ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2021年

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 売れ残りしそこばくの菜を包みをり
遣る吾も貰ふ妹もかなし     本林 茂子

☆ 昭和二四年という戦後の窮乏を読み込むべきか、いつの時代にもおし広げて読んでいいか。読者しだいでいいだろう。「遣る姉」と「貰ふ妹」との状況が前の「煙草ひと箱」の歌より、ずっと厳しい。
姉は稼ぎ、妹はまだ家にいる娘かも知れず、だが妹ももう人妻の身上なのかも知れぬ。どっちにしても暮しの負担が時代の重さ苦しさとなって二人の肩にかかっている。
「かなし」の結びが低声に小さいのがいたましく、姉妹の気持ちの裏には、おそらくは親や子への貧ゆえの傷心もひそんでいよう。 「国民文学」昭利二四年十二月号から採った。 大きな雑誌の巻頭歌群に、これほどの真率な歌がもっと出て欲しいもの。

★ 朝はやく
婚期を過ぎし妹の
恋文めける文を読めりけり    石川 啄木

☆ 聡い兄には、妹の状況も心理も「うったえ」もみな見えて いる。しかも突き放してしまわず、そうと知りそうと見えつつ手紙を「読」んでいる。「朝はやく」から読んでいる。なにも特別の物言いはなくて、けれども妹 を抱擁する大きさはちゃんと備えた歌。私はこういう歌を、啄木の実の妹や当時の伝記的実況とからませて是非読まねばならぬとは思わない。兄妹の普遍的な係 わりをより大事に捉えたい。 明治四三年『一握の砂』所収。

★ クリストを人なりといへば、
妹の眼がかなしくも
われをあはれむ。    石川 啄木

☆ 明治四五年没後の『悲しき玩具』に所収の、作者最晩年の歌。晩年といっても二十代で死んで行った樋口一葉と同じ、まだまだ若い惜しい天才詩人だったが。
この歌を読むと反射的に思いだすのが、第一歌集『一握の砂』の昔に、なお若き日々の友を思い出して作っていた、この歌。

神有りと言い張る友を
説きふせし
かの路ばたの栗の樹の下

☆ 「神など無い」と「説きふせ」たのだろう。その作者はやがての死を身に潜ませながら、「クリストは(神でない)人」だとなお言い放つ。だが黙ってそ んな兄を見守るだけの妹の視線に、作者はいくらか動揺もしている。「かなしくも」「あはれむ」という直接の感情語がむしろ自分自身を批評している。そこに この歌の重い意義もある。「手」を人の身に置いて悩みや痛いを癒しえたのはキリストだった。そういう「手」の力が信じたくて、「ぢつと手を見」て、かつそ の手にもどの手にも救われる事のなかった作者啄木。
『一握の砂』の頃なら兄が妹を「かなしく」「あはれ」んだろう。『悲しき玩具』の頃には、妹の愛憐にこの兄は無意識に心濡らしている。そんな気がする。
2021 1/1 230

* 夕食のあとでも、所に就いて読書を楽しむ。『史記列伝』 『荘子雑篇』 『神楽歌・催馬樂』 『宇治十帖』 『西 鶴置土産』 レオン・ブルム『結婚について』 トールキン『指輪物語』 ヒットラーのチャーチル誘拐策戦を書いた、ヒギンズの『鷲は舞いおりた』 わたく しの『オイノ・セクスアリス ある寓話』第一部 読んでいる分には、目先がどう変わろうと、変わりなくどんどん読める。身体のネジは至る所緩んでて、食欲 無く、お酒は飲める。
2021 1/1 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 兄の持つ手帳の中に
嫁がざるわれの写真のはさみてありぬ   入江 真知子 *

☆ 「兄の持ちし」と過去形ではなく、健在なままにある日思いがけず思いがけぬ写真を見つけてしまったものと思われる。「お前の好きにしていいよ」と慰めつつも日ごろ心にかけ、人にも嫁ぎさきを頼んでいてくれたか。そう、さらりと読みたい。
歌としては工夫も巧みもない尋常過ぎるほどの一首だが、愛は深い。 「アララギ」昭和四三年四月号から採った。
2021 1/2 230

* 睡れはしないので、床で、読書。

* 『史記列伝』をこんなに打ち込んで面白く読めるとは思ってなかった。原文であらまし読めるだけ読み、それから語釈と講釈を読んで行き、いま蘇秦までき ている。いわば「治政と戦勝」のために自説を売る人たちが主役。闘う以上は負けたらお仕舞いの思想が弁舌と行為に貫通している。恰好でも容儀でも知識自慢 でもない。面白い。おおかたが、前漢より以前、日本ではまだ文字ももてていなかった。

* レオン・ブルムの『結婚について』は、はっきりと、若かりし昔には読まなかったと分かる。今、読んで、じつに感じ入る。しかし、若い未婚の人たちには勧めてもたぶん読むまい、納得しまい。
しかし六十年も結婚生活を体験してきた、少なくも私には、深く、快く頷ける教訓である。じつによんく分かる。まだまだ先はあるが、頷きながら興深く読めるだろう。
スタンダールの『恋愛論』を再読したらどう感じるだろう。

* 『指輪物語』は、一行からはぐれたメリーとピピンが「森」に入った。安堵して、魔法使いサルマンとの闘いへ入ってゆける。じつにみごとな進行、みごとな叙事と構想。

* 『鷲は舞いおりた』は強烈に引き込む、が、私の好みからは手荒いほどスリリングに根の語り世界が荒れていて、話はもうよく知っているのに、気味わるく肌を打つ。サスペンスものは自然とそういう度がきつい。『女王陛下のユリシーズ号』は文藝としても卓越していたが。

* すこし、自分で書いたものも、読み返してみた。ウン。
階下では、中村七之助が演じるドラマの「若冲」とか。京の街のま真ん中のいわば旦那はん。京言葉がきちんと書けているか、若い中村屋に話せるのか。ま、遠慮して、二階へきた。八時半。はやく横になり、どの本も続きを読みたい。
『宇治十帖』は、匂宮に京へひきとられた宇治中君(紫上は別格として、私、中君が源氏物語初読の大昔から大の大好きなのである。これから、いわば「桐 壺」このかたの、私の謂う「二条院物語」が美しく仕上がっても行く。おバカで未練な薫中納言、やがて大将、がジタバタするだろう。わたしは昔から匂兵部卿 宮贔屓なのである、紫上があんなに愛して「二条院」を嗣がせた皇子、いつか天子に即位もするだろう。
2021 1/2 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 叔父の遺児引取りて店に働かす
吾もこの年齢(とし)に父を憎みき    針ケ谷 重義

☆ この愛は苦しい。事情を察するのはたやすいが、わが「店」で働かせている甥は容易に叔父の思いに気がつけないだろう、この叔父にして「今」それに気がついたばかりなのだから。「父を憎」んだというのは、おそらく「父」の死とそれに由る孤独とを憎んだのだ。
かつての自分と同じ苦痛を押し殺して働いている甥に、今よりラクをさせてやる余裕もすべもない叔父のつらさが、よく出た。 「短歌研究」昭和三〇年八月号から採った。

★ 心許す人無きままに守銭奴と
言はれつつ叔母は長く生きたり    東村 鈴子

☆ 小説にしてもいい。しかしまた、小説に長く書く必要なしに、これで言い尽くせていてよく首肯けもする。「長く生き」の文字に私は、ため息のような濃い愛を感じた。伯父ではない「叔母」であることにも首肯けた。
「女」が一人ながく生き抜く厳しさを、私も、同じようにわが「叔母」の上に見てきた。見ているしかないのも、つらいものとも知っている。 「アララギ」昭和五〇年七月号から採った。
2021 1/3 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 安煙草のたびたび消ゆるに火をつけて
血縁を思ふはまことかなしも    上島 史朗

☆ 「火をつけて」で、理の当然として「読み」も「一服」しなければいけないだろう。さてこそ一息おいて「血縁を思ふは」という再度の字余りがつくづく効果を挙げてくる。ほーうッという息の濃さ深さになる。「たびたび消ゆるに」の字余りも面白い。
「血縁」の絆は太いようで、たしかに「たびたび消ゆる」「安煙草」の火にも似て、心細くもある。「火をつけ」「火をつけ」しないでは、つい湿って消えたままになりかねぬ。痛く思い当たる。
事実は、一服の間の「またしても」の感概なのではあろうが、実情を内へ超えた確かな「表現」になっている。 昭和三九年『鈍雲』所収。 上島先生は、高 校時代に愛して下さった恩師、国語と短歌を導いて戴き、休日に、奈良県の「クニ」の都へふらーっと連れて行って下さった。あの小旅行がなくて、『みごもり の湖』や『秘色』が書けたろうか。

★ モザイクのやうにアパートの灯はともり
ふとなまなまし家庭といふもの    和泉 鮎子

☆ 社宅ずまいの頃に、似た感じをもった。が、社宅である事 がかえって感じかたを狭くしていたとも思う。もっと直接にかつ詩的にも「ふとなまなまし」と思ったのは、ソ連へ旅してモスクワのホテルの窓から、大通り越 しに見た高層アパート群の「家庭」の「灯」だった。カーテンのかかった窓がびっくりするほど数すくなかったので、どこかしことなくマル見えだった。
この歌、そう深刻に取らなくていいと思う。「ふとなまなまし」で押さえて受け取った方が、淡い詩情に添えてかえって読後に衝撃がある。「家庭といふもの」への認識など、常は忘れて生きていたのが、「ふと」蘇る。 昭和五九年『花を掬ふ』所収。
2021 1/4 230

* 校正、超絶難航 われから深刻の渦巻に陥ったよう。どう、抜け出すか。緊急事態宣言を自分で自身に。八時過ぎから十時半で苦心惨憺の半頁分の校正、難 漢字、難読語の読みの確認とふりがなとだけに。疲労困憊。石原さとみの佳いドラマを観ていたかったのだが、振り切るように機械へ来た。マイッタ。もう寝床 へ直行したいが、そこにも本の誘いがある。
いま『史記列伝』でも長編の「蘇秦列伝」これが面白いのだ、が、原文と講釈とをよむだけで、はるか上古の別世界になる。合従連衡をいま蘇秦が懸命に説いているところ。

ジャック・ヒギンズの『鷲は舞いおりる』ゾクゾクと鳥肌が立つ。レオン・ブルムの『結婚について』も辛辣なまで、おそ まきのベンキョウになります。トールキンの『指輪物語』二つの塔の「森」に入って救われたようにホオッと息をつく。妙に、「生きいそいで」思われる、われ ながら。コロナ禍は、春過ぎても容易には落ち着かず、菅内閣はオリンピック開催の成り行きにジタバタするだろう。
2021 1/4 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ つゆしぐれ信濃は秋の姥捨の
われを置きさり過ぎしものたち    斉藤 史

夜となりて山なみくろく聳ゆなり
家族の睡りやままゆの睡り    前 登志夫

☆ 昭和五一年の『ひたくれなゐ』と昭和五二年の『縄文紀』から採って、この項を結ぼう。
斎藤史(ふみ)は「死なれた」ものとして死に行くおのれの運命をあわてず騒がず、「過ぎしものたち」をなお労り愛しつつ見据えている。その比類ない「存在」のたしかさで、この詩人は近代詩歌の歴史に冠たるものがある。
前登志夫の世界は、生者と死者と、生まれ出づるものとのあたたかく育みあう世界。前が命をかけて愛し領じている「山」とは、そういう世界。この作者の「詩」には信仰が生き、信仰の芯に光るものとは、「間」を刻まぬ無垢の「時」であろうか。

* コロナ医療は逼迫し感染者数も重傷者数も画然として数を増している。油断大敵という耳慣れた四字熟語が重く鈍く光る。
小池都知事の経済再生愚相を動かした気働き、この人の聡い行儀と言語力とを推したい、「ガースー」と即刻交替させたいとさえ思う。

* 瘋調・二階節
金庫番だけが自慢の「二階」の旦那
愚の字愚の字の閑事(カンジ)の鼾
うすらバカづら吠えづら晒し
鼻息あらくもアダ夢の間も
かかえた梯子が二階の命
だれか外せとヘボ番頭ら
くやしまぎれで自棄にも酒が
只で呑みたい二階の旦那
仰せは何でもハイ御もっとも
自由も民主も気ままのお肴
世間のヤツらはただ出汁昆布
二階座敷で梯子の只酒
それや旦那のお振舞ひ
寝ちゃ食ひ食ちゃ寝て会食つづき
これこそ政治よ心得おれと
二階の旦那はテンから金持ち
ハハァ ヘヘェ と 梯子の神へ
柏わ手うつうつ 打たぬは居らぬ
大番頭もガー・スーと 鼾真似てのお諂ひ

令和は三年 誰もが惨念 成らぬ忘年 怖(お)ぞや今年
2021 1/5 230

* いま、読みやすくやすくと苦心惨憺している漢文の筆者は、二十歳前後から、徳川将軍家に読み書きの侍講・侍讀して五百石を食んでいた和漢学秀逸のひと で、今で謂う大学生の年齢で、わたしが大小の漢語・漢字辞書を持ち出しても足らない難漢字を平然つかいまわして、色町での遊興の機微や裏面を楽しそうに気 らくに書いてくれる。太刀打ちがならなくて、呻く。
2021 1/5 230

* フイと眼前の書架に手を伸ばし、明治四十年十月に七版の博文館蔵版「支那文学全書 第廿四編」城井壽章講述の『史記列傳講義 下巻』712頁をみて、上巻にも無い「目次」が下巻にも無い。なにもかも、しきなり始まるのだ、下巻本文最後の一行は
太史公曰。余述歴黄帝以来至太初。而訖百三十篇。
と。
いま上巻前半の「蘇秦列傳」の途中まで読んでいるが、上下巻で千数百頁の完讀は、成るとしても今年中でとはとても謂えそうにない。しかし、興趣尽きない史書であり人物評伝であり、なにより支那人のとてつもない懸命で頑強な気象が知れる。
それにしても、目次のない本が明治ものには時々あるのは、不親切です。
わたしが買い置いた本ではない、明治二年生まれの秦の祖父の旧蔵書を私が京都からみな運んだもの。「老子」「韓非子」「唐詩選」「古文眞寶」「左氏春 秋」はじめ、引っ張りだせば目を剥く。よほど長生きしないととてもとても読めない。有り難いのは大枕になるような事典・字書など。それでも見つからないほ どの字を、いま取り組んでる明治人は平然と遣って呉れている。私の頭、割れてしまいそう。
2021 1/5 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 否(いな)と言へど強ふる志斐(しひ)のが強ひ語り
このころ聞かずて朕(われ)恋ひにけり    天 皇
否と言へど語れ語れと宣(の)らせこそ
志斐いは奏(まを)せ強ひ語りと言ふ    志斐媼(しいのおうな)

☆ 『萬葉集』の巻三によく知られた応酬歌である。
志斐の「しひ」を「強ひる」にかけた言いがかりと言いかさねの諧謔がよく利いて、不思議におおらかなものを醸し出す。天皇と、おそらくは宮中に席を与え られていた語部(かたりべ)の老女との、遠慮のないやりとりと聞こえて、しかも物言いに「位取り」の差はきちんと出、親しき仲にも禮は守られている。だか らこそ逆にほのかに、上古の風(ふう)に生きていた「友情」といったものが、快く感じ取れる。
「志斐の」「志斐い」と言い余した所も対照の妙になり、「うた」がこの社会に占めていた人間関係における機能美のようなものをも、まこと姿よく伝えている。言葉の音楽が楽しめる。かくてはこの「天皇」が何天皇であったかの詮議など、由ない話に終わる。 2021 1/6 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 思ふどちまどゐせる夜は唐錦(からにしき)
たたまく惜しきものにぞありける   読人しらず

☆ 「思ふどち」を「思いあう同士」つまり友達と取ってい い。「まどゐ」は「まどか」に「居る」つまり夜を籠めて車座の団らんを楽しむのである。そんな時は美しい「唐錦を裁つ」のが惜しまれるのと同じこと、「席 を立っ」て帰って行くのが残り惜しくて堪らない…と歌っている。『古今集』巻十七の歌でも、古朴な味のあるオリジナルな作。作者の名も知れぬことで、いっ そう歌にひろがりが出る。
2021 1/7 230

 

☆ 友の愛

★ めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月影       紫式部

☆ 『紫式部集』に見え『新古今集』巻十六に採られている。 「月影」を「月かな」と変えた形で『百人一首』に入っていることは、ひろく知られている。恋の歌に読めるほどだが、まだ作者が少女の頃、ちょっとした出先 で心親しい女友達の姿をちらと見かけ、あとでと心を残して行き別れたまま逢えずじまいに済んだおりの歌らしい。
友達の姿をちらと見て雲に隠れた月影にたとえている。さすがに屈指の秀歌で、恋の歌にも挽歌にも深読みが利くし、歌柄も大きい。
友情を歌った「歌」もなにも、日本の国には、雪月花を三つの風雅の友に見立てたりする美意識が有りながら、人間同士の「友」としての信頼や愛情を主題に した「表現」が実に少ない。その手の作品を捜すのにいつも苦労する。「親の闇ただ友達が友達が」と、「友達」が悪者あつかいされてしまうお国柄だ。
よくも悪しくも「血縁」に重く、「他人」のなかから真実の「身内」つまりは真実の「友」を見出すのがへたな民族であるらしい。いわゆるフレンドシップは、日本では今も育ち切っていない。
2021 1/8 230

* 八時になる。もう、今夜も 機械から離れます。暮れからこっち、『史記列伝』や『柳北全集』のような堅い難しい本とべつに、通俗の読み物も「鷲は舞い 降りた」についで、じつに久々に「針の眼」も読んでいる。「北壁の死闘」「女王陛下のユリシーズ号」とともにこの手のものの秀作として書架へ残していた四 冊め。なかでは「ユリシーズ号」が傑出した名品だが、他もゾクゾクとしておもしろい。四冊目、よみあげて仕舞おうと。
2021 1/8 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 寂しさに堪へたる人のまたもあれな
庵ならべむ冬の山里      西 行

☆ 「またも」は、自分以外にもの意味と取りたい。友情の歌というより、真実の「友」を求めている歌である。「寂しさに堪へた」人とは、譬えていえば「血縁」の重さに引きずられず個我の孤独自立に堪えうる人の意味か。
あかの「他人」と「他人」とが出逢って、しかも真実の「身内」感を頒ちもてるような、乾いた、確立された人間関係をと私は願う。西行の思いがそこまでの ものかどうかは問うまいが、「友」を求める気持ち、フレンドシップの基盤が世の中に無ければ無いほど、渇望に近いものだったろうと推量できる。寄合の藝能 が、茶の湯や連歌など、大歓迎されたのもそういう中世的現象ではなかったか。
この歌は『新古今集』の冬の部に採られている。

* 第 二次の對コロナ緊急事態宣言がされた、どのていどまでひとが多寡をくくって甘えないか、だ。ことに都市部の若い人たちの聡明度が、バカバカしいまで沈 下しているのがソラ恐ろしい。彼らの体力は感染したかもしれぬコロナを或いは克服するだろうが、彼らから伝染される他の世代は死にもいたる。

* 家での籠居になど耐え難いという若者はあろう。
私でも、街へ出たい、旅もしたい、が出来ないならたとえば「読書」世界へ旅して行ける。よくできた別世界が無数に手にはいる、それが読書。なまなかの現 実世界の何層倍もの旅し甲斐のある世界が世界史的に用意され創り出されている。本さえ手にあれば、百度読み返しても再入場料もいらない。
2021 1/9 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月    松尾 芭蕉

☆ 『奥の細道』に見えている。これも「友」にまがう淡い感情、風流心が見出した「友情」の句というべきだろう。「遊女と我」「萩と月」が対になっていよう。
「萩」には『風土記』このかた一夜豊産の伝説や女の白い「はぎ」など、不思議になまめかしい印象がまつわる。「袖萩祭文」といった「遊び女」の境涯にからんだ藝能も多い。
「月」にはまた、「花龍に月をいれて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な」といった『閑吟集』の小歌に見られるような「男」そのものの印象がある。
辺陬(へんすう)の茅屋(ぼうおく)に旅と漂泊の男女が一夜を明かした。実事があったというのではない。いやこの句じたいが実の句かどうかも問わない。
まさに風雅の心が誘い合った「友」として彼らは在る。美しい佳い句で、忘れがたい。

* 毎朝のために此の稿をここへ、こう置く。云い知れぬこころよさ、自分の書いた文章という安堵感もてつだい、一服の薬湯を口にする心地。いい仕事をしておいたと、昔がなつかしくなる。
2021 1/10 230

* 寝起きがやや快かったので、思い切って、朝湯を遣った。ケン・フォレット『針の眼』という、ナチス独逸の英本土へ潜入スパイを的に描いた恐怖読み物。 『鷲は舞い降りた』より一段と恐怖のスリルに満ち、この手の本としては『鷲』とともに、またボブ゛・ラングレー『北壁の死闘』とも並んで秀作と認めずに済 まないが、この『針の眼』は燃え立つ恐怖にカナリの不快感もともなう。『北壁』には山の闘い、ことに『女王陛下のユリシーズ号』には、北極の酷寒と荒波を 巻き上げる気候の激しさの中での凄絶そして孤独を極めた海戦が、艦長卓越の存在感と共に崇高な感動を呼び起こすけれど、『針の眼』は、繰り返し読みたい欲 望を気持ち悪くはねのけて来る、それでも巻を擱かせず読ませるのだが。引っ張られ引っ込まれることに不快感が絡んでくる。
一つには、これらはみないわば英国とナチスドイツとの死闘なのだ。総統ヒトラーやゲシュタポを率いるヒムラーのような無残に冷酷な怪物の影の怖さ、不快さ。
彼らに比して英国のチャーチルが崇拝に近く敬愛されていることにも感慨をもつ。
2021 1/10 230

* ケン・フオレットが二十九歳で一九七九年に書き下ろした長編小説『針の眼』の凄みに終始引きずられて、読み切った。読み切ってしまわないと、ヤッテラ レナイと思うほどの凄み、魅されもされながら早く離れたくもあった。『女王陛下のユリシーズ号』には藝術性の感動と凄さとに満たされていた。上に挙げてお いた他の三作は、ひたすら凄かった、ときに不快感を吐き出したくなるほど。それにしてもたいしたストーリイ・テラーたちだ。
読み疲れた。からだに良くなかったと思うナ。
じつは、もう一冊、題は忘れたが、英独戦争ではなく、アメリカ本土を舞台のイスラエルなど中東のひそかな死闘に原水爆のからむ一作も敢えててもとに残し 置いたはず、西棟二階の文庫本書架にあれば、ついでだから、この際、アレも読んで置こうか、そしてもう読み返す機会、あるまいと思う。未練の残るモノでは ない、一冊だけ残すならアリステア・クリスティーンの『女王陛下のユリシーズ号』か。

* 上のような娯楽に類する本からは、内的な示唆や刺激は受けない。しかしファンタジイであるグゥインの『ゲド戦記』マキリップの『風の竪琴弾き』トール キンの『指輪物語』などは棟に食い入って私の人生と美しく交叉してくれる。またミルトンの『失樂園』も、ホメロスもまた同じ。
2021 1/10 230

* また一つ興ある一文を 祖父の遺蔵書に見つけた。書き写すのは骨だけれど。 九時半
2021 1/10 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ おもしろき秌(あき)の朝寝や亭主ぶり    松尾 芭蕉

☆ 旅の芭蕉が、俳諧好きな男の家をかりの宿にしていた時の、俳諧の道にはつねの、宿主へ「挨拶の句」でもある。
亭主の早起きは、遠慮のある客には気がしんどい、という事もある。秋の夜長の「朝寝」ぐせには、それなりに粋に、夜前からの風流の筋も寮しられる。
「おもしろき」には、そんな「亭主ぶり」をほめてからかう気の軽さがあり、それが俳味になっている。友情にもなっている。
2021 1/11 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 白菊の目に立(たて)て見る塵もなし    松尾 芭蕉

☆ 女の家を訪れた日の、やはり挨拶の句であるが、褒美と賛嘆の情合いは前句よりも深く濃く、どこか恋慕の思いすら漂う。友人の妻の死に遭い、ひそかに吟じたという、

★ あるほどの菊抛げ入れよ棺の中    夏目 漱石

☆ と、どこか通い合う。
芭蕉、漱石 ともに屈指の佳句。

* 碩学長谷川泉先生の森鷗外「ヰタ・セクスアリス論攷」を一字一句のがさず興味津々拝読している。活字は8ポか、おそらく全一巻が、数多い 写真も含めてはるかに千数百枚を超しているだろう、「研究」とはここまでの徹底と完璧とを要求する仕事なのだ、安易に「研究者」「研究」を自称する人は多 いが散策のようなものだ、それはそれとして、この大研究をこう夢中で読み耽るとは思わなかった、全集でみな戴いているのに安堵して書架に擱いていたのを羞 じる。ちいさな活字ではあるが、読み始めると本がおけない、驚く。

* 『史記列傳』の蘇秦列伝の冒頭、「蘇秦」の部はよく知られた「合従連衡」説得の要領を具体的に教えてくれて、日本ではあまり例のない人物像ないし中国型群像をおもしろく紹介してくれる。
日本では、義経、正成のような戦上手はいても、諸侯をめぐって戦略や政略を説いて廻るという人物はめったに見あたらず、「軍師」と謂うてまるで居なかったワケでなかろうが、蘇秦のような際だって記憶されている人材は覚えていない、明智光秀や竹中、黒田といった程度か。
とにかくもこのところ、漢字文化に引っ張り回されながら、それを楽しんでいる気分、最たる一冊が『柳北全集』、漢字漢字漢字また漢字で、見 たことも聞いたこともない漢字に無数に出くわし、機械で検索し、大字典で捜し、それでも見つからなくて泣けてくる。しかしコロナ禍の執拗さに泣くのとは違 う。

* レオン・ブルム『結婚について』にも、引きずり込まれ、盛んに物思わせられている。これは、文庫本を買い求めたまだ少年のとしごろでは 抛って顧みなかった、顧みようがなかったのが、当然。しかし八五老になってどう面白がってももはや追体験はムリなはなし。しかし、多くのことを思わせら れ、創作へ凄みの刺激にも成ってくれそう。

* ときに、とくに薬効を求めるほどでなく錠剤を二、三くちに投げ込むことがある。それと同様の、ま、気休めを、古ーい岩波文庫の『神楽歌・ 催馬樂集』から気ままに一つ二つ目にして読むことで為している。これはもう万葉・古今集でもなく、歌謡や小唄や俳諧とも全然ちがって、時間がはるかな上古 へ流れている世界。まさしく世離れた感触と味覚なのである。ふッと、心静まる。

* そんなのと並べて読み進んでいる大長編『指輪物語』はしっかりと読む嬉しさを満たし続けてくれる。「前編」にあたるらしき『ホビットの冒険』というのがどうかして手に入らないかなあと願いながら。

* 維摩詰の「方丈」は無一物と聴いている。私の「方丈」 この六畳間書斎 は、壁へ作りつけの書架や小机だけでなく、呆れるほど雑多な小も ので賑やかに暖かにあふれかえっている。気持ちの静かさや安心をそれらに取り包まれることで得ている按配。どれへ目をむけても、望みさえすればそれらから 「言葉の世界」が近寄ってくる。寂しくないのだ。
2021 1/12 230

* なにしろ ガンバリ抜くしかない今日この頃、多少シンドクても、時節柄の運動不足からくる栄養失調と思い、あきらめている。幸いに、生活費を惜しんでいるわけでない。
高校の頃、日に15円の昼飯代を親にもらい、昼飯は食わずに金を貯めて、創元社刊の「谷崎潤一郎作品集」六巻を手始めに買った嬉しさ、よく 覚えている。また出始めた角川書店版の『昭和文学全集』を、横光利一の『旅愁』初売りから全巻、小遣い貯金だけで買いそろえたのも思い出す。なぜだか「秦 の一生飯」ともあだ名されてながら、「食を抜いて本代を貯める」のが生き甲斐のような青春があった。大学で出会った妻とのデートも、ひたすら「京都」を歩 く歩く歩くだけ、せいぜいが嵯峨や鞍馬や稲荷へ郊外電車で、あげく、廉いラーメン屋で、卓にあれば味の素をたくさん振りかけて食うのが、ま、精いっぱい だったが、十分だった。
2021 1/12 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 水桶にうなづきあふや瓜茄子(うりなすび)   与謝 蕪村

☆ 無心のものに心ばえを見立てた句と読んでも十分面白い、が、「青飯法師にはじめて逢けるに。旧識のごとくにかたり合て」という説明もあり、友情の喜びを表現したものと読んで差支えないようだ。
「うなづきあふや」が暖かい観察で、よく胸に落ちる。ともに水に沈まず「うなづき」浮かんでいるさまも、正確に併せ捉えられている。俳諧は「眼」だなと思わせられる。 2021 1/13 230

* 七時半。手を伸ばしたら、書架のはずれに明治版の本が四冊あった。
以下三冊の偉業館本は頒価は不掲だが、
元・曽先之編次 日本・大谷留男訓點『十八史略(片假名付)』大阪岡本偉業館蔵版 明治二十九年十月發行
梅崖山本憲講述『四書講義』上下巻 大阪偉業館蔵版 明治三十一年四月二十八日再販
梅崖山本憲著『図解説明 文法解剖 全』 大阪文陽堂蔵版 明治二十七年二月十二日第三版 定価二十銭

『四書』とは「大学」「中庸」「論語」(上巻)そして「孟子」(下巻)。なんと有り難い。韓国ドラマをみていても世子や王子らはきちんと習っている。この「八五老」とて奮起あるべし。
『十八史略』は「略」とはいえ、まさしく太古、三皇以来の神話から人史の元朝にもいたる『史略』なのだから、それも片仮名ですべて漢字のよみにルビ付きだから、ま、宝石のような一冊である。
遅いというなら遅すぎたが、早くに呼んでいたからどうという人生行路への影響や支障はなかったろう。籠居の日々に 創作の脚をとられぬ限りで、西洋の小説と共に東洋中国の歴史を原語で読んで楽しみたい。

医学上 人身解剖の例にならった「文法の解剖」となるとちょっと手が出ない、が、前三冊は有り難い。云うまでもないこれらも秦の祖父鶴吉の遺蔵書の一部である。目下愛読中の『史記列伝』上下冊を読み終えたら是非手にしたい。
昨夜であったか、おお感傷的に秦家へ入った初のお正月のことを書いたが、黙ッとして怖そうな祖父の印象自体は祖父が昭和の敗戦後半年で亡くなるまでかわ らなかったが、父でも母でも叔母でもない祖父の堅い教養的旧蔵書がじつに多彩にあることはよくよく認知していて、何構うことなしに幼かったわたしは引っ張 り出して読めるワケのない漢籍・漢詩集などでも日本の古典でも、とにかくも目に触れしめていた。
中には1000頁もの『日用百科寶典』や『文法詳解 増補明治作文三千題』などもあり、幼少恒平クンを様々にコーフンさせたのだった。
「「湖(うみ)の本」前冊の『山縣有朋の「椿山集」を読む』も、次冊も、あの「お祖父ちゃん」の蔵書でこそ書き出せたのだ。感謝感謝感謝。
2021 1/13 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 友達ハ将棋のことで二日来ず    『誹風柳多留』

☆ まずは日本の「友達」である。
「二日」が面白い。そのバカバカしいくらいな日数も、将棋「友達」には腹立たしいまで間遠なのだ。しかも来ないのは、「将棋」の上で喧嘩したのだ。
「狸とは知りつつもまた碁を囲み」という、高井几董の川柳よりは 品が佳い。

★ 月読(つくよみ)の光りを待ちて帰りませ
山路は栗のいがの多きに     良 寛

☆ 萬葉調というより『萬葉集』の歌そのものに思われるほどだが、それは作者の精神の位相と素朴な歌の状況がそう思わせるので、一首は、五七ならぬ七五調、萬葉調とは言いにくい。
月の出を待って明るいなかをお帰りという心づかいには、ただに「栗のいが」を踏む危険だけでない、やはり伝統的な風流心、つまり心の余裕を貴しとする気持ちが生きていよう。友情の質をも、そういう大きな余裕のなかで磨き合う気があったのだ。
2021 1/15 230

* 昨日手にした『四書講義』巻頭は、孔子の遺書の一、「大學」。今日も若者の求めて進学する「大学」根底の原義は、第一行、明瞭端的に、斯く、完璧に尽くされてある。

大學之道ハ、 明徳ヲ 明ラカニスルニ在り。民ヲ 親シムニ在リ。至善ニ 止ルニ在リ。

* まず自身に問い、確かむべし。次いで 内閣総理大臣以下の政治家に確かめたい。「親民」とは何か、寝た目も忘れて考えてみよと云いたい。
「明徳 親民 至善」 感嘆とは謂わない、が、心得て、なんと明確か。まさに、これぞ「大學」。ことに政治家には「親民」の意義を胸に涵養願いたい。

大事なことは、かくも簡潔に言い切って漏らさない。まさしく「大學」を象徴している。古典の中の古典、最たるその真価の端的に過たないこと、嘆賞。
「四書五経」とどれほど聞きも読みもしてきたか、しかし本文に触れていなかった。『大學』本文等接した初めが八五老とは、ただ賢しらにのみ生きてきたのだと恥じ入る。 2021 1/15 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 鶯や朝寐を起す人もなし    正岡 子規

☆ 明治二六年、「妻におくれたる秋虎がもとへ」遣った句。説明の必要など何もないようだが、さて…巷間の陰語にしたがい、「鶯」に、遺された「男性自身」の意味を取るかどうか。
なににせよ、いささか男ッぽい友情の表現ではある。尾崎紅葉作『多情多恨』の、妻を喪って泣きの涙の鷲見柳之助だったら、こんな挨拶をされたら、悲しみのあまり卒倒しかねまい。

★ 君が庭に植ゑば何花合歓(ねむ)の花
夕になれば寐る合歓(ねむ)の花    正岡 子規

☆ 「把栗(はりつ)」という若い友人の「新婚」に寄せた三首の、中の一つ。この前後に、

★ 米なくば共にかつゑん魚あらば
片身分けんと此妹(このいも)此背(このせ)
をりふしのいさかひ事はありもせめ
犬がくはずば猫にやれこそ

という子規の佳い歌が並んだ。
子規のえらさは「歌」にせよ「句」にせよ、生かして使いこなす、文字どおりの生活感にある。ものともせず意を尽くしてしまう。「写生」意識のなかに、紛れない「写意」感覚もある。「趣向」や「趣味」もある。
面白くする工夫をいやしいなどとは夢にも考えていない。この大らかさが今日もっと回復されていい。
2021 1/16 230

* 昨日は初めて『四書』第一「大學 =初學入徳之門」の第一行「大學之道、在明明徳、在親民、在止於至善」と聴き、簡潔と完璧とに驚嘆賛嘆した。何ともいえず嬉しかった。
明徳 親民 至善   なんという簡潔そして徹底。

第二行は、
止るを知って后(のち)に、定まる有り。
定まってその后に、能く静なり。
静にして后に、能く安し。
安くして后に、能く慮(おもんぱか)る。
慮りて后に、能く得る。
まこと端的、「止」「定」「静」「安」「慮」「得」と、人の人たる「行業」に明確な「次第」(順と理解)を教訓している。驚嘆・賛嘆のほか無き「大學」。
私「八五老」の年々歳々、大いに至らなかった。
昨今の大学生諸君や、私の東工大卒業生たちはどう読むだろう。

* 湯に浸り、レオン・ブルムを読んでいた。『指輪物語』も。そして夕食してから寝入っていた。八時前。寝たいなら寝た方が良い、風邪を引くよりよほど良 い。だらしなくムダには死にたくない。死ぬなら、きちんと、したいだけはして逝きたい。さしあたって、「「湖(うみ)の本 151」をちゃんと取り纏め、 「152」を入稿したい、手を出せば出来るのだから、すぐにも。
とはいえ、いまも「151」のゲラと取っ組んで校正というより、明治も初年の新聞読み物に、当時の銀座の夜店を書いた記事にふりがなしているのだが、ア タマまの鉢が割れそうに超難漢字の羅列、この頃の新聞の読者はかかる面白くも難しすぎる記事がアハハと読めたのだろうかと私はまさに「お手上げ」なのでし て。われから跳び込んだ以上やり抜くしかないが、その価値は優にあるのだが、降参です。
九時半。もう目も頭も モタない。
2021 1/16 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ たとふれば独楽のはじける如くなり    高浜 虚子

☆ 「(河東)碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり」と。
子規子の高足「虚・碧」二門のたがいに譲らぬ琢磨に就いてはよく知られて来た。師と同じ二人とも同年輩の四国伊予の産であった。
もっともこの句、そういう文学史的な経緯抜き詞書抜きで読んでも、まちがいなく独特でしかも優れた「友」の句だとわかる。それのみか、キリッと毅い調子が即ち「詩」になっている。
虚子名句の一たるを失わない。
2021 1/17 230

* 一頁分文章中に、無数の読み仮名を要するのは令和の今日では仕方ないが、幕末・明治の碩学ともなると、とほうもなく 暢やかにとてつもない語彙と口調とが音楽のように鳴り響いてくる。なにの手引きや案内もなく今日の刊行物にするのは不親切が過ぎる、が、ルビを、読みがな を副えれば済むか、済まない例が多い。丈高い草むらへ踏み込むよう。呆れてしまうという「踏み込みよう」もあるとは悔し紛れ。えらいことを始めたもんだ。

☆ 物、本末有り。事、終始有り。先後するところを知れば則ち道に近し。  『大學』

* ゾッ…とする「道」の遠さよ。
わたしは、高卒の年に裏千家の茶名を、望んで「遠」字で受けた、「宗遠」と。「研究者」という誘惑は明瞭に拒んでいた、いつか「小説家」にと。どの一校 も「受験」せず大学へは「無試験推薦」で同志社に入り、四年の間「京都」を遊び尽くし、推薦された大学院も一年で東京へ遁走。そして十年、受賞して小説家になった。 わたくしの拙いままの『大學』だった。わたくしの「道」は、まだ遠い。

* 八時半まわって。 目が見えない。ブルーライトのせいか。床わきのライトは昔のまま電球を使っていて、この二階のと比べると、顕著に本の字が読みやすくなる。視力は在るのかも。
2021 1/17 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 古手紙よ!
あの男とも、五年前は、
かほど親しく交はりしかな。

名は何と言ひけむ。
姓は鈴木なりき。
今はどうして何処にゐるらむ。    石川 啄木

☆ 没後の第二歌集、明治四五年の『悲しき玩具』から採った。この二首はこう続いている。一首ずつでも読めるが、こう続けて読むと哀調に惹き込まれる。独特の啄木調で、余人のとうてい追従できない韻律美がある。しかもこの人生のなつかしさ、寂しさ。
「友」を思いつつ作者はこの歌でも、自身の「今」を嘆き、なぐさめている。

★ 友として遊ぶものなき
性悪(しやうわる)の巡査の子等も
あはれなりけり     石川 啄木

☆ 「性悪(しやうわる)の」を「巡査」にも「巡査の子等」 にもかぶせる事で、「あはれ」を分厚いものにしている。権力の手先に対する、幼な心なりの、また現在の作者なりの嫌悪感を隠すことなく、しかも「手先」で ある「あはれ」もしかと見ている。彼らをも愛をもつて「友」と迎え入れねば、所詮権力の足もとは崩せまい、とも。 明治四三年『一握の砂』所収。
2021 1/18 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 我ゆきて手をとれば
泣きてしづまりき
酔ひて荒(あば)れしそのかみの友    石川 啄木

☆ 「その昔」の「友」を通し、作者は、若く力在りし日の若さと力とを、「我ゆきて手をとれば」の句にすべて託している。この歌を歌いながら作者が、かの「クリスト」の力=奇跡を想わなかったとは考えられぬ。
啄木の「手」は、彼の人類愛を説くに際し、不滅の鍵言葉かと信じたい。 『一握の砂』所収。

★ いささかの銭借りてゆきし
わが友の
後姿の肩の雪かな    石川 啄木

☆ あの貧しくして窮死した啄木から「いささかの」小銭を借りなくては生きえない暮しの「友」がいた! 折しも、雪。
「雪」を風流の視線でしか歌わない時代が長かった。この第三句は、なまなかでは出てこない「あはれ」な表現になっている。夕闇が重くのしかかっている…と、読みたい。 『一握の砂』所収。
こういう啄木短歌の魅力が、ただ鑑賞ではなく、彼の生涯の意義とともに、もっと広く広く愛され追体験されたい。
2021 1/19 230

* 夜前寝ぎわの読書が多かったのと、リーゼ(催眠剤)も服し、しかも最後の手洗いが明け方六時過ぎていたのも障って、大いに寝過ごした。眠れないより良いと思っている。
* 枕元の本の山へ、さらに新たに、若い頃熱愛した『愛の終わり』そして鴎外訳『フアウスト』とミルトンの『失楽園』を積み増した。レオン・ブルムの『結 婚について』 トールキンの『指輪物語』 『源氏物語』 『史記列伝』 『荘子 雑篇』 長谷川泉『ヰタ・セクスアリス考』 甲乙なく読まされる。どんな テレビドラマより遙かに引っ張られる、イヤ一つだけ最近に石原さとみ主演のドラマは完璧の台本・演出・みごとな演技で声を放って泣かされ、あまりのことに 後半はよう見ないで逃げた。以前、建日子に若い女優ではと聞くと言下に「石原さとみがいいよ」と云っていて、出会いたいと思っていた。テレビでは最高度に 佳い、上手い現代ドラマで、時代劇では『阿部一族』へ一の賞賛がいまも変わらない。小手先でのつくりものではダメなのだ。
2021 1/19 230

 

* 幼時に、押し入れ裏の二階へのはしご段の中途に腰掛けて貪り見ていた東京尚榮堂版の『日用百科寶典』1100頁ほぼ総ルビで、おかげで無数の漢字や熟 語も幼稚園までに覚え込んだのだが、今もいつも身近に置いてあり、絶対の退屈しのぎになる。215頁に、「世界三十六文豪」とあり、さすがにまだ書籍を手 に小説を読むなど全くなくて、わたしにはムダな一頁だった、作家等の誰の名も識りはしなかった。そもそも祖父のたくさんな蔵書に小説読み物の類は、漢籍と してもなかった、あ、いやそうでない立派な帙入りの季吟であったか源氏物語『湖月抄』があり真淵や秋成による『古今和歌集講義』があり歴史好きな私に『神 皇正統記』があり『啓蒙日本外史』があった。しかしまあ小説本は無かった。だから、まし本にある順にあげて、

杜甫 ホメーロス 松尾芭蕉 ハウプトマン ツルゲーネフ ミルトン モリエル ルーソー レッシング ヂッケンス セルワンテス エマーソン 施耐庵 近松巣林子 イプセン ユーゴー スコット ダンテ ゲーテ 韓退之 プーシキン バイロン シェークスピーア ホーソルン 紫式部 アンダアセン エミール、ゾラ テニソン 曲亭馬琴 シルレン 西行法師 トルストイ エドガ、アラン、ポー グリルパルツェル ハイネ 李白

断っておくがこの『寶典』の編纂者小林鶯里識の序は序明治三十九年八月とある。そして、二葉亭四迷も森鴎外も尾崎紅葉も幸田露伴も夏目漱石も島崎藤村も 永井荷風も、泉鏡花も、徳田秋声も、影も見せていない。志賀直哉も谷崎潤一郎もいない。私の幼時に乱読し勉強した『日用百科寶典』とは、まこと、それほど の昔本古本なのであり、そんな「当時の世界の文豪」として、その作にまではのちにも触れたことのない名がたくさんある。なんであの人は無いのという異存も ある。
バルザック、スタンダール、大デュマ、ドストエフスキー、チェーホフ、フローベールが無いではないか。 日本で紫式部にも近松にも異存ないが、西鶴は入って当然の文豪、芭蕉と西行には敬意を表して異存ないがそれなら和泉式部を加え、へんに手荒な馬琴は遠慮し たい、むしろ南北とか黙阿弥とか。
漢籍好きなのに、おもいのほか私は中国の文豪や大作を識らない。水滸伝は愛読したが。
名は識っていても作に親しく触れていない西洋人、また文豪とまではと手控えるのが、ハウプトマン、モリエール、ルソー、レッシング、エマーソン、スコッ ト、ゾラ、テニソン、シルレル、ポー、ハイネなど、ちょい異存をはさみたく、グリルパルツェルに至っては、名も識らない。
「時代差」というものの、ある意味おもしろさが此処へ露出していて、今にして興味ある一頁じゃなと立ち止まった。あちひちに立ち止まらせるのである、この祖父譲りの『寶典』は。ただ物知りにするだけではなく。
2021 1/19 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 外套の肩あげてゆけり寂しきか    加藤 楸邨

☆ 借金をして行ったというのではなかろうが、この句にも、「友達」の微妙な関わりを超えて発露された「愛」が思われ、印象深い。思い入れが深い。 昭和十五年『颱風眼』所収。

★ 深雪(みゆき)の夜 友をゆさぶりたくて訪(と)ふ    中村 草田男

☆ 「ゆさぶりたくて」が「友情」の若々しい美質を、いくら か神経質にもまた豪放にも想像させて、ウン とうなづかせる。友と友との心持ちがこの一句にピタリと重なり、酒でよし議論沸騰でよし、また女の肌に憧れ 寄って行くもよし、何でもよし互いに「ゆさぶり」合って、「深雪の夜」の抒情に耐えた男の毅い孤独を頒とうというのである。草田男俳句の心情美が溢れる。  これは私の記憶から採った。
2021 1/20 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 遠く来し友にもてなすすべをなみ
残りの燠(おき)に香(かう)をくゆらす    吉野 秀雄

☆ 昭和二二年『早梅集』に収めた歌だ。はげしかった大戦争の余塵こそあれ、物の不足していた時代。それでも「香」のように腹の足しにならないものは残っていたのだろう、それも一首をほろ苦くしているのであり、風流一幕には読んではならぬ。
だがこの歌人ならではの、凛と丈高い、「鉢木」の前段めく佳い歌になった。あの謡曲後段の、あの「俗」がこの歌にはないのが、佳い。
2021 1/21 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 熟燗の一本でよき間柄    篠塚 しげる

☆ ちと川柳じみて調子は説明的に低いが、こういうのも確かに、ある。
もっともこれも取りよう、『閑吟集』に見える「世のなかは ちろりに過ぐる ちろりちろり」の伝で、「熟燗」が「一本」つく間にも果ててしまうあっさり タイプの男女の仲を戯れた句かも知れぬ。 ま、そうではあるまい。ここは仲いい男同士と取っておく。昭和三三年『曼陀羅』所収。

★ 友の乗りし電車は見えずなりにけり
冬の夜寒を走りて帰る    若林 泰雄

☆ これだけの歌ではあるが、情景はよく伝わる。寒いけれど見送らずにおれなかった。楽しかったか辛かったか、何にせよそれほどの時をそれほどの「友」と過ごしていたのだ。
下句が率直で、情に溢れる。 『昭和萬葉集』巻九の月報から採った。
2021 1/22 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ いたはりの言葉かけむと近寄りて
何ゆゑ口を噤みたりしか    来嶋 靖生

☆ 「昼休み」の寸時の心象。この「何ゆゑ」を腑分けするの は微妙に難しい。だから「うた」になった。「うったえ」る以外に「何ゆゑ」の厳しさも悲しみも思いの底から解き放ってやれないのだ。「うた」とは、ぎりぎ りにこういう所からうめき出る心の声なのだろう。現代の、けわしい勤務と人との葛藤のなかで、具体的な状況を超えて、思わず「ロを噤む」しかなかったよう な根源の裂けめが、おのが胸底に見据えられていて、厳しい。
島田修二とまた一味異なる、この作者のすぐれた本領であろう。 昭和五九年『笛』所収。

★ 田井よりも我妻(わがつま)とこそ呼びなれて
不知火(しらぬひ)筑紫の夜半(よは)を連れしか    河野 愛子

☆ これが、私のようにいくらか「事情」の知れた者以外にど れほど伝わるのか、おぼつかないが、妙に調子よくて面白いと思う人は多かろう。現代歌人の有力な一人「田井安曇」の本姓がたしか「我妻」で、名は「泰」の はず、私の娘が中学で習っていた社会科の先生だった。私の文庫本家集『少年』を解説もしてくれた歌人。
久しい歌友の「田井」を、女の河野愛子が「我妻」「我妻」と戯れ呼んでともに九州路の旅情を深めている。「連れ」は他に多かろうと、はたまた二人だけの旅であろうと佳い、この歌は佳い。 昭和五八年『黒羅』所収。
2021 1/23 230

* まだ中学生ではなかったか、大阪の読者の岡田さん=お母さんに連れられたお嬢ちゃん、フーちゃんと、上野の山で会っている。つよい雨の日だった、妻も一緒だった。
その少女が、もう大阪大學の院を出て、演劇學の研究者として「岸田理生の演劇」を論究の、立派に美しい大冊を成し、送って呉れた。なかなかの論著の大冊、ありそうで容易には出てこない本格の一冊と見え、フーちゃんようやったねと、拍手。
お母さんの岡田さんは、奈良女子大での恩師かと想われる、わたくしも年久しく親しい歌人東淳子さんの病床を見舞い見守っていて下さり、私も、大いに安心し感謝している。東さんの、日々「楽しみは」と据えた「述懐」歌はずいぶん出来たろう、
たのしみは 遠きたよりの すこやかに よき春まつと声に聴くとき
いい歌 いい日本語からは 肉声がきこえる。源氏物語を読んでいるとそれが分かる。二条院にまさしく嫁いだ宇治中君も、心ならずも仲立ちしてしまった薫中納言も、夕霧右大臣の六君をも妻にして通い始めた中君の夫、匂兵部卿宮も、肉声で語っている。だから惹きこまれる。
2021 1/23 230

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

☆ ここで、尾崎喜八の『田舎のモーツァルト』から、(串田孫一君に)と添えられた「車窓のフーガ」を挙げてみる。

★ 疾走する列車の振動とリズムにつれて、
波のように旋回しながら
近づいてはまた遠く行き去る
玉虫いろの夏の自然と
真昼の山々の壮大なフーガよ!

たえず風景の変遷する車の窓に片肱ついて、
やがて三時間、君は私と対座している。
それは安んじて見ることのできる三十何年の顔、
しかも今にしてなお新らしく
思わぬ発見に驚かされる人間の顔だ。

いかに愛すればとて、人はついに
他のたましいの暗い天には徹し得ない。
しかし互いに似かよい、転回し、逆行し、
或いはひろがり、或いはリズムを変えながら、
友情の長い一曲を織り上げてきた。

それは調和の技法に過ぎなかったろうか。
否、その対位法には異った個性の錬金があり、
誠実の造形と創造とがあった。
そしてその君と私とのたまたまの旅の車窓を、
今、人生と夏の眺めの壮大なフーガが飛ぶ。     尾崎 喜八

☆ バッハ作曲の「フーガ」などと謂う。「遁走曲」と訳され ていることもある。音楽の楽想をあらわす形式のひとつと考えてよく、むろんここは「旅の車窓」に聴く、その応用である。「対位法」もそうした音楽表現上の 技法の一つ位に取っておいてよい。「友情」の詩として、いかなる固有名詞の制限をも超え立派に成立った、稀にみるみごとな交歓の表現ではないか。
2021 1/24 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 門柱に小杉と二字の夏山家    高野 素十

☆ 友である画人1小杉放庵」を越後妙高赤倉の安明山荘に訪れた際の句、 「芹」昭和三九年八月号から採った。
もっとも「小杉」の「二字」は友の苗字でなくとも、「夏山家」にしっくり似合って涼しい。いかにも俳句の妙を生かしたさわやかさで、「夏山家」の心地よさが目にしみ入る。
2021 1/25 230

* リーゼを服して寝ると、早旦安眠できて、老齢にはゆるされるだろう永い熟睡を満喫できる。有り難いことだ。寝過ぎると脳みそが溶けるぞとよく脅されたが、溶けるほど味噌が残っていないと安心している。
昨日は岡田蕗子さんの『岸田理生の劇世界』という博士論文による長冊を貰い、今朝は東工大で同僚であった岡持時男氏の『兜太の俳句』を考察の大冊を頂戴した。営々と著作している人の多いことは、國の平和と安穏の徴に相違ない。
俳句の本にはふと心惹かれるが、先に紅書房に戴いた『泉鏡花の俳句集』のように「俳句作」そのものにうちこんで迎える本がありがたい。俳句はたやすく味 わえる世界でない、誤解して、短歌和歌よりラクに思う人が多そうだが、なんの、佳い俳句の佳い俳味を徹到満喫するのは至難のこと。句語のつづきを「説明的 に納得」してみても俳句の妙味は味わえない。お話にならない。お話にならないと悟っていない人が俳句を提出してくると、往々ただの「お話」で終わってい る。
2021 1/25 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 二十万人の一人といへど忘れめや
被爆者わが友新延誉一    友広 保一

☆ 原子爆弾に遭ってはかなく逝った友を痛恨の思いで悼みつ つ、戦争への憤りを「うた」っている。友の生命の重さは、「二十万人の」なかの「一人」に過ぎぬものとなどは、絶対に言えない。この「うったえ」を、「新 延誉一」(「にひのべよいち」か)という具体的な実名で定着させた迫力を、私は高く認める。 「アララギ」昭和四五年二月号から採った。

★ ギリシャ哲学まなびゐし友が
天皇の為に死なむと真面目に言ひぬ    畔上 知時

☆ 『われ山にむかひて』(昭和五八年刊)所収の一首。 巧 くはないが、これまた痛恨の哀悼歌であろう。「ギリシャ哲学(を)」にこの作者は、人として享けうる最良の知性とヒューマニズムの恵みを託していよう。し かもなお「天皇の為に…」と君は言うのか……戦争遂行を誓って。とうに散ったのであろう優秀だった亡い友の霊に、現世の「友」はあきらめ切れない。

* 泪、はらはらと落ちる。「うた」とは、「うたへ」て「うったへる」文藝なのだ。俳句とは、性格が、ちがう。
2021 1/26 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 竹馬やいろはにはへとちりぢりに     久保田 万太郎

☆ 昭和二年の『道芝』から採った。 東京は下町の夕餉ど き、夕茜に路上に影ひく竹馬遊びの子どもたち、それを呼ぶ声、答える声、そして「さよなら」を言いかわして、長く濃い影は算を乱すように「ちりぢりに」。 灯ともし頃のあたたかな食膳のにぎわいもやがて髣髴として来る──。
が、さて 「いろはにほへと」だ。これは竹馬で遊んでいたのが二人や三人ではなく、まして一人ぼっちでなく、何人もいたことを先ず想わせる。それからそ の子らの一人一人が正雄、清志などと名前でいちいち呼ぶまでもない、ただ「いろはにほへと」と勘定して、それで用の足りるごく普通の子たちであることを も、みごとに表現している。そう表現することで、句の深さ広さがしっかり出来てくる。
「いろはにほへとちりぢりに」と申し分のない面白さ。
さらにもう一投踏みこむなら、やはり「竹馬の友」にかけての「ちりぢりに」に、子どもの頃の「昔」をひとり追憶する老いごころとでもいう所を汲みたくな る。すると「色は匂へど」という中の句が、そこはかとない「人生の哀感や無常の思い」へひしと繋がれてくる。竹馬遊びに、おきゃんな少女もまじっていたか と想像するのもよい。
往時ははるかに夢のごとく、老境の夕茜ははや心のすみずみから蒼く色さめはじめている。かつての友は故郷にはとんど跡を絶えて訪う由もない。
想像は想像を呼んで、この一句、さながらの人生かのようにずっしり胸の奥に立つ。 2021 1/27 230

* 最近、機械のわきに愛好してた だ目にし、また清水で顔を洗うほどに読んでいる『神楽歌・催馬樂』は、奥付をみると実に「昭和十年七月十五日發行 定価四十銭」とある。「一九三五年」の 本であり、戸籍謄本で私は同じ年の「十二月二十一日」に生まれていて、旧臘満八十五歳になった。むろん、この大昔の岩波文庫は私が東京へ出て来てのちに古 本屋で買ったのだ、その値段は分からないが、勤め始めた新婚の極貧時にも、古本屋でやすい岩波文庫の古典がみつかれば逃さず買っていた。いまも文庫本書架 の多くがあの当時の廉価な掘り出し本で、この一冊などいつ読む気だろうと自分にも分からなかった。が、梁塵秘抄、謡曲、閑吟集等々に触れ、源氏物語など平 安古典や万葉集などに親しめば親しむほど、神楽歌・催馬樂などがはるかな心の故郷のように懐かしく慕わしくなってきた。そこには、日本の神々と日本人との 「魂の接点」が想われるのだ。
で、胸に落ちる妙薬かのようにわたしは、このところ、好んで拾い読みして嬉しいのである。

篠の葉に雪降り積る冬の夜に
豊明(とよ)の遊(あそび)をするが樂しさ

瑞籬(みづがき)の神の御代より
篠の葉を手(た)ぶさと取りて
遊びけらしも

大原や清和井(せがゐ)の清水
杓(ひさご)もて
鶏(とり)は鳴くとも
遊ぶ瀬を汲め
遊ぶ瀬を汲め

深山(みやま)には霰(あられ)降るらし
外山(とやま)なる正木の葛(かづら)
色著きにけり
色著きにけり

千年、千五百年むかしの、神・人のふれあいや、里や山の澄んで遙かな景色が窺え、目に見えてくる。こだわりも歪みもない。
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* われながら驚くが、えり抜きに愛読のゲーテやミルトンやグリーンやトールキンと、紫式部とならべて、私、この歳になって初めて「史記列伝」をほぼ夢中 に面白く読み進んでおり、「四書 大學」に打ち据えられ、「孫子」の「荘子」の語勢に驚いている。まさか、こんな時機が晩年に恵まれるとは。手元には元の  廬陵曽先之「十八史略」の片仮名附本も取り出してあり、これが歴史に惹かれる私には格別のものになろう。『柳北全集』に組み付いた余録、巨大な余録とし て、それも詩歌を超えた漢籍・漢字の山が机にも枕元にも端然と置かれてある。置いただけでない。愛読している。「生き急ぐ」とはコレかなとかすかに思わぬ ではない、が。
2021 1/27 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ かくも早く死する命と思はねば
あそびに来よと言ひて別れつ    八上 彦一

☆ 何一言をも付け加ええない。年齢を重ねるにつれてこういう歌には泣かされてしまう。「あそびに来よ」と言い言われ…、「友」は減ってゆく。まことにまことに減ってゆくよ。 「アララギ」昭和九年五月号から採った。

★ 月下飛髪立ちつくすともうつそみの
通夜に走らぬわれは人かは     山中 智恵子

★ 風疾(はや)み萱野笹原さわ立てり
無名の鬼の過ぎゆきにけり     斎藤 史

☆ ともに、昭和五〇年三月二九日に、割腹して果てた心友の村上一郎を悼み嘆く、歌。
村上は「無名鬼」という雑誌を作ってもいた。その三月二日には私の家をひょっこり徒歩で訪れ、娘のために雛祭りしてあった壇の前で、私の点てた茶を「旨い」と喜んで喫んで帰られた。
「かくも早く死する命と思はねば…」泣きに泣いた。山中は遠く鈴鹿の人。斎藤もまた信濃の人。通夜に間に合わぬ悲しみはいかばかりであったかと、今さらにまた泣かれる。
そうはいえこの二首の歌は、「村上一郎」という稀有の日本人の上をひとたび離れて、それこそ「無名の鬼」を悼む象徴そのものの痛切の叫びと読むことも、 十分可能。真実優れた歌には、それが有る。多く「師友」を歌った作には、とかく、実のその「人」を超えて人間の魂に深く広く届くような、「詩歌」としての 本質の力を欠きがちなのは、口惜しい。
山中の歌は昭和五三年『青草』に、 斎藤史の歌は昭和五一年『ひたくれなゐ』に収められている。

* 昭和七年(一九三二)八月末に發行、そして十三年十二月に出た第五版本468頁の『古事記』(送料拾銭、定価八拾銭)を手にしている。
文部省蔵版(日本思想叢書第五編)文学博士次田潤校訂解説と表紙にある、が、奥付では、著作者「文部省社会教育局」 發行者「財団法人 社会教育會」 そして發行頒布は「大日本教化図書株式会社」ともある。
まちがいなく、これは私が国民学校一年生を終える前後の昭和十八年春先に、何用があったのか秦の父に連れられ訪れた山城山田川にお住まいの「担任』吉村 女先生のお宅から、帰り際の玄関で手渡しに頂戴した一冊である。そして永い生涯でこんなに耽読し、ほぼ暗誦もしてしまった本は、他に無い。古事記「解題」  古事記「序解釈」、そして「口語訳」の 古事記上巻 中巻 下巻 が続き さらに「直訳」全部が収録されている。口語訳で内容をすべて覚え、さらに直訳 で「神話」古文を音楽のように音読して楽しんだ。少なくも「神武東遷」までの神話をこよなく愛読し記憶した。その照り返しであったろう、私は子供向けの絵 本(講談社絵本)や漫画本を好まなかった。絵本の繪を怖がったし、漫画は面白くなかった。「のらくろ」を断片的に、そして「長靴三銃士」という物語漫画を 記憶しているだけ。『古事記神話』の洗礼をまっさきに受けた感化は大きかった。今でも、少なくも「神武東遷」までの「神話」を日本人として信愛し親愛している。
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の御名(みな)    は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に
いまも子、供達には読んだり聴いたりしてほしいと思っている。
ともあれ、そんな生涯を決めるほどの「出会い本」がいまも手にできる有り難さ、遙かに、吉村女先生に心より御礼申し、大切にしたい。まさしく「日本古典のナンバー・ワン」を手渡されたのだった。
2021 1/28 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ 大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました。
人の名前に誠之助は沢山ある、
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。
わたしはもうその誠之助に逢はれない、
なんの、構ふもんか、
機械に挟まれて死ぬやうな、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。

日本人で無かつた誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之(これ)から気楽に寝られます。
おめでたう。                  与謝野 鉄幹*

☆ 大正四年刊行の詩歌集『鴉と雨』に所収の詩。
明治四四年(1911)一月に十二人が死刑執行された幸徳秋水らの「大逆事件」を下敷きにしている。ふるさとの「友」であり死刑を執行された大石「誠之 助の死」を「誠」一字を美しく利かしながらこう愛執深く熱く歌いあげる事で、わずかに当時詩人の、私人の、「気概」を天下に示したじつに数少ない貴重な証 言たりえている。年若き石川啄木も「時代閉塞の現状」を手厳しく論じかつ嘆いて「大逆」という囚われの時代へ疑問符をつきつけた。
私は東京工業大学で教授職に在った毎年の各教室で、かならず一時間、「神様を最初に無視した誠之助、大逆無道の誠之助たち」の「大逆事件」の経緯を大切に「語り伝える」のを務めとも考えていた。
鉄幹は与謝野晶子の夫、その妻ほどもいまや読まれる事の稀になった歌人だが、短歌以上に数すくない その「詩」のなかで「人物」の大きく見えていること、書きとどめて置きたい。
2021 1/29 230

* 不調 晩食を欠く。「湖(うみ)の本 151」初校戻し稿への拡充などに明土日曜を利して充実に努める。
八時過ぎ、機械字「最大」を常用しているが、それさえ視野で煙って来る。音楽は変わりなく聴けるのに、見る目の衰弱は甚だしい。「やすめ」と呼ぶ天の声 と聴くしかない。とは言えこの部屋の、また機械のブルーライトを離れて枕もとの昔ながらの電球スタンドを頼みにすると、時間が経つに連れてむしろちいさい 字が綺麗に晴れてくるは何ぞや。それでつい一時頃まで十種をこえ読んでしまう。そして寝てしまう。早起きは考えないことにしている。八五郎の薬餌と思って いる。
それにしても腹に痛みが一日残っている。イヤ。
2021 1/29 230

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

★ やるまいぞやるまいぞとて泣くばかり   山路 閑古

☆ 「路郎冠者を哭す」という。狂言の道にたずさわった親し い友でもあったろうか、そう思って「やるまいぞ」と読むと、無限の哀情と追悼の秀句がここには在る。不思議に深い知性をさえこの句は感じさせてくれる。し かも 「泣くばかり」の直接表現が、爆裂する効果を挙げている。 昭和五八年刊の 林富士薯『川柳のたのしみ』から採った。が、ちょっと川柳という気はし ない。
2021 1/30 230

* 十種の本をそれぞれに興味深く心惹かれて少しずつ、多くて50頁、漢籍は数頁ほどを読み尽くして、24時、小一盃を口にし、就寝前のインシュリンをうち採尿薬一錠を含み、床について小粒なリーゼ一錠を含んだが、これは奥歯のどこかに挟まった。
朝、正八時に目覚めて歯を洗ったが、そのまま、妻も「マ・ア」も起きていたのに私は床にもどり、もう少し寝ようと消灯し目を蔽った。
気が付いたら、十三時、不快感なく床を出た。さてそれで何か迷惑がと思い当たる何も無い、これは幸せな老境と静かに感謝した。

* 食事(鶏卵を一つ落とした味の濃めのスープと、ミルクをどうかしたスープの熱いの。)しながら「麒麟がくる」という明智光秀のドラマをちらと見たが、 おそらく『史記列伝』や「戦国策』かぶれの日本型「理」に溺れた小才策士の物哀れに破綻の人生、しょせん信長や秀吉や家康型の策士とは歯の立たない、せい ぜい足利末路将軍と肩をくんでドッコイ程度の人物と少年の昔から見極めており、「麒麟」ドラマも、その通りに情けない小粒な画面が続いた、途中で切った。 それにくらべれば、取り置いてある、一回ずつで見切りの「ネービー・サスペンス」に登場の、班長ギブス以下チームの誰もかもが、生き生きと一人一人の人生 を背負ったまま情け深く、まるで私自身の「身内」のように懐かしく生きてモノ言いかけてくる。

* 『列伝』には数え切れない「策士」の陰謀術策が蜘蛛の巣のように張り巡らされている、が、彼らの誰も天下を取れない。その他方に『大學』『中庸』「論 語』『孟子』のようなりけぞるほどの正論が横に並んで中国が誇る歴史を支え成している。凄いとしかいえないケッタイな大国ですなあ、中国は。
幸いに日本には驚嘆の策士が縦横することは無かった、その証拠のようにサマにならなかった小細工士を「麒麟」視して済ましている、澄ましている。
また老子荘子孔子孟子のように怪物めく深淵のような哲学・思想の大物も、たとえ弘法であれ法然親鸞日蓮であれ、「お拝みする」信仰がらみであった。それ なら物語の紫式部は断乎として中国や世界もものともしない。彼女よりは日本にほぼ限定されるが世阿弥・利休・芭蕉、近松、歌麿、南北は十分な敬愛と感謝と に足る。明治以降のことは云わない。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 友の愛

☆ ここに採った「友の愛」の歌は、数こそ多くはないが、「親への愛」の歌にならんで佳い作がたくさんあったと思う。「友」もまた、人生葛藤の有難い所産であることを思わせる。感傷もただに感傷にとどまらぬ、入り組んで微妙な「愛」の相を示している。
真に人間的な「愛」とは、親子も夫婦も含めて本当は「友」としての愛であるのが正しいのでは、なかろうか。私は、かねがね、そう思って来たのだが…。
この項の終わりに、老友早見晋我こと「北寿老仙をいたむ」与謝蕪村の、若き日の俳詩をただ挙げておこうと思う。
蕪村は若い日に江戸にあり、さらに久しい東国放浪の時期を経て関西に戻るのだが、その放浪の間に下総国の結城郡本郷の素封家晋我と識った。彼はもう七十の坂にある蕪村よりかなりの大先輩だった。
この詩は通説延享二年に彼が死んだおりの追悼の作とされ、しかも公表されたのはその五十回忌の追善集でで、蕪村もすでに没していた。
傑作であり、語釈は適当な辞典によられたい。一つだけ、途中「へけのけぶりの、はと打ちれば」とある「へけ」だけは、たいていの辞典でも解説でも正解を えられまいと思う。「へけ」は、「水辺に接した傾斜面を持つ台地状の地形の先端部をいう」方言であり、つまり「へけのけぶり」は「仲春の季題である、水辺 丘陵の夕霞」にほかならぬ事、「霞」と「老仙」とは古来の縁語であるという事を、高田衛氏が証明されているのに従うべきだろう。
その余は銘々に、舌頭に千転愛誦願いたい。

★ 君あしたに去(さん)ぬゆふべのこヽろ千々(ちぢ)に
何ぞはるかなる

君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ
をかのべ何ぞかくかなしき

蒲公(たんぽぽ)の黄に薺(なづな)のしろう咲たる
見る人ぞなき

雉子(きぎす)のあるかひたなきに鳴(なく)を聞(きけ)ば
友ありき河をへだてヽ住(すみ)にき

へけのけぶりのはと打ちれば西吹風の
はげしくて小竹原真(ま)すげはら
のがるべきかたぞなき

友ありき河をへだてヽ住(すみ)にきけふは
ほろヽともなかぬ

君あしたに去(さん)ぬゆふべのこヽろ千々に
何ぞはるかなる

我庵(わがいほ)のあみだ仏(ぶつ)ともし火もものせず
花もまゐらせずすごすごと彳(たたず)める今宵は
ことにたふとき                  与謝 蕪村

* 「友の愛」を結び終えた。明二月から、「師弟の愛」を読む。
読む人、聴く人の胸をうち、その人生へしかと呼びかけ関わってゆくほど確かな美しい日本語の「詩」を、自分は「歌人」と自足している「歌人以前」の人たちに心より望む。定型でさえあれば「歌」なのでも「詩」なのでも、ありません。

☆ 神楽歌
我が生(あれ)は宮びも知らず
父が方(かた)母が方(かた)とも
神は知るらむ

* 「神は知るらむ」と、五つ六つで思いながら、「身内」という思想を育みつづけた、永い永いあいだ。千年千五百年前にもこう想いこう願って人の世へ歩んでいた人たちがいたと想う、懐かしい。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 夢の世になれこし契り朽ちずして
さめむあしたに逢ふこともがな    崇徳院

☆ 配所讃岐国で崩御のおり、都なる皇太后宮大夫(藤原)俊成に「見せよ」と書き遺された歌である。『玉葉集』に採られている。
この二人、厳密な意味はさておき和歌の道の師弟とも歌友とも言っておこう。俊成はやがて『千載集』を後白河院の命により勅撰する。この院は崇徳院の実弟 であり、しかも保元の乱で兄院を打ち負かして讃岐国へ放逐した勝利者だった。だが和歌にかけては弟院は兄の敵でなかった。
「夢の世になれこし」とは微妙な覚悟である。所詮この世は「夢」と承知で生きてきたのだから、という「仮りの世の思い」が一つある。「さめ」てからが「真実の世」という覚悟だ。その「次の世」で再会し結び直す契りこそ、愛こそ、真実の名に値するという覚悟だ。
今一つ、讃岐国へ流されてのちは「夢」でしか柑逢うことの叶わなかった口惜しさも言い龍められていよう。だがその「夢の」間にも二人の契りは、朽ちてはいなかったという信頼と愛の確認。
あの世で、今生の契りそのままにまた幸せに逢いたいという願望。讃岐国に所領も持ったらしい俊成は、悲運の院に密かに同情と便宜とを寄せ続けていたかと 想像される。古代の歌い口で、この程度の技巧はとくに言うほどもないのだが、人と時との契合が、一首に、いたましい「うた=うったえ」の力を与えている。

* 和歌といえども「読める」 だが 「味わう」には 古語への親炙がやはりものを云う。今日のいわゆる歌人の若い大勢が「和歌」を敬遠し時に軽視・軽侮す るのは、「日本語 古語」を勉強しなかったから、と、ほぼ断言もできる。古典が読めない、味わえない、それでも文藝愛の日本人とは、やはり物足りなさが過ぎ る。和歌を読めと強いたいのではない。しかし文学に親しみ創作に生きるなら日本語は古語も学んでは、と云いたい。日本語の歌、短歌が、瓦礫の道を踏むようなア ンバイなのを自賛し弁護している図は見苦しい。
2021 2/1 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 白粥のあまりすゝるや冬ごもり   向井 去来

☆ 師の松尾芭蕉が病気の折に、かたわらに侍しながらの吟である。
季節は冬。「粥」は、師のための病人食でもあろうし、寒気をしのぐ温かな食事でもある。「あまり」とはむろん師の食べ残しの意味にせよ、ここは「一つ鍋」 という師弟親和の喜びも含む。この両方が相乗効果を示して、まさに一味同心、「身内の愛」を心暖かに感じとらせる。
「白粥」の「白」一字にも、寒さと清さ と、ほかに何も無いといった「簡素な美」とを、あやまたず言い龍めている。 『去来発句集』から採った。
2021 2/2 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ この頃は逢ひたい友の多けれど
わけて逢ひたい新島先生    徳冨 蘇峰

☆ 同志社創立の新島襄先生をしのび、尽きぬ愛と思慕を高弟 蘇峰は晩年の『残夢百首』(昭和二五年)の中にこう詠んだ。「わけて逢ひたい」の一句に一切がある。述懐歌として技巧的に見るものはないが、真率なかつ枯 れた物言いに忘れがたい感銘がある。「新島先生」と、呼びかけた結句が光る。
京都若王子山中の明浄処に、師の墓を守るように蘇峰はじめ薫陶を享けた弟子たちの墓が美しく並んでいる。結婚式というものを挙げなかった私たち夫婦は、 二人でこの奥津城をおとずれて、結婚と上京とを報告した。梅が満開の二月末だった。二○二一年(令和三年)現在、六十二年)が過ぎた。

★ よく叱る師ありき
髯の似たるより山羊と名づけて
口真似もしき       石川 啄木
☆ この歌には「わけて逢ひたい」といった直接な物言いはどこにも無い。事柄の一つ一つが具体的に想起されているだけ、たかぶった感情は表出されていない。むしろ噛み締めるようなふしぎな哀感が韻律たしかににじみ出ている。
おそらくは生活と時代との悪戦苦闘に疲れた作者の、根深い喪失感にその調べは共鳴していよう。 明治四三年『一握の砂』所収。
2021 2/3 231

☆ 大前張(おほさいばり)

宮人(みやびと)の大装衣(おほよそごろも)
膝通し

膝通し
著(き)の宜(よろ)しもよ大装衣(おほよそごろも)

* 光源氏のおほ昔に、こんな囃し歌でファッションをほめ合ったりしてたか。「歌」こそは神代の昔からの文藝のめざめであったと。山本健吉先生のすばらしい論攷に出会った時の嬉しさを思い出す。
ごいっしょに横浜駅前で講演して、あと銀座の「きよ田」で寿司を食べたり。はるばる講演の旅をご一緒したり。ブルースの淡谷のり子さんを囲んで賑やかに鼎談したり。山本先生とははなしもよく合い、いつも温かに声をかけてくださった。
2021 2/3 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 真夏日の左千夫の忌日(きにち)朝はやく
室かたづけてひとり坐れり    古泉 千樫

☆ 大正二年「七月三十日」が、作者の師伊藤左千夫の忌日。この日をせめて心清く静かに過ごしたい。そういう気持ちで尊敬と愛情とを身いっぱいに表現したい。すがすがしい。 昭利八年『青牛抄』所収。

★ 動悸して壁の落書(らくがき)にわれ対ふ
をさな字に北原隆吉とあり    宮 柊二

☆ 先師北原白秋の「名」に、師の故郷で、師の「をさな字」の「壁の落書」として対面した。
師とは全人格、全生涯をかけての師であり、弟子もそうなのである。そして何度も何度も出会い直し出会い重ねて行く。「動悸して」の一句に、喜びと敬愛とが躍動して貴い。
もっとも、ここで注意しておきたい。この種の歌は、先の「新島先生」にせよ「左千夫」にせよこの「北原隆吉」にもせよ、その「人」を知ることなしには十分受け取りにくい。
師弟の愛の歌はけっして数少なくないのだが、感動をひろく深く共有できる佳い歌が、実は稀であるのも、これによる。
短歌にも俳句にも師弟愛のあまりにか、ごく一部の仲間内にしか通用しない作が、それで良い、当然だという顔で溢れる。当然でもなく、良くもない。独善のそしりを免れぬばかりか、短歌や俳句の「表現を矮小化」するだけだ。 昭和二八年『日本挽歌』所収。
* アコ家出失踪の悲しさに殆ど睡らず、順に10種も和漢洋の本を読み、最後に建日子の文庫本『サイレント・トーキョウ』を一冊、朝七時半ごろまでに読み 切った。停頓もなく読み終えた。めずらかな読書であった。目下わたくしの仕事と関心または意向・論調でふれあって交錯しそうなのは、「戦争」の一語だった と思う、それも意向の向かい先はちがっていて、それはそれなりに受け取っておける建日子の現代世界のテロリズムを見通した理解・主張であろうし、私のそれ は現代を見越しながら明治から昭和へ通じた戦争観への一つの異議申し立てである。コロナ禍ののちに、ゆっくり話し合える日の早いのを待ちたい。
2021 2/4 231

* 幸いに、ゲーテの「ファウスト」 ミルトンの「失楽園」 「宇治十帖」 「史記列伝」 「柳北全集」 が断然 興味深く心に響く。千数百枚は下るまい 長谷川泉先生の「鴎外ヰタ・セクスアリス考」も読み出すと止まらないほど。老境の私を質的に助けるのは「良い読書」だろうと念願している。

* 八時半だが、前夜はほとんど寝ずにいた。建日子の文庫本をはじめて一気に読了もした。
疲労をしつこいものにしないために、もう休もう。アコは、飢えているのでは、怪我していないといいが、帰ってきて呉れるのを、祈って待つ。
2021 2/4 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 青葉風すがすがと入(い)るわが部屋に
先生はいます羽織脱がして    谷 鼎

☆ 昭和十七年五月末に師の窪田空穂を自宅に迎え、歌会か何かを催した日の詠。同じ作者の同じ日に、こういうのも有る。
先生の軸掲げたる床を背に先生います家はわが家
大き人に間近く見えしよろこびを子らもつつしみて言ふよこまかく
全人的な傾倒であり感激である。短歌表現を超えたものがある。だからこそ短歌表現としても力を保っている。 昭和五三年に弟子たちによって没後に編まれた『水天』所収。

★ 先生と二人歩みし野の道に
咲きゐしもこの犬ふぐりの花
先生は含み笑ひをふとされて
犬のふぐりと教へたまひき    畔上 知時

☆ 師の谷鼎の没後歌集『水天』を編んだ弟子たちの一人。昭和五八年『われ山にむかひて』所収の微笑ましい、かつ巧みな歌。どこといって無理なく自然に今は亡い師をしのんで、心優しい。大声にものを言っていないのも佳い。
「犬ふぐり」の「名」だけを師は弟子に教えたのではあるまい。歩一歩の野の歩みのなかにも、目配りがあり、心入れがあり、感動も発見もあることを弟子は師のなにげない言葉づかいや、笑顔や、身振りからも習ったのだ。だから懐かしく慕われる。
2021 2/5 231

* 八時前、だが、疲れきってながら仕事は捗らせた。この部屋で仕事に没頭していると、脇のソファへアコとマコとがいつものように来て「削り鰹」頂戴と行ってくる気がする。
階下で休息し、そのままもう床に就いて本の世界へ没頭してもいい。
いま一に惹かれて懐かしいのは「宇治十帖」でわたしのむもっとも愛する「中君」が、匂宮の妻として二条院へ引き取られて身ごもり、匂宮は右大臣夕霧の六 の君の婿にもなったあたり、薫中納言が中君に恋慕してしまっている。何度も何度も何度も読んできたげんじものがたりだが、ゲーテの「フアウスト」ミルトン の「失楽園」という世界史的な大の名作と向き合って、凌ぐほどの文藝の魅力に溢れているのだ、感嘆のほかない。「ファウスト」も「失樂園」も、溜まらなく 魅されて面白く読める。
そして、魅されるというのではないが、「史記列伝」の凄まじいまでの権謀術策のまさに「列伝」に怖毛だつほど。中国人というのは、日本列島ひとがまだ貝 塚を積み、どんな言葉を話してたかも知れないほどの大昔に、もう合従連衡など戦国のたくらみで闘いあい、勝てば相手の「首を切る」こと「何萬」「何十萬」 と数えている。凄い連中、そこから抜け出て、中国中原に、初の「統一帝国」を建てるのが「秦」ですとさ。
日本の作家代表の一人として中国に招かれたとき、大会堂へ招待主として出席の、当時死去間もなかった周恩来(毛沢東に次ぐナンバー2)夫人(副首相)か ら、「秦センセイは、お里帰りですね」と笑顔で挨拶されたとき、「秦の國」へ来て居るんだなと、ちょっとフクザツな心地だったのを思い出す。二度目の訪中 では、バイオリニストの千住真理子さんらと超巨大な始皇帝陵を「見物」した。仰天モノであった。
いま二階では、機械の脇へ出している「四書講義」と片仮名付きで「十八史略」を読み始めている。寝床脇へはちくま文庫「荘子」雑編も持ち出して読み進んでいる。中国の読み物では「水滸伝」と「三国志」をみているが、むしろ詩に親しんできた。
それに比べると朝鮮半島の本というと「古代史」をよんだだけで、他はもっぱら韓ドラです。

* と、振り向いても 「マ・ア」の姿が、無い。やがて、九時。心凍えるように、悔やまれる。アコ、ごめんよ。マコ、堪忍しておくれ。
2021 2/5 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ こりこりと乾きし音や
味もなき師のおん骨を食べたてまつる    穂積 生萩

☆ 釈迢空の弟子。永別の悲しみに堪えかねて、とっさに出た行為か。
一読、あ、と声が出たが胸をつきあげてくる同情の念は熱かった。事の次第の異様さを超えて、歌一首の表現は微塵の揺れもなく、美しいまで整っている。 昭和三年『貧しい町』所収。

★ 夏場所の新番づけも棺にをさむ   上村 占魚

☆ 「先師松本たかしを悼む」昭和三一年五月二一日の句、『一火』所収。
そんなことかと簡単に読み過ごせない含蓄がある。「夏」という旺盛な現世感に溢れた季節が、「棺」という寂しい文字に対応している。まして「夏場所」は 力士と観客との汗と熱気が舞う大相撲の本場所。生きてこの世を楽しむ人間が群集して活気渦巻くところだ。弟子はそんな相撲好きな師のために「新番づけ」も 「棺」におさめた。きっと幽明 処は隔てても師弟一緒に変わりなく相撲を楽しみたい、楽しめるはず…と想いたいし、あの世の師もそうしてにぎやかに慰めた い。
ふしぎに「夏」「新」の字が爽やかな縁語を成して、「棺」の、くらいイメージを清らかにしている。
2021 2/6 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ 墓標より戒名手帖にうつしつつ
荒木先生はやはり荒木先生がよき     脇 須美

☆ たいへんよく分かる。「墓ヒョウ」「戒ミョウ」「手チョウ」と韻を踏んでいる。それはともかくとして「戒名」のあとへ、字余りでも、「を」を一字送ってはどうだったか。 昭和五四年『散りてまた咲く』所収。
こう読んできて気がつくのは、弟子から師へ、それも今は亡き師への歌が多く、師から弟子たちへの歌は、釈迢空らに無くはないものの、ここに紹介したいと 思うほどの作に、出会えなかった。概して情が先走り表現に周到さの不足しがちな所が、「師弟」の歌の残念な特徴だったか、という気がしている。

* 脇須美さんはお母さん。娘さんの脇明子さんは泉鏡花研究の本など出してきた方で、私は一度座談会でご一緒している。翻訳もされる方で、大好きな三巻本マキリップの『イルスの竪琴』を戴いていてル・グゥインの『ゲド戦記』とともにもう十度も読み返して飽きないでいる。
そんなことも告げてお礼も言いたいが、現在どこで教鞭をとられているか知れない。お差し支え無くかつ連絡先ご存じの方があらば、お教え下さいませんか。
2021 2/7 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 師弟の愛

★ しぐれ行く山が墓石のすぐうしろ    瀧井 孝作

☆ 「法然院谷崎家墓域」をうたってまことに的確、しかも谷崎潤一郎没直後の昭和四〇年十一月に訪れている。「しぐれ行く」の句にしんみりと哀悼の意がにじみ、「山」を負うたお墓に、いかにも文豪の風格を伝えて美しい。「はかいし」か「ぼせき」か、前者が宜しいかと。
この作者は1私小説を宗」とした大家であり、谷崎潤一郎とは対極にあったが、よく認めていた。私のような者でも谷崎論を成すつど、よく激励や賞賛の電話を戴いた。懐かしい思い出になった。
昭和五〇年、鉛筆で自筆丹精の句集『山桜』に収められている。
2021 2/8 231

* いろいろと読んでいるが、いま一等の感嘆は『史記列伝』。 七十全編中の最要最佳といわれる「孟子荀卿列傳第十四」へまで到達した。何となく読み進んできたが、叙述簡明の筆に導かれてじつはヴィビッドに多く多く「戦国」を学んでいたと気づく。「簡潔に書く」凄いようなお手本である。
策士策士策士そして死と死骸の山を見続けてきたが、入れ替わって、「孟子」と出会う。
読み始める前は、続くかなと想っていたのが、誘われ惹かれて上巻五百頁の三七○頁まで来ていた。下巻へまで、信じられない、なんと「楽しみ」になってい る。城井壽章の講述に導かれながら、漢文が楽しめている、そして世界は戦国、ついに秦始皇帝が立ち二代までのまさしく合従連衡のドサクサ続きであった、こ こまでは。一度の決戦で何万何十万と「頸」斬られ殺され、八つ裂きにもされ、秦に至っては三十万人を一時に「坑殺」してもいる。日本史ではついぞ見聞に及 ばない惨虐の國であったのだ、中国は。だからこそまた、老子や荘子が、孔子や孟子が登場した。はて、今の中国に老荘・孔孟が現れれば忽ちに投獄ときに暗殺 されているのではと怖気ふるう。もう何十年かまえ、井上靖を団長に中国へ招かれた時は、毛沢東なく周恩来もなくなり、四人組が投獄された直後だった、が、 「孔子」の名を口外するのも禁じられた。大岡信と私とに配されていた自動車で、付き添いの一人が、「一言堂」という言葉を知ってますかと問いかけてきた 「オドロキ」を忘れない。中国での天下統一とは、即「一言堂」国家の確立を謂うのであるか、さもあらん。

* いま手元へ引き寄せて随時に読み進めている他の漢籍は、「大學」に始まる『四書講義』上下巻、元の曽先之編次になる『十八史略』 そして『孫子講 話』。国民学校の頃から秦の家に祖父鶴吉が蓄えていた数多い漢籍や字典や古典や事典や古書を、傘寿もすぎて私は愛読愛玩している。繰り返し返し寡黙に怖そ うだった「お祖父ちゃん」に感謝感謝。「湖(うみ)の本 150」で公にできた山縣有朋の家集『椿山集』もしかり、そして次巻にも、当節とても手に入らぬ 一冊を介してモノが言えます、深々と、感謝。
2021 2/8 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 愛の最もむごき部分はたれもたれも
このうつし世に言ひ遺さざり    東 淳子

☆ 死が愛をこぼち、しかし愛が死をしのいで生きつづけるさまも多く見てきた。それはそれとしてたしかに見てきた。が、この歌人がこの歌で呻いている意味、分からなくはない。
いかに愛の種々相をと拾い集めてみても、なお歌うに歌い切れない「愛の最もむごき部分」がこの世に充満しているであろう事は、「たれもたれも」本能的に、また理性的に承知している。
厳しい現実の重みに耐えて、この一首はさながら私のこの一冊の『愛の詞華集』を総括してしまう批評性を持っている。いかなる愛のかたちも、絶対とは言えないぞと、力弱い人間の胸へ鋭く指をさして来る。
私は、作者の意図に頓着なくこの歌を受け入れ、この歌に恐れをなす。幻影にもひとしい愛の可能よりも、愛の本来不可能を信じた上で、だから愛を求めずにはおれぬ人間のつらい運命を思う。 昭和五九年『雪闇』に収められた一首である。
2021 2/9 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ しづかなる悲哀のごときものあれど
われをかかるものの餌食となさず    石川 不二子

☆ これも私なりに読みたい、「しづかなる悲哀のごときも の」であると「愛」の本質を受け止めて、あやまりであるだろうか。この歌はけっしてそのような「悲哀」を否定や否認はしてはいないと読める。避けがたい運 命のように受け止めたまま、なお堪え耐えてそれと戦い抜いてみたい意志が読める。
我々は「愛」をあまりにやすやすと受け入れることで、その隠された「むごき部分」の「餌食」たるに甘んじては来過ぎなかったか。「われをかかるものの餌食となさ」ざる所から、「愛」への主体性を確保したい…と、私も思う。 昭和五五年刊の『短歌年鑑』から採った。

* みごとなお天気  天岩戸神楽ノ條(古語拾遺)
あはれ
あな面白
あな楽し
あな清明(さやけ)
をけ
2021 2/10 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ ただ人は情あれ 槿(あさがほ)の花の上なる露の世に   『閑吟集』

☆ 中世十五、六世紀の人が愛読した小歌、『閑吟集』所収。
思えば時代の表情は、言い換えるなら真実の「情」を求めて求めえない渇いた人の世のありさまは、五百年を経てすこしも変わっていない。室町時代より現代 の方が、「花の上の露」よりもろく地獄へころげ落ちかねない不安の時代だと、それこそ「たれもたれも」が恐れている。「ただ人は情あれ」の「うったえ」 が、つまり「愛」の不可能を可能と変えよう信仰が、今ほど切実でかつ今ほど稀薄な時代は、なかったろう。

★ 世の中は常にもがもな
渚こぐ蜑(あま)の小船(をぶね)の綱手かなしも    源 実朝

☆ 「世の中は」の取りようで、奇妙にオーバーな観念的な歌になる。
作者が、渚に綱手引いてゆるゆる小舟をやる「蜑」夫婦を、おそらく遠望しながらの感慨であろうからは、この「世の中」は、社会とか世間一般とかへいきな り押し広げて読むより先に、具体的には、あれあのように慾も得もなくひしと心を一つに力を合わせて世渡りに励んでいる「蜑」夫婦のように…と、世の男女が みな心平らに波乱もなく幸せであれと祈願する意味でありたい。「世」はもともと男女の仲らいを意味した言葉、しかも渚へ渡して「綱手」引くのに一人では足 らず、舟の「こぎ手」もいる。まして「蜑(あま)」といえば零細な語感があり、人手を頼むどころか夫婦で助け合うしかないほどの世渡りだ。「常にもがも な」は強い願望を示す物言いで、「綱手愛しも」に響き合う。 『金槐集』所収。作者は鎌倉の三代将軍。

* この「私語の刻」のはじめに掲げた、菱田春草の名畫「帰樵」と通いあう境涯よと、私は実朝の思いを懐かしく汲む。
2021 2/11 231

 

* 神があるとか無いとか信じるとか信じないとか、私は思って来なかった。ただなにかしら想っていたし今も想っている。古事記を読んで事実のように読んで きたのではない、こういうことが大切に伝わっていたのを良かったと喜び、日本人としての「神話」の歴史的に与えられてある事実を、優れて有り難い「文化」 と思う。神話を持たない民は根底の寂しさ物足りなさを無意識にも感じていると思う。日本の神話はどの国民のそれと比べても優れて美しいのである。

* 中国の元の曽先之が編次の『十八史略』は当然に中国「太古」の史実と観ての「神話」から語られている。
「太古」  (天皇氏) 木徳を以て王たり、歳を摂提より起こし、無為にして化す。兄弟十二人、各々一萬八千歳。地皇氏、火徳を以て王たり。兄弟十二 人、各々一萬八千歳。人皇氏、兄弟九人にして、分かって九州に長たり、凡そ一百五十世、合はせて四萬五千六百年。人皇の以後に有巣氏と曰ふ有り、木を構へ て巣を為し、木実を食らふ。燧人氏に至り、始めて燧を鑽り、人に火食事と歓談教ゆ。みな書契以前に在り、年代国都攷ふ可らず。
「三皇」 (太昊伏羲氏) 風姓。燧人氏に代つて、而して王たり。蛇身人首。始めて八卦を畫し、書契を造り、以て結縄之政に代ふ。嫁娶を制し、儷皮を以て禮と為す。網罟を結び、佃漁を教ゆ。犠牲を養ひ、庖厨を以てす、故に庖犠と曰ふ。龍瑞有り、龍を以て官に紀す。龍師と號す。木徳王、陳に都す。庖犠崩ず。女媧氏立つ、亦た風姓、木徳王たり。始めて笙簧を作る。

* 以下なかなか面白く 膨大な時世を経つつ「炎帝神農氏」「黄帝軒轅氏」と続いて次いでまた大きく『五帝』時代が来る。
これは根底から「歴史」であり「蛇身人首」などと奇怪であろうとも、どこかに人類史の生活的な展開も読み込まれている。
日本の古事記神話は、こんなではない、もっと「国土の自然」に接して神が語られている。まさしく「物語られ」ていて、八岐大蛇など現れるけれども、耳を傾けてお話の先が聴きたく、聴いて懐かしいのである。

* 紀元節という名の祝日は、天長節や地久節や明治節などより、「おはなし」の世界として親しむ気持ちがあった。「今日のよき日は大君の生まれたまひし良 き日なり」と歌うより、「雲に聳ゆる高千穂の」という古色の自然を目に浮かべるのが、身に沁みる二月の寒さや町内で炊き出される大好きな「粕汁」の香とと もに、とても印象的な一日だった。

* 「十八史」がドレドレかアタマにないが、手にしている「片仮名付き」原文のままの『十八史略』は漢文が読み良いし、興味津々、面白い。編者の曹先之は「元」の人、あの「太古」から「唐・宋・元」までの歴史が大略語られていそう。
いま、秦の祖父から頂戴の明治の漢籍本にはきまって「目次」が無い。これは、なんでやろ。
2021 2/11 231

 

* 入浴もして。なんと。もう十時だという。機械の前で十時は、このごろ珍しいかも。早く就床と心がけているが、床に就いてからの読書時間がながい。
頭の中に何やかやもやもやしているが、寝に行こうと思う。
2021 2/11 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 月天心貧しき町を通りけり     与謝 蕪村

☆ アンデルセンの『絵のない絵本』の一節を読む気がする。青く澄んで皓い月光に満たされ、「貧しき町」への自然の愛と作者の愛とが清らかに共鳴りする。通るのは、「月」と作者と両方、と読み込んでひとしお美しいし、気も晴れる。
そうは謂いつつ私の胸には怖い怖い映像もじつは秘められていて、しばしば魘される。

★ 終るべき生命をもちてあかつきの
漁夫も獲られし魚もかがやく     安永 蕗子

☆ 「終るべき生命」だから作者はなにかを断念している、のでは、ない。「終るべき生命」だからいよいよ「かがやく」ものとして、愛している。目の底に「かがやき」が、確かにのこる。さすがに現代を代表する女流の、佳い歌である。昭和三七年『魚愁』所収。
2021 2/12 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 胎児つつむ嚢となりきり眠るとき
雨夜のめぐり海のごとしも    河野 裕子

☆ 「雨夜のめぐり」はやや際どい表現だが、必然の感をも持 つ。水に抱かれ「嚢(ふくろ)=作者である母胎」に包まれた「胎児」の世界と、その「嚢」をさらに容れた「母」の世界との、まさに大きな入子(いれこ)構 造を視野に入れながら、この作者の根底に「海」としての世界観が働いている。「嚢」の海と、始源としての広大な海との等質が信じられている。人間への愛 と、始源への愛との等質も信じられている。その愛を、「眠り」を触媒にイメージとしての「雨」が強く喚起している。
大きい歌である。 昭和五一年『ひるがほ』所収。

★ 子の友が三人並びてをばさんと
呼ぶからをばさんであるらし可笑し    河野 裕子

☆ 「呼ぶから」が、おもしろく、これ一つで「歌」になっている。
「をばさん」は予想外だったが、なるほど「をばさん」なのだろう、「をばさん」でいいわよ…。精神の容量、器量、の大きいこの人の作風がこころよくうかがえる。昭和五九年『はやりを』所収。
2021 2/13 231

* 今日は、ずっと機械で仕事しつづけていた。疲れて夕過ぎてすこし寝入ったが。仕事は、力仕事にも類したが捗ってくれた。
十時を過ぎて行く。もう機械からは離れ、読書と音楽。今日は、昼間はグノーのオペラ「フアウスト」を聴きながら仕事していた。グレン・グールドの「ゴールドベルク」が久々に出番を待っている。明日のことに。
2021 2/13 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ ロオランサン、シャガールなどの画譜を閑ぢ
貧しき国の秋に瞑(めつむ)る
さめぎはのゆめの混沌(かおす)のたのしければ
枯山(かれやま)に片目をあきしふくろふ
口中に一粒の葡萄を潰したり
すなはちわが目ふと暗きかも     葛原 妙子

☆ さきの二首は昭和二五年『燈黄』から、三首めは同じ作者の昭和三八年『葡萄木立』から採った。が、さてこれらがどう「愛の歌」か。愛どころか、一般に短歌ときくとおうむ返しに「分からない」と嘆く人らには、この三首など 先へ行くほど頭がイタくなりそうだ。
だが正直に言う、これら三首はおそらく今日の短歌の最高水準を達成している、私はそう思う、と。しかも翻訳も解説もほとんど意味のない、これは数学でい うこれ以上に割切ることの不可能な素数のような詩なのである。それでもいくらか手がかりは、ある。ロオランサンやシャガールの絵に負けない日本の「秋」 へ、しかと「瞑(めつむ)る」のは、見まいためでなく真に見るためだろうし、それはいくら目をあいていても、絵も自然の美も西も東も見わけのつかない、そ もそも夢を拒絶されている者らへの、ものうげな訣別の態度でもあるのだろう。「枯山に片目をあきしふくろふ」とは、おそらくは作者その人の自愛のポーズで もあろう。
だが、その辺りまでが精一杯。三首めになれば、これはそのまま「生きのたまゆら」のようなもので、この歌そのものを口中に含んで、そのうちに舌で押し潰 してみるしかない。存外にむずかしくも何ともなく、その、くらい甘美な味に納得するだろう。「ふと暗きかも」とは、詩と真実へ出逢いのふと濃やかな味わい に、思わず「瞑る」嬉しさを謂うのかも知れない。ここに秘められた愛の次元は高い。
2021 2/14 231

* 九時をとうに回っている。朝から、よほど今日は集注出来ていた。グールドのピアマと別れて階下へ。休息。
『史記列伝講義』上巻をやがて終える。『十八史略』の漢文もとても読みやすい。いま、読書に恵まれていて『フアウスト』も『失樂園』も、ぐんぐんと「読み物」として惹き付けられている。相変わらす『指輪物語』にも引き込まれている。
2021 2/14 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 春がすみいよよ濃くなる真昼問の
なにも見えねば大和と思へ     前川 佐美雄

☆ むずかしく思わなくていい。「春がすみ」の籠めたひろいひろい「真昼間」だ。「なにも見え」ない。見えねばこそこの世界を「太古」の名のままに「大和」と想おう。感動と想像と両の翼をそうして限りない「時」の彼方へ解き放とう…と。
「見えねば」といいつつ、より豊かにものが見えている。国が、自然が、歴史が、そしてそれらに育まれた自分自身が確かに見えている。名歌である。 昭和十五年『大和』所収。

★ 猪鍋(ししなべ)や吉野の鬼のひとり殖(ふ)ゆ     角川 春樹

☆ 「言霊の鬼、前登志夫氏」と添えてある。私には分かる気 がするが、前氏を知らぬ人には無理だろう。それならば採るまでもないようなものだが、この句、そんな限定を超えた魅力がある。たんに一人の現代歌人をほめ るだけでない、もっと初原へ帰って「鬼」そのものへの強い愛を感じさせる。
鬼が「ひとり殖」えた…、それがなぜ作者の喜びになりまた私の喜びになるのか、理づめに説く気も起きないが、いわば「鬼の世界」を信じているのだ。むご いばかりな「人の世界」に無い、貴い秘密を抱き込んだ真実を信じ愛しているのだ。「吉野」はそういう世界だったと、古いものの本には証してある。
だが「吉野」ばかりか「日本」中がひろくそういう世界だった。昭和五九年『補陀落の径』所収。
2021 2/15 231

* 十時前。床で、十手の本を面白く、興深く読み続けていた。新しく加えた一冊は「世界の歴史」の第一巻、中国の太古、上古、古代史をとりまとめて知識と して再確認しておこうと。その方が、史記列伝も、十八史略も、荘子も より興深く読み進められようと、いわば歴史学という杖を傭ったのである。
ひときわ『失樂園』での、世界の主神と御子との「人間」の犯す筈の罪をめぐる壮大で美しい対話に心惹かれた。『ファウスト』でははやグレートヘンが哀しみと懼れと恋の熱さとに泣き始めており、妹を怒り哀れむ兵士である兄が帰ってきた。悲劇が露骨に始まるのだ。
2021 2/15 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ この祭はかなしみ多し雪が疾(はし)り
鬼が裸体であることなども
見捨てられ追はれし村も遠ざかり
鬼のしづかにねる雪の洞     春日井 建

今は昔朝けの堂に栗鼠(りす)は来て
籠(こもり)の鬼と遊びけらしな   木山 蕃

☆ 春日井の昭和四五年『行け帰ることなく』から二首、木山の昭和五四年『鬼会の旅』から一首を採った。
日本中に、「鬼祭」「鬼会」といえる催しは数多い。が、何故かという事までは人はあまり考えない。自分とは関係がない…という気もするのだろう。そうだ ろうか。ここに挙げた歌で「鬼」は雪のなかを「裸体」で「見捨てられ追はれ」て、わずかに村はずれの「雪の洞」や「堂」に籠もりながら、人外(にんがい) に栗鼠などと遊んで心をやっている。
まぎれもないそれは敗者の境涯のように想われ、人はさも「鬼」だもの当然かのように思い切って、顧みない。
そこを敢えて顧みて本当に自分は、自分たちの歴史は、敗者でなく勝者のそれであると断言できるのかどうか、よく思い直してみたがいいだろう。日本の歴史 で、もっとも「かなしみ多」く、「愛」に欠けていた部分として「鬼」の世界への偏見と差別が、ある。自分だけは「鬼」ではないなどという思い上がった誤解 から自由にならない限り、日本人の暮しに、真に高貴な「自由」は確立できないだろう。

☆ 十六日の節(せち)の酒坐歌(さかほがひのうた)

此の御酒(みき)は我が御酒(みき)ならず
酒(くし)の神常世(とこよ)に坐(いま)す
石(いは)立たす少御神(すくなみかみ)の
豊壽(とよほ)ぎ壽(ほ)ぎもとほし
神壽(かむほ)ぎ壽(ほ)ぎ狂(くるほ)し
祭り來(こ)し御酒(みき)ぞ
乾(ゐ)さず食(を)せ さゝ

此の御酒(みき)を醸(か)みけむ人は
其の鼓(つづみ)臼(うす)に立てゝ
歌ひつゝ醸(か)みけれかもし
舞ひつゝ醸(か)みけれかもし
此の御酒(みき)の
あやにうた樂し さゝ

* 神とも同座の 悠久をしのばせる酒坐(さかほがひ)の歌声が、なつかしく聞こえる。信不信ではない、日本人の、いいや押し広げて謂うまい、私の心根には、もっとも懐かしい自然な日々と受け容れられて、在る。この酒が楽しくて嬉しい。
オリンピックも、そういう楽しくて嬉しい神と同座であったろう、今日只今のオリンピックは、ひとり人間のエゴを、表でも裏でも競うかの臭い営為へ堕して、堕しかけて、いないか。
2021 2/16 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ ほそぼそと心恃(こころだの)みに願ふもの
地位などありて時にあはれに     畔上 知時

☆ よくぞ…と思う。これは、なみなみでは歌い出す勇気すら出ない歌である。四十代、五十代の、世に中間管理職といわれるような人たちの日常心理は、概してこういう所へ余儀なくせつなく繋がれている。
「地位」の二字、この一首にあっては莫大な容量を孕んで揺るぎない。人間が「繋がれ」る虚栄と執着といささかの「心恃み」として、「地位」の二字は実に多くの人を支えかつ蝕んできた。
そういう全てを見通しながらの、「時にあはれに」という述懐自愛の純真が、この歌を詩にしている。 昭和五八年『われ山にむかひて』所収。
2021 2/17 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 通用門いでて岡井隆氏が
おもむろにわれにもどる身ぶるい     岡井 隆

☆ 誰しもが「変身」の劇を秘め持っている。ひとつの世界か ら機あってべつの世界へ入って行く。その境の「門」をこの歌では「通用門」と呼んでいる。事実どおりの次元を超えて読めば、いつも通る門、繰返し往来する 門、表向きでない我一人の門とも読める。これまた誰しもが秘め持つ門ででもあろうか。「われ」が「われでない」世界と「われ」が「われにもどる」世界と、 ある。この歌では、「通用門」の内の世界で「われ」でなく、外へ出て「われにもどる」のだと「岡井隆氏」は言う。だが、価値判断は示していない。「身ぶる い」が面白い。魔法つかいのようだ。大喜びで「身ぶるい」したとも、やれやれというおぞましき「身ぶるい」だとも、「氏」は断わっていない。
敢えて察しなどつけない方がこの歌は面白い。 昭和三六年『土地よ、痛みを負え』所収。

★ わが合図待ちて従ひ来し魔女と
落ちあふくらき遮断機の前    大西 民子

☆ 前の岡井の歌でいう「通用門」が、この歌では「遮断機」という一層毅然たる表現に転じている。「われ」と「魔女」とは異なる世界を踏み越えて変身の間際の、同じ二つの顔に相違ない。
この歌でも「われ」と「魔女」との価値判断はしていない。出来もしない。「われ」のなかにいつも「魔女」は潜み、「魔女」として生きる暮しが「われ」の 暮しでもある。お互いにしめし合わせて不都合なく生きて行くよりないと、世界を分かつ「遮断機の前」は、両者が慎重に瞬時に打合せを遂げる秘処なのであ る。
むろん作者が勤めの退けどきや、通勤途中の踏切などにうち重ねて想像してみるのは、「岡井隆氏」の場合と同様、いっこうに差支えない。ただ、そこで読み止まっては面白くない。
これらは私のみる所、自身および「生きる」ことへの、まぎれない、「愛」の歌である。 昭和三五年『不文の掟』所収。
2021 2/18 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 「昼食」と机上にメモを置きて来し
身は早春の街に遊べり    島田 修二

☆ なんでもない歌のようでいて、一語一語がよくモノを言っ ている。一首の短歌として、用語の一つ一つが「詩化」を遂げている。短歌作品としては当然の前提であるとはいえ、これがなかなか遂げえられないのが「現代 短歌の重い病気」なのである。言うまでもない作者は勤めの人であり、それも忙しい連絡に追われている。その昼休みに「メモ」一枚を机に置いて街へ身を解き 放った、そのあふれる喜び、そして下にただよう悲しみ、が…下句にみごとに満たされている。
こういう自愛を余儀なくされている社会、都会、生活。作者は、やがてここから敢然と脱出する。 昭和五八年『渚の日々』所収。
2021 2/19 231

* コロナ禍は終息に向いているとはまだ言えないようだ。さらに長期の辛抱、文字通りの辛抱が要るよう だ。それならそれで向き合うしかなく、私の場合は、諸事要慎しながら「長期の春休み」と受け容れ、好きなことを好きに、したり、しなかったり、八五老の日 々をむしろ飽きるほど堪能すればよい。この此処の「私語の刻」など、おそらく他の人には無い私に独特の読み書きの遊びでも創作でも日乗文事でもあり、いわ ば存在証明でもある。なにより、飽きることが無い。

* いまも手をすこし伸ばして国史大系「公家補任」の一をあけ、いま何より欲しい孝謙天皇の頃から光仁、桓武をへて嵯峨、淳和天皇ごろまでの宮廷人事に目 を向けている。えも謂われぬ津々興味の史料で、はまりこむと時間を忘れる。上司も同僚も部下も友人もいない気楽さ。感染のおそれの外出も必要なくて歴史と 読書に親しむ「籠居老人」には、疲労はあっても、退屈が無い。次から次へ、太古から近代へ、日本にも世界にも、心惹かれる人や話題や事件は限りない。そし て雑多な知聞や知見の前後左右修正や整理や積み増しもできる。

* いま、元代の曽先之が編んだ『十八史略』にも心惹かれている。十八もの史書の略編であるか。「太古」に始まり、次いで「三皇  太昊伏羲氏 炎帝神農氏 黄帝軒轅氏」へ、そして「五帝  少昊金天氏 顓頊高陽氏 帝嚳高辛氏 帝堯陶唐氏 帝舜有虞氏」へ 次いで「夏后氏」となり、以後、初めて「歴史時代」へ、書契をもった「殷」時代となり、「周」時代へ続く。
よく、耳にも目もしてきた「堯・舜」の時代は、いわばまだ神話伝説の雲のなかにあると分かる。伏羲氏は「蛇身人首」であり、神農氏は「人身牛首」とある。
しかし、読んでいると、この神話的伝承にも「火」「木」「土」「水」「金」また「天象」への「順」を踏んだ生活上の知見や認識の展開がみられる。日本神 話とは趣を全く異にした人間社会への歩み歩みであり、叙述の順は、よほど知的・生活的に感じられる。そして、はるか後々の歴史時代『史記列伝』のような諸 国入り乱れた戦国時代では、次から次へ交錯して、強かな「策士」らが、各国の王や帝に善悪こもごもの智恵をつけて勝敗・優劣を競いあって飛び回る。
かすめたほどの上皮だけは教科書で読んでいても、ま、なにも識らないで来た。だが、漢文を難儀して読み読みでもたいそう心惹かれ、知識的になんとも面白 い。しかしこんな読書、漢字の一字をこうして書き出すだけにも延々とATOKの世話にならねばならず、今だから出来る。依頼原稿の山なみを懸命に登り下り して駆け次いでいた若い頃には、手も出せなかった。コロナ籠居の老蚕なればこそ好きに繭も吐ける。退屈の「タ」も無く楽しめる。
2021 2/19 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ きらきらと輝くような目で見てよ
われはそれほど不幸にあらず
空わたるかりがねよいま人として
地上に生きるわが身も見てよ     冬道 麻子

☆ 重篤の病に文字どおり身動きもならない若い人の、これは また、なんと美しい「うったえ」だろう。「見てよ」といった、何でもなく、むしろ投げやったような物言いがこんなに胸を打つ明るい響き、誇らしいまでの輝 き、をもった例を知らない。ことに第二首めの間然するところなき表現の確かな訴及力に、その新鮮さに、心からおどろく。
命への噴き上げる「愛」あって初めて歌い切れた歌声が、聞こえる。 昭和五九年『遠きはばたき』所収。この歌集出版には、亡き高安国世をはじめ多くの歌友の応援があったときいている。心すこやかなこの作者の前途を祈りたい。
2021 2/20 231

* 夕食もスムーズに口に入らぬまま、困憊して床へ逃げ込み、寝て仕舞うまいと、『十八史略』鴎外訳の『フアウスト』そしてトールキン『指輪物語』を読ん でいた。なんらの回復もなく、起きて、機械へ来たが何かをするガッツが無い。機械を閉めに二階へ来たというあんばい。なにより瞼が垂れるほど重い。
2021 2/20 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 聖書が欲しとふと思ひたるはずみより
とめどなく泪出でて来にけり     近藤 芳美

☆ いまさらに「聖書が欲し」と思うくらいだから、この人は これ以前にクリスチャンであったわけではないのだろう。ただ「聖書」の意味や価値については承知していた。ふとおとずれる信仰の誘いのごときもの…の、魅 力や価値についても、またそのような誘いに心惹かれる人間の思いの深みや寂しみを、まるで覗いたこともない人ではなかった。ただ、どちらかといえば積極的 に「聖書」に真理を求めるというより、ふと心なえたり傷ついたりした時にそういう誘いに身をまかせたくなるいわば自身の性向に気づいていて、だから、い ま、「とめどなく泪」の出るのをおさえようもないのだ。
「泪」を否定しているのではない。作者が信じているものとあるいは対極に在るかも知れない「聖書」を、否定しているのでもない。どの道を通って目的へ到達するにせよ、人間の運命がいとおしまれている。 昭和二三年刊の歌集『早春歌』の冒頭を飾った歌。 2021 2/21 231

* 体調あしく、夕食摂れぬまま床に就いた、但し本を読んでいた。『十八史略』の「菟」を経て殷末の紂王から周の興るまで。『フアウスト』第二部、帝の広 間での多数さまざまな諷喩の弁舌、『失楽園』で、地球の人間世界へ忍び入ったサタンが振舞いはじめるまで。『指輪物語』は、ファラミアと出会うフロド、サ ムそれにゴクリも。
『フアウスト』はこれまでに三、四種の訳を読んできたが、二三度めの森鴎外訳の通読がもっとも日本語としても穏和に自然で 一種名訳たるを喪わず、ごく面 白うやすやすと味わっている。鴎外先生の偉さをしみじみ実感できて嬉しい。『渋江抽斎』『阿部一族』『アンデルセン』の訳とならんでまた一つ鴎外の寶を見 当てた心地。
2021 2/21 231

 

* 外へ迎えだしていた 紀略 や 実録 が巻違いという勘違いだった、寒い書庫へ入らねばならない。
もう、コロナ も ワクチン も 忘れていたい。建日子は新幹線はガラガラだよというが、新幹線までに、バスと 西武線と 地下鉄 がある。まだ人とは 触れ合いたくない。感染者数の単純な減少には、前段階の検査数の大幅な削減という人為が先行している。パーセンテージで説明するようだが、やはり検査数を減らすという基本のサボは気に入らない。
わたしらの特高齢者へワクチンの廻ってくるのは初夏にもなるのではないか。そのころになってなおなおゴタゴタしてるようならオリンピツクはヤメになるだろう。もう、コロナ も ワクチン も 忘れていたい。
2021 2/21 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

☆ ユニークな作風で注目された丸山薫の『帆・ランプ・鶴』(昭和七年刊)から、ちょっと面白い散文詩 「山」 を挙げてみる。

★ ケンキチは、肥ってゐる僕を山に肖てゐると言ひ、
いつかの夜、夢の中で登つたのがそんな形の丸い山だ
ったといふところから、僕の顔さへ見ると、かならず
「やあ、山が歩いて来た、山が寝てゐるぞ、煙草を吸
つてゐらあ」などと、人をそつくり山にして喜んでゐ
る。うるさいな。僕は苦笑するが、かうして考へるこ
ともなく動かない自分はわれながら巨きな山であるや
うな気がしてきて、をりをりは涼しい雲に巻かれさう
になるから可笑しい。                 丸山 薫

☆ 為す無き安逸を自戒している風でいて、もっと余裕があ る。「ケンキチ」のいわく「山」にも、友の美質に触発されて清風が流れている。独座大雄峯。そうまでも居直らない涼しい境涯に、またこの詩風に、心境的私 小説全盛の時代と相亙る「詩人」の好みや態度もほの見えて面白い。そして可笑しい。この面白さも可笑しさも、すぐれて上質である。
2021 2/22 231

* 嬉しいのは眩しいまでの晴天の多い二月ということ。折々は、二階の靖子ロードの窓を戸外へあけ、上半身をあずけて窓へ依りかかり、小さな版の『グレ コ』画集を、一作また一作と解説を頼りにりに見入って楽しむ。比較的にグレコ世界とは馴染み薄く過ごしてきたが、この機会にグレコの繪を介して彼の宇宙を さまよい眺める。晴れの日々の心新たな楽しみ。
画家のグレコ、詩人で英国のミルトン、ドイツの巨大な藝術家ゲーテ、そして類い希な想像力の巨人トールキン、作家でフランスの果敢な政治家であったレオン・ブルムの「結婚」論。
毎日、親しんでいる。支那人の歴史的な史書二冊も漢文のまま親しんでいる。すべて精神衛生の圧倒的な秘薬であり、そして、それらの全部と優に匹敵して揺 るぎない魅惑・魅力の『源氏物語』はいま「やどりき」の巻を堪能しつつ、少年來大好きな「宇治中君」に日々に逢っている。
2021 2/22 231

* 八時半、もう目も体力も限界。じっとしていたら、このまま両手の指をキイに添えたまま寝入りそう。大きなテレビも、前脇へ席をすすめないと観にくく なった、もっともドラマといえば、犯罪と殺し事件ものか、安直な時代劇か、坊やや嬢やらのサンザメイて手を打ってバカ笑いしているばかり。
「朝顔」「剣客商売」ぐらい。韓国ドラマの古い「い・さん」やアメリカの撮って置き「ネイビー」などがやはり善く、「ドクターX」に早く戻ってきてもらいたい。医学モノがやはり胸に響いて観られる。それと日野正平クンの自転車「日本の旅」が佳い。
名作傑作力作といえる佳い本は、繰り返し読んで裏切られない。私自身の人生も溶け込んでいる。
2021 2/22 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 僕は衰へてゐる
僕は争へない
僕は僕を主張するため他人を陥れることができない

僕は衰へてゐるが
他人を切つて自分が生きようとする衰へを
僕は恥ぢよう

僕は衰へてゐるが
他人の言葉を自分の唇にのぼす衰へを
僕は恥ぢよう

僕は衰へてゐる
僕は僕の衰へを大切にしよう     高見 順

☆ 昭和二五年刊の『樹木派』に収めた「僕は衰へてゐる」を 引いてみた。自分の「衰へ」を自覚できるという事は、思いようでは、人間にも「動物」なみに許された高貴で自然な自覚である。その自覚のいわば底辺にあっ て、なお…というか、それだからこそ…というか、譲ることの出来ない「人間」的な一線をこの詩はきっばり歌いあげている。
もう一つ、同じ高見順の詩集から、挙げずにいられない、「天」という作品がある。

★ どの辺からが天であるか
鳶の飛んでゐるところは天であるか

人の眼から隠れて
こゝに
静かに熟れてゆく果実がある
おゝその果実の周囲は既に天に属してゐる     高見 順

☆ これまた「愛」の詩とどう読めるのか、人はいぶかしむだろう。
何でもない。
「天」を「愛」と思って読めばいい。
2021 2/23 231

☆ 神楽歌  閑野小菅(しづやのこすげ)

閑野(しづや)の小菅(こすげ)鎌もて苅らば
生(お)ひむや小菅
生ひむや生ひむや小菅

天(あめ)なる雲雀
寄り來(こ)や雲雀
富草(とみくさ)
富草持ちて

富草噉(く)ひて

あいし あいし

あいし

* こういう環境や感興を、神と親しむ思いで人は「文化」として抱いていた。そういう日本の末世にいま私たちは生きている、あまりに雑然と。
2021 2/23 231

* <大學>
大學の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しむに在り、至善に止まるに在り。
止まるを知りてのちに定まる在り、定まってのちに能く静なり。静にしてのちに能く安し、安くしてのちに能く慮る。慮ってのちに能く得(う)。
物、本末あり。事、終始あり。先後する所を知れば、則ち道に近し。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先づ其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先づその家を斎(ととの)ふ。其の家を斎へんと欲する者は先づ其の身を脩(おさ)む。其の身を脩(おさ)めんと欲する者は、先づ其の心を正しくす。其の心を正しくせんと欲する者は、先づ其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先づ其の知を致す。知を致すは物を格(きた)すに在り。
物を格してのちに、知至る。知至つてのちに、意誠なり。意誠にしてのち、心正し。心正しくして、りち、身脩まる。身脩まつてのちに、家斎ふ。家斎つてのちに、國治まる。國治まつて、而して天下太平。

* 息子に放題に悪をさせておき、親とは別人格と。この親総理、どんな「大學」に學んできたのか。修身斎家まさに落第、治国平天下など、とてもとても不適。落第。

* 近い時代に大きな存在であった 道教の老子 荘子   儒教の孔子 孟子  前二者と後二者とは 明らかに異なって、それぞれに近くて親しく見えている、が、前二者のあいだにも 後二者のあいだにも またよ ほど異なる風情があり実感がある。いずれにしても、仏教の祖師はふれど、こういう思想的な覚者は日本には現れなかった。輸入されたのであり、今日にも日本 にはすぐれて生き生きと日本人を育てた哲学は今なお実在しないと思われる。戦前の哲学も美学も、舌を噛みそうなひどい日本語をまきちらしたのが関の山で あった。戦後世代を構造と方法とを持って率いてくれた哲学も思想も、無いと謂うしかない。

* 中国の人民はじつに割りよい「福・禄・壽」信者とみえながら、権力ある指導者は、えてして摩訶不思議な自前の「思想」を鞭のようにふりまわす。日本の政治家たちは欲だけは深いが、不勉強の極みを競い合う不可思議人たちである。

* 殷に次ぐ、「周」という中国古代を今夜は床で読む。「フアウスト」「失楽園」のような巨大な創作を、「源氏物語」の美しさのほかにもてなかった不甲斐なさを覚えながら。ま、西鶴かなあ、かろうじて。明治以降では、漱石と藤村とを、やはり挙げたいが。 2021 2/23 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 新しきとしのひかりの檻(おり)に射し
象や駱駝はなにおもふらむ   宮 柊二

☆ 暦の上での清々しい「新年の日の光」はいついかなる時にも変りないが、人間や時代の運命は容易には定まり難いものである。その閉塞状況への憤りをこのさりげない独詠歌からは読みとらねばならぬ。
「檻」の中の「象や駱駝」の思いを問うのは、そのままに自身と母国とが置かれている一切の状況へむけて問うのである。すべての自由ならざるものの運命に 問うのである。骨柄の大きい、多くの近藤の歌とはまた味わいを異にした思想歌とでも言おうか。 昭和二八年『日本挽歌』所収。
2021 2/24 231

* 昨夜はあんまり早く床に就いたので、寝入ってのち夜中に目が冴え、電氣をつけまた一通り十種ほど読書した。「フアウスト」のゲーテに心底賛嘆を覚える、こ の巨大な名作に、ことに第二部に、初めてと云う、初めて、かなりの理解と強い興趣を覚えている。今度読んで、もうまた読み返す余命があるかと疑われ、とて も大事に感じている。
まったく同じ事が、ミルトンの「失楽園」にも謂える、こっちはもう二度三度以前の読書からその気宇と措辞と世界観とに全身で惹かれていた。シェイクスピアはすさまじいまで巨大だが、ミルトンの思想と詞藻の底知れなさに私は惹かれる。
ロシア文学は偉大だが、ドイツの「ファウスト」も英国の「失楽園」ももたない。むろんそれはトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフらの壮大さと食い合うわけでない。
2021 2/24 231

* ながく「史記列伝」のいわゆる「春秋」の割拠と攻防を読み継いでいるが、わきで中国の太古、上古の歴史を教科書ふうにおさらいしていて、春秋世界への 経路も文脈も葛藤も見えやすく、ひとしお面白くなった。「十八史略」や「四書講義」にも力を貸してもらっている。この一年、ずいぶん漢文と漢字とに馴染ん できて、まだ先がある。日本語の宜しさ懐かしさには、「源氏物語」「神楽歌・催馬樂」で真実満たされている。各種の和歌集はいつも手近身近に揃っていて、 気持ちが乾燥してしまうことは無い。
現代文学。これはもう全くの不勉強で、今世紀の作家も作品も、識らないまま。残年を惜しめば、身にも気にも合うほうへ傾く。
2021 2/24 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 仔の猫の吾を見守りしばしあり
人語解らぬもののすがしさ    大塚 布見子

☆ 仔猫の可愛いようすもさりながら、それから下句へふくら んだ認識が、ただに認識にとどまることなく作者の「境涯」として深められているのが、なつかしい。言葉を駆使して生きる歌人ゆえに、また「人語」のわずら いをよく心得ている。まこと「言わざ繁」き世のなかになっている。
私も仔猫のノコと「ふたり」在る時が、一等清々しい。 昭和六〇年『霜月祭』所収。

★ 己が名を聞き分けて応ふるわれの犬
名のあることの寂しくはなきか    青井 史

☆ この歌を読んだとき、作者はどんな考えでこの下句を作ったのか、そこが聞きたい、つまり、そこの所を歌って貰ってこそ歌なのにと思った。その思いは、今も変わらない。が、心惹く歌であるにも相違はない。むろん下句のゆえにである。
名づけて名を呼ぶ、のは、古来「加護」ないし「支配」の一つの形だった。すぐれて人間に固有の営為でもあった。「われの犬」もそうした人間の行為に巻き込まれて暮らしている、「名」あるがゆえの服従を強いられている。そういった事を作者は言いたかったか…。
そういう風情では、なさそうにも思われる。むしろ「われの犬」に問うかたちで、実は「われの心」にこそ作者は問うているような気もする。何を…。あらゆ る人間の関係が、何らか「名」と「名」とのうわべの関わりと化し、真に人間的な共感や共生の実質を欠いている事に愕然とすることは多い。「名」にはばまれ て真実の愛がむしろ完うされないという悲しみや寂しみを胸に抱いた人は、多いはずだ。少なくも私はそう思ってきた。そこを乗り越えなければ人と人とは、い つまでも他人ないし世間の域を出ない間柄でしか生き交わせず、真実の「身内」にはなれないと考えた。
青井の意図は汲み切れない。が、この歌はそういう私の思想をまた思い起こさせた。 「かりん」昭和五五年六月号から採った。
2021 2/25 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 国原はふもとにかすみ冬の蝉
さくらの幹にひそと放つも   前 登志夫

☆ 「ひそと」という清寂の気に、この歌は心あたたかに包まれている。言葉の正しい意味で「なつかしい」佳い歌になっている。吉野でよし、吉野と強いて読まなくともよい、とにかくもこの「かすみ」籠めた「国原」はわれらの国原だ。
下句をことさらになにか寓意ありげに読む必要もなく、ただ言葉のままに作者の優なる振舞いをありがたしと享け、美しと感じれば佳い。 昭和四七年『霊異記』から採った。
2021 2/26 231

* ソファにのがれ、手の届くところから明治四十二年刊の作家略伝「評釈国民詩集」で、西郷南州や山縣含雪、成島柳北、乃木希典らの漢詩を拾い読みしていた。柳北が、アララト山にノアの方舟の留まったのを歌い、またナイアガラの大滝を吟じているのが面白かった。
2021 2/26 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 白きうさぎ雪の山より出でて来て
殺されたれば眼を開き居り    斎藤 史

☆ 当代屈指の難解歌かも知れぬ。しかも魅力に富み、看過できない。
この歌について、私はこの詩人自身が語るのをテレビで聞いたことがある。感動して聞いた。が、それをここへ正しく私は伝えられない。人により、実にいろいろに読まれて来ましたと作者は微笑していた。だからといって作者自身の読みを強いているようでも毛頭なかった。
どう思ってもこの歌は、例えば「美」を意図したものではない。そういう言いかたをするなら「真」を、真の「自由」を不当に覆い隠すものに対する、激しい憤りを「うったえ」た歌だろう。
「雪の山」にすむ「白きうさぎ」は、自然に外の侵しからは守られている。が、豊かな暮しではないだろう。「山」を出たい気持ちにもなるだろう。出ればそ こは人間の世界。見つかれば簡単に「うさぎ」ごときは殺される。そして案の定「殺されたれば」こそ初めて、命の一切をかけてむごい人の世のありのままを、 「眼」をみひらいて見ている。そのむなしさの一切をかけて抗議している。死んで、殺されて、…そして初めて眼を開いてものを見るのでは遅い…と、意識にお いて「山のうさぎ」でしかないいつも甘えてめくらな誰かに、あるいは自分自身に、この歌は「うったえ」ているのだろうか。
今の私にはこの程度の読みが精一杯だが、年を経てまた別の読みが可能かも知れぬ。 昭和二八年『うたのゆくへ』所収。
2021 2/27 231

* 書庫から、目当ての国史大系「続日本紀」前後編 や いろんな人の京都をかたる昭和も初年の随筆集など、持ち出してきた。つぶれそうにシンドイときも本は読めて、それはしみじみ有り難い。
さっきまで、ソファへ崩れ落ちたまま新井白石著大冊の語源辞典『東雅』を楽しんでいた。
2021 2/27 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ この桜しろがねの壷に挿さうかな
夜寒なにかは月も入れんよ    高橋 幸子

☆ こういう豊かに美しい、しかもなごやかなエロスを秘めもった情感を、壺も、月も、私は詩歌の表現としてことに好む。

★ 花籠に 月を入れて
漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な     『閑吟集』

☆ この室町小歌を東に置いた高橋の表現に相違なく、「しろ がねの壷」には女体である自像も彫り込まれていよう。「なにかは」構うものか、それへ「桜」「月」もろともに挿し入れて佳しと夢見る、春おぼろ「夜寒」む の孤心。風流の極みと愛でたい。  昭和五八年『花月』所収。
2021 2/28 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 案内(あない)して花がよろこびますといふ    永井 龍男

☆ 「いちどきに帰り給ふな花の客」という句もこの作者に、ある。懐かしい。花と客への、愛。 「俳句とエッセイ」昭和五七年五月号から採った。
瀧井孝作先生とお二人で私の『廬山』を美しい作と、美しさに殉じた作と芥川賞に推して下った。出先でたまたま、私とみつけられるとご自分から寄ってらしてよく励まして戴いた。懐かしい。

★ 春の曇り引窓の玻璃に動くなく
過去世のさくら遠山に咲く    前 登志夫

☆ おそらく「美しい」という言いかたがしたければ、今、前 登志夫のこういう歌の右に出る作はそう無いだろう。だが、ただに「美しい」だけの歌とは思われぬ。初・二句の字余りの重ねが利いて、「動くなく」といった 寸を詰めた表現がきっかり急ブレーキのように静止感を強め、「玻璃=ガラス」ごしに音を遮断して眺めた「春の曇り」の、なんどりと静かな風情をみごとに描 写する。しかも処理のむずかしい「カ」行の音の、ことに「ク」音をこの歌は旋律として生かして、おおむね成功している。私はそう評価している。
それにしても下句「過去世(「かこせい」と読みたい)のさくら遠山に咲く」の気の遠くなるような美しさはどうだろう。「過去世」は、たんに昔の意味とは 思われぬ。仏の世界にいう過去仏と同じに、無量無際涯に「過去」という単位を積み重ねたその遥かな「過去世」というほどの思い入れがあろう。しかもそれほ どの過去から変りなく、今も目に映じているのと同じ「さくら」は咲いていた…と言いたい、事実の感覚では受取れない心の真実として咲く花を、作者は眺めて いる。そこに「遠山」の「遠」いという字づかいが生かされている。
この「吉野の鬼」といわれる歌人は、まさしく永遠の「時」を駆って美の真実を収穫している。 昭和四七年『霊異記』所収。

* 弥生三月 よき花月(はなづき)であれよかし。
2021 3/1 232

☆ 催馬樂  紀伊州(きのくに)
紀伊國(きのくに)の白良(しらら)の濱に
眞白良(ましらら)の濱に
來て居る鷗 はれ
其の玉持て來(こ)

風しも吹いたれば
餘波(なごり)しも立てれば
水底(みなそこ)霧りて はれ
其の玉見えず

* どんな「玉」かと奥ゆかしく、懐かしい。歌そのものが妙薬のように、懐かしい。「はれ」と、声に出して囃したくなる。身のうちにこういう風景も世界も失せていないのが、安らかに、嬉しい。
2021 3/1 232

* 昨日も一昨日も観たヒチコック映画で生き生きと美しいイングリット・バーグマンのは二作とも楽しめたが、今日の、ジョン・フォンテインの「レベッカ」 は、昔から原作が不快で、映画も私は観なかった。そのあいだ、「史記列伝」と「十八史略」そして「ホビット」など読み、そのまま昼寝していた。
「レベッカ」は出会いは小説で、イヤなと感じ、その後も映画で受け容れなかった。ときに、こういうタチの悪作に出会うモノだ、内容がけわしくても、おそろしくても、繰り返し楽しめる小説もある。「レベッカ」は、作そのものが不純にイヤミなのだろう。
2021 3/1 232

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 花にそむ心のいかでのこりけむ
捨てはててきと思ふわが身に     西行法師

☆ 「染む」は花の色香に愛着する意味。世を捨てて僧になった身に心に、花への愛着だけはなぜ捨て切れないのか…と。
「空」と「色」との尽きぬ葛藤を抱いていた心優なる花月西行。美しくも常なきものへの愛の思い入れの深さ。たんに風流、風雅というて尽くせぬ自然の真や 美との共生には、とほうもない豊かな覚悟がうかがわれて、この歌なども、現代の貧しい心根には、まるで夢でも見ていると映る。
夢の夢である儚い価値に気づかなくて、どうして現実の価値が見えようか。 『山家集』所収。
2021 3/2 232

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 春昼(しゅんちう)の校庭に立つ足裏に
さくらさくらと散るものの声    東 淳子

☆ 桜の花びらが一面に散り敷いた校庭に立っている、と想っ ていいだろう。「足裏に」は一つにはそういう状況を説明する役目がある。が、同時に地の底を経て他界に至る道、いわば境としての「足裏」でもあるのを見落 としてはならぬ。「さくらさくらと」にも、或る重ねられた「うた」の効果がある。「弥生の空は見渡すかぎり」と今しも生徒たちは歌っているのかも知れぬ。
姿なく声もない声が作者の耳には今しも聞こえているのかも知れぬ。例えばあの戦争の日々、「さくらさくら」を相言葉のようにいくさの庭に散って行ったも ののことも、作者は忘れてなどいないはず。「散るもの」とは花なる「さくらさくら」だけでなかった。生きとし生けるものが散って行く。散って「もの」とな る。「ものものしい」「ものがなしい」「ものがたり」「もののけ」の「もの」になる。
作者の思いには今しも春、入学を果たして来たばかりの無邪気な生徒たちでさえも、「散るもの」に数えられていよう。その運命がいとおしまれ、また何ものかへのそれは憤りとも見合っていよう。
ざっと読んではみたが、尽くせたとは思わない。洞察の力を美しく詩化しえた秀れた現代短歌。 昭和五三年『生への挽歌』所収。
2021 3/3 232

* 『十八史略』と 『史記列伝』とを通して、中国の「春秋・戦国時代史」を読み進み、歴史は、或る程度的を絞って集中的に廣くも深くも読み込まねばなと思う。かたわらに『四書講義』も置いて いま「大學」を読んでいる。まだ「秦」の統一国家までたどり着いていない。
2021 3/3 232

* 「列伝」も、中国史も、春秋を終えて戦国の時代へ。孔子の時代から墨子の時代へ入って、興味津々。「十八史略」では、まだ「周」室の残映から春秋時代 へのあたりを、読み下しも講話も解説もなく原文のまま読み辿っている。中国は、おそろしいほど諸族諸国の闘争し続けてきた世界だ、が、諸王も人民もつまる ところ、「福禄壽」か。
2021 3/3 232

* 「フアウスト」といい「失楽園」といい、壮大無比のともに「詩」作品である驚嘆を、喜び味わい続けている。そしてわが「源氏物語」もまたそれらに優る長大な「詩」的な古典と納得できる嬉しさ。すばらしい。
2021 3/3 232

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 花が水がいつせいにふるへる時間なり
眼に見えぬものも歌ひたまへな     斎藤 史

☆ 「歌ひたまへな」は、素直にとって、他人にあつらえ望ん だもの言いだろうと思う。歌の道をともに行く年少の友らへの言葉と聞いても差支えはない。むろん「眼に見えぬもの」とは何か、なぜそれ「も」歌わねばなら ないのか…が問題であり、斎藤史の短歌観がこの歌で歌われているとも言える。
たとえば単純な写実本位を主張する立場から言えば、「眼に見えぬもの」などを追う表現は二義的というしかないだろう。
だが、本当にそうなのか。そう問い直す考えがなければ斎藤史のようには歌えまい。花も水も「眼にみえる」ものだ、が、花といい水といいその「ふるへる」 不思議の命は、「眼」でのみは捉え切れない。しかしその不思議に感動しその不思議に参加して行くのでなければ、花や水の、美も真もおよそ よそのもの で 終わるしかなく、その限りではどんなに精巧に外形は写しえたにしても、それは死んだ花や水の外面でしかありえない。
眼に見えるから自然なのではない。むしろ眼に見えぬものと表裏合わせて自然に成る。どの片方で終わっても、それこそ不自然。眼に見えぬもの「も」、とい う含みを正しく聞かねば間違ってくる。「花や水がいつせいにふるへる」或る特定の「時間」をこの歌は指さして言っているのだろうか。むしろ目の前に人を置 いての「いま」を指して、ほら…あんなに、と示しているのだと思う。
もののうわべしか見ようとしない人が多い。不思議の命にこそ感動して欲しい、そういう真実を、美しいとも、すばらしいとも、愛して欲しい。そう、この歌は歌っているのではないか。私はそう思っている。 昭和二八年『うたのゆくへ』から採った。
2021 3/4 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 百粒の庭の桜桃(おうとう)食べ頃に
赤らむ頃をわれも椋鳥(むくどり)も待つ
桜桃の赤らみそむる可愛くて
醜(しこ)のむくどり食はずに居れぬ
数粒は鳥に残さむと我は思(も)へど
鳥はひとつぶもわれに残さぬ     斎藤 史

☆ 昭和五一年『ひたくれなゐ』から連作を抜いてみた。
第二首の「醜のむくどり」は、実の椋鳥以上に作者自身の自称であるらしく感じられる。すくなくも両方を兼ねた「むくどり」と読みたい。その余は解説を要しない。鳥・人共生の、ふしぎにユーモラスな情緒と季節への愛とを、くすんと笑いながら楽しみたい。 2021 3/5 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 我よりも長く生きなむこの樹よと
幹に触れつつたのしみて居り     斎藤 史

☆ 残り少ない自分の命を感傷的に哀惜するのでなく、むしろ自分の死後にもなお成長して行くのであろうはつらつと美しい樹木(ないしは、後生・男)の命を、たのもしくも楽しく眺め、かすかな性愛とともに手に触れている。自然への大きな愛と平静な安身立命の落着き。
これほどの歌をさらりと歌えた詩人は、めったにいない。 昭和三四年『密閉部落』から採った。

★ 夕ぐれの秋の光に馬は佇(た)ち
ながるる風に浄まりゆけり     斎藤 史

☆ こういう歌を挙げて名歌だといえば、昨今の技巧本位の自称プロ歌人らはあざ笑うかも知れぬ。
しかし私は言う、この一首などは、ひとりの歌人のかりに「最期の歌」となっても、これ在るだけで生涯の一切が記憶されるに値するほど、優れた歌なのだと。
どこに奇もない。むずかしい字も表現もない。だが一幅のこれは名画のように、三十一の音がいささかの無理も不自然もなく、むしろ積極的に働き合いなが ら、線になり色になりして清い風景を成している。「馬」としかいえないただの「馬」が、「夕ぐれの秋の光」をそよがせて「ながるる風」のなかで、或る、 「馬」以上の不思議の「命」そのものに透きとおって行く。言うまでもない、その光景を「馬」とともに「佇」み眺めている作者の老いの命も、透きとおって行 く。
うらやましい。 「短歌」昭和五九年七月号から採った。
2021 3/6 231

* 久しく刊行の都度戴いていた笠間書院の「中世王朝物語全集」全二十二巻 しばらく途絶えていて、刊行の無事進捗をしきりに内心願っていたが、今日、第 十九回配本として「夢の通ひ路物語」上下二巻二冊が送られてきた。有り難く、嬉しい。このシリーズを読み通すことも私の尚今後の生き甲斐に数えている。笠 間書院のご厚意 ひとえにだだ有り難い。感謝します。
2021 3/6 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 豆煎れば豆ひそやかにつぶやけり
未来の世も同じこほろぎの声     斎藤 史

☆ ここへ来て、なぜこう私が 斎藤史の歌ばかり並べるのか と思われもしよう。「愛」の詩歌を選ぶ作業のなかで、どうしても漏れてしまいそうな秀歌群のあることは、予想がついていた。それを少しでも掬い上げるに は、「さまざまな愛」といった章を一つ立てるしかない、という考えも 最初から私にはあった。
それにしてもこの一首など、「愛」の歌と、どう読めばいいのか、読者が迷われるであろうように、私も惑う。しかも、どうしても省く気になれない。
生きて幸せであることへの弱い断念や嘆きの歌だとは、思わない。生きることの相も変わらぬ辛さなりに、それなりに生きの限りは生きたいし生きて行けると いう、「意志」の歌に私には読めるのだ。「こほろぎの声」というのも、寂しいほろびの象徴として歌われてはいず、むしろ過去現在未来を通じて変りないいわ ば「所与としての自然と生命」を象徴しているように読める。
豆と豆殻とが火熱を浴びながら互いに身の不運をかこちあう寓話を我々は知っている。斎藤史のこの歌はそれも承知のうえ、しかも平静に来る運命は運命とし ておそれなく迎えて、なお生きよう「意思」へと逆転し得てはいないだろうか。「未来」を「つぎ」と読まず「さき」と訓ませたレトリックにも、三世の区別を 超えて「生きる」ことへの変りない「愛」が暗示されているように思えて仕方がない。
「豆」は、泣いても嘆いてもいない。見苦しく騒ぐでないと、むしろ、我々につよく訓えている気がする。 昭和二八年『うたのゆくへ』から採った。

* 斎藤史には、別に、語られていい、語らずにすまない「歴史」がある。父は、あの「二・二六事件」に深く関わって蹶起将校たちに感化し得た一将官であり、罰された。将校達の中には斎藤史さんの少女期いらいの友もいて、銃殺された。
この事件にはムリもあったが意思の深みには日本と日本人とのなおざりにしてはならない問題も沈んでいた。ただ「叛乱」の一語で葬り去っていい叫びだけではなかったと私は観て聴いている。斎藤史は、生涯それを抱いていた。

* 上の斎藤史の件とは離れて云うので、誤解しないで欲しいが。
「平和」は、いかにもまことに大切の大事である。このホームページの巻首にも私はピカソが描く「平和の願い」を私自身の思いとして掲げている。
その上で云うが、「平和」は語っていて済むことでない、「平和」は護らねば成らない。「語る平和」は、場合により吹けば飛ぶ標識に過ぎない、「平和」は 国民感情を挙げて「護る平和」でなくて何になろう。「語る平和」「云う平和」を大きく超えた「護る平和」に、いま日本国民はしかと気づいて覚悟を定めてい るだろうか、いやいや、政治家にして其れがまこと「心もとない」のを私は懼れ危ぶんでいる。
「攻める平和」を私は認めない。「護る平和」は、至上の国家国民の課題である、相応の覚悟を抱え負荷に応えねば済まない。断言せざるを得ないなによりも政策の聡明と堅実とが求められる。
2021 3/7 231

* いつどこで手に入れたか、古書店であったか路上であったか、京都に縁の著冊がかたまっていたのを纏めて買っておいて事は、記憶にある。書庫から時折に 持ち出しているが、『今日に田舎あり』という一冊の随筆集が昭和十七年ごろに出ていた。戦時中だが、十七年はまだ一般に敗色を熟れうるより余裕で戦機の推 移を眺めていたろう、私は国民学校一年生の少年だった、その本は当時の学者や文人や芸術家らの悠々と日常を閲していた「随筆」集だった。
そんな本を今頃持ち出して読んでいると、夢かと想うのんきさで、されざれに己が安穏を謳歌してあるようで、些かは僻みここちもあっていい気でおったのだ と思われる。いわゆる「京の文化人」たちの綽々のご満悦とも読める。おおいに私は僻んでいるのである。とはいえ、懐かしい京都の風情と感懐とがどの辺から も洩れこぼれていて、有り難い。
2021 3/7 231

* 上にあげた『京に田舎在り』の名士たちの随想をみていると、「俳句」を手すさびのようにする人が多い。短歌和歌の人はいないに同じい。
俳句は短くて取り付きやすく易しいと思う人が多い、が、私は、逆に思っている。俳人として通った人の俳句でも、いいなと手を打っておもしろおかしい作はめったにない、タダの五七五音句に過ぎなくて、それで笑える。
いま、二階の窓によって、グレコの繪の次に、芭蕉の全句集を岩波文庫でみているが、よしと○のつくのは、すくなくも芭蕉初期句には殆ど見あたらない、ナンジャこれは、というのが多い。
一般に俳句へ身を寄せた人の、「俳」一字へ理解の及んだ人はめったにない。「五七五」の意味だと勘違いしたまま俳句でございと出ている。
「俳諧」とは、根に、おかしい、わらへる、諧謔の感覚が忍んでいる。「ふるいけや 蛙とびこむ みづのおと」と聴いて「わらへる」素質のない人は「俳 句」の域には遠い、などと、もはやだれも思っていない。かんかちこの、きまじめな境涯を五七五に云うたとだけで俳句と思っている。笑止である。深い感銘は 「そのあと」へしみじみと湧き来る。
2021 3/7 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ おいとまをいただきますと戸をしめて
出てゆくやうにゆかぬなり生は
死の側より照明(てら)せばことにかがやきて
ひたくれなゐの生ならずやも      斎藤 史

☆ 簡単にこの「生」から「出てゆ」けぬことをグチっている 歌ではない。「ゆかぬなり」という強い確認には、だから最後の最期まで「ひたくれなゐ」と燃えて「生」きる覚悟が突出している。老境すでに日常的にも思索 的にも「死」にまぢかに生きて、しかもなお、この「ひたくれなゐ」に毅然と美しい詩人の生きかたに感動する。 昭和五一年『ひたくれなゐ』所収の、屈指の 名歌。
2021 3/8 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ M博士の「地球の生成」という書物の頁を開きながら、
私は子供に分りよく説明してやる。
──物理学者は地熱から算定して地球の歴史は二千万年
から四千万年の間だと断定した。しかるに後年、地質学
者は海水の塩分から計算して八千七百万年、水成岩の生
成の原理よりして三億三千万年の数字を出した。ところ
が更に輓近の科学は放射能の学説から、地球上の最古の
岩石の年齢を十四億年乃至十六億年であると発表してい
る。原子力時代の今日、地球の年齢の秘密はさらに驚異
的数字をもって暴露されるかもしれない。しかるに人間
生活の歴史は僅か五千年、日本民族の歴史は三千年に足
らず、人生は五十年という。父は生れて四十年、そして
おまえは十三年にみたぬと。
──私は突如語るべき言葉を喪失して口を噤んだ。人生
への愛情がかつてない純粋無比の清冽さで襲ってきたか
らだ。                   井上  靖

☆ 『井上靖全詩集』(昭和五四年刊)の巻頭に置かれた「人 生」である。この詩人の詩は、一貫して散文詩であり、結晶度の高い成果を挙げている。もっともこの作品では、最後の二行がほんとうに必要だろうかと初見の 時からの不審を今も抱いている。それにしてもこの「愛情」は、ひろく人間の共有している、根の深い、寂しい負荷である。貴重な負荷である。
地球の寿命は、さらなる研究によりもっと永くなっているのではなかったか。そうであってもこの父から子への愛の詩は意義を喪うわけでない。
2021 3/9 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 仏より仏の母をおもふ夜の
かなたはろばろと逝く水の音   東 淳子

三輪山の背後より不可思議の月立てり
はじめに月と呼びし人はや     山中 智恵子

☆ 仏といい神といえる二つの対照的な世界と見えて、その実は「水」といい「月」といい重なる「一つ」の世界を流れ照らすもののように、想像される。世代はやや前後するものの、現代女流の作を代表しうるともに「不可思議」な佳い歌である。
私はことに山中の歌には、付け加える言葉を持たない。その「うた」自体が響かせる稀有の音楽にただ胸打たれていたい。
一方の東は、「水」への感性のすぐれて遥かにかつこまやかな人であり、そこに生みまた生まれたものの原郷をつねに幻視している歌人である。同時に「仏よ り仏の母をおもふ」という述懐には、世界の根に海を抱けるもの、女、をつよく自覚しながら生き死にの遥かな交錯に耳を傾ける姿勢が見えて、私には面白い。 うまく説明できないし強いて説明したくないが、山中の歌(昭和四三年『みずかありなむ』所収)も、東の歌(昭和五八年『化野行』所収)も、私には不思議へ の「愛」の歌としか読めずにつよく惹かれる。
2021 3/10 231

* 嘉永三年(一八五○)三月に、十三歳の秀才が書き残した『海警録』なる著述とその「自序」を今も読むことが出来る。日本列島は、曾ては「海」を警戒し 守備すれば列島が守れた。飛行機も潜水艦も長距離弾道弾も無かったから。だから明治日本の國軍は、軍艦の建設と保有と教練に特に力を入れた。結果として  紅海でも旅順でも日本海でも「海戦」して負けなかった。
それより遙か以前には日本は海戦で二度の手痛い敗北を経験していた、一つ天智天皇の日本水軍は朝鮮白村江の海戦で惨敗していた。一つは元寇、蒙古の来襲 だった。前の時は這々の体で逃げ帰った。後の時は颱風・暴風雨で向こうが退散してくれた、さもなければ西国、九州は惨害に遭ったろう。
三度目は西欧列強の、海からのまさしく戦艦の威嚇に遭った。攘夷どころか、かずかず不平等条約を強いられながら「開国」しつつ「尊皇倒幕」の成功裏にか ろうじて「維新政府」が起って、対外に堪えた。「富国」と「強兵」とは、文字通り余儀ない「国是」となり、それに日本はともあれ成功していった。それなけ れば、どうなっていたろう、昭和の敗戦よりも惨憺の隷従を欧米の、一国ないし数国に強いられなかったではないだろう、実例は洋の東西、世界中に多々みられ たではないか。
十三歳の『海警録』は、あるいは現在日本政府の優柔と躊躇を嗤うほど、的確に「時代」へむけ警告し激励している。こと、現在日本の問題は尖閣諸島問題に 限定されているのでなく、果てて対中国との「武力」衝突に及びかねないことにある。中国の主張と対策は、いわば明瞭率直で日本人にも分かり安い。ところ が、日本政府と国民との、少なくも対中国の意思や用意や決意は、まるで分からない。
「平和」はただ座談の種ではない、「護る決意」で現に起って確保すべき寶である。昭和の「戦時」そして「敗戦」の惨苦を思い出せる人が少なくなった。マスコミは、もっともっと映像や記録を掘り起こして提供して欲しい。
秦の父は口癖に云った、「戦争は 負けたら仕舞い」と。その通りだった。
2021 3/10 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照せ山の端の月     和泉式部

☆ 未生の「暗き」から死後の「暗き」へ、人は生きる。そして死ぬ。後じさりのならない一筋の道である。その道を、成ろうならば来世までも「はるかに照せ」と祈る。「山の端の月」を、この作者の時代でいえば、摂取不捨の来迎仏そのものと眺めていただろうか。
だがそうした思い入れを超えて、この歌のなんとまあ美しいことか。「和歌」時代から一つと限り女の歌を選べと言われれば、私はこの作者の名とともにこの歌を挙げたい。 2021 3/11 231

* 歴史調査研究所が、早くに、『「秦王国」と末裔たち』という「日本列島秦氏族史」という大著を出していて、浩瀚な目次内容の中に、「古代近江國愛知郡は、小さな『秦王国』」として、そこに「作家秦 恒平家の家系」なる項目が挙げてあり、今更にビックリした。
「秦氏」が古代以来巨大な名字であること、源平藤橘をも凌いで歴史的に古くまた分派の全国にひろいこと「秦王国」とまで謂われるほどなのは、ま、私も識っていた。
聖徳太子に信頼された「秦河勝」なる朝廷内実力者の余翳は、国内広範囲に散点し、彼を祀ったという京都でも名高い「広隆寺」 あの美しい弥勒菩薩像と倶 に記憶している人は多い。彼の墓礦、大和で著名な亀塚をさらに凌ぐ、全長八十メートル、石室十七メートルという巨大な京太秦の古墳「蛇塚」辺に河勝邸も 在ったという。私ごとを離れても、「秦氏」は中國の秦始皇帝をも抱き込んで、壮大に面白い内実を抱えている。私が、井上靖さんに連れられ中国に招かれた時 に、人民大会堂での会合の際に、出迎え側の主人役トウ・エイチョウ(国会議長格)女史から、「秦先生はお里帰りですね」と笑顔の諧謔があったのも、必ずしも故 なしとしないのである。

* そういう「秦氏」ものも書いてみたいと、上記のような本も手に入れていたのだったが、放ってもあった。なかなか面白く記録的に取材された大冊で、久し ぶりに手にしたわけ。建日子にこういう方面への開拓意欲もあるととわたしは楽しみにしたいが、もう諦めている。「秦」を棄ててしまった朝日子に期待しても 仕方なく。命あらば、短いものでも書いて置きたい。
たしか、もう一冊、書庫に「秦王国」の三字を表題に含んだ小冊の研究書もあったと覚えている。持ち出してみよう。

* 初めて読む気で読み始めた『「秦王国」と末裔たち 「日本列島秦氏族史」』 という大冊に向かい合って、その、読みやすさ・分かり良さ・調査の詳細・しかも整理整頓された具体的記述にいきなり惹きこまれている。なにも鵜呑みにはし ないが、「秦氏」を勘考する視野は十分に具体的に与えて貰えそうで、実は、オドロキながら共感し依頼する気になっている。
2021 3/11 231

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ さまざまな愛

★ 淡海(あふみ)の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば
心もしぬにいにしへ思ほゆ     柿本 人麻呂

☆ もし「和歌」で男の歌を一つ選べとあれば、好きなのはこの歌と答えよう。
「心もしぬに」以下の下句は、心も萎えしぼんで衰えてしまうぐらい…昔がなつかしまれる、の意味。
日本語の「死ぬ」の意味は、命が萎えしぼむ、しなびる、から出たという。もっともこの歌でのこの句は、そう深刻に重く取り過ぎることはない。「いにしへ」への愛の思いが、誰にもある。この作者の場合には具体的に古き志賀の都への哀惜があったろう。
が、我々は、もっと自在に大きくこの歌の表現や音調に助けられ、わが心の内なる「愛」の旋律を引き出して貰っていいだろう。私は、子供の頃から私専用の「和歌」のためのメロディーを持っていて、ことにこの歌など繰返し機(おり)ごとに口遊(くちずさ)みつづけてきた。
「淡海=近江」はわが、生みの「母」の国。いわば、私の詩歌への愛の原点といえるこの美しく懐かしい一首を大尾に挙げて、久しい撰歌と鑑賞の作業を、今、終えたい。

『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊
あとがき

『日本の抒情』(講談社・刊)の一冊を分担するよう指名を受 けたのは、昭和五七年(一九八二)六月十七日のことであった。まる三年がこの刊行までに経過している。顧みてよく三年でこれだけ読みこれだけ撰べたなと、 思わぬでない。近代現代に的は絞って行ったが、近代以前の莫大な作品にも、ともかく納得が行くまで目を通しつづけて来た。今にしてこの三年間が幸せなもの であったと、感謝は厚い。
思うままに撰んだ。冠絶した作品を厳撰したのでは、けっして、ない。表現や技巧に不満はあっても、テーマの「愛」に即し、心に触れて「うったえ」て来る ものが有れば、つとめて拾った。それが「詩歌=うた」というものだ。むろん出会いに恵まれずじまいの作品が、数限りなく有る。その余儀ない事実に私は終始 謙虚でありたかった。今もそう思っている。
また、私の解説や鑑賞が、作品を新鮮に読む喜びを読者から奪うほど過度にわたるまいとも、心がけた。簡単で済むものは済ませて、その分、一つでも作品を 多く紹介した。最初に指定された作品数より、だいぶ多くなっている。「愛」にもいろいろ有り、さまざま有るということだ。
作品の読みは「私」のそれに徹した。挨拶だくさんに、なまぬるい話に流れるのを嫌った。私はこう読んだが、あなたはそう読まれて、それもまた佳しとうな づけるものが「詩や歌や句」には、しばしば、ある。「読み」を一つに限ってしまう「翻訳」も、私は、当然避けた。サボったのでは、ない。
それにしても、いま初校を遂げながらしみじみ思う、愛ならぬ詩は、ない…と。
「愛」の、あまねく恵みよ! しかし「愛」の、難(かた)さよ! 努めるしか、ない。
昭和六〇年六月八日  娘・秦朝日子が「華燭」の日に     著 者
2021 3/12 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 小序

『閑吟集 孤心と恋愛の歌謡』は、中世の歌謡を集めて十六世 紀はじめ(一五一八)に成った、全編が赤裸々な愛欲の情を清冽に奏でた、それはそれは面白い本です。大半が、いわゆる室町小歌で、含蓄に富み、しみじみと 親しみぶかい恋と夢うつつの歌詞の数々は、五百年の歳月をこえて今も我々を切なく優しく感動させます。
十二世紀半ばに成った、前巻、古代の『梁塵秘抄 信仰と愛欲の歌謡』(NHKブックス)とあわせて、たぐい稀な「孤心」と「恋愛」のこの歌謡集の魅力を、思わず手を拍って満喫してくだされば幸いです。
日ごろ古典になじみのうすい、高校大学生、主婦、お年寄りがたを念頭に、数多い日本古典文学の「大系」(岩波書店)「全集」(小学館)「全書」(朝日新 聞社)その他(新潮社の「集成」は脱稿後に出版された)の本文や研究も有難く参照しながら、なお読み易く正しい歌詞の表記を著者なりに心がけ、昭和五十七 年(一九八二)年七月、NHKブックスのために新たに書下ろした本であることを申し添えます。           騒壇余人  秦 恒平

私の「著述」部分は割愛し 極力 『閑吟集』の「歌謡=主として室町小唄」そのものを 味わい楽しみましょう。

★ 花の錦の下紐は 解けてなかなかよしなや 柳の絲の乱れ心 いつ忘れうぞ 寝乱れ髪の面影

☆ 自編他撰の別なく、詩歌集でも小説集でも、巻首にどうい う作を置くかは一等心はずみ一等心重い決断になります。全篇の効果を決定づける場合がある。読者の印象を、そこで或る程度固めてしまうこともある。予断、 先入主、見通しが出来て、それが実は当人の思いと懸け隔たってしまう時など、なかなか作者は身を揉む心地がします。「なかなか、よしなや」とある、ちょう どそんな遣瀬のなさです。
閑吟集一冊は「巧緻に編まれた本」です。その巻頭の歌謡がこの「面影」の「小歌」だとは、どういう編者の真意なのか。本をまずは「繙く(紐解く)」という式の洒落でしょうか。その辺から、あれこれと思いめぐらしたいものです。
歌謡は藝術というよりも、藝能として広く親しまれました。歴史的にはお角力やお能とどこかで共通します。たとえば「千秋楽」という謂いかたがある。お角 力の「千秋楽」は説明するまでもないでしょう。お能の会は、昔ですと神、男、女、狂、鬼の五番立てを一日の芯に、狂言や仕舞や舞囃子や素謡などを何日かか けて観せたり聴かせたりしたもののようです。今日でも、番数はおおかた減りましたけれど、番組の原則はほぼ同じです。そして最後に「千秋楽」の小謡を謡っ て、散会。
面白いことにチャキチャキの現代歌謡曲歌手の録音盤を聴いていましても、時として、何日かつづいた公演の「ラク」(最終日)かと思しく、「今日で千秋楽です」と丁寧に、はっきり挨拶して拍手を浴びている。そんなレコードを聴いたことがあります。
「千秋楽」とは、むろん文字どおりの言祝ぎです。衆人愛楽、寿福増長は日本の藝能の、ひとしく旨とする精神でした。その精神をめでたい言葉にして表わ す、それが祝言、寿ぎ、であるわけで、事のとじめ、けじめに限らず、事のはじめにも念入りに言祝ぎをします。文字どおりの「祝言」です。お能の「翁」など、壮大な「祝言能」として能楽三百番中の揺がぬ第一番の地位を占めつづけているわけですね。
閑吟集一番の「面影」に、気を集めましょう。
「面影」という謂いかたは、現在眼前にある人の顔を指してはいない。半日前か三日前か十年前か、いずれ記憶され回想されている、過ぎし或る日或る時のこれは「面影」なんですね。
では、男が女の「面影」を、それとも女が男の「面影」を、「いつ忘れうぞ」と想い出しているのか。どっちでしょうか。歌詞をただ読むかぎり、両説とも可能で、事実両説とも行われています。
「下紐は、解けて」のところが、一つの注意点でしょう。
もう一つは「寝乱れ髪」です。が、男女とも髪は寝乱れないではない。でも、私自身が男のせいか、この歌のこれは女の人の「寝乱れ髪」であって、自然女の人の「面影」でもあると読みたいのですね。
あんなに慎ましやかな女だったが、いちど肌身をゆるすと、短か寝の仮寝おろかな無明長夜の夢うつつを、墨に黄金の粉をまき散らしたほど煌らかな惑溺に、耽溺に、啜り泣き、怨み囁き、歎きつ悶えつ男の総身に五体をなげかけて、愛欲無残、倦むことがない──。
男の方は、女と容子がすこし違いましょう。こと果てて、幾分索漠とした浅い酔い醒めの底に沈んだまま、男というのは、うすく眼さえあいて、夢のうつつを 見るともなくそんな女の豊かな寝乱れ髪をわざと邪慳に手いっぱいに梳いて乱してやりながら、女の、面変りしたような顔、疲れやつれて青白う透いた頬からう なじ、そしてあらわな乳房のなまめく色香にまだ心を惹かれています。気だるいまみを、閉じつ開きつ、女は声にならぬ声で物を言いかけたり背いたり。うとう と寝入ったり。その表情や姿態から男はなかなか眼が離せないでいるのですね。可愛い。愛しい。このまま露の玉ほど掌の深くににぎりしめてしまいたい。あ あ、それほどのあれは女だった。真実そういういい女だった。いつ忘らりょうものか。なのに、それなのに久しく逢わない……。逢えない……。
まァこういった男ごころの物狂おしさでつくづく謡っている歌だと、かりにこれを読んでみますと、どうでしょうか。
「下紐」とは女の肌に添うた着物の、つまり一番忍びやかなかげ緒のことです。それに手をかけて男が解く、ほどく。どうかこの手で解きたいと願いつづけて きた好きでならない女の「下紐」を、とうとう我が手で解いてやれた。とは、言うまでもないことです、女は、男にはじめて花の蕾の身をまかした、開いた、咲 いたという意味ですね。
「花の錦の」とは、女が身に着けたものの美しさだけでなく、女体そのものの、男にすれば身震いの出そうな美しさを、肉感の部厚さを、譬えている。
どのような女でしょう。少女か、処女か、または人妻か、遊女か、たわれ上手の浮気女か。どれと釈ってもいい、とにかく男の眼に、思いに、とびきり〝いい 女〟であるのでしょう。恋に憧れていてもまだ男は知らなかつた、年若い熱い肌と心を蕾のままに抱いてきたような娘と想うのもよい。人の占めた高嶺の花だっ たのかも知れず、苦界に汚れぬ泥中の蓮だったのかもしれません。いずれにせよ「花の錦の下紐」は固く結ばれ「解けて」はいなかった相手なのですから、どん な身分や年齢の女であろうと男の思いには、初咲きの清い花、花の蕾と同然です。
それがこうひとたび「解けて」みると、どうでしょう。「柳の絲」より華奢に揺れて撓んで、しだいに奔放に大胆に女体は、女心は、虚空を乱れ漂うのでし た。この時の「乱れ心」は、はや女だけのそれでなく、女の魅惑にのめりこんでいった男自身の奔逸と苦闘のさまをも、いみじく言い表わしていたのにちがいあ りません。
「解けてなかなかよしなや」とあるのを、男の側から言い直せば、もはや一度は抱いて寝た女なら、獲た獲物のようにいくらか軽くなげやりに忘れられもしよ う。と、そうも思い上がっていたのに、なかなかどうして忘れられるものでない。いや参った……ぞ。逢いたくても逢えない、恋しい、困ったぞ……。そう読ん でも、いい。
一度の逢瀬では、満たされない男の生理。それに対し一夜の夢に燃え尽きることの可能な、女の体熱。その微妙な勝敗が、優劣が、「なかなか、よしなや」という男の坤きになる。
ところが女の方には、「いつ忘れうぞ」とアトをひくような、ふんぎりの悪さはないのではないか。もうよその男へ……と、男というのは、ついそんな気弱いことを想ってしまいますね。
逆に女から、もし、男の「面影」を想っているのなら、自身を「花の錦」「柳の絲」と譬えるのがちょっと背負ってる感じがして自然じゃないなと、私は見ています。
それでもなお、女が男を想っていると考えたいなら、この場合の歌謡一番は、いつか男の遠のいたのを恨んで悩んで肌身をゆるした己が浅墓さを、「よしな や」と悔いている、諦められずにいる、愛着している歌になるンでしょうね。それも一つの境涯ではありますし、そう取るときは、「解けて」の一語に、「解か れて」という受身の語感をぜひ添えて読んだ方がいい。その場合、「面影」の二字に浮かぶ相手の男の容子は、なかなか端正な貴公子然としたものに、私には想 像されます。そして女は遊女のような気がします。なるほど、この想像もまた、面白い。言葉のあやに絡んでどっちともいろいろに取れる、これは日本語の表現 の、良くも悪しくも特色ですね。それだけ私たちは読みの自由を、想像力十分に満喫すればよい。
2021 3/13 231

* こういうイヤな時節になると 云うこと思うこと願うことがみな消極的に貧相に萎びがちに陥る。人間の弱みか、侘びし。
そんなとき ミルトン『失楽園』がうたひあげる壮大無比、神と 人(アダムとイヴ)と サタンとがみせる宇宙戦争劇の美しさ烈しさに、眼をみはり耳を打たれる。
ジェンダー論者らは、このミルトン歌う 男女根源の劇詩世界をどう論評して来たろうか。
2021 3/13 231

* 春秋が過ぎ 戦国時代は「秦始皇帝」の壮大な(しかし永くはなかった)全国統一と支配の時期へおさまる。始皇帝の政治家としての気宇と政策と実行力は たしかに中国の永い歴史にあっても抜群なのに驚く。今日の中共中国も、始皇帝への他にはるか越えた敬意と評価を以てしている。焚書坑儒などのすさまじさも 凄まじいけれど、向き合ってみる価値ある卓越の歴史人には相違ない。
そして秦のアトへあの項羽と劉邦とが出てくると、ぐっと中国史が逸話の豊富で多彩になってくる、そして前漢の統一になる。
通史と並行して、『史記列伝』上半と『十八史略』も漢文のまま戦国末まで読みすすんでいる。なんとも柄の大きい、しかし京ことばでチクと云うと、「柄の わるい」歴史の永々しい國やなあ。秦の起ち秦の滅びたのも西紀以前のこと。日本史がほぼ我々の常識に接してくるのがやっと聖徳太子のころとすると、秦始皇 帝の立ったよりじつに七、八百年も後々のこと。そして源平争う十二世紀まで日本の政治は御公卿さんが京都で取り回していた、戦争ははるか遠地で単発してい ただけだった。古事記、日本書紀、風土記に比べても、奈良・平安の公的な史書の大方は、いつ、だれが、どんな官位官職に就いたかの記録で埋まっているばか り。

* 誤訳の多い見本のように悪口されてもいたが、森鴎外の『フアウスト』やくは、読んで興趣をそそられる巧みと美しさで 他の何種もの翻訳より優れて卓越 している。なによりあの『ファウスト』を「おもしろい」「優れた」「大詩編」だと頷かせてくれる。『即興詩人』の日本語訳もみごとに美しいが。
2021 3/13 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

★ いくたびも摘め 生田の若菜 君も千代を積むべし

★ 菜を摘まば 沢に根芹や 峰に虎杖(いたどり) 鹿の立ち隠れ

☆ 春の若菜を献じて「君」の長寿を祈り祝う久しい風儀が、 「いくたびも」の下敷になっています。祝言そのものです。「いくたびも」が「千代」に響きあい、また「生田(=幾多)」に懸かる。生田は神戸三の宮辺の地 名ですし、古来若菜の名所です。歌枕の地です。となると、これッきりの歌なンでしょうか。どこが三番「なれば摘まば」と唱和なのでしょうか。
三番も、表面はごく単純です。菜を摘もうなら、沢で根芹を「摘みましょう」という感じを「や」の一字に籠めて、言葉が略してある。以下同じことです。 「シカ」または「シカ隠れ」は、動物でなく、春に根から芽吹いて出るあのウド(独活)の若茎を指す西国方言です。すると、これも何の変哲もなげですね。
ところが「生田」は名高い生田社のある場所ですし、そこの「若菜」を、参道にたむろするあでやかな女たち、春の遊女の若やかな姿と眺めますと、「幾度も 摘め」という一句が花やぎなまめいた呼びかけ、誘い、に聞こえます。事実、昔の社参はこのような気もそぞろの「誘惑」へとみずから身を寄せてゆく「君」達 の、男どもの、たいした楽しみであったのでした。
「千代を積む」は祝(ほ)ぎ言ですが、同時に「千代」の永さに匹敵する享楽の深さ、分厚さを約束しているとも取れる。これなら昨日読んだ一番の情調を、また別途に、しかも濃厚に受けていますね。当然にも、この二番は「女」からの誘いです。
これに応じて「男」から、三番の歌声が湧く。「沢」も「峰」も深く読めば女体の景色でしょう。それに対し「根芹」「虎杖」「うど立ち」はどこか「男」を感じさせる様態です。男心に、はや交歓の絵模様が浮かんでいる。それを嬉しい春の景物に、こと寄せて謡いあげている。
べつに三の宮、生田の社頭の実風景である必要はないのです。やはり宴遊の席を彩る、女と男とのさんざめく歌の掛合いと読むのが、存外に正確であるかもしれません。
2021 3/14 231

 

* 夜前 『史記列伝講義』上巻を読み終えた。明治四十一年正月十五日發行の九版本(東京日本橋  博文館)で従七位城井壽章講述とある、この人のことは何も知らない。明治本の特徴か知れない、大冊でも巻冊でも 目次 の無い本が多いのにオドロキも不 便もするが、こうして読めるのが有り難い。いまどきこんな漢字ばかりの原典などやすやすとは手に入らない。秦の祖父「鶴吉」の學恩である。
見出しだけを後の参看のため挙げておきたいが、伯夷列傳第一(二頁)  管(仲)晏(平)列傳第二  以下  信陵君列傳第十七  春申君列傳第十八  まで 実に多般多勢に過ぎるので 此処では作業しない。大きく謂わば 私の造語である「外交とは 悪意の算術」の まさしくお手本のように多彩多弁多様の「策士」たちが遊説・跳梁する世界であった。「外交=悪意の算術」なる私・秦 恒平造語が 「春秋・戦国」時代、二、三千年前にも遡る秦始皇帝の統一まで 中国中原にめったやたらと繰り広げられていた。それのみか、『史記列傳講義』は、さらに分厚い「下巻」が待ってくれている。読まずにいられない。

* で、下巻を手にして巻をひろげると、「張丞相列傳第三十六」とある。あれれ。「列傳第十九から第三十五」を講じた「上巻」につづく「中巻」があり、それをどこかに見落としているらしい、書庫へまたもぐって捜索しなくては。いやはや。
ま、「下巻」はそれとして是非読み継いで行きたい、はや早々に あの「股くぐり」で名高い「韓信」の名が見えるではないか。「韓信の股くぐり」のお話なら、私が国民学校(戦時中の小学校)のころにすでに聞かされ、教訓的な逸話として親しく承知していた。
はて、それもこんな『史記列傳講義』と謂う本のあった「秦」の家で聞かされていたのだろうか、あの二次大戦勃発のころ、昭和初年には日本の世間にも服膺されていた故事であったのか。

* 『史記列傳』講義 の 中巻、すぐ見つかった。その余に、『春秋左氏傳』など、少なくも二十数冊が見つかった。
そのほかに頼山陽関連の本が何冊も見つかった。秦の「お祖父ちゃん」は頼山陽にかなり惹き込まれていたようだ。わたしは、なかでも「通俗日本外史」一冊を「大声で読み上げ」ていた少年時代を持った。その文体には或る程度惹かれていたと思う。
ともあれ「秦鶴吉祖父」由来の古典や古典講義の諸本は、漢詩集や鑑賞もふくめ、五十冊に及ぶ、ないし超えることが確認できた。いま私の目にも貴重と思わ れる本が驚くほど多い。私の為に、貰い子されて行った「秦家」がいかに有り難い「先」であったか、今にして、只だ頭を下げる。
久しく「秦」の文化と教養の恩恵は 父「長治郎」の謡曲、碁、叔母「つる」の茶の湯・生け花・茶道具と思いこんでいたが、何倍もして祖父「鶴吉」の夥しい和漢の蔵書があったこと、有り難さ、言葉もない。

* 『史記列傳』講義中巻は、「氾睢蔡澤列傳第十九」に始まり「樊酈滕灌列傳第三十五」に及んでいる。「樊噲」という馴染んだ名がが現れる、が、こういう名前を漢字でここへ拾い出すのはナミたいていでない時間と労力の消費になる。日本人が「かな」文字と読みとを発明した有り難さをつくづく、しみじみ思う。
2021 3/14 231

* うまいお酒を楽しんだ。 今夜は、早々に横になり、好きなだけ読書して寝入ってしまおう。

☆ 范睢者魏人也。字叔。遊説諸侯。欲事魏王。家貧。無以自資。乃先事魏中大夫須買。須買為魏昭王使於齊。范睢従。留數月。未得報。齊襄王聞睢辯口。乃使人賜睢金十斤。及牛酒。睢辭謝。不敢受。須買知之。大怒。以爲睢持魏國陰事告齊。故得此饋。令睢受其牛酒還其金。既歸。心怒睢。以告魏相。魏相。魏之諸公子曰く魏齊。魏齊大怒。使舎人笞撃睢。折脅摺齒。睢佯死。即巻以簀。置厠中。賓客飲者酔。更溺睢。故蓚辱以懲後。令無匽言者。睢従簀中。謂守者曰。公能出我。我必厚謝公。守者乃請出弃簀中死人。魏齊酔曰。可焉。范睢得出。後魏齊悔。復召求之。魏人鄭安平聞之。乃遂操范睢亡。伏匿。更名姓曰張祿。

* と思いながら『史記列傳講義』中巻の早々、「范睢列傳第十九」の冒頭一頁を書き写して読んでみた。なんとも面白くて、この先どうなって、どう縺れて、范睢くん、どんな術数で「戦国」を生きて行くのかと。
漢文の難しさよりも、こう書き写すのに難漢字を拾い出す苦労がタダゴトでなかった。この数月、難漢字、希少漢字を機械の奥から探索するに苦労かつ訓読するのに泣いてきた。 『史記列傳』はただ読んで感嘆しているだけだが、やはり漢字の意義は識らねば読解ならない。中巻で全五三六頁中の第一頁だけを唸りながらやっとこさ書写してみたのだが、酔狂に過ぎたかと頭 を掻いている。しかし、『列傳』の記事はみな、刺激いっぱいに面白いこと上巻の一冊を読み終えてよく分かっている。

* 九時を廻る。
2021 3/14 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

☆ 四番は、大和節。現行の謡曲『二人静』から採っています。四つの勅撰和歌を〝綴れ”に織りなして、「春」を謡います。
★  木の芽春雨ふるとても 木の芽春雨ふるとても なほ消えがたきこの野辺の 雪の下なる若菜をば いま幾日(いくか)ありて摘ままし 春立つと いふばかりにやみ吉野の 山も霞みて白雪の 消えし跡こそ路となれ 消えし跡こそ路となれ

☆ 参考書を頼って、どんな四つの和歌から成っているか、挙げておきましょう。

霞立ち木の芽春雨ふるさとの吉野の花も今や咲くらん
(後鳥羽院 続後撰集)
春日野の飛火の野守出でて見よ今幾日ありて若菜摘みてん
(読人しらず 古今集)
春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆら
(壬生忠岑 拾遺集)
み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春は来にけり
(藤原良経 新古今集)

☆ 謡曲や宴曲(早歌)の詞章は こうした作法から成っている部分が、たいへん多いのですね。綴れ織りのように、と評されています。そして謡曲やお能をご 存じの方なら、この手の詞章にはきっと馴染みがある。ゆったりとした気分で、理屈に走らずに、詞句のつなぎの音声なり意味なりの曰ク言いがたい詩趣と妙味 とを口遊み翫賞するのが第一です。と、それだけのことを申して、この本では、よくよく他と関連の面白い場合はべつとして、この手の大和節や近江節は紙数を 惜しみ、割愛することにします。「小歌」を大事に読んでゆきます。『閑吟集』の大体を、それでも、見喪うことはないと私は思い切っています。
2021 3/15 231

☆ 范睢(はんすい)は魏の人也。字(あざな)は叔。諸侯に遊説して。魏の王に事(つか)へんと欲(ほっ)すも。家貧しく。以て自ら資する無く。乃ち先づ魏の中大夫の須買(しゅばい)に事(つか)ふ。須買、魏の昭王の為に齊に使ひす。范睢従ふ。數月留まって。未だ報(使としての効果)を得ず。
ときに齊の襄王、睢(すい)の辯口を聞いて。乃ち人をして睢に金十斤、及び牛酒を賜ふも。睢は辭謝して。敢て受けず。
須買之を知りて。大いに怒り。睢が持てる魏國の陰事を齊の為に告ぐるを以て。此の饋(賜金・賜酒食)を得しと。令睢をして受けし其の牛酒、其の金を還さしむ。
既に歸國の後も。(上使須買は)睢に怒る心あり。以て魏の相に告ぐ。魏相は。魏之諸公子(王族)にして名を魏齊と曰へり。魏齊大いに怒り。使舎人(家来)をして睢を笞撃たしめ。脅(肋骨)を折り摺齒を摺(けず)らしむ。睢、佯(いつは)り死せり。即、(死体を)簀を以て巻き。厠(かわや・便所)の中に置く。(公子魏齊の)賓客飲者ら酔ふて。更に睢に溺(でき=吐き且つ排尿便)せしむ。故(ことさら)に蓚辱(しうぢょく=汚し辱め)して以て懲しめ。此の後に匽言者(=隠し事為す者)無からしめんと。
睢(すい)は簀中より。守者に謂ひてう曰く。公(きみ)能く我を出せ。我必ず厚く公に謝礼せむと。守者乃ち請ふて簀中の「死人」を出して弃(棄て)たいと。(公子)魏齊は酔ひて曰へり。可焉(よし)と。范睢得出るを得たり。後に魏齊悔ひ。復た守者に之(范睢)を求(=探)させた。魏の人鄭安平が之を聞き。乃ち范睢は遂に見失ったとし。伏し匿し。姓名も更えて張祿と曰わせた。

* 二千数百年も昔、春秋戦国の世の中国には、かかる辯口を以て諸侯諸国に遊説して、あわよくは迎えられて「相」や「公」に成り上がっていった大 勢が働き歩いていた。それにしても、命がけであったし、身分高い「公子」と雖も云うこと為すことの激越も何ら稀有のことでは無かった。互いに騙し騙されて いた。
私が、いわゆる外交(交渉・折衝・協定)を指して「悪意の算術」と名付けてきたのは、良しも悪しもなくまことにその通りとしか云えぬ事、二千数百年後の 今日世界の「外交」も、斯く為し行われている。現に現代中国習近平外交は、それに極まっている。はて。今日の日本政府「外交」や如何と危ぶみ問わずにおれ ない。

* 上の「汚穢」漬けから辛うじてのがれた范睢(はんすい)は、以後も、延々とその辯口を以て奔命し続ける。
いや中国は、何もかも「凄い」のだ。
2021 3/15 231

* 范睢(はんすい)傳を先へ読み進んだり,「十八史略」の春秋部を読 み進んだりして、目が痛く、睡くすらなって草臥れている。何十年も昔の書き物や資料や記録の溜め置きを処分しようとデッカイ袋を空けて一々こまごま調べて いるだけでも辟易気味に疲れる。しかし棄てがたい、まだ棄ててはならないモノもけっこう在る。この家の階下、二階の物置、押入れなどにダケでなく、戸外の 物置二つにも隣家にも在る。放っておく、というお手上げ気分がまるで救い主かのように割り込んでくる。

* 心身とも草臥れると、二階の小窓をあけ、路上へ首を突き出した姿勢のママ、先日まで小ぶりの「グレコ画集」を眺めた。今は岩波文庫の「芭蕉俳句集」を アタマから一句一句読んで、気に入った作に爪しるしを入れては、しばし憩っている。お向かいのお内では、向こうの窓から首をだされてはおイヤかなと申し訳 ないのだが、のぞき見などするのでなく、外気に触れ休息しているのです、赦されよ。

* それにしても、ま、かねて思っていたけれど、いかに芭蕉とはいえ、寛文二年(一六六に)十九歳から天和三年(一六八三)四十歳までの二百足らずの作句には、ほとんど私の眼で採るべく見るべき俳句の無い現実・事実に一驚する。
それが、天和四年=貞享元年(一六八四)から、一変して、共感、賞嘆の爪印を付け続けられる。
いくらか当然とも思う。それほど俳句は、和歌・短歌より容易ならぬ境涯と表現なのだ。
今も俳人も俳句の結社も数多いが、俳句の「神妙」に出会えることはむしろ希としか云えない。それに比して短歌だと、私のようなモノでも子供の昔の歌集 『少年』(十五~二十七歳)を数回も版をかえて世に問い、昭和百人一首にも繰り返し撰され、また先輩や読者に幸い好評されてきた。和歌に学んだお蔭とも云 えようか、同じく和歌に根をおいているが俳句は、しかし俳諧といわれてきたように、どこかに諧謔の俳味(可笑し味)が成立を歴史的に条件付けられていた。 この「俳」味を無視ないし蹴飛ばし、はみ出たような作句の時期が、かの芭蕉にすら若い時期にはあって、まるで句がクタクタとノタを打っている。今日でも、 まるで羽織袴で高い座布団に正座して敬礼するか、裸形ではねまわるような作句集が、むしろ当たり前に流行っている。
2021 3/15 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

☆ 四番は、大和節。現行の謡曲『二人静』から採っています。四つの勅撰和歌を〝綴れ”に織りなして、「春」を謡います。
★ 誰(た)が袖ふれし梅が香ぞ 春に問はばや 物いふ月に逢ひたやなふ

☆ 俄然、閑吟集らしく、「小歌」らしくなってきます。「逢 いたやのう」と現在の仮名づかいで書いては出ない感じが、ものやわらかな「逢ひたやなふ」ににじみます。「や」の柔らかな響きに「なふ(「なう」が正しい のですが)」がたまらない余韻を引きます。何度も口遊(くちずさ)むと、この身揺ぎに似た情動が憑り移ってきます。すると言葉の意味より先に、「タガソ デ」「ウメガカ」「ハル」「ツキ」「アイタヤノウ」などという音そのものの魅惑が、澄んで明るく、温かに懐かしく納得できる。
詩歌や詞句は、眼に頼る以上にそういう「音感」を澄まして、わが耳の奥で聞くべきです。
「梅」と「月」とは古典的な取合せです。梅は闇にも薫じ、月光をえて匂い出ずる花です。薫ると匂ふとの意味の差を「月」が演出します。
ただしこの小歌では、「梅」「春」「月」いずれも艶(えん)に擬人化されているように感じますね。「誰」かがこの懐かしやかな梅花月の世界に紛れ入っ て、忍ぶ思いを呟いている。妙に難解そうな歌になっていますのは、もともと二重三重に「本歌(ほんか)」というものを利用し、当時の読者(唱歌者)の深読 みをアテにしているからです。 2021 3/16 231

* 芭蕉のあまり成績のない四十歳頃までで、私の 爪しるし付けた句を拾っておく。

月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿  二一歳
春風にふき出し笑ふ花も哉      二四歳
五月雨に御物遠や月の顔       二四歳
影は天の下てる姫か月のかほ    二四歳
子にをくれたる人の本にて
しほれふすや世はさかさまの雪の竹 二四歳
たかうなや雫もよゝの篠の雪      二十代後半
小夜中山にて
命なりわづかの笠の下涼み       三三歳
夏の月ごゆより出て赤坂や       三三歳
上巳
龍宮もけふの塩路や土用干       三四歳
一時雨礫や降て小石川         三四歳
ああ何ともなやきのふは過てふくと汁 三四歳
成にけりなりにけり迄年の暮       三四歳
不卜亡母追悼
水むけて跡とひたまへ道明寺      三五歳
今朝の雪根深を薗の枝折哉       三六歳
五月雨に巻柏(いはひば)の緑いつまでぞ 三七歳
よるべをいつ一葉に虫の旅寝して    三七歳
夜ル竊ニ虫は月下の栗を穿ツ      三七歳
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉      三八歳
餅花やかざしにさせる娌(よめ)が君   三十歳代後半
億老杜
髯風ヲ吹て暮秋歎ズルハ誰ガ子     三九歳
馬ぼくぼく我をゑに見る夏野哉      四十歳
あられきくやこの身はもとのふる柏    四十歳

この翌年からは、拾える佳句秀句が並んでくる。むづかしい。わたしの玩賞がどれほど当たっているか、それはとうてい豪語ならない。むづかしい。
2021 3/16 231

* 発送用意も 勧めている。立ち止まって遊んではいない。この辺はコロナ籠居を逆に利しています。十時半。床に就いて、今夜も十種ほども本を読む。
相変わらずメールは書いても 飛んで行って呉れない。届いても来ていないのだろうか。
2021 3/16 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

☆ 次に九番。浅野建二氏の訓みに、とりあえず従います。

★ 吟  只吟可臥梅花月 成仏生天惣是虚
(ただ吟じて臥すべし梅花の月、仏に成り天に生まるるも惣て是れ虚)

☆ 「吟詩句」の初登場ですね。とッつきにくい感じでいて、閑 吟集の中でも洒落な興味に富んでいるのが、「吟詩句」です。さてこの上七字を、浅野氏の訓みにしたがえば、梅が香に匂う「月」を、愛でつ褒めつ気ままによ こに成るが最上という、それまでの風流ないし閑雅であって、それでは、「惣是虚」の問題句を含む下七字が、ちと大袈裟には思われませんか。この上句は、 「自然の風物の典型」をただ叙景した句でおわっているのでしょうか。
私は、「梅花」と「月」とを、やはり女と男と見立てて、「只吟可臥」と嗾かす面白さ、「囃す」ほどの景気をはらんだ歌謡仕立てであらねば、うそだと思い ます。梅花と月との色佳さ優しさ清らかさを、男女の仲に望ましく看てとりながら、現世の愛欲を厭離するどころか、享受しようとする姿勢・態度がこの一句に 籠められていると。
「ただ吟じて臥すべし」とは、無垢の愛情を赤裸々に交しなされという勧めでしょう。それでこそ、下句七字の諦念に熱い意欲を潜流させている同時代人の 「現世観」にも、それなりに理が見え、気が通ります。愛念楽欲(あいねん・げうよく)の極みに成仏できるか生天(昇天)できるか、「そんなことは知ったこ とか」と、「惣是虚」の一句を読んでいい。
こじつけでなく、私は、先の八番またつづく一○番との付合からも、ここは「梅花の月」でなく、「梅花と月と」であって、「吟」「臥」「成仏生天」すべてこれ「情念の様態を表現」するものと読んでこそ、胸に届いてくる佳句と思えるのです。
2021 3/17 231

* もう、九時に成ろうとしている。目も気持ちも疲れている。
中国史では漢の高祖と出会っている。
「列伝」では 張祿こと范睢の秦國へのりこんでゆく活躍を追っている。
『フアウスト』では、彼フアウストが、今や、世界史に一と耀く古代ギリシャの美女ヘレンへの恋慕と同棲とで浮かれている。
『失樂園』ではアダムとイヴが、神に遣わされた大天使ラファエルと幸せに溢れた(最期の)昼食をともにしつつ、サタンからの誘惑につき、警告されている。じつに美しい詩句に充ち満ちている。
『指輪物語』は悪の世界覇者サウロンの大軍との決戦を控えて白の魔法使ガンダルフや未来の人間王アラゴルンらがミナス・ティリスの城を護ろうと身構えている。
『秦氏』の綜覧的な解説書がまことに多彩に面白く、多々、教えられている。

* それぞれに読み継いで行く。
2021 3/17 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集 春

★ 梅花は雨に 柳絮(りうじょ)は風に 世はただ嘘に揉まるる

☆ 「雨に」「風に」「ただ嘘に」すべて「揉まるる」のです ね。「もむ」も、その受身形も、日本語の語感として、或るなまめかしさ色っぽさを伴います。肌に肌を重ねて、この世のこととも思われず、ただ「吟」じつ 「臥」しつ男と女がまろび合う。「梅花」に情愛のたけを浴びせる「雨」──は、古来男の迸しる意気を表現する暗喩の一つで、あとの「風」は、その勢いを示 します。むろん「柳」の「絮(いと、わた)」とは、虚空をさまよう女体の、あえかな優しさいとおしさを謂っている。
それなら「世」とは。これは源氏物語以前の昔から紛れない、〝男女の仲らい〟を指してきた言葉です。「世の中」といえば、男女の関わりあう場の意味です。
そこで九番の「虚」を受けた一○番の「嘘」が、みごとに批評の針を光らせる。
世の中は、「嘘」で互いに揉みあっているとは──一瞬呆れ、しかし一瞬ののちには真率かつ的確なことに、思わず苦笑されます。
「世はただ嘘」「惣て是れ虚」と謡いつつ、九・一○番の両篇ともに、いっこうそれを否認し、見放し、厭い嫌っているというふうでもない。むしろ「そんな ところサ」という、肯定とも覚悟ともまた諦念ともつかぬ、妙にからんと澄んだ明るい寂しい気分が、賑かそうでいてひとりぽっちの気分が、感じとれます。そ の辺が閑吟集歌謡の真髄かもしれません。「虚」も「嘘」も承知で、ひとりの「我」がふたりの「世」の仲として揉み合うてでも産み出さねばすまない人間的な 陽気、中世の陽気、がそこに在る。現実の陰気を、辛酸を、知りつくしながら、ずっぷりと「性」の虚構に浸って、その底から掴み出してくる「生」の実感。 「生」の気力。ただ耽溺ただ風流ではない必死の意向で孤りの「我」を、力ある「我々」へと押しあげて行く、陽気。これを、この価値を、私たちは永らく「中 世」という時代に見落としていたのでした。
「虚」とは、まさに乱世の謂いです。権威と価値を一刻のあだ花に吹き散らす「風」の世界が、「虚」です。虚は虚と、虚に背かず陽気にうそぶいて生きる、 それを「嘘」と彼らは承知している。嘘が即ち偽りとはかぎらない。嘘の真を信じて、「世」の仲を手さぐりに歩いてきた農民の中世。遊女の中世。職人や商人 の中世──。閑吟集の編者「桑門」の「狂客」は、そんな愛すべき中世の行方を、不安に見守っていたのかもしれません。
2021 3/18 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 誰(た)が袖ふれし梅が香ぞ 春に問はばや 物いふ月に逢ひたやなう

☆ ある方の現代語訳によりますと、この小歌は、「どなたが袖を触れた移り香なのだろう、この梅の香りは。匂いの高いいわれを、春に尋ねたいものだ、もの言う月に会って問いたいものだなあ」としてあります。
私は、とくに、「詩歌の現代語訳」というのを認めたくありません。幾重にもとれる日本語のふくらみを、原文でなら幾重にも翫賞できるのに、訳してしまう と、或る一つの訳者による解釈のみに原歌が固定されてしまうのが、反対する一の理由です。日本語の詩歌を他の日本語に置きかえるなど、ノンセンスなので す。ことに今あげたような解釈では、「春」と「月」の重出はもとより、「問はばや」「逢ひたや」の意図するところのちがいも、「物いふ」の擬人化が暗示す る含みについても解決が十分ついていない。そもそも「逢ひたやなう」とあるもとの歌詞は、「会って問いたい」のではなくて、文字どおり「逢ひたや(逢いた い)」なのです。この現代語訳では、「物いふ月」の微妙な意味が、ただ「春に問はばや」の言い替えにしかなっていない。
しかもよく落着いて考えるなら、この訳の程度でこの小歌の解釈をおさめては、なんともはや他愛がない。詞句の後半分が、意味も意図も不明におわってしまいます。
で、もう一度 昨日の小歌を、ごらん願います。

★ 梅花は雨に 柳絮(りうじょ)は風に 世はただ嘘に揉まるる

☆ これを現代語訳として、「梅の花は雨に、柳の綿は風に揉まれる。そしてこの世間はただもう嘘に揉まれることだ」とあるのは、うわべの文字どおりには確かにその通りでしょう。
けれど、それでは「世」の含み、「揉まれる」という語の含蓄はほとんど語感の上で活かされていない。ピンと利いていない。ただ鹿爪らしく世間虚仮(せけ んこけ)とやらの仏法の認識を「知解」しただけで、それなら何故ことさらに「梅」なのか「雨」なのか、また「柳」か「風」かという面白さにしっとり触れて 行ってない。「しょせん世間は、嘘」というだけでは話はただ大まか、そしてただ淡泊ただ稀薄になるばかりです。ちょうど大きなざるで水を掬うように、詩句 のうまみがすっかり漏れてしまう。
ところが「世」を、「男女の仲」と慣用にしたがい踏みこんで受取ると、世間は自然と背景、遠景となってかえって浮き立ってきます。いわゆる世間(世の中)とは、「男女の仲」の無際限の変様変態なのであるという穿った理解へ情意調うて繋がるからです。
2021 3/19 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 次の一三番は明らかな謡曲の一場面です。謡曲の鑑賞にはおのずとべつの便宜もあることとて割愛しますが、謡いおさめの一聯として出てきます、

★  ……よしそれとても春の夜の 夢の中なる夢なれや 夢の中なる夢なれや

☆ という述懐は、きっと今後に大きく響いてくる基調音とも言えそうで、これだけは、何度も口遊んでみて欲しい。
およそ何事も「春の夜の」「夢」の「中なる夢」に同じよと謡っている。「世はただ嘘」(一○番)「惣て是れ虚」(九番)を受けての「夢の中なる夢」とい う認識がここへ突出して出ている。はたして否定的にか。肯定的に出ているのか。編者の、謡いての、聞きての、そして私たちの それぞれの判断の重みをしっ かりこの句の上へなげかけておいて、先を読んで行くことにしましょう。 一四番。一五番。一六番。

★ 吉野川の花筏 浮かれてこがれ候(そろ)よの 浮かれてこがれ候よの

★ 葛城山(かつらぎやま)に咲く花候(そろ)よ あれをよと よそに想うた念ばかり

★ 人の姿は花靫(はなうつぼ)やさし 差して負うたりや うその皮靫

☆ この三つを事実一連の、同時の作詞であると考えるわけには、ちょっと行きかねます。編纂配列の技巧で、意図して微妙に面白う連絡し合っているには相 違ないでしょう。歌詞のかげに隠れた歌謡の主体、つまり謡いてが男か女かのいずれとも解釈できそうですが、「花」の縁語からは、やはり女を想う男の心情と して一連の情趣を読みとってみたい。
すると先ず一四番では、心浮かされ想い焦がれるものを、吉野川に浮かび漕がれ行く「花筏」に繰返し呼びかけ、かつ託している。「漕がれ・焦がれ」の懸詞 を効果的に生かすためにも、ここの「花筏」は、ともあれ花枝に飾られて現に人の乗っている筏のことと想うのが、真実感も臨場感もあっていいでしょう。
一五番へ行くと、「女」は「葛城山に咲く花」に見立てられている。俗にいう「高根(嶺)の花」で、よそにのみ見てやむしかない。手が届かない。「あれを よと(あの花が欲しい欲しいと)」「念ばかり」の響きあう詞句が、可憐にかなしいではありませんか。葛城は名だたる高嶺。美しい桜の名所。「浮かれてこが れ」それでも「念ばかり」で「よそに想うた」と、したたる涙のしずく。めめしいようで、しかしこういう純な男心は、かえって武勇の男子にもよく似合い、わ るくないものです。
これは女が男を思っているのだと、一四、一五番とも十分に読めるのですが、その場合は、口つきからして遊女または村娘などが、身分ありげな手の届かない 男性を遠目に慕っている風情になりましょうか。女が、男を「花」と見立てていけない道理はないが、逆が普通と謂えますかどうか。
一六番へ眼をうつしますと、男は「花」の女を、結局もう手に入れてしまっているのですね。しかもその経過と結果から或る「うそ」を感じてさえいる。「靫 (うつぼ)」とはいわば「矢差し」に造られた空のツボ。皮で造ったツボ。これを背に負うのですね。女の姿、女の体を「優し」い「羞(やさ)し」いツボ、 「矢」の容れ物と見立ててもいるのですね。
「矢」が男を示すことは、鴨社の神話伝承にも見えている、太古来日本人の実感です。美女が川溝にまたがっていると川上から矢が流れて来ます。そして美女 は神の子を妊む。そのような矢を「差して」とはっきり謂う表現は、縁語を懸詞で強調したなまめかしいエロスの効果をもちながら、一転して、靫をただ背に負 うてみるというふだんの動作にもどされ和らげられる。女という名の花靫(はなうつぼ)を背に負う、つまり我が物として背負いこむ、と──、優しく羞しいと 見たその花靫の出来が、じつは皮は皮でも「うその皮」で張ったからっぽの靫だった──と、そう言うのです。
ずいぶん手厳しく女を攻撃しているようですが、この小歌を反復口遊(くちずさ)んでいても不快なえげつなさはなく、かえって優しげな女のその外見の美し さは、すこしも害われず眼に見え見えてきます。「差して負うたりや」といった口調子には、快い、男の意気のようなものさえ想われます。
となると、ここで「うその皮」は、女という相手をわるく決めつけているというより、もともと男と女との「世」の仲なんて「うそ」と「うそ」の掛け引きな ンだものと、ちょうど鐘と撞木の間が鳴るぐあいに、以前の「世は嘘に揉まるる」ふうの感懐が、さらりとやさしく残響していることが読めてくる。分かってく る。
手に入れた女を、一方的に「うその皮」と貶(おとし)めるほど男心はいやしくない。男は、己が男心にさえも苦笑いのうちに「うそ」を感じている。それど ころか男と女との「うそ」を悪いとも言ってはいない。「うそ」は、時に、すぐれて美しいしやさしい。そういうことをよく知りぬいた同士の、知りぬいた時代 の、これは可憐なほど「面白い歌声」なのだと私は味わっています。
すると、次の一七番が引き立って見えます。

* わたしの僻見かも知れぬが、人間の生んだ「文化」の象徴的なのは何かと問われれば、一つは「棒」で、いま一つは「容れ物」と想う。「棒」の方は武器になって行き、必然分かりいい、が。
「容れ物」とは。一つは「住」へつながる「穴、横穴、窟坑、家」に違いないが、私はもう一つの系列に「碗 皿 匙 鉢 壺 また 袋 箱 包みモノ」を想わずにおれない。
私は 家人のあきれ果てるほど 箱・袋の棄てられない人で、大小となく、いつか役立つもの、棄てがたいものと、狭い家の至る所に空らのママ積み重ねてあ る。今や「用・要」も思うが、「美」も思う。人間に美意識を授けたのは暮らしの中に創りだし生かした「容れ物」「袋・嚢」の多様さだろうと思うが、どんな ものでしょう。
2021 3/20 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 人は嘘にて暮らす世に 何ぞよ燕子(えんし)が実相を談じ顔なる

☆ 孔子、孟子などと聖人を呼ぶ。その手で、渡り鳥の燕を、 ご大層に「燕子」と呼んでいる。燕尾服が式服礼服でありますように、燕という小鳥、どこかおつに澄ました気味がある。電線に並んでとまっている時など、と くに賢(さか)しげに見えますね。人生の、此の世の、説くに妙にして聴くに趣ありげな真実真相を、したり顔に何とはなく論じあい談じあっているかに見えま す。そんな燕たちの真摯げなお談義を高くもちあげながら、この小歌、人の世の軽薄な嘘をいたく窘めているのでしょうか。どうやら、それが逆さまのようなン ですね。むしろ、したり顔した「燕子」の、まじめくさった顔の方がかるく嗤われている。おいおい、よせやいといった余韻がわざと「燕子」といった調子にの こっている。それが、この小歌の姿勢です。「人は嘘にて暮らす世に」という物言いの方に、存外につよい肯定が籠もっているのです。
真実真相といい、道理法則といい、それがとかくくるくる移り変わって、アテにならない。その変わりようの早く烈しく果敢(はか)なかった時代に閑吟集の 小歌は生れ、謡われ、受容れられていた。「何ぞよ」 つまり何じゃい阿呆らしいという気持で、「実相」とやらの「嘘」にいやほど人は付合っていた。
大事なことは、それはそれで必ずしも悪い一方とは限らなくて、世の中が本当にくるくる移り動いて行く時代には、そのアテどない流れ自体を図太く肯定する ことで、かえって前途に希望を託するという態度も必要だし、また可能でしたろう。その態度がとれない、頭のかたい、嘴の青い(赤い)若い燕のような澄まし かえった手合いに、「嘘」の妙趣をさらりと笑って訓えている、そういう、これは小歌なンだと取っていいと思う。
2021 3/21 231

* 目の前の書架で視線の特等席に谷崎先生ご夫妻の、視線豪快な、そして臈 たけてそれは美しい顔写真がならび、脇には、先生自筆題字の大判和紙和活字の珍本で、随想『初昔 きのふけふ』が起ててある。なにとなく懐かしく心惹かれ 今朝その「初昔」冒頭数頁を読み返して、久々に谷崎文体のおおらかに自在な美と妙とを満喫した。
谷崎全集そして自身の選集を心ゆくまで読み返してから行きたいなと、しんみりと思った。
2021 3/21 231

* ひょこッとノートブックが三冊現れ、昭和二十年、敗戦直後の秋第一首に 始まり、昭和二十八年(高校三年生)七月四日作の第718首に至る、いわば私の第一歌集『少年』に先立つ処女歌集を成していた。『少年』は高校一年生から 以後の作で編んで、版をかえること三、四度に及んだが、高校三年間の作は、この総題のないノートブック三冊目から取捨していた。第一、二冊は、もとより版 にして人に問えるものとは思わなかった、が、拙は拙、未熟は未熟、恥ずかしながら我が「文藝」への初歩一歩を刻した『少年以前』なのは確かで、謂わば、こ こにも「少年前自筆年譜」ないしすでに「選集」に収めた「作家以前自筆年譜」の青春編を成している。
しばらくの間、読み返て、多感に青くさい少年時代をひとり味わい返したい。
ここまで書いて、そらに思い出す、このノート三冊のほかに、たくさんな歌稿を書き留めたものがあったはず。それは、「ハタラヂオ店」のためにナショナル や東芝やシャープ、三菱などメーカーが持ち込んでくる裏白でA5大宣伝リーフ。私は、裏白紙にはいつも多大の欲望で欲しがる子だった、どっちみち余るモノ だった。わたしはこのA5裏白紙を裏表に几帳面に折りたたみ、それに自作短歌を几帳面に書き入れ、沢山溜め込んでいた。それが、今も家の何処かに必ず遺っ ていると思う。ノートブック作と裏白作とに当然重複があると思う、ないしこの裏白集からノートブックへ取捨して編成したのかも知れない、分からないが。
中一 三学期 21番目の一首は

紫の雲ながれたる朝の空に
ひかりほのぼのとみちわたりゆく

とある。私が好みの、「字あまり」を、「同音のハーモニイ」を、意識したか、せずにか、もう用いている。弥栄中学の屋上へ出ると、祇園八坂神社の奥へ東山のふとん着た影が映え、左右へ連峰をなしている。清水の山へ空へも、まっすぐ視野はひろがる。
2021 3/21 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して

★ 何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ ただ狂へ

☆ この「くすむ人」の「うつつ顔」が、ちょうど「実相を談 じ顔」の「燕子」と相応しているのですね。「くすむ」はまじめくさるというほどの、ここではかなり強い否定語になっています。その読みは後刻のこととし て、ここら並んだ小歌は、閑吟集傑作の一つと言っておきましょう。

★ 人は嘘にて暮らす世に 何ぞよ燕子が実相を談じ顔なる

☆ 「嘘」を肯定し推奨するというのでは、むろん、ありませ ん。が、じつは「嘘」という「真相」もある世の中に、ただ浅く眼をそむけて、口先の「実相」ばかりをだらだら「談じ」ていて済むことかという意気は、少く も中世の荒いあの時代を生きぬく「力」でも「思想」でも、十分ありえた。それは、より高次元の真実や誠実を求めての、かなり切ない手さぐりでした。逆もま た、真。そこで…、
2021 3/22 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 散らであれかし櫻花 散れかし口と花心

☆ 金無垢の価値としての真実を「桜花」に想い籠める。これ は、遠く上古来のすぐれて日本的な風尚というものでしょう。「散らであれ」という願いには、ただ桜の花を愛で想う真情にくわえて、男の、女の、まごころの 佳さ優しさ確かさを祈願する「真」の熱望が表わされています。
それに対し「散れかし」とは、ほとんど吐き捨てる口吻です。まやかしの実相を談じ顔の「口」や、そんな口が吐きだす浮気ごころは、のろわれよ。
この小歌、閑吟集に珍しい、直截の表現が見えます。ほとんどこれは例外に属しています。
2021 3/23 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 花ゆゑゆゑに あらはれたよなう あらうの花や うの花や

☆ 「うの花」は「憂の花」であってまた「卯の花」でもある。「あら、うの花の」と歌った本歌が古今和歌集にあります。が、この小歌の生命は、むしろ 「露はれたよなう」という嘆きの声そ籠もっています。あまり「花」が美しいので、忍ぶ想いの花恋いの真情がつい「色に出にけり」で人に知られるまでに なった、それをあら「憂の花や」と謡う。
けれど「憂」という感情を、消極的に否定的にばかり受取っていると、この小歌の微妙な歓喜や満足を読み落とすことになる。美しい花に出逢うて、心中の愛 が思わず外へ露われる。純な人間のそれはむしろ当然で誇らかな心の動きなのですから、この「あら憂」という物言いには、初々しいはじらいや当惑を乗りこえ て 溢れ溢れる恋の喜びもふくまれているのです。
古今集の本歌は「世の中をいとふ山べの草木とやあらうの花の色に出にけむ」とあって、妙に厭世的なンですが、閑吟集の小歌では、「うの花」を恋愛に身を 濡らす美しい四月の花として、むしろ明るく輝かせています。「花ゆゑゆゑに」の一句を、わたしのこの花ごころに裏切られて……露われた、という趣で読みま すと、恋知りそめた女の愛らしい嬌態が眼に映じてきますし、「花」を女と、「あら憂」と嘆くのを男と取りますと、どこか年かさな男の、余裕のようなものが 巧くよく出た、そう騒々しくない酒席での世なれた反語か喃語のように耳に聞こえてきます。
ところで、この三○番までの歌謡は、いずれも目前の場面描写ないし体験者の即座の実情というより、より民謡に近いほどの普遍性を私たちに想像させて来な かったでしょうか。それだけに、一種の諺だの箴だのに近い趣致が伴っていて、いささか歌詞によせて「実相」を「談じ顔」でもなくはなかった。おそらく編者であ る「桑門」の「狂客」の知識人ふうな心境や態度が、余儀なく反映し反響していたのだろうと思います。
が、そういう小歌ばかりでない証拠が、次(明日)にあらわれます。
2021 3/24 231

* 朝の一番に 「閑吟集」と組み合ってはシンドイので、前夜に、翌朝分を書き出している。「閑吟集」は、じつに雅゙に軽妙に肉親に触れて、面白い。
2021 3/24 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ お茶の水が遅くなり候(そろ) まづ放さいなう また来(こ)うかと問はれたよなう  なんぼこじれたい 新発意心(しんぼちごころ)ぢや

☆ 「お茶の水を持ってくる(持って行く)のが遅くなります わ。さアさ。放して下さいな」というのですから、ここに女が一人いる。女をつかまえて「また来(こ)うか」と問うている男も一人います。そして男の振舞い が、「新発意心」と女にからかわれています。「新発意(しんぼち)」とは頭をまるめて間のない若僧のことですが、若僧、小僧というここは一般に通用の意味 を生かして、事実どおりの丸坊主、僧侶と限定してしまう必要はすこしも無い気がします。
この小歌、梁塵秘抄の「雑」の今様に似ていて、情況がたいそう面白い。面白いのに、そのくせ、ちょっと分かりにくい。能狂言「御茶の水」での表現どおり に納得すれば、まさに若い僧侶の新発意が、女を引き留めようとしている。それを迷惑がる女の言葉として、ほぼ同じ物言いになっています。団扇(うちわ)踊 りの歌詞を見ましても同様で、なるほど水汲み女と若い坊主となら、情景はそのままの「歌舞伎踊り」といった趣向ですから、まるで眼に見えるようですね。 「お多福」と「ひょっとこ」位の対照の妙はあるわけです。
但し団扇踊りですと 「お新発意やの」と言うています。これを「新発意心」とひき直されてみると、もうものの譬えに転じて、必ずしも姿どおりの色坊主と はかぎらず、ちょっと逸れた意味合いを生じています。ごく功者(こうしゃ)な女が、世なれぬ若僧、小僧をうまく「あしらい気味」の表現になり変わっていま す。
ここは、「また来(こ)うか」の読みが大切なンです。男が女に、「また来るか」と訊いていると解釈した本がある。放したらもう二度と戻って来ないだろ う、だからまた来るか、と「問う」意味に取っているのですね。これはとりあえず、「まづ放さいなう」という女の声に対し、道理の通った反問のようです。 が、じつはつづく「なんぼこじれたい新発意心ぢや」の取りようで、およそその重みが変わってしまいます。
女にすれば「なんぼこじれたい」「問はれ」ようであるかが小歌の眼目なのですから、ここでこそ「また来うか」の意味が、効果をもって生きて欲しい。
第一、「また来うか」は「また来るか」と他人の行為を問い訊す物言いでしょうか。かりにこれを京言葉として読みますと、私も京生れ京育ちなンですが、 「また来うか」「また来うなァ」と言う時は、他者にむかって自分自身で来る、来たいという意志を告げる物言いなンですね。たとえば清水寺の花を見に行って 大いに満足した。思わず身近な他人にむかって「また来うか」と提案するとか、内心誰かを連れてもう一度、来ようかなと思ったり、門前の気に入った茶屋女に でも、また来るよと満足を世辞がわりの約束にかえて、機嫌よく言い表わす。
「来(こ)う」は、自分が「来よう」と思う意向でして、他人が来る来ないを問うなら、「来うか」ではなく「来るか」「来てくれますか」であるはずです。但し京言葉の場合です。
次に、場所が問題です。文字どおりに坊さんなら、ここは寺内といったふうな場所なンですが、遊所、茶屋ふうの場所とも十分考えられる。すると場数を踏ま ない青道心めく若者と、苦界(公界)無縁の達者な女との出会いに場面が変わります。どちらかと言うと私のはそういう説です。「また来うか」は耽溺の味を覚 えた若い男の、それでもおずおずと「またお前のところへ来てよいか」という甘えなのでしょう。
「まあ。あまりといえば小焦れッたい坊やちやんねェ」と女は苦笑い。そういう応酬です。来て良く、来て欲しく、来て貰っての身すぎなのは女には知れたこ と。それをおずおず「問はれたよなう、なんぼ……」と呆れながら、その男がもうすでにちょっと可愛らしくなっている。その女にしても、心根に可愛げの生き た、気のいい遊女(あそびめ)なんですね。
こうなると、「まづ放さいなう」は、けっして行きずりに袖をそう引くなと窘める程度の軽々しい場面ではない。今しがた巫山雲雨(ふざん・うんう)の夢を見たその合歓の床なかでの、いっそ睦言なのではないか。
「お茶の水」は、のどの渇いたお二人さんの口直しです。ここまで読んでいっそう面白い小歌のように思えます。いかが。
2021 3/25 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。

一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆  ここで、ぜひ心づいて欲しいことが、一つ。「お茶」が もう十六世紀のこの時点で、かなり日常ふだんの飲料として出て来ている。むろん茶室の茶ではない。淹し茶の類、焙じ茶の類でしょう。   が、紛れない庶 民の飲みものに「お茶」がある。茶は、栄西禅師が宋から種子三粒をたずさえ帰って以来の普及と、よく言われます。一つの画期が禅院茶礼のその時分からとは 確実ですが、日本人がそれ以前から「茶」に類する何らか植物性の味を、淹(だ)したり焙じたり溶いたり煮たりしないで来たとは、とても思えませんね。水 か、湯か、ないし酒だけという飲みもので鎌倉時代までの三千年、五千年を植生豊かな日本列島の住人がすごしてきたなどとは、かえって想像もできない不自然 な話です。
「茶」の歌がつづきます。三二番。

★ 新茶の若立ち 摘みつ摘まれつ 引いつ振られつ それこそ若い時の花かよなう

☆ 「娘十八番茶も出花」と今でも謂うじゃありませんか。と かく学問の本ではズバリと敢えてくれないことですが、若駒が笹を喰む、という類の表現は、まず男(性)と若い女(体)との合歓を寓意している例が多いンで す。それと同じで、ここの「新茶の若立ち」の場合は、男女ともお互いの、気恥ずかしやかな青春の二次性徴をピンと感じとった方が、かえって気分もさっぱり します。「摘む」「引く」「振る」みな男女の出逢いで自然とはずむ肉体の上にあらわれ出る媚態なのですから、すこしも猥褻に想う必要はない。そしてこの歌 謡からは、そんな若さを喪ったか、はや喪いかけているらしい年増の嗟嘆の声になっている趣を受取ってみることです。「それこそ若い時の花かよなう」とは、 なんとまァ真率な嘘のない息づかいでしょうか。
2021 3/26 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ 新茶の茶壷よなう 入れての後は こちや知らぬ.こちや知らぬ

☆ 「此方(こちゃ)知らぬ」が「新茶」に対する「古茶知ら ぬ」でもあることは、すぐ、分かりますね。となれば、この小歌は濃艶至極の性の歌謡です。「新茶」は昨日読んだ三二番の、「若立ち」に通じます。若い女の 性の、みずみずしい外見と味わいとを謂うています。その新茶の「茶壷」とは──。
「壷」は言うまでもない容れものです。即ち女体本来の機能です。「新茶の茶壷よなう」とは、まさしく若い美しい女の幽所秘処をずばりと眼下に直視して形容しているのです。嘆賞しているのです。「入れての後は」を、だから今さら説明の余地などないわけですね。
ああ、ああ「古茶」のことなんか、知ったことか。知ったことか。
わるい男──。
可哀相な「古茶」よ。
傑作!
2021 3/27 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 『梁塵秘抄』を楽しんですでにお読みなら、この辺で、はっきり気づいておいでのことが、一つ、あるはずです。かの法文歌はべつとして、四句や二句の神 歌、ことに雑の歌には「巫女」「武者」「殿」「関守」「咒師」「鵜飼」「遊女」「海人」「博党」「近江女」「土器造り」「受領」「尼」「法師」「樵夫」 「兵士」「舎人」「禰宜」「祝」「聖」「山伏」「山長」などと、指さすように歌詞の中でそれと判る人物、その様態、が眼に見えていました。
ところが、少くもこれまでのところ『閑吟集』にそういう様態を背負うた人影が見られない。まるで個別から一般へ、とでも言えそうに、人がただ「男」と 「女」の「世」の中に、さながら抽象化されています。理念化されています。現実の「巫女」も「遊女」も、また「兵士」も「樵夫」も、歌の背後にそれぞれ固 有の身なりを隠し埋めてしまっている。そして男に、女に、ある意味で本然の姿にかえって、さまざまな小歌のなかで生きています。
今一つ、『梁塵秘抄』では、かなりの頻度ではっきりした「我」が歌詞に顔を出します。例えば「我等が修行に出でし時」「我が身は罪業重くして」「妾らが柴の庵へ」「我を頼めて来ぬ男」「我が子は十余になりぬらん」「我が恋は」などと。
むろんこの「我」も、個別の我と、一般化された我とに丁寧に弁別すべきではありますが、それにしても『閑吟集』にこの手の「我」表現が、これまで、全く目立たない。したがって二人称を指す「君」の表現もまた、ごく数寡いのです。
右の事実を、どう理解しておくか──。
二つ、見当がつきます。梁塵秘抄の時代そして今様の雑の歌を見ていますと、ある日ある処で生れてはじめて出会ったような同士が・円座になって膝をつきま ぜて互いの体験や心境を歌語りに語り合うてでもいるような歌謡が多い。巫女同士・修験者同士、遊女同士のこともあれば、それらの人がたぶん混在もしている のでしょう。互いの体験や心境が珍らかであり、また身に泌みて共感もされ、そしてそれが明日から先のまた漂泊の日々を支える知識や情報や判断の素地とも材 料ともなって行く。そういう人たちのそういう時代にふさわしい、具体的に生々しい歌謡群として、あれら今様は、紛れない時代の表情をむき出しにしていまし た。「我」を表に出して謡い語ることは、さまざまな人が階層を越えて意志疏通するための、前提であり、仁義でさえあったことでしょう。
閑吟集の時代では、小欲は、もはや必ずしもそのような漂泊者たちばかりの所産ではなかったようです。むしろ俺とお前との仲に、名乗りや「我」の強調をさ ほど必要としない、お互いお馴染みの場所で謡われていたのでしょう。あまり具体的に表現しすぎては、それが限定、制約となって歌謡のスムースな疏通をそこ なうという配慮さえあったでしょう。
逆説でも何でもない、つまり「我々」と「彼等」との区別が世の中でいろいろに明確になってきて、他のグループや人の体験から身を退きがちに、疎遠になりがちになっていたのです。
「古代」にも人は寄合って日用を弁じました、が、「中世」の寄合の場は、古代のそれよりももっと強く「我我」の連帯を欲し、「彼等」との対決を鋭く意識し勘定する場になっていた。ならざるをえなかった。
そうですから、顔なじみとまでは言わずもがな、しいて己が職分や身分を告げあう必要のないような場所へ、たとえば遊び女のいるような中立の場所へは、個 別、特殊としての「我」を持ち出さないのが、むしろ作法でした。そして日常の場所では、むしろ個よりも衆としての「我々」が、よその「彼等」との間で利害 をたしかめたしかめ相い集わないでは心細い時代、頼りない時代、身を守れない時代だったのです。
「中世」とは、一つにはそんな時代でした。だからこそ、と言いましょう、そうして寄合う場所からは、陽気に面白い藝能が生れもしたし、じつはこっそりと 時代変革のための謀議も重ねねばならなかった。陰気な逸機は「中世」では命とりであったのです。隠遁とは、そんな「中世」の特異な陽気活気になじみ切れな かった者の、あるダンディズムだったのかもしれない。私はそう考えています。
小歌でも謡おうかという場所で、人は、男であるか女であるか以外に、個別の特別の役割分担はもう必要としないどころか、危険でさえあったのですね。「我 々」同士の仲ででも、その紐帯から「我」ひとりはみ出ようとする個性は、大成功して支配者に変身するか、退いて隠遁するか、村八分にされて屈するといった 存在でしたろう。まして「彼等」の間へ紛れこんだ時に「我」はと主張してみても、窮屈になるか、無視されるか、排除されるのが落ちでしょう。
閑吟集歌謡は、どこかで一味同心の場を囃すうわべは浮かれた宴遊歌のようでありながら、時代の激流に呑まれまいと、危い孤心を隠しておく、陽気な隠れ蓑でもあったはずです。
そこで、それならば「閑吟」とは何かという問題に、ようやく遭遇します。
「閑」とは閑居の閑、「しづか」でも「ひま」でもある。「吟」はまさに「口遊む」こと、謡うこと、それも高声にでなくて、浅酌低唱する心地ですね。梁塵 秘抄は「梁塵」の文字から合点のいきますように朗唱です。そして哄笑でもあり驚嘆でもあり喝采でもある。閑吟集は、それに対してよくよく熟れた共感です。 笑うも泣くも、古代漂泊者の野性が放った逞しい情感とは自ずと別趣の、同じく漂泊に等しい乱世流離の境涯は生きていながら、さすがに定住への希望と手段と をようやく抱きかかえた生活者たちの、少くも「我々」同士の間でならもう眼と眼で頷いて分かりあえる泣き笑いです。
けれど、小歌の一つ一つを現に謡い楽しんだ男女の心境が、即ち、「閑吟」なのかといえば、それは違う。違うはずです。「閑吟」とは、序にいう「桑門」 「狂客」の孤心が望んだダンディズムなのであって、現に小歌を謡い楽しんだ人の気分はもっと流動しています。揺れています。時には面白ずくです。

★  我らも持ちたる尺八を 袖の下より取り出だし しばしは吹いて松の風  花をや夢とさそふらん いつまでか此の尺八 吹いて心を慰めむ

☆ 「我らも」という梁塵秘抄ばりの物言いが見える、ほとん ど唯一の “述懐〟です。これは「我々」でない、孤り在る「我」の意味なンですね。この辺にも編者がもう時代の波間から願わくば彼岸に身を預けたいと夢みている「狂 客」の、いっそ懐古的なと呼びたい態度が表われています。「いつまでか此の尺八」というのは、前途に不安をもった者(男)のもう抗うことは諦めて、ただ 「閑吟」に生きる表明なのですね。集の全部を読んでまたこの二一番を読み返してみますと、編者の孤独な息づかいと、「しばしは吹いて松(待つ)の風」とい うしみじみ胸にひびく「閑吟」「往生素懐」の趣致とが、こんなによく示された〝述懐歌〟は他に無いと言い切れそうです。
さて、この二一番の述懐に、次に三四番の大和節をひっそり寄り添わせてみますと、編者のひめやかな或る動機が忍び忍び輪郭をあらわして、あの得異な巻頭歌一番と呼応するようであるのも、一つの読みどころと思います。

★ 離れ離れの 契りの末は徒夢(あだゆめ)の 契りの末は徒夢の 面影ばかり添ひ寝して あたりさびしき床の上 涙の波は音もせず 袖に流るる川水の 逢瀬 はいづくなるらん 逢瀬はいづくなるらん

☆ しみじみ低唱してみて下さい。さながらに『閑吟集』編者へ現代日本の私たちからの、手向け歌かのように、ふと錯覚されてしまいそうです。
2021 3/28 231

☆ 死からその空想的要素を取り去るならば、それは自然のわざ以外の何物でもない。自然のわざを懼れる者があるならば、子供じみている。  マルクス・アウレリウス『自省録』

☆ 仕事に精を出す人間は多いが、その中で仕事の方が精を出しているという人間は少ない。   ジンメル『断想』
鋭い。
2021 3/28 231

* 中国史を後漢の滅びたまで読んだ。漢とは、おもしろい時代だった。后妃の大権と外戚。宦官の跋扈。学者達の実力、黄巾党など農民の蹶起等々。このまま続く唐・宋・元へと読んで行く気。
「失楽園」も「フアウスト」も面白く読み進んでいる。
機械クンのご機嫌すこし斜めらしく、今晩はもう終える。
2021 3/28 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

★ さて何とせうぞ 一目見し面影が 身を離れぬ

★ いたづらものや 面影は 身に添ひながら 独り寝

☆ 「面影」は、閑吟集の動機に深く沈んだ一つの「鍵」語です。巻頭一番の歌謡から、面影は見えていました。今あげた三六番の小歌は、一言もつけ加える必要のない、まさしく真率の情というものでしょう。
次の三七番は、「いたづらものや」という謡いだしの感慨をどうか正しく読みたい。今日の語感で「おいたをしてはいけません」と、母親が愛し子を窘めるような意味では、ない。
近世このかた大正、昭和の初年までも、「いたづら者」と批評したりされたりする背景には、必ず男女の公に認められない「世」の仲が隠れひそんでいたと言えます。時に不当に、この言葉には度はずれた好色者というくらいのつよい非難も籠もっていました。
けれど十五、十六世紀の「いたづらものや」を、そうまで非難がましく決めつけては、気の毒というものです。
ここで「いたづらものや 面影は」とあるのを、主語と補語の倒置と早合点するのは禁物です。「いたづらものや」で、一度区切って読むべきです。人の面影 を身に添わせつつ独り寝の己れ自身が、そんな己が状況、そんな己が心根、そんな己が愚痴こそを 「いたづらものや」 と嘆息しているので、決して「面影」 が「いたづら」をする、わるさをするとばかり言うているのではない。ああ「いたづらものや」と我と我が身を先に詠嘆している。天を仰いで自分の顔をトンと 打っている。そう想像したいものです。
いたずらに急ぐな、身をいたずらにするな、などと言います。むろん「いたずら」もこの場合の「いたづらもの」も、否定に傾き易い語と結びついて意味をもつ批評語です。
でもこの小歌の場合、独り寝していとしい「面影」を身に抱いている男が、当のいとしい女を(女が男をでも妥当しますが)否定でき否認できましょうか。そ れどころか「色」好む者なら、かかる「いたづらものや」の境涯さえ本懐とすべき風情でもあり、情趣であり、粋の粋とは、この嘆息この愚痴の中ではじめて結 晶するのかも知れはしない。「思ひみだれ、さるは独寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ」と兼好法師も 徒然草の第三段 で言っています。
源氏物語や枕草子いらいの好色を「あはれ」とも「をかし」とも「ながめる」伝統は、このように生きている。とても、ただ否認してすむ美意識ではなかった のです。「いたづらもの」こそ実存者であったような時世を、日本の時間はたっぶり抱きこんでいます。まこと、「萬にいみじくとも、色このまざらん男(女) は、いと寂々(さうざう)しく、玉の巵(さかづき)の當(そこ)なきここちぞすべき」と言い切った兼好法師の美意識は、この小歌をふしぎに倫理的な魅惑で 飾ってさえいます。
必ずしも私は今、それを讃美ばかりはしませんけれど、そうした特色ある歴史的感情に眼を背けて、「いたづらものや」を説明して「無用な物よ」と教え、独 り寝のことを「いたづら寝」とも謂うとただ言い替えて読みおさめてしまうのでは、この小歌の嘆きを無価値にしてしまいます。
いい本歌や類歌のある小歌ですが、これはこれ、心優しく身にしむ実情歌ではありませんか。
2021 3/29 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 44・45・46番を、次に一連で読みましょう。

★ 見ずはただ宜からう 見たりやこそ物を思へただ

★ な見さいそ な見さいそ 人の推(すい)する な見さいそ

★ 思ふ方へこそ 目も行き 顔も振らるれ

☆ 「見ずはただ宜からう」は、含んだ物言いです。見なければ差支えなかろうといった浅い解釈では、かりにこの一句の解決はついたようでも、つづく一句とのかね合いに緊張が乏しくなります。
ここは、二つある「ただ」をどう読むかも大事なところ。見ないうちは、評判どおりの「ただ宜からう」で、よそごとに想うて平気でおれたのです。それなのに「見たりやこそ」 現に見ちゃったもンだから、おかげでこの物思いさ、惚れこんで──。
前のは、気軽な「ただ」です。後のは、ひたぶるな「ただ」です。
四四番、これは男の口吻ですね。女でもありえます。
つづく四五番の「な見さいそ」の「な」「そ」は、禁止を示しています。「見ちゃァだめ!」「人が怪しむわ(けどられてしまうわ)」と、当時の女人の直接 話法そのままを想わせます。「推(すい)する」は、推量し推察するのでしょう。〝ことば〟が自然な “うた〟と化している好例ですね。
四六番は、「振らるれ」という、受身とも自然とも両様にとれる「らるれ」のラ行音が、いとまろやかに耳に響きます。「だってェ。好きな人の方へ目も顔も 行っちやうんですも-ん」といった嬌声が聞こえてきます。酒席宴席や祭礼などでの、臨場感旺盛な咄嗟のギャグが、「あはれ」に「をかし」い人の思いを把握 しえた小歌ですね。男が、女の口説き文句に謡ってもなかなか有効だったでしょうし、さぞ愛誦されたことでしょう。
そうは言いながら、さて、どうも閑吟集の歌詞は淡泊で、コクというものが乏しいと物足らずお思いかもしれません。

仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ

☆ 染塵秘抄の二六番、随一の秀作として広く知られた今様で す。七五音を四句つらねた、少くもこういう型の整いは室町小歌には、ない。ない、のが特色とすら言えます。型の整いならば、謡曲つまり大和節や近江節など の方があるでしょう、が、それでも七五、七五と四句をつらねるといった定型というのではありません。謡曲のそれは、むしろ梁塵秘抄の今様より時期的にやや おくれて流行した、宴曲(早歌)の詞句のつらねかたに近い。

恋しとよ君恋しとよゆかしとよ 逢はばや見ばや見ばや見えばや

☆ 梁塵秘抄の四八五番、二句神歌のうちから、一等閑吟集の 率直な謡いぶりに近そうなのを一つ、抜いてみました。が、これにも或る整いがあり、閑吟集四五番の、あの「人の推する、な見さいそ」などというあたかも日 常の物言いそのままとは、よほど違っています。これを譬えて、まだ和歌的な梁塵秘抄と、もう俳諧的な閑吟集と謂ってみてよいかどうか。これは、あなたに、 質問として呈するに止めておきましょう。
2021 3/30 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ ところで、俳諧ないし川柳のことを念頭におきますと、わざと後廻しに残しておいた、四二番のこんな小歌を、ここでご一緒に読まずにおれません。

★ 柳の蔭にお待ちあれ 人問はばなう 楊子木(ようじぎ)伐(き)るとおしあれ

☆ この恍けた物言いのおかしさ。
楊子は、書いて字の如くやなぎ(楊)の木で作るのが良いと言いますね。セームタイムのセームプレース、つまりデートの約束を、とある柳の木蔭でと決めて おいて、もし誰かが通りがかりに何とか言うたなら、いえ楊子木を伐っているのですと「おしぁれ」仰言いナ あるいは 言っておやンなさいナ……と。
女から男へ知恵をつける「おしぁれ」でしょう。軽みのきいた、私の好きな小歌の一つです。
話題をもどして、閑吟集の小歌に歌詞としてのコクが有るか無いかと、一つ一つについて論えば、これは少くも梁塵秘抄とくらべて分がわるかろうというのも、私の見かたです。けれど、それを補うものも、たしかに、有る。
2021 3/31 231

* 中国史は、後漢がほろび、まさしく三国志、曹操 劉備 孫権の時代に。通俗の三国志を何種か何度か読んでいるので、一気に「唐」へトバしてもいいが。 太古から春秋・戦国という時代を漢籍で読みとおして秦そして前漢・後漢という時代を経てきた。このころの日本列島にはまだ文字らしきもなく、縄文末から弥 生時代へ土器と貝塚と農耕の始まりで、主に水辺と高台に暮らしていた。「日本」という名乗りにはなお数百年を要した。中国という途方もない國の変遷をあら ためてより確かに識っていたい。元寇このかた、二度目の衝突が起きねばよいと願いつつ、日本の政治力のまっとう目覚めと奮発と用意を切望する。

* 寝ては過ごした一日のよう。夕食は済ませたが。

* いつ可っていたやら、書庫に『京に田舎あり」という昭和十七年五月五日「京都三条広道東」の晃文社発行の一冊があった。大東亜戦争が始まってまだ戦果 の報道されていた、私はといえば幼稚園で真珠湾奇襲を聞いて年を越した春四月、国民学校一年生として「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」と習い始めて間も ないお節句の日付だ。装幀もいかにも京に田舎の風情よろしく、榊原紫峰の
序に始まり当時京都にゆかりの名士が五十人のきままな随感随想の随筆集に なっている。当時一年生とはいえ、戦前往年の「京にも田舎」風情がおもしろく懐かしく書き込まれてある。装幀挿画もゆかしく吉井勇の自筆短歌 向井久万、 池田遥邨、廣田多津の挿絵も嬉しい。ご縁をいえば、後年、廣田多津さんとはNHK日曜美術館で対談していたし、池田遥邨さんの子息には京都新聞朝刊に一年 連載した『親指のマリア 白石とシドッチ』の挿絵をお願いしたし、今もお付き合いが出来ている。
まこと、京には田舎が存している。そこに得も云われない風情が生き残っていて懐かしい。
こういう本は いまや私のようなものしか有り難がるまい古本だが、よう買って置いたと思う。
2021 3/31 231

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  小歌の魅惑 そして春は逝き

☆ 閑吟集の小歌に歌詞としてのコクが有るか無いかと、一つ 一つについて論(あげつらえ)ば、これは少くも梁塵秘抄とくらべて、分がわるかろう、というのも、私の見かたです。けれど、それを補うものも、たしかに、 有る。閑吟集のいわゆる連歌的編纂です。配列です。思い切って四九番から五五番まで七つを一度にならべて見てみましょう。すると、連歌めく情緒の展開のな かで、たとえば梁塵秘抄の編集でならばそうは打ち出されてなかった、閑吟集ならではの或る宣言、主張、態度として、読者の胸へひとかたまりに感銘が迫って きます。

★ 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり (49)

★ 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波(ふうは)の一葉(いちよう)よ (50)

★ 何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり (51)

★ ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの 世や (52)

★ 夢幻(ゆめまぼろし)や 南無三宝 (53)

★ くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)

★ 何せうぞ くすんで 一期(いちご)は夢よ ただ狂へ (55)

☆ 四九は、閑吟集を代表する小歌の一つです。しかも問題含 みの一つです。「世間」を「よのなか」とどの本どの学者も訓んでいますのは後生の解釈で、一応私も従ってはいますけれど、そういうアテ訓みを強いる用字 が、存外閑吟集に数寡いのを思えば、文字どおりの「せけん」と訓んで正しいのかも知れません。もっとも文字どおり歌謡は、黙読に先立って口誦第一に唱歌さ れるもの。おそらく編者も、これが「よのなか」と訓まれることに疑念はもたなかったでしょう。しかも「せけん」の意味も、この二字が体していたこと言うま でもない。そしてここからこの一篇の二重構造、趣向の面白さが真実湧き出すのですが、ところが私の見たかぎり、「よのなか」と訓んだ研究者たちが、口をそ ろえて「せけん」の意味でしか、この「世間」の面白さを汲んでいないのにはおどろきました。
そもそもこの四九番で謂う「ちろり」が、はたして、ちらり、ちらッ、ということか。光陰の過ぎ易く、少しずつ移動する状態を「ちろり」と浅野建二氏らの ごく通常の解で本当に十分かどうかです。当然のように古語辞典でも、①一瞬目にふれるさま、ちらっと、②またたくま、さっとの二種の解を示しています。ど うも、どれも閑吟集のこの四九番を原拠としていて、それ以前に溯る用例は示していないンですね。
近世、近代の語感で溯って行って、閑吟集の小歌に分かりよく安直に解釈をつけたと、皮肉に言えなくもない。なるほどムリのない理解で、けっして私も反対ではなかったのです。
とはいえ私自身「ちらッと」「じろッと」「じろり」という瞬時の瞥見を意味する副詞なら、たまには使ってきたでしょうけれど、「ちろり」という、音便で も何でもないむしろ澄んだ発音の名辞か、あるいは擬音のような物言いでは、もっとべつのことを考えます。例えば真先に、酒好きの私なら酒器の「ちろり」を 思い出します。それと秋野にすだく「ちんちろり」のような虫の音を思い出します。
しかもこの二つは、燗のついてくる時のさやかな〝音〟にかぶって、親密に、印象として重なり合っています。「ちろり」と「ちんちろり」──どちらかが、 他方の語源であるかとさえ想像したいほどです。事実、長崎ちろりといって、色硝子のそれは美しい酒器が遺っていますが、そんな南蛮・舶来めくものと限ら ず、やはり古語辞典が教えています「酒の燗をするに用いる容器。銅または真鍮製の、下すぼまりの筒形で、注口や把手がある」と説明しています、錫の品も多 いこのような酒器の名前は、後撰夷曲集の八より引いたという、「淋しきに友まつ虫の寝酒こそちんちろりにて燗をするなれ」とある、燗のつくさわやかな鳴り からも、またその注ぎ勝手のやさしさからも、来ているわけです。
この手の酒器を、では、いつの時代から「ちろり」と仇名ふうに呼んだか。にわかに確認できませんけれど、この閑吟集四九番の用例などは、松村英一氏や藤 田徳太郎氏の示唆もあったとおり、早くにあらわれていた証拠の一つと、十分考えられます。いかにも閑吟集ふうの名辞、語彙として、しっくりこの場に嵌まっ ています。
もっと溯って平安王朝の女房がたで日常に使われだした愛称、仇名だったかもしれない。閑吟集時代にはもう市民権を十分もって広まっていたのではないか。
こう察しをつけておいて、その上ではじめて、この名辞の語感の根に、先にあげたような「ちろり」の通解を、さらに語意を拡張されたものとして思ってみたいのです。
私の理解を率直に言いましょう。
この小歌で眼に見えている近景は、まず酒器としての「ちろり」です。そしてその蔭に遠景となり背景となってひそみ、懸詞ふうの隠し味にもなってふくらん でいる意味が、いわば通解どおりの無常迅速の「ちろり」なのです。こう意味を取ってはじめて、「よのなか」の訓みがはっきり生きてくる。つまり「せけん」 のことはと話が漠然と拡がってしまう以前に、この小歌では、男女の「世」の仲こそが、艶に直接にまず謡われているのです。
愛し合いなじみ合うた二人が、濃厚な「世」の仲をいましも枕を倶に満喫し充足している〝最中〟であると想像しましょう。
一つ床のまぢかに、〝あと〟のお楽しみの旨い酒が「ちろり」で煖められているのです。ちんちろりと燗はついてくる、その「ちろりちろり」の間にはや二人 の愛の高潮も過ぎて行く。ひしと寄合う二人の思いが、あるいは男の、あるいは女の孤心が、夢うつつにその「ちろり」の迅さをしみじみ認識しているのです ね。相愛の営みが、わずか「ちろり」の鳴りはじめるまでの、酒に燗がつくまでの寸時に過ぎてしまう、果ててしまう、そのはかなさを惜しみ、呆れ、なげき、 そして男女ともどもに酒の方へ這い寄って行く。そんな、やや醒めてうつろな睦まじさとして読むのが面白い。
松村、藤田民らはここまでは読まれていなかった。
「ちろりに過ぐる」の「ちろりに」という形容動詞ふう語法は、酒器「ちろり」で燗がついてくるほどの時の間に、束の間に、という意味でなければたしかに 不自然です。そしてあとの「ちろりちろり」はその時の間を擬音ふうに表現し描写している。リアリティはすべて眼前の酒器「ちろり」が面白う確かに支持して います。
そのものズバリ、有力な応援を、太田南畝先生、即ち天明狂歌壇の大将格だった四方赤良のこんな面白い狂歌に願いましょう。

世のなかはさてもせはしき酒の燗 ちろりのはかま着たり脱いだり
四方赤良

☆ 酒器を容れて置く「はかま」と着物の袴とを懸けている。袴を着たり脱いだりとは、すでにエロスの情景を直写しています。四方赤良は閑吟集のこの小歌をどうやら本歌にしていたかとも言えそうですね。
まずは、この小歌は、こう読まねばならぬはずの秀句です。そしてこれほどの具体具象を経て、さらに広く遠くに、「世間」は、時世は、人生はとおし拡げて行けばよい。「世の中はさてもせはしき酒の燗」です。「ちろり」の妙に、かくてこそ意味深長に手を拍つことができます。
四九番は、いわば二重底、三重底の面白さなのです。それをは なから無常迅速調で単調に片づけてはへんに説法くさいものに終ってしまう。はじめに愛欲耽溺のはかなさがしたたかに感じられて、ついで男女「世」の仲の行 く果てが想われ、それでこそ世間虚仮、無常迅速というほろ苦い諦念も遠景に生きてくる。身につまされるのです。ともあれ目前の景としては、男は男の、女は 女の〝事後″のしらじらをこの小歌で思いつ見つしているンで、真の意味の、これが「きぬぎぬ(後朝)」の情緒というものでしょう。
さあ、先に挙げた一連の七篇は、最初の四九番一つをこう読まないと、すべて浮足立って生悟りのお説法くささに鼻をつままねばならなくなる。五○番は「浮 世は風波の一葉よ」といい、五一番は「人生七十古来稀なり」といい、五二番では「あぢきなの世や」とふッと口をついている。それをさえエイと振り切るほど いっそ勢いよろしく五三番は、「夢幻や 南無三宝」──。一炊の夢に夢さめた謡曲『邯鄲』に出てくる一句です。
一度はおちこみかけた「あぢきな」という否定や消極を、今一度「何ともなやなう」「何ともなやなう」と否定の肯定に反響させ逆転させての、すべては、 「夢・幻」という真実の現実。これをすべてそのまま、「だからどうだと言うの」「何じゃいナ」とまたバサリ夢幻(無間)の底へ切って落とすわけです。その 原点に四九番の男と女との愛恋夢幻、無限抱擁の束の間が過ぎ行きつつある。「ちろり」と酒が煮え立つほどの儚い時の間にも、しかし、よくよく想えば、よそ の現実社会では決してえられなかった甘美と充実とがあった。あったはず……だ。
「浮世は風波の一葉」それで、けっこう。「人生七十古来稀」で、けっこう。「水の泡」「露の間」で、とことん味わいつくすいとまもなげな「世」は世ながら、それとて南無三宝、「夢幻や」であるわけです。
観念だけの諦悟は机上の空論です。最初に人間らしい愛欲の真相が寂然かつ「ちろりちろり」と据えられているから、四九番から五三番までが、みごとに緊密 な、少くも一つの〝態度〟を毅然と表わしえている。この態度の毅さは、この時代の人々にすれば、世間万事心細く心もとなければこそ、こう生きぬくしかない 強さであったのでしょうね。またこの一連をこう編集しえたことで、閑吟集の編者は、「狂客」たるの真骨頂を表わしえていると言えましょう。
こうまで断乎読み切ってみると、もう、五四番の、また五五番の、「うつつ顔」を嗤って「ただ狂へ」と噴きあげる歌声に、余分の註釈は不要というもので しょう。男女の仲を、そして現世を、徹底して「夢の夢の夢の」と幾重もの合せ鏡の奥をのぞくような覚悟があれば、「一期(生涯)は夢よ」と見切って、だか ら肯定して、「ただ狂へ」と両手両脚を奔放に虚空になげ出すのは、語の真実として極めて “自然〟です。この〝自然〟を〝リアリティ〟と訓みたくなるのは、根本に男女の愛を据えて動かない『閑吟集』の人間肯定があるからです。
ここで「くすむ人」というのは、一般に「まじめくさった人」ととるだけでは、じつは味わいがまだ稀薄です。明らかに「夢の夢の夢の世」つまり性愛の秘境を、はるばる訪れていながら、なお「くすむ人」は、尻ごみする人などは、とても「見られぬ」と嗤っているのです。
「ただ狂へ」も、どれほど深遠に釈義してもいいのですが、根本には、男女愛欲の海のなかで狂い游ごうよと、徹した思念が第一義に謡われている真相を見忘れては、聴き遁しては、いかな説法も屁ひとつ、何の足しにもならないのです。
『閑吟集』が説く「春」とは、まさにこういう小歌に寄せて認識される「春」なのでした。そしていつしか「夏」が、そこへ来ています。
2021 4/1 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

☆ 季は「夏」に転じています。弥生は三月で春、卯の花咲く卯月は四月で、もう夏、と、そのような暦の上での中世と現代とのちがいもちゃんと頭に入れていませんと、古典を読むさいに往々季節感をあやまりますので、ご注意ください。
五九番。

★ わが恋は 水に燃えたつほたるほたる もの言はで笑止のほたる

☆ 「笑止」は、今日では失笑、冷笑、喋ってやるといった意味に使われ易いのですが、もとは、この小歌の時代では、気の毒な、可哀想なという意味で使われています。間違いやすい言葉ですから、注意が要ります。
その上で「こひ」「燃え」「ほたる(火垂とも書く虫です)」と言った「火」の縁語を読みとりながら、反対語の「水に」に「見ずに」の意味を懸け重ねて読んでください。
蛍は、物を言わずに恋い焦がれる「忍ぶ恋」のシンボルにされてきた夏の虫です。「見ずに」「もの言はで」忍んで燃えているわが恋ごころの切なさへ、「蛍」よ「蛍」よといとおしむように呼びかけています。
2021 4/2 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  思ひ回せば小車(をぐるま)の 思ひ回せば小車の 僅かなりける浮世哉

☆ 近江節です。「恩ひ回せば」「回せば小車」と言葉を懸けて回旋の速度感がよく出ている上に、同句を繰返すのも「小車」らしい佳い効果になっています。
「浮世」とは、後代に浮世草子などが盛んに書かれ読まれます、『浮世床』などという読物も人気をえますし浮世絵もあって、言葉としてはなじみ切っていますが、意味はとなると簡単にいかぬ言葉です。
あさはかに、ふわふわと頼りない世の中というふうに「浮」くという文字からつい取りたくなるし、まァそれで大異はないようなものですが、根本に「憂き 世」という感受があり、それを批評的にかるく「浮世」と思い直した経過に、意味深長な時代感情のあやは汲まねばなりません。やはり 閑吟集を特色づける語 彙の一つと言うべきでしょう。
しかしそんな印象ばかりを言うのでなく、たとえば、よく「浮身をやつす」と言います、あんな謂いまわしとの関連からも「浮世」のことは考えてみたいものです。
番茶も出花の年ごろになると、どう大人が制しても、とかく漂いがちに世間へふらりと出歩いて行く若い男や女の、やるせもなく春情ゆたかな、けれど心もと ないそぶりを指して、「浮身をやつす」と昔の人は謂ったンですね。「浮世」とは、そういう男女の「世」の仲でこそあるのです。するとこれも、前章で読みま した、四九番の、

★ 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり

☆ の 「ちろり」と同じ効果で、「小車」が使われている。「世間」と同じように「浮世」が使われている。ともに「僅 かなりける」時間、まさに逢う瀬の束の間が嘆かれているわけです。さらに徹して読むと、遠景に 邯鄲一炊の夢、夢幻や南無三宝といった感慨が浮かび上がる のですね。
2021 4/3 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  やれ 面白や えん 京には車 やれ 淀に舟 えん 桂の里の鵜飼舟よ

☆ 六五番。 珍しいのではない。風情があり目に立ちやすいその物を「車」「(渡し)舟」「鵜飼舟」と挙げているのですね。「やれ」「えん」という囃しを交互に出してくる。アイヌのユーカラでもこういう囃しかたが目立つそうです。
六六番と六七番は、連れて読みましょう。

★ 忍び車のやすらひに それかと夕顔の花をしるべに

★ ならぬ徒花(あだばな) 眞白(まっしろ)に見えて 憂き中垣の 夕顔や

☆ 六六番の小歌は、明らかに源氏物語「夕顔」の巻に取材しています。が、それに捉われてしまわぬようにと言いたい。
歌謡への身の寄せかた、ことに閑吟集のようにわざとと言えるほど主語を欠いた語法のものでは、敢えて、その表に出ない主語の箇処へ自分か、自分でなくて も自分同等に大切なもう一人を据えて読んでみるのが、ごく自然な感情移入の本道です。徒らに周辺の知識に足をとられ、いきなり光源氏や薄幸の美女夕顔を外 側から傍観者の視線で眺めるといった読みでは、歌謡にふさわしい対い方と言えなくなる。
「やすらひ」は誤解しやすい古語で、つい「安」や「休」の漢字をあててしまいがちですが、これは「躊躇する」「ためらう」意味です。百人一首に赤染衛門の名歌があります。

やすらはで寝なましものを小夜(さよ)ふけてかたぶくまでの月を見しかな

☆ まこと凄いほど身にしむ、待ちて逢はざる恋の秀歌なンで すが、ためらってないで寝てしまえばよかったわと愚痴っています。「来る、来る」という言葉を心待ちに月を見ながらつい宵も過ぎ、夜も更けて、傾きはてた お月様を山の端へ見送ることになってしまったわという歌でしょうか。
この赤染衛門の「やすらはで」は、たしかにそういう意味なのですけれど、閑吟集六六番の「やすらひ」は、たいてい、小休止の意味と取られています。ある 人の現代語訳ですと、「女のもとへこっそり通ってゆく車、その車が休息のおりに、あれは自分が思っている女かと、そこに咲いている夕顔の花を道案内として 訪ねた」と、あります。
残念なことにこの訳は、まともな日本語になっていない。十分に意味をなさない。
なぜ「忍び車」が「休息」するのでしょう。女のもとへ車で忍んで行く者の気持にすれば、「ためらひ」こそあれ、人目立つ途中の休息などとのんびりしてい られるわけがない。が、男の逢いたい思いと、それをためらう思いとが、忍び車のえも言われぬ足のおそさにはなっている。それがここでの「やすらひ」の本意 でしょう。
なぜ「やすら」ふか。なぜ「忍」ぶか。
日かげに咲く夕顔の女だからです。辻君や遊君のような女だからです。それでも愛しいからです。
ここの「夕顔」は、源氏物語も踏まえながら、夕暮れ時からほのかに町かげに咲いて出るような女の身上なり素性なりをうち重ねています。「それかと」「し るべに」は、源氏物語の中の「心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花」や「寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔」という 男女の応酬に示唆をうけています。
六七番の「夕顔」は、ものの言いまわしからは一応源氏物語を離れています。が、恋の対象としての「夕顔」であって、しかも「憂き中垣」のむこうに裏白に 咲いたのが、見えてはいて、手は届かない、そういう「憂き仲」の花の夕顔でもある。この恋、どうも実を結びそうにない、だから「ならぬ徒花(あだばな)」 でもあるわけです。
六七番の「夕顔」の女を、遊君と見るか。垣がへだてた人妻と見るか。「人妻」説によれば、これは源氏物語を遠くに感じとって読むのがいい。はじめて光君が夕顔と出逢って、先の歌のやりとりをした時は、女はまだ頭中将の思い妻の一人であったのですから。
けれど、「ならぬ徒花 裏白に見えて」は、必ずしもあの「夕顔」にふさわしい物言いでない。どこか町の小路の遊君めく女と取れます。どう取ってもいい、十分に物語めいて面白い小歌です。
2021 4/4 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  恋風が 来ては袂(たもと)にかい縺(もつ)れてなう 袖の重さよ 恋風はおもひ物かな

☆ 『魔風恋風』という流行った小説が、明治の頃に小杉天外 作で書かれています。「恋風」は、銘々の語感で好きに読んでいいはずです。恋慕の衝動に性愛が混じるくらいに想っていい気がします。「掻い縺れて」は、払 いのけても絡みつくようなまことに余儀ない情動を言い表わしている。「おもひ物」は「重い物」と、ものを思わせるものとの両方に懸けていますね。ちょっと 歌が重い感じです。
で、いっそ私はこう読みたい。
これは独詠の述懐でなく、今しも座敷で、(戸外でもいい)袂にからんでくる女にむかって、男が機転のご愛嬌でからかっているのだと。
すると、歌が軽くなる。ぐっと面白くなります。そして、男と女との表情や身ごなしまで眼に見えてきます。
2021 4/5 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  仰(おしゃ)る闇の夜 仰る仰る闇の夜 つきもないことを

☆ 「つき」は「月」でもあり、ふさわしい「拠りどころ」の意味でもあります。「つきもない」という物言いには「月もない」闇夜の意味と、「いいかげんなことを」という非難が懸け合わしてある。
「まァ仰ること。闇の夜だからいいだろですッてェ」 「まァ仰るわ仰るわ、聞の夜だからいいだろですッてェ」 「つきもないことを」と。
たいそう面白い。
こう読むと昨日の七二番

★  恋風が 来ては袂(たもと)にかい縺(もつ)れてなう 袖の重さよ 恋風はおもひ物かな

が、男から女へ、今日のこの七三番が女から男への、剽軽なしっペ返しとして 一対のものに想われる面白さも加わりますね。つまりこの一対、恋仲のお二人さんが 逢引の散策を楽しみながら、軽口でやり合っていると読めるのです。
配列の妙がここに生きています。
2021 4/6 232

* 深夜二時、二階。どうしてもと思い立ち、掌に重いほど私の「選集16巻」本で、長編 『父の陳述 かくの如き、死』 を読んでいる。どうあっても読み返したくなり、まだ、五分の一。自作を語るのはじつは容易でないのだが、「法廷」へ提出という此の「陳述書」形式 まこと内容は多年・多岐にわたりながら、ま、「簡かつ要」の構成と文体で相応に「表現」できていた、か、と、ほぼ納得できそう。

* 誰方であったか、過ぎし「平成」文学の一画に、私近年の長編『オイノ・セクスアリス』を挙げてくれた人がいたようで、ま、有り難い、が、だが、的を絞って 散漫を避け、主意を執拗に追いかつ煮つめる「かたり」としては、この『父の陳述 かくの如き、死』の方が、という欲目も、笑止にも、なんだか持てそう な。

* 但し、この作、避けえない手痛い弱身を持っている。表題にも露わな、「陳述者」つまりは「法廷の被告」その人が、数ある著作で賞も受け国立大の教授も務めた「父」親 で。そんな初老の父を、愛されて育った実の「娘」と陰湿に嫌みなその「婿」先生とが、「夫婦連名」で、実父・岳父を「名誉毀損」「賠償金1500萬を支払え」と訴 訟していて、何とも不快、不可解なのである、が。そんな、法廷へ提出の「陳述書」なる「語り口」を、私は、「文藝」としてぜひ「編み上げ」てみたかったのだ。驚くべ し、しかも当訴訟の「正体」がじつは「実話」、取材するのもおどろおどろしい実話であったが、ま、何とか研覈も推敲も遂げて「書き下ろした」のが「此の作」であった。

* で、歳月を経て、読み返しまして、サマになっていたか、それはまだ確言できませんが、なにしろ人も話も不快も不愉快、その苦々しさを「生(き)」のまま嘗 めてみようと、私は書き下ろしを「思い立っ」た、私の別著『死なれて 死なせて』の話体に並走の「小説篇」に成るかなあ、とも。それで副題めかして 「かくの如き、 死」と主題に添みた。え、誰か、死んだのか。
ハイ、それこそが主題。老父被告には愛おしい「孫娘」が、原告夫婦には二人娘の「長女」が、成人の誕生日 を目前に、しかも母親の誕生日と同日に、難も難の医学もお手上げな「劇症」に、みるみる奪われたのであった。

* 暁けの、五時になった。

* 小一時間もソファで眠ったか、また、読み継いだ。が、この作を他の短編、中編とで編んだ『秦 恒平選集 第十六巻』の「あとがき」も読んで、私の「文学」への思いの割合はっきり書けているのに気づいた。かなりの量になるが、目下の思いと齟齬なしと 見て、重ねて今此処に心して添えたい。。 (もう八時になる。)

☆ 秦 恒平選集 第十六巻刊行に添えて
(『父の陳述 かくの如き、死』に添えた部分。)

創作とは「実験」なのである。
ことに小説の場合一作一作が「方法の実験」でありたいとわたしは願ってきた。同じ方法でどれも似た作品を積むマナリズムをわたしは恥ずかしいと思い、一 冊の創作集を編むとき、題材が変わるという意味ではない、一つ一つの作がべつの作者の手で書かれたかと見えそうに異色の「方法」を試み、試みた。昭和五十 二年『誘惑』の場合の「誘惑」「華厳」「絵巻」「猿」がそうだった。そう批評されたし、しかも間違いなく秦恒平の文体、秦恒平の創作だと言われた。嬉しい 批評だった。
わたしの作品史で、太宰賞の「清経入水」以来、「蝶の皿」「秘色」「慈子」「廬山」「閨秀」「墨牡丹」「みごもりの湖」「迷走」「罪はわが前に」「初 恋」「風の奏で」「余霞楼」「北の時代」「冬祭り」「親指のマリア」「四度の瀧」「秋萩帖」「加賀少納言」「月の定家」「あやつり春風馬堤曲」「鷺」 「ディアコノス=寒いテラス」「修羅」「掌説集」「お父さん、繪を描いてください」「逆らひてこそ、父」等々、試みた「方法」は一つとして同じでない。一 つ一つが思い切り意図的に「異なる方法」の実験になっている。今回『父の供述 かくの如き、死」の場合も、(「湖(うみ)の本101版 『凶器』でも同 じ」)出来不出来は作者の口にするところでないが、方法の実験という点では期した以上に容易でなかった。

(湖の本では「凶器」ともした表題の意味は作品に語らせて此処で言わないが、)この小説、普通にいわゆる「小説の文章」で書くに書けない、自然描写・心 理描写やリアルな会話などを受け付けない、即ち裁判所に提出の「被告陳述書」そのものであり、陳述という目的と効果のためには、よく煮つめた、しかも攻撃 と主張を孕んだ「批評」であらねばならないそういう「小説」なのである。攻撃や主張のためには場面場面で重複も反復もあえて冒しながら、議論上も法廷を説 得し相手方を批判していなければ役に立たない。喧嘩腰が喧嘩と見えぬように、判事の心証を冒さぬようしかも際どく窺狙いながら、弱腰のゆるされない闘い、 いやな闘い、不愉快極まる闘いをとにかく一本槍に「表現」しなければ済まない「小説」なのである。
一本槍は、曲がない、まして読む小説としては。作者は、更に一思案を迫られる。
で、此の、「陳述」という曲のない「小説」を、そっくり別の「額縁」に嵌め込んで、「もう一つ」の「べつの小説」にしみようと「実験」した。
説明までもないが、つまり、この長い小説を、一人の、露骨でがんこな、しかし真剣で率直な「父親・清家次郎」のただ陳述書でなく、優にあり得ること、今 や「亡き父」の「長き苦しみ」を表す「遺稿」に変身させた。ガチガチに戦闘的な文書を、当の「父」からでなく「息子」の手で、「法廷」にでなく「世の中」 へ「提出」させてみた。法廷にでも弁護士にでもなく、実の父を訴え出た実の娘夫婦にでもなくて、「世の中」という名の「裁判員」に「父・清家次郎」は訴え たかったはずと、父と同じ創作者である「息子・清家松夫」はこれを、「遺書」でもある提案・主張と読み取り、そういう「小説」に、全然「仕立て直した」の である、儚い、憐れな、しかし父への供養として。

もとよりこの小説、「名誉毀損」とは、或いは憲法が重く認めた「言論表現・思想信条の自由」とは、「親子・家族・親族」とは、「人間の愛憎」とは、或い は「インターネット」とは、「裁判」とはとも烈しく問うており、それらの表題でべつの方法を実験されてもいい「提議」ではあった。
父と母との二つの陳述書の「前・後」に置かれたいわば額縁には、そういう小説家・秦恒平の苦くて深い惑いと思いとが提議として摺り込まれている、と、そ う読まれれば有り難いが、だが、それも作者が読者に強いることであってはならぬ。ただ、わたしは此の長編を、(わたしは此の『凶器』を)、まこと「私小 説」かのように書いた。正直書きにくい「実験」になった、(気持ちの奥に、「平成二十一年八月三十日」の革命的な衆議院選挙とも繋がる命脈を、希望を、感 じながら書いた)とだけを書き置く。(半世紀も待った勝利の選挙だった。「怨みを晴らすように」待ち得たのだ、そういう気持ちとかっちり「生きの緒」を繋いだ「私小説」を、わたしは、可能という以上に欲しい、必要だ、試みたい書きたい)と思ってきた。)

以下、述懐としても方法論としても、この巻のためにも「私小説」という「実験」に触れて、ぜひ此処に書いておきたい。

「蜻蛉日記」「とはずがたり」以来、花袋、泡鳴らを経て、秋聲も秋江も、直哉も善蔵も、高見順も太宰治も、安岡章太郎も吉行淳之介も、無数の私小説をわ たしは読んできた。私小説論もたくさん読んできた。「谷崎愛」で谷崎文学ばかりを読んできたのではない。その谷崎にも私小説ふうの作は数多い。
かねて、貰っていながら、手に触れる余裕のなかなか無かった小谷野敦氏の『私小説のすすめ』(平凡社新書)も読み始め、読み終えた。感想は、肯定的か、否定的か。肯定的…。
小谷野氏の論調はことさら破壊的な乱暴を含んで厳しいのだが、状況や背景は博捜し、あざといアテズッポウは言っていない。言わずもがなの言い過ぎはこの 人の得意技で持ち味であるから、不愉快には目をつむってとばし読みをしても義理を欠くことはないが、著者の包丁はかなり肯綮に当たっていて、面白い論策と いうより、裏の取れてある興味ある放言なみの新説である。奇説とも読める。
しかしながら小谷野氏「定義」の、およそ「女にフラレ男達」の情けない自虐的な告白「私小説」だけでは、「二十一世紀の私小説」は言い尽くせまいと思 う。わたし自身は、今も、これからも、私小説も非・私小説も書く気でいるが、「私小説」の場合小谷野敦氏定義ふうには、決して書かないだろう。
手もとへ、「私小説の問題、きっと、以前から秦さんは『ネットの介在』をおっしゃってきたと思います。やっと、それが自分にも考えられるようになってき ました。ひとりひとりの権利意識とも絡んで、難しい問題だと思います」と、読者・批評家の反応メールが届いている。いまの批評家達も作者達も、たしかにま だ其処へまで、視点も視野も届いていない。方法としての足場もできていない。そして難儀なネット上の「問題」だけが起き、行儀わるく独り歩きして行く。
現代文学が「ネットの問題」とますます不可分に成ってゆくこと、それが「法」ともからんで、ややこしく悩ましい事件を引きずり起こしてゆくこと。今、ま さに、それを「わたし」自身体験している。文学も批評も、いずれ、「ネット以前」「ネット以後」と、または「旧文学時代」「新文学時代」と「分類」されて ゆくだろう。多くの近代文学が、文豪たちも手だれたちもその他大勢も、「ネット以前」の「旧文学」という「箱」のなかに蔵われるだろう。
このわたしの予言、賢明にだれかが「記録」し「記憶」していてくれますように。

事実インターネットの時代である。優れた新才能が現れてくるとき、「私小説」の相貌は小谷野氏ふうのそんな情けない脆弱な厚かましい動機を越えて、自爆 的なほど良質にも悪質にも強い問題を社会に投げかける「私小説」が現れうる。サイバーテロや情報操作の私小説も、多彩なオーガニゼーションの私小説も、新 手(あらて)の恋愛・性愛・人間関係の小説も、グローバルに展開する私小説もきっと現れる。それらは当分は、概して「社会への批評・不満・不平」を孕んで 戦闘的に働くであろう。
ともあれ、徐々に「私小説」も書こう、書きたいとわたしは意識してきた。意識の外側から事情に強いられる気味もあったとはいえ、老境に入れば私小説が好 かろうと若い時から覚悟していたし、人生未熟な若いうちに「発見のある私小説」はムリと思っていたのだから、七十四老、いわゆる後期高齢、時機はとうに来 ている。

このところ、実は、亡き川嶋至の遺著『文学の虚実』(論創社)も読んでいた。
巻頭の、安岡章太郎作『月は東に』を論じた「歪曲された事実の傷痕」からして、衝撃に満ちた弾劾の批評であり、この一編に限って云えば、かつて東工大での同僚川嶋教授の筆鋒は、問題の核心を刺し貫き、それなりに批評本来の役を完璧と見えるまで果たしている。
『月は東に』作者のモデルに対する悪意と自己弁護は、かなり醜い。侮辱されたモデルの苦痛は計り知れない。その一方、この小説は文壇では高く顕彰され、 また、ここが微妙であるが九割九分九厘の一般読者にはそのようなモデル問題など見えようがなかった、見えてなかった、だろう。
こういう傾向と手法の私小説しか書けない「書き手」で安岡氏があることは、多く氏自身の述懐やエッセイを通して推量できたし、書かずにおれなかったから 書かれたとしてそれは作家の負う宿業といえる。言えるけれど、だからといってモデルがこの表現を憎悪し赦せないことも火より明らか。そういうことに関連し ては、もう十余年前、柳美里の小説に触れて「作者は、覚悟を決めよ」とわたしはわたしの考えをサンケイ新聞に書いている。(「湖の本エッセイ47 濯鱗清 流・秦恒平の文学作法上巻」76頁)
川嶋さんはこの評論集ゆえに文壇で多大の顰蹙・排撃を買い、逼塞をさえ強いられたと仄聞してきたが、そういう文壇であるのをわたしは嫌った。その辺のこ とは、更にオイオイにべつの場で別に書く人も出るだろう、ひとまずこの話題を離れて「私小説」への関心に戻りたいが、それでも、実もって、川嶋さんが面貌 の皮をひんめくった、上の安岡作のような私小説なら、わたしは書かない。現に書いていない。

むかしから、男女間の、家庭内の、交際上の、生い立ちの、暮らし向きの、貧しさ等々の「情け無い恥」「うしろめたさ」を、敢えて忍んで「そのまま書く(掻 く)」のが「私小説」であるという「説」がもっぱら通用してきた。その代償として、作品は「純文学」「藝術」といわれ、作者は「藝術家」という名誉を手に 入れてきたと。書き手たちは、けっこうその積もりでいた。
わたしの考えている「私小説」は、ちがう。どうちがうかを、わたしは書いて実現して行かねばならないが、一言でいえば、「いま・ここ」に在る人間の 「私」自身を書き、「私」自身の思想を社会的にも文学的にも定置し表現して行く「手法」「方法」として「私小説」を書く。「日記」を書く。「年譜」を編 む。そういう気である。
わたしは「男女間の、家庭内の、交際上の、生い立ちの、暮らし向きの、貧しさ等々」ゆえの「情け無い恥」という観念や概念にほとんど毒されていない。ほ とんど実感が無い。鉄面皮なエゴイズムと叩かれかねないが、わたしにはそれらが何故に「恥」なのか、ピンとこない。生きていてその日その日に遭遇する体験 の集積は、ただに自己責任ないし自己実現と謂うに過ぎないし、まして「生い立ち」など、どうあろうと、わたしの「知ったことではない」。
高見順は「私生児」に恥じて拘泥しつつ私小説を書いたが、自身が私生児として恥じてきたはずの「私生児」を、生涯に二人も(一人らしいが、作家自身はある期間二人と自覚していた。)妻でないべつの女たちに産ませていた。それを「私小説」に書いていた。
芥川龍之介は生い立ちへのこだわりを事実の説明としては書かなかった、書けなかったのである、どうしても。しかも深く深く拘泥して恥じていた。太宰治はどうであったか。
わたし自身は、自身私生児であった生い立ちを、それと知った子供の頃から恥じたりしなかった。「私の知ったことではございません」からである。終始一貫、ほとんどあっけらかんと「自由」だった。
むろん「恥じ入り、恥ずべく、恥ずかしい」ことは他に山のように有る。みな、生きものとしての人間なら、どうしようもないこと、ま、少しでもそんなもの 少なくありたいと願うし、わたしの場合、むしろその恥ずかしさを、儒教その他の道徳律でなんとか正そうとか制しようなどというコトのほうを、「あえて避 け」てきた。
不自由は、イヤだ。自分の問題だ、ただ目を逸らすまいと見つめてきた。わたしの生きてきたエネルギーは、「自由」でいたい欲求と、ほんのちょっぴりであ るが、漱石のように「私怨は忘れない」という熱だろう。その足場に立ってわたしは「わたしの私小説」を書きたい。自然それは書き手の「いま・ここ」に在る 思想や感想を背負って、自身を確かめ確かめ、世の中へ厚かましく主張し提言し表現する「私小説」になる。「花に逢へば花に打(た)し、月に逢へば月に打 す」。告白ではない。ただ心境の表現でもない。まして高みの見物のモデル小説でもない。優越でも、愚痴や泣き言でもない。『蒲団』でも『新生』でも『和 解』でも『生命の樹』でも『月は東に』でも『宴のあと』でも、ない。
わたしの場所は、過去にも未来にもない、「いま・ここ」にある。「いま・ここ」でどう生きているか、そこに自分の花であり月である思想や感想が産まれて いるなら、それをしっかり書きたい。そういう「私小説」が書きたい。わざわざ自分の筆でわざわざ「恥」が書き(掻き)たいのではない。
恥は掻こうが掻くまいが、たんに恥の「ようなモノ」に過ぎない。それを書(掻)けば、なんで「藝術家」や「藝術」が自動的に保証されるものか、問題が違う。
もう一度、言う。
わたしはこの長編を、「私小説」かのように(5字傍点)書いた。正直書きにくい「実験」であった。(気持ちの奥に、「平成二十一年八月三十日」の革命的な 衆議院選挙とも繋がる命脈と希望を感じながら書いた。半世紀も待った勝利の選挙だった。「怨みを晴らすように」待ち得たのだ。
そういう気持ちとかっちり「生きの緒」を繋いだ「私小説」こそ、可能という以上に、欲しい、必要だ、書きたい試みたいと思ってきた。その気持ちをかきた てるほど、わたしを励ました近刊に、かつてペン言論表現の同僚委員であった清水英夫氏の『表現の自由と第三者機関』(小学館新書)があった。)

顧みて気が付く、溢れる喜びで妻とともに「娘」を此の世に得て以来、沢山な小説の中に「娘」を登場させてきた。『慈子(あつこ)』『罪はわが前に』をは じめ『ディアコノス=寒いテラス』『逆らひてこそ、父』『華燭』そして日録『かくのごとき、死』に、小説『父の陳述』に、と。運命であったし、運命ならば 運命として見遁すのでなく、「書き表す」のがわたしの「仕事」と思う。従来の情けない告白型の「私小説」としてでなく、時代へ社会へ繋がって、批評のあ る、主張のある、凹まない「私小説」かのように実現したかった。一つの文字通り本作原題であった「凶器=言葉」ともなるだろうが、怖れまい。新世紀「純文 学」の道はそこへ、その先へ続くだろう。
奇妙なことだが、こう書いていてわたしのアタマに今ある一つ「印象的な私小説」は、あの沼正三作『家畜人ヤプー』を此の世に導いた人、天野哲夫氏の大作 『禁じられた青春』(葦書房)なのである。ごった煮の雑炊のようで見た目も上出来でない、が、濃厚に旨い味はあり、けっして「味気無い」「情け無い」告白 本ではない、生涯「いま・ここ」を凄みの表情で生きた人の、警醒・震撼、おそろしく凸出した主張作だった。強い人だった。但しインターネットの世界からい えば、「旧人」の一世界だった。

そのネット社会に接しながら仕事をする、ものを書く者として、「陳述」中にも特記し強調してあるが、今一度念を入れておく。すなわち「文責者」の姓名や 立場の明示されていないネット上の発言・言及は、原則、取り合うに及ばないということ。まっとうな主張や批評や批判であればあるほど「文責」を明らかにす るという社会慣習が築かれねば、公衆便所の落書きなみに、言論の自由と責任とが汚穢にまみれて了うのを私は懼れる、と。必要ならネット上で討論・論争すれ ばいいと。

さて、おまえの本来は、しみ一つ無い青空のような一枚の鏡なんだよと、バグワンに言われ言われてきた。無影で無垢の鏡、それがおまえの本来「静かな心、 無心」なんだが、真澄の空を雲や雨や雪が去来すると同じく、おまえの鏡はおまえのマインド=心=思考=分別という無数のもの影で曇っている。マインドと は、おまえが眠りこけて見ている「夢」なんだよ。夢から覚めて気づきなさい。バグワンはそう言う。
幸いにわたしの鏡は、あれを映そうこれを消そうと動き回らない。青空をくもらせる雲や雨が来れば映し、去れば去らせ、求めて呼びも、追い縋りもしない。 年々歳々花は相似て見え、歳々年々人は同じでない。無数に影は去来するが、在ると思えばいつしか在り、無いと思えばいつしか無い。ただうっすらと、俺は 「夢」を見ているんだと分かってきている。それでいて、せっせせっせといろんな影を鏡に映している、まるで生き甲斐かのように。
わらってしまう。わらいながら、年を取る。     秦 恒平 平成二十八(二○一六)年十月
2021 4/6 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  我御寮(わごりょ)思へば あのの津より来たものを 俺振り事(ごと)は こりや何事

★ なにを仰(おしゃ)るぞせはせはと 上(うは)の空とよなう 此方(こなた)も覚悟申した

☆ 「我御寮」はこの時代の二人称です。あなた。お前。相当の親愛を籠めています。それだけに目上の人への物言いではありません。男女の限定はないが、先の七七番では、男が女へ。
「あのの津」は伊勢の安濃津、現在の三重県津市にあてて構わないのですが、むしろ「あの」という遠い指示詞の効用へ一般化してみた方が、いい拡がりを産むようです。
この小歌の妙味は、むろん「振り事」「何事」という脚韻にありましょう。実際に「振られた」というより、あだけた睦言(むつごと)の感じが面白いのですね。
あとの七八番は、女からの応酬ですね。深刻に読めば、はや帰宅の時間でもしきりに気にかけている男の、上の空の物言いをプンと怒って、女からも、「いっそ別れましょうよ」と投げつけたふうに想えます。
「せはせは」は、受け答えも頼りなげに妙に気にさわる早口で、つまり「上の空」で、と取りたい。
けれど、この際の女の、「此方(こなた)も覚悟申した」という科白を、そう深刻に取ってはかえってつまりません。むしろ「男の扱いに慣れた女の口吻(くちぶり)」という臼田甚五郎氏の理解に賛成です。
「俺振り事は こりや何事」
「此方も覚悟申した」
こうやり合って、瞬時に微笑か微苦笑か、あるいは咲笑をさえ交しあっている仲よさがここに見えて、そういう見えかたを誘っているのが、閑吟集のなかなか 手だれに「自然な趣向の冴え」と言えましょぅ。この編者と思しい「桑門(坊さん)」がたいした「狂客」でも「粋人」でもあって、広い意味でも狭い意味でも 社交場裡の甘い酸いを噛み分けていた人、妙な比較ですがプーシキンの「イフゲーニェ・オネーギン」みたいな人物、そういう体験の蓄積を過去にいやほどもっ た人と想像するのは、きっと正しかろうと思っています。
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☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★  思へかし いかに思はれむ 思はぬをだにも 思ふ世に

☆ こんなのを、畳語といいます。同じような物言いを微妙にずらして畳みこんでいます。舌も噛みそうですが、頭も痛くなります。すこし時代がおくれて、『宗安小歌集』にこんな類歌があります。

思ふたを思ふたが思ふたかの 思はぬを思ふたが思ふたよの

☆ 恋いこがれた相手を恋いこがれてみて、向うも同じに恋いこがれてくれたか。いやいや。恋いこがれもせぬ相手を恋いこがれた顔をしたら、向うは夢中で恋いこがれてきたことさ。
いやはや、ままならぬ──。
独白でよし、唱和と読んでもよい。ちょっと切ないような、宗安小歌の言葉遊びの面白さです。が、閑吟集の八○番は、趣味的に言葉遊びで終らせない、さし 迫った覚悟、が言いすぎならば、意気ごみを帯びています。これは自分で自分に、または親しい相手に、噛んでふくめて訓えているとみたい内容です。
「思ふ」は愛する、恋する、惚れこむ意味に違いない。「思へかし」は命じるくらい強い勧めです。そうすれば自分も強く深く人に「思はれ」ないではあるまい。愛されるためには先ず愛せよと、この小歌、謡いかけ勧めています。そしてそのあとが、独特なンですね。
愛してないはずだった相手でさえ、愛してしまうことになるのが、男と女との「世」の仲だもの。愛の不思議なンだもの。そう言っている。つまり人を愛さずには生きてられない存在として「人間」を見ている。
これを諦悟ととるか耽溺ないし頽廃ととるかは、読者の自由でしょう。
「思はぬをだにも 思ふ世に──」ふしぎに涙ぐましくもなる、真率の凝視が詞句の内に生きています。
少くも、すこしもふざけていない。
2021 4/8 232

* 歌集『少年』より以前のいわば『少年前』歌集(整頓されたノートが、三冊残ってゐる。)を読み返していた、胸に波立つモノを静めたく。 八時半。

* 『失楽園』は、いよいよイーヴとアダムとの破戒になる。ここに至る天使ラファエルの永い永い語りで「神の創造」がつぶさに語られるのが、身にしみる。そして、夫婦という存在の不思議な美しさと危うさとが壮烈な劇となって先へ、楽園の外へとはみ出て行く。

*  鴎外訳に導かれて『ファウスト』はしっかり読み終えた。ふかぶかと胸に落ちた。鴎外の日本語、感嘆のほかない。

* 『指輪物語』の想像と創作との精緻を極めながら、じつに自然な叙事の妙に心惹かれる。

* 一転して「史実」としての中国を、春秋、戦国、三国志から 前後の漢時代も過ぎて、隋へ、唐へ流れ込むまでの大波乱を読み進む。
なんという國であること か、中国とは。秦始今日の中國政権は最高の皇帝であり政治家だったとしている。前漢・後漢の儒教的な混乱の歴史も面白かった。そのころはまだ「日本」とい う國は、「存在」すらしていなかったのだ。
2021 4/8 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 浮からかいたよ よしなの人の心や

☆ こ の小歌が、自分を有頂天の夢中へと漂わせてしまった恋人の、愛と、性との〝力″を、喜びつつかつ長嘆息しているのが、いかにも「夏」の終りにふさわしく、 下句の嘆きは、男女のそれぞれに懸かっています。「浮からかす」という表現が、面白いですね。そして次にくる「人の心」の「秋」は、はや「飽き(秋)」の 季節のようです。

★ 人の心の秋の初風 告げ顔の 軒端の荻も怨めし

☆ 「秋(飽き)の初風」を告げ顔の軒端の荻のそよぎに、「人の心」の頼りなさをふと思い初(そ)めています。「男(女)心と秋の風」を嘆じているの が、まさにこの小歌です。「軒端の荻」は実景であってよく、しかも源氏物語に、人ちがいされたたまたまの成り行きから、一度は光源氏に抱かれながら忘れら れ捨てられた「軒端の荻」という、うら若い女人の切なさが遠景に見えていても、よろしいでしょう。見えていなくても、よろしいでしょう。
2021 4/9 232

* 小谷野さんの私小説というのを辛うじてメールから移したが、今の私の視力では、この線の細い小さな文字でかなりの長いものを読み通すことは不可能。わたしのこの「私語の刻」は緑の背景に「最大の太字」で書いている。それが視力に可能な限界。

「私小説」の書き手は、昔は文士の殆どがそうであり、そんな中でラコニックな文体の志賀直哉はやはり文章が傑出していた。瀧井孝作の悪文かと読みまがう独 特の習字にも文藝が光っていた。そして概して私は私小説よりも創作された世界の妙味を好んでいた。事実レベルを饒舌に書き垂れただけのものは読まなかっ た。「現代の怪奇小説(河上徹太郎評)」と受け容れられた『清経入水』の道を歩き続けてきた。一つには私 は「物語」の「語り口」という創造に関心があった。どう「語るか」それも出たとこ勝負のだらだらな語りは「イヤ」だった。主人公ないし語り手にどんな語り 方を生み出して貰うか、それが書き出すまでの思案だった。比較的近来の創作では「黒谷」「オイノ・セクスアリス」「花方」など、語り口の私なりの新しい出 かたを(成功・失敗に関わりなく)苦心した。いつも避けたかったのは、「垂れ流しのような饒舌」で 「事」 を吐きつづけること、それは、あえて遣るなら  それなりに「藝」のあるやり方でないとつまらぬと思っていた。咄家にも名人といわれた園生、志ん生、馬琴、小さん、ないし三平等々、みな独特の話藝だっ た。甲乙を付けても無意味だった。ただ彼らはどの話もヽ語り口だったが、小説家は、たとえ話に過ぎないが、時に園生風 時に志ん生風など、自身の藝として の語り口の変妙を作に応じて「発明」できないなら作家としては無価値な存在と謂えるのではないか。
2021 4/9 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 夢の戯れいたづらに 松風に知らせじ 槿(あさがほ)は日に萎れ 野艸(ののくさ)の露は風に消 え かかるはかなき夢の世を 現(うつつ)と住むぞ迷ひなる

☆ 田楽節です。 「夢の戯れ」の「夢の世」を「いたづら」「はかなき」と認めていますから、末の一句の取りようで、趣が右へも左へも動きます。
「夢」を否定して、「夢」は夢、所詮「現」ではない間違うなよ。そう誡めていると取るのが普通の解釈でしょう。
けれど、「いたづら」に「はかな」いのは「夢」の本来、また愛と人生の真相なのだから、「現」の思いで「夢」をひとかど批評しえたなどと思う方が「迷 ひ」である。「夢」はやはり夢、「現」など実は実在しないのが現実の姿と見究め、「夢」に徹して生きればいい、と、そういう主張も十分ありえたのが、閑吟 集の「ただ狂へ」なのでした。
私も「夢」派です。
九六番。

★ ただ人は情あれ 槿(あさがほ)の花の上なる露の世に

☆ 「槿花(きんか)一朝(いってう)の夢」と定まり文句があるのを、思い起こすにも及ばないでしょう。あくまで「情(なさけ)」とは自身に、他者に、何ごとであるか、ありうるかを問いたい気がします。

* なにもかも、と謂うてもいいほど私は生来の「閑吟集」派に自身を育ててきた気がする。「NHKブックス」の此の私の一冊は「私」を解説の一冊にさえ成っている。
2021 4/10 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 秋の夕の蟲の声々 風うちふいたやらで さびしやなう

☆ 蟲の声々を、風が吹きおこした天然の笛の音と聞き惚れな がら、音色の奥から人の世のたそがれ行く寂しみを引き出しています。人間万事「春」あれば「秋」もあり。数ある秋の歌から、「桑門」の選択が、この辺でつ よく物を言っています。和歌ならぬ漢詩に取材した小歌がつづきます中から、唐の元槙の詩に取材した一○一番へトビましょう。

★ 二人寝るとも憂かるべし 月斜窓に入る暁寺(げうぢ)の鐘

☆ この上句は、さしもの春情もかかる秋思とは沈静するものかと、ひとしお寂しい。これを梁塵秘抄四八一番のこんな濃厚な歌とくらべてみて下さい。

★ いざ寝なむ 夜も明け方になりにけり 鐘も打つ
宵より寝たるだにも飽 かぬ心を や いかにせむ

☆ はっきり「飽き(秋)」ならぬ「飽かぬ」愛欲の昂揚が、梁塵秘抄の歌謡には、ある。時代の若さ、ということを考えさせられます。謡っている当人の、いわば天真の青春と、閑吟諦悟の老境との、さも落差かとさえふと想われて、しみじみと目が冴えます。
2021 4/11 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 身は浮草の 根も定まらぬ人を待つ 正体なやなう 寝うやれ 月の傾く

☆ これぞ前に触れました、「やすらはで寝なましものを小夜 ふけてかたぶくまでの月を見しかな」の「小歌」版ですね。「根も定まらぬ人」とは、「寝(処)も定まらぬ浮気な男」よということで、「正体なやなう」はそ んな男へのいまいましさと、そんな男を待ち暮らす自身へのいまいましさとを、「狂ってるわよ」と憤怒かつ自嘲しているのです。
「寝うやれ」が面白い。寝ちまへとくらいの口吻です。ここで「身は浮草」は、浮わついた男の描写であるとともに、また女のかかる身上(しんしょう)のこともちゃんと指さしています。その場合は「根」はやはり暮しの根っこの意味ですね。懸詞の妙味です。
一○六番。

★ 雨にさへ訪(と)はれし仲の 月にさへなう 月によなう

☆ うがったものですね。いやな雨の日にも訪ねてくれたあの人が、さわやかな月夜にも来てくれないなんて。こんないいお月さまなのにねえ──。
しかし一方にまた「月の障り」もいとわないで抱いてくれるの、ほんとよ…とも、ちゃんと読めるのですね。
2021 4/12 232

* 夕方から 食事を 中に宵へ、トールキン『指輪物語』の、最後の八巻にまで読み進んだ。この長大かつ精緻な物語は仮構の粋を究めた作で、われわれの現 世現実とは一抹の関わりも持たない、のに、リアルな感銘と賛嘆の思いで些かの停頓も疑念もなしに共感に溢れつつ愛読、また愛読できて、読中読後に透き通っ て充実の喜びがある。
『フアウスト』にはギリシァ神話が大切に喚起融合されて実感に触れてくる。
『失楽園』はまぎれもない広遠な宇宙に浮かび上がる長大の基督教神話詩篇である。
『指輪物語』は背後に背負った現世のモノを持たない、しかもじつにリアルでクリアな「命」の物語に成りきっている。
この系列に、ル・グゥインの『ゲド戦記』あり、マキリップの『風の竪琴使』があることは、繰り返し確認し続けてきた。
私はこれらの作をあと追って為しうると思えないママに、しかし、「現実の直話」から柔々とはなれた仮構世界の想像と建設とに心惹かれつづけてきた。藤 村、漱石、潤一郎に惹かれあこがれて来ながら、鏡花がアタマに在った。その以前に秋成の雨月・春雨が在った。遙かにもっと重くに平安物語への拭えない親愛 があったと自覚している。
2021 4/12 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 薫(た)き物の木枯(こがらし)の 洩り出づる小簾(こす)の扉(とぼそ)は 月さへ匂ふ夕暮

☆ すこぶる優艶な、閑吟集の編者には似合っても、「職人尽絵」世界とはちょっと縁の遠げな、王朝物語めく小唄です。
「木枯」は、名香の名で知られています。「木枯のもり」となると、その森の名が、静岡県下のふるい歌枕になっている。むろん薫き物をほめるだけでなく、 名香を薫きしめている当の貴人の、けはいのみして婆の見えぬ御簾(みす)の向うが奥ゆかしく、木枯の森に浮かぶ月さえも匂うて眺められる夕暮の風情よと、 幾重にも情緒をてんめんさせているのです。
九一番の「誰そよお軽忽(きょうこつ)」といった調子と、ずいぶんな違いに微笑まれます。
2021 4/13 232

☆ カアカア鴉に
先週の桜の写真、下手やなあと率直な感想。堪忍。狭い庭の樹木がひしめいている中で、構図も何もない撮り方で、ごめんなさい。
まだ満開を過ぎたあたり、咲き誇っています。
今日『ホビットの冒険』注文しました。数日中に届くと思います。娘の名前ですが、この頃買い物する時には娘のカード払いにし、ポイントをあげることにし ているからです。ネットで手軽に本を入手できるので、最近はあまり本屋にも出かけず、古本屋歩きの楽しみも忘れてしまいそうです。
夜遅くになって、やっと一人の時間。
鴉は既にお休みでしょうか? 取り急ぎまして。お休みなさい。
くれぐれもお身体ご自愛くだされ。そちらのワクチン接種はいつ頃でしょうか?   尾張の鳶

* 何度も 大作の文庫複数冊を送ってもらってきた。おかげで、本屋というところへ出向かず入らない私が、この、四半世紀のうちに、指折り数えて世界的な私未読の大作を、何度も、都合すれば数十冊それ以上も送って来てもらったのではないか。
本屋へも行かず、ネットとかでモノを買う手段も全然心得ていない、利用したことのない私は、尾張の鳶の好意に甘えてきた。ありがとうございます。おかげ で私の最愛読の三巻マキリップの『風の竪琴弾き』は、なんと英語版まで読み通した。日本語版は、訳者の脇明子さんから戴いていた。
さてさて『指輪物語』八巻、やがて何度目かを読了する。その「前編」に当たるらしき『ホビットの冒険』は何巻あるかしらん、映像ではもう観ているけれど、これはトールキンの世界的な名作小説、やはり「言葉の表現」を読みたい。

* 思えば、私の書庫に満ち溢れた本、単行または選集の小説本や詩歌本は、尽くというるほど、著者からの戴き本。手に重たい各方面の研究書も、すべて著者からじかに戴いている。
おう、こんなのがと思う、明治この方の大事典、辞典、和漢稀覯の珍冊はみな秦の祖父鶴吉の遺産。
わたしが自身の必要で買ってきたのは、大冊の歴史年表、『名月記』や「玉葉」のような公家日記、そして新編の大辞典・大事典・大地誌・地図のたぐい。そ れと、いつしかに溜まってきた美術の本とたくさんの大きな重い画集。文藝誌は残さない、雑誌は歴史もの、茶の湯もの、美学会誌だけ。
いま、それらを残すのか処分(廃棄)するのか、考えている。
秦建日子の現在の仕事柄からして、彼が欲しがりそうな本はほとんど無い、が、藤村、漱石、潤一郎、鏡花、柳田国男、折口信夫、辻邦生、加賀乙彦等々の全 集・選集その他、著名作家や批評家の業績本もたくさん戴いて在る。幾らかは建日子も欲しいと思うだろうか。朝日子のことは判断がつかず、考慮しない。
むしろ、両親からの血を事実わけもった、甥で、力有る文学作家の北沢恒が、もし必要で、大いに利用できる、手元に欲しい、という各種広範囲の辞典・事典・年表・地誌・古典・史書・漢籍などあれば、車を傭ってなり受け取りに来てくれるなら、現状、私の仕事に差し支えない限り、譲る。
私自身の著書や初出誌は 全書誌に挙げたように単行本だけで百冊を超えている。大冊の「秦 恒平選集」33巻完結、「湖(うみ)の本」はすでに150巻を超えている。初出誌となれば全部保管はしてあるが、呆れるほど膨大量。
私の本を蓄えて下さっている読者の方で、欠本分などご希望が有れば、どの本もいくらかずつ余裕があり(無いのも少しあるが)可能な限り差し上げたい。
これまでもときどき実行してきたが、東工大卒業生らのお子さんが読書年齢へ来ている。読書好きときけば、和洋の文庫本などを選んで上げてきた。ただし少 年少女の場合は、読書の「向き」をまちがうと無意味に近くなる。どんな向きのを読んでいるか親御さんから耳打ちして下されば、選べる。
私が愛読してきた日本の古典全集は大きな二種あがるが、他に、手も触れていない大きな全集に、「二十世紀世界文学全集」何十巻かがある。誰の何作が入っ ているのかも、覚えぬママ書架を埋めている。カフカが第一巻だったような。せめてリストにしておけば、欲しい方に差し上げられるのだが。これも古典全集 も、みな版元からの寄贈だった。自身の費用で買った書物は、書庫の中の5パーセントもあるかどうか。作家生活半世紀のこれもみなありがたい対価・報酬・親 交の賜なのであった。
いまは図書館も、書架に余裕がなくて「寄贈」を必ずしも歓迎ばかりはしない。ま、同じ事は個々の人によっても云える。私としては、現在から此の先々へ役立ててくれる若い世代や、とにもかくにも「読書人」「愛書家」といった友人読者らに委ね手渡せればと願っている。

* 送り出し前の、肩の凝る用意や心がけに疲れている。いっそ早く本が出来てくれれば、などと。堪え性もなくなっているのだろう。
歌集『少年前』を、高校の頃の歌帖を顧みに、機械に書写している。手入れはせず。それでも、ところどころに、現在での覚え書きを添えている。
今日は、いましがた、触れていた、昭和二十六年(一九五一)七月二十五日だと、日づけ鮮明、忽として家の表に立たれ、夏休み中の私を、大和薬師寺、唐招提寺へ連れて行って下さった中学時代の給田緑先生との、嬉しくもビックリもした遠足の短歌を読み返した。
歌は拙い、が、忘れがたい、なにもかも初の美の体験を想い出しほろほろと泣いた。その後の私の行く道が、あの夏の日、「母」とも慕った女先生との、言葉すくなな静かな遠足で、もう見えていたのだろう。
給田先生は、それは静かな、ことば美しい立派な歌人であられた。けれど、歌を、詠めよ創れよなどと決して強いられなかった。あれを読めこれを読めとも言いつけられなかった。いつも優しく観ていて下さった。
* 夕寝していた間に 早や 尾張の鳶さんとお嬢さんのはからいで、トールキンの『ホビットの冒険』が届いていた。早い! びっくり。大感謝。即 お礼のメール 飛んで行ってくれるといいが。
2021 4/13 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ ただ人には 馴れまじものぢや 馴れての後に 離るるるるるるるるが大 事ぢやるもの

☆ 馴れてしまうと離れづらくなる。「る」が八つもという例は、他本にもあります、調子づいているというより離れる辛さを強いて我慢しているのだと言っておきます。「大事ぢゃる」は「大事である」おおごとである、のつまった物言いです。

★ 塩屋の煙々よ 立つ姿までしほがまし

★ 潮にまようた 磯の細道

☆ 塩を焼く煙の立ちのぼるさままでが、塩じみひなびて見える。
その実は、女の立ち姿が「しほ」らしく、可憐に見えるのですね。
女の「しほ」とした風情に恋の細道へ迷いこんだよという寓意が、あとの小歌。表面は、潮の満ち干につい通いなれた磯の細道をまちがえたと謡っていますが。
2021 4/14 232

* 寺田英視さんの新著、文春新書『婆娑羅大名 佐々木道誉』を戴いた。
南北朝の頃から謂う中世の、「陽」の代表に此の佐々木道誉、「陰」のそれに山名宗全と見立てて、もうもう大昔に、小学館の『人物日本の歴史」に書いたことがある。
私には、いわば「母」國なる「湖」国近江に根ざした氏族であり、『みごもりの湖』の昔から地に着いた「佐々木」を念頭にはなさなかった。
幾むかしにもなろう「室町時代」は陰気な時代とされた歴史観も有った、が、わたくしは恩師岡見先生の「室町ごころ」という御説に教えられ導かれて、左右なく「陽気な中世」と観てとり、足利義満とならべて佐々木道誉を「時代の筆頭」に重く置いてきたのだった。
寺田さんの議論を傾聴したい。

☆ 好きな人物を
好きなやうに書きました 御笑覧戴ければ幸甚です 秋にはお目にかかれるのではないかと思つてをりますが 御自愛を祈り上げます 寺田生
2021 4/14 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 何となるみの果てやらん しほに寄り候(そろ)片し貝

☆ 粋な小歌ではありませんか。「なるみ」は歌枕の鳴海潟を 踏まえながら、どうなる「身の果て」へ意味を懸けていますね。「しほ」は原文は「塩」なンですが、意味は潮、そして女の「しほ」とした魅惑に懸けていま す。「片し貝」は、二枚貝の片割れ、半端、つまりは片恋のなる果てを身にしむ思いで嘆いた小歌です。身につまされます。
2021 4/15 232

☆ 『閑吟集 中世庶民の 孤心と恋愛の歌謡』 を 楽しまれませんか。
一九八二年十一月 NHKブックス 日本放送出版協会刊    秦 恒平著

☆  閑吟集  中世の陽気 そして夏が秋へ

★ 歌へや歌へや泡沫(うたかた)の あはれ昔の恋しさを 今も遊女の舟遊び 世を渡る ひとふしを 歌ひていざや遊ばん

☆ 往事渺茫の懐舊は、閑吟集編纂者の根深い心境です。底に「いつ忘れうぞ 寝乱れ髪の面影」というあの巻頭歌謡の嘆息が沈澱しています。それが「秋」の歌謡を読み進むにつれて、はっきりしてきたという感じは、なさいませんか。
「世を渡るひとふし」は、一節(ひとよ)ぶし即ち尺八による小歌のふしでもあるわけです。遊女が舟遊びをするのではない。遊女と、男が舟遊びをする。そこに遊女風情の尽きぬ哀しみがあるのを汲まねばなりません。
2021 4/16 232

* 『失楽園』の再読で、アダムの妻イーヴが悪魔サタンに陥され、神が厳重の禁断の木の実を食べてしまう最も肝要な、かつ身震いする凄い場面を、湧く恐怖と興奮を抑えて、慎重に、感銘と倶に読み終えた。神とサタン、女と男、基督教信仰の最重要な神話がミルトンのみごとな筆で描き尽くされている。シェクスピアの全作品とも優に匹敵する『失楽園』の再読は、がくがくと震えそうな興奮と畏れとを誘う。基督教の女性観ひいては女性蔑視の根源がここに露表し刻印されていると読まざるを得ないのか。基督者の方の教えを請いたい。
長編『失楽園』の冒頭は、神と天使たちと、悪魔と堕天使たちとの、全宇宙を舞台の壮烈な闘いのはてに、無残に敗北の悪魔サタン以下が世界の最低な果ての地獄世界に堕とされている。敗北者の頭領サタンは、何と科して神に復讐したい。そして単身、神が愛を込めて成された最新世界の人間を貶め堕しめんと忍び込む。これへ至る、天使ラファエルの物語といい、その壮麗と壮大な説話世界の深さは限りない美しさ。
そしてイーヴは、賢い蛇のからだへ潜り込んで近づいたサタンに籠絡され、神が禁断の智恵の木の実を貪り食ってしまう。凄い。もとより聖書の創世記に拠っての壮大詩編。ミルトンは、これを書いた時、視力を喪っていたという。
2021 4/16 232

* 西隣の住居不可の棟は、こっちの東に書庫を敷設したのとは異なり、階下も二階も雑然と書籍で溢れている。私自身の著書も数冊以上平均で積んであるので、少なくも大小とも数え切れないが、「湖(うみ)の本」の倉庫にもなってしまっていて、夥しい本の重量で、古い家屋がかえって「安定」しているのかもしれない。
そんな中から、初期基督教を聖書に応じた論攷したという本を東へ持ってきた。『失楽園』は、胸の詰まるほどのイヴとアダムとの背教場面がまさにもの凄い筆であざやかに書かれていて、どうしてもこの神話が初期基督教教会でどう教義として再構築されていったかを識りたくなった。
私自身は、まったく基督教に心を寄せていない、むしろ世界の人類史における基督教を手に掴んでおきたいだけ。むろんそこで顕著なアダムとイヴとがいどみあう男女の力関係、愛蔑のありかたにも関心がむかう。深くは、のちの「聖母マリア」理解へも繋がる。
ま、ゆっくり行こう。
2021 4/17 232

* それにしても、ミルトン『失楽園』の楽園(エデン)追放に至る堕罪そして神と御子の裁き、天使ミカエルのアダムに見せる人間たちの堕落のサマの凄まじさ、じつに偉大な表現力であるこことに感動する。いま八五老の私が、なんら基督者でない私が、かくも全身全霊でかんんとともにこの世界この神話に惹き入れられるとは。
2021 4/24 232

* 終日、寝入りもせず機械クンたちとの悪戦苦闘に悲鳴かつ完敗のにがい思いのまま、最後の最後まで「新機」に威されつづけて投げ出した。前途、容易ならず。

* そんな中でも私をふかく強く感動と感嘆に充ち満ちて捉えてくるのは、ミルトンの『失楽園』 いままさに楽園を追放される直前、神に遣わされた天使ミカエルは山高きにアダム一人を連れてのぼり、世界を見渡しつつこのさきに繰り広げられる人間世界の無残かつ散々の堕落と破滅へむかう図を、「ノア」の方舟に至るまで、なお先まで、ありありとアダムに見せる。此処へ至る、神とアダム、イヴと天使との「ことば」「態度」「信と愛」の的確に頭をさげつづけていた。すばらしい。すばらしい。
2021 4/25 232

* 軽微の食にも胃があれば「胃もたれ」と謂うたろう不快感に負けて寝入った。八時前、おかげでラクになり二階へ来た。もう、テレビのコロナ談義も「胃もたれ」するだけ。結句、読書へ嵌って行く。「荘子」雑篇 「史記列伝」 「中国史」 そして「失楽園」を深い感動と倶にもう読み上げるが、詳細な註も読む気。帯同して、岩波新書の「キリスト教」古代中世史に興味深く教わっている。
私はいわゆるクリスチャンでは全くないが、西欧世界の歴史を批判的に反芻する上で基督教批判ないし批評はとても欠かせないし、根底にあるつよい「女性蔑視」また失楽園神話絡みに今日にも尾をひいた「蛇」社会史・人間史、女性史からもとうてい眼が反らせないで居る。
トールキンの名作『ホビットの冒険』『指輪物語』も旺盛に読み進んで心惹かれている。
「湖(うみ)の本 151」として送りだしたばかりの『山縣有朋と成島柳北 この二人の明治維新』も著者なりの思いで読み返しておきたい、次へ次へ向かう為にも。
2021 4/30 232

* 正六時半に起きた。妻は寝入っていた。「マ・ア」に多めに「削り鰹」をわけてやった。この地域のある代議士の「読める」ちらしを、海外での烈しい危険な戦争に戦いた「体験」談を 読んだ。

* 戦争のおそろしさ、非人間的苛酷さは、「直接」の戦闘・戦場「体験者だけ」の共有では、ない。女子供たちの「銃後」の生活にもそれは「深刻」だったのだ、まして「敗戦後」の同朋すべてにその「惨禍はおよぶ」、むろん女子供にまで洩れなく及ぶ。
戦争反対の「直接体験者の談」には、時として「私は、われわれは」「あのとき」「あの場所」でという「特定と限局」とが強まる、が、「戦闘・戦争」だけでなく、「いわゆる戦後」の「敗戦国民」という「戦争体験の深刻さ」を棚上げに、「べつ事のように」「そっちのけ」に「忘れて」はならないのを、「日本と日本人」はよくよく知っている筈だ、忘れられかけ、ているが。
国と国との「戦争」は断乎いけない、「戦争をしては」いけない、さらには「仕掛けた・仕掛けられた」戦争に「負けた」「敗れた」苛酷さを「忘れ果てて」いてはいけない。
個々個別の直接戦争体験だけでなく、「国家・国土・国民」として「敗戦」し「他国の支配に絶対服従」の憂き目を「こそ」見てはならない、「戦争反対」とは「それ」でなければ、「個々人の思い出話」の域にとどまってしまいかねない。

* 私は「九歳半」で敗戦国児童となり、少年・青年・成年しつつ、「戦争に負けた」という「さまざま」を覚えた、ごく狭い範囲の一生活者、一人の男としてだが。
ことに敗戦直後の、占領軍に溢れ、兵士達が日本の女性を抱えて街通りにも、町なかにも、くらい路地うちにもイヤほどいたのを、「少年」の目を蔽うようにし日々「目に」していた。「敗戦の弁償」は女のからだと色香が引き受けるのかと子供心に情けなく思い至り、「こんな女にだれがした」の哀歌絶唱がちいさな肉身にしみついた。
「戦争」は、なにより、「してはならない。」
しかし「仕掛けられて負けては」悲惨なことになるとはよくよく心得ての「戦争反対」でなければ、反対の意味は半減ないし無意味に化してしまう。ただ観念での反対に陥ってゆく。
「戦火を浴びた体験、直接体験」を、忘れてはならない。
それとともに、それ以上に、「戦争に負け」て、国土と国民を他国と他国民に「支配される」という「敗戦体験とその意味」をこそしかと下敷きにした「戦争反対」でなければならぬ。上滑りのした「戦争反対」では観念論に流れて行く。
戦争に「勝てばいい」のでは断じて無い。断じて「負けてはならない」のであり、必要で大切なのは「あらゆる意味で」の「負けない備え」でなければならぬ。
少なくも、私の謂う「悪意の算術」たる「聡明で機敏の外交」に、國も国民も精力と決意と頭脳とを日頃傾けねばならぬ。
ああ、あのアレ・アキレた安倍といい、ズズ黒いガスで目づまりしたような菅政府といい、「金勘定という算術」にばかりバカ騒ぎしてきた。
今日只今からの菅政府ないし国会の「外交」が「悪意の算術」にシカと長けて、世界に通用してくれないと、もうほどなく吾が日本國と国民とは、有史來二度目の、一度目よりはるかに苛酷な敗戦国と陥り他国民の支配に地を這わねば済むまい。

* 最新刊「湖(うみ)の本 151」の 『山縣有朋と成島柳北 この二人の明治維新』には、こういう私の思いも添えて書きおろした作である。
2021 5/3 233

* 加えて、新進作家の川上弘美さんから、谷崎賞受賞お祝いに、松子夫人に戴いていた稀覯の美装本『春琴抄』を送って上げておいたのへ、気持ちのいい礼状が届いていた。
太宰賞を貰ったから太宰治ゆかりの稀覯本や品を捜し求めたわけでないので、かえって余計ごとかもと気にしていたが、喜んで涙までこぼして貰ったと知り、私も心嬉しく。
私の手元には松子夫人に頂戴した谷崎潤一郎先生ゆかりの美しい珍品があれこれと在り、それらを散逸させたくないなと願っているのだが。次の世代へまで、川上さん、預かってくれないかなあ、などと願っています。

* 『フアウスト』『失楽園』とも三度目をまことに嬉しく心はずんで読了し、ま、『史記列伝』『十八史略』『荘子』などの漢籍はゆるりと、また『ホビットの冒険』『指輪物語』はもういずれ読み上げてしまう、次を…と思案し、今度は近代の翻訳本の再読で行こう、と、グレアム・グリーん『愛の終わり』、イーディス・ウォートン『エイジ・オブ・イノセンス』それにアーシュラ・ル・グゥインの『辺境の惑星』『天のろくろ』を寝床わきへ持ち出してきた。小節というモノの書き出し方、創り方の作家による格別の異なりを楽しもうと。みな文庫本、字の小ささと、やつれとが辛いけれど、単行本は寝た姿勢では重すぎる。

* 何を右した、出来たという一日ではなかったが、何かしらしていた、出来たこともあつたような一日だった。
また明日だ。 八時過ぎ。
2021 5/6 233

* 前夜はもう十時前にも床にいた。日付の変わるまえに一度手洗いに立ったので、そのまま「指輪物語」のクライマックス、ついについに言語に絶した難歩行とサムの献身、フロドの覚悟とで、ついについに、魔の山の噴火口へ、魔の指輪を投げ入れ、そして魔の大鷲に救われて仲間達と再会するまでを、胸のつまるほどの感動で読み終えた。「王の生還」のこの最終冊はまだ先があるが、何と謂っても魔の指輪を業火のそこに葬り去ることこそ最大最終の永い苦しい旅であった。
偉業とも謂えたその魔の山場面を読み終えて、バファリンとリーゼを含み、幸いに夢見になやむことなく六時半にには(マコに起こされて)目覚めた。そのまま起きた。

* 重苦しいほど蓄えた疲労を引きずって歩くように、やすみやすみ原稿を作り続けては、崩れるように床についていた。ホビットの物語をはれやかに読み進めるうち仰向きに文庫本を両手に持ったまま寝入っていた。夜中か朝かと目覚めたら時計は三時、午後の昼中だった。
2021 5/7 233

* 床につくと、ネイルまでと、つい本へ手が出る。『指輪物語』はフロドとサムが最大の役務「魔の指輪焔焼」を果たしたあとの、「王の帰還」そして「旅の果て」へ大きく豊かに結ばれて行くのをゆっくりと読み進んでいる。なみの、小説らしき小説の小ささを破天荒にしかも表現美しく的確に打ち超えている。『失楽園』『フアウスト』に優に列んでヒケをとらない傑作だ。
2021 5/8 233

* 夕食後に、『指輪物語』文庫本九冊の大長編、三度目を読了した。最期は、いわば悲願へと船出でして去って行くバビンズ、フロドまたガンダルフやエルフ達を、サムはじめピピン、メリーらとともに胸せまって寂しく見送った。
順序は逆になったが、これから前篇に当たるやはり長編『ホビット(バビンズ)の冒険』を読む。映画では繰り返し観てきたのでよく識ってはいるが、作者トールキンは映像を「超えて」読ませる作者である。
2021 5/14 233

* 稲垣真美さんの編輯主幹で文藝雑誌「新・新思潮」が発足し、巻頭に、稲垣さんのおもいきり自在な長編の「美の教室界隈」が発表されているのを頂戴した。めったにないこと、わたしは昨夜、三時間の余もかけて一気に読み遂せた。作の批評とは大きく逸れるが、二重の関心から引き込まれた、いや私から作世界へもぐりこんだ。
一つは稲垣さんという、たぶんお目に掛かったこともないだろう方への個人的な関心、それとも重なり合うてくるのだが、作に書かれてあるのが美学藝術学の大學風景で、カントだヘーゲルだ、自然だ藝術だ、美だ、それらの演習だ等々とあっては、それもかなりに的に触れた議論や学習や書籍などが何の衒いもなくごく当たり前に語られ書かれている、それではまるで昔の「私」ではないか、私は京都の同志社大学で文学部文化学科の「美学藝術学」専攻学生だった背し、一年で東京へ奔ったものの大学院でも「演習」の原著を読んでいた。結果的には美と藝術の「學」なるものに飽きたらず私は自身創作の世界へ意欲と意志とで脱走したのだった、同学の妻とともに。
稲垣さん作の現に「美の教室」は東京の旧制高等学校であるらしかったが、ご自身はどうも京都大学の美学藝術学専攻生であったかに読める。「木島先生」なる教授らしきは、どうも、私もならったことのある「井島勉」としか思われない、そして京大と同志社の美学藝術學専攻同士の親睦にも御所の運動場で野球かソフトボールの試合をした覚えもある。作者の稲垣さんはしかし敗戦間際の兵役
にもつかれたようで、少なくも十歳ほどはお歳嵩に想われる、それがまた私の気を惹くのだった。
私の育った秦の家は京都の知恩院下に門前通りにあった。中之町の東ぎわにあり、東へすぐお隣からは梅本町だったが、実はその梅本町に、私の家から五十メートルとない東向かいに「稲垣さん」と、おとなのだれもが「さん」づけで呼んでいるシッカリした一軒があり、そこには京大生のお兄さんがいた、らしいと子供こごろにも覚えていた、ただしラジオ・電器屋の我が家とシッカリしたしもた屋の稲垣家とには何の縁もなかった。
それだけなのだが、稲垣真美さんは本を送るといつも受け取ったと挨拶してくださる。今度の、山縣有朋と成島柳北」へも、鳩居堂製の「稲垣眞美用箋」に、ていねいなお手紙を貰っていて、「三つからは加茂川畔に育ち、粂川光樹の京都一中では先輩、大体二十ぐらいまで京都(深草の聯隊にも入りましたので)、あとの七十五年の大部分は東京ですが」と書かれてあり、ま、かりに新門前であっても「加茂川畔」と私でも、云えば云うだろう。すこし年配だった粂川光樹は亡くなったが、なんと「医学書院」に同年に入社し、きれいな奥さんと結婚して彼は早めに退社、フェリス女学院の先生から明治学院大の教授になったいた。わたくしは在社十年で太宰賞作家に身を変えて仕事の山を積んできた。稲垣さんは粂川君から私について何等か聴いておられたのかも知れない、が、私にはどうも「梅本町」の稲垣さんちの「京大生のお兄さん」が気に掛かっていたし親しみを覚えていた。
そして、雑誌「新・新思潮」創刊の巻頭での「美学・藝術学」ときてカントの「判断力批判」の「ヘーゲル美学」のと現れ出ては面食らった。「ヘーゲル美学」の翻訳という仕事が稲垣さん作の終盤でのっぴきならない話題になっているが、わたしと妻とは大學のころ「ヘーゲル美学」の訳本を輪読討論までしていたし、その本はいまも書庫におさまっている。いまでは笑い話に属するが妻の卒論はなんとカントの「判断力批判」に食いつくシロモノでもあったのだ。
稲垣眞美さんにこんど頂戴したお手紙は、大事に記念したい。

☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 151 山縣有朋成島柳北」 全頁拝読致しました。
京にては無鄰庵、東京では足を伸ばせば椿山荘、それに必要あって鷗外全集を繰れば山縣有朋表裏の条一杯出て参ります。
それと荷風の好きそうな成島柳北との取合わせ、ともにお祖父様の蔵書にありましたとのご因縁が由来、そして大逆事件、二・二六の怨念忘れまじとのご真意まで、心深く拝承致しました。有り難うございました。
小生も、八幡に生まれ、三つからは加茂川畔に育ち、粂川光樹の京都一中では先輩、大体二十ぐらいまで京都(深草の聯隊にも入りましたので)、あとの七十五年の大部分は東京ですが、親父は尾張ながら、母方は大板の宇佐と、それに何と長州萩の血まで入っています。 戦争と軍人は大嫌いでしたと胸を張って言えるのですが、山縣有朋、森鷗外しなるともはや何とも言えません。そこの処、西郷隆盛、依田學海、上村松園までからめて、まことに細密によくぞ纏められたと敬服致しました。
たまたま私この度『新 新思潮』を発刊。誤植多く恐縮の限りですが、多年の御礼に同封致します。ご笑覧下され度  匆々
二○二一年五月一日    稲垣真美

* 私よりご年配と感じていたが、敗戦の日に私は国民学校四年生の九歳半、熊谷さんは兵役の早々から脱しておられる。一世代はちがい、九十五六歳か。「新 新思潮」創刊と長篇の巻頭作、ますます御健勝でありますように。まこと久々に「美学藝術学専攻」などということを想い出させてもらいました。
2021 5/19 233

* 九時になる。もう 視力は霞みきっている。
それでも床について、ブルーライトでない明かりでだと、まだ読める。ウォートンの「エイジ オブ イノセンス」は、筆致には感心しないが、人間の批評としてはオソロシイほど面白い。凄みがある。『ホビットの冒険』の方が優れている。私が、いま、熱心に興味深く読んでいるのは「キリスト教の歴史」 私は基督教への信心は無いが、その歴史は「世界」史への関心や理解のためには必須と思うから。
2021 5/20 233

* 今日の病院は、診察等には何の問題もなかったが。帰りに、なにか美味い者を食べて帰れぬかと思いつつ思い返したくもないへたな大失敗で、落胆、へとへとに疲れて帰ってきた。5000歩ほど歩いたらしい。
それでも幸いなことに、つかみ取りで持ち出した角田文衛先生のほんが面白くて、これには大いに心惹かれ楽しんで、まだ読める先がある。よくよく「歴史」の本が好きなんだと自覚する。
2021 5/24 233

* しかし、よほど疲労したとみえ、掌も、あしの裏も、棒でも差し込んだように捻れて痛い。目は霞みきっている。それでも「T」博士(角田文衛先生に私の作へご登場願う時には、こうお呼びしていた。目崎徳衛先生は「M」教授と。)の本は面白すぎるほど面白く、しかも碩学、そこに意図したウソにど全くないと信頼できるので安心仕切って乗っていけるのが有り難い。先生の本を持ってなかったら、わたしは途中の何処かでへたばり、失神して居かねなかった。

* しあわせことに、いま、もう一冊 「キリスト教親講」が、またくの再読なのに(よほど年を距ててか)新鮮に面白くアタマに入ってくれる。同じことが角田先生の本にも言える。なにしろ私の読んだ本は朱線や黒線で溢れているので、すでに少なくも一度は読んでいたと確認できる。「いい本」は、新鮮に繰り返し返し読ませてくれる、だからこそ「本」なのだ。

* 宵のうち読書の流れで寝入り、十一時まで寝ていた。疲れれば寝るに限る。
2021 5/24 233

* 昨夜は疲れを抱えたまま床について、それでも平安時代史もの、基督教講話、そして『ホビットの冒険』を読み耽り、一時にはなっていた。夜中二度三度手洗いに立ち、正八時に目覚めて起きた。ほぼ夜着のママで居てやや肌寒く、さっきから戴いた膝掛けを柔かに肩と背におおっている。
2021 5/25 233

* 三度もからだ揺らつき、いちどは柱へ軽くだがアタマを当てた。夕食後に床で角田先生の本のおもしろさに惹かれたまま、九時まで寝入った。幸い、すべきは大方し終えてあり、もうすこし宛先住所を確かめたいのが数人分。
しいて観たいテレビもなく、また本を読んで読んで、読み読み寝入っていい。
2021 5/25 233

* 基督教の講話は、神学の久しい歴史を書き換えた昭和も戦中戦後に花火のように栄えた「バルト神学」もおちつき、一冊の収束に到っている。角田文衛先生の、これは巧緻と探索に充ち満ちて小説の面白さを凌ぐ一冊にも、浮き浮きと惹き込まれている。すごみすら感じている。今夜もこの二冊へ帰って行こう。そして「ホビット」ビルボ・パビンズの冒険へ夢を追って。
2021 5/26 233

* 由木康さんの『キリスト教新講 イエスから現代神学へ』を 興味深く熟読した。新約も旧訳もみな一読はしているが、知的な通過儀礼としてしか読まなかった。新約聖書を、ことにパウロを読み返したい。マリア関連の本はかなりの数読んできた。基督教の女性観・女性論が識りたくて。ミルトンの『失楽園」もその方面の観測を心がけていた。
ビックリしたが、ほんの手近に黒い手製の紙カバーをかけた文庫本大の手帳があって、それは実の父のモチモノだったし、殆ど手に触れたこともないまま遠ざけてもなかったのを、何気なく手にしてみると、日本聖書教会からの新約聖書に、父が手づから黒の紙カバーを付けていたのだった。それのみか、表の表紙裏には、「熱愛を受けし祖母の負托を憶ひて」と父・吉岡恒自筆が読み取れ、左の見開きには、

私の過去は凡て誤りでありました
心から神の前にざんげ致します
今後は
一、常に神に導かれていることを信じます
一、常に正しい道を歩むことを信じます
一、神が道なきところにも常に道を作ることを信じます
神と共にあればすべてのこと可能なり
一九五六、四、二一、       吉岡恒の朱丸印

父の死後に異母妹たちが大きな荷にして送ってきた父遺品の中に入っていたのだ、記憶はあった。初めて手にしたそのときも、今も、こと「信仰」という意味では特段感銘しなかったが、「こういう人」で私の実父があったことは否みようがなかった、それより感心したのは筆蹟の謹厳に美しいことだった。私は悪筆、実父母を共にする亡き兄北澤恒彦の悪筆となるとさらにじつに甚だしかった。

* 要は、あらためて読もうと思った「新約聖書」が片手延ばせば届く棚に立っていたのだ。そうかそうかという気分。
上の一九五六年、四月とは、昭和三十一年に当たって私は大學二年生になったばかり、実父のことは片端もアタマになかった。
しかこの聖書、手触りの柔らかな文庫大で、字はおそらく「7」ポより大きくはない、目には堪えるが綺麗に印刷できている。ゆっくり読んで行きたい、ただし私は基督者にはならないだろう。母の異う二人の妹は、ことに下の妹一家は熱心なクリスチャンで、父にも入信・信仰をつよく勧めていたと聞いている。
2021 5/27 233

* 新約聖書は「使徒行傳」から読み始め、強烈に心打たれている。あらゆる既往の文藝よりも力に充ち満ちて厳粛に胸打たれる。言葉に霊が充ち満ちて感じられる。
2021 5/29 233

* 「使徒行傳」の行文に、粛然とする。言葉が炎を上げてしかも凛然と。翻訳のちからとも思うが、元始の魂が「ことば」に化していると読む。
グレアム・グリーンの「愛の終わり」は三、四度めになるが、惹き込まれて行く。
2021 5/30 233

* はやめの夕食後、映画「フィラデルフィア」を観さして床に就き、最近に何処かの抽斗からみつけた、笠原芳光さんの長い講演録『ブッダとしてのイエス』を一気に読み通した。笠原さんは京都精華大学で教授をされていた。わたくしも二、三度はなにかしらご縁があった記憶がある、が、大正末か昭和極初の生まれで私より一世代先輩だったようだ。
禅宗の宗や関係者に向けての講演で、難儀なところ無くむしろ明快に、読み終えてみると明快に過ぎたほど論点が上手な二色の具の握り飯のように「うまく」語られていた。こういう論法は、対照的な色違いの二つを入り混じりに論じる時に遣いよい一種「便法」のような「としての」論述であった。
イエスにしてもゴータマブッダにしても混ぜて一つになる存在とは思いにくい。イエスには達成の酔うが無く「神」の右に座があり、ブッダは「神」に相当のモノを心身から無にした達成があるのでは。

* 読みすすめている聖書の「使徒行傳」に受ける謂わば「気飛沫」(気しぶき)には分かる分からぬに過ぎて押してくる「ちから」を感じる。文藝としてのそれを超えている。

* 笠原講演を読み終え、そのまま七時半すぎまで宵寝に落ちていた。寝られるなら、心やすく寝ればいい、何を心急くことも無い。
2021 5/30 233

* 書庫へ入って、棚を空ける必要がどうしてもあり、三段分の本を「始末本」に選りだした。専門書でも、もうとても手が出せまいと想われる領分の本は、大方が頂戴本なのだが、惜しみながら処分(殆どはしっかりした図書館に送る)と決めた。八五老に免じてと本にも謝った。
2021 5/31 233

☆ 天の助けを受ける者を天の子と呼ぶ。天の子は、学ぶことによって学ぶのではない。行うことによって行うのでもない。論ずもことによって論ずるのでもない。
理解し得なくなったところで理解を停止させるのは、最高の智恵と謂うべきである。それを行い得ない者は、天のろくろの上で破滅の憂き目にあう。 (荘子)

* この、『ゲド戦記』などの作家、アーシュラ・ル・グゥインの理解した「天のろくろ」は荘子の原語では「天鈞」であり、「鈞」は「ひとしい」の意義であるが、「天鈞」とは、絶対に「狂い」のない「依怙」のない「はかり」「天のはかり」と私は釈している。「天鈞」に逸れた学舎行いや論議に囚われていては危ない、勝手な「理解」に自足していては「天鈞」という「はかり」の上で混乱し破滅するぞと荘子は笑って威嚇している。こういう理解を開陳する此の私もまた智恵が無い。「理解し得なくなったところで理解を停止させるのが、最高の智恵」とは、何と、すばらしい。
2021 6/1 234

* 秦の祖父鶴吉の蔵書に、とても私の手に負えない手沢本一冊があり、歌集とも句集ともなく、筆蹟はなやかにうるわしく書かれた歌謡の集と見えていた。で、秋成研究の第一人者、東大の学生であられた頃から昵懇久しい長島弘明さん(東大名誉教授、現二松学舎大教授)に送った。今日、懇篤のお手紙を戴いた。おうと声の出たほど、懇切明快のご教示であった。いと、嬉しく。いと、嬉しく。

* もう一つ嬉しいのが、プリンターとともにこれもアウトかと危ぶんで使えないで来たコピー機も、プリンター同様にちゃんと用を果たして呉れた。長島さんのお手紙も此の機械クンへ書き写すことが出来た。感謝感謝。
こんなふうに、インターネットの方もカム・バックして呉れませんか。

☆ お送りいただいた御本について
拝啓

その後、長らくご無沙汰しております。
秦恒平選集と湖の本をいつもお送り賜り、まことにありがとうございます。
雑事にかまけて、御礼も申し上げぬまま、失礼を重ねておりますこと、ご海容のほどお願い申し上げます。

過日、ご懇書とともに、冊子一冊をお送りいただきました。
どのようなものかというご下問かと存じましたので、細かいことはわからない所が多いのですが、ごく大雑把に記させていただきます。
私は歌謡の知識もあまりなく、明治にも詳しくないので、大間違いしている場合もあるかもしれませんが、それはお許し下さい。

この本は、恐らく明治にはやった七・七・七・五の都々逸の、愛好者社中の作品をまとめたものかと思います。
潮来節くいたこぶし)・よしこの節から出た都々逸は、もともとは主に男女の恋愛の仲を謳う内容ですが、七・七・七・五の形式で、男女の仲以外の色々なものを謳うようになります。
この本の都々逸も、男女の情の作もあり、それ以外のものもあります。
なお都々逸については、
元甲南女子大の菊池真一さんが色々な論考を書いていますので、次をご参照下さい。
http://www.kikuchi2・com/dodo/index・html

この本、
最初の方に「兼題」とありますから、
予め題を出して、各自作った都々逸作品を会合に持ち寄るか、あるいは宗匠(最初の所に名前のある「僖月舎 薫」か)のところに送ったものでしょう。
これは、それを多分宗匠が評点を付け、一位から五十位までざっと順位を決めた上で清書したもの。原則として、後ろに行くほど順位が高い(巻頭句と、最巻末に追加された「追章」は少し別扱い)。
一番後ろ(絵巻軸)、「逸」とある蟇山人の「雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで」が最高点でしょうか。
順位は、後ろに行くほど高いと言っても、ニ十位台、三十位台、四十位台は、十作-からげで、細かく分けていませんね。
それから、各作の右上に押してある朱印は、 俳諧の例と考え合わせてみれば、恐らく点印でしょう。社中の人なら、どの朱印が何点とわかるはずです。

裏表紙の内側に、お祖父様の秦鶴吉さんが
「明治四拾年五月求之」と記しておられるので、恐らく都々逸愛好家でいらっしやつたお祖父様が、古書店などで購入されたものでしょう。

以下、巻頭の序文と兼題、最初の方の作品の二つほど、また巻末の作品三つほどを翻刻しておきます。
わかりやすいように濁点を加え、各句の間は一字空白にしておきました。

(兼題)
千世経べき 松の翠の とことはに 豊坂のぼる 朝日社の みやびの嶺に  栞して 情けの海に 棹さして 此なさけ謌の あつめにぞ 根ざせし種を 言の葉の 三葉四葉と 七年を ことほぐまとひの 末永く 楽しき春の 曙の 霞に匂ふ 花になづらへ 香ほり気高く 秀でたる すさぴの数を ゑりあはし 拙きわざも をのづから あたひ/ \の 玉やならなむ
明治三十六年二月
僖月舎 薫    印(「僖月舎」) 印(「薫之印」)
兼題
旭浪に輝
花の笑顔
卯に寄る恋
降らぬ雪を恨む
日月火水木金土、ニ字以上結び

家のかぜまで 輝く御世の 浪もはるかに 朝日の出   洋月

むねのほむらの 飛火野過ぎて 角(つ)のもおとした 春の鹿 玉骨

(巻末)
(軸)雪もふらねば 待人も來ず 恨み痩寝に ひゞく鐘    壺中

(逸)雪はおもひの 望みに降らず 逢い足りながらも 物足らで  蟇山人

(追章)雪は降らぬと 暁(あかつ)き寒ゐ 言葉も恨めし 別れ際  跡丹

おかげさまで、東大定年後は二松学舎大で、何とかオンライン授業をこなしています。
会議で大学に呼びつけられ、基礎疾患持ちとしてはいやいや出校していますが、仕方ありません。
今住んでいるところは田舎で、ワクチンを打ち終わるのは、このままでは9月未になりそうです。
こんな所にも地域格差があることを実感しました。
秦様も奥様も、どうぞくれぐれもご自愛を。
五月二十六日 長島 弘明
秦 恒平 様

追啓 なお、本書はお祖父様の手沢本という貴重な物で、私はコピーをこれからとり、原本は近日中に郵送でご返却致します。
長 島  弘 明
NAGASHIMAHiroaki
(メールアドレスが変更になりました)

* もう一通戴いていた。察するに 前のメール便は私の機械故障で戻っていたと想われる。

☆ 拝復  過日はメールで失礼致しました。
大切な御祖父サマの手沢本を御返却申し上げます。雑事のため、返送が遅くなりました、ご容赦下さい。
明治には、俳句以外にも、多様な韻文創作の楽しみがありました。うらやましいことてす。
念のため、先日のメールを印字したものを、同封致しました。コピーをとらせて頂きましたので、又、何かありましたらお訊ね下さい。
電車に乗ることも極力避けています。
どうぞこのコロナを乗り切って、お健やかにお過ごし下さいますよう   敬具
五月晦日              長島 弘明
秦 恒平 様

* 有り難う存じます。 お人柄が いかにも懐かしい。

* それにしても 都々逸会とはおもしろい。有り難いご教示、いろいろと胸に落ちた。感謝感謝。
2021 6/1 234

☆ 長島弘明様
深甚のご厚意で 思いがけぬ勉強が出来ました 嬉しく 有り難く 御礼申上げます。
私の 二十年も使用し続け「奇跡」と謂われる古機械の、ついにネット機能損失という事故に遭い お手数を更に煩わせました。 ご免なさい。ご親切 身に沁みました。
秦の祖父は 明治二年に生まれ 昭和の敗戦直後に亡くなりました。 無口な人で 言葉を交わした記憶も無いほど もらひ子のちっちゃな私は ただ「こわいお祖父ちゃん」と思っていましたが 本を読むなどは極道と口癖の父とはまったくちがい たいへんな蔵書家でした。 古典 漢籍 史書 詩集 事典 字書 啓蒙書等々 国民学校の初等期から私には 宝の山でした。祖父は 勝手次第に本に触れていても 一言も否やを謂いませんでした。私どもが 東京へ移り住みます時にも 他の何より 祖父の蔵書を荷物に加えました。「湖(うみ)の本」にもなりました 山縣有朋の『椿山集』も 成島柳北の『柳北全集』も 参照した 各種明治の事典・寶典類も みな祖父からの有難い遺産でした。 そんななかで 音をあげた一冊を送りまして ご示教を仰いだという次第ですか むろん本は 長島さんご身辺にさしあげて ご論攷の一編にもなれば 本も祖父も喜ぶのではと実は願っておりました。ご返送のお手間を懸けさせましたのは 私として 行き届かぬ事で 申し訳なく思っております。
「秋成學」に大きな大きな足跡を残され なお積み重ねられている長島さんには なに珍らかでもない 「加茂真淵講義」の『古今和歌集講義』本に 秋成が関わっていますようで そんな「上下巻」が 傷み本ですが 残っていました。 お弟子さんにでも譲って上げて下さればと。 長島さんが 頼山陽に無縁であるわけ無いでしょうが 頼山陽口授の『評本文章軌範』七部三冊 『日本外史論文講義 全』一冊 さらに 今や珍しい 頼山陽先生編選『「謝選拾遺講義』上下二巻が 書庫に死蔵されていました。
もはや どれも もう私には 手を出す余命の無い本なので というのは失礼に過ぎますが 長島さんに みな 献呈し しかるべくご処置願いとう存じます。すこしでもお役に立てば嬉しく さもなくは若い学究に貰って頂けると 本も祖父も 喜びましょう。
私は 「へんな子」と謂われつけて育ちましたが 祖父の本の中の 『通俗日本外史』と『神皇正統記』を朗読するのが楽しみで それらが のちのちまで私の文章にも 歴史好きにも余翳を残した気がしております。かえってご無礼を恐れながら 古本を 御受納くださらば 何かしら 大いに ほっとさせて頂けます。お笑い下さりご勘弁下さい。
コロナ禍 決して決してご油断無く 日々 お大切にお過ごしありますよう。
令和三年 六月二日     秦 恒平
2021 6/2 234

* 長島弘明さんに、秋成 賀茂真淵 頼山陽らの関わっていた書冊を謹んで呈送した。処分してしまうには惜しまれた。
2021 6/3 234

* 「湖(うみ)の本 151」 の残本を書庫へ入れ、これはぜひ何方か和歌史研究者に差し上げたい何冊かを家の方へ持ち出した。ついでのようだが、ちょうど今、最関心事の一つに触れた信太周先生の論攷一編を発見し ほくほくと持ち出した。
また森田草平訳の大長篇、ドストエフスキー『悪霊』の「一冊本」という珍冊を見つけ、久々に読みたくなった。トルストイの『戦争と平和』と対峙を意識していたと謂われる代表作であり、本の手に重いのが難ではあるがちょっと身震いがする。
森田草平は夏目漱石の門下生であり、しかも、あの平塚雷鳥との「心中未遂行」で浮名を流したそれを新聞小説にして大いに売った有名なご仁である。
2021 6/3 234

* 書庫から、むし萩谷朴さんに戴いた『歴史365日 今日はどんな日』というのを持ってきた。
今日 六月三日は
一一八○ 治承四年  福原遷都
一八五三 嘉永六年 ペリー来航
など いろいろ有る。「本」もいろいろ有るものだ。ときどき眺めて一息付けそうな本です。
2021 6/3 234

* 今日は雨、いちにち冷えると。梅雨の入りかも。

* メール往来無く、いかにも孤立。それもよし、また、不便。じっとガマンするしかない。浮き世の人づきあいは鎖じられても、文字や映像を介しての「世界」は広い。
いま「宗良親王」といい『宗良親王全集』といっても通じまい、僅かな人が「護良親王」を想起して南朝、後醍醐天皇の…と想いいたるかどうか。
その宗良親王の、まさしく千頁、黒河内谷右衛編著の「全集」が此処にある。数十年昔に出版した甲陽書房主の石井計記さんが「謹呈」してくれた。書庫の奥に鎮座のママほとんど観たこともなかったが、この親王、南朝の天皇、親王方、忠臣らがほぼ尽く死去の跡に遺って北朝との戦闘また折衝にご苦労された。しかもこの大冊のほとんどを占める内容は忘れがたいまで清楚な中世「和歌」なのである。死闘をかさねて吉野ならぬ諸国を転戦、放浪されての和歌集であり、世界はあくまで花鳥風月への哀情。
いまこの本をよろこんで貰ってくれる誰一人も(和歌史家でもなくは)無いだろう。刊行の当時に「二万円」の定価が付けてある。過剰な再三とは思われない。
第一部の作品編は大半が和歌集である、「李花集」「信太杜 宗良親王千首」「新葉和歌集」。次いで「史料編」「伝記編」そして村松剛氏が解説ふうの跋にかえて親王を「論」じている。更に「年譜」文献」「索引」がついている。編著としては完備していて、しかもいかにも孤独にさびしくも「吉野朝・南朝」の運命とともに最期まで孤独に尽くされた。南北朝時代に触れて北畠親房の『神皇正統記』などとは別趣の証言であり、足利・室町時代へ歴史の動く最期の南朝側証言者なのである。古書の山なかで虚しく朽ちていい本でない。ことに「新葉和歌集」は良本のなかったのを苦心して信ずるに足る一書を得て伊勢を歴戦彷徨のさなかに詳細に整えられた良本に成っている。
後醍醐天皇の皇子としては、楠木正成らと気息をあわせ勇戦しつづけついに鎌倉で北条氏に殺された護良親王が名高いが、そのごは、ほとんど余儀ないながれのなかで南朝陣営の芯に立って日本中を転戦・彷徨したのが宗良親王だった。三種の神器を北朝朝廷にゆずって南北統一の衝に当たられた南朝最期の親王さんであった。

* こういう本にも一度目を向けてしまうと、目が放せない、が、私の余命はなかなかそれを赦すまい。不幸にして私の視野の内に、若々しく歴史へ向学・好学の若い人がらくには見あたらない。
2021 6/4 234

* 体調悪しく、寝入りたくも、眠れず、重苦しく疲れている。ヤケを起こしていい時機でなく、文字通りに凝然(ジッ)としてるしかない。さしあたり、初校ゲラを懸命に慎重に「読む」よりない。

* と云いつつ、いまいまこころ惹かれている一の仕事、またや「異本平家」に繋がる題材と関連の文献を手にしていた。、元神戸大学教授の太周さんに、一九九一ないし二年頃戴いていた「国語年誌」掲載の論考を読み始め、あ、これは外れかと落胆しかけてたのが、ぐっとわが関心事に触れ合うてきて、ホイホイと声が出た。あとは、心して新ためて読むことに。五時になる。

* 夕食もすすまず、煎茶が旨かった。

* 七時半を過ぎた、機械クンはやすませ、階下で、床で、校正する。
2021 6/4 234

* 字を読み続けられるように、視力を労りながら「読書」も、むしろ励みたい。ドストエウスキイの『悪霊』 スタンダールの『赤と黒』 というデッカい本が控えている。「新約聖書」もぜひ読み通したい。書庫に入るつど、柳田国男と折口信夫の「全集」をまた読み返したいとなと思うのだが。
2021 6/6 234

* 松子奥さんにに戴いた、奥さん編の『谷崎潤一郎の書』と題した美麗特装本を、川上弘美さんへ呈上し、本の今後を預けた。どんなに良いモノでも、持主の身に異常がおきれば塵芥同然に陥りかねない、「良い」と思い愛着してきたものほど、しかとした人手へ委ねたい。
2021 6/7 234

* 伊藤鶴松著『歌舞伎と近代劇概論』という、京都の下長者町にあった文献書院からの本が、昔むかしから、幼かった私のほぼ手の届く範囲にいつも実在した。秦の祖父や父が手にしていたのは一度も見ていない、手にするのは小学校、中学生の私だけだった。難しそうな「序説」や「内外演劇史概観」などは、また「近代劇概論」や世界の「現代自然主義作家と其思想」などはハナから敬遠したが、それでも「近代劇の先駆イブセンと其思想」「『人形の家』と近代婦人問題」とある章へは果敢に踏み込んでいた。が、何というても関心も興味も「歌舞伎」にあった。「近松の劇と人生」「近松以降の浄瑠璃作者と其代表作」「近世期の江戸脚本作者と其代表作」「江戸歌舞伎の集大成者河竹黙阿弥」の各章には、さまざまに代表的な歌舞伎劇のあらすじやなセリフ等々を含めて、私は実の舞台に接するまでにたくさんな歌舞伎知識を手に入れていた。南座の顔見世を初めて観せてもらえたのは高校に入ってからだった。期末試験の予習もしながらの師走顔見世、最初に出逢ったのは初世中村吉右衛門とまだ福助だった後の中村歌右衛門との「籠釣瓶」が印象的だった。のちの中村勘三郎がまた「もしほ」、のちの松本幸四郎(初世白鸚)がまだ市川染五郎の時代だった。だが、高校以前に私はこの『歌舞伎と近代劇概論』と親しみ、有名な芝居のあらすじはかなりの数、覚えていた。

* 本は、大正十三年師走半ばに刊行されていて、祖父は明治二年、父は明治三十一年生まれだからどっちが読んでいても不思議はないが、祖父は莫大に堅い堅い本の蔵書家だったが父が読書の姿は見覚えがない。祖父の家業はいわゆる「お餅屋さん」京風には「かき餅屋さん」だったそうで、南座へ卸していたりしたという。そういえば父は、若い時分に松嶋屋(片岡仁左衛門)の筋から弟子にと、実否はしらない、声がかかったなど耳にしたことがある。若い頃の写真を見ると父は、和服でも洋服でも軍服でも男前だった。

* 昨今の単行本の巻末に、著者と関わりない書籍の広告が入る例は少ないないし稀であるが、明治大正の本はそうでなく、しかも今今の目にはその広告が面白いとは前にも述懐した。この『歌舞伎と近代劇概論』なる堅い本の巻末にも三頁分(少ない方だ)広告があり、本の主題からして関連の濃い、一頁めには近松以降の戯曲、劇、脚本等著作の広告、二頁めにはラム原著全訳の『セキスピヤ劇二十篇が「新刊」として広告されている。歌舞伎や演劇の本として、ごく尋常、何の逸脱もない。そして三頁めには、中等学術協会編なる『明治文學選釈』成る一冊が広告されていて、おうおうと声が出る。「中等学校上級生の自修書、又上級學校入学志望者の準備書」と売り言葉があり、「内容大要」としてあるのへ、末代の一作家として目が向く。
「評論文」として、樗牛、作太郎、天随、子規、粱川、祝、逍遙、露伴、蘇峰、知泉、毅、有朋「等の作」と揚げてある。識らない名が一二まじり、「毅」「有朋」は政治家、軍人ではないのか。「作太郎」は国文学、天随は漢学の学者、今日にも聞こえて「文学」の人としては樗牛、子規、逍遙、露伴か。
では「参考文」としては、逍遙、粱川、作太郎、八束、潮風、鐵腸、樗牛、桂月、麗水、泣菫、二葉亭、露伴「等の作」と揚げてある。詩人もありジャーナリストもある。近代文学史の筆頭と聞こえた二葉亭が顔を出しているが、藤村も漱石もまだ現れない。次いで「参考・趣味」として挙がっているのが、露伴、作太郎、漱石、樗牛、虚子、蘆花、藤村、荷風、独歩、鏡花、武郎、節「等の作」と列んでいる。
いないなあと思う、一葉、鴎外、紅葉、茂吉、晶子など。直哉も潤一郎も、芥川もまだ若いのか。
昔昔の本の巻末広告は、ときに切り口を光らせて意外に批評的な時世の推移を頷かせてくれるのです。

* 八時を廻っている。今日は、これでも、いろいろと、しました、つもり。階下では、レオン・ブルムの『結婚について』もう少しで読めてしまう。『使徒行傳』にも惹き込まれている。
そういえば夜前夜中のことか、二階廊下の「文庫本書架」の一つが廊下へ倒れていた。「マ・ア」らが疾走跳躍して蹴倒したか、それならば怪我が無くてよかった。
2021 6/7 234

* このところ大きな重い一冊本でドストエフスキーの『悪霊』 スタンダールの『赤と黒』を読み返していて、予期していた以上に面白く惹き込まれている。一つには森田草平、また大岡昇平という「作家」の日本語訳が生きているのだろう。とにかくも惹きこまれている。近代の西欧小説へじつに中高生時代以降の久しぶりの回帰感覚でいる。
じつは書庫に、カフカに始まる数十冊の二十世紀世界文学全種が手つかずで温存もいや放置感覚で埃を吸っている。これは読まないともったいないと思いつつ、さ、いつ手が出せるのか分からない。ぜひ欲しいというひとには揃えてさしあげてもいい。
いまひとつ、新約聖書の「使徒行傳」を読み終え、いま「ローマ人への手紙」を読んでいるが、ふさわしくない物言いかも知れないか、溌剌そして颯爽、こころ惹かれている。これまで聖書では、マタイ傳やルカ傳などしか読めてなかった。今回はそれらはあと回しにし、もっぱらパウロらによる伝道ないし福音の書簡を大事に読み継ごうとしている。パウロないしサウロなる人へ、ほとんど目を向けずきた偏りを反省している。
2021 6/9 234

* 伊藤鶴松著『歌舞伎と近代劇概論』をみると、随所に、一段と小活字で、名だたる歌舞伎演目の「あらすじ」が語られていて、実際の舞台に観入るよりはるか以前、明らかに幼少の昔に、近松作(だけでも53作の題があげてある。)の「心中天網島」「冥土の飛脚」「夕霧阿波鳴戸」などのほか、時代を追って「寺子屋」を芯に「菅原伝授手習鑑」の大要や、「伊賀越道中双六」の「沼津」や、紀海音の「八百屋お七」、また並木宗輔の「刈萱桑門」 並木五瓶の「五大力恋緘」「鈴ヶ森」、また四世鶴屋南北のおっそろしい「四谷怪談」等々、ことこまかに読ませてくれて、恐がりの私には字で読むだに怖い恐ろしい舞台の筋書きや役者などが、まこと親切に紹介されていた。もう明治へも手の届いてくる黙阿弥劇の「鼠小僧」「十六夜清心」「三人吉三廓初買い」「弁天小僧女男白浪」「切られお富」等々、かぞえきれないほど多くのあらすじが巧みに小活字で語られていて、いわば小説や講談をこのお堅いつくりの一冊で、一杯読めるのと同じだった。
高校生になって初めて南座で顔見世の芝居を観るよりはるかに早く、疎開前の国民学校、疎開先から帰京しての戦後小学校、新制中学の内に、贅沢なほどたくさんな芝居の筋や役者らの名を、たとえ朧ろにも。実に面白くも怖くも、私はもう覚えていた。
これもまた、祖父か父かと限らない「秦家」に「もらひ子」されての天与の耳ならぬ目での学問だった。どう感謝してもあまりある恩恵だった。私自身は祖父にせよ秦の父や叔母や嫁いできていた母にせよしこしこと読書している図は皆目覚えがない、のに、間違いなく「寶」と呼びたい本が、少年の目に無数に近く蓄えられていた。
叔母(宗陽・玉月)は「茶の湯」と「生け花」とを私に教え、「和歌」「俳句」という歌の作り方を寝物語にも教えてくれた。父は観世流「謡曲と能舞台」への道をつけてくれた。
その有り難さを、私は八五年もかけて、今、しみじみと感謝している。
2021 6/10 234

* 歌舞伎の本を観ていると、芝居のあらすじも覚えたが、なにより要所での名セリフを我勝手に節づけて唱えるのも面白かった。

月も朧に白魚の 霞も霞む春の空、冷めてえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと、浮かれ鴉のただ一羽、塒へ帰る川端で、棹の雫か濡れ手で粟、思いがけなく手に入る百両ーーほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落とし、豆沢山に一文の銭とちがって金包み、こいつぁ春から演技はいいわえ」

舞台を観たことがないのに、声を張り上げていた。近松の「心中天網島」を「てんもうとう」と読んで大人達に笑われてもいた。「いきな黒塀見越しの松」の家に囲われたお富さんにせまる斬られ与三のせりふも覚えていた。まだ戦争中だった、のちのち戦後の盆踊りが大流行になると、「いきな黒塀見越しの松ぁつにあだな姿のお富さん」へ居直る与三郎を想いながら、夜更けまで盆踊りの輪を楽しんだりした。
面白い少年、少年前、時代であった。
2021 6/11 234

* 私一人のいま満足を書き留めておくと、大作であり超大作である『赤と黒』『悪霊』に惹き寄せられていること。床わきに持ち出してある大小の本(小説 論考 漢籍 聖書など)がみな面白いないし惹かれている有り難さ、時間をもてあますことの無いことに感謝している。

* 次なる此の一冊はたぶん読まずに書庫へ戻すだろうが、『心学 人の道』と題した部厚な袖珍本がある。今では「心学」などという二字を心得た人はもういまいと思われるが、これか゜盛んに流行った時機が享保(将軍吉宗の頃)から明治へまであった。ま、「大人」と自認の人から、儒教を本とし、神仏をも適宜加味しつつ、平易な言葉と通俗の喩えとで、到らぬ一般者への「お説教」を「実践の道徳學」の文字で時代へ向かい主張したのである。丹波の人石田梅巌を祖とし京都から波紋を広げた。今、私が手にしている一冊は、大正六年九月五日に初版、七年三月二十日にはを重ねている。定価は金一円参拾銭、「孤峰學人」なる著者が編んで、「第一 手近な学問」から「第四十五 幸福の秘訣」まで812頁もある。「心學 人の道(終)」と閉じられた真下へ、紛れない私のインクでの悪筆で 「新門前 中ノ町 秦 恒平」と署名したのは、「読んだ」という気合いであったろうか。この本は已に{金一円五拾銭」に値上げされている。僅か半年で「廿五版」には驚く。四拾五章に及ぶそれぞけの「題」を観るだけでも面白いが、各章の末にさらに付け加えた「一言」や警句の類もいかにも「心学」めく。昔の人は ま 勉強家であった、國中が「寺子屋」と化する程であったのか。版元は、東京神田の「忠誠堂」です。

* 巻末に付録の広告も、なるほどと。『忠烈 赤穂義士之壮挙』 「前宮内大臣子爵土方久元閣下」以下の「題字」が列ぶ。また『精神修養 道歌物語』には「男爵渋澤栄一閣下」以下の「題字」が列ぶ。さらには『書翰講義』だの「現代 文章作法』だのが、海軍中将男爵だの「文・法學博士 男爵」だのの「序」や「題字」を頂戴している。イヤですねえ。
最末頁の広告は「大西郷の従弟」なる『大山(巌)元帥』で、「元帥 伯爵 河村景明閣下題字」を戴いている。明治を過ぎ大正半ばにして日本の人的価値観は 爵位 元帥 大臣 博士 閣下等に彩られていた。 夏目漱石が「博士号」を、要らないと文部省へ押し返したのが、なんなとなんと懐かしいか。立身出世への『心學』なんて、ヤ ですねえ。
昔々の本は、けれども 時代に生きて 正直に反映反射しています。
2021 6/12 234

* と、目に付いた本があった、『死ともののけ』著者は斎藤たま、新宿書房とある、つきあいは何も無い。
明けてみると 見返しに「贈呈 新宿書房」の札があり、「北沢恒さんからの紹介です、ご高評のほど。」と。北沢恒とは、両親を共にしながらいっしょに暮らした記憶のかけらも無い実兄北沢恒彦の長男の名。へえ、こんなこともあっただ、何でや、と全くない記憶をどう探ろうも覚えがない、貰っておいてやくにたつという内容でもない。本は、一九八六年九月の新刊とある。優に三十五年むかし、「湖(うみ)の本」を始めたころ、わたしは五十歳ころ、恒は同志社を出て、東京へもう出てきていたか、まだか、記憶がない。版元の副え状からするとがあるのだから新宿書房と恒とに何かの縁があったのだろう、私は、となると記憶がまるで失せている。すきなくもそこで出版したり執筆したことは無かっただろう、それも覚えない。恒が、いまどうしているかも全然知らない、「選集」や「湖(うみ)の本」は送っていたつもりだが、受け取っているという返事もない。
兄恒彦が、江藤淳さんのその年六月の自死とは無関係だろうが同年の末に自死してから、すでに21年もが過ぎた。私は生母の死を知らない、病院内での自死かも知れなかったとは後に触れ合ってくれていた人から幽かに聴いた。実父は一人暮らしの家で、近くに住む娘二人(恒彦や私からは異母妹)にも知られずある朝亡くなっていた。私は、生涯にそれと、父と認識して只一度寿司をツマミ合っただけだが、親族達からは、そんな父への「悼辞・弔辞」を強いられた。「しのびごと」を唱えるどんな想い出も持たない息子であったのに。兄恒彦のほうがまだしも生前の生母や実父と関わり合っていたようだが、父の葬儀には姿はなかった。兄の死が先とは想いにくいが、記憶は霞んでいる。
甥の恒は 上京後、一時我が家から遠からぬ下保谷に暮らしてよくわが家へ来ていた。あのころはよく話した。頼まれて、最初の結婚に大いに力も貸し、彼女の父親から結婚の許しが出るように大いに言葉を添えた。我が家へまでお父さんは訪ねてみえた。が、結婚したかと想うまに離婚したのか別に暮らしていて、もうその後のことは私たちは何一つ知らない。
死んだ兄がただただ懐かしい。じつはどんな暮らしで何に努めていたかなども、私は殆ど何も知らないのだ、知っているのは兄弟二人きりでの対話や交信の数々だけ、大切に保存している。兄の実生活や交友家系など、まるで無縁で、今も知らない。そういう人たちとの「北沢恒彦を偲んで語りあう会」にむろん誘われたが欠席した。どんなに私には馴染みにくい寄合いであろうよと。偲んで語り合うのは当の「兄恒彦とだけ」でよい、話題は尽きない。「恒、街子、猛(甥・姪)」たちとは、またそれぞれの機会次第でよい。

* 志賀直哉原作「流行感冒」のテレビドラマをみつけて驚いた。モックンだったか。志賀直哉を読みたくなり全集第一巻からすぐ見つけた。久々に志賀直哉のラコニックな文体に触れた。嬉しくさえあった。
いま、往年の大きい作家達の小説へこころひかれ、漱石、藤村、潤一郎とともに志賀直哉も読みたいなと、郷愁に似た思いをもっていた。必要あって、鴎外はおりごとに読んでいる。次いでは、荷風そして龍之介まで読みたくなっている。
世の中が悪政やコロナ禍で混乱すればするほど、せめても近代の優れた日本文学へ帰りたくなる。いま、本好きの若い日本人読者は、どんな、誰の文学へ立ち戻って「小説愛」を心に満たしているのだろう。

* 食欲が、何かに抑え込まれたように湧いてでない。躰を弱めるにちがいなく、食べようと思うのに抑え込まれ動きがとれぬほど手も出ない。酒も、旨くて堪らないのではない。ビールは季節的に口あたりはいいが、美味いと感じ入るのではない。それより、佳い日本茶、煎茶が旨い。紅茶にも珈琲にも気は乗らないし、口当たりに馴染まない。抹茶は点てる用意が気をそぐ。仕事は別として、結局、いい本をすきなだけ読んで、寝入るのが、一番か。
2021 6/13 234

* フランスでの往年の社会党を率いて二度も組閣した大政治家レオン・ブルムが、私の生まれたよりなお一年昔に書いていた『結婚について』を、86年後に、角川文庫で読み上げた。この、一世紀にもせまる著と読との年差は、「結婚」というフクザツ微妙に動揺し変化しやすい内実からすると、もう時節外れに過ぎた読書と謂えるのかも知れない、が、優に興味深い一冊で、人間について、男女について、そのいわば制度的な結合について、私には今なお新鮮な示唆と衝撃に富んで面白い一冊であった。一夫一妻ふうのモノガミーに対し多夫多妻ふうのポリガミーの視野を大胆に慎重に痛烈に視野に収めて所見と所感とを思想化し得ていた一冊であった。うら若い女性たちの「処女」に対し男女ともに抱えた拘泥を無意味とまで果敢に否定的に衝いて、「結婚」なる、男女のないし同性たちの結合がかかえやすいあきらかな過ちや誤りなどを撃ち崩して行く。
この本を、私は「私らの結婚」したその年の版で買い求めていた、が、実にほぼ60年も過ぎてから初読したのだった。もはやどんな所感とても万事過ぎてしまって、これほど時節はずれた反省も無いはなしだった。だから面白くなかったか、いいえ、よほど刺激的に面白く読み終えた。何かの役に立つか。幸か不幸か、もう私らの役には立たない、いわばわがみにとって安全圏での読書であったよと微苦笑される一冊だった。だが、なお青春、恋愛、婚前、新婚時期の若い人たちから還暦までぐらいな人には示唆になお富んで痛い思いをする読者は多いだろう。血を流し血を呑む人も有るだろう。

* 十時半。もう、やすんで良い。
2021 6/14 234

* 長島さんには、没後200年記念 日本近世文学会編の「上田秋成」を戴いた。秋成の数々に多彩な側面でももっとも手がかりのない一角へ、私は宿題を抱えている。指先ほどもそれへ視野がひらけないか、目を見開いてこの冊子をすぐにも読みたい。
2021 6/15 234

* 妻は定期の受診日だった、まづまづ無難に帰ってきたが、疲れたようで。私も疲れていた。湿気の濃い季節に妻はきまって弱く、わたくしのは、老耄の体疲労。幸い横になれると、とめどもなく本が読める。
ドストエウスキーもスタンダールもキールトンも佳い。しかし、またもや読み始めたパトリシア・マキリップの「風の竪琴弾き」には、懐かしくも圧倒的に惹きこまれてゆく。ヘドの若い領主モルゴンと、偉大なる者の竪琴弾き、デス。書き始めから、ひとつには訳してくれる脇明子の日本語の宜しさ自然さで、ぐいぐいではない、糸を引く静かなはずみで懐かしく惹き込まれる。この三巻の長篇を楽しみ終える頃に、一回目のワクチン接種。コロナへの用心は忘れてならないが、ぶざまに悪意にみちた政治の泥臭などわすれて、こころよい読書世界へ旅し続けたい。

* 夕食のあと、妻と、「ニノチカ」という珍かにおもしろい撮って置きの映画をみはじめた。題からして、漫画かなとと誤解していたが、漫画のように面白いグレタ・ガルボ主演の妙な作だった、半ばでお休みして、またからだを横にして八時過ぎ、「マ・ア」のご飯時までまた読書していた。
いま一等難しいのが、新約聖書の「ロマ人への文」で。「使徒行伝は」はすなおにすらすらと読めて感銘した、が、いわば「教書」なのか、かなりついて行くのが難しい。
2021 6/15 234

* 寿司の和加奈へ、大とろ 中トロ 海老 海栗 に限って、刺身で届けて貰った。歯に触らず、栄養価もありことに好きなモノだけ。酒の「英君」も美味かった。風にそよぐ枯れた藁のような躰が、やや起って目覚めた気がする。
そのまま寝入らず、楽しんで読んだ。『赤と黒』と『悪霊』とが悠然拮抗している。ヘドのモルゴンが竪琴弾きのデスと、船に乗った。永い旅がはじまる。ホビットのビルボ・バギンズとドワーフの御難つづきの旅は、ワインの空樽に助けられて窮地を急流のはてへころげ落ちて行く。
今度の「湖(うみ)の本 綽綽有悠・コロナ禍と悪意の算術」は、文字通りのエッセイ集になってくれた気がする。
そして『新約聖書』の基督教がムズカシい。禅宗や浄土宗の経や般若心経ならなんとか掴まってついてゆけそうに思えるのに、神と神の子イエスに依るパウロの信仰者達への教えの手紙が難しい。
2021 6/16 234

* スタンダールもドストエフスキーも思い切りけったいな作家。それでも読み進んでいる。『赤と黒』は中学時代に借りて読んだが、とても読めていたとは思われない、が、今は踏み込んで踏み込んで読んでいる。『悪霊』はどうなることかと思いつつ引き込まれている。先はうんと永い。
2021 6/17 234

* 外出の用があったけれど、ものうく気怠くて出なかった。さして仕事も出来なかった。「史記列伝」を読み継いだり、興の乗った本を読み継いだり、うとうとしていたり。冷暑のさしひきが身を揺さぶる。昔なら真夏と春寒の気ままな交替だ。こんなときは抵抗しないがいい、怠け癖が怖いけれど。
2021 6/18 234

* 七時半に目が覚め、そのまま『赤と黒』を読み進めた。私にはこのジュリアン・ソレルという野心に燃えて心ひがんだやんちゃ坊主がよくわからないが、彼に身も心も捧げるレーナル夫人というのもよくわからないが、小説としては、一種の時代小説として通俗に面白く、ずんずん読めて行く。

* 対抗的に読んでいる『悪霊』のおもしろさ、こっちは古い帝政ロシアの時代小説と謂うを超えた無気味な人間劇に読めている。

* これらに比較して『史記列伝』は小説でない史的で批評的な人物スケッチの連続だが、辛辣な面白さ、時に怖さで支那の上古をつきつけてくる。この同じ頃に日本列島には國も政治も文字もなかった、まさか言葉がなかったはずはないが、そう誤解させるほど日本列島の西紀前はうす暗がりであった。
2021 6/20 234

* からだ具合が、暑さと冷えとの交替で、どよんと重くなる。風邪を引きたくなく、食もはずまず、酒と薬に手が出る。酒疲れし薬疲れしてくると横になり、気に入りの本を次々へ読み進む。目下、『悪霊』の手放し運転のような野放図な行文の魅力が、『赤と黒』の「お話」を凌いでいる。
『イルス竪琴』は美味いスープを吸うように、いくらでも先へ先へ読めて、やめにくい。
神と信仰を真っ向語って揺れない『新約聖書』、諸子百家、争鳴の『史記列伝も』も胸を開いて読み進んでいる。
自分の再校ゲラも、10頁単位でと心がけて読み進んでいる。『優游卒歳』去年の後半歳を歩み歩み、気に入りの詩歌を日々に味わっていた半年。政策のちぐはぐな誤判断に去年後半コロナ禍は根強く蔓延っていたと分かる。そして今日なお、感染者のかずは下げ止まってまた無気味に増加へ転じかけている。五輪を中止してでも、コロナ禍から一日もはやく脱出したいのが本音だ。

* 目が見えなくなると、そのまま小一時間、永いと二三時間、寝入る。今日は自転車でポストへも走らなかった。
2021 6/21 234

* 疲れて横になると、ドストエフスキーとスタンダール。前者の『悪霊』はまさしく純文学、後者の『赤と黒』はまがうかたない通俗読み物か、と観ている。
2021 6/22 234

* カフカを、と、二冊 西の書架から文庫本を抜いてきた。『舊新約全聖書』(一冊本)も運んできた。
七時半。強いて起きて何かをしようと焦るより、出来れば横になって気に入った小説世界のいろいろに嵌り込んでいるのが良い。コロナ禍は容易ならぬ反転攻勢に転じて感染者の数を連日伸ばしている。
2021 6/24 234

* カフカの『変身』も読み始めた。読みたい本、読んでやらねばという本、読んで上げねばという本。数限りない。少しく困惑する。
八時過ぎた。時間に余裕はあるが、心身に余力がない。やすみたい。
2021 6/25 234

* なんとか「書斎での事態」を新ためたいと、見込みの乏しいあれこれを試みて。何とかして手周りを広げ気を替えたいとも、など思いつつ、ツイ目について手にした、千頁余、定価二万円もした昭和六十三年刊の大冊『宗良親王全集』を「伝記」編から読み始めてしまった。
幼少期、國史に触れた初期は「神代」にいで「源平時代」と「南北朝時代」に溺れていた。尊澄法親王こと宗良親王晩年の孤独な戦闘遍歴も胸に淡く刻印されていたので、じつに、七十余年も後の再会なのである。
この親王は、鎌倉で殺されてしまう三歳兄で武辺猛烈の護良親王と異なり、じつに心静かに豊かな佳い「歌人」であられた。しかも傾いて行く「南朝の支え」として最期の最後まで静かに且つ毅然と戦地を遍歴された。
なんだか、思い依らず、たいへんな世界へ、私、またまた、いまごろ、踏み入るようで少しく狼狽きみである。
2021 6/26 234

* スタンダールの『赤と黒』は、ジュリアン・ソレルという若い主人公からして昔から好きになれない。おハナシを読み進むに何の苦もない通俗な物語で、胸に届く文学の嬉しさは、もう半分読み進んでゼロにひとしい。
ドストエフスキーの『悪霊』は、ずんずん読み進んでもなかなか人の名も、人の関係も、会話対話も実にややこしいにも拘わらず、心惹かれ面白くて読み止められない純文学の妙味に満ちている。
カフカの『変身』には得体知れぬ奇妙の魅惑に引っ張られる。
読みたい本をさらに何冊も枕元へ積み足した。外出出来ないのだから、読書でき仕事もできる有り難さと楽しさを大切にしたい。
ゆっくりゆっくりの源氏物語も「夢の浮橋」をまたまた渡れる。十何度目になることか。そして『宗良親王傳』を読み上げておきたいし、じつは気がかりな上田秋成の研究者のだれもがほぼ無視しきっているある処を私なりに突っついてみたくて成らない、これは私にしか出来ない観点なので。。
近代では、漱石 藤村 そして潤一郎に久しぶり沈潜してみたい。加えるなら、直哉の『暗夜行路』にも。
2021 6/27 234

* 機械故障の負荷もあり 心身日々に消耗しているだけに、ムダなことは避け、酒もすこし減らし(?)、寝たければ寝、読みたければどっさり読書。
私用の400字 200字の原稿用紙を身のそばへ持ち出してあり、悪筆乱筆用捨なく思いついた先へ手紙らしきを走り書きして送ることにする。
2021 6/29 234

* 夕食も進まず、「悪霊」「赤と黒」パウロの「ローマ人への手紙」を読んで、寝入った。
九時に目覚めた。
コロナ禍は、第四波へあきらかにリバウンドしているのに、五輪へ各国から来日入国の、水際の感染防備と安全策は、まだまだ不安に満ちている。
わたしは、ただただ疲れ、目が重い。
マコが来て、すこし鰹をもらってから、安心しきって私の足元で寝入っている。

* 十時。心身違和。
2021 6/30 234

* ドストエフスキー『悪霊』に仰天している。読み続けるだけにも堪えた根気が要る。どうハナシが進んで行くのか、何が語られているのか。「説明的な物語」に馴れていては、とうてい歯が立たない。常識的な要領では推し測るさえ難しい。一つには人の名前、長々しい名乗りのロシアふうのややっこしさ、覚えるのも難儀。登場人物への納得も理解も容易でなく、したがって一人一人の言うているなかみもつかみにくい。今のところ1ダースほども人物が現れているが、それらの人間関係の把握も理解もややこしく。全体の五、六分の一も読めたろうか、何が「語られよう」としているのか、把握も成りにくい。反動のようにスタンダールの『赤と黒』など、とてつもない通俗読み物に思えてしまう。
カフカの『変身」、これは凄い感触、怖くなってくる。
2021 7/1 235

* 夕食後、歌集『少年前』初校、途中でやすみ、『ホビットの冒険』をもう終える辺まで読みすすんだまま、九時過ぎまで寝入っていた。
終日、雨。機械の不調はそのままどうにもならず、なにもなにもじっとガマンしつつ出来る仕事をしたいだけして過ごす。そういう日々が、すくなくももう半年はかかるだろう。
2021 7/2 235

* トールキンの『ホビットの冒険』を読了。この原作を映像化した『思いがけない冒険』『最後の激戦』は豪壮な大自然美とともにみごとな激戦を描いて、映画としては、次なる大作の長篇『指輪物語 ロード オブ ザ リング』をしのぐ美しさであった。ホビットのビルボ・バギンズの活躍が終始心うれしかった。物語としては、あとの『指輪物語』は波乱にも冒険にも登場者達の葛藤にも抜群の構造美があった。
いずれとも、トールキンのこの二作は翻読に耐えて一種壮大な「世界史」をなしている。
2021 7/3 235

* ゆっくり入浴し、からだを温めようとした。浴したまま、カフカの「変身」 スタンダールの「赤と黒」を読もうとしたが、前者はまさに凄く、後者は陳腐に通俗で、ともに永くは読めかった。カフカは、偉大に先駆的な凄みの作家と敬服する。スタンダールの方は、なんでこれが持てはやされてきたかと首を傾げる。
2021 7/6 235

* 手の届くあたりを少しく片づけてみた、が、何もかも容易でない。結果、ただ置き場所を替えてみる程度で終わるのでは、くたびれもうけに過ぎない。疲れた。
八時になる。横になって本が読みたい、が、ドスエフスキー千頁の『悪霊』二五○頁も読んで、粗筋すら読み取れない情けなさ。舌を噛む長たらしい人の名の関係をすら十分頭に入れ切れない。同じ作家の『罪と罰』でも『、あの長い『カラマゾフの兄弟』でさえ、も少しは読めたのに。トルストイやツルゲーネフやチェーホフには無いこと。それでも読み始めた千頁、読んでやる。少なくも『赤と黒』の通俗読み物とはちがっている。    2021 7/6 235

* ドスエフスキー千頁の『悪霊』は、何が何であれ「読まされ」ている、投げ出す気になれない。
カフカの『変身』こそ凄いということばが芸術的な感銘と共に身に沁みてきて恐ろしい。

* 新約聖書のパウロ「ローマ人への手紙}は、しっかり言葉が私の身に立ってくる。

* パトリシア・マキリップの『イルスの竪琴』は、静かな迫力・魅力が、底知れない浪のように寄ってくる。世界そのものが「旅」に想われる。

* 人さまの作でなく、遠い昔の自作も読み返したくなる。もう喪った時間が、まだそこでは呼吸している。

★ 色紙(いろがみ)にカアサマとある小(ち)さい竹

* 風に、笹はさらさら鳴るが、星はみえない。 真苦呂
2021 7/7 235

* 後醍醐天皇の皇子、天台座主尊澄法親王から還俗して南朝の最後まで戦場を馳駆した宗良親王の、はかなくも苦しい極みであった悪戦健闘もさりながら、「和歌の人」として遺された「梨花集」「宗良親王千首」 また手づから編み遺された『新葉和歌集』の静寂とした優雅に感嘆している。『新古今和歌集』いらいの中世和歌独特な詠嘆の水準を身を以て確保されていた。千頁もの周到な『宗長親王全集』(昭和六十三年・一九八八)を頂戴しながら、書庫に置いたまま三十余年も忘れていたのは、私の落度であった。編著者黒河内谷右衛門氏に敬意と感謝を呈したい。
2021 7/10 235

* 今日はパリ祭、一七八九年にバスチーユ菅漕ぐが民衆に襲われ、フランス革命の記念日となった。ルイ十六世は十四世いらいの王権の専横をやや是正の気味のあった王だが、愛妃まりー・アントワネットの願いに任せ兵を用いて議会を圧迫する横暴を市民や農民らに咎められ、七月十四日、バスチーユ占拠等の蹶起を招いた。
私は今、寝床わきへツヴァイクの『マリー・アントワネット』と『ジョゼフ・フーシェ』を持ち出している。スタンダールの『赤と黒』や『パルムの僧院』より抜群に興趣に富む二冊なのは請け合い、わくわくと読み返し始める。

* カフカの『変身』寒々ときみわるく読了、この独特の気味悪さにこそ人と時代へのしんらつな批評がある。
2021 7/14 235

* ドストエフスキーの『悪霊』がズゥンと恐ろしげに煮えてきた。長々しいロシア男女の姓名が律儀なほど繰り返されて、その親縁関係が容易に覚えきれない難渋までが無気味に意味ありげに肌身に迫ってきた。人間関係も複雑怪奇で、その会話対話もややこしいが、饒舌の味わいに容赦ないモノが絡んでくる。まだ千頁の半分にも達していないが、引きずられて行く。こんなドストエフスキーの凄み無気味から、二十世紀カフカへ線が引けてくる。
これにくらべると、スタンダールの『赤と黒』とはただ昔めく「おはなし」を読んでいる感じ。

* 山陽小野田市の高崎淳子さんから歌集『あらざらむ』を貰った。この人の短歌は安心感と共に共感しやすい味わいに富むが、ひとつ、ちょっとした(ご当人気付いてかどうか)癖が読める。初句で、いちどブツッと切れる「うた」がわりに多いのである。

あか・くろ・き海に色ありミサイルもテロもやまざり論語に遠く

虎ケ崎藪のつばきをしげらせて風穴みせる遠き噴火を

当然かのようで、いきなり「うた(声)」が途切れてはいぬか。
で、わたしは初句よりさきへ発想の「うた」を渡しとどけたく、少年の昔から 時としてあえて初句に「字余り」を生かしたりしてきた。

いしのうへを蟻の群れては吾がごとくもの思へかも友求(ま)ぎかねて 「少年」

などと。

* 九時。
2021 7/17 235

* パトリシア・マキリップの三部の長篇『イルスの竪琴』の第一部「星を帯びし者」を役者脇明子の佳い日本語で堪能するように今朝読み終えた。第二部へ移る。この名作を私はル・グゥインの『ゲド戦記』 トールキンの『ホビットの冒険』『指輪物語』を超えて愛し愛読を数重ねてきた。不思議なほど「懐かしい」のである、この世界が。「星を帯びし者(スターベアラー)」ヘドのモルゴンが。いやいや、登場する者達の多く、「偉大な者の竪琴弾き・デス」ですらが、懐かしいのである。レーデルル。ルード、アストリン、ヒュールー、モルゴル、ライラ、ハール、ダナンら、みなみなが。
この大作三冊の訳本を戴いた脇明子さんに、しみじみ礼が言いたい。だが、もう何十年か、見つけられないでいる。一度座談会で一緒しているので、私よりは若い人とは承知しているが。これまでの生涯に無数の献呈本を著者たちから戴いているが、この脇明子訳のマキリップ作は第一等といえるほど嬉しい、今も嬉しい頂戴本であった。
2021 7/22 235

* 冷房に強い方でなく、半袖でいると腕から冷え気分が悪くなりやすい。八時から十一時半に及ぶ予定の五輪開会式を観るよりも、寝床で本を読みたい気がしている。『悪霊』と、『イルスの竪琴』と『マリー・アントワネット』とに惹かれている。
そろそろ、自分の「選集」全33巻、せめても小説等「創作」の20巻を読み返したいな、とも心誘われている。が。ま、開会式を観よう。
2021 7/23 235.

* 年甲斐もなくというか、生々しいまで醇熟の夢で目覚める。『悪霊』の筆尖が刺激してくるのか。生理的なロマネスクか。
2021 7/25 235

* はやめに独り起きて、今朝の「湖(うみ)の本 153」納品受け容れ、「湖(うみ)の本 154」再校ゲラ受け容れに備えた。届くのは午前のうちと思うが、早ければ九時には届く。昨晩は、妙に寒気もしたので思い切って早く床に就いた。夜中、しばらくドストエフスキー『悪霊』を、そしてパトリシア・マキリップ『のイルスの竪琴』第二部「海と炎の娘」を読んでいた。アンのレーデデルという王女が登場の一編も私は大好きで、のめりこむように読み進んで、それが惜しいとさえ思うこともある。こういう懐かしい読書の出来る喜び幸せをいつも感謝する。読み飽きていることがない、いつも新鮮に懐かしく共感して読み出すと手放せない嬉しさ。そういう書目を幾つも所持しているのは、えもいわれぬ財産である。
加賀乙彦さんに、昔ぁしに戴いていた新書版『ドストエフスキーを考える』にも今回、たくさんに教わっている。
2021 7/26 235

* トルストイに惹かれ、ドストエフスキーはむかしから敬遠してきた。せいぜい『罪と罰』ほどで、大作『カラマーゾフの兄弟』も読みはしたが記憶にも残らなかった。
しかも私の書庫に、いつから在るのか森田草平訳一冊本の大作『悪霊』のあることは承知していた、が絶えて読み始めたと謂うことも無かった。何故そんな本が書庫に在るのか分からず、まさか秦の祖父鶴吉の遺産とも思われないのだった。森田草平という漱石門下の変わり種の訳というのに注目はしていたが、作の本体に一抹の感心も寄せたことは無かったのだった。ドストエフスキー作品を集中的に文庫本で読んだ覚えはある、のに、ほとんど何の印象も残さなかったのだ、だが、初めて手に重い大冊『悪霊』を読み始めて私は異様なまで、この、なにを書いているのかややこしい限りの「文学作品」に初めて惹き込まれだした、まだ半分も読めていないのだが。加賀乙彦さんに貰っていた中公新書の『ドストエフスキー』に教えて貰い始めもした。何がなんでも、ドストエフスキーはトルストイとは大ちがいなのだ、それが分かってきた。なにという怠慢な読書家であったか。
2021 7/27 235

* 庭を潰してまでわたしは不相応なほどの長い書庫を持っている。家居として暮らしているこの東棟の内にも大きな作りつけの書架が二階に二つある。西の棟の一階は「湖(うみ)の本」で満杯、二階にも私の自著だけで大きな書棚はぎっしり埋まっている。それさえもこの頃は努めて減らそうとしている。みごとに揃っていた鏡花全集は母港の文学部に献呈した。源氏物語関連のたくさんな書目も或る女子大へ謹呈し、梅原猛全集におなじ梅原著作を副えて西東京市の図書館へ入れた。同じ図書館や各地の、各大学の図書館へも夥しく寄贈し続けてきた。本には、なんとかそれらしい落ち着き先を探してやり嫁入りさせたいと願っている。日本の古典に挑んだ大冊の各種研究書などがずいぶん書架を埋めている。漱石、藤村、潤一郎、直哉、鏡花、福田恒存、森銑三、柳田国男、折口信夫、さらには日本の古典文学全集、日本近代文学全集、二十世紀世界文学全集、古寺巡礼京都全集等々、みな、しかるべく嫁ぎ先を探して上げねばならない。たやすいことでない。
2021 7/27 235

* 横になり、海と炎の娘「レーデレル」の物語を懐かしいまでの思いで読み進んでいる。この『イルスの竪琴』という三部作に登場の、モルゴン、レーデレルだけでなく、実に大勢の登場者達がそれぞれにみな魅力を湛えて私を惹きつけてくれる。彼や彼女らの世界の方が、私にはよほどもよほど、懐かしい。
2021 7/28 235

* 楽しんで「怠け」て過ごしたような気がする。消えうせたようなモルゴンの足跡を追うレーデルル、ライラ、トリスタンの長い旅に同行しながら、かろうじてモルゴンの生きて在ると知り得たまでを読んだり、「湖(うみ)の本 134」の再校ゲラを朱字合わせしたり、五輪競技をテレビで楽しんだりしながら、今日モまたひとしお数多のコロナ新感染者の数に戦いていた
2021 7/29 235

* とはいえ、仕事のほかは、寝入っているか、レーデルル、ライラ、アストリンのモルゴンを尋ね行くはるばるな旅に同行していた。
かすかな寒気を背に感じ、終日、体調に落ち着きがない。
神奈川の高城由美子さん、山梨県立文学館長および中野和子さん、そしてお城学の小和田哲男さん、作家・エッセイストの稲垣真美さんのおくったばかりの「湖(うみ)の本 153」への有り難いお便りを戴いた。高城さんからは香りも甘い桃も頂戴した。

* これぞと希望を持った仕事からは手を放していない、楽しんで…と気を励ましながら。
2021 7/30 235

* 長篇『イルスの竪琴』の一、二部「星を帯びし者」「海と炎の娘」を読み終えて最後の「風の竪琴弾き」を手にした。こんなにも私はこの一作を愛してるかと我れながら驚く。この作には、いま我らが現世と接触し交錯するものが消し去ったようになにもなく、しかもそれでも世界が危機へ沈んで行こうとする転回には類推のすごみが読みとれないではない、が、何よりも深く切なく大きい力は、必然の魔法である以上に、ヘドのモルゴンとアンのレーデルルとの愛であるのかも。
大長篇で転回は多彩に広範囲に深みを伴っているのだが、わたしは、登場者の名も性格も語る言葉さえももう的確に記憶していて、それを追うかのように読み進められる、しかもみじんも飽きていない。愛読とはこういうもの、源氏物語にも当然のようにそれが謂える。

* そして今、私は八十五老にして、すでに確定したいわゆる「処女作」本になお先立つ「少年前」の一冊に形を与えつつある。それれがただの遊びや自己満足でないことをおおよそ信じつつ、である。
2021 8/1 236

* 三巻めの「風の竪琴弾き」読み進めて残り頁の減るのが惜しくてもったいないほど、私はマキリップ作の『イルスの竪琴』が好き、自身驚き呆れてしまうほど。そういう本を所有している幸福に感謝、三巻を下さった訳者脇明子さんに何とか久しく久しい感謝の気持ちを伝えたいものだが。
読み終えてしまったら、ル・グゥインの『ゲド戦記』をまたまた読み返したい。
どう逆立ちしても『南総里見八犬伝』では勝てない。かろうじて『古事記』上巻の神話、ないし古典の『うつほ物語』「住吉物語』など懐かしく思われる。
2021 8/2 236

* 冷房に弱くて、夕刻、不安なほど気分わるく、夕食もせぬも同じに、床に就いた。温かにして目もからだも休めて三時間ほど寝入っていた。
一両日前から岩波文庫で、ひとしお筆の立つツヴァイクの著、フランス革命時のもっとも冷静な打算でもっとも苛烈にもっとも永く生き延びた『ジョゼフ・フーシェ』を、同じ著者の、断頭台に落命した最も華やかな王妃『マリー・アントワネット』とともに、再読している。
2021 8/5 236

* で、仕事の間にはからだを横にして読書している。マキリップの第三巻『風の竪琴』そして、ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』に没頭、性質の天と地も異なる世界だが、惹き込まれる力強さは、私が、この嫌いな語を用いるのだから信じて欲しいが、もの凄い。
この際、またまた桑原武夫さんの中公文庫「フランス史」を読み返したい、アンドレ・モロワの『フランス史』が書架に見つからないのが残念。いま、フーシェとロベスピエールとが正面衝突しかけている。ギロチンや霰弾流屍刑など時に千、二千人単位で「殺す革命」として世界史にも残虐において突出した「フランス革命」を見直しておきたい。ツヴァイクの科学論文ほども冷静峻烈な論旨の冴えにも目を瞠る。しかもダントンやロベスピエールの名を覚えていてもフーシェほど残酷冷静にナポレオンの時機までも生き延びた名前を覚えている人は少ないだろう。

* ドストエフスキーの『悪霊」は今半ばまで。この大作家についてはあまりに識らない。加賀乙彦さんの本におそわっているのだが。いま書架からアンド・レジイドの改造出版版『ドストエーフスキイ論』を見つけてきた、が。もっと他の作品にも直に触れて行くのが至当。よく思い返せば『罪と罰』も『カラマゾフの兄弟』も『白痴』も読んでいるのだ、が、トルストイの『アンナ・カレーニナ』『戦争と平和』『 』のように踏み込むようには読めてなかった。
2021 8/7 236

* 昨夜深夜までアンドレ・ジイドの「ドストエーフスキイ」に関する『ヴュー・コロンビエ座における講演』六を読み進んだ。期待を遙かに超えたみごとに文豪による文豪の好理解にふるえる程に感動、なおなおの続きを熱い気持ちで期待している。これはもう、ナミの思いつきに近い「論」とは懸絶した、真に優れた文学者ならではの真の文学者理解、まことに優れた人間ならではの優れた人間理解というしかない。

* 同じく人間理解といえば、シュテファン・ツワイクによる『ジョゼフ・フーシエ』理解の周到かつ性格に踏み込んだ理解の深刻かつ鮮明なことにも驚く。
桑原武夫の詳細な「フランス革命」講義ではフーシエの名はたったの二度、それも何の説明もなく(テメリスト)とカッコで括っただけ、その存在への理解はゼロに同じいのを私は確認した。だが、ツワイクに依っては、さらにその彼に深甚の示唆と評価をもってフーシエを書ききっていた偉大な文豪バルザックは、さらに極度にいえば、かのナポレオンをすら暗に閉口させながら「ナポレオンの名大臣」とも、オトラント公爵とまでも成っていた「フーシエ」なる異様異能超絶な「悪意の算術」家としてフランス革命を生き抜いていった男ほど、興味津々の個性は世界史にも珍しいのである。桑原さんは、何を見過ごしていたのだろう、ツワイクの『フーシエ』こんなに面白い評伝はざらには無い。ツワイクは世界に名だたる伝記作者として「モロワ」らと名のならぶ逸材なのであり、その『マリー・アントワネット』は名作の名を文学史に放っている。

* すばらしい書き手、すばらしい本は、間違いなく実在していて、それとの出会いは幸福の名に背かない。五輪でアスリートの活躍が盛んに持てはやされて、異存はない。が、人は、若いは、さらに魅惑に照り輝く「文学」という芸術にもしかと触れて欲しい。私が自負を謂うのではない、ドストエフスキーやジイドやツワイクやバルザックや、またル・グゥインやマキリップやトールキンのことを謂うのである。出逢えてよかったと、心底感謝している。そしてまた私のような平凡な作者は、自作を否認し否認し否認し続けて境地を見いだし創りだすしか、手は無い。
2021 8/8 236

* かすかな朝食後、すぐ機械クンに挨拶をと思っても心身はたらかず、床へ身を横にし、『フーシェ』のボナパルトとの接触の事情に驚嘆したまま小一時間も寝入っていたか。

* もう済んだオリンピックの噂は、いい。コロナの猖獗をなんとか凌ぎたいものと願いつつ、私の仕事へ木を入れたい。ところが、何処の何に如何手を付けて行くのかが、いま、私に分からない。身のうちの全部のドアに錠がかかったような心地。こんな経験は無かった。静観してやり過ごそうと思う。要はその間をやすやすと休めばいいのだ。
さしあたって緊急、放置の成らない何用もない。楽しめる読書に没頭し、よその世界を「無銭旅行」してればいい。旅の誘惑はイヤほどある。フーシェのフランス革命、モルゴンのランゴルドでの闘い。そしてドストエフスキー。みな、山のように大きい。
2021 8/9 236

* それにしても興味深く読めて面白いのは、「フランス革命史」私はナポレオンにはさほど関心無いが、ギロチンの鳴り響いて、次から次へ著名な革命の士や国王・王妃の殺されて行くなかで確立して行く民衆の政治的勝利史には惹かれる。英国の革命史はもっと落ち着いて知性的だが、フランス人の暴れざまは凄まじくもしかし示唆と教訓に満ちている。そんな中で、いま読んでいる、リヨンのテロリスト『ジョゼフ・フーシェ』は、名だたる革命家達の刑死や窮死を見送ってじつに目立たず強かに、冷然極みなく、ついにはナポレオンをさえ操るように「名大臣」として、「オトラント公爵」としてまさしく隠然の権勢として生きる。食えない男の世界史的な一代表者として、唸らせる。

* 歴史は面白いし実に大切な教科書。なかでも私は欧米の近代史、ことにフランス革命とアメリカの独立に目を注ぐ。
2021 8/10 236

* コロナ事情は悪化を辿っている。逼塞の籠居に、たしかに「退屈」の不味さを味わっているのだが、幸いに私は「読書」できる。楽しめる。なにを読み返せばときを忘れて打ち込めるかを知っているし、そういう本が読み切れぬほど手許にある。幸せだと思う。感謝している。いまは「書く」のはこんな「私語の刻」に半ば以上委ねたまま、一つ一つ打ちこむように「読み」続けている。そして、やがて、「湖(うみ)の本 154」『歌集「少年前」「閇門(ともん)」そして「私語の刻」』の刊行と発送へ手が届く。これが実に楽しみなのだ。この一巻こそが「文学少年」の最処女出版物となり、「老蚕」秦恒平の呟きと成るもの。その後はもうただただ文学生涯最後の喜怒哀楽と成る。
2021 8/10 236

* いつもの間をおいての診察を受けに妻が地元の病院へでかけた留守に、ずうっと横になったまま『フランス革命』の推移を丹念に読み追いつづけてルイ十六世がギロチンの下に果てた、が、まだこの先が長いはず。面白がる事態ではないが、興奮しきってぐいぐい読んでいた。「革命」とは近代の世界史にいかなる意味・意義か。心底からまたまた揺り動かされて読み耽っているうちに妻は帰宅した。
その前に、韓国ドラマの『トンイ』の烈しい推移にも見入っていた。凄みのある一時間であった。

* 食欲うすく、体調は奇妙にひ弱い。あすの二回目ワクチン接種をなんとか無事に済ませたい。なにも無理無理の仕事も用向きも他にない。やすみやすみことなく日々を労るように過ごしたい。
いま、晩の七時。『フランス革命』の後半をナポレオンの登場とともに納得して胸にたたみ直したい。寒気や頭痛に沈み込まないように。
2021 8/10 236

* 午後地元の厚生病院で、無事に二人とも二度目のワクチン接種を終えてきた、一つの関を通ったワケである、が、油断なくありたい。
幸い九時過ぎて、特別な何の違和も覚えていない。睡いので、よく寝入りたいが、フランス革命に引き込まれている。いままさにロベスピエールが最期を迎えそう。
2021 8/11 236

* 幸いに二回目ワクチンの後遺異常は極く軽微に推移している。なにもかも無理はせず油断もせず、日一日を気の衰えのないように送り迎えて行く。逼塞の窮屈こそあるがこれは現下避けようもなく恋に避けられるせぬ。幸いに「読み・書き・読書」という絶対的な味方と親しみあえる。この恵みには感謝あるのみ。
殆ど夢中で読み返しているのが『フランス革命』それも所詮は、「所有」を追い求めて確保したいブルジョア階級のかなり不格好な勝利であったと見受ける。派生したようにナポレオンが登場するが、かれの事績には深い関心も興味も湧いていない。
2021 8/12 236

* いま、身を傾けて興味津々付き合っているのは、ジイドの語ってくれるドストエフスキー、そして、沈静かつ徹してフランス革命の底辺を寡言に生き抜いた沈静かつ冷酷無残の能吏ジョゼフ・フーシエ。さらには秀逸無比の懐かしいフィクション世界を統べてある「風の竪琴弾き」モルゴン。
2021 8/13 236

* 晩、近・現代の中国史を映像で観た。おぞましさも覚えながら感嘆もした。私が、最初に、井上靖団長と倶に日本作家代表の一人として中国政府の招待を受けたのは、四人組が追放された直後だった。この國は「一言堂」ですよと痛烈なことばを大岡信と私とに囁いてくれた人とも出会った。
二度目に招かれた頃の中国は、もう資本主義国家かのように感じられた。
そして現今の中国は、あのナポレオンが「終身統領」そして「帝位」を目指したのに似ている習近平主席の「一言堂」に他ならず窺える。
それにしても、なににしても、「底知れない反復」の歴史を重ねてきた大国だと、目が離せない。

* それにしても、なににしても、『フランス革命とナポレオン』を読みながら、その時機を、時・時の権勢の底を音なく流れる毒素のように、ほとんどただ独り生き抜いた、辛辣かつ寡黙な超級テロリストでかつ仮借ない辣腕の凄然の実力者であった『ジョセフ・フーシエ』のツワイク評伝を読むおもしろさ、類がない。
さらに、アンドレ・ジイドが語る「ドストエフスキー論」の肯きに頷かせつづけるみごとな面白さ、ドストエフスキーと例えばトルストイたちやバルザックたちとの顕著な差別のみごとさ、確かさ。
それでいて、であるよ、超絶した「魔の別世界」を美しく懐かしく奏でつづける『イルスの竪琴』が、優に、上のどれにも匹敵するのだ。

* 今、日々に、私は 「読書」の面白い幸せを満喫しているのだ、が、さらに、あの芥川龍之介が責任撰編した『日本近代文藝讀本』六巻から、今日、第三集のうちの永井荷風のエッセイ『日本の庭』 広津和郎の小説『U君とエス』 中村吉蔵の戯曲『地震』をも、それぞれ的確に練られた日本語表現の音律に感じ入りながら楽しんだ。
芥川が、よく踏み込んで気を入れた見識で、心懐かしくも佳い近代文藝の「選集」を成しているのだ、全部で、すくなくも180編ほどの詩・歌・句また随筆・エッセイそして戯曲と小説とが編まれてある。貴重な六冊である。よく買って置いたと思う。
2021 8/14 236

* ジイドの『ドストエフスキーを語る』講演を敬服しつつ聴いている。
ツワイクの『フーシェ』傳にもますます惹き込まれている。
『イルスの竪琴』は、脇明子訳でやがて全三部を読み終えたら、二度目になる、英語の原作本でまた読んでみたいなと。
2021 8/17 236

* この低体調のせいだろう、片づけねばならぬ仕事から手が離れ、床に横になって読書を楽しむか、そのまま寝入っているか、が、多い。文庫本で500頁の『フランス革命とナポレオン」は読み終えた。時ならず、えらい勉強だったが『フーシエ』を読み切るためには必要と判断してであった。そのフーシエ=オトラント公爵も、ナポレオンの「名大臣・警務長官」だったが落ち目のナポレオンからは早や離れて去りつつある。
2021 8/18 236

* 優秀な伝記作家ツワイクの筆になった岩波文庫『ジョセフ・フーシエ傳』ほど異色におもしろくて、文字通り巻をおく能わなかった読書は、この老境までに、この読書好きの私に稀有というも言い過ぎでなかった。しかもこの一巻を通じてわれわれは「フランス革命とナポレオン帝政」との全容をも読み取れるのだが、フーシエその人の、革命家・政治家・権力者として異様に狡猾で苛烈で無残で冷刻で貪欲な「人物・生涯・処世」の出来具合に、ほとほと「驚嘆する」のである。精緻な権謀術数の限りを冷然と黙々とただ居ながらに営みつづけて、皇帝にもナポレオンにも著名な革命家達にも冷然とうち勝って亡ぼし去っている。「凄い」読書に魅了!された。 「権力」「地位」とは真実こんなものかと、とうてい賛同できないが、心底、喫驚!
2021 8/19 236

* アンドレ・ジイドの『ドストエフスキイ論』に没頭、引き込まれ教えられている。教えられることの嬉しさを今も感じられるのを喜んでいる。
しんどい籠居にも、かぎりない読書の誘い、撮っておき和洋映画の誘い、そして妻や「マ・ア」との家がある。元来が出不精と謂えるのにも助けられる。ただ、歯の極端な不具合が食欲をますます抑えるのに困惑。

* 「当面の要処理事項」を、折々に確認しいしい日々を過ごしているが、幸いに、今、気に懸けねば済まない「用事」が無いとは有り難い。イヤなのは、コロナ禍と無徳で怠慢な政治。

* 『イルスの竪琴』をもう読み終えてしまいそうで、惜しんでいる。ついで英文の原作とともに読み重ねたい、一度前にも楽しんだ。相当な長篇だけに、時日はかけねばならないが、値いする名作。同巧の作ではあるが私は『ゲド戦記』より『指輪物語』よりも、さらに愛讀している。
2021 8/20 236

* 「告白」するのだが、私は、徹して トルストイ側を歩いてきた、ドストエフスキーは識らないまま遠慮してきた。いま此の二階の文庫本書架にトルストイの三大名作はむろん揃っているが、ドストエフスキーの『罪と罰』も『白痴』も『カラマゾフの兄弟』も西の棟の二階書架にある。たまたまこっちの書庫に森田草平訳の大冊で『悪霊』があり、ま、気まぐれに持ち出し読み始めたのであり、そして驚ろいた。途方もなくこれは凄いと感じ、加賀乙彦さんの新書版論説を手にしたが、なかなかと食い合わず、これまた偶々、幸いにアンドレ・ジイドの実に実にみごとに有り難い『ドストエフスキー論』一冊にとびついて、アタマから冷や水をかぶったほど異様に目が覚め、教わり、頷き頷き感謝している毎日なのである、それでもまだ『悪霊』のなかばまでしか読めていない。
「トルストイ」的堅固で精微な構造を、この作からはとても得られないが、トルストイとは縁の絶たれた、混沌の凄みの美と人間・人間関係の恐ろしいような二面・多面性が造形されていて、しかも、トルストイのそれとは異なった、悩ましい信仰の深淵が光っているのだ。
遅くも遅くも、しかし出逢えて良かったと感謝の日々を送り迎えている。コロナなど、ものの数でない。
2021 8/21 236

* 夕食が満足にとれなかった、歯に噛む力がが落ち、歯茎に堅く噛むに耐える力が落ちている。入れ歯が、ともあれ口に落ち着いてくれているだけでも、ありがたい。

* そのまま横になって、感嘆と感謝でジイドの『ドストエフスキー論』を大方読み進み、そしてパトリシア・マキリップの『イルスの竪琴』第三部を、もうもう夢中で、一字一語も読み飛ばさずに没頭し堪能しつつ、まことにまことに幸せであった。残る頁数のもう逼迫して終えてしまいそうなのが堪らなく惜しい。
こんなに熱中して本の読めることを幸福と思わずにおれない。これほど熱中して書けて、これほど熱中して読んで貰える作が自分に有るかと、身が縮む。
2021 8/21 236

* 昨夜 『イルスの竪琴』を愛しみ惜しみ読み終えた。ちょうど十度目の読了であったと記録される。
次は『悪霊』 まだ四割量を読みのこしていて、とても読み得て居ると言えない、大筋も読み取れていないし、人間関係図も脳裏に描けていないのだ。こんな読書は初めて。しかも惹き付けられ、手放せない。この大冊を二度三度翻読するのは容易なことでない、が、それ以外には作の思いへ近づけない。いますぐ比較できないが、『カラマゾフの兄弟』を凌ぐ大作なのである。トルストイの『戦争と平和』を二度読めといわれても、むしろ嬉々として直ちに読み返す。ドストエフスキーは、そうは行かない。しかと作者の意図を追いまた踏み固めながら物語の展開を理解し納得する、それが難行のように描かれていて、なのに、そら恐ろしいまで作者は「もの」を云うているのだ。

* 西の二階で、ドストエフスキーの主要な文庫本を大小数作と全集一冊本の『カラマゾフの兄弟』を見つけ、こっちへ持ち出してきた。 『虐げられし人々』を楽々と読み始め、重たい一冊本の『悪霊』も渋とく食いついたまま読み上げる気でいる。
2021 8/22 236

* 気の衰えを労ってやらねば。そのためには面白いことを思い、興味有ることへ自分を誘って行かねば。
流されつ游ぎつきしの往きかひやコロナを詛(とご)ふ声ばかりして
と歌って優に一年が過ぎたが、ますますひどい。そんなとき、いい本、いい映画、いい歌声は有り難い。
ソフィア・ローレンが熱演、マルチエロ・マストロヤンニが共演の映画『ひまわり』に涙を堪えきれなかった。戦争のむごさ、愛の深さ・尊さをビットリオ・デ・シーカ監督の美しく厳しく冴えた演出と画面を、身をかたくしながら、感嘆・満喫した。
ドストエフスキーの『虐げられし人々』にも、待ったなしにぐいぐい惹きこまれている。
2021 8/24 236

* 寝室での読書は、ドストエフスキーの『悪霊』 『虐げられた人々』 カフカの「尋常ならざる決闘」『審判』 そして、ツワイクの『マリー・アントワネット』 異様に重たい読書であるが、残酷なほど重く惹き付けられている。

* 見始めたスペイン映画『ローザのぬくもり』の重苦しさからは半ばで逃げてきた。そのまえに、アラン・ドロンとリノ・バンチュラと佳い感じの若い女優の謂うなれば親密なまことに快い「身内」愛の映像『冒険者』に(もう繰り返し観ている)惹かれていたが無残な死の悲話へ沈んで行くのを識っているので前半だけをこころよく楽しんだ。選りぬき撮って置きのCD版で、良い映画、好きな映画がいつでも幾らでも観られる。和洋を合わせらくに二百作は撮って置いてある。読書との好一対、財産である。
2021 8/25 236

* あれもこれも、せねば、せねばと思いつつたちどまり道草を食っている。集中力という根気が薄まっているのだ。あれをやっておかねば、此れもやっておかねばと、あれもこれも立ち止まって前向きに進まない。まさしくこれはコロナ禍の今日相である。政府も自治体もこんなで在るのだろうナと少しく同情するが、立ち止まっていればますます状況はよくない。
こと、わたくしの場合、いいではないか、怠けて様子をみていることも覚えよと甘やかしたい気になる。怠けるのではない、本を読み、映画を観、音楽を聴いて楽しみなさい。目前の現実だけが世界ではない。いろんな世界が重畳している。重畳したいろんな世界を旅すればいい。そんな小説をアーシュラ・ル・グゥインが書いていたではないか。
リアリズムで生きるだけが命の遣いようではない。こんなときこそシュール・リアルな世界を呼び寄せればいいと自身に言い聞かせてやりたい。ひかれものの小唄よと嗤う声も聞こえないではない、が、いま、あの一代男世の介の身上が懐かしい。光源氏ではご大層。玄関の古典全集から西鶴集を持ち出すか。

* 当面は決するところ『悪霊』に魅入られている。人間関係もつかみにくいし、物語の絵模様にもハキとした説明も理解もしにくい、できない、のに一に手をだしては千頁もの重い古本をかかえこむ。カフカの凄みもたいしたものだが、ドストエフスキーの底知れない黒い沼へ身を投げて読むような、こんな無気味さを他の無数の読書からも承けた覚えがない。

* が、今日ふと手にした芥川編の選集中、豊島与士雄の「霧」という短編は、読むさなかも独語の印象も一種不思議に異様だった。分かったとも分からないとも謂えなくて、忘れがたい。青年なのか大人なのか男友達が霧のなかを親しくしかも神妙にかたり合うて散歩または逍遙ないし神妙に議論していて何の奇もない、のに、ある垣の根かたで愛らしく懐いてくる小犬と出逢ってからが異様になる。どうなるか何故か書き置く気に、なれないのです。分からない…。しかし、気になる。
2021 8/27 236

* 早朝に起き、音楽(プロコィエフのビアノ協奏曲を十七歳の女の子が実に楽しげに弾いてくれた。)を楽しんだ。この節、まだしもテビという限界はあっても音楽は器楽も声楽も楽しめてありがたい。
造形美術は、ことに絵画は、テレビでは真には鑑賞できない。久しく美術展に出向けない。
文学は、手近に手に入れて読まねば楽しめないが、新しい作は手に入れるのが難しい。しぜん、往年の秀作名作佳作を書庫から持ち出すしか手がない。それでもドストエフスキーもカフカもツワイクも楽しめているのが有り難い。読書や音楽、また私語・作文、それなくてこのコロナ禍で逼塞の暮らしは保てない。
2021 8/28 236

* 『悪霊』あと100頁ほどに。全容の構造的把握や理解はまこと覚束ないのだが、手を縛られ牽かれて行くように読み進んでいる。こんな「凄み」の読書はめったに他に例がない。トルストイにもツルケーネフにもない、彼らは彼らの、抜群に冴えた魅力をもっている、が、ドストエフスキには噛み合わないというか、触れ合わないというか、そう、悪霊が行間に目を剥いて潜んでいるよう。

* 『マリー・アントワネット』にも引き込まれている、あの『ジョセフ・フーシェ』の無気味が、まがまがしい背景音楽のように逼つてくる。このはなやいで軽薄に美しい幼稚なほどの王太子妃には、時代のヒロインに成って凄惨に炎上して行く存在感があり、あとを追って行かずにおれない。クレオパトラとも、女王メアリーとも、ちがう。背後に、母にして歴世屈指の帝であったオーストリイ女皇の裏打ちがある
2021 8/29 236

* 朝いちばんには、せめて心地よいことばを口にも筆にもしたいのに、それが昨今は至難。
なにとなくモノに異様に追われている様な不快にせめられる。身を避けたいと本を読むその本が『悪霊』であり『変身』であり『マリ・アントワネット』では、黒い重い砂袋を手術で無くした胃袋のへんにぶらさげたよう。

* もう何年前からか、大同小異くりかえしにた怖い「場所」を夢に見て仰天する。月天心貧しき町を通りけりという蕪村であったかの句がついてまわる。なんでああも似た怖い町、というより細い長いすさまじい通り道を夢見るのだろう。そう思って、そんな、あれらと似た場所というか路というか路地通路をわたしは現実に通ったり見たりしたか、覚えがあるかと顧みて如実の体験は無い。それでいて、かすかに外の明るい場所からのぞき見たことはあるのかと思い当たるとは行かないか察しられる「とき」もある。そんな「時」を薄紙を貼り重ねるようにして少しずつ「感じ」が見えてきたかも、あれがそうなのか、そうではないかと感触くしうるようになってきた、思えばそんな感触に実感を寄せて行くのを遠慮してきたかともだんだん思うようになり、今朝方の目覚めの前頃には感触に景色が乗っかってきたか、そうかあれかというに間近いまで視野が定まってきた気がした。「調べ」て見られるかもともかすかに予測しかけてきた。よく知っている、いやどの辺かと分かっている、けれど実景としては目にしたことがない、そこはピシャと戸で、細い戸で塞がれている。探索までもない、位置は識っていたのだ、実景に目を触れていないのだ、それでいて夢では何度も通ったのだ。謂うまでもない、京都だ。

* 何度と無く体不調を感覚しながら、長い永い千頁もの『悪霊』を一読した。もう一度、遠からず時をおいて読んでやろうと心がけている。おそろしい大作だった。幸いに買って置いたやはり一冊本の『カラマゾフの兄弟』があるのを、やはり持ち重りの堅い一巻だがひきつづき読んでやろうと用意した。ゴーリキーが、ドストエフスキーの天才は別儀なく肯定し称賛しながらも、口を極めて上の二作を否認否定し、害悪とまで批難し酷評している。『悪霊』を文字どおり曲がりなりに一読のみし遂げて、それでもゴーリキーの「全否定」の気持ちは了承する、が、しかもなおもう一度も時には二度三度でも読んでやるぞという気持ちは失せない、そこに「ドストエフスキーの意味」が在るぞと思う。
『悪霊』では霊のロシア式の名乗りの長たらしさ覚えにくさにほとほと困惑した、人間関係が、男か女かは辛うじて分かっても、親子なのか夫婦なのか正称なのか呼称なのかもわかりづらく真実辟易し続けた。幸いに『カラマゾフの兄弟』一巻には登場人物の略紹介が附いていて助かるだろう。
文庫本で十冊近くドストエフスキーを枕元へ運んできて、『虐げられた人々』は読み始めていたが、みな、いったん書庫へ戻しておき、大作のカラマゾフに取り組む。
他の文庫本、『マリー・アントワネット』トルストイ『人生論』、カフカの『変身』『審判』またルソーのエッセイなどは随時に手に取るつもり。
日本の現代・近代作は、いまはアタマにないが、何と無く直哉か実篤が懐かしい。古典は、版元から貰い続けている中世の物語全集へ手を出したい。

* だがだが 視力の急速な薄れが恐ろしくなっている。脚は歩けるし自転車も軽い。腕力も、荷造りした「湖(うみ)の本」をダンポール函に55冊つめて、持ち上げるのも、キチンから玄関へ運ぶこともできる。目 そしてアタマ。気になっています。
2021 8/31 236

*『カラマゾフの兄弟は』は順調に読み進めそう、期待が大きい。
2021 9/1 237

* 「湖(うみ)の本154」を、責了へと前へ押し出した。送り出せるようしかと用意して納品を待機。なにしろ、今はなにもかもガマンし、じりじり進むしかない。アタマはだんだんワルクなっている。体調も停滞している。黙々とやり過ごして行くだけのこと。
正直のところ、いま、どんな段階のどのような仕事にてをつけてしたまま、それぞれの順序が納得できているのかが、よく分かっていない。「湖(うみ)の本 155」に何を、という段取りもついていない。茫然のサマの自身が把握できていない。仕方がない、胸に納まりの良い本を読んで、別世界へ浮遊しているのもいいだろう。『イルスの竪琴』のような夢が和んでなつかしいが、『カラマゾフの兄弟』も『マリイ・アントワネット』も、おまけにカフカも、とても容易くない。スタンダールには、いま一つ乗り切れない。どこかへ少しのんびり遁れたいが。恆存先生訳、ジェイムズ・サーバーの繪入り・「教訓」付き『現代イソップ』などどうかナ、それともオスカー・ワイルド
2021 9/2 237

* 気まぐれに書架で手に触れた、ポーの「黄金虫」を読みはじめて。翻訳の気合いにやや不満はあるのだが、ハナシは無気味にこわく、こわさに尻込みして以前にも「アッシャー家の崩壊」など投げ出した記憶がある。私は、怖いハナシが、ま、苦手である、が、ポーの処女応募作「黄金虫」の謎解きは秀抜の趣向で、とても面白く一気に読了。

* 室町期の「梗概」様の追記を装い書き起こされたろう源氏物語『雲隠六話』が面白い。昔から「源氏六十帖」と謂われながら傳存の「源氏五十四帖」なのを「満たした」という意図の作だろう、各帖短いが、なかなか佳い。悪くない。

* ジャン・ジャック・ルソーという人の近代開幕に閉めた巨大なほどの感化は認識しているのだが、しかも感覚的に苦手な思想家で。それでも繰り返し接近は試みてきた、途中退却もしてきた。
それでも、ま、この人のいわば「散歩」話には食いついていて、要するにこれは私のすなわち「私語の刻」に他ならないかと理解しかけている。お巨大な「フランス革命」を下敷きに頭に入れ直しつつ、ツワイク著の『ジョゼフ・フーシエ』『マリー・アントアネット』を読み終えまた読み返しているが、「フランス革命」をこの近代世界へ呼び出した大きな一人のルソー、あまり好きなキャラクターではないけれどジャン・ジャック・ルソーのいかにも苦く渋い散歩中の「私語」をも読み返している。
ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』にも、興に牽かれ日々ズンズン読み進んでいる。人間関係が明確なので、あのややっこしい『悪霊』のように右往左往の難が無い。どの人間像造形にも惹き込まれている。
2021 9/4 237

* こう時節が陰気だと、カフカは重苦しく、『変身』も『審判』も書架へ返した。エドガー・アラン・ポーは読みやすくても、いわば通俗読み物。これも返した。文庫本はルソーの『夢想の散歩』とツワイクの『マリー・アントアネット』に絞っている。そして名作の期待に違わない長大なドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』をしかと読み上げる。
よく選ばれた『中國名詩選』も、惹かれるままに楽しむ。
2021 9/5 237

* 世事にも勤勉でない。古い古いブロスナンのスピーディな「007」を観ていたりした。
また、書庫に入り、手近へ積みたい(小説でない)文庫本(仏典や、デカルト・ニイチエ・ルソーなど)
持ち出してきた。書庫にはいると、もうとてもとても読めるわけのない大量の蔵書題に心惹かれて手を出し続けていたが。書庫にちいさな寝椅子を入れて読みたいなと思う。秋には適当な室温と思えるので、読んで、どんどん書架を明けたいと思う。
2021 9/6 237

* 寝室に数本、計60棚ほどの書類ケースがならび、満杯。ここに限らず、我が家には、選別を経てきて猶、來書翰が何十年分二階にも隣棟にも溢れている。どうしようかと惑いつつ誰からかな、彼か、彼女か、ウンウンと読み直していたりすると捨てがたい。処分の意をかためようと自身に強いてきたが、ふと思いつく、身動きもとれなくなったとき、なまじいの本よりも選別してのこした手紙やハガキは絶好の手に重くない「読み物」になってくれる、それは嬉しいなと思いついた。「えらんでおく」作業がタイヘンだけれど、これほど来し方を振り返って親しめる読み物はないぞと思う。

* 依頼された文章で、単行本から採り残された活字篇もあり、今朝も偶々手に触れた、「学鐙」への「日中文化交流の微妙な憂鬱」を読み返したが、懐かしくも面白くも「再読」に優に耐えていた。
こんなのが紙ででも機械の中にでもゴマンと埋もれている。『勿忘草』とでも題し、「取りまとめ」ておいてやりたいなと思った。
2021 9/8 237

* なにげなく、旧刊の「湖(うみ)の本 118 歴史・人・日常」を別の場所に置いて、気ままに読み返して行くと、これが我ながら豊かに面白いのにビックリした。こういう編集本のなかに私の人間的エッセンスが端的に表れていると気付くことができた。なにしろ読みやすい。「湖(うみ)の本」読者の皆さんに、数多い巻・巻のなかのこの手の編纂ものへ時折は立ち帰って頂けると嬉しい。
2021 9/9 237

* 昨日、ブーシキン原作の映画「オネーギンの恋文」を見直した。いささか阿呆めく気障なオネーギンのばからしい恋の、失恋の物語だが、映像の美しさはロシアの田舎を静かにうつしていて目にしみた。原作も名品。隣の書架からプーシキンの他の作や、ジイドの文庫本などを持ち帰った。イギリスとドイツの文学とは、かなり読みの間が空いている。ロシアとフランスに傾いている。歴史としてフランス革命と関連の文学作にこのところずうっと気を惹かれている。
2021 9/9 237

* 久々に外出、築地へ。降られたくないが。

* 六千歩ちかく歩いたと帰宅後の機械が記録していた。天気晴朗。
諸検査は、心・肝・腎・尿もな「上等」であったと。二十年の余もつづけたインスリン注射、おやめとなり、以降は服薬と。ただ、就寝前の飲酒や間食のあとだが、極度に苦いものの喉へ逆流するのは食道炎を誘発せぬよう要心したいと。 朝の十時十五分ごろに家を出、十時四十二分初の新富町へ各駅直通に乗って病院着が、十二時前。検査後の待ちで、診察室へ呼ばれたのが二時半。食道で久々に鰻重の鰻だけ食して、もう寄り道はしないで、新富町から小竹向原乗り換え、石神井公園でもう一度乗り換え、薬局に処方箋を預けた足で家まで歩き通した。へとへとでも終始杖を頼んで「歩けた」のが何より。本当は帝国ホテル地下の中華料理を口に奢りたかったのだが、銀座。日比谷の市街を移動するのが億劫で、なにも無しに、帰宅した。
電車でも、永い待ち時間も、ツワイクの、唖然とまでもの凄い『マリー・アントアネット』と、プーシキンすべて韻文という『オネーギン』とに惹き込まれていた。
2021 9/10 237

* プーシキン、ドストエフスキー、ツワイクそれにニーチエの『この男を見よ』に加え、昨日から、久々にまた大部の『法華経』をすこししんみり読み遂げたいと、はじめた。
『オネーギン』『マリー・アントアネット』を読み終えたら、法華経とならべてまたミルトンの『失楽園』をと心がけている、が、既読本よりも「未読の魅力本」がたくさん出を待ってくれている。
漱石、藤村、潤一郎、それに武者小路と荷風を読み返したいなと、故郷を偲ぶような気持ち。故郷といえば、「古典」を片っ端から読み返しておきたいが。源氏{は別格、「うつほ」「寝覚め」「とりかへはや」 ぐっと下って 「一代男」「一代女」はもう一度読んでおきたい。長生きするしか手は無いか。
2021 9/12 237

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