述懐 平成三十一年(2019)一月
劫初より作りいとなむ殿堂に
われも黄金(こがね)の釘一つ打つ 与謝野晶子
一枚の餅のごとくに雪残る 川端茅舎
くさかげの なもなきはなに なをいひし
はじめのひとの こころをぞおもふ 伊藤静雄
雪とけてくりくりしたる月夜かな 小林一茶
もろこしのむさむさ坊主ひげ坊主
さしたる事も言はじとぞ思ふ 一休宗純
春寒や日闌(た)けて美女の嗽(くちすす)ぐ 尾崎紅葉
レーニンもカールマルクスもともどもに
将棋好みしといふは面白し 大熊長次郎
来る春をすこし信じてあきらめて
ことなく「おめでたう」と我は言ふべし
言ひたくもなし 秦 恒平
今・此処をつひの栖(すみか)ぞ 松立てて 秦 恒平
よきひとのよき酒くれて春ながの
いのち生きよと壽ぎたまふ 秦 恒平
2019 1/1 206
* 賀正 去年(こぞ)のまま此歳とおもふ 静かかな 秦 恒平
2019 1/1 206
* 「後十五番歌合」で、胸に落ちて沁みた二首 まことや。
暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照らせ山の端の月 和泉式部
世の中にあらましかばと思ふ人
亡きが多くもなりにけるかな 藤原為頼朝臣
2019 1/1 206
☆ 陶淵明に聴く
昨暮は同じく人為(た)りしに
今旦は鬼録に在り
但(た)だ恨む
酒を飲むこと 足るを得ざりし
2019 1/3 206
* ちょっと気のしんどい上・中旬の開始。着々、用意して進むだけ。
眼目は、小説『オイノ・セクスアリス』
悪なれば色悪(いろあく)よけれ老の春 虚子
☆ 初蝶來(く) 何色と問ふ黄と答ふ 虚子
* 小説の、難所ではあるがわたしには格別興味深い、ま、穿鑿にうちこみながら、疲れると階下で「湖の本」封筒にハンコを捺していた。このハンコ捺しがま た草臥れる、単調な、しかし力仕事になる。で、疲れると二階へあがりまた小説世界を杖をひきひき探索する。そして疲れる。
入浴して、今度は「選集29」責了への最終校正を、眼を洗い洗いしつつ重ねる。読みかけの、湯気に濡れにくい本も選んでもちこむ。
2019 1/4 206
☆ 秦さん、
メール下さり ありがとうございます。
猫は、昨年4月くらいから飼い始めました。うちの中を気ままに歩き回っています。
まだ 1歳前ですが、ずいぶんと大きくなりました。妻と私は、マイペースな様子に癒されていますが、一人っ子の航太朗には、両親の愛情を二分するライバルとも映るようで、可愛がったり、張り合ったりと、すっかり小さい妹のようです。
航太朗は、はや11歳、今年は年男の小学五年生になりましたが、なんだか幼く感じてしまうのは、自分たちの時の親の目にも、そう見えていたのかとも思ってしまいます。
40年近く前の小学生に比べると、この頃の子たちは恵まれてもいる反面、少ない人数で大人たちの期待を背負わされているような面もあり、随分と忙しく、大変そうでもあります。
通っている小学校では、半分くらいの子たちが私立中に進学するようで、ご多分に漏れずうちも塾に通わせていますが、これも自分の頃とは段違いに宿題やテストなども多く、わたしも空いた時間には、回転しない頭をひねりつつ、一緒になって勉強しているような状況です。
それでも授業は面白いらしく、友達もいて、楽しく通っているのが、ありがたいところですが。
また親としては、子供と一緒になって何かを頑張れる時間というのも、きっと貴重なんだろうなと思ったりもします。
どうぞお身体を大切に。
またお目にかかれる機会を楽しみにしています。 上尾孝彦 東工大院卒
* 記憶違いなら謝るが、上尾航太朗クン誕生を祝った一首であったかと。
今度の「選集」第29巻にも入る 「光塵」のうちに 07 11 26 人を祝ひて とある
穹(そら)をゆき洋(うみ)をゆき陽はほがらかに
大いなれきみの志すこと
十一歳か。わたしの昔で謂うと 四年生 終戦の歳で丹波の山奥に疎開していた。疎遠な田舎暮らしに読みたい本も無かったが、田畑や山の暮らしを覚えた。いい勉強をした。
* 上尾君の海外出張を励まして 日比谷のクラブで語りかつ飲んで食ってから、もう何年になることか。
いい曲を選んでありますからねと、管楽器のテープをもらったのをよく聴いたが、もう、テープの聴ける機械も無くなった。まだ音楽も、そうそう 茶の湯の稽古もしますと云ってたが、続いているかな。続いてれば嬉しいが。
2019 1/14 206
☆ 白楽天の五言古詩に「春遊」があり、こんなふうに諷している。
馬に上りて門を出づるに臨み 門を出でて復た逡巡す。
頭を廻らして妻子に問ふ、応(まさ)に怪しむべし春遊頻りなるを。
誠に春遊の頻りなるを知れども 其れ老大の身を奈(いかん)せん。
朱顔去りて復た去り、白髪新たにして更に新たなり。
請ふ君十指を屈し、我が為に交親を数へよ。
大限 年百歳、幾人か七旬に及ぶ。
我れ今六十五、走ること坂を下る輪の若(ごと)し。
仮使(たとひ)七十を得せしむるも、祇(ただ)五度の春あり。
春に逢ふて遊楽せざるは、但(ただ)恐らくは是れ 癡人。
* 六十五歳で白楽天は歎いている。わたしは、いま八十三。唐の古代と平成の下限をならべみれば、似たところを歩んでいて、たとえ「九十を得せしむる」なら、なお「七度の春」があると、そう思い思い
「癡人」の謗りを嗤って なおなお「春遊」を諦めてはなるまい、が。
2019 1/20 206
* 機械延々と温まらず、今朝は冷える。「北越雪譜」で、目出度い年越しの団欒に、雪道から恵方の高窓を打ち割り転げ落ちてきた若い座頭福一を、鬼かと、女らは怯えて怒るのを、座頭、謝りながら筆を請うて一首の戯れ歌を成したのが目出度かった。
兄方(ゑはう)から福一といふこめくら(米蔵 小盲者)が
入りてしりもち(餅)つくはめでたし
* これまた 一端の文化と覚えて嬉しく面白い。「北越雪譜」にはこの種の応酬例がまま見られる。著者の鈴木牧之も俳諧の点者のようである。
2019 1/22 206
述懐 平成三十一年(2019)二月
暮れぬ間の身をば思はで人の世の
あはれを知るぞかつは悲しき 紫式部
橋一つ越す間を春の寒さ哉 夏目成美
つれづれと空ぞ見らるる思ふ人
天降り来ん物ならなくに 和泉式部
朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 種田山頭火
魚介等が一夜の愛のこと終へて
しづまれるさまに海明けてをり 鈴木幸輔
ものの種子にぎればいのちひしめける 日野草城
わが足はかくこそ立てれ重力の
あらむかぎりを私しつつ 森鷗外
亡きひとの身にしむ朝や生きのびて
なにをか成せと云ひたまふらむ 恒平
吾(あ)をおきて逝きしひとらが恋ひしさに
生くべき壽(いのち)掌にうけて立つ 恒平
やそ(八十)とせを三(みつ)とせ越えて今にしも
いくさに負けしむかしおもほゆ 恒平
2019 2/1 207
* 機械のご機嫌を待ちながら読んでいた三浦梅園に、「約をいるゝる事、牅(よう)よりす」と、また教わった。進んで人に説くには、先ず其の人の理解しや すい所から説くべし、と。哲人梅園の「多賀墨郷君にこたふる書」は、そのお手本のように「天地の条理」を説きかつ伝えようとしている。
こんな面白くよく出来た、しかも藤の花が詠んだ和歌をも、梅園は利している。
思ひきや堺の浦の藤浪の都のまつにかゝるべしとは
堺の浦にみごとに咲いていた藤の噂に、ある天子は寄越せと都へはこばせ移し植えた、その晩に天子の夢に妙なる美女があらわれ嘆いて歌ったのである。
藤と、まつ(都で待つ 都の松) 浪と、かゝる 藤はこらい松の緑と濃い縁をうたわれてきた。「和歌」という表現のおもしろさ、美しい律の「うた」を嬉しく受け取れる。即、梅園の何を説くとかかわりなしにも楽しめてしまうのがつまり「和歌徳」なのである。
2019 2/2 207
* ここ、この画面へ辿り着くのに時間がかかり、急いてむりに催促するとハチャメチャに混乱して全然のやり直しとなる。小一時間はムダに混乱させた。辛抱という努力をこの催促されるのが大嫌いな古機械に手厳しく教育されている。
しかたなく、呟いていたり。
小便はするもんやない零すもんと
老いの賢しく独頷(うなづ)く可笑し
やれやれ。
2019 2/4 207
* 八時間ほどは睡ったか。夢にもものを思い詰めていて、起きぎわ、
さひつ瀬をいづくへ流れ行くはてぞ
はてもなぎさの佐比の磧(かはら)ぞ と。
2019 2/10 207
* 早寝し早起きす。インシュリン4単位注射し、粥を温め海苔と魚粉副えて食し、猪口に二酌、ビタミン、乳酸錠等々、ほぼ20錠を服す。
二階で、機械容易に稼働せず、『近世畸人伝』の中江藤樹、貝原益軒そして僧桃水の伝を読む。藤樹、益軒はとくに「畸」とせず、ほぼ識る範囲にあり。
桃水とは初対面、処世行状慈愛溢れ経験豊かに、その「畸」は敬するに余りあり。晩年洛北鷹峯で酢売翁となりて終わる。人の大津繪に描きし阿弥陀を陋屋に贈りしに、
せまけれど宿を貸すぞやあみだ殿
後生たのむとおぼしめすなよ と。
「七十餘年快哉」 遷化時の遺偈の末に、
眞歸處作麼生(ソモサン) 鷹峯月白風清 と。 2019 2/20 207
述懐 平成三十一年(2019)三月
ししむらゆ滲みいずるごときかなしみを
脱ぎてねむらむ一と日ははてつ 田井安曇
身のはてを知らず思はず今日もまた
人の心の薄氷(うすらひ)を踏む 石上露子
春暁や人こそ知らね木々の雨 日野草城
こころよく/我にはたらく仕事あれ/
それを仕遂げて死なむと思ふ 石川啄木
人はうそにてくらす世に なんぞよ
燕子(えんし)が実相を談じ顔なる 閑吟集
むすぶ手のしづくににごる山の井の
あかでも人に別れぬるかな 紀貫之
三月の雨しづかなり生み立ての
卵二つを双の手に受く 雨宮雅子
これやこの往きて帰らぬ人の世の
つきぬ怨みの夢見なるらむ 遠
人も押しわれも押すなる空(むな)ぐるま
何しにわれらかくもやまざる 遠
あすありとたがたのむなるゆめのよや
まなこに沈透(しず)くやみのみづうみ 遠
2019 3/1 208
2006 2 25 孫 やす香 みゆ希 二人嬉々として飾りゆける雛。
この日を祖父母を訪ね来ること最期に、やす香は肉腫に二十歳前の命を失い、
押村みゆ希の消息は絶たれ知る能わず。愛しくも美しい此の雛の行末は如何。
* 新刊の「選集」29 には前半に、前後二つの対照的な歌集『少年』と『老蠶』とを収め、『老蠶』には「光塵」「亂聲」の二集を収めた。序や跋のたぐい、また全一巻の後記も、いの読み直してみた。これらがきちんと書けていてわたしの重いと齟齬するまた欠けるなにも無いので、安心している。これはこれで、よろしい。
後半の鑑賞詞華集は、わたしの全仕事の一角を成す代表作であり、愛読して戴くに十分足りている。詩歌、ことに和歌短歌はわたしの文学・文藝の欠かせぬ先駆であり一角であり、この集の成ったことで、「秦 恒平選集」を心がけた半ばが満たされたと喜んでいる。
逢えて掉尾とは謂わないが、仕上がりへ日々近付いている或るいみでは猛烈をきわめた長編小説『オイノ・セクスアリス 或る寓話』も、大いに顰蹙を買う末期の暴作になるだろう。
2019 3/1 208
☆ 拝復
『秦 恒平選集第二十九巻』 またまた厚く御礼申L上げます 秦さんの本を見るといつも 「あの頃
秦さんはもう こーんなことまでしてたんだ!」と思います
大学病院のエレベーターがまだ蛇腹扉の頃 ひょいとリ乗り込んだら 品のいいおじさんがニコニコLて妻が抱いていた赤ん坊の頭を撫でてくれました 高見順!(と後で気付いたのですが)ドアを押さえて待っていてくれたのでlす 本を戴いてすぐ頁を捜しまLた
今日はゆっくり『亂聲』で遊べました いつも素晴しい印で 見入っています
春ですが呉々もお大切にされて下さい 敬白 千葉 e-OLD 勝田貞夫
* 井口哲郎さん刻の「亂聲」印を喜んで下さったのも、嬉しい。勝田さん、此の二字をハガキ一杯の大きさに色刷リして楽しまれたらしい。
高見順の記事がひとしお嬉しく懐かしい。『愛の歌』には高見順の佳い詩を三作採り入れている。何ともいえず佳い詩である。小説家高見順と同じく伊藤整と の詩は、胸に沁みる。詩人と名乗る人の詩作が、独り合点の意味不明、表現雑然という例が多いのは残念だ。「詩」とは何なのであろう。
2019 3/6 208
* 昨日 萬葉洞の坂田さんから伝行成筆「伊予切」を本席の床にかけた茶事の会記が送られてきた。いい取り合わせで、むかし懐かしかった。
ただ「伝行成」筆の「橘花」をうたった和歌二首の先の一首、
さつきまつ はなたちばなの かをかげば
むかしのひとの そでのかぞする
は 「よみびと知らず」らしいが 行成の撰らしからぬ 拙な歌とまゆをひそめた。
「かをかげば」「そでのかぞする」と「か」音 「香」の意 の無用の重複、さらに「香を嗅ぐ」という獣めく表現、清少納言と仲良し行成らしからぬ優雅を欠いている。
もう一首は、まずは秀歌とほめてよいのに。
ほととぎす はなたちばなの かをとめて
なくはむかしの ひとやこひしき
「とめて」は 求めて 尋ねて 慕って と。和泉式部日記などが目に浮かぶ。
2019 3/9 208
☆ 拝復
このたびは「慕一枝春」のご挨拶に併せ「選集第二十九巻」のご恵贈にあずかりまして ご芳情にただただ感謝いたしております。厚くお礼を申し上げます。
数年前、母親の最期を看取りながら手慰みに短歌を作り始めた私にとって、本書はまさに紡ぎだす神秘の宝庫にめぐりあったようなときめきを感じました。
<心から机に向かうときめきのいよよ濃くなる夜の碧空>
『少年』の青春前期の深い揺れる心情を受けとめつつ、わが貧しき少年時代に思いをはせて、羨望の溜め息をふっと漏らしています。
『詞華集』では、ひとりで短歌に付き合いはじめた読者として作者としてこころよい知的な刺激にうたれています。
秦文学の原点ともいうべき詩歌の内在する世界にお導きいただきありがとうございました。
つきましては、ささやかなお礼のしるしをお送りいたしますのでご笑納くだされば幸です。
末筆ながら先生ご夫妻のいっそうのご自愛とご長寿を重ねられますようお祈り申し上げます。
とりあえずご報告方々お礼まで。 敬具 京・山科 あきとし じゅん 詩人
* 京都の都心 四条河原町東北の永楽屋は、京都で暮らしていても眉を張る名菓・名菜の店、そこで選りすぐりの品を揃え、あきとしさん、お送り下さった。 「選集29」の歌集『少年』 詞華集『愛の歌 日本の抒情』が頂戴した御馳走、今夕、建日子が久しぶりに寄って呉れるという、「セイムス」で山田錦の清酒 を買ってきた、せめて酒肴を楽しんで欲しい、有り難いこと。
恐縮です。 花さそふ風のほのかににほふまで春はきにけり桃のはやしに 恒平 2019 3/9 208
* 新作の長編 昨夜11:45 一通りの原稿整理が出来た、けれど、まだ手放せない。今日も、さらに集注したいが、十三日は病院の診察日。
そして十四日は、「結婚満六十年」 歌舞伎座を二人で楽しむだけ。
六十年めは、「ダイヤモンド婚」と謂うそうだ。
妻をえて六十年生きてダイヤといふ
宝石になんぞ触つたこと無く 恒 平
とっておき、時代ものの「オールド パー(=老いボケ)」で祝うか、呵々。
2019 3/12 208
* 結婚満六十年 「ダイヤモンド婚」とやらを、朝、赤飯と、もづくの汁で、ふたりで祝う。
けふの日を稀有のふしぎとよろこびて
数かさね来し春をことほぐ
菱田春草画 帰樵によせて
老いまさる心の萎えは労はりつ
はげましつ夕焼けの山を下りゆく 恒平
* 手のとどく近くに、戴いたカレンダーから切り取った春草画の「帰樵」を、日々にいつもしみじみ眺めている。微妙な色彩の夕焼けいろがわたしのンメラでうまく写せないのが残念。
2019 3/14 208
* 『今物語』の面白さに、この昔に相当に好まれ逸り始めていた「連歌」の楽しみようがある。数々あり、したたかに面白い。
たとえば京極太政大臣藤原宗輔のまだまだ若かった頃 車で雲居寺辺をとおると、瞻西という能説、説経上手で知られた上人が家の屋根を葺かせていた。宗輔は雑色を遣って、
聖の屋をば目隠しに葺け と言いかけておいて車を走らせた。上人もまた小法師を大急ぎに駆けて追わせ、
あめの下にもりてきこゆることもあり と応えた、その素早いこと、が一編の興になっている。これ、趣意が読み取れなくては、オハナシにならない。
宗輔は 「女隠(めかく)」している坊さんの家の屋根は「目隠し」に葺きなされよと。「目隠葺」は釘穴を蔽うように薄い檜皮で葺いて「雨漏り」を防ぐのだが、「女隠し」がバレないようになと諧謔ったのである。僧の「女隠し」はよくあったのだろうが、瞻西上人、間髪を入れず、「雨の下・天の下」には「漏れ聞こえてしまうことも有るわい」とやり返したのである。こういう殊勝で趣妙の応酬を楽しんだのである、盛んに。
* こまちゃくれた機械で独りゲームで階段を踏み外しているより、こういう応酬が楽しみあえる知己がほしいものだが。
歌集の「亂聲」に添えてわたしは小倉百人一首の初上一句と次の一字だけを生かして百数十の「戯れ和歌」を詠んでおいたが、もういちど小倉百首の各上句、 下句にかまけて、連歌遊びがしてみたくなってきた。これは、だが、容易でない。わたしには、あまりお笑いのセンスは無いからムリか。
秋の田の刈穂の庵のとまをあらみ
つゆ知らぬ顔で媾曳(あひびき)に行く
わがころも手はつゆに濡れつつ
夜もふけの店(てん)やのうどん持ちそこね
お品がないなあ。
2019 3/19 208
* 京都でひとを案内して歩くらしい人から、比叡山の印象的な洛北円通寺の写真が送られてきた。小説『畜生塚』での一等美しかった景色である。懐かしい。
ひとは観てわれは観もえでなつかしむ
比叡の嶺にたつおもひでの樹々
遠地借景の典型例のお庭であり、等間隔に庭さきを明るく区切った小高い樹々が印象的。
帰りたい、訪れたい先が山のように。建日子に委ねてある萩の寺の秦の墓地は草むしているのだろうか。
2019 3/24 208
* 詩人であり志士でもあった亡村上一郎さんの夫人、九十五歳の長谷えみ子さんの歌誌「リトム」全出詠歌を、お友達の手で限定10册の手作りした歌集『晩晴』を頂戴した。
長谷さんの歌風は、一時属されていた「かりん」とは馴染まないと思っていた。
質素なツクリではあれ、歌は優雅に清潔で、しかもアソビに流れず老境の生活感と往時への真情を湛えており、内在律も表現もしっかり美しく、感じ入っている。叮嚀に読んで、甘くない共感の爪印をつけて行っている。
お手紙もついていたが、視力慥かな明日にも此処へ記録したい。
夕暮は薄墨いろとなるさくらさびしき彩(いろ)は遠く眺めむ
咲き蘭(た)けて香り失せたる沈丁の名残りは闇になほ仄白し
2019 3/25 208
* 「職原鈔」という本があった、律令制より以前から、あらゆる「官職」を手引の事典であって、それの必要度は、多年、まこと大化の昔から何世紀にもわた り、はなはだ実用的に高かったとは推察がきく。私には、しかし、さしあたって必要は無かった、せいぜい「官位相当」の一覧表で足りてきた。
が、ここに『和歌職原鈔 付・版本職 原鈔』の一冊があり、巻頭に先ず「四部配当和歌集」が出ている。「四部」とは一長官(かみ) 二次官(すけ) 三判官(ぜう) 四主典(さかん)謂う。そ してすぐ「八省之歌一首」を掲げている、「八省は八つのつかさとよむ。此上に二官とて 神祇官太政官あり。配当此下の哥にあり」とし、
中務。式部民部に。治部兵部。刑部大蔵。宮内八省
と。さらにこれらの官掌をことこまかに紹介し解説している。
なるほど、いわば官吏諸氏には虎の巻に相当しただろう。和歌の体であげてあり記憶の便もあったわけだ。ことにこれら官職と地位との相当、官位相当、をよく覚えているのは、上下関係を気に掛ける官吏には大した必要であったろう。一例を挙げれば、
左右京や。東中宮に。修理もみな。大夫といへば。従四位下ぞかし。
式民部。兵部刑部に。大蔵や。宮内も卿は。皆正四位下ぞ。
従一位は。天が下にて。たゞひとり。太政大臣。相当と知れ。
正一位。神の位と。きくなれど。人にはこれを。贈位とぞいふ。
また國の、大中上下も覚えやすく歌われていて、これは、心得ていてはなはだ大切な知識である。
ま、このほか無数に歌の体をなして 教えられる知識多い。古典や歴史に関心有る者の座右においた大いに便利する一書、昔の人はマメに勉強していたということか。
校注者の今西祐一郎さんにはやくに頂戴し、ただに愛玩また大いに便宜している。平凡社東洋文庫の一冊である。
* テレビ番組で「俳句」が騒々しく弄ばれている。俳句に親しむのはいいことだが、俳句は容易に近づけて創れると思わせるには功罪ともにある。
わたしは国民学校の一、二年で俳句らしき「長岡やじゃがいも畑 蝶の舞ふ」と一句をのこし、四年生の丹波山奥に疎開生活中、京都を懐かしんで一首書き残 していたが、中学高校へと進んで短歌一途を歩んで歌集『少年』に結実した。わたしは短歌に比し、俳句は容易成らず難しい、いい俳句へは所詮手が届かないと はやくに畏敬のおもいとともに近付かなかった。読むのは読んだが、創らなかった。読んでも真に感じ入る句に出会うことは稀であったし、いまもめったなこと に勝れた俳句に嘆声をもらす嬉しさは味わえない。俳人とも俳誌とも結社ともいまだに縁はあるが、まず唸るほどの句には出会えない。何かしら到らない。間 違っているとさえ思わせられる。そこへテレビ番組が、わるく割り込んで、ますます俳句の妙から騒々しく遠ざかり現象がすさまじい。
* 論攷のひまは、今、ないので、わたしの俳句へ畏敬の思いを簡潔にあげておく、いつか具体的に解き明かせればと思うが。
俳句の妙は、順序無く謂うが、
無体の体
無味の味
無音の音
無為の為
無意の意
無私の私
無色の色
を表現できてこそと。
ところが現時も往時も、露骨に、ただに体が、ただに味が、ただに音が、ただに行為・作為が、ただに露わな意が、ただに騒がしい私意が ただに物そのもの が、なりふり構わず通用し通行している。ここに謂う「無」の至妙がテンで納得され得ていない。だから露わでがさつで騒がしく卑しい。
* いまは、これで止めておく。
2019 3/29 208
述懐 平成三十一年(2019)四月
暮れぬ間の身をば思はで人の世の
あはれを知るぞかつはかなしき 紫式部
花鳥の情は上のすさびにて
心の中の春ぞものうき 伏見院
うつし世のはかなしごとにほれぼれと
遊びしことも過ぎにけらしも 古泉千樫
仕事のみ倦まずするより能のなき
おのれがつまりしあはせなりき 高村豊周
櫻ばないのち一ぱい咲くからに
生命をかけてわが眺めたり 岡本かの子
傷つけたことよりずっとゆるされて
いたことつらく椿は立てり 江戸 雪
比叡愛宕嶺 師のひとのわれにあれ観よと
平生心をおしへたまひき 恒平
ひとゆえにひとはかなしく生きてある
なすすべもなきこの世ながらも 宗遠
忘れじの夢のゆくえを見まほしと
そぞろに嘆くねむられぬ夜は みづうみ
2019 4/1 209
* 目下のところ「俳句」に拘っているが、わたしはもともと白川静博士の名著の一つ『字統』に教わっていわば「俳味」という境涯を理解してきた。
「俳」字は古義「たはむれる」とあり、人が二人して相戯れるさまを示すかとされ、『荀子』に「俳優侏儒」というように、障害者たちが多くそのような「役」 を演じ、そこから「遊戯する」のを「俳」といい、そのような人を「俳優」と謂ったが、この際の「優」の原義は「憂愁」と謂われてある。
「俳」にはそこに「愁いすらを帯びた遊び戯れ」の意義がある。俳優達の演戯には、根底「俳優侏儒」のもののあはれ「憂愁」が、もともと体感され境涯と成っ ていたのであり、忘れ去っていいことではない。素面尋常の俳優というのでは矛盾するのを今日の俳優達にもわきまえて欲しい。ただ楽しませ喜ばせ笑わせるの でなく、底に、其処に、棚引くような「あはれ・かなしみ」の真率が表現され得て「俳優」なのである。これは、劇作・演出家である 秦建日子への言及として おく。
さて「俳句」の「俳」はもともと「俳諧」であり俳句は近代になっての改変された称であるのは、近代短歌の例と同じい。近代以前のむいわよる短歌は長歌との対称であった、これは常識。
俳諧の「諧」が諧謔・喜笑を意味していたのは当然で、いわば「おかしみ」「可笑しみ」の表現を芯に抱いていた。ただし、ここにも「俳優侏儒」の憂愁が沈潜して「あはれ」「しづか」と手を繋いでいたのを忘れることはできない。諧謔・喜笑と憂愁・静寂とが表裏してすぐれた「俳諧」となった、芭蕉の「みなし栗」時期を脱皮脱却しての清風・正風がそれであった。芭蕉かずかずの名句は、繰り返し云うが、「俳優侏儒の憂愁が沈潜して「あはれ」「しづか」と手を繋いでいる。
かかる「俳」味を欠いた自称俳句は、ただ騒がしい。穢くさえある。
* 朝飯前に、演説してしまった。
2019 4/1 209
* ときおり、印象に残った秀句を書き出してみようか。
村上鬼城
小春日や石を噛み居る赤蜻蛉
てふてふの相逢ひにけりよそよそし
十五夜の月浮いてゐる古江かな
池内たかし
絵馬堂の乾ける土間や秋の雨
仰向きに椿の下を通りけり
さる人の墓あり牡丹見る寺に
* さ。気を励まし、われながら得も云われない「清水坂」へ、おもひを燃やしたい。
2019 4/3 209
*
松本たかし
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな
流れ行く椿を風の押し止む
仕(つかまつ)る手に笛も古雛(ひいな)
長谷川素逝
牧の駒あやめの沼の岸に来る
山こえてゆく子らゆゑに夕焼けて
茶の花のひそかに蕊(しべ)の日をいだく
2019 4/4 209
* 高濱虚子
人病むやひたと来て鳴く壁の蝉
遠山に日の当りたる枯野かな
桐一葉日当りながら落ちにけり
春風や闘志いだきて丘に立つ
白牡丹といふといへども紅(こう)ほのか
流れ行く大根の葉の早さかな
夕影は流るる藻にも濃かりけり
大空に羽子の白妙とどまれり
たとふれば独楽のはぢける如くなり
一面に月の江口の舞台かな
手毬唄かなしきことをうつくしく
大根を水くしやくしやにして洗ふ
いかなごにまず箸おろし母恋し
深秋といふことのあり人も亦
初蝶來(く)何色と問ふ黄と答ふ
虚子一人銀河とともに西へ行く
舌すこし曲り目出度し老の春
去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの
悪なれば色悪(いろあく)よけれ老の春
風雅とは大きな言葉老の春
2019 4/5 209
* 『和歌職原鈔』(平凡社 東洋文庫) 古典や日本古代中世史に関心のある人に、ぜひぜひ勧めたい。物語にも 官位が付いての人の登場は、男女ともに夥しく、官位などただくっついているモノと読み捨てにしがちなのだが、職原鈔 に接していると、まことに多彩に人間関係の微妙が見えてきて、場面がさらに豊かに微妙に面白く見えてくる。「四部配当」と謂う。長官(かみ)次官(すけ) 判官(ぜう)主典(さかん)の配置は組織の要点になる。さきの maokatn のメールをよむといわば組織の「すけ」の地位に就かれたらしい。
古典でも史書でも盛んに「省」名が人の名乗りとしてすら多出する。今日の政府でも同じでことで。
昔、 の八省は 中務。式部民部に。治部兵部。刑部大蔵。宮内八省 であるが、これらにも微妙に軽重の差異が通用していた。同じ「長官(かみ)」でも省により上下歴然。この八省より上になお、神祇官、太政官が乗っかっていた。
上の八省でも中務省は断然高位にあり、「此省の官人は余の七省のよりはみな位も一階づゝ長官次官判官主典ともに高き也」と註釈されている。女でも、あの紫「式部」より、歌人で知られた「中務」の方が、より誇らしい召名であったらしいと分かる。
* 記憶力の落ち衰えて行くのは、余儀ない老いのさまではある、が、心さびしくもある。
2019 4/10 209
* 朝、最初に『近世畸人伝』の「僧涌蓮」の項に惹かれる。真率人の及ばぬ所あり。
野べみればしらぬけぶりのけふもたつ
明日の薪やたが身なるらむ
行末の身のさちあらんをりをりも
世の常なきを思ひ忘るな
この手の歌は どうしても、すこしにおうのが、難か。
* 歌をもらって、「秀歌に返しなし」ということを識った。一つの在りよう。
2019 4/17 209
* 正岡子規のそばに、年嵩の内藤鳴雪翁がいたことは、ずっと以前にも此処に触れた。この翁に『鳴雪俳話』と題した好著がある。明治四十年十一月廿八日に日本 橋の博文館から定価貳拾八銭で刊行されている。秦の祖父の蔵書であったが、わたしが永く座辺に置いてきた。引かれてある俳句に佳いのが多く楽しめるととも に、いくらかわたしの頑なかもしれぬ俳句感覚を養われてきた一册である。この人は俳句はもと「滑稽」であったとハッキリ正解し、しかも芭蕉の正風により優 れた肉親を俳句は得た、だが俳句の良き滑稽は生きているし生かさねばならないと本筋を確かに掴んでいる、それをわたしは尚美している。
蕉風なる滑稽美 これの容易でないことをわたしは思うゆえに安易に俳句に手出ししてこなかった。佳句をもとめて読んで楽しむに止まってきた。『鳴雪俳話』は私のために今も古びていない。
「平成」から歴史のうごく五月が近付いている。
湖の水まさりけり五月あめ 去来
胸のふくらむような懐かしさで読む。
2019 4/18 209
* 「家長日記」と「鳴雪俳話」を拾い読みながら、えんえん機械の始動を待っていた。
藤原家長は土御門院の頃の歌人、克明な日記でも知られている。『日記文範』に引かれてあるのは後鳥羽院の和歌所が設けられて盛んに和歌や歌人の発掘され て行く活況を書いていて、血が沸く。優れた女歌人らが老いて払底を嘆く内に次々に優れた歌詠みが見出されきおい始めるのも目新しいいい場面。簡潔な筆致 で、世の動きまで捉えている。
俳話では、小春をよんだ
辻占の髯抜く橋の小春哉 素堂
柴舟のぬれてけふれる小春哉 右常
など今日では目にしないが、それだけに懐かしい風情で、字句の斡旋も、妙。
鴨の首よけて身をかく小春哉 幽泉 の情景は、判読できるが、「鴨の首」とちょん切れるのがわたしの趣味に合わない。
わ たしなら、
首よけて鴨の身をかく小春哉 と、河の流れ・語の流れの心地を加味するが、如何。
* 昨日 ある人から第三歌集とあるを贈られてきた。これがまあ、なんとも「体言繋ぎのぶつぎれ説明歌」で溢れており、「結社」短歌の「無反省・無錬磨の ままな自己満足」に終始しており、ひとごとならず落胆。結社の現主宰がおどろくほど長文の跋を入れているが、作歌人の歌作はほとんど批評されていない、推 奨もされていない。
体言・用言と謂うではないか。この「体用斡旋」の妙が、いわゆる散文を「美しいうた」に変える魔法なのに、まったく理解できていない。いまの「自称歌 人」たち。歌を「つくる」に心せいてあたふたせず、古今の佳い歌集を肉親と化するほどまずまず「読みに読んで」心得たまえ。
2019 4/19 209
* 『近世畸人伝』中の、今西行とも呼ばれた「僧似雲」が、あの西行終焉の地とつたえる河内弘川寺を発見し供養し維持した人と知れたのは有り難い。一度だけ、平凡社時代の出田興生さんと、もう晩景の河内弘川寺へ辛うじて車で辿り着いた昔を懐かしむ。
似雲の辿り得たむかし、そこには「唯行塚」という土地の人にもワケ分からぬ塚一つが在ったという。西行終焉の地と見きわめて弘川寺を守り、彼自身もそのまま其処に住みついて「春雨亭」と称し
並ならぬ昔の人の跡とめて弘川寺にすみぞめのそで
と詠んでいる。その亭や、畳一、二枚。広げよと奨められても、
我が庵はかたもさだめず行雲の立居さはらぬ空とこそ思へ
と肯んじなかった。掻餅二枚をただ舌にのせて一日の粮に充て、飯を炊ぐこともしなかったと。
「畸人伝」記事はもっと長く、似雲その人の評価にも含みありげであるが、煩わしく。
2019 4/20 209
* 「月並」という言葉を、まったく聞かないではないが、ときどき、「平凡な」というぐらいな感触で使われている。もっと辛辣な批評・批判をこめて使った のは子規派の俳人達であったろう、『鳴雪俳話』は一章を建てて論じている。以下のような例句も挙げて、手厳しく批判し非難している。
「初夢や夢の世ながら好もしき」「草の戸も行儀に並ぶ雑煮かな」「よきほどにまづ稲つむや寶船」「雪までも載する初荷の車かな」「廻さるゝ猿また人を廻 しけり」「鳥追の笠ぬがせたく思ひけり」「笑ふ時開く禮者の扇哉」「初夢のはなし暫くをしみけり」「一日の景色よ誰れも晴れ小袖」「雪消えて今年になりぬ 冨士の山」「山里も一日めくや人出入り」
明治ないし以前の情景ではあり、じつは明治の昔に堂々の「明治何々集」に編まれていたなかの、恐らくは藤次著名の人の評判の句であったと思われる。ま、当 節の今日感覚からは風俗も生活も隔たりまずは受取りにくくもあろうが、たしかに、「月並俳句」と子規派のひとたちが退け認めなかったワケらしきはよく見え る。昨今テレビ番組でわめきながら持ち出され褒貶されている類いへ、ハッキリ繋がってくる。
「雪までも載する初荷の車かな」など、あまり理に落ち、「まで」「も」「載する」は聴こえ鈍重、俳句という至妙の「うた」たり得ていない。一例、「淡雪をつんで初荷の車かな」とでもする道があろう。「まで」「も」と説明しなくても「初荷」は積まれてあり、それへ雪のかかる風情でめでたさも言い得ていよう。
鳴雪は、子規派が主張の「詩美」を負うて云いきる、「詩美は理屈を説かず、智識に渉らず、偏へに趣味を感情に訴へて現はす」と。「この定義に違ふものは即ち非美である。俳句にして、この定義に違ふものは即ち非俳句である」と。月並派の俳句と自称しているあまりに多くが、詩美を逸れて非美に堕し、「極めて通俗的で、品格がなく、又、専門としての域に進んで居らぬ」と。
* ま、はなはだ微妙で、事実、鳴雪翁、わが派の「詩美俳句」たるを列挙してくれず、芭蕉や蕪村や先人達の秀句を挙げて称揚している。しかし、鳴雪の曰うことは、およそ的を外していない。
俳句もまちがいなく「うた」であり「詩」であり、表現として逸れてはならぬ詩美と技法を求められている。「うた」は、私の思わく「うったえ」また「うた え」の真実感と流麗とを備えていなければならず、俳句の場合はそこに「俳味」すなわち精美の微笑を誘う滑稽感覚をもたねばならない。「詩 美は理屈を説かず、智識に渉らず、偏へに趣味を感情に訴へて現はす」とは、ほぼ適確に云われている。わたしが短歌の場合に「用語の詩化」そのための、ま た、その結果としての「うたの聴こえ」を大切に云うのも、そのためだ。鳴雪翁の「作句の要訣」という発話にも聴くに足るものがあるが、今は触れない。
古池や蛙(かわず)とびこむ水の音 芭蕉
春雨の中を流るゝ大河かな 蕪村
2019 4/22 209
* 「中務内侍日記」の抄、京から尼崎への日数重ねた往来の記を、ことに景色のめずらしさ面白さに心惹かれて楽しみ読んだ。亀山、後宇多、伏見朝のころに 禁中に奉仕した女性で父は宮内卿藤原永経。簡単には目に入らぬ日記なので、抄とはいえ大和田建樹編の『日記文範』を有り難いと思った。この本の有り難くも 親切でも面白くもあるのは、二十八編の各時代日記の抄である上に、いわば頭註欄にあたるところに、貝原益軒、新井白石、賀茂真淵ら「近世三十六大家国文」 を抄出してくれており、更には「和歌類纂」として、住吉大明神、衣通姫、柿本人麿の和歌三神の歌や六歌仙の歌以降、歴代多数の秀歌選からの更なる抄出がさ れていて、存分に各時代の趣致秀歌に触れうるのが、面白くもありがたい。
明治の人らはこういう本で往時の文化や文藝に親しんでいたかと、懐かしい気がする。
この手の明治本を家に蓄えている人はもはや極めて数少ないことだろう。わたしは少年の昔から祖父秦鶴吉が丹精蓄えておいてくれたこの手の古書籍に日ごろ親しめて、たとえようもない恩恵を得てきた。
2019 4/22 209
* 「元来俳諧は、滑稽といふ意味」「真面目でない正格でないことをいふのが主意」であったと鳴雪は俳諧の遠い歴史へ目を向け、和歌時代は越え て、中世末から近世初へ、山崎宗鑑、松永貞徳、西山宗因、井原西鶴の時代、ま、「虚栗」調の松尾芭蕉までを、「正風の芭蕉」俳諧に到る「前史」と観てい る。文学史的な常識といえよう。
露骨な滑稽、正格を逸れた野放図な破格が、漸々克服されて、ついに芭蕉へ、さらに蕪村、ま、一茶らも含めて明治の正岡子規に到り着き、「俳味」も豊かに「詩美」にせまる「表現」の歴史を生み創り出したと。
異存はない。
弁慶も立つやかすみのころも川 宗鑑
これはこれはとばかり花の吉野山 貞室
世の中や蝶々とまれかくもあれ 宗因
ほととぎすいかに鬼神も確かに聞け 宗因
雪の河豚左勝水無月の鯉 芭蕉
ま、こんなことを芭蕉一門も永らくやっていて、漸く「蕉風・正風」へ到り着く。芭蕉句はもっともっと根底から愛読され感化されていいものを深く湛えている。誤解してはならない芭蕉は俳諧元来の「滑稽という俳味」を棄てたどころか、より「詩美」として生かしたのである。
古池や蛙とびこむ水の音 芭蕉
2019 4/23 209
* 赤穂浪士に小野寺十内の名のあるのは少年の昔から懐かしいまでに記憶しているが、その妻女の人となり麗しく聡く健気であったことが、夫十内討ち入り直前の、また切腹直前の妻に充てた書状によく表されいて、思わず涙した。
討ち入り前には、「心の働きおはしますと覚え候ゆゑ中々心安く存、今更おもひ残すこともなくて、心よくうち立候まゝ、そこもとにも、せめての本望とおも ひ給ひ候へかし」とある。覚悟の討ち入り前に「心の働きおはしますと覚え候ゆゑ中々心安く存」じおると書き送れた夫十内の妻への愛情はいかばかりであった ろう。
切腹の直前には、「そこもとの歌さてさて感じ入り候。涙せきあへず、人の見るめをおもひ、まことに涙をのむといふ心にて、幾度か吟じ候。 是につきても 必々歌御捨なくて、たえずよみ申さるべく候」とあるなど、「哀やさしくこそ」と 『近世畸人伝』の著者も涙している。ともに和歌の道に日ごろ思い入れてい た夫妻であった。当節現今の世の夫婦というは、何をつてに如何様に深い思いを日ごろ交わし得ているのだろう。
別れても又あふ坂とたのまねば
たぐへやせまし死手の山越
復讐の折、あづまへ出たつとき逢坂山を越えながら妻に送った十内の歌。
夫と行を共にした子息幸右衛門も念頭に、十内妻女の鬼録法名のうへに遺されてある歌は、
つまや子のまつらんものをいそがまし
何か此よにおもひ置べき
と 「自滅」と記されてある。
妻であり母であった此の女人もまた 自ら刃に伏したとみられている。
その是非は今問うまい。 問い返したいは 幕藩武士の世界をである。
* 世間は十日間もの「お休み」だという。ま、お相伴にあずかろう。どこへも出かけない、なんとか「清水坂」を上り下りして過ごします。家の中も少しはかたづ けたい。じつは寝たいだけ寝ていたい。寝ると安まる、からだも目もあたまも。爺さんの言いぐさじゃなあ。
* 『日記文範』各頁の頭注部に列挙されてある上古より近世の秀歌選から、わたしの気に入った作だけ書きだしてみたくなった。そうは沢山は拾えまいと実は思っているが。
☆ ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島がくれゆく舟をしぞ思ふ 柿本人麿
「の」「あ」「し」音の、「は」行音の、これほど美しい諧調・詩化の妙は 久しい和歌の歴史でも突出している。
☆ 思ひつゝぬ(寝)ればや人の見えつらん
夢と知りせばさめざらましを 小野小町
本音と想わせる「うた=うったへ」の真実感に惹かれる。
2019 4/24 209
☆ 雪降れば峰の真榊うづもれて
月にみがける天の香山(かぐやま) 皇太后宮大夫俊成
☆ 心なき身にもあはれは知られけり
鴫たつ澤の秋の夕ぐれ 西行法師
2019 4/25 209
* 大和田建樹の本の「和歌類纂」から更に秀歌中の秀歌をと思ったが、あまり秀歌が選べてなくて、容易に胸に落ちる秀歌と出会えないのに落胆した。選ぶというのは実に難しい見識なのだとよく分かる。
名月や煙り這ひ行く水の上 嵐雪
中間(ちうげん)の堀を見てゐる涼み哉 木導
春雨や蜂の巣つたふ屋根のもり 芭蕉
2019 4/26 209
* 送られてくる歌誌の現代短歌に「前詞」の付いたのは、無いにも等しく少ない。一つの理由に、現代短歌は相聞無く、感情的な人間関係のからみを読みこん でも歌われることは極めて少ない。王朝の和歌は、ことに「後撰和歌集」などはおよそ全てといいたいほど具体的な人間関係や交情関係を表現のためのまさに 「和する歌」が圧倒的に多い。歌の評価も、そうした背後また前後、また表裏の人間関係をすら興ある前景や背景としてよみこみながらせねば済まない。一首の 歌だけで前詞を無視してしまうと半端なことになってしまう。そのよしあしの判断は微妙だが、時代を経つつ一首単立の創作へほぼ移行していったのもムリない と想われる。
わたしは、概して前詞にも作者にも斟酌無く嘆賞できる秀歌を望んできた。いま謂う『後撰和歌集』はひときわのいわば交際・交情和歌集なので、
梅の花折ればこぼれぬ
わが袖ににほひ香うつせ家苞(いへづと)にせむ 素性法師
のような歌が見つけにくい。だから「後撰」には独特の和歌世界が楽しめるのでもあるが。
2019 4/27 209
* 和歌、和する歌と云い、相聞、相ひ聞こえと云い、むかしのインテリとさえ限らず、思いを詩歌に創って言い交わすことができた。
いま、日本人のおおかたはそんな能力の全部をうしない、メ-ルや、よく知らないがラインとか呟き(ツイート)とかで交歓し会話していて、血肉をおびてふ れあう人間関係は干上がり、それはただセックという「つきあい」でしかまかなわれていないかに見える。人間の精神的・心情的・美的劣化の進み工合は甚だし い。
* 王朝が雅趣の社会を反映し精選した一つの試み、結果を、小倉百人一首と見立てて、そこには天皇や親王・内親王が百人中十人ほど、納言から大臣、摂政・ 関白が二十余人、女性が二十人近く、その余半数ほども、すべて位階をもつ官僚か知識人(大学人に相当)としての僧かである。市民庶民は含まないが、彼らも 類似の才覚を持っていたことは万葉集や説話に多数見えて、この伝統は明治に到るまで、衰微しつつも維持されていた。
今日、天皇皇后さんらにその伝統の立派に生きていることは、みなが知っている。が、安倍総理、麻生副総理らの日本語水準の雑駁は蔽いようが無く、大臣級も同列で時に醜悪なことは目に余っている。
そしてそういう連中が、日本の文化から「文」を抹消し減殺し教育の場から外そうなどと、信じがたいバカを計画している。万葉集に花を得たと胸を張って新元号を定めながら、まったくバカげた日本語や日本文学の圧殺を計画しおろかしい体現をさえ成している。
なさけないことに、日本文藝家協会も日本ペンクラブも、また作家・劇作家・詩歌人、文学研究家や教育家からも、この日本語文化絞殺死の危機にむかい、ほとんど何の有効な反論の運動も起きて見えない。
2019 4/28 209
述懐 恒平元年(2019)五月
世の中は夢か現か現とも
夢とも知らずありてなければ 古今集よみ人しらず
浮き沈み來む世はさてもいかにぞと
心に問ひて答へかねぬる 藤原良経
命一つ身にとどまりて天地(あめつち)の
ひろくさびしき中にし息す 窪田空穂
思ひ見ればわれの命もこの一つの
眼鏡を無事に保てるごとし 柴生田稔
詩歌などもはや救抜につながらぬ
からき地上をひとり行くわれは 岡井隆
死の側より照明(てら)せばことにかがやきて
ひたくれなゐの生ならずやも 斎藤史
草づたふ朝の蛍よみじかかる
われのいのちを死なしむなゆめ 斎藤茂吉
良き日二人あしき日もふたり朱(あか)らひく
遠朝雲の窓のしづかさ 恒平
在るとみえて否や此の世こそ空蝉(うつせみ)の
夢に似たりとラ・マンチャの男 恒平
吾(あ)をおきて逝きしひとらが恋ひしさに
生くべき壽(いのち)掌にうけて立つ 恒平
2019 5/1 210
☆ 陶淵明に聴く 雑詩其六
昔聞長者言 昔、長者の言を聞けば、
掩耳毎不喜 耳を掩うて毎(つね)に喜ばず。
奈何五十年 奈何(いかん)ぞ 五十年、
忽已親此事 忽ち已(すで)に此の事を親(みづか)らせんとは。
求我盛年歓 我が盛年の歓を求むること、
一毫無復意 一毫も復(ま)た意無し。
去去轉欲遠 去り去りて転(うた)た遠くならんと欲す、
此生豈再値 此の生 豈(あ)に再び値(あ)はんや。
傾家持作楽 家を傾けて持(もつ)て楽しみを作(な)し、
竟此歳月駛 此の歳月の駛(は)するを竟(お)へん。
有子不留金 子有るも金を留めず、
何用身後置 何ぞ用ひん 身後の置(はから)ひを。
むかし若かった頃は、老人たちが何かお説教めいたことを言ったりすると、いつもいやがって耳をふさいだものだ。
ところが何としたことだ、五十年を経てみると、自分でも同じことをやっているとは。
若い時代の楽しかった生活をふたたび求めようという気は、さらさらないが、時が過ぎてこうも遠くなりかかると、ああ、もう人生は二度とかえってこないのだなあと、しみじみ思う。
これからは、有り金はたいて楽しみを尽くし、駆け去って行く残りの歳月を過ごすことにしよう。
子どもたちには財産など残すまい。死後のことまで思いわずらう必要がどこにあろう。
* 実は陶淵明 このとき「五十歳」と云うているのだ、が、私の身にそえて「五十年」と読ませてもらった。もう私にはたくに足る「有り金」など無いが、「身後の置(はから)ひ」などなく残り少ない「此の歳月の駛(は)するを竟(お)へ」たい思いは日々に切である。外出もままならず気もなく、つまりは「書きたいだけを書きたい」ということ。これが、命を日々食い破るほど、厳しい。わたしの闘いであるが、目下、分がわるく土俵際へ押されている。
国技館の武蔵屋の竹蔵くん、番付を送ってきてくれた。
角界のバカバカしいほど横綱白鵬イビリが過ぎている。自己都合のアベカワ国民栄誉賞をきれいに袖にしたイチローくんとならぶ、現代最高最強のアスリート白鵬をわたしは国籍など何の斟酌もなく手拍子美しく応援する。怪我せず、夏場所も頑張ってください。 2019 5/3 210
* 晩がた、陶淵明を読んでいた。
2019 5/3 210
* しばらく 陶淵明の短い詩句を聴いて過ごそうかと思う。幸田露伴が校閲し漆山又四郎が訳注していた昔の一冊本岩波文庫『陶淵明集』を機械の傍に置く。
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
静寄東軒 静かに東軒に寄り
春醪獨撫 春醪(しゅんろう)獨り撫(ぶ)す 春醪は、名酒
有酒有酒 酒有り酒有り
閒飲東窗 閒(ひま)をえて東窗に飲む 窗は、窓
良朋は悠邈(遠くて) いつも首を掻き延佇(ただ立ち尽く)fad@fyすと。 願(つね)に人をおもひ友をおもへども、逢ふに由無しと嘆息し酒を愛する陶淵明。 同感。
2019 5/5 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
人亦有言 人も亦(ま)た言へること有り
日月于征 日や月や于(ゆ)き征(ゆ)くと
人亦有言 人も亦(ま)た言へる有り
稱心易足 心に稱(かな)へば足り易しと
揮茲一觴 茲(こ)の一觴(いつしやう)を揮(つ)くして 觴 は酒杯
陶然自樂 陶然として自ら樂しむ
つい、酒になるのが、陶淵明至極の境涯。
* よく寝たが、奇態に過ぎた夢を見る。何がわたしの脳裏に棲みついているのか。
2019 5/6 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
童冠齋業 童冠 業を斉(ひと)しくし、
閑詠以歸 閑(のど)かに詠じて以て帰る。
我愛其静 我れ其の静を愛し、
寤寐交揮 寤寐(寝ても覚めて)も交(こもごも)揮(ふる)ふ
但恨殊世 但だ恨むらくは世(=死生)を殊(=異)にし、
邈不可追 邈(ばく)として追ふ可からざるを。
往時、いっしょに授業を受けては、互いに若くのぴやかに詩をうたいながら帰って行ったものだ。
わたしはその心静かなありようが慕わしく、寝ても覚めても今も思いこがれている。
残念なのは、遠くはるかに世を隔ててしまい、もはやどうしようもないこと。
* 幼稚園、国民学校=小学校、新制中学、高校、大学 男女となく、なんと多くの友に先立たれていることか。日々にむなしくも親愛し思慕して忘れがたい。
新制中学に進んだとき、音楽の教科書に「オールド・ブラック・ジョー」を歌う曲とと歌詞とがあり、音楽の先生はこれを歌わせずに年終えられた。わたしは 久しくその配慮に感謝し、十余歳の少年少女生徒にあのような、「死者のもとへ」「早くお出で」と誘うような「歌詞と歌」とを選んだ教科書をほとんど嫌悪し 憎悪したのをよく覚えている。
ああしかし、あのころ、音楽教室や講堂の壇上で、遠足の途上で親しく唱い合っていた何人も何人もが、もうこの世をはなれ、あの「オールド・ブラック・ジョー」らの空の上へ行ってしまっている。
我れ其の「静」を愛し 寝ても覚めても 交(こもごも)に恋しい。恨むらくは死生を異にし、邈(ばく)として追ふこともならぬ、と。
この「静」一字を いかに反芻しうるか。老境の一公案とも謂うべきか。
2019 5/8 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
晨耀其華 晨(あした)には其の華を耀(かがや)かすも
夕已喪之 夕べには已(すでに)に之れを喪ふ
人生若寄 人生は寄(き=旅の一夜)のごとし
顦顇有時 しょせん顦顇(しょうすい=やつれつかれ)の時がくる
このホームページ冒頭にわたしはこころして書いている。
このよとは あのよよりあのよへ帰るひとやすみ と。
2019 5/9 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
縦浪大化中 大化の中に縦浪として 縦浪 ほしいままに放浪す
不喜亦不懼 喜ばずまた懼れず
應盡便須盡 應(まさ)に盡くべくんば便(すなは)ち須(すべから)く盡くべし
無復獨多慮 復(ま)た獨り多くを慮(おも)ふなかれ
2019 5/10 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
中觴縦遙情 中觴(=なお酒半ばあり) 遙情(=世を超えた思い)を縦(ほしいまま)に
忘彼千載憂 かの(古人の謂へる=)「千載の憂」など忘れ
且極今朝樂 且(ともあれ=しばらく)は今朝(こんてう)の楽しみを極めん
明日非所求 明日(めうにちに)など求むる(=期待できる)ところに非(あら)ねば。
とかくここへ陥りやすいが、手綱を手放しては、やはり、ならぬと私は思っています。
2019 5/11 210
* なぜか不穏に胸が重い。冷暖房をとめた。頸が硬い。
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
今日天気佳 今日天気佳し
清吹與鳴弾 清吹と鳴弾と
感彼柏下人 かの(懐かしい=)柏下(=墓所)の人に感じては
安得不爲歡 安(な)んぞ歓を為さざるを得んや
清歌散新聲 清歌に新声を散じ
緑酒開芳顔 緑酒に芳顔開く
未知明日事 未だ知らず 明日の事は
余襟良已殫 余(わ)が襟(むねのもやもや)は良(まこと)に殫(つ)きたり。
あの柏下に眠る人のように、われわれもいずれは死ぬと思えば、どうして楽しまずにおられようか。
清新な歌声が風に乗って飛び散り、緑の酒に酔った顔がほころぷ。明日のことはわからぬが、
ゎが胸中のもだもだした気持は、歌と酒のおかげですっかり消えてなくなった。
* 清歌に新声を散じたいものです。
2019 5/11 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
今我不爲樂 今我れ樂しみを不爲(なさず)んば
知有來歳不 來歳の有りや不(いな)やを知らず
* 然り、しかも私、独り足の向くまま気儘には昔からどこへでもよく歩いたが、大学時代の妻とは例外に、他の誰とでも、何処で会い何処へ行くなど決めるの は実に億劫で ヘタで 機会を我から抛つのがつねだった。same time same place という same という取り決めの能力(気働き)がなかった。今はますます無い。会いましょうとお誘いを受けてもではではと自分では動けない。
会社時代も、平常、社の仲間と飲み食い遊びに行くということを、まず、した覚えがない。独りではしばしば気に入りの店へ足をはこんでいながら。
同人の結社のという発想は全然なく、文学賞に我から応募もせず、書きはじめたのも独り、本も独りでつくり始めた。
茶の湯人としては落第の、おおかた独行独歩独決で、中国やソ連へ招かれたように、また東工大教授や美術賞選者やペンクラブ理事に依頼されたときのように、お誘いが有ればことに依り応じてきた。
陶淵明の上の詩句に顔を打たれる気がした。
2019 5/12 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
結廬在人境 廬(いほり)を結んで人境に在り、
而無車馬喧 而も車馬の喧しき無し。
問君何能爾 君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると、
心遠地自偏 心遠ければ 地自(おのづ)から偏たり。
採菊東籬下 菊を東籬の下に採り、
悠然見南山 悠然として南山を見る。
山気日夕佳 山気 日に夕に佳し、
飛鳥相與還 飛鳥 相ひ与(とも)に還る。
此中有眞意 此の中(うち)に真意有り、
欲辯已忘言 辯ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。
陶淵明の全詩中 もっとも心惹かれ傾倒の思いを深く深くするのは、「飲酒」と題された連詩句のこの「其の五」である。ここに悠然と眺める「南山」とは かの虎渓三笑の「廬山」を謂い、しかも胸懐の「青山=帰るべき奥津城」をも謂うている。
若き日に心決し心籠めて
採菊東籬下
悠然見南山
と剛毅に刻された心友井口哲郎さん二行の板作を頂戴してわたしは私室に日々に眺め、先頃には、重ねて「南山」朱白の二印を乞うて美しく刻して戴いた。小説 『廬山』は私の心籠めた代表作であり、瀧井孝作、永井龍男先生の知遇を得、また小学館の「昭和文学全集」にも採られている。
2019 5/13 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
人易世疎 人は易(かは)り世は疎(うと)し
歳月眇徂 歳月 眇(べう)として徂(ゆ)く 眇徂 いつ知れず遠ざかる
2019 5/14 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
縦浪大化中 大化の中を縦(ほしいま)ま浪(なが)れ
不喜亦不懼 喜ばず 亦 懼れず
應盡便須盡 應(まさ)に盡くべくんば便(すなは)ち須(すべから)く盡くべし
無復獨多慮 復(ま)た獨り多慮する無かれ
人生似幻化 人生は幻化に似たり
終當歸空無 終(つひ)に當(まさ)に空無に歸するのみ
縦浪して不喜また不懼というにちかく生きて来れた。人生の幻花に似てまさに空無に帰って行くことも、それとはなく分かっている。イヤなものもヤツもたくさん見たが、イイものや人にも出会ってきて、そんなものだと思う。
2019 5/15 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
遙遙望白雲 遙遙として白雲を望む
懐古一何深 古(いにしへ)を懐ふこと一に何ぞ深き
2019 5/16 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
人易世疎 人は易(かは)り世は疎し
歳月眇徂 歳月 眇(べう)として徂(ゆ)く
2019 5/17 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
清歌散新聲 清歌新聲を散じ
緑酒開芳顔 緑酒芳顔を開く
未知明日事 未だ知らず明日の事
余襟良已殫 余が襟(おも)ひ良(まこと)に已(すで)に殫(つ)きたり
吁嗟身後名 吁嗟(ああ)身後の名
於我若浮煙 我に於いて浮かべる煙の若(ごと)し
2019 5/18 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
凱風因時來 凱風 時に因りて來り
囘颷開我襟 囘颷 我が襟を開く
営已良有極 営み已(を)へて良(まこと)に極まり有り
過足非所欽 過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非(あら)ず
遙遙望白雲 遙遙として白雲を望み
懐古一何深 懐古なす一に何ぞ深き
* 暴行されての妊娠であろうとも、母体の生命危険時のほかは、すべて妊娠中絶を一斉に厳罰と、アメリカの一州。アメリカという國がますます分からない。
そのアメリカは、大統領再選戦略のためでのみイスラエルと深く組んで中東の不穏をむしろ煽り立てている。加えて、中国との 世界史をあわや誤読しているのかと眉を擦ってしまうほど露骨な「覇権」闘争に、両国とも狂奔。ロシアも黙っていない。
人類の未来、じつに暗い。危ない。今にして、忘れられかけている「家畜人」飼育と駆使との「イース」王国が架空で終わらない地獄の地球時代到来を危ぶま ねばならない。電車に乗ると、乗客の九割の余をみると、家畜人予備として飼育されてある機械アソビに耽溺ヤプーの危うさに肌寒くなる。残年乏しい老境を受 け容れながら、上の陶詩を噛み締めていたい。
2019 5/19 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
靄靄堂前林 靄靄(あいあい)たり堂前の林
中夏貯清陰 中夏 清陰を貯ふ
凱風因時來 凱風 時に因りて來り
囘颷開我襟 囘颷 我が襟を開く
息交逝閑臥 交を息(や)め逝いて閑臥し
坐起弄書琴 坐起に書琴を弄す
營已良有極 營み已(をは)りて良(まこと)に極まり有り
過足非所欽 過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非ず
遙遙望白雲 遙遙として白雲を望み
懐古一何深 古(いにしへ)を懐(おも)ふこと一に何ぞ深き
* モーツアルトのバイオリン・ソナタ集を、ヘンリック・シェリングとイングリット・ヘブラー(ピアノ)で満喫しながら陶淵明の詩句に聴いていた。朝の至福。
もう久しく新聞を見ない。字小さくてまったく読めず、見出しにも心惹かれない。無くて何差し支えもなく、乏しい視力を新聞で費やすことはない、読まねばならぬ本、読みたい本はまだ山のようにあるのだ。
テレビは大画面の五十センチ前へ近寄って観ている。いい映画、いいドラマ、いい自然美、そして芸能花舞台や相撲・競走・跳躍などの他は、天気予報で足りている。耳はちゃんと聞こえている。いい音楽にはよろこんで向き合う。
2019 5/20 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
投冠旋舊墟 冠を投じて舊墟に旋(かへ)り
不爲好爵縈 好爵に縈(ほだ)さるるを爲さず
養眞衡茅下 眞を衡茅(かうばう=粗門茅屋)の下(もと)に養ひ
庶以善自名 庶(こひねがはく)は 善を以て自(おのづ)と名のあらんことを
冠も好爵も無縁。老耄、善の名をかかげ生きて行けるわたくしではないが、幸いに衡茅(かうばう=粗門茅屋)との縁は濃く今も心身をそこに養っている。感謝。
2019 5/21 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
栖栖世中事 世事は栖栖(せいせい=慌ただしく不安定)なれど
歳月共相疎 歳月と共に(我は=)相ひ疎し
去去百年外 去り去る百年の外には
身名同翳如 身名同(とも)に翳如(えいじょ)たらん
窮居寡人用 窮居して人用寡(すくな)く
時忘四運周 時に四運の周(めぐ)るをだも忘る
空庭多落葉 空庭 落葉多く
慨然已知秋 慨然として已(すで)に秋(=わが晩年)と知る
今我不爲樂 今 我 樂みを不爲(なさず)して
知有來歳不 來歳の有りや不(なし)を知らんや
千六、七百年も昔の、悠然と南山を眺める陶淵明の姿が、身近くに見えてくる。「栖栖世中事」に心さわぐ自身を情けなく体感もしながら。
* 陶詩には「閑事」を慕い、創作では不思議をかきわけ、世界は幾多の争いを押しつけてくる。読んでは、羽生さんの『文様記』に酔い上野さんの『生き延び るための思想』に教わり、トルストイ『復活』ではネフリュードフの奔走に心痛み、久間さんの『限界病院』に病者としての胸を騒がせている。千頁に余る事典 に手を出しては気の向くままに拾い読むクセも直らない、社会思想社の『日本を知る事典』 淡交社の『原色茶道大事典』 平凡社の『史料・京都の歴史』 平 凡社六巻本『日本史大事典』に、休息の煙草代わりに手が出る。恰好の煙草がわり。ふっと 疲れを忘れる。これは遣らないだろうが昔々の試験勉強用らしき 「覚えたい英語6000語」というのが靖子ロードに遺っていて、もいっぺんアタックしようかなどと思いかけたりする。好奇心はまだまだ余っているらしい。
2019 5/22 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
衰榮無定在 衰栄は定在すること無く、
彼此更共之 彼此(ひし) 更(こもご)も 之れを共にす。
寒暑有代謝 寒暑に代謝(=往復・交替)有り、
人道毎如玆 人道も毎(つね)に玆(かく)の如し。
達人解其會 達人は其の会(え=真意)を解し、
逝將不復疑 逝(ゆくゆく)將(まさ)に復(ま)た(代謝あるを=)疑はず。
忽與一樽酒 忽ち(=かつ悠然)一樽の酒と與(とも)に
日夕歡相持 日夕(につせき) (行き逝くを=)歡びて相持(あひぢ)す。
陶淵明は六十二、三歳で亡くなっている。わたしは彼のほぼ二十年先を今も生きていて、ようやくに陶詩の意味を味わい得かけたかという、ザマ。
2019 5/23 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
營已良有極 營み已(をは)りて良(まことに)極まり有り
過足非所欽 過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非ず
遥遥望白雲 遥遥として白雲を望み
懐古一何深 古(いにしへ)を懐(おも)ふこと一に何ぞ深き
2019 5/24 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
銜哀過舊宅 哀しみを銜(ふく)みて舊宅を過(よ)ぎり
悲涙應心零 悲涙 心に応じて零(お)つ。
借問爲誰悲 借問す 誰(た)が為にか悲しむと
懐人在九冥 懐(おも)ふ人は九冥に在り。
禮服名群従 礼服は群従と名づくるも (=血縁に於いては「他」と同じいが、)
恩愛若同生 恩愛は同生(=同朋)の若(ごと)し。
門前執手時 門前に手を執りし時
何意爾先傾 何ぞ意(おも)はん 爾(なんぢ)先ず傾かんとは。
在數竟未免 数に在り 竟(つひ)に未だ免れず
爲山不及成 山を為(つく)りて(=多く思ひ半ばにして)成るに及ばざりしならん。
* 誰も、死なないで。死なれるのは叶わない。
2019 5/25 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
運生會歸盡 運生は會(かなら)ず盡くるに歸す、(=生は必ず死に歸する)
終古謂之然 終古 之れを然りと謂う。
故老贈余酒 故老 余(わ)れに酒を贈り、
乃言飲得仙 乃ち言ふ 飲まば仙を得んと。
試酌百情遠 試みに酌めば百情遠く、
重觴忽忘天 觴(さかづき)を重ぬれば忽ち天を忘る(=天と一体になれる)。
自我抱玆獨 我れ玆(こ)の獨(=個性・自我)を抱いてより、
僶俛四十年 僶俛する(=勉め励む)こと四十年。
形骸久已化 形骸(=からだ・肉体)は久しく已に化する(=とうに衰へ切つて)も
心在復何言 (天と一体の=)心在り(=まだ失っていない) 復(ま)た何をか言はん。
2019 5/26 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
得知千載外 千載の外を知ることを得るは
正頼古人書 正に古人の書に頼(よ)る
2019 5/27 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
雖未量歳功 未だ歳功を量らずと雖(いへど)も
即事多所欣 即事 欣ぶ所多し
2019 5/28 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
老少同一死 老いも若きも同じく一死
賢愚無復數 賢も愚も復(かえ)る數無し
日酔或能忘 日(ひび)に酔へば或ひは能く忘れんも
將非促齢具 將(は)た齢(よはひ)を促すの具に非ずや
2019 5/29 210
* だれかの歌であったか。
夢の世やああ夢の世や夢の世やああ夢の世や夢のまた夢
* 八時四十分 疲労困憊。
2019 5/29 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
衰榮無定在 衰榮は定まりて在ること無く
彼此更共之 彼此(ひし)更(かはるが)はる之を共にす
2019 5/30 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
履歴周故居 履歴して故居を周(めぐ)るに、
鄰老罕復遺 鄰老復(ま)た遺るもの罕(まれ)なり。
歩歩尋往迹 歩々して往迹を尋ぬるに
有處特依依 處有りて特に依々たり。 (=ことのほか立ち去り難いところがある。)
流幻百年中 流幻 百年の中、
寒暑日相追 寒暑 日に相追ふ。
常恐大化盡 常に恐る大化の盡きて、 大化(=宇宙の気、生命力)
気力不及衰 気力 衰ふるに及ばざらんことを。
撥置且莫念 撥置し(=撥ひのけ)て且(しばら)く念(おも)ふこと莫(なか)れ、
一觴聊可揮 一觴(=盃の美酒) 聊(いささ)か揮(つく)す可し
* 「還旧居」の詩、 處有りて特に依々 の思いが脳裏に満杯している。
* ほぼ一と月か。陶淵明詩に目を向けてきた。
* 五月も逝く。
2019 5/31 210
述懐 恒平元年(2019)六月
草づたふ朝の蛍よみじかかる
われのいのちを死なしむなゆめ 斎藤茂吉
陰(ほと)に生(な)る麦尊けれ青山河 佐藤鬼房
命一つ身にとどまりて天地(あめっち)の
ひろくさびしき中にし息す 窪田空穂
薔薇青し夜(よ)は子の言葉実るなり 松沢昭
人間ができるまで十七年か
七十年かは人によりけり 筏井嘉一
角上げて牛人を見る夏野かな 松岡青羅
父母(ちちはは)が頭(かしら)かきなで幸(さ)く在れて
いひし言葉(けとば)ぞ忘れかねつる 萬葉集巻二十
もの忘れそれも安気(あんき)や梅実生(うめみしやう) 遠
まあだだよ。もういいよとは言はわれまじ。
みういいよとは、もうおしまひぞ。 恒平
あれもありこれもありあれもこれもなく
歩一歩(あゆみあゆみ)行くあるがままの日 桜桃忌に
2019 6/1 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
往時渺茫都似夢 往時は渺茫として都(すべ)て夢に似
舊遊零落半歸泉 舊遊は零落し半ばは泉(=あの世)に歸す
* そういうものなんだと、この歳(八十三)になると、ただ思う。白楽天がこう託(かこ)ったのはわずか五十歳ごろ。何を云うかと言い返してやりたくもある。
当分、白楽天に聴いてみよう。陶淵明よりはやく国民学校時代すでにその詩集を愛玩していた。小説の処女作『或る折臂翁』は明白に白詩「新豊の折臂翁」に強烈な示唆を得ていた。国民学校、小学校、新制中学、高校、大学のあいだ「抱き込んで」いた。往時渺茫ではあるが、浅い夢ではなかった。
2019 6/4 211
☆ 白楽天の詩句に聴く 月に感じて逝きし者を悲しむ
存亡感月一潸然 存亡 月に感じて一たび潸然(さんぜん)
月色今宵似往年 月色 今宵往年に似たり
何處曾經同望月 何れの處か曾經(かつ)て同(とも)に月を望みし
櫻桃樹下後堂前 櫻桃の樹下 後堂の前
* 胸に沁む。
* まあそれにしても、近親間の殺傷の多さよ。さもなくば無思慮な交通事故。更に加えて愚かな政治家どもの暴言、妄言。
上に掲げた、白詩が ひとしお身に沁み懐かしい。
2019 6/5 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
嗟嗟俗人心 嗟嗟(ああ) 俗人の心
甚矣其愚蒙 甚しい矣(かな)其の愚蒙
但恐災將至 但(ただ)災ひの將(まさ)に至らんとするを恐れ
不思禍所従 禍(わざは)ひの従(よ)る所を思はず
驕者物之盈 驕れるは物の盈(えい=傲慢の極)
老者數之終 老いは數(=壽命)の終(はて)
四者如寇盗 四者(=権・位・驕・老)は寇盗(こうとう)の如く
日夜來相攻 日夜來りて相ひ攻む
2019 6/6 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
風吹棠梨花 風は棠梨の花を吹き 棠梨(やまなしの類か)
啼鳥時一声 啼鳥 時に一声
古墓何代人 この古き墓は何れの代の人ぞ
不知姓興名 姓も名も知れず
化作路傍土 化して路傍の土と作(な)り
年年春草生 年年 春草生ず
感彼忽自悟 彼(それ)に感じ忽(こつ)として自ら悟る
今我何營營 今し 我 何の営営 営営(あくせく)
* 白楽天の読みやすいのは過剰に自虐の風のないことか。杜甫をやや苦手にするのと対照的。
2019 6/7 211
☆ 白楽天の詩句に聴く 新豊折背翁
戒邊功也 邊功を戒むる也
新豊老翁八十八 新豊の老翁 八十八
頭鬢眉鬚皆似雪 頭鬢(とうびん)眉鬚(びしゅ)皆雪に似たり
玄孫扶向店前行 玄孫扶(ささ)えて店前に行く
左臂憑肩右臂折 左臂(さひ)は肩に憑(よ)り右臂(ゆうひ)は折る
問翁臂折来幾年 翁に問ふ 臂(うで)折れて来(よ)り幾年ぞ
兼問致折何因縁 兼ねて問ふ 折るを致せしは何の因縁ぞ
翁云貫属新豊縣 翁は云ふ 貫(=本籍地)は新豊縣に属し
生逢聖代無征戦 生まれて聖代に逢ひ 征戦無し
慣聴梨園歌管聲 梨園 歌管の声を聴くに慣れ
不識旗槍與弓箭 旗槍と弓箭とを識らず
無何天寶大徴兵 何(いく)ばくも無く 天寶(年間) 大いに兵を徴し
戸有三丁點一丁 戸に三丁(三人の男子)有れば一丁を點ず(徴兵された)
點得駆將何虚去 點じ得て驅り將(も)て何處(いづく)にか去(ゆ)かしむ
五月萬里雲南行 五月 万里 雲南(=中国南西部)に行く
聞道雲南有濾水 聞道(きくならく) 雲南には濾水(=大河 古来戦役の難所)有り
椒花落時瘴煙起 椒花の落つる時 瘴煙(=瘴癘の悪気)起こる
大軍徒渉水如湯 大軍徒渉(かちわた)れば水は湯の如く
未過十人二三死 未だ過ぎずして十人に二三は死すと
村南村北哭聲哀 村南村北 哭聲哀し
児別爺嬢夫別妻 児は爺嬢(やぜう)に別れ 夫は妻に別る
皆云前後征蠻者 皆な云ふ 前後に蠻を征する者
千萬人行無一迥 千萬人行きて一の迥るもの無しと
是時翁年二十四 是の時 翁は年二十四
兵部牒中有名字 兵部の牒中(=徴兵名簿)に名字有り
夜深不敢使人知 夜深くして敢えて人をして知らしめず
偸將大石鎚折背 偸(ひそ)かに大石を将(もつ)て鎚(たた)きて臂(うで)を折る
張弓簸旗倶不堪 弓を張り旗を簸(あ)ぐるに倶に堪えず
従茲始免征雲南 茲れ従(よ)り始めて雲南に征(ゆ)くを免る
骨砕筋傷非不苦 骨砕け筋傷つき苦しからざるに非ざるも
且圖揀退歸郷土 且つ圖(はか)る 揀退(れんたい=不合格)し 郷土に帰るを
臂折來來六十年 臂(うで)折りてより 来来 六十年
一肢雖癈一身全 一肢癈すと雖も一身全(まつた)し
至今風雨陰寒夜 今に至るも風雨陰寒の夜は
直到天明痛不眠 直ちに天明に到るまで痛みて眠れず
痛不眠 痛みて眠れざるも
終不悔 終(つひ)に悔いず
且喜老身今獨在 且つ喜ぶ 老身の今 獨り在るを
不然當時濾水頭 然らざれば当時 濾水(ろすい)の頭(ほとり)
身死魂飛骨不収 身死し魂飛びて骨は収められず
應作雲南望郷鬼 應(まさ)に雲南 望郷の鬼と作(な)り
萬人塚上哭呦呦 萬人塚上(てうぜう) 哭して呦呦(ゆうゆう=戦死者の哭声)たるべし
老人言 老人の言
君聴取 君 聴取せよ
君不聞 君 聞かずや
開元宰相宋開府 開元の宰相 宋開府は
不賞邊功防黷武 邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防ぐと
又不聞 又た聞かずや
天寶宰相楊國忠 天寶の宰相 楊國忠は
欲求恩幸立邊功 恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て
邊功未立生人怨 邊功未だ立たずして人怨を生ず
請問新豊折臂翁 請ふ 問へ 新豊の折臂翁に
* 気の有る人は、白楽天のこの慷慨 深く深く読み取って欲しい。
いま、安倍晋三総理の内閣は、与党自民党は、トランプ米大統領の商売と権勢に阿諛追従、なんと、攻撃性の航空機だけでも世界中に類の無いほど、またまた 百数十機も大量購入し続けているという。それをどんなときに どう使用する気か、国民は一言半句の説明も聞かされず、そもそもアメリカの古物扱いさえして いる飛行機や武器で、日本政府は、安倍総理は、いったい誰を敵と見定めて何をしでかそうというのか。
「恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て 邊功未だ立たずして 人怨を生ず」 天寶の宰相 楊國忠のザマを、安倍や麻生らは、いったい誰の喜悦・満足のためにしようとしているのか。
「邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防」いだ開元の宰相 宋開府のような見識も外交力も有る総理に、交替して欲しい、ぜひ。
* 何度も触れてきたが、白楽天のこの長い詩を、明治四十三年袖珍版 神田崇文館「選註 白楽天詩集」の280-285頁で頭にも目にも焼きつけたのは、 国民学校三年生そして敗戦後に疎開先から帰京した小学校五、六年生のころで、すでに小説家に成りたかった少年は、書くならば真っ先にこの白楽天の詩に取材 してとはっきり決めていた。そして安保闘争で国会周辺が盛り上がったころに、遂にわたしは「処女作」として『或る折臂翁』と題したいま読み直してもちょっ と怕い、父と子の、夫と妻のいま読み直してもちょっと怕い小 説を書いた。しかも妻のほか誰にも見せないまま一九九四年に、まるで別の長編の埋草めいて「湖の本30」ではじめて活字にした。さらに遅れ遅れて『秦 恒平選集』第七巻に「処女作」として収録した。講談社で文学出版の指揮者もされた天野敬子さんに「震撼しました」と望外の賞讃を受けた感激は忘れられな い。
今も、この詩は、時として気を入れては読み替えしている。反対の考えの人もあろうかも知れないけれど。とにかくも国民学校の生徒時代は、男の子はいつか 徴兵されることを避けがたい運命とまで観念していた。わたしは京都でも疎開した丹波の山なかででも、「兵隊にとられる」であろう運命を忘れられない少年 だった。そういう少年として長詩「新豊折臂翁」にひしと向き合っていたのだった。
2019 6/8 211
☆ 白楽天の詩句に聴く 訪陶公(淵明)舊宅 抄
垢塵不汚玉 垢塵 玉を汚さず
靈鳳不啄羶 靈鳳 羶を啄まず 羶(なまぐさきもの)
嗚呼陶靖節 嗚呼 陶靖節(=陶淵明)
生彼晋宋閒 かの晋宋の閒に生まる
腸中食不充 腸中 食 充ちず
身上衣不完 身上 衣 完(まつた)からず
連徴竟不起 連(しき)りに徴せらるるも竟(つひ)に起たず 徴(仕官を求められる)
是可謂眞賢 是れ眞の賢と謂ふ可(べ)し
今來訪故宅 今來(いまし)も故宅を訪ひ來れば
森若君在前 森(しん)として君 前に在る若(ごと)し
不慕樽有酒 慕はず 樽に酒有れと
不慕琴無絃 慕はず 琴に絃無きを
慕君遺榮利 慕ふ 君が榮利を遺(わす)れ
老死此丘園 此の丘園に老死されしをこそ
不見籬下菊 いま 籬下にかの菊を見ず
但餘墟中煙 ただ 餘(のこ)る墟中の煙
* しみじみと懐かしい。
2019 6/9 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
世間富貴應無分 世間の富貴は應(まさ)に分(あず)かる無くも
身後文章合有名 身後の文章 合(まさ)に名有るべし
莫怪気麤言語大 怪しむなかれ 気の麤(=乱暴・粗雑)と言語の大を
新排十五巻詩成 新たに十五巻の詩を排して成る
* 白詩を大ならしめた「樂府(がふ)」などを含め、十五巻の詩集を成したとき、白楽天自身の愉快に友の元九に呈した壮語ではあるが、本心でもあったろう。
「選集」三十巻 わたくしにも類似の感懐はあるが、「身後」の世界などまことに危ういことをも承知し笑っている。
活動は半世紀を優に過ぎ行き、「単行図書」 百册をすでに超え、「湖の本」百五十巻をまぢかに超え、五、六百頁平均の「秦 恒平選集」三十三巻をきっちり成し遂げ、 「念念死去」の「騒壇餘人」として、当然にも遠からず私は世を去る。虚名など欲しくない。少年の意欲のまま熱い心で書き続け考え続けて行くまで。
2019 6/10 211
* 昨日 青柳幸秀というわたしよりやや年嵩な方の『安曇野慕情』という第二歌集を受け取った。第一歌集より格別に精度のたかい叙詞であった。よろこんで読みながら、こういうことも痛感した。
「歌(うた)」とは、先ずは吾と吾が思いを吐きだし命を励ましよろこばせる創作であるが、少なくもつぎの段階では他者の胸に響き届いて他者の命をも喜び 励ます創作でありたいものと。(小説も詩も俳句も同然)。さきにわたしは詞華集『愛、はるかに照せ』を選して感想を述べた思いにはそれがあった。自分一人 のうちにとどまる歌もあるが、人の命にとびこんで耀くうたは素晴らしいと。
わたしは今、近代百年余の「詩」の代表作を読み返し始めている。わたしにとってアンビバレントに耀いているのが「詩」 なかなかよく分からない、それで「新潮」選の一冊を座右に置いている。胸に堪えた作品をときにここへも書き写したい。
* 漢詩でも和歌でも西欧詩でもない、日本の近代・現代詩。これは「歌」なの? これは「文」なの? これは「詞」なの? これは「詠」なの? 要はこういう、そういう「表現」なの。聞きたい。
2019 6/10 211
* 昨日 青柳幸秀というわたしよりやや年嵩な方の『安曇野慕情』という第二歌集を受け取った。第一歌集より格別に精度のたかい叙詞であった。よろこんで読みながら、こういうことも痛感した。
「歌(うた)」とは、先ずは吾と吾が思いを吐きだし命を励ましよろこばせる創作であるが、少なくもつぎの段階では他者の胸に響き届いて他者の命をも喜び 励ます創作でありたいものと。(小説も詩も俳句も同然)。さきにわたしは詞華集『愛、はるかに照せ』を選して感想を述べた思いにはそれがあった。自分一人 のうちにとどまる歌もあるが、人の命にとびこんで耀くうたは素晴らしいと。
わたしは今、近代百年余の「詩」の代表作を読み返し始めている。わたしにとってアンビバレントに耀いているのが「詩」 なかなかよく分からない、それで「新潮」選の一冊を座右に置いている。胸に堪えた作品をときにここへも書き写したい。
* 漢詩でも和歌でも西欧詩でもない、日本の近代・現代詩。これは「歌」なの? これは「文」なの? これは「詞」なの? これは「詠」なの? 要はこういう、そういう「表現」なの。聞きたい。
2019 6/10 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
後亭晝眠足 後亭 晝眠足り
起坐春景暮 起坐 春景暮る
淡寂歸一性 淡寂(たんせき) 一性に歸す
虚閑遺萬慮 虚閑 萬慮を遺(わす)る
行禪與坐忘 行禪と坐忘と
同歸無異路 歸を同じくして異路無し
2019 6/11 211
☆ 白楽天の詩句に聴く 閉關
我心忘世久 我が心 世を忘るること久し
世亦不干我 世も亦 我を干(おか)さず
遂成一無事 遂に一(さつぱり)と事無きを成しえて
因得常掩關 因(おかげ)で常に關(もん)を掩(閉め)てをける
著書已盈帙 著書は已(すて)に帙に盈(み)ち
生子欲能言 生れし子も能くもの言はんとするに
始悟身向老 始(やうや)う身の老いに向(なんなん)を悟り
復悲世多艱 復(ま)た濁世には艱難の多きを悲しむのみ
歳暮竟何得 この歳暮(=晩年) 畢竟(いまさら)何をか得(もと)めむ
不如且安閑 いま且(しばら)くを 坐忘かつは安閑たるに如(し)く無し
* なかなか。
吾が晩年のもとめて事多いを少し慚じ、しかしまあきらめて、今朝からも湖の本144の発送に励んでいる。
2019 6/12 211
☆ 白楽天の詩句に聴く 感 情 (情に感ず)
中庭曬服玩 中庭 服玩を曬(さら)し
忽見故郷履 忽(こつ)として故郷の履(くつ)を見る
昔贈我者誰 昔 我に贈りし者は誰(た)ぞ
東鄰嬋娟子 東鄰の嬋娟子(せんけんし 美少女)
因思贈時語 因りて思ふ 贈りし時の語を
特用結終始 特(た)だ用ひて終始(いついつまでも)結ばんと
永願如履綦 永(とは)に願はくは履綦(りき この靴)の如く
雙行復雙止 双び行き 復(ま)た 双び止まらんものをと
自吾謫江郡 吾 江郡(江州)に謫(左遷)せられて自(よ)り
漂蕩三千里 漂蕩すること三千里
爲感長情人 長情の人(かの愛おしい人)に感ずるが為に
提攜同到此 提携(靴は持参)し同(とも)に携へ(同行し)て此に到る
今朝一惆悵 今朝(こんてう) 一(ふと)惆悵(ちうてう 哀しみに堪えず)
反覆看末已 反覆して看ること未だ己(や)まず
人隻履猶雙 人(われ)は隻(独り)なるも履(くつ)は猶(今も)双
何曾得相似 何ぞ曽て相ひ似るを得ん (靴と人とは同様には行かぬか)
可嗟復可惜 嗟(なげ)かはしく復た口惜し
錦表繍爲裏 錦の表 繍(ぬひ 刺繍)の裏
況經梅雨來 況(いは)んや梅雨を経て来(より)
色黯花草死 色黯う花草の風情も死(う)せんをや
* 思わず眼をとぢて想う。
2019 6/13 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
歳華何倏忽 歳華(歳月)の 何ぞ倏忽(しゅっこつ 忽ちに過ぎ)
年少不須臾 年少(少壮)は 須臾ならず(あまりに短い)
眇黙思千古 眇黙(心地をこらして) 千古を思ひ
蒼茫想八區 蒼茫(果てなき) 八區(八方世界)に想ひを馳す
2019 6/14 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
萬里抛朋侶 萬里 朋侶を抛ち
三年隔友于 三年 友于(ゆうう 朋友ら)に隔たる
自然悲聚散 自然 聚散を悲しむ
不是恨榮枯 是れ 榮枯を恨むならず
謾寫詩盈巻 謾(みだ)りに書寫して詩は巻に盈ち
空盛酒満壺 空しく盛りて酒は壺(こ)に満つ
只添新惆望 只だ 新たな惆望(哀しみや望みばかり)を添ふるのみ
豈復舊歡娯 豈(あに) 舊き日々の歡娯を復(ふたた)びせんや
壯志因愁減 壯志は愁ひに因りて減じ
衰容與病倶 衰容は病ひ與(と)倶(とも)にす
相逢應不識 相ひ逢ふも應(まさ)に識(きづか)ざるべし
滿頷白髭鬚 頷(あご)に滿つわが白髭鬚(はくししゅ)に
すこし意気阻喪の体でもの悲しいが、知友と相い逢わぬこともう五年十年になる、私は。白髪は葎のごとく、白髭鬚は甚だしい。
2019 6/15 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
晨起臨風一惆悵 晨(あした)に起きて風に臨み一たび惆悵す(=悲しみに沈む)
通川湓水斷相聞 通川(=東京)湓水(=京都) 相聞(そうぶん=通信・消息)を斷つ
不知憶我因何事 知らず (君が=)我を憶ふの何事に因るかを
昨夜三廻夢見君 昨夜 三廻 夢に君を見しは
2019 6/16 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
紅旗破賊非吾事 紅旗破賊は吾が事に非ず
黄紙除書無我名 黄紙の除書(戦功を賞する詔書)に我が名無し
唯共嵩陽劉處士 唯だ嵩陽の劉處士(=友人)と共に
圍棊賭酒到天明 棊を圍み酒(=罰盃)を賭けて天明に到らん
* 藤原定家が日誌「名月記」に書き置いて名高い「紅旗征戎は吾が事に非ず」の、これが原拠。
* 好天。風はあるが。
2019 6/17 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
甕頭竹葉經春熟 甕頭の竹葉(ちくえふ)は春を經て熟し
階底薔薇入夏開 階底の薔薇(さうび)は夏に入りて開く
明日早花應更好 明日 早花 應(まさ)に更に好(よかるべ)く
心期同醉卯時杯 心に期す同(とも)に卯時(ぼうじ)の杯に醉はんと
* 機械の始動に延々とかかる。その間、ゆっくり詩集など読んでいる。辛抱、辛抱。
2019 6/18 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
人各有一癖 人 各々一癖有り
我癖在章句 我が癖は章句(=詩作)に在り
萬縁皆已銷 万縁 皆な已に銷(き)ゆるも
此病獨未去 此の病 独り未だ去らず
毎逢美風景 美なる風景に逢ひ
或對好親故 或ひは好き親故に対する毎に
高聲詠一篇 高声一篇を詠じ
怳若與神遇 怳(きょう=恍惚)として神( しん)與(と)遇ふが若(ごと)し
恐爲世所嗤 世の嗤ふ所と爲るを恐れ
故就無人處 故(ことさら)に人無き處(=廬山)に就く
2019 6/19 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
夜夢歸長安 夜 夢む 長安(京都)に歸り
見我故親友 我が故(ふる)き親友に見(まみ)ゆるを
還指西院花 還(ま)た西院の花を指し
仍開北亭酒 仍(な)ほ北亭の酒を開く
如言各有故 各(おの)おの故(=積る話)の有りと言ふが如く
似惜歡難久 歡びの久しくし難きを惜しむに似たり
覺來疑在側 覚め來たりて側(かたはら)に在るかと疑ひ
求索無所有 求め索(もと)むるも有る所無し
殘燈影閃牆 残燈 影は牆(かき)に閃き
斜月光穿牖 斜月 光は牖(まど)を穿(うが)つ
天明西北望 天明 西北を望む
萬里君知否 萬里 君知るや否や
老去無見期 老い去りてまた見(まみゆ)る期(ご)無くと
蜘蹰掻白首 蜘蹰(ちちゆ=茫然) 白首(白髪頭)を掻くのみ
* 白楽天の「感傷」、胸に沁む。当時の彼はしかしまだ五十前。私は今、八十三歳だが、「蜘蹰掻白首」とは思っていない。ただ、「京都」へ帰りたい、話し合い酒を汲み合える友は稀に稀であるけれども。
2019 6/20 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
高天黙黙物茫茫 高天は黙黙 物は茫茫
各有來由致損傷 各(おのおの)來由有りて損傷を致す
外物竟關身底事 外物 竟(つひ)に身底の事に關はらせず
謾排門戟繋腰章 謾(みだり=無用)な門戟は排し 無意味な腰章など繋ぐまじ
2019 6/21 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
緑陰斜景轉 緑陰 斜景轉じ
芳氣微風度 芳氣 微風度(わた)る
新葉鳥下來 新葉 鳥 下り來たり
萎花蝶飛去 萎花 蝶 飛び去る
閑攜斑竹杖 閑(しづ)かに斑竹の杖を攜(たづさ)へ
徐曳黄蔴屨 徐(おもむろ)に曳く 黄蔴(こうま)の屨(くつ)
欲識往来頻 往来の頻りなるを識らんと欲せば
青蕪成白路 青蕪(せいぶ) 白路を成す
2019 6/22 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
外累由心起 外累(がいるい=世俗の煩ひ)はわが心由り起こるもの
心寧累自息 心寧(やす)ければ累も自づと息(や)む
宜懐齋遠近 懐(おも)ひを宜(よろ)しくせば 遠きも近きも齋(ひと)い
委順随南北 順(自然)に委ねれば 南も北も随ふ(無い)
歸去誠可憐 歸去する(懐郷の想ひ)は誠に憐れむ可(べ)きも
天涯住亦得 天涯に住するも亦(ま)た得ん(出来る)
2019 6/23 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
長羨蝸牛猶有舎 長く羨む 蝸牛すら猶お舎(いへ)有るを
不如碩鼠解蔵身 如(し)かず(=負ける) 碩鼠(せきそ=大鼠)の解(よ)く身を蔵すにも
但道吾廬心便足 但(た)だ道(い)はん 吾が廬(すみか)は心便(すなは)ち足ると
* むかしは簡素な書斎(とは謂えぬ、身のまわり)を心がけていたのに、いまや、言語道断にあれもそれも、どれもこれもが身辺、壁、襖、障子を塞いでいる。賑やかなと思うことにし受け容れている。ちょっと目を上げると谷崎先生の炯眼とまっさきに視線が合う。
* 縦揺れの地震を感じた。
☆ こんばんは 岡田祥子です。
先日いただきました秦さんのメールのお言葉を 東淳子先生にお伝えしたところ 先生からのご返事です。
「夜の眠れない時間に、人間の生死や己の歌の心を探り、歌のメモをどんどん取っています。
秦さんのお言葉を力に頑張っています。
何より 秦さんご夫妻のご健康をお祈り申し上げております。」
ギリギリをその人は生き一口の蜜柑の果汁に命うるおす
腕時計探しに入る主いぬ書斎の椅子の今立ちしごと
いぶき島四里向こうに見えそこに夕陽沈むを毎日見ると 岡田祥子
* 東さんに
夢のまもいのちは重くただ重くめざめて懐(おも)へ人とし生きしと
手にうくる重きいのちの目に沁みてよみがへる日をおもへ淳(しづ)かに 秦 恒平
2019 6/24 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
量力私自省 力を量りて私(ひそか=自儘)に省みれば
所得已非少 得る所 已(すで)に少なきに非ず
若無知足心 若(も)し知足の心無くんば
貪求何日了 貪求 何れの日にか了らん
2019 6/25 211
☆ 夏至すぎて
再びお忙しい日々が控えているかと察しますが、如何お過ごしでしょうか。
慌しい日々が続いて、先週は四日も街中に出かけ・・先日京の写真を送ったままになっています。
湖の本が届き、少しずつ読み進めていますが、皆様の感想も参考に、それでもまだ半ばあたりで難渋しています。誰にとってもテーマは重大で振り返れば人生 の大問題なのに、ましてや文学として真正面から取り組み書くというのは・・・!!! 興味から軽々によまれるのはどうしても避けたい事、と思われます。
鞍馬から貴船への道を歩きました。
午後から雨という予報もありましたが、いっそ暑さを凌げるかと思い立ち、鞍馬神社本殿から奥宮までの木の根道へ。八瀬の辺りから少しずつ窺える昨秋の台風被害での倒木はそのまま放置され、権現杉も無惨に倒れていました。
奥宮から貴船にかけては急坂ながら木立の清冽も楽しみました。
今、何故この場所か、それは昨年亡くなった友人の伴侶の方から手紙を頂いて、その中に療養の合間に訪れたであろう貴船神社の写真があったからでした。彼女は山歩きなど到底不可能だったでしょうが、わたしはどうしても鞍馬から貴船に行きたかったのです、彼女の分までも。
貴船は川床は今や外人観光客で賑わっていました。
奥宮の船形石を上方から撮りたかったのですが・・叶いませんでした。以前見た形を思い出して、いつか描きたいと思います、ひたすら想像して。
石馬寺は帰途に立ち寄りました。低気圧の通り過ぎた後で風が強く、石馬の集落に入るまで身体が吹かれ押されるほどでしたが、繖山の懐に入ると無風になり 静かな時が過ぎていきました。石馬寺への石段はいつもひっそり苔に覆われて、ひたすらひっそり。此処は長い石段が続きますが、その石段の幅も傾き具合も意 外なほど疲れません。(直角になっている新しい石の置き方ではなく、石自体が10度か20度の傾斜で並んでいます。)
本堂の入り口の小野篁作と伝えられる大きな閻魔様の濃い臙脂の顔、その向かい側に控える司命、司録。そして阿弥陀様、十一面観音、役行者などに取り囲まれて至福の時間でした。
勿論 繖(きぬがさ)山や金堂の集落など みな『みごもりの湖』の世界です。
夏至も過ぎて、夏はこれから。申し込んだツアーは催行されないと連絡があり、がっかり、さてどうしよう、個人旅行を楽しもうかと思いつつ、まだ何も決められません。とにかく夏の暑さに弱い鳶です。
くれぐれもお身体大切に、大切に。
東先生との短歌の往来、心に沁みます。
東先生の回復、お二人の安寧を祈ります。 尾張の鳶
* 自在に飛んでいるような鳶が羨ましくて成らない。いい便りを呉れるから許すけれど。鞍馬、貴船、石馬寺、 ああなんという世界だろう。『冬祭り』 『みごもりの湖』 いまも胸に生き生きと呼吸している世界。京、近江。妻と二人で乗った比良の秋へのケープルカー、前夜の鞍馬の火祭。
さながらにわたしは自作の小説をそののまま呼吸して生きていた。
東さんの容態は分からない。広い講演会場の狭い通路で行き違いながら言葉を交わしただけの歌人だが、歌集を介しての親和親睦は久しい。奈良の、なにか高層のビルの上の方で暮らされていたのではないか、泊まるところがなかったらいつでもお使い下さいと云われても居たが。
胸に沁みる歌を念じ歌いながら元気を取り戻されるように。
2019 6/25 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
曠然忘所在 曠然 として所在を忘れ
心與虚空倶 心は 虚空と倶にあれと
2019 6/26 211
☆ 白楽天の詩句に聴く 馬上偶睡、睡覚成吟
長途發已久 長途 發して已(すで)に久し
前館行未至 前館 行くも未だ至らず
體倦目已昏 體(たい)倦み 目は已に昏くら)く
瞌然遂成睡 瞌然(こうぜん=眠気萌し)遂に睡を成す
右袂尚垂鞭 右袂(うへい)は尚ほ鞭を垂れ
左手暫委轡 左手(さしゅ)は暫く轡(たづな)に委(ゆだ)ぬ
忽覺問僕夫 忽ち覺めて僕夫に問へば
纔行百歩地 纔(わづ)かに行くこと百歩の地のみ
形紳分處所 形紳(=身と心) 處所を分かち
遅速相乖異 遅速 相ひ乖異(かいい)す
馬上幾多時 馬上 幾多の時ぞ
夢中無限事 夢中 無限の事
誠哉達人語 誠なる哉 達人の語
百齢同一寐 百齢も一寐(いちび)に同じ
* あの「一炊の夢」が白楽天の思いに兆したかは知らないが、この年(八十三歳)になってみると、「百齢も一寐(いちび)に同じ」 この一編 過ぎ越し人生を痛いまで想い返させる。
2019 6/27 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
新篇日日成 新篇 日日に成る
不是愛声名 是れ声名を愛するにあらず
舊句時時改 舊句 時時に改む
無妨悦性情 無妨(はなは)だ性情を悦ばしむる
祇擬江湖上 祇(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦過一生 吟哦して一生を過ごさんと
2019 6/28 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
琴書中有得 琴書の中に得る有り
衣食外何求 衣食の外に何をか求めん
濟世才無取 世を濟(すく)ふに 才 取る無く
謀身智不周 身を謀るに 智 周(あま)ねからず
2019 6/29 211
☆ 白楽天の詩句に聴く
黄壌詎知我 黄壌(=黄泉の国では) 詎(なん)ぞ我を知らん
白頭徒憶君 白頭(=白髪のこの歳で) 徒(はるか)に君を憶ひ
唯將老年涙 唯(=ひたむき) 老年の涙を將(もつ)て
一灑故人文 一(=ひたすら) 故人の文に灑(そそ)ぐ
* 喪った人らを悲しみ慕うばかりの境涯になったか。わたしの『死なれて 死なせて』は わたしの生涯と文学とをひらく 重い鍵の一つ。
2019 6/30 211
述懐 恒平元年(2019)七月
閑(志津)かさや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉
汀(なぎさ)にはいれば足にさはる鮎のやさしさ 瀧井孝作
雨蛙芭蕉に乗りて戦(そよ)ぎけり 榎本其角
牽き入れて馬と涼むや川の中 吉川五明
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介
顕微鏡のピントの合わぬ暑さかな 木村聡
愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
花火かないづれは死ぬる身なれども 遠
消えゆくをさだめと花火きほひ咲く みづうみ
在るとみえて否や此の世こそ空蝉(うつせみ)の
夢に似たりと ラ・マンチャの男 有即齋
これやこのはてなき道と遙けみる
行くまいよわれは「いま・ここ」に生く 恒平
2019 7/1 212
☆ 白楽天の詩句に聴く 卯時酒
仏法讃醍醐 仏法は醍醐を讃め
仙方誇沆瀣 仙方は沆瀣(こうかい)を誇る
未如卯時酒 未だ如(し)かず卯時(ぼうじ 朝六時)の酒
神速功力倍 神速にして功力倍するに
五十年來心 五十年來の心
未如今日泰 未だ今日の泰きに如(し)かず
況茲杯中物 況(いは)んや茲(こ)の杯中の物あるょや
行坐長相對 行坐 長く相ひ對さん
* 早朝一杯の美妙なのを、わたくし 今年になって覚えたナと思っている。この趣味や、微妙でもあるが。
* おそい朝食に 「卯時酒」ならぬ京の「五建ういろう」特製「小豆みなづき」を戴いて七月を迎えた。
すこし足し加えたい用を思いついたので、今日も落ち着いていられない。
2019 7/1 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
老愛尋思事 老いては尋思の事(=あれこれ物思い)を愛し(=に耽り)
慵多取次眠 慵(ものぐ)さに取次(=気儘)の眠り多し
* なかなかそうも行かないが。
2019 7/2 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
病將老齊至 病は老いと齊しく至り
心與身同歸 心は身と同(とも)に帰る
白首外緣少 白首(=白髪の老は) 外緣(外界の囚はれ)少なく
紅塵前事非 紅塵(世俗の塵まみれな)前事(=過ぎしわが生き方)は非(=もはや無)なり
懐哉紫芝叟 懐(おも)ふぞや 紫芝の叟(=はるか過去の詩人賢人達)を
千載心相依 千載(を隔てても) 心は相ひ依る
2019 7/3 212
☆ 白楽天の詩句に聴く 中隠
大隠住朝市 大隠は朝市(街なか)に住み
小隠入丘樊 小隠は丘樊(山なか)に入る
不如作中隠 如(し)かず中隠と作(な)れば
似出復似處 出づるに似 復た處(を)るに似
非忙亦非閑 忙に非ず 亦 閑に非ず
不勞心與力 心と力とを勞せず
終歳無公事 終歳 公事無し
君若欲高臥 君若し高臥せんと欲すれば
但自深掩關 但(ただ)自ら深く關を掩(おほ)へ
亦無車馬客 亦た車馬の客の
造次到門前 造次 門前に到る無かれ
人生處一世 人生れて一世に處(を)り
其道難兩全 其の道兩(ふた)つながら全うし難し
賤即苦凍餒 賤は即 凍餒(とうだい)に苦しみ
貴則多憂患 貴は則 憂患多し
唯此中隠士 唯此の中隠の士のみ
致身吉且安 身を致すこと 吉 且つ 安し
窮通與豊約 窮通と豊約と
正在四者閒 正に四者の閒に在り
2019 7/4 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
日入多不食 日入りて多く食らはず
有時唯命觴 時有りて唯だ觴(酒杯)を命ず
何以送閑夜 何を以て閑夜を送らん
一曲秋霓裳 一曲 秋の霓裳
一日分五時 一日を五時に分かつ
作息率有常 作息(為すも憩ふも) 率(おほむね) 常有り
自喜老後健 自ら老後の健を喜び
不嫌閑中忙 嫌はず 閑中の忙を
是非一以貫 是非は一を以て貫き
身世交相忘 身世(わが事 よそ事)は交(こも)ごも相ひ忘る
若問此何許 若し此(ここ)を何許(いづく)と問はんか
此是無何郷 此は是れ 無何郷(無何有の郷=在り得ない場所 ユートピア)
* 相い響いて慕わしい。
2019 7/5 212
勿謂土狭 土 狭しと謂ふ勿(なか)れ
勿謂地偏 地 偏なりと謂ふ勿れ
足以容膝 以て膝を容るるに足り
足以息肩 以て肩を息(やす)むに足る
皆吾所好 皆 吾の好む所
盡在吾前 盡く吾が前に在り
時飲一杯 時に一杯を飲み
或吟一篇 或ひは一篇を吟ず
妻孥煕煕 妻孥(妻子)は煕煕(嬉々)
鷄犬閑閑 鷄犬は閑閑(悠々)
優哉游哉 優なる哉 游なる哉
吾將終老乎其閒
吾 將(まさ)に老いを其の閒に終えんとす
* 実感に逼る。
2019 7/6 212
☆ 白楽天の詩句に聴く 眼花を病む
頭風目眩乘衰老 頭風 目眩 衰老に乘じ
秖有增加豈有瘳 秖(た)だ增加する有り 豈(あ)に瘳(い)ゆる有らんや
〔傳(春秋左氏傳)云く、加ふる有り而(て)瘳ゆる無しと〕
花發眼中猶足怪 花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り
柳生肘上亦須休 柳 肘上に生ずるも亦た須(すべから)く休すべし
大窠羅綺看纔辧 大窠の羅綺は看て纔(わづ)かに辧じ
小字文書見便愁 小字の文書は見て便(すなは)ち愁ふ
必若不能分黒白 必ず若(も)し黒白を分かつ能はざれば
卻應無悔復無尤 卻(かへ)つて應(まさ)に悔い無く復た尤(とが)め無かるべし
* 此の白楽天の詩句に聴くとおりに、刻々悩んでいる。
2019 7/7 212
☆ 白楽天の詩句に聴く 哭
今生豈有相逢日 今生 豈(あ)に 相ひ逢ふ日有らんや
未死應無暫忘時 未だ(吾は=)死せざれば應(まさ)に暫くも忘るる時無し
* 点鬼簿に存命の名を書き入るる日に日を増してただ目を瞑る 宗遠
* 七夕を忘れしままの夢に見き川のあなたに待ち待つ人らを 宗遠
2019 7/8 212
☆ 白楽天の詩句に聴く 任老
不愁陌上春光盡 愁へず 陌上(=街路また人生とも)に春光(=壮年の耀き)盡くるを
亦任庭前日影斜 亦た任す 庭前(=老境とも)に日影斜めなるも
面黒眼昏頭雪白 面(かほ)黒く 眼は昏く 頭(=髪)は雪白
老應無可更增加 老いは應に(=当然)更に(=もはや)増加すべきこと無かる可し
* 耳順(六十)の吟には、「五十六十 却つて悪しからず 七十八十は百病に纏はれ 病羸昏耄の前に在る」と吟じていた白楽天。九世紀半ば、「老いに任せて」七十五歳で亡くなっている。私はいま八十三歳の半ばを過ぎ、如何にも遺憾にも「老應無可更增加」とお任せの気分ではない。
2019 7/9 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
琴詩酒伴皆抛我 琴詩酒の伴(とも) 皆 我を抛つ
雪月花時最憶君 雪月花の時 最も君を憶ふ
* 和漢朗詠の昔ひとの白詩に親しんだこの一聯はシンボルのようであった。私もまたこの詩句をはやく幼く覚えて忘れない。雪月花時最憶君。いま八十を過ぎて思いは、泪ぐむほど切である。
2019 7/10 212
☆ 白楽天の詩句に聴く 思 舊
閑日一思舊 閑日 一たび舊(=友)を思ふ
舊遊如目前 舊遊 目前の如し
再思今何在 再び思ふ 今 何(いづ)こに在ると
零落歸下泉 零落 下泉に歸す
或疾或暴夭 或ひは疾み或ひは暴夭し
悉不過中年 悉(ことごと)く中年を過ぎず
唯予不服食 唯だ 予(われ) 服食(=服薬)せず
老命反遅延 老命 反(かへ)つて遅延す
* 感慨あり、長詩の上辺をかすめ採った。
2019 7/11 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
病將老齊至 病は老いと(足なみ=)齊(ひと)しく至り
心與身同歸 心は身と同(とも)に(故地に=)歸る
白首外縁少 白首(=白髪の老人) 外縁(世のわずらひ)少なく
紅塵前事非 紅塵(=俗世に奔走の) 前事非なり
懐哉紫芝叟 懐哉(=慕ふは) 紫芝の叟(=風雅の商山四皓)
千載心相依 千載(=千年を隔ててなほ) 心相ひ依る
2019 7/12 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
眼下有衣食 眼下に衣食有り
耳邊無是非 耳邊に是非(=五月蠅い噂も)無し
不論貧與富 貧と富など論ぜず(=問題としない)
飲水亦應肥 水を飲むも亦た應(まさ)に肥ゆべし
2019 7/13 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
五十八翁方有後 五十八翁 方(はぢ)めて後(嗣子)有り
静思堪喜亦堪嗟 静かに思へば喜ぶに堪へ 亦 嗟(なげ)くに堪ふ
一珠甚小還慙蚌 一珠甚だ小さく 還(ま)た蚌(=真珠を産む淡水の貝)に慙じるが
持杯祝願無他語 杯を持して祝ひ願ひ 他語無し
愼勿頑愚似汝爺 愼みて頑愚 汝の爺(ちち=白楽天)に似る勿れ
* 建日子五十歳 こういう思いをさせてやりたい。生来 愛情溢れているのだもの。
2019 7/14 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
隋年減歡笑 年に隋ひて歡笑減じ
逐日添衰疾 日を逐うて衰疾添ふ
且遣花下歌 且(しばら)く花下の歌を遣(し)て
送此杯中物 此の杯中の物を送らしむ(=酒の肴にしよう)
* 國やぶれて山河ぱあれど あの敗戦の日。「断末魔の日の空は青かった」と『禁じられた青春』の著者は謂う。
遠い思い 出と重なるが、あの当日のわたしは、国民学校夏休み中の四年生、しかも丹波の山奥にいた。上の本の著者は私より十歳年長で、この「日本のいちばん長かった 日」には船にも乗らない海軍の「水長」とかであった。十日もせず、日本国の軍隊は失せて、彼はしこたま手に入れた荷を背負って故郷の家族のもとへ「復員兵」として帰宅 した。
それからが、あの、わたしにも記憶の日々に濃くなる「敗戦後」が始まる。
この本の著者の故郷は九州博多辺。私の丹波や京都との差異はあるが「敗戦の実 感」には濃密な共感がある。
「暑い夏、酷熱の夏」「日本人が皆死んだら陛下は」「断末魔の日の空は青かった」「原爆投下へ至複雑な迷路」「玉音放送の意味せるもの」「昭和は死んじ まった」「鍋墨か化粧品か、日本人女性の貞操の危機」「いい奴は死ぬ、屑が残る」「敗戦の屈辱はコキュの嘆き」「パンパン、どぶねずみ、巷が野性に返る 時」「戦争孤児たちよ、騙せ、盗め、かっ払え!」「敗戦の惨苦を口にし得る資格はありや」「物こそ神様、神々の流離譚」「あとがき」
天野哲夫の『禁じられた青春』のあの断末魔の夏以降の「目次」表記を書き出してみた。
むろん全部を記憶と意志とに響かせて熟読し、著者の言句に「異」を唱え たい何一条もなく、わたしは、とかく忘れそうにも忘れたくもなる、しかし決して忘れてはならない「敗戦後」少年の体験を心身に刻みなおした。
よく書き置い てくれたと感謝し胸の震うほどしっかり読んだ。
* それが、「敗戦の八月十五日」を一月後に迎えねばならぬわたしの、文字どおり「記念」の思いである。
歯噛みするほど残念だが わたしは 今の日本、ことにその政治と経済と外交と教育と文学とを、信頼できない。
隋年減歡笑 年に隋ひて歡笑減じ
逐日添衰疾 日を逐うて衰疾添ふ
読み書きの出来るうちは
且遣花下歌 且(しばら)く花下の歌を遣(し)て
送此杯中物 此の杯中の物を送らしむ(=酒の肴にしよう)
2019 7/15 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
午後恣情寝 午後 情を恣ま(気の向くまま)に寝ね
午時随事餐 午時 事に随ひ(有るがまま気儘に)餐す
一餐終日飽 一餐すれば終日飽き(用が足り)
一寝至夜安 一寝すれば夜に至るまで安し
2019 7/16 212
* 永井荷風訳詩の『珊瑚集』を身のそばへ持ってきている。近代の日本の作家では誰をと受賞の記者会見で聞かれ、漱石、藤村、潤一郎と躊躇わなかった。作 家としての時代を睨み捨てた世投げた生き方でいうと、永井荷風こそもっとも慕わしい。泉鏡花にも同様の強い批判ないし忌避の気味があって慕わしい。
2019 7/16 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
已過愛貪聲利後 已に聲利(名誉や利益)を愛貪するを過ぎての後
猶在病羸昏耄前 猶ほ(未だ)病羸昏耄(病気や耄碌)の前に在り(陥っていない)
未無筋力尋山水 未だ筋力の山水を尋ぬる無きにあらず
尚有心情聽管絃 尚ほ心情の管絃を聴く有り
閑開新酒嘗數盞 閑(しづ)かに新酒を開きて數盞を嘗め
酔憶舊詩吟一篇 酔ひて舊詩を憶ひ一篇を吟ず
2019 7/17 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
我若未忘世 我 若(も)し未だ世を忘れざれば
雖閑心亦忙 閑と雖(いへど)も心は亦た忙ならん
世若未忘我 世 若し未だ我を忘れざれば
雖退身難蔵 退くと雖も身は蔵し難からん
我今異於是 我 今 是れに異なり
身世交相忘 身も世も交(こもご)も相ひ忘る
* 終わりの二行には、身も世も及ばない。
2019 7/18 212
☆ 白楽天の詩句に聴く 自 喜
身慵難勉強 身 慵(ものう)くして勉強し難く
性拙易遅廻 性 拙(つたな)くして遅廻(ぐづぐづ)し易し
布被辰時起 布被(煎餅布団から) 辰時(午前八時頃)に起き
柴門午後開 柴門(かざらぬ門)は 午後に開く
忙驅能者去 忙は能者を驅りて去り
閑逐鈍人來 閑は鈍人を逐ひて(ゆっくり)来る
自喜誰能會 自ら喜ぶこと(=この満足) 誰か能く會(え 理會)せん
無才勝有才 才無きは才有るより勝る(=樂でござる)
* 蒸し暑い、か。
2019 7/19 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
併失鵷鸞侶 併せて(相次いで)鵷鸞の侶(鳳凰や鸞のような親友)を失ひ(亡くし)
空留麋鹿身 空しく麋鹿の身(びろく 野卑なわたくし だけ)を留む(生き残る)
2019 7/20 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
琴罷輒擧酒 琴(きん)罷(や)めば輒(すなは)ち酒を擧げ
酒罷輒吟詩 酒罷めば輒ち詩を吟ず
三友遞相引 三友 遞(たが)ひに相ひ引き
循環無已時 循環して已(や)む時無し
古人多若斯 古人も多く斯くの若(ごと)し
嗜詩有淵明 詩を嗜(たしな)むは淵明有り
嗜琴有啓期 琴を嗜むは啓期有り
嗜酒有伯倫 酒を嗜むは伯倫有り
三師去已遠 三師 去りて已(すで)に遠し
高風不可追 高風 追ふ不可(べからず)
三友游甚熟 三友 游(ゆふ) 甚だ熟し
無日不相隨 日として相ひ隨はざる無し
* 詩歌は愛読愛吟できるし酒は大好き。ただ幼來 楽器には縁がない。少年の頃、秦の父に、和笛を習いたいと希望したら、胸を悪くするからと許されなかっ た。肺病のなにより怖い昔であったから押して出る気は失せて、以来、ハモニカを鳴らす以外に楽器とは縁がない。で、聴く一方、それで十分。
2019 7/21 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
放眼看青山 眼を放ちて青山を看(み)
任頭生白髪 頭は白髪の生ずるに任す
不知天地内 知らず 天地の内
更得幾年活 更に幾年の活くるを得ん
* 人の生くるや至る処に青山あり と謂う。「青山」とは、とわに眠りにつく奥津城の意味と思う。
とはいえ、白楽天がいうまま、「此れ従(よ)り身を終うるに到るまで 尽(ことごと)く閑日月と為さん」とは業の深いわたしは、今、言えない。
* 午前の十一時 すでに眼が霞んでしまい。
てさぐりに生きてこの世のおもしろさなさけなさをぞわらひくれめや
2019 7/22 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
人生變改故無窮 人生變改して故(もと)より窮まり無し
昔是朝官今野翁 昔は是れ朝官 今は野翁
無情水任方圓器 情無き水は方圓の器に任せ
不繋舟隨去住風 繋がざる舟は去住の風に隨ふ
* 白楽天の詩は 彼の國で多大広汎に賞讃もされ、また厳しく平俗視もされたという。ただわが平安朝のひとらはその取材や表現の平易平明また物語る技の高 度に巧みなのを歓迎し感化された。わたしもその伝統を一日本人としてあまりこだわり無く受けてめ歓迎もしている。一つには大いに敬愛し親炙やまざる陶淵明 と白楽天に系脈のあるのも尊重している。早くいえば、この二人の詩はわたしには親炙し易いのである。それでいい、足りていると拘泥していない。悠然として 南山をみる気分で足りている。
2019 7/23 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
憶歸恆惨憺 (故郷へ)歸りたしと憶ひ恆に惨憺(=胸破れ)
懐舊忽踟躕 舊(亡きひと)を懐(おも)ひ忽ち踟躕(ためらふ)
2019 7/24 212
* 角川書店「短歌」編集部から、下記の葉書が届いた。
☆
謹啓 益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、このたび小誌『短歌』八月号(七月二十五日発売) の「歌集歌書を読む」のページに【秦恒平選集 第二十九巻】を取り上げさせていただきましたのでお知らせいたします。
本誌のご購入をご希望で、お近くの書店で手に入りにくい場合、左記編集部宛にお知らせ下さい。送料小社負担でお送りいたします。また三〇〇〇円以上ご注文(送付先一ケ所) の場合は定価の八掛とさせていただきます。
末筆ながら、なお一層のご活躍をお祈り申し上げます。 敬具
角川文化振興財団 『短歌』編集部
令和元年七月
〒102・0071 東京都千代田区富士見一 一二 一五
電話 03-5215-7821
f a X O3 5215-7822
Eメール tanka@kad
*ご連絡可能な電話番号を明記して下さい。
* 作家生涯、五十年。時代はかくも変わっているのか、 「騒壇餘人」 何も知らずに暮らしとるんやなあと、ビックリ。「取り上げて下さい」とお頼み申したのでなく、だれが記事を書かれたかも分からないが、それはいい。
皮肉を言えば、「売り物の一部の用」として随意に私用されたという事実だけは分かる。ご好意と感謝しておくが、病人の身で蒸し暑い中 都心の書店へ迄「ご購入」には及ぶまい。
こういうのが、昨今・今日の「編集」作法なのか、そうなんだなあ、知らんかったなあ。 八十三翁
* 「秦 恒平選集 第二十九巻」には 歌集「少年」 歌集「老蠶(光塵・亂聲)」そして、詞華集「愛、はるかに照せ 愛の歌、日本の抒情」が入っている。取り上げて下さり、感謝します、が。
2019 7/24 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
大都好物不堅牢 大都(おほよそ)好(よ)き物は堅牢ならず
彩雲易散琉璃脆 彩雲は散り易く琉璃は脆し
2019 7/25 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
倦鳥得茂樹 倦鳥 茂樹を得
涸魚反清源 涸魚 清源に反る
捨此欲焉往 此れを捨てて焉(いづ)くに往かんと欲す
人閒多険艱 人閒(じんかん) 険艱(けんかん)多し
2019 7/26 212
* 七月二十 七日 土 昭和三十五年 朝日子生まる
「朝日子」の今さしいでて
天地(あめつち)のよろこびぞこれ風のすずしさ
2019 7/27 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
去矣魚返泉 去矣(ゆ)け 魚は泉(=淵)に返るもの
超然蟬離蛻 超然(=未練なく) 蟬は蛻(ぜい 殻)を離(す)てるもの
是非莫分別 是非(いいkわるいのと) 分別する莫(なか)れ
行止無疑礙 行止(進むにも止まるに) 疑礙(=惑い ぎがい)する無かれ
浩氣貯胸中 浩氣 胸中に貯へ
青雲委身外 青雲 身外に委ね
捫心私自語 心を捫(な)でて私(ひそ)かに自(われ)語る
自語誰能會 自(わ)が語るを 誰か能く會(理會 え)せんや
2019 7/27 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
時遭人指點 時に人の指點(うしろ指)するに遭ひ
數被鬼揶揄 數(しばしば)鬼にさへ揶揄さる
兀兀都疑夢 兀兀(こつこつ 茫々)として都(すべ)て夢かと疑ひ
昏昏半似愚 昏昏(暗暗)として半ば愚に似たり
萬里抛朋友 萬里 朋友を抛ち
三年隔友于 三年 友于(ゆうう)に隔たる
自然悲聚散 自然 聚散を悲しむ
不是恨榮枯 是れ 榮枯を恨むならず
2019 7/28 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
我今幸無疾 我は今 幸いに疾無し
人老多憂累 人老いれば憂累は多きも
我今婿嫁畢 我今や(子女の)婚嫁も畢(お)え
心安不移轄 心安らかに移転せず(気も散らず)
身泰無牽率 身泰らかに牽率(拘束される)無し
所以十年來 ゆえに十年來
形神閑且逸 形神(身も心も)閑(のどか)にして且つ逸(気まま)
況當垂老歳 況(いは)んや垂老の歳に當たり
所要無多物 要むる所 多物無し
一裘煖過冬 一裘(一枚の皮衣で) 暖かく冬を過ごし
一飯飽終日 一飯(一食で) 終日飽く(腹も減らぬ)
勿言舎宅小 言う勿(な)かれ 舎宅小さしと
不過寝一室 一室に寝るに過ぎず
2019 7/29 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
憂方知酒聖 憂へて方(はぢ)めて酒の聖なるを知り
貧始覺錢神 貧して始めて錢の神(しん)なるを覺ゆ
行藏與通塞 行藏(=身の進退)と通塞(=運不運)と
一切任陶鈞 一切 陶鈞(=轆轤 造物主を謂う)に任す
* 朝一番に瓶缶を戸外へだしに出、猛暑にヘキエキ。「一切任陶鈞」もラクではない。
2019 7/30 212
☆ 白楽天の詩句に聴く
人情重今多賤古 人の情は今を重んじて 多く古へを賤しむ
* 永く白楽天に聴いてきた。本が手近にあり、日本の上代古典にも親しんできたわたくしには、そのむしろ平俗とも謂える詩句に身近に馴染みやすかった。
2019 7/31 212
述懐 恒平元年(2019)八月
ゆふぐれは雲のはたてにものぞ思ふ
天(あま)つ空なる人をこふとて 古今集よみ人しらず
しかりとてそむかれなくに事しあれば
まづなげかれぬあな憂世の中 小野篁
浮き沈み来む世はさてもいかにぞと
心に問ひて答へかねつる 藤原良経
くすむ人は見られぬ
夢の 夢の 夢の世を うつつ顔して 閑吟集
ともすればとはずがたりぞせられける
心ひとしき人しなければ 村田春海
向日葵は金の油を身にあびて
ゆらりと高し日のちひささよ 前田夕暮
死ののちに初めてあれは<晩年>と
呼ばるる日々を今日も生きいる 岡井隆
ほんたうにボケてしもたらその辺に
棄てていいと言ふ 妻、笑諾す 秦 恒平
戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふうわびしさ 遠
若い人に次々にあとを追ひ越させ
ゆつくりでいい我の花みち 秦 恒平
2019 8/1 213
☆ 西欧詩句(抄)に聴く 永井荷風訳著『珊瑚集』より
蝸牛(かたつむり)匍ひまはる泥土(ぬかるみ)に、
われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。
われ遺書を厭(い)み墳墓をにくむ。
死して徒(いたづら)に人の涙を請はんより、
ボオドレエル 「死のよろこび」より
* 荷風の詩精神は辛辣だから、「珊瑚集」に訳出している詩人達も詩もまた独自に辛辣で、しかし荷風の「詩のことば」は分厚く美しい。
さ、どこまでわたくし、聴きとれるだろう。抄出は、わたくしの好き勝手に、長短の作からの一部である。
2019 8/1 213
☆ 西欧詩句(抄)に聴く 永井荷風訳著『珊瑚集』より
この世はさながらに土の牢屋(ひとや)か。
蟲喰(むしば)みの床板(ゆかいた)に頭(かしら)打ち叩き、
鈍き翼に壁を撫で、
蝙蝠(かはほり)の如く「希望(のぞみ)」は飛去る。
ボオドレエル 「憂悶」より
2019 8/2 213
☆ 西欧詩句(抄)に聴く 永井荷風訳著『珊瑚集』より
大海(おほうみ)よ、われ汝を憎む。狂ひと叫び、
吾が、魂は、そを汝、大海の聲に聞く。
辱(はづかし)めと涙に満ちし敗れし人の苦笑ひ、
これ、おどろおとろしき海の笑ひに似たらずや。
ボオドレエル 「暗黒」より
2019 8/3 213
* 『珊瑚集』の詩句は、いまの私にしっくり添ってこなかった。
2019 8/4 213
* 気分を換えたい。が、日々の炎暑に閉口。ガマンの日々、ガマンの日々。こういうときこそ佳い読書に(変な物言いだが)手広く没頭したい。夕過ぎにも、 入浴前に、長島弘明さん、高田衛さんの詳細な秋成研究を較べ読みしていた、じつは昔から「秋成八景」と心がけながらまた「序の景」しか書けていないが、し かと手がかりが把握できればぜひ書きたいと願っている一景がある。長島さんに教えて貰いたいが、そのためには、今の仕事を仕舞い終えておかねば。
ともあれ「秋成」は私にはインネンの主題なのである。秋成の実名は「東作」であり、秋成の名乗りもそこに発している。東作西成、春作秋成という語感が古 来出来てある。わたしが今度の『オイノ・セクスアリス』の語り手を吉野東作と名乗らせたのも、意図は、糸は、引けている。もしこの作に論者が出るとして、 一つはそこまでも視野を持っていないと抜け落ちる世界がある。
ついでに、もう一つ、触れてきた人がないので云うておくが、三部に分けたのは「湖の本」一冊の規模に応じているのだが、他に、この長編は、「八重垣つく る」という見だし以外はすべて小倉百人一首からの随意のかつ意図的な引用を重ねていて、アテずっぽうはしていない。分かる人には、その一つ一つの歌句見だ しだけで、ついて行ける道が辿れる。「読む」のが「難しい」と大昔からさんざぼやかれてきた、こういうのも元兇のひとつなのだろうだが、「把握と表現」と はさぼっていない積もり。爺さんの性行為だけしか見えない読めないのでは、なあ…。
2019 8/4 213
* 心待ちにしてきた「尾張の鳶」さんの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』への 批評・感想が届いた。有難う。こうも読まれれただけで、「書い」てムダでなかった。有難う。
しかし「選集」に一巻という纏まった形で作が本になったのは、六月末のこと。「湖の本」版で第一部 が送れたのは桜桃忌だった。
第一部だけで、五十人ほどの以降受取拒絶に遭ったが、予期の範囲。その後にも断片的に感想は届き、そつどわたしは常ならしな い、作の意図や姿勢や願いをこの日記に漏らした、いささか誘導に類するかと気が咎めもしたが。
* 全文の紹介には却って誤解を導きかねぬモノもあり、それは避ける、が、感謝を込めて、なるべく送られてきた感想ないし批評・批判・非難の大方を(整然 とした書きようではなく、日記風であるのだが、)ここに示しておきたい。断っておくが、この人は文学研究者でも批評家でもない。一家庭婦人で、祖母 でもあり、詩を書き繪を描き、相当に広範囲の世界を旅し、京大出という縁からも京都に、京都の貴賎都鄙や差別問題に、とくべつ詳しい人である。私より十ほどは若い。
☆ 感想 (『オイノ・セクスアリス 或る寓話』への)
「今度の長編で、「創作」としてもっとも「効果」をあげたかも知れぬのは、「雪」「雪繪」と名告る若い 人を、徹して「メール」という手段を活かし人物表現できた ことかと思っている。なかなか「愉しい創作」であった。」
作者はそう述べています。
メールという形式は、時間の経過を窺える利点があると同時に、お話し、お しゃべりであるならば、深い掘り下げができないという欠点もあり得るとも。(若い人より年配の人が多いと考えられる)読み手は、彼女を魅力あるヒロインと して捉えきれないのではないかと危惧します。
* 秦 「魅力あるヒロイン」と読まれる必要はなく。若い大学出の普通の女性のいかにも「メール」依存の日々がこうなのであれば、人と しての評価などともあれ、生活も人がらも感覚もきっちりそれらしく伝わると作者は勘定をつけていた。このメールは、モデルなど有って出来る表現ではない。
作者の十年にわたる長い道のりに多くの思索、探求、工夫、戸惑いがあったかを、遠くから察します。
ジェンダーやカトリックなどさまざまなことを思索しての、そのうえでの現時点での総決算に近い思い、問題提起でありましょう。カトリック、プラトンの思想など容易にわたしの理解の及ばない点も多々あるので、脇に置きます。
現実の作者と作中の吉野東作氏が、奇妙に微妙に重複し、同一人物とも。ごく自然な手法ですが、この作品においては重複の度合いが増していると感じます。現時点 で「選集」を読める幾分間近な位置にいる読み手には、東作氏と作者を分ち難く、互いの翳が濃く重なって感じられます。小説家と、出版印刷業に携わってきた人、ダブルの映像、ほぼ重なり、 同一人物として読みます。
* 秦 離れるも近寄るも 作者がわざとの意図で、どう読まれようとも読者しだい。
何故、小説家は他の人に「投企」するのでしょうか。投企・project・・自己の存在を他者に託し、その存在を肯定・了解し、小説の中で他者として描 写することで創造の可能性を見出しています・・が、それ以上に突き放して他者・吉野氏を自在に動かしているようにも感じます。
* 秦 「突き放す」のでなく 吉野東作さんの好き勝手に作者はしてもらっている。
東京ではなく京都という舞台。京都に帰りたいと作者は切望し、帰らず切望するからこそ、京都は理想の土地、故郷。そして時間感覚の曖昧さを自由に遊泳され ています・・ 例えば巨椋池は現在どれ程その名残の水域があるのか、また場面として登場する建物や店舗は変遷烈しいので、現在を識っている者には意外な感も あります。架空の名前だったら構わないのですが・・。
桂川近くの寺の名前など、これは些末の問題というより 小説そのもののもつ自由、秦文学の持つ幻想 性、現と幻の交錯混在融合でしょう。同時に極めて意識的に緻密に書き進めているのだと思います。読み手としてはクイズを解くような興味が加わります。
* 秦 「昨今現在の京都如何」は、小説としては問題外。巨椋池など、むかし、ひどいときは東寺の足もとへも逼ったほどの大遊水池だった し。このへん はみなフィクションの特権行使。東作自身の年齢も、結婚から古稀をさえ超えて行くくらい。「時間」経過は作の中で「たぷたぷ」していて問題なしと。特定の 店の名など、実名にしておいた方が、つくり話にならずに実感で書ける。体験的には知る限り、「作時間」のあいだでは大概みな「実在」していたことだし。
浩氏(ICU名誉教授)が指摘された 少年にとっての「少女」の問題、「性」の目覚めの問題。
性的な部分に関して男の子を育てていないからでしょうか、漸く今になって納得がいく話もありました。男の孫二人を垣間見ていると、既に赤ん坊の時から性器を意識し、それが全く陰湿な要素なくあっけらかんとしており、性は生きる喜びなのだと考えさせられます。
少女、女は異なります。女にとっての性、性交とは「何か」と問われて、一歩も二歩も曖昧な地点で語る女とは明らかに異なる男性の在り方です。
第二部にある女性医師・研究者の性に関する質問に対しての返答は、確かに吉野氏の求めからは遠いものだったでしょうが、女性としてはやはりあの程度にとどまるものかもしれません。
私自身がこれを問われていても基本的にはあまり違う内容を付け加えられません。つまり、一歩も二歩も隔てた所から半ば逃げの姿勢で構えている・・確かに不十分ですね。
性行為そのものについて書くとして単なる個人的な性史を描けば少しは問題提起ないし新局面の発掘になっていたのでしょうか。
例えば田中優子氏の江戸時代の文化研究から生まれた著書『春画の研究』『江戸の恋』や上野千鶴子氏や佐伯順子氏の一連の研究と著書。彼女たちは臆することなく性についても論じています。
若い世代の女性には もはや言葉に臆することなく闊達に自己の経験を話すことなど今更の感があるのかもしれませんが・・。
弁解めきますが結婚している場合の「縛り」もあるでしょう、少なくとも特に女にとって。婚姻制度は、一夫一婦制度、そしてそれに伴う「世間」の判断は容 赦ないのが実情です。特に「家庭」自分の経済基盤を確保すべく主婦は願います。田中氏、上野氏、(佐伯氏?)ともに独身であり、本音・ホンネを言える場を確保 していると思います。わたしにはそのような勇気や価値観は十分にはありません。ジェンダー、フェミニズムなど真正面に据えて生きてきた道筋ではなかったけれど、意識も、現実に対処することにも、決して逃げてはこなかった…とだけしか言えません。
そして日本社会は依然として男女平等からは遠い処にあります。
上記の「浩」氏は述べています、作者は「老いゆく現実、身体的・性的能力低下の焦りとそれに基づく妄念を絡ませて、エロスとタナトスの徹底的 な相関関係を描いて見せたのだと。」
エロスとタナトス、窮極の生きる問いです。
作者は語ります 「もっとも根底へ人間の 男女の 老若の 幸不幸の 信不信の問題を提起しようとした」と。 熱い苦しい思い、覚悟が伝わってきます。
「ふだん記したいけれど出来ない、 出来ないけれどしたかった、 してきてよかった、とても出来なかった、よかった、いやだった。・・そういう赤裸々な 性の描写・表現が かくも徹底して成された」・・性の極致は、人の「生まれて・死なれて・死なせて」に直に交叉してくる。男女の悲喜劇はまっこう此処に生 まれる、多くの目がただ逸らされているだけなのだが。」と書かれている。(7月7日のHP記述より)
それはやはり 男であることにも依っています。夫人は苦笑いされながら、しかし夫であり、作家を見守っているのでしょうか。秦文学にまさに殉じて。妻 として、揺れるものはあるはずです・・。また健康問題から仕方なかったとしても性行為を他の女に任せて安住できるものとも到底思われません。そしてさらに 思うのは、このように書いてしまうわたし自身が解放されていないことを如実に露呈しているのです。
性描写、それ自体に限定すると、無数の人の無数の限りない描写が、そして切実な叫びや涙が溢れてくるでしょう。
吉野東作氏の記述は優しい、性の場面での記述は優しい。裏返せば性を媒介した時、その前後の幾らかの語らいの優しさも。「部屋」と表現されるその場は「家」ではありません。その外では彼東作氏の冷たさを感じます。
小説の主人公、決定的に語り手であり主人公である吉野氏。彼は「生まれ、死なれ、死なせ」て「生きている老 い」が、幸なのか不幸なのかは云わずに終始語っていく。幸不幸、彼に迷いはなく、幸福に生きたい(誰しも幸福に生きたいですが。)人とのつながりある幸福、殊に妻との固く結ばれた絆に一瞬の迷いもなく、運命を感じ続けてきたのです。
女はそのような妻になりたいでしょうか、答えは些か否定的です。
源氏物語の紫の上、源氏最愛の妻である紫の上になりたいでしょうか? なりたくないので す。愛ゆえに一層閉じ込められてしまう女の生き方は残酷です・・勿論閉じ込められていなくても、それでも人は孤独ですが・・。
源氏物語の中で特異な存 在・・最後まで男を拒否した槿という女性・・ただし彼女は身分高く、経済的基盤にも恵まれた存在だったと思います。今日においても経済的な自立は勿論重要 です。(雪・世津子にあっても無視できない問題でした。) 槿が穏やかな暮らしの中で幸せだったと言い切れるか、それは分かりません。
つきつめれば 誰しも孤独な一人であり、疎外された他者として終えていくのではないでしょうか。それは存分に分かっており、早くから感じ取っていたように思います。むごくも寂しくも間違いなく事実・真実なのだと。
* 秦 源氏物語の女性達と、いわば「一夫一婦」のことでは、すこし見解を前に書いて置いた。
この長編物語ですくなくも物語に顕れる限り、「一夫一婦」ゆえに世にも稀な「さひはひ人」と羨ましがられたのは、「明石尼君」ただ一人であり、「一夫多妻」 を忌み厭ったのは他の全ての女人、撥ねのけぬいたのは「槿」が一人、厭って死んだのは「宇治大君」が一人。
女性の「一夫一婦」願望を暗に社会化した源氏物 語は明らかに一つ大きな力になったし、すぐ引き続いて、「更級日記」の著者も名作「夜の寝覚」の魅力的なヒロインに、いわば男支配社会への闘いをすら試みさせ ていた。「そのような女になりたかった」女性は、やはり想像以上に多数であったろうと、わたしは当然のように思う、容易には実現しなかったけれど。
7月11日のHPに
「今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行く経過となった。・・しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、つよく肯定しつつ、それが「所有」の思いに帰着し固着するのを惟い、しかし「愛」とは「共有の生」を謂うの であると思い寄っていた。「性愛」に執すればむしろ「愛」に背くか遠ざかるのでは。」と書かれています。
「共有の生」性を含んで、なお共有の性ならぬ生であると強く思います。それ故に性愛を強調したくないとも思います。「これ」がこの作品を読んでの終着点ではないでしょうか。生きる哀しみを思います。
* 秦 以下、まだ「湖の本版 第三部完」を読まれていない方のために、完結への推移に触れた部分は此処には省く。
作者の根の哀しみ、死者への思慕、本当はこのことこそが作者の思いの根底・中核だと。痛切に受け止めながら、同時に厳しい問いかけも始まります。 尾張の鳶
☆ 今「感想」を送信しました。
読み返し最初にファイルとして送ったものを少し直しましたが、感想の域にとどまり 不十分に終わっていますが お許しください。まだまだ読みが浅いのです、痛感しています。
連日の暑さ、そして今週は 台風の行方が心配、ちょうどその頃に関西に行く予定なのです。
『清水坂』の上り下り、いかがでしょうか。
とにかくお身体大事に、大事に。 取り急ぎ 尾張の鳶
* この場で割愛の内容にも、重い指摘や批判がつよく出ていて、それらを引き出せたことに作者として喜び感謝し、おそらく吉野東作氏も頭を下げていると思う。ま、概しては、「尾張の鳶」さんでも、作世界の奥へまで手をつっこんでは読めてない感じでしたなあ。
機敏に察しがきけば、第一部冒頭にわざわざ置かれた短い「雪繪」メールに、「ひとこそみえね(あきはきにけり)」の一句がかぶせてあるだけで、「雪繪」の 自意識そして全作の成り行きに察しがとどく、わたしが作者でなくても、とどく。作の組み立てに、部分の表現と対抗するほど気を遣っていた、ただの趣味で百人 一首の句・句をただ綺麗事には見出しに使ったりはしなかった。
2019 8/12 213
* わたしは「和歌」が好き、なかでも拾遺和歌集と千載和歌集を愛してきた。
勅撰和歌集に蓄えられた日本語のレトリック模範は永遠の寶であるが、現代歌人 たちはあまりにもこれをゴミ箱をみるように見捨て果て、学ばない。真似よと云うのではない、学べとわたしは云う。歌誌も歌集も相変わらずよく戴くが、叮嚀 に言葉の練られた作があまりに寡く、ただもう雑駁に我が儘に、ことばの命が窒息死させられ死骸化している。感興の「共有」という嬉しさが伝わらない。なにより日本語特有の「 詩」を読むという嬉しさが乏しすぎる。
子におくれてよみ侍りける 平 兼盛
なよ竹の我が子のよをばしらずしておほしたてつと思ひけるかな
愛児を死なせ死なれた父の悲しみ歎きとは前詞から知れるとしても、歌一首のキイを成している「よ」の含みが深く美しく切なく読み取れなくては。
「なよ竹」とあるから、「よ」は「節」とまで行ける人はあろうが、和語の「よ」には、なお、「世、代、夜、齢、予、余、四」等々の含みがある。死なせた親に「わが子のよ」はあまりに忌みが重い。「おほしたてつ」の「つ」という言い切った思い込みの悲しみも、深く、重い。
* もっとも、選び抜かれた和歌集と個々人の気ままな私家集とを直に較べるのは気の毒である。といって、今日の広大な短歌世界から、「百人一首」 では余りに厳しい、(例が 無くはなく、岡井隆に少なくも二度の試みのあったのは承知している。有り難いことにその二册に、ともに私の二首を選んで貰っていて、その嬉しさ、忘れてい ない。 大岡信にも優れた「詞華集」の永い意欲と努力があった。)が、「精選の詞華集」ならばけっして不可能でなく、試みられたことは数あり、わたし自身も依頼さ れて試みた。これらを、もう少し徹し て定時的継起的なに成し続けてもらえないか。結社内での選抜はいかにもなま緩く、感じ入った例がまず無い。講談社の「昭和万葉集」は好企画であったがあま りに厖大な記念碑に過ぎ、個人で座右に愛玩はしにくかったが、私の編んだ『愛と友情の歌 愛、はるかに照せ』は、あの昭和万葉集もその他も厖大に読んだ上 で、編んだ。出来ないことでなく、歌壇が心を合わせて 佳い「選歌集」を、せめて十年に一度は出して貰いたい、但し選者に、少なくも結社主は必ず外して欲しい。
2019 8/13 213
* 八月十五日 木
戦争は負けてし終ふと告ぐるらし
ま澄みの天(そら)に陛下は見えず
2019 8/15 213
* 胸つく夢かとはつかに思ひ乱れ、そのまま床を起つた。
くべきもののくるとししりてありへたるときをはるかと身にしみて涕く
* ひさしくも盆といふならひ忘れゐて歌舞伎観むとし身をよそふけさぞ
2019 8/15 213
* 琴の音に峯の松風通ふらしいづれのをよりしらべそめけむ 斎宮女御
女文化盛期の卓越したサロンを主宰したすばらしい女性の一代を代表し勅撰「拾遺和歌集」をも代表する一名歌であるが、今日ではかかるなごやかに優美な自 然や景観を見失っていることもあり、容易に理解できる人がない。一首の意味すら読み取れない。これはなによりも下句のうち「を」一字が読み取れないのであ る。これを「(琴の)緒」そして「(山の)峯」と読めれば、事実上句にその双方は明示されてあるのだから、それだけの感情移入で琴の音色の美しさ遙かさそ して山の峯峯の美しさ遙かさは感触でき歌のうまみに頷ける。当時にあってはそれは単なる語彙の遊びでなく、日々に聴きも得、はるかに眺めもえられた現実の 美しい把握なのである。琴を弾じているのは人であると倶にどこかの山の峯(を)であり、琴の緒が鳴るだけでなく山の峯も鳴っている。琴と峯と人と山との合 奏。斎宮女御の日本語、精妙というしかない。
2019 8/24 213
* 学童生徒の自殺が珍しくないほどになっている。悪社会の病根のように成っている。それにしても死なせる側に思い上がった無責任の悪行があり、しんで行く側にもちょっと信じられない弱さも見える。
一つには、これも現下の国語教育・文学教育・情操教育の貧困が見え見えに過ぎている。
* 一等早く小倉百人一首の面白さを和歌自体と『一夕話』等で、四年生から丹波へ戦時疎開するまでに読み知っていた。また『白楽天詩集』などの世界も覗い ていた。『啓蒙日本外史』の朗読を楽し現代語になおされた『古事記』や通信教科書「日本国史」をイヘン幾度も絶って繰り返し読み耽っていた。敗戦後京都へ 帰れば、『モンテクリスト伯」「ああ無情』それに漱石全種へ手を伸ばす機会さえ持っていた。
新制中学になると、一葉世界を知り、なによりも与謝野源氏の世界を尽く覚えていたし、人から借りてバルザックやゲーテやヘッセを読んでいた。毎朝の朝刊 連載『少将滋幹の母』を読んでから登校したり、谷崎の『芦刈』『吉野葛』などに魅了されていた。☆一つの岩波文庫なら乏しい小遣いでたまに買えたりした。
* 現実の世界の何重層倍の佳い文学世界を所有していたから、現実に何が有ろうとたちどころにそこへ飛び込めて楽しめていた。わたしの貧相な綿布の掛け鞄 には授業外の三册のノートが入れてあり、作文と短歌・俳句と詩が書き込まれた。ま、よほどの外圧が濃いに暴力的にふりかかろうと、だれもわたしのそんな内 面世界の広大は脅かせなかった。
* 誰にも出来るとは言わないが、そばにいる教師やおとなにそれに手をかせる心用意が有れば、苛められるという被害感と少しは拮抗する別世界からの自信やちからづけにあずかれるだろう。
当今の経済優位統治型戦後保守政権の面々のその方面の素養や趣味能力のなさが、子供達の心根をかすかに干上がらせて自力で起つ喜びを奪っているのだ。
現実日々の体験や他との折衝などじつは小さい小さい淺い淺い薄いうすいのである、それを豊かに深めるためには文学や美からの栄養が必要なのに、恥知らず な政治家と政治とは率先それを少年少女の胸元から剥ぎ取って、死にたければ死ねというに均しい程度の自覚しか持っていない。
経済人、科学者、政治家が、日本語世界の豊かさを蚕食し吐き捨てている。
2019 8/26 213
☆ 秦様
湖の本146号のご恵投、ありがとうございました。内容については前回同様の感想を抱きました。177ページ、式子内親王の歌の解釈のところで、井上宗 雄の名前を発見大変懐かしく存じました。この先生は、私の早稲田高等学院時代の国語の恩師で、源氏の須磨の巻を教えていただきました。いまでも「波はよる よる」のよるが夜と寄るの意味を重ねているとおっしゃたことをよく覚えています。
神は細部に宿る、秦様の作品の細部の面白さを今回も堪能いたしました。
ますますのご健筆お祈りします。 茨城 鋼
* 「波はよるよる」とは微笑ましい。わたしより若くても十もあるない文筆家だが。やはり高校の古文教室で初めて習い識ったのかなあ。こういう縁語や掛詞のあやのある文語唱歌は子供の頃から幾つも唄っていたろうに。
「いつしか年も、すぎのとを、あけてぞ けさは」とか、「かたみにおもふ ちよろずの こころのはしを ひとことに さきくとばかり」とか。蛍の光の一 番二番など 幼稚園の卒園式いらい延々とうたってきたから、「過ぎ=杉の戸をあけて」 とか、「互み=形見におもふ」「千萬ずのこころの橋=端を」「ひと ことな 「幸く=先久」と「ばかり=だけ」など 一度も先生方は説明しなかったけれど、自然に日本語の面白さとして覚えていった。和歌はこういう日本語 の美しい結晶なのである。せめて歌人 詩人 俳人には よくよく心得ていて欲しい。
2019 8/27 213
述懐 恒平元年(2019)九月
汀にはいれば足にさはる鮎のやさしさ 瀧井孝作
ひやひやと壁をふまへて昼寝かな 松尾芭蕉
石に腰を、墓であつたか 種田山頭火
満月やたたかふ猫はのびあがり 加藤楸邨
手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
天の川大風の底明らかに 佐野青陽人
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋鷹女
稲妻と書いてあはれや雨の午後 湖
あなたとは彼方(あなた)のこととおもひ知る
さびしきかなや生きてあること 遠
秋風や不称念仏馬の耳 恒平
2019 9/1 214
☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く
言文一致 明治以来の言文一致はその動機において正しかつたが、結果的には大変な誤りを犯したと、私は考へてをります。なによりの証拠は私たちの文学が詩を失つてしまつたことです。
といふことは、私たちが文学を失つたといふことです。
これは漢学者の松本如石氏に伺つた話ですが、坪内逍遙は早くも明治三十五六年頃に、言文一致の主張が間違つてゐたと、述懐してゐたさうです。
おそらく、それは間違つてゐた。なぜなら言文一致といふことにおいて、音声言語の文語による鍛錬と格あげを考へることなしに、一方的に文字言語の口語による破壊と格さげだけしか考へなかつたからです。
* 謂われている「文学が詩を失つてしまつた」の「詩」の意味を、今日の文学者らの中でいちばん理解できていないのが、「短歌歌人」だと謂うしかない。短 歌が藝術言語による歌・詩であることを最も「雑」然と忘れ果てている。
2019 9/4 214
☆ 『唐詩選』(抄出) に聴く 李白「子夜呉歌」
長安一片月 萬戸擣衣聲 秋風吹不盡
總是玉關情 何日平胡虜 良人罷遠征
厭戦の情を この上なく切なく美しく。
2019 9/9 214
* 正古誠子さんの個人歌誌「言葉」が届いた。この歌人は、まさしく「言葉」を大事に生きて生かしている今日稀有のひとり、前に戴いた歌集も、わたしだけでなく短歌に縁の遠い妻をさえ感服させていた。
今回、ちょっと長い「あとがき」もよかった、その「おもひ」よく燃えていて、共感深い。こういう人もいるのだ、がさつに言葉を踏みつけ投げやった雑な歌誌の大勢に、読んで、思いなおしてもらいたい。
2019 9/9 214
* 和歌や短歌は創りもし俳句も読んで喜べるのに、日本国内でいわゆる「詩」が、久しく私には分かりづらかった。日本人の習慣では、短歌、俳句、詩という三種 が普通の散文と相並んでいるという受取方になっていて、では、ここにいう「詩」とは何なのかの説明や理解が出来なかった、し難かった。つまりは和歌、短歌 は「詩」ではないのかという反問がいつも胸に動いていた。私には、「詩」「詩情」「詩美」を理解する用意はいつも在って、それは時としていわゆる散文の文 章にもしかと感じ取れた。だがそれは、そのように受け取っている「詩」は、短歌、俳句、散文と並んで並列の表現様式とは思えなかった。
或る程度好意的に前向きに受け容れて謂うなら、日本人の謂う「詩」とは、短歌や俳句の「定型詩」に対する「無定型詩」のことと謂うしかなく、あるいは私 以外の誰もがじつはとうからそう思ってきたのかも知れない。それなら此の私がただ至らなかっただけのことになる。但しそれならこの「無定型詩」には広く観 て小説や随筆や、さらには評論・批評も含め、むろん戯曲の科白も含まっている。強硬に謂えば歌人、俳人という人種は理解可能にあり得ても、「詩人」という 名乗りは、あらゆる範疇での「優れた散文・演劇語」の筆者全員のものであるべきだろう。島崎藤村はまことに優れた「詩人」だが泉鏡花は、志賀直哉は、川端 康成は「詩人ではない」という理解は的を失している。
外国のことは正しく謂えないけれども、西欧に短歌や俳句は無いモノと観ている。だからこそシェイクスピアもゲーテもチェーホフも大きな意味で「詩人」として尊敬されているし、当然であろう。ボーボワールやリルケだけが詩人なのではなかったし、いまも同じではないのか。
日本には「詩」として短歌・俳句・無定型詩があり、かつてはこれに「漢詩」が加わっていた。多くの「歌謡」「民謡」もまた無定型詩であった。
やや長広舌に及んだが、わたしのセンスでいえば、現今のいわゆる日本の「詩」「詩人」の作や姿勢には、強いて「詩がる」ことで却って喪っている真の 「詩」「詩性」がありはせぬかと懸念している。趣向に過ぎて自然を欠いた「詩作」に多く出くわし、「むりやりくり詩」としか読めぬ作が多そうに見えてい る。詩人を悪く謂うのでは決してない、日本語で「詩」という無理なジャンル立てがわざわいしてないかナと思うだけのこと。
然るべき教えがぜひ得たいと、永く願ってきた。
2019 9/10 214
* 今朝もキッチンの卓にあった或る歌誌へ目をむけていて、ああ、この頃の歌人はさながらおのが歌作を、述懐でさえなく、気のきいた箴言を為すかのように、ま た成すかのように「諷して、ツクッテ」いるらしいと気づいた。和歌のどの時代にもどの勅撰集にも、いくらかはこの傾向は見える。
極楽ははるけき程と聞きしかど勉めて到るところなりけり
濡衣をいかがきざむ世の人は天(あめ)の下にしすまむかぎりは
前歌は、ま、坊さんの自覚と読んでよかろうが、一般の読者は箴言じみて受け取ったろう。後の作など、気のきいた箴言きどりに読める。むろん近現代の著名歌人にも無いわけでなく、しかも秀歌がある。
おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は 斎藤史
など胸に響いて忘れがたい「箴」とも読める。
だが現今の歌誌等に氾濫しているのは「箴めかし」た「雑に安い思いつき」の、しかも表現に「うた」の美しさが目も耳も蔽いたいほど欠している。
短歌も俳句もまた「批評」のはたらきをするが、むりやりくりの「思いつき」を読むのは愉快でない。
2019 9/11 214
* いわゆる定型といわずとも、広義の「詩」美には「韻」「律」がはたらく。散文にも、演劇語にも存在している。
まだあげ初めし前髪の リンゴのもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり 藤村「初恋」
明らかに七五の「律」を追い しかも初・三句を「の」「音」の「韻」の美で「詩化」している。ことに後者のはたらきはいわゆる散文=小説でも随筆でも、 文の「品格」や「詩美」にかかわっていて、これに無神経な書きやりは文章を詩性から遠のけてしまう。雑文とは、ここへ神経の通っていないものを謂う。
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し 上田敏訳 エ゛ルレエヌ
五音律の美を「の」音のろ、「し」音の韻の美がゆるぎなく作を「詩化」している。かほどまでになくとも散文を書く時もこういう「韻」の効果は、わたしは忘れないでいる。
光る地面に竹が生え
青竹が生え
地下には竹の根が生え
根がしだいにほそらみ
根の先より繊毛が生え
かすかにけぶる繊毛が生え
かすかなふるえ 朔太郎「竹」
なぜこの詩の美しさが多くをして愛せしめたか、適切な繰り返しの「韻律」と簡明な漢字・かな「音」の用い方で、語句の意味・意義を超えた「詩化」世界が実現している。
井上靖の「散文詩」にもそうした天性の表現が観てとれる。
いわゆる小説や随筆の「書き出し」や「結び」にも必然の「詩」の読み取れる例は、枕草子や源氏物語や徒然草や藤村、直哉、龍之介、康成また由紀夫の科白等々に人は覚えがある筈。今日に所謂自称「詩人」だけが詩人なのではない。
2019 9/14 214
* もはや前世紀であるが、東工大で機械を初めて買い、学生君らに遣えるようにしてもらい、そしてメールが遣え始めた頃、わたしは著名な或る婦人雑誌に、 「電子メール」は「恋文のように」書いた方がいいと寄稿した。機械での語りかけは慣れない打ちはよけいに堅苦しくて、悪気なしに咎めてるように読まれたり 読めたり「ケンカ」している例をもちょくちょく耳にした。
わたしは、文学用・創作利用の用にもいろんな「電子メール」文体の蒐集をはかったほど是に興味をもった。もらって楽しめるメール、まじめなメール、真面 目すぎるメール、親切なメール、深雪の過ぎたメール、いたずらメール、ぴんぼけメール、ど説教メール、小うるさいメール、詰問メール等々、むろんほんもの の恋文メールは遺憾にももらえなかったが、私はというと、主張通りに気分は恋文ほどの温かな心持ちで書くのを分としてきた。
時々はほんものの恋文っぽくも戯れた。()鯛のでんしめーるザッして
例えば、まさしく譬えばであるが、ある人、むろん読者、には譬えば「伊勢うつくし」とだけ送ってみる。さ。これは謎である。
しかし「伊勢」が、平安時代の著名な女性歌人だとまではなにか事典か案内で調べられる。美しい女人であった。恋多い女人でもあったと、そこで止まってしまう。「うつくし」が「愛し」の意味ももつことが伝わらない、私の「恋こころ」を察知するには当然これでは半端である。
伊勢が歌仙とたたえられる女歌人であるとともに、百人一首の一人と、これが思いつかないらしい。
難波潟みぢかき蘆のふしのまも逢はでこの世を過ごしてよとや
と出ている。私自身にも、
伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしかひとはかほどのまことを知らず 恒平
と歌集に載せている。これは、「逢いたいな」と誘うラブレターに相違なく、だが、冗談ほどにも伝わらないから、おもしろい。おもしろくもない。だから、こんな歌も作られる。
逢ひたいと云へぬ歎きをひと言にお元気でとただ受話器を置ける 恒平
斯く、私の歌集や歌作は、いわゆる世の歌人さんたちの歌作と少し筋違いに、背後に「小説世界」を予告ないし用意ないし企図している。体験歌でも経験歌で も願望歌でも殆どまったくなくて<
みな私の想像力での創作用意・覚えでもある、但しあの、歌集『少年』は純然の創作歌集です。「光塵」と「亂聲」とは、実と虚とが 混成の歌集、勝手気ままな『老蠶』の繭づくりなのです。
2019 9/17 214
* 城西大の学長をされていたと思う水田宗子さん編集の文藝・詩誌「カリヨン・ストリート」を戴いて掲載された幾つかの詩を読み詩人の対談を読んで、先日来の詩についての思いとあわせ、いくらか日本でいわれる「詩」なる感じが見えてきた気がした。
素直に簡素に率直な日本語できちんと語られてある詩と、やたらに気取って日本語をこねまわして詩と自負・自称したものの差が見えてきた。「カリヨン」に は、見た限り、気取って無茶な日本語はみえなくてその心境のよみとれて感興を覚える作にいくつも出会えたのは幸いだった。
2019 9/22 214
* 午後二時。 全四章の前半二章を 推敲しつつ気を入れて読み返した。この辺までは、是までもイヤほど読んでは直し直ししてきたので、幸い大きな齟齬は無かったと思う。
台風の余波らしきがしきりに窓を打っている。フルート曲を聴き、今は能管が静かに恋の音取りを聴かせてくれている。仕事中は疲れを忘れているが、やすむと、ぐったり心身折れてくる。今日は、かなり暑い。すこし階下で休くでくる。いま、横になると読みだす本は、
まず、ホメロス「イリアッド」。大変な長編だが、予備知識が出来ているので、苦にするよりむしろ楽しめる。いま、トロイの王の質問に応えて、両国わざわいのタネとなっている美女ヘレネがアカイア側の英雄・勇士たちの紹介をしている。
次に「千夜一夜物語」 アラビアンナイトなんてと軽くみて読んでない人は大損をしている、世界中だこれほど面白くよく語られていて飽きない本はめったに無い。厖大に大量の咄が満載で、美女シャーラザッドの語り口は心憎く軽妙。
次にはトルストイ「アンナ・カレーニナ」 これは楽しいばかりの名作ではない、息苦しいまで凄惨なの女の悲劇と、またこころよき愛し合う夫妻の幸福物語でもあり、トルストイの筆の精妙な活躍と把握の凄みは、世界一の近代小説とすら云いたくなる。
そしてル・グゥインの「懐かしく なぞめいて」 これはもう快く降参してしまうほど知的に深く徹底した創造力と世界把握の現代奇跡的な名作。
そしてそして久保田教授に頂戴したばかりの岩波文庫新版「後拾遺和歌集」 和泉式部を初めとする絢爛の平安女流達の和歌の美がいい解説付きで満喫できる。
2019 9/23 214
* 湯につかりたい。
* 湯の中で、桂郎俳句を晩年の夫人が撰註された一冊を、感じ入って味わっていた。 2019 9/23 214
* こんなことは、滅多にないこと、石川桂郎の俳句に魅されている。これこそ私の思って望んで果たされないで来た「俳句」という詩歌の藝のみごとな成果。名前はむろん知っていたし、この撰著の適確な註を書いている桂郎晩年の夫人は、永井龍男先生のご紹介で永らく「湖の本」の購読者でもあった。この本も奥さんから戴いている、のに桂郎俳句に触れてこなかったのは、まったく私の怠慢。俳句へのほぼ絶望のような久しい失望に邪魔されていたのである。
佳い表現の的確な感銘に接する嬉しさは、言葉にならないほど。この歳にしてこういう喜びにも出会う。博捜したはずなのに私の詞華集『愛と友情の詩歌』に、師の波郷はあっても桂郎の名も作品もはいって無い。恥じ入る。
2019 9/24 214
述懐 恒平元年(2019)十月
秋のはじめになりぬれば 今年の半ばは過ぎにけり
我がよふけゆく月影の かたぶくみるこそあはれなれ 慈円
いかならむ明日に心を慰めて
昨日も今日もすぐす頃かな 順徳院
世の中にまじらぬとにはあらねども
ひとり遊びぞ我はまされる 良寛
親は子といふて尋ねもするが
親を尋ねる子は稀な 山家鳥虫歌
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
偽(いつはり)のなき世なりせばいかばかり
人の言の葉うれしからまし よみ人しらず
時をおき老樹(おいき)の雫おつるごと
静けき酒は朝にこそあれ 若山牧水
珠取りの海女(あま)が恋ひしく躬(み)の母の
生きて死ににき戦(いくさ)を想ふ 恒平
むしすだくつゆけきまでのいのちして 恒平
比叡愛宕嶺 師のひとのわれにあれみよと
平生心をおしへたまひき 恒平
2019 10/1 215
* 昨日の「ラ・マンチャの男」には二度三度と泪を拭った。白鸚がまだ染五郎の名ではじめて演じたのが、一九六九年であったと聞いている。私が『清経入 水』で第五回太宰治文学賞を受けた年だ。満五十年が経ち、わたしはたぶんまだペンクラブの理事時代にはじめて、そう、あれはアルドンサを松たか子が演じた 時に観た。以来何度も繰り返し観て、新たな感動を得続けてきた。
胃全摘の八時間手術を受けた年の八月にも感動して観た。
在るとみえて否や此の世こそ空蝉の夢に似たりとラ・マンチャの男
と詠み置いている。今度も胸に堪えることばをしかと聴いた、何度も。
高麗屋とのお付き合いももう久しい、大方の舞台を観続けてきた。三代襲名も祝った。上に掲げた松の栄えを祝って京都以来愛用してきた淡々齋好みの「末広棗」は、もうよほど昔によろこんで当時の九代松本幸四郎丈に贈った品である。
2019 10/11 215
* 二代松本白鸚丈の「句と絵で綴る」句文集『余白の時間(とき)』が贈られてきた。句も絵も高麗屋の文字通りに大好きな得手で、楽しさに溢れて、墨書も みごとに流暢。いままでも何冊も本をもらっている。その文筆の滞りなく胸に届くのをよろこんで躊躇いなく日本ペンクラブの会員にも推薦したのが、さあ、も う昔のこと。文筆の妙は白鸚さんだけでなく、奥さんも、松たか子も、十代目を襲名の新・松本幸四郎も佳いエッセイを折に触れてしなやかに、生き生きと、多 彩に書かれている。
この前の、あれは幸四郎として最後の本であったか、自分は「いま、ここ」が大事で好きだと表紙にもでていたと思う。
私も、歌集『光塵』の結びに近く 2011・8月「病む」と題しながら、「いま・ここ」に生く と二首を成し、9月1日にも、
「いまここの生きの命よ秋さりぬ」 と書いている。年明けて、二期胃癌が見つかった。
私にも「いま・ここ」の強い思いが常にあり、それなくて「生きる」ことは無い。
2019 10/12 215
☆ お元気ですか、みづうみ。
昨夜の台風をご無事にお過ごしでしょうか。雨風に洗われた青空がひろがっていますが、暑い一日になりそうです。
先日のみづうみから頂戴したメールを複雑な思いで何度も読み返しています。
>わたしは、後世 後生 というのを心底は信じていないので、
『畜生塚』や『死なれて・死なせて』ではかくありたい願望を書かれたのでしょうか。「身内」観は真理に王手をかけた秦恒平の思想でありましょう。
わたくしはキリスト教で育った人間で、キリスト教の教える愛が骨の髄までしみこんでいます。しかし、みづうみの「身内」観は、これまで信じてきたその愛のかたちを変え、ある意味わたくしを再構築してしまうほどのものでした。
「身内」とは、つまり倶會一処のことと理解していましたが「後世 後生 というのを心底は信じていない」ということは、「身内」の愛は所詮みづうみの創作、今生の夢にすぎないと理解すべきなのか。
歌は、日本語美の極致でしょうが、わたくしは心底和歌の真実を分かったと言いきれたことはないのです。歌は赤裸々に説明せずに、暗示やほのめかしで互いに察しあう心情の伝え方に妙味があるのでしょうが、何が真意か、解釈はいかようにも成ります。
「伊勢うつくし 逢はで此の世と歎きしか ひとはかほどのまことを知らず」は愛なのか、性愛なのか、どちらにも受け取れます。言い尽くさないことは詩美 をより深めるとしても、言い切らないことで逃げ道が出来るという日本語の欠点をこれほど抱えた文藝もないのではと思うことがあります。素人感剥き出しの感 想で申しわけないのですが。
バートランド・ラッセルの『幸福論』の中に、幸福であるために「望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨ててしまう」という言葉がありましたが、みづうみと出逢ってからのわたくしの道のりはもしかしたらこの道のりであったのかもしれないと思うことがあります。
幸いみづうみは多くの作品を与えてくださっています。作品と出逢い続けている限りみづうみはいつもわたくしと共に生きてくださることになりましょう。フランクルの云うように、レモンからなんとか美味しいレモネネードを作らなければなりません。
みづうみの新作が待ち遠しい日々です。でも、過剰にお身体をお使いになりませんように。どうかどうかお元気でいらしてください。
梨 剥きたての梨の光れる夜の雨 戸塚久子
* このメールには、直に答えるという以前に、私自身で自身に問い返しておかねばならない難問がある。
このホームページの頭には以前から、今も、こんな自句をかかげている。
あのよよりあのよへ帰るひと休み と。
これは、はたして言い得ているのか、と。
2019 10/13 215
* 四人から出発した歌誌「新短歌」が「未来山脈」へ展開して七十年記念大会を。「招待」して頂いた。近年、日本ペンクラブも文藝家協会その他も、一つに はからだがシンドイからだが、一切出ていない。出向くのは劇場と能楽堂(稀に)と病院だけになっている、が、今回のお誘いの会で藤原龍一郎さんがお話しさ れるというのに立ち止まって思案している。一度お目に掛かりたいお一人であるので。ただただ、このよろよろの歯抜け爺が顔出しでは何の花にもなるまいし。 ウーム。。
2019 10/20 215
* 亡くなった懐かしいたくさんな人をしきりに想い出すが。なんと、遠いことか。
あなたとはあなたの果てのはてとこそ
吾(あ)に知らしめて逝きしかきみは 恒平
2019 10/27 215
☆ 『バグワンと私 途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ
2 そのバグワン本を、「いったい朝日子、あの頃 なにに血迷っていたのかな」と、ふと娘の気持ちを知りたさに手に取ったのが、去年(平成九年・一九九七)でした。
そして、驚いたのです。ほんとうに驚いたのです。
正直に言って、とてもあの頃の娘の、手に負える本ではありませんでした。その後の娘の娘時代を振り返れば振り返るほど、バグワンに娘が浮かれていたのは事実でしたが、受け容れるにははるかな距離のまま退散したにちがいない、と、そう想えました。
朝日新聞が、「心の書」を数冊選んで、週に一度ずつ四回コラム原稿をと頼んできたとき、わたしは、源氏物語、徒然草、漱石の「こころ」とともに、バグワン の「十牛図」を<解き語り>した講話を選んで、原稿を送りました。すると、担当記者から丁重に、バグワンに関する一回分だけは再考慮されてはどうかと電話 がかかり、やがて、バグワンがかつてアメリカのオレゴンで裁判にかかり追放された頃の新聞記事などを送ってきてくれました。こだわる気持ちは無かったし、 なによりわたしにはその手の予備知識も情報もなく、ただもう、本を読んでの感嘆のほか無かったのですから、原稿は引き取り、すぐ、べつのものを書いて渡し ました。
しかし、その時でもわたしは、バグワンの説きかつ語る言葉が、じつに優れた境地にあることは信じられますと記者に伝えておきました。要は、私自身の問題でした。
原稿を書いて新聞社に渡してからも、もう月日が経っています。しかし、その後も他の講話を時間をかけてかけて読み、その示唆するところの深く遠い端的さに は驚嘆と畏敬を覚え続け、いささかも印象は変化していないのです。伝え聞くオーム真理教の連中の、あんなむちゃくちゃとは似ても似つかないものだと、何の 思惑もなく、一私人として、バグワンにわたしは敬意を惜しまないのです。
いまは、『般若心経』を語っている一冊を読んでいます。高校生このかたこの根本経典を説いた本には何度も出会ってきましたが、バグワンの理解は、透徹して、群を抜いています。
余談ですが、わたしは、わが日本ペンクラブ現会長の梅原猛氏に、「般若心経」を説いてみませんかと、二度三度立ち話のおりに勧めています。氏はバグワンの 説く意味の「叛逆者」とはかなり質のちがう、与党的素質の濃厚なかつ大度の人ですから、また特色ある理解が聴けるのではないかと期待するのですが。「般若 心経」は、或いは、氏の試金石ではあるまいかとすら思っています。これは余談です。
もし私が東工大教授の頃に、教室や教授室で「バグワン」の話などしていたら、或いはオーム真理教寄りの者かと、物騒に思われたろうかと、苦笑しています。
しかし、繰り返しますが、その説くところを静かに味読すればするほど、バグワン・シュリ・ラジニーシは、オームの徒なんどとは全く異なった、本質的な「生」のブッダです。
* しかしまた、わたしはバグワンを、まだ二十歳過ぎた程度の人に勧めようとは思わない。「知解」は試みられるでしょうが、人生をまだほとんど歩みだしていな い年代では、この講話を、親切にまた深切に吸い込むことは無理です。つまりわたしの娘も、いいものに出会いながら、何一つ得るところなく別れています、投 げ出したのです。無理からぬことと、よく分かったつもりです。その娘が、バグワンの本を、父のわたしに、十数年も経ったいまごろに出会わせてくれたこと を、喜んでいます。
1998.04.02
* 上に、「余談」のまま、今は亡き梅原猛氏に「般若心経」について書いてみませんかと繰り返し奨めていたと書いている。これは、いささか梅原さんをゆす ぶる行為だった。彼の佛教観ないしは日本人観は、いわば「あの世」を「あり」と信じ、「魂」をありと信じる哲学で。
それに対し「般若心経」は「空」観の一の 根本経典であり、「死後」を持たない、釈迦は「後世(ごせ)」も「死後の魂」をも認めていない。この辺は、禅家の秋月龍珉氏が梅原さんを鋭く批判しつづけて『誤解 された佛教』の顕著な例と挙げている。
梅原さんは「般若心経を」と聞くと、頸をよこに振っていた。私は、聴いてみたかったが。
* 般若心経は 仏壇にいつも手に取れる小さなころから馴染みふかいお経で、高校にはいると創刊された角川文庫からまっさきに『般若心経講義』をいそいそと乏しい小遣いで買った。やさしく語りかける講義で、表紙ももげるほど耽読した。決定的に忘れがたい読書であった。
だが、問題が一つ起きている。この日録「私語の刻」の冒頭に「方丈」とかかげて、その下に私は、
あのよよりあのよへ帰る一休み
と現世を観じた一句を掲げている。明らかに、和泉式部の
暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照らせ山の端の月
に感化されている。じつはそれだけでない、「この世」を「旅宿の境涯」とうけとめた人は、中国にも日本にも少なくはなかった、多かった。こんなこともわた しは忘れていない。建日子がまだ小学生の頃、わたしと入浴しながら「お父さん、人はみな、<この世>という<休憩所>にいるんだよね」と言い出し、わたし は湯槽へ転びそうに仰天した。聞くと、読んだばかりの『モンテクリスト伯』にそんなふうに書いてあったよ、と。また、ビックリした。あとでしらべて、つま り私もまたまた読み返して、たしかにそれに類する表現・述懐が書かれていた。
* 「この世」ははたして「休憩所」での「一休み」であるのか。
ひょっとしてあの「一休」さんの思いもそうであったのか。
* 『般若心経』の「空」観は、そうは言っていない。気になりながら、上掲の一句、そのまま置いて、今、わたしは、その思案を避けている。フィクションと知りつつも、先へ逝ってしまった人たちのあの世があればこそ、諸々の今生世愚にも煩多にも堪えてられるということ、あるではないか。ウーン。
* それにしても低劣内閣・愚衆自民党であることよ。どこまで続く泥濘よ。
2019 11/2 216
* 新しい物語を、跡絶えずに書き継いで行く気でいる。病院、医院のほかで人と口を利くことが久しく無い。昨日、川口君の電話で暫時話したのが稀有。一つ には、入れ歯が落ち着かず、喋りにくくて。仙人のような通力はまったく無くて、妻と「マ・ア」とだけの「お仙」めく日々に身を浸している。もう、このまま 黙然と気軽に残年を楽しむだけ。
それでよい それでよいとよ 寒鴉
2019 11/5 216
☆ お元気ですか、みづうみ。
能楽堂から無事にお戻りになって安心しました。外出に少し自信をもたれたことでしょう。外出時に携帯電話、いわゆるガラケーをお持ちになることは大賛成 ですし、是非お願いしたいと思います。昨今公衆電話は街中にはなく病院のような場所にしかありません。緊急連絡が必要な時はとても困ります。若い世代に とっては電話といえば携帯のことで、パソコンのように一人一台が当たり前になりつつあります。好むと好まざるとにかかわらず、近い将来、現金を入れた財布 の代わりに、携帯とカードだけを持って外出する時代が来ます。
タイタニック号のドキュメンタリーは本当に驚きで、途中で料理の手が止まってしまいました。
ですが、この世界のドキュメンタリーシリーズでは決して珍しいことではありません。
アフリカの根深い賄賂社会(小学校の先生が賄賂を持ってこない生徒には教えないというほどの)の話とか、
リーマンショックの内部告発者たち(正義ゆえのホームレスと 責任を問われず富も権力も失わなかったトップ)の話とか、
人間さまのお蔭で地球上最後のキタシロサイ一匹が静かに絶滅していく話とか、
アメリカのオルトライト、極右勢力の指導者が 「世界にイスラム教徒が多すぎるので彼らを核兵器で亡ぼすべき」と語る潜入ジャーナリストが隠し撮りした映像とか、
もうもう「ひでぇ話」があるわあるわ……あるわあるわ。
つまり世界は、誰にとっても基本的に「ひでぇ場所」なんだと思いました。
地球に人間はいないほうがよいと思ったことは、何十回ではききません。それでも、このようなドキュメンタリーが数多く存在することは、巨悪や無関心に立ち向かう人間もたくさんいるという何よりの証拠でもあり、そこに人間の勇気も希望もあるわけです。
好奇心というより 義務感さえあって、時間の許すかぎりはこのようなドキュメンタリーを観るようにしています。それがわたくしのような凡人にも出来る、「よりましな世界へ」の応援の一つです。
ドキュメンタリーシリーズには不出来なものもたくさんありますが、時には得難い感動に魂の震えることもあります。
みづうみのお書きになる「身内」の達成の実話が 世界にはたしかに在ります。「身内」となった彼らの流す涙の美しいことは、すべての人間の悪を補って余りあるとすら思えます。
みづうみは後世をやはりお信じにはなりませんか? 「身内」は今生限りですか?
秋晴れの一日は本当に気持ちがよいです。わたくしはストレス山盛りの日常ですが、それほどひどい場所にはいません。こんな青空を眺めていると心も晴れます。
みづうみもお幸せな一日をお過ごしください。
追伸
みづうみが視界のご不自由な中、ご苦労なさってキーボードをお打ちになっているのがわかります。
十一月 述懐 の最初の句が、
露の世は露の世ながらさりだから 小林一茶
となっています。お時間のあるときにご訂正ください。
* いいメールを、ありがとう存じます。教わりもし 助かりもします。
* 後生のことは、考え得ない、分からない、手に負えないと、手放している。
露の世は露の世ながらさりながら 小林一茶 とばかり。
2019 11/5 216
* 私には「梁塵秘抄」「閑吟集」の両著があるが、先立つ「神楽歌」「催馬楽」には手を触れてこなかった。魅惑を覚えていながら敬遠していたのだが、古典全集 で双方へ目を向け、惹きこまれている。懐かしいのである。ここに「うた」の「歌唱・合唱」の原点が、「歌う楽しさ嬉しさ」の原点がある。「記紀歌謡」とも ども、今後もしみじみ味わい楽しみたい。平安時代をもさらに溯りうる風情がある。
2019 11/9 216
* 寝ても覚めても唇さきに短歌らしきがあぶくのように噴いてくるが、面倒で、書き留めていない。
2019 11/10 216
* 自由律の短歌誌を、久しく、二種いつも頂戴している。定型のまま内的な緊密と美妙をよくまもれないでいる歌誌の多くよりも、時に強い共感と親密感と を覚える。「詩」が在って感じられることがままある。なみの短歌誌には、巻頭から詩の表現のほとんど無いばかりか詩が凌辱されているような混雑をうけとる ことが多い。どういうことなんだろう。斎藤史さん河野裕子さんらが懐かしい。
2019 11/15 216
* 明治の元勲といわれた陸軍元帥、公爵山県有朋総理の私家版非売の家集「椿山集」を昨日つぶさに読んで正直、感嘆した。彼の公生涯にわたしは久しく厭悪 観劇体験こそ持て、わずかに山県狂助時代の攘夷への働きに共感していた時期をはなれれば長州閥と横柄陸軍の象徴としか思ってこなかった。しかも、東京には 椿山荘があり京都にも瀟洒な庭園が瓢亭の真東に隣接していて、その風雅にはたしかに心を惹かれていた。
今度「椿山集」の行分と多くの和歌を読んで、文も歌もいわば素人にちかいもののその清雅な余裕のほどにいたく感じ入った。昔の武人の懐の深さを覗き見る心地だった。
これと較べると同じ長州閥のさきっちょでウロチョロする安倍晋三の無教養な国会答弁や軽薄に不行儀なヤジのとばしようなど、山県有朋とは雲泥の差だなと情けなさを深めた。
* 「椿山集」 なにかのかたちでもっと人目に触れて佳い資料性(行状記を含んでいるのだ。)と風雅の境涯がある。決して上級の藩士ではなかったが、吉田松陰を慕い、文も和歌も粗忽ならずときに美しくも書けている。
それにしても奥付に「非売品」と明記されたこんな珍本を秦の祖父は大正の初め五十代極初にどうして手に入れたのだろう。
なんだか。明治の歴史を復習してみたくなった。たいへんな古書の顔つきをした『明治の歴史』という上下本も、やはり秦の祖父鶴吉の遺品にまじっていて、今も、私の書庫に遺してある。
2019 11/17 216
☆ 雲丹といふ赤間の浦のめでたきをかしこし酒に戴いてをる
2019 11/21 216
述懐 恒平元年(2019)十二月
冬の水一枝(いっし)の影も欺かず 中村草田男
ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に
そを聴きに行く 石川啄木
とほどほにさかりてあはぬひとつ世の
限りといへばあひたかりけり 水町京子
ありし日に覚えたる無と今日の無と
さらに似ぬこそ哀れなりけれ 与謝野晶子
をとめ子の清き盛時(さかり)に ものいひし人を
忘れずーー。 世の果つるまで 釈迢空
土手を外(そ)れ枯野の犬となりゆけり 山口誓子
冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上鬼城
八十(やそ)とせを四(よつ)とせ越えて今にしも 恒平
いくさに負けしむかしおもほゆ
あすありとたがたのむなるゆめのよや
まなこに沈透(しず)くやみのみづうみ 湖
あはとみる雪消(ゆきげ)の朝のしらぎくの
葉は立ち枯れて咲きしづまれり 宗遠
2019 12/1 217
* 暫く前から思い立って、従来不勉強疎遠なまま過ごしてきた「神楽歌・催馬楽」を読んで楽しんでいる。今朝、目が覚めたまま寝床の中で たまたま「貫河(ぬきかわ)」というのに出会った。
貫河の 瀬々の柔(やは)ら手枕(たまくら) 柔らかに 寝(ぬ)る夜はなくて 親放(さ)くる夫(つま)
親放(さ)くる 妻は ましてるはし しかさらば 矢矧(やはぎ)の市に 沓(くつ)買ひにかむ
沓買はば 線鞋(せんがい)の細底(ほそしき)を買へ さし履きて 上裳(うはも)とり着て 宮路通はむ
通ってくる夫をこわい母にとかく見張られ遮られ 柔らかに共寝のならない若夫婦の唱和。「ましてるはし」は「ましてうる(愛)はし」の略。沓には大昔もいろいろあって、「線鞋(せんがい)の細底(ほそしき)」女性用の底の細い緒できちっと絞める沓。妻の方から夫の方へ通って行くわというのだ。恋愛と買い物と行動と。
なんとも うるわしくこころよい楽しい歌謡。もとより大勢で、或いは男女に別れて掛け合うように謡ったのであろう。「催馬楽」にはこういう歌が満ち満ちている。掛け声や囃し声を聴きとって読むのが楽しい。気が向けば、また、佳い歌を拾ってみる。
2019 12/1 217
* 寒さが日増しに加わり、夜明けも遅れてきた。十二月は、生まれ月、日のいちばん短かな冬至に生まれ、十二月に求婚し、十二月には(何の関わりもないの だが)赤穂浪人達の「討入」りがある。わたしは、妙に、討入り贔屓で、大きな理由のひとつに「公儀への抗議」行動でもあったのを是とみている。緻密な創作 にひとしく緻密に構想・構築された或る美しさのようなモノにも心惹かれてきた、巷談に過ぎないと謂われようとも。で、「討ち入り」の話題が聞こえてこない とへんに物足りないのです。
討ち入りのこと聴かざりき十四日 2000-12-14
ヘンですかね。
* ちょと気を変えよかと催馬楽集をひろげると「鶏鳴(とりはなきぬ)」と飛び出した。これは説明しないでおこう。
鶏(とり)は鳴きぬ てふかさ
さくら麿が 其(そ)がものを押しはし 来りゐてすれ 汝(な)が子生(な)すまで
「てふかさ」は、一座賑わいの囃しことば。罪深いのか 罪のない歓楽か。夜這いの風は 今も残っているのだろうか。
2019 12/2 217
☆ メールは苦になりませんので
いつでもお送りください
芭蕉と蕪村はいづれも全句集を読んではゐます 他の俳人にしてもまあ好きな句の拾ひ読みです 近代では橋本多佳子の句集は持つてゐますが ……
御目にかかれる日を楽しみにしてゐます 寺田生
* 寺田さん
読むのも佳いですが、俳句や短歌は 自作してみたい相手です。創り合って楽しむ道はいかがですか。
迂闊にも最近に出会った 石田波郷の後輩で、永井龍男先生のお弟 子筋の石川桂郎の俳句は、めざましい出会いでした。夫人の手塚美佐さんの編んで註した脚注名句シリーズ(俳人協会)に入っていました。自身俳誌「琅玕」を 主宰した手塚美佐さんは、永井先生が、「湖の本」のために大勢ご紹介下さった購読者の一人でした。
手もとに、内藤鳴雪という 子規年長の門下人の著した『鳴雪俳話』という明治の古本がありまして、小さい頃に感じ入って読んでいた思い出があります。読みやすい本でした。
そうそう、書庫に、明治も早期の文士成島柳北の全集一冊本がありました。「柳橋新誌」なんてのも入っていますよ。
さらにそうそう、明治の元勲、あの椿山荘の山縣有朋公爵が自編自作の非売本、和歌と文との美しい和装『椿山集』があります。珍しいものと想います、なんで秦の祖父が手に入れていたか分かりませんが。
話題は いろいろありますねえ。 「剣客商売」なんていう連続テレビ劇もありますね、ご覧になったことありますか。
と、際限ないので、此処までで。日々お大切に。 秦 恒平
* 寺田さんは、真剣も遣われる現代本格の剣士と伺っている。
2019 12/8 217
☆ 『バグワンと私 途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ
39 * 2003 06・25 疲れて衰えがちな気根を潤してくれるのは、楽しみな各種読書のさらに根の所で、毎日毎日胸に響いてくる「和尚」バグワンの声と言葉です。これほど透徹したものを伝えてくれた人はいません。
もうわたしにはあらゆる聖典が事実問題として無用です。なぜなら聖典を読みとる力など、今のわたしに有るべくもないから。「enlightened=悟 りを得た人」にだけ聖典は、微笑とともに頷き読まれ得るもの。そうでない者には却って読めば読むほど自身のエゴを助長し、いわば抱き柱に固執させるだけだ とバグワンは云い、ティロパも云います。その通りだとわたしも今は思っています。聖典に読み依りかかる人達の切実さを否認しないから、「およしなさい」と は決して云いませんが、聖典を読めば救われるなどということは、誰が保証しうることでしょう。
わたし自身、例えばバグワンの言葉に耳を傾けていたら「悟れる」などと、つゆ思っていません。わたしはわたし自身に目覚めて行き着く以外に、どうにもな らないでしょう。バグワンはわたしを「静かに」はしてくれます、が、それで至り着くのでもなく、そもそも至り着くべき目的地などが遠く遠くの決まった地点 になど存在しているわけがない。目的地が在るとすれば、それは既に「わたし」の「うち」に在るようです、が、それが──まだまだ。
* 会う人ごとに「お元気そうですね」と云われます。そう見えるのでしょう、たぶん。しかし、わたしは衰えています、めっきりと。
* 僕は( )へてゐる 高見 順
僕は( )へてゐる
僕は争へない
僕は僕を主張するため他人を陥れることができない
僕は( )へてゐるが
他人を切つて自分が生きようとする( )へを
僕は恥ぢよう
僕は( )へてゐる
僕は僕の( )へを大切にしよう
* ( )に漢字一字を入れよとは、東工大の教室の諸君には、難解な出題でした。 2019 12/9 217
☆ 歌人の藤原龍一郎さん、俳句に打ち込まれていた頃の全句集を戴いた。もう一冊、秦久美さんという俳人との趣向の句集も。俳句は、真実、むずかしいと思います。感謝。 2019 12/11 217
* 一服気分で「催馬樂」を広げていて、「庭に生ふる」に出会った。
庭に生ふる 唐薺(からなづな)は よき菜なり
はれ
宮人(みやびと)の さぐる袋を おのれ懸けたり
「庭に生えている薺はいい菜だ。ハレ。宮人が下げている袋を、おまえは掛けている」と校注者は読み、擬人化した薺への「親愛の情にあふれている。それは 児童の心に通じている。わらべうたとみてよい」として、頭注では官人らが「習俗として」薺に似た「三角形の袋をさげていたかどうかは未詳」としているが、 そうだろうか。そんな歌のどこが「ハレ」と囃し合う面白い歌であろうか「わらべうた」などと誤解も甚だしい。
男である官人・宮人のいつも「さげて歩いている袋」は、決まっている、「きん玉」という袋で、庭の薺の恰好からそこへ聯想を持っていき、笑い囃している歌である。
困るなあ、一流の大出版社の古典全集の校注や解釈がこうでは。
* 実は前にも「閑吟集」でこんなのがあった。
世間(よのなか)は ちろりに過ぐる ちろりちろり
これを校注の先生は 「世の中のことはちらっちらっとと過ぎてしまう」と説明されていた。なんじゃいな。「世」は、古来、男女好色の仲を意味している。 好色一代男の名は「世之介」であった。「ちろり」はいわゆる酒の燗徳利、それに「ちろりちろり」と「短い間」の意味をかぶせて、好いた男女「床の一悦」 は、燗徳利の煮えるまも保たないで過ぎたよと、苦笑し失笑し自嘲し談笑もし唄っている室町小歌であった。
古典を読む時、いい校注の手引きに感謝と同時に自身の感性を忘れ果てていてはならない。
2019 12/11 217
* 討入りのこと聞かざりき十四日 と、かなり昔に。今年も、まるで聞かずに過ぎそう。
2019 12/14 217
☆ 伊勢の海 催馬樂
伊勢の海の きよき渚に 潮間(しほがひ)に
なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はんや
* 明らかに民謡。そして大勢が開放されて唄い合う民謡に字義 語彙 歌詞を 尋常に言葉通りに受けておわる習いは、ほとんど無く、その含意に健康な猥褻を謳歌して歓んだことを忘れ果てていては、古典を伝える意義がうすれる。
この光る源氏でも酒興の歓談や唱歌のなかで唄っている歌も。「清き渚の潮間い」のまに、海女達との互いに放縦で旺盛な性の喜びを唄っていることは、「な のりそ」という「海藻」にも「玉」「貝」という性器への聯想が美しいまでさらりと把握されて、しかも互いに「名告りそ」と開放感を共有している。こういう 開放は山にも野にもあったし、このように海浜にもあって自然。
当節のいい年輩の学者さんですら、へたくそな直訳で「催馬樂」ほどおもしろい歌をただの叙景や感興に縮込めて呉れる。文化財に落書きでもされるような被害感を覚える。 2019 12/16 217
* 源氏物語「藤の裏葉」を楽しんでいる。幼な恋の夕霧と雲居の雁とは、女の父(かつての藤中将、現に内大臣)の不興で久しく成らぬ恋のままに、しかし夕 霧は冷静に思いを持していた、女の方も。夕霧の素晴らしい成長ぶりにつけ内大臣も気負けのていで、藤花の宴にことさらに夕霧を招いて、恋の成就をむしろ請 い求めるていに、子息達にもにぎにぎしく歓迎させるのがこの巻。その宴のなかで催馬樂の「葦垣」が唄われるが、これは「夜這い」囃す歌である、夕霧の、妹 雲居の雁へ忍び入るかに囃すのである、それが「葦垣」。夕霧はこれに応酬気味に催馬樂の「河口(川口)」を口にする。親の目を盗んで女が男を誘い入れる歌 であり、夕霧は諧謔のうちに夜這いの「葦垣」に応酬したのである。
かようにも「催馬樂」という歌謡には、あけひろげに堂上公家たちですら唄い囃して常平生興がれるタチの「性の開放感」が身上・趣味・魅力なのである。男 だけでなく、老女源典侍も催馬樂の歌詞をくちずさみに若い美しい光源氏を誘っていた。平安貴族らの性の開放は、今日のわれわれの想像を超えるまで浸透して いた。
「催馬樂」なりのエロスを魅力・魅惑の歌謡は、江戸時代にまでむしろ旺盛に生きのびていたのに、明治以後の近代現代には、かかる趣味能力は「トンコ節」程 度にまで貧弱に拙劣に落ち込んでいる。「催馬樂」学者まで、まるで取り澄ました叙景歌かのように読んでくれるのだから、「セクスアリス」は当節悪玉めいて 取られてしまうのも当然か。つまらない。そういえば、昨日だったか、何かのドラマで老境へあしのかかったような男が、昂然と「男の性力は六十五からがホン モノじゃ」と豪語していてビックリした。知りませんでした。
2019 12/17 217
* 朝起きて、いきなり不愉快な内外政治家のごまかし沢山な噂や、荒れ肌の小皺の洩れの出ないのなどの宣伝を聞かされる不快は無い。朝テレビは、火野正平クンの「とーちゃこ」チャリンコの旅番組だけで佳い。
褒めてくれている気で「凄いですね」など云われると腐る。
「凄い とは、血みどろの死骸や 火の玉のとぶ墓場や、怖い幽霊の出る場面などにほぼ専用された日本語です。素晴らしい意味など、本来、持っていないのです。
スゴイ ナント マサに などを口癖にして連発する 軽い薄い安い日本人ではありませんように。
* 点鬼簿に存命の名を書き入るゝ日に日を増してただ目を瞑(つむ)る 宗遠
2019 12/18 217
☆ 先日はありがとうございました
さて、片付ごとをしてましたら ごらんの酒杯がでてきました。二代八十吉の亥文です この正月に、年に一度酒を一ト口 飲むのですが、その時出して仕舞忘れたもののようです そこで 秦さんのエトが亥であることを思い出し、もらっていただこうと思った次第です ところが、 箱がどうしても見付かりません 焼物の箱なしでは価値はないとは知りつつ 使う分には箱不要と自分にいい聞かせて 送らせていただきました 御無礼は承知 の上です お腹立ちのないことを念じています。
おわびの気持は、同封の初代八十吉の杯でお許しいただけたらと思います これとて八十吉特異の吉田屋風ではありませんが 私の好きな絵柄で手もとに置い てあったものです ご存知の下戸ですから愛用したわけでなく 眺めていただけですから 死蔵といえるかも知れません もし使っていただけると 杯も生き延 びると思います
ただ 好きの押売りにならねばよいがという懸念もありますが 奥様への(諸返礼用に有り難い=)繪ハガキは受入れていただけたようなので 調子に乗っての押し付けをお許しください。
十二月とも思えない一日でした お腹立ちのないことを願いながらーー
押しつまった感じはまだのようです
どうぞ来年も お二人によい年であるようにとあわせて願っています
石川・能美市 井口哲郎 (前・県立石川文学館館長 前。県立小松高校校長先生)
* もう早速の待ったなし、お心づくし二代八十吉「亥」の繪盃、初代八十吉の名杯で、しみじみと、井口さん御夫妻ご家族のご健勝を祝し願いつつ、過ぎゆく 私の亥年にも家内の来る子年にも思いを馳せ、私誕生日目前、ご祝儀の「京生粋」を三献、いえ五、六献もを嬉しく味わいました。肴には、戴いたばかりのいい胡露柿を、美味しく。
幸せ者です。
* 老いまさる心の萎へはふたりして励ましつ夕焼けの山を降りゆく 恒平
2019 12/19 217
* 十五年半もの昔ばなしだが、齢重ね、老いの坂に杖つきながら、思いは呆気ないほど変わりも伸びもしていない。よくもあしくも「やれやれ」の誕生日です。
朝から、久しく久しい読者からの お祝いを戴きました。
☆ お誕生日 おめでとうございます。
甘いものはお体によくないかとな…と思いながら、 でも ひと粒くらいは召上がっていただけたら うれしいです。
どうぞ よい1日をお過ごし下さいませ。 鎌倉 橋本静一 美代子
* フランスのかな「プラリネ」という(=なんにも知らなくて。御免=)チョコレートの美しいリボンの包み。ありがとうございます。
* けふの日をけう(稀有)のふしぎとよろこびて
数重ねきし歳をことほぐ 恒平
2019 12/21 217
* 倚子で機械に向いていると、腰したが暖房していても冷え込む。
* 八十四歳(やそよとし)堆(つ)みに堆みにし身の垢に
なに刻まんな恥を上塗って 恒平
2019 12/22 217
* 「催馬樂」なる古典歌謡について、とりまとめ書物で講義された。なんで若かったうちに「催馬樂」「神楽」へも踏み込み著作しておかなかったかと、悔い る。もうはや講釈や鑑賞のしごとは出遅れ、だが……と、鬱勃と別途の世界が、遠霞みながらも生気をもちわが脳髄に動めき見える気がする。欲深く突っ込んで 鞭を当ててはどうか。胸のトキトキ鳴る心地がする。まだ老い耄れてないようだ、いやこれこそ老い耄れの兆しかも知れんが、呵々、握り掛けた緒のさきを手放 さないでおこうと思う。いま構造化のさなかへ寄っている進行中の創作からは、この想は、質も材も世界・時代も違うが、やきり「怪奇」めくのかも知れぬ。あ る「女王」さんとある「大夫」とが千年ちかくを超えて合唱してくれるかも。
2019 12/25 217
* この数日聴きつづけているジャズは、「The Days of Wine and Roses」と総題されている16曲、静かに花やかで仕事や思索の邪魔にならず、音楽そのものが懐かしく感じられる。鎮静の効果も安楽の効果もあり、なにの邪魔にもならず懐かしい。
* これに較べると朝食時のテレビの騒がしいくだらなさ。なによりも広告の愚劣な不作法。
私は少年の頃の新聞や母らの婦人雑誌に載る婦人用広告のあんまりにほど簡素で控えめなのに子供心に驚いていた。女性の体調や生理や振るまいに関わる広告などは、この敗戦後でさえ、ながく久しく極めて抑制されていて、その気持ちは理解できた。
今はどうか、食事している前で、りっぱにご婦人顔、お年寄り風情の女性が、便所へ出入りして排便排尿の快適・改善のさまをニュルニュルの模擬映像つきで 破顔謳歌される。あるいは局所への生裡用品の貼ったり当てたり入れたりの気分良さを実演さながらに広告される。しかも登場女性達の表情の晴れやかに嬉しげ な事。少年少女がニキビを歎くのとはコトが違う、のに、である。
むろん男性側にもあるが、むしろ女性側の露骨さはとびぬけている。
最近は、倚子に置いた玉子へ女の尻をおとし、玉の当たりが肛門に「ああ気持ちいい」などと極くまともそうな中年女性が歓声天を仰いでいる。文字通りに凄 い時代、無恥放埒爛熟の時代になった。いかに、排泄排便性感は人の高貴卑賤にかかわりなく世界共通とはいえ、だからこそ、なにかしら黙して語らない見せな いで済ませたいことは厳存していいのでなかろうか。私がただ古くさいのか。
* 太宰府観光番組で、天神さんに「牛」が出た妻と観ていて、「猪」の出てくる和気清麿呂へわたしから話題が動いた。謂うまでもない、称徳女帝のとき、深 く深く露骨なまで女帝に取り入っていた僧道鏡に、譲位がらみに彼の帝位簒奪意嚮が露われ、廷臣和気清麿呂がはるはる九州の宇佐八幡まで赴き「神意」を問う てくる役に当たった。
彼人麻呂は、僧道鏡の邪心を真っ向否認の「神託」なるものをもち帰り、皇統一系の血脈の「穢れ」を敢然妨げたのである。
「<女帝>の、そこがモンダイ だったのね」と、妻は簡潔に指摘した。
天皇制が、万世一系男帝の血統に執着してきたのは、女帝がワケの分からない男性を夫に迎えたり子を為したりしたとき、その(道鏡に類する)男が簒奪した り、その子孫が即位して皇統一系の乱脈に陥るのを憂慮警戒したからで、その是非や可否はともあれ、久しく久しい日本の天皇制は、一種壮麗なフィクション・ 夢物語(ロマン)を頑固なほどほぼ徹して護りぬいてきた世界に類のない「神がかりの国体構図」なのであって、これを取り崩し、地球上どこにも在るごく普通 不安定な「王様制度」へ転換した時は、それはもう「是非はともあれ」あの「大嘗祭等」の神秘を信じて来た「天皇制」では全然無くなる。
無くなってもいいではないかという議論は、これはもう、まったく別途の、ふつうの政体議論にすぎない。
あの藤原氏も源氏も平氏も徳川氏も、少なくも表向き「自家男系の血統で皇位を」とは動かなかった、あくまで女性を宮中に入れて「外戚」たるを望むに留めていた。
「女帝」には慎重であるか、「万世一系の天皇制」などに固執しない気か、日本国民は慎重でありたい、日本の未来史に堪え得ない軽率だけは自戒すべきだろう。
女帝モンダイが、なにやら週刊誌的に話題にされる。
思い切って謂う、根幹の論題は、こと皇室に関するかぎり、「側室」「一夫多妻」を超憲法の極限定制度として容れるかどうかに関わってきそうなのは、二千年の日本歴史が証言していてる、上皇后さん、現皇后さん、次々の皇后さんのためには、決してそう在っては欲しくないが。
わたしは、万一にも男系皇統が維持できないのなら、神懸かりのロマンチックな「天皇制」とはさよならしてもいいかと思うが、つぎに現れる「民主主義日 本」支配の低劣な惨状は、心あるモノになら、だれでも容易に想像でき、真実憂慮される。ソクラテスも謂うていた、民主主義には優れた資質が期待されるもの の、そんな民主主義ほど、簒奪独裁者のあくどい悪支配に人民は遁れ得ない歎きを負うのが成り行きだと。トランプ、ブーチン、習近平、金正恩、そして日本の 民主主義も、日増し日増しに一党独裁から一人独裁へと蠢いているではないか。
しんしんとさびしきときはなにをおもふ
おもひもえざるいのちなりけり 恒平
* 「女帝」論は、慎重であるべきだろう。
2019 12/28 217
* なにごとのおとづれもなき年の瀬を
売る笹も持たずつくばうてをり いま源五 2019 12/28 217