ぜんぶ秦恒平文学の話

詩歌 2021年

 

述懐  恒平・令和三年(2021)正月

* ここに「恒平」三年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。

橋一つ越す間を春の寒さかな        夏目成美

枯れゆけばおのれ光りぬ冬木みな     加藤楸邨

日の春をさすがに鶴の歩みかな       榎本其角

朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 種田山頭火

黛を濃うせよ草は芳しき            松根東洋城

手は熱く足はなゆれど
われはこれ塔建つるもの           宮沢賢治

ゆく水のとまらぬこころ持つといへど
をりをり濁る貧しさゆゑに      若山牧水
(私の場合、こころ貧しさのゆゑに 秦)

来年もよろしくと妻に頼み入る         恒平

寒ければ寒いと言つて立ち向ふ       恒平

これやこのいのちのはてとおもひしか
さもあらばあれ「いま・ここ」を生く   恒平

蓬莱山
初日萌え鶴秀に立つて松の春

山口薫・畫                 土牛・畫 部分
牛になってみたい時があった。
2021 1/1 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 売れ残りしそこばくの菜を包みをり
遣る吾も貰ふ妹もかなし     本林 茂子

☆ 昭和二四年という戦後の窮乏を読み込むべきか、いつの時代にもおし広げて読んでいいか。読者しだいでいいだろう。「遣る姉」と「貰ふ妹」との状況が前の「煙草ひと箱」の歌より、ずっと厳しい。
姉は稼ぎ、妹はまだ家にいる娘かも知れず、だが妹ももう人妻の身上なのかも知れぬ。どっちにしても暮しの負担が時代の重さ苦しさとなって二人の肩にかかっている。
「かなし」の結びが低声に小さいのがいたましく、姉妹の気持ちの裏には、おそらくは親や子への貧ゆえの傷心もひそんでいよう。 「国民文学」昭利二四年十二月号から採った。 大きな雑誌の巻頭歌群に、これほどの真率な歌がもっと出て欲しいもの。

★ 朝はやく
婚期を過ぎし妹の
恋文めける文を読めりけり    石川 啄木

☆ 聡い兄には、妹の状況も心理も「うったえ」もみな見えて いる。しかも突き放してしまわず、そうと知りそうと見えつつ手紙を「読」んでいる。「朝はやく」から読んでいる。なにも特別の物言いはなくて、けれども妹 を抱擁する大きさはちゃんと備えた歌。私はこういう歌を、啄木の実の妹や当時の伝記的実況とからませて是非読まねばならぬとは思わない。兄妹の普遍的な係 わりをより大事に捉えたい。 明治四三年『一握の砂』所収。

★ クリストを人なりといへば、
妹の眼がかなしくも
われをあはれむ。    石川 啄木

☆ 明治四五年没後の『悲しき玩具』に所収の、作者最晩年の歌。晩年といっても二十代で死んで行った樋口一葉と同じ、まだまだ若い惜しい天才詩人だったが。
この歌を読むと反射的に思いだすのが、第一歌集『一握の砂』の昔に、なお若き日々の友を思い出して作っていた、この歌。

神有りと言い張る友を
説きふせし
かの路ばたの栗の樹の下

☆ 「神など無い」と「説きふせ」たのだろう。その作者はやがての死を身に潜ませながら、「クリストは(神でない)人」だとなお言い放つ。だが黙ってそ んな兄を見守るだけの妹の視線に、作者はいくらか動揺もしている。「かなしくも」「あはれむ」という直接の感情語がむしろ自分自身を批評している。そこに この歌の重い意義もある。「手」を人の身に置いて悩みや痛いを癒しえたのはキリストだった。そういう「手」の力が信じたくて、「ぢつと手を見」て、かつそ の手にもどの手にも救われる事のなかった作者啄木。
『一握の砂』の頃なら兄が妹を「かなしく」「あはれ」んだろう。『悲しき玩具』の頃には、妹の愛憐にこの兄は無意識に心濡らしている。そんな気がする。
2021 1/1 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 兄の持つ手帳の中に
嫁がざるわれの写真のはさみてありぬ   入江 真知子 *

☆ 「兄の持ちし」と過去形ではなく、健在なままにある日思いがけず思いがけぬ写真を見つけてしまったものと思われる。「お前の好きにしていいよ」と慰めつつも日ごろ心にかけ、人にも嫁ぎさきを頼んでいてくれたか。そう、さらりと読みたい。
歌としては工夫も巧みもない尋常過ぎるほどの一首だが、愛は深い。 「アララギ」昭和四三年四月号から採った。
2021 1/2 230

* 俳句なら。短歌はつくるに難しいと云う人が多いが、逆だろう。
俳句の俳味というのは、容易に会得できない難所と、私はむかしから畏怖し辟易してきた。
短歌、和歌は息を吐くように出来る。
古池や蛙とびこむ水の音  という芭蕉句の俳味をほんとうに味わい聞かせてくれる人は少ない。
久方の光のどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ  という紀友則の和歌は、とやかく詮議までもなくことばの流れの美しさ優しさを汲めばほぼ済む。
寝ながらの夢心地でも短歌はその気になれば寝言なみに向こうから寄ってくる。縁語や掛詞もいつしれず遣っている。俳句はじつにむづかしい。

末廣となづけし茶器に袱紗敷く

かたづけぬままが気楽な大晦日

お静かに二日の朝を迎へける

流されつ游ぎつきし(來し・岸)の往きかひやコロナを詛(とご)ふ聲ばかりして

あんたと呼ばれカーサンと呼んで老の坂まだ先がある山みづの音
2021 1/2 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 叔父の遺児引取りて店に働かす
吾もこの年齢(とし)に父を憎みき    針ケ谷 重義

☆ この愛は苦しい。事情を察するのはたやすいが、わが「店」で働かせている甥は容易に叔父の思いに気がつけないだろう、この叔父にして「今」それに気がついたばかりなのだから。「父を憎」んだというのは、おそらく「父」の死とそれに由る孤独とを憎んだのだ。
かつての自分と同じ苦痛を押し殺して働いている甥に、今よりラクをさせてやる余裕もすべもない叔父のつらさが、よく出た。 「短歌研究」昭和三〇年八月号から採った。

★ 心許す人無きままに守銭奴と
言はれつつ叔母は長く生きたり    東村 鈴子

☆ 小説にしてもいい。しかしまた、小説に長く書く必要なしに、これで言い尽くせていてよく首肯けもする。「長く生き」の文字に私は、ため息のような濃い愛を感じた。伯父ではない「叔母」であることにも首肯けた。
「女」が一人ながく生き抜く厳しさを、私も、同じようにわが「叔母」の上に見てきた。見ているしかないのも、つらいものとも知っている。 「アララギ」昭和五〇年七月号から採った。
2021 1/3 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 安煙草のたびたび消ゆるに火をつけて
血縁を思ふはまことかなしも    上島 史朗

☆ 「火をつけて」で、理の当然として「読み」も「一服」しなければいけないだろう。さてこそ一息おいて「血縁を思ふは」という再度の字余りがつくづく効果を挙げてくる。ほーうッという息の濃さ深さになる。「たびたび消ゆるに」の字余りも面白い。
「血縁」の絆は太いようで、たしかに「たびたび消ゆる」「安煙草」の火にも似て、心細くもある。「火をつけ」「火をつけ」しないでは、つい湿って消えたままになりかねぬ。痛く思い当たる。
事実は、一服の間の「またしても」の感概なのではあろうが、実情を内へ超えた確かな「表現」になっている。 昭和三九年『鈍雲』所収。 上島先生は、高 校時代に愛して下さった恩師、国語と短歌を導いて戴き、休日に、奈良県の「クニ」の都へふらーっと連れて行って下さった。あの小旅行がなくて、『みごもり の湖』や『秘色』が書けたろうか。

★ モザイクのやうにアパートの灯はともり
ふとなまなまし家庭といふもの    和泉 鮎子

☆ 社宅ずまいの頃に、似た感じをもった。が、社宅である事 がかえって感じかたを狭くしていたとも思う。もっと直接にかつ詩的にも「ふとなまなまし」と思ったのは、ソ連へ旅してモスクワのホテルの窓から、大通り越 しに見た高層アパート群の「家庭」の「灯」だった。カーテンのかかった窓がびっくりするほど数すくなかったので、どこかしことなくマル見えだった。
この歌、そう深刻に取らなくていいと思う。「ふとなまなまし」で押さえて受け取った方が、淡い詩情に添えてかえって読後に衝撃がある。「家庭といふもの」への認識など、常は忘れて生きていたのが、「ふと」蘇る。 昭和五九年『花を掬ふ』所収。
2021 1/4 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ つゆしぐれ信濃は秋の姥捨の
われを置きさり過ぎしものたち    斉藤 史

夜となりて山なみくろく聳ゆなり
家族の睡りやままゆの睡り    前 登志夫

☆ 昭和五一年の『ひたくれなゐ』と昭和五二年の『縄文紀』から採って、この項を結ぼう。
斎藤史(ふみ)は「死なれた」ものとして死に行くおのれの運命をあわてず騒がず、「過ぎしものたち」をなお労り愛しつつ見据えている。その比類ない「存在」のたしかさで、この詩人は近代詩歌の歴史に冠たるものがある。
前登志夫の世界は、生者と死者と、生まれ出づるものとのあたたかく育みあう世界。前が命をかけて愛し領じている「山」とは、そういう世界。この作者の「詩」には信仰が生き、信仰の芯に光るものとは、「間」を刻まぬ無垢の「時」であろうか。

* コロナ医療は逼迫し感染者数も重傷者数も画然として数を増している。油断大敵という耳慣れた四字熟語が重く鈍く光る。
小池都知事の経済再生愚相を動かした気働き、この人の聡い行儀と言語力とを推したい、「ガースー」と即刻交替させたいとさえ思う。

* 瘋調・二階節
金庫番だけが自慢の「二階」の旦那
愚の字愚の字の閑事(カンジ)の鼾
うすらバカづら吠えづら晒し
鼻息あらくもアダ夢の間も
かかえた梯子が二階の命
だれか外せとヘボ番頭ら
くやしまぎれで自棄にも酒が
只で呑みたい二階の旦那
仰せは何でもハイ御もっとも
自由も民主も気ままのお肴
世間のヤツらはただ出汁昆布
二階座敷で梯子の只酒
それや旦那のお振舞ひ
寝ちゃ食ひ食ちゃ寝て会食つづき
これこそ政治よ心得おれと
二階の旦那はテンから金持ち
ハハァ ヘヘェ と 梯子の神へ
柏わ手うつうつ 打たぬは居らぬ
大番頭もガー・スーと 鼾真似てのお諂ひ

令和は三年 誰もが惨念 成らぬ忘年 怖(お)ぞや今年
2021 1/5 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 否(いな)と言へど強ふる志斐(しひ)のが強ひ語り
このころ聞かずて朕(われ)恋ひにけり    天 皇
否と言へど語れ語れと宣(の)らせこそ
志斐いは奏(まを)せ強ひ語りと言ふ    志斐媼(しいのおうな)

☆ 『萬葉集』の巻三によく知られた応酬歌である。
志斐の「しひ」を「強ひる」にかけた言いがかりと言いかさねの諧謔がよく利いて、不思議におおらかなものを醸し出す。天皇と、おそらくは宮中に席を与え られていた語部(かたりべ)の老女との、遠慮のないやりとりと聞こえて、しかも物言いに「位取り」の差はきちんと出、親しき仲にも禮は守られている。だか らこそ逆にほのかに、上古の風(ふう)に生きていた「友情」といったものが、快く感じ取れる。
「志斐の」「志斐い」と言い余した所も対照の妙になり、「うた」がこの社会に占めていた人間関係における機能美のようなものをも、まこと姿よく伝えている。言葉の音楽が楽しめる。かくてはこの「天皇」が何天皇であったかの詮議など、由ない話に終わる。 2021 1/6 230

* 岡井隆撰の『現代百人一首』にとられた私の一首にかかわっての、岡井さんの感想文である。懐かしい昔のことだが。

たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは   秦 恒平

今歌をつくろうとすると、手っとり早いところでは新聞の歌壇投稿であろう。新聞歌壇だけでひとり歌作を楽しむひともいるし、そこから進んで短歌結社に加わるひともあろう。後に小説を書くようになった秦恒平は、そのどちらでもなく、ひとりで歌を書いていたらしい。
ここに挙げた歌が示しているように、恒平の歌に一番近いのは、大正期の写実系の短歌だろう。たとえば島木赤彦、あるいはその弟子の土田耕平や高田浪吉な ど。昭和二十八年、十七歳の時の作品だというが、京都の何処かのお寺か社(やしろ)を思わせる、その静かなたたずまい(=高校に近かった東福寺への通天橋 での歌です。秦)に、若い性欲が突然色彩を変える。そして少年の眼に、うっすらと涙が溜まる。どうしようもない性的な悶え苦しみ、そして浄化への願い。 『カラマーゾフの兄弟』で言えばアリョーシャ的なものへの憧憬。それが実に素直に出ているではないか。「おもひの果てを」の「を」の使い方なども、見事な ものである。こういう歌を読むと、歌に新しい古いなどはないのではないか、と思いたくなる。だがやはり歌に新旧はあるのである。ただ作者にとって新旧など
どうでもよい場合がある。かずかずの歌を読み慣れた眼にも、こうした歌が慰めとして存する場合がある。

わぎもこが髪に綰(た)くるとうばたまの黒きリボンを手にまけるかも

という歌を挙げてもよい。十七歳の時の相聞歌である。リボンという外来語を除けば、まるで万葉の歌の模写に近い。それなのにどこか洒落ていて、初々しい。 黒いリボンを手に巻いて、これから髪をこのリボンで縛るのよ、という、この仕種(しぐさ)は、やはり近代の女のものなのだろう。言葉は古く、風俗は新し い。秦はこのあと十年ほど、寡作ではあるが歌をつくり、のちに歌集『少年』を編んだ。二十六、七歳ごろの作品に、

逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の桃のはなちる道きはまれり

がある。女に逢わなければ無論辛いのだが、逢えば逢ったでなおのこと辛いのだという、人間男女の性愛の、千古をつらぬくまことの姿が、民謡調に乗せてうた いあげられている。桃の花の散る道は尽きようとし、それは若いふたりの道の行方でもある。思えば十七歳の時から十年のあいだ、ほとんど歌の調べも歌風も変 わっていない。それなのに十七歳の時の幼い性欲の嘆きと、この桃の花の道の愛の心とは、どこか違っている。

* 歌を「つくり」 それが、小説を「つくる」人生へ自然に流れ込んだ。体験できなくても「創る」のである、創作する。創作者の欲求とはそういうものと想う。それにしても、岡井さんに、懐かしくも心親しく、感謝。
2021 1/6 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 思ふどちまどゐせる夜は唐錦(からにしき)
たたまく惜しきものにぞありける   読人しらず

☆ 「思ふどち」を「思いあう同士」つまり友達と取ってい い。「まどゐ」は「まどか」に「居る」つまり夜を籠めて車座の団らんを楽しむのである。そんな時は美しい「唐錦を裁つ」のが惜しまれるのと同じこと、「席 を立っ」て帰って行くのが残り惜しくて堪らない…と歌っている。『古今集』巻十七の歌でも、古朴な味のあるオリジナルな作。作者の名も知れぬことで、いっ そう歌にひろがりが出る。
2021 1/7 230

* 米上院のジョージア州選挙で、残っていた二議席とも民主党がとり、かつがつバイデン次期大統領の政治運営に見通しがついた。
一方、トランプは、暴徒を煽動し議会へ殴り込みをかけ、死者も出た。
ジョーカーか魔かトランプの塔が建ち
崩れはやまる世界の平和
と詠んだのが 2017年の正月21日だった。
大統領どころか狂気の凶徒としか謂いよう無く、世界史にもまれな馬鹿者と成りはてた。正当な裁判で裁かれて当然と思われる。安倍晋三前日本の総理は、無二の友情だか親分への忠義立てかを披瀝し、牢屋に、何枚もジョーカーを混ぜ加えたトランブ・カードを差し入れますかね。
2021 1/7 230

 

☆ 友の愛

★ めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月影       紫式部

☆ 『紫式部集』に見え『新古今集』巻十六に採られている。 「月影」を「月かな」と変えた形で『百人一首』に入っていることは、ひろく知られている。恋の歌に読めるほどだが、まだ作者が少女の頃、ちょっとした出先 で心親しい女友達の姿をちらと見かけ、あとでと心を残して行き別れたまま逢えずじまいに済んだおりの歌らしい。
友達の姿をちらと見て雲に隠れた月影にたとえている。さすがに屈指の秀歌で、恋の歌にも挽歌にも深読みが利くし、歌柄も大きい。
友情を歌った「歌」もなにも、日本の国には、雪月花を三つの風雅の友に見立てたりする美意識が有りながら、人間同士の「友」としての信頼や愛情を主題に した「表現」が実に少ない。その手の作品を捜すのにいつも苦労する。「親の闇ただ友達が友達が」と、「友達」が悪者あつかいされてしまうお国柄だ。
よくも悪しくも「血縁」に重く、「他人」のなかから真実の「身内」つまりは真実の「友」を見出すのがへたな民族であるらしい。いわゆるフレンドシップは、日本では今も育ち切っていない。
2021 1/8 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 寂しさに堪へたる人のまたもあれな
庵ならべむ冬の山里      西 行

☆ 「またも」は、自分以外にもの意味と取りたい。友情の歌というより、真実の「友」を求めている歌である。「寂しさに堪へた」人とは、譬えていえば「血縁」の重さに引きずられず個我の孤独自立に堪えうる人の意味か。
あかの「他人」と「他人」とが出逢って、しかも真実の「身内」感を頒ちもてるような、乾いた、確立された人間関係をと私は願う。西行の思いがそこまでの ものかどうかは問うまいが、「友」を求める気持ち、フレンドシップの基盤が世の中に無ければ無いほど、渇望に近いものだったろうと推量できる。寄合の藝能 が、茶の湯や連歌など、大歓迎されたのもそういう中世的現象ではなかったか。
この歌は『新古今集』の冬の部に採られている。
2021 1/9 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月    松尾 芭蕉

☆ 『奥の細道』に見えている。これも「友」にまがう淡い感情、風流心が見出した「友情」の句というべきだろう。「遊女と我」「萩と月」が対になっていよう。
「萩」には『風土記』このかた一夜豊産の伝説や女の白い「はぎ」など、不思議になまめかしい印象がまつわる。「袖萩祭文」といった「遊び女」の境涯にからんだ藝能も多い。
「月」にはまた、「花龍に月をいれて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な」といった『閑吟集』の小歌に見られるような「男」そのものの印象がある。
辺陬(へんすう)の茅屋(ぼうおく)に旅と漂泊の男女が一夜を明かした。実事があったというのではない。いやこの句じたいが実の句かどうかも問わない。
まさに風雅の心が誘い合った「友」として彼らは在る。美しい佳い句で、忘れがたい。

* 毎朝のために此の稿をここへ、こう置く。云い知れぬこころよさ、自分の書いた文章という安堵感もてつだい、一服の薬湯を口にする心地。いい仕事をしておいたと、昔がなつかしくなる。
2021 1/10 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ おもしろき秌(あき)の朝寝や亭主ぶり    松尾 芭蕉

☆ 旅の芭蕉が、俳諧好きな男の家をかりの宿にしていた時の、俳諧の道にはつねの、宿主へ「挨拶の句」でもある。
亭主の早起きは、遠慮のある客には気がしんどい、という事もある。秋の夜長の「朝寝」ぐせには、それなりに粋に、夜前からの風流の筋も寮しられる。
「おもしろき」には、そんな「亭主ぶり」をほめてからかう気の軽さがあり、それが俳味になっている。友情にもなっている。
2021 1/11 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 白菊の目に立(たて)て見る塵もなし    松尾 芭蕉

☆ 女の家を訪れた日の、やはり挨拶の句であるが、褒美と賛嘆の情合いは前句よりも深く濃く、どこか恋慕の思いすら漂う。友人の妻の死に遭い、ひそかに吟じたという、

★ あるほどの菊抛げ入れよ棺の中    夏目 漱石

☆ と、どこか通い合う。
芭蕉、漱石 ともに屈指の佳句。
2021 1/12 230

* ときに、とくに薬効を求めるほどでなく錠剤を二、三くちに投げ込むことがある。それと同様の、ま、気休めを、古ーい岩波文庫の『神楽歌・ 催馬樂集』から気ままに一つ二つ目にして読むことで為している。これはもう万葉・古今集でもなく、歌謡や小唄や俳諧とも全然ちがって、時間がはるかな上古 へ流れている世界。まさしく世離れた感触と味覚なのである。ふッと、心静まる。
2021 1/12 230

* 高校校舎の長い廊下の一等西の端へ出ると、京の街が一望できた。きっちりわたしの目の高さで、ま西に、東寺五重塔の高くトンがった尖がくっきり見え た。西山までまおもにくっきり見えた。小雪のとびそうな真冬の寒気に痛いほど顔を晒したまま、よく独りで、じーっと遙かな塔の尖を眺めていたのが、昨日今 日のように思い出せる。市立日吉ヶ丘高校が好きだった。「ああひんがしの丘たかく、松の翠りのわが姿」と歌う校歌も好きだった。学校からすぐ東の山辺に、 泉涌寺があり、「慈子(あつこ)」の「来迎院(らいごういん)」があった。日吉ヶ丘から下みちをやや南へ寄ると、通天橋(つうてんけう)や普門院のある東 福寺だった。岡井隆さんが『昭和百人一首』に採ってくれた短歌はそんな或る真冬日にそこで詠んだ。授業中に教室を独り抜け出しては、来迎院へ、通天橋へと よく通った。
2021 1/12 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 水桶にうなづきあふや瓜茄子(うりなすび)   与謝 蕪村

☆ 無心のものに心ばえを見立てた句と読んでも十分面白い、が、「青飯法師にはじめて逢けるに。旧識のごとくにかたり合て」という説明もあり、友情の喜びを表現したものと読んで差支えないようだ。
「うなづきあふや」が暖かい観察で、よく胸に落ちる。ともに水に沈まず「うなづき」浮かんでいるさまも、正確に併せ捉えられている。俳諧は「眼」だなと思わせられる。 2021 1/13 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 猿どのヽ夜寒訪(とひ)ゆく兎かな    与謝 蕪村

☆ このままでも佳い「友」の句である。むろん「猿どの」と1兎」を粋な仲の男女に見立てて微笑する自由も我々は手にしている。
鳥獣戯画の世界が目に見えて重なるのが、おそらくは蕪村の意図に有っただろう。しかも「夜寒訪ゆく」のが心暖かでひときわ佳い。

★ 鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半(よは)の門    与謝 蕪村

☆ 香ばしい季節の鮎の、今とれとれを惜しげなく門の外で頻けてくれたまま、ちょっと寄って温まっておいでよと勧めるのもきかず、さらりと帰って行った知友。その後姿にお人柄と淡交のよろしさとが「しやっとした」感じに出ている。
まこと 「しやつとしたこそ 人は好けれ」(閑吟集)である。余韻深く、「聴こえ」も佳い。

* ノーベル生理学賞をうけた四人が、コロナにかんして大きな提言をしていたのを聴き、どうか政府・厚労省も謙遜に聴く耳を持って欲しいと願った。途方も なく、政府は間違えてきた。その源流は厚労省の無能と総理大臣の傲慢な不見識にあった。それを優れた世界的にも指導者的な科学者たちが口を揃えていた。

* こういう思いの朝に私は、こういう、まさしき上古奈良時代にさかのぼる「神楽歌」の歌声、囃声に耳をかたむけ、森厳とした眺望を想いうかべる。なんという静かさ 美しさ かそけさ。

☆  庭燎(にはび)

深山(みやま)には霰降るらし
外山(とやま)なる正木の葛(かづら)
色著(づ)きにけり

あちめ
おおおお

おけ
あちめ
おおおお

* 秋石の「蓬莱山」長軸 そして土牛の、薫の、牛たち。 叡智と沈着の「丑」歳が、より穏やかな日々を重ねますよう願わずにおれない。私の思いでは明日 十五日に小豆粥の雑煮を祝って今年のお正月は終える。少なくももう数ヶ月はコロナに備え堪えてすごさねばならないだろう。
2021 1/14 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 友達ハ将棋のことで二日来ず    『誹風柳多留』

☆ まずは日本の「友達」である。
「二日」が面白い。そのバカバカしいくらいな日数も、将棋「友達」には腹立たしいまで間遠なのだ。しかも来ないのは、「将棋」の上で喧嘩したのだ。
「狸とは知りつつもまた碁を囲み」という、高井几董の川柳よりは 品が佳い。

★ 月読(つくよみ)の光りを待ちて帰りませ
山路は栗のいがの多きに     良 寛

☆ 萬葉調というより『萬葉集』の歌そのものに思われるほどだが、それは作者の精神の位相と素朴な歌の状況がそう思わせるので、一首は、五七ならぬ七五調、萬葉調とは言いにくい。
月の出を待って明るいなかをお帰りという心づかいには、ただに「栗のいが」を踏む危険だけでない、やはり伝統的な風流心、つまり心の余裕を貴しとする気持ちが生きていよう。友情の質をも、そういう大きな余裕のなかで磨き合う気があったのだ。
2021 1/15 230

☆ 採物歌  榊  (神楽歌)

榊葉の香をかぐはしみ
覓(と)め来れば
八十氏人(やそうぢびと)ぞ
團居(まどゐ)せりける
團居せりける

おけ
あちめ おおおお

おけ

神垣の
御室(みむろ)の山の榊葉は
神の御前(みまへ)に茂り合ひにけり
茂り合ひにけり

おけ
あちめ おおおお

おけ

* 厳粛で清潔な山氣に身をつつまれる気がする。
2021 1/15 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 鶯や朝寐を起す人もなし    正岡 子規

☆ 明治二六年、「妻におくれたる秋虎がもとへ」遣った句。説明の必要など何もないようだが、さて…巷間の陰語にしたがい、「鶯」に、遺された「男性自身」の意味を取るかどうか。
なににせよ、いささか男ッぽい友情の表現ではある。尾崎紅葉作『多情多恨』の、妻を喪って泣きの涙の鷲見柳之助だったら、こんな挨拶をされたら、悲しみのあまり卒倒しかねまい。

★ 君が庭に植ゑば何花合歓(ねむ)の花
夕になれば寐る合歓(ねむ)の花    正岡 子規

☆ 「把栗(はりつ)」という若い友人の「新婚」に寄せた三首の、中の一つ。この前後に、

★ 米なくば共にかつゑん魚あらば
片身分けんと此妹(このいも)此背(このせ)
をりふしのいさかひ事はありもせめ
犬がくはずば猫にやれこそ

という子規の佳い歌が並んだ。
子規のえらさは「歌」にせよ「句」にせよ、生かして使いこなす、文字どおりの生活感にある。ものともせず意を尽くしてしまう。「写生」意識のなかに、紛れない「写意」感覚もある。「趣向」や「趣味」もある。
面白くする工夫をいやしいなどとは夢にも考えていない。この大らかさが今日もっと回復されていい。
2021 1/16 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ たとふれば独楽のはじける如くなり    高浜 虚子

☆ 「(河東)碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり」と。
子規子の高足「虚・碧」二門のたがいに譲らぬ琢磨に就いてはよく知られて来た。師と同じ二人とも同年輩の四国伊予の産であった。
もっともこの句、そういう文学史的な経緯抜き詞書抜きで読んでも、まちがいなく独特でしかも優れた「友」の句だとわかる。それのみか、キリッと毅い調子が即ち「詩」になっている。
虚子名句の一たるを失わない。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 古手紙よ!
あの男とも、五年前は、
かほど親しく交はりしかな。

名は何と言ひけむ。
姓は鈴木なりき。
今はどうして何処にゐるらむ。    石川 啄木

☆ 没後の第二歌集、明治四五年の『悲しき玩具』から採った。この二首はこう続いている。一首ずつでも読めるが、こう続けて読むと哀調に惹き込まれる。独特の啄木調で、余人のとうてい追従できない韻律美がある。しかもこの人生のなつかしさ、寂しさ。
「友」を思いつつ作者はこの歌でも、自身の「今」を嘆き、なぐさめている。

★ 友として遊ぶものなき
性悪(しやうわる)の巡査の子等も
あはれなりけり     石川 啄木

☆ 「性悪(しやうわる)の」を「巡査」にも「巡査の子等」 にもかぶせる事で、「あはれ」を分厚いものにしている。権力の手先に対する、幼な心なりの、また現在の作者なりの嫌悪感を隠すことなく、しかも「手先」で ある「あはれ」もしかと見ている。彼らをも愛をもつて「友」と迎え入れねば、所詮権力の足もとは崩せまい、とも。 明治四三年『一握の砂』所収。
2021 1/18 230

* 万策尽きたのではない、万策の何を先行させていいのかが、もっぱら統治権力志向で親民の愛と決意に欠けた菅総理には判断する決意も意向も無いという尽 きる。二月上旬の緊急事態解除予告の日に、その日までに何が出来ていると総理は言挙げするか。何一つなし得ていないとき、彼はどう云い繕うか。情けない期 待である。菅総理のガスに当たらずにコロナ禍の沈静をひたすら願う。

* 非自民野党の一大結集決意が力在る新対策へと驀進して貰いたいが。

* つくづく思う。政治は女性に任せてはどうかと。せめて、党派を超えて、「都府県の女性首長を含む女性国会議員政策懇話会」を定時に持ち続けてくれぬも のか。そこで内閣を組織してくれても佳いと思う。男議員たちの欲だけは深い無能低能力ぶりには、ほとほと愛想が尽きている。

☆ 正心誠意 経世済民 治国平天下  と『大學』は上古よりおしえている。昨今の自称保守政治家たちが合唱する「経済」とはただの金儲けの意味でしかないと見える。

☆ 榊  採物歌  (神楽歌)
榊葉の香をかぐはしみ
覓(と=もと)めくれば
八十氏人(やそうぢびと)ぞ
團居(まどゐ)せりける
團居せりける

* この「團居(まどゐ)」のうれしさ、ここに、経世済民の深意も真意も籠もっている。今の政治屋どもの勝手な「まどゐ」とは即ち欲深仲間での汚い「会食」でしかないとは。
2021 1/18 230

* 夜、急遽ワクチン接種大臣になった河野一郎の談話を聞いた。他の政治家と違いかなりに「自分の言葉」で話していたのをとりあえず好感した。

* コロナ罹患の拡大、若い人たちのわがままな鈍感が家庭内感染へ影響している怖さはとうてい否定できない。そして、いま、家庭内で罹患重篤化することは 死への短距離と思わねば済まない。「死」という人生最大の難関へいまや日本中が当面している現実から、だれも顔を背けられない。恐ろしいことだ。
いま、あの賢かったやす香が生きていてくれたら、どう振舞いどう語っているだろうと想う。
2021 1/18 230

少女像  小磯良平・畫
朱らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 我ゆきて手をとれば
泣きてしづまりき
酔ひて荒(あば)れしそのかみの友    石川 啄木

☆ 「その昔」の「友」を通し、作者は、若く力在りし日の若さと力とを、「我ゆきて手をとれば」の句にすべて託している。この歌を歌いながら作者が、かの「クリスト」の力=奇跡を想わなかったとは考えられぬ。
啄木の「手」は、彼の人類愛を説くに際し、不滅の鍵言葉かと信じたい。 『一握の砂』所収。

★ いささかの銭借りてゆきし
わが友の
後姿の肩の雪かな    石川 啄木

☆ あの貧しくして窮死した啄木から「いささかの」小銭を借りなくては生きえない暮しの「友」がいた! 折しも、雪。
「雪」を風流の視線でしか歌わない時代が長かった。この第三句は、なまなかでは出てこない「あはれ」な表現になっている。夕闇が重くのしかかっている…と、読みたい。 『一握の砂』所収。
こういう啄木短歌の魅力が、ただ鑑賞ではなく、彼の生涯の意義とともに、もっと広く広く愛され追体験されたい。
2021 1/19 230

* 昨夜ではないが、夜中の句に、
寒の夜ぷんと出た屁のふたつ哉
と得た。なかなかの「俳」味と思ったが、妻は、くだらないと。
付け髪の広告で「ぽん・ぽん」とアタマを叩いて得意げなコマーシャルより、寒夜の寝床でちっちゃく「ぷん・ぷん」と「屁ふたつ」のほうが雅ではないかと思うんやがなあ。「ふたつ哉」できまったと思うがなあ。俳句は難しい。
2021 1/19 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 外套の肩あげてゆけり寂しきか    加藤 楸邨

☆ 借金をして行ったというのではなかろうが、この句にも、「友達」の微妙な関わりを超えて発露された「愛」が思われ、印象深い。思い入れが深い。 昭和十五年『颱風眼』所収。

★ 深雪(みゆき)の夜 友をゆさぶりたくて訪(と)ふ    中村 草田男

☆ 「ゆさぶりたくて」が「友情」の若々しい美質を、いくら か神経質にもまた豪放にも想像させて、ウン とうなづかせる。友と友との心持ちがこの一句にピタリと重なり、酒でよし議論沸騰でよし、また女の肌に憧れ 寄って行くもよし、何でもよし互いに「ゆさぶり」合って、「深雪の夜」の抒情に耐えた男の毅い孤独を頒とうというのである。草田男俳句の心情美が溢れる。  これは私の記憶から採った。
2021 1/20 230

☆ 榊  神楽歌
榊葉に木綿(ゆふ)とり垂(し)でて誰(た)が世にか
神の御室(みむろ)を斎(いは)ひ初(そ)めけむ

* 中世の歌謡とは本質を異にして 崇高 神秘のうた声がきこえて来る。しかと聴き取れるわたくしを喜びたい。
2021 1/20 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 遠く来し友にもてなすすべをなみ
残りの燠(おき)に香(かう)をくゆらす    吉野 秀雄

☆ 昭和二二年『早梅集』に収めた歌だ。はげしかった大戦争の余塵こそあれ、物の不足していた時代。それでも「香」のように腹の足しにならないものは残っていたのだろう、それも一首をほろ苦くしているのであり、風流一幕には読んではならぬ。
だがこの歌人ならではの、凛と丈高い、「鉢木」の前段めく佳い歌になった。あの謡曲後段の、あの「俗」がこの歌にはないのが、佳い。
2021 1/21 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 熟燗の一本でよき間柄    篠塚 しげる

☆ ちと川柳じみて調子は説明的に低いが、こういうのも確かに、ある。
もっともこれも取りよう、『閑吟集』に見える「世のなかは ちろりに過ぐる ちろりちろり」の伝で、「熟燗」が「一本」つく間にも果ててしまうあっさり タイプの男女の仲を戯れた句かも知れぬ。 ま、そうではあるまい。ここは仲いい男同士と取っておく。昭和三三年『曼陀羅』所収。

★ 友の乗りし電車は見えずなりにけり
冬の夜寒を走りて帰る    若林 泰雄

☆ これだけの歌ではあるが、情景はよく伝わる。寒いけれど見送らずにおれなかった。楽しかったか辛かったか、何にせよそれほどの時をそれほどの「友」と過ごしていたのだ。
下句が率直で、情に溢れる。 『昭和萬葉集』巻九の月報から採った。
2021 1/22 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ いたはりの言葉かけむと近寄りて
何ゆゑ口を噤みたりしか    来嶋 靖生

☆ 「昼休み」の寸時の心象。この「何ゆゑ」を腑分けするの は微妙に難しい。だから「うた」になった。「うったえ」る以外に「何ゆゑ」の厳しさも悲しみも思いの底から解き放ってやれないのだ。「うた」とは、ぎりぎ りにこういう所からうめき出る心の声なのだろう。現代の、けわしい勤務と人との葛藤のなかで、具体的な状況を超えて、思わず「ロを噤む」しかなかったよう な根源の裂けめが、おのが胸底に見据えられていて、厳しい。
島田修二とまた一味異なる、この作者のすぐれた本領であろう。 昭和五九年『笛』所収。

★ 田井よりも我妻(わがつま)とこそ呼びなれて
不知火(しらぬひ)筑紫の夜半(よは)を連れしか    河野 愛子

☆ これが、私のようにいくらか「事情」の知れた者以外にど れほど伝わるのか、おぼつかないが、妙に調子よくて面白いと思う人は多かろう。現代歌人の有力な一人「田井安曇」の本姓がたしか「我妻」で、名は「泰」の はず、私の娘が中学で習っていた社会科の先生だった。私の文庫本家集『少年』を解説もしてくれた歌人。
久しい歌友の「田井」を、女の河野愛子が「我妻」「我妻」と戯れ呼んでともに九州路の旅情を深めている。「連れ」は他に多かろうと、はたまた二人だけの旅であろうと佳い、この歌は佳い。 昭和五八年『黒羅』所収。
2021 1/23 230

☆ 神楽歌 採物(とりもの)歌  篠(ささ)

篠の葉に雪降る冬の夜に
豊明(とよ)の遊をするが楽しさ

瑞籬(みづがき)の神の御代より
篠の葉を手(た)ぶさと取りて
遊びけらしも

* 千数百歳の寒空を瞬時にわたって聞こえくる、なんという静かな神と人との賑わいよ。
2021 1/23 230

* まだ中学生ではなかったか、大阪の読者の岡田さん=お母さんに連れられたお嬢ちゃん、フーちゃんと、上野の山で会っている。つよい雨の日だった、妻も一緒だった。
その少女が、もう大阪大學の院を出て、演劇學の研究者として「岸田理生の演劇」を論究の、立派に美しい大冊を成し、送って呉れた。なかなかの論著の大冊、ありそうで容易には出てこない本格の一冊と見え、フーちゃんようやったねと、拍手。
お母さんの岡田さんは、奈良女子大での恩師かと想われる、わたくしも年久しく親しい歌人東淳子さんの病床を見舞い見守っていて下さり、私も、大いに安心し感謝している。東さんの、日々「楽しみは」と据えた「述懐」歌はずいぶん出来たろう、
たのしみは 遠きたよりの すこやかに よき春まつと声に聴くとき
いい歌 いい日本語からは 肉声がきこえる。源氏物語を読んでいるとそれが分かる。二条院にまさしく嫁いだ宇治中君も、心ならずも仲立ちしてしまった薫中納言も、夕霧右大臣の六君をも妻にして通い始めた中君の夫、匂兵部卿宮も、肉声で語っている。だから惹きこまれる。
2021 1/23 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

☆ ここで、尾崎喜八の『田舎のモーツァルト』から、(串田孫一君に)と添えられた「車窓のフーガ」を挙げてみる。

★ 疾走する列車の振動とリズムにつれて、
波のように旋回しながら
近づいてはまた遠く行き去る
玉虫いろの夏の自然と
真昼の山々の壮大なフーガよ!

たえず風景の変遷する車の窓に片肱ついて、
やがて三時間、君は私と対座している。
それは安んじて見ることのできる三十何年の顔、
しかも今にしてなお新らしく
思わぬ発見に驚かされる人間の顔だ。

いかに愛すればとて、人はついに
他のたましいの暗い天には徹し得ない。
しかし互いに似かよい、転回し、逆行し、
或いはひろがり、或いはリズムを変えながら、
友情の長い一曲を織り上げてきた。

それは調和の技法に過ぎなかったろうか。
否、その対位法には異った個性の錬金があり、
誠実の造形と創造とがあった。
そしてその君と私とのたまたまの旅の車窓を、
今、人生と夏の眺めの壮大なフーガが飛ぶ。     尾崎 喜八

☆ バッハ作曲の「フーガ」などと謂う。「遁走曲」と訳され ていることもある。音楽の楽想をあらわす形式のひとつと考えてよく、むろんここは「旅の車窓」に聴く、その応用である。「対位法」もそうした音楽表現上の 技法の一つ位に取っておいてよい。「友情」の詩として、いかなる固有名詞の制限をも超え立派に成立った、稀にみるみごとな交歓の表現ではないか。
2021 1/24 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 門柱に小杉と二字の夏山家    高野 素十

☆ 友である画人1小杉放庵」を越後妙高赤倉の安明山荘に訪れた際の句、 「芹」昭和三九年八月号から採った。
もっとも「小杉」の「二字」は友の苗字でなくとも、「夏山家」にしっくり似合って涼しい。いかにも俳句の妙を生かしたさわやかさで、「夏山家」の心地よさが目にしみ入る。
2021 1/25 230

* リーゼを服して寝ると、早旦安眠できて、老齢にはゆるされるだろう永い熟睡を満喫できる。有り難いことだ。寝過ぎると脳みそが溶けるぞとよく脅されたが、溶けるほど味噌が残っていないと安心している。
昨日は岡田蕗子さんの『岸田理生の劇世界』という博士論文による長冊を貰い、今朝は東工大で同僚であった岡持時男氏の『兜太の俳句』を考察の大冊を頂戴した。営々と著作している人の多いことは、國の平和と安穏の徴に相違ない。
俳句の本にはふと心惹かれるが、先に紅書房に戴いた『泉鏡花の俳句集』のように「俳句作」そのものにうちこんで迎える本がありがたい。俳句はたやすく味 わえる世界でない、誤解して、短歌和歌よりラクに思う人が多そうだが、なんの、佳い俳句の佳い俳味を徹到満喫するのは至難のこと。句語のつづきを「説明的 に納得」してみても俳句の妙味は味わえない。お話にならない。お話にならないと悟っていない人が俳句を提出してくると、往々ただの「お話」で終わってい る。
2021 1/25 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 二十万人の一人といへど忘れめや
被爆者わが友新延誉一    友広 保一

☆ 原子爆弾に遭ってはかなく逝った友を痛恨の思いで悼みつ つ、戦争への憤りを「うた」っている。友の生命の重さは、「二十万人の」なかの「一人」に過ぎぬものとなどは、絶対に言えない。この「うったえ」を、「新 延誉一」(「にひのべよいち」か)という具体的な実名で定着させた迫力を、私は高く認める。 「アララギ」昭和四五年二月号から採った。

★ ギリシャ哲学まなびゐし友が
天皇の為に死なむと真面目に言ひぬ    畔上 知時

☆ 『われ山にむかひて』(昭和五八年刊)所収の一首。 巧 くはないが、これまた痛恨の哀悼歌であろう。「ギリシャ哲学(を)」にこの作者は、人として享けうる最良の知性とヒューマニズムの恵みを託していよう。し かもなお「天皇の為に…」と君は言うのか……戦争遂行を誓って。とうに散ったのであろう優秀だった亡い友の霊に、現世の「友」はあきらめ切れない。

* 泪、はらはらと落ちる。「うた」とは、「うたへ」て「うったへる」文藝なのだ。俳句とは、性格が、ちがう。
2021 1/26 230

☆ 神楽歌  弓より
弓と言へば品(しな)なきものを
梓弓真弓槻弓
品も求めず
品も求めず

陸奥(みちのく)の梓の真弓
我が引かば
やうやう寄り來(こ)
忍び忍びに
忍び忍びに

* 「本」歌では弓が「男」たちめく謂われていて、「末」歌では、梓の真弓が情に揺れ、「よるよる寄ってきて」と男をよばう「女」うたのように歌われてある。神楽の秘めもった「性」の謳歌と聴きたい。瑞々、みづみづしい。
2021 1/26 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 竹馬やいろはにはへとちりぢりに     久保田 万太郎

☆ 昭和二年の『道芝』から採った。 東京は下町の夕餉ど き、夕茜に路上に影ひく竹馬遊びの子どもたち、それを呼ぶ声、答える声、そして「さよなら」を言いかわして、長く濃い影は算を乱すように「ちりぢりに」。 灯ともし頃のあたたかな食膳のにぎわいもやがて髣髴として来る──。
が、さて 「いろはにほへと」だ。これは竹馬で遊んでいたのが二人や三人ではなく、まして一人ぼっちでなく、何人もいたことを先ず想わせる。それからそ の子らの一人一人が正雄、清志などと名前でいちいち呼ぶまでもない、ただ「いろはにほへと」と勘定して、それで用の足りるごく普通の子たちであることを も、みごとに表現している。そう表現することで、句の深さ広さがしっかり出来てくる。
「いろはにほへとちりぢりに」と申し分のない面白さ。
さらにもう一投踏みこむなら、やはり「竹馬の友」にかけての「ちりぢりに」に、子どもの頃の「昔」をひとり追憶する老いごころとでもいう所を汲みたくな る。すると「色は匂へど」という中の句が、そこはかとない「人生の哀感や無常の思い」へひしと繋がれてくる。竹馬遊びに、おきゃんな少女もまじっていたか と想像するのもよい。
往時ははるかに夢のごとく、老境の夕茜ははや心のすみずみから蒼く色さめはじめている。かつての友は故郷にはとんど跡を絶えて訪う由もない。
想像は想像を呼んで、この一句、さながらの人生かのようにずっしり胸の奥に立つ。 2021 1/27 230

* 最近、機械のわきに愛好してた だ目にし、また清水で顔を洗うほどに読んでいる『神楽歌・催馬樂』は、奥付をみると実に「昭和十年七月十五日發行 定価四十銭」とある。「一九三五年」の 本であり、戸籍謄本で私は同じ年の「十二月二十一日」に生まれていて、旧臘満八十五歳になった。むろん、この大昔の岩波文庫は私が東京へ出て来てのちに古 本屋で買ったのだ、その値段は分からないが、勤め始めた新婚の極貧時にも、古本屋でやすい岩波文庫の古典がみつかれば逃さず買っていた。いまも文庫本書架 の多くがあの当時の廉価な掘り出し本で、この一冊などいつ読む気だろうと自分にも分からなかった。が、梁塵秘抄、謡曲、閑吟集等々に触れ、源氏物語など平 安古典や万葉集などに親しめば親しむほど、神楽歌・催馬樂などがはるかな心の故郷のように懐かしく慕わしくなってきた。そこには、日本の神々と日本人との 「魂の接点」が想われるのだ。
で、胸に落ちる妙薬かのようにわたしは、このところ、好んで拾い読みして嬉しいのである。

篠の葉に雪降り積る冬の夜に
豊明(とよ)の遊(あそび)をするが樂しさ

瑞籬(みづがき)の神の御代より
篠の葉を手(た)ぶさと取りて
遊びけらしも

大原や清和井(せがゐ)の清水
杓(ひさご)もて
鶏(とり)は鳴くとも
遊ぶ瀬を汲め
遊ぶ瀬を汲め

深山(みやま)には霰(あられ)降るらし
外山(とやま)なる正木の葛(かづら)
色著きにけり
色著きにけり

千年、千五百年むかしの、神・人のふれあいや、里や山の澄んで遙かな景色が窺え、目に見えてくる。こだわりも歪みもない。
2021 1/27 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ かくも早く死する命と思はねば
あそびに来よと言ひて別れつ    八上 彦一

☆ 何一言をも付け加ええない。年齢を重ねるにつれてこういう歌には泣かされてしまう。「あそびに来よ」と言い言われ…、「友」は減ってゆく。まことにまことに減ってゆくよ。 「アララギ」昭和九年五月号から採った。

★ 月下飛髪立ちつくすともうつそみの
通夜に走らぬわれは人かは     山中 智恵子

★ 風疾(はや)み萱野笹原さわ立てり
無名の鬼の過ぎゆきにけり     斎藤 史

☆ ともに、昭和五〇年三月二九日に、割腹して果てた心友の村上一郎を悼み嘆く、歌。
村上は「無名鬼」という雑誌を作ってもいた。その三月二日には私の家をひょっこり徒歩で訪れ、娘のために雛祭りしてあった壇の前で、私の点てた茶を「旨い」と喜んで喫んで帰られた。
「かくも早く死する命と思はねば…」泣きに泣いた。山中は遠く鈴鹿の人。斎藤もまた信濃の人。通夜に間に合わぬ悲しみはいかばかりであったかと、今さらにまた泣かれる。
そうはいえこの二首の歌は、「村上一郎」という稀有の日本人の上をひとたび離れて、それこそ「無名の鬼」を悼む象徴そのものの痛切の叫びと読むことも、 十分可能。真実優れた歌には、それが有る。多く「師友」を歌った作には、とかく、実のその「人」を超えて人間の魂に深く広く届くような、「詩歌」としての 本質の力を欠きがちなのは、口惜しい。
山中の歌は昭和五三年『青草』に、 斎藤史の歌は昭和五一年『ひたくれなゐ』に収められている。
2021 1/28 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました。
人の名前に誠之助は沢山ある、
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。
わたしはもうその誠之助に逢はれない、
なんの、構ふもんか、
機械に挟まれて死ぬやうな、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。

日本人で無かつた誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之(これ)から気楽に寝られます。
おめでたう。                  与謝野 鉄幹*

☆ 大正四年刊行の詩歌集『鴉と雨』に所収の詩。
明治四四年(1911)一月に十二人が死刑執行された幸徳秋水らの「大逆事件」を下敷きにしている。ふるさとの「友」であり死刑を執行された大石「誠之 助の死」を「誠」一字を美しく利かしながらこう愛執深く熱く歌いあげる事で、わずかに当時詩人の、私人の、「気概」を天下に示したじつに数少ない貴重な証 言たりえている。年若き石川啄木も「時代閉塞の現状」を手厳しく論じかつ嘆いて「大逆」という囚われの時代へ疑問符をつきつけた。
私は東京工業大学で教授職に在った毎年の各教室で、かならず一時間、「神様を最初に無視した誠之助、大逆無道の誠之助たち」の「大逆事件」の経緯を大切に「語り伝える」のを務めとも考えていた。
鉄幹は与謝野晶子の夫、その妻ほどもいまや読まれる事の稀になった歌人だが、短歌以上に数すくない その「詩」のなかで「人物」の大きく見えていること、書きとどめて置きたい。
2021 1/29 230

☆ 神楽歌
我が生(あれ)は宮びも知らず
父が方(かた)母が方とも
神は知るらむ

* こういう「生い立ち」歌に胸つかれながら、「神」という方へわたしは這い寄って行かぬタチであった。
2021 1/29 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ やるまいぞやるまいぞとて泣くばかり   山路 閑古

☆ 「路郎冠者を哭す」という。狂言の道にたずさわった親し い友でもあったろうか、そう思って「やるまいぞ」と読むと、無限の哀情と追悼の秀句がここには在る。不思議に深い知性をさえこの句は感じさせてくれる。し かも 「泣くばかり」の直接表現が、爆裂する効果を挙げている。 昭和五八年刊の 林富士薯『川柳のたのしみ』から採った。が、ちょっと川柳という気はし ない。
2021 1/30 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

☆ ここに採った「友の愛」の歌は、数こそ多くはないが、「親への愛」の歌にならんで佳い作がたくさんあったと思う。「友」もまた、人生葛藤の有難い所産であることを思わせる。感傷もただに感傷にとどまらぬ、入り組んで微妙な「愛」の相を示している。
真に人間的な「愛」とは、親子も夫婦も含めて本当は「友」としての愛であるのが正しいのでは、なかろうか。私は、かねがね、そう思って来たのだが…。
この項の終わりに、老友早見晋我こと「北寿老仙をいたむ」与謝蕪村の、若き日の俳詩をただ挙げておこうと思う。
蕪村は若い日に江戸にあり、さらに久しい東国放浪の時期を経て関西に戻るのだが、その放浪の間に下総国の結城郡本郷の素封家晋我と識った。彼はもう七十の坂にある蕪村よりかなりの大先輩だった。
この詩は通説延享二年に彼が死んだおりの追悼の作とされ、しかも公表されたのはその五十回忌の追善集でで、蕪村もすでに没していた。
傑作であり、語釈は適当な辞典によられたい。一つだけ、途中「へけのけぶりの、はと打ちれば」とある「へけ」だけは、たいていの辞典でも解説でも正解を えられまいと思う。「へけ」は、「水辺に接した傾斜面を持つ台地状の地形の先端部をいう」方言であり、つまり「へけのけぶり」は「仲春の季題である、水辺 丘陵の夕霞」にほかならぬ事、「霞」と「老仙」とは古来の縁語であるという事を、高田衛氏が証明されているのに従うべきだろう。
その余は銘々に、舌頭に千転愛誦願いたい。

★ 君あしたに去(さん)ぬゆふべのこヽろ千々(ちぢ)に
何ぞはるかなる

君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ
をかのべ何ぞかくかなしき

蒲公(たんぽぽ)の黄に薺(なづな)のしろう咲たる
見る人ぞなき

雉子(きぎす)のあるかひたなきに鳴(なく)を聞(きけ)ば
友ありき河をへだてヽ住(すみ)にき

へけのけぶりのはと打ちれば西吹風の
はげしくて小竹原真(ま)すげはら
のがるべきかたぞなき

友ありき河をへだてヽ住(すみ)にきけふは
ほろヽともなかぬ

君あしたに去(さん)ぬゆふべのこヽろ千々に
何ぞはるかなる

我庵(わがいほ)のあみだ仏(ぶつ)ともし火もものせず
花もまゐらせずすごすごと彳(たたず)める今宵は
ことにたふとき                  与謝 蕪村

* 「友の愛」を結び終えた。明二月から、「師弟の愛」を読む。
読む人、聴く人の胸をうち、その人生へしかと呼びかけ関わってゆくほど確かな美しい日本語の「詩」を、自分は「歌人」と自足している「歌人以前」の人たちに心より望む。定型でさえあれば「歌」なのでも「詩」なのでも、ありません。

☆ 神楽歌
我が生(あれ)は宮びも知らず
父が方(かた)母が方(かた)とも
神は知るらむ

* 「神は知るらむ」と、五つ六つで思いながら、「身内」という思想を育みつづけた、永い永いあいだ。千年千五百年前にもこう想いこう願って人の世へ歩んでいた人たちがいたと想う、懐かしい。
2021 1/31 230

述懐  恒平・令和三年(2021)二月

* ここに「恒平」三年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。

 

たのしみは難しい字を宛て訓んでその通りだと字書で識ること

たのしみは難しい字を訓みちがへ字書に教わり頭をさげること

☆ 只今の仕事での実感です  恒平
2021 2/1 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 夢の世になれこし契り朽ちずして
さめむあしたに逢ふこともがな    崇徳院

☆ 配所讃岐国で崩御のおり、都なる皇太后宮大夫(藤原)俊成に「見せよ」と書き遺された歌である。『玉葉集』に採られている。
この二人、厳密な意味はさておき和歌の道の師弟とも歌友とも言っておこう。俊成はやがて『千載集』を後白河院の命により勅撰する。この院は崇徳院の実弟 であり、しかも保元の乱で兄院を打ち負かして讃岐国へ放逐した勝利者だった。だが和歌にかけては弟院は兄の敵でなかった。
「夢の世になれこし」とは微妙な覚悟である。所詮この世は「夢」と承知で生きてきたのだから、という「仮りの世の思い」が一つある。「さめ」てからが「真実の世」という覚悟だ。その「次の世」で再会し結び直す契りこそ、愛こそ、真実の名に値するという覚悟だ。
今一つ、讃岐国へ流されてのちは「夢」でしか柑逢うことの叶わなかった口惜しさも言い龍められていよう。だがその「夢の」間にも二人の契りは、朽ちてはいなかったという信頼と愛の確認。
あの世で、今生の契りそのままにまた幸せに逢いたいという願望。讃岐国に所領も持ったらしい俊成は、悲運の院に密かに同情と便宜とを寄せ続けていたかと 想像される。古代の歌い口で、この程度の技巧はとくに言うほどもないのだが、人と時との契合が、一首に、いたましい「うた=うったえ」の力を与えている。

* 和歌といえども「読める」 だが 「味わう」には 古語への親炙がやはりものを云う。今日のいわゆる歌人の若い大勢が「和歌」を敬遠し時に軽視・軽侮す るのは、「日本語 古語」を勉強しなかったから、と、ほぼ断言もできる。古典が読めない、味わえない、それでも文藝愛の日本人とは、やはり物足りなさが過ぎ る。和歌を読めと強いたいのではない。しかし文学に親しみ創作に生きるなら日本語は古語も学んでは、と云いたい。日本語の歌、短歌が、瓦礫の道を踏むようなア ンバイなのを自賛し弁護している図は見苦しい。
2021 2/1 231

水深魚楽 楽此不疲 日々客愁
2021 2/1 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 白粥のあまりすゝるや冬ごもり   向井 去来

☆ 師の松尾芭蕉が病気の折に、かたわらに侍しながらの吟である。
季節は冬。「粥」は、師のための病人食でもあろうし、寒気をしのぐ温かな食事でもある。「あまり」とはむろん師の食べ残しの意味にせよ、ここは「一つ鍋」 という師弟親和の喜びも含む。この両方が相乗効果を示して、まさに一味同心、「身内の愛」を心暖かに感じとらせる。
「白粥」の「白」一字にも、寒さと清さ と、ほかに何も無いといった「簡素な美」とを、あやまたず言い龍めている。 『去来発句集』から採った。
2021 2/2 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ この頃は逢ひたい友の多けれど
わけて逢ひたい新島先生    徳冨 蘇峰

☆ 同志社創立の新島襄先生をしのび、尽きぬ愛と思慕を高弟 蘇峰は晩年の『残夢百首』(昭和二五年)の中にこう詠んだ。「わけて逢ひたい」の一句に一切がある。述懐歌として技巧的に見るものはないが、真率なかつ枯 れた物言いに忘れがたい感銘がある。「新島先生」と、呼びかけた結句が光る。
京都若王子山中の明浄処に、師の墓を守るように蘇峰はじめ薫陶を享けた弟子たちの墓が美しく並んでいる。結婚式というものを挙げなかった私たち夫婦は、 二人でこの奥津城をおとずれて、結婚と上京とを報告した。梅が満開の二月末だった。二○二一年(令和三年)現在、六十二年)が過ぎた。

★ よく叱る師ありき
髯の似たるより山羊と名づけて
口真似もしき       石川 啄木
☆ この歌には「わけて逢ひたい」といった直接な物言いはどこにも無い。事柄の一つ一つが具体的に想起されているだけ、たかぶった感情は表出されていない。むしろ噛み締めるようなふしぎな哀感が韻律たしかににじみ出ている。
おそらくは生活と時代との悪戦苦闘に疲れた作者の、根深い喪失感にその調べは共鳴していよう。 明治四三年『一握の砂』所収。
2021 2/3 231

☆ 大前張(おほさいばり)

宮人(みやびと)の大装衣(おほよそごろも)
膝通し

膝通し
著(き)の宜(よろ)しもよ大装衣(おほよそごろも)

* 光源氏のおほ昔に、こんな囃し歌でファッションをほめ合ったりしてたか。「歌」こそは神代の昔からの文藝のめざめであったと。山本健吉先生のすばらしい論攷に出会った時の嬉しさを思い出す。
ごいっしょに横浜駅前で講演して、あと銀座の「きよ田」で寿司を食べたり。はるばる講演の旅をご一緒したり。ブルースの淡谷のり子さんを囲んで賑やかに鼎談したり。山本先生とははなしもよく合い、いつも温かに声をかけてくださった。
2021 2/3 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 真夏日の左千夫の忌日(きにち)朝はやく
室かたづけてひとり坐れり    古泉 千樫

☆ 大正二年「七月三十日」が、作者の師伊藤左千夫の忌日。この日をせめて心清く静かに過ごしたい。そういう気持ちで尊敬と愛情とを身いっぱいに表現したい。すがすがしい。 昭利八年『青牛抄』所収。

★ 動悸して壁の落書(らくがき)にわれ対ふ
をさな字に北原隆吉とあり    宮 柊二

☆ 先師北原白秋の「名」に、師の故郷で、師の「をさな字」の「壁の落書」として対面した。
師とは全人格、全生涯をかけての師であり、弟子もそうなのである。そして何度も何度も出会い直し出会い重ねて行く。「動悸して」の一句に、喜びと敬愛とが躍動して貴い。
もっとも、ここで注意しておきたい。この種の歌は、先の「新島先生」にせよ「左千夫」にせよこの「北原隆吉」にもせよ、その「人」を知ることなしには十分受け取りにくい。
師弟の愛の歌はけっして数少なくないのだが、感動をひろく深く共有できる佳い歌が、実は稀であるのも、これによる。
短歌にも俳句にも師弟愛のあまりにか、ごく一部の仲間内にしか通用しない作が、それで良い、当然だという顔で溢れる。当然でもなく、良くもない。独善のそしりを免れぬばかりか、短歌や俳句の「表現を矮小化」するだけだ。 昭和二八年『日本挽歌』所収。 2021 2/4 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 青葉風すがすがと入(い)るわが部屋に
先生はいます羽織脱がして    谷 鼎

☆ 昭和十七年五月末に師の窪田空穂を自宅に迎え、歌会か何かを催した日の詠。同じ作者の同じ日に、こういうのも有る。
先生の軸掲げたる床を背に先生います家はわが家
大き人に間近く見えしよろこびを子らもつつしみて言ふよこまかく
全人的な傾倒であり感激である。短歌表現を超えたものがある。だからこそ短歌表現としても力を保っている。 昭和五三年に弟子たちによって没後に編まれた『水天』所収。

★ 先生と二人歩みし野の道に
咲きゐしもこの犬ふぐりの花
先生は含み笑ひをふとされて
犬のふぐりと教へたまひき    畔上 知時

☆ 師の谷鼎の没後歌集『水天』を編んだ弟子たちの一人。昭和五八年『われ山にむかひて』所収の微笑ましい、かつ巧みな歌。どこといって無理なく自然に今は亡い師をしのんで、心優しい。大声にものを言っていないのも佳い。
「犬ふぐり」の「名」だけを師は弟子に教えたのではあるまい。歩一歩の野の歩みのなかにも、目配りがあり、心入れがあり、感動も発見もあることを弟子は師のなにげない言葉づかいや、笑顔や、身振りからも習ったのだ。だから懐かしく慕われる。
2021 2/5 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ こりこりと乾きし音や
味もなき師のおん骨を食べたてまつる    穂積 生萩

☆ 釈迢空の弟子。永別の悲しみに堪えかねて、とっさに出た行為か。
一読、あ、と声が出たが胸をつきあげてくる同情の念は熱かった。事の次第の異様さを超えて、歌一首の表現は微塵の揺れもなく、美しいまで整っている。 昭和三年『貧しい町』所収。

★ 夏場所の新番づけも棺にをさむ   上村 占魚

☆ 「先師松本たかしを悼む」昭和三一年五月二一日の句、『一火』所収。
そんなことかと簡単に読み過ごせない含蓄がある。「夏」という旺盛な現世感に溢れた季節が、「棺」という寂しい文字に対応している。まして「夏場所」は 力士と観客との汗と熱気が舞う大相撲の本場所。生きてこの世を楽しむ人間が群集して活気渦巻くところだ。弟子はそんな相撲好きな師のために「新番づけ」も 「棺」におさめた。きっと幽明 処は隔てても師弟一緒に変わりなく相撲を楽しみたい、楽しめるはず…と想いたいし、あの世の師もそうしてにぎやかに慰めた い。
ふしぎに「夏」「新」の字が爽やかな縁語を成して、「棺」の、くらいイメージを清らかにしている。
2021 2/6 231

◎ 駿河歌
あな安らけ
あな安ら
あな あな安らけ
練りの緒の
衣の袖を垂れてや
あな安らけ


有度濱(うどはま)に
駿河なる有度濱に
打寄する波は
七草の妹(いも)
ことこそ良し
ことこそ良し
七草の妹は
ことこそ良し
逢へる時いざさは寝なむや
七草の妹
ことこそ良し

* 東遊(あづまあそび)歌の、晴れやかに「あな安らけ」と心嬉しい歌が目に付いた。
2021 2/6 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 墓標より戒名手帖にうつしつつ
荒木先生はやはり荒木先生がよき     脇 須美

☆ たいへんよく分かる。「墓ヒョウ」「戒ミョウ」「手チョウ」と韻を踏んでいる。それはともかくとして「戒名」のあとへ、字余りでも、「を」を一字送ってはどうだったか。 昭和五四年『散りてまた咲く』所収。
こう読んできて気がつくのは、弟子から師へ、それも今は亡き師への歌が多く、師から弟子たちへの歌は、釈迢空らに無くはないものの、ここに紹介したいと 思うほどの作に、出会えなかった。概して情が先走り表現に周到さの不足しがちな所が、「師弟」の歌の残念な特徴だったか、という気がしている。

* 脇須美さんはお母さん。娘さんの脇明子さんは泉鏡花研究の本など出してきた方で、私は一度座談会でご一緒している。翻訳もされる方で、大好きな三巻本マキリップの『イルスの竪琴』を戴いていてル・グゥインの『ゲド戦記』とともにもう十度も読み返して飽きないでいる。
そんなことも告げてお礼も言いたいが、現在どこで教鞭をとられているか知れない。お差し支え無くかつ連絡先ご存じの方があらば、お教え下さいませんか。
2021 2/7 231

 

☆ 昼目歌(ひるめのうた)  催馬樂

いかばかり良き業(わざ)してか
天照(あまて)るや日孁(ひるめ)の神を暫し止めむ
暫し止めむ

何処(いどこ)にか駒を繋がむ
朝日子(あさひこ)が映(さ)すや岡邊の玉笹の上に
玉笹の上に

* 何という胸の奥の奥に遠い懐かしい「神います昔」の歌声か。
「末」うたの、「玉笹のうえに映(さ)す「朝日子(あさひこ)」は、私たち夫婦が初めて抱いた娘に、愛情に溢れて名付けた名。

ひそみひそみやがて愛(かな)しく胸そこに
うづ朝日子の育ちゆく日ぞ
「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)の
よろこびぞこれ風のすずしさ     一九六○年七月

その娘・朝日子(アコ)に、そして孫娘みゆ希にも(ひょっとして曾孫等にも)、あまりに年久しく、いまも、我々両親・祖父母は、「出会うこと」すら叶わない。わからない。わからない。
2021 2/7 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ しぐれ行く山が墓石のすぐうしろ    瀧井 孝作

☆ 「法然院谷崎家墓域」をうたってまことに的確、しかも谷崎潤一郎没直後の昭和四〇年十一月に訪れている。「しぐれ行く」の句にしんみりと哀悼の意がにじみ、「山」を負うたお墓に、いかにも文豪の風格を伝えて美しい。「はかいし」か「ぼせき」か、前者が宜しいかと。
この作者は1私小説を宗」とした大家であり、谷崎潤一郎とは対極にあったが、よく認めていた。私のような者でも谷崎論を成すつど、よく激励や賞賛の電話を戴いた。懐かしい思い出になった。
昭和五〇年、鉛筆で自筆丹精の句集『山桜』に収められている。
2021 2/8 231

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 愛の最もむごき部分はたれもたれも
このうつし世に言ひ遺さざり    東 淳子

☆ 死が愛をこぼち、しかし愛が死をしのいで生きつづけるさまも多く見てきた。それはそれとしてたしかに見てきた。が、この歌人がこの歌で呻いている意味、分からなくはない。
いかに愛の種々相をと拾い集めてみても、なお歌うに歌い切れない「愛の最もむごき部分」がこの世に充満しているであろう事は、「たれもたれも」本能的に、また理性的に承知している。
厳しい現実の重みに耐えて、この一首はさながら私のこの一冊の『愛の詞華集』を総括してしまう批評性を持っている。いかなる愛のかたちも、絶対とは言えないぞと、力弱い人間の胸へ鋭く指をさして来る。
私は、作者の意図に頓着なくこの歌を受け入れ、この歌に恐れをなす。幻影にもひとしい愛の可能よりも、愛の本来不可能を信じた上で、だから愛を求めずにはおれぬ人間のつらい運命を思う。 昭和五九年『雪闇』に収められた一首である。
2021 2/9 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ しづかなる悲哀のごときものあれど
われをかかるものの餌食となさず    石川 不二子

☆ これも私なりに読みたい、「しづかなる悲哀のごときも の」であると「愛」の本質を受け止めて、あやまりであるだろうか。この歌はけっしてそのような「悲哀」を否定や否認はしてはいないと読める。避けがたい運 命のように受け止めたまま、なお堪え耐えてそれと戦い抜いてみたい意志が読める。
我々は「愛」をあまりにやすやすと受け入れることで、その隠された「むごき部分」の「餌食」たるに甘んじては来過ぎなかったか。「われをかかるものの餌食となさ」ざる所から、「愛」への主体性を確保したい…と、私も思う。 昭和五五年刊の『短歌年鑑』から採った。

* みごとなお天気  天岩戸神楽ノ條(古語拾遺)
あはれ
あな面白
あな楽し
あな清明(さやけ)
をけ
2021 2/10 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ ただ人は情あれ 槿(あさがほ)の花の上なる露の世に   『閑吟集』

☆ 中世十五、六世紀の人が愛読した小歌、『閑吟集』所収。
思えば時代の表情は、言い換えるなら真実の「情」を求めて求めえない渇いた人の世のありさまは、五百年を経てすこしも変わっていない。室町時代より現代 の方が、「花の上の露」よりもろく地獄へころげ落ちかねない不安の時代だと、それこそ「たれもたれも」が恐れている。「ただ人は情あれ」の「うったえ」 が、つまり「愛」の不可能を可能と変えよう信仰が、今ほど切実でかつ今ほど稀薄な時代は、なかったろう。

★ 世の中は常にもがもな
渚こぐ蜑(あま)の小船(をぶね)の綱手かなしも    源 実朝

☆ 「世の中は」の取りようで、奇妙にオーバーな観念的な歌になる。
作者が、渚に綱手引いてゆるゆる小舟をやる「蜑」夫婦を、おそらく遠望しながらの感慨であろうからは、この「世の中」は、社会とか世間一般とかへいきな り押し広げて読むより先に、具体的には、あれあのように慾も得もなくひしと心を一つに力を合わせて世渡りに励んでいる「蜑」夫婦のように…と、世の男女が みな心平らに波乱もなく幸せであれと祈願する意味でありたい。「世」はもともと男女の仲らいを意味した言葉、しかも渚へ渡して「綱手」引くのに一人では足 らず、舟の「こぎ手」もいる。まして「蜑(あま)」といえば零細な語感があり、人手を頼むどころか夫婦で助け合うしかないほどの世渡りだ。「常にもがも な」は強い願望を示す物言いで、「綱手愛しも」に響き合う。 『金槐集』所収。作者は鎌倉の三代将軍。

* この「私語の刻」のはじめに掲げた、菱田春草の名畫「帰樵」と通いあう境涯よと、私は実朝の思いを懐かしく汲む。

* まばゆい朝日、静かに溢れている。なによりの幸せ。

☆ 安名尊(あなたふと)  催馬樂(さいばら)
あな尊
今日の尊さや
古(いにしへ)も はれ
古もかくや有りけむや
今日の尊さ
あはれ そこ良しや
今日の尊さ
2021 2/11 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 月天心貧しき町を通りけり     与謝 蕪村

☆ アンデルセンの『絵のない絵本』の一節を読む気がする。青く澄んで皓い月光に満たされ、「貧しき町」への自然の愛と作者の愛とが清らかに共鳴りする。通るのは、「月」と作者と両方、と読み込んでひとしお美しいし、気も晴れる。
そうは謂いつつ私の胸には怖い怖い映像もじつは秘められていて、しばしば魘される。

★ 終るべき生命をもちてあかつきの
漁夫も獲られし魚もかがやく     安永 蕗子

☆ 「終るべき生命」だから作者はなにかを断念している、のでは、ない。「終るべき生命」だからいよいよ「かがやく」ものとして、愛している。目の底に「かがやき」が、確かにのこる。さすがに現代を代表する女流の、佳い歌である。昭和三七年『魚愁』所収。
2021 2/12 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 胎児つつむ嚢となりきり眠るとき
雨夜のめぐり海のごとしも    河野 裕子

☆ 「雨夜のめぐり」はやや際どい表現だが、必然の感をも持 つ。水に抱かれ「嚢(ふくろ)=作者である母胎」に包まれた「胎児」の世界と、その「嚢」をさらに容れた「母」の世界との、まさに大きな入子(いれこ)構 造を視野に入れながら、この作者の根底に「海」としての世界観が働いている。「嚢」の海と、始源としての広大な海との等質が信じられている。人間への愛 と、始源への愛との等質も信じられている。その愛を、「眠り」を触媒にイメージとしての「雨」が強く喚起している。
大きい歌である。 昭和五一年『ひるがほ』所収。

★ 子の友が三人並びてをばさんと
呼ぶからをばさんであるらし可笑し    河野 裕子

☆ 「呼ぶから」が、おもしろく、これ一つで「歌」になっている。
「をばさん」は予想外だったが、なるほど「をばさん」なのだろう、「をばさん」でいいわよ…。精神の容量、器量、の大きいこの人の作風がこころよくうかがえる。昭和五九年『はやりを』所収。
2021 2/13 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ ロオランサン、シャガールなどの画譜を閑ぢ
貧しき国の秋に瞑(めつむ)る
さめぎはのゆめの混沌(かおす)のたのしければ
枯山(かれやま)に片目をあきしふくろふ
口中に一粒の葡萄を潰したり
すなはちわが目ふと暗きかも     葛原 妙子

☆ さきの二首は昭和二五年『燈黄』から、三首めは同じ作者の昭和三八年『葡萄木立』から採った。が、さてこれらがどう「愛の歌」か。愛どころか、一般に短歌ときくとおうむ返しに「分からない」と嘆く人らには、この三首など 先へ行くほど頭がイタくなりそうだ。
だが正直に言う、これら三首はおそらく今日の短歌の最高水準を達成している、私はそう思う、と。しかも翻訳も解説もほとんど意味のない、これは数学でい うこれ以上に割切ることの不可能な素数のような詩なのである。それでもいくらか手がかりは、ある。ロオランサンやシャガールの絵に負けない日本の「秋」 へ、しかと「瞑(めつむ)る」のは、見まいためでなく真に見るためだろうし、それはいくら目をあいていても、絵も自然の美も西も東も見わけのつかない、そ もそも夢を拒絶されている者らへの、ものうげな訣別の態度でもあるのだろう。「枯山に片目をあきしふくろふ」とは、おそらくは作者その人の自愛のポーズで もあろう。
だが、その辺りまでが精一杯。三首めになれば、これはそのまま「生きのたまゆら」のようなもので、この歌そのものを口中に含んで、そのうちに舌で押し潰 してみるしかない。存外にむずかしくも何ともなく、その、くらい甘美な味に納得するだろう。「ふと暗きかも」とは、詩と真実へ出逢いのふと濃やかな味わい に、思わず「瞑る」嬉しさを謂うのかも知れない。ここに秘められた愛の次元は高い。
2021 2/14 231

☆ 天岩戸 神楽ノ條
あはれ
あな面白
あな樂し
あな清明(さやけ)
をけ

* これが「生きる」「生き(息)づかひ」というもの。人間はあくせく惑うて馳せまわっているが、うちの「マ・ア」は一日中、仲良く、さやかに神楽を楽しがっている。
2021 2/14 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 春がすみいよよ濃くなる真昼問の
なにも見えねば大和と思へ     前川 佐美雄

☆ むずかしく思わなくていい。「春がすみ」の籠めたひろいひろい「真昼間」だ。「なにも見え」ない。見えねばこそこの世界を「太古」の名のままに「大和」と想おう。感動と想像と両の翼をそうして限りない「時」の彼方へ解き放とう…と。
「見えねば」といいつつ、より豊かにものが見えている。国が、自然が、歴史が、そしてそれらに育まれた自分自身が確かに見えている。名歌である。 昭和十五年『大和』所収。

★ 猪鍋(ししなべ)や吉野の鬼のひとり殖(ふ)ゆ     角川 春樹

☆ 「言霊の鬼、前登志夫氏」と添えてある。私には分かる気 がするが、前氏を知らぬ人には無理だろう。それならば採るまでもないようなものだが、この句、そんな限定を超えた魅力がある。たんに一人の現代歌人をほめ るだけでない、もっと初原へ帰って「鬼」そのものへの強い愛を感じさせる。
鬼が「ひとり殖」えた…、それがなぜ作者の喜びになりまた私の喜びになるのか、理づめに説く気も起きないが、いわば「鬼の世界」を信じているのだ。むご いばかりな「人の世界」に無い、貴い秘密を抱き込んだ真実を信じ愛しているのだ。「吉野」はそういう世界だったと、古いものの本には証してある。
だが「吉野」ばかりか「日本」中がひろくそういう世界だった。昭和五九年『補陀落の径』所収。
2021 2/15 231

* 青空の晴れ晴れした昨日とうって代わり、しとしとと真冬の雨。聴く雨もよろしい。積もる雪は遠慮したい。「聴雨」という二字、佳い。出典を探ったことはないが。

☆ 神楽歌  篠波(さヽなみ)
樂浪(さヽなみ)や
志賀の辛埼(からさき)や
御稲(みしね)舂(つ)く女の佳(よ)さヽや
其(それ)もがな
彼(あれ)もがな
いとこせの まいとこせにせむや

葦原田の稲舂蟹(いなつきがに)のや
己(おのれ)さへ
嫁を得ずとてや
捧げては下(おろ)しや
下しては捧げや
肱擧(かひなげ)をするや
いとこせの まいとこせにせむや

あいし あいし

あいし あいし

* 「御稲(みしね)舂(つ)く女の佳(よ)さヽや」  いい唄声が聞こえてくる。「いとこせの まいとこせにせむや」「あいし あいし」  耳を澄ますと、森の菅のコロナのと現世の雑音が、ふと失せる。
2021 2/15 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ この祭はかなしみ多し雪が疾(はし)り
鬼が裸体であることなども
見捨てられ追はれし村も遠ざかり
鬼のしづかにねる雪の洞     春日井 建

今は昔朝けの堂に栗鼠(りす)は来て
籠(こもり)の鬼と遊びけらしな   木山 蕃

☆ 春日井の昭和四五年『行け帰ることなく』から二首、木山の昭和五四年『鬼会の旅』から一首を採った。
日本中に、「鬼祭」「鬼会」といえる催しは数多い。が、何故かという事までは人はあまり考えない。自分とは関係がない…という気もするのだろう。そうだ ろうか。ここに挙げた歌で「鬼」は雪のなかを「裸体」で「見捨てられ追はれ」て、わずかに村はずれの「雪の洞」や「堂」に籠もりながら、人外(にんがい) に栗鼠などと遊んで心をやっている。
まぎれもないそれは敗者の境涯のように想われ、人はさも「鬼」だもの当然かのように思い切って、顧みない。
そこを敢えて顧みて本当に自分は、自分たちの歴史は、敗者でなく勝者のそれであると断言できるのかどうか、よく思い直してみたがいいだろう。日本の歴史 で、もっとも「かなしみ多」く、「愛」に欠けていた部分として「鬼」の世界への偏見と差別が、ある。自分だけは「鬼」ではないなどという思い上がった誤解 から自由にならない限り、日本人の暮しに、真に高貴な「自由」は確立できないだろう。

☆ 十六日の節(せち)の酒坐歌(さかほがひのうた)

此の御酒(みき)は我が御酒(みき)ならず
酒(くし)の神常世(とこよ)に坐(いま)す
石(いは)立たす少御神(すくなみかみ)の
豊壽(とよほ)ぎ壽(ほ)ぎもとほし
神壽(かむほ)ぎ壽(ほ)ぎ狂(くるほ)し
祭り來(こ)し御酒(みき)ぞ
乾(ゐ)さず食(を)せ さゝ

此の御酒(みき)を醸(か)みけむ人は
其の鼓(つづみ)臼(うす)に立てゝ
歌ひつゝ醸(か)みけれかもし
舞ひつゝ醸(か)みけれかもし
此の御酒(みき)の
あやにうた樂し さゝ

* 神とも同座の 悠久をしのばせる酒坐(さかほがひ)の歌声が、なつかしく聞こえる。信不信ではない、日本人の、いいや押し広げて謂うまい、私の心根には、もっとも懐かしい自然な日々と受け容れられて、在る。この酒が楽しくて嬉しい。
オリンピックも、そういう楽しくて嬉しい神と同座であったろう、今日只今のオリンピックは、ひとり人間のエゴを、表でも裏でも競うかの臭い営為へ堕して、堕しかけて、いないか。
2021 2/16 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ ほそぼそと心恃(こころだの)みに願ふもの
地位などありて時にあはれに     畔上 知時

☆ よくぞ…と思う。これは、なみなみでは歌い出す勇気すら出ない歌である。四十代、五十代の、世に中間管理職といわれるような人たちの日常心理は、概してこういう所へ余儀なくせつなく繋がれている。
「地位」の二字、この一首にあっては莫大な容量を孕んで揺るぎない。人間が「繋がれ」る虚栄と執着といささかの「心恃み」として、「地位」の二字は実に多くの人を支えかつ蝕んできた。
そういう全てを見通しながらの、「時にあはれに」という述懐自愛の純真が、この歌を詩にしている。 昭和五八年『われ山にむかひて』所収。
2021 2/17 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 通用門いでて岡井隆氏が
おもむろにわれにもどる身ぶるい     岡井 隆

☆ 誰しもが「変身」の劇を秘め持っている。ひとつの世界か ら機あってべつの世界へ入って行く。その境の「門」をこの歌では「通用門」と呼んでいる。事実どおりの次元を超えて読めば、いつも通る門、繰返し往来する 門、表向きでない我一人の門とも読める。これまた誰しもが秘め持つ門ででもあろうか。「われ」が「われでない」世界と「われ」が「われにもどる」世界と、 ある。この歌では、「通用門」の内の世界で「われ」でなく、外へ出て「われにもどる」のだと「岡井隆氏」は言う。だが、価値判断は示していない。「身ぶる い」が面白い。魔法つかいのようだ。大喜びで「身ぶるい」したとも、やれやれというおぞましき「身ぶるい」だとも、「氏」は断わっていない。
敢えて察しなどつけない方がこの歌は面白い。 昭和三六年『土地よ、痛みを負え』所収。

★ わが合図待ちて従ひ来し魔女と
落ちあふくらき遮断機の前    大西 民子

☆ 前の岡井の歌でいう「通用門」が、この歌では「遮断機」という一層毅然たる表現に転じている。「われ」と「魔女」とは異なる世界を踏み越えて変身の間際の、同じ二つの顔に相違ない。
この歌でも「われ」と「魔女」との価値判断はしていない。出来もしない。「われ」のなかにいつも「魔女」は潜み、「魔女」として生きる暮しが「われ」の 暮しでもある。お互いにしめし合わせて不都合なく生きて行くよりないと、世界を分かつ「遮断機の前」は、両者が慎重に瞬時に打合せを遂げる秘処なのであ る。
むろん作者が勤めの退けどきや、通勤途中の踏切などにうち重ねて想像してみるのは、「岡井隆氏」の場合と同様、いっこうに差支えない。ただ、そこで読み止まっては面白くない。
これらは私のみる所、自身および「生きる」ことへの、まぎれない、「愛」の歌である。 昭和三五年『不文の掟』所収。
2021 2/18 231

☆ 神楽歌   劔

白金(しろがね)の目貫(めぬき)の太刀を提げ佩(は)きて
奈良の都を練るは誰(た)が子ぞ
練るは誰(た)が子ぞ

石上(いそのかみ)
ふるや男の太刀もがな
組の緒垂(し)でて宮路通はむ
宮路通はむ

斎(いは)ひ來(こ)し神は祭りつ
明日よりは
組の緒垂(し)でて遊べ太刀佩(は)き

おきつきに皇神達(すめがみたち)を斎(いは)ひ來(こ)し
心は今ぞ
樂しかりける

* 聖なる祝祭の、火ならぬ、いつくしき劔の宮路通ひと想像され、厳粛という楽しさを遙かに想いだす。
2021 2/18 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 「昼食」と机上にメモを置きて来し
身は早春の街に遊べり    島田 修二

☆ なんでもない歌のようでいて、一語一語がよくモノを言っ ている。一首の短歌として、用語の一つ一つが「詩化」を遂げている。短歌作品としては当然の前提であるとはいえ、これがなかなか遂げえられないのが「現代 短歌の重い病気」なのである。言うまでもない作者は勤めの人であり、それも忙しい連絡に追われている。その昼休みに「メモ」一枚を机に置いて街へ身を解き 放った、そのあふれる喜び、そして下にただよう悲しみ、が…下句にみごとに満たされている。
こういう自愛を余儀なくされている社会、都会、生活。作者は、やがてここから敢然と脱出する。 昭和五八年『渚の日々』所収。
2021 2/19 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ きらきらと輝くような目で見てよ
われはそれほど不幸にあらず
空わたるかりがねよいま人として
地上に生きるわが身も見てよ     冬道 麻子

☆ 重篤の病に文字どおり身動きもならない若い人の、これは また、なんと美しい「うったえ」だろう。「見てよ」といった、何でもなく、むしろ投げやったような物言いがこんなに胸を打つ明るい響き、誇らしいまでの輝 き、をもった例を知らない。ことに第二首めの間然するところなき表現の確かな訴及力に、その新鮮さに、心からおどろく。
命への噴き上げる「愛」あって初めて歌い切れた歌声が、聞こえる。 昭和五九年『遠きはばたき』所収。この歌集出版には、亡き高安国世をはじめ多くの歌友の応援があったときいている。心すこやかなこの作者の前途を祈りたい。
2021 2/20 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 聖書が欲しとふと思ひたるはずみより
とめどなく泪出でて来にけり     近藤 芳美

☆ いまさらに「聖書が欲し」と思うくらいだから、この人は これ以前にクリスチャンであったわけではないのだろう。ただ「聖書」の意味や価値については承知していた。ふとおとずれる信仰の誘いのごときもの…の、魅 力や価値についても、またそのような誘いに心惹かれる人間の思いの深みや寂しみを、まるで覗いたこともない人ではなかった。ただ、どちらかといえば積極的 に「聖書」に真理を求めるというより、ふと心なえたり傷ついたりした時にそういう誘いに身をまかせたくなるいわば自身の性向に気づいていて、だから、い ま、「とめどなく泪」の出るのをおさえようもないのだ。
「泪」を否定しているのではない。作者が信じているものとあるいは対極に在るかも知れない「聖書」を、否定しているのでもない。どの道を通って目的へ到達するにせよ、人間の運命がいとおしまれている。 昭和二三年刊の歌集『早春歌』の冒頭を飾った歌。 2021 2/21 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

☆ ユニークな作風で注目された丸山薫の『帆・ランプ・鶴』(昭和七年刊)から、ちょっと面白い散文詩 「山」 を挙げてみる。

★ ケンキチは、肥ってゐる僕を山に肖てゐると言ひ、
いつかの夜、夢の中で登つたのがそんな形の丸い山だ
ったといふところから、僕の顔さへ見ると、かならず
「やあ、山が歩いて来た、山が寝てゐるぞ、煙草を吸
つてゐらあ」などと、人をそつくり山にして喜んでゐ
る。うるさいな。僕は苦笑するが、かうして考へるこ
ともなく動かない自分はわれながら巨きな山であるや
うな気がしてきて、をりをりは涼しい雲に巻かれさう
になるから可笑しい。                 丸山 薫

☆ 為す無き安逸を自戒している風でいて、もっと余裕があ る。「ケンキチ」のいわく「山」にも、友の美質に触発されて清風が流れている。独座大雄峯。そうまでも居直らない涼しい境涯に、またこの詩風に、心境的私 小説全盛の時代と相亙る「詩人」の好みや態度もほの見えて面白い。そして可笑しい。この面白さも可笑しさも、すぐれて上質である。
2021 2/22 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 僕は衰へてゐる
僕は争へない
僕は僕を主張するため他人を陥れることができない

僕は衰へてゐるが
他人を切つて自分が生きようとする衰へを
僕は恥ぢよう

僕は衰へてゐるが
他人の言葉を自分の唇にのぼす衰へを
僕は恥ぢよう

僕は衰へてゐる
僕は僕の衰へを大切にしよう     高見 順

☆ 昭和二五年刊の『樹木派』に収めた「僕は衰へてゐる」を 引いてみた。自分の「衰へ」を自覚できるという事は、思いようでは、人間にも「動物」なみに許された高貴で自然な自覚である。その自覚のいわば底辺にあっ て、なお…というか、それだからこそ…というか、譲ることの出来ない「人間」的な一線をこの詩はきっばり歌いあげている。
もう一つ、同じ高見順の詩集から、挙げずにいられない、「天」という作品がある。

★ どの辺からが天であるか
鳶の飛んでゐるところは天であるか

人の眼から隠れて
こゝに
静かに熟れてゆく果実がある
おゝその果実の周囲は既に天に属してゐる     高見 順

☆ これまた「愛」の詩とどう読めるのか、人はいぶかしむだろう。
何でもない。
「天」を「愛」と思って読めばいい。
2021 2/23 231

☆ 神楽歌  閑野小菅(しづやのこすげ)

閑野(しづや)の小菅(こすげ)鎌もて苅らば
生(お)ひむや小菅
生ひむや生ひむや小菅

天(あめ)なる雲雀
寄り來(こ)や雲雀
富草(とみくさ)
富草持ちて

富草噉(く)ひて

あいし あいし

あいし

* こういう環境や感興を、神と親しむ思いで人は「文化」として抱いていた。そういう日本の末世にいま私たちは生きている、あまりに雑然と。
2021 2/23 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 新しきとしのひかりの檻(おり)に射し
象や駱駝はなにおもふらむ   宮 柊二

☆ 暦の上での清々しい「新年の日の光」はいついかなる時にも変りないが、人間や時代の運命は容易には定まり難いものである。その閉塞状況への憤りをこのさりげない独詠歌からは読みとらねばならぬ。
「檻」の中の「象や駱駝」の思いを問うのは、そのままに自身と母国とが置かれている一切の状況へむけて問うのである。すべての自由ならざるものの運命に 問うのである。骨柄の大きい、多くの近藤の歌とはまた味わいを異にした思想歌とでも言おうか。 昭和二八年『日本挽歌』所収。
2021 2/24 231

2006-2-24 まさしく 15年前の今日の今時刻 娘朝日子の生んでくれた孫娘二人(押村
やす香・みゆ希)の手でこの雛祭りがされていた。姉やす香は、不幸にしてこの年の七月、
母朝日子の誕生日に二十歳成人を目前に病死した。妹みゆ希はもう三十歳前後、姉やす香
の死以降、まったく会えない。朝日子とも会えない。なんという不可解に寂しいことだろう。
もしみゆ希にいま女の子があれば、この雛飾りは曾祖母である妻からごく自然に曾孫へゆず
られているであろうに。 やす香も、哀しい思いでこの両家不可解の事情を歎き眺めていよう。

やすかれと呼びて笑まひて手をふりてやす香は今し歩み來るなれ  令和三年二月二四日
姉 妹  2020-2-24 秦祖母ちゃんのやす香
2021 2/24 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 仔の猫の吾を見守りしばしあり
人語解らぬもののすがしさ    大塚 布見子

☆ 仔猫の可愛いようすもさりながら、それから下句へふくら んだ認識が、ただに認識にとどまることなく作者の「境涯」として深められているのが、なつかしい。言葉を駆使して生きる歌人ゆえに、また「人語」のわずら いをよく心得ている。まこと「言わざ繁」き世のなかになっている。
私も仔猫のノコと「ふたり」在る時が、一等清々しい。 昭和六〇年『霜月祭』所収。

★ 己が名を聞き分けて応ふるわれの犬
名のあることの寂しくはなきか    青井 史

☆ この歌を読んだとき、作者はどんな考えでこの下句を作ったのか、そこが聞きたい、つまり、そこの所を歌って貰ってこそ歌なのにと思った。その思いは、今も変わらない。が、心惹く歌であるにも相違はない。むろん下句のゆえにである。
名づけて名を呼ぶ、のは、古来「加護」ないし「支配」の一つの形だった。すぐれて人間に固有の営為でもあった。「われの犬」もそうした人間の行為に巻き込まれて暮らしている、「名」あるがゆえの服従を強いられている。そういった事を作者は言いたかったか…。
そういう風情では、なさそうにも思われる。むしろ「われの犬」に問うかたちで、実は「われの心」にこそ作者は問うているような気もする。何を…。あらゆ る人間の関係が、何らか「名」と「名」とのうわべの関わりと化し、真に人間的な共感や共生の実質を欠いている事に愕然とすることは多い。「名」にはばまれ て真実の愛がむしろ完うされないという悲しみや寂しみを胸に抱いた人は、多いはずだ。少なくも私はそう思ってきた。そこを乗り越えなければ人と人とは、い つまでも他人ないし世間の域を出ない間柄でしか生き交わせず、真実の「身内」にはなれないと考えた。
青井の意図は汲み切れない。が、この歌はそういう私の思想をまた思い起こさせた。 「かりん」昭和五五年六月号から採った。
2021 2/25 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 国原はふもとにかすみ冬の蝉
さくらの幹にひそと放つも   前 登志夫

☆ 「ひそと」という清寂の気に、この歌は心あたたかに包まれている。言葉の正しい意味で「なつかしい」佳い歌になっている。吉野でよし、吉野と強いて読まなくともよい、とにかくもこの「かすみ」籠めた「国原」はわれらの国原だ。
下句をことさらになにか寓意ありげに読む必要もなく、ただ言葉のままに作者の優なる振舞いをありがたしと享け、美しと感じれば佳い。 昭和四七年『霊異記』から採った。
2021 2/26 231

* ソファにのがれ、手の届くところから明治四十二年刊の作家略伝「評釈国民詩集」で、西郷南州や山縣含雪、成島柳北、乃木希典らの漢詩を拾い読みしていた。柳北が、アララト山にノアの方舟の留まったのを歌い、またナイアガラの大滝を吟じているのが面白かった。
2021 2/26 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 白きうさぎ雪の山より出でて来て
殺されたれば眼を開き居り    斎藤 史

☆ 当代屈指の難解歌かも知れぬ。しかも魅力に富み、看過できない。
この歌について、私はこの詩人自身が語るのをテレビで聞いたことがある。感動して聞いた。が、それをここへ正しく私は伝えられない。人により、実にいろいろに読まれて来ましたと作者は微笑していた。だからといって作者自身の読みを強いているようでも毛頭なかった。
どう思ってもこの歌は、例えば「美」を意図したものではない。そういう言いかたをするなら「真」を、真の「自由」を不当に覆い隠すものに対する、激しい憤りを「うったえ」た歌だろう。
「雪の山」にすむ「白きうさぎ」は、自然に外の侵しからは守られている。が、豊かな暮しではないだろう。「山」を出たい気持ちにもなるだろう。出ればそ こは人間の世界。見つかれば簡単に「うさぎ」ごときは殺される。そして案の定「殺されたれば」こそ初めて、命の一切をかけてむごい人の世のありのままを、 「眼」をみひらいて見ている。そのむなしさの一切をかけて抗議している。死んで、殺されて、…そして初めて眼を開いてものを見るのでは遅い…と、意識にお いて「山のうさぎ」でしかないいつも甘えてめくらな誰かに、あるいは自分自身に、この歌は「うったえ」ているのだろうか。
今の私にはこの程度の読みが精一杯だが、年を経てまた別の読みが可能かも知れぬ。 昭和二八年『うたのゆくへ』所収。
2021 2/27 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ この桜しろがねの壷に挿さうかな
夜寒なにかは月も入れんよ    高橋 幸子

☆ こういう豊かに美しい、しかもなごやかなエロスを秘めもった情感を、壺も、月も、私は詩歌の表現としてことに好む。

★ 花籠に 月を入れて
漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な     『閑吟集』

☆ この室町小歌を東に置いた高橋の表現に相違なく、「しろ がねの壷」には女体である自像も彫り込まれていよう。「なにかは」構うものか、それへ「桜」「月」もろともに挿し入れて佳しと夢見る、春おぼろ「夜寒」む の孤心。風流の極みと愛でたい。  昭和五八年『花月』所収。
2021 2/28 231

述懐  恒平・令和三年(2021)三月

* ここに「恒平」三年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。

 

たのしみはふたりのね子に「待て」とおしえ削り鰹をわけてやる時

たのしみは好きな写真のそれぞれに小声でものを云ひかける時

☆ 此のごろの仕事疲れの癒しです  恒平
2021 3/1 232

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 案内(あない)して花がよろこびますといふ    永井 龍男

☆ 「いちどきに帰り給ふな花の客」という句もこの作者に、ある。懐かしい。花と客への、愛。 「俳句とエッセイ」昭和五七年五月号から採った。
瀧井孝作先生とお二人で私の『廬山』を美しい作と、美しさに殉じた作と芥川賞に推して下った。出先でたまたま、私とみつけられるとご自分から寄ってらしてよく励まして戴いた。懐かしい。

★ 春の曇り引窓の玻璃に動くなく
過去世のさくら遠山に咲く    前 登志夫

☆ おそらく「美しい」という言いかたがしたければ、今、前 登志夫のこういう歌の右に出る作はそう無いだろう。だが、ただに「美しい」だけの歌とは思われぬ。初・二句の字余りの重ねが利いて、「動くなく」といった 寸を詰めた表現がきっかり急ブレーキのように静止感を強め、「玻璃=ガラス」ごしに音を遮断して眺めた「春の曇り」の、なんどりと静かな風情をみごとに描 写する。しかも処理のむずかしい「カ」行の音の、ことに「ク」音をこの歌は旋律として生かして、おおむね成功している。私はそう評価している。
それにしても下句「過去世(「かこせい」と読みたい)のさくら遠山に咲く」の気の遠くなるような美しさはどうだろう。「過去世」は、たんに昔の意味とは 思われぬ。仏の世界にいう過去仏と同じに、無量無際涯に「過去」という単位を積み重ねたその遥かな「過去世」というほどの思い入れがあろう。しかもそれほ どの過去から変りなく、今も目に映じているのと同じ「さくら」は咲いていた…と言いたい、事実の感覚では受取れない心の真実として咲く花を、作者は眺めて いる。そこに「遠山」の「遠」いという字づかいが生かされている。
この「吉野の鬼」といわれる歌人は、まさしく永遠の「時」を駆って美の真実を収穫している。 昭和四七年『霊異記』所収。

* 弥生三月 よき花月(はなづき)であれよかし。
2021 3/1 232

☆ 催馬樂  紀伊州(きのくに)
紀伊國(きのくに)の白良(しらら)の濱に
眞白良(ましらら)の濱に
來て居る鷗 はれ
其の玉持て來(こ)

風しも吹いたれば
餘波(なごり)しも立てれば
水底(みなそこ)霧りて はれ
其の玉見えず

* どんな「玉」かと奥ゆかしく、懐かしい。歌そのものが妙薬のように、懐かしい。「はれ」と、声に出して囃したくなる。身のうちにこういう風景も世界も失せていないのが、安らかに、嬉しい。
2021 3/1 232

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 花にそむ心のいかでのこりけむ
捨てはててきと思ふわが身に     西行法師

☆ 「染む」は花の色香に愛着する意味。世を捨てて僧になった身に心に、花への愛着だけはなぜ捨て切れないのか…と。
「空」と「色」との尽きぬ葛藤を抱いていた心優なる花月西行。美しくも常なきものへの愛の思い入れの深さ。たんに風流、風雅というて尽くせぬ自然の真や 美との共生には、とほうもない豊かな覚悟がうかがわれて、この歌なども、現代の貧しい心根には、まるで夢でも見ていると映る。
夢の夢である儚い価値に気づかなくて、どうして現実の価値が見えようか。 『山家集』所収。
2021 3/2 232

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 春昼(しゅんちう)の校庭に立つ足裏に
さくらさくらと散るものの声    東 淳子

☆ 桜の花びらが一面に散り敷いた校庭に立っている、と想っ ていいだろう。「足裏に」は一つにはそういう状況を説明する役目がある。が、同時に地の底を経て他界に至る道、いわば境としての「足裏」でもあるのを見落 としてはならぬ。「さくらさくらと」にも、或る重ねられた「うた」の効果がある。「弥生の空は見渡すかぎり」と今しも生徒たちは歌っているのかも知れぬ。
姿なく声もない声が作者の耳には今しも聞こえているのかも知れぬ。例えばあの戦争の日々、「さくらさくら」を相言葉のようにいくさの庭に散って行ったも ののことも、作者は忘れてなどいないはず。「散るもの」とは花なる「さくらさくら」だけでなかった。生きとし生けるものが散って行く。散って「もの」とな る。「ものものしい」「ものがなしい」「ものがたり」「もののけ」の「もの」になる。
作者の思いには今しも春、入学を果たして来たばかりの無邪気な生徒たちでさえも、「散るもの」に数えられていよう。その運命がいとおしまれ、また何ものかへのそれは憤りとも見合っていよう。
ざっと読んではみたが、尽くせたとは思わない。洞察の力を美しく詩化しえた秀れた現代短歌。 昭和五三年『生への挽歌』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 花が水がいつせいにふるへる時間なり
眼に見えぬものも歌ひたまへな     斎藤 史

☆ 「歌ひたまへな」は、素直にとって、他人にあつらえ望ん だもの言いだろうと思う。歌の道をともに行く年少の友らへの言葉と聞いても差支えはない。むろん「眼に見えぬもの」とは何か、なぜそれ「も」歌わねばなら ないのか…が問題であり、斎藤史の短歌観がこの歌で歌われているとも言える。
たとえば単純な写実本位を主張する立場から言えば、「眼に見えぬもの」などを追う表現は二義的というしかないだろう。
だが、本当にそうなのか。そう問い直す考えがなければ斎藤史のようには歌えまい。花も水も「眼にみえる」ものだ、が、花といい水といいその「ふるへる」 不思議の命は、「眼」でのみは捉え切れない。しかしその不思議に感動しその不思議に参加して行くのでなければ、花や水の、美も真もおよそ よそのもの で 終わるしかなく、その限りではどんなに精巧に外形は写しえたにしても、それは死んだ花や水の外面でしかありえない。
眼に見えるから自然なのではない。むしろ眼に見えぬものと表裏合わせて自然に成る。どの片方で終わっても、それこそ不自然。眼に見えぬもの「も」、とい う含みを正しく聞かねば間違ってくる。「花や水がいつせいにふるへる」或る特定の「時間」をこの歌は指さして言っているのだろうか。むしろ目の前に人を置 いての「いま」を指して、ほら…あんなに、と示しているのだと思う。
もののうわべしか見ようとしない人が多い。不思議の命にこそ感動して欲しい、そういう真実を、美しいとも、すばらしいとも、愛して欲しい。そう、この歌は歌っているのではないか。私はそう思っている。 昭和二八年『うたのゆくへ』から採った。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 百粒の庭の桜桃(おうとう)食べ頃に
赤らむ頃をわれも椋鳥(むくどり)も待つ
桜桃の赤らみそむる可愛くて
醜(しこ)のむくどり食はずに居れぬ
数粒は鳥に残さむと我は思(も)へど
鳥はひとつぶもわれに残さぬ     斎藤 史

☆ 昭和五一年『ひたくれなゐ』から連作を抜いてみた。
第二首の「醜のむくどり」は、実の椋鳥以上に作者自身の自称であるらしく感じられる。すくなくも両方を兼ねた「むくどり」と読みたい。その余は解説を要しない。鳥・人共生の、ふしぎにユーモラスな情緒と季節への愛とを、くすんと笑いながら楽しみたい。 2021 3/5 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 我よりも長く生きなむこの樹よと
幹に触れつつたのしみて居り     斎藤 史

☆ 残り少ない自分の命を感傷的に哀惜するのでなく、むしろ自分の死後にもなお成長して行くのであろうはつらつと美しい樹木(ないしは、後生・男)の命を、たのもしくも楽しく眺め、かすかな性愛とともに手に触れている。自然への大きな愛と平静な安身立命の落着き。
これほどの歌をさらりと歌えた詩人は、めったにいない。 昭和三四年『密閉部落』から採った。

★ 夕ぐれの秋の光に馬は佇(た)ち
ながるる風に浄まりゆけり     斎藤 史

☆ こういう歌を挙げて名歌だといえば、昨今の技巧本位の自称プロ歌人らはあざ笑うかも知れぬ。
しかし私は言う、この一首などは、ひとりの歌人のかりに「最期の歌」となっても、これ在るだけで生涯の一切が記憶されるに値するほど、優れた歌なのだと。
どこに奇もない。むずかしい字も表現もない。だが一幅のこれは名画のように、三十一の音がいささかの無理も不自然もなく、むしろ積極的に働き合いなが ら、線になり色になりして清い風景を成している。「馬」としかいえないただの「馬」が、「夕ぐれの秋の光」をそよがせて「ながるる風」のなかで、或る、 「馬」以上の不思議の「命」そのものに透きとおって行く。言うまでもない、その光景を「馬」とともに「佇」み眺めている作者の老いの命も、透きとおって行 く。
うらやましい。 「短歌」昭和五九年七月号から採った。
2021 3/6 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 豆煎れば豆ひそやかにつぶやけり
未来の世も同じこほろぎの声     斎藤 史

☆ ここへ来て、なぜこう私が 斎藤史の歌ばかり並べるのか と思われもしよう。「愛」の詩歌を選ぶ作業のなかで、どうしても漏れてしまいそうな秀歌群のあることは、予想がついていた。それを少しでも掬い上げるに は、「さまざまな愛」といった章を一つ立てるしかない、という考えも 最初から私にはあった。
それにしてもこの一首など、「愛」の歌と、どう読めばいいのか、読者が迷われるであろうように、私も惑う。しかも、どうしても省く気になれない。
生きて幸せであることへの弱い断念や嘆きの歌だとは、思わない。生きることの相も変わらぬ辛さなりに、それなりに生きの限りは生きたいし生きて行けると いう、「意志」の歌に私には読めるのだ。「こほろぎの声」というのも、寂しいほろびの象徴として歌われてはいず、むしろ過去現在未来を通じて変りないいわ ば「所与としての自然と生命」を象徴しているように読める。
豆と豆殻とが火熱を浴びながら互いに身の不運をかこちあう寓話を我々は知っている。斎藤史のこの歌はそれも承知のうえ、しかも平静に来る運命は運命とし ておそれなく迎えて、なお生きよう「意思」へと逆転し得てはいないだろうか。「未来」を「つぎ」と読まず「さき」と訓ませたレトリックにも、三世の区別を 超えて「生きる」ことへの変りない「愛」が暗示されているように思えて仕方がない。
「豆」は、泣いても嘆いてもいない。見苦しく騒ぐでないと、むしろ、我々につよく訓えている気がする。 昭和二八年『うたのゆくへ』から採った。

* 斎藤史には、別に、語られていい、語らずにすまない「歴史」がある。父は、あの「二・二六事件」に深く関わって蹶起将校たちに感化し得た一将官であり、罰された。将校達の中には斎藤史さんの少女期いらいの友もいて、銃殺された。
この事件にはムリもあったが意思の深みには日本と日本人とのなおざりにしてはならない問題も沈んでいた。ただ「叛乱」の一語で葬り去っていい叫びだけではなかったと私は観て聴いている。斎藤史は、生涯それを抱いていた。
2021 3/7 231

☆ 姑とは
ぼ半世紀にわたって 様々なことがありました。最期まで看取ったという思いです。
容赦なく時間は過ぎていき、後の整理に忙しいのですが、少し身体を動かすと鈍重さに襲われて、じっと横になっています。 が、 基本的には元気です。
HP 昨日の斎藤史氏の歌、夕ぐれの秋の光に は、この世の風景であり、同時にあの世の風景だと感じます。あの世は人の思いが生み出したものと思いつつ、一歩を踏み出すにはまだ少し時間がかかりそうです。
★ 夕ぐれの秋の光に馬は佇(た)ち
ながるる風に浄まりゆけり     斎藤 史
校正など、充実した時をお過ごし下さい、そして体調整え、コロナが落ち着いた時こそ、どうぞ京都に帰省されますよう。   尾張の鳶

* 尾張の鳶には 今一度 高見順の詩 「天」を贈ろう。

どの辺からが天であるか
鳶の飛んでゐるところは天であるか

人の眼から隠れて
こゝに
静かに熟れてゆく果実がある
おゝその果実の周囲は既に天に属してゐる     高見順

* 私の妻は 九十過ぎた私の父を見送り 九十三の私の叔母を見送り、最後に九十六の私の母を見送ってくれた。今も 有り難うと思っている、心より。
それにしても みな 長生きだったなあ。われわれの八五老など、物の数に入らないではないか。
2021 3/7 231

* 上にあげた『京に田舎在り』の名士たちの随想をみていると、「俳句」を手すさびのようにする人が多い。短歌和歌の人はいないに同じい。
俳句は短くて取り付きやすく易しいと思う人が多い、が、私は、逆に思っている。俳人として通った人の俳句でも、いいなと手を打っておもしろおかしい作はめったにない、タダの五七五音句に過ぎなくて、それで笑える。
いま、二階の窓によって、グレコの繪の次に、芭蕉の全句集を岩波文庫でみているが、よしと○のつくのは、すくなくも芭蕉初期句には殆ど見あたらない、ナンジャこれは、というのが多い。
一般に俳句へ身を寄せた人の、「俳」一字へ理解の及んだ人はめったにない。「五七五」の意味だと勘違いしたまま俳句でございと出ている。
「俳諧」とは、根に、おかしい、わらへる、諧謔の感覚が忍んでいる。「ふるいけや 蛙とびこむ みづのおと」と聴いて「わらへる」素質のない人は「俳 句」の域には遠い、などと、もはやだれも思っていない。かんかちこの、きまじめな境涯を五七五に云うたとだけで俳句と思っている。笑止である。深い感銘は 「そのあと」へしみじみと湧き来る。
2021 3/7 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ おいとまをいただきますと戸をしめて
出てゆくやうにゆかぬなり生は
死の側より照明(てら)せばことにかがやきて
ひたくれなゐの生ならずやも      斎藤 史

☆ 簡単にこの「生」から「出てゆ」けぬことをグチっている 歌ではない。「ゆかぬなり」という強い確認には、だから最後の最期まで「ひたくれなゐ」と燃えて「生」きる覚悟が突出している。老境すでに日常的にも思索 的にも「死」にまぢかに生きて、しかもなお、この「ひたくれなゐ」に毅然と美しい詩人の生きかたに感動する。 昭和五一年『ひたくれなゐ』所収の、屈指の 名歌。
2021 3/8 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ M博士の「地球の生成」という書物の頁を開きながら、
私は子供に分りよく説明してやる。
──物理学者は地熱から算定して地球の歴史は二千万年
から四千万年の間だと断定した。しかるに後年、地質学
者は海水の塩分から計算して八千七百万年、水成岩の生
成の原理よりして三億三千万年の数字を出した。ところ
が更に輓近の科学は放射能の学説から、地球上の最古の
岩石の年齢を十四億年乃至十六億年であると発表してい
る。原子力時代の今日、地球の年齢の秘密はさらに驚異
的数字をもって暴露されるかもしれない。しかるに人間
生活の歴史は僅か五千年、日本民族の歴史は三千年に足
らず、人生は五十年という。父は生れて四十年、そして
おまえは十三年にみたぬと。
──私は突如語るべき言葉を喪失して口を噤んだ。人生
への愛情がかつてない純粋無比の清冽さで襲ってきたか
らだ。                   井上  靖

☆ 『井上靖全詩集』(昭和五四年刊)の巻頭に置かれた「人 生」である。この詩人の詩は、一貫して散文詩であり、結晶度の高い成果を挙げている。もっともこの作品では、最後の二行がほんとうに必要だろうかと初見の 時からの不審を今も抱いている。それにしてもこの「愛情」は、ひろく人間の共有している、根の深い、寂しい負荷である。貴重な負荷である。
地球の寿命は、さらなる研究によりもっと永くなっているのではなかったか。そうであってもこの父から子への愛の詩は意義を喪うわけでない。
2021 3/9 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 仏より仏の母をおもふ夜の
かなたはろばろと逝く水の音   東 淳子

三輪山の背後より不可思議の月立てり
はじめに月と呼びし人はや     山中 智恵子

☆ 仏といい神といえる二つの対照的な世界と見えて、その実は「水」といい「月」といい重なる「一つ」の世界を流れ照らすもののように、想像される。世代はやや前後するものの、現代女流の作を代表しうるともに「不可思議」な佳い歌である。
私はことに山中の歌には、付け加える言葉を持たない。その「うた」自体が響かせる稀有の音楽にただ胸打たれていたい。
一方の東は、「水」への感性のすぐれて遥かにかつこまやかな人であり、そこに生みまた生まれたものの原郷をつねに幻視している歌人である。同時に「仏よ り仏の母をおもふ」という述懐には、世界の根に海を抱けるもの、女、をつよく自覚しながら生き死にの遥かな交錯に耳を傾ける姿勢が見えて、私には面白い。 うまく説明できないし強いて説明したくないが、山中の歌(昭和四三年『みずかありなむ』所収)も、東の歌(昭和五八年『化野行』所収)も、私には不思議へ の「愛」の歌としか読めずにつよく惹かれる。
2021 3/10 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照せ山の端の月     和泉式部

☆ 未生の「暗き」から死後の「暗き」へ、人は生きる。そして死ぬ。後じさりのならない一筋の道である。その道を、成ろうならば来世までも「はるかに照せ」と祈る。「山の端の月」を、この作者の時代でいえば、摂取不捨の来迎仏そのものと眺めていただろうか。
だがそうした思い入れを超えて、この歌のなんとまあ美しいことか。「和歌」時代から一つと限り女の歌を選べと言われれば、私はこの作者の名とともにこの歌を挙げたい。 2021 3/11 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 淡海(あふみ)の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば
心もしぬにいにしへ思ほゆ     柿本 人麻呂

☆ もし「和歌」で男の歌を一つ選べとあれば、好きなのはこの歌と答えよう。
「心もしぬに」以下の下句は、心も萎えしぼんで衰えてしまうぐらい…昔がなつかしまれる、の意味。
日本語の「死ぬ」の意味は、命が萎えしぼむ、しなびる、から出たという。もっともこの歌でのこの句は、そう深刻に重く取り過ぎることはない。「いにしへ」への愛の思いが、誰にもある。この作者の場合には具体的に古き志賀の都への哀惜があったろう。
が、我々は、もっと自在に大きくこの歌の表現や音調に助けられ、わが心の内なる「愛」の旋律を引き出して貰っていいだろう。私は、子供の頃から私専用の「和歌」のためのメロディーを持っていて、ことにこの歌など繰返し機(おり)ごとに口遊(くちずさ)みつづけてきた。
「淡海=近江」はわが、生みの「母」の国。いわば、私の詩歌への愛の原点といえるこの美しく懐かしい一首を大尾に挙げて、久しい撰歌と鑑賞の作業を、今、終えたい。

『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊
あとがき

『日本の抒情』(講談社・刊)の一冊を分担するよう指名を受 けたのは、昭和五七年(一九八二)六月十七日のことであった。まる三年がこの刊行までに経過している。顧みてよく三年でこれだけ読みこれだけ撰べたなと、 思わぬでない。近代現代に的は絞って行ったが、近代以前の莫大な作品にも、ともかく納得が行くまで目を通しつづけて来た。今にしてこの三年間が幸せなもの であったと、感謝は厚い。
思うままに撰んだ。冠絶した作品を厳撰したのでは、けっして、ない。表現や技巧に不満はあっても、テーマの「愛」に即し、心に触れて「うったえ」て来る ものが有れば、つとめて拾った。それが「詩歌=うた」というものだ。むろん出会いに恵まれずじまいの作品が、数限りなく有る。その余儀ない事実に私は終始 謙虚でありたかった。今もそう思っている。
また、私の解説や鑑賞が、作品を新鮮に読む喜びを読者から奪うほど過度にわたるまいとも、心がけた。簡単で済むものは済ませて、その分、一つでも作品を 多く紹介した。最初に指定された作品数より、だいぶ多くなっている。「愛」にもいろいろ有り、さまざま有るということだ。
作品の読みは「私」のそれに徹した。挨拶だくさんに、なまぬるい話に流れるのを嫌った。私はこう読んだが、あなたはそう読まれて、それもまた佳しとうな づけるものが「詩や歌や句」には、しばしば、ある。「読み」を一つに限ってしまう「翻訳」も、私は、当然避けた。サボったのでは、ない。
それにしても、いま初校を遂げながらしみじみ思う、愛ならぬ詩は、ない…と。
「愛」の、あまねく恵みよ! しかし「愛」の、難(かた)さよ! 努めるしか、ない。
昭和六〇年六月八日  娘・秦朝日子が「華燭」の日に     著 者
2021 3/12 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 小序

『閑吟集 孤心と恋愛の歌謡』は、中世の歌謡を集めて十六世 紀はじめ(一五一八)に成った、全編が赤裸々な愛欲の情を清冽に奏でた、それはそれは面白い本です。大半が、いわゆる室町小歌で、含蓄に富み、しみじみと 親しみぶかい恋と夢うつつの歌詞の数々は、五百年の歳月をこえて今も我々を切なく優しく感動させます。
十二世紀半ばに成った、前巻、古代の『梁塵秘抄 信仰と愛欲の歌謡』(NHKブックス)とあわせて、たぐい稀な「孤心」と「恋愛」のこの歌謡集の魅力を、思わず手を拍って満喫してくだされば幸いです。
日ごろ古典になじみのうすい、高校大学生、主婦、お年寄りがたを念頭に、数多い日本古典文学の「大系」(岩波書店)「全集」(小学館)「全書」(朝日新 聞社)その他(新潮社の「集成」は脱稿後に出版された)の本文や研究も有難く参照しながら、なお読み易く正しい歌詞の表記を著者なりに心がけ、昭和五十七 年(一九八二)年七月、NHKブックスのために新たに書下ろした本であることを申し添えます。           騒壇余人  秦 恒平

私の「著述」部分は割愛し 極力 『閑吟集』の「歌謡=主として室町小唄」そのものを 味わい楽しみましょう。

★ 花の錦の下紐は 解けてなかなかよしなや 柳の絲の乱れ心 いつ忘れうぞ 寝乱れ髪の面影

☆ 自編他撰の別なく、詩歌集でも小説集でも、巻首にどうい う作を置くかは一等心はずみ一等心重い決断になります。全篇の効果を決定づける場合がある。読者の印象を、そこで或る程度固めてしまうこともある。予断、 先入主、見通しが出来て、それが実は当人の思いと懸け隔たってしまう時など、なかなか作者は身を揉む心地がします。「なかなか、よしなや」とある、ちょう どそんな遣瀬のなさです。
閑吟集一冊は「巧緻に編まれた本」です。その巻頭の歌謡がこの「面影」の「小歌」だとは、どういう編者の真意なのか。本をまずは「繙く(紐解く)」という式の洒落でしょうか。その辺から、あれこれと思いめぐらしたいものです。
歌謡は藝術というよりも、藝能として広く親しまれました。歴史的にはお角力やお能とどこかで共通します。たとえば「千秋楽」という謂いかたがある。お角 力の「千秋楽」は説明するまでもないでしょう。お能の会は、昔ですと神、男、女、狂、鬼の五番立てを一日の芯に、狂言や仕舞や舞囃子や素謡などを何日かか けて観せたり聴かせたりしたもののようです。今日でも、番数はおおかた減りましたけれど、番組の原則はほぼ同じです。そして最後に「千秋楽」の小謡を謡っ て、散会。
面白いことにチャキチャキの現代歌謡曲歌手の録音盤を聴いていましても、時として、何日かつづいた公演の「ラク」(最終日)かと思しく、「今日で千秋楽です」と丁寧に、はっきり挨拶して拍手を浴びている。そんなレコードを聴いたことがあります。
「千秋楽」とは、むろん文字どおりの言祝ぎです。衆人愛楽、寿福増長は日本の藝能の、ひとしく旨とする精神でした。その精神をめでたい言葉にして表わ す、それが祝言、寿ぎ、であるわけで、事のとじめ、けじめに限らず、事のはじめにも念入りに言祝ぎをします。文字どおりの「祝言」です。お能の「翁」など、壮大な「祝言能」として能楽三百番中の揺がぬ第一番の地位を占めつづけているわけですね。
閑吟集一番の「面影」に、気を集めましょう。
「面影」という謂いかたは、現在眼前にある人の顔を指してはいない。半日前か三日前か十年前か、いずれ記憶され回想されている、過ぎし或る日或る時のこれは「面影」なんですね。
では、男が女の「面影」を、それとも女が男の「面影」を、「いつ忘れうぞ」と想い出しているのか。どっちでしょうか。歌詞をただ読むかぎり、両説とも可能で、事実両説とも行われています。
「下紐は、解けて」のところが、一つの注意点でしょう。
もう一つは「寝乱れ髪」です。が、男女とも髪は寝乱れないではない。でも、私自身が男のせいか、この歌のこれは女の人の「寝乱れ髪」であって、自然女の人の「面影」でもあると読みたいのですね。
あんなに慎ましやかな女だったが、いちど肌身をゆるすと、短か寝の仮寝おろかな無明長夜の夢うつつを、墨に黄金の粉をまき散らしたほど煌らかな惑溺に、耽溺に、啜り泣き、怨み囁き、歎きつ悶えつ男の総身に五体をなげかけて、愛欲無残、倦むことがない──。
男の方は、女と容子がすこし違いましょう。こと果てて、幾分索漠とした浅い酔い醒めの底に沈んだまま、男というのは、うすく眼さえあいて、夢のうつつを 見るともなくそんな女の豊かな寝乱れ髪をわざと邪慳に手いっぱいに梳いて乱してやりながら、女の、面変りしたような顔、疲れやつれて青白う透いた頬からう なじ、そしてあらわな乳房のなまめく色香にまだ心を惹かれています。気だるいまみを、閉じつ開きつ、女は声にならぬ声で物を言いかけたり背いたり。うとう と寝入ったり。その表情や姿態から男はなかなか眼が離せないでいるのですね。可愛い。愛しい。このまま露の玉ほど掌の深くににぎりしめてしまいたい。あ あ、それほどのあれは女だった。真実そういういい女だった。いつ忘らりょうものか。なのに、それなのに久しく逢わない……。逢えない……。
まァこういった男ごころの物狂おしさでつくづく謡っている歌だと、かりにこれを読んでみますと、どうでしょうか。
「下紐」とは女の肌に添うた着物の、つまり一番忍びやかなかげ緒のことです。それに手をかけて男が解く、ほどく。どうかこの手で解きたいと願いつづけて きた好きでならない女の「下紐」を、とうとう我が手で解いてやれた。とは、言うまでもないことです、女は、男にはじめて花の蕾の身をまかした、開いた、咲 いたという意味ですね。
「花の錦の」とは、女が身に着けたものの美しさだけでなく、女体そのものの、男にすれば身震いの出そうな美しさを、肉感の部厚さを、譬えている。
どのような女でしょう。少女か、処女か、または人妻か、遊女か、たわれ上手の浮気女か。どれと釈ってもいい、とにかく男の眼に、思いに、とびきり〝いい 女〟であるのでしょう。恋に憧れていてもまだ男は知らなかつた、年若い熱い肌と心を蕾のままに抱いてきたような娘と想うのもよい。人の占めた高嶺の花だっ たのかも知れず、苦界に汚れぬ泥中の蓮だったのかもしれません。いずれにせよ「花の錦の下紐」は固く結ばれ「解けて」はいなかった相手なのですから、どん な身分や年齢の女であろうと男の思いには、初咲きの清い花、花の蕾と同然です。
それがこうひとたび「解けて」みると、どうでしょう。「柳の絲」より華奢に揺れて撓んで、しだいに奔放に大胆に女体は、女心は、虚空を乱れ漂うのでし た。この時の「乱れ心」は、はや女だけのそれでなく、女の魅惑にのめりこんでいった男自身の奔逸と苦闘のさまをも、いみじく言い表わしていたのにちがいあ りません。
「解けてなかなかよしなや」とあるのを、男の側から言い直せば、もはや一度は抱いて寝た女なら、獲た獲物のようにいくらか軽くなげやりに忘れられもしよ う。と、そうも思い上がっていたのに、なかなかどうして忘れられるものでない。いや参った……ぞ。逢いたくても逢えない、恋しい、困ったぞ……。そう読ん でも、いい。
一度の逢瀬では、満たされない男の生理。それに対し一夜の夢に燃え尽きることの可能な、女の体熱。その微妙な勝敗が、優劣が、「なかなか、よしなや」という男の坤きになる。
ところが女の方には、「いつ忘れうぞ」とアトをひくような、ふんぎりの悪さはないのではないか。もうよその男へ……と、男というのは、ついそんな気弱いことを想ってしまいますね。
逆に女から、もし、男の「面影」を想っているのなら、自身を「花の錦」「柳の絲」と譬えるのがちょっと背負ってる感じがして自然じゃないなと、私は見ています。
それでもなお、女が男を想っていると考えたいなら、この場合の歌謡一番は、いつか男の遠のいたのを恨んで悩んで肌身をゆるした己が浅墓さを、「よしな や」と悔いている、諦められずにいる、愛着している歌になるンでしょうね。それも一つの境涯ではありますし、そう取るときは、「解けて」の一語に、「解か れて」という受身の語感をぜひ添えて読んだ方がいい。その場合、「面影」の二字に浮かぶ相手の男の容子は、なかなか端正な貴公子然としたものに、私には想 像されます。そして女は遊女のような気がします。なるほど、この想像もまた、面白い。言葉のあやに絡んでどっちともいろいろに取れる、これは日本語の表現 の、良くも悪しくも特色ですね。それだけ私たちは読みの自由を、想像力十分に満喫すればよい。
2021 3/13 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

★ いくたびも摘め 生田の若菜 君も千代を積むべし

★ 菜を摘まば 沢に根芹や 峰に虎杖(いたどり) 鹿の立ち隠れ

☆ 春の若菜を献じて「君」の長寿を祈り祝う久しい風儀が、 「いくたびも」の下敷になっています。祝言そのものです。「いくたびも」が「千代」に響きあい、また「生田(=幾多)」に懸かる。生田は神戸三の宮辺の地 名ですし、古来若菜の名所です。歌枕の地です。となると、これッきりの歌なンでしょうか。どこが三番「なれば摘まば」と唱和なのでしょうか。
三番も、表面はごく単純です。菜を摘もうなら、沢で根芹を「摘みましょう」という感じを「や」の一字に籠めて、言葉が略してある。以下同じことです。 「シカ」または「シカ隠れ」は、動物でなく、春に根から芽吹いて出るあのウド(独活)の若茎を指す西国方言です。すると、これも何の変哲もなげですね。
ところが「生田」は名高い生田社のある場所ですし、そこの「若菜」を、参道にたむろするあでやかな女たち、春の遊女の若やかな姿と眺めますと、「幾度も 摘め」という一句が花やぎなまめいた呼びかけ、誘い、に聞こえます。事実、昔の社参はこのような気もそぞろの「誘惑」へとみずから身を寄せてゆく「君」達 の、男どもの、たいした楽しみであったのでした。
「千代を積む」は祝(ほ)ぎ言ですが、同時に「千代」の永さに匹敵する享楽の深さ、分厚さを約束しているとも取れる。これなら昨日読んだ一番の情調を、また別途に、しかも濃厚に受けていますね。当然にも、この二番は「女」からの誘いです。
これに応じて「男」から、三番の歌声が湧く。「沢」も「峰」も深く読めば女体の景色でしょう。それに対し「根芹」「虎杖」「うど立ち」はどこか「男」を感じさせる様態です。男心に、はや交歓の絵模様が浮かんでいる。それを嬉しい春の景物に、こと寄せて謡いあげている。
べつに三の宮、生田の社頭の実風景である必要はないのです。やはり宴遊の席を彩る、女と男とのさんざめく歌の掛合いと読むのが、存外に正確であるかもしれません。
2021 3/14 231

* 62年前、昭和三十四年の今日、河田町12の新居「みすず荘」から、新宿区役所に結婚届に出向いた。

朝地震(あさなゐ)のしづまりはてて草芳ふくつぬぎ石に光とどけり  恒平
夕すぎて君を待つまの雨なりき灯をにぢませて都電せまり來(く)   迪子

この唱和を葉書に刷って 知友に報せた。
そして六十二年後の、今朝の

たのしみは誰(た)が世つねなき山越えてけふぞ迎へし有為(We)の奥山

たのしみは割った蜜柑をひよどりの連れて食ふよと「マ・ア」と見るとき

* うろたえず こころ冷えず 残年に灯をかかげて、悔いなく。

* 心して 為し 為し遂げて 功は願はずに

待てば成るかも 待たねば成らぬ何ごとも
待たねば 何も 成らぬなりけり   それで良し
2021 3/14 231

述懐  恒平・令和三年(2021)三月

* ここに「恒平」三年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。

たのしみは難しい字を宛て訓んでその通りだと字書で識ること

たのしみは難しい字を訓みちがへ字書に教わり頭さげること

☆ 此のごろの最中仕事の楽しみです  恒平

たのしみはふたりのね子に「待て」とおしえ削り鰹をわけてやる時

たのしみは好きな写真のそれぞれに小声でものを云ひかける時

☆ 此のごろの仕事疲れの癒しです  恒平

たのしみは誰(た)が世つねなき山越えてけふぞ迎へし有為(We)の奥山

たのしみは割った蜜柑をひよどりの連れて食ふよと「マ・ア(仔ネコ兄弟)」と見るとき

☆ 結婚して62年 ともに八五歳の境涯です

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

☆ 四番は、大和節。現行の謡曲『二人静』から採っています。四つの勅撰和歌を〝綴れ”に織りなして、「春」を謡います。
★  木の芽春雨ふるとても 木の芽春雨ふるとても なほ消えがたきこの野辺の 雪の下なる若菜をば いま幾日(いくか)ありて摘ままし 春立つと いふばかりにやみ吉野の 山も霞みて白雪の 消えし跡こそ路となれ 消えし跡こそ路となれ

☆ 参考書を頼って、どんな四つの和歌から成っているか、挙げておきましょう。

霞立ち木の芽春雨ふるさとの吉野の花も今や咲くらん
(後鳥羽院 続後撰集)
春日野の飛火の野守出でて見よ今幾日ありて若菜摘みてん
(読人しらず 古今集)
春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆら
(壬生忠岑 拾遺集)
み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春は来にけり
(藤原良経 新古今集)

☆ 謡曲や宴曲(早歌)の詞章は こうした作法から成っている部分が、たいへん多いのですね。綴れ織りのように、と評されています。そして謡曲やお能をご 存じの方なら、この手の詞章にはきっと馴染みがある。ゆったりとした気分で、理屈に走らずに、詞句のつなぎの音声なり意味なりの曰ク言いがたい詩趣と妙味 とを口遊み翫賞するのが第一です。と、それだけのことを申して、この本では、よくよく他と関連の面白い場合はべつとして、この手の大和節や近江節は紙数を 惜しみ、割愛することにします。「小歌」を大事に読んでゆきます。『閑吟集』の大体を、それでも、見喪うことはないと私は思い切っています。
2021 3/15 231

* 私の多年謂うてきた、國の「外交」とは 「悪意の算術」との認識を、前回の「湖(うみ)の本151」でとりあげた山縣有朋は風雅な家集『椿山集』の和歌のなかで、いしくも斯く強かに、冷静に歌っていた。

戦(たたかひ)のことな忘れそ我國は朝日のとけく年のたてとも
天地(あめつち)をくつかへしける戦のとよみはいつの世にか絶ゆべき
ひらけたる國と國とのましはりは空こと多きものとしらずや
友人の欧米に赴きけるに
かはりゆく世のありさまをつはらかに裏おもてより見てかへらなむ   元帥 山縣有朋

* 「喋り語り云う」だけの「平和」はたやすい、が、「護り備える平和」は、叡智の限りを尽くさねば、ただの空語となる。
2021 3/15 231

* 心身とも草臥れると、二階の小窓をあけ、路上へ首を突き出した姿勢のママ、先日まで小ぶりの「グレコ画集」を眺めた。今は岩波文庫の「芭蕉俳句集」を アタマから一句一句読んで、気に入った作に爪しるしを入れては、しばし憩っている。お向かいのお内では、向こうの窓から首をだされてはおイヤかなと申し訳 ないのだが、のぞき見などするのでなく、外気に触れ休息しているのです、赦されよ。

* それにしても、ま、かねて思っていたけれど、いかに芭蕉とはいえ、寛文二年(一六六に)十九歳から天和三年(一六八三)四十歳までの二百足らずの作句には、ほとんど私の眼で採るべく見るべき俳句の無い現実・事実に一驚する。
それが、天和四年=貞享元年(一六八四)から、一変して、共感、賞嘆の爪印を付け続けられる。
いくらか当然とも思う。それほど俳句は、和歌・短歌より容易ならぬ境涯と表現なのだ。
今も俳人も俳句の結社も数多いが、俳句の「神妙」に出会えることはむしろ希としか云えない。それに比して短歌だと、私のようなモノでも子供の昔の歌集 『少年』(十五~二十七歳)を数回も版をかえて世に問い、昭和百人一首にも繰り返し撰され、また先輩や読者に幸い好評されてきた。和歌に学んだお蔭とも云 えようか、同じく和歌に根をおいているが俳句は、しかし俳諧といわれてきたように、どこかに諧謔の俳味(可笑し味)が成立を歴史的に条件付けられていた。 この「俳」味を無視ないし蹴飛ばし、はみ出たような作句の時期が、かの芭蕉にすら若い時期にはあって、まるで句がクタクタとノタを打っている。今日でも、 まるで羽織袴で高い座布団に正座して敬礼するか、裸形ではねまわるような作句集が、むしろ当たり前に流行っている。
2021 3/15 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

☆ 四番は、大和節。現行の謡曲『二人静』から採っています。四つの勅撰和歌を〝綴れ”に織りなして、「春」を謡います。
★ 誰(た)が袖ふれし梅が香ぞ 春に問はばや 物いふ月に逢ひたやなふ

☆ 俄然、閑吟集らしく、「小歌」らしくなってきます。「逢 いたやのう」と現在の仮名づかいで書いては出ない感じが、ものやわらかな「逢ひたやなふ」ににじみます。「や」の柔らかな響きに「なふ(「なう」が正しい のですが)」がたまらない余韻を引きます。何度も口遊(くちずさ)むと、この身揺ぎに似た情動が憑り移ってきます。すると言葉の意味より先に、「タガソ デ」「ウメガカ」「ハル」「ツキ」「アイタヤノウ」などという音そのものの魅惑が、澄んで明るく、温かに懐かしく納得できる。
詩歌や詞句は、眼に頼る以上にそういう「音感」を澄まして、わが耳の奥で聞くべきです。
「梅」と「月」とは古典的な取合せです。梅は闇にも薫じ、月光をえて匂い出ずる花です。薫ると匂ふとの意味の差を「月」が演出します。
ただしこの小歌では、「梅」「春」「月」いずれも艶(えん)に擬人化されているように感じますね。「誰」かがこの懐かしやかな梅花月の世界に紛れ入っ て、忍ぶ思いを呟いている。妙に難解そうな歌になっていますのは、もともと二重三重に「本歌(ほんか)」というものを利用し、当時の読者(唱歌者)の深読 みをアテにしているからです。 2021 3/16 231

* 芭蕉のあまり成績のない四十歳頃までで、私の 爪しるし付けた句を拾っておく。

月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿  二一歳
春風にふき出し笑ふ花も哉      二四歳
五月雨に御物遠や月の顔       二四歳
影は天の下てる姫か月のかほ    二四歳
子にをくれたる人の本にて
しほれふすや世はさかさまの雪の竹 二四歳
たかうなや雫もよゝの篠の雪      二十代後半
小夜中山にて
命なりわづかの笠の下涼み       三三歳
夏の月ごゆより出て赤坂や       三三歳
上巳
龍宮もけふの塩路や土用干       三四歳
一時雨礫や降て小石川         三四歳
ああ何ともなやきのふは過てふくと汁 三四歳
成にけりなりにけり迄年の暮       三四歳
不卜亡母追悼
水むけて跡とひたまへ道明寺      三五歳
今朝の雪根深を薗の枝折哉       三六歳
五月雨に巻柏(いはひば)の緑いつまでぞ 三七歳
よるべをいつ一葉に虫の旅寝して    三七歳
夜ル竊ニ虫は月下の栗を穿ツ      三七歳
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉      三八歳
餅花やかざしにさせる娌(よめ)が君   三十歳代後半
億老杜
髯風ヲ吹て暮秋歎ズルハ誰ガ子     三九歳
馬ぼくぼく我をゑに見る夏野哉      四十歳
あられきくやこの身はもとのふる柏    四十歳

この翌年からは、拾える佳句秀句が並んでくる。むづかしい。わたしの玩賞がどれほど当たっているか、それはとうてい豪語ならない。むづかしい。
2021 3/16 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

☆ 次に九番。浅野建二氏の訓みに、とりあえず従います。

★ 吟  只吟可臥梅花月 成仏生天惣是虚
(ただ吟じて臥すべし梅花の月、仏に成り天に生まるるも惣て是れ虚)

☆ 「吟詩句」の初登場ですね。とッつきにくい感じでいて、閑 吟集の中でも洒落な興味に富んでいるのが、「吟詩句」です。さてこの上七字を、浅野氏の訓みにしたがえば、梅が香に匂う「月」を、愛でつ褒めつ気ままによ こに成るが最上という、それまでの風流ないし閑雅であって、それでは、「惣是虚」の問題句を含む下七字が、ちと大袈裟には思われませんか。この上句は、 「自然の風物の典型」をただ叙景した句でおわっているのでしょうか。
私は、「梅花」と「月」とを、やはり女と男と見立てて、「只吟可臥」と嗾かす面白さ、「囃す」ほどの景気をはらんだ歌謡仕立てであらねば、うそだと思い ます。梅花と月との色佳さ優しさ清らかさを、男女の仲に望ましく看てとりながら、現世の愛欲を厭離するどころか、享受しようとする姿勢・態度がこの一句に 籠められていると。
「ただ吟じて臥すべし」とは、無垢の愛情を赤裸々に交しなされという勧めでしょう。それでこそ、下句七字の諦念に熱い意欲を潜流させている同時代人の 「現世観」にも、それなりに理が見え、気が通ります。愛念楽欲(あいねん・げうよく)の極みに成仏できるか生天(昇天)できるか、「そんなことは知ったこ とか」と、「惣是虚」の一句を読んでいい。
こじつけでなく、私は、先の八番またつづく一○番との付合からも、ここは「梅花の月」でなく、「梅花と月と」であって、「吟」「臥」「成仏生天」すべてこれ「情念の様態を表現」するものと読んでこそ、胸に届いてくる佳句と思えるのです。
2021 3/18 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

★ 梅花は雨に 柳絮(りうじょ)は風に 世はただ嘘に揉まるる

☆ 「雨に」「風に」「ただ嘘に」すべて「揉まるる」のです ね。「もむ」も、その受身形も、日本語の語感として、或るなまめかしさ色っぽさを伴います。肌に肌を重ねて、この世のこととも思われず、ただ「吟」じつ 「臥」しつ男と女がまろび合う。「梅花」に情愛のたけを浴びせる「雨」──は、古来男の迸しる意気を表現する暗喩の一つで、あとの「風」は、その勢いを示 します。むろん「柳」の「絮(いと、わた)」とは、虚空をさまよう女体の、あえかな優しさいとおしさを謂っている。
それなら「世」とは。これは源氏物語以前の昔から紛れない、〝男女の仲らい〟を指してきた言葉です。「世の中」といえば、男女の関わりあう場の意味です。
そこで九番の「虚」を受けた一○番の「嘘」が、みごとに批評の針を光らせる。
世の中は、「嘘」で互いに揉みあっているとは──一瞬呆れ、しかし一瞬ののちには真率かつ的確なことに、思わず苦笑されます。
「世はただ嘘」「惣て是れ虚」と謡いつつ、九・一○番の両篇ともに、いっこうそれを否認し、見放し、厭い嫌っているというふうでもない。むしろ「そんな ところサ」という、肯定とも覚悟ともまた諦念ともつかぬ、妙にからんと澄んだ明るい寂しい気分が、賑かそうでいてひとりぽっちの気分が、感じとれます。そ の辺が閑吟集歌謡の真髄かもしれません。「虚」も「嘘」も承知で、ひとりの「我」がふたりの「世」の仲として揉み合うてでも産み出さねばすまない人間的な 陽気、中世の陽気、がそこに在る。現実の陰気を、辛酸を、知りつくしながら、ずっぷりと「性」の虚構に浸って、その底から掴み出してくる「生」の実感。 「生」の気力。ただ耽溺ただ風流ではない必死の意向で孤りの「我」を、力ある「我々」へと押しあげて行く、陽気。これを、この価値を、私たちは永らく「中 世」という時代に見落としていたのでした。
「虚」とは、まさに乱世の謂いです。権威と価値を一刻のあだ花に吹き散らす「風」の世界が、「虚」です。虚は虚と、虚に背かず陽気にうそぶいて生きる、 それを「嘘」と彼らは承知している。嘘が即ち偽りとはかぎらない。嘘の真を信じて、「世」の仲を手さぐりに歩いてきた農民の中世。遊女の中世。職人や商人 の中世──。閑吟集の編者「桑門」の「狂客」は、そんな愛すべき中世の行方を、不安に見守っていたのかもしれません。
2021 3/18 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 誰(た)が袖ふれし梅が香ぞ 春に問はばや 物いふ月に逢ひたやなう

☆ ある方の現代語訳によりますと、この小歌は、「どなたが袖を触れた移り香なのだろう、この梅の香りは。匂いの高いいわれを、春に尋ねたいものだ、もの言う月に会って問いたいものだなあ」としてあります。
私は、とくに、「詩歌の現代語訳」というのを認めたくありません。幾重にもとれる日本語のふくらみを、原文でなら幾重にも翫賞できるのに、訳してしまう と、或る一つの訳者による解釈のみに原歌が固定されてしまうのが、反対する一の理由です。日本語の詩歌を他の日本語に置きかえるなど、ノンセンスなので す。ことに今あげたような解釈では、「春」と「月」の重出はもとより、「問はばや」「逢ひたや」の意図するところのちがいも、「物いふ」の擬人化が暗示す る含みについても解決が十分ついていない。そもそも「逢ひたやなう」とあるもとの歌詞は、「会って問いたい」のではなくて、文字どおり「逢ひたや(逢いた い)」なのです。この現代語訳では、「物いふ月」の微妙な意味が、ただ「春に問はばや」の言い替えにしかなっていない。
しかもよく落着いて考えるなら、この訳の程度でこの小歌の解釈をおさめては、なんともはや他愛がない。詞句の後半分が、意味も意図も不明におわってしまいます。
で、もう一度 昨日の小歌を、ごらん願います。

★ 梅花は雨に 柳絮(りうじょ)は風に 世はただ嘘に揉まるる

☆ これを現代語訳として、「梅の花は雨に、柳の綿は風に揉まれる。そしてこの世間はただもう嘘に揉まれることだ」とあるのは、うわべの文字どおりには確かにその通りでしょう。
けれど、それでは「世」の含み、「揉まれる」という語の含蓄はほとんど語感の上で活かされていない。ピンと利いていない。ただ鹿爪らしく世間虚仮(せけ んこけ)とやらの仏法の認識を「知解」しただけで、それなら何故ことさらに「梅」なのか「雨」なのか、また「柳」か「風」かという面白さにしっとり触れて 行ってない。「しょせん世間は、嘘」というだけでは話はただ大まか、そしてただ淡泊ただ稀薄になるばかりです。ちょうど大きなざるで水を掬うように、詩句 のうまみがすっかり漏れてしまう。
ところが「世」を、「男女の仲」と慣用にしたがい踏みこんで受取ると、世間は自然と背景、遠景となってかえって浮き立ってきます。いわゆる世間(世の中)とは、「男女の仲」の無際限の変様変態なのであるという穿った理解へ情意調うて繋がるからです。
2021 3/19 231

☆ お便り
ありがとうございます。嬉しゅうございます。
芭蕉を 1 からお読みにとは、気力体力がおありで、感嘆です。

俳句は続けていますが、風を愉しんでいる感じです。

しだれ柳絹鳴りのして夜に入る

赤い椿感情の重なりしごと

春はあけぼの夢を縁どる波の音

コロナの中で、こんな感じで暮らしております。

どうぞお大事になさってください。    谷中  絹

* わたしと そこそこのお歳のはず、ちゃきちゃきの 浅草産の江戸っ子とんであったかと。

* わたし自身の心覚えに 俳句らしきは 数少なく、歌集「光塵」「乱声」で漏らしたろう古い句作が記録されているのは、

昭和三八年(一九六三)五月十日歌舞伎座竹内繁喜先生と 團子三世猿之助(猿翁)襲名
黒塚  色そひて岩手や若き猿之助

五月雨やひとり静かなこゑもして 昭和四四 五 十四

花粉症惨憺。
初櫻 罪はわが前に無げに咲く   上野公園から逃げ帰る

御幸道(ごこみち)のむかし目に見え雪の朝     2020 1/1.1

初日萌え鶴秀(ほ)に立つて松の春          2021 1/1.

* ま、私の思いには 御幸道(自身、習慣的に散歩し尽くしていた懐かしい景色)の一句が身に沁みている。

☆ ご無沙汰しております
御変わりありませんか
懐かしい先生のお名前が思い出されます
父(=橋田二朗先生)がよく 万年さん、母が 給田さん(ともに弥栄中学時代の同僚・同世代の男先生 女先生)と話しておりました
朝、近くを歩いて、近くの写真を撮って来ましたよ。

☆ 近くの川沿いの櫻です
この櫻、香りが良くて
笑われるかもしれませんが、桜餅の香りがします

☆ 友達に送るような
メールをしてしまいました
又 京都の味をお送りします   有 (橋田先生のお嬢さん)

* 文徳天皇陵(門徳池の奥に)や鳴滝の櫻などの写真も届いた。懐かしく。 感謝。
僧侶でもある万年先生はご健在もいまもご交際頂いている。給田緑先生は私には母のような方であった。それはもう佳い歌人であられ、今しも二冊の遺歌集を賛嘆の思いで読み返したばかり。その懐かしさで有さんに便りをしたのだった。
2021 3/19 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 次の一三番は明らかな謡曲の一場面です。謡曲の鑑賞にはおのずとべつの便宜もあることとて割愛しますが、謡いおさめの一聯として出てきます、

★  ……よしそれとても春の夜の 夢の中なる夢なれや 夢の中なる夢なれや

☆ という述懐は、きっと今後に大きく響いてくる基調音とも言えそうで、これだけは、何度も口遊んでみて欲しい。
およそ何事も「春の夜の」「夢」の「中なる夢」に同じよと謡っている。「世はただ嘘」(一○番)「惣て是れ虚」(九番)を受けての「夢の中なる夢」とい う認識がここへ突出して出ている。はたして否定的にか。肯定的に出ているのか。編者の、謡いての、聞きての、そして私たちの それぞれの判断の重みをしっ かりこの句の上へなげかけておいて、先を読んで行くことにしましょう。 一四番。一五番。一六番。

★ 吉野川の花筏 浮かれてこがれ候(そろ)よの 浮かれてこがれ候よの

★ 葛城山(かつらぎやま)に咲く花候(そろ)よ あれをよと よそに想うた念ばかり

★ 人の姿は花靫(はなうつぼ)やさし 差して負うたりや うその皮靫

☆ この三つを事実一連の、同時の作詞であると考えるわけには、ちょっと行きかねます。編纂配列の技巧で、意図して微妙に面白う連絡し合っているには相 違ないでしょう。歌詞のかげに隠れた歌謡の主体、つまり謡いてが男か女かのいずれとも解釈できそうですが、「花」の縁語からは、やはり女を想う男の心情と して一連の情趣を読みとってみたい。
すると先ず一四番では、心浮かされ想い焦がれるものを、吉野川に浮かび漕がれ行く「花筏」に繰返し呼びかけ、かつ託している。「漕がれ・焦がれ」の懸詞 を効果的に生かすためにも、ここの「花筏」は、ともあれ花枝に飾られて現に人の乗っている筏のことと想うのが、真実感も臨場感もあっていいでしょう。
一五番へ行くと、「女」は「葛城山に咲く花」に見立てられている。俗にいう「高根(嶺)の花」で、よそにのみ見てやむしかない。手が届かない。「あれを よと(あの花が欲しい欲しいと)」「念ばかり」の響きあう詞句が、可憐にかなしいではありませんか。葛城は名だたる高嶺。美しい桜の名所。「浮かれてこが れ」それでも「念ばかり」で「よそに想うた」と、したたる涙のしずく。めめしいようで、しかしこういう純な男心は、かえって武勇の男子にもよく似合い、わ るくないものです。
これは女が男を思っているのだと、一四、一五番とも十分に読めるのですが、その場合は、口つきからして遊女または村娘などが、身分ありげな手の届かない 男性を遠目に慕っている風情になりましょうか。女が、男を「花」と見立てていけない道理はないが、逆が普通と謂えますかどうか。
一六番へ眼をうつしますと、男は「花」の女を、結局もう手に入れてしまっているのですね。しかもその経過と結果から或る「うそ」を感じてさえいる。「靫 (うつぼ)」とはいわば「矢差し」に造られた空のツボ。皮で造ったツボ。これを背に負うのですね。女の姿、女の体を「優し」い「羞(やさ)し」いツボ、 「矢」の容れ物と見立ててもいるのですね。
「矢」が男を示すことは、鴨社の神話伝承にも見えている、太古来日本人の実感です。美女が川溝にまたがっていると川上から矢が流れて来ます。そして美女 は神の子を妊む。そのような矢を「差して」とはっきり謂う表現は、縁語を懸詞で強調したなまめかしいエロスの効果をもちながら、一転して、靫をただ背に負 うてみるというふだんの動作にもどされ和らげられる。女という名の花靫(はなうつぼ)を背に負う、つまり我が物として背負いこむ、と──、優しく羞しいと 見たその花靫の出来が、じつは皮は皮でも「うその皮」で張ったからっぽの靫だった──と、そう言うのです。
ずいぶん手厳しく女を攻撃しているようですが、この小歌を反復口遊(くちずさ)んでいても不快なえげつなさはなく、かえって優しげな女のその外見の美し さは、すこしも害われず眼に見え見えてきます。「差して負うたりや」といった口調子には、快い、男の意気のようなものさえ想われます。
となると、ここで「うその皮」は、女という相手をわるく決めつけているというより、もともと男と女との「世」の仲なんて「うそ」と「うそ」の掛け引きな ンだものと、ちょうど鐘と撞木の間が鳴るぐあいに、以前の「世は嘘に揉まるる」ふうの感懐が、さらりとやさしく残響していることが読めてくる。分かってく る。
手に入れた女を、一方的に「うその皮」と貶(おとし)めるほど男心はいやしくない。男は、己が男心にさえも苦笑いのうちに「うそ」を感じている。それど ころか男と女との「うそ」を悪いとも言ってはいない。「うそ」は、時に、すぐれて美しいしやさしい。そういうことをよく知りぬいた同士の、知りぬいた時代 の、これは可憐なほど「面白い歌声」なのだと私は味わっています。
すると、次の一七番が引き立って見えます。
2021 3/20 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 人は嘘にて暮らす世に 何ぞよ燕子(えんし)が実相を談じ顔なる

☆ 孔子、孟子などと聖人を呼ぶ。その手で、渡り鳥の燕を、 ご大層に「燕子」と呼んでいる。燕尾服が式服礼服でありますように、燕という小鳥、どこかおつに澄ました気味がある。電線に並んでとまっている時など、と くに賢(さか)しげに見えますね。人生の、此の世の、説くに妙にして聴くに趣ありげな真実真相を、したり顔に何とはなく論じあい談じあっているかに見えま す。そんな燕たちの真摯げなお談義を高くもちあげながら、この小歌、人の世の軽薄な嘘をいたく窘めているのでしょうか。どうやら、それが逆さまのようなン ですね。むしろ、したり顔した「燕子」の、まじめくさった顔の方がかるく嗤われている。おいおい、よせやいといった余韻がわざと「燕子」といった調子にの こっている。それが、この小歌の姿勢です。「人は嘘にて暮らす世に」という物言いの方に、存外につよい肯定が籠もっているのです。
真実真相といい、道理法則といい、それがとかくくるくる移り変わって、アテにならない。その変わりようの早く烈しく果敢(はか)なかった時代に閑吟集の 小歌は生れ、謡われ、受容れられていた。「何ぞよ」 つまり何じゃい阿呆らしいという気持で、「実相」とやらの「嘘」にいやほど人は付合っていた。
大事なことは、それはそれで必ずしも悪い一方とは限らなくて、世の中が本当にくるくる移り動いて行く時代には、そのアテどない流れ自体を図太く肯定する ことで、かえって前途に希望を託するという態度も必要だし、また可能でしたろう。その態度がとれない、頭のかたい、嘴の青い(赤い)若い燕のような澄まし かえった手合いに、「嘘」の妙趣をさらりと笑って訓えている、そういう、これは小歌なンだと取っていいと思う。
2021 3/21 231

* ひょこッとノートブックが三冊現れ、昭和二十年、敗戦直後の秋第一首に 始まり、昭和二十八年(高校三年生)七月四日作の第718首に至る、いわば私の第一歌集『少年』に先立つ処女歌集を成していた。『少年』は高校一年生から 以後の作で編んで、版をかえること三、四度に及んだが、高校三年間の作は、この総題のないノートブック三冊目から取捨していた。第一、二冊は、もとより版 にして人に問えるものとは思わなかった、が、拙は拙、未熟は未熟、恥ずかしながら我が「文藝」への初歩一歩を刻した『少年以前』なのは確かで、謂わば、こ こにも「少年前自筆年譜」ないしすでに「選集」に収めた「作家以前自筆年譜」の青春編を成している。
しばらくの間、読み返て、多感に青くさい少年時代をひとり味わい返したい。
ここまで書いて、そらに思い出す、このノート三冊のほかに、たくさんな歌稿を書き留めたものがあったはず。それは、「ハタラヂオ店」のためにナショナル や東芝やシャープ、三菱などメーカーが持ち込んでくる裏白でA5大宣伝リーフ。私は、裏白紙にはいつも多大の欲望で欲しがる子だった、どっちみち余るモノ だった。わたしはこのA5裏白紙を裏表に几帳面に折りたたみ、それに自作短歌を几帳面に書き入れ、沢山溜め込んでいた。それが、今も家の何処かに必ず遺っ ていると思う。ノートブック作と裏白作とに当然重複があると思う、ないしこの裏白集からノートブックへ取捨して編成したのかも知れない、分からないが。
中一 三学期 21番目の一首は

紫の雲ながれたる朝の空に
ひかりほのぼのとみちわたりゆく

とある。私が好みの、「字あまり」を、「同音のハーモニイ」を、意識したか、せずにか、もう用いている。弥栄中学の屋上へ出ると、祇園八坂神社の奥へ東山のふとん着た影が映え、左右へ連峰をなしている。清水の山へ空へも、まっすぐ視野はひろがる。
2021 3/21 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して

★ 何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ ただ狂へ

☆ この「くすむ人」の「うつつ顔」が、ちょうど「実相を談 じ顔」の「燕子」と相応しているのですね。「くすむ」はまじめくさるというほどの、ここではかなり強い否定語になっています。その読みは後刻のこととし て、ここら並んだ小歌は、閑吟集傑作の一つと言っておきましょう。

★ 人は嘘にて暮らす世に 何ぞよ燕子が実相を談じ顔なる

☆ 「嘘」を肯定し推奨するというのでは、むろん、ありませ ん。が、じつは「嘘」という「真相」もある世の中に、ただ浅く眼をそむけて、口先の「実相」ばかりをだらだら「談じ」ていて済むことかという意気は、少く も中世の荒いあの時代を生きぬく「力」でも「思想」でも、十分ありえた。それは、より高次元の真実や誠実を求めての、かなり切ない手さぐりでした。逆もま た、真。そこで…、
2021 3/22 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 散らであれかし櫻花 散れかし口と花心

☆ 金無垢の価値としての真実を「桜花」に想い籠める。これ は、遠く上古来のすぐれて日本的な風尚というものでしょう。「散らであれ」という願いには、ただ桜の花を愛で想う真情にくわえて、男の、女の、まごころの 佳さ優しさ確かさを祈願する「真」の熱望が表わされています。
それに対し「散れかし」とは、ほとんど吐き捨てる口吻です。まやかしの実相を談じ顔の「口」や、そんな口が吐きだす浮気ごころは、のろわれよ。
この小歌、閑吟集に珍しい、直截の表現が見えます。ほとんどこれは例外に属しています。
2021 3/23 231

* 心覚えに紙切れに無数にメモを走り書いて、そのまま山になっているのを整理した。記録していない短歌なども十ほど救いとれた。メモとはいえ、今にも大事な内容のも遺っていて、背を押される気がした。
今日は、不要不急といえばそれに近いが、片づければそれだけの意味のある用事を、階下でも二階でも機械の前でもしつづけた。新作の「三校」は半ばまで。体違和は午以降やまない。どうしようもない。もう機械から離れるが、疲労感の重さ、気分悪い。
2021 3/23 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 花ゆゑゆゑに あらはれたよなう あらうの花や うの花や

☆ 「うの花」は「憂の花」であってまた「卯の花」でもある。「あら、うの花の」と歌った本歌が古今和歌集にあります。が、この小歌の生命は、むしろ 「露はれたよなう」という嘆きの声そ籠もっています。あまり「花」が美しいので、忍ぶ想いの花恋いの真情がつい「色に出にけり」で人に知られるまでに なった、それをあら「憂の花や」と謡う。
けれど「憂」という感情を、消極的に否定的にばかり受取っていると、この小歌の微妙な歓喜や満足を読み落とすことになる。美しい花に出逢うて、心中の愛 が思わず外へ露われる。純な人間のそれはむしろ当然で誇らかな心の動きなのですから、この「あら憂」という物言いには、初々しいはじらいや当惑を乗りこえ て 溢れ溢れる恋の喜びもふくまれているのです。
古今集の本歌は「世の中をいとふ山べの草木とやあらうの花の色に出にけむ」とあって、妙に厭世的なンですが、閑吟集の小歌では、「うの花」を恋愛に身を 濡らす美しい四月の花として、むしろ明るく輝かせています。「花ゆゑゆゑに」の一句を、わたしのこの花ごころに裏切られて……露われた、という趣で読みま すと、恋知りそめた女の愛らしい嬌態が眼に映じてきますし、「花」を女と、「あら憂」と嘆くのを男と取りますと、どこか年かさな男の、余裕のようなものが 巧くよく出た、そう騒々しくない酒席での世なれた反語か喃語のように耳に聞こえてきます。
ところで、この三○番までの歌謡は、いずれも目前の場面描写ないし体験者の即座の実情というより、より民謡に近いほどの普遍性を私たちに想像させて来な かったでしょうか。それだけに、一種の諺だの箴だのに近い趣致が伴っていて、いささか歌詞によせて「実相」を「談じ顔」でもなくはなかった。おそらく編者であ る「桑門」の「狂客」の知識人ふうな心境や態度が、余儀なく反映し反響していたのだろうと思います。
が、そういう小歌ばかりでない証拠が、次(明日)にあらわれます。
2021 3/24 231

* 朝の一番に 「閑吟集」と組み合ってはシンドイので、前夜に、翌朝分を書き出している。「閑吟集」は、じつに雅゙に軽妙に肉親に触れて、面白い。
2021 3/24 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ お茶の水が遅くなり候(そろ) まづ放さいなう また来(こ)うかと問はれたよなう  なんぼこじれたい 新発意心(しんぼちごころ)ぢや

☆ 「お茶の水を持ってくる(持って行く)のが遅くなります わ。さアさ。放して下さいな」というのですから、ここに女が一人いる。女をつかまえて「また来(こ)うか」と問うている男も一人います。そして男の振舞い が、「新発意心」と女にからかわれています。「新発意(しんぼち)」とは頭をまるめて間のない若僧のことですが、若僧、小僧というここは一般に通用の意味 を生かして、事実どおりの丸坊主、僧侶と限定してしまう必要はすこしも無い気がします。
この小歌、梁塵秘抄の「雑」の今様に似ていて、情況がたいそう面白い。面白いのに、そのくせ、ちょっと分かりにくい。能狂言「御茶の水」での表現どおり に納得すれば、まさに若い僧侶の新発意が、女を引き留めようとしている。それを迷惑がる女の言葉として、ほぼ同じ物言いになっています。団扇(うちわ)踊 りの歌詞を見ましても同様で、なるほど水汲み女と若い坊主となら、情景はそのままの「歌舞伎踊り」といった趣向ですから、まるで眼に見えるようですね。 「お多福」と「ひょっとこ」位の対照の妙はあるわけです。
但し団扇踊りですと 「お新発意やの」と言うています。これを「新発意心」とひき直されてみると、もうものの譬えに転じて、必ずしも姿どおりの色坊主と はかぎらず、ちょっと逸れた意味合いを生じています。ごく功者(こうしゃ)な女が、世なれぬ若僧、小僧をうまく「あしらい気味」の表現になり変わっていま す。
ここは、「また来(こ)うか」の読みが大切なンです。男が女に、「また来るか」と訊いていると解釈した本がある。放したらもう二度と戻って来ないだろ う、だからまた来るか、と「問う」意味に取っているのですね。これはとりあえず、「まづ放さいなう」という女の声に対し、道理の通った反問のようです。 が、じつはつづく「なんぼこじれたい新発意心ぢや」の取りようで、およそその重みが変わってしまいます。
女にすれば「なんぼこじれたい」「問はれ」ようであるかが小歌の眼目なのですから、ここでこそ「また来うか」の意味が、効果をもって生きて欲しい。
第一、「また来うか」は「また来るか」と他人の行為を問い訊す物言いでしょうか。かりにこれを京言葉として読みますと、私も京生れ京育ちなンですが、 「また来うか」「また来うなァ」と言う時は、他者にむかって自分自身で来る、来たいという意志を告げる物言いなンですね。たとえば清水寺の花を見に行って 大いに満足した。思わず身近な他人にむかって「また来うか」と提案するとか、内心誰かを連れてもう一度、来ようかなと思ったり、門前の気に入った茶屋女に でも、また来るよと満足を世辞がわりの約束にかえて、機嫌よく言い表わす。
「来(こ)う」は、自分が「来よう」と思う意向でして、他人が来る来ないを問うなら、「来うか」ではなく「来るか」「来てくれますか」であるはずです。但し京言葉の場合です。
次に、場所が問題です。文字どおりに坊さんなら、ここは寺内といったふうな場所なンですが、遊所、茶屋ふうの場所とも十分考えられる。すると場数を踏ま ない青道心めく若者と、苦界(公界)無縁の達者な女との出会いに場面が変わります。どちらかと言うと私のはそういう説です。「また来うか」は耽溺の味を覚 えた若い男の、それでもおずおずと「またお前のところへ来てよいか」という甘えなのでしょう。
「まあ。あまりといえば小焦れッたい坊やちやんねェ」と女は苦笑い。そういう応酬です。来て良く、来て欲しく、来て貰っての身すぎなのは女には知れたこ と。それをおずおず「問はれたよなう、なんぼ……」と呆れながら、その男がもうすでにちょっと可愛らしくなっている。その女にしても、心根に可愛げの生き た、気のいい遊女(あそびめ)なんですね。
こうなると、「まづ放さいなう」は、けっして行きずりに袖をそう引くなと窘める程度の軽々しい場面ではない。今しがた巫山雲雨(ふざん・うんう)の夢を見たその合歓の床なかでの、いっそ睦言なのではないか。
「お茶の水」は、のどの渇いたお二人さんの口直しです。ここまで読んでいっそう面白い小歌のように思えます。いかが。
2021 3/25 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆  ここで、ぜひ心づいて欲しいことが、一つ。「お茶」が もう十六世紀のこの時点で、かなり日常ふだんの飲料として出て来ている。むろん茶室の茶ではない。淹し茶の類、焙じ茶の類でしょう。   が、紛れない庶 民の飲みものに「お茶」がある。茶は、栄西禅師が宋から種子三粒をたずさえ帰って以来の普及と、よく言われます。一つの画期が禅院茶礼のその時分からとは 確実ですが、日本人がそれ以前から「茶」に類する何らか植物性の味を、淹(だ)したり焙じたり溶いたり煮たりしないで来たとは、とても思えませんね。水 か、湯か、ないし酒だけという飲みもので鎌倉時代までの三千年、五千年を植生豊かな日本列島の住人がすごしてきたなどとは、かえって想像もできない不自然 な話です。
「茶」の歌がつづきます。三二番。

★ 新茶の若立ち 摘みつ摘まれつ 引いつ振られつ それこそ若い時の花かよなう

☆ 「娘十八番茶も出花」と今でも謂うじゃありませんか。と かく学問の本ではズバリと敢えてくれないことですが、若駒が笹を喰む、という類の表現は、まず男(性)と若い女(体)との合歓を寓意している例が多いンで す。それと同じで、ここの「新茶の若立ち」の場合は、男女ともお互いの、気恥ずかしやかな青春の二次性徴をピンと感じとった方が、かえって気分もさっぱり します。「摘む」「引く」「振る」みな男女の出逢いで自然とはずむ肉体の上にあらわれ出る媚態なのですから、すこしも猥褻に想う必要はない。そしてこの歌 謡からは、そんな若さを喪ったか、はや喪いかけているらしい年増の嗟嘆の声になっている趣を受取ってみることです。「それこそ若い時の花かよなう」とは、 なんとまァ真率な嘘のない息づかいでしょうか。
2021 3/26 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 新茶の茶壷よなう 入れての後は こちや知らぬ.こちや知らぬ

☆ 「此方(こちゃ)知らぬ」が「新茶」に対する「古茶知ら ぬ」でもあることは、すぐ、分かりますね。となれば、この小歌は濃艶至極の性の歌謡です。「新茶」は昨日読んだ三二番の、「若立ち」に通じます。若い女の 性の、みずみずしい外見と味わいとを謂うています。その新茶の「茶壷」とは──。
「壷」は言うまでもない容れものです。即ち女体本来の機能です。「新茶の茶壷よなう」とは、まさしく若い美しい女の幽所秘処をずばりと眼下に直視して形容しているのです。嘆賞しているのです。「入れての後は」を、だから今さら説明の余地などないわけですね。
ああ、ああ「古茶」のことなんか、知ったことか。知ったことか。
わるい男──。
可哀相な「古茶」よ。
傑作!
2021 3/27 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 『梁塵秘抄』を楽しんですでにお読みなら、この辺で、はっきり気づいておいでのことが、一つ、あるはずです。かの法文歌はべつとして、四句や二句の神 歌、ことに雑の歌には「巫女」「武者」「殿」「関守」「咒師」「鵜飼」「遊女」「海人」「博党」「近江女」「土器造り」「受領」「尼」「法師」「樵夫」 「兵士」「舎人」「禰宜」「祝」「聖」「山伏」「山長」などと、指さすように歌詞の中でそれと判る人物、その様態、が眼に見えていました。
ところが、少くもこれまでのところ『閑吟集』にそういう様態を背負うた人影が見られない。まるで個別から一般へ、とでも言えそうに、人がただ「男」と 「女」の「世」の中に、さながら抽象化されています。理念化されています。現実の「巫女」も「遊女」も、また「兵士」も「樵夫」も、歌の背後にそれぞれ固 有の身なりを隠し埋めてしまっている。そして男に、女に、ある意味で本然の姿にかえって、さまざまな小歌のなかで生きています。
今一つ、『梁塵秘抄』では、かなりの頻度ではっきりした「我」が歌詞に顔を出します。例えば「我等が修行に出でし時」「我が身は罪業重くして」「妾らが柴の庵へ」「我を頼めて来ぬ男」「我が子は十余になりぬらん」「我が恋は」などと。
むろんこの「我」も、個別の我と、一般化された我とに丁寧に弁別すべきではありますが、それにしても『閑吟集』にこの手の「我」表現が、これまで、全く目立たない。したがって二人称を指す「君」の表現もまた、ごく数寡いのです。
右の事実を、どう理解しておくか──。
二つ、見当がつきます。梁塵秘抄の時代そして今様の雑の歌を見ていますと、ある日ある処で生れてはじめて出会ったような同士が・円座になって膝をつきま ぜて互いの体験や心境を歌語りに語り合うてでもいるような歌謡が多い。巫女同士・修験者同士、遊女同士のこともあれば、それらの人がたぶん混在もしている のでしょう。互いの体験や心境が珍らかであり、また身に泌みて共感もされ、そしてそれが明日から先のまた漂泊の日々を支える知識や情報や判断の素地とも材 料ともなって行く。そういう人たちのそういう時代にふさわしい、具体的に生々しい歌謡群として、あれら今様は、紛れない時代の表情をむき出しにしていまし た。「我」を表に出して謡い語ることは、さまざまな人が階層を越えて意志疏通するための、前提であり、仁義でさえあったことでしょう。
閑吟集の時代では、小欲は、もはや必ずしもそのような漂泊者たちばかりの所産ではなかったようです。むしろ俺とお前との仲に、名乗りや「我」の強調をさ ほど必要としない、お互いお馴染みの場所で謡われていたのでしょう。あまり具体的に表現しすぎては、それが限定、制約となって歌謡のスムースな疏通をそこ なうという配慮さえあったでしょう。
逆説でも何でもない、つまり「我々」と「彼等」との区別が世の中でいろいろに明確になってきて、他のグループや人の体験から身を退きがちに、疎遠になりがちになっていたのです。
「古代」にも人は寄合って日用を弁じました、が、「中世」の寄合の場は、古代のそれよりももっと強く「我我」の連帯を欲し、「彼等」との対決を鋭く意識し勘定する場になっていた。ならざるをえなかった。
そうですから、顔なじみとまでは言わずもがな、しいて己が職分や身分を告げあう必要のないような場所へ、たとえば遊び女のいるような中立の場所へは、個 別、特殊としての「我」を持ち出さないのが、むしろ作法でした。そして日常の場所では、むしろ個よりも衆としての「我々」が、よその「彼等」との間で利害 をたしかめたしかめ相い集わないでは心細い時代、頼りない時代、身を守れない時代だったのです。
「中世」とは、一つにはそんな時代でした。だからこそ、と言いましょう、そうして寄合う場所からは、陽気に面白い藝能が生れもしたし、じつはこっそりと 時代変革のための謀議も重ねねばならなかった。陰気な逸機は「中世」では命とりであったのです。隠遁とは、そんな「中世」の特異な陽気活気になじみ切れな かった者の、あるダンディズムだったのかもしれない。私はそう考えています。
小歌でも謡おうかという場所で、人は、男であるか女であるか以外に、個別の特別の役割分担はもう必要としないどころか、危険でさえあったのですね。「我 々」同士の仲ででも、その紐帯から「我」ひとりはみ出ようとする個性は、大成功して支配者に変身するか、退いて隠遁するか、村八分にされて屈するといった 存在でしたろう。まして「彼等」の間へ紛れこんだ時に「我」はと主張してみても、窮屈になるか、無視されるか、排除されるのが落ちでしょう。
閑吟集歌謡は、どこかで一味同心の場を囃すうわべは浮かれた宴遊歌のようでありながら、時代の激流に呑まれまいと、危い孤心を隠しておく、陽気な隠れ蓑でもあったはずです。
そこで、それならば「閑吟」とは何かという問題に、ようやく遭遇します。
「閑」とは閑居の閑、「しづか」でも「ひま」でもある。「吟」はまさに「口遊む」こと、謡うこと、それも高声にでなくて、浅酌低唱する心地ですね。梁塵 秘抄は「梁塵」の文字から合点のいきますように朗唱です。そして哄笑でもあり驚嘆でもあり喝采でもある。閑吟集は、それに対してよくよく熟れた共感です。 笑うも泣くも、古代漂泊者の野性が放った逞しい情感とは自ずと別趣の、同じく漂泊に等しい乱世流離の境涯は生きていながら、さすがに定住への希望と手段と をようやく抱きかかえた生活者たちの、少くも「我々」同士の間でならもう眼と眼で頷いて分かりあえる泣き笑いです。
けれど、小歌の一つ一つを現に謡い楽しんだ男女の心境が、即ち、「閑吟」なのかといえば、それは違う。違うはずです。「閑吟」とは、序にいう「桑門」 「狂客」の孤心が望んだダンディズムなのであって、現に小歌を謡い楽しんだ人の気分はもっと流動しています。揺れています。時には面白ずくです。

★  我らも持ちたる尺八を 袖の下より取り出だし しばしは吹いて松の風  花をや夢とさそふらん いつまでか此の尺八 吹いて心を慰めむ

☆ 「我らも」という梁塵秘抄ばりの物言いが見える、ほとん ど唯一の “述懐〟です。これは「我々」でない、孤り在る「我」の意味なンですね。この辺にも編者がもう時代の波間から願わくば彼岸に身を預けたいと夢みている「狂 客」の、いっそ懐古的なと呼びたい態度が表われています。「いつまでか此の尺八」というのは、前途に不安をもった者(男)のもう抗うことは諦めて、ただ 「閑吟」に生きる表明なのですね。集の全部を読んでまたこの二一番を読み返してみますと、編者の孤独な息づかいと、「しばしは吹いて松(待つ)の風」とい うしみじみ胸にひびく「閑吟」「往生素懐」の趣致とが、こんなによく示された〝述懐歌〟は他に無いと言い切れそうです。
さて、この二一番の述懐に、次に三四番の大和節をひっそり寄り添わせてみますと、編者のひめやかな或る動機が忍び忍び輪郭をあらわして、あの得異な巻頭歌一番と呼応するようであるのも、一つの読みどころと思います。

★ 離れ離れの 契りの末は徒夢(あだゆめ)の 契りの末は徒夢の 面影ばかり添ひ寝して あたりさびしき床の上 涙の波は音もせず 袖に流るる川水の 逢瀬 はいづくなるらん 逢瀬はいづくなるらん

☆ しみじみ低唱してみて下さい。さながらに『閑吟集』編者へ現代日本の私たちからの、手向け歌かのように、ふと錯覚されてしまいそうです。
2021 3/28 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ さて何とせうぞ 一目見し面影が 身を離れぬ

★ いたづらものや 面影は 身に添ひながら 独り寝

☆ 「面影」は、閑吟集の動機に深く沈んだ一つの「鍵」語です。巻頭一番の歌謡から、面影は見えていました。今あげた三六番の小歌は、一言もつけ加える必要のない、まさしく真率の情というものでしょう。
次の三七番は、「いたづらものや」という謡いだしの感慨をどうか正しく読みたい。今日の語感で「おいたをしてはいけません」と、母親が愛し子を窘めるような意味では、ない。
近世このかた大正、昭和の初年までも、「いたづら者」と批評したりされたりする背景には、必ず男女の公に認められない「世」の仲が隠れひそんでいたと言えます。時に不当に、この言葉には度はずれた好色者というくらいのつよい非難も籠もっていました。
けれど十五、十六世紀の「いたづらものや」を、そうまで非難がましく決めつけては、気の毒というものです。
ここで「いたづらものや 面影は」とあるのを、主語と補語の倒置と早合点するのは禁物です。「いたづらものや」で、一度区切って読むべきです。人の面影 を身に添わせつつ独り寝の己れ自身が、そんな己が状況、そんな己が心根、そんな己が愚痴こそを 「いたづらものや」 と嘆息しているので、決して「面影」 が「いたづら」をする、わるさをするとばかり言うているのではない。ああ「いたづらものや」と我と我が身を先に詠嘆している。天を仰いで自分の顔をトンと 打っている。そう想像したいものです。
いたずらに急ぐな、身をいたずらにするな、などと言います。むろん「いたずら」もこの場合の「いたづらもの」も、否定に傾き易い語と結びついて意味をもつ批評語です。
でもこの小歌の場合、独り寝していとしい「面影」を身に抱いている男が、当のいとしい女を(女が男をでも妥当しますが)否定でき否認できましょうか。そ れどころか「色」好む者なら、かかる「いたづらものや」の境涯さえ本懐とすべき風情でもあり、情趣であり、粋の粋とは、この嘆息この愚痴の中ではじめて結 晶するのかも知れはしない。「思ひみだれ、さるは独寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ」と兼好法師も 徒然草の第三段 で言っています。
源氏物語や枕草子いらいの好色を「あはれ」とも「をかし」とも「ながめる」伝統は、このように生きている。とても、ただ否認してすむ美意識ではなかった のです。「いたづらもの」こそ実存者であったような時世を、日本の時間はたっぶり抱きこんでいます。まこと、「萬にいみじくとも、色このまざらん男(女) は、いと寂々(さうざう)しく、玉の巵(さかづき)の當(そこ)なきここちぞすべき」と言い切った兼好法師の美意識は、この小歌をふしぎに倫理的な魅惑で 飾ってさえいます。
必ずしも私は今、それを讃美ばかりはしませんけれど、そうした特色ある歴史的感情に眼を背けて、「いたづらものや」を説明して「無用な物よ」と教え、独 り寝のことを「いたづら寝」とも謂うとただ言い替えて読みおさめてしまうのでは、この小歌の嘆きを無価値にしてしまいます。
いい本歌や類歌のある小歌ですが、これはこれ、心優しく身にしむ実情歌ではありませんか。
2021 3/29 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 44・45・46番を、次に一連で読みましょう。

★ 見ずはただ宜からう 見たりやこそ物を思へただ

★ な見さいそ な見さいそ 人の推(すい)する な見さいそ

★ 思ふ方へこそ 目も行き 顔も振らるれ

☆ 「見ずはただ宜からう」は、含んだ物言いです。見なければ差支えなかろうといった浅い解釈では、かりにこの一句の解決はついたようでも、つづく一句とのかね合いに緊張が乏しくなります。
ここは、二つある「ただ」をどう読むかも大事なところ。見ないうちは、評判どおりの「ただ宜からう」で、よそごとに想うて平気でおれたのです。それなのに「見たりやこそ」 現に見ちゃったもンだから、おかげでこの物思いさ、惚れこんで──。
前のは、気軽な「ただ」です。後のは、ひたぶるな「ただ」です。
四四番、これは男の口吻ですね。女でもありえます。
つづく四五番の「な見さいそ」の「な」「そ」は、禁止を示しています。「見ちゃァだめ!」「人が怪しむわ(けどられてしまうわ)」と、当時の女人の直接 話法そのままを想わせます。「推(すい)する」は、推量し推察するのでしょう。〝ことば〟が自然な “うた〟と化している好例ですね。
四六番は、「振らるれ」という、受身とも自然とも両様にとれる「らるれ」のラ行音が、いとまろやかに耳に響きます。「だってェ。好きな人の方へ目も顔も 行っちやうんですも-ん」といった嬌声が聞こえてきます。酒席宴席や祭礼などでの、臨場感旺盛な咄嗟のギャグが、「あはれ」に「をかし」い人の思いを把握 しえた小歌ですね。男が、女の口説き文句に謡ってもなかなか有効だったでしょうし、さぞ愛誦されたことでしょう。
そうは言いながら、さて、どうも閑吟集の歌詞は淡泊で、コクというものが乏しいと物足らずお思いかもしれません。

仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ

☆ 染塵秘抄の二六番、随一の秀作として広く知られた今様で す。七五音を四句つらねた、少くもこういう型の整いは室町小歌には、ない。ない、のが特色とすら言えます。型の整いならば、謡曲つまり大和節や近江節など の方があるでしょう、が、それでも七五、七五と四句をつらねるといった定型というのではありません。謡曲のそれは、むしろ梁塵秘抄の今様より時期的にやや おくれて流行した、宴曲(早歌)の詞句のつらねかたに近い。

恋しとよ君恋しとよゆかしとよ 逢はばや見ばや見ばや見えばや

☆ 梁塵秘抄の四八五番、二句神歌のうちから、一等閑吟集の 率直な謡いぶりに近そうなのを一つ、抜いてみました。が、これにも或る整いがあり、閑吟集四五番の、あの「人の推する、な見さいそ」などというあたかも日 常の物言いそのままとは、よほど違っています。これを譬えて、まだ和歌的な梁塵秘抄と、もう俳諧的な閑吟集と謂ってみてよいかどうか。これは、あなたに、 質問として呈するに止めておきましょう。
2021 3/30 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ ところで、俳諧ないし川柳のことを念頭におきますと、わざと後廻しに残しておいた、四二番のこんな小歌を、ここでご一緒に読まずにおれません。

★ 柳の蔭にお待ちあれ 人問はばなう 楊子木(ようじぎ)伐(き)るとおしあれ

☆ この恍けた物言いのおかしさ。
楊子は、書いて字の如くやなぎ(楊)の木で作るのが良いと言いますね。セームタイムのセームプレース、つまりデートの約束を、とある柳の木蔭でと決めて おいて、もし誰かが通りがかりに何とか言うたなら、いえ楊子木を伐っているのですと「おしぁれ」仰言いナ あるいは 言っておやンなさいナ……と。
女から男へ知恵をつける「おしぁれ」でしょう。軽みのきいた、私の好きな小歌の一つです。
話題をもどして、閑吟集の小歌に歌詞としてのコクが有るか無いかと、一つ一つについて論えば、これは少くも梁塵秘抄とくらべて分がわるかろうというのも、私の見かたです。けれど、それを補うものも、たしかに、有る。
2021 3/31 231

述懐  恒平・令和三年(2021)四月

* ここに「恒平」三年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。

たのしみは難しい字を宛て訓んでその通りだと字書で識ること

たのしみは難しい字を訓みちがへ字書に教わり頭さげること

☆ 此のごろの最中仕事での楽しみです  恒平

たのしみはふたりのね子に「待て」とおしえ削り鰹をわけてやる時

たのしみは好きな写真のそれぞれに小声でものを云ひかける時

☆ 此のごろの仕事疲れの癒しです  恒平

たのしみは誰(た)が世つねなき山越えてけふぞ迎へし有為(We)の奥山

たのしみは割った蜜柑をひよどりの連れて食ふよと「マ・ア(仔ネコ兄弟)」と見るとき

☆ 結婚して62年 ともに八五歳の境涯です
2021 4/1 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 閑吟集の小歌に歌詞としてのコクが有るか無いかと、一つ 一つについて論(あげつらえ)ば、これは少くも梁塵秘抄とくらべて、分がわるかろう、というのも、私の見かたです。けれど、それを補うものも、たしかに、 有る。閑吟集のいわゆる連歌的編纂です。配列です。思い切って四九番から五五番まで七つを一度にならべて見てみましょう。すると、連歌めく情緒の展開のな かで、たとえば梁塵秘抄の編集でならばそうは打ち出されてなかった、閑吟集ならではの或る宣言、主張、態度として、読者の胸へひとかたまりに感銘が迫って きます。

★ 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり (49)

★ 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波(ふうは)の一葉(いちよう)よ (50)

★ 何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり (51)

★ ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの 世や (52)

★ 夢幻(ゆめまぼろし)や 南無三宝 (53)

★ くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)

★ 何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ ただ狂へ (55)

☆ 四九は、閑吟集を代表する小歌の一つです。しかも問題含 みの一つです。「世間」を「よのなか」とどの本どの学者も訓んでいますのは後生の解釈で、一応私も従ってはいますけれど、そういうアテ訓みを強いる用字 が、存外閑吟集に数寡いのを思えば、文字どおりの「せけん」と訓んで正しいのかも知れません。もっとも文字どおり歌謡は、黙読に先立って口誦第一に唱歌さ れるもの。おそらく編者も、これが「よのなか」と訓まれることに疑念はもたなかったでしょう。しかも「せけん」の意味も、この二字が体していたこと言うま でもない。そしてここからこの一篇の二重構造、趣向の面白さが真実湧き出すのですが、ところが私の見たかぎり、「よのなか」と訓んだ研究者たちが、口をそ ろえて「せけん」の意味でしか、この「世間」の面白さを汲んでいないのにはおどろきました。
そもそもこの四九番で謂う「ちろり」が、はたして、ちらり、ちらッ、ということか。光陰の過ぎ易く、少しずつ移動する状態を「ちろり」と浅野建二氏らの ごく通常の解で本当に十分かどうかです。当然のように古語辞典でも、①一瞬目にふれるさま、ちらっと、②またたくま、さっとの二種の解を示しています。ど うも、どれも閑吟集のこの四九番を原拠としていて、それ以前に溯る用例は示していないンですね。
近世、近代の語感で溯って行って、閑吟集の小歌に分かりよく安直に解釈をつけたと、皮肉に言えなくもない。なるほどムリのない理解で、けっして私も反対ではなかったのです。
とはいえ私自身「ちらッと」「じろッと」「じろり」という瞬時の瞥見を意味する副詞なら、たまには使ってきたでしょうけれど、「ちろり」という、音便で も何でもないむしろ澄んだ発音の名辞か、あるいは擬音のような物言いでは、もっとべつのことを考えます。例えば真先に、酒好きの私なら酒器の「ちろり」を 思い出します。それと秋野にすだく「ちんちろり」のような虫の音を思い出します。
しかもこの二つは、燗のついてくる時のさやかな〝音〟にかぶって、親密に、印象として重なり合っています。「ちろり」と「ちんちろり」──どちらかが、 他方の語源であるかとさえ想像したいほどです。事実、長崎ちろりといって、色硝子のそれは美しい酒器が遺っていますが、そんな南蛮・舶来めくものと限ら ず、やはり古語辞典が教えています「酒の燗をするに用いる容器。銅または真鍮製の、下すぼまりの筒形で、注口や把手がある」と説明しています、錫の品も多 いこのような酒器の名前は、後撰夷曲集の八より引いたという、「淋しきに友まつ虫の寝酒こそちんちろりにて燗をするなれ」とある、燗のつくさわやかな鳴り からも、またその注ぎ勝手のやさしさからも、来ているわけです。
この手の酒器を、では、いつの時代から「ちろり」と仇名ふうに呼んだか。にわかに確認できませんけれど、この閑吟集四九番の用例などは、松村英一氏や藤 田徳太郎氏の示唆もあったとおり、早くにあらわれていた証拠の一つと、十分考えられます。いかにも閑吟集ふうの名辞、語彙として、しっくりこの場に嵌まっ ています。
もっと溯って平安王朝の女房がたで日常に使われだした愛称、仇名だったかもしれない。閑吟集時代にはもう市民権を十分もって広まっていたのではないか。
こう察しをつけておいて、その上ではじめて、この名辞の語感の根に、先にあげたような「ちろり」の通解を、さらに語意を拡張されたものとして思ってみたいのです。
私の理解を率直に言いましょう。
この小歌で眼に見えている近景は、まず酒器としての「ちろり」です。そしてその蔭に遠景となり背景となってひそみ、懸詞ふうの隠し味にもなってふくらん でいる意味が、いわば通解どおりの無常迅速の「ちろり」なのです。こう意味を取ってはじめて、「よのなか」の訓みがはっきり生きてくる。つまり「せけん」 のことはと話が漠然と拡がってしまう以前に、この小歌では、男女の「世」の仲こそが、艶に直接にまず謡われているのです。
愛し合いなじみ合うた二人が、濃厚な「世」の仲をいましも枕を倶に満喫し充足している〝最中〟であると想像しましょう。
一つ床のまぢかに、〝あと〟のお楽しみの旨い酒が「ちろり」で煖められているのです。ちんちろりと燗はついてくる、その「ちろりちろり」の間にはや二人 の愛の高潮も過ぎて行く。ひしと寄合う二人の思いが、あるいは男の、あるいは女の孤心が、夢うつつにその「ちろり」の迅さをしみじみ認識しているのです ね。相愛の営みが、わずか「ちろり」の鳴りはじめるまでの、酒に燗がつくまでの寸時に過ぎてしまう、果ててしまう、そのはかなさを惜しみ、呆れ、なげき、 そして男女ともどもに酒の方へ這い寄って行く。そんな、やや醒めてうつろな睦まじさとして読むのが面白い。
松村、藤田民らはここまでは読まれていなかった。
「ちろりに過ぐる」の「ちろりに」という形容動詞ふう語法は、酒器「ちろり」で燗がついてくるほどの時の間に、束の間に、という意味でなければたしかに 不自然です。そしてあとの「ちろりちろり」はその時の間を擬音ふうに表現し描写している。リアリティはすべて眼前の酒器「ちろり」が面白う確かに支持して います。
そのものズバリ、有力な応援を、太田南畝先生、即ち天明狂歌壇の大将格だった四方赤良のこんな面白い狂歌に願いましょう。

世のなかはさてもせはしき酒の燗 ちろりのはかま着たり脱いだり
四方赤良

☆ 酒器を容れて置く「はかま」と着物の袴とを懸けている。袴を着たり脱いだりとは、すでにエロスの情景を直写しています。四方赤良は閑吟集のこの小歌をどうやら本歌にしていたかとも言えそうですね。
まずは、この小歌は、こう読まねばならぬはずの秀句です。そしてこれほどの具体具象を経て、さらに広く遠くに、「世間」は、時世は、人生はとおし拡げて行けばよい。「世の中はさてもせはしき酒の燗」です。「ちろり」の妙に、かくてこそ意味深長に手を拍つことができます。
四九番は、いわば二重底、三重底の面白さなのです。それをは なから無常迅速調で単調に片づけてはへんに説法くさいものに終ってしまう。はじめに愛欲耽溺のはかなさがしたたかに感じられて、ついで男女「世」の仲の行 く果てが想われ、それでこそ世間虚仮、無常迅速というほろ苦い諦念も遠景に生きてくる。身につまされるのです。ともあれ目前の景としては、男は男の、女は 女の〝事後″のしらじらをこの小歌で思いつ見つしているンで、真の意味の、これが「きぬぎぬ(後朝)」の情緒というものでしょう。
さあ、先に挙げた一連の七篇は、最初の四九番一つをこう読まないと、すべて浮足立って生悟りのお説法くささに鼻をつままねばならなくなる。五○番は「浮 世は風波の一葉よ」といい、五一番は「人生七十古来稀なり」といい、五二番では「あぢきなの世や」とふッと口をついている。それをさえエイと振り切るほど いっそ勢いよろしく五三番は、「夢幻や 南無三宝」──。一炊の夢に夢さめた謡曲『邯鄲』に出てくる一句です。
一度はおちこみかけた「あぢきな」という否定や消極を、今一度「何ともなやなう」「何ともなやなう」と否定の肯定に反響させ逆転させての、すべては、 「夢・幻」という真実の現実。これをすべてそのまま、「だからどうだと言うの」「何じゃいナ」とまたバサリ夢幻(無間)の底へ切って落とすわけです。その 原点に四九番の男と女との愛恋夢幻、無限抱擁の束の間が過ぎ行きつつある。「ちろり」と酒が煮え立つほどの儚い時の間にも、しかし、よくよく想えば、よそ の現実社会では決してえられなかった甘美と充実とがあった。あったはず……だ。
「浮世は風波の一葉」それで、けっこう。「人生七十古来稀」で、けっこう。「水の泡」「露の間」で、とことん味わいつくすいとまもなげな「世」は世ながら、それとて南無三宝、「夢幻や」であるわけです。
観念だけの諦悟は机上の空論です。最初に人間らしい愛欲の真相が寂然かつ「ちろりちろり」と据えられているから、四九番から五三番までが、みごとに緊密 な、少くも一つの〝態度〟を毅然と表わしえている。この態度の毅さは、この時代の人々にすれば、世間万事心細く心もとなければこそ、こう生きぬくしかない 強さであったのでしょうね。またこの一連をこう編集しえたことで、閑吟集の編者は、「狂客」たるの真骨頂を表わしえていると言えましょう。
こうまで断乎読み切ってみると、もう、五四番の、また五五番の、「うつつ顔」を嗤って「ただ狂へ」と噴きあげる歌声に、余分の註釈は不要というもので しょう。男女の仲を、そして現世を、徹底して「夢の夢の夢の」と幾重もの合せ鏡の奥をのぞくような覚悟があれば、「一期(生涯)は夢よ」と見切って、だか ら肯定して、「ただ狂へ」と両手両脚を奔放に虚空になげ出すのは、語の真実として極めて “自然〟です。この〝自然〟を〝リアリティ〟と訓みたくなるのは、根本に男女の愛を据えて動かない『閑吟集』の人間肯定があるからです。
ここで「くすむ人」というのは、一般に「まじめくさった人」ととるだけでは、じつは味わいがまだ稀薄です。明らかに「夢の夢の夢の世」つまり性愛の秘境を、はるばる訪れていながら、なお「くすむ人」は、尻ごみする人などは、とても「見られぬ」と嗤っているのです。
「ただ狂へ」も、どれほど深遠に釈義してもいいのですが、根本には、男女愛欲の海のなかで狂い游ごうよと、徹した思念が第一義に謡われている真相を見忘れては、聴き遁しては、いかな説法も屁ひとつ、何の足しにもならないのです。
『閑吟集』が説く「春」とは、まさにこういう小歌に寄せて認識される「春」なのでした。そしていつしか「夏」が、そこへ来ています。
2021 4/1 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

☆ 季は「夏」に転じています。弥生は三月で春、卯の花咲く卯月は四月で、もう夏、と、そのような暦の上での中世と現代とのちがいもちゃんと頭に入れていませんと、古典を読むさいに往々季節感をあやまりますので、ご注意ください。
五九番。

★ わが恋は 水に燃えたつほたるほたる もの言はで笑止のほたる

☆ 「笑止」は、今日では失笑、冷笑、喋ってやるといった意味に使われ易いのですが、もとは、この小歌の時代では、気の毒な、可哀想なという意味で使われています。間違いやすい言葉ですから、注意が要ります。
その上で「こひ」「燃え」「ほたる(火垂とも書く虫です)」と言った「火」の縁語を読みとりながら、反対語の「水に」に「見ずに」の意味を懸け重ねて読んでください。
蛍は、物を言わずに恋い焦がれる「忍ぶ恋」のシンボルにされてきた夏の虫です。「見ずに」「もの言はで」忍んで燃えているわが恋ごころの切なさへ、「蛍」よ「蛍」よといとおしむように呼びかけています。
2021 4/2 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  思ひ回せば小車(をぐるま)の 思ひ回せば小車の 僅かなりける浮世哉

☆ 近江節です。「恩ひ回せば」「回せば小車」と言葉を懸けて回旋の速度感がよく出ている上に、同句を繰返すのも「小車」らしい佳い効果になっています。
「浮世」とは、後代に浮世草子などが盛んに書かれ読まれます、『浮世床』などという読物も人気をえますし浮世絵もあって、言葉としてはなじみ切っていますが、意味はとなると簡単にいかぬ言葉です。
あさはかに、ふわふわと頼りない世の中というふうに「浮」くという文字からつい取りたくなるし、まァそれで大異はないようなものですが、根本に「憂き 世」という感受があり、それを批評的にかるく「浮世」と思い直した経過に、意味深長な時代感情のあやは汲まねばなりません。やはり 閑吟集を特色づける語 彙の一つと言うべきでしょう。
しかしそんな印象ばかりを言うのでなく、たとえば、よく「浮身をやつす」と言います、あんな謂いまわしとの関連からも「浮世」のことは考えてみたいものです。
番茶も出花の年ごろになると、どう大人が制しても、とかく漂いがちに世間へふらりと出歩いて行く若い男や女の、やるせもなく春情ゆたかな、けれど心もと ないそぶりを指して、「浮身をやつす」と昔の人は謂ったンですね。「浮世」とは、そういう男女の「世」の仲でこそあるのです。するとこれも、前章で読みま した、四九番の、

★ 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり

☆ の 「ちろり」と同じ効果で、「小車」が使われている。「世間」と同じように「浮世」が使われている。ともに「僅 かなりける」時間、まさに逢う瀬の束の間が嘆かれているわけです。さらに徹して読むと、遠景に 邯鄲一炊の夢、夢幻や南無三宝といった感慨が浮かび上がる のですね。
2021 4/3 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  やれ 面白や えん 京には車 やれ 淀に舟 えん 桂の里の鵜飼舟よ

☆ 六五番。 珍しいのではない。風情があり目に立ちやすいその物を「車」「(渡し)舟」「鵜飼舟」と挙げているのですね。「やれ」「えん」という囃しを交互に出してくる。アイヌのユーカラでもこういう囃しかたが目立つそうです。
六六番と六七番は、連れて読みましょう。

★ 忍び車のやすらひに それかと夕顔の花をしるべに

★ ならぬ徒花(あだばな) 眞白(まっしろ)に見えて 憂き中垣の 夕顔や

☆ 六六番の小歌は、明らかに源氏物語「夕顔」の巻に取材しています。が、それに捉われてしまわぬようにと言いたい。
歌謡への身の寄せかた、ことに閑吟集のようにわざとと言えるほど主語を欠いた語法のものでは、敢えて、その表に出ない主語の箇処へ自分か、自分でなくて も自分同等に大切なもう一人を据えて読んでみるのが、ごく自然な感情移入の本道です。徒らに周辺の知識に足をとられ、いきなり光源氏や薄幸の美女夕顔を外 側から傍観者の視線で眺めるといった読みでは、歌謡にふさわしい対い方と言えなくなる。
「やすらひ」は誤解しやすい古語で、つい「安」や「休」の漢字をあててしまいがちですが、これは「躊躇する」「ためらう」意味です。百人一首に赤染衛門の名歌があります。

やすらはで寝なましものを小夜(さよ)ふけてかたぶくまでの月を見しかな

☆ まこと凄いほど身にしむ、待ちて逢はざる恋の秀歌なンで すが、ためらってないで寝てしまえばよかったわと愚痴っています。「来る、来る」という言葉を心待ちに月を見ながらつい宵も過ぎ、夜も更けて、傾きはてた お月様を山の端へ見送ることになってしまったわという歌でしょうか。
この赤染衛門の「やすらはで」は、たしかにそういう意味なのですけれど、閑吟集六六番の「やすらひ」は、たいてい、小休止の意味と取られています。ある 人の現代語訳ですと、「女のもとへこっそり通ってゆく車、その車が休息のおりに、あれは自分が思っている女かと、そこに咲いている夕顔の花を道案内として 訪ねた」と、あります。
残念なことにこの訳は、まともな日本語になっていない。十分に意味をなさない。
なぜ「忍び車」が「休息」するのでしょう。女のもとへ車で忍んで行く者の気持にすれば、「ためらひ」こそあれ、人目立つ途中の休息などとのんびりしてい られるわけがない。が、男の逢いたい思いと、それをためらう思いとが、忍び車のえも言われぬ足のおそさにはなっている。それがここでの「やすらひ」の本意 でしょう。
なぜ「やすら」ふか。なぜ「忍」ぶか。
日かげに咲く夕顔の女だからです。辻君や遊君のような女だからです。それでも愛しいからです。
ここの「夕顔」は、源氏物語も踏まえながら、夕暮れ時からほのかに町かげに咲いて出るような女の身上なり素性なりをうち重ねています。「それかと」「し るべに」は、源氏物語の中の「心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花」や「寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔」という 男女の応酬に示唆をうけています。
六七番の「夕顔」は、ものの言いまわしからは一応源氏物語を離れています。が、恋の対象としての「夕顔」であって、しかも「憂き中垣」のむこうに裏白に 咲いたのが、見えてはいて、手は届かない、そういう「憂き仲」の花の夕顔でもある。この恋、どうも実を結びそうにない、だから「ならぬ徒花(あだばな)」 でもあるわけです。
六七番の「夕顔」の女を、遊君と見るか。垣がへだてた人妻と見るか。「人妻」説によれば、これは源氏物語を遠くに感じとって読むのがいい。はじめて光君が夕顔と出逢って、先の歌のやりとりをした時は、女はまだ頭中将の思い妻の一人であったのですから。
けれど、「ならぬ徒花 裏白に見えて」は、必ずしもあの「夕顔」にふさわしい物言いでない。どこか町の小路の遊君めく女と取れます。どう取ってもいい、十分に物語めいて面白い小歌です。
2021 4/4 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  恋風が 来ては袂(たもと)にかい縺(もつ)れてなう 袖の重さよ 恋風はおもひ物かな

☆ 『魔風恋風』という流行った小説が、明治の頃に小杉天外 作で書かれています。「恋風」は、銘々の語感で好きに読んでいいはずです。恋慕の衝動に性愛が混じるくらいに想っていい気がします。「掻い縺れて」は、払 いのけても絡みつくようなまことに余儀ない情動を言い表わしている。「おもひ物」は「重い物」と、ものを思わせるものとの両方に懸けていますね。ちょっと 歌が重い感じです。
で、いっそ私はこう読みたい。
これは独詠の述懐でなく、今しも座敷で、(戸外でもいい)袂にからんでくる女にむかって、男が機転のご愛嬌でからかっているのだと。
すると、歌が軽くなる。ぐっと面白くなります。そして、男と女との表情や身ごなしまで眼に見えてきます。
2021 4/5 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  仰(おしゃ)る闇の夜 仰る仰る闇の夜 つきもないことを

☆ 「つき」は「月」でもあり、ふさわしい「拠りどころ」の意味でもあります。「つきもない」という物言いには「月もない」闇夜の意味と、「いいかげんなことを」という非難が懸け合わしてある。
「まァ仰ること。闇の夜だからいいだろですッてェ」 「まァ仰るわ仰るわ、聞の夜だからいいだろですッてェ」 「つきもないことを」と。
たいそう面白い。
こう読むと昨日の七二番

★  恋風が 来ては袂(たもと)にかい縺(もつ)れてなう 袖の重さよ 恋風はおもひ物かな

が、男から女へ、今日のこの七三番が女から男への、剽軽なしっペ返しとして 一対のものに想われる面白さも加わりますね。つまりこの一対、恋仲のお二人さんが 逢引の散策を楽しみながら、軽口でやり合っていると読めるのです。
配列の妙がここに生きています。
2021 4/6 232

* 心肉を抉る苦しみや憎しみが毒箭のようにさし迫って、耐え難い日々に襲われることがある。だれかに分かち持ってと理不尽に心に願ってしまう事があり、そんな時、こんなふうに、つい遁れたがるのです。

たのしみは誰にともなく呼びかけて元気でいるよと黙語するとき

たのしみは誰とは知らず耳もとへ「げんき げんき」と声とどくとき
2021 4/6 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  我御寮(わごりょ)思へば あのの津より来たものを 俺振り事(ごと)は こりや何事

★ なにを仰(おしゃ)るぞせはせはと 上(うは)の空とよなう 此方(こなた)も覚悟申した

☆ 「我御寮」はこの時代の二人称です。あなた。お前。相当の親愛を籠めています。それだけに目上の人への物言いではありません。男女の限定はないが、先の七七番では、男が女へ。
「あのの津」は伊勢の安濃津、現在の三重県津市にあてて構わないのですが、むしろ「あの」という遠い指示詞の効用へ一般化してみた方が、いい拡がりを産むようです。
この小歌の妙味は、むろん「振り事」「何事」という脚韻にありましょう。実際に「振られた」というより、あだけた睦言(むつごと)の感じが面白いのですね。
あとの七八番は、女からの応酬ですね。深刻に読めば、はや帰宅の時間でもしきりに気にかけている男の、上の空の物言いをプンと怒って、女からも、「いっそ別れましょうよ」と投げつけたふうに想えます。
「せはせは」は、受け答えも頼りなげに妙に気にさわる早口で、つまり「上の空」で、と取りたい。
けれど、この際の女の、「此方(こなた)も覚悟申した」という科白を、そう深刻に取ってはかえってつまりません。むしろ「男の扱いに慣れた女の口吻(くちぶり)」という臼田甚五郎氏の理解に賛成です。
「俺振り事は こりや何事」
「此方も覚悟申した」
こうやり合って、瞬時に微笑か微苦笑か、あるいは咲笑をさえ交しあっている仲よさがここに見えて、そういう見えかたを誘っているのが、閑吟集のなかなか 手だれに「自然な趣向の冴え」と言えましょぅ。この編者と思しい「桑門(坊さん)」がたいした「狂客」でも「粋人」でもあって、広い意味でも狭い意味でも 社交場裡の甘い酸いを噛み分けていた人、妙な比較ですがプーシキンの「イフゲーニェ・オネーギン」みたいな人物、そういう体験の蓄積を過去にいやほどもっ た人と想像するのは、きっと正しかろうと思っています。
2021 4/7 232

述懐  恒平・令和三年(2021)四月

* ここに「恒平」三年としてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。

たのしみは難しい字を宛て訓んでその通りだと字書で識ること

たのしみは難しい字を訓みちがへ字書に教わり頭さげること

☆ 此のごろの最中仕事での楽しみです  恒平

たのしみはふたりのね子に「待て」とおしえ削り鰹をわけてやる時

たのしみは好きな写真のそれぞれに小声でものを云ひかける時

☆ 此のごろの仕事疲れの癒しです  恒平

たのしみは誰(た)が世つねなき山越えてけふぞ迎へし有為(We)の奥山

たのしみは割った蜜柑をひよどりの連れて食ふよと「マ・ア(仔ネコ兄弟)」と見るとき

☆ 結婚して62年 ともに八五歳の境涯です

たのしみは誰にともなく呼びかけて元気でいるよと黙語するとき

たのしみは誰とは知らず耳もとへ「げんき げんき」と声とどくとき

☆ すでに逝きし人らとの このごろの対話です
2021 4/7 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  思へかし いかに思はれむ 思はぬをだにも 思ふ世に

☆ こんなのを、畳語といいます。同じような物言いを微妙にずらして畳みこんでいます。舌も噛みそうですが、頭も痛くなります。すこし時代がおくれて、『宗安小歌集』にこんな類歌があります。

思ふたを思ふたが思ふたかの 思はぬを思ふたが思ふたよの

☆ 恋いこがれた相手を恋いこがれてみて、向うも同じに恋いこがれてくれたか。いやいや。恋いこがれもせぬ相手を恋いこがれた顔をしたら、向うは夢中で恋いこがれてきたことさ。
いやはや、ままならぬ──。
独白でよし、唱和と読んでもよい。ちょっと切ないような、宗安小歌の言葉遊びの面白さです。が、閑吟集の八○番は、趣味的に言葉遊びで終らせない、さし 迫った覚悟、が言いすぎならば、意気ごみを帯びています。これは自分で自分に、または親しい相手に、噛んでふくめて訓えているとみたい内容です。
「思ふ」は愛する、恋する、惚れこむ意味に違いない。「思へかし」は命じるくらい強い勧めです。そうすれば自分も強く深く人に「思はれ」ないではあるまい。愛されるためには先ず愛せよと、この小歌、謡いかけ勧めています。そしてそのあとが、独特なンですね。
愛してないはずだった相手でさえ、愛してしまうことになるのが、男と女との「世」の仲だもの。愛の不思議なンだもの。そう言っている。つまり人を愛さずには生きてられない存在として「人間」を見ている。
これを諦悟ととるか耽溺ないし頽廃ととるかは、読者の自由でしょう。
「思はぬをだにも 思ふ世に──」ふしぎに涙ぐましくもなる、真率の凝視が詞句の内に生きています。
少くも、すこしもふざけていない。
2021 4/8 232

* 歌集『少年』より以前のいわば『少年前』歌集(整頓されたノートが、三冊残ってゐる。)を読み返していた、胸に波立つモノを静めたく。 八時半。
2021 4/8 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 浮からかいたよ よしなの人の心や

☆ こ の小歌が、自分を有頂天の夢中へと漂わせてしまった恋人の、愛と、性との〝力″を、喜びつつかつ長嘆息しているのが、いかにも「夏」の終りにふさわしく、 下句の嘆きは、男女のそれぞれに懸かっています。「浮からかす」という表現が、面白いですね。そして次にくる「人の心」の「秋」は、はや「飽き(秋)」の 季節のようです。

★ 人の心の秋の初風 告げ顔の 軒端の荻も怨めし

☆ 「秋(飽き)の初風」を告げ顔の軒端の荻のそよぎに、「人の心」の頼りなさをふと思い初(そ)めています。「男(女)心と秋の風」を嘆じているの が、まさにこの小歌です。「軒端の荻」は実景であってよく、しかも源氏物語に、人ちがいされたたまたまの成り行きから、一度は光源氏に抱かれながら忘れら れ捨てられた「軒端の荻」という、うら若い女人の切なさが遠景に見えていても、よろしいでしょう。見えていなくても、よろしいでしょう。
2021 4/9 232

 

* たのしみはあれやこれやをかき混ぜて仕事らしきへ気の弾むとき

* そうは言いながら、もういいではないか、という内心の声にしたがいたい気が兆している。
なんという騒がしいばかりの時代になっているのか。テレビの映像に観る世相は、もう私の同居できる、同居したいものでない。あまりに しだらなく 喧しい。昭 和に生まれ昭和に育ち、平成を懸命に生きてきたが、令和は、もう、生きて行くに懐かしい魅惑を、少なくも静かさという美しさを持っていない。機をえて早く立ち 去りたい。
2021 4/9 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 夢の戯れいたづらに 松風に知らせじ 槿(あさがほ)は日に萎れ 野艸(ののくさ)の露は風に消 え かかるはかなき夢の世を 現(うつつ)と住むぞ迷ひなる

☆ 田楽節です。 「夢の戯れ」の「夢の世」を「いたづら」「はかなき」と認めていますから、末の一句の取りようで、趣が右へも左へも動きます。
「夢」を否定して、「夢」は夢、所詮「現」ではない間違うなよ。そう誡めていると取るのが普通の解釈でしょう。
けれど、「いたづら」に「はかな」いのは「夢」の本来、また愛と人生の真相なのだから、「現」の思いで「夢」をひとかど批評しえたなどと思う方が「迷 ひ」である。「夢」はやはり夢、「現」など実は実在しないのが現実の姿と見究め、「夢」に徹して生きればいい、と、そういう主張も十分ありえたのが、閑吟 集の「ただ狂へ」なのでした。
私も「夢」派です。
九六番。

★ ただ人は情あれ 槿(あさがほ)の花の上なる露の世に

☆ 「槿花(きんか)一朝(いってう)の夢」と定まり文句があるのを、思い起こすにも及ばないでしょう。あくまで「情(なさけ)」とは自身に、他者に、何ごとであるか、ありうるかを問いたい気がします。

* なにもかも、と謂うてもいいほど私は生来の「閑吟集」派に自身を育ててきた気がする。「NHKブックス」の此の私の一冊は「私」を解説の一冊にさえ成っている。
2021 4/10 232

 

☆ たのしみは「したい」仕事の「すべき」よりもほどよく我を誘(いざな)ひ呉れる

* 「湖(うみ)の本」35年 150巻 いつも本が出来てくる間際の息苦しさを堪え続けてきた。届いてしまうと、ほっと開放された。決して泰然剛毅な人では私は無い。
今日、夕方近く、歌集「少年前」の編まれていたノート三冊の最初の方を機械に入れ始めていて、敗戦後の新制中学三年での「修学旅行」をうたって四十首近く。そのうち、明晩には京都駅から東向きにみなで汽車に乗る、そして駅に集合し、いよいよ汽車が出る、そこまでに十首のみんなが、何とも「旅行」に感傷的に気弱でうじうじ気が進んでいない。呆れて、つくづく書き写し「読み返し」ながら、少年前の私の、或る意味呆れるほど本性脆弱な「あかんたれ」が露呈いや暴露されているのだと、その歴然に八五老ガクッと来た。

* 幼稚園でも、国民学校でも、丹波の戦時疎開さきの山暮らしでも、戦後も一年余に病気で京都へ帰ってからも、わたしは、目立ったあだ名で友達に呼ばれて なかった。近所では幼児のママ「ヒロカズさん」と呼ばれ、学校では「コウヘイ」「はたクン」「はたサン」だった。それでいて戦後京都の小学校では率先生徒 会を率いて生徒会長をしていた。中学へ入ってからも生徒会でガンバリ、三年生で生徒会長に選挙で当選し、当時の吉田茂総理のあだ名だった「ワンマン」と同 じく秦の「ワンマン」と呼ばれていた。運動場でも講堂でも、いつも演壇に立って号令していたし、教室では、先生に代わって教壇で国語や社会の授業を進めた り、ま、活躍目覚ましい校内でのまさに主将だった。
それなのに 今日久々に、つまり七十年ぶりに読み返した修学旅行前夜の短歌の「めそめそ」したひ弱さは、自身で否認がしにくい自己露呈に相違なかったのだ、どっちが本当なのか。
ひ弱いのが「ホンマ」で、目覚ましい活躍は「ガンバリ」であったと謂わざるを得ない。
そんなことを七十年後の老耄に自認させてしまう幼く拙い「短歌ひと」として歩み出していたのだった。マイッタ。が、性根から出るモノが滲み出ていたの だ、そんな歌集『少年前』が、三冊のノートを719首と拙い詞書とで満たしていた。「文藝」としての価値はないからその多くを、ほとんどを、うち捨てて、 そしてあの処女歌集『少年』を世に送り出したのだった、幸いかなりに好評を得て、「昭和百人一首」にも選ばれ、「国語」教科書にも紹介された。今にして余 分なそれ以前の習作を持ち出すことは無いのだが、私独りには、やはり無視しきれない「根」がそこに在った、暴露していた、と謂うしかない。短編「祇園の子」などの紙背にまさしくこれら幼稚の短歌たちは貼り付いていたのだと思う。思わざるを得ない。
「あんたが そのまま小説なんですな、小説を書くか、小説になるか、それしか生きようのない人ですな」と、詩人の林富士馬さんら何人かに謂われ、笑われてきた。このあまりに幼稚な三冊は、その意味では、資料いや肥料にはなっていたのだろう。
2021 4/10 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 秋の夕の蟲の声々 風うちふいたやらで さびしやなう

☆ 蟲の声々を、風が吹きおこした天然の笛の音と聞き惚れな がら、音色の奥から人の世のたそがれ行く寂しみを引き出しています。人間万事「春」あれば「秋」もあり。数ある秋の歌から、「桑門」の選択が、この辺でつ よく物を言っています。和歌ならぬ漢詩に取材した小歌がつづきます中から、唐の元槙の詩に取材した一○一番へトビましょう。

★ 二人寝るとも憂かるべし 月斜窓に入る暁寺(げうぢ)の鐘

☆ この上句は、さしもの春情もかかる秋思とは沈静するものかと、ひとしお寂しい。これを梁塵秘抄四八一番のこんな濃厚な歌とくらべてみて下さい。

★ いざ寝なむ 夜も明け方になりにけり 鐘も打つ
宵より寝たるだにも飽 かぬ心を や いかにせむ

☆ はっきり「飽き(秋)」ならぬ「飽かぬ」愛欲の昂揚が、梁塵秘抄の歌謡には、ある。時代の若さ、ということを考えさせられます。謡っている当人の、いわば天真の青春と、閑吟諦悟の老境との、さも落差かとさえふと想われて、しみじみと目が冴えます。
2021 4/11 232

* 歌集「少年前」の、高校期以前を再確認し電子化した。昭和二十八年七月四日に跋を書いている。日吉ヶ丘高校三年生夏休み前か。既刊の歌集『少年』とか ぶっている。「少年前」と思しきを容赦なく落としておいて、大學・院、東上・就職・新婚、そして親になったまでで歌集『少年』を編んだのだった。すでに「老蚕」と自認し つつも、第三歌集『光塵』第四歌集『乱声』も本にしているが、八五老の今も、私は、根は未熟な「少年」のままに過ぎない。諦めている。
2021 4/11 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 身は浮草の 根も定まらぬ人を待つ 正体なやなう 寝うやれ 月の傾く

☆ これぞ前に触れました、「やすらはで寝なましものを小夜 ふけてかたぶくまでの月を見しかな」の「小歌」版ですね。「根も定まらぬ人」とは、「寝(処)も定まらぬ浮気な男」よということで、「正体なやなう」はそ んな男へのいまいましさと、そんな男を待ち暮らす自身へのいまいましさとを、「狂ってるわよ」と憤怒かつ自嘲しているのです。
「寝うやれ」が面白い。寝ちまへとくらいの口吻です。ここで「身は浮草」は、浮わついた男の描写であるとともに、また女のかかる身上(しんしょう)のこともちゃんと指さしています。その場合は「根」はやはり暮しの根っこの意味ですね。懸詞の妙味です。
一○六番。

★ 雨にさへ訪(と)はれし仲の 月にさへなう 月によなう

☆ うがったものですね。いやな雨の日にも訪ねてくれたあの人が、さわやかな月夜にも来てくれないなんて。こんないいお月さまなのにねえ──。
しかし一方にまた「月の障り」もいとわないで抱いてくれるの、ほんとよ…とも、ちゃんと読めるのですね。
2021 4/12 232

* 街へ溢れ出ている若い人たちのマイク向きの表白は、「タカをくくる」という風情。世をあげてあの調子 が瀰漫化してくれば、コロナ禍は、このまま半年一年してもとても治まらないのではないか。治まりうる要因が見あたらない、入手停滞の「ワクチン事情」のほ かには。しかし海外での断然の沈静化か進行しない限り、西欧は日本へのワクチン提供を、いろいろな含みから意図的にも抑制するだろう、何故かならここにも 「悪意の算術」と謂う「外交戦争」が歴然と在るのだから。分かっていて政府はそのことに触れないのか、いや、菅総理以下の政府の人材に、そんな自覚は生じ ていないのだろう、か。
中国は、すでに明瞭に、「コロナ」は「第三次世界戦争」だと表明して憚らないではないか。政治も経済も「日本の劣勢・劣化」は、それとはなしに今や世界 的観測と化しているかと案じられる。口にするのは怖いのだろう、もうやがて、タブーとなっている「オリンピック」「パラリンピック」の開催問題が世界的な 「悪意の算術」の対象になって来かねない。北朝鮮はボイコットの旗をまっさきに振った。背景にどんな国々の「悪意の算術」がはや働いているやも知れまい。

☆ 当節二階節 遅ればせ初春漫才

金庫番だけが自慢の「二階」の旦那
コロナ転んだそれがどうした
愚の字痴の字の閑事の鼾
うすらバカづら吠えづら晒し
鼻息あらくもアダ夢の間も
かかえた梯子が「二階」の命

だれか外せとヘボ番頭ら
くやしまぎれで自棄にも酒が
只で呑みたや「二階」の旦那よ
仰せは何でもハイ御もっとも
自由も民主も気ままのお肴
世間のヤツらはただ出汁昆布

「二階」座敷で梯子の只酒
それやい旦那のお振舞ひ
寝ちゃ食ひ食ちゃ寝て会食つづき
これこそ世渡り心得おれと
「二階」の旦那はテンから金持ち
ハハァ ヘヘェ と 梯子の神へ
柏わ手うつうつ 打たぬは居らぬ
大番頭もガースーと 鼾真似てのお諂ひ

令和は三年 誰もが惨念 成らぬ忘年 怖(お)ぞや今年(こんねん)

* 気色わるくて。 で、写真の模様替えをした。
2021 4/12 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 薫(た)き物の木枯(こがらし)の 洩り出づる小簾(こす)の扉(とぼそ)は 月さへ匂ふ夕暮

☆ すこぶる優艶な、閑吟集の編者には似合っても、「職人尽絵」世界とはちょっと縁の遠げな、王朝物語めく小唄です。
「木枯」は、名香の名で知られています。「木枯のもり」となると、その森の名が、静岡県下のふるい歌枕になっている。むろん薫き物をほめるだけでなく、 名香を薫きしめている当の貴人の、けはいのみして婆の見えぬ御簾(みす)の向うが奥ゆかしく、木枯の森に浮かぶ月さえも匂うて眺められる夕暮の風情よと、 幾重にも情緒をてんめんさせているのです。
九一番の「誰そよお軽忽(きょうこつ)」といった調子と、ずいぶんな違いに微笑まれます。
2021 4/13 232

* 送り出し前の、肩の凝る用意や心がけに疲れている。いっそ早く本が出来てくれれば、などと。堪え性もなくなっているのだろう。
歌集『少年前』を、高校の頃の歌帖を顧みに、機械に書写している。手入れはせず。それでも、ところどころに、現在での覚え書きを添えている。
今日は、いましがた、触れていた、昭和二十六年(一九五一)七月二十五日だと、日づけ鮮明、忽として家の表に立たれ、夏休み中の私を、大和薬師寺、唐招提寺へ連れて行って下さった中学時代の給田緑先生との、嬉しくもビックリもした遠足の短歌を読み返した。
歌は拙い、が、忘れがたい、なにもかも初の美の体験を想い出しほろほろと泣いた。その後の私の行く道が、あの夏の日、「母」とも慕った女先生との、言葉すくなな静かな遠足で、もう見えていたのだろう。
給田先生は、それは静かな、ことば美しい立派な歌人であられた。けれど、歌を、詠めよ創れよなどと決して強いられなかった。あれを読めこれを読めとも言いつけられなかった。いつも優しく観ていて下さった。
* 夕寝していた間に 早や 尾張の鳶さんとお嬢さんのはからいで、トールキンの『ホビットの冒険』が届いていた。早い! びっくり。大感謝。即 お礼のメール 飛んで行ってくれるといいが。
2021 4/13 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ ただ人には 馴れまじものぢや 馴れての後に 離るるるるるるるるが大 事ぢやるもの

☆ 馴れてしまうと離れづらくなる。「る」が八つもという例は、他本にもあります、調子づいているというより離れる辛さを強いて我慢しているのだと言っておきます。「大事ぢゃる」は「大事である」おおごとである、のつまった物言いです。

★ 塩屋の煙々よ 立つ姿までしほがまし

★ 潮にまようた 磯の細道

☆ 塩を焼く煙の立ちのぼるさままでが、塩じみひなびて見える。
その実は、女の立ち姿が「しほ」らしく、可憐に見えるのですね。
女の「しほ」とした風情に恋の細道へ迷いこんだよという寓意が、あとの小歌。表面は、潮の満ち干につい通いなれた磯の細道をまちがえたと謡っていますが。
2021 4/14 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 何となるみの果てやらん しほに寄り候(そろ)片し貝

☆ 粋な小歌ではありませんか。「なるみ」は歌枕の鳴海潟を 踏まえながら、どうなる「身の果て」へ意味を懸けていますね。「しほ」は原文は「塩」なンですが、意味は潮、そして女の「しほ」とした魅惑に懸けていま す。「片し貝」は、二枚貝の片割れ、半端、つまりは片恋のなる果てを身にしむ思いで嘆いた小歌です。身につまされます。
2021 4/15 232

* 歌集『少年前』を機械に清書・整備していて、われから呆れている、七十年昔の「少年前」としても、文字通りに京の「女文化」を呼吸していたこと、現代 ふうの現実や世相には目もくれていない、ひたむきに京の自然、ささやかな花や草木や枝葉や日の光や空ゆく雲や風に親しみの目と思いとを向け、点綴されて、 そこへ、愛した人への思慕や親愛がひかえめに詠われている。「もらひ子」の「ひとり子」という境涯を抱えたまま、「身内に」と願ったのは兄や弟でなく、母 とも頼むほどの(たった一歳ちがいの)姉やその妹たちであった。
「少年」とはそんなものであったか、「野菊のごとき君」などまだ識りもしてなかった、が、堀辰雄の「風たちぬ」には近寄っていたし、芥川龍之介の生い立ちなども識りかけていた。そんな風情は、近年の作「花方」にもにじみ出ていた。
これでは「少年」でなく「少女」やないかと笑われて仕方ないほど、私の「短歌世界」には男めく人くささが無く、感傷に充ち満ちていたと今にして我ながら惘れる。驚く。
叔母の、花や茶の稽古場には男性の弟子など、何十年のうちに一人二人、他は、みな京の女たちだった。わたしは其処で唯一人の男の子、叔母が晩年まで、「コヘちゃん」の呼び名で通っていた。代稽古でその「コヘちゃん」にしぼられるのを、皆、いっそ歓迎してくれた。
国民学校一年生になった昭和十七年、ちいさな町内で、私と同学年は、女の子ばかりが八人だった。「女の中に男が一人」と他町の男の子らに囃された。
新制中学へ進んで三年間、男子の良い友達も何人もでき、田中勉や團彦太郎など競い合って仲良かったし、西村明男や藤江孝彦ら今にも親しい付き合いはつづ いているが、「心情」世界では女ともだちが何人も何人も絶えなかった。それが、拙いながら、「情緒表現」に、或いは障りとも、しかし力ともなった。

(91)何ゆえの舞妓姿と同窓のひとの晴れ着がふと心哀(うらがな)し
昭和二十七年二月十六日

(92)丘に立てば北風いささよはまりぬかなたの岸辺連れて行くあり
二月廿日

(93)水かれて川床むさき高瀬川児らつどひゐて石くれつめる                   二月二十六日

(94)山の道はかよふ風さへなかりけりあふげば蒼き夕やみの空

(95)」むらさきの夕やみせまる清みづの舞台の老婆何の惟ひぞ
二月二十七日

(96)母なくて病む子の泣けば裏町の夜のしづけさに細き雨ふる
二月二十八日

* 一言で言えば 「変わってる」少年で、しょっちゅう「ハタは、変わってる」と謂われていた。「なんも変わってへんよ」と内心反噬していたが、ノートの 歌集『少年前』を機械に逐一書き写していると、我ながら、「こんなであったか」と胸を衝かれる。ハッキリ謂うて、感傷の濃さに呆れる。
2021 4/15 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 歌へや歌へや泡沫(うたかた)の あはれ昔の恋しさを 今も遊女の舟遊び 世を渡る ひとふしを 歌ひていざや遊ばん

☆ 往事渺茫の懐舊は、閑吟集編纂者の根深い心境です。底に「いつ忘れうぞ 寝乱れ髪の面影」というあの巻頭歌謡の嘆息が沈澱しています。それが「秋」の歌謡を読み進むにつれて、はっきりしてきたという感じは、なさいませんか。
「世を渡るひとふし」は、一節(ひとよ)ぶし即ち尺八による小歌のふしでもあるわけです。遊女が舟遊びをするのではない。遊女と、男が舟遊びをする。そこに遊女風情の尽きぬ哀しみがあるのを汲まねばなりません。
2021 4/16 232

* 歌集『少年前』は私の創作生涯の「原点」を成していた、歌集『少年』をもって謂わば創業と自分でも思っていたし或る意味(仕上がっているという意味)では当然ながら、『少年前』の未熟と懸命の勉強や日常に籠もったものは、それなくして絶対に後続して行くことは不可能だったろう意味で無視しきれない。ノートに三冊、よくも今日まで残しておいた、おけたと呆れるほどの感謝の思いがある。このノートは、大昔に一九五三年には、もう要らないからといったん友人に進呈してあったのだが、のちに歌集『少年』を編むべく、強請って借り返して貰っていた。返却せぬまま、七十年ちかい歳月が駆け去った。ノートのままでは何かと不便なので機械に入れる、必要な注記も加えておこうとこの忙しい中で着手したものの、まだ一冊分も書き写せない。返却すべき友人も同じ八五老、しっかり生きていてくれよと祈っている。願っている。が、消息が知れていない。
2021 4/16 232

* 『失楽園』の再読で、アダムの妻イーヴが悪魔サタンに陥され、神が厳重の禁断の木の実を食べてしまう最も肝要な、かつ身震いする凄い場面を、湧く恐怖と興奮を抑えて、慎重に、感銘と倶に読み終えた。神とサタン、女と男、基督教信仰の最重要な神話がミルトンのみごとな筆で描き尽くされている。シェクスピアの全作品とも優に匹敵する『失楽園』の再読は、がくがくと震えそうな興奮と畏れとを誘う。基督教の女性観ひいては女性蔑視の根源がここに露表し刻印されていると読まざるを得ないのか。基督者の方の教えを請いたい。
長編『失楽園』の冒頭は、神と天使たちと、悪魔と堕天使たちとの、全宇宙を舞台の壮烈な闘いのはてに、無残に敗北の悪魔サタン以下が世界の最低な果ての地獄世界に堕とされている。敗北者の頭領サタンは、何と科して神に復讐したい。そして単身、神が愛を込めて成された最新世界の人間を貶め堕しめんと忍び込む。これへ至る、天使ラファエルの物語といい、その壮麗と壮大な説話世界の深さは限りない美しさ。
そしてイーヴは、賢い蛇のからだへ潜り込んで近づいたサタンに籠絡され、神が禁断の智恵の木の実を貪り食ってしまう。凄い。もとより聖書の創世記に拠っての壮大詩編。ミルトンは、これを書いた時、視力を喪っていたという。
2021 4/16 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 身は近江舟かや 死なでこがるる

★ 身は鳴門船かや 逢はでこがるる

☆ 舟を「漕がるる」と、思いに身が「焦がるる」とが懸けてあります。近江の「志那」(滋賀県草津市志那町)で、阿波の鳴戸海峡で、舟は漕がれ、遊女は身が焦がれる。
「死なで」「逢はで」と苦海(くがい)をわたる女たちのもの哀れな境涯です。「近江」には「逢ふ見」の意味もひそみます。
一つ戻って、一三一番は、たいへん注目すべき歌謡です。

★ 人買ひ舟は沖を漕ぐ とても売らるる身を ただ静かに漕げよ 船頭殿

☆ 閑吟集の時代が、人が人を売買した、半ば公然と売れも買えもしていた、ひどい時代でもあった事実は、決して忘れられません。安寿と厨子王の物哀れな物語は、ちょうどこの時期に流行った説経節の代表的な一つでした。
波の荒い沖を漕ぐのは、それでも官憲の追及を思うからでしょうか。その揺れる舟に苦しみながら「船頭殿」と呼びかけて、この身はどうせ売られて行くのです、可哀想に思ってせめて静かに漕いで下さいと。
悲しみの表現もここに極まります。先の一三○番との関連で、琵琶湖上の人買い舟と読んで自然ですが、必ずしもそう限ることもなくて、それより「とても」「ただ」とある「切ない語感」をたしかに汲むことです。時代をこえて歌謡の生命をこやすのは、そういう「共感の深さ」だと思うのです。
2021 4/17 232

* 機械に入れている歌集『少年前』ノート原稿は、昭和二十七年(一九五二)の五月十九日を歩んでいる。六九年前、高校二年一学期。拙いながら一首一首にかきたてられる記憶はかなりの鮮度をもっている。日記も書いていたろう、しかし日記は「読まねば」ならないが、短歌はほぼ一瞥で甦るモノがある。現在入学以来の173首を機械に書き写した。翌年(三年生)七月四日夏休み前までに719首が記録されてある。小・中学時代の83首と合算、ほぼ九百首を自身で「選び」残し、いわば変わり種の自筆年譜を成している。「数」だけで謂えるなら、既に少年前の秦恒平は「歌人」だった。創作の日々はすでにスタートしていた、すくなくも十分な「量」を遺して。 笑える。
2021 4/17 232

* 歌集『少年前』の第一冊は明日に書写し終えるだろう、もう二冊ある。一冊目から後の歌集『少年』へ採った作は、目下 高二までの歌で数首だけだった。二冊目になるともう少し増えるだろうが、思いの外に厳選していたのが分かる。『少年』に寄せていた自負と期待が今にして察しられる。
2021 4/17 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 月は傾く泊り舟 鐘は聞こえて里近し 枕を並べて お取梶や面梶(おもかぢ)にさし 交ぜて 袖を夜露に濡れてさす

☆ 舟宿でなどというより、もっと直接に、猪牙舟(ちょきぶね)なみの泊り舟で巫山雲雨(ふざんうんう)の夢を抱き交す男女の風情を謡っているようです。
「里近し」ですから 「里」即ち陸の上にいるのでない、とすると、深更暁闇の泊り舟の中で、というのが舞台装置のようだからです。
「お取梶」の「お」はそう重く見なくてもいい、要は「取梶、面梶」ともに舟の縁語です。つまりは左へきしり右へきしって身をよじり抱き合いながら、満天の夜露にぬれるぐあいに、夜具の袖に腕をさしかわすぐあいに、互(かた)みに愛を、情を確かめ合っているというのですから、濃艶なものです。「さす」の語感は・梁塵秘抄の四六○番に、

恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢はいかが見る さしさしきしと 抱くとこそ見れ

とあった「さしさしきし」に近いものです。かなり露骨です。
2021 4/18 232

* 歌集『少年前』三冊の第一冊を機械に洩れなく書写した。 もう二冊も、写し遂げておきたい。
2021 4/18 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ また湊へ舟が入るやらう 空艪(からろ)の音が ころりからりと

☆ 水辺に住む、海女とも遊女ともつかぬ女のはかない独り言のような小歌です。「空艪」とほ、櫓をごく浅間に水に入れて漕ぐのです。よその繁盛にじれながら、お茶をひいているとも読めますが。
一三九番。これは、美しい。

★ 来ぬも可なり 夢のあひだの露の身の 逢ふとも宵の稲妻

☆ むろん「稲妻」からは、瞬時の光芒とともに一夜「妻」どころか、わずかに宵のうちの妻でしかないかなしみを、しかと汲むべきです。その悲しみゆえに、「来ぬも可なり」と硬い表情もして見せる。しかし本当は来て欲しい、そして少しでも長く逢っていたいのです。そこに永遠を夢見たいのです。   「夢」「露」「宵」「稲妻」 すべてぴたりと利いています。屈指の秀作ではないでしょうか。
2021 4/19 232

* 歌集『少年前』の二部を書写しはじめた。
2021 4/19 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 葛の葉葛の葉 憂き人は葛の葉の 怨みながら恋しや

☆ 佳い歌ですね。葛の葉は、「裏見」の白さの風にひるがえったところが、古来風情として愛され知られています。「秋風の吹き裏がへす葛の葉のうらみてもなほ怨めしきかな」という古今集の歌が原拠でしょう。「怨みながら恋しや」とは、恋ごころの切ない真実なんでしょうね。
一四五番。

小 添うてもこそ迷へ 添うてもこそ迷へ 誰もなう 誰になりとも添うてみよ

☆ 学者は、「意は明らかでない」などと言われていますが、そうではない。
どうせ迷いどうせ悩むが男女の仲。それならば、思う人に添いとげた上で迷いたいという重ね重ねの嘆息は、町娘の実感か遊女の悲しみか。ああ誰でも誰でも、誰になりとも添いとげて迷うがいい、悩むがいい、とは所詮自身の自身に対するじれったい願望のようです。
結婚したい──それが、女の底深い夢であるのは、往古も現今も、まったく同じのようです。ちがうかな。

* 閑吟集の世界に留まっていたくても、もう、朝からコロナの猖獗に自治体は惑乱、政府にものを要請しても政府は先立てるのがメンツとケチと権力志向。機械も故障、いっそテレビもと思うが、映画と録画は観たいからなあ。
2021 4/20 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 人げも知らぬ 荒野の牧の 駒だに 捕れば 終(つゐ)に馴るるもの

☆ どんな荒馬であっても、馴れるのに、あの人はわたしに馴染んでくれない──。たは、どんな荒くれ男でもかまわない、夫にもちたい──。
一四八番。

★ 我をなかなか放せ 山雀(やまがら)とても 和御料(わごれう)の胡桃(くるみ)でもなし

☆ これははっきり肘鉄の歌です。ええい放してよと突っぱねています。あたしが山雀のような安っぽい女にしても、あなたなんか山雀が好きな胡桃(あたしの方ヘ寄って来る身)って柄ではないのよ。
「秋(飽き)」は、恋の成らぬ季節のようですね。
2021 4/21 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 身は破れ笠よなう 着もせで 掛けて置かるる

☆ うまいものです。謡われていることは悲しい女の嘆息であり愚痴ではあるのですが。「着もせで」は、「来もしないで」でもある。「掛けて置かるる」が、さながら曝しものの感じでし愛を喪っている女の「破れ笠」同然の侘びしさが、しみじみ言い尽されています。傑作の一つでしょう。
一五五番。

★ 身は錆太刀 さりとも一度 とげぞしようずらう

☆ 錆びを「磨」ぐに、「遂ぐ」意味が重なります。一度は思いをきっと遂げてやるぞと。太刀は、むろん「男」自体を表わしている。頑張らねばすまない、成らぬ恋のここぞ瀬戸際です。
一五六番。

★ 奥山の朴の木よなう 一度は鞘に成しまらしよ 一度は鞘に成しまらしよ

☆ 朴は堅くて、鞘の材。鞘は太刀(男)を容れるもの、つまり女体です。男が奥山(手の届かぬ処)の女に対する欲情を、心に決して、謡い、迫っているのです。言い寄るさまはすさまじいけれど、女を “性〟と見定めて迫る男の執心には、ふと行者の清浄な念力のようなものさえ感じます。
2021 4/22 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ ふてて一度言うて見(みょ)う 嫌(いや)ならば 我もただそれを限りに

☆ 「ふてて」が面白い。昨今の若い人たちの日常会話に、この「ふてて」が復活しているではありませんか。ふてくされてでも、すてばちにと取っても、いいでしょう。
何を「一度言うて」みるのか。それは想像にまかせましょう。男ならこれを言い、女ならあれを言う。人さまざま、男女でもさまざまな情況をしかと受けとめて、通りのいい面白い歌謡に仕立てていますね。
それにしても、「ふて」ねばならない程度にはやや嶮しい仲であるらしいのが、別離の覚悟もあるらしいのが、胸を痛めます。原文の「見う」は「みょう」と読んでいいでしょう。
さ、これで『閑吟集』三百十一篇の、半数をいくらか越えるまで読みすすんできました。季節は、「秋」の、まだ半ばのようです。
2021 4/23 232

* 歌集『少年前』は、高校時代の「日々」を日付を追いつつ懐かしく反芻できる。これが「自分」なのかと呆れるほどの文学少年。そして少しずつだが着実に歌集『少年』レベルへ逼っている。書写はしんどいが、この思い出は具体の事実で目の前に証言されていて、納得するしか無い。
2021 4/23 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 犬飼星は 何時候(なんどきそろ)ぞ ああ惜しや惜しや 惜しの夜やなう

☆ 「犬飼星」とは、七夕の夜の牽牛星の別名です。七夕は、昔の暦では、秋。その星をふと見上げて、時のたつのを惜しんでいる。静かに静かに深まる閨房のくらやみの、男女の愛。
一六二番。

★ 秋のしぐれのまたは降り降り 干すに干されぬ恋の袂(たもと)

☆ 「飽き(秋)」の催すしぐれの雨が度重なると、干すに干されず、恋の涙に袂は乾くまがない。
女の歌ですね。

* そのまま一編の作になったようなこころよい夢をみて覚めて、もう消え失せ、そのまま起きた。夢の終わりに題を付け、「愛」一字であっただけを覚えている。
2021 4/24 232

* 歌集『少年前』の書き入れは「二」の半分以上進んだ。歌だけならもっと早く片づくが、高校の文学少年の口調でけっこう色々にコメントしているのも漏らしていないので。

* なんとか目下は「字」が書けていて有り難いが、かなり機械くん、シンドそうです。 2021 4/24 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

☆ 一六四番から一六七番まで、後朝の名残惜しい別れをしみじみ謡います。

★ 名残惜しさに 出でて見れば 山中に 笠の尖りばかりが ほのかに見え候

★  一夜馴れたが 名残惜しさに 出でて見たれば 奥中(おきなか)に 舟の早さよ  霧の深さよ

★ 月は山田の上にあり 船は明石の沖を漕ぐ 冴えよ月 霧には夜舟の迷ふに

★ 後影を見んとすれば 霧がなう 朝霧が

☆ 一六四番は山へ帰って行く男を、一六五番は舟で去って行く男を惜しんでいます。
一六六番の「霧には夜舟の迷ふ」「冴えよ月」という女の情愛の深さに心打たれます。男と女との切ない別れを通して胸の内に培われる「なさけ」や「あはれ」そして「をかし」といった心情を、二十世紀(二十一世紀)の現代はこのまますっかり忘れ果ててほんとうにいいものでしょうか。
一六七番、「霧がなう 朝霧が」と背のびして見送ってくれる女の(男の)愛は、愛の形は、見喪いたくないものです。
2021 4/25 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★  秋はや末に奈良坂や 児手柏(このてがしわ)の紅葉(もみぢ)して 草末枯(うらが)るる春日野に 妻恋ひか ぬる鹿の音(ね)も 秋の名残とおぼえたり 秋の名残とおぼえたり

☆ 一六八番の田楽節を読んでみましょう。「児手柏」とは、幼な児の手の形をした葉の、柏です。「恋ひかぬる」とは、恋しい思いを忍びかねる意味です。口調のいい謡い物の一篇でもあります、快く繰返し口遊(くちずさ)んでみましょう。

★ 小夜小夜 小夜更けがたの夜 鹿の一声

☆ 忍びかねて妻恋う鹿の、一六九番。伴侶を恋うて、鹿の下枝下草を踏みわける擬声音で「さよ」の音を重ねた趣向。わるくないですね。
2021 4/26 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ めぐる外山(とやま)に鳴く鹿は 逢うた別れか 逢はぬ怨みか

☆ いずれにしても「なさけ」に感じて本当に泣くのは、男であれ女であれ、鹿ならぬ人なのです。
次の、一七一番の狂言小歌がそれを可憐に示します。集中の傑作の一つでしょう。

★ 逢ふ夜は人の手枕 来ぬ夜はおのが袖枕 枕あまりに床広し 寄れ枕 こ ち寄れ枕よ 枕さへに疎むか

☆ 百人一首に、「閨のひまさへつれなかりけり」という取り札がありましょう。その、在るべきが在らずに床広き「ひま」をつれなく占めた「枕」にむかい、「寄れ」「こち寄れ」とは、あまり身にしむ表現ではありませんか。しかも、「枕さへに(自分を)疎むか」と「来ぬ」人のつらい情を怨みます。まさに怨歌です、ね。
2021 4/27 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 一夜窓前芭蕉の枕 涙や雨と降るらん

☆ 両夜の独り寝。寂しさに侘しさが加わっているはずですが、漢音と和語との快い交替は、ちょっと枕草子に名高い清少納言ばりの小気味のいい応酬とも読めます。
一七三番は、「邯鄲一炊の夢」の故事を知っておく必要があります。出世を夢見て旅立った青年が、旅次の茶店で粥を炊いてもらっている間に、枕をかり昼寝をして、夢中に己が生涯のすべてを体験してしまいます。しかも眼が醒めてみると、やっと頼んだ粥が炊けたかどうかという束の間の夢を見ていたのでした。翻然と悟って青年は、出世を願うことなくもとの故郷へ帰って行くのですね。
「灔澦の灘」は楊子江上の大難所だと思ってください。

★ 世事邯鄲枕 人情灔澦灘
(世事邯鄲の枕、人情灔澦の灘)

☆ 「灔」の文字づらが、いかにも「人情」にふさわしいのが、閑吟集の趣致にかなっていると思うなど、私の勝手な感覚でしょうか。
前句には同時代に対する万感の批評が、後句には同世代に対する無限の期待が(また失望も)籠められています。同時に今世紀の現代にあっても、事情はそう変わるわけがない。「世事」と「人情」と、もし二者択一を迫られもすれば、生きの真実を、あなたならどちらに懸けて日々を送り迎えますか。
2021 4/28 232

* 昨日、送り作業しながら、撮って置きの深作監督超弩級の名品映画、鴎外先生原作の『阿部一族』を観て、したたかに泣かされた。完璧の映像だった、日本の過去の文藝映画として飛び抜けて見事な感動作で、先の戦争で一兵士の、
遺品あり岩波文庫「阿部一族」
をも想い出し、あの戦争が「強いられた殉死」の山を築いた憎みてあまりある「いくさ」であったことを、全身に矢玉を受けたように痛感した。
実に実に 素晴らしい名作映画で、わたくしはあれ以上の感動の名作に出会ったことがない。しかと書き置く。
2021 4/28 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 清容不落邯鄲枕 残夢疎声半夜鐘

(清容落ちず邯鄲の枕、残夢疎声半夜の鐘)

☆ 「烏啼き月は落つる寒山寺、枕を欹(そばだ)てて猶聴く半夜の鐘」といった、名高い唐の張継の詩が下敷になっているにしても、むしろ日本の秋の風情に移しかえて想像力を働かせた方が、面白い気がします。
「清容」が即ち月の美しさでもあり、美女の面輪でもあることを念頭に置いてください。そうすれば「残夢」の余情またひとしお艶に推量が利いて、これが、前歌で私が問いかけましたことへの、閑吟集なりの答でもあるらしいと察しられます。
そして次の一七五番は、今一度「枕」に懸けて先に読んだ一七一番、一七二番の情緒を切なく謡い返します。

★ 人を松蟲 枕にすだけど 淋しさのまさる 秋の夜すがら

☆ 人を「待つ」蟲とも読むべきで、「すだく」とは、蟲の集い鳴くさまを謂う動詞ですね。松蟲はどちらかというと賑やかに鳴くだけに、かえって淋しい。人の心に忍びこんだ「飽き」を怨むからです。
2021 4/29 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 山田作れば庵寝(いほね)する いつかこの田を刈り入れて 思ふ人と寝うずらう  寝にくの枕や 寝にくの庵(いほ)の枕や

☆ 一七六番は、我が家から遠く離れて山田を作っている若者が、仮庵(かりほ)住まいしながら、寝にくい枕をかこっているという、民謡情緒ゆたかな口調のいい小歌です。狂言小歌です。雑の今様ふうです。
「思ふ人」と寝るのは、刈入れもすんでこの仮庵から家へ帰ってのあとの話です。若者が寝にくい「枕」に夢を破られながら、好きな人を想っている悩ましさがよく表現されています。
「思ふ人と寝うずらう」を、まだ果たさぬ願望と取った方が面白いなどと言っては、可哀想でしょうか。
山田を刈入れたら、帰宅して晴れて祝言、という段取りを想像してみるのもわるくない味わいですね。
さらに天智天皇の、「秋の田の仮庵の庵の苫(とま)を荒みわが衣手は露にぬれつつ」という百人一首の御製を思い出してみるのも、わるくない。

* ふと目覚め、思いつきに枕元の、こま裂り紙に「たのしみ」の歌を書き付けていたが、五時四十分、そのまま二階へ。朝明けがはやくなり、五時には明るい。

たのしみは難しい字を宛て訓んでその通りだと字書で識ること

たのしみは難しい字を訓みちがへ字書に教わり頭さげること

☆ 此のごろの最中仕事での楽しみです  恒平

たのしみはふたりのね子に「待て」とおしえ削り鰹をわけてやる時

たのしみは好きな写真のそれぞれに小声でものを云ひかける時

☆ 此のごろの仕事疲れの癒しです  恒平

たのしみは誰(た)が世つねなき山越えてけふぞ迎へし有為(We)の奥山

たのしみは割った蜜柑をひよどりの連れて食ふよと「マ・ア(仔ネコ兄弟)」と見るとき

☆ 結婚して62年 ともに八五歳の境涯です

たのしみは誰にともなく呼びかけて元気でいるよと黙語するとき

たのしみは誰とは知らず耳もとへ「げんき げんき」と声とどくとき

☆ 逝きし人らとの このごろの対話です

たのしみは「したい」仕事の「すべき」よりもほどよく我を誘(いざな)ひ呉れる

たのしみは寝ても覚めても手に入りし「作」のゆくへを想ひやるとき

☆ 「したい」仕事は たのしいです。

たのしみは強き思惟(おもひ)のほぐれつつ佳しとふ言(こと)に成りてゆく時

たのしみはふと手に入りし時の間に遠く走り書きの文送る時

☆ 「ことば」は、つねに鍛え慈しまねば。

たのしみはこもごもに「マ・ア(仔ネコ兄弟)」が顔を寄せつめたい鼻で鼻へ来るとき

* こういう歌づきあいは近世末にしきりに試む人がいたが、わたくしに斯く催したのは、奈良の歌人東淳子さんが病床の日々に「たのしみは」と思い慰められてられると、お弟子の岡田さんから窺い聞いて、それ良し同調すべしと私も時折に書き留めてきた。「ホームページ」私語の刻あたまに今は並べているが、ネットで発信もならぬ今、ここへも書き写しておく。

* 六時半。夕方ではない早朝です。
2021 4/30 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ
★ 科(とが)もない尺八を 枕にかたりと投げ当てても 淋しや独り寝

☆ 一七七番、渋い傑作です。「科」は「罪」と思っていいでしょう。尺八が小歌のだいじな伴奏楽器だということも忘れなければ、なんだか閑吟集編者その人の独り寝の述懐かと想われもするのですが、そう限るのはトクではない。
女が、男の忘れて行った尺八を、「男」さながらに握って、なげた、と読んでみたいからです。「かたり」という堅い音は、昨今の枕の感じに逸れますが、昔は木枕が多い。陶枕とまで読むこともないでしょう。
小歌を謡ってどうにか憂さをはらしたいのですね。けれどどうにも、やり切れない。えい、と憎い男を突っころがしてやる気もちで尺八をなげやると、「かたり──」と音がする。音がして、やんで、またひとしおの静かさが、独り寝の淋しさをいやほど思わせる。
世捨てびとの孤絶の狂心と見てもよく、しかし来ぬ男が恋しく怨めしい女のすねた仕草が、「かたり──」と鳴らした木枕の音になったと、読んでみたい。
尺八というと、いかにも男の楽器です。それへ、孤り在る女がいとしく手をふれ、唇(くち)を添えていたというエロチシズムの方が、閑吟集らしくていいのか。
それとも、「桑門」の「狂客」編者を襲った「淋しや」と読む方が、閑吟の風情にふさわしいのか。
読者の選択にゆだねていいことです。
それにしても「枕」の歌のつづきますこと、それほどに「枕」は「世の仲」の良きにつけ悪しきにつけて、物言わぬ証人なンですね。時には恋しい人の代役まで勤めている。「竹(ちく)夫人」などという専用の「抱き枕」もあるくらいです。
つづく一七八番など、まさに代役です。
2021 5/1 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 一夜(ひとよ)来ねばとて 科(とが)もなき枕を 縦な抛げに 横な抛げに なよな枕 なよ枕

☆ 「なよな枕」「なよ枕」とは言葉にならない悶えた呼びかけですね。あっちへ、こっちへ抛げられたり抱きしめられたり、「枕」も懸命に来ぬ男の代役を演じます。が、こういう女の痴態を、嗤おうとは思いません。
一八○番。

★ 来る来る来るとは 枕こそ知れ なう枕 物言はうには 勝事(せうじ)の枕

☆ 「来る」の繰返しは、「来て欲しい」の強めで、けれど男が「来る」かどうかは「枕」の方が知っている。女には、もう男心がはかり知れなくなっている。さらに言えば、女は、男が「来まい」とさえ予感しているのです。だからもし「枕」が物を正直に言ったりしたら、男にも女にも笑止な、つまり気の毒なことになってしまうのですね。
「勝事」は「笑止」のあて字だという通説にしたがって読みました。きっと「来る」と、枕がもし確言してくれるのなら、それは「勝事」つまりとっても良い「枕」なのですが。屈折して読んだ方が、趣は深い。あの人が「来る」のよ、「枕」は知っているのよ、でも、それを枕がもし喋ったりしたら一大事だわという読みもなかなか面白いのですが、この辺の一連の歌が、「来る」よりじつは「来ない」を味わいにしていますので、屈折させて読みました。
2021 5/2 233

* 夢をみたかどうかも覚えず、六時に床を起った。幸い安眠したのだろう。計測値も尋常。
さて問題は、昨夜の仕事分を無事に機械クン見せて呉れますか、ドキドキ。

* やはり歌集『少年前』書写の確かに書いた末尾分の数頁が消えうせていた。保存のなにかしら手違いを犯したか。
くさらずに、七時に起きてすぐの機械仕事三時間で書き直し、先へ進めた。十六歳高校少年歌人の熱心で懸命な詠作が、ポトナム同人であられた国語の先生から「開眼、進歩」と初めて褒めて頂けた。以降、果然 「少年前」少年が歌集『少年』歌人へと作を積み上げて行く。京都市か京都府かの主宰で各校から一人の選抜文藝作をコンクール募集した時、日吉ヶ丘高校からは私が選ばれて小説でも評論でも随筆でもなく よく選んだ短歌集を提出、最優秀賞を貰ったこともあった。あきらかに私は太宰治賞作家より遙か前、おそくも「高二の十七歳」からは、自慢ではない、自覚として『少年』歌人なのであった。

* 『少年前』歌ノートが三冊あって、しかし三冊目は前二冊の改編だった。三冊目は無視して、一、二冊だけを書写する。文庫本『少年』のちょうど33頁まで、90首足らずが『少年前』ノート二冊の700首ほどから選ばれている。「少年前」から「少年」は発射されていた。少年前とはおもしろい時代だったんだと、苦笑もし感動もする。
2021 5/2 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 衣々(きぬぎぬ)の 砧(きぬた)の音が、枕にほろほろほろほろとか それを慕ふは 涙よなう  涙よなう

☆ 「後朝(きぬぎぬ)」という古語があります。これまでも二度三度説明ぬきに私は使っていたはずです。脱いだ衣を重ねて男と女が共寝をした翌朝、めいめいの着物を身につけて別れます。その別れ。また、その朝。また転じて男女の離別のこととも古語辞典は教えています。
この小歌を「離別」とまで取るかどうか。それではあまり身につまされます。
「砧」は絹の色艶としなやかさとをより美しく優しく出すために木槌で打つ、その行為でありその木槌でもあります。謡曲に   「砧」という世阿弥作の能の名曲があり、夫に置き去られた妻の深い哀しみを砧打つ侘しい音によせて切々と謡いあげますが、直接にこの一八二番の小歌とは関わりません。あくまでも「後朝」の心情と読みましょう。
女がみずから砧を打つのではなくて、朝早に、もうよその小家で打つのが聞こえている。男を送ってまた独り寝の女が枕にうち臥しよその砧にじっと耳をすましていると、恋しい涙がとぎれもなく、ほろ、ほろ、ほろ、ほろ。
ああ涙よ、わたしのこの涙よと、女は男恋しさに己が涙までがいとおしいのです。思わず涙ぐまれそうな歌です。
次の一八三番は、謡曲「砧」に取材した大和歌。

★ 君いかなれば旅枕 夜寒むの衣うつつとも 夢ともせめてなど 思ひ知らずや恨めし

☆ 夫は、訴訟のことで都へ上り、それが長びいて故郷なる妻のもとへ約束の期限にも帰ってこないのです。妻は砧を打ちながら、「現(うつつ)」に逢えないのならせめて「夢」にもと夫を恋い慕っている。あなたは今どこの旅枕の夢にもそれを思い知らず、徒(あだ)な仮寝をむさぼっているのですかと怨んでいる。
「砧」の能にしたがえばその通りです。が、歌謡としては原曲に捉われることなく、自身を女にも男にもよそえて、感情移入しながら読みとって欲しい「恨めし」であろうと、思います。

* 灯を消し寝入ろうとし枕につくとき、私に近寄るのは、蹣跚とした思い出の断続などでなく、遠い昔の「歌詞」の断片の同じ繰り返しが多い。童謡になるか戦歌になるか歌謡曲になるか、時には百人一首になるか、まちまちだが、いつもそんな「うた」のようで。そして寝入る。寝る前に読んでいた本の反芻は、まず無い。
人は。人とのあれこれは、ほどよく風化して無数に去来するが、風に舞う枯れ葉のよう、だが時に鮮烈な紅葉の一と葉、二た葉の舞いしきる折もある。「佳い」思い出は宝であり栄養でも。
2021 5/3 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ ここは忍ぶの草枕 名残の夢な覚ましそ 都の方を思ふに

☆ 住めば「都」と謂うくらいですから、「都」を京都とむしろ限定せずに、妻が待つ、恋人が待つ故郷の家のこととでも読みましょう。「忍ぶ」にも、実在の地名の「信夫の里」をしいて懸けて読むことはない。旅中の男が、心忍ぶ仮寝の枕で、かりそめに惹かれた女人と「名残多い夢」を見ているのでしょう。
もとより男は「都」にのこした女、妻か恋人かを疎んじてはいない。恋しいと懐かしんではいるのです。が、旅寝の夢にふと抱きしめた行きずりの女の可愛らしさにも、心を奪われているのです。「ここは忍ぶの草枕」という一句に、男の切ない申しわけが聞こえて、それも人の「なさけ」よと思います。「なさけ」無いとは、私は、思いません。
このところ「枕」の歌が、閑吟集の内じつに十四篇もつづいています。今日の恋する男女が、こうも「枕」に感情を籠めているとはとても思えないだけに、面白く感じられます。
2021 5/4 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 千里も遠からず 逢はねば咫尺(しせき)も千里よなう

☆ これは理屈です。類歌もたいへん多い。「咫尺」とは、八寸ないし一尺といった短い距離のこと。説明を要しません。
一八六番。

★ 君を千里に置いて 今日も酒を飲みて ひとり心を慰めん

☆ 一八五番を踏まえて読まねば面白くない小歌です。普通の理解なら、好きな人を千里へだてた旅に出している、その面影を慕いながら酒を飲んで孤りのわが身を慰めよう、と読むのです。
すこしひねって読んでもいい。好きな人の身は咫尺の間にありながら、その人の心はもうこのわたしの上にない。千里も離れているかのようにこの人は遠くにいる。それが辛くて憂くて、今日の逢う瀬にもひとり酒でやるせなさを慰めていますよと、男の方へ怨めしく呟いている女ごころの歌と聞くのです。この方が「オリジナルな深まり」が読みとれます。
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* この数日、悪戦苦闘した秦 恒平歌集『少年前』を全部「書写」し終えた、と思う。機械クンが受け容れてくれましたなら。
短歌の凄み、それは一首一首の成った日の時・所・状況・景観、そして心境等の全部がそれは鮮やかに手に取るように「想い起こせる」ということ。散文とちがい、表現のママアタマの芯に記憶されている。であるから、書写という作業そのものは少しも苦になるどころか、場面場面が懐かしくてまるまる七十年昔の少年、いや少年前に帰れていた。それにしても、妙な少年であったよ。
機械の不具合ともも取っ組み合った。他の仕事だったら投げ出してたろう、諦めて棄てたろう、が、わが文藝史の冒頭を証言している「証言」の集であり、喪失させたくなかった。もう絶望かとみうしなった原稿を、タマネギの皮を剥ぐように剥ぐようにして機械クンの深い懐へ必死に手を突っ込んで掴みだした、何度も。坂村教授に教わった、世界へひろがり重ねた蜘蛛の巣ですから、通路は底知れぬ数あります、簡単には無くならない仕掛けなんですと。私は教わったそれを信じたかった。

* 心遣いと謂う。昨今のこの心遣いの難しさ切なさ。辛抱という言葉の重みを千鈞万鈞痛感しながら、それでも機械クンに協力してもらえた。ありがとうよ。きみはまだまだ働ける余力を複雑不可思議なほど蓄えもっていると想う。わたしも見習いたい。ありがとうよ。きみの抱えている沢山を外付けの容器に容れさせてもらった。すこしても身軽にさせてげたい。もの凄いと謂うしかない大量を抱え込ませていたからね。済まなかった

* 連休も終わるが、わたしたちの「世の仲」はこの先にも親しみ続けて行けますように。
2021 5/5 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 上さに人の打ち披(かづ)く 練貫酒(ねりぬきざけ)の仕業かや あちよろり こちよろよろよろ  腰の立たぬは あの人の故よなう

☆ 「上さ」は、どこか方言の感じがします。つまり、いつも頭から被いて着るなよやかな練貫小袖と似て、よくよく練った練り酒をあおったのが祟ったか、「あちよろり こちよろよろよろ」と腰が立たない。練貫の小袖のなよなよとした感じが、立たぬという感じに巧くかぶさっているのです。が、「腰の立たぬ」本当の理由は、あの人と愛し合って愛し抜いた一夜の耽溺の、あまり烈しかったせいですのよ、と、女は燃えつくした五体の余炎にまだ身を焼かれつづけているのが、本当の意味です。酒はだしにされての惚気(のろけ)なンですね。
さて一八九番が、すぐお分かりになりますか。

★ きづかさやよせさにしざひもお

☆ 「思ひざしにさせよやさかづき」と逆さに読みます。遊びですね。「あなたが好き」と、眼にもの言わせてさす酒が「思ひざし」です。但し酒をさすというところを盃にさすとしてある以上、「盃」は、受容れる女の容儀でしょう。それへ「思ひざしにさせよや」とは大胆な女の求愛と「さし」「させ」を直線的に読んでこその、いわば暗号うたの効果ではないでしょうか。さぞ美味い酒を盃はさされるでありましょう。一八八番の濃厚な調子を受けると、どうしてもこの読みが生きてきます。
小歌を逆さに読む。これはなにも閑吟集編者の恣までなく、事実そうすることが意図の露骨を和らげも強調もする趣向が、巷間に喜ばれたものと考えていい。その方が面白いと見込んだ趣向が、喜ばれたとみていい。
「趣向」とは、何より人を面白がらせ、そして自分も面白がる、そのための高度に知的な企画と、その企画が成って実りをおさめて行く経過との、双方、全体、を指している言葉です。高度に計算のきいた構築行為です。
私たちは今、閑吟集を三分の二近く読み進んできまして、このいわば小歌集が、たいそう秀れた趣向で成っていることを、およそ納得できているはずです。第一、歌の選択と配列とにすぐれた工夫があります。春から夏へ、夏から秋へ、その移り行きの中に、何となく人生および愛の在りようを巧みに示唆しまた批評し ています。ただ面白ずくにおわっていない閑吟集の値打ちがそこに見えているわけですが、その値打ちを「趣向」という働きに即して言うならば、他でもなく、閑吟集の趣向がすこしも不自然でないということでしょう。
2021 5/6 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 憂きも一時 嬉しきも 思ひ醒ませば夢候(そろ)よ
☆ 「き」の音の三つの重ねが、前段でよく利いていますね。音楽的に巧くはこんでいる。が、それより面白いのは、「思ひ醒ませば」「憂き」も「嬉しき」もひとときの「夢」ではあったよと謡っているはずなのに、どことなく、夢から「思ひ醒めた」その時空、それもじつは「夢」の中だったと、さも言っているように十分取れるところですね。
世事人情いずれにせよ憂きも嬉しきも、それこそが「現」の生きの姿とそう思っていたけれど、そのあまりな頼りなさに気がついた、つまり眼が醒めた先の世界が、また「夢」だった──。
「夢の夢の夢の世」(五四番)と繰返し、「一期は夢」(五五番)「夢の中なる夢」(一三番)と強調する閑吟集なればこそ、「思ひ醒ませば夢候よ」を、夢から醒めたらそれもまた夢だったと抉(えぐ)って読みたくなるのです。
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☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ せめて時雨れよかし ひとり板屋の淋しきに

☆ あの淋しやかな時雨にさえも賑いを求めたい。それほど、音もしないようなただ「孤り」の板屋住みが、地獄なのですね。
一九八番。

★ 独り寝しもの 憂(う)やな二人寝 寝初(そ)めて憂やな 独り寝

☆ これも面白い。独り気らくに寝なれていたので、二人で寝る暮しに変わるというのが、当座、面倒なンですね。ところが、さて初めて二人で寝てみると、つらいのは独り寝なンですね。男からも、女からも、言える小洒落た小歌です。
一九九番。

★ 人の情のありし時 など独り寝を習はざるらん

☆なんでもないタマを投げてもらったようですが、手もとで変化してくる、相当なこれはくせダマです。
「情」とは愛人の愛のひたむきであり、思いやり、つまり情の深さのことでもあって、そういう人と互いに愛し愛されていれば、これは「独り寝」どころかいつも嬉しい二人寝の日々であるのが〝自然〟です。ところが愛が醒めたのか、事情あって遠退いているのか、独り寝を強いられている歌ですね。
こうなっての独り寝、一九八番が謡っていた二人で「寝初めて」しまってからの独り寝は、ああ「憂やな」と嘆くしかない。こう「習ふ」つまり慣れを強いられる独り寝というのは、たまらない。
そこでこの小歌は、あの人の情の深かったあいだに、それが嬉しくって有難くてたまらなかったあのあいだに、いっそ贅沢をむさぼるくらいに「独り寝」ということをこのからだに覚えさせておくべきだった。共寝へののめりこみを慎んでおくべきだった。そうも慎ましやかにしていたなら、ほんとうはあの人に飽きられることもなく、愛情をより深く強く長くひきとめられただろうか。ああ、あ、飽き(秋)の足の早いこと、それは耽溺の咎なのかとしみじみ嘆いている。
一時の深情が飽きを誘うことを、賢く、訓えてでもいるような、ふしぎな味わいの小歌だと思われませんか。
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☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 二人寝しもの 独りも独りも寝られけるぞや 身は習はしよなう 身は習はしのもの哉

☆ 負け惜しみの諦めうたでしょう。しかも「習はし」に負けて右に揺れ左に揺れてあてどない浮草の人の世に対する、もうよほど沈静した視線が感じられて、これにも身につまされます。
「寝られけるぞや」と過ぎし日の身に覚えを思い起こし、「二人寝」の味を覚えた者でも、結局はまた独り寝の淋しさにあきらめをつけることは出来るようになるのさ、と。
誰だか今も泣いている、泣かされている可哀相な同性をしんみりいたわり慰めています。一つ前の一九九番との「唱和」と取っていいようです。年かさな女の、けれども、「身は習はし」と二度繰返す物言いには、冷ましきれない身内の情熱を、しいてしいて押し鎮めている切ないため息がまじっています。
二○一番。

★ 独り寝はするとも 嘘な人は嫌よ 心は尽くいて詮なやなう 世の中の嘘が去ねかし 嘘が

☆ 余儀ない、事情のある「独り寝」には淋しさも堪えよう。けれど「嘘」を言いわけに飽きを深めて、あげく強いられる「独り寝」は、いや。そんな「嘘」で言いくるめてくる人も、いや。そんなことじゃ、どう淋しさを堪え、どう人を愛しても、恋しても、心づくしのかいがない……。そう女が嘆いています。不安に戦き疑っています。男の「嘘」を予感しながら、それを否認したい女ごころが叫ばせています、嘘が万事の「世の中」で、せめて男女の恋に、やはり嘘はなくてありたい、と。「嘘」去ってしまえと。
これも「独り寝」が誘う不安と猜疑の身もだえです。好きな男のことを「嘘な人」だとは、本当は「嫌」で認めたくない女の情をも、よく汲んで読まないと、底が浅くなります。
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☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ ただ置いて霜に打たせよ 夜更けて来たがにくい程に

☆ 戸の外に立たせておいて冷たい霜に懲らしめてもらいましょう。こんなに夜も更けてやっと顔を出すなんて。どこで何をしていたやら、あまり憎らしい人ですもの。
『梁塵秘抄』の三三九番、三三八番にも、たいそう面白い同巧の歌謡がありましたね。

★ われを頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ 霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし と揺り  かう揺り 揺られ歩け

★ 厳粧狩場(けしょうかりば)の小屋ならび しばしは立てたれ閨(ねや)の外(と)に 懲らしめよ 宵のほど 昨夜(よべ)も昨夜(ようべ)も夜離(よが)れしき 悔過(けか)はしたりとも したりとも 目な見せそ

☆ 上の二つを要約したような閑吟集二○二番です。いかにも〝小〟歌につくりかえていますね。梁塵秘抄の雄弁な率直、生々しい迫力にくらべますと、閑吟集小歌は表面は小体(こてい)に粋になります。それだけ逆に、言いたいことだけが、ずばりと出ます。諺や箴(しん)に近いかと、まえに私の言いましたのも、こういう巧みな抽象化の効果にふれてみたつもりでした。

* 毎朝こうして閑吟集の小唄などを反芻愛吟しているのが、この節のありがたい安定薬になつている。いいものは、いいのだという安心がおもしろく得られる。
2021 5/10 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ とてもおりやらば 宵よりもおりやらで 鳥が鳴く 添はば幾ほど味気なや

☆ 「おりゃる」は、やって来る、訪ねてくるという他者の行為を敬語化した物言いです。古文の表記ですとすべて「おりやる」で、この通りに今日のルールで読みますと、間が抜ける。「おりゃる」とつめて読んで欲しいですね。
どうせ訪ねて下さるなら、宵の内から見えればいいのに。そうはして下さらずに……、もう暁けを告げて鶏が鳴いてるじゃありませんの。こんな時分から一つ床で添い寝したって、気が気じゃなくて味けないわと怨んでいる。二○二番で「にくい」と怒った女の、”あと愚痴”という口吻で、けれど、機嫌もなおり情が添って、色っぽくなっていますね。
二○四番。

★ 霜の白菊 移ろひやすやなう しや 頼むまじのひと花心や

☆ 白菊が霜にいためられると色変りが早い。それが「移ろひやすや」という嘆息になっている。「霜」に男の冷淡を、「白菊」に自身の女盛りをよそえながらの「移ろひやすやなう」には、男心の浮わつきと、女が若さを惜しむ思いとが重ね懸けられているでしょう。ここまでは尋常な物言いです、のに、急にかっと激情がほとばしる。「しやッ」と、嘲りの舌打ちが女の口をついて出ているのですね。「ひと花心」は「あの人の浮気心」でもあり、「一時の浮気心」でもありましょう。
この小歌、「霜の白菊」を冷淡な女に見たてて、男の側からの「しや 頼むまじ」と読んでもいいのです。「しやッ」という吐き出すような舌打ちは、戦記物によく出てくる男っぽいものですから。
2021 5/11 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 霜降る空の あかつき月になう さて 和御料は帰らうかなう さて

☆ 女の反語です。挑発と嘆願。本音は「和御料(男)」に帰られたくないのです。へえ。こんないちめんの霜を踏んで、明けの月に見下ろされて。へえ。あなたはお帰りになりますの。へえ。帰れますの。そうかしらこの寒い寒い朝ばやに、と、とめどなく帰りを促す口ぶりのうらに 引き留めたい気持がありありうかがえます。但し逆効果じゃないでしょうかね。
二一○番。

小 帰るを知らるるは 人迹板橋(じんせきはんけう)の霜のゆへぞ

☆ 一つ前の二○九番が吟詩句で、こうあります。

★ 鶏声茅店(けいせい ぼうてん)の月 人迹板橋(じんせきはんけう)の霜

☆ これは温庭均という人の詩句そのままで、「茅店」は、ひなびた茅ぶきの茶店と想っていい。早暁の鶏鳴ですね、天に残月。見ると霜を置いた小川の板橋に人の足迹があるのは、はや家路について茅店の一夜をあとにした客があるらしい、と取る。と、もう閑吟集の世界です。
これを二一○番は面白く受けています。いとしい殿御にもう帰らねばと里心をつけたのは、あの「人迹板橋の霜」のせいだわ、にくい霜ねとなります。後朝(きぬぎぬ)の余情です。
二一一番は「板橋の霜」を、またひと捻りしています。

* 歌集『少年前』稿は纏まった、ただ、満足して書き置いた「序」文が紛失して、これがまこと悔しいが懸命に機械クンの胸の内、腹の中を捜索すれど出てこない。此の仕事は、幼少を介して文学者としての人生がかなり象徴的に大づかみ出来、少なくも私自身で描くおもしろい肖像畫が浮かび出ると期待している。 序文、自身で消去するワケが無く、現れ出てくれますように。
2021 5/12 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 橋へまはれば人が知る 湊の川のしほが引けがな

☆ 海へそそぐ川口から潮が引いてくれれば、霜の板橋に足迹をのこさず、人にそれと知られずに川を徒渉(かちわた)りして帰って行けるのに。そう謡っています。
「人が知」って困るのは、男としてもいいが、女の立場である方が、面白いでしょうね。主(ぬし)ある女に男が忍んでいたと読む。後朝(きぬぎぬ)にいちまつのスリルが添います。
二一二番。

★ 橋の下なる目目雑魚(めめじゃこ)だにも 独りは寝じと上り下る

☆ 「目目雑魚」の上下するのを見ているのは、男です。いいえ、これは橋下で女を買おうとうろつく男なんです。そういう男と出会おうと川辺を上下する女でもあるんです。まるで互いに自分で自分に言いわけしているみたいで可笑しいし、自分を「目目雑魚」なみに言ってみる気分もほろ苦いし、それでも橋下のくらやみを「上り下」りのやめられない性の飢え、身売りの歎き。身につまされます。
何でもない小歌ですが、男心、女心に情をうち重ねて読む、と、何でもなさそうなことが、妙にぐっと思い迫ってくる。そこが閑吟集小歌の内懐の深さ、くらさ、というものでしょう。
2021 5/13 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ
★ 鎌倉へ下る道に 竹剥(へ)げの丸橋を渡いた 木が候はぬか板が候はぬか 竹 剥げの丸橋を渡いた 木も候へど板も候へど にくい若衆を落ち入らせうとて 竹剥げの竹剥げの 丸橋を渡いた

☆ この二一五番は、唱和か問答かのように読みましょう。愉快な歌声です。
年かさな女が、「にくい若衆」の「鎌倉へ下る(帰って行く)道」に、木橋でもない板橋でもない、剥げてやわい竹の丸橋を渡したというのです。川へ「落ち入らせうと」いうのです。
成功しましたか、どうか。手拍子の聞こえてきそうな旋律感のある歌詞が面白い。
2021 5/14 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 靨(えくぼ)の中へ身を投げばやと 思へど底のじやがこわひ

☆ 「こわひ」は「怖い」です、が、とぼけた感じをのこそうと「こわひ」のままにしました。「じや」は「邪」でも「蛇」でもある。当然これは男が、愛嬌に富んだ可愛い可愛い美少女に、色気もたっぷりの美少女に、もうからだ半分、心はほとんど惹きよせられながら、残る一分の心配をしている小心な歌です。が、女をからかっている、世馴れた口ぶりとも見えます。落語にいう「饅頭こわい」式の、これはこのまま後世の都々逸になっていますね。
だからと言って、すべて軽口と読みとばしてはしまえない。男には、女は、どんないい女でも、どこかえたい知れない怖い「じゃ」を魅力の底に秘めて想われるのです。
これは、本音の小歌と、やはり読んだ方が身のためでしょう。
さて、かくて、いつしか閑吟集も 「秋」過ぎて心寒い「冬」のおとずれとなります。
2021 5/15 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ けさの嵐は 嵐では無げに候(す)よの 大井川の河の瀬の.音ぢやげに候(す)よなう

☆ 後朝(きぬぎぬ)を愛しむ女の、甘えをふくんだ物言いです。嵐山、大井川(大堰川、京の保津川下流)といった実の地名に惑わされず、大井を「逢ふ日」と読めば、これが、忍び逢うた一夜の明けの、「嵐」にも似た愛欲熾盛(しじょう)に満足している、ため息のような歌と、分かるはずです。
む ろん忍ぶ宿りは山川の瀬のとよむあたりであったでしょうね。
二一九番。

★ 水が凍るやらん 湊河が細り候(す)よなう 我らも独り寝に 身が細り候よなう

☆ これは深く読むことは、よしましょう。川上が凍って、湊の川口では流れが細くなっていると、独り寝の女が、事実心細く眺めているものと読みましょう。寂しい冬の風景が、女の心象風景ともなりえています。
2021 5/16 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 春過ぎ夏闌(た)けてまた 秋暮れ冬の来たるをも 草木のみただ知らするや
あら恋しの昔や 思ひ出はなににつけても

☆ 「草木」だけが時の移ろいを知らせるのではないという長嘆息を支えているのは、「思ひ出」です。「恋しの昔」を甦らせる「思ひ出」です。閑吟集編者の強烈な「動機」はこの「思ひ出」、すぎし恋しき昔を慕い懐かしむ「思ひ出」なのですね。それがあの「いつ忘れうぞ 寝乱れ髪の面影」という巻頭一番の小歌ととても無縁に思えないこと、ここまで「春」すぎ「夏」たけ「秋」くれ「冬」が来た今は、もう疑いありません。「あら恋しの昔や 恩ひ出はなににつけても……」なのです。
人生を四季の移ろいに譬えるような思い慣いは、日本人にはすこしも分かりにくいものでない。一つの画面に四季を描きこんだ「四季山水図」が盛んに描かれ出すのも、同じ十五世紀美術からの一つの目立った趣向ですが、西洋人にはこんな「四季山永図」がどうあっても、不合理に思えるらしいということを、なにかで読みました。さもあらんと思う一方、それを妙に可笑しく頬笑んでしまうのが、日本人です。
源氏物語を読みすすんでいても、明らかに四季の推移に添えて物語の組立てが出来ているなと思う場面は、何度も現われます。
けれど、源氏物語を遠く溯る太古上古から「四季」は日本人の暮しを表現していたか。
これは必ずしも、あまり速断のならぬ話のようです。と言うのも、誰しも万葉集が上古の日本人の生活や感情を反映した、すぐれた大歌集であると認めないでおれないわけですが、しかも万葉集は四季のめぐりを、さほどは大きく表現していない。むしろ表むきの世事を「雑歌」と立てた以外は、「相聞(愛)」と「挽歌(死)」という大きな部立をまず用意して、それで巻第一と巻第二をなしていた。いわば「原万葉集」の姿でした。
「四季」を確認する気持は、ある面で物事の尽きぬ「繰返し」を確認する態度と無縁でありえません。私は、そのように以前から考えています。古今和歌集が、はじめて部立を春夏秋冬そして恋と先ず大きく立て初めた認識は、その意味で、万葉集時代からの新鮮な脱却を示していました。あらゆる判断の、批評の、方法の底に「繰返し」を認めて、その前提の上で陳腐と常凡とを免れる工夫をこらして生きて行く、物を創り出して行く、そういう時代が古今集とともに開幕したと言えましょう。そしてその時代が、二十世紀の今も、終りかけているのかも知れませんが、事実はまだ終っていない気がします。
「四季」という言葉は、相変わらず日本人のお気に入りで、延喜式などの「式」と同様に、多くの場面で、有効な売言葉として利用価値が認められています。
閑吟集をここまで読んできて、気づいた点が「二つ」あります。一つは「相聞」に満ちていて、「挽歌」のないことです。もう一つは、苦しい恋の歌はあっても、醜くもつれた嫉妬の争いをしつこく謡った歌がなかったことです。たいしたことと思われないかも知れないが、これが閑吟集の印象をたいへん清やかにも晴れやかにもしていることは、認めたい。編者の体験なり心性なりが
さすがに気高く反映しているという気が致します。
それにしても閑吟集は、古今集の伝統に意識して追随しています。閑吟集の成ったこの時代は、古今集や源氏物語に関連して奇妙な秘伝口伝の伝授が滑稽なくらい物々しくもてはやされた、へんな形骸化の時代でもあったのですが、古今集や源氏物語を大切に思うことで、武家のあらわな進出に、心理的にも文化的にも必死で「待った」をかけつづけた階層、公家や、公家と結託した教養ある町衆なり藝術家なりの 或る作戦、策略としても考えられることでした。
酒をのみ、男と女とが戯れ合っていても、しょせん閑吟集は乱世の武者ばらの手で編めるものでなかった。もう五十年百年まえなら真似ごとにもできたことが、十六世紀初頭の乱戟をむりむり潜りぬけ生きのびていた武士たちにはむりな相談でした。古今集ばかりか中国の詩経までも視野に入れた閑吟集を、天上天下にただ孤りぽっちの「桑門」「狂客」の仕事と見るだけでは、感傷的に過ぎるのです。編者の動機には、私的に根深い憧憬や悔恨もあり、しかしまた、一つの時代を生きぬいた者のひそかな反武力・背武家という批判も籠められていたでしょう、それを見落としてはならないと思います。
四季の反復するように日々「繰返す」のは世事人情の常と言えましょうか。それとも宿命とでも謂うべきことでしょうか。そう思ってみると、閑吟集の恋人たちは、なにかしら大きな掌の上を這いまわる蟲たちのように想われなくもない。が、一寸の蟲にも五分の魂があって這いまわっているのなら、這うもまた良しと言っておきましょう。
昨今、何のきっかけでか、「一期一会」という言葉が、意外にものの広告にさえ使われています。言うまでもない井伊直弼の『茶湯一会集』に、きわめて大切に使われていた言葉ですし、時代を溯るとと「一期一碗」と書いた例にも出会います。(太平記には「一事一会」の四文字が見えます。)
「一期」とは、一期の浮沈などと謂いますように一生、生涯、命ある限り、の意味にちがいなく、それが即「一会」であれ「一碗」であれ、つまりは「一事」「一度」であってみても、この意味が浅薄に誤解されて使われているのです。
一生に一回きりの茶の湯の会、一生に一回きりの一服の茶、ないし一生に一度きりの一事。だから、だいじ。そんな理解が世間一般に広まり過ぎています。それも分かる。が、それだけでこの言葉の果たして本当の本質が見抜けているのでしょうか。
一生に一度の一事だからだいじであるという価値認識は、そんなにも意義あることと、私は思いません。意義が無いなどとは言いませんが、当たり前の話です。もっともっと意義深い理解は、我々の「一期」の営みが無際限の「繰返し」を余儀なくされているという前提や認識に基づき、根づくべきでしょう。
平凡で尋常で退屈な繰返しの一度一度を、その一度一度をあたかも一生に一度の一事かのようにそこへ真実の真情を籠めて迎える、行う、繰返す、ということができるか。それができれば、この繰返しの人生がどんなにすばらしいか。そう思い、そう努めるのが、真に「一期一会」という覚悟ではないのでしょうか。
字義どおり一生に一度の一事をだいじと思うことは、実はさほど難儀でない。ところが昨日らも今日にも明日にも繰返さねばすまぬあれこれを、その一度一度を、一事一事を、あたかも一生に一度の一事かのように懸命に清新に繰返してみせる覚悟。私はそれを「一期一会」の思想と呼びます。生きの理想であろうと考えます。そしてそれが、たとえば茶の湯においてそう
自覚されてきたのは、村田珠光の後進で、千利休の師だった、堺の武野紹鴎がようやく歴史に登場してくる時分、閑吟集がちょうど世に広く受容れられて行く時分に当たっています。
一会の茶寄合に一期の真実を懸ける覚悟とは、一会に寄合った人と人との信頼と親愛とを一途に確認し合うということです。そういう倫理がひたむきに求めはじめられた時代は、裏返しに言えば、それほど人と人とが容易に信じ合いにくい時代だったと言えましょう。閑吟集が反映している歌謡の真実も、実は、ひたむきに互いの愛を確認し合おうとする男と女との、「世」の仲らいに、ある。さらに大事な一事を言い添えねば成りません。「一会」の会とは会合の会だけでない、むしろ会得する、理会する「会」の真意も含んでいたということです。
言うは易く、現実はあまりに厳しかったのです。そこに「夢」や「嘘」を敢えて現実や実直以上に評価する気分を生じているのが、閑吟集歌謡の思えばつらい本音なのかもしれませんね。しかもその「夢」や「嘘」に、さらに裏切られ傷ついて行くのかもしれない不安もさらに兆します。毅然と、または心よわく隠逸や隠遁を考えるようにもなる。文化人、知識人ほどそうだったことでしょう。閑吟集編者の経てきた心理的、精神的な足迹とは、およそそんなところだったかと思えます。
しかし、あくまで閑吟集編者と閑吟集歌謡とは、どこか別もので別ごとでもあることを再確認しておきましょう。編者は過去の面影を追っていますが、歌謡はまだまだ明日につながる今日を生き生き謡っている。たとえ涙あり怨みあり悩みはあっても、です。
つづく二二三番は、そんな微妙な撞着をよく表わしています。

* はやく寝たら、六時、はやく目が覚めた。せっかくの『閑吟集』が読んで貰えなくて残念。
2021 5/17 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 須磨や明石の小夜千鳥 恨み恨みて鳴くばかり 身がな身がな 一つ浮世に一つ深山(みやま)に

☆ 「身がな身がな」とは、からだが二つ欲しいというのです。「恨み恨みて泣くばかり」だから「深山」に隠遁してしまいたいと思い切るのでなく、そうも思うけれど「浮世」に未練もあるわけです。
深山か浮世か。これが「中世」自体がやがての末期を迎えてのむずかしい模索だったと言えましょう。この辺では閑吟集編者の姿勢や心境は、かなりはっきり「深山」寄りに想われますけれど、けれど、二二七番など、まだまだ「浮世」恋う風情を見せています。

★ 音もせいでお寝(よ)れお寝れ 烏は月に鳴き候(そろ)ぞ

☆ 帰ろうという男を、暁け近う、女が引きとめているのでしょう。烏はさわいでいるけれど、あれは月が照っているからよと。まだ朝じゃないわと。けれども男は席を立ちます。それが次の二二八番。

★ 名残の袖を振り切り さて往(い)なうずよなう 吹上の真砂の数 さらばなう

☆ 「吹上の真砂の数」とは数えきれない多数多量をいう常套句です。名残惜しさと「さらば」と繰返す言葉との両方に懸かりましょう。けれど男も女もとても離れがたくて「惜し」くて、次の二二九番になる。

★ 袖に名残を鴛鴦(をしどり)の 連れて立たばや もろともに

☆ 「連れて」とは、一緒の意味ですね。仲の良い「鴛鴦」となって、思い切って二人で一つの人生を歩もうと、新たな門出を決意する。なかなか心に迫る歌ではありませんか。
2021 5/18 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

★ 世間(よのなか)は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさつと ふるよなう

☆ 「ふる」を「経る」「古る」「降る」に懸けて読みたいのはむろんですが、「霰」「笹の葉の上」を男女の「世」の仲にも懸けて読むと、まことにきわどい性の秘境を、感覚を、女自身の肉感で今まさに感受していると取れます。
これは表面と深層との両方を重ねあって、どちらに偏するともなく双方を味わってみたい、粋な小歌です。そう思いつつ、この章の最後を、「さらさらさっと」結びましょう。
2021 5/19 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  趣向と自然 そして秋が冬へ

☆ 繰り返します、あえて。

★ 世間(よのなか)は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさつと ふるよなう

☆ 口遊むにしても、とにかく四節になっているのを、どう息を継ぎ、息を切るのか。
閑吟集歌謡はけっして長編ならぬ小歌が断然数多いにかかわらず、この点が微妙にむずかしい。
一気に一息に読むは読んでも、そこに内容上の切れめ継ぎめがあります。世のなかは笹の葉にふる霰みたいなものだなあ、という述懐はむろんよく聞きとれますから、「笹の葉の上の」のところで句読点でいうと「。」をうちたい気がします。が、事実そうしてしまうと、「笹の葉」を、「世間は」と「霰」との間にあって差支えない位置から、わざわざこの位置へ移し動かしてある、音韻上の工夫、効果、が消え去ってしまいます。「ささのは」というじつにさわやか軽やかな音の佳さを、「さらさらさっと」と、常の語法をのりこえてもなおつづけて発声するから、この小歌は意味内容とはべつに、謡う”うた〟としての気分のよさをもちえている。
ただ平凡に歌の意味に即するなら、「笹の葉の上の」のあとの「の」の字を「へ」の字に替えてしまえば何でもない。それを、そうしていないのは、なぜか。「なう」「の」「の」「の」「なう」という伸びやかに響く音調の快味を一貫して利かせているからでしょう。
語法よりも音感を先立てている、そこに謡う”うた〟である歌謡の表現がある。
二三一番とかぎらず、こういう問題を含んだ作は、これまでにも数え切れないほどあったわけです。むしろ、もっと早くに、この点を私は話すべきだったのです。眼で読むだけでなく、口遊んで口遊んで、そうして感受して欲しいと願うのは、ここなンですね。
2021 5/20 233

* 韓國ドラマ「い・さん」にしたたか泣かされ、日本ドラマ「ドクターX」の来月からの予告と一部再映、そして照之富士の強い相撲を観たほかは、終日歌集『少年前』前半の入念な「読み」にかかっていた。打ち込めて佳い仕事だった。無事に「湖(うみ)の本 154」へ持って行きたい。或る意味で、この『少年前』と「閇門」とで、八十五年はしめくくり、余生のある限り、新しい小説を書き継ぎたい、成ろうなら、長編小説を。
2021 5/20 233

* 夜、九時前。終日かけて歌集『少年前』を、入念に、原本にしたがひ構成・校訂した。これは、ぜひにもしかと仕上げておかねばならぬ仕事だった。間に合ってよかった。老蠶のすさびに同じい『閇門』の方は ゆっくり取りまとめ、ただ副えれば済む。

* あすからは「湖(うみ)の本 152」の出来本送り出しにそなえて、挨拶のことばを一つ一つにカットしておくこと、謹呈先の追加の封筒に宛先・宛名を書き込んでおく欠かせないない作業をし遂げておく。余は、さほど緊急に追い立てられること、無いはず。急かず慌てず「送り」の用意万端を。
2021 5/21 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 身の程の なきも慕ふも よしなやな あはれ ひと村雨の はらはら と降れかし

☆ 「よしなや」と嘆く思いは、きれいになかなか割切れない。「由」というものが無いのですから。「身の程の無き」自身の状態にしても、なにも自身の責任でそうなったわけでない場合が多い。だから、「よしなやな」なのでしょうし、だから、好きな人を「慕ふ」ものの、告げられない、受容れられない状況が、また「よしなやな」なのですね。身をよじりたいような「よしなや」の嘆きが、どうにもならず呻き声になる。それが「あはれ」です。
それでもぐっと直接な表出は抑制します。降るほどの涙をまぎわらすため、「ひと村雨の はらはらと降れかし」と思わず空を仰ぎ、また面を伏せる。「村雨」は、やさしい育みの雨です。このかなしいあたしの胸の底までしみじみと雨にうたせたい。慰められたい。こまやかな感情のひだの奥の方で、男の降りそそがせる、あの愛の雨をも待ち望んでいるのです。
そこまで読まないでは、この小歌の真の主人公に共感したことになりません。
2021 5/22 233

* 手がけてきた 歌の仕事は もういつ何時でも「入稿可能」までの原稿作りが出来た。「湖(うみ)の本 154」と予定しており、「153」はもう入稿してある。さきざき、すこしからだがラクになってくれるかも。何とかして インターネット を復活したいが 目下は 打つ手がない。
2021 5/22 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ

☆ 佳い歌ですね。
軽薄な物言いをお許しいただくなら、これは「泣かせます」ね。
本当ははっきりした求愛の言葉を口にしたいのに、とても口に出せなくて、つい、アレ、ごらんなさいな「空行く雲の早さよ」と口走っている。それだって言葉はかけたのです。かけることのできた満足はあるのです。
恋をした人、恋心をうちあけられないで今かなしんでいる人には、「あれ見さいなう 空行く雲の早さよ」は、さぞ胸にこたえましょう。言葉がかけたい、その思いからもう恋心は深まっている。昨日も今日も明日も、初々しい恋人が同じようなことを胸をどきどきさせて口走っているはず。そういう平和な日々の永かれと祈りたいものです。
但し過ぎ行く「雲の早さ」には、恋しい人への深層の不安も、もう重ねられている気がします。
2021 5/23 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 芳野川の よしやとは思へど 胸に騒がるる 田子の浦波の 立ち居に思ひ候(そろ)もの

☆ 言葉に出せない不安が、思う人の「立ち居」ひとつにも波騒ぐのでしょう。自身、居ても立ってもおれない或る胸騒ぎに苦しんでいるのでしょう。
「よしやとは思へど」という不安、不信、憶測、嫉妬、は苦しいものの中の苦しい物思いです。
つぎ、二三七番。

★ 田子の浦浪 浦の浪 立たぬ日はあれど 日はあれど
☆ 「浦浪」を「浦の浪」と言い替えたのは単に調子をとったのでしょうか。
「うら」は「占」です。我一人の心の中で恋の「うらない」を立てつづけている気味を汲みたいですね。たとえば、「来る」「来ない」「来る」「来ない」とか、「好き」「好きでない」とか。
要するに、浦浪の立たぬ日はあれど、恋心の浪騒ぐことは思いの浦(裏)では絶えまがない。そう謡っています。
2021 5/24 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 石の下の蛤 施我(せが)今世(こんせい)楽(らく)せいと鳴く

☆ 漢字のつづく部分は、「我ニ今世ノ楽ヲ施セ」という意味になります。漢文の訓み下しとしては「施せい」という要望になり、しかし「楽せい」つまり楽をせよという勧めとしても、言葉が照応し相応しています。それを、「石の下の蛤」の鳴き(言葉)に作ってある。まだ石の下に隠れて人に会わない「蛤」とも、石のように重い堅いものに組み敷かれている「蛤」とも、とれます。大昔から妙に「蛤」という貝は、擬人(神)化される生きものです、それも女に。「女」の性に。
と、すると、「施せい」は「蛤」の願望、「楽せい」はどうやら「石」の、「男」の、自負かな、と読めるのが面白い狙いの小歌です。
2021 5/25 233

* 福田恆存先生の奥様が101歳でお亡くなりになったとお知らせがあった。実の親を知らず、育ての親におとなにしてもらい、そして心の親のようにお思い申し上げてきた。筆紙に尽くせず、背をいつも優しく支えていて下さった。忘れない。
福田先生からはじめてお手紙を戴いたのは、「すばる」巻頭に、華岳らを書いた長篇『墨牡丹』を一挙掲載した直後だった。間をおい、先生の演劇活動の拠点であった三百人劇場ヘ「ハムレット」だったと思う、シェイクスピア劇を演出されていたのへ出向いた時に ホールでご挨拶した。先生最初の一声は、「ああ。想ってたとおりの方だった」と温和に優しいとりなしだった、ビックリした。「湖(うみ)の本」を始めた時、先生はすぐさま各地の20人ばかりの方を「読者」としてご紹介下さった。(同じご親切は、永井龍男先生にも戴いた。)それはそれは有り難く嬉しいことであった。先生の創作劇も何度か楽しんだ。ご子息逸さん作・演出の歌舞伎なども歌舞伎座へ観にいった。
福田先生は亡くなられた。 その後は 奥様がそれは優しくいつもお付き合い下さり「湖(うみ)の本」の購読もおつづけ下さり恐縮もし嬉しくもあった。
永井先生も亡くなられた。福田先生の奥様も百一歳のご長寿だったとはいえ、亡くなられた。寂しくなった。

* 私は、受賞このかた、信じがたいほど多くの大先達の先生方に優しく良く励まされも支えられもしてきた。 福田恒存先生のほかに、順序無く 文壇に限ってただただ懐かしく有り難く想い出すお名前をあげておけば、
小林秀雄、臼井吉見 唐木順三 河上徹太郎、中村光夫、吉田健一、瀧井孝作、永井龍男、角田文衛、目崎徳衛、木下順二、本多秋五、井上靖、山本健吉、中村真一郎、江藤淳、 阿川弘之、佐伯彰一、篠田一士、巌谷大四、杉森久英、大岡信、小田実、和田芳恵、壇一雄、今東光、立原正秋、水上勉、伊藤桂一、舟橋聖一、上村占魚、馬場一雄、大国友彦、谷崎松子、円地文子、福田敦江、田中澄江、梅原猛、斎藤史、大原富枝、竹西寛子、馬場あき子等々、キリがない。
さらには學界の諸先生がたとも、文学、歴史、美術、批評、論攷、まことに大勢お付き合いが出来ていた。有り難かった。
反面、同世代ないし若い作家・批評家たちとは、めったに接触も親交もなかった。いまでも久間十儀さんら極く数少ない。人付き合いが悪いとは決して思ってないが、もともと外へ出て行かない暮らし方のせいもあろうか。あるいは私の作風とでもいうのが若い人たちへの障りになっていたのかも。

* こういう追憶にこころを惹かれるのも、ようやく最晩年の自覚というものか。
陶淵明集を開いてて、こんな詩句に静かに目を置いていた。友人の劉柴桑に酬いた詩の一部を抜き書きしてみる、

窮居して人用 寡く、
時に四運の周るをだも忘る。
空庭 落葉多く、
慨然として已に秋を知る。

今我れ樂みを為さずんば、
來歳の有りや不(いな)やを知らんや。

此のとおりに日々送迎し、まさに これ 私、只今の感慨である。

* 読者、友人、知人、何人もの方が この「私語」が急に聞けなくなったと、案じていて下さるだろう。それが気がかりで申しわけない。いい手がないものか。
2021 5/25 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 百年不易満 寸々彎強弓
(百年満チ易カラズ 寸々強弓ヲ彎(ひ)ク)

☆ 蘇軾(そしょく)の詩句によっていますので、なるほど「百年の寿命を保つことは容易ではないのに、人間は絶え間なく、強弓を引くようにあくせくと心身を労することだ」という解(臼田甚五郎氏)が本当でしょう。
が、前の二三八番とのかねあいは、どうでしょうか。またこの吟詩句、そのようなお説法どおりに畏まって聞いて終っていいのでしょうか。「百年」はともかく「満チ易カラ」ざるは女の欲求、女の生理で、「寸々強弓」は男のあの頑張りではないのでしょうか。そういう含みがあってこそ、また、二四○番へつながって行くように思います。

★ 和御寮に心筑紫弓 引くに強(つよ)の心や

☆ 「心尽し」の「弓」を、せい一杯引いて「和御寮(わごりょ 此処では、女)」を愛してきたのに、さりとはつれない心よ、という歌です。「弓」は男のはり切った愛をさながら体現しています。暗喩の歌と読みます。
2021 5/26 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 取り入れて置かうやれ 白木の弓を 夜露の置かぬ前に 取り入れうぞなう

☆ 「白木の弓」は、まだけがれない童貞を暗に謂っている。年かさな女の、あらわな手の動きが見えるようで、よその「夜露」に濡れてしまわぬうちに「取り入れうぞなう」などは、あまり露わな物言いなンですが、歌謡の歌詞としては、ふしぎに綺麗に澄んだ表現効果をもっている。だから口遊(くちずさ)んでいて、いやな気がしないのですね。
242番。これは興味ある一篇ですが、きわめて難解です。でも、割愛するに忍びない佳い調子をもっている。「──だよ」「──だ」といった今日の物言いの、最初例であるかもしれません。

★ さまれ結へたり 松山の白塩(しらしほ) 言語神変(ごんごじんぺん)だよ 弓張り形に結へたりよ あら神変だ

☆ 「さまれ」は「さもあらばあれ」の略で、とにかくも、どうあろうとも、と、物の言いはじめをトンと調子づよく打ち出す時によくこう言います。
「松山の白塩」が、なかなか把めないのですが、「結へたり」と言ってあるのがヒントにならないか。「結び松」に願いをこめる風習は、万葉集の昔からうたわれているのですから、そんな民俗が背景にあると見るのはいいでしょう。が、さてそれでどう通して読むか、やはり難しい。
「言語神変だよ」「あら神変だ」というのを曰く言いがたい良い思い、良い気分の絶頂と、「さまれ」受取ってみますと、「弓張り形に結へたりよ」が、男女の結ばれ合った互いに緊縛、緊張のこの上ない態様と見えなくない。つまり、「さまれ結へたり」を一応の「結合」と眺め、それが「松山の白塩」という契機で「言語神変」の状況、言い換えれば「弓張り形に結へたりよ」の状態までに昂まった。その昂揚その歓喜が「あら神変だ」と読んで、こじつけが過ぎたでしょうか。どうやら、これぞ正解の感じがしますが、まだ私も、「松山の白塩」にずばりと見当はつけかねています。
それにしても小歌の味が、ひところと様変わって濃厚かつ芳烈、どこへやら「冬」の寒さなど置き忘れて、したたか汗まみれの愛欲を謡いつづけている趣ですね。
2021 5/27 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 嫌申すやは ただただただ打て 柴垣に押し寄せて その夜は夜もすがら  現(うつつ)なや

☆ えらいことを謡うものです。これは何とも勇ましい夜這いの歌ですね。
「いやと言うものか」と強気で柴垣の内へ打ち入りに押し寄せた。そして「その夜は夜もすがら」つまり暁け方までも「現なや」で、愛欲夢幻の境をさまようたわいと大満足の体でいます。むろん女も受容れているのですから、よろしいとしましょう。
2021 5/28 233

* 想っていたことではあったが、しかと思い立ち、久々に、じつに久々に、かつて歌集『少年』をすてきな新書版で世に送りだしてくれた不識書院主の中静さんに電話した。唐突だが、この春に手がけて編みあげた歌集『少年前』そして八五老蠶の走り書き『閇門』を、『少年』のご縁に「読んでみてくれませんか」但し、決して本にして出版して欲しいのではない、それは『湖(うみ)の本』にすれば想うままに済むこと、ただただ、あのひろく好評を得た『少年』にはうち捨てて採らなかった小・中・高校生の頃の「わが短歌」習作の数々を、歌集というものを無数に出版してきた編集者中静さんの眼で読んでもらいたかったのだ。
中静さん、ご迷惑だったろうが『少年』歌人の「少年前」というご縁ひとつで承諾してもらえた。
週明けの月曜にお店に届くよう送り届けたい。有り難い。嬉しい。

* コンピュータの故障は依然険しいままだが、久しぶりに印刷機は働いてくれた、じつは『少年前』と『閇門』とを、祈る思いで「刷れて呉れよ」と機械に送り込んだ、A4紙で60余頁がきれいに刷れたのだ、吉日とまでは言えないが大きな半吉事に恵まれ、胸を撫でている。撫でているうち、これを不識書院主に久しぶりに読んで貰おうと思い立って、手早くすぐ電話したのだった。そして我勝手な文字遣いの漢字に小さく朱で「よみ」を振っておいた。数百首あるのだ、よく手早くつぎつぎ頑張った。
九時になって行く。もう休んで佳いだろう。
2021 5/28 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 薄の契りや 縹(はなだ)の帯の ただ片結び

☆ 薄い藍色、縹色には、醒めやすい色変りの意味がこもります。それが「契り」の薄さと重なって、片想いのかなしみを怨(えん)じています。つづく二四六番の大和節の中に、「人やもしも空色の 縹に染めし常陸帯」という文句があります。帯に意中の人の「名」を書いて締める、鹿島の神に本望成就を願う帯占いの常陸帯という風儀を、これは念頭に置いている小歌に相違ありません。
二四六番は割愛しますが、未に、「露の間も 惜しめただ恋の身の 命のありてこそ 同じ世を頼むしるしなれ」と強く居直っての恋の肯定は、閑吟集歌謡を「貫く主張」の一つと言ってよい。
二四八番。

★ 水に降る雪 白うは言はじ 消え消ゆるとも

☆ 恋の思いをあからさまには言うまい。「水に降る雪」ほどに「消え消ゆるとも」と。
二五二番には、つよく頷くのみです。

★ しやつとしたこそ 人は好(よ)けれ

☆ 愛の場面でさわやかに毅い男を、女がほめた、とも想えますね。男も女も 「しゃっとした」人は、すくない。閑吟集に教えられる第一等の一句です、私には。
2021 5/29 233

* 中静勇氏に歌集『少年前』『閇門』の原稿を送った。
2021 5/29 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 人の心は知られずや 真実 心は知られずや

☆ 「や」を、詠嘆ととるか、疑問ないし反語ととるかで、小歌の味もいろいろです。真実、人の心を知りたいという願望の強さを、読みとりたいと思います。
二五六番。

★ 人の心と堅田の網とは 夜こそ引きよけれ 夜こそよけれ 昼は人目の繁ければ
☆ 堅田は琵琶湖の西岸、名高い歌枕の地です。が、堅い人の心という利かせがありましょう。いくら堅い女も、人目のない「夜」ならば引き寄せられよう。
男とは、こういうことも考えているけものです。とは言え、女は、ちがう のでしょうか。
2021 5/30 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 陸奥(みちのく)の染色(そめいろ)の宿の 千代鶴子が妹(おとと) 見目もよいが 形(なり)もよいが 人だに振らざ なほよかるらう

☆ 梁塵秘抄の三三五番に 「恩ひは陸奥(みちのく)に 恋は駿河に通ふなり」という詞句がありました。「染色の宿」が実在の地名として確認できない以上、色に染まるという寓意を読みとるべきでしょうから、ここの「陸奥」に「恩ひは陸奥」に通う同じ意味を取るのが、主題をはっきりさせます。
「千代鶴子」には、幾らか拠るべもあるのでしょうが、めでたそうな遊女の名乗りと読んでおきます。主役は彼女の「妹」分に当たる名の知れぬ少女だとはっきりしているからです。
若い男どもがもう盛んに生い先めでたいこの少女を「目がけ」ている。その、「ひそひそ・くすくす」のいわば「評判うた」でしょう。前歌「堅田の網」の「堅」い「人心」を、この「妹」が受けています。

* どういう五ヶ月だったのか、どういう一年だったのかと思う。私には、『山縣有朋の「椿山集」を読む』『山縣有朋と成島柳北』を成し、いまわが作家生涯を「前」でとり結ぶことになる歌集『少年前』の原稿を仕上げ得た。このあとは小説を書きたい、籠居の日々に腐ってしまわないで。

* 「ことば」で「創る」という習いを国民学校の早くに覚えた。同時に百人一首を愛誦し始めていた。前半は叔母の口授だった。後半は祖父の蔵書『百人一首一夕話』の拾い読みに感化された。この二つ、短詩型古典への親炙が早かった。それが小説を書き始めるまで「少年前」「少年」期を幼いながらの創作早期にしてくれた。「読む」だけでない「創る」日々があった。それは一種の「自立」だった。束縛されず群れをもとめず権威に諂わず、自分の世界を培い続けた。多くの「旅」がその世界に内蔵されていた。それをより豊かにすれば有難いのであった。
2021 5/31 233

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 忍ばば目で締めよ 言葉なかけそ 徒名(あだな)の立つに

☆ 目が、時に口ほど物を言ってくれる。はっきり心を伝えてくれる。「あだ」な浮名が立つよりは、人目忍ぶ場合は目に物を言わせておくれよと好きな相手に頼んでいます。
二六三番はその逆ですね。

★ 忍ばじ今は 名は洩るるとも

☆ 「名」は、先の「あだ」な「浮き名」のことでしょう。恋情が強まり、辺り憚らずという段階に入ってきた。女でしょうか。男でしょうか。つづく二六四番はどうでしょうか。

★ 忍ぶこと もし露(あら)はれて 人知らば 此方(こなた)は数ならぬ躯(み) 其方(そなた)の名こそ惜しけれ
☆ 「名」が名誉の意味で使われています。
2021 6/1 234

* 秦の祖父鶴吉の蔵書に、とても私の手に負えない手沢本一冊があり、歌集とも句集ともなく、筆蹟はなやかにうるわしく書かれた歌謡の集と見えていた。で、秋成研究の第一人者、東大の学生であられた頃から昵懇久しい長島弘明さん(東大名誉教授、現二松学舎大教授)に送った。今日、懇篤のお手紙を戴いた。おうと声の出たほど、懇切明快のご教示であった。いと、嬉しく。いと、嬉しく。

* もう一つ嬉しいのが、プリンターとともにこれもアウトかと危ぶんで使えないで来たコピー機も、プリンター同様にちゃんと用を果たして呉れた。長島さんのお手紙も此の機械クンへ書き写すことが出来た。感謝感謝。
こんなふうに、インターネットの方もカム・バックして呉れませんか。

☆ お送りいただいた御本について
拝啓

その後、長らくご無沙汰しております。
秦恒平選集と湖の本をいつもお送り賜り、まことにありがとうございます。
雑事にかまけて、御礼も申し上げぬまま、失礼を重ねておりますこと、ご海容のほどお願い申し上げます。

過日、ご懇書とともに、冊子一冊をお送りいただきました。
どのようなものかというご下問かと存じましたので、細かいことはわからない所が多いのですが、ごく大雑把に記させていただきます。
私は歌謡の知識もあまりなく、明治にも詳しくないので、大間違いしている場合もあるかもしれませんが、それはお許し下さい。

この本は、恐らく明治にはやった七・七・七・五の都々逸の、愛好者社中の作品をまとめたものかと思います。
潮来節くいたこぶし)・よしこの節から出た都々逸は、もともとは主に男女の恋愛の仲を謳う内容ですが、七・七・七・五の形式で、男女の仲以外の色々なものを謳うようになります。
この本の都々逸も、男女の情の作もあり、それ以外のものもあります。
なお都々逸については、
元甲南女子大の菊池真一さんが色々な論考を書いていますので、次をご参照下さい。
http://www.kikuchi2・com/dodo/index・html

この本、
最初の方に「兼題」とありますから、
予め題を出して、各自作った都々逸作品を会合に持ち寄るか、あるいは宗匠(最初の所に名前のある「僖月舎 薫」か)のところに送ったものでしょう。
これは、それを多分宗匠が評点を付け、一位から五十位までざっと順位を決めた上で清書したもの。原則として、後ろに行くほど順位が高い(巻頭句と、最巻末に追加された「追章」は少し別扱い)。
一番後ろ(絵巻軸)、「逸」とある蟇山人の「雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで」が最高点でしょうか。
順位は、後ろに行くほど高いと言っても、ニ十位台、三十位台、四十位台は、十作-からげで、細かく分けていませんね。
それから、各作の右上に押してある朱印は、 俳諧の例と考え合わせてみれば、恐らく点印でしょう。社中の人なら、どの朱印が何点とわかるはずです。

裏表紙の内側に、お祖父様の秦鶴吉さんが
「明治四拾年五月求之」と記しておられるので、恐らく都々逸愛好家でいらっしやつたお祖父様が、古書店などで購入されたものでしょう。

以下、巻頭の序文と兼題、最初の方の作品の二つほど、また巻末の作品三つほどを翻刻しておきます。
わかりやすいように濁点を加え、各句の間は一字空白にしておきました。

(兼題)
千世経べき 松の翠の とことはに 豊坂のぼる 朝日社の みやびの嶺に  栞して 情けの海に 棹さして 此なさけ謌の あつめにぞ 根ざせし種を 言の葉の 三葉四葉と 七年を ことほぐまとひの 末永く 楽しき春の 曙の 霞に匂ふ 花になづらへ 香ほり気高く 秀でたる すさぴの数を ゑりあはし 拙きわざも をのづから あたひ/ \の 玉やならなむ
明治三十六年二月
僖月舎 薫    印(「僖月舎」) 印(「薫之印」)
兼題
旭浪に輝
花の笑顔
卯に寄る恋
降らぬ雪を恨む
日月火水木金土、ニ字以上結び

家のかぜまで 輝く御世の 浪もはるかに 朝日の出   洋月

むねのほむらの 飛火野過ぎて 角(つ)のもおとした 春の鹿 玉骨

(巻末)
(軸)雪もふらねば 待人も來ず 恨み痩寝に ひゞく鐘    壺中

(逸)雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで  蟇山人

(追章)雪は降らぬと 暁(あかつ)き寒ゐ 言葉も恨めし 別れ際  跡丹

おかげさまで、東大定年後は二松学舎大で、何とかオンライン授業をこなしています。
会議で大学に呼びつけられ、基礎疾患持ちとしてはいやいや出校していますが、仕方ありません。
今住んでいるところは田舎で、ワクチンを打ち終わるのは、このままでは9月未になりそうです。
こんな所にも地域格差があることを実感しました。
秦様も奥様も、どうぞくれぐれもご自愛を。
五月二十六日 長島 弘明
秦 恒平 様

追啓 なお、本書はお祖父様の手沢本という貴重な物で、私はコピーをこれからとり、原本は近日中に郵送でご返却致します。
長 島  弘 明
NAGASHIMAHiroaki
(メールアドレスが変更になりました)

* もう一通戴いていた。察するに 前のメール便は私の機械故障で戻っていたと想われる。

☆ 拝復  過日はメールで失礼致しました。
大切な御祖父サマの手沢本を御返却申し上げます。雑事のため、返送が遅くなりました、ご容赦下さい。
明治には、俳句以外にも、多様な韻文創作の楽しみがありました。うらやましいことてす。
念のため、先日のメールを印字したものを、同封致しました。コピーをとらせて頂きましたので、又、何かありましたらお訊ね下さい。
電車に乗ることも極力避けています。
どうぞこのコロナを乗り切って、お健やかにお過ごし下さいますよう   敬具
五月晦日              長島 弘明
秦 恒平 様

* 有り難う存じます。 お人柄が いかにも懐かしい。

* それにしても 都々逸会とはおもしろい。有り難いご教示、いろいろと胸に落ちた。感謝感謝。
2021 6/1 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ おりやれおりやれおりやれ おりやり初(そ)めて おりやらねば 俺が名が立つ 只おりやれ

☆ 「俺」は、この時代なら男女に通用の一人称です。ここは、女。男に、幾度でもつづけて「おりゃれ」来て…と望んでいます。一度二度来初めて道が絶えたのでは、いかにも自分に魅力が乏しいからかのように心外な評判が立ってしまう。「ただもう、来て欲しいの」とせがんでいます。ここに居りゃれ、そのまま居て欲しいと取ることも可能です。趣意は同じです。
二六八番は、様子がちょっと変わります。

★ よし名の立たばたて 身は限りあり いつまでぞ

☆ 「よし」は、たとえ。あるいは、いいサ、かまわないサ。悪い評判が立ってもかまわない、恋を貫きたい。どうせ数ならぬ身のあたしのこと。評判など、やがて消えてしまうわ、この命にしても同じだわ、と。
二六九番になると、また評判(讃談)に悩んでいます。

★ お側に寝たとて 皆人の讃談ぢや 名は立つて 詮なやなう

☆ 「お側に寝た」のが事実か当て推量かで、この小歌、うんと重みが変わってきます。もし事実ならば、たとえ名は立っても、まァ仕方がない。実のない邪推で名が立つのでは、迷惑至極。でも、この「詮なやなう」の、困っちやうわァという声音には、かすかに、得た恋の満足感も籠もっていないでしょうか。
2021 6/2 234

* 秦の祖父鶴吉の蔵書に、とても私の手に負えない手沢本一冊があり、歌集とも句集ともなく、筆蹟はなやかにうるわしく書かれた歌謡の集と見えていた。で、秋成研究の第一人者、東大の学生であられた頃から昵懇久しい長島弘明さん(東大名誉教授、現二松学舎大教授)に送った。今日、懇篤のお手紙を戴いた。おうと声の出たほど、懇切明快のご教示であった。いと、嬉しく。いと、嬉しく。

* もう一つ嬉しいのが、プリンターとともにこれもアウトかと危ぶんで使えないで来たコピー機も、プリンター同様にちゃんと用を果たして呉れた。長島さんのお手紙も此の機械クンへ書き写すことが出来た。感謝感謝。
こんなふうに、インターネットの方もカム・バックして呉れませんか。

☆ お送りいただいた御本について
拝啓

その後、長らくご無沙汰しております。
秦恒平選集と湖の本をいつもお送り賜り、まことにありがとうございます。
雑事にかまけて、御礼も申し上げぬまま、失礼を重ねておりますこと、ご海容のほどお願い申し上げます。

過日、ご懇書とともに、冊子一冊をお送りいただきました。
どのようなものかというご下問かと存じましたので、細かいことはわからない所が多いのですが、ごく大雑把に記させていただきます。
私は歌謡の知識もあまりなく、明治にも詳しくないので、大間違いしている場合もあるかもしれませんが、それはお許し下さい。

この本は、恐らく明治にはやった七・七・七・五の都々逸の、愛好者社中の作品をまとめたものかと思います。
潮来節くいたこぶし)・よしこの節から出た都々逸は、もともとは主に男女の恋愛の仲を謳う内容ですが、七・七・七・五の形式で、男女の仲以外の色々なものを謳うようになります。
この本の都々逸も、男女の情の作もあり、それ以外のものもあります。
なお都々逸については、
元甲南女子大の菊池真一さんが色々な論考を書いていますので、次をご参照下さい。
http://www.kikuchi2・com/dodo/index・html

この本、
最初の方に「兼題」とありますから、
予め題を出して、各自作った都々逸作品を会合に持ち寄るか、あるいは宗匠(最初の所に名前のある「僖月舎 薫」か)のところに送ったものでしょう。
これは、それを多分宗匠が評点を付け、一位から五十位までざっと順位を決めた上で清書したもの。原則として、後ろに行くほど順位が高い(巻頭句と、最巻末に追加された「追章」は少し別扱い)。
一番後ろ(絵巻軸)、「逸」とある蟇山人の「雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで」が最高点でしょうか。
順位は、後ろに行くほど高いと言っても、ニ十位台、三十位台、四十位台は、十作-からげで、細かく分けていませんね。
それから、各作の右上に押してある朱印は、 俳諧の例と考え合わせてみれば、恐らく点印でしょう。社中の人なら、どの朱印が何点とわかるはずです。

裏表紙の内側に、お祖父様の秦鶴吉さんが
「明治四拾年五月求之」と記しておられるので、恐らく都々逸愛好家でいらっしやつたお祖父様が、古書店などで購入されたものでしょう。

以下、巻頭の序文と兼題、最初の方の作品の二つほど、また巻末の作品三つほどを翻刻しておきます。
わかりやすいように濁点を加え、各句の間は一字空白にしておきました。

(兼題)
千世経べき 松の翠の とことはに 豊坂のぼる 朝日社の みやびの嶺に  栞して 情けの海に 棹さして 此なさけ謌の あつめにぞ 根ざせし種を 言の葉の 三葉四葉と 七年を ことほぐまとひの 末永く 楽しき春の 曙の 霞に匂ふ 花になづらへ 香ほり気高く 秀でたる すさぴの数を ゑりあはし 拙きわざも をのづから あたひ/ \の 玉やならなむ
明治三十六年二月
僖月舎 薫    印(「僖月舎」) 印(「薫之印」)
兼題
旭浪に輝
花の笑顔
卯に寄る恋
降らぬ雪を恨む
日月火水木金土、ニ字以上結び

家のかぜまで 輝く御世の 浪もはるかに 朝日の出   洋月

むねのほむらの 飛火野過ぎて 角(つ)のもおとした 春の鹿 玉骨

(巻末)
(軸)雪もふらねば 待人も來ず 恨み痩寝に ひゞく鐘    壺中

(逸)雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで  蟇山人

(追章)雪は降らぬと 暁(あかつ)き寒ゐ 言葉も恨めし 別れ際  跡丹

おかげさまで、東大定年後は二松学舎大で、何とかオンライン授業をこなしています。
会議で大学に呼びつけられ、基礎疾患持ちとしてはいやいや出校していますが、仕方ありません。
今住んでいるところは田舎で、ワクチンを打ち終わるのは、このままでは9月未になりそうです。
こんな所にも地域格差があることを実感しました。
秦様も奥様も、どうぞくれぐれもご自愛を。
五月二十六日 長島 弘明
秦 恒平 様

追啓 なお、本書はお祖父様の手沢本という貴重な物で、私はコピーをこれからとり、原本は近日中に郵送でご返却致します。
長 島  弘 明
NAGASHIMAHiroaki
(メールアドレスが変更になりました)

* もう一通戴いていた。察するに 前のメール便は私の機械故障で戻っていたと想われる。

☆ 拝復  過日はメールで失礼致しました。
大切な御祖父サマの手沢本を御返却申し上げます。雑事のため、返送が遅くなりました、ご容赦下さい。
明治には、俳句以外にも、多様な韻文創作の楽しみがありました。うらやましいことてす。
念のため、先日のメールを印字したものを、同封致しました。コピーをとらせて頂きましたので、又、何かありましたらお訊ね下さい。
電車に乗ることも極力避けています。
どうぞこのコロナを乗り切って、お健やかにお過ごし下さいますよう   敬具
五月晦日              長島 弘明
秦 恒平 様

* 有り難う存じます。 お人柄が いかにも懐かしい。

* それにしても 都々逸会とはおもしろい。有り難いご教示、いろいろと胸に落ちた。感謝感謝。
2021 6/1 234

* 久しく、心より親しかった奈良の歌人東淳子さんの訃報が、大学時代の学生さんであったろうか、「湖(うみ)の本」でも久しいおつきあいの岡田祥子さんから。
がくっと寂しく。あれこれ私語している内、機械の画面がはっと消えた。
今は繰り返さない、が、病床で「たのしみは」と詠われていたのに私も暫く倣って、岡田さんを介して送っておいたのを、読み上げて貰い「にっこり笑っておられました。喜んでおられました。ありがとうございました」と、岡田さん。寂しくなった。
2021 6/2 234

☆ 長島弘明様
深甚のご厚意で 思いがけぬ勉強が出来ました 嬉しく 有り難く 御礼申上げます。
私の 二十年も使用し続け「奇跡」と謂われる古機械の、ついにネット機能損失という事故に遭い お手数を更に煩わせました。 ご免なさい。ご親切 身に沁みました。
秦の祖父は 明治二年に生まれ 昭和の敗戦直後に亡くなりました。 無口な人で 言葉を交わした記憶も無いほど もらひ子のちっちゃな私は ただ「こわいお祖父ちゃん」と思っていましたが 本を読むなどは極道と口癖の父とはまったくちがい たいへんな蔵書家でした。 古典 漢籍 史書 詩集 事典 字書 啓蒙書等々 国民学校の初等期から私には 宝の山でした。祖父は 勝手次第に本に触れていても 一言も否やを謂いませんでした。私どもが 東京へ移り住みます時にも 他の何より 祖父の蔵書を荷物に加えました。「湖(うみ)の本」にもなりました 山縣有朋の『椿山集』も 成島柳北の『柳北全集』も 参照した 各種明治の事典・寶典類も みな祖父からの有難い遺産でした。 そんななかで 音をあげた一冊を送りまして ご示教を仰いだという次第ですか むろん本は 長島さんご身辺にさしあげて ご論攷の一編にもなれば 本も祖父も喜ぶのではと実は願っておりました。ご返送のお手間を懸けさせましたのは 私として 行き届かぬ事で 申し訳なく思っております。
「秋成學」に大きな大きな足跡を残され なお積み重ねられている長島さんには なに珍らかでもない 「加茂真淵講義」の『古今和歌集講義』本に 秋成が関わっていますようで そんな「上下巻」が 傷み本ですが 残っていました。 お弟子さんにでも譲って上げて下さればと。 長島さんが 頼山陽に無縁であるわけ無いでしょうが 頼山陽口授の『評本文章軌範』七部三冊 『日本外史論文講義 全』一冊 さらに 今や珍しい 頼山陽先生編選『「謝選拾遺講義』上下二巻が 書庫に死蔵されていました。
もはや どれも もう私には 手を出す余命の無い本なので というのは失礼に過ぎますが 長島さんに みな 献呈し しかるべくご処置願いとう存じます。すこしでもお役に立てば嬉しく さもなくは若い学究に貰って頂けると 本も祖父も 喜びましょう。
私は 「へんな子」と謂われつけて育ちましたが 祖父の本の中の 『通俗日本外史』と『神皇正統記』を朗読するのが楽しみで それらが のちのちまで私の文章にも 歴史好きにも余翳を残した気がしております。かえってご無礼を恐れながら 古本を 御受納くださらば 何かしら 大いに ほっとさせて頂けます。お笑い下さりご勘弁下さい。
コロナ禍 決して決してご油断無く 日々 お大切にお過ごしありますよう。
令和三年 六月二日     秦 恒平

2021 6/2 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ よそ契らぬ 契らぬさへに名の立つ

☆ 主あるこの身。浮気なんかしない。それなのに、浮名が立つなんて──。
この辺で、「名」という立場や感慨が、十一首ほど続きました。「徒名(あだな)」「浮名」「名」のいずれにせよ個人の名誉や利害がからみます。面白いことに、遊女らしい「千代」「鶴子」という源氏名は出ましたけれど、ほかに名らしい「名」は一度も出てこない。まして日本の歴史で、女人の本名を拾うことは、まさかまるまる名が無かったのではないでしょうに、至難のことです。もし出会うとすれば、高貴高位の女人、例えば皇后定子とか北条政子とか秀吉夫人のねねさんとか、または伝説的な藝能人である小野お通とか出雲お国とかにほぼ限られていました。
諱(忌み名)といって、本名を、あらわにそれと呼んでも呼ばれてもならない風儀は、じつは日本人だけに限らなかった、かなり世界的な古い昔からの禁忌でした。だから通称や字(あざな)や号が必要でした。大家の婦人は昭和のはじめごろまで別に替え名をもっていた例がありますし、奉公人にさえ、親がつけた名は呼びづらいと、雇い主がべつの名をつける風習があった。そういうことを背後に感じとっていませんと、武人に限らず 「名」を惜しむ という昔びとの心根も本当にしみじみとは分かりかねることです。
2021 6/3 234

* 「湖(うみ)の本 151」 の残本を書庫へ入れ、これはぜひ何方か和歌史研究者に差し上げたい何冊かを家の方へ持ち出した。ついでのようだが、ちょうど今、最関心事の一つに触れた信太周先生の論攷一編を発見し ほくほくと持ち出した。
また森田草平訳の大長篇、ドストエフスキー『悪霊』の「一冊本」という珍冊を見つけ、久々に読みたくなった。トルストイの『戦争と平和』と対峙を意識していたと謂われる代表作であり、本の手に重いのが難ではあるがちょっと身震いがする。
森田草平は夏目漱石の門下生であり、しかも、あの平塚雷鳥との「心中未遂行」で浮名を流したそれを新聞小説にして大いに売った有名なご仁である。

☆ 「湖(うみ)の本 151」
ご送付ありがとうございました 送金がすっかり遅くなってしまい 申し訳ございませんでした。
今、東(淳子)先生が最期を過ごされた部屋の片付けをしています。これが終わると 2年留守にしておられた奈良のマンションを掃除し、2年ぶりに帰宅させて上げようと思っています。
暑くなって來ました お大切におすごしください。   岡田祥子

* かほどこころ麗しいけなげに優しい人に、お弟子さんに、最後の最期まで看取られた東淳子さん、お幸せでしたと胸を熱くしている。
2021 6/3 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 只将一縷懸肩髪 引起塗帰宜刀盤
(タダ一縷ノ肩ニ懸カレル髪ヲモツテ 引キ起コストキ宜シトハ)

☆ 臼田甚五郎、浅野建二氏らの訓みにしたがっています。賛成です。が、難しい。
一筋のたぶん女の髪の毛が、たぶん男の肩に懸かつている。赤裸々の状態と取るしかない情況です。愛欲の熾りの様態でしょうか。途中で休息といった時でしょうか。それによって「引き起こす」相手が変わりましよう。全身(上体)か、局部か。
「淡粧タダ肩に掛かる髪を以ちて 引き得たり雨中の衰老翁」という「滑稽詩文」があるそうです。これは喝食(かつじき)といわれる有髪の少年僧に寄せたもののようですが、これを参考にしますと、「雨中衰老翁」には、喝食の若さに対比する諧謔の気味があり、或る萎えた物の感じを諷しています。
「雨中」は古来の慣用で、ほぼ愛戯、性戯のさなかを示しているからです。「淡粧」は相手を女に見紛うと取るのが自然です。
巨象も女の黒髪一筋に引かれると謂いますね。そうしたことも考慮して、「引起塗帰宜刀盤」という、ややとぼけた万葉仮名ふうの表記と物言いとを、むしろ快く受容れてみますと、「只将一縷懸肩髪」の一句にひびく「か」の音の清んだ印象に、小歌の「なさけ」が感じられます。
いやらしいと思うより、美しい風情が美しい〝音色〟を喚起しています。
”うた″は、詩は、それで良いのではないでしょうか。
2021 6/4 234

* メール往来無く、いかにも孤立。それもよし、また、不便。じっとガマンするしかない。浮き世の人づきあいは鎖じられても、文字や映像を介しての「世界」は広い。
いま「宗良親王」といい『宗良親王全集』といっても通じまい、僅かな人が「護良親王」を想起して南朝、後醍醐天皇の…と想いいたるかどうか。
その宗良親王の、まさしく千頁、黒河内谷右衛編著の「全集」が此処にある。数十年昔に出版した甲陽書房主の石井計記さんが「謹呈」してくれた。書庫の奥に鎮座のママほとんど観たこともなかったが、この親王、南朝の天皇、親王方、忠臣らがほぼ尽く死去の跡に遺って北朝との戦闘また折衝にご苦労された。しかもこの大冊のほとんどを占める内容は忘れがたいまで清楚な中世「和歌」なのである。死闘をかさねて吉野ならぬ諸国を転戦、放浪されての和歌集であり、世界はあくまで花鳥風月への哀情。
いまこの本をよろこんで貰ってくれる誰一人も(和歌史家でもなくは)無いだろう。刊行の当時に「二万円」の定価が付けてある。過剰な再三とは思われない。
第一部の作品編は大半が和歌集である、「李花集」「信太杜 宗良親王千首」「新葉和歌集」。次いで「史料編」「伝記編」そして村松剛氏が解説ふうの跋にかえて親王を「論」じている。更に「年譜」文献」「索引」がついている。編著としては完備していて、しかもいかにも孤独にさびしくも「吉野朝・南朝」の運命とともに最期まで孤独に尽くされた。南北朝時代に触れて北畠親房の『神皇正統記』などとは別趣の証言であり、足利・室町時代へ歴史の動く最期の南朝側証言者なのである。古書の山なかで虚しく朽ちていい本でない。ことに「新葉和歌集」は良本のなかったのを苦心して信ずるに足る一書を得て伊勢を歴戦彷徨のさなかに詳細に整えられた良本に成っている。
後醍醐天皇の皇子としては、楠木正成らと気息をあわせ勇戦しつづけついに鎌倉で北条氏に殺された護良親王が名高いが、そのごは、ほとんど余儀ないながれのなかで南朝陣営の芯に立って日本中を転戦・彷徨したのが宗良親王だった。三種の神器を北朝朝廷にゆずって南北統一の衝に当たられた南朝最期の親王さんであった。

* こういう本にも一度目を向けてしまうと、目が放せない、が、私の余命はなかなかそれを赦すまい。不幸にして私の視野の内に、若々しく歴史へ向学・好学の若い人がらくには見あたらない。
2021 6/4 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ むらあやでこもひよこたま

☆ うしろから逆さまに読みましょう。
また今宵も来(こ)でやあらむ──。うーん。ちと、唸りますね。
遊女仲間の半ばあきらめた舌打ちでしょうか。
遊女の仲間同士と言いましたが、遊廓といった場所がこの時代にすでに在ったか、どうか。京の祇園島原や江戸吉原のような大遊廓はのちのちの話ですが、遊女には遊女の居る家戸(やど)のあったことはむろんで、いろんな便宜や好都合ゆえにそれが船着場や宿場の一部にかたまりやすかったのは、室(むろ)の津の遊君や、江口神崎の遊君などで早くから知られています。社寺の門前に参詣客をあてこんだ女たちの宿が、形ばかりの粗末な詫びたものであれ、在ったし在りえたことは、大和物語や、光源氏の住吉詣での昔から疑いない事実です。
「職人尽絵(づくしゑ)」の中に、立ち君、辻君の絵が出ています。「職人尽絵」の決定版のような『七十一番』ものの中で、家の中から女たちが客を招いています。これは『閑吟集』成立のわずか後の制作でしたから、この小歌、遊女が遊客を「また今宵も来でやあらむ」と怨みまじりに待つ風情と読んで、とくべつ時代錯誤ではなかったのです。
但し、遊女と限る必要はない。男をむなしく待つ女は、「世」の中にいろいろに在りえたからです。
2021 6/5 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 待つと吹けども 怨みつつ吹けども 篇ないものは 尺八ぢや

☆ 「篇ない」とは、甲斐ない、役に立たない、仕様がないの意味です。尺八は小歌の伴奏楽器ですから、これは待つ恋を謡った、分かりいい小歌のようです。しかし、「尺八ぢや」とこう断定的になげてみられて、そこで却って、おやと気がついて欲しい。こう「尺八」が貶められるのは、じつは条理に合わず、妙に八つ当りめく。それなら「尺八」でなくてもいい。何が憎らしくッてもよく、すると、一篇の小歌として急に底が浅くなる。「篇ない」歌になってしまう。
考えましょう、これは女の歌です。尺八は〝笛〟です。女が「笛を吹く」というのは、時に、相当に濃厚な愛戯愛撫の様態を諷しています。そういう用例は隠語、暗喩として寡くはないはずです。「尺八」という、長さに関係した楽器の名、笛の名が物を言わされていて、それを女がどう焦れて吹いても役に立たない。そんなジレンマがおかしく謡われていることを読み落としては、やはり「篇ない」ではありませんか。
2021 6/6 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 待てども夕(ゆふべ)の重なるは 変はる初めか おぼつかな

☆ 「夕」を、たいていの学者が、男の「来ぬ夕」ととっておられる。私は、これは安直な気がします。「夕」は刻限をあらわしている。しかもこの小歌のどこにも「来ぬ」という否定は表現されていない。むしろ「来なくなりはしないか」という「おぼつかな」さを謡っている。いずれ来そうな「心変り」の時をおそれ案じている。つまりまだ、男は「来て」はいるのです。
待っても待ってもやって来ない宵が「重なる」と取ったのでは、「変はる初め」どころか、もう「変は」っているではありませんか。「おぼつかな」どころか、もうダメなンではないですか。
「待てども夕の重なるは」とは、だんだんと刻限が遅くなって行くのはという意味でしよう。以前はもっと早くから来てくれたのでしよう。男はまだそれでも女の躰の魅力に惹かれて「夕」になると来てはいるのですが、女の愛は「躰」にだけあるのではない。もっと大きな安定を望んでいる。だから男に抱かれながらも、「変はる初めか おぼつかな」と、ひとりものを思ってしまう。男女の仲の微妙な瀬戸際を、これはまこと上手につかまえています。
二七八番。

★ 待てとて来ぬ夜は 再び肝も消し候(そろ) 更け行く鐘の声 添はぬ別れを思ふ 烏の音

☆ 別れの鐘、烏の声は昔から「嫌われ」ものです。「鐘の音」「烏の声」とあって欲しい表現ですね。ここの「鐘」には、おそらく年越えの除夜を撞く鐘の意味もあって、閑吟集もいよいよ「冬」の果てを感じさせています。「待て」と言っておいて「来ぬ」「添はぬ」「別れ」と、春にはじまった年の冬は、寂しい「鐘」に送られて──去ろうとしている。
そして、二八○番では「白雪」「薄氷」「降る雪の花」などの冬の景物を用いながら、最後には、「春もまた来なば都には 野辺の若菜摘むべしや 野辺の若菜摘むべしや」と、また「若菜」へもどって「回春」の願いを謡いおさめているのです。
閑吟集の「四季」は ここに一巡しました。
さて、次に「恋」の小歌の集がつづきます。閑吟集、大好き。
2021 6/7 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ つぼいなう 青裳(せいしょう) つぼいなう つぼや 寝もせいで ねむかるらう

☆ 閑吟集を象徴する「恋の名歌」とされています。何度も口遊(くちずさ)んで、まず感じをよくつかみたい小歌です。ふしぎな旋律をもっています。同音の微妙な反復や重複が意味以前の音楽をなしています。
「青裳」が、ひとつ問題です。このままだと合歓木(ねむのき)の別名で、それでも意味は成している。「青小」の含みをもたせると、これは小童のことですから、男同士の男色歌だとする説も出てくるのですが、そんな限定は、一篇の小歌の魅力を浅いものにしかねません。まして口調は女のものに思えますので、青裳にせよ青小にせよ、相手を年少の男性と私は取りたい。そこに「つぼい」という、「身も世もない可愛らしさの肉感」が迫ってきます。
しかし「つぼ」つまり「壺」は「女の性」の形容ですから、男が、年若いまだ「つぼみ」の少女の「からだ」をしんからいとおしみ耽溺の境に酔っているとも、読める。
この二人、ねむいもあらばこその身悶えの愛を今満喫して、なお余燼のつよさに身をよじっている。その堪らない五体の疼きが「つぼいなう」「つぼや」という呻きを喚び起こしています。しかも相手のさすがに疲労げな眉目(みめ)を見やって労(いたわ)っている。もっと起こしていようか、もう寝かしたがいいかと思い惑い、まだ飽き足りていない。「ねむかるらう」という優しげな母性と、すさまじい肉欲の魔性とがそこに交錯します。
「つぼい」は可愛らしい意味の千葉、茨城また長野地方の方言であるという解説が、よく付いてまわります。現にそうであるのでしょう。が、方言土着の一つの型としても、それがその地方にもともと独特のものというより、事情あって移入されたものの定着、遺存であるのかもしれませんし、「閑吟集の時代」には、もっと広範囲に感受され使用されていた共通語でなかったとは言えない。むしろ地域的に限定された方言だとすると、この小歌の語法などが他のそれと、そう異ってもいない理由が解きにくくなります。方言というより、これも閑吟集にふさわしいむしろ伝統の生きた語彙の一つと受取りたい。
すると、「つぼい」が可愛らしい意味でむろん構わない、けれど「可愛い」と言わず「つぼい」と言い表わす必然をも問うてみたくなります。
「つぼ」は壷、莟、局(つぼね)などを連想させますね。しかも、いずれも「女に縁」がある。桐壷、藤壷といえば後宮の一画をさす呼名であって、しかもその女主人の呼名でした。「花の莟」といえば処女の譬えですし、「お局さま」といい、転じて美人局(つつもたせ)などと書くのも、性の対象としての女人と無縁でないどころか、それそのものを指しています。            「壷」は容れものです。女は銘々に小さな壷を身の秘処に抱いている。平常はつぼんでいるものへ、時に物を受容れて用を足す。そういうことを「つぼい」「つぼや」という可愛さのほとばしった言葉が、含意していない道理がない。その壷が、進んで物を受け容れたまさしく合歓・青裳の喜悦が、思わず「つぼいなう」「つぼや」と叫ばせているのです。思わず知らずに甘えた女の、誇らかに満ち足りた充実感が、性の自覚が、「つぼいなう」「つぼや」なのです。
これを男の歓喜の声と取りうるゆとりもこの小歌、十分持ち合わせています。だから「ねむかるらう」を、男が女を労るのだと諸本が解釈しています、が、性愛の反復で、ねむさと疲労とに参るのは、概して男の方なのでは。こんな場合少女は似合わない。女は年増であれ少女であれ、「寝もせいで ねむかるらう」という顔はしそうにない。似合わない。さっさと寝ているか、ガンと頑張っているか、でしょう。
それより「青小=小童」を恋の相手にした年かさな男を想ってみるのが、逸興です。「待てよ」と耳もとへ囁かれたまま「寝もせいで」待っていてくれた小童の前で、息をはずませて「つぼいなう」「つぼや」とうめく男色の大人。これも捨てがたい耽溺の一境地。そういう「解」が十分に成立つ小歌です。この際の「青裳」はあくまで少年です。いやいや逆に言うと、やはり年かさな女の方から年若い少年のところへ、すでに来てもう床の中にいるか、じつは今しがたかけつけたという読みの方が、なじみます。
「つぼいなう」は、女でないと口に出せない、語感ならぬ体感そのものです。「莟」と書けばむしろ少女の「つぼみ」よりも少年の性器に近いという用例もあります。
つぼいなう 青裳(せいしょう) つぼいなう つぼや 寝もせいで ねむかるらう
2021 6/8 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ あまり見たさに そと隠れて走て来た まづ放さいなう 放してものを言はさいなう そぞろ いとほしうて 何とせうぞなう

☆ 「恋しとよ 君恋しとよ ゆかしとよ 逢はばや 見ばや 見ばや 見えばや」という絶唱が梁塵秘抄の四八五番にありました。閑吟集はおおむねこの続篇で、とくにこの小歌は 「あまり見たさに そと隠れて走て来た」とつづく。二八一番をしばらく念頭に置いていてください。そしてその先が、閑吟集のまったく独擅場なンです。
待っていた方は、いきなり抱きついてくる、のを、まァまずは放して息を入れさせてよ、言いたいことが沢山ある、それからさきに言わして頂戴と。とは言え情はせまってきます。「そぞろ」とは 情の波が高まってくる感じを謂っている。「何とせうぞなう」とは、もう言葉に替えようがない表現です。
この歌のあとへ、前の「つぼいなう」「寝もせいで ねむかるらう」をつづけても面白いわけですね。ところが、編者はそうしなかった。二八一番が、やはり閨房での喃語だからではないでしょうか、顧みてまたそう思われます。この二八二番とのつづきは、順序どおりに、次の二八三番を読むべきです。
2021 6/9 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ いとほしうて見れば なほまたいとほし いそいそと 掛い行く垣の緒

☆ 男が訪ねて来た。女はいそいそと錠のかわりの垣の緒を掛けに行く。人に邪魔をされたくない逢う瀬のよろこびが纏綿しています。

★ 憎げに召さるれども いとほしいよなう

☆ この場合の「召さる」は、ことさらお呼びよせになるとはっきり取るより、広く、「なさる」「振舞われる」の意味でよろしいはずです。わざとあたしの気もちを知らぬふりして憎らしそうになさる(着る、食う、飲むなど)けれど、そんな容子からもまた愛情はかえって伝わってきます。だからあたしも愛しくて。恋しくて……と、女は絶句しています。幸せそうな歌いぶりですね。
2021 6/10 234

* 伊藤鶴松著『歌舞伎と近代劇概論』をみると、随所に、一段と小活字で、名だたる歌舞伎演目の「あらすじ」が語られていて、実際の舞台に観入るよりはるか以前、明らかに幼少の昔に、近松作(だけでも53作の題があげてある。)の「心中天網島」「冥土の飛脚」「夕霧阿波鳴戸」などのほか、時代を追って「寺子屋」を芯に「菅原伝授手習鑑」の大要や、「伊賀越道中双六」の「沼津」や、紀海音の「八百屋お七」、また並木宗輔の「刈萱桑門」 並木五瓶の「五大力恋緘」「鈴ヶ森」、また四世鶴屋南北のおっそろしい「四谷怪談」等々、ことこまかに読ませてくれて、恐がりの私には字で読むだに怖い恐ろしい舞台の筋書きや役者などが、まこと親切に紹介されていた。もう明治へも手の届いてくる黙阿弥劇の「鼠小僧」「十六夜清心」「三人吉三廓初買い」「弁天小僧女男白浪」「切られお富」等々、かぞえきれないほど多くのあらすじが巧みに小活字で語られていて、いわば小説や講談をこのお堅いつくりの一冊で、一杯読めるのと同じだった。
高校生になって初めて南座で顔見世の芝居を観るよりはるかに早く、疎開前の国民学校、疎開先から帰京しての戦後小学校、新制中学の内に、贅沢なほどたくさんな芝居の筋や役者らの名を、たとえ朧ろにも。実に面白くも怖くも、私はもう覚えていた。
これもまた、祖父か父かと限らない「秦家」に「もらひ子」されての天与の耳ならぬ目での学問だった。どう感謝してもあまりある恩恵だった。私自身は祖父にせよ秦の父や叔母や嫁いできていた母にせよしこしこと読書している図は皆目覚えがない、のに、間違いなく「寶」と呼びたい本が、少年の目に無数に近く蓄えられていた。
叔母(宗陽・玉月)は「茶の湯」と「生け花」とを私に教え、「和歌」「俳句」という歌の作り方を寝物語にも教えてくれた。父は観世流「謡曲と能舞台」への道をつけてくれた。
その有り難さを、私は八五年もかけて、今、しみじみと感謝している。
2021 6/10 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ 憎げに召さるれども いとほしいよなう

☆ この場合の「召さる」は、ことさらお呼びよせになるとはっきり取るより、広く、「なさる」「振舞われる」の意味でよろしいはずです。わざと、あたしの気もちを知らぬふりして憎らしそうになさる(着る、食う、飲むなど)けれど、そんな容子からもまた愛情はかえって伝わってきます。だからあたしも愛しくて。恋しくて……と、女は絶句しています。幸せそうな歌いぶりですね。
二八五番は、対話で成っています。

★ 愛(いと)しうもないもの 愛ほしいと言へどなう ああ勝事(しょうじ) 欲しや憂(う)や さらば和御寮 ちと愛ほしいよなう

☆ 「欲しや憂や」が、あまりはっきりしないのが焦れったいのですが。
先ず女から、可愛くもないあたしをいくら可愛いと言うてくれても、「おお笑止」と男を挑発します。歌舞伎の舞台なれした人なら、「おお笑止」という嘲弄の科白はおなじみです。
これに対し男の方は、可愛いが「笑止」なら、お前は「ちと=ちょっとだけ」可愛いよと割引して、やり返しています。
「欲しや憂や」は、たぶん男の側から女の「ああ勝事」に対抗する科白かと思われます。わざといやみをいう女をなお「欲しい」と思いつ 「いやな奴め」と思いつする気持を、ひっくるめているのではないでしょうか。
二八六番。

★ いとほしがられて あとに寝(ね)うより 憎まれ申して 御ことと寝う

☆ 「御こと」は敬語の二人称ですね。男とも女とも、どちらで読んでもよく、「あとに寝うより」は、あとで「独りで」寝るよりは、と意味を補って読めばよろしい。なかなか面白う口説いているわけです。
「いとほし」「憎まれ」の対比は、本当はこの小歌のような対句に結びつかないはずなので、それを敢えて言い出すところに、男女の仲にあまい甘えがすでに可能になっているわけでしょう。「いとほしがられて」や「御ことと(今)寝う」が、言いたい本音なのでしょう。
二八七番。

★ 人のつらくは 我も心の変はれかし 憎むに愛ほしいは あんはちや

☆ 「あんはちや」は「ああ恥や」と取っておきますが、表記にも解釈にも幾説もあります。向うが冷たくなったのだし、此方も心変りがしてやりたいのに……憎まれていながらあの人が愛しいなんて。ええい恥辱……と舌打ちしているのです。
二八九番。

★ いとほしいと言うたら 叶はうずことか 明日はまた讃岐へ下る人を

☆ 或る解に、「いとおしいと言ったら、かけた思いがかなわないことがあろうか。明日は再び讃岐へと下ってしまう方を」とあるのは、前半の取りようが逆でしょう。「いとほしい」とさえ言うたから「叶」う願いならばいいのだが、もう叶う話ではないのです、という意味でないと通らない。これは切ない湊の別れ歌です。
2021 6/11 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  愛欲と孤愁 そしてめぐる春

★ われは讃岐の鶴羽の者 阿波の若衆に肌触れて 足好(よ)や腹好や 鶴羽のことも思はぬ

☆ 「われは」と謡い出し、「讃岐(香川県)の鶴羽」「阿波(徳島県)」と地名をよみこんでいます。例はあるが、閑吟集ではむしろ珍しい。船乗り同士の男色と読んでいる人もありますが、微妙なところ。

★ いとほしいと言うたら 叶はうずことか 明日はまた讃岐へ下る人を

☆ の前歌を受けるなら、「阿波の若衆」をいっそ遊女と読むのが分かりいいのですが、「若衆」の用例はやはり男の場合が多い。
それでもなお、「鶴羽のことも思はぬ」は、鶴羽の女が、鶴羽の土地で「若衆」に触れて思う思い方ではない。男が「阿波」へ出むいていてこその 「思はぬ」 思い出さぬ、のではないでしょうか。
私は「阿波の若衆」を阿波の美い女の意味に読んでおきます。
「足好や腹好や」は「肌触れて」の満足感です、何をか言わんやという露わな表現です。
2021 6/12 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

★ うらやましや我が心 よるひる君に離れぬ

☆ これは面白い。我が身と我が心とをわざと切離して、我が身に身を寄せつつ、我が心を羨んでいる。よるひる君に離れぬ「心」を苦しいと思うのが、万葉集の昔から恋の感情でしたが。性の目覚めが十二分に深まっていることを思わせます。身近にいたい。それがこの時代の「世」の仲でした。そして今も。
二九二番。

★ 文は遣りたし 詮方な 通ふ心の 物を言へかし
☆ 「詮方な」とは、どう仕様にも手だてがないという嘆息です。幸い「心」は通うている。遣れない手紙に代って、わたしの恋心よ、あの人に物を言うておいでと願う。いつの時代の恋人たちにも通じる、やるせない、けれど巧みな歌いぶりですね。
二九三番。

★ 久我(こが)のどことやらで 落といたとなう あら何ともなの 文(ふみ)の使ひや

☆ 「久我」は山城国(京都市)の南によった地名です。文使いがだいじな恋文を落としてきたという。「あら何ともなの」は、まァどう仕様もない人ねえと呆れている。自分の文より恋人の文を落としてきたと読む方が、気がもめて歌が面白くなる気もします。どっちでもいいことですが。
さすがに、えり抜きの「恋」の小歌の数々、なかなかに味わいのある作がつづきましたね。
2021 6/13 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  暗転の不安 そして恋の歌謡

☆ 『隆達唱歌』の小歌は、およそ時代も天正頃(一五七三-一五九一)に、名も高三隆達の手で主に作詞作曲され、一世を風塵どころでなく、遠く江戸末期の歌沢節や近代詩歌の創作にまで余響を誇るものとなりました。よく知られた、

★ 君が代は 千代にやちよに さざれ石の 岩ほと成りて 苔のむすまで

☆ は、隆達唱歌の劈頭を飾る小歌で、ここにいう「君が代」は、天皇や主君をさすというより、一般に「あなた」の御寿命は、と祝う意味になる。この歌じたいは隆達の創作でなく、先蹤のあるものです。また、

★  種採りて 植ゑし植ゑなば 武蔵野の せばくやあらん わが思ひぐさ

★  君ゆゑならば雪の野に寝よよ よしや此の身は消ゆるとも

★  叩く妻戸は開けもせで 先づは明けたよ ほのぼのと明けた

☆ などの歌が含まれています。総じて閑吟集のそれより一段と歌詞の整理がすすんで、情緒も淡泊ですが、その分、品よくととのった優しみが人気を呼んだのでした。
狂言小謡は閑吟集にも幾つも採られていましたが、

★ あわわあわわ てうちてうちあわわ かぶりかぶりかぶりや めめこめめこめめこや やんまやんま棹の先に止まり やよ 雁金通れ 棹になつて通れ 往んで乳飲まう 乳飲まう

☆ と、乳呑み児をあやす噺し詞など、今だに京都の町なかで耳にしますし、

★ よその女臈見て我が妻見れば 我が妻見れば 深山の奥の愚痴猿めが 雨にしよぼ濡れて ついつくばうたにさも似た

☆ などと、にくたらしいのもあり、閑吟集は、これらから相当慎重に、編集の意図をよくよく貫いて精選されていたことが、改めて、認識されます。
2021 6/15 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  暗転の不安 そして恋の歌謡

☆ 私たちは、かりに閑吟集小歌をいかにも面白う読んでいる時も、同じ時代に他方で平曲や謡曲などの異なる藝能も広く愛好されていた事実を、頭のすみに心得ていたいと思うのです。あれもあり、これもある。そういう多彩な多面性こそ「中世」が「古代」と容子を異にする歴史的な特色なのですから。
すでに、人買い船の小歌を読みました。人買いといえば私たちは山椒大夫という物哀しい説話を知っていますが、これを語った簓説経も、やはり閑吟集の時代を受けつぐ勢いで、中世の末期には民衆を感涙にむせばせたものでした。
以下は・わが子安寿と厨子王とを遠退く舟に奪われて、自身は子らの乳母「うわたき」と二人、海上を別の方角へ売られて行く母御台の、悲痛な叫び声です。

★ 「やあやあいかにうわたきよ、さて売られたよ買われたとよ、さて情なの 太夫やな、恨めしの船頭殿や、たとえ売るとも、買うたりとも、一つに売りてはくれずして、親と子のその中を、両方へ売り分けたよ悲しやな」  宮崎(西国船)の方をうち眺め、 「やあやあいかに姉弟よ、さて売られたと よ買われたぞ、命を庇へ姉弟よ、またも御世には出ずまいか、姉が膚に掛けたるは、地蔵菩薩でありけるが、自然姉弟が身の上に、自然大事があるならば、身替りに御立ちある地蔵菩薩でありけるぞ、よきに信じて掛けさいよ、 (以下略)」

☆ やがて絶望した「うわたき」 は、

★  舟梁につつ立ちあがり、しゆへんの数珠を取り出だし、西に向つて手を合 わせ、高声高に念仏を、十遍ばかり御唱へあつて、直井の浦へ身を投げて、底の藻屑と御なりある、御台このよし御覧じてさて親とも子とも姉弟とも、 頼みに頼うだうわたきは、かくなり果てさせ給ふなり、さて身はなにとな るべきと流涕焦がれて御泣きある。

☆ 平曲や謡曲の詞にくらべて、簓といったひなびた竹の楽器を伴奏に、格段に庶民の肉声が同じ庶民の耳に胸に、ひしひしこたえて響くふうに語っていますね。どういう調子で語りかつ謡ったものか私にはしかと判じかねますものの、やはりこの線上に近世の浄瑠璃や近代の浪花節を想っていけなくはないでしょう。
何にせよ閑吟集の小歌とても、前後する同じ時代に孤立した歌謡でも藝能でもなくて、周辺にかくもいろいろの語り物、謡い物の存在を自覚しながら、言わず語らずにそれらとの交流交渉をもっていたわけです。それを承知し、その上で室町小歌なる特色を主張するのでなければ、いけなかろうと思います。
2021 6/16 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

☆ 何と言っても閑吟集小歌と括抗するのは、その一部分を採ってあるというものの、宴曲と謡曲でしょう。平曲や太平記のような叙事的な語り物や説経節を、直にとりこむことはなかったのですが、早歌(宴曲)や大和節、近江節また田楽節などの謡曲は、閑吟集編者が吟詩句などとともに、大きな取材源として注目していたことは確かです。
出典未詳の謡曲、大和節ですが、ここで改めて七四番を挙げておきましょうか。

★ 日かずふりゆく長雨の 日かずふりゆく長雨の 葦葺く廊や萱の軒 竹編める垣の内 げに世の中の憂き節を 誰に語りて慰まん 誰に語りて慰まん

☆ また一四○番は、曲名不詳の田楽節謡曲から採っています。

★ 今憂きに 思ひくらべて古への せめては秋の暮れもがな 恋しの昔や  立ちも返らぬ老の波 いただく雪の裏白髪の 長き命ぞ恨みなる 長き命ぞ恨みなる

☆ こう口遊むだけで、謡曲がおよそ小歌と調子のちがう詞章であるとよく分かります。それにもかかわらず、閑吟集の全体に巧くなじむように気を遣って選ばれている。これも、よく分かりますね。
2021 6/17 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ お堰(せ)き候(そろ)とも 堰かれ候まじや 淀川の 浅き瀬にこそ 柵(しがらみ)もあれ

☆  「堰く」は、水の流れをせきとめるのですから、川や瀬に縁の言葉ですが、ここはいくら二人の恋路を堰こうとしてもムダですよと主張している。恋を堰くしがらみ(堰堤=えんてい)は、あの淀川ではないが淀んで勢いのない瀬にこそ可能でしょうけれど、わたし達のように勢いづいた恋の川が、どうして堰きとめられますものか……と。お熱い恋人同士が意気軒昂といった歌声でしょうか。

★ 来し方より 今の世までも 絶えせぬものは 恋といへる曲者 げに恋は曲者 くせものかな 身はさらさらさら さらさらさらさら さらに恋こそ寝られね

☆ 「さらに恋こそ寝られね」が可笑しいですね。説明の要もない内容です。恋をしていると、何かの歌にも謡われていたあの笹の葉に霰ふる、さらさらさらの音にさえ眼が冴えて、とても寝られないと、独り寝を謡うのか。そうではなくて、身は「さらさらさら」とすべて脱ぎすてて、こんな逢う瀬に、寝てられるものですかと 共寝を謳歌しているか。
2021 6/18 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 詮ない恋を 志賀の浦浪 よるよる人に寄り候

☆  恋を「し(志)」と懸かり、浪が「よる(寄る、夜)」とも言葉が懸かって繋がります。しょせん成らぬ恋の波を立てては、夜ごと思う人のもとへ寄って行くのですがと、「詮ない」恋を嘆く小歌ですね。男の歌とも、女の歌ともとれ、男女によっては「寄る」の意味が、通って行くとも、閨の内で迫るとも変わります。
女の場合ですと、「恋」とはあるものの、つれない夫へ、妻の「よるよる」「寄り候」と読みとりますと、また感じが一段深まる気もします。
「志賀」は近江の国、「近江」は「逢うて見」る意味に懸けて読む習いがあり、すると、男が女のもとへ(たとえ思う遊女なりとも)通うて、逢うて、けれど「詮ない」恋に受けとれます。
それとても女に逢うて帰る男の、いささかキザな凱歌めく口吻でもあるのが、微妙なところでしょう。

★ あの志賀の山越えを はるばると 妬(ねた)う馴れつらう 返す返す

☆ 京都の白川と、近江国とを結んで志賀峠を越えて行く古代の道があったのです。が、そんな実の山道というよりも、やはり前歌で言いましたとおり、「逢う見 = 近江」に女のもとへ山を越えて男が通う。自分の夫が出かけて行く。それを妻が嫉妬しているのです。狂言や歌舞伎の『身代(みがはり)座禅』を思い出します。
嫉妬の歌が閑吟集では奇妙に寡い。これはいっそ珍聞に属する小歌です。思う男(夫)とよその女の馴れあうさまを想い描いて「返す返す」憎く妬ましいのでしょう、が、読みようでは「寝度う馴れつらう 返す返す」といやが上に濃厚に想像し、激烈に嫉妬している辛さともとれます。「はるばると」「返す返す」の繰返しが対応して、女ごころに、ふっと物憂いあきらめももう混じっていそうな気もします。
二九八番。

★ 味気なと迷ふものかな しどろもどろの細道

☆ もとより迷う恋路の細道です。「しどろもどろ」の自覚がある。「迷」っている自覚もある。しかも引き返せないで迷いつづけている。それは「味気な」い、気はずかしい、辛い、憂いことと承知でいて、いちまつ迷うことにさえつい満たされている物思いもあるのでしょう。
恋から人生へ、趣を移し広げて読むことの可能な、半ばもう醒めている夢ほどの、寂しみももった小歌です。
2021 6/19 234

* 尻を打つように、「湖(うみ)の本 153」の再校が出てきた。読み始めたが、感傷にせまられるほど古典の歌や句のよみが懐かしい。こんなふうにほぼいつも往時を生きてきたいい「ことば」に振れ続けわたしも生きてきた、来れた。幸せだ。
わたしは感傷という二字を生来うけいれつづけてきた。やがて、生涯の文藝を一と括りにするように歌集『少年前』を刊行するが、「感傷と観照」と副題した。そして老来最近の歌くずをただ拾って束ねて『閇門』と題しておいた。「ともん」とは、門をしめ、とざすのである。
2021 6/19 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ ここは何処 石原嵩(たうげ)の坂の下 足痛やなう 駄賃馬に乗りたやなう 殿なう

☆ これは珍しく、まことに素直な男女の語らいそのままで、しかも「殿なう」ねえェあなたァと甘えてせがむ若妻か、恋人か、妹かの声音ばかりか道なかばでの姿態までが、生き生き再現されています。
「石原嵩」を岐阜県は関ケ原近在の実の地名と拘泥する必要なく、むしろ、石の多いごろた道の難渋を想ってみる方が大切でしょう。宿駅に備えた駄賃馬は、こういう際にはありがたい旅の乗物でした。「殿」は、えらい殿様のことでなくて、女から男への親しい敬称でした。
ふしぎに心なつかしく、いい感じに迫ってくる、歌らしい歌に思えます。ところが、つづく三○○番を読むと、またべつの感じが加わります。
2021 6/20 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ よしや頼まじ 行く水の 早くも変はる人の心

☆ もしもこれを、プンと怒ってすねている女の歌と読むと、前歌の、駄賃馬をせがんで甘えた女のそぶりに、わざと知らんふりの男の顔が可笑しく見えてきます。新婚旅行などという洒落たことはしない昔でしたろうが、かりにそれに近い道行を想像してみると、この深刻そうな小歌が、他愛ない痴話喧嘩の口説(くぜつ)とも、なり変わって読めますのが、面白い。この辺は、閑吟集の一つの効果でしょう。
但しこの小歌に限って読めば、いっそもう類型的な、定まり文句じみてもいます。
「早くも変はる」という一句に注目しましょう、むしろ遅きに失したかも知れないのですが。
「早く」は、これも閑吟集の鍵言葉の一つと読んでいい。例歌は、幾つでも拾い出せます。何かにつけて、ものごとが迅速に、束の間に、さっと、ちろりと、来ては過ぎて行く。その、「印象」という以上の「実感」を閑吟集歌謡の内に生きた男女は、例外なく抱いていたのにお気づきでしょう。それは王朝人が夏の短夜を惜しんだ程度の「早くも変はる」とは質のちがう迅速への嘆息でした。こと定まらぬ乱世を、いろいろに反映しての「早くも変はる」という厳しい見定めでした。
そう変わってははかないし、頼りない。けれど、必ずしもわるく変わるばかりではないという希望のもてるのも、この状況でした。必ずしも「早くも変はる」世の中に対し、泣いて嘆いて愚痴ってばかりはいなかった男女の生き甲斐のようなものも、それなりに閑吟集から認知していいでしょう。
2021 6/21 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 人は何とも岩間の水候(そろ)よ 和御寮の心だに濁らずは 澄むまでよ

☆ この三○一番は、二九九番の女の甘いせがみを受け、三○○番の女のすねた甘えをまた受けて、「しやっとした」男の、綺麗な返事と読めますのが、面白い。
「何といわ(言は)ま」と懸けてある。何とお前さんが言おうとも、俺の心は岩清水のように清いものさ。お前がそうドロドロした気分でふくれてない限り、いつも澄んだ思いでお前のことを俺は好いているさ。そんなふうに言い返している感じ。
むろん同じことを、まるで別の状況にあって男が言い、また女が男に言っても十分通じます。好きな小歌です。
2021 6/22 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 恋の中川 うつかと渡るとて 袖を濡らいた あら何ともなの さても心や

☆ 「中川」という名の川は問題でなく、恋の仲という懸け言葉を利かすのが狙いです。むろん「川」は「渡る」「濡らいた」の縁語です。「袖を濡らいた」を、ただ泣きの涙と取るばかりでなくて、恋のもっといろいろのアクシデントと取っても、よろしいでしょう。が、興趣は 「あら何ともなの さても心や」にある。
「あら何ともなの」に類する表現が、『閑吟集総索引』によると、五○・五一・一二七・二九三番そしてこの三○二番に重複しています。「何ともな」いは、今なら、大丈夫、心配ない、怪我はない、無事である、などの意味になりましょうが、閑吟集では、そういう語感じゃない。どう手の施しようもない、力及ばない、なさけない、まいった。そんな感じに使われています。これもすぐれて閑吟集らしい、ひいては室町時代らしい述懐ではなかろうかと思います。
恋になやむ、恋にはしる、恋に陥る、恋に袖を濡らすだけでなくて、多くの「世事」「人情」において我からのめりこむ我が「心」のあてどなさを、どうあっても制御しきれない、うまく舵がとれない。そういう嘆息が 「あら何ともなの」でしょう。
もっとも、昨日の、「早くも変はる」と同様に、だから失望し落胆し ものごとをなげて見捨てているというわけではない。そうあわてて誤解したくはありません。
2021 6/23 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 花見れば袖濡れぬ 月見れば袖濡れぬ 何の心ぞ

☆ なぞなぞ問答です。問われて、答えますと、「その心は」とまた問われる。答えの寓する意味を重ねて訊ねられているのですが、ここは「何の心ぞ」の問いに「恋ゆえに」と答えても、それだけでは一応の返辞の域を超えていない。
何とまァこのわたしの「心」というやつは。そう呆れた「あら何ともなの」という嘆きをこの小歌は謡っているので、袖の濡れる理由や原因を問うているのではなかろうと思います。
自分の、どうしようもない「心」に、自分で呆れて吐息をついている。そこを読みたい。
次、三○六番。

★ 難波堀江の葦分けは そよやそぞろに袖の濡れ候(そろ)

☆ 難波の海から堀江の葦をそよがせて、舟で溯る。それは、障りの多い難儀なことだったようです。ものの譬えにも「難波堀江の葦分け」は、容易ならぬことを意味したのですが、ここは、その譬えをも恋しい人のもとへ心せく者の心象風景にとり入れています。
「そよやそぞろ」にと葦分けの物音を重ねて、露と涙とを「濡れ候」にふくませています。
むずかしい恋路を謡って、たいした巧さです。
三○七番。

★ 泣くは我 涙の主(ぬし)はそなたぞ

☆ これ以上の簡潔は望めません。「主」とは、涙を流させる原因、加害者、つまり恋しい「そなた」だというのです。
2021 6/24 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ をりをりは思ふ心の見ゆらんに つれなや人の知らず顔なる

☆ 和歌の調子ですが、和歌と眺めてはつまりません。
どんなに冷淡な人であっても、それだっても、たまには此方の気持が察しられそうなもの。なのに薄情もの。いッつも知らんふりしてるよ、と、愚痴っぽい。
それでそこを一つとびこえて、男女の仲のいい、言いがかりとまで読んでみるのは、どんなものでしょうか。
2021 6/25 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 昨夜(よべ)の夜這ひ男 たそれもよれ 御器籠に蹴躓いて 太黒(ふとごろ)踏み裂く 太黒踏み裂く

☆ 本によって詞句に多少の差がある。二句めが「たそれよもれ」または「たそれたもれ」とあって意味不明なンですが、臼田甚五郎氏の解にしたがって、「だいそれたもの」と、まずは取っておきます。それでも、難解です。
「御器籠」は食器籠なみに読みましても、「太黒」が分かりにくく、全体に「夜這ひ男」のあやしさにうまくつなぎにくい。臼田氏はこう現代語訳されています。
「昨夜の夜這い男は、けしからぬ奴だ。御器籠にけつまずいて、踝を踏みつぶしたよ、踝を踏みつぶしてしまったよ。」
「太黒」を「踝(くるぶし)」とは、苦しい。しっくりしない。これは、やはり「夜這ひ」に相応の「けしからぬ」寓意が「御器籠」や「太黒」に龍めてあるとみた方が、率直です。
いずれにしても 「御器」も、それらを容れる「籠」も、ともに「容れもの」です。妙にご大層な、鈍重な、大きな容れ物めく印象を滑稽に与えながら、「男」が夜這いに近寄った「女」性のシンボルを嗤っているフシがある。「蹴躓く」という、むろん暗闇に関係したらしい表現のかげで、これはどうも「女」のどうしようもない感じ・寝相などを喋(わら)っているのだと私は想像します。こんな女か、しまった、と、鼻のあかい末摘花を抱いてしまった光源氏よりまだ品のない悔いの感じが、「蹴躓いて」に出ています。となれば、「太黒」は、「だいこく」と訓んで僧侶の女房かと持ってまわるより、端的に太くて黒い短い大根脚か、とてもゾッとしないが「夜這ひ」の「男」性自身を見てとった方が面白い。「踏み裂く」は、ありえそうになくてありえた、女の悲鳴か、男の己れ自身に対する粗相と想えば、滑稽感が横溢してきます。笑ってしまいます。
こうなると、「たそれもよれ」を、「だいそれたもの」と強いて分かりよく訓み直さずに、奇妙に可笑しな囃し言葉ふうにそのまま温存する方が、適切。「太黒踏み裂く」を二度繰返すのも、囃し立てて嗤う感じです。
おそらく、そうまで読むのは読みすぎだと、反対を唱えられる方もありましょう。けれど、それは、私が必要上(と言うのも、時代の隔たりもあり語感の跡切れもあって、現代人である私どもに理解がついつい届きかねるのですから)すこし露わな物言いをしている、それへの嫌悪感がつい顔に出るのでしょうが、小歌そのものは それほど露骨でも嫌味でもない。昨今の週刊誌や女性雑誌の見出し文字の、趣味も雅致も差恥心もないあんなえげつない刺激的表現から比較すれば、まことに閑吟集のエロチシズムなど、すぐれてポーノグラフィックな内容ではあれ、小憎らしいくらいに美しく、あるいは穏やかに言い表わされています。三○九番の「太黒踏み裂く」など、例外です。
それに、もう一度、閑吟集の編集方法をよく思い出していただきたい。ここへ来て、三○九番から結びの歌、大尾をなす小歌の三一一番までの三篇は、「御器籠」「花籠」「籠」が共通の「連想語」でして、ことに三○九番は、つづく三一○番へ親密に意をつなぎ、逆に言えば三一○番は三○九香の「籠」の意味を、明らかに受けとろうとしている。それが閑吟集の原則で、前提で、約束なンですから、当時の読者もここまで読み進めばそれを疑う人はいませんでした。現代の私どもも、もう否認はできません。
私の三○九番の読み、少くも「御器籠」の放埒なほどの解釈は、次の三一○番によってつよく支持されている気がしますが、さて、その美しい小歌三一○番を、ともあれ読んでみましょう。

★ 花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な
2021 6/26 234

☆ (前略)
御作『少年前』も『閇門』も共にお出来映えよく、 小生 心から感銘致しました。
前者は天才少年のあきれて仕舞うほどの上手さです。ほんとうに驚きました。少年にして早くも抑制のよく利いた言葉のありようは、これはもう天性のものと断じてよいです。清潔感に溢れたことばの根にある「清らか」さ。この感性も亦、まことにいいです。感心しました。
『閇門』はひと言で申したら文人の作、文人の歌です。秦先生のお作を拝見して、小生 愉しかった! 幕末の歌人、国学者、橘曙覧の詠み口調を憶い起こされもした余裕のあるい文人の詠です。 ことばに遊び、歌に遊ぶ。これはもう立派なことばの芸です。
文人たちの歌と言ったら、直ちに、中島敦、壇一雄、井上靖が思い出されます。詩人では立原道造、堀口大学、宮沢賢治などもーー。しかししかし、秦先生のお作はこれらの文人とは似て非なる詠風の歌です。
これを批評家風に説き明かすのは恐らく楽しい作業でしょう。只今は中途半端ですが、いつかこんなことを小生談じて見たいと思っています。

破れかぶれの非道い手紙になりました。書き直すこともて出来ません。悪しからずどうかお読み捨て下さい。 これは小生のヘンなお詫び状です。書きなぐりの可笑しな手紙です。呉々もお許しの程願い上げます。不尽  六月廿五日    **書院主
秦 恒平先生

* 現代歌人の歌集を無数に刊行されてきた人のお手紙である。ひとまず、やれやれと胸に落ちて、有り難い。
2021 6/26 234

* なんとか「書斎での事態」を新ためたいと、見込みの乏しいあれこれを試みて。何とかして手周りを広げ気を替えたいとも、など思いつつ、ツイ目について手にした、千頁余、定価二万円もした昭和六十三年刊の大冊『宗良親王全集』を「伝記」編から読み始めてしまった。
幼少期、國史に触れた初期は「神代」にいで「源平時代」と「南北朝時代」に溺れていた。尊澄法親王こと宗良親王晩年の孤独な戦闘遍歴も胸に淡く刻印されていたので、じつに、七十余年も後の再会なのである。
この親王は、鎌倉で殺されてしまう三歳兄で武辺猛烈の護良親王と異なり、じつに心静かに豊かな佳い「歌人」であられた。しかも傾いて行く「南朝の支え」として最期の最後まで静かに且つ毅然と戦地を遍歴された。
なんだか、思い依らず、たいへんな世界へ、私、またまた、いまごろ、踏み入るようで少しく狼狽きみである。
2021 6/26 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な

☆ これこそは、傑作です。名作です。
表面の意味は字句の通りで、はや五百年近くを隔てても、とくべつ説明は要らない。が、この一篇の小歌に対し、「花籠に月を入れて、これを漏らすまい、曇らすまいと、心にかけて持つのは大切なことです」といった鈍い訳をつけただけで済ませていいとは、到底思えない。
「大事な」という詠嘆ふくみの断定に値するには、これだけの理解では、あまりに軽い。寸が足りない。
学問に身を入れる方が、核に反対する方が、金儲けの方が「大事」だよ、といった「由」ない比較に持ちこまれた際、低次元の知解や義解にもちこまれた際に、右の理解ではとても比較にもならなくなり、せっかく「花寵」の表現の美しさが、泥まみれの踏みつけにされてしまいます。そんな俗な比較を峻拒するほどつよい意味を、この小歌から断乎として読みとるのが「大事な」のです。
むろん一応の現代語訳を右のように付けておいて、訳者の臼田甚五郎氏はさらに注釈を加え、こう付言されています。「性愛を美しい比喩でうたいあげている。『閑吟集』一巻の構成を連歌百韻のそれに学んだものとすると、ここは挙句の直前の句で、『花の定座』に当たる」と。
浅野建二氏も、「女自らを花籠に、愛しい男を月に喩へた」とされています。が、「性愛」の比喩とは言われず、「漏らさじは浮名を漏らすまい、曇らさじは男の心を曇らすまいの意。男女反対の立場からも解さる」としておられます。
志田延義氏もまた、「花籠は女自身、月は愛する男の隠喩。月(男のこと)を漏らさじ、月(男の心)を曇らさじ」と解釈され、「漏らさじ」「曇らさじ」と韻を踏む点を指摘されています。
代表的な研究者三人の理解が、このようにして小歌の表面の表現を超えて、「比喩」「隠喩」に「男女の仲」を捉えている事実は動きませんし、私も、当然のことと思います。「喩」の深みを、どこまで探るかの問題だけが残るわけです。
臼田、志田両氏の物言いは「性愛」「女自身」「男」などと微妙です。私の方で率直な感想を言うと、どうもお二方とも歯切れがわるい。いっそ浅野氏の、浮名を「漏らさじ」心を「曇らさじ」という解釈の方が、「挙句」になる三一一番の歌意を誘って適切かつ明快とさえ言える位です。
が、もはや私にも先入主がありまして、この浅野氏の解では、物足りません。もっと徹して読みたい。
この歌は、けっして男が、または女が、一方的な感じで謡っているのではありません。男と女が「世」のただ仲に在って、むしろ力を協せて謳いあげている歌です。
「もつ」は、保つ、維持する、持続する、持ちこたえるという含蓄です。それを男と女とが双方から協力してする、のが、「大事」なのです。むろん「漏らさじ」「曇らさじ」も、それぞれに、男が願い女が思うことで、「心」が曇るなどと観念的なことではない。まさに目近に眼と眼、唇と唇、眉と眉とを近づけ合うている男と女との顔色を互いに「曇らさじ」と努めるのでなければならない。胸と胸とを重ね合わせた「世」の仲にあって、顔色が曇るとは、或る不如意、不満足、不十分な成行に気が萎え気が滅入るということでしょう。ものごとは、具体的に手強く把握するのが、いい。
「花籠」は、女の性器の譬えです。「月」は男の性器の譬えです。「入れて」は二人が結ばれた状態です。「漏らさじ」とは満たされた状態の持続と高潮とを望む、双方の願望です。
これでこの小歌を介して美しくも美しく合唱し唱和している男女の愛、「世」の平和は、完全無缺の「大事」を保ちえているのです。これこそが、何ものにも替えがたい価値だ「大事」だと言い切れる時、なまなかの他のものを持ち出されても愚劣な比較が峻拒でき、絶対境が主張できるでしょう。そういう思想、そういう主張、そういう自覚によってのみ、辛うじて批評できる外なる世界、よそなる世界、夢とも現とも頼りのない世界がこの二人の眼に見えてくる。
その上での日々の覚悟は、人それぞれに持ち、固むべきことなのです。
つまりこの小歌は、「互いに」「お互いに」という言葉を「漏らさじ」「曇らさじ」「もつ」「大事な」という言葉の前へ繰返し補って読めば読むほど、すばらしさの増す名歌です。
「性愛」にせよ、要は「愛」にせよ、一人では、男一人だけ、女一人だけでは「どうにもならぬ」ということを『閑吟集』は謡いつづけてきたのです。この三一○ 番は、その意味で大尾、結論です。連歌連句でいう真の「挙句」にもふさわしいのです。
つづく三一一番、閑吟集の最後の歌はこうです。

★ 籠がな籠がな 浮名もらさぬ籠がななう
2021 6/27 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 籠がな籠がな 浮名もらさぬ籠がななう

☆ 「籠がな」とは、籠が欲しい、見つけたいという願望の表現です。「籠がななう」は、その切実な強調です。「浮名」をもらすことのない「籠」、男と女とで双方から持ち合うて世間の思惑に壊れも潰れもしない「籠」、そんな美しい巣籠もりの巣に似た「籠」、母の胎内にも似て柔らかに奥深く優しい「女」そのもの「愛」そのもののような「籠」が、欲しいのです。
三○九番の「御器籠」では、道化て滑稽視されていたものが、一転して三一○番の「花籠」の美しさへやすらかに謳いあげられていました。中国の古典「詩経」にならって三一一番で結ばれる閑吟集三一一番最後の「籠」が、前歌の「花籠」の意をも立派に体していること、そこに祈願の籠もること、むろんです。
水ももらさぬ「仲」と謂いましょう。「籠」は、よほど工夫がないと水を漏らすのが本来です。水も漏らさぬ「籠」とは、語の本来の意味においてもともと不合理な不可能に近いもので、それを敢えて可能にしようとするところに、不可思議の愛が生れます。
三一○番の歌を、私は、ただ恋愛の歌という以上に、結婚生活に入った夫婦の愛の歌とも十分読めると思っています。
「結婚」とは、何でしょう。結婚式に招かれてスピーチを請われたりもしますので、それを考えることが、よくあります。
結婚するという人に、「よかったね」とか「いいわねえ」と言うのは、文字どおりごアイサツなのであって、そう言ってあげられるのはやはり心嬉しいものですが、もうすこし正直に言うならば、「これからが大変だね」とか 「しんどいでしょうが頑張ってね」 と言ってあげるのが率直でしょう。「結婚」とはそういうもので、男と女との取り組みとしては、最も倫理的な重みを内に包んだむずかしい人間関係だと思うのです。社会学、経済学、心理学、生理学、教育学、家政学などもろもろの中身をぎっしり抱きこみながら、夫と妻との根本を形づくる価値は、かなり本質的に「倫理学の領分」に属しているというのが、私の、考え方です。しかもいわゆる夫婦生活、性のある生活そのものが倫理として、つまり人間関係の根底として受取らるべきだと思うのです。性をただ心理や生理の問題で受取ってはおれないと思うのです。
夫婦生活が即ち性生活であるといった早合点は困りものです。性生活ないし性行為は、これを量的に勘定すれば、夫婦生活の全体の適宜な一部分を占めるだけのものです。が、また扇の「要」に似た位置も占めている。そこが夫と妻とを事実結ぶ結び目なのですから。その結び目を「もつが大事な」という認識は、技巧的、遊戯的なものでなくて 真剣であればあるほど、倫理的な判断であり努力でなくては済まぬ要、要点です。
さきの「籠」との聯想を喚び起こすならば、結婚とは、私は、満々と清水を張った大きな重い器のようなものと想っています。一組の男と女とが、力を協せてその器をよいしょと持ち上げるのが、結婚式なのだと思っています。
器に張られた水は、ただの水でない。それ自体が「夫婦である」という事実の、さまざまな意義や価値や責任の象徴です。彼らは 終生水を張ったその器を夫婦の証しとして「もち」支え、運び続けねばならない。よほど二人が「大事」に心を揃え力を協さぬかぎり、長い人生の歩みの中で、水は簡単に減りこぼれて、ついには喪われてしまうでしょう。並大抵の我慢や辛抱や努力では、充実した金婚式など迎えられないのが「結婚」という約束ごとの運命なンでして、世間には、とうの昔に水は涸れ、器さえなげうたれたような脱けがら夫婦が多いのも、けだし当然の厳しさと言えるくらいのものなのです。
だから、幾山河をなみなみと器に水を張ったまま、二人して持ち歩いて行かねばならない新婚の夫婦には、やはり、「これからが大変だね」という励ましとともに、「でも、おめでとう」と祝福してあげるのでないと、均衡のとれていない気が、私にはするのですね。痛烈で頑固で融通のきかない顔をして結婚生活というのはやってくる。それに意地悪くさまざまに試みられて、それでも互いにくじけないのが、佳い夫婦でしょう。器の水は一人の力ではこぼれてしまう。こぼさない為には辛抱がいりますが、また、こぼれて減らない器の水を、二人で日々確かめ合えている夫婦に、大きな不安はないのです。

* 去年の後半はずうっと毎朝、『愛の歌』を読み返していた。「歌」「短歌」「詩や句」を私は「こう読む」という実例を多々挙げて、こんにち、世を覆って蕪雑な、まるで「ごろた道を踏み惑う」ような「うたならぬ歌、短歌への抗議の気持ちを表現していた。最大級のことばでそを私の一代表の名著と謂うて下さった人もあった。何を詠ってもいいが「歌」は「うた」たる「まこと」の言語藝、文藝である。それが私の本意であった。
今年になって、歌謡『閑吟集』を、しみじみ読み返し、「歌」の「うた」たる「まこと」の言語藝、文藝を楽しんできた。それも、今日明日で締め括りとなろう。
2021 6/28 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

★ 花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な

☆ 私の謂う意味を、もっと美しく もっと徹した親密さで 言い切り、謡いあげているのが先の「閑吟集三一○番」でしょう。
恋愛と結婚とを論じる場ではない。私の任でもない。要は、一組の男女の「愛」について問い、それも心だけで体はぬきといった愛ではない「心身充実の愛」について問う限り、閑吟集は歌謡三百十一篇のすべてを挙げて、「愛」の問いに答えていたと言っていいでしょう。
三一一番の「籠がななう」という願念は、比喩的に言えば、その同じ一つの籠の内へ、愛する男と女とがすっぽりと入って棲みたいという願望にほかなりません。そこに、二人の家庭、愛の巣、安住世界が広義に仮託されているのでしょう。「籠」の内で寄り添うかぎりにおいて、互いの運命を共有しようという不可思議の一心同体が願われているのです。
さて十六世紀の果て、西暦一六○○年には、天下分けめの関ケ原の合戦がありました。閑吟集は、同じその十六世紀がはじまって十八年めに成っていましたが、私たちが今日普通に読むことのできる『閑吟集』は、その一五一八年からちょうど十年後の大永八年(一五二八)四月に、「本の如く書写し了」えた写本に拠っています。
この十年間に、史実としていったい何事が起こっていたか。
閑吟集が成った翌る年の永正十六年(一五一九)には、北条早雲が八十八歳で死に、それより二年後の永五十八年には、後柏原天皇が、じつに践詐後二十二年にしてやっと即位式を挙げています。この年末から将軍は義稙から義晴に代るのですが、よほど歴史好きの人でも、即座に義晴が足利将軍の何代めに当たるのか言えないほど、将軍職の権威はとうに地に堕ちています。そして相も変わらぬ守護大名のなれの果てどもが、応仁文明の大乱の下痢後遺症のような小競合を、執拗くあちこちで繰返す中から、早雲につぐ戦国大名がぽつりぽつり擡頭してきます。武田・尼子・大内・浦上、朝倉などの名が史上に動きはじめます。その間に土一揆や徳政一揆が各地で頻発し、やがて一向宗徒が八面六臂に荒れはじめる兆候も見えて来ています。あの『七十一番職人尽歌合』が成るのは、さきの『閑吟集』写本が成ったその翌る享禄二年(一五二九)のことでした。
いわばこの十年、歴史的にはごった煮が一段と煮つまっただけの感じで、目立った政治的、文化的事件もなかったのです。が、たとえば千利休が、大永二年(一五二二)には生れています。すこし遅れて、天文三年(一五三四)に織田信長、五年に豊臣秀吉、十一年(一五四二)には徳川家康が生れます。但しこの三武将の時代になると、もう同じ小歌でも『閑吟集』のではなくて、隆達小歌や宗安小歌などが流行します。あの桶狭間出陣に際して織田信長が小気味よう「人生五十年」と舞うて謡ったといわれるのは、幸若舞でした。
それにつけて一言添えておきたいのは、少くも閑吟集の小歌には、舞い踊るという藝は付随していなかったろうということです。伴奏は主に尺八。しかし扇拍子や時に笛や小鼓も用いたでしょうが、起って舞うということがなかった点では、田楽や猿楽などの歌舞の藝とは別の、やはり梁塵秘抄系統の「謡う藝」なのでした。
2021 6/29 234

* 気をいれて読み直してきた『閑吟集  孤心と恋愛の歌謡』も、今日明日でちょうど読み終える。気を入れたこういう「毎朝仕事」が、私の「日々」をそれなりに形作って呉れる。
2021 6/29 234

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆ 暗転の不安 そして恋の歌謡

☆ 元へもどつて、三一○番の美しい小歌を もう一度読んでください。そして口遊んでみてください。

★ 花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な

☆ 「お互いに」という言葉を、要所に補って読もうと、私は先に提案しました。それによって、これは、真に愛し合う二人の、「二人して保ちうる至幸至福の絶境」を謡っていることになると言いました。なにも結婚した二人とは限らない。真に許し合った男と女との「世の仲」を謡っているのです。そこに「最少限の世」を認め、そこに「最大限の世界」をさえ見入れようとする、それが「中世寄合」の、社会の、真の希求であり願念ではなかったでしょうか。その最も倫理化され美化された別乾坤として、茶の湯の「茶室と」いう「会所」が創造されましたが、現実にも、さまざまに 広くも狭くも多くの会所が造られ、各種の「寄合」が実現し、和敬の人間的構築が意図されて行きました。が、根本に、「この閑吟集小歌の三一○番」ふうな ひたむきな男女愛、恋愛、夫婦愛があって、封建的な主従愛にひそかに括抗し反撥するものがあった。その力でこそ 「中世」庶民は、武家封建体制の成立を「延引させえた」のではなかったでしょうか。
が、挙句の果ては、信長の、秀吉の、家康の天才的な武力がそれを抑えこみました、「天下布武」。そのかげで、

★ 籠がな籠がな 浮名もらさぬ籠がななう

☆ この願いも、庶民の政治的社会的自由とともに押さえこまれて、「安土桃山時代」という、一見陽気と見える〝黄金の暗転期〟に捲きこまれ、惨めに去勢されてしまったのでした。利休の死は、その意味で、私には印象的です。切実です。一つの時代が、一つの時代に屈した象徴のように見えるのです。
けれど、本当の闘いはもっと長くつづきます。利休が死に秀吉が生きのびたことが、永久に秀吉の勝利を意味してはいないことを、「私たちの現代」がどうかして証明したいものだと思うのです。
『閑吟集』は、明らかに「秀吉ならぬ利休」を支持しています。利休の茶が、秀吉の政治とはちがって、どこかで「漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な」といった人間的愛を願っていたからです。隠逸の風雅といった「ただ美の観点からのみ茶を」眺めるのは、中世に胚胎した会所の寄合藝能である茶の湯の素質を見錯まることになる。

☆ そうでした。閑吟集編者に連歌師宗長が擬されている、それ自体はたぶん証明の不可能なことではありますけれど、この宗長と利休とは少からぬ縁で結ばれていたのです。「大徳寺三門」は、その初層部分を宗長が秘蔵の源氏物語を売却した金で寄進し、上層の「金毛閣」を利休が自力で寄進してやっと完成したものです。しかも、この三門寄進が一つのわざわいとなって、挙句、利休は秀吉のために切腹死を強いられたのでした。
「挙句」とは、今もよく使う言葉ですが、先に臼田甚五郎氏の三一○番の解説文を引用の際にも触れられていたように、本来、これは「長連歌の最終句」を指しているのでした。百韻連歌の作法、約束として「挙句」の前に「花」を詠うのが定めで、それを「花の定座」と呼んでいた。この種の約束は、もっともっと詳細に定められていて、『閑吟集』でも及ぶ限りはそれを踏まえているはずなのですが、そんな煩雑なことはさて措いても、三一○番の「花籠に月を入れて」というイメージは、連歌的手法の約束にそむかぬ、周到な用意ではあったのです。
そして「挙句」に、「籠がななう」という切なる、願い──。
私は、私自身は、子どもの頃から或る動機もあって、この人の世の人をさして、三種類に分類する思い慣いをもってきました。
一等疎遠なところに「世間」を眺めます。その存在と尊厳とは承知も納得もしているが、今直ちに日々の関わりのない、いわば世界中の人々をさします。
次に、その「世間」から、日々偶然に、余儀なく、また必要あって接して行く、知り合って行く関わり合って行く「他人」という層が必然的に生じます。血族、親族、家族すら、私は、とりあえず「他人」に部類します。師弟、同僚、友人、近隣等々のすべてが、まずは「他人」に属します。「自分」じゃないのですから。
そして、その「他人」の中から 私は 「身内」を探し求めます。
人は、父母来生以前から本来「孤独」な存在です。世間という名の大海原に、我一人が立てるだけの島に佇立している存在として、寄りそうことの不可能な他人の島へ、「愛」を求めて呼びつづけている。それが「人」に定められた真の生きの位相です。ところが、この不可能への渇望が、或る瞬間に可能となり、しよせん不可能なはずの我一人しか立てぬ島に、愛する人(人々)と一緒に立ちえていると信じられる時と場合とが生じます。その人(人々)が「身内」です。それは真に価値ある錯覚、つまり夢なのですが、本来孤独の人間が、どうしてこの夢なくて孤独地獄に堪えられるものですか。
だから人は「愛」の名で真の「身内」を探し求める。偶然の親子より、必然の夫婦や恋人の方を私は大事な人間関係と考える、これが強い理由です。
お互いに、不可能を可能にしあえる仲、運命を共有しあえる仲が 「身内」同士 です。自分一人でしか立てない場所に、いつか一緒に立ってしまっている仲が「身内」です。断絶した親子、協力のない形ばかりの夫婦、偶然の血縁にもたれかかっただけの、きょうだい、親族といったものは、「世間」でこそなけれ、私の定義では「他人」でしかなくなります。血縁や法の保証が即ち「身内」を無条件に約束するなどという安易なことは、まったく私は考えてもこなかった。真に「身内」でありつづけるには、どんな間柄であれ、「身内」の価値を支え合うふだんの努力が厳しく求められるからです。
その意味で、『閑吟集』の挙句が示唆している「籠」とは、また「花籠」とは、私には中世とも現代とも限らない、人間の未来永劫に亘る、「身内」同士の本来の場所、家、世の仲を意味してはいないかと、思われてならないのです。
現存の『閑吟集』には、「挙句」のあと、こんな漢文の奥書が付してあります。訓み下してみますと、

★ 其の斟酌多く候ふと雖も、去り難く仰せられ候ふ間、悪筆を指し置き、本 の如く書写し了んぬ。御一見の已後は、入火有るべく候ふなり。比興云々。
大永八年(一五二八)戊子、卯月仲旬、之を書す。

☆ 「比興」は「非興」の当て字で、興もなくつまらない、という意味になります。が、たとえ私の読みや解説が「非興」であっても、『閑吟集』と、それを産みかつ生かした「中世」とは、尽きぬ興味、尽きぬ意義を、なおはらみつづけていると私は信じます。それがまた新たな価値を新たにどう産みどう生かすか。それはもはや読者や筆者の器量次第なのであろうと、私は、安んじてこの私の本の挙句に、二五五番の小歌を、もう一度挙げて、お別れを告げようと思います。

★ 人の心は知られずや 真実 心は知られずや       ──完──

2021 6/30 234

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 菊ある道 (昭和廿六・七年 満十五・六歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしの
ふとわれに來てうるみがちなる

國ふたつへだててゆきし人をおもひ
西へながるる雲に眼をやる

まんまろき月みるごとに愛(は)しけやし
去年(こぞ)の秋よりきみに逢はなくに

朧夜の月に祈るもきみ病むと
人のつてにてききし窓べに
2021 7/1 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 菊ある道 (昭和廿六・七年 満十五・六歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

山頂は風すずやかに吹きにけり
幼児と町の広きを語る

さみどりはやはらかきもの路深く
垂れし小枝をしばし愛(かな)しむ
2021 7/2 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 菊ある道 (昭和廿六・七年 満十五・六歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

うつくしきまみづの池の辺(へ)にたちて
うつろふ雲とひとりむかひぬ

みづの面(も)をかすめてとべる蜻蛉(あきつ)あり*
雲をうかべし山かひの池

☆ 高校日吉ヶ丘運動場の東端、崖の下が、大雨あれば清らに池を成した。
2021 7/3 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 菊ある道 (昭和廿六・七年 満十五・六歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

朝地震(あさなゐ)のかろき怖れに窓に咲く
海棠の紅ほのかにゆらぐ

山なみのちかくみゆると朝寒き
石段をわれは上りつめたり
2021 7/4 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 菊ある道 (昭和廿六・七年 満十五・六歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

刈りすてし浅茅の原に霜冷えて
境内へ道はただひとすぢに

樫の葉のしげみまばらにうすら日は
ひとすぢの道に吾がかげつくる
2021 7/5 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 菊ある道 (昭和廿六・七年 満十五・六歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

歩みこしこの道になにの惟ひあらむ
かりそめに人を恋ひゐたりけり

歩みあゆみ惟ひしことも忘れゐて
菊る道にひとを送りぬ
2021 7/6 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 山上墳墓 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

遠天(をんてん)のもやひかなしも丘の上は
雪ほろほろとふりつぎにけりに

あかあかと霜枯草の山を揺り
たふれし塚に雪のこりゐぬ

埴土(はにつち)をまろめしままの古塚の
まんぢゆうはあはれ雪消えぬかも

* 高校の在った日吉ヶ丘の東の崖、泉涌寺本山の南寄りに古刹の雲龍院があり その門前を西へ延びた崖上へ、戦士らの墓標のままみえる寂しげな小墓地が延びていた。私は、高校生時代、平気で授業中の教室を脱け出ては、東へ山寄りの泉涌寺や泉山陵、また南へ丘下の東福寺などへ、もっとの時は京都市内の寺社や博物館などへサボっていた。そのおかげで後に小説『慈子』や『畜生塚』などが書けた。大学受験のためのいわゆる受験勉強がイヤで、古典を読み角川からの「昭和文学全集」を買って全巻、各作家の作はむろん「年譜」までも、熱中愛読した。「京都という市街や四辺の郊外」にはどんな受験参考書より豊富に魅力溢れていた。それらから学ばない手はないと確信していた。京大、東大を受けて大學教授を目ざすり、無試験推薦入学で済ませ、「京都の作家」に成りたかった。泉涌寺来迎院や「山上墳墓」や東福寺境内で詠っていた時も、もう、そう思っていた。
「京都」は、どこをどう歩いても、ほんとうに有り難い懐かしい豊富な街だった。
2021 7/7 235

★ 色紙(いろがみ)にカアサマとある小(ち)さい竹

* 風に、笹はさらさら鳴るが、星はみえない。 真苦呂
2021 7/7 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 山上墳墓 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

勲功(いさをし)もいまははかなくさびしらに
雪ちりかかるつはものの墓

炎口(えんく)のごと日はかくろひて山そはの
灌木はたと鎮まれるとき

勲功(いさをし)のその墓碑銘のうすれうすれ
遠嶺(とほね)はあかき雲かがよひぬ
2021 7/8 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 山上墳墓 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

日のくれの山ふところの二つ三つ
塚をめぐりてゐし生命はも

しかすがに寂びしきものを夕焼けの
空にむかひて山下りにけり

山かひの路ほそみつつ木の暗(くれ)を
化生(けしやう)はほほと名を呼びかはす
2021 7/9 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 山上墳墓 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

うす雪を肩にはらはずくれがたの
師走の街にすてばちに立つ

三門にかたゐの男尺八を
吹きゐたりけり年暮るる頃
2021 7/10 235

* 「こどもたちに残したい日本の歌」をいつも愛聴している。中には、陳腐な大人向けの現世歌謡ももまじるが、総じて胸を打たれ嬉しくて泣いてしまう。サトー・ハチローの詩など、まことに「うた」そのもの、詩歌は「うた」なのである。近時各結社誌の短歌など、瓦礫を踏むような生硬をきわめた低調な思いつきの書きなぐりで、いささかも「詩 うた」になってない。
2021 7/10 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 東福寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

笹原のゆるごふこゑのしづまりて
木もれ日ひくく渓にとどけり

散りかかる雪八角の堂をめぐり
愛染明王わが恋ひてをり

古池もありにけむもの蕉翁の
句碑さむざむとゆき降りかかる

苔の色に雪きえてゆくたまゆらの
いのちさぶしゑ燃えつきむもの
2021 7/11 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 東福寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

雪のまじるつむじすべなみ普門院の
庭に一葉が舞ふくるほしさ

日だまりの常樂庵に犬をよべば
ためらひてややに鳴くがうれしも
2021 7/12 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 東福寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

はりひくき通天橋の歩一歩(あゆみあゆみ)
こころはややも人恋ひにけり

たづねこしこの静寂にみだらなる
おもひの果てを涙ぐむわれは

日あたりの遠き校舎のかがやきを
泣かまほしかり遁れきつるに
2021 7/13 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 東福寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

冷えわたるわが脚もとの道はよごれ
毘廬寶殿(ひるほうでん)のしづまり高し

内陣は日かげあかるしみほとけの
心無罣礙(しんむけいげ)の祈願かなしも

右ひだりに禅座ありけり此の日ごろ
我にも一(いつ)の公案はあり
2021 7/14 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 東福寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

青竹のもつるる音の耳をさらぬ
この石みちをひたにあゆめる

瞬間(ときのま)のわがうつし身と覚えたり
青空へちさき虫しみてゆく
2021 7/15 235

* 電話もない、かけもしない。郵便もない、出してもいない。出掛けない、出掛けられない。

雷(いかづち)や世間は遠くなりにける

* こうなれば、とっておきの「過ぎ去りし」世界へ帰って行く道を見つける、か。
2021 7/15 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 拝跪聖陵=泉涌寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

ひむがしに月のこりゐて天霧(あまぎら)し
丘の上にわれは思惟すてかねつ

朝まだき道はぬれつつあしもとの
触感のままに歩むたまゆら

木のうれの日はうすれつつぬれぬれに
楊貴妃観音の寂びしさ憶ふ
2021 7/16 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 拝跪聖陵=泉涌寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

道ひくくかたむくときに遠き尾根を
よぎらむとする鳶の群みゆ

ぬればみて砂利道は堂につづきたり
わが前に松のかげのたしかさ

をりをりに木立さわげる泉山に
菊の御紋の圧迫に耐へず
2021 7/17 235

* 山陽小野田市の高崎淳子さんから歌集『あらざらむ』を貰った。この人の短歌は安心感と共に共感しやすい味わいに富むが、ひとつ、ちょっとした(ご当人気付いてかどうか)癖が読める。初句で、いちどブツッと切れる「うた」がわりに多いのである。

あか・くろ・き海に色ありミサイルもテロもやまざり論語に遠く

虎ケ崎藪のつばきをしげらせて風穴みせる遠き噴火を

当然かのようで、いきなり「うた(声)」が途切れてはいぬか。
で、わたしは初句よりさきへ発想の「うた」を渡しとどけたく、少年の昔から 時としてあえて初句に「字余り」を生かしたりしてきた。

いしのうへを蟻の群れては吾がごとくもの思へかも友求(ま)ぎかねて 「少年」

などと。

* 九時。
2021 7/17 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 拝跪聖陵=泉涌寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

御手洗(みたらひ)はこほりのままにかたはらの
松葉がややにふるふしづけさ

ひえびえと石みちは弥陀にかよひたり
ここに来て吾は生(しやう)をおもはず
2021 7/18 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 拝跪聖陵=泉涌寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

笹はらに露散りはてず朝日子の
ななめにとどく渓に來にけり

渓ぞひは麦あをみつつ鳥居橋の
日だまりに春のせせらぎを聴く

水ふたつ寄りあふところあかあかと
脳心をよぎる何ものもなし
2021 7/19 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 拝跪聖陵=泉涌寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

新しき卒塔婆がありて陽のなかに
つひの生命を寂びしみにけり

汚れたる何ものもなき山はらの
切株を前に渇きてゐたり

羊歯しげる観音寺陵にまよひきて
不遜のおもひつひに矯めがたし
2021 7/20 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 拝跪聖陵=泉涌寺 (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

岩はだに蔦生ふところ青竹の
葉のちひささを愛(を)しみゐにけり

はるかなる起重機(クレーン)の動きのゆるやかさを
しじまにありておだやかに見つ

目にしみる光うれしも歩みつかれ
「拝跪聖陵」の碑によりにけり
2021 7/21 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

なにに怯え街灯まれに夜のみちを
走つてゐるぞわれは病めるに

ぬめりある赤土道(はにぢ)を來つつ山つぬに
光(ひ)のまぶしさを恋ひやまずけり

アドバルンあなはるけかり吾がこころ
いつしかに泣かむ泣かむとするも
2021 7/22 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

黄の色に陽はかたむきて電車道の
果て山なみは瞑れてゆくかも

つねになき懐(おも)ひなどあるにほろほろと
斜陽は街に消えのこりたり

鐵(かね)のいろに街の灯かなし電車道の
静かさを我は耐へてゐにけり
2021 7/23 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

別れこし人を愛(は)しきと遠山の
夕焼け雲の目にしみにけり

舗装路は遠く光りて夕やみに
なべて生命(いのち)のかげうつくしき

寂滅(ほろ)びゆく日の光かもあかあかと
人の子は街をゆきかひにけり
2021 7/24 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

山の際(ま)はひととき朱し人を恋ふる
我のこころをいとをしみけり

そむきゆく背にかげ朱したまゆらの
わが哀歓を追はんともせず

遁れきて哀しみは我に窮まると
埴丘(はにおか)に陽はしみとほりけり
2021 7/25 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

夢あしき眼ざめのままに臥(こや)りゐて
朝のひかりに身を退(の)きにけり

閉(た)てし部屋に朝寝(あさゐ)してをり針のごと
日はするどくて枕にとどく
2021 7/26 235

* この同じ日付けで、娘朝日子は生まれ、孫のやす香は逝った。

「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)の
よろこびぞこれ風のすずしさ     昭和三十五年 誕生

このいのちやるまいぞもどせもどせとぞ
よべばやす香はゆびをうごかす
つまもわれもおのもおのもに魂の緒の
「やす香」抱きしめ生きねばならぬ  平成十八年   逝去

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

うつつなきはなにの夢ぞも床のうへに
日に透きて我の手は汚れをり

生々しき悔恨のこころ我にありて
みじろぎもならぬ仰臥の姿勢

散らかれる書物の幻影とくらき部屋の
しひたげごころ我にかなしも
2021 7/27 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

誰まつと乱れごころに黄の蝶の
陽なかに舞ふをみつめてゐたり

うすれゆくかげろふを目に追うてをれば
うつつなきかも吾が傷心は
2021 7/28 235

* 「湖(うみ)の本 153」発送のための作業は凡て終えた。宅急便が持ち帰って呉れれば、今回は、もう、上がり。順調の運びであった。そして、次のステップを踏む。
八五老にして、「超」処女作を、わが文学生涯に「初めて」置く。
2021 7/28 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげ (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

偽りて死にゐる虫の
つきつめた虚偽が蛍光灯にしらじらしい

生きんとてかくて死にゐる虫をみつつ
殺さないから早く動けと念じ

擬死ほども尊きてだて我はもたぬ
昨日今日もそれゆゑの虚飾

灯のしたにいつはり死ねる小虫ほども
生きようとしたか少なくも俺は
2021 7/29 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 光かげり (昭和廿八年 満十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

つもりつもるよからぬ想ひ宵よりの
雨にまぎるることなくて更けぬ

馬鹿ものと言はれたことはないなどと
小やみなき雨の深夜に呆けてゐたり

まじまじとみつめられて気づきたり
今わらひゐしもいつはりの表情
2021 7/30 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 夕雲 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

朱(あか)らひく日のくれがたは柿の葉の
そよともいはで人恋ひにけり

わぎもこが髪に綰(た)くるとうばたまの
黒きリボンを手にまけるかも

なにに舞ふ蝶ともしらず立つ秋を
めぐくや君が袖かへすらむ

ひそり葉の柿の下かげよのつねの
こころもしぬに人恋へるかも
2021 7/31 235

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 夕雲 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

いしのうへを蟻の群れては吾がごとく
もの思へかも友求(ま)ぎかねて

君の目はなにを寂ぶしゑ面(おも)なみに
笑みてもあれば髪のみだるる

窓によればもの恋ほしきにむらさきの
帛紗のきみが茶を点てにけり

りんだうを愛(は)しきときみが立てにける
花は床のうへに咲きにけらずや

* 八月になった。大文字の晩を待ちながら、敗戦の日を迎える月である。

戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ

と、五、六年前の八月に私はうたっている。敗戦。日本のいちばん長かった日を、また映画で反芻しておく季節になった。
2021 8/1 236

* そして今、私は八十五老にして、すでに確定したいわゆる「処女作」本になお先立つ「少年前」の一冊に形を与えつつある。それれがただの遊びや自己満足でないことをおおよそ信じつつ、である。
2021 8/1 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 夕雲 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

わくら葉のかげひく路に面(おも)がくり
去(い)ななといふに涙ぐましも

柿の葉の秀(ほ)の上(へ)にあけの夕雲の
愛(うつく)しきかもきみとわかれては

またも逢はなとちぎりしままに一人病みて
むらさきもどき花咲きにけり
2021 8/2 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 夕雲 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

目に触るるなべてはあかしあかあかと
こころのうちに揺れてうごくもの

踏みしむる土のかたさの歩一歩(あゆみあゆみ)
この遙けさが苦しかりけり

うす月の窓にうごかぬ黄の蝶の
幾日(いくひ)か生きむいのちひそめて
2021 8/3 236

* 歌集『少年前』を しみじみと校正している、かなづかひに用心しながら。七十年ちかい昔が私に甦る。
2021 8/3 236

* 仙台の遠藤恵子さん、都の中野区宮川木末さん、川越の平山城児さん、都の世田谷の島尾伸三さん、国分寺市の河幹夫さん、早稲田大学図書館、上智大学図書館から「湖(うみ)の本」新刊へお手紙を戴いた。
目黒区佐高信さんの新刊書を受け取った。
高麗屋シアターナインスから、十月、吉田羊、松本紀保ら女性だけで演じる沙翁劇「ジュリアス・シーザー」の案内をもらった。大いに触手うごくが、コロナは収まってはいまい。
懐かしい亡き宮川寅雄先生のお嬢さん木末さんのお手紙が、今巻心して組み入れた多く詩歌の「撰と鑑賞」に触れ、ていねいに共感を寄せて戴いたのを喜んでいる。平山さんからも。
現今多くの作者達はとても大きな手抜きをしながら気が付いていないのだが、詩歌は、自作を創り為すだけが能でない。すぐれた多謝の詩歌作を見いだしてよく味わえるのでなければ、半端なのである。自分は斯くも創っているから当然に歌人だ俳人だ詩人だというのは、片端にすぎない。

* 辞典での仮名遣いの確認などが極く難儀になってきた。それでもわたしは辞典を決して手放さない。いい書き手の、いい読み手のそれは必須のこころがけだから。
2021 8/3 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 夕雲 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

草づたひ吾がゆくみちは真日あかく
蜻蛉(あきつ)のかげの消えてゆくところ

のぼり路は落ち葉にほそり蹴あてたる
小石をふとも愛(を)しみゐにけり

秋の日は丈高うしてコスモスの
咲きゐたるかな丘の上の校庭(には)に
2021 8/4 236

* 入念に処女前歌集『少年前』を再校している。
2021 8/4 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 夕雲 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

ひむがしの窓を斜めの日射し朱く
我に恋慕の心つのりく

しのびよる翳ともなしに日のいろや
吾が眼に染みて瞑れむとすらむ

言に出でていはねばけふも柿の木の
下にもとほり恋ひやまぬかも
2021 8/5 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

ひた道に暗れてゆく夜を死にたまふ
師のおもかげはしづかなりけり
(釜井春夫先生追悼七首 弥栄中学・国語)

訃にあひてほとほといそぐ道ゆゑに
夜の明滅をにくみゐにけり
2021 8/6 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)
(釜井春夫先生追悼七首 弥栄中学・国語)

みあかりのほろびの色のとろとろと
死ににき人はものも言はさぬ

衣笠の山まゆくらく雨を吹きて
水たまりに伽の灯がとどくなり

衣笠の山ぎはくらしひえびえと
更けゆく秋に死にたまひしか

* ご葬儀に、中学三年生、生まれて初めて弔辞を読んだ。
その後も教頭の寺元先生、担任の西池季昭先生のご葬儀でも弔辞を献じた。後々には、実父である吉岡恒の葬儀にも、親族から強いるほどに弔辞を望まれ、まことにフクザツの思いをした。
2021 8/7 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)
(釜井春夫先生追悼七首 弥栄中学・国語)

いますだく虫の音もなしくちなしに
みあかり揺れぬ語らひてよと

ともしくもよき死をきみは死ねりとふ
遠天になにのどよみゐるらむ
2021 8/8 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

木もれ日は上葉(うはば)にすきてくれ秋の
もみづる苑(には)に瞑れむとすなり

枯れ色の木の葉にうづみ夕ぐるる
苑にたてれば人の恋ほしき
2021 8/9 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

かげり陽は軒に消ゆるかほろほろと
樫の梢をとり鳴きたちぬ

死ぬるときを夢と忘れて黄金(きん)色の
蝶舞ひいたり御陵(みはか)めぐりに
2021 8/10 236

☆ 拝啓
御健勝大慶に存じます
「優游卒歳」有難く頂戴しました 拝読し乍ら 自分でも好きな歌を輯めたくなりました まづ第一に俊成女の
風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢
次に
ものおもへば澤の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る  和泉式部
不一    寺田英視   前・文藝春秋 専務取締役

* まあ! クラシック!

* 「松子」奥様のおゆるしを得て私が本に仕立てた美装の『谷崎潤一郎家集』が目の前の書架にある、巻頭に置いた「倚松庵十首」からお熱いのを、二、三首 取り出してみようか。

津の國の住吉川のきしべなる松こそやとのかさしなりけれ

住よしの堤の松よ心あらばうき世のちりをよそにへたてよ

けふよりはまつの木影をたゝたのむ身は下草の蓬なりとも

佳い家集であります。
2021 8/10 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

落ち葉はく音ききてよりしづかなる
おもひとなりて甃(いし)ふみゆけり

絵筆とる児らにもの問へば甃のうへに
松の葉落つる妙心寺みち

下しめり落葉のみちを仁和寺へ
踏めばほろほろ山どりの鳴く
2021 8/11 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

あをによきならびが丘に人なくに
木の葉がくれにあけび多(さは)生(な)る

願自在の弥勒のおん瞳(め)のびやかに
吾れにとどけば涙ぐましも
2021 8/12 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

山茶花に染みし懐紙に椎の実を
ひろへば暮るる東福寺僧堂

かくもはかなく生きてよきことあらじ
友は黙って書(ふみ)よみやめず
2021 8/13 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

木の間もる冬日のかげにくづれゆく
霜のいのちに耐へてゐにけり

歩みきて耐へられなくに霜の朝の
木がくれの実はぬれてゐにけり
2021 8/14 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

吹きゆけば霜のこぼるる笹はらの
道ひとすぢに惑ひゐにけり

木もれ日のとどかぬままにものに恋ふる
わが影は道にこほりしならむ

* 朝の一番に、なにを「ことば」にしたいか。悪政への歎きやコロナ禍への憂慮ではない。詩にふれてゆく重いと言葉で朝を迎えたいのに、容易に叶わない。
あきらかに地球が人類に怒り、恨んでいる。人類は一度退散して滅びよと、天変地異人災をとおして地球は歎き怒っている。私はそう感じている。
2021 8/15 236

☆ 拝啓
このたびは、湖の本153『優游卒歳』のご上梓、誠におめでとうございます。
また、新作を含め湖の本数冊をご恵与くださり、誠にありがとうございました。
大いなるものしづしづと揺れうごきはたと静まりなにごとも無し
橋といふふしぎの界(もの)を風が渡り人影ににて立つか電柱
手にうくるなになけれども日の光
一筋の道などあらず寒の星
虚子の句を噛むほど読んで力とす
『光塵』から。一首目は新世紀元旦の歌。目に見えない「大いなるもの」の変動が静かに起きながらも何事もないように静まり返っている新世紀の怖さ、が感じられます。また二首目は、人工物である「橋」や「電柱」の不可思議さが行き過ぎる風や光を通して映し出されています。一句目の、「なになけれども」と断りが入ることで逆に掌の「日の光」の存在が強く感じられます。また二句目は、「一筋の道などあらず」という人生の感慨が、「寒の星」に続き、宇宙の在りようにまで広がってゆきます。最後の句の「噛むほど読んで力とす」に、食べ物を咀嚼するように、虚子の句を咀嚼、吸収し、血肉化しょうとする意欲の高まりが見事です。
これらの歌句は、写生というよりも、目には見えないものを「体性感覚」によって感じ捉え、広がりのある「心象風景」として詠われています。そのために、読者には実感できるものとして、よく伝わってきます。
『優游卒歳』「コロナ禍と悪意の算術」の中で、「こころ言葉・からだ言葉」として、和歌、俳句、古川柳を挙げて解説してくださった箇所は、大変興味深く学ばせていただきました。
野ざらしを心に風のしむ身かな     松尾芭蕉
身から出た錆は心の吹出物       古川柳
たらちねの抓(つま)までありや雛の鼻 与謝蕪村
汁鍋に手鞠はね込む笑ひかな      夏目成美
ぴいと啼(なく)尻声悲し鹿の声      松尾芭蕉
我息を殺さずいつか寝足る程       古川柳
先人も、このような「からだ言葉」を句に自在にちりばめながら、愉しく詠んでいたのですね。「からだ言葉」は昔も今も通底していて、時代を超えて身近に体感し、理解することのできる優れものだと思いました。小生も、これから短歌を詠む際に、「からだ言葉」や体性感覚による表現をできるだけ心がけたいと思いました。
掌において身の衰への忘らるるマスカットの碧(あを)の房の豊かさ
こころみに齢(よはひ)かぞへて七十九八十の我れらをさなき儘ぞ
死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ
「念々死去・念々新生」のわがいのち安々と生きやすやすと逝かめ
『亂聲(らんぜう)』の中の、「死生観」を詠んだ歌に魅かれました。
一首目は、「マスカツト」の豊かさ瑞々しさを体性感覚で実感している歌です。
二首目は「をさなき」頃の新鮮な感覚・体験が記憶され、日々それをベースに齢を重ねてきて、今なおそれが健在であると、詠まれているように思います。
また、三、四首目の、「いま・ここ」「念々死去・念々新生」は、現代の科学的知見を踏まえた「いのち」の実態であり、それを肯ったうえでの「老いも病ひも華やいであれ」、水の流れのように「安々と生きやすやすと逝かめ」という諦念に、感動いたしました。
最近、東工大の人文社会系の研究拠点「未来の人類研究センター」のメンバーがまとめた『「利他」とは何か』(集英社新書を興味深く読みました。ひとつのテーマをめぐつて政治学者、作家、批評家、哲学者、美学者などの多彩な論考に、大変啓発されました。そのような意味で、本書「湖の本」は、短詩形文学に限らず、他の芸術、政治、経済、社会等の動向を視野に入れながら論考されておられるので、大変読み応えがあり、様々な角度から学ばせていただきました。
誠にありがとうございました。(素人が色々勝手なことをしかもワープロで書いてしまいましたが、ご容赦ください。)
時節柄、くれぐれもお体お大切に、今後ともご指導ご鞭撞のほど、よろしくお願い申し上げます。
敬具
二〇二一年八月十二日    鈴木良明
秦 恒平 様

* 知己のお言葉、感謝申し上げます。
2021 8/15 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

松の葉の鋭きままに日の中に
息衝きて我は佇ちゐたりけり

ポンカンの実の青々と冬空に
とまりてゐたる寂びしさにをり
2021 8/16 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 弥勒 (昭和廿八年 十七歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

日ざかりに赤土道(はにぢ)はあれてただひとり
来(こ)しとおもへば泣かまほしかり

ものいはぬ修道女とあへばえぞしらぬ
苦しさにつと行き過ぎきたり
2021 8/17 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

水かれし渓ぞひの笹は霜にあれて
通天橋(つうてん)の朝のそこ冷えにをり

水あさき瀬の音ながら通天の
梁をやもりのうごく侘びしさ

この橋のくらきになれて霜の朝を
われは妄(みだ)らにもの恋ひてをり
2021 8/18 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

手にとどく葉をちぎりては渓ふかく
すててゐる我としればかなしも

たにかぜの吹きぬけてゆくたまゆらの
行きのしづくのしとどに耐えず
2021 8/19 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

南天をこぼして白き猫のなく
川のほとりに師を訪へばよし

湯の音にもだしてをれば夕かげは
花にまとへり紙屋川ぞ

埋み火のをりをりはぜてたぎつ湯に
師はふと席を立たれたりしか

* 市立弥栄中学時期の国語の給田みどり先生、優しく、すぐれて佳い歌人でもあられた。
ある
夏休みの一日、高校生になっていた私の家の前へふと見えて、そのまま、奈良の、薬師寺、唐招提寺へ連れて行って下さった。お寺や仏像との事実上初の出会いを用意して下さったのだ。
小説にも、二、三度は姿を見せて下さっている。
2021 8/20 236

* 歯がいくつも落ち 入れ歯がおさまりにくくなった。齢いの衰え、いちじるしい。弱気になってはならぬ、が。
何としても「湖(うみ)の本 154」を送り出したい。『少年』に先立って最旧著作となる『少年前』そして当今懐老の述懐『閇門(トモン)』で編んである。
2021 8/20 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

木もれ日のうすきに耐へてこの道に
鳩はしづかに羽ばたきにけり

胸まろき鳩の一羽におそれゐて
道ひとすぢに瞑れそめにけり

山鳩のわれをおそれぬなげきにて
小枝ふれあふ音なべてきく
2021 8/21 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

桐の芽のいくつか伸びて陽だまりに
このあらくさのいのちは愛(かな)し

ひらきたる掌にまばゆくて春の光(ひ)の
胸にとどくと知れば身を退く

ひそめたるまばゆきものを人は識らず
わが歩みゆく街に灯ともる
2021 8/22 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

山ごしに散らふさくらをいしの上に
踏めばさびしき常寂光寺

山吹の一重ひそかに二尊院は
日照雨(そばへ)のままに春たけにけり

道の上の青葉かへるでさみどりに
天(あま)そそぐ光(ひ)を恋ひやまずけり

* 昨今高校生に、たとえ京都市内の山よりに暮らしている生徒であれ、こんな歌を詠ませまた読ませるのは、至難と云うより無理で不自然でさえあるだろう。そういうことに、東工大教授の時期、気が届いていなかった。当時、私に、歌稿・歌作を見せてくれたただ二人の女子学生の短歌が、いまも手許にのこされていて、しかも当時のわたくしは正当な視線を向けて上げられなかったのを、今にして謝りたい気がする。淺野夏子さん 白澤智恵さん、ごめなさい。

今、ここに淺野さんが郵便で家へ送ってきた歌稿百首あまりが手に取れる。別にさらに二十首があり、「病気のことや病院での生活が前面に出すぎていてよくないと思ったものです」とある。
百あまりある最初頁の八首を書き写す。

心苦しむ 時は静かに 佇みて 自己の回復 じっと待つべし

簡単に 家畜にならずと 天性の 野原を駆ける ライオン偉し

膝の上 乗ろうと足を 掛ける猫 そを見て雄と 言うは誰が背

銀杏の葉 降れる道路を 青春の 様にバイクで 駆け抜きけり

宗教の 法話を聞きて 魂の 安心したる 熱きときめき

本当の 事を話しし 後すらも 温かき目の あるは嬉しき

秋山の 少し茶色に なりにしを 光さやけく 風の流れる

月の出る 宵に男は オレンジに 煙草光らせ 佇み居たり

「歌」声が、聴き取れる。
私は 昨今も寄贈されてくる同人歌誌を 幾つも手にも目にもしているが、そこに採られている多く一般の作と、なんら遜色なくそこへ淺野さんの声が混じって不自然でない、むしろ、私の『少年』の作などと似た作を今日の歌誌に探すのは容易でない。淺野夏子さんの送ってくれていた上の百首ほどを私は、今、懐かしくも新鮮に読んだのである。
もう一人、白澤智恵さんの歌は、私のホームページに入っている「文庫」に入っている。教授当時の私には読めなかった異界が生き生きと表現されているのに、作を受け取った当時にあんまり「いいこと」を告げてあげなかったのを申し訳なく今にしてあやまりたい。
上の淺野さん作の八首目など、「少年」だった私の視線や感性にまぢかく想われるし、九首めのような作も『少年』は含んでいたと想うなあ。

三門に かたゐの男 尺八を 吹きゐたりけり 年暮るる頃
2021 8/23 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

青竹のもつれてふるき石塚の
たまゆらに散る山ざくらかな

みづの音をふと聴きすぎてしまらくの
しづけさのうちに祇王寺をとふ

* 嵯峨嵐山をもう一度散策叶うおりがあるだろうか。常寂光寺、二尊院、祇王寺、等々。まるで夢になった。

* 気の衰えを労ってやらねば。そのためには面白いことを思い、興味有ることへ自分を誘って行かねば。
流されつ游ぎつきしの往きかひやコロナを詛(とご)ふ声ばかりして
と歌って優に一年が過ぎたが、ますますひどい。そんなとき、いい本、いい映画、いい歌声は有り難い。
ソフィア・ローレンが熱演、マルチエロ・マストロヤンニが共演の映画『ひまわり』に涙を堪えきれなかった。戦争のむごさ、愛の深さ・尊さをビットリオ・デ・シーカ監督の美しく厳しく冴えた演出と画面を、身をかたくしながら、感嘆・満喫した。
ドストエフスキーの『虐げられし人々』にも、待ったなしにぐいぐい惹きこまれている。
2021 8/24 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

わくら葉の朱(あけ)にこぼれて木もれ日に
うつつともなし山の音きく

生き死にのおもひせつなく山かげの
蝶を追ひつつ日なかに出でぬ

* ふと身のそばの岡井隆『現代百人一首』で、私の歌の稿を読み直した。この撰、第一首に釈迢空、第百首に斎藤茂吉が選んであり、岡井さん自身は第九九首目に能舞台の後見役のように置いてある。「意識」的な撰と配列なのは明らかであ面白い。わたくしの一首は第六十首めに置かれてある。各十首で十頁分が目次「見開き」で一覧でき、各十首めには、大西民子、大橋巨泉、平井弘、俵万智、佐々木幸綱、秦恒平、清水房雄、斎藤史、佐伯裕子とつづいて斎藤茂吉で締めくくってある。超級の歌人、堅実な歌人、新人、巨泉や私のようなど素人の変わり種、思わず破顔の利く顔と名前で、こうと決めた岡井さんの鼻息が聞こえそう。秦 恒平を「撰」の一文を感謝して読み返す。

☆ たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは
秦 恒平
今歌をつくろうとすると、手っとり早いところでは新聞の歌壇投稿であろう。新聞歌壇だけでひとり歌作を楽しむひともいるし、そこから進んで短歌結社に加わるひともあろう。後に小説を書くようになった秦恒平は、そのどちらでもなく、ひとりで歌を書いていたらしい。ここに挙げた歌が示Lているように、恒平の歌に一番近いのは、大正期の写実系の短歌だろう。たとえば島木赤彦、あるいはその弟子の土田耕平や高田浪吉など。昭和二十八年、十七歳の時の作品だというが、京都の何処かのお寺か社を思わせる、その静かなたたずまいに、若い性欲が突然色彩を変える。そして少年の眼に、うっすらと涙が溜まる。どうしようもない性的な悶え苦Lみ、そして浄化への願い。『カラマーゾフの兄弟』で言えばアリョーシャ的なものへの憧憬。それが実に素直に出ているではないか。「おもひの果てを」の「を」の使い方なども、見事なものである。こういう歌を読むと、歌に新しい古いなどはないのではないか、と思いたくなる。だがやはり歌に新旧はあるのである。ただ作者にとって新旧などどうでもよい場合がある。かずかずの歌を読み慣れた眼にも、こうした歌が慰めとして存在する場合がある。

わぎもこが髪に綰(た)くるとうばたまの黒きリボンを手にまけるかも

という歌を挙げてもよい。十七歳の時の相聞歌である。リボンという外来語を除けば、まるで万葉の歌の模写に近い。それなのにどこか洒落ていて、初々しい。黒いリボンを手に巻いて、これから髪をこのリボンで縛るのよ、という、この仕種は、やはり近代の女のものなのだろう。言葉は古く、風俗は新しい。秦はこのあと十年ほど、寡作ではあるが歌をつくり、のちに歌集『少年』を編んだ。二十六、七歳ごろの作品に、
逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の桃のはなちる道きはまれり

がある。女に逢わなければ無論辛いのだが、逢えば逢ったでなおのこと辛いのだという、人間男女の性愛の、千古をつらぬくまことの姿が、民謡調に乗せてうたいあげられている。桃の花の散る道は尽きようとし、それは若いふたりの道の行方でもある。思えば十七歳の時から十年のあいだ、ほとんど歌の調べも歌風も変わっていない。それなのに十七歳の時の幼い性欲の嘆きと、この桃の花の道の愛の心とは、どこか違っている。
(撰と文 岡井隆 歌人  一九九六年一月 朝日新聞社刊)

* 一九六九年、三十余歳に小説『清経入水』で太宰治文学賞をうけ「作家」として歩み出すよりよほど若くに私は少年「歌人」であった。その以前に「少年前」があったことを、近日に予定の次巻「湖(うみ)の本 154」が明かす。もう残るは、老耄懸命の文業のみ。

* 岡井さんの感想に、少年の幼い「性的なもだえ」「性愛」「性欲」といった言葉を用いてある、が、わたしにそんな強い性欲も性愛も無い、ただ問題・課題として「性」にはつよい関心があり、国民学校一年生から熱中愛読した『古事記』このかた、およそ生涯をつうじて考え続けてきた、重んじてきたとは謂えるだろう。
2021 8/25 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ   (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

経筒に咲ける木槿(むくげ)の露ながら
汲まばや夏の日は茶室(へや)におちて

石づたひぬれしままなる夏くさの
露地にかげくたまゆらに恋ひて
2021 8/26 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ   (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

うすれゆく翳ならなくに夕月の
ほのかに松をはなれけるかな

道の果てはほろびあかるき山なみの
夕べいのちのかげはしづめむ

なべていまはほろびの色に燃えもたてな
夕雲にしも吾はなげかむ
2021 8/27 236

* 今日は、とうに亡い実父について「書きさし」てあったモノを、読み返してもいた。生みの母についてはともあれ『生きたかりしに』と題して選集の一巻を満たす長篇を書き置いてあるが、実の父親のことは、なんども試みながら手に余る生涯の簡明な異様とフクザツにいつも突き戻されてきた。
やはり書いておかねばならぬと思っている、その思いを今日もつよく刺激されたが、私はこの父の生前に前後三度しか顔を合わせていない。口を利きあったのは一度、三度目は死に顔であった。だが、この人は、異様なまでおおくの生きていた情報を断片でたくさん遺していった。母のちがう妹二人は、父葬儀のあと、それらを大きな風呂敷包みふたつに括って、ポンと私に委ねた。量はあるが理解にはくるしむ断片の集積なのである、が、当惑しているまに私は父の寿命より永く生き残ってもう残りは尽きようとしている。参る。

* 試筆めく書きかけてある小説へのこころみが、大小を問わねば少なくも一ダースほどあるのにも、どうしてくれると躙り寄られている。参る。

* 「物書き・作者」としてケッコウではないかという考え方はある。考えていても書けないよと謂う当惑もあるのですよ。
もう一度、陶淵明に聴いておく。

窮居して人用 寡く、
時に四運の周(めぐ)るをだも忘る。
空庭 落葉多く、
慨然として已(すで)に秋を知る。

今我れ樂みを為さずんば、
來歳の有りや不(いな)やを知らんや。
2021 8/27 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ   (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)

すずかけのもみづるまでに秋くれて
衣笠ちかき金閣寺みち

手にうけしわくら葉ながらお茶の井に
かがまりをれば秋逝かむかな

おほけなき心おごりの秋やいかに
わが追憶(おもひで)の丘は翳ろふ
2021 8/28 236

* 「湖(うみ)の本 154」三校が出てきた。今回は口絵も入稿してあるが、やがて届くだろう。『少年前」の心稚かった日々へ帰る旅を楽しんでおく。
2021 8/28 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 歌の中山   (昭和三十・三十一年 十九・二十歳 同志社大学一、二年の頃)

生命ある朱(あけ)の実ひとつゆびさきを
こぼれて尾根の道天に至る

たちざまにけふのさむさと床に咲く
水仙にふと手をのべゐたり
2021 8/29 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 歌の中山   (昭和三十・三十一年 十九・二十歳 同志社大学一、二年の頃)

日ざかりの石だたみみち春されば
わがかげあかし花ひらく道

手の窪にたまらぬほども木もれ日の
ぬくもりと知ればよろこびに似て
2021 8/31 236
★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 歌の中山   (昭和三十・三十一年 十九・二十歳 同志社大学一、二年の頃)

咲きそろふさくらのころを若き日の
かたみときみは言ひたまひける

さみだるる空におもひののこるぞと
さだめかなしきひとの手をとる

よのつねのならはしごととまぐはひに
きみは嫁(ゆ)くべき身をわらひたり

* 「まぐはひ」は、目を見合わせて愛情をしらせる古語と辞典にある、ときに男女の情交を謂うこともあるが、ここでは目と目とを見交わしている意味。私はこの人を「姉さん」とこそ慕い愛していたが、双方で恋愛や結婚の域には触れ合わないと感じていた。双方の家庭事情からもあり得なかった。妹が二人いて童謡に愛し合っていたが、恋愛とはべつと自覚していた。自覚すべく終始気をつけていた。井らしかった下の妹は早くに亡くなった。「姉さん」と永い生涯にたった一度ただ出逢う機会があったが、どこに暮らしているかも知れないまま近年に亡くなったと「妹」から、それも弟の夫人を介してしらせて呉れた。「姉さん」は自分の死を恒平には報せるなと言い置いたと、私に伝えられたのは二三年も後だった和。ひとり生き残っている「妹」とも中学以来この老境までたまさかに一度二度京都で顔を見たかどうか。だが、確乎として三姉妹はわたくし真実の「身内」であった。出逢えて真実嬉しかった、今も。
2021 8/30 236

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 歌の中山   (昭和三十・三十一年 十九・二十歳 同志社大学一、二年の頃)

咲きそろふさくらのころを若き日の
かたみときみは言ひたまひける

さみだるる空におもひののこるぞと
さだめかなしきひとの手をとる

よのつねのならはしごととまぐはひに
きみは嫁(ゆ)くべき身をわらひたり

* 「まぐはひ」は、目を見合わせて愛情をしらせる古語と辞典にある、ときに男女の情交を謂うこともあるが、ここでは目と目とを見交わしている意味。私はこの人を「姉さん」とこそ慕い愛していたが、双方で恋愛や結婚の域には触れ合わないと感じていた。双方の家庭事情からもあり得なかった。妹が二人いて童謡に愛し合っていたが、恋愛とはべつと自覚していた。自覚すべく終始気をつけていた。井らしかった下の妹は早くに亡くなった。「姉さん」と永い生涯にたった一度ただ出逢う機会があったが、どこに暮らしているかも知れないまま近年に亡くなったと「妹」から、それも弟の夫人を介してしらせて呉れた。「姉さん」は自分の死を恒平には報せるなと言い置いたと、私に伝えられたのは二三年も後だった和。ひとり生き残っている「妹」とも中学以来この老境までたまさかに一度二度京都で顔を見たかどうか。だが、確乎として三姉妹はわたくし真実の「身内」であった。出逢えて真実嬉しかった、今も。
2021 8/31 236

述懐  恒平・令和三年(2021)九月

* ここに「恒平」三年ともしてあるのは、
私・秦恒平の死期をかぞえる三年目であるという気持ちを示している。他意はない。

* ようやく最晩年の自覚というものか。陶淵明集を開いて、こんな詩句に目を置いていた。
友人の劉柴桑に酬いた詩の一部を抜き書きしてみる、

窮居して人用 寡く、
時に四運の周(めぐ)るをだも忘る。
空庭 落葉多く、
慨然として已(すで)に秋を知る。

今我れ樂みを為さずんば、
來歳の有りや不(いな)やを知らんや。

* 此のとおりに日々送迎し、まさしく 私、只今の感慨である。

写真

玄関   小学館版・ 日本古典文学全集と  秦 恒平選集・完結33巻

紅葉

おじいやんの大好きだった 幼い日のやす香  川端龍子・畫  牡丹獅子
嬉々として 取材の父と旅を楽しんだ朝日子

慈子の像  小磯良平・畫
朱らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色
秦の実父方菩提寺とか  一度だけ吉岡守叔父に連れて行ってもらった。

おじいやんの大好きだった 幼い日のやす香      川端龍子・畫  牡丹獅子

慈子の像  小磯良平・畫
朱らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり

高木冨子・畫  南山城 浄瑠璃寺夜色

秦の実父方菩提寺とか  一度だけ吉岡守叔父に連れて行ってもらった。

 

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 歌の中山   (昭和三十・三十一年 十九・二十歳 同志社大学一、二年の頃)

手術後のおぞきひと夜も露ながら
白あざみ咲く病室(へや)と知りをり

創癒ゆとひとり知らるる朝あけの
樋のしづくの光かなしく

ハイネなく百三も読まずなが病みに
こころとらへしサザエさんの漫画
2021 9/1 237

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 歌の中山   (昭和三十・三十一年 十九・二十歳 同志社大学一、二年の頃)

踏みすぎし落葉ばかりをあはれにて
歌の中山夕ぐれにけり

ふみまがふ石原塚にみちはてて
木もれ日に佇つ人もありけり

向(むか)つ峯(を)にからすとぶぞと指すからに
夕まぐれより人に恋ひをり

夕月のかたぶきはててあかあかと
遠やまなみに燃えしむるもの
2021 9/2 237

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 歌の中山   (昭和三十・三十一年 十九・二十歳 同志社大学一、二年の頃)

菊畑に夕かげぬれてしかすがに
清閑寺道をきみとのぼりぬ

山のべは夕ぐれすぎし時雨かと
かへりみがちに人ぞ恋しき

手の窪にたまらぬほども木もれ日の
ぬくもりと知ればよろこびに似て
2021 9/3 237

★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 迪子   (昭和三十二・三十三年 二十一・二十二歳 同志社大学三、四年の頃)

ぐわっぐわっと何の鳥啼くわれも哭く
いさり火の果てに海の音する

そのそこに海ねこ群れてわがために
鳴くかと思へば佇ちつくしゐて

磯の香になれて夜寒の出雲路に
岩千鳥しもなきゐたらずや

砂山はそれかあらぬか朝かげに
わがかりそめの足跡(あと)もきえゆく
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 迪子   (昭和三十二・三十三年 二十一・二十二歳 同志社大学三、四年の頃)

ふるさととその名恋ひなば山茶花の
み墓べはれし冬日しぬばな  (新島襄先生墓前にて、婚約した迪子と)

あまぎらふ夕さみどりの木がくれに
恋ふればめぐし迪子わがいのち

* 「少年」の域を脱しようとしていた。

* 目覚めて、起きて、まっさきに太古中国の詩句や詩人の懐かしい名に見入っていた。中国に招かれた時、人民大会堂で初対面の周恩来夫人(当時副首相格)から、「秦先生は、お里帰りですね」と笑顔のアイサツがあった。「秦恒平(チン ハンピン)」は大手を振って通る中国人の氏名そのままなのを謂われたか。たしかに中国という國にも人にも 私、得も謂えない帰去来の共感がある、と倶に、あまりに福禄寿へ執着の処世へも批評・批判が在る。中国は底知れぬ古井戸で。比較に成らず、日本の国土も文化も水は清いが浅い美しい池のようだ。
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 迪子   (昭和三十二・三十三年 二十一・二十二歳 同志社大学三、四年の頃)

瀬の音もさみだれがちとなりぬれば
恋ひつつせまる吾が想ひかも

遠山に日あたりさむき夕しぐれ
かへりみに迪子を抱かむとおもふ

さしかける傘ちひさくて時雨るるや
前かがみなるきみにぞ寄らむ  (迪子詠)

* プロボーズは昭和三十二年(一九五七)十二月だった。以来一年一年を積んできた。
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部にに就職・結婚)

朝地震(あさなゐ)のしづまりはてて草芳ふ
くつぬぎ石に光とどけり

夕すぎて君を待つまの雨なりき
光りにぢませて都電せまり來(く)  (迪子詠)

* この二首をはがきに、知友に結婚(昭和三十四・一九五九年六三月十四日)を伝えた。東京新宿区河田町のみすず荘六畳一間に暮らした。東京女子医大、また出来たてのフジテレビに間近だった。テレビの現場がほぼ気ままに覗きに行けた。喫茶店セットでインタビューを受けていた番組「スター千一夜」の「無縁の相客」の躰「喫茶店」に座ってくれないかと廊下で頼まれ、夫婦で「出演」した。スターが誰だったかは忘れたが、番組後の廊下で、ズボンのポケットから掴みだした百円玉の四、五枚を呉れた。初任給一万二千円(最初の三ヶ月八割支給)の昔である、けっこうな時間給であった。
その同じ廊下を行き来しながら台本を小声で暗誦して歩いている岩下志麻と、すれ違った。放送局はちがったかも、人気の連続「バス通り裏」の頃であった。大好きだった。岩下志麻とは、ウーンと遅れて、夫君と一緒のどこかのパーティで出会い暫時談笑。建日子作のドラマにも出て貰っていて、その縁で貰ったというおしゃれで軽快なシャツは「父さんに」と、回してくれた。著名な映画監督の夫君とも映画の話題などで文通があったり、本を送ったり、「縁」は、在るモノである。
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部にに就職・結婚)

朝つゆにくづれもやらでうす紅の
けしはゆらりと咲きにけらしな

あさつゆにさゆるぎいでしものなれば
あえかに淡しけしのくれなゐ

良き日二人あしき日もふたり朱(あか)にひく
遠朝雲の窓のしづかさ

* 一階、六畳一間ずまいの新婚新居、ガラス窓をあけると、手にふれるまぢかまで花が咲いていた。
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部にに就職・結婚)

真昼間ははなの匂ひも眼に倦みて
白くちなしは咲きすぎにける

そのそこに花はかげりて夕雲の
うつくしき日はかなしかりけり

にじみあふかげとかげとの路に瞑れて
夕月に咲くあぢさゐの花

* 私の日々は、「少年」のこのかた、永い生涯を通じて、人事や職務をはなれたいわば「花と風」の別次元にいつも励まされ、癒されていた。
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部にに就職・結婚)

日あらたに地にいろづきて落ち柿の
熟れつつにほふ雨のあしたは

ものみなのいのちかなしも夕まけて
家路に匂ふ花に祈れば

黒き蝉のちさきがなきて杉落葉を
しみじみ焚けばかなしからずや

* 歌集『少年前』に 「観照 ー 感傷」 とあえて副題していた。人事や生活を謳おうという気をもともとあまり持たない歌詠みだった。
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部にに就職・結婚)

父となり母とならむの朝はれて
地(つち)にくまなき黄金(きん)のいちやう葉  (迪子妊娠)

霜の味してそのリンゴ噛む迪子
愛(は)しきかもうづ朝日子笑みもあらたし

ひそみひそみやがて愛(かな)しく胸そこに
うづ朝日子の育ちゆく日ぞ
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部に就職・結婚)

「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)の
よろこびぞこれ風のすずしさ   (七月二十七日 朝日子誕生二首)

迪子迪子ただうれしさに迪子とよびて
水ふふまする吾は夫(せ)なれば

* 出血性素因があって、出産はどうかと医科歯科大で注意され、即刻に当時血液学会会長の東邦大森田久男先生にお願いした。「大丈夫、無事に産ませて上げる」と太鼓判を戴いて、予定日前三週ほども入院、一九六○年、燃えさかる安保闘争の頃、無事長女朝日子が我が家に到来した。編集職は、幸い社外活動が多いのを便宜に、遠い大森の東邦大までよく見舞った。「朝日子」という名は、結婚より以前から私のアタマに宿っていた。
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★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ 華燭   (昭和三十四・三十五年 二十三・二十四二歳 医学書院編集部に就職・結婚)

そのそこに光り添ふるや朝日子の
はしくも白き菊咲けるかも

あはとみる雪消(やきげ)の朝のしらぎくの
葉は立ち枯れて咲きしづまれり

* 歌集『少年』はこのさきにもう少し作がつづくが、「少年」としては、こう夫となり父となり親となったところで一仕舞い「了」としておく。日々なつかしく書き出しながら、私の短歌は、畢竟、感傷そして観照ではじまって過ぎてきたのを納得する。当今「現在」短歌の奇智と奇異とをゴロタ石の道を踏むように歩くには、所詮違和と不快を覚える、そこは、みなさん好きずきということで、構う気はない。 (朝に。)
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