ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2013年

 

 

* 除夜の鐘を聴き、妻と新年を祝ってから、変哲さんの俳句をしばらく拾い読み、「指輪物語」文庫本の第六巻を読み始め、「八犬伝」を読み継いでから明かりを消して夢路に。

 

* ひとり七時前に目覚め、床のまま書架に手をのばして新年の読み初めに、谷崎先生の「文章読本」を読み継いだ。文章の調子、音楽性にふれて懇切に語られていた。谷崎先生の、この講話は、何人もの文章読本を読んできた中で再読にも三読にも堪えて傑出しており、日本語での表現の機微をじつに丁寧に話されている。小説とかぎらず真実「文章」で創作しようと願っている人の誰にも座右の師範とされるよう奨めたい。至らぬ先生没後の弟子ではあるが、文筆五十年、この「文章読本」を無意識にも拳々服膺していたんだと、今にして、頭を垂れる。

 

* もう一冊、敬愛してきた亡き辻邦生さんの最初期の名作である長編「夏の砦」を久しぶりにまた読み終えた。渾身かつ緻密な「表現」「描写」の密集した緻密な「藝術家小説」であり生死を賭した女性の「人生小説」である。才能に溢れた新鋭ならではの藝術論を作品の底に横たえて、魅力に溢れている。相当な熱愛度で読まないと読者の方が突き放されてしまうが、ひとたび魅惑に酔い始めたらわれを忘れてしまう。

批評家長谷川泉が作家論集のなかで、辻さんと私とをならべ「非リアリズム作家」と区分けしていたのを懐かしく思い出す。

2013 1・1 136

 

 

☆ 対酒     白楽天

巧拙賢愚相是非   巧拙賢愚 相ひ是非す    「相」侵し合わぬが好い

何如一酔尽忘機   何如ぞ一酔尽く機を忘る   「何如ぞ」好い 「機」うるさいこと

君知天地中寛窄   君知るや天地中の寛と窄を

鶚鸞皇各自飛    鶚も鸞皇も 各自に飛ぶ  「 鶚」いやな鳥「鸞皇」いい鳥

 

なかなかこうは達観できないが、白詩がこう好きなのは、わたしも古代日本人の血をうけているのだろう。

2013 1・3 136

 

 

* やや今日は夕刻まで眼が明るく、仕事がはかどった。日記を書く余力を「仕事」へ廻している。涙は滲み出る。洟水も垂れる。根気よく眼を拭き鼻をかみ、粘る唾液も吐いて対応している。食べ物も、食べられる限りを食べている。

湖の本創刊以来の読者である山本道子さんの下さった、山本さんの実家と聞いている老舗「村上開進堂」の、貴重品でもあるだろうクッキーか、すばらしく美味い。すこしも苦くない。建日子にも食べさせたいと正月まで取り置いたのを、老夫婦で戴いている。

2013 1・6 136

 

 

☆ 述懐  白楽天

人間の禍福は愚かにして料り難し

世上の風波は老いて禁ぜず

 

事事成すこと無くして身また老いたり

酔郷知らず何くにか之かんと欲する

2013 1・10 136

 

 

* 午後三時、今年初の歯科に。帰りには、江古田のブックオフで、これも今年初、岩波文庫五冊を買ってきた。もつと欲しかったが重くなるので遠慮した。アポロドーロスの「ギリシア神話」 マハーバーラタ「ナラ王物語」 ペトロニウスの「サチュリコン」 沈復作の「浮生六紀」 そしてマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」の五冊。いずれも、直ぐにも読み始めたいものばかり。

減らしたつもりの就寝時読み本が、鴎外の「ヰた・セクスアリス」は読み上げたが、林屋辰三郎「日本芸能史」を増やし、もう一二冊積んだので、これ以上はすぐに読み出せない。だが、頬がゆるみそうに楽しみだ。

2013 1・12 136

 

 

* 湯にいるとほっこりと安住する。今夜は五冊を少しずつ読んだ。入浴後の体重は44.5kg。

盛んに予告していたドラマ「とんび」を離れ、年賀状をアドレスとして記録、まだ、よほど残っている。記録し保存しておくとやはり便利。機械の破損したときにかなり多くというか、殆どを消失していたので、欠かすことの出来ぬ作業。             2013 1・13 136

 

 

☆ 無常     宋之問

年年歳歳 花相似たり

歳歳年年 人同じからず

 

はじめて谷崎潤一郎の小説の中で出会ったあまりに有名な詩句。背景に、とんだ伝説もあるが、正月ゆえに、触れない。吟誦して実感のいつも胸にせまる詩句。「人同じからず」は親友や知己を喪った哀しみを読むのが普通だが、交友の微妙な集散にまで想い及んでもいいだろう。一層の感懐が得られよう。

 

* 上の「背景」を問われた。たいしたことではないのだが。この傑出した詩句はじつは宋之問身辺の詩人の創作であったが、あまりの秀抜に惚れ込んだあげく、原作の詩人を毒殺して地震の手柄にしたというのだが、「伝説」の域は出ない。相手の詩人についても伝説は明かしているが、それも信じていいか確証はない。禍々しいので三が日の話題にはしたくなかった。

 

 

* 冒頭の「述懐」詩句は、借りてわたし地震の述懐とも言い表している。

冬草の青きこひつつ故郷に

心すなほに帰りたく思ふ         斎藤茂吉                                                「故郷に心すなほに帰りたく思ふ」憧れが増している。寒さや雪のためにもむりと承知で、そんな気になる。せめて暖かければと。茂吉にこんなナイーブな表現の有ったことまでが心嬉しい。

2013 1・14 136

 

 

* 心嬉しい一つ事を、まず書いておく。

谷崎潤一郎『文章読本』を心底敬服しながら何度目かを読み進んでいるうち、記憶にもれていた以下の言及に再会した。

谷崎は文章の「調子について」 一 流麗な調子 二 簡潔な調子 三 冷静な調子 四 飄逸な調子 五 ゴツゴツした調子 を詳論の末尾に、こんなことを思い入れ深く書き加えている。

 

☆ 谷崎潤一郎『文章読本』に聴く。

(承前) もはや此れ以上細別するにも及ぶまいと思ひますから、此のくらゐにして止めますが、唯お断りして置きますのは、總べての作家が判然と此の五種類の孰れかに属してゐると云ふ譯ではありません。體質と云ふものは生れつきでもありますが、その人の境遇、年齢、健康状態等に依つて、後天的にも變化します。ですから、若い時代には流麗派であつたが、年を取つてから簡潔派になつたり、或はその逆であつたり、いろいろであります。しかし實際には、さう純粋に一方へ属してゐる作家は少いのでありまして、或は流麗調三分に簡潔調七分、或は冷静調五分に簡潔調五分と云つた工合に交り氣がある。又、幸田露伴氏の如きは 外に劣らぬ學者でありながら、その調子は冷静でなく、むしろ情熱的であつて、流麗と簡潔とを兼ねてゐるのであります。

純粋なのは、その生一本で清澄な所を取るべく、交り氣のあるのは、その多角的で變化に富む所を取るべく、それぞれ美點がありますから、一概に孰れがよいとは申し切れません。

しかしながら、私はゲーテの作品を原文で讀んだことはありませんが、英譯や日本譯によつて受けた印象を申しますと、同じ一つの文章が、視角を變へる毎に、或る時は流麗調の如く、或る時は簡潔調の如く、又或る時は冷静調の如くに感ぜられる。さうしてその三つの長所を、各々十分づゝ、完全に具備してゐるやうに見える。斯くの如きは稀な名文でありまして、その天分の豊かなことを語つてゐるものでありませう。

 

* わたしが殊に喜び読んでまったく同感したのは、「ゲーテ」の天分に触れた箇所で、こんなに適切にわたし自身の感銘を代弁して貰っていることで。「若きヴェルテルの悩み」「ヘルマンとドロテア」「親和力」「ファウスト」また「イタリア紀行」などなどの孰れをとっても谷崎の受けていた感銘は如実だとわたし自身もハッキリ賛成できる。こうも明瞭にゲーテの文章の真価を端的に説いて貰ったことは、ない。

繰り返し云うが、谷崎『文章讀本』は、これから文章を書いてみたい人にも、既に苦心している人にも、優れた道案内だとお薦めする。どこかの社の文庫本としてきっと手にはいるだろうから。

2013 1・20 136

 

 

* 当面の仕事を、とにかく一段落させなくては。一月一杯で、なんとか一仕事分は落ち着くかと期待。その後はその後。

湯の中で、今夜は、二册しか読めなかった。目が利かなかった、ともすると寝入った。読んだのは「八犬伝」とプーシキンの「猟人日記」で。

2013 1・26 136

 

 

☆ 年明けに  池田良則  (新美術新聞 1/21 筆者より頂戴)

元日に富山の友人から紙筒が届きカレンダーかと思って開けると以前雑談の中で頼んでいた地図でした。これは正式には富山県が作った「環日本海東アジア諸国図 jというもので富山を中心に天地が逆になっていて、大陸側から見た日本列島が上向きに反り返っているという構図です。これは考えさせられます。つまりロシア、中国、朝鮮半島から見れば北方領土、日本列島及び台湾に至る琉球弧が防波堤の様に取り囲み太平洋へ出るのを邪魔している様に見えるのです。

私は何処の国の肩も持つ訳ではないのですが相手の立場から物を見るとこんなにも違って見えるのかという事が実感出来ます。私は20代から絵を描くという事を口実にバックパッカーの様にインド中を歩きまわり、中近東をウロウロし、その後メキシコから中南米を彷徨しておりましたがその先々で色々な人と出逢い、見聞きし、そこでしか聞けない話を聴く機会を得ました。

いかにそれらの国々が列強の軍事力と巨大資本の好きな様に収奪されてきたか、今だにその弱肉強食の不条理がまかり通ってているか肌で感じます。更に飢餓や貧困の原因が多分に人為的である様に思えます。

世界中が大きな問題を抱えたまま2013年は明けました。日本でも震災や原発、沖縄の問題を抱えたまま、それももう済んでしまった事の様な空気の中で牢が明けました。不景気といい乍らも脳天気な正月を映しているテレビのスイッチは切る事にしました。

(1951年京都生まれ、洋画家、日展評議員、白日会常任委員)

 

* 池田さんの真意にふれ得て、嬉しい。彼には京都新聞朝刊小説『親指のマリア』の挿絵を描いてもらった。祖父上は池田遙邨画伯、父上も知られた画伯である。

2013 1・30 136

 

 

* 野田民主党は事実上「雲散霧消」した。盛り返すには時間がかかる。同様にいますぐ安倍内閣や自民政権やとりまき党や人に、適切に批判的に触れるのには、時期が早い。しかし、なんらの油断もしていない。国民は、むろんわたしも、挙って「自民悪」が露骨に成ってくる、間違いなくそうなってくるのを、きっちり注視・監視しつづけたい。

 

* この間に、「仕事」や「読書」を裕かにして行きたい。

「栄花物語」のあと、古典は「和漢朗詠集」「古今著聞集」「南総里見八犬伝」を愛読してきた。そのうち「栄花物語」は全巻読了したので、これまで題名や目次から敬遠していた「十訓抄」にとりついてみる。訓戒的な説話集だろうが、思い及ばぬ面白い。考えさせられる記事に出会うことと思う。さればこそ「古典」なのである。

「十訓抄の魅力」が巻頭に編者の言葉で書かれてあるが、ここでは原典自体から或る一つの「話」を確認しておこう。編者は仮に「黒いカラスは白いカナス」と見出しを置いて、こんな風に原典中の一話柄を眺めている。

 

☆ 黒いカラスは白いカラス?

屋根の上に、二羽の黒いカラスが止まっていたとしよう。それを見たある人が、

「あそこにカラスがいるが、どうも一羽は頭が白いようだ。違うかな」

と聞いてきた。即座にこう答える。

「いえいえ、二羽とも黒いカラスですよ。見間違いですよ。よくごらんください」

と答える。

これは失格。あるべき答え方は、しばし見つめて、

「おっしゃる通りでございます…」

 

* これが『十訓抄』おすすめの答えなのである。事実は無論、二羽の黒いカラス。これをなぜ、「おっしゃる通りでございます」と答えることが、良いのか。『十訓抄』編者は、どうしてこのような答え方を推奨するのか。この教訓の奥にはどのような事情があるのか。こうした結論に至った編者の心の内奥を知る必要がある。

原文では、こう述べられる。聞いた人は六条右大臣源顕房、答えた人物は「左右なききり者」(平家物語・巻一)と評される、藤原盛重である。顕房は日ごろ召し使う盛重に向い、

あるつとめて、手水持ちて参りたりける、仰せに、「かの車宿の棟に、烏二つ居たるが、一つの烏、頭の白きと見ゆるは、僻事か」と、なきことをつくりて、間ひ給ひけるに、つくづくとまぼりて、「しかさまに候ふ、と見給ふ」と申しければ、「いかにもうるせき者なり。世にあらむずる者なり」とて、白河院に進らせけるとぞ(一の四十一話)

 

* 「しかさま(然か様)に候ふ、と見給ふ」とは、云うまでもない切れ者盛重が「おっしゃる通りと見えまする」と貴紳の顕房に同意した意味。おかげで彼は白河院のもとでしかるべき地位を得たのである。

いま即座に云うのは気が早くてわたしが間違うかもしれないが、前項に筆誅した滋賀県の地位確かな「専門家」が、まさにこういう阿諛・迎合の如才ない「切れ者」日本人であったろうと思う。日本の政治や学術がこういう連中の好き勝手にされてきたのかも知れぬと想うと肌寒くなる。

ま、「十訓抄」がこの先をどう書いているか、いないかは、読んでのお楽しみであるが。この本の題は「じっきん抄」とわたしは読んできた。それも読んで行けば分かる。

2013 2・3 137

 

 

* 河出書房から秦建日子新刊、刑事雪平夏見シリーズの文庫本、『愛娘にさよならを』を「著者謹呈」本として贈ってきた。「解説」の冒頭にこの著者が秦恒平の長男だと、珍しく明記してある。ま、それはよい。開巻、本文の第一行半分が、こうだ、これは戴けない。

 

深夜の静謐な住宅街に、銃の残響が盛大にこだまし、

 

あらかじめ云うておくが「静寂」ということば、中村明さんの『日本語 語感の辞典』では「ひっそりと静まり返っている意で、改まった会話や、文章に用いられね漢語」だと説明し、阿川弘之さんの『夜の波音』から例文が採ってある。秦建日子の書き出しには「静寂」でなく「静謐」という漢語が使われている。中村さんの辞典には何故か「せいひつ」が無い。ではわたしが「新潮」に書いていた頃以来愛用の新潮国語辞典では、「静謐」とは「世の中が治まること」「天下静穏」の意味とある。「深夜の(静穏無事な)住宅街」である。静寂といおうと静謐と云おうと問題ないだろう、が、政治的な太平とまでは過剰で、「ただ」寝静まった深夜住宅街の表現としてはみまものものしい。わたしが編集者なら、黙って鉛筆で傍線をひいて著者の推敲を求める。身振りがでかい。

ついで、「銃の残響が盛大にこだまし」が、もっと読者のわたしを困惑させる。おとなしく云えば、こんな状況を体験したことがない、想像は出来る。そして、これで「表現」として過不足ないのかしらんと疑い、疑う以前にもう「へたくそ」な文章やなあとガクッと来る。つまり騒がしい。日本の美学でもっとも軽蔑されたのは「騒がし」゛あった。少なくも「残響」と「こだま」とは強いて謂わなくても同意・同感の範囲内にある。重複している。「盛大に」という強調も、「残響」が「こだま」しているなら、すでに「盛大」感が謂われている。それに、わたしの語感では「盛大」には人の存在、人のもつ景気がかかわっている。「深夜の住宅街」に人気は感じにくい。「銃の残響」を「盛大」とは拙劣ではないか。べつの「表現」をさぐって欲しい。谷崎の『文章読本』では、むやみな漢語の使用より和語を活用するように教えられた。わたしなら最初の出だしを、「静かな深夜の住宅街に」として「シ・シ・ジ」という頭韻に文学の音楽性を求めるだろう、いやいや「静かな」も余分な気がしている。小説の文章にはつとめて「余分な」言葉は乱用したくないから。

 

* 一人前のプロに失礼とも叱られようが、率直に書き置く。秦建日子にだけ云いたいのでは、ない。

ひとつ褒めておきたい、秦建日子の創作には、演劇も、脚本も、小説にも、「花」は匂っている。大事に育てて欲しい。

2013 2・5 137

 

 

* 榮木より   陶淵明

ああ われ小子

固陋を稟けたり

徂年すでに流れ

業は舊に増さず

なお志し舎てず

安んじて日に富

我 之れ 懐ふ

焉は内に疚し

 

「榮木」は、将に老いんとするを念っている。

「固陋」は性偏屈、「徂年」は逝く歳々、「舊」は昔、「富」は裕か、「 焉」は悲しむなど、「疚し」はうしろめたい、心穏やかでない。

 

* 老いて自足のさまか。懐かしい。

 

* さてさて、「十訓抄( じっくんしょう) 」だが、今の日本人としては、かなり頭に来るいやみな「教訓」に塗り込められている。ま、古来の日本人の素養や性格や国民性を理解しておく上では、苦笑し軽蔑しながらも、こころして読んでおいた方が良い。ま、『京のわる口』の著者としては、昔むかしの公家や坊主や下層官僚らのしたり顔はよく分かっているつもりだが。

今日はもう体も眼もしたたか疲れているので、触れない。今夜で抗癌剤二週間の服薬を終え、あすから一週間の休薬。すこしでも副作用の浸潤を弱めたいものですが。

2013 2・7 137

 

 

* 在野の一作家である病老人が、連日連夜こういう「政治へのクレーム」を書きつづらねばならぬとは。情けないどころでない無念の歎きである。

 

* 昨夜「十訓抄」にわたしなりの不足を漏らし述べていた、その辺を、訂正すべきはしながら、追って書きしてみよう。小学館版の日本古典文学全集本を読み出しているのだが、巻頭序かのように編者の感想から先ず読み始めて、先日紹介した「黒いカラスは白いカラス?」の話題になった。上位者のわざとの質問に沈思の面持ちで、切れ者の、つまり如才なく頭のはたらく従者が、「たしかに黒いカラスは白いカラス」に相違ございませんと返事した。それが愛でられて従者は晴れがましく御所がたで地位を得たのである。「これが十訓抄のおすすめの」答えなのだと編者は書いている。失敗例も挙げていて、「よく考えもせず、たちどころに受け応えすることほど、愚かなことはない」と代弁している。「人に何かを尋ねられても、『いや、よくわかりませんなあ』などと答えてくれる人の方が、本当の名人、大家と思われる」と原本の書き手は考えており、編者も支持ぎみに書いている。「知っているからといって、得意げに言い散らすのは『良からぬ人』の常態なのである。知っていても、知らぬと言え、わかっていても、忘れたと答える方が、ずっと奥深い」と、この本は云うのである。

この姿勢は、云うまでもないほど過去形日本人だけでなく現在日本人の多くにじつに濃密に浸潤し、それが「奥ゆかしい」とされている。「奥ゆかしい」とはくらくてよく見えない「奥」が見てみたい、それほど実はそんな日本人といえども、また例外なく自分の本音・本性は隠しておくけれども、他人の本音・根性は見知ってみたいのだ。奥ゆかしい人・状況とは、つまり、「まこと」は秘め隠し、表向きはテキトーに云いも見せもする。これは徹底的に「京」の人と世渡りとに淵源していると、名著ともいって貰っている『京のわる口』の著者私は判り切っている。

編者も云っているが「十訓抄」はあの「徒然草」とほぼ全く同じといえる思想と態度を明示している。兼好さんは十訓抄のいわば「価値判断」につよく肯定的に追従している。似た話題も勧奨も多い。洛北のほととぎすのことを、ことさら「心くらべ」気味にいたずらな女達が男をつかまえては聞く。具体的に答える男はダメ男で、「さあ、どうでしたかな」と答えた男が「奥ゆかしい」と称賛されていたりする。徒然草は江戸時代以降大勢の日本人に愛読され、極端に云えば古代の古今集にも匹敵して、中世以降現代にも至る日本人教育に魅力と威力を持ってきた。

だが、わたしは、「さあ、どうでしたかな」などと云わないし、気色わるい追従もしない。日本の歴史を私なりに学んできたればこそ、変妙で姑息な「奥ゆかしさ」など放棄している。

わたしの生涯の導き手と今も懐かしい昔びとは、中学生で一つ下のわたしに向かい、「ほんまのことは云わんでもええのえ。云わんでも分かる人は分かってはる、分からん人にはなんぼ言うても分からへんの」と教えてくれた。一年上の上級生だった。尊いまでの教訓であった。事実はまことにこの通りで、「なんぼ言うてもわからへん」人、いや「分かっていても分かったとは云わない」妙な人たち、奥ゆかしげな大人達が京都だけでなく、東京にでも大勢をしめていた。そして本音は抱き隠していた。たとえ心情左派を装った人でも投票の際には本音の超保守票を投じたりしている。

わたしは、そんな風には生きにくい人なので京都を振り捨ててきたが、東京も同じ日本の内であるに相違なかった。

「そやから、ほんまのこと幾ら言うても書いても、分からん人も、分かっている人でも、同なしなん。人の云うことは聴かへんという本音でしか人は動かへんの」とでも、あの姉のようであった人は、今出会ってもわたしの顔を見てそう歎くであろう。

 

* 愛読の古典と聞かれれば源氏、平家、徒然草と答えてきた。わたしも日本人であることは幼来まぬかれ得ない。しかし、わたしは奥に思いを隠しておかない。おけないのではない。おかないのだ。本音が汚物のようであるのなら、だからこそ吐きだす。真情・信念でであるなら隠さない。「やっかいな人やなあ、いくつになっても」と笑われるだろう、分かっているけれど。

 

☆ 十訓抄 序 より

(前略)聞き見るところの、昔今の物語を種として、よろづの言の葉の中より、いささかその二つ(=賢なるは特多く、愚なるは失多し。)のあとをとりて、良きかたをば、これをすすめ、悪しきかぢをば、これを誡めつつ、いまだこの道を学び知らざる少年のたぐひをして、心をつくる便となさしめむがために、こころみに十段の篇を別ちて、十訓抄(じっくんしょう)と名づく。すなはち三巻のの文として、三余の窓に置かむとなり。 ( 中略)

そもそも、かやうの手すさみのおこりを思ふに、口業の因離れざれば、賢良の諫めにたがひ、仏の教へにそむけるに似たりといへども、閑かに諸法実相の理を案ずるに、かの狂言綺語の戯れ、かへりて讃仏乗の縁なり。いはむや、またおごれるをきらひ、直しきをすすむる旨、おのづから法門の意にあひかなはざらむや。かたがた何の憚りかあらむ。 (後略)

 

* こう読んでみると、この人、書きマニアで、理屈づく書きたい、書く意味・看板を上げている。「直しきをすす」めるのだ、何が悪いかと身構えている。おまえと同じじゃないかと云われるかも。無駄な抗弁はしない。戯称の「有即斎」に徹する。

2013 2・8 137

 

 

☆ 臨済録に聴く

「法性(ほっしょう)の仏身とか、法性の仏国土というのも、それは明らかに仮に措定された理念であり、それに依拠した世界に過ぎない。」「法は心外にもなく、また心内にもない。いったい何を求めようというのか。」

「仏を求め法を求むるは、即ち是れ造地獄の業。菩薩を求むるも亦た是れ造業、看経(かんきん)看教も亦た是れ造業。仏と祖師とは是れ無事の人なり。」「なんぢ若し心を住して静を看、心を挙(こ)して外に照らし、心を摂して内に澄ましめ、心を凝らして定(じょう)に入(い)らば、是(かく)の如きの流(たぐい)は皆是れ造作なり。」

 

* ファンタジイである仏典の多くは、いかにもファンタジイと知って愛すべく、それは「明らかに仮に措定された理念であり、それに依拠した世界に過ぎない。」あれこれと架空に「造作」された理念などに拘泥していると泥に沈む。

仏や祖師の「無事」とは何もしない意味ではあるまい、して囚われなく、しなくても囚われない。外へも内へもなんら造作しないでしている、していない、のであろう。

2013 2・10 137

 

 

☆ 臨済禄に聴く。

「名前や言葉に執われるため、凡とか聖とかの名前にひっかかり、心眼をくらまされて。ぴたりと見て取ることができない。例の経典というものも看板の文句にすぎぬ。」「それと知らずに、看板の文句についてあれこれ解釈を加える。それはすべて、もたれかかった理解にすぎず、因果のしがらみに落ちこんで、生死輪廻から抜け出ることはできぬ。」「おまえたちが、もし( 凡を嫌って) 聖なるものを愛したとしても、聖とは聖という名にすぎない。」」

「(真に道破した)良師を訪ね歩いて教えを請うがよい。ずるずると五欲の楽しみを追っていてはならぬ。光陰は過ぎ易い。一念一念の間も死への一寸刻みだ。(因循として楽あれば苦あり遂うこと莫れ。光陰惜しむべし。念念無常なり。)」「人の言いなりなぐずでは駄目だ。ひびの入った陶器には醍醐は貯えておけない。」「何よりも他人に惑わされまい。」「どこででも自らの主人公となれば、その場その場(の今)が真実だ。(随処に主となれば、立処皆真なり。)」「なによりも念慮(分別)を止めることだ。外に向って求めてはならぬ。」

 

* もとより、わたしも、私民であり社会に生き世界に生きている。おのずから行為し、おのずから葛藤する。投げ出せない。ただそれらにも無心に向かうこと、拗くれた念慮・分別を白紙にかえしたまま行為し葛藤することは出来る。わたしは、そうしていると豪語はならないが、そうしたい。

2013 2・13 137

 

 

* 「十訓抄」がおもしろい。説経臭いのは本の目的なのだから勘弁するとして、さて、そう臭くはなくそれよりも説話の話ざまが端的に要を得ていてくどくない。上の第一は「可施人恵事」人に恵みを施すべき事と題され、そもそもから人が人にでなく、先ずは人が生類に憐れみを掛けることから語り始めていて、亀や蜂や や鯉などのいわゆる「恩返し」説話がならぶ。長々とは言わない、簡要を話してくれるのでいささかも退屈しない。機械の合間にちらちらと拾い読みして恰好の読み物である、が、追い追いに説教されるのであろう。

眼の不調で就寝前の多くのシンフォニックな読書が出来なくなっていて、抗癌剤の副作用に負かされているが、機械のそばで休み休み読んでいる本が何冊もあり、音楽や唱歌も聴いて補っている。眼がくらくなると機械の輝度をあげ、眩しくなると下げて、あれこれ工夫しながら創作にも励んでいる、いや励もう励もうと根気を養っている。

2013 2・18 137

 

 

* 「松爵」という、秦代の昔、五品の位をさしていた。始皇帝が山中に雨にあい「五松」( 不明) のもとに雨宿りし事なく雨も晴れた。松を愛でて「五大夫」と名を与えられたのが五品「松爵」の官制とも成ったと。『十訓抄』に教わった。好字ではないか。驕ってではなく、謙ったきもちでわが戯号「有即斎」に「松爵」と冠して観たくなった。呵々

2013 2・21 137

 

 

* 眼がぎらぎらするので「十訓抄」もほどほどに巻を伏せ、少しく音楽を聴こう、聴いて今日もはやめに休みたい。

2013 2・25 137

 

 

* 読書がままならない。仕方ない、いい音楽を聴こう、耳には異常は出ていない。ショパンから。ついでぐれん・グールド。

2013 2・26 137

 

 

* 眼が眩くてお話にならない。

 

* 見えにくい時は 音楽が救いになる。岸洋子の「希望」 芹洋子の「あなたにあげる」 同じく「四季の歌」 山野さと子の「アメフリ」五十嵐喜芳の「オー・ソレ・ミオ」を聴いてから、パパロッティを聴きマリア、カラスを聴いた。気分はすかっとしたが、眼はダメ。

裸眼で『十訓抄』の「一」を読み進んだ。先入の偏見はあやまり、読みやすく判りいい王朝人の推讃・愛読にたる逸話が簡明にならんでいる。仕事合間の読書に最適の一書と覚えました。

2013 2・28 137

 

 

* 昨夜はまるで眠れなかった。仕方なく点灯、暫くぶりにゲーテの「イタリア紀行」と小説「親和力」、それにトールキンの「指輪物語」を読み継いだ。

ゲーテの透徹・明哲・文章の豊かな美しさと力強さは、紀行にも小説にも満々と溢れ、読まされる喜び、満たされる嬉しさに真夜中冴え冴えとし感動した。たまたま一七八七年四月二十七日「カステル・ヴェトラノにて」の記述から読み出した、いきなりから表現の美、観察と描写の的確なひびきに、おもわず居ずまいを正したくさえなった。ここへ引用し紹介するのは容易だが、たった今、その根気が無い。

世界史にすぐれた作家は、思想家は多い。しかし、ゲーテのようにその著作のありとあらゆる場面や状況において、箴言とすら謂える言句をじつに自然・当然に場違いでなく創出できる人は他に知らない。

それは「親和力」のような小説の中でも、登場人物の口をかりて悠々と裕に適切にものごとの「自然と真実」とが、あるいは地の文で、また会話などの中で、煌めいて出る。引用したいが原本の文字が今のわたしにはまるで霞の奥にちらついていて、何もできない。 「指輪物語」の文章の精緻にして適確な美しさ、深さもまた私を驚嘆から賛嘆へとやすやすと面白く導いてくれた。すばらしい。

こんなことでは一睡も出来ないと灯を消し、しかしまた二時間もして点灯、小説を楽しんだ。佳い作は品にも満ちていて読書の嬉しさで全身を満たしてくれる。早く、健全な眼に回復したい。今日出向いた眼科の先生は、眼科的にはとてもよく回復しています、抗癌剤の連用が満了して二ヶ月もすればまともな眼鏡がつくれるでしょう、と。六月末にはなんとか。だが、ソレまでにも「湖の本」をもう二册送り出すことになる。体疲労をなんとか回復し体重を増し、筋肉を作らねば。たしかな今のわたしは骨と皮と皺と色素沈着で色くろく、見た目の生彩を喪い切っている。せめて、仕事はしっかり続けたい、続けられる。続ける。

2013 3・4 138

 

 

* 『加賀乙彦自伝』が贈られてきた。夫人を亡くされてお気の毒に思ってきた。やがては九十歳に近づかれている。ご健勝を願う。

太宰賞で私より早く受賞された、第一回の吉村昭さん、第二回はたしか受賞者がなく、第三回の一色次郎さんも亡く、第四回めの受賞者は以来消息を聞かない。わたしが第五回だった。加賀さんは第一回の次点だった。やはり亡くなった辻邦生さんと競うように大作を書き続けてきた加賀さんだった。「自伝」とは、読者にはめでたくも思われ、また一抹寂しい気もする。

2013 3・5 138

 

 

* 月日を跨いでとうどう読み終えたのが『丹後の宮津 史跡と名勝をめぐる』で、行から行へ嘗めるように克明に愛読してきた。宮津市と限らず「丹後」一円をじつに丁寧に要領よく「案内」してもらえて大満足だった。昭和四十五年に宮津市市役所内の「天橋立観光協会」の刊行で、編集・執筆者は、岩崎英精さん。達者な眼配りで分かりよく面白く、いい旅を楽しませていただいた。

丹後は、私のかねがね気に掛け続けてきた、しかも曽遊の地で、また行きたい行きたいと焦がれていた。胸の焦がれを静めてもらい、またかき立てられた。いい旅・いい読書だった。

 

* 代わりの次なる一冊には、がらりと変わって、ペトロニウス作、古代ローマの刺激的な刺激的な『サチュリコン』を選んだ。一種の「奇書」であろう。また楽しみを一つ加える。

ツルゲーネフの『猟人日記』はよほど面白いとみえ、妻が持ち去って熱心に、至る所で頁を繰っている。そういう名作である「猟人日記」は。

2013 3・5 138

 

 

* 馬場あき子さんから「男の恋の歌」「女の恋の歌」二册を頂戴し、黒田杏子さんからも俳句の本を頂戴した。

2013 3・15 138

 

 

* 久しい友の島尾伸三さんが、優れた詩人でも作家でもあった父上島尾敏雄特集の雑誌「脈」を贈ってきてくれた。

もう一冊詩人の詩集を戴いたが、いま、その人の名前がどうしても思い出せない。この頃は日に何度もこういう失念をばらまいている。昨日は京都の西を流れる「桂川」がどうしても出て来なかった。もう何日も前から亡魂平知盛が義経や弁慶の船を襲う歌舞伎の外題がまだ何としても想い出せない、。大好きな演目なのに。ま、しょがないなあと半ばは諦めかけている。

2013 3・16 138

 

 

*久しぶりに少しムリはあったが、「サチュリコン」「親和力」「指輪物語」そして「南総里見八犬伝」を浴槽のなかで少しずつ読んだ。

2013 3・17 138

 

 

☆ 「湖の本」115

落手。ありがとうございます。

(国会違憲についての)e-メールも受け取り、拝見いたしております。  世田谷豪徳寺  島尾伸三  作家・写真家

 

* 島尾さんの送ってくれた、お父上『島尾敏雄と写真」は貴重な編纂で、「富士正晴文学アルパムと島尾敏雄」「島尾敏雄と少女」「島尾敏雄と『終戦後日記』」「島尾敏雄と妻ミホ」「富士正晴と島尾敏雄」「島尾敏雄と<いなか>」「島尾敏雄と眼疾」「『月の家族』の中の島尾敏雄」「島尾敏雄と奄美」等々その他を纏めてある。わたしは島尾敏雄という作家・詩人にまだ十分に出逢えていないが詩集その他を愛蔵している

2013 3・19 138

 

 

* 『古今著聞集』を機械の側で読み進んだ。どうやらわたしはこの時代に「人」探しがしたいらしい。『十訓抄』も読んでみよう。木村さん史料も読みたい。想像力をまだまだ肥やし鍛えたい。

『十訓抄』をズンズン読んでいたら、こんな訓えが出ていた。頷いた。

 

☆  『十訓抄』 一ノ二九

すべて、人の振舞は、おもらかに言葉すくなにて、人をも馴らさず、人にも馴らされず、ゑを笑はず、戯れ好まず、とどろかに(=のんびりと)おとなしく、振舞ひてゐたれば、心の中は知らず、よきものかなと見えて、人にも恥ぢられ、所をも置かるる(=敬い気味に距離を置かれる)なり。

かかれど、これはなつかしく、思はしきかたにはあらず。ただ乱るべきところには乱れ、折にしたがひて、戯れをもし、をかしきことも笑ひ、人の名残をも惜しみ、友にしたがふ心ありて、わりなく(=この上なく)思はれぬるには、徳(=利得)多かりとぞ、古き人、多く定められける。

 

* 後段がなければわたしは白けただろう。ま、後段が言われて、持ち直した。

2013 3・20 138

 

 

* 湯につかって建日子の新刊文庫をまた少し読み進んだ。どうしてこんなのが書けるのかなあ。

 

* 岡本勝人さんに頂いた壮大な長詩を、久々に、「e-文藝館・湖(umi )」に掲載しようとしたが、掲載手順が想い出せずに、失敗。物忘れがひどすぎる。落ち着いてまたやり直す。

2013 3・21 138

 

 

* 加賀乙彦さんから、新刊『ああ父よ ああ母よ』を戴いた。1945から1970年の中国を舞台に繰り広げられるいわば一家族と激動の中国現代史。読んでみたい。

2013 3・27 138

 

 

* 建日子の新刊『殺人初心者』を湯の中で読み終えた。読み始めた頃から、この配役では最終の犯人はこれしかないと想っていた通りの結末に、かなり、めげた。ま、いっか。

2013 3・28 138

 

 

* 夜中眠れぬまま、ゲーテの長編「親和力」を読了した。得も云われずまさに「ゲーテ」世界の表現であった、こういう作品を他に知らない。この小説ほど読むに連れてわたしに朱ペンで傍線を引かせた作はない、同じ作者の「フアウスト」の他には。ゲーテは人神のように書いて語りかける。その言葉がそのまま「箴」を成して積み上がって行き、しかも小説の展開は自然必然を美しく温かく踏み外さない。夫エドアルトも、妻シャルロッテも、妻の姪オッティリエも、確然と生きてそれぞれの「人間」を表しつづけて荘厳であり壮麗でもある終末の幕をおろす。息をのむしかない説得力、表現力、構想力そして親和力のこわいような微妙。

むろん彼らはほぼ二百年の上も昔の人たちで、今日このような人たちを、のしてこの日本で見出すことはムリだ。だから作の精妙とも無縁で立つしかない、などとは言えない。古今東西、いかに物理的な隔たりあろうとも、優れた「文学」「藝術」のちからはそんな隔てを溶かしてしまう。

眼が利かなくて、今も大きな拡大鏡を額に巻いてキイを探っている。これではわたしが朱線で胸に受け容れた箇所を多く書き写すことはとても出来ない、残念だが。昨夜中に読んだなかでのそれらに限って少しだけ、転写しておく。訳は、実吉捷郎さん。

 

・ 青春というものは、思いがけなく回復するものです。

 

・ 「なんとばかげたことだ。」 「いちばん欠くことのできない、いちばん必要なものを、たとえそれが失なわれそうになっていても、もしかするとまだつかまえていられるのに、わざわざ、早計に投げすててしまうなぞというのは。しかもそんなことにどういう意味があるだろう。もちろんただ、人間は自分で選択できるような顔をしたがるーーという意味だけじゃないか。」

 

・ ひとりひとりの人間に、ふつうおこってくることは、一般に信じられているよりも、もっとひんぱんにくり返されるものだ。それは人間の天性が、もっとも直接にそういう決定を行うからである。

 

・ われわれは、変りやすいといってじつにいろいろと苦情を云われる人間が、長い年月を経ても変らないでいるし、外的内的のかぎりないしげきを受けたあとでも、変らずにいるのを見て、おどろくのだ。

 

・ そのときだけが、鐵をきたえるのに都合のいいような、そういう一定の瞬間があるということ。

 

・ 人間は善いこと、ためになることをするのが、ほんとうにすきなのですよーーそうするきっかけさえ見つかればね。

 

・ 何事にも天才が必要なのだよーー殉教にさえもね。

 

* 佳い読書が楽しめた。

 

* 今朝 起き抜けに 久々に「阿弥陀経」を黙読した。枕元のもののなかに菩提寺で戴いた「浄土勤行式」が在ったのに、ふと手を出した。それだけのこと、だが。二階へ、機械のちかくへ持ってきた。

2013 3・30 138

 

 

* 機械が稼働までに、「臨済録」読んでいた。

 

☆ 臨済和尚に聴く

 

昔の先輩たちは、どこへ行っても人に理解されず、追い払われたものだが、そうなってこそその貴さがわかる。 どこででも人に受け入れられるような人物ならば、何の役に立とうぞ。 獅子が一吼えすれば、野干(狐)は脳が割れてしまう。(獅子一吼、野干脳裂)

世間には、修習すべき道があり、証悟すべき法がある、などと説くものがいるが、一体どんな法を悟り、どんな道を修しようというのか。そいつらがくだらぬお説教を垂れて人さまを呪縛し、「教理と実践とが即応し、身口意の三業を慎んで始めて成仏できるのだ」などと言わせておる。こういう説をなす連中は春の細雨のように多い。

古人は「道で修道者に出逢ったら、絶対に道の話をしてはならぬ」と言い、だからまた「もし人が道を修めようとしたら道は発現しなくなり、さまざまの異端が先を争って出てくる。しかし一たび知慧の剣が現れ出れば、すべては跡かたもなく消え、明が顕われ出る前に暗が輝き出る(明頭未だ顕はれざるに暗頭明らかなり)」と言い、さればこそ古人はそこを「平常心がそのまま道である(平常心是道)」とも言った。

もし異った心を生じると、心の本体とその現れとが別々になる。しかし一心は異らぬから、その本体と現れとは同一である。

 

* ものごとのゴチャゴチャになった頭から、無用のごみを手づかみに捨ててもらった心地がする。

 

☆ 臨都駅答夢得(=劉夢得)二首   白楽天

 

揚子津頭月下     揚子津頭の月下

臨都駅裏燈前     臨都駅裏の燈前

昨日老於前日     昨日は前日より老い

去年春似今年     去春は今春に似たり

 

謝守帰為秘監     守を謝し帰りて秘監となり

憑公老作郎官     公を憑み老ひて郎官となる

前事不須問着     前事は須く問着すべからず

新詩且更吟看     新詩は且つ更に吟看せん

 

* 先韻は、客舎に宿って夜中劉夢得を憶う心を述べている、春景色は去年も今年も同じですが、昨今は旅に疲れましての、去年より老いましたわい、と、月下、揚子江の船泊て、都駅の片隅に灯しをかかげての、まさに旅愁。「磯の灯ほそりて更くる夜半に 誰にか語らん旅のこころ」とでも読むか。

寒韻は、白楽天が、蘇州刺市(知事)の官をしりぞき、文宗の都で秘書監となったが、更に君を頼んで刑部侍郎として官途に日を送ってきた。が、そんな既往にもはや何も問いますまい、新作の詩を吟じては清閑をたのしみましょうぞ、と。

珍しい、六言絶句でもある。

2013 4・1 139

 

 

* 今日は、懐かしい、しかしもう読み切れない、母校の研究誌「美學藝術學」が届いた。教授陣以下の氏名にもまったく記憶・念識がない。それでも、少し懐かしい。

嵯峨厭離庵下の藤原敏行クンが東京日本橋高島屋で個展をと知らせて呉れた。もう旬日のうち。出かけられるかな。

 

* 夢中で、小説のために送ってもらった史料や史料本に目を向けている。たとえ活用し利用するのが断片であろうともそれは氷山の一角。頭の中で築いた全容はもはや懐かしいまでに温まっている。 2013 4・4 139

 

 

* 「十訓抄」をおもしろく読んでいる。好き心やみやびかに振る舞いたがる男達の失敗、おこの振る舞いなどが容赦なく実名で書かれてある。「すきぬる者は、かくをこの気のすすむにや。」(風流に心を奪われる数奇者たちは、こんな愚かしい気質も人一倍強いのかもしれない)とは、的確に手厳しく、よく見抜いている。

この本、もっともっと読まれておもしろいものと、すっかり見直している。こういう手の本は「古今著聞集」などもそうで、類書はいろいろあるけれど「十訓抄」はいかにも衆庶の教科書にも成りやすげにあか抜けてムダな難しさも無い。ちょっと読んでみるかと頁をひらくと思いの外いつも多くを読んでいる。「読ませる」ちからと配慮が働いていると云うこと。

2013 4・4 139

 

 

* 都立大学名誉教授の高田衛さんから、抜群の代表作といえる『上田秋成年譜考説』の「完本」(ぺりかん社刊)を、「恵存 秦恒平様 二○一三年 四月五日  高田衛印」の署名入りで頂戴した。発売予定の十日前に、である。これぞ、高田さんと出逢いの貴重極まる一書であり、「年譜」とは何であり何であるべきかを深切に教えられた希有の教訓一巻であった。不幸かつ残念きわまりなく、本書に深く学んだ適確な「上田秋成関連」作を、わたしは創り上げられずに今日に至った。高田さんにも、また学生時代以来応援してくれた長島弘明現東大教授にも申し訳できない。

わたくしへの生き生きとした刺激の蘇りも願い、学問・研究とはいかなるものかというあらためての感動も得たく、さらには学問・研究を真剣に志す若い学徒達のためにも、高田衛さんのお手紙と、長島弘明さんの「解説」をも、あえて広くに紹介させて欲しい。

 

☆ 前略

お身体いかがでしょうか。案じております。

旧著を再刊しました。

長島君が解説を書き、學兄がこの本を認めて下さったことを書いています。

ご自愛専一を祈ります。

二○一三年 四月五日   秦恒平様     高田衛

 

☆ 高田衛著『上田秋成年譜考説』 解説   長島弘明 (東京大学教授)

 

私的な回想から始めることをお許しいただきたい。昭和五十年、大学四年生になって仏文から転科した私が、時間的な余裕もないままに卒業論文のテーマを上田秋成に決めた時、傍らにあったのが、今回復刊されたこの本の原著にあたる明善堂書店版の『上田秋成年譜考説』のコピーであった。秋成で卒論を書く学生のご多分に漏れず、私も中村幸彦氏校注の日本古典文学大系版の『上田秋成集』、鵜月洋氏著・中村博保氏追補の『雨月物語評釈』、中村博保氏編の日本文学研究資料叢書『秋成』を買ったが、昭和三十九年発行の『上田秋成年譜考説』と、同じく高田先生の昭和四十三年刊の『上田秋成研究序説』は、当時すでに学部学生には手が出ないほど高価で、現物を手元に置くことはできなかった。『研究序説』は、当時の研究室にはそれしかなかった、薬品臭く、何年か経つと日焼けして文字がむら消えする湿式コピーで複写した。しかし『年譜考説』の方は東大の国文研究室では紛失本になっており、図書館にもなかったので、慶応大学に通っている高校時代の友人に借り出してもらい、その頃は高価だった普通紙のコピーをとった。私は製本屋で簡易製本をしてもらったこのコピーに書き込みをしながら、卒業論文も修士論文も書いた。そのコピーは今も手元にある。在庫が眠っていないかと、確か明善堂書店にも直接行ったことがあるように記憶するが、当然のことながら手に入らなかった。因みに、私が『年譜考説』と『研究序説』の念願の原本を手に入れたのは、職を得て初めて賞与なるものをもらった時である。

卒論は『雨月物語』のまことに雑な作品論で全く取るところのないものだったが、『年譜考説』を繰り返し読むという得難い経験を通して、伝記的事実の考証という一見無味乾燥な研究が、そうではなく、史上の人物の豊かな表情を生き生きと再現することのできる営為なのだということを感得した。年譜考証は、文学的秋成像を描くための確固とした方法である。中村幸彦氏が『上田秋成集』において、注釈という行為を中村秋成を描く一つの方法として再生させて見せたように、高田先生もまた年譜考証を、高田秋成を語るに足る方法として新たに提示して見せたのである。故日野龍夫氏は、著書『服部南郭伝攷』の「あとがき」で平石直昭氏の『荻生徂徠年譜考』に触れて、「私は野間光辰先生の『刪補 西鶴年譜考証』、高田衛氏の『上田秋成年譜考説』、丸山季夫氏の『泊 舎年譜』と併せて、昭和の年譜四天王と呼びたい」と言っている。日野氏の『服部南郭伝攷』自体が、平成の名年譜の筆頭に置かれるべきものであるが、それはさておき、炯眼の近世文学研究者が選んだ年譜四天王は、いずれも厳格な事実の考証の背後からその人物の体温や時代の息吹が伝わってくる本である。卒論を書いている時の私には、『年譜考説』の中に秋成の顔が確かに見えたのである。

例えば、宝暦五年(一七五五)、秋成二十二歳の年に立項された「○某月、姉が家出し、父茂助に勘当された」の箇所や、宝暦十年に立項された「○某月、(この年か)柿が死ぬ」の箇所の解説は、秋成の義理の姉が恋愛問題から出奔した前後の経緯を記し、その姉夫婦の娼家経営説にまで触れる。語弊があることを承知で言えば、この解説は極上の短編小説を読むような感がある。この姉の家出の一件にふれる秋成の『自伝』がそもそも小説的な解釈を促すような文章であるからだが、著者が描き出す「浮浪子(のらもの)」でありながら「心直き」秋成像は、小説中の登場人物のように生動している。『自伝』の短い記述から、秋成自身はもとより、養父茂助や、茂助の実子である義姉の心理の綾にまで分け入るようにして書かれた解説には、あたかも『蒙求』の数行の記述から、家族の心

理的なドラマを一篇の和文で作り出した秋成の「 廉留銭」(『藤廉冊子所収)と同質の想像力がうかがえる。もちろん、この解説はあくまでも年譜的な事実考証であって、小説のような奔放な、あるいは故意な空想の産物ではない。著者は、秋成が娼家を営んだという誤伝の源は、姉夫婦の生業が娼家経営であったからではないかという考えに傾きつつも、「姉の生業を推定するに足る資料がない現在、これを断定することは、もちろんできない。姉の生業は、いま不詳とすべきである」と言い切っている。小説ならば許される魅力的な想像から引き返し、禁欲的な文章のうちに踏みとどまろうとするのが、本書に一貫する著者の姿勢である。にもかかわらず、ここには生身の秋成がいる。否、にもかかわらずではない。生々しい秋成の姿は、ギリギリまでの想像力の駆使と、根拠のない夢想への断念を同時に抱え込んだ禁欲的な文体によってしか現れてこない、と言った方が正確であろう。著者が三十代前半にしてこういう文体をすでに獲得しているという事実は、私には奇跡のように思われる。

本書の復刊を私は早くから望んでいた。今、原著の 『上田秋成年譜考説』を手に入れることほ、それがすでに難しかった私の学生時代に比べても格段に困難であることば間違いないが、今の研究者、とりわけ若い方々に是非本書を手元に置いてもらいたいからである。秋成の論文を書く時に、当該年の事績を確かめるだけに本書は播かれるべきものではない。また秋成を専門とする研究者のみに利用されるべきものでもない。秋成研究や江戸文学研究の専門家に限らず、できれば文学研究を志す人すべてに本書を読んでもらいたいと思うのは、江戸文学研究における伝記研究の意義などという範囲をはるかに越えて、そもそも文学研究において資料を読み込むとはどういうことか、対象と切り結ぶ方法を自前で考え出すとはどういうことか、そういう根源的な問題を考えるためのヒントが、本書には無数にちりばめられているからに他ならない。原著の刊行からほぼ半世紀を経て、その後に出現した資料により、あるいは著者自身の考えの変化により、当然増補や訂正を加えることができる箇所もあろうが、ほぼ原著のままの姿で復刊がなされたことを、むしろ個人的には喜びたい。秋成研究に与えた衝撃と、長く秋成研究を牽引してきた本書の研究史上の意義に照らして、本書は原著のままの復刊が望ましいし、微細な錯誤の訂正や新事実の付加によって、本書に描き取られた秋成像が変わることはあり得ないからである。揺らぐことのない一つの完成された秋成像であり、それを補訂するためには、全く別の方法によった新たな秋成像を描くしかないのである。

『年譜考説』 の末尾に添えられている四つの別論は、秋成伝を考える時、否、秋成の文学を考える時に、もっとも重要な問題を取り上げている。後続の秋成研究は、この別論を橋頭堡として前進してきた。私が調べた秋成の実母も、別論一の延長に過ぎない。宇万伎入門は私は現在は明和八年と考えているが、考証の範はいうまでもなく別論二である。『雨月物語』の成稿についてはまだ様々な考え方があるが、依然として別論三が研究者共通の出発点になっている。本居宣長との論争に関する別論四も、その後の本居宣長記念館所蔵の 「上田秋成の答書」「菊屋主に贈る書」の出現によって、「洞見に満ちた論考」(大久保正氏『本居宣長全集』第八巻解題)であることが実証された。別論のことごとくが、文人秋成の本質に関わる問題提起である。この問題提起に対してどういう違っ

た答案が書けるか、この別論は秋成研究者に対する課題であり、少し大げさに言えば試金石だと私などは思いながら研究を続けてきた。

人との出会いは僥倖による。同じ時代、同じ空間にたまたま居合わせたという僥倖である。私は大学院に入って、高田先生と会うことができた。著書を初めて読んでから、二年はど後のことだったろうか。実は偶然というわけではなく、知り合いだった高田門下の二村文人さんに、先生に是非一度お引き合わせいただきたいと懇願したところ、ちょうどその頃、高田先生を囲んで日本文学協会の近世部会を復活する準備が稲田篤信さんらを中心に進んでおり、その会に出たらいかがですかと、高田先生から二村さん経由で言っていただいたものだった。爾来、高田先生には研究に関して現在に至るまでずっとお世話になり続けているが、その出会いを準備してくれたのは『上田秋成年譜考説』と『上田秋成研究序説』 である。良書とのめぐり合いもまた僥倖によるとすれば、昭和五十年頃の時期に、秋成研究を志した偶然に感謝しなくてはならない。昭和四十年前後の秋成研究の黄金時代の熱気がいまだ冷めやらぬ時期に『上田秋成年譜考説』を熟読する機会を得たことが、その後も研究を続ける大きなきっかけとなっているのである。作家で大の秋成通、秋成贔屓である秦恒平氏の「秋成と袋町」(『上田秋成全集』第十巻月報)という文章に、「高田衛氏の論文にたまたま触れ、猛烈に刺激されて、まだ勤めのある時分であったが、やむにやまれずぶっつけに御所市まで出向いたものだ、聳える金剛・葛城をさながら仁王立ちのようにふり仰いで、なぜか嬉しくて嬉しくてしかたなかったのを思いだす」ということばがある。「高田衛氏の論文」というのは、言うまでもなく本書の別論一である。これは『上田秋成年譜考説』に対する最高の讃辞である。私も後に初めて御所に行った時に、秦氏と相似た感情に襲われた。本書の文体は平明だが、論理の力強さと、静かな熱狂ともいうべき対象への思い入れが、読者を虜にする。私は何度、この本に叱咤され、鼓舞され、突き動かされ、また居住まいを正させられたことか。そういう経験を、復刊された本書によってさらに大勢の方々に持っていただきたいと切に願う。     長島 弘明 (東京大学教授)

 

* 懐かしさと感謝の思いで涙を堪えきれなかった。長島さんは、学生のころ東大五月祭にわたしを呼び入れにこられて初めて出会った。今も、著書をいろいろ頂戴し、湖の本も応援して頂いている。もとより高田さんとの書物や消息の交換は絶えることなく、いま、こうして世紀の名著を「完本」として賜ったこと、生ける甲斐あった思いである。生きてきた時代に、感謝を寄せたい。

2013 4・6 139

 

 

* 目の調子が少しずつよくなり、就寝前の読書も半ば復活できている。寐たまま本そのものの重いのは肩も痛めるので、文庫本に今は限っているが、新たに加えた「共産党宣言」が、読み始めであるが、とても興味深く説得されている。ああこれは歴史的な名著だなと実感できる。一つには世界史をつくづくと読んできた体験にも先導されていて、「ブルジョア階級」と謂われればそれへの概念的理解は自身のうちに用意されていて、「宣言」の批評がまっすぐフムフムと伝わってくる。分かりよくかつ面白いし興味津々だしあらためて教えられるところ大きい。近時の岩波文庫あさりで手に入れた。

「共産党宣言」の前ぶれとも読めなくないが、ツルゲーネフの「猟人日記」がロシアの広大な自然と多彩な庶民性・人間味に文学的な血を通わせ、滋味溢るる表現や描写の巧みが希代に面白い。妻がさきに読み終え、上下巻が手元に戻ってきたのをもっぱら楽しんでいる。

ゲーテの「イタリア紀行」がすばらしい。いままだゲーテはシチリアを堪能している最中だが、その自然と人間との観察や批評や探索・探訪の精微に美しく適確なことに讃嘆しきり。たいがいの紀行には、あまりの尋常さに飽きてしまうことが多いのに、ゲーテのそれには彼の深い篤い息づかいまで肌身に伝わってきて、まさにゲーテの肩にのせられてわたしも旅をしているような心地。すばらしい。

ローマの大昔の「サチュリコン」には、ただあっけにとられ、ただただ「読まされ」ている。なんという本であることか。

「指輪物語」は二つの塔の物語がいましもクライマックスに近づきつつ、こまやかに美しい大自然と時の推移の描写を楽しみ、味わい、感嘆し、全身で溶け入っている。奇跡のような文学作品。とても嬉しい読書。

「南総里見八犬伝」は、晴明でも清明でもない混沌世界の圧に満ちていて、ときどきシンドクなる。たんなる伝奇世界ではなく、どこかに「近世」を予見した中世末への辛辣な歴史批評が物語の底でうごめくと感じる。物語以上に、作者馬琴の「ことば」のとほうもない乱舞の韻律に引きずり込まれる。高田衛さんの「八犬伝の世界」を頼みの道案内にして文字通りねばり強く読み込んで行く。

「捜神記」ももう残り少ない。じいっと怪力乱神の世界に眼をそらさず見入っている。

そして「臨済録」「バグワン」また「十訓抄」とともに自問し自答している。

2013 4・6 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (1)

 

・ 今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。

・ ブルジョア階級とは、近代(現代・今日)的資本家階級、すなわち、社会的生産の諸手段の所有者にして賃金労働者の雇用者である階級である。

・ プロレタリア階級とは、自分自身の生産手段をもたないので、生きるためには自分の労働力を売ることをしいられる近代(現代・今日の)賃金労働者階級を意味する。

・ 書かれた歴史に先行する社会組織 共同の土地所有をもつ村落共同体は、インドからアイルランドにいたる社会の原型であることが発見された。

・ この本源的な共同体の解体とともに、別々の、ついにはたがいに対立する諸階級への社会の分裂がはじまる。

・ 要するに圧政者と被圧制者はつねにたがいに対立して、ときには暗々のうちに、ときには公然と、不断の闘争をおこなってきた。この闘争はいつも、全社会の革命的改造をもって終るか、相闘う階級の共倒れをもって終った。

(秦注・ ないしは、延々と一方的な制圧・支配の社会や国の体制が持続しつづけた。われらの日本国では、支配階層同士の葛藤や暗闘や戦闘は繰り返されたが、いまだかつてプロレタリア階級と目される者らの闘い勝ったためしは、かすかに短期間な一揆や反乱の成功を除けば、唯一、地下(ぢげ)に平伏し跪座した「侍」層が、公家(くげ)精力に拮抗し新支配層としての武家階級を確立したまでは、全く無かったのである。明治維新にしても支配層の横滑り交替が有ったに過ぎないし、軍が解体された第二次大戦敗戦後も、典型的なブルジョア支配の政治がおやみなく圧政を恣にしていること、日々に見る通りである。 )

 

* 歴史を、まざまざと眼に見る思いがする。今日の日本の不幸は、こういう学習が徹底的に欠け落ちている点にある。学生たちは意識を失い、労働者は臆病をきわめ、共にひたすら利己的に隘路をすりぬけよう、すりぬけられると儚い夢を見ている。

2013 4・7 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (2 )

 

・ 歴史の早い諸時期には、われわれは、ほとんどどこでも社会が種々の身分に、社会的地位のさまざまな段階に、完全にわかれているのを見出す。古ローマにおいては、都市貴族、騎兵、平民、奴隷に、中世においては、封建君主、家臣、ギルド組合員、職人、農奴にわかれていた。なおそのうえ、これらの階級の一つ一つのなかが、たいていまた別々の階層にわかれていた。

・ 封建社会の没落から生れた近代ブルジョア社会は、階級対立を廃止しなかった。この社会はただ、あたらしい階級を、圧制のあたらしい条件を、闘争のあたらしい形態を、旧いものとおきかえたにすぎない。

・ しかしわれわれの時代(=今日も含めて)、すなわちブルジョア階級の時代は、階級対立を単純にしたという特徴をもっている。

・ 全社会は、敵対する二大陣営、たがいに直接に対立する二大階級――ブルジョア階級とプロレタリア階級に、だんだんわかれていく。

(秦注・ 今日の日本では、だがもはや<プロレタリア階級>という意識自体が雲散霧消し、<ブルジョア階級>と大きく対立する政治勢力は事実上存在していない。事実、<プロレタリア階級>を支持し守っていくはずの、曾てはまさにさように存在していた「社会党=社民党」が、今日もはや解党直前の死に体にひとしい現実が、それを示していて余りある。現在の日本社会では<プロレタリア階級>を結束させる指導団体(=<ブルジョア階級>のための経団連等に相当する)は、対立勢力の、顕著また隠微に猛烈な「政治的」攻勢を受け、すでに完全に壊滅している。

それを以て謂えば、すくなくも日本において『共産党宣言』当時の時代把握は過去形と化しているというしかなく、もしもそれに自己責任を問うならば、すべて日本の<プロレタリア階級>が無自覚に自身の政治的権利を対立階級の前に抛ったこと、関係政党が自身の存在理由や根拠を無防備にみずから放擲したこと、対立勢力の攻勢意図を完全に見誤っていたこと、が挙げられる。政党は支持者を失えば国会での議席も失う。現実はまさにそれを暴露している。)

* 三時半、歯科へ。治療後一路保谷へ。駅構内で買い物して帰宅。

晩は、茶の間へ持ち出した大冊の「京都市の地名」また「京都市東山区」とある地誌と歴史を、ひたひたと耽読、多く朱筆を用いた。面白くてやめられなかったが、まだまだ百の一しか読めていない。落ち着いて、そして脳裏に新たな起爆剤を埋め込みたい。

大事典の小さい文字を裸眼で「読める」「読み耽れる」のが有難い。

東山区は、いわばわたしには「家の庭」のようであった。うまい水を吸い込むように記事が頭に入ってくれる。

 

* 今は、「臨済録」を読んで。もう十一時半。今週は、外へ出る用事無く、仕事、仕事を楽しめる。

2013 4・8 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (3 )

 

・ 中世の農奴から、初期の諸都市の城外市民(ブファールビュルガー)が生れ、ブルジョア階級の最初の要素が発展した。

・ アメリカの発見、アフリカの回航は、頭をもたげてきたブルジョア階級にあたらしい領域を作りだした。東インドとシナの市場、アメリカへの植民、諸植民地との貿易、交換手段やまた総じて商品の増大は、商業、航海、工業にこれまで知られなかったような飛躍をもたらし、それとともに、崩壊していく封建社会内の革命的要素に急激な発展をもたらした。

・ 封建的もしくはギルド的経営様式は 工場手工業(マニュファクチャ)がそれに代った。 個々の仕事場自身のなかの分業もあらわれた。 市場はますます増大し、需要はますます上昇した。工場手工業(マニュファクチャ)もそれには応じきれかった。

・ このとき蒸気と機械装置とが工業生産を革命した。 近代的(=現代・今日的)大工業があらわれ、 工業的百万(=何兆万)長者、全工業軍の司令官があらわれた、すなわち近代(=現代・今日の)ブルジョアである。

(秦注・ 上の推移は、日本では、いままさに暴威をふるう東電はじめ特権独占超大工業の電力企業に、特徴的に達成されている。その政治的支持を、経産省ないしブルジョア内閣さらには同質の国会多数が担当している。そう観て、どこに誤解が有ろうか。)   2013 4・9 139

 

 

☆ 有感   白楽天                                                                     往時は追思するなかれ、追思すれば悲愴多し。

来時は相迎ふるなかれ、相迎ふれば已に惆悵。

兀然として坐するにしかず  然として臥すにしかず。

食来れば即ち口を開き 睡来れば即ち眼を合す。

二事最も身に関す。

安寝餐飯を加へ。

忘懐行止に任せ。

命を委して脩短に随ひ。     脩短 寿命の長短

更にもし興来るあれば、

狂歌して 酒一盞せん。

* ああ、まこと、かく在りたい、が。

 

* 加賀鶴来の万歳楽醸、原酒「剣」一升が届いた。「狂歌して酒一盞」と行くか。あーあ、それどころか、歯が二本も短時日の内に折れて落ちてしまった。爺むさいなあ。「安寝」には恵まれているが「餐飯を加へ」ることもママならなくなってきた。明日、飛び入りでまた歯医者へ、独りで。

2013 4・9 139

 

 

* あれこれやっていると、頭の中での交通整理能力が停頓してくる。そんなときは機械を離れて良い本を読むのが佳い。

幸いに、機械のそばに積んである高田衛さんに頂戴した大冊『上田秋成年譜考説』は、記載・記述の両面で、絶好。『臨済録』も絶好。『捜神記』も、『十訓抄』も絶好。『陶淵明集』も『白楽天詩集』も絶好。『共産党宣言』も絶好。

昨日ちょっとした用事で、書庫のなかの、ま、哲学・美学・藝術學・宗教学の文庫本百数十册から一冊を捜していて、ほとんど全部を手にし、嘆息。読みたい・読み返したい懐かしい本がわんさと在るのに、いっそ悲鳴をあげてしまった。これはまあ、容易に死ねないなあと現世的な欲望が湧いてしまい、落ち着かなかった。書庫の夥しい全蔵書となると、実は通路もまともに歩けないほどの氾濫で。

わたしがいなくなれば、いったい、どう処分されてしまうやら。 2013 4・9 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (4 )

 

・  大工業は、すでにアメリカの発見によって準備されていた世界市場を作りあげた。世界市場は、商業、航海、陸上交通にはかり知れない発展をもたらした。 ブルジョア階級は発展し、資本を増加させ、中世から受けついだすべての階級を歴史の背後におしやった。

・ 大工業と世界市場とが建設されて以来、ブルジョア階級は近代的(=現代・今日の)代議制国家において、ひとり占めの政治支配を闘いとった。近代的(=現代・今日日本の)国家権力は、単に、全ブルジョア階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎない。 (秦注・ 国家権力は、単に、全ブルジョア階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎない、とは、何という適確な指摘であることか。

「全ブルジョア階級」といえば厖大な結集に想われやすい、が、まことに厖大なのは、彼らブルジョア階級が所持し私有する「資本と生産手段」と賃金を惜しんで使い捨てて行く「使用人」たち(=まさにいわゆる労働者・月給取り・非正規雇用者という名のプロレタリア階級意識を)のことなのであって、名実を備えた「ブルジョア階級」など、信じられぬほど数少ない。強いて日本でいえば経団連や経済同友会の会員たちとほぼ同じとみていいだろう。

資本主義社会とは、そういう、えげつない社会である。そのえげつなさに、昨今の安倍「違憲」内閣や、内閣支配に屈服した日銀が専ら卑屈なほど奉仕しているのだと観測すること、すこしも不可能でない。

原発爆発の危害が終熄せず、復興も賠償もそっちのけで、あの悪辣な東電はじめ電力企業などによかれよかれとばかり法制も行政も奉仕している。そう観て歎いている日本人はけっして少なくないはずである。

しかも「最大多数」の日本人のあまりに多くが闘うべき階級意識を失い果て、無考えにブルジョア政権に投票し賛同しなにかしらおこぼれを期待しているのが、現況・実情ではないのだろうか。如何。)

2013 4・10 139

 

 

* 立教大名誉教授の平山城児さんから、「蘆江怪談の原点」と題した論攷を頂戴した。先だっての蘆江論攷も以前に戴き読んでいる。平山さんからはいろいろの論攷でいい刺激を受け続けてきた。若返る。元気を戴くのである。

2013 4・11 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (5 )

 

・  ブルジョア階級は、歴史において、きわめて革命的な役割を演じた。

・ ブルジョア階級は、人間を血のつながったその長上者に結びつけていた色とりどりの封建的きずなをようしゃなく切断し、人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった。

・ ブルジョア階級は人間の値打ちを交換価値に変えてしまい、お墨つきで許されて立派に自分のものとなっている無数の自由を、ただ一つの、良心をもたない商業(=経済・投機等)の自由と取り代えてしまった。

・ ブルジョア階級は、家族関係からその感動的な感傷のヴェールを取り去って、それを純粋な金銭関係に変えてしまった。

・ あからさまな、恥知らずな、直接的な、ひからびた搾取と取り代えたのであった。

(秦注・ 現在の日本で、上の指摘をあまりにどぎつく傲岸に自身立証し、昨日も今日も明日もわれわれ国民を慨嘆させてやまないのが、福島第一原発をむざむざ人災で大爆発させ、数えきれぬ国民に被害・避難・別離の危害を加えて、しかも反省も賠償も事故の懸命な回復も怠り続けている「東電」の名と実状とを挙げるのが、適切そのものである。彼らに飼育されている悪徳「違憲」の代議士や官僚たちも、同類とみなしていい。

家族親族との、ブルジョア階級に顕著な動向としては、上の指摘の露骨な転化・反映である、欲と得との「世襲」志向を挙げるべきであろう。)

2013 4・12 139

 

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (6 )

 

・  生産のたえまない変革、あらゆる社会状態のやむことのない動揺、永遠の不安定と運動は、以前のあらゆる時代とちがうブルジョア時代の特色である。

・ いっさいの身分的なものや常在的なものは、煙のように消え、いっさいの神聖なものはけがされ、人々は、ついには自分の生活上の地位、自分たち相互の関係を、ひややかな眼で見ることを強いられる。

・ 自分の生産物の販路をつねにますます拡大しようという欲望にかりたてられて、ブルジョア階級は全地球をかけまわる。どんなところにも、かれらは巣を作り、どんなところをも開拓し、どんなところとも関係を結ばねばならない。

(秦注・ ブルジョア階級にも、それぞれに背負った国家があり、強い国も弱い国もある。しぜん強い国の支配下で「平等という名目」だけかかげた、ありていに謂えば「ブロック経済圏」が地球上に画策される。かつても何度も試みられた。地球は四分・五分され、日本も、戦前にその一ブロクの盟主であった、即ち大東亜共栄圏。

今日話題の「TPP」も、本質に於いて何ら変わりなく、この場合「アメリカが盟主国」であることは、安倍「違憲」内閣も頭を低くして阿諛追従のザマを見ていればわかる。だれも、ことに強国は、平等など胸懐に無く、自国の利益を最大に狙い撃とうとしている。日本は、経済的水準では米国に密接していようとも、政治・外交的には卑屈なまで「家来」同然であること、途方もなく不平等な「日米地位協定」という現実をみるだけでも、瞭然。

わたしは久しく謂うてきた、外交とは「悪意の算術」だと。「戦後」日本はと、限定しても、日本ほど外交下手な先進国は無く、TPPの「悪意の渦の中」で、安倍「違憲」内閣の「交渉力」の弱さは、情けないまで眼に見えている。ああ危ういかな。)

2013 4・13 139

 

 

* 平山城児さんの「蘆江怪談の原点」という論攷は興味深く読めた。怪談の底に「夢」への思索が生きている。たんなる面白づくでない関心の寄せ方が感じられた。

2013 4・16 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (7 )

 

・  ブルジョア階級は農村を、都市の支配に屈服させた。巨大な都市を作り出し、農村人口にくらべて都市人口の数を非常に高度に増加させ、 さらに未開および半未開諸国を文明諸国に、農耕諸民族をブルジョア諸民族に、東洋を西洋に依存させた。

・ ブルジョア階級は 人口を凝集させ、生産手段を集中させ、財産を少数者の手に集積させた。この必然的な結果は。政治的中央集権であった。

・ ブルジョア階級は、かれらの百年にもみたない階級支配のうちに、過去のすべての世代を合計したよりも大量の、また大規模な生産諸力を作り出した。自然力の征服、機械装置、工業や農業へり化学の応用、汽船航海、鉄道、電信、(=航空機も)、全大陸の耕地化、河川の運河化、地から湧いたように出現した全人口――

・ そして 自由競争があらわれた。それに適合した社会的ならびに政治制度があらわれ、ブルジョア階級の経済的ならびに政治的支配があらわれた。

・ われわれの眼のまえに、その同じ運動が(=まさに今も)進行している。

・ かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使いに似ている。

・ かの商業恐慌をあげれば充分である。それは(=バブル崩壊やリーマンショック等々のように)周期的にくりかえしながら、ますます急迫的に全ブルジョア社会の存立をおびやかす。

(秦注・ いかに一時的にアベノミクスが見かけの手柄をあげて見えようとも、見かけが毒々しければなおさら「国民の、弱者の最大不幸」は所詮避けがたく無残に崩れ去る。)

 

* このマルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』は、一八四八年二月末に本になっている。もう二百年になろうとしているが、その前半をなす歴史的解析や洞察の深さには心底おどろかされる。いわゆるマルクシズムが全的に成功を形成し得たかは疑問符をつけざるをえないが、その咎はむしろ近代人の側にある。

2013 4・17 139

 

 

* 近時 毎朝夕に元気づけてくれるのが、玄関を護って偉容悠然の久保飛呂史画『鯉』の大幅。気宇浩然、こころよい限り。名作であることを疑わない。

今一つ、読み進んで日々に心嬉しいのは、高田衛さんに新たに頂戴した名著『完本・上田秋成年譜考説』で、論攷として真実優れているのはもとより、語弊をあえて顧みず謂えば、さながらの「物語」、信ずるに足るまさに『上田秋成の生涯』を成して在ること。すばらしいご馳走を一箸一箸さながら食する嬉しさで大冊を箱から出しまた箱におさめて愛読している。

もう一つ、心親しく手にして読み進んできたのが、市川染五郎君の贈ってくれた新著『超訳的歌舞伎』で。妙な題ではあるが、なかは楽しい歌舞伎案内ないしは歌舞伎役者である著者覚悟のいかにも健康で率直な披瀝本。巻末の、新猿之助との対談もふくめて快い読み物であった。文章も表現も溌剌として花形の雰囲気に溢れていた。

2013 4・20 139

 

 

* 半盲めいていた間、シンフォニックな読書もしにくかったが、取り戻して行けるだろう。

沈復の『浮生六記』が珍しくも面白くもあって枕元の書目に加えてある。

2013 4・20 139

 

 

* 士大夫を軸として発展した中国の文学・小説では、私小説はむしろ稀である。あからさまに私事を書くことはむしろ禁忌に相当していた。そんな中でいまわたしの愛読している沈復の『浮生六記』は希有な作の一つ。惜しいことにおしまいの二記分を欠いているが、巻一は「閨房記楽」すなわち結婚の幸福をあからさまに掲げている。最愛の妻を得ての幸福の記述に終始していて、夫婦生活はのびやかに楽しく相思相愛をさながら謳歌している。芸(うん)という奥さんが天真爛漫の才女で、夫もなみなみでない秀才。筆致になにのけれんもなく、淡々として明朗、おもわず読者の微笑を誘う。いわゆる文飾の工夫におちいらず、さらさらと平易に、ほとんど文学の素人のような按配だが、自然な構成で巻から巻へ「人生」が連携して行く。この幸せに満ちていた旦那さんの未来は、必ずしも幸福ではないが、寂寞なりに閑寂の清明に心身を委ねて行く。

まことに希有かつ自然体の、強いて謂えば私小説でもあり心境を飾らない述懐の随筆文学。中国文学のエッセンスは随筆にあると吉川幸次郎先生はいわれ谷崎潤一郎先生も深く賛同されていた。その明証の一作と観ていいだろう。

 

* 古代ローマの風刺小説、ペトロニウスの『サチュリコン』は、はちゃめちゃの猥雑に鋭角の批評が混在、いや遍在していてこれまた面白い。

・ 恥ずべきことは、各人が間違って学習してきたことを、老人になって率直に認めようとしないことである。

・ 厳格な学藝の世界で成功せんものと かくも偉大だ目標をこころざした者ならば、根性をまず自制という過酷な方法で鍛えるべし。

・ こわれたガラス瓶のごとき無駄口

・ わしらはみんな死ぬ運命にある。そうとならわかっとるならどうして精一杯生きようとせんのか。

・ 運命の女神(フオルトウナ)は独自の考えを持つがゆえに、人間はおのれの企てに深き信を措くべからす。

・ 愛欲は神々すら衝き動かすのだ。

・ 叡智への愛はかつて何人をも金持にしたためしがない。

・ 財産のみを積み重ねようとこころざす者は、この世の中でおのれの所有するもの以外は何も信用しようと欲しない。

・ どういうわけか貧乏は良心の姉妹である。

こういった箴言なみの批評が連携して、しかも物語は猥雑を極める。しかもこの著者は皇帝ネロの師であり友でありセネカにならぶ知性であった。読み進むのが、とても楽しみ。

 

* さらに今も楽しんでいるのが、ゲーテの『イタリア紀行』とツルゲーネフの『猟人日記』で。えも云われず興趣豊か、一つはまさしく「紀行」だが凡常の旅日記ではない、ゲーテ内実の科学者像を彷彿させる精微で興味深い「観察」が、岩石にも土壌にも植物や動物にも、農耕の実地にも、土地土地の工藝・技術や、さらには古典的な藝術・建築・庭園や、そしてイタリア」人へも漏れなく及んで、しかもそれらの総分母には「藝術家」の慧敏な感性が横たわっている。日本語の訳もりっぱだが、なにもかもが美しく匂い立ってくる「紀行」なのだから驚く。たくさんな紀行や旅日記をわたしは読んできたが、此のゲーテの『イタリア紀行』のような名品に出逢ったことは、まず、カエサルの『カリア戦記』を措いて他にはまったく記憶がない。

いま一つの『猟人日記』のなんという至藝か。小説らしい筋や物語は無いに等しい、のに、その滋味の魅力は、かなりの大冊なのだがまさに巻を措かせない。ロシアの農奴たちの土俗と気質と、そして世界大にひろがる広大で緻密な自然の色、音、匂い。読んで読んで読んで行って、しかも微塵も飽きない、退屈しない、どころか世界に包み込まれて深い安堵と平和とを満喫しているのである。

『イタリア紀行』も『猟人日記』も、淳乎として高雅な「随筆」美の最たる精華というより他の言葉が見当たらない。

心ゆくまでこういう名品を読んで楽しめる幸せを、わたしは噛みしめている。

 

* 此の機械の側に限っても、『共産党宣言』あり『臨済録』あり、『上田秋成年譜考説』も『十訓抄』も『捜神記』も陶潜や白居易の詩集も『古今著聞集』も、すぐ手に取れてそのまま吸い込まれるように読んで楽しめる。

欲も得も無い。ただもう読んで感動し感銘をえて、楽しくて仕方がない。永かった人生で、いまほどいろんなことが自由自在に楽しかった時期は無かった。なにやかや軋轢がありあくせくもし、なにより欲があって得もしたかった。あんなことでは、楽しみは濁ってくる。

2013 4・22 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (8 )

 

・  (例にこと欠かない、あの)商業恐慌 それは周期的にくりかえしながら、ますます急迫的に全ブルジョア社会の存立をおびやかす。

・ 恐慌においては、以前のどんな時代にもとても起こるとは考えられなかったような社会的疫病――過剰生産という疫病が発生する。社会が突然、一瞬のあいだに未開状態に逆もどりしたようになる。

・ なぜそうなるのか? 社会に文明がありすぎ、生活手段が多すぎ、工業や商業が発達しすぎたからである。

・ (あげく)かれらブルジョア階級は、もっと全面的な、もっと強大な恐慌の準備をするのであり、そしてまた恐慌を予防する手段をいっそう少くする。

・ ブルジョア階級が、すなわち資本が発展するにつれて、同じだけプロレタリア階級、すなわち近代労働者の階級も拡大する。 かれらは、労働を見出すあいだだけ生き、かれらの労働が資本を増殖するあいだだけ労働を見出す。

・ この労働者は、自分の身を切り売りしなければならないのであるから、他のすべての売りものと同じく一つの商品であり、したがって、一様に競争のあらゆる変転に、市場のあらゆる動揺にさらされている。

・ プロレタリアの労働は、機械装置の拡張や分業によって、あらゆる独立的性格を、したがってまた、労働者にとってあらゆる魅力を失った。労働者は機械の単なる付属物となり、 だから、労働者のためについやされる費用は、ほとんど労働者が自分の生計と自分の種族の繁殖とに必要とする生活手段にのみ限られる。

(秦注・ 只1パーセントの富裕支配者(ブルジョア階級)の富裕に奉仕する経済施策にのみ嬉々として狂奔して行く安倍「違憲」内閣。「国民の最大不幸」をわたしが歎く理由は、上に明らかにされている。「国民」とは、まさしく、今や生活手段すら満足に持たざる「プロレタリア勤労者階層」を指している。)

2013 4・26 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (9 )

・  近代的工業は、家父長制的な親方の小さな仕事部屋を。工業資本家の大工場に変えた。

・ 工場のなかにつめこまれる労働者群は、兵隊と同じように組織される。かれらは下級の産業兵として、下士官(=主任・課長)や士官(=課長・部長)の完全な階級組織の監視のもとにおかれる。

・ 毎日毎時、機械によって、監督者によって。なかでも製造家たる個々のブルジョア自身によって奴僕化される。

・ この専制は、営利(=儲け)が自分の最後の目的だと明らさまに公言するようになればなるほど、ますますけちな、ますます意地きたない、ますます腹立たしいものとなる。

(秦注・ まさにこの絵に描いたほどの適例を、いま、東電という特権営利主義企業の「会長・社長」らと、その最下層で放射線に身をさらして収奪されながら働く現場作業員たちとの構図に観て取れよう。しかも大ブルジョア企業の「内部留保」はそれこそもの凄い金高に天までも積まれて、けっしてとと謂えるほど労働者達には配分されない。)

2013 4・27 139

 

 

☆ マルクス エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫)

大内兵衛・向坂逸郎訳に拠る抄録を今後断続しつつ紹介する。 (10)

・  労働者が自分の労働賃金を現金でうけとって、(ブルジョア)工場主による労働者の搾取が終ると、そのとき、かれらには、他の部分のブルジョア階級がおそいかかる、すなわち、家主、小売商人、質屋等々が。

・ これまでの下層の中産階級、すなわち小工業者、商人および金利生活者、手工業者および農民、これらすべての階級はプロレタリア階級に転落する。

・ かれらの小資本が大工業の経営には足りず、  かれらの熟練があたらしい生産様式によって価値を奪われるからである。

・ こうして、プロレタリア階級は人口のあらゆる階級から補充される。

(秦注・ 自分たちのまわりの、飲食業・手技製作業・小売販売業、下請け生産業等々を、また零細農家などを、その店構えや手仕事や製造作業等々とともに観てみるといい。手形を落とすだけに、資金を借り返すのに四苦八苦し倒産して行く業者達が、巷にのたうち続けている。ブルジョア大企業に奉仕するのを日本の政治と使命とのみ考えている保守政治やたちは、かかる困窮にまともに目もくれないのを、だれしも今は知っている。しかもそのような困窮者やその家族達が、選挙となると、わずか一パーセントの金持ちのための政治へ投票するのは何故か。自分だけはすり抜けられおこぼれにあずかれる「かもしれない」と勘定しているのだ、無意識にも。それは、あり得ない。ブルジョア政治のために「天皇」をも露骨に政治利用し始めた「違憲」政権のもとでは、真っ逆さまに益々の「最大不幸」へ転げ落ちる。防ぐには、聡明な、シビアな投票と抵抗しかありえない。)

 

* いまわたしが取り上げているのは、マルクス・エンゲルスによる『共産党宣言』のうち、第一章「ブルジョア階級とプロレタリア階級」であり、第二章以下の共産党の問題には踏み込まない。今日的な意義を読もうなら、第一章のいわば歴史的な展開・展望にこそ今日のわれわれがもう一度落ち着いて学び返すに足る現実味がある、是伝いにあると信じたからである。

引用は、けっして難しくない。今日的な政治と経済とを批評的に観る目さえあれば、戦前の読書子よりも今日の読者の方がはるかに実感で補足できるのではないか。東電と現場作業員。その例示でかなり事足りてくる。

マルクスのエンゲルスのに戦かず、共産党の名になど驚かず、派遣社員や非正規雇用者やいわゆる日雇いの感覚から、日本の今の政治と大企業とを見抜きたいとわたしは願うのである。

そんなわたしが、日本の古典を愛読し日本の美術に魂を奪われ日本の伝統芸能に心酔し日本のすぐれた思想に敬意を持つからと云って何が可笑しいことであろう。それあるがゆえに、大きく過たずに悪政と搾取の深層へも真相へも立ち向かえるとわたしは信じている。

 

* 「天皇の政治利用」を強行することで、自分たちの悪政から国民の目を逸らさせようとしている安倍「違憲」内閣の悪辣な暴走を、何としても食い止めねば日本人の少なくも九割に平安な明日は無い。徴兵制がきっと来る。年金は相対的に削られ、消費税はみるみる二割を越えるだろう。「公益と秩序」の名において憲法が保障した「基本的人権」は屑と化し「治安維持法」の悪夢がありありと蘇ってくる。生きるよりいっそ死にたいと願うような国民大多数の明日が明後日が来てもいいのか。

誠実なジャーナリストや文化人の、旗幟を鮮明にした「反原発」だけでなくいまや「反悪政」「反違憲」の大同が渇望される。

2013 4・28 139

 

 

* 和歌、短歌、俳句はどうやら読み取れると思っているが、日本語で書かれたいわゆる「詩」は手に負えない。贈ってもらう月々の詩誌の作は、ほとんど理解も鑑賞もしにくい。こっちの能が足りないのだから下さる人には失礼で申し訳ないのだが、どうにもならない。むろん優れた作になればうちこんで読んでいる。いま手元に預かって文藝館に掲載させて貰う岡本勝人さんの長詩もその一例。近代詩では藤村、白秋、朔太郎をはじめ数えれば二三十人の詩人が思い浮かぶけれど、優れた叙事詩は、史詩は、多くない。

たまたま正面衝突、古代ローマの辛辣でかなりけしからん漢字の風刺小説を読んでいて、作中詩人エウモルポスのこんな慷慨の弁を聴いた。いくらか頷けて、だがエウモルポスがどんな程度の詩人かは、すくなくもわたしには判定が難しい。それでも、何か参考のたしにと、世の日本語詩人のまえに遠慮せず書き抜いてみる。

 

☆ 作中詩人エウモルポスの言葉

ペトロニウス作『サチュリコン』より。国原吉之助さんの訳に拠って、

 

おお、若者たちよ。詩はこれまで多くの人を欺いてきた。それというのも、人は誰でも韻律にあわせて行を組み立て、感慨を繊細な楽節の中に織りこむと、もうそれだれけでを自分は詩神の住むヘリコン山に登ったと考えたものさ。

こうして人は法廷の面倒な仕事に悩まされると、たびたび静寂な詩作の中に、そこがあたかも幸福への入口であるかのように、逃げこんだものだ。きらめく箴言をちりばめた法廷弁論よりも詩の方がいっそう簡単に作れると信じてな。

ともかく高貴な詩魂は空疎な言葉を好まない。詩想はいつも文学の大河の滔々たる流れに浸っていないかぎり、子を孕むことも生むこともできない。詩人はみな、言わば安価な言葉をさけるべきだ。大衆が遠ざける言葉をむしろ択ぶべきだ。『余は俗衆を嫌いかつ遠ざける』というホラティウスの標語を実践するためにもな。

その上に、機智に富む句が叙述全体の枠組から外へしぼり出されて目立つということなく、詩の着地の中に織りこまれた色合いを通じて輝くように注意すべきだ。

この証人はホメロスであり、ギリシアの抒情詩人であり、ローマのウェルギリウスであり、ホラティウスの彫心鏤骨の絶妙な表現である。じっさいその他の詩人は、詩に通じる道を心得ていないか、あるいは知っていても踏み出すことを恐れているのだ。

その証拠に見よ。内乱史を主題に壮大な叙事詩を手がけた人は誰でも、文学の教養を満々とたたえていないかぎり、主題の重荷でへなへなとくずおれているではないか。じっさい叙事詩では史実を理解させることが問題ではないのだ。その仕事は歴史家の方がはるかに見事になしとげる。むしろ奔放不羇な詩精神は、暗示的な比喩と、神秘的な霊感の加護と、箴言風な語りの奔流の中へ、劈頭から飛びこむべきた。その結果、史詩は証人を前に誓約して述べられる信頼性の高い雄弁というよりも、むしろ狂気の精神から発した予言の書と思われるだろう。

 

* こわいほど大事なことをこの詩人は口にしている。抜粋しようとしても全文を繰り返してしまうことになる。気づかねばならぬ詩の課題だけが書かれている。空疎な言葉、安価な言葉で簡単に作れるなどと、安直に詩( 文学) をなめてはいけない。

ただこれは心得ていたい、「夕方」は安直で「黄昏」は高尚だと誤解してはならず、空疎・安価は「言葉」の「生かし」という秘跡・秘儀に支えられる。『俗衆を嫌いかつ遠ざける』というホラティウスの標語と同じことを志賀直哉は云いかつ書き実践していたが直哉の文学はきらきらした特段の言葉で書かれたのではない、夏目漱石が見抜いていたように直哉は安価・俗衆を厭う気持ちをごく自然に抱いたまま「思ったことを思ったように」書けたのだ。しかもそこにこそ文豪・詩人たちの価値ある「狂気」が宿っていたとわたしは感じている。

2013 5・5 140

 

 

* ゲーテの『イタリア紀行』で、鱗が落ちるどころか、目玉を抜かれるような洞観に触れ、身震いがした。自分の文学・藝術観の至らなさに忸怩たるを痛感、恥じ入った。ゲーテは、この観想をシチリアの小旅行を主に、イタリア体験の全体から得ていた。ゲーテは、観得て、初めて識り得たと云っている。

 

☆ ゲーテ『イタリア紀行』より

ホメロスに関しては、眼の蔽いが取れたといった観がある。描写でも比喩でもいかにも詩的な感じをうけ、いうべからざる自然味を有し、しかも驚くほどの純粋さと熱誠とをもって書かれている。きわめて奇妙な虚構の出来事といえども、自然味を持っているが、描かれた対象を(=現地を旅し)眼のあたりに見て、私はなお更その感を深くした。

私の考えを手短かに述べると、

彼(=ホメロス)らは「存在」を描写し、われわれは「適例効果」を描写する。

彼らは「物凄いもの」を表現したが、われわれは「物凄く」表現する。

彼らは「愉快なもの」を描き、われわれは「愉快に」描くのである。

それゆえに極端なもの、不自然なもの、虚偽の優美や誇張されたものは、すべてここに由来するのだ。

というのは、効果を出そうとし、また効果を狙って創作する場合には、その効果をいかに読者に十分感じさせようとしても、なお足らぬを覚えるからである。

私の言うところは新しくはないにしても、最近の機会に私は切実にそれを感じたのだ。すなわち私はこれらすべての海岸と岬、湾と入江、島と海峡、岩石と砂浜、灌木の茂った丘、なだらかな牧場、美しく飾られた庭園、手入れの行き届いている樹木、垂れ下っているぶどう蔓、雲に包まれた山といつも晴れやかな平野、断崖と浅瀬、そしてこのあらゆるものを囲繞する海を、千変万化の装いをつくしてわが心の中に生き生きと把持しているがゆえに、オデュッセウスは始めて私に生命ある言葉を語りかけるのである。

 

* ゲーテは、観得て、初めて、識り得たと云っている。誰もが叶う体験ではない。だが、彼の云う実感は伝わる。叶う限り自分もそう努めたいと願う、が、今はそれは措く。

文学は「表現」だと思いこみかつ苦心してきた。この場合の表現とは「適例効果」の追及だった。だから「物凄く」「愉快に」書ければ足るかのように錯覚していたが、ほんものではなくつまり「適例効果」の追求でしかなかった。ほんものは、ほんものにこそ内在する。「存在」に存在し、「物凄い」そのものに存在し、「愉快」そのものに存在する。「物凄く表現」し「愉快に表現」して足ると願うのは、存在の外側を「適例効果」でなぞるに過ぎない。と、ゲーテは悟ったのだ。「適例効果」の描写は、いわば「どんなもんだ」という技術の次元。存在の描写は、まさに観入し体感し即実するのだ。「物凄い」を「物凄く」状態化し、「愉快なもの」を「愉快に」状態化した表現は、所詮「適例効果」の自己満足に終わる。

おそろしいことだ。

2013 5・7 140

 

 

* 最近に初めて手にした、沈復の『浮生六記』は、いわば正心誠意の「愛妻」手記。愛妻の陳氏、名は芸(うん)、字は淑珍。沈復の処世は幸運に恵まれなかったが悠然とした誠実な知性で、芸もおとらぬ詩性審美の才媛だった。第一章「閨房記楽」は、水も漏らさぬ夫婦愛の記述に終始し、第二章は、むしろ貧しいといえるなかで、閑情の趣味ゆたかな夫婦の創意や歓喜が、惜しみなく書かれている。わたしはことにこの第二章「閑情記趣」編に揺すられること多かった。一例のみ挙げておく。

「蓮の花は夏咲き初めのうちは、晩にしぼんで明け方にひらく。芸( うん) は小さな絹の袋に少量の茶の葉をつまんで、花芯の中に入れておいた。翌朝それを取り出して、天然の泉の水の熱湯をそそぐと、えもいわれぬ香りがするのであった。」と。

2013 5・7 140

 

 

* 眠り中断され、昨日買ってきた本に目を通し、満足した。 ペトラルカの『わが秘密』 ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』 マルキ・ド・サドの『ジュスチーヌ または美徳の不幸』 そしてレマルクの『愛する時と死する時』上下巻。レマルクは久しぶり。

抗癌剤の一年服用ぐらい、湖の本を四册出せばと思い五冊出した。大長編小説を何編か読めばとと思い、『八犬伝』も『指輪物語も』も『イタリア紀行』も『猟人日記』も『妻への手紙』も、谷崎も、折口も、和泉式部集も古今著聞集も読み切れぬうちにはや一年経っていた。文庫の一冊本その他、二十点は読み上げていた。

読書の楽しみが、すつかりよみがえっていて、新しい本に向かうつど満悦を覚える。読んで勉強しよう、役立てようという気は無い、ひたすら読む、または読まされてしまうのが嬉しい。ゲーテ、ブーシキン、トルストイ、ツルゲーネフ、フローベール、ロマン・ロラン、チェーホフ、バルザック、ル・グゥイン、トルーキン、マキリップまたマルクス、エンゲルス、プレハーノフ。さらに東洋文庫の四巻、臨済録、そしてバグワン。みな、ただただ面白かった。有難かった。一年間を永いなあと嘆息したことは一度もなかった。

2013 5・8 140

 

 

* 仰臥で重い本はからだを傷めるので、文庫本10册を主に読んでいる。おもしろいというか、何というか、読み物系のレマルク「愛する時と死する時」が、いちばん乗りにくい。レマルク作はたいてい面白くなるはずだが、出だしはえらく重苦しい。

では何の作が私を魅するか。他の九册は甲乙つけにくいが、それでも、十四世紀初葉の、詩人にして高名な教父フランチェスコ・ペトラルカのラテン語対話編「わが秘密」と題した対話編が、曰く謂いがたい名品。女神「真理」の立ち会いのもと、ローマ史およびカソリック史上に名高い「告白」のに著者アウグスティヌスと、此の「わが秘密」の著者フランチェスコとの、生死と人間との真相に深く厳しく立ち入っての「対話」編がすばらしい。ペトラルカは中世・ルネサンスに位置しつつ、ソクラテス、プラトンの昔から近代のルソーらに到る数々の優れた対話編にそれは見事に大橋を架けわたし、しかも根はペトラルカの詩性と人間主義をふまえ、得も言われぬ幸不幸の探求がなされている。哲学ではない、文字通りペトラルカ自身の「わが秘密」が赤裸々に追求され検討され、批判されまた主張されている。この著は、ペトラルカの生前には誰一人の目にもふれさせなかった、孤独に対話され推敲され続けた、その一点からも、言葉通り「わが秘密」たる重みははかられる。

高位の教父であったペトラルカは、若き日に出逢ってしかも結ばれることのなかったたラウラという至上理想の恋人を生涯胸に抱き詩にも著述にも讃えた、が、ラウラならぬ女性に二人の私生児を生ませていた。禁欲の清僧ではなかった。そこからまた人間苦の追求と根深い鬱の人生が続いて必ずしも解脱したのではなかった。

死の恐怖とどう立ち向かうか、ペトラルカは恐れ苦しみ、それに対しアウグスティヌスは「意志が弱く、徹底して死に向き合わないから」負けてしまうのだと、微細なまで死体の腐乱等を見据えて目を逸らすなと、凄いことばでフランチチエスコを追い込む。谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』に描かれれてい屍観は、はるかにはこの「わが秘密」からの感化であったやも知れないのである。

 

* わたしは、禅や老荘を例外として、いわゆる信仰世界は「ファンタジイ」世界だと見切っていて、カソリックも華厳や浄土教もおなじと思う。軽く観たり侮って謂うのではない、それはそれだと思っている。そのため、ペトラルカの「対話・我が秘密」もまた根本は構想力豊かなみごとな詩的創作であると観ている。そう観たうえで、おもしろく、強く惹かれている。読み進むのが楽しみでならない。

 

* ペトラルカの「わが秘密」が人間苦を救跋するまっとうな探求ないし美徳に類する信仰告白であるに対し、真っ逆さまに、さような美徳ゆえの不幸を、悪徳・悪行の側からあくどく炙り出すことで批評し批判し皮肉に辛辣に人間を価値判断して行くのがサディズムということばの基となったマルキ・ド・サドの思想ということになる。わたしはペトラルカの本を買ったと同時同所でサドの「ジュスチーヌまたは美徳の不幸」を躊躇わず買い求めてきた。

サドはこの本の冒頭で云っている、「この世では、わが身にかかわることだけを悩めばよい。うんと刺激的な快楽から生まれる肉体的な興奮を自分の中に見出せば、衝突したら苦痛となりかねない精神的な情愛など残らず押し殺すことができる。本当の智恵はそんな苦痛の総量をふやすよりはるかに快楽の総量を倍加することにあるのだから、それだけにこの生き方を実行に移すことこそいっそう重要だ。」と。善良な心を非情にするのはむずかしい。しかし「善良な心が味わう喜びは、才気の見せかけの華やかさを色あせさせるものである」とも。

このサドの思想は、大きく真理をひっくり返してみせる価値観をしっかり備えている。わたしが今まさに書き進めている『ある寓話 ないし猥褻という無意味』の行き方にもそれが出ていると思っている。

と同時にサドはこうも銘記しているのを省くわけに行かないだろう。「罪悪がもたらす幸福は錯覚にすぎず、見せかけでしかないのだ。罪悪の成功に惑わされた者たちには神の手でかならず懲罰が用意されているばかりか、彼ら自身も心の奥底に一匹の後悔の虫を飼うことになるのではあるまいか」と。サドにして、人間主義のペトラルカ思想よりも色濃く「神」が持ち出される。ことわっておくが、わたしは「神」を担ぎ出す気はない。在っても無くても神は神で、人間ではない。人間は「人間として」生きたいではないか。

 

* 沈復は「浮生六記」の第三章「浪游記快」の冒頭に、こう書いている。

「私は何事にせよ独創の見を立てることを喜び、人の批評に追随することをいさぎよしとしない。たとえば詩画を鑑賞するにしても、人の珍重するものを自分は棄て、人の棄てたものを自分は取るという気持はつねに抱いている」と。

わたしをよく識っている人なら、わたしがわたしについてこう述べているように思われようか。私家版ではじめて向こうから舞い込んだ太宰賞を受けて以後も、執筆や創作の仕事は受注より自発を取り、ついには文壇を棄てて、「秦恒平・湖の本」を四半世紀余、百十数巻も思うままにつづけてきた。東工大の教壇でも「無免許運転」であることを利とも理ともし、出版活動もそれに徹してきた。それが、いいかわるいかなど考えない。そうしたくて、そう出来ると信じたとおりに、なにごとも、してきた。むろん蔵は建たないことも、沈復と同じ境涯である。それでいいのだ。

2013 5・12 140

 

 

* 起床8:30 血圧129-64(68) 血糖値88  体重65.1kg    視野の縦揺れ、回復していない。  朝 梅味粥など 卵納豆 服薬 聖路加へ。腫瘍内科で先日のスキャン・内視鏡検査問題なしと。今後四年は二三ヶ月間隔で診察、年一度の内視鏡等の検査で容態を観察と。次いで感染症内科へ。血液・尿とも問題ないと。波状視について、早い診察がいい、明後日にもと、眼科を予約された。ビタミン三種の処方。病院から歌舞伎座まで歩き、銀座へ。三笠会館の秦准春で中華料理食べて帰宅。ペトラルカの「わが秘密」を耽読。 晩 白飯一膳と胡瓜揉み。すいかのをジュースにして。

2013 5・13 140

 

 

* 季節に逸れた話題ながら。十訓抄に。

皇嘉門院がもの寂しい秋の夕暮れに端ちかく前栽をながめ、昔日を思い出でてか「(崇徳院様の)三條殿でも「よく虫の啼いたことよ」としみじみ口にされた。おそばの人みな同感の思いに言葉なく静まっていた。ところが、一人の女房が無遠慮に、「どのように啼いていましたか」と尋ね、女院は、ことすくなに、「いい(リーリー)、とこそは」とだけ。出過ぎ女房のあまりの無粋に座は「ことさめて(雰囲気が変わってしまい)」みなが苦笑いしてしまった。

この女院は崇徳天皇の后であった人。崇徳院は保元の乱にやぶれて讃岐に流されていた。

こういう場違いな、今で謂う風の読めない人、女の人、は、たしかにいる。男はたいてい棒のように黙している。

2013 5・17 140

 

 

* 夜前、機械の前を離れるとき、『共産党宣言』第二章冒頭を数頁読み、初めて「共産」の意味と主張とを理解できた気がした。

ついで陶淵明詩の「贈長沙公」「酬丁柴桑」を清々しく黙読。

今朝は岩波文庫『日本唱歌集』の詞を読んでいた。玉石混淆ながら「文部省」が盛んに唱歌を学童に提供していた。いまの「文科省」でもそうだろうか、少なくも大人の耳にはまるで届いてこない。国策唱歌はいつの時代にもめいわくだが、時代の風尚をあらわしたいい唱歌を創作するのは、教育制度を無用に弄くりまわすよりも、優れた文教である。

 

* 就寝前に手に取る文庫本は、順不同に、ペトロニウスの『サチュリコン』 サドの『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』 ペトラルカの『わが秘密』 沈復の『浮生六記』 ゲーテの『イタリア紀行』 ツルゲーネフの『猟人日記』 ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』 トールキンの『指輪物語』 レマルクの『愛する時と死する時』 馬琴の『南総里見八犬伝』 高田衛さんの『八犬伝の世界』など。

とりわけて、もっとも推奨に値する真の名作は、ツルゲーネフの『猟人日記』。エリオットとレマルクに、乗りにくい。

2013 5・22 140

 

 

* 永榮敬伸氏より、日本近代文学会関西支部『京都近代文学事典』編集委員会編の同「事典」を贈られた。堂々詳細な大冊で、わたしのような京都市生まれの作家だけでなく、広範囲に、京都に関わった近代の文学者、思想家、学者を網羅し、繁簡の差は差として、丁寧に記述されている。永榮氏は、「秦恒平」の項目を、四頁にもわたって、出自や私生活にもふれつつ私の文学の性質や成績を親切に叙述されている。恐縮です。感謝。

2013 5・23 140

 

 

* ドナシアン・アルフォンス・フランソワ 即ちサド侯爵の『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』の、凄絶な逆説に充ち満ち、悪徳の幸福を叫ぶ鞭のような筆致に、あたかも身を任せて読み進んでいる。「真理」の女神立ち会いのもとに聖なる教父アウグスティヌスとペトラルカが交わす対話とは極言の対比を成しているようで、どこかに、右の掌と左の掌を打ち合わせるとポンと一つの音がする、そのような対照の中の一致をすら読み取りたくなる。

2013 5・24 140

 

 

*追加のライトで明るくした浴室で、「猟人日記」「浮生六記」「里見八犬伝」「指輪物語」「ジュスチーヌまたは美徳の不幸」をそれぞれ面白く読んだ。とりわけてサド侯爵の悪徳小説の切れ味深いおもしろさ。人間と自然の真実を炙り出す魅力と言おうか。ペトラルカの「わが秘密」も美徳と真理を思慕するいい対話編であったが、「ジュスチーヌ」の容赦ない悪徳のすすめに比べると偽善のくさみがせぬでない。

2013 5・27 140

 

 

* 夜前も、このところ組み合っている『ある寓話 ないし猥褻という無意味』を気を入れて推敲していた。

床に就いたあとも、夜更かし覚悟で、サドの『ジュスチーヌ または美徳の不幸』を耽読。

まさにリベルタン(放蕩者)小説。いわば、「哲学が思想の領域で試みたことを、リベルタン小説は人間の性生活を含む日常と習俗の次元で行っ」ていた。その意味で「リベルタン小説は、哲学小説」になる。なっている。

だが、わたしは、リベルタンの「快楽主義哲学」と謂うべき「性」のとらえ方に、全幅の肯定を与えはしない。リベルタンの、ないしサドの快楽主義はことさらに陵辱の悪徳にまみれており、哲学というならば「男っぽい哲学」に極度に偏している。文字通り放蕩者の性と快楽であって、神を嘲笑い自然の自然をもちあげても、それを言いきるたしかな足場をもっていない。悪徳の賛美にすすんで陥りながらじつは美徳の捨て場にただ窮している。

ま、これは、いまや、作家・秦恒平の課題としておく。

2013 5・30 140

 

 

☆ 誰も、何も

信じられない昨今の情勢にあって、「ペンと政治」は思考、感性の指針です。今さらながら、先生の知性、精神力の強さに敬服いたします。どうぞお体おいといつつ、お仕事にお励みください。*子は大阪大学に通い始めて10年目となりました。観に来ていただいた岸田理生の「糸地獄」の縁から、演劇学の教室で、岸田理生研究を続けています。顔も言動も昔の幼いままのふうちゃんです。恋人もいず若干心配しているこの頃です。  大阪市生野区  祥

 

* 送られてきた日本語と英語との二研究論文も頼もしく読みました。大阪での建日子公演を観て批評してもらえるといいのに。ふうちゃんに初めて会ったのは中学へ進学の時だったなあ。

2013 5・30 140

 

 

* 島尾伸三さんから「写真」誌が送られていて、島尾さんも一文を寄せていた。いわば「純粋写真」の「主張」である。

絵画の歴史にも「純粋絵画」という主張があった。物語性や文学性のような絵画表現に強烈に割り込んできていた要素を一切排除しようといった「運動」であって、ことに後期印象派はその運動を前進させた。印象派になって絵画が面白くなくなったという不足の声も聞こえていたが、純粋絵画運動は、結局はミロやカンジンスキーらの抽象絵画にまで走りつづけた。しかもその一方でシュールリアリズムというファンタジー絵画も繁殖していたのである。

すぐれた写真表現といえば、人は、概して戦場や難民や病者や大災害や政治面の報道写真を思うだろうし、緊迫感と個性に富んだ人物写真にも、大自然の写真にも、動物や植物の鮮鋭に美しい写真にも一定のフアン感情をもっている。加えて今日ではコマーシャル写真などが写真表現の大きい範囲をおさえている。

島尾さんらは、それらのいわば写真外挟雑雑観念や意図を排した「純粋写真」を意図してる。

ほう、写真にもそういう「純粋」志向がいわば美学としてあらわれて来ているのだなと、興味を覚えた。

2013 5・31 140

 

 

* 小谷野敦氏が浩瀚な『川端康成伝』を贈ってきてくれました。感謝。

2013 5・31 140

 

 

* 小谷野敦の新著『川端康成伝 双面の人』は、筆はいたって軽く、本はきわめて重たい。もう久しく左肩を痛めている身には、支え持って読み続けるのがすぐ苦痛になる、が、苦痛をおして読み進ませる「小谷野」節は健在をきわめている。あああというまに三十数頁もおもしろく読んでしまった。

わたしの川端観は、太宰賞を得た頃、大昔の、「廃器の美」と題した短文ひとつに尽きている。冷評ではない、ふかい愛好を秘めもった賛辞であった。とはいえわが川端体験は「伊豆の踊子」辺から「雪国」をへて「千羽鶴」「山の音」辺りまでで一服してきたようなもの、以後の作もいくつも読んで心惹かれた作はあるけれど、ま、がいして上の空でよそよそしく通ってきた。端的に評してしまえば、川端後半生の「作」にはたとえ魅力はあっても「作品」が薄いと感じられたのである。

そういえば、わたしは谷崎を「満開の花」と、川端を「濡れそぼった花」と、三島由紀夫を「造花」と評してのけた覚えもある。

臼井吉見先生が『事故のてんまつ』を書かれ物議騒然であったとき、わたしは、「さすが」の著作と理会もし、しかし、どっち側からも騒ぎ立てることはあるまいにと黙然として眺めていた。川端ゆかりの「宿久荘」という地名にただ頷いていただけであった。

どうやら、日々の読書量に加えて小谷野の大冊もわたしはまたたくまに読み進むであろう、だが、あの高田衛さん世紀の名著である『上田秋成年譜考説』のような堅牢で文学的ないし戯曲的な作法の美や真実味は味わえそうにないと早くも観測している。評価をこめた意味でエッセイふう講釈の風味であり、川端康成観を介した著者「小谷野敦」の自白本になっていようと想われる。それでいいのだと思う。

末尾に沢山な参考文献が挙げてあるのはいい、まだ十分でないかも知れないが。

欲しかったと思うのは、文献の羅列よりも、これだけの仕事を通じて著者が確信し得た、推知し得た「川端年譜」をかちっと表記しておいて欲しかったなという望蜀の願い。「年譜」こそは最良の研究がめざすゴールだとは、わたしが期待の持論であり、そのことも過去にきっちり言い置いてきた。

川端康成「研究」では、一例が深澤晴美のこつこつと積み上げて行くみごとな努力が近年ことに印象深く、それに比しては、やはり小谷野敦のこの仕事は、研究というより、より「文藝」的に読ませる「気概」と「個性」にあると、これは、走り書きに過ぎないとはいえわたしの積極的な本書の肯定である。少なからぬ川端研究家たちの顔色をうばったのではないか。

2013 6・1 141

 

 

*  中国の文学史は日本のそれに何十倍する。清初の批評家金聖歎はそんな中国歴代の文学から六種の傑作を選んで「才子書」と賞した。

一に『荘子』 二に『離騒』 三に『史記』 四に杜甫の律詩 五に『水滸伝』 六に『西廂紀』

わづかに一と四とに触れており 五は読み終えている。手元の本で、一、三、四は読める。水滸伝は訳本が揃っている。せめてこれら「六才子書」をみな読んでみたい。陶潜詩、李白詩、白楽天詩をはじめ詩は手元本で永年少しずつ愛読してきた。最近では沈復『浮生六記』を愛読した。袁枚の伝も愛読した。文学とはやや逸れても、史書や論述の大著や大辞典は幸いに秦の祖父鶴吉の蔵書がかなり残してある。秦の父は京観世の謡曲をならって舞台の地謡にもかり出されていた人だが書物に目を向けることのない人だった。祖父の方は相当な蔵書家で、多くの漢籍古典のほかにも、日本の史書や歌書や俳書や、源氏物語湖月抄、古今集講義本、百人一首一夕話などを孫の目には豊富に遺していってくれた。恩沢計り知れない。そして父の妹、叔母の玉月・宗陽はわたしに生け花と裏千家茶の湯そして茶道具のおもしろさを伝え置いてくれた。

思えば思えばわたしは恵まれた京なりの文化環境に育ててもらっていたのだ、なかなかそれとは久しく自覚できなかったのだが。

 

* 「十訓抄」の訓話はやわらかに書き語りながら、わたしのような不行儀者には恥ずかしいほど実に手厳しい。いずれゆっくり叱られたままを報告しよう。

2013 6・2 141

 

 

* 雑誌「ひとりから」や「市民の意見の会」などから、反原発や反壊憲への烈しい怒りをこめたアピールなど届く。安倍「違憲」内閣の言うこと為すこと、オール経済、それも平衡を失した政権周辺の利益を画策するばかり。

2013 6・3 141

 

 

* 今日の外出では、『臨済録』を丁寧に読んでいた。

帰宅後の休息では、サドの『ジュスチーヌ または美徳の不幸』を読み耽り、ついでツルゲーネフの『猟人日記』 ゲーテの『イタリア紀行』ナポリの項、 トルーキンの『指輪物語』 レマルクの『愛する時と死する時』 そして『拾遺和歌集』春・秋を撰歌、また馬琴の『南総里見八犬伝』 いずれも階下で、仰向けに寝ながら文庫本を。

昨夜は、二階の機械の前で、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』 そして鎌倉時代の『十訓抄』 高田衛さんの『完本・上田秋成年譜考説』にたっぷり教わり、また小谷野敦の『川端康成伝』もたくさん読んだ。

読書していると、いろんな世界が混乱なく魅力をたたえて輝き出す。一冊ずつ読み切ろうとしていてはそういう幸せはつかめない。 2013 6・3 141

 

 

☆ 青門の柳   白楽天

青々たる一樹心を傷ましむる色。

曾て幾人 離恨の中に入りしぞ。

都門に近く多く別を送るが為に。

長條折尽していとど春風を減ず。

 

送別のとき柳枝を折って記念としたのは唐代の俗。

ために都門の柳條ははだかに近くなっているとは

人の離散の常とも無常とも曰く言いがたい悲しさと。

 

☆ 把得して便(すなは)ち用ひて名字に著(ぢやく)すること莫(な)きを、号して玄旨と為す。  臨済

 

☆ 絶句   杜甫

江は碧にして鳥いよいよ白く

山は青くして花然えんと欲す

今春 看てまた過ぐ

何れの日か是帰年

2013 6・4 141

 

 

* 凄いとわたしに言わせたいなら、それは『ジュスチーヌ または美徳の不幸』に極まる。いま、秘境めく聖地の修道院、その秘められた奥の奥の密閉小世界で、四人の高徳をうたわれている修道士によって、四組十六人の女性に日々夜々繰り返し加えられる残虐な陵辱の性行為、それを正当化する彼らの「哲学」。もの凄い。このサド侯爵の長編小説は、今日只今、岩波文庫できちんと出版されている。正直に言う、こんな凄まじい性錯乱の物語も描写もかつて出会ったことがない。しかも明らかに是は「哲学小説」といわねばならないだろう。まえに少しく批評気味にふれたが、今は確信をもって言えること、それは、どんな高踏、どんな極端、どんな悪徳の哲学といえども、男の変質・偏執がひたむきに女のからだとこころとを犠牲として利用し徹底されている事実を覆すことは出来ない。嗜虐は徹して男の自然、男の権利、男の当然とのみ主張されている。

わたしはこの哲学を受け容れない。この性のエゴイズムを受け容れない。

 

* 「学鐙」の夏号が「家族」を特集し、上野千鶴子、津島佑子ら七人が論弁している。じっくり読みたい。

2013 6・8 141

 

 

* 今朝 ドナシアン・アルフォンス・フランソワ、即ちサド侯爵の作になる『ジュスチーヌ または美徳の不幸』(植田祐次訳・岩波文庫)およそ600頁を読了。この読書は、七十年のわが読書史にあって未曾有の衝撃例となった。数限りない読書体験の中で決定的に印象深くその後の人生に指針となった例は、決して少なくない。だが、この『ジュスチーヌ』のように「刺激的な背徳思想」を全面にうちだした寓話的な小説は、きわだって異色。他の600頁本なら少なくも半年余時間を掛けて読むものを、他本を暫く措いてまで、一月かけずに読み上げたのは、よほど此の本に引っ張られたのだと分かる。まったく渋滞なかった。むしろ踏み込み踏み込み読み進んだのである。

ただ面白いというなら、ほかにも数々楽しんだ本がほかにある。そういう面白さとは質が違った。嗜虐の極を全面にわたり繰り返し繰り返し描写していながら、(岩波文庫というのも手伝っているが)陰惨陰鬱な印象でなく、いっそあっけらかんと驚嘆し驚嘆して読んできた。すさまじい凌辱や不自然きわまる性行為が微細に書かれていながら、その被害に呻き続けるヒロインで語り手であるジュスチーヌの美徳と美しさ、清潔さ、物語りの一途さが、悲惨は悲惨なりにその閃光のような最期まで、一貫してすがやかに書かれてあり、この印象に確かに救われていた。けがらわしく不快きわまる場面の連続なのに、みだらな好奇心などと異なる「思想と文藝の効果」が一貫して生き、読み手をむしろ知的に思索的に惹きつけ続けるのである。

よくぞ、まあこんな作が出版できたと、チャタレイ裁判などを知ってきた老人は一驚もするが、こんな本は要らないかといえば、歴史的な文献というだけでない純粋に文藝創作の一冊として貴重なものという判断は捨てがたい。われわれはこのサドの時代とほぼ異ならない時代のヨーロッパ文学や藝術を輸入し続け愛読し愛好しながら日本の近代現代を組み立ててきた。それを思えばそういう欧米文化のものかげに強烈な主張と批評をひめたサドらの文藝思想もまた無視はならないと気づく。

熱心に読んだので大作ながら一読でおおよその構図や主張を読み取った気はしているが、間をあまりおかず再読して良い一冊だと今は思いかつ評価している。

2013 6・13 141

 

 

* バルザックの短篇「砂漠の情熱」兵士と豹との愛と共生の物語、おもしろかった。

なんとしても読書はやめにくい。

2013 6・15 141

 

 

* 機械の起動をやり直している間に、『浮生六記』の四章「浪游記快」の十一を読み進んで、閑情の清々しさ、趣味の深さ静かさに慰められた。

交友の興、清談の粋、巻を擱くあたわず。すくなくも中国三千年に、こういう世間はまま記録されてきた。今は、どうなのか。なににしても陶淵明、李白、杜甫、白居易から明代にまで流れ流れる詩精神には憧れもし慕いもする。幸い家には受け継いだ漢籍が大方死蔵されあちこちに分散している。一所にまとめ、馥郁の閑情にまみれたい。

 

☆ 清明   杜牧

清明時節雨紛々  路上行人欲断魂

借問酒家何処有  牧童遙指杏花村

 

* 『頭註・和譯 古今詩選 完』と題した文庫本より幅のせまい本も秦の祖父は遺していた。明治四十二年十二月二十五日に大阪の山本完蔵が「発行」し東京の至誠堂、大阪の寶文館が「発売元」になっている。「大阪文友堂書店蔵版」本であり、和漢の詩を田森素齋、下石梅処が「共選」している。巻頭には大友皇子の「述懐」詩が掲げられている。ちょっと便利すぎてかえってあまり手に取らずに来たが、ポケットにもおさまりやすいし機械のそばに置くにも場所ふさぎにならない。

いましも機械のすぐそばに積んである文庫本大の本は、この「古今詩選」のほかに、「陶淵明集」「白楽天詩集」「臨済録」「浮生六記」そしてペトラルカ「わが秘密」 フローベール「紋切型辞典」 サド「ジュスチーヌ または美徳の不幸」 マルクス・エンゲルス「共産党宣言」そして岩波文庫「日本唱歌集」と案内書「丹後の宮津」。ほかに手帳型の歳時記も二、三種。どれもほんの数分のひまを利して楽しめる。

重い大きな本も手の届くかたわらに置いて、読み進めている。「古今著聞集」「十訓抄」「上田秋成年譜考説」「川端康成伝」そして小説のための参考書たち。

書架と書棚と本と、まだ増えて行く全部の湖の本と、三台の機械と、参考資料で、そのうえに壁や障子に貼り付けた繪や写真やカレンダーで、この六畳の書斎は、爆発しそう、足の踏み場も通路も無い。もうこの雑然から生涯わたしは遁れることがないのだろう、所詮これがわたしの「身のほど」というものか。あらゆるモノ、モノの山にわたしの呼吸も体温も体臭も伝わっている。ジェジェジェ!

* 眼の不快はたまらないが、できる「仕事」は根もつめて進めている。休憩もとるようにしている。本が読みにくいなら、無数に取り溜めてある録画映画を、読書に準じて楽しみなおす手もある。

2013 6・16 141

 

 

* 昨日挙げ忘れていた機械部屋でいつも手を出す一冊に、小沢昭一が死出の置きみやげに呉れた『俳句で綴る 変哲半生記』があった。昭和四十四年一月から平成二十四年七月までの句作りであった。刊行は2012年、去年師走の二十日。

変哲俳優の境涯句がおもしろく、近代近時のプロ俳人の苦虫噛んで何を言いたいのかといった句とは、洒脱にも奔放にも稚拙にもかけはなれていて、佳い。昭和四十四年というと、その六月にわたしは思いがけぬ太宰賞をもらっている。変哲さんの俳優家業も文筆ももっとはやく始まっていた。

一度も会ったことがない。いつごろからどんなふうに接したのやら、わたしからは湖の本をさしあげ、小沢さんからは何冊も何冊もの単行書や文庫本やCDを貰い続けてきた。著書にたくさん教えられてきた。境涯は飄逸とみえ恬淡とみえ、しかし小沢昭一も一種の榮爵藝人のひとりには相違なかった。すこし塩っからくても、めでたい生涯であった。それが初学びの句にもう表れている。

スナックに煮凝のあるママの過去       一月

麦踏みや背負籠の中の粉ミルク        二月

ぎょうざ屋に盆栽の梅枯れてあり

老蠅のちょっと飛んだる暖かさ         三月

惜春やどっと笑いし香具師(てきや)の輪   四月

2013 6・17 141

 

 

* バルザックの短篇「ことづけ」を読み始めてすぐ、「真実の事柄というものは、たいてい、ひどく退屈にできている。だから、真実のなかから、詩になりうるようなものを選び出すのが、作家の腕前の半ばである」というのに出会った。「半ばである」が可笑しくも手厳しい。 もすこし先へ行くと、今度は、「青春を理解するためには、たしかに、いつまでも青春にとどまっていなくてはならない」とある。その通りですと頷いた。

そのすぐうしろで、こう書かれていた。「女というものは、現在そのくらいだなと思われる年齢以外、実際に歳なんぞ持っているものではない」と。これは噛みしめて味の出る洞察ではなかろうか。年齢の話題をたいてい女の人はいやがる。その気持ちとバルザックの見解とには不可思議な連絡がありそうな、気がする。まえの「青春」のはなしとも微妙に引っかかってくる。

ゲーテは、こんな暗示めくものいいはしない、ずばっと明確にものを言う。「イタリア紀行」での「ローマ再訪」のとっぱなで彼は言う、「近ごろの私はただあるがままの事物を見るばかりで、曾てのように事物に接してそこにないものをも見るようなことはない。したがって私が喜ぶとすればよほど素晴らしい眺め(=もの)でなければならない」と。そのうえで素晴らしいものや景色や人について彼は率直な感動を少しも隠さない。自信に溢れて故国の友人達へ書いている、「私のことを思われるなら、どうぞ私を幸福な人間と思ってもらいたい」と。

「新しい思想や着想もたくさんある。私は人手をかりない勝手な生活をしているので、自分の若い時代がこまかい点にいたるまで再び蘇ってき、それから事物の卓越性と品位とが、私の最後の生存がようやく達し得るほどの遙かな高みに私を連れてゆく。私の眼識は信じがたいほど成長するし、また(美術や自然科学の=)技倆の方も、全くそれに劣っているというほどではあるまい。ローマはこの世界にただ一つしかない。そして私はこの地で水中の魚のように生活し、また他の液体のなかでは沈んでしまう一塊の球が、水銀の中ではその表面に浮び上っているように泳いでいる。

私の思考の雰囲気をくもらすものは、この幸福を私の愛する人々(=あなた方)と共にしえないということばかりである。」とも。 2013 6・17 141

 

 

* 小谷野敦の『川端康成伝』を「愛読」している。よくある精微な研究ふう研究書ふう叙述はたいてい読みづらくて閉口する、が、小谷野の文体はよくもあしくも手慣れた、あるいは天性のエッセイ調で、これが何より有難く「読ませる」。これまで何人もの康成論を読んできたが、康成に親身に身を寄せ体温を感じさせる親切な康成像の彫琢に、小

谷野氏、よく成功している。顕彰に値している。野に咲く大きな、願わくは品格も備わった批評家になってほしい人。

2013 5・18 141

 

 

* 小説を書き進むのだけが楽しみ。

 

☆ サドの本を読んだことがあるか

という質問でしたね。読みました、河出文庫の『恋の罪』『悪徳の栄え』です。が、途中で「放棄」しました。

鴉が、サドの『ジュスチーヌ または美徳の不幸』(植田祐次訳・岩波文庫)600頁を読了し感想を述べられていたのは一週間ほど前のことでした。その述懐を読み、サドの本から受け取るものの何という相違か、ということでした。まず男性女性、少なくとも鴉と

わたしという個に限定しても、性に対する姿勢がかなり異なること。

次に著述を読み込んでいく能力の決定的な差異・・わたしの理解力のなさを痛感せざるを得ませんでした。途中で放棄したのは、やはり「未曾有の衝撃」であり、わたしがその陰惨陰鬱に耐えられなかったからでしょう。その先にヒロインの美しさや光明に至る道筋を見届けることなく、「知的に思索的に惹きつけ」られることなく、途中で放棄したのはわたしの脆弱さと指摘されても仕方がない。

「サドの時代とほぼ異ならない時代のヨーロッパ文学や藝術を輸入し続け愛読し愛好しながら日本の近代現代を組み立ててきた。それを思えばそういう欧米文化のものかげに強烈な主張と批評をひめたサドらの文藝思想もまた無視はならないと気づく。」

この指摘は謙虚に受け止めます。

チャタレーも四畳半も、裁判もすべては時代の反映、と言い切ってしまいそうになります。猥褻も淫乱も倫理道徳も善悪もすべては決定的な尺度などあり得ないのだからと言ってしまいそうになります。

最近読んだ村山由佳の『ダブル・ファンタジー』も思い起こされます。脚本家の三十五歳のヒロインの性を約五百ページにわたって書いたもの。

読書会の課題の本で、自分では恐らく手にしないだろう一冊でした。柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞三冠、2009年、恋愛小説を読むならこれしかないと帯に書かれています。

恋愛とは何だろうと、性とは何を人に齎すのだろうと今さらに愚問を発します。恋愛イコール性と直接的に図式化できないわたし自身は古い人間になりつつあると感じています。

取りとめないメールになりそうです。

どうぞお体大切に、視力の安定を、少しでも快方に向かえたらと強く願います。  尾張の鳶

 

* サドの問題の岩波文庫は、訳者の筆も手伝っているか知れないが、「未曾有の衝撃」でこそあれさほどは「陰惨陰鬱」な表現でなく、印象は奇妙に澄んでいたり明るくすらある。ジュスチーヌの手に負えないほどの「美徳」の主張とそれに徹した最期とがかなりモノを言うている。悪徳に生きたジュスチーヌの姉ジュリエットの最期での修道院入りといったおまけが無くても、ジュスチーヌは独りで奮戦奮闘し、しすぎている位だが、サドのモチーフが美徳にせよ悪徳にせよ、やはり一貫して思想小説としての意図に芝居気たっぷり殉じているのを見逃さない。四畳半などと同日に語れるものでなく、サドの本と印象がちかいと謂う意味でならわたしは臆せずマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」を持ち出す。男の読み方、女の読み方の問題など、矮小。 またこの本の本丸は性行為の如何や是非でもない。はっきりいえば、神か自然か、なのである。この小説の核心にとぐろを巻いている「自然」にこそわたしは強い興味と関心とを持った。

 

* いよいよ、わたしの「ある寓話 ないし猥褻という無意味」を、公表するせぬはべつにしても、しっかり書かねばと思う。

2013 6・19 141

 

 

☆ サドについて

男性女性云々は小さなこと、問題は自然だと書かれていました。まさに指摘された重要な点は人間はヒトという生命体、動物であり、自然としての性情をもっている、それが出発点。

またサドの文学の提起するものは、ある意味で近代のヒューマニズムへのいささかのアンチ・テーゼでしょうか。性善説、人には道徳的本性がそなわっているという前提のもとにヒューマニズムや自由・平等・博愛が叫ばれる。その潮流への一つの問いかけでしょうか。

サドの著作に『共産党宣言』が印象として近いと書かれているのは、わたしには分かりません。半世紀近く前に読んで記憶の彼方にあるため。唐突で面白く感じられました。

わたしの理解が間違い多く浅いものと思われても仕方がないのですが、反射的に感じたことを書きました。寛恕あれ。

抗がん剤投与によるさまざまな影響、投与終了後も、最近の状況も、HPから詳しく知り、日常をどのように過ごされているか察しています。どうぞ無理だけはなさらないでください。

詩も絵も、そして読書も< 究極は全くの孤独な作業です。耐えられないなと思うことも・・。

絵はこの春以来、70号と50号の二枚を描きました。絹に描いた山越え阿弥陀図の部分画やモンサンミシェルの干潟の絵は小さなものです。    尾張の鳶

 

* 『ジュスチーヌ または美徳の不幸』(三部有るとされる「ジュスチーヌ」ものの基幹の第二部)に限っていうのだが、著者サドは、美徳を奉じていかに凌辱され尽くしてもガンとして「神」にすがるのに対し、彼女や彼女の同類の女達を言語に絶して凌辱し尽くす大勢のリベルタン(放蕩者たち)が終始一貫誰も彼もみな造物主の「神」など絶対にいない、すべては「自然」から生成したのだと繰り返している。全編が神と自然との抗争譚に創られている。その意味で、近代を特色づけたマルクス、ニーチエ、フロイト、ダーウインなどが「神」と意図的にも対立していた構図と似ている。「共産」という思想は、明瞭に、「神」ならぬ、人間と基盤になる「自然」の洞察とともに世界の再構築を考えていたと思う。ヒューマニズムも広義に謂えば「神」よりは「自然」に根ざした人間主義であり、サドにしてもヒューマニズムの対立者どころかサドなりの人間肯定者だと謂える。サドが強調している「自然」とは、山河や海洋という以上の、深い強い「生成の原理」の意味で、神の存在を虚妄と退けている。いわゆる近代の自然主義は、さどの言説や思想と背馳していなかった。悪徳や不自然や異様の側から自然と人間を肯定し、居もしない神様にただすがりついての美徳人たちを徹底して悪徳の肯定側から嗤ったものと読み取れる。マルクスもニーチェもフロイトもダーウィンも大筋ではそうでなかったか。

* ああ、この霞める視野よ。八つあるいろんな度の新旧の眼鏡をみな踏み砕いてやりたくなる。

2013 6・20 141

 

 

* 「マハーパラタ」 アポロドーロスの「ギリシア神話」 トルストイ「イワンのばか」 バルザックの短編集「知られざる傑作」「ツールの司祭」を読書に追加。

2013 6・21 141

 

 

* アポロドーロスの「ギリシア神話」の徹底して揺るがぬ公正な神話採集に強い感銘を受けている。マハーバーラタからの「マナ王物語」も興味深く読み始めた。またトルストイの民話選「イワンのばか」の味わい、ツルケーネフ「猟人日記」に備わる文品の深さ。バルザックの短篇「恐怖時代の一挿話」の息づまる怖ろしさ。レマルクの「愛する時と死する時」もちからづよく切ない佳境へわたしを誘っている。

「拾遺和歌集」にはかすかに失望感を覚えたが「後拾遺和歌集」の歌は身をよせて読み取れる。

映画では「指輪物語」の第一部を映像美に痺れながら観つづけている、長編を読み続けるように。トールキンの原作に半歩も譲らぬみごとな作品、奇跡を観る心地。

2013 6・23 141

 

 

* 凄みに溢れた発言として、もっともっと話題にされて良かったのは上野千鶴子の提唱していた「女嫌い」の論攷、ま、桶狭間への斬り込みに似ていて、検証や議論の余地ある追究ではあるが。しっかり読み込んでみる。

2013 6・23 141

 

 

* 夜前読書に没頭、ことに上野千鶴子の「日本のミソジニイ(女ぎらい)」を耽読。名著に数えたい。

2013 6・24 141

 

 

* こりゃたいへんと、のっけから諦め掛けたが、なにもかも頭に入れようとなどしなくていいと、一字一句表記に忠実に咀嚼気味に読み進んで行くと、なんと興趣に溢れた「ギリシア神話」が蛇口からじかに水をのむようにズンズンと身内に入ってきた。しかも、なんとおもしろい!! この調子で岩波文庫の本文が220頁ほど、末へゆけば「イリアス」や「オデュッセイア」へ豊かに流れ着く。途方もなく嬉しい読書に恵まれそう。冒頭の二頁ちかくを高津春繁さんの訳をかりて、よく、納得したい。ギリシァ神話といえばゼウスが総支配神のように想ってきたが、まさに八百万という数が真実かと実感できるほど神様の名前が続々続出するのも、いっそ面白いと受け容れて読む気になっている。

 

☆  アポロドーロス『ギリシア神話』の冒頭

Ⅰ 天空(ウーラノス)が最初に全世界を支配した。大地(ゲー)を娶って先ず「百手巨人(へカトンケイル)」と呼ばれるブリアレオース、ギュエース、コットスを生んだ。その大きさと力は比類なく、おのおの一百の手と五十の頭とをもっていた。これらの巨人の後に大地(ゲー)は彼にキュクロープスたち、すなわちアルゲース、ステロペース、プロンテースを生んだ。そのおのおのは額に一眼をもっていた。しかし天空(ウーラノス)は彼らを縛してタルタロスへと投げ込んだ。これは地獄の中の暗陰な、大地と空との距離だけ大地より離れている所である。さらに彼は大地(ゲー)によってティーターン族と呼ばれる子供たち、すなわちオーケアノス、コイオス、ヒュペリーオーン、クレイオス、イーアペトス、および末弟クロノスを、またティーターニスと呼ばれる娘たち、すなわちテーテュ-ス、レアー、テミス(=「法」)、ムネーモシュネー(=「記憶」)、ポイベー、ディオーネー、テイアーを生んだ。

大地はタルタロスに投げ込まれた子供たちの破滅に心平かならず、ティーターンたちにその父を襲うように説き、クロノスに金剛の斧を与えた。彼らはオーケアノス以外は父を襲った。そしてクロノスは父の生殖器を切り放ち、海に投じた。流れる血の滴りより復讐女神(エリーニュエス)アレーク卜ー、ティーシーポネー、メガイラが生れた。父の支配権を纂奪し、タルタロスに投入せられた兄弟を連れ戻し、クロノスに支配権を委ねた。

しかし彼は再び彼らを縛してタルタロスに幽閉し、姉妹のレアーを妻とした。大地(ゲー)と天空(ウーラノス)とが彼に予言して、自分の子によって支配権を奪われるであろうと言ったので、彼は生れた子供たちを呑み込むを常としていた。先ず最初に生れたヘスティアーを呑み、ついでデーメ-テールとへーラー、その後プルートーンとポセイドーンとを呑み込んだ。これに怒ってレアーはゼウスを孕んだ時にクレータに赴き、ディクテーの洞穴でゼウスを生んだ。そしてクーレースたちおよびメリッセウスの娘でニムフなるアドラーステイアーとイーデーにその子を育てるように与えた。そこで彼女たちはアマルティアの乳で子供を養い、クーレースたちは武装して洞穴中で嬰児を守りつつ、クロノスが子供の声を聞かないように、槍を以て盾を打ち鳴らした。レアーは石を襁褓にくるんで生れた子供のごとくに見せかけ、クロノスに呑み込むようにと与えた。

Ⅱ ゼウスが成年に達するやオーケアノスの娘メーティス(=「智」)を協力者とした。彼女はクロノスに薬を呑むように与えた。薬のカで彼は先ず石を、ついで呑み込んだ子供らを吐き出した。彼らとともにゼウスはクロノスとティーターンたちと戦さを交えた。十年の戦闘の後大地(ゲー)はゼウスにタルタロスに投げ込まれた者たちを味方にしたならば勝利を得るであろうと予言した。彼は彼らの番をしているカムペーを殺してその縛を解いた。そこでキュクロープスたちはぜウスには電光と雷霆を、プルートーンには帽子を、ポセイドーンには三叉の戟を与えた。神々はこれらの武具に身をよろい、ティーターン族を征服してタルタロスに幽閉し、百手巨人(へカトンケイル)どもを牢番とした。しかし彼ら自身は支配権に関して籤を引き、ゼウスは天空を、ポセイドーンは海洋を、プルートーンは冥府の支配権の割当てを得た。

 

* もう一つ、舵をきって入り込んだ、入り込もうとした初の世界。七十七にして「小林秀雄」だ、嗤う人はおお笑いするだろう。

まくらもとの書棚にちょうど十二年前、「生誕百年記念」の「新潮」臨時増刊『小林秀雄「百年のヒント」』が立っていた、貰った時からずうっとただ立っていて、わたしは手にも取らなかった。それを、初めて手に取った。手に取ってしまえばもう小林秀雄は放せなくなるだろうと思ってきた。

「読んでみよう」「読んでみたい」と思う。講談社版の全集に一巻ある。それを読もう。

なんども話してきた。

高校時代、我がまぢかの秀才クンたちは口をひらくと小林秀雄で、わたし独りは谷崎潤一郎だった。後年私家版を作り始め、そして文壇へも送りたいと願ったとき、小説家では谷崎潤一郎・志賀直哉が断然あたまにあり、評論家ならば小林秀雄が神様だろうと思った。

その小林秀雄からの筋で「清経入水」は太宰治賞選者の中村光夫先生のほうへと、わたしの全く知らぬうちに動いていった、らしい。そして受賞した。一九六九年の桜桃忌だった。

それでもわたしには、小林秀雄という人の思考回路も文章も難しかった。入りにくかった。その率直な気持ちを隠さず、いちどだけ小林秀雄について或る特集中の一本として書いたことがある。「湖の本105」に今は入れてある。

その後、ある時、突然、新潮社の担当編集者を介して「秦恒平様」と書き添えた「小林秀雄」の名刺を添え、晩年の大著『本居宣長』が贈られてきた。びっくりした、息が詰まりそうだった。

小林先生の亡くなられたとき、わたしは、小石川の大教会での告別式に、ひっそりと参列した。

来るべき日が来たのだと思う。

2013 6・25 141

 

 

* もう階下へ降りようとしたが、機械もそのまま、今日届いた榛原六郎さんらの同人誌「滴」を開いた。いちばんうしろに星合美弥子という人の小説「似たひと」に心惹かれて読み通した。最初の四行目に「柳田国男の『遠野物語』で知られるこの地方は、民話の宝庫である」とあったのが不要の説明と思えて、読みやめかけたが、堪えて読み進んで行くと、もうそういう不満はほとんど一行も見当たらず、まこと心静かに胸温かに小説世界が味わえた。語り手もさりながら、女主人公ともいうべき人の存在が美しく彫琢されているのが、花もあって、嬉しかった。終末にちかくわたしも一滴、感銘にうたれた。いい作に出会った、作品も備わっていると感じた。嬉しかった。

こういう同人誌は、おおげさでなく降るように来る、が、こんな感銘に胸をふるわせたことなど殆ど一度もなく、いつも落胆してしまう。

さいわい奥付に電話番号があり高松市までかけてみたが、九時半、留守電になっていた。それはそれで、ホッともした。

2013 6・26 141

 

 

* 朝刊をみてもテレビ報道を見聞きしても、ナサケないばかり。安倍「違憲」政治や東電に代表される大企業に、良識や良心の目覚めを期待するほど虚しいこと無いなら、せめて、国民のわれわれの、働く人達の目を覚まして起つときは、「今、でしょ」と、血を吐く思いで言いたい。

 

* 民主党が立ち直るには、海江田・細野という弱虫体制ではゼッタイ無理。馬淵澄夫らの起つべきときが、来ている。起て。都議選は衆院選についで、惨敗。海江田・細野・越石体制はいさぎよく退き、新鮮な新体制で出直さねば「解党」にいたるだろう。

こんなときに、元代表鳩山アホウドリのぶざまを極めた鳴き方は。

 

* 我慢ならない。わたし自身にこれ以上の気迫も行動力も無いなら、せめて自分の脳裏世界に沈潜したい。みごもり(水隠り)たい。

 

* 沈復「浮生六記」の現存する巻四「浪游記快」つまり旅の楽しみも、まさに楽しく読ませる名文。たまたまここまで来たその「十六」を松枝茂夫さんの訳に拠って、此の場で読んでみたい。

 

☆ 武昌の黄鶴楼は黄鵠磯(こうこくき)の上にあり、裏手は黄鵠山、俗に蛇山(じゃざん)と呼ばれている山に連なっている。楼は三層で画棟飛檐(がとうひえん)、城に倚って屹立し、前は漢江に臨み、漢陽の晴川閣と相対している。私は琢堂と共に雪を冒してここに登った。大空を仰ぎ視れは、瓊花( ゆき) は風に舞い、遙かに銀山玉樹を指し、さながら身は瑶台にあるがごとくであった。大江を往来する小艇が、縦横に揺りあおられるさまは、浪に捲かれる枯葉のごとく、名利の心もここに来れば忽ち冷めてしまう。壁間に題詠がいくつも見られ、いちいち記憶できなかったが、柱に掛けられた対聯に次のようなのがあったのを覚えているだけである。曰く、

何時黄鶴重来且共倒金樽澆洲渚千年芳艸

但見白雲飛去更誰吹玉笛落江城五月梅花

何れの時か黄鶴重ねて来たらん。且(しばら)く共に金樽

を倒して、洲渚(しゅうしょ)千年の芳艸に澆(そそ)がん。

但( ただ) 見る白雲の飛び去るを。更に誰か玉笛を吹きて、

江城五月の梅花を落とさん。

黄州の赤壁は府城の漢川門外にあり、江浜に吃立して、壁のように削ぎ立ち、岩がみな絳(あか)いためにこの名ができたのである。『水経(すいけい)』 にはこれを赤鼻山と称している。蘇東坡はここに遊んで前後『赤壁賦』を作り、ここを呉と魏の交戦の地と見ているが、あれは間違いである。赤壁の下はすでに陸地となり、上に二賦亭がある。

 

* わたしは少年の頃李白の「黄鶴楼に孟浩然の広陵にゆくを送る」という詩を早くに覚えた。秦の祖父の蔵書に『唐詩選』があった。

故人西辞黄鶴楼   故人西のかた黄鶴楼を辞して

烟花三月下揚州   烟花三月揚州に下る

孤帆遠影碧空尽   孤帆遠影碧空に尽き

惟見長江天際流   ただ見る長江の天際に流るるを

むろんわたしはかかる絶景を識らないが、詩や文のちからに遙かに誘われ行く嬉しさは実感できる。

沈復は、も少し前の方で杭州に遊んでいて「崇文書院」などを訪れている。井上靖夫妻らに連れて中国に招かれたとき、自由時間にわたし独りでここへ立ち寄った思い出が迫ってきた。わたしは此処で、染付の卵胎壺を買った。卵の殻ほど薄い軽いみごとな磁器であった、大事に大事に日本へ持ち帰った。この書院のさらに上には「朝陽台」があり、沈氏はそこからの眺望を「わが一生中の第一の大観であった」と書いているのに、残年、そこまでは上らなかった、独りであったので不案内であったから。

 

* 沈氏は重慶に遊んだ記事の中で、場所が限られていて,位置のとり方がすこぶるむずかしい」ときの「設計」に触れ、「巧みに台を重ね館を畳む法」 「重台」「畳館」を語っている。

「台を重ねる」とは、「屋上に露台を作って庭院となし、その上に石を畳み花を栽えて、遊人に脚下に屋のあることを知らしめないこと」である。花木は地気を得て生長する。

「館を畳む」とは、楼の上に軒を作り、軒の上にさらに露台を作り、上下四層を巧みに錯雑して畳み重ね、且つ小さな池を設けてその水を漏らさぬようにし、あくまでそのどこが虚でどこが実であるかを窺わしめないやり方」である。その基礎はすべて煉瓦と石を用いて作り、重みを支える柱はみな西洋の建築法に倣っている」とも。

まさに「人工の奇絶」というべし。浮世離れともいえ、相当な俗味ともいえる。そこが中国か。

 

* 夜前、小林秀雄生誕百年の新潮特集を読み始めた。ゆっくり外堀を渡ろうと、娘白洲明子さんの「父・小林秀雄」を語っているのを読んだ。こんなふうに「父」を語れる人の温と雅とに魅了された。ことの最初に読んで、ほんとうに良かった。「e-文藝館」に欲しいなあとしみじみ欲も出した。

幸い同人誌「滴」で星合美弥子さんの「似たひと」という創作に嬉しく触れていた直後に、また白洲さんの父君への美しい思慕追悼の語りであったこと、何ともいえぬ幸せであった。何の説明もいらない、「佳いものは、佳い」。

 

* だが、人間も人生も、とほうもない多面体であって。どこのどんな竹藪の奥から必殺の槍がとんで出るか知れなくもある。

ツルゲーネフの『猟人日記』で、「シチグロフ郡のハムレット」氏は、深沈とも軽燥ともいえる口調で聞き手に、いや我から我にむかいこう話し続けている。耳が痛い。

 

☆ 「時代の成り行きを見守ることができても、ーー自分のもの、独特な、自分自身のものがなかったら、一体なんの値打があるんでしょう!」

「愚かなりとも汝自身であれです! 自分の匂い、自分自身の匂い、それが大切ですよ!」

「自分ではなんでもわかったつもりでいながら、終り近くなってみると、ーーいろはのいの字もわかっていない!」

「悪いことに、私は独創的な人間じゃない。お察しのように、急に私のまごころが目覚めたのです。しゃべるのがなんだか恥ずかしくなってきたのです。」

「まあ、この方面の本当の強者(つわもの)をご覧になって下さい。 おしゃべりだけが、連中にとっちゃ必要なんです。なかには二十年一日のごとく舌を動かしてるのがいますよ。いつも同じことをしゃべって…… 自己に対する確信と自負心というやつは大したもんで!」

「でも、いけないのは、もう一度言いますが、私が独創的な人間じゃなくて、中途半端でやめてしまったことなんです。生れつきうんと自負心を持っているか、そうでなかったらいっそのこと、自負心なんてちっともない方がいいんです。」

「漠然とした期待は、ご存じのように、けっして実現するものじゃありませんし、あべこべに、思いもかけなかったような別のことが起るものなんです。」

 

* 聴くべきか、聴かざるべきか、それが問題じゃ。

2013 6・27 141

 

 

* むさい話だが、久しぶりに髪の毛とアタマとを洗った。すこし清々した。

湯舟のなかで「南総里見八犬伝」岩波文庫の第四巻を読み終えた。「ラナ王物語」は、この王様でなく、王妃ダマヤンティーが主人公。「イワンのばか」はトルストイのいわゆる大転回後の、つまり「藝術とはなにか」より以降の作物である。小林秀雄は批評家としてのトルストイをテーヌと同様に認めていない。アポロドーロスの「ギリシア神話」は破天荒におもしろい。無数の神様の名前や系譜にすこしも拘泥せずにまさしく「棒読み」してゆく面白さ、神話の神髄がそんな読み方でこそ棒をのみこむように躰に入ってきて、ベラボーに面白い。

「後拾遺和歌集」の撰歌もすすんで、いま秋の上の和歌をじっくり読み込んでいる。

 

* この人間世界には、なんと面白い本がたくさんあるのだろう。読む本を減らす減らすといいながら、いま、わたしは文庫本だけで十七、八册読んでいる。シンフォニックな読書の妙味、やめられない。

2013 6・27 141

 

 

* 昭和十七年は大戦の真っ最中だった、小林秀雄はそんなさなかの「新指導」七月号に『歴史の魂』と題して講演録を載せていた。ヒンデンブルクのあとでドイツの参謀総長に任じたゼークトの「思想」に触れながら、「歴史」というものの堅固かつ不動に「解釈」ごときを受け付けない本質を、即ち「美しい」と小林は見極めていた。

わたしはこの全集にも載らなかった講演録を、生誕百年の記念特集で、初めて読んだ。そして、すぐ座右の棚から湖の本「秦恒平が『文学』を読む」下巻を抜き取り、わたしとしてはたった一度だけ小林秀雄を語った「『歴史』は『美しい』」という一文を読み直してみた。あざやかな高揚感を覚えた。的の芯を射ていたんだという実感を得た。掲載紙「ユリイカ」が出るとほぼ即座に「秦さんのがいちばん良かったよ」とわざわざ批評家が電話してきてくれた気持ちもつかめた気がした。小林先生から名刺に「秦恒平様」と自書され『本居宣長』を頂戴したワケも初めてシカと分かる気がした。よほど嬉しかったことで何度もこれには触れて書いてきたが、講演録「歴史の魂」に推参できたことも大きい、重い。十数年も本棚に棚上げのママにした「小林秀雄 百年のヒント」にやっと手を伸ばして、今、しみじみしている。この気持ちを分かってもらうには、やはり小林秀雄の「無常といふこと」を指さしながら書いたあの「『歴史』は『美しい』」を読んで貰うのが早い。

 

* 小説を書いていると、と云うよりしがみついていると、たいがいイヤなことは忘れていられる。わたしのやはり「抱き柱」なのか。

ときどきでなく、しばしば、こんな「私語」を弄しているとき自分がティーンの少年のように生臭い幼稚な生き物にもどっている気がしてしまう。ウーンと呻いているときもある。

2013 6・29 141

 

 

* 沈復氏の「浮生六記」を読み終えた。「閨房記楽」「閑情記趣」また「浪游記快」みないい出逢いであった、これらに出逢わなければどんなに自分の読書が寂しかったかと、今にして、思い当たる。

2013 6・30 141

 

 

* 小林秀雄と三木清との、昭和十六年「文藝」八月号(この年の十二月に日本は真珠湾を攻撃した。)対談「実験的精神」を、半ば読んだ。「モンテーニュは段々つまらなくなる。パスカルは段々面白くなる」という小林発言から対談が始まっている。「パスカルはものを考える原始人みたい」で、「何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめる」と小林は肯定し、一方モンテーニュは「教養」の上で書いていると問題視している。三木も「あれは西洋のああいう教養の系統の中で読めば面白いので、われわれがじかに読むとそれほどでない」と言い、ここから「教養」「知識」「本」が鋭く批評されながら日本の「文学」「書き手」の問題へ突っ込んで行く。

本を知識蒐集のためにそれを工作して物を書く。一般にそれが文学っぽい道とされているが、それではパスカルふうの、「何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめる」「実験的(吶喊的)精神」が放り出されている。逆なのである。「本」から「知識」から「教養」からたとえば日本の歴史をすぐさま記述してしまう、それが平凡で手順をまちがえた書き手の自ら掘る、落とし穴。「何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめる」のでなければ生き生きした「歴史」も「文学」も生まれやしない。

繰り返すが、「何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめる」姿勢こそ、創作・創造の真の元気というもの。驚きも疑いも感激も落胆もしないまま出来合いの他人の「本」に頼り、借りてきた「知識」に頼り、それを「教養」などと看板にかかげて「書いて」いては、その書き手の根から生えて出た花も枝も葉も表現できるわけがない。

わたしが「作・作品・文学」と思い考え言いかつ書いてきたのは、何と言おうとも「何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考えはじめる」のでなくちゃ面白くないからだ。

2013 7・1 142

 

 

* 上野千鶴子さんの『女ぎらい ニッポンのミソジニー』は真っ向読ませる力作、とてつもない力作で、わたしは世辞は使わない、篇々首肯、興味津々納得させてくれる。教えられる。これが上野社会学なんだ、フーンと読み進み読み進み感嘆する。上野さんの著は、頂戴してきた十册にあまるほぼ全部を通読してきたが、新著へ新著へ積み上がって行くほどに、剴切、犀利、包丁さばきに魅力も見映えも加わっている。

と、最大の賛辞を呈したうえで、それでも今回の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』に、わたしなりの不審も違和感も不賛成もある。無かったらおかしいと思う。

譬えばなしにする、と、上野さんの、骨と皮と筋を切り出して見せる包丁さばき(つまり上野社会学)は、論旨も、結論または決め付けようも冗舌ひとつ無く、申し分ない。一言半句の異論も挟みにくい。わたしは論攷・論旨の殆ど全部をむろん好意ももって受容し肯定している。説得され賛同している。そしてその限りにおいて上野社会学とは、まさに痛いぐらい「骨・皮・筋右衛門氏の社会学」と読める。即ち、「肉」っ気は「血の気」は、「これでもか」「これでもか」と声も洩れんまで、骨からも皮からも筋からも「扱( しご) いて扱いて殺ぎ棄てて」ある。

譬えばなしを加上してみよう、家庭ではなく「家・家屋」に見立てて上の感想を謂い替えると、「骨とは家の基盤」、「皮とは屋根や壁」、「筋とは柱・建具」に当たっている。これらはみな材料、構造、力学等の範囲で十分理解できるし、それなら「家屋」の理解には足りているじゃないかと言われてしまうだろう。家や家屋の「血肉」って、そりゃ何のことと反問さえされるだろう。

 

* 家庭ではない「家・家屋」とは、謂わば「器」という構造体・構造物である。その意味では、茶碗や鉢も同じ。

わたしは少年時代から茶の湯を習ってきた。関係の著作も茶道具も持っていて、いろんな「器」を見てきたし用いてきた。

いったいて器・容れ物の「用の魅力」は何処にあるか。構造物・構造体としての「形」以上に、その形が内に包んでいる「空のかたち」いわば「器量」にある。わたしはそう感じもし観もしつづけて来た。光悦だろうと楽・永楽だろうと近代陶藝作家だろうと「器の用と魅力」は、外の形が内へ包んだ空の空である「器量の個性味」にあり、それを生かさねば、道具は廃れると。

家・家屋でも同じこと、基盤も屋根・壁も柱・建具も、それらで包み込んでいる「家内(やぬち)」といういわば「時空=人の暮らし=家庭生活」にこそ大事の目的があり、それこそが血となり肉となり「人の生きる場所」となる。「人や生き物」という複雑にして内容豊かなものがその場所で生活するから「家・家屋」には存在理由がある。

遠回しに回しに言うてきたが、「骨皮筋の社会学」が、故意かのように扱き棄てた「血・肉」にこそ人間把握や理解の内容が有る。わたしは人の世をそこから見はじめる。上野さんのあまりにテキパキと堅固な論攷・論説からは、この「血・肉」への、「人の生きよう・暮らしよう」への目配りが故意に為されていないか、為されようがあまりに足りないのではないか。

 

* 上野ジェンダー社会学は、失礼ながら、書かれてもあるようにおそらく生みの母上への、複雑な愛憎に根ざしていたようだ。

その根源的な体験に根を生い、およそ人間を、要するに、いや専ら、男と女、親と子、母と息子、母と娘、父と息子、父と娘、夫と妻等々対称的に把握し、ほぼ一本槍にその把握から観察も調査も検討も認識も結論もが導かれている。エディプス・コンプレックス、ピグマリオン・コンブレックスなど、またフロイト的な性心裡の解析などの今や殆ど決まり文句じみてさえいる「観念や論説」を援用しつつ専ら「性」別、つまりジェンダー観点からものの骨皮筋の道が推し測られ、決め付けられて行く。

 

* しかし、人が人として生きる「血・肉」的な全像は複雑で、豊富で、容易に割り切った見方で「分別」しにくい。出来ない。しかも「分別」という理に勝ちすぎた手法には、自然、限界がはなから出来ている。

性的な関係性や対称性を大きく超えたもっともっと感動に結びついた人と人との愛憎や理解や共感や行動が在る。男だ女だ、親だ子だ、夫だ妻だ、彼だ彼女だというペルソナ(配役)だけでない、純然「人間同士・生き物同士」としての感動や愛憎を人は共有し分有しつつみごと「交ぜッ混ぜ」に家の内でも外でも生きている。

上野さんの論攷から性・ジェンダーに視点を据えた対称の愛憎や相剋は、いろんな関係性においてよほどキッパリ識別できるけれど、その一方での、たとえば性別・年齢差・立場の差などを超えた、深い恩愛、慈愛、慈悲や、物事を介して分かち合う純然とした喜怒哀楽の感動、高度の共感・同感・賛同・協働などの「生活行為」には、上野さんの此の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』は、ほぼ全面、触れられていない。「ミソジニー」を主題としてその視点で言うならこう言えると、かなり狭い限界のなかで、ひたすらジェンダー視点から人間関係が分析されている。当然にそれはそれで、よい。学の方法としてそれでよい。ただ、それだけの「骨皮筋」考察で「人間」全面の「関係」や「真情」が簡明に手広く見通せるとは、真実だとは、むしろ、言ってはならない、決して言えないのではなかろうか。読者は其処を心得ていなければ何かを大きく間違う。見間違える。

 

* わたしは異様なのか幸福なのか、「ミソジニー(女ぎらい)」ではない。だが「男は嫌い、女ばか」と思ってきた。この場合の「嫌い」も「ばか」も明らかに敬意に近い尊重の意味とわきまえている。個々のケースは別にして、この「嫌い・ばか」には侮蔑は決して含まれていない。その上で、わたしは人間の久しく久しい歴史に鑑みて、上野さんの上記の著書『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(紀伊国屋書店)その他が展開している論攷に対し心より親和的で、豊かに思いを代弁して貰っていると自覚している。「学恩」という言葉を用いても差し支えない。それを、最後に付け加えておく。

2013 7・3 142

 

 

* 寝入る前の読書に、ミルトン「失楽園」を加えた。高校西洋史の教科書で記憶したが一行として読んだことがなかった。ピューリタン革命の渦中に身を置いた高邁な詩人だった。この革命前後は、エリザベス女帝の没後英国の凄まじい混乱期、流血の革命・反革命期だった。ミルトンはそんな中でクロンウェルのピューリタン革命に懸命にくみし、失明し、かろうじて王政復活のもとで死刑を免れ、口述でこの宏遠な「失楽園」を完成し、そして亡くなった。アダムとイヴに取材の叙事詩であるが、書かれた当時の人々に、さらにはわたしたち現代の者にもより新たに深く清く生きる省慮を迫る作の筈である。ゲーテの「ファウスト」やシェイクスピアを読んできたように決然として読んで行きたい。

 

* ペトラルカの「わが秘密」を読み終え、「臨済録」「十訓抄」を座右にし、アポロードロスの「ギリシア神話」を、マハーバーラタの中の「ナラ王物語」を、トルストイ大転回後の「イワンのばか」等の民話集を、もとよりバグワン・シュリ・ラジニーシの講話をと、わたしの関心がいま何処へ向いているかかが分かる。

とはいえ、サドの「ジュスチーヌ または美徳の不幸」を猛然と読みあげたし、「共産党宣言」にも、上野千鶴子の「女ぎらい ニッポンのミソジニー」にも組み付いている。

久々レマルクによる「愛する時と死する時」の戦争悪も今わたしを完全に捉えていて、その地獄は、トールキンの清明で宏遠なファンタジー「指輪物語」とも確実に共鳴しあっている。

バルザック、ツルゲーネフそれに馬琴また後拾遺和歌集、さらには高田衛さんの「完本・上田秋成年譜考説」や小谷野敦の読ませる「川端康成伝」等々その他、いま二十册もの我が「本読みシンフォニー」は、混声渾然の楽音を耳に目に送ってきて呉れる。

2013 7・4 142

 

 

* 湯のなかで、上野さんの本、東電OL事件を読んでいた。わたしは、この事件に取材したのではなかったか、久間十義さんに貰った本を読んでいた。とくべつの興味を事件に寄せてなどいなかった。何人もの論者や作家や学者が事件に発言していた、それは理解する。分析も解説も批評もそれぞれに分かる。ただ、過剰に物哀れとも愚かしいとも気色わるいとも異常すぎるとも思わなかった。彼女自身は分析も解説も批評もしてほしくなんかなかったろう。「ほっちっち、かもてなや、おまえの子じゃなし孫じゃなし」といった辺が真相であったかも。

ま、それでもわたしも判断は保留しておいて、すこしもの思ってみようかと。

 

* 昨日の上野社会学批評に、もう少しは付け加えたいと思うのだが、今日は疲れてしまっている。

2013 7・4 142

 

 

* 変哲(亡き小沢昭一さん)句集「半生記」を、鉛筆で爪しるし付けながら、平成十一年十月まで読んできた。

なんだろう夜店の果てのむなしさは

よしきりや葭の間の朽ちし舟

手の皺を見つめ八月十五日

お手玉をちょっとしてみた梨二つ

2013 7・5 142

 

 

* 浩瀚な「マハーバーラタ」から取り出された『ナラ王物語』(岩波文庫)を読了。インド(ヒンズー)神話に活字で触れるのは初めてかも。この物語じつはナラ王のというよりその王妃「ダマヤンティー姫の数奇な生涯」をまさしく語っている。西紀前六世紀ごろに文書化されたと解説されており、口承ではさらに千年も昔から語り継がれ語り加えられ加えられしてきたのだろうとわたしは推測する。それが「口承」されてきた神話や物語の常である。日本の古事記神話の書き表されたのは西暦八世紀の前葉頃と記憶しているが、やはりそれより千年もそれ以上も昔から口承加上されてきたろうとわたしは理解している。日本で口承の伝承が文字化された遺産は推古朝の遣隋使奉書や経疏などの聖徳太子(七世紀半ば)より以前には、稀も稀、片々たる漢字がわずかに刀剣などに刻まれていた程度だった。それに比して西紀前六百年頃のインドで他の多くの神話伝承とともににすでに「ダマヤンティ姫」の物語も書き著されていた。エジプト史料でも中国史料でも旧約聖書でもギリシア神話でもさらに輪をかけて古く「文字」史料や伝承が存在していた。胸の熱くなる史実のちからを感じる。                                                                     訳者の鎧淳さんは「娘に」と献辞され「まえがき」にこう書かれている、「ナラ王物語の表題にもかかわらず、ここには自由で活溌、しかも幸運に恵まれ、身に降りかかる数多の艱難には、純真さと、賢明な思慮と工夫によってこれを乗り越え、遂には限りない仕合わせに達するナラ王妃ダマヤンティーの生涯が綴られている。/ 世上の父親と同じく、一女の父親として娘の限りない仕合わせを願い、せめてダマヤンティ-妃の仕合わせにあやかることができるよう、是非この物語を娘に伝えたいと望んだのが本書を訳出した動機である」と。読み終えて一層お気持ちがわかり微笑ましい。姫とナラ王とを少しく紹介しておく。

☆ 『ナラ王物語 ダマヤンティー姫の数奇な生涯』(岩波文庫) 鎧淳訳

ダマヤンティー姫はといえば、腰なまめかしく、美貌、身より出づる輝き、世の誉れ、気品、それに女性としての魅力について、世上に名声を博しておりました。さて婚期に達したとき、装いを凝らしたおびただしい数の侍女たち、供の衆が、さながらインドラ神の妃のかたえに侍るかのように、ダマヤンティー姫の身辺に隙なく侍っておりました。供の衆たちの中で、五体麗しく調ったビーマ王の姫君は、ありと有る身の飾りに飾り立てられ、あたかも黒い雨雲からきらめく稲妻のように、そこではいつも光り輝いておりました。眉目形甚だ世に勝れ、吉祥天女にも似て、切れ長の目許涼しく、神々のうちにも、夜叉のうちにも、これほど容姿端正な乙女は、いずれにも、いわんや人間のあいだにも、これまでに見たこともまた聞いたこともなく、人々はおろか、神々すらも心を惑わせる、あどけなく芳しい乙女でありました。

またナラ王も人獅子、地上の人々の間で王と比肩するものなく、美貌では、あたかもこの世の姿をとったカンダルパ(= 愛の神)そのものでございました。

片や、姫のかたわらでは、人々が物見高くナラ王を持てはやし、片や、ニシァダ王(=ナラ王)のかたえでは、ダマヤンティー姫を幾重にもかまびすしく言いそやしておりました。相手の美質を不断に耳にするうちに、ーークンティー妃の御子よ(=物語の聞き手たち)ーー互いに、未だ見ぬ相手への愛が芽生えたのでした。恋は募り、やがてナラ王は、心中、愛を抑え切れず、秘かに後宮近くの森に赴いて腰を下ろしておりました。すると王は、金色の装いを凝らしたハンサ鳥が目に留まりましたので、森の中を歩き回っている

その中の一羽を捕えたのです。すると、鳥がナラ王に言葉をかけました。

「王様。あなた様がわたくしめをお打ちになりませんよう。あなた様にお宜しいよう計らいましょう。ダマヤンティー姫のお傍で、ニシアダ国王よ、あなた様のことを申しあげましょう。姫が、片時も、あなた様以外の方に想いを懸けませんように。」

こう言われて、王はハンサ鳥を放してやりました。かれ、ハンサ鳥たちはといえば、一斉に舞い上がり、直ちにヴィダルバ国(=姫の国)へと赴いたのです。

ヴィダルバ国に赴いて、鳥たちは直ちにダマヤンティー姫のかたわらに舞い降りましたので、姫はその一群が目に留まりました。供の衆に取り巻かれていた姫は、珍しい姿の鳥たちをば見て心躍り、捕えようと鳥たちの方に急ぎ駆け寄りました。さてハンサ鳥たちは、後宮の森で一面に散らばっておりました。そこで乙女たちは、銘々にハンサ鳥を追って走り出しました。

他方、ダマヤンティー姫がハンサ鳥を追って近くまでまいりますと、その途端、ハンサ鳥は人間の言葉を話し、ダマヤンティー姫に語りかけました。

「ダマヤンティー姫よ。二シァダ国にナラという王子がおられます。美貌ではアシュビン双神に等しく

 

* 二千六、七百年も昔にこういう「ことば」の物語が書き取られ、それ以前にもえんえんと人の世で語り継がれていたと想うと、キュウッと胸がしめつけられる。嬉しくなる。日本列島ではまだ縄文時代の晩期、どんな言葉が語られていたのかも分からない。

2013 7・6 142

 

 

☆ ゲーテ「イタリア紀行」 一七八七年より 相良守峯訳に拠って

「藝術は私にとって第二の自然となっている。」

「(才能において=)十分なものを所有しながら、それを使用することも享楽することもできない人こそ、貧困にして不幸なものというべきである。」

「シックストゥス礼拝堂を見ないでは、一人の人間が何をなし得るかを眼のあたりに見てとることは不可能である。」

「今や自然に対する私の執拗な研究と、私が比較解剖学を研究する際にとった慎重な態度とが、自然や古代美術品ににおけるいろいろなことを、総体的に私に会得させるに至った。」

「私は永続的な関係を有しているものにのみ関わりたく、スピノザの教えに従えば、かくてこそ初めて自分の精神に永遠性を付与し得るであろう。」

「私は自分のなし得ることはこれをなし、すべての概念や才能をも、私が背負い得るかぎりはこれを自分の上に積みかさね、このようにして最も確実なものを持って(故国へ=)帰る。」

 

* いま強く捉えられているのは、レマルクの『愛するときと死する時』で。レマルクの作には『西部戦線異状なし』や『凱旋門』から入って感銘を得ていた。彼の作は、泥濘ににた世界戦争をつらいむごい足下に踏みながら、絶望を抱きかかえて生きようとする人の命を懸命にとらえる。『凱旋門』ではなかったか、ついの果てに弾圧の暴力からかろうじて南米へのがれようとする者が、南米とは「遠い」と歎く誰かに、只一言「どこから」と口にした。わたしは、あの一言を忘れない。遠いとか近いとか。「どこから」か。自身の生きの命が立つ其処が世界の中心で、遠いも近いも無い。レマルク文学に最も熱くふれた一瞬だった。

レマルクも、ヨーロッパ世界に元気と希望をみつけたかのように作風を明るく揺り動かした時があった、が、あっというまに消え失せて、つらい、きびしい、それゆえに灼熱する生と戦争との真相にせまる、レマルク。ロシアに深く侵攻し、あっというまに怒濤の勢いで押し返され敗走に敗走したヒトラードイツ兵たち。故国はさんざんに爆撃され、しかもゲシュタポは国民を悪魔のように抑え込んでいる。ひとりの賜休兵士と幼なじみとの恋と結婚。女の父は強制収容所にあり、兵士の恩師はかろうじて被爆地のさなかに隠れている。

兵士は恩師の書架をみて問うている。

「僕、一つ知りたいことがあります。いったいこれは、どういうふうに一致するのでしょうかーーこれらの本や、詩や、哲学がーー突撃隊や、強制収容所や、罪のない人間の殺戮などの、非人道とです?」 先生は答えた。

「それは一致しはしない。ただ、同時に存在してるだけだ。もしもここにある本を書いた人たちが生きていたら、大部分のものはやっぱり強制収容所にいれられているだろう」

「おそらくそうでしょうね」 と。

 

* わたしは先の「湖の本」116の副題のむすびを、「迫る、国民の最大不幸」と書いた。安倍自民党の「違憲」政権が国民のわれわれを、引き摺ってでも追い込み追い落として強権支配しようと目論んでいるのが、間違いなく上に言われている「非人道」と重なり合っていること、それを聡く悟って参議院選挙に立ち向かわねばならぬ。

『愛する時と死する時』のもう少し先で、こんな文章がある。兵士は結婚の記念に花屋で黄水仙を一束買い、店の女は新聞紙にくるんで呉れた。歩くうちに新聞紙の記事が、写真が目についた。「人民裁判の議長の写真だった。」彼はその記事を読んだ。

「四人の人間が、もはやドイツの勝利を信じないというので、死刑に処せられたのである。彼らの首は、斧で切りおとされた。ギロチンは、とっくの昔に廃棄されていた。ギロチンでは、あんまり慈悲深すぎるのだ。グレーバーは新聞紙をもみくちゃにして、なげすてた。」

国民主権、戦争放棄、基本的人権の憲法を、なぜ自民「違憲」政権は強引にねじ曲げてでも破壊し放棄したいのか。レマルクの文学は、はっきりわれわれ日本人にも警告している。

2013 7・12 142

 

 

☆ 倉田茂詩集 「禾」26所収

 

冨山房( ふざんぼう) のかたわらを

 

冨山房書店近くの路上で江藤淳とすれちがったことが

ある。院生か講師かとみえる男性と楽しげに語らい歩く

小柄な背広姿に、えも言われぬあたたかさを覚えた。

それはそうだろう、私は読んだばかりだった、ヘレ一

ン・ハンフ編著『チャリング・クロス街84番地』を。この

往復書簡集は本を愛するへレーンの思いの丈で一杯だ。

訳出は江藤淳。私はこの本をとおして彼を見ていた。

ニューヨークのへレーン・ハンフ嬢とロンドンの古書店

のフランク・ドエル氏とのあいだで、単に商売に止まらぬ

心打つ手紙たちは交わされた。介在した本もいい。

チョーサー『カンタベリー物語』、ウォルトン『釣魚大全』、

ラム『エリア随筆』等の多彩な英国古典たち。

フランクの突然の死で往復書簡は終る。一九四九年か

ら二十年も続いた文通の意味は何か。テレビ台本を書く

ヘレーンは、次々と消え去る現代文学や新刊書への嫌悪

感から英国古典を求めたのだろうと江藤淳は「解説」に言

う。孤独なへレーンには顔こそ知らないが海の彼方のフラ

ンクとの心の通いあいが貴重なのだ、とも。

本というとき、まずは惚れた中身。それから書く人・編む

人の思いの合流。印刷・製本された美しい形。求める人・

応える人の絆もあっていい。みな心の通いあいだ。ヘレー

ンもフランクも本が好きな私たちすべてに似ている。私たち

は惑星グーテンベルクの住人なのだ。

ストラスブールの広場のグーテンベルクの銅像は、今も

生き生きと紙の束を抱えて走っていた。二十一世紀に着い

たのに疲れも見せない。一冊の『チャリング.クロス街84番

地』は、この地で醸成される白い葡萄酒に似て私たちを夢

中にさせ、暖めてやがて豊穣をもたらす。

月に一度は行く神保町の、今はない冨山房書店のかた

わらを歩くたび私は思う。葡萄酒がなおキリストの血である

ならば本も、ヘレーン・ハンフの手紙もまた血であるだろうと。

脈々と流れ来たり江藤淳をよみがえらす。

 

一九八〇年、講談社(一九八四年、中公文庫)。

チャリング・クロス街はロンドンの古書店街。

フランク・ドエルのいた店が84番地>

 

 

 

エミリーの道

 

大型犬を連れて十二年歩いている

いや連れられて辿るのだ 朝夕の一時間ずつ

数十通りはある彼女の(なじみの道)を

 

生物学者ユクスキュルによれば 犬たちは

ひたすら(なじみの道)を行き来する

行動半径が狭いのではない 生物たちはみな

それぞれから見た(環世界)を生きている

自分が意味を感じるものだけで構成される世界を

 

エミリー・ディキンソンの引きこもりは

二十歳を過ぎて始まる 隠遁と言うには早過ぎ

変人と言えば変人 彼女の(なじみの道)は

家の中と庭にしかないように見えた

 

いや彼女の(環世界)は感じ、考えることだったのだ

大地に虫に空に樹に大海原に 死や愛や永遠へ

あふれこぼれる思いと言葉の葉脈が

伸びて広がるところ全部に 一七八九という

生涯の詩の数だけの(なじみの道)が通じていた

 

発表した詩は少々 目利きはいなかった

(環世界)は埋もれたまま 彼女は死んで

やがて詩集が編まれて名を挙げた

 

「名声は、蜂だ」と一蹴してきたのに

「蜂は歌う 蜂は刺す そう、それに、蜂は飛び去る」のだと

名声を得なかったがゆえに名声を知った、というのが

エミリー流の、表現の(節制)だったのに

 

ニューイングランドの田舎町で五十五年を送った

さびしい生涯と言うなかれ

町の人は誇りと戸惑いの目で、家族は寛容の目で気にかけた

それらの目と彼女とを隔てる微妙に幸運な距離を思わずに

エミリー・ディキンソンの道を辿ることはできない

 

参考とした本。ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』(日高敏隆・羽田節子訳)

『対訳ディキンソン詩集』(亀井俊介訳)、以上岩波文庫。

エリザベス・スパイアーズ『エミリ・ディキンスン家のネズミ』(長田弘訳)みすず書房。

 

 

 

 

穏やかな死

 

ラブラドール・レトリーバーの 「はな」が死んだ

愛された犬 十五歳と二か月

人のいのちの百歳を生きた

 

オッター・テール(かわうその尾)と言うように

尾は楽しく動き、太かった 前足も太かった

最後の半年はその前足で ゆっくりだが

萎えかけた後足を支えて歩きつづけた

 

倒れてから死ぬまでの一週間を忘れない

日に一度 立てないはずがふっと立ち上がり

視力衰えた眼で家の中を見回しながら一巡し

居場所(ハウス)に戻ってきてくずおれる

わが家や隣近所への

「はな」なりの挨拶だったのだろうか

六日目だけは戻る前に大きな音を立てて横倒れした

七日目はもう立ち上がることはなく

二時間ほど荒い息をして昼前 がくんと首を傾けた

 

食べ物は四日目から取らなかった

好きなミルクにもヨーグルトにも振り向かず

ただミヅだけを飲んだ その水を

注射器のピストン容器で口に入れてやるとき

必ず鼻を寄せ 確認してから飲んだ

作法のように

 

愛された犬の

自然に死ぬ姿はこんなにも優しいものなのか

こんなにも尊厳のあるものなのか

ありがとう、と何度も言った

ともすれば行きちがう夫婦の眼差しを

一身に集める仕事まで担ってくれた「はな」

 

夜 もう固くなった体の横で

一緒に朝まで眠った

眠る前の日課の 精神安定剤を飲むことも

シューベルトの歌のいくつかを聴くことも忘れて

 

 

* わたしは言う、敬愛する倉田さんのこのような「詩」こそ、詩作こそを「作品」と呼ぶのだと。

2013 7・12 142

 

 

* 『南総里見八犬伝』が分厚い文庫本で十册におよぶ超長編なのは、作者が曲亭馬琴では、驚かない。ほかにもとてつもない長編がある。読んでいるのは原作で、現代語訳ではない。誰にでも原作読みを奨めるわけにいかない、そこに馬琴作の希有の特色がある。一つは難漢字のオンパレードで、此処へ書き写そうとしても機械が容易に字を出してくれない。もう一つ、漢字を用いた熟語も単語も、また人名も、とほうもない「読み(総ふりがな付き)」を指定されている。全編、どんな箇所を開いても、終始一貫変わらない。こころみに今読んでいる五冊めの、手当たり次第の見開き頁をスキャンしてみよう。

 

て泰平の、聖化に遇(あへ)る歓びあらん。その折にこそ這頭(こゝら)まで、繁華古昔(いにしへ)に類(たぐひ)なく、士民各(おのおの)処を得て、屋上(いへのうへ)に屋(いへ)を加(くはう)る、魚米(ぎよべい)の郷(さと)と熱鬧(にぎは)しく、徒(たゞ)真猯穴(まみあな)の名をのみ遺して、この趾(あと)もなくなりぬべし。且(しばら)く等(また)せ給ひね。」といふかとおもへぼ老翁・老婆の、状形(かたち)は見えずなりにけり。今又這等(これら)の奇異ありけるを、見も聞(きゝ)もせし衆人(もろびと)は、胆を潰し舌を掉(ふる)ひて、いよゝ、ヽ大(ちゅだい)の徳高かるを、暁得(さとり)て信心弥増(いやま)しけり。登時(そのとき)ヽ大は此彼と、衆人を見かへりて、「剛才(いま)老猯(みたぬき)の云云(しかじか)と、いへりしは実事(まこと)にて、洞(ほら)には余賊なかるべし。酒家(われ)先入(まづいり)て検(けみ)せんに、四下(あたり)の竹を伐採(きりと)りて、快(とく)手炬(たいまつ)を造らずや。」といふに大家(みなみな)こゝろ得て、作り出(いだ)せし竹手炬(たけたいまつ)に、種平們(たねへいら)が鉄炮(てつほう)の、火索(ひなは)を借(かり)つ、火を吹移して、振照したる壮佼們(わかうどら)は、ヽ大(ちゅだい)法師に従ふて、種平・嶋平共侶(もろとも)に、找(すす)みて洞(ほら)に入(い)る程に、右衛門二(ゑもんじ)さへにおそるおそる、後に跟(つき)てぞ入(い)りにける。恁而(かくて)ヽ大は壮佼們(わかうどら)と、倶(とも)に洞内(ほらりうち)に找入(すすみいり)て、火を抗(あげ)さして四下(あたり)を見るに、奥はいと広やかにて、席薦(たゝみ)六枚(むひら)を布(しき)たるは、鵞 坊(がぜんぼう)の臥房(ふしど)なるべし。夜物(やぶつ)あり、家 (かぐ)も多かり。只這東西(たゞこのもの)のあるのみならで、年尚弱(なほわか)き三個(みたり)の女子(をなご)の、累(かさな)り俯(ふし)てよゝと泣くを、ヽ大(ちゅだい)はうち見て、右衛門二們(ゑもんじら)に、扶起(たすけおこ)さしてよしを間ふに、則是(すなはちこれ)五个年已前(ごかねんいぜん)、鵞 坊(がぜんぼう)に掻攫(かきさらは)れて、他(かれ)が愛妾(おんなめ)にせられしといふ。故郷を問へば葵岡(あふひのおか)にて、這(この)人々の相識れる、某甲(なにがし)・某乙(かれがし)の女児(むすめ)なりければ、迭(かたみ)に名告(なの)りつ驚くまでに、歓ぶこと大かたならず。然(され)ば件(くだん)の女子們(をなごら)は、ヽ大法師(ちゆだいはうし)の方便にて、妖賊誅滅せられたる、訳を聞得て再生の、洪恩徳義をうち仰ぐ、感涙の外なかりしを、ヽ大は然(さ)こそと慰めて、又、右衛門二們(ゑもんじら)と共侶(もろとも)に、その次の房(ま)を検(けみ)するに、這里(こゝ)には果して賽保輔(まがひやすすけ)、魔夫太們(まぶたら)の尸骸(しがい)あり。倶に咽喉(のみど)を破られで、全身(みのうち)鮮血(ちしほ)に塗(まみ)れたり。必是(かならずこれ)牝牡(めを)の老猯(みたぬき)に、啖(くらひ)殺されたりけん、と人僉(みな)猜(すい)して嘆息す。這余(このよ)は銭あり、米さへ多きを、ヽ大(ちゆだい)は一切(つやつや)見かへらず、只女子們(をなごら)を勦(いたは)らして、軈(やが)て洞(ほら)より出(いで)にけり。

 

* きりがないので打ち切るが、犬士も登場せず、ひきあてた場所がすこし期待はずれだった。もっともっと雄弁な講釈調を抜き出してみたかった。稗史と呼ばれる読み物の特徴は出ているが。

八犬伝を読んで行くうちにも楽しみの一つは豊富な挿絵だが、機械の不調でスキャン出来ない、これも残念。

2013 7・13 142

 

 

 

* 偉大な叙事詩人ミルトンは、熱心なピューリタンでもあった。清教徒革命ではクロンウエルの有力な補翼を成していた。この革命が失敗に帰したあと、彼は声誉を喪い、刑死こそかろうじて免れたが失明した。そのなかで彼の、英文学の、世界文学の一至宝たる壮大な「失楽園」がなんと口述で以て成されたのだった。なお混沌として未分の世界で、あの楽園の蛇であったサタンは創造主の威令のもとに無数の味方の天使たちとともに地獄へ堕とされた。失墜の彼らは、ようやく我に返りかの楽園世界への報復をはかるという叙事詩の出だしになっている。

わたしの恣な予測に過ぎないが、ミルトンは敗滅の憂きめをみた清教徒達のアメリカ新大陸での蹶起再起を壮大に意図して「失楽園」を成して行こうとしているのではないか、そう思われて成らない。まだ第二巻のはじめを読んでいるに過ぎないが、そう想像するのが大きな誤解か、かなり正解の気味にあるか、楽しみになってきた。

 

* バルザックの短編集を一冊読み上げ、いままた「ツールの司祭」を読んでいる。バルザックには『従妹ベット』のような老嬢の苛烈な生涯を書いた傑作がある。彼は、『谷間の百合』などのようにかすかに憂鬱にものはかなく命みぢかい貴婦人を書くのも好きな作家だが、老嬢の猛烈な悪性を活躍させることにも異様な熱意をもっていた大作家だった。人の良いしかし愚鈍な性を丸出しでそれに自覚の全然無い「ツールの司祭」を下宿人にしている家主ガマール嬢の徹底した過酷な「いぢめ」がこれでもかこれでもかと書き継がれている。息がつまる。ゲーテやトルストイやシェイクスピアにならぶ文豪の筆はこわいほどに人間の本性をえぐり出して容赦ない。息苦しい気分で、それでも読み進めずにおれない。

 

* ツルゲーネフといえば二葉亭の訳で「あひびき」を読んだ昔から日本人にことに愛し親しまれた文豪だが、その最高作はとなるといろんな長編の名が上がるだろう、だが、わたしは躊躇なく短編集の大作『猟人日記』にとどめをさす。上下二巻の岩波文庫版のいま下巻を読み切ろうとしているが、二十数編のどの一つも「完璧」な表現と感動と読む嬉しさに満たされている。こんなに優れた短編集をわたしは世界文学なかでも他に知らないほど。短篇の文豪チエーホフをもはるかに凌いでいる。全巻のもう果てようとする頃の「チェルトプハーノフとネドビュースキン」「チェルトプハーノフの最後」は独りの地主の暴風雨のように神話的な生涯を書き尽くして胸を打つし、つづく「生きているミイラ」の不思議に美しく、死んだようにみごとに生きている一女性を書き表して思わず衿を正させる。

日本へ来て初めて東大で講義したラフカディオ・ハーンは文学の真価を語って、かつては全ヨーロッパから途方もない野蛮国としか見られていなかったロシアに、一朝、プーシキン、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフらが現れてその作品がヨーロッパまた世界に紹介されるや、一気に最も優れた精神世界・文化国家という名声に包まれたことを以て、日本文学と日本人を励ました。『猟人日記』はそのような小泉八雲の示唆と激励との大きな芯を成していた。

わたしは、「戦争と平和」や「罪と罰」にならんでツルゲーネフの「猟人日記」を文学愛の大勢にお奨めする。家事に忙しくてなかなか一冊の本の読み通せないような妻が、この地味な題の二冊の文庫本を、讃嘆の声をもらしながら一気に読み上げたのが、魅力の程を指し示している。

 

* そしてレマルクの『愛する時と死する時』が終焉にちかく、わたしは胸を痛め息を殺し、もはや眼の奥を熱く潤ませがらしか頁が繰れない。たった数日の新婚の日を爆撃やゲシュタポに脅かされながら愛し合い、そして別れてきたグレーバーとエリザベート。賜暇の尽きた兵士の戻っていった戦陣は死と死者と死骸と死臭と、ナチス親衛隊の過酷とに。なんという無残。

そんなときに日本の元総理、現副総理は、平和憲法として名高いワイマール憲法をだれも気づかぬ知らぬ間にナチスドイツの憲法に書き換えてしまっていた、あれをこそ見習えばいい、改憲の壊憲のと騒ぎ立てられぬようにナチスのように知らぬ間にやってしまえばいいのだと講演していた。なんという無残、なんという卑怯。

2013 8・1 143

 

 

* 「殺す」ことは今日の日本で、なお希有に異様なことなのか、それとも、新聞記事によってもテレビニュースによってもドラマによっても、ま、当たり前に普通の事になっているのか、判断に戸惑う。なにかというと、人が、いかにも簡単そうに隠し持った物騒なナイフを握って他人を刺している。やはり異様なことだ。

人が人を「殺す」歴史は久しい。それも政治の場で、権力の場で、目立つ。シーザーを「殺し」て以来、ケネディその他大統領たちを「殺し」てきた。

最近の列車大脱線など、責任者の不用意な油断から無残に乗客や歩行者を「殺し」、また強慾と虚偽の結果として原発企業も無辜の住民を結果「殺し」続けている。

地球上のさまざまな地域や時点での「虐殺」も否定のしようがなく史実と化している。

「殺す」ことにも何か必然の理由があり得たのだろうか、多くは単に暴発なのか。

戦争犯罪人を「殺す」のは当然のことと、誰もが確信しているか。当然の死刑は必要と人は誰もが受け入れているか。

ああ、こんなややこしいことを言う気ではなかった。

いま読んでいるアポロドーロスの「ギリシア神話」では、「殺す」という言葉と実例とが、土石流のように頁から頁を埋めている。これは何じゃと、ものをよく知らないわたしは唖然として読んでいる。

ゼウスも、特にその子ヘーラクレースは、ま、殺す殺す殺す、殺し続ける神である。最強の殺傷英雄神である。どういうところからこんな神話を人間は必要としてきたのか解説して欲しいものだ。

「神」は、まさしく「人」の生んだ威力のシンボルまたは幻想である。「神話」も、人の創作したファンタジイに類している。「魔」も、同じである。もうすこし拡大していえば、神も魔も、人と自然とで「合作した必要」であった。

その「必要」が働き始めるときに、人と自然は、神や魔に向かい先ず「殺す」「殺し合う」「戦争する」ことを、あたかも指令したかのようである。すくなくも「ギリシア神話」はそういう神話かのように語り始められている。ミルトンの「失楽園」もそれを示している。

日本の神話にもヘラクレスに相当の、須佐之男神が創られてある。

 

* 岩波の「文学」七、八月号に出た深澤晴美さんの「川端康成『星を盗んだ父』 -執筆時期の推定と執筆の背景」を興味深く読んだ。ハンガリーのモルナール・フェレンツ原作に依拠した翻案作で、従来の川端研究からは完全に埋没していたものの精緻な探索・追究に仕上がっている。論攷の手堅さ、まことに驚かされる。授業と指導に多忙を極める女学校の先生である、その学風の真摯に精度たかいこと、これほどの研究者にこそ「大学」は、より可能性を拓くよい働き場を上げてほしいと、よそながら、いつも思う。

2013 8・3 143

 

 

* 「遠用」眼鏡を頼んできた足で江古田のブックオフに寄り、また岩波文庫を買ってきてしまった。本を減らさねば減らさねばと思いつつ岩波文庫をこの半年にどれほど買ってしまったか。

今日は趣をかえて、スコットの『アイヴァンホー』上下巻と『湖の麗人』、そして『露伴随筆集』を上下巻買ってきた。

敗戦後の丹波から京の元の古巣の小学校に引き揚げてきたとき、学校の広い運動場には外地からの引き揚げ生徒や他府県からの戦災生徒がいっぱいいた。たいへんなカルチュア・ショックだった。その中には想像だもしたことのない「本」を貸してくれる生徒、おもに女生徒がいて、上のスコットの小説もその中に有った。もっとも少年少女向きに編輯された版であったろう、何であろうとも『アイヴァンホー』はわたしが最初期に目にし手にして楽しんだ西洋の本であった。その少しまえに、重篤の腎臓病で急遽田舎から家にも帰らずとびこみ入院した松原通りの樋口医院二階座敷でわたしは、生まれて初めて新潮版世界全集の『ああ無情』や『モンテクリスト伯』を目にし手にしていた。「読んだ」と言い切れるのは、やはり『アイヴァンホー』らの方だった。

今さらとも思ったが、懐かしかった。『三銃士』よりも懐かしかった、スコットのそれらは。楽しみにしている。

『露伴随筆集』はさらにさらに倍して楽しみの上下巻。上巻は「考証篇」下巻は「言語篇」とあっては、ふるいつくほどに読みたい。物識りに成りたいのではない、役に立てようとも思わない、ひたすら垂涎の思いのまま読み耽りたい。あーあ、どうなるのだわたしの「交響する読書」は。一冊二冊と読み上げては新しい一冊二冊と加わって行く、と、少しずつシンフォニイは変調して行くのだ。その推移の情調が堪らない。

2013 8・4 143

 

 

* 夜中四時前にめざめて、そのまま『アイヴァンホー』上下巻のじつに行き届いた解説を読んだ。なかなかの読み物だった、十字軍で健闘したリチャード獅子心王からつづくジョン王への時代背景は、イギリスという国の中世初期の複雑な建国事情にあり、よく分かっていればいるほど物語もよく面白くわかる。懇切に行き届いた解説が上下巻に相当量あり、まずはそれをとても面白く興深く読んだ。

また兄恒彦が聴き取り役の『五条坂陶工物語』も半分以上読み進んだ。

2013 8・5 143

 

 

* 天神さん、菅原道真というと「梅」がつきもの、どんな像にも繪にも「梅」一枝を添えるのがいわば礼とすらされてきた。「こちふかばにほひおこせよ梅の花」の歌が大きな一役を買って広く信仰されたのだ。

だが菅公、じつは梅に何倍して「菊」を「酷愛」していた事実を幸田露伴はこくめいに考証していて露伴朗々の筆致とともに大いに楽しめる一文が『露伴随筆集』上巻考証編の冒頭に出ている。露伴の文を愛すべく書き出しを少し掲げておく。

 

☆ 梅と菊と菅公と(冒頭を抄)  露伴 (明治四十四年四月)

世の菅公を画くもの、多くは添ふるに梅花をもつてす。おもへらく、菅公梅花を酷愛す、菅公を画く、すなはち梅花を画く無き能はずと。菅公祠また多くは梅をその境内に植う。素影寒香、遺徳とその芳を儔(たぐ)ふ。けだし士民の公を仰慕するもの、公が梅花を愛するの故をもつてこれを献じてもつて崇敬の意を致さんとするに出づ。公の実(まこと)に梅花を愛する、東風(こち)の歌これを証す。画裏に一枝を添へ、祠畔に数株を植うる、また皆拠るところ無しとすべからず、可なりといふべし。而して公の菊を愛する甚だ深きことに至つては、世の人これを談る稀に、画像祠廟、依籬倣霜の花を見る有るなし。公実(まこと)に梅を愛す、また実(まこと)に菊を愛す。世ただ公の梅を愛するをいつて、公の菊を愛するをいはず。ここにおいて公と梅花と相得る千余年にして、公と菊花と相得ざるもまた千余年ならむとす。公の情の菊におけるも酬はれず、菊の神の公におけるも恨有りといふべし。

 

* 漢詩人菅公の詩作の割合はるかに梅より多く菊を詠嘆し愛好している実例を露伴は着実に拾い採って自説を美しくかためているのが微笑ましい。

わたしは梅も菊も、もとより桜も愛している、いやいや花というをそれらの葉の美しさと倶に「酷愛」している。いまわが家の手洗いには唐銅の瓶に「蔦の葉」がそれは凛々しく映えている。

 

* いま私の枕べには、そして毎夜就寝前には必ず読んで楽しむ文庫本は、新たに加えた此の「露伴随筆集」またスコット「アイヴァンホー」のほかに順不同アポロドーロス「ギリシア神話」ミルトン「失楽園」ゲーテ「イタリア紀行」ジンメル「断想」「カントとゲーテ」ツルゲーネフ「猟人日記」トルーキン「指輪物語」レマルク「愛する時と死する時」また「後拾遺和歌集」馬琴「南総里見八犬伝」高田衛「八犬伝の世界」さらに「荘子」「臨済録」。文庫本以外の全集本、単行本もバグワンの講話その他十册ほどが枕元で手の届く書架に揃えてある。二、三頁ずつないし十頁ほどは全部読む。なんら混乱しない、妙なるシンフォニイとして楽しませてくれる。

創作し、ホームページにさまざまに日記を書き、薬をのみ酒をのみ、杖をついて癌細胞をなだめるために一時間半掛けて都心の病院に通う。烈しかった味覚障害は治まってきたが、抗癌剤の副作用で眼は半眼の不自由蔽いがたく、歯はつごう六本も欠け落ちた。立ち向かうだけのこと。疲れれば寝る。生きているのは楽しい。

 

* わらってしまった。

 

☆ 十訓抄 上三の六に

ある人の家に入りて、物乞ひける法師に、女の琴ひきてゐたるが、「これを今日の布施にて、かへりね」といひければ、

ことといはばあるじながらも得てしがな

ねはしらねどもひきこころみむ

この乞者は「三形沙弥なり」と、人いひけり。

 

* 絶妙の即答、述懐ではありませんか。かかる和歌、和する歌、の至妙の醍醐味を、まちがっても猥褻などと言うなかれよ。「三形沙弥」は万葉歌人で女好きの三方沙弥のことかと推量されている。

もう一つ。

 

☆ 十訓抄 上三の二

匡房卿、若かりける時、蔵人にて、内裏によろばひありきけるを、さる博士なれば、女房たち侮りて、御簾のきはに呼び寄せて、「これ、ひき給へ」とて、和琴を押し出したりければ、匡房とりもあへず、

逢坂の関のあなたもまだ見ねば

あづまのことも知られざりけり

女房たち、返しえせで、やみにけり。

和琴をば、あづまのことといふなり。

 

* これは先のほど笑わせてはくれない、なまいきな女相手に男の色気がない。第一博士匡房ならこれくらいへっちゃらの即妙。

けど、「即妙」 縦横に読みとれますか。

こんな二つの若の読みなど、大学の入試に出してみたいなあ。

わたし、しかかりの小説に花をそえたいと、セクシイなないしは助平な和歌・短歌をあっというまに百五十以上も詠みました。身は病にやせ細ったけれど、七十七翁の色気溢れています。一つ二つでも此処にと思うたが、沙弥や匡房卿の絶妙に比べられてはあんまり露骨なので、やめておく。

2013 8・6 143

 

 

* 興膳京大名誉教授より戴いた「荘子 内篇」を、原文と詠み下しと詳細な註と現代語訳、どれも省かずに克明に読んで行くおもしろさ、ときにぶちのめされるほどの畏ろしさ、尽きぬものがある。「老子」はあまりの深淵で跳び込むのが真実怖いが、「荘子」は譬え話の達人でもあり、話に存分に惹きいれてくれるが、そこで甘えると容赦なく突き飛ばされる。生意気に突っかかりつつ謙遜をきわめて近づき、ぱっと分からねばならぬ。

「大知は閑閑たり、小知は間間たり。大言は炎炎( たんたん) たり、小言は  (せんせん)たり。」「大きな知恵はゆったりとしているが、小さな知恵はせせこましい。大きなことばはあっさりしているが、小さなことばはやかましい。」

「ゆったり、あっさり」と真実願いながら、つい「せせこましく、やかましい」我が身を省みて刻まれるように身も心も痛む。バグワンに叱られ続け、今度は荘子にコツンコツンと痛い目を見つづける。情けなくて、有難い。

 

* 十訓抄からおもしろい和歌を書き出して、その読みは控えておいた。とても読み取れないと言うてくる人もいた。ま、ゆっくり翫味して下さればよい。

毎晩、いまは「後拾遺和歌集」をあけて、ちょうど「雑五」の巻を読んでいる。まえに「千載和歌集」を読んで撰歌したのを「湖の本・千載和歌集と平安の女文化」上下巻として出版したが、千載集の歌に前詞・詞書のあるのはむしろ少数。後拾遺集では殆ど全歌にちかく前詞がついていて、作歌の事情とともにその当時の生活様式や感情や人間関係や交情・交際の機微が汲み取れる。わたしは撰歌のさいは概してこれら前詞は見捨てて和歌一首の美と真実とを汲むのだけれど、後拾遺集でそれを強行すると歌の妙や情が薄まってしまう。前詞のなかに強いて謂えば掛けが得ない時代の相と文化の質が見えてくるから。

それにしても、もうかなり概念化している四季の歌にくらべ、恋そして雑の歌は面白い。まさに、王政ならぬ王朝藤原時代の肉声がとびかって聞こえる。

何度もいうが、こうした勅撰和歌集の歌人達は、九割九分九厘が貴族の男女であり、政治家や行政官と地位において匹敵する女性達なのである。

いまの時代、真似事ほどの俳句らしきを弄くる宰相の噂は聞いたこともあるが、明治大正昭和平成の政界人たちで詞華集を一冊となれば見窄らしい限りでとても成るまい。成らなくても恥じる必要は、ま、無いとする。しかし、かわりにどれほどの政治や行政で民を幸せにしてくれたか。あまりにあまりに貧しい。政治の舵はいましも地獄の駅へ向いて切られている。

2013 8・8 143

 

 

* 一昨六日、レマルクの長編『愛する時と死する時』を読み終えた。凄惨な物語でありながら清純と謂いたいほどに人間の切なさが描き尽くされ、忘れがたい体験を得た。なにかのつど、思い出さずにはおれまい、この作品を思い出させずに措かないような「不幸」には出逢いたくないものだが。

2013 8・8 143

 

 

* 近藤富枝さん、眉村卓さんから、新刊の著書が贈られてきた。 2013 8・9 143

 

 

* 京都の廣瀬さん、むかしに兄と職場をともにしていた方に頂戴した、兄・北沢恒彦のインタビュー対談本、『五条坂陶工物語』を異例のはやさで読了し、しみじみといま、亡き兄の「えらさ」「たしかさ」に尊敬と思慕を加えている。兄の著書の一冊二冊には触れてきたが、この藤平長一という五条坂陶藝店街の大立者を向こうに回しての兄の「つっこみ」は、周到で鋭敏で深刻に建設的で感動に満ちていた。兄は当時京都市役所の一角に身を置き、中小企業経営の「歩くコンサルタント」として市の内外に知られていた。

大昔になるが、わたしたちが実の兄弟であると知って驚いた人たちは、また一様にわたしに向かい、北沢さんは「えらい人ですよ」と教えてくれた。真継伸彦さんも小田実さんも井上ひさしさんも、そうだった。

不幸にしてわたしは兄について生まれながら何も知らず知らされず、二人ともそれぞれよその家で育っていたのである。五十近くになるまで顔を見たことも無かったのである。

兄のことを知りたい、しかし、自分のハートで知りたいと願ってきた。だが、沢山な手紙、晩年のメールのほかは、数回しか逢ったことがない、そして兄は自殺しましたと遺族に聞かされた。わたしは死に顔をみに行く気になれなかった。酒を酌んでの大勢の思い出話を聴く気もなかった。

もとより今度読んだ本は、兄の死より以前、一九八二年・昭和五七年の真夏に出版されている。わたしは中日・東京新聞ほか新聞三社のために連載小説『冬祭り』を書いていた。もう、兄との郵便等の交際ははじまっていた。

兄はこの本で、章の移るに際し述懐の短文をこまめに挟んでいて、そしてさいごの最後に「蛇ケ谷を歩く」という長い締めくくりを書いている。そこに兄の素顔も肉声も思いも強さと優しさもよく表れていて、わたしは熱い共感と共に巻をおくことが出来なかった。

清水焼という。広義に歴史をふまえれば三條粟田から清水坂、五条坂、日吉蛇ケ谷、泉涌寺、そして今では山科も含めた広範囲が「清水焼」の名を歴史的に負うている。その中に、作家がおり商人がおり陶工たちがいる。藤平氏らの五条坂は主として陶商人の世界であり、他種類の手工藝に汗みどろに働く陶工の世間もある、蛇ケ谷(山科)は根拠地だ。だが、文化勲章や人間国宝に値する知名の大作家たちも清水坂その他に厳として屹立している。三者の関係はなかなかに難しいのである、そのような一端はわたしも二度三度小説世界へ取り込んでいる。だから、猛烈に懐かしい。懐かしい兄の肉声をわたしは存分に聴いた。嬉しかった。

2013 8・10 143

 

 

* ツルゲーネフ『猟人日記』上下巻をこよない読書のよろこびと賞賛とで読み終えた。ロシアの、人と自然の悠久の美。トルストイの『復活』に描かれた自然の豊かな美しさとともに、至極の双璧。そしてこれらは、目にしみいるリアルな表現。

これらと異なる壮大なファンタジイ、トールキンの『指輪物語』の大自然を描き出すみごとさにも、感嘆を惜しまない。胃癌の手術をおえた昨年二月下旬から読み始め、一昨夜第七巻を読み終え、昨夜から第八巻「王の帰還」上に入った。

ル・グゥイン『ゲド戦記』、マキリップ『イルスの竪琴』と、このトールキンの古典的な『指輪物語』だけで、ファンタジイの名作は、わたしには、もう、十分足りている。

 

* 近藤富枝さん九十歳の、十五年戦争を青春期として懸命に生きた自伝は、練達の筆と気迫とで迫ってくる。このところ『少年・H』が評判高いが、近藤さんの気概は、女傑長谷川時雨が遺した『日本橋界隈』の粋とと意地をうけながら、無残な戦争と力づくのアメリカへのむきだしの憎悪をすら活力にし生きてきた女魂の結晶である。近藤さんが、JOAKのアナウンサーだったり、南美江と同期の女優の卵であったりしたこと、初めて知った。とても九十とは思われない、ご本人もいつも口癖に実年齢より十五歳若く自信の齢を数えてられる。つまり今は「七十五歳」ですと。それじゃ七十七のわたしよりも若いことになる、わたしは六十二になろう。東工大教授を退官してきたあの頃のつもりで楽しもう。

わたしは、いつも楽しみを楽しもうと言う。日々に「交響する読書」も知識への勉強なんかではないと言っている。近藤富枝さんは、ちがう。本を読んでますます勉強すると言われる。この場合になど、「スゴイ!」が当てはまる。

2013 8・11 143

 

 

* 後拾遺和歌集の初選を終えた。最初はどんどん採っている。次選はかなり慎重に選んで行く。おもしろい歌集で、ついつい前詞から読んでしまうが、わたしの基本姿勢はあくまで和歌一首一首としての立ちざまを見る。

2013 8・12 143

 

 

* 世界陸上で一時までも観ていたが、堪えきれず床へのがれたものの、さらに一時間半ほど本を読んでいた。

アポロドーロス「ギリシア神話」では、あのオイディプス王の悲劇にちょうど到達、やっとわたしの脳裏にかすかに蓄えられていた神話に手が届いたのだ、はたしてこれはまだなお神話なのか、もう人間生死の悲劇であるのか、さだかな区切りなど見えようもなく、第三巻のⅤまで読んできた。此処までひたすら「読む」に執し、「ことわけの理解」は犠牲にしてきたが、その内容を「目次」をひらいて納得しようとしたところ文庫本目次の中途までで詳細に八頁もある。いま右から左へちょくっとスキャンし校正できる分量でないことに改めて驚嘆した。しかしこの岩波文庫版の「ギリシア神話」目次はコピーしておくと展望がひらけること間違いない。

なんという面白いヤツなのであろう、かかる「神話」を創作してきた「人間」というヤツは。この人間達は、この「人間というヤツ」が面白くて面白くて堪らなかったのだ。同時に、彼らはこの「面白い人間というヤツら」が、「神」というファンタジイとして登場しているのか「底知れぬ偉大で異様な自然」であることをよく知っていたのだ、のちのちの凡庸で感激屋の人間達よりも、遙かに。

 

* 中世のミルトンは、そういう人間と自然との創世のいとなみを深く洞察し得ていた希有の天才であった。「失楽園」第二巻を読み進んでいるが、この数日の叙事詩の進行は、これこそ「もの凄い」。

「悪魔サタン」の体内に秘められた「運命」が、暗黒の「夜」を産み「混沌」を産み「恐怖」を産み「罪」を産み「死」を産み、そのすべての分母かのように「偶然」が在ったと謳いつづけている。その壮大と深淵と恐怖はまさに「もの凄い」。それらの詩の大業を一部なりと

此処に挙げてみたかった希望も萎えた。そんなことをしても所詮「人間」は「人間のかかえた運命」を免れることはない、それが「自然」という偉大な偶然の教える必然なのであろう。

 

* 「ギリシア神話」にも「失楽園」にも、わたしはいずれはね返されるだろうよと、言い替えれば退屈して投げ出すだろうよと感じていたが、さにあらず、これらは「旧約聖書」「フアウスト」らとならんで、まだ出逢わぬダンテ「神曲」とならんで、途方もない真理への書であったと、いましも気づきかけている。

かかる「気づき」より大事な「気づき」はなかなか在るものでない。

2013 8・13 143

 

 

☆ 十訓抄 三ノ十六より

その人にあらずして、その官に居る。これを少人といへり。

少人の官にある、しばらく闕けたるにはしかず。 ( むしろ欠員のほうがまし。)

まことに累世清花の人なりとも、器量の及ばざらむには、氏を継ぎがたし。少人とは、年の若きをいふにはあらず。才の愚かに、慮りの短きをいふなり。

 

* 違憲内閣の総理、副総理のことらしい。

2013 8・14 143

 

 

* 家の中にいてなお暑さに疲労するのか、ぐんにゃりの一日だった。何に向かっても意欲が萎え、向かうという気概が折れていた。熱中症か。冷房の下で横になっては岩波文庫を次々に読み、疲れたら寝てしまう。

2013 8・14 143

 

 

* バルザックの「ツールの司祭」を読み終えた。怖くも凄い小説とは、これ。お化けの怪談などモノの数ではない、登場する「人間」どもの敵味方もなく混雑した陰険な我意・我欲にひとかたまりに陥りながら、ひとりのただただ哀れな善良無能敗者の助祭ビロトーと、冷酷無比の鉄面皮勝者トルーベール強権司教との彼我天と地の大落差が、おのずからな「人間の喜劇」を辛辣に歌いあげる。バルザックならではのもの凄さで、200枚ほどの中編ながら肌に粟が立った。もし不快をあえて怺えてもまさにもの凄く面白い残酷小説を読んでみたい人には一読を奨めたい。この作の一等強い深い動機は、バルザック当時のカソリックや修道会への厭悪に満ちた批判がある。それを読み取ることは、この近代文学へむかう最低限の義務である。

 

* 『臨済録』は大半にあたる「上堂」「示衆」を気を入れてつくづく読んだ。あとへ続く「勘弁」「行録」等のまさしく禅問答へは近寄れない、近寄る必要を目下感じない。

「臨済」は黄檗の嗣である大禅師。『臨済録』は後年「臨済宗」という宗派の教本では、ない。あくまで傑出した禅僧臨済の肺腑を衝いて出た大喝であり、「上堂」「示衆」の仔細を尽くした岩波本の本文も入谷義高氏の訳註もまことに有難い恩恵である。同じ『臨済録』をはるか昔に同じ岩波文庫の旧版で読んでいるが、その頃と今回との間にわたしには謂わば「バグワン体験」の生彩を得ていて、おかげで、しみじみ臨済の「ベランメエ」に打たれ続け、かつ自由に接することが出来た。至言・罵言にかかわらず言句になんら拘泥せずに、わが「ありのまま」を真っ白にやすやすと生きたい。

『荘子』の追い打ちも容易でない。

「ひとたび持ちまえの肉体を授かったからには、損なわぬよう大切にして生の尽きるのを待とう。事物に逆らったり流されたりしながら、奔馬のように走りまわってとどまるところを知らないなんて、何とも情けないじゃないか。 一たび其の成形を受くれば、亡わずして以て尽くるを待たん。物と相い刃(さから)い靡き、其の行くこと尽(ことごと)く馳するが如くにして、而も之を能く止むるもの莫し、亦た悲しからずや」と。

「最後まであくせくとしながらそのかいもなく、ぐったりとしてこの先どうすればよいかも分からないなんて、何とも哀れじゃないか。 終身役役として其の成功を見ず。 然(でつぜん)として疲役して其の帰する所を知らず、哀しまざる可けんや」と。

「あるがままの心を師としさえすれば、師のない人なんてあるもんか。変化の筋をわきまえて自分で悟る者だけに師があるんじゃなくて、愚か者にだって師はあるもんだ。あるがままの心によらずに是非をあげつらうのは、遙かな越(の国)に今日旅立って、昨日着いたというようなものだ」と。

今一度臨済と、そして入谷氏とに聴く、「修行者たる者は大丈夫児(男一匹)としての気概を持て」と臨済は叱咤するが、それはなにも「昂然と頭をもたげ両手を振って闊歩せよなどと教えているのではない。ただ『平常無事な人』であれというのである。そういう生き方こそが、まさに偉丈夫の在りようなのだと繰り返して説く。『ただただ君たちが今はたらかせているもの、それが何の仔細もない(平常無事なものであること)を信ぜよ』と。臨済が強調する「真正の見解 (: けんげ) とは、端的にはこのことに尽きるのであり、『自らを信ぜよ』という教えも、このことに集約される」と。

臨済はしばしば、「仏」とは「おまえ」だと言いきっている。バグワンもそう言う。哲学などなまじ嘗めてきたものは、この「仏」とは「おまえに内在した神格・別格の存在」かのように理解してしまいがちだが、臨済もバグワンもそんなファンタジイを言うてはいない。まさしく言葉通りの「おまえ」が「仏」だ、「仏」は「おまえ」だと言うているのであり、その「ありのまま」を信ぜよと言うている。この機微の差をまぜこぜにしてはならない。

 

* 哲学者ジムメル(1958-1918 )は『断想』に、こう言っている。

「人類の苦痛が殆んどその哲学の中に入つてをらぬのは不思議である」と。

苦痛ほど普遍的な受苦はないのに。今日の人類があまりに耐え難く苦痛に喘いでいて、しかもただ右往左往の他にない理由は、これか。彼はさらに言う。

「慰めという概念は普通人々がこれに意識的に与へてゐるよりも遙かに広く深い意味を持つてゐる。人間は慰めを求めてゐる存在である。慰めは救助とは異るーー救助は動物もまたこれを求める。  一般に人間を救ふことは出来ない。それ故にこそ人間は慰めといふ不思議な範疇を作り上げたのである」と。

無視できない洞察である。

ジンメルは、また言う。

「何処であれ他国で暮すことは言葉に尽せぬ幸福であるーーそれは吾々の二つの憧憬即ち漂泊に対する憧憬と故郷に対する憧憬との綜合ーー生成と存在との綜合であるから」とも。

他国という名の外国で暮らしたことがない、が、荻生徂徠が「江戸は旅宿の境涯」と喝破していたにちなめば、わたしも妻も五十年どころでなく他国の東京に暮らしながら故郷京都や千里山を想っているわけで。さ、即ち「幸福」であるかどうかは即断しかねるけれども。

2013 8・16 143

 

 

* 晩は、宵のうち、十册ほど文庫本を読み、そのあとはもっぱら世界陸上を楽しんでいた。朱夏のご機嫌に逆らってみても始まらない。ゆったりと休息もいいではないか。乗り物に乗って遠いところへ汗だくで往来しなくても済む、夜更かしも朝寝もだれに迷惑もかけずに済む、有難い。

2013 8・18 143

 

 

* 「荘子」の物言いは、簡約を極め、自力で読み解くのは容易でない。意おのづから通じるまで、千遍で足るかな。

ジンメルの「カントとゲーテ」には組み付いている。ジンメルの論調も容易でないが、翻訳者の日本語もはなはだ難儀。カントとゲーテだから魅されて読み続けているが。

「アイヴァンホー」は、小学校でひとに借りて読んだ少年向きの要約本のほうがはるかに血わき肉おどった。原作のすすめかたは張り扇の音がしそうなほど大げさで通俗。だがまだまだ話は序の口、せっかちになる必要はない。アイヴァンホーが、アイヴァンホーとしてまだ登場していない。

大長編の「指輪物語」は読めば読むほど、美しく清い。希有の名品。語られているのに語り手は影も見せない。これにくらべ「南総里見八犬伝」には語り手独特の過剰な饒舌がくさみを催している。

アポロドーロスの「ギリシア神話」、ミルトンの「失楽園」 ただただ感じ入る。暑さに負けそうなのを奥の奥から鼓舞されている、不思議でならぬほど。

不遇に生きた俳人「杜国」と師の芭蕉らとの詩情世界を、露伴はこまやかに思いふかく克明に考証している。清水に身をひたすように愛読している。

そして「後拾遺和歌集」の二度の選を「恋」の部に進めている。想ったとおり、いや想ったより以上に興をふかめている。和歌はよほどわたしの性にあうらしい。

そしてゲーテ「イタリア紀行」 この仕事が近代藝術の理解のためにもいかに基礎を成してくれていたか、しみ通るように分かってきた。

2013 8・20 143

 

 

* ニュースというニュースに朗報などまるでなく、福島原発の際限ない汚染水のダダタダ洩れといい、日台の漁場線設定のあまりに無策でひどい政府の姿勢といい、秋田書店の景品インチキ暴露といい、情けないことばっかり。

宵のうちに、黒いマゴと寝床にならんで、本を読んでしまった。「アイヴァンホー」第八章へ来てそろそろ本舞台に。この物語では、あの十字軍に勇名を馳せたリチャード獅子心王や、その弟でとてつもないイヤなやつであったジョン王らの行業が、線の太い下敷きになる。イギリスという国は、まずサクソンが立国し、しかしフランス系のノルマンが乗り込んできて王朝を築いていった。言語も風習も豪族たちも、サクソン系・ノルマン系が混雑し混淆してイングランド英語が成っていったという。お堅い歴史書では汲み取りにくい、そういう時期のイギリス事情をおもしろく分かって行くには、この小説はいい案内役ともいえる。なによりもこの国のこの当時の「森林」のもっていた意味がよりより具体的に興味深く知れてくるはずだと期待している。

2013 8・20 143

 

 

* 前の京都博物館館長興膳宏さんから、筑摩の文庫『荘子』外篇、雑篇を頂戴した。内篇との差異はたいへん大きいが、それなりに内蔵している歴史的・思想的座標は意味深長。世紀前にすでに成されていた中国思想の厖大な山脈群の葛藤のすさまじさも読み取れることと有難く期待している。

2013 8・24 143

 

 

* 「死亡消費税」の提唱者がいる。人が死ねば即座に遺産(動産つまり現金か)の消費税率を強制的に先ず徴集後に「相続」手続きが始められると。貯金を使わなかったことで国の経済に寄与しなかったのであるから、この程度の納税は当然だという理屈。老人が金銭をむやみに費消したくも出来ないのは、それだけ政治が貧しく道に逸れており、またいかなる天災人災に襲われるか知れず、不安を抱きかかえてかつがつ用意をしてきたのではないか。社会福祉がみごとに成り立っている国家社会と現今日本とは雲泥の悪差があればこそ、懸命に人生の対策をしている。

こんな思いつきの悪策が安倍「違憲」政権への阿諛迎合の形で提唱されてくる、それそのものがまさに私の予見する「迫る、国民の最大不幸」兆候の一つということ。福祉の恩恵に与り得ない国民は、要注意である。死んで行くのは老人に限らないのだ。若い人たちにも「死亡消費税」は一律ふりかかるとすれば、遺族の生活はどう立ちゆくのか。

 

* こんな次代の濁流に流され怒り歎きながら、他方でわたしは、例えば『荘子』内篇の「養生主篇」の一部こんな訓み下し文を、楽しんで、かつ読み煩い、かつ思い感じ、そして編者の現代語訳を読んで楽しみ、また読み惑い、呻き、唸り、しきりに思い感じ、楽しむのである。

 

☆ 荘子 より一部本文を引く。

四  今且(そ)れ此(ここ)に言有り。其の是(これ)と類するや、其の是と類せざるやを知らず。類すると類せざると、相い与(とも)に類を為せば、則ち彼と以て異なること無し。然りと雖(いえど)も、請う嘗(こころ)みに之を言わん。

始めなる者有り。未だ始めより始め有らざる者有り。未だ始めより、夫(か)の未だ始めより始め有らず、も有らざる者有り。有なる者有り。無なる者有り。未だ始めより無有らざる者有り。未だ始めより、夫の未だ始めより無有らず、も有らざる者有り。俄かにして有無あり。而も未だ有無の果たして孰(いず)れか有にして孰れか無なるを知らず。今我則ち已(すで)に謂える有り。而も未だ吾が謂う所の其れ果たして謂える有りや、其れ果たして謂える無きやを知らず。

 

【編者現代語訳】

いまここで一ついっておきたいことがある。これが一般に行なわれる議論と同じたぐいのものか、それとも異なったたぐいのものかは分からない。同じたぐいにせよ異なったたぐいにせよ、それが一つのたぐいをなすという点では、一般的な議論と何ら変わるところはない。とはいえ、やはりひとまず述べてみることにしよう。

ものごとには始めということがある。またもともと「始めということ」はないということがある。またもともと「始めということはないということ」はないということがある。有ということがあるし、無ということがある。またもともと「無ということ」はないということがある。またもともと「無ということはないということ」はないということがある。こうして有と無はいきなり現われて、しかも有無のいずれが有でいずれが無なのかは区別がつかない。いま私(荘子=)はすでに一つのことを述ベてきたわけだが、私が述べてきたことが果たして 「述べた」 ことになるのか、それとも「述べた」 ことにならないのかは分からない。

 

(此処まででは我ながら気の毒ゆえ、一段落までを挙げておこう。)

 

この世界で秋の獣の毛先ほど大きなものはなく、泰山なんてちっぽけなものだ。幼くして死んだ子どもほど長生きの人はなく、(長寿で知られた=)彭祖なんて若死にもいいところだ。かくて天地は私とともにながらえ、万物は私と一つの存在となる。

すでに一つの存在となったからには、その上さらにことばを加える余地があろうか。だがすでに一つの存在といったからには、そこにことばがないといえようか。一という存在とそう述べたことばとで二になり、二ともとの一とで三になる。それから先は計算の名手でも数えきれず、まして凡人ふぜいでは及びもつかない。このように無から有に進んでさえ三に行きつくのだから、有から有に進むとなれはいったいどういうことになるだろう。進むのを止めて、真の是(ぜ)=(斉物の理)に従うほかはないのである。

 

* 蜘蛛の巣にひっかかったような有様だが、脱けて出る道がなかったわけではない、だからこそしたたか思い感じ、惑い呻き唸って、そのわたしの「ありのまま」が楽しみ尽くせるなら荘子は身の側へ来てくれている。

それに、こういう「語法」そのものの面白さに馴染んで行くのも「いい」ものである。

上に挙げたのは、いうまでもない原文ではない。原文は漢字だけが並んでいて、上を参考にすれば曲がりなりに読めないわけではない。前半だけを引いて置く。

 

今且有言於此。不知其與是類乎。其與是不類乎。類與不類。相與為類。則與彼無以異矣。雖然。請嘗言之。

有始也老。有未始有始也者。有未始有夫未始有始也者。有有也者。有無也老。有人始有無也者。有末始有夫未始有無也者。俄而有無矣。而未知有無之果孰有孰無也。今我則已有謂矣。而未知吾所謂之其果有謂平。其果無謂乎。

 

* ま、幾らか楽しすぎますと音をあげておく位がいいのであるが、こういう漢文調とでもいう調子をわたしは音楽的に昔から好んできた。その幾らか身に付いた好みのママに、この難儀な『荘子』から数千年後、明治の幸田露伴の和文調とはとてもいえない漢文調の美味を、いま、『荘子』と同時にわたしは満喫し愛誦し味読している。

いま、その本文、一例ながら長編に属する露伴随筆の考証篇「白芥子句考」を此処に挙げてみようとした、が、時計の針はすでに「明日」を間近にさしている。これは、眼のためにも休息が必要となった。

2013 8・26 143

 

 

* 芭蕉にとって杜国という弟子は、よくよくの存在であった。その杜国を念頭の芭蕉の

贈杜国子

しらけしにはねもぐ蝶の形見かな

の句を「題目」に、幸田露伴は長編の考証を試みていた。杜国は芭蕉に関心有る読書子にも研究者にも無視しがたい「とくべつの弟子」なのである。気概のこもった露伴烈々のかつ周到な論攷である。『露伴随筆集』考証篇を、ここずうっと楽しんで毎日読んでいる。

 

☆ 白芥子句考 (部分)    幸田露伴

 

(前略)  いざさらばの句は名古屋熱田あたりにての句なること猜(さい)せらる。しかる時は杜国(とこく)ひそかに保美(ほび)を出でたるか。はた文通などにての聯句か。今ただ疑(うたがひ)を存するのみ。『俳家奇人談』 には、山田の凉菟のすすめによりて支考蕉門に入るといひ、『俳詣年表』 には、元禄三年支考始めて芭蕉に謁すといふ。越人が言、信ずべし、後出の書は考(こう)に資すべきのみ。

師走十日あまり、芭蕉名古屋を立ちて故郷に帰る。臍の緒に泣きしはその年の暮にして、寐忘れたる元日の貞享五年は来りぬ。去冬の約あれば、越人がいはゆる松を抜くの芭蕉が力に催されて、杜国はひそかに保美をぬけ出でぬ。三河と伊勢とは、陸には尾張を隔てたれども、渥美の海は連なる伊勢の海、もしそれ東風(とうふう)吹くも北風(ほくふう)吹くも、一帆(いっぱん)まぎりて駛(はし)らば、いと易く宮川尻大港(おほみなと)に着くべく、大港より山田は幾干(いくばく)もあらず。山田より伊賀へは、松阪を経て上野へ、

難かるべき路にもあらず。杜国は芭蕉をその居(きょ)に訪へるなるべし。『笈の小文』 には、「伊良古崎にて契り置きし人の伊勢にて出迎ひ」と見えたれども、そは、「弥生半(やよひなかば)過ぐる程そぞろに浮立つ心の花の我を道びく枝折(しおり)となりて」と筆をあらためて書起したるままの文の都合にて、まことは師は居て待ち弟子は往きて就きしなり。行路通信もすべて心に任せず、まして風を便りとする舟路をかけたる者と、山路を下り来る者との湊巧邂逅することは、いと難(かた)からん。すでに巴蕉もみづから『嵯峨日記』に、「我に志深く、伊陽旧里まで慕ひ来りて」と書けるにも実情は見えたり。また前に挙げたる惣七への文にも、「三月十九日伊賀上野を出て」と書出せるも考ふべし。ただ杜国が上野に到れるは、何時なりしか考ふべからす。しかれども『嵯峨日記』に、「百日が程、影の如く伴なひ、片時(かたとき)も離れず」とあるを思へば、四月五月の頃二人相別れたりと見ゆるをもつて、一月二月の頃、伊賀には入りしなるべし。この傍証には、芭蕉が

何の木の花とも知らず匂ひ哉

の句、『泊船集』には、二月十七日神路山(かむろやま)を出るとてとあり、『笈の小文』にはこの句の次に、

裸にはまだきさらぎの嵐かな

の什(じゅう)あれば、何の木が二月の句なるは明らかにして、しかしてこの句を首(はぢめ)として益光、又玄、平庵、勝延、清里らの歌仙一巻あるその中に、裏の第七句に至つて、野人の名をもつて杜国の

いねがてに酒さへなくす物思ひ

の句あり、

短冊のこす神垣の春

といふ同じ人の挙句(あげく)まで、

数句見えたればなり。江戸を出づる時より芭蕉には心構へ有りたれば、露沾公の

時は冬芳野をこめん旅のつと

のくだり、すなはちあらかじ芳野行(よしのこう)の企(くはだて)ありて杜国これに落合ひたるには疑無けれど、杜国と伊賀伊勢の間(かん)に吟行せる後、弥生半に至りて、花に浮かるる心の芳野行を思ひ立ちたるなり。されば乙考亭興行の歌仙にも杜国は参加せり。

紙衣(かみきぬ)のぬるとも折らん雨の花    芭蕉

澄みてまづ汲む水のなまぬる         乙考

酒売が船さす棹に蝶飛びて                     一有

板屋々々のまじる山もと                     杜国

夕暮の月まで傘を干しておく                      応宇

馬に西瓜をつけて行くなり                    葛森    (以下略)

 

* 論攷も至れり尽くせり、しかしわたしが楽しむ一のそれは露伴の文が奏でる音楽の花にほかならない。

 

* さて目先を替えて、十八世紀から十九世紀の作者スコットの『アイヴァンホー』が描き出す時代と舞台は、中世十一世紀のイギリス。イングランドに根をおろしていたアングロサクソンの勢力、それをノルマンフレンチがフランスから攻め入って征服する。征服王ウイリヤムであるが、小説のくりひろげる世界では、十二世紀、その玄孫獅子心王リチャードが十字軍に勇名を馳せていた留守に、性悪の王弟ジョンが専横を極めていた、ノルマン貴族がサクソンを圧して横暴を極めていた。サクソンとノルマンとの関わりようは英国文化史にあって興味深いものだが、『アイヴァンホー』は今一つの要因を作の世界に持ち込み、これが著しくわれわれの日頃もっている貧弱な観念を改めさせる。

すなわち、ユダヤ人の意義である。英国史としても無視できない重みをユダヤ人は実力と文化とで主張していた。極端な差別を受け続けながら、じつに燻し銀のような華やぎすら持ち備えていた。そのシンボルが美しい、聡いレベッカとして登場する。

ま、それはそれ。いまわたしが幾らか辟易し閉口しながら読み進んでいるのは、騎士道はなやかなノルマンやサクソンの騎士たちの会話なのである。これはもう、翻訳者菊池武一氏の思案を重ねての見解と理解とによるもので、わたしは原作の原語を知らない。

「ことば」゛への限りないわたしの興味やこだわりが働いてのはなしだが、すこしく取り出してみます。

 

☆ スコット作『アイヴァンホー』(菊池武一氏訳)より抄出

 

第三十章

 

部屋に近寄り、かれの床を見よ、

かれの永久の眠りは安らかなる霊の眠りにあらず、

安らかなる霊は、雲雀の大空に昇るごとく、

いとすがすがしき朝のそよ風、いと柔かき朝露に、

よき人々の吐息と涙に送られ天津み国にかけりゆく、

されどアンセルムはかく安らけく眠るあたわず

( --古劇)

 

寄せ手の戦いがまず思いどおりにいったあと、しばらくどよめきがおさまっているあいだに、一方ではなおも勝利を手に入れる用意をしているし、片方は禦(ふせ)ぎの手段(てだて)を用意していた。そのとき御堂(みどう)の騎士とド・ブラシは、城の広間で手短かに相談をしていた。

ド・ブラシは、それまで反対の側で砦の防禦を指図をしていたのであったが、御堂の騎士にいった。

「フロン・ド・ブーフはどこにいるのじゃ。殺られた、と人はいうておるが」

騎士は冷然と答えるのであった。

「いや、生きている。まだ生きている。じゃが、その名前どおり牛の頭をつけておっても、なおおまけに鉄の板を十枚もかぶってそれを守ろうとしても、あの命取りの戦斧(おの)にかかってはやられてしまったにちがいない。もうあと何時間かしたら、奴もご先祖さまのところにいっている--王弟ジョンさまの企ても、強い腕をもぎとられてしまったものじゃ」

「そして悪魔(サタン)の王国にはすばらしい加勢が一つふえる。これというのも聖者や天使の悪口をいったり、神聖なもの、神聖なひとびとを、あの無頼の平民どもの頭上に投げかけるよう命じたりしたからのことじゃ」

「まあ待て、そなたは愚(おろか)ものよのう。おぬしのその迷信は、フロン・ド・ブーフの不信心と同列じゃわい。おぬしたちはどっちも、おぬしたちの信ずるのも、信じないのも、そのわけをいうことはできぬではないか」

「おいおい、御堂の騎士どの。拙者のことをいうときは、そなた、もうちっとことばをつつしむがよい。聖なる母にかけても申すが、拙者の方が、そなたやそなたの仲間より、よっぽど立派なキリスト教徒じゃ。意地の悪い噂がとんでおるぞ。シオンの御堂の聖なる教団は、少なからぬ異教徒をその胸のなかにかかえておるとな、そしてサー・ブリアン・ド・ボアギルベールはそのなかの一人じゃ、とな」

「そなた左様な噂に気をつかうのは無用なことじゃ。じゃが、それよりも、城をどう守りとおすか考えようではござらぬか。おぬしの守っていた方では、あの下司の平民どもの戦いぶりはいかがでござったかのう」  (以下略)

 

* いまどき、通俗読み物の時代物ならしらず、こういう会話を文学の作で読むことは、まず無い。

とはいえ、この物語の世界は日本で謂えば源平が相闘って平家が壊滅した時期に当たっている。そんな時代の文学を現代人にも分かりよく翻訳するには、いつも大変厄介な問題をかかえる。会話である。直接話法のリアリティである。わたしはこの「アイヴァンホー」と同じ時代の十二世紀小説を幾つか、もっと古い大和時代、奈良時代、平安時代の小説も書いているが、会話は端的に今日の語法で通した。枕草子を現代語に訳したときもそうした。それが最善なのかどうか正直の所分からない。「アイヴァンホー」翻訳に生涯をかけられた菊池氏のご苦心を想えば、思わず唸ってしまうのである。

それにしてもこのロビンフッドも活躍するこの『アイヴァンホー』はたわい無げな物語と見えて、じつはしたたかに計算の良くできた、構築術のたしかな堅固城のような力量に支えられていて、けっして軽く見ていいものでない。

同じスコットの『湖の麗人』も楽しみにしているし、思い切って『三銃士』なども読んでみようか知らんと思っている。

 

* 昨日の歯医者の帰りには、ブックオフで『三銃士』も見つけていたが、買って帰った一冊は、中村元訳のスッタニパータ、即ち『ブッダのことば』でした。

2013 8・27 143

 

 

* 実行はしなかったが、周到な計画で人を殺そうと考えに考えつくした者がいて、はたして彼は殺人の罪をとわれぬ「無実の者」であるのか、どうか。

実際に殺人を犯しながら罪を免れていた大富豪の、その娘を熱愛している若者が、はからずも大富豪の犯していた過去の罪を知ってしまいながら、娘への純真な熱愛とまた娘の父の巨億の財の魅力ゆえに切に結婚を望むのは、果たして不当・不徳な願望であるのか、どうか。娘の父は若者の目前で不慮の死をもう遂げてしまっているのだ。

こんな「二つの難問・難題」を巧みに「一つ」の物語に構成して読者をまた悩ませるのが、一九世紀前葉に書かれているバルザックの短篇「赤い宿屋」。

それぞれの一つだけを類似の主題にドラマを書いてもおもしろいが、二つを緊密に組み合わせる離れ業もおもしろかろう。

どうですか、ドラマ作者君よ。

 

* わたしはというと、目下のところ、よほど違う角度から「生きる」難しさに呻吟している。

さきに紹介した『荘子』の内篇は、この日録を読んだ妻がおもわず嘆息を漏らしたように、文に即して意義を解いたりするのは確かに「難しい」限りであるが、根本に触れてしまっていれば、例えば思議せず分別せず自然ありのままに生きるのがいいのだとでも一筋の藁を掴んでみると、心をむなしくしてただ掴んだ力に引き摺られて行くといった見込みも無くはない。しかし知識として受け容れては何にもならない。

 

* 『ブッダの言葉 スッタニパータ』は、釈尊の教え・言葉としては学問研究の至り着いた最奥の理解として、シャカのほぼ直接話法に最至近と信じられる「言葉」だという。仏教といえばまた仏経と応じてしまうほど無数の経典が伝存しているけれど、その九割九分九厘はシャカその人の死後何百年を経つつ創作されていったまさに「仏教経典」であり、すなわち釈尊の「言葉」とは謂えない、わたくしの理解と断定によって謂えばみごとな「ファンタジイ」に他ならない。それら経典の多くを擁したいわゆる大乗仏教がブッダであるシャカの教えとはよほどもよほどもかけ離れていて、まして日本でこそ成熟し大成した日本型の仏教は、極端なとことわる必要もないほどお釈迦様のもともとの教えからみれば変貌し、変容し、修飾され、荘厳されている。だからつまらないなどとは、わたしは決して云わない。禅も浄土教も密教もみなみごとな達成であり表現なのだ。

しかし、あくまでいえば、それらは「ブッダ釈尊のことば」からはかけ離れ、極端に断言すれば語句の上でもまったくまるまる似も似つかないのである。

中村元先生の訳になる『ブッダのことば スッタニパータ』を開けば、「第一 蛇の章」であり、その冒頭は端的に「一、蛇」である。般若心経も阿弥陀経も臨済録も往生要集も教行信証も卒倒ものである。

その「蛇」の「一」は、こうである。「二」も挙げてみる。

「 一  蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。--蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」と。

「 二  池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。--蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」と。

このようにして「第一 蛇の章」の「一、蛇」は一から十七の「ことば」を語り継いでいる。そして「二、ダニア」「三、犀の角」以下「一二、聖者」にまで至って、次の「第二 小なる章」に繋がる。さらに「第三 大いなる章」「第四 八つの詩句の章」とつづき、最後の「第五 彼岸に至る道の章」では学生達の「質問」が並んでいる。みごとに散文化された翻訳で、その現代日本語そのものには何の難解もない。有難い。

これはこれは、この先々まで、バグワンのもともども文字どおり「座右の書」になる。有難い。

2013 8・28 143

 

 

☆ ジンメル『断想 日記抄』 より抄

「吾々が義務を有するものに対して権利を持たぬといふことがあるとすれば、それこそ道徳に於ける本当の偉大な悲劇である。」

「人間を理念まで引上げることは出来る。けれども理念を人間まで引下げてはならない。」

「幾つかの偉大な思想だけは本当に自分のものにしておかなければならない。明るくなるなどとは思ひも及ばなかつた遠いところまでそれが光を投げてくれるからである。」

「偉大なる課題と、最早その解決への期待に依存せずにこれへ向つて行く勇気と、人間は何かこれ以上によいものを望み得るであらうか。」

 

* もう以前に、だいぶ以前に、岩波文庫『易経』上下二巻を買っておいた。積んであったが、東洋の『荘子』内篇・外篇にとりつき、『ブッダのことば スッタニパータ』に出逢っている今、五経の首とされる『易経』のおもしろさ、深さを耽読する絶好の機会に思えてきて、昨夜から読み始めた。加えて中国の「詩」はいつも手近に在ってわたしを鼓舞し慰撫してくれる。

それにしても西欧では、アポロドーロスの『ギリシア神話』 ミルトンの『失楽園』 ゲーテの『イタリア紀行』があり、気が付いてみると、いま小説はというと、スコットの『アイヴァンホー』 トールキンの『指輪物語』 そして馬琴の『南総里見八犬伝』だけになっている。トルストイもツルゲーネフもバルザックも次々に読み通してきた。せめてもう一、二册はがちっとした小説も読みたいもの。

2013 8・29 143

 

 

* 「九代幸四郎」と署名入り新著『松本幸四郎の履歴書』をもらった。その「はじめに」の一文が、高麗屋一代を代表する名文になっている。こうはなかなか書けるものでないと感じ入った。そのまま此処に紹介したくて堪らないほどだが、まだ店頭にならんでいないかも知れない。

九代目幸四郎、十二月歌舞伎座の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」では言うまでもない大星由良之助を勤める。新歌舞伎座開場の一年を締めくくる大切り公演であり、私にすれば「七七始終苦」の一年を卒業して「あした待たるる」七十八歳になる、また婚約して五十六年めにもなる、此の「師走」である。

玉三郎の道行と茶屋のおかる、染五郎の若狭之助と腹切り勘平、海老蔵が道行の勘平と七段目の寺岡平右衛門、菊之助の塩冶判官、七之助の顔世御前と六段目の女房おかる、獅童の斧定九郎など。そして誰が高師直をみせてくれるのか。

宝船をまつように楽しみに待つ。

2013 8・30 143

 

 

* 本の形で市販された自著が、百册余在る。そのほかに「初出」のまま本にまだなっていない原稿が、また講演録、対談・座談会原稿が、プリントやゲラや電子化のかたちで驚くほど沢山残っている。湖の本でも、「京都もの」のほかには、『私 随筆で書いた私小説』以外にはこれまで所謂「随筆集」を編んでこなかった。随筆だからと手軽に書いてきたのではない、それどころか、念頭には文学の奔流は随筆にあるとしてきた中国での思想、それに賛同していた谷崎潤一郎の随筆の魅力をわたしはしみじみ知っている。今朝も谷崎先生の『旅のいろいろ』を読んでいて、えもいわれぬ作品の妙に惚れ惚れしていた。

おいおいによく選んで佳い随筆集もこの先に編み進めてみたい。 2013 8・31 143

 

 

* 江古田の眼鏡屋は駅のすぐまえ、今日のように燃えさかる暑さの日にも、駅からすぐ駆け込んで用が足り、助かる。

江古田に来て、この頃の楽しみは、ブックオフで廉く岩波文庫をさがして買えること。

今日は、ドブロリューホフの『オブローモフ主義とは何か?』をはじめ、オフェイロンの『アイルランド 歴史と風土』 ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』 そしてシェイクスピアの『ソネット集』を選んできた。その気でいた小説本は結局買わなかった。このところのわたしの頭の働きようが表れているのだろう。

とりわけて『オブローモフ主義とは何か?』の批評につよい関心がある。あのレッシングやディドローに比せられながら、古典としてのこる優れた著述をたった数年の内に猛烈な勢いで書き、わずか二十五歳で死んでしまった思想家ドブロリューボフの、畑は違うが樋口一葉や石川啄木なみの天才につよく惹かれる。

2013 9・1 144

 

 

* いま、新しい機械用の眼鏡を使っている。明るい。しかし縦の「波状視」は両眼で見ていても蔽いがたい。右眼だけだとイヤになるほど顕著。眼精疲労も響いているのでないかと思う。寐て、眼を休ませること、栄養補給の点眼薬をせいぜい頻繁に用いること、を心がけている。

とはいえ、寝床へ入ればまた「読書のシンフォニイ」を楽しんで夜更かしになる。覿面の天罰をみずから招いている愚というしかないのだが。

2013 9・1 144

 

 

* 「偽善」は、少年時代に漱石を読み始めていらいの課題であり、ことに『三四郎』の広田先生のくちにする「アンコンシアス・ヒポクリシー(無意識の偽善)」は、その後の六十年をつうじていつも胸奥に問いかけるなにより厳しい課題・リトマス試験紙であった。「罪はわが前に」と意識し問いつづけて来た。

ミルトンの『失楽園』に、こんな詩句を読んだ。

 

☆ ミルトン『失楽園』 第三巻より 平井正穂訳に拠る

人間にも天使にも

偽善を見破ることはできない

偽善こそ神のみを除く誰の眼にも見えず、神の黙認によって

天と地を横行闊歩する唯一の悪であるからだ。しばしば起る

ことだが、「知恵」が目覚めていても、「疑念」が

「知恵」の入り口で眠りこみ、自分の任務を「素朴」に任せて

しまうことがあり、そういう時には、「善意」は悪が歴然と

現われない限り、悪意をもって見ることをしないものなのだ。

 

* シェイクスピアは読みもし舞台や映画・映像を見てもきたが、『ソネット集』を読むのは初めて。おおよそどのような作かという予備知識は持っている。楽しみに読み始める。

2013 9・3 144

 

 

* 興膳宏さんに、せっかく『荘子』の内篇と外篇とをほぼ同時に戴いたのだから、両方を併読している。内と外とは、ずいぶん違う。出来た時代が大きくちがう。その語気と論法とが大いにちがう。内篇は深奥を示唆し、外篇は論究する。もとより双方倶に、儒の仁義を痛罵にちかく批判している。

内篇を読んでみる。

「衆人は役役(えきえき)たるも、聖人は愚 (ぐとん)、万歳(ばんさい)に参じて一に純を成す。万物尽く然りとし、而して是を以て相い蘊(つつ)む。  世人はあくせくと動きまわるが、聖人は真けてポカンとしながら、永劫の時間に参入してひたすら純粋さを全うする。万物をあるがままに受け入れ、一切をそのふところに包みこむ。」

外篇を読んでみる。

「天下を在宥することを聞くも、天下を治むろことを聞かざるなり。之を在するは、天下の其の性を淫らにせんことを恐るればなり。之を宥するは、天下の其の徳を遷さんことを恐るればなり。天下、其の性を淫らにせず、其の徳を遷さざれば、天下を治むる者(こと)有らんや。  天下を在るがままにさせるとは聞くが、天下を統治するとは聞いたことがない。在るがままにさせるのは、天下の万物がその自然の本性を乱されるのを恐れるためだ。自然のままに在らせるのは天下の万物がその持ち前を変えるのを恐れるためだ。もし天下の万物がその本性を乱されず、その持ち前を変えなければ、天下を統治する必要などどこにあろう。」

 

* こんな説示や議論がこの科学万能の現代未来になにを益しうるだろうと疑う人が多かろう。「役役」は生き生きしているようで今日ではむしろカッコよく肯定されているかに思われる。「愚 (ぐとん)」はバカ扱いされかねない。はたして、そうか。わたしはかつて、身に立てた「黒いピン」の夢を語ったことがある。ピンを刺しているときは「役役」として活溌、ピンを抜くと「ゆったり」すると。

機械が人間を便利に使役し、嬉々として人間が機械に奉仕しているいまどき、天下本然の「在りのまま」など夢も夢、論外の「愚 (ぐとん)」視されてしまう。しかも人間はさように「役役」とうごめく世界を「統治」している気でいるが、日本の政治を、世界の政治をみわたして実績安定したどんな統治がどこに実在しているか。

まったく、わらってしまう。そのわらいは忽ち恐怖に凍り付く。『荘子』は今日と無縁の寝言を吐いている古典ではない。猛烈な警告でもあるのだ。

2013 9・5 144

 

 

* 夜前、スコット作「アイヴァンホー」上下巻を読み終えた。あるいは巧者なら半分の分量で筋書き面白く書いていたかも知れないが、通俗化してしまったろう。この小説、等分の四十四章にひとつひとつ主題をあずけて堅固に城を築いて行くような書き方をしており、周到とも律儀ともいう構築術を、そう、楽しんでいるかのよう。稗史といわれ只今も読んでいる馬琴「八犬伝」も、いわば似た積み上げ方をしている。「アイヴァンホー」は稗史なのである、その限りにおいて獅子心王リチャード・プランタジネット期のイギリスの歴史をかなり総合的に理解せしめる知的な産物になっている。ことに美しいレベッカに代表させてユダヤ人の存在感をこの作ほどアクティヴに紹介してくれた作にお目に掛かったことがない。さらにはサクソンとノルマンとの対立がひとつの英語英国へ溶け合って行く契機もよく表現してくれている。

読んでよかった。

これで、今、十六、七を読んでいる中に、小説は「八犬伝」と「指輪物語」だけになった。他は堅いめの読書になっている。同じスコットの小説『湖上の麗人』を付け加えよう。スコットは大きな一面で優れた伝承・口承史の驚異的な大家でもあった。「アイヴァンホー」も「湖上の麗人」もその方面からの収穫なのである。

2013 9・6 144

 

 

* バカげていると言われるだろうが、読書量が減らずに増えている。文庫本だけに限っても、昨日今日、十七册にもなっている。読みはじめると、興に誘われみな読んでしまう、たとえ二三頁ずつではあっても、こころよく、心地よく読んでしまう。

アポロドーロス「ギリシア神話」 シェイクスピア「ソネット集」 ゲーテ「イタリア紀行」下巻 ミルトン「失楽園」上巻 ドブロリューボフ「オブローモフ主義とは何か」 ジンメル「断想」「カントとゲーテ」 スコット「湖の麗人」 トルーキン「指輪物語」8 「易経」上巻 「荘子」内篇 「荘子」外篇 「ブッダの言葉」 「後拾遺和歌集」 「南総里見八犬伝」五 高田衛「定本 八犬伝の世界」 幸田露伴「随筆集」上巻。

もすこし小説も読みたいのだが、ついつい、こういうことになっている。そして、むろん問題は眼精疲労。

2013 9・7 144

 

 

* 機械のまえで、寄るおそく『臨済録』を序、上堂、示衆、勘弁、行録そして塔記まで、読み終えた。数十年前に古い岩波文庫で読み、今度新しい岩波文庫で、日数をかけて懇切に読み終えた。読解するのが適当な書ではない。分かろうとして分かるわけのない、しかし無心に読み読んで何事もないという本ではない。むかし普化全身脱去のことや「一箭過西天」の句に覚えるものがあり、今回またそれに遇った。

この本、座右に放たず繰り返し手に取りつづけると思う。

ついでながら、寝室で読み続ける十七册とべつに、この機械のそばに読み終えてなおいつでも手に取れるように置いている文庫本は、この「臨済録」「陶淵明集」「白楽天詩集」「浮生六記」そしてペトラルカの「わが秘密」 サドの「ジュスチーヌまたは美徳の不幸」 フローベールの「紋切型辞典」 そしてマルクス、エンゲルスの「共産党宣言」 もう一冊「日本唱歌集」。近時のわたくしを、言わず語らず示唆し得ているか。

さらについでながら重い大型本も手の届くところにいつでも読み告げるように何冊も置いてある。苦手だが面白いのは古典の「十訓抄」で、わたしは叱られっぱなしである。

そして、バグワン。

 

* バグワンと関わっていまとても興ふかくついつい読み耽るのが、中村元先生の訳になる『ブッダのことば』で。この本では、ブッダの教えとして示されているうちに(少なくも今のところ)「信」「信じよ」ということばの一度として現れないこと。わたしはもともと信仰、信心ということばに身を預けきれないものを抱いてきた。極楽にせよ地獄にせよ「ファンタジイ」は、こころから褒め称え驚嘆し共感し得て、身をなげ入れるほども愛し憧れ得ても、「信じる」という世界では「ない」と思ってきた。信仰を教える、または強いてくる宗教からは危ぶみ身を避けていた。その意味でもわたしはバグワンに、また禅に、親近を深めて少なくもこの三十年を過ごしてきた。

いま「ブッダのことば」をほぼ直に聴きながら、中村先生のいわれる「これらブッダのことば」とわれわれのこれが仏教だと常識的に受け入れていた知識との間には、大きく深い乖離がみられるとの示唆に、むしろ喜び頷いている自身を見出すのである。「臨済録」また、そういう感覚からは「仏教」ならぬ「ブッダのおしえ」に繋がると聴きかつ読んでいた。

さきのことは分からない。いま、わたしは「ブッダのことば」に明らかに教えられている。

2013 9・8 144

 

 

* 起床8:30 血圧133-59(60) 血糖値93  体重67.5kg。便意と排便は概ね順調で、排泄前に比し体調をめだって好適にする。大きく間をおいて時々左胸にものを置いたような圧を感じることがある。「裸眼」「近々用」「機械用」「室内用」「遠用」「老眼補助レンズ」を頻繁に交用して暮らしている。疲労が増してくるとおおかたの適用度が混乱してしまうが。眼精疲労に注意するしかない。

 

* そうはいいながら夜中に目覚めてしまったりすると、辛抱無く読書してしまう。夜前は、買い置きのブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』を、訳した野上八重子のあとがきや夏目漱石の序文などを読み、いきなり二七章「トロイア戦争」「イリアス」を読んだ。映画「トロイ」でも「パリスとヘレン」でも馴染んでいるしホメロスの『イリアス』にも馴染んでいて取っつきやすいと観た。

これよりずっと以前からアポロドーロスの『ギリシア神話』を遮二無二ガアッと棒読みしてきて途中に有るが、これを芳醇な原酒のうま味とすると、ブルフィンチの英語からの訳述は軽いジュースのうま味。あらためてアポロドーロスの原話にちかい上古本の無垢に手つかずの味わい・面白さが格別とよく分かる。

ギリシア神話は神の世界と人の世界とが二重でかつ混淆というに等しく交在し関係し、名乗りにも行為にも区別うすく、ただ神々にはさまざまな神威の異能が備わっていて、自由自在に神々同士が集い争いそして人間世界のあれにもこれにも仕放題に干渉し支配し従わしめている。何処までが神で何処からが人やら甚だ混雑して或る不可思議な曖昧世界を神と人で共有している。神のふるまいもちからも善とも悪ともその意と慾と次第で、なによりかより実に甚だしく多様多重多彩に「男女乱交」「生殖繁茂」の自然当然であることに、驚くと言うよりも妙に感嘆し安堵すら覚えてしまう。そんなことは「あたりまえだよ」と言われている感じ、しかもまた神々同士が人も巻き添えに、敵はもとより妻子も友も味方ですらもじつにさまざまの仕方でよく「殺す」。「性欲に駆られて相手構わず求めて交わり子を産みに産み、事情あれば誰彼となく殺しに殺す」のである。ゼウスは、またポセイドンもヘラクレスもみな、いやいや女神達ですらみな、超弩級の情欲・多産の殺し屋にほかならない。そのようにして、神々の多彩な威力と意志とで人の世界は「文明」を成して行く。ちっとも陰惨でなく不思議に健康すぎるような活溌で機略に富んで妙に明るい。こういう原性質を汲み取り味わうには、アポロドーロスの『ギリシア神話』をひたすら音読するぐらいに棒読みするのが良い。個々の関係や事情などとうてい記憶も納得も出来はしないほど事細かなのであるから、理解・知解はさっさと諦めて「棒読み」に徹していく内に上にあげたような一切がアタマに残ってくる。

その濃厚きわまりない原酒の酔いをおいしいジュースほどに引き延ばし淡めたのが、ブルフィンチの著述である、と、いまのところわたしは承知している。

 

* なんだかわたしは(時々思ってきたことだが、)自分が中学・高校生のむかしのまま暮らしているような思いにとらわれる。少年なのだ、なんとなくいまだにへんに幼い。若いのでなく幼稚をのこしてそれに乗って日々をやっている気がする。恥ずかしいとまで思わないが苦笑する。ま、しょがないかと頬を抓ってみる。

2013 9・9 144

 

 

* そうそう。昨日の機械仕事を終えたあと読んでいた『十訓抄』第五「朋友を撰ぶべき事」の「九」で、おや、この現代語訳はちがってやしないかと思う箇所に出会った。ついでながら「五の八」では良妻三例と悪妻七例をあげて誡め、そのあとへ、しかし「女もよく男をえらぶべき」とし、白居易の「慎みて身をもて、軽々しくゆるすことなかれ」や、長谷雄卿の「男をえらばむには、心をみよ。人を見ることなかれ」を挙げて女性に警告している。「人を見るな」とは、「男の姿・かたちのよさ」に囚われるなという意味。それを「五の九」に繋いで、『大和物語』によく知られた「安積山(あさかやま)の女」の説話を引いている。挙てあるた和歌一首も広く耳慣れたものである。

 

☆ 「安積山(あさかやま)の女」  十訓抄より

大和物語には、昔、大納言なりける人の、帝に奉らむとて、かしづきける女(むすめ)を、内舎人(うどねり)なるものの取りて、陸奥の国にいにけり。安積の郡、安積山に庵結びて住みけるほどに、男の外(ほか)へ行きたりけるままに、立ち出でて、山の井に形を映して見るに、ありしにもあらずなりにける影を恥ぢて、

安積山影さへ見ゆる山の井の

浅くは人をおもふものかは

と、木に書きつけて、みづからはかなくなりにけり、としるせり。

 

* 「男の外(ほか)へ行きたりけるままに」

を、この古典全集の担当現代語訳では「男が他所(よそ)へ出かけていた時に」と解してあり、これは、同感。この男女に不和あって、男がよそへ逃げた、出奔したというのではない。日々の暮らしの中でただ外出・他出した留守中の話なのである。参考までに、訳されている全文を挙げてみる。

「『大和物語』には、こんな話が載っている。昔、大納言であった人が、帝に差し上げようと思って、大切に育てていた娘を、内舎人なる(下級の=)男がさらって、陸奥の国まで逃げていってしまった。そして、安積の郡、安積山の中に粗末な小屋を作って住んでいた。男が他所に出かけていた時、女はふと立ち出でて、山の泉に姿を映して見たところ、我がかたちは以前とはくらべものにならないくらい、変り果ててしまっていた。それを見て女はひどく恥ずかしいと思って、

安積山の姿を映している、水浅い山の井のように、私はあなたのことを、

心浅く思っていたりしたでしょうか。心底から好きでしたのに

と、木に書き付けて、そのまま自ら、むなしくなってしまった、と物語には記されている。」

 

* 問題は<和歌一首の読みようである。さらにいえば歌の「人」、訳して「あなた」の受けとりようである。この際本文にやや繁簡のある「大和物語」の原文と、上の「十訓抄」の文とには一線を画したい。いま読んでいる「十訓抄」教訓に添うて読まねば意味がない。『十訓抄』はこの和歌をどう挙げどう読み取っていたか。『大和物語』ではこの女、妊娠していたとまで書いているが、この教訓説話本は触れてまもいない。あくまで前節「五の八」の「女の男えらび」で肝要とした、「なかにも、(女として)あるまじからむ振舞(男えらび)は、よくよく慎むべし」を承けての「九」の例話なのである。

この和歌一首は、万葉集の異伝歌でも古今集序への引用でも著名であり、女童たちの「手習い手本歌」でもあった。源氏物語「若紫」にもそんなふうに引いてある。つまり手習い手本歌が即ち女児への誡めになっている。「(女として=)あるまじからむ振舞(=男えらび)は、よくよく慎むべし」と誡めていること、万々疑いないのである。

では、上に引いた現代語訳での和歌の「読み」は、どうなのか。「安積山の姿を映している、水浅い山の井のように、私はあなたのことを、心浅く思っていたりしたでしょうか。心底から好きでしたのに」とは、誰のことを指しているのか明瞭でなく、このままでは所用で他出している「男・もとの内舎人」を謂うとしか読み取りにくい。浅くなど思ってなくて「心底からあなたが好きでした」なら、ましてや妊娠してさえ居るかしれないなら、いくら容貌容姿が衰えようと自殺してしまうのは頷けない。

訳者は、和歌の文法を読み損じていないだろうか。

わたしなら、和歌の下句をこう読み解く。

「安積山影さへ見ゆる山の井の」の上の句は、まちがいなく「(心)浅くも」を導いている。「浅くも人をおもふものかは」の「ものかは」は、文法的にも強意の否定句である。「浅々しくも浅はかに人(=男の人)を思っていいわけがなかった、思ってはならなかったのです」という女の強い反省と後悔を表白している。「とりわけてしてはならない行いは、よくよく慎みはばからなくてはならな」かったのに、軽薄に軽率に間違えた、恥ずかしいことをしでかしたという後悔に女はうちひしがれたのである。「水浅い山の井のように、私はあなたのことを、心浅く思っていたりしたでしょうか。心底から好きでしたのに」などという歌で有るわけがない。なにより、「心底から今の男が好き」であるなら、死んでは意味を成さない。本意が通らない。「浅くも人をおもふものかは」とは自己への禁止であり、それが出来なかった「心の至らなさ」に恥じて女は死んだ。「十訓抄」本文の「五の八」から「九」へ「意」とした流れからみれば、大納言ほどの者の娘が、あからさまに宮廷の風儀を損ない、うかうかと内舎人の誘うまま陸奥まで駆け落ちした「あるまじからむ振舞」「慎むべき」逸脱の男えらびが自ら責められ、恥じられているのである。

このような略奪婚の類話は、日本書紀にも、また更級日記にも出ていて、そこでは特段女の行為として責められてはいなかった。『十訓抄』はある種「責める」のが好きな「お説教」古典なのである。「五の十二」にも、「かかれば(=このような次第なればこそ)女はよく進み、退き、身のほどを案ずべし。すべて父母のはからひにしたがふべきなり。われとしいだしつることは、いかにもくやしきかた、多かり」と念を押している。

それにしても「浅くも人をおもふものかは」という教訓が少女らの「手習い手本歌」であった意味は、史実としても軽くはない。

2013 9・9 144

 

 

* 往路、江古田のナガノ眼鏡で妻の新調眼鏡を受けとり、銀行から幾つか送金し、帰路には、江古田のブックオフで新たにモーパッサンとレマルクの小説を買ってから、かねがね一度時間が合えば入ってみたかった小さなスタンドバー「VOVO」で、わたしは辛口のシェリーと店主のすすめるウイスキーを、妻は赤ワインを。相客とも歓談。それから二階の和食の店「笑雲」へ上がって食事を楽しんでから保谷へ帰った。なんとなく気が晴れ、機械をもうひらくことなく本を読んで、はやめに休む。

2013 9・10 144

 

 

* はねてから、茜屋珈琲のカウンターで休息、マスターとたくさん談笑。かれからは梨園のいろんな話が聴ける。

手洗いに、今夜はひときわ愛らしく雅に花が生けられ、おもわず写真に撮った。

生け花といえば、いま幸田露伴の考証「一瓶の中」を読んでいる。露伴は生け花の歴史に通じまた生ける技にも驚くほど長けていた文豪。花に限らず、万般暮らしの技にくわしく優れて長けていたのは、彼の家系のもともと幕府のお茶坊主だったことが与っていた。なんでもかでもじつによく心得て子女も薫育し至らぬところが無かったのは、幸田文、玉青らの書いた物が雄弁に証言している。

わたしは、比較的多くこの日録にも庭咲きの花や葉やまた生け花への愛好を隠さないでいる。一つには秦の叔母つる、玉月が御幸遠州流家元直門の教授だったこと、裏千家の茶の湯よりも年永くはやくから稽古場をひらいていて、わたしはその場の空気に小さい頃から感化されていたのだ。わたし自身は手づから花を生けるというのではないが、妻のそれにいつもちょっと手を添えたり口を出したりしている。身におびた嬉しいありがたい財産のようなものと感謝している。

2013 9・11 144

 

 

* 『ブッダのことば(スッタニパータ)』は、嫌も応もない具体的な教えでせまり、逃げ隠れも誤魔化しもできない。後世仏教の経典の文句とは全然異なり、素朴なまで率直で言を左右する隙が無い。全然無い。言い訳が利かない、イエスかノーかで自答するしかないが、これって容易ならぬこと。いま、「第一 蛇の章」の一、蛇から十二、聖者まで、「第二 小なる章」の、一、寶、 二、なまぐさ、 三、恥までを読んできて詳細に註も斟酌しているが、「蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るように」いつも「怒りが起ったのを制」しているかとなれば、頭を垂れて「いいえ」と答えねばならない。秦の叔母の稽古場には華道家元の漢字で書かれた「あすおこれ」の額が鴨居にかかっていた。けっして「怒るな」の意義は少年なりに汲み取れた。「あす」なんてものは絶対に無い。その「あす」に怒れという。だが現実には喜寿を通り過ぎて行く老人が、怒りをなかなか堪え切れない。いきなり落第である。ブッダは、この調子で突きつけるように端的にまっすぐ言う。身を避け適当に答えることを許さない。ちっとも無理なことを問われていない。だが、ちっとも守れていない。なんというヤツであるのかと、我が身の持ちこたえようが無い。痛み入って恥ずかしい。

ま、この本が、手放せない。恥ずかしくて手放せないのである。仏弟子たるの資格はまったく無いと分かってしまう。

 

☆ パーピマンがいった、「子のある者は子についてよろこび、また牛(=私有)のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、まこと、喜ぶことがない」と。

師(ブッダ)は答えた、「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。まこと人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」

 

* この「パーピマン」とは「悪魔」で。悪魔のことばには払いがたい誘惑がある。喜びが欲しいか、憂い無きをねがうか。わたしは今でも迷い惑う。

ブッダは「犀の角」のように歩めと教える。犀の角は一本。その一本の角のように「ただ独り歩め」と教える。比較的、この教えなどに背を押される思いがある。わたしの欠陥と表裏しているのだろう。

 

☆ 「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」「仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。」「四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め」などと教えられると、ひそかに頷いている自身を体感する。

以下の、こんなふうに教えられても強く頷く自身を自覚している。

「もしも汝が、(賢明で協同し行儀正しい明敏な同行者)を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。」「しかしもしも汝が、(賢明で協同し行儀正しい明敏な同行者)を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。」「われらは実に朋友を得る幸せを讃め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。」

わたしの願い続けてきた「真の身内」への思いとこれらは深く連絡している。

 

* 夜は創作中の小説世界へ戻って、たくさんな夢をみた。新刊の発送を終えたら、まっしぐらに此処へ戻れる。

2013 9・12 144

 

 

* 作業とワインとで疲れた。しばらく寝入った。他の何をする気にならず。湯に漬かり、「後拾遺和歌集」の三撰めをすすめ、モーパッサン「生の誘惑=イヴェット」スコット「湖の麗人」を少しずつ読んだ。疲れは簡単にはとれない、このまま今夜は本を読みながら寐てしまおう。

2013 9・14 144

 

 

* こちら大過なく風雨も遠ざかり。ただもう疲労のためか、ほんのちょっとしたワインにも弱くなってか、びっくりするほどよく寐る。寐ると言っても、本を読んで読んで寐るのであり。

 

* 『露伴随筆集』に手が出る。菅公といえば「梅」がつきもの、だが、じつはそれ以上に「菊」の好きな天神さんであったとの考証ではじまり、最近では生け花の歴史を縷々教わり、次いで「しま」文様について教わり、いまは「歌合」についてことこまかに教わっている。随筆の高尚をしみじみ実感できる。なんでもかでも選び無くみんな此処の日録に書き置き言い置いて構わないでいるわたしの姿勢が行儀が、いくらか気になります。

 

* 『失楽園』では、いましもアダムとイヴとのこのうえない幸せな相愛と、嫉み憎むサタンの悪謀との場面へ来ていて、臨場感ゆたかなみごとな叙事の詩情が匂い立っている。すばらしい実感。

そして『ブッダのことば』を噛みしめる。

ドブロリューボフの『オブローモフ主義とは何か?』を知ると知らないではロシア文学ないしロシアの革命にいたる道筋が見てとれないだろう。いい批評の一典型である。

ジンメルの『カントとゲーテ』にもあらためて教わっている。

2013 9・16 144

 

 

* 神話ないし叙事詩・ファンタジイ・稗史の類へ読書が傾いている中で、ミルトン『失楽園』第四巻、楽園のアダムとイヴ、悪魔サタン、天使ウリエル、ガブリエルらによる駘蕩、悪念、緊迫の叙事詩進行の壮大・華麗・神秘のおもむきに魅了されている。正直のところこの作品がこんなに感激と倶に読み進め得るとは予想できなかった。シェイクスピアの『ソネット集』やスコットの『湖の麗人』を『失楽園』は涯もなく凌駕して魂に迫り来る。悪魔の悪が人間をいかにそこない行くか、いま、わたしは息を殺している。

 

* なににもまして手のまず延びるのは『ブッダのことば』で。いま第二「小なる章」の一三「正しい遍歴」を読み終えたところ。幾つもの仏教経典を読んできた、華厳も浄土も般若も。祖師たちの法話も。それらは、わたしに「抱けよ」と「深信」を迫ったけれど、その殆どがわたしには「ファンタジイ」と想われた。「ファンタジイ」として信じて敬愛し抱き柱として抱いてもいいけれど、有り難い美しい徹底したみごとな「創作」に思われた。釈迦はこんな幻想を説いていたのだろうかと、いつも思った。

『ブッダのことば スッタニパータ』は信じうる限り最初期の釈迦その人の存在と言葉を表している。「釈迦その人の教え」と「仏教」との間には、ある意味で尊くある意味で儚い連絡と断絶とが在る。後世仏教が、ないし日本仏教わたしに迫る「信」「行」と、釈迦の「教え・言葉」とは、忌憚なく言えばとほうもなく隔たりをもち、その実は、「ぶっだのことば」の方が遙かに遙かに厳しく強くわたしに迫って容赦なく懶惰で悪性なわたしの性根をのがれようなく鞭打つ。いわゆる仏典をありがたく讀誦し敬愛しているときも、それと、これつきり私本人とのあわいには緩衝の隙間があり安心も忘却も可能な判断がまじりこんだ。そういうものだと思っている気持ちがあった。

ところが『ブッダのことば』はそんなわたしの首根っこをつかまえて、ウムをいわせず迫ってくる。恥ずかしいことにわたしは殆ど全面的に落第している。言い逃れがまるで利かない。

だからこそ、わたしは釈尊その人の「ことば」に思い屈して跪き、恥ずかしいのである。

2013 9・19 144

 

 

* 東京神田の生まれ、わたしと同年齢の碩学。早稲田の文学部長また建日子が進学した早稲田中高校の校長だった藤平先生に呼び出され、早稲田での、錚々たる顔ぶれの和歌史研究会へ顔を出したのは太宰賞受賞後まもない頃であった、懐かしい。まだ建日子は数歳ともいえなかった。

松野先生のお手紙を追いかけるようにして笠間書院から大著『千載集前後』が送られてきた。有り難う存じます。去年湖の本で纏めた『千載和歌集と平安女文化』上下巻が、門外漢なりの謂わば「千載集前後」だったのを思いだして下さったのである。論考九篇にさらに「書影覚書」が加えられ、「研究」とはこうだという勝れたお手本になっている。有り難く頂戴しました、今日から、すぐ読ませて頂きます。

 

* 懇意の笠間書院編集長の橋本孝さんは、『千載集前後』と一包みの荷で、なんと、田能村竹田の画論『山中人饒舌』を「訳解」された竹谷長二郎著も贈ってきて下さった。まだあった、新刊早々の「コレクション日本歌人選」の一冊も、「リポート笠間」の最新の二冊も送られてきた。恥ずかしいが笠間書院で本を買ったことはめったにないのに、中世物語全集などたくさんの本を貰っている。わたしの申し訳としては、貰ってみんな「読みましたよ」と言えることだけ。感謝に堪えない。

そういえばわが家の玄関には、ほかに場がなくて、小学館から全て戴いた日本古典文学全集の百十何巻がならんでいて玄関に入る来客をなかば威嚇しているが、これをほとんど全巻に近いまで「読みましたよ」といえる読者は、日本中に十人とは居ないだろうと思う。古典は、わたしのこよない精神安定の糧になっている。

2013 9・19 144

 

 

* 晩飯というよりも、黒いマゴとふたりで、相撲を観、酒を飲み、「ダーティ・ハリー」を観て、もう寐ようか、一仕事しようかと。

病院の手術中には、廊下で付き添い義務をはたしながら、『ブッダのことば』に読み耽っていた。『指輪物語』も読んだ。妻の術後の点滴にもつきあい、妻は相原氏の著「古墳」にふれて手にした知識を盛んに話していた。

2013 9・20 144

 

 

* 松野陽一さんの『千載集前後』をすこぶる興深く読み始めた。完璧に国文学者の方法に拠った精緻な研究論考書であり、ま、一般の読者には歯の立つ余地がない。ありがたいことに、わたしは書誌学的なまた準拠学的なそういう論考・論究の文章を、なまじい新書版のような解説文を読むより好きなのである。知識を得るだけなら解説本のほうがかみ砕いてあり便利だろうが、わたしは学者・研究者の方法論と精微な追究そのものに魅惑される。そういうことを自分もしたかったか。それは全然無い。しかし仕上げられた研究成果の美味はすすれる唇をもっている。「ようやらはるなあ」と舌を巻き感嘆しながら、自身で行文や推論や博捜の中へ潜り込んで行く。そういう徹底した仕事が学問の成果として積まれているのだから、わたしには同程度の苦労は免除されている。行儀わるくいえば「ひとの褌で相撲」を味わうのである。

ではわたしは自分では何をするか。小説に書くという本分がある。平家物語の『風の奏で』や紫式部集の『加賀少納言』や蕪村にせまった『あやつり春風馬堤曲』や閨秀大輔を追い求めた『秋萩帖』など、わたしの小説にはそれなりの下地や背後がある。とはいえ、、なにもかも小説にする・成るというわけでない。気が向けば小説家のままエッセイを書いてきた。学問から蓄えたうまみを好き勝手に反芻するわけで。

また『千載和歌集』への愛情深いとしても、松野陽一さんのような学問的追究はわたしの仕事ではない。あくまでも和歌が、和歌を読むのが好きで好きだから、佳いと思う和歌を選んで選んで楽しむのである。研究者にもそういう心の動きはある、が、それを表立ててそれに立ち止まっていては研究にならない。つまりわたしは、学問にもたっぷり助けられ教えられながら、作品としての和歌の喜びを満喫するだけである。それしか出来ないしすべきでないのではないか。

で、わたしの書庫には錚々たる研究者から頂戴した高度な研鑽の成果本がたくさん並んでいる。戴く小説本よりもより多くより執拗にわたしはその方の研究成果を楽しむ。そういう人である。よく見えない目で手近な書架をふりあおげば、『共同研究・秋成とその時代』『浦島伝説の研究』 萩谷朴『本文解釈学』『森銑三著作集・全』そして角田文衛さんの研究書がずらり、山下宏明さんの『琵琶法師の「平家物語」と能』高田衛さんの『定本・上田秋成年譜考説』等々が見えている。本棚の飾りではない、愛読の書であり、書庫へ入り込むとそれらにとっ掴まれ、なかなか出てこれない。

で、いま、「千載和歌集」についで最も縁の深い『後拾遺和歌集』秀歌を、いましも四度目を読み読み撰歌を楽しんでいる。わたしには古典を学究する熱烈がうすく、学究の学恩を満喫しつつ好き放題に「楽しむ」だけである。小説家や評論家になりたかったそれが本当の理由だろうなと思う。

 

* これは即、研究論考の書ではないが笠間書院の橋本編集長に頂戴した田能村竹田画論『山中人饒舌』の訳解の大冊も、文字どおり舌なめずりしたいほど嬉しい。美学藝術学の徒として論文を書こうなどとは全然考えない。竹田という傑出した文人画・南画の大家の蘊蓄がここに結集されてあることだけは久しい見聞で識っていたが、良い本の手引きでとびこんで行けるのが有り難いのである。竹田の繪や書は「お宝鑑定団」にもときおり顔を出す。そういうお宝感覚にはあまり親しまないが、繪も書も好き。しかも作品のゆたかに備わった作に出会いたい。竹田の本は、その作品の秘跡を語ってくれているに相違ないのである。

2013 9・21 144

 

 

☆ 曾野綾子さんからいま評判のベストセラー『人間にとって成熟とは何か』が贈られてきた。扉に、

「秦恒平様  お元気でいいお仕事をお続け下さいますよう  曾野綾子」と、書かれてある。有り難く、恐縮している。

2013 9・21 144

 

 

* 二階の窓ぎわ廊下にあふれ出ていた文書や資料を、座り込んで半ば整理している内に時間が経った。つい読んでしまうから。なかには大事に想う手紙や原稿もみつかる。それも読み返したりしていると、整理にも片づけにもならない。わるい時間ではないのである。

同じことを、しばらくぶりに足の踏み場もない書庫に入って、輪を掛けて時間を費やした。「寶」を埋蔵したようなほんものの「本」に目が触れるともう書架から抜き出してみずにおれない。あの人にならば、などと人さまに差し上げれば役立ちそうに想う本もたくさん見つかる。やみくもにもらっては困られるかも知れない。頭の中で、なるべく若い、センスのいい人の五六人に書庫へ入って貰って、役立ちそうな本が在れば差し上げますよと言いたくなる。きっと手を出される研究書や参考書や辞典や事典がいろいろ「在る」はずと自惚れている。ところがわたし一人が立ってもおれないほど細い通路にも本が山積みになっていて、全体に整理もきかなくなったままたくさんな書架に各種の書籍が混在してしまっている。整理できれば気持ちよかろうなあと嘆息してしまう。司書力のある若い人にお礼をしてでもアルバイトして貰えないかなあと思ったりする。

そんなこんなの恍惚のあげく、今の今にもまた読みたいという何冊かをつい家の中へ持ち込んでしまう。で、家の中もぐしゃぐしゃ。

2013 9・22 144

 

 

* 曾野綾子さんに戴いた新刊『人間にとって成熟とは何か』を、素直に静かな心もちで読み進んでいる。いい言葉でさらっと話されていて、耳に入りやすい。

曾野さんというと、実の父を思い浮かべてしまう。苦しみの多い人で父はあったようだが、厖大な遺文のなかで、父は作家として曾野さんと、先頃亡くなったなだいなださんの名とを書き付けている。心の慰めや励ましを得ていたようであった。

 

* 東工大で教授室を隣り合っていた橋本大三郎さんにもう昔にもらっていた『性愛論』も、あらためて読み始めている。ならべて、上野千鶴子さんの『発情装置』も読み直そうとしている。

文庫本の二十册ちかくは、今日はもう夕方に読んでしまった。文庫本は寝ころんでいて楽しめるが重い本は倚子に腰掛けている機械の前でしか、それとも黒いマゴが占領していがちなソファでしか読めない。今もキイを右手一本で叩きながら、左手には松野陽一さんの『千載集前後』がスタンバイしている。だが、もうダメ。どの眼鏡にとりかえても霞んでいて読めない。

2013 9・23 144

 

 

* 歯医者への道で、またブックオフに入り、ヒルティの「眠られぬ夜のために」上下巻 キェルケゴールの「死に至る病」のほか、小説ツルケーネフの「貴族の巣」 ゾラの長篇「テレーズ・ラカン」上下を買ってきた。ブックオフは、ある面で便宜もするが商法は、昔々の古書店にくらべ、過酷にえげつない。好かない。

2013 9・24 144

 

 

☆ ゲーテ『イタリア紀行』一七八八年一月五日、ローマ。 より

受動的な態度を持した数週間の休止の後に、私はふたたび最も美しい、言い得べくんば、啓示をうけている。事物の本質や事実の関係の中を瞥見することが私に許され、その瞥見は私に豊けさの深淵を開示してくれる。このような効果が私の心情のうちに生じるのは、私がたえず学ぶから、しかも他人から学ぶからである。

 

* 「たえず学ぶから、しかも他人から学ぶから」というゲーテの言葉は尊い。わたしの謂う「濯鱗清流」とはこれなのだ。ゲーテはこう付け加えている、「自学自修となると、はたらきかける力と消化する力とが一つになり、これでは進歩はより少なく、より緩慢にならざるを得ない」と。

なまじいに自信満々、しかもたかの知れた持ち前の能だけでやってゆける、やっていると小さく自負している者には「豊けさの深淵」などついに覗き得ないままになる。薄汚れ頽れやすい才能(鱗)をつねに清流で濯おうという謙遜がなくて、作に作品の備わることは望み薄い。稼ぐ金の問題でも吹けば飛ぶような評判の問題でもない。

 

☆ ジンメルの『カントとゲーテ』で彼はゲーテの活動の「驚嘆すべき均和」に触れて、こう書いている。(谷川徹三訳)

ケーテの精神的活動は、現実とそれの提供する総てのものをできるだけ受容れようと心がけることによつて、絶えず養分を得ていた。彼の内面活動は決して磨滅し合ふやうなことなく、外物に従つて行動しまた語りながら自己を表現する驚くべき能力は、各の内部活動に放出(=表象・表現)を与へ、それによつて各の内部活動は完全に自己を生かしきることができた。この意味に於いて、彼は、苦しみも畢竟神が与へたものだといふ言葉を感謝の念をもつて特にあげている。

 

* こういう「驚嘆」を豊かに恵んでくれる「清流」にこそ出会い続けたいではないか。日本ではこれに相当する豊かな清流は源氏物語の紫式部をあげて謂ういがいになく、露伴、鴎外、漱石を各個に敬愛した末流は多いけれど、谷崎が時に当然のようにゲーテの名をあげて尊敬をしめしていたのがわたしには尊く思われる。露伴、漱石、鴎外、さらに藤村をわたしは深く敬愛するが、ゲーテ、シェイクスピア、トルストイには遠く及ばない。さらに西欧の彼らには古典の古典である「ギリシア・ローマの神話」等が在る。古事記も日本書紀も風土記も及ばない。源氏物語は生まれたが、ダンテ『神曲』 ミルトン『失楽園』 ゲーテ『ファウスト』のごときを日本は産みだし得ていない。

アポロドーロスの『ギリシア神話』を読み終えた。三十年まえに今度のような讃嘆の思いでこれを読み得ていたら、どんなにわたし自身の世界も色をかえていたろうと、今さら歎きこそしないけれど、そうありたかったと惜しむ。これより以前にホメロスの『オデュッセイア』は耽読していたし『イリアス』にも半ば目を通してきた。アポロドーロスによる原古の色をかがやかせた神話を、「おはなし」にしてしまった他の色々の類書の前に読めたのは幸運だった。これはエキス・原酒に近かった。

これと似た原酒・エキスを口に含む思いでわたしは、今、『ブッダのことば』に聴いている。

 

* 昨夜もたくさん読んだ中で身に堪えた作はレマルクの『汝の隣人を愛せ』であった。上巻のまだ六十頁たらずしか読まないが、すばらしい表現で絶え得ない苦渋・苦痛の現実が描かれ続けている。レマルクの作品でよく知られ、わたしも早くに繰り返し読んできた『凱旋門』のこれは前作に相応している。

この作のことは、さきざき繰り返して此処で触れたくなるだろう。

2013 9・25 144

 

 

* ちょっとの隙もみせられず、服装を窶し、顔も変え、さもないと逃亡者は秘密警察(ゲシュタポ)に捕縛監禁されて命もうしなう。それでも、彼は、もう二年も会わない妻の姿が見たい。

 

☆ レマルク『汝の隣人を愛せ』より  山西英一訳に拠る

朝、彼は労働者の服を着、道具箱をもって すぐ市をはなれるつもりだった

が、その決心がよわった。もう二年も妻を見ていない。彼は市場へあるいていった。一時間する と、妻がやってきた。彼は体が震えはじめた。しかし、彼女は彼には気づかずに、彼のそばをとおりすぎた。彼は彼女の後からついていって、すぐ後ろまできたとき.言った。「後ろをふり向いちゃいかん。わしだよ。あるいていけ! あるいていけ!」

彼女の肩が震えた。彼女は首を仰向けた。それから、あるいた。全身で聴いているようだった。

「やつらはおまえに何かしやしなかったか?」彼女の後ろの声は言った。

彼女は首をふった。

「監視されているかね?」

彼女はうなずいた。

「いまも?」

彼女はためらっていたが、やがて首をふった。

「僕はいまから直ぐここをはなれなくちゃならん。国境を越えていこうと思う。君に手紙を書くことはできないだろう。それこそ君が危険だからね」

彼女はうなずいた。

「君は僕と離婚しなくちゃいけないよ」

さっさとあるいていた女は、とたんに足をとめた。それから、またあるきだした。

「僕と離婚しなくちゃいけないよ。明日役所へいって、僕がこんな政治的な思想をもっているから離婚したい、と言うんだ。いままでそれがどんなものかわからなかった、と言うんだよ。わかったね?」

彼の妻は首を動かさなかった。体をまっすぐに硬直させて、あるいていった。

「君は僕の言うことをわからなくちゃいけないよ」 シュタイナーはささやいた。「それはただ君を安全にするためだけなんだからね! もしもやつらが君に何かしたら、僕は気が狂ってしまうよ! 君は僕を離婚しなきゃいけない。そうすれは、やつらは君をそっとしておくよ!」

彼の妻は返事をしなかった。

「マリ、僕は君を愛してるよ」 シュタイナーは歯の間から低い声でそっと言った。すると、感動で目がうるんだ。「僕は君を愛しているよ。君が約束しなかったら、僕はいかないよ! 君が約束しなかったら、僕はまたもとのところへかえっていくよ! 僕の言うことがわかったね?」

永久の時がたったと思われてから、やっと彼の妻はうなずいた。

「君は約束するね!」

彼の妻はゆっくりうなずいた。その肩ががくんと落ちた。

「僕はここで曲って、右側の歩道をまたあるいてくる。君は左へまがって、引きかえしてきて、会ってくれ、何んにも言っちゃいかん。合図もしちゃいかん ー 僕はただ君を見たいんだ - もう一ど。それから、僕はいく。もし君が何も聞かなかったら、僕は国境を越したということだよ」

彼の妻はうなずいて、足を早めた。

シュタイナーは道をまがって、右の小路をあるいていった。そこには、肉屋の屋台店がならんでいた。買物籠をさげた女たちが、屋台店のまえで買物をしていた。肉が陽に照らされて、血に汚れて白く光っていた。たまらないほどひどく臭っていた。肉屋たちは、どなり立てていた。だが、それがふいに消えてしまった。 (略)

彼はまごつき、それから足を早めた。そして、ひとの注意を引かないようにしながら、できるだけ早くあるいた。油布をしいた肉屋のテーブルから、屠殺された豚のわき肉を叩き落してしまった。肉屋の罵る声が、太鼓の騒音のように聞えた。彼は市場の小路の角を走ってまがって、立ちどまった。

彼女が市場から向うへあるいていくのが見えた。彼女は、非常にゆっくりあるいた。街の角までいくと、立ちどまって、ふりかえった。顔をあげ、目を非常に大きく瞠きながら、長い間立っていた。服が風に吹かれて、彼女の体にぴったりまといついた。シュタイナーは、彼女が自分を見ているかどうかわからなかった。彼は思いきって彼女に合図をする勇気がなかった。そんなことをしたら、彼女は自分のところへ駆けもどってくるだろうと思ったからであろ。長いことたってから、彼女は両手をあげて自分の乳房にしっかり押しあてた。そして、乳房を彼の方へ差し出すようにし、彼の方へ体をのり出した--口を開け、目を閉じ、悲痛な、虚ろな、盲目の抱擁の姿勢をしたまま、彼の方へ体をのり出していた。それから、ゆっくりと向うを向いてあるいていった。やがて、街の影の渓間が彼女の姿を呑みこんでしまった.

それから三日して、シュタイナーは国境を越えた。その夜は明るくて、風があり、チョークのように白い月が空にかかっていた。シュタイナーは頑固な男だった。だが、いったん国境を踏み越えてしまうと、まだ冷たい汗をたらたら流しながら、いまきた方へふりかえった。そして、取り憑かれた人間のように、自分の妻の名を呼んだ。

 

* ああ、読みながらわたしは自分がシュタイナーであるように想われ、胸がしめつけられた。彼は国を追われて他国へ入り、歓迎されない難民としてせいぜい二日ないし五日、奇跡的に運よくて十日間の滞在を許可され期限がくれば官憲の手でどこか希望の他国国境へ送られ追い出されるのだ、そしてまたその国でおなじ事が為される。「ヒットラー・ドイツ」とは人を、シュタイナーと限らず彼の妻も隣人・同胞をすら暴虐のかぎり思想の自由を奪い、命をも奪う国になっていた。彼と妻とのなんという再会であり別れであったことか。

そういう国へとわが日本を陥らせ地獄にしてはならない。だが言論表現・思想の自由は自民の安倍「違憲」内閣の傲慢な強権のもとに圧殺が着々法の名の下に用意されているのにあなたは気がつかないか。

そして一朝拘禁と抹殺の危険が生じた日、不幸な日本人有為はいったいどこへどう「国境」を脱け出て遁れられるというのか。

それが怖くて飼い犬のようになっていれば、人間と生まれた幸せは卑屈に泥まみれになる。わたしは、有為の青年、壮年のために、日本のために心より憂え恐れている。レマルクの小説は、あの戦前・戦中のおはなしでは無い、まざまざと今日只今の日本と日本人への示唆と警告の小説なのだ、読まれて欲しいと願う。

 

☆ ミルトン『失楽園』第四巻より  平井正穂訳に拠って

二人(アダムとイーヴ)はこれら(神を)讃美の言葉を共々に唱和したが、このように、神の最も嘉(よみ)し給う心からなる讃美を献げる他はなんらの儀礼を行うこともなく、互に手を取り合ったまま四阿( あづまや) の奥へ入っていった。われわれが纏っている衣服という厄介な粉飾を脱ぐ煩雑さも彼らにはなく、したがって直ちに肉体(からだ)を列べて横になった。そして、おそらく、アダムが美しい妻に冷たく背を向けるということも、またイーヴが夫婦愛の秘儀を拒むということも、ありえなかったと私(=詩人ミルトン)は思う。

世間の偽善者どもは、純潔や場所の適否や無垢などについて、いかにも諤々の議論を述べたてるが、ゼれは彼らの自由だ。要するに、彼らは、神が純なるものとして祝し、或る者には命じ、すべての者にはその選択の自由を認め給うているところのものを、不純だと称して貶しているいるにすぎないのだ。

創造者(つくりぬし)は、生めよ繁殖(ふえ)よと命じておられる。だとすれば、禁欲を命ずる者は、まさに人類の破壊者であり、神と人との敵でなくて何であるか?

されば結婚愛よ、奇しき法則(のり)よ、汝の上に栄あらんことを!  (略)

汝の寝床は、現在においても過去においても、聖者や教父たちの場合がそうであつたのと同じく、清浄無垢なものと古来言われてきた。「愛」がその黄金の矢を放つのも、その変らざる誠の灯を点し、その深紅の翼を羽搏かせるのも、また、すべてを支配し、自ら喜悦(よろこび)に酔うのも、ここにおいてなのだ。この「愛」は、愛情も歓喜も親しみもない、金で買われた娼婦の微笑や、一時の浮気や、宮廷恋愛や、男女入りまじっての舞踏や、淫らな仮面劇(マスク)や、深夜の舞踏会や、或はまた本来なら唾棄して然るべき傲慢な美女に対し恋に窶れた男が捧げるあの小夜曲(セレナーデ)などに見出されるものでは全くないのだ。今、アダムとイーヴは、夜鳴禽(ナイティンゲイル)の歌う子守唄にあやされながら、互に抱き合ったまま眠っていた。裸の肉体(からだ)の上に、花の咲き乱れた屋根から薔薇の花弁が散っていた(朝には再び新鮮な花が咲き揃うのだ。)

 

* シュタイナーと妻も、またあの『愛する時と死する時』のたった数日を永遠と頼んで結婚しそして別れて行かねばならなかった二人も、人間同士の非道の横行しない時代であったならば、この、幸福の園のアダムとイヴのように、ひたすら抱きあって幾夜をもすごすことが出来た。ミルトンはひたむきに結婚愛と歌っているがアダムとイヴとは「結婚」していたのではないだろう。男と女としてひたむきに愛し合える園に暮らしていたのだ。

2013 9・26 144

 

 

☆ ジンメル『断想 日記抄』より  清水幾太郎訳に拠って

「神の正義は人間の概念に照して見ると不正なものを生み出すことが往々ある」とダンテは考へてゐた。

「生活を藝術品にせねばならぬといふのは無意味である。 藝術には別に藝術の要求がある。」

① 「実践の世界に於いて最も悪質の誤謬といふものは屡々極く真理に接近した誤謬である。吾々の観念が殆んど正しいとき、吾々の認識がただ最後の一簣を缺いてゐるとき--さういふときこそその上に築かれた行為は吾々をこの上なく恐ろしい過失へ連れ込むのである。極端な誤謬の方が容易に訂正される。」

「仕事に精を出す人間は多いが、その中で仕事の方が精を出してゐるといふ人間は少い。」

「吾々を進歩させるものを感謝の心を以つて書物の中から摂取すべきなのであつて、その他はただ素通りすればよい。」

「教育は不完全なのが普通である。 二つの対立する傾向即ち解放と束縛とに仕へねばならないから。」

「一般に青年の主張するところは正しくない、併し彼等がそれを主張するといふことは正しい。」

「青年に於いては凡ゆるものが未来へ向つて進んでゐて、過ぎ去つたものは一としてその場所にとどまり得るだけの重みを持つてゐない。 青年は丁度一つの点のやうにそこに何時も生命の全体が集つてゐる。」

② 「齢をとるに連れて生が益々疑はしいものとなり、縺れたものとなり、掴みどころのないものとなる。 或る年齢を越えるとこれがひどくなつて、つひには生に堪へることが出来なくなり、人間の適応の力が尽きてしまふやうになる。吾々はそこに解体し、そこに没落する--さうでない場合は独断論といふ人為的な固定性に逃れるのである。」

 

* ①②ともに、わたし自身にも実感がある厳しい恐ろしい指摘である。

 

* 目覚めたまま、夜中に文庫本をたくさん読み、さらに、贈られていた『松本幸四郎 私の履歴書』をずんずんとたくさん読んで敬意を覚えた。ペン会員に推薦した人ではあり、かねて、書簡の往来や書物の贈答はあるが、その九代目幸四郎と、舞台の外で会ったことは一度もない。だいたいそういうことがわたしは苦手なのである。舞台だけは、歌舞伎と限らず、十年来機会ごとにほぼ全部観てきて親愛している。その親愛を、この「履歴書」はきちっと裏打ちしてくれて、表白・表現が簡潔に読んでおもしろいのである。みなさんにもお奨めしたい。

 

* 寝入れぬまま、「交響する読書」の当座の文庫本の背を、性質べつに並べて眺めていた。

いわゆる小説は、「八犬伝」「指輪物語」「テレーズ・ラカン」「生の誘惑」「汝の隣人を愛せ」の五冊。

神話・物語詩を含む詩歌は、「後拾遺和歌集」「和泉式部集」「ギリシア・ローマ神話」「(沙翁)ソネット集」「失楽園」「湖の麗人」の六册

論攷は、「八犬伝の世界」「カントとゲエテ」「断想」「アイルランド」の四册

形而上学は、「易」「荘子内篇」「荘子外篇」「ブッダのことば」の四册

エッセイは、ゲーテ「イタリア紀行」 露伴「随筆集」上巻の二册

そうか、まあ、取りそろえてあるなと納得した。

2013 9・27 144

 

 

* 十九世紀の八五年にできたモーパッサンの「イヴェット 生の誘惑」を一気に読み上げてしまった。侯爵夫人を名乗る女が経営している曖昧宿の女主人の一人娘、快活で清潔な処女イヴェットが、貴族を名乗って母のもとへ寄ってくる客達に言い寄られる話である。この二十年近い以前に自然手技の旗手であったエミール・ゾラに「テレーズ・ラカン」がある。性の闇と焔とへ情熱のかぎり陥って行く人妻テレーズ・ラカン。ゾラがどう描いているか読みたく、順序は逆だが前哨戦のように思いモーパッサンの「イヴェット」を先ず読んだ。

その一方単行本で、橋爪大三郎の『性愛論』と上野千鶴子の『発情装置』を、つよい関心とともに同時に読み進んでいる。上野さんの本にはめざましくも鮮明な論究があり、肯くことが多い。

 

* 故三原誠の秀作本を二冊、奥さんに拝借していた。繰り返し読み、電子文藝館にももらい、返し惜しむほども永く十数年拝借したままだったのを、やっと礼と詫びの手紙を添えて返却した。今日、娘さんから電話で、三原夫人も今春に亡くなっていたと聞いた。三原さんはわたしより五つ、奥さんは三つ年配であったと知った。あんなに心に掛け合った同士なのに、顔を合わせたことはいちどもなかった。電話をもらった娘さんにももう十九歳の息子さんがあると聞いた。

電子文藝館には、芥川賞候補作の「たたかい」や、「ぎしねらみ」「白い鯉」などの代表的な作品がもらってある。読み直したくなった。

2013 9・27 144

 

 

* ツルゲーネフの『貴族の巣』を「交響する読書」に組み入れた。ロシア文学でかなり顕著に出会う一種独特の妙な男達がいる。おそらくこの小説の主人公ルージンもその目立つ一人で、鮮鋭な批評家ドロリューモフの『オブローモフ主義とは何か?』で厳しく分析され指弾もされているオブローモフ(ゴンチャロフの同名の小説の主人公)と色濃い同類の貴族かと想われる。ツルゲーネフ自身が貴族インテリゲンツィアであり、ルージンとの血族は否めなかろう。「高い理想を口にしながら自らは行動せず、無関心、そして怠惰」なそれ即ち「オブローモフ主義」と読んでドブロリューボフは糾弾し裁断している。読み終えたモーバッサン『生の誘惑』にあらわれて純な処女のイヴェットを誘惑しにあらわれる似而非貴族たちともよほどちがう、奇にして変なインテリなのである。『猟人日記』についで、またツルゲーネフにかかわってみる。

 

* 国文学で阪大名誉教授の島津忠夫さんより、和泉書院新刊『若山牧水ところどころ 近代短歌史の視点から』を贈られてきた。島津忠夫集の別巻2に当たっている。御礼申し上げます。

近代歌人で敬愛する人と歌集は少なくない。なかでも、これが「歌人の歌集」と意識し少年わがものと手にした、最初が岩波文庫の『若山牧水歌集』であり、次いで斎藤茂吉自選歌集『朝の蛍』であった。牧水についても茂吉についても愛読者の「感想」を請われ公にしたことがある。わたしは小説家。いかなるジャンルにあっても研究者ではない。小説以外に信じられぬほど多くを書いてきたが、論攷であれ批評であれエッセイであれ、すべては「感想」と謂うに尽きている。「随筆」と謂うてもよい。だからこそわたしは専門学の研究者の書かれた「研究」成果を読むのが好きなのである。住む世界がちがっているとちゃんと心得ているつもり。

2013 9・28 144

 

 

* 小谷野敦さんから『面白いほど詰め込める勉強法』という本が贈られてきた。この題名と今日を生きている私の姿勢とは、天と地よりも隔たっている。貰ったのを感謝してとりあえず棚に上げておく。同じ幻冬舎新書で頂戴した曾野綾子さんの『人間にとって成熟とは何か』は、相原精次さんに頂戴して耽読した『古墳』に次いで、今も妻が黙々打ち込んで愛読している。わたしたちに間近くもあり、またわたしたちの及ばぬところもいろいろの、簡明で率直な、さすが省察のエッセイである。

 

* もう目が見えない。

2013 9・28 144

 

 

☆ レマルク『汝の隣人を愛せ』より 山西英一の訳に拠って

「スープを、どうもありがとうございました。あなたがご自分でおあがりになったら、もっとよかったんですが」

ヴァイオリン弾きは彼(=ケルン)を見た。皺で顔が醜くなった。「あなたはまだお若いので、おわかりになれないのですよ」と、弁解するように言った。

「あなたがお考えになるよりは、よくわかりますよ」と、ケルンは返事をした。「あなたは不幸だ。それだけのことです」

「それだけって?」

「それだけです。はじめは何か特別のことのように思います。ところが、もっと長く外国におられると、おわかりになりますよ。不幸というものは、この世で一ばんありふれたものだということがね」

 

* 年がゆき才能さえもったヴァイオリン弾きのことばではない、作者は、若いケルンに言わせている、「不幸というものは、この世で一ばんありふれたもの」と。この慟哭を深くのみこんだことばを、だが、いまがいまこの平和そうな日本に生きるわれわれがじつは迫る寒気かのように体感していないだろうかと、わたしは嘆く。日々に嘆くのである。

2013 9・29 144

 

 

* 国文学研究資料館の今西祐一郎館長に、帙入り上下十巻の『湖月抄』を献呈した。若い学究のお役に少しでも立てばお使い下さいとお願いした。秦の祖父鶴吉の蔵書で、ちいさいころから、長持ちから引っ張り出しては帙を解き、ほおっほおっと息を吐きはき頁をくってきた。木版の、容易に読める本ではなかったが源氏物語註釈として聞こえた北村季吟の名著。

もう私のものにしておいて良いとは思わなかった。送り出して、嬉しくほっとした。

2013 9・29 144

 

 

* ホビットのフロドとサムとが「指輪」をとうどう火の山の底へ葬った。『指輪物語』の再読を始めたのは胃全摘の手術のあとだった。一年半以上掛けていて、「終わり」までには分厚い文庫本のまだ半分が残っている。そんなに時間をかけ、また他の本たちと併読していては何が何やら分からなくならないかと、(とくに聞かれたことはないけれど、)そんなことは全くなく、むしろ逆に、よくよく身内に物語が落ち着いてくれる。この大長編をわたしは半行一行もトバシ読みしないで楽しんでいる。トールキンの天才によるとともに、日本語に翻訳者のことばのセンスがすばらしい。これは特筆すべき大きい恵みである。

 

* 「後拾遺和歌集」 さらに「もう一選」してみようと思う。よく選べば、こちゃこちゃと和歌を解説したり鑑賞したりしなくても、ほんの少しの示唆で今日の多くの読書子にも愛されまた感想を喚び起こすだろうと思う。

2013 9・29 144

 

 

* 古希を過ぎた人の歌集に、よくもあしくも老境の切とした喜怒哀楽の憂いや思いが読めず、言葉のあっせんや遊びでただ場や景が綴ってある。こんなのでいいのと読んでいるこっちが不安を覚える。老いの坂を歩みながらの感想は、日々に重いし苦いと感じている。その重さや苦さが貰った歌集の表現にほとんど見て取れず、齢と表現との間にあまりに暢気な隙間を感じてしまうと、。

2013 9・30 144

 

 

* 今日はもう文庫本を十数册読んでしまっているが、これからの日々はますます眼に過酷になる。思い切って「交響する読書」は、当分小説を主に「クインテット」に縮小する。①小説を書く ② ホームページに私語する。 ③ 湖の本新刊を続ける。 ④ 「選集」構成のための校正作業。 ⑤ きまりの五冊読書を楽しむ。この最低五つの「仕事」でわたしの日々はハチ切れる。 楽しみは、歌舞伎など。

今日、喜多流の名手友枝昭世の十一月文化の日友枝会の招待券が届いた。昭世の演じるのは「烏頭」。凄艶の舞と謡を期待している。十月には国立劇場の歌舞伎、そして歌舞伎座の昼夜通しが待っている。

 

* 茨城県の北部で、夜、つよい地震。 そして、九月尽。

2013 9・30 144

 

 

* 国文学研究資料館の今西館長より、資料館編の『古典籍研究ガイダンス 王朝文学を読むために』と題した大冊を頂戴した。「わからないからこそ、きっと研究は面白い。自分の力でどう調べどう考えればいいか」と表紙や帯にある。研究者達の内懐を覗かせてもらう面白さ、わたしのような外野が無心に楽しめそう。感謝します。

 

☆ 拝復 やっと涼しくなってまいりました。

この夏の酷さには、私もかなり弱りましたが、ご療養中の先生におかれてはいかばかりかと、ひそかにご案じ申し上げておりました。しかるに先日は、「湖の本」117 を賜り、強烈な 「私語の刻」に接して、驚愕するとともに安堵した次第です。

本日はまた、ご所蔵の明治版『湖月抄』をわざわざお送りいただき、恐縮の極みでございます。

まだ近代国文学の樹立もおぼつかない時期に、この種の活版印刷本が多種、版を重ねていたことには、かねて驚異の思いを抱いておりました。猪熊夏樹増註の『湖月抄』は昭和に至るまで形を変えて出版され続け、『源氏物語』に対する国民の関心の深さを雄弁に示しています。この本は。国文学研究資料館でもすでに所蔵しておりますが、明治時代の酸性紙で、 館蔵のものも痛みが激し

いと思いますので、帙入りの完本として、当館で所蔵させていただきたく存じます。

同封の書物は、国文学研究資料館の共同研究の成果として出版した、古典研究の入門書のようなもので、雑多な寄せ集めの感を否めませんが、私も求められて一文を草しましたので、恥ずかしながらお送り申し上げます。

過ごしやすくなりましたが、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。 敬具

十月一日

秦恒平 先生      今西祐一郎自署

2013 10・2 145

 

 

* これからの日々はますます眼に過酷になる。思い切って「交響する読書」は、当分、小説を主に「五重奏」程度に縮小する。

① 小説を書く。

② ホームページに「私語」する。

③ 湖の本新刊を続ける。

④ 「選集」構成のための校正作業。

⑤ 少なくも五冊読書を楽しむ。

この最低五つの「仕事」でわたしの日々はハチ切れる。(九月三十日の私語)

2013 10・2 145

 

 

* エミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』にぐいぐい引きよせられている。モチーフが観念的にも明瞭で、物語の牽引力が露わなまで強い。ゾラというと荒っぽいという偏見があったが、焦点の絞り方など予想以上に巧いのに驚く。このゾラに学んで永井荷風が帰朝後にゾライズム自然手技を日本の文学に吹き込んだことは、後々の荷風の蔭にされ、覚えている人が少なくなった。「アメリカ物語」や「フランス物語」の荷風なりの必然が、いまごろゾラを読んでよく分かる気がするとはね。

 

* もう一つ特筆すべきは、曾野綾子さんのエッセイ(と謂うておく)『人間にとって成熟とは何か』への思いの外の素直に強い共感のこと。お説教の本ではない、八十過ぎた人のさらさらとした、しかし内容にも表現にも些かのブレのない述懐本であり、全面自然であり押しつけがましい説諭など感じさせずに、生活感に裏打ちされた当然至極のことが打ち明けられている。ケチをつけたり、ナンクセをつけたりしたくなるそんな不自然な挑発など少しもない。各話の表題だけがかなり強烈な印象とある種の先入主をもたせるが、行文はさらっとし、声音は静かで要点の持ち出しようにも臭みはなにも無い。読み手の方で、あらかじめ勝手に力んでしまいそうな本の表題であり、各話のアピールだけれど、事実は品の良いまことにもっともな述懐なのである、わたしは感じ入ったと敬意を表したい。 2013 10・3 145

 

 

* 興膳宏さん(京大名誉教授・元恩賜京都博物館館長)より、内篇、外篇に続いて『荘子』雑篇を頂戴した。壮大な荘子山系の完結篇である。山系と謂うもよいが、富士山で謂えば九合目上の頂点に古今に絶した荘子その人による内篇があり、広大な裾野をなして外篇と雑篇とがある。

雑篇冒頭の「庚桑楚篇」では、まっさきに一つ、こう結んでいる。「そなたたちにいっておくが、(この世の)大きな混乱の源は、必ずや堯・舜の世に始まって、その弊風は千代の後にまで残るだろう。千代の後の世には、きっと人間同士が食い殺しあうような時代になるにちがいない」と。堯も舜も上古も上古にはやくも仁義に治世の基をたてた聖帝として名高いが、その末代に孔孟の儒学が成ったのだが、荘子はこれを完璧に否認する。世と人とを不具なまで頑なに小さく狭くしたのは仁義などという偏狭な教えが害をなしたのだと。

吾々の今日只今が、予言のママにまさに然りと言えるところに荘子の畏ろしい眼力がそのまま光ってくる。

2013 10・4 145

 

 

* 『みごもりの湖』の校正を進めていた。読み進むのが嬉しいのである。三十五六の頃に書いていた。校正していて、ほぼ全く文章を直したいと思わない。今夜、一箇所、矢が「砕けた」とあるのを、「折れた」と直しただけ。句読点の一箇所を定めるのにも時間をかけてよく考えた。考えに考えた。苦しくも難航した創作であったけれど、作者のわたしにはひどい迷いも惑いもなかった。難航したぶん徹底して文章を考えられてよかったと、今にしてもはっきりそう思う。物語にも場面場面の表現や描写にもわたしは殆ど行き詰まりなど感じていなかった。

 

* では今はどうだろう。『みごもりの湖』のように書けるか。書けない。あれから四十年の余も年を取ってきた。青壮の息づかいとは違っている。上田秋成の芳醇の『雨月物語』と壮絶の『春雨物語』とが歴然とことなる文体で異なる物語世界を描いている、あれと同じだ。

わたしは、いやほど沢山の声に『清経入水』や『みごもりの湖』や『慈子』や『秘色』や『蝶の皿』のように書いてと頼まれた。そういうことは、しかし、不自然なのである。歳相応の完成度で創作は為されて自然なのであり、前作模倣を型にはまって繰り返していたは売り物は出来るかも知れないが人生に向かって誠実を欠いてしまう。

谷崎と芥川と佐藤春夫とで、あきなりとの雨月と春雨とどつちが好きかと盛んな議論があったいう。好きずきの話はそれで済む、が、秋成にして若い日の売り出しに春雨物語は書けず、老境の諦念の中で雨月物語は書けなかった。

その歳、歳に応じて精一杯を書き表すのが作家魂というもの。売り物だから何でもいいというのでは敬愛に値する創作者とはとても言えない。

2013 10・4 145

 

 

☆ 自然、槙子の姉のことを話題にした。無意味な、きれぎれの記憶ばかりが多く、槙子の思い出にある晴れやかな姉を何ほどかは色薄めがちなくすんだ話もまじったが、だが姉が畳の上に物をじかに置かなかったとか、床の間は別として、壁にものを懸けたり貼ったりしなかったはなしは槙子にも憶えがあった。新聞や本を読んでそのあと卓の下へ置いたままにして叱られたことがある。ハンガーに懸けて脱ぎかえの服を鴨居に吊したままにして厭がられたこともある。姉の部屋はいつも垂直と水平の線が綺麗に物指を当てたように整い、床は床、額は額、たんすの上はたんすの上で、今物を置き花を活けたように見えた。床の掛物も、花も、額の繪や写真も、手まめによく替えていた。  (みごもりの湖 一章より)

 

* 多分に、「槇子の姉の好みは、若い頃のわたし自身の好みであった、そのようにようにと日常心がけていた。いま、家中をかえりみて愕然とし慨嘆する。なにもかも老いたなと思う。

 

* 読書は、当分のあいだもっぱら小説に限ろうと。日本のそれが稗史小説の「南総里見八犬伝」しか無い。面白くはある、が、作の品位は落ちる。八犬士はみな凛然と書けている、のに、馬琴の行文があまりにコトゴトしく騒がしい。稗史というしかない。

日本語の小説は、ここ当分は私・秦恒平の「みごもりの湖・秘色・三輪山・蘇我殿幻想・消えたかタケル」を校正読みして、十分。これらで「選集の第一巻」に成る予定。A5版、550頁前後のどっしりした特装本にするつもり。

ゾラの「テレーズ・ラカン」は、実験文学とも謂えようか。この実験の遠い線上でわたしも試みてみたい仕事を、いまも、抱えている。

ツルゲーネフの「貴族の巣」は、まだ、これから。

レマルクの「汝の隣人を愛せ」は、わたしを惹き寄せる。まだ先が長いが、優れた作として身に迫る。

トールキンの「指輪物語」はいよいよ大団円が近い。これは作品豊かな文学史上に傑出した名作の一つであることを疑わない。まちがいなく、また繰り返して読みたくなるだろう。

小説ではないが、神話と叙事詩・物語詩も楽しんでいる。

「ギリシア・ローマ神話」 ミルトン「失楽園」 スコット「湖の麗人」 そしてシェイクスピアの「ソネット集」を。

 

* が、つい手が出てしまう。「ブッダのことば」「荘子」そして「露伴随筆集」。二階の機械の側では、貰ったばかりの『荘子 雑篇』を、合間ごとに開いて読んでいる。「思慮をして営々たらしむることなかれ。」「人物利害を以て相い (みだ)さず、相い与(とも)に怪を為さず、相い与に謀を為さず、相い与に事を為さず」「恒有る者は、人、之を舎(す)て、天、之を助く。」「知 其の知る能はざる所に止まるは、至れり。」「霊台(=心の中枢)は持する有り、而うして其の持する所を知らず、而(かなは)ち持す可からざる者なり。」

人を傷つける武器の中でも、ことにむごいのは人の心だと、語られている。

2013 10・5 145

 

 

* トールキンの『指輪物語』文庫本全9巻を、昨十月五日の二十四時きっちりに読了した。

最初の読了は一昨平成二十三年(2011)十二月二十一日、七十六歳の誕生日を迎えたばかりの午前一時二十分だった。本の奥に「感動して読了」と記しているが、今回の「感動」はさらに親しく確かに深まっていた。翻訳の丁寧なこともも含め、「希有の文学 宝玉の名品」と書き置いていた実感はさらに深い。

昨年正月五日に人間ドックでいきなり胃癌が宣告され、二月十五日に胃全摘と胆嚢摘除の八時間手術を受けたあと、わたしは、こういう苦境に向かう際の例によって、さまざまな読書計画を建てた。こういうとき、もっとも親しめる大長編をえらんで、これらを読み上げてしまう頃には……と。それまでは、淡々と、いやいや泣き言を言うても構わない、それでも「立ち向かう」までと心を決める。そしてまあ、沢山の本を病室へもちこみ、また対してからも枕元に積んだ。入院生活は半年の内に三度体験した。抗癌剤との闘いも一年。プラトンの『国家』 ゲーテの『フアウスト』を耽読した。また大好きな『源氏物語』や、同じくル・グゥイン、マキリップ、さらにトールキンの『指輪物語』に励まされたいと願った。馬琴の『南総里見八犬伝』の再読も始めた。読む本は増えに増えて行き「交響する読書」は多い時期20册にも及んで、これは副作用で痛め弱め続けた眼の機能とは真っ向逆行したと思う。

それでも読書の楽しみは、莫大に「闘病」を和らげたし、なによりこの一年半わたしの「仕事」量は壮年の盛時にもヒケをとらなかった。創作は進んだし、湖の本は最初の大手術以来二年にならないのに大きな八册を送り出している。原発をにらんで政治と社会へもの申し続けた日々の「私語」は厖大量に達し、読書も、こんなに読み続けた時期が過去にあったかと惘れるほどよく読んだ。

地下鉄で仰向けに転倒したりしながらも、杖をついて演舞場へもよく通い、柿葺落とし興行の新歌舞伎座へも一つの休みもなく楽しみに出かけていた。

 

* トールキンを読み終えて、わたしの日々はまた新しくなって行く、良い方へと願っているが、癌のことだ、立ち向かう日々は続く。その日々を、ひと味も変えて動かす「仕事」に、『定本 秦恒平文学選集』がどこまでどう進みうるか。建日子の助けも借りて、浮き足立たずに歩みを運びたい。

そうそう、「指輪物語」に心底楽しむ、溶け入るのに、二つ、心がけた方が良いと思っている。一つは、精緻な叙述や表現にすばらしさがあり、一目十行斜め読みはあえて決してしないで逐一行一行を喜んで読み進み読み味わうのが大事だということ。もう一つは、このファンタジイ世界の仔細げな地図が付属している、それを、そのいろんな知名を逐一参照して少しでも頭に入れているととても物語の運びが具多胎的に眼に見えてくるということ。

2013 10・6 145

 

 

☆ 『荘子』雑篇 庚桑楚篇 五  (福永光司・興膳宏氏の訓に拠って)

志の勃(みだ)れを徹(す)て、心の繆(いまし)めを解き、徳の累(わづら)ひを去り、道の塞がりを達す。

貴・富・顕・厳・名・利の六者は、志を勃すなり。   (顕は栄誉 厳は権勢)

容・動・色・理・気・意の六者は、心を繆(いまし)むるなり。  (容貌 行儀 表情 語気 挙動 敢為 秦の読み)

悪(お)・欲・喜・怒・哀・楽の六者は、徳を累はすなり。

去・就・取・与・知・能の六者は、道を塞ぐなり。

此の四つの六者、胸中を盪(うご)かさざれば則ち正し。正しければ則ち静か、静かなれば則ち明らか、明らかなれば則ち虚なり。虚なれば則ち無為にして 為さざるは無きなり。  (虚は無心 為は人為のはからい 無為でこそ成らざるは無い。)

 

* すうっ と入ってくる、身内の深くまで。

2013 10・6 145

 

 

* ヒルティの高名な『眠れぬ夜のために』を読み始めることにした。ヒルティは世界史上、最も完成された人格豊かな師表として尊敬をあつめた優れた人である。そのヒルティが真心をこめて人間を語り神を語り歴史を語り命の深さ尊さを語る。ブッダではないが、近代のブッダというにふさわしい人の生きた「ことば」を聴くことができるだろう。幸せなことに、こういう本は人類の文化史に何冊も何冊も登場する。ヒルティのこれは中でも傑出した「ことば」として知られる。

 

* 奈良の、東淳子さんの美しい歌集が贈られてきた。

2013 10・8 145

 

 

* 埼玉県の譚詩舎内「午前社」から詩誌「午前」の四号が送られてきた。創刊号をもらってから月日を経、どうしたかと案じていた。立原道造にゆかりありげに編まれて、清潔。

「たちはらみちぞう  詩人   1914.7.30 – 1939.3.29  東京日本橋に生まれる。 室生犀星、堀辰雄に師事し十八歳頃から本格的に詩作を始め、東京帝大建築科に進んで三年連続辰野金吾賞を受けた。ソネット形式の作を多く試み、昭和十二年(1937)卒業後の五月と十二月に掲載の二つの詩集を刊行、美しい遺作となる。 中原中也賞。 享年二十四歳。 ( 秦恒平) 」と紹介し、わたしの「e-文藝館・湖(umi )」にもペンの「電子文藝館」にも作品「萱草に寄す」をもらっている。ことに夭折の惜しまれる詩人であった。

「午前」の詩と文とをゆっくり読もう。

 

* 詩といえば、岡本勝人さんからお預かりしながら、何としても「e-文藝館・湖(umi )」に掲示できなかった大長編詩を、繰り返し試行錯誤をかさねたあげく、とうとう、今夜、転送に成功した。お預かりしたのは四月上旬だった。半年もの間、わたしは放置していたのではない、が、何としても何としても忘れてしまった掲示の手順が取り戻せなかったのだ。ほおっと、一息ついた。

2013 10・9 145

 

 

* 『みごもりの湖』の校正も鋭意進めている。読み返したいと思いつつ久しく果たせなかったのを、今にして心して一字一句も疎かにせず読み直している。

それにしても、新たにつくった眼鏡の四つが四つとも吾が目の玉の実情と合わない。情けない。

2013 10・9 145

 

 

* 『みごもりの湖』第三章の10まで、校正しながら読み進んだ。十一時半。階下で、これから別の本を七、八册読んで、寝る。

2013 10・10 145

 

 

☆ 奈良の東淳子さんの歌集『晩夏』に引き込まれる。「夏の死者たち」の「Ⅰ」より引く。

 

とんとんと過去を忘れてゆく人の日日に触れつつ死にふれてゐる

老病死ひとにあづけて真裸の君にこの世のなにが怖いか

死の恐怖もたざる君の死をわれは君にかはりてひそかに恐る

みづからの過去を忘るるかたはらの人にわたしは何者ならむ

手を引きて時間(とき)のまひごになる人を連れもどすなりよるの寝床へ

女男(めを)ふたりつがひに生くる春秋のおもしろうてぞやがてかなしき

老耄を明日のわが身とおもへどもわれは生きをり今日といふ日を

たべねむることがひと日の仕事なる君にまるごとわれはつきあふ

めざめてはあしたの食(じき)をよろこべる今のあなたは今しか居ない

生きてゐる意味など問ふなその口が一心不乱となりてもの食(は)む

忘れたるはずの言葉が伏兵のごとくあなたの寝言にいでく

ものいはぬ人と暮らせばものをいふ人間の口あやにうとまし

 

☆ ヒルティ『眠られぬ夜のために』 の冒頭より  草間平作・大和邦太郎氏の訳に拠りながら

眠られぬ夜はたえがたい禍いである。健康な者も病人もそれを恐れる。というのは、健康な者は、主として規則正しい睡眠によって健康が保たれるのを知っており、また病人の場合は、苦痛を和らげ元気を回復してくれる睡眠によって中断されないならば、長い暗い夜の時間の悩みと苦しみが、二倍にも感じられるからである。そしてありがちなことだか、その上に心配や悲しみが加わるならば、将来に対する恐怖が、休力も衰え気力もなえた人に、ちょうど「武装した兵士」のように襲いかかる。これに抵抗するのは困難であり、のがれることさえできない。

これはまさにその通りであるが、しかしそれにもかかわらず、このような場合に、それが一時的な不眠にせよ、あるいは永続的なものにせよ、適当な有効な療法があればそれを用いるか、それとも、せめて不眠そのものをできるだけ利用するほかはない。しかもこの二つは、ある程度まで結合することができる。これに反して、なにも救いの手立てを試みないで、いたずらに嘆いているのは、あきらかに愚かなことであって、たださえつらい病苦を和らげるどころか、さらに重くするだけである。

どうして不眠が起るのか、一概にはいえない。不眠はたいてい病気や、心配事や、不安な物思いから起る。だが、ときには、休息のとりすぎ、安逸な暮し方、いろいろな不節制、あるいは不適当な時間の昼寝などから起ることもある。いったい眠りとは何かということは、われわれにはわかっていない。この間題については、実際上はあまり実りのない研究や論争の域をまだとうぶん越えられそうもない。ただ経験上確実にわかっているのは、適度の眠りが、健康を保つために必要であり、病気、とくに神経系統の病気の際には、一番よい、欠く仁とのできない治療手段であること、また、睡眠は夜間、それも夜半前から始めて、六時間ないし八時間、中断せずに続けて眠るのが最も有効であること、なお、人工的な催眠剤はできれば避けなければならない、ということである。

 

多年にわたる親しい友人で、八十歳をこえたある老婦人は、この点について語った、「私はこの年になるまで少女時代のような安らかな眠りをつづけています。」 (略)  眠くならなければ就寝しないという習慣のおかげだと。 実際、女性の場合、不眠はしばしば、不必要に横になりすぎることや、また疲れすぎることからも生じる。女性は、たいていその体力にくらべて仕事が多すぎるか、少なすぎるかであろ。そのどちらもよくない結果をまねくものである。

もちろん、睡眠時間は、年齢や身体の強弱によって変ってくる。しかし、われわれは有害なことにも慣れるものであって、長すぎる眠りはかえって体を弱めるものだ。

 

不眠はつねに禍いであって、できるだけ除かねばならない。ただ例外は、その不眠が非常に大きな内的なよろこびから生じた時(この場合、眠れないことがむしろ人生最大の喜びの一つである)、もしくは、日頃はおこたりがちな自己反省の静かな、妨げられない時間を与えるために不眠が授けられた場合である。この後者の場合、不眠は内的生活のとくに大きな進歩をとげ、人生最上の宝を手にいれるために軽んじてはならない貴重な機会である。眠られぬ夜に、自分の生涯の決定的な洞察や決断を見出した人びとは、かぎりなく多い。

このような見地から不眠の問題を考察しても、すこしもさしつかえあるまい。イスラエルの賢者、カヒナイの子ラビ・カニナは言っている、「夜、目をさましているときや、独りで道を歩いているときに、安逸な思いに心をゆだねる者は、おのれの魂に対して罪を犯している。」つまりその人は、精神上の大きな利益を手に入れるまたとない機会をとり逃がすばかりか、無益な思い

がまねきやすい危険に身をさらすことになる、というのだ。

眠られぬ夜をもなお「神の賜物」と見なすのが、つねに正しい態度であろう。それは活用さるべきものであって、むやみに逆らうべきではない。

 

* このように前置きして、ヒルテイは、人々の『眠れぬ夜のために』叡智と人間愛の結晶のような優れた思いを、惜しみなく語り続けてくれる。キリスト教世界の知性であり、十分には馴染みきれない話柄も多いのだけれど、「読む」嬉しさを静かに満たしてくれることは保証できる。

なによりもヒルテイの先の言葉のうち、「日頃はおこたりがちな自己反省の静かな、妨げられない時間を与えるために不眠が授けられた場合、  不眠は内的生活のとくに大きな進歩をとげ、人生最上の宝を手にいれるために軽んじてはならない貴重な機会。  眠られぬ夜に、自分の生涯の決定的な洞察や決断を見出した人びとは、かぎりなく多い」という数節は胸に響く。これは紛れない事実だとわたしの体験も確言してくれる。大小とりどりにどれほど多くの人生上の決意を眠れぬ夜にかためて実現してきたか、計り知れない。

2013 10・11 145

 

 

* 一心に校正している『みごもりの湖』は、刊行時の書評や評判のおおかたが「死者の書」となぞらえ呼んでいた。まっこうから人が人に死なれ・死なせての哀情と思索の作であった。この作だけがそうではなかった、『慈子』も『清経入水』も『初恋=雲居寺跡』も『冬祭り』も、およそ秦恒平の創作のほとんどがそうであった。肉親では親たちの全部を死なせ、いとおしい孫娘も死なせ、兄や姉たちの全部に死なれている。愛したネコ、ノコにも。そして心親しかったどれだけ大勢の知己や友に死なれてきたことか。

いわばそういう陰気な話題に取り組みつつもそこに花やいで静かな深い世界をどうか書き置きたいとわたしは願ってきたようだ。

校正、校正、校正。一字一句を読みながら、何よりも何よりも楽しんでいる自分に気が付く。むかしむかし谷崎潤一郎が、年を取ったらもう人の物など読まない、むかしに書いた自分の作をしみじみ読み返したいと書いていて、「そうやろなあ」と芯から思った。あのとき、大谷崎は、ほんとうのところ自分がいちばん読みたくて読みたくて堪らないような創作をしてきたことに思い当たっていたろう。どんな他人の書いた名作よりも、自分が読みたくて自分で書いた作をじっと読み返して老境を過ごしたい。かかるナルシシズムこそが藝術家として生きる者の実は覚悟なのだ。覚悟なしには言えないのだ。

2013 10・11 145

 

 

* 起床8:30 血圧122-65(55) 血糖値93  体重67.2kg  夜中に目覚め、そのまま「交響する読書」20册ほど。レマルク「汝の隣人を愛せ」 ミルトン「失楽園」 ツルゲーネフ「貴族の巣」 ゾラ「テレーズ・ラカン」 ヒルテイ「眠れぬ夜のために」 ゲーテ「イタリア紀行」 荘子「内篇・外篇」 「ブッダのことば」 後拾遺和歌集 などが面白かった。このところ、ずうっと、朝の八時半になると、韓国の歴史もの 「トンイ」「イ・サン」をほぼ欠かさず観て、その間に朝の諸検査・注射そして朝食後の服薬などを。 朝食後に排便と下痢。

2013 10・12 145

 

 

* 第四章の「14」まで『みごもりの湖』を読み進み校正した。

卒然と神隠(みごも)った愛する姉の「死」の不思議と哀しみとを、姉とおなじ大学にすすんだ妹槇子はかき分けて行く。手がかりは、姉のもっていた一冊の小説本に挟まれていた何でもない栞の、裏にペンて手書きされていた「品部」という二字しかなかった。

奈良朝の末期を血にそめた宰相藤原仲麻呂=恵美押勝と孝謙(称徳)女帝との国崩しの烈しい愛憎、そして琵琶湖の西、勝野の濱での凄惨をきわめた押勝らの最期。だが、辛うじてその惨劇から父に離れ母を死なせて湖上を東へ小舟で遁れ去った、史実不思議の美少女東子。

世界も時代もまるで異る二筋が、分かちがたい必然をかたち成して太い一筋に綯い上げられてゆく。

まだ、半ばである。

2013 10・12 145

 

 

* 我から求めて海外に旅しようとしないわたしは、読書から得た知識のほかには英仏独米もインドも朝鮮もその土を踏んだことがない。幸いにその国から招かれて中国へ二度、ロシア・グルジア(当時は共にソ連)に一度出かけた。それだけ、であって、強いてそれ以外を望んでもこなかった。同じ日本でもわたしは沖縄を知らない。沖縄取材のために羽田空港まで行ったが空港の事故で飛行機が飛ばず、そのまま断念というよりわたしが沖縄行きを放棄した。

そんなわたしが、今、オフェイロンという人の岩波文庫『アイルランド』を読んでいる。後世の女帝メアリの生涯や、イングランドとの今日にも至る烈しい愛憎の政治史・暗闘史などに心惹かれてでは、ない。きわめて独特の、と想われる先史時代からのケルト神話等のありようを探り観て見たかった。

とともに比較して、すでに先に読み上げたアポロドーロスによる「原液」「原酒」に似た『ギリシア神話』、そして今読んでいるブルフィンチの、美味しいケーキかクッキーのように一話仕立ての『ギリシア・ローマ神話』、さらには、ホメロスによる『イリアス』『オデュッセイ』などとの、同じく「神話」とはいいながら、何かしら決定的な特徴が「ケルト・アイルランドの神話や伝承」には見て取れるのかも知れぬと、好奇心をもったのである。一つ、きっかけを言うなら、神話といえども次第に神が人くさくなり、人が半ば神のように生き死にしはじめる。どの国のどのような神話にも、それはインドでも中国でも日本でも、ま、大差ない推移が読み取れる。そのようにして、神話が次第に歴史に成って行く。

勘にすぎないが、アイルランドでは、さような推移に他国と異なる原始性の保存度が強かったのではなかろうか、と、まあ、わたしの宛てズッポーではあるが、オフェイロンの『アイルランド』 面白く読み始めている

2013 10・13 145

 

 

* 『ブッダのことば』第三の「コーカーリヤ」へ来て、もの凄い地獄のさまが語られ、虚をつかれたが、その字句、詩句はあの源信・恵心僧都が語って聴かせた『往生要集』の地獄語りのそっくり下繪になっていたのにもビックリした。『往生要集』をどんなに熱心にわたしは読んだろう。昨日も校正しながら読み耽っていたわたしの『みごもりの湖』にも、まるで書き写したかのように「コーカーリア」由来の源信のことばが引用されていた。優に四十年ものむかしのことだ。

「人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。」「毀るべき人を誉め、また誉むべき人を毀る者、 かれは口によって禍をかさね、その禍のゆえに福楽を受けることができない。」「立派な聖者に対して悪意をいだく人の受ける不運は、まことに重いのである。」「嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら、<わたしはしませんでした>と言う人もまた同じ。両者ともに皇位の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受ける。地獄に堕ちる。」等々、等々がずうっと言われ続けている「ブッダのことば」として。

 

* 所定の仕事は仕事、その中でも今はひたむきにわたし自身の『みごもりの湖』を読み進んでいる。

2013 10・15 145

 

 

*  ひたすら、『みごもりの湖』を読む。あのときだから書けた。いまはこうは書けないし書かない。書けるときに書くべき作を渾身書いて置いた、それでいいと思う。今は今の作を書かねばならぬ。

2013 10・15 145

 

 

* ジムメルは『カントとゲエテ』でこう書いている。

「カントは道徳的人間に、世界の究竟目的を・唯一絶対の価値を・見る。」だがゲエテはそうでない。「道徳も彼にとつては絶対なものでも最期のものでもあり得ず、単に生の問題のひとつであり、他の諸問題と同列に立つ。」そしてジムメルは躊躇せずこう言う、「そこに自然の統一があり(もしくは示され)、そしてそれに対しては、われわれが道徳と称する偶然の断片に存在の頂点を見んとするが如きは、けちな一の擬人化である」と。

 

* 幸田露伴の考証「囲碁雑考」ははなはだ高尚なものだが、多少でも囲碁の実践歴があれば、オウオウと頷いたり同感できる。「古より今に及ぶまで、奕者同局無し」つまり全く同じ棋譜は決して無いなど、不思議なことだが驚かない。孫子のいうと同様、囲碁でも「多算勝、少算不勝(敗)」は当然だ。「一子(=石)を(敵に=)輸(お)くるも、一先(=先手)を失ふなかれ。」「子を恋ひてもつて生を求めんよりは、これを棄てて勝を取るに若(し)かず」というも至当の教えである。「手に随つて下す者は、無謀の人なり。思はずして応ずる者は、敗を取るの道なり。」「時に臨みて変通せよ、宜しく執一なるなかれ。」「それ智者はいまだ萌さざるに見、愚者は成事を賭る。故に己の害を知りて、而して彼の利を図る者は勝つ。もつて戦ふべきと、戦ふべからざるとを知る者は勝つ。」などと、古典でもある『棋経』や『奕旨』や『囲棊賦』らは、囲碁の妙旨をもっともっと豊富にしみじみと語ってくれる。これら古典ははるか後漢にも溯る著述、囲碁の歴史の遠さ深さが分かる。露伴はその簡明な「道案内」をしてくれる。

 

* ヒルテイの『眠られぬ夜のために』は、頁をひらく以前から十分に察し得ていたように、彼の敬虔で懇篤なキリスト教信仰に裏打ちされた明哲の語録である。だからクリスチャンでない異邦日本のわれわれにはとてもとっ付けないかというと、けっしてそうではない。ヒルテイには押しつけの姿勢が無く、誠心誠意の人柄からまっすく表れる確信だけがある。強いては来ない、耳を開いて静かに聴けばいいだけである。聴けば、確かな豊かな間違いのない「ことば」の奥の言葉が届いてくる。素直にそれに頷いたり恥じたり悲しんだり喜んだりして「眠られぬ夜のために」掲げられた一日、一日の簡潔で深い思いに触れればいいのである。「品性の純金は、ただ強度の、しかもたびかさなる精錬によってのみ得られる。」

ヒルテイは言う、たとえ「病気」とても、「それが正しく理解され善用されるならば、心の純化に到達する、(実は=)手っとりばやい方法である」とも。

わたしは信頼してこれを聴く。

 

* 『みごもりの湖』をひたむきに読み返し続けている。作者であることも忘れている。事実、こう書いていたのか、こんなことを書いていたのかと胸をつかれる。

300頁も校正し読み進んで、もうあますところ30頁分。黒谷、清水坂、祇園・四条、同志社、そして五箇庄や観音寺山・老蘇などなど懐かしい限りの京・近江をこれ以上はあるまいと思うほど丹念に描いている。

2013 10・16 145

 

 

* 昨日、曾野綾子さんの本を読み終えた。本の性質上、一気に読むというものでなく、日を替えては一章ずつ読んでいった。

前にも書いたが、ごく僅かな異見のほか、この本に対しおどろくほど多くも深くも同感をわたしは覚えた。じつは、驚いた。待て待てとたちどまってみて、だが、間違いなかった。わたしより先に読んでいた妻に聞いても同じだった。共感するのに殆どためらいの要らない本だったと妻も言う。一章一章の表題がこころもち挑発的なためふと警戒するのが、読むとすぐそんな先入見は失せ、斯く在りたいものと日頃我らも思うままが、さらさらと何の障りなく書かれていた。あららと嬉しくなる、そんな本であった。

曾野さんにははっきり神への信仰がある。わたしには信仰という行為に寄り添う思いがない。それでも、計り知れないなにかへの敬意は捨てていない。神といわれ仏といわれようが、またその余のなにであれ、私の計り知れないものには計り知れないなにかが在るのだろう、それを見くびりも軽んじもわたしはしていない。謙遜といういうことでは、信仰者も、そうではない私にも、同じ日々が訪れる。そういう双方に「人間にとって成熟とは何か」と問いかけて、大差のあるわけがない。そう知れることだけでもこの曾野さんの本は好ましく有り難いものであった。

2013 10・19 145

 

 

* 久保田淳さんに頂戴していた鴨長明の『無名抄』を読み始めている。ときおり「詩歌断想」と題して湖の本にしたり添えたりしているが、これは長明による「和歌断想」であると読み進めるのが一等面白く興深く味わえそうに思う。長明という人の人生には言いしれぬ屈折があり、その人柄にもそれが滲み出る。彼は、それを知っていた。苦しみながら自信の屈折と応対していた。『方丈記』にも著しい。この『無名抄』ではよほどそれが和らいでいるように感じる。妙な物言いを敢えてするが晩命ということを、ものを、受け容れて自然な姿勢が出て来ている。

2013 10・20 145

 

 

* 今朝、アマチュア将棋の名人位決勝戦を観ていた。はなから優位と見えていた人の七八割がた押しまくった一方的な試合でありながら、たった一つの緩手・緩着から大逆転の負けとなった。仰天もし、深く首肯もした。いましも幸田露伴の考証「象戯余談」を読んでいて、ちょうど「奕戯の道、弱者も勝つ有り、強者も敗るるあり、而して後奕戯の道の玄機不測、幻境万変の妙存するなり。もしそれ強者必ず勝ち、弱者必ず敗れなば、奕戯の亡ぶることもまたすでに久しからん」とし、明の楊升庵の諺語「敗棋に勝著有り」を引いて、「甚だ佳、道破す人生一半の理」と。「敗棋の勝著」の裏には必して「勝棋の緩著・敗著」のあることをも示唆している。めざましい実例をわたしは今朝目の当たりにした。

2013 10・20 145

 

 

* キェルケゴールの『死にいたる病』も読み始めた。これはもう近代実存哲学に膚接し先行した形而上学で、哲学史のなかで、近代のそれはかなり読み煩う文体で語りかける。言うまでもない「絶望」を語っていて、幸い、絶望の二字には近接していないと自覚している。読み上げるかどうか自信は、ないが。

ひとつには、やはりキリスト教との内的なかかわりが濃いわけで、そちらの方の素養がわたしには足りていない。

同じ形而上学でも『荘子』や『ブッダのことば』の方が親しめる。いや、ミルトンの『失楽園』も、神とサタンとの戦をまだ続けているけれど、これは遙かに読みやすい壮大な叙事詩である。

 

* 『みごもりの湖』は、妹が姉の謎の失踪と死とを、愛と惑いとに衝き動かされながら追って行き、即ちそれが葬送を成して行くような物語になっていて、組み立ては謎を解いて行く推理や不思議を抱き込んでいる。人が人に死なれ、また死なせているのは世の常であるが、それが文学の主題になろうとするとき、ただに愛と死とよく普通に言われる見地が平凡に定まってしまい、一段も二段も奥の不思議、人が人を分かりうるのかという主題が取り残されてきた気がする。愛さえあれば、人が人を分かりうるのか。それともそんなことは徒労に同じいのか。

少なくもわたしは、人として人が分かりきれないという哀しみをいまでも口惜しいほどの思いで身内深くに幾つも持っている。

 

* 姉菊子はほんとに死んでしまっているのか、じつはそうはでないのか。『みごもりの湖』の妹槇子は、その頼りなさを哀しみながらあとを追って行く。槇子と同じ地平をいまもなお作者のわたしは踏んでいる、踏みかたは、異なるにしても。

 

* 昨日今日、わたしの眼は機能不全。それでも、自作の校正もし、湖の本の校正もし、闇に言い置く私語もし、読書もし、そして創作もじりじりと前へ進めている。わたしの「いま・ここ」はそれなのだ、なら、それは為し成すしかない。

2013 10・20 145

 

 

* 『荘子』内篇は「徳充符」を読んでいる。

鴨長明の『無名抄』も、話題がなにもかも和歌であり、とても面白く興味深い。

ブルフィンチの『ギリシア・ローマ物語』 王様の耳は驢馬の耳と謂うことは知っていたが、第六章の「ミダス王」のおはなしと正確に知ったのは初めて。なるほど、知っているといないとでは、受け容れに大差がでる。こんな本は高校時代に読むべきだった。機会が有っても見捨ててきたのは、わたしの迂闊あるいは高慢。

 

☆ 「沈黙で失敗する者はない」とヒルテイは『眠られぬ夜のために』「一月十日」の記事の冒頭に書いている。

「実際、きわめて多くの面倒で不愉快な人生のいざこざも、しばしばこのやり方で、たやすくきり抜けることができる」と。これに反して、「多くの人が愛好する、いわゆる『自分の意見発表』は、たいてい、ただ双方の意見のくいちがいを一層きわだたせるだけで、時には事態を収拾のつかないものにしてしまう」とも。

「よく考えておきましょう」という言葉も、「ひどく激しやすい人や、気心や決心が変りやすい人に対しては、しばしば奇跡的な効果がある」と。

「文通の場合にも、返事したくないことには答えず、また催促されてもこの決心を変えないことが、多くの不快な議論をうち切る確かな方法である。ところが、大部分の人が、三度目にはその決心をひるがえしてしまう」と、ヒルテイ先生は言われる。ウーン、ウーン、ウーンと、百回も唸っても悔いののこること、数知れず。なさけないなあ。

ただし、ヒルテイは、こう確実に付け加えていてくれる。

「しかし、改めさせることのできる、また改めさせねばならない明白な不正に対しては、沈黙してはならない。不正を心ひそかに憎みながら黙っているのも、まちがいである」と。

 

* このヒルテイの歴史的な名著『眠られぬ夜のために』 枕元に必備の書としてわたしは信頼する。

 

* もうすぐ読み上げる小説ではあるが、エミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』には参っている。面白くないのではない、面白すぎると謂うのも言い過ぎだけれど、さながらに解剖生理の術と式と診断を尽くした「小説」で、「わたし失敗しません」のドクターXこと米原涼子演じるスーパー外科医大門未知子の手術をまるで覗き込むよう。日本では花袋の『蒲団』などで自然主義文学が語られたけれど、とてもとてもそれどころでない文学の実験を大まじめにゾラは敢行している。徳も不徳も悪徳もなにもかもが必然の生理と心理とから解剖され尽くしている。凄いという批評はゾラと、その『テレーズ・ラカン』にこそ用いねばならぬ。

2013 10・21 145

 

 

* 小説を書きすすみ、選集のために「秘色」を校正し、湖の本の要再校原稿を用意し、たくさんな本を楽しんで読み、そしてこの「私語」を欠かさない。少なくもこの五つを欠かさない毎日を送り迎えしている。そのあいだに、いろんな感想や、ときには空想も妄想も湧く。それもわたしはしっかり食べる。

2013 10・22 145

 

 

* 『失楽園』がこんなに面白いとは。地球すらまだ存在しない宇宙大の神話叙事詩がこうも面白く興深く読めるとは。『ブッダのことば』も巻を擱く能わない。

 

☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』の一月十五日の記事に。

神学も、学問としてならば、おだやかに尊敬するがよい。 しかしそれ以上ではない。あなたの内的生活にとって、そのような知識は必要でない。

聖職にある人たちを評価する場合、われわれ半信徒にとって主として標準となるのは、偉大な宗教的能力を備えているかどうかであるーーすなわち慰めの力、効果のある祈り、病気の治療、積みのゆるし、預言の能力、一層正確にいえば現在と未来に対する正しい洞察力、いいかえれば真理のみ霊を宿しているかどうかということである。少なくとも、以上の諸能力のいくらかを備えていると認められないような聖職者のどんな指導にもあなたは信頼してはならない。

その他のこと、たとえば神学的博識、教会への熱心、説教の才能、その他のあらゆることも第二義的なものにすぎない。 本質的な諸能力は学んで得られるものではなく、まして、なんらかの聖職授与式によってあたえられるものでみない。それらはみな神の直接のおゆるしによる。

聖職としての能を欠いた彼らは、彼らに託された神の言葉を、ただ職業的に、それとも政治的あるいは教会の目的のために宣べ伝えるのみで その直接の結果は、彼ら自身の霊的生活の破壊である。

いつの時代にも、またどの民族(宗教)にも、自己と世界との縁を絶ち、自分自身のためにはなんの願望をも持たず、ひたすら正しい道で人を助けるためにのみ生きる幾多の人がいる。これこそ真の「聖職者」である。もし聖職者でありながらこのような特質を備えていないなら、ほとんど値打ちがない。

2013 10・23 145

 

 

* 「彼岸」が、もし単に経過的な「死の後」とでも謂うならそれでいいが、さもなくて、「彼岸」という特別の「他界」が実在するという思いは持っていない。極楽も地獄も天国も、ファンタジイに過ぎず、極楽・天国へ逝きたく、地獄には逝きたくなく、といった懸念はほぼ払拭している。ただ、いかにも軽々と平静に残年・残生を過ごしたいとは願っていて、それにはあまりに自身の内にも外にも邪悪や害念が多すぎて弱虫の心がともすると縮んでしまう。

どうしても、わたしにはヒルテイのような、キェルケゴールのような、ミルトンのようなキリスト教への膚接感がもてない。尊いと思いつつ、実感としては肌身を隔てた少し遠くにそれが有る。ブッダや荘子の「ことば」、中国の詩や日本の和歌らの催しのほうに心惹かれやすい。それでいいと思っている。

『ブッダのことば』は、「蛇の章」十二節、「小なる章」十四節、「大いなる章」十二節を、読みかつ聴いてきた。中村元先生の懇切な註にも教えて頂いた。そして残る「八つの詩句の章」十六節、「彼岸に至るる道の章」十八節に入って行く。何かに願うのでも縋るのでも抱きつきたいのでもない、高慢で言うのでなく、所詮身の程の至らなさを覚えたままただ読みかつ聴く。それがいいちもいけないとも、わたしには分からない。「第四 八つの詩句の章」はひとしお重いのであろうが、心してまた怯えずに、聴く。

 

☆ 中村元訳『ブッダのことば』第四 八つの詩句の章より

一、欲 望

七六六 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

七六七 欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

七六八 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世でこの執著をのり超える。

七六九 ひとが、田畑・宅地・黄金・牛馬・奴脾・傭人・婦女・親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

七七○ 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち、危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊れた舟に水が侵入するように。

七七一 それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

二、洞窟についての八つの詩句

七七二 窟(身体)のうちにとどまり、執著し、多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没している人、--このような人は、実に(遠ざかり離れること)(厭離)から遠く隔っている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。

七七三 欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも顧慮しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪る。

七七四 かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、--「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。

七七五 だから人はここ(今・此処)において学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、それのために不正を行なってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。

七七六 この世の人々が、諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたくし(=ブッダ)は見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。

七七七 (何ものかを)わがものであると執著して動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少いところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。--諸々の生存に対して執著することなしに。

七七八 賢者は、両極端に対する欲望を制し、(感官と対象との)接触を知りつくして、貪ることなく、自責の念にかられるような悪い行いをしないで、見聞することがらに汚されない。

七七九 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行い、この世をもかの世をも望まない。

 

* 偏見を差し挟むようだが、胸に衝きたって来る箇所を顧み歎き心がけながら、太字にしてみた。至らなさを露呈している。繰り返し聴くうちに太字の箇所が動くことだろう。

ヒルテイは「眠られぬ夜」にヨハネの福音書を念頭に独語している、「実際この世には、どんな恵まれた運命にあっても、不安と心労しか存しないのだ。 人生はたえざる克服か、もしくは屈服である。地上においては、いかなる人間にもそれ以外の道はありえない」と。

 

☆ 物いふ女の侍るところにまかれりけるに、よべなくなりにきといひければよめる  源兼長

ありしこそ限なりけれあふ事をなどのちのよと契らざりけん

 

男に忘られて侍りける頃、貴布禰にまゐりてみたらし河に蛍のとび侍りけるをみてよめる  和泉式部

物思へば澤の蛍もわが身よりあくがれ出づる玉かとぞみる

神の御返し

奥山にたぎりて落つる瀧つ瀬の玉ちるばかりものな思ひそ

 

* ともすればこういう情けの歌が身内によみがえるのだ、愚かなのか哀れなのか。

2013 10・24 145

 

 

* ゾラの『テレーズ・ラカン』読了。作者の意図はよくよく了知した。さもあろう、ありそうで、しかし希有な作と思う。文学としての真の創作とは、常に「実験」でありたいとわたしは『慈子』を書いた頃から、今でも、思い続けている。ゾラのこの力づくの実験が奏功しているかの評価は別にすれば、やはり一頭地を抜いていた作家であったのだと敬意を惜しまない。

 

* 「悪い読書は、よくない交際よりも危険である」とヒルテイは言う。「一冊の書物が人の一生の不幸を(もちろん同じように幸福をも)招きよせることさえ珍しくない」とも。

わたしは信じている、「いい読者」の善い読書は、悪い読書を、確実に駆逐すると。

 

* 幸田露伴の考証「怪談」の歴史が面白くて、夜中、ずんずん読んだ。自然、中国人、露伴なりに言えば「支那人」の上に話題は及んでくる。露伴の「支那人」評に立ち止まっておきたい。往古の日本人の「支那人」観とは概ねこうであった。だが、今日の日本人は中国人を、たとえ一般国民の域にとどまらず知識人や国家の要人であろうとも、なかなかこうは思われないだろう。露伴の「支那人」とは、断っておくがおおかた彼の國の知識人、士大夫のことであるが、庶民を数えていないとも言えない。

露伴は、言う。

「支那人は人間として最も常識的であるといふのに大抵の人は異存は有るまい。いかにも善く労作し、賢く飲食し、盛んに生殖し、平和を愛し、金銭と名誉と道徳とを尊重し、善く生き善く死せんことを欲する立派な国民である。突飛な想像の羽翼を九天に搏たせたり、馬鹿げた深刻の念慮を何処までも鑿りこむやうなことはあまりあへてせぬ中正な国民である。」

往昔の中国古典や思想に触れていると、露伴の納得を納得することは確かに難儀ではないが、少なくも周恩来以降の現代中国と向き合っていてこれに賛同することは出来ないなあと、慨嘆する。ま、その議論はべつのこととして、こと「怪談」に関していうなら露伴は上の「支那人」観にすぐつづけて、「それでもその史前伝説はどうであるか。それは怪異幻奇の鈴生りである。歴史時代になつても」ますます怪力乱神を語ること凄まじくも目覚ましいと次から次へ時代を追って例を挙げて呉れる。わたしはこの二年の内に、それらのかなりの量を東洋文庫の数册に拠って読みかつ感じ考えてきた。 2013 10・25 145

 

 

☆ 中村元訳『ブッダのことば』第四 八つの詩句の章より

三、悪意についての八つの詩句

七八〇 実に悪意をもって(他人を)誹る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹ることばが起っても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとについても心の荒むことがない。

七八一 欲にひかれ、好みにとらわれている人は、どうして自分の偏見を超えることができるだろうか。かれは、みずから完全であると思いなしている。かれは知るにまかせて語るであろう。

七八二 ひとから尋ねられたのではないのに、他人に向って、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは「下劣な人」である、と真理に達した人々は語る。

七八三 修行僧が平安となり、心が安静に帰して、戒律に関して「わたくしはこのようにしている」 といって誇ることがないならば、世の中のどこにいても煩悩のもえ盛ることがないのであるから、かれは(高貴な人)である、と真理に達した人々は語る。

七八四 汚れた見解をあらかじめ設け、つくりなし、偏重して、自分のうちにのみ勝れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる平安に執著しているのである。

七八五 諸々の事物に関する固執(はこれこれのものであると)確かに知って、自己の見解に対する執著を超越することは、容易でほない。故に人はそれらの(偏執の)住居のうちにあって、ものごとを斥け、またこれを執る。

七八六 邪悪を掃い除いた人は、世の中のどこにいっても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃い除いた人は、いつわりと驕慢とを捨て去っているが、どうして(輪廻に)赴くであろうか? かれはもはやたより近づくものがないのである。

七八七 諸々の事物に関してたより近づく人は、あれこれの論議(誹り・噂さ)を受ける。(偏見や執著に)たより近づくことのない人を、どの言いがかりによって、どのように呼び得るであろうか? かれは執することもなく、捨てることもない。かれはこの世にありながら一切の偏見を掃い去っているのである。

 

四、清浄についての八つの詩句

七八八 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、(見解を、最上の境地に達し得る)智慧であると理解する。

七八九 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が智識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それでは煩悩にとらわれている人が(正しい道以外の)他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。

七九〇 (真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の困を)つくることがない。

七九一 前の(師など)を捨てて後の(師など)にたより、 煩悩の動揺に従っている人々は、執著をのり超えることがない。かれらは、とらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。

七九二 みずから誓戒をたもつ人は、想いに耽って、種々雑多なことをしようとする。しかし智慧ゆたかな人は、ヴェーダによって知り、真理を理解して、種々雑多なことをしようとしない。

七九三 かれは一切の事物について、見たり学んだり思索したことを制し、支配している。このように観じ、覆われることなしにふるまう人を、この世でどうして妄想分別させることができようか。

七九四 かれらははからいをなすことなく、(何物かを)特に重んずることもなく、「これこそ究極の清らかなことだ」と語ることもない。結ばれた執著のきずなをすて去って、世間の何ものについても願望を起すことがない。

七九五 (真の)バラモンは、(煩悩の)範囲をのり超えている。かれが何ものかを知りあるいは見ても、執著することがない。かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない。かれは(この世ではこれが最上のものである)と固執することもない。

 

* 「神」をねがう宗教では救われ慰められようとする。ブッダは本然の「人」であり、人に向かい人として迷いなく覚めた人であれと説いている。信じよと言わず、覚めよと言う。ヒルテイが、「罪とは、神を思う心と両立しないすべての心の傾向のことである」と言い、「それがあなたとあなたの幸福とをへだてている」と言うのにもわたしはたしかに深く頷く。

ある人たちは「神」よりも「自然」ということばを用いた。ゲーテはそれに近く、サドはもっとも「自然」の名を高声に語っていた。ダーウィンの思想がここへ絡む。ヒルテイはダーウィニズムを容認していない。わたしはダーウィンの解明を拒めない。

 

* ゲーテの『イタリア紀行』下巻をすこしずつ読み進めている。ローマの「謝肉祭」をそれは詳細にことを分けて語ってくれている。おそらくこれ以上の解説はあるまいかと思うほど面白く、『モンテクリスト伯』でアルベールらが熱狂ししかも山賊サンチョ・パンザに囚われた件りなどを懐かしいほどに想いだしていた。もっともゲーテは謝肉祭にウツツを抜かしてなどいなかった。むしろ腹いせかのようにすら延々と記述し紹介していたのだろう、その月の明けた一七八八年二月一日の通信冒頭に、「自分自身がそれに感染しないでいて、他人の馬鹿さわぎを見ているのは、おそろしく退屈なものである」と書いている。名言であり、万般に及んで同じ辟易の思いを毎日のように持つ。たぶん、持たせてもいるのだろうが。

 

* それよりも。同じ日付でゲーテは自身「選集」の編成に関してこうも述懐している。「自分の生涯のこうした総勘定をするということは、一種奇妙なものである。これまで生きてきたことの跡形はいかにわずかばかりしか残っていないことであろう!」と。なんの、ゲーテはまだ壮年であった。わたしは、七十八歳にもなろうとして、彼の言葉にかりて嘆かねばならぬ。

2013 10・26 145

 

 

* 九八歳の歌人、清水房雄さんの『汲々不及吟』『残余小吟』につづく第十七歌集『残吟抄』を頂戴した。前の二巻も丁寧に繰り返し読んで秀歌と思う作にシルシをつけてきたが、今回の集、内在律の自在なこと、境涯の吐露の自然なこと。厳粛にして飄逸、そのまま「うた」のうったえを清い吟声と聴いて耳を澄ますことができる。

 

神戸市北区ひよどり台といふ所また書く無けむ君宛書信   悼歌

いのちの事思ふとき心落ちつかず九十七歳にもなりて今更

一つ思ひ詠みつづけ来し生涯を顧みるなり今頃になりて

かるがると歌集出し得る世となりぬ出費かるがる歌もかるがる

人生の熟成期に入らむ時しもあれ忽ちにして君は亡きかも

人のこの世のつひに儚しといふ事の唯しみじみと君の亡き今

慎太郎著『老いてこそ人生』を読了す所詮これとてぼやきの一つ

あるままに只生かされて居るのみに神も仏も関はりの無く

虚無観といふには儚きこの思ひ人生晩期の実態これも

 

たった一日ちがいに本が贈られてきて、或る大きな文学賞への推薦に遅れてしまったのが惜しまれる。東淳子さんの『晩夏』とならべて詩歌の項でぜひ推したかった。返信郵送の直後に届いた。

だがまあ、そんなことには超越された「ほんもの」のご老人なのである。賞のごときが何であろう、他と競って上に立つ、そんなことが「最上」ということでは決して無い。

 

☆ 中村元訳『ブッダのことば』第四 八つの詩句の章より

五、最上についての八つの詩句

七九六 世間では、人は諸々の見解(=分別)のうちで勝れているとみなす見解を「最上のもの」であると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。

七九七 かれ(=世間の思想家)は、見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自分の奉じていることのうちにのみすぐれた実りを見、そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものをすべてつまらぬものであると見なす。

七九八 ひとが何か或るものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と(真理に達した人々〉は語る。それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。

七九九 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人よりも「劣っている」とか、或いは「勝れている」 とか考えてはならない。

八〇〇 かれは、すでに得た(見解)〔=先入見〕を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異った見解に)分れているが、(よく分かっている=)かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。

八〇一 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない。

八〇二 かれはこの世において、見たこと、学んだこと、あるいは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも構えていない。いかなる偏見をも執することのない(よく分かった=)そのバラモン(を、この世においてどうして妄想分別させることができるであろうか?

八〇三 かれらは、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。かれらは、諸々の教義のいずれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。

 

六、老 い

八〇四 ああ短いかな、人の生命よ。長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。

八〇五 人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである(と見て、在家にとどまっていてはならない)。

八〇六 人が「これはわがものである」と考える物、ー-それは(その人の)死によって失われる。われ(=ブッダ)に従う人は、賢明にこの理を知って、わがものという観念に屈してはならない。

八〇七 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。

八〇八 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。

八〇九 わがものとして執著したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行なって安穏を見たのである。

八一〇 遠ざかり退いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現わさないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。

八一一 聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬えば(蓮の)葉の上の水が汚されないようなものである。

八一二 たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。

八一三 邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執著して考えることがない。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは貪らず、また嫌うこともない。

* 清水房雄さんの歌に「あるままに只生かされて居るのみに神も仏も関はりの無く」とあった。

『眠られぬ夜のために』のヒルテイなら、この「生かされて」の一句にふれて、彼の「神を」静かにこまやかに語り続けるだろう。

すなわち、

「ピテカントロプスおその他の類人猿の発見も、聖書の真理をゆるがすものではない。 プトレマイオスの宇宙大系がコベルニクスの宇宙大系に移ったことや、新大陸や新星の発見が、それをゆるがさなかったのと同じである。」

「近代の自然科学と宗教とを和解させようとしたり、すべての自然現象をいきなり宗教的に説明しようとするすべての企ては、あまり効果がなく、また現代人の精神にとってはかなり無益でもある。」「自然科学はそのような活動範囲で満足すべきであって、学問的に究明しえないものは、科学にとってばかりでなく、一般的にも存在しないなどと主張すべきではない。」「われわれも自然法則を信じる。しかしこれは『法則』であるからこそ、決して偶然に、あるいはひとりでに出来あがったものではなく、自然を造りこれを支配する霊的存在を前提とする。」

「神が何であるかは、人間のどんな学問も、たとえばそれが神学、哲学、その他なんと呼ばれようとも、それを学問的に究明し、定義することはできないであろう。」「キリスト自身も、これについてはヨハネ福音書四の二四にある以上に詳しくは述べなかった。」「旧約聖書全体を見ても、出エジプト記三四の六・七の美しい箇所以上に立ち入った説明は含まれていない。」

「神が実在すること、そして完全と慈愛とが神の本質であるという事実で、われわれの地上生活には十分でなければならない。」「われわれは神を把握することも、定義したり公式的に表現することもできない。」

「このような神についての経験が、(ゲーテの=)『ファウスト』の、それ自体美しく、しばしば引用される詩句には欠けている。なるほど『名前はひびきであり、煙である』『だれがそれを神と呼んで、私はそれを信じます、などと告白できようか』(『ファウスト』第一部三四三二行以下)というのは、もっともである。しかしわれわれの生活に影響すべきものは、名前の背後にある実在である。それを経験したならば、主人公ファウストの生涯は--そして作者ゲーテの生涯も--ちがったもの、よりよいものになりえたであろう。」

 

* あのゲーテに、ここまで真摯に迫った人も言葉もじつに珍しい。

『イタリア紀行』で今日も聴いたゲーテのことばを、ただ、書き留めておきたい。

「私は孜々として努め、心は満ち足り、こうして未来を待っている。」「私は元来文学上の天分を有しているということや、今後制作しうるのはせいぜい十年ぐらいであろうが、その間にこの才能を完成し、なにか立派なものを書きあげなければならないということが、日一日と私には明らかになってくる。」「それにしても、青春の情熱は多くのものを、大した研究もしないのに成し遂げさせたことであった。」

「私は、いかなる点と物とを自分がまだわからずにいるかを十分に知っているし、また、自分が次第に成長しつつあることや、もっと深く理解するためには何がなされねばならないかをも十分に感じている。」

 

* 濯鱗清流の日々をじっと受け容れている。

2013 10・27 145

 

 

* 経産省から理不尽な退職を迫られ、ついに蹴って出た、当代出色の「良吏」古賀茂明さん、ご自宅から、新刊の『利権の復活 「国民のため」という詐術』( PHP新書) を頂戴した。

 

☆ 秦恒平様

「湖の本」お送り頂きありがとうございました。

御礼が遅れて申し訳ありません。

私も新刊を出しましたので、お送りいたします。ご笑覧いただければ幸いです。  古賀茂明

2013 10・28 145

 

 

* 久しく敬愛する歌人北沢郁子さんから新しい歌集『道』を頂戴した。わたしより一回り年輩の凛然たる歌人で、第一歌集を出されたのは昭和三十一年、わたしが大学三年生の頃で、四年後には短歌同人誌「藍」を創刊、已に五十三年を閲しておられる。「湖の本」のほぼ倍の多年を決然として主宰されてきた。これはたいへんなこと。巻頭の数首を読み、しんとして深い境涯に賛同した。を

 

中州なる葦群の陰に浮かびつつ潜(かづ)くも遊びのごとき鳰たち

道を行く人には見えぬ階の上の庭に咲きゐるひとりしづかは

多摩川の堤防に来て見はるかす過去世も現世も消ゆる明るさ

昨日の雪消えて露けき夕つかた濃き色香にて八重桜咲く

2013 10・28 145

 

 

* 眉村卓さんから久しくお預かりしていた小説二作「蒼穹の手」「トライチ」を、「 e- 文藝館・湖(umi )」に頂戴した。優れた味わい。もうすぐ転送掲示できる。

2013 10・28 145

 

 

☆ 『眠られぬ夜のために』ヒルテイは、また、こう言っている。

われわれは、この世において次のような幸福を知らなければならない。どんな事情のもとでも、また、だれでもみな、手に入れることのできる幸福がそれであり、そして、われわれの状況が他の点でどのようであろうとも、つねに喜びをもって心を満たしてくれるような幸福である。

このような幸福を得させるのが、哲学の理想的な任務であろう。もしそれができなければ、どんな立派な「体系」を持とうとも、本来、哲学などというものはわれわれの役にはほとんど立たないものである。

経験上から言うと、このような幸福をもたらすものは、ただ神への信仰、神のそば近くあることの実感、および、有益な仕事だけである。

すくなくとも私はこれ以外に確実な方法を知らない。

また私の知るかぎりでは、これ以外の道を発見した者はこれまでまだ一人もいないのである。 (一月三十一日)

 

* 「哲学」学にわたしは興味をまったく失い果てている。ヒルテイの言うとおりであり、二十世紀の大哲学者ヴィトゲンシュタインもおなじ事を言っている。「文学」という言葉が文学を損なっているように、「哲学」という言葉が真の哲学を殺している。その反動で日本の哲学者はただ風俗を論評の評論屋になってしまっている。

 

* 『オブローモフ主義とは何か?』という批評は、十九世紀ロシア文学の或る一面を突き刺すように彫り込んだ炯眼の所産だが、ことは十九世紀、所はロシアと限った過ぎ去った「過去」の検討に過ぎないか、そうではなく、今日日本の「貴族」ではないが或いは貴族がっている気かもしれないいわゆる知識層の無力をも軽蔑している論攷であるやも知れない。ツルケーネフの『貴族の素』は、リーザというすばらしいヒロインゆえに輝いているが、主人公の男ないし男たちの「オブローモフ主義」的怠惰と退屈は、ときとして滑稽なほど。モスクワでの学生時代いらい久しぶりに再会したラヴリェーツキーとミハーリェヴィチの晩から夜明けまでの怒鳴り合う議論にもならぬ議論のおかしさは、ひょっとして、(わたしを含むとも一応言う手ておくが、)今今のインテリとか知識人たちの、芯のところで怠惰で誠実を欠いた、無方法な自己満足と問題の放擲とを代弁し得ているのかも知れない。

 

☆ ツルゲーネフ『貴族の巣』より 小沼文彦さんの訳に拠って

「いや、これが君の原則なのさ、原則なんだよ」とミハーリェヴィチも負けずに相手を遮った。

「君はエゴイストなんだ、それだけのことさ!」と、一時間後には彼はこう吸鳴っていた。「君は自己享楽を望んでいたんだよ、人生の幸福を望んでいたんだ、自分一人のために生きようとしたのさ」

「いったい自己享楽っていうのはなんのことだね?」(=と、ラヴリェーツキー)

「それであらゆるものにだまされたんだよ。あらゆるものが君の足もとで崩壊L たというわけさ」

「自己享楽ってなんだって、僕は訊いているんだよ!」

「そして崩壊するのが當然だったのさ。なにしろ君は、そんなもののある筈のないところに、支柱(=抱き柱)を求めたんだからね、なにしろ不安定な砂の上に君は自分の楼閣を築いたんだからな…‥」

「比喩はぬきにして、もっとはっきり言ってくれたまえ、なにしろ、君の言うことは僕にはさっばりわからないんでね」

「なにしろ--まあ勝手に笑うがいいよ--なにしろ、君には信仰がない、心からのあたたかみというものがないんだからね。知性、なんでもかんでも三文の値打もない知性の一点ばりなんだ……君は、単に、みじめな時代おくれのヴォルテール主義者にすぎないよーそれが君の身上さ!」

「なに、僕がヴォルテール主義だって?」                                                        「そうだよ、君の親父さんと同じようにね、しかも自分じゃそれを疑ってもみないんだ」

「それなら」とラヴリェーツキーは叫んだ。「僕にはこう言う権利があるよ、君は狂信家だよ!」

「やれやれ!」とミハーリェヴィチはがっかりしたように答えた。「僕は、残年なことに、まだそんな立派な名称をちょうだいするほどのことは、なんにもしていないよ……」

「僕はいまやっと、君をなんと呼んだらいいかわかったよ」と夜中の二時すぎに、同じミハーリェヴィチが叫んでいた。「君は懐疑派でもなければ、幻滅家でもなく、ヴォルテール主義者でもない、君は--ぐうたらなのさ、しかも自覚した狡猾なぐうたら、邪気にみちたぐうたらなんだ。無邪気なぐうたらは、暖炉の上にねころがって、なんにもしないでいる。というのはなんにも出来ないからなんだ。連中は考えることだってなんにもありゃしない、ところが君は思索する人間でありながら--しかも寝ころがっているんだ。君はやればなにか出来るのに--なんにもしないでいるんだ。たらふく食って仰向けにねころがって、こうしてねころがっているに限るよ、なにしろ人間のやることなんかなにもかも--みんな馬鹿々々しいことで、なんの役にも立たないナンセソスだからね、なんて言っているんだ」

「僕がねころがっているなんて、いったいどこから割り出したことなんだね?」とラヴリェーツキーはきめつけた。「僕がそんなことを考えているなんて、どうして君はそんな想像をめぐらすんだい?」

「しかも、その上君たちはみんな、君たちの兄弟はみんな」と疲れを知らないミハーリェヴィチは言葉を続けた。「実に博学なぐうたらなんだ。君たちは、ドイツ人はどっちの足で跛をひくかも心得ているし、イギリス人やフラソス人の欠点も承知している--そして君たちはそのやくざな知識が仇になって、君たちの恥ずべき怠惰や忌むべき無為を正當化しているんだ。中には、世の中に寝るほど悧巧はなかりけり、浮世の馬鹿が起きて働く、なんて得意になっている奴さえいるんだ。そうだとも! そうかと思うとこんな連中もいるんだ--尤も、僕は君にあてつけてこんなことを言うわけじゃないんだぜ--その連中は妙な倦怠の麻痺状態のうちにその一生をおくり、それに慣れきってしまい、そのなかにまるで……まるでクリーム漬けの茸のように坐りこんでいるんだ」と、ミハーリェヴィチは言うと、自分の比喩に笑い出してしまった。「おお、この倦怠の麻痺状態こそ--ロシア人の破滅なんだ! 一世をあげて正に活動しよとしているのに、忌わしいぐうたらは……」

「しかし、なにをそんなに非難するんだい?」とラヴリェーツキーは負けずに喚きたてた。「働く……仕事をする……。そんなことより非難はやめて、なにをなすべきかはっきり言ったらどうだい、ポルタワ(小ロシアの町)のデモステネスめ!」

「おや、なんてことを言い出したもんだ! 教えてやらないよ、兄弟、それはみんなが自分で知らなければならないことだからな」とデモステネスは皮肉な調子で答えた。「地主で貴族ともあろうものがーーなにをなすべきかを知らないんだ! 信仰がないんだ、あればわかるものを、信仰がない--だから啓示もないのさ」

 

* この「信仰がない」の信仰の代わりに今の吾々は何を必要としているか、だ。

 

* こんど文化勲章だか文化功労者になられたのだか、久保田淳さんに頂いていた鴨長明『無名抄』の41に興味深く頷ける一文を読んだ。ああいいなと思った。

 

☆ 鴨長明『無名抄』 41 歌の半臂の句

俊恵、物語りのついでに問ひていはく、「遍昭僧正の歌に、

 

たらちねはかかれとてしもむばたまのわが黒髪をなでずやありけむ

 

わが母は、わたしがこのように出家するであろうと思って、

わたしの黒髪を撫ではしなかったであろうに。 久保田さんの訳

この歌の中に、いづれの言葉かことに勝れたる、覚えむままにのたまへ」 といふ。

予いはく、「『かかれとてしも』といひて、『むばたまの』と休めたるほどこそは、ことにめでたく侍れ」といふ。

「かくなり、かくなり。はやく歌は境に入られにけり。歌よみはかやうのことにあるぞ。それにとりて、『月』といはむとて『ひさかた』と置き、『山』といはむとて『あしびき』といふは常のことなり。されど、初めの五文字にてはさせる興なし。腰の句によく続けて言葉の休めに(むばたまのと=)置きたるは、いみじう歌の品も出でき、ふるまへるけすらひともなるなり。古き人、これをば半臂の句とぞいひ侍りける。

半臂はさせる用なき物なれど、装束の中に飾りとなるものなり。歌の三十一字、いくほどもなきうちに思ふことをいひ極めむには、空しき言葉をば一文字なりとも増すべくもあらねど、この半臂の句はかならず品となりて、姿を飾る物なり。姿に華麗極まりぬれば、またおのづから余情となる。これを心得るを、境に入るといふべし。

よくよくこの歌を案じて見給へ。半臂の句も詮は次のことぞ。眼はただ『とてしも』といふ四文字なり。かくいはずは、半臂詮なからましとこそ見えたれ」となむ侍りし。

 

* 「半臂」とは、「束帯を着る時、袍と下襲の間につける胴衣。着ると臂の半ばまで達するのでいう」と註がある。ここでは、要するに「むばたまの」という普通枕言葉と謂うている一語の在り位置の適切を言いながら、じつは、その前にうたわれた「とてしも」に機微のあることを観ているのであり、まったく同感である。

2013 10・29 145

 

 

* 老境を感じながら家に病む人がいて手が掛かればどんなにシンドイか、わたしが入退院を繰り返し通院を余儀なくされていたときの妻の苦痛を察しれば、よくよくよく分かる。どうかその上に怪我をしないで、事故に遭わないで、健康をわるく損ねないでと祈るばかり。叱咤激励も鼓舞もむしろ負担になる。そう、休暇でいい。とはいえ、やむにやまれず、したいことが衝き上げてくるそれを少し少し楽しむようにすること。

わたしは、今、 ①創作 ②私語の刻 ③自作の校閲・選集への用意 ④湖の本刊行の全方位作業 ⑤最低五冊の交響する読書  の五項目を立て、日々励行している。それが出来るほど回復しているのが有り難く、それが出来るほど妻に幸い助けられている。わたしの方から何を助けているかと思うと申し訳ないが。本は、たいがい十册以上楽しんでいる。眼のためにこれを抑えるべしとは思いつつ、ついいろんな本の世界他界に遊びたくなる。

鳶は、いま、そんな風に頑張らないことがむしろ薬であり必要であるのだろう。ただ「立ち向かう」気概だけは大切に。泣き言もよくベソをかくのも少しも構うことはない。

2013 10・30 145

 

 

* オフェイロンの『アイルランド』に手を出したとき、ちょっとやり過ぎかなあと躊躇っていた。わたしは尾張の鳶のような闊達で意欲的な世界旅行者ではない、日本の中でもめったに出て行かない。アイルランド? しかしイングランドとの歴史的な関係でいうと、アイルランドへの判官贔屓はあった。またテロリズムを許容する気は毛頭無いが、なぜそこへ走る人等があるかには訝しむという気持ちに出た同情も湧きやすかったかも知れぬ。

もっと歴史を溯れば、この北海の小島国がヨーロッパを向こうに回して昂然と頭をもたげていた文化的特異性や独特の豊かさを、かすかにも察し、さらに察してみたい気持ちがあった。

オフェイロンの叙述はわたしの好奇心、関心に、いまのところよく応えてくれている。買っておいて、読み始めて、よかったと思っている。

 

* ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』は野上弥生子さんの日本語にも惹かれて、たいへん快い気分で好奇心を満たされつつある。さすがにいろんな断片がこっちの心身にも溜まっていて、それへうまくお話が衝突してきてくれると、おっと手を拍つ。「アプロディテとアドニス」「アポロンとヒュアキントス」「ピュグマリオン」など、読んでいて眼が輝く気がする。死んでアドニスは柘榴の赤に似た血の色の花になった。風が吹くと花が咲き、二度目に吹くと花が散る。それで花はアネモネ(風)と呼ばれ風の花と呼ばれたと。アフロディテは我が子キューピッドの愛の矢にあたって怪我し、そのためにアドニスという狩人青年に恋いこがれてしまうが、アドニスは猟のなかで命を落としてしまう。アフロディテは運命の女神達を呪いながらいとしいアドニスを血の色の花に変えていたわったのだ。

西洋でなら、かぐやひめほども常識なのだろう、わたしは今頃、こどものようにこんな神話を楽しんでいる。ギリシア・ローマ神話は破廉恥なほど賑やかに面白い。破廉恥さにいつしれずとても激励されている気がするから面白い。その点、キリスト教にはこういう晴れやかにアケひろげな神話がない。息が詰まって鬱陶しい。   2013 10・30 145

 

 

☆ 「小柴錦侍と宮代四之介 『暁星』のあとをたどって」(島崎藤村研究 第41号)

六月に書き上げたものです。お読みいただければうれしく思いますが、いつものような、久しぶりのご挨拶と思って下さればと存じます。

実際は長々としたものを用意していたのですが。残念なことに、これまで尽してくれた パソコン プリンターが共に、病み衰え、ほとんど使用不能になりました。手脚をもがれた巻がります。

又 いつか お便りしたく存じます。

どうぞ お大切にと念じています。 襄

 

* 藤村研究の論攷も読みました。周到かつ深切な興味深い探索・探求でずううっと一気に面白く読ませて頂いた。嬉しくなる。襄さんに「島崎藤村学会」を紹介してほんと善かったとそれも嬉しくなる。水を得た魚のように研鑽・追究の成果が論攷として発表されて行く。専門の研究者のための研究といえる水準のもので、学問的に得難い肥やしを畑に与えておられる。評論ではない、文字どおりの探求。

よく似たいい仕事を深澤晴美さんがしている。

 

* 小説を書いている、評論を書いているという人をこの四半世紀に何人も何人も知ってきたが、此処を踏ん張って乗り越えなけあという手前で、やめるか、ちいさく自己満足して、だあっと後戻りしてしまう。惜しいなと思う何人かを今も惜しいと思っているけれど、あくまで当人の問題でありいたずらな手は貸せるものでない。

2013 10・31 145

 

 

* わたしより年輩の青柳幸秀さん歌集『安曇野に生きて』を恵投くださる。「啄木や賢治のをらぬ東北を津浪襲ひき詠まねばならぬ」という巻頭の気概が、よくもあしくもこの一冊を佳い意味で「ぶちあげ」ている。「ねばならぬ」なら実現するまでのこと、表現の是非はすこしうしろへ沈む。それでもよいではないか。

2013 10・31 145

 

 

☆ 青柳幸秀さんに頂いた歌集三章の日常詠「安曇野に老ゆ」の歌には、生命力の、おとろえぬ滾りに共感できる。有り難い。

今日届いた有名歌誌の有名主宰の歌のあまりのつまらなさを嘆いていた。いい歌は、だが、真摯な精神とともに失せてしまいはしない。有名ゆえに許してはならぬ、無名にも光る宝石がある。

 

やはらかな日射しの中に立つ麦はおのづからなる花粉をこぼす

安曇野は麦の秋なる空の下ひと穂ひと穂の熟るる静かさ

昔より瑞穂の里の安曇野は稲穂垂れをりこの暑さにも

さきがけて秋咲く花のコスモスのすでにし盛りこの暑さにも

黒潮の波濤の中の国一つすでに老けたり日の本の国

洋(わた)なかの遠くに捨てむかかの昭和これなる吾を副葬として

昭和とふ波濤まだ見ゆふりむけば貧しさもまたなつかしきもの

一人静かに生きる現(うつつ)を諾(うべな)ひて春くれば咲く老木もある

老い呆けて空行く雲をみてをりぬ 風葬にも似たり吾の想ひは

玉音の記憶はいまも鮮しく重たし吾のこの一ページ

焼野原の日本の国を興したる人歩むなり杖をたよりに

安曇野に金輪際の生を得て緞帳下ろす前の夕映え

砂時計は最後の砂をこぼしをりこれなるさまに身を置く吾か

ありつたけの掌をば広げて花降らすこの遊星にわれは生れし

日の終り背に負ふ鍬の重たしよ悪童われもいつしか老いぬ

目の前の写真の母よ老いてわれは素直にあなたのいとし子となる

かぐや姫もきみさへもゐるこの空の暗証番号秘めて吾が持つ

汝(な)がために小さな星をかくし持つさみしきときは手をひらき見き

わづかなる年金の紙幣受け取りぬ終はらぬ戦後の農民われは

来る年は八十路とはなる吾が歩み遮断機の間(あひ)をすり抜けて来て

滅び逝く これの地球の前ぶれか全山松の立ち枯るるさま

山の秀(ほ)を拳のごとく押し立てて拒むものありひそと生きねば

稚ながほの埴輪の像を引き寄せて臨界近き地球を憂ふ

はるかなる夢路そのまま立ちてゐる埴輪はいまも恋の匂ひす

 

* 信じられぬ精気に打たれ、立ちつくすことがある。

2013 11・1 145

 

 

* 浴槽のなかで、行儀わるく五冊の岩波文庫を一冊ずつじっくり楽しんだ。馬琴の「八犬伝」 ヒルテイの「眠られぬ夜のために」 ミルトンの「失楽園」 スコットの「湖の麗人」そしてもう一冊、ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話」。

ほかに今お気に入りの愛読本は、新潮文庫でレマルクの「汝の隣人を愛せ」。ナチスの頃のドイツを追われ、どこの国からも一日二日よくて十日ほどの滞在を許可されたあとは希望する国境から国外へ追放され続ける逃亡亡命者たちの、困苦の極みを生き抜いて行く愛と協力と耐久そのものの歳月。寒気のする恐怖や緊迫・危険の連続にも生まれる人間愛また恋愛。心温まるものも、憤りに取り包まれる不条理にも充ち満ちている。いま、レマルクをもっと読みたい。

 

* 創作のためにも、今まさに探索の必要な調べ仕事が何箇条もあり、関連の参考書がみな分厚く大きく重くて、二階の機械部屋が沈みそう。わたしは今この部屋の真ん中で、四方を、機械や本棚やソフアの上の本の山に取り囲まれ、廻転する倚子一つ分の広さだけに身を置いている。こういう生活を、あるいは昔から望んできたような気がするが、部屋を出ると窓そいの廊下も書類で塞がれ、蟹歩きして階段へ行く。階段のどの段も半分は本が積んである。どこに何と、比較的よく記憶しているが、探さねばならなくなると往生する。

2013 11・5 145

 

 

* 田能村竹田『山中人饒舌』が、読みやすく、かつ深甚興趣に富む。鴨長明『無名抄』もおもしろく種々に頷けて有り難いが、これには一つ、話題が和歌とその批評であるという親しみが与っている。『山中人饒舌』は平安末以降の絵画美術の変遷を大観しつつ事が「南画」の成立と盛況に触れて、なかなか微妙に美術史の常識ではエアポケットをまさぐる観があり、それが有り難くも興味深いのである。しかも筆致は簡潔、要点を抉って的確。ただ論旨だけでなく文体の妙にも酔うを得る。大冊であるが巻をおく能わざる精気に富んでいる。二かでの愛読書の最右翼。

加えて松原陽一さんの研究書『千載集前後』が、さきの『無名抄』とも呼応し、すこぶる面白い。手にしてしまえと容易にこれまた巻をおくあたわず、読み耽ってしまう。

 

* 昨夜は井口さんと久々に電話で話せたのが嬉しく、興奮気味で寝付けなかった。寝る前に文庫本を六七册読み、夜中目覚めてまた読み耽った。

 

☆ ヒルテイ「眠られぬ夜のために」より

愛をもってすれば、あらゆるものにうち勝つことができる。愛がなければ、一生の間、自己とも他人とも闘いの状態にあり、その結果は疲労困憊に陥り、ついにはペシミズムか人間嫌いにさえ行きつくほかはない。」「愛は決してわれわれにとって自然に、生まれながらに備わっているものではない。ついに愛をわがものとした人には、他のいかなるものにもまして、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。」第二部・一月九日 まことに、然り。

「いつまでも同じ考えに、そればかりか同じ思い出にこだわっていてはならない。過ぎ去ったことは済んだこととして、現在なすべきことを行わなければいけない。」「なしうる最もよい、最も正しい事をしようと努めなさい。--しかし、そうしたあとは、それをすて措くがよい。』一月十日 身を抓るほどに難しい。

「人生は、老年にいたって、ますます美しく、立派になることができ、またなるべきものである。しかし、より安泰になるわけではない。

一月十二日 まことや。

「内的な進歩が行われるには、二つのものが必要である。われわれに話しかける声と、それを聴くことの耳とである。」第一部・二月十一日

「どんなに反対の実例があるにしても、この欠陥の多い地上で、やはり幸福と喜びとが得られるものだということを、大多数の人たちは夢にも知らない。」「すべての人が幸福と喜びとを、もともとそれがありもしないところに、求めようとしている。」「この世で最もあわれなのは、老年になって、その半ばもしくは全部がいたずらに過ごされてしまった己れの過去をふり返って、それをもっと立派に送ることもできたのに、と思うときである。これが、今日、教養ある階級のなかにも見られる、無数の人びとの運命である。これをあなた自身の運命にしないように。」 二月十二日 ますます目が冴えてしまう。

 

* ヒルテイの忠告以上にわたしを唸らせたのは、レマルク『汝の隣人を愛せ』だ、この作には、まさしく父親世代のシュナイダーと息子世代のケルンという二人の主人公が、ともに苛烈な亡命逃亡避難民の歳月を懸命に生きている。出逢っては離れ、また出逢っては別れている。シュナイダーにはリロという目の見えないロシアの女性がまぢかにいるが、それとていつも不意に別れ合わねばならないし、同様、ケルンにもルートという愛しい出逢いの人がいるが、容易に一緒には行動できない。ひとりヒットラーが登場すれば、非合法を宣告された異端視されたものたちは、故国に住めずに他国へ遁れるが他国での定住も安住も得られず、彼らの人権のために国際連盟はただ小田原評定を重ねているばかり。

ヨーロッパには隣接して複数の国と国境があり、彼らは国境またぎのさながらデスゲームをひっきりなしにしている。

 

☆ レマルク「汝の隣人を愛せ」より

ポツロッホが笑いながら言った、「こりゃ内証だがね、シュタイナー、この世でいちばん恐ろしいことは何だか知ってるかね? こいつは極秘の内証だが、結局は何もかもすべてあたりまえのことになってしまうということだよ。」「戦争でさえそうですよ」とシュタイナー。「(ナチスによる悪政の)苦痛でさえ。死でさえ」とポツロッホは端的に言い足した。

 

* なんという、あたりまえの顔をした怖ろしさだろう。国が地味に向かい犯罪を犯し、政治が国民に対し強権・強行というえげつない違反を犯罪的に重ね重ねて、それがいつのまにか「あたりまえのことになってしまう」怖ろしさ。いま我々日本国民も、少しも事情変わらず安倍「違憲・強権」内閣の悪政を、ひびに「あたりまえのことに」してゆく歴史を強いられていて気が付いていない。危ない危ない危ない。我々にはそれを超えて非難し逃亡し生き延びるに足る「国境」すら無いこと、これを覚悟しなければならぬ。

 

* ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』の面白さに惹き込まれている。もっともっともっと早く求めて出逢っておくべきだった。

初めて知る神話ないしはファンタジイの中に、説得力も優しく豊かにいろんな者の名前が匂いのように起ち上がる。ヒヤシンスだのアネモネといった名だけはよく覚えている花が、物語を背負って咲き競ってくる。

アプロディテとアドニスの話では、最期にアネモネの花が咲く。風が吹くと花が咲いて、また風が吹くと花びらが散るという。アネモネはギリシア語の「アネモス=風」からきたもので、アネモネは「風の花」の意味だと。咲くも散るもアネモス=風を慕うアネモネの花なのだと。

2013 11・6 145

 

 

* 松原陽一さんの論考『千載集前後』の一章「千載集本文の源流」二章金葉期を中心に「入集<歌合歌>から見えること」を頗る興深く読み終えた。経過してきた時代の図抜けた歌合判者らの選や批評を介して、歌風の芯位や好尚が浮かび上がる。とくに目立って新たな結論が導かれているわけでないが、考察の先への進展・深化が期待できる。時として小説本よりもおもしろく耽読している。次いで、三章「承暦二年内裏歌合<鹿>歌の撰入」が論じられる。

 

* 「市気」という熟語が機械で出てこない。意味は、「俗人に媚びて自分を売ろうとする気持ちの卑しさ」である。

「荻生徂徠・伊藤東涯・北島雪山・細井広沢諸公の書を、今の人はどうしても書くことができない。彭城百川・柳沢淇園・池大雅・与謝蕪村諸大家の画を、今の人はこれまた描くことができない。その理由はどこにあるか。思うにこれは市気があるためということに尽きる。(蓋市気使然耳)」と田能村竹田は百条の「四 市気を去る」で断言している。

次いでこう言い進んでいる。

 

☆ 田能村竹田『山中人饒舌』五「己れの為にす」

百年前の書法画理は、今日の考究精博、力を悉(つく)して遺す無きが若(ごと)くなる能はず。而るに今人は却つて及ぶ能(あた)はず。愈々(いよいよ)詳(つまびら)かにして愈々降り、益々工(たくみ)にして益々俗なり。它(た=他)無し。古への学者(=創作者・研究者)は己れの為にし、今の学者は人の為にす。

〔口訳〕

百年前の書の法則、画の理論は、今日の博く綿密に研究の限りを尽くしたものにとうてい及ばない。然るに今の書画はかえって百年前に及ばない。研究が詳細であればあるほどますます下等になり、技術が巧みであればあるほどますます俗になっている。その理由はほかでもない。「古えの学者は己れの為にし、今の学者は人の為にす」 の一語に尽きる。

 

* 「古えの学者は己れの為にし、今の学者は人の為にす」とは孔子の言葉。他人に知られるためにする売名的な創作や研究は堕落したものだと説いたのである。竹田はことに藝術におけるそれを慨嘆し、人の為にする書画は「いよいよ降り、益々俗」と排撃した。さきの、「市気」を倦厭したのと同じく、草創期の藝術精神を重んじた。歴史にいう草創期も然り、さらには一藝術家・創作者の「初心・志気」をもまた市気に塗れしむなかれと誡めている。

竹田は「書画(藝術)」は所詮「小道」であると言いきっている。根の人間・人物を謂うのである。

2013 11・7 145

 

 

*  『露伴随筆』は下巻「言語篇」に入っている。ミルトン『失楽園』も下巻に。やがてゲーテの『イタリア紀行』全三巻を読み終えるだろう、最初の入院手術以来の本で、じっくり愛読した。スコットの『湖の麗人』も、『アイヴァンホー』に次いで、やがて読み終わる。馬琴の『八犬伝』八犬士会同が間近くなってきた。神隠しにあっていた少年犬士親兵衛「仁」がいままさに活躍し始めて、稗史小説が盛り上がろうとしている。ツルゲーネフの『貴族の巣』では主人公の二人が愛をわかちあって接吻したところ。レマルクの『汝の隣人を愛せ』がとても切ない。鴨長明『無名抄』も、松原陽一さんの『千載集前後』も相つれて、興趣深甚。文庫本は、現在二十册余を手元に引き寄せて、少なくも日に七八册、読みたいだけ耽読している。

2013 11・8 145

 

 

☆ ヒルテイ「眠られぬ夜のために」第一部二月十四日より

つねに真理を語るということは、真剣にそうしようと欲するときでさえ、決してなまやさしいことではない。嘘はわれわれの生活に深くからみついているので、たいていの人は嘘をいうことがなんの目的もきき目もないような、独り言や祈りのなかでさえ、やはりひと知れずいつわりがちである。

こところが、人間は他人の嘘にはたやすく気づくものであって、ただその嘘が自分におもねるときか、あるいはちょうど都合のよいときだけ、それを信じるのである。

あの教養あるローマ人(ローマの総督ピラト)の懐疑的な叫び(ヨハネによる福音書一八の三八=ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」。こう言って、彼はまたユダヤ人の所に出て行き、彼らに言った、「わたしには、この人になんの罪も見いだせない。)は、そっくりそのまま現代の教養ある階級の意向である。彼らは、歴史あってこの方、この世のあらゆる科学も哲学も真に確実な、誤りなき真理を伝えたことがないのを、十分に知っている。

 

* 恐ろしいほどの見極めがここにあり、まことに然りと痛いほど首を縦に振るしかない。だからこそヒルテイは言葉をこう継ぐのだが、それは神とイエスとに敬虔な彼の信念にほかならない。

 

☆ だから(=とヒルテイは言う)、ただ個々の、その時どきの真理を求めるのでなくて、およそ真理そのものを得たいと思うものは、まさにその人自身が真理の証しであることを、この世での歴史的な、唯一の使命とされたお方(=イエス・神)に従うよりほかに、選ぶべき道はないであろう。

 

* わたしは文字どおり座右に聖書も仏典も置いていて、すぐに手が届く。ヒルテイのあげた「ヨハネによる福音書」の指示箇所も、即座に確かめられる。

いま手にした文庫型の聖書は日本聖書協会1954年改訳の版で、それに手作りで黒い柔らかい和紙で丁寧に包みきってある。持ち主に相違ない実父が手づからした仕覆なのか、この聖書をわたしに手渡した父の娘、わたしの継妹の心づかいなのかは分からない。ただ聖書最初の見開き、右頁に、

熱愛を受けし

祖母の負託を憶ひて

と大きく書かれ、左頁には、

私の過去は凡て誤りでありました

心から神の前にざんげ致します

今後は

一、常に神に導かれていることを信じます

一、常に正しい道を歩むことをしんじます

一、神が道なきところにも常に道を作ることを

信じます

神と共にあればすべてのこと可能なり

一九五六、四、二一、    吉岡恒印(○朱印)

と、まちがいない父吉岡恒の手蹟で書き込んである。父が信実の基督者であったかどうか、一日として一つ屋根の下でともに暮らした覚えのないわたしには分からないが、継妹二人も家族たちも篤信者である。父の特筆している「熱愛受けし祖母の負託」の実質もわたしには分からない、ただ、わたしや兄恒彦を産んだ生母が父のいうその祖母によく「肖て想われた」のが出逢いの縁になったかのようにも朧ろに聞いたことがある。

何にしても、わたしには、上の、実父が聖書に書きのこしたような神の導きにまつ思いは、無いなあというしかない。

2013 11・9 145

 

 

* 十訓抄 千載集前後 レマルク ヒルテイ 露伴随筆などを読むにとどめる。

2013 11・10 145

 

 

* 府中の杉本利男さんから『畳屋 多々見一路--越前日野川残照』と題した新刊を戴いた。「ご笑覧」あれと。本の帯に、「日本の文化が大きく転換していく時代を背景に、畳刺しに命を懸けた三代にわたる畳職人の変遷を描く」作と紹介されている。今夜から「交響する読書」20册に加えます。一作だけを一気に読むという読書をもう久しい昔から捨てて、毎日毎晩多くを少しずつ読み進む。けっして混乱もせず作の感銘があやまって伝わることはありません。いろんな作や作品に交響的に揉まれることでひたすら読み進むだけで批評も生きてくる。はげしく比較されるから。

 

* 昨夜、とうどうゲーテの『イタリア紀行』全三巻を読み終えた。昨年二月十五日、癌に冒された胃全摘手術を受けた病室へ持ち込み、読みたかった他の何作もと併行して読み始めたのだから、一年九ヶ月も掛けたことになるが、読書の間延びをなんら意味しない、このゲーテの精神の偉大な活力や天才を汲み取るのに、必然必要とした歳月であり、泡を食ってただもう字面を追うだけならもっともっと早く最後の頁に駆け込んだろうが、そんな読み方ではまったく意味をなさない。優れた作品に立ち向かうにはどうしても欠かせない行儀というものが有る。二年近くも驚いたり感嘆したり唖然としたり唸ったり手を拍ったりしつづけた『イタリア紀行』を、いま初めて感謝とともに曲がりなりに読み得たのだとわたしは喜んでいる。私のいわゆる「交響する読書」とはそういう読書である。

ギリシアの神話、ブッダのことば、荘子の内外雑三篇、ミルトン、スコット、ヒルテイ、ツルゲーネフ、ドブロリューホフ、ジムメル、レマルク、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、無名抄、古今著聞集、十訓抄、平家物語、馬琴、田能村竹田、幸田露伴、高田衛、上野千鶴子、小谷野敦、そして何人もの知友の歌集。

「読む」という営為はただ受容的な慰楽でなく、自身の「創る」嬉しさに繋がる。そうでなければわたしは「読まない」だろう。

2013 11・11 145

 

 

* シェイクスピアの『ソネット集』といいミルトンの『失楽園』といい原書が手にはいるなら、翻訳本もその詳細な註も片手に、ぜひ原文で読んでみたい叙情詩であり叙事詩であるが、今は叶わない。

それにしてもシェイクスピアの『ソネット集』はミルトン以上に容易ならぬ難体詩であり、だからこそ怖ろしいまで惹かれる。ソネットとは、ともあれ「十二行詩」のことであり、この「集」には154の詩が、前の大半で謎の若い男性に捧げられ、後方では謎の「黒い」女性に捧げられている。「謎」は深く混沌として冒険と物語に富んだ研究の山が積まれてきた。なにしろ劇聖沙翁渾身のソネット集なのである。

いまわたしは110まで、註とともに愛読してきて、たとえば105ではこんな詩句に出逢っている。「きみ」と呼んでいるのは、ここではまだ、若き愛しき男性の謂である。

 

☆ シェイクスピアの『ソネット集』より  高松雄一さんの訳に拠って

104

美しい友よ、私には、きみは年老いることがない。

はじめてきみの眼を見つめたときのあの姿と、今の美しさは、

ちっとも変っていないと思う。三度の寒い冬が、

森の木々から、三度の夏のはなやかな装いを振り落した。

三度の美しい春が黄いろの秋に変るのを、

季節の移ろいのなかで私は見てきた。三度の四月の香りが、

三度の暑い六月のなかで燃えた。きみはいまも緑鮮やかだけれど、

あの若やぐ姿を始めて見てからそれだけの時がたっている。

ああ、だが、美は時計の針のようなものだ。

いつしか文字盤を移るけれど、足どりは見えない。

きみの美しい姿も、私にはとどまるように見えても

実は動いていて、この眼が欺かれているのかもしれない。

私はそれを怖れるゆえ、まだ生まれぬ時代に告げておく、

おまえが生まれるまえに美の夏はおわったのだ、と。

 

105

私の歌も讃美の言葉も、どれもこれも、一人にむかって、

一人について、いつも同じ調子でうたい続けるが、

だからといって、この愛を偶像崇拝とは呼んでくれるな。

また、わが愛するものを偶像などに見たててくれるな。

わが愛するものは、今日も優しく、明日も優しく、

人にまさる見事な資質はつねに変ることがない。

それゆえ、私の詩も変るわけにはいかないから、

一つことを述べつづけて、多様な変化には見むきもしない。

「美しく、優しく、真実の」がわが主題のすべてであり、

「美しく、優しく、真実の」をべつの言葉に変えて用いる。

私の着想はこの変化を考えるのに使いはたされるのだ、

三つの主題が一体となれば実に多様な世界がひらかれるから。

美しさ、優しさ、真実は、別々にならずいぶん生きていた。

だが、この三つが一人にやどったことはかつてない。

 

* シェイクスピアア 自身の体験にはやや距離を置いてだが、同じ『ソネット集』の64 65番のソネットにわたしは美しく、優しく、真実を覚え感銘を受けたのを告白し、書き留めておきたい。

 

64

いまは埋もれ朽ちはてたいにしえの時代の

華美で、きらやかで、贅をつくした建築が、時の神の

凶悪な手に汚され、かつては高くそびえた塔が

跡かたもなくなり、不朽の真鍮の碑が、

死の怒りのまえに、すべもなく屈従するのを見れば、

また、飢えた大洋が陸の王国を侵略し、堅固な太地が

大海原を打ち放り、むこうが失ってこちらが増やし、

むこうが増やしてこちらが失う、そのさまを見れば、

つまり、こうして、ものみな移り変り、

栄華もまた崩れおちて、残骸となるのを見るとき、

廃墟を前にして私は思いをいたすのだ、やがては、

時の神が訪れてわが愛するものを奪っていこうと。

この考えが、いわば、死のようなものだ、手中のものを

いずれは失うと怖れつつ、泣くほかはないのだから。

65

真鍮板も、石碑も、大地も、ほてしない海も、どの力も、

結局はおぞましい死に屈服するほかはないのだから、

一輪の花のいのちほどのカしかもたぬ美が、

どうして、この猛威を相手に申し開きができよう。

ああ、破城槌をもって攻めたてる歳月の恐ろしい包囲に、

あまくかおる夏の微風がどうしてもちこたえられよう、

頑丈な岩でも、鉄づくりの城門でも、

時の破壊に耐えるほどには強くはないのだから。

思えば怖ろしい。時の所有する最上の宝石を

どこにかくしておけば、時の櫃に返さずにすむのだろう。

どんな強い手が時のすみやかな足を引きとめられよう。

時が美をほろぽすのをだれに禁じることができよう。

できはしない、わが愛するものが、黒いインクのなかで、

永遠に輝き続けるという奇跡が生じぬかぎりは。

 

* 「櫃」は「柩」を意味している。

2013 11・12 145

 

 

* 十数年前にわたしは此の日録に、、神様か誰かがわたしの服に「黒いピン」を刺したという夢の話を書いていた。ピンが立っていると旺盛にはたらけて、しかし必ずしも愉快でない。ピンを抜くとなにもかもゆったり落ち着いている、と。

昨日『ブッダのことば』第四「八つの詩句の章」の一五「武器を執ること」へ読み進んでいきなりこういうブッダの言葉に出逢った。

 

☆ 『ブッダのことば』第四「八つの詩句の章」の一五「武器を執ること」

九三五  殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその衝撃を述べよう。

九三六  水の少いところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が走った。

九三七  世界はどこも堅実ではない。どの方角でも動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

九三八  (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。

九三九  この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢をぬいたならば、(あちこち)を駈けめぐることもなく、沈むこともない。

 

* わたしが夢に見、以来意識し続けている「黒いピン」とは、ここに謂われてある「煩悩の矢」に他なるまい。

この節で謂われている「武器」とは、この時代「杖=暴力」を意味した。そして暴力からの「厭離」が語られている。「堅実でない」とは恒久的な本質がどこにも無いのである。そしてブッダは言う、「世間における諸々の束縛の絆にほだされてはならない。 自己の安らぎを学べ」と以下に具体的な教えが語りつがれる。

2013 11。13 145

 

 

* 『十訓抄』ほど逸話たくさんにしかも平易に端的に書き並べた古典も珍しく、難解に苦しむような何もなく親しみやすい。それだけでなく、頭の中に、「あ、聞いたことがある」「このそ話、知ってた」という件も意想外に多く含んでいて、耳学問の馬鹿にならぬ事を思い当たらせる。しかし耳学問は、聞き覚えは、間違いも誤解も少なくない。落語に出てくる横町のご隠居よりははるかに正確の輪郭を心得た著者が語り聞かせてくれる。古典の苦手の人にも、この本、その気になりさえすれば読める。楽しめる。「古今著聞集」などよりも古典語が平易なのである。「徒然草」のようには深みはない、ことがら、逸話をただ端的に伝えようとだけしていて、わずかに、かすかに教訓臭だけが伴う。それ自体が、お高い姿勢を平たくやさしくしている。

2013 11・15 145

 

 

 

* 久保田淳さんに頂いた久保田さん訳注の鴨長明『無名抄』をとても面白く興趣を覚えながら丹念に読み終えた。系統立てた議論でも批評でもなさそうで、思い出すママに和歌詠みや読み批評のカンどころや伝聞を簡潔に要点をつまんで書かれていて、たいそう読みやすい。ただことが和歌であり、昔の和歌をくっきりと意味を通して読み取り味わうことは、千年を隔ててもいて言葉の上でも表現のうえでも嘗めてかかれない。和歌は嘗める程度で美味を味わうにはてごわいのである。その点、引用されてある和歌のかずかずを久保田さんはきちっと現代語で意味を通してくださっているのが有り難い。

じつに詳細な補註があり、これが短篇と謂うも可な本書での美味なるご馳走である。こまめに箸を動かしている。

久保田さん、さきの文化の日にはおめでたい受勲の報があった、この場をかりてお祝い申し上げます。

 

* 誠実な人などめったにいない、誠実な動物よりも少ないとヒルテイに言われて、気が重い。動物のほうがなまじな人間より誠実で感謝の気持ちも人間より表現できるという、後段はともかく、前段は、謂われている動物がつまりは家畜のことであるなら、またすこし話の方向がずれてくる。

日増しにわれわれ権力と無縁の人間が、権力の前に家畜のように飼い慣らされつつ、権力前での誠実・忠実度がはかられるかと思うと堪らない侮辱を覚える。

毎日の夫婦の対話の中で、時の政治家や企業家らの不誠実を嘆く割合が増しに増して行く。それとともに、自身の誠実の下落もまた言い逃れできずに、苦々しい思いに襲われる。そしてそんなとき、もうすぐ死んで行けることを幸いかのように実感しかねないのも、悲しい情けない、しかし偽り無いそれが安堵感のように思われる。ときに幸せとさえ思われて先の永い若い人たちの明日、明後日を傷ましいとさえ感じてしまう。

2013 11・16 145

 

 

* 『みごもりの湖』のルビ打ちを始めた。作柄からやむを得ないが時間をとられる。「湖の本」118責了へも着々進んでいる。どの読書にも心惹かれ、五冊でとめようと思ってながら、十册も十五冊も読んでしまう。馬琴の『八犬伝』も高田衛さんの『八犬伝の世界』も面白いがもツルゲーネフ『貴族の巣』も面白くこんぐらかって来た。レマルクの苦境を這う人らの隣人愛の温かさと哀しさとにも時に思わず顔を手でおおう。

 

* オフェイロンの『アイルランド』がこう面白い興味深い佳い本だとは思ってなかった。ふっと出会い頭に手に取った。地図上の位置やイングランドとの関わりなどたしかによく知りたい気持ちはあった。

 

* 「正しく送られた人生において最後にいだくモットーは、かならずや平和と親切という言葉であるにちがいない。そうでなかったら、その生涯はたとえどんなに立派に見えようとも、けっして正しい道を経たものでない」とヒルテイは言い切る。思わずじいっと立ち止まらされる。平和は分かる、だれしもの願いだから。親切は、重い厳しい指摘だ、「親切にされる」嬉しさ有りがたさには甘えるのに、「親切にする」ことで自身徹底しているかとなると、ハテ、と顔あからむ。ヒルテイも言っている、これにしっかり頷けるのは「たいてい、かなり晩年になってからの成就」だと。

また、こうもヒルテイイは言う。「人間のすべての性質のなかで、嫉妬は一番みにくいもの、虚栄心は一番危険なもの」と。心中に飼ったこの二匹の蛇を吐き出してしまうのは素晴らしく快いと。まことに。だがそんな嫉妬や虚栄心を吐き捨てたあとへ、「人間軽蔑」と「傲慢」が入り込みやすいとヒルテイは指摘する。これは、「嫉妬と虚栄心を免れた者に通常ありがちのこと」であり、「自己欺瞞」に陥らぬよう心せよと。まさしく洞察である。

 

* ヒルテイの優れた洞察や示唆・指摘の基底には、まぎれもないキリスト教の「神」への謙虚な熱愛が在る。ただし彼のキリスト教を、大雑把にカトリックの、教会のなどと観ることは出来ず、しかも「聖書のみ」のプロテスタントをヒルテイは批判している。彼は彼の人間味をすべて傾けて神と向き合っている。そう観てとれば、キリスト教にかかわりない者にもかれの『眠られぬ夜のために』は心親しく向き合える。

 

☆ 天地創造の第六日目で、最後の日(ミルトン『失楽園』)

そして、原動力の主である大いなる神がその御手をもって

初めて定められた軌道に従い、すべての天体が、その運動を

始めた。地は華麗で完璧な装いに包まれ、にこやかに

微笑していた。空に、水中に、地上に、それぞれ鳥が、魚が、

獣が、群れをなして飛び、泳ぎ、闊歩していた。だが、まだ

第六日目がこれで終ったわけではなかった。既に造られた

すベてのものの目標である、最も重要なものが未だ造られては

いなかった、

--つまり、他の生きもののように常に下を見、

道理を弁えないのと違い、聖なる理性を与えられ、背を

のばして直立し、穏やかな額を真っ直ぐに保って他のものを

支配し、自らを知り、そして自らを知るがゆえに神と交わるに

ふさわしい高邁な心を持ち、しかも同時に自分のもつ一切の

善きものがどこから下賜(くだ)されているのかを知り、感謝し、

しかして、虔( つつし) んでその心と声と眼を天に向けてそそぎ、

自分を万物の長(おさ)として造り給うたいと高き神を崇め、拝む

ところの者、--

これがまだ造られてはいなかったのだ。

そこで、全能にして永遠者でいまし給う父なる神はl

(なぜなら、神が存在されない所はどこにもないからだ)、

次のように声高らかに、御子に向かって言われた--

『次に、われらに象(かたど)り人間(ひと)を、われらの像(かたち)の如くに

人間(ひと)を、造り、

 

* 上の、「--つまり」以下に、ミルトンなりに、また聖書に即して「人間」が謂わば定義されてある。ヒルテイにおける神と彼との直結もこの定義に忠実なのであろう。

 

☆ ソネット

きみの贈物、あれら一つ一つの記憶は、私の体に充満している、

消えやらぬわれら絶境の数々が一つ一つ発光する繪のように。

このほうが、どんなむなしいメモやノートより長もちするし、

かぎりある時をこえて、永遠に生きてくれよう。

ともかく、体と心が自然から授かった力を働かせて

生命をたもち続けるかぎりあの一つ一つの嬉しさは永遠に生きる。

いずれは、きみの若さ美しささえ老い行く忘却に委ねられようけれど、

それでもきみとの一つ一つに燃えた歓喜の消失することはない。

およそ貧弱な筆墨の器に多くを容れることなどできないし、

きみが絶頂の愛を刻みつける画板も私にはいらない。

よのつねの凡庸な手だてなど悉く手放していいのだ

もっと多くの一つ一つに輝いたきみの記憶は永久に私の名画。

きみを思いだすのに、備忘録を手もとに頼るなんて。

私が忘れっぽい男だということになりはしませんか。

 

* シェイクスピアのソネット、えも言われず佳い。

2013 11・17 145

 

 

* レマルクの『汝の隣人を愛せ』で、うれしくなるような、やはり悲痛の味のするエピソードを読んだ。賢いつよい大人の避難民シュタイナーが、たまたま友人が手に入れてきた「国家社会主義党 ナチョナル ゾーチャリスティッシェス パールタイ」の徽章を上着の左の襟の下につけ、避難民いじめの男を訪問し、「徽章」の威力でみっちり油を絞っていた。

徽章などわれわれ私民には疎遠なものだが、それでも勤務の頃は社章を、高校や大学でも校章をつけていた。弁護士も代議士もいかめしげに徽章をつけている。しかし、それらとてわるものを震え上がらせる威力はもっていまい。しかしいつかは上のような「党員徽章」がわるさをしたい放題する時機が来そうでイヤだ。人間の誠実や実力が、たかが徽章ひとつで圧しつぶされてしまうそんな時代の到来を決然阻まねばならぬ。

2013 11・19 145

 

 

* レマルクの『汝の隣人を愛せ』で、うれしくなるような、やはり悲痛の味のするエピソードを読んだ。賢いつよい大人の避難民シュタイナーが、たまたま友人が手に入れてきた「国家社会主義党 ナチョナル ゾーチャリスティッシェス パールタイ」の徽章を上着の左の襟の下につけ、避難民いじめの男を訪問し、「徽章」の威力でみっちり油を絞っていた。

徽章などわれわれ私民には疎遠なものだが、それでも勤務の頃は社章を、高校や大学でも校章をつけていた。弁護士も代議士もいかめしげに徽章をつけている。しかし、それらとてわるものを震え上がらせる威力はもっていまい。しかしいつかは上のような「党員徽章」がわるさをしたい放題する時機が来そうでイヤだ。人間の誠実や実力が、たかが徽章ひとつで圧しつぶされてしまうそんな時代の到来を決然阻まねばならぬ。

 

* 竹田の『山中人饒舌』で、池大雅、与謝蕪村の「評価」など、心うれしく大きく頷き頷き読んだ。竹田は、大雅を「正」と、蕪村を「譎」としているのを蕪村に酷という思いを永くもってきたが、訳解の竹谷長二郎氏の理解では、決して上下ないし正否の意ではなく、大雅の真正直な筆意の働きに比し、蕪村のいわば俳味を帯びた趣向の筆意を謂うていると。それが正しい田能村竹田の理解とわたしも思う。中野三敏九大名誉教授や河野元昭東大名誉教授の、「『山中人饒舌』を抜きにして、江戸絵画を語ることはできない!」という推讃は謂えている。佳い本である、本物の本とはこれであろう。

 

* 松原陽一さんの『千載集前後』は、「伝義家作『勿来関路落花詠」がかくべつ興深く、引き続いて今は「福原遷都述懐歌考」を、さらに一段と身近に感じながら熟読している。福原遷都はさきの大河ドラマ「平清盛」でもハイライトの一つだったし、書きかかりの私の小説にも縁が深くなる。研究者の追跡には、わたしたちのそれと異なり、同時代、異次元でのたくさんな文献が絡んでいる。わたしたちの所懐にはそういう高次・多彩な原資料からの探索は入れようにも手も届かないのが常であり、想像力を用いることになる。研究者はこの想像力にあからさま頼むことを原則禁じられている。「学恩」ということをわたしは心よりいつも感謝している文士の一人、だから学恩にあずかれそうな研究書の面白さには、にじり寄らずにおれない。そして、研究者とは異なる道筋から詮議し創作して行く。わたしの作家生涯の中で、幾つか忘れがたい喜びがあるなかで、たとえば後撰和歌集の閨秀「大輔」の身元を小説家として追いに追いつめて書いたとき、京都から角田文衛先生がわざわざ電話を下さって、よく追いかけましたねと褒めてきてくださったこと。小説家の想像に必ずしも甘い方でなかっただけに、嬉しかったのを昨日のように覚えている。

そういえば、いまふっと別ごとを思いだした。さきにお名前を出した中野三敏さん。古典鼎談のあとで、「とっておきの」と持参の品を披露されたのが、それは精微な春画巻だったこと。そんなこともあったなあ。

 

* さ、今日はよく頑張った。もう眼はウロウロしてしまっている。やすみましょう。ではでは。

2013 11・19 145

 

 

☆ レマルク『汝の隣人を愛せ』より

ブローゼはベッドの柱に頭をよりかけた。彼は、自分の上役が製図室へはいってきて、長い間時局のことや彼の才能のことを話したあげく、ただ彼がユダヤ人の妻をもっているというだけで、解雇の通知を出さなくてはならないことほ、まことに残念なことだと言った。あのときのことを、いまでも覚えていた。彼ほ帽子をとって、立ち去ったのだった。それから八日たって、彼は自分の住んでいる家の門番で、同時に地区の党監視人であり、スパイである男を殴って、鼻血を出さした。その男がブローゼの妻を小汚ないユダヤ人と呼んだからである。幸いに、彼の弁護士は門番が酒に酔っぱらって、政府を誹謗したことを証明することができた。すると、門番の姿は消えてなくなった。だが、彼の妻はもはや安心して街へ出ることができなかった。彼女は党のユニフォームを着た中学校の生徒に突き当られるのが厭だった。ブローゼはほかの職を見つけることができなかった。そういうわけで、彼らはパリへ去ったのだった。その途中で、妻は病気になってしまった。

窓の彼方の林檎のように青い空の色が褪せた。霧がかかって、暗くなった。「苦しかったね、ルーシー?」

「たいしたことはないわ。ただとても疲れてるの。ずっと中の方が」

ブローゼは彼女の髪を撫でた。髪は、デュボネのネオンサインの光をうけて、銅色に光った。「じきまた起きられるようになるよ」

女は彼の手の下で、ゆっくり首を動かした。「いったい何でしょうね、オットー? わたしこんなこといままで一どもなかったのに、もう何カ月もつづいてるのよ」

「何かちょっとしたことさ。心配することじゃないよ。女のひとは、よくこんなことがあるんだ  よ」

「わたし、二どと快くなるとは思わないわ」と、彼の妻はとつぜん絶望して言った。

「君ゃじき快くなるんだよ。ただ勇気を失くしないようにしていさえすりゃいいんだよ」

外では、家々の屋根に夜が這いひろがっていた。ブローゼはまだ頭をベッドの柱にもたせかけたまま、静かに腰かけていた。昼の間はげっそりして、おずおずしていたその顔は、いまは最後の淡い光の中で、澄みきって、和やかになっていた。

「僕は君を愛してるよ、ルーシー」 ブロ-ゼは自分の姿勢をかえないで、やさしく言った.

「病気の女など、だれも愛することはできないわ」

「病気の女は二重に愛されるものだよ。女でもあれば、子供でもあるんだからね」

「そのことなのよ!」 女の声は引きつって、小さくなった。「わたしはそれでさえないのよ。あなたの妻でさえないの。あなたには、ご自分の奥さんさえないのよ。わたしはただ重荷だけなの、それだけよ」

「僕には君の髪があるよ。君の可愛い髪がね」 彼は屈みこんで、彼女の髪に接吻した。「僕には君の目があるよ」 彼は彼女の目に接吻した。「君の手がある」 彼は彼女の手に接吻した。「僕には君がある。君の愛がある。それとも、君はもう僕を愛していはしないのかね?」

彼の顔は彼女の顔のすぐ真上にあった。「君はもう僕を愛してはいないのかね?」

「オットーー 」 彼女は弱々しくささやいて、彼女の胸と彼との間に手を押しこんだ。

「君はもう僕を愛してはくれないのかねー」と、彼はやさしくたずねた。「言ってごらん。生活費もかせぐことのできないような値打ちのない男を、君はもう愛さないかもしれない。僕には、それはよくわかるよ。一どだけ言ってごらん。たったひとりの.可愛いひと!」彼は脅かすように、やつれた顔にむかって言った。

とつぜん、彼女の目は幸福な涙にあふれ、彼女の声はやさしく、若々しくなった。「あなたはほんとにまだわたしを愛していてくださるの?」と、彼女は微笑をうかべてたずねた。その微笑に、彼の胸は引き裂けそうだった。

「僕は毎晩それをくりかえさなくちゃならんのかね? 僕はね、君が寝ているベッドに嫉妬するほど、君を愛しているんだよ。君は僕の中に寝ていなくちゃいけないんだよ、僕の心臓の中に、僕の血の中に!」

彼は彼女に見えるように、にっこり微笑み、もう一ど彼女の上に屈みこんだ。彼は彼女を愛していた。彼女は彼のもっている一切であった ー だが、それでも彼女に接吻するのが妙に気のすすまぬことがよくあった。彼はそういう自分を憎んだ。彼女の患いの原因は、ちゃんとわかっていた。ただ彼の健康な肉体が彼よりも強かったのだ。だが、いまアペリティフのネオンサインのやさしい、温かい反射をうけて、この夕暮は、何年か昔の ー 病気の暗黒な力を越えた彼方の- 夕暮のようだった。 一 向いの屋根のあの赤い光のように、心を慰める温かい反射。

「ルーシー」 彼はささやいた。

彼女は濡れた唇を彼の口に押しあてた.こうして彼女はしばしの間、責め苛まれた自分の肉体のことも打ち忘れて、静かによこたわっていた。

 

* この、故国を追われ生活の道を奪い尽くされた避難民夫婦、目前の今日明日も生き延びられそうにない、だが深く愛し合う夫婦。ナチスは、強権の狂犬と化した政権は、無数にこういう哀しい夫婦をヨーロッパ中に生産していたのだ、かつて。そして今からの日本は決してこうはならないと、信じられるか。過去の治安維持法というに同じい特定秘密保護法が、曖昧模糊とした法のウソを満載のママ明日にも成立仕様としている。

2013 11・20 145

 

 

* 有るだろう、いずれ出るだろうと心待ちに待っていたのが、『眠られぬ夜のために』を書いた敬虔な基督者ヒルテイによる、他宗教、ことに仏教への感想ないし批判の言葉。

 

☆ ヒルテイによる 『眠られぬ夜のために』 第二部 一月二十八日

あまり活動的でなく、思弁に溺れがちの、学識ある、ごく少数の人たちだけが、仏教の方がキリスト教よりもまさっていると考えている。それというのも、彼らがキリスト教を誤解しているからだ。

ところで、この仏教は、キリスト教よりもなお一層不運な道を辿ってきた。すなわち、キリスト教の福音が理屈っぽいギリシァの神学者によってゆがめられた以上に、仏教はラマ教によって、つまり僧侶の修法によってゆがめられてきた。

しかも仏教は、その最盛の復興期においてさえ、キリスト教の偉大さ、宏量さ、その実際的適用性には、いずれにしても遠く及ばなかった。仏教に帰依した諸民族の中から、最も条件にめぐまれた場合でさえ、ブルン・バガドのような遁世的隠者をわずかに育てあげたにすぎない。

仏教は、最高の発達をとげた時にも、単に一つの思弁であり、たいていは半ば夢みるような瞑想にすぎず、しかもそういう形式では、つねにごくわずかな人たちしか親しみえない宗教であった。

このような宗教へ、われわれはさらにすぐれた、さらに真実な宗教を持ちながら、あえて改宗すべき理由を全く見出しえない。ところが、現代の「教養ある」階級の大多数の者は、あまりに怠惰なために、このよりすぐれた宗教を自分で綿密に究めようとしないか、あるいはただ新奇なもの、異常なものを追うせっかちな衝動に捕えられているのである。しかもこの衝動は、結局のところ、虚栄心という根本悪から由来しているのである。

つまり、安価に手っ取りばやいやり方で他人にぬきんでること、なにか「自分だけに特別なもの」を身につけること、これこそが現代の教養が目新しい宗教などをもてあそぶ主要なげんいんなのである。

いまにこのような教養をもつ広い範囲の人たちは、破産した自然科学的な唯物論のあとを追う破目になるであろう。

(そしてヒルテイは仏教等への迷いからの覚醒のためという積もりらしく、マタイによる福音書二四の一一・一二・一四を熟読せよと示唆している。該当するその箇所を挙げておく。即ち、)

また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。(しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。)そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後がくるのである。

 

* 繰り返し丁寧にこのヒルテイの言説を読み返してみて、失礼ながら、頬笑んでしまう。ヒルテイにして、かかるわが田に水を引く弁を臆面無く披露する。たぶんこれが、かなり得意なキリスト教贔屓または荷担が有るだろうから、彼のこの書物での十二分敬意に値する言説のなかで、キリスト教に字義どおり拘泥して「吾が仏尊し」をやってある箇所は、そのような偏頗のおそれ濃い口吻から身を避け避け、ただもう一般に言いうること、さすがに深い人間的洞察と読めるところをだけ、敬意をこめて読んできた。

ヒルテイの明白な誤謬は、「宗教」というもののもつ高次の自然性、独自性を、ひとからげに無視して「基督教だけ」を独善視してやまない、(事、宗教なるものに関するかぎりでの)言説の幼稚さにある。仏教に対しても、よく探索し認識した上で批判し非難しているとはとても想えず、偏狭で幼稚な弁舌に酩酊のていに読み取れる。

人の、底知れぬ生や死への不安、その救済といった視点からすれば、多くの民族がその地方分布に応じ、独自の宗教的恩恵ないし指導がありうるし、事実いろいろに行われてきた。仏教もまた然り、深淵の別派とも関連しつつ、顕著に歴史的に独自性を構築し洗練してきた。そしてまた拡散した。ことにインド仏教に関しては、はやくに衰微と辺地化を余儀なくされて小乗仏教として固まり、しかしながらチベットや中国やことに日本で独自に変貌し変容し洗練された大乗仏教の本質や差異には極めて独自な宗教力があり、ヒルテイにはそれらが殆ど見えていないようである。

たとえば、禅。たとえば、念仏。

ヒルテイは小乗・大乗の認識すら曖昧なままに異端視に励み、只もう吾が神とキリスト尊しと差別に励んでくる、だか゜じつは、そこにこそキリスト教の冒してきた歴史的な傲慢と過誤と破綻とがあったのではないか。

わたしは、自分を仏教徒とも反基督者とも思っていない。そういうところに身を固定し、あたかも抱き柱に抱きつくような宗教を望んでいないのである。だから自由に高邁に自律したバグワン・シュリ・ラジニーシに「聴く」のである。彼は偏頗な主張を柱にして抱きつかせたがるような迷妄を全く持っていない。

またブッダは、あくまでも人間であり人間としての安心立命を教えて、「神」をとほうもない上位概念にはしていない。

 

* ゆっくり読み返せば返すほど、上の一文に関してのみ謂うなら、物足りないだけでなく、ヒルテイは間違っていると言いきりたい。

 

* ツルゲーネフの『貴族の巣』には拍子抜けした。『猟人日記』とは雲泥の差、ラヴリェツキィもリーザもただの人形だった。

 

☆ 沙翁「ソネット集」より

137

盲目の愚か者、愛の神よ、私の眼に何をしたのだ。

この眼は見てはいるのに見ているものが解っていない。

美とは何か知っているし、どこにあるかも見ているのに、

最低のものをこよなく優れていると思いこむ。

恋のひが目に馴れて、堕落した眼が、

どの男たちでも乗り入れる港に錨をおろしたからとて、

なぜ、おまえは眼の過ちで釣針をつくり、

わが心の判断力をひっかけるのか。

広い世間の共有地だと、心は納得しているのに、

その心が、これは個人の私有地だなどとなぜ考えるのか。

また、私の眼はこれを見ながらこれではないと言い

こんな醜い顔に美しい真実を、なぜ、装わせるのか。

私の心も、眼も、まこと真実なるものを見あやまり、

いまはこの迷妄の苦しみに憑かれて生きているのだ。

 

138

わが恋人が、あたしは真実そのものと誓えば、

嘘をついているのが解っていても信じてやる。

それもみな、私が初心(うぶ)な男で、嘘で固めた

世間の手管など何も知らぬ、と思わせたいがため。

女は私の若いさかりが過ぎたのを知っているのに、

こちらは、女に若く見られていると空しく自惚れ、

愚かなふりして、彼女の嘘八百を信じてやる。

両方がこんなふうにむきつけの真実を押し隠す。

だが、何ゆえに、彼女はおのれの不実を白状しないのか。

また、何ゆえに、私はおのれの老いを認めないのか。

ああ、愛がつくる最良の習慣は信じあうふりをすることだ。

恋する老人は年齢をあばかれるのを好まない。

だから、私は彼女と寝て嘘をつき、彼女も私に嘘をつく。

二人は欠点を嘘でごまかしあい、慰めあう。

 

* シェイクスピアの恋愛ソネット、面白いではないか。原文が欲しくなっている。

 

* 佐藤眼科の玄関に、本や文庫本が並べられて、「ご自由にお持ち帰り下さい」とあった。椎名麟三の文庫本など三冊を先生に断って頂戴してきた。その一冊はアイルランドのオコナーの小説。アイルランドに心惹かれている。優れた作品に出逢いたい。

2013 11・22 145

 

 

☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』第一部 三月四日

完全に健康でなければ、立派な仕事はできない、だからなによりもまず、健康でなければならぬ、という見解を信じ込んではいけない。これは今日、多くの良い人びとの迷信となっている。 現代、肉体のことをあまりにも気にしすぎる。

病弱はすこしも善い事を行う妨げとはならない。これまで偉大な仕事をなしとげた多くが、むしろ病弱者であった。

それに、完全な健康をもっていると、必ずとはいわないが、精神的感受性の繊細を欠くようになることが実際少なくない。

あなたが健康に恵まれているなら、神に感謝しなさい。

しかし健康でなくても、そのことにできるだけ心を労せず、また妨げられないようにしなさい。

たんに「健康を守るためにのみ生きる」という考え方は、知性ある人にふさわしくないものだと思うがよい。

 

* 心底から賛同する。たしかに健康でいられることは「感謝」に値する。しかしたまたま健康でない者の、始終それを念頭に置きすぎること、それにより生きて在る大事な「時」を虚しくしてしまうことは、なるべくは避けたい。

 

* わたしは自分が癌に冒されないかと永くながく懼れていた。思い切って我から人間ドックにとびこんで、一発で胃癌と診断されたとき、ああ、とうとう…と思った、だが、ふしぎなほどわたしは深刻には動じなかった。身は、医学に無心にゆだねてしまおう、そのかわり可能な限り「仕事」をつづけ「楽しみ」もつづけようと、すぐさまその姿勢を自身に律した。いろんな泣き言は言うだろうが、言うてよい、だが病気とは「立ち向かう」まで。立ち向かうとは、気力で生き続けること。そう思い、そう二年近くをわたしは生きた。まだこの先、海とも山とも分からぬ道を辿っているが、その間に、湖の本は『千載和歌集と平安女文化』上下二巻、山折哲雄さんとの対談『元気に老い、自然に死ぬ』、『センスdeポエム』、『ペンと政治』上中下三巻、『作・作品・批評 濯鱗清流』の八巻を出版し、この師走上旬のうちに118『歴史・人・日常 流雲吐月』 も送り出す。A5判各册200頁の九巻。それとて湖の本はわたしの「仕事」の一部であり、ホームページの運営も欠かさず、文藝連鎖としての「闇に言い置く 私語の刻」も厖大量を欠かさず書き継いできた。むろん、創作も。そして体力を賭して歌舞伎を、余の演劇も楽しみつづけた。読書量は生涯での盛時に匹敵していた。

病気はつらかった。手術後に更に二度入院した。抗癌剤の副作用は想像を絶してきつかった。眼も歯も、むちゃくちゃになった。だが、だからこそ「立ち向かえた」と今も思っている。これからも、と、思っている。

 

* 朝から晩までサプリメントや女性の化粧品の広告がテレビ画面を席捲している。「健康病」「美肌病」という病気が21世紀を蔽っている。「金銭病」も「貪食病」もある。「これは今日、多くの良い人びとの迷信となっている。 現代、肉体(=善く生きるという実を伴わない欲望)のことをあまりにも気にしすぎる」と、ヒルテイは百年以上も昔に警告していた。どう生きるか、生きたいかの問題・仕事は抛たれているのだ。

 

* 二言目にはキリスト教の「神」の話になるのはヒルテイにとってはじつに当然必然なので、わたしはとやかくは言わず、その辺は適宜に按配して読んでいる。わたしは「神」のごときモノを無視も否認もしてはいない、それへの「信」を以て自身の生を預けてしまわないだけである。だからギシア神話も古事記の神話も中国やインドの神話もそれなりに興味や関心をもって読んできたしもっと読みたい。ミルトンの『失楽園』を予期した以上に面白く耽読していささかも閉口しないでいるのも、この偉大な詩人なりの「神と人間」とが感銘や納得を与えてくれるからである。

 

* まことわたしの命名した「健康病」の蔓延は苦々しい。サプリメントの氾濫だけではない、病気・病状・服薬情報のほしいままな氾濫に人は溺死しかけながら、日を追って正反対の示唆や情報を追いまくって狂犬のように輪をかいている。

そんな情報宣伝の担い手達に、芸能タレントが夥しく動員されている。

にわかに判定は下さないが、かつて芸能人の曰くにかくも軽薄に一般私民は踊らなかったものだ。いまや先生・指導者かのように芸能タレントが、クスリとつかず化粧品とつかず説法を垂れ流している。

芸能人には本職の藝を望んでいる。なるほど副業に励んでいる彼らはそれも藝の修業と心得ているか知れない、たしかに昔の大道芸や売り立て口上にはその気味があった。

しかし、今日、見ていると彼ら大多数のテレビに駆り出されてやっていることは、ただ大声で馬鹿笑いし、互いに馬鹿拍手して、七転八倒喚いているばかりに見える。五月蠅いだけである。

2013 11。23 145

 

 

* 馬場あき子さんから今日贈られてきた二十四冊目の歌集『あかゑあをゑ』は、馬場さんの新たな境涯をこころよく想わせる佳い歌で始まっている。

晩年のわれをみてゐるわれのゐてしづかに桃の枝しづくする

年改まりわれ改まらず川に来て海に引きゆくかもめみてゐる

夕ぐれの鵜の森に鵜は帰りきて川闇重くふくらみはじむ

鷺の木に鷺居り鵜の木に鵜の居りて春の川の辺なにかはじまる

負けて悔しいといふ唄久しくうたはねど三月は来ぬ雛を飾らん

いもうとが欲しかつたわれ年たけて雛あがなへり相向かひをり

桃咲けどわが雛の髪みだれなし葵上のやうなかなしみ

梅咲いてひひな斎ける七日ほどくらしひそけく隠れ家のごとし

 

* この三月に、フクシマの翳り汲み取りたい。

 

* 佐藤眼科の待合いから貰って帰った三册は、戦後文学椎名麟三の『深夜の酒宴・美しい女』 アイルランドの短篇の名手『フランク・オコナー短編集』 そしてサラ・ウォーターズの『半身』。

椎名のいわばデビュー作「深夜の酒宴」頭から数頁の行文に、「のだ」「のだった」という語尾が毎行ちかく百にも余ってさらに「のである」が混じる。こういう不自然にリキの入り過ぎたがさつな文章は、苦手。しかし椎名文学にじわっと湧き出るルオー画の魅力ににた存在感のあることは他の作で少し知っている。しかし「のだ」「のだ」「のだ」「のだ」はよくない、

 

* 『露伴随筆集』はいま、「日本文話」と題した講話ふうを読んでいる。日本文の誕生までをいましも聴いているが、固有の日本文字を未だもたず、義字である漢字に接して、それだけで漢文ならぬ日本語の文章を開発していった古人の苦心惨憺をわたしもまた感謝と共に納得する。推古天皇の十五年に出来た薬師像の光背に刻された漢字だけでの、それでも日本文。書き写してみる。

 

池辺大宮治天下天皇大御身労賜時歳次丙午年召於大王天皇与太子而誓願賜我大御病太平欲坐故将造寺薬師像作仕奉詔然当時崩賜造不堪者小治田大宮治天下大王天皇及東宮聖王大命受賜而歳次丁卯年仕奉

 

一見、これは純然の漢文ではない、が、日本字は一字として加わっていない。露伴はちゃんと読み下して呉れている

 

池辺( いけのべ) の大宮に天下(あめのした)しろしめす天皇(すめらみこと)(=用明天皇)の大御身( おおみみ) 労(いたず)きたまふ時歳次(としのついで)は丙午(ひのえうま)の年(用明天皇元年)大王(おおぎみ)天皇と太子(ひつぎのみこ)(=推古天皇と聖徳太子)とを召して誓願したまはく、わが大御病( おおみやまい) 平( たい) らぎなむとおもほしますが故に将( まさ) に寺と薬師の像とを造りて(仏に= )仕へ奉ることを作( な) さしめんと詔(の)りたまひき、然るに当時(ときさにあたりて)崩(かむあが)りたまひ(用明天皇はその二年四月崩御)て造るに堪へずありければ小治田(おはりだ)の大宮に天下(あめのした)しろしめす大王天皇(=推古天皇)および東宮聖王(あまつひつぎひじりのおおきみ=聖徳太子)大命(おおみことのり)を受けたまはりて歳次(としのついで)は丁卯(ひのとう)の年(=推古天皇十五年)仕へ奉りぬ

 

* もうわたしの眼は霞みきっている。すぐにも二十四時。「木守」さんのメールや馬場さんの歌集を戴いて、少なからず気が晴れていた。

2013 11・23 145

 

 

* 漢字を借りての日本文表示への古代ひとのただならぬ苦心を幸田露伴が語っていた。その最も古い時期の試みを昨日の「私語」に原文だけ掲げておいたが、今朝、露伴によるその読み下しを書き添えておいた。

 

☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』

第一部 三月八日

キリスト教会の歴史を綿密に、また公平に観察するとき、われわれは、この教団はその創始者の思想に完全に適合した正しい完成に達したことがまだ一度もないこと、そしてまた、真のキリスト教は現代にいたるまで、おそらくただ個々の人びと、しかもたいてい世に知られなかった人びとにおいてのみ十分な実を結んだ、と信じたい強い誘惑にしばしば駆られる。

なるほど現代のすべての教会組織や、さらにあらゆる社会的および国家的状況は、キリストのキリスト教からはかなり大きくへだたっているが、しかし、そのような真のキリスト教をより立派に実現するための新しい企てがなされる方向に、われわれの時代が進んでいることだけは確かである。

 

* ほんとうに「確か」だといいのだが。

2013 11・24 145

 

 

* シェイクスピアの『ソネット集』 はじめのうちは取り付き難かったのに、興を覚え始めるにしたがい面白く読み進んで、読み終えた。わたしの読書史では、初見参の「ソネット集」だった。可能なら善い原本を得てシェイクスピアの言葉と表現とで読んでみたい。おなじ事はミルトンの『失楽園』にも思っている。

 

* 佐藤眼科で貰ってきた『フランク・オコナー短篇集』巻頭の「ぼくのエディプス・コンプレックス」を引きずり込まれて面白く読んだ。次いで訳者阿部安倍公彦さんの「解説」それも作品解説でなく、アイルランド略史がとても興味深かった。オフェイロンの論考『アイルランド』との相乗効果あり、わたしが、なぜこのところ半ば以上は偶然ながら、スコットの『アイヴァンホー』や『湖の麗人』を読み、またオフェイロンやオコナーに手を出したかが、分かる気がしてきた。

わたしはイングランドやノルマンに対立して、アイルランドやスコットランド、ないしケルトの、ヨーロッパにおける特異性に関心を覚えていたのだ。その一つの表れは、いろんな映画でのアイルランド人の描かれようを挙げてもいい。

例えば台は或いは憶え間違えているか知れないが「パトリオット」とか謂った、ハリソン・フォードが演じるアメリカの軍人夫妻が子連れでイギリスに旅していて、たまたまバッキンガム宮殿の真ん前でテロリストに襲われた英皇族を救うという出だしをもっていた。夫妻は「サー」「レディ」の称号をもらい栄誉に浴するが、襲撃に失敗しことにハリソンに撃ち殺された弟をもつ一人は徹底的に上の夫妻と子供の家庭を襲い続けることになる。スリリングな話の展開で、むろん夫妻家族の危険をおそれる映画作りの足場からすれば、復讐に命懸けのアイルランドテロリストは完全な「悪」になっている。そこにわたしは何度その映画を観ても立ち止まっていた。なぜ彼らはという動機を知りたかった。アイルランド女王アンとイングランド女王エリザベスの死闘を識っている。そこには英国プロテスタント国教とアイルランドのカトリックとの死闘も絡んでいる。そして身をもがくようにしてアイルランドは有名な「イースター蜂起」を機に独立を得ていったが、それでも両国に溶けないしこりは堅く硬く残っていた。

 

* オコナーの短篇はわたしを興奮させるだろう。オフェイロンのアイルランド検証はわたしをすでに引きこんでいる。

2013 11・26 145

 

 

* なんとなく体調がよくない。疲労が重い。国会の無法な立法や、福島・東北での小児癌の表面化や、尖閣諸島辺での日中米の混雑や、猪瀬都知事の不明朗金づく事件など気を憂(ふさ)がせるタネばかり、しかも遁れようがない。人間どう生きるか、といった古くして新しい難題は無くなりはしないし、「いかなる所有もなく、執着して取ることのないこと。極めて怖ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのなかにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々の拠るに足る<州=避難所・よりどころ>は、それだ」とブッダに聴くとき、深く頷いている自分と、上の、「国会の無法な立法や、福島・東北での小児癌の表面化や、尖閣諸島辺での日中米の混雑や、猪瀬都知事の不明朗金づく事件など」も忘れてしまえ、放棄せよ、「求著(ぐちゃく)」するなで済ませられることなのか、わたしは、それに苦しむ。そんな問題に心を労し胸を痛め怒りに眉を焼かれるのは愚劣な執着、無意味な求著なのか。

そうは行くまい、そうではあるまい、それではまともな生きようにはなるまい。そうわたしは思っている、そしてそれが重い重い重い。執着しないことと逃げてしまうこととが等価でなどあるわけがない。

レマルクの『汝の隣人を愛せ』を読んでいて、マリルという避難民のひとりが不幸な同様な仲間達に述懐する、こんな言葉を聴いた、「古代ギリシァ人の間では思想はその人間の名誉であった。後では、(思想は=)幸福となった。さらに後になると、病患となった。それが(ナチスに追いまくられてヨーロッパ中で立つ瀬もないような=)今日では、罪悪となっている。文明の歴史は、文明を創造した人間の苦悩の物語だ」と。なんという悲惨。その悲惨の度は、吾が日本国に於いて、今まさに地獄へまでも深まっている。悪法の権化としかいいようのない「特別秘密保護法」は違憲でかつ狂犬にも似た強権により強引に国会での成立が強行されようとしている。

悪と闘うのは、「迫る、人間の最大不幸」を避けようと闘うのは、人間として棄ててしまわねばならない「執着」「求著」であるのか。

平和憲法という柱に抱きついていればこの最大不幸は避けられるのか、民主主義という柱にただ抱きついていれば人は奴隷にならずに済むのか、南無阿弥陀仏に抱きついて死後の安寧をもとめ、天にましますわれらの神よと抱きついておれば神は人間を救われるのか。神と神とがすでにして争い戦い人間の思想をただの苦難に貶めてしまっている。どうすればいいのか。

早く死に迎えられたいなどと毛筋ほども願いたくはないのに、それしか、もう望みがないかのように人間の堕落と最大不幸とは身に迫っている。

 

* あの優れたバグワンの基本の生き方は、ブッダを慕いイエスを愛し、老子に自身は最も親しいと告白し続けた彼の生き方の基本は、「叛逆」精神を堅持することであった。これは決して決してテロリズムなどを謂う表明ではなく、人間のともすれば陥って免れ得ないで射る「長いモノに巻かれろ」「言うな、聴くな、見るな」の逃げ腰の生きように対する「叛逆」精神であった。その徹底の中で、「いかなる所有もなく、執着して取ることのないこと。極めて怖ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのなかにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々の拠るに足る<州=避難所・よりどころ>は、それだ」とブッダとおなじ事をバグワンも言うのである。悪の権勢からの退散でも敗北でもない。あらゆる知恵を尽くして悪への「叛逆」精神を盛り立てるのである。

2013 11・26 145

 

 

* オコナーの短篇「国賓」には愕然とした。イギリス軍が捕らえたアイルランド兵を四人処刑した。アイルランド側では報復のため捕らえていた二人の英兵を処刑した。処刑命令の来る寸前まで双方の兵士等は年来の友のように談笑し遊び夢中で対等に平穏に付き合っていた。だが報復は命じられ、命じられたからは実行しなければならない。そして二人の英兵は重殺される。日常のご挨拶でもかわすかのように。

かつて知らぬ小説だった。かつて知らぬ小説の書き方だった。淡々と。ちがうのである。息苦しく。それもちがうのである。朝日はのぼり夕陽はしずむ。そんな感じに書かれてあり、読み苦しくはすこしもない。それでいて実に重い。

 

* 映画好きのわたしが好きな映画として挙げるのは、昨日もふれたバグワンふうに謂えば「叛逆」する作が多い。利害感による反抗とはちがう、容認しがたい悪や悪習への謂わば当然の「叛逆」をわたしは支持してきた。「マトリックス」がそうだ、人間が完全に機械に支配され、奴隷ないし飼料と化している虚偽世界からの脱出と闘争、人間の回復世界へ。その手の映画はSFでもファンタジイでも、でもリアリズム映画でも幾らもある。

テレビ映画「阿部一族」など、強烈に記憶にある。息子秦建日子の芝居では「らん」「タクラマカン」が印象深く、映画「ブレーブハート」の刺戟もつよかった。

こういう精神がおしなべて昨今の日本人に衰弱仕切っている。教師達がダメな以上に学生達が颯爽の叛逆精神を投げ出している。

2013 11・27 145

 

 

* 『スッタニパータ ブッダのことば』に触れて、もう少し書いておこう。

仏教は言うまでもなく幾変遷して今日に至っている。ブッダが実在していたのは西暦前五から四世紀前葉の頃であり、北方の伝説によって伝わるゴータマ・ブッダ(釈尊)の逝去・涅槃は、西暦前三八三年。ブッダは明らかに明晰な悟りに入っていたが、信頼できるかぎりの彼の言葉からは、仏教という教義・教団を意図した跡が無い。ただ彼を尊敬し思慕した弟子達がいて、彼らは、釈迦の生存中から、釈迦自身も加わっていたろう、たぶんに暗誦の便宜を目的としていただろう、短い詩句・韻文でゴータマ・ブッダの言葉を記録していた。それらの詩句は、詩句なるが故におよそ変改を蒙ること無く、或いは極めて少なく、永く久しく伝えられたのである。散文化されたモノには修訂の手が出やすく、そこから西暦後の「経蔵」化、「律蔵」化、「論蔵」化、即ち「三蔵」行為が結実していった。

わたしが今読んでいる『スッタニパータ』は、そうした仏教幾変遷のなかで、ゴータマ・ブッダ釈尊が生存し教説していた最古・最初期の「ことば」で編まれており、ことに第四「八つの詩句の章」第五「彼岸に至る道の章」は信じうるかぎりで仏の説いていた究極の始原を示していると「学問」の成果により確認されている。

わたしは今、その『第五』を詳細な中村元先生の註ももろとも、読み進んでいる。同時に、現存インドや東南アジアの小乗仏教については思い及ばないのだが、チベットや中国、朝鮮をへて日本にまでたどり着いた大乗仏教や禅のことを、ぼうやりとした知識を介してではあるが想いつづけている。

仏教に帰依したいとか、キリスト教よりいいとかどうとかいう気持ちは全然もっていない。どんな宗教であれわたしは少なくも教団に属した僕として生きたいと想ったことがない。ただただ聴くに足る深い言葉に聴いて、こころよく生きたい、それに尽きている。

2013 11・27 145

 

 

* 中村元訳註『ブッダのことば スッタニパータ』を、本文、詳細な註、解説、悉く通読し終えた。このような本に出逢いたかった、久しい渇きのような願いがひとまず満たされた。今後も座右を離れまい。ここへ執するのではない、ここへ戻り戻り、自身に向き合い自身を離れたい。

2013 11・27 145

 

 

* いわゆる「仏教学」なるものを捨ててかからねば、最古・最初の釈迦ゴータマ・ブッダのことば「スッタニパータ」を理解することはできないと中村元先生は言われる。ブッダは、教条・ドグマに対する信仰は捨てよと明言している。最初期の仏教はいわゆる信仰なるものを説いていないのである。信ずべき教義を持たなかった、信ずべき相手の人格ももたなかった。心が静かに澄むという意味の「信」を勧めていた。「奪い去られることなく、動揺することのない境地をこそ了解するように。最初期の仏教のめざすことは、かかる確信をえよと勧めることだった、後世の仏教でいうならやはり禅の境地・境涯へ人間の生きを導いていた。地獄をたとえ執拗に描写してもそれは方便以上ではなかった。

 

* 「悪の力のもとは私たちの恐怖心である」とヒルテイは言っている。「恐れなくなれば、悪はたちまち力が弱くなってしまう」と。「神がしっかり支えてやろうとする人間を、悪は決して征服しえない」とも。(第二部二月一日)

こういう「擁護」の「神」という観念がもちにくいのだ。

 

☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』より

人に対してもはや愛が持てなくなったり、あるいはペシミストや人間軽蔑者になったことを弁解しようとする人たちは、いつもきまって、彼らが愛したためになめたにがい経験について語る。

かりに、彼らの言う通りであり、実際ほんとうにまじめに人を愛しようと試みたのだと、一応認めよう。でも、それ以来、彼らは人を憎むことによって、以前にましてよい経験をしたであろうか。

しかし彼らはたいてい、本当に愛しようと試みたわけではなかったか、それとも、彼らのいわゆる愛はやはりエゴイズムにすぎなかったかである。(第二部二月二日)

 

愛のとりわけありがたい点は、ただ愛し返されることだけでなく(これは、その愛がいくらか永続きし、また強いものなら、ほとんどつねに起こることだが)、それよりもむしろ、愛することで自分自身が即座に強められ、活気づけられることである。愛は、それがなければあまりにも冷やかなこの世にあたたか味を添えるもので、それだけでもすでに一つの幸福である。さらに愛から生じる一切のよきものを度外視しても。愛はまさに魂のいのちであって、愛をすっかり捨てさる者は、その魂をも失うことになる。これは永遠につぐないがたい損失である。

魂を失った人は生きつづけることができない、現世の生命ばかりか、未来の生命をも失ってしまう。(第二部二月三日)

 

善き思想は決して人間が自分ひとりで作ったものではない。ただ、その思想が人間を通して流れて行くにすぎない。こうして善き思想が形を得て行為や言説や文章となったなら、その際われわれの手柄といえば、その思想に対して心を開き、それに仕える用意を怠らなかったという点にあるだけである。

悪い思想についても、おそらくそうであろうか。

そうだとすれば、それに仕えようとする心構えにこそ、人間の罪があるのだ。(第二部二月四日)

 

* 愛について語る基督者の場合、精神的な愛、友愛的な愛に当然のように傾くか固定化されてくる。性愛は埒外に置かれてあるが、そんなことで今日二十一世紀の愛に生きている人たちは説得されるのだろうか。

善い思想、悪い思想という物言いに含まれる傾きや偏りが気にならないか。

いまレマルクの『汝の隣人を愛せ』に日夜感動の眼をそそいで愛読しているが、「愛」とはここに描かれてある種々相にこそ在る。むしろしいて「神」を介在させるとややこしくぎごちなくなるのではないか、愛そのものが。むずかしい。レマルクを敬愛する。フランク・オコナーの短篇をもわたしは敬愛する。

2013 11・28 145

 

 

* その代わり、本はよく読む。ただただ楽しく読む。新鮮な感銘を受けている。ただし眼は霞みに霞む。どの眼鏡もロクに役に立たない。

 

* 眼のまん前に春陽堂版の『鏡花全集』がある。上の棚に福田恆存全集・翻訳全集がある。森銑三著作集がある。戴いた井上靖短篇集や紀行集も揃っていて、和綴じの漢籍も三十種ほど。ドナルド・キーンさんに戴いた「日本文学の歴史」全巻も、それから各種各般の「大事典」も三十册ほど見渡せる。振り仰げば著名な寺院研究の三十巻も見える。たまたま其処に在るだけ、それだけでもそれぞれに独特の体温と刺戟とをいつも送りつけてくるのが、「いい本」たちの力、だが身の近くにはこれらで満杯、あとの何十倍は、書庫に仕舞い込まれている。出来ることなら広い広い部屋で、愛してきた本に囲まれて暮らしたい。これで執着・無所有とは、とてもとてもわたしは落第生である。わたしは、どうしようもなく救いがたい落第生である。

2013 11・29 145

 

 

* 朝刊に、「仏教と悲」と題した定方晟氏(東海大名誉教授)の文章が出ていた。惜しいことに「下」で、「上」ないし有れば「中」の稿を読む手だてを失っているが、一読、簡明も得胸に落ちるものであったので、ここに記録させて戴く。

 

☆ 仏教と悲(下)  定方晟  2 013年( 平成25年) 11月30日( 土曜日) 東京新聞朝刊

不変の法の下での救済  苦への共感で生まれる悲 (紙面大見出し)

先週に続いて、悲が仏教の核心的思想であるゆえんを説明しよう。

慈悲はしばしば愛という言葉に置き換えられて語られるが、仏教では「愛」(タンハー)は「渇愛」とも訳される否定的な概念であり、慈悲はこれとは全く異なる。キリスト教も世俗の愛とキリスト教の愛を区別し、前者をギリシャ語にいう「エロース」(利己的な愛)に当て、後者を「アガペー」(利他的な愛)とした。したがって、仏教の慈悲に相当する言葉はキリスト教にないわけではない。しかし、「悲」という単独の概念となると、はなしは別である。これはキリスト教にはない。

*  *  *

キリスト教と仏教を分かつ最大のポイントは、その中心的存在が、前者の場合、宇宙を創った万能者であるのに対し、後者の場合、宇宙の理法に従う存在にすぎないことである。仏教徒に限らず、インド人は、宇宙を支配する最高原理を非人格的なダルマ(法と訳す)とし、神々もその支配下にあるとする。

したがって、仏は宇宙の理法にしたがう存在であり、宇宙のあり方を変えることはできない。かれにできることは、苦しむひとを見て悲しみ、同情し(compassionate )、いかにしてその苦を除くか、その道をみつけてやることでしかない。

いつの時代でもそうであるが、世界には悲惨な出来事が多い。新聞に1ヵ月も目を通せば、災害、テロ、誘拐などで、いかに多くの無辜の民が涙しているかが分かる。もし仏が万能者であったら、どうしてこのような悲惨な状況を放っておくだろう。もし等しくかれを主と仰ぐ宗教同士が争い合い、あるいはそれぞれの中に分派が生じて血を流しあっていたら、どうして手をこまねいて見ているだろう。

しかし仏は万能者ではない。何でも思うようにできるわけではない。そこに悲が生まれ、同情が生まれる。万能者に悲はない。なぜなら、かれがなすことは「すべてよし」だからである。かれに同情はない。なぜなら、かれは人間とは隔絶した存在だからである。

仏は万能者でないがゆえに、ひとを救おうとするその努力が人々の心を打つ。限られた能力の中で(あるいは、限られた能力にもかかわらず)おこなう精いっぱいの努力の尊さは、仏教の「貧女の一灯」(キリスト教の「やもめの献金」)のエピソードが示すところである。

そのような有限の存在は信仰の対象にならないという考えがあるかもしれないが、信仰によってしか捉えられない万能者より、確信できる有限者のほうがどれくらい頼もしいか分からないという考えもある(信仰とは必然的に疑念を含む行為である)。

仏教は知恵と慈悲の宗教であると先に述べた。大乗仏教でいうと、知恵とは般若の知恵、すなわち空の思想である。そこでこんな疑問が出される。すべてが空であるなら、慈悲の対象になるべき衆生も空であり、慈悲は成り立たないのではないか。これに対する『大智度論』の答えを私か要約すれば、つぎのようである。

*   *   *

そのように危惧するのは、有にあらざれば無、無にあらざれば有という思考法(西洋論理学のいう排中律)に呑みこまれているからである。空は有でも無でもない。このことを知らぬひとが「すべては空」といわれると、「すべては無」といわれたと思い込み、慈悲も無であると考えてしまうのである。

仏や菩薩は、自然のままに生きながら、慈悲にかなった生き方をする。(孔子の「心の欲するところに従ってのりを踰えず」に通じる)。そもそも仏や菩薩は人々を苦悩から救うために思索をはじめ、その結果、その目的を実現しうる真理(空)を見出したのである。かれらが人々に空を説き、同時に慈悲を説くことに何の矛盾もない。

慈悲に三種ある。凡夫や初歩の修行者が通常の人間的感情にもとづいて抱く慈悲(衆生縁の慈悲)、進歩した修行者が仏教の教義や空の思想にもとづいて抱く慈悲(法縁の慈悲)、仏がそうした一切の想念を超えて抱く慈悲(無縁の慈悲)である(大正大蔵経二五-二五七)。

先に「仏教は厭世的である」といったが、「無縁の慈悲」を正しく理解すれば、仏教は最終的にはそうでないことが分かるであろう。

 

* 分かりよい良い文章である。同時に、仏教である論旨の遠洋が、理解が、およそは西暦以降の経・律・論の三蔵の立場から為されているのは、仏教を語る際の通有・通例で、最初期のゴータマ仏教からは距離を置いていわゆる仏教教義・教説に依拠している。「仏教と悲」と題されているのだから、それが自然なのである。キリスト教に「悲」の思想が無いかどうかわたしには即断できない。キリスト教もまたイエスの原始キリスト教徒、はるか広大の教会キリスト教では介在する教義・教説はあまりに多様化されている。

いまのわたしは、聴いたばかりの『スッタニパータ ブッダ(ゴータマ・釈尊)のことば』に大きく立ち止まっていて、関心から謂えば定方さんの謂われる「悲」の思想をどこまで親密・緊密に「スッタニパータ」に膚接して謂いうるのかどうかなのである。

 

* 中村元先生の人と学問にふれたテレビ番組を聴きながらも、それを思い続けていた。

2013 11・30 145

 

 

* レマルクの『汝の隣人を愛せ』を読み終えた。近年の読書史にあって傑出した作の一つ、深い愛と感銘を受けた。ツルゲーネフの『猟人日記』と列べて推讃する。このレマルク作のシュタイナーといいケルンとルートといい、その他の避難民群像といい、文学が産むべき優れた人間典型として極まり得ている。すばらしい人たちに出逢えたと感謝に堪えぬ。

 

* 「内的進歩をしめす最もよい徴候は、きわめて善良な、心の気高い人びとのなかに(=又は、名作・秀作のそなえた作品に触れて)いると心地よく感じ、凡俗な人たち(=ないし低俗な作物)のなかではつねに不快を覚えることである。(ヒルテイ・第一部三月二十七日)」というのは、体験的に、間違いない真実である。

わたしが、しばしば「濯鱗清流  (よごれがちな)鱗を清流(すぐれた人やすぐれた作品)に濯う」と思いかつ書き記すのは、まさしくこれのことである。

ただし、こういう良き喜ばしき体験が、「人」を通して得られることのあまりに少ないのは、嘆かわしい。その歎きを、大きく大きく補えるものとして、久しく久しい「人間の歴史」だけが、われらに「まことに優れた藝術作品」を惜しみなく与えてくれている。

文学・美術・音楽・演劇・映画。

凡庸で俗悪な作でははなしにならない。みごとな「作品」を湛えた藝術作だけが手をのべ、わたしたちを力づけ導いてくれる。ああたちどころに、自分の生涯をみごと支え励まし導いてくれたそれら数々の「作品」を、美しい香気・生気を、一つ一つ指さすように思い起こすことが出来る。「幸せに生きる」ことをゆるされて来たのだと、こころより感謝する。そういう作品のせめてもう一つなり二つなりを遺せるように生きたい。

だが顧みて、たとえかすかな作品であろうとやや心満たす作の成ったには、「きわめて善良な、心の気高い人びと」の在ったことをわたしは思い出す。作のモデルを謂うのではない、作を支えた思想や気概をわたしに与えてくれた人たち、真実の身内である。「凡俗な人たち」では絶対に不可能だった。

2013 12・1 146

 

 

* 起床8:20 血圧139-62(62) 血糖値85  体重67.8kg  肩が痛む。それで目覚めると、あとが眠れなくて困る。眠れない夜はムリに寝なくてもいいのだとひるていは言うけれど、昼と夜が逆になるのは有り難くない。むしろ昼のうちに読書を楽しみ、就眠まえの読書を控えるようにしている。

2013 12・2 146

 

 

* 田能村竹田の『山中人饒舌』は、まこと振り仰ぐ名著であり、加えて竹谷長二郎さんの「訳解」がじつに素晴らしい。有り難い。ただしこの本は、ながらく初版のママになっていて誤植や不十分が多かったのを、晩年に入念に改訂され、さらにご息女の大越雅子さんが丁寧に丁寧により仔細かつ確実な内容に充実された。笠間書院編集長の橋本孝さんがわたしに贈って下さったのはその最新版であったのだ、有り難いことだ。

ことにご父君の業績にご息女が入魂の補佐を尽くされたということ、実に有り難い、また羨ましいことである。

2013 12・2 146

 

 

* 松野陽一さんの『千載集前後』にもしきりに教えられている。あ、これだ、などと気づくことが多いと、創作の仕事へいちだんと身が添うて行く。それが嬉しい。

それにしてもこの眼の霞みようはどうだ。どうするのだ。

2013 12・2 146

 

 

* ヒルテイは言う、

「ひとはただ誠実であるだけでなく、また愛すべきところがなければならないが、こういう性質はごく実直な人にあっては、往々おそくなってようやく現れるか、あるいは全く現れずにすむこともある。

だから、世間では、すこしも誠実ではなくとも愛すべき人の方が、偉大な徳のお手本のような人物よりも、かえってひとに好かれることが多いものだ」と。

テレビの画面をはしゃいで泳ぎ回っている人気者に、概してそういう無意味な愛され人の例が多い。

ヒルテイは、さらに言う。

「優れた思想は、ただ大きな苦しみによって深く耕された心の土壌のなかからのみ成長する。そのような苦痛を知らない心には、ある浅薄さと凡庸さが残る。いくら竹馬に乗って背のびをしたとて無駄である」と。同じ思いで自身を見返していることがある。少なからず、あるのだ。

* ミルトンの『失楽園』に強く惹かれつづけてきたのは、やはりアダムとイーヴのこと、男と女のこと、どう彼らが創られ、互いに思い合い、どう楽園を逐われねばならなかったかが、優れた愛と認識とでどう表現されているのかを知りたいからだ。いままさに、アダムは神にむかい同じ人類として「一つ」に成合い生きてゆく連れ合いを願望し、神はアダムの肋骨からイーヴなる女の性を創って与えた。

なんというアダムの歓喜、なんというアダムの恍惚、なんという彼の眼にも心にもイーヴは完璧に映じていることか、アダムは女の美しさあでやかさに人間としての完璧、男に優る完璧を、有頂天になって見ている。しかし、アダムのそんな述懐を聴いてやりながら天使ラファエルは、今しも眉をひそめてまた語り始めるのだ。

男と女と。

わたしは今も書き継ごうとしている「ある寓話」でも、男と女との性の根底を書いている。

2013 12・2 146

 

 

* 「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」と聖書の箴言にある。秦の叔母の稽古場に架かって漢字で書かれていた「あすおこれ」の五字を思い出す。怒りと不快とはかならずしもぴたり一つではない。不快なことが多すぎると怒る前に気が萎え気が鬱ぐ。

ヒルテイは言う、「今日の人間社会の状態において、おそらく最も必要と思われるものは、真実なものを見わけるある種の本能である」と。むかし東工大生たちに「いま、真実、何を愛しているか」と問うたとき、ほぼ全員が、この、「真実」二字のまえで佇立した。「真実」など分からない、思ったことが無いと。同じヒルテイのそれよりも次の示唆の方がより一般に謂えよう。即ち、

「われわれの内部の悪や凡俗は、われわれがつよく善を欲するやいなや、一時あとに退くものである。だが、それは攻撃の手を後日のために控えただけで、われわれが疲れ始めたり、内的成功を確信して最初の喜びに気をゆるめたりすると、またすぐ攻撃してくる。そんなとき、いつも悪は失地を挽回しようとやっきになり、しかもそれが実にしばしば成功するのである」と。

怖ろしいほどの真実の洞察である。こういうことを自ら体験また実見せずに生きて来れた人は稀だろう。

 

* 『失楽園』はいましも微妙な対話、アダムと天使ラファエルの対話を聴かせている、話題の焦点はイーヴ。アダムは舞い上がって妻との出逢いに感激している。天使は、妻を愛せよ。だが…と言葉をさらに添える、そこが眼目であり、考えようの分かれるところとなろう。『ジュスチエーヌ または美徳の不幸』のサドならば別の助言や見解をあらわにするだろう。ここのところは、今のわたし自身の「仕事」にも響いてくる。

2013 12・5 146

 

 

☆ 「善に対する怠慢は、きわめて大きな欠点である、おそらくあらゆる欠点のなかで最も大きいものかもしれない。」「目の前になすべき善の機会が無く、またそれをする意欲も力もないということは、すでにこの世ながらの地獄である」とヒルテイは言う。

「善」というのが難しい。それ以上に難しすぎたのが西田幾多郎の『善の研究』だった。近代日本の哲学者たちの悪しく難解な日本語には今でも呆れる。

2013 12・6 146

 

 

* ドブロリューホフの「オブローモフ主義とは何か?」はとても有益な、示唆に富む論考であった。ロシア文学の愛読者の多い、またはとても多かった日本人にはひとしお頷かせる示唆と刺戟をもっている。「オブローモフ」とはゴンチャロフ同題の小説の主人公で、教養のある貴族インテリゲンツィア。高い理想を口にしながら自らは行動せず、無関心、そして怠惰。恋愛からも身をひいてしまう。まじめで投げやりでものぐさを高く自己肯定している。およそロシア文学好きなら、その手の十九世紀ロシア人インテリを何人も知っている。そういうのでない、「前へ」歩いて行く男達とはめったにめったに出逢えない。小説『オブローモフ』のオブローモフは典型だが、同じ作のなかのシトーリツには「前へ!」歩み出そうと声にだけは出すが、実際には言うだけ。むしろ女性のオリガ・イリインスカヤこそが、「オブローモフ主義のロシア」を決然と否認し、精確に自身と時代との自由を「前へ!}と実践して行く。ドブロリューホフのこの文藝考察によるロシア批評は、ロシアとか十九世紀を超えて、たとえば日本現代の、自称自認インテリの一段と卑屈な本性を攻撃しているのではなかろうか。

ついで、ツルゲーネフの『その前夜』を論じた「その日はいつ来るか?」を読んでみる。

『オブローモフ』『その前夜』をぜひ読みたい。

 

* オフェイロンの『アイルランド 歴史と風土』には多々教えられる。「根」の論を通過し、「幹」の論に入っている。ノルマン・アイリッシュとアングロ・ノルマンとの皮膚と牙とを擦り合うような葛藤と暗闘と差別支配の政治史に、陰惨なほど宗教的対立が何の妥協の可能性すら無いほど、音立てて擦れ合う。

 

これらの考察と併行してフランク・オコナーの短編集は、上の手の施しようのない問題を痛いほど端的に具象化してみせる。市民社会のなかで「スパイ」が生死を賭して交錯している国。英国(+スコットランド)とアイルランド(+スコットランド)の抜き差しならない支配と反抗との関係は、われらには地理的には遠い遠い世界の果ての話のようでいて、じつはいつ似たような支配の前に反抗し続けねばならぬ日本かと、心底怯えさせるものを示している。単純に良いがたワルがたなどと捉えていては大きく間違うのである。日本人は、アイルランドやポーランドの歴史に学んでおくべきである。

 

☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』より

普通に信じられているよりもはるかに多くの病苦が神経性のものであって、すなわち、神経の全般的な健康状態によって左右される。従って、神経を回復する方法、とりわけ睡眠、よい空気、運動、よい栄養、心の安静によって、治りうるものである。 二月十五日

つねに、われわれの思想を活発にはたらかせ、生活のさまざまの瑣事からのがれさせ、わけても、ほとんどこの世の一番大きな不快ともいってよい退屈をとりのぞいてくれるような、比較的大きな仕事に従っていること、これこそ幸福な生活を送るのに必要なものである。

だから、ぜひともあなたはそういった仕事を持たなくてはなるまい。もし持っていなければ、探さねばなるまい。 二月十六日

 

* やすやすと「坐忘」の境地にいられる人は「至人」である。至人は老荘の道にありのままある理想とされる。ところでこれと見た目は似て実に大違いに、ただ退屈しながらどうしようもない人がいる。さぞ、虚しくも苛立たしいであろう。ヒルテイの上の助言はただのお節介ではない。

2013 12・8 146

 

 

*  流石にこのところの疲れもどっと来て、用心に越したことはないと、日比谷から家までタクシーを使った。

血圧の上が、50を割り込むような数字も出て驚いた。仕事などみな休んで床に就き、荘子、ギリシア神話、アイルランド、オコナーの短篇、椎名麟三、八犬伝、ヒルテイなどを読んでから寝入った。

2013 12・10 146

 

 

* 西山松之助先生の奥様西山ふみ様より、先生三回忌を記念、熊倉功夫氏編輯の『茶杓三千本』を贈って頂いた。下村寅太郎先生、西山松之助先生、両碩学に可愛がって頂き、銀座で鼎談させて頂いた往年を懐かしく思い起こす。

2013 12・11 146

 

 

* 息子秦建日子脚本の「ダンダリン」が今夜終わった。労働基準監督官という当節本当に必要でしかも忘れ去られているような行政官活動に光をあてたユニークな仕事になった。竹内結子というナイスなキャラクターがどこまで十分に活かせていたのかは別にしても、こういう着眼からの連続ドラマは殺しや刑事番組に食傷した視線には有り難いものだった。椎名麟三の『美しい女』といういまや古色蒼然の戦中戦後共産党ドラマには驚き入るが、今日読んだところにあった、「たしかに権力というものは、自由に誤解するすることが出来るという自由さのなかに真の姿をあらわすもの」という指摘は手厳しくも暗然とさせた。こういう権力の時代が露骨にこれから、いいやもう今まさに戦中戦後以来化けて出てきている。

2013 12・11 146

 

 

☆ ヒルテイ「眠られぬ夜のために」第二部より

われれは、心の中に起るどんな善い衝動でも、例えば物を整理しようとするような、ごくささいな善い衝動であっても、いつも即座にそれに従い、実行することによって、先きへ延ばしたり変更したりできないようにしなければならない。--同じように、心の中のどんな悪い衝動についても、つねに直ちにこれに抵抗しなければならない。そうしないと、善い事への衝動はしだいに弱く、また稀れにしか起らなくなり、一方、悪事への衝動は、抵抗しないために、ますます強くなり、頻繁に襲ってくる。善へ進んで行くのも、悪へ陥って行くのも、普通考えられているよりもはるかに多く、小さな事や行いが集って、そうなるのである。もし上にのべた二つの衝動のどちらか一方が、ある人の習慣となってしまったら、それによって彼の生涯は決定的な勝利を得たか、それとも、敗北に終ってしまったか、のいずれかである。  二月二十八日

 

一分か二分のほんのわずかな時間でも、なにか善い事や有益な事に使うことができるものだ。最も大きな決心や行為をするのでさえ、ごく短い時間しか要しないことが少なくない。だから、時間が足りないという口実だけで、なにか善い事を延期してはならない。そっくり同じ機会は、もう二度と来ないことが多いものだ。だが、まだなにかはっきりしない点があり、また急がない場合は、先きへ延ばすがよろしい。そうすれば、その事についてそれ以上深く思案をめぐらさなくても、全くひとりでに、その事がはっきりわかり、実行する勇気が湧くことがよくある。それは人間の精神が無意識のうちにも働くからである。だが、行動するには、もっぱら正しい行動をしているという確信をもって、しなければならない。  二月二十九日(閏年)

 

* 自身の経験からも、その通りだなと思えることをヒルテイは適確にとらえている。

 

* フランク・オコナーの短篇「ルーシー家の人々」には胸ぐらを掴んで揺すられるような衝撃があった。兄弟とか親類縁者とかにはこういう心理の葛藤がつきまとう。そしてちょっとした物言いや行為に、極端に言うと死ぬまでこだわりつづける。なんともかともややこしくてつまらなくて苛立たしい目にお互いに遭ってしまう。

2013 12・12 146

 

 

☆ ヒルテイに聴く。

「偉大なことをなしとげるのは、それ以外になすことのできない人のみである。」

これはなんという真実であろう。

だから、われわれはときおり、このような「それ以外になすことのできない」状況に身を置かねばならない。

つまり、ある大きな決心をあらかじめよく考慮しておき、つぎに、あることがなさるべきであり、またなされねばならないことがいよいよ明らかになったなら、断固としてそれを行うことである。なぜなら、このような人生の最大の瞬間のあとに、えてして、一種の後悔や、もとの日常性へ戻りたい気持が起りがちだからである。これは一つの反動であって、結局そのような気持は、動かしがたい事実にぶっつかると、ちょうどダムに堰きとめられたように、砕けざるをえない。こうして初めて、勝利が戦いとられるわけだが、実際それは、そのような曲折を経て、かえって非常に容易なものとなりうるのである。  第一部 四月十四日

今日ではもはや、だれも他人に仕えることを欲しないで、まず神から、つぎには道徳的世界秩序からのがれ、すべての国家秩序から、教会や家族のきずなから、自由でありたいと願う。しかし、それをある程度なしとげると、こんどは、空虚感か、野卑な享楽欲か、もしくは暗いペシミズムに陥り、ついには破壊欲にまで昂じることがある。

本当は逆に、まず自分自身から、自分の気分や性癖から自由になることから始めて、つぎには、みずからすすんで神と、地上における神の大業とに仕えるべきであろう。これがすなわち幸福への道である。

もはや自己の改善に心を労するのでなく、他人の福祉のために己れをささげよという命令を受けるようになれば、その人はすでに人生学校の最上級に進んだのである。われわれが想像する未来の生活も、おそらくつねにこのようなものであろう。  四月十五日

 

* 十四日分には、すこしわたし自身の体験を寄り添わせて読みもし納得もできる。偉大ななどとはほど遠い、要は人生転機への決意と実行というに過ぎなかったが。京都と実家と大学院とを離れて東京で就職・結婚したこと。小説を書き始め、貧困の中で私家版を創ったこと、会社から離れたこと。そして「湖の本」を実現したこと。それぞれに熟考し躊躇しなかった。

十五日分には、抱き柱を抱かないわたしは、そぐわぬ何かを感じている。やはり「神」のまえで立ち止まる。

2013 12・13 146

 

 

* わたしには「弟子入り」を願った「先生」もいない。深く尊敬し推服した方ならそれは大勢さんが記憶にある。それがわたしの幸福であり力となった。「濯鱗清流」をただ願うのみであった、むろん今も。わたしは行儀も悪いし世間的な礼儀にもおうおう随わないが、敬愛したお一人お一人への思いはいつも深い。いまも目の真ん前に谷崎潤一郎先生の一等善いお顔写真がある。鏡花全集があり森銑三著作集があり、会津八一先生の「学規」も井泉水先生の「風・花」二字額もある。階下の居間には志賀直哉全集があり、書庫の正面には島崎藤村全集や谷崎全集や柳田国男全集、折口信夫全集が在る。ただ飾りのように在るのではない。いつでも読むためにある。 2013 12・13 146

 

 

* 故西山松之助先生の記念本『茶杓探訪』は名杓2000本を絵入りで語られた111の手記から成っている。茶杓という、茶道具の中でもっとも茶人その人の個性・稟性の濃く表れた創意・削意と材吟味の面白さに魅される。同時にこの111編はそのまま近世茶の湯の歴史として書かれてある。有り難い、素晴らしい記念の本である。

2013 12・13 146

 

 

* こんどの『歴史・人・日常』わたし自身にも面白くて読み返し始めるとついついいつまでも読んでいる。文学も歴史も本当に好きで好きで今日まで来た。

残念なことに、いま、味覚があまりに弱い。これは淋しい。「坐忘」に遠く未だし。

2013 12・13 146

 

 

☆ 荘子 大宗師篇第六

顔回がいった。 「私は進歩しました」。

仲尼(孔子)がたずねた。 「どういう意味だね」。

顔回 「私は仁義を忘れました」。

仲尼 「よろしい。でも、まだまだだな」。

しばらくして、顔回はまた仲尼を訪れて、いった。 「私は進歩しました」。

仲尼 「どういう意味だね」。

顔回 「私は礼楽を忘れました」。

仲尼 「よろしい。でも、まだまだだな」。

しばらくして、顔回はまた仲尼を訪れて、いった。 「私は進歩しました」。

仲尼 「どういう意味だね」。

顔回 「私は坐ながらにしてすべてを忘れました」。

仲尼は居ずまいを正してたずねた。 「坐ながらにしてすべてを忘れるとはどういう意味だね」。

顔回 「肉体を脱却し、感覚を放棄し、形骸を離れ、知恵を捨てて、大いなる道と一体になった状態、それを坐ながらにしてすべ

でを忘れるというのです」。

仲尼 「道と一体になれば好悪の情はなくなり、変化に身を委ねれば執着がなくなる。お前はやはり偉いやつだ。私はどうかお前の後についてゆきたいものだ」。

 

顔回曰。「回益矣」。

仲尼曰。「何謂也」。

曰。「回忘仁義矣」。

曰。「可矣。猶未也」。

它日復見曰。「回益矣」。

曰。「何謂也」。

曰。「回忘禮樂矣」。

曰。「可臭。猶未也」。

它日復見曰。「回益矣」。

曰。「何謂也」。

曰。「回坐忘矣」。

仲尼 然曰。「何謂坐忘」。

顔回曰。「堕枝體。黜聡明。離形去知。同於大道。此謂坐忘」。

仲尼曰く。「回則無好也。化則無常也。而果其賢乎。丘也請従而後也」。

 

* わたしを最もゆるがす対話であり、「坐忘」二字常に念頭にある。それその念頭ということが「坐忘」に甚だ迂遠。

2013 12・13 146

 

 

* ペンクラブで同僚理事であった俳人倉橋羊村さんの、本阿弥書店刊『選集』三巻が贈られてきた。第一巻が「俳句」次いで第二・第三巻が「評伝」。立派な仕上がりだ。心よりお慶びお祝い申します。

わたしの手がけようとしている『選集』は、もし望むまま成るなら、小説だけでも500頁平均で現在17巻を必要としている。、論攷や随筆を含めれば500頁平均しても50巻で足りない。たとえ売れっ子の秦建日子が支援して呉れたにしても、私ひとりの残年ではまるで完結は覚束ない。一巻のままでも、五巻も出せただけでも、わたしはちっとも構わない。一つには既成の出版社の担当編集者をもともと頼んでなどいないから。営利事業では全く無い、あくまで「湖の本版元」の刊行と決めているのだから。つまり、わたくしの資金と健康と気力とが及ぶかぎり刊行し続けるという、真っ向「私家版作家」の姿勢を生涯貫きたいのである。したがって原則、「非売品」をわたしは造ろうとしている。欲しい、買いたいと言ってくださる方は既に想像したより多くいて下さるが、ごく少部数を製本するにとどまるので、原価を部数で単純割りするだけでも、つまり利潤など到底加算出来なくても、高価格が予想される。ま、そんなことにわたしは頭を悩ましたくない。

幸い「湖の本」版の在庫分で全てとすらいえる「作家・秦恒平の仕事」は網羅・入手できる。一冊一冊は、さほど高価ではない。先行していた小説・創作など、ウソのように廉い。

今回の『選集』は、研究施設として保存の期待できる先、そして秦恒平のため文学上の御恩を下さった方たちへの感謝の寄贈を考えている。施設はともあれ、そういう恩人知己がすでに多く他界されているので、心寂しい極みではあるが。願うのは、健康の維持、気力の維持。生きて仕事が出来さえすれば、わたしは死ぬ前日までもそれを遣るだろう。妄執と嗤われるかも知れない、そうかなと自身想わぬではないけれど、いや、これがわたし秦恒平の「坐忘」であるやも知れないと気楽にも考えている。

2013 12・15 146

 

 

☆ ヒルテイは「眠られぬ夜のために」で言っている。

人間がその身体で、善と真とを健康に益あるものとして感じ、反対に悪や偽りや不純を、それがたとえどんなに美しい姿のものであっても、気づまりや不健康なものとして感じるようになったとき初めて、その人はまさにあるべき通りの人間に、また最良の場合にありうる通りの人間になったのである。それまでは、どんな立派な原則に従って生きようとも、いぜんとして悪の影響のもとにあるのだ。 「体のことが、すべてのことの終りだ」というドイツのある神秘家の難解な言葉も、以上のような意味にとれば納得できよう。 第一部四月十七日

 

* 健康な体(や心)が善や真を受け容れる。不健康ではそうは行かない。これは確かに言えることだ。ヒルテイはなぜ「美」に触れなかったか。

「昔から哲学とか神学とか呼ばれてきたすべてのものが、ただ真実めいた言葉をならべたてるだけで、本当にみすぼらしいものに思われることがよくある。というのも、それらは表現しようとする事柄の真の根底にまで達し得ないからだ。」ともヒルテイは語っている。  なぜ達し得ないのか。むろんヒルテイはここへ神への帰依や信頼をもちだす。ここが微妙に微妙すぎる。それでもやはりわたしも哲学や神学に安心を得た覚えがない。むしろ「美」がわたしを救ってくれたこと、幾度もあった。カントは美の認識は趣味判断がすると教えた、が、わたしは「善」や「真」に立ち向かうとき、ついつい誰のための「善か真か」と反問してしまうことがある。個々の美が万人共通の感動と化するとはわたしも思わないが、しかも「美」が理屈抜きに個々人を感動させる例の確実に在ることも信じている。真や善は人を規律的に縛りかねないが、美は人を自由へ解放してくれる。これもまた「みすぼらしい」感想の一例に過ぎぬか。

* 読書の楽しみは少年の昔から、ほぼ生来のもの。もう一つの楽しみ、能・歌舞伎・演劇などり舞台好きは、いわば人生の所産。ことに、いつ頃からであるか、妻が、ほとんど見向きもしなかった歌舞伎にぐんぐんと身を乗り出してきてからで、観劇は一人でよりも隣席に連れのある方がなにかと喜ばしいのである。海外へも出ず国内の旅さえ控えがちにしてきた我々が連れ立って楽しめる歌舞伎や新劇は格好のばになった。

太宰治賞を受賞し作家生活に入ると程もなく、わたしは、本間久雄さんという読者とのご縁から、俳優座劇団の公演を観に行くようになり、いつしか劇団から毎回の公演に招待されるという嬉しい慣いが今日にまで続いている。それどころか加藤剛主演での漱石原作「心 わが愛」の脚本まで書かせてもらった。たいそう興味深い体験だった。後には、つかこうへいの弟子としてデビューした息子秦建日子が自作・演出する小劇場超満員の芝居も応援と批評かたがた楽しんで観に行くようにもなった。

俳優座との縁よりなお少し早く、歌人で喜多流の馬場あき子さんの手厚い手引きで、まず喜多流から、東京での能・狂言を楽しむ生活も始まった。喜多(実・得三、節世、昭世ら)、観世(榮夫)、梅若(万三郎)らの能をそれは沢山楽しませてもらってきた。

歌舞伎は作家生活に入ってからときおりには観ていたが、妻が一緒に歌舞伎座や国立劇場に着いてくるようになって、一気に爆発的に歌舞伎づけになった。歌舞伎を観ないつきなど無いほどよく歌舞伎座へ、国立劇場へ、演舞場や明治座まで、さらには大阪・京都・名古屋へまで脚をのばすこともあった。

わたしは、いわゆる通ではまったくない。能でも歌舞伎でも新劇でも、何の蓄えもなくただ好きで観るだけのど素人の分際で、好き勝手に褒めたりくさしたりの好き勝手をさせて貰っている。最低限、妻と二人で面白かったりつまらなかったりするそれだけで楽しんでいる。多年、がんばってきた自分たちへのボーナスだと思っている。幸い高麗屋さんとも松嶋屋さんとも親しみのご縁が出来て、なにかと有り難いお世話になっている。お世話になるのをさえ喜んでいるような次第。

大病の前は、もう一つ、飲んで食うというたのしみを大事にしていたが、これが、まだまだ情けないほど回復していない。案外にそれが善いことかも知れないし、よくないのかも知れない。

ともあれ、十九日には松本紀保らの「治天の君」という芝居を楽しみ、誕生日には歌舞伎座へ。

もう一月歌舞伎座の通しの座席券も届いている。二月には染五郎らの昼夜二つの通し狂言が待っている。中村福助の七代目歌右衛門襲名は実現するのだろうか、からだをしっかり直して溌剌とした出世襲名を期待する。三津五郎にも仁左衛門にも早くよくなって復帰して欲しい。

2013 12・15 146

 

 

* 十訓抄に、「身体髪膚を父母に受けたる生の始めなれば、恩徳の最高なること、父母に過ぐべからず」と教えている。首肯する。しかし、「およそ人は、上には忠貞の誠を尽くし、下には憐憫の思ひを深く」せよとある趣意は理解するが、そもそも「人」に上下を分別して生きよというのであれば、心随わない。真の師長に対しつねに濯鱗清流の敬愛をもってするのはわたしの根の覚悟であるが、願わくば「忠」を捧げねばならない「上」も、「憐憫」を以て処さねば済まぬような「社会」も望まない。人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらないのが、天意であると思う。上の下のと「位取り」を強いられるのも強いるのも御免蒙りたい。「夫婦の道」をたてて女にだけ強いる道徳の歪みもわたしは受け容れない。夫婦は愛と敬意とをわかち以て対等に協和するのが最も自然である。

十訓抄は懐かしい通俗説話を満載の宝庫ではあるが、幾多価値観の偏頗を免れないテの危ない本にもしている。それさえ心得て向かうなら、最も読みやすい親しみやすい古典の一冊である。

2013 12・16 146

 

 

* いつの間にか、黒いマゴがうしろのソファで熟睡している。毎日、欠かさず二人で輸液してやっている。マゴも安心。仕事しているわたしも安心。『千載集前後』『山中人饒舌』『十訓抄』新潮社版『平家物語』『古今著聞集』を機械のそばで読んでいた。

もう休んで善いだろう。

2013 12・16 146

 

 

☆ 若い友である猪瀬直樹君に伝えたい これを、わたしはヒルテイに聴いた。

演劇人たちはよく「うまい引っ込み」という言葉を使うが、これは、人生の過ぎ去った時期について思い出す時にも、また、われわれの生涯に深い交渉をもって通りすぎた人びとのことを思い出す場合にも、意義あることである。

われわれはよくも悪しくもあらゆる出来事から、正しい、気品ある態度で別れを告げ、最後には人生そのものからも立派な別れをするよう努めなければならない。

もっとも、われわれ自身そういう引っ込みを見出しかねていると、われわれの敵側がかえってそれを与えてくれることも、しばしば起るものである。  「眠られぬ夜のために」第一部 四月二十日

 

* 間然するところのない、これは好示唆でありヒルテイの忠告である。

猪瀬君。まだ十分間に合う。心新たにもう一度ペンを握り、ペンのみを握り、渾身の「批評」を書くのだ。今度こそは地位や肩書きなど追わず、「続・石原」だの「安倍さんとも石破さんとも親しいんだ」などとバカを云わず、一文士として、生きた言葉と思想とで、「迫る国民の最大不幸」のため真っ向闘って欲しい。都知事としてはもう終わってしまっている。まだあなたは、若い。まだまだ間に合う。

 

悲しみは、喜びと同じように、

堂々と、揺ぎなく、

落着きあるものでなければならぬ。

それは心を確固にし、清め、強く自由にするのでなくてはならぬ。

悲しみは小さな心労など焼きつくすほどのカを持ち、最後まで

偉大な、真剣な思想、永遠の思想を称えつづけるほどでなければならぬ。

(オーブレ・ドゥ・ヴイア)

2013 12・17 146

 

 

* 先月文化に貢献の栄誉を受けられていた久保田淳さんから岩波文庫新刊の『西行全歌集』を頂戴した。ついこの間やはり久保田さんから贈られた『無名抄』を面白く読み終えたばかり。それ以前にも新書や文庫本を新刊のつど頂戴してきた。わたしだけでなく、花に触れた文庫本などは妻が先に熱心に読んでいた。嬉しくお礼申し上げます。

西行の和歌については岩波文庫の『山家集』にながくお世話になっていたが、今度の新刊『全歌集』は厳密な網羅も嬉しく有りがたいし、久保田さんならでは明るい分かりよさで註や解説の豊富なのもとても有り難いのです。

 

* 後輩であり読者でもある同志社大教授の田中さんからも、新刊の『鏡花紀行文集』が贈られてきた。おうおう。なんと嬉しいことか。鏡花は論じたくない、しみじみ感じ入り味わい尽くしたい人。連れだっての旅路を感じ味わいながら耽読させて貰います。

2013 12・17 146

 

 

* 建日子が小学生の頃、とかく意気消沈していた時期があり、学校をやすませて一度、二度、旅に連れて出たことがある。一度は中禅寺湖へ。もう一度はわたしの『蘇我殿幻想』連載取材のために大和から河内へ京都へ近江へと長い旅行線を倶にした。ことに二度目の旅で当麻寺から竹内越えに河内へ歩いた徒歩行が懐かしい。当麻には、蹴速記念の土俵があり、建日子と相撲をとった。

垂仁天皇の大昔のはなし、当麻蹴速は敵無しの相撲の強豪だった。で、朝廷はとおくから野見宿禰を呼び寄せ闘わせたところ野見宿禰の方が当麻蹴速を蹴仆し、蹴速は脇骨胸骨踏み挫かれ息絶えたという。この勝負後日のはからいは、別途になかなか複雑な話題を残してくれて面白いのだが、それはさておき、この当時の「 力(かもう)」は「足を抗げて相蹴ること」を旨としたらしい。とにかくも日本の朝廷はそんな昔昔のその昔から「相撲・角力」を大事に、神事とさえ敬愛した。とにかく諸国から強豪を呼び寄せては闘わせた。百官の間でも挑み合う機会があり、史上美男子をあらそえば一といって二と下るまい在原業平が、六歌仙の一人だっただけでなく、じつは、女とのではない、屈強の男同士の「角力に強い」をもってもよく知られていた。

角力に最も強い男を「最手(ほて)」と呼び、いまの大関に相当した。つぎを腋手つまりは関脇、次いで助手(すけて)をつまりは小結とし、彼ら三役に抜きん出た番外に強いのを「抜手」すなわち後々の横綱伝授のともがらと尊称していた。

角力に関してはまだまだ興味をそそる話題が多いが、そういう穿鑿の大の抜手・横綱級は、曲亭馬琴を措いて無い。ことこまかに彼は著述のなかで、里見八犬伝などのなかで、蘊蓄を傾け尽くしてくれる。たまたま長大な「角力」談義に遭遇して、あんまり面白いので受け売りしてみようとしたが、とても根気が及ばない。

 

* 馬琴という人は、いわゆる「物識り」という自負の上にどっしり鎮座していた。

じつはここ数ヶ月ずうっと幸田露伴のものを読んでいるが、露伴先生また、文士としての性根は、要するに「博大な物識りさん」であり、それ以外でもそれ以上でもない。馬琴も露伴も、自負において、また他からの評判においても「物識り」の「学者さん」という、時代の産物であった。あの人はエライ人や、学者やでと京都ではよく人を褒めて評判していた。つまりは、戦後の「話の泉」のようなラジオ番組で大いに名を売ったのが、そういう「学者めく物識りさん」たちだった。視聴者達も、「話の泉」出演者には、「二十の扉」なんぞのそれより、数倍も数段も上の敬意を捧げていた。「なんでもよう識ったはるなあ」と。

しかし、モノをたくさん識っていることの悪かろうわけはないけれど、存外に底の浅い、うすっぺらい、或いはややこしいものでもあるのだ、良く生きるために役立つ知識、善知識とは異質の、ただの蓄えに過ぎないのだ。それだけからは、ほんものの思想は産まれない。精神の創造性は産まれない。紫式部からは享け取れるものが、馬琴からは受け取りにくい。鴎外・漱石から受け取れるものが露伴からは受け取りにくい。

2013 12・18 146

 

 

* 「パニック」という状態語の意味は知っていた。パンという神から、この神の陰気に怖ろしいありよう「PANIC TERROR」から来ているとは気づいたこともなかった。バンはパンアメリカなどの「汎」の意味を持ち、万有と自然の人格化された神称であるのは分かるが、光満ちた陽気の神ではなく、森の中の夜に歌うたうような、孤独な旅人らにはパニックに陥りそうなもの恐ろしげにコワーイ神さまとは感じてなかった。

これとは見当こそ大いに異なり無関係だが、「腹ボテ」「ぼてっ腹」などいうのは、さっきの角力取りたち、とりわけ強い「最手・ホテ」の大きな腹から来ているそうな。馬琴の解説である。

 

☆ 風は思いのままに吹く。おなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである。  ヨハネ福音書三の八

2013 12・18 146

 

 

* 松野陽一さんの『千載集前後』を私として能う限りを興味深く沢山教わりながら読み終えた。

2013 12・18 146

 

 

* 訳者である前京都恩賜博物館館長興膳宏さんに頂戴していた岩波文庫、『荘子』内篇を読了。最巻末、応帝王篇七の訳文は、こうである。

 

☆ 荘子内篇 応帝王篇七 巻末

南海之帝為 。北海之帝為忽。中央之帝為渾沌。 與忽時相與遇於渾沌之地。渾沌待之甚善。 與忽諜報渾沌之徳曰。「人皆有七竅。以視聴食息。此獨無有。嘗試鑿之」。

日鑿一竅。七日而渾沌死。

 

南海の帝王を (シュク)といい、北海の帝王を忽(コツ)といい、中央の帝王を渾沌といった。 と忽とはおりおり渾沌の国で会合し、渾沌は彼らを丁重にもてなした。 と忽とは渾沌の好意に報いたいものと相談して、いった。「人間には誰でも七つの穴があっ

て、それで見たり聞いたり食べたり呼吸したりしているが、この渾沌にだけはそれがない。ひとつ試しに穴をあけてやろうじゃないか」。

二人が毎日一つずつ穴をあけてゆくと、七日目に渾沌は死んでしまった。

 

「 も忽も、すばやさ、すばしこさを意味するとともに、きわめて短い時間の意にもなる。「 忽」と重ねて、にわかに、たちまちの意となる。常識的世界に生きる人間の頭の回転の速さを暗示しつつ、また人間の命のはかなさをも象徴する名ともなっている。

それに対する「渾沌(混沌も同じ)」はものの形が区別しがたい未分化の状態をいう。いわゆるノッペラボウ。あらゆる矛盾と対立を一つにつつむ荘子的実在の象徴。ギリシア語のカオス(混沌)がコスモスすなわち秩序の反対概念としての無秩序や混乱を意味するのとは異なる」と註釈されている。

ヽ ヽ

* ヒルテイ 『眠られぬ夜のために』第二部 三月十九日

せいぜい中くらいの人生目的よりももっと高いものを追求し、しかもよくそれを達成する人がどんなに少ないかということは、まことに驚くべきことだ。一般の人びとが目的とするのは、家庭を築くこと、適度な生活の楽しみ、たかだか例えば職業上か政治上の成功、人なみ以上の社会的地位、などである。けれども、これらはほとんど永続的な利益を残さないものである。

われわれはそのように教育されてきたし、教会からも学校からもはるかにそれ以上に高尚な力づよい励ましを受けなかった、とも言えるだろう。けれども、人間はそれらのものだけで十分に満足させられるようには、作られていないのである。もし世の伝記類が、とくに、書かれている人の晩年について、もっと真実を伝えているなら、こうした事実が極めてあからさまに認められるだろう。

老年になると、これまで人間の努力の目標のうちの大きかったものがだんだん小さく思われ、以前は見のがしがちだったものがしだいに大きく思われてくる。もしわれわれが、正しく進歩しながら年をとって行くならば、しだいに神のものの見方に近づくであろう。

 

* じいっと沈思の機があれば、ヒルテイのかような助言をしみじみ聴いている自身に思い当たる。

 

* アイルランドの『フランク・オコナー短編集』を読了。こういう世界への發見参であった。アイルランドという国と国民とをもっともっと知りたい、試薬に知りたかったという思いにとらわれている。「ぼくのエティプス・コンプレックス」「国賓」「あるところに寂しげな家がありまして」「はじめての懺悔」「花輪」「ルーシー家の人々」「マイケルの妻」などが印象にのこった。独特の筆致という以上に独特の物語りかたで、かつて知らない作風であった。 2013 12・22 146

 

 

* ゆりはじめさんから、「小田原事件 谷崎潤一郎と佐藤春夫」「疎開の思想」「あしたの雪」「戦後文学の解明と自分史」「太宰治の生と死」を一度に頂戴した。この、わたしより三つ年上の、作家にして詩人でも俳人でもある批評家ゆりさんの文学上の「仕事」に接するのは、じつは今回が最初で、これまではお名前しか知らなかった、そのお名前を或る私小説的ななつかしさで記憶していて、それはわたしの秘密の一つになっている。湖の本もこれまでは送っていなかったのだろう、ただゆりさんなりに私の名や仕事は見知っていて下さった。興味も好奇心ももってこれから著作を拝見する。少なくも小田原事件、太宰治、そして疎開というわたしとして見過ごせないキイが揃ってもいる。

 

* 中公版「日本の歴史」通読以来の今井清一横浜市大名誉教授に頂戴した『浜口雄幸伝』上下の大作も、従来のわたしには認識の手薄だった世間であり、新たな興趣に刺激されている。ありがとう存じます。

2013 12・22 146

 

 

* 妻の体不調、軽微ながら続いている。わたしの体調も何となく不安定に思われて元気がない。朝からこつこつ仕事を続けていると眼のなかに火花が散るよう。食欲も無い。なんともいえず、情けない。今井清一さんの『浜口雄幸伝』 ゆりはじめさんの『太宰治』も読み始めた。

もう今日は限界に来ている。寝てしまおう。

2013 12・23 146

 

 

* ミルトンの『失楽園』を求めて手にしたには理由があった。アダムとイヴとが蛇の誘いに負け、神の禁忌を犯して「知識」の実を食した罪でエデンの楽園から逐われたとは、子供の頃にもう知っていた。それ以来永い歳月を経てきながら、何度も何度も想ってきた、なぜ「知識」の実がそうも重い禁忌であったのか、また蛇はどう彼らを重い禁忌の冒しへと誘い込んだかと。旧約聖書で直ちにその説明をきくことは出来なかった。それに、概念的な「説明」だけが聴きたいのでなく、禁忌の冒しの全容を目に観て耳に聴くようにわたしは知りたかった。『失楽園』を読み始め、その宏遠無比の叙事詩に魅されるにつれ、いよいよその時の迫るのをわたしはわくわくもどきどきもしながら待っていた。その時・機が、来たのだ。

本来ならその日もこの楽園での仕事をアダムとイーヴとはいっしょに二人でするはずだったが、イーヴは、べつべつに場所を離れて過ごしましょう、仕事も捗るでしょうと提案し、渋る夫を退け気味にイーブは独りで楽園のなかへ歩を運んでいたのだった。

そして、そのとき、「蛇のからだにもぐり込んだサタンは美しいイーヴに近寄った。」

 

☆ ミルトン『失楽園』第九巻より 平井正穂さんの訳に拠って

 

サタンはますます大胆になり、声もかけられないのに彼女の

前に立ち、さも驚嘆に堪えないといった眼差しで、彼女を

見つめた。かと思うと、高く擡げた頭と多彩な色に艶やかに

輝く首を、幾度となく折り曲げ、媚びるようにお辞儀をし、

彼女の足もとの地面を舐めた。黙々として一言も言わないが、

何か曰くありげなその動作にやがて眼をとめたイーヴは、相手の

戯れている姿をじっと見た。彼女の注意を惹いたことを喜んだ

彼は、蛇の舌を言葉を発する機関とし(或は空気を圧して声に

したのかもしれない)、次のように、陰険な誘惑の言葉を述べ始めた。

「驚かないで下さい、高貴な女王よ、この世の唯一無二の驚異よ、

もしかして貴女(あなた)は驚かれたかもしれませんが! 況(いわん)や、わたしが

こんな風に貴女に近づき、そうだ、こんな風に独りで近づき、

飽くことなく貴女を見つめているのを、- いや、こんな風に

人目を離れた場所におられればおられるほど厳かに見える貴女の

顔を畏れないでいるのを、怒り、柔和そのもののような神々しい

顔を嫌悪の情で曇らせないで下さい。貴女は美しい創造主(つくりぬし)の像(すがた)

さながらに美しいお方です。生きとし生けるものが神から与え

られて貴女のものとなっているすべてのものが、貴女を見つめ、

貴女の天来の美しさを恍惚として見とれ、崇めています、-

こうやって森羅万象に賞讃されてこそ、貴女の美しさはその真価を

発揮するのです。しかし、この荒れた囲いの中で、貴女の美しさを

見ても、粗野で知能が低いためにその半分の値打ちも識別できぬ

動物の群れの間にあって、一人の人間を除いて(それが誰かは

貴方も知っておられよう)、いったい誰が貴女を見ている、本当に見て

いるのでしょうか、-神々に伍す女神として、日々つき従う無数の

天使達に仰がれ、崇められ仕えられてこそしかるべき貴女を?」

これが誘惑者サタンの追従の言葉であり、その奏でた

甘い序曲であった。蛇が声を出したのにひどく驚いたが、

イーヴの心にはその言葉は深く食い込んだ。やがて、

彼女は、内心の不審を抑えきれずに、次のように言った。

「どういうことなのだろうか、動物が、蛇が、人間の言葉を

話し、いかにも人間らしい考えを喋るというのは? 少なくとも、

ものを言うという初めの方のことは、天地創造の日に神がはっきり

音声を発しえないようにと造られたのだから、動物には

当然出来ないことだと私は信じでいた。しかし彼の方のことに

ついては、道理を解する心がその表情にも、しばしばその動作にも

現われるので、心の中で躊躇していた。ああ、蛇よ、お前が、

野に住んでいるすべての動物の中で一番賢いものであることは

知っていたが、人間の声を出すカがあるとは知らなかった。だから、

奇蹟としかいいようのない、さっきの行為を繰り返して、どうして、

ものを言わぬ身がものを言うようになり、毎日私の前に姿を

現わす動物たちのうちでお前だけが特にこんな風に私に

親しみを示すようになったのか、どうか話しておくれ。どうして

こんな不思議なことが起ったのか、私はぜひ知りたい」

そう言う彼女に向かって、狡猾な誘惑者は答えて言った。

「おお、この美しい世界に君臨する女王よ、輝けるイーヴよ!

貴女に命じられたことを全部話すことは、わたしには全く易しい

ことです。それに、その命令に従うこと自体も当然なことです。

わたしは、もともと地面の草を食む他の動物と同じで、自分の

食物がそうであったように、考えも卑しく下等な動物でした。

見分けがつくものといえば、せいぜい食物と雌雄の違いくらいな

もので、高尚なことは何一つ理解できませんでした。ところが、

或る日野原を彷徨っていた時、ふと、遠方にある一本の見事な樹が、

赤くまた金色に輝く多彩な美しい果実を枝もたわわにつけて

いるのを見つけ、もっとよく見ようと、近づいてみました。

すると忽ち、その枝のあたりからなんともいえぬ甘い香いが

漂ってきて、わたしの食欲を唆りました。それは、あの馥郁たる

茴香(ういきょう)の薫りよりも、また仔羊や仔山羊が夕方になっても遊びに

夢中になっていて吸ってくれないので、乳が滴り落ちている牝羊や

牝山羊の乳房よりも、さらに強くわたしの食欲を唆りました。

その美しい林檎の実を味わいたいという烈しい欲望にかられ、

なんとかそれを充たそうと心に決め、それ以上躊躇う気持を

綺麗に捨てました。飢えと渇きが、その魅惑的な果実の薫りに

ともに刺激され、強烈にわたしの心を動かし、もはや

どうにも抗し難いものに感じられました。わたしは早速苔のついた

その樹の幹に体を絡ませ、這い上がってゆきました。枝がそれほど

地面から高い所にあったからですが、貴女にしろアダムにしろ、

懸命に手をのばして辛うじて届くくらいの高さでした。

樹の周辺には他のすべての動物が集まって見上げていました。

わたしと同じように食欲を唆られ、なんとかして手に入れたいと

切望し、しきりに羨望の眼差しを投げかけていましたが、所詮手の届く

はずもありませんでした。いよいよ彼の間に入ってみますと、

すぐ眼の前に夥しい果物が、さあ食べてくれといわんばかりに垂れ

下がっていました。わたしはもう手当り次第に も取って、腹一杯

食べました。その時味わった悦楽は、従来例えば食物を食べるとか、

泉のほとりで憩うとか、そういった際感じた悦楽とは比べものに

なりませんでした。そのうちに食欲も充分充たされました。

ふと気づくと、自分のうちに異様な変化が起っていました。つまり、

かなりな理性の力が心の中に生じていました。しかも、姿こそ元の

ままでしたが、言葉を語る能力もやがて生じてきました。これに力を

えて、わたしは高遠な或は深刻な思索に思いをひそめ、急に広くなった

理解力を駆って天や地や中空にあるすべての眼に見えるものに、

すべての美かつ善なるものに、思いを馳せました。しかし、

それらのすべての美と善とが、神の像さながらの貴女の

姿のうちに、神々しい輝きを放つ貴女の美しさのうちに、

見事に融け合っているのを見てびっくりしました。貴女の美しさに

匹敵しうる、或は多少とも近づきうる、美は他にはありません。

厚かましいかもしれませんが、こうやって、万物の首(かしら)といみじくも

称されている貴女に近づき、眺め、崇めざるをえなかった

というのも、まさにそのためなのです、おお、全宇宙の女王よ!」

悪霊に憑かれた狡猾な蛇がこう言うと、イーヴは

ますます驚き、つい警戒の念をゆるめ、次のように答えた。

 

* この辺で中断しよう、ミルトンはこの壮大にして宏遠、細密にして精微な超大作を盲目のママに書いたのである。わたしは満たされている、満たされた感動のママ耽読している。

 

* ヒルテイは言うている、

「つねに元気で溌剌として働かなければならないが、あくせく働く必要はない。」

「とかくよけいな口をきくことが、厄介な状況にまき込まれるもととなる。」

「どんな仕事でもすべて、長い間かかってまわりくどい『下準備』などはせず、即座に、元気よくとりかかるがよい。」などと。

だいたいに当たっている。

「人生の重大な別れ目においては、つねにまず敢行することがたいせつである。そうすれば、おのずから力が生じ、最後に、その行為が正しかったという洞察が与えられる」とも。

2013 12・24 146

 

 

☆ 秦恒平様

お誕生日 おめでとうございます。

お祝いの品という訳では勿論ありませんが、川端康成「星を盗んだ父」の続稿を載せましたお茶大の紀要が刊行されましたのでお送りいたします。二年半がかりの調査研究がこれで一段落いたしました。今はお正月明け〆切りの論文「川端と沖縄  幻の長編『南海孤島』と米国統治下の沖縄行」執筆中、その次は川端とハンセン病療養所機関誌関連のものを準備しております。秋から何度か全生園のハンセン病資料館の方へも(何度か)通い、保谷を通過する折には、秦さんのお加減はいかがかなと想っておりました。

よろしかったら、今書きかけのものが終わりましたら、一月の中旬か下旬頃にでもお目にかかれればとおもいますが、いかがでしょうか。 (中略)

お誕生日のお手紙に、死について書くのはどうかとも思いつつ、生と死について、死なれること、死なせることについて深く深く考え、書き続けてこられた秦さんですから、お許し頂けることと、今の思いをそのまま書かせて頂きました。乱文乱筆となりましたが、書き直さずお送り致します。

今年もはや残り数日となりました。寒さも一段と厳しくなって参りました。どうぞ、お体を大切に大切になさって下さい。

来年もよい一年となりますよう、心から願っております。  川端文学研究家

 

*「国文」に載った論攷も読んだ。深澤さん入魂の追究めざましく、面白くいろいろ教えられた。感謝。

2013 12・24 146

 

* 食欲うすく、曰く謂いがせたく体調すぐれない。床についていても、異様におちつかず、逃げ出すように床から出たりする。『太宰治』『浜口雄幸』というじつに正反対の人物論を読んだりするのもわたしの精神の安定を阻害するのかも知れぬ。起きていても横になっても、ひどくからだ具合が悩ましい。酒を飲んで寝入ってしまうのがいいような気がする。幸い、二十七日に歯科へ行く以外に外への用事は無い。休んでいていいのだ。仕事を休んでいてもいいのだ。

2013 12・24 146

 

 

* サタンである蛇の狡猾な誘いのことばにイーヴは惹きよせられた。蛇の誘惑、イーヴの躊躇。叙事詩は精緻に紡み績がれて「破局」が来るだろう、わたしはまだそこまでを躊躇っている。イーヴは禁断を冒し、ではアダムはどうするのか。人間と創られたたった二人の男女・夫妻の歴史がどう始まるか。なぜ「知識」の実は人間に許されなかったか。永い間わたしはそれが知りたくその場に居合わせたかった。関心の深い人は『失楽園』をどうぞ。この荘重にして至大な叙事詩は、希有の宇宙像を描ききっています。ためらいなく、言葉から言葉をひたすら無心に追って辿って読まれますように。引き込まれて行くでしょう。至れりつくせりの註も貴重な宝庫です。

2013 12・25 146

 

 

☆ ヒルテイは言う。

「愛がなければ、この世界は、どんなに多くの自然美や藝術や学問か存在していても、まことにみじめな、不満足なものにすぎないだろう。人間は賢明であればあるほど、ますます強くこのことを感じ、いち早くそれがわかるにちがいない。ただ愚かな者だけが、生の享楽の緑の牧場で主人顔ができる間だけ、いましばらくたのしげに駆けまわっているのだ。

また別の種類の愚かな人は、神への愛がなくても、人間たちを、すくなくても二、三の人を「永遠に」愛し、そこに生涯の幸福を見出すことができる、と信じている。この態度は比較的高尚な考えの人たちの陥りやすい欠点であるが、それがやや卑俗な形をとる場合ですら、この方が神の赦しを受けられやすい。」  第二部 三月二十日

「ほんのもう少しの辛抱だ。『光は正しい人のために現われ、喜びは心の正しい者のためにあらわれる』(詩篇九七のー一)。忍耐づよくあれば、たいていはほんの三日くらいですむ。忍耐がなければ、もう少し長くつづくだろう。よく耐えぬいた試練は、もう二度とくり返す必要がない。だが、そうでない試練はまたやってくる。そこで賢明な人はかならずこう言うにちがいない、『一度はどうしても避けられないのだから、今それを十分に、徹底的にやり抜こう。そうすれば永久にそれから自由になれるのだ。』  三月二十一日」

2013 12・26 146

 

 

* だが、また仕掛かりの小説に向き合う。疲れると田能村竹田や保元物語などを読む。こんなことでは眼はムリをするばかり。最近用(読書・読字)の眼鏡枠が壊れてしまい使えないのも辛い。もう暮れも押し詰まったし。と、いううちに、また左の奥の上で歯が欠けて落ちた。いやもう、ハナシにならない、可笑しくさえなってくる。七七歳は始終苦であったが、どうやら七八歳は七転八倒か。せめては七転び八起きと願いたい。

2013 12・26 146

 

 

* 「みごもりの湖」校正に細心の集中力を。読むのが嬉しい。この世界で生きていたいと思ってしまう。安倍「違憲・暴走」総理の無意味で有害な靖国参拝などに憤慨しているよりは。この作にはわたしの「学生時代」の実感に満ちた一面が精確に描かれている。いま、機械の煮えを待機しながら久保田淳さんに頂戴した『西行全歌集』の第一頁に、

 

春立つと思ひもあへぬ朝出(あさいで)にいつしか霞む音羽山哉

 

を見つけて最初の爪印を付けた。なつかしいわたしの実感を呼び起こしてくれる。音羽山は清水寺の背後の山。山影はいつも眼にある。いま、あるいはわたしの最期の小説になるかも知れぬ歴史・現代小説が、こんな背後の景色をすくなくもその一枚として所有している。その景色ははるかに瀬戸内海の遠くへもひろがっている。

断っておく、少なくもその今いう小説よりさきに、「ものすごい」作が先行しそうで、期待している。「ものすごい」のでむしろ後ろへ置くかもしれないが、このところ、じっくり関わっている。

話が飛んだが、要するところ、わたしは終生終わりのない「たづねびと」をして、あえていえば楽しんで、命終えるのだろう。藝術のほうが悪政より、云うまでもなく大きい。

2013 12・27 146

 

 

☆ ヒルテイに聴くと。

「にせの高貴とは対立し、小さなものを愛し、必要ならいつも、尊大ぶった者には落着いて礼を失わずに対抗する、このような真の『高貴』を身につけることは、まさに人生の最もむずかしい課題の一つである。」と。

2013 12・27 146

 

 

☆ ヒルテイに聴くと

「異常なものを見たり聞いたりするのは、一つの賜物であって、それを経験した人には驚嘆すべきものであり、しかもただその当人にとってのみ意義あるものである。だからあなたはそれについてこれ以上深く考えない方がよい。そのようなことは人生の説きがたいいわゆるアディアフォラ(どちらでもよい事)のひとつでもある」と。

「ひとが本当に神を信じ、それが単に口先きだけのことでないなら、唯物論的世界秩序においてはただ不可能としか思えない多くの事が当然のことになってくる」とも。

 

* 上の後段の認識、神をワキへよけて歩いているわたしにも、これは深いものと聴く耳がある。

2013 12・28 146

 

 

☆ ヒルテイに聴くと

「ある事柄が義務であるかぎり、それをなすべきかどうかを、もはや問うてはならない。これを問うことが、すでに裏切りの始まりである」と。

これは危険な断定とも聞こえる。「義務」という一時には至高至純の理想へのそれもあるが、組織的な悪しき力や間違った理念・観念に「強いられた義務」もあり、世間という現実には後者の事例が多い。前者はむしろヒルテイにすれば「神への義務」であろうが、人ははるかに多くの場合もっと悪しき力や間違った判断からの義務に縛られている。それを「問い・問い返す」ことこそ大事だろう。安倍「違憲」総理の靖国参拝強行など、彼は義務と称しているが、明々白々、悪しく間違った観念への無意味な義務感に縛られているに過ぎない。「それをなすべきか」を真摯に誠実に「問う」ことこそ宰相としての真の「義務」であった。国民と国益への明らかな「裏切り」であった。

また、「神の助けを軽んずる者は、結局人間の助けを求めざるをえなくなるのがつねであろう。しかし、実はこの方がずっと不愉快なものである」とも。

これは、頷ける。

2013 12・29 146

 

 

* いま読んでいる小説は相変わらず「南総里見八犬伝」と椎名麟三の「美しい女」だけで、あとは壮麗な叙事詩「失楽園」。その他はみな評論や伝記やエッセイや「荘子」の内、外、雑篇。内篇は読み終えた。

云うまでもないが八犬士は神秘の奇縁に結ばれ、銘々に仁義礼智忠信孝悌の各一字を含んだ霊玉を身に帯びて生まれた上下の差のない義兄弟。とはいえ、もしその長と謂うに当たる者をあえていえば、「仁」の玉を帯びた犬江親兵衛仁(まさし)と名乗る神童がそれに当たっている。「南総里見八犬伝」とは仁を首とした仁義礼智忠信孝悌という儒教の理想を体現しようと謂うにひとしい大長編、厖大な稗史小説すなわち時代読み物なのである。

ところで今しもわたしの熱心に読みかつ読んでいるのが『荘子』の三篇であり、「荘子」の説くところは、一つには孔子による儒学つまりは「仁義」の教えへの徹頭徹尾、容赦も仮借もない批判・否定なのである。

「八犬伝」と「荘子」 たまたまの取り合わせが、なかなかの取り組みになっていた。そしてわたし自身の思想的な傾きは、むかしむかしから老荘に重く孔孟には軽い。儒学八行のうちわたしには他人事としてはしらず、わが事としては「忠」に表される人間高下の差異など無くもがなと許容してこなかった。忠に則して説かれる政道をうさんくさく思ってきた。人に忠を求めず奉じもしたくない。信じ愛し敬し尊重は惜しまないが、忠を他に奉じ己に求めるなんて、イヤと。

「荘子」の仁義を排して徹底的である理も立場もたぶん一般には分かりにくいか解せないかであろう、しかし、さきの儒学八行すなわち「仁義礼智忠信孝悌」の理想と置きならべて、老荘の天然自然の「道のまま」に生きよとおしえる基本姿勢が「虚静恬淡寂寞無為」だと片端でも知ってみると、両者の大きな差異に、少なくも気がつく。儒学はまさしく人を節し律し支配指導する為政の手法にほかならず、建前で謂えば安倍「違憲」総理も、その他権力行使を専らの任と心得た連中もたちまちにこれら「八行」を頌し誦するに違いない。

 

☆ 「荘子」外篇 天運篇に聴く  興膳宏さんの訳に拠って

老 (老子)「お若いの(孔子門下の逸材・子貢)、もっと近う寄りなさい。では君に三皇・五帝(儒教の理想者)が天下をいかに治めたか話してあげよう。

黄帝は天下を治めて、民の心を純一に保った。民の中に自分の親が死んで哭泣の礼を軽くする者がいても、人がそれを咎めたりはしなかった。

尭は天下を治めて、民に親しみの心をもたらした。親の服喪のために親疎の段階を設ける者があっても、人がそれを咎めたりはしなかった。

舜は天下を治めて、民に競争心をおこさせた。妊婦が十か月で出産すると、赤ん坊は五か月で口がきけるようになり、笑えもしないうちから人見知りをし、こうなれば早死にする者だって出るようになる。

禹は天下を治めて、民に心変わりをもたらした。人ごとに利己心が生まれ、武器の使用も道理にかなうものとされた。盗人を殺しても殺人ではないと理屈を張り、勝手に自分の党派を作って、世界中がその風潮に染まってしまった。

かくて天下は大いに乱れ、儒家や墨家などが競い起こるありさまとなった。ことの始めにはちゃんとした秩序があったのに、今では本末転倒もいいところだ。まったく何をかいわんやだ。

君(子貢)にいっておくが、三皇・五帝の天下統治とは、治めるというのは名目だけで、実は混乱の極みだったのだ。三皇の知恵は、上は日月の輝きを覆いかくし、下は山川の精気を焼きつくし、中は四季の運行を妨げて、その知恵はサソリのしっぽよりも激しい毒を持ち、小さな生き物に至るまで、本性のままに生命を全うすることができなくなった。

それなのに、彼らは自分を聖人だと思いこんでいた。その恥知らずぶりこそ、恥ずべきことじゃないか。」

子貢は驚きすくんで、じっと立っていられなくなった。

 

* みごとに政治の悪を芯から突き抜いている。いままさに目の前にこれらの末流に浮ついた安倍「違憲」総理が在る。

 

* さて、ミルトン『「失楽園』では、サタンの蛇の舌に乗せられ誘惑されて、ついにイーヴは禁断の木の実を貪り食い、それと知ったアダムも、妻と運命を倶にしよう覚悟から同じ木の実を食ってしまった。と、たちまちに男女のはげしい情欲性欲に衝き動かされ、二人はひたすらに性愛の極みまで貪り合い、やがて疲れ寝からまじまじと覚めたとき、互いの裸形に思わず恥じかつ戦いて、あわや木の葉で股間を隠し合った、と、そこまで読んだ。

誘惑されて、女が禁を冒し、男は女の運命に同行しようと深い愛から覚悟する。その間の動転を縷々叙して行くミルトンの観察は精微で。そして、ここで、わたしには、わたしの、たぶんミルトンとも聖書とも少なからず逸れた「理解」が働く、少なくも働こうとしているのを自覚している。

2013 12・30 146

 

 

* 写真家の井上隆雄さんから美しい写真集を頂戴した。京都美術文化賞を受けてもらった。写真が深い感覚の「詩」に成っている写真家。有難い写真家。

2013 12・30 146

 

 

* 二十世紀初めの英国人著名なジャーナリスト、ステッドという人物は、「たとえ不倫な愛であっても、それがあなたを自己からひき出して高めるかぎり、愛のない利己的な結婚生活よりも、あなたを天国に近づける」と語っていた。

ヒルテイはこれについて、「はなはだ剣呑な真理であって、とうてい教会で説教するわけにはいくまいが、それにもかかわらず、このような真理を、われらの主もまた理解された通りに理解しうる人びとにとっては、やはり一つの真理にちがいない」と言っている。当然ながら、注目に値している。

 

* 「さあ、元気よく跳び込みなさい、あまり深くはないだろう」という勧めには深甚な含蓄がある。

2013 12・31 146

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