ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2019年

 

* 今朝は『北越雪譜』で「泊り山の大猫」の咄を聴いた。雅意にも富み北国の暮らしと人情に如実にふれえて、まこと名品の趣致。古人はいい本をたくさんたくさん残してくれている。
2019 1/7 206

* 史記の「列伝」を、原文で少しずつ読み進んでいる。興味が湧き出る。『北越雪譜』は折しもあれという気候ではあり、達意と簡潔の名文にも惹かれてい る。頁を開いては好きにいろいろ読めるのも有り難い。『宗長日記』はやや期待はずれ、肝腎の連歌、発句が巧くなくて興ざめする。その点は簡潔を極めた『山 上宗二記』には脚注にもたすけられていろいろ具体的に興味深い。前の文春専務寺田英視さんの著『国風(くにぶり)』の、落ち着いての再読も、まま驚嘆を誘 われる。
小説はトルストイの『復活』へ埋没している。辻邦生の『春の戴冠』は、書きすぎの感。炊きあがったご飯の旨いのは米の粒立って口にさわやいで呉れるから。辻さんは米粒を押しつぶしてぎっしりべったり隙間無く書いて行く。ムダも書き詰めて省かない。重苦しい。
プラトンの『国家』は三分の二ほど、ペンを手放さずに読み進んでいる。十二年の二、三月の胃全摘後の病室で初讀していた。この三月に少し大きな検査が予定されているが、前を繰り返さなくて済んで欲しい。
2019 1/8 206

☆ 年賀の歌  鈴木牧之の「北越雪譜」より
○ 年賀の 歌
余六十一還暦の時年賀の書畫を集む。吾国はさらなり、諸国の文人三都の名家妓女俳優健來舶清人の一絶をも得たり。みな牧之に贈(おくる)といふ事をしる したるなり、人より人にもとめて千餘幅におよべり、帖(でふ)となして蔵す。ひとゝせ是を風入れするため舗(みせ)につゞきたる坐しきの障子をひらき、年 賀の帖を披(ひら)き並べおきたる所へ友人来り、年賀の作意書畫の評論などかたりゐたるをりしも、順禮の夫婦軒下に(我が里言には廊下といふ)立(たち) けり。吾が家常に草鞋(わらんづ)をつくらせおきてかゝる者に施すゆゑ、それをも銭をもあたへしに、此巡禮の翁立(たち)さらでとりみだしたる年賀の帖を 心あるさまに見いれたるが云(いふ)やう、およばずながらわれらも巡禮の腰をれを申さん、たんざく玉はれといふ。乞食(こつじき)のやうなるすがたには似 気(にげ)なきことばのおぼつかなしと思ひながら短尺(たんざく)すゞりばこいだしければ
三途川(さんづがは)わたしは先へ百年(もゝとせ)も君がむかひをとゞめ申さん   五放舎
としるしたるふでのはこびも拙(つたな)からず。年賀にはひとふしかはりたる趣向といひ、巡禮に五放舎(ごはうしや =御報謝)と戯(たはぶ)れたる名も おもしろく、友人と倶におどろき感じ宿を施行(せぎやう)せん、ゆるゆるものがたりせんなど友人もさまざまにすゝめたれど、杖をとゞめずして立さりけり。 國は西國とばかりいへり、いかなるものにてやありけん。

* ほのぼのと胸に灯が入る。こういう短章の妙趣に『北越雪譜』満ちあふれている。どうしてもっと早くに出会っておかなかったか、しかし遅ればせにも出会えて真実嬉しい。
こういう嬉しさ・優しさ・人徳を、もう昨今のスマホ世間はとても生み出せないのではと嘆く。朝から夜中まで、テレビもネットも、世はあげて人類の愚民化を急いでいる。そう急がせている「何奴か」が隠れている。「精妙にして悪辣な機器・機械」でないことを念う。
2019 1/9 206

* 機械を温めながら。寺田英視さんの著『國風』を読み継ぐ。著者の威勢と志操とがかほど明確に颯爽と開陳されて揺るぎない思想書はめったに有るものでな く畏敬の念に打たれる。清潔にして恭謙の、寺田さんは現代のまことに「武士」であり、五指にあまる武道に学んで八段等々の達人の域にあり、しかもその人と なりはまことに温和に優しい。
この私の困惑を見るや即座に「湖の本」のためにかの凸版印刷を紹介して下さったのは、文藝春秋のまだ若い編集者であった寺田英視さんであった。しかも彼 は、かかる英邁の武人であったことなど少しも露わに云いも見せもしない人であった。「文学界」編集長等を経て専務取締役までもいつも物静かに勤められた。 家へもよく来て下さり、また外でよくご馳走にもなった。いつも家まで車で送って下さった。
わたしは、心と思いとのある人に、この『國風』(猶興書院)の心読愛読をおすすめしたい、和漢の思想と表現とに心親しい人には、ひとしお堅剛のよき修身の読書になると思う。行儀に徹底してごまかしのない思索叮嚀の武士ががここに、現存。
2019 1/12 206

* 「決定的に」少年のわたしを「先」へ押し出した「愛読書」は、と、思い出してみると。
一気にはとても思い出せない、が、ゆっくりと、順不同で。
2019 1/13 206

* 機械温まらず延々不調をガマンして此処へ辿り着く。ひたすら辛抱。その間「北越雪譜」を拾い読み楽しむ。また中村光夫の岩波新書『日本の現代小説』をも興深く拾い読む。午前、もう九時半に
なっている。
「私」という自身をさながらに構築した土台石のような書物を昨日から思ってきた。もう少し書き足さねばならない。
● 国民学校、小学校時代
「現代語訳・古事記」 「小倉百人一首(ないし「一夕話」) 「家庭大百科宝 典」 通信教育教科書「日本国史」 頼山陽「啓蒙日本外史」 袖珍版「選註 白楽天詩集」 五冊本「唐詩選」 「般若心経」
● 新制中学時代
豪華本与謝野晶子訳「源氏物語」 岩波文庫「若山牧水歌集」 岩波文庫「北原白秋詩集」 春陽堂文庫夏目漱石「こころ」 岩波文庫「平家物語」 岩波文庫「徒然草」 新潮社版デュマ「モンテクリスト伯」 樋口一葉「たけくらべ・にごりえ」 谷崎 潤一郎中公版「細雪」岩波文庫「蘆刈・春琴抄」 新聞連載「少将滋幹の母」 「天の夕顔」 岩波文庫バルザック「谷間の百合」 ゲーテ「若きヴェルテルの悩み」 ガードナーの処世エッセイ「道は開ける」など二册

● 高校時代
岩波文庫「源氏物語」 斎藤茂吉自選歌集「朝の蛍」 角川文庫高神覚昇「般若心経講 義」 倉田百三「出家とその弟子」 島崎藤村筑摩版「家」「新生」  トルストイ「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」 エミリ・ブロンテ 「嵐が丘」 ドストエフスキー「罪と罰」 ホフマン「黄金寶壺」 創元社版「谷崎潤一郎選集」全六巻 志賀直哉「母の死と新しい母」「暗夜行路」 上田秋成「雨月物語」

●大学・院から上京初期
裏千家茶道誌「淡交」 美学者小林太市郎の本 「国民文学論」 角川版「昭和文学全集」全巻

寶文館山田孝雄「平家物語」 田邊爵「徒然草諸註集成」 岩波文庫「梁塵秘抄」 岩波文庫新井白石「西洋紀聞」 谷崎潤一郎中央公論「夢の浮橋」 森鴎外「阿部一族」「渋江抽齊」 幸田露伴「運命」「連環記」 円本徳田秋声集「あらくれ・ 黴など」 講談社版「現代日本文学全集」約百全巻 他に 研究書何冊か。

* つよく、切実に感化され影響されたと思える本や作のみ挙げた。およそ、こんなところか。
かなりの読書が、のちのちの創作ないし創作生活へ影響していたと分かる。
そして、これら以外・以降に大量の読書の日々があった。よほど貪欲雑食性の本好きであるが、通俗の読み物に惹かれたのは、「モンテクリスト伯」だけ。
2019 1/14 206

* 仏壇には、ひらひらした一册の表裏に経文があり、なかで「般若心経」に最もはやく心惹かれて、ふりがなのままワケ分からずに讀誦の習いをもった。たった二 百六十(二)字で、しかも色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 などと諳誦しやすい。ま、幼稚園 国民学校では そのようなお馴染みであったが、 「もっと識りたい」意欲は強まるばかりだった。そこへ、出来て間もなかった「角川文庫」に、高神覚昇『般若心経講義』が文字どおり洛陽の紙価を高めて売り に売れた、わたしは昭和二十七年九月初版の十一月再版を、乏しい小遣いを惜しまず「七拾円」を支払って買った、高校生だった。
解説の友松圓諦が書いている、この短いお経は、なまじいの講義ではとてもおはなしにならず、ゴツゴツと難儀な物と。それを、わたしにもついて行ける「講 義」にしてくれていて、じつに興趣ゆたかに教えられる名著であった。ことに、わたしは、講義本文以上にも、詳細な「註」を介して「哲学」としての「経典」 に魅了されていった、つまりは、概念としてのみこむのに「註釈」の備えていた構造感に呼び込まれた、ま、「受け売り」が幾らか可能になる特典を大いに多と したのだった。
「哲学」の二字に親しんだ、まさしく最初が此の「般若心経」であった。話し相手になってくれるだれ一人も近くにいなかった。
その角川文庫、背は貼られ、表紙は欠け、目次はバラけ、紙も印刷も古色赤然の一冊が、今も、わたしの左掌に持たれている。とてもとても棄てる、処分するという気にはなれなかった。
2019 1/14 206

* 「般若心経講義」に著者高神覚昇が二頁の「序」を書いている。単行本としての初版時であろう「昭和二十二年春」とある。わたしは昭和十年十二月に生まれており、この角川文庫版を手にしたのは昭和二十七年初版の再版十一月。
簡潔で適確な「序」で、今もたしかに頷けたのでコピーしたいと思ったが、紙の劣化著しく、真っ黒にしか写らなかった。
佛教の真義は「空」そして「因縁和合」と説いてあるのを高校生なりに深く頷いた感謝が思い出せる。
2019 1/15 206

* 毎夜 寝入る前に十種もの読書は当たり前に続いていて、そのなかの新顔で興を惹かれている一冊が杉田玄白の『蘭学事始』と、『三浦梅園集』 ことに後者は、江戸時代後期にめざましい力感で経済論「価原」を呈し、日本の哲学史に初の閃光を放ったが、この人の、いわば宇宙哲学ともいえて着実な人間哲学のおもしろさ、根底を衝いていて、脱帽する。えらい人はいたのだ、昔には。
今一冊、中村光夫の「近代の日本文学」史論に、痛いほどいまさらに教えられる。残念、論攷は、いままさにわたしなどが文壇へ登場の「直前」で終えられて いる。悔しいほど残念だが、このところわたしは、ま近い若い、と云ってもじつはもうトウのたってきた研究者を捉まえては、少なくも『敗戦後日本<文学> 史』をこそ書いてみせよと挑発しているのだが、ひとりとして、そんな大きな意欲も力も持たぬらしい。文学研究の大きな一端は「年譜」が書けるかで示され、 もう一端は或る程度の時代区分と認識とに徹して「文学史」が(或いは包括と検討と評価に徹した「作家論」が)書けるか、で決まる。爪楊枝で石垣の隙間のご みを穿鑿しているような「研究」感覚では、学問は、前途への大きな証明にも照明にもならないだろう。
2019 1/16 206

* 杉田玄白の『蘭学事始』をも、面白く読み進んでいる。

* なぜこんなに今、「読みたい」のだろう。これまで読んだ物も、まだ読んでない物も、そして自分の書いてきた小説や主な論攷も、みな読んでおきたい気がする。生き急ぎ、か。余儀無し。
2019 1/18 206

* なにとなく瞼まだ重い。「北越雪譜」の拾い読みが格別の朝の読書、季節も真冬なればしみじみと雪国の情景が想い浮かぶ。吹奏楽器の静かな合奏を聴いている。
2019 1/19 206

 

* 入浴。中村光夫「日本の近代小説」 伏見研究班の「伏見」 プラトンの「国家」を読み継ぐ。
中村先生の適確な論旨に頷き頷き思案も添えて熟読した。
2019 1/19 206

☆ 白楽天の五言古詩に「春遊」があり、こんなふうに諷している。

馬に上りて門を出づるに臨み 門を出でて復た逡巡す。
頭を廻らして妻子に問ふ、応(まさ)に怪しむべし春遊頻りなるを。
誠に春遊の頻りなるを知れども 其れ老大の身を奈(いかん)せん。
朱顔去りて復た去り、白髪新たにして更に新たなり。
請ふ君十指を屈し、我が為に交親を数へよ。
大限 年百歳、幾人か七旬に及ぶ。
我れ今六十五、走ること坂を下る輪の若(ごと)し。
仮使(たとひ)七十を得せしむるも、祇(ただ)五度の春あり。
春に逢ふて遊楽せざるは、但(ただ)恐らくは是れ 癡人。

* 六十五歳で白楽天は歎いている。わたしは、いま八十三。唐の古代と平成の下限をならべみれば、似たところを歩んでいて、たとえ「九十を得せしむる」なら、なお「七度の春」があると、そう思い思い
「癡人」の謗りを嗤って なおなお「春遊」を諦めてはなるまい、が。
2019 1/20 206

* 機械温めているあいだ例の「北越雪譜」の拾い読みを楽しむ。「浦佐の堂押」とあるのが面白かった。似た祭事は各地にあるかも知れない、京都では知らな い。何という読み謂い著作であるか、一に著者の筆力だが程を心得た温和で適確な叙事の妙に感じ入る。たいがいな随筆には批評が前へでやすいが、鈴木牧之の 筆は温かな視線がとらえた観察の適切に魅力がしみ通っている。何度でも云いたい、名著である。
2019 1/21 206

* 機械延々と温まらず、今朝は冷える。「北越雪譜」で、目出度い年越しの団欒に、雪道から恵方の高窓を打ち割り転げ落ちてきた若い座頭福一を、鬼かと、女らは怯えて怒るのを、座頭、謝りながら筆を請うて一首の戯れ歌を成したのが目出度かった。
兄方(ゑはう)から福一といふこめくら(米蔵 小盲者)が
入りてしりもち(餅)つくはめでたし

* これまた 一端の文化と覚えて嬉しく面白い。「北越雪譜」にはこの種の応酬例がまま見られる。著者の鈴木牧之も俳諧の点者のようである。

* 朝からテレビの報じるところ トランプ政権の政府機関閉鎖が科学研究期間の頓挫を招いているとか、韓國海軍の不法な攻撃行為を隠したい無礼な応酬と か、殺人とか、強盗とか、自動車泥棒とか、愚劣生徒らの卑劣な乱暴とか、ま、ロクな事のない不快さを、かすかに宥めてもらっている北国の風雅で温和質実な 暮らしぶりに。
2019 1/22 206

* 岩淵さんに、また女流文学全集の新刊を戴いた。岡本かの子 網野菊 太田洋子 ら六、七人の代表作が集った充実の大冊で、「屍の街」など未読の力作も入っている。もう三、四巻も頂戴していて、とても有り難い。
こくた恵二さんからも、初めて知る雑誌を頂いた。
2019 1/22 206

* 『北越雪譜』の「雪の深浅」「雪意(ゆきもよひ)」「雪の用意」をあんまり身に沁みたので写そうとしたがルビびっしりで機械も対応できず。
こんな細い日本列島で、背骨のような山脈の北と南の大差にしみじみ驚く。「バカか、おまえ」というのはわたしの口癖だったと建日子らは思っているらしい が、わたしが同じように云われた数少ない一つに富山出のナースに「京の雪の風情」を賞美したとたんの手跡での一喝だった。忘れることができない、意味はや や異なるにせよ「一枝の師」であった。
2019 1/24 206

* 小塚原での腑分けに息弾ませて集う良澤、玄白ら蘭学・西医への意識と意欲、『蘭学事始』読んでいて熱くなる。西欧への新井白石の関心、それに応え幾分の窓 を西向きに開いた将軍吉宗、長崎通詞らの多年の地ならし、本草・博物の知識に燃えた源内、徳内らの発明と発掘、そして洋書・辞書に依拠しつつ実見の眼を開 いていった「蘭学事始」。近世の近代化してゆく道筋。
真実により近い歴史をこそ少年達に学ばせたい。
2019 1/30 206

 

* 機械のご機嫌を待ちながら読んでいた三浦梅園に、「約をいるゝる事、牅(よう)よりす」と、また教わった。進んで人に説くには、先ず其の人の理解しや すい所から説くべし、と。哲人梅園の「多賀墨郷君にこたふる書」は、そのお手本のように「天地の条理」を説きかつ伝えようとしている。
こんな面白くよく出来た、しかも藤の花が詠んだ和歌をも、梅園は利している。
思ひきや堺の浦の藤浪の都のまつにかゝるべしとは
堺の浦にみごとに咲いていた藤の噂に、ある天子は寄越せと都へはこばせ移し植えた、その晩に天子の夢に妙なる美女があらわれ嘆いて歌ったのである。
藤と、まつ(都で待つ 都の松) 浪と、かゝる  藤はこらい松の緑と濃い縁をうたわれてきた。「和歌」という表現のおもしろさ、美しい律の「うた」を嬉しく受け取れる。即、梅園の何を説くとかかわりなしにも楽しめてしまうのがつまり「和歌徳」なのである。
2019 2/2 207

* 『日本の出版業界はどうしてこうなってしまったのか』と題し、日本書籍出版協会専務理事の中町英樹氏が「本の未来研究会リポート」として日本文藝家協会会議室での講演録を、文藝家協会が会報に添えて会員である私にも送ってきた。
一読、失礼だが、笑ってしまった。わたしが「秦 恒平・湖の本」を創刊した三十三年もむかしにすでに予見できていたことだ、すでに143巻、今も障りなく「湖の本」は刊行されつづけ、一巻ごとに、書店に 並ぶ単行本と同量ときにそれをも凌ぐ内容を保持し続けているが、出版界の成績の惨憺たること、中町氏の講演が示す各種の数字、なにより講演の表題そのもの が無惨に表している。
わたしは出版業という商業を念頭に置いていない、何よりも「創作と文学・文筆」に深く強く愛着してきた。もしわたしと同じ思いの文筆家らに有効に示唆す るなら、文藝家協会は上記講演の表題よりも、むしろ率直にこの「秦 恒平・湖の本」という稀有の例を以て、会員諸氏の自覚や奮起を促すというのが本筋であろう。
文藝家協会を現に会長として率いておられる出久根達郎さんは、有り難いことに「湖の本」創刊の昔から今も「継続購読」して下さっており、一作家による「作家自身の文業」を「三十数年、百五十巻ちかく」刊行し続け得てきたのを、よく知っておられる。
いまでは、「秦 恒平・湖の本」そのものを手にもし承知もしている文壇・各界の人は実は千、二千に止まらないのが事実なのであり、だが、それを口外し評判するのは「タ ブー」のようですよと笑って告げてくれる人もいる。亡き鶴見俊輔さんはわたしと対談の折も、秦さんの「湖の本」につづく書き手が十人もできるといいんだが と述懐されていたのを、はしなくも中町氏の慨嘆講演録を読み、わたしは痛々しくも思い出した。
但し鶴見さんは明言されていた、「湖の本」に続くには、何より自身文業の質と量とを持ち得ていること、編輯・出版の技術を持っていること、そして家族の協力 が絶対的に必要ですがね、と。
2019 2/3 207

* 中村光夫著「現代日本の文学」(岩波新書)がじつに今、面白く、考えさせられる。 2019 2/3 207

* 三浦梅園が徹到の説得あらたかに、本質おもしろくよくよく頷ける嬉しさ、まことに珍重すべし。此処に引いて人とも分かち合いたいが、いま、時間を惜し む。岩波文庫の「三浦梅園集」200円の本をブックオフで160円で買っておいたが、価値は万金に値して、巻をおき難い。

* 同じく手に入れておいた杉田玄白著「蘭学事始」の身震いのするほどな感銘・興味、おもわず頭上に掲げある秋艸道人会津八一の「学規」をも振り仰ぐ。

* 嗚呼、現今の人と世情の紙よりもうすきことは。
国会の委員会質疑への安倍内閣の徹頭徹尾の誤魔化し姿勢、総理も厚労大臣もごまかし・へつらい官僚どもも、反吐が出そうな醜さ。二階へ逃れ来て「梅園」徹底の哲のいわば優しさに胸を打たれていた。
2019 2/5 207

*  梅園の謂う、諸事万事「泥(なず)み」という「習気」 「慣れ癖」という「筈」依存。これあるうちは深層の真相真実へは定まって行けない。これほどの真実は無く思われる。
2019 2/5 207

* 題を間違えて書いてきたかも、中村光夫の岩波新書『日本の近代小説』、久しく買っておいたままだったのを読み始め、毎晩、面白くて読みやめられない。 『三浦梅園』『蘭学事始』『山上宗二集』そして『源氏物語』玉鬘十帖を美味を吸うように読み耽っている。プトン『国家』下巻は手強い。気が付いてみると現 代小説を読んでいない。
2019 2/7 207

* 「北越雪譜」に「雪中の火」「瀧の氷柱」 まことに興深く驚き読んだ。驚かせてくれる本が少なくなっているこの老いに、この本は有り難い。稀有の恩を感じ る。周到にルビが付してあり、北越独自のの語彙やもの言いにもすこしも障らず、だれでもたやすく愛読できる。名著と推して憚らない。
2019 2/8 207

* 小説、ただもう、じり、じりと足先の闇を踏んでいる。もう今日は堪えよう。書くから、読むへ、そしてやすむへ。
あの昔の「般若心経講義」は高校生にも愛読でき、決定的な何かを心柱へ加えてくれた、それにくらべ今読んでいる中公新書の「法華経」は、わたしのような 一般の読者を斟酌無く、モーレツに難解で観念のままをつき出され、身に沁みて法華経の有り難さが伝わってこない。やたらに佛教の原語を羅列してあり、わた しの未熟は云うまでもないけれど、なにも有り難くは身についてこない。例文をあげて問いたいけれど、ただただヤヤコシイので、こっちの根気がもう消耗して いる。語義はわかる。組み合わせた論理もわかる。しかし「法華経」の「妙」が嬉しく優しく尊く説かれていない。伝わってこない。 2019 2/8 207

*  ひとしお寒く機械の煮え立たぬこと延々。『北越雪譜』に「削氷」のことなど楽しみ読む。筆者の鈴木牧之のおりおり書き入れている歌にも穏和な到達感がう かがえ懐かしい。或る年の晩夏、三国嶺をこえた時 「谷の底に鴬をきゝて   足もとに鴬を聞く我もまた谷わたりするこし(越)の山ぶみ」とあるなど、述 懐の拙ならざる心境と聞いた。「削り氷」また「氷室」について和漢縦横に歴史を観じながら独自の見解見識を楽しむ筆致など、敬愛できる。

* 三浦梅園は真の見識のためには「習気」「泥み」「慣れ癖」「筈という根拠無き思い込み」を排し、「平生慣れて常とする事」をこそ「疑の初門」とせよ、 読書して見識を誇るのは浅いあやまりに陥りやすく、「最初書によるもよく候へども「執する所ありて、徴を正にとらざれば、是また大習気の種子」「書」は往 々「大習気(勝手なまちがった思い込み)の種子」なれば心して欲しいと教えている。

* 堂も気になるので昨夜苦情を述べた「法華経」を説いている中公新書の一部をひいておく。じつに興味深くかつわたしは教えられている、のだが、分かる者 だけがわかれば良いと言うほどの難しい字や言葉がならぶ。あの『般若心経講義』だと、こういうところを高校生の耳にも入るようにいろいろに深切であった が。

☆ 『法華経』 「天台の法華思想」より
空とは、人間に対して神を、凡夫に対して仏を、悪に対して善を、総じてAに対してBを固定的に対置することを否定したものであった。ABの対立をこえた 不二のところに存在の究極的な実相、それを支える真理(法)があるということである。ここから、天台の絶対観も打ちだされたのである。真の絶対的な神ない し仏あるいは善は、人間・凡夫・悪との対立を突破・超絶したところに存するので、そこのところを絶待妙と呼んだのである。
このような絶対観から、さらに次のごとき論理が展開される。すなわち相待妙では、相対的存在(麁)を相対なるものとして否定し、破り捨て、それに対して絶対的存在(妙)を立てるので、そこで「開麁顕妙」と 定義されてくるのである。わかりやすくいえば、ふつうは人間を否定し捨てて、絶対なる神が立てられるが、そのようにして立てられた神は真に絶対とはいえな い。真に絶対的な神は、人間との対立をいま一歩超絶した不二のところに見られるものである。それを積極的にいえば、真に絶対的な神においては、人間はその 中に包みこまれている。これが「開麁顕妙」ということである。
これを逆にすれば、人間の中に神を見るということになる。「開麁顕妙」の絶待妙ということから、現実の仮(け)の世界、麁(そ)なる存在へ還帰し、それが生かされてくるということである。空につ
いていえば、AB二の仮からAB不二の空に入ったのであるが(従仮入空)、そこで不二・空に停滞するのではなく、真の不二・空は而二(にに)の仮へもどり(従空入仮)、それを生かすものである。天台 宗六祖の妙楽湛然が『法華玄義』をさらに注釈した『法華玄義釈籤』の巻第七上で、「不二にして二、二にして不二(不二而二・ふににに、二而不二・ににふ に)と主張したゆえんである。小乗教徒は、不二・空に停滞し、現実世界に再入して、それを生かすことを忘れてしまった。その結果、濃厚なニヒリズムにおち いったのである。
ここであらためて注意すべきことは、人間の中に神を見るとか、現実界に降りてそれを生かすといっても、人間をそのまま神とし、現実をそのまま絶対と肯定 するのではないということである。人間は神ではなく、現実は有限・相対な世界であることは厳然たる事実である。その事実をふまえたときは、人間に対して神 が立てられ、現実に対して絶対が立てられねばならない。すなわち、相待妙が説かれる必要性がここに存する。いいかえれば、「開麁顕妙」の絶待妙は、そのような事実を無視し、人間をそのまま、現実をそのまま絶対なるものとして肯定することではないので、その意味では
「破麁顕妙」の相待妙を中に含むものである。従仮入空(じゅげにっくう)から従空入仮(じゅぐうにっけ)へ、さらに両者を総合した中道第一義が立てられ、即空即仮即中の円頓止観ないし一心三観が、しめくくりとして説かれたゆえんである。

* Oh! 単簡の論調論旨として読み取ることはわたしにも難儀ではないが、語や文字の真意に徹到して破顔一笑、おもしろい、よう分かったなどとはとても 一市井の読者としてはくっついて行けない。佛教大学の学生の教科書にならともかく。「新書」版というのは、初心の読者にも「親切な深切」本であってもらい たいよなあ。

* 法華経を誹ることは固く控えたいが、天台本覚の議論は煩瑣な観念の組み立てに成りすぎていないか、わたしには浄土三部経のほうが入りやすく受けいれや すい。ことに往生之業念仏為先と極めた法然「一枚起請文」の徹底で、無用の懸念の脱落がほぼ実感できる。それが有り難い。法然の「選択本願念仏集」は「一 枚起請文」の徹底よりは論旨多大であるが、趣意簡明で承知し納得しやすい。大正末年に日本古典全集刊行会が上製文庫判の第一回『法然上人集』を出したのを わたしは古本で手に入れ、座右に離さない。 2019 2/9 207

* 独り早起きし、マリア・ピノシュのピアノを聴きながら棒茶を沸かし、食パンの半枚をバターとジヤムとで食した。雪というほどは無い、が、二階へ来て、暖房 の下にいても脚は冷え冷え。ヘリコプターらしき飛行音がゆるゆると遠のいて行く。機械の煮えを待ち、『法然上人集』の長い解題を読んでいた。
2019 2/10 207

* 食前にきまりのインシュリンを注射しながら、夕食をほとんど、キャベツの煮たのをすこしだけしか食べなかった。全身がけだるいまま仕事していたが、着 の身着のまま横になりに下へ降り、それでも『蘭学事始』「山上宗二記」など面白く読み「選集」の校正もしているうちに疲れて寝入った、が、ふと違和感に目 が覚めた。左掌に覚えの震え、先日も襲われた同じ震えが来ていた。すぐ血糖値を測りにキッチンへ。案の定よほど、正常値の半分以下の低血糖値。すぐ甘味を 口にして震えはおさめた。
低血糖のことは、内分泌の診察時かならず医師に審問される。七年前の最初の手術、その後につづいた二度目の入院以降、ずいぶん久しく低血糖症状はなかっ たのに、この近か間に二度は宜しくない。ま、家でだと、気づきさえすれば白砂糖で回復できるが、一度、妻と聖路加からの帰り、松屋まで歩いているうち血の 気が引き、低血糖と気づかず喫茶店に入って休息したが目が舞い倚子から転げ落ちたりした。やっと低血糖と気づいて袋の砂糖を何本ももらいやっと回復した事 がある。
低血糖はコワイですよ、ショックが起きると命を落としかねないと聴いてきた。用心しないと。インシュリンを注射しながらろくに食べなかったのはまずかった。
2019 2/11 207

* ひたすらガマンして、自ずからな行文の成り行くのを待っている。すでに夕五時。堪えるときは、そのまま手近な法然和上の「和字選擇集」を克明に読み進 んでいる。三浦梅園の哲に聴いている。鈴木牧之の「北越」譚に耳を傾けている。こうも優れていい本がたくさんあるのに、機械に観も心も売って「炎上」の怪 を貪って生きるなんてモッタイ無い。しかし読書には眼を用いねば済まぬ。目はひにひに弱る。
2019 2/12 207

 

* 岩波文庫に『近世畸人伝』のあるのを書庫に見つけて座辺に持ち出し、いま、森銑三先生の「解題」著者伴蒿蹊の「題言」を興味深く読み終えた。名の有無 高低にかかわりなく精選の畸人大勢にかかわる闊達の好文章がたっぷり楽しめるだろう、鈴木牧之が『北越雪譜』とともに、えり好み無く好きにまかせて当分愛 読できるのが有り難い。いつか読むだろうと買い求めておいた岩波文庫が、『山上宗二集』といい『三浦梅園』といい、いの次々に日々手に執り楽しめている。 有り難い。いまいまの外にこういう著のなかろう筈はないが、岩波文庫のように安価にかつ精選されていそうにない。
実を言うと『近世畸人伝』の明治初年の市販版の表紙などすこし傷んだたしか上下巻が書庫に籠もっている。秦の祖父鶴吉の遺産である。
2019 2/15 207

* 九時を過ぎた。疲れると「選択本願集」の小さな活字をルビにもたすけられ、じりじり読み進めていた、不可思議に有り難くも感じながら。
2019 2/16 207

 

☆ 無量壽経(=大経)に云く、設(も)し我れ佛を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんげふ)し、我国(=阿弥陀如来の極楽浄土)に生ぜんと欲して(一念=)乃至十念せんに若し生ぜずば正覚を取らじと。

* さまざまに多く宗教者の宣明のなかで、他に、かくも端的に有難い確信を聴いたことがない。

* こう書いたところへ、久しい友達の、つらい病躯・病苦を日々看取っているという歎きのメールが来ていた。
ただただ祈ります。良くして上げてください。華が萎れてはだれもが寂しい。怪我なく気力をつくされよ。祈ります、痛苦のすくなかれ、軽かれと。奇蹟あれと。  遠

☆ 彼(かの)佛 今現に世にましまして(阿弥陀如来として=)成佛し給へり。當(まさ)に知るべし、本誓の重願(=一念ないし十念すれば必ず極楽浄土へ迎え攝るという誓い)空しからざる事を。衆生称念すれば必ず往生を得と。

* もろもろの雑事雑業にはしらず、ただ「南無阿弥陀仏」と称名正念の正行を選擇(せんちゃく)して委ねよと法然は、まさしくソレダケを以てよしと確信した。永く永くいろいろと経めぐってきたが、これに勝る確信は得られると思えない。
2019 2/18 207

* 早寝し早起きす。インシュリン4単位注射し、粥を温め海苔と魚粉副えて食し、猪口に二酌、ビタミン、乳酸錠等々、ほぼ20錠を服す。
二階で、機械容易に稼働せず、『近世畸人伝』の中江藤樹、貝原益軒そして僧桃水の伝を読む。藤樹、益軒はとくに「畸」とせず、ほぼ識る範囲にあり。
桃水とは初対面、処世行状慈愛溢れ経験豊かに、その「畸」は敬するに余りあり。晩年洛北鷹峯で酢売翁となりて終わる。人の大津繪に描きし阿弥陀を陋屋に贈りしに、
せまけれど宿を貸すぞやあみだ殿
後生たのむとおぼしめすなよ    と。
「七十餘年快哉」 遷化時の遺偈の末に、
眞歸處作麼生(ソモサン) 鷹峯月白風清   と。             2019 2/20 207

* 九時だが、もう、とうに眼が利かない。休むしかない。『和字選擇集』で、世自在王如来のもとで高才勇哲の法蔵比丘のついに極楽浄土を成し遂げたのを読む。久しく、勝れて尊いフィクションと読んできた、今は真率に尊いと読み取る。
2019 2/20 207

* 機械を慎重に温めている間、法然集で、「選擇(せんちゃく)」の義を読み進んでいた。
2019 2/22 207

* 『近世畸人伝』の「僧無能」付りに「婆氏焼庵」のことを読む。いますぐ感想を書く余裕無いが、いずれは。
おもしろい畸人ばかりではないが。サキを読みたいという気にはさせる。
2019 2/22 207

* ゆっくりゆっくり『源氏』行幸の巻を読み終えた。玉鬘の裳着などあり懐かしい巻なのだが、内大臣の一家が大臣の娘に相違ない近江の君を笑いものにする のは楽しめない。探し出して連れてきたのは藤内大臣の嫡男柏木で、それもあり、わたしは昔から柏木という青年に同情が薄い。

* 上野千鶴子さんにもらっている沢山な本の最も新しい方の一冊を、感心かつ勉強の気持ちでもいま、ペン片手に読み進んでいる。
この人は、真実、才能豊かに問題意識の多彩かつ正確な、天才的なひとだと認識を新たにしつづけている。随分多くをわたしはこの人に刺戟され、また教わってきた。はっきり書き置いておく。

* いま日本の古典以外の小説では、トルストイ『復活』と、ル・グゥインのまことに不思議に面白いのを読んでいる。辻邦生の『春の戴冠』は、この人の後半期の悪癖である饒舌を極めて読み進め得ず、投げ出している。

* 九時過ぎた。もう、いけない。やすむ。
2019 2/22 207

* 機械起動に小一時間かかる。無為に触れず、待つ。その間に『近世畸人』の数人を読む。みな、面白くなし。十人を読み、印象を得たのはせいぜい、二、三。しかしまだまだ収載の人数は多く、先々に待つ。
これに比しては、文のよろしさも内容のおもしろさも、鈴木牧之の『北越雪譜』ははるかに抜きん出て興を惹く。
文庫本の小さい字が、はなはだ難儀。手には軽くて、嵩もちいさく機械のワキへ数册はいつでも積んでおける。最近の大方は、歯科帰りに江古田駅近くのブックオフで手に入れる。
2019 2/23 207

* 小説を続けたいが、さきに湯に入れと。では、「選集」を校正しながら。中村光夫「日本の現代文学」も読み進みながら。明日の二時過ぎには、暫くぶりに、築地の病院へ通います。
2019 2/24 207

* 『選擇念佛集』の数行ないし一、二頁に心持ちの静まるのをごとに感謝している。
まだ九時にならぬ。さ、力仕事を終えて来よう。
2019 2/25 207

* 『近世畸人伝』 表題ほどに「畸人」ならず、意外に不興。三浦梅園はとみに難儀に入り、法然の『選択集」は理義いたって明快。
2019 2/27 207

* 二日がかりで五分の三ほどしか、郵便局と新しい契約での送り用意ができなかった、工夫が要りそうだ。
是までは、北海道から沖縄まで一律だった。それが、①都内 ②関東東北北陸東海 ③近畿 ④四国中国 ⑤九州 ⑥北海道 ⑦沖縄 に分別して、それぞれ別料金で送り出さねばならない。煩瑣でありしかも凄いと云いたい合計送料になる。
三十三巻完結まで、あと四回。それでも、何としても、しかと、送り出したい。
九時半。疲れた。もう、床について、やすもうと思う。佳い夢が見たい。
2019 2/27 207

* 不快症 つまりは不快感に堪えないという病状に罹っている気がする。
小説世界へ戻りたい、ないしは読書三昧に入りたい。
2019 2/27 207

* 機械の煮えに時間がかかる。いらいらすると機械に変調を生じるのでひたすら辛抱。『近世畸人伝』はようするに忠孝勤勉昨倹約のすすめに専らで、「畸人」の妙に乏しく。あとあとに期待するとしても、基調は変わるまいかと。
2019 2/28 207

* 機械の煮えをまちながら『北越雪譜』の「雪中の狼」をおそろしく読む。凄いとはこれか。話材、筆致、興趣、『近世畸人伝』は遠く及ばない。
ことに牧之(筆者)、狼の凄みを活写のあとへ、「悍悪」の事に「狼」の字を以て謂うもの多々あるのを列挙しているのに、教えられた。
残忍なるを「豺狼」 声おそろしきを「狼声」 独の甚だしきを「狼毒」 事の猥りなるを「狼狼」 反相ある人を「狼顧」 義なきを「中山狼」 恣に喰う を「狼飡」 病烈しきを「狼疾」といい、他にも「狼藉」「狼戻」「狼狽」などあり、獣中もっとも悪無べきは「狼」と決め付けているが、さらに加えて、「人 にして狼なるはよく狼をかくすゆゑ、狼なるをみせず。これが為に狼毒をうくる人あり。人の狼なるは狼の狼なるよりも可惧(おそるべし)可悪(にくむべ し)。篤実を外面とし、奸慾を内心とするを狼者(おほかみもの)といひ、娵(よめ)を悍戻(いび)るを狼老婆(おほかみばば)といふ。巧に狼心をかくすとも識者の心眼は明鏡なり。おほかみおほかみ 惧れざらんや、恥ぢざらんや」と文を結んでいる。
こういう気概逸興の辨が、伴蒿蹊の『近世畸人伝』には絶えて無く見えるのが、物足りない。
2019 3/1 208

* 見えにくい眼で、また映画「トロイ」を半ばまで妻と観ていた。アキレスもヘクトルもヘクトルの父王も好きなのだ、オデュッセイも。また『イリアス』 「オデュッセイ』が読みたくなってきた。ギリシア神話からは神を通して人間という不可解な存在に否応のない関心を持たされる。
2019 3/1 208

* 例の『近世畸人伝』順を追わず拾い読むことに、今朝は「小西來山」や「文展(ふみひろげ)の狂女(=ちよ)」など、まずまず面白く。前者は妻女もたず土の人形を妻に見立てて暮らしていたり。後者では狂女のあるじ小野お通の書簡文の優麗なのに感心した。
それにしても機械の煮え立ちに時間のかかること。しかし慌てて拙速をはかれば必ずあとあとで機械昏迷する。辛抱して、型どおりに前例の手順を履行するのが結果安定する。
2019 3/2 208

* 「或人」が云うた、「婆子焼庵」の「則」があるが知っているか、と。『畸人伝』中の「僧無能」の伝のなかでわたしはこれを読んだ。「婆子」は固有名詞ではあるまい、「婆さん」であろう。
「婆子一庵主人供養す」とある。坊さんに「庵」を施与し日々供養奉持していたのだろう、それも、もう多年のこと。
ところで、この「婆子」 或る年の「一日」つまり或る日 「二八の好女子をして抱住していはしむ。師恁麼時如何」 妙齢の美女に抱きつかせて、「お師僧、どんなお気持ちか」と問わせたのである。
僧の曰く、「寒巌枯木三冬無暖気」と。
女子はそのまま婆に告げた。
婆はどうしたか。 「婆二十年来此俗庵主を供養すといひて、終に僧を放出して庵を焚」いたと。「是非如何」と「或人」が問うている。

* 「則」というから、禅家では公案に類してよく識られているのだろう、わたしが疎いだけのハナシだが。
「予曰、凡古則は別に一隻眼を開いて看べし。此和尚の実徳と相通ぜず」と。「予」とはこの場合『近世畸人伝』の筆者自身、つまり著者伴蒿蹊であろうか。その上で「予」は「或人」に向かい反問して云う、もしこの和尚の言句態度が「もし然らずといはゞ、誠に子に問はん。庵主あるひは女子に婬せば、また婆子何とかせんと。」「寒 巌枯木三冬無暖気」を婆子は「俗」答と怒って多年供養の庵を焚き棄て和尚を追い出したが、美少女を抱いて婬していたなら「婆子」はどうしたとと謂うので しょうと。「或人微笑して去。」とこの項はひとまず結ばれているが、禅問答はややこしい、が、思案は強いられる、そして思案など棄てよとも逼られる。
「畸人伝」の「僧無能」の一文に含まれた「婆子焚庵」の則であり、実は当該の「無能」という名の坊さんにのまったく似た話が書かれている。この僧無能は深 更にも端座念仏していたが、無能の美貌に惚れぬいた「女子やがて背より抱くに、おどろくけしきなく、念誦気平らかなるさま」微動だにせず、「半時ばかりを へて、女自放て出たり。朝に及て狂を発し、獨言して恥をのぶ。和尚(無能)憐みて、為に念仏を授けて後、やうやう癒ることを得たり。女子是よりのち終身嫁 せず、念仏して逝せりとぞ。」とある。先の「婆子焚庵」は、この僧無能への「批評」ともなっている、らしい。

* ただいま読み継いでいる『近世畸人伝』で、問いを突きつけられたのはこの「僧無能」の一編しか、まだ、無い。どうも、というか当然というか、伴蒿蹊は無能や庵主僧やあとにも出る王陽明の挙止を肯定していると読める。当然と謂える、けれども、一抹、なにか、たゆたいのこる疑念もわたしは払いきれないまま、余分な時間を費やしてここへ提出しておくのである。
2019 3/4 208

* 機械の遅鈍に怒らず、読んで待つ。荷田春満 在満 また契沖 また賀茂真淵に 触れて読む。教えらるる事 二、三に止まらず。
漸く機械 動き出す。
2019 3/5 208

* 法然「和字選擇集」を読み進んで、気分を澄ませる。
2019 3/6 208

* 「聖道は機縁浅薄 浄土は機縁深厚」 「凡そ四十八願皆本願なりと雖も、事に念仏をもて往生の規とす」 「専心に佛を想へば、佛、人を知り給ふ」な ど、法然のことばに出逢っている。受けいれている、信じようと。佛教は「事実」ではない。価値高く有り難い稀有のフィクションであろう。小説家としてのわ たしは「フィクション」を「事実」よりも高く深く受けいれる。

* 「南山」という二字が 胸のうちに光って沈んでいる。
2019 3/12 208

* 谷崎先生は生前、松子夫人への想いを寄せて家を倚松庵と称しておられた。往古、同じ「倚松庵」を称していた人に江村専齊があり、これは「庭に古松拾余株」あったからで。
この専齊に「平生唯一の一字」があったのを、今、ふと慕わしいと感じる、すなわち「些(すこし)」と。後水尾上皇に「修養の法」を問われ、「平生唯一、些(すこし)の字」を「持」しているだけですと。
何に付けて「些(すこし)」を持する勇気はわたしには難しいと恥じ入るが、飲も食も、なにごとも、養生すらも「些」とは、容易ならぬ生き方と思えて、慕わしい。「畸人伝」で出逢った。

* 日本ペンクラブの「理事」になりたいと「徒党」の名を揃えて推薦投票を希望切望のメールが来る、来る。
伊藤整とか高見順とか、白鳥とか直哉とか潤一郎とかが見聞きすれば、瞬時に唾棄したであろう。
こういうところへあざとく名を揃えてくる、あっちの連中・こっちの連中の木っ端のような氏名を、わたしは文学・文藝の人としては心裡に抹消する。ペンク ラブの良い運営には、色んな思想信条能力個性の人らが寄りより心を合わせればいいとわたしは思う。「党派」で支配しようなど、言語道断の思い上がりであ る。
こういう悪傾向も、理事会に延々何十年も居坐って「私物化している常連」などの居すぎた「悪弊」の揺り返しとも思われる。再選年限をきちんと協定して、 新鮮な人らが交替して行く方がいいのではと、わたし自身「理事」時代に思っていた。永くても一人で五、六期再任を限界とすべきなのである。

* ま、こういう感想・私語も「些(すこし)」にせよと嗤われそうだが。
2019 3/13 208

* 実に実にめずらしく、今日の病院通いに校正するゲラが無かった。で、読みかけていたトルストイの『復活』を持って出た。いやもまう、抜群に読ませる。 飜訳の日本語がしっかりのキマッていて、格が高い。著名な翻訳家の日本語は、まことサマになっている。トルストイの小説の運びのみごとさにも感嘆する。読 んでいて嬉しくなる。作に止まっていない、匂い立つほどに「作品」があるのだ。
2019 3/13 208

 

* 機械の意嚮に逆らわず、三木紀人さんのみごとな全訳注『今物語』のおもしろさに深々と心惹かれていた。こんな興趣に富んでおもしろくしかも行き届いた訳注本が、求めれば往昔、『伊勢物語』や『大和物語』以降、『枕草子』もむろん含めて何十冊もある。
いまどきの、ガサガサとうすっぺらい読み物より、はるかに身に沁みておもしろく、目から鱗の落ちるほどさまざま新鮮に教えられもする。『無名草子』や『古事談』などもそう、そして『徒然草』に到る。
2019 3/16 208

* 今西祐一郎さんから、校訂者のおひとりとして、岩波文庫新版『源氏物語』の第五巻を送ってきて下さった。感謝感謝。
2019 3/16 208

* 『今物語』の面白さに、この昔に相当に好まれ逸り始めていた「連歌」の楽しみようがある。数々あり、したたかに面白い。
たとえば京極太政大臣藤原宗輔のまだまだ若かった頃 車で雲居寺辺をとおると、瞻西という能説、説経上手で知られた上人が家の屋根を葺かせていた。宗輔は雑色を遣って、
聖の屋をば目隠しに葺け   と言いかけておいて車を走らせた。上人もまた小法師を大急ぎに駆けて追わせ、
あめの下にもりてきこゆることもあり    と応えた、その素早いこと、が一編の興になっている。これ、趣意が読み取れなくては、オハナシにならない。
宗輔は 「女隠(めかく)」している坊さんの家の屋根は「目隠し」に葺きなされよと。「目隠葺」は釘穴を蔽うように薄い檜皮で葺いて「雨漏り」を防ぐのだが、「女隠し」がバレないようになと諧謔ったのである。僧の「女隠し」はよくあったのだろうが、瞻西上人、間髪を入れず、「雨の下・天の下」には「漏れ聞こえてしまうことも有るわい」とやり返したのである。こういう殊勝で趣妙の応酬を楽しんだのである、盛んに。

* こまちゃくれた機械で独りゲームで階段を踏み外しているより、こういう応酬が楽しみあえる知己がほしいものだが。
歌集の「亂聲」に添えてわたしは小倉百人一首の初上一句と次の一字だけを生かして百数十の「戯れ和歌」を詠んでおいたが、もういちど小倉百首の各上句、 下句にかまけて、連歌遊びがしてみたくなってきた。これは、だが、容易でない。わたしには、あまりお笑いのセンスは無いからムリか。

秋の田の刈穂の庵のとまをあらみ
つゆ知らぬ顔で媾曳(あひびき)に行く
わがころも手はつゆに濡れつつ                                        夜もふけの店(てん)やのうどん持ちそこね

お品がないなあ。
2019 3/19 208

* 読めて嬉しい本は、数限りなくある。在りすぎる。書庫へ入っては、もう図書館なりどこかへ寄贈や処分をと思い入っても、もう一度読みたい、一度は目を 通したいと、勉強の資料には必要、いつかきっと役に立つなどと、どの本も愛してしまう。事典、字典、辞典、年表、史料のたぐいは無論必備書であり、ああこ れは役に立つ、参考になると思える、例えば『江戸時代の商売』や『日本の神社総覧』といったたぐいも、処分できない。これは、一種の「幸福」というもの。
藤村、漱石、潤一郎、鏡花、柳田国男、折口信夫らの全集、二十世紀世界文学、日本現代文学、日本古典文学等の大部の全集など、それに夥しい戴き本も。
まだまだ読み返したい気、満々。実はわたし自身の選集も読み返したい。
しみじみ読みたい本が山のようにあるのは、なんだか「貪欲なけもの」になったみたいなへんな気もしたり。

* ときに自身を甚だしい雑食系読書家と「自嘲」して書いていたりするが、かなり厳密に選んでいる読書家で、通俗読み物や雑誌、週刊誌には一切手を出さない。子供の頃の「ノラクロ」など以降、漫画、劇画のたぐいに手も触れていない。
ただ映画は、秀作でさえあればジャンルを問わず惹かれる。文学とは明らかに作法が異なっているのだから。
日本のテレビは、はっきり云って、八、九割がた、不要で不快。
好い映画を探すか、勝れた劇作品と真に勝れた演技者を渇望するか、美しい自然を見せてもらうか、そして天気予報だけは有り難い。
いやみは、多年テレビ司会や出演の「場」にしがみついて、わたしが「テレビ侯爵」と渾名して好かない嫌いな顔、顔、顔など、総理、大臣を初め、見たくもないのにいつも画面へしゃしゃり出てくる。放送局も、この手合いに、定年制を考えてはいかがや。
2019 3/21 208

* 大きくは、霊異集や大和・伊勢へまで遡れるのだろうが 説話というと今昔物語という大著があり次いで宇治拾遺物語や古今著聞集、故事談、続故事談、撰集 抄、無名草子等々数多くなるが、今読んでいる『今物語』は出色、雅にして行文美しく面白い話巻で、珍重愛読に値する。ことに三木紀人さんのグループの精緻 で豊富な語釈や解説の適切にかずかず教えられる。出逢うのが遅かったよと嘆かれるほど、古代末、中世初の優美でもあり官能の魅惑を味わうには、一編一編が 短くて読みやすい。講談社学術文庫の一冊、推奨する。
2019 3/23 208

* そうそう、この半月ほど、はやくに亡くなった安田武さんの岩波新書で『昭和青春読書私史』を時にくすくす笑いながら頷き頷き、あまりによう似ていると思い 読み継いでいる。ことに『モンテクリスト伯』や漱石に始まっているだけでなく、たとえば田山花袋への接近と、人と作品の評価が変化して行く経緯など、あま りにもわたしの実感とぴたっといっしょなのに嬉しくなっている。
このことはまた書く。もう眼が、だめ。
2019 3/23 208

* 朝から、寺田英視さん(前・文春専務)の著『國風(くにぶり)』を、また読んでいた。
2019 3/25 208

* 詩人であり志士でもあった亡村上一郎さんの夫人、九十五歳の長谷えみ子さんの歌誌「リトム」全出詠歌を、お友達の手で限定10册の手作りした歌集『晩晴』を頂戴した。
長谷さんの歌風は、一時属されていた「かりん」とは馴染まないと思っていた。
質素なツクリではあれ、歌は優雅に清潔で、しかもアソビに流れず老境の生活感と往時への真情を湛えており、内在律も表現もしっかり美しく、感じ入っている。叮嚀に読んで、甘くない共感の爪印をつけて行っている。
お手紙もついていたが、視力慥かな明日にも此処へ記録したい。

夕暮は薄墨いろとなるさくらさびしき彩(いろ)は遠く眺めむ
咲き蘭(た)けて香り失せたる沈丁の名残りは闇になほ仄白し
2019 3/25 208

* 終日気怠く、入浴、『復活』と『蘭学事始』をゆっくり読んで休息した。
2019 3/25 208

* 今朝も、機械クン、容易に動き始めてくれない。ひたすら、待つ。辛抱が、一。

* 雪の季節も過ぎた。今季は屈指の好著『北越雪譜』に十分楽しませて貰った、気儘にアチコチ読んでいたので全編読了というではないが、来季の楽しみとし、しばらく書架に返し置く。感謝。

* 朝の、機械始動待機本がどうしても必要で、何冊もの文庫本が身のそばの棚に入れ替え入れ替え列べてある。ラ・ロシュフコーの『箴言集』 フローベール の『紋切り型辞典』 ツルゲーネフの『猟人日記』 ミルトンの『失楽園』 『聊齊志異』 『白楽天詩選』 『陶淵明全集』 『後撰・拾遺・後拾遺・千載和 歌集』 『王朝秀歌選』 江戸小百科『砂払』 『臨済録』 法然『和字選擇集』 『日本唱歌集』 等々、佳い本をいわば「待ち時間」「余り時間」「端切れ 時間」の積み重ねで十二分に楽しめたし、これからも繰り返し楽しめる。おっそろしい古機械との辛抱良い付き合いの大きな余録である。
2019 3/27 208

* 「職原鈔」という本があった、律令制より以前から、あらゆる「官職」を手引の事典であって、それの必要度は、多年、まこと大化の昔から何世紀にもわた り、はなはだ実用的に高かったとは推察がきく。私には、しかし、さしあたって必要は無かった、せいぜい「官位相当」の一覧表で足りてきた。
が、ここに『和歌職原鈔  付・版本職 原鈔』の一冊があり、巻頭に先ず「四部配当和歌集」が出ている。「四部」とは一長官(かみ) 二次官(すけ) 三判官(ぜう) 四主典(さかん)謂う。そ してすぐ「八省之歌一首」を掲げている、「八省は八つのつかさとよむ。此上に二官とて 神祇官太政官あり。配当此下の哥にあり」とし、
中務。式部民部に。治部兵部。刑部大蔵。宮内八省
と。さらにこれらの官掌をことこまかに紹介し解説している。
なるほど、いわば官吏諸氏には虎の巻に相当しただろう。和歌の体であげてあり記憶の便もあったわけだ。ことにこれら官職と地位との相当、官位相当、をよく覚えているのは、上下関係を気に掛ける官吏には大した必要であったろう。一例を挙げれば、
左右京や。東中宮に。修理もみな。大夫といへば。従四位下ぞかし。
式民部。兵部刑部に。大蔵や。宮内も卿は。皆正四位下ぞ。
従一位は。天が下にて。たゞひとり。太政大臣。相当と知れ。
正一位。神の位と。きくなれど。人にはこれを。贈位とぞいふ。
また國の、大中上下も覚えやすく歌われていて、これは、心得ていてはなはだ大切な知識である。
ま、このほか無数に歌の体をなして 教えられる知識多い。古典や歴史に関心有る者の座右においた大いに便利する一書、昔の人はマメに勉強していたということか。
校注者の今西祐一郎さんにはやくに頂戴し、ただに愛玩また大いに便宜している。平凡社東洋文庫の一冊である。
2019 3/29 208

* 三木紀人さん全訳注の『今物語』の恩恵は他に例の少ないほどの「語釈」の豊富で詳細なこと、おかげで、辞書や事典で追いつかない説明や解釈が本文との 具体的な絡みや関わりから成されていて、一時にふっくらとモノが見えたり聞こえたりする。ゆっくり、先を惜しむように三分の二ほどを翫賞してきて、まだ先 のあるのが嬉しくなる本である。たった一語の読み込みにかかわってモノを見覚え理解し納得するおもしろさは、テレビドラマなどと比較的マシなのを一時間二 時間かけて観るに匹敵するかその上を行く満足がある。「本」を読む醍醐味である。
2019 3/31 208

* 後鳥羽院に関しては、厳しい、ときに厭悪すらまじえた言葉をわたしは投げかけてきた。島流しに死なせるなどは東国武士の野蛮な乱暴と思っているし、後 鳥羽院の和歌の才能にも推服しているけれど。一つには、法然や親鸞に対する斟酌をかいた追放などを、歴史的な配慮に欠けた粗暴とわたしは厭わしく感じてき た。
しかし、後白河という法皇贔屓はさまざまにこれまでに仕事に表してきた。にもかかわらず、後白河院が法然上人に帰依し一乗円開新堂主人授かり「往生要 集」を講じさせ、法然真影を似絵の達人隆信に写させて院の私の宝庫である名高い蓮華王院の宝蔵に収めていたのを『今物語』語釈のなかで確認できたのは嬉し かった。法然と摂政兼実や、法然と慈円の関わりは懐かしく印象にあったが、後白河と法然との仲らいは、ついつい忘失しがちであった。
2019 3/31 208

* ときおり、印象に残った秀句を書き出してみようか。
村上鬼城
小春日や石を噛み居る赤蜻蛉
てふてふの相逢ひにけりよそよそし
十五夜の月浮いてゐる古江かな
池内たかし
絵馬堂の乾ける土間や秋の雨
仰向きに椿の下を通りけり
さる人の墓あり牡丹見る寺に
2019 4/3 209


松本たかし
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな
流れ行く椿を風の押し止む
仕(つかまつ)る手に笛も古雛(ひいな)

長谷川素逝
牧の駒あやめの沼の岸に来る
山こえてゆく子らゆゑに夕焼けて
茶の花のひそかに蕊(しべ)の日をいだく
2019 4/4 209

* 高濱虚子
人病むやひたと来て鳴く壁の蝉
遠山に日の当りたる枯野かな
桐一葉日当りながら落ちにけり
春風や闘志いだきて丘に立つ
白牡丹といふといへども紅(こう)ほのか
流れ行く大根の葉の早さかな
夕影は流るる藻にも濃かりけり
大空に羽子の白妙とどまれり
たとふれば独楽のはぢける如くなり
一面に月の江口の舞台かな
手毬唄かなしきことをうつくしく
大根を水くしやくしやにして洗ふ
いかなごにまず箸おろし母恋し
深秋といふことのあり人も亦
初蝶來(く)何色と問ふ黄と答ふ
虚子一人銀河とともに西へ行く
舌すこし曲り目出度し老の春
去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの
悪なれば色悪(いろあく)よけれ老の春
風雅とは大きな言葉老の春
2019 4/5 209

* 正直に言うと、もう寝入りたいが、床に就くとかならず枕べに山積みの本へ手が出る。いまはトルストイの『復活』 安田武の『昭和青春読書私史』 に先 ず手が出る。 今日、笠間書院が送ってきてくれた中世古典文学全集の新刊中二作の一つ源氏物語「蓬生」の巻の別巻といえる作も直ぐにも読んでみたい。陽気 は暖かであったのにすこし寒気を感じている。『清水坂(仮題)』をもう少し上って行きたいけれどからだは傷めるわけに行かない。寝入れと躯は命じている。 しかし上野千鶴子さんに貰っている新しい単行本は代表作に上がりそな力作で、呼び込まれている。
熱っぽい。

* 東工大時代の同僚井口時男氏のなおなお文学青年らしき俳句27句と短文との載った、同人雑誌か、「てんでんこ」が届いていた。昨日は、口語短詩誌の編集者からエッセイ集が届いていた。
京都府歴彩館からも「選集」受領の挨拶があった。
2019 4/6 209

* 『和歌職原鈔』(平凡社 東洋文庫) 古典や日本古代中世史に関心のある人に、ぜひぜひ勧めたい。物語にも 官位が付いての人の登場は、男女ともに夥しく、官位などただくっついているモノと読み捨てにしがちなのだが、職原鈔 に接していると、まことに多彩に人間関係の微妙が見えてきて、場面がさらに豊かに微妙に面白く見えてくる。「四部配当」と謂う。長官(かみ)次官(すけ) 判官(ぜう)主典(さかん)の配置は組織の要点になる。さきの maokatn のメールをよむといわば組織の「すけ」の地位に就かれたらしい。
古典でも史書でも盛んに「省」名が人の名乗りとしてすら多出する。今日の政府でも同じでことで。
昔、 の八省は  中務。式部民部に。治部兵部。刑部大蔵。宮内八省 であるが、これらにも微妙に軽重の差異が通用していた。同じ「長官(かみ)」でも省により上下歴然。この八省より上になお、神祇官、太政官が乗っかっていた。
上の八省でも中務省は断然高位にあり、「此省の官人は余の七省のよりはみな位も一階づゝ長官次官判官主典ともに高き也」と註釈されている。女でも、あの紫「式部」より、歌人で知られた「中務」の方が、より誇らしい召名であったらしいと分かる。

* 記憶力の落ち衰えて行くのは、余儀ない老いのさまではある、が、心さびしくもある。
2019 4/10 209

 

* 機械の煮えてくるのを辛抱よく待ちながら今朝は『近世畸人伝』の拾い読みで、心和むものがあった。
「淡海狂僧」  いづこの人といふことをしらず。乞丐(=乞食)の如くにて、近江愛知川のわたり、高宮のほとりを狂ありく僧あり。あるときも彦根某寺 (それのてら=禅寺)の和尚に行あふ。狂僧問て曰、和尚法味は如何(=日々悟りの境地は如何ですか)。答て曰く 如流(流るるが如し)、(狂僧は)詰曰 (なじりて云う)、塞如何(塞いたらどうする)。和尚答ることあたはず。狂僧頓(とみ=即座)に和尚を推倒し、(師家のもつ=)柱杖を奪ひて背を舂(うす づき=つき叩いて)うたふ、
一夜ちんちんちがはば、いく夜さちがふもしれませぬ。和尚什麼(和尚さんどうなさる)、 と 即走去る。是 其比(そのころ)の童謡を用るなり。
彼の師家も 恥て家に帰らずといふ。

* 「如流」などとカッコいいことを云って、「塞」一言で打たれている。
ありそうなことで、肌寒い。
このあとの「表太」 表具師太兵衛のはなしは、さらに面白かった、が、また機をみて。
2019 4/13 209

* 間が明くので、A3の校正ゲラも沢山持っていたが、病衣のポケットにも入る岩波文庫「復活」を持っていたのは良かった。校正もたくさん、「復活」もた くさん読めた。トルストイという作家の凄みすら感じる取材、観察、描写、表現、批評の豊かさ美しさ厳しさ濃やかさに感嘆、驚嘆。基督教會や聖職への、また 為政・上位者らへの辛辣で正当を極めた批判など、ただただ同感し賞讃する。まだ「復活」半ばにも達してないが、相次いで『アンナ・カレーニナ』『戦争と平 和』もぜひ読もう、読み返したいとワクワクさえしている。「読み返したい本」が、あまりにあまりに多くてボケてなどおれない。
2019 4/15 209

* 白隠禅師に別首座という弟子があり、出家が寺を持てば在家と変わらないと、所定めず行脚の歳月をすごし、「示し」を乞われればその人の世態に 応じていた。或る乞食坊主が問うと、雨だれの石をさして「あの石を見なさい、雨だれで減ったんだよ」と。農人に問われると、「田に水があれば鷺が来 て泥鰌をほしがる。泥鰌は遁げるさ、鷺は踏もうとするさ」と。また或る元日に人のもとで雑煮を喰っての際、主が「示し」を乞うと、こう云うた、「昨日は大 晦日、今日は元日だから雑煮をいただく」と。 「僧別首座」これまた『近世畸人伝』の一人である。

* 『近世畸人伝』で印象を得た一語に、「生平」がある。要はわれわれが今日にも用いている「平生」と同義のようではあるが、「平生心」を謂うてあるとわたしは汲んできた。
「生平」、佳い一語だと思う。
ところで上の「別首座」の項は、上のように記事した最後に、著者伴蒿蹊が一語、「老婆親切といふべし」と置いている。「老婆心」「老婆親切」 辞書を引いてみれば、ふと胸に指さされるものを覚えるだろう。伴蒿蹊と別首座と いずれが「老婆親切」か。それを問うている、わたしがか。

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第二部を読み終えた。
2019 4/16 209

* 朝、最初に『近世畸人伝』の「僧涌蓮」の項に惹かれる。真率人の及ばぬ所あり。
野べみればしらぬけぶりのけふもたつ
明日の薪やたが身なるらむ
行末の身のさちあらんをりをりも
世の常なきを思ひ忘るな
この手の歌は どうしても、すこしにおうのが、難か。

* 歌をもらって、「秀歌に返しなし」ということを識った。一つの在りよう。
2019 4/17 209

* 正岡子規のそばに、年嵩の内藤鳴雪翁がいたことは、ずっと以前にも此処に触れた。この翁に『鳴雪俳話』と題した好著がある。明治四十年十一月廿八日に日本 橋の博文館から定価貳拾八銭で刊行されている。秦の祖父の蔵書であったが、わたしが永く座辺に置いてきた。引かれてある俳句に佳いのが多く楽しめるととも に、いくらかわたしの頑なかもしれぬ俳句感覚を養われてきた一册である。この人は俳句はもと「滑稽」であったとハッキリ正解し、しかも芭蕉の正風により優 れた肉親を俳句は得た、だが俳句の良き滑稽は生きているし生かさねばならないと本筋を確かに掴んでいる、それをわたしは尚美している。
蕉風なる滑稽美 これの容易でないことをわたしは思うゆえに安易に俳句に手出ししてこなかった。佳句をもとめて読んで楽しむに止まってきた。『鳴雪俳話』は私のために今も古びていない。
「平成」から歴史のうごく五月が近付いている。
湖の水まさりけり五月あめ    去来
胸のふくらむような懐かしさで読む。

* もう一冊を今朝は手にした。大和田建樹編 東京 博文館蔵版の通俗作文全書の一冊『日記文範』である。やはり明治四十年八月十三日発行、定価は参拾五 銭。秦の祖父鶴吉は明治貳年生まれだった。三十代も終えて行く頃の好学心であったろう、これらはまだ軽い感じの書籍で、鶴吉の遺してくれた漢籍や和書や事 典・辞典は家に余る大量であった。
この『日記文範』目次は、誘引に富んでいる。時代差など無視して並んでいる「菅家日記」「文化二年日記」「水蓼」「後の岡部日記」「春の錦」「家長日 記」「藤垣内翁終焉の記」「中務内侍日記」「故郷日記」「待たぬ青葉」「御蔭まうで日記」「蜻蛉日記」「忘れがたみ」「小木曽日記」「日記の内」「相馬日 記」「本のしづく」「讃岐典侍日記」等々々、まだまだ、まさに雑多に列べてあり、通常では出会いかねる珍しいものがたくさん混じって、とても貴重で有り難 い。
明治人は、まだまだこういう感性で往時往年の行文に親しもう学ぼう習おうという気があった。「中務内侍日記」には、「宮内卿藤原永経の女にて。亀山後宇 多の両朝より。伏見天皇の御代にかけて。禁中に奉仕せし人」としてあり、普通ではいまやこんな文献に出会うことも難儀になっている。ま、この内容の混在ぶ り面白い。中味も、面白い。いまどきこんなに便利に遠い歴史の広範囲へアタマのつっこめる手近な本、見つかるまい。
まさに古書だが、棄てがたくやはり身のそばに置いている。時に、どれとなく目に附いたのを読んでいる。

* 自身、雑食型読書家と書くときもあるが、実は、雑食の「雑」などたいしたことなく、むしろかなり偏った好みの偏屈型読書家と改称すべきだろう。ガンと して読まない世間、それと、読もうにも読む力のない広範囲な世界の書籍世界がある。たいしたことのない読書家だと 思い知っている。

* 持田鋼一郎氏 「米欧亞回覧の会」編になる『岩倉使節団と日本近代一五○年 歴史のなかに未来が見える』と題した、盛大そうな、シンポジウムか学会よ うの集会での持田氏「発言」を含む一冊を送って下さった。不平等条約にぎりぎりに縛られた明治政府のよく踏み込んでの苦闘につぐ苦闘を想ってみた。
いまの、厚かましいほどの敗戦後統治型保守政権の、さあ、いらっしゃい、不平等ケッコウとでも言い続けて米国の支配にひれ伏すように従属して盛んに故障する古物武器や飛行機や軍艦を買いまくってる安倍晋三等にこそよくよく考えさせたい。情けないワン オブ アメリカ め。
2019 4/18 209

* 「家長日記」と「鳴雪俳話」を拾い読みながら、えんえん機械の始動を待っていた。
藤原家長は土御門院の頃の歌人、克明な日記でも知られている。『日記文範』に引かれてあるのは後鳥羽院の和歌所が設けられて盛んに和歌や歌人の発掘され て行く活況を書いていて、血が沸く。優れた女歌人らが老いて払底を嘆く内に次々に優れた歌詠みが見出されきおい始めるのも目新しいいい場面。簡潔な筆致 で、世の動きまで捉えている。
俳話では、小春をよんだ

辻占の髯抜く橋の小春哉  素堂

柴舟のぬれてけふれる小春哉  右常

など今日では目にしないが、それだけに懐かしい風情で、字句の斡旋も、妙。

鴨の首よけて身をかく小春哉  幽泉   の情景は、判読できるが、「鴨の首」とちょん切れるのがわたしの趣味に合わない。
わ たしなら、
首よけて鴨の身をかく小春哉   と、河の流れ・語の流れの心地を加味するが、如何。

* 昨日 ある人から第三歌集とあるを贈られてきた。これがまあ、なんとも「体言繋ぎのぶつぎれ説明歌」で溢れており、「結社」短歌の「無反省・無錬磨の ままな自己満足」に終始しており、ひとごとならず落胆。結社の現主宰がおどろくほど長文の跋を入れているが、作歌人の歌作はほとんど批評されていない、推 奨もされていない。
体言・用言と謂うではないか。この「体用斡旋」の妙が、いわゆる散文を「美しいうた」に変える魔法なのに、まったく理解できていない。いまの「自称歌 人」たち。歌を「つくる」に心せいてあたふたせず、古今の佳い歌集を肉親と化するほどまずまず「読みに読んで」心得たまえ。
2019 4/19 209

* 目の霞みには五種類の目薬を時にあわせ使い分けているが、目まわり洗滌の綿が比較的瞬時に視野を明るくクリアにしてくれる、ものの三分間と保たないけれど。暫時でも視野が明るむと嬉しくはある。
もう、十時半になっている。寝みたいが、寝床でまだ校正もしたい、『復活』も読み継ぎたい。
2019 4/19 209

* 『近世畸人伝』中の、今西行とも呼ばれた「僧似雲」が、あの西行終焉の地とつたえる河内弘川寺を発見し供養し維持した人と知れたのは有り難い。一度だけ、平凡社時代の出田興生さんと、もう晩景の河内弘川寺へ辛うじて車で辿り着いた昔を懐かしむ。
似雲の辿り得たむかし、そこには「唯行塚」という土地の人にもワケ分からぬ塚一つが在ったという。西行終焉の地と見きわめて弘川寺を守り、彼自身もそのまま其処に住みついて「春雨亭」と称し
並ならぬ昔の人の跡とめて弘川寺にすみぞめのそで
と詠んでいる。その亭や、畳一、二枚。広げよと奨められても、
我が庵はかたもさだめず行雲の立居さはらぬ空とこそ思へ
と肯んじなかった。掻餅二枚をただ舌にのせて一日の粮に充て、飯を炊ぐこともしなかったと。
「畸人伝」記事はもっと長く、似雲その人の評価にも含みありげであるが、煩わしく。
2019 4/20 209

* 「月並」という言葉を、まったく聞かないではないが、ときどき、「平凡な」というぐらいな感触で使われている。もっと辛辣な批評・批判をこめて使った のは子規派の俳人達であったろう、『鳴雪俳話』は一章を建てて論じている。以下のような例句も挙げて、手厳しく批判し非難している。
「初夢や夢の世ながら好もしき」「草の戸も行儀に並ぶ雑煮かな」「よきほどにまづ稲つむや寶船」「雪までも載する初荷の車かな」「廻さるゝ猿また人を廻 しけり」「鳥追の笠ぬがせたく思ひけり」「笑ふ時開く禮者の扇哉」「初夢のはなし暫くをしみけり」「一日の景色よ誰れも晴れ小袖」「雪消えて今年になりぬ 冨士の山」「山里も一日めくや人出入り」
明治ないし以前の情景ではあり、じつは明治の昔に堂々の「明治何々集」に編まれていたなかの、恐らくは藤次著名の人の評判の句であったと思われる。ま、当 節の今日感覚からは風俗も生活も隔たりまずは受取りにくくもあろうが、たしかに、「月並俳句」と子規派のひとたちが退け認めなかったワケらしきはよく見え る。昨今テレビ番組でわめきながら持ち出され褒貶されている類いへ、ハッキリ繋がってくる。
「雪までも載する初荷の車かな」など、あまり理に落ち、「まで」「も」「載する」は聴こえ鈍重、俳句という至妙の「うた」たり得ていない。一例、「淡雪をつんで初荷の車かな」とでもする道があろう。「まで」「も」と説明しなくても「初荷」は積まれてあり、それへ雪のかかる風情でめでたさも言い得ていよう。
鳴雪は、子規派が主張の「詩美」を負うて云いきる、「詩美は理屈を説かず、智識に渉らず、偏へに趣味を感情に訴へて現はす」と。「この定義に違ふものは即ち非美である。俳句にして、この定義に違ふものは即ち非俳句である」と。月並派の俳句と自称しているあまりに多くが、詩美を逸れて非美に堕し、「極めて通俗的で、品格がなく、又、専門としての域に進んで居らぬ」と。

* ま、はなはだ微妙で、事実、鳴雪翁、わが派の「詩美俳句」たるを列挙してくれず、芭蕉や蕪村や先人達の秀句を挙げて称揚している。しかし、鳴雪の曰うことは、およそ的を外していない。
俳句もまちがいなく「うた」であり「詩」であり、表現として逸れてはならぬ詩美と技法を求められている。「うた」は、私の思わく「うったえ」また「うた え」の真実感と流麗とを備えていなければならず、俳句の場合はそこに「俳味」すなわち精美の微笑を誘う滑稽感覚をもたねばならない。「詩 美は理屈を説かず、智識に渉らず、偏へに趣味を感情に訴へて現はす」とは、ほぼ適確に云われている。わたしが短歌の場合に「用語の詩化」そのための、ま た、その結果としての「うたの聴こえ」を大切に云うのも、そのためだ。鳴雪翁の「作句の要訣」という発話にも聴くに足るものがあるが、今は触れない。

古池や蛙(かわず)とびこむ水の音   芭蕉

春雨の中を流るゝ大河かな       蕪村
2019 4/21 209

 

* 「中務内侍日記」の抄、京から尼崎への日数重ねた往来の記を、ことに景色のめずらしさ面白さに心惹かれて楽しみ読んだ。亀山、後宇多、伏見朝のころに 禁中に奉仕した女性で父は宮内卿藤原永経。簡単には目に入らぬ日記なので、抄とはいえ大和田建樹編の『日記文範』を有り難いと思った。この本の有り難くも 親切でも面白くもあるのは、二十八編の各時代日記の抄である上に、いわば頭註欄にあたるところに、貝原益軒、新井白石、賀茂真淵ら「近世三十六大家国文」 を抄出してくれており、更には「和歌類纂」として、住吉大明神、衣通姫、柿本人麿の和歌三神の歌や六歌仙の歌以降、歴代多数の秀歌選からの更なる抄出がさ れていて、存分に各時代の趣致秀歌に触れうるのが、面白くもありがたい。
明治の人らはこういう本で往時の文化や文藝に親しんでいたかと、懐かしい気がする。
この手の明治本を家に蓄えている人はもはや極めて数少ないことだろう。わたしは少年の昔から祖父秦鶴吉が丹精蓄えておいてくれたこの手の古書籍に日ごろ親しめて、たとえようもない恩恵を得てきた。
2019 4/22 209

* 「元来俳諧は、滑稽といふ意味」「真面目でない正格でないことをいふのが主意」であったと鳴雪は俳諧の遠い歴史へ目を向け、和歌時代は越え て、中世末から近世初へ、山崎宗鑑、松永貞徳、西山宗因、井原西鶴の時代、ま、「虚栗」調の松尾芭蕉までを、「正風の芭蕉」俳諧に到る「前史」と観てい る。文学史的な常識といえよう。
露骨な滑稽、正格を逸れた野放図な破格が、漸々克服されて、ついに芭蕉へ、さらに蕪村、ま、一茶らも含めて明治の正岡子規に到り着き、「俳味」も豊かに「詩美」にせまる「表現」の歴史を生み創り出したと。
異存はない。
弁慶も立つやかすみのころも川     宗鑑
これはこれはとばかり花の吉野山   貞室
世の中や蝶々とまれかくもあれ     宗因
ほととぎすいかに鬼神も確かに聞け  宗因
雪の河豚左勝水無月の鯉        芭蕉
ま、こんなことを芭蕉一門も永らくやっていて、漸く「蕉風・正風」へ到り着く。芭蕉句はもっともっと根底から愛読され感化されていいものを深く湛えている。誤解してはならない芭蕉は俳諧元来の「滑稽という俳味」を棄てたどころか、より「詩美」として生かしたのである。
古池や蛙とびこむ水の音         芭蕉
2019 4/23 209

* 赤穂浪士に小野寺十内の名のあるのは少年の昔から懐かしいまでに記憶しているが、その妻女の人となり麗しく聡く健気であったことが、夫十内討ち入り直前の、また切腹直前の妻に充てた書状によく表されいて、思わず涙した。
討ち入り前には、「心の働きおはしますと覚え候ゆゑ中々心安く存、今更おもひ残すこともなくて、心よくうち立候まゝ、そこもとにも、せめての本望とおも ひ給ひ候へかし」とある。覚悟の討ち入り前に「心の働きおはしますと覚え候ゆゑ中々心安く存」じおると書き送れた夫十内の妻への愛情はいかばかりであった ろう。
切腹の直前には、「そこもとの歌さてさて感じ入り候。涙せきあへず、人の見るめをおもひ、まことに涙をのむといふ心にて、幾度か吟じ候。 是につきても 必々歌御捨なくて、たえずよみ申さるべく候」とあるなど、「哀やさしくこそ」と 『近世畸人伝』の著者も涙している。ともに和歌の道に日ごろ思い入れてい た夫妻であった。当節現今の世の夫婦というは、何をつてに如何様に深い思いを日ごろ交わし得ているのだろう。

別れても又あふ坂とたのまねば
たぐへやせまし死手の山越

復讐の折、あづまへ出たつとき逢坂山を越えながら妻に送った十内の歌。
夫と行を共にした子息幸右衛門も念頭に、十内妻女の鬼録法名のうへに遺されてある歌は、

つまや子のまつらんものをいそがまし
何か此よにおもひ置べき

と 「自滅」と記されてある。
妻であり母であった此の女人もまた 自ら刃に伏したとみられている。
その是非は今問うまい。 問い返したいは 幕藩武士の世界をである。

* 世間は十日間もの「お休み」だという。ま、お相伴にあずかろう。どこへも出かけない、なんとか「清水坂」を上り下りして過ごします。家の中も少しはかたづ けたい。じつは寝たいだけ寝ていたい。寝ると安まる、からだも目もあたまも。爺さんの言いぐさじゃなあ。

* 『日記文範』各頁の頭注部に列挙されてある上古より近世の秀歌選から、わたしの気に入った作だけ書きだしてみたくなった。そうは沢山は拾えまいと実は思っているが。

☆ ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島がくれゆく舟をしぞ思ふ  柿本人麿

「の」「あ」「し」音の、「は」行音の、これほど美しい諧調・詩化の妙は 久しい和歌の歴史でも突出している。

☆ 思ひつゝぬ(寝)ればや人の見えつらん
夢と知りせばさめざらましを  小野小町

本音と想わせる「うた=うったへ」の真実感に惹かれる。
2019 4/24 209

 

☆ 雪降れば峰の真榊うづもれて
月にみがける天の香山(かぐやま)  皇太后宮大夫俊成

☆ 心なき身にもあはれは知られけり
鴫たつ澤の秋の夕ぐれ         西行法師
2019 4/25 209

* 大和田建樹の本の「和歌類纂」から更に秀歌中の秀歌をと思ったが、あまり秀歌が選べてなくて、容易に胸に落ちる秀歌と出会えないのに落胆した。選ぶというのは実に難しい見識なのだとよく分かる。

名月や煙り這ひ行く水の上   嵐雪

中間(ちうげん)の堀を見てゐる涼み哉   木導

春雨や蜂の巣つたふ屋根のもり   芭蕉
2019 4/26 209

* 送られてくる歌誌の現代短歌に「前詞」の付いたのは、無いにも等しく少ない。一つの理由に、現代短歌は相聞無く、感情的な人間関係のからみを読みこん でも歌われることは極めて少ない。王朝の和歌は、ことに「後撰和歌集」などはおよそ全てといいたいほど具体的な人間関係や交情関係を表現のためのまさに 「和する歌」が圧倒的に多い。歌の評価も、そうした背後また前後、また表裏の人間関係をすら興ある前景や背景としてよみこみながらせねば済まない。一首の 歌だけで前詞を無視してしまうと半端なことになってしまう。そのよしあしの判断は微妙だが、時代を経つつ一首単立の創作へほぼ移行していったのもムリない と想われる。
わたしは、概して前詞にも作者にも斟酌無く嘆賞できる秀歌を望んできた。いま謂う『後撰和歌集』はひときわのいわば交際・交情和歌集なので、

梅の花折ればこぼれぬ
わが袖ににほひ香うつせ家苞(いへづと)にせむ   素性法師

のような歌が見つけにくい。だから「後撰」には独特の和歌世界が楽しめるのでもあるが。
2019 4/27 209

☆ 陶淵明に聴く   雑詩其六

昔聞長者言   昔、長者の言を聞けば、
掩耳毎不喜   耳を掩うて毎(つね)に喜ばず。
奈何五十年   奈何(いかん)ぞ 五十年、
忽已親此事   忽ち已(すで)に此の事を親(みづか)らせんとは。
求我盛年歓   我が盛年の歓を求むること、
一毫無復意   一毫も復(ま)た意無し。
去去轉欲遠   去り去りて転(うた)た遠くならんと欲す、
此生豈再値   此の生 豈(あ)に再び値(あ)はんや。
傾家持作楽   家を傾けて持(もつ)て楽しみを作(な)し、
竟此歳月駛   此の歳月の駛(は)するを竟(お)へん。
有子不留金   子有るも金を留めず、
何用身後置   何ぞ用ひん 身後の置(はから)ひを。

むかし若かった頃は、老人たちが何かお説教めいたことを言ったりすると、いつもいやがって耳をふさいだものだ。
ところが何としたことだ、五十年を経てみると、自分でも同じことをやっているとは。
若い時代の楽しかった生活をふたたび求めようという気は、さらさらないが、時が過ぎてこうも遠くなりかかると、ああ、もう人生は二度とかえってこないのだなあと、しみじみ思う。
これからは、有り金はたいて楽しみを尽くし、駆け去って行く残りの歳月を過ごすことにしよう。
子どもたちには財産など残すまい。死後のことまで思いわずらう必要がどこにあろう。

* 実は陶淵明 このとき「五十歳」と云うているのだ、が、私の身にそえて「五十年」と読ませてもらった。もう私にはたくに足る「有り金」など無いが、「身後の置(はから)ひ」などなく残り少ない「此の歳月の駛(は)するを竟(お)へ」たい思いは日々に切である。外出もままならず気もなく、つまりは「書きたいだけを書きたい」ということ。これが、命を日々食い破るほど、厳しい。わたしの闘いであるが、目下、分がわるく土俵際へ押されている。
国技館の武蔵屋の竹蔵くん、番付を送ってきてくれた。
角界のバカバカしいほど横綱白鵬イビリが過ぎている。自己都合のアベカワ国民栄誉賞をきれいに袖にしたイチローくんとならぶ、現代最高最強のアスリート白鵬をわたしは国籍など何の斟酌もなく手拍子美しく応援する。怪我せず、夏場所も頑張ってください。 2019 5/3 210

* 晩がた、陶淵明を読んでいた。
2019 5/3 210

* 清水坂へ、想いを飛ばしつづけていた、が。容易でない。それはそれは、興趣豊かなおもしろい物語になるだろうのに。翔が欲しい。想い想い想い続けるしかない。
『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を仕上げてからでも、書きさしの『清水坂(仮題)』をアタマから何度読み直してきたか。今日もまた読み直し読み進み手をかけながら、ジリジリと前へ出て来たが、書き掛けてある先はまだかなりの文量がある。慌てない。慌てない。
こんなときの作者わたしの楽しみは、おそらく「だれ一人」として、この作の「本題」を察しも成らぬだろうというヘンな自負心、それも根気の養分なのだか ら許されよ。視力は、今日の分はもう底をついていて、この「私語」の画面も霞んでいる。勘と慣れに頼っているだけ、ときどき目薬を浴びるように垂らし、 「目まわり清浄綿」を使う。その瞬間だけは視野が清々するが一分ともたない。このごろは、ディスプレーの広いテレビでも間際へ倚子を寄せないと、誰である やら、どんな美人の顔もよく見えない。

* こんな「私語」に視力を浪費しなくてもと想う方もあろうけれど、わたしは、これで、この「私語」を書くことで、少しでも佳い、生き生きした文章の勉強 をしているつもり、句読点の打ち場所や、テニヲハなどの置き方や、漢字とかなとのバランスなどを、詩歌のさいにわたしのよく謂う「語の詩化」を意識して推 敲している気でいる、なかなか行き届かなくても。
ま、煙草で一服ということの無いわたしの、それが幾らかは「あそび」に類しているのです。

* 上野千鶴子さんの前に送ってくれた『生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠』に、いろいろに教わっている。愛読し、慎重に熟読している。ことに、「市民権」なる権利の歴史的な検討と批判に頷いている。
惜しいことにこの本は『オイノ・セクスアリス』のためにはタイミングとして間に合わなかった。
2019 5/4 210

* しばらく 陶淵明の短い詩句を聴いて過ごそうかと思う。幸田露伴が校閲し漆山又四郎が訳注していた昔の一冊本岩波文庫『陶淵明集』を機械の傍に置く。

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

静寄東軒  静かに東軒に寄り
春醪獨撫  春醪(しゅんろう)獨り撫(ぶ)す    春醪は、名酒

有酒有酒  酒有り酒有り
閒飲東窗  閒(ひま)をえて東窗に飲む    窗は、窓

良朋は悠邈(遠くて) いつも首を掻き延佇(ただ立ち尽く)fad@fyすと。 願(つね)に人をおもひ友をおもへども、逢ふに由無しと嘆息し酒を愛する陶淵明。 同感。
2019 5/5 210

* 何が隘路で 何が懸案かと 書き出してみたのが三年も前か。まだ、大半の道が見えていない。「湖の本」の優に一冊ないし一冊半は書けているのに。どこ かで一瀉千里と働いて呉れよと願っている。知る限りこういうややこしい迷路を不思議に美しく書けたのは泉鏡花だけかなあと思う。しかも今しきりに読み返し たいのは潤一郎でさえなくて、漱石とは可笑しいが、分かるなあという気もしている。
2019 5/5 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

人亦有言   人も亦(ま)た言へること有り
日月于征   日や月や于(ゆ)き征(ゆ)くと

人亦有言   人も亦(ま)た言へる有り
稱心易足   心に稱(かな)へば足り易しと
揮茲一觴   茲(こ)の一觴(いつしやう)を揮(つ)くして   觴 は酒杯
陶然自樂   陶然として自ら樂しむ

つい、酒になるのが、陶淵明至極の境涯。

* よく寝たが、奇態に過ぎた夢を見る。何がわたしの脳裏に棲みついているのか。
2019 5/6 210

* 湯を出て、八時半。ほっこりしている。湯では、「清水坂」関連の参考本三冊を見えない目で読んでいた。今夜はもう根気が尽きている。寝入った方がいい。
世間の十連休を、わたしらは一日半日として便乗もとくべつ楽しみもせず、いつもどおりに家にいた。家にはそれは仲良し兄弟のアコとマコとがいる。今日は、わたしも一緒に庭へ出ていた。ふたりとも路上へは、警戒心つよく、出たがらない。
2019 5/6 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

翩翩飛鳥 翩翩(へんへん)たる飛鳥は
息我庭柯   我が庭柯に息(いこ)へり
斂翮閒止   翮(つばさ)を斂(おさ)めて閒(しづ)かに止(とど)まり
好声相和   好声 相ひ和す。
豈無他人   豈(あに我に)他の人(友)の無からんや(しかも)
念子寔多   子(君)を念(おも)ふこと寔(まこと)に多きに
願言不獲   願(つね)に言(ここ)に不獲(えず)
抱恨如何   恨みを抱いて如何(いかん)かせん

「好声相和の人」を想い 願い 待つ。この気持ちが失せれば人は涸れ枯れる。
2019 5/7 210

* 京都の羽生清さんから、新著『紋様記』を戴いた。
「古事記 持統天皇」「源氏物語 女三宮」「平家物語 建礼門院徳子」を芯に 日本の文化と政治と男女と美醜とが語られて行くらしく、どんなにみごとに 美しく語られるかは、前著の濃やかな記憶があって、確言できる。研究と生活と思想と文体とが溶け合って独自の文様が批評的に造形される。文学にしか眼の届 かない文学研究者のちまっとした論攷にくらべ、或る意味で巨大に柔軟・辛辣な文学論や演劇論を読ませてくれる人である。京都造形大特任教授。女性。
「好声相和」の人とまず指を折りたいほどの一人、すぐ、読み始めている。

* 日本共産党の穀田恵二さんから新刊の「前衛」が送られてきた。共産党は、「政権」政党をうたって前へ踏み出して欲しい。野党に甘んじて好き勝手だけでは日本をよくする力になれない。

* 羽生さんの、持統天皇の半ばを読んだ。これが日本語で書かれる「詩」であり「物語」の原形と思う。想像に恃んだフィクションではない、周到に史実を読みこみ、含蓄ゆたかに詩われた文学作品の最たる一つである。作家も学者も、羞じらうであろう。
2019 5/7 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

童冠齋業   童冠 業を斉(ひと)しくし、
閑詠以歸   閑(のど)かに詠じて以て帰る。
我愛其静   我れ其の静を愛し、
寤寐交揮   寤寐(寝ても覚めて)も交(こもごも)揮(ふる)ふ
但恨殊世   但だ恨むらくは世(=死生)を殊(=異)にし、
邈不可追   邈(ばく)として追ふ可からざるを。

往時、いっしょに授業を受けては、互いに若くのぴやかに詩をうたいながら帰って行ったものだ。
わたしはその心静かなありようが慕わしく、寝ても覚めても今も思いこがれている。
残念なのは、遠くはるかに世を隔ててしまい、もはやどうしようもないこと。

* 幼稚園、国民学校=小学校、新制中学、高校、大学   男女となく、なんと多くの友に先立たれていることか。日々にむなしくも親愛し思慕して忘れがたい。
新制中学に進んだとき、音楽の教科書に「オールド・ブラック・ジョー」を歌う曲とと歌詞とがあり、音楽の先生はこれを歌わせずに年終えられた。わたしは 久しくその配慮に感謝し、十余歳の少年少女生徒にあのような、「死者のもとへ」「早くお出で」と誘うような「歌詞と歌」とを選んだ教科書をほとんど嫌悪し 憎悪したのをよく覚えている。
ああしかし、あのころ、音楽教室や講堂の壇上で、遠足の途上で親しく唱い合っていた何人も何人もが、もうこの世をはなれ、あの「オールド・ブラック・ジョー」らの空の上へ行ってしまっている。

我れ其の「静」を愛し 寝ても覚めても 交(こもごも)に恋しい。恨むらくは死生を異にし、邈(ばく)として追ふこともならぬ、と。
この「静」一字を いかに反芻しうるか。老境の一公案とも謂うべきか。
2019 5/8 210

* 羽生さんの成りきった「持統天皇」の語りは、素晴らしかった。この素晴らしさは、折口信夫の『死者の書』を或いは凌駕したかと想わせるほど。持統=鵜野皇女はわたしもきを入れて『秘色』で書き挑んでいたのでひとしお引き入れられた。
つづく「女三宮」は持統天皇でも、つづく建礼門院でもなく、架空の物語を物語らねばならぬ難しさが有ろう。
建礼門院徳子へも、深い慕情をさえ籠めて『風の奏で』でわたくしなりに肉薄したつもり。羽生さんはお手紙に、わたしに数々教えられてきたと書かれていた が、まったく風を異にして語り尽くされるであろうと楽しみにしている。これから、「女三宮」の語りを聴く。じっと、聴く。
2019 5/8 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

晨耀其華   晨(あした)には其の華を耀(かがや)かすも
夕已喪之   夕べには已(すでに)に之れを喪ふ
人生若寄   人生は寄(き=旅の一夜)のごとし
顦顇有時   しょせん顦顇(しょうすい=やつれつかれ)の時がくる

このホームページ冒頭にわたしはこころして書いている。

このよとは  あのよよりあのよへ帰るひとやすみ  と。
2019 5/9 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

縦浪大化中   大化の中に縦浪として    縦浪 ほしいままに放浪す
不喜亦不懼   喜ばずまた懼れず
應盡便須盡   應(まさ)に盡くべくんば便(すなは)ち須(すべから)く盡くべし
無復獨多慮   復(ま)た獨り多くを慮(おも)ふなかれ
2019 5/10 210

* 羽生さんの『紋様記』 女三宮を語られている座標のよさを納得した。女三宮は朱雀帝の愛娘として物語の真半ばに叔父光源氏の正妻となる女性、源氏物語 の発端へ胎内からすでに手を届かせていただけでなく、源氏へは罪の子の薫大将存生の母親として物語り最期の夢の浮橋をも視野に収めている。まことに広角度 に源氏物語の全容を視野に収めている唯一人なのである。個性としても才知の面でも必ずしも魅力に富んだ女人ではないが、理想的な女人藤壺中宮に光源氏との 罪の子冷泉天皇があったように、女三宮には夫光源氏を苦渋に泣かせた柏木藤原氏との罪の子薫がある。羽生さんの視点は正当に慥かな位置と女人を捉えてい た。

* 相次いで、建礼門院徳子では、なんということ、私のいましも昇降に苦闘の物語「清水坂(仮題)」と危うく接触し、硬質の小さな火花がパチパチッと散っているのにも感嘆した。
2019 5/10 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

中觴縦遙情   中觴(=なお酒半ばあり) 遙情(=世を超えた思い)を縦(ほしいまま)に
忘彼千載憂   かの(古人の謂へる=)「千載の憂」など忘れ
且極今朝樂   且(ともあれ=しばらく)は今朝(こんてう)の楽しみを極めん
明日非所求   明日(めうにちに)など求むる(=期待できる)ところに非(あら)ねば。

とかくここへ陥りやすいが、手綱を手放しては、やはり、ならぬと私は思っています。
2019 5/11 210

* 羽生さんの「文様記」 秀逸 近来になかった。感謝。
2019 5/11 210

* なぜか不穏に胸が重い。冷暖房をとめた。頸が硬い。

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

今日天気佳   今日天気佳し
清吹與鳴弾   清吹と鳴弾と
感彼柏下人   かの(懐かしい=)柏下(=墓所)の人に感じては
安得不爲歡   安(な)んぞ歓を為さざるを得んや
清歌散新聲   清歌に新声を散じ
緑酒開芳顔   緑酒に芳顔開く
未知明日事   未だ知らず 明日の事は
余襟良已殫   余(わ)が襟(むねのもやもや)は良(まこと)に殫(つ)きたり。

あの柏下に眠る人のように、われわれもいずれは死ぬと思えば、どうして楽しまずにおられようか。
清新な歌声が風に乗って飛び散り、緑の酒に酔った顔がほころぷ。明日のことはわからぬが、
ゎが胸中のもだもだした気持は、歌と酒のおかげですっかり消えてなくなった。

* 清歌に新声を散じたいものです。
2019 5/11 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

今我不爲樂   今我れ樂しみを不爲(なさず)んば
知有來歳不   來歳の有りや不(いな)やを知らず

* 然り、しかも私、独り足の向くまま気儘には昔からどこへでもよく歩いたが、大学時代の妻とは例外に、他の誰とでも、何処で会い何処へ行くなど決めるの は実に億劫で ヘタで 機会を我から抛つのがつねだった。same time  same place という same という取り決めの能力(気働き)がなかった。今はますます無い。会いましょうとお誘いを受けてもではではと自分では動けない。
会社時代も、平常、社の仲間と飲み食い遊びに行くということを、まず、した覚えがない。独りではしばしば気に入りの店へ足をはこんでいながら。
同人の結社のという発想は全然なく、文学賞に我から応募もせず、書きはじめたのも独り、本も独りでつくり始めた。
茶の湯人としては落第の、おおかた独行独歩独決で、中国やソ連へ招かれたように、また東工大教授や美術賞選者やペンクラブ理事に依頼されたときのように、お誘いが有ればことに依り応じてきた。
陶淵明の上の詩句に顔を打たれる気がした。
2019 5/12 210

 

* 結局あてどもない外出よりも、疲れたら一、二時間でも寝入りながら、小説を書き進めては推敲し、ゲラになった小説に目をとおし、何種もの本に手を出し ては読むという一日を今日もすごした。島尾伸三さんからお母さん島尾みほさんの代表作短篇集を樗得題した。トルストイ『復活』は下巻を半ばまで。芥川龍之 介が単独編輯した六巻もの近代日本文学選集を好き勝手にあれこれを読んでもいる。上野千鶴子つんの『生き延びるための思想』も、気まぐれに社会思想社版大 冊の『日本を知る事典』も煙草がわりに好き勝手に頁を繰っている。
この数日では、羽生清さんの『文様記』が、日本史と日本の女性の視野をさぐった出色の好エッセイであった。羽生さんの著作の背後背景には大学の教室で接しているアジア各国からの留学生の関心や感想が有効に生かされていて、それが「日本」を語って生気を添えている。
犀利な文学論、優秀な敗戦後文学史など読みたいモノだが。
2019 5/12 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

結廬在人境   廬(いほり)を結んで人境に在り、
而無車馬喧   而も車馬の喧しき無し。
問君何能爾   君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると、
心遠地自偏   心遠ければ 地自(おのづ)から偏たり。
採菊東籬下   菊を東籬の下に採り、
悠然見南山   悠然として南山を見る。
山気日夕佳   山気 日に夕に佳し、
飛鳥相與還   飛鳥 相ひ与(とも)に還る。
此中有眞意   此の中(うち)に真意有り、
欲辯已忘言   辯ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。

陶淵明の全詩中 もっとも心惹かれ傾倒の思いを深く深くするのは、「飲酒」と題された連詩句のこの「其の五」である。ここに悠然と眺める「南山」とは かの虎渓三笑の「廬山」を謂い、しかも胸懐の「青山=帰るべき奥津城」をも謂うている。
若き日に心決し心籠めて
採菊東籬下
悠然見南山
と剛毅に刻された心友井口哲郎さん二行の板作を頂戴してわたしは私室に日々に眺め、先頃には、重ねて「南山」朱白の二印を乞うて美しく刻して戴いた。小説 『廬山』は私の心籠めた代表作であり、瀧井孝作、永井龍男先生の知遇を得、また小学館の「昭和文学全集」にも採られている。
2019 5/13 210

* 亡き安田武さんに貰っていた岩波新書『昭和青春読書私史』は、身につまされるほど面白く体験を共有していた。なにしろ大デュマの『モンテクリスト伯」 にはじまりレマルクの『西部戦線異状なし』で結ばれていて、取り上げられた夏目漱石、中勘助、モーパッサン、田山花袋、島木健作、ツルゲーネフ、水上瀧太 郎、ジイド、永井荷風、川端康成とならぶと、喚声をあげたくなるほど「すべて来た道」であり、唯一わたしの無縁であったのはジョルジュ・サンドの独りだ け、彼女の作にはまったく触れた記憶がない。
安田さんは同じ保谷の駅近くに住まわれていて、会合でも西武電車でもよく顔が合いよく話した、わたしより丁度一回りも年輩だったがそんなに感じないほど若々しい元気な人に思えて安心していたのに、亡くなって仕舞われた。
安田さんに言われたことで、二つ、忘れがたい言葉があった。
先の一つは、「秦さんの仕事にはとっつきにくかった、が、いちどとっつかれるとアヘンのように放せないよ」と。とても励まされた。
もう一つは、「ちくま少年図書館」に『日本史との出会い』を書いて「後白河天皇と乙前」「法然と親鸞」「足利義満と世阿弥」「豊臣秀吉と千利休」という 四つの出逢いをとおして古代から中世へを中学高校生のために「語って」書いたとき、安田さんは「ぼくも、こういう本でこそ日本史が学びたかった」と、書き も話しかけもしてもらったこと。
新書本を読み返しながら、しんみりと安田さんも懐かしくわが「青春読書私史」も懐かしかった。こういう本をわたしも書いておきたかったと思い、ここの「私語」では十分に書いているとも思ったが、やっぱり、書いてみたいなあと思う。選び出すのが大ごとだけれど。

* ボー然と疲れたまま書庫の整理に入ったが、本が手に重く感じられた。一冊一冊が読んで欲しい、も一度読みなさいと奨めてくる。戴き本の貴重なのが、あ らためて茫然とするほど数多い。大辞典も大事典も大史料や大資料本もガンとして勉強しろと逆に迫ってくる。遁げだしてきた。疲れた。
戴き本の貴重な小説や論攷やエッセイがたくさん遺っている、ほとんどの方が当然のように亡くなっている。健在と知れているのは、桶谷秀昭さん、加賀さん、大江さん、李恢成さんらぐらい。愕然とする。
2019 5/13 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

人易世疎   人は易(かは)り世は疎(うと)し

歳月眇徂   歳月 眇(べう)として徂(ゆ)く   眇徂  いつ知れず遠ざかる

* 島尾みほさん短篇の、息長いセンテンスの見事に揺れぬ美しさに感嘆。

* トルストイが国宝的な文学者でかつ高い爵位をもしもってなかったら、カチューシャならぬ彼自身が徒刑囚にならなかったのが不思議なほど、批判と批評の厳粛に正当であることに、いつもながら驚嘆し賛同する。
日本にドストエフスキーの追随者は生まれ得たが、トルストイの表現力と人生・人間観は移植され得ぬままだったと思う。
2019 5/14 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

縦浪大化中   大化の中を縦(ほしいま)ま浪(なが)れ
不喜亦不懼   喜ばず 亦 懼れず
應盡便須盡   應(まさ)に盡くべくんば便(すなは)ち須(すべから)く盡くべし
無復獨多慮   復(ま)た獨り多慮する無かれ

人生似幻化   人生は幻化に似たり
終當歸空無   終(つひ)に當(まさ)に空無に歸するのみ

縦浪して不喜また不懼というにちかく生きて来れた。人生の幻花に似てまさに空無に帰って行くことも、それとはなく分かっている。イヤなものもヤツもたくさん見たが、イイものや人にも出会ってきて、そんなものだと思う。
2019 5/15 210

* 靖子ロード(半畳ほど超大きな沢口靖子の写真をかけた、文庫本・新書本の本棚の並んだ短い廊下)から岩波文庫旧版、無住一圓の佛教説話『沙石集』上下 を機械の側へ持ってきた。拾い読みはしてきたが、すこし根をつめ読み進みたいと。「説話」は、物語とも随筆ともちがったなかなかの読み物なのである。
校訂者の筑土鈴寛の巻頭解説は昭和十七年七月、大戦争の真最中に書かれていて、なんと冒頭に無住の生没年を「一八八六 ー 一九七二」としている。まさ に「紀元は二千六百年」と國を挙げて歌った時期の編著、わたしは古本屋でこういう本を見つけるとボロボロに頽れたような本を廉価で買い漏らさぬように気を 付けていた、東京へ出て結婚し勤め始めた頃のことだ、余分な小遣いはなく、食い扶持を減らした。電車賃もつかわず、ひどいときは新宿区河田町のアパートか ら本郷赤門前の医学書院まででも歩いた。歩けば歩けるものだった、昼飯は会社の賄いで金15円で丼飯と味噌汁一椀を呉れた。飯に、備え付けの醤油やソース をかければ結構な食事だった、そして編集者としての取材途中で古本屋が見つかると、店頭に投げ出されている廉価の破れ岩波文庫を買えるだけ買った。「西洋 紀聞」「梁塵秘抄」「徒然草」「平家物語」「古事記」「源氏物語」「雨月物語」等々、そうして手に入れそうして読みはじめた。学校の頃の蔵書はみな京都を 離れるときに売り払ってきた、昭和文学全集の谷崎集二册だけを手放せなかった。
説話では最近の『今物語』が断然有り難かった。説話は面白いので、たくさん読んできたが『沙石集』は二巻の大冊、どこまで読めるかなあ。
2019 5/15 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

遙遙望白雲   遙遙として白雲を望む
懐古一何深   古(いにしへ)を懐ふこと一に何ぞ深き
2019 5/16 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

人易世疎   人は易(かは)り世は疎し

歳月眇徂   歳月 眇(べう)として徂(ゆ)く
2019 5/17 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

清歌散新聲    清歌新聲を散じ
緑酒開芳顔    緑酒芳顔を開く
未知明日事    未だ知らず明日の事
余襟良已殫    余が襟(おも)ひ良(まこと)に已(すで)に殫(つ)きたり

吁嗟身後名    吁嗟(ああ)身後の名
於我若浮煙    我に於いて浮かべる煙の若(ごと)し
2019 5/18 210

* 久間十義さんから『限界病院』と題した新刊の小説を貰った。読み始めている。
2019 5/18 210

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

凱風因時來   凱風 時に因りて來り
囘颷開我襟   囘颷 我が襟を開く

営已良有極   営み已(を)へて良(まこと)に極まり有り
過足非所欽   過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非(あら)ず

遙遙望白雲   遙遙として白雲を望み
懐古一何深   懐古なす一に何ぞ深き

* 暴行されての妊娠であろうとも、母体の生命危険時のほかは、すべて妊娠中絶を一斉に厳罰と、アメリカの一州。アメリカという國がますます分からない。
そのアメリカは、大統領再選戦略のためでのみイスラエルと深く組んで中東の不穏をむしろ煽り立てている。加えて、中国との 世界史をあわや誤読しているのかと眉を擦ってしまうほど露骨な「覇権」闘争に、両国とも狂奔。ロシアも黙っていない。
人類の未来、じつに暗い。危ない。今にして、忘れられかけている「家畜人」飼育と駆使との「イース」王国が架空で終わらない地獄の地球時代到来を危ぶま ねばならない。電車に乗ると、乗客の九割の余をみると、家畜人予備として飼育されてある機械アソビに耽溺ヤプーの危うさに肌寒くなる。残年乏しい老境を受 け容れながら、上の陶詩を噛み締めていたい。

* 手近な『沙石集』下巻をふと開くと、第八の四に「畜生の霊の事」に出逢い、蟹の恩返しなどのコワイ話が幾つか端的に語られていて、興は惹かれ怖くもあ り、その前後に類話が多そうでたじろいでいる。解説者はさかんに「面白い話」満載と謂うが総じては怖い説話集に思われる。坊さんの書いた説話集は概して怖 い話しが平気で列挙される。先日来大いに楽しんだ『今物語』などはまことにわが趣味にあったが。
2019 5/19 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

靄靄堂前林   靄靄(あいあい)たり堂前の林
中夏貯清陰   中夏 清陰を貯ふ
凱風因時來   凱風 時に因りて來り
囘颷開我襟   囘颷 我が襟を開く
息交逝閑臥   交を息(や)め逝いて閑臥し
坐起弄書琴   坐起に書琴を弄す

營已良有極   營み已(をは)りて良(まこと)に極まり有り
過足非所欽   過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非ず

遙遙望白雲   遙遙として白雲を望み
懐古一何深   古(いにしへ)を懐(おも)ふこと一に何ぞ深き

* モーツアルトのバイオリン・ソナタ集を、ヘンリック・シェリングとイングリット・ヘブラー(ピアノ)で満喫しながら陶淵明の詩句に聴いていた。朝の至福。
もう久しく新聞を見ない。字小さくてまったく読めず、見出しにも心惹かれない。無くて何差し支えもなく、乏しい視力を新聞で費やすことはない、読まねばならぬ本、読みたい本はまだ山のようにあるのだ。
テレビは大画面の五十センチ前へ近寄って観ている。いい映画、いいドラマ、いい自然美、そして芸能花舞台や相撲・競走・跳躍などの他は、天気予報で足りている。耳はちゃんと聞こえている。いい音楽にはよろこんで向き合う。               2019 5/20 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

投冠旋舊墟   冠を投じて舊墟に旋(かへ)り
不爲好爵縈   好爵に縈(ほだ)さるるを爲さず
養眞衡茅下   眞を衡茅(かうばう=粗門茅屋)の下(もと)に養ひ
庶以善自名   庶(こひねがはく)は 善を以て自(おのづ)と名のあらんことを

冠も好爵も無縁。老耄、善の名をかかげ生きて行けるわたくしではないが、幸いに衡茅(かうばう=粗門茅屋)との縁は濃く今も心身をそこに養っている。感謝。
2019 5/21 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

栖栖世中事   世事は栖栖(せいせい=慌ただしく不安定)なれど
歳月共相疎   歳月と共に(我は=)相ひ疎し
去去百年外   去り去る百年の外には
身名同翳如   身名同(とも)に翳如(えいじょ)たらん

窮居寡人用   窮居して人用寡(すくな)く
時忘四運周   時に四運の周(めぐ)るをだも忘る
空庭多落葉   空庭 落葉多く
慨然已知秋   慨然として已(すで)に秋(=わが晩年)と知る

今我不爲樂   今 我 樂みを不爲(なさず)して
知有來歳不   來歳の有りや不(なし)を知らんや

千六、七百年も昔の、悠然と南山を眺める陶淵明の姿が、身近くに見えてくる。「栖栖世中事」に心さわぐ自身を情けなく体感もしながら。

* 陶詩には「閑事」を慕い、創作では不思議をかきわけ、世界は幾多の争いを押しつけてくる。読んでは、羽生さんの『文様記』に酔い上野さんの『生き延び るための思想』に教わり、トルストイ『復活』ではネフリュードフの奔走に心痛み、久間さんの『限界病院』に病者としての胸を騒がせている。千頁に余る事典 に手を出しては気の向くままに拾い読むクセも直らない、社会思想社の『日本を知る事典』 淡交社の『原色茶道大事典』 平凡社の『史料・京都の歴史』 平 凡社六巻本『日本史大事典』に、休息の煙草代わりに手が出る。恰好の煙草がわり。ふっと 疲れを忘れる。これは遣らないだろうが昔々の試験勉強用らしき 「覚えたい英語6000語」というのが靖子ロードに遺っていて、もいっぺんアタックしようかなどと思いかけたりする。好奇心はまだまだ余っているらしい。
2019 5/22 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

衰榮無定在   衰栄は定在すること無く、
彼此更共之   彼此(ひし) 更(こもご)も 之れを共にす。

寒暑有代謝   寒暑に代謝(=往復・交替)有り、
人道毎如玆   人道も毎(つね)に玆(かく)の如し。
達人解其會   達人は其の会(え=真意)を解し、
逝將不復疑   逝(ゆくゆく)將(まさ)に復(ま)た(代謝あるを=)疑はず。
忽與一樽酒   忽ち(=かつ悠然)一樽の酒と與(とも)に
日夕歡相持   日夕(につせき) (行き逝くを=)歡びて相持(あひぢ)す。

陶淵明は六十二、三歳で亡くなっている。わたしは彼のほぼ二十年先を今も生きていて、ようやくに陶詩の意味を味わい得かけたかという、ザマ。
2019 5/23 210

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

營已良有極   營み已(をは)りて良(まことに)極まり有り
過足非所欽   過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非ず

遥遥望白雲   遥遥として白雲を望み
懐古一何深   古(いにしへ)を懐(おも)ふこと一に何ぞ深き
2019 5/24 210

* あれだけ寝たのに、疲れは心身を朽ちた綿のようにする。
九時。もう機械から離れ。寝室の床に坐りこみ、ずっしり重い責了用の「選集31」ゲラをよみつづけ、疲れたら久間さんの小説の先を楽しみながら、寝入ろ う。昨夜の『NCIS』の密度には感嘆、ああいうのを観るとありふれた他の和製ドラマは観る気がしない。実は近時、スポーツ実景も相撲と駆けっこしか観な い。
海外の、大きな鉄道駅や空港におかれたピアノを、誰彼となく自在に演奏して行ってくれるのが楽しみ。そして日野正平の自転車の旅も。
2019 5/24 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

銜哀過舊宅   哀しみを銜(ふく)みて舊宅を過(よ)ぎり
悲涙應心零   悲涙 心に応じて零(お)つ。
借問爲誰悲   借問す 誰(た)が為にか悲しむと
懐人在九冥   懐(おも)ふ人は九冥に在り。
禮服名群従   礼服は群従と名づくるも (=血縁に於いては「他」と同じいが、)
恩愛若同生   恩愛は同生(=同朋)の若(ごと)し。
門前執手時   門前に手を執りし時
何意爾先傾   何ぞ意(おも)はん 爾(なんぢ)先ず傾かんとは。
在數竟未免   数に在り 竟(つひ)に未だ免れず
爲山不及成   山を為(つく)りて(=多く思ひ半ばにして)成るに及ばざりしならん。

* 誰も、死なないで。死なれるのは叶わない。
2019 5/25 210

* そうか。尾張の鳶と上野さんとは同じ京大の社会学系で学んだ同士あったのかも。
上野さんの本は、数えれば十数册ももらっていて、大方は目を通してきた、手に負えないのも、棚上げしたのもあったけれど。いま読んでいる最新の『生き延 びるための思想  ジェンダー平等の罠』は、冒頭からまことに読みごたえがある。精力と思索に充ちた「研究」の成果と数えられることだろう。
2019 5/25 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

運生會歸盡   運生は會(かなら)ず盡くるに歸す、(=生は必ず死に歸する)
終古謂之然   終古 之れを然りと謂う。

故老贈余酒   故老 余(わ)れに酒を贈り、
乃言飲得仙   乃ち言ふ  飲まば仙を得んと。
試酌百情遠   試みに酌めば百情遠く、
重觴忽忘天   觴(さかづき)を重ぬれば忽ち天を忘る(=天と一体になれる)。

自我抱玆獨   我れ玆(こ)の獨(=個性・自我)を抱いてより、
僶俛四十年   僶俛する(=勉め励む)こと四十年。
形骸久已化   形骸(=からだ・肉体)は久しく已に化する(=とうに衰へ切つて)も
心在復何言   (天と一体の=)心在り(=まだ失っていない) 復(ま)た何をか言はん。
2019 5/26 210

* 久間さんの「限界病院」は、ここ十年の間に何冊も貰った著作中、最も面白く且つ意義の重い大きい作だと言いきれる。「病院管理」は医学書院の編輯者時 代から最も関心をもちたい、最新最重要領域であった。明日も私の受診に出向く聖路加病院はその方面での第一線第一級の目的意識をもった先駆病院であった。

* いま、不快極まる医療もの「白い巨塔」の最終裁判劇が九時から始まるらしい。編集者時代の国立大学病院の最悪傾向を露呈した大問題作であった。今夜で 終わるらしいドラマは、新作の方である。あの当時の医学部闘争・紛争というのはじつにすさまじいものであった。如実に傍見も巻き込まれもしてきた。
2019 5/26 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

得知千載外   千載の外を知ることを得るは
正頼古人書   正に古人の書に頼(よ)る
2019 5/27 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

雖未量歳功   未だ歳功を量らずと雖(いへど)も
即事多所欣   即事 欣ぶ所多し
2019 5/28 210

* 自分に信仰心が無いとは思わない、法然さんの一枚起請文をありがたしと受け取っているし、禅というか、バグワンと云うのが適切だが、胸に落ちて受け容れている。が、ごく狭い了見であるにすぎない。
今日も疲れやすみの内にむかし版の岩波文庫『沙石集』下巻を開いていて「妄執に依って魔道に落つる人の事」に出会って、かなりのビックリした。賢人の覚 えあった宰相が出家し行道にも身を入れてなかなかの人として逝去、だれもが極楽往生と思っていたのに、人の夢に現れて魔道に苦しんでいると。なぜか。在世 中に、「当世の御政(まつりごと)の濁れる事、恒に心にかかりて、我其の官にありて、其事を司どりてひき直さば、さりとも是程の事はあらじなんど、由なき 事、ややもすれば心の中ばかり、人知れず思はれし」ことが重い障りになってしまい魔道におちて苦しいと。
「世をすてて深き山に住み、実の道に入れども、「思ひ染みぬる妄念すてがた」い「塵労の中にして心濁」ったのが良くないのだとこの著者は註釈している。「その執心も、世のため人のため、利生の一分に」はそういあるまいが、それでも実の道を逸れているのだと。
こういうのを聴くと、わたしは、つい信仰から遠のきそうな心地がして困るのである。やはり阿弥陀の本願に頼み、法然親鸞の言葉を受け容れつつ、禅の不立文字に心を晒したいか、となる。
2019 5/28 210

* 色川大吉先生、最新刊を送ってきて下さった。
2019 5/28 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

老少同一死   老いも若きも同じく一死
賢愚無復數   賢も愚も復(かえ)る數無し
日酔或能忘   日(ひび)に酔へば或ひは能く忘れんも
將非促齢具   將(は)た齢(よはひ)を促すの具に非ずや
2019 5/29 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

衰榮無定在   衰榮は定まりて在ること無く
彼此更共之   彼此(ひし)更(かはるが)はる之を共にす
2019 5/30 210

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

履歴周故居    履歴して故居を周(めぐ)るに、
鄰老罕復遺    鄰老復(ま)た遺るもの罕(まれ)なり。
歩歩尋往迹    歩々して往迹を尋ぬるに
有處特依依    處有りて特に依々たり。 (=ことのほか立ち去り難いところがある。)
流幻百年中    流幻 百年の中、
寒暑日相追    寒暑 日に相追ふ。
常恐大化盡    常に恐る大化の盡きて、   大化(=宇宙の気、生命力)
気力不及衰    気力 衰ふるに及ばざらんことを。
撥置且莫念    撥置し(=撥ひのけ)て且(しばら)く念(おも)ふこと莫(なか)れ、
一觴聊可揮    一觴(=盃の美酒) 聊(いささ)か揮(つく)す可し

* 「還旧居」の詩、 處有りて特に依々 の思いが脳裏に満杯している。

* ほぼ一と月か。陶淵明詩に目を向けてきた。

* 五月も逝く。

* 昨夜深夜、久間十義さんの『限定病院』を慄然として読み終えた。地域病院のあまりら難しい問題、医師・看護師達その他と行政との難しい関わり、それらの中で避けがたく突発する病気と死の凄さ。久間さんの落ち着いた力わざに心身を打たれた。
2019 5/31 210

* 昨深夜にまでかけ読み終えた『限定病院』の重みが体内にまでのこっている。

* 『沙石集』の著者は長話が大好きなようで、『今物語』などと、『北越雪譜』『近世畸人伝』などくらべると一編一編が長い。しかし、面白く教えられるお喋りも数知れない。

* いま天野哲夫氏の自伝風のエッセイ下巻をとても面白く読み進んでいる。上巻は北九州での少年時代で共有共感できる世間が触れ合いにくかったが、下巻 は、満蒙へ収縮して行くところで始まり進むので、同じ青年の昔に感想や批評を重ねやすい、ただし天野さんは昭和十年わたしより十は先輩である。この人が、 沼正三の隠し名であの『家畜人ヤプー』を書いた、と、大方確認されている。天野さんから、沼正三の名での著書も、霊の本も戴いている。書評したこともあ る。
『復活』下巻も残りが少なくなってきた、次は、『アンナ・カレーニナ』を読みたい。

* 書庫の蔵書を惜しみ惜しみ貴重な零書も図巻も叢書も減らそうとしている。
2019 5/31 210

* 明治の『日本辭林』に聴く。
私の今手にしている第拾五版『日本辭林』は大宮宗司編纂 大橋新太郎発行 東京博文館蔵版
明治廿六年三月三十日印刷出版 仝三十五年三月廿五日十五版発行 並製定価金(汚れていて  拾五銭の上一字分読めず)は、巻頭に「文典大意」が詳細 で、いわゆる口語文語文法以前の日本語文典への「総論・音韻・言語・文章そして假名づかひ」の総合理解が詳細に示されている。『辭林』つまり辞典はその後へ続き、さらにそのあとへ「冠詞一覧」が続く。縦13センチ 横10センチの小さい本だが総頁数は800頁前後。堂々の『日本辭林序』も巻頭に。
ことに面白く有益に教えられるのは「文典大意」中のことに「かなづかひ」か。「わ は」「ゐ い ひ」「う ゆ ふ」「ゑ え へ」「を お ほ」「じ  ぢ」「ず づ」にはいつも悩まされ、これがまたいわゆる「新旧のかなづかい論争」の原点になっている。上の実例を挙げてみたいが、そんなことをしている と貴重な一日の半分も費やしかねない。

あわだたし 惶遽  あわゆき 沫雪  いわし 鰯  かわく 乾く  ことわざ 諺  こわだか 聲声高  さわぐ 騒  しわざ 作業  すわる  坐  あわつ 周章  いわけなし 稚  うわる 稙  くわゐ 烏芋  ことわり 理  さわやか 爽  ずわえ 條  たわむ 撓  たわやか 窈窕   たわら 俵  はらわた 腸  よわし 弱  うらわ 浦回  くつわ 轡  みなわ 水泡  たわやめ 美女  のわき 暴風  ゆわう 硫黄   あわ 泡、沫  おほわ 輞  くるわ 廓  ひわ 鶸  みわ 酒瓫
語彙の中や下に来る場合 上の例はみな「は」でなく「わ」で、他はおおかた「は」でよいとしてある。よしあしの確認はしていないが、教えられる。この手の示唆や教唆で充ちていて、やはりたいそう有益で有り難い。
私は、古典への思いももとより、旧かなづかひを心底、尊重している。
堅固な造本でかろうじて保っているが表紙と背との境には割れ目が露わに成ってきている。
おそらくは今今の人に手渡せばごみにして棄てられかねないが、貴重な古典への視野と知識とが充満した一巻である。愛玩、措き難い。
2019 6/1 211

* 書庫から、『浄土三部経』を久しぶりに持ち出した。勿体ないが、横になって、「阿弥陀経」を二通り読んだ。
ついつい、躯を横たえたくなる。そのまま程よく寝入ってしまう。気よりは躯の要求であり、したがおうとしている。
2019 6/1 211

* 明治の『日本辭林』に聴く。 「あい」
「新井君美有言曰欲知古言冝讀古典」と序の冒頭にある。新井君美とは、新井白石。あまりに当たり前のようで、この序の書かれた明治中期にすでに天下に読書 人は多いが古典を読むモノは「甚少」と言い切っている。若きも老いも機械にのみ多くの娯楽と便宜を頼んで仕舞っている今日では、古典を日常読書の書目とし て座右に常備しているような読書人は、専攻の学者以外には稀有に少ないだろう。
『日本辭林』は「阿の部」のはやくに、「あい」と置いて、「愛 唯」の二字をあげ、「愛(め)で慈しむこゝろ。また、応答する時の声なり」としている。
あたりまえのようで、しかし後者の「あい アイ」は、今日人の辞書感覚では多く脱落していはしないか。しかも、「あい」「あいよ」「あいあい」「あー い」などの発語は、普通にも、ことに商店の店頭と奥との応答にはしきりに、いまだに耳にしていて、かすかにも下町感覚を通り抜け「江戸庶民の日常」を肌身 に覚える心地がする。
2019 6/2 211

 

* 視力のある間は幸い、日本語でならいかようの読書にも入り込める。処分する前に読んでおきたいと思う本が、数百册できかない。そのほかに重い事典、字 典、年表、写真集のような参考書が多く、これまた手に執っては見ている。書庫にはいると、つい出られず、ネコたちが呼びに来る。
2019 6/2 211

「あいだちなし 無分別 物に分別無きをいふ」 「あいだる 驕 和悦を以て媚ぶるをいふ」 「あいなし 無愛 愛敬なく また分別もなきをいふ」  「あいなだのみ 無敢頼 一向に詮(かひ)無き依頼(たのみ)なり」 「あいろ 文理 物のあや また、物のありさま」 「あういく 奥行 人の後方(し りへ)に随ひ行くをいふ」 「あうなし 無奥 遠き慮んばかりなく浅はかなるをいふ」 「あうら 足占 足を踏み歩きて卜ふ占法なり」 「あえか 危気  幼稚に柔弱なること。かよわし」 「あえもの 肖物 相似たもの また 他と同様にあるもの」 「あか 閼伽 仏前に供ふる水 また 香水を盛る器」  「あかかがち 酸漿 ほほづきの古言なり」

* かかる古語は無数に保存され。現代の文章家にもふつうに用いている人はいる。
2019 6/3 211

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

往時渺茫都似夢    往時は渺茫として都(すべ)て夢に似
舊遊零落半歸泉    舊遊は零落し半ばは泉(=あの世)に歸す

* そういうものなんだと、この歳(八十三)になると、ただ思う。白楽天がこう託(かこ)ったのはわずか五十歳ごろ。何を云うかと言い返してやりたくもある。
当分、白楽天に聴いてみよう。陶淵明よりはやく国民学校時代すでにその詩集を愛玩していた。小説の処女作『或る折臂翁』は明白に白詩「新豊の折臂翁」に強烈な示唆を得ていた。国民学校、小学校、新制中学、高校、大学のあいだ「抱き込んで」いた。往時渺茫ではあるが、浅い夢ではなかった。
2019 6/4 211

☆ 白楽天の詩句に聴く  月に感じて逝きし者を悲しむ

存亡感月一潸然    存亡 月に感じて一たび潸然(さんぜん)
月色今宵似往年    月色 今宵往年に似たり
何處曾經同望月    何れの處か曾經(かつ)て同(とも)に月を望みし
櫻桃樹下後堂前    櫻桃の樹下 後堂の前

* 胸に沁む。

* まあそれにしても、近親間の殺傷の多さよ。さもなくば無思慮な交通事故。更に加えて愚かな政治家どもの暴言、妄言。
上に掲げた、白詩が ひとしお身に沁み懐かしい。
2019 6/5 211

* 「齢九十」加賀乙彦さんから『自選短編小説集』を頂戴した。作家としては五十年のお付き合い、その以前には医学書院編集者と医科歯科大精神科医との関わり があった。太宰治賞に関わって出会った作家達は吉村昭さんも宮尾登美子さんも、みーんな亡くなっている。
2019 6/5 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

嗟嗟俗人心   嗟嗟(ああ) 俗人の心
甚矣其愚蒙   甚しい矣(かな)其の愚蒙
但恐災將至   但(ただ)災ひの將(まさ)に至らんとするを恐れ
不思禍所従   禍(わざは)ひの従(よ)る所を思はず

驕者物之盈   驕れるは物の盈(えい=傲慢の極)
老者數之終   老いは數(=壽命)の終(はて)
四者如寇盗   四者(=権・位・驕・老)は寇盗(こうとう)の如く
日夜來相攻   日夜來りて相ひ攻む
2019 6/6 211

* 「靖子ロード」の書架から、表紙などもげたバラ本を五冊、内四冊は昭和二年の文庫版・日本古典全集刊行会板の『竹取物語、大和物語、住吉物語、唐物語』『後撰和歌集 附・関戸氏片仮名本』『長秋詠草、山家集』『参考 讀史餘論』 もう一冊は一九六一年白水社三版、 ドニ・ユイスマン著・久保伊平治訳『美学』を、不器用な手でとにかく修繕して読みやすくなった。美学は別にすれば他はみなまともな本も持っているが、廃品 のようだった本を読める本に出来たのは心嬉しく、ことに後撰和歌集の仮名本では仮名遣いをも勉強したいが、字の小ささには参る。美学は、半ば照れくさく、 昔の学生気分で読み直してみたい。
2019 6/6 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

風吹棠梨花    風は棠梨の花を吹き    棠梨(やまなしの類か)
啼鳥時一声    啼鳥 時に一声
古墓何代人    この古き墓は何れの代の人ぞ
不知姓興名    姓も名も知れず
化作路傍土    化して路傍の土と作(な)り
年年春草生    年年 春草生ず
感彼忽自悟    彼(それ)に感じ忽(こつ)として自ら悟る
今我何營營    今し 我 何の営営     営営(あくせく)

* 白楽天の読みやすいのは過剰に自虐の風のないことか。杜甫をやや苦手にするのと対照的。
2019 6/7 211

☆ 白楽天の詩句に聴く   新豊折背翁

戒邊功也 邊功を戒むる也

新豊老翁八十八    新豊の老翁 八十八
頭鬢眉鬚皆似雪    頭鬢(とうびん)眉鬚(びしゅ)皆雪に似たり
玄孫扶向店前行    玄孫扶(ささ)えて店前に行く
左臂憑肩右臂折    左臂(さひ)は肩に憑(よ)り右臂(ゆうひ)は折る
問翁臂折来幾年    翁に問ふ 臂(うで)折れて来(よ)り幾年ぞ
兼問致折何因縁    兼ねて問ふ 折るを致せしは何の因縁ぞ
翁云貫属新豊縣    翁は云ふ 貫(=本籍地)は新豊縣に属し
生逢聖代無征戦    生まれて聖代に逢ひ 征戦無し
慣聴梨園歌管聲    梨園 歌管の声を聴くに慣れ
不識旗槍與弓箭    旗槍と弓箭とを識らず
無何天寶大徴兵    何(いく)ばくも無く 天寶(年間) 大いに兵を徴し
戸有三丁點一丁    戸に三丁(三人の男子)有れば一丁を點ず(徴兵された)
點得駆將何虚去    點じ得て驅り將(も)て何處(いづく)にか去(ゆ)かしむ
五月萬里雲南行    五月 万里 雲南(=中国南西部)に行く
聞道雲南有濾水     聞道(きくならく)  雲南には濾水(=大河 古来戦役の難所)有り
椒花落時瘴煙起    椒花の落つる時 瘴煙(=瘴癘の悪気)起こる
大軍徒渉水如湯    大軍徒渉(かちわた)れば水は湯の如く
未過十人二三死    未だ過ぎずして十人に二三は死すと
村南村北哭聲哀    村南村北 哭聲哀し
児別爺嬢夫別妻    児は爺嬢(やぜう)に別れ 夫は妻に別る
皆云前後征蠻者    皆な云ふ 前後に蠻を征する者
千萬人行無一迥    千萬人行きて一の迥るもの無しと
是時翁年二十四    是の時 翁は年二十四
兵部牒中有名字    兵部の牒中(=徴兵名簿)に名字有り
夜深不敢使人知    夜深くして敢えて人をして知らしめず
偸將大石鎚折背    偸(ひそ)かに大石を将(もつ)て鎚(たた)きて臂(うで)を折る
張弓簸旗倶不堪    弓を張り旗を簸(あ)ぐるに倶に堪えず
従茲始免征雲南    茲れ従(よ)り始めて雲南に征(ゆ)くを免る
骨砕筋傷非不苦    骨砕け筋傷つき苦しからざるに非ざるも
且圖揀退歸郷土    且つ圖(はか)る 揀退(れんたい=不合格)し 郷土に帰るを
臂折來來六十年    臂(うで)折りてより 来来 六十年
一肢雖癈一身全    一肢癈すと雖も一身全(まつた)し
至今風雨陰寒夜    今に至るも風雨陰寒の夜は
直到天明痛不眠    直ちに天明に到るまで痛みて眠れず
痛不眠          痛みて眠れざるも
終不悔          終(つひ)に悔いず
且喜老身今獨在    且つ喜ぶ 老身の今 獨り在るを
不然當時濾水頭    然らざれば当時 濾水(ろすい)の頭(ほとり)
身死魂飛骨不収    身死し魂飛びて骨は収められず
應作雲南望郷鬼    應(まさ)に雲南 望郷の鬼と作(な)り
萬人塚上哭呦呦    萬人塚上(てうぜう) 哭して呦呦(ゆうゆう=戦死者の哭声)たるべし

老人言          老人の言
君聴取          君 聴取せよ
君不聞          君 聞かずや
開元宰相宋開府    開元の宰相 宋開府は
不賞邊功防黷武    邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防ぐと

又不聞          又た聞かずや
天寶宰相楊國忠    天寶の宰相 楊國忠は
欲求恩幸立邊功    恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て
邊功未立生人怨    邊功未だ立たずして人怨を生ず

請問新豊折臂翁    請ふ 問へ 新豊の折臂翁に

* 気の有る人は、白楽天のこの慷慨 深く深く読み取って欲しい。
いま、安倍晋三総理の内閣は、与党自民党は、トランプ米大統領の商売と権勢に阿諛追従、なんと、攻撃性の航空機だけでも世界中に類の無いほど、またまた 百数十機も大量購入し続けているという。それをどんなときに どう使用する気か、国民は一言半句の説明も聞かされず、そもそもアメリカの古物扱いさえして いる飛行機や武器で、日本政府は、安倍総理は、いったい誰を敵と見定めて何をしでかそうというのか。
「恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て 邊功未だ立たずして 人怨を生ず」 天寶の宰相 楊國忠のザマを、安倍や麻生らは、いったい誰の喜悦・満足のためにしようとしているのか。
「邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防」いだ開元の宰相 宋開府のような見識も外交力も有る総理に、交替して欲しい、ぜひ。

* 何度も触れてきたが、白楽天のこの長い詩を、明治四十三年袖珍版 神田崇文館「選註 白楽天詩集」の280-285頁で頭にも目にも焼きつけたのは、 国民学校三年生そして敗戦後に疎開先から帰京した小学校五、六年生のころで、すでに小説家に成りたかった少年は、書くならば真っ先にこの白楽天の詩に取材 してとはっきり決めていた。そして安保闘争で国会周辺が盛り上がったころに、遂にわたしは「処女作」として『或る折臂翁』と題したいま読み直してもちょっ と怕い、父と子の、夫と妻のいま読み直してもちょっと怕い小 説を書いた。しかも妻のほか誰にも見せないまま一九九四年に、まるで別の長編の埋草めいて「湖の本30」ではじめて活字にした。さらに遅れ遅れて『秦 恒平選集』第七巻に「処女作」として収録した。講談社で文学出版の指揮者もされた天野敬子さんに「震撼しました」と望外の賞讃を受けた感激は忘れられな い。
今も、この詩は、時として気を入れては読み替えしている。反対の考えの人もあろうかも知れないけれど。とにかくも国民学校の生徒時代は、男の子はいつか 徴兵されることを避けがたい運命とまで観念していた。わたしは京都でも疎開した丹波の山なかででも、「兵隊にとられる」であろう運命を忘れられない少年 だった。そういう少年として長詩「新豊折臂翁」にひしと向き合っていたのだった。
2019 6/8 211

* この数日、浄土三部経の大経、その四十八発願を落ち着いて読んでいる。
芥川龍之介の単独編纂になる日本近代文学選集然六巻の第一、二巻を気の向いた作家・作品から読み継いでいるが、本の姿は古体だがなかなかに興味津々の選集と分かってきて、大いに真夜中、就寝前に楽しんでいる。「ペン電子文藝館」にはうってつけの材料選だと思う。
じりじりと『復活』も読み進んで、いよいよカチューシャ徒刑にネフリュードフ公爵も同行の気構えと用意をみせている。あるいみで、奇抜な作である。
天野哲夫(沼正三)の『禁じられた青春』下巻にも惹き込まれている。
2019 6/8 211

☆ 白楽天の詩句に聴く   訪陶公(淵明)舊宅 抄

垢塵不汚玉    垢塵 玉を汚さず
靈鳳不啄羶    靈鳳 羶を啄まず     羶(なまぐさきもの)
嗚呼陶靖節    嗚呼 陶靖節(=陶淵明)
生彼晋宋閒    かの晋宋の閒に生まる

腸中食不充    腸中 食 充ちず
身上衣不完    身上 衣 完(まつた)からず
連徴竟不起    連(しき)りに徴せらるるも竟(つひ)に起たず   徴(仕官を求められる)
是可謂眞賢    是れ眞の賢と謂ふ可(べ)し

今來訪故宅    今來(いまし)も故宅を訪ひ來れば
森若君在前    森(しん)として君 前に在る若(ごと)し

不慕樽有酒    慕はず 樽に酒有れと
不慕琴無絃    慕はず 琴に絃無きを
慕君遺榮利    慕ふ 君が榮利を遺(わす)れ
老死此丘園    此の丘園に老死されしをこそ

不見籬下菊    いま 籬下にかの菊を見ず
但餘墟中煙    ただ 餘(のこ)る墟中の煙

* しみじみと懐かしい。
2019 6/9 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

後亭晝眠足    後亭 晝眠足り
起坐春景暮    起坐 春景暮る

淡寂歸一性    淡寂(たんせき) 一性に歸す
虚閑遺萬慮    虚閑 萬慮を遺(わす)る

行禪與坐忘    行禪と坐忘と
同歸無異路    歸を同じくして異路無し
2019 6/11 211

☆ 白楽天の詩句に聴く  閉關

我心忘世久     我が心 世を忘るること久し
世亦不干我     世も亦 我を干(おか)さず
遂成一無事     遂に一(さつぱり)と事無きを成しえて
因得常掩關     因(おかげ)で常に關(もん)を掩(閉め)てをける

著書已盈帙     著書は已(すて)に帙に盈(み)ち
生子欲能言     生れし子も能くもの言はんとするに
始悟身向老     始(やうや)う身の老いに向(なんなん)を悟り
復悲世多艱     復(ま)た濁世には艱難の多きを悲しむのみ

歳暮竟何得     この歳暮(=晩年) 畢竟(いまさら)何をか得(もと)めむ
不如且安閑     いま且(しばら)くを 坐忘かつは安閑たるに如(し)く無し

* なかなか。
吾が晩年のもとめて事多いを少し慚じ、しかしまあきらめて、今朝からも湖の本144の発送に励んでいる。
2019 6/12 211

* ぽろ文庫廃本を復活させた中の「住吉物語」久々のの再読に惹き込まれようとしている。手に触れる本はみな読みたくなる。ときどき困ってしまうが、佳い読書には徳がある、かならず。それをよく識っている。
2019 6/12 211

☆ 白楽天の詩句に聴く   感 情 (情に感ず)

中庭曬服玩    中庭 服玩を曬(さら)し
忽見故郷履    忽(こつ)として故郷の履(くつ)を見る
昔贈我者誰    昔 我に贈りし者は誰(た)ぞ
東鄰嬋娟子    東鄰の嬋娟子(せんけんし 美少女)
因思贈時語    因りて思ふ 贈りし時の語を
特用結終始    特(た)だ用ひて終始(いついつまでも)結ばんと
永願如履綦    永(とは)に願はくは履綦(りき この靴)の如く
雙行復雙止    双び行き 復(ま)た 双び止まらんものをと
自吾謫江郡    吾 江郡(江州)に謫(左遷)せられて自(よ)り
漂蕩三千里    漂蕩すること三千里
爲感長情人    長情の人(かの愛おしい人)に感ずるが為に
提攜同到此    提携(靴は持参)し同(とも)に携へ(同行し)て此に到る
今朝一惆悵    今朝(こんてう) 一(ふと)惆悵(ちうてう 哀しみに堪えず)
反覆看末已    反覆して看ること未だ己(や)まず
人隻履猶雙    人(われ)は隻(独り)なるも履(くつ)は猶(今も)双
何曾得相似    何ぞ曽て相ひ似るを得ん (靴と人とは同様には行かぬか)
可嗟復可惜    嗟(なげ)かはしく復た口惜し
錦表繍爲裏    錦の表 繍(ぬひ 刺繍)の裏
況經梅雨來    況(いは)んや梅雨を経て来(より)
色黯花草死    色黯う花草の風情も死(う)せんをや

* 思わず眼をとぢて想う。
2019 6/13 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

歳華何倏忽    歳華(歳月)の 何ぞ倏忽(しゅっこつ 忽ちに過ぎ)
年少不須臾    年少(少壮)は 須臾ならず(あまりに短い)
眇黙思千古    眇黙(心地をこらして) 千古を思ひ
蒼茫想八區    蒼茫(果てなき) 八區(八方世界)に想ひを馳す
2019 6/14 211

☆ 秦恒平様
昨日、『湖の本』144のご恵贈に浴しました。いつもながらのご好意に感謝します。
昨夜遅くに、眠気も催さずに拝見しました。益荒男の伝統を引く「をのこ」であれば、書いてみたい類いのものですね。
笑いながら拝見。ありがとうございました。
ご健勝をお祈りいたします。     並木浩一  ICU名誉教授

* この『オイノ・セクスアリス』第一部の主要趣旨には、カトリック基督教への烈しいほどの批評が一眼目になっていますのへ ご批評 ご批判の無いには すこし拍子抜けの思いがしました。
ただに「をのこ」の問題だけでなく、「性」「性行為」への姿勢は、基督教と教会の歴史を大きく根底から揺るがし続けて、現在では、事実上の破産に到っている大問題かと私には見えているのですが、お教え願えるのを期待しておりました。

☆ 秦恒平様
お忙しい生活の中から、思いがけないメールをいただき、恐れ入りました。
カトリックへの批判はよく分かります。アウグスティヌスの女性蔑視など、酷いものです。しかも原罪を性欲と結びつけて理解した。これが後世への影響は大きなものです。
女性蔑視と聖職者の結婚奨励はルターによって行われましたが、原罪理解の呪縛からの完全な解放は現代世界に入ってから、もっと厳密に言えば、フェミニズム神学の台頭を俟たねばなりませんでした。

私は十数年前に東京神学大学で非常勤講師をしばらく勤めましたが、私が親しかった学生のペアは神学校を卒業すると直ぐに副牧師としての赴任教会で結婚式 を行いましたが、女性の方は妊娠6ヶ月ぐらいのお腹を見せながら、気後れする様子もなく結婚式に臨んでいました。彼らは神学校でも、仲間からも、奉職教会 からは祝福されました。これだけの変化がプロテスタント教会では起こっています。

ボン大学の教授時代に、ナチスと戦って指導的な役割を果たし、キリスト論的な教義学の大作を中途まで書いた神学者のカール・バルト(1886ー 1968)は、秘書のキッシュバウムによる口述筆記、討論、校正などで献身的な協力のお陰で膨大な仕事をしました。夏は山荘で二人だけで生活し、当然、性 的な関係がありました。
バルトは妻のネリーにキッシュバウムの件を告白し、責任を認めて離婚を申し出たようですが、ネリーはその申し出を退け、二人の関係を苦々しい思いで受け入れて離婚することはありませんでした。
バルト家ではキッシュバウムは一室を与えられ、夜中にバルトに起こされて口述筆記をしたようです。キッシュバウムが60歳代に病気入院するまで、バルト家では奇妙な同居生活が続きました。
もちろん、バルト家では家庭秩序が守られたものと思います。バルトはキルシュバウムの存在について、対外的に隠すようなことをしませんでした。彼女の存 在と寄与は公然のことで、バルト家を訪ねる学者その他の人々とのディスカッションにはキルシュバウムが同席して議論に加わっていたようです。

バルトは教義学の創造論の中で、結婚と男女の役割について美しい叙述をし、「一夫一婦制がキリスト教の立場である」ことを明確な言葉で記しました。よく ヌケヌケと書いたものだという批判をする人もあったようですが、この叙述は自己への審判と懺悔を行いつつ記したものと受け止めるべきでしょう。
バルトの論述は誰のものよりもリアルで柔軟です。キリスト教教会はこの件でバルトを葬ることはありませんでした。むしろ、人々はバルトの倫理学から具体的な男と女について学んだのです。
ただし、バルトが当然と考えていた男女の役割論は古い考え方として退けられています。

カトリックにおける聖職者への禁欲の要求は、現実には神父たちによるセクハラ事件を多発させ、女子修道院はレズビアンたちを排除できないというようなことはよく知られています。今日は聖職者の減少に悩んでいます。
カトリック教会もいずれ教義を改訂し、性の抑圧を撤回するでしょう。

応答までに一筆しました。   ICU   並木浩一

* わたしの必読の愛読書の一つはミルトンの『失楽園』であることは、何度か話題にしてきた。基督教に関しては『シドッチと白石』を新聞連載するより遠く 以前から関心深く勉強もしてきた。そして世界史的にみてわたしは基督教への親愛や前向きの関心を少しずつ失って行き、否定や否認へ傾かざるをえない方へ歩 んできたと思う。解放神学やフェミニズムへの理解が加わるに連れて、その程度は大きくなっていた。
『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、老人の性行為をおもしろづく書こうとしたものでは全然無く、「益荒男の伝統を引く「をのこ」であれば、書いてみたい類いのものですね。笑いながら拝見。」というのには強く引っかかったのである。
わたしが、今度の作で意識の芯に置いていたかも知れぬのは、「一夫一婦」というある種模範的な、ある種無惨な人類史の「一制度」がもたらしているかと思われるきついヒズミを、せめて指摘だけしてみたい思いであった、かと。
2019 6/14 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

萬里抛朋侶    萬里 朋侶を抛ち
三年隔友于    三年 友于(ゆうう 朋友ら)に隔たる
自然悲聚散    自然 聚散を悲しむ
不是恨榮枯    是れ 榮枯を恨むならず

謾寫詩盈巻    謾(みだ)りに書寫して詩は巻に盈ち
空盛酒満壺    空しく盛りて酒は壺(こ)に満つ
只添新惆望    只だ 新たな惆望(哀しみや望みばかり)を添ふるのみ
豈復舊歡娯    豈(あに) 舊き日々の歡娯を復(ふたた)びせんや
壯志因愁減    壯志は愁ひに因りて減じ
衰容與病倶    衰容は病ひ與(と)倶(とも)にす
相逢應不識    相ひ逢ふも應(まさ)に識(きづか)ざるべし
滿頷白髭鬚    頷(あご)に滿つわが白髭鬚(はくししゅ)に

すこし意気阻喪の体でもの悲しいが、知友と相い逢わぬこともう五年十年になる、私は。白髪は葎のごとく、白髭鬚は甚だしい。
2019 6/15 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

晨起臨風一惆悵     晨(あした)に起きて風に臨み一たび惆悵す(=悲しみに沈む)
通川湓水斷相聞     通川(=東京)湓水(=京都) 相聞(そうぶん=通信・消息)を斷つ
不知憶我因何事     知らず (君が=)我を憶ふの何事に因るかを
昨夜三廻夢見君     昨夜 三廻 夢に君を見しは
2019 6/16

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

紅旗破賊非吾事    紅旗破賊は吾が事に非ず
黄紙除書無我名    黄紙の除書(戦功を賞する詔書)に我が名無し
唯共嵩陽劉處士    唯だ嵩陽の劉處士(=友人)と共に
圍棊賭酒到天明    棊を圍み酒(=罰盃)を賭けて天明に到らん

* 藤原定家が日誌「名月記」に書き置いて名高い「紅旗征戎は吾が事に非ず」の、これが原拠。

* 好天。風はあるが。
2019 6/17 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

甕頭竹葉經春熟    甕頭の竹葉(ちくえふ)は春を經て熟し
階底薔薇入夏開    階底の薔薇(さうび)は夏に入りて開く

明日早花應更好    明日 早花 應(まさ)に更に好(よかるべ)く
心期同醉卯時杯    心に期す同(とも)に卯時(ぼうじ)の杯に醉はんと

* 機械の始動に延々とかかる。その間、ゆっくり詩集など読んでいる。辛抱、辛抱。
2019 6/18 211

* 明日は、第五回太宰治文学賞受賞、満五十年の桜桃忌。
すこし、気も躯ものびやかに迎え、過ごしたいもの。歌舞伎は、部外の劇作家による歌舞伎座へ初登場の新作。面白くありますように。
三月の結婚満六十年を祝っての歌舞伎座では気分がわるくなり、途中で劇場を出、途中日比谷で休息と思ったのも玄関で断念して車で帰宅した。もうこの体調では何が起きるか分からない。
今夜はもう仕事も置いて、横になり、沢山な本の拾い読みを愉しみながら寝入ってしまおうか。本は枕もとにさまざま山積み。今日は書庫から岩波文庫プラトンの「饗宴」を久しぶりに持ち出してきた。
岩淵宏子教授からは編著の女流文学全集新刊が贈られてきている。「清水坂」文献も「瀬戸内」文献や地図も、大小いろいろ積んである。地図や海図は見飽き ないが、字の小さいのには音をあげる。コワーイ、コワーイ、コワーイ事を創造し幻想しながら夢を見るのも、今は役に立つ。
それにしても、五十年、処女作へ着手からならほぼ六十年、よう生きて来れたなあと少し惘れ。せめてもう少しはと本音で執着しているような己れにも、惘れている。 、
2019 6/18 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

人各有一癖    人 各々一癖有り
我癖在章句    我が癖は章句(=詩作)に在り
萬縁皆已銷    万縁 皆な已に銷(き)ゆるも
此病獨未去    此の病 独り未だ去らず
毎逢美風景    美なる風景に逢ひ
或對好親故    或ひは好き親故に対する毎に
高聲詠一篇    高声一篇を詠じ
怳若與神遇    怳(きょう=恍惚)として神( しん)與(と)遇ふが若(ごと)し

恐爲世所嗤    世の嗤ふ所と爲るを恐れ
故就無人處    故(ことさら)に人無き處(=廬山)に就く
2019 6/19 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

夜夢歸長安    夜 夢む 長安(京都)に歸り
見我故親友    我が故(ふる)き親友に見(まみ)ゆるを

還指西院花    還(ま)た西院の花を指し
仍開北亭酒    仍(な)ほ北亭の酒を開く

如言各有故    各(おの)おの故(=積る話)の有りと言ふが如く
似惜歡難久    歡びの久しくし難きを惜しむに似たり

覺來疑在側    覚め來たりて側(かたはら)に在るかと疑ひ
求索無所有    求め索(もと)むるも有る所無し
殘燈影閃牆    残燈 影は牆(かき)に閃き
斜月光穿牖    斜月 光は牖(まど)を穿(うが)つ
天明西北望    天明 西北を望む
萬里君知否    萬里 君知るや否や
老去無見期    老い去りてまた見(まみゆ)る期(ご)無くと
蜘蹰掻白首    蜘蹰(ちちゆ=茫然) 白首(白髪頭)を掻くのみ

* 白楽天の「感傷」、胸に沁む。当時の彼はしかしまだ五十前。私は今、八十三歳だが、「蜘蹰掻白首」とは思っていない。ただ、「京都」へ帰りたい、話し合い酒を汲み合える友は稀に稀であるけれども。
2019 6/20 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

高天黙黙物茫茫    高天は黙黙 物は茫茫
各有來由致損傷    各(おのおの)來由有りて損傷を致す

外物竟關身底事    外物 竟(つひ)に身底の事に關はらせず
謾排門戟繋腰章    謾(みだり=無用)な門戟は排し 無意味な腰章など繋ぐまじ
2019 6/21 211

☆ 秦 兄
兄の労作に対する感想文は いずれ後にするとして、その第一部に接して、まず思い浮かんだのは 「本能」の二字でした。生きもの全てが先天的に持ってい る本能は各人各様の分類で千差万別ですが、万人が一様に「食本能」と「性本能」を挙げるのは生きもの全てに備わっているからでありましょう。
この二大本能による行為自体はシンプルなもので 人類も他の生きものも大差はありませんが、性本能は、他の生きものには発情期というけじめがあるのに対して 万物の霊長である人類は季節昼夜のけじめがなく意のおもむくままに交わる点でしょう。
これに次ぐ本能として 群生本能を挙げる理由は、食本能を個体の保持、性本能を種の保存のためとするなら群生本能は「おのれ」ひとりだけでは絶対に生存できないという宿命を持つからです。
最低この三つの本能は生きもの全てが持っていますが、万物の霊長に限って言えば 「願望本能」を挙げなければなりません。この本能は量質の違いはあれ哺 乳類にもあり、帰巣を願望と捉えれば願望本能は下等生物にもありますが、願望本能を「文化」を育み、進歩発展させるためと捉えるのは万物の霊長である人類 だけでありましょう。
文字の文化を例に取れば、猿や象やアシカなどが絵筆で図(ず)書(しょ)を描いたとしても 所詮は人間が仕掛けたパフォーマンスにすぎません。

この・・・したいという願望本能こそが人類のあらゆる文明・文化を育み、進歩発展させる基になっているのですが、その願望本能と性本能をコラボさせて生みだされたのが 兄の労作だと解しています。
この本能を文字文化に昇華させて生業とする作家の特権を羨ましく思うと同時に、凡人に才能や勇気の持ち合わせのないことが悔しくてなりませんが、仮にできたとしても稚拙な筆致の代物では、それを銭に替える術もありません。
しかし、この二大本能が人並みにあることは、食い盛りのガキの頃から食本能は大戦中や戦後の食糧難と相俟って全開の極限でしたし、性本能もまた銭湯文化 や近隣の遊里によって大きな刺激と影響を受け感性は培われました。受験期に肺病に罹ったのも、これらと無関係ではないはずです。

市電の知恩院電停前にあった古本屋には、借りるのを憚られる類いの本は店主に背を向けて盗み読みをしたりなど、随分と世話になったものです。
大学受験に予備校ならぬ病床で参考書に古文はクイズ紛いの□□だらけの西鶴や、英文はD.H.ローレンスやヘンリー・ミラーの作品などと読んだスティー ヴンソンの『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』の願望本能を 兄の労作にも見るのですが、兄は発表の年齢やジャンルは別にして、文人としての天命である 性本能というテーマを文字文化によって見事精緻多彩に表現し切って創作し、このたび万人に披露されました。
私はジキル博士とハイド氏の二重人格性を多くの為政者に見て、憤怒を『ハイド氏は2票方式で落選させる』と『ハイド氏は赤ん坊が落選させる』という選挙 制度改革案に昇華させて、兄たちのおかげでアマゾンから2冊の電子本にしたのですが、読者を法悦境に誘(いざな)う兄の労作と比べようはありませんし、水 を去ると書く「法」に関する本は まさしく無味乾燥で退屈な代物ですが、強いて共通点を求めれば、次元・程度は別にして 文字化による願望本能の披瀝とで も言わせてもらえるでしょうか。
しかし、いちばん大きな違いは、兄の労作は世に出た瞬間から その存在が万民に認知されるのに対して、当方の代物は成果を実証して世人に認知させなけれ ばならないのですが、残念なのは成果の実証を読者である有権者に100%委ねなければならないところに歯がゆさが残ることです。ただ私は 長い闘病生活で 「想像力は願望に勝る」というエミール・クーエの法則を良しとするオプチミストですから 歯がゆさは感じても悲鳴はあげません。

兄の労作が万人の涸れた心の「オアシス」として存在しつづけるように、私の二つの小冊子は今の世の荒廃し切った為政者の首のすげ替えを万民が自由自在になし得る改革案という点で、万民の主権奪還と言う大義名分だけは備えていると自負しています。
何よりも、気が滅入った時に安らげるツールがあるのは有難いことです。読書や音楽鑑賞は医療ミスや薬害による片目・片耳での楽しみ方ですが、不自由さは今はまだ最悪ではありません。
そんなことで、第一部で感じた一端を記して、畢竟、性本能と言う万物に共通の性(さが)を、続篇でどんなテーマをどのように展開させて完結させるのか(しないかも)と想像を逞しくしつつ楽しみにしております。
ただ、今の兄も 体力より気力が先行の状態でしょうから、奥さま共々くれぐれもご自愛専一を心掛けてください。 2019-6-21  京・岩倉  森下辰男  同窓

* 実に 嬉しいメール。白楽天がしきりに遠く離れた友への詩句をうたいやまない気持ちが分かる。ありがとう。頑張って生きましょう。

* 古門前電停前の「古本屋」とは、まあなんという懐かしいことを聞いたことか。秦の家から早足なら二分とかからなかった、この古本屋サンこそは敗戦後わ たくし少年期の「立ち読み」専門店であった。まああんなに立ち読みしていてもおばさんは黙っていてくれた。敗戦後にどったと出た新刊の雑誌「ロマンス」 「スタイル」などはまだ無難にめを剥く婦人誌だったが他にもやたらめたらに刺激的な変な写真誌が並んでいた。どきどきした。しかし、この本屋さんで
素晴らしい買い物もした、乏しい小遣いで。その超第一等は 斎藤茂吉自選歌集『朝の蛍』だった。こりと出会わなかったらわたしは歌詠みにはなれなかったろう。それから、使い古された英和辞典を買った。家に使いやすい規模の英語辞書など無かったのだ。
それともう一つは何度も何度も書いてきたユーモア小説、「心」という本を帳場の娘へもってゆき、本と題とを指さし指さし恋心を「本・心」「本・心」と訴えた青年の純情。あの作者の名(佐々木邦、か)を、今、ド忘れしているのが悔しい。
2019 6/21 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

緑陰斜景轉    緑陰 斜景轉じ
芳氣微風度    芳氣 微風度(わた)る
新葉鳥下來    新葉 鳥 下り來たり
萎花蝶飛去    萎花 蝶 飛び去る
閑攜斑竹杖    閑(しづ)かに斑竹の杖を攜(たづさ)へ
徐曳黄蔴屨    徐(おもむろ)に曳く 黄蔴(こうま)の屨(くつ)
欲識往来頻    往来の頻りなるを識らんと欲せば
青蕪成白路    青蕪(せいぶ) 白路を成す
2019 6/22 211

* 昨夜はひどい疲れのまま、それでもたくさん本を拾い読みつづけ、寝入ったのはおそかった。
雑食型のショウのない読書家だが、やめられない。昨夜読み進んだのは順不同に、丸山真男『日本の思想』の、マルクシズムに吹き捲られた昭和初期文学のこ となど、浄土三部経の「大経」「観経」の前半、『沙石集』上巻の拾い読み、プラトンの『饗宴』を久々に面白く、継母ものの『住吉物語』もじつに読みやすく 心惹かれ、ドニ・ユイスマンの明快な説得の『美学』を懐かしく、さらにトルストイ『復活』はいよいよカチューシャ徒刑の列車にネフリュードフも同車。最後 に、天野哲夫(沼正三)さんの説得力も牽引力ももの凄いほど興味深い『禁じられた青春』の下巻、北満への若き就職の日々と見解を、ずんずん。
これぐらいで、もう寝てもいいなと思う。足りなければ芥川龍之介編の『近代日本文藝読本』の第一第二巻から短篇などを。とにかく、せめてもう一度読んでから断捨離しないとと勿体ないと思ってしまう煩悩の深さ。枕許には、この二倍ほどは積んである。
2019 6/22 211

* 夕食進まず。雨と気温との障りか、秀作だった「刑事フォイル」に続くらしいアガサ・クリスティものが不快千万で、昼間、記録仕事などに精出していた妻 もからだを休めに寝入り、わたしも横になって、天野哲夫に読み耽り、つづいて『饗宴』『住吉物語』ユイスマンの『美学』も面白く興深く変わり映えもして読 み継いでいった。その間に大きな荷で苫小牧の林晃平教授から來贈の千頁にも及ぶような『浦島太郎の伝説』を手にした。林さんはもうかなり以前に、やはり今 回と同規模の『浦島太郎』研究書を出され、読んでいた。浦島太郎は私に体力と時間があれば書きたい主題の大きなひとつであった、ありつづけていた、だが、 容易にそこへ手が届かぬママになっていた。
立派な考察本のまた成ったのを祝し、また感謝申し上げる。
2019 6.22 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

外累由心起    外累(がいるい=世俗の煩ひ)はわが心由り起こるもの
心寧累自息    心寧(やす)ければ累も自づと息(や)む

宜懐齋遠近    懐(おも)ひを宜(よろ)しくせば 遠きも近きも齋(ひと)い
委順随南北    順(自然)に委ねれば 南も北も随ふ(無い)
歸去誠可憐    歸去する(懐郷の想ひ)は誠に憐れむ可(べ)きも
天涯住亦得    天涯に住するも亦(ま)た得ん(出来る)
2019 6/23 211

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

長羨蝸牛猶有舎     長く羨む 蝸牛すら猶お舎(いへ)有るを
不如碩鼠解蔵身     如(し)かず(=負ける) 碩鼠(せきそ=大鼠)の解(よ)く身を蔵すにも

但道吾廬心便足     但(た)だ道(い)はん 吾が廬(すみか)は心便(すなは)ち足ると

* むかしは簡素な書斎(とは謂えぬ、身のまわり)を心がけていたのに、いまや、言語道断にあれもそれも、どれもこれもが身辺、壁、襖、障子を塞いでいる。賑やかなと思うことにし受け容れている。ちょっと目を上げると谷崎先生の炯眼とまっさきに視線が合う。
2019 6/24 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

量力私自省     力を量りて私(ひそか=自儘)に省みれば
所得已非少     得る所 已(すで)に少なきに非ず

若無知足心     若(も)し知足の心無くんば
貪求何日了     貪求 何れの日にか了らん
2019 5/25 211

☆ 秦 恒平様
ご無沙汰申しております。
昨春に二冊目の拙著『浦島伝説の展開』刊行しました。お送りすることをひかえておりましたが、前著を熟読していただいていることもありましたので 遅くなりましたが、新資料も付して 私としては新展開を試みております。
お忙しい毎日とは存じますが お暇な折いでもお目通し下されば幸甚に存じます。
末筆ながら益々のご健筆とご健康をお祈り申し上げます。  林晃平 苫小牧駒澤大教授

* 林様
前年の大著が二た昔も前に想われます、新刊の実現を祝します。
頂戴して、大冊ながら、目次も後記も参照しつつ概ねどうどこへ到達されたか、まだ先が遠いかなど、あれこれ感じました。

大まかには、前巻を大きく抜いて新展開・発見著しいというのは、容易ならぬ現状と拝察しました、浦島太郎に「限局」しての追究では、やはりむりからぬことかと感じました。

うすぐらい私の推測にしか過ぎませんが、日本列島の河川池沼はともあれ、日本をとり巻く「海」の伝承や説話の蒐集と検討究明が、学会でも十分ではないのかなと感じています。
それらとの関連とともに「浦島太郎」の座標が、よりいろいろに組み替えられはせぬかなどとも、今回、ふと想いました。

ますますの御苦労に期待を寄せたく存じます。 お大切に。  秦 恒平

2019 6/25 211

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

曠然忘所在     曠然 として所在を忘れ
心與虚空倶     心は 虚空と倶にあれと
2019 6/26 211

* 天野哲夫の(正しくは)『禁じられた青春』を読み進み、彼は昭和十九年か二十年、満州から故国九州へ帰って徴兵試験に甲種合格する。一世代早く早く彼 は昭和の日本を歩いて行く、わたし自身はまだ京都の国民学校で三年生だったろう、敗戦の年の雪の丹波へ二月末三月初には秦の祖父と母と三人で疎開した。縁 故という縁故もなくてご近所の紹介一つではるばる亀岡から二里ほどの樫田村字杉生のまっくらな山上の空き家に入った。四月から一四年生、八月には天皇の声 をラジオで聴いた。杉生には敗戦後もふくめ一年半いて、大怪我もし大病もして、辛うじて京都へ帰った。勇断連れかえってくれた秦の母の大恩は忘れたことが ない。
わたしは今、あの昭和二十年の敗戦から戦後を現在の日本よりも切に思い起こしもの思いつづけている。映画『日本のいちばん長かった日』八月十五日、それに先だった廣島と長崎の原爆での壊滅。
いま、全代議士は あの戦争と敗戦とに直かに学び返して欲しい。
それは新天皇夫妻にも秋篠宮家にも、切に願うことである。
平成天皇ご夫妻は、まことにご立派だった。
2019 6/26 211

* 古い古い古活字の和綴じ、觀奕堂蔵四十六巻もの古本の、興味有るあちこち、を眼を凝らして面白く読み直している。凄みに富むとてつもない参考書。
2019 6/26 211

☆ 拝啓 (前略)
「オイノ・セクスアリス」第一部 吉野東作氏の独特の文章に圧倒されました。白行簡の大楽賦、から亂聲を経てユニオ・ミスティカへの展開、簡潔で感覚に あふれたメール文のなどの工夫。まことに言葉の巧者。第二部への展開がどうなりますか。益々の御健筆を祈ります。敬具  祐  新聞記者

* わたしの今度のこの仕事で、ことに第一部でもっとも真率な敬意を持って参照したのは上野千鶴子さんが編著者としての戴き本だった。ところが書名は覚えないままに物の山に埋もれて此処へ書き出せないのは申し訳ない。女の人だけで書かれ編まれていた本であった。
2019 6/26 211

☆ 白楽天の詩句に聴く  馬上偶睡、睡覚成吟

長途發已久    長途 發して已(すで)に久し
前館行未至    前館 行くも未だ至らず
體倦目已昏    體(たい)倦み 目は已に昏くら)く
瞌然遂成睡    瞌然(こうぜん=眠気萌し)遂に睡を成す
右袂尚垂鞭    右袂(うへい)は尚ほ鞭を垂れ
左手暫委轡    左手(さしゅ)は暫く轡(たづな)に委(ゆだ)ぬ
忽覺問僕夫    忽ち覺めて僕夫に問へば
纔行百歩地    纔(わづ)かに行くこと百歩の地のみ
形紳分處所    形紳(=身と心) 處所を分かち
遅速相乖異    遅速 相ひ乖異(かいい)す
馬上幾多時    馬上 幾多の時ぞ
夢中無限事    夢中 無限の事
誠哉達人語    誠なる哉 達人の語
百齢同一寐    百齢も一寐(いちび)に同じ

* あの「一炊の夢」が白楽天の思いに兆したかは知らないが、この年(八十三歳)になってみると、「百齢も一寐(いちび)に同じ」 この一編 過ぎ越し人生を痛いまで想い返させる。
2019 6/27 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

新篇日日成    新篇 日日に成る
不是愛声名    是れ声名を愛するにあらず
舊句時時改    舊句 時時に改む
無妨悦性情    無妨(はなは)だ性情を悦ばしむる

祇擬江湖上    祇(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦過一生    吟哦して一生を過ごさんと
2019 6/28 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

琴書中有得     琴書の中に得る有り
衣食外何求     衣食の外に何をか求めん
濟世才無取     世を濟(すく)ふに 才 取る無く
謀身智不周     身を謀るに 智 周(あま)ねからず
2019 6/29 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

黄壌詎知我    黄壌(=黄泉の国では) 詎(なん)ぞ我を知らん
白頭徒憶君    白頭(=白髪のこの歳で) 徒(はるか)に君を憶ひ
唯將老年涙    唯(=ひたむき) 老年の涙を將(もつ)て
一灑故人文    一(=ひたすら) 故人の文に灑(そそ)ぐ

* 喪った人らを悲しみ慕うばかりの境涯になったか。わたしの『死なれて 死なせて』は わたしの生涯と文学とをひらく 重い鍵の一つ。
2019 6/30 211

☆ 白楽天の詩句に聴く

老愛尋思事     老いては尋思の事(=あれこれ物思い)を愛し(=に耽り)
慵多取次眠     慵(ものぐ)さに取次(=気儘)の眠り多し

* なかなかそうも行かないが。
2019 7/2 212

* 夕食後、二人とも疲れて、妻は眠り わたしも横になって「復活」「饗宴」「沙石集」「住吉物語」「傷つけられた青春」を、少しずつ面白く読んで休息した。またひき続き仕事した。作業は明日がヤマで、明後日には終えたい。
2019 7/2 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

病將老齊至    病は老いと齊しく至り
心與身同歸    心は身と同(とも)に帰る
白首外緣少    白首(=白髪の老は) 外緣(外界の囚はれ)少なく
紅塵前事非    紅塵(世俗の塵まみれな)前事(=過ぎしわが生き方)は非(=もはや無)なり
懐哉紫芝叟    懐(おも)ふぞや 紫芝の叟(=はるか過去の詩人賢人達)を
千載心相依    千載(を隔てても) 心は相ひ依る
2019 7/3 212

* 晩 疲れてしまい 横になり、睡らず読書。なによりも天野哲夫の『禁じられた青春』の昭和と戦争時代の批評が刺激的に興味深かった。これは、なみなみの本でなく、私自身で切実に追体験可能な貴重な証言本である。
2019 7/3 212

 

☆ 白楽天の詩句に聴く  中隠

大隠住朝市     大隠は朝市(街なか)に住み
小隠入丘樊     小隠は丘樊(山なか)に入る

不如作中隠     如(し)かず中隠と作(な)れば

似出復似處     出づるに似 復た處(を)るに似
非忙亦非閑     忙に非ず 亦 閑に非ず
不勞心與力     心と力とを勞せず
終歳無公事     終歳 公事無し

君若欲高臥 君若し高臥せんと欲すれば
但自深掩關 但(ただ)自ら深く關を掩(おほ)へ
亦無車馬客      亦た車馬の客の
造次到門前      造次 門前に到る無かれ
人生處一世     人生れて一世に處(を)り
其道難兩全     其の道兩(ふた)つながら全うし難し
賤即苦凍餒     賤は即 凍餒(とうだい)に苦しみ
貴則多憂患     貴は則 憂患多し
唯此中隠士     唯此の中隠の士のみ
致身吉且安     身を致すこと 吉 且つ 安し
窮通與豊約     窮通と豊約と
正在四者閒     正に四者の閒に在り
2019 7/4 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

日入多不食 日入りて多く食らはず
有時唯命觴 時有りて唯だ觴(酒杯)を命ず
何以送閑夜    何を以て閑夜を送らん
一曲秋霓裳    一曲 秋の霓裳
一日分五時    一日を五時に分かつ
作息率有常    作息(為すも憩ふも) 率(おほむね) 常有り
自喜老後健    自ら老後の健を喜び
不嫌閑中忙    嫌はず 閑中の忙を
是非一以貫    是非は一を以て貫き
身世交相忘    身世(わが事 よそ事)は交(こも)ごも相ひ忘る
若問此何許    若し此(ここ)を何許(いづく)と問はんか
此是無何郷    此は是れ 無何郷(無何有の郷=在り得ない場所 ユートピア)

* 相い響いて慕わしい。
2019 7/5 212

 

勿謂土狭    土 狭しと謂ふ勿(なか)れ
勿謂地偏    地 偏なりと謂ふ勿れ
足以容膝    以て膝を容るるに足り
足以息肩    以て肩を息(やす)むに足る

皆吾所好    皆 吾の好む所
盡在吾前    盡く吾が前に在り
時飲一杯    時に一杯を飲み
或吟一篇    或ひは一篇を吟ず
妻孥煕煕    妻孥(妻子)は煕煕(嬉々)
鷄犬閑閑    鷄犬は閑閑(悠々)
優哉游哉    優なる哉 游なる哉
吾將終老乎其閒
吾 將(まさ)に老いを其の閒に終えんとす

* 実感に逼る。
2019 7/6 212

* 「剣客商売」という ま それだけのドラマを、他のくだらなさ過ぎる日本ものよりはましかと見ているが、このごろ「客」という一字に思いが傾いている。
「客」とは、旅人、来客、根底には「まれびと」「まろうど」つまりは「神」「神位にあるもの」の意をわが国では「感じて」きたと思う。本国の中国で、元 来がそうであったのだろうが、現在ではどうか知らない。日本では「お客さん」と、敬意や畏怖を二重に謂うこともある。妙な一字である。
「漢字」の不思議は白川静博士の『字統』をなによりも珍重し教わっている。さながら異界の「客」となる気がする。

* 何ともいえず心身とも疲れている。仕方ない。こういう時は、いっそ気楽に休も。

* いい工合に、「湖の本145 長編二部」を読み終えたところへ、「146 三部」零校が届いている。十年掛けて何度も気を入れて読んできた、近年は殊に。
この長い小説は、結句 自分で自分のため、自身を癒し励まし しかとモノを思い直すために書いた作。死なれて、死なせて、身内を分かち合うての倶會一處。何人(なんにん)何人(なんびと)であれ、ネコたちであれ。たとえ「畜生塚」と呼ばれようとも。

* 病臥や加療や老衰を、あまつさえ訃報を伝えられること、月日を追うて多く。自然の趨か。

* 書庫でたまたま見つけた一冊が、思いがけず、とても勉強になった。むかあしに、神戸の信太周教授から頂戴していた。ちと首を竦め、熱心に晩景をおかして読みに読んだ。有り難し。
2019 7/6 212

☆ 白楽天の詩句に聴く    眼花を病む

頭風目眩乘衰老    頭風 目眩 衰老に乘じ
秖有增加豈有瘳    秖(た)だ增加する有り 豈(あ)に瘳(い)ゆる有らんや
〔傳(春秋左氏傳)云く、加ふる有り而(て)瘳ゆる無しと〕
花發眼中猶足怪   花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り
柳生肘上亦須休   柳 肘上に生ずるも亦た須(すべから)く休すべし
大窠羅綺看纔辧   大窠の羅綺は看て纔(わづ)かに辧じ
小字文書見便愁   小字の文書は見て便(すなは)ち愁ふ
必若不能分黒白   必ず若(も)し黒白を分かつ能はざれば
卻應無悔復無尤   卻(かへ)つて應(まさ)に悔い無く復た尤(とが)め無かるべし

* 此の白楽天の詩句に聴くとおりに、刻々悩んでいる。
2019 7/7 212

* 本を読んで、寝よう。 明日には「湖の本 第二部」用の表紙が届くだろう。

* 『禁じられた青春』の敗戦後 『復活』の徒刑地 『住吉物語』のそらさらと読みいい古文、芥川編の近代作家の作品集 惹き込まれている。
2019 7/7 212

☆ 白楽天の詩句に聴く 哭

今生豈有相逢日    今生 豈(あ)に 相ひ逢ふ日有らんや
未死應無暫忘時    未だ(吾は=)死せざれば應(まさ)に暫くも忘るる時無し

* 点鬼簿に存命の名を書き入るる日に日を増してただ目を瞑る   宗遠

* 七夕を忘れしままの夢に見き川のあなたに待ち待つ人らを     宗遠
2019 7/8 212

☆ 白楽天の詩句に聴く  任老

不愁陌上春光盡    愁へず 陌上(=街路また人生とも)に春光(=壮年の耀き)盡くるを
亦任庭前日影斜    亦た任す 庭前(=老境とも)に日影斜めなるも
面黒眼昏頭雪白    面(かほ)黒く 眼は昏く 頭(=髪)は雪白
老應無可更增加    老いは應に(=当然)更に(=もはや)増加すべきこと無かる可し

* 耳順(六十)の吟には、「五十六十 却つて悪しからず 七十八十は百病に纏はれ 病羸昏耄の前に在る」と吟じていた白楽天。九世紀半ば、「老いに任せて」七十五歳で亡くなっている。私はいま八十三歳の半ばを過ぎ、如何にも遺憾にも「老應無可更增加」とお任せの気分ではない。
2019 7/9 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

琴詩酒伴皆抛我     琴詩酒の伴(とも) 皆 我を抛つ
雪月花時最憶君     雪月花の時 最も君を憶ふ

* 和漢朗詠の昔ひとの白詩に親しんだこの一聯はシンボルのようであった。私もまたこの詩句をはやく幼く覚えて忘れない。雪月花時最憶君。いま八十を過ぎて思いは、泪ぐむほど切である。
2019 7/10 212

* 故・阪大名誉教授「島津忠夫著作集」完結後の浩瀚な『残篇』一冊(私家版)を、お手紙を添えられご遺族の藤森昭・佐貴子さん、鄭重に送って下さる。編輯も刊行までも、さぞ御苦労であったろうと、お気持ちの熱さに胸打たれた。
2019 7/10 212

 

* 早い夕食後、昏倒したように六時半近くまで寝入っていた。
少しく機械前の身辺を模様替えし、ラジオで録音盤が聴けるようにした。いまもマリア・ジョアオ・ピレシュでモーツアルトのピアノ曲が聴けている。
ソクラテスら(プラトン)は人間に必需基本の教養として 詩歌、音楽そして体育と言い続けていた。わたしには自身を体育する励みがなく、成年以後もなかった。一時期、一日に数時間も自転車で遠乗りを楽しみ続けたのが例外というに近いが、もうそれは危険極まりない。
詩歌(文藝)への、また幸いに器楽曲や舞台音楽への嗜愛は失せていない。
2019 7/10 212

* わたしは今 さながら愛に捧げる演説集の『饗宴』を、何度目か、読み返している。むろん岩波文庫の飜訳でであるが。愛と性愛との難題に取りついて、ここ十年「オイノ・セクスアリス」を歩んできた。
いっしょに大学院へ進んだ大森正一君はプラトン学が専門だった。わたしが院を見捨てて上京就職結婚して間もない頃、早稲田での美学會に誘ってくれて会い に行った、園頼三先生、金田先生方ともお目にかかれた。その大森君、早くに亡くなった。美学で一の仲良しだった(と、わたしは想っていたのだが)重森ゲー テにも若くして死なれてしまった。ごく最近には同じ美学で一年下、妻の一の親友だった澤田文子さんが亡くなった。もはや避けがたく思い出はみな誰かの死へ 繋がれて行く。白楽天ででもそんな詩ばかり拾い読んでしまっている気がする。
今度の小説にも書いたが。
ただ「倶會一處」の四文字を刻むほか何一つ加えない小さなまるっこい石の下に、誰彼となく真実懐かしい人らやネコたちと、いつか、笑顔で輪を囲みたいものだ。それまでは、妻と、出来ればいっしょに百歳まで生きてみようと笑っている。

 

* じりっと先へ出たが。
すこし怖くなってきた。
2019 7/10 212

☆ 白楽天の詩句に聴く  思 舊

閑日一思舊    閑日 一たび舊(=友)を思ふ
舊遊如目前    舊遊 目前の如し
再思今何在    再び思ふ 今 何(いづ)こに在ると
零落歸下泉    零落 下泉に歸す
或疾或暴夭    或ひは疾み或ひは暴夭し
悉不過中年    悉(ことごと)く中年を過ぎず
唯予不服食    唯だ 予(われ) 服食(=服薬)せず
老命反遅延    老命 反(かへ)つて遅延す

* 感慨あり、長詩の上辺をかすめ採った。
2019 7/11 212

* 今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行く経過となった。
しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、つよく肯定しつつ、それが「所有」の思いに帰着し固着するのを惟い、しかし「愛」とは「共有の生」を謂うの であると思い寄っていた。「性愛」に執すれぱむしろ「愛」に背くか遠ざかるのでは。『饗宴』のソクラテスが「愛」をどう語っていたか忘れている、今、読み 返し始めている。
2019 7/11 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

病將老齊至    病は老いと(足なみ=)齊(ひと)しく至り
心與身同歸    心は身と同(とも)に(故地に=)歸る
白首外縁少    白首(=白髪の老人) 外縁(世のわずらひ)少なく
紅塵前事非    紅塵(=俗世に奔走の) 前事非なり
懐哉紫芝叟    懐哉(=慕ふは) 紫芝の叟(=風雅の商山四皓)
千載心相依    千載(=千年を隔ててなほ) 心相ひ依る
2019 7/12 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

眼下有衣食     眼下に衣食有り
耳邊無是非     耳邊に是非(=五月蠅い噂も)無し
不論貧與富     貧と富など論ぜず(=問題としない)
飲水亦應肥     水を飲むも亦た應(まさ)に肥ゆべし
2019 7/13 212

 

* 疲れて参りかけたので横になりに行きながら、そのまま天野哲夫の『禁じられた青春』下巻を戦後も、東京裁判の後まで、残りも僅かまで引き込まれ読み進 み、「あとがき」も感銘と共に読んだ。上巻はどこへ行ったか、昭和十年生まれの自分に即し、昭和初年生まれの著者の前半分は処分したのかも知れないが、綿 密に、緊密に、 親密にとすら謂えるほどに「耽読」してきた。人生の最後へさしかかり生きてきた若き日々の日本を思い出したくなれば、この一冊にまさる名 著は無いであろう。書庫の何千册をカラにしても、この『禁じられた青春』下巻一冊は惜しんで残すだろうとさえ思う。

* ついで吾が『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部のなかの、東作氏が入院中にプラトン『国家』に刺激されて書いた健康と死とにかかわる長い吐露の文 を慎重に読み替えして、やはり「老い」の述懐として「病と死」とにかかわる思いはこの作に不可欠と感じた。この吉野東作氏の述懐は、はからずも作中の若い 「雪・雪繪」と書かれている女性に微妙に突っかかられていて、作の行方と転回を促している。若い人の気持ちは別として「老い」をかかえ「病い」をかかえた 読者には面倒でも読み切って貰えるといいのだが。

* さらに次いで、いよいよ『饗宴』が、巫女ディオテマとソクラテスとの「エロス」についての対話に入ったのを歓迎して、興味津々読み始めた。

* 結局、横になったままの読書で、睡らなかった。

* 夕食後、妻がピアノを鳴らしているあいだ、たっぷり入浴、校正、佳い読書また佳い読書。
2019 7/13 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

五十八翁方有後    五十八翁 方(はぢ)めて後(嗣子)有り
静思堪喜亦堪嗟    静かに思へば喜ぶに堪へ 亦 嗟(なげ)くに堪ふ
一珠甚小還慙蚌    一珠甚だ小さく 還(ま)た蚌(=真珠を産む淡水の貝)に慙じるが

持杯祝願無他語    杯を持して祝ひ願ひ 他語無し
愼勿頑愚似汝爺    愼みて頑愚 汝の爺(ちち=白楽天)に似る勿れ

* 建日子五十歳 こういう思いをさせてやりたい。生来 愛情溢れているのだもの。
2019 7/14 212

* 東大大学院の博士課程の頃に出されてた佐伯順子さんの、むかァしに戴いてた本を書庫で掘り出しよみ返し、いまどうされているかと知人に尋ねたら、同志社大教授と。昭和六十二年ごろ、「謹呈 秦 恒平先生」と鄭重な献辞だった。母校の教授になってられるかと、完爾。
若い日々の仕事は果敢なのがいい。
尋ねたのは「連絡先が分かれば…」だけであったが、もらった返事にいきなり佐伯さんの仕事への貶辞がくっついてきたのには驚いた。
「同志社大学教授ですが、「聖なる遊女」論はユング心理学の一派である娼婦原型を用いたものとして、小谷野『江戸幻想批判』『日本売春史』等で繰り返し 批判されています。またその恋愛近代化論も、徳川時代後期の遊びの世界のものに過ぎない「色」を前近代日本全体に当てはめるものとして批判を受けていま す。若くして注目を集め、一時期マスコミにもてはやされたようですが、川端に言及していたものもいい加減だったので、その後の著作は読んでません。取り急 ぎ。」
そんなことは、いずれ私自身の判断することである。
そもそも研究者の仕事は、それぞれに毀誉褒貶の渦に巻かれ、それに堪えて行くことで学問としての成果が積まれて行く。一人一人が自身自信の仕事を提出し合うことこそ大事。とかく陥りやすいが他を貶ってるだけでは何の手柄にもならない。
2019 7/14 212

* 視野湿潤のせいか、ボーゼンと疲れている。自分でも何をしているのか分からない。やすむしかない、残念だが。

* 六時過ぎまで寝ていた。寝入る前に女性文学全集で瀬戸内晴美、三浦綾子の短篇を少しずつ読み始めたが、眠気に負けた。
2019 7/14 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

隋年減歡笑     年に隋ひて歡笑減じ
逐日添衰疾     日を逐うて衰疾添ふ
且遣花下歌     且(しばら)く花下の歌を遣(し)て
送此杯中物     此の杯中の物を送らしむ(=酒の肴にしよう)

* 國やぶれて山河ぱあれど   あの敗戦の日。「断末魔の日の空は青かった」と『禁じられた青春』の著者は謂う。
遠い思い 出と重なるが、あの当日のわたしは、国民学校夏休み中の四年生、しかも丹波の山奥にいた。上の本の著者は私より十歳年長で、この「日本のいちばん長かった 日」には船にも乗らない海軍の「水長」とかであった。十日もせず、日本国の軍隊は失せて、彼はしこたま手に入れた荷を背負って故郷の家族のもとへ「復員兵」として帰宅 した。
それからが、あの、わたしにも記憶の日々に濃くなる「敗戦後」が始まる。
この本の著者の故郷は九州博多辺。私の丹波や京都との差異はあるが「敗戦の実 感」には濃密な共感がある。
「暑い夏、酷熱の夏」「日本人が皆死んだら陛下は」「断末魔の日の空は青かった」「原爆投下へ至複雑な迷路」「玉音放送の意味せるもの」「昭和は死んじ まった」「鍋墨か化粧品か、日本人女性の貞操の危機」「いい奴は死ぬ、屑が残る」「敗戦の屈辱はコキュの嘆き」「パンパン、どぶねずみ、巷が野性に返る 時」「戦争孤児たちよ、騙せ、盗め、かっ払え!」「敗戦の惨苦を口にし得る資格はありや」「物こそ神様、神々の流離譚」「あとがき」
天野哲夫の『禁じられた青春』のあの断末魔の夏以降の「目次」表記を書き出してみた。
むろん全部を記憶と意志とに響かせて熟読し、著者の言句に「異」を唱え たい何一条もなく、わたしは、とかく忘れそうにも忘れたくもなる、しかし決して忘れてはならない「敗戦後」少年の体験を心身に刻みなおした。
よく書き置い てくれたと感謝し胸の震うほどしっかり読んだ。

* それが、「敗戦の八月十五日」を一月後に迎えねばならぬわたしの、文字どおり「記念」の思いである。
歯噛みするほど残念だが わたしは 今の日本、ことにその政治と経済と外交と教育と文学とを、信頼できない。

隋年減歡笑     年に隋ひて歡笑減じ
逐日添衰疾     日を逐うて衰疾添ふ

読み書きの出来るうちは

且遣花下歌     且(しばら)く花下の歌を遣(し)て
送此杯中物     此の杯中の物を送らしむ(=酒の肴にしよう)

* 『オイノ・セクスアリカ 或る寓話』を、もう何度目か、全編また読みかえした。書いて良かった、納得した、作家生涯五十年にこれは必然の作と 自身納得できた。そのためにかなり多くの、久しい、ことに女性読者を喪うかもしれなくても、わたしとしては。よく読んで欲しいと押し戻すしかあるまい。

* 性愛は「相死の愛」と。愛は「共生の愛」と。その思いを覆す理解に今のわたしは思い当たらない。

☆ お元気ですか、みづうみ。
わた くし程度の蔵書量でも次から次に湧いてくる本にあきれるばかりです。とうとう梱包業者の手を借りましたが、何しろ桐箪笥にまで本を入れていたわけで……。 今回のリフォームの理由の一つが本の収納対策でもありました。みづうみのような桁外れの蔵書のおありの方は決してお引越しなさいませんようにお勧めしま す。

今回の『オイノ・セクスアリス 或る寓話』については、まだ考えがまとまらず、次回配本予定の「湖の本」でもっと読みこんでからと思っています。「選集」には書きこみや線引きや付箋貼ったりしたくありませんので。

でも、みづうみのご質問には即断即決でお答えできます。

同じ女として、「雪繪」には共感せず、したがって雪繪を愛することもなく、雪繪になって愛されたいとも思いません。

吉野東作=秦恒平とは、勿論思いませんが、みづうみの好みの女人はたとえば豪奢な(経済的な意味ではない)谷崎松子さんと思ってきましたので、登場した雪繪の造形には最初戸惑いました。今までのヒロインとは違います。

 

『初恋』の木地雪子はわたくしの愛してやま ない、ひたむきな美しいヒロインですが、雪繪は雪子とは被差別側にいたという点以外はずいぶん性格を異にしています。わたくしには共鳴しにくいヒロインで した。性的な魅力が描かれれば描かれるほど、彼女の本音というか正体が見えなくなります。あえてそのように作者が描いたのでしょうが、俗世間では「セフ レ」という関係以外のなにものでもない。慈子が当尾宏の絵空事への愛の象徴であると読めば、雪繪は吉野東作の性の、性欲、性的妄想の産物のようにも読めま す。

男の ひとが雪繪のような女を好むのはよくわかります。渡辺淳一の書くような通俗小説から純文学藝術作品にいたるまで男の作家はみな同じような女を好んで書いて います。自分より能力的にも経済的にも社会的にも少し下にいること、結婚してくれと言わず、妊娠させる心配もなく、したがって責任をとる必要がなく、自分 の生活は守れる上に、性的な相手はとことんしてくれて官能的で最高に魅力がある、まさに理想的です。そんな都合のいい女は世界のどこにもいませんが、男の かたの見果てぬ夢というものでしょう。女が自分を性的に裏切らない男はいると信じているのと似ています。

わたくしは天性の娼婦を愛しますが、雪繪 はそうではありません。マノン・レスコーになれない中途半端なインテリ女です。雪繪にはわたくしが生理的に受けつけない何かがありました。美空ひばりの天 才を称賛しますが「血の昏さ」がやりきれないというのに近い感情でしょう。しかも雪繪には美空ひばりを輝かせていた歌はなく、彼女の交際相手と同じ色合い の前向きでない「辛気臭さ」を感じました。

 

わたくしは男でも女でも闘士に共感しま す。晴れやかに明るく立ち向かう人間が基本的に好きなんです。人間の不幸の在り方は底なしですから、被差別部落出身であるという理不尽な受け身の不幸でさ え不幸のランクではましな部類かもしれません。ハンセン病患者やナチス政権下のユダヤ人でも立ち上がった人間はたくさんいました。差別されたことが、愛さ れなかったことが自殺の一因になるなら、人間誰でも何度も死ななければなりません。雪繪は幸福になれたし、自分ひとりの力で幸福になるべきだったと、そう 思えてなりません。

第一印象ですから、この感想も今後変わる可能性がありますが、大きくは変わらないと思っています。
雪繪に抱く「好きになれない」という手厳しい感情は、しかしながらこの作品の評価とは無関係なことです、作品としてはとても面白かったのです。
でも、雪繪についてのこの感想を、みづうみがもしご不快に思われたらほんとうにごめんなさい。
愛とは「共有の生」を謂う╶─けだし名言でありましょう。
しかし、わたくしはみづうみにこう問いたいのです。

性愛に執することが愛から遠ざかることだとしても、みづうみは「共有の性」「相死の生」の前提がなければそもそも「共有の生」に至らないとお考えではないかと。
ユニオ・ミスティカなき男女の愛はありますか?

読むべきもの書くべきものが山のようにありますのに、日常生活の雑事の多いことにはうんざりです。なかなか体力がついてきてくれません。
みづうみの優れたところは名作を書くことだけでなく、作品を本にし配本までこなしてしまわれる超人的実務能力にもあると、ただただ感嘆するばかりです。
でもご無理しないでごゆっくり進んでくださいますようにと、毎回無駄と知りつつ書かずにはいられません。
萍   萍に大粒の雨到りけり  星野立子

* 作が いい読者に出逢えているのを、喜ぶ。

* 今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行くような経過となった。

* しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、肯定しつつ、それが「所有」の思いに帰着し固着するのを惟い、しかし「愛」とは「共和の生」「生産の生」を謂うのであると思い寄っていた。「性愛」に執すれぱむしろ「愛」に背くか遠ざかるのでは。
『饗宴』のソクラテスが、ディオテマから「愛」をどう教わっていたか忘れているが、今、読み返し始めている。

* 最後まで、新長編を何度目か読み返した。少なくも、必然、書かねば済まなかった作と思えて、さらに先があるとしても、作者としてそれは一つの納得である。納得はまだまだ幾重もの先を擁しているはず、「書く」ことで彫り起こす以外にない。

* ソクラテスの『饗宴』を読み返していて、あの「寓話」を書きながら、「性愛」を論じた或る学究の本に只一度も「美」に触れて語られていないのに、語り手の「吉野東作氏」が不満を漏らしていたのを思い出した。
ソクラテスに「愛」を教える聖なる智者の巫女ディオテマは、「要するに、愛とは善きものの永久の所有へ向けられる」ものと云い、ソクラテスが「愛の名に 値するほどの熱心と熾烈な努力とを示す人は何ういう途を進み又どういう行動を採るのか」と問うたのへ、それは「肉体の上でも心霊のうえでも美しいものの中 に生産することです」と言い切っている。「生産は ただ 美しい者の中でだけ出来る」とも。従って「産出に際して運命の女神や産の神の役を勤める者は<美 の女神(カロネー)>なのです」と。
「ソクラテスよ。本当のところ愛の目指すものは、貴方の考えるように、必ずしも美しい者とは限りません、」「美しい者の中に生殖し生産することなので す。」「では、なぜ生殖を目指すのでしょうか。」「愛の目指すところ善きものの永久の所有であるとすれば、 必然に出てくる結論は、愛の目的が不死という ことに在るということになります」と。

* あのアダムとイヴの生殖の愛を決定的に女の躯の死すべきホドの「悪」と否定した 正統基督教の教父や教皇らの姿勢や理解とは、まったくかけ離れている。
ギリシャの性愛にも日本の性愛にも「神」的に美しいちからの臨在が云われ、基督教では神が見放した女ゆえの悪かのように断罪され、その行き過ぎの是正が性的放埒へ濁流となって流れた。
秦 恒平作「或る寓話」ではどうであったか。

* 十時を過ぎた、機械から離れる。
2019 7/15 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

午後恣情寝    午後 情を恣ま(気の向くまま)に寝ね
午時随事餐    午時 事に随ひ(有るがまま気儘に)餐す
一餐終日飽    一餐すれば終日飽き(用が足り)
一寝至夜安    一寝すれば夜に至るまで安し
2019 7/16 212

* 永井荷風訳詩の『珊瑚集』を身のそばへ持ってきている。近代の日本の作家では誰をと受賞の記者会見で聞かれ、漱石、藤村、潤一郎と躊躇わなかった。作 家としての時代を睨み捨てた世投げた生き方でいうと、永井荷風こそもっとも慕わしい。泉鏡花にも同様の強い批判ないし忌避の気味があって慕わしい。
2019 7/16 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

已過愛貪聲利後    已に聲利(名誉や利益)を愛貪するを過ぎての後
猶在病羸昏耄前    猶ほ(未だ)病羸昏耄(病気や耄碌)の前に在り(陥っていない)
未無筋力尋山水    未だ筋力の山水を尋ぬる無きにあらず
尚有心情聽管絃    尚ほ心情の管絃を聴く有り
閑開新酒嘗數盞    閑(しづ)かに新酒を開きて數盞を嘗め
酔憶舊詩吟一篇    酔ひて舊詩を憶ひ一篇を吟ず
2019 7/17 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

我若未忘世    我 若(も)し未だ世を忘れざれば
雖閑心亦忙    閑と雖(いへど)も心は亦た忙ならん
世若未忘我    世 若し未だ我を忘れざれば
雖退身難蔵    退くと雖も身は蔵し難からん
我今異於是    我 今 是れに異なり
身世交相忘    身も世も交(こもご)も相ひ忘る

* 終わりの二行には、身も世も及ばない。
2019 7/18 212

☆ 白楽天の詩句に聴く  自 喜

身慵難勉強    身 慵(ものう)くして勉強し難く
性拙易遅廻    性 拙(つたな)くして遅廻(ぐづぐづ)し易し
布被辰時起    布被(煎餅布団から) 辰時(午前八時頃)に起き
柴門午後開    柴門(かざらぬ門)は 午後に開く
忙驅能者去    忙は能者を驅りて去り
閑逐鈍人來    閑は鈍人を逐ひて(ゆっくり)来る
自喜誰能會    自ら喜ぶこと(=この満足) 誰か能く會(え 理會)せん
無才勝有才    才無きは才有るより勝る(=樂でござる)

* 蒸し暑い、か。
2019 7/19 212

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

併失鵷鸞侶    併せて(相次いで)鵷鸞の侶(鳳凰や鸞のような親友)を失ひ(亡くし)
空留麋鹿身    空しく麋鹿の身(びろく 野卑なわたくし だけ)を留む(生き残る)

* トルストイ『復活』を読み終えた。それも、かつてないつよい感銘のもとに。この大作の欠点かのように最後に聖書マタイ傳の数節が力を入れて挙げられて ある、わたしは、こんどその結末の重さにも適切さにも感動した。今回の読みで、わたしはカチューシャには多くを感じなかった、巻を追うに従い作者トルスト イその人にうち重ねられたネフリュードフの「思い」「行い」の純真と切実に感動を覚え続けた。トルストイなればこそ皇帝政治の糾弾に葬られずにすんだのだ ろう、思想と感想は激越なまでツアー政権の行政を徹底批判している。もう、すぐそこにやがての革命が逼っているその力に『復活』ははっきり意識的に成り得 ていて、それにわたしは頭をさげて読み終えた。むしろあとへ行くほど感銘を深めて、最後に聖書の言葉をしっかり聴いた。
天野哲夫の『禁じられた青春』下巻と共に、善い読書であった。
2019 7/20 212

 

* 同志社に新設の社会学部長に就任した佐伯順子さんの「喜んでいます」と、鄭重なメールを、出先の廣島から貰った。
昭和六十二年に東大院の博士課程にいた佐伯さんが、中公新書『遊女の文化史』を、献辞添えで「謹呈」して下さって以来の、ま、(会ったことは一度もない のだが)再会ということになる、心楽しいことである。その後の久しい研究や業績もおいおい知れることだろう、それも楽しみ。研究者は業績を、作家は作物を 積んで行く生涯。
2019 7/20 212

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

琴罷輒擧酒    琴(きん)罷(や)めば輒(すなは)ち酒を擧げ
酒罷輒吟詩    酒罷めば輒ち詩を吟ず
三友遞相引    三友 遞(たが)ひに相ひ引き
循環無已時    循環して已(や)む時無し

古人多若斯    古人も多く斯くの若(ごと)し
嗜詩有淵明    詩を嗜(たしな)むは淵明有り
嗜琴有啓期    琴を嗜むは啓期有り
嗜酒有伯倫    酒を嗜むは伯倫有り

三師去已遠    三師 去りて已(すで)に遠し
高風不可追    高風 追ふ不可(べからず)
三友游甚熟    三友 游(ゆふ) 甚だ熟し
無日不相隨    日として相ひ隨はざる無し

* 詩歌は愛読愛吟できるし酒は大好き。ただ幼來 楽器には縁がない。少年の頃、秦の父に、和笛を習いたいと希望したら、胸を悪くするからと許されなかっ た。肺病のなにより怖い昔であったから押して出る気は失せて、以来、ハモニカを鳴らす以外に楽器とは縁がない。で、聴く一方、それで十分。
2019 7/21 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

放眼看青山     眼を放ちて青山を看(み)
任頭生白髪     頭は白髪の生ずるに任す
不知天地内     知らず 天地の内
更得幾年活     更に幾年の活くるを得ん

* 人の生くるや至る処に青山あり と謂う。「青山」とは、とわに眠りにつく奥津城の意味と思う。
とはいえ、白楽天がいうまま、「此れ従(よ)り身を終うるに到るまで 尽(ことごと)く閑日月と為さん」とは業の深いわたしは、今、言えない。

* 午前の十一時 すでに眼が霞んでしまい。

てさぐりに生きてこの世のおもしろさなさけなさをぞわらひくれめや
2019 7/22 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

人生變改故無窮    人生變改して故(もと)より窮まり無し
昔是朝官今野翁    昔は是れ朝官 今は野翁

無情水任方圓器    情無き水は方圓の器に任せ
不繋舟隨去住風    繋がざる舟は去住の風に隨ふ

* 白楽天の詩は 彼の國で多大広汎に賞讃もされ、また厳しく平俗視もされたという。ただわが平安朝のひとらはその取材や表現の平易平明また物語る技の高 度に巧みなのを歓迎し感化された。わたしもその伝統を一日本人としてあまりこだわり無く受けてめ歓迎もしている。一つには大いに敬愛し親炙やまざる陶淵明 と白楽天に系脈のあるのも尊重している。早くいえば、この二人の詩はわたしには親炙し易いのである。それでいい、足りていると拘泥していない。悠然として 南山をみる気分で足りている。
2019 7/23 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

憶歸恆惨憺     (故郷へ)歸りたしと憶ひ恆に惨憺(=胸破れ)
懐舊忽踟躕     舊(亡きひと)を懐(おも)ひ忽ち踟躕(ためらふ)
2019 7/24 212

* 『復活』の次を、思案もすてて『アンナ・カレーニナ』を選んだ、すこし物哀れだけれど。このまま忘れてしまうには惜しい名作がたくさんある。世界文学 にも日本の近代文学にもある。読み残してしまうと、大金をどこかへ落としてきたような悔いがのこるだろう。大事なのは、寿命の方だ、生きている間に楽しみ たいから。
2019 7/24 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

大都好物不堅牢    大都(おほよそ)好(よ)き物は堅牢ならず
彩雲易散琉璃脆    彩雲は散り易く琉璃は脆し

* 『住吉物語』おもしろく読了、『唐物語』読み始めた。『島津忠夫著作集 残篇』を読み進んでいる。
2019 7/25 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

倦鳥得茂樹    倦鳥 茂樹を得
涸魚反清源    涸魚 清源に反る
捨此欲焉往    此れを捨てて焉(いづ)くに往かんと欲す
人閒多険艱    人閒(じんかん) 険艱(けんかん)多し
2019 7/26 212

* 岩波文庫新版の『源氏物語』第六巻「柏木から幻まで」を校注者のお一人今西祐一郎さんからいつものように頂戴した。あとは匂宮三帖を含む宇治十帖夢の浮橋まで二巻。生涯、身のそばを離れまい。
2019 7/26 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

去矣魚返泉    去矣(ゆ)け 魚は泉(=淵)に返るもの
超然蟬離蛻    超然(=未練なく) 蟬は蛻(ぜい 殻)を離(す)てるもの
是非莫分別    是非(いいkわるいのと) 分別する莫(なか)れ
行止無疑礙    行止(進むにも止まるに) 疑礙(=惑い ぎがい)する無かれ
浩氣貯胸中    浩氣 胸中に貯へ
青雲委身外    青雲 身外に委ね
捫心私自語    心を捫(な)でて私(ひそ)かに自(われ)語る
自語誰能會    自(わ)が語るを 誰か能く會(理會 え)せんや
2019 7/27 212

* 夕方までに三度仮睡している。月末の力仕事をしかと越さねば。

* かなり片づいた二階「靖子ロード」の一書架の上に、まるで読んで欲しげに、岩波文庫、ショーペンハウエルの『自殺について』一冊が載っていた、現れ出たというふ うに。『死に至る病」と一緒に大昔も昔に買ったという記憶はあるが手にしたことがない。で、ソファにもってきて、数点の短論文のなかの「自殺について」を 読み始めて、なんとも胸がスッキリした。しんきくさい哲学的論議で人の「自殺」をとやこう謂う手ているかと思いの外、じつに明快。わたしの久しく何として も理解も是認も出来なかった基督教の司教や教会や教徒らの「自殺」ないし「自殺者」批判へのきちっとした批判・非難の言論が展開されていて、嬉しくなっ た。著者の曰くには、旧約・新約の聖書なかに人の自殺を禁じ否認し非難した何一つの教条も全く見当たらないという確言一つを知っただけでも、わたしは基督 教では全然無いのだけれど、胸がすうっと晴れた。嬉しかった。
わたしが先々に自殺するかどうかは目下の問題でないが、少年の昔このかた、私の身辺に知人に「自殺者」は、数えれば老壮若十人近くはあり、その人たち男 女ともに「自殺した」が故に人格的批判を投げつけるなど、とてもとても出来たはなしでは無かった、深い哀悼をこそ心底覚えはしたが。
今日、わたしはショーペンハウエルに、感謝する。
問題は、しかしながら、「死なれた」悲しみは深く余儀ないものの、「死なせても」いいという議論はよくよくの、よくよくの「例外と思しき」理由を以てしてさえ、安易に肯定してはならない、成り立たない。
小説家として、作の世界の中でわたしは何人もを過去に「死なせて」きた。「殺した」と謂える事例すらある。「死なせ」たくないなあと思いつつ書いた幾篇もの自作を、わたしはいつも悲しむのである。
2019 7/27 212

* 『アンナ・カレーニナ』が、さすがに読ませる、惹きこむように読ませる。
ゆうっくり時間をかけながらであるが、アーシュラ・ル・グゥインのとても面白い興味深い珍しい小説も楽しみ続けている。題はすこし長い。奇抜な発想だが優れて今日すや未来的である。こういう発想・創作も有りうるのだと感じ入っている。
『沙石集』をことさら思いろいとは言わないが、かなりの量を拾い読みして、まだ続ける気でいる。
2019 7/27 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

時遭人指點   時に人の指點(うしろ指)するに遭ひ
數被鬼揶揄   數(しばしば)鬼にさへ揶揄さる
兀兀都疑夢   兀兀(こつこつ 茫々)として都(すべ)て夢かと疑ひ
昏昏半似愚   昏昏(暗暗)として半ば愚に似たり

萬里抛朋友   萬里 朋友を抛ち
三年隔友于   三年 友于(ゆうう)に隔たる
自然悲聚散   自然 聚散を悲しむ
不是恨榮枯   是れ 榮枯を恨むならず
2019 7/28 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

我今幸無疾 我は今 幸いに疾無し
人老多憂累   人老いれば憂累は多きも
我今婿嫁畢 我今や(子女の)婚嫁も畢(お)え
心安不移轄    心安らかに移転せず(気も散らず)
身泰無牽率    身泰らかに牽率(拘束される)無し
所以十年來    ゆえに十年來
形神閑且逸    形神(身も心も)閑(のどか)にして且つ逸(気まま)
況當垂老歳    況(いは)んや垂老の歳に當たり
所要無多物    要むる所 多物無し
一裘煖過冬    一裘(一枚の皮衣で) 暖かく冬を過ごし
一飯飽終日    一飯(一食で) 終日飽く(腹も減らぬ)
勿言舎宅小    言う勿(な)かれ 舎宅小さしと
不過寝一室    一室に寝るに過ぎず
2019 7/29 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

憂方知酒聖    憂へて方(はぢ)めて酒の聖なるを知り
貧始覺錢神    貧して始めて錢の神(しん)なるを覺ゆ

行藏與通塞    行藏(=身の進退)と通塞(=運不運)と
一切任陶鈞    一切 陶鈞(=轆轤 造物主を謂う)に任す

* 朝一番に瓶缶を戸外へだしに出、猛暑にヘキエキ。「一切任陶鈞」もラクではない。
2019 7/30 212

* 湯に漬かって、怖い本を読んでいた。怖いなあ。
2019 7/30 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

人情重今多賤古    人の情は今を重んじて 多く古へを賤しむ

* 永く白楽天に聴いてきた。本が手近にあり、日本の上代古典にも親しんできたわたくしには、そのむしろ平俗とも謂える詩句に身近に馴染みやすかった。
2019 7/31 212

* 夕食時、暑さに当たったか全然食欲無く、味噌汁の汁だけを飲み、大根おろしにシラス干しをまぜて食べて終え、そのまま床で横になったが、すると本を読 みだし、『アンナ・カレーニナ』『沙石集』『蘭学事始』『大和物語』『大和物語の人々』の「としこ」論などに読み耽っていた。

* 読まれているかも知れぬが、ちょっと、イズめくお尋ねをする。
「一 思ひもよらず」「二 さもあらん」「三 子細なし」
これは、何のことでしょう。
ヒントは、何かの名前。三つには関連がある。
2019 7/31 212

* 上記お尋ねの真相、さる高徳の「お上人」に、つづけて生まれたお子への「命名」であります。最初の子を、「思ひもよらず」と。さりながら二番目には、 「さもあらん」と。三人目となると、「子細なし」とは明快な。『沙石集』に、「上人の子を持つこと」として出ていて、笑えました。
2019 7/31 212

 

☆ 西欧詩句(抄)に聴く  永井荷風訳著『珊瑚集』より

蝸牛(かたつむり)匍ひまはる泥土(ぬかるみ)に、
われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。

われ遺書を厭(い)み墳墓をにくむ。
死して徒(いたづら)に人の涙を請はんより、

ボオドレエル 「死のよろこび」より

* 荷風の詩精神は辛辣だから、「珊瑚集」に訳出している詩人達も詩もまた独自に辛辣で、しかし荷風の「詩のことば」は分厚く美しい。
さ、どこまでわたくし、聴きとれるだろう。抄出は、わたくしの好き勝手に、長短の作からの一部である。
2019 8/1 213

* 昨日 京都中央信用金庫より『公益財団法人 中信美術奨励基金(京都美術文化賞)三十年の歩み』が贈られてきた。三十年間の授賞者と作品とが佳い写真 になっていて。「美術京都」誌刊行や各回作品銓衡等々の、発足当初から、選者・理事・編集顧問等を24年間担当し続けたわたしには、古証文ながら懐かしい 有り難い記憶の助けになる。当初からの選者仲間だった、梅原猛、石本正、清水九兵衛、三浦景生、小倉忠夫さんら、すべて逝去、懐かしい橋田二朗先生も。
授賞者の顔と作品を観なおしていると、懐旧の思いに襲われてよろしくない。自分で強く推して当選された人数も夥しく、樂吉左衛門(直入)さんら何人かとはいまも親しい交信がある。
いい記録を作ってくれました。感謝。

* この数日、一九九五年刊の谷川健一『古代海人の世界』を読んでいる。刊行 されてすぐ貰っていたが、新聞連載『冬祭り』にしてもその十年十五年前にもう書いてしまっていて、貰った当時の自分の仕事とは縁遠くなっていた。以来すで に四半世紀、書庫でみつけて読んでみようと。ま、早く早くに柳田国男、折口信夫の全集をはやくに読みあさり読み耽っていたので、おおよその見当は自分自身 の推量や体験も含め付いていた。蛇を点景のように書いた作家は何人も居るが、『冬祭り』のように書いただれ一人もわたしは知らない。しかし日本を考えるの にその視点や視野をもたずに何が言えるだろう。
2019 8/1 213

* 一押しで開くはずの戸が、押せない。臆病。立ち往生している。
気を替えて、まるで別世界へ旅した方がいいのかも。いま読んでいる『アンナ・カレーニナ』は、つらくなってゆく世界ではあるが、文藝作品としては世界の最高峰にあり、いまのところ「読みすすむ」だけで楽しい。没頭できる。
またもマキリップのはるかな旅世界へ翔びこむのもよく、いっそ「フアウスト」や「オデュッセイ」も変わりばえがする。ながいながいホビットの旅にまた同行する手もある。
日本の文学なら、露伴か鴎外の史伝ものまたは藤村の小説「夜明け前」。
まるで念仏してるみたいだ。
2019 8/1 213

☆ 西欧詩句(抄)に聴く  永井荷風訳著『珊瑚集』より

この世はさながらに土の牢屋(ひとや)か。
蟲喰(むしば)みの床板(ゆかいた)に頭(かしら)打ち叩き、
鈍き翼に壁を撫で、
蝙蝠(かはほり)の如く「希望(のぞみ)」は飛去る。

ボオドレエル 「憂悶」より
2019 8/2 213

☆ 西欧詩句(抄)に聴く  永井荷風訳著『珊瑚集』より

大海(おほうみ)よ、われ汝を憎む。狂ひと叫び、
吾が、魂は、そを汝、大海の聲に聞く。
辱(はづかし)めと涙に満ちし敗れし人の苦笑ひ、
これ、おどろおとろしき海の笑ひに似たらずや。

ボオドレエル 「暗黒」より
2019 8/3 213

* 床で、『蘭学事始』に感じ入って読了。大きな事をしかとし終えた人の健康さを感じる。長命されたことも与っている。たしか八十三歳の擱筆であったと。同年の私は三世紀も遅れて生きている。まだまだ。
『アンナ・カレーニナ』まことに読ませる。『沙石集』の気ままな拾い読みも。

* 機械の前へ戻ったが。体調、異様に、変。やすむ。
2019 8/3 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

エピグラフ     ある精神の内部には一匹の蛔虫が棲んでゐる。それはあらゆる養分を食ひつくすが、なにものも生産はしない。が、このいやらしい虫にも一分の矜りはある。
くやしかつたら、おれが食ひきれぬほどの養分をとってみるがいゝ。

* 福田恆存は真の批評家で哲学者であり、劇作等の創作者であった。その徹した辛口に、極言にヘキエキする人もあろうが、痛みを伴いながら真相の摘出されているの が此の『日本への遺言」であろうと私は半ば身を固くして聴いてきた。私のいわば勝手が抄録するのではあるが、抄録の限りは本文を変改はしない。その晩年で の出会い以降 終始私に優しく親切であった福田先生との「対話」のていに、その肉声に耳を傾けたい。福田恆存は日本語表現の純潔をまもるために終始いわゆ る旧仮名遣ひを説き克つ実践したひとであり、私はその思いに根底で服していることも告白しておく。

* 『珊瑚集』の詩句は、いまの私にしっくり添ってこなかった。
2019 8/4 213

* 湯に漬かりながらプラトン『国家』下巻の中程から再読していた。国家の形態として理想的な哲人指導者・君主による寡頭国家から必然の段階を踏 んだ極めて宜しくない政体へ推移して行く、その最悪の国家にいまの日本はまさしく該当しているのに、ゲンナリした。まこと、ゲンナリした。指導層の程度も 陋劣、国民も混乱している。二千五六百年前のソクラテスに、掌をさすように指摘され予言されていて、ぐったりした。

* 気分を換えたい。が、日々の炎暑に閉口。ガマンの日々、ガマンの日々。こういうときこそ佳い読書に(変な物言いだが)手広く没頭したい。夕過ぎにも、 入浴前に、長島弘明さん、高田衛さんの詳細な秋成研究を較べ読みしていた、じつは昔から「秋成八景」と心がけながらまた「序の景」しか書けていないが、し かと手がかりが把握できればぜひ書きたいと願っている一景がある。長島さんに教えて貰いたいが、そのためには、今の仕事を仕舞い終えておかねば。
ともあれ「秋成」は私にはインネンの主題なのである。秋成の実名は「東作」であり、秋成の名乗りもそこに発している。東作西成、春作秋成という語感が古 来出来てある。わたしが今度の『オイノ・セクスアリス』の語り手を吉野東作と名乗らせたのも、意図は、糸は、引けている。もしこの作に論者が出るとして、 一つはそこまでも視野を持っていないと抜け落ちる世界がある。
ついでに、もう一つ、触れてきた人がないので云うておくが、三部に分けたのは「湖の本」一冊の規模に応じているのだが、他に、この長編は、「八重垣つく る」という見だし以外はすべて小倉百人一首からの随意のかつ意図的な引用を重ねていて、アテずっぽうはしていない。分かる人には、その一つ一つの歌句見だ しだけで、ついて行ける道が辿れる。「読む」のが「難しい」と大昔からさんざぼやかれてきた、こういうのも元兇のひとつなのだろうだが、「把握と表現」と はさぼっていない積もり。爺さんの性行為だけしか見えない読めないのでは、なあ…。
2019 8/4 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

性    よく身上相談などで、「彼は一個の精神的人格として、私を求めてゐたのではなく、ただ私を通じて女を求めてゐるだけだ」などといふ憤懣が語ら れます。が、ロレンスにいはせると、「それなら、まことに結構」といふことになる。男は女のなかから花子を選びだしてはならぬ、花子のなかから女を引きだ せ、さう、ロレンスはいひます。もし男が他の女ではない花子を選ぶとすれば、その花子が相手の男にとつて最も女をひきだしやすい女であるといふ理由をおい てはない。さういふ恋愛と結婚とのみが、真の永続性をかちえる。精神だの人格だのいつてゐるからいけない。といふより、誰も彼も自分の性欲を、精神的人格 といふ言葉のかげに、押しやつてしまふ。人々は性に触れたがらない。いや、直接に触れたがらない。精神的愛といふ靴の革を通して、霜焼けを掻くやうに性欲 をくすぐつてゐるだけだ。さうロレンスはいつてをります。

* 上の語録は、福田先生の奥様から「謹呈」して戴いている。これを出されて福田先生は逝去された。奥様は、いまもわたくしからの送本を「心待ち」に老境を静かに過ごされているとご家族に伺っている。
2019 8/5 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

美 感Ⅰ    不潔を悪であるとする考へ、といふよりは不潔にし か悪を意識しない心理、これはかならずしも神道的観念に養はれた古代日本人のばあひにのみいひうることではありません。現代の日本人についても、そのうち でももつとも西洋的教養を身につけてゐるひとたちについても、そのまゝあてはまるのです。
日本人の道徳感の根柢は美感であります。そして、その美感の最低限を示す原理が「汚れてゐない」といふことであり、それがまた同時に最高原理にもなりうるのです。つまり、「汚れてゐない」といふ「醜悪の欠如状態」が積極的な最高の美にもなりうるのです。
私は、日本人のさういふ美感が、明治以来、徐々に荒されていくのを残念におもふと同時に、またそれだけが頼るぺき唯一のものであり、再出発のための最低の段階であると信じてをります。
日本人に「罪悪」の問題を識別する抽象化の能力が欠けてゐることはたしかであり、それが調和を愛する感覚的美感によつて助長されてゐることもまた疑ひの 余地のないところですが、さればといつて、これを土台としないかぎり、私たちは動きがとれないのです。第一、それを無視して押しつけてくる抽象的観念とい ふものにたいして、私たちの美感は、そもそもそれを歪んでゐるものと見なすでせう。

* どんなに雑然と暮らしていても、美感を棄てて生活はしていない、雑然なりの美感のあるのを知っていて、十分にとは容易でないが少しずつでも身辺に美感 への工夫はしている。それが他の者の美感に副うているかどうかは知らない。いたるところへ視線を動かした先にわたしなりに「佳い」視野を生み創ろうとはし ているのだ、わらわれようとも。繪、書字、写真、本、物、そして音楽。どんななにものにも美感への素質はある。こちらに応じて活かす気がアレバのはなしだ が。
2019 8/6 213

* 小説は、クライマクスへ文字どおりに一歩踏み込んだまま今日も立ち往生。寝よう。『アンナ・カレーニナ』を読もう。レーヴィン、キチイ、ヴロンスキ イ、アンナ・カレーニナ。役者はドキドキさせながら出揃った。終着駅での不幸にまがまがしい事故も起きた。じつに巧いじつにドキドキするじつに見事なトル ストイ名作の筆致に痺れる思い。『復活』の世界とも人ともまったくちがう。こういう小説が読める幸せに酔うようである。
2019 8/6 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

芸 術Ⅰ ユートーピアならざる素の人生はなんぴとにも芝居を許さない。演戯の自由を与へない。ひとびとはしかたなく芸術といふものにすがりつくのであります。いくら芝居気の多い芸術家にしても、実生活では、芝居をしとほすわけにはいかぬ。が、他人の芝居にすがりつくだけではがまんできないのです。そこで、自分の芝居気をもつともよく満足させてくれるやうな架空の世界をつくつて、わづかに自分を慰める。それが芸術といふものです。

* 辛辣なようで、まことに「本当」の断言である。どれほど読書しても観劇しても鑑賞しても、それで満たされない「溢れもの」をかかえていたから、いるから、私は小説を書き、論攷し随想し、歌も詠んできた。秦 恒平が吉野東作に語らせるという手法は思いの外に楽しかった。
「芝居気」というキーワードでわたしは「谷崎潤一郎の本丸」に逼れたと今も思っている。松子夫人はとてもよく分かっていて下さった。水上勉さんのように真顔で、「秦さんは、谷崎夫妻の隠し子では」と編集者に囁かれたというのも、ふしぎな機微に不れておられたのである。
2019 8/7 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

猥 褻   チャ タレイ裁判のときにも問題になりましたが、猥褻といふことと性的刺戟といふこととはちがひます。前者は好もしくないが、後者は好もしいことであります。私 たちは大義名分とかかはりなく、性的刺激をそれだけで快く受けいれるべきなのです。壮年には壮年の性的刺戟があり、老年には老年の、そして幼少年には幼少 年の性的刺戟がある。もしそれを悪しきもの、有害なものと見なす観念が私たちを支配しだすと、そのときにこそ猥褻な心理が動きだすのです。
〔注・「チャタレイ裁判」とは、ロレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』出版の是非をめぐる裁判。現実)の「結合」 の章、参照〕

* 「性」の意識・自覚を欠き、隠し、心身とものけぞり避けて遁れるフリをする。猥褻は、まさしくそこへ付け入る。
2019 8/8 213

* 小泉進次郎と「おもてなし」女史との「出来ちゃった婚」のアッケラカンと当たり前な会見は、日本の男女の性的関係も「ここまできたか」と思い入る。こ れで、「婚前性交渉の当然感覚」は一気に奔流し、あたかも正当化されるだろう。幸いにこのために両親が夫妻として安定してくれるならいいが、無軌道の「落とし子」としてこの「私」自身のように無責任に 投げ出されずに済むことを願う。わたしはいい養家を得、強い意識で自身を育てたが、誰もが出来ることでない。
「幸せな愛ある夫婦としての結婚と性行為ならば許そう」とカトリックは、男女の性交をまるでイヴ(女性)の堕落行為として、ながい歴史のさきのさきで渋々認知し祝福を約束した。離婚は許されないと。
しかし、 夫婦の愛の不確かさはいたるところで認められ、それ故にも、婚前に永遠の愛を確認し合わねば、しかしそれは「性愛」抜きでは難しいと、若者達は好都合にまずは「からだで付き合い」始める。そして愛よりも性慾が先行し、養育の 責任を父からも母からももたれない子が生まれて、この世で孤立しかねない、あちこちで。現にそうなっているだろう。親たちの子殺しも増えている。
期待の政治家、小泉進次郎ら夫妻には、大きな責任が生じるのを、しっかり理解し担って欲しい。

* このところの私の驚嘆は、嬉しいほど、こわいほど、「アンナ・カレーニナ」にある。これも、要すれば「性愛」「性慾」ゆえの悲惨に陥る。
2019 8/8 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

言 語  「それは頭で考へた事だ。」私達はよくさう言ふ、勿論、悪口である。考へるのは大脳の役割であるから、頭で考へなければ何で考へたらいいのだ、手脚で考へ ろとでも言ふのか、そんな文句が返つて釆かねない。
しかし、私達は物を考へる時、事実、手脚も使つてゐるのではないか。手脚ばかりではない、姿勢、脈搏、息遣ひ、その他、全身のあらゆる機能を 使つて考へてゐる。物を考へれば、自づとそれらすべてが同じリズムのもとに統合、制御される。思考は肉体的行動なのである。これは比喩ではない、事実なの だ。
私達はその時々の目的を意識して行動する。が、最終目的を意識してゐる訳ではないし、誰もそれを意識する事は出来ない。物を考へるといふ行動も同じ事で あつて、差し当り必要と思はれる事を考へるだけの話で、究極の結論や解決となると単純な肉体的行動以上に意識出来る筈のものではない。
よく人は言葉は自分の意や心を他人に伝へる道具だと言ふが、もしそれが道具なら、相手の手もとまで届かぬ梯子の如く不完全なものであり、人はそのもどかしさに悶え足掻く。意も心も他人には絶対に伝らぬ。伝達可能な意や心は伝達するに値しない。
言葉は伝達の具ではなく、訴への具である。さういふ言葉だけが生きた言葉であり、生きた言葉で書かれた文章だけが有機体のリズムを持ち得る。

* 「生きた言葉で書かれた文章だけが有機体のリズムを持ち得る。」と。
生きた文体の意味であり、強く確かに把握された表現のことであり、小説や随筆でいえば、名品、秀作の適確に脈動している表現である。
いや実は是は言語での表現に限らない。美術の場合も同然である。
2019 8/9 213

* こんなことは、分かったこととして男女の誰もが知識し承知しているのだろうか。
「貞」という漢字は、もともと探湯盟誓(くがたち)や湯神楽、いずれにせよ罪を問う「卜問」の原義をもっいる。不貞は然様に顕れる。
その一方、貞淑、貞潔、または不貞等は、漢字文化のもとでは、全面、女子の誠・不誠をのみ問題とし、惘れるほど男子は貞・不貞を問われていない。
『アンナ・カレニーナ』の冒頭では、夫オヴロンスキーのいわゆる浮気の不貞が妻を泣かせており、懸命に義妹アンナ・カレーニナに慰められて夫を許している。
しかしこの物語の凄惨な悲劇の行方は、そんなアンナ・カレーニナ夫人自身の「不貞」に対する、「女性ゆえ」に容赦なき社会的・世間的糾弾で決まって行く。
帝政ロシアでも、しかしそれはいっそ例外に近い悲劇だったが、漢字世界では、女の不貞は容易には許容されなかった。少なくも言葉や文字の上で「貞潔」は 女に求められ「不貞」は女に罰せられた。もっとも最近では、やたら男共が率先してか強いられてかテレビ電波を利用して天下に頭を下げている。世の中、良く なりましたねと喜ばれているのだろうか、ナ。
2019 8/9 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

夫婦の理解    「理解」はけつして結婚の基礎ではない。むしろ結婚とは、二人の男女が、今後何十年、おたがひにおたがひの理解しなかつたものを発見し あつていきませうといふことではありますまいか。すでに理解しあつてゐるから結婚するのではなく、これから理解しあはうとして結婚するのです。である以 上、たとへ、人間は死ぬまで理解しあへぬものだとしても、おたがひに理解しあはうと努力するに足る相手だといふ直観が基礎になければなりません。同時に、 結婚後も、めつたに幻滅に打ちまかされぬねばり強さも必要です。

* 概して、私も同感できる。
2019 8/10 213

* この日ごろになく、倚子に掛けていても、腰が、両脇から真後ろへ輪なりに痛む。参る。寝た姿勢で仰向き左右に傾いて本を読むのが響いているか。
それにして『アンナ・カレーニナ』第一篇を読み終え、こんなに人の作をで怕いほど本気でドキドキした嬉しさは実に実に久しぶりの気がする。
2019 8/10 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

自己表現     おのれがおのれを表現しうるーーそんな安易な考へに頼つてゐるかぎり、われわれはせゝこましい告白のリアリズムから脱け出られぬであ らう。われわれが敵としてなにを選んだかによつて、そしてそれといかにたゝかふかによつて、はじめて自己は表現せられるのだ。
2019 8/11 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

便利(前略)     昔はあつたのに今は無くなつたものは落着きであり、昔は無かつたが今はあるものは便利である。昔はあつたのに今は無くなつたものは幸福であり、昔は無かつたが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落着きのことであり、快楽とは便利のことであつて、快楽が増大すればするほど幸福は失はれ、便利が増大すればするほど落着きが失はれる。全く奇妙なことだが、人は暇をこしらへて落着きたいと切望し、そのために便利を求めながら、その便利のおかげでやつと暇が生じたときには、必ずその暇を奪ひ埋めるものが抱合せに発明されてゐるのだ。つまり、便利は暇を生むと同時に、その暇を食潰すものをも生むのである。

* ここで謂われる落着きとは明静・静穏の意味で、落着(らくちゃく)のことではない。

* 古代のプリニウスが、「自然が人間に与えてくれたあらゆる賜物のなかで、時宜をえた死ということにまさる何物もない、その場合にも特に最上のことは、 誰もが自分自身で死の時を選ぶことができるということだ」と云う、前半の「与えてくれた」ではなく「与えてくれる」ならば頷く、が、後半は言い過ぎではな かろうか。自然がそんなことを人間に教えているとは、まして最上の教えとは、わたしには、今、感じられない。人間の側に高慢がありはせぬか。
2019 8/12 213

* 浴室で、大昔の「小林秀雄特集」(新潮)、プラトン『国家』下巻を読んでいた。
小林秀雄も遠い昔の人になった。特集には夥しい人が思い出など寄せているが、わたしの「小林秀雄」観のような文も語りも観られなかった。文壇の或る面で は君臨した大御所で、「騒壇余人」のわたしなどからは最も遠い人のようであったけれど、個人的・私人的にいえば、私の『清経入水』を中村光夫さんを介して 太宰治文学賞銓衡の場へ押し出して下さったと聞いているし、もっともっと後には、何ごとがそれをさせたか全く分からないが、ある日のわが勤め先へ、新潮社 のお使いさんが評判の大著『本居宣長』に、「秦 恒平様」と「小林秀雄」の名刺に自筆で宛名を添えて届けて下さったことがある。私は、ボーゼンとし、ただ嬉しかった、感激した。が、なぜ、といコとは何も 分からなかった。相い対でお目に掛かったことも一度も無いのだ。
「特集」を読み進みながら、たくさんな感想があった、まだまだあるだろう。
2019 8/12 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

レトリック     現代の日本ではレトリックを言葉のごまかしと解し、これを卻(しりぞ)ける傾向が一般である。近代日本文学も専らその方向 を辿つて来た。が、レトリック無しに言葉の藝術としての文学は成立たない。更に言へば、それでは言語生活そのものも成立たない。レトリックとは言葉による 建築術なのであつて、譬へば nature の様に日常生活の次元では一般に一つ乃至は二つの意味にしか使はれてゐない語を、何回何十回と繰返し使つて行くうちに、その求心力と遠心力とを相互に対立 させながら強める事なのである。さうする事によつて、読者、或は観客は、それまで自分の内にあつて無関係に分裂孤立してゐた表象が一つのものとして統合さ れ、日常生活とは異つた次元に完全な世界を発見する。言換れば、秩序の恢復を得るのである。

* じつに大切で、適切な示唆。言葉や文章で仕事をしながらこれに気づかないでは、土足で自分の顔を踏んでいるに同じい。

* わたしは「和歌」が好き、なかでも拾遺和歌集と千載和歌集を愛してきた。
勅撰和歌集に蓄えられた日本語のレトリック模範は永遠の寶であるが、現代歌人 たちはあまりにもこれをゴミ箱をみるように見捨て果て、学ばない。真似よと云うのではない、学べとわたしは云う。歌誌も歌集も相変わらずよく戴くが、叮嚀 に言葉の練られた作があまりに寡く、ただもう雑駁に我が儘に、ことばの命が窒息死させられ死骸化している。感興の「共有」という嬉しさが伝わらない。なにより日本語特有の「 詩」を読むという嬉しさが乏しすぎる。

子におくれてよみ侍りける       平 兼盛
なよ竹の我が子のよをばしらずしておほしたてつと思ひけるかな

愛児を死なせ死なれた父の悲しみ歎きとは前詞から知れるとしても、歌一首のキイを成している「よ」の含みが深く美しく切なく読み取れなくては。
「なよ竹」とあるから、「よ」は「節」とまで行ける人はあろうが、和語の「よ」には、なお、「世、代、夜、齢、予、余、四」等々の含みがある。死なせた親に「わが子のよ」はあまりに忌みが重い。「おほしたてつ」の「つ」という言い切った思い込みの悲しみも、深く、重い。

* もっとも、選び抜かれた和歌集と個々人の気ままな私家集とを直に較べるのは気の毒である。といって、今日の広大な短歌世界から、「百人一首」 では余りに厳しい、(例が 無くはなく、岡井隆に少なくも二度の試みのあったのは承知している。有り難いことにその二册に、ともに私の二首を選んで貰っていて、その嬉しさ、忘れてい ない。 大岡信にも優れた「詞華集」の永い意欲と努力があった。)が、「精選の詞華集」ならばけっして不可能でなく、試みられたことは数あり、わたし自身も依頼さ れて試みた。これらを、もう少し徹し て定時的継起的なに成し続けてもらえないか。結社内での選抜はいかにもなま緩く、感じ入った例がまず無い。講談社の「昭和万葉集」は好企画であったがあま りに厖大な記念碑に過ぎ、個人で座右に愛玩はしにくかったが、私の編んだ『愛と友情の歌 愛、はるかに照せ』は、あの昭和万葉集もその他も厖大に読んだ上 で、編んだ。出来ないことでなく、歌壇が心を合わせて 佳い「選歌集」を、せめて十年に一度は出して貰いたい、但し選者に、少なくも結社主は必ず外して欲しい。
2019 8/13 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

いい文章     いい文章を書くといふことが、いい政治をするといふことと同様に、あるいはそれ以上に、人間の未来にとつていかに大切なこと であるかを、あなたがたは知らないのです。政治が悪ければ国が滅ぶとは考へても、一国の文学が亡びれば、また国が亡ぶとは考へない。政治家も啓蒙家も、も うすこし文章といふものに想ひをひそめていただきたいとおもひます。
よく考へてみてください。文学者の政治的な無智と、政治家、あるいは啓蒙家たちの文学的な無知とどちらがひどいか。が、世人は文学者の政治にたいする無 知は世を誤るもののやうにおもひながら、政治家の文学にたいする無理解は大したことではないと考へてゐる。それは現代日本の文学者にろくな作品がないから といふのではなく、文学そのものの人生における効用を知らないからです。ぼくにとつては、そのはうが由々しき問題です。
ぼくはむしろさういふ世間にたいして、文学の効用を説くことこそ、文学者の社会的な責任のひとつだと考へてをります。もちろん世間を文学からそつぽむか せたのは、文学者の責任です。文学者が文学の効用を信じてゐないからこそ、問題は文学者の政治的責任といふ形であらはれてくるのであり、ますます混乱をは げしくするのではないでせうか。

* これぞ、いまこそ日本が心貧しい「亡国」に陥るかどうかの第一義肝要の急務なのであるが、文学作家も文学団体も文学研究者もこれを深刻な国家的民族的危難と自死の兆候と観る眼を曇らせるか、まるで失明している。
文豪の働かない働けない文学界、高価値な実績をろくにもたないただの団体役員がただ肩書きを求めて奔走し、適切な現在未来への視野も視点も戦略もなく、 統治型保守政治の締め付けのままに云うべき言葉を喪って「文学」を見棄てようとしている。生きた言葉を持たない者らの「文学」とは、何。

* 音高う雨が来ている。西へは台風が襲うと。わたしの暗い視野はいまは西へ西へ向いているのだが。
午前の十一時過ぎ、あまりに睡い。ソファに潰れていた。起つにも酔っぱらい同然。飲んでいないのに。これではどこで転んでも仕方ない。『古代海人の世界』へ沈没していて、正気でない。自分が誰だか分からなくなる。
2019 8/14 213

 

* 「唐物語」も「沙石集」も、その他どんな本もみな相応におもしろく幾らでも読んでしまう、ただ、ぐったりからだを横にしてでないと、疲労感に負けてし まう。そして寝入ってしまう。ただ暑いから、だけではない気がする。体力がないと創作に妥協や尻込みがでかねない、それを恐れる。
2019 8/14 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

一夫一婦制Ⅰ     私の考へによれば、道徳もまた自然科学上の諸原理と同様、仮説に過ぎない。もともと絶対的な善といふものはないのである。だが、仮説にしても、それがあるのとないのとで
は大違ひだ。一夫一婦制も仮説である以上、あらゆる結婚の現実に適用できる鍵にはならないし、論者の言ふやうに大部分の結婚がこの仮説に反してゐる。しかもなほ相変らずこの仮説は生きてゐるし、役に立つてゐる。
なぜなら、私たちは一夫一婦制のもとでは浮気も出来るし、雑婚に近い性の放縦を楽しむことも出来るが、反対に雑婚社会では一夫一婦制の長所を享受するこ とは出来ないからである。言ひかへれば、一夫一婦制には貞潔と放縦とがあるのに、雑婚には放縦しかなく、それも、貞潔といふ反対概念のない放縦だけでは、 放縦にすらならず、要するに元も子も失つてしまふのである。どう考へても損ではないか。
一夫一婦制は普遍的理念として存続せしめなければならない。ただし、これに反逆するのは個人の自由である。欲するもの、能力あるものはドン・フアンにで も、ドンナ・フアンナにでもなるがいい。望むらくは、それに理窟をつけないことだ。同志を募らないことだ。よろしく孤軍奮闘すべきである。

* じつは福田恆存のこの「遺言」、今度初めて読んだ。
もはや今日では女性の方で「一夫一婦」社会でぜひありたいとは思わなくなっているらしく、「多夫多婦」制が「いいのでは」という女性からの提言を今回読む機会があって、すこしビックリした。
『アンナ・カレーニナ』時代の、ロシアとは限らぬ西欧貴族社会では、雑婚ゆえの放縦は女性側にも放漫に実在したらしい。日本では、敗戦後ないしウーマ ン・リヴの頃からはよほど様変わりしてきたようだが、それ以前は、神代の昔から、ま、久しく権力と富力と魅力の男達がもっぱら「放縦」を甘受し得ていたと いうしかない。
2019 8/15 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

地声だけの役者 イギリスの役者は、少くともプロである限り、三種.類の声を持つてゐなければならないと言はれるのですが、日本の役者は歌舞伎俳優をも含めて、ほとんどす べての人が一つ声、すなはち平生の自分の声、地声しか持つてをらず、若い人がふけ役を演(や)らされた時以外は、どんな役でも同じその声で片附ける、声ば かりではない、喋り方も大して差が無い、といふ事です。姿勢や歩き方、手の動かし方まで、その役者の実生活における癖をそのまま舞台で露出して、一向省み ない様です。
その癖、かつらの色とか衣裳とかには目の色を変へんばかりに神経質になります。たとへば、この役は自前の洋服で演つてくれと言ふと、それではいつもの自 分から脱け出し、役の人物に成り切れないと言ふ。なるほど御尤もと思ふのですが、それなら、地声で喋つたり、普段の癖を丸出しにした歩き方や笑ひ方では、 やはりいつもの自分から脱け出しにくく、役の人物に成り切れない筈ではありませんか。

* 昨日 七之助の「政岡」を観かつ聴いての感触がまさにソレであった。幸四郎の八汐は
みごとに変わりばえしていて感じ入った。
声を聴いただけで、ああこの役者は彼だ彼女だとすぐ当てられるのは、テレビでも毎時のことで、演劇製作、演出、創作の真実大家であった福田恆存の上の指摘は、 まことに厳しくしかも当然至極。
同じ俳優・女優の異なる舞台は、大劇場でも小劇場でもテレビでもイヤほど観てきたが、「この役、誰なの」と驚かされることは、よほ どの名優でないと、無い。むしろそれではいけないかのように、凡優たちは、異なる舞台・演劇での AからZまで を同じ顔の同じ声の同じ仕種で演じてくれる。 知名度は上がるだろ、が、役によくそった変わりばえの面白さなど、滅多に楽しめない、凡優たちでは。
小説が、同じ設定、同じ表現、同じ描き方で同じようにしか人間が書けないの では、困る。おなじ事ではないか。一冊の本に何作も入っていて、え、みな、この一人の作家の作なのと惘れさせるほど藝が大事なはず。
2019 8/16 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

性 よく身上相談などで、「彼は一個の精神的人格として、私を求めてゐたのではなく、
ただ私を通じて女を求めてゐるだけだ」などといふ憤懣が語られます。が、ロレンスにいはせ
ると、「それなら、まことに結構」といふことになる。男は.女のなかから花子を選びだしてはならぬ、花子のなかから女を引きだせ、さう、ロレンスはいひま す。もし男が他の女ではない花子を選ぶとすれば、その花子が相手の男にとつて最も女をひきだしやすい女であるといふ理由をおいてはない。さういふ恋愛と結 婚とのみが、真の永続性をかちえる。精神だの人格だのいつてゐるからいけない。といふより、誰も彼も自分の性欲を、精神的人格といふ言葉のかげに、押しや つてしまふ。人々は性に触れたがらない。いや、直接に触れたがらない。精神的愛といふ靴の革を通して、霜焼けを掻くやうに性欲をくすぐつてゐるだけだ。さ うロレンスはいつてをります。

* 作家として迎えられたころ、何かというと「異端の正統」「美と倫理」の作家と謂われ、 また、書かれた。「王朝文化の」とも「中世論の」とも「辛口批評の」とも「谷崎研究家」とまで謂われた。異存など無かったが、看板は無用と思い、いつかは 「性」「性愛」を真正面から書いて論じたいと思ってきた。広い読書世間へは出ていないけれど、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』はわたくしの文学生涯晩 年に一つの結び目として、ま、働いてくれたようだ、書くべ気きを書いた、なんとか書いて置けたとやっと思うことができる程度に、有り難い、読後の感想や反 応も得られた。
2019 8/17 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

仲間うち 日本人のことを、よく秘密ずきだとか、表現が下手だとかいひますが、けつしてそんなことはありません。元来、日本人は開放的で、秘密がない。みんな仲間内 なのです。ですから表現が下手なのではなく、表現の必要がなかつたのです。つまり島国で異民族と接触する機会がほとんどなかつたといふことになります。封 建的といふことばひとつでかたはつきません。
同胞が仲間うちである集団生活に、他人を自己の敵と見なす外国の生きかたがはひつてきたとき、すなはち、自分で自分を守るか、さもなければ権利義務とい ふ契約によつて自分を守るか、さういふ西洋の「仲間そと」の対人関係を押しつけられたとき、明治の日本人が、それによつて利益を得るよりは、失ふところの はうが多かつたのは当然でありませう。これは不可避の歴史的な運命だつたと私はおもふ。私たちはどうしてもそこを通らざるをえなかつたのです。が、そのさ い起つた混乱の原因を、すべて日本人の劣等性にのみ帰してしまふのはまちがひではないでせうか。
制度や法律をいぢくるひとたちの眼には、それが一般民衆のうへに絶大な力をふるつてをり、それなくしては民衆の生活は成りたゝぬやうにみえます。が、仲間うちの生活に馴れ、争ふことを好まぬ日本人の大部分は、生涯、法律の条文ととかゝはりなく暮らしてゐるのです。

* 権威や権力に強いられてセンチに赴いた日本兵は、海外の他国内でこそかなりに強く、はげしく闘ったといえようが、万一、この日本国土内を襲われて闘わ ざるをえなくなった場合、「仲間うち」感覚の日本国民は結束して死守激闘できるのかどうか、なにより当節の都会型若者を眺めている限り、その自立自発性は 予感もしにくい。戦闘(コンバット)は、ベースボールやサッカー・ラグビー等の対戦とは異なりしかも「仲間うち」意識の大観衆はいわば傍観者に過ぎない。
敗戦で占領された当日ないし後日の日本と日本人の大人しさは世界をむしろ驚嘆させた。沖縄の人たちはもはや必然の死を賭して「仲間うち」として無残に討たれたが、本土日本人の「仲間うち」意識は今も沖縄は「仲間そと」のように傍観している。

* あの敗戦直後、丹波の山奥の寥々たる寒村でも、もし刀剣を所持と知られれば沖縄へ連れて行かれ「重労働」と口々におそれ、ある日、ジープの一台が姿を みせるや忽ちに広場の蓆のうえに何十という刀剣類が供出された。秦の母も、箪笥から二振の大小を持ち出したものだ。日本の「仲間うち」は闘わないのだと子 供心(国民学校四年生の夏休み中)に感じた。マッカーサーの米占領軍はあれで比較的穏和に占領していたかとも思われるが、とてもとても「次」は恐怖に突き 落とされるだろう。中国本土へ拉致されたときの恐怖と絶望とが明瞭に知れていればこそ「香港」の人たちは「仲間うち」の力をいま結集している。日本では、 あの安保闘争このかた「仲間うち」結束の力を体験していない。
アメリカは伝統的に「仲間そと」を敵同然に見なしてきた自国本位の国家。そんな国家と「仲間うち」の安全保障を買い取ろうと日本の政権は「仲間うち」からの税金を、古物兵器の買い取りや駐留愚のご接待に尾を振り続けているとみえるが、如何。
2019 8/18 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

歴史     小林秀雄が荻生徂徠に学んで学問は歴史に極ると考へるのは至極当然である。吾々は歴史が在る様にしか、歴史が書かれる様にしか生きられないからだ。吾々の人格は吾々の過
去にょつて成立つ。吾々は吾々の過去であり、吾々の過去以外に吾々は存在しない。その吾々はまた歴史の中に生れて来るのである。確かに吾々自身の過去や歴 史が無ければ、吾々は存在しないのだが、その過去や歴史は既に在るからといつて吾々の所有には成らない。無為にして放つて置いたのでは、吾々は禽獣と同じ 様に唯瞬間的現在しか所有出来ない。それは何も所有しないといふ事である。吾々は己れを空しくして過去を、歴史を自分のものにしようと努めなければなら ぬ。それは今日の歴史学が好んでさうする様に現在の自分を正当化するのに好都合な資料の集成を意味しない。歴史を追体験し、それを生きる事、さうする事 にょつてしか、吾々は吾々の過去や歴史を自分の所有と化する事は出来ないのである。そして、過去や歴史を所有出来なければ、人格が成立しないとすれば、歴 史とは人間の本性であるといふ小林秀雄の言葉は充分に納得出来ようし、学問は歴史に極り、学問は人倫の学だといふ考へ方も極く当り前の事に思へて来る筈で ある。

* この八月という月は、痛いほど「現代日本の歴史体験」を想わせる。わたしは求めても原爆体験や八月十四、五日の「記憶を新たにしていたい」一人である。
2019 8/19 213

* 「マ・ア」に起こされたまま、床に坐って中公新書「続・照葉樹林文化」を、ちょっと貪り気味に読んでいた。もっと早くに勉強しておきたかったことがま だまだ幾らもあり、悩ましいほど。幸い、アタマはまだ貪欲なほど敏感に反応してくれる。国民学校に入ってもうすぐわたしは大人のとうに打ち捨てていた通信 教育の教科書「国史」にむしゃぶりつくように繰り返し予も耽った。「歴史」への思いの根は深く遠くへ潜って、いまも時となく露表する。まだまだ生きている ぞと思う。悟り済ましたような老人になるより少年の敏感すぎた敏感をまだまだ持ち運んでいたい。
2019 8/19 213

* 鷗外先生の『ヰタ・セクスアリス』を書庫からもって出た。「金井湛(シヅカ)君の職業は哲学である。」と始まる。記憶よりも思いのほか長編と見受ける。
2019 8/19 213

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

俗物礼賛     俗物とは自分を現実の自分以上のものに見せかけたい人間のことである以上、かれは本質的に理想主義者なのである。見せかけるだけでなく、それにたいする努力と反省とがともなへば、尊敬すべき人物に成りうる。

* 自分は俗物でないと思っている人も時にいる。異様なみものである。
2019 8/20 213

* 「生きんとする意志の肯定と否定に関する教説によせる補遺」という原稿で、ショウペンハウエルは、性欲や性衝動や交合や懐胎に関連して男女の性の問題 に手厚くかつ率直に触れている。わたしの今回の仕事は直接密接に彼の論説に近縁し、男の交合意志や、女の懐妊にかかわる感情などに接した微妙な道を歩いて いたのが分かる。
2019 8/20 213

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

文化人     私が非難してきた「文化人」といふのは、世間のあらゆる現象相互の間に「関係を指摘」してみせるのがうまい人種のことであります。関係さへ見つければ、それで安心してしまふ。それを聴くはうも、説明さへつけば、解決されたと思ひこんでしまふ。

* まさしく うえに同じテレビ番組や解説の多いこと多いことに、わたしも惘れ、失望してしまう。
2019 8/21 213

* マ、マ。そんなことより「清水坂(仮題)」へ確乎として立ち帰らねば。もし他の人がこれを書いていたならわたしはきつい技癢を覚えるだろう、それほど、とっておきの世界・話材なのである。
この「技癢」ということば、むかしむかしに鴎外先生の『ヰタ・セクスアリ ス』の初めの方で、漱石先生が『三四郎』を書かれた、作の鴎外作の語り手「金井湛」氏がいたく感じたとあって、覚えた。新潮の辞典では「自分の才をみせた いこと」「他人のすることがもどかしいこと」とあり、わたしはむしろ「自分の腕がむずむずしてしまう」ことかと読んできた。なるほどなるほどと思ったのを 忘れない。そんな述懐が許されるほどうまくいってるかどうか分からないので気が気でないのが、本音。
2019 8/21 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

きまじめ     諧謔や虚偽をきらふ精神、それがきまじめであります。それは人間を、自己を、つねにその限界内にとぢこめようとする精神であります。きまじめな人間ほど、この限界が眼についてしかたがないのです。のみならず――すなはち、限界がじつさいに見えるだけでは
なく――限 界をのりこえることによつてこつぴどく報復されるのがこはいばかりに、なるべく動かぬやうにこゝろがけるのです。動きさへしなければ、限界をのりこえるや うなまちがひはせずにすませます。かうなると限界がみえるといふよりは、みづから限界を小さく設定してしまふのにひとしい。そのいちばんいゝ方法は、欲望 に忠実であるよりは、結果に忠実であるといふことだ。みづからがなにを欲するかに耳をかたむけようとはせず、現実はいかなる欲望をきゝとゞけてくれるかに のみ、ひたすら意を用ゐることだ。現実が許容しさうもない欲望をいだき、これを実現しょうとはかる人間にたいして、きまじめなひとはむしやうやたらに腹を たて、ふきげんになります。きまじめなひとといふのは、実生活上のリアリストといふことであります。

* ちいさいリアリストということである。
2019 8/22 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

私の政治行動      私は政治に極く少量の精力しか割かぬが、この種の文章を発表することも私の政治行動だと言へよう。が、厳密に言へば、それは反 政治主義行動である。政治を全人間活動の最高価値と見なし、それを基準として自他を裁くのが進歩主義者であるとすれば、さういふ彼等の政治観に、私の「ブ ルヂョワ・デモクラット」的政治観が、もつと根本的には私の古風な文化観、人間観が反撥するのである。私が政治的にどれほど先走らうと、この「座標」を去 ることは出来ない。またどれほど形勢が非であらうと、私は日本の最少数派としての民主主義的儀礼を超えないであらう。
2019 8/23 213

* 送り作業のアトは、どうしても腰へ痛みが来て残る。季節的に例年皮膚の一等弱り出す時機にもなって、残暑を耐え抜くのはなかなかの難儀。気をちらすに は結句読書がいい。本当は散歩しないといけないのだが。「マ・ア」を家に閉じこめているのも心苦しい、が、好きに外歩きさせるのは厳禁されている。

* 心身ともに衰えている。すぐ横になりたい。
鴎外先生の『ヰタ・セクスアリス』を「金井湛」君が遊廓へつれてゆかれ、はなはだ受け身に童貞を投げ出して帰宅したまで、ほぼ九割がた読んだ、帝大を最 年少最短で卒業し公助の留学候補になっている時機で、それまで女の手を取ったともましてキスしたとも無いが自慰に類した経験は持っているらしいし、寄宿舎 で何度か襲われた様子も見えていたが。まことに淡々と、むしろまことに冷淡な性的青春が当然のように書かれてある。残る一割ほどの十頁足らずに何が書かれ ているか記憶にないが、先生の文学生涯でこれが唯一の「発禁」に合った作と聞くと、今ではとても信じられない。わたしの今度の作を同時期に出していたら作 者のわたしは絞首刑にされたかも知れぬ。
鴎外先生はもっぱら成人して行く少年における「性欲の発芽」を順次追われている。それが「セクスアリス」になっている。
国民学校(小学校)一年を終えたはるやすみに何用でか秦の父はかなりとおい木津川添いの担任の女先生宅へわたしを連れて行った。用向きなどわたしには何 も分からず、しかし人生を刺激する一大事が起きた。辞去の際に女先生はわたしに謂わば現代語訳された『古事記』一冊を下さり、これが私のその後の読書・思 索・好学の決定的な推進力になり、ほとんど全編、少なくも神話部分は諳誦した。二年生になって先生はよく指名して教壇に立たせ「おはなし」を命じられたが わたしの話嚢には古事記が詰まっていて、いくらでも話せた。
当然、みそさざいに教わられた男神女神の「あなにやし」の性も性格に察した。鴎外先生または金井君ならぬわたしは、戦時中の当然として入浴は父や母に連れられ銭湯の女湯へも男湯へも当たり前に通って「見聞」は濃やかであった。
2019 8/23 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

前 衛 前衛の根本は何か、その必然性は何処にあつたのか、それは言ふまでもなく、芸術不信といふ事に外ならない。そこまで行かなくとも芸術家である事の不安から 発したものには違ひありません。
絵の場合でも音楽の場合でも、本物の前衛芸術家はその苦痛から出発したものです。俺のやつてゐる事はもはや芸術でも美でもないかも知れぬ、俺は芸術家な どと呼べる筋合のものではないかも知れぬ、さういふ不安を以て一歩を踏出した、といふよりその外に手が無かつたからです。
それが今日ではどうか。皆、好い気な顔をして脂下(やにさが)つてゐます。先覚者にとつて外に手が無かつたその足掻きが今では手になつてゐる。芸術でも 芸術家でもないかも知れぬといふ不安の表現が妙に安定した様式を持ち、しかも不安の表現であるが故に、それこそ最も現代的な芸術なのだと、自他共に思ひ込 んでゐるらしい。
この甘たれた浪漫主義、即青春謳歌は「親の苦労、子知らず」以外の何ものでもありません。
2019 8/24 213

* 機械の前へ戻ってきても、からだもあたまも働こうとしない。とても気怠い。敷いて午を食して腹が懈く重い。やっぱりここは読書を楽しんで切り抜ける か。ショーペンハウエルの哲学はいまのところ気分を励ますタチのものでない。鴎外先生の発禁作は、もはや完全に現実感を喪いきっている。かつては「名作」 とよめたような読者もあったろうが、今では博物館のガラスケースに入った肉や神経の働きを蒸発させた乾いた骨のように面白い「歴史」というだけである。三 四郎君は今も生きているが金井湛君はただの記憶に化している。

* 琴の音に峯の松風通ふらしいづれのをよりしらべそめけむ   斎宮女御
女文化盛期の卓越したサロンを主宰したすばらしい女性の一代を代表し勅撰「拾遺和歌集」をも代表する一名歌であるが、今日ではかかるなごやかに優美な自 然や景観を見失っていることもあり、容易に理解できる人がない。一首の意味すら読み取れない。これはなによりも下句のうち「を」一字が読み取れないのであ る。これを「(琴の)緒」そして「(山の)峯」と読めれば、事実上句にその双方は明示されてあるのだから、それだけの感情移入で琴の音色の美しさ遙かさそ して山の峯峯の美しさ遙かさは感触でき歌のうまみに頷ける。当時にあってはそれは単なる語彙の遊びでなく、日々に聴きも得、はるかに眺めもえられた現実の 美しい把握なのである。琴を弾じているのは人であると倶にどこかの山の峯(を)であり、琴の緒が鳴るだけでなく山の峯も鳴っている。琴と峯と人と山との合 奏。斎宮女御の日本語、精妙というしかない。
2019 8/24 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

代議士     乱暴なことを言ふやうだが、何年目かに与へられる、それも唯の一票で、全社全人中最も低劣だと言はれる陣笠代議士を選ぶといふ、わづかそれだけの権利を与へられただけで、
主権在民も何もあつたものではあるまい。もしその気になつてゐる人がゐたら、やはり何かにだまされてゐるのである。
第一に、代議士といふとまるで国民の代弁者のやうに聞えるし、さう思つてゐる人もゐるらしいが、実際は党の代弁者ならぬ代<数>者に過ぎないではないか。人間ではなく、数であり記号である。
選挙のたびに党か人かといふ愚問が提出され、それがまた甚だ高踏的に論ぜられるが、これも何かにだまされてゐるのであらう。
代議士は始めから<人>ではない、<数>である。もし人であるとすれば、問題は彼が何人分であるかといふ、その党内、党外の勢力にある。何人分といふのは、つまり数ではないか。

* わたくしも いつも そう思って歯ぎしりしている。
2019 8/25 213

* 横浜の原三渓とその庭園の建築や美術蒐蔵と生活をふくむ生涯をテレビ番組にして貰い、多大の驚嘆と共感とで見終えた。TBS日曜朝の、文字どおり軽くて薄い、掘り下げの無いないし乏しいニュース談話番組より、強く胸に沁みた。

もう一字掲げて 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く
「文化人」     私が非難してきた「文化人」といふのは、世間のあらゆる現象相互の間に「関係を指摘」してみせるのがうまい人種のことであります。関係さへ見つければ、それで安心してしまふ。それを聴くはうも、説明さへつけば、解決されたと思ひこんでしまふ。

* 文字通りに此の阿呆らしさで終始する「文化人」らの放送力を鼻先であしらったようなご教示は御免蒙りたい。あの関口司会の番組はスボーツの評判に ちょっと「文化人」が顔を揃えて花でも添えている気らしいが、分けてやり給え。五人六人の文化人のいっそう突っ込んだ討論こそ聴きたいのだが。
2019 8/25 213

* 途中までの最新作をまたまたアタマから読み直している。二十度ではきくまい、読み返すのが一等の推敲になり添削になり先へ展開への推力になってくれる。これをイヤがらない。前作でも繰り返し繰り返し読み返して行く間に作に血が流れ肉がついた。
2019 8/25 213

 

* さ。もう機械を離れて、寝床で読書を楽しもう。今日、秋成全集で「区柴々副微」「麻知文」そして「膽大小心録」を拾い読みしてことに「録」の面白さに声を上げた。昔から好き。「秋成好き」の原拠になっているや知れない。
「アンナカレーニナ」では大障碍の競馬でヴロンスキーが愛馬を死なせて落馬失格した。アンナが大観衆のなかで取り乱す場面がつづくのであろう、悲劇が始 まる。書いている小説へ関連してくる怖い参考書も繰り返し繙いている。さしあたり「アンナ・カレーニナ」を明日も外出へ持ちだす気でいる。
2019 8/25 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

性の美感      西洋流にいへば姦淫の場所と称すべき遊廓を、あれほど複雑に美化した国民は、まづ洋の東西に類を見ないでせう。私たちの祖先は、風俗から些々たるエチケットにいたるまで、遊廓独自の美学を生みだしたのです。
西洋の考へかたがはひつてくるまで、日本中のどんな堅人も、それが道徳上の問題たりうることに想到しなかつたといふことは、世界的奇現象といはなければ ならない。封建的観念にとらはれてゐたといふことでは解釈がつきません。世界中どこの国の封建時代だつて、そんな現象はありませんでした。もちろん一夫多 妻の宗教はあります。しかし、江戸時代の日本では、姦淫の場所たる遊廓を美化して、その存在を認めてゐたと同時に、清潔な結婚の場としての家庭をも美化し て、同時に両者の併存がおこなはれてゐたのです。その家庭ではまた他の国民のおよばぬほど、簡潔な風習が支配してゐたのですが、これを目して日本人を表裏 ある国民と考へるのは早計で、私はやはり道徳の根柢に、あるいはそれ以上の生きかたの基準として、美感といふものが日本人を動かしてゐたと考へるのです。

* 日本人の性愛を語って一度も「美」の文字に触れていない或る学術書に不満をもったと、わたしは最近の長編で言い及んでいる。
2019 8/26 213

* 学童生徒の自殺が珍しくないほどになっている。悪社会の病根のように成っている。それにしても死なせる側に思い上がった無責任の悪行があり、しんで行く側にもちょっと信じられない弱さも見える。
一つには、これも現下の国語教育・文学教育・情操教育の貧困が見え見えに過ぎている。

* 一等早く小倉百人一首の面白さを和歌自体と『一夕話』等で、四年生から丹波へ戦時疎開するまでに読み知っていた。また『白楽天詩集』などの世界も覗い ていた。『啓蒙日本外史』の朗読を楽し現代語になおされた『古事記』や通信教科書「日本国史」をイヘン幾度も絶って繰り返し読み耽っていた。敗戦後京都へ 帰れば、『モンテクリスト伯」「ああ無情』それに漱石全種へ手を伸ばす機会さえ持っていた。
新制中学になると、一葉世界を知り、なによりも与謝野源氏の世界を尽く覚えていたし、人から借りてバルザックやゲーテやヘッセを読んでいた。毎朝の朝刊 連載『少将滋幹の母』を読んでから登校したり、谷崎の『芦刈』『吉野葛』などに魅了されていた。☆一つの岩波文庫なら乏しい小遣いでたまに買えたりした。

* 現実の世界の何重層倍の佳い文学世界を所有していたから、現実に何が有ろうとたちどころにそこへ飛び込めて楽しめていた。わたしの貧相な綿布の掛け鞄 には授業外の三册のノートが入れてあり、作文と短歌・俳句と詩が書き込まれた。ま、よほどの外圧が濃いに暴力的にふりかかろうと、だれもわたしのそんな内 面世界の広大は脅かせなかった。

* 誰にも出来るとは言わないが、そばにいる教師やおとなにそれに手をかせる心用意が有れば、苛められるという被害感と少しは拮抗する別世界からの自信やちからづけにあずかれるだろう。
当今の経済優位統治型戦後保守政権の面々のその方面の素養や趣味能力のなさが、子供達の心根をかすかに干上がらせて自力で起つ喜びを奪っているのだ。
現実日々の体験や他との折衝などじつは小さい小さい淺い淺い薄いうすいのである、それを豊かに深めるためには文学や美からの栄養が必要なのに、恥知らず な政治家と政治とは率先それを少年少女の胸元から剥ぎ取って、死にたければ死ねというに均しい程度の自覚しか持っていない。
経済人、科学者、政治家が、日本語世界の豊かさを蚕食し吐き捨てている。
2019 8/26 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

自由の限界 人間にとつて、自分にとつて、最も手に負へぬものは政治的、経済的、社会的な諸条件ではなく、実は人間そのもの、自分そのものなのである。譬へば、すべて が自分の意の如くならざるはない独裁者にとつて、真に意の如くならざるものは、自分の内にある独裁的権力欲なのである。女性が男女同権を主張する場合、そ の女性の真の敵は男性ではなく、また男性の造つた社会構造でもなく、それは女性自身の生理的、心理的限界なのである。男が女より優れてゐるなどと言ふので はない。男もまた男の限界を持つ。
自分にとつて一番どうにもならぬものは自分であり、人間にとつて一番どうにもならぬものは人間である。前者の考へ方は道徳に、後者の考へ方は宗教に道を通じてゐる。
もし自由といふものを政治的、経済的、社会的概念から道徳的、宗教的概念にまで救ひ上げようとするなら、私達は何々からの自由のうちに「自分からの自由」「人間からの自由」を考へなければならぬのではないか。

* まことに、然り。
2019 8/27 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

照れくささ      現代の日本人が明確な理想人間像をもたないといふことは、とりもなほさず自己完成への情熱をもつてゐないといふことだ。自己完成の情熱とは、自分が偉くならうといふこと
であり、自分を偉くしようとつとめることにほかならない。
自分を偉いものにしようといふんだつて――冗談ぢやない、そんな小便くさい夢は若僧にまかしておけ。といふわけでぼくたちは、たとへそんな夢をかいまみ たとしても、自分の甘さをわらはれるのがいやさに、それをひとしれず葬つてしまふ。やがて、おとなになり、そんな乳臭い野望をもらす青年のまへで、照れく ささうにおなじやうな嘲笑をくりかへす。

* 他の人からそんな希望や抱負を聴かされたことは、無い。
わらわれたことは、ある。
わらわれるのも悪くない場合がある。思い直すことが利くからである。
太宰賞受賞の晩の宴会場のあるテーブルで、選者の河上徹太郎先生、作家・批評家の吉田健一先生にわらわれた。わたしはまだ会社員だった。
「で、これから(文学・創作)はどうするね」と河上先生。
「自分らしい自分の道を まっすぐ行く気です」と。
「有るの、そんな道」とお二人。
絶句し、即座に分かった。
道は探し当て造り出すしかない、と。
あの手厳しい警索がなかったら、半世紀を作家としては生きられなかった。
2019 8/28 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

膠着語(日本語)    シェイクスピアの人物の意思と行動力とは、とりもなほさずそのせりふが意思的であり、行動的であるといふ事に他ならな い。とすれば、すべては翻訳に懸つてゐる。逍遙訳ではどうにもならない、逍遙一人が悪いのでもない、またそのシェイクスピア訳だけが悪いのでもない。言文 一致の運動が間違つてゐるのである。それは意図としては西洋化、近代化を目ざしながら、結果としては膠着語としての日本語の弱点をさらけ出してしまつた。
言葉は断定する、断定すれば責任が生じる。が、膠着語では、語尾の屈折によつて断定と責任を先に延し、あるいは曖昧に回避する事が幾らでも可能であり、 微妙な心の動きや詠歎の表現には長けてゐても、言葉が言葉を生んで行くリズム、人物が言葉によつてある結末に追込まれて行く行動のリズムを作り出す事は容 易ではない。
といつて、日本語は情緒的であつて論理的ではないなどといふ迷信を私はもともと信じてはゐない。ただ、さう思込みたがる日本人が多く、その思込みが日本語を論理的でなくしてゐるだけの事だ。
言葉によつて断定する事は一つの行動である。行動すれば間違ひを犯す。間違へばその責任
を取らねばならない。それを恐れる為に言葉に行動性を持たせぬ様にしてゐるだけの事なら、そこに生じる情緒、詠歎はいづれも偽りの感傷に過ぎない。そこに安住する為の思込みを捨てればいいのである。さうすれば、シェイクスピア劇の日本語訳は可能である。

* 膠着語とは、わたしが「京ことば」について触れる適例の、「ちがうのと、ちがうやろか」で理解できる。
2019 8/29 213

* 朝食後、かろうじて機械の前へきたが 人事不省に近く、眼をとぢたまま。
やっと目をあいたが。瞼重し。昨夜、読書消灯したのは一時半ごろ。つまり、ただに寝が不足と思うことに。

* 床にあぐらで、気を入れて何種もの文献を読みあさっていた。いまさらそれらのどれこれを使う気では無いのだが、夏ばての頭、刺戟しないと。長時間、赤ペン 片手にいろいろ読み耽っているあいだ、黒いマコは、(一年前に見送ったのは「黒いマゴ」で。そっくり。)わたしの足元で両手足をあげ腹をだして安心で気楽な熟睡を楽し んでいた。この子は、わたしに心ゆるして警戒も不快感も全然みせず、しんじつ馴染んでくれている。うれしく心なごむこと、この上ない。
2019 8/29 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

隠居      江戸時代について、考慮に入れて置くべき事がある。それは隠居といふ一種の制度、乃至は慣習である。この慣習は室町時代から戦国時代にかけて定着したものらしいが、少く
とも江戸時代においては武士と町人、農民と漁民との別を問はず行はれてゐた。年齢は大体四十歳以上であるのが普通だつたが、寿命が著しく延びてゐる今日、定年五十五歳や六十歳で隠居させられたらどうなるか。
封建時代の人々は自ら隠居して老後を楽しむ智慧を身に附けてゐたが、今日の「若い老人」は隠居生活を楽しむ術を知らない。彼等こそ生き甲斐を何処に求め るべきか。隠居して公の社会集団、或は家族集団から離脱した時、その人の私的生活の安定度は殆ど零に近くなる。吾々は公のうちにばかりでなく、私のうちに 生き甲斐への通路を見出して置かなければならないのではないか。なぜそれが出来ないのか。

* 現在の定年が何歳ぐらいか、私が東工大教授を定年で退任したのは満六十歳の年度末だった。今ではおお かたもう少し上だろうが、識らない。云われている事情は変わっていまい、もっと悲惨かも知れぬと、わたしも早い時機からいわゆる「定年後」の三十年をどう 生きる気かと「大波小波」などで問うてきた。上野千鶴子さんの「おひとりさま」論調は絶対的に必然であった。何処かの新聞記事が上野さんの論調や口調を非 難していたが、彼女の先見の明は、明度こそ断言できないがおくれた常識をよく超えていた。

* 機械が働いて呉れるまで一時間ちかくかかった。老人はいい辛抱を教えられる。いわゆる実世間もぐっと狭くなった気がする。幸いに、わたしはかなり豊か に楽しめる「別世間」をもっている。そこでわたしを迎えてくれる実在・架空の人やネコたちを取り混ぜ殆どがもう現世の存在でなく、但しあのオールド・ブ ラック・ジョーのように「待っている、早くおいで」などと云われてはいない、が、一日一日、わたしもそっちへ歩み寄っている。今、今、楽しんでしておきた いこと、それは云うまでもない。
2019 8/30 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

教 養     ゲーテの修業と遍歴とは、畢竟、教養、形成(Bildung)以外のなにを意味してゐるのでもない。かれは環境のうちに埋没したたんなる生活者ではない。ひたすら自己を完成し、
人間性の頂点に達しようと意思する精神である。
奇怪なことに、日本ではかうした教養への意思が、生活を遊離し書斎のうちに閉ぢこもり、あるいは衒学的なペダントリとむすびつき、あるいはいはゆる自由主義的なディレタンティズムとむすびついてしまつたのである。それは尊大な事大主義であり、現実を蔑視した態度なのだ。

* 耳が痛い。
2019 8/31 213

* 妻にも夏バテが見え、今夕以降休息させ、わたしも横になり、トルストイ、プラトン、ル・グゥイン、司馬遷「史記列伝」講義を読み継ぎ、そっと機械の前へ戻ってきた。とにかくも明日来る九月を先ず無事に乗り切りたい。猛烈な残暑よりは、無事の雨を待つ。 2019 8/31 213

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

修 養     履歴書に趣味は「読書」 と書込みながら、読書を趣味に仕切れぬ何かが日本人にはある。或は何かが日本人には欠けてゐるので、読書を趣味にし切れないのかも知れない。いづれにせ よ、日本人は読書を「修養」と心得てゐた。読書ばかりではない、茶を点てるのも、花を活けるのも、歌を詠むのも、すべて「修養」なのである。遊びを「道」 にしてしまはなければ、安心して遊んでゐられない何かが日本人にはある、或は何かが欠けてゐる。何かがあると言へば豊かさになるが、何かが欠けてゐると見れば、そこに貧しさが窺はれて来るのである。
善かれ悪しかれ、その典型が芭蕉だ。彼は遊びを真剣勝負にしてしまつた。更に、その真剣勝負を、亜流達は遊びにしてしまつたのである。お蔭で俳諧は普及 し世俗化した、が、誰も彼もが真剣を弄べば、真剣勝負は何処にも見られなくなる。なぜなら、それは真剣ではなく、当人が真剣だと思込んでゐるだけの話だか らだ。
同じ様な世俗化現象が近代日本文学史の上でも起つたのではなかつたか。今日もその現象は続いてゐるのではないか。
二葉亭四迷は文学がつひに真剣勝負に非ざる事に見切りを附けて政治に身を投じてしまつたが、彼を担いだ自然主義の作家達は、小説が遊びである事の自覚無しに真剣勝負の風狂を演じた、お蔭で小説は普及し世俗化した。その結果どういふ事が起つたか。

* これぞ「凄い」 これぞ「うら悲しい」 辛辣な問いである。今日の文学批評家はどう答えているのだろう。

* 私の読書は、ちっちゃい年頃の昔から、「好奇心」「大人への好奇心」とい うに尽きていた。だから秦の祖父鶴吉所蔵のかなり大量の漢籍にも和書にも辞書字典や生活百科寶典や日本旅行案内の大冊にもただ弄くるだけでも飽きなかっ た。この傾向は今にも続いて変わっていないと思うが、ただ「くだらない」「ばからしい」ものは忌避して今も顧みない。修養意識は無く、やはり価値ありそう なもの・ことへの「好奇心」というのが当たっている。白楽天も古事記も源氏物語も百人一首も平家物語も、徒然草も、漱石も、藤村も、潤一郎もそうであっ た。泰西文学にもそうであった。
好奇心というのは、しかし、歯止めが利きにくく、時に暴れ者になる。
2019 9/1 214

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

言葉の誤用     意識の歪みは存在の歪みによつて決定される前に、まづ言葉の誤用から始る。

* 厳しい指摘である。
2019 9/2 214

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

文化人    大ざつばにいへば、民衆は心理的に動く。「文化人」は論理的にものを考へる。といふより、さうしてゐると思ひこみたがり、さうす ることを高級だと考へ、それでこそ「文化人」だと考へてゐます。だから、論理的に割り切つて進めぬ民衆が、「文化人」の眼には愚昧と見え、すべてを割り切 つて進めぬがゆゑに生じる民衆の迷ひを、文化や学問で救ひあげてやらうなどといふ、とんでもない仏心をだす。さういふ「文化人」が、私の眼には、無辜の良 民をうしろから袈裟切りにして、溝河に蹴落しておき、「南無阿弥陀仏、成仏しろよ」と手を合せる辻斬り侍のやうに見えてしかたがないのです。
選挙民をたぶらかすインチキ政治家とどこがちがふのでせう。
国民の一人l人に竹槍をもたせようとした狂的軍閥政治とどこがちがふのでせう。
私たちが外国の書物を読み、外国人と個人的に接してみて、一番痛切に感じることはなにかといへば、やはり自分たちも日本の民衆の一人だといふことでせ う。彼等に比べれば、私たちは心理的に考へ、心理的に行動する。その点では中国人でさへ、私たちよりはるかに西洋に近いのです。
日本人は随分特殊な国民性をもつてゐると私は思ひます。

* 東海「粟散の辺土」と列島日本国は永らく謂われ、海に隔てられての「プラス・マイナス」を歴史的に蒙ってきた。国難という意味では、周辺の海は防禦的 に永く働いてくれたが、先の戦争では、空爆という激襲に痛めつけられた。海からの艦砲射撃も明治以前に已に地域的に体験していた。
さらに「情報」という名の莫大な心的物的干渉はすでに世界中から寸刻の容赦なく「隔ての海域」などを無意味化している。この現実から、目が離せない、政 治も国民も。ナチ興隆期の「地つづき」応酬の悲惨は深刻だった。日本ももう海に護られてなどいない現実、忘れてはならぬ。
2019 9/3 214

 

* 「アンナ・カレーニナ」を読んでいて、カレーニンとアンナとヴロンスキーの事件ないし関係を作者が書こうとしていたと読んでしまっては、違ってしま う。むしろそれへ添いつつそれ以上に、レーヴィンとキチイの愛ある文字通りの「生・活」を書くのに幸福感や共感をもっていたと読まないと、読めないと、こ の大作が通俗の化粧で見にくくなりかねない。キチイと再会する直前の、レーヴィンと兄との対話や交歓、また草刈り場でのレーヴィンと農民達との協働や交歓 や理解の方に トルストイという貴族作家は実感こめた親和親近を書いている。
それは「復活」で、カチューシャへの罪責感や愛より以上に強烈に庶民の罪責を過剰に責めて改めない裁判や警察制度への批判のほうがだんだんに強い真意とし て前面へ立ち上がってくるのと通底している。とるすといのほんの多くが国内で禁書とされ、国外で飜訳されて多大に感化し影響したのを、とても大きな史実と わたしは感じる。
2019 9/3 214

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

言文一致     明治以来の言文一致はその動機において正しかつたが、結果的には大変な誤りを犯したと、私は考へてをります。なによりの証拠は私たちの文学が詩を失つてしまつたことです。
といふことは、私たちが文学を失つたといふことです。
これは漢学者の松本如石氏に伺つた話ですが、坪内逍遙は早くも明治三十五六年頃に、言文一致の主張が間違つてゐたと、述懐してゐたさうです。
おそらく、それは間違つてゐた。なぜなら言文一致といふことにおいて、音声言語の文語による鍛錬と格あげを考へることなしに、一方的に文字言語の口語による破壊と格さげだけしか考へなかつたからです。

* 謂われている「文学が詩を失つてしまつた」の「詩」の意味を、今日の文学者らの中でいちばん理解できていないのが、「短歌歌人」だと謂うしかない。短 歌が藝術言語による歌・詩であることを最も「雑」然と忘れ果てている。

* 昨夕、湯につかりながら、もう昔の別冊 「新潮名作選 百年の文学」の中の、小林秀雄・中村光夫・福田恆存三氏の鼎談「文学と人生」を半ばまで熟読、血肉に通って有り難かった。三人とも私の文学 人生に大きな力を戴いて忘れがたく、鼎談の随所に肯くところ多かった。まだ三分の一か半分で湯を出たが、前半の、ロシア文学(ソ連文学ではない)への共感 から西欧文学へ近寄られているあたりの回顧に深く肯いた。ああさうか、やっぱりそうかと嬉しいほど合点した。
トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、そしてプーシキンやツルゲーネフを知らずに、または早い時機、小青年期に読まないでいたら、わたしの人生観・人間観は大きく何かを欠いていただろう、そう永く永く実感してきた。

* 紀要を送って呉れる大学がある。わたしは興味ある主題の論文は読んでいる。最近の熊本県立大「国文研究」に出た「卒業生」富永侑里さんの「延慶本『平家物語』(大政入道他界事)と『宝物集』」を興味をもって読んだ。

* 建日子が、めずらしく、「父さん、この作者好きだよね」と、ル・グゥインの『なつかしく 謎めいて』という一冊を持参して呉れたことがあり、 以来、 永い時間を掛けて読み進んでいる。グゥインらしい超級に興趣の一冊で、「シータ・ドゥリーブ式次元間移動」で、さまざまな世界へ「旅」ができる。いわゆる 人間の世界ではないが人間の國と同様に同様のしかしいろんな人たちが生活していて、「私」はそんな旅が好きでしばしば自在に出向いてその世界の人たちと仲 よく、しかし相当に気も遣って叮嚀につきあっている。その見聞記、変わり種の「新・ガリバー旅行記」なのだが、知恵溢れたル・グゥインの筆の冴えで、まこ とに和やかに珍しく面白い。原題は「Changing Planes」 ただの着想小説ではなくみごとな創作世界である。
2019 9/4 214

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

お芝居     自然のまゝに生きるといふ。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のまゝに生きることを欲してゐないし、 それに堪へられもしないのである。程度の差こそあれ、だれでもが、なにかの役割を演じたがつてゐる。また演じてもゐる。たゞそれを意識してゐないだけだ。 さういへば、多くのひとは反撥を感じるであらう。芝居がゝつた行為にたいする反感、さういふ感情はたしかに存在する。ひとびとはそこに虚偽を見る。だが、 理由はかんたんだ。一口にいへば、芝居がへたなのである。……
舞台をつくるためには、私たちは多少とも自己を偽らなければならぬのである。堪へがたいことだ、と青年はいふ。自己の自然のまゝにふるまひ、個性を伸張 せしめること、それが大事だといふ。が、かれらはめいめいの個性を自然のまゝに生かしてゐるのだらうか。かれらはたんに「青春の個性」といふありきたりの 役割を演じてゐるのではないか。私にはそれだけのこととしかおもへない。

* 中国六朝 梁の周興嗣が武帝の命を受け、四字一句 二五○句 一千字の韻文を撰した。耳にはよく聞く『千字文』で、昔か興味を覚え、「天地玄黄 宇宙 洪荒」と始まっていることは高校時代には識っていたが、秦の祖父の蔵書にも見つからないまま大人になり、いつか古書店で、「眞行草 三軆千字文」天地二册 を手に入れ、ヒマを見ては愛玩している。漢字というのは底知れず興味深い物で、白川静博士の「字統」などの大冊も手のどくところに置いて、必要に応じむし ろ楽しんで見ている。「令和」の「令」なども即、白川博士の教示にあずかった。
『千字文」いつでも引き出せるように機械に入れているが、正字ですべて拾い出す難渋はたいへんで、やっと「天地」二册の「天」册分の「眞」字だけ、およそ五○○字ほどを転記した。各四字一句の読みはとにか意義を解説した本が欲しいなあと、手に執るつど歎いている。

* 「アンナ・カレーニナ」が辛くなってきた。いま私の校正刷りがないので、明早朝六時起き七時出の聖路加へもこれを持って出るのだろうが、気鬱なほどアンナの事態は悪化して行くはずで、いっそ「戦争と平和」を、連れて読みだすか、久しぶりにレマルクで感動しようかとも。
明日早朝の診察後(よほど待たされても午までには解放されよう)、街でどう過ごせるか、近来、いつもいつも銀座のばかげたムダ歩きでぐったりして帰って いる。渋谷新宿はいや。上野浅草と想うけれど、アテなしに歩いて疲れ果てるのも帰路が危なく。昼飯だけ済ましてさっさと帰るか。夏ばては深刻。
2019 9/5 214

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

理想と現実     日本人には、理想は理想、現実は現実といふ複眼的なものの見方がなかなか身についてをりません。自分ははつきりした理想を 持つてゐるといふ意識、それと同時に、現実には、しかし理想はそのまま生かせられないから、かういふ立場をとるといふ現実主義的態度、つまり態度は現実的 であり、本質は理想主義であり、明らかに理想を持つてゐるといふのが、人間の本当の生き方の筈です。これは個人と国家を問はず同じ筈です。
これをもつと日本人は身につけるぺきだと私は思つてゐます。

* 七時台の通勤電車の満員は昔のママで、新富町までの一時間強、ドアの隅に押し込まれ貼り付いていた。
諸検査を済ませてから結果の出るまで一時間余を「アラビアンナイト」ほ読みながら待って診察を受けた。
諸臓器等の検査結果は宜しく、触診聴診も受けて問題なく、腰の痛みはあるが背骨はしっかりしていると。また半年後に受診と。
腫瘍内科まで副院長の林田先生がわざわざ尋ねて見え、ハグして仲よく久闊を叙した。
投薬などなにも無く、十一時前。
さてどうするかと築地の街中で茫然と立ちん坊のあげく、麹町の中華「登龍」へと思いつ新富町駅へ入ってきた地下鉄が、直通の「保谷」行き。麹町で降りそ びれ、しかし流石に空腹で、池袋西武地下の美味くない寿司を少し摘んで、正一合の「菊正」を。妻の夕飯用にと「聘珍樓」の折り詰めを買って帰った。
真夏のカンカン照りという暑さ、タクシーへ逃げ込んで帰宅。友人 原知佐子(女優)のハガキが来ていた。
2019 9/6 214

* 小林秀雄、中村光夫、福田恆存の座談会「文学と人生」を興深く読んでいる。
2019 9/6 214

* 機械の前で機械を開かず、ル・グゥインの『なつかしく謎めいて』の文字どおりに凄い「四つの悲惨な物語」を読み耽った。ノハグル、オブトリー、ホアと ファリム、メイユンとユイ、何れも人間の地球とは次元を異にした、シータ・ドゥリーブという異世界次元間移動法で訪れうる世界。面白くてもの凄い。十五章 ほどあるなかの一章である。
グゥインの作は、『ゲド戦記』を筆頭にみな超特級の想像力で構築されている。この本もまた冷静の極みの破天荒で、わたしの度肝を物静かに抜く。
2019 9/6 214

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

愛国心     物の中にはそれを造つた人の心、それを所有し、使用してゐる人の心が生きてゐる。譬へば、親にとつて死児の遺品は決して単なる物とは言へない。自分の子供が愛玩してゐた
おもちやは、遺された親にとつて、子供の心と自分の心とがそこで出会ふ場であり通ひ路なのであり、随つて、それは心の棲家なのであります。
自分自身の所有品についても、自分が長年の間使つて釆た、詰り附合つて来た品物は事のほか愛着を覚え、吾々はそれを単なる物として見過す事は出来ないの です。消しゴムや小刀の様な些末なものですら、そしてそれがもう使ふに堪へなくなつたものでも、むげに捨て去る気にはなかなか成れないものです。
この「こだはり」を「けち」と混同してはなりません。それはその物の中に寵められてゐる自分の過去の生活を惜しむ気持であつて、吾々はその物を捨てる事によつて自分の肉体の一部が傷附けられ切落される痛みを感じるのであります。
ましてその物が、自分が生れた時から暮して来た家、子供の頃に登つた柿の木、周囲の山や川、さういふものともなれば、なほさら強い愛着を感じ、自分の肉 体の一部どころか、時にはそれが自分の命そのものに等しい感じを懐くのであつて、それを私達は「命よりも大事な」とか「命の次に大切な」といふ言葉で表現 してゐるのです。さうした自然、風物、建物に対する愛情が愛郷心、愛国心の根幹を成すものではないでせうか。

* この思いを押し広げてわたしは、「愛国」の根に、便利を朱とした経済科学文明よりも、伊勢神宮や法隆寺や古典籍や仏像や絵巻や能や祇園祭などの、日本人にしか創れなかった美しい「文化」を置いて喪いたくない。たとえ原発の全部が失せても構わない。たとえ新幹線が間引きされても構わない。
2019 9/7 214

* 「千夜一夜物語」は角川文庫で廿余巻、読み通しているが、また読み始めて、桐生の聖路加外来で第三巻を読んでいたが、なんもはやケタ違いにオモシロイ 読み物である。これを読むとアラブへの親近感に染められて行く心地がする。ぜんんなの再読には相当な時間が掛かるけれども。
2019 9/7 214

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

スポーツ      藝術には動と反動とがあるゆゑに、そこにはたえざるくりかへしがあるのです。が、スポーツにはくりかへしがない。それは無 限直線上の運動であります。なるほどスポーツにおいても、呼吸と脈搏とは平常の状態を脱し、強烈に生自体の可能性を発揮しようとする。が、ゴールに突入し た選手は息もたえだえになつて、その場に倒れる。そこにはくりかへしがない。いや、くりかへしの余裕がないのだ。
今日、スポーツはもはや肉体の健康のためのものでもなければ、身体を強壮にするためのものでもなくなつてしまつたのです。観衆にとつても、これは好奇心の満足を意味するだけのものにすぎません。
スポーツばかりではない。現代文明は呪はれたる好奇心のために、進歩と速度との幻影に憑かれ、人間の生理的限界を無視してまで、呼吸と脈搏とを早めよう と狂気のごとく努力してゐるのです。が、よかれあしかれ、われわれはこれを阻止できない。われわれはこれについてゆかねばならないのです。
歴史をして赴くところに赴かしめよ、であります。

* 私も つねづねそう感じそう批評している。
ギリシヤ人は 人間として最高最良の知性と肉体のために、詩(文藝)、音楽そして体育を必須の者と掲げていたが、いずれも、たんに読者、聴衆、ないし観客として愛好せよというのではなく、自身の教養・素養・鍛錬として大事にと考えていた。
今日の人間は、おおかたが、それを、自身の素養や錬成でなく、ただ才能ある他者(作家 音楽家 スポーツマン)からうけとる娯楽・趣味としてのみ余所に見ている例が圧倒大多数になっている。もはやどうなるものでも無いのだが。
2019 9/8 214

* ホメロスの「オデュッセイ」は読んでいるが長大な「イーリアス」は未読、ただ映画「トロイ」では繰り返しブラッド・ピットのアキレスを観ている。ブラト ンの大作「国家」は二度も読んでいるので、ホメロスという大山もかつがつでも踏破してみたい。が、今晩は、まだ八時半なのに、もう目が霞んですっかり疲れ ている。夜半には強い台風が来るとか。
2019 9/8 214

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

太宰治     太宰治は恥でもないものを恥と仮説した。悪でもなんでもないことを悪とおもひこんだ。それゆゑ、彼の十字架や神は、はなはだ低 い位相に出現する。あたかも(日本の=)自然主義の作家たちが情欲を醜悪と見なすことによつて、低級な精神主義を発想せしめたのと似てゐる。
2019 9/9 214

☆ 『唐詩選』(抄出) に聴く  李白「子夜呉歌」

長安一片月  萬戸擣衣聲  秋風吹不盡
總是玉關情  何日平胡虜  良人罷遠征

厭戦の情を この上なく切なく美しく。
2019 9/9 214

* 正古誠子さんの個人歌誌「言葉」が届いた。この歌人は、まさしく「言葉」を大事に生きて生かしている今日稀有のひとり、前に戴いた歌集も、わたしだけでなく短歌に縁の遠い妻をさえ感服させていた。
今回、ちょっと長い「あとがき」もよかった、その「おもひ」よく燃えていて、共感深い。こういう人もいるのだ、がさつに言葉を踏みつけ投げやった雑な歌誌の大勢に、読んで、思いなおしてもらいたい。
2019 9/9 214

* プラトン『国家』のもう後ろの方へ来てソクラテスは聴き手のグラウコン相手に、ホメロスを初めとする作家詩人画家ら藝術家に、熾烈に辛辣な、要は彼ら は真実ということからすれば「真似で描写」しているに過ぎない「真似師」であると決め付けている。その理由づけは説得力を持っている。これは、追いかけて 別途ここでさらによく聞き返し、考えてみたい。
2019 9/9 214

* 夜前は、映画「ホビット」最後の決戦まで、堪能するほど観てから、日付変わって、何冊も本を読んだ。天井の明るい電灯だとブルーにやられ、すぐ目が霞 むのに、スタンドの昔電球に替えると逆に視野視線は落ち着いて文庫本も読みやすくなってくる。理解には苦しむが、見える、読める、のはほんと有り難い。
2019 9/11 214

* 今朝もキッチンの卓にあった或る歌誌へ目をむけていて、ああ、この頃の歌人はさながらおのが歌作を、述懐でさえなく、気のきいた箴言を為すかのように、ま た成すかのように「諷して、ツクッテ」いるらしいと気づいた。和歌のどの時代にもどの勅撰集にも、いくらかはこの傾向は見える。

極楽ははるけき程と聞きしかど勉めて到るところなりけり

濡衣をいかがきざむ世の人は天(あめ)の下にしすまむかぎりは

前歌は、ま、坊さんの自覚と読んでよかろうが、一般の読者は箴言じみて受け取ったろう。後の作など、気のきいた箴言きどりに読める。むろん近現代の著名歌人にも無いわけでなく、しかも秀歌がある。

おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は   斎藤史

など胸に響いて忘れがたい「箴」とも読める。
だが現今の歌誌等に氾濫しているのは「箴めかし」た「雑に安い思いつき」の、しかも表現に「うた」の美しさが目も耳も蔽いたいほど欠している。
短歌も俳句もまた「批評」のはたらきをするが、むりやりくりの「思いつき」を読むのは愉快でない。
2019 9/11 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

国家というものがなぜ生じてきたか。われわれがひとりひとりでは自給自足できず、多くのものに不足していたからだ。 食料 住居 衣服の備え。
2019 9/15 214

* 機械に向きあうても、心身に、ことに腹部に全然チカラが無い。八時間近くは睡っていたが、夢の中でも「仕事」をアレコレ吟味しつづけて疲労していた。行けば行くほど貼り穴へ擂り粉木を突っ込んでいるような気がするのだ夢の中でも。
なにか楽しみが欲しいが、いま、音楽も聴けない、機械が正しく使えなくて。読書は、正直なところ目がまっさきに疲れるし。

* 手先が病的に震える。体験したことがないほど。糖分を攝っている、効果に信頼があるではなく。さっきまで、横になり、「千夜一夜物語」「アンナ・カ レーニナ」「プラトン・国家」「ヌ゜ラトン・饗宴(読了)」「法然・一枚起請文」をそれぞれ面白く、興味深く読んでいた。烈しいくしゃみを繰り返し、洟が 出ていた。寒くはない。が、今も両腕・手先がかるくではあるがビリビリ痺れている。乗り切らなくては。
また機械、一時停止して階下へ。小説「清水坂(仮題)」に祟られているかも。頸が凝ってきている。
午まえ、十一時過ぎ
2019 9/15 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

国々にとって公私いずれの面でも害悪が生じるときの最大の原因であるところのもの、そのものから戦争は発生する。

* いま、私の思うところ、日本国で害悪最大の原因になっているのは、安倍総理である。
2019 9/16 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

気概というものがどれほど抗しがたく打ち克ちがたいものであって、それがそなわっていれば、どんな魂でも、いかなる事柄に直面しても恐れず、不屈である。
穏やかな性質と気概のある性質の、そのどちらかでも欠けているならば、けっしてすぐれた國と国民の守護者にはなれない。

* 我が国の総理は、国民の強権による統治・支配には辣腕をもってシテも、他の強国の支配者には卑屈なほど信念と気概とをもって当たっていない。慣れて馴 染んだ「お友達」大臣や党員にはこの上なくあまく利益を供与しても、手腕と気概の対抗者らにはその正反対の態度で、国家国民のための高度の配慮をうち捨て ている。

☆ 『唐(から)物語』 の (一)
昔 王子猷、山陰といふ所に住みけり。世の中の渡らひにほだされずして、唯だ春の花、秋の月にのみ心をすまLつゝ、多くの年月を送りけり。事に触れて情 深き人なりければ、掻き曇り降る雪はじめて晴れ、月の光きよくすさまじき夜、一人起き居て慰め難くや覚えけん、高瀬船に棹さしつつ、心に任せて戴安道を尋 ね行くに、道の程遙にて、夜も明け月も傾きぬるを、本意ならずや思ひけん、かくとも云はで、門のもとより立ち帰りけるを、いかにと問ふ人ありければ、
諸共に月見んとこそ思ひつれかならず人に逢はんものかは
とばかり云ひて、遂に帰りぬ。心のすきたる程は、是れにて思ひ知るべし。戴安道は剡縣といふ所に住みけり。此の人の年頃の友なり。同じさまに心をすましたる人にてなん侍りける。

* この「子猷訪戴」の故事に、何知らず初めて出会い、胸に響き打たれ、感動のママに書いたのが極く初期の小説『畜生塚』であった。事実上の太 宰賞受賞第一か二作目として「新潮」に発表したが事実はずっと前、第一冊目私家版本に歌集『少年』とならべて、しかも医学誌大の大判本に8ポ二段組みで掲 載していた。ワケもわからず志賀直哉、谷崎潤一郎、中勘助、窪田空穂ほか数人の作家批評家に送りつけていた。受取の返信の無かったのは谷崎先生だけであっ た。この「畜生塚」は「新潮」の編集者小島喜久江さんが気に入ってくれ、ぜひしっかり手を入れてみて下さいと云われ、懸命に推敲した。そのまえに「新潮」 初の掲載作となった『蝶の皿』は一字一句のダメだしもなく、新人賞作家特集に、事実受賞後最初作として世に出た。昭和四十四(1969)年夏だった。
「子猷訪戴」の記事は京都の叔母から送ってくれていた茶道誌「淡交」誌上で出会ったのだ、とうじはまだ古典の『唐物語』を識らずにいた。この近年にたまたま古い文庫本を手に入れてその巻頭に上の記事のあったとのを知った時は、びっくりした。
佳い逸話と胸に落ちる、が、私自身ははるかに雑に日々なお騒がしく生きている。
2019 9/17 214

* 夕食の後、と謂うても多くは食べないのだが、食べ疲れでしばらく横になり、『イリアス』をしばらく読み『千夜一夜物語』を一話読み、それからル・グゥ インの乾いた語り口での不思議な國の話を読み、『アンナカレーニナ』で、オブロンスキーとドリー夫妻の夕食會へ一人はアンナと離婚し息子を取り上げようと 決意しているカレーニン、むもう一方では愛に溢れて運命をともにとねがっているレーヴイン・キチイの再会の一と場を高揚した気分で愛讀した。なんという素 晴らしい把握と表現であることか。これこそ完璧な小説だと、恥ずかしさも忘れそうに賞嘆しながら愛読した。
2019 9/17 214

* 日を追い週を月を追って人交わりのかぼそい生活になって行く。わたしが動かないのだから当然の始末であるが、良いこととは思っていない。幸か不幸か私 には今以てなお旺盛な読書世界があり、弱った視力ではあるが、読めばなにもかも面白いのだから有り難い。「読んでくれ」と叫ばれている本が書庫に溢れてい る。私は事典や辞書をさえ愛読できる。
だめなのは、安い読み物。時間が勿体ない。
2019 9/17 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

国家のすぐれて立派な守護者(指導者)となるべき者は、その自然本来の素質において、知を愛し、気概があり、敏速で、強い人間であるべきだ。彼(ら)は生来、必須の教育として、身体のためには体育、魂のためには音楽・文藝を身につけていなければならぬ。 2019 9/18 214

* どうしてもせずに済ませない用事が家にはあり、大概は力仕事でモノを持ち運びしたり置き直したり、時に脚を取られて横転したりする。生きて暮らすことの余儀ない通り道と心得てるまで。それでも、しんどい。
疲れて休息に階下に降りても下らない喋くり番組や安い犯罪、時代劇、かと思えば安倍やトランプノの貧相な顔があらわれ、安息の場は睡眠しかない。情けな いことだ。なにも自分が、トルストイのような素晴らしい世界を創作しているとまで云わないが。結局は、いいものを「読んで」気を静め清めようとしている。 いい音楽と、よく出来た映画だけは楽しめる。慰められる。食べ物が、このリストから落ちてしまっている。酒は呑みすぎると仕事にも躰にも障る。
2019 9/18 214

* 夕食前、湯につかり、長編『アンナ・カレーニナ』のなかで最も幸福感に溢れたキチイとレーヴィン婚約成立の場面とその前後を心嬉しく耽読した。素晴らしい把握と表現だ。
2019 9/18 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

すぐれた語り方と、すぐれた調べと、様子の優美さ(気品)と、すぐれたリズムとは、人の良さ(エウエーティア)に伴う。ただしそれは、愚かさのことを体 裁よく「人が好い」と呼ぶ場合のそれではなく、文字通りの意味でその品性(エートス)が良く(エウ)美しくかたちつくられている心のことだ。若者たちは、 将来自分の任務を果す人間となるべきであるならば、それらをあらゆるところに願い求めなければならない。だからこそ、音楽、文藝による教育は、決定的に重 要なのだ。リズムと調べというものは、何にもまして魂の内奥へと深くしみこんで行き、何にもまして力づよく魂をいかす。
(ましてや国家国民のために務むべき 総理や副総理や大臣や代議士は 率先斯く生きてあるべき者らである。)
2019 9/19 214

* 少しやすんでいたが、ふとまくら元の「大和物語の人物」の「右近」を読みだしたら面白くて読み終えた。
そのまま夕食へ、出汁味の良く利いた汁に卵二個を溶いた一杯だけで済ます。

* 強いていえば結語まで用意はあるのだが文章にかたちづくるのが日に五行十行しか成らない。それも創る楽しみと思って堪えている。いいフルート曲が鳴っ ている。耳は聞こえるが眼は霞んでいる。十時半。やすむ。床に就けばまた『アンナ・カレーニナ』に息苦しく、しかし魅されて引っ張られそう。
2019 9/19 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

國と国民に放埒と病気がはびこるときは、数多くの裁判所と医療所が開かれ、法廷技術と医療技術が幅をきかす。
自由教育を身につけたと誇って自称する人(大学教授や知識人)までもが、安易に裁判官・弁護士を必要としてしまうと謂うこと、──いったい、一国の教育 が悪しき恥ずべき状態にあることを告げる証拠として、これよりもっと大きなものを何か見出せるか。自分が用いるべき正義や判断を他の人々から借り入れざる をえず、そういう他人をみずからの主人・判定者となし、自分自身の内には訴えるべき頼むべき正義や判断を何ももたない・もてないという状態こそ、恥ずべき ことであり無教養の大きな証拠ではないか。事に処して安易に法廷や弁護士の判定や助勢を頼んでそれが正義かのように自負し自涜してしまう愚かさ。
自分自身の生涯を、大方いねむりしている裁判官や弁護士などを少しも必要としないようなものにするのが、教養であり、知性や判断力であって、どれだけ美しく善いことであるか。
2019 9/20 214

* 東大の久保田淳さん(名誉教授)から岩波文庫新版の『後拾遺和歌集』を頂戴した。和歌の好きな私のいちばん心惹かれてきた一巻、詳細で読みいい註と懇切な解説も有り難い。
久保田さんには、さきごろ、興味津々の論考一文も送って頂いている。もう久しいお心寄せ、お礼申し上げます。

* 冷えると、朝から思っていたが。五時過ぎて、暑い。
食は細く、汁しか呑めない。
入浴。目を洗い洗い、「千夜一夜物語」を二夜三夜分、 『アンナ・カレーニナ』 出産後のアンナの部屋へブロンスキイがとびこんで来るところを読んで気分を換えた。
2019 9/20 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

悪徳はけっして徳と悪徳自身をともに知ることはありえないけれども、徳のほうは、素質が教育されることによって、時のたつうちに、徳自身と 悪徳との知識をともに把握するにいたる。そのような人こそが知恵のある賢い人になるのであって、悪人がそうなるのではない。國と国民の指導者や裁判官や教 授にはそういう徳をもった賢い人こそがつかねばいけない。
2019 9/21 214

* 書庫へはいると疲れるようになった。夥しい戴き本に宛名や献辞が添っていて、その大方は仰ぎ見た先師先達でもう亡くなられている。思い出に胸がつまる。つい立ったまま、歯を食いしばっていて痛み出す。疲労が加わる。書庫には引き留める魅力と魔力がある。
疲れで目が明かない。機械から離れた方が、きっと、いいのだろう。いま、テープは「スターバト・マーテル」(と謂ったか)を聴かせてくれている。女声のこの世ならず美しいこと。荘重な合唱も交互に。
2019 9/21 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

音楽・文藝の教養を身につけた者は、その気になったならば、その同じ道に沿って体育を追求してわがものとなし、やむをえない場合のほかは、 なまじな医術など必要としないようになるのがいい。その体育の内容をなすつらい鍛錬そのものも、彼は体の強さを目的とするより、むしろ、自分の素質のなか にある「気概」的な本性に目を向け、それを目覚めさせるためにこそ体育すべきだ。

* 城西大の学長をされていたと思う水田宗子さん編集の文藝・詩誌「カリヨン・ストリート」を戴いて掲載された幾つかの詩を読み詩人の対談を読んで、先日来の詩についての思いとあわせ、いくらか日本でいわれる「詩」なる感じが見えてきた気がした。
素直に簡素に率直な日本語できちんと語られてある詩と、やたらに気取って日本語をこねまわして詩と自負・自称したものの差が見えてきた。「カリヨン」に は、見た限り、気取って無茶な日本語はみえなくてその心境のよみとれて感興を覚える作にいくつも出会えたのは幸いだった。
2019 9/22 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

われわれの國の補助者たち(総理や大臣や代議士や首長たち)が、国民の為を思って闘う味方でなく残忍で強慾な暴君に似た者とならせぬよう、あらゆる手段を講じて防がねばならない。
2019 9/23 214

* 気を入れ、ロキソニンで歯痛はおさえ、脱稿の初稿を読み続けていた。正午。上尾君にもらったフルート曲で雑念をはらっていた。

* 午後二時。 全四章の前半二章を 推敲しつつ気を入れて読み返した。この辺までは、是までもイヤほど読んでは直し直ししてきたので、幸い大きな齟齬は無かったと思う。
台風の余波らしきがしきりに窓を打っている。フルート曲を聴き、今は能管が静かに恋の音取りを聴かせてくれている。仕事中は疲れを忘れているが、やすむと、ぐったり心身折れてくる。今日は、かなり暑い。すこし階下で休くでくる。いま、横になると読みだす本は、
まず、ホメロス「イリアッド」。大変な長編だが、予備知識が出来ているので、苦にするよりむしろ楽しめる。いま、トロイの王の質問に応えて、両国わざわいのタネとなっている美女ヘレネがアカイア側の英雄・勇士たちの紹介をしている。
次に「千夜一夜物語」 アラビアンナイトなんてと軽くみて読んでない人は大損をしている、世界中だこれほど面白くよく語られていて飽きない本はめったに無い。厖大に大量の咄が満載で、美女シャーラザッドの語り口は心憎く軽妙。
次にはトルストイ「アンナ・カレーニナ」 これは楽しいばかりの名作ではない、息苦しいまで凄惨なの女の悲劇と、またこころよき愛し合う夫妻の幸福物語でもあり、トルストイの筆の精妙な活躍と把握の凄みは、世界一の近代小説とすら云いたくなる。
そしてル・グゥインの「懐かしく なぞめいて」 これはもう快く降参してしまうほど知的に深く徹底した創造力と世界把握の現代奇跡的な名作。
そしてそして久保田教授に頂戴したばかりの岩波文庫新版「後拾遺和歌集」 和泉式部を初めとする絢爛の平安女流達の和歌の美がいい解説付きで満喫できる。

* 歯は痛むが、何としても一昨日までのあの重圧からはすこし遁れている。目は霞んで、いろんな目薬を気休めのように垂らしている。

* 階下で、ひとり、贔屓だった米倉涼子の「ドクターX」再放送を一回分観てから、何の本も読まぬまま五時半まで熟睡。すぐ二階へあがり、また新しい原稿を読み返していた。

* 湯につかりたい。

* 湯の中で、桂郎俳句を晩年の夫人が撰註された一冊を、感じ入って味わっていた。
2019 9/23 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

政治のあり方そのものが良くなく、しかも国民に国政を動かすのを制限し禁じさえし、侵す者は罰する。他方、そのような悪政を恣にする自分た ちに奉仕し忖度して諂い機嫌をとってくれて、そうした追従に巧みにたけた者を有能の者と用い、名誉をさえ与える、そういう政治を平然と固持して政権に居 坐っていられる国家こそ、最悪と云わねばならない。
2019 9/24 214

* 朝いちばんに、久保田名誉教授(東大)に以前にいただき興深く一読していた(学士院紀要)掲載の論攷『「すきま」の美意識について』をもう一度行間も 読むほどに再読した。なるほど、たしかにと納得をふかめて思い新たなあれこれを更に教わった。論攷の視野は万葉集のむかしから江戸の「いき」にまでわた り、津々の興趣が多彩に楽しめた。「小簾の戸」などという、とびきり粋な近世舞踊の詞句にまで眼が届いていた。
論攷における「視野」「基盤」の広さという難しい問題をもまた考えさせられた。視野は広ければそれで良いのでなく、深みを基部で他用に繋ぎ得た広さでないと、論旨はただ散漫に陥る。
さすがですと、おもしろく教えられた。研究者でない一読書人の私などは「おもしろかった」という満足だけで酬われる。ありがたい。
2019 9/24 214

* ポール・ニューマンの顔をしばらくツマラナイ映画で観てから寝床でホメロスの手に重い本を読んだ。神と神の子らと人とのややっこしい世界だが「イリアス」の大筋は分かっているので細部まで嘗めるように読んで行く。
2019 9/24 214

* こんなことは、滅多にないこと、石川桂郎の俳句に魅されている。これこそ私の思って望んで果たされないで来た「俳句」という詩歌の藝のみごとな成果。名前はむろん知っていたし、この撰著の適確な註を書いている桂郎晩年の夫人は、永井龍男先生のご紹介で永らく「湖の本」の購読者でもあった。この本も奥さんから戴いている、のに桂郎俳句に触れてこなかったのは、まったく私の怠慢。俳句へのほぼ絶望のような久しい失望に邪魔されていたのである。
佳い表現の的確な感銘に接する嬉しさは、言葉にならないほど。この歳にしてこういう喜びにも出会う。博捜したはずなのに私の詞華集『愛と友情の詩歌』に、師の波郷はあっても桂郎の名も作品もはいって無い。恥じ入る。
2019 9/24 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

「真の勇気」とは、法律によりまた良い正しい教育により形成された考えを、あらゆる場合を通じて保持し続けること、苦痛の内にあっ ても快楽の内にあっても、欲望の内にあっても、恐怖の内にあっても、それを正しい考えを守りぬいて投げ出さないこと、あらゆる場合を通じて保持することを 真に「勇気」と呼びたい。
2019 9/25 214

* 「三」へ入っての新作の「読み」に難渋。此処は、よく読まねば。機械の面では内容の前後や重複を検索しにくい、「三」だけをプリントして読み直した方がいいか。
歯が痛む。じりじり暑くなってきた。
2019 9/25 214

* 十一時。疲れたか、「三」を半分、しっかり読んできた。視野が暗い。疲れた。しかし、京都へ「帰って」いる心地でも、あり。
2019 9/25 214

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

「勇気」と「知恵」とともに、国家と国民の持たねばならぬ大きな一つは「節制」だ。快楽や欲望を制御し、おのれに克つ。負ければ 「放縦」に陥る。「節制」は、国家・国民の全体に、文字通り弦の全音域に行きわたっていて、最も弱い人々にも最も強い人々にも、またその中間の人々にも、 佳い調和と合意のもとに佳い歌が歌えるようにする、その調和と合意こそが「節制」にほかならない。

* 夜前は床に就いてから本が読みたくて、六册の本を気の赴くまま読み継ぎ、一時半を過ぎていた。トルストイの小説はかなり踏み込んで絵画を語っていた。 ル・グゥインの小説は、「不死・死なない」人のいる世界へ旅していて、怖いほど面白かった。千夜一夜の物語も巧みに官能的であった。禅の話者の佛教論は 「梵我一如」の説を烈しく糾弾していて肯かせた。「大和物語の人々」のうち「桂皇女」たちにかねて心惹かれていたので、その詳細な論究が面白かった。壮大 なホメロスの世界では、神々も人々と一緒に敵味方で戦闘していた。

* 機械のブルーライトに負けてしまう視力が、寝室の昔ながらの電球の明かりだとモノが読みつげる。有り難いがおかげで寝そびれ、三時に一度めざめ、また 「大和物語の人々」論を読み進んだ。浅い眠りのまま六時には、もう寝諦めて、こっそり床を立ち、二階の機械へ来た。が、機械だと、たちまちに眼が霞み出 す。
2019 9/26 214

* 眠らぬまま、好調にと云わずともなんとか順調に最終章「四」のほぼ半ばまで,読み込んできた。このさきは全編の最難所にになるが、むなしく海没しないよう舵をとりたい。四時半になろうとしている。慌てず、急ぐまい。
明日夕方にはまた歯医者へ行かねばならない、「その前に」などとアワを食わずじっくり読み続けねば。

* 結局、眠らなかった。夕食には錦糸卵で蕎麦を半人前の半分ほど食し、入浴して「アンナ・カレーニナ」のレーヴィン新妻のキチイが、病み衰えた夫の兄の 病牀をまこと賢く優しく見舞いたすけるのに感嘆した。作者のここで命や病や死生にかかわって述べている高次の「批評」が胸によく届いた。ますますキチイが 好きになった。
ホメロスの神々も介入の戦闘は、殺伐。ソクラテスは「国家」の弁論でホメロスを高くは見ていない。なにしろ克明を極めている。そこへ行くとシャーラザッドの物語りは洒落ていて面白い。
2019 9/26 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

「節制」と「知恵」と「勇気」 この三つの国家の大事すべてに力を与えてしかと生じさせ、それらの徳を そのものが内在する限り 存続させるはたらきをするもっとも必要なもの、それは「正義」だ。「正義」はすぐれた国家のうちにこそ有る。
まちがった強権統治により自分が不正なことをされていると考える国民は、心を沸き立たせ、憤激し、正しいと思うことに味方して闘い、じっと堪え忍んでも必ず勝利を収める。この気高い闘いをやめてはならない。

* 安倍政権に、「節制 知恵 勇気」 そして 「正義」は有りや。認めない。
2019 9/27 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

「不正」とは、一種の内乱であり、余計な手出しであり、他の分をおかすことであり、魂のなかで分不相応に支配権をにぎろうとして、 魂の全体に対して起す叛乱である。それらの本務逸脱が、不正、放埒、卑怯、無知、一言で謂えばあらゆる悪徳にほかならない。とかく過剰に逸脱し高慢に権 力・支配力と不正な富に走る権力者が国家の柱そのものを食い荒らし腐らせる。
徳とは魂の健康と美しさであり、悪徳とはその病気であり、醜さであり、虚弱さである。

* 忖度を事とする友人や子分たちで身の回りをかためて国を売るほどの巨悪の利・不利に走る内閣、理性が想定しうる一切の危険を顧みず、現に原発建設の悪しき企みと同心により巨富を私的に手に入れ続けて恥無き関係者たち。
すぐれた憲法をもちながら、日本という国家、根で腐りつづけている。せめては、将来にその禍根を負わねばならなくなる若い人たちに、気づいて、起って、検(あらた)め革(あらた)めて欲しい。
2019 9/28 214

* 視力をたすけて15級の字で『清水坂(仮題)』は書き進めてきた。書き上げた今、本にする際の10級にあらためてみると、推敲・添削のせいもあり思っ たより本分量は縮まり、ま、いつもの「湖の本」一巻分で纏まっていると知れた。それはそれで問題はない。三稿めを作りながら読み進んでいる。
お午になっている。
2019 9/28 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

「多くの美しいものは見るけれども<美>そのものを観得することなく、他の者がそこまで導こうとしてもついて行くことができない人たち、また、多くの正しいものは見るけれども<正>そのものを観得しない人たち、その他すべてにつけて同様の人たち  このような人たちは、万事を<思わく>しているだけであって、自分たちが<思わく>しているものを何ひとつ知ってはいない。そのような人たちは真に<愛知者><哲学者>であるよりは<思わく>愛好者にすぎない。
たんに<思わく>にばかり導かれた偽り多い政治による治世は、国家の不幸かつ危険そのものである。

* 新聞の大見出しとテレビのニュースなるものがこころよく見えるといいのだが。ウンザリする。

* 昨夜は仕事を終え寝る前に圓生の芝居咄「淀五郎」を堪能した。團蔵、仲蔵というふたりの対照的な名人藝にはさまれた新名題淀五郎判官の苦辛が身に沁みた。
床についてからも本を数冊、読み継いでいた。

* いま、もう午後二時。新作のちょうど半ばまで、読み仮名をふりながら読み返してきた。かなを打っていると安直にとばし読みが利かないのが、今回推敲の狙い。
2019 9/29 214

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

「もしすぐれた人物たちだけからなるような国家ができたとしたら、おそらくは、ちょうど現在、支配者の 地位に就くことが競争の的になっているのと同じ仕方で、支配の任務から免れることが競争の的になることだろう。そのときこそ、真の支配者とはまさしく、自 分の利益や名誉ではなく、被支配者・国民の利益を先に考える。
わたしは断じて賛成しないのだ、「正義とは強者の利益だ」という「不当な政治」にはね。

* 一ヶ月、プラトン最大最重要な著書『国家』の文庫二冊本の「上巻」から聴いてきた。
この大著の全編を、わたしは二度読み終えたところ。胃癌全摘の手術を受けに聖路加へ入院した日から読み始めたのだ、もう七年半の歳月が過ぎた。正直なところソクラテスの曰くに、全面賛成していない自身も自覚している、女性観などは。
この七年の間に、顧みて「湖の本」を36巻分、平均600頁に逼る『秦 恒平選集』を第31巻まですでに刊行してきた、書き下ろしの長、短篇も刊行し、また現に脱稿しつつもある。
目は暗く歯は大方無く体重は術後より現に7キロ近く減っている。往時からすれば 27キロも減っている。歩行に杖は欠かせず、荷物は、戴いた背負い袋で負うている。食は進まない、昔と変わらないのは、「酒飲み」だけ。幸い血糖値も血圧も尋常で助かる。
生きてきた と、しみじみ想う。感謝している。創作にも読書にもなお意欲あり、好奇心も知識欲すらまだまだある。
こうして「自身の既往」を敢えて反芻しいしい、自身を励ましている。妻にも建日子にも助けられ、ふたりの「マコとアコ」猫とも、それは仲良しである。みなみな、怪我すまいよと願う。

* もう九時になる。懸命に、読んで読んで、添削、推敲、満足したわけでなく、明日にも視線をさらに深くして。へとへと。だが、間違いなく一両日で入稿で きると思う。やはり待って頂いている「湖の本」の読者へ先にお届けしたい。『選集』は、第32巻の巻頭へ、余の長短幾つもの作と一緒に収録したいと思って いる。これきもう、あの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』とはまったく相異なる物語になっている。.
2019 9/30 214

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

さきの大戦開戦前夜  全員が非常識を常識と信じ切っている時代に、本当の常識が通用するはずがなかった。走っている列車の車内では、走っているのは列 車ではなくそとの風景のほうだと見える。これが常識だとする世を挙げての非常識は、常識のほうをかえって非常識だと見なしてしまいがちである。
山本五十六ならずとも、手段としての開戦であり、目的は戦争そのものではなく妥協と和睦にこそあるのであった。目標はあくまで有利な講和条約の締結にあった、それが当然の常識であったのに。

* 亡き天野哲夫はもと新潮社の編集者であり、かつ一世を震撼した『家畜人ヤプー』の作者沼正三の本名であった。わたしは、天野哲夫の「批評」を、今でも優れた高みに感じて受け容れている。その幾分かを「今日」にも伝えたいと思う。
2019 10/1 215

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

〝蒋介石を相手とせず″と言い放って江兆銘(精衛)の南京政権を画策した日本ではあったが、その裏では常に重慶の蒋介石とは連絡路線がいくつもつなげられていて、日本の本音では、江兆銘ではなく、やはり蒋介石との手打ち式がやりたくて、その裏交渉の掛引きに腐心したのである。
蒋介石は米英を恫喝して、支那に対しての援助をもっと 強化せよ、ビルマからの援蒋ルートを活発化せよ、米英ソの三国だけではなく、支那をも入れた四大国を同列に扱えと、ごねにごね通しで後にカイロ会談をも開 かせ、国際的地位を米英ソと同格に確保した。もし、支那を軽く扱うなら、支那は連合国側から抜け出て勝手に日本と手を結ぶがよろしいか、という含みを持た せて蒋介石はスゴミをきかせたという。それはそれなりの、対日ルートの窓口がいくつもあったからである。
こうしてみてみると、フリードリヒ・ハックの忠告や中野正剛にまつまでもなく、長期戦、百年戦争を覚悟せよと国民には云いながら、軍指導層は、開戦当初 から停戦和睦のいい潮どきを模索していたのである。永びけば馬脚が現われることを、いちばんよく知っていたのは軍部であったのかもしれない。

* 中国の久しい歴史が示してきたのは、どの時代のどの国とても「外交」上手でなくては生き延びられなかったと云うこと。わたしの小さかった頃、まだ「国民学 校一年生」早々の子供までが鼻歌然と侮蔑の的として悪態をつき誰も当然に思い顔でいたのは、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、そ して「支那」の蒋介石だった。「ソ連」のスターリンのことは子供の知見のまだ範囲外であった。それにしてもカイロ会談やボッダム宣言に支那の蒋介石まで顔 を並べているのには子供心にも奇異でかつ驚きであった。
わたしは昭和十七年(一九四二)四月から尋常小学校入りであったが、この春から小学校は「国民学校」と名をあらためていた。太平洋戦争(大東亜戦争)は 前年暮れの八日の真珠湾「トラトラトラ」奇襲の日に始まっていたが「支那」との戦争はもっと早くから膠着同然につづいていた。「戦争」は昭和二十年、一九 四五年、わたしの十歳半四年生の夏休み中に丹波の疎開先で「敗戦」した。だれもが「終戦」と謂うていた。国民学校はもとの小学校に戻った。紙を畳んだだけ の教科書のいたるところに墨で抹消の指示が出た。先生も、上級生も、ぴたりと、生徒を、下級生を、殴らなくなった。

* こういう現代の史実も、あれから七十数年、作家と称しているわたしの息子ですら、しかと心得ているかどうか覚束ない。物書きは「歴史と人間と」から普段に深く学ぶしかないとわたしは感じてきた。
2019 10/2 215

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

昭和十七年一月一日、宮中の年賀の式典に前総理で重臣の近衛文麿が参内したところ、わらわらと枢密顧問官の老人たちが彼を取り巻くように寄ってきて、口々に興奮しきった子供のような取り
のぼせ方で言いたてた。
「近衛さん、実に惜しかったですね。あなたがもうちょっと総理をつとめていたら、今回のような大戦果の栄誉は東条(秀樹・当時首相)ではなくあなたの上に輝いたんですから、惜しいことでしたな」
代わる代わる、口々に上気した顔で挨拶をしてくる、これには、近衛も答えようがなく、苦笑するばかりであった。
枢密顧問官といえば、天皇の諮詢(しじゅん)にこたえるための枢密院を構成する、勅任官という上級官吏の中でも、特に天皇の親任によつて叙任される最高 官吏で、主として、文官がこれを占める。例えば宮中顧問官、元老院議官、諸大臣に大審院長、東大をはじめとする帝国大学総長、帝国学士院長などの経験者中 から天皇によって親任される。いわゆる制服組ではない。文民の超一流をなす人々である。昨日までは戦争を危惧し眉をひそめていた人々である。その日本の知 性を代表すべき老人たちが、今、鬼の首をでも取ったように興奮して、この手柄は東条でなく近衛さんに取らせたかった、惜しいことをしたと、言いたてるので ある。
制服組は外見こそ尊大で倨傲に見えたかもしれぬが、直接の責任を負う立場から、思わぬ緒戦(真珠湾奇襲等)の勝利に喜びはしたものの、だからなお、この先が大変だ、の自覚があった。ところが文民たちは、文学者も画家もその他芸術家もマスコミも、あげてもう単純にこのままの(対米英中)勝利を信じて熱狂したのである。

* こんにち、政権に追従して最も憂慮される一つは、上級裁判所かもしれぬ。下級審の良い判決を往々にして平然と覆し、怪訝をきわめる「行政の後追い」をしていないか。 2019 10/3 215

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

昭和十七年の『中央公論』新年号の画期的な大座談会『総力戦の哲学』は、『中央公論』の総力をあげて取り組んだ大企画で、京都哲学の四俊とうたわれる第一線の哲学者四人、高坂正顕、鈴木成高、高山岩男、西谷啓次を配して縦横に「戦争」を論じさせたものである。
高坂が口火を切り、「戦争は歴史の現実を分析する鋭い顧微鏡のようなもの、戦争はわれわれに歴史の動力学を教えてくれる」といえば、鈴木は、「戦争は歴 史を掘り下げますね、高坂さんの〝戦争の形而上学〟もそうだが、戦争は哲学を要求する性質があって、そこに総力戦の意味がある、哲学的戦争ですね」と応じ て、いわゆる戦術史的な戦争観を超克することを提唱する。「近代が行き詰って総力戦がある、つまり総力戦とは近代の超克なんです」
高山岩男が発言する。
「史観というものが必要だ。ルーデンドルフが前大戦から定義づけた全体戦とも非常に違うね。宣
戦布告で戦争が始まり講和談判で終って平和が戻る、こんな理解で今度の戦争を考えると危険だ
ね。(真珠湾奇襲の=)十 二月八日に大戦が始まったんじゃなく、支那事変とか経済封鎖というときに既に始まってるんだ、それが、今までのように講和談判で終るという形はとるまい。 一方で戦争しながら一方で東亜共栄圏の建設をやる。こうしていけば絶対不敗で、そのうちにはこの共栄圏を、新秩序というものを認めざるを得なくなる、この ときが終りだ。これは世界観転換の問題なんだ」
鈴木「よく解るね」
(私<=著者・天野>などにはなんにも分らない)
西谷「倫理や世界観といっても、それは平時のもので、戦争では一時逸脱する。同時に、平時とか戦時とかの区別を超えた歴史のもっと深い底から戦争は盛り上ってくる……戦争自身の中に建設
があるので、そこを見なければなるまい」
高山「それが皇戦、当然皇戦にならざるを得ない」
西谷「単に戦いというものを超えてね、歴史的なものだ」
鈴木「その、戦時と平時の区別をなくす、僕も賛成したい……ブルクハルトは最も真剣に戦争を
考えつめた歴史家だが、同じような考えだね。……戦争は惨害だというだけでは済ませない、戦争
は歴史の真理を発掘してくれるものだ」
高山「大乗的な指導の立場、日本には実に高い立場から指導するという精神が流れている。平和
主義の空虚な観念は現実的ではない、本当に大きい和、〝大和〟だ、これを指導できない……」
以上は、大座談のごく一部である。軍部に対する人文主義の最高の叡智と仰がれる哲学界の俊秀が、いったい何をしゃべりあっているのか、延々六十ページにわたる大特集のどこを読んでも分り
はしないのである。分らないどころか、当時でもマンガのようにオカシイのである。

* 「哲学者という名のスノップども」と題された一章のごく一部だあるが、私も天野の憫笑に同調する。「哲学」という美名は、世界史の近代、現代を経過す るに連れ、ほとんと「戯言たわごと・譫言うわごと」と化して、「スノッブどものスノッブ」に他ならなくなった。現代、宗教とともに、それ以上に「哲学は機 能していない」というのが私の久しい実感である。「信仰」はまだしも人を支えうるが、「哲学する」のは容易でなくただ哲学史を講義する「哲学学」だけが、 教室にだけ残っている。
「戦争」を「どう考える」か、それこそは、老若男女、人一人一人の「権利と実感」であるのかも。
2019 10/4 215

* 今日の異様な暑さはじつに危険でさえあった。卒倒するように寝入るとか助からなかった。目ざめたのは、七時。食事などほどほどに、湯に漬かった。『ア ンナ・カレーニナ』三册の二册(文庫)を読み終えたが、もう悲劇は濃厚に足早にアンナを取り包んで、悲惨の様子。つらい読書になって行く。
転じて『千夜一夜物語』へ移ると、なんとこれは奇態にのどかな不思議に楽しい世界であることか、心浮き浮きしてくる。
いわゆる貴族の社交社会のなんといういやらしさだろう。アラビヤン・ナイトでは、王様や教主や姫君達が平然と貧粗に変相しては下層民に仲間入りしてどん ちゃか騒ぎを心底楽しんでいたりする。昨今、中東は多くの危ない火種が耕作して物騒を極めているのだが、このシャーラザッドの千夜一夜の物語を楽しみ読破 してからは、どうにも、この世界と此の人たちへの好意を見失うことがわたしは出来ないでいる。ひれからすると皇帝時代のロシアの、モスクワ、ペテルスブル グの貴族らの社交世界など吐き気がしてくる。明らかにトルストイにもその思いが深く強く兆している。『復活』のネフリュードフ、『アンナ・カレーニナ』の レーヴィンにそれが色濃く窺えて、それに惹かれトルストイの文学世界に心惹かれるのである。
2019 10/4 215

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

かっぱらいがいてスリがいて、アヘンを日常に吸っていて、十歳やそこらの少女が売春をしたり妾になったり、一夫多妻の妻妾同居が珍しいことでは なく、纏足の風習がまだ残っており公然と人身売買があり、手洟をかみ人前でも平気で野糞をたれ、風呂にも入らず垢だらけで虱をわかし、ニンニクの臭いと いっしょくたの悪臭を放ち、義務教育の励行も行われぬので文盲が多く、広大な国土、厖大な人口、悠久の歴史文化を持ちながら実際はその国土も四分五裂、地 方軍閥に土豪に政商がバラバラに割拠して私兵を養い、香港、廈門、澳門を外国に占拠されて公然と麻薬や賭博場のメッカとなり、上海、杭州、蘇州、漢口、沙 市、天津、福州、重慶など手当たり次第に「租界」という名の特殊地域を外国に献上し、「犬と支那人は入るべからず」の立て札を立てられても唯々諾々として 謝謝と叩 頭せんばかりの愛想笑いを浮かべながら面従腹背、嘘八百並べるのもこれも身についた生活の知恵、東三省と呼ばれる東北・満洲の地は、ロシア、日本に権益。 えられ、それなくしても奉天の軍閥、匪賊によって、これさえ本国からは手も出せぬ治外法権の場となっていての勝手放題、こんな国、こんな国民・民族なん て全く考えられない末期的様相であったのである。
思えば、こうした祖国の状況を憂うるあまりの革命行動が頂点に達しての辛亥革命は明治四十四
年十月、湖北省・武昌で烽火をあげ、三民主義(民族、民権、民生)を唱える孫文を臨時大総統として南京に中華民国を成立させたのは明治四十五年一月、その 翌二月に、清朝最後の幼帝、宣統帝、溥儀(三歳)の退位によって、秦の始皇帝以来の二千年にわたる支那王朝の幕は閉じられたのである。

* 書き写すも鬱陶しいが、私が幼少期をようやく抜けて行く昭和十五年(一九四○)ころの隣国支那にかかわる耳学問のほぼありのままが、ここに証言されている。こういう時代を生きてきて、では、もはや無縁の過ぎし歴史か。
そうは思われない、現下のわが日本は首都の空をすら米国に占領されており、そして横浜には「租界」化の懼れも濃厚な「カジノ」を開こうという、国土と国 民の腐敗への誘惑に、政府も横浜市行政も警戒の自覚をもはや抛擲しつつある。どんな客を期待しているのか、「爆買い」の記憶も新たな中国からの旅行者も勘 定に入れているのだろう、あの「支那」といわれた中国はいまや帝国主義的にもアメリカと世界一を争おうという富裕国とも、凄まじい貧富差の國ともみられて いる。
日本は敗戦から七十数年、いまなおアメリカ支配の敗戦国義務をわれからも背負い込んで、国土を分かち古道具並みの武器を大量に税金で買い込んで恥じない 政治が居坐り続けている。かつての「支那」同然の日本国が見たい、支配したいと願望している近隣国は機会を露骨に狙い始めているのではないか、やがて死ん で行くものとして、子孫、弱小の世代にどうか日本の国土と文化を守り抜いてと遺言したい。
2019 10/5 215

* グレン・グールドのピアノの颯爽快速感に魅される朝の嬉しさ。

* とはいえ、体調の違和拭いがたく、散漫にやすみやすみし、横になったまま手に触れる本を読みあさる。
アンナ・カレーニナ流浪・孤独を深める痛ましいまでの女の悲惨、打ってかわってキチイとレーヴィンの真実味溢れる結婚生活幸福な日々、の、対照に胸を穿たれる。読み進むのも怖い小説、しかもみごとな把握と表現の構造美。
鴎外先生のやっと二十歳台の『ヰタ・セクスアリス』を読了。堅牢にして流暢な叙事叙述。「名作」と受け取る人もあるようだが、セクシイな何物も特段には 書かれていない。これが鴎外唯一の発禁小説であったとは、時代やなあ。わたしの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の方が文藝作品として冒険と発明とがあ るのでは。
芥川龍之介が編集した「近代日本文藝読本」の最初の二巻から、鴎外の飜訳「老曹長」、加藤武雄の「薬草の種」が佳い感じに胸に沁みた。この六巻本は買ってしばらく乗らなかったが、今では恰好の読み本としてかすかに敬意も払いながら愛読を重ねている。
ホーマーの長巻も長巻『イーリアス』 神々も神の子も兵も激戦激闘、死屍燦爛。それにしても女神さんたちの贔屓側に別れての敵対戦闘意欲の凄みに辟易の気味。あまりに大長編。
プラトンの大作『国家』分厚い二巻を後ろの詳細な解説までふくめ、再読を終えた。たくさん教えられた。仏陀、基督、ソクラテスと子供の頃から頭にあり、 その時機時期に応じて心して触れて読み継いできた。八十余年、心に残って、より近付きたいのは、バグワンへの親炙もあり、禅。
2019 10/5 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』作者)著『禁じられた青春』の下巻に聴く」

まだ、支那事変も始まらぬ以前、特に九州の中等学校の修学旅行においては、旅順、大連とか、上海、蘇州とかへの、海を渡っての大陸旅行が普通であった。
洋車を乗り回した日本の修学旅行の生徒らは、群集心理的な仲間意識と若気からくる客気にはやり、車代を値切りに値切り、ついには一銭も払わず、これに抗議する車夫を四、五人で袋叩きにする、こうしたことは、その夜の宿における自慢たらたらの手柄話となるのであった。
こちらは日本人である、あちらはチャンコロである。この相互の、優越と従属の関係は、自然法
のように当り前な日本人一般の常識と化していたのである。
旅の恥はかき捨て、これがもっと野放図に解放されると、欧米流でいうトローペンコレルToropenkoller、いわゆる熱帯性嗜虐症といわれる圧倒 的に支配的優越感を発現させることになるのである。本国では紳士淑女でも、これが植民地において現地人に宗主国人として臨む時には、時に残酷な圧制者に一 変する。そうした欧米流の植民地支配感覚の、これは疑似体験といったようなものであるのかもしれない。

* わたしの幼い記憶では、つまりは京都市内のただ一角に暮らしていたに過ぎないのだが、幸い敗戦後の「占領軍」(だれもかもが進駐軍としか謂わなかった が。)や私服の「外人」に、上のようなあくどい「メ」に日本の大人や子供が遭っていたということを聞かずにすんでいた。しかし、往昔の日本人には中国の人 を「チャンコロ」呼ばわりしていのは蔽いがたい史実であり、このての史実は世界史的にさまざまに繰り返されているという。
いまだに被占領国土で米追従を陰に陽 に強いられている現実にも目を蔽えないが、いつの日にか不幸にして近隣国の占領支配に遭うときがどんなものかは、想像に余ると覚悟していて然るべきだろ う。そういう「メ」に遭わずに済む真に聡明な日本国政治であって欲しいが、ソクラテスの謂う最悪「僣主独裁統治」強行の現総理のもとでは、いずれ「米国日本州」へと陥落して行く道しか立ち行かなくなりかねぬ。
2019 10/6 215

 

* 書庫に「墨」という大きな雑誌が何冊もあり、なかに「千字文」特集がみつかり喜んで機械の側へ運んだ。見ると、なかに私の連載小説「秋萩帖」 二の帖がきれいな挿絵も添えられ載っていて、おやおやと驚いた。一九八六年の九・十月号だ。三十五年も昔だ。働き盛りへ向かっていた。
千字文は秦の祖父鶴吉の蔵書、「真行草 三軆千字文」を邨田海石という人の書いた「天地」二册を愛して座右を離さないのだが、「千字文」なる中国の文化 遺産にかなり詳細な解説や多くの名筆例が大きな画面で多数掲載されているので、遅幕ながら嬉しくてならぬ。正字も読みもきちんと表覧されており、四字一句  二百五十句 千字に、一字の重複もなく しかも銘々の句が意義深いとも分かり、ほくほくしている。祖父からの学恩、はかり知れない。
しかし、これを諳記はもう無理です。今、確実に諳記できているのは神武から平成・令和まで天皇126代だけ。般若心経がほぼ正確に近くまで。千字文は、いまや実利には遠い、趣味の対象。
2019 10/6 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』作者)著『禁じられた青春』の下巻に聴く」

(あの大戦のさ中、昭和十七、八年ごろ) 人生二十五年と、あのころ、私たち青少年は誰もが口にした。実感はまだ痛切にそこまで至らずといえど、しかし、戦争の深まりと成行きを考えれば、私たちの未来に、二十五歳から先があるとは思えなくなっていた。
「今が、いちばん幸せなときだろうね」
と、父がみんなで一緒の夕飯の膳を囲む折に、しばしば口にしていたことを思い浮かべる。(ほどもなく一家は、戦争の煽りでちりぢりになってしまったと。)
あの頃、夏休み冬休みどころではなく、恒に勤労動員で農家の手伝い、飛行場建設の土方作業、松根油採取用の松の根っこ掘り……等々に従事し、その間に軍 事教練があり、(中等学校)五年生になると新兵として実地に全員が(近隣の)四十六部隊に入隊しての兵営宿泊訓練が、少なくとも一週間は義務づけられてい た。

* 天野氏は不運にして私より幾らか年長であった。私は真珠湾奇襲を幼稚園の歳で聞いた。空爆の大戦果よりも私の胸を襲った痛みは、人間魚雷、九軍神爆死 の喧伝だった。その当時から、この私は、「人生二十年」かと思いついていた。米機の爆撃は烈しく、「兵隊さん」に取られることは絶対に避けられないと思っ ていた。すでに私は祖父の蔵書「白楽天詩集」により「新豊の折臂翁」の長詩を読んで胸に抱いていた。自分で自身の腕を折ってでも兵役を避けうるものだろう か。この思いこそが小説家・私の処女作「或る折臂翁」に実った。「人生二十年」かという幼い諦めを打ち消してくれたのは「祖国の敗戦」であった。

* だが、今度戦禍に巻かれる時は、青年天野の体験もあったものでなく、いきなり日本列島は「廣島」「長崎」となりかねぬ。「人生」など敢えなく雲散し霧消しかねない。若い人たちの生き甲斐ある未来は、若い人たち自身の、今が今の、自覚と行動でしか護れない。
2019 10/7 215

☆ 十月
朝夕少し涼しくなりましたが、まだ汗ばむ日が続いています。
『清水坂』脱稿は嬉しい事でした。安堵と幾らかの解放感と寂しさ?・・複雑な心境かと察します。きっと再び何かを書き始めでしょう。鴉はそうしているのが自然なのですから。もっとも 日々のHP自体が書き続けていること、そのものの軌跡です。奇跡です。
「どうあがいても とり返しつかぬことがある。生まれてきたということ」と書かれています。深くため息しつつ、わたしも強く思います。
夏以来わたしは薄い霧の中を歩いてきた感があります。霧は晴れず、ただしこれからはその状況を受け止めて、今より強く生きなければ。
九日より 暫く日本を発って遊んできます。
くれぐれもくれぐれもお身体大切に 秋の気配を楽しまれますように。  尾張の鳶

* 孫たちを迎えて賑やかになると前便にあったので、メールも控えていた。この鳶は、しかしかなり自在に「日本を発って遊んで」これる魔法の絨毯の持ち主で、羨ましい。もっとも私はそう海外に憧れない。まして体力も無い。読書で十分。
2019 10/7 215

 

* 以下にことさらに紹介するのは、挙げた文意への賛同とは程遠い批評のためであり、著者の真意も謂うまでもなくそこにある。こういう時代時世心情に、老いも若きも日々引き摺られて無残な国運を懸命に健康に押しとどめる術も力も当時の日本人は持てなかった。
果たして現今は如何。それが問いたい若い人たちに。
「禁じられた青春」とは何であったか。今日、ほんとうの意味で「禁じられてはいない」と云うのか。衆愚政治のまんまと餌食にされてただ痴呆化しているのではないのか、と。

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

茨城県友部町の郊外。そこには、これから大陸へ雄飛しようという青少年のための訓練所があった。主宰者というか指導者というか、加藤完治という農本主義の教育者が所長であった。
友部の訓練所は、農業ではなく一般事業に従事する中卒以上の青少年を訓練する所で、大陸の気候風土にあらかじめ慣れること、そして日本精神涵養の仕上 げ、再確認のための精神教育をやる訓練所であった。この友部や内原あたりは、内陸性気候というか、気候状況が満洲に似ているというのである。九州育ちの私 は、生れて初めて、雫下十度近い寒さ冷たさを体験した。
時折は、朝礼の壇上に加藤完治自身が立つ。彼は、国士として、神道を基礎にした農本主義の実
践的な教育者として名の高い人であった。
「君たちは、ここで、今まで身につけてきた日本精神の総仕上げを行い、勇躍満蒙の地へ旅立つのである。どこへ行こうと、日本精神はアジアの最高原理であり、その実践と、現地民への普(あまね)き教化こそ、君たちに課せられた大使命であることを忘れてはならない。
(一)帰一惟神(かんながら)の原理   我が国土のすべては神の産みなせるもの、この精神は、天地開闢(かいびゃく)の古よりこの国に充ちあふれておる。
(二)天皇の原理   君臣の名分は、国初より厳として確立されておる。大義苟(いやし)くも紊(みだ)るることがあってはならぬ。
(三)八紘為宇(はっこういう)の原理    家は皇国の単元であり、皇室を宗家とする家族国家である。この原理を以て異族をも包含し、皇化融合に努め誠を尽さねばならぬ。
(四)皇道文化の原理   皇国の文化、経済、産業等、また等しく神の産みなせるもの、この道義に則り、広く異国の生成にも実をあげねばならぬ。
(五)無窮弥栄(いやさか)の原理    皇統連綿として存するは万古不易の厳然たる事実であり、
脈々として而(しか)もいよいよ溌剌(はつらつ)、天壌(あめつち)と共に窮(きわま)るところなきを胆に命ずること。
以上、五つの原理を忘れてはならない」
加藤完治は、名物の顎髭しごきつつ、職員の挙手の礼を受け、ゆっくりと壇上から下りた。
ここ、友部の訓練所は、いずれも十七、八歳以上、最低、中等学校卒以上の、いわば当時のセミ・
インテリ層である。

* 二度あることは三度ある 三度目の(正直ならぬ)地獄を、なんら備えずバカ笑いして待つ愚かさとは、付き合えない。
2019 10/8 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

汽車は安東に三十分はど停車したあと出発した。荒茫千里の大満洲にあって、これから五時間の奉天(瀋陽)までの安奉線は、珍しくトンネルまたトン ネルの難所となっている。何しろ今もって虎が住むという長白山系をかいくぐる二百七十四キロである。難所であって当然であろう。明治四十三年十一月の全面 的開通以前は、奉天ー安東間は旅程三百六十キロ、野越え山越えの旅に十日間を要したというのだから、これをわずか五時間で突破できる安奉線の恩恵は測りがたく思われる。
本来、この線は、ロシアの圧力によるカシニー条約という密約により、当時、清の北京政府がロシアにその敷設権を与えていたものである。それを日露戟争の結果日本が引き継ぐ形になった。ロシアの土木工事はまだ半ばであった。
日本は日支共同組織による用地の補償と、新たな土地購入に手を染め、まずそれまでの土地所有者への弁償、新たに加えて六百二十二万七千二百八坪を購入し たという。その費用、九十七万千六百七十五円、その他に、墓所の土饅頭などの移転埋葬料、風致に美観を添えるべく沿線の寺院を修築、老木名樹を保護、道路 の改修、水流の整備等の間接投資に二百万円、それぞれを投ずる。
それに、本工事の三千万円を合すれば、はぼ三千三百万円もの大金が投下されたことになる。明
治四十三年当時、うどん、そば一杯「三銭五厘」である。それを昭和六十三年に換算すればほぼ一万分の一、当時の三千三百万は、昭和末年にあっては三千三百 億円となろう。これだけが、この局地的な僻遠の人外境に短期間に投じられたことにより、この沿線はいちどきに活況を呈し、一帯は富裕な村落に変貌すること になる。

* 上記引用を読んでこれぞ恩恵に満ちあふれたすばらしい事業と思うかも知れぬが、まさしく、ここに見えるロシアの意図、それを引き継いだ日本の魂胆こ そ、いわゆる弱小國に不動の支配力を意図した典型的な「帝国主義」の発露ないし成果というものであった。利を与えるとみせかけて、根元の利権を他の強国が 握りしめて弱小国に以降永く鑑賞し遂に支配する。満州はその典型であり、衰退の中国はまさに随所に列強の帝国主義支配を許したことで、永く永く苦難の抵抗 闘争を強いられた。蒋介石も毛沢東も、それを闘った。

* 「帝国主義」という強国の暴利支配意図は、英仏米露和メキシコらを歴史的に栄えさせて、日本は鎖国そして明治政府のガンバリで免れ、上記国の仲間入り して、あげく米英と衝突、第二次世界戦争へ拡大した。「帝国主義」を、今もロシアは、中国も、露骨に実践している。云うまでもないアメリカも。日本の保守 政権政府さえも、と、見きわめる眼は必要なのである。
2019 10/9 215

* 鴎外選集を手近にしているまま「ヰタ・セクスアリス」に次いで「雁」「かのやうに」「仮名遣意見」を併読している。おそろしいほどな秀才の文章や述懐 であると思うが、文学・文藝として優れていると思うが、小説としての魅力を酌めるのは、「阿部一族」を筆頭に、他にそう多くはなく、いずれも秀才鴎外の落 ち着いた良識に触れるという感じ、これは久しい以前からの印象を今回は改めるということにならないのがモドカシイ。漱石は、こうでない。何を読まされても 文学説いて作がいせんしゅ
2019 10/9 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

昭和十七年の東京空襲時の経験談を、朴翔龍は詳しく話tてくれ、その印象も強く残っている。
昭和十七年の四月十八日未明、東京の東方千五百キロの海上で、日本の小さな哨戒船第二十三日東丸は英雄的な最期を遂げた。日東丸は洋上に、二隻のアメリカ 空母と一隻の巡洋艦を発見し、急遽、東京へ打電し、巡洋艦ナッシュヴィルの集中砲火九百発を浴びて沈没する。これは、かつての日本海海戦時、行き先不明の バルチック艦隊を南方洋上に発見し、進行方向は津軽海峡でなく
対馬海峡であることを確認する決め手となった仮装巡洋艦・信濃丸の英雄的な第一報に劣らぬ意味合いを持つ。
空母エンタープライズ上の米ウィリアム・ハルゼー海軍中将は、日東丸の最後の打電に神経をと
がらし、猶予はならじと僚船ホーネットに緊急指令を発する。数分後に、ジェームズ・ドーリットル陸軍大佐率いるB25十六機がホーネットを発進する。
飛行距離にぐんと厳しい制約のあった当時の航空機からすれば、この発進は計算に合わないもの
であった。もう五百キロは日本に近づいておかねばならぬところを、計画に狂いが生じ、発進した飛行隊の続制も乱れ、各機がバラバラの状態で本土上空に突っ込んだのである。
十六機のうち、十機はともかくドーリットル自身が指拝し、各機隊形のとりようもなく東京上空に達し、新橋駅周辺に二千ポンドの焼夷弾投下をはじめとして 港湾地帯、製油所、北部下町の鉄鋼工場などを攻撃、日本戦闘機に追われた数機は搭載爆弾を投げ捨てて逃亡にかかるが、捨てられた
爆弾が中学校や病院などに命中し、無差別爆撃の非難を浴びることになる。
B25k三機は横浜の工場、石油タンクを襲い、二機は名古屋を、一機は神戸の川崎航空機工場に
少なからぬ損害を与える。
被爆工場九十、巨大ガスタンク六が破壊され二百名余の負傷者を出したとはいうものの、死者五
名、日本側の損害は軽微にすんだわけである。この結果は、日東丸によって引き起こされたアメリ
カ側の狼狽ぶりによることが大きく、日東丸の功績はもっとたたえられてしかるべきだとされる。
アメリカ軍も一種の決死隊の如く、その結末は惨たるものに終る。

* 日本国土の空襲初体験であったか。やがてこういう惨事は十八年ともなれば度を増し回数を増して、二十年真夏の敗戦まで二度の原爆もふくめ無差別住宅爆撃が各都市を襲い続けた。
もうそんなことはあるまいと、思っているのか。中曽根康宏という鈍感な、何でも「先送り」が得手の総理は日本列島を「不沈空母」と嘯いていた。
なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ
原爆出来る潜水艦は東京湾の奥へまでも忍び寄れる時代なのだ。
2019 10/10 215

 

天皇(昭和)の怒りは、一つは日本の神聖な空域を犯した神聖冒涜にある。今一つは、天皇がひそかに模索し、打診していた和平交渉に手痛いシッペ返しを食わされた ことである。シンガポール陥落は一つの重要な転機となるはずであった。海軍や外務畑や元老や、天皇の母堂である貞明皇太后をはじめ、中野正剛ら右翼の一部 にすら提唱されていた停戦論を待つまでもなく、この最も有利な時機に米英と交渉の場を持つことは、まさに日本にとって、願ってもない良きタイミングであっ た。この時期、友邦ドイツは欧洲と北アフリカの覇者であり西太平洋と東アジアの覇者は日本であった。アメリカのルーズヴェルト政権の政敵、経済界との不協和音の軋(きしみ)にどうはずみをつけてやるか、事の次第によっては停戦交渉の条件づくりも全くの絵空 事とはいいきれない。ベルン、マドリッド、テヘラン、リオデジャネイロ、ヴァチカンにモスコウでの工作に、木戸幸一も近衛文麿も腐心したものである。
米CIAの前身であるOSS(米戦略局)欧州本部長アレン・ダレスらとのベルンでの接触が模索され、蒋介石との秘密交渉ルートの打診が行われつづけてい たのだ。日本は、進撃を停止するばかりでなく、最小限の支那駐兵と満洲国の承認とボルネオの石油をはじめとする日本に不可欠な資源の保証さえあれば、それ 以外の占領地からは撤兵しよう、ルーズヴェルトや蒋介石のメンツが立つように工夫をしよう、こうした腹づもりを持っての打診である。
期待された反応は何一つなかった。その代りに、いきなりドーリットルの東京奇襲を受けたのである。これがアメリカの回答である。
(二十数万人非戦闘員農民の殺害を伴ったの日本軍の昭和十七年五月より八月にかけ、四ヶ月にわたった)浙江作戦は、仕返しと見せしめのための懲罰作戟ではあるが、同時に、神州不可侵体制を確固としたものに固めあげる重要な意味をも含めていた。

* 一度起きた戦闘行為の戦争は、はかりがたい何から破滅的に拡大していくか知れない。開戦は概ねそのように起きたことを憂慮し配慮しなければ。

* グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲、男性的なピアノの底深さに聴き入りながら、あぶない歴史を反芻している、わたし。やれやれ。
2019 10/11 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

北太平洋のど真ん中に、併せて四平方キロにも満たない、ミッドウエー。ここまで来ればハワイ諸島はねう近い。ハワイの前衛でもあるこの島は、日本側の動 向を探る無線盗聴と偵察機の警報線形作る触覚。これをもぎ取り、逆にこれをアメリカ西海岸へ向け変えることは、日本にとり、これ以上の重大な作戦は無いと 見えた。
山本五十六が編成した艦隊は、陸においてヒトラーの大機械化軍団三百万、おそらく史上最強の軍団といわるるに対し、これは海における最強最大の大艦隊であった。
作戦に遺漏はなかった。長官・山本五十六は、かつての三笠艦上で指揮を執る東郷平八郎さながら、世界最強の大戦艦大和の艦橋から号令する。
だが、勝つべき戦いに山本艦隊は負け、負けるべき戦いにニミッツ艦隊は勝利したのである。山本五十六は戦死した。

* 日本海軍の戦力は半分以下に落ちた。次に待っていたのは「アッツ島の玉砕」「ガダルカナルの地獄」であった。戦意を失したのでなく、経済戦争において、とうてい日本はアメリカに太刀打ち成らなかった。
2019 10/12 215

* 二代松本白鸚丈の「句と絵で綴る」句文集『余白の時間(とき)』が贈られてきた。句も絵も高麗屋の文字通りに大好きな得手で、楽しさに溢れて、墨書も みごとに流暢。いままでも何冊も本をもらっている。その文筆の滞りなく胸に届くのをよろこんで躊躇いなく日本ペンクラブの会員にも推薦したのが、さあ、も う昔のこと。文筆の妙は白鸚さんだけでなく、奥さんも、松たか子も、十代目を襲名の新・松本幸四郎も佳いエッセイを折に触れてしなやかに、生き生きと、多 彩に書かれている。
この前の、あれは幸四郎として最後の本であったか、自分は「いま、ここ」が大事で好きだと表紙にもでていたと思う。
私も、歌集『光塵』の結びに近く 2011・8月「病む」と題しながら、「いま・ここ」に生く と二首を成し、9月1日にも、
「いまここの生きの命よ秋さりぬ」 と書いている。年明けて、二期胃癌が見つかった。
私にも「いま・ここ」の強い思いが常にあり、それなくて「生きる」ことは無い。
2019 10/12 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

(満州では)日本人であるということが、それ自体で既に特権者である。私は特権階級の一員として遇されていた。日本人に准じ、日本人待遇という 扱いが朝鮮人。現地の本国人である満人にシナ人は更にその下である。つまり、その土地の者が一番下で、よそ者の朝鮮人がその上、更によそ者の日本人が一番 上にあって、私など、ポッと出の青二才が月給一百塊円(ほぼ日本の円といっしょ、百円 内地では大卒以上で)、そんな私・日本人が将校とたとえれば、どう優秀であれ年輩であれ 朝鮮人は下士官か古参兵あたり、その下で兵隊なみの満人、シナ人の不満はもっともで、鮮人を怨み、鮮人は満人・シナ人を軽蔑した。しかも日本が謳いあげていた建前「満州」の旗 印は、「人種平等・日鮮同盟・五族協和」で、なんともそらぞらしいことであった。

* 支配する國と国民、支配される國と国民の、さもさも当たり前のような「図」が、今日ですら、世界中に見受けられる。トランブが将校なら安倍晋三は、中国はおろか北朝鮮以下の兵隊のように「ヘイコラ」と屈服し奉仕していると見えているのだが、如何。
2019 10/13 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

シナは、日本にとっては常に仰ぐべき師表であり、学を、道を、倫理を、仏を求むべき母胎であ
り続けた。そのシナが、(あの満州建国の時代)なぜあの ように零落しきってしまったのであろう。文字の国といわれながら、現状は民衆の九割もが文盲といわれる。煙草とアヘンとセックスと堕胎は大人だけではなく 子供にとっても日常化した風俗となり、人身売買が横行し泥棒に野盗山賊に私兵を養う地方地方の豪族大地主は幾十幾百の奴隷を畜(か)い、そして纏足に宦官 という奇習で知名度高い老残の國、老残の民族、世界の侮蔑を一身に受け、鉄道鉱山をはじめとする基幹的権益を諸外国に分け捕りされ、しかも主要都市に外国 租界というシナ特有の治外法権の地区を許し、〝イヌとシナ人は入るべからず″の立札など立てられていかんとも出来得ずにいるこの民族は、それを現実におい て目のあたりに見るとき、私たちが歴史的に教えられてきた栄光あるシナ民族とは、どうしても一つのものとして重なることができないのである。西欧列強が腐 肉に群がるようにこの病める大陸を争ってむさぼり食うあさましさは、見るに耐えなかった。人間は、このことにおいては、ハゲタカやハイエナをそしることは できないのである。隣人としてこれを坐視するを得ず、なおこれを放置すれば明日は同じく我が身に降りかかる災いであるから、アジア防衛の義を以て立った日 本ではあったが、その理想主義はいつしか現実には西欧列強に劣らぬ(帝国主義的な)利権漁りにと変貌して餓狼の如き貪婪さを発揮する。
その大きな誘因は、あの当時シナ人の卑屈な「没法子(メイファーズ)」という言葉に露われていた。「泣く子と地頭には勝てぬ」「長いものには巻かれろ」であった。

* 今日只今の我が国日本の政治に、そのケは無いと言い切れますか、安倍サン。
2019 10/14 215

*  美術にふれるほどに久しく目を楽しませてきた、「蘇東坡大楷字帖」「顔真卿麻姑仙壇記大字帖」「柳體楷書間架結構習字帖」「宋黄山谷書墨竹賦等五種」質 素な四册、字を「読む」のは幼來大好きでも、書字・習字にはこれまた幼來全く手の出ない私には、大層に謂うてもちぐされにしてしまう。「字を読む」には、真行草の「三軆千字文」で事足りている。
これまでもう数え切れないほど「本」の仕事をしてはきたが、中に、光文社知恵の森文庫の古美術読本(二)で『書蹟』一冊の「編」者を名乗っているのは、今も身の細る気恥ずかしさ。ま、「読本」なんだからと、意味のない言い訳を呟いている。
だが、思いの外にわたしは書畫が専門の二玄社によく原稿依頼を受けていたし、豪勢な雑誌「墨」に『秋萩帖』という長い小説を連載もしている。上野の国立 博物館の創立記念に「講演」を頼まれ厚かましく大きな講堂で話したこともある。「若い」というのは物騒なもの、それに気が付かないのです。
2019 10/14 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

戟局は日々悪化の気配であった。ヨーロッパのドイツ軍は、あらゆる戦線で敗色を濃くし、北仏ノルマンディに連合軍の上陸を許し、その後二ヶ月余りの戦いの末パリは解放された。
ちょうどこの時期、日本のサイパン守備隊二万と民間人一万人以上が全滅する。新聞用語では玉砕とあるだけで全滅とは書かなかった。玉砕より全滅のほうが 切実感があってより強く我々の決意を新たにさせるものがあるのであるが、こうした言葉の言い換え、スリ換えが頻発して怪しまれない時期とはなっていたので ある。

* 子供心にも 子供の目にも ありありとあの「玉砕」二字は記憶にあり、わたしは、この美しそうな言葉の故に前途への悲観をしかと覚えた。
よく覚えている、わたしは国民学校二年生で、教員室の廊下に張り出されていた世界地図に、日本軍が戦果をあげたらしい各所に小さな日の丸が挿してあるの を友達と見入りながら、日本は「負ける。この日本列島の、アメリカ国土とくらべて問題にならん小っちゃさを観て分かるやんか」と口にしたとたん、通りか かった男先生に、廊下の壁に叩きつけるほど殴られた。昭和十八年の新学期だった。サイパン島での全滅は一年余もして、昭和十九年七月七日の悲惨であった。 わたしは生来の悲観少年だったか。先生にぶっトバされた時も、そうは思わなかった。理は理だと思っていた。
2019 10/15 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

当時十八歳の(天野)少年の目からしても、(太平洋)戦争の勝利はおぼつかなく思えた。じゃ、負けるのかというと、奇妙なことに敗戟の実感もな かった。人生二十五年と口で言い、二十五歳まで生きられれば充分だと思い定めつつ、本音のところの実感はなかった。天皇の醜(しこ)の御楯(みたて)とし て二十五歳を限りに死ぬんだの意識は最初からなかった。天皇のためと心底燃え立つが如くに覚悟できていた壮年(の日本人)が、果して何人いたかは覚束ない ことである。建前ではそうはいっても、それは抗いがたい運命のために、運命に捕まった諦念の如きものでの二十五歳を受容していたまでのことである。天皇と は、私たちの、強制的な運命として存在したのである。土下座をして、恐懼感涙にむせびつつ拝むべき運命そのものであった。
「天皇陛下バンザイ!」と叫んで日本兵は喜んで戟死をするという神話を、当時、本当に信じる者
は少なかった。死ぬ時は、「お母さん!」と叫ぶ、誰もそのはうが納得できる話であった。それをし
も、「天皇陛下バンザイ」を信じていなければならないのである。それは天災の如き運命として抗す
べくもなく信じねばならないのである。信じることに慣らされるうちに、天災にさえも、それを天の恵みとして感謝する、第二の天性が育つものである。それが 運命というものであった。その運命という磐石の重石の下からでも、しかし天皇の名にかえてお母さん! の叫びを消し去ることはできなかったのではなかろう か、建前がいかにあろうとも。
勝つとは思えないが、負けるとも考えられない、正直、それが大多数の実感であったろう。勝ちはしないが負けもしない、じゃ、どうなるのか、それが分らない。あるのは一日一日だけが確実に経過していく事実だけであった。

* 天野さんの十八歳頃、わたしは八、九歳へ歩んでいて、ここまでハッキリはしないが、地図だけ観ても国力の差、日本は勝てないだろうと口に出し、先生に壁へ叩き付けられていた。
だが 私の今の思いは、万一、次に戦争が起きた時は、戦場で「お母さん」と呼んで死ぬどころか、みんな一緒に瞬時にアウトという、廣島、長崎どころでない威力の下で灼 けて蒸発する確率の高さなのである。それを念頭に現実の日々を実感で把握していなければ、と。
風水害も予防しきれない国内政治のママで、 他国で古道具化していかねない兵器買いに、うつけ顔で途方もない「円」を無駄遣いしている歴史・今日感覚で、よろしいんですかと、誰よりも若い人たちに未来を賭して発言 し行動して欲しい。そいう気がしています。

* 「フヽウ こいつ日本!」という感嘆詞で<「エラヒと賞美」の流行り言葉の流行った時期が江戸の末期にあったという。 いま、「こいつ日本!」と何に 感嘆出来るかなあ。国連で温暖化の危険を言を尽くして怒った他国の少女。あれぐらいを日本の若者が云うてくれれば、おおごえで「おお こいつ日本!」と叫 びたくなるのだが。
2019 10/16 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

「八路はな、ほんというと、匪賊じゃない。共産党の軍隊や。共産党って、知っとるか? うん、そりゃ詳しか話はでけんし、俺もホントのところは分らんが、大金持ばなくして、みんな公平に富を分かち合おうって、えらい理想的なことば目標にしとる。
でもな、俺は密雲ちゅう町の居酒屋で聞いちょったが、百姓たちが話しとるとたい。
〝シナ人は、どうしてこうも貧乏じゃろう?″
一人がいうと、一人が答える。
〝金がないからよ″
〝金、どこへ行っちまうのかよ″
〝日本人が持っていく。蒋介石が持っていく。あとは人民軍が持ってくんだよ″
どんな理想か知らんが、シナ人はな、本当は何も信じちゃいない、ただ思っとるのは、変化だけだよ、明日何かが変わってくれさえすればいいとね。何がどう 変ろうと、変りさえすれば、今日、現在より悪く変ることだけは絶対にないと思ってるからね。みんな、ホントは何も信じとらんのだ」

* 上の「シナ人」の代わりに思ってみたい、今日只今、あの敗戦から74年のわが「日本人」は、「何」を「信じ」て、または「信じない」で、「ど う」日々を暮らしているのだろう。「どう」という思いをまったく忘れ果てるか、そんな思議の「能」を喪い果てているのではないのか、ゾッとすることがあ る。
2019 10/17 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

男は死に際が肝心〟と言われた。〝往生際の悪い奴″は軽蔑された。死をも怖れぬ者は〝敵ながら天晴れ〟として相応の敬意が払われた。そして〝瓦となって全うするより玉となって砕けん〟が信条とされた。
乃木希典は夫妻ともども明治天皇に殉じて死んだが、殉死そのものというより、かねがね自分の
死に場所を、死のタイミングを捜しつつ生きていて、たまたま大帝崩御に絶好のその機会を発見し
たとも言われる。目的はかねがねの宿題であった〝死に場所捜し〟にあり、天皇の薨去はたまたまの方便的機縁にすぎなかったということである。その当否はい ずれにしても、ただ言えることは、当時の青少年に強く灼きつけられていた〝男の死に方″という重い命題である。〝天皇″信仰や〝護国の鬼″という心情ぐる みの理念は、もしかすれば、繰り返すようであるが、たまたまの方便的機縁ではなかろうかと考えたりもした。
平時には間遠に聞える海鳴りのようにしか死の音を聞くことはないが、戦時下の当時にあっては
〝死″は直接に岩壁に吼ゆる波浪の轟きの如くに目前に聞えたものである。戦時下とは、執行猶予付き引き伸ばされた時間ではなく、実刑判決の如き、凝縮され た時間であった。その時間に捕まり、その時間の中で凝縮的に生きるしかない運命しかないとしたら、そしてほかに選択の余地がない場所に追い込まれていたと したら、人はその立場を正当化するものである。正当化のための理論が正当化されるのである。あの当時敗色濃き戦時下の私たちは、大いに死を正当化し、その 正当化のための理論に傾倒し、心情的にも内省的にも死の理論に自らを馴致していったもののようである。
天皇と祖国は不可分のものであった。シャム双生児のように、それは同体のものであった。天皇
は即祖国という理念と信仰の体現者であり、祖国は天皇という国体を具現化する代理的表現とも
なっていた。天皇が祖国を表現する具現者ではなく、祖国のほうが天皇を表現するために代置せしろられているという形であった。そして、結果的に、その二つは一体のものであった。
それらの事情の深い検証を、当時の青少年は試みずにしまった。軍制化の弾圧体制という人為的
な機構上の制度によって抑え込まれていたことは、もちろん大きな原因の一つであろう。しかし、
それにもまして、私たちの心情の中には、〝恋を恋する″がように、〝死に場所、死に方″に恋をし
ていたという下準備が既にして整っていたことによるものとも思える。
私たちの耳には、大楠公のいわゆる七生報国ということは、つまりは、”お前は死ねるか!”という問題でしかなかった。

* 当時八、九歳の私にも、「お前は死ねるか」という無音の問いは心臓をかすかとすら言えず震わせていた。私のその場合の死とは、空爆死によるよりも、いずれ決して遁れ得ぬ「兵役」の代名詞のようであった。天皇の国体護持などという思いとは、かけ離れていた。

* 私は今 暫定・限定的に新憲法による「象徴天皇制」をむしろ前向きに受け容れている。その真意の大方は、さきの平成上皇・上皇后の真摯な在位期への敬 愛と心服にのみ拠っており、願わくは令和の御夫妻にも切に切に同じご努力を期待し希望している。私は、即位される新天皇さんを、皇太子さんの昔から人格的 に信愛している。
しかし、天皇制が、その将来において無価値な帝政の旧態へ退行し悪しき藩塀がまといついて民主主義と憲法を冒そうとでも動くなら、けっして許容しない。そんなもののなかで死に場所など求めてはならない。
2019 10/18 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

昭和十九年は実に駆足の如くにすぎていった。この年の六月--ローマの陥落、ノルマンディのいわゆる「史上最大の作戦」、七月--学童疎開の開始、サイパン島玉砕、東条内閣総辞職、八月--シナ南部からB29の北九州、南朝鮮、山陰地方への空襲、パリ陥落、九月--停戦交渉をなんとかソ連に仲介してもらおうと特派使節派遣を最高戦争指導会議で決定しながらモロトフ外相に拒否されるという醜態、ドイツのV2号ロケット弾は画期的傑作として威力を発揮したが時すでに遅しの憾み、そして十月-レイテ沖海戦、神風特別攻撃隊の初出撃、十一月-- 超弩級、幻の大空母『信濃』が竣工しながら、四国へ回航中、米潜水艦の魚雷四発であえなく沈没、わずか十日間の束の間の命、サイパン、テニアン、グァムの 飛行場からB29の東京大空襲の開始と入れ違いに、日本からは風任せ風頼りの風船爆弾九千三百個が大空に放たれる苦しまぎれの「ふ」号作戦開始--

* 私は九歳、この愉快ならぬ報道の殆どを、耳ラジオ、目新聞から受け取っていた。
「風船爆弾?」 さすがに口には出さなかったが、失笑し失望した。
疎開先の田舎、当時の京都府南桑田郡樫田村字杉生の農家には書籍をほぼ全く見なかった。むろん本屋もなかった。秦の父母はわたしのために本を買うなど一 切なかった、病気した時に「花は無桜木人は武士」という半漫画のようなのを買ってくれたのが只一度で、失笑するしかなかった。仕方なく母と叔母の婦人雑誌 の買い置き二册を繰り返し読んだし、京都にさえいれば祖父の漢籍や古典や辞書が山のようにあり飽きなかったけれど、疎開先へは持ち出していなかった。読む モノ無し、教科書と遅れ遅れの新聞だけ、ラジオは聴けた。京都へ早く帰りたかった。
2019 10/19 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

本当に米機の空襲が始まったのは昭和十九年の十月、シナ本土から北九州爆撃が最初。東京空襲も 同年、十一月二十四日をもってやっと初空襲が開始された、その目標も、製鉄所、飛行機工場、飛行場等に限られ、民間人は、まして地方の家々では、首を長 く、枕も高々と敵B29の編隊を仰ぎ見ながら、さながら渡り鳥の飛来を見るようにその美しさを嘆賞している余裕さえ見せていた。
大本営が、フィリッピンを決戦場と決したのは昭和十九年(一九四四)十月十八日、レイテ沖海戦は十月二十三日から二十五日にかけての一大海空戦であっ て、結局、巨艦武蔵の沈没をはじめとするわが連合艦隊滅亡の戦いとなった。敗北が決定的となっていた二十五日、神風特別攻撃隊が初出撃した。体当たりの自 爆機十三機に護衛機十三機を四隊に編成し、本居宣長の和歌にちなみ「敷島」「大和」「朝日」「山桜」の各隊とし、その指揮を弱冠二十四歳の関行夫大尉が とった。
二百五十キロの爆弾を抱えた零戦が、レイテ沖の米空母に体当りして自爆、一隻を撃沈、三隻を破壊。その壮烈なニュース報道、そしてニュース映画には確か に形容しがたい感動を与えられたものである。よしんば、当初からこの戦争に疑義を持ちつづけた人であっても、特攻隊は全く別次元の衝迫力で人の心をも揺さ ぶるものがあった。
「たまらない気がするね。とにかく(若者の命が)、惜しいね」
もうこれが最後という沖縄からの疎開船に乗って、幸運にも私の(満州からの)帰郷の直前に引き揚げて来ていた父が、代用食の夕食の膳を囲みながらつくづくと言ったものである。

* 私は目前に満九歳を控え、まだ京の祇園に近い自宅にいた。むろん特攻隊の壮烈死も新聞やラジオで知った。堪らなくイヤだった。臆病もむろんあったが、 それだけではなかった。しかも、私も空襲に向かうB29の機影を振り仰いでよそごとのように眺めていたのを想い出す。わがことにさし逼らねばモノを見よう としない、それがどんなに怖ろしい結果を引き寄せるか、令和を謳歌の若い人たちに考えて欲しい、せめていま香港の民衆を目に耳に胸に焼きつけて。
2019 10/20 215

* 昨日、わが家では思想的に共感し信頼している山口二郎さんから、瀬戸際に立つ日本『民主主義は終わるのか』を戴いた。<政治の常識>はなぜ消えた?
ソクラテス(プラトン)は、理想的に賢明な哲人王が統御するのが理想的な第一の国家だとし、それが叶わ ぬなら、そういう人たちの合議国家が好いと云う。それも成らないなら民主主義国家でもいいが遺憾にも安定永続しないといい、そのうちに国家と国民と法律と 権力を吾がものと悪し様に利する集団が、好き勝手に国と民の運命を歪め支配する僭主型支配国家に陥るという。目下の自民党統治日本はそれに相当していると わたしは観ている、山口さんも…と思われる。それどころかソクラテスは、さらにその先に最悪の「独裁僭主」支配国家を観ている。日本国家は、この最悪独裁へと日々に近付きつつはないか。よくよく、よくよく見きわめて真摯真剣に対応しなくてはなるまいか。山口さんの新刊をしっかり読みます。
2019 10/20 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

後になって追懐されるとき、戦時下の日本列島を暗黒の黒一色に塗りつぶすことは一種の後知恵による時代印象の改竄である。三寒四温の気流のぅねりというものがあるのであり、 人それぞれの笑いや涙や団欒は、あの時代は時代のものとして、日々に営まれていたのである。そして一億一心の総力戦では確かにありながら、人されざれの置かれた幸不幸の差は、極端に不平等なものといえた。幸運なものは、空襲をされず、家を焼かれず、兵隊にとられることもなしに過すことができた。
その限り、その人たちは楽天的であった。そしてその範囲において、わが将士の奮戦ぶりに、沖縄のひめゆり部隊の壮絶な集団自決に、誰よりも熱く感動したのである。

* この指摘は、峻烈に正鵠を射ている。爆撃されなかった京都に育ち丹波の山奥へ疎開し、敗戦後も一年して傷つかず焼けもせず戦禍の何一つにも遭わぬ京都市内の家へ私は帰っていった。
幾度も幾度もこの幸運と、対比を絶していた同じ日本人やその家庭の不幸を思わずにおれなかった。その思いが熱ければ熱いほど私のうちに忸怩としたモノがぶすぶす燃えた。

* その思いに重なってくるいましも聴くジャズの名曲「St.James Infirmary」の17バンドの切々として独自の演奏に胸打たれ胸を塞がれている。盤をおくって呉れた森下君の解説によると、「私の好きなディキシーランド・ジャズの名曲St・James Infirmary「聖ジェームズ病院」を聴き比べて頂こうとおもいま す。売春婦の情夫が彼女の死を知って聖ジェームズ病院にやってくるところから歌の曲は始まりますが、それぞれの楽団が薄幸の女の死をもの悲しい旋律で紡ぎ 出しています」と。
わたしは敗戦後の無傷な京都市内でも夥しい「売春婦 パンパン」を日常に見知っていた。買い手の占領軍兵士であれ「情夫」であれ何の珍しさもなく、しか も私は「負ける」とはこれだこれだこれだとよく泣いた。私が戦後歌謡曲で他の何にも何百倍して今でさえあの、「星の流れに身をうらなって」と歌った菊池章子 の歌を思うのと、このジャズとは、痛いほど強烈に連携してくる。伴奏など似てる気さえする。
2019 10/21 215

* 現下の日本という国家のありようを私なりに把握したいために、実に七年半掛けて大部上下巻の岩波文庫プラトンの『国家』を二度、一克に読んできた。最 悪の把握ないし理解に辿り着いたことは、二十日の「私語」にも書き置いた。まだまだ思い至らぬ有様ながら、一方では、わたしはわたし本来の仕事を通して表 現するしかない。残年はもう目に見えている。街頭に立って獅子吼もならない、私の現実の世間は余儀なく狭まっており、敷かし幸いに書いた物を、思った事 を、「私語」も「本」にも出来る。その道をもう暫く懸命に歩いて行くまでの日々であり、その日々を貧しくしないための楽しみや喜びも創り出し続けねばなら ないのです。
2019 10/21 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

限りなくゼロに近いといっても、我が高射砲が、時には彼ら(空襲の米機)を撃墜することもある にはあったのである。搭乗兵はパラシュートで脱出し、住民に生捕りにされる。こうしたことが、ごくたまにはあって、そして、私が目撃したアメリカ兵という のは、偶然にも、ごくまれにしかない、こうしたケースでのB29搭乗員だったようである。
付添いの日本の衛生兵が、担架の中にしゃがみ込み、万国赤十字精神にのっとるかのように両側に、横たわるアメリカ負傷兵の面倒に、細心の注意を払ってい るようであった。更にその両側を、殺気ばしった目つきの憲兵上等兵と伍長が、これはまた、いかめしくも剣付き鉄砲の銃身を右腕に水平にかまえ、必要とあら ば、発砲するも刺突するも如何ようにも即応する構えを群衆に見せている。憲兵は、アメリカ兵を群衆から守るために、必殺の気構えなのだ。
群がる地元民は、在郷軍人や警防団や国防婦人会や、雑多な組合せながら、いずれも手に手に
竹槍を持ち、それは地元工場の挺身隊に動員されてきているらしい、若い女子学生とて同様であっ
た。教員もいたろうし工員もいる、農民もいる、主婦もいる、子供もいた。
「たたっ殺せ! 刺し殺せ!」の怒号は、彼と彼女らが一団となって発する喚き声であった。
思うに、見るも無残なアメリカ兵の様相というのも、パラシュート脱出降下時の負傷というより、
それが軍当局に通報され憲兵が逮捕・護送のため駆けつける小一時間ばかりの間に、それを生捕りにした地元民間人たちのリンチによるものだったようである。
憲兵とは、怖い存在である。特高と憲兵が衝突すると、どちらが勝つだろうか、やっぱり、いくら特高でも憲兵に勝つことはできまい、憲兵とは、それほどに威力的で、怖ろしい存在であった。
ところが、私は、憲兵より怖ろしいものを見た。それは、一般民衆というものであった。普通はごく優しくて親切な小父さんたちであろうと思える人達が、時と 場合によっては、凶暴な集団に一変してしまう。野獣のような人間というが、野獣は、最低限、食うためだけの殺しをしかしない、腹満ちてあれば、ライオンで すら目を細めて通りすぎる兎を優しく見送るというではないか。
「たたっ殺せ、刺し殺せ!}
衆をたのんでトコトン傷めつけてやろうとする歯止めのはずれたサディズムの快感。

* 分からないでない、が、分かってはならない。
2019 10/22 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

「モハヤワレワレハ敵ノ空母ノ数ノ優勢ヲ在来ノ攻撃方法ニヨッテハ覆スコト能ハズ。ワレハ体当リ戦術ヲ実行スル特殊攻撃隊ノ即時ノ組織化ヲ主張スル。(軍需省の大西瀧治郎海軍中将宛 空母「千代田」發電報)
この作戦は、大いなる誘惑であった。安上りな一とただ一人の命と引換えに大艦を沈め、数千人を殺傷できるとなれば実に有利な取引といえる。そして機能的な安上りの日本の飛行機は、使い捨てにもってこいの条件を備えていた。ただ突っ込めばいいのである。
神風特別攻撃隊の最初の出撃はサイパン玉砕戦から四ヶ月後の昭和十九年十月二十五日、レイテ沖海戦の折敢行された。出撃機は四機、隊員六名。直接の責任者・大西中将は折から次々と輩出していた志願者の中から選ばれた六名を前に訓示を与えた。

諸子は今や神である。諸子は体当りの結果を知ることはない。しかし、それは決して無駄なものでないことを確信してほしい。本官は、及ばずながら諸子の英 雄的行動を最後まで見届け、これを、畏くも大元帥陛下にご報告し奉ることを約束する。諸子は既にして靖国の神である。安んじて往かれんことを。最善を尽さ れんことを要望する。

特攻機第一陣は、ただの四機四人の自爆と引替えに、三隻の敵空母を大破、一隻を撃沈、数百名を殺傷したのである。特攻機は飛び続け若い兵士は戦死し続けた。だが敗色の払拭には遠く及ばなかった。

* 未来へも積み重ねる人類の戦争史でも、二度と繰り返されることのあるまい凄惨な作戦であった。

* 今上天皇の即位式が成された。ご夫妻ともども心身のご健康を願う。即位のお言葉はご立派であった。現憲法をぜひご尊重あっての象徴あられたい。
2019 10/23 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

ヵーティス・ルメー少将が、
日本人の多くは、日本の敗戦を信じなかった。神州不滅が信仰的確信であった。戦後、合衆国戦略爆撃調査団が、日本人は、いつごろから敗戦を自覚し始めたかを、世論調査した時、サイパン島全滅直前の昭和十九年(一九四四)六月時点でも、わずかに「2」パーセントであることが分った。これが、急に敗戦を自覚し始めたのは昭和二十年三月十日の東京大空襲に至ってのことである。マリアナの司令官カーティス・ルメー少将が、ワシントンに「これから目ざましいショーをご覧にいれます」と打電して開始された一大殺戮劇、広島の被爆死者を五百名上回る八万名弱の日本人を焼き殺した一大ページェントに至って、やっと敗戦の可能性を信じ始めたのである。それもしかし、十九パーセントにすぎない。
戦争を悲惨なものとして呪詛する気分が生れたのは、実は敗戦五カ月前のその時に至ってようやっとのことであった。フィ リピンで沖縄で、どんな悲惨事が起こり、敵の来襲が本土のすぐ足元に迫って来つつあろうと、実際に、直接自分らの上に爆弾が落ち目前で家が焼け肉親の凄惨 な死を
目撃し、自ら恐怖の極みを体験することによってでなければ、戦争を呪詛する気分にはなれなかったのでる。だが、それでも、敗戦の自覚と戦争呪詛、戦争はショーでないことを覚った人々は十九パーセントにすぎなかった。
国際法の条約と議定書には、市民に対しての戦時規則があり制約がある、もはやそれが何らの意味をも為さなくなった。それまで、B29は、高空から特定の 目標に正確に爆弾を落す、軍事施設と軍需工場を破壊することが爆撃の目的であった。日本の荒鷲たちが長駆、重慶を昆明を爆撃したのも、同じである。三月十 日の米空軍による東京大空襲はそれを一変させた。「焼き尽せ、殺し尽せ」が目的となった。命中の正確さはもう必要ないこととなった。低空から、人口密集地 に焼夷弾をバラまけばよかったのである。

* アメリカは、事実に於いてこういうことをやる國であつた、そして仕上げかのように広島長崎へ原爆を落としたのだ。許せない。敗戦後の日本政府はこれに対し謝罪一つも正式には求めなかった。許せない。
2019 10/24 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

民間人の大量自殺の悲劇で彩られたサイパン戦全滅は、昭 和十九年(一九四四)七月中旬であった。その後のレイテ島攻防戦で、日本軍は四千名の米兵を殺し、引換えに六万五千名の日本兵が死んだ。昭和二十年早々 からのフィリピン戦では、一万余の米兵が死んだが、日本兵は二十六万名弱が死んだ。二月から三月にかけての硫黄島で、七千名の米兵の命と引換えに二万一千 名の日本兵が灰となった。
硫黄島以後、米爆撃機B29にとり、日本内地の上空は好きなように開放されたレジャーランドとた。フラメンコでもジプシー・ダンスでも、お好みのま まに踊り狂って大騒ぎして帰ってくればいい、東京で八万、そしてほかに六十箇所にも及ばんとする日本各地方都市への連日空爆ショーで、二十万日本国民がバーベキュー に献ぜられた。三月十日の東京でのショーは、オリンピック開会式のようなハデなセレモニーとなった。〝我ら戦士、戦闘精神にのっとり、イエロー・モン キーどもを最後の一匹まで焼き殺すことを誓います″との選手宣誓を声高らかに大統領へ誓う米飛行士らの、はずむような声が聞こえてくるようであった。
沖縄決戦では、昭和二十年五月一日から六月二十二日にかけての二ヶ月足らずに十一万名の日本兵士が戦死、巻添えの中学生、女学生らを交えた民間人、約七万五千名が悲惨な死を遂げている。米兵一万三千名の命を奪ったこれがそのあまりにも高くついた代償である。
そして最後のイベントがヒロシマ・ナガサキで決行された。ショーのクライマックスはここにおいて極まり、同時にそれは科学兵器の大規模な人体実験であり、医学をはじめとするあらゆるデータ収集
の貴重な場を提供することにもなった。
戦争の責任問題が皇室に及ぶこと、日本の国体変革にそれが関わることを懸念し、善後策に日本
の上層部が真剣に頑を悩まし始めたサイパン島全滅以後に限っても、総計百万名になんなんとす
る日本人が凄惨な死を遂げた。それは単なる死でなく、どの屠殺場の牛や豚でももっと楽な安楽死を遂げたであろうに、これは引き伸ばされ、その苦痛が余計長びくように仕掛けられた屠殺行為による死というものであった。

* ゾッとする、が、やはり安易に記憶から消し去っては済まぬ取り返し付かぬ「闇黒・残酷時代」が此処に在る。何としても繰り返すまい。屈服や追従や忖度がその道ではあるまい。政治家に真の聡明と機略が望まれる。
2019 10/25 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

大多数の日本の軍人は、下層階級の出身であった。家貧しくしてその子優秀であれば、士官学 校が兵学校が門戸を開いてくれる。なおそのうえ、士官学校や兵学校では、皇族らの学友となれる特権をも得るのである。秩父宮が高松宮が三笠宮が、同期同窓 として学んだのである。日本は藩屏政治であり、結局は(天皇をとりまく貴族、重臣、名門らの)文官支配の政治であった。軍人は、東条秀樹とて、用済みとな ればいつでも首をすげ変えることのできる消耗品として使い捨てができたのである。天皇の意思を完全に無視して行動できる軍人など一人もいなかった。大御心 に添い奉ることこそが……という軍人の本領を踏み外す外道は一人もいなかった。
ここのところの確かな新しい見直しにおいて、アメリカは、一兵の損傷もなく、なお二百万もの武装兵が守備する日本本土の無血占領を果たし、その後の執拗 なゲリラ・テロの反抗を受けることもなく、かえって逆に頼り甲斐のある共産軍への優秀な番犬として「日本」を飼い慣らすことが出来た。これほど従順におと なしく自らの国土をすっからかんに明け渡した例が世界史上にあったろうか。

* 敗戦前、天皇制「日本」の異様なまでの特異が、つくづくと思われる。しかし、新憲法下の「象徴」昭和天皇は、神の威力を脱ぎ捨てた。そして平成、そして令和。おりしも即位式そしてパレードも。
歴史の評価は、難しい。

* こういう顧みをわたしは身に帯びた義務とも感じて今は亡き天野哲夫さんと「対話」している。生前晩年の天野さんとは二三度も文通はあったが、一度もお めには掛かっていない。私のような作家が(いろんな意味があったろうが、天野氏に)関心を持ってくれるのは不思議とも人に漏らされていたようだが、私には 私の「人と思想」を観る思いがあった。
2019 10/26 215

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

昭和二十年(一九四五)七月十七日、ドイツのポッダムにおいて歴史的会談が始められようとしていた朝早く、アメリカのトルーマン大統領は秘密の報告を耳にした。
「赤ちゃんは生れた」。
赤ちゃん誕生! ただの赤児ではなかった。その笑顔により、そのつぶらな瞳が輝くとき、世界は為に消滅するほどの、強大な悪魔の赤児であった。
怪物誕生の七月十六日午前五時三十分、アメリカはニューメキシコのアラモゴードの荒野に、巨
大なキノコ雲が万雷の轟きと共に幾つもの太陽の輝きを放ってその不吉な全容を現出した時、十七
キロ隔てた観測地点でこの瞬間を見つめていた一連の「マンハッタン計画」なるものの責任者、グ
ローブズ将軍はつぶやいた、「これで戦争は終った」と。
トルーマンは戦争早期終結へのはやりたつ気持ちを抑えかね、「第五○九混成部隊により、八月三日以降、天候が許し次第」この怪物は日本上空に放たるべきであるとの命令を下した。ポッダム宣言に先立つ二日前のことである。

* 肌に粟立つとはこれに越すものがあろうか。ヒロシマ・ナガサキの惨劇は、もう云いたくない。しかし忘れてはならぬ。「鬼」というモノの人間に棲む最悪例を世界史に示したのである。
2019 10/27 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

歴史は夜つくられる、歴史の設計図は、常に水面下の闇の中で描きあげられる。天皇を中心とする最高指導層の間では原爆を待つまでもなく、降伏意外に道がないことを確認しあっていたのである。
降伏に備え、その時のために天皇最側近の内大臣木戸幸一侯爵は、「日記」の一部の書き換えを始め、昭和十九年のひと夏をかけて、藤原氏の嫡流、五摂家筆頭の近衛文麿は「覚書」と「日記」の創作を秘書のファイルに綴りこむ作業にとりかかったといわれる。
その折の渉外要員保全のため、慌しく、文民中の親英米派、和平派なるメンバー吉田茂らを故意に逮捕させておいた。思 想犯として短期間逮捕されたというこの履歴書を彼等に与えることで、彼等が、日本の降伏の後、米・英との有利な窓口になるであろうとの深慮遠謀の一端をこ こに見る思いがする。いずれにしても、天皇とその藩屏の意図は、(原爆を浴びるより前に)とっくに降伏を決定づけていた。ただし皇祖皇宗の天皇制を守護 し、出来うる限りは日本列島のそのままの保全。
問題は、国民にその意図を示すタイミングとその方法で、タイミングを失し方法を誤れば、収拾のつかぬ混乱が生じ、あるいは騙されたとして国民の怒りは天 皇への憎しみへと一変する懼れもあった。高官の大多数は、軍人にでさえも、早くから降伏は避けられずとの認識は持ちながらも、明確な発言や、表立った行動 は凍結したまま、たがいに疑心暗鬼、腹の探り合い。彼らは、第一、勝利者の報復を恐れていた。ポツダム宣言に対し、笑止千万、来るなら来てみろどころか、 見苦しいことを通りこした一場の笑劇(ファルス)を演じていた。そして、原爆は投下された。惨害は想像に余った。

* 天野さんの本は上下巻で千頁余の大册、わたしはその下巻から、ごく僅かを拾い取っているだけ。わたしのような爺さんがでなく、『禁じられた青春』(葦書房 平成三年)とある表題を受け、日本の近未来を案じている青春・青年たちにこそ、こういう本は読んで欲しい。
2019 10/28 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

さかのぼる昭和二十年(一九四五)五月二十五日の夜、重大な意味を持つ空襲が敢行された。 三月十日に見るようにジャップを焼き殺せとばかりのそれまでの無差別爆撃は、それでも病院大学とそして皇居を除外する努力を示しつづけた、ところが、この 夜の空襲では、目標は下町の庶民たちではなく、宮城をはじめ支配層の貴族たちに向けられたのである。
藩屏を形成する日本の最上層の家族たちが住む九十一の邸が焼け、七人の皇族とその多くの侍従たちも家を捨て皇居の濠の内側に逃げ込んだ。しかし、そことてもはや聖域ではなかった。
陸軍省が焼けおちる間、炎と煙と、そこに秘されていた必勝のための数々の重要書類が火の粉と
なって空を舞い、皇居の屋根瓦に降りかかる。皇居防衛に動員された消防士、近衛兵は九千五百人、宮内省の鎮火だけは成功したが、隣接の建物はことごとく瓦 礫と化した、鳳凰の間も宴会場も、皇太子の別殿も、濠の外の赤坂離宮も焼け落ちた。この日の空襲で目標にされたのは、最も富裕な、軍人以上に隠然たる影響 力を持つ高級市民らの邸であった。米軍が、日本の権力構造の根幹を粉砕しにかかったことは明らかであった。この危機感が、このエリート階層の相互離反を招く代りに、逆に、いっそう強く彼らを皇位の周辺に結束させる結果を招いた。降伏は避けられぬ、しかし国体は護持せねばならぬと。
六月八日、最高御前会議で「基本政策」が確認された。要は、和平であり、しかし遷都はしない。天皇も政府も東京を離れないということは、徹底抗戦は取りやめたことを意味した。
国民はいっさいを知らされずにいた。連合艦隊を、神風をまだ信じていた。夢にも原爆が襲うなどとは知るよしなかった。
フランス近代詩の翻訳者で詩人でもあった堀口大学は、その頃、こんな詩を発表していた。

戦ひが、この戦ひが、/すめらぎのみ国の勝に/終るなら、終るためなら、/命なんぞ惜しくはないさ/よろこんで今にも死ぬさ、/につこり笑つて死ぬさ、/敗れたら!/生きてゐないさ!

詩人は、國敗れても、死にはしなかった。詩の真実は何かとここで問うつもりはない
終戦の聖断なるものは、昭和二十年八月九日の天皇御前会議で下された、さらに十四日、再度下った。ヒロシマ、ナガサキの原爆惨禍はすでに起きていた。「いかに有利に敗けるか」の時間稼ぎの間に蒙った人類史初の悲痛の惨禍であった。
八月十五日 敗戦の日の空は 抜けるように青かった。

* 敗けてよかったなど、国民学校三年生 十歳の子供心にも思わなかったが、昭和二十年八月十五日、夏休みの抜ける青空、戦争が終えてよかったとはしみじみ思った、山奥の疎開地から京都へ「帰れる」と胸を躍らせた。
2019 10/29 215

 

* 十月、はや余す、二日しかない。
八月、九月、最新作小説の仕上げにシンから疲労困憊したのは、ま、当然の仕儀。そして仕上がり入稿し校正の、十月。思いの外の疲れの執拗に驚くが、思っ た以上に天野哲夫氏の『傷ついた青春』の反芻が心身に堪えた。忘れていたい、しかし忘れがたく忘れてもならぬ「敗戦」への回顧というよりキツイ追体験の日 々だった。当然にも愉快ななに一つも甦ってこない思い出なのである。
もう二日の十月、相応のとじ目を見付けねばならぬ。
2019 10/29 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

敗戦して、即 天皇の義理の叔父、東久邇宮稔 彦王内閣の出現は、格別なことに思えた。(=満十歳に満たない私・秦も、丹波の山奥の疎開先で驚いた。)東久邇宮は、陸軍幼年学校、士官学校、そして陸軍大学 校を卒業し、三十一年間もの経歴を誇る現役の陸軍大将、生っ粋の軍人であった。三十三歳から四十歳の七年間にわたる壮年期、フランス駐在の情報将校として 働き、その間にフランス陸軍大学をまで卒業し、帰国するや第二師団長、陸軍航空本部長、シナ事変に当っては第二軍司令官として北支に兵を進め、大東亜戦争 時には防衛総司令官であった。この東久邇宮は、真珠湾攻撃のその時、「首相として内閣を組閣」のはずだった。「戦争がもし不首尾に至る時、皇室に累を及ぼすおそれあ り」と木戸幸一の進言で、代役に立てられたのが東条秀樹だった。
それが、敗戦の今や、「皇室の安泰、天皇の戦争責任からの回避」を最大の使命として総理大臣となり再登場した。内閣の顔ぶれをみればこれが敗戦内閣かとおどろく。 「陸軍大臣」も「海軍大臣」も「軍需大臣」も「大東亜大臣」もいた。子供の目にも奇異に映った。山崎巌という元警視総監で思想統制の元締にあったのが「内務大臣」という奇妙 さ、その山崎が、組閣後の十月三日、「政体の変革、特に天皇制の廃止を主張する者は、すべて共産主義者と見なし、治安維持法によって逮捕する」と英国人記 者に語った。これが、即、内閣の命取りとなり、GHQは、間髪を入れず、山崎発言のその翌四日、「政治犯の即時釈放、思想警察の廃止、山崎内相以下警察関係首脳の 罷免…等々」の指令を発し、東久邇内閣は翌五日、総退陣した。

* 「GHQ」の果断を、私は、今も評価し感謝する。「押しつけられた改革」などとは決して云わない。敗戦後の日本政府の内にも外にも、一つ間違えば、こと思想統制 では、東久邇内閣・山崎内相の姿勢のままで行きたかったと云わんばかりの「超反動感覚」が執拗に生き続けて、今でも、とさえ思われかねない。
2019 10/30 215

* 昭和二十三、四年「戦後 日本流行歌史 第三集」で たったいま淡谷のり子が「君忘れじのブルース」を歌っている。全24曲も森下君の選んでくれたな かで、圧倒的に、ズバ抜けて、淡谷のり子のこの歌唱は傑出し、りっぱに藝術の域にある。あとは、「異国の丘」がやはり胸を打つ。昭和二十三、四年というと、六年生から新制中学へ入った時。森下君は、音盤を入れてきてくれた袋を、「夫婦生活」といった当時著名な雑誌の「8月創刊号」表紙をアレンジしてくれている。
雑誌の特集として、一つは「理想的な各種避妊法」を五人の「大博士」が語るらしく、二つめには「性行為を子供に見られたら?」と「諸名士」にアンケート しているらしい。夫妻か恋人同士か男女の顔がおとなしく晴れやかに繪写真にしてある。古本屋での立ち読みを日課にしていたわたしは、こんな雑誌の平積み を、手にこそ執らないが、いっぱい見ていた。凄い写真の表紙もあった。性教育というに近かった
2019 10/30 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

玉音放送を無視し、終戦の詔勅を耳にするや、あえて天皇に逆らうように沖縄に特攻出撃して 散華した司令長官がいる。海軍中将、第五航空艦隊司令長官・宇垣纏である。若い搭乗員十八名が進んで随伴し、九機の編隊で飛び立った。戦果のほどは分から ない、しかし目的は自決にあった。「驕敵を撃砕し能わざりし責任を詫びての打電を機上より発しての自殺行であるが、承詔必謹、大元帥陛下の至上命令遵守の 皇軍統帥大原則に背犯する違法をあえて犯しての特攻出撃は、裏を返せば、統帥部への、統帥権への身を挺しての抗議行為というものであった。死んでいった部 下たちが、それじゃ浮かばれませんという無念の思いをこめての、上御一人への抗議を意味するのである。
台湾に基地を持つ飛行第二十九戦闘隊の特攻隊長であった陸軍中尉・橘健康という二十三歳の若者がいた。一度二度と特攻出撃しながら、二度とも天候不良そ の他の事情で目的を果せなかった。三度目の正直をと、次の出撃にすべてを賭けていた時、八月十五日を迎えてしまった。本来なら、助かったと喜ぶべきであろ うに、彼は九月十六日、台湾の台中飛行場の愛機・疾風号の機上において拳銃自決を果した。懐中に、かねがね認めていた血染の遺書を所持していた。長文のも のであるが、その中の、二人の妹に宛てた文章の一部を抜き書きしてみよう。

……天下泰平、うまいもの食って立派な家に住んで、奇麗な着物をジャラジャラ着て、ただ遊びほうけてばかりの人間が溢れて、貧乏人がそれを怨む。貧乏人 でも、頭のいいすばしっこい奴がいて、金を儲けて倉を建て、立身出世したと思ったら三代目の孫が倉も屋敷も売っ払ってしまって、墓の下で悔し涙を流す。こ うした世の中をみんなぶっこわすための戦争であるはずだった。旧いもの、みんな一掃し、新しい明日をつくる、この革新のために我々は戦った。
もう繰り事はよす。すべては終った。兄はもう橘健康ではない。兄の死を知らされても、嘆いてなぞくれるな。……
天皇陛下万歳

神風特攻隊を編成した当の司令長官・大西瀧次郎中将は八月十六日、割腹自決を遂げた。
ーー善く戦いたり、深謝す。吾、ここに死を以て旧部下とご遺族にお詫び奉るーー

責任自決といえば、陸軍中将・篠塚義男の割腹自決はその典型の一つ。遺書に言う。

戦争開始に当り、軍事参議官として会議に列席、開戦を可と報告致し候。
此の信念は今も変らずといえども、国家の運命今日に至りし上は深く責任を感じ候。戦没者及び其の遺族、並びに国民各位に陳謝致し候。

語学に堪能で、その俘虜情報局長官時代。大国らしい紳士的な俘虜の処遇を主張して反対派と戦った陸軍中将・浜田平は、九月十七日、任地タイの宿舎で自決した。任地住民から思慕敬愛されたというのに。

碁にまけて眺むる狭庭(さにわ)花もなく
めくら判おいて閻魔と打ちにゆく。

遺筆はただこれだけであった。
責任感を痛感するほどの者はこうして死んでいった。軍人以上に戦争を賛美し、戦意昂揚を煽りたてた詩人・文人・哲学者らは掌返して口を拭った。軍部独裁というが、時局に便乗・迎合せし文民指導層の狡猾卑怯ぶりは、より一層度し難かった。

* 得も言われぬ重苦しい気持ちで十月尽を迎えた。昭和二十年の敗戦も今も息苦しいまで胸を重くするが、世に謂う「令和」元年とやらの現在日本はどうであ るのか。ただ「情けないなあ」と、瞑目してしまう。わがわずかな残年を自身でしかと数えるためにわたしは此の「老い老い私語の刻」日々の
日付を私自身の「恒平」の名で数えると決めている。

* 亡き天野哲夫さんに感謝しつつ、大部の『禁じられた青春』の我流の「読み」をここで一旦終える。天野さんはこの本のあとがきで、自身の時代への視線や批評に自負を明記されている。私は本書を読みながらおおむね氏の自負を肯定出来ていた。それを附記しておく。
2019 10/31 215

* 来月、つまり明日からは、久々にバグワンに聴いていた日々を、新たな気持ちでおさらえして行く。
2019 10/31 215

 

* 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 思い直しつつ

この手記は、どこへどう到達するとも、到達すべしとも、筆者自身に分かっていない。ただ「途上の独白」というのがふさわしい。何処への? 答えられない。静かな心への。死への。あるいは何かに「間に合いたい」と──死ぬ日まで独白しつづけるのだろう。
筆者は、偶然にバグワン・シュリ・ラジニーシの「本」に出逢っただけ。その生涯や実像にほとんど知識を持たないし、持ちたいとも想わず今日まで来た。そ の意味では、バグワンが語りまたひとに答えたとされているおよそ七、八種のいわば「講話」集だけにわたしは頼んでいるのだから、その編訳者たちへの真摯な 信頼を措いてわたしは何一つバグワンに関して言えない。これほど不確かな、いいかげんなことは無いかも知れない。だが、言うまでもなくあらゆる聖典やバイ ブルに向かう今日の信仰者や帰依者も、実は同じであることをわたしは知っている。仏陀もイエスも自ら書いた何一つも残したわけではない。
わたしはわたしの思い一つで何人かの有り難い編訳者の誠実に信倚し、そうして「聴いて」きたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉を耳にし胸におさめ、そ して能うかぎりわたしはわたしの「いわば世界史的な信頼」をバグワンに預けてきたのである。それだけを、まず、ここ冒頭に断っておきます。       2011.03.23                          秦 恒平

一 平成十年 バグワン・シュリ・ラジニーシとの出逢い

* バグワン・シュリ・ラジニーシというインド人をご存じですか。アメリカのオレゴンでしたか、に拠点をえていたらしいのですが、裁判によって国外に追放され ました。一時、オーム真理教のお手本かと噂され、日本でも手ひどく否定的に話題になった人物だそうで、もう亡くなっています。
わたしは、ほんの一年ほど前から、偶然に「本」など手にして、読み始めました。バグワンについては全然予備知識もなく、むろん「オームがらみの噂」など何 も知らず関心もなく、いいえ、じつは無意味な先入見を「ひとつ」だけ持っていたのですが、いわばそれが理由で、およそ気まぐれと謂うしかない出逢いから 「読み」始めたのです。
ずいぶん昔ばなしになります、が、今日只今、もう四十ちかい、二児の(たぶん二児のままかと思うのですが、)母親になっています嫁いだ娘・朝日子が、まだ 大学 (お茶の水女子大)に入って間もない時分に、他大学生との小さなグループで、盛んに「バグワン、バグワン」と言いながら我が家へも集まって交流していたこ とがあったのです。講話集のような分厚い本が二冊三冊と娘の机に積んでありました。わたしは娘がへんな宗教団体に接近してはいやだなと思っていましたの で、冷淡でした。幸いなことにというか、短期間で娘の熱はすっかり冷めたようで、ひょっとして娘は、「恋」という信仰の方へ転向していったのだろうと思わ れます。
* バグワンの本はそれきり棚に上げられていました。
幾変遷もあって娘が嫁ぎますときも、娘は所持のバグワン本を三冊全部、家に残して行きましたし、家族のだれも手に取りもしなかった。あのオーム真理教が大騒ぎの頃も、かけらほども誰も思い出したりしなかったのです。    (平成十年 1998.04.01)
2019 11/1 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

2 そのバグワン本を、「いったい朝日子、あの頃 なにに血迷っていたのかな」と、ふと娘の気持ちを知りたさに手に取ったのが、去年(平成九年・一九九七)でした。
そして、驚いたのです。ほんとうに驚いたのです。
正直に言って、とてもあの頃の娘の、手に負える本ではありませんでした。その後の娘の娘時代を振り返れば振り返るほど、バグワンに娘が浮かれていたのは事実でしたが、受け容れるにははるかな距離のまま退散したにちがいない、と、そう想えました。
朝日新聞が、「心の書」を数冊選んで、週に一度ずつ四回コラム原稿をと頼んできたとき、わたしは、源氏物語、徒然草、漱石の「こころ」とともに、バグワン の「十牛図」を<解き語り>した講話を選んで、原稿を送りました。すると、担当記者から丁重に、バグワンに関する一回分だけは再考慮されてはどうかと電話 がかかり、やがて、バグワンがかつてアメリカのオレゴンで裁判にかかり追放された頃の新聞記事などを送ってきてくれました。こだわる気持ちは無かったし、 なによりわたしにはその手の予備知識も情報もなく、ただもう、本を読んでの感嘆のほか無かったのですから、原稿は引き取り、すぐ、べつのものを書いて渡し ました。
しかし、その時でもわたしは、バグワンの説きかつ語る言葉が、じつに優れた境地にあることは信じられますと記者に伝えておきました。要は、私自身の問題でした。
原稿を書いて新聞社に渡してからも、もう月日が経っています。しかし、その後も他の講話を時間をかけてかけて読み、その示唆するところの深く遠い端的さに は驚嘆と畏敬を覚え続け、いささかも印象は変化していないのです。伝え聞くオーム真理教の連中の、あんなむちゃくちゃとは似ても似つかないものだと、何の 思惑もなく、一私人として、バグワンにわたしは敬意を惜しまないのです。
いまは、『般若心経』を語っている一冊を読んでいます。高校生このかたこの根本経典を説いた本には何度も出会ってきましたが、バグワンの理解は、透徹して、群を抜いています。
余談ですが、わたしは、わが日本ペンクラブ現会長の梅原猛氏に、「般若心経」を説いてみませんかと、二度三度立ち話のおりに勧めています。氏はバグワンの 説く意味の「叛逆者」とはかなり質のちがう、与党的素質の濃厚なかつ大度の人ですから、また特色ある理解が聴けるのではないかと期待するのですが。「般若 心経」は、或いは、氏の試金石ではあるまいかとすら思っています。これは余談です。
もし私が東工大教授の頃に、教室や教授室で「バグワン」の話などしていたら、或いはオーム真理教寄りの者かと、物騒に思われたろうかと、苦笑しています。
しかし、繰り返しますが、その説くところを静かに味読すればするほど、バグワン・シュリ・ラジニーシは、オームの徒なんどとは全く異なった、本質的な「生」のブッダです。
* しかしまた、わたしはバグワンを、まだ二十歳過ぎた程度の人に勧めようとは思わない。「知解」は試みられるでしょうが、人生をまだほとんど歩みだしていな い年代では、この講話を、親切にまた深切に吸い込むことは無理です。つまりわたしの娘も、いいものに出会いながら、何一つ得るところなく別れています、投 げ出したのです。無理からぬことと、よく分かったつもりです。その娘が、バグワンの本を、父のわたしに、十数年も経ったいまごろに出会わせてくれたこと を、喜んでいます。
1998.04.02

* 上に、「余談」のまま、今は亡き梅原猛氏に「般若心経」について書いてみませんかと繰り返し奨めていたと書いている。これは、いささか梅原さんをゆす ぶる行為だった。彼の佛教観ないしは日本人観は、いわば「あの世」を「あり」と信じ、「魂」をありと信じる哲学で。
それに対し「般若心経」は「空」観の一の 根本経典であり、「死後」を持たない、釈迦は「後世(ごせ)」も「死後の魂」をも認めていない。この辺は、禅家の秋月龍珉氏が梅原さんを鋭く批判しつづけて『誤解 された佛教』の顕著な例と挙げている。
梅原さんは「般若心経を」と聞くと、頸をよこに振っていた。私は、聴いてみたかったが。

* 般若心経は 仏壇にいつも手に取れる小さなころから馴染みふかいお経で、高校にはいると創刊された角川文庫からまっさきに『般若心経講義』をいそいそと乏しい小遣いで買った。やさしく語りかける講義で、表紙ももげるほど耽読した。決定的に忘れがたい読書であった。
だが、問題が一つ起きている。この日録「私語の刻」の冒頭に「方丈」とかかげて、その下に私は、

あのよよりあのよへ帰る一休み

と現世を観じた一句を掲げている。明らかに、和泉式部の

暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照らせ山の端の月

に感化されている。じつはそれだけでない、「この世」を「旅宿の境涯」とうけとめた人は、中国にも日本にも少なくはなかった、多かった。こんなこともわた しは忘れていない。建日子がまだ小学生の頃、わたしと入浴しながら「お父さん、人はみな、<この世>という<休憩所>にいるんだよね」と言い出し、わたし は湯槽へ転びそうに仰天した。聞くと、読んだばかりの『モンテクリスト伯』にそんなふうに書いてあったよ、と。また、ビックリした。あとでしらべて、つま り私もまたまた読み返して、たしかにそれに類する表現・述懐が書かれていた。

* 「この世」ははたして「休憩所」での「一休み」であるのか。
ひょっとしてあの「一休」さんの思いもそうであったのか。

* 『般若心経』の「空」観は、そうは言っていない。気になりながら、上掲の一句、そのまま置いて、今、わたしは、その思案を避けている。フィクションと知りつつも、先へ逝ってしまった人たちのあの世があればこそ、諸々の今生世愚にも煩多にも堪えてられるということ、あるではないか。ウーン。

* それにしても低劣内閣・愚衆自民党であることよ。どこまで続く泥濘よ。
2019 11/2 216

* 法政大山口二郎教授の岩波新書『民主主義は終わるのか』は、今こそ読んで考えたい、動けるなら動きたい働いてみたいと願う「危機」の言説・提唱であ る。若い人たちよ、ただの御節介を言う言える立場に私は無いが、ほんとうに危ない日本の明日だと想われる、案じられる。やす香は、生前、断乎として法政大 へこそ進学したがって、そして入学した。惜しみて余りある、すぐさま病に斃れてしまった。山口さんの講座を聴かせてやりたかった。
2019 11/2 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

3 * バグワンの『存在の詩』を、毎日、欠かさず音読し続けています。世間のなかで実在し活動していたバグワンの「風評」といったものは、今では裁判記録など含 めていくらか知っていますが、「講話」から聞き取れる世界の「深さ」には、計り知れぬものがあり、優れた言葉のみがもちうる魅力に溢れています。アサハラ なにがしの貪欲で残虐な悪心と、バグワンの説く思想としての「叛逆」とはあまりに異なっていて、同一視など、失笑の他ない。バグワンにより、こんなに豊か で、こんなに静かな「安心」が得られるとは、予期していませんでした。  1998 04・28
* バグワン・シュリ・ラジニーシの説教集を、とうどう三冊、娘が物置に片づけて嫁いで行った分厚い三冊を、ぜんぶ、「音読」し終えました。「音読」という読み方には利点もあり欠点もあります。
最初の読み方としては、話し手の息づかいや内面のリズムが察しられて、音読はよかった。バグワンの気息に親しみ馴れることができ、直観で、言葉の背後ま でを見通せるようにもなったと思います。音読では立ち止まるということがないから、知解や義解では不十分なところを沢山置き去りにしてきましたが、それは それで立ち止まらず通過していいのだと思っています。
順番でいえば、ティロパという人に拠った『存在の詩』」から、十牛詩画を語る『究極の旅』そして『般若心経』へでしょうが、読み始めようとした頃の関心事 から、まず「十牛詩」を読み出して、すぐさま、これはただものでないと観じ、敬意をはらって読みすすめ、次に「般若心経」を感嘆して読み、三番目に「ティ ロパ」を、深い興奮にかられながら静かに読了しました。それぞれを読み終えるのに数ヶ月ずつをかけました。
* 娘がお茶の水に入って一年ほどして、他大学の男子学生らとバグワンを読むグループを作っていた頃、わたしは、そんなものに見向きもしなかった。案の定、グ ループもやがて消滅て、娘の口からバグワンのバの字も出なくなりました。説教書は、机の上からとうに影も失せていました。
数年して、「曲折」を経て娘は嫁ぎ、また「曲折」を経てその婚家との音信が絶えました。
そのまま数年して、私はふと好奇心からも、娘が学生時代のごく一時期ながら熱中していた「バグワン」とは誰ぞやと、知りたくなりました。物置へ投げ込まれ ていた三冊を探し出して読み始め、そしてもう娘のこととは離れて、わたしは、「バグワン」の「ことば」に多くを識り、また多くを教わりました。
深く揺すられました。
日々に文字通りに激励をうけ、鞭撻され、叱咤され、痛くも恥ぢしめられました。
* 聖書も仏典も外典も、まこと多くにこれまで触れてきました。宗教学や神学には関心があり、かなりに読んでリクツも言ってきた方です。だが、バグワンには多く「言葉」をうしなって、ひたすら「聴く」気になれた。これほどの透徹に、会ってきたことがあるだろうか。
* バグワンは、だが悪声にも包まれてきた聖者らしい。そんなことには驚かない。オーム真理教の徒が、あるいは有力な「種本」に悪用したかも知れない。 しかしバグワンの説くどこからも、サリンやポアのごとき、ハルマゲドンのごとき、愚劣な行為も予言も出ては来ません。バグワンはイエスを愛しているし、仏 陀も深く愛している。だれよりも彼自身に近い、いや近い以上に「等質の同一人」とでもいいたいほどなのは、「道・タオ」の老子だと断言しています。素直に 聴くことができます。 無為にして自然の老子的な達成から、最も隔たった存在なのがあの麻原彰晃であったことは、余りにも明白。
* 『般若心経』を解いて、バグワンほど「空」を目に見せてくれたどんな人が、かつていただろうと、わたしは思うのです。
『十牛図』の詩を解いて、バグワンは、さながらに老子を体現します。そして『ティロパの詩句』から、あたかも「二河白道」を渡って行く者の、畏怖にも満ちたおそるべく深い平安へのすすめを説きます。解いて明かします。
バグワンの「人」について私は多くを知りません。ただ三冊の本が私の前に残されたのは、娘の意志とでも理解しておきましょうか。その三冊を読み終えて、私 はすでに楽しみにして次の『道 タオ』上下巻を、池袋の「めるくまーる社」から買い求めておいたのを、また音読し始めたばかりです。
* 私は、自分がどれほどバグワンから隔絶して遠いかを、つらいほど思い知らされ続けています。私の声に出して「読む」のを時に横で聴いている妻が、それに気付いて思わず、わらうほどです。
この一年、私は毎日毎晩にバグワンに叱られ続けてきました。悲しいほど私はいろんなものごとに執着しています。バグワンの言うところの「落としなさい」と 最初に聴いたとき、私は、怖さにふるえました。うんざりし、げんなりするほど多くの「落としてしまえない」物・事・人を私は抱えています。その愚にはきち んと気付いているし理解もしているのに、「落とす」ことが出来ません。「落としてなるものか」とさえ抱き込んでいます。情けない。
* 裏千家の茶名を受けるとき、大学一年生かまだその前年であったかも知れませんが、私は、望んで「宗遠」と授けてもらいました。「遠」の一字は私自身で「老 子」から選びました。ですが、老子のいう真意からはただもう程遠いだけの、うつろな名乗りになっています。  1998 11・05

*1998 11・05 というデータは、私がこの機械に「作家・秦 恒平の文学と生活」というホームページをその三月下旬に設置開業した年に当たっている。20余年を経てきた。

* こんな記事も残していた。

* 「心」は無尽蔵に容れ得るが虚無にも帰れる。八方に関心を広げ得るが、ただ一つことに集中も出来る。どのような状況にあっても、心は内奥に「静」の質を金無垢の一点のように抱いていると、そういう趣旨を荀子は説きました。
夏目漱石は小説『こころ』の「奥さん」にだけ、ひとり「静」さんという実名を与えていました。「先生」も「K」も、その「静」を真に我がモノとは出来ず、自殺しました。静さんを得たのは「私」でした。「私」と「静」の仲には、もう「子」の影がはっきりさしています。
* 心の内奥に、静かなものを。それが、「およそ価値らしきものを、全部ストンと見捨ててしまって気楽になる」という意味に繋がると思う。心は働かせるけ れど、その心を虚しくする意味で、「心=マインド」の「奴」になってしまわない意味で、「静」を見失わない。そんなようで在りたいのです。出来なくはない と思う。いや、出来ないことなのかも知れぬと思う、けれども。平成十一年 1999 07・08
2019 11/3 216

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

4 * 「心」は無尽蔵に容れ得るが虚無にも帰れる。八方に関心を広げ得るが、ただ一つことに集中も出来る。どのような状況にあっても、心は内奥に「静」の質を金無垢の一点のように抱いていると、そういう趣旨を、荀子は説きました。
夏目漱石は小説『こころ』の「奥さん」にだけ、ひとり「静」さんという実名を与えていました。「先生」も「K」も、その「静」を真に我がモノとは出来ず、自殺しました。静さんを得たのは「私」でした。「私」と「静」の仲には、もう「子」の影がはっきりさしています。
* 心の内奥に、静かなものを。それが、「およそ価値らしきものを、全部ストンと見捨ててしまって気楽になる」という意味に繋がると思う。 心は働かせるけれど、その心を虚しくする意味で、「心=マインド」の「奴(やっこ)」になってしまわない意味で、「静」を見失わない。そんなようで在りたいのです。 出来なくはないと思う。いや、出来ないことなのかも知れぬと思う、けれども。  1999 07・08
2019 11/4 216

* 亡父吉岡恒にかかわる父自身の筆記・所感・述懐・信仰・書信等々が、手に負えぬほど手もとにあるのは知っていたが、かつて一瞥してその多岐に亘り或る 意味で一途、或る意味で散乱の記録を今朝から再確認して、長嘆息している。これはまさしく「一人」のきわめて意識的で多彩な吐露というしかない。もはや残年に恵まれていないわたしの手では、どうしようもない。兄・恒彦が存命なら多大の関心を寄せて分析し批評し「父・恒」像を建立したであろうが。
父に、孫は「大勢」いるが、妹二人の家庭の大勢の孫は、こういう作業に向いていないだろうし、妹二人の明白な意志でこれら資料は私に全面依託の体で父死 後の直ぐに送ってこられた。放っておいたのは私である、任されたのだから全処分してもいいだろうが、それに忍びない一人の特異な「人間」像がここに集結し て書き表されているのだ。
祖父「恒」と、あえて同名を父・恒彦に与えられた甥・北澤恒(黒川創)がすべて了解して受け継いでくれれば有り難いのだが、彼にもこごに忙しい事情というものが在ろう。
当然のことに私の父の遺した一切は「手書き」で、それを機械へ写すだけでも、一年はかかるだろうし、さまざまな断章・断片に書かれた「紀年」を決するのもとてもとても容易でない、父の亡くなった以前と言えるだけ。これでは甥の恒も音をあげるだろう、やんぬるかな。
2019 11/4 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

5 * NHKが、相も変わらぬ「心の時間」みたいな宗教番組をつづけています。たまたま東大名誉教授が仏教のはなしをしていました。いろんな「文句」を引き 出して話していましたが、語り手の話と聴き手アナウンサーの合いの手と、引用されている文句のあるもの、例えば道元の言葉などとが、ばらばらに、齟齬して いる印象をもちました。
そもそも仏教の要諦を「心」で話そうというのが無理なんじゃないでしょうか、「無心」ならばともかく。「心=マインド」をアテには出来ないことを、もう四半世紀も前、わたしは「からだ言葉」に次いで「こころ言葉」を調べ始めた昔から、痛いほど感じてきました。
乱れ、砕け、くじけ、呆け、喪われ、「心ここにあら」ぬような、心。
根があり、構えがあり、底が見え、熱くもなり、冷えもし、苦しくなり、「心も空に」なるような、心。
こういう「こころ言葉」を無数に持つことによって、どうしようもなく「つかみ所のない」その本性を示している、心。
そんな頼りない心など頼んではイケナイというのこそが「仏教の確信」であり、核心でありましょうに。「無心」の明静を求めてゆくのが、禅の根底でありましょうに。
「心」とさえ口にしていれば、鬼の首でも取れると言いたげな誤解から、はやく脱却しないと、人間の心はますます千々に砕け乱れて、果てない混乱のなかで 不幸の種をまきひろげて行くに違いありません。「心」はもともと数知れぬ「罜礙=障り」に囲繞されています。それどころか「心」こそが即ち「障り」なので すが、その障りがなくなる、つまり心が心ではなくなる「心無罜礙」「心に罜礙無」き「無心」に成ろうとするのに、そんな「心」に頼ってそう成ろうとは、そ れ自体が、はなから矛盾し撞着しています。仏も達磨も道元禅師もそんなことは言っていない。「心」が諸悪の原因なのです。
しかし、そのように説いているかずかずの経典があるではないかと、手当たり次第に引用されるものだから、それらの中でまた混乱や齟齬が生じてしまいま す。経典に対するクリティクはむろんされて来たのですが、根本の批判はどこかで都合よく匿し込まれてしまってる。大方の経典は、いいえ殆ど全部といってい い経典は、釈迦没後の、遅いものだと数百年も千年ものちに書かれています。無数の解釈と潤色と創作とにより、いろんな弟子筋門弟筋の都合と主張とに合わせ てつくられたものです。仏教「的」な主張の言語「的」な多様の表出、意図的な表出なのでして、釈迦自身に帰属するものはいたって稀薄です。アテに出来ませ んし、とくに「心」に関しては誤解や曲解が渦巻きながら、なにかしら「心=仏」かのような、とんでもない話に俗化して、それが今日でも、NHKだの大手新 聞だの感化力強大なマスコミの安易安直極まる「売り物」になっています。
しかし、正しくは「無心=仏=覚者=ブッダ」なのでしょう。名誉教授はしきりに「仏様」とわれわれとを別物に話しているかに聞き取れましたが、深い仏の 「教え」は、われわれはみな「仏」になれる存在、「仏」を抱き込んだ存だけれどもが、「心」に惑わされ、その貴い真実真相にたんに「気づいていない」のだ という指摘の「中」にありましょう。
いっさいの言語的表出に過ぎない経典から厳しく離れ、「心」の拘束や干渉を排して、本来抱いている仏性を「無心」の寂静として気づかねば、自覚しなけれ ば、とうてい安心はないと思われる。むしろわれわれは「心」などという文字から、おぞけをふるって身を反らせることを行わねばイケナイのです
* 禅。 ここに安心の基本があった、釈迦の悟りのなかにそれがあった。わたしは、いまそう思っています。
わたしは、もともと法然や親鸞の念仏に深い敬愛を持ってきましたし、今も変わりありません。彼らはなぜに「南無阿弥陀仏」だけで安心に足りていると徹し ていったのか。行けたのか。その基本には、さきに言ったいわゆる経典成立の事情に対する批判や不審が据えられていたのではないでしょうか。凡夫衆生のだれ が百万の経典を読破して理解できるか、たとえ出来てもそれで必ず「安心」が得られるわけでない。抜群の経典への智慧知識を称賛されていた法然が、その「知 識=マインドによる理解」を決定的に批判し棄却してしまって、念仏の易行を「選択」したのでし。すべてを捨てたわけではないと言う建前のために「浄土三部 経」を選びのこしつつ、それでも死に際に「一枚起請文」を書いて、「南無阿弥陀仏」だけで足りていると念を押し行きましたた。法然は、おそらく、「禅定」 は凡夫衆生には難行であることが分かっていた。それに匹敵する「安心の無心」のために只六字の「南無阿弥陀仏」という、いわば至妙の「抱き柱」を建てて、 民衆の救いに「道」をつけたのに違いありません。
* わたしも、数少ないながら、かなりの数の経典を教科書のように読んできた過去をもっています。そして、つまるところは、仏教とだけは限 りませんが、それらからは「安心の無心」など得られるものでなく、「心=知識」ではない「無心の信」を非言語的に自覚して行くしかないと思うようになりま した。バグワン・シュリ・ラジニーシの導きが大きかった。彼と出逢ってから、もろもろのいわゆる「宗教的まやかし」に、まったくといえるほど動じなくなっ ております。  1999 08・29
2019 11/5 216

* 「待ち待ち」読む文庫本の字が、もうちと大きいと有り難いが。音楽はまさしく音の楽しみ。昨日からモーツアルトのフルート協奏曲がこころよい。
ものぐさになってはいけないのだが、テレビのニュースの類を見たくなくなり、藝のない有象無象のバカはなしもイヤ、コマーシャルもいや。新聞は目をいた わり全く手にも触れない。視力は、機械仕事と楽しみの読書用にだいじにしている。耳は利く。佳い音楽があるので真実ありがたい。
2019 11/5 216

* 夜前、驚嘆したこと。枕もとにたくさん積んだ本の中に筑摩現代文学大系本の必要もあって森鴎外本出ていた。「ヰタ・セクスアリス」を読み替えしたから で。また前々からの順番に読もうと「小田実・柴田翔」の巻も置いていた。小田、柴田両氏の長編作は、それぞれに読みわずらい投げ出してあった。前者の剥き 出しの大阪弁はやかましく、後者の文章表現には何としても退屈した。ゆうべもまたアタックシしたが投げ出した。で、鴎外集を手にし、ひらいたところの「安 井夫人」を読みだすと、べつに何という物語でもないのにその文体文章は爽快なほど面白く、一気に読み終えて「文学」的に満足した。
これは何だろうと思った。正直なところ鴎外の小説は、「阿部一族」をほぼ例外にけっして波瀾に富んで烈しく感動するという作でない。ただ、つかんだら放 さないという文体の剛力に引き込まれる。「安井夫人」もそうだった。おもしろいお話を読んだのではない、詩歌と読ませる文体のちからに魅されて一気に読ん だのである。

* わたしは此の「私語」もそう私語したいといつも願っている。雑文を書く気ではない。
2019 11/5 216

* 機械のご機嫌伺い待ち時間に、もう和歌集も読み尽くしたし、事典の類も過ごしたし、と思ううちに「靖子ロード」の小書架に受験英語熟語の活用的研究という一冊を見付けた。 A bit of A lot of
から始まっている。英語の本はときおり手にするが何と云っても英語も頭から抜け落ち続けているので、これは恰好の時間待ち勉強かもと機械の側へ持ってき た。Worth while Worthy of まで目次だけで250項目ほどある。 棒折れしてもよし、「用例」あり活用問題に英文和訳も和文英訳も出題してある。ウヘーッという感じだが、急ぐ道のり でなし。どうなるか。和訳には勉めるが英訳の方はこの際遠慮がちに過ごすことに。
2019 11/5 216

 

* 『玉葉』という定家の「名月記」におとらぬ克明で大部の摂政兼実日記があり、安元元年という比較的歴史年表的には静かな一年の前後を調べている。前年には後白河法皇の賑々しい厳島参詣があり、二年後には鹿ヶ谷の陰謀が覚。さ、どう面白くなるか、どうか。
2019 11/5 216

* 摂政兼実の『玉葉』を調べながら、「儲貳」という二字が出た。幸い理解していたし、そこに関心の核心があった。念の為に近年の大きな辞書を調べたが、出てなかった。
平凡社がウーンと昔に何十巻と揃えた辞典を、一気に大きな大きな重い重いただ「二册」に縮刷したのを見ると、ちゃんと出ていた。
あれは小雪のちらつきそうな日だった、松園を書いて「閨秀」を発表の直後だった、未知の平凡社編集者の出田興生さんが、この重い重いデッカい二册の「大 辞典」をお土産に背中に背負うて、本郷の勤め先医学書院へ私を初めて訪ねてみえたのを、今もなつかしく嬉しく想い出す。四十余年も昔のことになる、
出田さんは、いまも「湖の本」を購読し、選集を次々呈すると、きっとそのつど支援のお祝いを送ってくださる。人生のいい物語、嬉しい物語もまた、しずかに編まれつづけて行く。
出田さんの長女はわたしのことに可愛がった子であった。早稲田で、在学中から活躍していた。いつぞや本場所の桟敷へ誘い、妻と三人でほくほく大相撲を楽しんだ。
出田さんとも阿生とも、また逢いたいなあ。
2019 11/5 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

6 * バグワンの『ボーディダルマ』には、敬服します。もうすでに、この「和尚」の大部の本を五冊読んできて、お蔭とも言えるでしょうが、妙趣が、真意が、 呑み込みやすくなっています。読んできた全部から、ほんとうに旨く要所を抄録できたら、どんなにいいかしらん、自分で自分のために欲しいとは思わないが、 初めての人には佳い出逢いになろうし、なって欲しいと思う。時間にゆとりができたなら、試みてみたいとさえ思うのです。
断っておきますが、バグワンの実像をよく知りません。どういう人たちを、どこにどう集めて説いていたのかも知りません。ただただ彼の「言葉」に、踏み込んで、耳を傾けてきただけです。それで十分でした。
* 荀子の説いた「解蔽」とは、幾重にも身にまとってしまったボロを脱ぎ捨てる意味で、脱ぎ捨ててしまえたとき「心」は「静=虚心=禅寂=無心」になれ るというのですが、そしてこの「虚心・無心」にわたしはまだあまりにほど遠いけれども、それでも、バグワンに出逢い、どんなに心身が軽く、らくになってい ることか。それを自覚していればこそ、苦しい人や、夜も眠れぬ人や、こだわっている人に、紹介したいまごころを持っています。しかし、そういうお節介がい けないのです。
わたし自身がまだまだとんでもない「こだわり」に生きていて、たえずバグワンに叱られ、妻にもよく笑われているのですから、そんなことを考えるのは、まるでオコがましいはなしです。  1999 09・04
2019 11/6 216

* けさは、「A couple of (二つの)」「A part of(の一部分)」というのを復習した。couple が「夫婦」の意味となどとうに意識から落ちていたなあ。
2019 11/6 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

7 * 宗教的な題材で幾つか小説を書いてきましたけれど、かつて或るカソリック作家との対話のなかで、「われわれカソリックの立場では」といった発言に何度も出 会い、思わず、「あなたは『立場』で信仰するのですか」と言い放ってしまいました。
それ以来でしょうか、いちだんと、特定宗教宗派宗団に傾いた信仰をうとましく感じるようになりました。
問題が難儀なので深入りしにくいのですが、少なくも「立場」に立っての信仰など、ホンモノではなかろうと思い沁みつつあります。法然親鸞の教えにも傾聴 していますし、イエスにも愛を感じますが、とらわれたくない。バグワンを通じて老子に聴き、達磨に聴き、ブッダに聴き、イエスに聴いていて、わたしは、も う大きくは逸れて行かないでしょう。宗団宗派ゆえの信仰をわたしは醜くさえ感じています。  1999 10・02
* バグワンの『ボーディーダルマ』も三分の二以上読み進んで、音読しない日は、旅中を除いて、無い。この巻を読み終えたらもういちど『十牛図』などへ戻って、今度もまた音読し、感じ取りたい。
日一日と人生をおえる日が近づいています。死にむかって、何の安心も得ていない。深い怖れを感じています。特定宗派・宗団の教えには希望がもてません。 また経典や聖書を信仰することも出来なくなっています。新聞の連載小説『親指のマリア』で新井白石に言わせていました、せめてああいう「安心」を、いや 「無心」を得たいのですが、妻に言わせれば「マインドのかたまり」のようなわたしであるのも間違いなく、これを「落とす」ことは、残り少ない生涯で可能と はなかなか思われません。バグワンに聴きつづけるしかない、そうしようと思っています。大分前から、同い年の妻も、ほぼ欠かさずわたしの音読に耳を傾けて います。よほど信服しているようです。  1999 11・02

* 可能な限り静かに過ごしたいと願っている。心騒がせるあれこれはあまりに多く、多すぎて溢れている。そんななかで静かに生きるのは至難と分かっていればこそ、可能な限りそうありたい。
2019 11/7 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

8 * 「本来は家庭で両親が育てるはずの『心』を、幼稚園と在宅保育サービスのシッターが共に家族を援助しながら育てていこうという試み」について、メールしてくれた人がいます。この括弧付きの「心」という意味が分かりにくかった。
「心を育てる」とは、正しくはどういうことを謂うのでしょうか。こういう表現や評論はしばしば耳にも目にもしてきた気がしますが、さて、どういうことを指し、どうなると「心を育てた」ことになるというのでしょうか、定義がアイマイなままに頻用されています。
子どもの心を、どうして両親が育てられるのでしょう。どんなふうにして「幼稚園と在宅保育サービスのシッターが共に家族を援助しながら育ててい」けるのでしょうか、具体的な方法論が出来ているのでしょうか。「心」とは何かを、把握しての話なんでしょうか。
子どもは育ちます。ものの苗も育ちます。育てると謂っていますが、育つのに手を貸しているというのが正しいだろうと、ずっと以前にも此処に書いたことが あります。「育てる」意識で接してくる親や大人への反感や反抗が、かなりの力になり、現代を混乱させてきました。反感をもち反抗的になった子どもにだけ大 人から責任を問うのは筋違いで、子どもの心を育てられると過信しながら、我が心根はけっこう勝手次第に腐らせてきた親や大人の愚と責任とは、わたしも勿論 含めての話、計り知れないのではないか。  1999 12・06
* 前夜、バグワンの『十牛図」を読みながら突如動揺し、眠れなくなりました。
人は、「社会」に追従することで己が「決断」をすべて回避し放棄し、追従を拒んでわが道を生きようとする者をみな「狂人」として誹り、非現実的な「愚 者」と嗤い、しかしながら、至福の静謐に至る者はみな狂人のように愚者のように遇され生きてきたのだとバグワンは言います。歴史を顧みれば、その通りだと 思います。バグワンに出逢うよりもずっと以前から、わたし自身そのように生きたかったから、そう説かれれば本当に深く頷けるのです。
頷けるにも関わらず、そのように生きることでどんなに傷ついているか、耐え難いほどである自身の弱さに気づいて、あっと思う間もなくわたしは動揺し動転し てしまった。寝入っていた妻を揺り起こして苦しいと訴えた。訴えてみてもどうなるものでもない、わたしは惑ったり迷ったりしたのではなく、ただ意気地なく 辛く苦しくなっている自分を恥じ、情けなくなったに過ぎません。  1999 12・19

* 廿年前の私語で述懐だが、一歩も前へ出られていない自身に驚く。歎く気力もない。困りましたなあ。
2019 11/8 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

9 * マインド=分別で書かれた人生論=生き方論が多かったと思います。それではどこまで行ってもなにも解決しない、するわけがない。「心」を「無」に仕切った人の生きそのものに触れてみたいとわたしは願います。なかなか出逢えない。
それならいっそ、古人が「自然(じねん)のことあらば」と謂っていた自然の方へ歩み寄りたい、「問う」ことすら忘れて。
いま瞬時、日なたの、草野の匂いや色にさゆらいでいた懐かしい嵯峨野の風情が、胸にとびこんできました。
その一瞬が、百万のことばよりも美しくて深かった。  1999 12・23
* いまの私が私自身に言えるのは、バグワンに何度も何度も{叱られ}てきた、ということです。
ほんとうに透徹した存在は、人の目には逆に「乱心」したものと見えるであろうと。
また、人は映画や物語には惜しみなく涙を流して感動するにかかわらず、同じ事実現実に当面したときには、感動も涙もなく、ただ忌避し嗤い嘲り、理屈をつけながら、真に透徹した者を指さして、「乱心・狂気・非常識」の者よとただ指弾する。
幻影にはたやすく感動し、現実に背を向け真実から遠のくことを「常識」とすると。
そのようでありたくないと思いつつ、ときにわたしは動揺し、自身の醜悪に目を剥いてしまうのです。   1999 12・26

* ああと、声にもならず恥じいる。廿年前から、半歩一歩もわたしは清冽にも静粛にもなれていない。なろうとして成ることでないと分かればこそ、ひとしお。

* 私には「梁塵秘抄」「閑吟集」の両著があるが、先立つ「神楽歌」「催馬楽」には手を触れてこなかった。魅惑を覚えていながら敬遠していたのだが、古典全集 で双方へ目を向け、惹きこまれている。懐かしいのである。ここに「うた」の「歌唱・合唱」の原点が、「歌う楽しさ嬉しさ」の原点がある。「記紀歌謡」とも ども、今後もしみじみ味わい楽しみたい。平安時代をもさらに溯りうる風情がある。
2019 11/9 216

* 私には「梁塵秘抄」「閑吟集」の両著があるが、先立つ「神楽歌」「催馬楽」には手を触れてこなかった。魅惑を覚えていながら敬遠していたのだが、古典全集 で双方へ目を向け、惹きこまれている。懐かしいのである。ここに「うた」の「歌唱・合唱」の原点が、「歌う楽しさ嬉しさ」の原点がある。「記紀歌謡」とも ども、今後もしみじみ味わい楽しみたい。平安時代をもさらに溯りうる風情がある。

* 入浴読書にトルストイとレマルクと千夜一夜物語を持ち込んだが、「アンナ・カレーニナ」は息苦しいまで辛くなってきた。脱帽のほか無い把握と表現だ が、それだけにアンナの境遇と自意識と深まり行く絶望に読んでいる胸がキリキリ痛む。レマルクの「汝の隣人を愛せよ」は、まだ読み始めて間がない。いつも ながらシェヘラザッドの「物語り」のあっけらかんとしながら惹きつけてやまぬ面白さには感服する。
2019 11/9 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

10 * 最近知りあった或る、若い、ハイデッガー哲学などを学んできたという、著書もある高校の先生の、歳末の手紙を読みました。「哲学で人は救われるでしょうか」と前便に書いたのへ、返事ともなく返事があったのです。
正直に、率直に言って、そんなことを考えて哲学の勉強をしている研究者は、今の時節、ひとりもいまいと思います、自分もそうです、興味深いから、面白いからやっています、というのが、返事の主意でした。率直な表明で、気持ちよかった。
* その一方で、全く予想通りの返事であり、今の時代、哲学がほとんど「人間」の自立や安心の役には立たないワケも、よく分かるのです。言 うまでもなく、彼ら、所謂「哲学」を学問している人たちは、哲学者でありません。「哲学学」の学者・研究者に他ならず、それは「文学学」の学者研究者と文 学者とが異なっている異なり方よりも、もっと差が深い。
「知を愛する」と訳してしまえば、なにやら「研究」や「詮議」もその内のようですれど、だから哲学がもともと「人を救う」ものかどうかには異論が出て当 然かも知れませんけれど、ひるがえって思えば、わたしを救ってくれない哲学になど、何の魅力も感じなくなっています。そんなものは知的遊戯的詮索の高級で 難解なものに止まっています。つまり哲学がつまらないモノになってしまっている証拠だと思います。世間には「哲学者」などと麗々しく名乗っている人もいる けれど、おれは「哲学学者」ではないぞという意味なのか、いややはり「哲学学者が哲学者なのである」意味なのか、どういう積もりであるかと時々教えを請い たくなります。
老子は哲学者などと言われたくもなかったでしょうが、とびきりの哲学者に思われます。ソクラテスもキリストも仏陀もそのように思われます。しかし彼ら の、また彼らのと限らず優れた「人の師」の教えを、ただ「祖述」し「解析・解釈・解説」して事足りている人たちを哲学者とは思いにくいし、評論家を哲学者 とは呼びたくありません。いや哲学者だとつよく主張されれば、もうこの歳になってそんな哲学なら何の魅力も用もありません。そんな哲学は、ただ「心」のコ ンプレックスに他なりません。エゴの凝った「心」の、こてこてした、ややこしい塊に過ぎません。所詮は捨て去るより意味のない負担に過ぎないのです。そこ から安心や無心は到底得られません。バクワンからそれとなく教わったことです。  1999 12・31

* 欧米といい東亜といい、情けなく日本にも、確然とした人道や正義は日々に崩れ去りつつ有る。目を背けてはいないが、立ち竦んでいる情けなさは如何とも しがたく、より良いより美しいより心根に力を添えてくれる文学や藝術・美術、そして自然の花や草や木々や空や風へ思いを寄せている。
世の成り行きに楽観していない。悲劇の跫音は近付いていると感じている。幸いわたしには読み書き創るちからがまだ残っていて、健康も保っているつもり。いますこし人と親しみたいが外向きに出歩かないのだからしょうが無いか。
2019 11/10 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

11 * バグワンの、『十牛図』を語りながらの説法は、平明にみえて深切、声に出して読みながら、ひとまとまり読み終えて、思わず知らず息を出し入れする自然さ で、「そうなんだよなあ」と、声を漏らします。難解な論議ではない、平易な談話なんです、すべて。ですが全身にしみ通ります。奇矯な偏狭な危険な野心的な 俗なもの、微塵もない。かといって高踏でも浮世離れもしていない。
もっと広い場所で、つまりは(日録「宗遠日乗」に埋まり嵌められた体でなくて、=)独立のページを用意して、「なぜわたしがバグワンを喜んで読んで=聴い ているか」を具体的に語りたい気もなくはないのですが、そんな行為が「エゴ心=マインド」のとらわれになるのでは、つまらない。
* 人は、色んな「抱き柱」を銘々に持たずには、生きていにくい存在です。金、権力、肩書、勲章、名誉。くだらない。
わたしは、バグワンの言葉で平和な気持ちを調え、そしてまた「南無阿弥陀仏」と、念じていたい。美しいいろんなモノに出逢っても楽しみたい。美食にも美人にも、まだ少し、いや少なからず、心を惹かれるけれど。  平成十二年 2000・01・31

* 自前で本を買う。そんなことは敗戦後、新制中学に進んでからのこと、それ以前は小遣い銭を持たなかった。ひたすら東山線、菊屋橋畔の古本屋で立ち読み していた。中学生になると夕方から夜分へかけ下駄履きで河原町を四条から三条を往復しては本屋で立ち読みした。買えるとすれば☆一つ15円の岩波文庫の いっとう薄いのを願うしかなく、いっとう最初に思いきって買ったのが、シュトルム作「みづうみ」だった。むろん☆一つ。物語はすっかり忘れ去っているの に、「みづうみ」はいまも、私のひそやかな通称にも「湖の本」の名にもなっている。
岩波文庫で次に買えたのは☆一つの「徒然草」、そして思い切ってお年玉をはたいての「平家物語」上下二巻だった。前者からは、『斎王譜(=慈子)』がう まれ、後者からは『清経入水』が生まれた。その両者より早くに、秦の祖父鶴吉の蔵書中の白楽天詩集愛読の結果として『或る説臂翁』が処女作になっていた。
中学二年を終えた時、卒業して行く人から春陽堂文庫、漱石の『こころ』を形見のように大事に贈られた。何十度も読み耽った。後年の俳優座公演加藤剛主演の『心 わが愛』脚本の成る原点であった。
いわゆる単行本へも「買う」という手を出していった一等先は、与謝野晶子の現代語訳『源氏物語』であった。その次が岩波文庫☆一つの谷崎潤一郎『蘆刈 春琴抄』そして一冊本の『細雪』をまさに清水の舞台から飛びおりる気持ちで手に入れ、愛読した。

* 少年時代の読書が作家にとってどんなに大きな重いものであるかを、ありがたしとしみじみ思う。小説家は心して「読む」ことを、美術家は心して「観る」ことを原点に成長する。

* 歴史の面白さは、信じられない話だが、追求していくと、ほとほと奇妙の視野を実感ゆたかにひろげてくれるところにもある。いくつかそういう小説を書か せてもらえ、いままた追いかけようかと。獲物へ手がとどくか、ファイトである。かなりの賭けでもある。邪道と本道のあいを須走りに駆け抜ける感じである。 私小説だけをリアリズムと思っている人には、出来ない。
2019 11/11 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

12 * 京都で、美術賞選考の席で、選者で染色の三浦景生さんから、わたしの、『死から死へ』(「湖の本エッセイ」20)のなかで触れていた「心」の問題について、自分は「同感」だという趣旨の話をされかけて、そのままになって東京へ戻ってきたのを気にしています。
「心」の文字は、ますます巷に氾濫しています。へんだなあと思っています。わたしは、ずいぶんいろんな異説を立てている方かも知れないが、中でも、「心 は頼れない」とする説は今日容易に世間さまに通じません。すこし余裕のあるときに思いを語ってみたい。  2000 03・12
* バグワン・シュリ・ラジニーシの『十牛図』を二度目読み終え、『老子』二巻の上巻を、昨夜からまた新たに読み始めました。二巻とも読み終える頃には夏が過ぎて行くでしょ。
* なんとなく今日はほっこりしています。腰のうしろが異様に痛みます。椅子がよくないのかもしれない、多少不安定に揺れるようになっています。ぐっすり安眠 したい。それとも面白いビデオの映画をゆっくり観たい。「オペラ座の怪人」がふと思い浮かんだが、ジョン・ウエインの「リオブラボー」でもいい。
日本製のテレビ映画では最高傑作の「阿部一族」もいいが、少し哀しすぎるかも。 2000 03・18

* A few  A little  A good deal of  A great deal of  など復習した。昔から話せなかった。読むだけは、読み続け得たいもの。
2019 11/12 216

* どうしても必要な、たしか井上鋭さんの著書(表題が思い出せない)一冊が見当たらない。いつか必ず役に立つ本と意識明確だったので、手近にこそ有れまさか外へ流失処分などされていまいと思うのだが。
「捜す」のは、とてものこと、好きでなく得手でない。もう書店には見つかるまい、少し堅い図書館へ行かないと。
2019 11/12 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

13 * 梅原猛氏の講演「日本人の宗教観」が電子出版されるについて、解説をと、木杳舎から依頼されましたが、テープを聴いて、お断りしました。
「安心」をもたらすかも知れない体験や説法は聴きたいが、信仰心すらなく「宗教」について「知識提供的」に論じたり感想を述べたものは、不安解消の役には立ってくれません。バグワンのような人にこそ聴きたく、もう数年、一日も欠かしたこと、ありません。
昨日も妻に聞かれました。そうです、わたしの求めているのは「安心して死ねる」ことだけで、必ずしも宗教ではないし、まして宗教にかかわる知識ではない。 梅原氏の講演は、講演自体がとりとめないだけでなく、論旨が想像以上に平板で、胸を轟かせるようなものではなかった。話者のネームバリューだけのこのよう な企画が世間に氾濫して、ポイントをのがしているかと思うと、気が萎えます。  2000 03・27
* 闇に言い置くこともこのペイジで、ま、存分に書いていますが、こう、多方面にでなく、ある主題の追及へ、収斂可能なことも言い置きたい気がしています。小説ではなく、思索でありますけれど、では何が、いちばん言いたいか。
『一文字日本史』を雑誌「学鐙」に三年間連載して、本にしました。あのデンで言えば、わたしが最もいま念頭に置いている一字は、「静」 だと思う。『静の思索』を書いてみたい。
休息したいのか、そうではないのか。
あまり静かな心地でわたしはいないらしい。困ったものです。  2000 04・09
2019 11/13 216

* 「国家はなぜウソをつくか」と、エスパス・ビブリオで話される、ペンの昔の同僚委員だった(と思う)梓澤和幸氏に、聴きに行きたいが体調かなわずとメールしておいたのへ親切な返信があった。
「尾張の鳶」の浄瑠璃寺、岩船寺等への小旅行写真も届いていた。

* が、もう、もう一度寝る。明日は歯医者。
2019 11/13 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

14  * 加島祥造氏から、バグワンそのままに『タオ』と題した、「老子」を詩の文体で翻訳したような本が届いた。伊那谷の老子の異名で名高い人だが、老子を語ると は珍しい日本人だなと思っていて、出逢ったときに、バグワン・シュリ・ラジニーシをお読みですかと訊ねてみたら、まさしく、ラジニーシに学ばれていたと分 かった。今日のお手紙にも、ラジニーシに学んで「二十年」此処まで来ましたとありました。
ラジニーシについては、まともに話しにくいほど誤解されていて、朝日新聞は、わたしのバグワンに触れた原稿を、明らかに親切心からボツにしました。アメリ カから追放されたりしていたためです。作家である甥の黒川創にも、「バグワンを読んでいるよ」と言ったら、「やめた方がいい」と本気で忠告してくれまし た。理由を聴いてみると、とるに足りない、むしろ彼が一行もバグワンを読んでいないことだけが分かりました。バグワンの『タオ=道』も、『存在の詩』『般 若心経』『究極の旅=十牛図『『ボーディー・ダルマ』も、すばらしい真のエッセイ・講話で、ほんとうに安心がえたく静かに真実に生きて死にたいと願う人な らば、安心して読まれて佳いと推奨できます、自信を持って。
* 加島祥造氏も、二十年傾倒されてきたそうです。大きい証言だと思います。宗教でなくすぐれて宗教的であり、哲学でなく哲学をはるかに超えてアクティブであ り、禅に最もちかくて禅よりも日常生活を離れていない。あやしげなカルトとは天地ほども隔たった、「覚者」の生きたことばがマインドを透過してハートに吸 い込まれて行きます。ソクラテス、イエス、ブッダ、そして老子。全部を体し全部に通じながら、より現代的に柔軟で積極的です。ヒマラヤに籠もることを教え ず、この我々の街に立ち返って易々と生きることを語ってくれます。十牛図の第十そのもの。  2000・05・11
2019 11/14 216

* このところ相次いで「エスパス・ビブリオ」という団体?からメールをもらった。不良メールかもと即消去しかけたが、一回目に山口二郎X村上誠一郎氏の 「民主主義の危機を語る」対談か討論らしきを予告の記事が目に留まり、山口さんなら、近時最も信頼している論客で、最近にも敬服敬愛の新著(岩波新書)を 貰っていた。おやおや何だろうと思ううち、今度は梓澤和幸氏の名前のある二度めのメールが来た。「国はなぜウソをつくか」という問題点に論究されるらしい 予告であった。出かけて聴きたいが体調が容易には許すまいと、メールで遺憾の意と久闊を叙する思いを伝えて置いた。昨日、それへ梓澤さんの親切な返信が来 ていた。
「エスパス・ビブリオ」のこと、まだ何ともよく見えない知らないが、注目していようと思う。
2019 11/14 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

15  * 元院生でもう立派に社会人になっている若き友から、おそらく、同じ東工大の卒業生と限らず刺激を受ける人のあるであろうメールが、届きまし た。この人なりに、元教授のわたしへの「挨拶」でしょうが、ぜひここに書き込んで置きたいし、ご意見も欲しいです。実は先日此処へ書き込んだ同期卒業生の メールへの反応でもあり、それに対し私が返事していた内容への「挨拶」でもあります。
☆ こんばんは!秦さん、お久しぶりです! 今年は、かなり唐突な、嵐の梅雨入りでしたね。
「湖の本」ありがとうございます、ちゃんと届いています。
先日の秦さんのホームページの書き込みで、『大嫌いになるべきは、「精神的向上心のない者は莫迦」という言葉のほうです。これは害だけがあって益も実質もない・・』という一節に、考えさせられています。
実は自分も、「精神的に向上したい!」とずっと思い、その正しさを信じていたにも関わらず、いつからか、ちょっと、その価値観に違和感を感じるようになり、この違和感は何なのだろうと、おぼろげながらに探っていたところでしたので。
ちょっとずれたところから書きますが、最近「努力するって、どういう事なのだろう?」と、今更ながらに考えていました。「努力、頑張り=善」と、言い切ってしまって良いのかと。
世の中では、努力することは誉められこそすれ、否定されることは余りありませんよね。逆に、何もしないことが誉められることも、ほとんどありません。その価値観はおそらく意外と根深く、自分の場合でも、頑張って仕事して、時に人から認められるとやっぱり嬉しいものです。
日常の中で忙しく走っていると、一体自分が何のために頑張っているのか、分からなくなる事があります。そんな時、認められ誉められる嬉しさが、努力した「結果」から「目的」に、いつの間にかすり替わっていることに気付く事があるのです。
でも自分たちは、本来、人から認められるために努力する訳ではないはずです。それがそんなに大した意味を持たないことは、ちょっと冷静になれば気付きます。
そうではなくて、人はみんな、それぞれが幸せになるためと思えばこそ、努力もでき頑張れるのだと思います。
それならば、努力などせず、特別に何にもしなくても幸せを感じられる人にとっては、「努力=害」以外の何物でもないのではないでしょうか。
さらに一歩進めて、幸せになるための努力とは、それでは何なのでしょう? 幸せとは、努力で得られるものなのでしょうか? と、自分に問うと、やはりそれも違うのではと思うのです。
幸せを感じるために必要なのは、努力よりも、「受容」であり「気付き」なのではないかという感じがするのです。(これは、物的には豊かな日本にいるから、そう思うだけかも知れませんが。)
確かに、努力というプロセスの中で喜びを見いだす、ということはあるでしょうが、それすらも無いのであれば、そんな努力は、ただナンセンスなのではない だろうかと、思ってしまうのです。にも関わらず、「努力=善」という漠然とした価値観に動かされ縛られて、深く考えずにただ頑張って疲れてしまっている人 が、結構多い気がしてなりません。
それじゃあ、人間に一切努力は必要ないのか?と考えると、それも違う・・・と、いつものように、「これ」という答にはたどり着けません。
それで話が戻るのですが、精神的な部分でも、それは同じなのかも知れません。「精神的向上心」が直接の目的になり得ないのは、「努力すること」それ自体が目的になり得ないのと、似ていると思うのです。
何のための「精神的向上心」なのか? いくら「精神的に向上」しても、幸せも感じられず、生きて在ることへの感謝も感じられないとしたら、その「向上」は余りにも無意味です。(そんな「向上」は、本当の向上ではないのでしょうが。)
いわんや、漱石『心』の「K」の場合のように、人間を不自然に窮屈にさせる「精神的向上心」であるのであれば、それは、無意味どころか有害でしかありませんね。
ですが、自分の場合「精神的向上心」の価値を信じることで、励まされ支えられた時期があったことも、まぎれもない事実なのですが・・
まとまりのない内容になってしまいました。
お体がよろしければ、またぜひお会いしたいです! それでは、お元気で。
* 暗闇にちかい不良画面で読んでいるので、頭が十分反応して行きにくいんですが、問題点がよく出ている気がします。
「頑張る」という物言いについて疑問符を付けた原稿を、随分昔に書いた覚えがある。それでも「努力」「努める」と言っていることは、自分にもしばしばあ りました。今でもあるかも知れず、むしろお気に入りの我が信条に近かった。それなしにわたしは有り得なかったとすら思う。そう思いつつ、そこから、少しず つそんな肩肘の張りを落としてきた昨今だとも、自覚していまする。少なくも「精神的向上心のない者は莫迦だ」などという底意のある、あの『こころ』の「先 生」の「K」にした挑発には、昔からあまり賛成できなかった。そんな「向上心」は、いやらしくさえあり、言葉としても嫌でした。
* 本当の問題は、だが、「心」にこそ在るのではないか。なにかといえば、無反省・無限定に「心」を持ち出し、二言目には「心」とさえいえ ば問題が高尚で有効であるかのように考えている世の知識人やコメンテーターたちの錯覚を、わたしは苦々しく感じています。嗤ってすらいます。
「心」ゆえに、人は惑い、苦しみ、悩み、混乱していることは明らかすぎるほど明かで、その、とらえどころ無く頼りなく、とても頼れるようなシロモノでない事実を、我々の日本語が抱えた無数の「こころ言葉」がよく証明していまする。
「心ここにあらざる」「心」を厳しく無に帰したところでしか、人は本当の意味で「静かに」は生きがたい。それを、真実察知し、嗟嘆し、ほぼ絶望していた のが、小説『心』の「先生」であり、作者夏目漱石にほかならなかった。バカの一つ覚えのように世の大人たちが無思慮に「心」を言うのをやめないと、ますま す「心の病んだ」社会の、よろめきも、暴走・暴発も、無くならない。わたしはそう思う。「静かな心」とは、「心に囚われない状態」を謂うのです、わたし は、そう考えています。安易に「精神的向上心」など謂うべきでなく、そんなことからもっと自由自在になった方がいい。それが、わたしの真意です。反論があ れば耳を傾けるにやぶさかではないけれど。
* バグワン和尚に叱られ叱られ、わたしは、すこしずつラクになってきたと感じます。この実感は、深いし、嬉しいものです。  2000 06・12

* よかれあしかれ、元教授のわたくしですら若く元気であったなあと、いささか「今」に銷沈している。胸に重石がかかったように鈍い窮屈感がある。モーツ アルト天来のフルート協奏曲二番にただただ思いを預けている。いい音楽の美しさに、ただ、ひたっている。言葉ではないが「美しい詩」に極まっている。
2019 11/15 216

*  自由律の短歌誌を、久しく、二種いつも頂戴している。定型のまま内的な緊密と美妙をよくまもれないでいる歌誌の多くよりも、時に強い共感と親密感と を覚える。「詩」が在って感じられることがままある。なみの短歌誌には、巻頭から詩の表現のほとんど無いばかりか詩が凌辱されているような混雑をうけとる ことが多い。どういうことなんだろう。斎藤史さん河野裕子さんらが懐かしい。
2019 11/15 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

16 * 夢から覚めては何のこっちゃというものだが、夢見ているうちは我ながら面白い面白いと夢に興奮していました。なんでも、「仁の風景」と題された大小相似の 風景画を自分で描き、上下に並べてみると素晴らしく奥行ふかい一つの景色になったので、大喜びして画中の人といっしょに繪の中へ飛び込んで行きました。
なぜ「仁の風景」で、なぜ描いたのかも分かりませんが、ふしぎに嬉しい珍しい夢でした。だが、こう醒めて書いてみると、あとはかもない。
バグワンは、このとらわれ多い生の現実を、醒めてみれば、ただ呆れるほどはかない夢なのだと、なぜ「気付かないか」と繰り返しわたしに言います。
わたしは気付きはじめています。
その先なんですね、しかし。人生が「虚仮」「夢」とハッキリ気付いて、さ、どう、自身の本性を知るか。  2001 07・01

* 18年前の方が自覚的に落ち着いていたのでは。バグワンにじかに聴く日々を取り戻したい、ただ、躰は動かさないのにやたら日々が気ぜわしい。
2019 11/16 216

* 例によって ホルンを聴きながら。A good deal of A great deal of A most The most を復習した。「待つ」に恰好の学習です。
2019 11/16 216

* 書庫から和綴じの本など面白づく数册持ってきた。
大正十一年の非売品『椿山集』が珍しい。元勲といわれて内閣を総理し日本国陸軍を牛耳った元帥山県有朋の美装の私歌文集「風雲集」と「年々詠草」それに「常磐会選歌」が加わっている。

安政四年丁巳の秋松蔭先生の門人伊藤俊助杉山松助け伊藤傳之助岡千吉郎等政府の命を承けて時勢視察のため京都へ登りけるに予は當時未だ先生の門に在らざれど總樂悦之助と共に此一行に加へられ萩城を發して都に上りけるとき嵐山にてよめる

花とのみ見てやかへらむ嵐山松のこのまのもみちそめしを

文久元年酉の十一月九州諸藩の情勢を探らんとて  (以下略しておく 秦)

* 嵐山一首の 花 嵐 松のこのま もみちそめし  等の詩句を深読みしていいかどうか。
何にしても、こんな珍しい本もわたしの祖父は所蔵していた。ほとんど何一つも役立てた形跡無く、ただ孫の私のために和漢の典籍を百にもあまるほど蔵いおいて、ごく幼い私が好き勝手に手にしているのを黙認してくれていた。
明治の初めには文豪とも目されていたろう成嶋柳北文業の全部を編纂した『柳北全集』も、近代の文藝史にはいまや貴重な一巻と想われる。私ごときの私蔵は もったいなく、何方かにお知恵を借りて施設へ寄付したい。和綴じの大冊『文法詳解 増補明治作文三千題』などというのも、ヒヤーッと声が出そうに面白い。
かと思うと、積善館発兌で、賀茂眞淵翁講義、賀茂飛祢打聴の『校注古今和歌集講義』上下巻があり、塚原渋柿園講述『処世応用 孫子講話』なんてのもあった。「処世応用」というところが明治四十三年二月再版の所以か。みな、読んで見たくなる。
これだから、書庫へ入ると、なかなか出て来れない。しかし、いまどき、よりによって明治初期文藝を研究するヒマ人はいないか。
2019 11/16 216

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

17 * 日々にいちばん心をとらえる読書は、やはり、バグワンです。
いま一休の道歌を材料に「禅」を説いています。
バグワンは「禅=道」の人です。慰安を与える宗教家ではない。自身をみつめて自我を離れ自我を落とすことを抑制することのない「真の自由」を彼は説いてい ます。「悟れ」などと彼は謂わない、そんなことは忘れてしまえと言います。悟り=光明=enlightenmentを「目標」や「願望の対象」にしていて 「得られるわけがない」と云います。あたりまえだとわたもは思うのです。
何一つを映していない無限大の澄んだ鏡を、人は身内に抱いている、抱いていたい。そんな鏡で自分はいたい、というその希望すら捨てて、持たぬように。焦が れぬように。そして、目前に去来する多くを、鏡のままクリアに写し、クリアに通り過ぎさせたい。鰻を食べ、人に逢い、眠り、読み、電子文藝館も実現し、喧 嘩もし、一理屈もこね、文章も書き、鼻くそもほじる。血糖値もはかる、インシュリンも注射する。メールで息子に話しかける。すべて「する」ことはする、だ が「する」ことにすらとらわれないでいる。パソコンも昔の物語も、政治もバグワンも、ペンもパンも、ウンコもオシッコも、夢です。鏡を通り過ぎる影絵で す。ばかにもしない、それ以上のものでもない。いいものもある、つまらぬものもある。だが、それ以上のものではない、みな影絵として失せてゆきます。慰安 にもならないが、恐怖にもならないように。
わたしが、光明など望む資格もないのは分かっています。一匹の野狐(やこ)なんです。
こんな狂歌があると西山松之助先生の本でみつけた昔、苦笑しました。
いまだに苦笑しています。
ある鳴らず無きまた鳴らずなまなかにすこしあるのがことことと鳴る   2001 07・26

* 「なまなかにすこしある」だけで生き延びているのが、情けない。

* 「敗戦」のままの「アメリカ属国・日本」の現況を安倍「阿諛追従」内閣は続け続けて、実取引を描いた無駄な武器購入名目や日本国土へ進駐米軍や家族の「おもてなし」に、濫費に濫費を重ね続けていると謂う。日本の政治史最低最悪の歳月がさらに腐蝕して行く。

* 明治の元勲といわれた陸軍元帥、公爵山県有朋総理の私家版非売の家集「椿山集」を昨日つぶさに読んで正直、感嘆した。彼の公生涯にわたしは久しく厭悪 観劇体験こそ持て、わずかに山県狂助時代の攘夷への働きに共感していた時期をはなれれば長州閥と横柄陸軍の象徴としか思ってこなかった。しかも、東京には 椿山荘があり京都にも瀟洒な庭園が瓢亭の真東に隣接していて、その風雅にはたしかに心を惹かれていた。
今度「椿山集」の行分と多くの和歌を読んで、文も歌もいわば素人にちかいもののその清雅な余裕のほどにいたく感じ入った。昔の武人の懐の深さを覗き見る心地だった。
これと較べると同じ長州閥のさきっちょでウロチョロする安倍晋三の無教養な国会答弁や軽薄に不行儀なヤジのとばしようなど、山県有朋とは雲泥の差だなと情けなさを深めた。

* 「椿山集」 なにかのかたちでもっと人目に触れて佳い資料性(行状記を含んでいるのだ。)と風雅の境涯がある。決して上級の藩士ではなかったが、吉田松陰を慕い、文も和歌も粗忽ならずときに美しくも書けている。
それにしても奥付に「非売品」と明記されたこんな珍本を秦の祖父は大正の初め五十代極初にどうして手に入れたのだろう。
なんだか。明治の歴史を復習してみたくなった。たいへんな古書の顔つきをした『明治の歴史』という上下本も、やはり秦の祖父鶴吉の遺品にまじっていて、今も、私の書庫に遺してある。
2019 11/17 216

* 今日は、終日繰り返して或るひとつことを心がけ試みながら、どうしても書き取れなかった。気が乗らないとはこれかと思いながら、とうとう九時前、あす の体調と気分のためにも、しつこく追うのをやめた。かわりに、網野善彦の手つかずでいた単行本の遺著を、新しい勉強にと読み始めた。
2019 11/17 216

* 起床8:00 血圧 149-71 (65)  血糖値 85 体重 61.25kg

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

18  * 何度も言いますが、わたしにバグワンへの縁を結ばせたのは、嫁いでゆく娘が物置に仕舞って行って、もうそれ以前から久しく顧みなかった三冊の説法・講話本 でした。三冊が、その後わたしの手で七冊にも八冊にもふえて、ほぼ十年近く、読まない日がありません。それほどバグワンに「帰依」の現在からいえば、わた しは「無住の自在さ」にある種の共感を覚えているかも知れません、いえいえ成心をもたず、もう一度も二度も読み返して「理解」したい。
少年の頃から、仏教の基督教のという区別にも、念仏の法華のといった教派の差異にも、わたしはほとんど心をとらわれてこなかった。だが信仰心というので はないが、宗教的なセンスは信じて手放さないで来ました。法然・親鸞の至りついたところを、比較的、日本仏教の粋として感じ取ってきましたが、それが仏陀 の根本仏教から遠く隔たり離れてきた、甚だ特殊な「日本的」変形であることも分かっています。優れた宗教家の運動としてそれは少しも差し支えないことでし た。
ただ、法然・親鸞の教えは、基本的には慰安という名の「安心授与」の信仰です。抱きやすい「抱き柱」を抱かせて不安を取り除くものに他なりません。
仏陀その人の教えは、禅に伝えられている決定的な「脱却」、端的には「静かな心」という「無心=分別心を落としきる」ことで知るありのままの自身、その 安心。そういうことかと思われます。バグワンは、それを端的に示唆し、「タオ=道」を指し示していますが、それにすらとらわれるなと彼は言います。へんに 「柱を抱くな」といわれているように思うんです。未熟なままの気付きですが、わたしのは。ただ、ありのままに生きていたいんです、わたしは。
今日は、娘の誕生日でした。四十一歳になった筈です。   2001 07・27

* 何にとなく、じっと堪えて待っている。たいしたことではない、短い原稿を書いてしまいたくて、すこし手こずっているということ。ナニ。追われているのではなく。
2019 11/18 216

* 平凡社に 平凡社選書  が一冊も残っていない 見当たらないと 依頼したのへ ガッカリの返事が来た。おどろき かつ 落胆。家で探すしかない。
2019 11/18 216

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

19 * ゆうべ読んでいたバグワンは、こう話していました。断っておきます、読んでいる本で、バグワンは聴衆に「あなた」と呼びかけていますが、わたしは「聴衆の 一人」でなく、わたし一人聴いている気なので、「おまえ」と呼びかけられていると決めています。

☆ 多くの人が巻き込まれれば巻き込まれるほど、おまえはますます考えこむ。「それには何かがあるにちがいない。こんなにたくさんの人がそれに向かって殺到しているのだから、きっとそれには何かがある !  こんなに多くの人が間違っているはずがない」
いつも憶えておきなさい。こんなに多くの人が正しいはずがない !  と。

* また、こうも話していました。

☆ 生は、どこでもないところから、どこでもないところへの旅だ。しかしそれは “どこでもないところ nowhere” から “今ここ now here” への旅でもありうる。それが瞑想の何たるかだ。どこでもないところを “今ここ” に変えること。
今にあり、ここにあること……。と、突如として、おまえは時間から永遠のなかに転送されている。そうなったら生は消える。死は消える。そのとき初めて、お まえは何があるかを知る。それを「神」と呼んでもいい、「ニルヴァーナ」と呼んでもいい、これらはすべて言葉だ──が、おまえはあるがままのそれを知るに 至る。そして、それを知ることは解放されること、いっさいの苦悶から、いっさいの苦悩から、いっさいの悪夢から解放されることだ。
<今ここ>にあることは、目覚めてあることだ。どこか別のところにあることは、夢のなかにあることだ──いつかどこかは夢の一部だ。 <今ここ>は夢の一部ではなく、現実(リアリティー)、現実の一部、存在の一部だ。

* バグワンはこういうことを、一休禅師の、「たびはただうきものなるにふる里のそらにかへるをいとふはかなさ」という道歌を大きな見出しにして語ってくれて いました。 God is nowhere  神はどこにもいない を、無心の子供は、一瞬にして、 God is now here  神しゃまは、今、ここに、いましゅ と読み替えてしまう ともバグワンは話すのです。  2001 08・26
2019 11/19 216

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

19 * ゆうべ読んでいたバグワンは、こう話していました。断っておきます、読んでいる本で、バグワンは聴衆に「あなた」と呼びかけていますが、わたしは「聴衆の 一人」でなく、わたし一人聴いている気なので、「おまえ」と呼びかけられていると決めています。

☆ 多くの人が巻き込まれれば巻き込まれるほど、おまえはますます考えこむ。「それには何かがあるにちがいない。こんなにたくさんの人がそれに向かって殺到しているのだから、きっとそれには何かがある !  こんなに多くの人が間違っているはずがない」
いつも憶えておきなさい。こんなに多くの人が正しいはずがない !  と。

* また、こうも話していました。

☆ 生は、どこでもないところから、どこでもないところへの旅だ。しかしそれは “どこでもないところ nowhere” から “今ここ now here” への旅でもありうる。それが瞑想の何たるかだ。どこでもないところを “今ここ” に変えること。
今にあり、ここにあること……。と、突如として、おまえは時間から永遠のなかに転送されている。そうなったら生は消える。死は消える。そのとき初めて、お まえは何があるかを知る。それを「神」と呼んでもいい、「ニルヴァーナ」と呼んでもいい、これらはすべて言葉だ──が、おまえはあるがままのそれを知るに 至る。そして、それを知ることは解放されること、いっさいの苦悶から、いっさいの苦悩から、いっさいの悪夢から解放されることだ。
<今ここ>にあることは、目覚めてあることだ。どこか別のところにあることは、夢のなかにあることだ──いつかどこかは夢の一部だ。 <今ここ>は夢の一部ではなく、現実(リアリティー)、現実の一部、存在の一部だ。

* バグワンはこういうことを、一休禅師の、「たびはただうきものなるにふる里のそらにかへるをいとふはかなさ」という道歌を大きな見出しにして語ってくれて いました。 God is nowhere  神はどこにもいない を、無心の子供は、一瞬にして、 God is now here  神しゃまは、今、ここに、いましゅ と読み替えてしまう ともバグワンは話すのです。  2001 08・26
2019 11/19 216

* 見失っていた必要な本を、ありそうな場所から見つけ出せた。さ、うまく生かせますかどうかが次の問題。よかった。
2019 11/19 216

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

20 * 昨日就寝前の読書は二時三時に及び、中でも一休和尚の道歌を説きながらのバグワンのことばに驚きました。わたしが、ものを書き出してこのかた、創作動機の 芯に置いてきた一つ、「島」の思想と同じことが語られていました。おッ、同じことを言っていると思わず口に出たほどです。
わたしは、言い続けてきました、人の「生まれる」とは、広漠とした「世間の海」に無数に点在する「小島」へ、孤独に 立たされることだと。この小島は、人 一人の足を載せるだけの広さしか、ない。二人は立てない。そして人は島から島へ孤独に堪えかねて呼び合っていますが、絶対に島から島に橋は架からない、 と。「自分=己れ」とは、そういう孤立の存在であり、親もきょうだいも本質は「他人」なのだと。
だが、そんな淋しさの恐怖に耐え難い人間は、愛を求め、他の島へ呼びかけつづけていると。
そして、或る瞬間から、自分一人でしか立てないそんな小島に、二人で、三人で、五人十人で一緒に立てていると「実感」できることが有ります。受け入れ合えた、愛。小島を分かち合って一緒に立てる相手は、己と同じい、それが、「身内」というものだと。
親子だから身内、きょうだいだから身内、夫婦だから身内なのではないんです、「愛」があって一人しか立てない「島を、ともに分かち合えた同士」、それが、それこそが眞に「身内」なのだと。
ですが、それって錯覚でもありえます。いや貴重な錯覚というべきものでしょう、愛とは錯覚でもあると、わたしは感じていて、だからこそ大事なのだと考え、感じてきました。
* 昨夜、バグワンは、語っていました。(スワミ・アナンダ・モンジュさんの訳『一休道歌』に拠っています。以降、同じです。)

☆ ひとり来てひとりかへるも迷なり きたらず去らぬ道ををしへむ  一休禅師
一休はどんな哲学も提起していない。これは彼のゆさぶりだ。それは、あらゆる人にショックを与える測り知れない美しさ、測り知れない可能性を持っている。
ひとり来て一人かへるも──
これは各時代を通じて、何度も何度も言われてきたことだ。宗教的な人々は口をそろえてこう言ってきた。「われわれはこの世に独り来て、独り去ってゆ く。」倶に在ることはすべて幻想だ。私たちが独りであり、その孤独がつらいがゆえに、まさにその倶に在るという観念が、願望が生まれてくる。私たちは自ら の孤独を「関係(=親子、夫婦、同胞、親類、師弟、友、同僚、同郷等)」のうちに紛らわしたい……。
私たちが愛にひどく巻き込まれるのはそのためだ。ふつう、人が、女性あるいは男性と恋に落ちたのは、彼女が美しかったり、彼がすてきだったりするからだと 思う。けれど真実ではない。実状はまったくちがう。いわばおまえが恋に落ちたのは、おまえが独りでいられない、堪えられないからだ。美しい女性が手に入ら なければ、おまえは醜い女性にだって恋をしただろう。だから、美しさが問題なのでもない。もし、女性がまったく手に入らなければ、おまえは男性にだって恋 しただろう。したがって、女性が問題なのでもない。
女性や男性と恋に落ちない者たちもいる。彼らは金に恋をする。彼らは金や権力幻想=パワートリップのなかへ入って行きはじめる。彼らは政治家になる。それ もやはり自分の孤独を避けたいからだ。もしおまえが人をよく観察したら、もしおまえが自分自身を深く見守ったら、驚くだろう──おまえの行動はすべてみな 「一つの原因」に帰着できる。おまえは「孤独を恐れている」ということだ。その他はみな口実にすぎない。ほんとうの理由はおまえが、自分が非常に孤独だと 気づいている、それなんだよ。
で、詩が役に立つ。音楽も役に立つ。スポーツが役に立つ。セックスもアルコールも役に立つ……。とにかく自分の孤独を紛らわす何かがぜひ必要になる。孤が を忘れられる。これは魂のなかで疼きつづける棘だ。そしておまえはその口実をあれへこれへと取り替え続ける。ちょっと自分の=マインドを見守るがいい。千 とひとつの方法で、それはたった一つのことを試み続けている。「自分は独りだという事実をどうやって忘れよう?」と。
T.Sエリオットの詩は謂うている。
私たちはみな、実は愛情深くもなく、愛される資格もないのだろうか?
だとすれば、人は独りだ。
もし愛が可能でなかったら、人は独りだ。愛はぜひとも実現可能なものに仕立てあげられねばならない。もしそれが不可能に近いなら、そのときには「幻想」を生み出さねばならない──自分の孤独を避ける必要があるからだ。
独りのとき、あなたは恐れている。いいかね、恐怖は幽霊のせいで起こるのではない。あなたの孤独からやって来る。──幽霊はたんなるマインドの投影だ。お まえはほんとうは自分の孤独が怖いのだ──。それが幽霊だ。突然おまえは自分自身に直面しなければならない。不意におまえは自分のまったき空虚さ、孤独を 見なければならない。誰とも何とも関わるすべがない。おまえは大声で叫びに叫びつづけてきたが、誰ひとり耳を貸す者はいない。おまえはこの寒々とした孤独 の中にいる。誰もおまえを抱きしめてはくれない。
これが人間の恐怖、苦悶だ。もし愛が可能でないとしたら、そのときには人は独りだ。だからこそ愛はどうしても実現可能なものに仕立てあげられねばならな い。それは創りだされねばならない──たとえそれが偽りであろうとも、人は愛しつづけずにはいられない。さもなければ生きることが不可能になるからだ。
そして、愛が偽りであるという事実に社会が行き当たると、いつも二つの状況が可能になる。

* そしてバグワンは、深くて怖いことを示唆するのです。
* それにしても、わたしは、バグワンと同じことを考え続けて書いてきたのだと思い当たります。所々のキイワードすらそっくり同じです。そうです、わた しの文学が、主要な作品のいくつかに「幻想」を大胆に用いた根底の理由を、バグワンは正確に指摘しているのでした。いま上武大学で先生をしている原善は、 わたしを論じた著書をもち、しかもわたしの「幻想」性に早くから強い関心を示して論点の芯に据えていましたが、じつのところバグワンの指摘した「幻想」に 至る必然には目が届いていないと、作者として思ってきました。だが彼のために弁護するなら、作者のわたしとても、かくも明快に意識していたかどうかと、告 白するしかありません。
もう少し、バグワンの重大なと思われる講話の続きを聴きます。

☆ ブッダたちは情報知識=インフォメーションには関心を示さない。彼らの関心は変容=トランスフォーメーションにある。おまえの世界は、すべて、自分自身か ら逃避するための巨大な仕掛けだ。ブッダたちはおまえの仕掛けを破壊する。彼らはおまえをおまえ自身に連れ戻す。
ごく稀な、勇気ある人々だけが仏陀のような人に接触するのはそのためだ。並みのマインドには我慢できない。仏陀のような人の<臨在>は耐え難い。なぜ?
なぜ人々は仏陀やキリストやツァラツストラや老子に激しく反撥したのだろう? 彼らは虚偽の悦楽、うその心地よさ、幻想のなかに生きる心安さを許さない人 々だからだ。これらの人はおまえを容赦しない。彼らはおまえに真実に向かうことを強いつづける人々だ。そして真実は凡俗にとっていつでも危険なものだから だ。
体験すべき最初の真実は、「人は独り」だということ。体験する最初の真実は、「愛は幻想(=錯覚、貴重な錯覚)」だということだ。 愛は幻想だという、その忌まわしさをおまえ、ちょっと思い浮かべてみるがいい。おまえはその幻想を通してのみ生きてきた……。
おまえは自分の両親を愛していた。おまえは自分の兄弟姉妹を愛していた。やがておまえは、女性、あるいは男性と恋に落ちるようになる。おまえは、自分の 国、自分の教会、自分の宗教を愛している。そしおまえたは、自分の車やアイスクリームを愛している──そうしたことがいくつもある。おまえたちはこれらす べての幻想(=夢・錯覚)のなかで生きている。
ところが、ふと気づくと、おまえは裸であり、独りぼっちであり、いっさいの幻想は消えている。それは、痛い。

* この通りであるなあと、少なくも「畜生塚」や「慈(あつ)子」や「蝶の皿」を、「清経入水」や「みごもりの湖」を、そして「初恋」や「冬祭り」や「四度の瀧」を書いた頃を通じて、わたしは痛感してきましたし、今も。
ですが、バグワンとすこし違う認識が無いとも謂えないし、それは大事なことかも知れないのです。「慈子」や「畜生塚」のなかで用いていたと思うし、請われ れば答えていたと思うのですが、わたしは「絵空事の真実」と謂い、「絵空事にこそ不壊(ふえ)の真実」を打ち立てることが出来ると書いたり話したりしてい たのでした。
一切が夢だから、早く醒めよ、そして真実の己れと、己れの内深くで「再会せよ」というのが、バグワンの忠告であり、じつは、ブッダたちの、また老子たち の教えです。そういう教えのもっている怖さを回避するために、教団仏教や寺院や経典ができ、また基督教や教会が出来、道教への奇態な変質が起きた。バグワ ンはそれらに目もくれるなと言いたげでして、わたしは彼に賛成なのです。それらはその人達の本来からは、ひどくかけ放たれたいわば俗世の機構にすぎません から。
いま触れた点でのバグワンとわたしとの折り合いは、そう難儀な事とも思っていません。わたしは「幻想」を創作の方法として必然掘り起こしたときに、「夢の また夢」という醒め方から、絵空事の不壊の値に手を触れうると思っていましたし、今もほぼそういう見当でいます。
* わたしが、ふとしたことからバグワンに出逢ったことは、繰り返し「私語」してきました。もう何年、読誦しつづけていることか、しかし読んでも読んでも、聴 いても聴いても、飽きて疎むという気持ちは湧きません。ますます理解がすすみ、嬉しい安堵や恐ろしい叱責を受け続けています。その核心にあたる機縁に、昨 夜、はじめて手強く触れ得たのは幸福でした。  2001 09・07
2019 11/20 216

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

20 * 昨日就寝前の読書は二時三時に及び、中でも一休和尚の道歌を説きながらのバグワンのことばに驚きました。わたしが、ものを書き出してこのかた、創作動機の 芯に置いてきた一つ、「島」の思想と同じことが語られていました。おッ、同じことを言っていると思わず口に出たほどです。
わたしは、言い続けてきました、人の「生まれる」とは、広漠とした「世間の海」に無数に点在する「小島」へ、孤独に 立たされることだと。この小島は、人 一人の足を載せるだけの広さしか、ない。二人は立てない。そして人は島から島へ孤独に堪えかねて呼び合っていますが、絶対に島から島に橋は架からない、 と。「自分=己れ」とは、そういう孤立の存在であり、親もきょうだいも本質は「他人」なのだと。
だが、そんな淋しさの恐怖に耐え難い人間は、愛を求め、他の島へ呼びかけつづけていると。
そして、或る瞬間から、自分一人でしか立てないそんな小島に、二人で、三人で、五人十人で一緒に立てていると「実感」できることが有ります。受け入れ合えた、愛。小島を分かち合って一緒に立てる相手は、己と同じい、それが、「身内」というものだと。
親子だから身内、きょうだいだから身内、夫婦だから身内なのではないんです、「愛」があって一人しか立てない「島を、ともに分かち合えた同士」、それが、それこそが眞に「身内」なのだと。
ですが、それって錯覚でもありえます。いや貴重な錯覚というべきものでしょう、愛とは錯覚でもあると、わたしは感じていて、だからこそ大事なのだと考え、感じてきました。
* 昨夜、バグワンは、語っていました。(スワミ・アナンダ・モンジュさんの訳『一休道歌』に拠っています。以降、同じです。)

☆ ひとり来てひとりかへるも迷なり きたらず去らぬ道ををしへむ  一休禅師
一休はどんな哲学も提起していない。これは彼のゆさぶりだ。それは、あらゆる人にショックを与える測り知れない美しさ、測り知れない可能性を持っている。
ひとり来て一人かへるも──
これは各時代を通じて、何度も何度も言われてきたことだ。宗教的な人々は口をそろえてこう言ってきた。「われわれはこの世に独り来て、独り去ってゆ く。」倶に在ることはすべて幻想だ。私たちが独りであり、その孤独がつらいがゆえに、まさにその倶に在るという観念が、願望が生まれてくる。私たちは自ら の孤独を「関係(=親子、夫婦、同胞、親類、師弟、友、同僚、同郷等)」のうちに紛らわしたい……。
私たちが愛にひどく巻き込まれるのはそのためだ。ふつう、人が、女性あるいは男性と恋に落ちたのは、彼女が美しかったり、彼がすてきだったりするからだと 思う。けれど真実ではない。実状はまったくちがう。いわばおまえが恋に落ちたのは、おまえが独りでいられない、堪えられないからだ。美しい女性が手に入ら なければ、おまえは醜い女性にだって恋をしただろう。だから、美しさが問題なのでもない。もし、女性がまったく手に入らなければ、おまえは男性にだって恋 しただろう。したがって、女性が問題なのでもない。
女性や男性と恋に落ちない者たちもいる。彼らは金に恋をする。彼らは金や権力幻想=パワートリップのなかへ入って行きはじめる。彼らは政治家になる。それ もやはり自分の孤独を避けたいからだ。もしおまえが人をよく観察したら、もしおまえが自分自身を深く見守ったら、驚くだろう──おまえの行動はすべてみな 「一つの原因」に帰着できる。おまえは「孤独を恐れている」ということだ。その他はみな口実にすぎない。ほんとうの理由はおまえが、自分が非常に孤独だと 気づいている、それなんだよ。
で、詩が役に立つ。音楽も役に立つ。スポーツが役に立つ。セックスもアルコールも役に立つ……。とにかく自分の孤独を紛らわす何かがぜひ必要になる。孤が を忘れられる。これは魂のなかで疼きつづける棘だ。そしておまえはその口実をあれへこれへと取り替え続ける。ちょっと自分の=マインドを見守るがいい。千 とひとつの方法で、それはたった一つのことを試み続けている。「自分は独りだという事実をどうやって忘れよう?」と。
T.Sエリオットの詩は謂うている。
私たちはみな、実は愛情深くもなく、愛される資格もないのだろうか?
だとすれば、人は独りだ。
もし愛が可能でなかったら、人は独りだ。愛はぜひとも実現可能なものに仕立てあげられねばならない。もしそれが不可能に近いなら、そのときには「幻想」を生み出さねばならない──自分の孤独を避ける必要があるからだ。
独りのとき、あなたは恐れている。いいかね、恐怖は幽霊のせいで起こるのではない。あなたの孤独からやって来る。──幽霊はたんなるマインドの投影だ。お まえはほんとうは自分の孤独が怖いのだ──。それが幽霊だ。突然おまえは自分自身に直面しなければならない。不意におまえは自分のまったき空虚さ、孤独を 見なければならない。誰とも何とも関わるすべがない。おまえは大声で叫びに叫びつづけてきたが、誰ひとり耳を貸す者はいない。おまえはこの寒々とした孤独 の中にいる。誰もおまえを抱きしめてはくれない。
これが人間の恐怖、苦悶だ。もし愛が可能でないとしたら、そのときには人は独りだ。だからこそ愛はどうしても実現可能なものに仕立てあげられねばならな い。それは創りだされねばならない──たとえそれが偽りであろうとも、人は愛しつづけずにはいられない。さもなければ生きることが不可能になるからだ。
そして、愛が偽りであるという事実に社会が行き当たると、いつも二つの状況が可能になる。

* そしてバグワンは、深くて怖いことを示唆するのです。
* それにしても、わたしは、バグワンと同じことを考え続けて書いてきたのだと思い当たります。所々のキイワードすらそっくり同じです。そうです、わた しの文学が、主要な作品のいくつかに「幻想」を大胆に用いた根底の理由を、バグワンは正確に指摘しているのでした。いま上武大学で先生をしている原善は、 わたしを論じた著書をもち、しかもわたしの「幻想」性に早くから強い関心を示して論点の芯に据えていましたが、じつのところバグワンの指摘した「幻想」に 至る必然には目が届いていないと、作者として思ってきました。だが彼のために弁護するなら、作者のわたしとても、かくも明快に意識していたかどうかと、告 白するしかありません。
もう少し、バグワンの重大なと思われる講話の続きを聴きます。

☆ ブッダたちは情報知識=インフォメーションには関心を示さない。彼らの関心は変容=トランスフォーメーションにある。おまえの世界は、すべて、自分自身か ら逃避するための巨大な仕掛けだ。ブッダたちはおまえの仕掛けを破壊する。彼らはおまえをおまえ自身に連れ戻す。
ごく稀な、勇気ある人々だけが仏陀のような人に接触するのはそのためだ。並みのマインドには我慢できない。仏陀のような人の<臨在>は耐え難い。なぜ?
なぜ人々は仏陀やキリストやツァラツストラや老子に激しく反撥したのだろう? 彼らは虚偽の悦楽、うその心地よさ、幻想のなかに生きる心安さを許さない人 々だからだ。これらの人はおまえを容赦しない。彼らはおまえに真実に向かうことを強いつづける人々だ。そして真実は凡俗にとっていつでも危険なものだから だ。
体験すべき最初の真実は、「人は独り」だということ。体験する最初の真実は、「愛は幻想(=錯覚、貴重な錯覚)」だということだ。 愛は幻想だという、その忌まわしさをおまえ、ちょっと思い浮かべてみるがいい。おまえはその幻想を通してのみ生きてきた……。
おまえは自分の両親を愛していた。おまえは自分の兄弟姉妹を愛していた。やがておまえは、女性、あるいは男性と恋に落ちるようになる。おまえは、自分の 国、自分の教会、自分の宗教を愛している。そしおまえたは、自分の車やアイスクリームを愛している──そうしたことがいくつもある。おまえたちはこれらす べての幻想(=夢・錯覚)のなかで生きている。
ところが、ふと気づくと、おまえは裸であり、独りぼっちであり、いっさいの幻想は消えている。それは、痛い。

* この通りであるなあと、少なくも「畜生塚」や「慈(あつ)子」や「蝶の皿」を、「清経入水」や「みごもりの湖」を、そして「初恋」や「冬祭り」や「四度の瀧」を書いた頃を通じて、わたしは痛感してきましたし、今も。
ですが、バグワンとすこし違う認識が無いとも謂えないし、それは大事なことかも知れないのです。「慈子」や「畜生塚」のなかで用いていたと思うし、請われ れば答えていたと思うのですが、わたしは「絵空事の真実」と謂い、「絵空事にこそ不壊(ふえ)の真実」を打ち立てることが出来ると書いたり話したりしてい たのでした。
一切が夢だから、早く醒めよ、そして真実の己れと、己れの内深くで「再会せよ」というのが、バグワンの忠告であり、じつは、ブッダたちの、また老子たち の教えです。そういう教えのもっている怖さを回避するために、教団仏教や寺院や経典ができ、また基督教や教会が出来、道教への奇態な変質が起きた。バグワ ンはそれらに目もくれるなと言いたげでして、わたしは彼に賛成なのです。それらはその人達の本来からは、ひどくかけ放たれたいわば俗世の機構にすぎません から。
いま触れた点でのバグワンとわたしとの折り合いは、そう難儀な事とも思っていません。わたしは「幻想」を創作の方法として必然掘り起こしたときに、「夢の また夢」という醒め方から、絵空事の不壊の値に手を触れうると思っていましたし、今もほぼそういう見当でいます。
* わたしが、ふとしたことからバグワンに出逢ったことは、繰り返し「私語」してきました。もう何年、読誦しつづけていることか、しかし読んでも読んでも、聴 いても聴いても、飽きて疎むという気持ちは湧きません。ますます理解がすすみ、嬉しい安堵や恐ろしい叱責を受け続けています。その核心にあたる機縁に、昨 夜、はじめて手強く触れ得たのは幸福でした。  2001 09・07
2019 11/20 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

21 * バグワンが、寺院の入り口におかれた「ミトゥナ像」について話していました。
国会の論議がダラダラと嘘くさい、そう、メールで朝から嘆いてきた人もいます。わたしも聴いていました、見てましいた。
男女抱擁のミトゥナ像に即して謂えば、真実に真に近づきうる瞬間を ミトゥナが体現し示唆していると、バグワンは、適切に教えています。ドンマイ= don’t mind なんです、基本の姿勢は。二が二でなくなり、一ですらなく溶け合っているそうそう長くは保てない瞬間の、無我。
覚者でない我々凡俗には、その余は、ぜーんぶ虚仮=コケであります、すべて。虚仮には虚仮と承知で楽しくさえ付き合っていますが、覚めれば何にも無い、夢。
夢ではないよと深い暗示が得られるのは、ミトゥナのような、二が二でなく一ですら無くなったような極限でだけでしょうか。ちがいますか。
国会なんて、コケのコケ。文藝館もドルフィン・キックも、みーんな虚仮です。ミトゥナ像が寺院の「入り口」に置かれる意味深さは、「入り口」を奥へ入っ て虚仮でない世界にまでは容易に進み得ない者には、理解が遠い。自我の心を落としきるのは容易でないが、それなしに、虚仮に振り回される幻影地獄からは出 て行けない。  2001 10・12

* 『オイノ・セクスアリス  或る寓話』の 私のうちに胚胎した、これが意識下の強い契機であったと思い当たる。十八年も昔になり、さらに数年経て、試筆ないし始筆したのだったとも思い当たる。軽々しい思いではあり得なかった。
2019 11/21 216

* 今日も、よく云って 休養 で終える。アンナ・カレーニナの無残な最期はちかづき、レマルクでは愛おしい若者達やユダヤ人が国境を越えつ戻りつ懸命の 逃亡の日々を送り迎え、ホメロスは潰えるトロイと死んで行くアキレスをうたいあげて行く。わずかに源氏物語の「玉鬘」巻が優艶なもののあはれを美しく描い てくれる。
昨夜の夢見も、むごいほど不快だった。精神不安定といわざるを得ない。やれやれ。老耄も極まり行くか。バグワンの声と言葉とが、遠くで 小さく 聞こえている。
2019 11/21 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

22 * 京都の仏教本の版元がくれました年賀状に、二十一世紀は「心の世紀」と書いてあり、そのつもりで本を作って行くとも。
途方もないことです。イスラムもアメリカも日本も朝鮮やロシアも、みな己が「心=マインド」を重んじて、エゴイズムに走っています。とんでもない。「心 の世紀」というのが痛烈な「皮肉」であるのなら賛同しますが、「心」を頼んで平和に幸せに安寧にと願う気なら、真っ逆様の誤謬でしょう。いかに「心」が人 間社会をわるくわるく複雑な欲の世にしているかを思い知ることなしには、二十一世紀は、破滅の世紀になります。
「心を忘れる世紀」「心を静める世紀」「心を無に返す世紀」でなければならない。「もとの平らに帰る楽しみ」はそれでしか得られないことを、かつがつ、わたしは理解しています。
善人になろうなどという話ではありません。わたしは悪人でも善人でもない、いい人でもワルイ人でもない。
そんなことはどうでも宜しい。
「今、此処」で生きているとおりの者であります。「今、此処」しか自分の世界の在るワケの無いのを、やっと分かってきたのが嬉しい一人であります。  2002 01・03

* めずらしく夢見も覚えず。

* 孫子の講釈本の家にあるのは昔から承知し、孫子が老子荘子孔子孟子らと毛色のちがう論客とも何となく分かっていた。豪大に装幀堅固な韓非子一冊があり、孫子と韓非子との方が感じ近いかと子供ごころに推量し、ま、敬遠していた。
今度書庫から処世のための「孫子講話」なる一冊を持ち出したが、なるほど、明治の人はこういうふうにモノを観るのだ感じるのだそして教えるのだと、面白 く、読みだした。高座からの講釈のようで、しかし孫子をかみ砕いて例話もなかなか適切におもしろく、ホホー、ホホーと頷きながら少なからず訓えられる。孫 子の兵法をたぬくみに「処世訓話」に組み替えて論調揺れていない。話術も上段からの師範に徹してしかも砕けている。「明治」とは、こういう内容と調子の説 教がむしろ知的層を刺戟し得ていたんだなと、納得する。塚原渋柿園とかいうオジさんの:元気あふるる文字通りの講釈である。ひととおり読み遂げてみようと思っている。

* 孫子の「読み」 なんとも面白い、若い時に読みたかったなと苦笑もでる。
2019 11/22 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

23 * 五時に起き、古語の「こころ言葉」を、大辞典で全部読み直してみました。信じられないほど数多い。妙なもので、初めて知ったという 「こころ言葉」は、二、三もなかった。日本語の特徴とも謂いまするが、一つの語に多彩に意味が重複しています、それを押さえてゆくと、とても面白く、語の ふくらみが理解できます。起き抜けに本を一冊読んだような勉強をしました。日本人が心というモノをどう捉えてきたか、どう捉えきれないで、惑い、迷い、翻 弄されながら適当に付き合ってきたかが、よっく分かった気がします。
* 心のはなしに戻りますが、茶の湯の道の始祖というべき珠光に、大和古市の播磨法師澄胤に与えた「心の文」「心の師」と呼ばれる一紙があります。
「此の道、第一悪きことは、心の我慢我執なり」と書き出しています。「功者をば嫉み、初心の者をば見下すこと、一段勿体なきことなり。功者には近づきて 一言をも歎き、又、初心の物をばいかにも育つべき事なり」と続けているのです。そのさきは茶や道具に触れていますが、やがて総括して 「ただ我慢我執が悪 き事にて候、又は我慢なくてもならぬ道なり」と、微妙だけれど尤もな所を言い切っています。
そして、「古人」の言として、こう締めくくっている、「心の師とはなれ、心を師とせざれ」と。
* 心にいろいろ有ることは、日本語の「こころ言葉」だけでなく、英語でも、マインド、ハート、ソール、スピリットなどがあります。普通に は前の二つが漠然と混用されていて、現実にはハートを尊重している口振りや身振りでも、よく観ていますとマインドに終始した心の働きが多い。
マインドは頭脳的な心、ハートは心臓的な心と謂えるなら、日常生活で駆使している人間の心は、大方が思考、知識、利害、判断にかかわるマインドであり、 わたしが、頻りにいう、「心は頼れない」「頼ってはならない」という心は明瞭にこのマインドのことです。「ドンマイ=ドントマインド」なんです。マインド は、人をえてして我慢我執へ導き、トータルなものを分割に分割して多元化し混乱させ、あげくハートを苦しめる。珠光の「心を師とせざれ」とは、マインドに 導かれては成らぬ、「心の師とはなれ」とは、マインドをハートに替えよといった意味にもなっていましょう。
* ハートで話す稀有の政治家かのように期待されていた小泉純一郎が、更迭人事で血迷ってからは、ことごとくハートの抜け落ちた形骸と化し た打算と弁解の「マインド言葉」に終始しています。あの薄笑いがでてくるとき、彼の言葉はハートを裏切る自己保身と虚勢のウソを語っている。
だが、もっともっとひどい自民党員があんなに大勢なのです、それを見誤っていい訳がない。野党も、小泉を無謀に引き下ろしたときに、自分たちが整然と政 権交代へ結束して勝算があるならば知らず、小泉の百倍も愚かしく党利党略のまえに政治を私する旧来自民政権の復権を導き出すのでは、藪をつついて蛇の愚の 骨頂となります。冷静に政局と改革日本の筋道を見つめて欲しい。こきおろすだけが政治ではないでしょう。
政権のための政治でありすぎたのが不幸でした。国民のために政治があるはずではないですか、民主主義とは。  2002 02・08
2019 11/23 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

24 * 両手両足を車輪のようにふりまわして暮らしているように、わたしのこと、見えるだろうと想います。事実わたしは、自分のしたいことをそんな具合にし続けてきたし、今もしつづけています。滑稽なほどつづけています。
だが、自分のしたい目的、例えば「電子文藝館」自体にはなにか価値があるでありましょうけれど、それに熱心に「従事している」わたし自身の行動自体には、何の価値も無いこと、少なくもそれに自分は価値を置かないこと、を、当然と思っています。
人間は、およそ、どうでもいいことばかりをしています、毎日。生きる上で不可欠なのは、飲食と睡眠。それ以外はほんとはどうでもいい。どうでもいいこと を、どう「して」生きるか、どう「しないで」生きるか、それが人生ですが、そこのところに生き方の差が現れましょう。鈴木宗男のような生き方がある。老子 のような生き方がある。「なんじゃい」と思い棄てられる生き方もある。「しがみついて」放さない生き方もある。どっちの生き方のために「強くなりたい」 か、それが問題なんです。

* 徳、孤ならず。そう聴いています。わたしは、昔からこの教えに懐疑的です。孤独な人は徳がないのか。わたしは、時には逆さまに感じてきました。不徳に して不孤、とわたし自身を律したこともありました。真に徳高きは、むろん尊い。しかし、汚らしいほど如才ない、真実は悪徳と異ならないかたちで身の周りに にぎやかに人を寄せた徳人の多いことに、わたしはイヤ気がさしていたし、今もそうです。そんな意味でなら、いっそ世間の目に不徳と見えようが構うものかと 思ってきました。
孤独と孤立とはちがうでしょう。孤立しないように。しかし孤独には本質・本真のヒヤリとした美味があります。
「強くなりたいです」と歎く声に、わたしはシンとします。わたしも強くなりたかった。強くはなれなかった。バグワンに出逢って、だが、わたしのよわさ は、よほど鍛えられました。強くなどなろうとしなくていいのでは。エゴだけを育てて終いかねない。  2002 03・19
2019 11/24 216

* 浴室へ「アンナ・カレーニナ」と、レマルクの「汝の隣人を愛せ」と、「アラビアン・ナイト」とを持ち込んでいた。
アンナとヴロ ンスキーとの感情的に不自然をきわめたギクシャクの生活は、息苦しいまでに不快で、参っている。対照的に、うるわしいまでのレーヴィンとキチイの幸福な夫 婦生活があるので読めているが、アンナの悲劇はもう目前へ迫ってきている。こんな息苦しい辛い名作は、類がない。
レマルクの小説はナチスドイツに旅券もなく追われて国境を越えつ戻りつまた越えつつ逃げまどいながら人間的に生き抜いてゆく人たちの苦悶の日々をみごと に描いて感動させる。
こういうことは、もう起きないかどころか、世界の各地でいまも同じ苦闘に明け暮れながら人間としての日々を史と表裏して生き延びている人たちは数 え切れない。レマルクは過ぎ去った過去の物語を書いているのではない。
この二作から、「千夜一夜物語」へ移ると、心底からのびやかに楽しく明るむ気持ちで、嬉しく頁がくれる。世界史的な快作名作と思う。確信できる。

* さ、何がどうあろうと明日朝の一番に最新作の小説本が出来てくるが、玄関に積み上げるだけ、何ほどのことも出来ぬまま発送は見合わせて聖路加病院へ受 診に行く。何時に帰るなどと強いては考えず、遅い昼食を何処かでして、一日休むほどの気で出向く。まだ何が何とも分からん携帯電話の必要がないのを願う。
さきの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は読者の皆さんの受け方はともかく、私自身は終末期を記念する代表作の一つという気でいる。なによりも、私でなければ誰にも書けないまでに性に逼って表現した、書いたと思っている。
つづく今度の作は、作も、書いてよかった、書けて善かったと思っていて、お届けするのに気は弾んでいる。扉裏に掲げた 河上徹太郎先生、野呂芳男博士の言に背いていないと思っている。作者の私自身が最初の読者となり、出来本を真っ先に手に、聖路加病院へ出かけたい。
まだ八時半だが、もう休養してしまう。
2019 11/24 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

25 * 何がといえば、やはり毎夜のバグワンに心身を沈ませゆく時が、有り難い。枕元に、いま、本が二十冊ほど置いてあります。『曾我物語』に入る前に『住吉物語・とりかへばや』が配本されると、気持ちはそれへ奪われてしまいそうです。  2002 03・25

* わたしがバグワンからどんどん遠避(とおざ)かりつつ ?
そう解釈されるのは単にメールのことばを鵜呑みにされていますよ。
わたしが「勉強」し我が身を何かに駆り立てようとしているのは、生きている証拠。生きる僅かの努力です。それだけの単純なこと。落ち込んで無気力だった ら・・嫌でしょう? そういう無気力ではなく、異なる意味で無常観を抱え転変をみつめて、生きる根底で、わたしの内部で、バグワンの言葉は静かに響いていますよ。
勉強に、我が身を「駆り立てる」のでなく、勉強を「楽しんでいる」のでは「生きている証拠」になりませんか。所詮無益な夢だもの。無常とはそういうことで しょ。そんな無常から大きく目覚めて、常(じょう)の定(じょう)の体(てい)で、帰れ海へ、ちいさな波よ、かすかな波頭の一つよ、と。
なににしても「駆り立て」ればシンドク疲れます。疲れるとは、往々にしてマインドの餌食になっていること。
ドント マインド、ドンマイ。そういうことですよ、どこへ急ぐんですか。「いま・ここ」で、自然にゆったり楽しんでられるなら、たとえここが地獄であろうと、と。 ま、そういう気持ちで。
* 楽なことと、楽しむこととはちがう。
楽なことなら楽しめる、というわけではないでしょ。  2002 04・26

* 東工大卒業生の不審にでも答えていたか。
2019 11/25 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

26 * バグワンは「習慣」で生きるな、習慣は落としてしまえと言います。「きまり」にしたがい、「原則や作法」をきめて「線路」の上を往来 するな、と。それは「死んだ生き方」だと言います。わたしもそう思う。昔からそう思っていました。こうあらねば、ありつづけねばとは、自分に強いない、固 定しないから、自由に発想できるのです。
小学校の頃から、決められた宿題よりも、自由研究が好きで、夏休みが済むと、成果を職員室にいろいろ持ち込みました。なにか「ちがう」ことを考えてみようみようとしていました。
人によれば、それは正道でない、横道であり邪道に落ちることだと言うでしょうが、習慣に強いられるのは、自分自身とのつきあいかたとして、なさけない。 人に決められたレールの上を、いや、自分で決めたことでも惰性的にハイハイと右往左往し繰り返しているのは、死んでいるようなものです。自分で自分に強い ている習慣であっても同じ事です、自縄自縛というものです。
習慣にとらわれないで自在でいたいから、『清経入水』などの「私家版」を創ったし、「湖の本」を実践したし、「東工大」にも飛び込んだし、「青春短歌大学」も発想したし、「電子文藝館」も創り上げました。
まだこの先に何が出てくるか、わたしにも分かりません。たのしいではないですか。ただ、なにをするにも、それが「習慣」となり、わたしを縛らないようにと気をつけています。  2002 05・14
2019 11/26 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

27 * バグワンは、このところずっと、ティロパの詩句を語る『存在の詩』を、もう三度四度めでしょう 読んでますが心底、動かされます。よろこびを覚え、帰服しています。
多くの宗教は、わたしの謂う「抱き柱」を与えようとします、神だの仏だの念仏だの名号だのと。バグワンは、根底から、「生きて在る」ことを示唆してくれ ます。「抱き柱」を抱けなどとは全く口にしない。地獄の極楽・天国のなどというまやかしも謂わない。まっすぐ、生死の本然をどう生きるかを語ってくれま す。聴いているだけですが、その安心感と的確とは、身内のふるえを呼び覚ますほどで、卓越しています。
真に宗教的であるが故に、それは宗教を超えた印象を与えます。それが安心を呼び覚ますのです。  2002 05・31
2019 11/27 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

28 * 「抱き柱」というのは、わたしの造語です。信心をすすめる「信仰宗教」は、要するに人心にいろんな「抱き柱」をあてがってきたという のが、私の理解なのです。神や仏がそうであり、鰯の頭もそうである。壮大な神学や宗学、教典がその「柱」の周囲に積み上げられます。「南無阿弥陀仏」の一 声でもいいという法然や親鸞の教えはもっとも徹底した易行の、しかしこれも簡明無比の「抱き柱」です。保証は、抱いて縋っての「安心」だけです。理屈抜き です。天国・極楽や地獄を信じよといわれてもどうにもならない。
それでもわたしは、法然や親鸞にまぢかな柱を、久しく抱いていたんです。抱こうとしていたんです。もっとさまざまな「柱」は世界中のあちこちで用意され ていますが、要するに「信心」の強度や純度がなければ、合理的には何の役にも立ちません。そもそもそんなもの、役に立ちゃしないと思い始めたのは、バグワ ン・シュリ・ラジニーシの徹して「禅」に同じい死生観に感銘し始めてからでした。
いつしれず、わたしは、「抱き柱は抱かない」日々に入ってきました。自分が大海のひとかけの浪がしらのように在ることを思い、一瞬の後には大きな海と一 つになっているだろうと思う。虚無的に投げてしまうのでなく、自分が真実何であるのか、そう思うその自分という意識も落としてしまったときに、何で在るの か。そういうことを、「分別」でではなく知る瞬間がくるであろうと、「待つ」姿勢すらなく、わたし、待っています。
だが、たいてい人は「抱き柱」が欲しい。信心はうすくても、形だけでも抱き柱をほしがっています。そんな人に「抱き柱はいらない」というわたしの姿勢 は、途方に暮れてしまう別次元の観ががあったかなと案じていました。正直に書いたのですが、誰にでも勧めたいというお節介の気持ちはありれ゛ん。わたし独 りの思いでいいんです。  2002 07・09
2019 11/28 216

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

29  (来信) ☆ バグワン・シュリ・ラジニーシ
秦恒平様 はじめてお手紙をだします。昨年より「闇に言い置く」を読んでいます。バグワン を検索中に先生のページに出会いました。
僕は、昭和11年生まれ、技術分野で会社を定年、文学青年のまま現在に至っている人間です。電子計算機開発の企業世界卒業です。
太宰、花田清輝、鶴見俊輔、奥野健男、などの各位の書き物を読み、「京大学派」が西ならば、東は「東工大自由人」の感があると日頃感じてきました。
昭和58年買って読まなかったバグワンを、60過ぎて、読みました。
人間の「業」を人間自身が「昇華」しようとする「傲慢」を、彼の「話」に老荘思想の如く魅かれながら、感じます。
オーム教と比較されたこともあるそうですが、バグワンは「自信」にあふれ、例えば、太宰の「壊れそうな花びら」に通じるところは無い。
一月に一度でも先生のバグワン随想 といいますか、チラリと・・・バグワンについての書き置くの「行」を期待したいのですが。お疲れ、ご多忙の毎日をかえりみず失礼のメールですが、バグワンの話を聞きたい。失礼の段 謝です。 神奈川縣

* メールを有り難う存じます。同世代の方からバグワンに触れて頂いたのは珍しく嬉しく存じます。
もう十年ほどには成りましょうか、一夜も欠かさず、バグワンの言葉を私自身の声に置き換えて、少しずつ少しずつ聴き入り、繰り返し繰り返しいささかも躓 くことなく聴き入っています。『存在の詩』『般若心経』『十牛図』『道・老子『』『一休』『達磨』その他、手に入れたものを順繰りに。私が読み、妻もこの 頃近くで聴いています。
オームなどとの関係は、絶無と思います。いささかオームの人らが「語彙的の模倣」はしたかもしれませんが。
バグワンは透徹していますし、私は、つとめて彼を、知解し分別しない、したがって変に「信仰する」こともない。何かを「解釈」するために読んではいませ ん。「安心」のためにというのがあたっています。バグワンに「抱きつく」ことはしていません。一緒に「呼吸」しています。
私にならってバグワンを読み始めた人はごく稀で、しかし、あまりつづいていないようです。そんなものでしょう。「怖がって」いる人もいましたね。
私は「喜んで」います。
二十年ほど前、大学生の娘が、仲間と騒いで読み始めていたとき、私は一瞥もしませんでした。娘もやがてバグワンの何冊かに埃をかぶせて、物置に放り込んだまま嫁ぎました。
偶然にみつけて、あの頃、娘達はなににかぶれていたのだろうという好奇心から開いてみました。
すぐ、「これは」と感じました。そして、座右のバイブルとなり、友となり、手放していません。バグワンは、やっと二十歳になる娘には無理だったろうと感じました。哲学として知解してしまえば、「それだけのもの」で終わりますから。
嫁いだ娘の、父親に残していって呉れた大きな贈り物になりました。
「私語の刻」でときどき触れていますが、「説明」してはいけないと思い、浅はかにふみこんだことは言わないでいます。
またお話ししましょう。お元気で。
わたしは若い人達と仲良くしていますが、殆どが東工大の卒業生です。徹して私は理科ダメ人間でしたのに、有り難いことです。
コンピュータも使えるように教えて貰いました。いまもなお。 2002 07・17

* 凄絶な環境を夢見た。案内があって、地 の底へ底へ降りていった先に一棟の協働住宅があり、ひさしく気に掛けてきた人とそこで再会した。大きなマスクをかけ顔は見にくかったが、その人とは知れ た。そしてまた地上へ戻ったが、そこも凄いような町で、抜け出て行くのに難渋した。恐怖と謂うより驚愕に胸をしめつけられた。説明のしようもない何も知ら ず分からない夢の奥底で、人と一瞬再会したのは事実だった。かすかに横顔だけが見えた。

* 夢見がどうしてこうも凄いのか、わたしはもはや下意識で狂い始めているのか。
バグワンへ戻りたいと思う。
美しいものが観たいと思う。この日録の冒頭をかざっている写真のどの一枚も我ながら美しいと思い、美しさを薬用のように心服している日々であるのだが。
もう師走、目前。
美しいものを観たい、せめて目に触れたい。
2019 11/29 216

* アンナ・カレーニナは死んだ。トルストイ翁の精緻な把握をあやまたず克明に叙して行く筆力に、ほとほと驚嘆。アンナは死んだが小説は更に視野と感慨とをひろげ深めて行くのである。
2019 11/29 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

30 * 「恐怖」というものが無ければ。
ですが、人間は恐怖する生き物であり、だから希望を持ったり絶望したり、努力したり怠けたり、します。祈ったりもします。善行に励んだり悪徳に走ったり します。「恐怖」の最たる最終のものが「死」であるのは、確実。死への恐怖のない人なら、上に上げたような分別も無分別もまったく必要がない。ありのまま に生きて死んで行くでしょうね。
ありのままに自然に湧くようにして出来る「感応」の行為は、なにかの分別・無分別という「恐怖」や 「過去来の知識」に催されてする「反応」の行為とは、まるで「べつ」ものだと、バグワンは云います。
たいがいのことを、われわれはリクツをつけてしようとします。これはコレコレだからいいことだ、わるいことだ、と。またコレは神仏の嘉されることだからしよう、これは他人がどう思うか不安だからよそう、などと。
心=マインドはそのように分別をつけますが、それらの分別の至り附くところは、得体知れぬものへの「恐怖」であり、しかし真に恐怖すべきものの真実在るかどうかをすら、人はほんとうは何も知らないで、ただ怯えているのではないでしょうか。
* 鉱物・金属も疲労することは飛行機の事故などで周知です。組織体も構造体も疲労する。罅が入る。寺田寅彦は人体の罅を研究課題にしました。人体にも 罅が入ると寅彦先生に教わったときは、子供心に驚きながら納得しました。納得できると思いました。心も疲労してひび割れる。心を病んでいる人、心の疲れ 切った人の多いことには驚きますし、自分でもやすやすと心萎れさせています。心は頼りにならないし、リクツをつけて無理に頼りにするのは愚かなことだと思 うのです。
心とはすこし距離をおいて、すこし冷淡に、平静に付き合った方が佳い。心の教育だのというのを聞くと、何をこの人は根拠に云うのだろうと軽薄さに驚いて しまいます。心や愛は、或る意味からは「害悪」であり「障碍」であると釈迦は断定しています。疲労した心、罅の入った心に無理な負荷をかけて「頑張る」愚 かさに気が付きたい。
「無心」とそれとは、真っ逆様の奔命にすぎません。  2002 08・13
* バグワンは、ブッダの言葉として「思考の被覆」ということを云います。これは荀子の「蔽」と同じ意味でしょう。思考の被覆をとにかくこそげ落とすよ うに、はぎ取ってはぎ取って「自由=無」に、と、バグワンは適切に語り続けます。荀子は「蔽」を、つまり心に覆い掛かる無数の襤褸を、「解」つまり脱ぎ捨 てねばと説いています。怨憎会苦。また嫉妬や怒り。さらには名誉欲や知識、見識の高慢。
思考は、ものを分断し、分割して処理しようとする特性を持っています。さもなければ機能しないのがマインドの得意な論理というやつです。それは犬である と、他から分ける。それは正しいと、他から分ける。それは美味しいと、他から分ける。この「分ける」ことに秘められた習い性の「毒」に気が付かないと、人 間はただの「分別」くさい「分割屋」になり、ものごとを、分けて分けて分けて、分けきれない小ささの前で縮こまってしまう。
トータルにものに向かう、いやトータルのなかにとけ込む、ということことがマインドには出来ないのです。むしろ常にそれに逆らい続けます。思考の被覆、 蔽、というヤツはそうして埃の降りつむように「心」を不自然な純でないものにする。あげくハートやソールが、思考機械のマインドに変質してしまう。そして ひどく気にする、こだわる、惑い迷う。ドンマイでおれなくなる。
* バグワンは、「思考するなかれ」といったバカは云いません。思考は、生きるための有用な機能であり道具ですからね。手段ですからね。バグワンはただ端的に、機能や手段や道具に「使われるな」と云うだけのことですだ、これって、たいへんなことですけどね。
道具はいつもそばに置いて、必要に応じて用いながら、それと悪しく一体化してしまわないようにとバグワンは言うのです。わきに、そばに、置いておくよう にと。思考が自然に生きて働いているのと、思考をウンウンと気張って用い使って生きているのとは、べつもの・べつごと、なんですね。
拘束的な思考はおおかた過去から来ます、規範や習慣や誤解といった形で。それに盲目的に従っているだけでいながら、さも自分が自然に生きていると思いこ むのは、とんだ見当違いだとバグワンは指摘します。そういう思いこみは、自分が自分で、呼吸なら呼吸をコントロールしていると思う錯覚と同じなんです。試 みにおまえは息を止めていられるかとバグワンは言います。自分のもののようでありながら、誰も、自分の呼吸=命そのものを自由になど出来ない。自分なんて ものにとらわれて過大に過信しているところから、大きな間違いが歪み歪んで肥大し増殖するのです。
* ま、こんなことは、言葉にしてみても始まらないし、それが間違いのもとにもなります。
なにも考えずに観じているものの有る、それでいいようです。「なんじゃい」と、さらりと思い棄てて、しかも静かに努めたい。楽しみたい。祝いたい。  2002 09・02
2019 11/30216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

31 * 2002 11・09  昨夜もバグワンを読んでいて、頷いていました。
論理は、ちいさいものにしか通用しないと。小さいモノゴトには論理は大きな顔をして幅をきかせるけれど、命の底へ触れて行くようなことになると、生死の ことや無心のことや、思いも及ばぬ不思議を前にしたとき、論理はたいして役に立たない。真の心的大事に遭遇した時に「論理」がいかに小さいか狭いか浅いかがハッ キリしてくる、それに人は気づかず とかく 論理・理屈に しがみつくことで エゴ=心 を守ろうとするのです。

* 師走到来。今世紀初め頃にバグワン・シュリ・ラジニーシの声・言葉と日々を伴にしていた頃の私自身を顧み、心乱れがちな昨今の私を戒めたい、もう当分、バグワンとともに「思い」たい。
2019 12/1 217

* 暫く前から思い立って、従来不勉強疎遠なまま過ごしてきた「神楽歌・催馬楽」を読んで楽しんでいる。今朝、目が覚めたまま寝床の中で たまたま「貫河(ぬきかわ)」というのに出会った。

貫河の 瀬々の柔(やは)ら手枕(たまくら) 柔らかに 寝(ぬ)る夜はなくて 親放(さ)くる夫(つま)

親放(さ)くる 妻は ましてるはし しかさらば 矢矧(やはぎ)の市に 沓(くつ)買ひにかむ

沓買はば 線鞋(せんがい)の細底(ほそしき)を買へ さし履きて 上裳(うはも)とり着て 宮路通はむ

通ってくる夫をこわい母にとかく見張られ遮られ 柔らかに共寝のならない若夫婦の唱和。「ましてるはし」は「ましてうる(愛)はし」の略。沓には大昔もいろいろあって、「線鞋(せんがい)の細底(ほそしき)」女性用の底の細い緒できちっと絞める沓。妻の方から夫の方へ通って行くわというのだ。恋愛と買い物と行動と。
なんとも うるわしくこころよい楽しい歌謡。もとより大勢で、或いは男女に別れて掛け合うように謡ったのであろう。「催馬楽」にはこういう歌が満ち満ちている。掛け声や囃し声を聴きとって読むのが楽しい。気が向けば、また、佳い歌を拾ってみる。
2019 12/1 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

32 * 2002 12・05    バグ ワンに聴いていて、ふと立ち止まりました。訳語の問題があり、訳語にとらわれるより、意義を深く酌むべきだと思いますが、彼バグワンは、たしか「孤独= ローンリイ」と「独り=アローン」を見分けて、孤独は毒だが、独りは全くのところむしろ望ましいと言います。これを私の物言いに言い直しますと、「孤立」 は毒であり、「孤独・自立」は望ましいのです。私・少年の昔に、そのように教えてくれた人がいました。
バグワン独自の説得では、孤立の男女が孤立のまま出逢って結婚しても、二人とも孤立の毒から免れるわけがないと言っています。お互いの孤立の毒を相手の存在に肩代わりさせ合うだけで、孤立は失せたように感じ合っていても、そのかわりの不幸を抱き込んでいると。
これにくらべ幸福な愛ある結婚は、たとえ孤独を識っていても自立した独りと独りとで達成できるもので、お互いに妻や夫のより豊かな「独り=アローン」を成さしめ合えるのが大切だと。
孤立に泣く男女は当然のように相手にそれを癒して貰おうとし、自分の不足を放置します。孤立感は支え合われたようでいて、それでは自立した者の充足は生ま れっこないから、当然のように不幸の坂をすべり落ちてゆく。支え合うというと言葉は佳いが、自立した者同士だからより確かに支え合えて幸せがありうるの で、「独り」に成れていない半端者同士では、どんなに疵を舐め合おうと癒えて健康にとは行かないと、バグワンは言うのです。
これは、深い洞察です。自立し「独り」に成れる前に、孤立をただ嘆いて寄り合っても、根本の姿勢が出来ていなくて、どうしてその不幸が無くなるものか。 孤立も不幸も、見かけの安寧の下で崩れを増しつつ倍加してゆくだけであるとバグワンは言います。厳しい指摘ですが、わたしも、その通りだと思います。此処 の安易な誤解が、安易な結婚に繋がり、そして夫婦ともども孤立のままな不幸を、うわべ仲よげに、増長している例が多いのではないでしょうか。

* 寒さが日増しに加わり、夜明けも遅れてきた。十二月は、生まれ月、日のいちばん短かな冬至に生まれ、十二月に求婚し、十二月には(何の関わりもないの だが)赤穂浪人達の「討入」りがある。わたしは、妙に、討入り贔屓で、大きな理由のひとつに「公儀への抗議」行動でもあったのを是とみている。緻密な創作 にひとしく緻密に構想・構築された或る美しさのようなモノにも心惹かれてきた、巷談に過ぎないと謂われようとも。で、「討ち入り」の話題が聞こえてこない とへんに物足りないのです。

討ち入りのこと聴かざりき十四日    2000-12-14

ヘンですかね。

* ちょと気を変えよかと催馬楽集をひろげると「鶏鳴(とりはなきぬ)」と飛び出した。これは説明しないでおこう。

鶏(とり)は鳴きぬ  てふかさ
さくら麿が  其(そ)がものを押しはし  来りゐてすれ  汝(な)が子生(な)すまで

「てふかさ」は、一座賑わいの囃しことば。罪深いのか 罪のない歓楽か。夜這いの風は 今も残っているのだろうか。

* 今 思い出したが プラトンの大著「国家」で、ソクラテスが決して冗談でも過剰にでもなく、至極く真面目に国家社会における「妻子共有」を何度か語っ ていた。さすがに、エッと立ち止まった。ただ私は、「子供」は国家社会共有の子として育てて善いのではと、『国家』をまだ読まぬ昔に、モノに書き込んだ記 憶がある。十分一考に値しないだろうか。
2019 12/2 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

33 * 2002 12・29   暮正月 のようなけじめへ来ますと、メールにも、例年のように、恒例・常例として、おきまりの、といえる「ご挨拶」が増えます。いいかえれば「習慣」ですね。もと の意義の生き残った習慣ばかりでなく、意義など褪せ失せた「習い性」ともゆかない惰性のようなのも、情緒のただ安全弁になっているものも多そうです。一種 の安心をあがなっているのでしょう。
わるい工夫ではない。が、そんなのばかりが無反省・無意識に増えてゆきますと、いつのまにか「生きて」いるというより「習慣」に支配されている日々を送り迎えることになります。
「繰り返す」ことは、日本のようなきちんとした四季自然を恵まれた国民には、いわば体内機能とすら言えますけれど、ただ習慣で繰り返すのと、繰り返しの 一度一度を「一期一会」として繰り返すのとでは、雲泥の差があります。後者ほどの繰り返しでないものは、わたしは、もう重んじないことにしています。無意 識に繰り返して得られる程度の安心にはよりかからない。断崖にかけられた桟道を一足一足踏んで行く人生なのですから、安心より不安の連続なのは本来の自 然。うかと習慣に泥(なず)んでしまうと崖から落てしまう。繰り返のがほんとに良き習慣なら、「一期一会」の気持ちで繰り返すよりありません。
むかしから、何百度も繰り返し言ってきました、「一期一会」とは一生に一度きりのことではないと。一生に一度きりのこと「かのように大切に」同じことを 繰り返すぞという表明です。優れた茶人は「一期一碗」とも謂いました。優れた茶人は生涯何千度となく茶をたてて、なおその一碗一碗を「一期の一碗」として おいしくたてたのです。
* ただの習慣として繰り返していたことが、いっぱいあった。多くは、やめました。どんなにラクになれたことか。バグワンを読みつづけてい る、それなどは私の「一期一会」です。ほかには。もう、そうは、思い当たらない。「闇に言い置く」この私語、も、わたしにはただの習慣ではありません。
2019 12/3 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

34 * 2003 2・15  「ゆったりと、自由に」「ゆったりと、自然に」とバグワンは言います。
この「ゆったりと」が、大きい。
自由「がる」のも自然「がる」のも、まがいもので、それでは、とても、ゆったりとなんかしないでしょう。

* 佛教には、もとより多年関心を向けつづけてきた、子供の頃に灯明の仏壇と向き合い、備わっていた般若心経をワケ分からずに音読し慣れていた昔から。地 獄極楽を背後に感じながら佛教または佛さんをおそろしげに感触していたので、京都には見かけやすい仏具店の前を通るのも怖くて、その前は逃げるように駆け 抜けていた。秦の家は知恩院サンの浄土宗だったから「南無阿弥陀仏」の称行は体験していたけれど、ほとんどナニゴトとも心得てなかった。
少し知的な触れ合いを求め始めたのは、高校生になってから。倉田百三の「出家とその弟子」に感銘を受けた一方で、角川文庫から出た高神覚昇『般若心経講 義』を発奮買い求め、愛読、いや耽読、繙読したのがそれはそれは大きかった。八十四年の生涯で、少年青年時に私に切実に影響した本を、昨日、こころみに思 い起こして書き出してみたなかでも、この角川文庫からの感化はよほどもよほど切実だった。幸いにこの「講義」はラジオ放送されたもので、まことに砕けた口 調のたとえ話も薫育も平易に至妙で、読みあぐねる何もなかったし、うしろの「補註」が大いに知的満足を与えてくれた。またこの身に沁みた体験合ったが故 に、わたしはバグワン講話の中でも『般若心経』をことに耽読再読した。
昨日、就寝前、久々に、高神さんの「講義」の序文にあたる箇所を音読して、妻も聴いていた。
スキャンしてみたが、紙の劣化と活字のいたみ・うすさで叶わなかった。が、その内容は、美味い水をのむように今も身に沁みた。せっかくであり、今日から久々に「講義」を聴き続けよう。

* 実を云うと、たまたまであったが昨年か今年の早くにか、講談社学芸文庫で秋月龍珉著の『誤解された佛教』を買っていて、たまたま私より先に妻がこつこ つと読み継いでいた、わたしはそのあとで読みだして、論旨にふれるつど、何故となくもう一度『般若心経』に接したい願いをつよく持った。浄土教三部の「大 経・観経・阿弥陀経」も心して接してきたし「法華経」も、ときに大部の「華厳経」にも接してきたのだけれど、それはそれとしてそれらは要は壮大で華麗な 「フィクション」として敬愛してきたが、「般若心経」は佛教の核心にまぢかいものという思いを見捨ててきたことは無かったのである。禅の秋月さんの「佛 教」説も強い関心と倶に読み進めてきた。わたしはもうよほど前から「禅」にこそ佛教の核心を感じかけていて、「般若心経」の受容はその思いに反しないと思 えていた。秋月さんの本は、けっこう難しいのであるが、「般若心経」の「空」観とつよく馴染んだ所説と受け取れそうなのだ。

* ま、長広舌は措くとしよう。身に沁みて生涯に抱きしめつづけられた本と、少年、青年時に何冊も出会えていたことをしみじみ、感謝する。
2019 12/4 217

* 昨夜か今朝か、ともあれトルストイ眞の名作『アンナ・カレーニナ』岩波文庫上中下巻を、読了。この作は、題に惹かれ従いそれのみを追い読むのは間違 い、作者の真意はアンナ・カレーニナ(カレーニン夫人)と独身のヴロンスキイ伯爵との恋と同棲生活の無残な末路を追い書いたと云うより、無類の愛と健康と に満たされた妻キチイと善良な知性と愛に溢れた健全な夫の生活者レーヴィンとの共生をこそ、真に魅力も哲学もある主題として追っている。わたしはアンナと ヴロンスキイの出会いにも末路にも、同情がない。本当の賢さも愛の洞察もない。キチイとレーヴィンの愛の健康は、聡明に根ざしている。こり感想はさきに読 んだ名作『復活』の作意、著者トルストイの思索と誠実ともみごとに連動している。
さ、楽しみな、次は最長編の『戦争と平和』の何度目かを読みます。

* また軽微ながら地震が揺った。安かれと願う。
2019 12/4 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

35 * 2003 03・05   街頭で、マイクをむけて、「いま、幸せですか」と聞いてまわっていました。思わず笑いました。即答を強いれば、自分は不幸ですと応える人は少ない。幸福の事象を「捜し」て応えるからです。
少し、己れの闇に降り、独りでしばらく自問し自答しなければほんとの答えは出ないでしょうし、また質問は、こう、すべきでしょう、「いま、真実、幸せですか」と。
かつて東工大でわたしの学生達がぐっと息をつまらせ考え込んだのは、この「真実」の二字があったからでした。
この問いから、しかし、ほんとうに知らねばならぬコトは、不幸ということぬきに幸福はなく、逆もしかり。したがって幸不幸は表裏してつねに在るという認識と、幸も不幸もともに無いという認識との、どちらに行くかを迫られていること。
「かなふはよし。かなひたがるは悪しし」と 利休は云いました。
幸福も不幸も、陥りやすいのは、とかく幸せ「がった」り、不幸せ「がった」りして、とらわれてしまうことです。「捜し」て応えているというのは、それです。
そんな応答は つまり「心=マインド」のなせるわざに過ぎず、だが「心」はあまりに強い力をもった「諸悪の根元」ですから、そのような幸福も不幸も瞬時 の投影、流れ走る白雲や黒雲をながめているに過ません。「有」情の境涯であり、それは、いつまでも変転する。変転しないのは、雲が覆い隠したその奥の、澄 んで「無」窮の青「空」だけ。
* 「がる」 のは、何かにつけて悲しい自己満足。かなふはよし。かなひたがるはあしし。
2019 12/5 217

* なにとなく、つい懐古的にもの思いがちに気とからだを安めている。

* 昨日一昨日に、思い返し顧みた 私・秦 恒平少年青年期の知情意に切実に感化を与えた書物たち、それ故にまた後年の創作や文藝に多大の示唆や刺戟を与え続けた書目を、ざっと記録しておく。大方は偶々(たまたま)の出会いともいえ、また心して買い求めもした。選んだと云うより、 やはり「出会った」のであるが、愛読という以上に繰り返し繰り返し「耽読」した。。

古事記 次田潤 現代語訳 有済国民学校一年担任吉村初乃先生に戴く

百人一首歌留多 秦家所蔵

百人一首一夕話 祖父秦鶴吉蔵書

阿若丸 講談社絵本 借用

選註・白楽天詩集 井土霊山選 崇文館 秦鶴吉蔵書

国史 通信教育教科書 秦家架蔵

日用大百科寶典 秦家架蔵

歌舞伎概説 秦家架蔵

源氏物語 与謝野晶子現代語訳 林佐穂家蔵豪華二册本

谷間の百合 バルザック 梶川芳江より借読

平家物語 岩波文庫上下巻 購読

モンテクリスト伯 新潮世界文学全集上下巻 古本 購読

若きウェルテルの悩み ゲーテ 岩波文庫 借読

少将滋幹の母 谷崎潤一郎 朝刊連載

心 夏目漱石 春陽堂文庫 梶川芳江に贈らる

天の夕顔 中川与一 岩波文庫 借読

蘆刈・春琴抄 谷崎潤一郎 岩波文庫 購読

徒然草 岩波文庫 購読

朝の蛍 斎藤茂吉自選歌集 古本 購読

若山牧水歌集 岩波文庫 借読

北原白秋詩集 岩波文庫 借読

細雪 谷崎潤一郎 一冊本 購読

谷崎潤一郎選集 六巻 創元社 購読

島崎藤村集(新生 嵐など) 筑摩書房文学全集の一巻 購読

般若心経講義 高神覚昇 角川文庫 購読

出家とその弟子 倉田百三 借読

源氏物語 島津久基釈註 岩波文庫 購読

更級日記 岩波文庫 購読 高校で輪読

旅愁 横光利一 角川昭和文学全集 購読

戦争と平和 トルストイ 購読

国民文学論 古本 購読

日本美術の特質 本編・図録 矢代幸雄 購読

夢の浮橋 谷崎潤一郎 中央公論 購読

平家物語 昭和八年刊 山田孝雄監修 寶文館 古本 購読

徒然草諸註集成 昭和三十七年刊 右文書院 購読

梁塵秘抄 岩波文庫 古本 購読

西洋紀聞 新井白石 岩波文庫 古本 購読

* これらが いわば多数濫読のほぼ不動の軸芯を成していたと謂うこと。今も感謝している。
2019 12/5 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

36 * 2003 04・02   * バグワンを、繰り返し繰り返し何冊も読んできました。多くを求めず、同じ数冊の本を繰り返し音読し続けてきたのです。もし中でも一冊をと言われても、どれも座右から放さないでしょう。いつも「今」読んでいる一冊が、最も真新しくて懐かしく思われます。
いまは、バグワンの原点かなあと感じる『存在の詩』を、半ばまで読んでいます。五度か六度めになるでしょう。屡々、胸の鼓動のおさえがたい感銘を受けます。ですが、概念的な摂取にしないたに、言葉としてはなるべく忘れ去り、胸の鼓動だけを嬉しく覚えています。
「ブッダフッド」と「禅」とに 「詩」的に深くふれながら、バグワンはいつも語りかけてくれます。
2019 12/6 217

* 昨日から、トルストイの大長編『戦争と平和』を読み始めた。レマルクも源氏物語も般若心経講義も千夜一夜物語もイーリアスも、甲乙なく私を 捉えてくれる。読書有るかぎり、そして私には「湖の本」が在り、たとえわたしに善き孤独があろうと、悪しき孤立は無い。新聞テレビのいわゆるニュースから は、いくらか申し訳ないが心身をあえて退けている。
2019 12/6 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

37 * 2003 04・26   土田直鎮氏の『王朝の貴族』は浄土教の章で閉じられました。空也(市聖)、寂心(慶滋氏)、源信(恵心僧都)、そして往生伝。
夢中で『往生要集』を読んだ頃もふくめ、浄土教の感化は、小説を書き始めてからもわたしから離れませんでした。法然に、親鸞に、また一遍に、のちのちの 妙好人たちにまで思いはひろがり行き、浄土三部経を繰り返し繰り返し翻読し読誦し、そういう中で法然の「一枚起請文」に尽きてゆき、親鸞の「還相廻向」に 気が付き、そして、私自身の看破である「抱き柱は要らない」というところへ到達してきました。バグワンに、そして不立文字の禅に、いまのわたしは深く傾斜 し、自分の課題を眺めています。
岩波の『座談会文学史』で知るところ、夏目漱石も島崎藤村も最終的に「禅」へ歩み始めて、その到達には差がありました。谷崎潤一郎は宗教的な回心の何も のも語らなかった人ですが、生前に作った夫妻の墓石には「空」と彫り「寂」と彫らせています。文字の趣味に過ぎないのかも知れず、深い思いがさせたことか も知れません。
漱石は偽善とエゴイズムをにくみ、藤村は偽善者、エゴイストと罵られたことのある人です。漱石は露悪を指弾しながらそこに「現代」を見出し、藤村は露悪 の浄化にかなしみを湛えて家の根を思い、国土の根を思って「歴史」に眼を返していました。漱石は「肉」を書かずに躱し、藤村は肉におちて肉を隠そうとし た。潤一郎は、『瘋癲老人日記』の最後まで肉を以て肉に立たせ、一種の「歓喜経」を書きながら亡くなりました。
2019 12/7 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

38 * 2003 06・06   今日もいろんなことをしました。あんまりいろいろで、忘れてしまいそうなほど。忘れてしまっても、ちっとも構わないのです。覚えていなければいけないような、何ほどのことが有るでしょうか。
道元は、日本の仏教に愛想を尽かし、禅の本道を学ぼうと宋に赴いたといいます。そして、天童山に入ったある日も、一心に古人の「語録=本」を読んでいま したとか。ある坊さんが、何のタメにそんなものを読むかと尋ね、道元は、古人が修行のあとを知って学びたいからだと答えたそうです。坊さんは「何のタメ に」と、また聞きました。郷里に帰って衆生を教化したいからだと道元はまた答え、さらにまた「何のタメに」と聞かれて、道元は衆生のために役に立ちたいと 答えたといいます。そこで「僧のいわく、畢竟してなにの用ぞ」と。道元はついに窮して答え得なかったのです。
禅を「言葉」に学ぼうとしていたからです。それは「行」ではなかった。そして彼道元はついに「只管打坐(しかんたざ)」へと極まって行ったといいます。
親鸞にも似た話があります。彼は念仏の多念一念論議でも、徹して「一念」がよしとした人です。「南無阿弥陀仏」のただ一念で足ると人に教えてきました。 ところが、ある時に、衆生救済の奮発として浄土三部経を千度読もうと発起したというのです。すぐ、恥じてやめたそうです。南無阿弥陀仏の一念でよいと信じ ていながら、なぜに経典の読誦にこだわったろうと恥じたのですと。親鸞は生涯にこういう「惑いに、二度襲われた」と反省しています。
* バグワンは、経典や聖典に頼ってそれを「読む」行為に「甘え」てしまうのを、著しい「エゴ」の行為として、いつも戒めます。わたしは、つくづくそれ を嬉しく有り難く聴きます。何かの功徳を得ようと読む聖典などは、ただの「抱き柱」に過ぎない。それあるうちは打開などあり得ないと思うからです。バグワ ンは、聖典や経典はすでに真に打開し「得た」人にとってのみ意味のあるもの、納得できるもので、そうでない者にとって真実の導きには決してならぬどころ か、そこで「わかった」という「エゴ」があらわれ、躓きを繰り返すに過ぎないと言います。全くその通りだろうとわたしも思う。
それでいて、バグワンを繰り返し「読み」つづけ、大部の源氏物語を毎日「音読」しつづけ、夥しい量になる「日本の歴史」を欠かさず「読み」続けたりして いるのは、迷妄・執着のかぎりのように思う人もあるか知れませんが、ちがうのです。わたしは源氏を読んで心から楽しんでいるだけで、「畢竟してなにの 用」とも関係がない。それは「日本の歴史」についても同じであり、ましてバグワンはただもう「読む嬉しさ」で読んでいるのであり、一時の道元のように、バ グワンの教えを「学ぼう」「識ろう」としてでは無いんです。学んでみても始まらないことをわたしは知っていますし、覚悟しています。わたしは、ただ「待って いる」だけです。何を待つとも、待っていて「間に合うとも間に合わないとも」わたしには何も分かりませんが、それは仕方ないこと。バグワンの声が耳に届くの が嬉しくて楽しいから読みやめないのであり、他の本もおなじこと。何も求めていないから楽しいし、何もいまさら覚える気もない。自然にゆったりと、無心に 、したいことをして楽しめればよく、まだまだそんなところへわたしは達していないけれど、達しようとして達しられることでもなく、恥じてみても始まりませ ん。

* 十六年余も以前の述懐ですが、いまも、「読み・書き・読書」どれも「ただ楽しく」てしているだけ。

* その「楽しみ」にも不覚の失敗で狼狽し慨嘆を余儀なくされる日もある。昨日発見した私自身の不用意なミステークは、明瞭に「五人に一人」の方に迷惑を かけていて、しかもそれらがどなたであるかを把握のすべが無い。願わくは「送付挨拶」から目を「奥付の表示」へ転じて、粗忽な挨拶では数字の誤記があった とご判断頂けると有り難い。
三十四年もおなじ事を続けていて、こんなミステークは初めて、アタマを掻いて恒平は閉口しています。
2019 12/8 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

39 * 2003 06・25   疲れて衰えがちな気根を潤してくれるのは、楽しみな各種読書のさらに根の所で、毎日毎日胸に響いてくる「和尚」バグワンの声と言葉です。これほど透徹したものを伝えてくれた人はいません。
もうわたしにはあらゆる聖典が事実問題として無用です。なぜなら聖典を読みとる力など、今のわたしに有るべくもないから。「enlightened=悟 りを得た人」にだけ聖典は、微笑とともに頷き読まれ得るもの。そうでない者には却って読めば読むほど自身のエゴを助長し、いわば抱き柱に固執させるだけだ とバグワンは云い、ティロパも云います。その通りだとわたしも今は思っています。聖典に読み依りかかる人達の切実さを否認しないから、「およしなさい」と は決して云いませんが、聖典を読めば救われるなどということは、誰が保証しうることでしょう。
わたし自身、例えばバグワンの言葉に耳を傾けていたら「悟れる」などと、つゆ思っていません。わたしはわたし自身に目覚めて行き着く以外に、どうにもな らないでしょう。バグワンはわたしを「静かに」はしてくれます、が、それで至り着くのでもなく、そもそも至り着くべき目的地などが遠く遠くの決まった地点 になど存在しているわけがない。目的地が在るとすれば、それは既に「わたし」の「うち」に在るようです、が、それが──まだまだ。
* 会う人ごとに「お元気そうですね」と云われます。そう見えるのでしょう、たぶん。しかし、わたしは衰えています、めっきりと。
* 僕は( )へてゐる    高見 順
僕は( )へてゐる
僕は争へない
僕は僕を主張するため他人を陥れることができない

僕は( )へてゐるが
他人を切つて自分が生きようとする( )へを
僕は恥ぢよう

僕は( )へてゐる
僕は僕の( )へを大切にしよう
* ( )に漢字一字を入れよとは、東工大の教室の諸君には、難解な出題でした。 2019 12/9 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

40 * 2003 07・17
☆ 人の心は知られずや 真実 心は知られずや   室町小歌
* この、中世人たちの、うめくほどの「嘆息」は、次に、いったい、どの方角へ身を転じようというのでしょう。自棄か断念か暴発か狂気か、放埒か、無頼か。いいえいいえ、現代のわたしたちも同じではありませんか。
「心」などという、何とかに刃物ほども危ないものを、或いはたわいなくロマンティックに頼み、或いは小ずるく政治的に利用し、或いは偽善のために或いは打算のために或いは虚飾のために担ぎ出す。
「心」が良くしてくれた現代とは、何が在るの? むちゃくちゃになった人間たちの世間。いやになる、つくづく情けない。何故かなら わたし自身無罪でないから。わたし自身、むちゃくちゃだから。けちくさい心にしがみついて、口にする言葉はたちどころにウソになるばかり。
* 京の、家の近くの、白川の、狸橋の上から逝く川波に眼を凝らして、少年のわたしはいつも時を忘れていました。ちいさくするどくかすかに音たてて、わ たしのちいさな視野は躍るように不変でした。不変の川波は、わたしの眼玉のまるで鱗と化し、あれから六十年、わたしは鱗の眼で生きてきました。
いやだ。いやだ。
だが、どうにもならない。嘆息するのは人の心ではない。わたし自身の心が知れないのです、あたりまえです。あたりまえと思えるようになっただけが、終点前の、かすかな希望でしょうか。けれど、すごく寂しい。
2019 12/10 217

 

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

41 * 2003 07・27   ☆ すこし酔って帰ってきました。ごく近所で毎日曜日ジャズを歌うご夫妻と知り合いになり、焼酎をいただきながら聞いてきました。
ちょうど、無性に人を恋しくおもう気分のところでした。秦さんに甘えたメールを送ったら笑われるかも、と、ちらと思っていたら、メールをいただいていたので、うれしくて。
この数週間でめざましく元気になりました。
健康感を取り戻したいま、いかに自分が参っていたかがわかります。数週間前の自分さえ、今の私からみれば「途上」にありました。参っているさなかにその自覚がないのは、危険かもしれませんが、私にとっては救いでした。
声をかけてくださること、どれほど有難いことか。どれほど嬉しいことか、いつも胸にあります。ほんとです。
HP、PC上で書いたり創ったりしたたものを、yahooのサーバーにつなぐ作業が残っています。正直にいえば、すこしこわいのです。かざってはいませ ん。かえって、読まれることを思うと、そがれるものがあります。それもウソになりはせぬかと、自分の弱さを振り払おうと。
ごめんなさい、こんなこと。
ちょっと酔っているのです。おゆるしください。ひと恋しくて。   東工大卒業生
* この人、やっと、こういうふうに思いが、強張って守っていたものが、流れ出るようになりました。元気になってきたのは確かでしょう。こ の人も、いわば「こころ」派の人すから、その意味で「こころ」に対しては慎重に懐疑的に、少し冷淡に付き合って欲しいなと思っています。いつかまた結婚し たいと思う人に出逢うでしょう。その時までに、少し用心して自身の「こころ」を忘れるていたほうがいい。むしろ「からだ」をいたわり、優しく励まして鍛え ておくのがいい。慰め、また鍛えた方がいい。
「こころ」に従順すぎる人は「からだ」を傷めてまで「こころ」を守りまたふりかざしますが、そんな「こころ」のアテにならないことは甚だしい。「こころ」派の人で「静かな心」の人の、めったにいないことでも、わかります。
今日、四十三歳にもなった娘・朝日子よ。元気な心でいるかい。  2003 07・27
2019 12/11 217

☆ 歌人の藤原龍一郎さん、俳句に打ち込まれていた頃の全句集を戴いた。もう一冊、秦久美さんという俳人との趣向の句集も。俳句は、真実、むずかしいと思います。感謝。 2019 12/11 217

* 一服気分で「催馬樂」を広げていて、「庭に生ふる」に出会った。

庭に生ふる 唐薺(からなづな)は よき菜なり
はれ
宮人(みやびと)の さぐる袋を おのれ懸けたり

「庭に生えている薺はいい菜だ。ハレ。宮人が下げている袋を、おまえは掛けている」と校注者は読み、擬人化した薺への「親愛の情にあふれている。それは 児童の心に通じている。わらべうたとみてよい」として、頭注では官人らが「習俗として」薺に似た「三角形の袋をさげていたかどうかは未詳」としているが、 そうだろうか。そんな歌のどこが「ハレ」と囃し合う面白い歌であろうか「わらべうた」などと誤解も甚だしい。
男である官人・宮人のいつも「さげて歩いている袋」は、決まっている、「きん玉」という袋で、庭の薺の恰好からそこへ聯想を持っていき、笑い囃している歌である。
困るなあ、一流の大出版社の古典全集の校注や解釈がこうでは。

* 実は前にも「閑吟集」でこんなのがあった。

世間(よのなか)は ちろりに過ぐる ちろりちろり

これを校注の先生は 「世の中のことはちらっちらっとと過ぎてしまう」と説明されていた。なんじゃいな。「世」は、古来、男女好色の仲を意味している。 好色一代男の名は「世之介」であった。「ちろり」はいわゆる酒の燗徳利、それに「ちろりちろり」と「短い間」の意味をかぶせて、好いた男女「床の一悦」 は、燗徳利の煮えるまも保たないで過ぎたよと、苦笑し失笑し自嘲し談笑もし唄っている室町小歌であった。
古典を読む時、いい校注の手引きに感謝と同時に自身の感性を忘れ果てていてはならない。
2019 12/11 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

41 * 2003 08・02  バグワンのことを「最大級の導師」「とうとう人類がかちえた真の王者」かどうかなど、そんな世評はわたしの知るところでありません。実像などなんにも識らないし識ろうともしてこなかった。
ただただ、わたしの魂にビリビリと響いてくる存在と言葉なんです。
だれかにバグワンの押し絵を「伝えたい」のではない、わたし一人の安心と無心へのそれがおだやかな静謐の時になるだろうと思うから向き合っています。聴 いています。おそれ、気をつけています唯一つは、そんな対話が、「知解」という「分別」へわたしを突き落としかねないのがこわい、ということ。   2003 08・02
2019 12/12 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ
43 * 2003 08・ 16   『ゲド戦記』の終巻「アースシーの風」が示唆していたように、地球が、根底のところで傷ましく病んできたような不気味さ。アメリカ、カナダの広 域大停電が、二昼夜に及んで原因すら掴めず、復旧にも手間取っているおそろしさも。科学的・技術的には理由は簡単につくのでしょうが、テロでなかったとも 断定できませんし、たとえテロでなくても、そうする気なら出来てしまうのが、サイバーテロの恐ろしさです。
映画「ザ・インターネット」のように政治的経済的に迫るテロもあれば、停電やダム破壊や列車妨害のような生活線から侵してくるテロもありえます。
だが、どこかで人の「内側」が侵されている、ともいえましょう。
安易にお題目や空念仏のように「心」に頼んで、その心が軽薄で実のない要するに安い分別心でしかないとなれば、いまの世、人の分別心はとかく「利」や 「得」の方にばかり働いてしまうのだから、「心」を振り回せば振り回すほど、現代の蟻地獄は深く凄くなってきます。わたしだとて、何の例外であろうや。
* 絶やさず来ていた人のメールが、ひたと止まることがあります。機械の故障も待ったなしに突如起きます。起きてしまえば、どうにもこうにもならないの が機械というヤツの傲慢さ、お手上げになる。回復には金と時間がかかる。よくよく考えれば傲慢なのは機械でなく、人間の無神経さにあるのですね。わたしと て何の例外であろうや。  2003 08・16
2019 12/13 217

* 新版の源氏物語は「藤裏葉」へ到着し、 やがて夕霧と雲居の雁との久しう塞えられていた幼な恋がめでたく遂げられる。こころもちあたたかな巻で、そ、この先はさしも源氏物語にもかげがさしてく る。岩波文庫の新版は訳注懇切で、若い読者にも分かりよく親しめるだろう、ありがたいことだ。
トルストイ「戦争と平和」は、アンドレイとピエールがともに立ち現れ、ヒロイン登場を心待ちにしている。
レマルク世界の息詰まる切なさ苦しさと胸を浸してくる優しさには、繰り返し読んでいても感動する。ときならずブワッと泪する。
千夜一夜の物語の飽かせぬ面白さ、ちょっとだけと読みだしてもいつか頁数を増し増している。
ホメロス「イーリアス」は、とにかく叙事が長い。訳者である聞こえたギリシャ語学者の日本語が至ってたどたどしい。森鷗外の「ファウスト」や「即興詩人」のようには、とうてい、いかない。
2019 12/13 217

* 煙草とは生涯無縁で終える。
で、一服というとき私は、ツイ手近な本をつかむ。
今も、ひょいと手の届くところに置いた古い(これも秦の祖父鶴吉遺品の)小さい掌大の和綴じ本を手にした、題簽に、『新編熟語字典』とあり、イロハ順 に、四百数十頁に亘り四段組みで無数の熟語が、意訳付き列挙してある。明治三十九年十一月十日に大阪の精華堂書店から頒価の記載もなく出ている。百年を優 に越して古色のいたみもあるが、今日の文庫本より小ぢんまりと軽い和紙の、手に柔らかな感触はまことに快い。
ぱっと開いた最初に、「桑」の熟語が三つ目に附いた。
「桑門」 これは「ヨステヒトナリ」とあり、坊さんのことと識っている、が、
「桑梓(サウシン)」が 「フルサトノコト」とは識らなかった。「桑楡(サウユ)」が 「ヒノカクルルトコロヲイフ」とも識らなかった。
熟語をたくさん嚢中に蓄えおくことは 昔の知識人には最重要な勉強であったやも知れぬ。日本語の文章に漢語のメリハリをつけてちょいと威張るには「熟語」は最適の見栄えでありえたろうから。
2019 12/13 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

44 * 2003 09・02  ある人とちょっとした「こころ」論議が続いています。漱石の小説ではない。心、のハナシ。
その人は、確信的な「心」大切の信仰心をもっています。わたしの「心」不信が容認出来ません。断乎容認などしたくないんです。自分の「心」を愛し、信頼しきっているらしい。
わたしは何度も書くように、心はアテにならない、時々刻々変容し変貌して果てしなく、一つ間違うとそんな心に惑い、ただもう、うろうろしてしまうことが 多いと感じています。それはお前の心が定まっていないからであると云われればその通りで、不動心も無心も、滅相な。心の鍛錬も改造も、じつに難しい。わた しは人の心で傷つけられた覚えよりも、自身の心によってしばしば戸惑い傷つきさえした思いが、子供の頃からつよい。
できれば「心に頼る」よりも、心など「無いもの」かのようにし、心に振り回されまいと、つい、つとめたいのです。心は、「お前は逃げるのか」と咎めてき ますが、そういう心ほど、はなはだ危険なトリックを仕掛けてくる。心を落とさずに、心を蜘蛛の糸のように「他」へ絡みかけ寄りかかれ、それが「安心」とい うものだと、途方もないことを指示し司令してきます。自身を喪ってもよし、おまえは心そのものに成れと教えてきます。もっともっともっと願え、願望せよと 司令してきます。
心にもじつはいろんな心があり、一概に云えないのですが、人を凝り固まらせたり、ひっきりなしに分裂的に悩ましたり攻撃的に他に向かわせる点で、「諸悪の根源」じみるとわたしは理解して、もう久しい。ほんとうは、心のことなどあまり考えたくないのが本心です。
無心に近く、静かな心でいたいが、そのためには自身を「心の餌食」にしてはならぬと想うのです。

しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの餌食となさず    石川不二子

すぐれた姿勢だと思ったし、教室の学生たちにもそれを伝えました。
喜怒哀楽や情熱や恋愛や努力が、心というものを離れた仕方では不可能なのか。それをわたしは考えてきました。
心はすぐ、目の前のそれが善か悪か、好きか嫌いか、大か小か、欲しいのか欲しくないのか、などと「対立」させ、「選べ選べ」「分別せよ」と迫ってきます。その騒がしい拘泥りが、人を「静かな心」から、むげに、むざと、遠ざけてしまう。
心をめぐる論議は、かなり、しんどいです。  2003 09・02

* 幾つもの資料戸棚の沢山な抽斗にも、押し入れの函、函にも、庭の物置にも、おそるべく多数の当時東工大生だった学生達の手紙・ハガキ・書き物や成績。 レポートなどが溢れかえっている。これをどうするか。唸ってしまう難問で、一切捨て去れという声も内心にあり、とても捨てがたい思いがそれ以上にある。或 る時期の或る場所で不特定多数の学生達と日々に応対していたそれらは厳然とした証拠物件になっており、独り独りの学生の性格を余念なくあらわにした証言集 なのである。懐かしい遺産であり、偽り無い此処の告白が詰まっている。わたしがもっとまだ若ければ幾つもの創作のいい栄養素になったろうが、いまは、どう 処置していいのかと、困惑のタネになっている。身動き鳴らなくなりしかし字はよめるという時の、佳い慰みにはなるなあと、やはり捨てがたい。
2019 12/14 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

45 * 2003 09・18    人は、人のことを、ほんとうに知らない、知ろうとしないでいて、自分の思いのままにならないと嘆く生きものです。しかもその「自分」のことだって、実 はよく知らない、分かっていない。そのこと自体が、分かっていない。雲の足場に幻覚の城を建てているような生きものなんでしょうか。
堅実に把握しないと、なにもかも表現は、ただもう泡のように頼り無い。無反省に「こころ」を信奉している人に、晴雨ただならぬ空模様のように、それが現れて見えます。
頭脳と心臓。この語に「こころ」とルビをふるなら、どっちにふるか。四の五のいわず、あえてどっちかを選んで見て、そしてなぜか、考えてみたい。東工大 の千人もの学生諸君は、かつて、教室でのわたしの問いに、なんと十の七人まで「心臓」の方にふりがなしましたよ!  2003 09・18
2019 12/15 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

46 * 2003 10・05    「音読」で十年余になるわたしのバグワン本は、今また何度めかの『般若心経』を読み進んでいます。ゆうべは「知識」への本源的な批評を読んでいまし た。なにの花ともしらず眺めた花の美しさ、その瞬間には花と人との深い融和と一体感とがあります、が、一度びその花がバラである、ナニであると知ったと き、人と花とに「距離」が生じます。この「距離」という精妙に微妙で正確な指摘をわたしは直感的に全面的に受け容れます。そのようにして我々は余儀なく大 事な幸せを手放さざるを得ず生きてきたと思うのです。
知識は、まず何より知っているモノゴトと知らずにいるモノゴトとに、分離や分割を強いてきます。「分別」のつくりだす「距離」がいやおうなく現れます。 心は、マインドとは、「分別心」そのもの。マインドという心はこれを高く旗印に掲げます。人の不幸は、この旗印のもつ詐術に気付かず、大事なモノ・コト・ ヒトの半ばを実は捨て去ったことに気付かずに、もっと大事なモノゴトを手に入れた、獲得したかのように錯覚し評価してしまうこと。そして底知れぬ「もっ と、もっと」という蟻地獄に身を投じて行き、しかも本質的な関心にはほとんど何の役にも立たない・立たなかったことに、死の間際になるまで気付かないので す。
分別をのみコトとする知識=論理では、人は決して静かな無心には至れない気がする。むやみと知識に惑わぬ敢えて非論理や無分別の体のトータルな静謐が大 切と思うのです、わたしも、バグワンとともに。譬えて謂う「分母」がそれであり、それゆえに「分子」は自在に多彩に活躍してゆける。わたしの例でその分子 とは、政治への関心であれ、「湖の本」や電子文藝館であれ、無数の人間関係であれ、みなそれは夢であり絵空事であり虚仮(こけ)に過ぎません、分かってい ます。分かっていてずいぶん活躍すればいいんです。分かっているから楽しめばいいんです。しかし大切なのは分別や知識ではない、それらが引き裂いてきた夥 しい亀裂や分裂のみせている深淵の凄さを、一気に棄て去れることが大切です。人は勝手に分別という「真っ黒いピン」を我から無数に身に刺し、その痛みに耐 えかねて奔走しています。そんなピンはもともと刺されては居なかった。刺したのは自分なんです、それも分別や知識や打算で。
ピンは抜き去ることが出来ます。だが難しい。わたしのこういう言辞も、まだ分別くさいなと我ながら思います。  2003 10・05

* 16年の余も昔の自身日々の感想をこう読み替えしていると、以来老耄を重ねてきた今日という惘れる思いがある。もはやありのままにどう老耄に身をまかせて怪我だけはなく生き延びるか。そんな想いで吐息する。

☆ 伊勢の海    催馬樂
伊勢の海の きよき渚に 潮間(しほがひ)に
なのりそや摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はんや

* 明らかに民謡。そして大勢が開放されて唄い合う民謡に字義 語彙 歌詞を 尋常に言葉通りに受けておわる習いは、ほとんど無く、その含意に健康な猥褻を謳歌して歓んだことを忘れ果てていては、古典を伝える意義がうすれる。
この光る源氏でも酒興の歓談や唱歌のなかで唄っている歌も。「清き渚の潮間い」のまに、海女達との互いに放縦で旺盛な性の喜びを唄っていることは、「な のりそ」という「海藻」にも「玉」「貝」という性器への聯想が美しいまでさらりと把握されて、しかも互いに「名告りそ」と開放感を共有している。こういう 開放は山にも野にもあったし、このように海浜にもあって自然。
当節のいい年輩の学者さんですら、へたくそな直訳で「催馬樂」ほどおもしろい歌をただの叙景や感興に縮込めて呉れる。文化財に落書きでもされるような被害感を覚える。 2019 12/16 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

47 * 2003 10・31
* 漱石作のあの『こころ』でした、「先生」と「私」とが散歩に出て、広い植木屋の庭なかに入り込んで休息し、おしゃべりする場面がありました。わた しの脚色した戯曲では、此の場面で、加藤剛の「先生」と***の「私」二人に大事な会話をさせています。原作にもあったのですが、「こういう静かなところ にいると静かな心になりますね」と「私」が云い、それから「心」の話になります。会話は微妙な問題に触れていって、「先生」が「私」に念を押されて応えて います。なんでも遺産か財産か「金」のはなしでした。「先生」は言うのでした、はなから悪い人間はいない、人間を悪くするのは金だとか何とか云い、あまり の「簡単」さに若い「私」が鼻白みますと、「先生」は即座に逆襲して、そうれみろ、さも心、心ときみは言うが、そのきみの心が、じつに簡単に騒いだり乱れ たり変心したりするじゃないかと窘める。
漱石は「心」の頼りなさをよく分かっていたのでした。
心だ心だと騒がしいほど心をタテにとる人がいるものですが、そういう人に限って、いわば変心し躁鬱する度合い甚だしく、平静が保てない。その上、わるい ことに、そのようにバタバタする心をもっていることが、さも純真で素直で自身を刻々誠実に偽っていないのだと錯覚しているんです。
浅瀬をはしる水はせいせいとして清いようですが、さわがしく落ち着かない。よくもあしくも軽薄軽躁です。流れも見えぬ深い淵瀬の静謐がない。そして大事な物を見失うのです、喪失してゆくんです。 2003 10・31
2019 12/17 217

* 源氏物語「藤の裏葉」を楽しんでいる。幼な恋の夕霧と雲居の雁とは、女の父(かつての藤中将、現に内大臣)の不興で久しく成らぬ恋のままに、しかし夕 霧は冷静に思いを持していた、女の方も。夕霧の素晴らしい成長ぶりにつけ内大臣も気負けのていで、藤花の宴にことさらに夕霧を招いて、恋の成就をむしろ請 い求めるていに、子息達にもにぎにぎしく歓迎させるのがこの巻。その宴のなかで催馬樂の「葦垣」が唄われるが、これは「夜這い」囃す歌である、夕霧の、妹 雲居の雁へ忍び入るかに囃すのである、それが「葦垣」。夕霧はこれに応酬気味に催馬樂の「河口(川口)」を口にする。親の目を盗んで女が男を誘い入れる歌 であり、夕霧は諧謔のうちに夜這いの「葦垣」に応酬したのである。
かようにも「催馬樂」という歌謡には、あけひろげに堂上公家たちですら唄い囃して常平生興がれるタチの「性の開放感」が身上・趣味・魅力なのである。男 だけでなく、老女源典侍も催馬樂の歌詞をくちずさみに若い美しい光源氏を誘っていた。平安貴族らの性の開放は、今日のわれわれの想像を超えるまで浸透して いた。
「催馬樂」なりのエロスを魅力・魅惑の歌謡は、江戸時代にまでむしろ旺盛に生きのびていたのに、明治以後の近代現代には、かかる趣味能力は「トンコ節」程 度にまで貧弱に拙劣に落ち込んでいる。「催馬樂」学者まで、まるで取り澄ました叙景歌かのように読んでくれるのだから、「セクスアリス」は当節悪玉めいて 取られてしまうのも当然か。つまらない。そういえば、昨日だったか、何かのドラマで老境へあしのかかったような男が、昂然と「男の性力は六十五からがホン モノじゃ」と豪語していてビックリした。知りませんでした。
2019 12/17 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

48 * 2003 12・25    夜前はクリスマス・イヴでした。明治の文学者たちの仕事を掘り起こして、時代の先端の「e-文藝館=湖(umi)」や「ペン電子文藝館」に送りこみ、 バグワンと源氏物語を音読し、そういえば、クリスマス・イヴからドラマの始まる、キム・ノヴァクとジェイムズ・スチュアートの映画「媚薬」を、ひとり、深 夜に見終えました。永久保存のためにディスクのチップを切り取りました。
そうそう藤村『夜明け前』の青山半蔵馬籠宿は、彼が、伊勢から京都へ少し長旅の間に、木曽一円の烈しい百姓一揆に巻き込まれていました。半蔵は心底から 京都の新政権に「復古の理想」を期待しており、時代の動乱に不安と反撥を禁じ得ない農山民達の動揺との間に、寂しい距離を痛感し始めています。島崎藤村の 筆は悠然として簡潔に深く時勢を剔ります。
源氏物語の音読は「竹河」の巻をすすんでいます。うまくすると、年内に終えて、新年からいよいよ宇治十帖に入れるかも知れません。
宇治十帖を、当時流行の言葉で「人間形成の文学」と読んだ拙い感想が、入学した年に創刊された大学の専攻紀要への、初寄稿でした。思わず顔赤らむ心地です。
バグワンは語っています。キェルケゴールが、人間は「おののく存在」だというのは、半ば正しく、サルトルが「自由は刑罰」だと言うのも、半ば正しいと。 「おののく」のはつまりは避けがたい死におののくであり、それは心=マインドに引きずられて、我=エゴを落とせない者達には、まさしくその通りである、 が、そこを透過したものには全く当てはまらないと、バグワンはまこと適切・的確に語っています。あの広大な外なる空(そら)と、自身が身の内にかかえてい る空(そら)とが、べつものでなく、全く一つに繋がり拡がっている空(そら)だとわかれば、と、バグワンは深い示唆を与えてくれます。
* 自由は、たしかに刑罰のように人の上に重くきつく問いかけて来ます。たいていの人は「自由」がおそろしい。不自由に何かの支えに取り縋り抱きついて いる方が遙かに楽なのです。人は自由が刑罰のようにこわいというサルトルの言説は的確です。ですが、彼の自由とは、自由になるもならぬも「自分」の問題と して捉えています。しかし真の自由とは、何かを自由にあしらう自由ではないはずです。自分自身「からの自由」こそが真に自由なのだとバグワンは云うので す、その通りです。サルトルの言説が優れた「警句」の域を超えてこないのは、発想の根に「我=エゴ=マインド=心」そのものの自由ということを重く引き ずっているからだと、わたしは、またまたバグワンの言葉に頭をたれています。  2003 12・25
2019 12/18 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

49 * 2004 01・04夜    一人暮らしは気楽なようで安易にもなりやすく、翻弄もされやすい。十分気を付け、あらゆる意味で「鍵」掛けを、慎重にとお節介をやきました。若い人の 自宅をあえて離れた一人暮らしでは、なにかしら、女の人の場合の最終的な破綻のケースが多そうに感じられるから。自由のつもりがいつ知れず不自由に拘束さ れ、ときに支配されてしまうこともあるのでは。
書きたいのは「ビューティフル・マインド」?。題を聴くだけで、つらそうに感じます。
「マインド」は、けっしてビューティフルにはなれませんよ、ハートとかソウルならばとにかくも。
「マインド」の機能は、迷・惑、そのもの、つまり思考・思索・論理・分別。そして自我の肥大増殖が残り、どこかで失調します。
ふつう、手ひどい失調にまで 陥らずにすむのは、よくしたもので人間様がどこかで分別や思索を投げ出しているからです。失調もしないかわり、たいした論理も残らない。理屈の断片だけが 貝塚のように積まれ、人はのんきにそれを自分の「思想」だなどというが、ナニ、ただの「ごみ堆積(ため)」なんです。これは、自嘲。   2004 01・04夜

* 15年も経っているのか。「ビューティフル・マインド」で生きて行きますなんてことを盛んに云う女子 卒生がメールを寄越し続けた時期だったかも。善意でぐらいな気だったか。「意」は厚顔ないたずら者で、瞬時もおかず善意らしくも悪意じみもする。いっそ 「意」は批評と行為・行動とに繋げばいい。悪政、忖度、横暴、強慾。打ち倒したい相手は山のよう。
2019 12/19 217

* さ、床に入って今度はお休み前の読書です、七册ほど。
2019 12/19 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

50 * 2004 02・28   なにのアテもなく更けて行く夜を半ば憎みながら、機械にふれ続けていました。二時になります。わたしの背後のソファには(愛猫の=)黒いマゴが熟睡して います、この部屋が暖かいから。わたしが、ここで起きているから。安心しているのでしょう。しかし、もうわたしの眼球、乾いて腫れてきました。階下に降 り、バグワンに聴きましょう。
いま、またバグワンは、ティロパの『存在の詩(うた)』を話してくれています、わたしはじっと聴いています、音読しながら。
源氏物語の「宇治十帖」は、いまにも大君が他界するでしょう。遺されて、中君の人生がはじまるのです。好きな女人です。
また、江戸時代の歴史に、いちばん必要な究明と理解とは、「大名と百姓」なのだとつくづく分かってきました。両者の間に「商業」が介入してきます。どれ ほど豪農にいためられながら貧農たちが立ち上がって行くか。どれほど幕府や藩や代官達が苛酷に農民をいためながら、しかも大名も武士も貧窮の坂を転落して 行くか。なぜか。
こういうことを理解していないと、勤王も佐幕も分かるわけ、ありません。 2004 02・28

* ほんとに、この師走、「討入」の一言も耳に眼にしなかった。「公儀」の無道・無残 いまほどヒドイ時はないのに。
2019 12/20 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

50 * 2004 02・28   なにのアテもなく更けて行く夜を半ば憎みながら、機械にふれ続けていました。二時になります。わたしの背後のソファには(愛猫の=)黒いマゴが熟睡して います、この部屋が暖かいから。わたしが、ここで起きているから。安心しているのでしょう。しかし、もうわたしの眼球、乾いて腫れてきました。階下に降 り、バグワンに聴きましょう。
いま、またバグワンは、ティロパの『存在の詩(うた)』を話してくれています、わたしはじっと聴いています、音読しながら。
源氏物語の「宇治十帖」は、いまにも大君が他界するでしょう。遺されて、中君の人生がはじまるのです。好きな女人です。
また、江戸時代の歴史に、いちばん必要な究明と理解とは、「大名と百姓」なのだとつくづく分かってきました。両者の間に「商業」が介入してきます。どれ ほど豪農にいためられながら貧農たちが立ち上がって行くか。どれほど幕府や藩や代官達が苛酷に農民をいためながら、しかも大名も武士も貧窮の坂を転落して 行くか。なぜか。
こういうことを理解していないと、勤王も佐幕も分かるわけ、ありません。 2004 02・28

* ほんとに、この師走、「討入」の一言も耳に眼にしなかった。「公儀」の無道・無残 いまほどヒドイ時はないのに。
2019 12/20 217

* 書庫へ入っていたら、恩師園頼三先生の昭和二年(私は昭和十年生まれ)の旧著『怪奇美の誕生』を見付けた。
私の太宰賞受賞作「清経入水」を「現代の怪奇小説」と支持していただいたのは選者のお一人河上徹太郎先生だったのを懐かしく思い起こし起こし、こんどの 『オイノ・セクスアリス』や「花方 異本平家』を書いていた。大学の「美学・藝術学」の恩師園先生にこの著の在って、買い入れていたことが思い出せた。大 学院へ推薦して頂いていながら、一年で、東京へ奔った、私。優しい恩師であった。
2019 12/20 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

51 * 2004 03・22  いま。深夜ですが。死にたいほどと、瀬戸際の声がとどきます。若い人です。東工大の卒業生です。大教室でも教授室でも飲み食い歓談の折にも 「ハタ印し」めく一首を添えて。
☆  生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ   大島史洋
* 追うべき幸福ではないと実感したら、引き返すように。そう伝えましたら、「こころの声に、耳を傾けて。その声に従うのみです」と云ってきました。
むろん、花は後悔するために咲いたりしない。花は無心です。あえて強いて謂えば、後悔しないために花は咲きます。若い人の恋もそうでしょう。それでいいと思いますが、それにしても、またしても「こころ」の声にとは。「こころ」こそ いちばん頼れなどしないのに。
心=マインドは 一瞬にして、たった今し方のまっさかさまを云いだす魔物のようなもの。それぐらいは、どう若くとも体験的に知っているだろうに。
「こころ=マインド」とは、鏡ほどに澄んだ青空の前を、ひっきりなしに去来する「雲」のようなもの、別名は、思考・分別。
澄んだ無限の青空が、人根源の本来か。その青空を、ともすれば隠そうとして働く黒雲白雲とおなじ、所詮はよそから来ては去って行く「こころ」が自分なのか。少し本気で考えてみれば分かるでしょう。何のために、人は「無心」という澄んだ在りようを理想にしてきたか。
「こころ」より 「からだ」の方が信頼できるかも知れない。「こころの声」ほどアイマイでいい加減で頼り無くて変わり身の早い悪党は、世の中に他に無いのではないか。
頼めるほどのものは、そう、身辺に在るものではない。頼むとは、それに抱きつく・しがみつくこと、わたしの謂う「抱き柱」ですが、そんなものに所詮は頼っていられないでしょう。自分で自分を騙すような真似になる。
考えを、強いて、押しつけている気はなかったのです、向こうは「若い」のです。若くて惑っているのです、「こころの声」にしたがい戻れない橋を渡りたいというのです。
ああ、「心の声」にしたがうなんていう実体のない格好だけの言葉でなく、ただ眼をとじ、深い闇に静かに沈透(しず)いてみるといい。そこに何が有るか。そこに自分がいるか。心なるものが存在するのか其処には。肉体すらその闇には、無いのです。
闇は無限定に深い。その闇が、そのまま澄み切った青空に、一枚の何も映さぬ鏡になる、なれるか、どうか。わたしは、日頃じっとそれを「待って」います。努力して頑張って成れることではないし。人生は危ういのか。黙。  2004 03・22
2019 12/21 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

52 * 2004 03・23    若い人もほんとうにいろいろです。男も、女も。老人だって、いろいろであるに違いない。
よくよく見ていますと、みな、それぞれに闘っている相手は、孤独、とでしょうか。いえ。孤独はいいのです、すばらしいクスリですらある、が、孤立してはいけない。
恋というのは心でするものだと、ある人は云いました。そうかも知れない、が、違うのと違うやろかとも思います。心が人を幸福にすることは、めったに、ない。無心なら、べつですが。
人は痛々しいまでに求めるけれど、けっして「静かな心」なんて心は無いのですね。無い、と確信したある瞬間に「無心」が来る、のかも知れない。
永遠にそんな境地は来ないかも知れない。  2004 03・23
2019 12/22 217

* 読み継いでいてとても興を惹かれている一冊が、明治四十三年二月に東京きョウ橋の文泉堂書店で出た塚原渋柿園講述の『処世応用 孫子講話』 兵学書の論旨を、「始計 第一」よりまさしく「処世応用」平易な語りで分かりよく説いてくれる。
戦の始めに「始計」第一は当たり前、我々の事を為し始めるに「始計」なくして何が出来よう。むろん孫子 は「兵」すなわち戦争を説いているが、われわれの日常も「兵」に類している。兵は國の(家や我の)大事で、死生の地、存亡の道に相違なく「察せざるべから ざる也」当然のこと。だからこそ、まずこれを「経(はか)る」のに「五事」を以てし、これを「校(くら)ぶる」のに「計」を以てし、その上で置かれてある 情況を深切に考慮・配慮しなければならず、当然の手順。孫子の言はじつに分かりよく説得力に満ちている。
で、上の「五事」とは。「道 天 地 將 法」だと謂う。是が「事・敵・目的」に向かう始計の要だと。孫子は、呆れるほど分かりよくこれらを説き、それ は兵戦のためを説きながら、われわれ凡常の日常のたたかいをも斯くあれと教えていて、適切なのでびっくりする。「処世応用」とはよく謂えており、「明治」 を生きた人にはひとしお必要な手引きであったろう。読み進めるのが楽しみである。

* もう一冊は、著者網野善彦はなくなったが、その『「日本」とは何か』は、日本史の読みで得ていた多くの浅い理解や誤解や無知を正してくれる記述に満ち ている。「日本」を曰うほどのモノは必読の警策と指導に満ちている。わたしは早くからこの学界ではむしろ不遇だった研究者の抜群の省察に多くを学び得てき た。もとより『花方』でも、然り。

* もう一冊、手放さずにちっちゃなヒマを見付けては頁を追っているのが、神戸榮著『受験英語熟語の活用的研究』で、ちっちっと教わっている。五分有れば例えば Break out  と Break up の異いを 活用モンダイと共になんとか覚えられる、られる気がする。絶好の勉強本である。
2019 12/22 217

* 優しかった美学の恩師園頼三先生の著『怪奇美の誕生』表題論文は95頁もの長編。大学院を一年で退いて上京結婚就職し、ほぼ一路創作へ立ち向かったの だった。昭和二年十月初版のこの恩師の著を、いつ、どこで手に入れたか覚えず、ずうっと書庫にしまわれていた。選者満票を得た太宰賞の『清経入水』に河上 徹太郎先生が「現代の怪奇小説」「先ずもって第一等」と選評していただいたときにもその先生の御本には思い至らなかった。
しみじみ読みたいと、先生の温顔にもさも似たもの柔らかにしかも堅固な大冊本を私は今 両の手に抱いている。大昔の本なのに、古色こそ免れないが、なんとしっかり上出来の函・製本だろう。
2019 12/22 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

53 *  2004 03・28    頭の中で、ことばが沸騰するようにストラッグルしているのを感じます。なんだかむちゃくちやに混乱し廻転しています。液状のも筋状のも粒状のも板状のも、ぶつかり合うように攪拌されています。
狂うような自覚はない、それを眺めている基点とも支点ともいえそうな位置でわたしは眼を開いていて、意識は騒がしくありません。なんだか、とても寂しい とも表現できます。一昨日、京都の泉涌寺にいた気持ちに似ていますが、あのときは頭の中に沸騰はなかった。懐かしい声のような情愛にわたしはひたっていた と思います、あの数時間。
即成院の阿弥陀、戒光寺の丈六釈迦、悲田院の大空に吸い上げられそうな遙かな眺望、観音寺の日だまり、来迎院の静謐、金堂わきの大桜の漫々と湛えて漏ら さない咲き盛り、後堀河陵の裏山で聴いた鴬、母校日吉ヶ丘の校庭、東福寺僧堂、通天橋をのぞむ一瞬のめまい、東福寺伽藍の交響する明浄。人と出会ってもそ れと認められない深い現実喪失の澄んだ闇。
あそこで、わたしは鬱ではなく躁ではむろんなく、静であった。願わくは清でありたかった。
* 「落とせ」と バグワンはいいます。道元の心身脱落とか、放下とか、そんな意味かも知れません、持ったり縋ったりしている無意味なものから手を放すだけでいい、よけいなものは落ちて行きます。何が、よけいなのか。何がほんとうによけいなのか。
なにで「ありたい」かが、その「よけいな」ものを決めるのか。ま、いい。
* その人の言葉が、どうしても「本気」とは聞こえないような人が、いるものです。
ものを言うとき、だれしもが本気で言うと限らないのは、こんな悲しげな事実・現実は無いのですが、概して人は「本気の言葉」ばかりを話しているものでは ありません。それどころか本気で話すなんて愚かだ、バカだ、という価値判断すら現世ではかなりの力をもっている。本気でばかり話していると世間は狭くなる ぞと、どれほど、声ある言葉でも聴かされ、声なき言葉で嘲笑されてきたでしょう。
やはり子供どうしで群れて遊んでいた昔、よく、「ソレ本気か」と問いただし、問いただされる場面に遭遇しました。本気の反対語がなにであったか、「ウソ 気」というような不熟な語であったかも知れません、人はたいてい「ウソ気の言葉」を表へ出すことで、世渡りの瀬踏みをするものらしいと覚えていったもので す。
「じょうずにウソを言わはる」人が むしろ褒められていた社会が身の回りに、ひろい世間に、明らかに実在していました。
* 「その人」のことがほんとに好きなのに、その人の「ことば」が、浅い薄いかざられた「ウソ気」のものとしか思われない、そんな不幸な体 験を一度もしなかったわけではない。いや、何度も有ったかも知れません。そして、みすみすだまされると知ったまま、そこへ落ちこんで行く人もいないわけで ない。物語世界には、まま見かける主人公です。山本有三の「波」の女、谷崎潤一郎の「痴人の愛」のナオミ。男をあやつるために生まれたような女の、おそろ しいほどの魅力。わたしなど臆病だから、そういう女にはたぶん近づかないけれど、知らぬうちに近づいてしまってたら、どうするだろうかとは、想ってみるこ と、あります。そういう女ほどたぶん美しいのでしょうから、厄介です。
* 室町時代の絵巻に「狐草子絵巻」があり、愛した女の正体が「狐」と分かり、男は恐れ厭いニゲに逃げるのですが、あの雨月物語の名作「蛇性の淫」でもそうでした。
妙なことに、わたしは、それらを読んだとき、それらに類似の伝承・伝説を読んだとき、「えぇやないの、狐でも蛇でも」と想いました。だから「信田狐」の 伝説にも、それが歌舞伎になっても、「狐でもいいじゃないか、なぜイヤがる、バカらしい」という感想を大概持ったし、今も変わらない。だから『冬祭り』の ような絶境の恋も書いたのでした。
これを、さきに書いた「本気」「ウソ気」という意味に絡めて言いいますなら、人間の「ウソ気」よりも、獣たちの「本気」のほうが幸福に近かろうかと想っていたわけです。つまりは人間の女の、男の、「ウソ気」のほうがイヤでした。
その人の魂に、とても根ざしているとは感受しきれない綺麗な浅い「ことば」を、表情も平然と並べたてる女も、むろん男も、います。自分自身がそうでない というのは厚かましい限りと認めた上で、そういう「ウソ気」のことばを普通に使って生きている人間とは、「お友達に」なりとうないと、わたしは永く思って きました。
まわりくどくいえば、たとえばあの{懐かしい泉涌寺}を歩いているとき、一切のそういう軽薄な危険や穢れた情けなさから解放されていることが出来るんで す、そんな総てが「落とせて」いると思える。だから、わたしはあそこでは本当に「幸福」なのです、かなり寂び寂びとした幸福感ではあるけれども。
* あ、わたしは、いったい何を云うているんでしょう…、今朝は。なんのことはない、本気で人をだまくらかそうと予行演習していたのではないかしらん。分からない、自分自身がなによりも分からない。分かっているくせに、分からない。  2004 03・28

* 15年前の長々しい述懐を、やはり今も肯う。
2019 12/23 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

54 *  2004 05・15    (東工大)卒業生の、また「片思い」に疼きながら希望を持っているメールが来ていました。美しい言葉で語られています。美しいというより、上古の物言 いでなら、うるはしい、か。「希望」は、人間の持つ最良の強みであり最悪の弱みです。そしてうるわしい言葉は、リアルとの間に隙間を生みやすい。餅を焼く と、焦げて硬い皮とやわらかい中身との間に浮き上がった隙間ができます。自分のうるわしい言葉に酔ってしまわず、「今・此処」に一つの肉体としてシャンと 立ってモノを見つめたい。わたしは、いつも自分にそう課しているのですが、自分の心がいかに瞬間瞬間にゆすられて右往し左往し定まりがたいかを、もの悲し くも痛感しています。それは波打つあえない波頭に過ぎない、心理に過ぎない。
* あまりに大勢が二言目に「心」といいますが、よく聴いていると、それは動揺果てなき「心理」「サイコ」の波立ちをしか謂えていないのです。ひっきり なしに揺らぐモノの影に過ぎないのです。朝令暮改や朝三暮四どころの大きなハバでなく、ものの三十秒や一分のあとにはちがう心に揺れている。その揺れを誤 魔化そうとすると、あの小泉総理のような死んだ目をして、言葉だけをうるわしく飾らねばならなくなる。
そうではない、心とは「ハート」だと謂える言い訳が幾らでも効くかのようですが、それならば「ハート」とは、心ではなくむしろ「からだ」と同じか、から だに膚接した真の「意識」にほかならないことが、分かっていないではなりません。ハートは、「虚妄の影に過ぎない心理=心=分別という実は無分別な動揺= サイコ」とは、全くちがう次元に働いています。ハートが人間のからだを働かせているのです。ハートは一つの概念でなくリアルな働きだから、人のからだが千 差万別なのは、ハートもまたそうだからです。きれいなハートもきたないハートもある。しかしいずれにしても、それは心理でなく、からだを働かせるちからで す。だからハートは「心臓」という臓器の名になっています。
だれも人にむかい、わたしの「心理を愛して」とは云わない。わたしの「ハートを愛して」というでしょう。人によれば、それが「からだを守る」意識にむす びついて、そうして「からだとハートとは別」なのだと錯覚するようです。錯覚なんです。サイコが、ではない。ハートがからだと、からだがハートと呼び交わ しているのです。
サイコは落とされていいゴミなのです。ただの波立ちなのです。少なくもそんな「心は頼れない」のです。そこへ加わって「いやよいやよも好きのうち」式に 言葉というサイケデリックなゴミが舞い上がると、よけいややこしくなる。リアルはみえにくくなる。このみえにくくする雲や霧を払って、青空をきちんと把握 するのが大切だと、バグワンに教わり、わたしは感じています。
* バグワンはたしかなことを云います。流れる河の岸にゆったり座れと云います。ただただ河を眺めよ、と。むろんこれは喩(メタファー)であ りますけれど、そうするのが人の「心」と向き合っている姿勢だと彼は云うのです。「心」は流れ流れ流れ続けている河の流れのようなもの。しかしそれは岸に 静かに在る自身とイコールではない。明らかに自身の外を「来ては去って行く」ものに過ぎないと。それに囚われたり、それが自分だと思いこんだりするのは、 虚妄に身を委ね売り渡し奴隷になるようなものだと。「方丈記」の書き起こしに似ていて、さらにバグワンは冷静で的確です。
二言目には、「心の教育」などとエラソーな、実(じつ)の無いことを提唱する人達に、流れ来て流れ去る我が身の「外」の雑念=心理にむかい、どういう教 育が可能なのか、そもそも教育の対象になるというその「心」を、あなたは措定できるのですかと問いたい。きれいな心でもきたない心でもいい、お見せなさ い、わたしの目の前に、と云いたい。
だが、ハートは、岸に坐してゆったりと静かに河の流れをただ見守っている「わたしやあなた」のその「からだ」に、いつも寄り添っています。一つなので す。ハートが「今・此処」に「からだ」として在るから、からだは生きている。「こころの教育」とは健康な、病的に陥らないための「からだの教育」でなけれ ばならない、そんなことは聡い古人はみな知っていました、あたりまえのことでした。
* 頼りない心理に身を任せて恋をするから、恋そのものも危うくなる。ハートとは「からだ」であると信じ思い、ハートとからだとの親密な相 談を大切にすること。「静かに定まる意思・意識」が、そうして人を活かします。そうわたしは、いま、思っています。言葉は美しくしたい、が、自分の言葉が うるわしいと感じたら警戒警報ではないでしょうかね。うるわしい相貌を持ちやすいのは「理」と「言葉」する。理に落ちれば実とのあいだに無用のスカスカの 隙間をよびこみやすい、それが怖い。ことばで生きていながら、わたしが、ことばを(自分のことばをすら、)全面的には信じも認めもしないのは、それだから です。  2004 05・15
2019 12/24 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

55 *  2004 05・19    なんでそんなに「心」が有り難いでしょう。きれいもきたないもない、動揺きわまりない実態のない影の去来に過ぎないのに。
わたしも昔、「判断」の二字に気張って大人の自負を賭けていました。判断に、自信が欲しかった。
だが「わかる」という言葉の虚しさ空しさを知っていきました。例えば繪は「みる」ものです、「わかる」為に観ることの浅さや薄さを人前で語ったことがあ ります。わかる(= マインド)とは、無限に解剖し分断・分割し分別することに他なりませんが、そうして分けて分けて行って何が残るのか。空疎な結果だけが「リクツ」としての こるのです。心という「分別の聖職者」は、切り刻んで、無くなってしまうだけの空疎へ空疎へと人を唆す似非(えせ)の道徳家なんですね、心とは。
マインドは、ソウルでもハートでもない。ところが巷間の「心の教育者たち」は、若者にいい分別をつけねばならぬ、ならぬと言い立てるマインド教徒です。 彼等は、うっかりハートやソウルをもちだせば、それがからだ=BODYと直結していることを知っています。だが彼等は無意味にからだを恐れている。きたな いと思っています。きたないことでは、分別心という自己中心慾の心の方が、もっと頼りなく、汚れがちでしょう。
からだは人をだまさない。こころは人をだますためにリクツを産み出すのです、「分別がある」と自称して。
* 分かっています、とても孤独な少数意見なのです、わたしのこういう「心」批判は。
でも、笑えてしまう。三十分「同じ静かな心」でいるような人をわたしは殆ど見たことがない。くるくるくるくる変わる心の人なら、吐きけのするほど大勢 知っていて、残念ながらわたしもその一人。どうか私のそんな心なんか、だれもアテにしないで欲しい。わたし自身わたしのマインドなんぞアテに出来ないので すから。それなのにわたしは自分が不幸でも孤独でもないと思えているのは何故でしょう。大海のたった一人でしか立てない小さな孤島の上にたち、しかも高貴 な錯覚に謙遜に身をあずけ、人と倶に立つ・立てると信頼しているからです。  2004 05・19
2019 12/25 217

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

56 *  2004 05・22     死別のかなしみすら、二人の愛と幸せとを全うする小さな一部分だと思って欲しい。そう夫に言い置いてアンソニー・ホプキンス演じる大学教授の美しい 妻デヴラ・ウィンガーは、病に斃れました。名匠リチャード・アッテンボロー監督のあの映画「永遠の愛に生きて」は美しかった。
どんなに愛し合っていても、いろんな悲しみや怒りに襲われることはある。現世の人間関係はゴタクサしたものです。所詮そんなもの、ブッダとイエスとが出 逢うようなわけに行かない。そんなとき、「苦しいのも事実ですが、それも大きな幸福の一部ではないのですか」と、真実言い合えるなら、どんなにか人は救わ れましょう。安堵できます。身をゆだねられます。
* と、同時に、ともすると人が、「心で=分別や判断で=実は動揺果てない心理で=マインドで」日々、時々刻々生きているからゴタクサしてしまうのだと、慨嘆せざるをえません。
「マインド・コントロール」とは、なんてイヤな言葉でしょう。歴史上のどんなに優れた何人もが、「無心に」「静かに」と諭し続けてくれたか。それなのに 人は口を開くと、「心」が大事「心」を育めと云っている。似而非(えせ)の人ほど偽善の顔付きで他人の心をコントロールしたがります。教育基本法をいじく り回して自分達に都合良かれと画策したがるのです。自身の「心」が、どんなにはかなく頼りなく始終乱れがちなのにも、平然と眼を背けて。
信じています。
ハートとは、ソウルとは、「からだ」なのです。サイコでもマインドでもない。心理ではない。「からだ」こそハートなのです。心理は平気でウソをつくが、「からだ」はへたな分別よりはるかに正直です。
* 自分の心理と「闘うな」と言う人の言葉に、わたしは聴きたい。
喜怒哀楽、それら外から割り込んでくるすべてと、あらがい闘う必要は少しもないんです。それらをただ流れゆく川の波立ちを眺めるように眺めて、逝くにまかせよとバグワン・シュリ・ラジニーシは云いました。
喜びが湧けば純真に喜ぶがいい、怒りを圧し殺すことはない必要なら爆発させよ、悲しければ泣けばよい、楽しみは尽くせばいいと。ただ、それらの一切は、 来てまた逝くものでしかない。自分でも自身でもない。ただ来ては去って行く川浪に過ぎないのだと、「岸に座って静かに眺めて居よ」と。
わたしは、そうしようとして、ずいぶんラクになりました。喜怒哀楽をピュアに開放しつつ、それは自分自身ではないのだ、それこそ「心にうつりゆくよしなしごと」に過ぎないと分かっていよう、と。ほんとに、そうなんです。
* 秦の叔母は、生意気な若造にどんなにくまれ口をたたかれようが、「好きに言うとい(やす)」と取り合いませんでした。大概なことは自分 の外を、泡のように流れ来て流れ去る。その連続です。時に、どんぶらこと桃が流れてきます。拾いたければ拾い、拾いたくなければ眺めていればよい。「好き におしやす、」いずれは総て「うたかた」であり、自分でもまた自身でもないのですから。
自分が「在る在る」と思っているうちは自分はいない。見つかっていない。無い。自分は無い。そう腹から思えたときに初めて、自分が、海面の無数の波立ち の一つではなくて、底知れぬ海そのものだと分かるのでしょう。それまでは「好きに言うとい」と眺めているのがいい。何もしない意味ではない。したいように していればいい。余計なことをしなければいい。怒り笑い泣き楽しみ嬉しがればいい。毎日をそういう祭り日にすればいい。
わたしは、そのようにバグワンに聴いています。優れたブッダです。
感謝しています。   2004 05・22
2019 12/26 217

岩波文庫「御伽草子 下」に入っている一編を、ぜひ読みたいのだが、本がない。
2019 12/26 217

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

57 *  2004 06・03     ジャンヌ・ダルクはわたしが出逢った最初の西洋人でした。最初に見た天然色映画のヒロインでしたた。戦後の、新制中学三年生。学校から総出で観に行 きました。わたしには、あれ以前の西洋も西洋人も存在しなかったんです、戦時中、鬼畜米英などと聞かされていた以外には。
ジャンヌを演じたのは、イングリット・バーグマン。いまでも最良の女優の一人と敬愛しています。そして、幼かった私の心身に焼き付いたのは、「聖職者」 への軽蔑と「王権力や貴族」への憎しみ、蔑み。その線上に、いま、われらの総理が薄ら笑いでものごとを小馬鹿にごまかして得意がっています。新しくミラ・ ジョヴォビッチ演じる映画「ジャンヌ・ダルク」でも、今少し苦々しさが加わって、わたしは、つくづく人間への希望を喪いかけます。
そんなとき、わたしは、ただただわたしの奥底を走り流れる清い烈しいエロスの呼び声に耳を傾けます。アガペーを空念仏にしないために、わたしはエロスの愛を恋しいと思う者です。
まかりまちがっても、「心=マインド」には頼らない。  2004 06・03
2019 12/27 217

 

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

58 *  2004 06・14    「江戸文学」三十号が贈られてきて、ああもうこんなになるかと驚いています。「湖の本」が(2004年の只今で=)八十巻、創刊から十八年。われながら信じられない。この午前中にも新刊が出来て届く予定。それからが、我が家は「發送」の戦場。
その「江戸文学」巻頭に深沢昌夫氏の『近松の「闇」』という論文が出ていました。冒頭に興味深いのは、いまネット上で検索すると、「心の闇」が約二万八千、「闇」だけなら約九十四万六千件に達するとあり、確かめてみましたが、今はもっと増えている。凄い。
長崎の少女間殺人事件をひきがねに、またしてもマスコミは少女達の「心の闇」を盛んに指摘していますが、笑止にも、その「心の闇」が、そんな言葉だけの 域をこえて具体的に追究され解明されたという話を聴いたことがない。出来る話ではないらしいことを証してあまりあるのです。
せいぜい彼等が語るに落ちるのは、心とは「心理」のこと、心理的ケアというようなことになる。ケアといえば聞こえはいいが、コントロール、マインド・コ ントロールといえば、あのオーム真理教や統一協会の所業と何処が違うのかと問わねばならなくなります。つまり、そういうことが、ますます「心の闇」をかた くなな地獄に変えてゆくのではないですか。
* 「心を育てよう」と識者はすぐ云う。簡単に言います、が、「心」は育てられるモノではないし、探しても容易に把捉できないのが「心」という非在の機 能です。育てるなら「体育」の方がいいにきまっています。健康な肉体に健康な精神は宿るといわれてきた平凡そうな人類の智慧が、すっかり置き忘れられて、 何を慌ててか「機械オタク」を、幼稚園小学校からツクリだそうとするから、不幸な事件にもなってくる。あの彼女らが機械のエキスパートになる前に、校庭や 戸外でかけまわる楽しさを十分体感していたら、どうだったろうと、昔を思い出し出し、わたしは嘆きます。
コンピュータは偉大な「杖」であります。若いというよりまだ心幼い世代に「杖」は無用ではないですか。放っておいても彼等は電子的な技能など、社会の波 に揺られながら自然に覚えてゆきます。それは彼や彼女らには、「准・母国語」にひとしいんです。慌てることはないんです。
莫大な数のネット機械を小学校へ持ち込んだのは、政治的な利権がらみの一種の企業手配であったろうと、わたしは疑いません。その段階でいわば「生徒の心 の闇」は当然に棚上げされていました。そうしておいて、事件が起きると「心」の責任にしている。政治の責任、ないしは大人社会の責任でなくて何でしょう  コンピュータは、「老人にこそ適性の杖」と言い続けてきたわたしの、これが真意です。  2004 06・14

* いまや亡国亡魂の悪臭に、幼い子らからすでに毒され、痴呆のように掌大の機械のちいさな画面で麻痺状態、生き生きと働く「自身で産み 出した時間」がもてないでいるウツケ顔を電車の中で無残に眺めている。肌身も冷えてくる。幸いわたしの携帯電話はとてもそうは駆使され得ないのを、多としてお く 。
2019 12/28 217

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

59 *  2004 06・27     自分が今、おそろしくカラッポに感じられます。イヤな意味でもイイ意味でもない。空腹感に似ています。戦時戦後の欠食児童であったからあの頃の空腹 に快感のともなうわけありませんでしたが、老いてきて、満腹よりも空腹の心地よしと想われる時も自覚しています。身軽という心地に近い。
荀子は心に「虚」と「壱」を説き、さらに「静」を説きました。無尽蔵に溜め込める心が一瞬にして空っぽにもなれる。無際限に関われる心がただに壱点へと集注もできます。そして心はその芯に深い静を湛えているのですが、人はそれに気付かない。
カラッポのママデいられたら、それがいいに決まっているのかどうか。考えて済むことではない。闇に沈透(しず)いて、静かに眠るのが今はふさわしいのかも。  2004 06・27
2019 12/29 217

* 源氏物語を読み進めて「紅葉賀」巻にいたると光源氏のいわば晴れて公儀の麗姿に視線が集まる。なかでも競争相手の頭中将を「花のかたはらの深山木」ほどにおしのけて光は「青海波」を唄い舞う、そのみごとさを「佛の御迦陵頻伽の声」と褒め称えてある。優れて印象的な賞讃のことばであり忘れがたいのに、ある一抹の思いを 私も初読のむかしから感じていた。だが、ここは、無数の過去の読み手がほぼたがえず、光源氏の歌声が「佛の迦陵頻伽の声のよう」と解され読まれてきた。最新の岩波文庫版でも、「これこそ迦陵頻伽(極樂にいる絶妙な声の鳥)の声」とのみ註されてある。
これに対し、今年三月になってはじめて、鶴見大の年報に田口暢之氏が新解釈として、「佛の御 迦陵頻伽の声」と列びあげて読まれた。
「御(おほん)」は、他例少なくなく、この場合だと「佛の(御経を説かれる)御 声」を意味し、また例えば「帝の御」なら、帝の御歌とか御文や命令を意味し、これに準じて類例文が異数に稀などということなく通用している。わたしは田口 氏の新たな提言をほぼ受け容れたい気持ちでおり、これを新たに紹介しつつさらに微妙に意見を重ねられているのが最近の雑誌「汲古」7に、国文学研究資料館 の特任助教岡田貴憲氏の出された論文がある。私は、岡田氏のそれを読んで溯って田口氏所説の要点をのみ承知したのであるが、それにつれ田口氏のやや緩やか な感想ふう論攷に、付け足して教えて貰えると田口氏説もろとももっとしかと腹におさまる気がした。つまり少し物足りない箇所が在ったのだ。
で、資料館の岡田氏に伝えて欲しいと、古典研究会編「汲古」編集室へ、下記のメールを送っておいた。私のいたらぬ賢しらに過ぎないのかも知れぬが。

* 「汲古」編集室御中

いつも「汲古」賜り 欠かさず愛読しています。この歳末も極まれる時になって、甚だ恐縮ですが、
今回「76号」巻頭の 岡田貴憲さんご発表論攷、かねて気にしてきた論題なので 今しも気を入れて拝見しました。
ひとつ 筆者にお教え願えればと。 叶うならご仲介くださいませんか。

問題の  「佛の御迦陵頻伽の声」 ですが、

一つ、「佛」を 即(イコール)視して「迦陵頻伽」と申す例は  在るのか 多いのか、

二つ、「迦陵頻伽」のことを 「御迦陵頻伽」と 「御」字を副えて敬い申す例は  在るのか 多いのか、

この二点にも 言及しておいて頂ければさらに論旨が立つかと思いました。

 

幼來の源氏読みで、ここの「御迦陵頻伽」の「御」という敬辞にときどき「ひっかかって」気にしていました。
また久しく在来の読みでは 「御佛」でなく単に「佛の」 単に「迦陵頻伽の」でなく「御迦陵頻伽の」とあるのにも 少し気味のよくなさを覚え続けていました。 田口暢之さんの新説が、今時分にやっと出たというのもやや訝しく感じました。

以上 失礼ですが 論者の岡田さんへお伝えくださらば有難う存じます。

よき新年をお迎え下さい。    秦 恒平

* よけいな差し出口だったかと肩をすくめるが。先の 国文学研究資料館の館長さんだった、久しく昵懇を願っている、新版岩波源氏の校注者のお一人である今西祐一郎さんの感想・示教も得たいもの。
2019 12/29 217

* ほんとうに、この暮れは今晩まで、「討ち入り」の映像もみず噂の片端も聞かずじまい。時代を率いる内蔵助役者がいないのか。来春には新しい團十郎が生 まれるという。楽しみに。私は現・海老蔵の祖父が団十郎になった以前から観てきた、やはり在って心強い欲しい大名跡である。
歳末のテレビ劇では、韓流の歴史劇「心医 ホ・ジュン」に最も心惹かれて見続けた。新年の六日晩から、あともう三回で終えるという。
日本物では、大泉らの単発「あにいもうと」、米倉涼子の連続「大門未知子 ドクターX」の失敗しない手術に、愛や命の「実」味を感じた。
日本のテレビ劇の 殺人と刑事らの横行する安易な殺伐ものには吐き気がした。
本は、おおかた曾ての感動を繰り返し噛みしめる読書になり、新刊では、アーシュラ・ル・グウインの、建日子がもたらし呉れた新刊と、久間十義さんの嶮しい問題を孕んで時宜にかなった秀作『限定病院』がつよく記憶される。
2019 12/29 217

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

60 *  2004 07・20    バグワンは、「心」が、いかに散漫かを語り、そんな散漫に拘泥してはますます混乱することを話しています。人は、一分も三十秒も無心になんかなかなか なれません、すぐ割り込んでくる思考に乱される。そのはかないことは笑い出すほどですが、バグワンは、そう、頼れぬ心、乱れ雲のような思考・分別は、ただ 笑ってやりすごせ、通り過ぎてゆかせよと言っくれます。これは高級な示唆です。  2004 07.20
2019 12/30 217

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

61 *  2004  07・27   バグワンは、「今・此処」を、「ゆったりと自然に」と言いつづけます。けっして、喜怒哀楽するなという意味ではない。喜怒哀楽を免れる 人はいない、それはそれで怒るなら怒りなさい、楽しいなら楽しみなさいとバグワンは云い、ただ、それと安易に「一体化」するな、眺めて通り過ぎさせよ、 と。
すばらしい。同感です。
わたしは、例えば怒りをこらえないし、怒りをやり過ごして行かせています。悲しければ悲しむが、通りすぎて行くのを眺めています。嬉しくても楽しくても 同じようにしようとしているんです、出来ると思ってEます。成るように成ってきます。ものごとはそう簡単に毀れるものでなく、また油断して甘えていてもい けない。  2004 07・27

* 大晦日にとくに感懐は無い。無事に今日まで歩み寄れた(入院ということの無くて済んだ)今年に感謝深し。来年もと、切に願う。同じ憂いを抱く少なからぬ知友の御無事をも祈る。
2019 12/31 217

上部へスクロール