ぜんぶ秦恒平文学の話

詩歌 2022年

 

宗遠日乗・私語の刻 「令和四年(二○二二)」

観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

久しく山澤の遊を去り  浪莽たり林野の娯しみ
徘徊なす今し丘壠の閒  依依とし見ず昔人の居

一世 朝市を異にすと  此語 眞に虚しからず
人生 幻の化すににて  終に 當に空無に帰す

明旦 今日に非ざるに  歳暮 余れ何を言はん    陶淵明に借りて
去年の歳暮に

窮居 人用寡く 時に 四運の周るをだも 忘る
空庭 落葉多く 慨然として 已に初冬を 知る

今我れ 楽しみを為さずんば
来歳の 有や否やを知らんや 陶淵明に借りて
一昨年の歳暮に
2022 1/1

○ 幾むかし経てぞならひし色いろを
吾(あ)に教へてぞ逝きし人らはも
○ 八十六(やそろく)と佳き名賜ひてさき立ちし
面影の数に掌(て)を合はす元旦(あさ)
○ 幸(さきは)ひに汝(な妻)と吾(あ夫)を生きて壽(いは)ふ元旦(あさ)の
雑煮が美味し 忘れざらめや
○ いま幾とせ生きてし吾の為しうべき
何あるも無きもなに惑ふべき     八十六翁 南山  秦 恒平
○ 散り敷いて隠れ蓑の葉さにわ邉に
花やいでわれらを祝い染めてし
○ 忘れじの行く末までは難きとや
なげきし昔ひとのなつかし
2022 1/1

* 夕食の僅かなワインに酔い、機械の前へ来て、寝入っていた。ソファへ腰を落とし、手近の小さな漢詩選を読んでいた。今今に謂う「詩」は私にはおおかた味わいにくいのに漢詩には時に胸打たれる。
道徳は天訓を承け   盬梅は眞宰に寄す
羞づ監撫の術無きを  安んぞ能く四海に臨まん   大友皇子
天智天皇の悲運の皇子、弘文天皇として叔父天武天皇に巻頭へ逐われたが、天子の「述懐」と謂うに足る。当節の政治家に噛んで含めてやりたい。
2022 1/23

○ やそろく様
ご結婚記念日 おめでとうございます! 仲良くお元気で今年も迎えられて 本当に良かったですね。お仕事も順調に続けておられて 何よりのお幸せだと思います。
お母様の短歌は 並々ならぬ才能と感じました。私は短歌には疎い人間ながら胸打たれました。この短歌集がひとつの小説のようにも感じられます。さすが親子だと思いました。
遺書のお歌は 今もあにうえ様の創作の源だと感じます。
今日はワクチンも済ませて
楽しいお祝いの1日となりますようにと願っています。 いもうとより
2022 3/14

高○ 拝啓 何かと落ち着かない日々ですが
先生にはいかがお過ごしでしょうか 先日の「老蚕作繭」も含め、毎回、ご恵送賜り ありがとうございます
以前戴きました、青春の歌集「少年前」は とても中高生の詠歌とは思えませんでした 「象徴とは無形の余情」であるという一句 なるほどと思った次第です
<355 ゆらゆらと雪解(ゆきげ)のけぶりぼる見えて光線(ひすじ)ななめに軒をかすめぬ> などは十代の少年の歌とは思えぬほど適確な叙景の中に何かを感じさせる一首でした
どうもありがとうございました   敬具  京・鷹峯  三谷憲正

* 「少年前」「少年」の昔の なにか懸命に生きていた歌を読んでいただけるのが、私は嬉しい。
2022 3/15

◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄   (神谷美恵子の訳による。)

◎ 名誉を愛する者は、自分の幸福は他人の行為や思考の中にあると思い、享楽を愛する者は、自分の感情や他者の好意の中にあると思うが、ものの分かった人間は端的に、自分の行動の中にあると思う。 (第六章 五一)

* これやこの強情我慢 花吹雪

これやこの強情我慢 福壽草
2022 4/1

* 「やそろく」の妻となる朝の手をとりて盃かはす我も「八十六」 恒平

* 元気は過信してならず、弱みに逃げても危ない。川の流れのように、大きな川でなくてよいのだ、ただ確かに温和に変わりなく流れて行ければ良い。
2022 4/5

* 何故と、ハキとは言えない、分からない、が、しんから草臥れてわたしは萎えている。なにもかも、もういい、もういやという落胆で、終わりにしたい気持に落ちている。したい、が、死体と書けてしまう。死にたいのではないが死んでもいいという気持だ。なぜか分からない、穴へ押し込まれるような敗亡感。
思いがけず手に触れた、今年の元旦に大きな用箋に気張って書いたもの、その末行にこんな一首が書いてある、
いま幾とせ生きてし吾の為しうべき
何あるも無きもなに惑ふべき  八十六翁 南山   秦 恒平
と。四首の歌の最初はこう詠んでいる。
幾むかし経てぞらひし色いろを
吾(あ)に教へてぞ逝きし人らはも
と。その「人ら」の方へ顔を向けているのか、ちから果てて。
2022 5/27

* 疲労困憊のママ、あの不幸な戦争へ『開戦まで』の内閣総理、陸海軍 天皇 そして米国側の 緊迫と迷走と開戦へ押し流された趨勢を映像で見ていて、ほとほと疲労を増した。またまた原爆へ、そして八月十五日、「日本の最も長かった」敗戦の一日を懺悔のように顧みねば済まなくなる。
戦争に負けて良かったとは思はねど
勝たなくて良かったとも思ふわびしさ  恒平
2022 6/1

* 顔ぶれなどもうまるで覚えないが親しいグループとの遠い旅先で独りはぐれ、どう、どこへ、家の方へ帰れば良いかと乗り物を探して戸惑う夢、もういろいろに繰り返し何度も何度も観て来た。昨夜も。よほど遠い北ではぐれてなんとか北海道まで帰り着かねばと困惑していた。いっしょに来るな、帰りなさいと突き放されるのか。かも知れない。

◎ 「恒ちゃん」と吾(あ)を呼び呉れしまひとりの「姉さん」が恋しすべもすべなく
2022 6/7

■ 先日、市川では激しく雹が降りました。講義の最中に雷鳴も轟き、帰宅する時には上がりました。
今日は、、録画しておいた「あの胸が岬のように遠かった」を観ました。永田和弘の著を原作にしたドキュメンタリードラマですが、ご覧になりましたか。永田と河野裕子の歌を、詠み直したくなりました。
(やそろくさんは、最近は作歌なさっていますか。「私語の刻」は、「湖の本」でしか読めないでしょうか。)
不安定な気候が続きますが、どうぞ体調を崩されませんように。 晴

* 亡き河野裕子は、斎藤史に継いで、最も優れた歌人と東工大の教室で推奨した私最も贔屓の歌人。永田は夫君。ドラマは観ないが、裕子歌集は書庫に愛蔵している。
わたしは、昔からそうだが「作歌」という施政からでなく歌は成るがママ、谷崎先生がいみじくも喝破されたように汗や涙や、まあ排泄物なみに流れ出染み出てくるのを書きとめるだけ。作り立てた歌にはどうも浸透力が無い気がする。「作」ではない「うた」であるからは「うたう」から「うた」と思っている、はや議論する気は無いが。
2022 6/8

○ 夏至の朝を愉しむらしきおとといのアコとマコとははや駆けるりをり
2022 6/21

* 八時の朝、往年の作を必要あって点検し添削していた。息をやすめたく、『遊仙窟』詩情の交歓を暫くにこにこ、いや、にやにや、愉しんだ。
女が誘う 平生好須弩
得挽即低頭
聞君把提快
更乞五三籌

男が出る 縮幹全不到
擡頭則太過
若令臍下入
百放故籌多

何をか謂わん。
2022 7/7

* 「金鴟耀く日本の 栄えある光り身に承けて 今こそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴る」は、断然,野暮でも有り、宜しくない。
「見よ東海の空あけて 旭日高く耀けば 天地の正気溌剌と 希望は躍る大八洲(おほやしま) おお晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ 金甌無欠揺るぎなき わが日本の象徴(しるし)なれ」が、「君が代」と並んで今一つの「国歌にふさわしい」と、夢の中で説き続けていた。子供の頃からそう思っていた。沢山な魅力の詞と漢字とをこの歌で覚え憶えた。「富士山」が好き。
2022 7/21

* 寝起きの早々に『遊仙窟』に、十娘(じゅうじょう)最期の「おさそひ」に惹かれ魅されているとは。あえて和訳の「わやく」は避けておくが。

素手曾経捉
繊腰又被將
即今輸口子
餘事可平章
2022 7/22

* 手に触れた『遊仙窟』を明けた頁に,神がかった美女の「十娘」早々のお誘い。
勒腰須巧快   腰を抱くのは手際よく
捺脚更風流   脚をおさえれば、なお粋き
但令細眼合   細めた目と目が逢いさえすれば
人自分輸籌 わたくし 負けたわとあきらめます
恐れ入ります。(意を酌んでおく)
2022 7/28

* 「知っている識らない町」をもう六、七ヶ所は通っている。訪れたのではない、偶然に行き合い、また紛れいるのである、むろんと謂う,夢の中の徘徊であり遭遇であり体験であり、いずこも同じ不可解に怖く妖しげに凄まじい町で家で人らである。私自身は紛れ込んだ通行人で、そこに地ヂンとの出逢いも、邂逅といったものも無い。前にも来た、初めて来た、見覚えているなどと確認している。見覚えた人というのは一人も無いが、ばらばらに、老若男女とも住人はいて、時季、時節、時代も風俗もまちまだが、貧寒として共通して侘びしい。
なぜこんな夢を繰り返し見るのか。町通りのことも、山崖を繰り込んでような異様な場所も、なみとの通りから名ミリ表戸を押してはいると迷路のように地下深くの家々の小庭を身を狭めて通り抜けてゆくと、もう地底のような市にお宮が在ったりする。ほっとしてお宮から外へ出ると都会の大通りであったりする。異様な夢中体験と謂うしか無い。こんな際に、私に連れのあったことは一度も無い。身を切るほど寒い彷徨でしか無い、誰かと口を利いたことも無い、乱暴にも遭わないが、憎々しく睨まれる。全くの「よそ者」と睨まれる。
これら「夢寐の彷徨」を美しげによそえて謂わば、まさしく
月天心貧しき町をとほりけり
2022 8/9

* 相変わらず、いま書き置いた筈の記述がつぎに開くと機械から消え失せている、とは。何かを、この私が間違えているか操作を知らずに居るか、ですかねえ。

* 晩の八時半。
ねむるべくいきてゐるらしねつづけてさめてあえなしゆめもみざりき

* 『なまなり 左道變』 終盤へ強いジャンプをと願う。
2022 8/13

* 妻に聞くと、昨晩は七時にもう、私、寝入っていたと。朝かしらと目覚めても外は真っ暗、時計は九時と。変な時計だと思いつつまた寝入って目覚めて、時計は11時、しかし真っ暗なのだしとまた寝入って次は一時。バカみたい、とまた寝入って、なんと、亡き秦の母と高校の頃の村上正子と三人で、東京だか大阪だか大都会へ夢に旅していたからビックリした。なんぼ何でも朝だろうと目覚めてもまだ外は真っ暗、五時になってない。ママよと床を起って、二階へ来た。とんど十時間も寝入っていたのだ、少しはアタマすっきりしていて貰いたいが。珍しく空腹を感じている。
秦の母と高校時代の村上正子に接点は全く無い。村上は私の「短歌愛」に賛同しノート作りにまで手を貸してくれた今も懐かしい佳い友達だった。消息が知れていない。元気だといいが。
2022 8/17

* 寝るために起きてきたかと笑はれて疑ひもなくそのやうである  午前十一時
骨と皮に瘠せてにくむに肉の無い我身のさまをわらふすべなく
2022 8/18

* 性など謂う「こと」からかけ離れ、何十年か。張文成の『遊仙窟』やときに『道教の房忙中』などぱらぱらと見もするが、最近は、葉徳輝の編になる『雙梅景闇叢書』のうちか『素女経』や、殊に白楽天の弟という「唐白行簡賦殘巻」中の『天地陰陽交歓大樂賦』の名文(原漢文)を愉しんでいる。「歓」は「勧」ともあるが、前が正しいだろう。

夫性命者人之本、嗜欲者人之利。本存利資、莫甚乎衣食既足、莫遠乎歓娯楽至精。極乎夫婦之道、合男女之情、情所知、莫甚交接。(交接者、夫婦行陽陰之道)其餘官爵功名、寔人情之衰也。

と、真っ向書き起こされてある。しかも以下の叙事修飾が美しくも情に豊か、想に熱い。白行簡の『大樂賦』じつに心憎い名文の著なのである、本は新しく綺麗で、私が買い求めたと思われるが、いつ手にしたか全然覚えない。白楽天の詩には少年の大昔から、祖父鶴吉の蔵書で久しく「愛読」を重ね重ねてきたので、その「弟」の著作というのに惹かれたのに相違ない。で、この数日前から机右にいつも控えてくれている。「やそろく」翁の気付け薬のようである。
2022 8/18

〇 母は八十代に入ってからは毎日、疲れた、体調が悪いと言い続けていますが、来年は九十歳です。高齢になると、最悪の体調のまま生活しなければならないという教科書のようで、「元気な高齢者というのは幻想」だとわかります。
みづうみの精神はお若く脳は益々お元気。素晴らしいことです。お仕事に埋もれながら、いつもお幸せでいらしてください。お元気ですか、みづうみ。  なつは 夜

〇  つみためしかたみの花のいろに出でてなつかしければ棄てぬばかりぞ

* 走り書きや思い付きのママ書き捨てたまま、散った花びらのようなものが、機械のあちこちで埋もれて在る。無数にある。なにとはなく「花筺 はなかたみ」に投げ入れておいてやろうと。
私の場合、「書く」とは「描いておいて化ける」のであろう。「花」とは、なにかの化けた証しなのではないか。「私語」とすこしちがう。いや、全然ちがう気がする。秦恒平を騙った魑魅魍魎のつぶやきに近いか。
2022 8/20

* 朝はいちばんに、煎茶を惜しまず、茶を点てた。朝一番の美味い茶は、新門前の昔から秦家では「ならわしごと」。夏には母がかならず障子を張り替えていた。観るから涼しくて好きだった。狭いながら泉水の水を替えて金魚をはなすのも、笹が青青とそよぐの浅賀の作のも好きだった。昔のわが家には小さいなりの爽やいだ文化があった。母にも叔母にも、たとえ漬け物漬けにしても毎年観られる生活上の年中行事があった。好い物だった。
今のわが家では障子の張り替えなど想いも寄らない、ありとある障紙「マ・ア」ズに攻撃されて失せており、妻にも張り替える手技が無い。家政と謂うことでは年寄りや男の沈黙の目に見られて、母も叔母も、想い起こせばいろいろな「ならわしごと」をを手早にきびきび遂げていた。掃除と洗濯と食事の用意だけでは無かった。それらにも「機械」の手助けなどナニも無かった。

* 「ならわしごと」と書いて、胸の痛い想い出に触れてしまった。

よのつねのならはしごととまぐはひにきみは嫁(ゆ)くべき身をわらひたり

謂うまでもないがここで「まぐはひ」とは目と目を合わせての意味に歌っている。上皇を謂う「みとのまぐはひ」ではない。あの、祇園石段下、屋さん中学の前、四条大通り路上での、のこり惜しい、よぎない、ただ数分に満たなかったまさに「立ち別れ」だった、いまも手を結び合うた「あのとき」のままに思い出せる。いらい、七十年怒濤の人生はいまにも静かに濤を退こうとしており、あの「ねえさん」もすでに亡いと、妹、またその義妹により、あたたかな心遣いと共に伝えられている。

あなたとはあなたの果てのはてとこそ吾(あ)に知らしめて逝きし君はも
2022 8/27

* フローベールの『紋切型辞典』は、西欧世間の感覚に偏しているとみて、断念する。岩波文庫『王朝秀歌選』樋口芳麻呂校訂の「歌合」を私なりに批評し鑑賞することに。これは楽しめよう。
2022 10/20

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合  の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。 ◎ 前十五番歌合  一番
* 櫻散る木の下風は寒からで 空に知られぬ雪ぞ降りける    紀 貫 之
* 我が宿の花見がてらに來る人は 散りなむ後ぞ戀しかるべき  凡河内躬恒
〇 上代平安朝和歌を率先・堪能・著名の二人。「寒からで」「空に知られぬ」は理に執くが貫之の歌は美しい。躬恒作は「花 見がてら」「花見がてら」と紛れ、「がてら」も汚い。下句も「理」に陥ちている。

* 疲弊の日々にも、毎朝の これは心行く楽しい作業になるだろう。
2022 10/21

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合  の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  二番
* 今來むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出つるかな  素  性
* 散り散らず聞かまほしきを古里の 花見て帰る人も逢はなむ  伊  勢
〇 待つ女に身を換え坊主らしからず色めいた素性のうたは、上句を下句へ繋いで二た色の「月」のかさねも「の」の連動も、巧みに聲美しいが、下句「出(で・いで)つるかな」の紛れが一首を「もたつかせ」た。才媛伊勢の歌は聲韻美しく斬り込む上句ではあるが、下句「人も」の「も」は適確でなく、一首を曖昧にした。
2022 10/22

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合  の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  三番
* 世の中に絶えて櫻のなかりせば 春の心はのどけらまし  在五中将=在原業平
* 末の露本の雫や世の中の 遅れ先立つためしなるらむ   遍昭僧正
〇 業平は、散りに散る櫻の美しさに胸さわぐまでの春を いとひ顔にしかし賛嘆している。上句、「理」に執くくどさは感じるが、一首の趣意には王朝びとの季の盛りを待ちまたいと愛しむ歓びを謂ひあらはし、實感によく逼っている。
高位の「僧」遍昭の抹香くさい「きまり文句」でお茶を濁したしたり顔は見にくく、「葉末」の露に番えている雫の「本」一字に謂い足り無さ露わで、取り柄の何も無い。
2022 10/23

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  四番
* 春立つと言ふばかりにやみ吉野の 山も霞みて今朝は見ゆらむ 忠岑(壬 生)
* 千年まで限れる松も今日よりは 君に引かれて万代や経む   能宣(大中臣)  〇 忠岑歌に、一首の、謂わば「音声・音調」の美しさは優に認められる、が、「言ふばかり」という予期・推量で一首の幻像が成ると便乗し期待しているのは、乗れない「理くつ」である。
能宣の一首は、敦實親王が正月子の日の遊びに、要は「おべんちゃら」、一首に多用の「カ」行音の連弾も工夫の不足、和歌として無神経に粗い。
2022 10/24

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  五番
* 行きやらで山路暮らしつ時鳥 今一声の聞かまほしさに   公 忠(源)
* さ夜更けて寝覚めざりせば時鳥 人伝にこそ聞くべかりけれ 忠 見(壬生)
〇 公忠の一首、意味は通っているが上三句がぶつ切れの「説明」 下句「聞くかまほしさに」と理付けの鈍くささ、和歌ならぬ不味い散文に過ぎぬ。音
忠見の一首、上句の「ざりせば」が音汚く執濃く、下句の「にこそ」「べかりけれ」も「うた」として淸らでなく押しつけがましい。「ほととぎす」の置場のたまたま揃ったのを番えたにしても、美しい利きとはいえず、二首ともに「理屈」を「述べ」ただけ。
2022 10/25

◎ 前十五番歌合  六番
* 人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな 堤中納言(兼輔)
* 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも怨みざらまし 土御門中納言
〇 「子を思ふ」藤原兼輔 「逢ふ恋の情動」藤原朝忠 ともに表現に遜色なく、過不足なく真情を詠いきり 吟誦に耐えて読む胸に鳴ってせまる。「秀歌」と謂う
2022 10/26

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  七番
* 夕されば佐保の川原の川霧に 友まどはせる千鳥鳴くなり   友 則 (紀)    * 天つ風吹飯の浦にゐる鶴の などか雲居に帰らざるべき 清 正
〇 友則歌の下句「友まどはせる」は、夕暮れに友鳥を「見失っている」意。上句「さ さ」「か か」の音色の「追い」がきれいに効いて夕景色が美しく目に見えるよう。秀歌と謂えよう。おい
淸正歌には昇殿をはなれて地方官として宮廷をに出る感情の渋みが一首の「翳」をなしている、また殿上の日々へ帰って来ずにいないと。地方に「ゐる」という一語に、「などか」「べき」と気張って返すもの言い、音を上げた感触、いかにも。お気の毒、だが。
2022 10/27

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  八番
* 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞ有りける   小野小町       * 秋の野の萩の錦を我が宿に 鹿の音ながら移してしがな    元  輔 (清原)  〇 小町の透徹した心眼が、無駄音一つ無く 「の」音連弾の成功、この効果で「ぞ」という強調の濁音も場を得て響き、倶に完璧に表現されている。歌意にも深切の含蓄あり、躊躇わず秀歌と云う。
元輔歌は、これでもかと、いささかにふざけも見える趣向で、独り笑いにいちびっている。しかも韻のいきおいは濁って、結句にも締まりが無い。
2022 10/28

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  九番
* み吉野の山の白雪積もるらし 古里寒くなりまさるなり   是 則         * 年ごとの春の別れをあはれとも 人に遅るる人ぞ知りける  元 眞         〇 是則、「山」とばくぜんとより「峰」とおいて「み」音の連繋に「うた」をひびかせたかっ、上句まつの「らし」という推測も聴く耳に硬く、言い切りが過ぎて上下句くのなみうつ協奏をえぬまま「おっさん」天気予測終わった。
元眞歌には「ひとに死なれた、死なれようとする」悲しみが、花の春という盛りの季のいましも去り離れ行く哀情とが歌い手の胸をついている。秀歌と謂える。

* 毎朝の一番に「王朝和歌」の名だたる歌合わせを評し審判するなどいう丈高い行為には、おろそか無きを期している.令和の世に、かく「千年の昔」の風雅と心して向き合い楽しんでいる文士が、いるよ、と謂うこと。
2022 10/29

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  十番
* 有明の月の光を待つ程に 我がよのいたく更けにけるかな   仲  文
* まだ知らぬ古里人は今日までに 來むと頼めし我を待つらむ  輔  昭
〇 有明を待って、夜の「更け」は、当たり前のはなし。だが、「よ」は、夜と謂う以上にわが老境の自覚・感慨を託した一字一語で在ろうよ。
輔昭の地方官に認知へ赴く者の代作といわれる一首 なにをか云わむ。、
2022 10/30

◎ 前十五番歌合  十一番
* 琴の音に峰の松風通ふらし いづれのをより調べ初めけむ  齋宮女御(徽子女王)
* 岩橋の夜の契りも絶えぬべし 明くる侘しき葛城の神     小 大 君       〇 「のね に ねの」とさながらに遠山風の「通」い流れる上句の感嘆に価する「うた」声のうつくしさ「希有」の表現と褒めたい。しかも下句の「いづれの」「を=緒 峰」よりという「調べ」と把握した適切と適確には驚嘆する。一首の「うた」が遠山なみを流れる風を、人智を越えた大自然という楽器が奏する「さながらの音楽」と成りきっている。いささかの渋滞なく「魂」に協和して「日本の和歌史」に卓越の「名歌」と賞讃してやまない。{
小大君の一首も渋滞なくたくみではるが、何と謂うても総じて各句とも葛城、岩橋という伝説と神話に負うており、それが、容易くは越え難い高い観賞の限界を自ら爲してしまっている
2022 10/31

* 弥栄中學三年生のむかしの、西池先生がたもおいでで、盛大に群集しての楽しい夢をみた。学校生活として最良最高に楽しいいい時代だったなあ。三年担任の西池先生はむろん、一年の音楽小堀八重子先生、二年の英語給田みどり先生、国語の釜井春夫先生 図画・体操橋田二朗先生、理科の佐々木葉子先生、社会科の高城先生、数学の牛田先生、教頭の喜尾井先生、秦一郎先生、寺元慶二先生、
小学校でも高校でもこうは覚えていない、が、小学校の中西秀夫先生は私の作文力をしかと後押しし、卒業式では五年生送辞、六年生答辞を寄せて下さった。高校では国語科の歌人上島史朗先生により短歌人へと強力に背を押され、太平記への詳細な注釈を遂げられた碩学岡見一雄先生には源氏・枕なと古典の朗読と愛読に火を点けていただき、創作者への背をぐいと推して戴いた。三年担任の先生には、受験勉強は嫌いですというと、そかそかと即座に三年間の成績表を調べられ、これは無試験推薦に有り余るよ、推薦しようかと、ボボンと同志社へほとんど先生が即座に決めて仕舞われた。この先生は、我が家打ちの大人らの超絶不穏を聞かれたか、ふっと家に見え私話祇園円山へ誘い出して励まして下さった。今にしてしみじみ有難く思い起こされる。

「先生を慕う」とは「先生に励まされる」のと表裏の同義、そういう方との出会いがあったから永く満たされて歩いて来れたとは、決して忘れては成らない。
2022 10/31

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  十二番
* 嘆きつつ独り寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る 傅殿母上(道綱母)
* 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな    帥殿母上(高階貴子) 〇 ともに百人一首で馴染みの歌。道綱母は兼家の夜離れを嘆き訪れを夜通し待ちわびて訴える嘆き歌、女の肉声が聞こえるようで、間然なき秀歌を成している。
高階貴子のほうは、「忘れじ」の肉声をもちこみ、「理」で責めて、甘えたイヤミを、音韻の躓きなくたみに歌っている。
いい勝負だが、かすかに上句で道綱母がすぐれ、下句は貴子の直の物言いが歌(うったえ)に化(な)っている。
2022 11/1

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  十三番
* 焼かずとも草はもえなむ春日野を ただ春の日に任せたらなむ 重 之(源)
* 水の面に照る月次を数ふれば 今宵ぞ秋の最中なりける     順 (源)
〇 重之歌。「野焼き」を、火に任せずとも、柔らかな「春の日」に任せた方が、若草も美しく萌えように、と。「もえなむ」「たらなむ」の、「春日(かすが)」「春の日」の、意図的な「置き」が調和の美をえているかどうか。初句の「ずとも」が「理」に落として毀していないか。技巧が巧みを得ていないと観る。
順の歌。指を折って「数ふれば」、そうか、今夜は秋の十五夜、だから月も月影も美しいと。「数ふれば」と一首を先ず条件付け、「満月」と「秋の最中」を「理」に填めて打ち重ねたただ「戯れ言葉」に仕立てている。
両歌とも「うた」の自然が生きないで「くさみ」を余している。
2022 11/2

* 平城宮祉で最古とみられる「倭歌」の木簡が見つかったと。
2022 11/2

◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰  時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合     の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合  十四番
* 数ふれば我が身に積もる年月を 送り迎ふと何急ぐらむ  兼 盛 (平)
* 鶯の声なかりせば雪消えぬ 山里いかで春を知らまし   中 務          〇 兼盛歌。 「數」えなくても、誰しも老いの歳月を積み重ねるのは、通常。あたかも齷齪と年取るモノを諷し嗤いもしているか。だが初五の「数ふれば」に「うた」としての映えがなく、俗言のまま。
〇 中務歌。 陳腐な「理」にあてて気取ってみても、「なかりせば」の卑俗な口調といい「雪消えぬ」と上三句を「云い切った」に同じい寸づまりで、下句「山里」を棒立ちにしてしまっている。才気を気取って陳腐な一首に堕している。
両歌とも「うた」の自然が生きないで「くさみ」を余した咎は、「十三番」に同じい。
*  但し此処に謂う私の批評は、あくまで21世紀令和の一歌人・文士の思いようであり、原作者らが生きた時代のいわば「常識・風儀・趣味」は斟酌していない
2022 11/3

八代集秀逸  古今集から後撰 拾遺 後拾遺 金葉 詞花 千載 新古今集まで八代勅撰和歌集から各集十首、計八十を選抜した秀歌撰。隠岐に流されていた後鳥羽院の企画を、藤原定家が京都で撰。定家による小倉百人一首の八ヶ月以前に撰され、重複も多い。
『十五番歌合』同様、秦恒平が現代歌人として二首ずつ斟酌なく鑑賞批評する。
◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* 白露も時雨もいたくもる山は 下葉残らず色づきにけり   紀 貫之
* 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に触れる白雪   坂上是則
〇 貫之歌。  白露・時雨のあたかも重複は、「し」音を効果的に継いだ気の技巧にも救われず、「もる山」というほぼ無意味、下句の「残らず」という直拙も加わって、「うた」の妙趣・妙韻を圧殺の気味、貫之にしてと嘆かれる。
〇 是則歌。  上句に重ねた「あ」音の階調、「有り明けの月と」と八音にしての「有り明けの月」の明るい印象により、「見るまでに」というくどい強意をすら効果に変じた技巧は「うた」一首をすでに響かせ、下句はもうありのままの景色を直叙して、優に美しくも明瞭に足りた。月光に白雪が「うた」ひ合うている。名歌と謂うに足る。
2022 11/6

◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り來む 在原行平朝臣
* このたびは幣も知りあへず手向山 もみぢの錦紙のまにまに  菅原朝臣(道真) 〇 行平歌。  いわゆる「縁語」「掛詞」の自然な駆使に於いて卓越している。「いなば」は別れて「去ねば」、また「いなば」山という名にもかかわりながら、上三句の「生ふる」は「松」が「生えて」いて、しかもこの「松」、わたしの帰ってくるのを「待つ」ていてくれるのなら、「いま」にも急いで「帰って」こようよと、終始一貫、腐りのように詞を繋いで巧みを極めている。しかも総じて語聲・語音にいささかの渋滞も無理も成しに一首の意味をかんぺきにちかく表現しきっている。心優しい歌意が美しい「うたごえ」となって完成している。「生ふる」と「まつ」とに微妙な「間あい」を活かし得ているのにも感嘆する。此の手の「巧み歌」でも聳立の秀歌と言おう。行平はあの業平の兄である。
〇 道真歌。  此のたびは、恐れ入ります、崇敬をあらわす手向けの「おみやげ」の心用意が成りませんでした、が、なんと手向山の美しい紅葉でしょう、なまじいの手向けものよりも、どうぞ心行くまで全山紅葉のこの美しさをご堪能ありますようにと、これは「うた」を仮りてのごアイサツであり、ま、末句の「まにまに」に微かにかるくちめくものはあるが、それもご愛嬌、天神様なればの達意の一首と読んで置く。
2022 11/7

◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし   壬生 忠見
* 名取川瀬々の埋れ木現れば いかにせむとか逢ひ見初めけむ  よみ人知らず   〇 忠見歌。  「有明のつれなく見えし別れかな」で、足りている。下句は、「慨嘆」の實よりも、タダに露骨な「言い分」に堕ちている。
〇 よみ人知らず歌。  「名取川瀬々の埋れ木」とは美しい「うたひ出」で感じ入ったのに、舌足らずな、舌を噛みそうな「現れば」の稚拙が、ブチ毀してしまった。忍びつ逢ひ初めた恋の、露見と浮き名とを、なげくがごとく、じつは心浮き立っている「佳いうたごえ」なのだ、一句一語の未熟で秀歌が毀れるコワイ一例である。
2022 11/8

◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に 藻塩垂れつつわぶと答へよ  行平朝臣
* たが禊ぎゆふつけ鳥か唐衣 竜田の山にをりはへて鳴く    よみ人しらず   〇 行平歌。  「須磨」とあるが、行平は紫式部より先の時代を生きた朝臣。光源氏の「須磨隠れ」の方がこの「行平歌」にならったことであろう。「わくらばに」は、「もしも、たまたま、たまさかに」訊ねる人がいたら、の意、「わぶ」は「侘び住まふ」のであって、一首の奥行きとしてはなぜ「須磨」か、に拠ろう。行平の「好み」と汲んで過たないがうら銹びて「住まふ」の含みを読みたい。渋滞無い、佳い「うた」声と聴ける。
〇 よみ人知らず歌。  上句チグハグと鈍く混雑し、下句で、「唐衣」を「たつ」「織る」の「縁」を謂うに過ぎず、秀逸の一首とはとても「詠み」難い。
2022 11/9

◎ とびのこゑひさしく聴けぬおほぞらをあふぐからすは瘠せてはね打つ

〇 元気でゐてください。あらためて明日メール書きます。
もうお休みになられていらっしゃるでしょうね。お休みなさい。 尾張の鳶
2022 11/9

◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* つつめども隠れぬものは夏虫の 身より余れる思ひなりけり  よみ人知らず
* 白露に風の吹きしく秋の野は 貫き留めぬ玉ぞ散りける    文 屋 朝 康
〇 よみ人知らず歌。  上二句が「夏虫」の条件付き説明になっており、この「夏虫」が蛍であることは「思ひ」という「火(光り)」とぐわかる。判ってしまえば歌一首が「ほたる」を謂うかに早合点されてしまいやすく、「つつめども隠れぬ」「こひ」という「火」と理会するのに五句一巡の「間」が要る。その遠回りを、歌の「妙」と酌むか、理に嵌まった「説明」と嫌うかは、人に拠ろう。気取って読めて、秀歌とは思われない、私には。
〇 朝康歌。  表現完璧の美しい名歌と賞讃する、風に散りこぼれる無数の煌めく「露」を、首飾りのように緒糸に繋げない「玉」ととらえた視線は健康で、吹きしく「秋風」の野もせを歌読む肌身にまで感じさせる。
2022 11/10

〇 喜怒哀楽の未だ発せざる、これを「中」と謂ひ、発してみな節に中(あた)る、これを「和」と謂ふ。「中」は、天下の「大本」なり。「和」は、天下の「達道」なり。
「中和」を致(きわ)めて天地位するなり、萬物、育するなり。  中庸
* 以前にも「感じ」て、引いてたかも知れない、四書のうち『中庸』の一至言と読む。
この『四書講義』上巻は大阪偉業館蔵版、明治廿六年二月十日の刊、三十壱年四月廿八日再版本で、秦の祖父鶴吉は三十歳、父長治郎誕生直前の本。それを令和四年の私が手にし眼にしている。本の綴じは、手にするつど端から崩れて行く、百数十年むかしの一冊、読み崩すまいか、読みたいか。読みたい。
「四書五經」と謂う。『中庸』は「四書」のうち。
今、もう一冊手に持っている『詩經講義』は「五經講義第二」本に当たっていて、私の久しく苦手として、どうも判らないで来た「詩」なる一字の大義が、学び識れるかと期待している。
すでに巻頭「凡例」の一に、
「詩」ニ六羲アリ 曰ク「風」 曰ク「賦」 曰ク「比」
曰ク「興」 曰ク「雅」 曰ク「頌」 是レ也
これ、 門外漢なりに、「短歌」を詠作し「俳句」を鑑賞する一人として、体験的・具象的に理会も納得も出来そうに思われる。「詩」とはと訊ねて、どの昨今の「詩人」らもこうは答えてくれなかった。
わたしは日本文化を早くから「花と風」に託して、説きかつ主張してきた。上の「六羲」と噛み合うている。そう思う。
東京山手の懐かしい庭園に「六義園」がある、忠臣蔵に絡んだかの将軍家御用人柳沢吉保の旧邸だ、名園の少ない東京では筆頭格の好環境、かつてはe-0ld勝田貞夫さんと夕暮れる迄しみじみ逍遥散策を楽しんだことがある。
また久々に行ってみたいなあ。勝田さんとも会いたいなあ。せめてもう一度。
2022 11/10

◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
* 秋風に誘はれわたる雁がねは 物思ふ人の宿をよかなむ    よみ人知らず   〇 天智天皇歌。  上三句「苫をあらみ」の字余りが絶妙、下末句を収めた「つつ」にかすかな不満は有りといえば在るが、ほぼ完璧の秀歌と頌えうる。
〇 よみ人知らず歌。  上二句の、誘はわれ「わたる」が鈍く、雁がね「は」も鈍く重く、上句がそのまま主語の名乗りと終えて読めるのも、宿を「よかなむ=よけてくれないか」との「{持ち込み」も鈍くて重い。
2022 11/11

◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 思ひ川絶えず流るる水の泡の うたかた人に逢はで消えめや   伊  勢
* 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど 余りてなどか人の恋しき     源等朝臣    〇 伊勢歌。  「水の泡」と「うたかた」は同意羲の音調を「響かせかえ」ての技巧でありながら、「消えめや=消えるものか」「うたた」つまり一通りでなく、心して、必ずやと、微妙・美妙の意思表示にまで鮮やかに、鮮やか過ぎるほど「転変」させている。言葉を自在に操って巧緻の極を、むしろ、尽くし過ぎたほどの巧い一首、才長けて意気高い平安女性の一の典型歌。
〇 源等歌   「忍ぶれど」は漏れて現れそうな恋心を「まだ浅いので」韜晦の振りをみせつつ、下三句の「直情」を隠れなく打ち出している。男性的なつよみを自覚した断乎とした表白に技巧を超えた魅力がある。秀歌と推して躊躇わない。
2022 11/12

◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 東路の佐野の舟橋かけてのみ 思ひわたるを知る人の無き    逸  名
* 逢ふことは遠山摺りの狩衣 きてはかひなき音をのみぞ泣く   元良親王
〇 逸名歌。   舟を繋いで渡す舟橋はいわば 佐野の名物・名所。その橋を「かけ・わたる」を縁語に引き出し 秘めて甲斐無き恋路を懸命にわたっているのです、分かつてよと、いささかは胸を張っている。後の斡旋に手慣れたものがあり、巧み歌と謂うところか。
〇 元良親王歌。   上句は、逢いたいあの人になかなか逢えないと身を摺り揉む気持を「狩り衣」なる衣類へ掛けながして、下句の「着ては(幾度逢いに来ても)」甲斐無くてただ声に出して「泣く」ばかりです、と。 縁語の斡旋がお得意と見せた感じの、実意に淡い「つくり」歌に止まっている。
2022 11/13

◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の 千代の古道跡はありけり    行  平
* 是や此の行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬも逢坂の關    蝉  丸
〇 行平歌。   何らかの伝承ないし古傳を頼んだだけの歌はただただ古びて行く。「千代の古道」なる「伝わり名」を京育ちの私は知っている。「嵯峨の山」はもとより「芹川」も知っている、が、おそらく「深雪」にも掛けたろう「御幸」をこの歌から意味ありげに伺いみることは到底ムリというもの。行平という実在した古人の個人的な逍遥や見聞は、固有名詞をならべられても「うた」ということばの音楽たる美しさ楽しさとしては伝わらない。
〇 蝉丸歌。   これは、もう完璧に「うた」いあげて「人の世」の「行き交い」が奏で合う「常も無常も」を歌いきって胸を打つ。古今に生きてつたわる絶妙と賛嘆する。
2022 11/14

◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 春立つと言ふばかりにやみ吉野の 山もかすみてけさは見ゆらむ   壬生忠峯  * 八重葎茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は來にけり       恵慶法師
〇 忠峯歌。   「前十五番歌合 上古」の「四番」ですでに読んだ。一首の、謂わば「音声・音調」の美しさは優に認められる、が、「言ふばかり」という予期・推量で一首の幻像が成ると便乗し期待しているのは、乗れない「理くつ」であると。
〇 恵慶歌。   まことに素直にそのままの意味を「うた」っている。「人こそ見えね」には、「来客は無いが」「人目には見えまいが」「秋はもう来ている」と巧みに重ね言うている。秀歌と謂えよう。
2022 11/15

◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 天の原空さへさえや渡るらむ 氷と見ゆる冬の夜の月 逸名
* いかにしてしばし忘れむ命だに あらば逢ふ世のありもこそすれ  よみ人知らず
〇 逸名歌。   私は、末句「冬の夜の月」を「よの」と型通りに詰めて詠まず、あえて「冬のよるの月」と字余りに、空も月もを大きく詠いたい。字句も「うた」としても巧者に月の空晴れやかに詠いあげて魅力の秀歌と謂おう。
〇 歌人不明歌。 平生は煩わしさに何とか忘れていたいほどの「命」ではあるが、それ「在らば」こそ恋しさに逢いたい見たい「世」にも行き会える、と。「世」とは、本来が男女相愛の「仲」を謂うほどの一字一語。下の句に見よ聴けよとばかり巧みに「あ」音を連ねた意気とも稚気ともご自慢ともみえるのも面白い。
2022 11/16

* ゆうべは、九時半か十時にはもう床に就き、校正したり本を読んだりもしたが寝付きは早かった、か、就寝前に、利尿薬、そのうえ「むくみ」除りも服したので、一時間ごとに尿意に起こされた。昨晩はよほど両脚が浮腫んでいたのも今朝は退き、体重も最低水準。一度、右膝下へ久しぶりきつい攣縮がた来たが、抑えながら用意の水分をたっぷり含んで、すぐ失せた。体に、水分多寡調節の大事さが、判る。
また、目に見え手脚が細くなった。視力の落ちが日増しにすすみ、明治版の「四書五経」や「史記」等の講義本は、本章と講義箇所との文字の大小が極端で、どうしても裸眼をさらに凝らして読まねばならない。文庫本もいつも今古の十数種は手近に備えて読んでいるが、文字は小さく、行間の狭いのにもまま悩む。それでも優れた古典籍や小説の名品からは遠のいて居れない。
しかし、強かに私自身の歳久しい誤解や了見違いで「漢字・漢語」誤用ないし他用してきたことの少なからぬにも「閉口」する。漢倭、遠く海を隔て遙かに時を歴史を異にしていて安易に思い直すのも覚え直すのも学び直すのも難しいが、謙遜して差異の程をあらため識るのを拒んでは成らない。私の久しく重んじ続けてきた「風」一字、これを『詩経』発端から読み直してみたいと思っている、先日も拾い挙げておいた「詩に六義有り」と。「一ニ曰ク風」とある。続いて「賦・比・興・雅・頌」と。此処には「比興」と、日本でも慣用されて熟語化した二字も目に付く。「コトをモノに託して面白がること」と国語辞典には出ている。『詩經』では、どうか。
「風雅頌ノ三ツハ實ノ詩ノ作リヤウナリ 賦比興ノ三ツハ風雅頌ノ内ニコモルト云フ コレハ文句ノ異同ヲ分ケタルナリ 風ハ國風ナリ 風ハ詩ノツクリ様體裁ヲ以テ云フ 文句ドコトナクアサハカニテ 婦人ノ作或ハ賤しキ者ノ作ナドニテ 眼前ノササイナルコトヲ作ルヲ風ト云フ タトヒ王公貴人ノ作ナリトモ其詩ノ體裁然レバ皆風ト云フ」と。斯くみると「詩」六羲の筆頭「風」はむしろ軽率な女人風に即して落ち着き無く観られている。私の『花』と対偶の『風』とはほど異なってみえるけれど、それとて深く押して入れば、重なる寓意が生きてくるかも知れない.漢語も和語も軽率に読んでは、言葉から生命観も消耗させてしまう。わたしは用心している。

* ただ「私語」と謂うには、和歌に、漢籍に、創作に、と。少し気張り過ぎかなあ。目も、身も、思いも重いナ。十時前か。時計の文字も針もシカと見えないが。
2022 11/16

◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はんとぞ思ふ  元良のみこ
* あしひきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を独りかも寝む    柿本 人丸
〇 元良歌。   どう焦れようが嘆こうがこのままで今は何になろう、あの難波の舟路をみちびく「澪つくし」よ、こうも苦しい切ない恋に「身を尽くし」滅ぼしてもいい、何としてもあの恋しい人と逢い逢わずにおれない、道びいてくれ澪標よ、と。この親王さん、お手のものの恋歌、実意よりも巧者な言葉、声音のかなでる「うた」を聴くべし。
〇 人丸歌。   「あしひきの」は「山(登り)」に掛かる枕詞、その山で出逢うた山鳥のみごとな「しだり尾」の「長さ」よとおどろき顔で、寝返りむなしく「独り寝の夜長を」嘆いて、「長」夜独り寝のあじけなさをこの一字一語にみなオッかぶせ、いささかヤケ気味に長くノビている。万葉歌人一の先導者の「歌聲」としてはいささか貧相にいじけていないか。
2022 11/17

* 疲れは、退かないが。日々の「和歌」読みを、「身に強いて」など、だらけないように気遣っている。だらけてしまえば、もう、とめどなくなろう。とは言え、明日からの「新刊発送」よほど草臥れそう。気を急かすとからだに障る。ゆっくり、と、身を戒める。
2022 11/17

◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな  右近(藤原季縄女)
* あはれとも言ふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな   藤原伊尹
〇 右近歌。   一首の主格を、「忘らるる身(わたくし)」でなく、神かけて「誓ひてし人(あなた)」と読むべく、どうせ忘れられるのに、そんな安請け合いを誓った「あなた」に、神様の罰が当たるのでは、心配ですわと、皮肉な一首に成っている。「和歌」が、恋し合う男女丁々発止の「具」として活躍した「場と時代」とが偲ばれる。
〇 伊尹歌。   「ああ、あなた」とも「恋しがってくれれば嬉しい人とは出会えぬまま」「悶々と老いてしまうのか、なさけないな」と。こういう男(一条摂政)ほど、日頃は「勝つ恋」を鼻にかけているのかも。「和歌」そのものが爛熟してゆく「時と場と」が窺い見られる。
2022 11/18

◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 小倉山峯のもみぢ葉心あらば 今一度のみゆき待たなむ    貞信公(藤原忠平)
* 限りあればけふ脱ぎ捨てつ藤衣 果てなきものは涙なりけり  藤原 道信
〇 貞信公歌。   なんと美しい小倉山の紅葉よ 心あるなら もうやがて御幸にな
る天子のお目をもお慰めできますよう、美しい極みのこのもみぢの盛りを保っていておくれ、どうか、と。いささか大仰の嫌いも在るが、一首に隠れて通底の「み」音が綺麗に鳴っている。 〇 道 信 歌。   「藤衣」は手を尽くして織った色濃い喪衣。誇示との遠にしたがい服喪の期間が定まっていて、其の日が来れば「藤衣」も脱ぐ習い。たとえ喪衣は脱ごう
とも悲しみの涙は絶えず流れ続けますよ、と。誰しもの上に言いえている一首ゆえに、ひろく長く歌い継がれた。句ごと、寸づまりに句切れて流暢な「うた」の美しさに乏しい。 2022 11/19

◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * み吉野は春の気色にかすめども 結ぼほれたる雪の下草   紫 式 部
* 榊取る卯月になれば神山の 楢の葉柏本つ葉もなし     曽根好忠
〇 紫 式 部歌。   「かすめども」が「理」に落ちながら「ども」が鈍く重たい。「春の気色」「雪の下草」の対照もわざとめき、紫式部の和歌としては、何とも冴えない。
〇 曽根好忠歌。   「榊取る卯月」とは賀茂の神祭り月、賀茂社背後の「神山」の神木の枝葉を信者らが競って採りに来る。「になれば」は鈍く、「楢の葉柏本つ葉」という把握も強引に過ぎて「うた」もつべき美妙を甚だ損じている。好忠は歌人としての秀麗と無骨さとの落差がまま観られるのでは。
2022 11/20

*「私語」を読み返していると、ぽつりぽつりと「うた」が書き込まれていて、それなりの境涯歌、述懐歌になっているのをおもろく自覚した。散逸させないでお香と思った。
2022 11/20

◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * 寂しさに宿を立ち出でてながむれは いづくも同じ秋の夕暮 良暹 法師
* 君が代は尽きじとぞ思ふ神風や 御裳濯川の澄まむ限りは 民部卿経信   〇 良暹歌。   実情としても真情としても抜群の秀歌。「宿を立ちいでて」と美しい字余りの「うた」と「動感」とに 類いない静かさと奥行きとが生まれ、穏和に尋常な下句の物言い「いづくも同じ」と静めた表記が「いづこも同じ」で無い繊細に行き届いた感性を賞讃したい。ただのいちおんでも「うた」は立ちも崩れもする。
〇 経信歌。  法師の「うた」の静かな美しさにくらべれば、決まり文句に頼んだ「うたこゑ」の乱雑は目にも耳にもあまって、拙なる一首と切り捨てるしか無い。
2022 11/21

◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな   道信朝臣
* 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな  左京大夫道雅
〇 道信歌。  夜を籠めての愛樂の、朝ぼらけで終えるのを惜しむのに、どうせまた日は暮れて呉れるけれどもと、持って廻っての「思いつき」得意で、実情としても真情としても浮ついた「うた」に過ぎない。
〇 道雅歌。  あなたとの恋はもう諦めますとつれない相手に、せめて直かに告げたいと。いわば、やはり「思いつき」に鼻のうごめく自慢歌で、「和歌」が軽い薄い遊びの浅瀬へただ浮いている。
2022 11/22

◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * 契りきなかたみに袖を絞りつつ 末の松山波越さじとは 元 輔
* 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ 相 模
〇 元輔歌。  泣きながら涙の袖を絞って約束を交わしたでないか どんな。荒波も越え得ないあの「末の松山」のように、互いに愛を喪うまいと。「契りきな」と、元輔という男の、女に背かれ嘆いているていが可笑しくもおもしろく読める。巧いと言おう。
〇 相模歌。  恨んで泣いて涙に袖も朽ちそうな上に、この情けない恋の浮き名ゆえにわたしまでよからぬ噂に塗れてしまうとは。「袖だに」と濁音を二つ混ぜたうっとうしさが一首に生気を添えているのが、これも巧いと言うておく。
2022 11/23

◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首)
* あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今一度の逢ふこともがな  和泉式部
* 沖つ風吹きにけらしな住吉の 松の下枝(しづえ)を洗ふ白波 經  信
〇 和泉歌。  思ひ出(いで)に 今一度(ひとたび)の と「い」音の落ち着いた字余りが「絶唱」にちかい美しい「うた」を奏でる。始終は逢っていない、いや、これまでに胸とどろくただ一度の「逢い・愛」があっただけとも想える。だからこそ、「この世のほか=あの世で」の宝に同じい伊思い出に、せめて「もう一度の逢瀬がふみたい」のだ。泉式部ならではの実意に満たされた秀歌。
〇 經信歌。  「けらしな」はすこし喧しい、あら波ゆえにとゆるすにしても。景観歌として尋常の域にあり、それ以上では無い。
2022 11/24

◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首)
* 山桜咲き初めしより久方の 雲居に見ゆる滝の白糸     俊  頼
* 夏の夜の月待つほどの手すさびに 岩漏る清水幾結びしつ  基  俊
〇 俊頼歌。  「久方の雲居」という手垢の安直、「初めしより」もたんに説明で安直。「山桜」と「滝の白糸」の組み合わせも意図不明、駄歌と受け取るのは私の不明だろうか。
〇 基俊歌。  「手すさびに」といった平常語が所を得、実感と組み合うて「夏の夜」の涼しげに楽しい風情、流石に基俊と賛同した。
2022 11/25

◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首) * 濡れぬれもなほ狩り行かむはしたかの 上毛の雪を打ち払ひつつ   源 道済
* 思ひ草葉末に結ぶ白露の たまたま来ては手にもたまらず      俊  頼
〇 道済歌。  どんなに濡れようがと謂うのを「濡れぬれも」はあまりに,拙。「なほ狩り行かむ」も同断だが、下句へかけて「はしたかの上毛の雪を打ち払ひつつ」は、降る雪を被た小さめに機敏な鷹を手に、颯爽の美しさ。上初句を敢えて字余りに「濡れもぬれてなほ」と続ければナと惜しむ。三處に鳴りかわす「か」音の韻致も美しく利いているだけに「ぬれぬれも」の鈍が憎まれる。「な」行音は粘り「か」行音は澄むのである。「うた」は言葉の「意味」の選択できまる以上に「音の鳴り・ひびき」で美しさへ映えて行く文藝と識るべし。「字あまり」を巧みに用いる勘のよさもまことに大切。
〇 俊頼歌。  「思ひ草葉末」と名辭をいきなり拙に継いだ重苦しさが一首をいきなり鈍いものにした。下句の「たまたま来ては」も俊頼ほどの歌詠みに見たくも聴きたくもない。
2022 11/27

* 毎朝の古典和歌を対に批評し鑑賞しているのは、私にも初のこころみだが、一歌人と少年らい自認してきた「實」を自身に問うて確かめているのです。読者には歌人も多い。ご批判を受けたい。
「歌」が美しく正しくうたえるなら、「散文」もそれなりに、きちんと書けるはず。「意味」より先の「音」への感性・美意識が大切とかんじている、「文・藝」家として。
2022 11/27

◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首)
* 音に聞く高師の浜のあだ波は 懸けじや袖のぬれもこそれ     一宮紀伊   * もろともに苔の下には朽ちずして 埋もれぬ名を見るぞ悲しき   和泉式部   〇 紀伊歌。  「音・高」「真/・波」「波・懸け」「懸け・ぬれ」と「縁」の語彙を不自然で無く連繋して「うたごえ」を仕立て「こそすれ」の強調に、ムリをさせていない。しかも「懸けじ」「あだ」「波(なみだ)」「濡れる」とも、苦しい恋路の難渋が巧みに「悲しまれ」ている、「うたう」技巧は妙と謂うに足る。
〇 和泉歌。  恋しい人には死なれ、倶に土の下に眠りもならぬまま、此の憂き世にあだな浮き名ばかりを流して生き残った悲しさよと。実意もこもってうけとれる、が、「朽ちずして」とやや息苦しく寸をつめたのが惜しまれる。
2022 11/28

〇 吾(あ)が生まれ吾が失する日も吾亦紅われの狭庭(さには)に咲くとも無けむ
2022 11/28

◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首)
* もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし   僧正 行尊
* 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立    小式部内侍
〇 行尊 歌。  妙に「僧正」の述懐にしては、イジケた感懐に読める。山深く在るゆえに咲き誇る山桜も、ともに在って花に見惚れる「われ」がことも、誰も見知ってくれない、寂しいではないかと、まるでボヤイている。字・句の斡旋に拙も無く、しかし妙も無い。
〇 小式部歌。  男の任地丹後へ伴われ都に不在の母・和泉支部の上を「いかが」と問われた娘・小式部が咄嗟の「地口」も巧みに丹後にゆかりの「大江山」「いく野」「テの橋立」とならべて「(踏みて)行ったことも、母からの「ふみ(便り)も」なく、なにしろ「遠くて、よくはわかりませんの」と絶妙、即答の一首。和歌が、かように社交にも自負の表現にも活かされた宮廷社会の空気をも、ありありと今に伝えて呉れる。さすが、「絶世の歌詠み・和泉式部」の、娘よ。
2022 11/29

◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首)
* もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし   僧正 行尊
* 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立    小式部内侍
〇 行尊 歌。  妙に「僧正」の述懐にしては、イジケた感懐に読める。山深く在るゆえに咲き誇る山桜も、ともに在って花に見惚れる「われ」がことも、誰も見知ってくれない、寂しいではないかと、まるでボヤイている。字・句の斡旋に拙も無く、しかし妙も無い。
〇 小式部歌。  男の任地丹後へ伴われ都に不在の母・和泉支部の上を「いかが」と問われた娘・小式部が咄嗟の「地口」も巧みに丹後にゆかりの「大江山」「いく野」「テの橋立」とならべて「(踏みて)行ったことも、母からの「ふみ(便り)も」なく、なにしろ「遠くて、よくはわかりませんの」と絶妙、即答の一首。和歌が、かように社交にも自負の表現にも活かされた宮廷社会の空気をも、ありありと今に伝えて呉れる。さすが、「絶世の歌詠み・和泉式部」の、娘よ。
2022 11/29

◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 白雲と見ゆるにしるしみ吉野の 吉野の山の花盛りかも   大蔵卿匡房
* いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな  伊勢 大輔
〇 匡房歌。  「ことば」と「おと=声音」と「桜のイメージ」を美しく疊み込んだつもりだろうが、「二,三句」「三、四句」の執濃い打ち重ねは、どう「花の吉野」でも鈍に大仰に過ぎ「和歌の自然」を踏み毀している。
〇 伊勢歌。  間然するところ無い「美しいにほひ」に「うた声」が耀いている。小混迷化の一つと読み味わいたい。

* 九大名誉教授今西祐一郎さんからお手紙で、古來知られた小野小町の一首、文屋康秀に応じた一首
わびぬれば身を浮き草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
の「読み・詠み」にふれ、お訊ねがあった。以下のようにお返事した。

◎ 逼塞の籠居に 飽き飽きしながら日々疲労困憊しています。
今西先生 どうぞ お大事にお元気にお過ごし下さいますよう。   秦恒平
現在、日録「私語の刻」毎朝の最初に,岩波文庫の『王朝秀歌選』の表記を借り、「前十五番歌合」「八代集秀逸」の和歌を、二首ずつ、私自身が「歌人」の目と思いとで「批評」しています。マルクス・アウレリウスやジンメルの「ことば」を掲げていた「続き」です。和歌の読める・詠める現代人はすくないので、趣向として通用しているかどうか、わかりませんが、だからこそと。

さて仰せの 康秀と応答の「小町の歌」は上の本には出ていませんけれど、従來、下記のように割り切っています。

わびぬれば身を浮き草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ

所詮 康秀の言い分絡みに小町歌の「根」は 本性「諧謔歌」であって、それ以上・以内でも、以下・以外でもない、と。
核心は、要は、「あらばいなむと」でしょうか。
「あらば」は、「あれば」と既認・受容の意向でなく、康秀の口から「縣見の誘い」明言を、冗談に類して小町からからかう程に慫慂し誘惑している、「どうせ口先のお誘いでしょうが」と。

本気で康秀が誘う水(=男・男性)であるならば、「いなむ=行ってあげますよ」  「けれど、要は口先のお誘いでしょう、なら、わたくしは遠い所へなど一緒に等行くもんですか」「いなむ=否む=くっついてなんか行かないわ」 と。

上の句に、まこと象徴的に「小町」という、所詮は男次第に「わび」た女の「性=生」の放縦と流浪とが「自認」されている、と、そんなふうに私は此の一首を読みまして,且つは、或いは小町を「批評」した誰か、男の、康秀自身かも、の「諷喩」一首かとまで読もうとしています。

お笑い下さい。  そして、くれぐれも日々お大切に。わたくしはただただ「読み・書き・読書」「創作」に余儀なく亦は幸いに日々没頭して疲労しています。
指先が痺れていまして、メールで、ご勘弁ください。
2022 11/30

◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 霰降る交野の御野の狩衣 ぬれぬ宿貸す人しなければ      藤原長能    * いかでかは思ひありとも知らすべき 室の八島の煙ならでは   藤原実方
〇 長能歌。  狩り遊ぶうちに霰に降られ、「蓑(=御野)の借り衣」かのように「狩衣(かりぎぬ)」が濡れてしまったよ、「濡れない」で済む「雨宿り(宿)」をさせてくれる「人も」いなくて、と。ほぼ凡常の「ことばあそび」に終始し、和歌の美妙には程遠い。「人しなければ」など、歌い納めの余韻にも情趣にも程遠い。
〇 実方歌。  「室の八島の煙」が識れないと歌意がとおらない。栃木の方の或る「池」はもうもうと水蒸気を上げると聞こえているのを利している。そんな蒸気か「煙」かが煮えて発散できないかぎり「いかでかは」(=どうにもこうにも)(=かほどにも)「恋い思うて」いるのも「伝えられん(=知らす)」じゃないか、と。勘気のつよい歌い手実方のいらつきが表現としては凡庸。長能の作とともども、駄歌に類する。
2022 12/1

◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 瀬を早み岩にせかるる滝「川の われても末に逢はんとぞ思ふ  新院御製(崇徳院)
* 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ 砕けて物を思ふころかな  源 重之
〇 崇徳院歌。  「瀬を早み(を~み)」は、重之歌の初句「風をいたみ」と同じく「が、ので」と理由付けに読み採らねばならない。「瀬が早いので」「風がきついので」と。崇徳院御製は「歌意」としては「よぎないふたり(われら)の別れ(割れ=一時の破局)も、末には(いつか)また「合い逢おうぞ・逢えるぞよ」と判り良い、が、「うた」の美しい「うたごえ」として下句あたまの「われても」四音が喉詰まりに苦しくて鈍いのが惜しまれる。崇徳院の生涯には幼来「もののあはれ」を覚えていて、この一首にもしたしんできたが、やはり「われても」は一首美妙を躓かせた「割れ(欠け)」とよめて残念。
〇 重之歌。  發句「かぜいたみ」の字余りが絶妙、「をいたみ岩打つ」と「ア行音」を畳みつつ「波のおのれのみ」と「ナ」行音に誇らかに歌わせて、下句は轉じて「く・けめ・こ・か」と「カ行音」に歌わせている。絶妙の「詠」と聞こえて「うた詠み」の手本のよう、われひとりで成りがたい恋に悩むこの頃よと。「秀逸」とは、まさしく、これか。
2022 12/2

◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ   能  宣
* よしさらばつらさは我に倣ひけり 頼めて来ぬは誰か教へし   清少納言
〇 能宣歌。  恋情の熱と切と苦とを「衛士の焚く火」にほぼ直か付けに「託」し「喩」えて 間然するところ無く、いささか癪に障るほど組なのに降参する。
〇 清少歌。  歌は、原則、その歌一首の表現で感受し理会し鑑賞し批評されてきたが、人情や視線の交錯する場、交際場でのエピソードやドラマを借りて、またはそれに即して表現し喝采されたり非難されたり、詰まりは社交の具に成り期って行くじりゅうというものが、確かにあった、が、それを後生の読者に理会せよは、無道に過ぎる。この清少納言の一首は最たる一つで、本に拠れば、「訪れを期待させた夜、姿を現さなかった男が、後に来たときに、出て逢わなかったら、口説き悩んで、あなたの薄情さを知らされましたとなど、使いの者にいわせてきたので、応酬して詠み与えた歌だと。」勝手にしてろ、ばからしいと私は投げ出す。
2022 12/3

◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* わたの原漕ぎ出でて見れば久方の 雲居にまがふ沖つ白波 関白前太政大臣(忠通)
* 思ひかね別れし野辺を来て見れば 浅茅が原に秋風ぞ吹く 道  済
〇 忠通歌。 「漕ぎ出でて見れば」と上句の要所を字余りにした「うた」効果、まこと絶妙で、一文字、一音としてゆるみない「うた」声の美しさ、歌の巧み。歌の詠めないカシコイ弟頼長を「保元の乱」で圧倒した兄忠通絶対の藝であり、書も良くしたと。
〇 道済歌。  「思ひかね」るのと「別れし」とに情意の好きが出来ていて「野辺を」も説明、「来て見れば」は拙としか謂えない。下句も、度かで繰り返し聞かされてきたような常套。何の取り柄もない駄歌に類する。
2022 12/4

◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 竜田姫かざしの玉の緒を弱み 乱れにけりと見ゆる白露  清 輔
* 照る月の旅寝の床やしもと結ふ 葛城山の谷川の水    源 俊頼
〇 清輔歌。 要は「乱れ散った白露」を終始「諷喩」したまでの一首で、譬喩が巧いかどうかに「ご批評を」と、やや得意げに持ち出している。秋風の精のような竜田姫の(わたくしのと加え読んでもよろしく=) 身につけたが「玉の緒」真珠のネクレスで謂うなら、貫(ぬ)いた「緒」ぢから、が弱くて千切れ、真珠のみなが乱れ散った、そんなふうに秋の精の竜田姫の吹く秋風が吹き散らした野辺野原の露の美しさをうたっている。「弱み(弱くて)」「乱れ」「見ゆる」と含みの柔らかなマ行の「ミ」音に無難に「うた」わせている。お上手と褒めおく。
〇 俊頼歌。   初・二句「照る月の旅」の繋ぎの「の」が鈍い。「照る月に旅寝の床や」が「うた聲」として、自然だろう。「しもと結ふ」は「葛城山」の枕詞という以上にここに謂う「しもと」にもともと「結ふ」に足りて用いられる「細枝」の意味のあるのを読み落としたくない。月明に「しもと結う」ての旅寝に大葛城の「谷川の水」おとが聞こえる・聴ける、と。風情やさしい一首の出方に「照る月の」の「の」躓きが惜しまれる。
さりながら、ここで、待つ。「旅寝」するのは歌人俊頼ではな、あるい彼と倶に「照る月」自身が「旅寝」していると読める含みがあり、そっちが歌人の懐ひだとも謂えば言えるのを読み落とすまい。

* 今日の女優として、技量も人も、掛け値無く「一」と愛している「松たか子」との愉快に楽しい談笑の夢からめ、早朝には過ぎたが、そのまま起きて二階へ。そしていつもの秀逸「和歌」に接した。
今日、平安和歌の秀逸といえどもわたくしほどに愛読し鑑賞している、研究者は別としても、「読者」は「いない」に近かろうか。もったいないナと思っている。いうまでもない、私が生まれて初めて接し愛読し暗誦もしたのは「小倉百人一首」であり、同様の人が数少ないとは思われないのだが。

* それにしても相変わり無く連夜も連夜、「うたごえの切れ端」が睡魔かのように唱い続ける。片言を超えない。「潮来のイタ」「オーイ中村」「かーらあす」「ここはお國」「イキなクロ(塀)」「こおこはど(おこ)」「カキネのカ(きねの)」「いッちかけ(二かけて三)」「磯ぉの火ぃ(細りて)」等々、一夜中そんな「一と声」だけが私の「夜通し」を「夢」ももろとも伴奏している。ワケ。分かるワケが無い。
2022 12/5

◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)  (ウカとした失敗で折角の和歌読み文が消滅) 〇 この世にてまた逢ふまじき悲しさに 勧めし人ぞ心乱れし 円位法師(西行)
〇 難波江の藻に埋もるる玉柏 現れてだに人を恋ひばや   俊頼朝臣 * 円位歌。
* 俊頼歌。
2022 12/6

◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 思へどもいはでの山に年を経て 朽ちや果てなむ谷の埋れ木   顯  輔
* いかにせむ室の八島に宿もがな 恋の煙を空にまがへん     俊  成
〇 顯輔歌。  「うた」一首の思念・音声ともに流暢で、愛誦に堪える。存外に平安和歌と雖もこれが願いかねることは、毎朝の鑑賞と批評とでよく分かる。
恋い思う真情をよう言いも表しも得せず、伝える術も得られないまま、むざとまるで山ごもりに終始したようなまま、年経て、老いの埋もれ木のように朽ち果てるのか、と。「いはでの山」をたとえ奥州の岩出山としらずとも、すんなり分かる自然さ。秀歌の優と賞讃しておく。
〇 俊成歌。  自身の「謂い」とはわかるけれども、「いかにせむ」といきなり思案を問われるのは気安くない。室の八島には濛々と煙のたつ名高い池が在る、人も識っている、だから趣意に協賛をもとめて一首が成るのだが、「宿もがな」とは俗っぽくて、何のみょえみなのか解しかねる。一世の師表俊成の和歌として「はだか」に過ぎているのでは。
2022 12/7

◎ 令和四年(二○二二)十二月八日  木 真珠湾奇襲の日 戰争に負けてよかつたとは思はねど 勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ
2022 12/8

◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを 俊頼朝臣
* 嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なる我が涙かな    円位法師
〇 俊頼歌。  何かと冷ややかにつれないばかりなあの人の、いや増しに、あのはげしい山おろしのようになどと初瀬まで来て願をかけた覚えはないぞ、と、いささか、やけっぱち。「やまおろしよ」の「よ」と字あまりが巧みな「うったえ」に成っている。「下句の露わ」もいと実感めかせて読み手に「利かせ・効かせ・聞かせ」ている。もとより真情というより、むしろ構えた哀訴と私は読んでいる。
〇 円位歌。  これも、俊頼歌に同然、真情めかした身振り手振りで「かこち」なるポーズを「月」に託してまで演じてみせ、て、それまで。洒落モノ「西行」が余裕の遊びに技巧を用いただけ。と、わたしは「うた」を聴く気で読んだまで。
2022 12/8

◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 契り置きしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり   基 俊
* 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる    俊 成
〇 基俊歌。  「事情」が歌の背後にある。官職官位を求めて今にもと約束されていた気で期待していたのに、「あはれ」また叶わず今秋も過ぎ往いてしまうのか、と。『百人一首一夕話』を祖父鶴吉が旧蔵の本で読み耽った小学生の頃にこれを識り、妙に雑然とした思い出感心できなかったのを、今に覚えている。一首で躓くの「させもが露を命」だが、「さ、せ」に上位・權者、関白ようの人物の、「ま、然(さ)用にも辛抱して(せ)次回好機を一心に待て、わしが何とかしようぞ」など言われていたのだ。
愚痴も失望も多い平安和歌のうちでも、露骨に俗事・俗情を直に歌って、いやはや、と思ってきた。恋にばかり嘆いていた人種では、やはり無いということ。
〇 俊成歌。 「世の中よ」「山の奥」の音柔らかな「ヤ行」効果に目も耳もとまる。同じことが「思ひ入る」「鳴くなる」の対似効果に謂えるがまこと効果ありとは感じず、むしろ不調和な「入る・なる」で俊成和歌の底へ硬い感じに当たっている気が、私は、する。ただ「世の中」とはしょせん恋も愛も男女また肉親でなっているぞ、たとえ里でアレ山奥でアレと。、千載集の選者が見識を露わにて見せているよう。「道こそなけれ」を所詮遁れようの無い道と釈るのは却ってあさく、「山の奥」゛すら真情を呼び交わして鹿も鳴くぞと、と、私は読む。それでこそ「俊成・千載」の本領と名とが生きる。

* 此の「八代集秀逸」は藤原定家の撰かと思われ、彼の作は見られない。成立には隠岐に流れている後鳥羽院の意向をうけているとも見られるらしい。トラマ『鎌倉殿の13人』で秀逸の後鳥羽院を歌舞伎の若手が演じていて、後鳥羽院とはこうかと頷かせるが、帝王としてより歌人としての眞実に惹かれる人だ。定家撰と伝える小倉百人一首には實に奈良期の天智・持統をのぞいても、陽成、光孝、三條、崇徳、後鳥羽、順徳と六人もの天皇の作が挙げられてある。「和歌」は平安時代を「物語」以上にさながらに光被していた文學藝術であるのを思えば、皇室の存在の意義は大きい。その伝統は今日なお御歌会初めに生きのびている。
2022 12/9

◎ 八代集秀逸 (新香金集 十首) * 桜咲く遠山鳥のしだり尾の 長長し日もあかぬ色かな    太上天皇(後鳥羽院)
* あはれいかに草葉の露やこぼるらむ 秋風立ちぬ宮城野の原 西行法師
〇 上皇歌。  「山鳥の尾のしだり尾の長長し」は、「小倉百人一首」あの柿本人丸の秀歌と聞こえている。それをそのまま持ってきて世・人に見せる、後鳥羽院の傲った性格と謂おうか。遠山桜の色佳さ、山鳥のしだり尾の色佳さをほめた歌に相違ないが、シラケる。
〇 西行歌。  「あはれいかに」は「出」として陳腐に押しつけがましい。「草葉の露」「野の原」も「露」をダシにしながら陳腐に重複し、くどい。谷崎潤一郎が、西行の名は高いが駄作も多いと喝破していたのをこ思い出す。多作・乱作にはそれなりの難も伝まわり、ソレも承知とする姿勢もあろう。
2022 12/10

◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) * 秋の露や袂にいたく結ぶらむ 長き夜飽かず宿る月かな    太上天皇
* きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣片敷き独りかも寝む 摂政太政大臣(良経)
〇 上皇歌。  朝夜の秋。難議はなにもない、が、内容もうったえる風懐もまた乏しく語彙も平凡な凡歌。「らむ」の中折れ、「かな」の常套。なげやに感じる。
〇 良経歌。  これはまた抜群の秀歌というに値して、「うた」声は清冽に走っている。上句に「す、し、さ、し」と足早な「さ」行の清音を聴かせ、下句では「こ、か、き、か」と訴えのつよい「カ」行の遡及に無理なく美しく成功し、一首の風情を理想化し得ている。「新古今集」の一面を後鳥羽や定家らとは別儀に完成させている良経。歌人は貴顕の最たる一人、この歌のようには体験としては「寝まい」が、詩人の世界として抱懐する「ちから」を精神に得ている。なまじいの「我意」に執しないから得られる詩境なのだ。
2022 12/11

◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) * 秋篠や外山の里やしぐるらむ 生駒の嶽に雲の懸かれる    西行法師
* 冬枯の森の朽ち葉の霜の上に 落ちたる月の影の寒けさ 清  輔
〇 西行歌。  「や」「や」「や」の重畳と、「し」「さ」「し」の階調の「難」が上三句を粘っこく破損させて、しかも下句との繋ぎを「らむ」の言い切りで塞ぎ、しかも下句の「れる」とまた謂いきったのも、一首の「うた」を無様に重い不自然に押し込んだ。西行の駄歌とまで謂わせてしまう不行儀である。
〇 清輔歌。 意図しての「の」音の合唱はさして不自然で葉無いが、そのために他多の歌詞を騒がしいコマ切れにしてしまっている。一首に何の美しさも滲み出ていない。無い。
2022 12/12

◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) * 明けばまた越ゆべき山の峰なれや 空行く月の末の白雲   家隆
* 立ち返りまたも来て見む松島や 雄島の苫屋波に荒すな   俊成
〇 家隆歌。  意味取れるが「うた」の美しい「うた声」に聴き入り耳には「ぎくしゃく」和歌の悪しき見本というしかない。。「明けば」の寸づまり、「峰なれや」の舌足らず、下句も思わせぶりの熟さない「名辞のへたな羅列」。とても定家と並んで定家の上座にも在ろという歌人には「気の毒なほどの撰歌」に想われる。
〇 俊成歌。 これもまた、何と高ぶってしかも低調な硬い語彙の斡旋で「肩の凝る」ような「美しくない」わかであり、俊成の名に自身で汚点を呈している。
家隆、俊成ともに上の二首では、いわゆる「新古今調」」とやらに毒されている。
2022 12/13

* 古今和歌集から新古今和歌集まで、王朝八勅撰和歌集からの各十首、「秀逸」ととなえる計八十首を読み味わってきて、明日で果てる。「マルクス・アウレリウス」「ジンメル」と毎朝に読みかつ抄記して「八代集秀逸」へついだのだったが、つぎはと思案していたが明後日に逼ってきた。思い切って、取り組もうかと思案はほぼ出来ている、が。
2022 12/13

◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) 了 * 袖の露もあらぬ色にぞ消え返る 移れば変る嘆きせしまに 太上天皇(後鳥羽院)
* くまもなき折しも人を思ひ出でて 心と月をやつしつるかな  西行法師
〇 上皇歌。  「袖の露」「あらぬ色にぞ」「移れば變る嘆きせし」と、いずれも承久の變に小四郎羲時北条執権との武闘で、当然すぎるほど明らかに完敗し、後鳥羽院ほかの天子二人も都合三人、後鳥羽は遙かな隠岐の島へ、他も土佐へ、佐渡へと流刑を強いられ、鎌倉に対抗の京都は、反北条の願いは、以後あの悪名高い執権高時の時代、楠木正成や新田義貞や、足利尊氏らの登場まで、ひそひそと甲斐無い陰謀を重ねるだけに終わった。後鳥羽上皇の凡と高ぶりとが強行した愚の必然を、私は、同情せずに来た。
だがこの一首、当時多くの人の涙を誘ったに違いない。
〇 西行歌。  「くまもなき」を曇る月、月光と取るのは、敢えて西行の、あはれ立つ瀬なく遙かに流刑の三天子、殊にも西行歌境をことのほかに熱愛し評価されたひとかどの歌人後鳥羽院への哀情を、院もきっと眺めてられよう月、その悔いや哀しみへ、西行真摯の一首を献じたのだと私は『八代集秀逸』を斯く「読み終え」たい。
* さて、「王朝和歌」とのお付き合いを、一度、ここで収める。
名の有る歌人の作なら和歌はみな美しい、佳い、というワケでない。平安文化の誇る「八代集秀逸」にして今日の私の目と読みと感性からは、「どうか」と首を傾げる「和歌」がかなり有った。「和歌」は、「文藝」である前に「音楽」ないし「うた」である。「うた声の美しさ」そのものであり、そのセンスを詞・語彙のおもしろづくで特異にごたついてもちだしても、今日の私は誑かされない。
2022 12/14

〇 やそしちと老いてし嗤ふ背ぢからの瘠せて胡座もならず仆るる
〇 坐しもならず立つにも起てず幾たびぞま転びころび老い達磨とよ
〇 もの食はで気に入り盃の一盃の酒にかしこみ仕事へ向かふ

* 清算など付かない思い患いはうち捨て、すべく、仕度くもあることへ身籠もれよと自身に仕向けている、仕向けたい。ままになる世と思わない。できない。
2022 12/16

〇「やそろく」を今朝あらたまの「やそしち」と歩み運びて冬至る哉
2022 12/21

* 妻の妹の琉っちゃんから、手編みの襟巻きや、誕生日ワイの手紙を貰う。有難う。会いたいがなあ。

〇 あにうえ様 今日は87歳のお誕生日おめでとうございます! 良いお天気で、ポストまで行かれたとのこと、ほっとしています。いつも頑張っておられて、もう87歳になられたなんて改めて驚いてしまいます。
冬のお誕生日、私はあにうえ様のお母様のことを思いました。あの人形のお歌、「フランネルに…」で始まる短歌、母の悲しみが深く私の心に残っています。
メールも有り難うございました。お言葉に胸打たれました。「いもうとよ/病むなかれ/転ぶなかれ/胸の内でも/いつも好きな歌を唄いたまえ/こうへい あに」
私もいつも歌を忘れず、明日を創れる人間でありたいと頑張っていきたいと強く思いました。
どうぞくれぐれもお体大切に、87歳の一年も素晴らしい年を創って下さいね。
るみ いもうとより
2022 12/21

* 夢で、唱歌を評論為続けていた。「雨、雨 降れ降れ 母さんの蛇の目でお迎え 嬉しいな」「あれあれあの子は ずぶ濡れだ 柳の根方で泣いている」「母さんぼくのを 貸しましょか きみきみ この傘 さしたまえ」」
わたしがこの唄を、幼少の昔、どんなに憎むほど嫌ったか、人は知るまい。
わたしには、こんな「母さん」を「生まれながら見喪って」いた。雨に降られ、濡れて泣いている方の「あの子が自分」という自覚に屈していた。「ボクならいいんだ 母さんの 大きな蛇の目に入ってく ビッチビッチチャップチャヤップ ランラン」がうらやましさにこの唄を憎んで啼いた。こう書いている今、「やそしち」の「爺」が、愚かしくも涙をいっぱいに目に溜めている。
むごいと思う童謡が、幾つもわたしには、在ったのだ。「青い月夜の浜辺には 親を尋ねて啼く鳥が」とか。

* かと思うと、歌詞の佳い歌を夢中、探していた。「磯の火ほそりて更くる夜半に 岩打つ波おとひとり高し」「とまれる友船ひとは寝たり たれにか語らん旅のこころ」のことに歌詞前半を、少年のわたしは「音」楽の「詩」「うた」として絶賛していた。
「音」「韻」の濁って強張った日本語を「うた」に持ち込んだ例をつよく嫌った。
私の和歌・短歌「批評」の根底が、幼少の感性で生まれ育っていたのだ。
2022 12/25

上部へスクロール