* 機械変調、セーフモードで辛うじて起動し、再起動して回復させたものの、デイスプレイがバチッと音を立てて瞬時消えて戻るなど、危険な感じ。いまのところ様子を見ているしかない。メール等、また「私語」なども停まるかも知れない。子機との連動でどれほどカバー出来るかも分からない。連絡が絶えたら機械の故障とご理解願う。
* 今日は、三越劇場で加藤剛と俳優座との春芝居、初の外出。寒いらしい。機械も寒いのがイヤらしい。
2005 1/5 40
* 機械の失調は不安定につづいている。ことに起動の時にひっかかる。苦労して通常画面にやっと到達する。
CD-ROMドライブが故障しているらしい、何かの折りにはガタタタと鳴るし、今ではしょっちゅう鼾か情けない吐息のように間断なく嘆息を発している。機械環境、どうも末期現象めいてきているか。何事にも免れ得ないこと。
2005 1・6 40
* およそ五、六時間。やっと今、わたしの機械は烈しく断続していた吐息をやめて静かになっている。パイロットランプの赤の点滅もとまっている。ウソみたいに普通。よけいハラハラする。部屋に蒸気をまわしているのが響くだろうか。たしかに寒いのはお嫌いと見える。
2005 1・6 40
* 機械のはげしいため息吐息が今は静かに止んでいる。どうか無事にこの寒さでも稼働してくだされ。
* 今朝も早起きした。睡眠は足りていない。あと数分で日付が動く。ねむたい。
2005 1・7 40
* 機械部屋を少し模様替えして、新しいスキャナーを据えた。六畳和室一間が、身動きも取れない場所と化して、雑然雑然、それでもSOHOらしくなっているからおかしい。何がオカシイと言って、なによりも澤口靖子が溢れているのがおかしい。その真ん中から谷崎先生が終始わたしをにらみ据えているのがおかしい。
2005 1・18 40
* 朝一番のメールを、うかと消去してしまい、再送お願いが最初の仕事になった。二つとも「ペン電子文藝館」委員会関連。
不正メールが多く、それを先ず削除することから始めるので、削除ボタンを押し慣れている。それが、必要なものの方へも、うかと及んだ。
2005 1・21 40
* 苦心惨憺、スキャナーの設定に取り組んでみたが、肝腎のスキャン機能だけが作動しない。さらにねばり強くやり直してみるしかない。
2005 1・21 40
* 三重県の最低気温の記録は、伊賀上野がもっているそうです。連日、氷の朝です。
「詳しいことはH.Pで」「こちらのアドレスへ」。
日々接するこんな言葉を、PC環境にない人はまだまだ世界に大勢いる、負負ストレスにしたらひしげてしまうと、無理圧状に押し込めて、踏ンづけて。努めてまいりました。慣れたつもりでおりました。
今の日本文明をさまざま享受しているにもかかわらず、秦さんご自身の、また、ペンのお仕事のH.Pに、いまだ接することをしていない雀は、手段を探してみもしない大甘ったれといわれても仕方がないのでしょうね。 囀雀
* デジタルデバイトという此の問題は、機械に慣れた者達の思っているより、何百倍もの烈しいストレスというか、きしみあいを、人間社会にもたらしている。それに、双方で気付いてなにかしら工夫しないと、社会は底の方から亀裂が入って、ひどいことになるだろう、実はもうなっていて、大方は機械環境に居ない人達の我慢や辛抱や拒絶や遁走によって、機械環境にいる側の者の無神経や傲慢やジコチューによって、亀裂幅のひろさゆえに殴り合いになっていないだけなのかも知れぬのである。
機械でふれあえる人達もとても増えているが、本当に懐かしい大切な人達との仲が、機械ゆえに隔てられ、ついつい疎遠な状態を作りだしてしまってもいる。間違いない現実である。修正すべき時機はきている。
2005 1・22 40
* はてさて、スキャナーは、なかなか設定できない。どうでもよい他の付属的なソフトはインストールできているのに、スキャンだけがどうにも繋がらない。参った。おかげで、また少し頭痛がする。ゆっくり休みたい。
2005 1・22 40
* よく寝た。夢も見ていたが、いやな夢ではなかった。血糖値もいい。これでスキャナがうまく繋がれば気分好いが、エプソンのGT-F600と、布谷君の作ってくれた手作り機械との相性が、もしかして良くないのだろうか。「スキャンを起動できません」と来る。インストールでは「完了しました」と告げられている。USBコードの接続が間違っているのか。ゆるいのか。パソコンの機械本体にマニュアルが無いので、わたしには判断がつかない。
2005 1・23 40
*「勉強」の甲斐あり、スキャナーをやっと「起動」することに成功した。バー・ベレーでもらってきた、「戦後十年文壇萬華鏡」現世編と題する似顔漫画をスキャンしてみた。まだ文字の方は試みていない。機能は、是まで使っていたSHARPJX-250とは断然ちがう、ようだ。使いこなすまでに時間が掛かるだろう、が、有り難い。
狭い場所で、コードの長さに神経を配りながら、まず部屋を模様替えし、機械を配置。こんぐらかるコードに、はらはら。なんとか漕ぎ着けた。
* 晩の九時半。もう下北沢では『月の子供』千秋楽の最後の舞台も終え、みな、観劇して打ち上げを今から楽しもうとしていることだろう。
ゆっくり寝たのに、疲れがどっと来ていて。眠い。日付の変わる前に機械を仕舞う。
2005 1・23 40
* まあ、それにしても不正メールの多いことはどうだろう。ひどいときは七割八割が不正メールである。絶対に開かず棄てる。その煽りで、消してはならぬメールまでときどき勢いで消去してしまい困惑するけれども。
2005 1・25 40
* いま、はじめて新しいスキャナーを用いて国木田独歩の作品を読み取った。はじめ、この機械、写真はスキャンしても文字テキストには創れないのではないかと泡をくったが、従来の機械で用いていた別の機能を使うのではなかろうかと、e-Typistに新スキャナーを読み取らせて、例の如く操作してみたら、手順としては従来のと同じようにテキストの出来ることを納得した。「正直者」一編をとりあえずスキャンし起稿できたのである。
機械に馴染んでくれば或いはもっと手際よく出来るかも知れない、いまのところ、読んでみると識字の精度はあまり従来と違わない、けっこう逐次的に気を遣わねばならぬと分かり、やや拍子抜けしているが、馴染んでこっちの手際がよくなれば、精度も上がるかと期待したい。ま、よかった、よかった。感謝。感謝。
2005 1・27 40
* 今日は晴れ晴れと明るい日射し、嬉しくなります。この町はいなかで、静かなのが一の取り柄です。めぼしいものはなあんにも無いところです。
部屋を蒸気で湿らせています。乾燥すると鼻腔の粘膜が乾いて痛みます。ハハハ。
新しいスキャナの素性が掴めてきたし、五百万画素のデジカメはえらく優秀だし、替えた録画デッキもテレビもだいぶ使えるようになってきたし、わたしの電子メディアはこのところ少なからず豊かに稼働しています。しかし、手で書くことも紙の本を読むことも大事と思っています。なにより大事なのは、実感をもってものごとに、いいえ自分自身に真向かうことから、自分の言葉を、思いを、くっきりと彫り起こすこと、ではないでしょうか。 遠
2005 1・28 40
* 笑ってしまった。ものを知らないとはこういうことなのである、どうもピカピカのスキャナーなのに、従来のe-Typist6.0 で読み取って、相変わらず甚だ不出来な識字再現率なので、いささかガクッと来ていた。それがふと思い当たったのだ、まったくお笑いぐさであるが、ひょっとしてスキャナーの精度がひくいのでなく、このテキストへ組み替えて読み取るソフトの精度が悪いのではあるまいかと。ギャッ。
全くその通りであった、わたしの「私語の嘆息」に気付いたエプソンの方から、それはスキャナーの問題でなく、「OCR読み取りソフト」の問題で、そっちの性能がわるくてはどんな好いスキャナーを使っても同じこと。どうか同梱されている「読んでココ」というのを用いて読み取って欲しいと。
わたしと来たら、必要なのは EPSON SCANだけだと思うから、そんな「読んでココ」などというアイコンは真っ先に割愛してしまっていた。勝負はまさにソレであったのだ。参ったよ。
ま、それほど、わたしはあまりにこのメディアに暗いのである。「駆使してる」など、言ってくださるな、とんでもない。恥ばかりかいている。が、ま、また一つカシコクなったか。
2005 1・28 40
* なかなか「ペン電子文藝館」起稿用にスキャナーがまだ使えない。単に「読んでココ」でスキャンしても、みな化け文字で出て来てしまう。マニュアル敬遠が多年身に付いて読みたがらないのが傲慢でいけない。何処を読んでいいのか見つけにくいこともあるが、ここだという頁を今見つけた。やれやれ。
ところが結局マニュアルは機械の中に。これを印刷しようとしたら、大変な手間が掛かると分かりグタッとなった。
2005 1・29 40
* 食後は、どうしてもしないわけに行かず、し終えてみてもたいした取り柄もない片づけ仕事で、時間を過ごした。片づけないと、ますます身の回りがややこしくなり、するといろいろ気も詰まってくる。ついでに捜していたモノが見つかればよかったが、それも出てこなかった。
まだスキャンの作業もうまく手に入らない。試行錯誤を繰り返すよりない。そうして身に付くと、何で何に躓いていたんだろうと後々呆れるのだが、しようがない。通らねばならぬ道は通るしかない。
20051・30 40
* これまで使ってきたe-Typist では読み取りの「向き」を気にすることなく自動的に見た目にまっすぐやってくれたが、ただ「傾き」の補正ということが出来なかった。そのため、見開きでスキャンする分厚い本からの「読みとり」はむちゃくちゃになりやすく、大方手で原稿を書き直していた。閉口した。
どうやら今度寄贈されたエプソンの読み取りだと、読み取ったアトで「向き」を補正しさらに「傾き」の補正も出来る。読み取り時間はとくに早くないが、「認識」はあっというまにしてくれる。
ともあれ、手探りの試行錯誤がまた前進し、まだ十分納得していないが、曲がりなりに「起稿」して行ける。
今は猪瀬直樹の『天皇の影法師』終章を試みている。わたしは彼のこの作品が好きで、すでに「元号と鴎外」との章は「ペン電子文藝館」に掲載されている。
文庫本の「般若心経講義」も試みてみたが、神と活字の劣化で、読み取りにも時間が掛かり、認識の精度もよくはない。
今一つ、スキャナーの設置位置の関係で、強烈なライトが、注意していないと眼を射てくる。この光度は鮮烈でとてもガマン出来ない、作業の時はサングラスを眼鏡の上から掛けている。
2005 1・31 40
* 高神覚昇の『般若心経講義』を、ひどい状態の原本から辛うじて第三講までスキャンしてみた。本紙がもうホロホロと頽れてくるぐらい。酸性紙はいずれみなこういう運命にある。そんな時には電子化されていると、どこかで助かっている望みがもてる。モノを書いている人は、とにかくも電子化されておくことをすすめます、と、電子メディアのプロが言っていて、本当だと思った。そう聴く前から心掛けてきた。
* だが、あまりにわたしの機械は厖大にモノを孕みすぎているかも知れない。スキャンしていると、必ずかなりいったところで「仮想メモリ」が不足で危険な状態ですと脅される。警告の意味がわたしには理解できていなくて、危険。用語辞典で「仮想メモリ」の意義は分かる。で、どうすれば回避乃至改善出来るのかは分からない。
「システムのプロパティ」によると、「メモリは RAM255.0 MB」「システムリソースは、20%の空き」「ファイルシステムと仮想メモリはそれぞれ 32 ビット」「ディスク圧縮もPCカードもインストールされていない」と出ている。これが我が親機の「システムの現況」らしいが、このデータをどう読むかが、わたしの力に余っている。
2005 2・3 41
* もうガマンできず、寝に行く。メールの返辞もみな失礼させて頂く。
* 体調だけでなく機械に重さが感じられてきた。メモリの影響だろう。むかしこういうことは間々あった。わたしにメモリとハードディスク容量との理解が不足していたのだう。ホームページ容量も足りなくなってきているのだと思う。思い切って、「闇に言い置く私語むの過去分をいったんMOディスクにうつして消去し、期限を切って一年分ずつを掲載・分載してゆくことなどを工夫したい。
2005 2・8 41
* 朝から電源が落ちて、家のあちこち電気がつかえず閉口した。電気屋に来てもらいかろうじて回復しているが、暖房等電化製品の過剰傾向からか、このごろちょくちょく起きる。電気が切れると機械仕事は一気にとまる。あたりまえだが、常日頃はそれを忘却しているから怖い。
2005 2・21 41
* 機械環境の多くを、かなり整理の上、必要なフォルダ、ファイルはバックアップした。今後もまだあること故、十二分の容量余力を配して贅沢にバックアップした。
2005 2・24 41
* 夜前。もう寝ようとして機械を切ったのに電源が落ちなかった。リセットして再起動したところ、なんだか機械から苦情が出たので、つい「最適化」しはじめたら、デフラグに何と三時間もかかって、寝に行くきっかけをうしない往生した。四時までかかった。デフラグというのは、じいっと観ていると面白くはある。時間が平面の上をじりじり走る図が見え、それも繰り返し時間が後戻りなどして見えて、面白い。おかげで、睡眠不足。
* そのせいか、折角気負ってスキャンしはじめたのに、名前を付けて保存し忘れ、三十頁分ほどをきれいに消去して水の泡。もうなんどかやってきた失敗を、いまだに繰り返すとは、アホですわ。
2005 3・9 42
* ペンは早速、人権擁護法案の過った起案に反対の声明を送った。まだ確認出来ないが、メディア規制も削除せず断乎通過させるという政府与党の方針に、民主党も抵抗しそびれているという報道があるかと思うと、民主にも自民内部にも反対意見が膨らみ、不成立またも廃案という報道があったようよと、妻は横へ来て、言う。そうだといいのだが。
人権擁護法案を政権側がもちだす一つの足場には、差別問題があり、此処に立脚するかぎりこれに反対する理由などあるわけがない。しかし、言論表現委員会でわたしが繰り返し発言したように、これは巧妙な立法口実の足掛かりとして政権側は利用し、ダシにして、その実は、橋本龍太郎・鈴木宗男のような悪政治家や、堤義明のような悪企業家たちの人権擁護が本当の狙いであり、その擁護を従来阻害してきた報道メディアなどをつよく規制しようというのである。
しかも更に奧があり、本当に彼等が恐怖して止まないのは、制御の難しいインターネット上での圧倒多数の国民の、また国外からの、批判や追究をどう免れうるか、電子通信メディアの規制・制圧に遠い「的」を絞っているのである。新聞や雑誌や放送なら抑えられるという自信を、もう政権は早くから持ちかけている。そういう表向きのメディア規制は、事実上の陽動作戦めいており、攻撃の本丸は、組織団体や、あなたやわたしの、インターネット利用そのものになっている、それを理解していないと、ラチもないレベルでの反対声明に終わってしまい、政権側の彼等からはお笑い草で終わってしまうのである。
わたしは、専門家でも情報屋でもないが、いくらかは一人の人間としての直観があり、過去の日本の政権がいかに狡知の限りを尽くして、人権を、擁護どころか抑圧し潰滅させてきたかの「歴史」を承知しているので、こういう推測はたんなる床屋政談では無いのである。わたしの発言に委員会でいちばん肯いて賛意をみせていたのは、こういう法律の内情にもっとも通じている日弁連の弁護士たちであった。以前にも、「秦さん、それ、正解ですよ」と、常日頃ほとんど縁のない弁護士が耳打ちして帰っていった。
* これは例のあることだが、WWW(world wide web) というのは、たんなる形容ではない。極端なことをいえば、ある事案に関して三十人が一斉にある立場からの主張と結論をメールで述べて、知り合いのメーラー十人ずつに送り、賛成ならばあなたのメルトモのせめて十人に同じように送って欲しい、つぎつぎにその様に送り続けて欲しいと発信すれば、事柄と使用言語とによっては、たちまち world wide に素早くそれが拡がってゆく。まして日本語で日本国内に発信すれば、うまくすると政府を倒せるかも知れない意外な影響すら立ち現れうるのが、インターネットの威力なのである。これを政権が懼れていないわけがなく、「敵」は電子メディア通信にあると、制圧の目標を「悲願」ほどに立てているのが、この数年来の瀬踏み的な「悪法」成立を積み重ねてきた、本当のねらいに違いないのである。
ブログ流行の時節である。やがて、インターネットの低劣な毒害部分の規制を口実にして、一般私民のパソコン活動、携帯メールなども規制する管理すると表だって言いだしてくるだろう。その時にも、かならず、ちょっと反対しにくいようなジャンクメールの制圧やポルノグラフィの禁圧を持ち出してくる。そして必ず「保護」とか「擁護」とか「人権」とかの美しい名前で悪法を飾ろうとする。それは、明治この方の権力立法の常套手段なのである。
* このわたしの発言ないし預言が、できれば良識あるジャーナリストや批評家の眼へも届いて欲しいと切望する。
* 自民党の現職衆議院議員が、酒の上といえ路上女性の胸につかみかかったという話は、ばかな話だが、本人辞職と除名とで決着させるらしい。おかしいのは武部幹事長談話。遺憾の弁が、ごく当たり前に「党改革を実現したい」と来たものだ、セクハラはもとより、性犯罪は冒さないように「党改革」が必要とは、はてさてお行儀のわるい政権党じゃなあ。
* 昭和十五、六年ごろの松岡洋右外相の外交は、日独伊に加えてソ連との四カ国提携であった。それにより米英との均衡を守りつつ、世界を米ブロック、ドイツ中心の欧州ブロック、ソ連ブロック、日本を指導者とする大東亜ブロックという構想であった。
ブロックという考え方はもっと早くからグローヴァルに通用していて、もっぱら経済圏という概念であったが、これが政略的な覇権ブロック化していた。
ところがいまも、アメリカとロシアとEUとの「政経」ブロックに加えて、この間まで日本が指導的位置を自認していたアジアが、中国ブロックとして世界的に公認されつつある。日本はもう目でもなくなろうとしている。それがいいかわるいかまではわたしには分からない。しかし、嬉しい望ましい事態のようには思いにくい。極東粟散の辺土日本国は、またしても世界史的に孤立への道半ばにありはしないか。なぜなら、韓国も北朝鮮もロシアも台湾もおそらくフイリピンですらも、日本国にあつい愛情などとてもとても持てまいからである。またも烈しい革命でも起こらぬ限り、中国外交の「悪意の算術」は確実に成功をおさめつつある。
* 国民投票法案にいたっては、よくもまあ此処までやりたいかと、絶息しそうなヒドイものである。
2005 3・10 42
* 大逆事件・明治の終焉を起稿しかけている。本にいっぱい赤線がひいてあり、スキャンがなかなかムズカシイ。
* 英文の「反核」詩稿が届いているが、新しいスキャナーではうまく英語になってくれない、つまり英語での認識方法が掴めないのである。暫く試行錯誤してみる。
2005 3・11 42
* 瀧のように、いかがわしい、発信元不明のメールが流れ込む。総て機械的に削除している。NO NAME や、表題のあいまいなメールは機械的に「読まないで削除」へまわりますので、ご承知願います。
2005 4・1 43
* 呆れるほど大量のジャンクメールが降ってくる。私自身のメールアドレスを発信側が使って、途方も無げなメールが届く。わたしのアドレスなら、かなり広範囲に年鑑や名簿やこのホームページにも出ているので、手に入れるのは簡単。そんなメールは開かずに捨てるから内容は分からない、が、ロクでもないことだけは分かる。こんなのが、あちこちへ無数に発信されていると思うと愉快でないが、インターネットとはこういう泥沼でもあるので、一現象とながめ、即削除している。
「無視と削除」これが鉄則。ヘンな好奇心は禁物。ジャンクメールが欲しがっているのは、メールへの「応答による自動的なメールアドレスの入手」らしい。メルアドの交換を甘い題名で誘ってくるメールも相当数有る。
ジャンクメールも一つの現代文化として考察の対象になりうるが、ウカと開くのは災難の元と心得た方がよい。あやしきは、総て開かず棄てること。
2005 4・4 43
* 双方でその気になれば、すぐ会える距離で暮らしていても、メールのほうが簡単で、何年も顔を見ないという付き合いは、列島の到る処で起きているだろう。それも是々非々であろうが、メールの上での言葉の交換だけで、「足りている」「そのほうがいい」となってしまうと、健康でない気がする。
逢いたくてもおたがい遠方で、だからメールで思いかわしている友人や恋人達は、もっともっと数多いだろう、メールはそういう人達にはどんなに有難いものであろう、まして海外の友や家族と、メールで、間近にすばやく安価に話が通じ合うなど、どんなに有効で嬉しいものか。実に、いい。
だが親しい同士、双方でその気になればすぐ会える距離にいながら、メールの言葉のやりとりだけで便宜とする度があまり過ぎると、言葉じたいの味が安直に薄く、しかも過剰に言葉数ばかりのアイサツに流れ、具体の生彩や魅力を、まったく淡めてしまうことが有るのではないか。「お元気で」「お幸せに」などとは、成ろうなら顔を合わせて言えばよく、顔を合わせていれば言わなくても直ちに伝わる。
メールは、生きた人間関係を根の方で安直に蝕んでしまいかねない「毒」も孕んでいると知っていたい。
わたしが人様のメールを、誰のとほぼわからないように此処に書き込ませて貰うときは、わたしの書く文章や生活とはまたちがった日々や場面や思いが、新鮮に具体的に闇の向こうへ光るように伝わるだろう…か、と想うからである。そうしないメールは、あくまでナイショに属するか、闇へ放っても遠くへは光るまいと思うものか、単に用事のメール。遠慮すべき人のもの。
ドラマ「北の国から」の最後の方で、竹下景子の息子役であらわれた、少年とも青年ともつかぬ年頃の男の子が、かたときもケイタイのメールが手放せずに書き込みをつづけ、来信を待ち、しかも相手は年上の女性らしいが名もアイマイで顔も知らないという。しかし必ず逢うのだ逢えるのだ二人で、と、その時至るのを「待っている」ひたすらに。
悲惨な印象を受けたし、実る期待とは全く想われないのが哀れであった。そしてその場合も、その男の子は、メールだけでいいんだとは、ユメ考えていなかったのである。逢いたかったのである。それ自体はまだしも健康な期待であった、メールだけでいいんだとは言わなかった。
だが、ここにも危険きわまりない陥穽がある。人と人とは逢えば、会えば、それでいいどころかメールを媒介に、何処の誰とも解らない相手とあいたがるのは、余りに無謀、放埒で、危険きわまりないこと、よくよく知っていなければならない。それは、どうあっても誰にも奨めない。
2005 4・27 43
* 受信拒否のリスト設定をはじめた。少しは効果をあげるだろうか。笊で水を掬ってる感じでもあるが。
2005 4・28 43
* そういえば、昨日深夜に古いフォルダの整理をしていて、あれで平成十一年師走に、甥の北沢猛がウイーンから送ってきていた、長いメールを、たぶん「初めて」読んだ。何故かなら、そのメールは長そうなのに総化けで届いていて、どうしようもなく、だが保存してあったらしい。で、開いてみると、やはり総化け。削除しようと思い、カーソルを下げてゆくと、なんと、うしろに「日本文に化けて」メール本文が現れるではないか、愕いた。機械のマカふしぎというものか、いささか気味悪いが、機械環境がこの六七年の内には激変していて、何かが働いて総化け文面を翻訳してくれたのだろう。兄の自死後のメールで、猛は、父の思い出などを書いていた。
兄は、死の直前まで京都精華大学で教壇に立っていて、大学の機械で、よくメールをくれた。猛の置き忘れのような昔メールを読みながら、しっとり小雨の精華大学へ妻と二人で(ここであの世界的な版画家の名前が出てこない。昨日テレビ番組の特集を観て、あんなに感動していたのに。ウーンと、ウーンと、ウーンと、出てこない。アッ…)棟方志功展を、わざわざ観にいった日のことが懐かしく思い出された。兄の死のあとであった。
2005 4・29 43
* むかしはコピー機をつかって、そばに立ち機械の監視をしながら、湖の本発送のためのいろんなプリント作業が必須であったが、今は他の仕事をしていても、同じパソコンに繋いだプリンターが必要なコピーを幾らでも吐き出してくれる。しかし裁断機で細い一枚一枚の挨拶用紙にする力仕事は自分で。慌てて切ると失敗する。根がつまる。
スキャナー、ファックス、電話、パソコンの子機、ADSLチューナー、外付けハードディスク、外付けMOドライヴ。いつのまにか機械環境も膨らんでいる。大きめのコピー機は別部屋にある。だが、もし電気がこなければ、すべて死に果てることを忘れるわけに行かない。
2005 5・10 44
* MAOKATさんの紀行文は日記体の長文で、私的な書留めでもあり、一時に此処へ紹介することは難しい。わたしが、ひとり、休息時に楽しんで読んで行く。
ペンの仕事が少しでも空けば、「e-文庫・湖(umi)」をまた充実させて行こうとも思っている。「ペン電子文藝館」にほとんどの精力と時間とを奪われ、余儀なく放ってあった。目をみはるような小説の書き手、感嘆する勝れた批評や文化論の書き手が現れ出て欲しい。併行して、わたしも、仰天モノの「わが瘋癲老人日記」を書きたいぞ。呵々。
2005 5・10 44
* 天領飛騨高山・古川は佳い里でした。西暦600年の昔から飛騨の匠そして宮大工を輩出したと、日本書紀にあるそう。町なかには掘割があり、水が流れていました。
「白真弓」はこの地出身の力士の名であり、お酒の名ともなってます。黒船に一人で八俵の米を運んだ怪力の持ち主とか。これを、いっぱいやらねばね。ただし、別のゆみの方は少々とうがたっており、食用には適さないかも。
* これはまあ!!
* つる打ちの音色が弓の身上。よく撓いよく鳴るでしょう。が…… 八幡老太郎
* つる打ちには思わず笑ってしまいました。ま、弓としてはいいなりですけど。白真弓
* こういうケシカラン冗談は、顔も見知らぬメールだから、可能になる。可能にし、いくらかは擬似的に欲情の発散があるのだとすれば、そこにはぜひユーモアも余裕も信頼も品位も必要になる。なによりセンスが生きていねば。
この「いいなり」など、「佳い鳴り」の言挙げと「言いなり」の挑発とが、重なり生きてくる。「思わず笑ってしま」うのである。メールはそれが出来、だからメールはそれまで停まりなのである。出会い系のメール交換で、軽率に、殺されたり監禁されたりに危険ゾーンへのこのこ出かけて行く少女たちよ、悪用する狼どもの危険がこの「電子闇世界」にはうようよしているのを、ぜひ知って欲しい。機械に翻弄されてはいけない、この機械は猛毒をたえず滲出している。甘い毒は、つらい被害を連れてくる。
わたしのような不良老年には、だが、かすかな春情を恵んでくれるのも、この機械である。
春愁に似て非なるもの老愁は 登四郎
2005 5・12 44
* ことば、ことに電子化された言葉に頼りすぎると、錯覚する。コトバもココロも、健康で元気なカラダの、正直なはたらきには遠く遥かに及ばない。それをよく知って、それを信じて、そのうえでやっとメールもことばも生きてくる。メールだけで足りているという人も世間に多いだろうが、過信すれば大事なモノをとり落とす危険は大きい。コトバだけいくら重ねても空疎に変質しやすい。ことばは儚い、物書きの云うことである、いくらか実感は人よりも濃いと思っている。
2005 5・14 44
* いいデジカメを手にしていらい、写真が機械の中に殖えつづけていて、家族のはもとよりだが、「花、花」のフォルダに、数えてみると六十枚も溜まっている。春へ向かう時節であったし、わが保谷はてんと田舎であるだけに木々の杜も藪も、また家々の生け垣、前栽、花育ても多いから、心を惹かれると撮って行く。煙草をすわないわたしの機械づかれの安息は、こういう花、花を眺めることで、スライドショウして行くと、美術館にいるよう。蟹歩きしなくても機械の方でいい間隔で写真を見せてくれる。秘蔵愛蔵というに足る花の写真もあり、なにかと云うと眺めている。
美しいヌードもたしかに心惹かれるが、疲れているときは疲れを増してしまう。その点、「花、花」は気がやすらぐ。
今一つは、「空・雲」を撮っている。保谷はまだまだ空が広いので、夕茜も青空に白い雲も、あけぼのも霞も曇り空も、胸にしみる。画素数が五百万あると、写真が大きく撮れてしまうが、ボケはしない。わたしにはうってつけである。今日は帰宅後、疲れてもいて、ついつい、花や空の、われながら惚れ惚れする写真を繰り返し眺めている。
2005 5・18 44
* 一昨日の「事件」を書いておかないのは卑怯な気がする。十三路の盤面に「三子」機械に置かせて、なんと! 二番続けて負けて! しまった。ドジなミスを打ち続けてまんまとやられた。機械と碁をうちはじめて何年にもなり、百回は全面十九路で勝負しているし、六子置かせても一度も負けてこなかった。それが、二度続けて十三路三子の白番で負かされてしまった。口惜しいが、気もラクになったか。こんなことでも、口惜しがる我(エゴ)がまだあるのだ、痛み入る。気恥ずかしい。昔から、決して一度に三番以上は打たなかった。いや、なるべく「勝負しない」ように自分に仕向けていた。負けて悔しがるのも、過ぎては、良くないから。
ちなみに二番負けてすぐ勝ち返し、昨日の就寝前にもう一度負かしておいた。十三路の三子白番。いい緊張の好敵手をやっと見付けたと喜びたい。十三路だとほんの煙草がわりの間に済むのがいい。
2005 5・26 44
* インターネットのどういう事故かいたずらか、一人から送られていたメールが数本もたてつづけに「着信拒否」されていた。それに気付いて、向こうから回復するのがたいへんだったようだ。こっちの機械に異常があったのか、分からないが、一つ一つ送り直されてきた。
2005 5・29 44
* 十三路機械に三子置かせた碁が、スリルになっている。二番負けてからこちら六番ほどつづけて勝っているけれど、細かい。並べて数目勝ちということが続いている。三目半程度のコミ出しとすれば大体楽勝出来るが、コミ無しで打つと、一つ二つ緩手を打つと極めて危ない。打つ限りは勝負にこだわる。この煙草代わりの一服は緊張を増して頭痛がつづいてしまう。何番打ってもただ「参りました」と機械に勝負を途中で投げられるより、しかし、ずっと面白い。ごく短時間で打ってしまえるので、まさに一服である。
ああ、もう一時。偏頭痛がひどくなってきた。眠いのだ。
2005 5・30 44
* 不正広告メールも降るように来るが、これらの殆どが求めているのは、こちらの「メールアドレス」なのだと分かっている。おそらく、手に入れたアドレスは、「売れる」のではないか、各種の名簿が売れるように。わたしのようにアドレス自体をいろんな年鑑類にまで公示しているものには、不正広告の類は防げない。最低限厳重に守るのは「受信」しない設定、「返信」してはならぬと云う一事、即「削除」すること。
2005 6・6 45
* つい最近、オオッと思うメールが届いていた。はじめ不正メールかなと削除しかけたが、こころもちそうではなく思われて、届くかどうかオッカナビックリに返信した。発信されたのがいかにも初心者メールに思われた。辛うじて文中に名乗られてある名前から、ああそうかも知れぬと思い返信しておいた。これは、それへのまたの返信で、実質初のメールと言える。
この人は高校の茶道部でわたしから茶の湯の手ほどきを受けた後輩部員。同級生だった秀才の兄の、可愛らしい妹である。高校をわたしより二年おそく卒業しているはずで、以来顔を合わせたことがない。今は京都にいない人だが、しかも「湖の本」を、お姉さん(私の先輩)と二人で、ずうっと講読して下さっている。有難い有難い同窓生であり、短歌を作り始めたと云うことも、払い込み票での文通のうちに聞いていた。「とっても嬉しく懐かしく」というのは、わたしも同じである。
わたしの二年後輩の茶道部員にはいい人達が何人もいて、みな懐かしくよく覚えている。
* あの高校には、いい茶室が出来ていた。「雲岫」席といった。それなら茶道部を創ろうと提唱したのは二年生のわたしだった。指導の先生はいなかった。中学の時と同じく、わたしが一切引き受けて上級生も下級生にも、初歩から教えた。卒業してからも暫く教えに通っていた。そのころのいわば「お弟子」たちとも今も何人もお付き合いが続いている。
茶道部でだけでなく、高校時代、家でも、別に何人かの後輩のグループに、週に一度ずつ茶の湯を教えていた。その中の三人までやはり「湖の本」の最初からの読者でいてくれる。
わたしはていねいに人と付き合うタチであり、だから永いのである。それは茶の湯のこころであろうかも知れない。石川県の文学館長であった心友の井口哲郎さんは、いつかわたしに「秦さんはほんとうに人と丁寧に付き合われる」と言われたことがある。わたしは、これでも、心を許す人達とはほんとうに心を許しあうのである。何十年も逢わなくても、それは何の障りにもならない。
期せずして、もう一人同じようなメールをもらっていて、これまた不正メールなのかどうかハッキリしなかったが、やはり何十年も逢ったことがない、わたしから茶の湯の手ほどきを受けたやはり茶道部の後輩であるらしい。こつちは、まだきちんと交信の段階に入っていないが、やがて通じるだろう。
みな、お下げ髪の愛らしい少女達であったけれど、間違いなく、揃ってやがて七十になるのだ、これは誤魔化しようがないので気楽である。むしろ驚くのは、そういうレキとした「おばあちゃん」たちが「電子メール」を呉れるという、この、現代的現実である。オウ、と声をあげてしまう。
2005 6・17 45
* 私のところへ、私自身のメールアドレスでいたずら情報のメールが入ってくる。メカニズムは知れないが、公刊の年鑑や公開の名簿類にアドレスを当然出している者は、どう悪用されているか知れたモノでない。当の本人がそれを受け取っているのだもの、笑ってもいられないが。
ぜったいに、うっかり開かない。すぐ削除する。但しついでに必要で尋常なのまで削除しかねない。厄介な事故防衛のためには、それもやむをえないと思うことにしている。
2005 6・18 45
* 電子メールに異常が起きている。裏技で辛うじて開いたけれど、ややこしくなるかも知れない。
2005 6・23 45
* 加藤@ほら貝です。拙サイトの記事です。
Jun23 先日、マイクロソフト社が中国政府のblog検閲に協力しているというニュースが話題になったが(ITmedia、東京新聞)、 Hotwiredの「「MSのブログ検閲は中国政府より過激」著名ブロガーが批判」によると、マイクロソフト社ほど露骨な形ではないが、検閲は他の blogサービスでもおこなわれているという。
マイクロソフト社が開設した中国語ポータル、MSN共享空? のblogサービスで「台湾独立」、「ダライ・ラマ」、「人権」、「自由」、「民主主義」といった語句を含む文章を登録しようとすると、「そうした表現は禁じられている」というメッセージが出て、登録を拒否することが問題になった。他のblogサービスの場合、「民主主義」や「人権侵害」という語そのものは禁止語ではなく、中国以外の場所で起きた人権侵害にふれた文章なら登録できるが、「中国には民主主義が必要だ」と書いたり、中国国内の人権侵害をあつかうとブロックされるそうである。
ところが、マイクロソフト社は「民主主義」や「人権侵害」という語を一律使用禁止にしてしまい、さらには中国政府が検閲の対象とすることを求めていない「自由」という語まで禁止語のリストに加えていた。マイクロソフト社は露骨に中国政府におもねろうとしたのでニュースになったが、blog検閲は見えにくい形で広くおこなわれていたのだ。
大手企業が提供するblogサービスではなく、個人の運営するサイトにMova Typeなどのblogツールをインストールし、blogを運営すれば禁止語規制にひっかからなくてすむはずだが、それが不可能になりつつあるのだ。
ITmediaによると、中国政府は中国国内で開設されたWebサイトとblogに対し、6月30日までに登録と開設者の完全な身元情報の提示を義務づけた。すでに75%のサイトが登録をすませており、未登録サイトを特定し、遮断するためのNight Crawlerというツールの運用がはじまっている。
問題は個人blogサイトの登録が事実上不可能になっていることだ。ITmediaから引く。
ある中国のブロガーが同団体に匿名で語ったところによると、このブロガーは登録していないという理由で上海の警察からサイトを遮断された。そこで情報産業部に電話で登録方法を聞いたところ、「独立したブログが出版許可を得られる可能性はない」ため「手間をかけて登録することはない」と告げられたという。
登録制度自体問題だが、禁止語規制のできない個人運営のblogサイトはその登録すらできないようにしているのである。
もちろん、インターネットには国境がないので、他国のサーバーにWebサイトやblogサイトを開設したり、他国のblogサービスを利用するという抜道もあるが、そうなると悪名高き「万里の長城ファイアーウォール」が立ちはだかり、中国国内から閲覧することが困難になるのだ。
しかし、いくら規制したところで、情報は流れこんでいく、時間はかかるが、中国共産党の独裁はいずれ維持できなくなるだろう。
* こういう画策も混乱も、まだ序の口で、近未来の人類社会は、マトリックスに汚染された幻想世界へと荒廃して行くおそれがある。
* あたりまえでもあるが、加藤さんのこういう情報もわたしには届いてきて、まともに反応しているつもりだが。またこんなメールも飛び込んできて、わたしを別次元へ運んで行く。
2005 6・28 45
* 朝に届いていたメールのなかに、十四通もの不正メール・広告。むろんアドレスと題をみて削除するだけだが、こういうことに従事してそれぞれの「今・此処」に呼吸している憐れな人生もあるわけだ。一括削除の指定をあえてしないで、一つ一つを削除する手間をあえてし、「現在」にしか生きられない気の毒な人と世の中のことをわたしは想う。こういう人と行為とから「現代」が出来ているというのは、ただの錯覚なのである。「現在」があるに過ぎない。そんなものはいつでも、タダ有るだけである。
我こそ「現代」を呼吸し沸騰しているかのように自負し昂然としている手合いは、わたしの属している世間に、どこにでもいる、が、観ていると、そういう人達の「時間」ほどまるで停止している。玉手箱を抱いた浦島太郎に過ぎないという覚悟が出来ていない。人間がまだ「若い」というのは、そういう嬉しい錯覚のなかを泳いでいられるという徳に過ぎない。わたしもまたそうして歩んできた、五十なかばまで。百冊余の世に出した著作は単なる錯覚の足跡である。
* 加藤弘一さんの電子メールに異常が看取されたので、アドレスを変更しますと通知があった。加藤さんほど練達の人の機械に起きてくる異常と聞くと、よそながら、案じられる。わたしの器械でもいつ何が起きるか知れない。わたしからの声が「闇」を越えてもし届かなくなれば、わたしを、ではなく器械環境の方を疑ってください。
2005 7・1 46
* 一太郎のファイルを整理していて、大事な今の今必要な記録のファイルを消去してしまい、苦心惨憺して機械の中から少なくも途中までの原稿を見つけ出し、それに急遽追加して、辛うじて事なきを得た。汗をかいた。日付も変わったので、今夜はもう休息する。
伊藤整の論文「近代日本人の発想の諸形式」がとても面白く興味深く。こういうのと取っ組んでいると、前田河の小説同様に、嬉しくなってくる。吸い込むように読み進められる。
2005 7・12 46
* パソコンの、まだ百に一つ分も駆使できないのは、よく承知している。それでも、毎日付き合っているから、少しずつ体で感じて覚えた「なにかしら」はあり、しまったァと歯噛みしつつ、その何割かが救い出せたりもする、いつもとは行かないが。
機械が、40Gもの許容量をもっていると、バックアップに神経を使っていないと、一つの失敗が、手ひどい回復不能に陥ってしまう。いつもそれを怖れている。そういうオソレを日常化し吸収してしまっていると、意識しないで助かることがある。
2005 7・13 46
* 雑誌「アエラ」のアンケートと称する不正メールにひっかかり、妻のパソコンは働かなくなってしまった。いやもう、今のパソコンには、手を変え品を変え巧妙なリアリティを装いながら、むちゃくちゃなモノが津波のように寄せてくる。みるからバカげた題名のモノは直ぐ分かるから五月蠅いだけであるが、管理事務所とかいったドメインを出してきて何とかひらかせ、そして正式登録をせまるというやり方のモノが増えている。百二十パーセント確実に相手の分かっているメール以外は、いかにステキそうな誘い、それがアンケートであれ警告であれ、削除で応じた方がイイ、強烈な妨害的な愉快犯的ハッカーまがいが働きかけてくる。友達の名前に巧みに近似したモノも来る。
そもそもわたしのメールアドレスで、このわたし宛てにメールを送ってくるヤツさえいる。わたしのアドレスはかなり広く公開されているから、ワルサに悪用されていると思う。
2005 7・14 46
* 朝一番に、ありうべからざる事故が機械の中で起きているのを発見し、呆然としている。消すはずのないフォルダが消え失せている。まいった。落ち着いてから再度捜索する。今日は午後から夜まで会議と会合。暑い。
* ドジなことを二つ重ねた。一つは今日か昨日かもっと前だったのかも分からない。二つめは、犯しうるドジで、あってならないドジであった。気が付けば、どう手のほどこしようもなかった。唇を噛んで断念する以外に手がなかった。
2005 7・15 46
* インターネットの泥汚から蓮華のように清い印象のヌードを二十ほども奇蹟のように拾い採って眺めていたが、すっかり見なくなった。季節季節の花の写真の方がはるかに優しく憩える。
「e-文庫・湖(umi)」表紙絵に「湖」の佳い写真が撮れていないか探そうとしたけれど、莫大なアルバムを繰り広げるだけで大変。デジカメから機械に入れてあるいっそ花の写真をイメージして、「e-文庫・湖(umi)」の名に溶けあわせてみたいと思う。やはり一面をおおうのは暖雪紅雲の、桜花か。花吹雪は撮れていない。
2005 7・21 46
* わたし自身のアドレスでわたしのもとへメールが来ていた。こころみにプレビュウ画面で覗いてみると、とんでもない風俗の勧誘メールである。こういうのが無数にあちこちへ飛ばされているわけだ。アドレスを変えたらと教えられるけれど、あちこちへ連絡して年鑑類・名簿類を書き換えてもらう面倒も面倒なら、やはり同じ繰り返しは結局起きてしまうのだから、ドンマイ(don’t mind)気にしないことにしている。
* 中村光夫、平野謙、伊藤整、また勝本清一郎といった批評家に多くを享けてきたとつくづく思う一方、この人達の誰一人もコンピュータの時代ないし実感を漏っていなかった事実を、重く受け止める。文学の環境が質的にも技術的にも大変動してしまっている。その是にも非にも正面から向き合わない限り、これからの文学批評は成り立たない。そういう大きな批評家、優れた批評家がまだ生まれてきていない。相変わらず紙の作品と紙の本とだけを頭に置いている。しかもさすがに機械で書かれて紙にプリントされている仕事が圧倒的な現実の筈。「問題」は大きいし複雑である。それに殆ど誰も気付いていないのが問題であり、その上に機械の滲透を、ただの偏見で頑固に受け入れたがらないロートル編集体験者がいまや出版社の権柄を執っている現実にも、歪んだ問題があちこちで起きかけている。総理ですらメルマガを運営している時代だ。その「表現」はやはり紙での表現とは異なっている。
2005 7・24 46
* キッチンのクーラーがついに大破したようで。煮られるよう。窓の外も眩ゆい。機械部屋は幸い涼しくできる。日本中で熱暑にうだっているのだろう、せっせと風俗の不正広告メールは殺到してくるが、普通のメールは息が絶えている。水に漬かりたいぐらい。
2005 8・4 47
* 適切なたった一枚の写真が探し出せず、選び出せず、しかも家中のあちこちに夥しい写真が蓄積されている。見たこともない父や母や祖父の、その周辺の写真は、日付も知らぬ人の名前もみなないから、ほとんどどうしようもない。写真だけは、データを書いておかねば、その当座は自明のことがすべて記憶から落ちこんでしまう。
自分達の写真、子供や孫達の写真にしてしかりである。
機械との按排に力を貸そうと言って呉れている「ぺると」のマスターにすっかりメイワクをかけている。
* 「ぺると」で珈琲をのんできた。
2005 8・5 47
* 朝、二十余通のメールの十九通が不正メール。それもだんだんに「題」部分に手が込んで、さりげなくいかにももっともらしくなってきている、露骨に猥褻なのもまじるけれど。面白いから列挙しておく。
「確認お願いします(**<姓>より)」「依頼メール」「10時間後解除となります」「先日メールした件です」「緊急のお知らせ」「News」「Mail Delivery」「アンケートにご協力ください。そうすると」「your screensaver」「**(姓)ですが」「新妻のにおい」「エッチしてこれだけお金になります」「あなたの精子をわけてください」等々で、しかもちがうドメインで同文が飛び込んでいる何例も。
この精力は、どこかの依頼なり指示なりをうけた連中が、何らかのアドレス資料をフル回転して機械的に厖大に発信し、ひっかかった相手の情報を依頼主に一件幾らかで買い取って貰っているとしか思われない。こんなことが、半永久つづくのだろう。
info@ と始まるメールの目下(わたしの例では)全部不正内容である。これを削除したいのだが、info@ではじまるメーラーでまともな知人のアドレスが幾つかあり、一括削除しにくい。個人名での yahoo.co.jpもおかしいし、出していない相手の reメールは全部いけない。こまめに削除してヘンな好奇心から開かぬ事だ。
* メールだけを利用して、一種文字通り「架空」の「他界」を幻出することが出来る。しかしそれだけでは健康でなく、不衛生でもある。精神の衰弱と言える。
メールというのは、どんなに誠意や情愛に溢れていても、一種の挨拶にすぎない。
おはようございます、いいお天気ですね、ごきげんよう。
バグワンも言うようにそれ自体はビューティフルな言葉であり振舞いであり、潤滑をはかる意思ではありげだが、人間関係をそれだけで完結させようとする人は、つまりはより大事な真実を回避し逃避して、ほとんど無意味なある種の自己保全や安全を固守したいのである。五層も六層もあるうち、第一層の初歩的な生き方だけで立ち竦むのである。
こういう人は一転、ある役割・肩書きが与えられると、それに同一化してしまう。ひたすら演じ続けて、他の視野をもち他の価値を認めることを「悪徳」かのように排除して、凝り固まる。だがそんな演技にはかならず罅割れが来る。罅を透かして眩惑の映像が見えてくる。そして迷うのである。
迷うなら大いに迷えばいいのだが、それも容易なことでない。そして立ち竦み、強いて現状を容認するための理論をむりやり編み出そうとする。そんな理論の有るわけがない。小泉総理の靖国参拝が真に人を心服させないのも当然である。
2005 8・8 47
* さて困った問題、メールがうまく働かない。自然に回復してくれていると佳いが。
2005 8・11 47
* 喫茶店「ペルト」のマスターに助けられて、わたしのホームページの「e-文庫・湖(umi)」に表紙写真が入った。少しこの「e-文庫・湖 (umi)」に力を入れて行きたい、わたしの選び出して起稿した湮滅寸前ですらあった優秀作も此処へとりあげて起きたいと思うし、読者からの佳い投稿もよく手を入れて貰って此処に掲載して人目に広く多く触れさせたい。
この「闇に言い置く 私語」にも独立の表紙を新しく添えたいと思っている。
2005 8・12 47
* 帰ると、委員会の新たな日程が二つとびこんでいた。いくつものまともなメールを溺れさせそうに、不正広告メールが大波のように。大わらわで削除。
2005 8・23 47
* ついに三田誠広氏のアドレスで、ヘンな横文字のメールが届いた。どういうことになっているのか、わたしのアドレスでも盛んにあちこちへヘンなメールが届いているはず、無視する以外に防ぎようがない。
2005 8・25 47
* 親機・子機とも機械の調子が険悪で、現在メールは両機とも使えない。電子メールでの諸連絡はホストのDNSが反応しないということで不通になっている。こういうことがこの数日繰り返されていて、不具合は度を増し、今日は全く機能しない。幸いホームページは働いている。この転送が利く限り「湖」からの遠回しな連繋はできるが、一方通行になる。
今も、ようやくスパムメールを二、三十も削除して数本のメールを受信できたが、返信しようとすると送信が利かない。ルーターがしきりにピキピキと小さい音をさせ、翠のランプ四つの二つが点滅したり消えたり四つともついたりしている。
電子メールは仕事にも便利で必需品だけれど、そしてわたしには外へ開かれた窓、窓であるのだが、全面閉ざされてしまうというのも、それはまた原始にもどること、心かすかにそれもまた、望んでいなくはない。
2005 9・1 48
* 平成十年(1998)一月二十二日から、コンピュータのワープロに日記を書き始めていたことが、プリントしたもので判った。まだホームページは出来ていない。
「闇に言い置く私語の刻」を初め得たのは、同年の三月二十五日頃からで、つまりその少なくも一両日ないし数日前に、田中孝介君が我が家で、わたしの目の前でホームページを組み上げて呉れたのだった。表紙はと聞かれ、即座に「湖の本」の二つの表紙絵を用意できたのは幸いだった。
はじめ、日記は日記、ホームページには少し別様の感想をと思っていたらしく、ホンの暫く「日記」と「私語」が併行していた。だが、「日記」は四月十五日で打ちきりになっている。一太郎での日記とホームページとの使い分けを、ムダまたは煩わしいと感じたのであろう。
七年半以上、書き続けてきた「闇に言い置く」は、有能な編輯者にあずければ、バラエティに富んだ何冊ものエッセイ集を編んでくれるだろう。いまどきそんな奇特な人はいないから、自分の手で、今少し内容検索の可能な整理をこころみなくてはいけないのだろうが、今はその時期でない。老人性の病牀についた頃に、まだ意識が混濁していなければ、恰好の退屈しのぎになるだろう。呵々
2005 9・5 48
* 愚痴を書きかけたが消した。そう、わたしがいちばん望みながら技術的に手が出ないで口惜しいのが、気に入った花や自然の写真を、ホームページに掲載する手順を、完く忘却し、どのマニュアルの何処を見て良いのかも見当がつかぬ事。使用しているのはエプソンのスキャナーと「読んでココ」なのだが。
2005 9・12 48
* いま、この「私語の刻」現在進行形の頁のトップに、画面を埋めた櫻満開のなかに、わたしとしては珍しいかも知れない温顔微笑の気楽な上半身が、真正面に立っている。いつかの春の東工大の櫻だろうか、上野だろうか、だれが写したんだろう。良く良く謂って、ま、わるくないソフトフォーカス。山藤章二さんが描いてくれた似顔の白髪を、ボールペンで塗りつぶした「顔」がもう長い間曝してあるが、これはホームページを立ててくれた田中孝介君がハイハイとすぐ入れてくれたの。
「花のほかにはボクばかり」という、ジャケットの肩に鞄を吊った大きな写真は、のどかで、頁をひらくつど、我ながら心和む。こういう表紙をおいておけば、書くことにいま少し癇癖老人(くせもの)なりに可愛げが出るかと自己規制したいのだが、送り出す手だてがない。
前の子機にはシャープのスキャナが付いていて、田中君に、それからの写真転送手順を教わり、幾つかは送り出していたのに、手順を完全に忘れてしまったうえ、今は親機だけをつかいスキャナはエプソンに換わっているので、なおさら、手も足も出ないのである。田中君も布谷智君も、もう中堅社員の大多忙、気楽に声はかけにくい。ウーン。
* 朝に、不正メールが山を成す。題名だけ気を付けてみていると、ずいぶんさりげなくウカと開いてしまいそうな文言が増えてきている。「転送メールです」とか「早坂友子(配信元)」とか「通達があります」とか。ものぐさに「件名なし」のも来る。そして圧倒的に多くが、 info@ で届いている。むろんみな不正情報メールであり、即、削除。
まったく別々の、それぞれややこしいアドレスで届いているのに、題名だけきれいに同じなのも、ずいぶん数多く有る。むちゃくちゃなドメインでとにかく手当たり次第に発信していると思うしかないが、何が狙い、か。少なくもメールを開かせることが先決なのだろう。ウイルスを含むオソレもある、ゼッタイに「開かないで削除」しつづけている。
閉口するのが、わたし自身のアドレスをそのまま使った不正メールが、わたし自身に幾度も届いてくること。どこへどんなに送られているのやら。このあいだなど、ついに三田誠広氏のアドレスをそっくり使用した不正メールが届いていた。アドレスを公開している人はこうなる。わたしたちは、余儀ないことであるけれど、ふつう、安易に自分のアドレスを広くは公開しない方がいい。
2005 9・16 48
* この辺へ写真を小さく入れてみようとしても、やっぱり出来ない。「二つ要件があります」と教えられたとき、憶えられると思ったのに、正確に覚えなかった。一つにはデジカメからの写真はサイズが大きすぎる。小さくする方法も覚えたのだが、うまくない。取り込む前に小さくしておかないといけないらしい。やれやれ。トライを繰り返す。
2005 9・18 48
* 親切に写真転送の手順を重ねてメールで教えてもらい、その通りにやってみるのだが、サイトをひらいてみると、いかにもそこへ入るべき枠のなかに朱色の ×印が入る。東工大の教授室での恰好の写真があり、卒業生諸君とあの時期のママに対面できれば、あるいは破顔一笑してくれる人達も多かろう、この頁の末尾に入れようとしているのだが。わたしのこの書き込みサイトだとちゃんと入っているのだが、転送できない。もう少し粘ってみよう。
2005 9・19 48
* がむしゃらに試行錯誤し、確信ないままこの頁の末尾に、平成七年春、東工大の教授室でだれかが撮ってくれた写真を入れ、転送できた。
これで、名前をなまじ挙げれば際限ない学生諸君大勢の「談話室」の一角が、画面に甦った。懐かしい。
右に大きいデスクの右の一部が見えている。隠れた左手にまだ屍骸同然のパソコンが載っていた。ワープロの方が活躍していた。デスクの右斜めうしろに出入りのドアがあり、ふつうの教授室と逆で、わたしは出入り口近くにいて、奧に学生達を入れていた。長い佳い塗りの卓をはさんで向かい合わせにソファを置き、ソファには彩りの落ち着いた、五色、京「えり善」の茶席蒲団をクッションがわりに置いていた。就任祝いに京都の「中信」が贈ってくれたもの。その小座布団が好きで、来るといつも胸に一つ抱いたまま話し込んで行く女子学生が居た。あの子はいまはもう何人のお母さんかしらん。
わたしは、読みもしない書籍に研究費を無駄遣いしなかったから、もともと部屋にあった本棚の大半は、壁に押し付けて、毎時間配布用の沢山な紙資料を置いていた。インテリアをうまくアレンジしてくれたのは建築の柳博通君であった。彼はいまヨーロッパのどこに腰をすえてがんばっているのだろう。
* やれやれ少し落ち着いた。
2005 9・19 48
* サイトへの写真の取り込み、なかなか難しく、四つ目が成功しない。教えられたのは「二つ」の手順なのに、それが確信もって実現できない。アタマが錆び付いている。
2005 9・22 48
* 写真を上手く貼れない場合は。
秦先生 こんにちは。
先日、僕のところにも柳君からメールが来ました。
まったく、「教授室の写真」の威力には、恐れ入りました。
せっかくですので、僕も少々がんばってみました。
先生が、(先日お教えした)二つの要件を無視しても、写真をホームページに貼り付けられるように、「自動修正スクリプト(ソフト)」を作成しました。
ホームページ画像チェック.vbs
の方だけを、デスクトップに保存してください。もし、ウィルスチェックソフトが、これを削除していたら、 もう一方の保険ファイル
ホームページ画像チェック.vb
をデスクトップに保存したあと、この名前を「ホームページ画像チェック.vbs」に変えてください。(半角でsを追加お願いします。)
続いて、ためしに、デスクトップ上にある画像ファイルを、先生が先日一人でやってみたときのように、例えばiken.htmに貼り付け保存してください。 森
* 試行錯誤中。どこかでわたしがドジをやっている。けれど癇癪はおこさない。機械は正直、わたしは鈍。それだけのこと。
森林クン、とても親切。つぎつぎに思案と指示を送ってきてくれる。わたしも根気よく、やる。
2005 9・23 48
* わたしは一日がかりで、写真と組み討ちして、何をどうやって組み伏せたかまったく自覚なく、とうどう一枚の写真を、「e-文庫・湖(umi)」創作欄の、朝日子作の詩「回転体の詩 小さい子よ」のなかへ装填した。わたしの撮った夥しい数の写真の中で、ことに懐かしい我が子らの写真である。
さあまたやれと言われても同じように悪戦苦闘するだろう。なにが決め手で出来たのか、分からないがいい気分である。「森」のように暖かい親切を呉れた「神さま」に感謝する。 2005 9・23 48
* 「e-文庫・湖(umi)」の冒頭に、わが近親中の死者たちのためにと「創作」をとりまとめている章がある。中に、娘秦朝日子の三つの作品が入れてあるが、それへ写真を入れてみた。朝日子のごく幼い日の写真、成人しての写真と、プロフィールとを、それぞれに入れてみた。建日子の生まれるまでを書いた妻の「姑」という作品には、その秦建日子の一歳前後の写真をいれてみた。
卒業生「森林」君の熱心な後押しをえて、ようやく念願の操作に成功したという次第。
2005 9・24 48
* >習い慣れよと言いますとおり、根気よく経験を重ねまして、ほぼ最初に習いました「二つを確認する方法」で、続いて、幾つか成功しました。
秦先生 上手くいってよかったですが、「幾つか」というのが気になります。上手くいかなかったものもあるんでしょうか?
習い慣れ、と言っていただけると気が楽になりますが、でも、「ルールはこうです、だからこうしてください」とばかり言うのも、なんだかコンピュータの代理人のようで、反省してもいます。
先生、もし、まだ失敗・成功が繰り返されるのでしたら、先日の「スクリプト」も、活用してください。非常に簡単です。
普段どおりデスクトップに写真を置いて、ホームページに貼り付けて、保存。
その後、ホームページファイルをスクリプトの上に載せれば、勝手にホームページを修正し、かつ、写真をホームページフォルダにコピーもするのです。
沢山行いたい場合は、
まず、ホームページに写真を貼り付け、保存、これを、複数行う。
写真貼り付けが完全に終わったところで、写真貼り付けを行ったホームページを、まとめて選択し、スクリプトの上に載せる。
という手順で、一括でできます。
また、あくまでルールに従う、しかし失敗もある、という場合でも、アップロードする前の「確認ツール」としても、使えます。
この三連休は、「掃除連休」と定め、妻子を実家に帰し、一人掃除に勤しんでいます。
# 自ら「森林」と銘を入れるのは、さすがにおこがましいので(^^;
* 上のすぐれものの「スクリプト」も使ってみよう。かくて道は開ける。しかし使わないとすぐ手順を忘れる。忘れてしまい困っていること、幾つか、あります。正確なパスワードを忘れたため、ムダにまさに死蔵のファイルも有るもんなあ。
2005 9・24 48
* 「不正勧誘・広告・悪戯」メールの今日の表題一部をあげておく。「伝言ありました。」「突然すみません。私の妻を侵して下さい。」「お知らせです。」「お早めに。」「本気で結婚を考えている方へ。」「通達したい事がありまして。」「明子くん体験日記より」等々。さりげなくひっかけようとするのと、露骨に誘い出そうとするのとがある。狙いは「返信」させること、あわよくば何かに「登録」させること、のようだ。考現学として面白い表題集ができるが、いわゆるドメインはまったくでたらめに書かれていて、現代の先頭で沸騰する無際限の湧水のよう。
2005 9・28 48
* アラン・ドロンの連続ものらしい「刑事物語」をたまたま深夜に観て、ひきつけられた。
「ペン電子文藝館」の仕事を意識して控えるようにしてから、夜更かしの必要がなくなったのは、からだや眼の休養には二重の効果。零時過ぎに来るメールは翌日に開けばいいとも半ば思いきめて、出来れば日付の変わる時刻には機械から離れるようにしている。
メールも、わたしは、だいたい「返信」主義にきめている。ときには「私語」に一般化することで「返信」にかえている。わたし一人の話題では惜しいと思うときは、むしろ思うままを「私語」するようにしている。「発信」に気を入れると乏しい時間がかなり大量に奪われるのは、必至。それはメールの性質からしても本末転倒なので、「返信」主義にほぼ徹し、それも「私語」へ吸収するよう心掛けている。
2005 10・26 49
* HPの写真楽しんでます。
ところで、撮影したママの容量で画像を送受信、掲載するのは受け手によっては少々難点があります。たとえば、ADSLや光ファイバーでなく旧来のアナログ電話回線だと、重すぎてメールを開きづらい(結果、送受信の不具合に通じる場合もある)、添付メールがはじかれる、HPを開くのに時間がかかる、といったことです。BatchGOO、というフリーウエアがありますのでよろしかったら。編集ではなく、画像容量を大幅に縮小する(画像の容量、サイズ(幅、高さなど)のダウンサイズ)便利なソフトです。ダウンサイズすると多少画質が落ちますが、いろいろ機能を選択、工夫はできます。
BatchGOO!(Windows95/98/Me/画像&サウンド)
旧聞に属しますが。前に、平成元年3月1日~大晦日、京都新聞に連載された『親指のマリア』のスクラップブックを入手して、刊本とはひと味違う楽しみを知りました(新聞の紙質、紙色がときどき違うので、それもヘエーと思いましたが)。
池田良則さんの絵コンテのような挿絵も洒落ていて、よろしいですね。マッチしており。
この長編は、もともと新聞連載向けに構成されたのでしょうか。新聞連載で、紙幅=字数もぎごちなくなくおさめる、それでいて、後をひくようにする、明日も読みたくさせる、昔の紙芝居のように。経験のない私にはお手並みに感心しきりです。○○の章一~<ヨワンと勘解由Ⅰ~>、この連番の按配は分かりますが。
絵コンテといえば、映画の時代劇を連想します。『親指のマリア』の映画化話はありませんでしたか。10ケ月連載の長編を、長くて三時間? 長編映画におさめるのも至難の業ですね。テレビシリーズ10話でもおさまるかどうか? 脚本も原作者? となると、原作者のこだわりが強いと難しいので、別のプロにまかせるとか。監督は? とあれこれ想像がふくらみます。
先年、民放TV局を定年退職した兄から、その局にも、時代劇のソフトがいっぱいあるが制作できず勿体無いと、意外なことを聞きました。お蔵入りしている企画、脚本、映画制作のノウハウのことを指していたのでしょうが。
…….秦さんが、黒澤映画のカラー作品をきれいすぎると、評されていたような記憶があります。大好きな池波正太郎のテレビ時代劇も最近のは画像がきれいすぎて、何か画素数を競っているような違和感があります。時代考証、言葉づかいも気になりますが。その点、NHKの連作時代劇の方が少しマシでしょうか。
あ、そうか、秦さんには、新劇化、舞台演出という手もあるか。 多摩 E-OLD
* ホームページに随意に写真を入れはじめて本人は気分も目先もかわっていいのだけれど、受け手のことも当然に心配していたが、なにをどう心配すればいいのかは皆目分からず、いまぶん、受けてからの苦情が入らないまま居直っている。どういう不具合が起きているか、知りたい。
このメールの中で、「添付メールがはじかれる」というのを、よく分からぬママ気に掛けている。
2005 10・26 49
* 日本のブロードバンドの普及率はまだ2割弱あたりでしょうか。ADSLに変える前はISDN、それから転居期間、10日ぐらい、ADSLの移転手続きの不備で、ふつうの電話回線でインターネット、メールを利用していました。
ISDNでも容量の大きい画像、友人からの何枚もの画像添付メールには手を焼きました。また、普通の回線起動では写真添付のメール受信が滞り、あげくブラウザの再起動を何度もする羽目に陥りました。
ただし、これはADSL=ブロードバンドではまったく問題ありません。数枚の写真が掲載されているだけの秦さんのHPは、つなぎ放しのブロードバンド利用者には瞬時に開けます。
インターネット利用時にだけ普通の電話回線で起動されている方(ナロウバンドという言い方もあるようです)は画像の読み込みには時間がかかる(→電話代)と思います。画像添付のメールも同様です。
添付ファイルがはじかれる、というのは、セキュリティソフト(アンチ・ウイルス、ファイアウオール)を利用している場合、(容量でも)問題アリとしてはじかれる(私のソフトは、ノートンですがスパムメールとして別枠受信の箱に入る!
)場合もあるということでしょうか。ADSLでは滅多に経験していませんが、もし発生してもすぐ処理は出来ます。
ちなみに、秦さんの巻頭の写真、画像容量は14万数千バイトです(画像のプロパティをクリックすると数値が分かります)。
ご紹介したダウンサイズソフトなら、たとえば(極端ですが)数十バイトまで落とせます。(某サイトあて)画像を頻繁に送信していますが、膨大な数量の画像を受信しているそのサイトのシステムでは一枚500バイトまでの制限規則があり、それに従っています、容量オーバーは自動拒否されます。あまり専門的でないのでご容赦ください。秦さんのお写真掲載の範囲ではほとんど不具合はないと思います。
一般的に言うと、容量の大きい画像添付ファイルを、ブロードバンドでない方へ送るのは要注意といったこと、ネチケットの類かも知れませんね。 多摩 E-OLD
* かなり理解。なるべく写真掲載期間を短期間にし、カットして行こう。
2005 10・26 49
* 転送のソフトが利かなくなった。ログインできぬと言うのだ。FTTPというのを使っている。あまり故障のなかったソフトだが。このままだと、ホームページ全体の新たな転送が全面ストップする。ま、日付の変わったばかりの今、暫く機械を休ませておくとする。
* 少し睡眠不足か、いい寝覚めでなかったが、血糖値 119 は、まず落ち着いている。
2005 10・31 49
* おそらく昨日の今日であるから、この「私語」の転送は不可能または極めて不安定であろう、もう数週間薄氷を踏むように異常をすり抜けてきていたのである。どう修繕が利くのか見当も付かない。
これも一つ、わたしへの「言い諭し」であると取ればいい。
「闇」に「私語」し続けること自体は、こうして、可能。なにも世の中に発信しなければならぬわけではない。これも一つの「兆し」で、文庫歌集『少年』の出版もまた一つの「予告」になるのであろう。
発信をまた試みてはみる。うまく行っても行かなくても、人事とはそういうものである。
2005 10・31 49
* 雲集するスパムメールの「題名」が巧妙にさりげなくなってきて、うかとすると開封させられそうになる。「お仕事すすんでいますか」とか「先日の件ですが」とか。しかし発信アドレスをみると同じ題名で何種類もむちゃくちゃなドメインで届いている。出した覚えのない先からの「re」メールは絶対ダメ、ドメインがハチャメチャな綴りのモノは確実にダメ。「info@」と始まるものは厳重注意。題名のイヤラシイのは論外として、さりげないのも厳重注意。真夜中に届いているのは海外ルートのモノと思われる。朝一番にひらくとどっさり届いている。どれが欲しいメールでどれがダメかの、頭の体操。過剰なほど用心に越したことはない。
2005 11・3 50
* オホーツク海より 昴
昴という名前、ありがとうございます。あまりにも綺麗な名前で、少し気恥ずかしい感じがします。でも、うれしいです。
ゆめさんからのお返事メール、うれしく、また、そうなんだと勉強しながら読みました。
海は「死」というのは、私が生まれたときから知っているオホーツク海の印象をそのまま述べたものです。なにも深い考えはありません。海の表面が凍って、波が水銀のように鈍く打ち寄せる様子をみたり、流氷に乗って遊んでいた子が行方不明になったという話を聞いたりしているうちに、私の中で、海と死が結びついてきたのだと思います。
ゆめさんの見た能登の海、とても綺麗だったのでしょうね。夕暮れの日本海、見てみたいです。オホーツク海とは違う、厳しさと優しさを持った海なのでしょうね。
海について一人ひとりが様々な思いを持っているのに、あまりにも単純に、安易に意見を書きこんでしまったと恥ずかしく思い、反省しています。ゆめさんも秦先生も、海に対する思いは深いのに…。
秦先生の『湖の本』、ご注文しようかと考えていましたが、発送が一段落した直後のようですし、また、自分の考えや行動があまりにも浅く単純であったのが恥ずかしいので、今回の『湖の本』は見送ろうかと考えています。いずれ必ず、ご注文します。
四半世紀しか生きていないですし、頭も良くないので、秦先生の深い思想を読み取れないと思いますが、少しずつ勉強して、先生の作品を楽しんでいきたいと思います。
今までずっと遠くにあったものが、突然近づいてくるネットの世界に驚きと恐れを感じています。
* 最後の一行、まことにその通りである。映画「マトリックス」を昨日、吹き替えとスーパーとで二度も見直したが、現世を支配しようとする人間は、最終的にインターネットの制圧と管理支配とを当面の目標にして、なりふり構わず突き進んできそうな気がする。昴のいう、そういう機能に驚き、そういう機能を介して成されて行くであろうことに恐れをわたしは持つ。人間が機械を使っていると思っているうち、機械がまんまと人間を駆使し使役している逆転の時機が、そう遠くないのではないかと懼れている。
2005 11・3 50
* 帰ってきたら、ま、百にあまるメール。ただし七割はスパムメールで、消去また消去。大阪産経から校正の督促も来ていたり、郵便物か三日分で山のようになっていて、湖の本の払い込みがどうっと来ている分も、新しく追加で送る分も、放っておけない。そのしまつに追いまくられて、あれよあれよで日付が替わった。
あすは聖路加で眼科の検診、もうこれ以上、目もつかいたくない。あさっては国立で、橋之助の光秀、我當が春永に出て来る。どんな癇癖ぶりを演じるか、楽しみ。
2005 11・9 50
* 読書セラピー
hatakさん 歌舞伎で体調も改善されたようですね。泣き・笑いは免疫力を高めるという実証でしょうか。
雪降る二日間、非常に難儀な会議の座長をして、体中の関節がぎしぎしいうほど疲労困憊し、そのまま体調を崩して、ついに今日は仕事を休みました。
久しぶりにゆっくりと、「湖の本」最新刊を読み始めました。
『好き嫌い百人一首=秦恒平百首私判』、痛快です。朝日ジャーナルで作家秦恒平を知った私としては、通説・常識・生解釈をばっさりと覆してゆく痛快さが魅力です。
午後は、書棚からNHKブックス『閑吟集』を出してきて、再読。読むほどにくすんでいた身心に精気が戻ってきました。読書セラピーとでもいいましょうか、閑吟集の時代の陽気に心が共鳴して、均衡を崩していた体が平衡を取り戻してくれました。
世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり
ふむふむ。
新茶の茶壷よなう 入れての後は こちや知らぬ こちや知らぬ
ははは。いま日本中で茶壷の口切をしている、しかめ面が聞いたら腰を抜かすはず。
思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば
思ひ出さぬ間なし 忘れてまどろむ夜もなし
ああ粋ですこと。
ところで、最近米グーグルが著作権切れ書籍の全文検索を開始、米アマゾンが本をページ単位でばら売り、米マイクロソフトが大英図書館の蔵書を閲覧と、米国で図書館とネット企業が手を組んだ電子書籍事業の展開が進んできました。
学術文献の検索閲覧では、一般書籍の先を行く勢いで電子化が進んでおり、図書館では電子媒体での保存の危険性と、紙媒体での保存経費を天秤にかけて悩んでいるところです。
米ネット界の三つ巴の覇権争いがどうなるのか気になるところです。 maokat
* この後段の状況は電子メディア委員会でも把握して注目している。情報インフラの底知れない変動は足取り早く社会の各場面に荒波を立てて進んできている。
韓国ではもう新聞がおおかたIT情報の前に潰滅したと聞いていて、日本の新聞もどうごたくさご老体が頑張ろうとも、この数年内に音を立てるように崩れ落ちるであろうと観測されているが、その前に図書館事情が大きく変わる。図書は捜して手にするより、検索して読むものに変わりつつある。
もっとも幸か不幸か日本語はタテ読みがまだ普通で、ヨコ読みの機械文を毛嫌いしている人が圧倒的に多い、それが僅かに検索図書化への速度を抑えていると言えるだろう。
2005 11・15 50
* 寅さん映画(京マチ子・檀ふみ)をみたあと、三十頁ものスキャン原稿を、名前を付けて保存していなかったばかりに、うかと消去してしまい、水の泡。おまけにCD-ROMのドライブが破損したか、音楽が聴けなくなっていた。いやはや。もう寝てしまうとしよう。
2005 11・19 50
* 昨日の操作ミス分を取り返し、その二倍ほどもスキャンした。CD-ROMドライヴはディスクを受け付けてくれなくなった。さしあたってはいいが、いずれ困るときが来る。どうしたものか。
2005 11・20 50
* 結局日付の替わって、明日の委員会資料を作り終えたところで、「システム停止」という事態になり、愕然、リセットして元へ戻したが、メールが使えなくなっている。明日の朝早くにどうなっているか。
2005 11・20 50
* ものの譬えで事実では全くないが、もし知人から「新幹線に乗りました」とだけのメールが突然来たら、びっくりする。まして、「東京駅まで迎えにきて」くれるものと思いこまれていたなら、もっとびっくりするだろう。しかしまたそのメールに、「東京駅まで迎えに来てもらえるか」と書き添えられていたら、可不可は別として、文面上驚きはしない。しかし「新幹線に乗りました」だけのようなメールというのが、皆無なわけでないからときどき脅かされる。メールは、仄めかしには最も向かない通信で、誤解と紛糾とに最も間近い通信である。しかし、つい、「新幹線に乗りました」だけで先方は何か分かってくれるはずという思い込みの生じやすい通信であるにも相違ない。
わたしもたいていのお礼のメールは、「感謝」だけで済ませてしまうが、先方にすればムッとしているかも知れない。
メールでの用件は具体的にはっきり告げないと受けた方で推量するにも処置無しという事例が屡々起き、それで仲良し同士がしなくてもいい喧嘩をしたり、不機嫌になったりしている。よく聞くことで、よく体験もしたりさせたりしていることである。
* 先日、日々メールの「安定したやりとり」ほど人間関係に大切なものがあるでしょうかというメールを受けたが、わたしからのメールは、すべて「気分次第の反応」です。義務的・儀礼的に「安定したやりとり」など、誰一人ともしてはいないのです。一年に五百も送ってくる人に、わたしは年に十回ほどしか、それも用事のメールしか送らないけれど、来たものは全部読んでいますし、必要な反応は「私語」でしています…、と返辞しておいた。
電子の「言葉」にだけ人間関係の「安定」を頼んでいては、どんなにか生き生きとした人間のからだは衰弱してゆくことだろう。
メールは、具体的な用件のために具体的な言葉でかわされれば効果は大きいし、用事でない歓談の往来も、また、具体的な言葉で具体的に書かれ、大げさにならなければならないほど、懐かしい佳い言葉に落ち着いてくる。なぜならそれは一般語ではない、個と個と、二人の間でだけ温かみが通じればいいのだから。
学生たちに、学校の先生から受けた忘れられない言葉はと聞いたとき、あの場面その場面、場面は銘々に具体的に異なっていても、言葉は全く同じに変哲もない「がんばれ」と言われた「ひと言」だと答えた学生が、驚くほど多かった。他人にすれば「がんばれ」なんて平凡で味けない、だが当人同士の間では、個と個とでは、それがビシッと生きていたのだ。メールの言葉は、個と個との間で弾ける具体の力。他者の批評は入り込めないのである。
そういうメールが来るように。そういうメールが出せるように。
機械での表現のかなり難しい機微であるのかも知れぬ。メール言語はまだ今のところ、議論むきではない。
2005 11・22 50
* 大学生のといわない、大も小も世界的に「ブログ」大流行だが、たまたま開いてみて胸に届いてくるモノは稀有、ほぼ皆無である。
大学生が、中学高校なみの、ヘナヘナ・ニャンニャンした中味のないだらしない言葉を吐き散らして、書き垂れているのに出会うと、悪寒を覚えながら撤退する。中味を期待するのは気の毒か。そうは思わない。まともな日本語を期待するのは酷か。そうは思わない。よけいなお節介か。そう思う。
2005 11・24 50
* 根気よくこつこつと仕事をすすめたり休息したり。明後日の月曜、機械を点検に何年ぶりかで布谷君が来てくれると。有難いことです。ぐあいのわるいのは、CD-ROMのディスクドライヴて。必要なインストールや、音楽を聴いたり映画を観たりが出来ない。
だがそれより布谷君の顔を久しぶりに見るのが楽しみ。会社は相当忙しいらしい。
2005 11・26 50
* まだ広くは知られていないし、関心も国民的にひろがるかどうか知れないが、メリット・デメリットとも幅広く影響してくる問題に、図書内容の検索や頁単位の内容の切り売り事業があり、海外でもう具体化して、日本国にも手が掛かっている。日本では日本の出版感覚や「紙の本」偏愛神話があり、そう簡単には行かないであろうが、講談社のような大きな版元がこの動きに既にとりこまれかけていて、急速に、本の買い方、売り方、ネットでの検索範囲・深度の拡がりが、加速する傾向にある。大部の研究書や雑誌の、指定した何頁分かだけを、限定してオンデマンドで売れる・買える日が、もうアメリカでは具体化しているし、日本も必ずそうなってくる。
アメリカでは「知識は民衆の財産」という思想が一方でつよく、この考えには基本的にわたしは賛成している。「知識を含めた公共財」が「商品」として値付けされるより、廉価ないし無料で公開利用されることが大切だとわたしは基本的には考えている。日本では、まだそういう思想は一般化していない。だから、国立博物館や美術館ですら、高い入場料を平然と子供達からもとり、独立採算の締め付けで「公共財」を国が占有しまさしく販売しているような、恥ずかしい真似を兵器でしている。
* 図書館で、書籍の一冊一冊に電子タグを装着しかけているのは、都内公立図書館にも、もう先行例があらわれ、電子メディア関係者は強い関心を示しているが、これも「便利」というメリットが、永い眼で見て、「誰にとって」便利なのか、の見極めが大切。管理的・監視的な便利が先行して、利用者にはむしろ深刻なマイナスが生じないでもないという推知と予防能力が錆び付いてしまっていると、どえらい「しわ寄せ」が結局ユーザーである国民に来る。
日本には「公共財の持ち主は国民である」という思想が熟していない。むしろ公共財の公共性を国は政府資産として商品化したがり、企業もなるべく強く自分の資産に握りしめたがる。物書きも、読まれることより売れることを絶対視し、図書館をすら重代の仇敵のように罵る文筆団体もある。そういうケチな「器量」でしかないのである、まだ日本も、日本人も。
2005 1・27 50
*「芸術至上主義文芸」という学会雑誌が「流通する文学」という特集を出し、わたしは巻頭に総論を書いた。かなりの人数がいろんな「流通」を語っている、が、ざっと読み流して、洞察とか分析とかの議論が少なく、現象を指摘しただけのものの多いのに少し落胆した。わたし以外に電子メディアに触れた誰一人も居ない。それでは幾ら何を指摘して見せても「昨日」までの流通に過ぎない。「今日から明日」を見通さずに流通という流行現象はたいした意味をなすまいに。
2005 12・2 51
* 来年いっぱいの「私語の刻」のために、リンクを作成した。ホームページの構成を、より読み取りやすく、大幅に改善したいと思っている。
2005 12・11 51
* 小一時間も、花の写真と黒いマゴたちの写真とを、順繰りに眺め眺め、トリミングしたり、題を付けたりして時を忘れていた。自在に出来る写真の「トリミング」が面白い。写真が生き返る。花も、猫も、ひとを誤魔化さない。
昭和三十六年のある雨の日に、渋谷の日赤産院を訪れられた当時の美智子皇太子妃殿下を、写真取材したことがある。その秘蔵の三枚を、いま一枚一枚に復元した。三枚を組み合わせ、機械の中へ一枚に縮めてあったのを元に戻し、大きく観られるようにした。
当時の日赤本院の森山院長が先導されるのを、美しい、やや面やせた頃の美智子さんがうしろから傘をさしかけて歩いてられる。また傘の下でひとり俯き加減に、ひそとして孤独そうに歩いてられる。また乳児達の保育室のなかを静かな笑顔で歩いてられる。三枚ともよく撮れている。医学書院で嘱託の早川カメラマンが撮った。わたしはあのころ助産婦雑誌の編輯を担当していた。
渋谷の日赤産院にはそのころ仲良しの助産婦が二人いた。ふたりともわたしより年上であったが、わたしがもう結婚していたので仰天していた。一人はのちのち立派な看護学者になられ、定年まで大学教授をつとめられた。創刊以来、いまも「湖の本」の変わらぬ継続読者。東京で、四十数年のとだえないお馴染みは、日本の新生児学・未熟児学草分けの泰斗である馬場一雄先生(元日大病院長)と、この青木康子先生との、お二人だけである。
そろそろ医学書院時代の編集者生活を、赤裸々に書いていいかも知れない。「日報」などもみな残してある。
2005 12・13 51
* 近所のご老人の電話をうけ、パソコンが「電子の杖」になるということをお話ししていた。
この「私語」を読んでいる人は機械の使える人なので、何を付け加える必要もないのだが、パソコンは若い人の魂を抜かれていていい機械だとは思わない、が、老人の視野と世界とをひろげうる可能性は十分もっている。いまわたしと同世代のメール仲間も多い、が、その大方がかつては作家に手紙を書くなんて恥ずかしいなどと言っていた人たちばかりである。その人達が、生き生きと、いま自分の言葉をもちいている。
2005 12・15 51
* 右の後側頭に根づよい痛みが、昨夜から。肩が凝っている。「ペン電子文藝館」の作業があれこれ問題があって、スムーズに前へ動いてくれない。
英文題のメールがカナダの友人から。あやうく削除するところ。アドレスの変更だそうで。まぎらわしい不正な誘いの和文・英文題のメールが優に半分を超えるので手拍子に消して行く。題名はわたしに分かりやすい言葉を日本の文字で選んで欲しい。
2005 12・24 51