に育てたのは、長州の山県有朋総理元帥であった。忘れてはならぬ。
NHKのドキュメンタリー・ドラマで『華族・最後の戦い』というのには気づかなかった。華族の復活は厳 格に阻止しなくては、だが今に大きな「持ち出し」として日本の保守政治はおもむろに自身を飾り立てたがるに相違ないとは、もう、すくなくも三十、四十年前 にわたしの予測し危惧し嫌悪してきたこと。新しく立たれる次の天皇さんの、憲法とともに在る決意と叡智を期待して已まない。いまの「皇太子」さんを、わた しは、いまの天皇ご夫妻の良き後嗣として信愛している。だが、とかく周囲がうごめきやすいのが皇室の難。美智子皇后さんの存在は、「平成」の国民には有り 難くいつも心和んだ。その感化が、賢く、ただしく新時代に承け継がれますように。政権との適切な距離は正確に保たれますように。
2018 8/9 201

* 夜中、今朝の目覚の体調のわるさが、昨日とくらべ、データに露出している。機械の始動もオイオイオイと歎くほど永くかかった。白楽天を読んでいた。

☆ 白楽天  慵不能  慵(ものう)くして能(あた)はず

架上非無書    架上 書無きに非ざるも
眼慵不能看    眼慵く 看る能はず
匣中亦有琴    匣中 亦た琴有るも
手慵不能弾    手慵く 弾く能はず
腰慵不能帯    腰慵くして帯(たい)する能はず
頭慵不能冠    頭慵くして冠(かん)する能はず
午後恣情寝    午後 情を恣まに寝ね
午時随事餐    午時 事に随ひて餐す
一餐終日飽    一餐すれば終日飽く
一寝至夜安    一寝すれば夜に至るまで安し
飢寒亦閑事    飢寒も亦た 閑事
況乃不飢寒    況(いは)んや乃ち飢寒ならざるをや
2018 8/18 201

☆ 白楽天   偶 眠

放杯書案上   杯を放つ 書案の上
枕臂火爐前   臂に枕す 火炉の前
老愛尋思事   老いては尋思の事を愛し  (とかくあれこれし)
慵多取次眠   慵(ものう)くして取次(しゅじ)の眠り多し   (ふっと居眠り)
妻教卸烏帽   妻は烏帽を卸(おろ)さしめ
婢與展青氈   婢は與(ため)に青氈を展(の)ぶ
便是屏風様   便(すなは)ち是れ屏風の様(さま)   (まるで屏風絵)
何勞畫古賢   何ぞ古賢を畫くを勞せん

* 優しい奥さん。
「老いては尋思の事を愛し 慵くして取次の眠り多し」は、まさに只今の私。慨嘆無いでないが、半ば受けいれている。あらがっても、しょうがない。狭い家なのに目当ての望みのモノが容易に見つからないなど、結局 咎はわたしに在る。帽子をアタマにしたまま眠りにくいのは、ワケは分からないが実感なので、どんな帽子やら「烏帽」を脱がせてくれる奥さんは、わかってるんだなあと。
2018 8/19 201

* 陶淵明も白楽天もお酒大好きの詩人であった、あの李白も。
白楽天に「卯時(ぼうじ 午前六時頃)の酒」を讃歎、さけのまわりよくご機嫌にオダを上げている詩がある。佛法や仙方の功徳より博大な朝酒の神速にして功力倍するを謂うのである。

一杯 掌上に置き  三嚥 腹内に入る
煦(あたた)かなること春の腸を貫く如く
暄(あたた)かなること日の背を炙る如し
豈(あ)に独り支体暢(の)びやかなるのみならんや
仍(な)ほ志気の大なるを加ふ
當時 形骸を遺(わす)れ  竟日(きょうじつ) 冠帯を忘る
華胥(かしょ)の國(=夢中の楽園)に遊ぶに似て
混元(=宇宙始原)の代に反(かへ)るかと疑ふ

と、以下、盛大に気炎を吐き、

五十年来の心  未だ今日の泰きに如(し)かず
況(いはん)や茲(こ)の杯中の物あるをや
行坐 長(とこしへ)に相ひ對さん

と、結んでいる。

* 朝起きて食卓に着き、やおら卓の下にひそめた一升瓶から愛杯に酒をつぐと、たちまちに妻の叱声が飛んでくるが、白楽天のように呷りもしないし慷慨も壮語もしない、ただ此の一杯の美味が、分からんのやなあ。結びの三行 思いにちかいんやが。
2018 8/20 201

☆ 委 順 (なるにまかせて)  白楽天

山城雖荒蕪   山城 荒蕪すと雖(いへど)も
竹樹有嘉色   竹樹 嘉色有り
郡俸誠不多   郡俸 誠に多からざるも
亦足充衣食   亦た 衣食を充たすに足る
外累由心起   外累は心由(よ)り起こる
心寧累自息   心寧(やす)ければ累自(おのづか)ら息(や)む
尚欲忘家郷   尚ほ家郷を忘れんと欲す
誰能算官職   誰か能く官職を算(かぞ)へむ
宜懐齊遠近   懐(おも)ひに宜しくして遠近を齊(ひと)しくし
委順随南北   順に委ねて南北に随ふ
歸去誠可憐   歸去するは誠に憐れむ可きも
天涯住亦得   天涯に住するも亦た得たり
疎遠の町は荒れてはいても、竹や木々には好ましい姿がある。
役所の扶持は実に少ないが、それでも食っていけるだけはある。
世俗の煩いは自分の心から生まれるもの。心安らかならば煩いも自然に消える。
まして故郷さえ忘れようとしているところ、官位を云々するなどありえない。
気持ちが充ち足りれば遠いも近いも同じ、自然にまかせれば南でも北でもよい。
帰郷に心惹かれはするが、天の果てでも住むことはできる。

「帰去」は故郷に帰る。陶淵明に「帰去来の辞」がある。「可憐」は日本語より幅広い意味をもつという。対象につよく心惹かれるのであり、わたしが日々に「京都」へ帰りたいと願うのも、それ。未熟なこと、まだ「天涯に住するも亦た得たり」とは行かんなあ。
2018 8/21 201

☆ 感月悲逝者  月に感じて逝きし者を悲しむ  白楽天

存亡感月一潸然   存亡 月に感じて一たび潸然たり
月色今宵似往年   月色 今宵 往年に似たり
何處曾經同望月   何れの處か曾經(かつ)て同(とも)に月を望める
櫻桃樹下後堂前   櫻桃の樹下 後堂の前

* 今年 此の前半にも何人にも逝かれた。詩的な知友に限ってもわが点鬼簿には数十人が已に数えられている。一人として忘れ得ず、声音も表情も若々しいままに想い出せる。悲しみも寂しさも尽きないままこれもまた佳い意味の「幸」と謂うべきだろう。
白楽天は この詩で、おそらく一人の人を想い潸然たるものがあるのだろう、「櫻桃の樹下 後堂の前」は的確に言い得て、美しい詩になっている。
2018 8/22 201

☆ 拝復
朝夕の涼風が救い、残暑きびしきことですが、お揃いでお大事にと念じております。
湖の本141 ご恵与たまわりありがとうございます。行きつ戻りつ座談の妙、思わず再読の機に恵まれましたことお礼申し上げます。
岡見(正雄)先生の博学なることは驚異で、授業でもうんちく傾けていらしたことと思っておりましたところ、古典朗読一点張りの授業とうかがい意外、僧職 できたえられた朗読と合点もいくところです、ただ、教育の難しいところ、古典のリズム感捨てがたいところとはいうものの、クラスの何人が秦さんのような感 銘もって以後の古典愛読のきっかけと過ごされたか 課題と存じます。
韻文鑑賞もいかにあるべきか、自らの選歌眼確かめるためにも 教科書に採りあげられる歌句と異なるものに接することが肝要と思っておりました。現代、古語を自らの語としてあやつることができるのも 歌句なればこそと学生達と話したこと思い出します。
(湖の本など)回覧供していた卒業生も亡くなりさびしいかぎりです。
門口に誰そ朝採りの胡瓜など
お礼言上遅くなり失礼のだんお許し下さい  草々    信太   神戸大名誉教授

* いつも句のお作を添えて下さる。門口に  佳句ではあるまいか。
岡見先生の高校での授業は、先生のじつは世に卓越の大先生と生徒達がしらず、ボロい袴すがたにボロい革靴すがたの「坊主」をわらってばかり、騒がしかっ た。で、みごとな朗読に つい なった。少なくも受験対策の授業ではなかったが、わたしは、ただただ懐かしい。先生がただけの校内短歌会に生徒のわたしが 一人招き入れてもらえたのも、岡見先生、上島先生ら国語の先生がたのお声がかりだった。歌集「少年」の作はそこへ持ち出され、批評されていた。
2018 8/23 201

 

* 胃袋を全部喪ったあと、永らくわたしはこえをに出して歌が歌えなかった。声が出なかった。以来、六年半。本はよくてにとり歌詞だけを読んできた岩波文庫『日本唱歌集』をやはり機械の煮えを
待ちながら開いていて、ふっと声が出てまた「歌える」のに気づいた。幼稚園から国民学校へあがったころ、近所の子らと競い取るように歌った「青葉茂れる桜 井の」が歌えた。「天はゆるさじ良民の」と「ワシントン」も歌えた。「紅萌ゆる岡の花 早緑匂ふ岸の色 都の花にうそぶけば 月こそかかれ吉田山」は歌い ながら、いっぱい涙を流した。
唱歌からたくさんな、豊かな詞藻を学んだ、気を入れて学んだ。わたしが唱歌詩として最も敬愛して忘れないのは、大和田建樹が作の「旅泊」だった。

磯の火ほそりて 更くる夜半(よは)に
岩うつ波音 ひとりたかし
かかれる友舟 ひとは寝たり
たれにか かたらん 旅の心

詩が、歌が、じつに妙なることばの音楽なのだとわたしはこの歌にしみじみと学んだ。「磯の火ほそりて」「岩うつ波音」の「い」という音の静かさ。「ひ  ふ は ひ ひ」と点綴される「は」行の懐かしさ優しさ。「て つ と た と た た た た」と刻み込まれた「た」行音の確かな音階。
わたしは、自身あの「少年」短歌を作り上げて行くまでに、かずかずの佳い唱歌から、「詩歌」とは本質「言葉」の美しい「音楽」でありかつ「表現」である ということを学んでいた。近時近年の生まな観念や説明のイデオローグを「節くれの棒」のように並べたガサツな短歌に、とうてい「詩」として「うた」として の感銘を得られないのは、ま、わたしの宿痾かもと、笑っている。
2018 8/29 201

 

* 毎夜ではないが寝つきにくい予感の折はリーゼを服して寝入る。夢は見るが、「月天心貧しき町を通りけり」のような凄惨な夢は見なくて済む。蕪村の句を「凄 惨」に解するなどどうかしていると我ながら思うが、蕪村は「そういう凄惨に貧しい町」を識っていた人のようにわたしは感じている。
2018 8/30 201

* 「唱歌集」の歌詞はわたしの「文学・表現」への手引きだったと、つくづく納得する。好きな歌詞、嫌いな歌詞、なぜ好きでなぜ嫌いか、子供ごころに執拗に多年にわたり詮議してきたと思う。
「螢の光」の一番二番にはしみじみと賛同したが、三番四番の「教訓臭」は爪はじいて忌避した。
「あおげば尊し」は全身で共感し愛唱したが、「すめらみくにの、もののふは」だの「皇御國の、おのこらは」などいう「皇御國」なんてのはイヤだった。それより「四季の月」の四首の和歌仕立てであるのなど、美しいと思った。
一 さきにおう、やまのさくらの、花のうえに、
霞みていでし、はるのよの月。
二 雨すぎし、庭の草葉の、つゆのうえに、
しばしは やどる、夏の夜の月。
三 みるひとの、こころごころに、まかせおきて、
高嶺にすめる、あきのよの月。
四 水鳥の、声も身にしむ、いけの面に、
さながら こおる、冬のよの月。
こういう感触がたしかに日本のとは言い過ぎまいが岩、京や古典世界には実感として在った。唱歌や歌謡曲には四季を寓した佳作が多く、概してわたしは好き である。上の和歌の表現でわたしに自然に教訓してくれたのは、「花のうえに」「「つゆのうえに」「まかせおきて」「いけの面(おも)に」等、上三句の「字 余り」の美しさや確かさであった。四首いずれの三句裾の「に」や「て」音を落としたときの堅苦しさは歌の内在律には致命的になる。時に「六音の妙」 そう いうこともわたしは唱歌の歌詞にいつとなく学んでいた。

* 昨日おそく、ふと目に入った歌詞があり、「残暑お見舞い」に尾張の鳶へ送った。

* 『日本唱歌集』をめくっていたら、「とんび」という歌(葛原しげる作詩)に出会ったよ。知らなかった歌でなく、歌える歌でもあるので、二番まで歌ったよ。

とべ とべ とんび、空高く、
なけ なけ とんび、青空に。
ピンヨロー、ピンヨロー、
ピンヨロー、ピンヨロー、
たのしげに、輪をかいて。

とぶ とぶ とんび、空高く、
なく なく とんび、青空に。
ピンヨロー、ピンヨロー、
ピンヨロー、ピンヨロー、
たのしげに、輪をかいて。

いろいろ(=老々介護や創作や) シンドクもあるでしょう、察している。
が、
ま、時に 「とんび」にも なりなされよ。  保谷のからす

☆ からす、ありがとう、ありがとう。
歌詞の一行目だけメロディ知ってます。
空高く飛びたいですね。
元気に!       とんび
2018 8/31 201

述懐 平成三十年(2018)九月

星すでに秋の眼をひらきけり         尾崎紅葉

置くとみし露もありけり儚くて
消えにし人をなににたとへん      和泉式部

世の中にまじらぬとにはあらねども
ひとり遊びぞわれはまされる      良寛

秋の江に打ち込む杭の響かな        夏目漱石

門とぢて良夜の石と我は居り         水原秋桜子

雀どのお宿はどこかしらねども
ちよつちよと御座れ酒(さゝ)の相手に 四方赤良

稲妻と書いてあはれや雨の午後       みづうみ

木もれ日のうすきに耐へてこの道に
鳩はしづかに羽ばたきにけり      恒平

眠れずに少年の秋を恋ひゐたり
少女幾人も夢をよぎれり         宏一

高木冨子・画
秦の 実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

このところ、わが下保谷もこういう空模様、怖いような。九月、平穏なれ。  2018 9/1 202

このところ、わが下保谷もこういう空模様、怖いような。九月、平穏なれ。
停雲靄靄 時雨濛濛 八表同昏 平陸成江 良朋悠邈  掻首延佇 有酒有酒 閒飲東窗 2018 9/5 202

* 上に大きく出している凄みの空模様の下へ、書き添えたのは陶淵明の詩句を摘んだものです、良朋悠邈  掻首延佇  は、手の届きようのない能美の井口さん、吉備の有元さんらを案じた気持ち、颱風通過の真下で、さぞお困りであったろうと。酒を飲んだのは、どうにも仕方がないからで。ご容赦あれ。御無事を祈っています。
2018 9/5 202

 

☆ 陶淵明 を適当に抄出

窮居して人用寡く  時に四運の周るをだも忘る
空庭落葉多く  慨然として已(すで)に秋を知る
今 我れ楽しみを為さずんば
來歳の有りや不(いな)やを知らんや
2018 9/6 202

☆ 陶淵明に気儘な聴く

人生 根帯無く  飄として陌上の塵の如し
盛年 重ねて来らず  一日 再び晨(あした)なり難し
時に及びて當(まさ)に勉勵すべし  歳月 人を待たず

* 一日 再び晨(あした)なり難く 八十三歳になろうという日々はあるが 歳月人を待たずと云う覚悟でいる。要するに 無為の至難に屈して 小為へ逃げ込んでいるのだ、よく分かっている。

* 志賀直哉も、「廿代一面」などという間に合わせやっつけ仕事はバカらしくておはなしにもならない。こういう廿代青年らの病的なまで自堕落な消費生活にわたしは聊かも共感しない、軽蔑する。いい気なものだ。
2018 9/7 202

* 陶淵明に、気儘に聴く

衰榮は定まりて在ることなく
彼此(ひし)更(かはるがは)る之を共にす
寒暑に代謝有り  人道も毎(つね)に茲(かく)の如し
達人はその會(え)を解し  逝いて将(は)た復(ま)た疑はわず
忽ち一觴の酒と與(とも)にして  日夕 歓んで相(あひ)持す
2018 9/8 202

* 陶淵明に、気儘に聴く

廬を結んで人境に在り
而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
菊を東籬(とうり)の下(もと)に採り
悠然として南山を見る

* 陶淵明には故郷「南山」は帰るべき墳墓の地であった。
2018 9/9 202

* 陶淵明に、気儘に聴く

道 喪はれて千載に向(なんなん)とし
人人 其の情を惜しむ  (相変らず思いを率直に出し惜しんでいる)
酒有るも肯(あえ)て飲まず  但だ世間の名を顧る
我が身を貴ぶ所以(ゆえん)は  豈(あ)に一生に在らずや
一生 復(ま)た能く幾(いくば)くぞ
倐(すみや)かなること流電の驚かすが如し
鼎鼎(ていてい)たり  百年の内  (一生をただぐずついて)
此れを持して何をか成さんと欲(ねが)ふぞ

* 生涯の所業は死の瞬時に無に帰するのみ。だから、酒や人を愛するようにいま楽しんでいる。
2018 9/10 202

☆ 陶淵明に気儘に聴く

我れは実(こ)れ幽居の士  復(ま)た東西の縁無し
物は新 人は惟(こ)れ旧     (物は新しいが宜しく 人は旧知が良い と)
弱毫 宣ぶる所多し         (拙い筆でも きみに云いたいことはいっぱい)
情は万里の外に通ず  形跡は江山に滞(とど)まるとも
君 其(そ)れ体素を愛せよ    (では おからだをお大事に)
來會は何(いづ)れの年にか在らん   (いつ また 会えるのだろう)
2018 9/12 202

白露 そこ紅のけはひしづかにあさがほの笑まふ狭庭ゆ秋立つらしも

* 化粧(けはひ)したような木槿(あさがほ)の美しい秋。
花もそれぞれに、葉の一枚一枚までが きれいです。
2018 9/12 202

 

白露  そこ紅のけはひしづかにあさがほの笑まふ狭庭ゆ秋立つらしも
2018 9/14

* 今朝はひとしお機械の煮えたちに時間が掛かった。ひたすら、辛抱辛抱。その間に、王朝勅撰の和歌をたくさん拾い読みし、また『風姿花伝』と『今物語』とを拾い読みして楽しんだ。

* 和歌は、今日の雑言不粋、表現への能にも理解にも欠けた短歌に、のどの奥までザラつくのに比し、むろん千年余の時代差は否めなくても、日本語の表現美 と洗練された詩情に心惹かれる。心安まる。いかがなリクツを並べられても今日の短歌の多くは、あまりに多くは詩歌の真実を大きく逸れている。

すむとても幾夜もあらじ世の中にくもりがちなる秋の夜の月  公任

おきあかし見つつながむる萩の上の露吹きみだる秋の夜の風  伊勢大輔

やすらはでねなまし物をさ夜更けてかたぶくまでの月をみし哉  赤染衛門

今はたゞ思ひたえなんとばかりを人づてならでいふよしもがな  道雅

黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部
2018 9/13 202

* 「少年」という歌集を持っている。文字どおりに少年時代の歌集である。久しく歌を離れていたのが、老境に入ってぽつぽつと述懐の体で「光塵」「亂聲」 の二册を「湖の本」にしたが、これを一つに纏めて別題をと一思案、「老蚕」の二字を得た。「老蚕繭を作る」と宋の蘇東坡の言がある。激越なまで老いても努 力をやめないが、酬われはしない、と。そのとおり。「少年」「老蚕」と対になる。「光塵」「亂聲」ともすこぶる気に入っていて、ことら光塵には何の典拠もなく瞬時にただ思い浮かべた二字であった。二つとも中で生かすことになる。
2018 9/22 202

 

* 数日前には戴いていた香川・高松の歌人玉井清弘さんの新歌集『谿泉』は、いい歌集で、心慌ただしい間にもわたしは何度も頁を繰り、相当数の短歌を読み 味わって清冽の思いに恵まれていた。むかしむかし朝日新聞に外野の小説家の身でかんたんな短歌時評を書いていたとき、玉井さんの歌をここちよく称賛した覚 えがあり、今度の歌集も、むろん少々の瑕瑾が混じるのは避けられぬとして、わたしを心静かに喜ばせた。大きな結社誌巻頭あたりの「蕪雑」としか云いようの ない独り合点の書き殴り短歌ばかりに出逢っていると、玉井谿泉境には心洗われる。感謝。
手紙でお礼を書いていられない。玉井さんの教え子で、この「私語」の読めるはずの作家榛原六郎にそれとなく伝声をお願いしておきたい。よろしく。
2018 9/25 202

述懐 平成三十年(2018)十月

ひのもとの大倭(ヤマト)の民も、孤独にて
老い漂零(ヤスラ)へむ時 いたるらし  釈 迢空

秋の雲立志伝みな家を捨つ           上田五千石

秋風やしらきの弓に弦はらん           向井去来

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり          飯田蛇笏

霧しぐれ冨士を見ぬ日ぞ面白き         芭蕉

眼耳双ながら忘れて身も亦失ひ
空中に独り唱ふ白雲の吟             夏目漱石

山のべは夕ぐれすぎし時雨かと
かへりみがちに人ぞ恋しき           秦 恒平

うつつあらぬ何の想ひに耳の底の
鳥はここだも鳴きしきるらむ          秦 恒平

高木冨子・画
秦の 実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

広目天 うそくさい世じゃ

仙厓・筆  を月様幾つ十三七ツ
仙厓・畫筆  柿の木に柿の実がなりそれでよし  恒平             2018 10/1 203

 

☆ 「青春短歌大学」につきまして
「日記」拝読しております。お元気です。
猛暑、水害、台風、地震。悪政あるところ、災禍あり。
幣のごとく、秋来ります。
「青春短歌大学」の十一首、自分で(  )を考えましたが、難しく、楽しく。

【1】死ぬまへに( 雲 )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる        小池 光
【2】起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の( 愛 )を流せよ        齋藤 史
【3】病む母の( 聖 )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿(ゆまり)し給ふ     綴 敏子
【4】父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く( 歌 )をおもへる          若山 牧水
【5】草まくら( 旅 )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り         土田 耕平
【6】平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを( 妻 )もまた言ふ         池田 勝亮
【7】独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ( 人 )であること          岡井 隆
【8】父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の( 吾 )子とうつれよ      佐佐木幸綱
【9】思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( 痛 )き苦しみといふ語ありにき    清水 房雄
【10】亡き父をこの夜はおもふ( 黙 )すほどのことなけれど酒など共にのみたし 井上 正一
【11】子を連れて来し夜店にて愕然とわれを( 放 )せし父と思えり         甲山 幸雄

以上が、私の答えで、妻は、「先にとられた、損やわ」と言いつつ、あえて別の漢字を、

【1】死ぬまへに( 小 )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる        小池 光
【2】起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の( 朝 )を流せよ        齋藤 史
【3】病む母の( 赤 )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿(ゆまり)し給ふ     綴 敏子
【4】父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く( 雪 )をおもへる          若山 牧水
【5】草まくら( 父 )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り         土田 耕平
【6】平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを( 鹿 )もまた言ふ         池田 勝亮
【7】独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ( 一人 )であること          岡井 隆
【8】父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の( 天 )子とうつれよ      佐佐木幸綱
【9】思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( 苦 )き苦しみといふ語ありにき    清水 房雄
【10】亡き父をこの夜はおもふ( 暮 )すほどのことなけれど酒など共にのみたし 井上 正一
【11】子を連れて来し夜店にて愕然とわれを( 愛 )せし父と思えり         甲山 幸雄

と、考え、毎日、夫婦の会話の種子になっています。
正解を探さず、一つに求めないので、対話で思考できるのではないかと思います。
答えはいっそ出ないほうがよいのでしょう。
詠んだ歌人は、その歌を通過して、次の歌に向かっているのです。
すぐ、スマホで答えを求めたがるのは、老いも若きも、時代の習性で、それは損ということを、この「虫食い漢字テスト」で学びます。
先生の東京工業大学のご講義は、どんなに楽しかったことでしょうか……。

●「秦 恒平選集 第二十七巻」……「青春短歌大学」所収
●「湖の本エッセイ 27」……「東工大「作家」教授の幸福」
購読いたしたく、ご恵送を、お願いいたします。(ご送料・着払い可能でございましたら、是非。)

九月に「慈子」を再読しました。
「みごもりの湖」をいつも枕頭にしております。  近江・大津 澤敏夫

* 澤さんは作者の表現を二首で共有され、奥さんは一首で共有されている。それぞれに思案のあとがうかがえます。
2018 10/11 203

* 少年のむかしの歌集をよみ始めた。
2018 10/19 203

 

* 岩波文庫に『王朝秀歌選」一冊のあるのを二階廊下でみつけた。公任選と思われる「前十五番歌合」「後十五番歌合」を読み、わたしなりに勝・負また持を判じ てみた。佳い歌もむろん在ったがやはり先年の時代差でいっこう感心できない歌も幾つもあった。番われた双方を佳いとみた番だけを拾っておく。
前十五番の内
六番
人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな    堤中納言藤原兼輔
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし       土御門中納言藤原朝忠

十一番
琴の音に峰の松風通ふらし
いづれのをより調べ初めけむ    斎宮女御徽子女王
岩橋の夜の契りも絶えぬべし
明くる侘しき葛城の神         小大君

十二番
嘆きつつ独り寝(ぬ)る夜の明くる間は
いかに久しきものとかは知る     傅殿母上(藤原道綱母)
忘れじの行末までは難(かた)ければ
今日をかぎりの命ともがな       帥殿母上(高階貴子)

十五番
ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島隠れ行く舟をしぞ思ふ        人丸
和歌の浦に潮満ちくれば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る    赤人

後十五番の内
三番
世の中にあらましかばと思ふ人
亡きが多くもなりにけるかな      藤原為頼朝臣
夢ならで又も見るべき君ならば
寝られぬ寝(い)をも嘆かざらまし   相如

* 時代を超えて選ばれてある前十五番から秀歌と見えるのを。

春立つと言ふばかりにやみ吉野の
山も霞みて今朝は見ゆらむ       壬生忠岑

色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける         小野小町

み吉野の山の白雪積もるらし
古里寒くなりまさるなり           是則

有明の月の光を待つ程に
我がよのいたく更けにけるかな      仲文

* 後十五番にはいわば当時当代の秀歌が採られている。

限りあれば今日脱ぎ捨てつ藤衣
果てなきものは涙なりけり         道信中将  (藤衣は喪服)

暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照らせ山の端の月        和泉式部

行末のしるしばかりに残るべき
松さへいたく老いにけるかな        藤原道済

我妹子が來まさぬ宵の秋風は
來ぬ人よりも恨めしきかな         曾根好忠

いにしへの奈良の都の八重櫻
今日九重に匂ひぬるかな         中宮大輔(伊勢大輔)

あしひきの山時鳥里馴れて
たそがれ時に名乗りすらしも        輔親

さばへなす荒らぶる神もおしなべて
今日はなごしの祓(はらへ)なりけり    長能

八重葎茂れる宿の寂しきに
人こそ見えね秋は來にけり         恵慶法師

世に経れば物思ふとしもなけれども
月に幾度び眺めしつらむ          中務卿具平親王

* みな、三船の才を謳われた和漢朗詠集の選者藤原公任が選んでいる。
先人の選にとらわれずに自分でも五十番百番の選を試みてみたいものだが、ヒマが無いなあ。
2018 10/22 203

 

* 王朝秀歌選の次は、やはり公任選のあまりに名高い「三十六人撰」 これは楽しめる。それにつけても公任の紀貫之贔屓を凹ませて柿本人麻呂の抜群を公任 の眼に明かしてみせた具平親王の存在が、この時代に大きかった。紫式部は親王の親戚筋にあたり父親達は親王家に親昵近侍していたし式部もその千種殿へ幼來 親しく出入りしていた。あの物語の「夕顔」のモデルは親王の愛していた「大顔」という美女であったとも云われ、わたしの小説では所謂「T博士」こと角田文 衛さんにそれを教わった。「大顔」もまた「夕顔」のように神隠しに亡くなったのであり、親王との間に男子があった、夕顔に一子「玉鬘」が遺されたように。

* 三十六人に女は、伊勢、小町、斎宮女御、小大君、中務の五人しか入っていない。一人で十首とられているのは六人だけ、その中に女は伊勢、中務の二人。 男は、人麻呂、貫之、躬恒、兼盛の四人。他の三十人は各三首と差が付けてある。これらの人選には亡くなって間もなかった具平親王の意向も加わっていたかど うか。わたしは公任の『和漢朗詠集』も観ていて、彼の秀歌撰には一抹の不安不満をもっている、さすがに俊成、定家らの秀歌選は今少し厳しくまた目配りが深 い気がしている。
これから「三十六人撰」をゆっくり吟味してみる。
2018 10/24 203

* もの思うこと多く(多くは創作や選集の行方)眠り浅くて四時半頃から本を読み始めた。「源氏物語」の春秋をきおう春の巻の花やぎには少年の昔からひとしお心惹かれてきた。
『国家』再読の興深さと読みやすさにあらためて驚嘆しつつ、ソクラテスが神話の読み書き批判とともに詩や文藝へもゴリゴリと圧してくる弁論の厳しさに、思わず身構えている。
山上宗二のかずかずの「茶壺」名器の伝来に、ひとつひとつ具体的に触れた記録には独特の妙趣と的確な知識とが酌み取れ、有り難くも興味深かった。
さて取り分けて、エリザベス・バダンテールの『母性という神話』第一部第一章のなかの「キリスト教神学」を読み返して、あらためて正統キリスト教のパウ ロやアウグスティヌスに帰因した、ほぼ四世紀から少なくも十七世紀にいたる「女性蔑視・差別」のひどさを再確認した。この本は、東工大時代に手に入れてお いた、ジェンダー議論の起爆的意義を帯びた一書、その以後、関聨した女性解放神学論の類いを何冊か手に入れてたくさん朱線を引いてきた。
で、六時には床を離れてきた。
機械を煮立たせながら、此処では「俊成三十六人歌合」をつぶさに自身でも判をしながら読み終え、さらに定家の『八代集秀逸』を興深く一首一首ずつ堪能し判をしているところ。
しかし、もう階下へおり朝食して、また今日の発送作業に取り組まねば。
2018 10/26 203

* 「俊成三十六人歌合」をつぶさに鑑賞後、今度は定家撰の「八代集秀逸」をことごとくわたしなりに判じてみた。今度は後鳥羽院による「時代不同じ歌合」 これは以前にも丹念に読んで楽しんでいるが、新しい好みでいちいち判別してみる。「古今・後撰・拾遺等」の作者で「左方」を、「後拾遺・金葉・詞花・千 載・新古今等」の作者で「右方」としてある。歌人は百人、百五十番、二百首。こういうカタチで選び抜いた「秀歌」に出逢う楽しさと、それにも自分なりの合 点・納得も不承もあり、自分でも撰んでみたいと思いこんだりするのが楽しい。時間さえあれば、二十一世紀の感覚で選び直してみたいものだ、定家の「百人一 首」には敬意を払いつつ敢えて歌の重複は、むしろ厳格に避けて。
これって、すばらしい楽しみなんだがナア、ヒマが無いなあ。ただし、八代集を文庫本で携帯してさえいれば病院の外来ででも喫茶店や電車の中ででも出来る こと。ただ、八代集のワクをはずして撰ぶ対象を各家集や国歌大観へまで広げるのは事実上もう時間のないわたしには不可能。
それにしても、楽しめることは、いくらでもあるもの。美空ひばりの好きな佳い歌を十撰んで十編の短篇が書けないかと思っていたのだが。
2018 10/27 203

* 手洗いに立ったあと、寝そびれる思いがしたので枕元の「湖の本」対談ゲラを読み、そのまま床をはなれてきた。ラジオは宝生流の謡曲を聴かせている、ワキか たを謡っているのは東川光夫さん、久しい「湖の本」の読者である。この早朝に謡曲は懐かしい。聴きながら後鳥羽院の「時代不同歌合」の一番一番をわたしの 思いで判じている。百五十番のやっと二十五番まで。
「持=勝ち負け無し」としたのは、
四番  あすからは若菜摘まむと占めし野に
きのふもけふも雪は降りつつ     山部赤人
ささなみや國の御神のうらさびて
古き都に月独りすむ          法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)
六番  和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る    山部赤人
わたの原漕ぎ出でて見れば久方の
雲居にまがふ沖つ白波         藤原忠通
十五番 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の
千代の古道跡はありけり        中納言行平
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる         皇太后宮大夫俊成
二十番 色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける        小野小町
松の戸を押し明け方の山風に
雲も懸からぬ月を見るかな       正三位家隆

* 謡曲「通盛」がちょうど終えた。通盛に死なれた小宰相の悲しみ。静かに静かに清々として楽屋の囃子が聞こえている。 七時になる。
2018 10/28 203

 

* 五十番まで併せて「持」としたのは、ひとつ、
三十一番
花の色は昔ながらに見し人の
心のみこそ移ろひにけれ      元良親王
さむしろや待つ夜の秋の風更けて
月を片敷く宇治の橋姫       権中納言定家

* 挙げたのがとくに優秀歌というのでなく、ただこの限りにおいて拮抗しているとみただけ。「勝ち」とみた和歌は数々あり、心に優秀歌はこれら全部から厳選を要する。
2018 10/28 203

* 手洗いに立ったあとが寝入れず、校正したり源氏物語を読み進んだり、床に入ってくる「マア」を撫でて遣ったり、結局六時前には床を出た。「時代不同歌合」 は百五十番三百首もあり克明に読み耽って勝ち負けを判じている、それほどの間を懸けないと機械は働き始めない。根気はよくなる。そばではバッハのピアノ曲 が鳴り続いている。
2018 10/30 203

* 後鳥羽院の『時代不同歌合』百人、百五十番、三百首のすべてをわたしなりに判じ終えた。三首ともに「勝ち」ないし秀歌と採ったのは、中納言行平、小野小 町、元良親王、蝉丸、右大将道綱母、和泉式部の六人。もとよりその十八首が三百首中の最優秀歌というのではない、その判別はまた別種の鑑賞によらねばなら ない。ともあれ三百首のうち百十七首を秀歌とわたしは撰んでおり、そこからかりに十首を撰するとなるとよほど思いを注いで読み分けねばならない。なんとも 心嬉しい楽しみではあるのだが容易でない。後鳥羽院、よく撰んでおいて下さったと感謝する。
2018 10/31 203

☆ 秦 恒平 先生 グレン・グールドを聴きながら。
「湖(うみ)の本 142 わたくしの批評と述懐」を拝受しました。ありがとうございました。
「流通する文学」[「芸術至上主義文芸」平成十七年(二〇〇五)十一月二十七日刊 ]を読了いたしました。
出版業界から「フェイマス」が絶えず排除され、今は「リッチ」も存続できない状況が続き、作家、出版社、読者にとって不幸なことである、と読みました。
(執筆以来=)十一年後、その通り になっているのではないかと、思います。
最後のノンブル「18」の
==========================================
しかし、わたしの思うところ、本当は「編集の鑑賞力」を売るのが一番なのではなかろうか。
===========================================
これは、秦恒平先生だけのご卓見です。
先生は、作家であり、編集者であり、版元であり、取次(仲卸)を置かない直接の販売者であり、読者の感想の直接の受け手であるからです。
それを「日乗」で書いてくださり、創作の日常が、読者に直截に分かるからです。
この完璧な円環の藝術の形を長く実行されているのは、私見では、秦先生しか、いらしゃいません。
私の勤めてきた出版社は、教材出版社で、文芸書出版社ではありません。けれども、間接的に、どういう本が売れているか、その本が、単行本から文庫本になり、品切れ、絶版になる悲しき速度を、少しは把握しておりました。
十数年前、児童書専門の出版社の大先輩・編集者が、講演で語りました。以下、その主題による変奏ですが……。

「デジタルの時代が来ても、紙の本はなくなりません。子どもが指でページをめくるでしょ。
紙の縁は刀のように鋭い。だから紙は厚く、断裁したあと、さらに丸く仕上げなさい。
その子が読み疲れたとき、開いたページに頬を伏せてずっと眠れるよう、上質なインクを使いなさい。
子供の舌で舐められる本、いいえ、子供が食べられる本を創りなさい。
その子が大人になって、コーヒーをこぼして浸みを作ったり、余白にたくさんの書き込みができるように。」

グレン・グールドを聴きながら。「編集の鑑賞力」が「批評と物語の交感」へ展開した『慈子』について申し上げたいのですが、長々となりますので、次へ改めます。
秦恒平先生、奥様のご健勝をお祈りいるたします。
奥様、美しいお葉書をありがとうございます。   近江・大津 澤敏夫

* 秋冷えが加わってきた。十月の内にこうも肌寒くなったろうか。

寒ければ寒いと云つて立ち向かふ

自愛の句で。 「つらい」でも「悲しい」でも「口惜しい」でも「憎い」でもいい、泣き言を言うてもいい、ただ、立ち向かえ。
2018 10/31 203

* 佐怒賀正美句集『無二』戴く。
2018 10/31 203

述懐 平成三十年(2018)十一月

いつはりのある世なりけり神無月
貧乏神は身をもはなれぬ          南禅寺雄長老

ふところに入日のひゆる花野かな        金尾梅の門

真萩散る庭の秋風身にしみて
夕日の影ぞかべに消えゆく         永福門院

空をあゆむ朗々と月ひとり             荻原井泉水

天にのぼりし魂(たま)は掌にのる大きさと
きめては喚びて握りしめゐつ        大塚陽子

桐一葉日当たりながら落ちにけり         高濱虚子

白妙の袖のわかれに露おちて
身にしむ色の秋風ぞふく           藤原定家

あはれ子の夜寒の床の引けば寄る       中村汀女

ほんたうにボケてしもたらその辺に
棄てていいと言ふ 妻、笑諾す       恒平

虚子の句を噛むほど読んで力とす        恒平

若い人に次々にあとを追ひ越させ
ゆつくりでいい我の花みち          恒平

高木冨子・画
秦の 実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

スペイン ブルゴス東南 サン・ドミンゴ・シロス修道院の回廊
この廊の奥の 深い闇の向こうへ いづれ帰って行くような気が

紅葉 深まるわが下保谷の秋
2018 11/1 204

* 王朝秀歌選、堪能した。
思い切って、芭蕉百句 蕪村百句を 楽しんで自選してみようか。容易でないが。百句に絞るのは容易でない、先ずは三百も撰んで土台を得てからか。そんなヒマは無いだろうな。
なら、またも王朝物語の粋を、宇津保、落窪から中世物語まで「読んで楽しむ」にとどめるか。わたしの古典体験の薄い部分はあきらかに「西鶴」 一代男  一代女 五人女ぐらいしか読んでいない。気が進まないできた。まだしも「近松」へは舞台や人形を介して縁があったし、所詮は舞台によって読み取るのが本筋 だろう。
2018 11/1 204

* 興膳宏さんから、岩波書店新版の『漱石全集』第十八巻「漢詩文」一巻を頂戴した。

☆ 鴻臺 二の一
鴻臺冒暁訪禅扉   鴻臺 暁を冒して禅扉を訪ふ
孤磬沈沈断続微   孤磬 沈沈 断続して微かなり
一叩一推人不答   一叩 一推 人答へず
驚鴉撩乱掠門飛   驚鴉 撩乱 門を掠めて飛ぶ

二十歳以前のさくではあるが、後年の小説『門』と関わってくるだろう。門に拒まれて内に入りがたい境地を告白しているか。
漱石が漢詩を作りはじめた最初の作。
後年ではあるが「午後の日課として漢詩を作ります」と人に告げている漱石であった。
2018 11/7 204

☆ 無題 大正五年八月  漱石
文章を作らず 経を論ぜず
漫りに東西に走りて 泛萍に似たり
故国 花無くして 竹径を思ひ
他郷 酒有りて 旗亭に上る
愁中の片月 三更に白く
夢裏の連山 半夜に青し
到る処 緡銭 石を買ふに堪ふるも
誰を傭ひて 大字もて 碑銘を撰せしめん

* 日本語人の感じの選び方で、直に判りいい。
愁中の片月 三更に白く
夢裏の連山 半夜に青し
など真似てみたいほど、鮮明に日本の詩。
「到処」とは「死」であろう、「碑」は墓碑にほかならない。「志」が「詩」のなかで走っている。

* 夕近くから横になり本を読むほどもなく寝入って、朝かと思い目ざめたのが六時前だった。なんとなく肌寒く、しかも汗ばむようで、ぞくぞくもする。
夕食後、今日届いた歌集を、家集というてもいいのだが、校正し始めた。歌の校正など簡単に思えてそにあらず、歴史的かなづかいを確かめ始めるとたいへん な手間になる。弱った視力でおおきな思い大辞典をあっち開きこっち開きあまりにちいさなかなもじを確かめるのだから、あたまもふらふらする。しかし、短歌 はわたしの文学・文藝の人生に少年のむかしから魁けた創作であり、関わってきた仕事は、その重みも量も優に選集の一巻分に大きく剰るのである。

* 文字どおりの「少年」の作と、老境に入って再開ともなくよほど姿勢も思いも一転して作を積むように績み紡いできたので、大きく家集としての名を『老 蚕』とし、そのなかに、「光塵」「亂聲」「戯歌」としておさめた。老いた蚕の好き放題に吐きだした繭玉になっていよう。『少年』「老蚕』は、ま、歌集であ り家集でもあるが、わたしの短歌に関わる仕事には撰歌と鑑賞というそう軽くはない範囲がある。『青春短歌大学』はそれなりに好評裡に文学好きな読者を納屋 間瀬も悔しがらせもした。
もう一つ、金澤の松田章一さんにいつぞや鑑賞の名著と文字どおりに絶賛いただいた『愛の歌・友情の歌  はるかに照らせ』を共編しておいた。もうそれで選集一巻に剰るほどの大冊と成った。校正にしっかり時間を掛けたい。
2018 11/8 204

黄金色(きんいろ)の秋のひかりはあはれなり三四郎の池に波たつ夕べ
2018 11/9 204

 

☆ 閑居偶成  大正五年春  漱石
幽居 人到らず
独り坐して 衣の寛なるを覚ゆ
偶たま解す 春風の意
来たりて竹と蘭とを吹くを

* 四君子で知られる菊、梅 そして竹と蘭。佳い選びといつもこころよく想う。
2018 11/9 204

* 昨夜、夕食のあと、フイと床に就いたままなんと真夜中三時半まで寝入っていた。
茶をのみにキチンに入ったが、そのまま、歌集『老蚕』前半の「光塵」をゆっくり校正し終えた。いかに歴史的仮名遣いの確認に手がかかるか自信がないのかに愕ろいてしまう。綺 麗に歌を組みつけた貰え、しんみりとわが述懐の一首一句を詠みかえして行けた。二時間ほどで床へもどりそのまま源氏「螢」巻、『国家』そして『山上宗二 記』をそれぞれ面白く読みつぎ、さらに『モンテクリスト伯』を読んだ。大デュマのいわば息の長さには感嘆し、時にはその克明に徹しているのに嘆息もするの だが、なかでもマクシミリヤンとワ゛ランティーヌの広い庭の垣を隔てた逢い引きの対話は文字どおりに綿々また綿々で驚かされる。大デュマがこの大長編より 以前に一世に冠たるフランスの戯曲家であった史実を思い出すべきだろう。

* 読書のまま、七時まえには「マ・ア」くんに熱心に起こされ、床を出た。二階の機械は消してなかった。

☆ 無題  三首の一  大正五年十月二十一日   漱石
元と是れ 一城の主
城を焚き 広衢を行く
行き行きて 長物尽き
何処にか 吾が愚を捨てん

* なんとかモノを処分し、家の内に余地を創ろうとするが、五十センチ四方の場所もつくれない。捨てる難しさにアタマをかかえながら三百六十五日を唸って暮らしている。それでも一寸ずつ一寸ずつアタマを使うしかない。

* 「清水坂」に一息ついて、リヒアルト・シュトラウスの歌曲をソプラノのエリザベート・シュワルツコップで聴き始めている。ヘッセの詩とアイヒエンドル フの詩で「四つの最後の歌」を歌い始めている。悠々たる美声。そのあとへ十二曲いろんな歌がつづく。詩の言葉などまったく聴き分けられないのがむしろ幸い か、いやいや詩は志であって美しい言葉の粋であり、歌の美しさと歌声の美しさに聴き惚れている。
日本では、こういうすぐれて美しく聴ける悠揚の歌曲が、数少ない、というより廉太郎の「荒城の月」のほか、まったく出逢えたことがない。日本語の歌詞を 聴いていて気恥ずかしくなってしまう。日本語の可能性をしたたかに持っていた三島由紀夫は自身の日本語を能や戯曲へもちこんだ。歌では聴かせてくれなかっ た、のでは。
2018 11/10 204

☆ 無題   大正五年十月六日  漱石
耶に非ず 仏に非ず 又た儒に非ず
窮巷に文を売りて 聊か自ら娯しむ
何の香を採擷して 藝苑を過ぎ
幾碧に徘徊して 詩蕪に在り
焚書灰裏 書は活くるを知り
無法界中 法は蘇るを解す
神人を打殺して 影亡き処
虚空歴歴として 賢愚を現ず

* 漱石の参禅虚しかった体験は小説『門』に見えているが、漱石は終生英文学以上に漢籍と禅に心を寄せて終始禅人らしき口癖と姿勢と好尚を持し続けたこと は、よく見えている。またそれだけに漢詩での自己表白は、死期にま近いほど切実を増すと観ていい。若い時期ほど学習と実験の痕跡が露わなのも自然の趨であ ろう。
とはいえ、陶淵明を知り 白楽天を知り また李杜の詩境の自在から観れば、漢字の駆使という荷を負うたぶん漱石詩にはどうしても敢えて謂うの気味を免れないのが読んでいて切ない。そしてますます漱石に親しむ気も熱く加わってくる。
2018 11/11 204

* 午前中、歌集「老蚕」の校正、これがなかなか手間取る。
2018 11/12 204

☆ 戯画竹加賛    漱石
二十年来 碧林を愛す
山人 須(かなら)ず解(よ)く虚心を友とせよ
長毫 墨に漬(ひた)して 時に雨の如く
写さんと欲す 鏗鏘戞玉の音

* 繪ごころのあった漱石が最も多く自ら好んで描いたのは、清少納言の謂うたあの「此の君」である「竹」であったらしい。「竹と蘭」は四君子のうち「梅と牡丹」よりも漱石に似合う気がしている。わたしは、「竹と牡丹」が好き。
2018 11/13 204

☆ 無題 二  明治二十八年五月
東風に辜負して 故関を出づ
鳥啼き花謝して 幾時か還る
離愁 夢に似て 迢迢として淡く
幽思 雲と与に 澹澹として間(しづ)かなり
才子群中 只だ拙を守り
小人囲裏 独り頑を持す
寸心 虚しく托す 一杯の酒
剣気 霜の如く 酔眼を照す

* なにかしら、京を離れ来た大昔の思いに重なる。
2018 11/14 204

 

☆ 無題   漱石
夜色 幽扉の外
僧に辞して 竹林を出づ
浮雲 首を回せば尽き
名月 おのずから天心

* 藤村 潤一郎とならんで深く敬愛してきた漱石の詩心とともに日々在るのを喜んでいる。

* 興あることに吾が潤一郎先生は、藤村、漱石のともに批判を秘め持たれていたとは、松子奥さんにわたし自身で伺ったことがある。
2018 11/15 204

* 昨日 西宮の井上美地さんから届いた新歌集『残照』は最近になく胸によく落ちた佳い歌集だった。大声でギャアギャアと騒ぐばかりの「都市詠」とやらの 雑駁とはしかと一線を画して私史の玉をよく歌史の玉へと近づけていた。「私」へのよく透徹した省察を生かした文藝こそが短歌をよきものにする。
2018 11/15 204

* 井上美地の歌集がよかったので、わたしとしてはメツタにないこと、版元の不識書院中静さんに電話で感謝し賞めておいた。
その礼状を添えて、今日は吉村睦人の『蝋梅の花』が送られてきた。
この吉村本はあまりにヒドすぎる。こういう歌を厳選もせず七百首もつめこんで、これで「アララギ」選者とは、世も末。

アララギをいつか受け継げと言ひましき
五味先生吉田先生思ひつつ新アララギ編集す

本の帯にあげてある六首中の筆頭歌が、これ。これって、うた? 短歌? 戯れるにしても本気にしても もちょっと「藝」は無いのか。アララギも五味も吉 田も新アララギもなんにも識らず、それでも短歌を読みまた詠んで愛している日本人がいっぱいいる。この「選者」先生、何、考えている の。
2018 11/17 204

* 俵万智さんから新歌集ならぬ若山牧水を語った新著に、いい手紙が添って届いた。一等最初の『サラダ記念日』をいの一番に貰っており、テレビでそれを若い人向き、鶴瓶司会番組に呼び出されたときに推讃したこともあった。
既製の自称大歌人たちの手ひどい歌集が目に附くつど、俵さんのそもそもの初めから内在律を生かして歌い得ていた成績を、現代短歌自省のためにありがたいとすらわたしは想うようになっていた。
2018 11/19 204

☆ 無題 明治四十三年九月二十五日  漱石
風流 人 未だ死せず
病裡 清閑を領す
日々 山中のこと
朝朝 碧山を見る

* この「碧山」はただ目に見えてある緑翠の山であるを超え、かの陶淵明のつねに憶い願っていた「南山」 すなわち終には帰り行く「青山」の気味であろう、が、漱石は大正五年までなお余生を抱いて優れた仕事をつぎつぎに成していった。
2018 11/20 204

* 音楽というモノに踏み込む気持ちでふれた最初は、秦の父の「謡」であった。父は大江の舞台で地謡に出されてたこともあった人で、謡は子供の耳にも落ち着いて上手く、このひとつだけで父を尊敬したほど、父が気儘に謡をうたいだすのがいつも好きで憧れた。
そんな次第でわたしは能楽堂でも、つい謡と囃子へ気が行く。「歌・舞・伎」の舞台でもそうで、歌と囃子に先ず心惹かれる。それなのに、わたし、楽器の何 一つにも、ハモニカもろくに吹けず、触れたことがない。歌も唄えない。中国への旅の日中懇親会で、一座最年少のわたしに「歌え」と指名されたときは実に恥 かきで、荒城の月が、夜空から落っこちそうであった。
それでも、只一度、中学の頃、講堂の上で独りで「ローレライ」だかを歌わせられたことがあり、音楽の女先生を恨んだ。通知簿が全優やオール5であって も、本人は「音楽」だけは露骨に「ヒイキ」だと感じ、凹んでいた。「声」に出して歌うというのが恥ずかしく、学期試験ごとに音楽室で一人一人歌わせられる のが凄くイヤだった。声に出し歌うのは、浴室で独りのときで足りていた。
そんな反動でか、「声」で歌わず「ことば」でうたう「短歌」のほうへ、中学・高校のころ遮二無二すすんで、今に繋がっている。わたしの音感は、あげて字で読み字で書く「短歌」のために貢いだわけである。
あ、思い出した、牧水短歌の例に憧れて、わたしも、自分の短歌に 節をつけ、ひとりで歌えるようにしていた、高校時代に。音符にできないので記録がない、記憶もうすれて仕舞った、想い出せるかなあ。
2018 11/20 204

* 井口哲郎さんに山芋をたくさん頂戴した。すりおろし、卵を溶いて、主食に戴ける。有難うございます。

* 歌人の松平盟子さんから、エッセイ集と主宰歌誌二册を戴いたが、なかみ、あまりに薄く軽く、これはいかんなあと、拍子抜けした。
小説の幾つも載った同人誌も別に届いて、気は入って感じられたが、どれも読み進めなかった、何より各編とも、小説の文章にホンモノのちからが感じられなかった。
辻邦生の、ま、超大作というる『春の戴冠』、実は今回初めて読みかけ、まさかこうはと驚くほど雑に足早にせわしない文章なのに白けている。読みつげるかしらんと心もとない。
是に較べれば木下順二訳になる雄大な歴史劇『薔薇戦争』は、手綱を引き締めたいほどずんずん面白く惹き込まれて手放せない。戯曲だから、か。
『北越雪譜』『山上宗二記』『定本漱石全集 漢詩文』等々、それに『源氏物語』 それぞれに心根に響くように触れてくる、むろん『モンテクリスト伯』も。本があり目が見えている限り、けっして退屈しない。
2018 11/24 204

述懐 平成三十年(2018)十二月

水鳥を水の上とやよそに見む
我れも浮きたる世を過ぐしつつ   紫式部

冬の水一枝(いっし)の影も欺かず    中村草田男

今はには何をか言はん世の常に
いひし言葉ぞ我(わが)心なる    伴信友

物皆は改まる良しただしくも
人は古りゆく宜しかるべし      萬葉集 よみ人しらず

遠山に日の当たたる枯野かな      高濱虚子

仕事には慣れても死には慣れぬよう
言い聞かせおり疲れたる時     濱田千春

ひむがしに月のこりゐて天霧(あまぎ)らし
丘の上にわれは思惟すてかねつ  秦 恒平(十七歳)

冬至とや東寺に夜店の立つ日とや
われ八十三の有即斎(ウソクサイ)とや  宗遠

あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる         石川啄木

高木冨子・画
秦の 実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

棟方志功・畫
2018 12/1 205

* 印刷所に、十二月中、正月早々の納本ないし発送は避けたいとことわり、了解を得た。一息つける。大事なコトを別に抱えている、そっちを努めたい。仕事をさきへ延ばしたいと云ったことは、めったにない、初めてかも知れない。

仕事には慣れても死には慣れぬよう
言い聞かせおり疲れたる時     濱田千春

という作に出逢い、師走の述懐に換えた。
2018 12/1 205

* 機械のアレコレが結滞し混雑し再起動やリセットからのやり直しを請求される。諦めきって随っている。メールの送受信も不自然に渋滞している。こんなに「辛抱」を覚えさせられるとは。
とはいえ新しい機械を手に入れても無事にみな「設定」できるアタマが日々に壊れつつある気がする。子供の頃から機械・道具は苦手で、茶道具こそ好きこそ ものの上手だったが、まともに紙凧の一枚もつくれたことはなかった。八十余年の生涯で一等なさけなく敗退したのは、秦の父の言いつけで大阪門真のナショナ ルヘ「テレビジョン」の講習に遣られた大学時代、まったく理解がとどかず、ついには講習期間の後半全部を仕方なし大阪まで行って歩きまわっていた。あれ は、情けなかった。電気店を継がせる望みを父も母もあのころに断念しきったのだと思う。「教授就任」の意志を川嶋至教授が電話で打診されてきたとき、わた しは「東京工業大学」なる大学を識らなかった。息子が座の近くにいて「名門だよ、お父さん」と叫ばなかったら、わたしはあのままお断りしていたかも知れな かった。機械、理工 縁遠い世界だった。東工大のおかげで、わたしは作家としていちはやいパソコンの利用者に登録されたのだった。学生君らの御蔭を蒙った のである。その学生君らはみな今では最も多忙な社会の中堅にあり、もうとても手が届かない。
若い人に次々にあとを追ひ越させ
ゆつくりでいい我の花みち     老蚕

* この機械はもう半身不随らしい、ま、当然かも知れぬ古機械。しかし 古馴染みには相応の親愛も信頼もあるだろうと辛抱しながら、ダメと言われれば何度も引っ返して、やり直しやり直し付き合っている。
2018 12/3 205

* 送られてきた或る短歌誌主宰者の 誌上初出歌を読んでみた。
川べりの草ことごとく薙ぐ音す台風の橋ようやく渡り
列島を北上しゆく「台」の文字みんなの注視になお押し上がる
窓ガラスの向こうとこちら別々の秩序があって 悪くない向こうも
懸命に台風も荒れているのだろう電線ひゅんひゅん共鳴したり
これって「詩歌」ですか。外形美も内在律も無く、粗雑な日本語の雑駁なもの言いに終始している。現代短歌界でひとを集めて雑誌を主宰する能も見識も語感も、無いとしか思われない。ひとりよがりの増長と見える。「小山」の大将の見苦しさ。
2018 12/8 205

 

* 年の瀬やみづの流れとひとの身は  と 其角
ふした待たるるその宝船      と 大高源五

これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭小屋はもたぬ  と  11 12 21 と 七年前に。

二期胃癌診断の二週間前だった。歌集『亂聲』の巻頭に置いている。

* もう「選集」へは、何を収めるかよりも、何を容れないでおくか、の思案に成ってきている。よそ目にはお笑いごとであれ、わたしには厳しい自己批評にな る。人に即して文学者と美術家に関わった批評と述懐を、膨れあがるのを抑えながら、わたしの人生に根ざしたこの一巻は外せない。「創作」分に少なくも二巻 はぜひ宛て得たい、足りてくれるかどうか。と、残るはあと一巻しかない。「私」自身を取り纏めて置きたいが。

* 予定の『秦 恒平選集』三十三巻を仕遂げたあとへも、わたしに寿命があり意欲と気力のある限り「文学」生活は死ぬまで続く。それはそれで、運命に委ねる。健康でありたい。
2018 12/12 205

☆ 河野裕子 第一歌集『森のやうに獣のやうに』巻頭「十八歳」 冒頭八首

逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた
一度きりのあの夏のこと

落日に額髪あかく輝かせ童顔のさとこさんが
歩み来るなり

振り向けば喪ひしものばかりなり茜おもたく
空みたしゆく

ひたひ髪しづかにかきあげもの言へる汝が肺
中葉の翳を想はむ

ナザレ村に青年となりしイエスのこと様ざま
に想ひてマタイ伝閉づ

君の持つ得体の知れぬかなしきものパンを食
ぶる時君は推し

光ある教室の隅の木の椅子に柔らかくもの言
ふ君が坐りをり

汝が為に病みしなどとは思ふまじコップに白
き錠剤溶かしつつ

休学と決まりし午後にぽつつりとヨプ記を読
めと主治医が言へり

* 内在の律を制御して表現に稚拙も渋滞もない若い感覚。河野裕子をわたしは斎藤史をつぐ現代歌人の第一走者であろうかと褒めていた。わたしよりほぼ十年半余も若い人だったが、惜しくも早く亡くなった。
この十八歳の素朴な述懐一連に比し、その三倍も五倍も生きてきた昨今歌誌主宰の女性歌人らの新歌集冒頭の「ひどさ」「がさつさ」の思い上がりは、目をお おうばかり、「うた」としての「うったえ」は無残な自己満足に干上がりひび割れ、ただ雑音としか聞こえない。小山の大将、恥ずかしさを知らない。情けなく なる。
2018 12/12 205

* 疲れて階下へ降りるとバカ騒ぎの俳句教室とやら、参加者の駄句ぞろいは不思議でなくもともと俳句読み味わって覚えたというより、いくつかのきまり常識のまま苦心してひねるのだから、佳句のでる余地はよほどの偶然以上にあり難い。それはそれで仕方ない。
困るのは女先生の、はなはだ低次元な添削指導が世にみちびく俳句誤解の懼れである。俳句はたかが五七五三句で、短歌和歌よりやさしい創作と想わせかねない、しかし俳句は短歌よりも自由詩よりも遙かにはるかに表現難儀の「おそるべき詩」なのである。
せめて番組のなかで、出題に相応の真実名句と思いうる例を一句はかならず参加者にも視聴者にも読ませて欲しい、その名句をどう女先生が取り上げてみせうるか、わたしはそこが知りたい。

* こんなことを言うと怒る人もあろうが、すぐ手元に稲畑汀子編著の『ホトトギス虚子と一○○人の名句集』がある。「ホトトギス」は近代俳句の久しく王城であった。
しかし、わたしが歳月掛けて一人一人の一句一句を繰り返し読んで行って、「名句」と思しきは極めて稀れ、一人四十句、人により倍の句が並んでいて、名だ たる俳人たちにして、十句にも爪印のつく人は極めて稀れ、名の通った人にしても数句に足りないということが多いのであり、それほども俳句の表現と世界は険 しいのである。しかし、それを理解して行かないと「芭蕉」も「蕪村」も「子規」も「虚子」も自身の宝にならないのである。
「俳句の大衆化」というつもりだろうが、俳句は根が大衆の表現であった、ただ、テレビ番組のような軽薄な仕方でではなく、よほど厳しい自覚や適切な指導のもとに理解を深め表現を磨いて、俳句世界の和歌や短歌とはまるで異なる妙趣を画いていけたのである。
桑原武夫は「第二藝術」と批判したのは、俳句が安易な理解と表現で独自の「詩」境のあるのを見損なっている俳壇を嗤ったのであり、わたしだって嗤う。

虚子の句を噛むほど読んで力とす

これはわたしの俳句ではない、わたしの虚子愛なのである。

人病むやひたと来て鳴く壁の蝉

遠山に日の当りたる枯野かな

桐一葉日当りながら落ちにけり

春風や闘志いだきて丘に立つ

白(はく)牡丹といふといへども紅(こう)ほのか

夕かげは流るる藻にも濃かりけり

一面に月の江口の舞台かな

手毬唄かなしきことをうつくしく

大寒の埃の如く人死ぬる

大根を水くしやくしやにして洗ふ

深秋(しんしう)といふことのあり人も亦

虚子一人銀河と共に西へ行く

去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの     高濱虚子の句
2018 12/13 205

☆ 拝啓
寒くなりましたが、お健やかにてお過しのことと存じます。(中略)
京の昼寝ではすまない、ご研鑽のご成果、諸道通暁のこと感服いたします。
藤村『破戒』、文芸必ずしも正論開陳ならずとも、当事者の思いいかばかりか、私も(原作を)読み終えて釈然としない感引き摺ったこと思い出します。
それにしましても『破戒』が緑陰叢書第一巻、「湖の本」がその後を慕ってのご企画であったこと知り 敬服いたします。
稲妻や幼子のいるデモの列
まっとうな意見が通る世であると信じたいのですが、選挙年齢引き下げが保守層を利する手立てであったなど思いも寄らないことでした。(中略)
あわただしい季、お揃いでお大事にと念じております。 草々   神戸大名誉教授  周

* 有難う存じます。 佳い句を いただきました。
流れのはては風にまかせて
2018 12/15 205

* 起床8:15 血圧 135 – 71 (68)  血糖値 94 体重64.4kg

*  やそ(八十)とせをみつ(三)とせ越えて今にしも
いくさに負けしむかしおもほゆ
吾(あ)をおきて逝きしひとらが恋ひしさに
生くべき壽(いのち)掌にうけて立つ

* 妻が心づくしの 赤飯と、うまい椀と、頂戴の美酒の盃、そして甘い干し柿、四国の豊かな蜜柑とで、誕生日を祝う。妻も 建日子、 朝日子、みゆ希も 何方もみなみな健康でありますように。
2018 12/21 205

* 歌人の俵真智にも、「短歌」の新鮮な律のために似た期待をかけている。彼女の『サラダ記念日』初版の贈呈を受けてまっさきに公然(テレビ番組などでも)認知したのは、わたしであった、随分批判もしたけれど。
彼女からも最近、久々の新刊と手紙をもらった。
2018 12/27 205

* 冷える。機械をここまで起こすのに優に一時間余かかっている。辛抱して待つ。待つうちに公任撰の「前十五番歌合」など読んで、わたしなりに撰を加えていた。定家が小倉百人一首に選んでいるのはどうしても目立つ。それらは敬遠して素通りすれば、

春立つと言ふばかりにやみ吉野の
山も霞みて今朝は見ゆらむ     壬生忠岑

人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな    堤中納言・藤原兼輔

色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞ有りける       小野小町

琴の音に峰の松風通ふらし
いづれのをより調べ初めけむ    斎宮女御・徽子女王

和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る    山部赤人

* 柿本人丸 の
ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島隠れ行く舟をしぞ思ふ   も佳いのだが、明石 朝霧 の「あ」音の重ねがやや耳に傷むのではずした。実景からは遠のくでもあろうが「夕霧」または「夕凪ぎ」でありたいなと、わたしは。
2018 12/30 205

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