ぜんぶ秦恒平文学の話

詩歌 2020年

 

述懐  恒平二年(2020)一月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

 

ただ吟じて臥すべし梅花の月
佛となり天に生ずれど すべて是れ虚  閑吟集

暮れぬ間の身をば思はで人の世の
あはれを知るぞかつは悲しき        紫式部

身のはてを知らず思はず今日もまた
人の心の薄氷(うすらひ)を踏む      石上露子

春暁や人こそ知らね木々の雨            日野草城

幾山川越えさり行かば寂しさの
はてなむ國ぞ今日も旅ゆく          若山牧水

わが脚はかくこそ立てれ重力の
あらむかぎりを私(わたくし)しつつ     森鷗外

なかなかに人とあらずは酒壺に
成りにてしかも酒に染(し)みなむ      大伴旅人

抱き柱抱いて信じて夢をみて
夢さめたれば抱き柱無し            恒平

手にうくるなになけれども日の光           恒平

寒ければ寒いと言つて立ち向かふ          恒平
2020 1/1 218

* 安名尊(あなたふと  催馬樂)

あな尊 今日の尊さや 古(いにしへ)も はれ
古も かくやありけむや 今日の尊さ
あはれ そこよしや 今日の尊さ

* 令和二年元旦の鐘を、京都知恩院の大釣鐘で聴いた。明けまして、おめでとう。平和な一年でありますように。
2020 1/1 218

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

68 *  2004 09・30    頭と頭とのただのコミュニケーションでありたくないですね。ハートとハートとのコミュニオンでありたい。知識で動かされるコミュニケーションでなく、フィーリングでとけ合えるコミュニオンでありたい。
コミュニーケーションでは、「ただ言葉のみ与えられ、言葉のみ語られる。ただ言葉のみ受け取られ、」単に知解されてしまいます。言葉だけでは生き生きと した本質的なものは伝わりにくい。言葉は不十分なツールに過ぎません、だからこそ叮嚀に活かして用いねば。言葉はとかく不足するか過剰になるか。それが言 葉。コミュニケーションにはそんな言葉に頼らざるをえず、コミュニオンでは往々、なにも云わなくてもわかり合える。
これが、バグワンから早くに得た、一つの強い足場でした。言葉では言いおおせない、その近くまではやっと達しられても。ということは、恐らく小さい頃か ら感じていたことなので、バグワンの曰くは、すぐ得心しました。老子らが、言葉にした瞬間に真理は真理でなくなるのだと何より先ず説いているのも、分かる 気がしていました。
過剰に言われると、往々かえって事がウソくさくなります。雄弁は銀、沈黙は金という機微でしょう。沈黙とは、言葉数を少なくしてひと言の表現力を強くする・高めるということ、あーあ、しかし、なかなかそう行かない。   2004 09・30

* いま、なにが心から悦ばしいことか。家族や友知人の健康。創造的な佳い言葉との出会い。

* このところ、毎日、静かな懐かしい音色のジャズ・バラードに身を包まれて機械部屋にいる。

御幸道(ごこみち)のむかし目に見え雪の朝   遠
2020 1/8 218

* 不識書院から江口司和子さんの『弟よ』と題した歌集が贈られてきた。
どのような「弟」さんかと思った。カリフォルニヤ大学教授でアルツハイマー病研究者で四十六歳、平成八年五月、深夜に帰宅の車の中で、十三歳の一人娘とともに何者と知れない銃撃を浴びられたと。銃の所持がほぼ野放しなアメリカ社会の歪つが為した無残。
いさぎよく廃刀令を布いた明治政府の勇断を思う。
2020 1/12 218

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本108摘録) 聴きつ・思い直しつ

87 * 2005 01・28     高校二年頃、角川文庫が創刊されてまだピカピカの頃、なけなしの貯金をはたいて高神覚昇という人の『般若心経講義』一冊を買いました。昭和二十七年 暮れか翌新春に買っています。今、背は、ガムテーブで貼ってあります。表紙の角はちぎれ、総扉も目次も紙が劣化してぼろぼろ、全体にすっかり赤茶けていま す。
この本について思い出を語り出せば、ながい話になります。
よく読みました。一つにはこれがたしかラジオ放送されたそのままの語りで、姿無き多数聴衆を念頭に話されているため、耳に入りやすい譬えや説話がふんだんに入っていて、高校生にも読みやすかった。
もう一つには、日吉ヶ丘という、頭上に泉涌寺、眼下に東福寺という環境に人一倍心から親しみを感じていたわたしは、知識欲はもとよりとしても、またもう 少ししんみりとした感触からも、しきりに鈴木大拙の『禅と日本文化』だの、浄土教の「妙好人」だのに関心を寄せていたのでした。社会科の先生の口癖のよう な倉田百三の、たしか『愛と認識との出発』や阿部次郎の『三太郎の日記』なども覗き込まぬではなかたっんですが、同じなら同じ倉田の戯曲『出家とそま弟 子』にイカレてもいました。
もう一つは、まだ仏典に手を出すちからはなかったものの、「般若心経」とだけは、幼くより仏壇の前でワケ分からずに親しんでいたという素地がありまし た。あのチンプンカンプンに少しでも通じられるならばと、勇んで『般若心経講義』を自前で買ったんです、その本が、いまこの機械のわきに来ています。
高神覚昇のことは皆目識らないも同じでしたし、今も同じですが、この文庫本からは多くを得ました。ことに知識欲に燃えていた少年は、講話もさりながら、佛教の理義に触れたいわゆる「註」の頁
に、それは熱心に眼を向けていました。「感じる」よりも遥かに「識りたがっていた」のです、何でも彼でも。
泉涌寺の来迎院で、のちに長編小説になった「朱雀先生」や「お利根さん」、わけて「慈子」と出逢った「少年」わたしの学校鞄には、まさしく、こういう知識欲も、詰まっていたのでした。
青竹のもつるる音の耳をさらぬ
この石みちをひたに歩める        東福寺
ひむがしに月のこりゐて天霧(あまぎ)らし
丘の上にわれは思惟すてかねつ    泉涌寺
十七歳の高校生が、ちょうどこの頃から短歌をわがものにして行きました、いつしかに小説世界へ心身を投じてゆく、前段階として。『般若心経講義』を読んでいたのと、こういうわが『少年』の短歌とは、ひたっと膚接しています。
そして四十、五十年。バグワンの『般若心経』に、なかなか落とせなかった眼の鱗を幾つも落とせたかと、わたしは感謝しています。   2005 01・28

* きちっと、15年前の感懐。そして今も思いはここに拠って、ズレていない。つまりは、いっこう進歩も深化もしてないだけか。
2020 1/27 218

述懐  恒平二年(2020)二月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

生ける者遂にも死ぬるものにあれば
この世なる間は楽しくもあらな      大伴旅人

世の中は霰よなう 笹の葉の上の
さらさらさつと ふる(降る・経る・古る)よなう 閑吟集

夜のほどに降りしや雨の庭たづみ
落葉をとぢてけさは氷れる           上田秋成

心いつか老の境にしづまりて
冬の蠅さへいまはにくまず         吉井勇

過去多くなりしとおもふ言ひがたく
致しかた無く過去積りゆく            宮柊二

買物籠さげていでゆく老妻に
気をつけて行きなさいといふ何となけれど  前田夕暮

煮ゆるとき蕪汁とぞ匂ひける       高濱虚子

一筋の道などあらず寒の星        遠

己(おの)が闇どうやら二人の我棲めり  遠

この道はどこへ行く道 ああさうだよ
知つてゐるゐる 逆らひはせぬ        恒平

季の花かさらぬか春をうつくしみ写真帳よりとり出でにけり   築地明石町

見ぃつけた帝釈さまの日だまりで さくらのかげの寅さんのお尻

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色
秦の父方菩提寺  美しい
2020 2/1 219

ピカソの 平和 心より願いて

述懐  恒平二年(2020)三月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

わが足はかくこそ立てれ重力の
あらむかぎりを私(わたくし)しつつ      森鷗外

いきいきと三月生(うま)る雲の奥           飯田龍太

人を恋い雛おき去りし娘かな             中村伸郎

衰ひや歯に食ひあてし海苔の砂           松尾芭蕉

ものの種子(たね)にぎればいのちひしめける   日野草城

はかなくて過ぎにしかたを数ふれば
花に物思ふ春ぞ経にける           式子内親王

櫻ばないのち一ぱい咲くからに
生命をかけてわが眺めたり          岡本かの子

季の花かさらぬか春をうつくしみ
写真帳よりとり出でにけり           恒平

いつの世の古いポンチョも身に衣馴(そな)れ
アコ・マコ(兄弟ネコ)とゐて老いも新し    恒平

築地明石町で

アコ(兄)とマコ(弟)と八十四歳の春

繪所預 土佐光貞・畫

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色
秦の実父方菩提寺  美しい
2020 3/1 220

 

述懐  恒平二年(2020)四月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

人は但(ただ)その当(まさ)に死ぬべき日を知らず、
故に憂へぬのみ
人生百(ももち)に満たず、
なにしか千年(ちとせ)の憂へを懐(いだ)かむ    山上憶良

色はにほへど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ
有為の奥山けふ越えて 浅き夢見じ酔ひもせず  人みな

葉がくれに散りとどまれる花のみぞ
忍びし人に逢ふ心地する            西行

人はうそにてくらす世に
なんぞよ燕子(えんし)が実相を談じ顔なる     閑吟集

動くとも見えで畑うつ男かな               向井去来

春曉や人こそ知らね木々の雨             日野草城

春の鳶寄りわかれては高みつつ            飯田龍太

抜けし歯を屋根に投げしは遙か遙か
希望に満ちし小学生われ             大山敏夫

わすれじの夢のつづきを見まほしと
そぞろになげくねむられぬ夜は       恒平

季の花かさらぬか春をうつくしみ
写真帳よりとり出でにけり           恒平

櫻  燃ゆ

築地明石町で

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色
秦の実父方菩提寺  美しい

2020 4/1 221

* 花とはなんと美しい生きものか。上に掲げた築地明石町、聖路加病院への途次に撮らずにおれなかった名も知らぬ花の写真、得もいえず「好き」で、花の名を知りたいとすら思わなかった。いつ撮ったとも憶えない。
季の花かさらぬか春をうつくしみ
写真帳よりとり出でにけり           恒平
2020 4/2 221

* 昨日は、心親しい布川鴇さんから、錚々の詩人達を「同人」に招き寄せみずから詩も書きエツセイも書きながら編集に任じてられる立原道造にゆかりの詩誌「午前」新册が、清々しい顔をして届いた。ちょっと当節に類い稀に透徹の静謐を湛えた詩誌である。詩は苦手とする私もこころよく頁をくっている。
2020 4/13 221

* 岩波文庫の「日本唱歌集」をなにかというと手にとってみる。昔は、短歌・和歌そのもので唱歌が書かれていたりする明治十七年の小学唱歌「四季の月」は四季ともども平明な、愛唱して胸に抱いていてもいい和歌四首で
雨すぎし、庭の草葉の、
つゆのうえに、しばしは やどる
夏の夜の月も
などと。
子供向けの教訓的な唱歌の歌詞にもみえてイヤだが、一般に唱われる歌詞の三番、四番辺へくると妙に国策や政見へ誘い込みたげなの、ちょくちょくとあり、わたしは、その辺は鉛筆で本にバツ印をつけてしまう。明治四十四年の「日の丸の旗」になると、
白地に赤く  日の丸染めて  ああうつくしや 日本の旗は
は、同感するのだが、
朝日の昇る  勢い見せて  ああ勇ましや 日本の旗は
となると、日清・日露の戦争を勝ちぬいた殊に日本陸軍鼓吹の気が露骨になる。

* やれやれ。身も心も疲れやすいが、疲れてはならぬ。
2020 4/18 221

京  祇園石段下

鐵(かね)のいろに街の灯かなし電車道のしづかさを我は耐へてゐにけり

ひそめたるまばゆきものを人は識らずわが歩みゆく街に灯ともる   「少年」より
2020 4/21 221

* どうしても 八坂神社西楼門からの懐かしい祇園四條の街の灯へ、写真を取り換えたくなった。 十年の余も 帰れていない。 帰りたい。京都も、京都の人も、コロナとの戦争を堪えているのだろう。
2020 4/21 221

☆ 「枕草子」を、いま、現代語で楽しもう(秦 恒平・選訳 學研版)

☆ 耳無草

正月、七日に祝う若菜を六日のうちに人が届けてくれて騒々しくその辺へ取り散らかしたりするうち、見も知らぬ草を子供らが手に持って来たから、
「なんというの、この草は」と訊いても、急には答えないで「さあ」などと顔を見合わせていたが、そのうち、
「耳無草とかいったはず」と答えてくれた子がいたので、
「なるほど。聞いても知らん顔をしているはずね」と笑っていると、また、しごく愛らしい菊の芽の伸びたのを持って来たので、
摘めどなほ耳無草(みみなぐさ)こそあはれなれ
あまたしあればきくもありけり
(いくら摘んで集めても……つねっても……耳無草はかわいそう。ものを知らないこの子らもかわいそう。でも、たくさんな草の中には、つねった痛さがきくぐあいに、言う事を聞く菊も、それらしい子供も、まじっていたわ)
と言ってみたかったけれど、これもまた子供にはわかりそうにない。   (第一二五段)

* 「和歌」は、「日本の歌」の意味では有ろうけれど、一つには「和する歌」でもあり、この方面の才能と機知と言語感覚のよさを、清少納言や紫式部のこ ろの人らは、溢れんばかりに常日頃、胸に蓄えていた。「相聞 あい聞こえ」の贈答・応答歌に信じられぬほど年幼い頃から長けていた。説話の中には幼い子が ふと行き過ぎる咄嗟にうまい歌を口ずさんで行くような場面もある。
公家社会の官人も官女や女房も「歌いかけ」られて咄嗟に「和して歌い返せ」なくては、まともには生きられなかった。
2020 4/22 221

* テレビ朝日の朝の「コロナ戦争」検討は、女優の高木さんとそもそも総研の玉川さんと、立ちゲストの岡田晴恵先生。明快、適確な厳しい政府・専 門家委員会への批判や注文も分かりよく、もっとも信頼が置けると聴いた。権威主義でなあなあのオエラガタ世間では弾かれる顔と言葉かも知れないが、折角、 健闘願いたい。

* 私も、気忙しくならず、からだと相談しながら仕事をつづけたい。昨夜のような体調を繰り返すと危険な淵へ落ちてしまう。「枕草子」今朝の第二○六段  五月の京の山里の風情に思いを慰めている。

* こんなとき、兄北澤恒彦が存命で居てくれたら、機械を通じてまた新たな「往復書簡」が楽しめたに違いない。

* 建日子や、朝日子も成ろうなら、こんな際なればこそ、いまのうちに父に聴きたいと想うことあらば「問うて」おいてくれるといいのだが。

父をわがつまづきとしていくそたびのろひしならむ今ぞうしなふ  岡井隆

亡き父をこの夜はおもふ話すほどのことなけれど酒など共にのみたし  井上正一

今にして知りて悲しむ父母がわれにしまししその片おもひ  窪田空穂

百石(ももさか)ニ八十石(やそさか)ソヘテ給ヒテシ、
乳房ノ報ヒ今日ゾワガスルヤ、
今日ゾワガスルヤ、
今日セデハ、何(いつ)カハスベキ、
年モ経ヌベシ、サ代モ経ヌベシ。    叡山所伝「百石讃歌」    『愛、はるかに照せ』より

* 親孝行を強いている気は微塵もない、ただ「時」という容赦ない超大の船にわれわれは乗せられて容易に顔も合わせ得ずに「旅」している。
酒の飲めるようになってきた建日子と、いまこの一つ家で過ごせるなら、「吉備の人」に賜ったとびきりのお酒も何かしらの話を肴に楽しめるのだが。だが、今はそれほどのことも堪えて要心しなければ。
2020 4/23 221

 

 

述懐  恒平二年(2020)五月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

しら露も夢もこのよもまぼろしも
たとへていへば久しかりけり          和泉式部

ただ 人には馴れまじものぢや 馴れての後に
離るる るるるるるるが 大事ぢやるもの      閑吟集

花鳥もおもへば夢の一字かな             夏目成美

一日物云はず蝶の影さす               尾崎放哉

僕ですか?/これはまことに自惚れるようですが/
びんぼうなのであります。               山之口貘

とりかえしつかないことの第一歩
名付ければその名になるおまえ       俵万智

初心にも高慢のあり初雲雀              原子公平

人の子のわれも人なりさりながら
まこと人かや人でなしかや          秦 恒平

はろばろと昭和は遠くうす澄みて
なにも見えねば目をとぢてゐる       秦 恒平

京  祇園石段下

鐵(かね)のいろに街の灯かなし電車道のしづかさを我は耐へてゐにけり

ひそめたるまばゆきものを人は識らずわが歩みゆく街に灯ともる   「少年」より

名残りの 春

躑躅 わらふ

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色
秦の実父方菩提寺  美しい
2020 5/1 222

* 月替わりで、きのう「躑躅」のたよりが嬉しかったので、我が家、西棟の戸外、曲がり角の「おお紫」とでも謂うのかささやかな躑躅の垣根でい つの年なに自分で撮った躑躅を色を「五月私語」巻頭に爆発させてみた。写真がうまく送れるのか、送れているのか、機械君の機嫌しだいでこころもとないのだ が、京の祇園石段下夜色の四条通り、四月の名残の白に朱の花生けについではなやかな「躑躅」の満開写真を置いた。そしてキマリの「浄瑠璃寺夜色」の好きな 繪を。

* 巻頭に毎月の思いを代弁してもらう「述懐」の詩歌を汲み上げている。コロナのせいか、すこししんみりと歎き節になったかと少し歎いているが。
2020 5/1 222

京  祇園石段下  帰りたい京都とは 此処でしかない

鐵(かね)のいろに街の灯かなし電車道のしづかさを我は耐へてゐにけり

ひそめたるまばゆきものを人は識らずわが歩みゆく街に灯ともる   「少年」より

あかあかやあかあかあかやこの花やシャボテンとかやまばゆきかなや

鯛釣り草とか
釣った鯛か鯛を釣るのかクサっても鯛でいたいかおめで鯛ぞや

2020 5/?  222

葉の翠りきよらに照りて静かよと狭庭の朝をただに佇む
2020 5/26 222

雨のあとの雨うつくしく濡れて咲く萼あじさいのうたふ静かさ
2020 5/

述懐  恒平二年(2020)六月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

六月を奇麗な風の吹くことよ          正岡子規

剃刀の当り柔らか夏に入る          小島麦人

かなしみは明るさゆゑにきたりけり
一本の樹の翳らひにけり        前登志夫

白珠は人に知らえず、知らずともよし、
知らずとも吾し知れらば        僧

つくづくと独りきく夜の雨の音は
降りをやむさへ寂しかりけり     儀子内親王

少数にて常に少数にてありしかば
ひとつ心を保ち來にけり       土屋文明

人おのおのこころ異なりわが歌や
われに詠まれてわれ愉します    窪田空穂

てのひらにあまらぬほどの乳房よと    恒平
恋ひしく人を想うてみたし

つゆ寒むやしくしく啼くな腹の虫       恒平

花と見てめずらかと見て名を問へば
果物ににてムスカリと謂ふ 恒平
2020 6/1 223

* ふと開いた『椿山集』の大正六年元旦に山縣有朋は

戦のことな忘れそ我國は朝日のとけく年のたてとも

と詠っている。おそらく幕末の長州下級武士の身で奔走しつつ西欧列強の軍艦からの猛爆にあえなく撃たれ屈した体験から歩み始めていた山縣の生涯は、小国日 本の世界に伍して被支配にまみれまい為には軍事に於いて世界に引けを取らぬ以外に途なしという切なる確信そのものだった。確信を形に、力にし得たから日本 は「朝日のどけく年」を経て行けているのだと。
わたしは、子供の頃、この小さな島国日本があの大きな支那に勝ちロシアに勝ったのが不思議な奇蹟のようにおどろきとともに思わずにおれなかった。日本は 闘えば必ず勝つという確たる思いは持ちにくいまま、昭和の大戦争になった。当時の日本は「戦のこと」を忘れては居なかったが、「闘 えば必ず勝つ」という必勝意識に中毒していたのだ、その意味では山縣の心底諫めていた「戦のことな別れそ」の真の意義を忘れていたのだ。「悪意の算術」と 私の常に謂う「外交」と表裏の「軍備」を山縣は生涯忘れなかったようだ。昭和の「軍」はその双方で遅れをとりながら、必勝信仰だけは持っていたようだ、そ れでも山本五十六ら海軍には闘っても短期間と見通しを持っていた。

* 令和のいま、山縣の歌一首はぶきみなほど近未来日本の「曇る朝日」を想えと指さしている。そう想われる。日米安保の空証文であったならどうするのかという山縣の問いであろう、嶮しい問いである。
2020 6/5 223

* さて何とか今日にも送り出しを終えたいもの。今度の本には写真をとってもせい口絵にしたのが色美しい。ま、百年以上もむかしのもの言いや表現は、いっそ読みときけば承知楽しんで欲しい。
「龍動にて」とあって即、「ロンドンにて」とは分かりにくいだろうが、「日の本にけさたちし春のいちしるくいきりすかけてかすむ雨かな」とあれば、故国 で立春という季候と「かすむ雨」の英国ロンドンの風情はうちかさね感じ取れる。こういう「読み解き」のおもしろさも今や『椿山集』の一魅惑ではある。
「鷗外兄より秋の頃めづらしき内外産の種々の野菜をおこせければ」と前詞して、
七草の花にもまさる匂かな色香も深き畑のなりもの
と詠んでいる。大正七年、功なり名とげていた公爵山縣元帥をふり仰いでいた部下で「文豪」の森鷗外か らの届け物に、謝して「兄」と敬称している。もののたとえに私・秦 恒平の歌集などまことに単に私的で国家・国交・政治・広範囲な交友などかげもないが、山縣有朋の人生は尊皇攘夷の幕末から、西南戦争に勝ち、日清・日露の 戦役に勝ち、第一回帝国議会に総理大臣として臨み、なんともかとも謂いようのない人物なのだが、終生、表現し続けていた詩歌は日本の近代史を背負いつつ も、なんともはや優雅に清純なのである。
しかも私は、八十五歳の今日まで書庫にはおきながら今回この優美な『椿山集』を実に初めて詠んだのであり、何故かなら山縣有朋という「名」ひとつを、も のの譬えに同じ長州出の安倍総理同様にむしろ憎むほど嫌い続けてきたからなのだ。ここに、私にとってもひとつ「ドラマ」が生まれたので、どうかそれを「湖 の本」の読者の皆様に読み取って戴きたいのです。
2020 6/8 223

☆ 御礼
秦様   湖の本150号のご恵投、ありがとうございます。山縣には興味があり、早速拝読し始めております。秦様とは歴史観、政治観を異に致しますが、秦様の直観的な、また経験的な歴史把握にはいつも刺激され、啓蒙されております。今号も実に興味深く拝読しております。
ただ、山縣が明治天皇に信愛されたということはないのではないでしょうか。研究書を読む限り、山縣は明治天皇にも、大正天皇にも疎まれたとあります。こ の反論をご教示願えれば幸いです。また山縣と2.26事件に関する拙文、添付いたします。ご笑覧いただけたら幸いです。  鋼 生

* お便りを有難く。
私は 明言していますように、もともと山縣有朋には反感や厭悪こそあれ、興味ない一人でした。ただ、不思議の経緯で手もとに美しい非売品の「椿山集」原本があり、この度び初めて読んだというだけ、それよりも同じ長州出の総理安倍晋三のほうがアタマにきていました。

山縣に関しての研究書とかは一切読んでいません、ただただ、『椿山集』一冊の詩歌だけは、叮嚀に気を入れて繰り返し読みました。全部「手寫」もしたのです。

明治や大正の天皇さんが彼を疎んじていたかなども関心なく、しか し、多年に亘り数多くの詩歌の実作実感を介して、彼山縣が、天皇や皇室に敬虔なほどの神的敬愛を捧げていたことは、数々の「表現」や「事蹟」からも疑いよ うが無いと思われます、かれが「偽り多き」「虚言の詩歌人」だと説得証明されるならば別ですが、とても、つくりもののうそくさい歌人詩人とは読みとれない と信じます。

また彼のいわゆる栄位栄達の順調な経路にも、疑念や不自然は感じ られませんし、彼の奇兵隊時代からの当然の体験と痛感とが、日本国と日本列島の安寧のためには「主権線・利益線」を意識し続けつつ「軍」への最大の配慮を 謀り続けたらしいのは、政治家としても軍人としても、まこと余儀なく「当を得ていた」ことはみとめざるを得ず、それなしには、とても二本差しのお侍軍団な んかで、清国や朝鮮やロシアと対等以上の抗戦が出来たわけのないのは明々白々でした。よしあしの問題でなく、皇室が、終生彼を元勲・枢密院議長として遇し た「事実」は当然のことで、余人を以て替えがたい「眼」と「策」とを國のために山縣の持ち続けていたことは確か、公の史実としても詩歌の私情表現からも、 まぎれなく読み取れます。

さりとて私は、昭和を生きた一私人としては、山縣有朋とつきあいたい気は全くありません、が、安倍晋三と比すれば、スッポンに対する月、汚泥に対する明雲ではあるなと認めざるを得ません。

山縣の反民主主義や反政党主義はまるで認めませんが、世界の動きと帯同しつつ「眼の利いた人」だなあとは思っています。和歌も詩も、そこそこに純真に感じています。歌と詩とを一つ一つ、よく読んでやって下さいませ。

大正十二年には死去している山縣の、十数年後の二・二六事件との係わりについては、何一つ知識も関心もありません。いまの私は 安倍政権への憂慮と懸念しかありません。

歴史観、政治観を「異にする」とおっしゃっていますが、持田さんのそれをそれと伺ったことがなく、古今の日本史や世界史を通じての「異」なのでしょうか。

いま、私は、山縣有朋は忘れて、次かその次ぎかの目標に、山縣へのそれとは全く異なる視線と関心とから、「幕末と維新」を生きた一人の男と、興味津々付き合っています、呵々。

お元気で。  秦 恒平
2020 6/9 223

* 僥倖というか配剤というか、こんなことが有るのだと、昨夜就寝直前の偶然の出会いに思わず天を仰いで驚嘆した。いきなりこへ書くのが惜しい気さえする。

* 秦の祖父鶴吉が市井の一小商人にしてはたいそうな蔵書家であったとは繰り返し語ってきた。現に出版したばかりの「湖の本 150」 山縣有朋の『椿山集』を読んだのも、明治の祖父の旧蔵書一冊に令和の私なりに日の目を見せたのだった。
ところで、それとは全然無関係に寝床のわきほ持ち出していた百何十年の埃の垢のようにこびりついた和装本の大冊、分厚さが七、八センチもの和綴じ和紙・ 和活字・和装の一冊を、特別の関心もなくなく、というより軽い面白半分の気まぐれで寝たまま手にしたのである。和紙の本は、大きさよりも軽いので仰向きに 持ってももてるだった。
何の本か。無残に禿げ禿げのしかし、和装のママシッカリした大冊の表紙題簽には『増補明治作文三千題』とあり「文法詳解」と二行に割った角書きがある。 「ナンジャ、これは」と思うだろう、だれでも。「明治四十四年三月求之」と奥付の上に毛筆、祖父の手跡と見える。本の発行は「明治二十四年三月二十九日出 版」「明治三十年十月増補出版」「同十一月訂正再版」とある。著作者は「伊良子晴州」増補者が「川原梶三郎」発行者は大阪市東区安土町四丁目三十八番屋 敷」の「花井卯助」発売者は大阪市、福岡県、広島県の『積善館本店・支店』とある。東京本ではない。
それにしても、ざっくりした、しかし多彩に多様多用な「編輯」で、そもそも「総目次」がなく、組みようも頁に三段二段 字の大小も、その区分されたそれ ぞれの内容も目が舞うほど色々に異なってある。ちなみに第一頁を見ると、上段に『論文門』と大きく「○学問論」と題した文章が「天地ノ間一モ恃ム可キ無シ 矣」と書き出してある。中間には細い段があり「類語日用文の部」として先ず「○時代の風俗にて無是非候」「○無御遠慮御申附被下度候」などと細字で居並ん でいる。下段はやや丈高くて、「明治作文三千題巻之壱 伊良子晴州編述」と総題らしく、ついで「日用文之部」と掲げ、「◎揮毫を頼む文」と例題し、即、 「粛啓然は拙者故郷の者京都本願寺へ参詣いたし立寄候処先生の御高名承り居今度是非御揮毫度願紹介の義依頼せられ候就而は近頃甚だ願上兼候へども右は需に 応じ被降度即ち料紙為持上候間御領収の上御一揮可被下候先は御願まで筆余は拝跪を期し候頓首再拝」とある。こんなのが延々と、次は「◎烟草の商況を報ずる 文」また「◎雑誌を贈る文」等々と大量に頁を追って行くが、実は大題の項目は他にいろいろあり、先に『論 文門』というのがあったが、類似に何種もあって、いささか様子も表情を変えて二段組みの下段に丈高く『◎文門』とかかげた頁がある。上段には『和歌和文 録』と構えてまず「和歌の部」がはじまり、高崎清風、福羽美静など私でも承知の有名人の作が以下並ぶらしい、で、その下段『文門』の初ッ端をみつけて私、 思わず起きあがった。
西南ノ役征討参軍トナリ総督ヲ輔翼シ参籌戦闘敵ヲ破リ平定ノ効ヲ奏ス
と表題され、次行に、『◎熊本陣中私(ヒソカ)ニ西郷氏ニ贈ル文」とあるではないか。紛れもない山縣有朋が西郷隆盛を案じて私「ひそか」に送った親書が此 処に上がっていると見えた。「おおう」と私は唸った、実は、この二人の間にこういう往来があったのでは、きっとあったとろうと予測しながらとても確かめる 方途がなかった。「湖の本 150}の65頁に、「明治十年西南の役参軍として肥後の国にくだりしとき」以下の三首和歌に私は何度も立ち止まっていた。こ とに
薩摩の國大口に戦ひけるとき
ともすれば仇まもる身のおこたりをいさめかほにもなく郭公
に切ない心地で立ち止まりモノを思った。「仇(あだ=敵)まもる身のおこたり」とは。「まもる」には「見守る」意味に「護る」心地も重なりやすい。「郭公 ほととぎす」は死に近縁を詠われることの多い鳥である。西郷の最期へひしひしと迫る山縣のかなしみがここで歌われているなと、傍証をもたぬまま私はむしろ 山縣の苦衷を察し、または感じていた。
そこへ「明治作文三千題」などいう珍な大冊の中、山縣の、苦境西郷隆盛に送っていた衷心の長書状を目にし手にしたのだ、唸ったのである。そうそうに此処へ書き写すことは出来ない、ほとんど漢文なのである、が、胸に響く。書き写しておく。
こんなのに目をふれたことこれまた「秦のおじいちゃん」の遺徳と感謝し、『椿山集』を今度は「論攷する仕事」にもしなくてはと思い至っている。

* 上に、「征討参軍トナリ総督ヲ輔翼シ参籌戦闘敵ヲ破リ」ちあった。「参軍」とはよく謂う参謀であり、「参 籌」もまた戦闘の謀りごとを能くする意味である。山縣有朋の軍歴ではこの「参謀」「参謀長」「参謀本部長」「参謀総長」という一線が目立ち、いわば智慧す るどい「いくさ上手」であったようだ。軍事にかかわりながら国家の安寧と戦略的外交に能力をそそぎ、そこから國の「主権線」「利益線」を世界地図上に敷い て行くべくこと思い至った太のであろう。事の是非は問わず、そういう方針為しに世界列強との海を航海はならないと山縣はだれよりも恐れかつ備えていたということか。
現下の日本には、戦争戦闘体験者はもう一人も実在しないまま、国防の防衛のと構えているが、真剣で有効な「参籌」 能力は、山縣級の眼からはゼロに近いのではないか。肌寒いほどの現実である。戦争は、シテはいけない。もう一つ、シカケられてもゼッタイにいけない。この 後者の備えが「日米安保」では、限りなく頼りない。トランプ型のアメリカは、すこしの損でもすたこらと日本など棄てて立ち退く、これ、間違いない。
2020 6/10 223

* 今回の出版は、少しく「趣向の一冊」でこそあったけれど、或いは読者の大勢さんのお好みからかなり逸れるかも、逸れたかなと、気づいている。たんに 「読み煩われる」前に、和歌や漢詩に当節ほぼ「馴染みがない」こと。加えて歴史人として「問題の多い」しかも勲章だらけの明治の元勲の家集では、どう取り ついていいかと惑われたでもあろう、やや秦 恒平の悪趣味が嵩じたというところか。すなおに謝っておきます。が、
実を云うと、ちょっと「このまま」では済ませない、なおこの先へ小説世界と時世とを少し溯ってみたい魂胆でいます。それもあくまで現代や現実を忘じ抛ってという算段ではなく、サカサマの積もりで居るのですが。
ま、やがての八十五楼、建物ごと取りつぶされるハメになっても、命があり古馴染みの機械君が応援してくれる限りは書き置き言い置くとします。
2020 6/14 223

* 劣化して行くような体感を荷のように負いながら、せっかく取り組んだのだからもう少し「山縣有朋」の時代を見返しておこうかと。史書はこの多年のうち に繰り返し読んでいて、人と時代とを大きくは見間違ってはこなかったと思いつつ、そこにまた、多く激筆により指弾され続けている山縣有朋にかかる『椿山 集』や詩歌のあるに触れていた論者には、ついに出会わなかったのである。元勲、元帥、公爵の山縣がほぼ徹しての民権迫害者であり他国への侵略という形での 國の「利益線」拡張も思い詰めていたことも、それを少年来嫌い憎み疎んじてきた自身の思いも知っている。ただ、その間の八十余年というもの、私は秦の祖父 の蔵書に『椿山集』あるを知りつつ、山縣有朋の家集としてただ一度の通読も卆読も果たしていなかった、そして今は、その少なからぬ作をおさめた一巻を尽く 自身の手と機械とで透き写し読み通している。この「新たな視野・展望」を慎重に熟読してみるのは確かに「悪くない一仕事」だと思って「湖の本 150」と いう中仕切りへの到達の記念ともしたのである。少なくも日本の詩歌に久しいよろこびを感じて触れてきた一人として、いまこの一巻の美しい家集を介し山縣有 朋なる史上の人となりをそれなりに読みかえしても必ずしも不当な無駄骨と私は思わない。所詮は「鬼の目になみだ」であれど鬼は鬼という評価はそうは動くま い、私はそれを理解している。私は長州出の山縣を以て同じ長州出の安倍某を揶揄してみたが、日本の近・現代史に徴してみれば、所詮は比較にならぬほど山縣 は巨魁であった、優れて有能な軍人であったが、反民権の鬼でもあった。それに比すれば今日の総理の安座然たる無能など、良くも悪しくもとうてい比べものに ならないのだ。
それでも、私は秦の「お祖父ちゃん」がかかる『椿山集』をまるで私の為かのように遺しおいてくれた恩を喜んでいる。私の眼は、この一巻に惹かれともあれパッと光ったのだから。
2020 6/15 223

なにか知らぬなにか知らねどま白にぞ花咲き群れて胸を燃やしぬ
2020 6/16 223

* 私の知る限りの過去に、「山縣有朋」を語って、評して、『椿山集』にもふれていた一例も記憶がない。刊行の際すでに「編輯兼發行者」養嗣子公爵「山縣 伊三郎」の名で「非売品」と奥付に明記された特装美本であれば、心知った、ないし係わりの先々へ遺族からの寄贈品であったろう。たまたまと謂うよりない、 その一冊がいつか市井に溢れ出たのであろう、大正末ないし昭和初にかけていつ頃か「秦の祖父鶴吉」が手に入れていた。祖父の思いは察しもつかないが、上 の、東都の椿山荘に遠からぬ暮らしといわれる「ばあさん」と同じに、私も、この「有朋家集」を読まぬうちと、読んでのちと、「元帥山縣」を観る目と思いに 明らかに添えて加わるものの有ったことは、とても否認・否定できない。
私は現代の文士であり。「日本の言葉」を用い、詩歌をふくめ文藝・創作を衷心受け容れてきた八十四老である。尊皇倒幕と明治維新を経てほぼ大正時代を通 じ表向き「元勲」として生きた一軍人政治家に、かように私的私情の文字と言葉の慎ましい「表現」も在った、在りつづけた事実を、また一面の真実・真情と受 け取るのは、こと「人物」の観察・批評に及ぶかぎり妥当で至当の姿勢と思わずに居れない。「湖の本」の読者に同様の反応や感想のうかがえたのも自然な情意 であり、むしろ「有朋詩歌」には自身触れぬままの「山縣嫌い」だけが吐き出されていたのなら、ま、余儀ないことと、私自身も強く思い合わせて頷くしかある まいが、私は「秦のお祖父ちゃん」のお蔭でこの『椿山集』と出逢えたのを、やっぱり。「よかった…よ」と思っていて、それを羞じない。

* 何とはまだまだ明かせないが「新しい仕事」になる筈の「用意」や「検証」にすでに取り組んでいてる、が、大方参照する本の活字は小さく、古く、ひどく難しく、目の負担で、とてもつづけて長時間は取り組めない。
慌てる必要も、無い。亀のように歩いて行く。
2020 6/23 223

* 倒幕維新の原動力になった「薩長」両藩に、共通して、特徴的な苦い一大体験のあったことは、ともすれば忘れられがちだが、西欧列強の軍艦に、鹿児島 を、下関を、強烈に砲撃され、なに為す術なく屈服した過去があった。どうお侍たちが槍や刀を振り回し弓を引いてもお話しにならず、奇兵隊の隊長山縣狂介も あえなく手ひどい負傷を体験している。軍人山縣有朋にとって此の体験こそは決定的な認識になったろうこと、察し得て余りがある。
外国に、戦争を仕掛けては、いけない。しかし、外国から戦争を仕掛けられては絶対ならず、仕掛けられた以上、国土と国民のためにも絶対に負けられない。が、負けぬ為にはどうあらねばならないか。
山縣有朋の生涯は、この一点を「不動の基に堅い信念」となって築き上げられただろうと思われる。徴兵制、軍人勅諭、強力な陸軍(海軍)の創設と構築と強化、列強に対峙できるだけの不断の軍拡に国家として費用を掛けても「備え」続けること。
これらを、即、山縣有朋の「悪」「欲」と決まり文句に決め付けてばかりで、当たっていたのだろうか。軍艦からの砲撃に縮み上がったまま、相変わらず二本 差しのお侍たちに国防を任せ得たろうか。朝鮮、清国、ロシアとの紛争や戦争に日本がともあれ負けなかった、征服されずに、むしろ勝ったとも謂える優位の講 和が出来たどの場面でも、山縣有朋は外交をも含む終始知謀の参謀であり、事実上の最高指揮にいつも当たっていた。
この点のみに就いて云うなら、「時代」という問題もふくめて、山縣のおそらく真意とよめる辺へ、ただただ無批判な批判を加えるだけで済むのかナと、私は、『椿山集』の詩歌ともしっかり触れ合うて、しばし、立ち止まった。考えてみた。
「戦争はしなくていい」と山縣は、征韓論にも西南戦争にも慎重であった。しかし「外国から戦争を仕掛けられたなら、日本は、決して「敗北」してはなら ぬ、国体と国土と国民を「占領」されてはならぬ、それには日本国の自力で備えねばならぬが、「備える」とは何を謂うのかと、闘い勝てる力とは、軍の統率・規律であるとともに相応に強力な防備と戦闘力の用意・蓄えであったろうとは、常に常に山縣は考えて確信していたろう、そう、私は ぼんやりとでも、今は、山縣有朋という人を少しく想い直すのである、「反民権」等々の、真っ向責めたい、責められて当然な「悪」項目の、他にも幾らも有ることはよくよく承知 し認識しての上で。
2020 6/24 223

* 倒幕維新の原動力になった「薩長」両藩に、共通して、特徴的な苦い一大体験のあったことは、ともすれば忘れられがちだが、西欧列強の軍艦に、鹿児島 を、下関を、強烈に砲撃され、なに為す術なく屈服した過去があった。どうお侍たちが槍や刀を振り回し弓を引いてもお話しにならず、奇兵隊の隊長山縣狂介も あえなく手ひどい負傷を体験している。軍人山縣有朋にとって此の体験こそは決定的な認識になったろうこと、察し得て余りがある。
外国に、戦争を仕掛けては、いけない。しかし、外国から戦争を仕掛けられては絶対ならず、仕掛けられた以上、国土と国民のためにも絶対に負けられない。が、負けぬ為にはどうあらねばならないか。
山縣有朋の生涯は、この一点を「不動の基に堅い信念」となって築き上げられただろうと思われる。徴兵制、軍人勅諭、強力な陸軍(海軍)の創設と構築と強化、列強に対峙できるだけの不断の軍拡に国家として費用を掛けても「備え」続けること。
これらを、即、山縣有朋の「悪」「欲」と決まり文句に決め付けてばかりで、当たっていたのだろうか。軍艦からの砲撃に縮み上がったまま、相変わらず二本 差しのお侍たちに国防を任せ得たろうか。朝鮮、清国、ロシアとの紛争や戦争に日本がともあれ負けなかった、征服されずに、むしろ勝ったとも謂える優位の講 和が出来たどの場面でも、山縣有朋は外交をも含む終始知謀の参謀であり、事実上の最高指揮にいつも当たっていた。
この点のみに就いて云うなら、「時代」という問題もふくめて、山縣のおそらく真意とよめる辺へ、ただただ無批判な批判を加えるだけで済むのかナと、私は、『椿山集』の詩歌ともしっかり触れ合うて、しばし、立ち止まった。考えてみた。
「戦争はしなくていい」と山縣は、征韓論にも西南戦争にも慎重であった。しかし「外国から戦争を仕掛けられたなら、日本は、決して「敗北」してはなら ぬ、国体と国土と国民を「占領」されてはならぬ、それには日本国の自力で備えねばならぬが、「備える」とは何を謂うのかと、闘い勝てる力とは、軍の統率・規律であるとともに相応に強力な防備と戦闘力の用意・蓄えであったろうとは、常に常に山縣は考えて確信していたろう、そう、私は ぼんやりとでも、今は、山縣有朋という人を少しく想い直すのである、「反民権」等々の、真っ向責めたい、責められて当然な「悪」項目の、他にも幾らも有ることはよくよく承知 し認識しての上で。
加えて謂う、どうか思いのある人には思い出して欲しい、大政奉還からのち、伏見の闘いなどあって徳川慶喜は大阪から船で江戸へのがれ、京都では朝敵討つ べしと錦旗をかかげて各道から江戸への大軍を送った。この時であった、幕府は西欧国の支援や介入の申し出を「はっきり謝絶」した、江戸を征討の朝廷政府も また西欧列強の支援を截然と謝絶していた。京都と江戸とに、この点の申し合わせは一切無かったのだ。しかも両者とも明確に手出しを謝絶した。既に不平等条 約を押しつけられていながら、きっぱり無用の介入を断ったのだ、維新以後の日本の歴史を顧みて、後世が真実当時に心から感謝を覚えていいのは、何よりこの 一点であったろう、深く頭を下げたいと思う。
何故であったか。説明が必要か。維新の「元勲」たちは、その人格や経歴を多彩に異にしていて、なお「日本」を「日本人」の手でこそ守らねばと信念を侍し ていた、そう思いたい。それなくて、以降、韓国朝鮮や清国やロシアや、欧米列強との思惑や軋轢や戦争をどう小さな島口日本が対処し得たろうか。戦争はしな いのが良い、しかし戦争を仕掛けられたら負けない対策がなければならぬ。三百年の鎖国を体験してきた日本は、世界の一後進小国に過ぎなかったのだ、幕末 も、維新後も、大正時代になっても、なお。山縣有朋はそんな時代の日本を護るべき地位に、、その中枢に、先頭に位置していた。『椿山集』を読んで、心新た にそんなことへも気づいたといえば、私は迂闊であったとも、ものが見えてないとも謂われよう、か。
2020 6/25 223

述懐  恒平二年(2020)七月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

牡丹散るはるかより闇来つつあり       鷲谷七菜子

杜子美 山谷 李太白にも
酒を飲むなと詩の候か         隆達小歌

雨蛙芭蕉に乗りて戦ぎけり          榎本其角

五臓六腑はづし涼しき人体模型       三澤布美

水打つて水打つて聴く石のこゑ       山田みづえ

雨のあとの雨うつくしく濡れて咲く
萼あじさいのうたふ静かさ       恒平

葉の翠り映えばえ群れてどくだみの
小さな花は咲き静まれり        恒平

正法寺と尊き名ある門の前を
行き過ぎがてに風薫るなり       恒平

京  祇園石段下  帰りたい京都とは 此処でしかない

鐵(かね)のいろに街の灯かなし電車道のしづかさを我は耐へてゐにけり

ひそめたるまばゆきものを人は識らずわが歩みゆく街に灯ともる   「少年」

祇園会 八坂神社  四條大通りを見下ろす夜の西楼門

理想の少女像  小磯良平・畫

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色
秦の実父方菩提寺  美しい 一度だけ叔父吉岡守に連れて行ってもらった。
2020 7/1 224

* 無残なまでの星祭りであった。風が鳴っていても西国はまだ強い雨らしい。大河の物凄い氾濫に天象の怨恨をさえ感じた。

星の夜の星のみえねば戴きし蜜の白玉を妻と食せる

笹の鳴る板戸の外の七夕の風のさそひの亡きが恋ひしも
2020 7/7 224

* 弥栄中學の二年生で同じ組にいた横井千恵子さん、例年のように私の好きな今日の漬け物、それも歯の弱い私にありがたい美味しい各種を送ってきてくれま した。有難う有難う。彼女、祇園の御茶屋の娘で、やはり一年生のとき私と同じ組だった内田豊子さんと近所住まいの大の仲良しだった。二人とも長じて祇園で 感じのいいバアをもち、あまりそういう店へ出入りしない私も、この二人の店へは妻も、友人島尾伸三さんや、甥の北澤恒や猛も連れて行って、好きに仲よく歌 など唱わせていた。私は唱えない人で、ただ飲んでいた「強いねえ」と「チイちゃん」にも「トヨ子ちゃん」にも呆れられながら。
なつかしい二人それぞれのそんな店も、いつしか祇園を出て、内田豊子さんはもう亡くなった。横井さんは私の長編『お父さん、繪を描いてください』巻頭の 「一、拝殿と山路」早々(湖の本では9頁)に、掃除当番のモップの柄で男子のわたしたちを音楽室から追っ払う「淺井多恵子」として、颯爽と登場している。
同い歳。どうか、元気でいてくれますように。このごろ、だれに向いても同じことを呼びかけている、ほとんど、頼んでいる、まるで。

友よきみもまた君も逝ったのか われは月明になにを空嘯(うさぶ)かん

そう呻いたのは二○一一の十月だった。歳あけた正月五日の人間ドックで私は二期胃癌と診断された。あれから十年余の歳月を積んできた。
2020 7/9 224

* 朝早に床を出て「マ・ア」と、キッチンに坐り込んでテレビをつけると、びっくり、文化庁がつくった『日本遺産」とい う連作の早朝番組で「奈須野」を解説の途中だった。先日「詠」さんから慨嘆の手紙をもらっていた関連の内容が美しい映像とともに紹介され、女優の斎藤由貴 が訪ねていた。山水と大農園の美しさはたしかに目をうばうものがあり、間違いなく時の総理大臣山縣有朋のおそらく首唱にしたがい、まさしく日本の農村離れ のした整然広大の農園が、みるからに美しい生鮮野菜やみごとな果物を栽培していて、その種類・品質と生産高とは想像を超えていた。しかも「山縣有朋記念 館」には、五代の子孫にあたる山縣有徳氏が来客の斎藤由貴を和やかにもてなしていた。建物のありようはまさしく瀟洒に美麗の西洋風で、まさしく「日本離 れ」がしていた。
那須高原のかかる整然たる開発を、番組では「明治貴族」の発想と尽力で成ったと解説していて、詠さんが名をあげていた乃木希典の、勲章をたくさん胸にし た軍服姿も、係わっていた一人として写されていた。ほかの顔写真まで記憶しきれなかったが、最後に、そんな「明治貴族たち」を束ねる態に、第二次山県内閣 の総理大臣有朋像が大きく映し出されていた。詠さんの書かれていた「事」はいわば「史実」であった。史実をどう読んで評価するかは私の荷にあまるが、一例 が、敗戦後吉田茂のワンマン大磯道路などと比して、那須の「山縣農場」ほかとの行政価値はどう較べられるか、あの奈須高原のみごとに広大で整然ととした大 農園には、比較にならぬ大きな「明治貴族」の特権行使でこそ成し遂げ得た大開発であったのだろう、それはそのまま今日の大規模農業の現実としてひきつがれ ているのだった。「農」に「根」の思いのある人と『椿山集』を読み終え即座に感触していた私の想いとは齟齬はしていないのである、が。
2020 7/12 224

述懐  恒平二年(2020)八月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

しかりとてそむかれなくに事しあれば
まづなげかれぬあな憂世の中      小野篁

神は無しと吾は言はねど若し有ると
言へばもうそれでおしまひになる     安立スハル

身のうちに未知の世界を見ることを
歓びとする悲しみとする           竹久夢二

かかる日にたしなみを言ふは愚に似れど
ひと無頼にて憤ろしも            前川佐美雄

かにかくに祇園はこひし寐るときも
枕の下を水のながるる           吉井勇

かんがへて飲みはじめたる一合の
二合の酒の夏のゆふぐれ         若山牧水

水すまし流にむかひさかのぼる
汝がいきほひよ微(かす)かなれども   斎藤茂吉

ひかりふる梢のみどり濃くゆれて
つかのまわれは生きをうしなふ      秦 恒平

若い人に次々にあとを追ひ越させ
ゆつくりていい我の花みち         秦 恒平

雲丹といふ赤間の浦のなまものを
かしこし酒に戴いてをる           秦 恒平
2020 8/1 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ この巻では「恋」を除いた「愛」の詩歌を読むのが建前 で、いきなり「夫婦の愛」などから始めてもいいわけだが、それを承知で、「男女の愛」の歌にもまず触れておきたい理由はもう繰返さない。本篇のまえにやや 長い序篇が置かれていると位に受け取って欲しい。いわば番外の序篇であるから、解説や鑑賞より、むしろ、次から次へなるべく作品を多く口遊(くちずさ)ん で行くうち、いつしか「愛の詩歌」のリズムに馴染んで、本篇へ、スムーズに読者も筆者も入って行きたい。
さて、日本の詩歌の歴史を、便宜に「和歌時代」と「短歌時代」とに私は分けており、もっと分りよく「明治以前」「明治以後」とはわざと呼ばないでいる。 ほぼ同じことを指しているが、「和歌」と「短歌」とでは、韻律や発想や声調にまぎれない差異が見え、それが俳句にも詩にも微妙に及んでいると思う。当然の ように、現代の我々の心に響く訴及力の差にもそれがなっている。
いかに技巧的に勝れた往時の名歌名句といえども、微妙なところで現代の心にもう十分は届きかねる昏さ疎さというものを、往昔の作品は余儀なく蔵してい る。『小倉百人一首』の歌はたしかに佳いが、さりとて百首が百首とも現代の詩心を直かに代弁できるとも言いかねるのである。

★ 夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば   大伴 家持

相手が生者でも死者と読んでもいい、「おどろきて」は、「目が覚めて」の意味である。むしろ『萬葉集』のこういう歌には、率直ゆえに、身近に響いて心を騒がせる共感もたしかにある、が。

* (二〇二〇)七月三十日 木

* 起床 8:00 血圧 132-59 (55)  血糖値 86 体重 60.15kg

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
よく選んで読んだつもりです。   秦 恒平

『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』

亡き孫・やす香に贈る

やすかれとやす香恋ひつつ泣くまじと
われは泣き伏す生きのいのちを
つまもわれもおのもおのもに魂の緒の
やす香抱きしめ生きねばならぬ  祖父

原題・書下し『愛と友情の歌 詩歌日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊

☆ 愛のこと  この巻を編むにあたって

「旅の歌」「四季の歌」「恋の歌」という選びかたは必ずしも無理でないが、それらと別に「愛の歌」と限るとなると、容易でない。旅や四季自然もおのずと 「愛」の対象に相違なく、まして「恋愛」という言葉もある。そもそも詩歌とは、ひろい意味の「愛」に湧き出で「愛」よりほとばしり出るもの、の謂であろ う。これを人に対する愛と限定し、さらには恋愛を除いたにしても、なお実にさまざまな「愛」のすがたかたちが有る。この巻の表題にあげてある「友情」も、 そうした「愛」のありようの一つと考える。
私は思案して敢えて「愛」を、窮屈に限って考えないことにした。恋愛も、また死者への愛も、この巻が自然に必要とする限りにおいて、他の巻との重複をお それず、大切に扱うと決めた。自愛ももとより 他の生命への愛、さらに人生や時代や理想や思想への愛も、愛と切り離せない深い痛みとしての孤独も、怨憎の 思いすらも、避けては通るまいと考えた。
もともと詩歌にせよ何にせよ、秀でたものであるほどなまじいの限定を大きくはみ出て行くつよい勢いをはらんでいる。そういう作品が、一見「愛」らしくな いだけの理由で採られないのは、残念だが、残念をすこしでも払える工夫は試みたい。すくなくもこのシリーズで拾い採れると限らぬりっぱな詩や歌が、他にも 実に沢山あるという事を、私は読者に知っていて欲しいと思う。
この撰を依頼されてから三年余になる。その間に、記紀歌謡から最現代の詩歌まで我ながら驚くほどの多くを読んだ。わずか数百の作品を選び出すのには、そ のような作業はむしろ苛酷に過ぎた。しかもなお私は、今、それを「出会い」と呼ぶしかない。「出会い」をえずに通り過ぎた作品の量は、他にはかり知れない のである。その事実に私は謙虚でありたいと思うし、読者にも、きちんと断わっておきたい。
歌謡があり和歌があり発句がある。連歌連句もある。狂歌川柳も都々逸もある。むろん漢詩もあり、能や浄瑠璃の歌詞もある。近代になれば短歌、俳句、詩がある。歌謡曲や浪花節その他の歌詞もある。散文詩というのもあり、翻訳詩も時に無視できない。
努めて見渡しながら、私は、落着くところ近代以後のもの、現代の我々が親しみかつ記憶に値するものに重点をおこう。具体的には短歌を軸に、これに俳句、和歌、歌謡を配し、近代以後の詩をごくわずかに添えるにとどめる。
結果として私の力がそれ以上に及ばなかったのであり、しかし、紙数とのかねあいとも言える。さらには所謂「和歌時代」の詩歌、近代以前の詩歌で「愛」と いえば概ねは「恋愛」に属しており、しかも、このシリーズでは別に一巻が『恋愛の詩歌』のために用意されてある。敢えて近代以後の作に重きを置こうとする 理由は、そこにも有る。
さてまた、作品か作者かという重点のおきかたも問題になる。なるべく多くの人のものをという配慮の方が、この種のいわば詞華集・秀歌撰の類では優先され るのかも知れない。が、私は敢えて文字どおりに「作品」本位でありたいと態度を決めている。その結果同じ作者から数重ねてえらぶという事もある。けっして 安易にするのではない。
同じ意味から作者や典拠についても、作品に対する以上に筆を用いることはしない。詩歌本来の無名性に立ち帰ろうというほどの頑張りではないが、かりに「作者」の名は忘れても「作品」が記憶され、「作品」に心惹かれる体験の方が、遙かに大切とは思うからである。
作者を知名度に応じてえらぶという事も私は避けたい。「うた」は「うったえ」でもある。表現の技においてプロフェショナルがアマチュアに勝るのは当然だ が、技ゆえに「うったえ」の本来を心なく犠牲にしてしまうのも、プロフェショナルの陥りやすい弊に相違ない。しかも「うた」は人世を映す鏡であり、鏡に映 る「うた」の世界は、到底一握りのプロフェショナルの作品だけで尽くされはしない。必ずしも十分の表現をえていないのかも知れない作品に、思いがけぬ真実 の感動や興趣を覚えることは多く、それも「うた」の「うったえ」であるならば、むしろこういう際に「専門」と称する人らに反省を促そう。
いわゆる詞書に頼らないで済む作品をとも心がけたい。この姿勢は、一歩進めて作品の鑑賞や理解に幅を生じる際、敢えて、作者の意図や作の成る特殊な事情、また時代的な制約から、ある程度自由に読む、読んでいいという、いわば「読者本位」の立場を私にとらせる。
また、古典に属する作品とはいえ、これに現代語訳を付することはしない。むろん、つとめて意は伝えねばならぬ。が、従来も、「詩歌の現代語訳」には、私 はけっして与(くみ)してはこなかった。物語や随筆ならば知らず、そういう賢しらはしなくても済むのが、すくなくも「同じ日本語で」味わえる詩歌の魅力で はなかろうか。「うた」の「うったえ」は、繰返し、よく舌にのせて、かつ深く聴きとるのが正しい。私も余分の解説に筆を用い過ぎず、必要に応じ一読者の鑑 賞例として、私自身の読みをただ参考に供するまで。
とにかく自分の声と言葉と心とで「読む」のを臆病に避けて、謙虚という以上に姑息に、誰か他人の読みにしたがおうとする人が多いが、繰返し敢えていうならば、詩歌に、「読み方」という「規則」は、ないのである。選ばれた詩歌そのものを味読していただきたい。
他巻との重複は、いぶかしむより、むしろ楽しんでいただくように。  (一九八四年 秦 恒平)

* 前置きの長かったの、勘弁して下さい。明日からは読みよく続きます。
2020 7/30 224

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ この巻では「恋」を除いた「愛」の詩歌を読むのが建前 で、いきなり「夫婦の愛」などから始めてもいいわけだが、それを承知で、「男女の愛」の歌にもまず触れておきたい理由はもう繰返さない。本篇のまえにやや 長い序篇が置かれていると位に受け取って欲しい。いわば番外の序篇であるから、解説や鑑賞より、むしろ、次から次へなるべく作品を多く口遊(くちずさ)ん で行くうち、いつしか「愛の詩歌」のリズムに馴染んで、本篇へ、スムーズに読者も筆者も入って行きたい。
さて、日本の詩歌の歴史を、便宜に「和歌時代」と「短歌時代」とに私は分けており、もっと分りよく「明治以前」「明治以後」とはわざと呼ばないでいる。 ほぼ同じことを指しているが、「和歌」と「短歌」とでは、韻律や発想や声調にまぎれない差異が見え、それが俳句にも詩にも微妙に及んでいると思う。当然の ように、現代の我々の心に響く訴及力の差にもそれがなっている。
いかに技巧的に勝れた往時の名歌名句といえども、微妙なところで現代の心にもう十分は届きかねる昏さ疎さというものを、往昔の作品は余儀なく蔵してい る。『小倉百人一首』の歌はたしかに佳いが、さりとて百首が百首とも現代の詩心を直かに代弁できるとも言いかねるのである。

☆ 夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば   大伴 家持

相手が生者でも死者と読んでもいい、「おどろきて」は、「目が覚めて」の意味である。むしろ『萬葉集』のこういう歌には、率直ゆえに、身近に響いて心を騒がせる共感もたしかにある、が。
2020 7/31 224

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 吉野川岩波高く行く水の
早くぞ人を思ひ初めてし      紀 貫之

★ かりそめに伏見の野べの草枕
つゆかかりきと人に語るな    『新古今集』読人しらず

★ 逢ふことも今はなき寝の夢ならで
いつかは君をまたは見るべき  上東門院

『古今集』撰者の、また『新古今集』に採られた貴族男女たちのこういう歌になると、もう萬葉の五七調から離れ、近代にまで目に耳に馴染んだすっかり七五 詞でありながら、どことなくまぎれなく古代そのものの遠い疎い印象を、禁じえない。旨いし、優しいし、よく分かるし、一首の姿も声も美しい。それなのに、 疎く遠く感じる。そこに詩歌のもつ微妙な時代性がうかがえ、そこには恋の歌であれ旅の歌であれ、「近代短歌」とは別の 「和歌」として受け止めざるをえ ぬ、何かがある。何かが、我々との間を隔てている。
まさしくその何かに対する認識として、「近代」の詩歌制作者たちの覚悟も生まれた。
むろん話にはいつも例外がある。幸せな例外もある。私はこの巻を進めるに当たり、そういう幸せな例外にも出会いたく、しかし根ははっきり「短歌時代」に 据えたいと考えている。過去の遺産を主に拾うより、現代に十分通用する、ないしは現代の文化としての、詩的感動を求めたいから。
2020 8/1 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ さねさし 相武(さがむ)の小野(をぬ)に 燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも   弟橘媛(おとたちばなひめ)

倭建命を慕って歌われたという、『古事記』に名高いこういう歌を私は好む。また『萬菓集』はもとより、和泉式部、西行らをはじめ久しい「和歌」の表現と 歴史をも私自身は余念なく今も愛しているが、さてそこから「愛」の歌をとなればおおかたは「恋愛」の歌であり、しかも恋の秀歌撰はすでに数多いため、いき おい見覚えのものに出会いがちになる。
それよりも私は、いっそ「和歌」ならぬ「歌謡」の分野に、まだまだ多くは人に知られぬ、しかも現代の心に十分訴えうる佳い歌詞の多いことをここで強調し紹介しておきたい。もっともそれにも限界はある。
すこし割切り過ぎのきらいはあっても、ことさらここでは十二世紀以前の古代末期歌謡をあつめた『梁塵秘抄』および、十六世紀以前の主として室町小歌や小 謡をあつめた『閑吟集』の歌詞で、次には代表させておく。それ以前は遠く疎く、それ以後のものはあまりに俗化が過ぎるからだが、少なくもこの二冊の歌謡の 集に限っては、和歌の萬葉、古今、新古今集にもけっして劣らない、現代に通うという意味ではむしろそれらに勝る、住い内容と面白さとを持ち合わせている。
ことに『閑吟集』からは、愛や恋に関心のある若い読者なら、なまじな現代詩集などよりよほど新鮮鮮烈な詩的興奮を、たっぷりと、かつ容易に面白く味わえよう。

★ 葛城山(かつらぎやま)に咲く花候(そろ)よ あれをよと よそに想うた念ばかり

★ いたづらものや 面影は 身に添ひながら 独り寝

★ 思へど思はぬふりをしてなう 思ひ痩せに痩せ候(そろ)

* 明日に、つづく。
2020 8/2 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 身は浮草の 根(寝)も定まらぬ人を待つ 正体なやなう 寝うやれ 月の傾く

★ 来ぬも可なり 夢のあひだの露の身の 逢ふとも宵の稲妻

★ 独り寝はするとも 嘘な人は嫌(いや)よ
心は尽くいて詮なやなう 世の中の嘘が去ねかし 嘘が

★ 後影を見んとすれば 霧がなう 朝霧が

★ あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ

★ うらやましや我が心 よるひる君に離れぬ

★ お堰(せ)き候(そろ)とも堰かれ候(そろ)まじや
淀川の 浅き瀬にこそ 柵(しがらみ)もあれ

★ 泣くは我 涙の主(ぬし)はそなたぞ

★ 籠がな籠がな 浮名もらさぬ籠がななう

★ とりたてて佳いものだけを引いたのでなく、解説の紙数を惜しんで、分りいいのをここでは選んでみた。
それでも、『閑吟集』歌謡の孤心を秘めた愛恋無限の魅力の一端は、察して貰えよう。
2020 8/3 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 『閑吟集』を遡って 『梁塵秘抄』からも胸に響くいくらかを挙げてみる。

★ 思ひは陸奥(みちのく)に 恋は駿河に通ふなり
見初(みそ)めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし

★ 吾主(わぬし)は情なや 妾(わらは)が在らじとも棲まじとも言はばこそ憎からめ
父や母の離(さ)けたまふ仲なれば 切るとも刻むとも世にあらじ

★ 聖(ひじり)を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや
年の若き折 戯(たわ)れせん

★ 恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢はいかが見る
さしさしきしと抱くとこそ見れ

★ 東(吾妻)屋の つま(妻)とも終(つひ)にならざりけるもの故に
なにとてむね(棟=胸)を合はせ初(そ)めけむ

★ 水(見)馴れ木の水馴れ磯〈衣〉馴れて別れなば
恋しからんずらむものを や 睦(むつ)れ馴らひて

★ いざ寝なむ夜も明け方になりにけり 鐘も打つ
宵より寝たるだにも飽かぬ心を や 如何(いか)にせむ

★ 恋しとよ君恋しとよゆかしとよ 逢はばや見ばや 見ばや見えばや

これら大らかにも赤裸々な愛欲の歌声には、思わず人を感動させる真実があらわれている。しかも『梁塵秘抄』を全部通して読めば、こうした感情がただ人間的な真実だけでなく、信仰の心とも分厚く表裏した、いわば時代的な真実にもうらうちされていた事が、よく理解できる。
ともあれこの勝れて面白い古代と中世の二冊の歌謡集については、別に、NHXブックスに収めてあるそれぞれ『梁塵秘抄』と『閑吟集』とで、とくと楽しんでいただければ幸い。
2020 8/4 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆  いわゆる「和歌時代」には別れを告げ、近代現代の詩歌を主に読んで行こう。もっとも、此の「男女の愛」の章では、先例にならい、紹介を主にしておく。
近代の歌声となれば 明治三〇年の 『若菜集』を抜きには語れまい。その中でも 「初恋」の歌は有名に過ぎるとはいえ、永遠に初々しい魅力がいささかも古びない。

★ まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は()()ゅょ
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ     島崎 藤村

★ 「あげ初めし前髪」「こひ初めしはじめ」「踏みそめしかたみ」と、いかにもものの初めの初々しさに、詩一篇が処女の胸さながらに美しくふるえている。この詩人を小説「家」や「新生」や「夜明け前」の作者とばかり思い込んではならない。

吾胸の底のここには
言ひがたき秘密(ひめごと)住めり
身をあげて活ける牲(にえ)とは
君ならで誰かしらまし

★ とも歌ったこの詩人の呻きは、近代日本人の 覚め行く魂の自覚にほかならなかった。その自覚が、かくも抒情味に富んで優美に表現されながらあしき感傷をまぬがれ、しかももう「和歌時代」の和歌的な発 想でもリズムでもなかった事にこそ驚いていい。恋を歌った近代詩は、藤村以後の方が、佐藤春夫にせよ北原白秋にせよ室生犀星にせよ、むしろ過剰な感傷と修 辞に酔い気味であったのかも知れぬ。国民的に愛誦されてきた恋の名詩をその後ほとんど持たない詩史…に、日本と日本語との不幸があるといえば、詩人たちは 何と応えるのだろう。
ま、へんに絡んでみても仕方がない。
2020 8/5 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 男から眺めた女ということで、ひとつ、山村暮鳥没後の詩集、大正十三年『雲』から挙げてみよう。

★  野良道
こちらむけ
娘遠
野良道はいいなあ
花かんざしもいいなあ
麦の穂がでそろつた
ひよいと
ふりむかれたら
まぶしいだらう
大(でっ)かい蕗つ葉をかぶつて
なんともいへずいいなあ     山村 暮鳥

☆ ナイーヴといえば言えるし、素朴な味わいが「いいなあ」と思うが、こんなでいいのかなあと思わぬでもない。
2020 8/6 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆  昭和元年に出た伊藤整の『雪明りの路』は青春の気に富んで、しかも、しっとりと深い色彩をたたえた、佳い詩集だった。「青葉の朝に」をここに挙げる。

★ 青葉となつて雨の降る朝
おまへは硝子戸のかげで
そつと黒いまつ毛の涙を拭いてゐる。

それほどの思ひがあつたのなら
何時かのあの月のよい
さう僕が十九の秋の一夜
不思議な情緒にとりつかれて海辺の丘をさまよつた夜更けに
なぜ素足で出てきて
身体も白く透き通つたまま
僕といつしよに海で死んでしまつて呉れなかつたの。     伊藤 整

☆ 日本の近代詩は、外在律から自由になったその時から、むしろ詩の表現としては窮屈になり、妙にしどけなくもなり、短歌や俳句の厳しい表現を容易には 超ええなくなった趣がある。その一方で、流行歌の作詞表現がけっこう若者らに浸透して、詩的満足がもっぱらそこで購われている。
「詩」の市民性が稀薄になっていないか。それでもいいのか。
それにしても詩を紹介するのは、紙数に恵まれない時は難儀な仕事になる。私は原則として、詩にせよ絵画にせよトリミングは、「批評」や「研究」ででもない限り、許されていい事とは考えていない。自然、この巻では詩の紹介は数限ることになろう。
2020 8/7 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ ひたぶるに人を恋ほしみ日の夕べ
萩ひとむらに火を放ちゆく   岡野 弘彦

★  何ともいえない気分になる。やすらかなような、胸をかきむしられるような気になる。涙ぐましくて、激しくて、歌は美しい。五つの「ヒ」を陪昔に、「萩」「放ち」の二つの「ハ」音が輪郭正しく浮かびあがる「うた」の効果。しかも「詩化」を遂げた一語一語。
詩も歌も「うた」にほかならず、音楽の美を見捨てて言葉の藝術が成るはずがない。ただに音の美を言うのではない。言葉の一つ一つが十分な「詩化」を遂げ ているかどうか、そういう基本の語感が歌でも詩でも俳句でも大切なのは言うまでもない。のに、それがなかなか実作者らにも分かっていない。
以下の読み、実情と或はかけ離れているかも知れぬが、出会いの昔の感銘にしたがいたい。
「萩」は一夜豊産の「風土記」伝説このかた不思議になまめかしいものを身に負うた花で、「火」もまたこれの根をより強く肥やすために「放つ」のである が、この歌では「火を放つ」という行為により、「人を恋」うる魂鎮めも魂ふりもが願われていそうな気がする。「ひたぶる」といったつい言い過ぎになりがち な言葉が、これくらい適切に美しく用いられた例は少ない。現代の、恋の名歌と言い切っていい。昭和四二年『冬の家族』の巻頭歌。
2020 8/8 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ さて、現代の若々しい「恋」の表現を、説明も鑑賞も抜きに並べたい。それぞれに様式への意欲も新鮮な表現ももち、なにより(少ぅし、もはや以前っぽい=)現代の「恋」の感覚に溢れている。

★ 双腕に若やぐ鹿を追ひつめて
撃ちたき意志を華と呼ぶべし   勝部 祐子『解体』

★ 海を見にゆかなとひとの言ひしかば
それよりぞわが裡に鳴る波   池戸 愛子『未知』

★ 梢たかく辛夷(こぶし)の花芽ひかり放ち
まだ見ぬ乳房われは恋ふるも   小野 興二郎『天の辛夷』

★ 海風は君がからだに吹き入りぬ
この夜抱かばいかに涼しき 吉井 勇『酒ほがひ』

★ 草原を駈けくるきみの胸が揺れ
ただそれのみの思慕かもしれぬ   下村 光男『少年伝』

★ あの胸が岬のように遠かった。
畜生! いつまでおれの少年   永田 和宏『メビウスの地平』

★ 動こうとしないおまえの
ずぶ濡れの髪ずぶ凍れの肩 いじっぱり!  永田 和宏『メビウスの地平』

★ たとへば君ガサッと落葉すくふやうに
私をさらつて行つてはくれぬか   河野 裕子『あかねさす』

★ 抱かれてなおも哀しき夕ぐれに
水甕のみずあふるるばかり   佐藤 よしみ「国学院短歌」昭和四九年第七〇号

★ 音たかく夜空に花火うち開き
われは隈なく奪はれてゐる   中城 ふみ子『乳房喪失』

★ ましぐらな矢に真二つ裂かれたる
リンゴの肉の散るやうな逢ひ   東 淳子『生への挽歌』

★ 月光に見えざる君を頌むるより
まづ簡潔に歯を磨くかな   柏木 茂『功子』

★ 雲は夏あつけらかんとして空に浮いて
悔いなく君を愛してしまへり   柏木 茂『功子』

★ 手を垂れてキスを待ち居し表情の
幼きを恋ひ別れ来たりぬ   近藤 芳美『早春歌』

★ 逢ふことが「栄養」となり夏こえて
うつすらと肉をおびゆくからだ   松平 盟子『帆を張る父のやうに』

★ あの夏の数かぎりなくそしてまた
たつた一つの表情をせよ   小野 茂樹「地中海」昭和三九年三月号

★ 泣くおまえ抱(いだ)けば髪に降る雪の
こんこんとわが腕に眠れ   佐佐木 幸網『真の鏡』

★ 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと
雪よ林檎の香のごとくふれ   北原白秋『桐の花』

★ 今宵ひと夜あづけてよしといひたれば
君の片手を持ち帰るなり   篠塚 純子『線描の魚』

★ いつまでも美しくあれといはれけり
日を経て思へばむごき言葉ぞ   篠塚 純子『線描の魚』

★ わかれがたきおもひを断つはいつも君
今日はわたしがさよならをいふ  正古 誠子『あけぼのすぎ』

★ 色刷りの小鳥の切手はがされて
郵便箱に君の愛濡れている   河野 深雪『短歌年鑑』一九八○

★ パッと目をひらくと好きなひとがいる   森中 恵美子『番傘』

★ 弁当を忘れし彼女毛絲編む   茂木 蓮葉子『稲含』

☆ 思い切って並べてみた。佳いから並べたとも言え、好きだ からと応えてもいい。人によっては判じもののようにしか受け取れない作品も交じっていよう。判じものならそれを解いてみせるのが私の役なのだが、強いて加 えた「恋愛」の歌のこと、ここは紙数を惜しんでおく。どれも口遊んでいて、自然に魅力は胸に残るはずの歌ばかり…の、つもり。
2020 8/9 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平

* 令和(二〇二〇)八月十日 月

* 起床 7:30 血圧 133-58 (55)  血糖値 86 体重 60.8kg

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 昨日は、私の好みのようなものが、先ずはサンプルとして出たという位にして、もう一首。

★ 割烹着の裾よりスカート少し見えいよいよ君をいとしと思ふ   吉村 睦人

☆ 発見の歌であり、しかも誰もが分かる納得できる意味では共感の歌であり、思いの底にあったものが、いみじくも代弁された喜びをもつ。「割烹着」だ けでは、気がつかない。ふだん見ている「スカート」だけの姿でも気づかない。いつもは見なれない働き者の「裾」からいつも見なれて心をひかれてきた「ス カート」がちらと見えた。好きな少女の思いがけない好もしい一面が瞬時に結晶した。
好きになって行く時は何を見てもこうなのではあるがと、スタンダールの『恋愛論』は教えている。昭和五八年『吹雪く尾根』所収。青春の恋をうたって心晴れやかな歌集である。
2020 8/10 225

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 次には発想と表現の質において、やや年かさな印象の作品も挙げてみます。

★ 脣(くち)に指押しあてて聴く春千鳥   上村 占魚

☆ 事実は知らず私は愛の営みのまさしく、さなかと読む。それでこそ面白い。「花龍に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な」という『閑吟集』屈指の名吟を思いだす。昭和五九年『かのえさる』所収。

★ 白椿われに冥加の痣ひとつ   藤田 湘子

☆ これも濃厚な愛が恵んだきぬぎぬの発見と読んでこそ面白い。昭和五七年『朴下集』所収。

★ ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜   桂 信子

★ 七夕や髪濡れしまま人に逢ふ   橋本 多佳子

★ 乱れたる団扇かさねて泊りけり   長谷川 かな女

☆ 前の二つは『月光抄』(昭和二四年)『信濃』〈昭和二二年)から採り、かな女の作は記憶から採った。こう三つ重ねると、佳い短編を読んだような後味がある。
2020 8/11 225

☆ 私も
『こしのやまかぜ』という歌集は知っていましたが、この『椿山集』は存じあげていませんでした。
山縣有朋はどちらかというと政治的な黒幕のイメージがありますが、和歌や作庭に通じた人物である点は、伝記などで知りました。
近代政治史を少し勉強したことがあるだけです。出身は九州なので、山口にきて、萩に山縣有朋騎馬銅像があるのを見て驚いたことがありました。
続編も含めて完成されることを期待しております。御自愛ください。  竿

*日についで
山縣有朋の続稿を追い、そしていろんな意味から、対比に興趣も問題も豊かな、もう一人との出逢いを、心して日々追っています。
山縣有朋は 明治の政治世界では、「黒幕」どころでなく、ほぼいつも「表舞台」に存在感を見せていた勲章だらけの軍人であったと観ています。
家集「椿山集」は、私情ゆたかなケレン味のない佳い所産でした。一般に常識化してきた山縣評ないし山縣嫌いには、その一面はほとんど抜けていて、ある浅 さや傾きがあったかも知れません。その辺のわたくしの見解は、いま、もうほぼ書き終えて、「別の今一人」への探訪により、さらに歴史的な新たな見識も視野 も可能になるかなと思案しいしい、書き継いでいます。「秦 恒平・湖(うみ)の本
第151巻」として纏められればと期待しながら。
烈暑の日々、八十五老、籠居に徹しています。
日々お大事になさって下さい。      秦 恒平
2020 8/11 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 発想と表現の質において、やや年かさな印象の作品も挙げてみます。

★ かまつかの静かに朱けの深みゆく
夕べゆふべの君の恋しさ   馬場 あき子『早笛』

★ 抱くとき髪に湿りののこりいて
美しかりし野の雨を言う  岡井 隆『斉唱』

★ なつごろも透きてかなしく逢いしかば
戦のごと抱きたまいき   中野 照子『しかれども藍』

★ 床の辺にあかき羽織をたたみゐつ
母に秘めたるこの一夜はや   喜田 聿衛「多摩」

★ うかびくる面影胸に愛しければ
人には告げずほのぼのと抱く   大山 芙美「白珠」

★ 花八つ手日昏れはしろく眸(め)にたちて
ひと待ちがたき刻過ぎてをり   金津 於菟「水甕」

★ 見つめ給へば顔よせたりしたまゆらが
一生の思出となりにき泣かゆ   両角 千代子

☆ 両角の作はおそらく「師」または「夫」との別れを歌ったものなのであろうが、歌の情緒には深い恋情が生きているとみてここに置いた。「アララギ」昭和四七年二月号から採った。
2020 8/12 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 音信不通になってから七年になるが、実はその間に一度、
私は汽車にゆられ、船にのり、その人を訪ねて行った。が、
その人は学校の父兄会に出掛けて不在だった。私は黙っ
て気付かれぬようにしてまた帰ってきた。
神の打った終止符を、私はいつも、悲しみというよりむしろ
讃歎の念をもって思い出す。不在というそのささやかな運命
の断層に、近代的神話の香気を放ったのは誰の仕業であろ
うか。
実際、私の不定貪婪(たんらん)な視線を受ける代りに、その
人は、窓越しに青葉の茂りの見える放課後の静かな教室で、
躾けと教育についてこの世で女の持つ最も清純な会話を持っ
ていたのだ。              井上 靖

☆ 昭和五四年刊の『井上靖全詩集』から、「不在」と題され た散文詩を採った。このような愛と別れとが、また、ある。男と女とには、ある。この「不在」を「神」の叡智として受け容れている「私」は、「その人」に対 し愛うすき者であったろうか。逆である。これほどの愛を知らぬまに受けていた人の幸せを、私は思う。愛は、肉の領分にだけあるのではない。
2020 8/13 225

☆ 「ざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 少女のわれが合せかねたる貝合(かいあはせ)
会はざればいよようつくしかりき     斎藤 史

☆ 「短歌」昭和五九年七月号の誌上で出逢ったこの歌には、感動した。「貝合」は一対の、もともとは一つの貝殻と貝殻とを多くの中から捜して合わせる、優美 な古代からの姉様遊び(ゲーム)であるが、いわば男と女との運命の出会いを祈る思いを併せ寓意していること、勿論だろう。「合せかねたる」には、ハキとは 言わないその辺の根の深い嘆きの声が聞こえる。
だが、この近・現代を通じて稀にみる優れた詩人は、優れていればこその資質として、この嘆きをあしき感傷には流してしまわない。下句の毅さには、目をみ はっていい。「会はざればいよよ」とは、運命を乗り超える気迫なくては出て来ない詩句である。同時に、虚実の魔法である「詩」の本来の境涯をも暗示しえて いる。
愛と美の意味を兼ねた「うつくしかりき」という過去への物言いに籠めて、事実ならぬ、「会はざ」りし真実在を一層大きく、美しくも愛しくも把握できてい るそういう「現在」の生きが肯定されている。あつかましい肯定ではない。しみじみと寂しい静かな肯定である。そういう寂しさや静かさによく耐えられる毅さ が、この、よく永く生きていまも健在な詩人の、人間としても女としても、優れた美質であろう。 (斎藤史さん、もう亡くなられている。)
人生、「会ふ」ばかりが男と女との愛とは限らない。そうも思いつつ、世の恋人や夫婦たちは「会ひ」えた喜びを、さらにさらによく培うべきなのである。
2020 8/14 225

他界
蓮の池は底が怕いと身じろぎも得せでみつめし少年われは

紫陽花であれなかれこれは白い花 生きてし生きて真っ白い花

大文字胸に燃やして人を恋ひし若き日のいのち忘れめやゆめ
2020 8/15 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

☆  男女の愛があって、結婚し、夫婦になる。そして子が生まれる。子を持って知る親心。あまりに尋常なようではあるが、このサイクル、当分変わるまい。
では、ものの初めに、「求婚の広告」という詩から読んでみょう。山之口獏の『思弁の苑』(昭和十三年刊)から引く。佐藤春夫が序詩に、獏の詩を、「枝に 鳴る風見たいに自然だ しみじみと生活の季節を示し 単純で深味のあるものと思ふ 誰か女房になつてやる奴はゐないか」と書いているのも、この詩を受けて のものだろう。

★ 一日もはやく私は結婚したいのです
結婚さへすれば
私は人一倍生きてゐたくなるでせう
かやうに私は面白い男であると私もおもふのです
面白い男と面白く暮したくなつて
私ををつとにしたくなつて
せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか
さつさと来て呉れませんか女よ
見えもしない風を見でゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです 山之口 獏

☆ 「若しも女を掴んだら」というケッサクな詩もこの詩人にはあり、表現の軽みの底にたゆたう時代の重い嘆きは昏いのだが、獏の詩は持ち前の「正直で愛するに足る青年」(春夫)の詩情で読ませる。独特の「考えかたのおもしろさ」(金子光晴)に、詩がある。
2020 8/15 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり   土岐 善暦

☆ 「男女の愛」があり、そして成る成らぬの別はいくらかあれ、「夫婦の愛」がいつか期待され、実現して行く。
「ひとりの名」とは 何という初々しい佳い表現だろう。「春の夜」であり「ともしび」があって、「母」もまぢかに一日の果てを寝入ろうとしている、そう いう時に、決意と愛とを秘めて静かに結婚の意思とともに、「ひとりの名」は「告げ」られる。仰々しくはなく、しかも場面は適切に描き尽くされ、リアリティ は確保されている。
昭和二六年『遠隣集』所収。
2020 8/16 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 襟カバー替えて布団を敷き終る
佗しいのも君が来る迄の二月  加藤 光一

☆ 「君が(嫁いで)来る迄」と読んで自然だろう。「二月」 を「にがつ」と読むか「ふたつき」と読むか。私は「布団を敷き終」った今、現在――の表現として「にがつ」と読む方が春待つ季節感もあらわされ、音調、声 韻ともに優れると思う。あと「ふたつき」の意味はその言外に汲んでいい。
歌の懐はそう深くないが、人生の春をことぶれして心地よい。 「未来」昭和三一年三月号から採った。

★ 木に花咲き君わが妻とならむ日の
四月なかなか遠くもあるかな   前田 夕暮

☆ これは極め付けの秀歌として知られる。前の加藤の歌にく らべ、一段と歌としての整理が利いている。だから一見して一首が澄んで明るい。音も文字も整っている。表記という事も詩人はもっともっと考慮に入れるべき だろう、と、この夕暮の歌を見るつど思う。お手本のようにきりっと佳い姿だ。
それにしても男の純真な抒情、ここに極まれりの観がある。「木に花咲き」とは、「君わが妻と」なる「四月」の桜であるとともに、待ちわびる今、の梅も、重ね言われていようかと私は読んでいる。
「木の花」は古くは梅、のちに桜と思われて来た花の謂だろうから。 明治四三年『収穫』所収。

* 昨日はまことに危なかった、夫婦して屋内熱中症で斃 れていかねなかった。もう毎朝のコロナ番組にじっと付き合うのもつらくなりだし、自身の生活に万々注意して、うかと用心からはみ出ないようにと思う。読書 していると数限りない東西和漢の異世界が目の前にひらける。幸いにそこにコロナは見られない。上に毎朝揃えている「愛の歌」にせよ、自身口を衝いて出る歌 のしらべにせよ、明治人の漢文口調にせよ源氏物語男女の詞や思いや暮らしにせよ、アラビアンナイトの荒唐無稽の大らかさやトルストイの生真面目な戦争と平 和論にせよ、わたしの現実を縦横に豊かにしてくれる。
このごろ、夜中手洗いに立ったあとの寝入りばなには自在に歌ことばをつむいでいる、書き留めもせず夢路へ入ったゆくだけ。
2020 8/17 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 暗がりに汝(な)が呼ぶみれば唯一人
ミシンを負ひて嫁ぎ来にけり    遠藤 貞巳

☆ おぅと声が出た。そして破顔一笑。快い笑みに祝福の思い が湧く。「呼ぶ」のがいい、声が聞こえるようだ。いじけた声ではない、貧しくとも心豊かに健康に、若い生活を倶に支え合って行こうという、気迫に溢れた 「汝」の声だ。女の、「ミシン」ひとつの愛と活気と決意とを受けて、迎える青年にも思わず一歩を力強く踏み出す気概が湧いたであろう。
「暗がり」を、人目を恥じてとは読むまい。決意して即刻に今夜から、と私は読む。そこに、「夫婦」の出発点がある。宵から朝へ。原始の暦はそのように数えられていた。 「国民文学」昭和二六年四月号から採った。

★ いまよりは妻といふべし手を執れば
眉引(まよびき)ふせてすがるかなしさ    長谷川 通彦

☆ 「眉」を「引き伏せて」ではない。「まよ(ゆ)びき」で 一つの意味があり、眉墨で引いたその眉とここでは取った方がいい。たんに眉を美しく表現したと取ってもいい。それで「ふせて」が音としても意味としても姿 としてもさらに美しく情深く感じ取れる。初夜の床の情景、「すがるかなしさ」が利いて来る。むろん「愛しさ」の意味である。
「日本」の夫婦だなぁという気もする。それも、やや古い昔の「日本」だろうか。そうでもないのだろうか。床ならぬベッドでは、こういう感じにはなるまいなぁ…などと思い入れが濃やかになる。 「アララギ」昭和十五年七月号から採った。
2020 8/18 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 夕汽笛一すじ寒しいざ妹(いも)へ   中村 草田男

☆ 広漠とした宇宙大の想念から、糸をひくように「夕汽笛」 に誘われて「一すじ」に、つまりは一途に「いざ妹へ」と、思わず肌を寄せて行く、愛。「寒し」を、ただに気温の低さと取り、だから温かな妻の側へとのみ 取っては浅くなる。それでは「寒し」が負価だけを負う。どう読んでもこの「寒し」には一句を生かしている霊的な「詩」の効果が感じ取れるはず。それは、お そらくは想念にも愛にも湛えられている凛々と清冽なものを言い当てているのだ。負の語が醇乎として詩化され、「夕汽笛」が、大空から「妹」の懐袍へ名人が 射た矢のように射抜いて行くのだ、
詩の魔術だ。  昭和十四年『火の島』所収。

★ 細雪妻に言葉を待たれをり   石田 波郷

☆ むろん「ささめゆき」と読む。どんな雪かは、人それぞれの想像で読み込めばいい。優しい濃やかな夫婦の沈黙を、その魅力を、かく雄弁に言いおおせた句は賛嘆に値する。夫婦の心寄る波がしらが今しも崩れ合おうとする瞬時の、愛。
同じ作者の次の句とともに、昭和二三年『雨覆』所収。ほし

★ 牡丹雪その夜の妻のにほふかな   石田 波郷

☆くこういう魔力に溢れた秀句をつづけざま読んでいると、ほとほと俳句に惹かれる。十七音の俳句の方が、三十一昔の短歌以上になお春秋に富んでいる気が してしまう。近代短歌の第一・二世代の歌人の作品にさえ、裾の方が、つまりは下七七が寒い弱い、無くもがなのような歌が、拾い出せばずいぶん有る。「現代 短歌」よ、第三藝術とまでわらわれるなかれと言いたい。 さてもこの句の、夫婦ふしどのまどかに優しいことよ。安らかに「夫婦の愛」を極めた溢美の一句と 言える。
2020 8/19 225

真夏の夜の京都 鴨川西 四條より三條を眺めて

想ひ焦がしひたに歩きし夏の夜の遠きおもひの鴨の川波
2020 8/19 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 枕辺の春の灯(ともし)は妻が消しぬ   日野 草城

☆ 「灯(ともし)」と読みたい。これまた口舌(くぜつ)を 無に帰するすばらしい一句。どの一語一語も抒情万倍、描写万倍の効果を挙げている。私がいつも強調する、語の「詩化」とはこのことで、「枕辺」も「春」も 「灯」も「妻が」も「消す」も、みな何でもないいわばその辺りの尋常そのものの言葉に過ぎない、のに、この句のなかでは、挙げて夫婦祝祭の甘美へ向けて、 さながらに花咲いて見える。ことに「灯は妻が」の、「は」と「が」との助詞の効果はまことに的確、「消しぬ」の言い決めを万全に支持しえている。「妻が」 の含みの面白さ、脱帽。 昭和十年『昨日の花』所収。
2020 8/20 225

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ はばからず仰伏す妻に面(かほ)を寄す
恋愛は何か何か稚し       千代 国一

☆ 選り抜きの俳句を三、四読んで来て、短歌に転じると、い わゆる短歌的抒情といわれるものの長短が際立って目に見えてくる。よくも悪しくも下句七七にそれが出る。この歌も、恐れげなく言い切れば、「はばからず仰 伏す妻に面を寄す」だけで佳い一句に成っている。むろん季題のこともあり直ちに俳句とは言わなくても、片歌としてこれで一首と押さえて差支えなげに見受け る。
「恋愛は何か何か稚し」と読むのはどこか気恥ずかしい。だが、この下句があっての一首と無くての片歌とでは、微妙なところで歌われている内容が別に読め る。そういう岐れが生ずる。そこに作者の意図が現れ出て、やはりここがものを言う。気恥ずかしいと感じさせたまさにそこの所へ作者は一首の「世界」を形 作っていて、下句は必然なのだ。同時に、俳句ならばこの必然を拒絶ないし止揚してしまうのかも知れぬとは思う。あるいは、「恋愛は何か何か稚し抱きしめ る」というぐあいに、最初からナマにぶつけて行く道を取るのかもしれない。そうすることで作の「私性」をむしろぬぐい取る。
さてこの歌の歌い起こしの魅力源は、「はばからず」の率直さだろう。率直でいて、しかも含みがある。「はばからず仰伏す」と読んで妻の姿態を想い、「は ばからず面を寄す」と読んで夫の動作を想わせる。但し作者の技巧がそこにあったとはわたしは見ていない。作者から作品が離れて立った時に生じた含蓄だろ う。 昭和二七年『鳥の棲む影』所収。
2020 8/21 225

* 白い韮の花をうえに列べた。花も葉も、なんといとしい造形であることか。するするっと歌が口をついて出る。このごろ、短歌を創る、読む、書くなどとい うたいそうな思いは失せて、好き勝手にことばが零れてくる。いいわるいも、うまいへたも感じない。こころよく息をした感じ。
2020 8/21 225

韮の花 いなとよ白い星の花と 狭庭(さには)に下りて見やりもあかず

韮でなく「花にら」と謂ふと 花に花と愛(うつく)しみ副へしむかし人はや
2020 8/21 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 新樹(しんじゅ)揺る荒れも好もし妻籠めに   篠塚 しげる

☆ 「荒れも好もし」がやや息短く説明的なのは気になる。 が、初句と結句とのイメージや文字面の照応は美しく、家の内外の対照からかえつて「荒れ」に含みが出てくる。まして「新樹」に清潔なつよい男の性が表現さ れていると読めば、なおさらに「好もし」までも閨房の愛を想わせ、みじかい息づかいが生きて来る。 昭和三三年『曼陀羅』所収。

★ あさ皃(かほ)や少しの間にて美しき   椎本 才麿

☆ 朝顔の花が、ほんの少しの間に美しく咲きそめたという句 であるのかも知れぬ。美しいのはすこしの間だけと嘆いているのかも知れない。それならここに採るのは見当外れになる。だが私は「花のような妻」が歌われて いると読んだ。「すこしの間にて」も、そこにまだ暁けがた夫婦相愛の無垢の寸時があって、そして夫は、妻を「美しき」と愛でているのだと読んだ。作者は江 戸時代中期の人。 『続の原』所収。
2020 8/22 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 幾度(いくたび)か口ごもりゐしが一息に
受胎を告げで窓に立ち行く    吉田 よしほ

☆ 文字どおり感激のあまりの反射的な振舞いに女らしさも見て取れる、といった歌なのだろう。緊張した男女の葛藤も読めなくない歌い口だが…、悪しき深読みに過ぎよう。
うぶに心熱い喜びが爆発した、そして母となる日へのもうひそかな決意も秘めた「窓に立ち行く」だろう。夫婦の道が一段の前進を遂げたには相違なく、誰しもが共有しやすい歌である。 「国民文学」昭和二六年十月号から採った
2020 8/23 225

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ ふくよかなパンの包みを押しあてて
妻はその胸もちて戻れる    石本 隆一

☆ 私はこの歌を見た瞬間に聖なる母の映像を持った、目の底に。小市民生活を場にした素朴で健康な「夫婦」の姿とその感想とは矛盾しないものだったし、エロスをアガペに置き換えて行く手順が言葉の魔術で果たされている気さえした。
「ふくよかなパン」とおそらくは若い妻の「胸」とに映像の重ねを読むのは容易い。が、それを聖い印象に満たした表現が、「押しあてて」という実に何でもない物言いに尽くされていたと気づくことは、大きな鑑賞上のポイントだろうと思う。
さりげない言葉の駆使により新鮮な表現効果を挙げたこういう歌を、私は好む。自然に「愛」が流露している。 昭和四五年『星気流』所収。

★ 洗濯物とりこみてゐる妻の胸
みるみる白きものに溢れつ   橋本 喜典

☆ この歌も「妻の胸」に愛を覚えている。「洗濯物」の 「白」で聖化を遂げている。そしてこの歌でも、「みるみる」という一見安易な表現に一首の効果を、挙げて預けている。私にはそう読める。初句、三句と体言 による渋滞がいささか気になるが、存外それある故に下句の速度感が、清々しいものになったとも言える。 昭和五二年『黎樹』所収。
2020 8/24 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 内職の終り待ちゐし夜の床に
寒い寒いと妻が入りくる      吉川 禎祐

☆ 「寒い寒い」は事実寒いのだし、夫の待つ床の中は温かい のだし、なにを夫が「待つ」のかちゃんと妻は承知なのだし、同じ思いで余儀ない内職」を頑張って終えて来たのだし、だが、そうは顔にも素振りにも出したく ないから……「寒い寒い」と夫の胸のなかへ飛び込んで行く。ちょっと照れくさい夫も おかげで受け入れ易い。
まっとうな、じっくりよく馴染んだ夫婦の共演が、そつなく描かれた。 「多磨」昭和二四年三月号から採った。

★ 湯上りの匂ひさせつつ売り残りの
饅頭を持ちて妻が寝に来る   荒武 直文

☆ これも同想の一首。微笑ましい。しかも十分に短歌たりえている。どのような思想歌や観念歌よりも的確に、市民が身を賭して守らねばならぬ愛と自由とはここに歌い切られている。それが、説明抜きに伝わってくる。 「アララギ」昭和二八年八月号から採った。

★ しまひ湯をながくたのしみゐし妻が
湯槽(ゆぶね)に蓋を置く音がする   前田 米造

☆ これも同想。夫はもう床にいて「しまひ湯をながくたのしみゐ」る妻のことを想っている。早く来いと待っている。だが妻の「たのしみ」をもまた夫はたのしんでいる。あぁ…もう湯からあがったな…。
佳い所を正確に写し取っていて、下句(しもく)が十分にものを言っている。暮しのなかでの、夫と妻との隙間ないコンビネーションが表現された。  『昭和萬葉集』巻十五から採った。

★ 胸深く吾が掌を抱きゆく
妻の表情の夜は美し   藤村 利男

☆ ほとんど夫婦の秘事にふれる心地がする。いささかの軽薄も醜悪もない。こうしか表現できなかったと受け取らせる力を持っている。 「アララギ」昭和二六年八月号から採った。
2020 8/25 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 手花火に妹がかひなの照さるる   山口 誓子

☆ 「妹(いも)」は若い花妻と取った。手花火は線香花火と想像して佳いだろう。すっと浴衣から伸びた白い妻の腕。
いまはかなり遠退いてしまったかともなつかしまれる、佳い夏の情景。 昭和七年『凍港』所収。

★ 蛍火や夫婦に乱れ龍一つ   市川 恵子

☆ 「蛍火」は、夏の宵の、細い灯ぐらいに見ておいても佳い。なかなか蛍も見られなくなっているだけに、実の蛍についた想像をするより、風情に、思い入れてみたい。
夫婦なればこそ「一つ」に「乱れ」てよろしく、「一つ」で済ませてすむ二人の「乱れ龍」とは、情緒満点、憎い句だ。 「鷹」昭和五九年九月号から採った。

★ 燃立て皃(かほ)はづかしき蚊やり哉   与謝 蕪村

☆ 「燃立」ったのは「蚊やり」だけでは、なかった。だからそんな「蚊やり」の細い火に顔を照らされても「はづかし」い。夫婦とは限らないが、夫婦と取った方が句の色気、濃やかに健やかであろう。

★ 腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな    与謝蕪村

☆ 「上さに人の打ち被(かず)く 練貫酒(ねりぬきざけ)の仕業かや あちよろり こちよろよろよろ 腰の立たぬは あの人の故よなう」と 『閑吟集』にもある。
蕪村の官能が美の極敦を描く。「うつくし」はむろん美しく愛(うつく)しいの意である。
2020 8/26 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ うつくしい女房を呵(しか)るのが自慢にて   『武玉川』

☆ 慶紀逸の編著になる、『武玉川』の第十篇から採った。ああそうですか、そうですか…。

★ 俯けば言訳よりも美しき   『武玉川』

☆ よく分かる。むろん男ではない、女…それも娘というより、結婚して間もない新妻の風情と眺めて、ひとしお佳い。誰の作だか、ともあれ川柳の批評性こまやかに、情に富んだ一句。

★ 稲は刈取る穂に穂が咲いて、どこに寝さしよぞ親二人   『山家鳥虫歌』

☆ 近世の民謡。親孝行の歌ではない。若い二人のはばかりない愛の営みに、ちと親二人が目障りなのである。
おおらかな自然の愛が 人の暮しにも実りあれと誘っている。

* 読まれているといいがなあ、いいでしょ、ね、と呟いてます。
2020 8/27 225

泉涌寺 来迎院  慈子(あつこ)の庭
月めでて茶を点てて歌などよみかはし夜の更けまでも懐かしかりしよ
2020 8/28

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 家計簿もつけますだから今すこし
影も曳ます青春すこし    田中 あつ子

☆ 結社誌のなかで表彰されていた若い歌人の、面白い作品。 「家計簿もつけます」という前に、若い夫婦の間にいささかの応酬があったものか。その挙句の協定事項らしいが、だが…という感じに「だから」とスッと出て いる。その切返す気味の盛んな口調に、たしかに「すこし」「青春」が「影」をまだ「曳」いている。若い妻はその「影」を愛している。捨ててしまいたくない と思っている。なるほど「家計簿」は「青春」との対向地点にあるらしい。
反抗の声なのではない。若い妻が若さを愛惜してなにがわるい。たとえそれがなお世間的には未熟の証であろうと、妻として一歩未だしと言われようと、すす んで振り捨てていい「青春」は持たなかったわという意気が、この一首から私には感じとれて、思わず微笑に包まれた。けっこうだと思う。歌も、精いっぱい新 鮮で佳いい。 「かりん」昭和五九年十月号から採った。
2020 8/28 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 幾たりの人に背きて得し妻か
雪ふれば雪の日のことおもふ    久保田 登

☆ 人は生涯にどれほどの選択を重ねながら生きるものか。とりわけて結婚は大きな選択であり、それ故に、母の胎内を通過して来た以上に重い自覚で選び取らねば済まない。
世に、やすやすと結婚して来れた人は数すくない。さながらの闘争としてようやく夫を得、妻を得て来た人の方が多いだろう。夫婦はそのような意味では陣営を一にして相戦い助けあう戦士・戦友であり、厳しい思い出を多く頒ち持って生きている。
この一首の感慨はさぞ多くの人の、夫婦の、胸に共鳴を誘うだろう。  昭和五〇年の合同歌集『序章』所収。
2020 8/29 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 森閑と冥き葉月をみごもりし
妻には聞こえいるという蝉よ   永田 和宏

☆ 八月をあえて「葉月(はづき)」と置いたのが厚みを生み、四句までさながら、全体によく統一のとれた自律した「歌」の世界に成った。「蝉」は、生きとし生けるもの の象徴であり、真夏の象徴であり、母なる妻の胎内にひそんで今しも生き続けるものの象徴であろう。
現代の「気鋭」と呼ぶにふさわしいこの作者の知性が、し みじみ佳い感性化をも遂げている一首ではなかろうか。 昭和五〇年『メビウスの地平』所収。

★ 妊れる妻さはやかに髪切りて
項(うなじ)のあをし愛しかりけり   横山 岩男

☆ 季節的にも長い髪がうっとおしかったのか。それとも妊娠期に独特な気の詰りを果断に突破したものか。あんなに長い美しい髪をいとおしんでいた妻の思い切 りに、夫は、あるがままを幾分超えた感動を誘われている。それが「愛しかりけり」といった、やはり思い切った表現に繋がった。 昭和五〇年『弓弦 葉』所収。
2020 8/31 225

 

述懐  恒平二年(2020)九月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

いとどしく過ぎゆくかたの恋しきに
うらやましくもかへる波かな           在原業平

とことはにあはれあはれはつくすとも
心にかなふものかいのちは           和泉式部

いづかたの雲路と知らばたづねまし
つらはなれけん雁が行方を           紫式部

みどり児のわれを捨てにし母の行方
尋(と)め來てむなしわれすでに老ゆ     中西悟堂

時をおき老樹(おいき)の雫おつるごと
静けき酒は朝にこそあれ            若山牧水

蟻台上に餓えて月高し                  横光利一

くらきよりくらき道にぞ入(いり)ぬべき
はるかにてらせ山の端の月           和泉式部

生母とふ他人(ひと)を厭ひて遁げてきし
六十余年すべもすべなき            恒平

生きたかりしにと闘ひはてし母なれば
生きのいのちの涯てまでもわれは       恒平

生きの緒の根ざせる身内慕ひつつ
人とし生きて生きてあらめやも         恒平

泉涌寺 来迎院  慈子(あつこ)の庭
月めでて茶を点てて歌などよみかはし夜の更けまでも懐かしかりしよ
2020 9/1 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平假
☆ 夫婦の愛

★ 三月の産屋(うぶや)障子を継貼りす   石田 波郷

☆ 夫が妻のために「継貼りす」る句と取りたい。春は近く、風はなお寒い。簡明に言いおおせて気の澄んだ秀句である。  昭和二三年『雨覆』所収。

★ 妻の肌乳張つてゐる冴返る   瀧井 孝作

☆ 昭和十一年三月の句。まだ寒気に冴え返った春という季節の恵みが、みごもっている妻の肌の照りに満ち溢れ、力ある愛を感じさせる。 昭和五○年刊の『山桜』所収。

★ 人間のひとついのちを生み出だし
妻が面(おもて)にあはれ紅斑   来嶋 靖生

☆ いまひとつしっくり言い尽くさぬうらみは、ある。「あは れ」などの効果に実感と表現との微妙なずれがあったかも知れず、時が経つにつれ、そうなのかも知れぬ。だが、こう「うた」いだすしかない感動を作者は瞬時 に一首に捉えた。その意気の探さ確かさが「うた」を成立たせる。
この「紅斑」、人みなが感動をもって共有出来る一期の一会なのである。 昭和五一年『月』所収。
2020 9/1 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ ジャンケンに勝負の意味を子に教へ
仮借(かしゃく)なき世を妻は生きをり    島田 修二

☆ この「子」がかりに病弱な子だとしよう。そう読めばその 子に、たとえ「ジャンケン」ほどの事にも「勝負の意味」を教えねばならぬ母は、母自身の「勝負の意味」にも挑んでいる、のだ。愛する「子」に「世」は「仮 借なき世」であるだろう、それならば、まちがいなく母にとっても「仮借」があろうわけがない。そして同じ思いをひしと頒ち持つ目で「子」の父はそんな 「妻」を見ている。肯定している。肯定し続けねばならないのだ。 昭和三八年『花火の星』所収。

★ 妻の手は軽く握りて門を出づ
常の日一日(ひとひ)加はらむとす    畔上 知時

☆ 「軽く握り」と「常の日一日」という表現で、中年を過ぎた年配のサラリーマン朝戸出のさまが目に浮かぶ。地の塩のような働き手。よく己れが見えよく暮しが見えていて高ぶらない。
しかもこの初々しい夫婦の身ぶりには、いたずらには老いさらばえない愛が匂っている。秀歌とさだめて躊躇わない。「常の日一日加はらむとす」は教えられる一句であった。
なかなか「常」とは守り切れない日々のあえぎに、多くはあくせくしている日ごろだ。 昭和五八年『われ山にむかひて』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 潮干狩夫人はだしになり拾ふ    日野 草城

☆ 「夫人」は「奥さん」と呼びかけるほどの用いかただろうし、それも人の「奥さん」ではない我が女房殿をわざと「夫人」呼ばわりしているのだと読みたい。事実は知らない、そう読めばこそ洒落て面白い俳句世界が目の前に在る。
「夫人はだしになり給ふ」の句には、たとえば『裸足の伯爵夫人』のような西洋映画の題も読み込めるだろう、かすかにエロスの匂いも楽しめる。妻を見て、 感じて、微妙に濃やかな感覚を表現してきた此の作者の、軽妙なこれは批評の句でもあるのだろうか。 昭和二年『花氷』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 夏影の房(つまや)の下に衣(きぬ)裁つ吾妹(わぎも)
裏まけてわがため裁たばやや大(おほ)に裁て   柿本人麻呂歌集

☆ 涼しげな小部屋で裁縫しているのは、妻か。このごろすこし太ったよ、服はこれまでより少し大きめに作っておくれ…。
ここで「うらまけて」の読みが気になる。こっそりと私のためにも作っておくれならば…と読みたい語感があり、それだと「吾妹」は公に裁縫の職に任じてい る女性なのかも知れぬ。いかにも古代的な、民謡風の味わいにも富んだ旋頭歌だ。だが「うらまけて」はまた心籠めてとも読めそうだ。その方が素直だろうか。
人麻呂その人の歌とは思えない。採集された、むしろ歌謡的なもののように思われ、心かけた女への親しい呼びかけの歌、と取って置きたい。 『萬葉集』にある。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 長き脚のべてまどろむ髪ちかく
つぶやき言えり雪止みしこと    中野 照子

☆ こういう歌は、微妙に評価にまどう。「長き脚」かと見て 行くと「髪ちかく」と急に視線が逆へ向く。「脚」の方から「まどろむ」表情へ、そして「髪」へと視線は自然に移動しているのだとも取れるが、「雪」の季 節、まさか身一つで「長」々と寝そべってもいまいに先に「脚」へ目が届くのだろうか…などと、いろんな事を考えこませる。そこで、「長き脚のべてまどろ む」のが作者自身であり、「雪止みしこと」を「髪ちかくつぶやき言」いかけているのは、夫なのだろうと読み直すことが可能になる。しかしそれも女の寝姿に 「長き脚のべて」は当たるまい。女が男の「髪ちかく」へ口を寄せているのであろう、早い話が女も男の身に添うて一つふしどに今まで「まどろ」んでいたのだ ろう。
ふと気がついて、「雪…やんだらしいわ、あなた…」とまだ半ば夢心地にささやきかけている。遡って思えば、「雪」ふりしきるなかこの男女は「愛」に燃え たって、そのあとの「まどろ」みに、いつしか時を経ていたのだろう。「雪」に愛欲熾盛(しじょう)をすべて清められ見守られ、二人は一つ夢をまどかに頒ち 持って来た、だから私は夫婦の「愛」の歌と取った。
事実は知らぬ。こう読んで私には面白く納得が行ったということ。 昭和五〇年『しかれども藍』所収。

★ 風の音とも雨の音ともうたたねの
夢深々と夫(つま)に入りゆく   山本 佳芽子

☆ 「うたたね」ではあるが、この「うたた」には初、二句を うけて、なにかしら作者の心境に深く揺れ動くものをも感じ取りたい気がする。事柄は知れないが、なにかしら頻りに募る情緒の誘いがあるのだ。はたして 「夢」に「夫」との逢いが成就し、一首はなまめかしいほどにエロスの色を匂わせる。「夢深々と夫に入りゆく」はおそらくは願望にも彩られた倒叙でもあろ う。「夫」の方からも「深々と」妻に「入り」来る「夢」でなければならぬ。
「風」「雨」ともに深部の性感に触れてくるシンボルと読める。 昭和四四年合同歌集『澪標』から採った
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 春昼や男の眼もて妻を見る   藤田 湘子

☆ やや観念的な句で、類句もありげに想像されはするが、一つの風情として、健康な夫婦生活になら、むしろ有って自然な句に相違ないからと、採った。 昭和五七年『朴下集』所収。

★ 探しても妻の居らざる昼寝ざめ   日野 草城

☆ 『人生の午后』に収められている。取りようではふと寂しく挽歌めきもするが、そうは読まない。ふっと空をつかむような寂しさにも、しかし「妻」の存在を疑わない思いのようなものが、逆に句に深い安堵を保証しえていると私は読む。
そばに居るはずのものが居ない、しかしそれさえも「人生の午后」のごく当たり前と「昼寝」からさめて苦笑いしている間にも、なに変わりなく近くで「妻」の声がし、「あら…おめざめ」などと顔も見せる。そういう夫婦の静かな愛が見える。

★ 夕涼しちらりと妻のまるはだか   日野 草城

☆ 行水をつかうのであろうか。だが、すべて夫の幻想であっても面白い句だ。
「夕涼し」の嬉しさを、ニンフのように幻想の「妻のまるはだか」がかすめて通る。それも佳い。
そういう夫婦も佳い。『銀』所収。

★ 秋団扇とてもねむいわまた明日   岡田 史乃

☆ 昭和五八年の句集『浮いてこい』から採ったが、これは川柳ふうに読んでこそ面白い。「秋」に「飽き」の気味を重ねながら、団扇であおるように閨の夫を追いたてている妻。倦怠期か。
ま、これで済む程度の仲のよさと読みたい。「また明日」どころではなかったかも知れないのだ。
2020 9/6 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 茄子もみて染みし布巾をさらしをり
妻ならざれば離(さか)り住みゐて    青木 ゆかり

☆ 「妻ならざれば」は重い表現であり、「夫婦の愛」の歌に、かかる負の表現も加えて見なくては片手落ちだろう。
上句と下句とに隙間を読む向きもあるや知れないが、私は上句がただの描写だと思っていない。明らかに「妻ならざれば」の心境が譬喩的に託されている。一 言にしてそれは十分心行かぬ、満たされぬ、それゆえに激しい「性」への固着した意識のように読める。 そういう難しいところ言いえて、この歌は感動を内に 守り切った。 昭和五三年『冬木』所収。

★ 離婚せしわれはいささか不幸なる女として子の心に住めり   篠塚 純子

☆ 「子」の推量に負けているのではない。余裕をもって逆に 「子の心」を覗き見ながら、「離婚せしわれ」をさえ距離を置いて観察している。「いささか不幸」なのか、たいへん「不幸」なのか、それとも「離婚」ごとき に幸、不幸を左右されない生活力のある「われ」なのかは、想像の限りでない。
こういう風にあっさり乾いて、しかも韻律を守ったた歌が、従来の歌壇に見られなかった事だけは言えよう。 昭和五八年『線描の魚』所収。

* よく、美しく、確かな表現で「詩」であり「うた」でありたい短歌が。思いつきだけの「がらくた語」で書き綴られている最近の歌誌大方の作のデタラメには惘れてモノもいえない、それも一誌の主宰顔の作にまで醜いまで露わときては。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 向うから女房もつかふ硯箱   『武玉川』第八篇

☆ 気のおけない同士の夫婦でなら、昔は、ザラに見られた図なのであろう。
商人でよし、風流人でよし、武家の夫婦でも佳い。

★ トクホンに赤くなりたる妻の肩
医学博士吾がひたすらに揉む   小国 孝徳

☆ 上句などなげやりな位に技巧のない歌いざまだし、「トク ホン」という商品名も本当に一首のなかで適切かどうか気になるが、だがそれは「医学博士」という権威との、対照の効果を見ているのだろう。「赤くなりた る」「ひたすらに」にもそういう軽い味の諧謔趣味がうかがわれる。
「なげき」の歌でなくてこれぞ「のろけ」の歌。「吾が」は、「われが」と音を余して読みたい。むしろ「われが」と、意識して表記して欲しかった。 「アララギ」昭和四八年六月号から採った。
2020 9/8 226

* あはれひとのいのちとみえて咲く萩の
うす紅(くれなゐ)に秋の風立つ   恒平

* 秦の菩提寺、京の出町の萩の寺で、満開に大きく波打って最多萩に逢うたとき、ちいさな花の無数のうねりが「ひとびとのいのち」に想えて厳粛な気がした。
墓の守りは建日子にゆだねてあるが、仕事で京へ都合のつく時は「掃苔」をどうかよろしく願うよ。
2020 9/8 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 口紅が落ちますと拒み働きに妻行きし日の雨を見てゐる   山田 一穂

☆ 結びの句、やや形にはまってゆるい気がせぬではない。夫 は病気か、失業中か。家で仕事をしている人か。妻は、余儀ない「働き」に出るのか、働く事に心を惹かれ押して家を出て行くのか。「口紅が落ちますと拒み」 はきわどい表現であり、「愛」も読め、しかし「愛」の冷めた状態かとも読める。
だが一首の魅力を汲もうならば、妻は「働き」のない夫に代わって「雨」の日にも余儀なく出て行くのであり、夫はそんな妻に感謝もし愛しているのだろうと取りたい。たとえ自身のふがいなさを嘆く思いと表裏していようとも。 「アララギ」昭和二八年九月号から採った。

★ 葱買ひに行く我が夫よ
拇指(おやゆび)の足袋の破れに墨塗りて行け   平林 たい子

☆ 「小説家の歌」にはそれとしての一つの特徴が抜き出せるものかどうか、試みた人があるかないかも知らないが、そんな詮議と関係なくこのズカリと踏み込んだ歌いくちは、この作家の男まさりな魅力をよく表現している。夫は「おっと」でよく、「つま」とは気取りたくない。
こういう夫婦こういう暮しもあって、そこに境涯が生まれる。覚悟も出来る。ふしぎに大きなゆとりが感じとれて面白い。 『平林たい子全集』第三巻から採った。
2020 9/9 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 明日よりは恋ひつつあらむ今夕(こよひ)だに
速く初夜(よひ)より紐解け我妹(わぎも)    読人しらず

☆ 防人(さきもり)に召されて行くのか。再会を期しがたいほどの永の旅立ちを明日に控えた、切ない夫婦の歌。遠い昔に限ったことではない、今は幸いにそんな事も忘れているが、この前の大戦争でも、これと同じ思いに泣きに泣いた無数の夫婦や恋人たちがいた。
「紐解」くのは、床をともに肌を合わす意味、それでこそ夫婦。だが、明日からは恋いこがれながら満たされない。 『萬葉集』巻十二の所収。

★ 防人(さきもり)に行くは誰(た)が夫(せ)と問ふ人を
見るがともしさ物思ひもせず     防人歌 武蔵国の人

☆ これは行く夫の歌ではなく、夫を遠くへ送る妻のやりきれない歌。よりによって当のその妻に、ね…今度防人に行くのはどなたのご主人…などと問いかけて来たものだ、つまりは自分の夫は幸い選に漏れていたのだ、だから物思いなげに気の利かないことを口にした。
うらやましい…腹立たしい…。「ともし」いとは、羨ましい意味。この歌のあわれさは、ひとつ、こう気の利かないことを口走った女の夫とて、いつ召しにあうか知れないのにと思わせる含みにもある。
サラリーマンの転勤と単身赴任を思い合わせてもいい。 『萬葉集』巻二十の所収。

★ 神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に   碁檀越妻

☆ これも『萬葉集』から採った。どういう人のどういう妻だ かは知らない。夫は旅に出ていて、伊勢の方かと歌の言葉から察しはつく。「伊勢の浜荻」は後の時代には決り文句の一つになったほどお定まりの名物だったら しいが、この歌などでは、まだ新鮮な叙景として訴ええたことと思う。
「折り伏せて」に、「荒き」「伊勢の神風」に「浜荻」のなびく感じと、手ずから旅人が仮寝の宿りにそれを折り敷いているさまとが、うまく重ねられている。どこにも情に直かにうったえた言葉づかいは無いのに、読むにつれて深い情愛の受け取れる佳い歌である。
2020 9/10 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 夕霞棚引く頃は
佐保姫の姿をかりて訪はましものを   谷崎 松子

☆ 「昭和八年 京都高雄山の地蔵院に在りて春琴抄完成近き頃に贈る」とある。昭和五十四年『十八公子家集』の巻頭を飾る思い出の一首。集の題が作者「松子」の字に因っていること言うまでもなく、大谷崎をして真に文豪たらしめた夫人であることも知られている。
この歌の頃はまだ結婚まえながら、事実上の夫妻として愛し認め合っていた。谷崎潤一郎は名作『春琴抄』の仕上げに余念なく取組むために地蔵院に詰めていたのであり、古代の女物語にでも出て来そうな、これぞ生粋の恋の和歌である。妻が夫を恋うる歌である。
近代短歌の表現意欲から、かく艶やかに身をかわして伝統和歌もまた生きつづけて来た。潤一郎にも昭和五二年刊『谷崎潤一郎家集』があり、「けふよりはま つの木影をたヾ頼む身は下草の蓬なりけり」といった「松」子賛歌を多く残している。余裕に満ちた歌ごころである。それとても日本の歌ごころなのである。
2020 9/11 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 庭のそとを白き犬ゆけり。
ふりむきて、
犬を飼はむと妻にはかれる。   石川 啄木

☆ 遺歌集『悲しき玩具』(明治四五年刊)の最末尾の歌であ るのが胸に残る。何ともない只事歌にみえて、これは不思議に劇的に思われる。「庭のそとを白き犬」がとことこと歩いて通り過ぎた…のは、あきれるほど平凡 な光景としか思われないのに、作者がそれを眺めていた姿勢や視線や気分に自分のそれを乗せて行くと、「白き犬」の「ゆけ」る「事実」が途方もない「運命の 影」のように想像されてくる。
だが家のなかにいる「妻」にはその重大さが分からない。目にも入っていない。作者はだからはっきり「ふりむいて」そして、「犬を飼」おうよと提案するのだ。
現実には犬を飼うはおろか人間の食うにも窮していた作者夫婦の、それは「死」という「運命」を感じながらの、最期の象徴的な対話であったろう。「白き 犬」は、幸運や力や、また死など、一切の不思議を託されたシンボルとして作者の視野を通り過ぎて行ったのだと、私は読みたい。またその理解のまま、敢え て、「庭のそとを白き犬ゆけりふりむきて」という片歌の形でも読みたい。つまり「犬」が「ふりむき」「ふりむき」通って行く。作者は見送ってしまう。「妻 にはか」った時にはもう「犬」はいなかった…と。
啄木短歌のかなしみが、この歌ではひとしお象徴的に出ている。
2020 9/12 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平*
☆ 夫婦の愛

★ 海みゆる窓べを吾にゆづりつつ
旅の日も言葉すくなし夫は   岩上 とわ子

☆ 「夫」を「つま」と読んでみたが、「おっと」でも差支え ない。こういう「夫」はかなわんという人もあろうが、この「妻」はこの「夫」にたしかな愛を覚えていよう。「言葉すくな」くてもいい愛の品質を、作者は永 の歳月をかけて身にも心にもしかと磨き込んだのに相違ない。
「日本」の夫婦の原型のようなものを感じさせてくれる。 昭和五二年『冬の潮』所収。

★ いつの時もこの夫ありて耐へて来つ
優しき言葉いはれしことなく   松木 ふじ子

☆ 「この夫ありて」に尽くされている。
「耐へて来つ」を間違って取ってはならない。「夫」の存在を堪えてきたのでなく、「夫」ゆえにいかなる苦難にも耐えて来られたと、この「妻」は自覚して いる。歌はお世辞にもうまくないが、「優しき言葉」を言わぬ夫でも佳い夫があるように、巧みな言葉は用いえなくとも、はっきり共感をあがないうるいい短歌 はある。処置に困るのは、共感しようもなく、しかも当の作者ひとりが巧いとご自慢「ゴロタ石」出来のガラクタ詩歌だ。 昭和四一年『土に刻む』所収。
2020 9/13 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

☆ 次に尾崎喜八の『田舎のモーツァルト』(昭和四一年一月刊)から「妻に」を挙げる。内面的知性的な人道詩人として、また自然詩人としていい仕事を残した人である。

★ 晩い午後のひとときを私がなおも机にむかって
ペンを手に一篇の文章と闘っている時、
お前は音もなくこの部屋へ入って来て
静かに憩いと慰めの茶を置いて去る。

四十幾年の生活を倦みもせずにいそしんで
お前が常に私のかたわらに在ったということ、
遠く人生の大河を共にくだった私たちの小舟で
お前がいつも賢い楫取りであったということ、

それはお前が私にとっての守護の天使、
この家と家族にとっての守護の霊だということだ。
そしてそのお前への深い信頼の中心に
私は安んじて生の錘を下ろしてきた。

人々への善意と、自分自身へのきびしさと、
撓むことのない忍耐力とはお前にあっての三つの徳。
私のたまたまの我執の闇を明るく優しく照らすために
お前は静かに愛と警告の灯を置いて去る。       尾崎 喜八

☆ 重厚な、誠実な、けれん味の微塵もない真正面からの賛歌に、「詩」が生きている。
2020 9/14 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 飛ぶ蜂のつばさきらめく朝の庭
たまゆら妻のはればれしけれ   古泉 千樫

☆ 蜂そのものに直かにかかわって「はればれし」いのではな い。蜂の羽音のいかにも澄んできららかな「朝の庭」の朝そのものの心地よさが、「妻」と「夫」の心持ちを引き立てている。「たまゆら」の一句はその双方 の、理づめでない、もっとも不思議に感覚的な瞬時の契合を言い当てている。
この「妻」の身に、あるいは作者自身の身に、日ごろ「いたづき」でも有って…と、取ってみるのも佳い。 大正十四年『川のほとり』所収。

★ めづらしきけさの朝けや
うつそ身のすこやかにして妻の恋しき   古泉 千樫

☆ これも気分のいい朝を歌いながら、気分のよさが「妻」の上へ反映反照してゆく心根が、しみじみ出ている。
「夫」である作者は「すこやか」な朝の目覚めの心地よさに惹かれて、「妻」への愛を、「妻」との夫婦としての愛をふと自覚した。願望した。そういう事は 「うつそ身のすこやか」ならぬ作者のこの日ごろとしては「珍し」いのだ。だから「けさの朝け」が、いと「愛づらし」いのだ。「妻」もいといと「愛づらし」 いのだ。 大正十四年『川のほとり』所収。
2020 9/15 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ かりそめの妻が病と思ひ寝て
何ぞも胸のかくは騒げる    泊 良彦

☆ ぶこつな歌いかただが真情のきわまれること、おみごと! な一首。
言うまでもなく「かりそめの」は、「妻」にでなく「妻が(=の)病」にかかっている。めったにない、ちょっとした発病だった、だが、ギクッと夫の胸にはなにかコタえた。何でもない…何でもない…と思いつつ寝にくい一夜をひとり不安にもてあましている夫の気持ち。
とても巧いなどと褒められた歌ではないが、こういう思いを事実繰返してきた私には、なんというか、ああと頷けて、有難い歌ではある。 「国民文学」昭和五年一月号から採った。
2020 9/16 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 隣室にひとたびたちしもの音を
ある夜に妻の嗚咽(おえつ)と思ひき   上田 三四二

☆ この優れた作者の短歌としては、必ずしも言葉の斡旋に十 分でないところは有る。「ひとたびたちし」などは判りいいとは言えぬし、「ある夜に」も、かなりな察しを読者に強いている。それにもかかわらず、またそれ が事実「嗚咽」であったかどうかにかかわらずこの歌一首は、世の夫たるもののかように「妻」の一挙一動に心を寄せ、かすかな物音ひとつに心を配ってもいる ことを、とにかく証している。
「ある夜…」あ、そうだったのか…とこの夫は思い当たった。そこに妻への思いの深さも、また浅さもいやおうなく表現されてしまう。歌のこわさを感じさせる。
この一首は昭和三〇年刊の『黙契』に収められていたが、「人」昭和五九年一月号でも同じ上田三四二の、
ある夜半にこころ冷えつつわが思ふいつにても献身を妻に強ひにき
という一首を読むことが出来た。「こころ冷えつつ」には作者の身をせめる厳しい生きかたが反映しているのだろう、これもしみじみと夫婦の愛の在りどを偲ばせる述懐歌である。

★ 夜半に咳きて起き上りし妻が表情の
かく寂しきを吾知らざりき   吉田 隆雄

☆ いつもは気もつかず寝ていた夫が、たまたま妻のいつにない咳きこみようにおどろいて、ふとその妻の「表情」に胸をつかれた。
夫婦といえども容易に相手の内面までは見えていない。だから思いやりも浅かったり見当はずれだったり、つい、しがち。
「吾知らざりき」は直かな物言いだが、瞬時に沸いたつよい愛をとらええて、感動させる。 「日本短歌」昭和二六年九月号から採った。
2020 9/17 226

* 中世和歌に殊にくわしい東大名誉教授の久保田淳さんから、新著『「うたのことば」に耳をすます』を頂戴した。「万葉から現代まで、歌に通底するものと はなにか」と帯に。この「現代」が子規以降、長塚節や斎藤茂吉でとまっていて、まさしく「こんにち現代」の歌風と「ことば」への批評が無いのに落胆してい る。この本の表題こそこんにち多くの歌誌に集まる指揮者や仲間の人たちに真剣に「考えて」「考え直して」欲しいのだが。
私自身は 万葉から子規、節、茂吉までの「うたのことば」をいま新ためて問い直しているもう「いのち」の余裕もなき、さほど新たな問題意識ももたずにお れる、が、今日短歌誌の多くと短歌作のまるで穢い「がらくた」を捲き散らし積みあげたような歌風(数少ない例外もむろん在るけれど)は、大嫌いである。 「文藝」としての美も真実感も藝も、受け取れないから。
2020 9/17 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 平凡に長生きせよと亡き母が
我に願ひしを妻もまた言ふ   池田 勝亮

☆ 次第送りとか順送りとかいう。嫁いびりのような事では有難くないが、こういう事なら穏当でもあり、誰にでも納得が行く。「平凡に長生き」するのがそんなにいい事かなどと理屈を言いかけるがものはあるまい。
べつに事々しく申し送ったでもないのに、自然と昔に母が口ぐせにしていた言葉を、今は妻が口にする、その暗合を「愛」と受けとって歌が成っている。  「あさひね」昭和二五年三月号から採った。
2020 9/18 226

☆ 阿部(周吉=私の生母方祖父)さんの(=裔の)
(現東近江市=)能登川の家は、20年ほど前に売却されましたので、今は別の建物が立っています。
よくわかりませんが、詳しく知っている方は、(もう)おられないと思います。
少し過ごしやすくなってきましたが、どうぞご自愛ください。  滋賀・大津  芳

* 祖父周吉は、東海道の宿駅「水口」宿の本陣鵜飼に生まれ、能登川の阿部家に養子として入り、三女をなし、私の生母はその第三女であった。長女に養嗣子 が入り、次女伊勢伊賀の方の休暇に嫁ぎ、私の母同じ能登川の隣家に嫁し、長女と三人の男子をなして夫と死別、彦根に移り住んで、彦根高商などの学生を下宿 させるうち、若い學生吉岡恒との間に恋愛が生じて京都市へ奔り、兄恒彦と私恒平とを西院で生んだと戸籍には出ている。その後、京都府視学に任じていたらし い教育畑父方祖父らの強力な介入で実父母は生木を裂かれ、私の戸籍原本は、私の独り名で新立造籍されていて、同父母兄である恒彦とは「全く」切り離されて ある。兄の場合も同じであったろう。
私にはそんなことは何でもなく、どんな意味ももはやないのだが、能登川の阿部家がどう四散して仕舞ったかは時折気にして、今度も母の長女、私には異父姉 の子息である「芳」さんに聞いてみたのだった。近江商人の家であったろう母方の阿部家に入った水口本陣出の祖父周吉側も大きな一族で、幾らもの「ものがた り」があったらしいが、これも追跡のしようもなく湮滅に均しくなっている。

* 祖父周吉は水口宿に成人のころ、文人として知られた藩士巌谷小六に可愛がられ、そばでよく墨擦り役などしたとか、巌谷小六の子息が作家巌谷小波、そのあとが批評家巌谷大四さん、御縁が深い。
私の手もとには、祖父周吉自筆、長軸の詩文が伝わっている。一、二近江商人を語っている文筆ものこっている。この父周吉を熱愛し崇敬した私達の生母ふく は、当時浪々の身のまま水口本陣跡に父の面影を尋ね歩いたり、「阿部鏡」の筆名で放浪記風の歌文集「わが旅 大和路のうた」を、もう死ぬ間際に出版してい る。この母との接触を永く永く頑なに拒みつづけた私にも、「生きたかりしに」と辞世一首とともに、「恒平さん」に「遺書」の色紙に一首
話したき夜は目をつむり呼びたまへ
羽音ゆるく肩によらなむ
と、遺していった。その後に私が作家になり、兄北澤恒彦も文筆の人となり、それぞれの長男が、揃って作家・評論家に、また小説家・劇作演出家・映画作家になっている、そうそう、兄恒彦の長女もいい文章で本も出している、の を知れば、亡き母、どんなに悦んだことかと思う。『生きたかりしに』との母生涯のの呻きは、私の長編作に「表題」として遺した。今朝メールをもらった大津 の「芳」さんの母、私生母の長女、私の姉も、懐かしい歌風でよく歌を詠み、佳い手紙を沢山呉れた。この姉千代が、母の歌一首の立派な歌碑を能登川町内に建 ておいてくれた。
此の路やかの道なりし草笛を吹きて子犬と戯れしみち
書は、母の次姉の筆と聞いている。その歌碑の前で建日子と列んで写真が撮ってある。

* 何故 今朝こんな思い出はなしがしたくなったのか。昔、詩人の林富士馬さんのインタビューをうけたとき、「ああ、小説家になるしかなかった人だね、あなたは」と言われたのを思い出す。
2020 9/18 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 浮いたり沈んだりしながら
夫婦のかいつぶりが泳いでくる
そのあとから一羽だけのが泳いでくる
かれはひとりものだ 顔をみればわかる
かれもやっばり沈んだり浮いたりする
そうして浮きあがるたびに
どういうわけかきまってうしろを振り向く
うしろには 彼のほかだれもいないのに    伊藤 桂一

☆ 昭和五〇年刊の『伊藤桂一詩集』から「土浦にて。」と付記のある、「かいつぶり 1」を採った。
未婚の「ひとりもの」か。伴侶を失った「ひとりもの」か。それも「顔をみればわかる」らしい。おかしく、あたたかく、そして寂しい…。
「うしろには 彼のほかだれもいない」ひろい海を「夫婦」ものの「うしろ」になって泳いで来る、寂しそうな、物足りなさそうな独身「かいつぶり」よ、いじけるなよまだ若いのだから…と、声をかけてやりたくなる。

★ かいつぶりは
ときに水の上を
水中翼船のように
飛沫をあげて颯爽と駈ける

一羽が駈けると
もう一羽が追って
あとは並ぶ

ゆらゆら揺れる
ヒガイ釣りの小舟のほとりを
かいつぶりの夫婦は澄まして通る

かれらはちやんと籍のある夫婦のようだ
波の上の ゆらゆらしながらの
そのなんともいえない満ち足りた泳ぎぶり    伊藤 桂一

☆ 「かいつぶり 2」である。「3」もあるのだが、紙数ゆえに割愛した。十分に擬人化もされていて、というより感情移入が利いていて、作者の眼のおだやかに行き届いているのが心嬉しく楽しめる。
2020 9/19 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 買物に出で来し妻と道に逢ふ
可笑しきまでに心寄りたり    国見 純生

☆ 腰折れの気味あり、例えば昭和十五年『颱風眼』に収めた加藤楸邨の句に、
はたとわが妻とゆき逢ふ秋の暮
のあるのと、この歌の上句とは、要は似た一句ではないか、句とみて成り立っていないかなどとふと思ってしまう。なかなか、加藤の句の方は「秋」という季節 を深読みさせて人生不思議の寂かな空気を射当てているが、国見の上句だけではただの描写に過ぎず、季節感も出ていない。どうしても、無器用な表現だが下句 の支えを必要としている。
あたりまえの日々をあたりまえに常は過ごしている夫婦が、路上で思いがけず出会ったとたん、あたりまえを裏切って心が互いに走り寄った。その自覚が「可 笑しきまでに」とあるのは、ほとんど「嬉しきまでに」と同義だろう。それを「可笑し」と軽くかわしえたところに、夫婦の年輪も余裕も出ていると見ておく。  昭和二九年『化石のごとく』所収。
よく似た歌で『昭和萬葉集』巻十に、今村寛の
何気なく経て来し如き妻と吾と街に相逢ひ手を挙げて寄る
というのもあった。「相逢ひ」だから、あるいは時と所を約束しての夫婦のデートであったかも知れない。やや何も彼も言い過ぎてしまっていて、かえって初・二句がぼんやりとなった。
ともあれ、こういう「夫婦の愛」もあるわけだ。
2020 9/20 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平

★ 湯豆腐やひよんの弾みの夫婦にて   大井戸 辿

☆ 蕪村の、「御手討の夫婦なりしを更衣(ころもかへ)」を ふと思い合わせた。類句ともいうまいが、蕪村風には読める。「ひよんの弾みの夫婦」ということは、たしかに在りうる。それへ「湯豆腐」を添えることで、 「弾み」も何も、しっくり静かに馴染み合った夫婦の、枯れた温かい落着きを句にしている。「琅 」昭和五八年十月号から採った。

★ 夜なべせる老妻糸を切る歯あり   皆吉 爽雨

☆ わが身の衰えと辛く見比べてはいても、また、「老妻」の堅固健勝をよろこび願う心持ちはよく出ている。俳味にもすぐれて、調子確かな佳い句だ。昭和三十一年の句である。
2020 9/22 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 子を連れて小綬鶏庭に這入り来(く)と
声ひそませて我を呼ぶ妻   吉田 雄司

☆ 孫たちを連れて娘が(息子が)、庭さきからふと訪れ来て 欲しいといった老夫婦の願望が重なっていないか。あるいはこの老夫婦にはそういう不時の訪れで心をなぐさめられる子や孫の、無い境遇でもあるか。なににせ よ「子を連れて」という歌い出しから「小綬鶏庭に這入り来」とまで読み進むにつれ、もう老境の夫婦のときめきが聞こえてくる歌である。それだけに下句がや や説明的に追加されたという感じも、かすかに残る。今の私なら、上句(かみく)だけで句として読みたい。昭和五〇年『老 の歌』所収。

★ 買物籠さげていでゆく老妻に
気をつけて行きなさいといふ 何となけれど   前田 夕暮

☆ 「気をつけて」という呼びかけを、この私も、家族の誰彼 ということなしに贈れる最低限の愛情ではないかと、うるさがられながらも励行している。たった一つのそんな言葉が、もし事故や怪我から身を避けうるよすが ともなるなら…と、つい思う。まさに「何となけれど…」なのではあるが、つまらぬ事とは思えない。 昭和二六年『前田夕暮遺歌集』に収められている。
2020 9/23 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 紅梅を未生の子やと見惚れゐる
老の愚かを妻のあはれむ   川浪 磐根

☆ 子のない夫婦の、年老いての寂しみに美しい表現でふれた 秀歌。ことに上句の艶(えん)に美しい幻想は、「梅」の花にふさわしい清い印象で、また、ここまでですでに言い尽くせてもいる。「紅梅を未生の子やと見惚 れゐる」は、優にすぐれて俳句的である。俳句だとすら言ってしまいたい。しかもなお…一抹、その抒情の質に短歌的発想が息づいている。この辺りの微妙さ を、短歌の、あるいは俳句の独自の表現のためにもよく説き明かし道しるべして欲しいものだ。
この同じ作者に、「身のために費えをなしし事なしとためらひつつも言ふか老妻」という一首もある。
こういう妻がかつては多かった。こういう妻にいたわられ、また「あはれ」まれて世の夫は老いて行った。 昭和四五年『梅花集』所収。

★ 落葉焚く焔囲みて妻と佇つ
此の家に老いて残りし二人   和田 政夫

☆ 夫婦が健康に歳月を送れば、余儀なくいつか「老」が忍び 寄る。「残りし二人」は寂しいが、「二人」在るのは、せめてもの幸と言わねばならぬ。私なども久しく親たちにそういう思いをさせている。しかもその私たち 夫婦にして、この歌の夫婦のように「残りし二人」となる日がもはや遠くはない。(現に、来ている。)人生次第送りの意味が身につまされ分かって来るにつ れ、こういう歌に目がとまる。 「地上」昭和五〇年六月号から採った。
2020 9/24 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ たすからぬ病と知りしひと夜経て
われよりも妻の十年老いたり
そひ臥してはぐくむごとくゐる妻の
さめざめ涕(な)けば吾(あ)は生きたしよ   上田 三四二

☆ 昭和四一年五月の作、昭和五〇年に成った歌集『湧井』中のもっとも印象強烈な歌だった、私には。
「何もしらぬ子が甘へよるいひがたくそのやはらかき髪もてあそぶ」という歌もあった。「たすからぬ病」と歌われている「病」が何かとは、あえて書くま い。そんな「病」の一日も早く無くなってしまう事を医学の進歩にむけて祈るばかりだ。幸い作者は病に克ってこの後を大活躍されて来た。それを心から喜びつ つも、しかしこの歌に費やされた生死の格闘を、その莫大なエネルギーを、割引いて想う気にはならぬ。
一度は死に臨んだ人の、死をおそれての「生きたしよ」ではない。かけがえなく愛する者に今しも「死なれる」か知れぬ「妻」「子」への愛が、この歌をはげ しく感動させている。「死なれる」というもっとも苦しい受身を、作者は、愛する妻子に強いねば済まぬかと、おそれ、かなしみ、耐えている。
有りそうで、こういう優れたこの種の歌は、むしろ近代に入って以後は、無いにひとしい。作者の心根に、深く底流れて和歌世界の人の優しい愛や涙も汲みと れる。光源氏も平家の公達も、かく悲しみかく愛していた。いやいやすべての人がすべての時代にかく愛しかく望んで来た。まさに「あ、はれ」とうめき出た 「うた=うったえ」である。
感傷とおとしめ、かるく遠くに読み過ぎるようでは、なるまい。
2020 9/25 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 病む人をぬぐふと絞る手拭に
夫の臭ひのして哀しけれ   脇 須美

☆ 「夫婦」はまさに生涯の付合い。新婚の昔から思えば、こ うして「歌」の上でみてもはるばる来たと思う。子は去り、老い、そして病が来る。のがれがたい人の道というものか。拭うた手拭いに「夫の臭ひ」がしている のではない。いまから「拭ふ」べく「絞」った手拭いに、すでに「夫の臭ひ」は染みついている。同じ営みが繰返されてきたのだ。永煩いなのだ。
下句はほとんどため息に聞こえ、上句の拙をしみじみと救い上げている。 昭和五九年『散りてまた咲く』所収。 木保修らと「形成」創刊にも携わった老練の歌人だったが、この歌集の出た年にはかなくなった。子や孫が編んだ佳い遺歌集も有る。

★ 死ぬるまで抱かるるなき君ながら
吾の選びし服著給へり   土田 豊子

☆ この歌をここで取り上げて正解なのかどうか、やや心もと ない。幾重にも取れるのだ。夫である「君」は病の床にあって、すでに夫として妻と相抱くこともならぬ病状かと、ふと読める。最初私はそう読んだ。が、妻が 床にあり、夫は妻がかつて選んだ服を着て病室を訪れていると取るのも自然だろう。
いや、もっとちがう歌と読む余地もある。たとえば抑圧された愛を秘め合ったまま、さりげなく友達のように付合ってきた男女の愛の歌のように取れなくもない。
だが…、やはり私はこれを、みずから重い病の床にある悲しい妻の歌と読んでおく。言葉の上では上句の方が悲しいはずなのに、表現としては、下句に感銘が深い。具体的であることの「うったえ」の方が胸をよく打つのだ。
それにくらべ「死ぬるまで」は、一読具体的にみえてその実はややあいまいな表現でしかない。その辺りからすでに病む人は作者か「君」かと惑わせる罪が生じている。
「服」という言いかたに、病衣らしくない普通の服を感じるので、それならば健康な夫(男)が病む妻(女)を見舞っていると取れる。一首の表現としては惑わせるが、女の気持ちに共感は惜しまない。 「日本短歌」昭和二六年七月号から採った。
2020 9/26 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 逢ふたびに抱く力の失せし君
涙うかべて吾が手を咬みぬ   武内 弘子

☆ 名歌秀歌を選んでいるという気持ちでは、ない。短歌とし て表現されている「愛」の諸相を、気づく限り拾っているというのが、当たっている。これも、上三句で状況が呈示されて、下句で「うったえ」ている。どんな にナマな物言いであろうと、「涙うかべて吾が手を咬みぬ」は容易に言えも書けもしない「人間」についての、「愛」についての「証言」に相違ない。 「アラ ラギ」昭和二七年六月号から採った。

★ 血をはきてまことに死ぬとおもひし夜
汝が陰(ほと)に触れ安けくゐたりき   斎藤 金吾

☆ 肌で「触れ」たというより、かつがつ「手で触れ」た意味 ととる方がせっばつまって歌が生きるだろう。夫婦愛の極限を告げられたような思いがする。但し事過ぎて後の歌であるだけに、いささかの誇張はないかという 不安はある。歌としては、むしろどう「安けくゐたりき」なのかの表現こそ、欲しいところ。
答はきいているが、だが歌の面白さは、式をどう立てたかの面白さでありたい。 「アララギ」昭和三一年三月号から採った。
2020 9/27 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 八月の西日除(よ)けむと丸窗(まるまど)に
板戸を閉(とざ)して汝(なれ)を病ましむ   吉野 秀雄

☆ 子を先立たせた親の悲しみは言うまでもないが、夫婦の死 別また、極まりない悲しみに相違ない。子のあとを追い親のあとを追うた例はめったに有る事ではないが、夫に死なれた妻は、妻に死なれた夫は、すくなくも一 度は生きながら死ぬのである。それほどに心を破られるのである。それほどであればこそ真実夫婦なのでもある。
人とし生まれてもっとも不思議な選択と決意とを示した人間的な行為は、結婚である。その結婚を決定的に破壊する死別のむごさを歌った詩歌はさすがにすく なくはない。が、私はそれを広く拾うより、この歌を筆頭に、昭和二二年『寒蝉集』所収の吉野秀雄の一連の作で思い切って代表させたい。労を惜しむのではな い、吉野の歌の極めて優れているのを信じるからだ。

★ 病室の隅に雙膝(もろひざ)抱くわれを
汝(な)は怪しまめすべもすべなき   吉野 秀雄

☆ 妻は病状を十分自覚していない。夫は万感を下に秘め隠しつつ何ひとつみずから打つ手をもたぬ。「すべもすべなき」に極まる、悲しみ。

★ 服ますべき薬も竭(つ)きて買ひにけり
官許危篤救助延命一心丸   吉野 秀雄

☆ 「官許」などということを夢にも信じないこの豪毅な詩人の心に、薬という以上に薬の「名」のもつ力を頼むほどの「あはれ」が深まっている、それに胸を打たれる。

★ 病む妻の足頸にぎり昼寝する
末の子をみれば死なしめがたし   吉野 秀雄

☆ 本筋を逸れた議論で恐縮だが、この歌では「末の子をみれ ば」の「を」の字余りに妙味がある。「足頚(を)にぎり昼寝(を)する」とすでに二つ寸を詰めてある。定形にこだわる人だともう一つ「未の子みれば」と やってしまいかねない。だがそう口遊(くちずさ)んでみれば分かる、歌は息を詰めてしまっている。たった一つの字余りで歌が生きて来る。定形も大切だが、 定形の底を走る命としていわば内在律が生きている、それを言葉で彫り起こすのが、歌だろうと思う。「末の子を」と正しく言い当ててこそこの歌に芯が生まれ る。
「うったえ」は、この「末の子を」「みれば」に重ねて妻を、子の母を、「死なしめがたし」にあるのだ。デッサンが正確というのは、こうした点をきっちり生かすという事。

★ をさな子の服のほころびを汝(な)は縫へり
幾日(いくひ)か後に死ぬとふものを
をさな児の兄は弟をはげまして
臨終(しまは)の母の脛(はぎ)さすりつつ   吉野 秀雄

☆ 感情を露出した言葉を一語も用いていない。この一事だけ でも、「表現」の二字とともに多くの歌人は考え直してみる必要があろう。この瀬戸際へ来てこの夫が、子らの父がどう泣き叫んで「悲しい」「辛い」とかりに 言ったとて、誰もそれをとがめはすまい。しかし歌の上では、そう叫んで人を痛ましく動かすか、そうは叫ばず、その故にひとしお人の胸を打つか、これは「表 現」の藝としては勝負どころになる。
一つ一つの言葉の粒々が、よく詩化されていれば、かならずしも「悲しい」と言われなくとも万倍する「悲しみ」は伝わる、その代表のような秀歌を、この作者は、妻の死という貴重な損失の底からはげしく手づかみにしている。

* 此の吉野の歌はなお続いて数あるのだが。あまりに胸痛く、今朝は此処まで とする。
2020 9/28 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ち
せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾味
真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを
敢てゆだねしわぎも子あはれ    吉野 秀雄

☆ 「せよと迫りし」を奥歯にものをはさんで読んでは、この 夫婦の愛に失礼である。かくも美しく激しく「せよ」「する」という言葉が詩歌の言葉として「詩化」された例を古今に知らない。性交を暗示して、「する」と いう時のこの言葉にまつわりついた隠語ふうの陰湿さが、この歌の「せよ」という「真命(まいのち)」を賭しての妻の「炎(ほむら)立」つ求愛には、微塵も みえない。「ししむら」とはまさに臨終(いまは)の妻が糸一筋にこの世にとどめた赤裸々(せきらら)自体である。それを「敢てゆだね」て夫に抱かせて今し も逝く妻の、愛。
生きの命の証(あかし)として、夫婦として無比に生きた愛の証として、「性」の交わりが一期(いちご)の最期に燃えあがる。こんな美しい真実の歌こそ、我々は「文化」と呼び「詩」と呼んで記憶したい。
あとへも吉野の詠歌は数つづくけれど、悲哀にたえずこころして割愛する。
2020 9/29 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 思ほえず我れに行き逢ひ立ち止り
面紅めて我れ見し人はも
美しく来む世は生まれ君が妻と
ならめ復(また)もと云ひし人はも
眠らせてあるに堪へなく児が顔を
つつきたりきと云ひし人はも    窪田 空穂

☆ 昨日までの吉野秀雄とは趣かわって、また極めて佳い。こ の三首、おそらくは妻との出逢いの不思議から、妻となり愛しあい、母となりなお美しく優しく、そして今は惜しくもこの世にないかけがえのない人を、愛情ゆ たかに偲び想うている。「云ひし人はも」いう回想の真情がそれを証している。まさに太古の人が「吾妻はや」と絶句したそのままの、あつい心根で歌われてい る。
今よりもっと美しい人に生まれてきて、もう一度あなたの妻になりたい…と。
眠っているわが子の可愛らしさに、辛抱がならず頼ッペたをつついちゃったの…と。
運命の紅い糸に導かれたように、はッと出逢い、はッと一切を受け止めて妻たるべくこの自分を「見」た、あの人…。たかぶる悲しみによく堪えて、歌はしみ じみと、生き生きと、よく歌い抜かれ、措辞も調べも微塵も浅くは流されていない。 大正七年『土を眺めて』所収の感動作である。

★ 門川(かどかわ)の汀の草に居る蛍
子にとらせけり帯とらへつつ
其子等に捕へられむと母が魂(たま)
蛍と成りて夜を来たるらし    窪田 空穂

☆ 「門川」は、家の前を流れている川くらいの意味で、情景 は生きる。むろん二首めの歌へ、初めの「帯とらへつつ」の歌も吸収される。「蛍」は、古来人の思いの凝って身から浮かび出るもの、憧れ出るもの、魂そのも の、のように想像されて来た。その伝統にしっかり触れながら、「門川」の蛍を、亡妻の魂がわざと「子等」に取られようと憧れ出たかと、たぐえ想っているの だ。もとよりはかない生者の願望と大人の「父」は承知している。しかし子の帯をしかと掴みながら、心底から妻の思いの蛍であれよと誰より強く願っているの は、この作者である残された夫なのだ。
「夜」の闇にまぎれてその目に涙が光るのを、「蛍」だけは見ていただろう。同じく『土を眺めて』所収。
2020 9/30 226

述懐  恒平二年(2020)十月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

とかくして不平なくなる弱さをば
ひそかに怖る、秋のちまたに。    土岐善麿

門とぢて良夜の石と我は居り         水原秋櫻子

置くとみし露もありけり儚くて
消えにし人をなににたとへん     和泉式部

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり        飯田蛇笏

名にし負はばいざこととはむ都鳥
わが思ふ人はありやなしやと     在原業平

家中が昼寝してをり猫までも          五十嵐播水

物の葉やあそぶ蜆蝶(しじみ)はすずしくて
みなあはれなり風に逸れゆく    北原白秋

月皓く死ぬべき虫のいのちかな        恒平

老いまさる心の萎へはふたりして
励ましつ夕焼けの山を降りゆく   恒平

東京大学構内  秋色 「三四郎」の池

黄金色(きんいろ)の秋のひかりはあはれなり三四郎の池に波たつ夕べ

少女像  小磯良平・畫
そのそこに光添ふるや朝日子の愛(は)しくも白き菊咲けるかも

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色

秦の実父方菩提寺とか  一度だけ叔父吉岡守に連れて行ってもらった。
2020 10/1 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く
枕頭のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く

朝風は人のやうに私の五体をめざまし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい

私は白いシイツをはねて腕をのばし
夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる

今日が何であるかをあなたはささやく
権威あるもののやうにあなたは立つ

私はあなたの子供となり
あなたは私のうら若い母となる

あなたはまだゐる其処にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ    高村 光太郎

☆ 昭和十六年刊行の『智恵子抄』から、詩人の妻智恵子没直後の「亡き人に」を採った。巻末の「梅酒」という詩も好きだが、表現のしなやかさ、悲しみのなかにも愛の自然がうるわしいこの詩で、名高いこの愛の詩集を代表してもらおうと思った。付け加える何ももたない。
2020 10/1 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 身にしむや亡妻の櫛を閨(ねや)に踏(ふむ)   与謝 蕪村

☆ 蕪村一流の想像句だろうと大概の人がいう。蕪村の句が、 難解になると「想像の句」だとして片付けたがる。なるほど知られている彼の妻は彼よりも長生きした。その妻は江戸から関西に帰って、蕪村四十代も半ば過ぎ てから得た妻である。人は、それを不自然にも初婚かのように言って疑わない。
蕪村が関東ですでに妻をもち子ももち、その双方に死なれての悲しみのまま関西へ帰って来たかも知れぬ自然さを、もっとよく考え直すべきだろう。多くの句 のなかからそれは十分に察しられる。この句も、好き好きしいただ想像の句と読むには、句が練れ、しかも情の流れに自然の深さがある。

★ 南無女房乳をのませに化けて来い   『誹風柳多留』

☆ 付け加える何ものもない。とは言え、誤解があってはなるまい。ただ「子ゆえ」に「化けて来い」なのではない。本音は、「化けて」でも「来」てほしいのだと、子の父が、亡き妻を、恋しがっている。
2020 10/2 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 筆硯煙草を子等は棺に入(い)る
名のりがたかり我れを愛(め)できと   与謝野 晶子

☆ 「入(い)る」は、気になる。ここはものを「入れる」意 味で「入る」意味ではないのだから。読み損じはしないけれど、敢えて文法を侵してでも、より正しく「人るる」と律の内的必然にしたがうたうべきである。字 余りになっても確実にその方が一首の訴及力は強いし、美しい。この作者の歌には往々こういう点でのなげやりが見える。
そうはいえこの歌は佳い。そんな品物を「お父さん」は愛していたんじゃない、この「わたし」を一等一緒にあの世へ連れて行きたいはずなの…よ。
だがそれを心の内の叫びとして、「名のりがたかり」と抑えているのは作者の「母」としての愛でもある。それ故に先立った「夫」への愛と悲しみとはいっそう深くせつないものになっている。みごとというしかない。
同じ昭和十七年『白桜集』所収の悲しみの歌に、
山々を若葉包めり世にあらば君が初夏われの初夏
いつとても帰り来給ふ用意ある心を抱(いだ)き老いて死ぬらん
なども印象にあるが、やや甘い、か。
2020 10/3 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 思ひきり生きてみよとぞ聴く哀し
春の墓辺のきみは風にて    長谷 えみ子

☆ 妻は死なれた。今は風となった夫の声が、はげますように 「思ひきり生きてみよ」と聴こえる、かなしさ。歌としても、ことに下句はすぐれて美しい。「風」は、この作者の夫だった志操の文人村上一郎がみずからのた めにえらんでいた墓碑銘ではあるが、そんな事実を超えて、みごとに「詩化」を遂げている。 昭和六〇年『風に伝へむ』所収。

★ たまかぎる夢にみえつつ魂匣(たまはこ)を
ゆりゐるわれをあはれみたまへ    山中 智恵子

☆ 夫の死を悼んで、ただひたすらに莫大な数の挽歌を崇高なまでに歌いつづけた作者。その昭和五九年『星醒記』所収の一首であり、それも「あはれみたまへ」という大きな嘆きのその行方に心を惹かれて採った。
「死ぬ」の状態は「萎ぬ」に同じく、その時にある活気を与えるとよみがえるという信仰は、久しい起源を持っている。夢のなかででも、恋しい人の「魂匣」 を揺り動かしその名を呼ばわって、よみがえりをひたすら祈る妻…。死んで逝く夫へ、そして神へ、大いなる宇宙のはからいへ、ただもう「あはれみたまへ」と 訴えるしかない「死なれたもの」の悲痛を、この歌は、掴み切れたともなく掴もうと必死に手をのばしていて、胸に迫る。

* いまも何種も歌誌が送られてきて。夥しい歌らしきが満載されているが、私がこのシリーズに選び取っているような胸を打ち心に逼る表現ゆたかに美しい作 歌に出会うのは、極めて極めて稀も稀。堪らないという気持ちを「砂を噛む」とよく謂うが、最近の歌誌の歌は、主宰と称する人の作からして、ゴミまじりの瓦 礫を噛むほど汚いのが多い。時代を率いるほどの歌人がいないということか。
2020 10/4 227

* 俵万智さんが、新しい歌集を送ってきてくれた。もう若くない、が、言葉は吟味できていながら創作としては「お子様ランチ」の味とすがたのようであっ た。二千年の歌史のこの辺が「終点」ということなのだろうか。日本語の内的な発火力はもうこの辺で「停止」するのだろうか。
2020 10/4 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 子への愛

★ 芋の秋初孫ふぐり忘れずに    西島 麦南

☆ 男の子が生まれた。「芋」の連想で「ふぐり」が見えてく るおかしみ、が、めでたい。十七音が微塵の揺れなく「詩化」されている。この「詩化」の分からない歌人の多いのにグッタリくる。尋常な平明な言葉の一つ一 つが、朝日の光を浴びたように、新鮮に凛と立っている。「うひまご」が正しいだろうが、「はつまご」と読む人もあろう。その方が語感的に共鳴できるという のなら、この音楽、けっしてワルくない。 昭和五八年『西島麦南全句集』所収。

★ 万の朝万の目覚めのふしぎより
われの赤子の今朝在る不思議    池田 季実子

☆ 「万」の字は「まん」と思う。それとも「よろづ」と読ま せるのか、表記にもうすこし美学があってもいい。が、歌一首は率直を極めて、むしろ言い尽くし過ぎているくらい。だが言いたい気持ちはよく通じて、思わず 「そうでしょうとも」と声援したくなる。作者の過去に幾波乱が読み込めるほどの表現でも加わってあれば、この「不思議」にさらに感動が添うだろう。
言い尽くすことの微妙なマイナスも秘めながら、それでも 「今朝在る」の一句には惹く力がある。 「かりん」昭和五四年十月号から採った。
2020 10/7 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 子への愛

★ 産みしより一時間ののち対面せる
わが子はもすでに一人の他人    篠塚 純子

☆ 措辞は乾いていっそ不器用に粗いが、「わが子はも・すで に一人の他人」とある表現に、いわば文明なり時代なりに対する批評を読むことが出来る。「他人」とは何で、他人でないなら、ではその相手は自身にとって真 実何なのかを問う思考の体系と、「親子」を不動の軸に人間関係を組立てる思考の体系とは、この日本でも鋭く一度衝突していい時期に今はある。
親子を、この作のように「他人」同士からの「愛ある出発」と考える歌は、かつて無かったかも知れない。 昭和五八年『線描の魚』所収。
2020 10/8 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 緑子(みどりご)の欠(あく)びの口の美しき    『武玉川』第八篇

☆ 「あくび」の口、である。句そのものが、美しい。思わず口をついて出た、こういう物言いで「みどりご」を眺めていた視線も美しい。
何となく、と言うよりもたぶん間違いなく男の視線なのだろうと想うと、ひとしお句が面白い。江戸狂句の澄んだ佳い味わいである。

★ 水中に冷やせる桃のほのあかく
この涼しさをみどりご眠る    高野 公彦

☆ ほのあかい「水中の桃」の膚(はだ)が、「みどりご」のいとしい肌に重なり想われるのはむろんである。間然するところ無い、美しい短歌表現に、愛が匂う。 昭和五九年『水木』の巻末を飾った秀歌である。
2020 10/9 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 乳のますしぐさの何ぞけものめき
かなしかりけり子といふものは    斎藤 史

☆ 「何ぞけものめき」といったアクセントの利いた盛り上げ かたに、歌一首の内懐をぐっと深くする内在律の魅力がある。ここは認識といい表現といい、まるで、らくだの背のこぶのように歌に景色をつくっている。一字 一音といえども無駄に働いていない。しかも、なまじな人間味のうすっペらな感傷を超えて、互いに「けものめ」くことで初めて真実繋ぎ合わされた「子」への 共感を、母親は「かな(愛)しかりけり」と肯定している。斎藤史は「昭和」最高の歌人であった。 昭和十五年『魚歌』所収。

★ 乳房吸ふにそれぞれの持つ癖のあり
母のみが知る五人のわが子    塚越 つね

☆ 「子への愛」となると、勢いこういう捉えかたのものが多くなる。うなづくのにやぶさかではないが、必ずしも上出来の歌にはなっていない。いわばこれだけの事で、それ以上の表現は何か堅いものに浅くコツンと突き当たって、果てている。
さきの斎藤史の歌の、「何ぞけものめき」といった鋭い屈折がない。多くの母の思いを代弁しえていようが、「うったえ」の力は意外に弱い。多く、一般の歌はこの辺で力がとまりがちであるとの感想もふくめて、敢えて挙げておく。 『昭和萬葉集』巻二〇所収。
2020 10/10 227

* 午前しごとに疲れ、しばらく横になっていた。起きるとやや肌寒く、上着を、建日子の送ってくれた大きめ臙脂色のに替えた。似合うと妻か云う、小さい渋茶色のは妻に譲った、似合って見えた。
そこへ布川鴇さん編輯刊行、清雅な大判詩誌「午前」第十八号が送られて来た。知名の詩人たちが毎号に詩作とエッセイを寄せていて布川さんの清潔に美しい 日本語がしかと束ねている。「午前」はかの立原道造が生前に意図して果たさずに逝った詩誌の名と布川さんに聴いている。もう十八号かといろいろに歎声も漏 らしてしまう。
2020 10/10 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 万緑の中や吾子の歯生えそむる   中村 草田男

さんさんと木々の緑を洩れてふりやまぬ日の光のこまやかな恵みを、句の魅力そのものとして感じたい。「歯」一字に緑したたる木々の「葉」の光るちいささも重ねて読みたい。草田男俳句のすこやかに毅い一面が大きく「うた」われた。昭和十四年『火の島』所収。

★ 真白なる大根の根の肥ゆる頃
うまれて
やがて死にし児のあり     石川 啄木

☆ 「ましろ」でなく「まっしろなる」と読みたい。ぜひ同じ作者の次の二首とともに読みたい。

おそ秋の空気を
三尺四方ばかり
吸ひてわが児の死にゆきしかな

底知れぬ謎にむかひてあるごとし
死児のひたひに
またも手をやる

☆ ものみなの実りの秋である。
第一首一行めのイメージは豊かに象徴的だし「秋の空気」は明るく澄んでいる。その生きの命の健やかさに背くようにして、いとけない「わが子」がひとり死 んで行く。人と生まれ親となって最も悲痛な一瞬が歌われる。生も死も無力な親の目のまえで「底知れぬ謎」と化している。ただもう、死んでしまった子の額に うつけたように繰返し「手」を当てている。はかない「手当て」である。
この作者には「手」をうたった歌がひときわ多い。無神論者啄木でも 何か不思議な力が信じたい、こういう切羽つまった時こそは殊にそうだったろう。
啄木はそういう時「ぢつと手を見る」人だった。「死児のひたひにまたも手をやる」手当てびとだった。くやしい、せつない愛の「手」だった。
「手」を信じ「手」に失望した詩人。  明治四三年『一握の砂』所収。
2020 10/11 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 若ければ道行き知らじ賂(まひ)はせむ
したへの使ひ負ひて通らせ    読人しらず

☆ 「古日」という名のいとけない男の子をなくした親の、長歌につづく反歌の一首で、二度と帰らぬ他界へ去って行く子を恋い思いわずらい、袖の下は使うから、どうか旅路の道案内の者らよ、幼い子を負うて行ってやってくれと歌う。切実。 『萬葉集』巻五所収。
2020 10/12 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ たらちねの抓(つま)までありや雛の鼻    与謝 蕪村

☆ 雛の鼻が低いのをからかっている。いやいや実は雛祭りを して祝ってやる子の鼻を、母親に抓んで貰わなかったのかとからかっている。本当はそう低いわけでない。それどころか年おさなくもない女を、わざと「抓まで ありや」と笑ったのなら、それも可笑しい。美しい句にエロスが匂う。

★ 既に寝し吾子(あこ)の小さき掌に
触るれば軽く指をにぎりぬ    小林 渓泉

☆ 正直、歌としては物足りない。あたまから順に直叙の散文にただ書き直せてしまう。歌の外形をなぞってみただけのこと、とも言える。
それなのに旋律が乏しいのではない。ごく自然に物を言ったのが、そのまま歌や句になったという例は、けっして古来すくなくない。これなどは普通の物言い とは明らかにちがうけれど、普通の物言いからの短歌的翻訳に過ぎぬとも言える。それならばかなり音感も語感もいい翻訳だ。
一等佳いのはここぞと思う瞬間を柔和に優しく把握したこと、そこの感動を逃さず歌ったことだ。親なら誰もこの嬉しい瞬間はよく記憶している。わが子の掌が夢に花ひらき花びらをとじるように、寝入ったまま指をそっと握って来た感触。 「歩道」昭和二九年三月号から採った。

★ 春のめだか雛の足あと山椒の実
それらのものの一つかわが子    中城 ふみ子

☆ 「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」と書いた枕草子「うつくしきもの」の感覚を襲うていよう。強いてとれば、いま少し積極的な「生命賛歌」を読みたくもあるが、無理読みの必要はない。枕草子は佳いなと今さら見直す。
昭和二九年刊の著名な歌集『乳房喪失』の一冊で現代女流短歌のさきがけを成した歌人の、むしろ可憐に初々しい一首。
2020 10/13 227

* 今朝、二年ほど以前に録画の「昭和の歌」番組を聴いたなかで、「秋櫻」「愛燦々」はやはり佳品だったが、会場もともに合唱のもっと昔の「故郷」には、 いつものように胸にこみあげるものがあった。「ちちはは」も「ともがき」も大方はとうに、はやく、居なくて、「呼ばれている心地」に身が前のめりになるの が切なかった。
友よきみもまた君も逝つたのか われは月明になにを空嘯(うそぶ)かん
と歎いたのは2011年10月だった。胃癌発見の二ヶ月前だった。
以来、九年のあいだに、更に更に更に懐かしい人たちが去って逝った。「兎を追った」ことも「小鮒を釣った」こともない京都の街なか育ちだが、「ふるさと」「ちちはは」「ともがき」と聴くだに、我が身が残り物かのように、さびしく、うち震える。
新制中学一年の音楽教科書にフォスターの「オールドブラック・ジョー」があり、少年の気概で「今から生きるのだぞ」と激怒したが、あのジョーを呼ぶ歌声や言葉が「まぢか・みぢか」になったなあと感傷に身が揺るぐ。
2020 10/13 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ ぢいちやんかといふ声幼く聞え来て
受話器の中をのぞきたくなる    神田 朴勝

☆ 昭和四八年四月二九日「毎日新聞」から採った。絵に描い たような素人の歌、投稿歌である。直接話法あり文語と口語との混じりもあり、ほとんど散文そのまま並べ換えもせずにチョッとはさみを入れた程度だ。が、だ から詩でないか歌でないかというと、すばらしい詩だ佳い歌だとはよう言わないが、「ぢいちやん」の耳と目に、その反応や動きに、共感を惜しむ気はしない。 一緒に耳を澄まし、一緒に「受話器の中をのぞきたくなる」。
事柄に共感するのと、詩歌の効果に共感するのとは違うと異を唱える人があっても私は反対するものでない、が、さて、この歌の場合がどうなのか。六・四・ 四・五音で組み立てた上句に意外にいわば鼓動する律がある。「受話器の中」という、いわば意味を詰め込んだ音の塊から「のぞきたくなる」という率直簡明な 和語が流れ出てくるのにも、巧まぬ誘いがある。藝能の方の言葉に「へたうま」というのがあるそうだが、無意識に出た巧みがこの作品にはある。
「ぢいちやん」の心の旋律と「孫」の心の旋律とが相乗効果を素直に生んだのなら、これはやはり詩のよろこびに相違ない。

★ 花びらの如き手袋忘れゆき
しばらくは来ぬわが幼な孫    出浦 やす子

☆ 「しばらくは」の一句に「おばあちやん」の待ちかねた・ いくらかはスネタみたいな可愛らしい「平気顔」が透けて見えて面白い。それだけに「来ぬ」が「きぬ」でなく「こぬ」である否定の表記に一工夫欲しかった。 そこでの一瞬の判断を読者としては嫌うからだ。歌の効果としても嫌うからだ。
初二句は、必ずしもオリジナルな表現かどうか分からないが、なおこの一首の中では佳い歌声になりえている。 昭和四三年『紫蘇の実』所収。
2020 10/14 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ ふといでしをさなのおならちひさくて
拾へと言へば拾ふ真似する    吉井 千秋

☆ これも枕草子の「うつくしきもの」の段に、いとけない子が這い歩きながら、小さい指さきにふと塵をつまみあげるのが愛らしいと眺めていた、あの系統の視線に支えられている。ひょっとして直接の示唆をえていたかも知れぬ。いないかも知れぬ。
「平和」も「愛」も、こういう場面を見落とさぬ視線や態度から鍛えられて行くのだろう。情に訴えるナマな表現はひとつもなく、しかも情に溢れている。 「ことたま」昭和二八年十二月号から採った。

★ 混み合へる人なかにして木耳(きくらげ)の
如く湿れる子の手を引けり    長谷川 竹夫

☆ 「木耳の如く湿れる子の手」に私は感心した。幼稚園まえ の手は確かにこうだ。「湿れる」といいつつ湿っている事よりも、柔かい事にことに父親は愛を感じている。まして混み合っている「人なか」なればこそ紛れな い我が子の「手」である事に、心動く。離してはならぬと思う。その気持ちが伝わるのか「子の手」にもふと力が龍もる。
群衆に揉まれ父も子も寂しくて、だから、愛が在る。「引けり」という力に意味が出る。 「歩道」昭和二二年三・四月合併号から採った。

★ 一家みな襤褸(らんる)なれどもをさな児は
紅(こう)を刷きたる耳朶(みみたぶ)をもつ    草野 比佐男

☆ 「まされる宝子にしかめやも」以来の心意気か。「耳朶」 は「みみたぶ」と読みたい。「じだをもつ」と五音で引締めて読むのも可能だが、ムリをせずともよい。「一家」「襤褸」「紅(こう)を刷く」といった締まっ た音に「をさな児」「みみたぶ」が対照の妙を得ているのだから。
小児の清潔感を、かほど澄んだ空気か梅の花かのように描いた詩句を知らない。「襤褸なれども」とは、言うまでもない物質的には貧しいけれどもの意であり、心までは貧相でないとの気概を、愛が支持している。 昭和三二年『現代襤褸派』所収。

* 短歌は 詩 であり うた である。それが根元の約束だと思う。この三首のうたの 美しく 心やさしく 言葉の清いことはどうだろう。最近に送られて くる結社歌誌にこんなみごとな「うた」はめったに見当たらず、瓦礫や汚泥を踏むようなのが悲しい限り。しかも主宰の作の、逃げ隠れたように、探さねばみつ けにくいのも数ある、ヘン じゃないですか。
2020 10/15 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 吾と臥す肉薄き孫の背を撫でつ
此の子を召さむいくさあらすな    吉岡 季美

☆ 上句はいかにも練れていないが、「いくさあらすな」の願いにも、この表現にも、心ひかれる。
最愛の夫に死なれた作者の歌集『捧ぐる花』(昭和五六年)に収められていた。短歌にせよ俳句にせよ、しみじみ日本人の暮しと心とに根をおろしていることを思う。この根、大切にしたい。

★ あはれ子の夜寒の床の引けば寄る    中村 汀女

☆ 寒夜、親は子の、子は親の肌のぬくもりに思わず「引き」もし「引かれ」もするのだが、それとても親は暖めてやりたさが先立ち、子は嬉しさで待っていたようにすばやく寄り添って来る。「あはれ」は母の愛の、だが母が自愛の声でもある。 『汀女句集』所収。
もっともこの句、汀女の句、当然母の子を吟じた句と知らずに読めば、男が女を「引けば寄る」とも読めて、それはまたなかなかの佳句になる。「子」という物言いにその情趣、用例として矛盾しないからだ。
いわばこの句の魅力には、言い知れないエロスのそれが下に隠れているのである。

★ 物言ひてもえぎの蚊帳をくぐり来る
我児は清しうら寒きほど    与謝野 鉄幹

☆ 煩わしいが、「モノいいてモえギのカヤをクグりクるわガ コはキヨしうらさむキほど」とこう書いてみて、カタカナの音鎖が、一首のなかで、うるさくなくハーモナイズしているのに気がつかれるだろう。「モノ」 「モ・ノ」の調子のいい繰返し、「カ」行音の清く寒き反復をやわらげている「ヤ」行音の暖かい効果。
意図して出来ることでなく、やはり天性の語感がさせる言葉の斡旋。但し斡旋もやや過ぎたかこの歌は、それでも必ずしも十全の成功作と私には見えていな い。息づかいが浅く短く、「我児は清し」もセッカチに露骨なのだ。だが「うら寒きほど」の表現力で持ち堪えた。「うら」は「心」 しいて謂えば「心裏」です。 大正四年『鵜と雨』所収。 2020 10/16 227

 

* 子供達に伝えたい唄をけさも聴いていたが。サトーハチローの「ちいさい秋みつけた」の一句に感じ入った、この発見この表現が「詩」というもの。
2020 10/16 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ わが顔を描(ゑが)きゐし子が唐突に
頬ずりをせりかなしきかなや     岡野 弘彦

☆ 「かなしきかなや」に音楽がある。「かなしからずや」で は一首がもろともに平凡に落着いてしまう。子への「愛」と、それをいわば「煩悩」とも感じ微妙な「かなしきかなや」の葛藤が読める。「唐突に」は、子のふ るまいの突然以上に、それに反応している親自身の、のどもとへこみ上げてきた突き刺すような「かなし=愛し」へと繋がる効果がある。
子も生きもの、親も生きものだ。底ぐらい生きものだ。  昭和四二年『冬の家族』所収。

★ おどおどと世に処す父に頬を寄す
子は三年を生きしばかりに     島田 修二

☆ 生きがたく生きてようやく三歳になった可憐な子、その頬ずりに力づけられている父。
世に生きるキツさをこう歌ったのが、胸を打つ。 昭和三八年『花火の星』所収。

★ 立人(たつと)君また政子君幼な子の
抽象ならぬ友なれば愛し     島田 修二

☆ 同じ『花火の星』所収の歌。 たぐい稀に面白い歌の一つだ。子の世界を傍観しつつ大人の世界により太く苦い根が下りている。「抽象ならぬ友」ほどの心憎い表現にお目にかかることは、三年五年のうちにも稀だ。
まこと 大人が「友」と抽象的にただ呼んでいる日常世間の、ほこりッぽく心苦いこと。
この歌には「愛しい」子らもやがてそうなる日々への、余儀ない恐れや哀れみが籠もっていると読みたいが、それほどの余裕すらなく、作者は、自身の現在を、苦く胸底に見つめているようだ。先の歌とともに、作者の悲しみは深い。
2020 10/17 227

* 息やすめに、こころよく愛らしい写真一枚を、前面で交替した。
写真また、「詩」でなくては。
これといい、秋色三四郎池といい、「詩」ではありませぬか。「詩」題が付けたいが、写真に勝てない。
2020 10/17 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

このあたりで、娘と息子とを歌った詩二篇を挙げよう。

★ 神は自分に一人の女を与へた。
女は娘といふ形で
おれとともに生活をし出した。
おれは剣をさげ
この城の番人になり
神をもまだ軽蔑しないでゐる。     室生 犀星

☆ 昭和三年の詩集『鶴』から「愚者の剣」を採った。
この作家の詩として 特に優れたものとは言えまい。「子」を歌って陥りやすい甘さに、やはりまみれている。最後の一行がやや面白い。
次は佐藤惣之助の『季節の馬車』(大正十一年)から、「女の幼き息子に」を採った。

★ 幼き息子よ
その清らかな眼つきの水平線に
私はいつも真白な帆のやうに現はれよう
おまへのための南風のやうな若い母を
どんなに私が愛すればとて
その小さい視神経を明るくして
六月の山脈を見るやうに
はればれとこの私を感じておくれ
私はおまへの生の燈台である母とならんで
おまへのまつ毛にもつとも楽しい灯をつけてあげられるやうに
私の心霊を海へ放つて清めて来ようから。          佐藤 惣之助

☆ すぐれた詩人だった。ことにこの『季節の馬車』は佳い詩集であり、もっと広く愛されていい。
この詩には、死の後にさえも久しく愛児を見守ろうという親の愛と覚悟とともに、子の母への純潔な愛も籠められている。
言葉の選択や響きも美しく、愛誦に堪える。
2020 10/18 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

このあたりで、娘と息子とを歌った詩二篇を挙げよう。

★ 神は自分に一人の女を与へた。
女は娘といふ形で
おれとともに生活をし出した。
おれは剣をさげ
この城の番人になり
神をもまだ軽蔑しないでゐる。     室生 犀星

☆ 昭和三年の詩集『鶴』から「愚者の剣」を採った。
この作家の詩として 特に優れたものとは言えまい。「子」を歌って陥りやすい甘さに、やはりまみれている。最後の一行がやや面白い。
次は佐藤惣之助の『季節の馬車』(大正十一年)から、「女の幼き息子に」を採った。

★ 幼き息子よ
その清らかな眼つきの水平線に
私はいつも真白な帆のやうに現はれよう
おまへのための南風のやうな若い母を
どんなに私が愛すればとて
その小さい視神経を明るくして
六月の山脈を見るやうに
はればれとこの私を感じておくれ
私はおまへの生の燈台である母とならんで
おまへのまつ毛にもつとも楽しい灯をつけてあげられるやうに
私の心霊を海へ放つて清めて来ようから。          佐藤 惣之助

☆ すぐれた詩人だった。ことにこの『季節の馬車』は佳い詩集であり、もっと広く愛されていい。
この詩には、死の後にさえも久しく愛児を見守ろうという親の愛と覚悟とともに、子の母への純潔な愛も籠められている。
言葉の選択や響きも美しく、愛誦に堪える。
2020 10/19 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 送り火や音なくそよぎゐる草木   上村 占魚

☆ 昭和四〇年に作の、『萩山』所収句。 作者の実情をはなれても、悲しみにたえた挽歌として、如何ようにも深く読めよう。「送り火」をちいさな門火とみてよく、京の山焼き大文字かのようにみてもいい。
死なれた悲しみに 草木の「そよぎ」が無量の言葉で語りかけるのだ。まして先立ったのが、我が子ならば。

★ 此秋は膝に子のない月見かな    上島 鬼貫

☆ 「ことし正月のけふ子にをくれて」とある。
膝のうつろに籠もるように月明りが皓い。「月」世界に去った子と詠嘆しているのである、かぐや姫のように可愛い女の子であったか。
「月見かな」にのせられ、ただ風流にこの「月」を見てはならぬ。作者は江戸時代前期の人。

★ 色紙にカアサマとある小(ち)さい竹    真苦呂

☆ むろん七夕、星祭り。笹の葉さらさら揺れる軒端の色紙や短冊に見つけた悲しい、カタカナ。
「いろがみ」と読みたい。「カアサマ」に似合う。「小さい竹」なのが哀れ深く、いまも貰い泣きをしながら書いている。
母への愛だが、幼な子の悲しみに優しく目をそそぐ大人の愛をよしと見て、ここへ採った。 昭和五八年刊の林富士馬著『川柳のたのしみ』から採った。
2020 10/20 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 養家にも吾家にも容れられがたき子よ
家庭裁判所の廊下を駈け来る     古谷 浩章

☆ 判事か調停委員か。行き悩んだややこしい事情の事件を手がけているのだろうか。その焦点にある当の少年が、屈託があってか無くてか廊下をむやみに駈けて来る。
可哀そうにというよりも、一首の口調に、幸せになれよというほどの愛と励ましが感じられる。 昭和五二年『実存』所収。

★ 病める子よきみが名附くるごろさんの
しきり啼く夜ぞゴロスケホウッホウ
梟(ふくろう)は梅雨竹群(たかむら)に啼きてをり
病む子の寝汗拭きてやるとき     宮 柊二

☆ 昭和二八年『日本挽歌』所収の好もしい歌として記憶して 来た。「ごろさん」は「梟」の、地方によって通称である筈。啼き声からきた愛称なのだろう、それがこの歌では実に心暖かに利いている。「梅雨竹群」が「つ ゆたかむら」なのか「つゆたけむら」なのかルビはないが私は「たかむら」と読んだ。この四字に季節と夜との空気が濃縮している。
ここは「梟」でなくては絶対いけないなどと余計な事まで思う。父と「梟」とで「病む子」を祈り励ましているのだ、少なくも父親はそう願い「梟」に援軍を 依頼してさえいるのだろう。この二首には「世界」があり、深い「交感」が生きている。「きみが」といった呼びかけが甘くなく、またそこに父親の励ましも、 祈願もが表現し尽されている。
2020 10/21 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 子を打てばあまりに淡く細きゆゑ
花打つごときかなしみ走る     新井 貞子

☆ 気持ちはたいそうよく分かる。歌一首に代弁された思いの、殊に母親は多かろう。言うまでもない走る「かなしみ」には「愛」と「哀」とが入り混じる。
歌に即していえばいくらか気になる点もある。キイの一つは「子を打てば」「花打つ」だろう。照応して妙か「打」ち重なりか。また、「あまりに」「細く」 そして「かなしみ」と、みな直に過ぎた感じ。ひとかどの歌人と思うだけに表現への根気が望まれる。 昭和五五年『霊歌祭』所収。

★ かなしきは、
(われもしかりき)
叱れども、打てども泣かぬ児の心なる。

児を叱れば、
泣いて、寝入りぬ。
口すこしあけし寐顔にさはりてみるかな。   石川 啄木

☆ 子を叱る歌のオリジナルであろうか。「叱れども、打てども」泣くに泣けぬ心で親は叱り打っている。暮しの不如意が親を叱らせ子を泣かせない。せめてひとなみに泣いて欲しい、自分の代りに泣いて欲しいと、親は空しく悲しい。
(われも然りき)は、単純に性質の事だけが言われていない。交替という事のない貧しさへの憤りもある。結局泣かせて寝入らせて、親はますますやり切れない。
「死児のひたひにまたも」置いたと変わりない祈願の「手」が、ここでも愛児の頬へ動いている。 明治四五年没後の第二歌集『悲しき玩具』所収。
2020 10/22 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ おとうさまと書き添へて肖像画貼られあり
何といふ吾が鼻のひらたさ     宮 柊二

☆ この手の歌はいくらもいくらもある。一度は親はこういう 嬉しい苦笑いで、幸福を味わう。さすがに作者は尋常な歌材をそつなく纏め切っている。初句の一字字余りがかえって一首の息を整えているのに気づいて欲し い。こうでないと二句の十音は保てない上に「貼られあり」が軽い技だ。ここの句切りが「何といふ」という弾んだ物言いを「うた」にしている。おかしい。く すんと笑ってしまう。
作者の鼻は事実平たいのかしらん、それとも平たくなんぞないのかしらんと想像し、そのどっちでももう一度くすんと来るに違いないところが楽しい。  『日本挽歌』所収。

★ ビイ玉を透かし見る子へ夕焼ける     奥田 杏牛

☆ 佳いところを見るものだ。
むろん子は夕焼けの方へ敢えてビイ王を挙げて「透かし見」ている。その子にもビイ玉にも、もろともに惜しみなく夕焼けている大自然の恵み、私にも覚えがある。
が、そんなふうにあたかも自分の心を1覗き見」ていた少年の寂しみに、こう的確に目をとめていてくれた大人が、あの時にもいたのだろうかと懐かしい。
都会でよし、田舎でもいい佳い句だ。  昭和五二年『初心』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 下校せし児らそれぞれの性(さが)見せて
少しづつ向きの異なれる椅子    白土 のぶ

☆ 極めて具体的のようで、かなり観念的な処理の利いた歌か、とも私は思う。1それぞれの性」は「少しづつ向きの異なれ椅子」で、「見」えるとも、そうは行くまいとも言えるから。
だが発見に富んだ教師ならではの生活短歌なのかも知れぬ。前出の、「乳房吸ふにそれぞれの持つ癖のあり」という「母のみが知る」歌と、同巧異類か。 昭和五九年『川傍の町』所収。
同じ作者の 「古今」昭和五九年九月号 「わが痛む手を気づかひて跳びあがり跳び上がり板書(ばんしょ)消してくれし児」は、惜しいことに初二句が作者のことか生徒のことかどっちにも取れる難がある。なにより、発表前に自身の作をまず批評できることが大切。
2020 10/24 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 竹馬の伏目のまヽに通り過ぐ    福永 耕二

☆ むろん「伏目」が眼目だろう。緊張して足もとをしっかり見て見て通り過ぎて行く、それもあろう。
が、それだけでは「伏」せた「目」という効果が取りにくい。どうだい竹馬だぜ、見てよ、乗れるんだよという意気ごみと、微妙な照れと。そこに少年の心をすかさず見抜いた作者の、大人心。
きっと作者にも覚えが、あるのだ。気になる女の子の家の前かも。  『鳥語』所収。

★ こんにちわさよならを美しくいう少女    岸本 吟一

☆ 虚をつかれたような所がある。川柳の武器だ。こういう少女にこそいつも逢いたい。
それ以上はいっそ付け加えまい。 昭和五八年の林富士馬著『川柳のたのしみ』から採った。

★ うさぎ当番に行きていつまで帰り来ぬ
子は遊べるか兎とともに    篠塚 純子

☆ 「うさぎ当番」は分かる。これは一見、只事歌の見本のように読める。が、「子は遊べるか兎とともに」は考えさせる。「当番」の義務にかかずらわっているという風には見ない。「子」は「兎とともに」に没頭して別世界を築き、母との世界を忘れているのである。
「子」とは、そういうものと認識しつつ母の空虚は大きい。「子」は男の子と読める。そしてやがて「うさぎ当番」はひろい社会と取れて来る。「兎」は、学問とも仕事とも恋人とも取れて来る。
「子」は行ったら行った先に母の知らぬ「世界」をつくり「いつまで」も帰って来ない。そういう「子」を喜び励ましてもやらねばならぬ「母」かと、この作者は考えたかどうか。 深読みの利く歌になっている。 昭和五八年『線描の魚』所収。

★ 汗くさくおでこでクラス一番で    篠塚 しげる

☆ 俳誌「大桜」を指導している、虚子門の作者が、たぶん高 校はじめ位なわが娘を一筆でクロッキーした句か。「クラス一番」を学業成績と取るより、たとえば運動会の徒競走などと読む方が息づかいまで聞こえて、「お 父さん、やったでしょ」と観客席の父へ手を振るさままで目に見えて、面白いのだが。
だがその方が尋常過ぎて、やはり、日常なにげなく父と娘がパッと廊下ででも擦れ違う瞬間の「父」の自愛であっていい。 昭和三三年『曼陀羅』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 自閉症の子にやりたきをやらせをり
米をとぎ一粒の米も零(こぼ)さず    真行寺 四郎

☆ 愛と、憤りとが感じとれて胸に残る。作者の事情は知らないから、これをあるいは指導する教師の歌かとも読めるが、私は、親の歌と読んでいる。「親だなぁ」と思った。愛だけでない、せつないような憤りの口調にもそれを感じた。 昭和五一年『風葉』所収。

★ 強くなれ強くなれと子をわれは
右より大きく上手投げうつ    福田 栄一

☆ 「組みつきし子の手も足もあたたかしこの子の父かわれの貧しさ」とも、同じ作者にある。ともにやや感傷に流れていないでもないが、相撲の歌など、父親ならば、男の子をもてば(女の子でさえ)きっと同じ思いも同じふるまいもして来たはず。
一つの型が出来ているようで、しかも「右より大きく」には具体的の面白さが躍如としている。 昭和十八年『時間』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 光の中を駈けぬけて吾子母の日に
花弁のごとき生理もちくる     嵯峨 美津江

☆ 初句にひと工夫欲しいが、歌はおそらく事実以以上に創作 された顔もしていて、それなりに新鮮に読めるし、微笑もさせる。「吾子」の置きかたはむりで、むしろ「吾子(あこ)は」とか、率直に「洋子は」とか「みど りは」とか実名で一字字余りくらいに訴えてみるのも手だったろう。
「花弁のごとき生理もちくる」は、母の心象と読みたい。「母の日」に当てて事実どおりでは、妙に作為じみ、ナマナマしくもある、か。 昭和四九年『鶴の序章』所収。

★ 生々(いきいき)となりしわが声か将棋さして
少年のお前に追ひつめられながら    森岡 貞香

☆ 間のびはいなめない末句だが、それを敢えてして何とか勝負に遁げあしの長きを計っている感じが面白い。
「少年のお前に追ひつめられ」ると自分の声が思わず「生々と」してくる、この発見に「母」の凄みがある。いっそ神の造化の不思議のようなものを想像させるほど、力がある。「少年」に、絶対の表現がある。さながらのキュピッドである。 昭和三一年『未知』所収。

★ 人間は死ぬべきものと知りし子の
「わざと死ぬな」とこのごろ言へる     篠塚 純子

☆ 「口の辺に髭ほのかなる子がわれに保護者のやうなものいひなせる」と同じ作者がうたった時には、もう「子」は大人に近づいていた。ここに出した歌では「子」はまだ、あどけない顔ともの言いをしていたかと想像される。
これは「子」から「母」への愛の歌といった方がいいのかも知れぬ。が、さらに言うなら、愛以上の本能的な予感が「子」を催している。作者は予感を肯定も否定もせぬことで、むしろ「子」の愛からかすかに身を守っている。
癒着型の「子」への愛の歌が多くなりやすいなかで、沈着に自立した「母」の「このごろ」が浮かび出る。「子」も懸命になにかを見つめている。「父」ない し「夫」の姿が欠け落ちているのが歌の「含み」になっている。巧者な詠み口ではまるでないが、きれいに乾燥した知性を感じさせる。 昭和五八年『線描の 魚』所収。

* 朝の、いの一に佳い詩句にふれる宜しさをわたくしは日々満喫している。
2020 10/27 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 海に向き思ひ切り叫ぶ少年の
総身直なる筒となりゆく     青井 史

★ くれなゐの椿の花を掃きてをる
少年のうなじ鞘なきかなしみ     前 登志夫

☆ 前者は昭和五八年『花の未来説』から、後者は『前登志夫歌集』から採った。ともに佳い歌だと思う。ともに、読者から歌の表現へ身を寄せ踏み込んで読む必要があると思う。
例えば「筒」に、例えば「鞘」に。
思い切り声あげて叫ぶ時、全身にみなぎる力と意気とが一瞬みごとな芯になって「少年」の姿態をかがやかせる。説明的な凹凸の一切を燃焼させて存在そのものになる。声という名の「命」をふき上げる一管の笛になる。それが母には「男」ともまた見えたに相違ない。
青井の母の歌に対し、前の歌では、成熟した男が少年を見ている。清潔そのものの「うなじ」を持った少年に目をとめ、そのような少年では早やない作者の 「かなしみ」が移入される。上三句の美しさに、青春の残酷を意識もしていない「少年」の無心が描かれ、それを知るゆえに作者の目には、ひとしお「うなじ」 の伸びの露出された清さがあやういとまで映る。
その剣のように清くて危険な美しいものを収めとれる、鞘。優しい鞘。豊かな鞘。そんな鞘があるとも無いとも気づかぬらしい「少年」を愛し、しかも自身 「うなじ」の清さも失い、佳い「鞘」ともなりようがない男性作者は、いわば少年のやがて鞘を望んで容易には出会えまい「かなしみ」を先取りしてやってい る。
2020 10/28 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 子の未来語りあふ夜を風立ちて
父わが胸に鳴る虎落笛    来嶋 靖生

☆ 「父わが」の読みに、我なる父の意味とすでに亡いわが父 とを重ねたい。それでこそ「子」を思いつつ、そのように自分を思ってくれたわが父と生死の「境」を異にしつつ呼び交わすことが出来る。「虎落笛(もがりぶ え)」とは荒い垣根を鳴らして吹く風の音。そこまで「父」が来て、ともに思い悩み考えてくれているのだ。人生の風あらきさまをも想わせて、粛とする。 昭 和五九年『笛』所収。

★ もの言はず抗ふさまに居りし子が
部屋に竹刀を振り始めたり     大島 静子

☆ 「部屋」は、「子」の自室なのか現に母らのいる部屋なのかで、歌の表現は変わってくる。自室へ黙ってついと帰って行った子が、やがて素振りをはじめたらしいと母は察している歌だろう。親を威嚇しているのではない、子は子なりに堪えている。それを母は知っている。
親にも子にも覚えのある場面だ。 「アララギ」昭和四九年八月号から採った。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 安んじて父われを責める子を見詰む
何故に生みしとやはり言ふのか     前田 芳彦

☆ 「安んじて」にやや問題を感じないでもない。1安んじ て……責める」のか「見詰」めるのか。いっそ両方にかけて対抗的に読むのが面白いかと私はみた。それにしてもこの表現は適切なのか甘いのか疑問が残る。自 信をもっての意味が本来なのに、ふと、安易に軽んじての意味を読みたくなる。
一首の魅力を私は「やはり言うのか」の結びから受けた。この父子の背後に、読者のあずかり知りようのない複雑な家の歴史を勘ぐり読む必要はない。「子」 が「親」に一度は言う台詞、この父もかつては自分の父や母に言ったに相違ない台詞。その台詞が今とび出したのだ。いわば文脈として「やはり」「安んじて」 を受けているのだ。こんな決り文句を「安んじて」出してくる子を、父は「安んじて」「見詰」めているのだ。
愛がなければ「見詰」めもすまい。 昭和五〇年『像たち』所収。
2020 10/30 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 花菜漬しくしくと娘(こ)に泣かれたる     清水 素人

☆ 軽い句だが、こういう場面にも「父」に独特の表情は見えてくる。ま、たいした事件ではあるまいが、それならそれで娘の「しくしく」は父親には苦手だ。母がいないのか。娘が用意してくれたせっかく「花菜漬」での晩酌が冷めてくる。
「泣かれ」と、受身なのがタジタジとよく利いている。 昭和五五年の合同句集『大綿』から採った。

★ 親の闇只友達が友達が     『武玉川』

☆ のらものを子にもった親の、口癖。だが、大概は本気でこう言いたがる。
それにしても日本の「友達」は値が安い。西洋のフレンドシップはついに日本では育たないのか。「親の闇」ゆえ「友達」は軽くされたと思える。
この愛、愛に相違なくとも癒着が過ぎる。
2020 10/31 227

ピカソの 平和 心より願いて

述懐  恒平二年(2020)十一月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

法然坊 親鸞 道元も苦しみし
世にして君に歌ありしこと        太田青丘

雁がねの竿に成時猶さびし           向井去来

あかあかと一本の道とほりたり
たまきはる我が命なりけり        斎藤茂吉

木がらしや目刺にのこる海のいろ        芥川龍之介

とことはにあはれあはれはつくすとも
心にかなふものかいのちは        和泉式部

きづかさやよせさにしざひもお          閑吟集

世の中にまじらぬとにはあらねども
ひとり遊びぞ我はまされる        良寛

柿の木に柿の実が生りそれでよし        恒平

比叡愛宕嶺 師のひとのわれにあれ観みよと
平生心をおしへたまひき          恒平

くれなゐや黄お秋風の果てどころ         恒平

秋の夕日に照る里紅葉

少女像  小磯良平・畫
そのそこに光添ふるや朝日子の愛(は)しくも白き菊咲けるかも

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色

秦の実父方菩提寺とか  一度だけ叔父吉岡守に連れて行ってもらった。

秦 恒平選集 完結 第33巻 口絵

菱田春草・畫 「歸樵」の左半

2020 11/1 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ さからはず家業の大工となりし子に
行儀作法を強ひるな妻よ     前田 米造

☆ どういう作者か、出典すら知れない。私は『昭和萬葉集』 巻十六から採っている。大方の短歌作者や批評家は、私がこういう作まで採るのを顔をしかめて見るやも知れぬ。「火の用心お千泣かかすな馬肥やせ」ほどの表 現もなく一種合い口の域をこえていない。短歌藝術にほど遠い、と。
だが和歌や短歌がこの国で、すくなくも表面すたれずに繁盛しえている根のところには、こういう述懐の風流が生きつづけてきたのも忘れてはなるまい。私の 九十ちかい父は文藝と無縁な職人あがりのラジオ屋だったが、それでも元日の祝い雑煮のあとなどに、きまって妙な歌や句らしきものを箸紙に書きつけ家族に披 露したりする。型としての風流心。
口にして喋ればこの大工さんの物言いも、夫婦喧嘩の一幕でおわる難儀かつ日常的な応酬で済んだろう。そこをこう短歌の形に「する」「してみる」と、まるで動作が所作に転じたような余裕と感慨に彩られる。口やかましい「妻」も聞く耳をもつだろう。
これも日本の「うた」だ。なまじな「藝術」の独善に勝るユーモアとも読める。
2020 11/1 228

☆ 作品が待っています。
お元気で まだまだお元気で。
目は、誰にも心配ですが、現在は素晴らしいレンズが開発されています。ご安心なさっては? 保険が利かない範囲ですが。  那珂  良

* 眼鏡屋にも歯医者にも 美味い店にも 行ける日が待たれる、が。
コロナとは よき頃なしのこころとや こころころころころがりやまず
2020 11/1 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ わりきりて父を批判す子の手紙
破りすつるにしかじ暑き日     高田 浪吉

☆ 「父を批判す」と五七調に句切れる寸づまりは気になるが、だから出来れば、「子の手紙は」とでも息を伸ばして欲しかったが、そしてそうなれば末句「暑き日」の体言どめに効果が更に加わったろうが、それでもなおサッパリと胸のつかえのおりる歌だ。
さよう「破りすつるに」しくはない程度の「批判」で、イキがるんじゃないよ「子」よ。
これも風流、父は、上手に心に立つ波を和らげた。  「アララギ」昭和三一年十月号から採った。
2020 11/2 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 難波江にあしからんとは思へども
いづこの浦もかりぞつくせる     谷崎 潤一郎

☆ 歌という伝統によせた風流心が、たとえばこういう大作家を刺激すると、遊びの彩りがひとしお添うて来る。
「娘より送金の催促ありければよみて遣しける」と 『谷崎潤一郎家集』(昭和五二年刊 松子夫人のお許しを得て、私が編纂した。)には詞書がある。無くても察しはつく。
「あしからん」は、他人に「銭(あし)借らん」の意味と 娘にさぞ都合が「悪しからん」と察する意味とを兼ねている。「あし」「かり」には「借金」にかけて、難波を舞台の名曲『蘆刈』の趣も作者その人の同じ題の小説も思い出させる。
あちこち借金しつくしてこれ以上借りてやれる所がない。言いわけにしては余裕のある歌、だが、事実この昭和七、八年頃の谷崎先生は金策に困ってられた。
「近代短歌」の代表作をえらぶのなら、私はこれを採らない。が、『日本の抒情』となれば、こういう表白和歌の伝統の内懐、裾野の探さ広さは嘆賞の思いと共に無視できない。「現代短歌」が不勉強に喪失し尽くしていい伝統とも思わない。
2020 11/3 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 我が子は二十に成りぬらん
博打してこそ歩くなれ 国々の博党に さすがに子なれば憎か無し
負かいたまふな 王子の住吉西の宮             『梁塵秘抄』

☆ 「さすがに子なれば憎か無し」という ほとほと本音が、「国々の博党に」と「負かいたまふな」の間にひょこんとはさまっている。日常の話し言葉そのままで、その辺りの息づかいが この歌謡の妙味になっている。
境内か河原か、信仰と愛欲とを担った漂泊の藝能者たちが、たまたま寄り合うた場所で乏しい火を囲みながら、銘々と子の噂をし合う。
そして明日にもまた別れ別れに散って行く。 古代末最下層庶民の哀調豊かな歌声が聞こえる。
2020 11/4 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 藪入の吾がなさぬ子をいたはりぬ   会津 八一

☆ 歌人八一の句と思うと、愛づらかな気がする。
実は生涯に相当な句作があり、上村占魚に、『会津八一俳句私解』という親切な本も出来ている。
年に一度か二度、わずかな休みを得て親の家に帰るいとけない労働者たち。「薮入」だ。
「俳句」などと思わせもしない、作者の真実が 即座に「うた」と化している。有難いと思う。 「北人」明治三七年二月号から採った。
2020 11/5 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ ながながと毛臑(けずね)あらはに昼寝する
吾の生みたる眩しきものよ     水谷 三枝

☆ 思わず苦笑させる表現になった。「子」とは、かく野放図な存在でもあることを教えてくれる。「母」はそれすら呆れつつも愛してしまう。ほかの誰一人とて、そんなむさくるしい「毛臑」など「眩し」いとは眺めない。
下句での勝負に、佳い勝ちをおさめた一首。  「詩歌」昭和四八年八月号から採った。
2020 11/6 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 外国に留学したき娘(こ)の願ひ
抑へおさへてわがふがひなし    松坂 弘

☆ なぜ「ふがひな」いのか。経済的なことも有ろうが、むしろ「娘のねがひ」であることが父には先ず不安に耐えず、無性に反対してしまっているのではないか。
ふとそこへ気づいた意識の覚めに、日頃の言説や信念にもとるナニかが我ながらほの見えて、しかもなお到底賛成はしてやれそうにもなくて…、そのジレンマが「ふがひな」いのであろう。
こう読んで、結句から一首へと溢れ行く味わいが頷ける。 昭和五七年『春の雷鳴』所収。

★ 人の世のこちたきことら娘(こ)にいひて
娘(こ)が去りゆけばひとり涙す    村上 一郎

☆ 人の世の生きがたいことを一般論として娘に父が諭した…という歌ではあるまい。
「人の世」には、たぶん男女のこと、たぶん娘の恋愛のことが意味されていよう。娘には耳に入りにくい「言痛(こちた)き言」葉を父は言い募っていたのであろう。父とは、ことに 「娘」の父とはそういう生きものである。
言うて詮ないと承知で言わずにおれぬ。下句の直情に泣かされる。「娘が去りゆけば」は、私にも実感である、それがどんなに良縁であろうと。 昭和四六年『撃攘』所収。 2020 11/7 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 花嫁の初々しさを打ち見つつ
身近く吾娘(あこ)といふも今日のみ     山下 清

☆ この種の歌は他にもっと上出来の作が数あるはず、だ。ご縁があったという事にしておこう。
もっとも、目をとめ書きとめたのに理由はある。我が家に適齢期の娘がいた。「朝日子」と名付けたその娘を、親はちいさくから「あ子」と呼んできた。佳い 縁が欲しいと心から願っていたら恵まれた。その嬉しい思いが、この歌の「吾娘」とあるルビに結ばれた。半ば同情し半ばよろこばしく、この歌を採った。聴 (ゆる)されよ。 昭和二八年『水ゑくぼ』所収。

* じつに辛い哀しい後日談ができてしまい、もう年久しく 私達両親は 嫁いだ娘・朝日子とも 孫娘のみゆ希とも、逢うはおろか、話すこともならない。上 に毎日掲載している詩歌の「原著」は、実に娘朝日子と押村高氏との「結婚披露」の日に、「あとがき」を書いて祝福したのだった、が。
娘は、嫁がせれば、もう「吾娘(あこ)」とは呼べないものなのか。
2020 11/8 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 娘よ、汝は五月に生れた。五月山の濃い憂悶の緑の中か
ら生れた。刺客が縦横に走っている五月闇の中から生れ
た。河童という河童が溺れ流れる五月雨の中から生れた。
ああ、娘よ、汝は無数の鯉が体を水平にして泳ぐ五月晴
の中から生れた。汝は汝の父と同じように五月に生れた。    井上 靖

☆ 『井上靖全詩集』(昭和五四年刊)から、 ―とつぐ娘に― と副題のある「五月」を採った。父と「とつぐ娘」との一体感を、幸せに高揚させた、こんなにみごとな歌声を私は知らない。緊迫した声調に、この機会ならではの愛が龍もる。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 旅人の宿りせむ野に霜降らば
我子羽含(はぐく)め天(あめ)の鶴群(たづむら)   遣唐使随員の母

☆ 『萬菓集』巻九から採った。この「はぐくむ」は暖かな羽に抱きとって寒さを防ぐ意味。天翔る鶴のむれは北をさしていたのだ。
「唐」がどんな国かさえ想いも及ばない母の、絶唱。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 生涯にたつた一つのよき事を
わがせしと思ふ子を生みしこと    沼波美代子

☆ 昭和二二年『山彦』所収。 よくもあしくも、「子」を歌 う「母」ないし「親」のスタイルを情緒的によく示している。「たつた一つのよき事」なのか…、真実。 人と生まれて生きて沢山の「よき事」はあったが、や はり「子」を生み育てたのは「最高」という位が、私など妥協できる限界だけれど、そこは「子を生みし」当の「母」の実感を尊重しておく。日本のことに「母 と子」とは、なかなか、まだ人間としてへその緒の切れた、いわば「他人」からの出発にはほど遠い。「我が子」と、いつも所有形で我が子を安易に言い過ぎて いる気がせぬではない。

結びに大正十四年『秋の瞳』から、「赤ん坊が わらふ」という詩をあげておこう。

★ 赤んぼが わらふ
あかんぼが わらふ
わたしだつて わらふ
あかんぼが わらふ      八木 重吉
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 父母よこのうつし身をたまひたる
それのみにして死にたまひしか    岡本 かの子

☆ 残念きわまりないことだが、ほとほと「子を持って知る親の恩」であり、「孝行をしたい時には親はなし」と嘆くのが人の常であるらしい。
親への愛憎――と敢えていうが――の深まりこそ、その人その人の人生を浮き彫りする。
夫婦愛の表現では、どこか一途なところが魅力にも限界にもなる。子への愛にもそれがより感傷的に出てくる。
だが、みずからも親になり(また親になれずして)親を思った詩歌には、ともすれば人間としての悔いがからみ、愛が屈折して不思議な光を放つ。この歌など、すぐれた作家であったかの子の生涯を特に重ねて読む必要のない、それだけに普遍的な「子」の感動がうめき出ている。
「この」の特定、「のみ」の限定、「しか」の喪失感。いずれもふつう短歌的表現としてはナマになりがちなところへ深切な心を籠めている。だから「たま ひ」という優しい敬語の重ねが情をたたえて、深い「うた(うったえ)」の意味をもちえた。まさに大方の「父母」は子に「現し身」を与えただけかのように、 さしたる事も成し遂げず、地の塩となりこの世を去って行く。人の世はそれだけ険しい。はかない。だが「それのみ」という認識を、卑小と限っで読むばかりで は済まない。
それどころか「それ」以上のことは、人類の歴史始まって以来いかなる1父母」も成しえたわけではなかった──と、作者は感謝の愛を今捧げている。 「短歌研究」昭和十三年一月号所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 独楽は今軸かたむけてまはりをり
逆らひてこそ父であること     岡井 隆

☆ 現代の歌人を代表するすぐれた一人。時に含蓄に富んだ歌が、ずかりと出る。この歌も作歌の状況を越え幾重の読みにも耐えながら、父なるものと子なるものとの不易の相を想わせる。
「こま」遊びのさまをまず思い出す。こまとこまとを弾かせ合っても遊んだ。鞭打ち叩くように回したこともある。地面でも掌でも紐の上でも回したことがある。
父と子とでいま「こま」を闘わせているとも読める。父がなかなか子に負けてやらないでいるさまも見える。だが「独楽」の文字づかいから、子が独り遊びし、父は眺めながら、父としての現在と子としての過去を心中に想っているのかも知れぬ。
「軸かたむけて」は美しい表現だ。力づよくも力衰えても読める。どっちにせよ懸命に回っている。父は子とともに、子よりも切なく回っている。「逆らひてこそ父」と感じつつ心も身も子より早く萎えて行くさきざきのことも想っている。
「こま」はもはや心象であり、象徴として父の心に回るのみとも読める。だが、気楽にくるくる回る「独楽」同然の子の世代に対し、なお父として鞭もあてた い、弾き合いたい、それでこそ「父」だという思いの底に、過ぎし日のわが父の顔や声や落胆の吐息がよみがえっても来ていよう。
子への愛に父への愛が重なり、人生の重みに思わずよろけながら耐える。 昭和五七年『禁忌と好色』所収。

* 「逆らひてこそ、父」ち題した長編を私は書き下ろしている。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ まぼろしのわが橋として記憶せむ
母の産道・よもつひら坂
闘ひに死ぬるは獣も雄ならむ
父へのあこがれといふほどのもの     東 淳子

☆ すぐれた構想力で成長を遂げつつある歌人。 昭和五七年『玄鏡』と五三年『生への挽歌』から採った。
人の生きの底昏さと力づよさとを 父母未生以前の根の深みから歌い抜く姿勢がある。しかもからい断念と喪失感にむしろ支えられ、父も母もこの歌のなかで実在の重量をえている。作者はこの重みを負うて生きているのだろう。
ことに「母」の歌は、日本神話の世界を畳み込み、「橋」一字にとこしえの「他界」を実感させながら「産道」といった言葉に緊密な詩化を遂げている。
「よもつひら坂」という「橋」を余儀なく渡って来たことの幸不幸を超えて人間は、生まれ―死なれ、生きて―死ぬ。父を負い母を負い、闘って、死ぬ。闘いのさなかほとばしり出たこの、親への「愛」を 私は心して聴いた。

* 東 淳子さんはいましも久しい病床にあり、渾身の手跡で手紙を下さった。先人のひそみにならい、「たのしみは」と歌い出すのを楽しみとしていますとも。私も倣おうと思っている、たとえば、

たのしみは 難しい字を宛て訓んでその通りだと辞書で知ること

いまはそんな私の毎日。

たのしみは居眠りの池をうかび出で夢に泳いで飽かざりしこと
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ かくれんぼいつの日も鬼にされてゐる
母はせつなきとことはの鬼    稲葉 京子

☆ 巧みにオリジナルな表現を遂げつつ、途方もない深い所へ ズーンと自覚が届いている。「されてゐる」で軽く浮いて1せつなき」で危うく受けて、表現の妙に耐えて二つの「鬼」がみごとに一首に生きている。「隠= 鬼」説など持ち出すまでもなく、なべて角なき「鬼」の「役」が負わねばならなかった、辛抱と負担の根の哀しみ。
「とことは(永遠)の」の語が、このすぐれた現代の短歌一首に、時空の旅のはてない不思議の魅力を添えている。己れの胸の底を探る視線が、生みのわが母の胸の底にまでよく届けばこそ歌いえた、「母」なるものの調べ豊かな悲歌である。
人は、母の目をふさいで生きて来た。母とは妻でも女でも、ある。 昭和五〇年『柊の門』所収。
なお、昭和五八年、有本倶子は『モンキートレインに乗って』に、「子らの遊びにいつも出てくる母われはおかへりなさいと待つ役ばかり」と歌っていたのも私の記憶にあるが、やや認識と表現との相乗効果が軽い。「役」一字にもっと叩きつけるような批評が出れば面白かった。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ (父島)と云ふ島ありて遠ざかることも
近づくこともなかりき      中山 明

☆ 人生という海を青年は航(ゆ)く。ただ漂うのではない。距離を計り行方を望みながら、しかし心細く、(父島)の存在から目を逸らしてしまうことは出来ない。こんな風に私は読んでみた。
太平洋に事実在るという「父島」や「母島」のことは私には分からない。 昭和六〇年の間奏歌集『猫、拾遺』所収。

★ 雲青嶺母あるかぎりわが故郷    福永 耕二

☆ 「くもあをね」と私は読んだ。故郷の山なみが、見えてい てもいい。見えていない山なみが雲のはたてに幻に見えるのでもいい。「青嶺」はまた「青山」(墓所)であり、人生至る処に在る。だが「母あるかぎり」は、 あの「母」の生きて住む場所が自身の根であり真実故郷だと思うのである。母の生きの命が一句に籠っている。いつか母を見送り天涯に孤りとなる日のことも覚 悟されている。
だが、「故郷」とは、ただ生れ故郷ではないようだ。「よもつひら坂」のかなたに「母」なる偉大な故郷が横たわり待っている。いずれそこへ帰って行く。 「母あるかぎり」とは、現世に限らない「とことは」への子の願いなのである。 「俳句とエッセイ」昭和五八年六月号から採った。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 回帰するのに
入口はひとつしかない
ははよあなたの眠りに溶けると
それが果たせるというの?
老いは敵それは恐怖 だから少年
でも戻れない大きさ
胎児になる夢を買おう
つるりと滑って
水脈をわけてゆけるのかしらん
小さい塊り
その絶対の孤独とやらの
栄光
それをどうしてははに言える?    松永 伍一

☆ 昭和五二年に刊行の詩集『少年』から、「子 宮へ」を採った。「少年」の心を抱いた男の、母胎への永遠の愛がうたわれている、などと鹿爪らしく喋っていると「つるりと滑って」しまいそう…、だから私 は力なく黙って、それでいてこっそり…「オモシロイョ、コレ…」とつぶやこう。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ あヽ麗はしい距離
常に遠のいてゆく風景……

悲しみの彼方、母への
捜り打つ夜半(よは)の最弱音。    吉田 一穂

☆ 吉田一穂の『海の聖母』大正一五年刊)から、「母」を引く。
いかなる「最弱音」といえど、しかし「母」へは常に伝わるのである、正確に。子の、それが信仰である。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 母の胸には 無数の血さへにぢむ爪の跡!
あるひは赤き打撲の傷の跡!
投石された傷の跡! 歯に噛まれたる傷の跡!
あヽそれら痛々しい赤き傷は
みな愛児達の生存のための傷である!

忘れられぬ乳房はもはや吸ふべきものでない
転居の後の如くすたれ
あヽ 愛はすでに終了されたのだ!

さるを今 ふたヽび母の胸を蹴る!
新しき世紀の恋人のため!
新しき世界に青年たるため!
あヽ われ等は古き父の遺跡を
見事に破壊するを主義とする!     萩原 恭次郎

☆ こういう「古き父の遺跡」たる母の像もまた否応なく子は胸に抱く。萩原恭次郎の『死刑宣告』(大正一四年刊)から、「愛は終了され」を引く。
社会と政治とに働きかけて敢然と立つ青年のまえに、或いは押しはだかる「母」もいる。そういう「母」なら乗り超えられねばならない、その向うに古き全ての管理者である「父」の存在が見えている限りは、なおさらに。
「あヽ 愛はすでに終了されたのだ!」という嘆きの奥で、しかし「母」は子の愛を享けつづける。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 雪女郎おそろし父の恋恐ろし    中村 草田男

☆ 草田男という大俳人をはなれて、句のおそろしさに打たれ たい。「父の恋」のかげには泣き憤る母がいる。だから恐ろしい。父の恐れと母の恐れとを底知れぬ影のように子はくらぐらと打ち重ねて胸に抱く。黙然とかき 抱く。美しい、しかしぶきみな雪女郎。因果なことに子はそんな父の恋人にかすかに自分も恋していることさえあるのだ。
見たこともない、母。見たこともない、恐ろしい父。のめりこんだ父。真剣な父。ヤケクソの父。そういう「父」にいつか自分もなりそうな恐ろしさ……。肯定とは言わぬが、けっして否定否認の句ではない。いわば、悲しいまでに藝術が美しい。 昭和十四年『火の島』所収。

★ 十六夜の長湯の母を覗きけり    津崎 宗親

☆ 作者の実情をはなれて自在にいろいろに読める。「いざよひの」以下の調べも面白い。 岸田稚魚門下の昭和五五年合同句集『大綿』から採った。
老母の長湯を心配して覗きに行つたのかもしれない。「いざよふ」に「長」いへの語感の繋ぎも見えなくはない。が、この句にはまぎれない「母」へのかそけ きエロスの感触がある。「十六夜」のなお豊かな月かげにまだまだ若い母の裸形が湯気をふくんで光っている。「長湯」には、ある満たされた安らぎや心足りた 自愛の含みも取れる。母は湯のなかで女にかえっているのだろう。
どうしたかなと案じて覗いたには相違なくても、一瞬、母なる「女」に目をふれた息子もまた、その時、男になり、父にすら化(な)っていたのだろう。浴室 の明りよりもほのあかるい月明を身にまとうて、実は母はこちらへ背を向けていたのでなく、目ざとくもわが子と視線をまじえさえしたかも知れない。神話的瞬 間である。原初の愛が空に舞ったろう。「十六夜」に民俗の背景を探るのも面白く、「覗きけり」の露骨さが句を大柄にしている。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 進学をあきらめさせた父無口

☆ 林富士馬著『川柳のたのしみ』(昭和五八年刊)から採ったが、作者は知れない。
「無口」は含みのいい「からだ言葉」だ、ここへ万感が龍められている。言いたかろう、言いわけもしたかろう、いつまでもグズグズ言わんでくれと、叫びたくもあろう。
せつない親の愛だが、そういう父の横顔をじっと黙って見つめている視線にも、愛が籠もる。この愛が行動に転じて時代を変革させるエネルギーにならねば……と、思う。
同じ本に、「父に似る性質父に叱られる 一夫」というのもあった。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 幼子のわれのケープを落し来て
母が忘れぬ瀋陽の駅      佐波 洋子

☆ とりたてて勝れた歌とは思わないが、この時代なればこそ なお記憶にあり、同時にとかく記憶を遠ざかりがちな、だが大事な場面が歌われているので、同時代の「母」の悲しみの歌として採った。おそらく、子にもよく 伝ええない苦い敗戦・敗走体験がこのさりげない表現の背後に、今も傷口を開いているだろう。 「かりん」昭和五七年一月号から採った。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 抱かれて少しずつかわりゆくわたくしを
見ている風は父かもしれず      伊藤 靖子

☆ 思い切った五・十・五音の上句に、手粗いが素朴に新しいリズムも生まれている。「わたくし」を「われ」として強いて五・七・五に音数を揃えなかった感覚に、誠実な若さが感じとれる。「わたくし」と「父」との対応に、おそらく一首の真実は隠されているのだから。
作者の意図をあるいは超えて読めば、恋する男の愛の手に「抱かれて」「少しずつかわりゆく」うら若い女の状況は、まさにさまざまに「風」のなかにある。 その喜怒哀楽のそれぞれの場面で、「わたくし」は、男でもある「父」の目と存在とを体温のように、体重のように同時に感じ取っている。
おそれ、愛、怒り、不安、希望。父と娘とだけの余人のはかり知られぬ交感を率直に歌いえている。忘れがたい一首。  「未来」昭和四六年十一月号から採った。
2020 11/23 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ あなかそか父と母とは目のさめて
何か宣(の)らせり雪の夜明を     北原 白秋

☆ 大正十年『雀の卵』に収められ「父と母」と題されたこの歌は、ぜひ次の二首とならべてしみじみと読みたい。

あなかそか父と母とは朝の雪ながめてぞおはす茶を湧かしつつ

あなしづか父と母とは一言のかそけきことも昼は宣(の)らさね

日本の父と母との、すくなくも戦前までのこれは「悠久」を思わせる典型的な姿であり、愛され尊敬された姿であり、この静謐に、美も倫理も覚悟の深さも意気の毅さすらも秘められていた。
「日本」は好むと好まぬにかかわらずこういう父母の国であった。子もこういう父母にまた成ろうとした。すくなくもそういう時代が長かった。
むろん現代の読者は、せめてここに青い畳と白い障子との暮し、火鉢と縁側と庭先との暮し、寒くて静かで寡黙な社会の、しかも自負をたたえた厳しい空気も察して読まねばならない。
作者はこの「父と母と」を現実の父母を超えてシンボリックに歌っていよう。慈愛の深さをただしく汲みとって、歌の「格」というものが備わっている。愛誦に耐えて心温かい。なつかしい。
2020 11/24 228

☆ 親への愛

★ 草まくら旅にしあれば母の日を
火鉢ながらに香(かう)たきて居り     土田 耕平

☆ 島木赤彦門下の著名な歌人。上二句は常套に過ぎるが、しかも「火鉢ながらに」など下句の飾りけないわびたふるまいの美が、「旅」中なのでということわりに面白い真実感を与えて、母おもいの情深い一首が成った。
「香」をたくという行いに、「母の日」がそのすでに命日であることを思わせる。つまり昨今のいわゆる母の日とはちがう。が、もしそのいわゆる「母の日」 にたまたま旅にいた子が、故郷にいます、あるいは泉土にいます母のためにカーネーションならぬ火鉢に香をくべ、はるかに愛のメッセージを贈ったのだと読む 人がいても、私は、嗤わない。それもその読者の境涯で、なるほど作者の意とは離れようが、歌の真実を決してそこなうものではない。  大正十一年『青杉』 所収。

★ いねがたき我に気付きて声かくる
父にいらへ(返事)してさびしきものを    相坂 一郎

☆ 「ねむれないのか……」
襖ごしにでもあろう、父は子を気づかってくれる夜ふけ。多少のいらだちも抑えて、「えぇ」と答えたのか「いいえ」と返事したか。ここまではごく分りよく、そして「さびしきものを」に無限の情が龍もる。
この父は自身衰老の坂をはや下りつつあるのやも知れぬ。
この子は、たとえばせつない恋を失った直後であるのやも知れぬ。失意とも不安ともつかぬ日々の夜の底で、言葉にもならない声を父と子とはかけ合い答え合いながら、縁のきづなを手さぐりして、しかもそのように生きつぐ寂しさに「生きの命の重さ」をおし量っているのだろう。
子は父の健康を、父は子の幸福を。しかも父であり子であることの測り知れぬどんよりとした、くらさ。
秀歌と思う。  昭和七年『地下の河』所収。
2020 11/25 228

* 毎朝、選んだ愛の歌を日記の頭に出していて、これが私をしみじみとした優しい気持ちにしてくれる。えり抜きの作歌を心して読み味わっているつもり。毎朝、これだけでも読んで下さる方の多いのを願う、こういうややこしい時節には殊に。
2020 11/25 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 父の髪母の髪みな白み来ぬ
子はまた遠く旅をおもへる    若山 牧水

☆ 明治四三年『別離』所収。 これだけの歌とつい取ってしまいそうだが、作者の現実や性癖がいかにあれ、ここにも親と子との永遠の、しかも余儀ない係わりかたが象徴的に露出していて、思わず知らずに読者は感銘を強いられてきたのだと言える。
親は老いゆき、子は際限もなき「旅」立ちの試行錯誤に己が可能性を夢見つづけている。
言うまでもないこの「旅」一字に、どれほど多くを深く読み込んでもいい。しかも旅は、子にして「遠く」なくてはならず、だが、髪白き親の身にも心にも、 真実「遠く」価値ある旅の難(かた)さは知り尽くせている。その微妙を極めた親と子の齟齬にも、「人生」という名の「旅」の寂しみはにじみ出る。一首の哀 情は、「子はまた」の「また」に凝っている。
2020 11/26 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 薬のむことを忘れて、
ひさしぶりに、
母に叱られしをうれしと思へる。    石川 啄木

☆ 明治四五年の第二歌集『悲しき玩具』から採った。似た歌が第一歌集『一握の砂』にある。

よく怒る人にありしわが父の
日ごろ怒らず
怒れと思ふ

この作者のことに秀でた歌として引いたのではないが、しかも心に残る率直の表現に無垢の詩と真実が鳴り響いている。
啄木短歌の魅力は、歌われている事実以上に「ことば」が「詩化」を遂げていて、しかもそれすら忘れさせるほど最短距離に事の真相へ言葉が、日本語が、肉薄している点にもある。
ただこういう歌にふれた時、ただに一方的に子から見た父や母が歌われでいるとのみ、読み過ごしてはならない。「うれしと思」い「怒れと思ふ」子である作者の日々の苦闘、人世を生き抜く格闘の、けわしさ、はげしさがあって、だから親を、親と頼みたいのだ。
2020 11/27 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ わが父と老女のあひだ桜餅     藤田 湘子

☆ 一日十句を三年の余も今なお続けている、旺盛な現代俳人の句集『一個』(昭和五九年刊)から採った。
清潔な和風の客間を想像している。「わが父」と「老女」とはきれいな仲なのだろう。おだやかに会話がつづく。年配ゆえの落着いた雰囲気に、卓の「桜餅」 がはのかに匂う。わが父の客ながら、そして「老女」とはいいながら美しい色香が匂う。やわらかに美しい餅の桜葉が、ほんのり餅肌の桜色をも匂わせながら、 だが、しんと二人の「あひだ」を占めている。
何事が起きるのでもない。季節と時のめぐりの静かな深まり──だけが、心優しく感じられる。
2020 11/28 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 寝よ寝よと宣(の)らす母ゆゑ目はとぢて
雨聴きてをり畳の産屋に      田中 民子

☆ この「母」は、いわゆる姑かもしれない。「宣らす母ゆ ゑ」という敬った表現を私はそう読んでみた。「寝よ寝よと」いたわる母にもそれを敢えて受ける嫁にも「愛「がある。しかもなお微妙な「建前」もある。母は 家事にいそしむ再びのハリを得ている。嫁は生まれ来るものへの予感に励まされながら、今は母の親切に身をまかせ目はとじて、じっと雨を聴いている。ありと あらゆる価値のあるものを身に浴びているような暖かい思いなのかも知れない。すこしは煩わしい姑の声すらやがて微笑に溶かして聞き流せるのだろう。
母もよろこぶ健康ないい子を、まちがいなく生まねば……。「寝」ていよう…と思いつつ静かな興奮に包まれてもいる。 「多磨」昭和十六年十一月号から採った。

★ 女子(をみなご)の身になし難きことありて
悲しき時は父を思ふも     松村 あさ子

☆ プロを自称するような歌人は、こうはかえって歌えまい。 こう真率に「悲しき時は」と一見露骨には歌えまい。しかしこの歌では「悲しき時は」以外の表白はあり難いだろう、ここに「女子」の「をみなご」ゆえの一切 が託され、男の私にもその重みは察しられる。まだまだというより、いつまでもなお女ゆえ「身になし難きこと」は増えても、減りそうには思われない。
母ではない「父を思ふ」と歌われているのは、けっして母が無みされている意味ではないが、どうしてもここは「父」であらねばならぬぶん、娘の今が今「女子」として生きる苦しさや険しさも、痛いまで想像がついて来る。
息子は母を慕い娘は父を慕うといった「通りいっぺん」の解説とは、かけ離れて厳しい人の世渡りが目に見える。「父」には、なにかしら「娘」の思い及ばない不思議の「力」でもあるのか。
悲しいことに在るわけもないそんな力が、あると想像できてそれがいざという時に娘の力になるのなら、片思いにそう思いつづけていて貰うしかない。いとお しい娘の父でもある私は、そう願う。この歌のようには娘に自分を思い出させたくないな…と、祈る思いでもある。 「国民文学」昭和十一年三月号から採っ た。
2020 11/29 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 先づ吾に洗礼をさづけ給ひたり
中年にて牧師となりしわが父    杉田 えい子

☆ いわゆる、じょうずな歌とはとても思いにくいが、感慨深 い人間の歴史が下に透けて見える。「中年」に至って牧師となったという、そんな「父」の歴史を正しく読みとるのは容易ではない。が、そこに魂の葛藤や苦闘 があり、勉強と努力があり、なにより人間への愛があったであろう。
そういう父を、娘である作者は深い共感と敬意とで見つめている。しかもその中年牧師の父は、愛を傾けて最初の洗礼を「先づ」わが娘にさずけたという。
「父」一字には文字どおりの父親と、さらに父なる神の姿もかぶっていよう。莫大な背後の人生を思わせて 拙いなりにも感動を誘う、それも「詩歌の本領」 であって、言葉いじりの技巧をいくらうわべに誇ってみても、「うったえ」の意味の「歌」には届かない。歌壇を占めて時めく、「専門歌人」とか「プロ歌人」 とか一部自称のおごりは、嗤われよう。 この歌は「多磨」昭和二六年六月号から採った。
2020 11/30 228

 

述懐  恒平二年(2020)十二月

* ここに「恒平」二年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる二年目であるという気持ちを示している。他意はない。

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる      芭蕉

ありし日に覚えたる無と今日の無と
さらに似ぬこそ哀れなりけれ     与謝野晶子

あるときは襤褸(らんる)の心縫わんとしき
襤褸の心さらされていよ        武川忠一

ふりむけば障子の桟に夜の深さ        長谷川素逝

土堤を外(そ)れ枯野の犬となりゆけり    山口誓子

生きているだから逃げては卑怯とぞ
幸福を追わぬも卑怯のひとつ    大島史洋

水鳥を水の上とやよそに見む
我れも浮きたる世を過ぐしつつ   紫式部

また一つ階段を上るのか降りるのか
知つたことかの吾が吾亦紅     恒平

寒ければ寒いと言つて立ち向ふ       恒平

さりながら齢(よはひ)は重いものである
「持運び注意」と先づは書き付く    恒平

小学館版・ 日本古典文学全集と  秦 恒平選集・完結33巻

少女像  小磯良平・畫
そのそこに光添ふるや朝日子の愛(は)しくも白き菊咲けるかも

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色

秦の実父方菩提寺とか  一度だけ叔父吉岡守に連れて行ってもらった。

秦 恒平選集 完結 第33巻 口絵の一部

菱田春草・畫 「歸樵」の部分
山を下り歸ってゆく夫婦
2020 12/1 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ <ありがとう> 深々と頭を下ぐる母
おかしくわびしくやがて悲しき     中田 文

☆ 歌の技巧としては拙というしかない。上句にはナマな感情 表現が相次ぎ、「やがて悲しき」には芭蕉鵜舟の句の記憶もからむ。腰折れでもある。どこを褒めることも難儀な歌ではあるのに、歌の内にまぎれもない「母」 の姿がある。「おかしくわびしくやがて悲し」い母の姿が確かにある。娘の悲しみはやがて己れにかえって行く嘆息でもあり、しかも直接話法で強調された「あ りがとう」は作者その人の真率の声と化し、一首の歌のなかでしみじみ共鳴しはじめる。 「かりん」昭和五六年十二月号から採った。

★ 背負ひ籠が歩めるごとき後姿を
母とみとめて声をかけ得ず     平塚 すが

☆ 「しょひ龍」と読みたいが。 娘はもう都会での暮しが長いのだろうか。だが、この歌はそうした風俗のちがいにたじろいだといった類の作とは思われない。
たわむれに母を背負ってあまりの軽さに三歩も歩むことが出来なかったという 名高い啄木の歌の系譜を踏んでいる。
娘の帰郷を心に待ちわびながら母は山畑からの戻り道を黙々と歩んでいたのだろうか。その姿をいちはやく認めながら、「おかあさん」と声をかけためらう娘の胸には、一人の「女」の寡黙でかつ苛酷な人生への 言いがたいいたわりとおそれとが一瞬葛藤する。
娘もまた場所こそちがえ懸命に生きて来たという実感に満たされている。「母」のちいささに、娘は万感を一瞬に籠めてたたずむ。心に泣く。
歌が、生きた「時」をとらえたのである。 「形成」昭和四九年六月号から採った。 2020 12/1 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 眠られぬ母のため吾が誦む童話
母の寝入りしのち王子死す    岡井 隆

☆ 「アララギ」昭和二六年一月号から採ったなんとも心惹かれる一首である。が、理にあてた解釈や解説を深々と拒んでいるような、ふしぎな哀調に魅力が秘められていて、なまじの物言いをおそれたくなる。
「誦む」「童話」「寝入りしのち」「王子死す」などの尋常な言葉のひとつひとつがよく「詩」化して、不思議の光を静かに放っている。夢の飛行機が音もな くいつか大地を離れて行くような、また、かぐや姫を天上へ見送った人間の悲しみにも似た印象が残る。「詩」だなと思う。かすかに挑戦的な「詩」でもある。 読者の深読みをさまざまに誘っている。作者から離れ、自分の所有としてまだこの先も抱き込んでいたい歌の一つである、私には。

★ とろとろと鰈(かれい)が煮ゆる
ちちははの食(は)むものなべて淡雪のやう   青井 史

☆ すぐれた語感に貫かれた美しい歌である。どの音を聴いて も微塵の無理もない調べを奏でている。「鰈」も「淡雪」も「とろとろ」も「食む」も「煮ゆる」も、これくらい優しい音楽となりおおせれば この歌のすべて が、さながらの象徴性を帯びる。その芯に「ちちはは」が生きる。
これほどこの尋常な言葉が美しく優しく定着した例は珍しい。「詩語」という特別の言葉が在るのではない。すぐれた語感と文脈のなかで、ナミの言葉がみご と詩語に「化るか化らないか」に過ぎぬ。珍奇な言葉づかい、文字づかいを競い合うのは滑稽だ。  昭和五八年『花の未来説』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ どっと笑いしがわれには病める母ありけり     栗林 一石路

☆ はっと一瞬涙を誘われた。それ以上を言う必要など、あるまい。 昭和三〇年『栗林一石路句集』所収。

★ 卯月浪父の老いざま見ておくぞ   藤田 湘子

☆ ひねもす波が大きく寄せて、その波に身も心も清まわりながら久しい祖霊の加護を蒙る、そういう日がこの島国には一年に何日かある。四月八日もその一日に当たってきた。
悠久の時をこえて人が人の不思議の血脈にひしと思い当たる日でもある。繰返し繰返す波のように、命の糸は紡ぎ続けられてきた。作者の覚悟のほどを横から説明できるものではないが、手強い表現に籠められた「生きる」姿勢に心地よい響きがある。
「父」は「老いざま」をもってしても子の境涯を正すのである。正されようと子は願うのである。 昭和五七年『朴下集』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 挫折とは多く苦しきおとこ道
父見えて小さき魚釣りている    馬場 あき子

☆ この歌人としては舌を噛みそうな出来の歌だが、「小さき魚」の一句が父と、その父の挫折多かりし人生の実りのさまとをともに言い尽くしていて、父の場所と、その場所の「見えて」いる娘の場所とを、一筋に繋いで見せる。
「おとこ」でありつづけねばならなかった「父」への視線に、作者の苦く乾いた涙がにじむ。 昭和四六年『飛花抄』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 夜半を揺る烈しき地震(なゐ)に母を抱く
やせし胸乳に触るるさびしさ     野地 千鶴

☆ 短歌的には腰折れ歌のうらみがのこる。上句で実は言い尽 くせている。思わず母を抱かせた地震のはげしさと、下句の「さびしさ」とには一瞬のズレがあるはずで、この歌ではその時間差のもつ意味は大きい。へたをす ると下句にウソが出る。そういう不満をもたせつつも、おのずと母の老いを知らしめて 子の嘆きと不安とをかきたてた一首の身震いには、「地震」なみの衝撃 がある。
「烈しき」といわずはげしく、「さびしさ」といわずさびしければ、歌はもっともっと読者の胸に向かって物を言うのだろうが。それにしてもこの「さびしさ」は「烈しい」。 「短歌人」昭和五〇年十一月号から採った。

★ 病む母の生きの証(あかし)ときさらぎの
夜半(よは)をかそかに尿(ゆまり)し給ふ    綴 敏子

☆ 秀歌である。年中でもっとも寒い二月の夜半を、ことさら「きさらぎの」とかそけく美しい音で調べて「ゆまり」の音を静かに聞かせた手腕。
病む母はひとりで用は足せないのではないか。かたわらに作者がいて、そしてそのような母に手を貸し身を添わせながら、母がなお生きていてくれる嬉しさと底知れぬ不安とに耐えている。
「給ふ」という敬語が実に利いている。 昭和四六年『暁の雨』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ ぬばたまの黒羽蜻蛉(くろはあきつ)は水の上
母に見えねば告ぐることなし     斎藤 史

☆ 水の上をおはぐろが飛ぶ。私は子供の頃すでにこの景色だけで他界の存在を想像した。そういう感受性で「水」を思い「黒羽蜻蛉(おはぐろとんぼ)」を眺めていた。
「母に見えねば告ぐることなし」は、なまなかに出て来ない詩句である。「母」は目が不自由なのだ。見えにくいものをことさら口にのぼせて母の意識を乱す のをはばかるのだ。が、それだけなら上句の景色に必然性はない。日一日母が近づきつつある他界の景色が、この卓越した詩人には見えていて、敢えてそれを口 にしないで、じっと老母を見守っている。この歌は、一連の次のような歌とともに感銘深く読み込むべきだろう。

老はいかにさびしきものぞ 抽出のもの整理されておほかたは空
小抽出のものを破きて母が居る昏れがたの部屋に立入りがたき

どう老いようとも「母」には母の領分が厳然と在る。それを認めてなお「母」を見守らねばならない子の視線もある。「老」は親だけが負う重荷でなく、子も すでに負うている。「親」への深いため息のような愛は、すでに自身への苦しい吐息でもあらねばならない、それほど「子」として生きるのもまた寂しいつとめ なのだ。 昭和四二年『風に燃す』所収。
同じ歌人の同じ『風に燃す』所収、次の歌も参考までに挙げておく。

他界への門の扉は見ゆるほどの視力残れよ老母(おいはは)の眼に

やや物言いが直接に過ぎるかとは思うが。

* この旧著をこう端切りに連載しながら、私は、ともすると目頭を熱くする。詩といい歌というなら、さほどの表現で二つと無い詩句がよくよく「詩化」されていてこそ当然なのだ。それでこそ歌人・詩人と名乗れる。身に恥じ入って思いつつそう思う。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

☆ この辺で小説家・文藝批評家である伊藤整の、詩人としても注目すべき昭和十二年の第二詩集『冬夜』から、「病む父」と題したやや長めの詩を挙げておく。
「弟よ父には黙ってゐるのだ。」以下のフレーズに私は感銘を受けた。

★ 雪が軒まで積り
日本海を渡つて来る吹雪が夜毎その上を狂ひまはる。
そこに埋れた家の暗い座敷で
父は衰へた鶏のやうに 切なく咳をする。
父よりも大きくなつた私と弟は
真赤なストオヴを囲んで
奥の父に耳を澄ましてゐる。
妹はそこに居て 父の足を揉んでゐるのだ。
寒い冬がいけないと 日向の春がいいと
私も弟も思つてゐる。
山歩きが好きで
小さな私と弟をつれて歩いた父
よく酔つて帰つては玄関で寝込んだ父
叱られたとき母のかげから見た父
父は何でも知り
何でも我意をとほす筈だつたではないか。
身体ばかりは伸びても 心の幼い兄弟が
人の中に出てする仕事を立派だと安心してゐたり
私たちの言ふ薬は
なぜすぐ飲んで見たりするやうになつたのだらう。

弟よ父には黙つてゐるのだ。
心細かつたり 寂しかつたりしたら
みんな私に言へ。
これからは手さぐりで進まねばならないのだ。
水岸に佇む葦のやうに
二人の心は まだ幼くて頼りないのだと
弟よ 病んでゐる父に知られてはいけない。   伊藤 整

☆ なにを余分に言うことがあろう。伊藤整の詩魂は近代詩人に卓越していた。昭和元年の処女詩集『雪明りの路』もすばらしい青春の拝情味にあふれている。もっともっと若い人に読まれて欲しい。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 膝にごはんをこぼすと言つて叱つた母が
今では老いて自分がぼろぼろごはんをこぼす

母のしつけで決してごはんをこぼさない私も
やがて老いてぼろぼろとこぼすやうになるのだらう

そのときは母はゐないだらう
そのとき私を哀れがる子供が私にはゐない

老いた母は母のしつけを私が伝へねばならぬ子供のゐないため
私の子供の代りにぼろぼろとごはんをこぼす      高見 順

☆ さて伊藤整に劣らぬ詩人に、やはり小説家の高見順がいる。昭和二五年刊のひときわ勝れた詩集『樹木派』に収められた、こんな「無題」という題の詩を読んで欲しい。 高見順には、文字どおりかけがえのない愛しい母であった。子のない子よ。こ のさりげない詩句に、私小説風に籠められた母と子の寂しみの、なんと深いか。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 死に近き母に添寝のしんしんと
遠田のかはづ天に聞ゆる    斎藤 茂吉

☆ 大正二年『赤光』所収の「死にたまふ母」からは、この歌を筆頭に、次のような一連を挙げずにはおれぬ。
近代短歌の原質がここに凝集している。ただただ反復愛誦したい。

はるばると薬をもちて来しわれを
目守(まも)りたまへりわれは子なれば

寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ
何か言ひたまふわれは子なれば

我が母よ死にたまひゆく我が母よ
我を生まし乳足(ちた)らひし母よ

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
足乳根(たらちたね)の母は死にたまふなり

☆ 臨終の母をかくも壮大に歌いあげた歌人の、詩と「うたご え」の力づよさに私はおどろく。短歌の感動はここに極まっている。言葉の斡旋だけを歌と心得て得意顔の歌人は恥じよ。茂吉の歌は、さながらの大噴火であ る。あかい炎に岩も灰も混じって、それすらも噴火(歌)ならではの魅力となる。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 今絶ゆる母のいのちを見守りて
「お関」と父は呼びたまひけり 谷崎 潤一郎

今死にし母をゆすりて春の地震(なゐ)    岸田 稚魚

☆ 「なゐ(地震)」と読みたい。好一対の短歌と俳句、ともに日本語の達人である。
昭和五二年『谷崎潤一郎家集』にみえる文豪谷崎の、やすやすとしかも端的に母と父と自身との場所を見定めたゆとりのある視線。ずばり「お関」が利いている。生と死との関の別れをさえ含みにしえていて、母の名がそのまま歌になってしまう。おおらかな名歌だと思う。
「琅玕」主宰の稚魚の句はこまやかな詩情をたたえ、匂うように、悲しみのうちにも仏果をえた安堵のごときものが漂う。岸田の句は記憶から採った。
母への溢れる愛が、歌をも句をも大きなものにしている。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 父をわがつまづきとしていくそたび
のろひしならむ今ぞうしなふ    岡井 隆

☆ 「逆らひてこそ父であること」と歌った歌人の、「父」をうしなったまさに悲痛の一点鐘。
父ほど、ある意味で邪魔な存在はない。くそッと思わせることで、父ほど「幾十度」憎らしかったものはない。その「父」を死なしめるのが、実は自分自身で はないのかと、「子」は「今ぞ」思い当たる。その時には、だが、確実に「父」はいなくて、自分がその「のろひ」の的の「父」親にすら成ってしまっている。  昭和五七年『禁忌と好色』所収。

★ 思ふさま生きしと思ふ父の遺書に
長き苦しみといふ語ありにき    清水 房雄

☆ 拙い歌だが、だが、父と子の身にしみて合点の利く係わりがよく捉えられている。
子の目に、往々 「父」という存在は思うまま好き勝手にしか生きていない生きものとして、映じるものではある。
「長き」「苦しみ」の文字を、まだ必ずしも全面的に受け入れているわけではない作者だろうが、それでも、そうだったのか、やっぱり……と子の胸にふと突 き当たってくる実感がある。子もまた、それだけの人生を歩んできたということか。そんな自分を、今はすこし離れた場所からわが子が、お父さんは何でも好き 勝手にして…と眺めていないでもないのだ。
死んだ父が、そういう時、涙ぐましいまで懐かしい。 「アララギ」昭和三一年八月号から採った。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 柩挽く小者な急(せ)きそ秋きよき
烏川原を母の見ますに    吉野 秀雄

☆ こういう葬儀は都会ではもう見られないが、農山村にはなおこのようないわば萬葉調の風俗が生きている地方もあろう。 昭和二二年の『寒蝉集』から引いた。引き締まって空気の澄んだ佳い歌だ。
私には「烏川原」が実在のものか、なにか口調子に、烏のいる風情を描写したものか判じかねるが、どっちにせよ「烏」に他界の使者風の感情移入も利き、 「カ」行音の小刻みな反復がこの歌に限って、透徹した印象をより深めている。「な急きそ」は、どうか急がないでくれの意味。
この歌人は、萬葉の昔から現代までを通じて最もすぐれた挽歌の詠み手だと私はみている。

★ 亡き母の登りゆく背の寂しさや
杖突峠霧にかかりて    阿部 正路
☆ さきの吉野の歌に勝るとも劣らない、柔軟な哀調に富んだ佳い歌だ。母の魂がさながらに霧の「杖突峠」を向うむきに登り去って行くかと、子は眺めている。逝く母も寂しく、見送る子はもっと寂しい。
うば捨て伝説風の背景も想像に加わり、太古へも遡り行く神話的な奥行すらもこの一首、はらんでいる。 昭和五〇年『飛び立つ鳥の季節に』所収。
2020 12/12 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 山茶花の白をいざなふ風さむし
母は彼岸に着き拾ひしか    佐佐木 由幾

☆ 下句は、人に死なれた者ならばきっと、一度ならず口をつ いて言わぬ人はいない、それだけ共感をごく自然に誘う表現になっている。この歌ではその下句の自然さを平凡におとしめない上句の美しさに、意外につよい表 現力がある。花の白が風に徐々に寒空へうつろい匂うような、そんな寂しみを身に負うて、悲しみもあらたに亡き母の行方をひとり思いやる娘。明日からはひと りで生きて行く娘。
死なれた者は堪らない…のである。 「心の花」昭和五〇年一月号から採った。

★ 命惜しみ四十路(よそぢ)の坂に踏みなづむ
今日より吾は親なしにして     安江 茂

☆ 「踏みなづむ」とは、生き難い人の世を一所懸命に苦しみ生きているという意味に繋がろう。それでこそ「今日より吾は親なしにして」という思わずも洩れた真情の声が、ひよわな甘えとして響かずに済む。
親のまだ元気な人には分からない。五十になり六十になっても、まだ「親」が生きていてくれるのは無類に嬉しく頼もしいものだ。海山を越えて生きて来た豪の者でさえも、いざ「親」に死なれてみるとすぽっと頭の上が寒く心細くなる。
「四十路の坂」ではまだ人生は定まっていない。下句の「うったえ」は覚悟のほども響かせてよく胸に届く。 「人」昭和五八年十一月号から採った。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 斑雪(はだれゆき)山に残りて葬りし
母に雪解(ゆきげ)の水は浸み行く    武川 忠一

☆ 現代では著名な歌人の一人だが、この歌、意外に含蓄には乏しい。そのかわり言葉で表されている限りはくっきり出ている。死なれた者には共感はあつい。しかし詩としてはもう一段の追究があっていい。 『氷湖』所収。

★ 暮れてなほ氷雨降りしむ楉(しもと)はら
吾を呼ぶ黄泉(よみ)の母の声する    岡野 弘彦

☆ 折口信夫(しのぶ)の志をもっともよく享けついで、師に 優るとも劣らないすぐれた現代歌人の一人である。とくに言葉の読み込みと音楽性に佳い味わいがあり、砧でうったような語感はきめこまやかに腰がつよい。 「楉」とは、文字どおり枝の茂った若い木立ち、木の細い枝々を謂う。
四句の「吾を」の字余りと「呼ぶ 黄泉」と「よ」の音の重ね効果が、一首の速度感に適切なあやを成しえてうわ滑りしない。結句もそれで座りのよさを保っ ている。わびしい哀しい光景ではあるが、表現の妙で陰気をまぬかれている。一読して忘れがたい。 昭和五三年『海のまほろば』所収。

* こういう 真率にして美しい「音の楽」を「自称短歌」世界から、なかなか聴き取れなくなっている淋しさを、嘆く。
2020 12/14 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 凍(し)み蒼き田の面(も)に降りてみじろがぬ
雪客鳥(さぎ)の一つは父の霊かも    大滝 貞一

☆ こういう思いをするものである。死なれてなお愛し慕い畏 れてやまぬ子の思いである。しかし末句はややナマに物足りない。また、これだけルビに頼って歌うならば、微妙な「降り」にも「霊」にも欲しい。「おり」 「れい」と読んだが、わざわざ「雪」客鳥としてあるのだから、敢えて「ふり」とも読みたいし、「たま」とも時には「みたま」とも読みたくなる。
短歌表現とルビの問題は、もっと検討されてよい。 昭和五九年『白花幽』所収。

★ 病む祖母が寝ぐさき息にささやきし
草葉のかげといふは何処(いづこ)ぞ    岡野 弘彦

☆ 一首の歌が、言葉の上で歌いえている、なおその上の い わゆる「突っ込み」があるかないかで、歌の魅力は大きく変わる。この歌も、末一句「いふは何処ぞ」の問一問(もんいちもん)で尋常の域を突き出た。病みか つ死んだ祖母、というよりもおよそ「死者」なるものと不思議の問答をかくて作者は交わすことになった。
四句に至るゆるみのない具体的描写でこの間いを、観念の遊戯に陥し入れることなく、作者はわが心の内にも「死の世界」の所在を問う。問いつつ、生きてなお人のわざの重く貴い現在を感じている。
ここに沈潜した愛は始原のものだ。 昭和四七年『滄浪歌』所収。
2020 12/15 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 玉棚の奥なつかしや親の顔    向井 去来

☆ 神棚くらいに「玉(魂)棚」は取っていいだろう。神棚のわきに正月に限って新しく設ける玉棚もあるけれど、意味は神棚にほぼ同じい。日本の神は、ほとんど先祖神の意味にも同じいのだから。
「追悼」の意はこの句から容易に汲みとれる。近代の歌ほど深刻の表現ではないが、おそらくこの「追悼」には、なにか事あらたまってのハレの感情も加わっているのかも知れない。日本人が「おめでたい」とものを思うような日に起きがちな「なつかしや」の気持ちでもある。
死ぬことをおめでたくなると言う土地もある。亡き「親」は、もう神に近い存在になっている。作者は言うまでもない松尾芭蕉の高弟。

★ いくそたび母をかなしみ雪の夜
雛の座敷に灯をつけにゆく    飯田 明子

☆ 「かなしみ」には、愛しみと哀しみとの重ねを読みたい。どこにも「母」がもう故人であるとは無いが、母が遺愛の雛を座敷に飾っている人自身が、もう娘をもった母なのだと読める。私はそう読む。
母がなつかしく、だから愛しく、かなしく、日のあるうちから繰返し思い出されてならなかった。そして雛祭りの夜も更け、幼い娘たちはもう床に入って座敷 に灯は消えていたのだが、やはり母のことが思われてならぬままに作者は、ひとり「母」と声なき会話をかわしたくて、座敷へそっと「灯をつけにゆく」のだろ う。
事実は知らぬ。説明がましいことをつい言いたくなるほど優しい、しつとりと流れる調べの、いい歌だ。 昭和五〇年『唖狂言』所収。

★ 庭戸の錆濡れてありけり世にあらぬ
父の家にして父の肉われ    河野 愛子

☆ 昭和四七年『魚文光』所収の、渋い味わいに言いがたい魅力のある歌。
雨のあとでもあったろう、「庭戸の錆」が「濡れてあ」る亡き父の家へ、その家に今は住んでいない作者が、しばらくぶりにでも訪れ寄ったか。こういうとこ ろは、読者も、歌の状況へ想像の視線をこまやかに走らせて欲しい。この作者の視線は敏感に、かつ個性的にモノをとらえている。「世にあらぬ父の家」では、 もう、あのよく行き届いた父の目ははたらくべくもなく、ふとしたところに父非在の現実が致しかたなく目につく。「父の肉」であると痛感できるような娘なれ ばこそ目につく。それを誰に訴えもならぬまま作者は、今ぞ身にしみて「父の肉われ」と胸の底から歌わずにおれない。
せつない死者との共感であり、身に痛い喪失感に思わずたじろぎそうな追慕である。「われ」という異例の歌いおさめがよく利いている。

* 歌をよみながら、ほろと、熱く涙した。しかし、此の俳人も歌人らも、父を慕い母を恋い「しあわせや」としみじみ想う。
わたくしたちの行方も安否もしれない娘は、今、どこでなにを想い、どうしているのだろう。
2020 12/16 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ お父様 ほんとは一番愛されたと
姉妹はそれぞれ思っています    利根川 洋子

☆ この一首に出あったとき、私は、女学校のしずかな校舎でふとつつましやかな合唱の声を聞いたような心地よい微笑に誘われた。なまじな説明を一切要しない、しかもこれも「うた」には相違ない。佳い歌だと思う。
「お父様」で、一字分あけた表記も利いている。感傷に堕していない短歌表現の妙味を汲む。 「かりん」昭和五八年五月号から採った。

★ 亡き父をこの夜はおもふ
話すほどのことなけれど酒など共にのみたし    井上 正一

☆ 十分の出来ではない。だが「うったえ」は強い。第三、四 句の大きな字余りに難があるのではない、ここは、うち口説く感じがそれなりに調子づいて出ている。私が不十分と読むのはむしろ「おもふ」三字の含蓄の薄さ だ。ここはもっともっと切実な心の嘆きや寂しさが的確に表現されて欲しいところ。こういうことを作者が「おもふ」のは、よくよく生き苦しく辛く寂しい事件 がこの日にあったのだ、Tが、男の世界ではそれをどこへ訴えることも成らぬ場合が多い。
あんなに邪魔に思い煙たく感じていたおやじの顔が、そんな「夜」はふッと目の底をはしる。酒がのみたいなあ一緒に。「父」なればこそ、何をことさら話し 合う必要もなく励まされも慰められもするだろうと、作者は、やっとやっと「父」を全身に感じている。 昭和五三年『冬の稜線』所収。

* この井上正一の歌には、泣かされた。どう取り返しようもない悲しさに泣かされた。 2020 12/17 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 子を連れて来し夜店にて愕然と
われを愛せし父と思えり    甲山 幸雄

☆ 「愕然と」が、とくによく利いている。これはもう「悟 る」というに近い、「突発的な自覚」なのだ。真実思い当たったのだ。だから下句のナマな物言いにかえって率直な面白い効果がでて来る。まこと、「子をもっ て知る親の心」であったろう。あああの「父」ったら、いつも心のよめないむずかしい顔ばかりしてウンザリだったけれど、あれと同じ顔をいま、俺もしている じゃないか……その俺にして、夜店に連れ出したこの子が内心可愛くてならない、のなら、「父」も…そうだったのか。俺を「愛」してくれていたのだったか。
ちと面映ゆいが 微妙に心嬉しい一瞬にふれ、胸も暖かくなる。短歌は、斯く歌いたい。 昭和四五年『ひたいと耳』所収。

* 35年も昔のわが著書ながら、並ぶものない、「読みの名作」と読者からほめて戴いた嬉しさがいまも熱い。創作のほかで胸にしみいる本をと望まれたら、今も躊躇わずこの一冊を選ぶ。まだまだ先があります。味わって下さい、こんな剣呑な時節なればこそ。
2020 12/18 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ これひとつ生母(はは)のかたみと赤き珊瑚
わが持ちつゞく印形(いん)には彫りて    給田 みどり

☆ 昭和三九年『むらさき草』所収。 「生母」は「はは」と 読んであるが、「せいぼ」と字余りに読んでかえって「赤き珊瑚」の句座りに旋律感が匂う気味もある。生みの母をよくは知らない、ないし覚えないで成人した 作者のかなしみ。満たされざりし愛が愛を呼んで、ひとつの印形(いんぎょう)に凝った。母から貰い受けたものは珊瑚「だけ」でなかったのだ、女らしい優し い「名」もあったのを、作者はいとおしむ思いで言外に歌い籠めている。
給田先生は 私を母かのように愛して下さった京都の新制中学時代の先生。短歌づくりも教わった。読書も教わった。夏休み中のある日に、ふっと家のまえに 立たれ、私を、奈良の薬師寺と唐招提寺へ連れて下さった、お寺にも仏像にも、解説めく何ひとつも無しに。しかしあの日のそれは多くを私は覚えている。あの 日にも幾つも私は歌を創った。

★ この鍬(くわ)に一生(ひとよ)を生きし亡き父の
掌(て)の跡かなし握りしめつつ    佐竹 忠雄

☆ さきの歌の「印形」と同じ象徴的な意味が、この歌では 「掌」の一字に凝っている。「手」から「手」へ、人の営みの意味も実績もが伝え継がれて行く。必ずしも父の農業を子も継ぐとは限らず、もうすこし内面的な 受け渡しが「手」や「掌」を経て成される。だからこそ、思わず「握りしめ」るのだ。 「多磨」昭和二一年二月号から採った。

★ 明珍(めうちん)よ よき音(ね)を聞けと火箸さげ
父の鳴らしき老いてわが鳴らす    藤村 省三

☆ 初句は、「この火箸はモノがいいんだよ、明珍の作なんだ よ」という直接話法。「明珍」は具足鍛冶師で、他に火箸や鐶や鈴(りん)など茶道具の名品も多く製した作者の家名。金の含量が多めで、チーンチーンととて も佳い音色がする。今は亡い父の自慢の品で自慢のしぐさだったのを、いつとなく年老いて自分も、そっくり踏襲しているのだ、苦笑いの内にも、感慨深いもの がある。
作者のまぢかで自慢の「しぐさ」に小首をかしげているのは、はたして子か、孫か。
私も子供の頃、叔母の茶室で実はよく鳴らして遊んだもの。 「国民文学」昭和五〇年八月号から採った。

* いい思い出が、じつに無尽蔵にある。そういう一つ一つは、言い換えれば私が多く愛されていたということ、それを、今にしてしみじみ思い当たるのでは、疎いなあ。
2020 12/19 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 春の日に人はゆらりと土橋(どばし)すぎ
父の在処に雲雀はうたう    村松 静子

☆ 作の事実には背くのかも知れないが、敢えて想うまま読み たい。「在処」は「ざいしょ」でもよく、しかし私は「ありど」と読んだ。雲雀うたうのどかな現実の村里に、父は生きて今も健在なのではなく、父の魂ははや 昇天して、現実にはその父の葬列が奥津城(おくつき)へゆっくり向かっているのだ。晴れた春の日だ。
「土橋」は、死んだ者と死なれた者との「在処」を分かつ境界。「ゆらりと」に、人手に運ばれ境の橋を渡されて行く死者の柩の重さが、みごとに表現されて いる。絵か夢かを見るようなこの暖かい描写に、父の死後を祈る愛がにじみ出ている。 「かりん」昭和五八年五月号から採った。
2020 12/20 229

* 湯に漬かったが、湯に当たったか気分悪くなり寝入った。かろうじて、夕食はしたが、このまま寝る。八十四歳の最期の日を元気なく見送ることになった。明日が今年の冬至かどうか分からないが、八十五度目の誕生日。気をあらたに、元気も新たに何事もなく迎えたい。

八十(やそ)四枚五枚かさねて歳の葉の
彩(いろ)映えばえと散り初めにける    南山宗遠
2020 12/20 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 夏は来ぬ昔伽耶山の眉の月知らざれば遠き母のまぼろし   馬場 あき子

☆ 正直のところこの歌がいい歌なのかどうか、私に自信のも てる判断はない。歌われていることも、的確に分かっているわけでない。しかもこの歌、「母」を知らぬ私には、忘れがたくいつも口をついて出る。唐突な「夏 は来ぬ」の、一首にしめる必然はつかみおおせない。「夏は夜、月のころはさらなり」か。そこに遠く喪失した「母」初原のイメージが結ばれて行くのは、私自 身の実感でもある。実感に添うて感慨をつよく喚び起こす歌。
理についた解釈ばかりが大事なのではあるまい。琴線に触れる。それでいいと思う。この歌人の作で心惹かれるのは、いつも、こうした「母」の歌である、私には。出会いであろう。 昭和五四年『雪鬼華麗』所収。今ひとつ挙げたい。

★ 母を知らねば母がくにやま見にゆかん
ほのけき痣(あざ)も身にうかぶまで   馬場 あき子

☆ 魅力は下句の「ほのけき痣も身にうかぶまで」に尽くされている。愛以上のほとんどこれは「恋」である。他の言葉に置きかえての翻訳や説明を拒絶した、絶対にちかい表現になっている。それでも分かる。私は「詩」とはそうしたものでありたいと思う。
機械的に言葉の解説力に頼った詩歌の拙い翻訳や現代語訳を、だから、私は嫌う以上に憎みさえする。それは「詩」の、「言葉」の暴力による扼殺である、本歌取りの創作ならばまだしも。 昭和五二年『桜花伝承』所収。
2020 12/21 229

* 昨夜はとにかくも寝入った、幸いに重苦しさ無く、九時半に目覚めた。祝いの朝食を夫婦二人と「マ・ア」とで。 その間にも、お茶の先生をされている吉田宗由(真由子)さん、豪奢に幾色もの薔薇の大花束を贈って下さる。
また世界ペンの堀武昭さんからもケーキを戴く。幸せ者である。

妻が用意の赤飯、そして純米の越乃寒中梅で盃をほす。

八十(やそ)四枚五枚かさねて歳の葉の
彩(いろ)映えばえと散り初めにける    南山宗遠
2020 12/21 229

* 『奥丹波』という「うま酒」の名を識ったのは、頂戴したからで、芝田道さんからであったろう、 06 02 26の日付で こんな戯作が家集『亂聲』(湖の本 134)に遺っている。

雨降り冷え冷え ひなあられ 白酒いやいや 奥丹波 辛口ひたひた 富士夫作 刻銘「花」とよ ぐいと呑め つち色くろぐろ うまざけの さかなはなになに 菜種あえ 雛にもそれそれ めし上がれ 蛤汁(はまつゆ)あつあつ 弥生を待つ待つ
2020 12/21 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 墓石の裏も洗って気がねなく
今夜の酒をいただいておる    山崎 方代

☆ 親の墓なのだろうか。「いただいておる」という表現にそう読みたい気分がある。しかし実は吉野秀雄の挽歌だった。「短歌」昭和四二年十月号から採った。
いわば師父の慈愛でありいわば弟子の敬愛である。生死の境を超えた対話があって面白い。このまま、ここに置く。

★ たふとむもあはれむも皆人として
片思ひすることにあらずやも

今にして知りて悲しむ父母が
われにしまししその片おもひ    窪田 空穂

☆ 昭和二六年『冬木原』所収のこの歌をはじめて知ったと き、私は、横びんたを張られた思いをした。「片思ひ」三字に見抜かれた、おそるべき真実。愛というも恋というも、尊敬といい思慕というも、本質においてど こか「片思ひすること」ではないのかという認識。その認識の上に立って第二首めを読むとき、私は重い首を垂れるしかない。
わが親の、子へ、まぎれないこの自分へ傾けてくれた愛は、みんな親から子への「片思ひ」だったか。いや、子の我の心なさで、力ずくその海山の愛を「片思ひ」と同じ結果に終わらせたのではなかったか。
作者は親として、父として、今、その「片思ひ」をしていればこそ、痛切に亡き親たちの心が分かるのだ。世にありとある親はそう思い、世にありとある子も、いつかきっとそれに気がつく。
人間のすることは、いつも、なにかから、一歩も二歩も遅れている。

* 空穂(うつほ)の歌に泣けないような人間でいたくない。
2020 12/22 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 百石(ももさか)ニ八十石(やそさか)ソヘテ給ヒテシ、
乳房ノ報(むく)ヒ今日ゾワガスルヤ、
今日ゾワガスルヤ、
今日セデハ、何(いつ)カハスべキ、
年モ経ヌべシ、サ代(よ)モ経ヌベシ。

☆ 「親への愛」 この項の最後に、いわゆる「和讃」のなかから、比叡山所伝の「百石讃歎(ももさかさんだん)」をえらんでみた。
文字どおりの、深い歎きである。気がついていて 為すあたわない嘆きである。
なんという、なんという愚かな私だろう……。
生みの父母には顔も知らず死なれてしまった。
(一九八○年代後半の現在=)八十路を超えて生きにあえぐ育ての老父母たちは、遠く故郷(京都)にうち捨てて顧みていない。 胸の内に、すでに地獄が在る。
2020 12/23 229

* このまま棄てちゃうかと、一山に括った荷を物置から出して、自身の原稿や作の初出誌や初出本だと気づくと、「待てよ」となる。今にして「寶」のようなモノが束ねてある。ウーンと、参ってしまう。
朝日文芸文庫が今も刊行され続いてるか知らない。新刊ピカピカの岡井隆編著『現代百人一首』が混じっていて、まちがいなく私も「百人」に加わり「一首」 を採られて、岡井さんの感想や批評が添っていた、記憶はしていた、本が何処にあるかは忘れ果てていたのだ。読み返してみると、面白く、興深く、なにかしら たしかに「歴史」を成している。
釈迢空の「たゝかひに果てし我が子を かへせとぞ 言ふべき時と なりやしぬらん」を第一首に、斎藤茂吉の「あかがねの色になりたるはげあたまかくの如 くに生きのこりけり」を第百首に、百人百首が読み出せる。第四十首に俵万智がいて、私は第六十首にいる。第八十首に斎藤史がいて第二十首に大橋巨泉がい る。もう亡くなってしまった懐かしい、今も若々しい歌人の名がたくさん採られてあって、これはとても棄てていい一冊ではなかった。

* 「初出」本というのは、当人には{個人史}的に、時に{研究者には論考のベース}になる大事な用の残ったモノであり、一作家一批評家が生涯の「稼ぎ」 の種だったモノ。ことに私のように百冊も単行本の類を出版していても、一冊一冊が地味で「稼ぎ高」に大きく寄与しては呉れないが、出版百冊分のいちいちの 原稿枚数への原稿料積算となると馬鹿にはならない、現に私はこの老境をほぼゆっくりと好きに生活していられる。初出原稿というのは「書き手」にはそれこそ が「稼ぎ」なのである、昔風には原稿用紙一枚の原稿が数千円という具合に。
2020 12/23 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 捨てかぬる人をも身をもえにしだの
茂み地に伏しなほ花咲くに     斎藤 史

☆ 「え にしだ」に「金雀枝(えにしだ)」と「縁(えにし)」の重ねを読み、しかもここは地縁や職業の縁であるより、重い血縁の思わず地に伏すほどの「茂み=しが らみ」と読んだ。一首の高揚は、むろん、それでも「なほ花咲くに」の感慨に在ろう。ここにこの詩人の不屈の人間愛がある。「捨てかぬる」のである、重い思 いには遁れようもなく相違ないのだが。
姿、調べ、思い、滞ることなき「表現」の美と質感である。 昭和五一年『ひたくれなゐ』所収。

★ 傘を振り雫はらえば家の奥に
父祖たちか低き「おかえり」の声    佐佐木 幸綱

☆ 私らが子供の頃から遠く仰ぎ見て、海山の学恩も被った佐 佐木信綱。そのような欝然たる大家を祖父にもった人の作とは、敢えて考えないでこの一首を読む道もある。「父祖たち」というほど、切実にいつも大きくは考 えていないにせよ、大なり小なりこれは「子孫」が共有してきた「家」の威圧であり、安堵であるからだ。
「家の奥」が、つよいイメージを持ちえている。
「おかえり」にも象徴的に重く強いる響きがある。こわいと思い、うとましくさえ感じ、しかもいつの間にか「おかえり」と家の奥でつぶやいている、自分。 自分はそうはならぬと言うは易く、だが逃れられない呪縛に安住もし服従もする日がやがて来る、そのおそろしさへ 早や断念すら兆している。「傘」「雫」 「振り」「はらう」も、ある日の作者の状況というだけでない、しとっと重く湿った余儀ない心象への「縁語」と読むべきだろう。 「短歌現代」昭和五七年三 月号から採った。
2020 12/24 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ こころ濡れて親族は垣つくれども
われはさぶしゑ父に価(あた)はねば     岡井 隆

☆ 単に「父と子」との関係が孤立して在るのではない。まま、親族に囲まれてそれは在る。葬儀や法事の際にはそういう垣根が堅固に目に見える。捨てかねる「えにし」の輪だ。
いやおうなくその輪の中で、垣の内で、子は父との「相い対」を強親族や知人らから強いられる。容赦ない比較の視線を浴びる。浴びなくとも浴びる気がする。
人の世を「親族」として羽翼を張ろうとする隠れた意向は、まだ、個人の行動や思想をすら制限している。この歌の「こころ濡れて」では、おそらくは垣内ら が挙って「父」をいたむ情緒がいわれているのだろうが、「親族」なるものの濡れた、ウェットな結ばれようもこの一語で批評されていよう。
それにしても「われはさぶしゑ」には、賛成しない。あつあつの飯に冷や飯が混じったような白けがのこる。いっそ「俺はさびしいぞ」とぐらいに率直に歌って欲しい。また上句、「垣を」と一字送って欲しい。 『人生の祝える場所』所収。
付け加える、「価はねば」には、人、男同士としての値うちばかりが謂われているのではなかろう、「子」として父に対しふさわしい懐かしい自分であり得たろうかという慚愧の念にも傷むことであろう。私は、実の父の死に顔をほとんど生まれて初めてみたのだった。
2020 12/25 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 家族とも言えど異なる部屋に居て
人はひとりで生きているなり    冬道 麻子

☆ すぐれた歌だと思う。何の説明の要もなく、大きなことを しっかり口にだして教えられた気がする。事実はこの歌のようでないという感慨も私にはある。その感慨に立ってこの歌を読めば、一首は毅然と人間の自立を勧 め、癒着しがちな「家族」なる関係過剰を本質から批評しているようにも読める。銘々に「ひとり生きている」現実を、力づよく肯定していると読める。
だがまったく逆に、分裂し分散した「家族」の現実を批判しているとも取れる。あるいは表面は癒着しながら、実情はみなバラバラに「異なる部屋」を心に持ち、「ひとり」に閉じ龍もつていると批判、または批評しているのかも知れぬ。
「家族」について日本では、まだ一般には思索も反省もはとんど行き届いていない。「現代」がそこまで成熟しないまま「風俗」ばかりが疾走して行く。
まだ年若いといえる作者は、想像を越えた重病の床から、そういう「日本」を澄んだ目で見つめている。どう読むかは、読者が問われている、のである。 昭和五九年『遠きはばたき』所収。

★ 家族とふ毒を煮つめて吾ら居れば
赤の他人来て清く呼ぶ声    佐々木 靖子

☆ 「家族」をうたった詩歌は、例えば「子」への愛を歌ったそれとは、様子がだいぶ異なる。「親」を歌った詩歌にも愛憎の思いは交錯するが、そこには他人に成りようがない宿命とあらがう感情が濃い。
これが「家族」という単位に拡大されると、ここに「他人」の要素が利害からんで毒の味を生み出す。「夫婦」ももとは他人なら、「兄弟」は他人の始まりという警句もある。しかも「赤の他人」というほどに割り切れた道は望めない。親族が加わればもっと毒の味も濃くなる。
「家族」の愛は清いものと限らず、修羅と相剋の渦に毒気を煮つめている場合、少なくない。そういう渦のさなかへ何げない「赤の他人」が舞いこんできた時の銘々の反応やいかに。
この歌が実際にどんな状況を具体的に歌っているのか私は知らない。知らないから自由に想像しても読める。読者である私の、それは権利である。
この「家族」に例えばお嫁さんが加わって、ほがらかに甘い調子で新婚の夫を呼んでいるのではないか。「家族」の歴史も癖も利害も良いも悪いも、およそ何 ンにも知らないで来た新参の「他人」の、無責任とさえ取れる屈託ない「声」に、一同バカらしいハラ立たしい、だがいちまつホッと心和む思いで、すばやい目 まぜが交錯する。
凄い、が、そういうものかも知れぬ。 「人」昭和五八年十一月号から採った。
2020 12/26 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌(て)よ
ざんざんばらんと髪とき眠る     河野 裕子

☆ もっとも豊かな感性で現代の女歌をリードしている若手の 旗手。『森のやうに獣のやうに』で注目を浴びて以来の活躍はめざましい。一瞬に金無垢の炎と燃えあがれる語感の魔を秘めている。歌のなかで火の玉になって しまうような歌人はそういない。この歌など、他に余分な何を言うこともない。 惜しんであまりにあまりある足早な生涯であった。 昭和五七年『あかねさす』所収。

★ 起き出でて夜の便器を洗ふなり
水冷えて人の恥を流せよ   斎藤 史

☆ 友らに、父に、母に、夫に。多くの最期をすべて目をそむけることなく見据えて来た、毅い詩人の愛の歌。「水冷えて」の一句に籠もる清冽の詩魂を汲み たい。「冷え」はふつう心理的には負の印象に結ばれ易いのだが、ここでは「便器を洗ふ」「恥を流」すという意図に応じて、極まりなく清く、清まわる印象を 喚起し、ほとんど呪術的効果を挙げている。結びの句の祈願に愛がほとばしる。何の奇矯な字句も技巧も用いずに、心から溢れ出る「うったえ」を果たしてい る。
蕪雑に言語と文字とをあたかも玩弄して得意顔の無感動現代短歌の数々は恥じよ。
言葉を生かして、詩化して、深く感動して歌わねば 「うた」には成らぬ。 「短歌」昭和五九年七月号に引かれていた歌を採った。

* 与謝野晶子はともかくとして、わが近代短歌史の女性歌人として、斎藤史と河野裕子とは 忘れてはならぬ。
2020 12/27 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 夜半にさめ涙ながれぬ夫(つま)や子と
生きたき希(ねが)ひせつなくなりて    前山 潤

☆ 直ちにこの表現ひとつで佳い歌とは思いにくい。読者は言外を汲んで想像力を用いるしかない。たとえば作者は重い病気で、生命の危機に今あるのだと。危機感を共有することが深ければこの一首に同情を寄せるのはたやすい。
「夫や子と生きた」いとひしと願われる思いには、自身の悲しみを越えて妻を死なせ母を死なせる夫や子の悲しみが、先取りされている。そこを見落としては甘くなる。
表現は稚拙だが、「うったえ」る力はある。どう技巧的にうまくても、この「うったえ」の力ない歌は心に残らない。 昭和十六年『前山潤歌集』所収。

* 金庫番だけが自慢の二階の旦那
愚の字愚の字の莞爾の鼾
うすらバカづら吠えづら晒し
鼻息あらくもアダ夢の間も
かかえた梯子が二階の命
だれか外せとヘボ番頭ら
くやしまぎれで自棄にも酒が
只で呑みたい二階の旦那
仰せは何でもハイ御もっとも
自由も民主も気ままのお肴
世間のヤツらはただ出汁昆布
二階座敷で梯子の只酒
それこそ旦那のお振舞ひ
寝ちゃ食ひ食ちゃ寝て会食つづき
これこそ政治よ心得おれと
二階の旦那はテンから金持ち
ハハァ ヘヘェ と 梯子の神代へ
柏わ手うつうつ 打たぬは居らぬ
大番頭もガースーと 鼾も真似てのお諂ひ

令和は三年 誰もが惨念 成らぬ忘年 怖(お)ぞや来年

☆ ひるかへす心のおくの苦しさは人にかたらむ言の葉もなし 大正十年  山縣有朋

* 私まで 愚痴の垂れ流しに。情けないです。有朋家集『椿山集』は、読み返すつど、清々。
2020 12/28 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 石斑魚(ゴリ)鳴いて母と娘の浴(ゆあみ)哉    池西 言水

☆ こういう光景は一生に一度も見られない世の中になって来た。佳いものだろうなと想像され、心懐かしさに採った。「石斑魚」はいわゆる「かじか」のこと。だから鳴く。清い山川の瀬音も響いて来る。江戸時代前期の俳人の作。 『遠眼鏡』所収。

★ 我にあまる罪や妻子を蚊の喰らふ    吉分 大魯

☆ 与謝蕪村の弟子。「妻児が漂泊ことに悲し」と詞書があ る。数奇の後半生を送った人で、家族にも重い負担を強いねばならなかった。真実味のある句で、しかも余裕がある。いや余裕と取るのはやはり酷なので、作者 のまごころには、妻や子を蚊が喰うすら己が大罪に感じられるのだ。「我にあまる罪」とは、背負い切れない罪であり、どうにもしてやれぬという無力感と大罪 責とを共に言い籠めている。 『蘆陰句選』所収。

★ 諸共に住めばかしまし
諸共にすまねば寂しうたて妻子(めこ)ども    大隈 言道

☆ 江戸時代末期の歌人。「妻子」と題がついている。「うたて」は、「あーあ、どう仕様もない」慨嘆。述懐歌、まぁ、率直なだけが取柄。近代短歌のはしりとも言えよう。 2020 12/29 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 霧立てる秋の夜なり弟よ
いにしえびとは〈わが背子〉と呼びき    日吉 那緒

☆ 萬葉集のいくつかの歌、たとえば大和へ帰す大津皇子見送った姉大伯皇女の「わが背子を大和へやると小夜ふけてあかとき露にわが立ちぬれし」といった歌を作者は十分念頭に置いて、「弟よ」と呼んでいる。大津皇子の時はまさに死地にやるのであったから、いたましい。
この歌にそこまで読んでいいか、いとも平和な 「かりん」昭和五八年二月号の発表歌だから、そうまで読み切れない。そのかわりいろいろに場面は想像が利 く。十代の姉弟、二十代、三十代の姉弟で情感も大いに異なってこよう。が、古典趣味の優しい諧謔に、溢れる愛情を託したと取ることは出来よう。
むろん内心に呼びかけているので、「弟」へ、こう言葉を直かに用いているとは思わない。弟がどこかへ旅立つ間際の歌と本歌からして取るべきならば、たんなる夜発ちの若者らしい現代の旅行とも、戦地へとも、いやいや取り返しつかぬ挽歌とすらも十分読める。
作者を離れ一首の歌をいろいろに読み込むことは許される、節度と自由ある読者には。愛する「弟」をもった「姉」たちは、この歌をさまざまな状況に応じて共有していい。

★ 陽をあびて畳にねむるおとうとよ
青年となりよき恋をせよ    正古 誠子

☆ ふっと口をつぐませる歌だ。なにか言いかければ、この歌 の佳い余韻を殺してしまいそうだ。深読みせず、この言葉どおりに、それもつとめて生直(きす)ぐに健康に私は読みたい。上句の「おとうと」の姿態を、「青 年」以前のけがれなさ健康さで作者とともに受け入れたいからだ。
力のある歌いかただ。 昭利五七年『あけぼのすぎ』所収。
2020 12/30 229

八十(やそ)四枚五枚かさねて歳の葉の
彩(いろ)映えばえと散り初めにける    南山宗遠

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 初めてのわが口紅に気づきしか
口あけしまま見入る弟    中島 輝子

☆ この歌も、言葉に表れているかぎりでは説明も解釈もな い、簡明な作だ。ただの写生的な歌だ。だが「姉」が「初めて」「口紅」をひくという事は、そんな姉を呆然と見る「弟」とは、それが即ちもう人生の劇であ る。かりにこの弟がもういくつか年若ければ「口あけしまま見入」ったどころか、姉の「口紅」になど気もつかずじまいだったろう。もう少し年が行っていて も、こうは驚くまい、ひやかす位が関の山だったろう。
この歌で「姉」と「弟」とは、微妙に出会い しかも離れ始めたのである。「口紅」をひいた「姉」は、もはや「弟」だけの姉ではなくなっている。そう弟も姉も気づき始めた歌。
この歌が只事歌と見えながら心を惹くのは、その微妙なドラマのためだ。作者の意識より「歌」の方が先へ行って大きくなっているのかも知れぬ。 「ぬはり」昭和二六年八月号から採った。

★ 窓によりて夕となれば笛を吹く
妻の弟をさびしがりける    前田 夕暮

☆ この前の、中島輝子の歌の「姉」が人妻となってしまったあと、あの「弟」が「笛を吹く」のだと読んでみても、佳い。そういう「弟」でかつてこの歌の作者もあったか、すくなくも「妻の弟」の憂鬱が理解できる作者だった。
「笛を吹く」青年は何かを待ち、満たされぬ期待を胸のうつろに抱いている。メランコリックな青春の放心。一人の姉を人の妻にしてしまった弟の、そんな無意識の喪失感を当の姉の夫が察している。いたわり深い、内懐も深い一首。
この歌、「窓によりて夕となれば笛を吹く」だけでもまた別趣の、あえて俳句とは言わぬが、十分独立した詩句になる。 作者の著名な処女歌集明治四三年『収穫』所収。

★ 煙草ひと箱くれてやりしが何時までも
燈が点りゐる弟の部屋    佐藤 博

☆ 作者の言いたいすべてが、残りなく歌い切れているのでは ないか。そう思うほどこの際の「兄貴」と「弟」との、佳い歌になった。この際がどういう中身の「際」かはいろいろ想像してよいが、歌の芯は場面が変わって も揺らぐことはない。励まして「煙草ひと箱くれてや」ったのか、恵んだか、そそのかしたか、いずれ青年同士の兄と弟。「部屋」で、弟が今ほんとは何をして いるのか分からない。「何時までも燈が」ともつている、それだけを「兄」は知っていて、それだけで他人のうかがい知れぬ多くを「弟」の上に察している。満 足もし安心もしている。
ものがよく見えているためか、歌に律動する快感がある。 「国民文学」昭和二九年八月号から採った。
2020 12/31 229

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