ぜんぶ秦恒平文学の話

電子メディア・コンピューター 2006年

* デジカメは沢山のきれいな写真が撮れるけれど、あと、わかりよく整理しておくのが手間入り。
2006 1・7 52

* この年初の不正広告勧誘メールの多さはどうだろう。一日に百は下らない。題目がふるっている。「新年特別会員認定」「秘密部屋」「不快でしたらすいません」「秘密部屋」「もしかして…「ベストライフ」「いっしょにすごしませんか」」「入金をお断りしますか?」「熱気ムンムン」「おめでとうございます」「おいそがしいですか」そして「阿部」「山田」「高木」「涼子の部屋」など、さりげない苗字のモノ、女名前のモノ。アドレスをみればわかるむちゃくちゃのドメイン群が、「同じ題目」を平気で使ってくる。
要するにこっちの「返信」と何かしらの「登録」を望んで誘いをかけている。外国から外国人の名前でもいっぱい来ている。
2006 1・8 52

* たくさんな年賀状をやっと総点検して機械の住所録を補充したり訂正したりした。一つ驚いたのは、なぜか、アドレスや電話番号やメールアドレスの記載字がやったら小さいことだ。どういう心理から、実際にはいちばん記憶・記録されねばならないはずのデータに限って、虫眼鏡でも読み取れないほど小さく薄く印刷する人が多いのか、分からない。
2006 1・15 52

* ライブドアが何をして捜査されているか知るよしもないが、捜査の手が入るだろうという噂なら、半年以上も前から「ペン」の筋で耳にしていた。筋が繋がっているか、切れた別の筋かも知らないが、私自身が「livedoor」に実感を持ったり今も持っているのは、このサーバからもいやらしい、あつかましい広告メールが遠慮なく舞い込むことである。メールの発信者とサーバとは別だけれど、感じがよくないことでは同じである。電子メディアは感嘆にあたいする機能も発揮してくれるが、唾棄するしかないことも、しでかし散らす。
ライブドアに限らない。
目を背けてばかりもいられない。不正広告のメールをシャットアウトするソフトはあるにちがいないが、いずれ上越す手だてでまたイヤなことをしでかしてくる。一つ一つ一つ「削除」して開かない、読まないという仕方でわたしは向き合っている。バカな話だと思いつつ。
2006 1・17 52

* 七十になり、もう一ヶ月たった。矢のようだ。夜中から朝へかけ三度起きて、午前中をうとうとと寝て過ごした。からだ、ラクになった。
暮れからこちらへ、いろいろ善くして頂きながら礼状も書けなかったのを、纏めて書いた。少し肩の荷をおろした。雪がまだちらほら舞い、書庫の上に、十センチほど積もっている。黒いマゴが小さくまるくなっている。
おどろいたことに、二十七届いていたメールの全部が不正勧誘のものらしく、むろん開かずに全部まとめて削除。
2006 1・21 52

* NHKテレビが、谷垣禎一大臣をはじめ作家の室井佑月さんその他をコメンテーターに、大勢の視聴者の参加を得ながら、「消費税は上げねばならぬか」を討論していた。全部ではないが見聞きした。
諸外国の消費税率の高い事例を単に基準にして施策を語るなど、愚の骨頂であろう。
まず、政治と政治家・官僚の質がちがう。国の実際に積み上げてきた歴史と権利の感覚がちがう。日本のそれらは、恥ずかしいほど悪い。せっかく積み上げてきた国民の権利を政治が奪い返して支配を強めることをのみ目的に、立法し行政し裁判している。その悪しきあらわれが、多くの大きな社会問題、一例をあげても例えば社会福祉での資金の厖大な食い倒し、耐震強度偽装を導いた行政や法制の杜撰、大企業・資産家の経済的優遇、一般私民の基本的人権軽視から無視への傾向、労働者・零細企業の圧迫、健康な労働施策の腐蝕、政権与党の率先した憲法軽視等々を考えれば、これら政治と行政、それに癒着した企業資本資質への、大いに「理由ある不信感」が、先ず真っ先に徹底是正なされない限り、他国の「歴史と、国民の意思とに、鍛えられ支えられている数字」を、単に鼻唄なみに口実にする資格は、政治にも政府にも与党にも野党にも許されていないのである。われわれは許していないのである。
これを強行すれば、国民の悲惨は確実に増すこと、掌をさすようなもの。

* そもそも、いま日本が考えねばならぬ二つの大事は 人口減少問題、それに対応できる生産という、谷垣大臣の認識には、いままさに困窮と困惑の中で基本的人権を奪われ尽くそうとしている国民への「善政」感覚が、全く欠如しており、経済のことさえ優先していれば国は成り立つかのような浅慮凡庸の弁であり、失笑した。
消費税は、上げねばいけないのでも、上げてはいけないのでも、ない。政治と政治家・官僚、大企業の思い上がった腐敗を是正することが、先決、だというに尽きる。
その対策は必ずしも難しくはなく、やる気があるかどうか、だけなのである。

* ライブドア問題にも、報じられず語られていない、たいへんな「盲点」がある。
ついに具体的に現れた(使われた)、電子メール等のインタネットコンテンツの、サーバ経由、官憲による強制接収である。
ことはライブドアという一企業のことのようだが、どうしてどうして、敵は本能寺(国民のインターネット情報の全盗聴に等しい国家管理)にあることは明白で、早くから早くからわたしの予言し警告し続けてきた事態への、ライブドア捜査は、周到な意図に基づく第一着手なのである。だれもそれに気付いていないのか。報じも怖れもしないでいる。
しかしこの前例は、いつとなく、何か問題の起きるつど、サーバの保有する「電子情報の収取」とそれにともなう「政治圧」の強行ないしラクラク行使になってゆくだろう。
みな、今は他人事(ひとごと)と思っているが、じつは、今回のライブドアのサーバ処置など陽動作戦に近いものであり、実際はそんな手順など必要とせず、技術的にすべての頭越しに、もうほぼグローバルに人々の全メール内容などは、或る「隠蔽大機関」により収拾されうることは、されていることは、知る人はずいぶん前から知っているのである。
国会内での勉強会で、アメリカ等(日本も含む)の「エシュロン(厖大範囲電子情報収取施設)」についても、またEU諸国での同様施設計画も話し合われてきた。わたしですらもペン会員としてそれに参加した。福島瑞穂氏をペン会員に誘ったのは、その会合でだった。

* 電子メールなど、まことに些々たることに思われるか知れないが、その便利さを知る人なら、その重大価値発揮発揚の場面、たとえば革命的な情報のまさしくWorld Wide Web 式の広げ方にもすぐさま役だった実例すらあったのを、思い出すだけで足りるし、いかに官憲がこれをおそれてその抑圧や管理にひそかに神経を使っているかは、勘がよければ容易に察しられる。
ライブドアのことは、ドサクサにこの第一着手に幸便をえたことで、官憲の一大収穫となった。ライブドアがそのために潰れようが、お上は、屁でもあるまい。効果はもう挙げているのである。例の愚鈍で出しゃばり元総理がぶっているライブドア批判などは、関心をよそへそらせる狡い「IT戦略」の例の「乾いたチーズ」に過ぎない。
2006 1・21 52

* 同僚委員の一人から、おかしいサイトの紹介があった。

* 雪の静けさと寒さが、大寒の訪れを実感させます。
先生には、その後お変わりございませんか?
さて、昨日、歌舞伎座で藤十郎の襲名披露公演を観てまいりました。さすが人間国宝という思いでした。
ところで、本題に入りますが、お疲れの時に、是非、下記のサイトをご覧いただければと思います。(くだらないメールで恐縮です。)
http://www.steel2.com/flash/nakamura.html
(「スタート」を押して、勘三郎のスピーチをお聴きください。)
友人に教えられ、私は久しぶりに大笑いしました。
では、くれぐれもお風邪にはご用心くださいませ。
(ご多忙中、お邪魔いたしました・・・!!)

* 開いてみると、「中村屋」の結婚披露宴のスピーチだったが、実の中村勘三郎ではなく、アテコンで創作されたコミック。それが可笑しかった、「大笑いしました」とあるのに惹かれ、二度観て聴いて、二度大笑いした。階下から妻までひっぱりあげて大笑いした。たわいないものだ。
むしろ警戒したのは、この辺を入り口に、リンクしたあちこちからどんな勧誘広告や、からみサイトが入り込むか知れないこと。押し広げては観ずに、退散した。
それにしても、インターネットには何でもあり。猥雑を百倍千倍して繪に描いたようなもの。それを怖れてばかりも能がない。人間社会にピンからキリまであるように、その機械への如実な反映にも、スゲー猥雑や悪意や犯罪があり、すばらしい価値情報もある。願わくは「政治」がこれを悪く勝手に操作してくれないこと、だ。
2006 1・21 52

* 幸い雪は深くは積まなかった。東京は晴れている。朝から原稿を二本書いて、送った。電子メールで送れる有り難さに、慣れてきたけれどやはり有難い。雪の道をあしもとをあやぶみながらポストまで行くのと、メールとしていながら送り込めるのと。原稿も手元に残るし。比較にならない。

* もう、七八年もこの調子で「私語」を書きついできたが、すべて機械の中にも、ディスク(たった一枚!)にも保存できている。保管の場所をまるで要しない。同じように全部の「湖の本」も保存・保管してある。諸々の原稿も。パソコンは、ホームページとワープロソフトその他を併用すれば、物書きにとって 原稿用紙であり 初出雑誌なみであり、単行本なみであり、書架・書庫なみであり、倉庫でもあり、展示場でもある。
東工大教授にと依頼の電話が来て引き受けたその時から、わたしは朧ろにも「そういう」パソコンに「期待」をもった。そんなにウマク行くとは確信がなかったのに、である。どれほど確信がなかったか。笑い話がある。
もうやがて六十定年で退官という時機に、学部の卒論のためにわたしの部屋にインタビューにあらわれた女子学生がいた。その論文は、既存の図書館内容をすべて電子化して電子図書館に転換できるといったもので、わたしは、まっさかァ…と、まだまだ紙の本神話の信徒らしい躊躇と不審を示した。そして他の親しい学生達に、そんなのムリだよなあと言うと、だれもが、そんなの理論的にも技術的にも簡単ですよ、そうなってゆきますよ、どう設営して運営するかだけの問題ですと、いともアッサリ。
わたしは辟易しつつ、それならばよけいにパソコンをわが文学活動の基盤ツールに使いたいと熱望した。但し、これには指導し手助けしてくれる人が絶対必要だった。
退官してのちに、やっとホームページを造ってくれる当時学部学生だった田中孝介君に助けられた。彼は我が家の機械に、目の前で、いとも簡単にいま私の使っているホームページの、表紙と内装の原型とを創作してくれた。
だが、今思い返すに、当時田中君のホームページ観と、わたしのホームページへの期待とは、大きくかけ離れていた。田中君は、いまのわたしのホームページが擁しているような役割は夢にも想い描いていなかった。ホームページって、そんなに沢山なものを容れる容れ物ではないですよと田中君は惘れていた。
しかしわたしは、ホームページは、原稿用紙で初出雑誌で単行本で書架・書庫で、倉庫で展示館でもあるところへ可能性を持っていると、ガムシャラに信じて、そのように使ってきた。初めのうちは機械が重くなって困ったが、だんだん大容量のハードディスクが出来、メモリも増え、わたしのホームページはパーソナルな一人の文学者のホームページとしては、稀有の内容と構成とをかなり公認されているようであるし、アクセスのひろがりも信じられないほど広く多く成ってきている、らしい。
だが、大切なのはバックアップ、ディスクへの保管である。それを怠けていると、機械のクラッシュで根こそぎデータをうしなってしまう。
2006 1・22 52

* 不正勧誘メールは、今日一日で百通にちかい。すさまじい攻勢である。はじめてメールを下さる方は、今日の「鳰」さんのようなご配慮を願いたい。あわや失礼するところであった。
2006 1・22 52

* ベルリンのボーデ美術館所蔵の眩暈のしそうな逸品を次々にテレビで見ていて、時を忘れた。デューラーにあんな名作があったか、レンブラントのまあすばらしいこと、……。佳い物は、佳いのである、リクツではない。

* それからわが機械をあけると、ダァッと洪水のように一目見て胸くその悪い不正メール。

* どちらも人間のしわざ。
2006 1・23 52

* ライブドアの堀江逮捕で大騒ぎしているが、騒ぎすぎ。関係者でソンをする人たちは、みな「自己責任」を負うているだけ。ライブドアが存続出来なくても存続できても、たいした問題ではない。
それより耐震強度偽装問題の方にはるかに気の毒な被害者が多いし、枉弱不正建築が世間にまだ沢山隠れている気がする。こっちの対策対応を万全に願いたい。
BSE牛肉の安易な輸入といい、拉致問題での逡巡といい、ホリエモンの選挙刺客担ぎ出しといい、宜しくないのはつまり「自民政権」のありよう。小泉政権の末期症状とみていい。
その症状の一つに、サイバー・ポリスの強引な暗躍があることも、ぜひ国民は用心しなくてはいけない。サイバー・ポリスは、一種公権の民権を侵すサイバー・テロリズムと謂える。ドサクサのうちにごまかされてはならない。
2006 1・24 52

* サーフィンしていたら、こんな記事に遭遇した。ビックリした。「昨日」とあるのが何年何月何日のことか、分からない。引いてあるわたしの自己紹介の内容や文章からして数年前に思われるが。エディット・ピラフという名乗りのサイトのように読めた。

* 昨日、ネットで調べものをしているときに、校正途中の、ある作品と出逢った。
なんとなく読みすすめていくと、流麗な文体でこれはアマチュアのものではないなと思い、著者名を確認すると「秦 恒平」とある。どこかで聞いた名のような気がして調べてみると、1969年に太宰治文学賞を受賞して文壇デビューをしたベテラン作家とわかる。
サイトのURLをたどってTOPページを探してみた。
■作家 秦 恒平の文学と生活
この美しい扉をクリックして、ぼくは驚いた。
四十年近くになる作家活動の全記録が、そこに整理され、格納されているのだ。著書だけで百冊を越える。それ以外のエッセイ、書評、講演記録、など等……。
一人の作家の電子アーカイブとして、これほど充実したものは寡聞にして知らない。
どういうきっかけでこうしたことを始めたのか、と気になってサイトの序を読むとこうあった。
(これはこのホームペジの「窓」でそのまま読めるので、此処には割愛する。 秦)
現在の出版社、出版業界への疑問から、先ずは自分ひとりで出来ることから始め、さらにパソコンやインターネットという新しい技術も活用して、ご自分の創作記録を誰もが読め、そして欲しい人へは美しい装丁で復刻した私家本を購入できるように整えている。
今ぼくらが、マチともの語りで試み、あれこれと試行錯誤を重ねていることを、十数年前から実践されている。これには参った。脱帽である。
Webの「本とコンピュータ」にもこの電子出版の先駆けとしての意見を載せられているので、是非読んでみてほしい。
■ネットの時代へ、作家として編集者として

* 偶然がないと目にふれてこないこういう「評価」を、わたしのホームページは得つつあるかと、感慨に打たれた。わたしのように歴然と出版社会で不利に孤立している存在は、ひとりで立って姿勢を正しているだけのためにも、余儀ない「自己主張」をいつも必要とする。それがホームページといういわば「孤城」であり、わたしははじめから赤坂城ないし千早城のようなものと自覚して立ってきた。とてものこと、あまり賢い生き方でも仕方でもないけれど、「闇」のはるかかなたで見守って下さる視線があり視野がある。不徳なれども孤ではないと息をつく瞬間である。
2006 1・24 52

* だれにでも一人二人はそういう「姓」の友人や知人がいる、そういう珍しげない「姓」をさらりとアドレスの頭に据えたメールが来る。題名は単に RE: 。むろんとんでもない不正勧誘メールである。使う手口が日毎に巧妙に、じつはバカげて幼稚に、変わって来つつある。うかと安い好奇心から開いてはいけないし、たとえ開いても中に書かれているサイトまでクリックしてはオオゴトに成りかねない。断乎捨てたが良い。つまり削除。
2006 1・28 52

* わたしの機械史では、メールで遡れる古いところが「1998年7月」ごろ。その直前に機械がクラッシュして、田中孝介君が魔法を駆使してホームページをはじめかなり甦生させてくれた。それで、此の機械にはホームページの最初1998年3月から保存されているが、メールはもっと早くから使っていたけれど回復できなかった。現存最古は田中君との通信で、ついで「鳶」さんとのの交信が八月に入って「復活」している。
いつごろから交信していたか、わたしの手許では分からない。「雀」さんとは1999年からの頻繁な受信記録が残っている。此の二人からの受信は、質的にも量的にも頭抜けて充実している。「花」は 2000年の秋からメールをくれた。あんまり几帳面なので、一昨年の春さきから双方で替え名をつかうことにし、おかげでスムーズになった。前例は「雀」さんに「囀雀」のあだ名を上げたときに始まっている。はじめは、ヘキエキの囀り体であったのが、まるでサマがわりの落ち着いたメールへ成長していった。
それよりも以前の、郵便の昔から、四国の「花籠」さんは自らそう名乗って、こちらを「月」様と書いてきた。作家に手紙を書く照れを戯れに消したつもりだろうと受け止めて、わたしも照れくさかったけれど、メールの今もそのままに書くことが多い。
むろん東工大の卒業生諸君との交信は、わたしのパソコンが稼働し始めた昔にさかのぼる。誰かが手伝ってくれて、メールを始められたと思う、誰であったやら。
一つ言えることは、メールとは、いわば「余儀なくてメール」なのである。メールが人間関係の「十分条件」であるわけがない、現実に出会えない・逢えないからの「メール」だと思っている。「メール交信」そのものを「目的」にしている人は、極めて稀な例外をのぞいて無いはずである。「メール」にとらわれてしまうのは、どこか精神の衰弱のようにわたしは感じている。「メール」さえかわしていれば満たされている、なんてことは、どこか健常でない。ファジーな代替行為に陥ってしまう。

* 「メール」や「ケイタイ」は、いずれ社会学や倫理学や精神病理学の研究対象になるであろうが、また一方、新しい文学の土壌に成りうるかどうか、わたしは早くから関心を持ち続けている。人様のメールにかなり無遠慮に関わっているのもその関心からの探索行為かと問われて、否定はしない。「けいたい文学」を商売として嗾しつつある出版社もすでに幾つも現れているが、現実問題としてはまだ十分サマを成していない。しかし、「鳶」さんのメールや「雀」さんのメールは、優秀な編集者のてにかかれば、質も内容も高い出版が可能なはず。

* 夕暮れて、晩になり、だんだんと、なんだか知らないがなにもかもバカらしくて、此処にこう存在しているさえムダなことに思われてくる。このディスプレイで「マトリックス」完結編の「レボリューションズ」でも見ようか、三谷幸喜の「ラジオの時間」で泣き笑いでもするか。
2006 2・4 53

* 今日は寒かったですね。風花が舞いました。
こういう日に散髪すると、風邪を引いてしまうおそれがありますから、お気をつけて。
今日はペールビールというのを飲みました。ほんのり香りがあり、炭酸の強いラガービールより飲みやすかったです。 花

* ちょっと人の声が聴きたいときに、何でもないこんなメールが届いていると、誰のであっても、心からホッとする。電話は叶わないし、郵便は、たとえハガキでもこうは行かない。負担になる註文も用事もない。つっかかられてもいないし、おおげさな挨拶もない。
「ペールビール」か、美味いのかなと、今までテレビの前で三谷幸喜の映画をみながら缶ビールをのんできたわたしは、知らない味を想像する。それだけのことだ。が、戸外には風花がまだ寒々と舞っているかも知れない。メールはあたたかい。
日本中で、いいや世界中で、ビジネスや打ち合わせのほかにも、こういう、ナーンの意味もないが心嬉しいメール交換のW.W.W.が渦巻いているだろう。e-ヤングも、e-オールドも。十年前には、まだ無かったことである。
ただし好いことずくめではない、こんな温かいメールのほかに、今日もまたひっきりなし何十本もの「あべです」「たなかです」「あみ」「みよこ」「hey!」「ナイショです」「直メール交換希望」「re」「特別承認されました」「長年の歴史を誇る異性紹介サイトです」などいう不正勧誘メールは機械をわんわん襲ってくる。アタマへ来るが、けっして開かない。即、削除。
2006 2・4 53

* ジャンクメールが作戦を変えてきて、いまは高率でつまり普通の「姓」「氏名」で送ってくる。題名も、さながらの普通通信めく。同姓や同名のたいがい一人や二人は知人がいるから、ウカと惹かれてメールを開きかけるが、幸いにも「@」のうしろがアヤシゲなので回避は不可能ではない。危ないときはアドレスのボックスを面倒でも開いて、照合の手間を惜しまなければ、まず確実に要削除メールは確認できる。頭の体操のように判断し削除しているが、この頃は正常なものの十倍も届く。
2006 2・15 53

* 国内で百万人も加入者をもつという、会員の推薦がないと加われないソーシャルネットワーキンクへ、思いがけなく推薦紹介されていた。乱暴狼藉の防ぎようがないサイトも沢山ある。チャットというか、掲示板というのか、殴り込みの卑劣愚劣な書き込みが割り込んでくるサイトの噂、たくさん聞いている。防止するために会員制を厳重にし、その信用度によりひろげてきた「仲間集団」らしい。入会の登録その他、無料。
仕組みはまだ飲み込めていないが、「日記」が書ける。わたしに新日記の必要はないが、試みの思索を書きつづっておくことは可能であり、わたしの記載は、ここ当分、紹介し推薦してくれた人の他にはほとんど誰の目にも触れないであろう。その意味でわたし独りの「部屋」静かな「孤室」になる。だれに気兼ねない静かさが気に入るだろう。
で、断片的にでも、思うままある主題への思案を書きためて行こうと思い、昨日から書き始めた。最初の書き込み分を、此処に転載しておく。どう、どこまで書き継げるか、成心にとらわれず淡々と進める。

*「静かな心」のために 一
「美しい」という感嘆を漠然と自覚したいちばん最初が、何に向かってであったか想い出そうとするとき、あれだったろうと容認できる記憶は、一つしかない。
花でもない、景色でもない。そういうものに自然と目が行くには、幾らか年齢が必要になる。
吸い寄せるほどの魅力や威力があり、言葉で置き換えようのない、わたしの場合、それは、仏壇の灯明であった。そんな気がしている。
狭い、綺麗とはいえない、貧しい家の奥の襖内に仏壇は据えてあった。襖をあけ、真塗の観音びらきの扉をひらき、御飯を新しく炊くたびに、母は金色したちいさな高坏に熱い白飯を高く盛り、わたしに、仏壇へ供えさせた。そのつど幼かったわたしは、ぺたんと仏さんの前に正座し、チーンと鉦を打ち、形ばかり手を合わせ頭をさげた。そうせよと教わった。南無阿弥陀仏とは唱えなかった。家の宗旨も、本尊の如来がどなたかも知る由ないほど小さかった。
そのような家常の習いに、一度一度お蝋燭を立てて火をともすほど我が家は裕福でも信心にまめでもなかった。灯明の立つのは、父の母親か、祖父の両親らの命日ないし盆と正月ぐらいのことで、だからこそその火の色はめずらしく、あたらしく、もの畏ろしげにわたしを捉えた。ありていにいえば、かなり怖かった。こわごわ、美しいと見入って、ゆらゆる炎の静かさに身を縛られた。
炎は必ずしも静かなものではない、絶え間なく揺れ動いていると見え、それなのに、微動だもしないと見える永遠の刻がある。そんなとき、炎の色は透明感を増しながら、底知れない深みを想わせる。美しいものは、かくも静かに清いかと子ども心に感じていた。畏怖しつつその感じを楽しみ悦んだ、深々と。
炎ほど清浄に美しいものはないといえば、事実に反する例が多いはずだ、業火あり猛火もある。黒煙にまみれた紅蓮の炎を静かに美しいとはいえまい。
それはそれ、原体験として、清くて静かなことは美しい極みかのように想わせてくれたのが仏壇の灯明であったことは、今にして仏恩のごときものであったと言いたくなる。
この感覚は、だが、体験とはいえ異色・異態のもので、火は、不動明王が背に負うた火炎も、絵巻の中で応天門を焼き落とす炎も、金閣炎上の猛火も、地獄変の火相も、また瞋恚の炎も、心清しいものばかりではない。それどころか心清しい火などに出逢ったといえる体験は、他に…無かった。だから仏壇の蝋燭の灯が印象にのこった。その灯は、いつ見てもわたしのちょうど目の高さで、いかにもいかにも静かだったのである。
2006 2・16 53

* 湖の本と速達、ありがとうございました。
ところで、ミクシィで、しかもプロフィールが本名では、全然匿名性はありませんよ。
あっさり見つけてしまいました。  建日子

* mixiの利用法 父
匿名の便宜は全く期待しない。だれが読もうと見ようとお構いない、まったくわたしの「孤室」のつもり。「あ、秦恒平が此処にいるぞ」と、もしも訪れる人がいても拒まないが、だれも来なくてもちっとも構わない、むしろその方が静かで佳い。
比較的行儀のいい、ま、安心なソーシャルネットワーキングだというし、そこで「日記」欄を「専用の原稿用紙」に援用し、かねて懸案の一仕事を進めよう、と。いいきっかけに使えると思いました。此処で仲間が欲しいとも、メッセージし合いたいとも、ちっとも思っていないのです。
本名を敢えてしたのは、「書く」ことに責任をもちたいのと、無署名の危険を避け、ライセンスを確保しておきたいためで。ちらちら見えているあれこれの記事やメッセージや自己紹介など、匿名に隠れて浮游するダストのようなもの、関心も興味もありません。そもそも匿名で「ものを書く」という姿勢が、わたしには理解できない。「らくがき」としか思われない。
目的を持った匿名コラム、たとえば某新聞の「大波小波」などの場合、批評・批判に、方面も方法も前提されています。趣向なんです。わたしも数年にわたり、びっくりするほど大量に書いたし、言わねばならぬ事を書いた。
けれど、インターネットに匿名で書くのは理解できない。いやがらせ電話に同類の危険さもあり、第一に匿名で得られる「自由」には「無責任」の裏返しを感じます、そうでないのも在るに違いないが。
初めて「新潮」編集長に会ったとき、筆名はおやめなさい、本名でお書きなさいと言われた意義が、年がたつにつれよく分かってくる。
「ラクガキ」は昔から嫌いなことの一つだった。
もう一つ、湖の本全巻の「内容一覧」を造って、ここへ出して置こうと思っています。およそ役に立たないだろうけれど、「役」という利益は考えていません。売り込むのでもない。こんなところに、こんなヤツがいるぞ、というだけ。
こういう加入者はMIXIも歓迎してないだろうなと思いますが、御縁ゆえ、勘弁してもらいます。いまぶん、人を推薦する気も、人を探す気もありません。ホームページが満杯なので、勝手のきく「別室」を見つけたという気持ちです。
今日、連載三度目の稿を掲載しました。いい覚え書きになるといいが。
2006 2・17 53

* MIXIで、妻にいわれ戯れに「秦恒平」と検索したら、すらっと出た。「京都府京都市在住」で「二十歳」とある。ゲッ! 同姓にはしばしば、同名にも何度か出会っているが、同姓同名は稀有なほどめずらしい。むかし京都の祇園祭に役で出た少年、地方で水泳のつよい少年を同姓同名でみつけ、「小闇」にいろいろ謎解きしてもらった覚えがある。このMIXI会員はしかし出身は京都でなく現住京都とプロフィルにある。同姓同名に此処で出会うとは驚きだし、うまくすると御縁が出来るかもしれない。それも驚きの初体験になる。
2006 2・18 53

* もう一つ、同姓同名の「秦恒平」君に、おなじMIXIのなかで出会ったことに驚いた。今朝、メールをもらい互いに事実確認できた。

* この二月十四、五日にmixiに入会した、京都市生まれの本名秦恒平(七十歳)です。
自己紹介はごくヤボに、あるがママをそのママにプロフィイールとしてあげておきました。
もう四十年ほどこの姓名で働いてきましたが、同姓また同名の人には出会っても、同姓同名の方に出会うのは稀有というより覚えがありません。京都市にお住まいというのにも、ビックリしました。わたしは現在は西東京市住まいですが、今も京都市に縁浅くなく、京都でも仕事をしています。
mixi御縁というもの、お話しなどうかがえれば幸いです。

* こちらこそよろしくお願いします。同姓同名とは非常に珍しいですね。
私は今年20歳になります。現在京都市にて大学生をしております。
大学生ということもあり、私のページは少々幼稚に見えるかもしれません。しかし、ミクシーというのは公共の場であると同時に友達同士のコミュニケーション手段となっているので日記などで非常にくだらないことも書きますが、どうかお許しください。
もしかしたら、作家の秦恒平さんではありませんか?たしか今年70歳くらいだと思うのですが。

どうやら、本当に作家の秦恒平さんでいらっしゃるようですね。非常にびっくりしました。
僕のほうでは、 ああ、同姓同名の作家がいるんだな、と数年前から知っておりましたが、著作は特には持っていませんでした。
一応、マイミクに登録いただけたら幸いですが、なにぶん僕は大学生であり、刺激的で少々汚い物言いで日記などを書くこともあります。悪気はないのでどうかゆるしてください。
2月19日から24日まで僕は、現在所属しているアーチェリー部の合宿に行ってまいりますので、インターネットが使えなくなります。ですので、もしメッセージを送って下さっても1週間返すことが出来ませんが、どうぞお許しください。   秦恒平

* 「画期的」な愉快な一事件を記念すべく、もらったメールを此処に転記させていただく。京都の下鴨を歩いていて表札に「秦恒夫」とある表札に出会ったときもビックリしたが、今度は我が目を疑うような二十歳の「秦恒平」君であった。もう一人の自分がまた京都の大学で学んでいるような嬉しい気分。
2006 2・19 53

* この間メールをもらったばかりのペンの同僚会員(作家)が、MIXIに入ってきたのにビックリした。わたしのホームページを見ていたそうだ。見ていると、小説家志望の人は何人もいる。本気で小説家になろうという人には、わたしは日々の駄文や戯文書きはすすめない。本気の人ほど、片々とした文章も、文体はいかにもあれ、書き散らしクセは付けない方がイイ。抜け出せなくなるから。
2006 2・20 53

* まこと、冬ざれ。わたしは七日つづけて「静かな心」のためにMIXIに書き続けている。ただの一太郎では、はずみがつかず書き起こしにくかった。ひょっとして大勢に覗き込まれているというプレッシャーを利している。
2006 2・21 53

* MIXIに、八日にわたって連日「心」論を書き続けている。漱石の『心』論ではない。まさしく「心」を、まっしぐらに論じようとしている、少なくも語ろうとしている。場所も場所、場違いすぎて、反応は全く期待していない。立ち往生する怖れも大いにあり、とは言え、いまぶん順調に書き進んでいる。少しずつでも、三十枚をもう越したかも知れない。短く毎日区切れることで、いい働きができるかも知れない。
MIXIの中に、作品は読めないが小説を書いている人、かなり熱くなって書いている人もいるようだ。読んでみないと分からないが、いい若い書き手に出会いたい。すぐれた読み手にも出会いたい。そう思うようになった。
いまのところわたしより年寄りには出会わないが、年輩の人もいる。二三日前のわたしの「静かな心」のためににコメントして、伊勢物語第一段の「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず」という和歌を書き込んだ人など、いい年のようであるが、どういうことか。
「返歌さほどならず」とわざわざ書き添えてあったのは、例の「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに」に当たるが、「さほどならず」というのは、べつの返歌を要求されたのか。即座に一首。
みちのくのしのぶもぢづり誰ならで色染む花としるや知らずや
2006 2・22 53

* それから機械の前へきた。MIXIの二十歳過ぎぐらいな男性が、フログに小説を数編書いていて、評論も書くと自己紹介しているのを見つけた。
2006 2・23 53

* さきほど大阪産経に送った連載エッセイ、民主党の永田議員が辞職にまで及ぶべきとは思われぬひとつの論調を示しておいた。この線で頑張れば、問題提起はメール「内容」に在り、メールの「真贋」はさまで問題にならないことがハッキリする。メールの真贋にだけ拘泥した自民の「ガセ」論は、いろんな問題も含めて野党追及を力づくかわすニゲの論理。「メール」の機械的性質と「告発内容」の審査とを同じ一つのことのように水掛け論をしていても、お話しにならない。
それにしても、この、サイバーポリス時代に、公党たるもの、電子メディアに精通した要員を常置しているのかと、それにも怒りたい。

* 秦先生 おかげさまで無事に産休に入りました。
怒濤のように降りかかって来ていた仕事をどうにか片付けて、ようやく一週間ほど前から産休に入りました。
とは言え、自宅でできる仕事は持ち帰って来ているので、子どもが幼稚園に行っている隙やわずかな時間を見つけて、論文の手直しをしたり仕事の原稿に手を入れたりしており、心理的にはまだまだ落ち着かない気ぶっせいな日が続いています。
mixiのブログ、書き込みありがとうございます。私のあのプロフィールでは、決してお分かりになられないだろう、と安心して先生のブログを覗いていたのですが、あっさり見破られてしまい、悪いことをしているのを見つかった小学
生のような気分です。先生のお目に触れるのは忸怩たるものがあります。
mixiの中では「仕事の話はしない」という自己規制をしています。普通にママさん生活を書いているmixiブログですが、ブログを書くようになって、しみじみと自分の精神形成に仕事が大きな役割を果たしていることを痛感するようになりました。そこを封じられ、そして自分の精神の深いところに繋がる部分も書かないようにすると、手足をもがれたような状態になるものですね。
仕事の中でも当然ながら「当たり障り」は山ほどありますし、特に行政的なやり取りの中では「当たり障り」だらけですが、それでも一科学者として、客観的なデータというものが語る事実の前に、謙虚に本音を語らざるを得ない場面は出てきます。そしてそのようなバックグラウンドを持った人たちとは、同じ目線で話ができるのです。もちろん、科学者を標榜していても目線の違う人もいますが。それでも、そのような精神の風通しのよさを知ってしまうと、もはや後戻りはできない、との思いは大きいのです。
今週いっぱいくらいで、家に持ち帰った仕事にけりを付けるつもりです。その後、先生から頂いたお話について、ゆっくり練り上げて書いていきたいと楽しみにしています。
三月末の予定日よりあまり早く産まれないことを祈りつつ。こういう形で自分の精神を解放する手段を頂いていることを本当に感謝しております。「心」を静かにさせておくために、カラダや実生活はある程度の慌ただしさが必要なのかもしれません。
今日はあたたかで、花粉がよく飛んでいたようです。どうぞお体、大切になさって下さい。  典

* 言っていること、かなりよく分かる。わたしは、MIXIの中で、韜晦して隠れている気はなかった。それでは誰よりも自分に対し、気遣ったり或る程度心にもなくいろいろに自己修正を強いられる。それは御免。家にいてもペンにいても東工大にいても、京都でも東京でも、誰とでも、ほかならぬ「自分」のあるがままでいたい、その自由は捨てないのである。
「かなふはよし。かなひたがるはあしし」と利休は言った。利休の言葉の中で最も推服するのはこの「かなふはよし、かなひたがるは悪しし」である。かなひようがなければ、わたしはさっさと撤退する。
2006 2・23 53

* 一気にたくさん書かなくていい、たくさんでない方がいい、毎日書き継ぎやすく書きどまりどまり書けばいい。MIXIのごく若い男性の作品も読もうとしている。電子メディアの中から鑑賞に堪える花が咲いて欲しい。大人に読まれる、読んでもらうということは、願ってもないだいじなこと。わたしなどは、そう渇望していたものだ。よほど大才でない限り、自己満足で作家志望しても気取っても、大切な何かが足りない。しょせん文章が出来ていない、それは書き継いで継いで自分で見つけてゆかねばならない。
2006 2・24 53

* MIXI連載、十一日めの原稿を、「日記」欄に書き込んだ。場違いなのははなから分かっているが、気にかけない。背負ってきた荷を前へ前へ半ば強制して運んで行くのに、恰好の場。この思い切りがなければ、書き起こせそうになかった。どこまで遠い道か、分からない。しょせん「静かな心」へは行き着くまい、この仕事自体がまさしくエゴトリップでないと言えないのだから。ま、いッか。
2006 2・25 53

* 日本ペンクラブ電子メディア委員会の同僚中西秀彦委員から、メーリングリストに下記の報告があった。許可をもらって此処に転記してみる。適宜改行したり句読点を補った。

* ウエブ進化論   ちょっと紹介です。すでにみなさんご存じかもしれませんが。
-------------------------
これはメデイア論の革命かもしれない。
梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)という本である。これはもう絶対のおすすめ。特にアマゾンの「なか身!検索」に違和感を感じる向きには、相手側の論理を知る上でも貴重な文献だろう。
インターネットの最新情報と、それにもとづくメディアの変化を追った本というのは、あまたある。私も、この世界をウォッチするものとして、様々な本を読ませていただいたし、私自身『本は変わる!』という著書の中で、紹介もしてきた。
しかし、この本は、まったく新しい存在に変わろうとしている現在のインターネット(Web2.0)を提示してくれていて、これはもう、メディア関係者は必読だろう。
いろいろな現象が紹介されているが、私のみるところ、インターネットの「玉石混交」問題を「テクノロジーで乗り切ろうとするグーグル」という構図が、著者のもっとも主張したいところではないか。
インターネットの「玉石混交問題」とは、インターネットには誰でも「作者」となれるという面があるが、それ故にメディアとしては、あまりに質の低い情報つまり「石」が多く、その中から質の高い情報、「玉」をみいだすのが難しくて、実際上使い物にならないというものである。インターネットの、メデイアにおけるあまりの破壊的影響力ゆえに、「本」の作り手が主張してやまない理屈だった。
本当に役に立つ情報が、インターネットで「ただで」手に入れられてしまえば、誰も「本」など買わなくなる。これは誰でもそう思う。情報それ自体はいくらでも手に入れるが、その中で、正確で有用な情報を選んで、読みやすい形で提示するのが「本」の作者であり、編集者であり、出版社だと思ってきた。
ネット時代となって、携帯電子本のようなものが普及したとしても「編集」という行為は残るというのが、本の作り手の最後の砦だったはずだ。
これが「グーグル」でかわるという。もちろん「玉石混交問題を解決する糸口がITの成熟によってもたらされつつある」と、表現は慎重だが。
その実例としてWikipediaやオープンソースをあげている。インターネット百科事典『Wikipedia』の実験の紹介は、秀逸。 「Wikipediaの記述をわざと誤りに書きかえたところ、わずか数時間で修正された」というものだ。インターネットの情報という「石」は、「個」のネット上の営みが集積されることで「玉」に磨かれていく、ということなのだ。そしてそれを保証するのが「テクノロジー」という割り切り。
うーん。落ち着いて反論すれば、いくらでもできそうな気はするけれど、一本とられたな。というのが今のところの、正直な印象ではある。

* フォロウの必要な、関係者には目の離せない状況ができているということ。
2006 2・26 53

* 相変わらず「堀江メール」はホンモノかニセモノかなどと言い合い、民主党は平身低頭しますという口ぶりで、わらえる。
メールに「ホンモノ」も「ニセモノ」もありはしない。通用し通信されることでは、通常、どんな愚劣悪質なメールでも、どんなまともなものでも、機械的には同じに、ばからしいほど同じに届いてしまう。「ニセモノ」が「ホンモノ」のふりしてメールできるし、じつは逆のこともできる。ことに、いとも真面目な内部告発めくものは、メールの場合、匿名も偽名も容易に出来るのが「機械の仕組み」である。それ自体は、匿名偽名で投函される郵便での「告発」や「抗議」と、少しも変わらない。その手のものに怪文書といわれる卑劣なものの多かろう事は簡単に推察できるが、とても大事な内情や隠蔽されている大不正も、かなりの場合がそのような方便で、明るみへ持ち出されてきた。
今度の場合も、差し出しの形式で偽装されているとしても、第一義の問題ではない、あくまで、伝えられてある本文「内容の真義」がしかるべく追究されるべきで、国会や公党の役目としても、電子メールの真贋を問うている場合ではない。巨大与党が多数にまかせてその「道」をふさいではならず、弱い野党もその追及でだらしなく低頭したりしていては見当違いも甚だしい。
武部幹事長(派)とホリエモン(系)との間に、伏せられた多額のくらい金が動いていたかもしれないとは、実はこうなってみて国民の大半は、殆どが「あったろう」と勘ぐっている。リアリティありと感じている。メールは、そこに噴火口をつけたのだといえる。
それなら噴火口を利して野党のマグマは噴けばよろしく、電子メールの「真贋」論議などアホらしいことから代議士が辞任したり(全くむだな出費になる)、謝罪したりしているときではない。
今朝、NHKからの質問に応じている前原民主党代表のひよわい表情と消え入りそうな声と言葉には、「アカンタレ」と吐き捨てたい不快感がぬぐえない。やっぱり、「菅」の喧嘩上手に、再登場させるしかないか。
こういうとき、安閑として高みの見物気味の共産党も社民党も、どこかのアナがちいさいぞ。
2006 2・26 53

* 来るメール、来るメールを「闇」に書き置いているのではない。わたしも楽しみ、「闇」の向こうでも楽しまれそうな生彩あるメールを、それとなく選んでいる。あたりまえ。
MIXIに見られる日記やコメントは、中には口調はともあれ、共感できるものも稀にあるものの、静かに考えさせてくれる文章には出会わない。吐きけのしそうな露悪の弁が、二十歳前の少女のあくどい表現で書かれてあるのに行き当たったりすると、よほど世馴れているはずのわたしの方が、恥かしくなってしまう。このMXI世間で、『「静かな心」のために』考え、書いて行くなんて、なんと滑稽なことだろう。だが「雑踏の孤心」は一つの境涯でもある。愚痴をいわず右顧左眄せず、書き継いで行く。今夜、第十二回。
2006 2・26 53

* 昨夜おそく読んだMIXIの二十歳前の女の子の、いちびった露悪ぶりに、魘された。そう思っている、知っている、している、だからそれを公然人前に書き表したとて、何がわるい、という理窟でもあるのか。
早稲田の文藝科ゼミで学生達に小説を書かせては読んでいたとき、「男は坊や、女は獣」とたくさんなへたくそな作品から実感していた。よほどましなのに、今活躍している角田光代がまじっていた。
伊勢物語の冒頭に、そのころ、ちょっと気の利いた女たちは機会あれば「いちはやきみやび」をしたとある。女からの「ナンパ」である。いまどき二十歳前後のさかしら女は、意識して露悪を演戯しているらしい。漱石は『三四郎』の美禰子のような無意識の露悪をやる「猛獣」も書いたが、無意識どころでないから、吐きけがする。
「獣」そだちかと見えたような三十代セクシーの表現など、いまも作品一つ読んでいるが飾らずに、だが美しく書こうとしていて、カタルシスもある。
2006 2・27 53

* Hideko という本名の携帯電話から届いたこのメールの直後に、同じ Hideko の reメールが届いた。おや「追伸か」と思った、が、ドメインはべつもの。他の場所でプレビューしてみると、中国人元女優とやらの、中に漢名も書かれてある、いたずら勧誘。それが、どうしてサブジェクトには Hideko となって間髪をおかず届くのか。電子メールの世間には、途方もない隠し技が幾らも潜んでいると思っていないといけない。
2006 2・27 53

* MIXIに、ひたすら『「静かな心」のために』書き継いでいる。今日は新井奧邃に筆をすすめた。誰も彼もを引き合いに出せば、混乱だけが烈しくなる。「心」を語って、、見当はすこしべつにしても、江戸の「心学」は触れて通らぬワケに行かなかったが、明治にすすんで「静かな心」というと、存外、これが流行りであった。座禅には漱石も通った。森田草平の恋人平塚明子も参禅していた。参禅のようなそうでないような「静座法」が流行っていた。
だが、そんな一々に触れていてもわたしの思う「静かな心」へなかなか肉薄できそうにない。
それならば、と、わたしはあえて「新井奧邃」と、たとえ二日三日でも対座してみようときめた。たとえば臼井吉見先生の大長編『安曇野』にも奧邃は現れる。野上弥生子も書いている。わたしが東工大にいた頃からいつかこの人にはたとえ短時間でも向き合わねばなるまいと、なんとなく予期していた。純真で、しかし、とても変わった人のように見えている。
2006 3・1 54

* どういうワケか使ったことのないソフトを介して、さっき聴いていたヴィクトリア・ムローヴァのパガニーニとビュータンのヴァイオリン曲が機械に保存され、ディスクなしでいつでも聴けるようになった。なんで、こうなるの。有難いが。
わたしの希望は美空ひばりの好きな曲だけを二十曲選んで、いつでも外出先でも聴けるようにしたいのだが。その調子でいつでも聴きたいクラシック曲がたくさんある。マドレデウスも真っ先にそうしたかった。
機械の可能性は、向こうの方からこんなふうに知らないうちにひろがる。
2006 3・3 54

* mixiの若い人からメッセージが来ていた。若い人達の中で、落ち着いた物言いで時局への感想や意見が出ていると、ほっと嬉しくなる。ためぐちでしか、ものの言えないというのには、少しヘキエキする。
2006 3・4 54

* いったん新井奧邃をしめくくって次へ繋いだ。「静かな心のために」第十八日めの原稿をもう書き込んだ。
2006 3・4 54

* 『「静かな心」のために』十九日めも、mixiの「日記」欄に送った。志ん生の大曲「大津繪」などを聴いた。機械で音楽や落語も聴けるし、録音も出来る。映画も観られる。撮った写真も採拾した写真も観られる。
目が疲れると音楽を聴くようにしている。
リソースの不足と機械が危険状態ですという「警告」に脅される。メモリをふやせば切り抜けられるが、それぐらいなら新しい機械を買う方がやすいですよと言う人もいる。この使い慣れた機械になんとか頑張ってもらうには、外付けのハードにバックアップさせるしかない。ものすごい量のコンテンツが機械に隠れている。ディスクに大切なものはみなコピーしてあるが。
2006 3・5 54

* 電子メディア山田委員長から、八日の臨時の委員長会議に代わりに出て欲しいと頼まれた。電子文藝館の方は城塚委員長が出席するだろうから、山田さんの代わりを引き受けた。
2006 3・5 54

* 八犬伝に読みふけって、寝そびれた。ずいぶん読んだ。そのまま起きて、「静かな心のために」の二十四日めを書いて送っておいた。朝から、MIXIに若い女の子のいちびった記事が出ていて、気色が悪かった。
2006 3・10 54

* 熟睡。かなり、なにもかも時間的にきつくなってきている。毎日、「静かな心のために」を書いて欠かさないとなると、問題が内向して具体的でもないため、かといって、うわずった思いつきではやって行けない難題だけに、自分で自分に気遣いしてしまう。昨日のように終日出かけているときは、前日に心用意して行くが、京都へ二日三日と出かけるときは。ま、そう気にすることでもなく、拘泥しているわけでもない。やすやすと、出来ることをしていればいい。

* mixiの中で、佳い日記を書いていたり、わたしの文章にコメントしてくれたり、小説を書いていたり、また尾上菊之助が大好きというようなことを書いている歌舞伎フアンがいたりすると、気が動けばわたしもコメントするようになっている。わたしの連載にも、もう五百度(五百人ではない)ちかい来訪者の「足あと」が記録されている。また今日の来訪者のなかでその人の日記をみると息子の河出書房版『推理小説』への、大勢の感想をとりあつめた個所へも誘導されてゆき、そんなのも一服しながら読んでいて、面白かった。
2006 3・11 54

* 昼から、渋谷のパルコ劇場へ、染五郎たちに逢いに行く。MIXIには、彼をうまい「肴」にしたコミュニティも出来ているらしい。ヘェー。
楽しそうなとMIXIをさすらっていると、好きな藝能畑の花がたくさん咲いている。茶の湯、能・狂言、歌舞伎、舞踊。落語など話藝の方も、音曲も。子供の頃から何十年、しっかり付き合ってきた世界であるが、好き仲間はあまり持たなかった。ひとり著書にし、小説に書いてきた。
その一方でもう二十年余、ペンクラブではウルサイ言論表現委員を務めて、佐野洋や猪瀬直樹といっしょに奮励してきた。最先端の電子メディア委員会も創設した。電子文藝館も開館させた。
わたしは子供の頃から根っからの、野党。政治に目を放してて、佳い藝能は楽しめない・味わえないと考えている。佳い藝能は野に咲く花でこそ美しい。勲章や位階を戴く藝人さんは、どこか気の毒に痩せてみえるのだが。
2006 3・14 54

* なぜか昨日から今日へ、凄まじい量で海外発らしいジャンクメールが殺到する。一つも開かないで捨てているが、こういうのにも潮の差し引きがめざましい。
2006 3・15 54

* 目覚めて、昨日の体調違和から少し解放されていると感じられ、よかった。「静かな心のために」をちょうど三十日間、思うまま書き継いできた。百何十枚ほどに成っているだろう、どこかで、わたしは自分の「バグワン」読みを書こうとして、その「前座」を興行していたのである。もう一日、まるまる一ヶ月の「前置」になる。
来週には少し東京も留守にするから、半月ほど書き休んで、また新たに日に日を継ぐ気でいる。その間に湖の本の新刊を入稿してしまいたい。一ヶ月、思うままにとは言え、思案の筆を欠かさずに運ぶのは久しぶりのことであった。ま、日記を「私語」と「MIXI」と二種類書いていると思えば済むようなモノのか、そうでなかった。かなり力業になっていた。しかし休み休みではやはり書けなかったろう。
2006 3・16 54

* 三十一日間、ちょうど一ヶ月書き続けた『「静かな心」のために』が、ほぼわたしの動機を明かして、次への展開をまつところに届いた(初稿であるが)。半月ほど休んで、次の『「静かな心」とは何か』が書き出せるよう、呼吸を整えたい。小さな旅など控え、また湖の本の新入稿にも手を掛けたいから。
読む・読まぬは問わず、この一月の連載に、五百数十の「足あと」が残っていた。そのうち、mixi以前からの知人は、東工大の昔の学生で、今も仲良しの読者が一人だけ。その人がmixiとは知らなかった。足あとを追って見つけた。他の人たちとは始めて出会った。
じつは、もう一人知ったmixiのいるのも知れ、その日記や仲間うちの対話が、どうしても日々に見えたり聞こえたりする。現に大学生の内面とは思いにくい、渋谷辺の辻辻にしゃがみこんでいる少女達の(それとは似つかぬ贅沢な)嬌声やいちびりを聞くようで、そんなことは彼女たちの勝手、わたしもまるで知らない人ならただ通過してしまうけれども、なまじいに識っているだけ、つらいほど恥ずかしく、愉快でない。いっそmixi なんてやめよかという気になるほど。
もう一人、ある仲良しも mixi 仲間とは聞いたが、この人はあえてわたしの記事に「足あと」をのこさず、わたしの方からは探索も検索もできない。
mixi は厖大な会員を擁しているらしく、一度その存在が確認できると、一気にその人の交際範囲が、たとえ行き当たりバッタリの構成にせよ、見えてしまう。仲間内での「喋り」などもみな聞こえる。匿名に隠れ、そこで(だけ)変身願望を満たしている人もいて当然で、必ずしも実像が反映しているのではないが、それだけに、別の現実で知り合っている人には、あまり覗かれたくない言も行もあるのだろう。
見も知らなかった(見るということは事実上あり得ない)人たちの声や言葉を聴くのは、無責任な気持ちでは、それなりに面白くもある、びっくりする広い広い多彩な世間が無数に在ると分かるから。だが、なまじいに知った人とは出会いたくない広漠とした世間ではある。隠れあっているのが賢明なようだ。
わたしの期待は、どのみち、そのような「世間」に対して有るわけでない。雑踏する街頭をひとり「物思い」にふけって歩いて行く、そういう「道」が有るのを好きに利用しているだけ。この先、どう変わるか、変わらないか、いまは、分からない。
2006 3・17 54

* 土曜日曜はメールも少ないし、このごろ、日付の変わってからのメールは翌日に見る方が多い。階下へ降りてしまうから。「ペン電子文藝館」の仕事をほぼ全面的に端折っている余禄である。もっとも目の酷使は相変わらずで、その点はどうにもならない。
2006 3・19 54

* MIXIには「本の少々」のあたまの四回分を転載し、それぞれに日記ふうのメモも添えている。
2006 3・20 54

* 「比較」という「批評」や「分別」が昂然と、トクトクと学問のジャンルにすらなっているが、ナニ、たいしたことではない。太古来、人は、日々に比較し分別し選択して暮らしてきた。逆にそういうことを「一切するな」と命じられたら、インテリも、そうでないのも、みんなヘキエキして狂うだろう。比較しない、分別しない、選択しない。これが「無心=静かな心」への、初歩でほぼ終点なのだから。わたしなんぞの、求めて出来ることでは、ない。情けない。情けない。
僅かな間、東工大に教授室をもっていた。もっと前には二年間であったが早稲田の文藝科で、いま花盛りの角田光代らの創作の勉強に付き合った。
教授会に象徴される学内行政には、小指の先も触れる気がなかった、ただただ学生達とよく話した。東工大の教授室はいつも近隣からヘキエキされるほど学生の談笑で賑わった。大学生という名の知識人またはその卵達の内面をなるべく深く覗き込んで、それに応えられるだけ応えたかった。同僚の先生方の多くが、はなから学生達の「幼稚さ」に絶望気味だったが、わたしは彼等の内深くに隠れている言葉を、思いを、せいいっぱい引き出した。わずか四年間で、東工大のわたしの学生達は、一冊(原稿用紙)三百五十枚勘定の単行本ならば、実に「百冊分」をわたし宛に書いて提出しつづけ、わたしは悉くを読んだのである。
その体験が、禍い? してか、たとえば、今わたしの孫娘は、やがて大学二年、秋には選挙権も手にするけれど、日々に書いているブログ記事など読んでいると、これが本当にこの子の深くから湧き出る自分の言葉なんだろうか、毎日毎日これっきりなんだろうか、これでは「言葉」そのものが下痢のようなもんだなあと、つい分別し批評してしまう。したくなくても、してしまう。とっても、つらいイヤな気分である。
分かっている。よけいなお世話なのである。
だが、言葉は「生き」の現場をはたらかせる血潮のようなもの。そうもそうも、これはハレの言葉です、これは気楽なケの言葉です、ちょっと軽く道化てみせてます、とは、したり顔に使い分けの利かない、気難しい、イヤーな生きもの、それが言葉。
おセンチに、トホホめいて、下痢のようにしか書かない話さないでいると、そのクセは、大事な肌にも表情にも立居振舞い、ファッション・センスにまでしみついて、そういう汚染(しみ)ほど、とても拭き取れない。
一度だけ、「闇」に言う気で、書いておく。おじいちゃんが、こんな場所でエンゼツしているとは、孫はまるで知らないのである。
2006 3・20 54

* 世の中には同じ「恒平」という名前の人が大勢いると、そんなことの知れるのもmixiの妙な徳である。検索して、「足跡」を付けて歩くと、向こうからもついてくる。谺のようである。「日吉ヶ丘高校」で検索したら九人、卒業生が見つかった。二三人、仲良しが出来そうだ、みなすこぶる若く孫なみだが、息子よりやや若くて、映画製作の仕事でグランプリを得たばかりの男性もいたりし、頼もしい。「医学書院」の編集者も一人みつけた。妙に懐かしい。みんな孫世代なのには感慨を覚える。年を取ったことにも覚えるが、そういう人たちとのなかでわたしも蠢いているのだから可笑しくもなる。
こんなふうに、はからずも、人生の曲がり角は知らぬうちに用意されていて、ふと視野が変わる。

* mixiである種の違和感を覚えるとすると、電子メールというのはあくまで個と個との対面・対話だと思う原則的事実が覆されていること、そういう対話も可能なようだが、日記などは公開されている。「コメント」という名目でのメールは公開されていて連鎖して行く。比較的安全に行儀は守られているが、どんな世間にも露悪的にイチビッテいる存在は無くなるものでない。
こういう底知れず「大量」をかかえこんだ「ネット世間」など、十年前には、まだ夢にも予想できなかった。時代はたしかにこんなカタチででも動いている。だが、この世間が何かの社会的・政治的エネルギーとしても機能するかどうかは、分からないと読んでおく。動くかも知れないが、動く気配は微塵もないのも確かだ。
2006 3・27 54

* 寝がとぎれず珍しく熟睡した。夢は見ていたが覚えていない。
はや湖の本新刊の初稿が出て来た。待ったなしにまた忙しくなる。夜前、久しぶりに一人「ペン電子文藝館」へ作品を入れた。その気になれば作品の用意は幾らもあるのだが、手を拱いている。
今月いっぱいで、久しく使ってきたニフティ・マネージャーが廃業し、なんだか手続きを替えねばならないらしい、ヤイヤイ言われているが何の心用意もない。林丈雄くんが家へ来てくれ「秀丸」というのをセットしていってくれたが、しばしばこの「秀丸」に不具合の警告が出て、時に難儀に器械がフリーズし回復に苦労するので、思い切って削除した。つまり四月一日からどうなるやら手が打てていない。「アウトルック・エキスプレス」があれば心配ないという説もあるが、どう安心なのか知らない。
2006 3・28 54

* パソコンを手に入れてこのかたのニフティ・マネージャーが業務を停止した。使い慣れていたが。ここしばらく、わたしのメール環境が動揺しそうである。受発信はいままでどおりで変更ないと聞いているが、明日四月になってみないと分からない。
問題は、昨日わたしがニフティマネージャーを過剰にいじくったためかデータベースが破壊されてしまい、すでに昨日から開けなくなり、器械から削除されてしまった。したがって、メールアドレスブックも見られなくなった。アウトルック・エキスプレスのアドレス帳に転記されていないアドレスは見られないので、メールの来た人の分を順々に新しく保存して行くことになる。一つの「時代」が強制的に「過ぎた」というに等しい。それもいい。
2006 3・31 54

* 林丈雄くんが電話をくれ、いろいろ話した。明日家にきてパソコンを調整しましょうという話は、わたしが昭世の能「湯谷(ゆや)」を楽しみにしているので、延期にして貰った。
2006 3・31 54

* 「mixi三百万。あれが結集した<政治力>になれば、ブログも現代の希望になりますけれど、いまの様子をみていると、三百万<愚民化> じゃないですか}と、昨日教え子だった一人に果敢につっこまれた。その通りだと、痛感する。
2006 4・1 55

* わたしの、今、苦のタネは、mixiにいると知った大学生孫娘の日々の日記を「読む」こと。むろん何もかも書かれているわけでない、しかもひょっとして舞文曲筆の戯れごと(それなら、どんなにいいだろう!)かも知れないが、想像のほかの生活ぶりに胸をいためている。「大学生」のかなりな実像を東工大で見知ってきたし、退職後もたくさんな付き合いがあり、むろん校風や専攻のちがいもあるにせよ、また知的内容の落差も考慮しなければなるまいにせよ、そんな程度の、そんな範囲のことではない。たんに「いちびって」いるだけなら、まだしも。
てんで手の届かないところで祖父母は新たな歎きを抱き込んでいる。mixiを介してじかに物言えば、孫はきっと仰天するだろう。
2006 4・3 55

* 今日は花粉が舞っている。夕方、林丈雄くんが来てくれる。

* このところ、また、いたずらの無言電話をときどき受けていると妻が言う。わたしは昔から電話は、するのも受けるのも嫌いで、仕事場に電話機は置かない。無言電話、いたずら電話、そして商品の勧誘電話は、われわれの同業では少しも珍しくない一種職業病なみ「憑きもの」で、不快さに軽蔑しても、多年の習い、家人も慣れている。電話会社だけが喜ぶのだろう。陰気なことだ。
2006 4・8 55

* このところ、また、いたずらの無言電話をときどき受けていると妻が言う。わたしは昔から電話は、するのも受けるのも嫌いで、仕事場に電話機は置かない。無言電話、いたずら電話、そして商品の勧誘電話は、われわれの同業では少しも珍しくない一種職業病なみ「憑きもの」で、不快さに軽蔑しても、多年の習い、家人も慣れている。電話会社だけが喜ぶのだろう。陰気なことだ。
2006 4・8 55

* 六時前、林丈雄君来訪。夕食して歓談。そのあとわたしの器械をみてくれた。破損したニフティ・マネージャーのメール機能は結局回復せず。
妻の器械の方は、希望していたことが希望通りに成ったようだ。十時二十分ごろ、川崎へ帰る林君を見送る。お疲れさん。感謝。
2006 4・8 55

* 昨晩はとても楽しく過ごさせていただき、ありがとうございました。
意気揚々と押しかけた割には大したこともできず、その癖長々と居座ってしまい、だいぶ遅い時間になってしまいましたが、奥様にも負担ではなかったでしょうか。(先生にも…)反省しています。次は、もう少しお役に立てるよう、
今からどんなPCがお勧めか、探すようにしてみます。
まだまだ冷え込む日々が続くと思います。ご無理なさらぬよう…。それでは。 丈

* 元気ないい顔が見られただけでも幸せでした。ありがとう。
メールは仕事の上でとても大きい比率を占めますだけに、エクスプレス一つを頼っているのはやや心配、その対策をしておきたいこと、もう一つは、子機に新しい優秀なノートパソコンを是非配して連繋させておくことも、さらに、それへ外付けのハードディスクを組み合わせておきたいことも。
家内の器械を新しくし、それにプリンターとスキャナーとを連結しておき、咄嗟の時わたしの仕事をカバーして欲しいと願っています。すこし、この方面で纏まったいい投資をと思っています。
その一方、余計な仕事をさらに縮小し、好きなことだけを心行くまでこの環境内で楽しみたいとも。
それから、君と、もっといろんな意見交換をして、お互いに刺戟を受けたいと。呵々
お元気で。また遠からず逢いましょう。  湖
2006 4・9 55

* 昨夜、林君がしていってくれた一つに、入ってくるメールの変なものには「スパム」と警告がくっついていくること、だから迷わず削除出来る。ま、その数の多い事よ。
2006 4・9 55

* MIXIの「日記」欄を利して「<静かな心>のために」を三十一日、次いで「本の少々」を三十一日、連載してきた。今からは、湖の本新刊の発送期にかかるので、この「私語」や他の仕事のほかにMIXIに割ける余裕なく、思い立って、わたしの思想を、従来袖も触れ合ったこともない読者達の前に、読まれる読まれないは別にして、投げ出してみたいと願い、既刊の『一文字で「日本」を読む』を、段落ごとに一行アキに連載しはじめた。その末尾に、少し述懐したりしておこうと。以下の二つの例は、末尾に別に付け加えたものである。

* MIXIで傍観していると、(孫娘は、いつでも「笑」っていたい、人にも「笑」っていてほしいと、口癖にしているようだ。「おじいさんの大きな古時計」の訳詞で知られる母方大伯父の童謡に、「お花が笑った」というのがあり、その感化なのかどうか。
「笑い」は著名な西欧哲学書の主題であり、藝能では「笑いを取る」のにいつも苦心している。
爆笑、哄笑、微笑、微苦笑あり、失笑、冷笑、憫笑あり、つくり笑いもへつらい笑いもある。泣き笑いというほど、泣くと笑うとは同じ地平にある。
もう孫も大学生、一度は「笑」一字を、もう少し語源的にもフィロソフィカルにも深く読みこみ、自身の「思い」を今一段「思想化」してみてはどうか。佛教には、拈華微笑という一切会の啓示もある。漢字の字源も、白川静博士の『字統』などで確かめてみるといい、オオウとおどろきの声が出るかも知れない。そこから、また新たに「笑い」の価値観を自身で鍛錬・洗練してみてはどうかしらん、いかが。)

* (「式」は身の回りに氾濫しているが、この文字、意識からは蒸発している。しかも我々は「式」にとりこめられている。
話は違うが、「創作」は、何のための営為であろう。創作する主体の側からは、いろいろな事が言える。金儲けのためだと言う人も、名誉心の満足を言う人もあろう、それも「自己表現」「自己主張」と自称することで。リクツは何とでもツクからである。
そんな人さまざまなことは今は放っておこう。
では一人の享受者=受け手として、いわゆる「創作」に、何を求めて触れ合いたいのであろう。出逢いたいのであろう。
人さまざまな感想を通分して謂えるのは、「感動」「感銘」ではなかろうか、面白い、佳い、嬉しい、身にしみる、などと。但しこれにも、質の差は歴然とあらわれる。ある人は真に玉の輝きに謙虚に胸うたれ、ある人は瓦や襤褸に心とられて喝采する。
謂えることは、瓦や襤褸は、所詮、玉ではない。一心に玉を磨く創作者と、瓦や襤褸で我も人も平然目くらまししている者とは、つまり、べつものであって同列には語れない。) 2006 4・11 55

* MIXIに招き入れられて五十七日。1000の「足あと」が。数はどうでもいい、ぜんぶに近く、かつてわたしの知らなかった人たちが、しんきくさいわたしの文章を少なくも一瞥しに来てくれたことになる。感謝。
2006 4・11 55

* どうも、新しいメール設定のせいか、時にメールが届いていない。なにより大事な凸版へ、早くに送ったあとがきが、二度届いていなくて、いままた三度目を送ったが。暗号化の必要を感じていないが、しらぬまに暗号化されているらしい、そういうのが届かないでいるのか。ワケ分からず。メールの届いていない人が、何人もアルかも知れない、参った。
2006 4・14 55

* 突如、ADSL不調で、メールの受発信が利かなくなった。先日林君が来てくれたときに、ニフティマネージャーのメール版設定が成功しないまま、メールはエキスプレスしか使えない状態のため、もしこれに故障が生じたらお手上げだねと話し合っていた。エキスプレスの故障ではあるまい、ADSLが四つつくはずの翠ランプを一つ欠いている。そのためだろう。ADSLを自力で処理出来ないとなると、メールでの諸連絡は絶えたも同じである。ま、しばらく様子を見て、今日はもう断念。マンのわるいときはこんなものか。

* ホームページの更新は可能かとアテにしたが、これも更新出来ない。やれやれ。今夜は
2006 4・14 55

* インターネットが全然利かなくなっている。ADSLの問題ではなく、この機械自体のインターネット機能が破損している感じで、処置の方角も分からない。メールの受発信もホームページの更新も不能、MIXIも開けない。
ワープロ機能の書き込みは出来る。一太郎などは使えるし、ホームページも、私語その他の書き込みは可能。

* いま、瞬間的にインターネットに繋げたらしく、すかさずメールをチェック、私語も更新。これが回復かどうか分からない。なぜなら私自身が何かを修正・是正したわけではないので。ここまでをもう一度更新試みる。

* 午前十時過ぎ現在、機能回復している。
2006 4・15 55

* ほおっと一息ついている。いまぶん、無事に動いているが、何にしても、もう一つ緊急のためのメールサーバを持っていないと危ない。頭が、咄嗟の際に器械にくっついて動けない。

*  おはようございます、風。
このメールが受信できますことを祈りつつ、送ります。
私語、見ました。
ルータの四つの緑ランプのうち、ひとつ点灯しない、とのことですが、同じこと、以前の住居でよくありました。
そんなときは、パソコンの電源を落とし、ルータには電源がないので、アダプタをコンセントから外し、ゆっくり十数えてからすべてを再起動しますと、うまくいったものです。ちょっと面倒ですけど、おすすめです。
それとも、もうお試しになりましたか。
東京へ出かけられたらなあ、と、風のこと想っています。お元気で。 花

* 秦先生 おはようございます。  丈
ADSL不調? でご心配のようですが、先生はどこのADSLを使っているか、ご存知でしょうか。
窓口業者はBiglobeだと思いますが、Biglobeに申し込んでも、複数ある回線業者のいずれか一つと契約しているはずです。
BiglobeのADSL不具合情報は、以下になるようです。
下記ページの中段ほどに、「ADSL」という見出しがあり、その下に、回線業者ごとの不具合情報(へのリンク)が並んでいます。
http://support.biglobe.ne.jp/shogaiap/index.html?MM
(NTT東日本、イーアクセス、アッカのいずれかだと思います。)
ざっとみたところ、アッカネットワークが、昨晩01:41-03:03に通信停止だったようです。
アッカ以外に不調はないようなので、先生の回線業者がアッカでないとなると、、、先生宅の不調の原因は分かりません。
ここを見ていただくと分かりますが、ADSLの不調というのは、(アッカに限らず)実に頻繁に起きています。
そういうものだとご承知おきください。
■それから、一部のあて先へのメールの送信が上手くいかないことについては、原因は分かりませんが、次回、同じことがおきた場合、以下によって、原因が分かるかもしれません。
私の場合、つねに②を実行するようにしています。
① 自分自身に、内容のないメールを送る   → 受け取れれば、送信に問題なし。
② 送信先を、複数(相手、自分自身)にして送る。
→ 自分自身が受け取れれば、送信・データに問題なし。
→ 自分自身の受け取り成否はともかく、Returned mail云々という題名のメールが届く場合、相手のメールアドレスが間違っているか、相手のメール会社に不調がある。
(よくある例1: 相手のメールアドレス間違い
よくある例2: 相手のメール会社が不調で、「今はメールが届けられない。数時間後にもう一度再送信します。」という意の”Returned mail云々”がメール送信会社(nifty)から届く。)
■問題解決にはなりませんが、以上、少しでも不安が除ければ幸いです。では。

* 二人とも親切に。感謝。もっと慎重にニフティのメール版を扱えば良かった、データベースを、いじくって破損してしまったのがいけなかった。
2006 4・15 55

* 機械の不調もなんとか回復していて、昨日の今頃とは大違い、ほっとしている。
2006 4・15 55

* spamメールの異様な繁殖は、今では来着分の多いときは八割九割を占める。「現代」世情・俗心を象徴している。
2006 4・16 55

* ADSLのルーターが完全に故障していて、インターネットが使えない。メールはだめ、ホームページの転送も出来ない。いよいよ機械環境の大改善が必要になってきた。ワープロ時代に逆戻りするかな。一太郎とスキャナとプリンタがあれば仕事はかなり出来るのだから。
2006 4・17 55

* インターネットが全く稼働しない。瞬間的に繋がったときにホームページのみ転送した気がするが、じつはそれすら私の機械で確認できない。一部訂正も転送できない。メールは全然ダメ。途方に暮れて、投げ出している。ルーターの「PPP」ランプが点灯しないのである。おはなしにならない。

* 終日、仕事もしながら、ああかこうかと機械の不調に胃を痛くしていた。一月ほど前に購入してダウンロードしたスパイスキャン・プロで、徹底検査し、検出した感染をまた徹底駆除したところ、ルーターがみごと回復したではないか。ウーム。ま、よかった。ほとほと、草臥れた。どうなるかと思ったが。
2006 4・18 55

* 意気揚々、早起きして機械の前にくると、元の木阿弥、ルーターのランプはまた決定的な一つが点灯していない。またスキャンしているが、感染・汚染は無く、且つインターネットは復旧しない。昨日一日の経験で言うと、一日のうちに二度三度だけ、それも一度にものの数分の間だけライトが四つとも点灯する瞬間があり、大急ぎで「私語」を更新したり、せめて受信分を取り込んだりした。それが今日もあるかどうか分からず、そもそもそれでは機械が機械の用をなさない。
この「私語」を御覧の方は、秦のインターネットは利かないもの、当分メールやホームページでの諸連絡など不可能と諦めていていただきたい。これだけのことすら、果たして今日のうちに発信できるという約束がない。

* 私語の書き込み、ワープロ機能での仕事等は出来るので、日頃とおなじく続けている。双方向の更新能力が現在百パーセント失われている。瞬間的な復帰のみられたとき、ここまでを更新し発信するつもりだが、アテない。

* どこでどう手違いしたか、正月の美ヶ原での写真がほぼ全部機械から見失われている。これはわたしの管理杜撰であったためか。二枚ほど残っている。

* いま夜の九時半、かすかに機能回復中、大急ぎで更新し。メールも受信だけ。ただし厖大なスパムメールにまじって三通だけ。
2006 4・19 55

* ほんの数分間の回復を利して、私語の一部を更新したり、受信に返信したり。せわしい。そしてまた不調に戻っている。なんで数分でももどり、またダメなのか。全く分からない。
2006 4・19 55

* 昨日とは逆に、今朝は必要なランブが四つルーターに点灯していて、メールを受け取れた。それにしても大量のスパムメールに驚く。アドレスを世間に公開してあることのこれは顕著なデメリットである。わたし自身のアドレスで、わたしあてに、いっぱい奇妙な広告が流れ込んでいるのだから。
それでも、インターネットが働いているのといないのとの落差、いろんな落差に、考えさせられる。アドレス変更を決心するしかないか。

* だが機械の上のこの程度のことは、まさに「心ない機械」のはなしである。
2006 4・20 55

* もう大丈夫かとはかなく頼みにしたインターネットは、また潰え、働こうとしない。懸命にアレコレ試みても、もともと何の成算や見当があってすることでなく、全然ダメ。何が引っかかってくるのか、どうしようもない。

* ともあれ全スキャンし、回復しないのに落胆して階下で仕事をしていたが、戻ってみると、ランプは四つ点灯していた。わけが分からない。
2006 4・21 55

* 薄氷をふむにひとしい機械のたよりなさであるが、薄氷しかそこに無いなら、薄氷も踏まねばならぬ。インターネット不調のほかに、「私語」の更新にもずいぶん時間がかかる。ふつうは、更新などすうーっと済むのに。なにかひっかかっているのだ、前にも突然そうなり、またあるときに突然もとへ戻った。また戻る時を待つとする。
2006 4・22 55

* またしても朝からインターネット働かず、ADSLも働いていない。ルータのランプはパワーとランの二つしか点灯していない。お話にならない。いろいろ試みても全く通じない。受発信も、ホームページの更新も出来ない。サイトを開いて見ることも。しばらく仕方がない、放置しておく。またどんな気まぐれが機械に起きるかも。

* 絶望的に投げ出して昼飯を済ませ、戻ってきたら回復している。なにがなにやら、何たる機械めの気まぐれ。しかし回復しているヒマにメールの処理も。
2006 4・23 55

* とにもかくにも私の急用は、インターネット専用の新しい機械を一つ手に入れること。ワープロ機能はこの現在の機械で足りている。機能の連結など問題はあるが、切り離しておいてもいい気はしている。

* 午後から、全くインターネット働かず、疲労困憊して頭も全然働かない。途方に暮れたまま、今日は投げ出す。
一ついいことがあったのは、映画「卒業の朝」の観られたこと。ケビン・クライン主演のこの「教育」を主題にした優れた一人の教師の物語は惹きつけてやまなかった。甘いモノでも安いモノでもなかった。厳しい現実の悪意とも直面しながら、それに屈しないものが、画面にも人物にもしみ通っていた。見終えて心嬉しい後味。初めて観た映画。
今一つ「ルル オン ザ ブリッジ」は以前に観ているが、佳い作品。主役の男女のコントラストが物語の不思議をリアリティ確かに支える。

* その余は、なんともはや心行かぬ成り行きで夜が更ける。mixiへの書き込みも不可のママ、もう機械から離れることに。やんぬるかな。
2006 4・23 55

* 相変わらずインターネット不調で、お話しにならない。

* 必要でこころせくメールにも返事が利かないし、もうイケナイと、午後、「池袋さくらや」へ出かけ、いまのシステムとは切り離して新たに使える機械を買って帰った。光ファイバーを申し込んだり、とにかく状況に心弱く負けて、過剰な対応を強いられてしまった気がするが、新しい機械は早くから必要な時機が来ていた。親機は40Gあるけれど、手作りの組み立て機械でイザというとき、機械に弱いわたしの手に負えないし、連結した子機ときたら総じて2Gしかない今や弱小機で、大量の作業に堪えない。ま、買い時であるけれど、いまのあたまの働きで、また新しい新鋭機と格闘するのはつらいなあという気持ち、正直の所である。

* 家に帰ったら、なんとルーターのランプか四つとも点灯している。大急ぎでメールをあけて、幸便に緊急のメール二つに緊急に返事を送り返せた。ほっとした。こういうとき、こっちから返事が行ってないだけで相手方の感情に障る心配もある。そう思ってこの「私語」で機械の極度の不安定を必要以上に知らせているのだが、必ずしも伝わっていない。降参である。
さ、どうか此処までは転送可能ですように。まったくこんな「私語」なんて無意味に近いが。
2006 4・24 55

* 幸い夕方から日付の変わるまで機械が常態を維持しているが、ハラハラは変わらない。これで機械を閉じて明朝に開くときの保証は全くない。しかし明日は、外へ出てでも「湖の本」の校正をすすめ、校了を急がないといけない、しばらく機械から離れねばならない。
2006 4・24 55

* よく降った。本降りの土砂降りだった。まだ雨が明かったという風ではない。花はみな散ったろう。

* 機械はひとをだまさない。良いときはよい、悪いときはわるい。良きにつけ悪しきにつけウソはつかない。つくりごとを言わない。だからひとほどおもしろくないとも言えるが。ハハハ。その新しい機械をいったいどこへ置くのか。まず思い切り身辺を片づけに掛からないと。

* 今朝も冷える。
2006 4・25 55

* 買った機械の荷をあけようにも、わたしが自由に使える余地が、家のどこにも無い。三界に身の置き所のない気分。
2006 4・25 55

* 人出の休みに遠足はあまり考えたくない。むしろ都内で楽しむのが賢明だろう。あす金曜は二十八日、まだ連休の前日。すこし身辺を片づけるのもいい。買った機械の荷も開けていない。
2006 4・27 55

* 「湖の本」を責了したところで、機械部屋の構図をうんと変えた。大道具を入れ替え、妻と、階段ののぼりおりで、大汗かいた。わたし自身はまたも穴の底に隠れ栖む按排。まだ部屋はとりあえず移動したり仮置きしたもので混雑、足の踏み場に窮している。なによりコードの連結がやたら難儀なのを、そっくりそのままで機械机を交換したり新しくしたりしたのだから、気が気でなかったが、あらかじめマスタープランを頭に入れていたので、何一つ故障なく機械は順調に、もとどおり稼働している。次は、従来の子機と子機に連結した外付けのディスクと古いスキャナーとを取り外して、新しいノートパソコンと置き換える。これがすらすらとうまく行くかどうか、もう少し周辺を片づけてから取り組む。
小一年も念願の大仕事をして、息が切れたが気は晴れた。老夫婦、もう一年あとではこんなことは出来ないだろう。
2006 4・29 55

* コードの連結で一つトラブルが出ている。大事な附属機器なので慎重に直さないと。 2006 4・30 55

* 一週間の五月連休がはじまる、我が家には関係なく。メールが少なくなるだけ。今朝もスパムメールが七つ(いつもよりウン少ない、。連休に入ったのだろう。)だけ。
わたしの目下の関心事は、外付けMO機器のコードが模様替えのとき抜け落ち、それはただ指し直せば済むのではないらしく、最初から設定し直さねばいけないらしく、かなりややこしいのを、根気よく復旧できるかどうか。板に焼きつけていない、「校正・編集」のきくM0ですべてバックアップしているので、我がパソコン作業の死命を制するほどのおおごと、なのである。一難去ってまた一難か。
2006 5・1 56

* どうやら、不具合だった外付け機械も回復した。これからは、板に灼いてバックアップすることも考慮しないといけない。
2006 5・1 56

* ヘキエキしたプリンター。インターネットのネットワークで連結していた子機を切り離したための設定齟齬らしく、エイと、親機からも連繋コードを外したら印刷出来た。出来ないと発送用意に大渋滞が生じる。それはいいが、新機をあけてみたが、ネットワーク連結コードの端末が新機に適合せず、繋がらない。繋がらないと新機にホームページをはじめ、総て移転・移動出来ない。MOでとってきたバックアップなど、新機にMO機器の外付けがない以上ものの役に立たない。
せめてCD-Rに焼きつけて移転したいと思ったが、これは初体験で手順が分からない。やみくもに試みたが機械が受け付けてくれない。
新機の画面の眩しいこと。東工大時代からの日立のディスプレイは、もう輝度をほとんど喪っていることに気付いた。
新機は、まだ何にも仕事には使えない。一太郎と一太郎liteとをインストールし、大好きなマドレデウスの「ムーブメント」をメディアプレイヤーにとりこませて、いま、聴きながらいる。部屋の模様替えも大山を越え、かなり雑然とした機械配置だったのが、すこし落ち着いた。わたしの座り位置は変わらないのだが、十台以上の機器が相応に場所を定めた。新機に慣れなくては。
さしあたり、コンテンツをCD-Rにコビーする手順を、何方か、分かりよく教えて下さい。それにしても新機画面の眩しさよ。眼がやけそうだ。
2006 5・3 56

* 午後布谷君がわざわざ訪れくれて、わたしの機械を、親機と新機と連繋し、新機も使えるよう「環境」を整えてくれた。感謝限りなし。「ケケデプレ」で妻も一緒に歓談晩食。まずまずの料理で、ワインがうまかった。話も大いに弾んだ。
布谷君、すこしほっそりして、仁左衛門ふうの美男子に。海外青年隊に応募し試験にもパスしているので、遠からず出掛けて行くことになりそう。
2006 5・4 56

* 帰りに、新江古田駅ちかくのフレンチ「リヨン」で、少しおそめの、美味い昼飯を食べてきた。赤ワインの渋みもけっこう。妻も私も、この店が好き。保谷についてから「ぺると」でお茶。グーグルアースの素晴らしい「世界地図」を見せて貰った。ぐうっと近づくと、なんと「我が家」ですらキャッチ出来る。あれなら物干しで昼寝している黒いマゴですらキャッチできそうと、びーっくり。
「ぺると」のお兄さんがダウンロードできるようにすぐメールでURLを送ってきてくれたけれど、まだ成功しない。とにかくも、世界大の地図画面から、ぐうっとエジプトのピラミッドに、手に触れるほど近づいてパソコン画面で見てきた。あれは、こたえられない。なんとか、新しい機械へダウンロードしたい。

* やはり予報どおりにさっき、土砂降りの雨を聴いた。だが今はウソのようにもう静かである。蒸し暑い。

* いま、一時的にルーターの緑ランプ四つの内二つが、キチキチと音立てて点滅したり消えたりした。今は復帰しているが。また動揺しているのだろうか、機械が。
2006 5・20 56

* またルーターが悩ましく点滅している。メールが出来ないかも知れない。
2006 5・20 56

* MIXIを撤退しようと思いかけていたが、思い直して、この世間で読む人も読める人もあまりないであろう大長編の、『最上徳内北の時代』を、こまごまと時日をかけて連載してみようと思い直した。そうすれば、わたしが読み直してまた楽しめるし、ついでに校正が出来る。あまりにあまりな「場違い」という楽しみようもある。なによりもまた徳内サンと愛するキム・ヤンジァとの北海道三人旅が出来るのである。呵々
2006 5・21 56

* 晩になるとインターネットに不調が現れる。ADSLのルーターがビキビキ鳴ってはランプを点滅する。
2006 5・21 56

* 昨日からまたインターネットが稼働しない。メールも受発信できず、「私語」の転送もできない。やれやれ。
いましがた瞬時回復したので、とりあえずメールを受信したが、返信しようとしてももうルーターのランプの肝腎な三つめが点灯していない。この前、土砂降りがあってきれいに回復し、今度は土砂降りがあってまた不調。まさかとは思うが、そんな按配。やっぱり光に替えるのが正解かな。パソコンは、インターネットが効かなければただのワープロに過ぎない。
メールに返辞なくまた「私語」更新されていないときは、そういうことです。更新されていても、状態がいつもいいと限りません。きれぎれの綱渡りインターネットです。
2006 5・22 56

* そろそろまた散髪屋に出直してくる。

* 気持ちよく髪を刈ってきた。昼にはひばりヶ丘へ行き、ソーセージでワインを呑んでやろうと思っていたのは、時間ハズレになった。
MIXIに、『最上徳内北の時代』読み直して校正しつつ、お構いなく少しずつ(一日の日記分としては長いけれども、)連載しているのが楽しい。昔の作を仕事風に読み直せる機会ととらえて独りで楽しんでいる。こういう小説の書き方がわたしはもともと好きなのだ、文章も顔をしかめて書き直したいと思うことは、少なくもいまぶん無く、ほっとしている。大きな時代、大きな人物に立ち向かって行く喜びがにじみ出ている。
2006 5・23 56

* インターネットは相変わらず不調、ま、いいさと。久しぶりに碁を一局。渋く地を争いながら、中押し勝ち。さて、歯痛のためにも、はやめに寝よう。メールを送りも受けもならないし。
2006 5・23 56

* しばらく復調していた機械が、またもビキビキ言いだして不調に転じている。やれやれ。
2006 5・24 56

* 相変わらずインターネット稼働は、機械に恣まに寸断され、今もかなり長く機能停止ししている。ADSL自体が働いていない。入稿の必要なときに、メールが使えないのは、痛手も痛手。閉口頓首。どうなっているのだろう。

* 妻が病院に出掛けている間に郵便局の用をしてから、ひばりヶ丘、田無、東伏見方面を、ぐるぐると迷いに迷いながら足任せに、結局一時間ほど走ってきた。
ほんのわずかな間の回復で、出来たのは五十何本ものスパム・メールの受信。馬鹿げている。それでも、かつがつ凸版印刷への入稿が出来たかも知れない。
2006 5・25 56

* こう書いていても、遺憾千万、インターネット不調でホームページにアプロード出来ない。親切に修理業者を教えてきてくれた人もあるが、電話してみると、要するに「プロバイダに言え」と。それがいちばんムズカシイ。

* いまほんの三分間ほど回復したあいだに私語を転送し、メールを受信したが、ほとんどがスパムメールで。むしろ受信より送信した方がいいぐらい。ひとつだけ、羅臼の昴がはるばるとメールをくれた。
2006 5・25 56

* 奇蹟のようにいまインターネットが通っているが、今書いているこれを転送するときは、分からない。急いでメールを受信しても、スパムメールが六、七十も洪水のように。削除している内に、また不調になったりで、返信や発信のひまもない。サーカスのよう。
2006 5・26 56

* 機械の不調は相変わらず。従って、この「私語」も更新出来ない。機械の気まぐれな回復を待つばかり。
2006 5・26 56

* :今朝もインターネットが、というよりその前にADSLが、PPPが、働かない。この機械、たんにワープロ機能になってしまっている。打開へ頭が働かない。新機を買ったとき、わざわざ買い足しておいたAIR EDGE を利用する才覚が立たないで、六月十二日の「光」工事をただ待つ気になっている。
根気が減衰したか、「私語」する気にもならない。ルーターがピキピキと音立てている。ルーターに故障ありとみる。ところが連絡先が分からない。電話番号も見当たらない。グチが多くなった。
2006 5・27 56

* 機械はビクとも改善しない。あまつさえ、買い立ての新機まで異状を呈している。

* わたし自身にも根気がなくなり、機械のためによく深く考えて身を寄せることが出来ない。ホームページの転送も受発信も全くダメ。
2006 5・27 56

* 七時から機械の前に来ているうち、新機の異様が顕著化し、たびたびフリーズしてニッチもサッチも行かず、気の腐ること甚だしい。いま全スキャンしている。機械時代から退散せよと示唆されているのかも知れない。

* いまわたしを喜ばせ力づけているのは、『最上徳内 北の時代』の校正の進んでいること、つまり読み直せていること。ずいぶん変わった小説の書き方であるがわたしは満足していること。それぐらい。外の世間との連絡がまるまるシャットアウトされていることに慣れてしまえば、ふだんに戻る、いや昔に戻れるわけである。

* いま午後四時前、三日ぶりに奇蹟のようにインターネットが回復している。いそいでメールを受発信した。夥しいスパムメールの洪水のなかに、花びら一つ。その一つにほっとする。
2006 5・28 56

* それにしても回復してくれているのは嬉しい。けれど、何故に不調という不審は深い闇にひきずりこまれたまま、行方知れない。なにでもいい、光の工事まで健全にいてもらいたいもの。
「私語」「MIXIの連載小説」メールの返辞などが途絶えているときは、機械の故障と思ってください。わたしは、元気にしています。
2006 5・28 56

* 読み込んであった数日分の「最上徳内」も、急いでMIXIに送りこんで。しかし、もうまただめ。少し気を紛らわせようと、新しい、碁と、麻雀と、将棋のソフトをダウンロードし、碁は殲滅戦、わたしの勝ち。将棋はかんたんにわたしの負け。麻雀は相手に選んだ可愛らしき女三人を蹴散らして逆転勝ち。こういうソフトは、例により早い目に(碁だけのこして)削除してしまう。将棋はむかしからテンと覚えない。

* グーグル・アースは面白い。保谷の我が家も、京都の新門前の家も、指さすように見つけたが、同じ精度で洋の東西の少なくも大都市は見下ろせる。都市だけでなく、山岳・山脈や沙漠や海の底まで、起伏リアルにみごとに見えて見飽きないから、これもまた、心をとられて困る。
2006 5・28 56

* 暁を覚えずにすやすや朝寝していた。機械のご機嫌を取り結ぶ気もなく、ま、いッかこれでもと思いつつ。それならそれで、「書く」仕事をせいぜいすればいい。「通信」は便利よくてしていること、本来は「書く」「創る」のが「仕事」なのである。
幸い「書く」「創る」ための機能はいささかも喪われていない。
大昔の、リードラインも含めてたった「二行」画面の高価なワードプロセッサで、ひしひしと「最上徳内」を連載していた時代とくらべ、いまのパソコンのワープロ機能は格別に進歩し、大概な事に不自由がなくなっている。有り難い。満足すべし。
考えてみれば、多少不自由するのは原稿をその場で送れないことぐらい。それもディスクにおさめてポストへ走る程度の不便で、しのぎがつく。「書けれ」ば、まして「創れ」れば、いいではないか。「通信」に時間を取られすぎるなど、ほんとうは賢いことではない。
2006 5・29 56

* いま、機械は穏和で有り難い。いっとき怪しくなったが持ち直して、ルーターのランプは四つとも静かに緑色をしている。
2006 5・30 56

* 新しい機械にマドレデウスの「ムーヴメント」やホロヴィッツの「熱情」「悲愴」アシュケナージの「熱情」ムローヴァのバイオリン曲、それにカンツォーネなどをインポートした。少しずつ新機に馴染んでゆく。
2006 5・30 56

* インターネットは、いまは落ち着いている、が、いつどんなことになるかはアテに出来ない。(そう言うているうちに、ルーターはまたランプが二つ消えている。あ、また戻った。この調子だから、少しも安心ならない。)来週には、結局「光」に変更してもらうことになる。あの不調のドサクサに、音をあげて新しい機械を買い、「光」を申し込んだだけでなく、もう少し別の通信が可能と聴いて、じつは何であったかもう一つ別の「手段」も買い込んできた。それなのに、その「エア・エッジ」とは何であり、どうすれば、どういうふうに何に使えるのであるか、ぜんぶ忘れてしまい、お手上げになっている。
何だか名刺大のカードを買った。妙な薄っぺらい棒のようなものも買った。それらが緊急のどんな通信方法になるのやら、皆目説明も何も忘れ果ててしまいムダになっている。思い出そうという根気がない。しかし、あれもこれも月々お金がだいぶかかるらしい。煩わしくも邪魔くさいことになっている。
ドサクサの御陰で、原稿依頼が二つあったらしいのに、一つはすっかり忘れていたし、一つは依頼のメールそのものが見られずじまいに削除していたらしい。返辞を催促されたが、そんなこととしか思われない。
つまりわたしは、だいぶボケてきたのであろうか。
2006 6・5 57

* 東工大の学生二人をたまたまMIXIで見つけた。
2006 6・5 57

* 東工大の学生や卒業生諸君が、ぶわっと目に見えてきた。MIXIへの足跡が、今日だけでももうこれまでの一日量より一気に倍以上になっている。グーンとあの昔が近づいてきたが、当時仲良しの学生諸君は、いまは社会人でとても忙しいはず。大方全部がいま学部や院にいる人のようだ。それがまた、昔の気分を思い出させる。
2006 6・7 57

* 夜前、昼の部を書き終えたところで、全身に違和感を覚え、すぐ機械を消し階下へいそいで血糖値を計ったら、案の定、56という異様の低血糖。以前に夜中に感じた違和感と同じで、覚えは明白、すぐものを口へ入れて、回復した。そのまままた読書してから、寝入った。
けさは尋常、ただし夢見つまらなく、よくなく、寝起きの気分わるし。そしてスパムメールの洪水。イヤになる。いよいよメールアドレスを変更しようと思う。そしてもうアドレスは公開しないで、来たメールに返辞をあげる範囲にだけ、アドレスは知られていればいい。
2006 6・9 57

* MIXIの「日記」を利して、校正かたがた『最上徳内北の時代』を連載していたのが、上中下の「上巻」を通過した。最上徳内先生と作者のわたしとは、連れ立つように襟裳岬をすぎて、いつしかにやがて厚岸に着こうとしている。
江戸の蝦夷見分は歴史的な一大事であった。北方四島の問題にもからみ、アイヌ差別の江戸資本主義支配にもからみ、「世界」にもからんで、忘れていいどころか、今の今の問題にもからんでいる。もう数十日かければ、読み上げられる。スキャン原稿を校正して、いいかたちでホームページに掲載しておきたいのが願い。

* 同じ目的でもあるが、加えて、孫のやす香ら若い青春ともかかわりたく、やはりMIXIの「日記」欄を利して、もう一つの連載を始めた。「東京工業大学」というコミュニティもあり、大勢がMIXIの中でたむろしていると分かり、たまたまやす香も大学二年生になっていると分かり、それなら二年生の多数を主に対照にしていた『青春短歌大学』を再掲連載して行きながら、平成十八年の出題も試み続けてみたいと思うようになった。うまく続けられるかどうか。
それかあらぬか、どっと「足あと」が増えてきている。
2006 6・10 57

* あす、もう一日休める。それから四日つづきで、いろいろ、ある。「テプコ光」の工事とやらも。歯医者も。太宰賞のパーティーも。人とも会う。そして理事会も。来週は桜桃忌がある。
2006 6・10 57

* 終日、雨。終日機械の前にいたが、何がはかどったのか、はかどらなかったのかも曖昧なほど、日曜気分だった。日曜は、欲しいメールも来なくて、間断なくスパムメールが積み上がるばかり。
2006 6・11 57

* さてあしたは、わが機械環境のためにいったいどういう日になるのだろう、見当がつかない。まして、ADSLのルーターがひと頃のことがウソかと思われるほど四つの緑ランプを綺麗に点じて、何事もなかったげに作動し、インターネットに特別の支障がないとなると、何のために光ファイバーかと思えてくる。 ADSLをキャンセルするのにまたえらく神経と手間と時間とを喰うのかなあと思う。やれやれ。
なにより自分自身にアタマに来ているのは、新機を買ったとき、光通信を申し込んだだけでなく、ナントカして当座の通信のためにと、何やら別の「通信機能 (エアエッジ)」を買い添えた、それに間違いはないが、それが、いったいどういう機能でどうすると具体的に使用できるのか、何かと店員に説明を聞いたはずなのに、さっぱり記憶していないで、しかももう月々使用料の請求書は届いているという、信じがたいトンマな成り行きなのである。クウッ…。

* またこの狭い、ややこしい、もので溢れて始末の付かない機械部屋に人が入って、なにやかや作業してくれるかと思うと、気の毒やら困っちゃうやら。どうか、新設定がせめてあとくされなくみごとに成功をおさめますようにと願い奉る。
2006 6・11 57

* 光通信の配線だけが、ともあれ、出来たらしい。機械への接続・設定は自分でしなくてはならぬが、いまはADSLが働いているし、ゆっくり考えよう。 DTIから郵便物が来ている。それを読むのが難儀そう。
もう一つすでに請求書が来ているウイルコムというのは、エアエッジとかを買った分らしい。エアエッジをどう使うのかは分からない。携帯電話を使わなければ無用のツールなのかも知れない。ま、そのうち何とか道が着くだろうと思う。携帯電話には気がない。
2006 6・12 57

* 「生活と意見」を拝読しておりますと、多量の迷惑メールに悩まされている由。以下のことをするだけで、大幅に(完全とまではいかなくても)減らすことができると思われますので、よろしければお試しください。
http://www.nifty.com/
このページにアクセスして右上にある「Webメール」をクリック。
ご自分のメールアドレスとパスワードをいれれば、ニフティのウェブメールページに入室できます。
オプション→迷惑メール対策→迷惑メールフォルダー
ここで「有効にする」に設定をかえると、大幅に迷惑メールがカットされるようになります。
オプション→フィルター編集
「新規作成」をクリックして、差出人 が [ @yahoo.com ] を含む場合[ ごみ箱 ]に移動する。
@yahoo.co.jp   @earthlink.net love   @hotmail.com
などの拒否設定も有効です。
ご自分のところによくくる迷惑メールのアドレスを観察して、そのアドレスに共通して使われている文字列をここにどんどん足していくことで、迷惑メールを大幅に撃退できます。
さしでがましいかもしれませんが、もしお役に立てればと思いましてメールいたしました。  「私語」読者

* ぜひ試みたい。このために、いくらか削除してはならない人のメールが来なくなるオソレがあっても、もうそれに拘泥していられないメイワク状態で、また感染なども引き起こされていると思われる。
ご親切 感謝申し上げます。
2006 6・20 57

* 不幸はかさなるものだ、しばらく安定していたインターネットがまた働かなくなっている。とても、不安定。いよいよ、光通信に設定しなくてならないか。これがまた皆目、手につかない。いま、ADSLも光テプコも併存しているわけだが、前者も不可能、後者も不可能。やれやれ。
2006 6・23 57

* 歯医者へ。「リヨン」で昼食して帰る。光通信設定できないでいる。

* やす香が、ベッドから電話を寄越した。ひどい出血があったようで声が潰れていたが、話している内に少し戻ったように感じた。とてもとても、普通には私も話せなくて。妻に電話を戻してから、泣いた。何ということだ。光通信の設定で紛らわせようとしても設定は迷路。
湯につかってこよう。やす香。おじいやんは何をしてあげられるのか…
2006 6・24 57

* インターネット、あいかわらず不調。いまも機能していない。そして光通信の設定はうまく行かない。
2006 6・25 57

* 『最上徳内北の時代』の「MIXI」連載は、半ばを過ぎた。もう四十日あまりになる。語り手の私は尾岱沼の牧場の宿で愛らしい「楊子さん」と相宿を経て標津から国後島を眺めている。その視線に押されるようにいましも最上徳内は大石逸平とともに初の国後渡島を敢行している。徳内が大をなしてゆく活躍の実質第一歩。
懐かしい旅であった。

* 『青春短歌大学上巻』の読み直しを目的の連載も、二十日を過ぎた。佳い歌を選んでいるし、解説・鑑賞にも遺憾はない。気の乗った仕事であった。ただの連載ではつまらないので、末尾に新たな「出題」もしているが、解答者は、はなはだ少ない。学生達と違い、センスを試みられるのは好まないのであろう。

* もう日付変わって一時半。やすもう。今日も光通信は迷路のママで。
2006 6・26 57

* 今朝に限ったことか知れないけれど、届いていたメールに、スパムは一つ! だけ。もう久しく、多いときは数十、少なくても二十ちかくはスパム・マークがついていて、ついていないのにもアヤシイものが沢山混じったのに、一つだけ、とは。小森さんに教えて頂いた方法をかなりとりまとめて実践したのが利いたと思われ、何とも胸のすく心地。
2006 6・29 57

* 光通信の一つのネックが判明した。
ランケーブルと思って利用したのが電話ケーブルだというのである。コンバーターを売るのであるから、当然にTEPCOは、必要で適切な「ランケーブル」もセットにすべきではないか。無意味に不親切極まる。似たものがあれば素人は判別もきかず電話ケーブルを利用して当然だ。ランケーブルだけは、客がとこかで買ってこいはないだろう。
2006 7・1 58

*『最上徳内』と『青春短歌大学』の「MIXI」連載をつづけている。のこっていた後書きも入念に良く読んで「湖の本」新刊を責了し、これでいつ本が届くやら、困ったことに発送の用意が本の搬入までに間に合いそうにない。発送の仕事も、今度は一冊が二百頁という一入の大冊、その重さからも容易でない。ハラを決めて、ゆっくり時間をかけてやる。
2006 7・6 58

* アイドリングの気分。ルータまでがまたヘンに怠け始めた。しばらく機械から離れる。
2006 7・6 58

* 光通信は相変わらず宙に浮いている。
2006 7・8 58

* アイヌ語と江戸時代の言葉とを対訳するように蝦夷地事情を報告している最上徳内の文書が在る。「MIXI」にこれも連載中の長編でそれを読んだ人が、すばやく反応してくれていて、にんまりした。
2006 7・9 58

* メッセージを頂いて、その続きで「生活と意見 闇に言い置く」など興味を持って、読みました。読みっ放しでスミマセン。
今、居らっしゃるところ、偽りのない生活の中から聞こえるものには、素直に読める静かな迫力があります。 また時間をみて読ませていただきますね。
「mixi」に参加しながら、言うのも変ですが、PCのネットワークというのが、どうも以前より違和感があり…慣れないのです、が、自分なりの活用や愉しみ方を模索してみます。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
◇年齢とは…気が付けば、○○才。この事実を何としよう。明かす必要があれば、隠すこともないので「○○才です」。それで、一括り。収まりがつくような。が、しかし私自身は「私」が数字で収まる筈もないので倦む。
大人になったか。
親になったか。
○○才になったか。
老いたか。
昔と違って、今の大人とされている人は 自分の役目や老いを「ちゃんと」節目で自覚するような術も曖昧で、長く生きることになっているが(寿命)、今この自分はどうだ?
何とも収まり悪く、漠然とした不安も多い。
その昔、子供の頃、大人には「ちゃんと」という、子供には分からない 当然で、自然で、明確なものが備わり、それが大人として映るものだとばかり思っていた。
新しいものに惹かれ、自由な感覚、ミーイズムを謳歌してきたその質はお粗末で、途方に暮れさせるものだった。
昔の大人、老人も「ちゃんと」という備わりは、ひとりひとりのことで何を以って据えたように見えたのかは分からないが。
ここのところ、そんなようなことを考えています。 親友(62才)と呑みながら話題にしたり、本読んだり…。  福

* この人の、「MIXI」の自己紹介の「味」に気を惹かれ、思わず立ち止まった。表向きわたしより一世代余り若い人になっているが。
若かった昔に耳にしたような、或る「物言い雰囲気」が蘇ってくる。
2006 7・9 58

* 建日子も忙しそうだ。自身を鼓舞し鼓舞して、たぶん懸命に日々を過ごしているだろう。そんな中でも、ときどき、いや毎日かも知れないのだが、わたしの「私語」にも耳を寄せているらしい。此処で、親たちの日々がいくらか察しられて、安心も不安もあることだろう、電話で話し合うのは二人ともあまり上手でもなく、好きでもない方だ。
いま「MIXI」にわたしは二種類の連載をしている。わたしにすれば「旧作」を読み直して校正するのが目的の大きな一つなのだが、『青春短歌大学』の方は、三十八にも成る息子へそう言っては気の毒だけれど、父親からのそれとない「授業」の気持も無いではない。同時にほんの一服の時でもあってくれればと願っている。わたしの肉声はこういう仕事に、より良く通っているつもりでいる。ときには、一服の気持で観てくれるといい。
2006 7・10 58

* 最上徳内北の時代の「湖」版中巻を、「MIXI」に書き込み終えた。ついでにその跋文も書き入れた。東工大教授を、当時六十歳定年で退官したあの三月に、跋を書いている。優れた文学について述懐していて、この際の話題にふさわしく、此処へも転写しておく。

* 作品(「最上徳内」中巻) の後に
小説ほど「旅」に似た創作はない。読むのもそうだが、書くのもそうである。実際に旅したことを書いたり読んだりが似ているというのでは、ない。書くという行為、読むという行為が、さながら「旅」に似ていると思う。説明の必要があるだろうか。
けだし「旅」にも、いろんな旅があろう。かりそめの旅、行きずりの訪れ、また周到な用意と時日とをかけた旅行。読書にもそれがある。小説を書いて創るのにも、それがあると思う。旅には再訪・歴訪があり、長逗留もあれば暫く住み着いて暮らすほどの例もある。そういったことを長編や短編小説の創作にあてがって想うことは、そう突飛な比喩ではあるまいし、読書にからめていえば、やはり繰り返し訪れ読むような・読ませるような作品に出会いたいと思うことだろう。私にもその癖があって、ある種の魚の周游するに似て、馴染んで忘れ得ない作品を周期的に繰り返し読んできた。『源氏物語』もそうなら、『ゲド戦記』もそうだし、トルストイや唐詩選も、漱石や鏡花も、そうなのである。
この数年、私は、気晴らしに翻訳のスパイものやミステリーの類を少なくとも二百冊ぐらい読んできたが、どんなに気晴らしにはなっても深い喜びを得たとは言えない。読むとたちどころに忘れてしまう。だが、たまたま古本屋で手にした例えばヘッセの『車輪の下』などを懐かしく読み返しはじめると、もう何ともいえず優れた文学にまた逢えた嬉しさに(ファシネーションの魅力に)胸の底まで満たされ励まされる。オースティンの『高慢と偏見』でも鴎外の『阿部一族』でもそうだった。みな何度めかの読書であるのに、しみじみとする。そういう作品は、もう、一行から次ぎの一行へが、すばらしい「旅」そのもののように私を魅する。そして、そういう小説が書きたいなと思う。願う。文体と文章そのもののうねりに乗って、乗せられて、それが嬉しい楽しい面白いという作品に出会ってみたいし、書きたい。
東工大の教室で、
遺品あり岩波文庫『阿部一族』
という鈴木六林男氏のいわば世界最短の戦争文学をとりあげ、無理を承知で、最初の「遺」の文字を虫食いに隠し、漢字一字を埋めよと試みたことがある。戦争を知らぬ世代に「遺品」の入る望みは薄かった、が、それでも若い戦死者の境涯を推察しえた正解者は、何人かいた。そういう学生は『阿部一族』を読むか、中身を知っていた。だが案の定読んでいない、『阿部一族』を全く知らない学生が大方であった。そんな彼らがどう答えるか、実は、それを私は知りたかった。いちばん多かった、圧倒的に多かったのが「気品あり」であった。鴎外原作だからとアテて読んだ者もいたが、たいがいは「岩波文庫だから」と理由づけをしていた。岩波文庫の装丁や選書の姿勢に、東工大の学生のかくも大勢が「気品」を見てとり、または感じとろうとしていたのが、印象深かった。首肯けるものがあった。そして「品」とはいったい何なのであろうかと、古くして深い問題へ、その後何時間もかけて学生諸君といっしょに踏み込んでみた。文学の問題でもあり、人間の問題でもあったからだ。
「気稟(きひん)の清質最も尊ぶべし」と芭蕉は有名な旅の文に書き付けている。及ばずながら座右の銘とし、わが価値観を統(す)べしめている。
「気稟の清質」を欠いた文学も藝術も、また人も、私は好まない。「気稟の清質」がもしあるなら、どんなに無頼で、どんなに世の掟に背いていようが、荒くれていようが、逆よりも、私は「最も尊むべ」く惟(おも)うのである。
この『北の時代=最上徳内』は、こういう歴史の世界にうとい、興味のない人には、とっつきにくいかも知れない。歴史ものは好きだといいつつ読み物=時代物に馴れている人には、かなり骨っぽいだろう。そういう人ほど、先を急がないで、よく干した堅い干魚を焼いて噛むような気で、ゆっくりと一行から次ぎの一行へと長い「旅」を味わう気で読んでみて欲しい。むかし、今は亡い安田武という読み巧者が、「秦さんの文体はアヘンなんだよ、いちど嵌まってしまうと、抜けられないんだ。ただそこへ行くまではシンドカッタ」とよく慰め励ましてくれたが、文体だけでなく、作品の発想や展開にも読者にシンドイめをさせる「病気」が抜けない。お付き合い下さる方々には頭を下げるよりない。
それにしても思うのだが、この「最上徳内」氏が身をもってした「歴史」は、けっして遠い過去完了の抜け殻なんかではなく、現在なお血をにじませ、我々に、我々の今からの二十一世紀に重い大事な「問題」を突きつけている。その意味では徳内サンは優に一人の現代人なのである。急がず焦らずその人の味わいに触れていただきたいと願っている。
さて、四年半になる東京工業大学「工学部(文学)教授」の日々は無事終わった。この巻をお届けの頃は、最期の成績も提出し、教授室の掃除をしながら弥生尽の定年退官を清々しく心待ちにしているだろう。
念々死去、すなわち、念々新生。わが旅は、ゆっくり続いて行くだろう。 1996.3月

* 少しずつ少しずつ退蔵を、と。世間への「窓」を、少しずつちいさく狭く絞って行く。自分からメールを送ることを抑制し、メールは返信にとどめるように心掛けている。「MIXI」に新しい小世界がみえてくるなら、それはしばらくフォロウしてみたい。
2006 7・11 58

* またADSLのルーターが不調で、インターネットが停頓。この大事なときに、肝腎の光通信は全く働いてくれないし、ウィルコムも稼働しないまま。嫌気がさしてくる。
2006 7・14 58

* インターネットは朝から利かなかった。利かないと云うことは、「私語」の転送も出来ない、メールも受発信できない、「MIXI」も使えないということであり、電子的な交信は一切不可能という意味。連絡不能の時は、そういうことであるとアキラメて戴きたい。
さっきからホンの一時的に回復していたので、受信だけしたが、返信中にまたダメに。ADSLのルーターの不調かと思ってきたが、わたしの機械自体の不良に帰因しているなら、たとえ強引に光通信にかえてみてもダメであろう。
マイクロソフト98というOS自体に問題が出来ているのかも知れない。
2006 7・15 58

* 発送用意の作業に追いつこうと頑張っている。もう、明日から三日間しかない。うち一日は、相模大野へ見舞いに行く予定。二十一日に出来本が搬入される。今度は二百頁、作業の重量負担が大きい。本はときに石のように重い。

* 夕方から、またインターネットが利かない。ルーターがピキ、ピキと鳴っている。いま、いちばん頼りにしているメールと「MIXI」とがともに使えない。ホームページの更新も出来ない。外向きの表示がすべて使えない。なにか、工夫をしようと思っても、悲しいかな今は、頭がてんで働かない。こんぐらがってる夥しい配線をみるだけで気が萎えてしまう。
この間にも、役に立っていない光通信もウイルコムも料金を支払い続けている。社会保険庁みたいだ。

* ほんの一瞬回復したが、キーを押し間違えてしまった。

* やす香の妹、中学生の行幸が声もなく「MIXI」のわたしの処に「足あと」をつけている。行幸もさびしいことであろう。

* 行幸  久しぶりに逢って、まさに再会して、おじいちゃんは行幸に、碁でみごと一敗したんだなあ。夢のように懐かしく思い出されます。
やす香もまみいも一緒に、四人で保谷駅まで、みなで手を繋いで歩いたのは、あの日だった。やす香は元気だったね。
お正月には、タケちゃんもいっしょだった。玉川学園まで彼の自動車で走ったのも、夢のようです。行幸の誕生日前祝いをした二月には、お雛さんを姉妹で声をあげて飾っていたね。そして池袋のお寿司屋さんで、四人で、板前のお兄さんに煽られながら、にぎやかに沢山食べました。
どうかして、また、また、行幸もやす香もみないっしょに、手を繋いで歌うたって歩きたいなあ。みんなで食べて話したいなあ。
一月の十日過ぎに、やす香は、はじめて日記に「痛」という字を書いて異状を自覚していました。
二月のあの日のやす香は、みたところ元気そうだったけれど、なんだか上半身に異様な違和と苦痛をもうもっていたらしいと、今でこそ、ねその姿態が目に浮かぶように思い出されます。あのときが仮にまだ早くても、なんとか三月中に、あのやす香の苦痛に、異様な全身状態に直観が働いていたらなあ、気が付いていたらなあ、「ママ、これ、なんだか普通じゃないよ」って訴えていてくれたらなあ、身近なだれか大人が一人でも異状に驚いて、最初から大学病院へすぐ駆け込んでくれていたらなあと、おじいちゃんたちは、及ばぬ繰り言を話し合って、毎日泣いています。 おじいちゃん

* 今日はさすがに昨日の疲れがあるのか、やす香自身は「MIXI」で語っていない。建日子が見舞いに行ったときも寝ていて、しばらくは外で待っていたらしい。今夜も、雨降って地堅まり、バクに護られて平安でありますように。
2006 7・17 58

* 布谷君が来てくれて、妻のコンピュータを整え、わたしの方のも診察して行ってくれた。「ケケデプレ」で歓談、少し妻の哀しみを散じ得たか。コンピュータは、しかし難しい。あわや惨事かと思ったが、持ち直して知らぬ顔して働いている。気むずかしい機械とも気まぐれな機械とも。疲れた。布谷君はもっと疲れたろう。

* やす香の様子が間断なく気になるが、手が届かない。平安でありますように。
やす香の「MIXI」日記に何度も何度も「OTL」とあるのが分からなかった。建日子の解説によると「ガックリ」の姿勢を示した絵文字の類ではないかと。わたしも妻も、いまは、「ガッカリ…」萎れている。
七月も八月も、もう、なーんにも無くなってしまった。よし、仕事をしよう。
2006 7・25 58

* 昨日、「MIXI」の「足あと」をさぐっていて、とある若い人達の会話にまぎれこんだ。事情の正確なことは分からないが、やす香の死に触れ合って、やす香は「使命」を果たした、遂げたのだということが話されていた。
おどろいた。
おどろいたことに、「使命」とは「命を使いはたす」意味であり、やす香は命を使いきって「ラク」になれた、だから「お疲れさん」「やすらかに」「よかったね」と自分達もほっとして見送れたというのだ。「命を使う」とはウマイ謂い方だねえと感心しあっているのだった。
それは、その若いやす香の友達たちのオリジナルな解釈では、どうやら、なく、通夜の「お祭り」で披露されたやす香を「送別の意味」づけのひとつであったらしい。
わたしは仰天し、思わずコメントを添えた、やす香の祖父だとことわって。

* ★★やす香の祖父です。みなさん、ありがとうございました。

使命ということが語られていたので、ちょっと割り込ませて貰います。

「使命」とは、命(めい)つまり神の命令、天命、天職を、使(し)つまり「全う」するという意味です。もし命(いのち)を使う、使い切るという意味に取るとしても、それは、生まれ来て、そう生きたいと願った「天命・天職を、満たす」というのが、本当の意味です。

病に倒れた私たちの孫やす香の場合は、例えば、生前に面を輝かして話してくれました、「いつか国連に勤め、語学の力を思いきり活かして、国際的に活躍したいの」という「願い」が満たされたときに本当に「使命が全うされた」のであり、その意味では、半途に若く落命したやす香の残念・無念をこそ心から惜しんでやりたいと思うのです。

やす香が、自ら「死にたかった」と思われますか。「生きたい」「生きたかった」と苦しい息づかいで叫んでいました、きっと自分の落ちこんだ事態が、悔しくて悔しくて仕方なかったはずです。
「ラクに死ねてよかったね、お疲れさん」とは、言ってやりたくないのです、可哀想に。

「いったい、どうしてこんな事になっちゃったんだろう、何かが間違っているよ、こんなのイヤだよ」という、痛切に残念な、悔しい思いを忘れてしまい、文字通り「あとの祭り」に流してしまえば、やす香の無念の死、満たされなかった命は、そのまま、本当のムダになりかねません。

若いお友達には、やす香の真に願っていた「使命」って、ほんとは何だったんだろう、と考えてやって欲しいのです。

その無念・残念を、お友達の一人一人が「自身の使命」を考えることで、どうかやす香を慰めてやって下さい。

「命を使ってらくに苦しまずに死んだ」なんて、それでは安い洒落になってしまうのが、悔しいのです、祖父であるわたしは。
わたしは愛していた孫のやす香に、「死なれた」のだ、とは思えないのです。「死なせた」のです。あんな手ひどい「手遅れ」の大苦痛に追い込んでしまっただけでも、ほんとうにやす香にも、みなさんにも、申し訳ないことをしたと心からお詫びしたい。
身のそばの大人が、子供から目を放さず、せめて三月四月のうちに適切な医療の手を打っていれば、「らくに死なせてやる」どころか、命を救い得た可能性は高かった、有った、と思います。残念です。

* そのあとにつづけて、何かコメントがあるかと待ってみたが、一夜を経て、寂として声がきこえない。
2006 7・29 58

* それでも、わたしは、帰ってきた。そして、知った。
★★家は、「MIXI」での「やす香=思香」と「おじいやん」の「マイミク」関係を、一方的に拒絶解消し、もはや「やす香=思香」の「日記」をどうクリックしても、「このユーザーの記事にはアクセス出来ません」と通告されてくる始末。
まさか亡くなったやす香が、自分からこんな「無道」な措置を「おじいやん」相手にするワケがない。そんなことをしてみても、他のルートを通れば、今日の ★★家の葬儀の「御礼」は、ちゃんと読みとれる。

* わたしたち「やす香の祖父母」は、ついに一度もやす香が何日何時何分に亡くなりましたという通知も、通夜・告別の通知も、★★家から受け取れなかった。「白血病」告知以来の見舞いの経緯すべてからみて、なぜ「やす香の祖父母」であるわれわれは、そんな仕打ちをやす香の親たちに受けねばならないか、理解に苦しむ。親へ、子のとるべき最低の礼儀ではないのか。
「だいじな孫を死なせてしまいました、ごめんなさい」と、それが、大人として真っ先にする当然の礼であり挨拶ではないか。

* もっとも、十数年来心臓を病んできた老妻は、いま疲弊の極にあり、遠方の「お祭り」になど出て行く体力も気も無かったし、わたしは、「生きているやす香」にこそ「生きよけふも」と願い続けたが、やす香の死に顔は見に行かぬと決めていた。
わたしはつねづね葬儀という儀式に重きを置く思想は持たない。告別には私なりの作法を持っている、花火をやす香と一緒に観るとか。
だからといって★★家が、やす香の祖父母へ何一つ通知もしないでいい「理」も、「礼」も、無いであろう。

* やす香は、こういう、ややこしさに板挟みにされていた、可哀想であった。
それでもわたしたちの処へ、親に構わず、自発的に進んで来てくれた。ありがとう。

* 2006年07月29日 23:02 御礼
やす香は、たくさんの皆さんに送られて、
………延べ600人!!!………

みんなの歌う「栄光の架橋」に送られて
棺に入りきらないほどの花とメッセージに包まれて、

そして、
さまざまな事情でおいでいただけなかった方々も含めて
たくさんの友情と祈りに包まれて

「終わらない旅」へと旅立つことができました。

ありがとうございました。
★★★・夕日子・行幸

* 「やす香を、なんで、むざむざ、こういうことにしてしまったか」。死なれた受け身だけを「人生最大の晴れ舞台」と飾り立てて、「死なせた自責」は、ついにひと言も、この家族、両親は、口にしない。たくさんの友情と祈りに対し、それが正しい「礼」であろうか。
この「御礼」のさばさばしたこと、だいじな子に死なれ死なせた哀惜、感じ取れるだろうか。わたしには、感じ取れない。
2006 7・30 58

* やす香月が尽きた。母の誕生日を自身の命日に書き換えた、やす香。おまえは、何を思っていたろうね。

* この四月十二日にまさしく「思いあまって」やす香にメッセージを送ったのが、「MIXI」に記録されている。これを同文で母親の夕日子に送る手だてがもし有ったなら、と、残念だ。わたしは、かなりこのときやす香に対してもカンカンに怒っていたのである。

* 宛 先 : 思香(=やす香) 日 付 : 2006年04月12日 20時38分
件 名 : MIXIに加わってから、思香日記を
欠かさず読んできました。もうまる二ヶ月ちかくなります。一言で言えば「心配」の連続でした。
人から耳の痛い何かを言われるのを、頑固に拒絶しているらしいのは知っていたので、直接、何も話し掛けませんでした。
書かれてある日々の生活、それを話している書き方・話し方。そして会話。それは、ま、本人の勝手であるから好きにしていいことですが、最近の日記には、「心身の違和」が猛烈に語られはじめ、こと健康、こと診療となると、心配はもう極限へ来ています。
ことに今日の日記など、これが「ピーターと狼」の例であるならべつですが、本当に本当にこんな有様なら、やがて神経や精神に響いてきます。親とも、本気で何の相談もしていないように見受けるし。
思香日記をみてくれている「大人」の知人・読者には、日記じたいが心幼い一つのパフォーマンスであり、自我の幼稚な主張であり、或いは遊戯に近いかと解釈する人すらあるのですが、わたしは、おじいやんは、そうは思っていません。かなり危ないと、ほんとうに心配しています。
相談したい事があるなら、素直に柔らかい気持ちで、遠慮無く言うてきてくれますように。とても「笑って」られる状態・状況とは思われない。
まさか思香は他人からの「愚弄愛」に飢えているわけではないでしょう。だれからも、正常で正当な「敬愛」を受けたいのではないか。それにしては、あまりに言うこと為すこと「幼い」のではありませんか。
思香は、こういうことを身近な誰それから直言されるのを、極端に嫌っている気はしますけれど、心の健康すら心配される今、手遅れにならぬうちに、「話しにお出で」と声をかけることに、おじいやん一人で決心しました。 湖

* この翌日にも親もともども東大とか慶應とか医科歯科とか、検査能力の高い病院へ駆け込んでいてくれたらと、此の後二ヶ月半ものほぼ空白の苦痛ばかりが傷ましく、悔やみきれない。これを七月尽のわが呻きとして言い置く。
2006 7・31 58

* おとといに、夕日子が「MIXI」に出したアイサツを引いておく。冷淡なほど冷静に、かなりうまい文章になっている。だが言っておく、これは「死なれ・死なせ」たものの痛苦を希釈し、
「ごめんね、やす香」
「やす香をむざむざ死なせて、お友達のみんな、ごめんなさいね」
の、ただ一と言も先立てない、それどころか堂々と若い人達の人生を「教訓」している一文である。装われたひとつの「文藝」「文才」ではあろうけれど、ほとばしる「誠」は、はなはだ薄い。
「バカかお前。おまえはセリフだけはリッパそうに言うが」と、娘の昔によく窘めたのを、またしても思い出す。「闘病記」という言葉はあるが、やす香は六月十九日ごろに入院し、二十二日に自ら「白血病」と「MIXI」で打ち明けるまで、「闘病」の二字もおぞましいほど孤り病躯の進行にのたうっていたが、その後七月二十七日の遠逝までは、親と病院との敷いたレールの上を(参考までに「病院は延命のための何もしていません」「すべてお母様がご存じです」と、やす香祖母は北里大病院の看護師からて聴いて確かめている。)運ばれたに、ほぼ同じい。音楽まつりも、再三の死決定を予測したような発語、そりに伴うモルヒネ増量、輸血停止の最後まで、また通夜・葬儀まで、また「MIXI」日記の運営にまで、それは何らかの意味で「プロデュース」(母夕日子の言葉)またはディレクトされた、人為的に進められた経過であったと謂えないだろうか。治癒改善への医療に伴う「闘病」は少なくも「肉腫」と決定後は無かった、直ちに終末期の緩和ケアを実施したことは明らかだ。
ここに書かれたやす香の言葉も、死後の「あと出し」で、しかもやす香の文体とは甚だ異なった「作文」臭を感じざるを得ない。やす香の日記やメールをつぶさに読んできた作家であるわたしには、やす香のまちがいない文章と、代筆ないしやす香に仮託された文章・文体との差には、比較的容易に気づける。また、連続して川の流れのように記述されたやす香日記の前後をよく見渡してみると、母親が関与したやす香文にあらわれるニュアンスに、著しい落差が認められる。秦建日子ブログに記されたとあるやす香文は、それがそんなに大事なら、当然「MIXI」に当日出されてもいいものだが、「MIXI」当日のやす香による記載は、
2006年07月13日
19:23 今日はね  大変だったの…。体力消耗~
に尽きている。建日子のブログに送られたものは、夕日子が掲示したものよりさらに長い。「お別れ会」で紹介するほどだいじなやす香のメッセージなら、やす香の気持ちとしてこの書かれた当日に「MIXI」に告知されて良かったが、無いのである、「体力消耗」の嘆声または悲鳴以外には。建日子ブログに送られている時刻は早朝。夜の夢に悩み眠れなくて悩んでいたやす香の朝は、うとうとの心落ちたまどろみの時刻であろうに、こんな堅苦しいやす香の文体でない文章を書けたろうか、果たして。わたしには、不審が残る。

* 2006年07月30日 09:07 そして、明日を、生きる。
皆さんに支えていただいたこの短い闘病記を終えるにあたって、母・夕日子から、皆さんにお伝えしたいことがあります。
言わずもがなかな、とも思うのですが、
でも、やす香が命をかけたメッセージです。間違いなく、届けたい。
長くなりますが、読んでください。

*****
不思議に思われるかもしれないけど、私(=やす香)笑うことがすごく、すごーーーーーく好きだから、そして人は必ず誰もが死ぬものだから、最後まで友達と他愛もなく生きていることを自分で選びました。自分の命が見えた分だけ、自分が本当に何が好きなのか、どうしたいのかを見つけることができたんです。
*****

お別れ会でご紹介したこの文章は、やす香の叔父・秦建日子のブログに、お見舞いへのお礼として記されました。軽く流したようでいて、考えに考えて書いた文章です。

だけど、
やす香の人生において「本当に好き」なのが、「他愛もなく生きる」ことだったわけではないと、どうか忘れないでください。やす香は「未来を生き、夢を実現する」という、もっとも大切な道を奪われました。その断崖に立ったとき、残された日々を、悲嘆や、悔恨や、憎悪や、絶望で過ごすか、あるいは、「他愛もなく」「笑って」過ごすか、やす香は後者を選びました。究極の選択であったことを、忘れないでください。

それは、やす香がみずからに課した最後の規範でした。お見舞いの賑わいが去った病室に一人残され、恐怖と絶望がにじみよる夜の闇の底で、やす香は何度も泣きました。失われた未来を思って、泣きました。あるいは、苦痛を早く終わらせたいと、泣きました。けれど朝が来ると、やす香は自らの規範に立ち戻りました。そうやって残された日々を、大事に、大事に生きました。

友達は大事です。偉大です。やす香の最後の日々を支えたのは、医療でも、親でもなくて、まぎれもなく「友達」でした。そのことを私は何度も、何度も感じました。
でも、言わせてください。
いえ、やす香のこの言葉を聞いてください。

*****
NOと言うことから逃げないで、
自分の思う道を進む。
道は一つじゃないんだから、
どの道を歩もうと、
早足で歩もうと、ゆっくりと歩もうと、
たどり着く先に
確かな夢さえ見えていれば大丈夫だよね。
*****

「友情」にがんじがらめにならないでください。
あなたたちに有る「明日を生きる」道程で、もし「友情」が、あるいは「愛や善意」の名のおいてなされる「干渉や束縛」が、あなたを損なうと気づいたら、自分を守る勇気を、どうか、忘れないでください。

もう少しだけ、つきあってくださいますか?

「何もできなかった、後悔でいっぱいです」
夕べ、そんな電話をいただきました。
いえいえ、あなたはやす香の命を支えました。

「できなかった」という悔恨は、私たち両親だけが、しっかりと胸に抱えて生きていきます。それで十分です。それは私たちに科された十字架でもあります。
だけど、やす香はけして、私たち二人にも、「悔恨だけの日々」を望まないでしょう。だから私たちも、やす香のように、明るくこうべを上げて歩む未来を選択したいと思います。

「この痛みを一生忘れたくない」
そんなメッセージもいただきました。
いえいえ、忘れていいんです。

私たちは皆、これから、未来を生きます。
やす香の望みは皆を引き止めることではなく、生きて進んでいく背中を押すことだったはずです。勉強に、バイトに、恋に、日々流れていく時間の中で、私たちは皆、やす香を忘れている自分にふと気づくでしょう。そのときに、後ろめたく思わないでください。むしろ「やす香のことを、ふっと思い出した」、そのことを喜んでくだされば十分です。

「やす香のように生きよう」とか、「やす香の夢を引き継ごう」と思っていただく必要もありません。
人がそれぞれに違うということを、やす香はよく知っていました。「異」を受け入れる世界を、望んでいました。だから、皆がそれぞれに、自分らしく、違う未来を歩んでくれることを望んでいると思います。もしそれがやす香に似た歩みになったとしても、それは「あなた自身の歩み」であると、胸を張って宣言してください。

私はこの一月に、知らなかったやす香をたんさん教えてもらいました。特にカリタスの方からは、たくさん、たくさん伺いました。でも、大学のお友達とは、なかなか話す機会がありませんでした。いつか、たくさん、聞かせてもらえたらと思っています。

でも、振り返るのは、少し先にしましょう。
それまで、しばしのお別れです。

今日を、明日を、生きるために・・・・・またね♪

* 「究極の選択」をしたのは、病院と家族であり、あの苦しみの中でやす香にそれが出来たと考えるのは、錯覚か作為であろう。病床のやす香自身は、まだ強い意志と意識のあるうちに、ともあれ、こう書いていた。胸をうってやまない言葉を書いていたという「演出」された綺麗ごとではないのかという不審が、どうしても残る。割り切れない。分からない。

* 2006年06月28日 02:54 夢   やす香
自分のやりたいことが、自分の思うように自分でできないって、こんなに悲しくて悔しいことなんだ。今まで、自分がどんなに、たいした病気もけがもせず、恵まれて生きてきたのか、思い知らされた。
こうやって、みんなに励まされながら思うことは、みんな、想像以上に多くの人が、今までけがや病気と闘ったことがあるんだなっていうこと。
「私だけ」なんかじゃないんだな。
頑張らなきゃいけないんだなって。

今までずっと、同じ夢見続けてきたから、今、こんな体になって、それが叶えられるような体に戻れるか、すごく不安でしかたがない。自分の特技や経験を全部集めて叶えようとしてた夢だから。

だけど、こうやってベットの上で病気と闘うことにも、何か意味があるのだと信じて、きっとこの経験も何かに生かせる日が来るんだと信じて、闘っていかなきゃいけないんだと思う。

今、多くの人に助けられて生活している。私は丸裸の心一つでベットの上に寝ている状態。気持ちだけが自分のもの。その中で、見たこと、思ったこと、精一杯みんなに伝えていこうと思う。

これからもよろしくね。

* いかにもやす香の文章である。

* 2006年07月03日 18:05 命の重さ   やす香
私が
ただ普通に生きたいと思うことが、
こんなにも多くの人を
巻き添えにしなくちゃいけないことだなんて
思ってなかった。

家族、友達、医者…
ただ普通に生きたいだけなのに。

感謝の言葉すら言い切れなくて、
悔しさばっかりたまっていく。

一つの命が
自分の力で生きていけなくなったとき
そのたった一つの命に
一生懸命になってくれるみんなの重さが
命の重さなんだと思う

命は決して自分だけのものじゃないんだよ

* やす香の言葉だ。

* 2006年07月07日 07:58 告知   やす香
私の病気は
白血病
じゃないそうです。
肉腫
これが最終診断。
れっきとした

だそうです。
近々 (院内の)癌センターなるところに転院します。

やす香の未来はどこにいっちゃったんだろう…

* 何のゴアイサツでもない、ぎりぎりの実感(ハート)を、苦悶の下から白い蓮の花のように、柔らかに開いている。この直後から、やす香は「肉腫」患者として、待ったなしの即時「緩和ケア」対象にされていた。文字通りの「治療断念」である、「どう死を迎えさせるか」だけが、病院と親との対応だった。幾つもあった診療援助の提案や斡旋も顧みられない、つまりあまりに手ひどい「手遅れ」だった。六月二十二日の「白血病」から、この七夕の「肉腫」までの半ケ月余は、いったい、やす香のために「何」であったのか。
だがここへ来て初めて、やす香は、「平安な最期を」という選択をむごく「説得」されたようである。やす香は絶望し、健気に受け容れたかも知れない、やす香は心優しく周囲を慮るタチだ。
だが、やす香は実際はこう叫んでいた。

* 2006年07月07日 14:31 会いたい   やす香
親友に会いたい
友達に会いたい
先輩に会いたい
後輩に会いたい
先生に会いたい
みんなに会いたい

最後の土日に
みんなに会いたい

* 2006年07月08日 19:20 嫉妬   やす香
私の命は私だけのものじゃないけれど、
痛みや苦しみと闘うのは私しかいない。
矛盾。

うらやましい。
動けることが。
生活できることが。

私の下半身は
しびれて思うように動かない。

私の胃も腸もまともに動いてくれない。

管が増える。

もうここにいるやす香は
みんなの知ってるやす香じゃない。

嫉妬でいまにもおかしくなりそうな
一人醜い身体でしかない。

* 2006年07月10日 01:32 夜    やす香
夜が嫌い
必ずおいていかれる夢をみる
歩いても走って
絶対に追い付かない
夢でも管に繋がれ、
食べたいものも食べられない
そんな夢を見る夜が大嫌い

* 2006年07月10日 08:09 タイトルなし   やす香

生きたい

* やす香から命の火の消えたのは、このあと十七日め、だんだんやす香自身は「MIXI」に書けなくなって行き、多く、「やす香母」が代筆していた。口授の代筆と仮託の作文とは、ちがう!。

* この、「生きたい」の、やす香ただ一語は、千万言の装った、繕った、演出した綺麗事よりも、地球よりも、重い。

* 七月二十三日、建日子も一緒に三人で北里大学病院に見舞った日、やす香は、カリタスの先生もいっしょにいる吾々を目を開いて認め、
「どうして勢揃いしているの」とはっきり問いかけた。わたしたちはその明晰な物言いと状況とに、驚喜も狼狽もして、笑い声をさえあげて、やす香に言葉をかけることが出来た。
そして翌二十四日、もう一度建日子も一緒に見舞ったとき、たまたま夕日子が病室を出て、やす香と吾々親子との四人だけになったとき、やす香はうとうとと寝入っていた中から、突として発語し、まず、「まみい」に「手をにぎって」と言い、妻は寄り添い、もうそこにしかやす香の命も感覚もない左手を、しっかりにぎってやった。やす香はきゅっと握り返したのである。
やす香は、それから、語幹だけを謂うなら、「生きている」「死んでない」と明瞭に発語した。
そうだよ、「やす香は生きているよ」 「死んでなんかいないよ」 「生きなさい」 「生きていっしょに本を書こう」などと三方から声をかけあった。やす香は頷くようにし、しばらくして、「ツカレタ」と呟いた。
それが、やす香とわたしたちとの「お別れ」になった。「明日からはもう来ないでほしい」と言い渡されたのだ。
「MIXI」上にはっきり伝えられている、なお見舞客の間近な見聞として、翌二十五か六日に、病院と親とは、やす香の「輸血を停止」した。
七月二十七日の母の誕生日をやす香も祝い、そして七月を乗り切り、八月を堪え、九月十二日の「成人」の日をと、わたしたちは、みな「生きよ けふも」と願っていたが、夕日子はあの「生きよ けふも」の祈りが、やす香をいちばん苦しめると分からないのかと激昂し、わたしたちに電話で怒鳴り込んできた。嗚呼。
輸血を停止されて、どう肉腫のやす香が生きられよう。はっきりと、やす香は医療から、「これまで」とそこで見放された。病院はやす香を人為的に「死なせ」る決断をし、親たちは承知したのだ。
余儀ない措置と、たぶん手遅れ「肉腫」の常識は教えているだろうが、やす香はどんなに「生きたかった」ろう。「くやしかった」ろう。どんなに、「死」の手に鷲づかみにされながら「生」の側にいる者達に「嫉妬」していただろう…と、想う、可哀想に。

* われわれに漏らした最期の言葉を、わたしと妻と建日子とは、それぞれに聴き取った、すこしずつニュアンスを変えて。
朦朧とした眠りの渕から浮き上がったやす香の言葉を、或る者は、「やす香は生きているよ。死んでなんかいないよ」と聴いた。また「やす香は生きていたい、死にたくない」と聴いた。また「やす香は、まだ生きているの、もう死んでいるの」という悲しい不安な声と聴いた。
いずれにしても、それは母夕日子がやす香の「本意」と伝えているゴアイサツとは、甚だかけ離れている。説得された出来合いの覚悟と、まだ十九歳の生命の根から噴き出た「生・死」を問う熱い執着と不安の言葉と。うら若きやす香の本音は、あまりにハッキリしていて、夕日子の「陳述」は装ったうわべをすべっている。
やす香は「まだもっと生きてくれるよ」と、祖父も祖母も叔父も信じて、あの日二十四日月曜、保谷の家へ帰りついた。
だが、あの翌日から見舞いは断られ、そして輸血停止の決定があった。たまたまそれをまぢかに聴いていた、またそれを伝え聞いた、最期を伝え聞いたやす香の知人・友人は、思わず「号泣」したと「MIXI」に書いている。

* 人は、久しい文明の歴史を閲(けみ)して、「死」を、幾らでも空疎に飾り立てるスベを覚えてきた。それを「手」として使った政治家達も、いやほどいた。偽善と欺瞞とのアイサツを「みなさん」へ向けて達者に書き綴ることなど、すこし賢いものには容易に出来る。なんと気色の悪いことか。
「死なれた」という受け身の感傷だけで、「死ぬ」という死の凄さとは、なかなか正しくつき合えない。関わりの深かったものほど、「死なせた」という痛悔に根ざした「棘ある自責」をもつものだ。そのきつい棘を免れたいために、ワキへ置いておいて出来る、そんな白々しいアイサツが、世にあっていいのだろうか。
我が娘ながら、わたしは、最期に、コンナモノを読まされたかと、どうにも気色が悪い。
妻は言う、夕日子と同じ気持ちでやす香の死を悲しめないのが悲しい、と。同感だ。

* それよりも、或る方の伝えてくださった、こういう夕日子の姿に、わたしも妻も、ああさぞやと、声を放ち泣き、我が子の夕日子を、二人して抱きしめてやりたかった。

* お葬儀のあとのことをお話します。マイクロバスに乗るほどもない距離を走り、あっというまの野辺の送りとなりました。到着後はすぐに手はずも整ってしまい、神父やお坊さんでもいればそこで一緒にお経を唱えたりもするのでしょうが、係の人にうながされてただ黙祷。あれよあれよという間に、柩が乗ったストレッチャーは運ばれていきました。
それまで決して人前では声を出して泣くことのなかった夕日子さんが、泣き崩れて、鉄の扉が閉まるのを止めようとするのを係の人にやんわりとかわされて、また柱にもたれて泣いていらっしゃるのがつらかったです。一番つらい場面でした。  (やす香の知己)

* こういう悲しい場面を、わたしは実父を荼毘に付した日の異母妹たちにみて、忘れがたい。
どうか賢しらなパフォーマンスで、悲しみをうつろに鎧わないで。
喜怒哀楽をあるがままに解き放ちながら、それに囚われないように、わたしはしているよ。夕日子、お前が家に残していった、あのバグワンに、十年十余年、一日も欠かさず教えられて。
2006 78・1 59

* 平成十八年(2206)八月四日付け 娘★★夕日子が夫と連名で、「e-文庫・湖(umi)」作品の掲載削除を求め、削除しない場合、「刑事・民事の訴訟」をもって父・義父を告発すると実印つきの手紙を寄越した。
掲載の趣意と真意は当初から欄外に明記していた。作品への或る程度の評価と共感や過褒ともいえる好意がなければ掲載し保存をはかるわけがなく、むろん本人が掲載して欲しくないと言ってくれば外せばよいと考えていた。
いきなり「告訴」とは、すさまじい。凄い時代になった。
なおこの作品を読んだ際の、先輩作家としての、父親としての驚喜と激励のことばは、秦の当時の「闇に言い置く私語の刻」にくわしく、また大勢の読者もそれを知っている。突如「告訴」されるに相当するものか、読んでくださればお分かりになる。
欄外の紹介を掲げておく。

「コスモのハイニ氏」
この小説は習作のまま作者★★夕日子が無署名で 2004.9.21 – 2005.7.27 ブログに連載していたもの。インターネット上での無署名作品の盗難等難儀な事態をぜひ防ぐべく、当座、編集者(秦恒平・父・小説家)一存で此処に保管する。編輯者だけが知らないともいえるが、これは類のない題材で、一種の創世神話かのように物語られている。「こすも」(原題)なるモノが、不思議の多くを担っていて、かなり壮大に推移し変異してゆく。ほぼ十ケ月、一日の休むこともなくブログに細切れに毎日連載した、わずか二作目、事実上は一作目といえる処女長編の習作としては、行文にも大きな破綻なく纏まり、身贔屓ぬきに言う、相当独自な長編小説一編に仕上げてある。作者は1960生まれ。現在名は★★夕日子だが、従前の筆名のままに。編輯者の長女である。   2006.2.9 仮掲載

「ニコルが来るというので僕は」
この小説は習作のまま作者★★夕日子が無署名で 2005.8.18 – 2006.1.8 ブログに連載していたもの。インターネット上の作品盗難等の難儀を防ぐべく、当座、編輯者(秦恒平・父・小説家)の判断で此処に保管する。たわいなげなきれいごとのようでありながら、不思議な批評を底ぐらくはらんで終末部へ盛り上げてゆく。ブログに細切れに毎日連載した、わずか三作目の習作としては、行文に破綻なく纏めて独自の小説一編に仕上げてある。作者(現在の本名は★★夕日子)は、編輯者の長女、仮に筆名としておく。   2006.2.9 仮掲載

「天元の櫻」
この小説は、習作のまま作者(★★夕日子)が無署名で 2004.3.3 – 2004.3.29 ブログに連載していたもの。作品の盗難等の難儀を事前に防ぐべく、当座、此処に編輯者(秦恒平・父・小説家)一存で保管する。この作品はまだ小説の体裁を堅固に備えていず、小手調べの習作めいているが、物語は囲碁の勝負ただ一局を芯に据え、十分巧んで運んであり、なかなか面白い。ブログに細切れに毎日連載した、作者最初の習作としては、一風ある準小説の一編に仕上げてある。ないし仕上がる可能性がある。
原題は「櫻」である。これも編輯者の一存で仮題にしてある。 2006.2.9 仮掲載

* 夕日子本人の希望であるので、三作とも、「e-文庫・湖(umi)」の読者へ割愛の事情を添えて作品は削除した。

* ★★家は加えて、この『生活と意見』(闇に言い置く私語の刻)の全部を削除せよと言ってきている。どういう根拠と権利があるのだろう。質と量(何万枚に及ぶだろう。)の両面から、厖大なわたしのそれこそ「著作」なのであるが。

* わたしたち夫婦は、この広い世間では「極めつきの少数派」であると自任している。広い世間の「常識」と称する多くとわたしたちは、いや私だけは、と妻のために限定しておくが、かなり背馳している。多数決で勝ったことなどなかなか無い、総選挙もしかり、である。ハハハ。
わたしは、世間の常識に勝とうなどと、ちっとも願わない。気の低い常識とやらが、わたしからモノを奪い取りたいのなら、寄ってたかって、どうぞとも言わないが、「勝手におしやす」と思っているし、自分は行けるところまで自分の思うままに行く。
その「思うまま」なるわたしのあらゆる思想が、この「ホームページ」に集中している。それを全く読まないで、見ないで、不当にあっさり型どおり断罪したいというなら、「大いに不当」だと鳴らすけれども、また、きれいに人生一巻をしめくくれば済むことと思っている。
ホームページなんて、何であろう。
なるべく広い場所に出て議論出来るなら、わたしは手元に蓄えた豊富で正確な資料を駆使し、書けるだけ書き、話せる限り話して見たいのである、なるべく大勢の視・聴者の前で。わたしに喪うモノといえば、経費と健康ないし命だけである。特別惜しいモノではない。
名誉なんて、問題でない。識る人は識ってくれている。十分だ。
2006 8・4 59

* 「MIXI」の連載は、例の「徳内」と「死なれて死なせて」だが、今日は後者をすこし長めに書き起こした。十年余も昔の著述だが、今にもそのまましっかりモノを言っている。
2006 8・18 59

* 「MIXI」の「思香=亡きやす香」日記に、今日も(★★夕日子・●連名で)、こういうものが出ていますと知らせてくれる人がいた。わたしからは、この日記にアクセス出来ないのである。だから、実見したのではないが、伝えてくれた人はいたずらをする人でない、名の知れた大人である。

* 2006年08月19日 09:42 思香  (「MIXI」日記に。思香は先月末に逝去している。)
本当に、本当に沢山の温かいメッセージをありがとうございました。皆様から寄せられた情報で、発信人を特定することができ、ブログの内容を掴むこともできました。
発信人は、やす香が冷静に死と向き合って終末期医療を選択した翌日、やす香本人に「そのままだと親と病院に殺されますよ、誰か他の人に生きたいと叫びなさい」という心無いメールを送りつけた張本人のようです。
当該のブログは、「やす香」の写真と名前で注意を引いた上で、「死なせる」「殺す」「安楽死」などの単語をひたすら連呼するという悪趣味なもので、自分の別のHPに誘い込み、足跡を辿ってメッセージを遣り取りするのが狙いだったと考えられます。
また発信人は、そのさいに「やす香親族」を名乗り、やす香や私共のプライバシーを探っているという情報もありました。実際に被害に遭われた方も、何人かおられました。
発信人が私共により「告訴される」云々と口走り、怯えているのも、発信人自身の行為への「後ろめたさ」ゆえだと思われます。発信人は、かつて女流作家の著作権を無視して作品を全編無断転載、改変するなどの行為を犯した人物でもあるとのこと。
それにしても、当該ブログの中で私共の名前が頻出し、演技までさせられていたのを見て、愕然としました。ただ、私共が懸念しておりましたほど、「やす香の死についての歪んだイメージ」が伝播していなかったことも、皆様のメッセージでよく分かりました。
ともあれ、ブログは一目見れば虚言と分かる代物で、その内容もMIXIに掲げるには場違いなものに映っていたので「無視するのが良いのでは」、という大方の皆様のアドバイスに従うことにしました。
あそこに描かれているのとは無関係に、私共一家3人はお陰様で平穏無事に暮らしております。やす香の遺産でもある開放プールを引き継ぎながら・・・どうぞご安心下さい。
ありがとうございました。
★★夕日子・★★★

* 内容が毎日少しずつ増補改変されていて、「夕日子さんの精神の状況が心配です」と書かれていた。確かに心配。何を言っているのか意味も文脈も不明。なにより、「発信人」として「わたしの名前」を特定していないことで、逃げ腰の「怪文書」に類しているし、わたしが書かれているような品のないメールを孫にあてるわけがない。メールは、変改出来ずにトップ表示つきで保存される。虚言は効かない。
わたしのホームページは逃げも隠れもしないで、此処に莫大な質量で実在するし、「ブログ」というのが「MIXIの「湖」名義日記を意味するのなら、また逃げも隠れもしない内容がすべて公開されている。いささかも怪文書ではない。そしてわたしは、その他に「ブログ」を持つほど、ヒマではない。
「女流作家」と自称しているのが、万一夕日子自身の自称であるなら、これはお恥ずかしい。
いくら何でも夕日子がこんなことを書くだろうか、信じられない。しかし夫婦で堂々と名乗っているのだから匿名の怪文書とも言い難い。
2006 8・19 59

* 困った。しばらくぶりADSLルータが故障しかけている。ランプの一つ二つが点灯せずピキピキ鳴っている。点灯しない限りインターネットは全く使用不可能になる。光ファイバーはいまも稼働していない。
いま…復旧している。薄氷をふむ思い。
頭が働かず、わたし自身固まっているあんばいで、参る。
涼しければ運動に走るのだが、昨日のような熱暑だと危険きわまりない。
2006 6・20 59

* また今夜も、「MIXI」の「思香」日記が、錯乱状態のようで、第三者としても見るに堪えなくなっていますと、報せてくれる人がある。わたしは、大分前からこの日記にアクセスを拒絶されていて読むに読めないのである。

* 夕日子さんの精神の状況が心配です。ますます精神状態が混乱しているのか それを装った創作なのか わかりません。

2006年08月20日 19:54 思香(=★★夕日子・●)

大変、ご心配をお掛けしました。
その後も、多くの情報をありがとうございます。類似した別のサイトを見つけたというご報告もいただきました。

いずれにしましても、皆様のお話を総合いたしますと、発信人のサイトは次のような特徴を持っています。
1 やす香親族の名を語っている
2 やす香の写真を掲載したり、名前を連呼したり、まるで売名行為を行っているようだ
3 その割には、MIXI「やす香日記」だけを見て話を組み立てていて、やす香の闘病や最期の様子についてほとんど知らない
4 何が何でも自分のHPに引き込もうとする、「~を見てください」を繰り返す
5 説明や解説、言い訳が長く、くどい。ほぼ毎日同じストーリーを循環させている
6 「死」「殺」など遺族の感情を害する単語をわざとちりばめている
7 「誤診」「安楽死」など北里大学病院を中傷している
8 誰かを挑発したい様子で、何か情報を得たいのか、日々反論を待っているようだ

何かお気づきの点がありましたら、ご一報下さいますようお願いいたします。  夕日子・●

* わたしには、こんな品のないねじまげたことは、幾ら何でも夕日子は書かないと思う。こういう頓狂な文体には、あああれだ、あれと似ていると、わたしの創作の中から想い当たる人があるだろう。
わたしは、夕日子が人に宛てて、それなりに落ち着いて書いている手紙などを読んでいる。小さい頃から何度も何度も文章の書き方を手を取るようにして教えてきたのだから、夕日子の調子はよく知っている。わたしの読者も大勢知っていて下さる。人は或る程度身につけた文体は、変えようにも簡単に変えられるモノでない。こういうバカげた駄文を書く人間はそうそういない。

* 不思議なモノで、ま、普通かややマシな、またかなりマシな文章に、書き手に知られず、数枚分の原稿用紙にたった十個所もそっと手を入れておくと、それだけでずいぶん作が立ってくる。力ある推敲とは、そういうことである。夕日子の書いてきたエッセイや小説まがいも、本人はまともに書いたと思っていても、細部にそういう手がこまかに入って、なんとなし立っていることに、本人は気づいていないだろうが。
文章は謙遜に書いた方がいい。力のあるモノを知った編集者に出会えば、なみのものでは、ひとたまりもないのだから。
2006 8・20 59

* 頼まれ原稿をじりじり書き進め、「MIXI」には『最上徳内』と『死なれて死なせて』を連載し、日なかには図書館に本をはこび、夕方には、自転車で、東大泉から石神井三宝寺池へ、そして新青梅街道を保谷新道まで走り、保谷新道を戻りながら郵便本局前で左折、尉殿神社前から斜めに、住吉町を通り抜けて帰った。最後の長い坂道を疾走して登っては降り、また疾走して登り、三度繰り返してから帰宅。体力はまだ有る。

* 「MIXI」に、わたしのアクセスは遮断しておいて、わたしに当てつけた怪文書が連続して出るらしい。知らせてくれる人が、「世にも不愉快極まる、これは男性の文ですね」と、送ってきてくれる。嗤ってしまう下品さであるが、なによりもよくまあこんなものを書くよと、信じがたい。夕日子がこんなものを書くだろうか。
なにより、亡くなった孫やす香が可哀想でならない。先日まで「★★夕日子・●」連名だったのが、今日漏れ聞いたものでは、「やす香親族一同」となっている。

* やす香親族の名を語り、このMIXI日記をやす香の名誉の蹂躙と遺族や病院の誹謗・中傷のために悪用する心無い人物が現れています(この人物は、かつてハラスメントを繰り返した挙句に、逆上してやす香とやす香ママに「生も死も含めた100%の義絶」を言い渡した男で、やす香親族ではありません。親族一同より「親族」の名を語るのを拒否されておりますのでご注意下さい)。
対抗手段として、現在、日記には著作権を設定しております。再公開は数日後になります。ご了承下さい。  やす香親族一同 2006年8月21日

* これまた喜劇である。じつに不出来の喜劇である。
2006 8・22 59

* 逃げない。
私が、なぜ「MIXI」に、自著『死なれて死なせて』を再録しているか、もし続けて読んでいて下さる方があれば、これが、マイミクシイを約束し合った「孫やす香の祖父」である私の、「悲哀の仕事= mourning work」であり、もう今はなにもかも自在に理解できる「やす香への呼びかけ」であることを、分かって下さるであろう。やす香も静かに聴き取って呉れているであろう。
私たちの悲しみは果てないのであるが、やす香のためにも、私たちは、残り少ない歳月とはいえ、しっかり眼をみひらき、毅然と生きて歩んで行かねばならない。
やす香をこれ以上悲しませても、また恥ずかしめてもならない。
どう生きるか。
古稀の関をくぐり抜けてきた、私は、それを思う。
やす香は、日記の中でも、ここぞという際の「痛い悔い」のように、自分は大事なときに「逃げて」事態を見据えなかった、闘わなかったという意味を漏らしている。真意は察するに由ないが、あの、我も人にも「笑い」を求めつづけたやす香が、時に突如として「号泣」して友人達を驚愕させたという。
やす香を、私たち祖父母と、叔父で作家の秦建日子とで最後に見舞ったのは、七月二十四日であった。
うとうとしているやす香を見守って、病室で私たち四人だけになったとき、やす香はふと眼をひらいて、私たちを認め、まずひと言を発した。
そのひと言を、息子建日子はこう聴き取っている、「逃げてばかりいて」と。祖母は手を「にぎって」と聴き取り、私はやはり息子と同じに「逃げてばかり」と聴き取った。
やす香はつづいてしっかり発語し、「生きているよ」「死んでないよ」と、私たちは聴いた。「そうだとも、やす香」と、私たちは声を揃えた。
その二日後に、「輸血停止」が「MIXI」に伝えられている。三日後母夕日子の誕生日に、心優しかったやす香は、大勢に、大勢に心から惜しまれて永逝した。

(小説家として人間の情理を多年読んできた私は、此処で書いておく。
夕日子は、おそらく自身の誕生日を「考え」に入れていただろう、と。自分の誕生日を、二度と「おめでとう」と思うまい、言われまい、と。それが、愛児を「死なせた」母の身を切る悔いと「悲哀の仕事=mourning work」とであったろう。もし当たっているなら、父も母も、娘夕日子とともに泣きたい。)

そう、大事なときに「逃げて」は、心行く「生」はつかめない。「逃げるが勝ち」という如才を一概に否定しないけれども、痛い悔いは、「逃げた」ために生じることが多い。
私たち祖父母は、愛する孫を「死なせた」悔いと咎を身に負いながら、決して老いの坂を、逃げない。
2006 8・23 59

* 「MIXI」の★★日記は、どっちにしても夫婦「合作」と読むしかないよ、わらってしまうねと、建日子。あれだけ大騒ぎしておいて、告訴・訴訟は保谷の「自作自演」とは、インテリジェンスはどうなっているのだろう。いずれにせよ夕日子に裁判などさせまいために、私たちは強い手をきっちり用意して抑止に努めた。
あんな幼稚に愚かしいことをトクトクと「MIXI」の公衆相手に遣っていたら、大学教授の地位も失いかねませんねと、法律事務所はそこまで心配しているが。
2006 8・23 59

* 『死なれて 死なせて』はしっかり、しっかり読んでいます。 「MIXI」でのコメント

* 「逃げない。」
『死なれて死なせて』しっかりと読ませて頂いております。
ただただ、それだけをお伝えしたく。
しっかり、しっかりと読みました。
貴方様はやす香さんのおじいやんです!!
ちゃんとおじいやんの気持ち感じます。
今は、どうぞご自身、そして奥様 お大切に。
どうかどうかご自愛下さいませ。      「MIXI」でのメッセージ

* 感謝。
2006 8・23 59

* 建日子作の「花嫁は、厄年!」観た。建日子の、また岩下志麻と篠原涼子のだから観ている。
わたしには、自作ながら『北の時代最上徳内』の達成感に心を惹かれる。蝦夷地と現代とを把握し得た「方法」と、細部にいたるまで「表現」のこまやかさ、つよさに、あの旅の懐かしさがこみあげる。地味な仕事だと思い思われてきたが、「天明蝦夷地検分」の歴史的な仔細をただ説明的にでなく、北海道や、見も知らぬクナシリ、エトロフ、ウルッブ、の風光や厳しい自然とともに、あたう限り想像力を駆使して書き取れているのが、我ながら面白い。
わたしの、この方法も文体も、オリジナルで、こういう行き方の作をわたしは他に知らない。長編小説『親指のマリア』『冬祭り』『みごもりの湖』『罪はわが前に』そして『北の時代最上徳内』のどれ一つも同じ手口でなく、それぞれの「方法」と「趣向」を貫いた。今、読み返しながら、何ともいえず「徳内さん」がわたしは好きだ。キム・ヤンジァも好きだ。

* 「MIXI」の『死なれて 死なせて』も三十回連載で終わる。
『徳内』も終われば、そして、やす香ももういないし、「MIXI」を撤退してしまうかどうか、迷っている。

* ホームページに掲載されている未定稿の小説『聖家族』を、必要あって、丁寧に読了した。場合によって出版を考える。
2006 8・24 59

* 信じられない下品さで、夕日子自身が、ミクシに新しい名前で、わが母親を嘲弄するような日記を、とくとくと書いていると人に報され、情けない限り。
書くなら、堂々と、われわれのアクセスを拒んだりしないで、オープンに書いたらいいだろう。そちらで拒めば「MIXI」の仕組みとして、当然此方へもアクセス出来なくなるのは公平な約束事である。
わたしは「MIXI」であろうと此のホームページであろうと、★★や夕日子達のアクセスをこっちから拒むような、卑屈な真似はしない。ソシアルネットで、人に読まれるのが約束事の場所で、引用すれば著作権を侵す物として法に訴えるの何のとタイソーに言っているが、「MIXI」の精神にも背いていないか。誰が読み、誰がコメントしても自然当然の建前なのに、居丈高なのはよそながら恥ずかしい。

* 「MIXI」でのやす香を思う「悲哀の仕事=mourning work」は、ちょうど三十回三十日かけて『死なれて死なせて』連載を終えた。もう「MIXI」で、やす香を思い出すことはあっても、★★★・夕日子との無意味な応酬は一切しない。夕日子のわたしに対する告訴・訴訟の愚をさせず、他方★★★とはとことん話し合うべく、弁護士の助言により裁判所に対し「民事調停」を申し入れ、受理された。遠吠えのように繰り返し告訴の訴訟のと無意味に喚かれつづけるより、踏み込んで向き合おうと思った。「逃げない」と謂う意義であり、第一回、九月の調停日ももう通達される。「聖家族」の髑髏を戸棚から引きずり出すのである。
2006 8・25 59

* 以前NHKラジオで四回に分けて話した『日本語で「書く」こと「話す」こと』を「MIXI」に四回分載することにした。

* 八月はもう五日しかない。つらい七月、イヤな八月だった。あます四日五日、すこし寛ぎたい。
2006 8・26 59

* 「MIXI」に、新しく『漱石「こころ」の問題』を連載し始めた。自転車にも乗らず、終日仕事していた。八月、尽。
2006 8・31 59

* 「MIXI」では、『最上徳内北の時代』がもう一日二日で連載を終える。『日本を読む』『青春短歌大学』『死なれて死なせて』などを連載し終えてきた。今は『漱石「心」の問題』を毎日送りだしている。
少しずつ、「MIXI」ならではの読者が新たにあれば、作品が喜ぶ。
2006 9・2 60

* 「MIXI」での『最上徳内北の時代』連載を、ほぼ三ヶ月かけて終えた。これには、つらい、寂しい夏をずいぶん励まされ、慰められた。徳内という日本人がわたしは好き。作中で出逢ったキム・ヤンジァも大好き。久しぶりに読み返してみて、誇らしい気がしている。書けてよかった。大多数は、ダメ。少数の優れた読者の前に胸をはって提出できる。 2006 9・3 60

* 「MIXI」の連載は、「新潮」に載せた「漱石作『こころ』の心見」も終えた。小説は太宰賞の事実上の受賞第一作になった『秘色(ひそく)』を連載し始めた。校正を兼ねながらである。懐かしい。
2006 9・4 60

* こんなメールが「MIXI」の運営事務局から届いた。湖・秦恒平

* mixi運営事務局です。突然のご連絡失礼いたします。
このたび、お客様のご登録内容について、他のお客様より複数のご指摘がございました。こちらで確認させていただきましたところ、「秦恒平」様であるとお名前をご使用になっており、日記内においても本人として発言をなさっておりますが、ご本人でいらっしゃいますでしょうか。
また、日記の内容は以下サイトの転載であることを確認いたしております。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/home.htm
無断で転載や名前を騙っている場合、法令に違反し名誉毀損や肖像権の侵害等にあたる可能性がございます。転載の許可やご本人であることを証明できるものがあれば、ご提示いただければと思います。(書類でも結構です)
なお、以下の期日までにご連絡、ご対応いただけない場合は、ご使用中のアカウントを運営事務局にて削除させていただきますので、あらかじめご了承くださいますようお願い申し上げます。
■期日 2006年9月8日 午前10時

* 「湖」のプロフィールには、きちんと秦恒平であることが明示してある。「湖」という名乗りが「秦恒平」の代名詞のような「秦恒平・湖の本」に由来することは、私の読者ばかりでなく、文壇でも、文化界でも広く知られている。二月以来の私の連載はもう数多いが、すべて私・秦恒平の作品であることも知られている。
「MIXI」をやめることは、私には何でもないが、私に「秦恒平」という名で「MIXI」へモノを書かれると、よほどイヤな人、都合の悪い人がいるということか。
私「湖」が、作家秦恒平であることは、マイミクシイの、ことに、「はたぼう」氏が誰よりもよく知っている。息子秦建日子なのだから。「木漏れ日」の★★ 夕日子もよく知っている、私の娘なのだから。
潮時であるのだろうか、「MIXI」などおやめなさいという。
私の方角へ「悪声」をとばしているらしい「一団」のあるらしいことは、風の噂に察しているが、わたしは、そんなものを耳朶にも歯牙にもかけていない、見ようとも聴こうともしていないが、「困った人達」は、どこにもいる。
2006 9・6 60

* こんばんは。今日の「闇に言い置く 私語の刻」を拝読しましたが、あまりにも酷(ひど)いことで驚いています。
秦先生ご自身の意志でならばまだしも、他の人の、悪意によってmixiをやめられるようなことになるのは、納得がいきません。
よけいなお世話になるかもしれませんが、mixiの運営者に秦先生ご自身であることを伝えるメールを送ろうと考えています。
こんな酷いこと、まかり通ってほしくありません。    昴

* 同じようなことを、作家の朝松健さんもコメントされている。何が、どこで、どう行われているのか、分からない。考えようでは、おもしろいハナシである。
2006 9・6 60

* 「MIXI」の事務局から、失礼を謝ってきていた。
2006 9・7 60

* 暁どころかお午すぎまで「つつがなく」寝入っていた。一両日の疲れが出たか、リラックスしているのか。明日からの十日ほどは、いろいろなことがある。委員会も理事会もあるし、最初の「民事調停」もある。
★★も夕日子もヘンな取り巻きもあれだけ騒ぎ立てながら、当然ながら告訴も訴訟も、ようしなかったらしいのは、(してみたものの受理されなかったかも知れないが。)空騒ぎに終えたのは、だれより夕日子のためによかった。まだ「MIXI」をつかって、ぷすぷす品のない悪声を燻らせつづけていると、風の便りに耳にせぬではないが、妻も私も呆れたまま、耳を洗って近づかない気でいたが。

* 「MIXI」に紹介されたとき、真っ先に思ったのは、その「場」が、わたしの執筆の「場」に成りうるだろうか、という期待だった。「場」があり、日から日へうつるならば、一度書き出せば、書き継がねばならない。そのためには、むしろ易しい仕事よりも、ぜひ手を付けたい仕事が良いなと思った。
それで、「いわゆる日記」は書かず、いきなり「静かな心のために」という無謀なほど難しい連載の仕事に取り組んでみた。取り組んで良かったと思っている、大きい、これからの仕事の、ま、手慣らしが、一里塚が出来た。
2006 9・10 60

* 今更らしく繰り返すのもナンだが、わたしには、自分の代名詞のような、『秦恒平・湖(うみ)の本』という、創作とエッセイとで、満二十年、八十八巻にもなり、なお継続してゆく「私版の全集」がある。
明治期に島崎藤村が四冊『緑陰叢書』をつくって、有名な『破戒』『春』などを私版で世に問うたことは知られているが、現役の作家が自身の作を、二十年に亘り、九十、百巻にも及ぼうほど自力で国内外に出版し続けている例は、わたし以外に無いと思っている。
趣味的な仕事ではとても、こうは、続かない。作品の質と量とに導かれて、しかも本づくりの技術がなければ出来ない。また制作費を回収できる程度に売れないと、続けられるワケがない。
しかし、この仕事は所詮営利のためには成り立たない。現にわたしは、愛読者に支えられながら、しかも文化各界の知名人や大学の研究室・図書館へ、惜しみなく「湖の本」を寄贈している。買って貰えればむろん助かるけれど、それ以上に、作品を作者から読者へ送り届けることに意味を置いている。それで二十年通してきた。
そういう考え方だから、一度そうして送りだした作品は、例えば「MIXI」であれ、わたしのホームページであれ、無償で公開し続けることに何の物惜しみももっていない。もし商売として売ろうというのなら、作品を出すわけがない。作品は出し惜しみしながら「広告」し「宣伝」して、買って欲しいと頼むだろう、が、「MIXI」でも、わたしは、ひたすら作品を惜しみなく「よく校正して、無償公開」しているのである。あたらしい読者が一人でも二人でも知らぬまに出来ていたら有り難く、たとえそれが期待できなくても、実は「紙の本」からスキャナにかけた誤記の多い原稿を、しっかり校正できる「機会」には成ってくれる。
間違いの少ない本文を創りながら、ついでにみなさんに公開している、それだけのことである。

* 秦恒平というヤツは、「MIXI」で「湖の本」を売って、売りつけて商売しているという「悪声」が、「MIXI」事務局の方へ届いているらしいが、本文を無償公開していてどうして商売になるものか、どうか、そんな魔法があるなら伝授ねがいたい。
すでに「MIXI」に連載した『北の時代最上徳内』は三巻、『日本を読む』は二巻、『死なれて死なせて』も『青春短歌大学』も各一巻なら、今も続けている『漱石「心」の問題』も『秘色』も、みな「湖の本」作品であり、「あとがき」も添えてあるから、プリントされれば、そのまま「本」の内容は、校正済みで完備している。
「MIXI」は、わたし自身のこれまで触れてきた読者世界からは、とびきり異色の不特定多数世界であるだけに、そんな中へ自作を惜しげなく投げ込んでゆくことに、わたしは、それなりのスリルと喜びを感じている。まれに本が欲しいという人には、喜んで差し上げてもいるほど。
もともと「MIXI」では、送り先や宛先は知れない約束のはず。
むしろ、「書きたい」「書きたい」ひとたちに、わたしは、「MIXI」に作品を書けばいいじゃないですかと言いたい。人目にさらしてこそ作品は、創作は、鍛えられるはず。
この作品はどうだこうだと批評されるのは歓迎だが、商売をしている、けしからんと事務局へ言い付けに行くとは、どんな神経をしているのか、なさけないことを言うてくれるものだ。

* 幸いなことに、わたしをとらえて放さない魅力の世界は、幾らでもある。人、事、物。着物、持ち物への執着はほとんどない、ま、食べ物・飲み物は相変わらず好きで、量はいけないが、まだぞんぶん楽しめる。「事」は、求めて拡げないけれども、いろいろある。読書も観劇も、出逢いもある。旅が出来ればどんなにいいかと思うけれど。
2006 9・10 60

* 或る、わたしよりずっと高齢のヒトの電話を昨日うけた。数十年の「日記」が溜まっていて、どうにか成らないだろうかと。それが貴重な内容に溢れているだろう事をわたしはすぐ察知できた。いささかの猶予もなくそれは電子化を急がれますようにと奨めた、その人にはそれをする技術はないが、それをさせる資金はあるだろう。
以前、電子メディアの方の達人に、アドヴァイスをもらったとき、一にも二にも御作を電子化しておかれるように奨めますと言われた。わたしは瞬時にその意義を理解した。以来実行してきたが、ねまだまだ全部には遠く及ばないでいる。紙に書かれたまま、将来に伝えられることは、この時代不可能と考えていた方がいい。紙は劣化するし、手書きの字は、いつか書いた当人にも判読できなくなる。
この一人の代表的な知識人でジャーナリストの山のような日記帖も、危うい瀬戸際にある。京都へ来て、実物を見て欲しいと何度も頼まれているのだが。
2006 9・14 60

* 「MIXI」の値の付かないほどの株式上場の報道に、ビックリした。「やす香ママ」の「MIXI」での日記、イヤになってきましたとやす香の友人が書いているのを読んだ。わたしのおそれているのは、それだ。
夕日子がこれまで地元や身近でたぶん受けていたであろう、それがたとえ浅いものであろうとも、敬意や評判を、みずからうしない地金を露わにしてしまう、そんな真似だけはしないでいて欲しかった。
アランという哲学者に、ヒトは、素裸でこそ自分自身であるのか、衣裳を身につけていてこそ自分自身であるか、という問いかけがあった。大学生の頃にその問いかけに応えようと試みたことがある。その後も、何かの場合にはそれを問い直し答え直す機会が何度もあった。夕日子も、問い直して欲しい。

* あけの四時だ。すこし寝直してきたい。明日は、つまり今日は、久しぶりにペンの理事会。
2006 9・14 60

* 「MIXI」に太宰賞受賞第一昨だった小説『秘色(ひそく)』を校正して全編連載を終えた。評論は『漱石「心」の問題』を全編連載し終えて、いま講演集『私の私。知識人の言葉と責任』の「私の私」から新連載をはじめている。小説はひきつづき同じ一冊におさめてある短篇『三輪山』を掲載しておく。わたしの過去の作品は、パブリックドメイン(公共財)なみに無償公開してもいい。読んで下さる方に読んでもらえれば作品は満たされる。作者もそれでいい。
2006 9・17 60

* 二十九日三時から四時まで表参道ちかくで、新しい電子メディア・ツールの説明を受ける。そのあと、うまくすれば柳君達と逢えるといいが。三十日夕刻以降に、妻と会食に招かれている。
2006 9・19 60

* ホームページの「転送が不可能」になっている。手元でホームページに書き込むことには問題ない。他のインターネットもまともに稼働している。
ところが、昨夜遅くまで何の問題もなかった ホームページ転送が「接続」しない。「正しいパスワードを入れよ」と言うが、パスワードなど、久しく固定したまま触ったことがない。念のためホームページ契約のパスワードを正確に入れてみるが、何度やっても「パスワードが違う」という。
何としても、いま、ホームページが動かないとどうにもならない時期なので、困惑している。

* 第一回の調停には、★★は二人で出席し、弁護士はついていなかったという。大量の書き物を提出してきたが、内容は「むかつく」ほど過激極まるものだという話。まだ告訴だ訴訟だと言うているらしい、わたしたちは、まだ何も見ていない。

* ホームページのことで、電子メディアのプロに問い合わせた。
状況から見て、機械的な故障以外に考えられる唯一は、悪質な悪意の中傷をプロバイダというのかサーバーというのか、とにかく大元がそれを鵜呑みにし、全部削除したとしか考えにくい、と。
ふつうは数日前にメール予告してくるはずだが、しなくてもいい約款になっていると。そんな予告は一度も受けていない。
法律事務所に連絡し、厳重に対応して欲しいと深夜ながら連絡。
心配するメールが続々。
「MIXI」には予想以上に鳴りをひそめながらも関連記事を覗いている知人達の多いのは分かっているので、「MIXI」日記で、わたしのホームページに何らかの「悪質な妨害」が入って「潰された可能性」があるむね、通報した。

* 「闇に言い置く 私語の刻」を、暫定、「MIXI」日記に移管する。
2006 9・20 60

* 心配し懸念する声がぞくぞくと。

* 萩焼  6.9.20 21:43 バド(ミントン)の後、北の丸公園で「三輪寿雪の世界」を観てきました。これまで持っていた萩焼のイメージを覆す豪壮な、そしてはんなりとした品のある色合いの数多くの作品に出会えて満足し、初秋の北の丸公園を少し散策しました。
先ほど「私語」を開きましたが繋がりません。こちらに不備があるようでもなく、どうかしたかと案じています。お返事下さい。
一日が一週間が一月が慌ただしく過ぎていきます。元職場や同窓からの古稀を祝う会のお知らせが幾つか届いています。嬉しいよりも一抹の寂しさを感じています。 泉

* 慌てふためいて、あちこち検索していますが、出てきません。
何か、異変があったのですね。
勘三郎のこと、薄井八代子さん(「ペン電子文藝館」に力作『お止橋』を出稿の会員)のこと、お茶のこと、「磬子」(私の母と同じです)という名前(小説『慈子』登場人物)のこと・・・。
いっぱいいっぱい聞いていただきたいことがあります。
他の人のHPから、先生に関連の項目を抜き出して読みつつ、先生や、先生のお仕事の大きさを改めてかみしめました。
時々刻々、先生とともにあることを体感していた、その場所が不意になくなり、ネットの迷子になっています。
早く、自分のあるべき場所にたどり着かせてください。
お体どうぞご自愛くださいますよう。  讃岐

* 「MIXI」に「木漏れ日=夕日子」の「足あと」が来ている。初めてだろう。へんな名前で怪しげな名乗りは他にも見つけているが、わたしの方からは、夕日子が「MIXI」で何を書いていたか一度も読めていない、アクセスを拒絶されているから。憤激したわたしの読者から伝えられて読んだだけ、全部かどうかは分からない。
「不正なアクセス」をしかけているなどと夕日子は書いていたらしいけれど、「MIXI」の作法にしたがい何方も読まれているはずで、わたしは埒外。
ひとのアクセスを拒絶しておいて、物陰で「二十年間虐待されハラスメントを受け続けていた」などと「悪声」を放ち続けている★★夫妻のむちゃくちゃぶりに、わたしは汚物を踏んづけた不快な気がする。
しかし、その夕日子がわたしのところへ「足あと」をつけてくれたとは、嬉しいではないか。「虐待」「ハラスメント」が既に「七歳」から始まったと彼女の言う、その「八歳」の昔、わたしのカメラに真向かった、みるから可愛い夕日子の自然な笑顔、また結婚後も父と同行して旅を楽しんでいた自然なご機嫌の笑顔や身ごなしを、ゆっくり自分の目で眺めて、いま現在の「行い」をよっく顧みて貰いたい。
わたしは、これらの写真を眺めて、しみじみと心癒され慰められている。皮肉な話、この頃の不愉快な日々の一の慰めや嬉しさが、娘のこれらの写真をながめることだとは、ね。だが、これらが、わたしのいつわりない娘夕日子だった。何枚も何十枚もの写真はなにも偽らない。

* ああ、おどろいた。
やはりホームページは「誰かがBIGLOBEあてに申し出」、「BIGLOBEで鵜呑みに削除していた」ことが、判明した。法律事務所が連絡し、わたしへBIGLOBEのサポートセンターから電話が来たが、説明にも何もならない、電話口の自分は何も知らない、専門部署がしていることで、返辞をさせますとだけ。
わたしに、事前にも事後にも通知したはずと言うが、何一つそんな連絡は来ていないのである。
わたしのホームページは昨日や今日のものではないし、その量も厖大で、わたし以外の人の原稿も沢山入っている。何の確認もせず、全部を闇に葬ってしまうというこの暴挙・暴行には呆れる。
削除要求が誰から来たか、知らないという以上なにも今は言わないが、法律事務所が追究する。

* BIGLOBEからはじめて、本当に初めてメールが来て、やす香の病状経過を表している「MIXI」日記を引用しているのは著作権違反なので、わたしのホームページ全部を削除したむね、通知してきた。
なんと無断でバッサリである。
やす香の件(くだん)の日記は「MIXI」のやす香全日記の一割量にも遙かに及ばない。しかも、その部分こそ、わたしを告訴の訴訟のと迫っていた件の「最有力の反証内容」になる部分であり、★★両親がいちばん触れられたくない部分なのは明らか。半年間やす香から家族が「目を離していた」まさにやす香自身の慨嘆であり、またそれあるがゆえに「死なせた は 殺した」だと言いがかって彼等が見当違いに激昂した問題点なのである。告訴や訴訟や誹謗の悪攻撃から身を守るために、私たちにはやす香の『病悩日記』はぜひ必要になってしまった。
またその分量からして、わたしのホームページの全量は万倍以上になるはずた。しかもそれはわたしの文藝作品であり主催する文藝雑誌である。何の通達も無しに無断でいきなり削除がゆるされることか、と言いたい。

* 全く、内情を知らない者からみれば、プロバイダーがユーザーの承認を得ず、カヤの外に置いて、抹殺してしまえるものなのか、不可解です。wwwの不気味な部分ですね。
昨日も、たった二万円の資本で五億円もの大金をネット株で懐に転がせた青年の話が話題に上り、ナンジャコリャ、汗水たらす並のサラリーマンはどうなるのよ、ややこしい世の中になったわね、と今の世についていけない老女たちで嘆いていました。
インターネットから手軽に得られる過剰な情報を、賢く選択出来ない人が増えれば、この世の行く末が恐ろしくなります。
mixi等のブログも、顔を合わせば云えない話が出来るからと、株式に上場する程に賑わっていますが、人は顔を逢わせてこそ本音が分かるのです。インターネットやメールだけのお付き合いなんて、真実の真実は汲み取れません。
一日も欠かさず長く続いたH・Pの「私語」、早い復帰を待ちます。
サイクリングに良い気候になってきましたね。今日は何処を走っているのでしょう。
明日は下谷へお墓参りです。  泉

* 遠距離の人はともかく、身を働かせば顔の合う同士が、メールのケイタイのと過剰なまで中毒しているのは、精神の衰弱以外の何ものでもないのは明らか。電子の杖をはたらかせて有効なのは老人。若い人達に電子メディアの濫用は、どう考えてもクスリにはならない。
やす香にもしあの半年、メールやケイタイが無かったら、もっと悲惨だったろうか。もっともっと早くに、肉声で、身のそばの家族に、「ママたすけて」「パパたすけて」と声を掛けなかったろうか。
あの、家族みんなの留守に、苦痛をこらえ階段をおりて冷蔵庫のジュースをとりにゆく…、あの日記の悲惨さ、読んでいても目を覆いたかったと先日も友人の口から聴かされ、わたしは思わず泪をのんだ。
何が、何が、何がこの九ヶ月、本当に大事だったのか。あんな苦境から一日も早くやす香を救い出すことであったはずだ。そのあとの総ては、どんな綺麗事もつまり言い訳ではないか。
おじいやんのホームページを葬り去り、まみいを悲しさで絶句させれば、あの優しいやす香が「パパ、ママ、よくやった、よくやったわね」と、褒めてくれるのか。

* ホームページが表示されなくなって驚きました。卒業生君の指摘のように考えるのが自然です。
mixiにコメントしましたように、ホームページには繋がります。コンテンツを強制削除して、トップページ(index.html)を入れ替えて単に「ページが見つかりません」と嘘を表示しています。
biglobeと言えども、ネットの法的なことについては素人であることを露呈し、どう対応していいのか全くわかっていず、その場しのぎをやって誤魔化しているのでしょう。ネットの脆弱性を示しています。
すでに法律の専門家に対応をお願いしているとのことですから、その専門家のアドバイスに安心してまかせられたら良いと思います。
しかし調停と時期を同じくした思わぬ展開に、こういうこともあるのかと言う気がします。
何のお力添えもできませんが、このメールが少しでもお気持ちの平穏に役立てばと思います。  ペン会員

* 適切な抗議の通告書をBIGLOBE社長宛、書いてもらった。内容に異存ない。わたしからは、メールで担当者宛てに電送した。
いまホームページの全容を分かるように表紙部分だけでもとプリントし始めたが、途方もない量になっていて、ほんの主要部分だけで割愛した。
やがて建日子のドラマの最終回、これは見逃したくない。建日子はいま下北沢でまた芝居の公演中。明日はムリだが、明後日には観てやりたい、観て欲しいらしいし。

* 「MIXI」で文学を話し合っている若い(らしい)人たち。いっしょに話したいと思う。イヤなことに追いかけられている。わたしのところへ、今も「思香」が「足あと」を残す。ほんとうにやす香だったらどんなに、おじいやんは嬉しいだろう。だが、やす香はいまもわたしの肩に来ている。いま「MIXI」の「思香」とは「生きた化け物」である。きもちがわるい。
2006 9・21 60

* 脳裏に悪意と卑劣の毒気に居座られないよう、いくつか親切なメールを静かに読み、耳も眼も洗いたい。
三時から六時まで、法律事務所で打ち合わせ。所長と少壮弁護士とじっくり懇談。だが人間の気稟は、「法」では所詮どうにもならないのだと思う。法のことは弁護士に任せ、わたしはわたしの既に決意している「書き手の道」を、決然歩む。

* 「MIXI」で、こんな「声」を聴く。おゆるし頂いて一つの声援として励まされたい。

* 秦さま  京都の中君です。 「私語の刻」を読み進めています。
HPの削除のこと、驚きと不信の気持ちで読みました。
最近での日課は「私語の刻」を読むこと、でした。八月最初のころHPを閉鎖されるかも・・・という時に、過去分をすべてワードにコピペして、少しずつプリントアウトして読んでいるのです。
「言い置かれて」いることに、いちいち会話しています。(一方的にしゃべることを会話というのは変ですけど。)
このひと月ずっと、秦さんに向かってしゃべりながら読んでいるので、本当に少しずつしか読めません。
お能のことはさっぱりわからないし、読めない漢字もたくさんあって、自分の不勉強が恥ずかしくなっています。
今は2000年9月のところを読んでいます。
思い立って、古典『夜の寝覚』を借りて読もうとしております。さて、古文の素養のない私にどこまで読めるかわからへんのですけど、ちょっとチャレンジ。
2000年8月のところに杉本秀太郎さんのお名前がありましたね。私が秦さんの『清経入水』から「湖(うみ)の本」を読むようになったのも、杉本さんのお名前が「あとがき」にあったからです。手に取るきっかけを杉本さんが作ってくださいましたので、秘かに感謝しています。
娘さんご夫妻とのあれこれは、片方に寄らず出来るだけ冷静に読もうとしてきました。ですから今までもコメントはできませんでした。
mixiでは「思香」さんの「日記」は友人までの公開、「木洩れ日」さんのは友人の友人まで公開となっていますので、現在は私からは読めない状態です。
いつでしたか、数時間ごとに「自称文筆業」の方を非難されている日記が更新されたときは、これは常軌を逸しているなぁと、更新されるたびにコピーして置いてあります。どなたかも書いてらしたけど、男性の文章だったように思いました。
大学の先生の割には幼いなぁと思ったんですけど(笑)
これでは誰の共感も得られないんちゃうやろか? と。
ちょっとこの先生、ヤバイな、実は追い詰められてはんのか? とか、いろいろ考えてしまいました。
いい大人の書くメールじゃないんですけど、私の言葉で思ったまま書くと、こんな感じになってしまいます。
mixiの日記を転載されたことが著作権違反になるから一気にページそのものを「全削除」というのも、かなりの驚きですね。
ネットでの著作権違反は深くて、考えるとますますわからなくなってしまいますが、著作権違反は親告罪なのでまずは当事者に通告をするのが当たり前のはずではないのでしょうか?
「大学の先生」に言われたからばっさりいってしまった、なんてまさかまさかの話ではないでしょうね?
そんな風に失礼な当て推量してしまうのも、「日記の非公開」が原因なんだろうなと思います。
日記を非公開にされるのはご自分の自由なのでしょうが、秦さんのHPに不満、文句があるのなら、事実と違うと言うのなら、陰でこそこそして (いや、がなりたてて) いないで、万人の目にさらされることをお勧めしたいですね。
ごめんなさい、なんだかとりとめも無く、ぐちゃぐちゃに書きなぐってしまいました。
次回のメールでは湖の本の購読をお願いしたいと思っています。
ユーロが強くなって外貨貯蓄ですこーしですが儲かりましたので、その分を使いたいと思っています。
それでは。 中君

* 長い長い、しかしじつに深切を極めて、ものを観た、感じたね考えた、そしてわたしを、わたしの家族を案じてくれるメールが届いていた。いま此処に紹介している、もう今日はわたしに、体力がない。しかし今わたしの考えている、今日も弁護士さんたちと話していた際の秘かな思いに、ぴたっと重なる意見もあり、真っ向異なる意見もあったけれど、一つ一つにある種の「凄み」を感じた。この凄みはまったくの称賛である。ながくてご迷惑どころではなかった。

* 建日子の芝居も、今回は両親とも休ませてもらうことにした。その建日子が電話をくれた。その話がわたしを元気づけてくれた。それは、書かない。

* 一昨日は気がつかなかった彼岸花がいっせいに茎を伸ばして咲き始めました。
HPが読めない状況,気になります。 鳶

* 今日も爽やかに晴れています。
ホームページが見られませんが、機械の不都合ならよいのですが。体調でも崩されておられるのかと心配しています。
今日は誕生日、67歳になりました。
萩の寺もそろそろ見頃でしょうか。明日お参りに行ってきます。
お元気でお過ごしのことと願っています。  のばら 従妹

* どなたかから、HP送信のいい解決法が届きましたか。もしまだなら、プロバイダへのメール問い合わせをおすすめします。とにかく、何らかの手段を伝授してくれるはずです。お忙しいでしょうが、簡単ですから、ちょっと送ってみてはいかがでしょう。
まだまだ暑いですね。
湿度が下がってきたので、窓を開けるのですが、何かの花粉が入ってくるみたいで、咳き込みます。
焦らず、けれど、風に早くお逢いしたいなあ、と想っています。 花

* 先の日曜日、毎回楽しみにしているKBS京都制作の15分番組で久多の松上げと花笠踊を紹介していまして、その上、志古淵神社も映ったのには思わず声が出ました。
短編集『修羅』に出てきますでしょう。行ってみたいと思いながら夜の久多へひとりは心細くて実現しませんの。
他の機会と併せて行った、祭り準備も始まらない真昼の花背八桝と祭り翌日の雲ヶ畑で目にした景色を重ね合わせ、この早春、お水取りの神事を特集した奈良のタウン誌で見つけた小川光三さんの写真と記事、白洲正子さんの文で、わずかずつ想像を膨らませていましたが、画面から受ける感じでは久多の景色や景気はさほど観光化して
いない感じで、鞍馬の火祭りと、京で体験した地蔵盆の夕暮れとを足した印象をもちました。一面火の海になる迫力は想像以上でしたわ。
灯籠木がお水取りの籠松明そっくりで、お水取りや鵜の瀬の景色を思い出しました。
いまも小浜市、名田庄村、美山町あわせて10ヶ所。京都市内では雲ヶ畑、久多、広河原、八桝で行なわれているそうです。
3/2のお水送り、8/15.23.24の松上げ、10/22鞍馬の火祭り、岩倉の石座神社の松明を使う祭り、2/15南山城湧出宮の居籠り祭初日の行事、2/12の島ケ原正月堂の達陀と3/12に汲む二月堂若狭井。小川さんは若狭から大和へ文化が伝わった足跡と書いてらしたけれど、雀は7/14の那智の火祭りまでつなげて想いたい。
愛宕神社はミヅハノメノカミの次にうまれたワクムスビノカミとイザナミを本宮に、雷神とカグツチノカミを若宮に祭り、現在西山の金蔵寺に預けられている愛宕権現勝軍地蔵は幽冥界と現世の境に立つ菩薩だそうですね。
若狭湾から那智勝浦へ龍がのびて、愛宕と花の窟(いわや)がつながりますでしょう。
花の窟秋の神事が来月2日と迫ってきました。丸く白い石に寄せてかえす波音が、そうよそうよというように耳の奥によみがえって誘っています。  囀雀

* こういうメールに触れていると、こんな静かな人もいて、一方には下劣な画策で人を苦しめ舌なめずりしているようなのもいる。
人の世は、あれもあり、しかしこんなのもある。おもしろや、人の世。

ただ人はなさけあれ 花のうへなる露の世に

* 小金井公園は、車でも自転車でも比較的近い(といっても二、三十分)ので、お昼弁当とビニールシートを携え、孫守り(実は孫に遊んでもらっているのかも)を兼ねてちょくちょく出かけます。これも幼稚園までですが。
今はコスモスの群生するあたりが綺麗かも。一度は郷土館にも入ってみては(必要があれば、洗面所は無料区域で清潔!)。お奨めデース。
去年からの中日を避けてのお墓参りは、正解。程よい気候。
ごく近くの中華のお店も楽しみで、ウエイターのサービスよく、美味しいのでお気に入りの店です。
朝、物干しから今日開いたばかりの沢山の真っ白い花に交って、二、三輪の濃紅に酔いのまわった昨日の酔芙蓉を眼の下に観て、胸キュンになりました。ほんまにうっとりとさせる、佳い花。下からでもなく横からでもなく、上から見下ろすのがいい、と毎年変わらず、モノ想う心は後退していないようです。
「私語」を読めないのは、山葵の利かないお寿司みたい。  泉

* 「MIXI」日記にいくつもコメントが寄せられている中で、今日、一人夕日子の友達らしい男性からのものがあり、まじめに返辞しておいた。そのあとは、まだ見ていない。もう今夜は疲れ切っている。小説の新連載も講演のつづきも、今日は終えなかった。小説には、夕日子の登場する長編を連載してみようかと思っている。
2006 9・22 60

* また新たに、長編小説『罪はわが前に』を連載し始めた。いままさに父のホームページを全滅させた当人が、小説では、早々に六年生の元気なあどけない少女の横顔を見せる。筑摩書房の書き下ろし。この表題、覚えている人は『三四郎』を思い出すだろう、が、もっと遠くはバイブルの「詩編」のもの。
また講演は「マスコミと文学」を副題「あなた自身の問題として」連載し始めた。ちょっと歴史的な証言に身ぶるいされるだろう、この講演では時代も私自身も、まだパソコンをまるで「意識していない」のである、その頃の文学とマスコミとを証言している。
2006 9・24 60

* 東京地裁はホームページの一方的「無断削除事件」を重く見て、専門部「著作権」で審訊することにしたようである。
2006 9・25 60

* 秦 恒平さま ご挨拶申し上げます。   マルデン
初めまして。私はハンドルネームをマルデン、本名は***と申します。
つい最近、友人に誘われてこのmixiに入り、そこで始めて書いた日記に、秦さんのホームページを友達たちに薦めるつもりで、リンクさせて頂いておりました。この件、遅くなりましたが、勝手な事で失礼いたしました。
さて昨日、“三輪山”で日記を検索していましたら、秦さんをmixiで発見し驚いていたのも束の間、今日、日記を少し詳しく拝見していたら、ホームページが閉鎖されてしまった旨を知り、衝撃でした。
自分は文学の熱心な読者という訳ではありませんが、あのページには真摯なご姿勢と熱意を感じておりました。
たまたま興味を持った大神神社の三輪山について調べていた際、『神奈備大神三輪明神』三輪山文化研究会編(東方出版)という本で、小説『三輪山』が紹介されており、ネットで検索し、行き着いたのです。
誠に残念な状況ですが、また復活される事を願っております。書かれておられる日記なども、まだ読み切れておりませんので、詳しい事情など何も分からないまま、取り急ぎ、応援のエールをお送りしたく、メッセージさせて頂きました。
突然に、大変失礼いたしました。お身体にお気をつけてお過ごし下さい。
追伸 私の日記で、mixiでの小説『三輪山』へリンクさせて頂きたいと思っていますが、よろしいでしょうか?もし問題ございましたらお知らせ下さい。万一掲載後でも、その旨お伝え頂けましたら、直ぐに削除いたします。よろしくお願い申し上げます。

* 有りがたいこと。こういう読者たちに助けられている。
自分の過去の仕事のおおかたを、私は、もう半ばは「パブリック・ドメイン=公共財」に準じて考えているので、ことに「MIXI」に公開した過去作品のすでに「湖の本」に入っているモノは、ご自由に読んで下されば好い。リンクもご自由に。
但しまだ著作権はあり、勝手に商品化するのはお断りする。まだ売れているので。
2006 9・25 60

* 例年のメール年賀状を少なくも、文化各界、新聞・出版・編集、大学、読者、知人など少なくも五百人には送っている。そういう方達だけでも、ホームページの無道な消失について報せておかないといけないのではないか、と、文案を弁護士にチェックしてもらっている。
2006 9・26 60

* ホームページ消失への問い合わせや不審がぞくぞくと毎日届いている。
「MIXI」以外の読者には、まだ何も伝えていない、が、法律事務所も、やはり挨拶はしておいた方が良いと認めているので、用意の文面を先ず見てもらった。
メールアドレスのある先に、一斉に「同報」で事情を説明することにする。マスコミや文化各界や大学・施設等にひろく及ぶのでどんな波紋が起きるか分からないが。どう考えても、確認も取らないでの一切合財の一方的削除は、むちゃくちゃである。何故そんなことになったか、コトの発端にも触れざるをえない。

* はじめまして  見知らぬ「足あと」誰かと思われたでしょうね。
建日子さんのドラマが好きで、ブログをずっと拝見していました。
やす香さんの病気のことを知り、やす香さんの「mixi」を亡くなられるまで見守らせて頂きました。どうにも気になって陰から病気が回復されるのをお祈りしていましたが、20歳になる前に亡くなられ さぞかし無念だったでしょうね。
その後「湖」様のホームページも拝見させていただいていましたので、突然「見当たりません」のメッセージには驚いてしまいました。
お父様の本心が素直に娘さんに伝わりますよう お祈り申し上げます。
部外者ですが、お父様を応援いたしております。  不二

* 「足あと」とは「MIXI」用語。記事などを覗きに、読みに、きた人のニックネームとコレまでの総人数が記録される。二月十四日に加入して以来、二月三月は数えるほどもなかったが、今見ると「七千人」に手が届いている。毎日鰻登りに増えている。連載の小説とエッセイと、そして日録「闇に言い置く私語の刻」を、ホームページ事件を機に此処へ移転させた、それが読まれている。

* こんばんは ホームページ閉じてしまわれたのでしょうか。メールは届くのでしょうか。
こちらは毎日秋晴れの気持ちのよいお天気です。常林寺さんも萩が咲き乱れていました。十一月になれば、又、娘の所へ行きたいと思っています。
お元気でお過ごしでしょうか。  のばら 従妹
2006 9・27 60

* ぞくぞくとホームページの消滅に怒りの声や提案が来るが、みな此処へ書き込むことは出来ない。心知った人の分だけ、参考までに。

*  >>> こういう時節に、上のようなBIGLOBEの処置は、遺憾余りあります。ユーザーへの親切の為にも、当然もっと確実な「電話」確認や、「郵便」文書による確認を以て、「ユーザーの正確な意思決定」を手に入れて為すべきが、理の当然でありましょう、
インターネットの専門家でなくとも、少しは知識があればインターネットメールが送信先に確実に到達する通信手段でないことは理解できることであり、到達する保証がないことは世間の常識です。
こともあろうに、プロバイダー(ISP)を標榜するbiglobeが、biglobe ドメインのメールアドレスに通知したから、それでもって相手が承諾したとみなすことは極めて身勝手な論理と言えます。
ホームページのコンテンツを削除するという極めて重要な案件では、電話もしくは文書によって確認するのが世間の良識と考えます。
弁護士事務所は、著作権侵害に対してはもちろんですが、この無謀な意思確認の方法を攻めるべきでしょうし、そうするものと信じます。
この程度の対応しかできなかったbiglobeはさっさと、プロバイダー事業から撤退するのが世の中の為であると思いたくなりますね。   I T 専門家 神戸市

* 私は、以下のようなことをすべきだと思いますので、お知らせします。
まず、問題の所在を簡潔に明らかにし、ペンクラブの会員が、裁判所に「仮処分」を申し立てたことをペンクラブとしても、電子メディア時代の表現のありよう、著作権侵害の実状を踏まえた「ルール」(事実上の 一方的な措置)のありようなど問題提起をし、かかる問題の所在の普遍的な影響(ペンクラブ全体に限らず、表現者全般に関わって来る可能性がある)を広く訴え、具体的には、当面、裁判所に対して、当該「仮処分」の申し立てをすみやかに認めるよう要請し、当該ホームページの原状回復をすることが大事なのではないでしょうか。
ペンクラブの言論表現委員会の動きはどうなっていますか。   ペン委員

* ご連絡を有難うございました。どうしたのか心配していました。
調停の結果ホームページを閉鎖するという合意に達したのかと思いましたが、このホームページが秦様の作家としての表現の場であることを考えれば、そのようなことはないはずと考えました。ご連絡をいただいて得心しました。
一刻も早く復旧なさることを期待しています。基になるファイルはご自身のパソコンにあるでしょうから、この際プロバイダーを替え装いを改めるのも、一つの方法かもしれませんね。
神沢杜口の『翁草』のうち初めの100巻は1772年になり、その後100巻を加えたところ1788年火災でその半ばを焼失し、再び編述して全200巻の成ったのは1791年、杜口82歳の年であった由。
どうぞご自愛下さい。  正  在・英国

* 鴉さま  メールを読んで事態が今も信じられません。酷い話です。biglobeはせめて確実な問い合わせ、そして意思確認をすべきでした。かりに一歩譲ってもせめて最小限の「処置」にとどまるべきでした。あまりに理不尽です、表現の自由どころか抹消など。プロバイダーを変えるという単純な方策はもちろん可能でしょうが、それで済む問題ではありませんね。できる限り早い時期にHPが回復されることを願っています。
調停、審訊、どれほど大変なものか、わたしには想像もできませんが、時間的にも精神的にも重い負担になっていること察するにあまりあります。
メールの返事はどうぞ無理になさらないで、ただ時折、そうかそうかと読んでください。HPに載るのを無意識であっても半ば「想定」して書くのではなく、より素直に? 書いてしまうかもしれませんが、それもそのまま笑って受け止めてください。少しでも慰めになれるなら、たとい微力でも、嬉しいことです
ここ数日は心配で落ち込んでいました。何もできず、ただ時間の流れるに任せて本を読んでいました。
今日は京都市美術館に出かけようと思います。院展、例年のことで、それなりに「予想」もできますが、一作一作に注がれた時間とエネルギーを汲み取り、自分への励ましにしたい。今週はよい天気が続くようで、まだ汗ばむほどですが、久しぶりの京都を楽しんできます。  鳶

* BIGLOBEは、削除する前に秦さんの言い分や意思をきちんと聴くべきでしたね。
よほどの有害サイトでない限り、問答無用で削除するなど間違っています。  文京区

* こんな話よりわたしの心を呼び寄せてやまないのは、こういう時だから余計そうなんだが、バグワン。
それから好きな歌人や俳人の歌集、句集。
『井伊直弼修養としての茶の湯』という研究書を手に取ってみる。するとすぐ世外の人となり、なぜか亡き白鸚や松緑の顔が思い浮かぶ。歌舞伎舞台の『井伊大老』やテレビドラマの『花の生涯』を思い出すのか。されば連想は歌右衛門にゆき、あれは淡島千景であったか、に、行く。
人にも逢いたい、芝居の日もはやく、と。しかし難儀な糖尿診察が待っていて、不快なだけの「調停」や「審訊」もある。難儀で不快なことほど、踏み込んで受け取らねばならない。

* わたしにしても強い人間ではない、が、弱さに甘えたり逃げこんだりはしていられない時がある。ほんとうに弱いとほんとうに逃げこんで頭をかかえてしまうが、頭を上げていなくてはならないときはちゃんと頭をあげて当面するしかない。しかない、のでなく、おそらくそれが当然の精神衛生というものだ。楽しいことしか楽しめないのでは楽しみの味は単純だ。時には苦みや鹹みも楽しみとしたい。

* 「MIXI」に連載している『罪はわが前に』も講演『蛇と公園』も楽しんで校正している。
2006 9・28 60

* つまりは「時代」そのものが人格障害をおこしているようなもの。ゲドは、それを直しに世界の一番奥まで行ってきた。『マトリックス』のあのキアヌ・リーヴズ演じる救世主もキャリー・アン・モスのマドンナも、世界の一番奥へ飛び込んでいった。
いま、妻もいっしょに「人格障害」のおそろしさを勉強している。

* 私は、PC音痴で、よい方法など全くわかりません。すみません。でも私にでもできることがありましたら、なんでもいたします。
ある日突然、いつものHPが開けなくなりました。
何となく予感はしていたのですが、先生のおっしゃるように、こんなに突然、そして、全くゼロになるなど、思いもよりませんでした。何度検索しても「見当たりません」の表示ばかり。それでも、むなしく、毎日同じ行為をくり返していました。
だから、今日、メールをいただいて、やっと、少し安心しました。真っ暗な宇宙で迷子になっていた私に、かすかな、通信の回路が復旧した感じです。
読み終わったメールや、送信済みの自分の返信メールも、私は消すことができません。そのとき、そのとき自分がどう考えたか、感じたかの記録です。私という人間の、「今・此処」をどう生きているか(大げさですが)の記録だと思えば、簡単な文章でも削除できません。そして、明らかに、その記録は、私の歩いている足跡になっています。面はゆさや、悔恨も含めて、やはりいとおしむべき足跡です。
まして、先生のHPは、作家秦恒平氏そのものであり、紛れのない「作品」です。
毎日拝読しながら、その思想と、行動を垣間見させていただき、自分の人生の指針としてきました。
私のような人が、この電子の大海の中にどのくらいいるか、それはもう数え切れないことでしょう。先生の作品と、その作品を読む読者の権利とを、こんなにもたやすく奪えるのだということが信じられません。この、人権、著作権の叫ばれる時代に・・。
そして、一方で、このIT時代の怖さも感じます。
書物になったものであれば、「焚書」でもしない限りなくなるということはありません。もし、そうであったとしても、隠し持つ心ある人は必ずいます。
でも、この電子上の情報は、こんなにも、いともたやすく削除されてしまうのですね。
「私語」にあったので、7月・8月分はCDに保存しました(してもらいました)。でも、たったそれだけです。
早く、復旧しますように、全作品が取り返せますように、切にお祈りしています。
どうぞお体おいといくださいますよう。   讃岐

* 数日前からエラーになってしまい、いろいろ試してみましたがどうしてもアクセス不能で気がかりでした。理由を知って驚いています。
お役に立てるほどの知識を持ちませんが、応援しています。   竹

* こんなひどいことがあって良いものでしょうか!!!
普通の人がHPを作っているのとは訳が違います。
日本文学の歴史・財産をこうも簡単に一方的に消されてしまうとは!! 今日ほど《IT世界の恐ろしさ・怒り》を感じたことはございません。
どのような事情があろうともプロバイダー『BIGLOBE』が勝手に完全消去する権利など、何処にもない筈です。
たとえIT社会の時代でも、通告・勧告などは、《文書による確認》が(本人であることを確かめた上での)大切と思います。
『作家:秦恒平の文学文学と生活』が《どれほどの宝物》であるかを確かめもせず。。。《恐ろしい時代》になりました。《振り込め詐欺》どころの問題ではありません!!!
HPを拝見できなくなってからというもの。。。日に何度もクリックしては、先生のご健康とPCの調子? リニューアル? などと心配しておりました。
《決してこのような酷いことがあって良い筈ありません。》
《応援いたしております。》
《手立て》がないものでしょうか?
プロバイダー『BIGLOBU』に抗議いたします!!!
《末恐ろしさ》さえ覚えます。
先生・奥さま、くれぐれもご自愛ください。  岡崎市: 枝
2006 9・28 60

* 午後、表参道の「ボイジャー」という会社へ呼ばれ、作品を、機械的に音声で読み取り読み上げるのを聴いてきた。わたしの「ペン電子文藝館」に載っている『閨秀』を機械が読み上げる。まだ固有名詞の読みなどに不安定があるが、信じがたいほど明瞭に機械が作品の通り読んで行く。人間の朗読ではない。機械が機械的に読み上げるのですこしばかり変な調子も付くが、視角に不自由のある人には福音である。
じつは、こういうことはもう前から実際に可能な開発がすすんでいて、「ペン電子文藝館」の全作品はPDF処理してあるが、開発された機械的な設定をアクセス側で用意すれば問題なく「聴きとれる」。
ただ文学は「読む」こともともに楽しむ読者が多く、晴眼の読者は奇怪に読んで欲しいとは思うまい。しかし目の不自由な人や、病症の人には福音である。しかし、こういう開発にも、大手出版社の多くは待ったをかけるらしい。紙の本の売れ行きに響くかも気にするようだし、うまい話なら自社で開発をと欲が出る。
「ペン電子文藝館」では視力不自由なひとへも配慮して行こうと考えているときなので、委員会へ提議して欲しいと言ってきた。ボイジャーの経営者はペン会員でもあるのだから会員として堂々提案・提議する権利がある。そう奨めてきた。

* 表参道から銀座へ出て、なんと京都の「つる屋」をみつけ、食事しながら、たくさん校正してきた。、静かなよい店でバカ高くもなく店員の行儀も静かでいい。文庫仕込みの何より献立も調理も、さすが「つる屋」で、「吉兆」「たん熊北店」にならぶ京の老舗の包丁、大満足。京料理は酒にうまい。開店してあまり間がないと。また佳い店に出会った。木村屋でパンを沢山買って帰ってきた。
2006 9・29 60

* 昨夜から、ホームページ消滅への怒りと愕きの声、途切れずぞくぞくと。
ペンの委員会で正式に取り上げましょうと委員長からも。ある学会では、ホームページにわたしの「通知文」をそのまま告知し広く訴えると言うし、自分のホームページにも転載し、またメルトモにも広く同送して、この無道な処置に社会的な運動を起こそうという提言もたくさん来ている。もとより、やす香の「MIXI」日記を相続したという著作権者への痛烈な批評・非難も数多い。
技術的、また法律的な、提言や助言も多い。相手のあることで全部を此処へ載せることは戦略的にも、また遠慮もありとても出来ないが、心安くゆるして頂ける人のだけに限って、以下、順不同に「応援」していただく。

* プロバイダの行為に憤りを感じます。もしやと思い、先生のお名前で検索をしましたところ、「このページは、G o o g l e で 2006年9月18日 11:37:45 GMTに保存されたhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/ のキャッシュです。G o o g l eがクロール時にページを保存したものです。」
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&lr=&q=+site: www2s.biglobe.ne.jp+ 秦恒平
という形で復旧までのあいだはこちらを「お問い合わせの方にご紹介」されてはいかがでしょうか。
また、先生のお手元に記録がない場合にはこちらからDLをすれば、被害を最小限に留めることができるのではないかと存じます。ご存知のことは思いますがご参考まで。
また、プロバイダ「BIGLOBE」への抗議の意志を表わすため、当組織のサイトでも先生から頂戴したメールを公開させていただきたくご相談申し上げます。
とり急ぎ要件のみにて失礼いたします。以上。  国文学の学会責任者

* 残念でなりません。
プロバイダというのは、一人の要求で、一方的に、万人の権利を奪うことが出来るのでしょうか。
法的な通告というのは「内容証明」によるものでなければならない筈です。「仮処分」手続きはお進みとの事ですが、結果を待つのが「長い」と思います。頑張りましょう。応援します。
秦さんのページが読めなくなって本当に落ちつかず、メールにしようか郵便にしようか、あれこれ考えていました。ご検討の事と思いますが、他のプロバイダからのホームページは如何なのでしょうか? 読者のみな さんも待っていると思っています。
実は、私も「法律事務所」や「地裁」へ通い長い長い戦いをした事があります。苦労もありましたが、正しいものは正しいのですから頑張りました。
それにしても、こういう事をして、やす香さんの相続権者は何がいいのでしょうか。そちらも心配です。
秦さん くれぐれもお大切にお大事にいろいろお気をつけください。
私はいつかお会いした時くらいには健康戻ったつもりです。なんでも食べています。お時間があればやっぱりまた遊びましょうか。 千葉 E-OLD

* 「民事調停」の席で、★★氏のあまりの虚言・暴言に先生がカンシャク玉を破裂させて、帰宅するやいなや、「えいっ」とばかりに器械の接続を切られたかと案じつつ、一日に何回も接続を試みておりました。
事情がわかり、一安心・・・でもないようですね。お察しいたします。
さて、さて、「秦恒平論」だいぶ進んでおります。読むのが八分、書くのが二分の牛歩ですが、これが楽しい、うれしい。あまりに没頭しているものですから、家内がおかんむり。ちょっとは、わたしの話も聞いてと、すり寄られても、なにせ秦恒平を読み解く方が、数段おもしろい。いろいろと勝手なことを書いています。
事態の好転を願っております。ご自愛ください。   六

* やはり何かあったのだと思っておりました。
BIGLOBEの勝手な処置には怒りを覚えるとともに、あらてめてネット上の著作物の危うさを認識しました。
秦さんのHP『作家・秦恒平の文学と生活』の中には、私の作品を含め、そこでしか読むことのできない貴重な作品が収蔵されていました。
作品収蔵の当事者として、早速BIGLOBEに抗議をしたいと思います。まず私個人で抗議文を送付することを考えますが、もし「e-文庫・湖 (umi)」寄稿者の中で、同様な考えをお持ちの方がおられましたら、まとめて、という方法でもよろしいかと思います。「仮処分」審訊中とのことですので、一応弁護士の方にも許可を得たほうがよろしいのでしょうか? お考えをご返信下さい。
そのほか、私にできることでしたらなんでも致しますので、いつでもご連絡下さい。
また、私はMIXIに入会していないので、現在唯一となってしまった秦さんのHPを見る事ができません。もし可能でしたら入会のためのご紹介をしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
札幌は冷え込み、ついに今日からストーブを使っています。  真

* プロバイダは、単価競争の中Webスペースをばらまいており、表現の場、というインフラ意識は薄く、消費するためのスペースを間借りさせてやっている、という姿勢ではないかと思います。有名な中堅プロバイダの夜逃げの話を先週聞いたばかりです。よくある話で、そういう業界です。
Webページを放置しておくと、一瞬でどんどん広まります。たとえば、今でも先生のページの影(キャッシュ)が、Googleで確認できたりします。件の著作権を云々されたページも、多分読めます。
プロバイダにとって、削除は時間との戦いです。Biglobeの取った措置を弁護する気はありませんが、無数のWebページへの無数の削除要請に対応するには、電話や手紙などの、いつどんな返事がくるかも分からない方法
よりも、約款で一方的削除を宣言しておいて、今回の措置をとる、これが一番、彼らにとって痛手の少ない方法なのかもしれません。
ただ、私が今回非常に「問題」に思っているのは、削除の判断基準です。
よく言われる話だと思いますが、先生は、「引用」なさっています。これは、先生のページの総容量から見れば微々たる量で、かつ、容易に「引用」であることが分かります。にもかかわらず、著作権を理由に削除された。
著作権云々というが、評論・批評の中に引用を認めないというのが、信じがたい。
多分プロの弁護士さんたちが色々対応してくれているのでしょうが、著作権を理由に、引用を行っている著作を、無関連なものも含めて全て削除する行為は権利の濫用、これを争点にしていくんだと思ってます。
こういうのが嫌で、若い(50代くらいの)方々は、独自ドメインを取って、専任スタッフに管理してもらっているのだと思います。
e-Oldの孤軍奮闘を見ていると、悔しく感じます。
一方で、先生が今年PCに投資した額の1/10があれば、独自ドメインの立ち上げを行うサービスはあるのではないかとも思います。
(その先の具体的なアドバイスができませんが、分かりそうな人にきいてみてください。)
では。 イチロー

* 先生、驚きました。このような事が行われる事、私にはとても理解できないことです。怖くなりました。牧野弁護士に確りとこれからのためにもお願いしたい気持でいっぱいです。 芹沢先生ご遺族

* びっくり致しました。
いち早くサイトを利用された作家として、そのような目に遭ってはいけませんよね。
弁護士さんに御相談されていらっしゃるとのこと、その指示を仰ぐのが宜しいのだと思いますが、多少法律を勉強した私としては、BIGLOBEとの契約内容が、どのようなものだったのか、興味があります。
しかし、BIGLOBEの対応もさることながら、お嬢様との関係がそこまで悪化されてるとは思いませんでした。
どちらも早く修復できますように、祈っております。  美術工藝家

* ご通知拝見、お怒りごもっともと存じます。「生活と意見 闇に言い置く」、ときどき、訪ねてました。作家の命をかけているサイトと評価していました。
なんの連絡もなしに、勝手なことをされたこと、私にも似た経験があり、よく分かります。ちょうど、私のホームページ上に、「官こそ恃み」(二言・三言・世迷い言)という一文の中にそれを書き、昨日それを含む私の同人誌『琅』19号の印刷を印刷屋さんに御願いしたばかりです。
弁護士にまで依頼されたこと、そこまでしなければならないことに対する心痛・心労、ご推察申し上げます。応援しています。  ペン会員

* メールは、無事なのですね。調停の過程での一時的な停止、もちろん秦さんの意思によるものと思っていました。プロバイダーがわが、一方的にはっきりした確認もなく、削除してしまうなんて、信じられないほどのお粗末、おそろしさです。恣意的に何でもされてしまうような、そんな危なっかしいところで生活しているのですね。
さいわいまだ日本では、手紙もあるし電話もあるし、くちこみも。
どうすればよいのか、具体的なことに、手がつけられないのですが、腹をたてています。
お二方とも、お元気でいらしてくださいね。
もう! という感じです。 沙

* 実に大変なことが起きていたのですね。
おかしいとは思ってましたが、私のPCのせいかと感じていました。
メールで述べられていた通り、紙の資料と違ってかくも簡単に消えてなくなるものなんですね。
私に出来ることなどあまり無いと思いますが、これからも強く秦さんを支持して行く気持ちにかわりはありません。
もし私にも協力出来そうな事がありましたら遠慮なく言って下さい。
湖の本の読者は皆同じ気持ちだとおもいます、尊敬する先生の味方ですから…
とりあえず、一読者として応援メールを送ります。  東

* この度のBIGLOBEのとった処置は、非常識で多大な被害を、多くの人たちに対して与えるものであります。
秦氏のホームページは 通常のホームページとは異なり私設図書館のようなものであり、そこには秦氏および多くの人の作品が蔵書としてしまわれていました。いずれも厳選された宝石のような作品であり、多くの読者が訪れる図書館でありました。
BIGLOBEのとった処置は「図書館の中に、自分たちに関わる書籍があるので 図書館をつぶしてほしい」という 一部の人の誹謗中傷を鵜呑みにして「図書館をつぶし、書籍を全部焼却するぞ」という通告を一方的に行い、館長の返事を待たず、館長の許可なく、図書館をクレーン車で壊し、蔵書をすべて焼き捨てたようなものです。
WEBの世界ではこのような非道が許されるのでしょうか。
BIGLOBEの誰が、どんな権力を持って出版物の内容が不適正であると判断し、このような処置をとったのか鋭く追及する必要があります。
私もホームページを持っていますが、許可なく、一方的な誹謗中傷があった場合にこのように全削除される恐れがあるものなのかと非常に不安を抱いております。
一刻も早く、この事件が法的に 解決されることを祈ってやみません。  日本ペンクラブ会員

* 秦さんからのこのようなメールただただ吃驚しました。
正直、この時勢にこのような出来事が起こるなんて全く考えられませんでした。良い事悪い事の判断基準を持合せていない人間が主観で行動したであろう恐るべき事であると思います。
もしそうでないとしたらもっと恐ろしい事です。
何れにしてもホームページ全消失が復活不可能かどうか先ず元の所に確認調査し、呼び戻す事が可能であれば直ぐに復活してもらわないといけません。その点については如何だったのでしょうか。
何れにしても迅速な調査と行動が必要であると思います。
秦さんのショック度最悪だと思いますが、とりあえずうまく復活する事お祈り申し上げます。
Sept. 29, 2006 京都・宇治

* 秦恒平先生  驚きとともに拝読いたしました。
この実情を是非多くのインタネット利用者に伝えたいと思うのですが、どこかにこの文章は公開なさっていらっしゃいますか? そうであればそのページをお知らせしますし、まだそのような準備がなければこの文章を私のブログで転載許可をいただいたという形で公開したいと思いますがいかがでしょうか?   ペン会員

* 全くひどい話です。Biglobeの処置に憤慨しております。あれだけたくさんの内容のものが一瞬のうちに消失してしまうとは・・・。先生のご落胆、ご憤慨ぶりが目に見えるようです。これは他人ごとではありません。明日は我が身に降りかかることでもあります。
私ごとですが、パソコンが2度壊れてしまい、復旧に困難の極みを体験しました。こちらは全く自分のミスだけに納得ものでした。しかし今度の事件はまさに「事件」です。明らかに告訴ものです。御健闘をお祈りしております。 星

* 『作家・秦恒平の文学と生活』削除、確認しました。なんともひどい話です。
ただ、プロバイダは著作権という言葉におびえていて、こういう不用意な削除が日常的におこなわれているのも事実です。
BIGLOBEの担当者は深い考えもなく、日常業務として機械的に処理したのでしょう。
推測ですが、BIGLOBEは穏便な手打ちを求めてくる可能性が高いと思います。
ぼくとしては、秦さんにここで踏んばってもらって、「判例を残す」のが日本の言論のために必要ではないかと思っています。
規約に何が書いてあろうと、こういう社会常識に反することを許すような規約は、それ自体が無効です。規約が免罪符にならないという当たり前の事実を無知なプロバイダに周知させる機会となるでしょう。 ペン会員 I T専門家

* 秦さま、ほかみなさま
プロバイダー責任法の過剰運営のいったんを見た思いです。
もしよろしければ、「私事」ではなく「社会的重大案件の1例」として、さっそく、小生の怠慢により「休眠中」の委員会議題として緊急会議を開催したいと思いますが、いかがでしょうか。
まずは、ご本人のご意向を尊重しつつ、みなさんのご都合をお伺いいたします。 委員長

* 委員長の御提案に賛同します。
これまでもアカウントが抹消され、消えていったホームページはたくさんありますが、それは大抵アイドルの画像を勝手に載せた明かに著作権・肖像権を侵害したページでした。
しかし、そんなページといっしょにされては困るわけで、プロバイダ業界に一石を投じる機会になるかもしれません。
さて、「湖」サイトという発言の場を奪われた状態ですが、BIGLOBE側によって事前通告なしに、一方的にアカウントを抹消されたという事実を読者に知らせる場を設けられたらどうでしょうか?
無料のblogサービスか「さるさる日記」あたりがいいかと思います。
一番簡単な「さるさる日記」ですと、
http://www.diary.ne.jp/
にアクセスし、「新規作成」という赤い大きなボタンを押して、所定事項を書きこむと、メールでパスワードが届くようになっているようです。  ペン委員

* 9月20日にぷっつりとHPの画面が出なくなって、これは機械の不調ではなく、★★様夫妻とのいざこざと関係があるにちがいないと、そのくらいは私にでも想像はできました。
それでも往生際悪く、もしや復旧しているのでは—-と毎日いくどもいくども、何度いつものアドレスをクリックしたやしれません。
ご事情を承り、そんなアホな!! と驚愕しました。
個人のHPがそんなにたやすく、プロバイダーの一方的判断で閉鎖したり削除出来るなんて、信じられない事です。
誰かがクレームつけたら「はいわかりました」でプロバイダー自身ではでそのHPの内容や、クレームが妥当かどうかなど検討もしないで、本人から返事の確認もせずに、勝手に閉じるなんて無茶です。
秦様のHPの一つの問題ではなく、一般論としてもこんな信用の出来ない契約があって良いものでしょうか。
「e-文庫・湖(umi)」の私のささやかな文章も消されたのですね。
勿論それらの”著作権”は載せていただいた時点で秦様に委ねているわけですが、それでも、★★様と私はまるで関わりがないのですから、十把一からげはひどすぎやしまいか—-と憤慨しています。
もし私にでも出来ることがありましたらおっしゃって下さい。やります。
いくらなんでも、こんな無茶が通るとは思えないので、近い将来きっとHPは再開されるものと信じて楽しみにしております。
すっかり秋めいて金木犀が香っています。
先の日曜はミュージカルの練習があって東久留米に行きました。私は時間の関係で車で走ってしまうのですが、青梅街道から所沢街道に入り、六角地蔵からひばりヶ丘団地横を通り、落合川、黒目川を渡りながら、もしや秦様が自転車でひょっこりとお姿を見せられるのでは、と思ったりしたものでした。
お陰様で一同息災に暮らしております。 2006/9/29   藤

* なんという事なのかとただただ驚いて居ります。私も秦さんのホームページを時々読ませていただいて居ります。お孫さんのご不幸には心を痛めており、又、ご活躍の貴方様のお姿を想像してひそかに喜んでおりました一人です。
長きに渡る過去の資料を一瞬に消され、どれだけ悔しい事でしょう。同情申し上げます。 信 京都

* かねてからHPにアクセス不可能となり、六さんともども心配していたところです。
「調停期間中」に限り閉店しているのかなと思っていたのですが、とんでもない事態になっていたのですね。
ひどい!! 本当にあきれ返ってモノが言えないほどの非常識です。
営々として積み上げてきた秦さんのお仕事は、単なる一作家の営業ではないのです。あの中に含まれている秦著作をはじめとする数多くの方々の創造物は、日本の文学を左右するほどの内容であり規模でありスケールでした。それを一朝にして完全削除(それも一方的に)するとは、著作権の侵害どころか「文化の破壊」そのものです。歴史上、数限りなく繰り返されてきた「焚書」の現代版ではないですか!!
腹が立って、ハラガタッテ、憤りを通りこして、怒り狂っています。沢山きているという「不審や抗議」は、向けるべき方向を間違えています。
BIGLOBEのやり方と、その背後の陰険な策謀にこそ向けられるべきです。「父娘の情」の手前、他人がいらざる口を挟むまいと、従来黙ってきましたが限度を超えています。
友人に自身「詩作」をし、HPも持っているネット関連のプロがいますので、秦さんのメールを転送し、有効な措置がないか問合せしています。色よい返事があるといいのですが。
ご心痛のほど(本当に長い暑い夏を乗り切ってこられた末の結果がこれとは)お察し申し上げると同時に、こうした社会的不正には断固として反撃すべきだと、心からの応援を致したくぞんじます。どうぞ、奥さま共々、お心丈夫にお過ごし下さい。  円

* 新資料郵送とのこと、お待ちしております。到着次第、検討することにします。裁判所に出せるものは直ちに出しましょう。
皆さんの反応がありがたいですね。ビックローブへは、ガンガンと批判がいってほしいですね。顧客に背信的な行為をすることの意味を、思い知らせなければならないでしょう。
参考になるご示唆などありましたら、お伝えください。よろしくお願いいたします。  事務所

* まったくもって晴天の霹靂以上の、ものでしょう。これからもこういったことは多々あることと推察できます。
それだけに、ちゃんとした結果が問われます。文筆に携わる者にとって生命線でもありますデータの削除は、許しがたい。全面的に応援するものです。  苑 ペン会員

* 事情が判り、少し安堵いたしました。私には、何もご助言できませんが、どうか、くれぐれもおからだ大切にとお祈りいたしております。  都 ペン会員

* H・Pを読む事で、いつも傍にいたような人が、霞と消えたような物足りない気分でいます。
再開を待っています。  泉
2006 9・29 60

* 朝一番に娘、★★夕日子から「内容証明」の郵便が届いた。

* わたしのホームページやブログから、★★夕日子による著作物[小説・随筆・日記・手紙等]の全て、★★夕日子が収録され、★★夕日子本人と確認できる写真、映像、イメージの全てを、本書面到達日より3日間のうちに削除せよというのである。わたしのホームページは、孫やす香の「相続権者」である★★夫妻の申し入れで BIGLOBEにより完全消滅している、いまさらその話は無いであろう。
では、ブロク。これは「MIXI」のことか。
「MIXI」に夕日子の作品を載せたりしていないのは明白。載っているのは見る人が見れば夕日子かと分かる「写真」が出ている。父と娘との公刊された商業雑誌取材中のスナップ写真で、いわば旅の記念写真。それで利を稼いだわけでもないふつうの何でもない写真で、それが秦恒平自身と娘★★夕日子の写真と分かる人が公称「六百万人」中の百人もありはすまい。家族が家族の写真を人に見せて、何の不都合があるのだろう。
夕日子に聞きたい、削除を強いる「理由」を。
一つ、はっきりしている。
「MIXI」の日記に、夕日子は父親私によって、七歳から二十年の長きにわたり、「虐待」「ハラスメント」を受けてきたと「公言」してきた。アクセスをブロックされていたわたしはそれを読めなくて、知らなかったが、伝えてくれる人達が何人もあり、知って呆れかえった。むろん母も弟も呆れかえった。
それで、夕日子八歳時の、また夕日子結婚後の、私自身がレンズを向けて撮った、また私と一緒に撮られている、屈託なく和やかに自然な夕日子八歳時の健康な写真や、成人した「ミセス」の夕日子が父親と一緒に嬉々として楽しそうな写真を「MIXI」に披露したのは、千万言にまさる「夕日子虚言」を証明する「最適の物証」だからである。
わたしには「「MIXI」六百萬公衆の前に、「虐待者」等の悪声による不快な誤解を解く権利がある。これまで出した写真の娘に、いささかでも黒い陰翳が見られ得たろうか。
夕日子は、自分の「蒔いた種」をあまりに明らかに否定された自分の写真が出てくるのに、堪えられないのであろう。バカな虚言を公にした、父親だけでなく母親へも弟へも犯したことになる犯罪的な失礼は、どうなるのか、と夕日子に聞きたい。

* なお夕日子の愛すべき幾篇かの作品は、今は私のホームページを「消滅」に導いた本人がよく知っているように、わが愛機中に存在しない。写真のほかの、「映像」「イメージ」とは何のことか分からない。しかし「日記」にせよ「随筆」にせよ、私が攻撃されている際はその「反証に引用する自由と権利」はわたしも所持している。

* 「なお、本書面到達後も、私(★★夕日子)の承諾なく著作物や写真を掲示し、著作権や肖像権の侵害行為を継続する場合には、法的措置を講ずる旨を申し添えておきます」そうだ。。
よほど「法的措置」が好きらしい。そのまえに、人として、人の子として、人の親としての「誠の掟」を自問するがいい、夫婦ともども。

* むこうが千人殺すというなら千五百の産屋を建てて。
どうか生きて、書いてください。  雀

* ブログに「ご通知」全文、転載させていただきました。
お心落ちのないよう、という言葉はここではあたらないと思います。
どうぞ一日も早く復旧されますように。    ペン会員

* ただただ驚いて 驚いて おどろいて びっくりして びっくりして 信じられなくて残念でなりません。
夫も事の重大性に驚いて、こんなことがあっていいものか? と怒っています。こちらの承諾なくして削除など出来るわけがない! と怒っています。
一体、何が起こっているのでしょうか? 理解に苦しむことばかりが続いていまして、挙句 HPも読ませていただけないなんて!!
大きな嘆き! 悲しみ、でもあります。
お役に立てることなど皆無ではございますが 心からの声援と応援を申し上げます。変なやくざ的な弁護士などに惑わされることなしに、当然な正直者が勝利されますように心から願ってやみません。 頑張ってくださいませ。 勝利祈っております。
お静かにお暮らしの御身の上にとんでもない衝撃的な事件が重なり さぞかしご心痛深いものがおありのことと拝察申し上げます。頑張って乗りきってくださいませ。 ”ひどいことが起こるものだと” 世の中には! 人生には!
御身どうぞお大切におすごし下さいますように心から祈念申し上げます。   彬

* もう同じ怒りや声援のメールを掲載するのも、足りていよう。
この「私語」にも、問題提起の意図をふくめ、あらためて、信じがたい「事件」が起きていたと「通知」の一文を此処に掲げておく。同じことが、いつ誰の上に降りかかるか知れない顕著な事例として、多方面で議論されたい。転記されても構わない。

*  前略 ますますのご健勝をお祈りします。

さて、私のホームページ『作家・秦恒平の文学と生活』完全消失の実情をお伝えします。ご理解下さいますよう。

私が、1998/3月以来多年運用してきたホームページ「作家・秦恒平の文学と生活」は、今年二○○六年九月二十日、突如、プロバイダ「BIGLOBE」により、事実上「無断」で、私の「確認」を一度も取ることなく、一方的に「初期化・全削除」されました。ホームページが読めなくなっている、何故か、困る、という読者ほかの皆さんの不審や抗議がたくさん来ています。

このホームページは、原稿用紙換算六万枚を越すかと思われる私の創作物を擁し、内容として、「湖(うみ)の本既刊八十八巻の全電子化」、八、九年に亘る、日々欠かさぬ日記文藝としての「生活と意見 闇に言い置く」、三好徹氏、高史明氏ら著名文筆家の寄稿や一般の投稿作品約二百を含む私の責任編輯「e- 文庫・湖(umi)」、そして私の「書斎作品の多く」を含んでいます。

ところがBIGLOBEは、上の「日録」のなかに、今年七月二十七日に、癌「肉腫」で急逝しました私どもの「孫・やす香」十九歳の生前日記を転載しているのが、やす香の「著作権相続者」と称する者(=ちなみに★★やす香の両親は「★★★氏・青山学院大学教授、同妻夕日子氏・私の長女」です。)の権利を侵害しているとの申し入れを、そのまま受理し、一方的に強行削除したのでした。しかし、引用・抄出した日記は、全体の極く極く一部(日記全部から見れば七、八十分の一程度か。原稿用紙にして十枚余か。私のホームページ全容からすれば、大海の小魚にもあたらない分量なのです。)
しかも、私はそのようなBIGLOBEの通告など、全然見た覚えなく、またホームページを全削除してよいなどと意思表示した覚えもくないのです。有るわけが、有るでしょうか。BIGLOBEは、受発信設定が全く出来ていない、使用していない、私のbiglobe.ne.jpメール宛てに発信していたのです。
しかし私はパソコン使用以来、一貫してニフティのみを全面使用し、私の機械操作能力ではbiglobe受信設定は「存在しない」のです。
更には機械的一律削除を「日課」にしなければならぬほど「不正広告メール・SPAMメール」が九割を越す大氾濫の今日です。やたら数多い大概の「営業通知」も、私の日常活動からは「ほぼ削除対象」なのです。

こういう時節に、上のようなBIGLOBEの処置は、遺憾余りあります。ユーザーへの親切の為にも、当然もっと確実な「電話」確認や、「郵便」文書による確認を以て、「ユーザーの正確な意思決定」を手に入れて為すべきが、理の当然でありましょう、もし一家で旬日余にわたる旅行でもしていたら BIGLOBEは一体どうするというのでしょうか。
むろん言うまでもなく私が、かほど多年運営のホームページの「削除通知を、黙過する」わけが無いのです。加えてBIGLOBEは、私以外にも、他の多くの著作者・寄稿者の権利まで侵しており、全く言語道断な暴挙、厖大量の「著作権侵害」と抗議せざるを得ません。

ホームページの此の無道な削除に対しては、地裁に「仮処分」を申し立て、日本ペンクラブの同僚会員である弁護士の総合法律事務所に、善処をすべて依頼しました。地裁は事の重大性を慮り専門部に審訊を託したよし、法律事務所の通知がありました。

この電子メディア時代に、かかる奇怪に強引なことが、いとも簡単に為されてしまうおそろしさに愕き呆れながら、ともあれ、事情を申し上げまして、アクセス不能が只の機械のエラーによるものでないことをご通知致します。いずれホームベージは復旧出来ると確信しています。ご理解・ご支援いただけますようにお願い致します。

日本ペンクラブ理事
日本文藝家協会会員  作家・秦 恒平 2006/9月末

* やす香さんの御不幸こころからお悔やみ申し上げます。
もっと早くと思いながら、どのようにお声かけをしたらよいのかと、心弱くなってしまった次第です。
奥様いかがお過ごしでしょうか。
すこし時期はずれになりましたが岡山のマスカットをお届けします。月曜日に着く予定です。
秦さんにはもう少し涼しくなる十一月には、お酒をお届けしたいと思っています。
ポスト小泉も全く期待がもてず腹立たしく暗い気持ちになっています。
建日子さんを含めて皆さんの御健勝をお祈りしています。  元

* 秦様の貴重な作品が消えてしまったこと全く残念です。
加えて、私は何時もホームページを通じて「社会」との関わりを持たせていただくことが出来、今後も貴重な意見を拝聴できることを糧とも楽しみともしてきました。
BIGLOBEの会社に対し憤りを感じるとともに、全面的に信用を失いました。BIGLOBEを利用することは今後一切しないと決意しています。
私個人は何のお力にもなれないこと申し訳ありませんが、きっと有識の方々がお側に沢山おられて、良い解決になることを切に切に願っています。
ご夫妻の心の傷が心配です。それがお体に障りませぬようにまさに朝夕祈っております。
今日は喜多六平太記念会館で「佛原」と「菊慈童」を見てまいりました。緑泉会の例会で、菊慈童は坂真次郎先生が舞われるはずだったのですが、夏に急逝され「偲ばれる」会にもなり、緑泉会主宰の津村禮次郎師が勤められました。
緑泉会は女性の方が活躍なさって、日ごろとは違った舞台が新鮮でした。「佛原」のシテなど優しい舞姿で、他の舞台でももっともっと女性の力が認められるようになればと思いながら見ておりました。
津村先生の小書きのついた「菊慈童」は先生らしいきりっとした軽快な楽の舞でした。秦様にもお心の安らぎとしてお見せしたいと思いました。
重ねてゆっくりと静かな平安なお時間がありますように、祈っております。お体お大切に。  晴

* みなさんにお返事を失礼している。あまりに何事にも時間が足りない。時間が貴重なのは必ずしも良いことでない。時間など気にならない日々こそよろしく思われる。
2006 9・30 60

* 秦さん  あれ程に充実した内容のホームページを、運営者の確認を取ることもなしに全削除するとは、そのような事が起こり得ることに、心底驚愕しています。
デジタル社会における表現の自由は、かくも危うい足場の上に成り立っているという事なのでしょう。権力者による言論統制も、さぞや簡単な事でしょう。
自分にとっても、この10年近くの大事な歴史が消し去られたようで、どこかにポッカリ穴が開いたような心持です。
決して許されて良い事ではなく、一日も早い復旧がなされるべきと思います。
と、ともに、どうぞご心労がお体に響きませんようにと、お祈りしております。  敬 卒業生

* 先生のブログは、私にとって毎日の家庭教師のような存在です。
それが開けないとは、誠に残念ですし、これまで蓄積された私たちの財産を奪われたような感じで、ほんとうに腹がたちます。
しかるべき方法による説明もなく、着信したか読んだかの確認もなく一方的に消去してしまうなど許せることではありません。
法的手続きによってすぐ復旧できると思いますが、電子的著作物の保存の権利について、確実にしておきたいものだと思います。
一読者として、抗議の手を挙げさせていただきます。  重

* 電力,ガス,水道に電話など社会的インフラは,本来ギャランティのある社会基盤です。
一方,インターネットはギャランティがないベストエフォートという宿命的脆弱さをもっていながら,今や完全に社会的インフラとなってしまいました。
プロバイダーがむいている方向は、政府ではなく社会に対してであり,責任は表現の自由の確保なはずですが,残念ながら無自覚すぎますね。
ネットが誰でも自由に参加して発言できるという市民参加型革命の幻想がいまだ続いていて,過剰に反応した結果が「プロバイダー責任法」という論理破綻な法律ができたと思っています。
「責任」のとるべきベクトルが間違っています。
本来,決めるべきことは電話と同じ通信の秘密や信書の秘密を保証することだったのではないかとも思います。   ペン同僚委員

* やす香さんのご逝去をお悔やみ申し上げます。さらに今回の事件が重なり、さぞおつらいこととお察し申し上げます。
それにしても、このようなことがあるのですね。
ビックリしてしまいました。今までのご苦労が一瞬にして消えてしまうなんて、アナログ人間の私には、信じられない出来事です。よりによって先生にこんな事件が起きてしまうなんて。これを契機に世の中が著作権、ホームページのありかたなど再認識するようになるきっかけになればと願いますが、いずれにしても、先生のホームページの内容は復活できるのでしょうか。当然出来ますよね。
先生が怒りや、このことで仕事をする時間がなくなってしまうことなどの様々なストレスで、体の調子を崩しませんように、案じております。どうぞあまり無理をなさいませんように。また、先生の願っている方向に解決するよう祈念しております。  安

* 湖様  心晴れない日が続いていることと思います。
HPが何らかの形で完全に復旧することをお祈りしております。
今日は本当に久しぶりに家に閉じこもり、一人で休日を過ごしました。
「市民ケーン」のDVDをワインを飲みながら見ました。オ-ソン・ウエルズが20代で主演・監督したというこの作品、実は初めての鑑賞でした。
アメリカで成功を収めたケーンの心象のジグソーパズルの中で見つけることのできなかった1つのピース「バラのつぼみ」・・・・ 。
人の心の痛みも愛も「親子関係」という逃れることのできぬ人間関係に始まるのですね。
だれもが完全なジグソーパズルを完成させることは不可能なのではないかと思いますけれども。
雨が静かに、終わりかけた芙蓉の花に降り注いでいます。
心落ち着くフォーレのレクイエムを聴きながら、一人の夕食を始めることといたします。   波

* なにごともさっさと退却しようとは考えない、そういう「退屈」は嫌い。しかし、それに「重き」を置いているかとなれば、じつは、成るものは成り、成らぬものは成らないとだけ考えている。「退蔵」は本当の人間なら理想としていい最も優れたこと。わたしはねばり強い、が、執着しない。退却はしない。つまらぬことに吶喊もしない。

* 明日の晩、久しぶりに卒業生と会う。
2006 10・1 61

* BIGLOBE問題、読者からの応援や憤懣の声に続いて、専門家、法律家、学者、技術者等のむしろ弁護士さんを応援する助言等が入って来始め、またペンの関連委員会ではもう討議の議題に取り上げようとしている。場合により理事会議題にもなる。わたしのもホームページなら、ペンクラブにもホームページはあり、「ペン電子文藝館」ですら同じ抹消の対象にされかねない。

* 「MIXI」でわたしは「マイミクシイ」を積極的には持とうとしていない。やす香の「思香」が強制的に外されて以降、十人ほどである。「足あと」は自然マイミクシイがつけやすい。私の日記など、当初は一日にせいぜい十か十五の「足あと」だった。この八月九月で一気に七千三百を越えている。

* 読みたい、読まねばならないメールも沢山来ているが、ゆうべの睡眠が少なかった。日付の変わる前に機械を閉じる。
2006 10・1 61

* 「MIXI」に、自分の写真を載せていた。自分だけでなく結婚後の娘夕日子と仲良くにこやかに旅を楽しんでいる写真を載せていた。それを見るのが、おかしなことに、近ごろの嬉しい憩いであり心和む一ッ時であった。のに、「内容証明」の手紙で、三日の内に「削除」しないと「法的手段」に訴えるとまた夕日子に威された。情けない話。
弁護士先生は肖像権を認めている法は法であるから、削除して下さいと。
法のまえには悪意も優情もごちゃまぜ。法は「三章」つまり三箇条もあれば足りているのだと古代の人は喝破した。今の時代は、やたら尻抜けの法を立てに立てて、大勢の「私」の情意を一律に踏みつけて行く。

* 唖然としています。私はてっきり、「調停」が始まったシルシかと受け取っていました。恒平さん側に、ホームページを一時的に削除した方がよい、という判断があった、と。
それなら騒がず静かに待とう。そう思っていたところが・・・。大変な世の中になった、と思います。
相手は、そういう騒ぎを起こすのを、「生きる最大の目的」にすらしている感じです。
どうか、相手の息の根を止めても、止められることのないよう(事故、病など)、くれぐれもご留意ください。
『聖家族』を本で読む日を待っています。  バルセロナ 京
2006 10・3 61

* 今、「憲法と言うものは市民の人権を守ると言う意味よりも、公権力の力を制限する目的のものです。」と説く或る学生、やがて公職に就く人が、「MIXI」日記上で、しごく真面目に、心親しく気をつかいながら、真っ向「議論」を繰り返している。「MIXI」をより良い意味で利したいと願いながら。
またいろんなものを「書いている」と「MIXI」日記に書いている人には、「ペン電子文藝館」の「読者の庭」へどうぞ評論を寄せて欲しいと、こまめに依頼している。まだ一人も書いてはくれないけれど。
なんでわたしのように、作品を「MIXI」に公開しないのだろう、書いているが世に出ていない人達は。潜在的には「六百万人」も読者が可能なのに。書いたものを両腕に囲って隠していてはダメだ。絶好の発表場所として利すればよい。個人のブログでしこしこと書いていても誰も読めない。
原稿料も出ないのに…なんて、そんなことを思ってちゃ、ダメだ。「MIXI」はだれでも読みに来れる。むろん何を言われるかも知れないが、それには堪えなければ。
2006 10・4 61

* 孫・★★やす香の「著作権相続人」とBIGLOBEにより、原稿用紙にして優に六万枚を越す「ホームページ」を、文字どおり無残に全削除されてしまってから、もう二週間が過ぎた。
幸か不幸か日記「闇に言い置く 私語の刻」だけは、急遽「MIXI」へ移転させたが、過去八九年のものは読んでもらえない。
東京地裁の「審訊」がやがて始まる。この問題は、もうこれだけの私的事件でなく、法的にも社会的にも時代的にも、電子メディア世間の根底へひろがる難儀な問題意識に包まれはじめている。或る関西の法学部教授は、「徹底的に裁判してぜひ判例をとってもらいたい、日本ペンクラブ理事といういわば時代のオビニオンリーダーの一人としての責務ですらありましょう」と、何ともごっついハッパをかけてこられている。弁護士のほうへ直接いろんな示唆や意見を送られているようでもある。
「ホームページ」をどう復旧させるか、それとも削除されたままになるか。それがわたしには当面の勝負であるが、問題はもっと大きいことをペンの同僚委員達はわたしよりはるか前を走って指摘されている。ウーン…。

* 難儀にも、二言目に「告訴・訴訟」と吹っかけてくる★★★夫妻との、わたしは余儀ない「民事調停」という厄介もかかえている。「世間の人」には、よせばいいのにと嗤われもしていようが、「今・此処」に生きるとは、そんな賢いだけのことではない。まして賢こぶることではない。ものに、ことに、ひとに、「真向かう」ということである。

* 秦様  (BIGLOBE事件=)胸中いかばかりかと、お察し申しあげます。
表現というものへの認識及び評価についての、この国のレベルの低さを改めて感じ、怒りを覚えます。私に何かできることがあるのかどうか、毛頭わかりません。ただひたすら今は秦さんを取り巻く、相手側の行動と認識に怒りを覚えるばかりです。
若年の私が申しあげるのもおかしいのですが、どうか精神を強く、体をいたわってくださいませ。
弁護士さんがついてくださっているとのこと、この件についての専門的な作戦については何もご心配申しあげることがないと理解しました。とりあえずは、どうかお心を大切にお過ごしください。  未来

* どうしていらっしゃるのだろうと、とてもとても心配しています。ご様子のわからないことはこんなにもさびしいものなのですね。湖を想い、胸が痛くなります。
最近考えるのは、成長する過程で、志を棄てる、あるいは変節させてしまう人は多いなあということです。人間やはり志は最後まで貫かなくては生きた甲斐がありません。世渡りは下手でもいいし、成功なんてしてもしなくてもいい。志を高く持ち続ける人になれたらと。
今どのような豊かな世界に遊んでいらっしゃいますか。どうぞお元気で、ご無理なさらずにお過ごしください。 秋
2006 10・4 61

* 秦恒平様  ホームページの完全消滅、大変驚いております。プロバイダのあり方の問題で、今後多方面に関わる課題ですね。
もし、こんなことが許されるなら、誰も安心してHPを立ち上げることができなくなりますし、悪意の第三者あるいは
権力者がこのように自分に都合の悪いHPを消失させる可能性もあります。本人の意思確認と削除の根拠についてのきちんとした方針あるいは基準の設定が求められます。
どうか、これからのプロバイダのあり方について、利用者全ての人々のためにご健闘下さいますようお願い申し上げます。  女子大学学長
2006 10・5 61

* 建日子には、わたしがいま「MIXI」で連載している「講演集」の、ことに文学・文藝に触れたものには目を向けていて欲しいと願っている。夕日子にも同じである。同行の我が読者にもむろん同じ気持ちでいる。

* やはり、いま「MIXI」で連載している長編『罪はわが前に』は、わたしが書いた長い小説の中では、久しく作者自身読み返すのをやや羞じらうものであった。瀧井孝作先生がこれを大きな文学賞に推したといわれたときも、嬉しいより身をちぢめて羞じらった。不出来を恥じたのではない。あまりに自身の魂にじかにふれていたし、「私小説」そのものと当時も今も読まれて反論のしようがない。電子化原稿の校正を目的に今度此処へ持ち出してみて、わたしは少年の昔のママに、胸を鳴らし続けているが、なにより、書いている筆付きの若い意気に今こそ気が付く。若いということの健康な魅力を自身の中に再発見する。
ヒロインは「あなたにしか書けない文学を」と、二十年ぶりリに再会した「宏」に望んでいる。有り難いと思う。
その有り難いヒロインを、作中の「姉さん」を、この作品ゆえであったのかも知れない、「離婚」させてしまったかも知れぬと人づてに聞いたときの衝撃は凄かった。その実否は今のわたしには確かめようがない。しかも一番下の妹は残念無念、亡くなったともやはり伝え聞いている。この作の校正は、寂しくも辛くもある。
2006 10・6 61

* 「MIXI」で此の「私語」を読まれる人達のために言っておきたい。わたしは、平生此の「私語」を一日中随時に書き足している。それで足りないときは、同じ日付で「つづき」「つづきの続き」を書くときすらある。書き足されていることが多いので、同じならそれにも注意して下さいますように。
2006 10・6 61

* イチロー君、機械の隘路について、テキパキと大いに導いてくれ助けてくれた。有り難う、心から感謝。
2006 10・6 61

* 「MIXI」の新しい講演録には、源氏物語『桐壺更衣と宇治中君』をとりあげた。中日新聞社が名古屋で主催した連続講演『源氏物語の女達』の、開幕第一回を引き受けたもの、わたしの源氏物語「読み」をとり纏めて話した。

* 今回のホームページ『作家・秦恒平の文学と生活』のプロバイダ「BIGLOBE」による無断の削除事件をお知らせ頂き、事の重大さを痛切に直感致しました。膨大な文化遺産がいとも簡単にこの世から消滅することがある。誤操作とか人間のミスとかではなく『意図的な行為』で。
高度な知識産業に携わる企業人、経営者の倫理観の欠如。非常識極まりない行為のように思いますが、『電子の世界』では一瞬にして情報が無に帰してしますことが常にありますから、今回は『バックアップ』などの処理は全くとられていないのでしょうね。
驚きのみで根の深いこの事態へのいい智恵は浮かびませんがどうか健康を害されないように、お体をご慈愛下さい。
もし消去したのは「表向き」だけで『データのコピー』が何かにとられている(良心的に)ようでしたら有り難いのですが、現場の操作員、責任者がどこまで事態の重要性を認識してこの分野の仕事に携わっているかという企業倫理
の問題もありますね。情報化社会の大きな社会問題であります。 川崎 e-OLD

* もう程なく地裁の「審訊」がはじまる。ペンの委員会での討議も、日程が決まった。「民事調停」は私事に類してているが、この「審訊」は問題としての周縁がひろい。
2006 10・7 61

* よくまあと呆れるほどSPAMメールが洪水のように、また流れ込む。そしてその中に、まともな知り人のまともな用事のメールも混じっているのは、とんだ迷惑。
2006 10・8 61

* 「MIXI」連載の『罪はわが前に』は上巻を終えて、以降の中巻下巻は割愛する。わたし自身が息苦しくなってきたので。
で、思い切りよく一九六九年の第五回太宰治文学賞受賞作品『清経入水』を連載することに。
講演は『桐壺更衣と宇治中君』を。わたしの源氏物語「読み」の一つの到達点を語っている。
「MIXI」を利してわたしはわたしを開放しようとしている。新しい優れた後進たちとの出逢いの場に、アクティヴに、仕立てて行ければいい。足あとをみていると着実に真面目そうな「いい読者」に出逢いつつあるような気がする。わたし自身の「MIXI」を清め浄めてゆきたい。
2006 10・9 61

* やはりBIGLOBEらのやり方は許す訳にはゆきません。京都で再会した友人と話題になりましたが、現在のIT関連法体系の不備は喫緊の要事だとの認識で一致しました。根本的な対策が確立されるまで、とりあえず貸しサーバー上でのHPのモロサをふまえて、とても面倒なことですが「バックアップ」を日常化、自動化する以外に方法はないようです。
本来、創作にそそぐべき精力の一部を下らない下世話な俗物対策にあてるなど、実に情けなくもったいない話ですが、それも自己防衛(読者を含めた文化共有の)措置として、やむを得ないことなのでしょうか。どうぞ、これからの無駄と思える日々のあれこれも、「秦ワールド」の一部として取り込まれ、文学に咀嚼するタクマシサで乗り越えられんことをと祈っています。お元気で。  円亀山人

* BIGLOBEとは徹底的に戦ってください。  波
2006 10・11 61

* ミクシイで、風の書いてらしたこと、今度書こうとしている評論に関連しています。
「告白する小説」と題しているのですが、書きたいという衝動、表現したい欲求は、人間の本能なのではないか、と、あらゆる芸術を見て思うのです。
自分をさらしたいと思っても、世間の目があるから、赤裸々な表現に仮装が必要で、虚構が生まれたのか、と、はじめ、思いました。カソリック的な抑圧のない日本では、ゆえに私小説・告白小説が発達したのか、と。
でも、事実をそのまま書いたものが、事実だからということだけで、成功するとは限りません。
たとえば、フローベールは、初期に自伝的な小説を書いていましたが、親しい友人に酷評され、奮起して、「ボヴァリー夫人」を書きました。
そして、「ボヴァリー夫人は私だ」といえるくらい、田舎の人妻を、ある種の人間典型として描ききりました。
自伝的小説が、あまねく読者にうったえかける普遍性を持ちうるのは、至難の芸が要ることでしょう。
日本文学の不幸は、このフローベールを批評した友人にあたる者のいなかったことではないでしょうか。
詳しくは、目次と一緒にまとめ、近日中に風に見ていただこうと思っています。
明日の打ち合わせもがんばります。書くのも、がんばります。風も、お元気でいてくださいね! 花

* このやりとりに触れられた「MIXI」でのわたしの発言だが、新たに、「漫々的 <書きたい>人との対話」と題して、書き始めたのである。「MIXI」のなかには夥しく「書きたい」「書いて行く」人達の述懐がある。実作にはなかなか出逢えない。なかには何かしら琴線にふれる発言もあり、催されてわたしもふっと発言したくなる。それを遠慮無く書いておこう我が為にもと思い立った。小説は『清経入水』を、そして「秦恒平講演集」はもう一月近く純に連載していて、今はNHKラジオで話した『春は、あけぼの』を関連のエッセイとともに掲載中。ほかに、もう二種類の書き下ろしのエッセイ連載を続けて行こうとしている。
言うまでもないが、わたしの創作の仕事は、こういう外向きの場所でなくしかし続けられているからご心配なく。
2006 10・15 61

* 「MIXI」に三枚の絵を載せているが、花の一つはこのメールの人の作。わたしの好きな作。もう二つの薔薇と風景とはわたしのべつの親友の作。とくに、郁さんも褒めてくれているように、この「薔薇」の原画はおそろしいほど秀れて描けている。妻など、眼が薔薇に吸い取られて行くと感嘆する。そう大きくもそう小さくもない繪だが、画家が自分でもいちばん好きな繪と断定的に言うほど。なんでもない無造作なほどの構図なのに、繪がそこに在るだけで佳いし、見れば見るほどさりげない中に真実の美がある。この画家は静止した命は描かない。命はいつもそよいでいると言う。この薔薇はいのちの美しいふるえをよくとらえてくれた。
風景もさすがであるが、あまりに美しく静かに落ち着いている。

* 明日は四時に電子メディア委員会。わたしのホームページ消滅事件に端を発した問題が議題になる。
2006 10・16 61

* 久しい付き合いの元阪大教授中村生雄さんの編纂された『思想の身体 死の巻』をいただいた。孫の死をめぐる「MIXI」状況などを思い合わせ、感慨あり。「死」の環境がインターネット時代にはいって激変して行く状況に初めて言及されている。昭和天皇の崩御にいたる電波による報道とは、また大きくサマ変わりして行くことを、わたしは、孫やす香の「MIXI」日記、やす香と親とによる病名公開と、死への経緯の「MIXI」での公開、知人とだけに限定されない国内外からのコメントやメッセージによる参加、また祖父であるわたしのホームページ「闇に言い置く私語」公開など、きわめて顕著な新現象として「死」の時代の大きな烈しい変換に一頁を開いたことになる。多くの批評や検討や推移がこの先にあるわけだが。
2006 10・17 61

* 電子メディア委員会に電子文藝館委員会も合同して四時から六時過ぎまで。
おおかた「プロバイダ問題」を話し合った。委員長は立法面にもくわしく、他にも詳しい委員がいて、問題点は具体的にかなり突っ込んで話し合えたのではないか。
十一月に、プロバイダからも人を招いてより詳しく討議し、その上で、シンポジウムも必要なら開く視野で検討を続行すると。続行しなくてはならない問題に当面しているという認識で、一致。
問題はとにかく大きく、「プロバイダ責任制限法」に規制されたプロバイダもじつはブログ等の運営やコンテンツ吟味や表現の監視に困惑するところがあり、ユーザー側にもわけわからずに一方的に処理されて行く不満も不安もある。
双方が寄りより問題点を煮つめて、より良い「慣行」へ具体的な提案が出来て行かないだろうかと。
ことは、問題提示者である秦委員の私的な事件を上越して、このブログ盛行時代におけるプロバイダと表現者や著作権者のあいだで、より堅固で適切な共通認識や慣行や基盤が出来て行かねばならないだろうというのが、委員会の認識であり、それが確認されてひとまず終えた。その線でもう一度二度と具体的にフォロウされて行くことになる。
およそそういう事で。合同委員会のかたちになり、良かった。
2006 10・17 61

* 「MIXI」日記をしらべてみると、今年二月十四日にログインして以来、即翌日から新連載をはじめて、作品だけで、のべ三百三十回分も掲載している。その他にいわゆる日記も五、六十回書いている。ほぼ八ヶ月になろうとして、「MIXI」利用度は予期していたより頗る高い。
いうまでもなく「MIXI」もいわばプロバイダであり、この八ヶ月の間に不可解な干渉や不愉快な干渉を何回もわたしは受けた。やす香との足かけ六ヶ月のマイミクシイ関係に有ったなればこそ、わたしたちは実に多くのやす香の記憶を日記から得られたし、友人達の証言からもえられた。つらいことだが、なによりもやす香の病状に深い悲しみも苦しみも味わった。おまけにやす香の死後にやす香の名前を悪用した奇怪なイヤガラセにもイヤほど遭った。「MIXI」への愛着は、わるいが今のところ殆ど無い。ただ、小一万にたっしている「足あと」を経て新しい何人もの友を得てきたよろこびが、退会の足を引き留めている。
2006 10・17 61

* 今日はBIGLOBE削除問題で第一回地裁審尋だった。法律家同士の話し合いは、なかなか部外者には理解しにくい。明日か二十三日にまた打ち合わせて二十四日午前に第二回を、と。疲労が溜まっているので明日は勘弁願い、二十三日午後に法律事務所へまた出掛ける。
2006 10・19 61

* お気に入り登録の「生活と意見」をクリックすると、今日もまたのBIGLOBEリサーチの画面でがっかり。
先のみえない確執はひとつ措き、プロバイダーを替え、「生活と意見」の化粧がえをして新規に立ち上げてみるのも一興かと存じます。
小生、多量な迷惑メールに辟易し、いちいち削除するのも面倒になり、腹立ちまぎれにプロバイダーごとアドレスを替えてしまいました。いずれまた、疫病神は舞い込むことでしょうが。
ちかごろ、介護センターから人を派遣してもらうような怪しげ体調になってしまいましたが、貴殿も老躯はしっかりいたわり、多難に対処してください。  ペン会員
2006 10・20 61

* わたしのホームページの「私語」は、近年は一ヶ月ごとに一つのファイルに整備されている。
現在六十ファイルに日録が分蔵されているわけであるが、第一ファイルだけは、「現在進行形の私語日記」を、毎日上へ上へ積み上げている。つまり「日付逆順」で、一番上に一番新しい日付の記事が書き込まれている。
しかし、月をまたいで十日半月するうちには、前月分を一度「一太郎lite」へ転写し、一太郎ソフトの上で、変換ミス等の誤記や句読点、冗漫等を訂正しつつ、総て「日付順」に直してゆく。
直し終えれば順番の明いたファイルに、一ヶ月分一括して収め、その段階で第一ファイルから「移転した同内容分を消去」する。その操作に気づかない人も、馴染みの薄い人にはあるけれど、その由は、update欄内にも、第一ファイルの冒頭にも、きちんと案内し明示してある。文字検索でしか見ないような不親切な読者には、その実情がまるで飲み込めていないだけの、つまり誤判断がある。
今回BIGLOBEや★★はソレに気が付かず、第一ファイルから別ファイルに移動した同内容の記事を、一度削除したと思わせてまた別の所で復活していたなどと、自分達の時間差発見を、不用意・不親切に悪意に誤解していたのである。
要するに、BIGLOBEの不親切な早とちりで悪意に取り、削除を強行したのである。

* 「再三通知」したと言うが、どんな手段でいつという特定が出来ているかもともかく、そもそもBIGLOBEメールをわたしは一切使用していない。ホームページ開設以来、受信設定もせず、どうしても出来ず、すべてそれ以前から愛用の「ニフティですべて送受信」してきたのだから、そんな通知の読める道理がなかった。
周知徹底したなどととても言えない「一方的で勝手な内規」にのみしたがい、「不確実な通信方法」にあぐらをかいたまま、「超過剰な削除を不用意に決行」したBIGLOBEの「不親切と無責任」はきわまりない。もし、長期の海外旅行をしているなどの時も、情け容赦なくこういう強行を敢えてするのかを厳しく問いたい。
これを機に、われわれ「日本ペンクラブ電子メディア委員会」とも協力し、時代に合わなくなっている「プロバイダ法」の見直し等の機運をはかってもらいたい。協同でシンポジウムを開くなど委員会は考えている。プロバイダ間のあまりに不統一な慣行も、ユーザとしては不安不信に堪えない。
2006 10・21 61

* SPAMメールばかり、よくもこう怒濤のように押し寄せると、呆れるばかり。わたしの現況がほとんど戦時体制かのようで、気疲れもしメールを遠慮されるのだろう、それはそれで、有り難くもある。少し淋しくもある。
そのかわり、「MIXI」の方で、心親しい、何人もの、古い、新しい、読者や友人達と出会っている。今日もふと「足あと」を追ってみたら、「茶入れの仕覆」などつくっているとあり、おやおやこういう人にも出会うかと嬉しくなった。そしてよく見るとあまりに自然に、いかにもそうに相違ないという人の紹介で「MIXI」に参加されていた。その人なら久しい私の友であった。その新しい知人ともすこし話し合えて心安らかであった。
わたし自身は、自ら求めて「マイミクシイ」を殆どつくらないでいる、が、親しい人の「マイミクシイ」を気分転換にちょくちょく覗いたりする。ずうっと欠かさず毎日訪れて下さる、実際にはご本人のことを存じ上げない方も、ある。海外からも。なにとなく賑わって心励まされる。
しかし時に少し心さわぐもちかけの来ることも無いではない。それが「MIXI」というものか。
2006 10・22 61

* もうやすもうかと思ってのぞいてみた「MIXI」に、見知らぬ人のわたしに語りかける優しいことばが、重ね重ね書き込まれているのに気付いた。温かい。
気をとりなおしてもう今夜は、寝よう。インシュリンを約束の十倍もキュッと注射すれば目覚めることは無いのだが。
2006 10・23 61

* BIGLOBE問題は、第二回審尋で「和解解決」したと法律事務所から知らせてきた。今年の六月七月八月の「私語」のみ削除し他は復活すると。
何の感慨もない。過剰な削除であり、★★★らが著作権を相続したというやす香の「MIXI」病悩日記の引用のほかにも、わたしの創作的な文章やエッセイ・批評はこの三ヶ月の日記に実に満載されている。引用にも適切な個所の方が遙かに遙かに遙かに多いはず。乱暴と云うしかない。
一応結末を待ってみたわけで、用は済んだ。BIGLOBEとのホームページ契約はすぐに解約する。
2006 10・24 61

* 秦先生  Web消滅から一ヶ月もたって、ようやく片が付きましたね。
弁護士を交えて和解というひとまず結びに入ったわけですが、和解というのは、裁判官の判断が入らないものなのか、(知らないので)興味があります。裁判官の判断を含むのであれば、これは大騒ぎになる事案だと思っています。
生活と意見、読んでいます。先生のWebのこと、また何かありましたら遠慮なくおっしゃってください。
先生。言われなくても分かっている…と言われるのを承知で。
先生が続けられている消耗戦は、先生方を疲弊させるためだけのものでしょう。奥様のご健康を承知でやっているとしか思えません。
それでも、戦いを続けることしかないのではないかと思います。そして、相手方にヒビが入り、続かなくなる方法しか。まだどんな手を控えているか分かりません。
できる限り、正面は事務方に任されることを願っています…。 卒業生

* ありがとう。
消耗もまた人生の一局面とおもい、懸命に消耗しています。まだまだ何が起きてくるかしれませんが、そういう人生を選んできたものと。わたしの「今・此処」がくっきりと続いて行くだけ。
BIGLOBEの復旧を早く目で見たいけれど、更新しようとしても「パスワードが正しくない」といわれ、BIGLOBEは以前のままのパスワードでいいのだと云い、つまり復旧を「確認できない」ままでいます。今となれば空しい話ですが。
今日は一人で 劇団昴の三百人劇場での残り少ない公演を見てきます。わたしの人生劇場の只今の「場」よりは楽しめるでしょう、「夏の夜の夢」です。
またのんびり飲み食いがしたいな、イチローと。 湖
そうそう、むろん裁判官の判断があっての「判決」だそうで、正式の書類は届いていません。
2006 10・25 61

* もうわたしの以前の、http://www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/ というホームページサイトは存在しない。数万枚ものわたしの著作・創作を、何の顧慮も躊躇もお構いもなく、適切・確実な通知も確認もせずに一気に全削除してしまった。言語道断なそんなプロバイダを安心して使うわけに行かない。プロバイダを替えてこのホームページはもとのままに送信している。アクセスして下さっている方は、秦のホームページがもとのまま支障なく復旧していると、どうぞ新しい「URL」をお知り合いの方々にお伝え下さい。リンクもご自由になさってください。

* 地裁審尋の「判決書」が届いていた。大山鳴動して鼠も出なかった。長くて「数日」ということだったから「仮処分申請」に同意しお願いしたが、「一ヶ月余」もかかり、結局復旧したという画面も見ること出来ず、BIGLOBEを解約した。何の必要があってわたしのこの六月、七月、八月の全部の「私語」削除を容認して「和解」なのか、わたしには全然理解できない。わたしのために何の利益をはかろうと仮処分申請してくれたのか、尽力の成果がどこにあったのか、全く理解できない。
この事件で法律家とも当事者として話し合わねばならず、ほとほと驚愕したのは、法律家の言葉はじつに私たちの耳に入りにくいと云うこと。しかし裏返すと、法律家の耳にはわたしのような文学者の言葉はほとんど一顧もされないほど無意味で無効なのである。裁判官は「そういう訴えには一顧もあたえません」と、さらさらと云われる。ダメダ、コリャと「人間」を務めているのが情けなくなる。
2006 10・26 61

* 新しい「URL」を、「MIXI」の沢山な人が聞いてこられる。裁判官も弁護士もわたしを人間的にまもってくれるかどうか、分からない。だが、あたたかい人の輪は在る。分かる人は、分かってくれると信じられる。それでいいのだ。たとえわたしが牢屋へ抛り込まれようと、分かっている人は分かってくれる。
「分かる人は、言わんかて分かるのん。分からへん人には、なんぼ言うても分からへんのえ」と昔、「姉さん」と慕った人はわたしを肩から抱くようにして、そう言った。その人は思えば当事十五歳だった。京都という町は懐が深い、たった十五の女の子がこれほどのことを言う…と、京大の有名な数学教授がものに書いていた。
しかしわたしは、いま、愚かにも、聞いても見ても「分からへん人」相手に分からせねばと闘っている。そんな相手と同じ列に降りてものを言うな書くなと、傷ましがってくれる人がいる。そのリクツは分かっているが、わたしは、やめないだろう。「今・此処」のわたしがそれをせよと命じるかぎり、わたしは闘うことで自分を見詰める。そんなとき、いつもあの鏡花劇「山吹」の舞台を思う。
2006 10・27 61

* 「MIXI」の「足あと」をみていて、なんでこの人がわたしのところへと首をかしげる例がいっぱいある。プロフィールを見て、少し分かるときも、まるで分からないときもある。新しい会員を捏造して偵察にきていると分かる例もある。「MIXI」は必ず誰かの推薦がなければ入れず、推薦者は自動的に「マイミクシイ=親しい仲間?」になるから、一人もマイミクシイのない会員というのは原則いないだろうに、現にマイミク非在の人の「足あと」もあらわれる。なにもかもアイマイ。だから「ブロック」してしまう。
しかしプロフィルを見ていて、おやおやと忽ち気がうごく時もある。いかにも「美空ひばり」の好きそうな人のようなら驚かないが、あれあれと思う人の「好きな人」の欄にひばりが好きとあると、ひばりを「初恋の一人」と秘めてきた古稀の爺はすぐ嬉しくなる。「メッセージ」を入れると、忽ちに元気溌剌、生彩に富んだ声が返ってくる。まだまだバーチャルの限りで、だから保てるのかもしれないが、「MIXI」ではこうして「影像世間」がひろがる。わたしが、「MIXI」以前の小説家のままであれば、絶対に触れあいもしなかった人達と、今、触れ合っている。あきらかなわたしの「いい読者」たちもそこにたくさん実在しているが、名も住処も知らない人、ニックネーム一つで付き合う世界である、が、確実に二十歳代と思われる友達をいまわたしは、アメリカにも沖縄にも北海道にも東京にも京都にも、ずいぶん多く得ている。
何度も何度もやめてしまおうかとイヤな思いをした「MIXI」だが、今もやめないで、信じられないほど沢山な作品を提出してきた。つまりわたしはニックネームに隠れないで、「秦恒平」の名を明示して、自分の作品を公開している。

* わたしが「美空ひばりが好き」に引っ張られ、「足あと」へメッセージしたその沖縄の若い人は、好きな「源氏物語」を「検索」して「MIXI」のなかのわたしに行き着き「足あと」をつけました、仲良くして下さいと弾むような佳い返辞が、今朝来ていた。
なんだか「MIXI」の宣伝役をしたテイタラクであるが、それだけに「MIXI」の運営は十分「深切・鄭重」であって欲しい。
2006 10・28 61

* こういう嬉しい「MIXI」メッセージが届いていた。申し訳ないが東工大というご縁に甘えて、私のジマンの一つに書き込ませて頂く。ごめんなさい。

* 秦さん  URL、ありがとうございます。
>(おもしろいエッセイを心行くまで読みたいと、プロフィールにある=)わたしはエッセイ本も何十冊も出しています、読んで下さい。
秦さんの御本は、『少年』『慈子』『お父さん、繪を描いてください』を読ませていただきました。いつかメッセージを送りたいと思っておりましたが、おそれおおくてなかなか果たせませんでした。HP削除という不幸な出来事をきっかけとしてやり取りさせていただけたのは申し訳なくも思います。
わたしが関心のある領域にいつも秦さんがいらっしゃるという印象を持っています。著作権について認識を深めようと手に取った『デジタル著作権』という本に秦さんが寄稿されていたのがお名前を知ったきっかけです。
最近も、著作権団体による期間延長のアピールに対してなされた評も素晴らしいものでした。
さらに、わたしは東工大で経済学を学んでおりました。秦さんの次の次にあたるのでしょうか、井口先生や、社会学の橋爪大三郎先生といった東工大の文系教員があつまってできた文系と理系の学問の融合を目指す大学院に、今年の三月まで通っておりました。
そして、大学生のとき以来短歌に興味を持っています。『少年』に示された端正なうたのお姿を読むたびに思わず身震いします。
犯罪者のような顔写真の人間の「足あと」がついているのに気味悪く思われたかもしれませんので、自己紹介させていただきました。これからもmixiの連載や「闇に言い置く」を読んでいきたいと思っています。  東工大院卒

* 励まされる。わたしの当時の学生クンたちより、よほど若い人のよう。
2006 10・28 61

* 秦さん。民事調停と審尋、ともにお疲れさまです。
大兄のホームページに以下のような記述があってから、電子文藝館のメーリングリストに何らかの告知が載るのかなと思っていました。
大兄からの告知があれば、メイリングリスト上で、一言書きたいと思っていましたが、とりあえず、大兄宛に書くことにします。

* 地裁審訊の判決書が届いていた。大山鳴動して鼠も出なかった。長くて数日ということだったから仮処分申請に同意しお願いしたが、一ヶ月余もかかり、結局復旧したという画面もみることなく、BIGLOBEを解約した。何の必要があってわたしのこの六月、七月、八月の全部の「私語」削除を容認して「和解」なのか、わたしには全然理解できない。わたしのために何の利益をはかろうと仮処分申請してくれたのか、尽力の成果がどこにあったのか全く理解できない。
この事件で法律家とも当事者として話さねばならず、ほとほと驚愕したのは法律家の言葉はじつに耳に入りにくいと云うこと。しかし裏返すと、法律家の耳にはわたしのような文学者のことばはほとんど一顧もされないほど無意味で無効なのである。裁判官はそういうことには一顧もあたえませんと、さらさらと云われる。ダメダ、コリャと人間を務めているのが情けなくなる。

「プロバイダ責任制限法」に基づく、今回の大兄のホームページの全面削除問題に対する審尋での裁判所の「判断」は、私も腑に落ちません。
私の拙い知識で判断するに、「プロバイダ責任制限法」は、免責手続法なのですね。
迅速な手続きを最優先するため、類型的、形式的な、つまり、あまり、判断力を必要としない、機械的な判断で、「迅速かつ適切な対応」をするように法は、薦めています。
インターネット上での個人の権利侵害が多発する中で、プロバイダに迅速な対応を求める代りに、手続きさえ、ルールに則っていれば、最大限に免責する法律のようです。異義申し立てがあったら、プロバイダは、発信者に連絡をして、7日間経っても、反論がなければ、速やかに削除する、という手続きは、この法律が定めています。従って、ビッグローブには、瑕疵がないというのが、そもそもの裁判所の前提なのでしょう。

著作権上の問題があるとすれば、当該の日記の引用だけのはずなのに、一部を削除するという対応ではなく、まったく無関係の「秦文学館」ともいうべきホームページ全体を削除したという「過った判断」は、何ら問題にされず、ビッグローブには、何のおとがめもなしということなのでしょうか。せめて、過った判断だというような裁判所の見解が示され、その上で、過失の重大性の有無を判断し、云々という文脈ぐらいには、なるのかなと期待をしておりました。

ビッグローブの問題点は、
1) 削除した範囲の是非→これは、明らかに、「非」であって、過剰な対応です。
2) 判断基準の是非→1)の判断をした基準は、なんであったのか。これは、是非とも知りたいですね。
3) その上で、今回の削除にあたって、ビッグローブに「重大な過失」があったのか、どうか→今回の審尋の結果示された裁判所の判断を見ると、裁判所は、ビッグローブに「重大な過失」があったとは、認定していないんですね。情報が、プロバイダによって、「過って削除」されても、ほとんど免責されてしまうということのようですね。

プロバイダ責任制限法の「著作権関係ガイドライン」という文書を読むと、ガイドラインは、「プロバイダ等が責任を負わずにできると考えられる対応を可能な範囲で明らかにした」として、さらに、「裁判手続においてもプロバイダ等が責任を負わないものと判断されると期待される」と明言していますが、今回は、本当にその通りに進行しています。

さらに、新たに、審尋で示された削除範囲も、ビッグローブの全面削除の「精神」と通底していて、「私語」の、6、7、8月分の全てという、類型的、形式的、機械的な判断で、規模は、ビッグローブより小さいものの、「過剰な削除」という点では、同根なのです。因に、例えば、6月の場合、6・22以降は、日記の引用などが多用されるものの、それ以前は、「普通の」の「私語」という作品です。

審尋の結果、ひとつのプロバイダの問題にとどまらず、プロバイダ責任制限法の問題性の深刻さを改めて浮き彫りにし、この問題については、裁判所も当てにならないということがはっきりしたわけで、自分のホームページやブログを持つ、私たち(個人も、ペンクラブのような団体も含む)としては、誰かにいちゃもんを付けられ、それぞれのプロバイダにたれ込まれたら、7日間以内に、精々反論をしないと、今回同様の目に遭うこと必定ということです。法も法の番人も、電子メディア時代の情報発信を保護してくれないということを社会的に訴えて、問題を顕在化するしか、私たちの前には、途はないようですね。

民事調停に関する記述も痛ましく、是非とも、いずれは、文学作品に昇華させてください。ご子息が、冷静に父上を支援しているのには、ホッとします。奥様ともども、心身共に、御自愛専一にと願っております。   英

* がっくり消耗のあまり二つの委員会に「報告」すべきを失念していた。問題は、指摘されているその通りだと思う。こういうことが平然と為されて差し支えない不備な法律のまえで、不当な不利益を「和解」の美名で結局押しつけられるのでは、堪らない。
2006 10・29 61

* 『畜生塚』に併行して、大原富枝さんとの懐かしい対談『極限の恋』を「MIXI」に連載しはじめた。汚されきったいまの気持ちを、絶妙にバランスしてくれる。
こういう小説を書き、こういうことを思っていた、考えていた、まさにそのさなかで、わたし秦恒平は、実の娘・★★夕日子を、「虐待」「性的虐待」していたと、娘の七歳以降「二十年」「四十年」にわたり、ずうっと「虐待」「性的虐待」されてきたと、その「実の娘」から、いま公然とうったえられている。 ★★ 夕日子は夫・★★★(青山学院大学教授)とともに町田市に暮らしていて、「民生・児童委員」を務めていると「肩書き」にいう。
父親のこのむちゃくちゃな悲しみが、わたしの生き方・書き物を通じて、はたして人に伝わるのだろうか。絶望にちかい絶望を堪えてわたしは絶望などしてはいけないのである。わたしは「今・此処」に生きて懸命。そのあかしはわたしの「文学と生活」とで示す以外に無い。

* ★★★と秦家との確執は、★★が、オーバードクターとして就職難に喘ぎ、わたしが偶々東工大教授に就任したまさにその時に表立った。★★からムチャクチャに親を罵倒した手紙で「暴発」(当時、妻・夕日子の表現)した。
さらに時久しき断絶を経て、不幸、今年の夏、★★の長女やす香が劇症の癌「肉腫」で亡くなったときに、またも★★★の名で、わたしを「告訴・訴訟する」と今度は「威嚇」してきた。その「理由の最たる」ものは、われわれ祖父母自身、手も尽くし得ないで可愛い孫を「死なせてしまった」と嘆いていた、その「死なせた」を、「やす香の両親を、やす香を殺した殺人者だと謂い広めている」「キャンペーンしている」とねじ曲げて釈ったのだ。
わたしには、早くに弘文堂「死の文化叢書」の一冊に、版を重ねよく読まれた『死なれて・死なせて』の著書があり、その「死なせて」と謂う意義は、誤解しようもなくハッキリしている。「死なれる」のは主情的な悲しみであるが、「死なせる」のは人間存在のかかえた根源苦・業苦のようなもので、自責の悔いとして表れる。『心』の「先生」の友人「K」を死なせたのも、薫大将が宇治大君を死なせたのも、ハムレットが多くを死なせたのも、建礼門院の存在がじつに多くを死なせたのも、知勇の宗盛が我が子知章をむざむざ死なせたのも、ヒースクリフがキャサリンを死なせたのも、ファゥストがグレートヒェンを死なせたのも、みな「殺した」というのとは異なる。下手人ではないが、「死なせた」のである。
たとえ一時逆上したにせよ、しばらくもすれば、青山で教育哲学を教えるという教授が、またお茶の水で哲学を専攻し、いまは市の民生・児童委員を務めると称し、さらにどういう気か「女流作家」をすら自称するほどのインテリ夫婦が、ものの道理の分からぬ筈はないと思うのだが、エスカレートにエスカレートして躍起になり、いまわたしに「インターネット上での謝罪」や「賠償金」を請求している。

* 十数年前の「暴発」にも、★★★の滑稽としか謂いようのない「浅解・誤解」が引き金になっていた。娘の聟である自分が、なぜ秦恒平の「身内」ではないのか、と。そう叫んで彼は暴発した。
いきなり誤解と言っては失礼かも、しかし早稲田政経出の「秀才」という仲人口であったのに。秦恒平の「身内」観が独自・独特のものだとは、彼を娘に引き合わせた仲人さんの****教授もよく御存じである。ただの知人ではない、わたしの「いい読者」であった、氏は。むろん娘・夕日子も父親の「身内」観は十二分に聴いている。
ましてその★★の誤解を生んだのが、紀伊国屋ホールで上演された、俳優座加藤剛主演になる漱石原作『心 わが愛』を、家族みんなで「観た」あとだったのだから、それはもう、お笑いというしかないのだった。わたしが脚本を書いたこの『心 わが愛』は、漱石の原作を借りて、利して、といってもいい、わたしの「身内」観を主題に劇化したと謂えるものだった。劇場は通路にも客の座るほど、消防署から注意が来かねないほどいつも満員だった。劇評もびっくりするほどよかったし、「真面目な作の真面目な感動」と謂われ、分かりにくいなどとは謂われない芝居だった。いま、NHKが藝術劇場で放映したビデオで見直しても、どうするとあんなバカな★★★の憤懣がとびだすのだろうと笑えてしまう。
むろん娘の夫になったばかり、ろくに話す機会もない★★★が、わたしの「身内」でなどあるワケがなかった。
彼は親類縁者だから「身内」だと言い張る、が、わたしは舞台の上でも著書の上でも、人間とは、「自分」「他人」「世間」の三種類しかなく、親も兄弟も親類も自分ではない以上「他人」=知っているだけの人の意味だと、子供の頃から思い決めていた。「世間」とはつまり知らない人。
しかし人はそれでは寂しすぎる。だから死んでからも一緒に暮らしたいほどの「本当の身内」が堪らなく欲しくなる。その「本当の身内」とは何だろう、というのが平たく謂ってわたしの文学の動機であり主題であった。その一つだった。★★★はそれが理解できず、また文学への、あるいは文士である舅への軽蔑の念から、理解しようとすらしなかっただけのことなのである。そして秦の家に行っても、夕日子とやす香の写真は飾ってあるのに俺のはないと、家に帰ると妻に当たり散らしたというのだった。

* わたしの多年の「いい読者」たちは、こんなことは、寝言でも言えるだろうほどよく知っている。やす香の死をめぐる信じがたいような紛糾の経緯も、よくよく知って貰っている。
わたしには何の闘う武器もない、「書く」ことでしか身も守れない。裁判も法律もアテにはならない。
秦さん いたましいと、また、そんなことバカげている、放っとけばいい 相手にしなければいい と言われても、この「死なせて」「身内」の象徴的な二つの事例からしても、相手はもう盲目滅法に暴走している。わたしの読者にはさまざまな地位や職種の大人が多いが、その中にはこういう★★夫妻の動きを、掌をさすように懸念していた人もいた。何度も紹介しているが、何度でも紹介する必要がある。そしてわたしは絶望などしてはいけないのである。どんなに言う大勢が在ろうとも、わたしはわたしと妻とのために、かかる無道の前に絶望してはならないのである。
その読者の一人は、はっきり、こう予想していた。

* 私には、あなたが作家としてご自身の作品を守り、言論の自由を守り、それでも夕日子さんのためを思い、訴訟には強いて勝たなくてもいいとお考えのように見えてしまいます。
これは、最悪ではないでしょうか。
さらに訴訟があなたの心身の健康に与える負担を思うと、ぞっとします。何十年も訴訟している例をいくつも知っています。泥沼です。
そして、相手の弁護士を甘く見てはならないと思います。
まず、実の娘からの告訴を煽るということは良識ある弁護士ならしません。「九十五パーセント勝つ」という妙な強気もおかしい。これはかなり質の悪い「やくざ」な弁護士がついていると推測すべきです。
さらに私がもっとも恐怖するのは、裁判が不利になった場合に、夕日子さんが「言葉によるハラスメント、虐待」だけでなく、少女時代に「性的虐待」を受けたと「嘘を訴える」ことです。夕日子さんはそこまでしても勝ちたいでしょう。負けないために身辺・周囲が煽るでしょう。アメリカでは無実の父親がこうやって社会的に葬られた例が山ほどあって、本になっているくらいです。
もし、そのような根も葉もない訴えがあった場合、裁判は女の味方です。自称被害者のほうが強いです。痴漢の冤罪よりも無実の証明は絶望的です。あなたの作品はことごとく抹殺され、百年は埋もれなければならない。あれほどの名作なのに。日本語の宝なのに。
私の願いは、一先ず譲歩して、「告訴」騒動を鎮めてくださることです。ご家族、弁護士さんなど色々な方々とご相談して、あちらの要求がこれ以上傲岸に過大になる前に、お考えいただけないでしょうか。
その上で決断されたご判断は一番正しいことですし、それを心から支持して、あなたとご家族の皆さまのお幸せをお祈りし続けることに少しも変わりありません。  読者

* いくら何でも度はずれていると、わたしはメールのこの辺は読み飛ばしていた。
ところが、夕日子は「木漏れ日」名義の「MIXI」日記を利し、しかもそれがわたしには「読めない」ように画策しておいて、八月以降、公衆相手(六百万人)に、じつに、読むも忌まわしい上記に危惧されたとおりの「嘘を訴える」ことをしつづけていた。
わたしには、それが読めなかった。人がコピーして送ってきてくれない限り。よほど見るに見かねて癇癪玉を破裂させた人が、全文を、送ってきてくれた。
ひと言だけにしよう、あきれ果てた。
もうひと言、何と情けない人間になったのだろう、わたしの娘は。

* わたしは、ものに書く場合、政治と外交とは、別。それが普通の批判や非難にあたる場合は、いわゆる「ウラ」を確保してでなければ、断定しないようにしている、当然の作法である。推測は人性の自然であるが、それも前後の状況から推して、蓋然性を堅くにらんで、する。まともな評論や批評は、そうでなければ出来ない。
それぬきに、好き勝手なでたらめな「作文」は、幾らでも出来る。誰にでも出来る。上のメールの人が、「心から危惧」し予測していたことを、夕日子は臆面なく、とうに、やり始めていたんだ。それも実の父や母に向けた、むちゃくちゃな「悪声」「誹謗と中傷」。

* そこまでやって、いったい夕日子は、何の自意識から「責任遁れ」しようとしているのだろう。
我が家はきわめて狭い家で、しかも妻と私は何十年、常にまぢかに暮らしてきた。わたしが一人の時は、書斎とも呼べない窮屈な机に向かい、夢中で依頼原稿を書きまくっているときだけだった。

* もう一人の読者はこう書いてくれている。

* 娘さんについて考えたことを書きます。まず娘さんが「MIXI」に書いた性的虐待の日記ですが、そもそも娘さんがハンドルネームを使っているとしても、周囲に自分とわかるように書いていること自体、そういう事実はなかった「嘘」とわかります。性的虐待のカミングアウトというのは、女にとってよほどのよほどです。使命感でそういう「活動」をしている人以外には、ほとんど例がないのでは。
私は子ども時代の虐待について本人の書いたものをいくつか読みましたが、まずあまりの傷の深さに、そういう著作自体少ない。そして、書かれたもの二例では、本人が自分の名前を戸籍から変えていました。  読者

* 夕日子はおそらくこの二つの読者メールを「逆手に利用」しようとしたのではないか。「使命感」を偽装して仁義なき闘いに勝利をめざしているのだろう。上の「読者氏」は、つまりは秦さんが「★★★」で「目をすった」のが根本原因でしょうと冷徹だ。一言もない。だが絶望してはならぬ。
この半月ほど克明に「★★指弾条々」に答えてきた全部を写真ももろともに印刷した。これは個と個との間の内緒ごとではない。町田簡易裁判所に公然提出された文書そのものへの否定の反駁である。
裁判所に提出するが、わたしの気持ちは裁判官や調停委員や自分の弁護士よりも、インターネットの「読者」に向いている。わたしはそこで身内ならぬ「身方」を得なくてはならない。異例の手段であるが、「インターネット時代の一つの実験」をもわたしは意図している。すでに「MIXI」を舞台にくりひろげられたやす香の死への「全逐一」は「死」を迎える全く新しい次代の新しい「先駆の一例」を世界に提示したと、専門書の中で冷静に評価されている。そういう時代、そして「かくのごとき、死」が在った、現実に在ったのである。愚劣きわまりない「かくのごとき、闘い」もまた在ることから、わたしは身を退かない。夕日子が「MIXI」で隠れてしていたような卑劣なこと、何一つの裏付けも実感もなく、父を「性的虐待者」として指弾していたようなことは、わたしはしない。アケスケに真っ当に、わたしはそれと闘う。
2006 10・30 61

* またわたしの機械がときどきへんな瞬きをしはじめている。なにかのことでインターネットが機能しなくなりそうだ。光ファイバーは結局使えずじまいに終わったし。なにもかも途切れたきは、秦は少し長い休息に入ったと想って欲しい。
2006 11・1 62

* 「MIXI」に『畜生塚』を終え、同時に加賀乙彦さんとの対談「創作への姿勢と宗教」も一回でみな載せてみた。とても気持ちよく、あわせて「畜生塚と加賀さんとの対談」として日記に少し述懐した。

* 畜生塚と加賀さんとの対談   この二つをならべて、ここ「MIXI」へ書き置くことができ、わたしは、なぜともなく深く安心している。
「畜生塚」の末尾近くに書かれてある手紙を、何年か前に、そう十一月に自殺した実兄が、わたしの書いたもののなかでいちばん印象深く読んだように手紙をくれていた。この兄とはただの一度も一つ屋根の下でくらした記憶がない。顔を見合って出逢ったときは二人とも五十前後であった。
「讃岐町子」というヒロインを創らなかったら、わたしのその後はまるでちがっていた気がする。この初稿を書いたのはわたしが二十七か八ぐらいのときだ。川の流れのように時は流れてきた。
いまは息子の秦建日子が創作者として健闘している。死なれてしまった兄北澤恒彦の息子黒川創もりっぱに小説家としてやっている。川の流れのように人生はあり、もうわたしの海までは遠くない。帰って行く「本来の家」でどれほどの人たちと暮らすだろうと想うと、思わず顔がほころぶ。 湖
2006 11・1 62

* 朝、インターネット稼働せず。メールも開けない、送れない、記事の更新もできない、「MIXI」も開けない。
2006 11・5 62

* 辛うじて機械復旧していたものの、まだ不安定で不安。
2006 11・5 62

* インターネット、午まえから、ずうっと不調。

* 一時十分に家を出て、所沢街道を一路西へ、西武池袋線の所沢駅前まで走り、弓なりに南へ東へ戻ってきて、きっちり二時間三十分で帰宅。
エビスビール一本飲んで機械の前にきたが、機械は不調なすすべなく、小一時間、椅子のまま仮眠。
2006 11・6 62

* ものの数分間、インターネット通じ、急いでメールを受信。瀧のように不良メールが来ている。
2006 11・6 62

* 午後三時半までインターネット、杜絶。いま、復旧している。その間に受信したまともなメールの、ちょうど二十倍がスパムメール。せっせと削除。どっちもご苦労なこと。
2006 11・7 62

* 昼前の一時間ほどインターネットが使えたが、午過ぎて、もう不調。

* 「なごり=別れを出逢ひへ誘ふ愛」「竹取翁なごりの茶を點つる記」「遠い遠いあなた」三作を合わせて「MIXI」へ送りこもうと用意し終えたところで機械不調。あきらめて自然復旧を待つだけ。手の施しようがない。だが待てば回復する。そう信じることにする。そしたら送り出せばいい。送り出せても出せなくても、同じこと。

* 書いたものの転送が出来ない、通信ができない、だけ。「私語」もできるし、「著作」仕事はいくらでも好きに出来る。わたしのパソコンには、ほぼ無数に作・文章が満載されているので、したい仕事やすべき仕事やそのための用意の仕事など、新しい着手でも、その時の感興にまかせ、いくらでも選んで出来る。外の世間とかかわることが機械的に出来なくなることを、ほんとうは嘆く必要など、すこしもない。一日のうちに、せいぜい十五分から三十分もインターネットの復調するときを見逃さねば、メール一つにしても下書きして置いてその時揃えて発信すればいい、受信すればいいし、書き込めている「私語」の転送にたいした時間はかからない。ものは、思いようである。
現在ルーターの四つ緑色に点灯しなくてはいけないのが、真ん中二つが黒く消えている。上がADSLで、下がPPP。この下のが働かないとインターネットが出来ないらしい。やれやれ。機械だって休憩したいのだ。

* もう日付が変わっているが、夕方からずうっとインターネットは利かない。仕方なくほかの出来る仕事をえんえんと続けていたが、ルーターの緑ランプは二つだけ。ダメ。十月の「私語」をほぼ全部整えたが、もう少し。だが、もう疲れた。メールや「MIXI」を開いてから寝たいがムリのようだ。
2006 11・8 62

* インターネットの不調が続いている。手の施しよう、無し。インフルエンザの予防接種や健康診断に近所の医院へ行ったが、満員で、出直すことに。帰宅してインターネットは相変わらず不通。
2006 11・9 62

* マドレデウスの「ムーヴメント」を聴きづめに仕事していたが。三時半、ネット、回復せず。もう一度医院へ出直す。健康診断とインフルエンザ予防接種。
九時過ぎても回復せず。
明日は歌舞伎座昼の部のみ。「先代萩」を菊五郎で。踊りを三津五郎で。
2006 11・9 62

* 朝六時五十分の血糖値、110。良好。
機械の前に来ると奇蹟のようにルーターのランプ四つとも眩く青い。大急ぎで「私語」更新し、メールを受信。百ちかいダメ・メール。胸に届くメールも連絡のメールもある。しかし「MIXI」を開くまでは保てず。

* 建日子がラスベガスへ行くと。無事でと祈るメールのみ、辛うじて発信。そこまで。そして受信したメールを読んでいる。
あと二時間で、菊五郎や団十郎や仁左衛門や三津五郎に会いに行く。胸はずませて来たい。
2006 11・10 62

* これで帰宅してインターネットが回復していたらもっと良かったが。やはり、ルーターのランプは二つしか点灯していない。どうしようもない。ま、いっか。

* あきらめて階下へおりる。明朝、また一時でも回復しているといいが。と、しまいかけていたら四つ点灯。いそいで受発信。更新。このまま明日まで復旧していてくれるといいが。

* 十月分の「私語」をファイル61に日付順に移動したが、写真は移さなかった、手順が厄介なので。どういう按配か、このファイルの末尾に残した写真が、二重に残存している。いまはうっかり触りにくいので暫く放置する。
2006 11・10 62

* 夜前、復調していた機械は、今朝また不調。やれやれ。やれやれ。夜分に入ってもまったく不調、つまりADSLが完全に毀れているのではないか。

* 日付が変わったが、今日はついぞ一度もインターネット回復せず。
2006 11・11 62

* 依然復調せず。余儀なく、電話したがなかなか通じない。やっと通じたが調べるので待てとのこと。先方の電話を待機中。技術者に来て、やり直して欲しいなあが。

* 四時から七時まで電話で指導されたが、ついに復旧せず。結局新しいモデムが二週間ほどのちに届いて、やりかえるまで、どうにもならない。
2006 11・12 62

* 機械のご機嫌をうかがいながら、「MIXI」に、望月信成先生とした対談『一遍聖繪と一遍の信』を二度にわけて送りこんだ。三十年余も歳月が流れている。
機械の不機嫌にあまえてしばらく静かに寝ていようと思い、「MIXI」でも心親しい若い二人からも奨められたが、この調子だから疲れはとれないわけだ。そうせよと自分が自分に命ぜられて、寝てもよく寝なくてもよいとしておく。
2006 11・12 62

* 昨夜来、幸い機械のご機嫌が治っていて、七時前に起きて見に来たが、そのまま。しばらく「MIXI」を覗いていた。もう暖房。
2006 11・13 62

* 呉王夫差 越王勾踐 字が合ってたかな。会稽の恥を雪(すす)ぐ話は、太平記で読むのが俗耳に入りやすい。美妃西施の苛酷な運命。双方の王に侍する真の忠臣たちの苛酷な明暗。わたしの音読の原則は最低、見開きの頁を次ぎへめくるまでは必ず読むのだが、ここは興に惹かれて長く読む。それでもまだ半ば。中国の話に触れて書こうとすると、漢字再現に行きつまる。時にハンレイ無きにしもあらず、ではしまらないなあ。
2006 11・13 62

* また機械不調、それならと、自転車で北東にむかい、南大泉を経て北西へ寄って行き、新座市、から膝折坂の難所を北へ折れ朝霞市を経て志木駅のわきをさらに北行。もう少し行けば荒川に到達したのに、それと知らず、ヘヤピンに折れ曲がって志木大通りをひたすら南へ。疲れを感じたので、街道途中、豆大福を売っている菓子屋で二つ買い、一つをうまく食べて更に南へ東へ、秋津とか柳瀬川とかを見ながら、結局小金井街道で所沢街道と交叉したので、これをひたすら東へ直行するうち、田無辺の新青梅街道へ戻ってきた。保谷新道からいつもの市役所前道をかけ抜け、二時間四十五分で帰宅。エビスビールの一本、いと、うまし。

* なにとなく手元の仕事が混んでいて落ち着かない。「MIXI」には引き続き小説『初恋』を連載し始めた。
2006 11・13 62

* 暖かい。自転車に乗れば今日は昨日と違い、大汗をかきそうだ。

* 機械は昨日からずうっと不調のママ。手が付けられない。完全にルーターの真ん中二つ、ADSL PPP が消灯している。
2006 11・14 62

* 今夕 一時間、自転車で走ってきた。インターネットはまったくガンコに働かない。

* 瞬時回復したインターネットで、辛うじてメール受信だけ。

* 電子メールが使えなければとぎれてしまう人間関係なら、その程度のもの。もともとそんなツールは誰ももっていなかった。
連絡が杜絶してしまうと、その重みが、つまり軽さが、よく分かる。「触れ逢い」という愛のない人間関係は、影のようなもの。もともと触れ逢うための単に連絡方法に過ぎない電子メールが、虚構の関係のその単なる影のまままるで「実質」かのように成り変わる「ウソ」の積み重ね。おどろくべき頽廃が進行する。大事な相手であればあるほど、人と人とは、顔と顔とを見合わせて生きねばウソだと思う。メールと携帯電話。人間の「環境」を毒している最大のものは、これだ。
ペンにも環境委員会があり、彼らが「環境」というとき一つ覚えのように「自然環境」であるが、「機械環境」に関してはまるで理解が届いていない。何度言っても環境とは自然環境だと繰り返す。「ばかか、お前」と言ってやりたい。いま人間の精神や肉体をそこないつつある一等の毒は、「安易で便利げな機械環境」に在る。具体的には電子メールと携帯電話にあるのでは。便利なものの恐ろしさ。

* インターネットの使えない御陰で、具体的な個々の「人」の重みが、軽々と測られることに眼が覚める。
2006 11・14 62

* なにが今嬉しいだろう。
転送も出来ない「MIXI」のために小説『初恋』を校正しているのが嬉しい。宮川寅雄先生が、いの一番に褒めて下さった。まだ受賞していないころ、わたしがこつこつと書いていたのが平家物語に関心をよせた幻想的な「雲居寺跡」だったが、仕上がらなかった。『清経入水』へ変貌していった。それでも後に、弥生書房が雑誌「あるとき」を出したとき、顧問の河上徹太郎先生の推薦があったらしく巻頭に小説を書いて欲しいと社長が家まで見えた。まず『マウドガリヤーヤナの旅』を書き、ついで『雲居寺跡』を上下二回書き、これが後に改題『初恋』となった。高山辰雄の繪を表紙にもらった。この繪も好評だった。
この作品は、その前後に筑摩から出した『日本史との出会い』と思想的に一対の観があり、ターニングポイントを成したと説く人もある。わたしにもその自覚があった。
マキリップを二ヶ国語で併読してやろうと思い立ったことも、けっこうわたしを嬉しがらせている。ものごとが邪魔くさくてしようがなければ、こんな事は思い立たない。
しかし、ものごとが邪魔くさくてしようがないかというと、かなり邪魔くさいことがある。いやになることがある。気の乗らないことが有りすぎるほど有る。そういうことは、なるべく放り出しておくのである。したくないのに、ムリにする必要がどこにあろう。
政府に腹の立つことなども、ありすぎて困るではないか。教育基本法が強引に委員会可決されたし、本会議も単独採決する気だろう。公聴会では「やらせ質問」に金をはらっていた。政治家や役人の教育からやり直すべきで、彼らに教育基本を云々出来るどんな資格があるだろう。いずれラチもない心、心、心とだらしなく羅列して、ものごとを空疎に乱脈に飾り立て、責任の取りようも、ゆめ知るまい。子供達は死んで行く。殺されて行く。親の不出来が子に祟っている時代である。
なにが嬉しいか。かなりに反語的である。しかしなにが頭に来るかなどと数え上げるバカらしさ。嬉しいことをさがしたい。求めたい。
2006 11・15 62

* インターネットは全く復旧の気配もない。二十七日に速度変更の手続きがされて、新しいルーターだか何だかが、その前に届くらしい。それを、わたしがわたしの手で正しく設定できるかどうか、だ。
2006 11・16 62

* 機械はもうこのままでは直らないが、二十七日には速度アップのADSLが新配線され、その前には新しいルータが送られてくるらしい。少なくももう十日間は隠居。むかしは、そういう生活であった。それへ戻って、それもまた清閑というものか。
2006 11・18 62

* ルーターの四つのランプの三つは綺麗な緑色に光りながら、一つだけPPPランプだけが橙色で止めどなくゆっくり点滅して静止しない。それでインターネットが使えない、それでわたしは今、外界との機械での連絡・連繋がまったく取れないでいる。そんなものと諦めてしまえば、何の苦もない。つまりワープロだけを使っていた頃へ戻っているだけで、さすがにパソコンであるから昔のワープロより遙かにクレバーだし、他の便利な機能はみな使用できる。
上等ではないか、この機会に、新しいいろんなしたい仕事を始めればいいのだ。分かり切ったことである。
2006 11・19 62

* 出掛けてゆくのは億劫だが、籠もり居に馴れてもいけないだろう。ふと、今、わたし何がしたいのだろう、と、自分に問いかける。
インターネットは、「外」から何かしら新しいものを情報として流し込んでくる。スパムメールにしても、そうだ。親しい人達からのメールはましてそうだ。世界中の「情報」を追えば追える。だが、明らかにそれはわたし自身に内発したものではなく、外からもたらされる、しかもよほどバーチャルなものだ、影のようなもの、真実は少ない。希薄だ。だから真実に触れると、とても嬉しい。真実であるとどう感得するか、そこがわたしの問題だ。わたしはそれを厳しく選りわけようとするが、面倒にもなる。わかるものはわかる。わからぬものはどうひねくってもわかりはしない。そういう直観。わたしはいま外の世界から機械的に断絶されていて、それをむしろ好機と受け容れ、自身の直観と向き合っている。
2006 11・20 62

* もう此処に、機械の前に、腰掛けていても仕方がない。あるいは、すっかり別のことを始めるか、だ。
2006 11・20 62

* 新しいADSLのルーターが届いた、新配線は二十七日に。さ、うまく稼働させられるか、だ。

* 何をどう触った結果やら、いま辛うじてインターネット復旧していて、開けぬママ受けていたメールが六百通ちかく。しかしまともなメールは十数通。削除作業だけでうんざりする。またすぐ落ちこむのだろうが、連絡は今のうちに貰いたい。
2006 11・23 62

* 二週間ほどインターネットがダメでしたが、メールというのは、あくまで補助・連絡・消息ですね、郵便やハガキとちがい簡単に毎日でも一日に何回でもメールは可能だから、密に、親密に感じ錯覚してしまうのでしょうが、錯覚ですね。空疎感を回数で補っても生彩は生じない。遠隔地の人とは、でも、実に有効ですね、但し過剰に頼むべき手段ではないようです。「まこと=真言・誠」「みこと=御言・命」ということばを、おそれ敬いたい。
平野の「新生論」は、検事と弁護士の二役をめまぐるしく演じ分けながら、捻子釘を作品に打ち込む勢いでしょう、息をのみます。作品論の一のお手本としてあまりに鮮やか、あっけにとられますね。
わたしは、「心」や、「夢の浮橋」「春琴抄」「蘆刈」などを論じるとき、作品の「本文をよく読んで」観念的に逸脱しないように努めました。本文から好き勝手に飛躍し乖離すると、その隙間から論旨が錆びて腐蝕してきます。それを避けるためにも、愛読できる作品を論じるのが深切です。批判のために論じると、身振りが大きくきつくなり、格好がいいようで、とかく作品本文から浮きあがりかねない不安がうまれるものです。
お義父上のご病気ご平安を祈ります。お大事に。 風
2006 11・24 62

* 勝田さんが、また「マウドガリヤーヤナ」なんか読み返したいと言われていた。わたしもふと読み返したくなり「MIXI」に連載することにした。「マウドガリヤーヤナ」の分かる人には興味を惹くだろう。読みやすい利きやすい語り口で語っている。
2006 11・26 62

* インターネットが回復していて、ホームページは更新できるが、メールの方へは四六時中の SPAMメール殺到、削除に追われるだけ、ちっとも嬉しくない。思い切ってメルアドを変更してしまえばどうだろうか。年鑑類に公表したモノまで連絡しなくてはならないのが面倒で、我慢している。
2006 11・26 62

* やす香が遠く逝って、今日で四ヶ月になる。『マウドガリヤーヤナの旅』をやす香に贈る。そう思って校正を終え、身のそばのやす香の写真に目をむけたら、双の眸がきらきらと輝いて笑んでわたしを見る。惜しいお前をわたしたちはこの現世で喪った。泪はかわかない。
2006 11・27 62

* 明日、渋谷の大きなホテルでの花柳春の会に招かれている。息子に、一緒に眼鏡を新調し、(建日子が両親に奢ると言っている)、あと一緒に食事の予定であったが、日延べしてもらい、踊りの方へ妻と出向くことにした。
いつかの正月、テレビで「細雪 松の段」を舞ってくれた人である。会にはもう一度二度招かれたことがある。肌寒い日々に、なぜともなくはなやかに姿優しい花柳春にあいたくなった。
さらに翌日には電メ研。専門家を招いて、例のホームページ全削除事件にかかわる問題点などを聞くことになる。珍しく夕刻以降の会になる。その次の日に息子と逢う。それからは湖の本の発送がおおごとで、これが無事に済んでくれないと落ち着かないが、師走は師走でいろいろ、ある。第三回目の「調停」もある。
2006 11・27 62

* 瀧のように不正メールが殺到していた。やれやれ。
2006 11・27 62

* 防衛「省」への昇格案が成立する見通しだ。それに触れ、マイミクの昴が「MIXI」日記に、生徒を戦地へ励まして送り出す先生ではありたくないと書き、若い二十歳ほどの男性が、「ご安心を、」日本は「徴兵制」でないと応じていたので、「ご安心」の論拠がわたしには見当たらないと、コメントを書き込んだ。

* 「徴兵制」という意味を、前の戦争当時のそれと同義に取っているのではありませんか。戦争の形態も、戦略の内容も、兵器の能力も、時代の変転で動きます。世界史がそれを教えています。硫黄島やレイテ島でのような戦闘「コンバット」を予期した徴兵制が復活すると早合点しているのでは。
戦争はもっと手の込んだややこしいものになるでしょう。もっと殺傷力確実で範囲廣いものになっている。
同時に、もっとやりにくい市街戦も繰り返されるでしょう。軍隊と軍隊との闘いだけではあり得ないから。

憲法のもとに軍隊を抛棄すると理解していた我々日本人が、政権によるかなり勝手な拡大解釈を積み重ねながら、どのようなリクツまたはヘリクツから、今日の世界的にもみごとなまでの軍備自衛隊に変貌してきたか、そしてその段々のなしくずし或いは組み替え論理のもとに、自衛隊の海外進出がどう現実に強行され、戦闘是認へいま一歩まで近づいてきているか。
そういう政策変更・拡大解釈の前で、命令に背けない隊員の海外派遣が事実「徴兵」的に既成事実化されていますし、志願・応募の自衛隊員で手勢が確保できないと判断される時代は、近づいていると見ています。そのような「憲法を置き去りにした」政権と政略のためにのみ都合のいい「建軍思想の肥大」が、次の世代の日本に、つまりあなた方、子や孫や曾孫の世代に何をもたらしてくるのか、そういうことを、本気で、「我が事として考える」姿勢が出来ているのでしょうか。もう、よそごとではない事態に脚をつっこんでいるのではないか。昴さんの「覚悟」は、たぶんそういう事でしょう。
もう死にかけている老人ではない、自分自身の身にふりかかる筈の若い人が、よそ事のように「評論」していていいのかと、昴さんの危惧は、そこにあるのでは。

第二次大戦のときの日本の徴兵制が現にそのまま復活しうるかどうか、それは、問題や懸念のスリカエであり、戦争へ戦争へ国と国民を駆り立てかねない「時代」の動きに、どう敏感でどう自己責任をもてるか、というのが本当の問題ではありませんか。学生世代の「まさか」的な気の良い鈍感を、わたしは国の未来のために危惧します。芹沢光治良の『人間の運命』等に見てとれる、昭和十年前半、真珠湾前夜の多くの若者達・学徒達の命の不安、ああいう不安は二度と来ないと確信できます。日本列島はあきらかに核兵器複数国の射程距離内にあり、昭和十六年真珠湾の頃の危険の段ではない。あの頃は、国民が不安をもち、軍は見当識を失していました。おそらく今は政権が不安をかかえていて、若者を含んだ多くの国民が、平和ボケで判断停止している状態です。「ご安心」どころかと思いませんか。

たとえ徴兵「制度」が制度として変容していても、アメリカでもイギリスでも、兵隊と名の付く人達の身に帯びた在りようは、覇権思想にリードされた徴兵「政策」や徴兵「意志」に縛られているとわたしは観ていますし、日本の憲法は日本の若者に対してそういうことを容認していないはずです。しかし、国は、そのように動こうとしている。「ご安心」の論拠がわたしには見当たらないのです。 湖

* 問題は「自衛隊」だけじゃない。
いいえ、われわれの「日本」がどうなるか、でしょう。
「近代の軍隊で如何に徴兵制がそぐわないか」の議論なんかが関心の的なのではない。
われわれ一人一人が、もう内心に、志願であれ強制であれ「徴兵=戦場へ国民を義務として駆り出せる制度化」志向の政治を、容認してしまっているか、いないか、の問題なのですよ。
わたしは、容認しない。反対です。現在の憲法を最高の基本法として持っていることを、わたしは判断の根に置いています。
あなたが「自衛隊浪人」で、海外派兵や戦闘行為を容認し、いずれは徴兵(戦場配置)も希望しているというのなら、それはあなたの思想・姿勢だからあなたに対してはこれ以上何を言う気も置きませんが、少なくも私の「安心」とは大きく逸れています。
他の方々の議論にゆだねましょう。 湖

* (徴兵制の歴史を何も知らないのだろうと「豚馬さん」に言われてしまった。が、)徴兵制の歴史は、日本近代史にかぎっていえば、一般市民の一人としては、かなり正確に知っているつもりです。
わたし個人の関心や好みはそれとしても、「日本歴史」は、「明治維新以降の近代史」をもっとも重視したいという思いでいますから。

日本ペンクラブで私が理事として責任をもっている「ペン電子文藝館」は、すでに幕末から平成にいたる七百作にちかい作品を掲載し発信しています。その電子文藝館に、「主権在民史料室」を特設したときも、中公版「日本の歴史」のうち「近代現代」の七巻から各巻責任編者のおゆるしを得て『略・日本近代史』ともいうべき重要な七章を編成するなど、電子文藝館の最も大切な資料の一つとして、国内外に公開しています。基になる七冊は、文庫版で三千五百頁におよび、「徴兵制」だけでなく、近代日本の歩んできた或る意味で危険な、問題多き道筋を、ともあれ万般熟読した上で採り上げた企画でした。お読み下さい。

ちなみにわたしが小説家として立とうとした処女作『或る折臂翁』の主題は、「兵役忌避」と「六十年安保」でした。

モノゴトを複眼で捉えて行く知識は、むろん年齢差で質を測れるものではありませんが、「知識」以上にもっと大切なのは、生きてきた時代、生きている時代、生きて行く時代への洞察の豊かさ、直観の強さではないですか。

次から次へ、次から次へ煙幕のようにつくられてゆく新しい法律により、巧みに、国民の目に見えなくされていくらしい危ない「国家戦略」への、おそれ。

観ようによれば、はや日本国民は「徴兵」にちかい大網をもうかぶせられかけているかもしれない、それぐらいの気でしっかり用心したい。「制度」の沿革など、只の知識の問題です。たいした役にも立たず自慢にもなりません。そんな知識を持っているからと誰もが「安心」していては、暢気すぎます。

防衛省「昇格」を期待する意思が、次ぎにシビリアンコントロールの排除・拒絶、さらに陸海空三省の自立と自律の要請、他国との司令系統の一体化、軍事予算や負担の問答無用の拡大、そして先制攻撃論や核武装使用論へまで、そして天皇制の後ろ向きな見直しへまで、またまた押し流されて行くかも知れぬ可能性は、小さくない。近代日本の歴史に学んで「歴史の愚かな繰り返し」をおそれる思いには、リアリティがあるのです。
日本の政治には、西欧近代史のような高価な人文主義や民主主義の背骨がない。簡単に反動化してゆく。

問題は、それをおそれずに受け容れて運命を委ねるのか、それとも渾身の力で逸脱をおそれ防ぐのか、でしょう。幸か不幸か、その真剣な論議の大方は、二十歳の「あなた」方の肩にかかっている。
「志願制だから、(教え子を戦地へ送り出さねばならないなどと案じる必要はない、)ご安心を」では、いかにも軽くて薄いと感じます。
前にも言いましたが、もう此処「MIXI」での此の議論をわたしは重ねません。 湖

* 就職感覚で自衛隊入りを希望するのと、戦地へ送られるのとでは、あまりに差がある。後者を必然とした事態で、いまの若者達のどれほどが進んで自衛隊へ希望して入隊するか、わたしはかなり大きい「?」をつける。 2006 11・29 62

* 異例の五時半からの電子メディア委員会には、日本総研の大谷和子氏を招いて、「プロバイダ規制法」周辺の問題をレクチュアしてもらった。わたしはわたしに起きた問題を持ち出し、理解と今後の適切な対応対策を強く求めた。

* 食欲が無く、木村屋でパンを買い、銀座一丁目から千夜一夜物語の長編「巨蛇の女王」を読みふけりながら帰宅。
2006 11・29 62

* 『マウドガリヤーヤナの旅』を「MIXI」に五回、連載し終えた。小さいときあんなに地獄繪に泣いたわたしが、どうしてこうも身の毛よだつ地獄めぐりを書いたか。
2006 11・30 62

* ゆうべのご馳走の余沢で、からだが潤っている。戸外は快晴。
ただ、機械がやたら重い。いよいよ本腰を入れてルーターを取り替えねばいけないが、時分で出来るのか、少なからず臆病になっている。
考えてみると、インターネットが使用できなくて、何に困ったか。ホームページが更新できなかったこと、但し日記は何の支障もなく書けていた、送り出せないだけのことで。
次ぎにメールの受発信に行き詰まったが、回復して分かる一つは、厖大なSPAMメールをせっせと機械から排除する手間だけが増えたこと。送稿や、必要な連絡が双方で出来なくなるのは甚だ手痛いけれど、その実数はそうそう多くない。不良メールはその五十倍も流れ込む。やはり、これって、おかしいのでないか。「MIXI」は、つまりはお添えもので、開けなくても、それはそれで済むこと。
他のサイトを訪問しているほとんどヒマがないし、グーグル検索などもほとんど自分ではしない。インターネットの大利用者でわたしは、ない。

* いま実感しているのは、厖大な量のホームページが重い=遅いで支障のあること。何が何でもADSLルーターを、送られてきている新しいのに取り替えよということか、いっぱしストレスであるが、それ以上に新しい本の発送用意が滞っていて、腹がちくちく痛む。この方がストレス信号である。
2006 12・1 63

* いま苦心して子機に「日記」できるようにしたが、転送できるかどうかが、わからない。親機、まったく動かない。デスクトップまでは出るが、どうクリックしてみても何一つアプリケーションが動かない、開かない。エクスプローラーが働かないから、親機の現状を子機へ有効に移動できない。連動しているので、親機の不具合が子機にも出てきて、インターネットもむろん全面働かない。せめて子機で更新できると、受発信できると、いいのだが
2006 12・2 63

* そのあとが散々。新しいADSLがうまく設定できない上に、かろうじて重いながら動いていた機械が全身麻痺状態に。機械をもちいて外向きに世界を眺めたりふれたりはよせという機運か。それならそれも余儀ないこと。
2006 12・2 63

* おお、泉涌寺、東福寺。雀は、わたしと歩いている気だろう。
わたしには、青春をうずめてきた時空間。夕暮れの泉涌寺・東福寺は閑散として最上の刻限。しばし歌集『少年』をひらいていくつもの歌を読む。ああ京都へ帰りたい。

* こう書いてもたぶん転送できまい。

* 珍しくウイーンに外遊した寅さん映画を見ながら、遅ればせの作業をすすめてから、二階へ上がると、子機の方でインターネットが働いていた。メールは何もなかったけれど、「私語」は更新できたと思う。親機の方は相変わらず。古いルーターは四つとも緑点灯しているが、どのアプリケーションも開かない。機械をまともに閉じることすらできない。
2006 12・2 63

* どうやら子機のインターネットも稼働しなくなったらしい。これで「私語」更新もメール受発信も不能に成ったようであるし、親機の内容を救出することもできない。わたしにはとても直せない。子機をワープロのように用いるしかできない。
それならワープロ時代に戻って、外向きに書くのはやめ、わたしはわたしのために小説に専念するのがいいようだ。
2006 12・3 63

* この「私語」が更新できるかどうかも実は分からない。更新できるなら、親機は切り捨ててこの子機へ重点を移すしかない。だがこの子機にもなにかしら不安定な不確かさがある。
親機に入っていてプリントアウトしていない沢山な住所録やメルアドが全部取り出せないまま消え失せそうである。いまのところ暗記している人にだけメールを書けるが、発信は出来そうにない。何と簡単にこわれてしまう人間関係だろう。メールを交換しているだけの交際は、手紙に切り替えるアドレスももたないのだ。幻影のようだ。
他にも困惑していることはたくさんあるが、繰り言を言っても仕方がない。コンピュータ生活を打ち切るいわば好機到来ということか。親機の機嫌をうかがいながら子機へ移動できるものはしておきたいが、その気力も萎えている。
このまま明日からきつい肉体労働で苛酷に本を送り出す。

* もし幸いこの私語が正常に更新できれば、片道ながら、意思疏通は、この日々の「私語」を通してしか無理な現状。
2006 12・4 63

☆ 「MIXI」ほんとに「妙な世間」のようです。いまだによくわかりません。
秦さんのページを見るだけにしています。
毎日来る「MIXI」コミュニティニュースを見ると、登録してからいきなり、かなりの方々からアクセスが入っていて驚いているのですが、失礼して黙っています。
秦さんの文章が読めるようになって、うれしく思っています。
『問題は、この私、である。』 おかげさまで元気が出ます。
千葉もしんしんと冷えています。くれぐれもお大事にしてください。
あたたかい日にでもやっぱりお会いしたいですね。  E-OLD

* 足あとの累算が10000になる。わたしのようにマイミクも少なく日記は書かずに勝手な作品ばかり連載している者にしては、正味十ヶ月で一万はいい数字なのかもしれない、二月の中頃に入会して1000の足跡が付いたのは五月末頃ではなかったか。
自分から好奇心からも「足あと」をどんどん付けて行くと、関心の鉱脈に触れる。出身大学でも高校でも、趣味でも、職業でも、コミュニティをさぐって行くと、おやおやという世間に行き当たる。ときどき妙な人とも出会う。藝のプロにも出逢う。わたしは仕舞い弘法の日に七十一歳になるが、すこしだけ年を忘れるときが「MIXI」にはある。若い若い人と話し合うのは、やはりおもしろい。わたしより年寄りという人をまだ知らないでいる。同い年の人が出来た。
2006 12・6 63

* いま、書きたいことは多々ある。だが、なんだか機械がむやみに重い。また故障するかもしれない、今日は慎重にしたい。
2006 12・8 63

☆ 恒平さん   mixiにご招待、ありがとうございます。
積極的な利用方法はそのうち・・・まずは、恒平さんのmixiを覘けない歯痒さから、解放されるかしら。
先週、スペイン人と結婚し、子供もいる親しい友人から、夫婦の危機を告げられました。
いつも元気でたくましい友人の、やつれ切った顔を見ながら、私たちがこの地で築いてきたはずの基盤のもろさに、そのもろさを見せ付けられることに、どうにもならない憤りを覚えました。年月かけて固めてきた土台は、実は「夫」という小スペインの上に築かれていただけだったのかと。いえ、片足ぐらい、夫より下の地盤に触れていると思いたいけれど、タフにやってきた、と信じてきた一本足だけに、バランスも失いやすい。
ふと、昔、長野の善光寺で見た六地蔵を思い出しました。
片足を胡坐から崩し、蓮の外に出している(水に浸している)お地蔵さんがいて、お地蔵さんもやっぱり足が熱いのかしらね、と、やはり片足を布団から出して寝る夫と二人で笑ったものです。
不安定な友人と安定したお地蔵さんが、同じ様子をしている(胡坐をかいて片足を外に出している)ことに、なんだか可笑し味すら感じられました。
一方でまた、別の親友が、生まれた子供のアトピーに悩みノイローゼ気味、自国にいないことが様々な面で悪影響し、ただでさえ苦しい状態を何倍にも増幅していることに、ある種の無力を感じながらも、力になるには、私がそれらに影響されることなく安定していること、と思っています。
私はとても元気です。
そう言えば、恒平さんも亥だったのですね。
十一月末に誕生日を迎えた私は、十二月二十一日までの間、ちょうど恒平さんの半分、亥の年です。
新年は、恒平さんに頂いた益子で、ぐいっ、とやろうかしら。
あのぐい呑みを頂いたとき、私は、それが私の何より好きな薄模様であったことに、心底驚いたものです。 京
2006 12・8 63

* 朝飯前に「MIXI」に連載の『能の平家物語』を完了。二月十五日に連載し始めた書き下ろし『静かな心のために』以降、自分でおどろくほど沢山な自作を、『最上徳内北の時代』ほどの長編小説も含めて、つぎつぎ連載し続けてきた。かつては出逢うこともゆめ想われなかった新しい読者を得ている。ありがたい。
2006 12・10 63

* 横浜の堤さんから林檎を、栃木の渡辺さんから苺をたくさん戴いていた。

☆ 冬らしく   111日目 今日は30センチぐらい雪が降った。

風がなく、しんしんと雪が降った。

実家にいたので、除雪車が道路を通るのを待って、家に帰ってきた。

雪の日は、音が遠くに聞こえていい。

道路は圧雪のところがあったり、アイスバーンになっていたり、様々。気を抜くとハンドルがとられる。

冬の海は、凍っているかのように、波がどろりと寄せてくる。なのに、雪は静かに降っている。

川は凍って、その上に雪を乗せている。

白鳥が、大きな体を丸めて川の上に立っている。
大きな、雪のかたまりのよう。

国後島は、霞んでいる。雪が降っているのかもしれない。

冬の景色は何故だか、かなしい。   昴

* 昴を「MIXI」に誘ってからもう「111日」も経ったか。詩になっているのに惹かれ、引かせてもらった。
2006 12・10 63

☆ ご本と前後して届いた季刊誌で八木重吉という詩人の詩をよみました。

こころよ/では いっておいで/しかし/また もどつておいでね

もどってこられるか、もどってきたときうけいれてもらえるか、やわらかに変形してスムースにもどることができるか、そういったもろもろをなにも考えず、ほぅって「いってきます」というのが雀です。
何百年を経てまた、まつろはぬ人、漂泊の民がうまれています。古代をひきずる奇形の存在かのように人に思われ、コンピュータには幽霊かバグのように扱われて。インターネット社会やコンピュータネットワークに参加しない人は生者ではない亡霊の存在になってゆきます。念じる力が出せないとき雀は窓の外で囀ることも肩に止まることもできず、くちばしとつめでうちへうちへかいてゆきます。 囀雀

* この雀の「自意識」は、月日を追い歳月を追い、社会現象化してゆくと想像される。使う人と働く人の「区別」が尖鋭に意識された時代があった。テレビに出る人とそれを見る人との区別された時代になっている、今は。コンピュータを咀嚼する人とその毒に当てられる人とが現れつつある。
2006 12・12 63

* 「MIXI」に無数の縁遠い人から「足あと」がつくのは、或る面で醍醐味にも繋がる。想い寄らなかった発見につながる。先日鹿児島市在住の男性が「足あと」をくれたので表敬したところ、幾編ものエッセイを読むことが出来たが、玲瓏と美しい述懐で、感嘆。一編一編に夥しいコメントがついているのもムベなるかなと。
好きな本に『自省録』とあり、この名で知れるのはマルクス・アウレリウスが最良だと思うが、コメントにメッセージが返ってきて、そうだと。嬉しくなった。じつはぜひ読みたい題名の日記一編があり、まだ読みに訪れてはいないが、そう話してやるとその「題」に妻も満々の関心をよせていた。

* その一方で、ふと顔色の曇るような「足あと」もひょこっと混じって、一過性でない。なにしろ誰であるかは全く分からないシステム。しかし、だれにも一人は「MIXI」に推薦者のマイミクがいるのが原則。だが時にマイミクをもたない、プロフィルも書かない相手から「足あと」のつくことが、もう両三回あった。これはいやな気分。で、その「足あと」人のマイミクを見て行くと、およそ様子は知れるが、こういう人も混じってくる。
メッセージを送ってみた。

* むらっちさん。 七月末には亡くなって、もう数ヶ月経った「思香」さんを、今も「唯一のマイミク」にしている「アルセー」さんを、これまた「唯一のマイミク」にしている「むらっち」さん。
「思香」は、私たちのかけがえない優しい孫・★★やす香のハンドルネームでしたが、可哀想に我々身近な大人の愛の至らなさから、むざむざ「死なせて」しまいましたことは、ご存じなのではありませんか。
ただ「死なれて」悲しいのではなく、あたら目も手も届かず「死なせた」というつらい自責に、祖父母は、いまも、優しい笑みをうかべた遺影を目に、泪のかれるときがありません。

もう、ほんとうに、やす香(思香)を、「MIXI」の雑踏から安らかに静かに逝かせてやってもらえないでしょうかね、いつまでもまるで「幽霊」のように扱わないで。これって、かなり心ないことですが。

「むらっち」さんは、やす香の両親が、――大学教授の父親と大学で哲学を学んだ母親とが――、手を携えて祖父母を、自身の両親を「法廷」に引き出そうとしているのを、ご存じでしょうか。その理由の最たるものは、祖父母がやす香を「死なせた」と云うのは、やす香の両親を指さして「殺人者」だと云っているのだ、名誉毀損だ、というのです。

「死なせた」という言葉は、決して「殺した」の同義語でないぐらい、子供でも知っています。ニュース報道でもテレビドラマででも、頻繁に耳にする、普通の、しかし、「自責の辛い」重い言葉です。

自責のゆえの逆上でしょうか。それとも日本語が読めない・聴けないのでしょうか。それともやはり根の愛が涸れているのでしょうか。

「むらっち」さんのことは知らないから何も分かりませんが、私のところへ「足あと」を重ねて残してくださるのは、私から「何か」がお聴きになりたいのですか。どうぞ率直にお尋ね下さい。答えられることは答えますよ。

私たち祖父母が心の中で「もしや」とほんとに望んでいるのは、「むらっち」さんか「アルセー」さんかが、★★やす香の心許した親友で、やす香の想い出を私たち祖父母に分け与えて下さる方なら、どんなに嬉しいだろう、ということ。
もしそうならそれも、どうか率直におっしゃってください。感謝します。
もしやす香の父親や母親とのお知り合いであるのなら、どうぞ「思香」ならぬ「亡き娘やす香」を、これ以上悲しませ、はずかしめないで欲しいと伝えて下さい。 湖

* 以前にも同じような理由から問いかけた「足あと」人がいた。当然かもしれない、梨の礫で、その名前はわたしの「MIXI」からは消えていった。むろん「思香」名義を相続した気だろうやす香の母親か父親かであることも邪推できる。十分出来るが、やはり「やす香の親友」「やす香のボーイフレンド」だったら嬉しいがと「おじいやん」は願うのである。
200612 16 63

* 「MIXI」にバグワン・シュリ・ラジニーシに親しい気持ちを持った方が何人かいらっしゃる。そのお一人の「足あと」が見えたので、メッセージを送った。返辞も直ぐに来た。

* この十五年ほど、一日も欠かさずバグワンの本を何冊も、繰り返し繰り返しただ無心に音読してきた者です。バグワンの実像に関してはなにも知りません、ただ、日本語に訳されている本ではありますが、読んでいて、世界史的にもそう例のない「透徹した人」だという帰依の思いを、あっというまに持ち、しかし「知解に陥らない」ように、ただ「肉声を聴き込む」ほどに、声に出して読み続け読み続けて、そして日記にもその喜びをときおり書き付けてきました。
そういう老人の一人です、私は。
なにかお聴かせくださらば幸です。  秦 恒平・湖

☆ 涙が出るくらいに 懐かしい思いになりました。
貴方からのメッセージを読ませていただき 様々の思いが交差します。
僕も今から20年ほど前でしょうか? 若かりし頃、聖書から真理を模索しはじめて 諦めかけた頃に バグワンとの出会いがあり、様々な宗教を自由自在に語るその言葉に触れたとき 紛れも無く此処に真実を語る方がいると
僕は直感的に受け止めました。
キリスト教的に凝り固まった宗教観人生観の頭を 体を 柔軟にしてくれる柔らかさがあり 肌のぬくもりがそこには在るよな躍動感に体が震えたのを思い出します。バイブレーションというのでしょうか?
バグワンに触れたことの有る方であれば誰もが同じ思いを抱いたのではないでしょうか?
僕も貴方と同じように 直接彼を知りませんし 彼のお弟子さんを知りません
オレゴン州でのユートピア建設と、その崩壊、暗殺
その事実関係ヲ正しく知ることができませんが今も彼の存在は大きく 今の僕を支えてくれているのかもしれません
秦恒平・湖さんとの初めての出会いに感謝いたします。
又これからも 是非よろしくお願いいたします。  北海道
2006 12・18 63

☆  「壁」脱稿  甲子
MIXI へのお誘い、ありがとうございました。ご招待いただいた当初は、閲覧を、と考えておりましたが、先生の日記欄を拝見しているうち、この日記欄を下書きの替わりに書いたらどうなるやろ、とふと考え、「通訳たち」という連作形式をとってみました。
始めてみると、推敲の行き届かない初稿の連載、その苦しさ・恥ずかしさ・に打ち震えます。
やっと「壁」というサブタイトルのものを書き終えましたが、うちに秘めた「壁」のひと文字が読む人に伝わりますのやら、下半身の冷え込み以上に骨ががたがたします。
目の前の欅、もうすっかり葉が落ちて裸樹となりました。先日撮ったCT 写真のように、自身の骨格を見る思いです。
つまらぬことを書きました。冬至間近、寒さいっそうふかまるでしょう。
奥様ともどもお風邪など召さぬよう、お気をつけください。

* 推薦し招待した甲斐があった。「下書き」に勇を鼓してあたる真似を、わたしは、いちばん最初の「静かな心のために」で試みたが、ぶっつけ本番という気分で緊張した。
いま北海道の昴さんが「お話し」を勇敢に書き継いでいて、わたしは感心している。いずれ推敲の時機が来るとして、いま書きたいものは、いま書いたがいい。
詩を、それも詩のまねごとのようなものでない詩を、この「MIXI」を利用して書き継ぐ人がいてもいい。たいていの人には詩はおそろしくて薦めないが、この人ならと嗾したい人もいる。
2006 12・19 63

* 思いがけなく、「MIXI」で仲良くなった新婚のお嫁さんから、明日わたしの誕生日にと、華奢に可愛いバラの鉢植えを戴いた。ありがとうございます。
2006 12・20 63

* 秋山駿さんに『私小説という人生』を戴いた。『かくのごとき、死』にまた一つの新たな時代の新たな私小説の芽を読み取られのかも知れない。
花袋の『蒲団』『生』も藤村の『家』『新生』『嵐』も直哉の『和解』『母の死と新しい母』も瀧井孝作の『無限抱擁』「結婚まで」もみな私小説であり、それらを論じた優れた論攷から多くを学び取って文学の道に歩んだ後輩は多い。
しかしそれらの全部に共通して言えるのは、どの作家もどの批評も、例えば「MIXI」のようなメディアを知らず、ケイタイもパソコンも事実上知らなかった。そこに書かれ語られた「私」と、今日インターネットを場にして双方向・多方向のウエブ世界を場とも方便とも用いられる私小説の「私」とでは、よほど性格が変わってくる。或いは少しも変わってなどいないのか。そういう論議が「文学論」として成り立ってくる。『かくのごとき、死』はそれを予見させる一つの「報告書」に仕上げてある。
2006 12・22 63

* わたしは頑ななところの多い男だが、自分を「明けひろげて」生きてきた。近年はことにそうである。露出でも顕示でもない。そんな小さな拘りではない。青空という「鏡」の下で大の字の総身・総心を映させておけばいい、その鏡からは所詮遁れられないのだから、と。
文学では自身を秘め隠したまま表せる道があるとも、そんなものは無いとも、言える。作風がそこできまってくるが、人としての生き方はその前に決まってくる。これには「時代」もかかわる。
秦恒平ほど時代と徹して関わらない作者は稀有だと、デビューの頃に批評した優れた批評家がいたけれども、感謝しながら、それはどうかなと自身は考えていた。
わたしは「歴史」から人生と人間とを学んできた。「時代」を読むことを大切にいつも自身に課題してきた。
東工大教授に突如名指されたとき、「名人事」ですと支持してくれた大勢の知友の思いも汲みながら、わたし自身は、なにより自分の足もとで「時代」の動くのを感じていた。この大学に足場を置いて「時代」に身を委ねて行くなら、「コンピュータ」だろうと、初月給を貰う前から、わたしは自身に語りかけた。「お前は時代を、先へ行け」と教えていた。
わたしが、ワープロと異なりパソコンに最も期待したのは、「双方向」「多方向」の疏通を可能にする機械力と、それにともなう、いわば「毒の効き目」であった。毒を持たない文明などあり得ないし、毒を持たない強い文学もありえない。毒をどう嘗めて体質を変え、その毒をどう文学に実験するか。

* わたしは、コンピュータに助けられ、自身を「明け渡す」日々へ身を運んでいったと思う。「明け渡す」とは、バグワンの言葉である。古びた別の物言いに翻訳できる余地はあるが、あえてしない。露出だの顕示だのとは次元が違う。「自身」を「明けひろげ」「明け渡して」前へ進めるという予感を、わたしは早くから持っていたし、インターネットには少なくも実験的なその視野が見えていた。毒のつよさもはっきり見え、その度は強まってきていた。
2006 12・23 63

* 「MIXI」の「足あと」が今朝「10003」になっていた。この数字にたいした意味はないが、ネット世間で「湖」が或る程度所をさだめたらしいということか。
新しい「足あと」がつくとわたしは覗き返しに行く。ひとつにはイヤミないたずらに遭いたくないからだが、昨夜、京都の母校「日吉ヶ丘」に縁のあるらしい人が「足あと」をつけていた。相当の後輩ではあるがそれは構わない。こっちは七十一だもの、後輩でなくてはおかしいし、同輩ならむしろ照れてしまうだろう。
メッセージを送ったら、すぐ返辞があり「マイミク」にと望まれた。日吉ヶ丘の後輩では三人目になる。

☆ 日吉出身です。
木下順二さんは日大芸術学部に通っていたとき、特別講義を聴きました。
新門前のお生まれなら、当時…昭和初期から43年頃まで繩手通にあった、「まんざい」といううどんやをご存知ではないでしょうか。祖母の実家です。
いまは同じ場所で「コテラデンキ」といい、大叔父が経営しております。
祖母の女学生時代はお隣は大村しげさんのお宅でお友達だったようです。亡くなられる、少し前に連絡が取れて、懐かしげに話しをしていたのをそばで聞いておりました。
その祖母も2年前に嫁である母のあとを追うように亡くなりました。
71歳のお誕生日、おめでとうございます。 これからもご活躍されるよう、お祈りしております。
よかったらマイミク申請だしますのでお仲間にさせてくださいませ。
母方の四人兄弟姉妹、上二人は桃高ですでに亡くなり、下二人は日吉出身でまだ若いので、母方の祖母も娘・息子の分まで生きるのだと頑張っております。
近しい者がたくさんいなくなり、そして同窓会をきっかけにこんなふうに大先輩とお知り合いになれるなんて、素敵な世の中ですね。
メッセージ、心から感謝いたします。  鈴

* この人、「馬」そのものが好きと。「馬」が好きで馬文化に精しかった、それがまことに佳い隠し藝のようでもあった木下順二さんを思い出させた。
うーんと実家と近い辺りでご縁があったようだ。わたしの父は「ハタラヂオ」の店をあけていて「コテラデンキ」の名も店もわたしは知っている。おうどんの店があったろうこともぼんやり記憶している。
少しずつこういう「MIXI」仲間ができて行く。人はなかなか信じにくいかも知れないが、わたしは、知らない人とわりとすぐ近づきになれる。食べ物屋の店でも、これはいい店だなと思うと店の人とわりとすぐ親しくなる。すると次からが心もちよくなる。
だれであったろう、そういうわたしを目の当たりにして感心していたことがあった。
わたしは決して人嫌いではない。心もちのいい人をいつも尋ね求めている方だ、思想からして当然ではないか。
2006 12・24 63

* 「新門前通」で「MIXI」検索したら、おもしろい先へヒットした。むかしの我が家の西斜め向かい、子供の時分には杉本さんという一家が暮らしていた路地奧一軒家に、三年ほど以前から店出ししている「ゆや」という店がみつかった。東の梅本町だろうと見当を付けていたが、我が家のあった仲之町のそれもいと馴染み深い場所が其処と、「ゆや」さんのメッセージ返信で分かった。先方では、お客さんたちでわたしのエッセイ集など話題にしたらしい。三年ほどというから極く新しい店で、半世紀近くまえに新門前から出ているわたしに記憶のあるわけがない。しかしご近所で聞くと、わたしの父が「ラジオ」屋だったのを覚えている家は、まだ幾らもあるらしい。
短編集の『修羅』のなかに、この家屋を舞台に小説を書いている。洋館ッぽい部屋もある家で、二人、同い年ぐらいな女の子がいた。
「日吉ヶ丘」も検索で引き寄せた。その手を用いれば、いろんなキーワードから、特定の一人はむりでもよく知った世間へは到達できる。遠くて近く、近いようで遠い世間が、ネットの闇の中で泡のように浮かんでいる。

* こういう世間の広げ方は、かつてはなかった。文通友達というのはありえても、情報量と幅とがちがう。一人と繋がると一気に何百人にも繋がりうる。おかしな時代だが、おかしさの意味は「深長」かも知れぬ。
2006 12・25 63

* 「三十年来」の愛読者で、『冬祭り』など何度読んだかしれないという未知の読者のメッセージを「MIXI」で受け取った。感謝。
2006 12・26 63

* 「MIXI」からメッセージが幾つも届く。ありがたいコメントも。感謝。

☆ 実は、先生のページを勝手に「お気に入り」に登録して自分の方からはアクセスしやすくしておりました。
もともとミクシィに紹介して頂いたきっかけは、ママさんの輪を作りませんか、とのことでしたが、どうも専業主婦の生活にPCは馴染みにくいらしく、お仲間でログインし続ける人が減ってきました。ですので、内容に少しずつ地を出し始めています。
こんにゃくの話はその端緒。先日書いた息子の話でも、科学者の習い性である再現性の確認をさりげなく盛り込みました。先生が定期的にご覧になるのを意識するとなると、また少し内容が変わる予感がしております。それも嬉しく。
嬉しいと言えば、美術京都に書かせて頂いた原稿、少し嬉しいことがありました。
お世話になった京都の工房にお礼を込めてお送りしたのですが、内容をお褒め頂いた上で「30部ほど頂戴したい。もちろん有償で」とご連絡頂きました。
京都の方はどんなひどい内容でも必ず何かしら褒めて下さいますが、自分が評価しないものは決して手元に置こうとはなさらないですよね。中に盛り込んだ内容が、特に工房で見聞きした内容として書いているものが、不正確であればこういうご連絡はないはずですから、本当に嬉しい連絡でした。幸い編集の方から多めに頂いているのでお代を頂く必要もなく、お送りできます。
本当にたくさんの方の好意に支えられている自分を思います。
何より先生のご好意も。  馨
2006 12・27 63

* 「MIXI」に歳末雑感を毎日書いている。「思いつきバッタリ」で。バッタリは、場当たり、か。カッスラーの『ロマノフの幻を追え』が佳境に。ダーク・ピットが主人公のシリーズになじんでいたが、また別のヒーローの活躍するNUMAシリーズも出来ていたんだ。
いつのまにか日付を越えている。やす香の写真の前で戴いた小薔薇の四輪が今を盛り。やす香、おやすみ。
2006 12・28 63

* あいかわらず普通のメールの三十倍もSPAMメールが届く。無念無想機械的に消去している。

* わたしの機械の現状を、歳末に書き置く。我ながら怠惰でバカげている。
まえのADSLは不調つづきであった。さくらやに光ファイバーを奨められたが、自分で設定出来ず、むだ金をたくさん払ってから解約してしまった。ウイルコムとかいう別の便法も奨められたが、これも意味不明のママ役に立てられず、解約した。
次ぎに、ADSLの「速度変更」をNIFTYに奨められ、契約したらなんだかモノも届いたが、自分で設定しようとしても全然うまく行かない。で、そのまま支払いだけしているが働いていない。
で、今は、遅い、重い機械と辛抱よくつきあっている。なかなか思うモノが画面に出ないが、これが辛抱、これがガマンと思うことにして、ゆっくりゆっくりいろんなことをしている。あわてて何処へはせ参ずる必要もない。「今・此処」「今・此処」のゆっくりした連続に慣れている。
もともとたいへんな機械音痴なのである。機械に強ければ父の稼業のラジオ・テレビ店を継いでいた。幸い機械はとんとダメな方なので文系へ進むことが出来た。
変なハナシだがわたしの持論に、もし老け込みたくなければ、一に、貨幣価値の変動に過剰におそれるな、二に
新しい機械に好奇心を持て、と。
わたしは今のところケイタイ以外の新しい機械は、毛嫌いはしていない。毛嫌いしなければ機械音痴は治るか。治りません。やっぱりダメはダメ。で、わたしよりアトからパソコンを始めた人達の方が、いまではわたしよりよっぽど機械に通じている。電子メディアの操作や設定はわたしの所詮よくするところでない、だけれども、それら機械のもつ時代への意義や功罪は理解できる。電子メールもホームページも、あれもこれもが時代の進行に刻んできた意義はむしろ先行的にわかっていたと思っている。
人間の「環境」を問題にするなら、「機械環境」の問題を重視しないととんでもない破壊が精神にも肉体にも家庭や社会にも、政治や戦争にも及ぶだろうと、ペンの理事会でどれほど発言して来たろう。だが、まだペンは「環境」といえば「自然環境」だと。わたしに言わせれば「自然環境破壊」は結果である。根は「機械環境の悪化」による人間の荒廃の方にあるのではないか。
2006 12・30 63

* 「MIXI」に、歳末随感を十日書こうと。「芥川のこと」「病院」「かなひたがる」「寅さんたちの国語」「和歌」「丹波篠村」「京都」「ソ連へ」「お酒」と、思いつくままに書いてきた。
「MIXI」にマイミクを一気に倍増した。「e-OLDS」や「湖の本」など、心親しい人とさらに半歩一歩近づきたかった。但し年齢だけは分からない。湖の本の人は、当たり前のこと、分かった人しか誘えなかった。かすかに見当はついていても確認出来ない人が何人もある。若い人にもお年寄りにもある。
日記を読ませて貰う。老若男女、住まいの在り処、お仕事で、暮らしの顔がちがってくる、それが逸興。
2006 12・30 63

☆ 「秦恒平論」擱筆のあと兆した或る思念のもと、先月の三十日から今月の二十九日まで、底辺で社会を支えるある小さな集団に属し、まるで軍隊に入隊したかのような隔絶した生活を経験いたしました。新聞も書籍も読まず、バソコンにも触れず、曜日を忘れ、食事を制限して終日ただひたすら肉体を酷使し精神の錆びを落して、大袈裟に
いえば自己再生を試みてみたのです。
この経験がなにをもたらしたかはまだ判然としませんが、邂逅と至福と苦難のこの一年を締めくくるに不可欠の「行」であったかと解しております。
その「行」をやり終えた結願の日の翌日に、先生からミクシィへの招待を頂きましたこと、「ごくろうさん」と、ふっと温かいお茶を手渡されたごとく感じて、よろこんでおります。
先生と奥様に暖かき春が早く訪れますようにと願っております。  六

* どんな「行」であったのだろう。
2006 12・31 63

上部へスクロール