ぜんぶ秦恒平文学の話

電子メディア・コンピューター 2008年12 月まで

* この「私語の刻」に、こんな随感随想なら、一杯入っている。それを読みに来てくださる人が、嬉しいことに多い。「書いて」わたしは酬われている。幸いにそれがパブリック・ドメインでありうれば、いい。有り難い。

 

* あいかわらずインターネットが働いていない。もう諦めて、なるがままに直るまで付き合って待っている。

2008 7・1 82

 

 

* 「mixi」にはたくさんな「足あと」が毎日ついてくる。このところは、ことに多いが、マイミクの人たちはよく分かっている。他の人は、ついどんな人やろと覗き返して、ヘンなひとでないとさえ分かれば安心している。ヘンなひとも「mixi」にはいっぱいいる。愉快でないが会員がこうも多いのだから仕方ないと諦めている。それに、すぐわかる。

 

* 今朝はそれは嬉しいメッセージをもらっていた。いつも内心待ち受けている一つでした。真夜中に送られていた、ありがとう。ここへも戴きますよ。

 

☆ はじめまして。   鳳

秦先生、はじめまして。***と申します。

mixiでは私が先生のところに時折お邪魔しているので、先生も私のところに来て下さっているのではと思います。ご挨拶をと思い、メッセージ送らせていただきました。

私は東工大のOGです。私が入学したのは199*年のことで、先生の授業に出席したことはございません。ただ、学部時代の年上の人が、先生の授業のことを「東工大で一番印象に残った授業だった」と繰り返し語っており、先生のことは私の記憶に刷り込まれておりました。

そのようなご縁で、しばらく前から先生のホームページを拝読し、楽しませていただいています。

特に「青春有情」は、どんな写真よりも鮮やかに、母校の空気の記憶をよみがえらせてくれます。そうだ、私はかつてこういうピュアな人たちに囲まれていたのだった、と誇らしいような恥ずかしいような気持ちになります。

また、先生のページを通してたくさんの詩や短歌に出会い、人生が豊かになったように感じます。今後も一ファンとして拝読いたします。

どうぞ、これからもお体を大切にご活躍くださいますように、お願い申し上げます。

 

* 男性のこんな嬉しいのも。

 

☆ 知り合いの女性に「冬祭り」と「みごもりの湖」を貸してあげたら、すっかり秦さんのファンになってしまいました。

私も久しぶりに読み返しました。彼女からは芝木好子さんの「群青の湖」を借りて、琵琶湖が見たくなり、昨日から琵琶湖にいます。 湖西線から見る景色も、雨の琵琶湖もしっとりと心に染み入るようです。  漣

 

* うらやましいこと。思はれ人によろしく。琵琶湖と近江京に取材の現代小説 「秘色」を 私から新しい「いい読者」に贈りましょうか。 湖

 

☆ 本当でしょうか。喜ぶと思います   漣

 

* 日々苦渋をなめているようなわたしには、滴り呑む清水。

2008 7・3 82

 

 

* いろんな夢を見ていた。煩わしくて起きてしまう。本文のない、ややこしい長い記号ハンドルネームのいたずらメールが毎日来る。本文は無い。むろん消すだけ。

歓迎のメッセージも来ている。

 

☆ マイミクに。   鳳

突然のメッセージでしたのに、お返事ありがとうございました。ぜひマイミクに登録をお願いいたします。時折、研究者仲間を相手に仕事の愚痴などを綴っております。

>さしつかえなければ、紙の本を贈ってさしあげることも出来ますよ。

こちらのお申し越し、よろしいのでしょうか? アマゾンなどで入手できるとは思うのですが、先生から頂けるとなると本を手にする喜びは格別です。で恐縮ですが、もしご迷惑でなければどうぞお願いいたします。先走り気味ながら、私の職場の住所を記させていただきます。

私は社会工学科を卒業し、民間企業で働いたのち経済学に転向して研究者を目指しました。いわば文系への転向です。現在はポスドクという身分です。

秦先生の授業や学生との交流は、教職を目指す私には一つの理想に思われます。分野は異なりますが、先生のエッセンスを学び、将来に生かせればと思います。

素朴で未熟な学生達を、先生がいかに愛して下さったか、本当によく分かります。私も、そんな生粋の東工大生のひとりでした。インターネットのみの交流というものに不慣れで、失礼もあるかと存じますが、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

* 悠々と飛翔して欲しい。

 

* またも、二年前の「biglobe」の時と同じく、ほぼ間違いなく、いま、わたしを被告席に立たせている原告方★★★夫妻が、サーバーに手を回し、申し入れを簡単に聞き入れたサーバー「lolipop」が、現在のわたしのホームページを、「七月十一日」で「削除する」と、秦建日子の方に伝えてきた。(建日子電話の弁)。

十一日までに「条件または限度」のある削除要求であるのか「HR全面」の削除要求なのかどうか、まだ分からない。秦建日子の借りているブログの中の一部をわたしが借りて今のホームページが成り立っている。建日子が仕事の上で悪影響を受けるのは避けてやらねばならない。。

サーバーから連絡を受けているのは建日子で、現在出先でケイタイメール受信しており、わたしの方へ転送等が出来ない。だからサーバーからの文面が読めないでいる。わたしには技術的な対策など何も出来ないから、最悪の事態、ホームページは無くなってしまうおそれがある。

 

* もし此の記事をお読みの方で、有効な示唆や助言を頂ける方、どうか耳打ちして下さいませんか。

2008 7・4 82

 

 

* すぐさま親切なマイミクや元の学生の応援で、いろいろ教えられた。感謝します。

 

* 建日子が一時過ぎて帰宅し、すぐLOLIPOPからのメールを転送してくれた。要求は限定されているようだが、具体的な何も言われていない。どうせよというのか甚だ不分明。

追ってまたメール。建日子も、★★夫妻に大憤慨。深夜、電話で相談する。

2008 7・4 82

 

 

* 七時前。一睡もせず、さまざまに。

それにしても、何という心ないことが出来るものか。わたしのホームページが秦建日子のブログに「間借り」していると承知の上であり、あわよくば建日子の劇作活動、わたしの文藝活動をダブルプレーにともに機械の上で壊滅させようというたくらみに等しい。かりにも大学教授といえば広い意味で、文筆活動なしに出来ない職ではないか。

 

* わたしと建日子と、それぞれの名と経歴と立場とから、「抗議と要望」のメールを、サーバーに送った。

 

* 昼過ぎまで睡眠を取った。起きてみるとインターネットがアウト。それならと発送のための作業に。

ブルース・ウィリスの『キッド』を聞いていた。彼には『シックス・センス』とか謂った秀作があった。その系統の佳作であった。ブルース・ウィリスは子供が好きなのかほかにも胸に染みるいい映画があった。こういう映画も撮るんだと思う、意外な、だがしみじみと良い作であった。

 

* 六時になってやっと機械が元へ戻っていて、メールなど読む。

 

* もう日付が変わりかけている。今夜はよく寝ないと。

2008 7・5 82

 

 

* これはわたしの「闇に言い置く私語」ゆえ、他人(ひと)様の読まれてラチもない独り言や愚痴も遠慮無く書いているが、なるべくは書いて置きたい、読まれてもそれなりに届いてゆく言葉を遺したいと思っている。

「mixi」日記などは、ことにそうで、わたしは「mixi」は他人様と触れあう場所だと思っているので、「伝えたいこと」「訴えたいこと」以外のひとりごとやグチは書かないようにしている。他人様は関係ない自分ひとりの日記ですからというのが「mixi」日記の本来だろう。わたしは、「触れあう場」への「思いや作品」の展示と割り切っている。このホームページの「私語」も、およそは、そうありたい。したしく交流している人たちの声が「窓」越しに届いているのにも励まされている。

 

* 次の一通は、かつて仮題の下書き原稿『聖家族』(★★★の懇願をいれたかたちで、現在はウエブから消去してある。フイクション小説なのに、何故そんなにイヤがるのだろう。)としてウエブに置かれていた私のフィクション長編を、今回改めて再読された或る名編集長の手紙。

 

☆ 初見の際にも増して、改めて某大学教授殿に対して怒りました。

秦さんのご対応は、私からすれば、きわめて理性的かつ抑制深く、むしろもどかしさを覚えるほどでした。

あの愚劣きわまりなく、知性の知の字もない「お付き合い読本」一つとっても、とても赦せるものではありません。この「学者」の頽廃ぶりを白日にさらしてくださったことひとつとっても、お仕事は大いに世を裨益するものと思いました。上から下までこの日本は鎖狂いきっていると思いますが、この「知識人」は、よくその文学的典型たり得ています。

法的にどうなるのかは、私にはわかりませんが、おっしゃっている通り(作中の対話を通して)、私怨に根を持たぬ公憤も正義もそんなものには根がないと私は常日頃思っておりますから、世俗の勝ち負けなどむしろ問題ではないと、秦さんご夫妻も肚を据えてくださるといいなと思っております。

お体、くれぐれもお大事に。

こんなことで、おふたりの健康が損なわれるなどということになっては、それこそ理不尽だと思います。どうぞどうぞ、お気持を大空に広く解き放ってくださいますように。

二◯◯八年七月五日

 

* 上の某教授がその舅姑に送りつけてくる「お付き合い読本──常識編」がどんなものか、ちょっと披露しておく。興味深い「痴」的所産です。

 

★ 「お付き合い読本──常識編」

 

け 結婚式  誰を招くかは迷うところ。注意すべきは、離婚歴のある人、しかもそれを売り物にしているような人は、招待しないことである。かの有名な文豪「T」は、惜しげもなく奥さんを取り替えたそうだが、常識的に考えて、そんな筋の客は来賓として呼んではいけない。招待された他の皆が奇異に感ずるだろう。

 

さ 作家とのお付き合い  作家とはすなわち、自己体験の特異さを専売にする人種。

いくつかのタイプがあるが、中でもタチの悪いのは、自分の苦労を絶対だと信じ、自己を客観的に眺める習性を持たない奴。それと、やたら「夫婦はかくあるべきだ」とか「人生はこう生きるべきだ」とまくしたて、

 

(続いて、すこしだけ小説本文を引く。)

奥野は中途で笑ってしまった。日本の小説家をこのように見る視線は、やがて廿一世紀の現在でも、ありうる。奥野でも思う。自分はちがうと頑張る気もない。駒井次郎もこれを読まされて、ゲヘヘと笑った。

「遊娼声妓俳優雑劇小説家等改制ノ事…で、明治政府が取締りを考えたの、知ってるか。明治のごく初めの公論公議機関だった集議院の、初仕事なんだよ。沙汰やみにはなったけどね。もうちっと、教えてやろうか」と駒井は、奥野の前でわざと反り返った。

「小説を好むとだな。第一、品行を欠く。第二、女性は不健康で早く死ぬ、閨門を破る。第三、子弟を害する。第四、悪疾多し…。明治開化の、えらい学者さんのこれがご託宣さ。同じご仁の曰く、出版した小説の版木(はんぎ)など、みな焚燬(つぶ)してしまって下されと、丁重にお上(かみ)に願い出ていたんだ、なんだナ…そのケが残ってるんだ、おまえの婿さんには、まだ」

「すさまじいな」

「感心してちゃ困るよ。ついでに、も少し、ものを知らん文士先生に教えてやるがね。明治五年、時の教部省が三条の教憲ってやつを出して、文学の目的を定義してくれたのさ」

「………」

「一つ、敬神愛国ノ旨ヲ体ス可キコト 二つ、天地人道ヲ明ニスベキコト 三つ、皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムベキコト。どうだね」

「内村竹司が泣いて喜びそうだ。だがナ…ヤツを育てた稲門(とうもん)こそ、坪内逍遙の小説神髄をはじめとして、愚にもつかんそういう小説観に、精魂こめて反対してきたのを知らないんだ」

「………」

「福沢諭吉は文学無用論だったけどね。それでも三田文学は荷風なんか招いて、おれたちの趣味にあう、いい伝統をつくった」

「小説家は…常識とかけ離れたところで妄想にふける奴。もっとも、小説とは『ウソ』であるからして、小説家にリアリティーのある認識なんぞ求めるほうが筋違いだという説もある。お付き合いもほどほどに…ですか。婿さん、得々として書いておるのう。幼稚さがよく出てる」と、駒井はつるりと顔を撫でた。

「自己を客観的に眺める習性を、自分は持ってると思って書いてるんだよ」

「軽薄と未熟を乃公(だいこう)自ら語るに落ちているのに気づいてないね。要は、小説家である夏ちゃんの父親を愚弄してやりたいだけだ。気稟(きひん)も知性もない」

 

み 見合い結婚  恋愛結婚に比べ、結び付きの必然性が薄い婚姻の形態。周囲がバックアップしてやると、関係はより一層良好となる。とくに双方の実家が率先して、できることをしてあげるのが、不仲を生まない秘訣。それとは逆に、一方の実家が常識知らずで人並みのこともできなかったりすると、その実家を持つ妻や夫の肩身がはなはだ狭くなる。もともと繋ぐ糸が細いので、離婚にまで発展しかねない。

 

と 嫁いだ娘への援助  「粋(いき)」にやりたいものである。この機を利用して婿に頭を下げさせようなどという気を、ゆめゆめ起こしてはならない。こういうことに関しては、女性の方が敏感なので、妻と娘に協議させるがよかろう。そのため、妻の裁量によって 処分できるお金を都合しておくのが夫の心得といえる。山根某の嫁の出身は千葉だが、この実家は金を出すが口は出さない模範との誉れが高い。  (小説の作者注 この山根某とは作中ではこの読本の書き手と妻との仲人教授のこと。)

 

か カネと口  古今東西、口を出すが金は出さない人間ほどケムったがられているものはなかろう。東京では、金を出すが口はださぬのが理想とされている。

 

* 笑止にも、「金を出して」当然のように「口も出した」あげく、働かない息子は家を出て行けと実の母親にもやられ、金もひっこめられていたのが、当の内村竹司でした。「理想」と程遠い「リベラルな環境?」のようですが、尻隠さずとはこれでしょう。

 

せ 責任転嫁  人の道に外れているので、こういう行動を採らないよう自重されたい。ヒデキでなく「不出来」と異名をとるある作家は、自分の非を全部棚に挙げて、喧嘩の仲裁に入った娘に「相手と腹を割って話せる機会を作らなかった御前が悪い」と八つ当たりした。この娘はすでに嫁いでいたので、まさに責任転「嫁」である。手前の落ち度を素直に謝れないタイプが、この手を常用する。

 

つ つわり  きわめて厄介な代物。妊娠中、とくにつわりが続くと、夫婦の仲もギスギスしがち。統計ではこの期間に夫が浮気したという例も多い。あまりひどければ、実家(さと)に籠ることが肝要であろう。嘔吐する姿を最愛の夫にみられずに済むし、症状について気軽に相談できる両親がいる。出産の際も同様だ。ただ最近は住宅事情などのため、隣に借りて貰ったアパートに里帰りする嫁もいる。肉親が近くにいれば問題はなかろう。

 

む 婿と舅  「嫁と姑」とは違って、本来は仲が好く、一献交えて気楽に語り合える。ただ舅がアル中だったり、嫁を溺愛していたり、婿の能力をやっかんでいたりすると、うまくいかない。ことに舅が婿に逐一干渉したり、婿を軍門に下さねば気が済まない場合、一挙に摩擦が高ずる。ただ結婚が恋愛なら、それ位は婿がじっと我慢すればよい。   (注 この夫婦は見合い結婚)

 

よ 嫁と姑  古来より険悪な間柄の象徴。暮らしの流儀がまったく違うので、つとめて一つ屋根の下に置かないようにするのが賢明。とくに夫が留守がちであったり、夫の海外赴任や出張が頻繁だったりすると、関係は悪化しがち。夫の長期不在中は、嫁と姑が二人だけにならないよう、実家に帰るなどの特別の措置が不可欠であろう。

 

り 離婚  娘の婿をこころよく思わない時、それとなく離婚するように仕向けるのがよい。方法としては、若い二人にはビタ一文援助しない、つわりや出産でも娘を実家に引き取らない、生活の困窮は挙げて旦那の無能のせいにする、婿殿に時たま「おまえは身内でない」と暴言を吐く、などがある。

ただし、これらの手段に訴える際は、娘にまで軽蔑されるのを覚悟のこと。50も半ばを過ぎた自由業の0氏は、この目論見を婿に見破られ、墓穴を掘ってしまった。くれぐれもご注意。

 

* こういうのを創作して舅姑に「勉強しろ」と送りつけてくる。凄い。

 

* 一昨年、やす香が病院で苦悩に喘ぎ、わたしは『かくのごとき、死』を書き続けていたさなか、四国から、ある看護士学校の一教室の生徒さん全員が、「やす香さんのおじいさん」を励まし、ひとりひとり手紙を書いて纏めて送って下さった。感激した。

その生徒さんが看護士として戴帽、卒業して行った記念写真が先生から送られてきた、梶の葉を沢山添えて。

梶の葉は、闊い。七夕にはその葉に思い祈りの言葉を書き、笹に付けて立てた、星を祭って。また供物をのせて星に捧げた。それだけでなかった、いろいろに衷情をこめてこの梶の葉を用いた。

明日の七日七夕に間に合うようにと、沢山な素麺と一緒に今し方届いた。

多くの方が、不愉快な苦境に屈せず大空へ心を放てとわたしを励ましたり慰めたりして下さる。願わくは、夕日子にもそのようであって欲しいと父は願う。天上の星、やす香も、心よりそう願っていよう。

父を訴えてみたり、父のウエブの破壊活動をしてみたりなど、上のような「お付き合い読本」の著者ならやるだろうが、そんなことが夕日子本心の仕事であろうか。やす香を悲しませたくない。

2008 7・6 82

 

 

* マイミクになりたてサン。

 

☆ 熱帯夜は読書  2008年07月06日19: 23   鳳

放置していた「夜と霧」。ユダヤ人強制収容所に収容された心理学者が、凄惨な収容生活と、それに対する被収容者の心理的リアクションを描く。

興味本位で買ったけど、意外にも泣かされた。離ればなれになった妻を心に描き、その妻と対話しながら過酷な日々を生き抜いたというくだり。

「人は、もはやこの世に何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、私は理解した。」

愛の素晴らしさに感動したのではない。著者とは対照的に、何不自由なく暮らしてはいるが心の対話のできる相手が自分には居ないという虚しさが無性に堪えた・・・。

 

* 相手はかならず、います。しかし見付けるのは、話しかけるのは、自分です。 湖

 

☆ 石けんの香り  2008年07月06日02:03  光

ドラッグストアのアメニティ製品のコーナーでの買い物のこと。

消臭芳香剤などを選ぶときに、色々な香りのものが売られている。

うーん、ラベンダーとかハーブっていうのもなぁ。

白桃にオレンジ? 部屋がべたついたりしない?

かといって、無香料っていうのも、損した感じがするし。

と思っていると、植物とか果物系とは異色の「石けんの香り」というのに目がとまった。

あ、これこれ。いかにも「香ってます」っていうわけじゃないけど、無香ではないという微妙なポジショニング。

こういうのを待ってましたよ。自然さがいいね。と気に入ったので、香りものに関しては「石けんの香り」で解決していた。

ところが、あるネット記事で、驚きの事実が判明。

=====

「石けんの香りってそもそも何の香り? … 実は1970年に発売された花王ホワイトという石けんの香りが、皆さんのイメージしている香りの基準になっているようです。…花王ホワイトの香りは、ローズの香りとシャネルNO.5にも使われている合成香料のアルデハイド(アルデヒド)などで作られているんです。…」 (2008.5.12.エキサイト・ニュースより)

=====

「石けんの香り」って、人工的に造られた香りだったのか…。

子どもの頃から、石けんの香りとして脳にすり込まれていた、という事実。

いろいろな意味で、ちょっと、ショックであった。

先述の記事によれば、それまで人気だったラベンダーの香りを押さえて「石けんの香り」が一番人気なのだという。

最近は、「ほのかなベビーパウダーの香り」なるものも登場。二匹目のドジョウ感はあるが、すでに香りをすり込まれた脳は、買ってもいいかなと言っている。

 

* 「光」クンにも励まされた。感謝。

 

☆ コローのモルトフォンティーヌの想い出   松

テレビ東京の『美の巨人たち』でコローの絵を紹介していた。 コローは印象派の少し前に活躍した画家で、風景を得意としていた。

紹介されていた『モルトフォンティーヌの想い出』も幻想的な風景画である。

コローは写実的にきっちりと描くのではなく、空の色、湖の色、木々の背景などをぼかして描いている。このぼかした効果は、初期の写真の影響を受けたものだそうだ。現在の写真では余りにもシャープで、ぼかした効果を得るには逆に工夫しなくてはならないが、当時はピントも不明確で粒子も粗くぼんやりとしか写すことが出来なかったと思う。

そして、この絵はコローの心象風景でコローの芸術の集大成であるとのこと。モルトフォンティーヌに何度も行ったことのあるコローは、自分の中で理想とする風景を作り上げて描いた。そのため絵と同じ風景は現実に存在しないとのことである。

国立西洋美術館で展示されていると言うこの絵、見に行ってみたくなった。

 

* 繪の感想、知識に頼っていて、あなたの感想そのものでないのがモノ足りません。知識は体験のうしろから必ずついてきます。知識からの発言はウケウリで終わりやすい。

しかしきみが、こんなに繪を観るのが好きになって、わたしはとても嬉しい。兜町時代の山種美術館などへみんなといっしょにくっついて来ていた頃には、想像できなかった。

繪の好みにも音楽のそれと同じく「松」クンふうが見えて頼もしい。

女性とならんで、同じ視線で観るようになると、また繪が別の顔で生きてきますよ。それも体験の内です。 湖

 

* 今日も着々仕事を前へ押してきた。明日は七夕。梶の葉に供物を盛って星祭りにそなえた。明日晴れるのか降るのか。梅雨もそろそろ行くだろう。

2008 7・6 82

 

 

☆ 七夕  2008年07月07日22:34   悠

息子は保育園で七夕集会があったそうです.風邪でお休みしていたので,お願いごとの短冊はおうちで書いてくださいとのこと.息子と私とダンナの3つの短冊とキラキラした折り紙で作られたお飾りがついたササをバギーの横に立てて帰ってきました.息子はウキウキ.

短冊に記入.私は息子の健康を.ダンナは家族の健康を(おっと,あなたのこと,忘れてた....).

で,息子にはクレヨンを持たせてみたところ,なにやらぐるぐると.秘密のお願いごとのようです.

 

☆ 七夕  2008年07月07日21:48   鳳

父の大腸がんの手術から1年と数日が経過。もうダメなんじゃないかと思っていた一年前の日々を思えば、穏やかに過ごすことのできる現在は本当にしあわせ。

駅で七夕飾りのせつない短冊を見つけると、一年前の自分を重ねて涙が出そうになる。

父が治っても、世の中から病気の人はいなくならない。

この短冊を書いた子も、来年の今頃は穏やかな日々を過ごせているといいのだけど。

 

* ほんとうにそう願う。

 

☆ このたびは

恒平先生の HPで驚いています。なんと私のあじさいの水彩画を掲載して頂いているではありませんか?

本当にびっくり!! いたしました。堂々と名前まで。隠れたい心境です。もうすっかり忘れていた絵でした。アジサイ! 一生懸命に描いたものでした。

お礼を申し上げるべきか? と、そんな面はゆい思いです。

 

* 湖の本を装幀してくれた画家。半世紀以上の、ともだち。これ、美しいよと褒めたら、ポンと贈ってくれた。いつ頃だったか。このファイル「月の述懐」と「朝の一服」とのまんなかで、ところを得て綺麗と、妻もとても気に入っている。

2008 7・7 82

 

 

* 今日、「京都の恒平」君に続いて新しいマイミく「東京の恒平」君が加わった。二人ともどうやら同世代。

2008 7・8 82

 

 

☆ A面B面  2008年07月09日09:40   馨

保育園生活も軌道に乗り始めた長男クン。

昨日、お迎えに行った時にクラス主任の先生が「Sクン、今日は珍しくパンツをはかないで走り回ったりしていました。」

??? ・・・目が点になる私。

「普段はおとなしくはいてるんでしょうか?」

「ええ。一人でお着替えもしていますし、トイレもちゃんとするし」

絶句して言葉が出ない母親です。

息子は家では着替え中には必ずふざけはじめ、毎日着替えやお風呂上がりには、多大なエネルギーを使って服を着せています。

ましてや一人で着替えなんて・・・。

トイレトレーニングも喜んで座りはするものの、一度も成功しておらず。

腰掛けるとすぐに

「デたっ!」

「出てない。シーーっ」

「たっ!」

「ない」

「たっ!」

「ないっ!」

というバカみたいな会話を親子で繰り返し、諦めて下ろすと数分後に「デた」と言いに来たりしています。そしてパンツの中だと本当に出ているのがカナシイ。

ところが、保育園ではきちんとオマルでしているのだそう。

お食事中も家ではすぐにふざけ始め、特に最近よくないのが、汚れた手をふきんでなく髪の毛で拭くこと。

散々注意しているのに直らず、食事後の髪の毛は煮豆のにおいやご飯粒やらですごいことに。

ところが保育園ではそういうことは全くなく、お行儀良く食べているそう。

「穏やかなSクン」と連絡帳に書かれたりしています。その「穏やか」、保育園だけで使い果たさないで、家の中にお持ち帰りできない?

あまりの違いに、まだろくに二語文も話さない息子に

「あなた、SクンAというのとSクンBというの使い分けてる?」と問うと

「べー」と舌を出してみせる息子。

どうやらB面が家庭用だそうです。 A面は、ええ面ということで保育園用。

ただ、この二面性、カナシイことになんとなく思い当たる節が・・・。私も小さい頃、外では相当にいいコでした。だからこそ娘の面談で「A子ちゃんは、あの外見や雰囲気からはちょっと想像つかないことをなさいますね」と言われたりするとドドーンと落ち込むわけですが。こちらは家と外が完全にバリアフリーの精神構造です。

あなた達姉弟、足して二で割るとちょうどいいかもね。

息子よ、外でイタズラしても笑って許してもらえるのも今のうちだけだゾ。

いまいいコをやり過ぎて後で爆発しないでね。

 

* もう一度、幼い子といっしょに毎日暮らしてみたい。妻もそう思うのか、絵本作家として世界的に名をはせている田島征彦展の会場で、なにやら絵本を物色していたなあ。

2008 7・9 82

 

 

* おどろいたことに私の「mixi」日記をのぞきに「アルセー」さんが足あとをつけていた。この人には二人のマイミクがいて、一人は「むらっち」さんで、もう一人は亡くなって二年の孫・やす香(=思香)なんだから、おどろく。この181人のマイミクを擁する「思香」「mixi」登録を、いまも使っているのは夕日子か★★夫婦以外にありえない。しかもこの「思香」「mixi」に、マイミクであったわたしがアクセスを拒否されている。わたし「湖」の「mixi」日記は「全公開してある」から、夕日子でも夫でも自由にアクセスして読める。夕日子は他に自身の「木洩れ日」という「mixi」登録も生かしているが、わたしはアクセスを拒否されている。

それらで、夕日子等が何を書いているのか裁判上も把握させないのは「何か後ろ暗いのか」と裁判の上の公正にも影響している。アクセスさせるように求めているが開放していない。フェアではない。

 

* 「むらつち」さんに関しては一昨2006 年12月18日19:13 のわたしの「mixi」日記に、こうある。

 

* 「MIXI」に無数の縁遠い人から「足あと」がつくのは、或る面で醍醐味にも繋がる。想い寄らなかった発見につながる。先日鹿児島市在住の男性が「足あと」をくれたので折り返し表敬したところ、幾編ものエッセイを読むことが出来た。玲瓏と美しい、それはみごとな述懐で感嘆。一編一編に夥しいコメントがついているのもムベなるかなと。

好きな本に『自省録』とあり、この名で知れるのはマルクス・アウレリウスが最良だと思うが、コメントにメッセージが返ってきて、その通りだと。嬉しくなった。

* その一方で、ふと顔色の曇るような「足あと」もひょこっと混じって、一過性でない。なにしろ誰であるかは全く分からないシステム。

しかし、だれにも一人は「MIXI」に推薦者のマイミクがいるのが原則。だが時にマイミクをもたない、プロフィルも書かない相手から「足あと」のつくことが、もう両三回あった。これはいやな気分。

で、その「足あと」人のマイミクを見て行くと、およそ様子は知れるが、こういう人も混じってくる。メッセージを送ってみた。

* むらっちさん。

七月末には亡くなって、もう数ヶ月経った「思香」さんを、今も「唯一のマイミク」にしている「アルセー」さんを、これまた「唯一のマイミク」にしている、「むらっち」さん。

「思香」は、私たちのかけがえない優しい孫・押村やす香のハンドルネームでしたが、可哀想に我々身近な大人の愛の至らなさから、むざむざ「死なせて」しまいましたことは、ご存じなのではありませんか。

ただ「死なれて」悲しいのではなく、あたら目も手も届かず「死なせた」というつらい自責に、祖父母は、いまも、優しい笑みをうかべた遺影を目に、泪のかれるときがありません。

もう、ほんとうに、やす香(思香)を、「MIXI」の雑踏から安らかに静かに逝かせてやってもらえないでしょうかね、いつまでもまるで「幽霊」のように扱わないで。これって、かなり心ないことですが。

「むらっち」さんは、やす香の両親が、――青山学院大学教授の父親とお茶の水女子大学で哲学を学んだ母親とが――、手を携えて祖父母を、自身の両親を「法廷」に引き出そうとしているのを、ご存じでしょうか。その理由の最たるものは、祖父母がやす香を「死なせた」と云うのは、やす香の両親を指さして「殺人者」だと云っているのだ、名誉毀損だ、というのです。

「死なせた」という言葉は、決して「殺した」の同義語でないぐらい、子供でも知っています。ニュース報道でもテレビドラマででも、頻繁に耳にする、普通の、しかし、「自責の辛い」重い言葉です。

自責のゆえの逆上でしょうか。それとも日本語が読めない・聴けないのでしょうか。それともやはり根の愛が涸れているのでしょうか。

「むらっち」さんのことは知らないから何も分かりませんが、私のところへ「足あと」を重ねて残してくださるのは、私から「何か」がお聴きになりたいのですか。どうぞ率直にお尋ね下さい。答えられることは答えますよ。

私たち祖父母が心の中で「もしや」と、ほんとに望んでいるのは、「むらっち」さんか「アルセー」さんかが、押村やす香の心許した親友で、やす香の想い出を私たち祖父母に分け与えて下さる方なら、どんなに嬉しいだろう、ということ。

もしそうならそれも、どうか率直におっしゃってください。感謝します。

もしやす香の父親や母親とのお知り合いであるのなら、どうぞ「思香」ならぬ「亡き娘やす香」を、これ以上悲しませ、はずかしめないで欲しいと伝えて下さい。 湖

* 以前にも同じような理由から、問いかけた「足あと」人がいた。当然かもしれない、ナシの礫でその名前はわたしの「MIXI」からは消えていった。むろん「思香」名義を相続した気のやす香の母親か父親かであることも邪推はできる。十分出来るが、やはり「やす香の親友」「やす香のボーイフレンド」だったら嬉しいがと、「おじいやん」は願うのである。

 

* 今日やす香のお友達だった人の、嬉しいメールをもらった。繰り返し読んで、妻は声を放って泣いてしまった。嬉しくて。悲しくて。それでも、ほんとうに嬉しかった。

どうか、やす香のお友達でいてくださった方たち。祖父母に聴かせてやろうということがあればお伝え下さい。

悲哀の仕事 mourning workとして、『かくのごとき、死』を出版しました。読んで下さる方には差し上げます。 湖

 

* 「むらっち」さんへのメッセージに答えはなかった。しかも二年経てまだ「mixi」にその名が残っている。「あるせー」さんもそういう忍者めく人なのか。わたしは願っている。やす香のいいお友達であった人ならどんなにいいかと。

2008 7・9 82

 

 

* 早起きということも、遅いということもなく朝を迎えた。マイミク「悠」さん、忙しい中で、ちっちゃな坊ちゃん愛称「かんたろう」くんの写真を送ってくださった。

 

☆  ビザ   悠

ここ最近悩まされているのが,京都で行われる国際会議の事務局業務.

ビザ申請のための書類作成に追われています.

日本の招へい者側で準備する書類があるわけですが,ビザが必要な方から情報を集め,国籍によって異なる書式の書類に個別対応.(ロシア,中国,フィリピン,その他の4種類あります.)

出来上がったら即EMSで送付...

どの人も”急ぎで”と言ってくるのは当然.

日本語で作成するのですが,メールで送られてくる情報は英語.

こちらの”こんな情報を送ってください”のメールの文面が悪いのか,正確な情報は探し出さなくてはいけません.

特に所属先の大学名を日本語にするのに難儀しています...

今日はインドの大学名に悩んでしまいました.

おそらく,サン・ババ・バー・シン工学技術大学.

研究室にいる(日本語が多少わかる)パキスタン人にヘルプを頼むも,あくまで英語の発音でカタカナを書くわけで...

早めに送ってクレームがきたらまた対応します...とほほ.

自国以外にいる対象国籍の方もいるので,何名の書類を用意する必要があるのか、正直、わかりません.

 

☆ かもめ   瑛  e-OLD川崎

日が照りながら雨のふる

あいるらんどのやうな田舎へ行かう  … 。

丸山薫「汽車に乗って」

中学一年生の時の国語で習った詩。

今日の夕方に雨が青空から降った。

朝の掃除を済ませベランダへ出たら餃子のような幾重にも連なる雲が出ているので写真に撮った。秋に出るような形の雲である。日本海の北の寒気の空気の塊が今年は強いからであろう。「詩」を書く。

 

音叉の音のような雲がととっ、ととっ、ととっと空に羽を広げる。

手をつないだ大きな鷗の群れが大きな羽を広げて飛んでいる。

夏の雲はむくむくと湧き出でて大空に舞いそして消えていく。

消え方の作法の極意を知っているのであろう。

 

* 微笑。

 

* マイミクさんたちに心惹く日記が出ていると、そっちへ誘われて気が澄む。ありがたい。

2008 7・12 82

 

 

* それまで全く存じ上げなかった方に、ある日「mixi」に誘い入れていただいた。登録にもていねいに手を引いて戴いた。「Lyuka」さん、ありがとうございました。

すぐわたしが始めたのは、かねがね気にしていたテーマで「書き続けてみる」ことだった。『静かな心のために』と題し、ためらいなくその一ヶ月を毎日書き継いだのは今想えばかなり冒険だった。書きっ放しだから熟していないだろう、じつは読み返したことも無い。読み返してみようかな、静かな心のために。

「静か」というのは、わたしが多年の関心事であった。漱石の『こころ』は静かな心の持てない「先生」の告白でもあった。ウン。読み返してみよう。

 

☆ この原稿は二○○○年(平成十二年)五月に最初の部分のみ寄稿して、置いてあった。今年、二○○六年(平成十八年)二月、おもいがけなく MIXI に紹介され、そこの「日記」を利用できることになったので、「静かな心のために」と仮題し書き継いでみようと発起した。書き置いた文章を最初に掲示したのが、二月十五日、以降なるべく毎日書き継いで行く。

*    *

 

 

靜かの文化を論ず                           秦 恒平

静かな心のために                    西暦二千年五月一日 起稿

 

「美しい」という感嘆を漠然と自覚したいちばん最初が、何に向かってであったか想い出そうとするとき、あれだったろうと容認できる記憶は、一つしかない。

花でもない、景色でもない。そういうものに自然と目が行くには、幾らか年齢が必要になる。

吸い寄せるほどの魅力や威力があり、言葉で置き換えようのない、わたしの場合、それは、仏壇の灯明であった。そんな気がしている。

狭い、綺麗とはいえない、貧しい家の奥の襖内に仏壇は据えてあった。襖をあけ、真塗の観音びらきの扉をひらき、御飯を新しく炊くたびに、母は金色したちいさな高坏に熱い白飯を高く盛り、わたしに、仏壇へ供えさせた。そのつど幼かったわたしは、ぺたんと仏さんの前に正座し、チーンと鉦を打ち、形ばかり手を合わせ頭をさげた。そうせよと教わった。南無阿弥陀仏とは唱えなかった。家の宗旨も、本尊の如来がどなたかも知る由ないほど小さかった。

そのような家常の習いに、一度一度お蝋燭を立てて火をともすほど我が家は裕福でも信心にまめでもなかった。灯明の立つのは、養父の母親か、養祖父の両親らの命日ないし盆と正月ぐらいのことで、だからこそその火の色はめずらしく、あたらしく、もの畏ろしげにわたしを捉えた。ありていにいえば、かなり怖かった。こわごわ、美しいと見入って、ゆらゆる炎の静かさに身を縛られた。

炎は必ずしも静かなものではない、絶え間なく揺れ動いていると見え、それなのに、微動だもしないと見える永遠の刻がある。そんなとき、炎の色は透明感を増しながら、底知れない深みを想わせる。美しいものは、かくも静かに清いかと子ども心に感じていた。畏怖しつつその感じを楽しみ悦んだ、深々と。

炎ほど清浄に美しいものはないといえば、事実に反する例が多いはずだ、業火あり猛火もある。黒煙にまみれた紅蓮の炎を、静かに美しいとはいえまい。

それはそれ、原体験として、清くて静かなことは美しい極みかのように想わせてくれたのが、仏壇の灯明であったことは、今にして仏恩のごときものであったと言いたくなる。

この感覚は、だが、体験とはいえ異色・異態のもので、火は、不動明王が背に負うた火炎も、絵巻の中で応天門を焼き落とす炎も、金閣炎上の猛火も、地獄変の火相も、また瞋恚の炎も、心清しいものばかりではない。それどころか心清しい火などに出逢ったといえる体験は、他に…無かった。だから仏壇の蝋燭の灯が印象にのこった。その灯は、いつ見てもわたしのちょうど目の高さで、いかにもいかにも静かだったのである。 (一)

 

* いま付け加えたいことは、無い。

2008 7・12 82

 

 

☆ プール  2008年07月12日17:03  悠

本日,大岡山で研究会があったので,息子は保育園に.

ダンナは早朝からツーリングに出かけました.ここ数カ月ずーっといじっていたバイクに乗りたくて乗りたくて....息子は(めずらしく)早くから目を覚まし,準備している様子を”やさしいまなざし”で見守っていました.

いつもよりもちょっと早く保育園に行くと土曜日ということもあって、息子が一番乗り.お友達がいない園の様子にいち早く気が付いてしまい、大泣き.今日は上のクラスとの合同保育.楽しいぞ!! と言って聞かせ、出かけました.

保育園ではプールが始まりました.息子は体調がすぐれなかったこともあって今週は見合わせることにしたので,プールセットは持たせずに通っていました.それが相当悔しかったようです.

なぜ自分だけは入れないのか!! と,もう抗議で泣いていたそうです.

来週はプールデビューです.体調整えて保育園に行こうね.

 

* こういう日記読めるのが嬉しくて仕方ない。

2008 7・12 82

 

 

 

* こんな話題ばかりなら天国だが、腐った匂いがいやでも漂ってくる。

 

* 何が何としても、このホームページを壊滅させたいらしく、またもサーバーを介して沢山のことを言ってきたが、私が、失念していたのは一つだけ、このホームページの「窓」に、孫の高校名を書き入れていたこと、これは親族の情況を書いて自然にそうしていたが、未成年ではあり、危険があってはいけない。すべて名を消すかマスキングした。

その余に言って来ていることは、よくもまあ具体的なデータのある指摘の何一つ出来ずに、言いたい放題であること。

ご希望の実名のマスキングは、すべてほぼ完璧に出来ている。職業や地位は、社会的・公的責任からしてもむしろ「外へ」出しておくのが公正であろう。わたしは作家・日本ペンクラブ理事として何の痛痒もない。恥じもしない。

もう一度言っておく。

わたしは、こう看ている。★★★教授の言い立てる名誉の毀損とは、何か。ミソもクソも一律の法にすがりついた「名誉」である、と。本名では守れず、仮名やマスキングで守られる「名誉」であると。わたしが観るのは、そんな名誉ではない。婿・★★★の「人間」だ。トクトクとして『お付き合い読本』を書き送ってくる「人間」だ。金を出さないなら「姻戚関係を絶つ」と舅姑を足蹴にできる「人間」だ。

「法」のことは弁護士事務所に任せている。

わたしがするのは、真っ向「人間」を見て「書く」こと。表現しても、卑しいウソで枉(ま)げはしないこと。

 

* サーバーへの返辞はきちんと出来る。その用意をしている。

 

* 思えば数日前に、姓名を名乗らないで「一読者」として送られてきたメールがあった。作家・秦恒平を無上に持ち上げながら、しかしこの際はホームページを伏せてしまうのが本道ではありませんかとしきりに奨めていた。久しいわたしの読者なら、名乗らない人はいない。メールを読んでいても作品を読んでいる読者とは思われない空々しい寒さがすぐわかり、またもよほどお好きな怪文書めくものと断定して弁護士事務所にも伝えた。手の込んだことをしてくるものだ。

2008 7・14 82

 

 

☆ 個人面談  2008年07月15日09:37 昨日、  悠

保育園で個人面談がありました。

息子は寝てしまっていたので私だけで面談。担任の先生と息子のこれまでの様子、変化、今後の方針について話しあい、確認しました。

やはり、と思ったのが、先生が毎日知恵比べですと言われるほど、イタズラしていること。脱走を率先してやっていること。

嬉しかったのが、お友達がなにか出来たときに息子が拍手して喜んでいるということ。自分の嬉しかったことを、お友達にもできるんだ! と感心。

これからも楽しみです。

 

* 楽しみ。

 

☆ Light field photography   ハーバード 雄

・ 久しぶりに脳センターのランチセミナーがあり、参加する。久しぶりということもあってか、随分と多くの人が来ていた。演者はスタンフォード大学の Marc Levoy。Light field photographyという技術を開発し、これを顕微鏡に応用したという話。

普通、カメラで写真を撮ると、ピントの合っている部分と合っていない部分が出来る。しかし、レンズの光学特性やピントの位置などから、このlight field photographyという技術を駆使して逆算することで、全ての部分にピントが合ったような写真を撮ることができるという。

例えば、木々が遮っていて、その後ろに人がいるということを通常の写真では見えないような場合でも、この技術を使えば、木の後ろにいる人にまでピントを合わせることが可能となる。

これを応用して、通常ではぼやけてしまって分からないような細胞の写真を鮮明に3次元に構築することも可能らしい。

見せられる写真はどれもカッコいいが、原理が分からないので、消化不良のままセミナーを聞き終える。

・ 午後から、久しぶりに分子生物学の実験。引越しを来週に控え、まともな実験をするには設備も精神的余裕もなくなってきた。こんな時には、手慣れた実験が気楽でいい。久しぶりにやるので、物の在り処さえ危ういが、黙ってじっと座っているよりも、ずっと心が落ち着く。独楽と一緒で、廻っていないと倒れてしまうのだろう。

 

* 乗り越え乗り越え進んで行く人。

2008 7・15 82

 

 

* 私のホームページを抹消の★★夫妻謀略は、当然にも、成功しないのではないかと期待される。弁護士事務所も回答し、わたしも詳細に回答書を書き終えた。見てもらいたい必要な資料も送った。

 

* ところが今度は、またしても「mixi」の「湖」さん潰しにかかってきて、「mixi」当局からも先刻通知があった。

ま、「mixi」は退会してしまえばいいのだが、それでは、せっかく親しくしてきた人たちにも、愛想がない。わたしの今の連載にも読者は少なからず、「足あと」の人数は鰻登りに増え続けている。

 

* これは私文書でなく、法の強制を示唆する公文書であるから、記憶と記録のためにここに掲げておく。その上で、私の日記の指摘された一昨年八月九月十月の残してある日記を、自由に会員の皆さんに読んで、批議して頂こう、訴えられているような事が果たして書かれているかどうか。

わたしは、勝手に流用されては困る「作品」類は、殆ど全部早くに「mixi」から削除しておいた。小説、評論、講演、対談、随筆等々である。ご記憶の方も多かろう。

しかし、問題のあるものは、触らずに置いた。いつでも、われも人もその時その日の思いへ立ち戻れるようにと敢えて残しておいたのである。

 

* いま見てみると、★★夫妻が問題視し告発している二○○六年の八月に、十三日分の日記がある。九月にもそれぐらい在る。十月にも在る。今年二○○八年六月七月にも在るのかな。

一昨年八月には、こうだ。 「ノータイトルの一言 生きたい」 「『死なせた』は『殺した』か」 「ある読者から『孫やす香の母』への手紙」 「八月十一日金」 「告訴されたおじいやん」 「連載『死なれて死なせて』20夕日子誕生」 「やす香が夢に来た」 「やす香の死を悼んで下さった方。また母夕日子に」 「怪文書? 未咲さん」 「逃げない」「『死なれて 死なせて』連載を終えて」 「初の月命日」 「心の問題」

さ、以下に、告発されているような原稿・文章(掲載されている情報)が、事実、その八月九月十月三ヶ月の日記、また今年六月七月の日記(掲載されている場所)に、一箇所でも在るかどうか、わたしももう一度見てみよう。「これはひどい」と思われたなら、遠慮無くお知らせ願えると有り難い。

 

★ 侵害情報の通知書 兼 送信防止措置に関する照会書

mixi運営事務局      2008年7月10日

 

拝啓 ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。

平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

 

さて、この度、お客様が発信した下記の情報の流通により権利が侵害されたとの侵害情報ならびに送信防止措置を講じるよう申し出を受けましたので、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(平成13年法律第137号)第3条第2項第2号に基づき、送信防止措置を講じることに同意されるかを照会します。下記の回答書に必要事項をご記入の上、弊社までお送りください。

 

このメールが到達した日より 7日を経過してもお客様から送信防止措置を講じることに同意しない旨の申し出がない場合、当社はただちに送信防止措置として、下記情報を削除する場合があることを申し添えます。

 

なお、お客様が自主的に下記の情報を削除するなど送信防止措置を講じていただくことについては差し支えありません。     敬具

 

 

1. 掲載されている場所

 

URL:http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3099149 秦恒平の「湖さんの日記」

2006念8月、9月、10月

2008年6月、7月

 

2. 掲載されている情報

私ども★★★・夕日子・次女***(未成年)の実名、住地、肩書き等を記載したうえで、逝去した長女やす香の死因に不審があると記載、また家庭内に問題があり、あるいは性格、人格、精神に問題がある等を記載し、加えて、「夕日子はほんとうは病的に私を愛していて、夫と別れて私と暮らしたがっているが、夫の虐待を怖れて服従している」など、倒錯を含む記載を行っている。

 

3. 侵害情報等

(1) 侵害されたとする権利

プライバシー侵害、名誉毀損

 

(2) 権利が侵害されたとする理由

一方的に膨大な書き込みを行い、私どもの社会的評価を貶め、精神的打撃を与え、加えて未成年者の安全をおびやかしています。

参考として、毀損表現抜粋を添付します。

ネット暴力が社会問題化している中、ミクシィにおかれましては、迅速かつ適切な措置を講じてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

以上

 

――――――――――――――――――――――――――

■回答書

――――――――――――――――――――――――――

注意 ※印が付されている箇所は必ず記載してください。

 

回答日(※)   年   月   日

 

 

住 所

氏名又はニックネーム(※)

連絡先(※)

 

貴社から照会のあった次の侵害情報の取扱いについては、下記のとおり回答します。

 

 

【侵害情報の表示】

 

1. 掲載されている場所

 

URL:http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3099149 秦恒平の「湖さんの日記」

2006念8月、9月、10月

2008年6月、7月

 

2. 掲載されている情報

私ども-★★★・夕日子・次女***(未成年)の実名、住地、肩書き等を記載したうえで、逝去した長女やす香の死因に不審があると記載、また家庭内に問題があり、あるいは性格、人格、精神に問題がある等を記載し、加えて、「夕日子はほんとうは病的に私を愛していて、夫と別れて私と暮らしたがっているが、夫の虐待を怖れて服従している」など、倒錯を含む記載を行っている。

 

3. 侵害情報等

(1) 侵害されたとする権利

プライバシー侵害、名誉毀損

 

(2) 権利が侵害されたとする理由

一方的に膨大な書き込みを行い、私どもの社会的評価を貶め、精神的打撃を与え、加えて未成年者の安全をおびやかしています。

参考として、毀損表現抜粋を添付します。

ネット暴力が社会問題化している中、ミクシィにおかれましては、迅速かつ適切な措置を講じてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

【回答内容】(いずれかを選択し、他方を削除)(※)

 

1. 送信防止措置を講じることに同意しません。

2. 送信防止措置を講じることに同意し、問題の情報については、削除しました。

 

【回答の理由】(具体的に記載してください)

 

* 不幸にして、★★夫妻は、仮処分審尋を丸一年ずるずると引きずりながら、さらに本訴へも持ち込んで莫大な損害賠償に訴え出ている。多くの点が裁判所に委ねられて未解決な現在、「mixi」がこういう訴えに易々と応じては可笑しいし、まずは、それに相当すると見るのか見ないのか、簡単に読める日記そのものに当たってくれぬものかと慨嘆する。しかし、とにかくもこの問い合わせにわたしは答えようと思う。

 

* 湯につかり、湯からあがって、「mixi」一昨年八月のわたしの日記を全部ていねいに読んだ。

どの一編も、わたしがエッセイ集などを上梓するとして入れるのを恥じる内容の日記は一つも無かった。胸を張ってどうぞ読んで下さいとわたしは誰にでも言う。

いちばんに★★★に言い妻の夕日子に言う。これを、「逝去した長女やす香の死因に不審があると記載」とあるが、死因に不審など在りようもなく肉腫は最悪の癌。輸血停止は死因でなく、死の決定。輸血が停止されたことには角度の高い証言があり、★★家が祖父母への一切の説明を拒絶していた以上、情報に頼り推測を働かせざるを得ないのは理の当然。また「家庭内に問題があ」ったことは、やす香が発病の頃に既に両親の離婚を覚悟して妹の身を案じていたというこれまた確度の高い証言がある。

そもそも親に堅く秘して孫二人が祖母の家に来てのべ三年も親しんでいた事実は「問題」を裏書きしてあまりがある。あるいは「性格、人格、精神に問題がある等を記載」しとは、何処のどんな私の文章をさして言うのか、はっきり指摘して貰いたい。加えて、「夕日子はほんとうは病的に私を愛していて、夫と別れて私と暮らしたがっているが、夫の虐待を怖れて服従している」など、倒錯を含む記載とは、まことに気持ち悪く、おどろき呆れる。何処のどんなわたしの文章をさして言うのか、はっきりこれも指摘して貰いたい。口から出任せを言っちゃいけないよ。

 

* 明日は一昨年九月十月の「mixi」日記を読んでみる。

2008 7・15 82

 

 

* 昨日に引き続いて「mixi」日記一昨年の、九月十月分を丁寧に読んだが、わたしが甚大に迷惑を蒙っていたことこそあれ、★★夫妻の申し出ているようなことに該当する文章も記事も全く認められなかった。わたしの「mixi」での名前「湖」が作家秦恒平の作品を盗作している、除名せよなどと申し出て、読者の失笑や憤激を買い、「mixi」当局は迷惑を掛けましたと謝ってきている。また厖大なホームページを不意打ちにBIGLOBEを介して全削除状態に持ち込んだのも★★★らの暴挙だった。BIGLOBEFはやりすぎましたと和解を求めてやがて全復旧したが、わたしは不信にたえず直ちに解約してサーバーを替えたのだった。

2008 7・16 82

 

 

* さ、気を奮いたたせて、今日も今日の「今・此処」に直面する。

 

* 「mixi」にも回答した。一昨年のわたしの「mixi」日記はきっぱり率直に書いている。「mixi」当局もよく読んで判断願いたいと依頼した。関心のある読者にもお願いする。

2008 7・17 82

 

 

 

☆ ある一日 博士の愛した数式   ハーバード 雄

・ 昨日、久しぶりにジムで運動をしたせいか、寝付けなくなる。普通は運動をすると疲れて眠くなるのだろうが、何故か僕はその逆で、神経が高ぶってしまうのか、なかなか寝付けなくなる。昨日も夜中まで起きていた。しかし朝はいつもより早く目覚めた。

ラボに向かう途中、キャンパス内に入ったところで後ろから大声で”Hiro!”と呼ばれた。誰だろう、と思い、振り返るとボスだった。

「この間の発疹はどう?病院には行った?」と聞かれる。「一応、病院には行ったんですが、何か分かる前に、もう治まってしまいました」というと、「そう。でも治ったのなら良かったね」とボス。

最近、ディスカッションも充分に出来ていないので、歩きながら自分の仕事に関連する話をする。ボスから、僕の実験に大いに役立つかもしれない、ある化合物を開発した研究者の話を聞く。彼は近々、うちのラボに実験しに来るという。

「彼の都合で、再来週の日曜にしか来られないんだけど、ボビーやJCと一緒に実験してもらおうと思うので、良かったらHiroも同席してくれないか?」と言われる。

勿論、承諾する。実験が上手く行くのなら、藁でも良いからすがりたい気分。

・ 郵便を出そうと外に出る。郵便ポストのすぐ後ろには、Yenching libraryがある。この図書館には、東アジア各国の書籍が多数、収められている。中に入ってみたいと思っていたが、なかなか開館時間に外に出る機会がなく、入らずにいた。

中の造りが分からず、最初は戸惑ったが、奥の部屋に日本語の書籍コーナーを見つける。決して広いとはいえないが、広さの割には随分と沢山の本が揃っている。

小説も収められているが、小説そのものよりも、その解説本が多い。その中に、『秦恒平の文学 -夢のまた夢』(原善・著)を見つける。

驚いたことに、マンガさえある。といっても、殆どは「サザエさん」や「銀河鉄道999」などの古いマンガばかりだが。

小説が読みたくなり、いくつかの本を手に取る。村上春樹全集の「国境の南 太陽の西」と「スプートニクの恋人」の収められた巻が気になり、久しぶりに読み返して見たくなったが、今回は止めた。

どれにしようか迷っていると、恰幅の良い白人の男性がニコニコとしてやってきて、「何かお助けしましょうか?」と言うので、「この本は何冊まで借りられるのですか?」と聞く。

「何冊でも好きなだけ」とのこと。驚いた。おまけに返却期限は来年の2月らしい。

結局、借りたのは、『博士の愛した数式』(小川洋子)。今から5年前位にベストセラーとなっていたと思うが、ひねくれ者の僕は、ベストセラーと聞くと、意地でも読むまい、と思ってしまうので、今まで手に取ったことがなかった。

さっき、一気に読み終えてしまった。一言で感想を述べるならば、良くも悪くも、「良くこの本がベストセラーになったなあ」。

ストーリーも比較的単純であり、意外性に欠けるが、何よりも、これだけ数学の知識の散りばめられた小説が、広く受け入れられたということが意外。オイラーの式、懐かしい。。。

この小説は映画化されたようだが、主人公の「家政婦役が深津絵里」というのは、ぴったりだなあと思った。「博士役が寺尾聰」なのは、ちょっと意外。もっと偏屈そうなイメージだけど、映画を観たら納得するのかもしれない。

小説のキャスティングといえば、誰かが『ノルウェイの森』の「突撃隊」役に、カラテカの矢部太郎を推していたのを読んで、思わず笑ってしまった。確かに、これ以上は無いというほどピッタリだ。

・ MITで現在研究をなさっていて、来月末に日本に帰国されるOさんと、アーリントンセンターのアルゼンチン料理店”Tango”で食事をする。お互い、1ブロックと離れていないアパートに住んでいることが分かり、「じゃあ、アーリントンでメシでも」となった次第。

アルゼンチン料理というのが何だか分からなかったが、Oさんが「これにしましょう」というので、Meatのメニューの一番上にあった、色々な肉の盛り合わせを注文する。二人前から受け付けているらしい。他に、サラダと赤ワインを注文。サラダは、トマトとモツァレラチーズのにしたかったのだが、最近、サルモネラ菌の入ったトマトがニュースとなっていることから、今は取り扱っていないという。仕方なく、グリーンサラダを注文。

出てきたのは、鉄製の網の上に、これでもかと盛り付けられた肉、肉、肉。これを二人で食べ切るのは、相当キツイ。結局、最後に数切れ余してしまったが、今、僕の胃袋は肉でパンパンに膨れ上がっている。せっかく最近、弁当持参で、食事の量を抑えようとしているのに、これでリセットされてしまった気分。

食べながら色々な話をする。実はOさんに実験のことでお願いがあって、メールを送ったのが、今回食事をご一緒することになった直接のきっかけ。かなり図々しいお願いだったので、お叱りを受けるのを覚悟していたが、あっさりとOKが出た。

神経科学者以外には何の興味も湧かない話だろうが、MITの神経科学分野では看板教授と言っても良いMorgan Shengが、MITを去り、Genentechというベンチャーに移籍するというニュースを聞かされた。かなりビックリした。Genentechの神経科学分野のpresidentは、Marc Tessier-Lavigneだが、MorganはVice presidentになるという。おそらく年収は100万ドルを超えるのでは、とのこと。本人は良いのかもしれないが、下の人々は複雑な心境だろう。

 

* 「雄」君のハーバードの、ある日。すっかり慣れて落ち着いた感じ。

2008 7・17 82

 

 

☆ 勝つ力   2008年07月18日09:53   馨

野茂、現役引退の決意固める、のニュースが流れました。

いつかこの人のことを書こうと思っていましたが・・・。

今ではもう誰も覚えていないかもしれないですが、野茂投手、アメリカに行く直前は近鉄を退団する理由を「肩が限界」とか「引退か!?」と騒がれていました。

そんな喧しい周辺をよそにアメリカに渡り、現在に続く大リーグへの道なき道を開いていった野茂はやはり他の大リーガー日本人選手とは一線を画す人だと思っています。

この人のことを心底スゴい! と思ったのは、実はそのピッチングでではなく(いえ、もちろんトルネードの凄さは十分に感じていますが)あのスマスマに出た時のこと。

スマップのメンバー全員が、野茂選手相手に次々とジャンケンをしていくのですが、常に野茂の勝ち。香取君などは、意地になって何度もやっていましたが、それでも勝てず。あのときに、日々勝負をする人の「勝つ力」の強さに感動したのを強烈に覚えています。

その後、同じようにテレビ番組でスポーツ選手の底力を見たのは、イチロー選手が「食わずぎらい王」に出ていたとき。

全盛時代の広末涼子と対戦していましたが、「私は女優ですよ」と負けん気を見せるヒロスエに対して、あっさりと言い当てたイチロー。

どうして! 絶対わからないと思ったのに、というヒロスエに、「食べる時に舌が引っ込んでいた」との答え。石橋貴明が「動体視力が違う」と、すかさずコメントしていましたが、思えば、野茂がじゃんけんで負けないのも動体視力の鍛え方の違いかもしれません。

ただ、じゃんけんのほうは別の要素もあるかも。

昔から「お相撲さんに赤ちゃんを抱っこしてもらうと丈夫になる」と言われるように、手に何か力のある人というのはいるようですし、それ以上に「プロは負けない」という勝負師の強さというのがあるような気もします。

零戦の撃墜王だった坂井三郎は、昼間の星が見えるようになるまで視力の強化を自分でしたそうですが、「負けない人」の勝つ力というのは、ものすごい努力の上に成り立っているのだなぁ、だからこそそれを見る私たちまでインスパイアされるんだろうなぁ、と野茂選手を見るたびに思っていました。

本当は引退が発表される前にこの話、書いておきたかったです。

こういう後回しの心が、所詮、凡人たる所以なんですけどネ・・・。

 

* 「手」には独特の命と不思議が籠もっていると感じたときに、『手さぐり日本 「手」の思索』を書いて本にし、発展して『からだ言葉の本』『こころ言葉の本』へ展開した。天の岩戸を押し開けた手力男神を、腕力・膂力の神さんとだけ思ったのは正しくなかったのでは。

近代人で「手」のふしぎな力を自覚していたのは石川啄木であった。彼の歌には手の不思議へのオソレをすら歌ったのが幾つもある。野茂のジャンケンは動体視力だけではなかったかもという「馨」さんの勘は鋭い。

 

☆ パイオニア  2008年07月18日15:03

・ 昨日、野茂英雄の引退のニュースに接した。残念だけれど、本当にお疲れ様でしたと、敬意を込めて言いたい。

「野茂英雄」という名前を聞いて、僕が真っ先に思い浮かべるのは、トルネード投法のことでもなければ、近鉄時代の活躍でもない。メジャーリーグでの二度のノーヒットノーランでもない。メジャーリーグで解雇を言い渡され、ボストンバッグを肩からかけてロッカールームを後にする後姿を、僕はいつも思い出す。

それは屈辱かもしれないし、不安かもしれない。でも、それらに耐えて、黙々と歩き、次なる活躍の場を求めてメジャーリーグの各球団を渡り歩く野茂の情熱というか執念には、いつも敬服させられてきた。

オリジナリティーあふれるトルネード投法。当時ほぼ不可能であったメジャーリーグへの挑戦。自分の活躍できる場所を求めて各球団を渡り歩くも、日本球界へ戻ることについては頑なに拒否する。それらに野茂の野球人としての「信念」を感じるし、だからこそ、野茂に対して敬意を持つことができるのだろうと思う。

・ パイオニアであることは、決して楽なことではない。人が敷いてくれたレールの上を歩く方が、はるかに楽だろうと思う。誰かがレールを敷いてくれるまで待つ方が賢明かもしれない。でも、あえてその困難に立ち向かい、己だけを信じて突き進む野茂の姿に、多くの人々が共感し、敬意を表してきたのだろう。

科学研究にも多くの共通点がある、と僕は考える。科学を進める一番の原動力となるのは、ゴージャスな設備でもなければ、天才の一瞬のひらめきでもない。情熱や信念、執念を持って、未知なるものに己のエネルギーを燃やし続けることなのだろう、と僕は考える。 ・ 野茂の姿をテレビで見るたびに、僕は寺山修司の詩の一節を思い出す。この一節は、科学者にも相通ずると、僕は思っている。

まだ一度も作られたことのない国家をめざす

まだ一度も想像されたことのない武器を持つ

まだ一度も話されたことのない言語で戦略する

まだ一度も記述されたことのない歴史と出会う

たとえ

約束の場所で出会うための最後の橋が焼け落ちたとしても」

(「事物のフォークロア」 寺山修司 より)

2008 7・18 82

 

 

* 昨日、「mixi」の「足あと」でやや目を引いていたニックネームを探っていると、思いがけず私の小説にふれて日記が書いてある。それも相当以前、医学書院での管理職の日々を書いた『迷走』についてで。オホホと思い読んでみると旧知の人らしい。そんな人が当時の社員にいたかなあ、組合員であったかなあと想うが思い出さない。メッセージでおそるおそる尋ねてみると、失礼しました、妻の方の親類であった。思い出した。

マイミクにもとお願いしていたが、同業と親類縁者とは、双方で、というより先方で日記などに窮屈が出るといけないのでマイミクは避けている。南山城の「ケイ」さんが例外で、この従弟の場合は、わたし自身の「根の匂い」を送ってきてくれる有り難さがある。

ああこういうこともあるんだと、「mixi」世間のおもしろさにまた触れた。今後は、お互いに「足あと」をたどって消息しあいたい。

2008 7・18 82

 

 

* ホームページ事件、「mixi」事件にも迫られた対応はすべて、した。やめているわけではなかったが、また「さっさと仕事の続き」をします。

2008 7・18 82

 

 

☆ なぜ?  2008年07月22日08:53  悠

昨日はダンナは出勤日。保育園もお休みなので、久しぶり息子と一日べったりすごしました。

朝、なぜ今日は保育園に行かないのか? お父さんはいつも通り出かけたのに~。で、帽子やら鞄やらを引っ張り出し私にアピール。

休み中に猛烈に進歩したあんよは、なぜか手に物を持った方がバランスが取れるみたい。私の携帯のストラップをつかんで振り回しながら歩いていました。

お風呂では、軽石に囓りつき、堅いのがわかると、洗面器に溜めたお湯に浸して再度がぶり。やっぱり堅くて…パンの様にはいかなかったね。

色々と発見があり楽しい一日でした。

 

* 軽石をお湯につけて 再度 というところ、坊やも、やるなあ。お母さんもよく観ている。楽しい一文。感謝。

ただの「ベタ羅列」型日記と違い、短いながら場面を印象的に「把握して表現し」ている。これが「枕草子」いらいの日記や述懐や記録の本来。優れた筆力です。

 

☆ おお音楽よ  ハーバード 雄

・ 明日はラボの大掃除第二弾。したがって、荷造りもその後にしようと思い、今日は一日デスクワーク。日本に送る書類を作る。ずっと躊躇していたが、観念して本気で取り組んだ。一通りの形は出来上がった。締め切りまでは、まだ少しあるが、この引越し期間のことを考えるとギリギリかなと思う。膨大な量を印刷しなくてはならないので、ムービングセールでプリンターを売っている人を探し、メールを送っておいた。

・ 書類を書いている間、トスカニーニ指揮NBC交響楽団演奏の「椿姫」を聴いていた。全曲通して聴いてしまった。

賑やかに始まるのにラストがあまりにも寂しい。初演で大失敗した三大オペラの一つ(残りは「カルメン」と「蝶々夫人」)というのも、分からないでもない。もっとも初演が失敗した理由は、結核で死ぬヒロイン役の歌手の体型が、それに相応しくなかったからとも言われているが。

トスカニーニの録音は、音も古いし、感極まったトスカニーニが指揮をしながら歌ってしまい、そのダミ声も入っているので、決してお勧めできるという訳ではないが、それでもあの凝縮された凄まじいばかりのエネルギー溢れる演奏を聴いてしまうと、他の指揮者の演奏が生ぬるく感じられてしまう。

・ 帰り道、久しぶりにフォーが食べたくなり、ハーバードスクエアのLE’sへ。テーブルを担当してくれたのが、良く僕を担当してくれるおばさんだった。久しぶりだというのに、いつも頼むメニューを覚えられていて、ちょっと恥ずかしい。「今日はシンハービールは飲まないの?」と言われ、つい勢いに押されて注文する。

食べ終えてから、昼の「椿姫」の影響とビールで気が大きくなったせいもあり、2階のCDショップでセラフィン指揮の「ラ・ボエーム」と、クレンペラー指揮の「魔笛」のCDを衝動買いして帰宅。

 

* トリミング利いた、これも、読ませる日記。

 

☆ かけっこ、No. 1:ほめちゃだめ?  2008年07月22日00:45  光

よーい、パン。

幼稚園での運動会、リレー競技だったと思う。

覚えているのは、円いトラックのカーブのところで、すてーんと転んだこと。

当然のことながら、幼稚園児、なぜ転んだのか、なんてことは考えもしなかった。

実は、小学4年のときにも転んでいる。

体育の授業で100m走を行ったときに、やはりカーブのところで転んで保健室へ連れて行かれた。保健の先生は、怪我したところを消毒しながら「がんばりすぎたのね」とおっしゃった。

その時、全てがつながった。あ、スピードの出し過ぎだったのか。

幼稚園児の想定速度や小学生の想定速度でつくられたトラックのカーブでは、速度超過だったのである。

それ以降、カーブでは速度を落として走るようになってから転ばなくなった。

それほど、かけっこに関してだけ言えばなぜか突出しており、誰にも負けたことがなかった。特段、練習するわけでもなく、筋トレするわけでもなく、ただ走るだけで1番になると褒められるのである。

しかも、ちょっと遅く走って。

* * *

その結果、(私のように)「努力」の楽しさを知らない子どもが育つことになった。

もし、努力して工夫して何度もチャレンジして、その成果として目標が達成できた悦びを、子どもの頃に実感できたのならば、違った人生になったであろうと、断言する。

今の小学校では、絶対評価だの相対評価だのと評価方法について議論が取りざたされている。

それよりも、「気概」を褒めてあげるべきだと私は思う。

 

* この元学生君が、学部か院かを出た頃に、記念の楽しみに旅をした紀行文がこのウエブの中の「e-literary magazine 湖(umi) = 秦恒平責任編輯」に出ている。推敲にかなり苦労した。そんなことウソのように達意の文をいつも「mixi」に書いている。いい大人になっているなと嬉しくなる。

 

* 元学生くんたちが、秦恒平「作家」教授を訴えるなどと威嚇し脅さないないならば、彼や彼女がむかしむかしに教室でせっせとわたしに宛てて書いた「アイサツ」を折に触れて名は伏せて紹介すると、みなさん、唸って感心されるだろうが。

言い訳無用だが、東工大四年間の学生諸君は、ほんとうにいい娘・息子たちだった。「幸福」だった。退官して十余年、いまも。

2008 7・22 82

 

 

* わたしたちも、結婚後、妻と都心をよく歩いたし、家の外でゴムマリを投げ合ったものだ。娘とも息子とも、羽根突きも凧揚げもキャッチボールも腕相撲も、よくした。

このまえ『ディアコノス』の出だしを読みながら、母と娘とは、むろん父も加わり、いつもああいうふうに賑やかに和やかにわたしたちは暮らしていたのを、夢のように思い出した。『罪はわが前に』では娘との対話が軸になって物語は前へ前へ転がっていた。『慈子(あつこ)』の冒頭でも、

 

正月は静かだった。心に触れてくるものがみな寂しい色にみえた。今年こそはとも去年はとも思わず、年越えに降りやまぬ雪の景色を二階の窓から飽かず眺めた。時に妻がきて横に坐り、また娘がきて膝にのぼった。妻とは老父母のことを語り、娘には雪の積むさまをあれこれと話させた。

三日、雪はなおこまかに舞っていた。

 

と、書き出している。これは京都へ正月帰省中の場面だが、じつにこの通りの親と娘だった。なにかというと父親の膝にのってくる娘だった。その感じは、結婚後にも父親と一緒に婦人雑誌の旅を楽しんだ娘の写真に、笑顔に、ストレートに繋がっている。なのに、どうしてやす香の死後になって、突然も突然、父に四十年「虐待され」つづけたなどと「mixi」に書きまくるのだろう。信じられますか。なさけない話です。

2008 7・22 82

 

 

* ★★夫妻から「mixi」へ、わたしの「湖」日記削除を要請し、厖大な証拠資料付きですさまじい「申し入れ」があったこと、「mixi」運営事務局から七月十七日に「照会書」が届いていたことは、この前に此処に記録した。即日詳細に「回答書」を送った。

今日、それに対し「mixi」当局の返辞が来た。

 

☆ いつも mixi をご利用いただき、ありがとうございます。mixi運営事務局です。

このたびは、突然のご連絡にも関わらずご返信いただき、ありがとうございました。

今後とも mixi をよろしくお願いいたします。

 

何の追加の要望も無い。メールのうしろに、わたしからの「回答書」も貼り付けてある。つまり内容を受け取っての「mixi」のこの返信。あたりまえのことだが、「問題にしない」「門前払い」ということ。

2008 7・23 82

 

 

* 静かな心のために 六

 

三十年このかた「からだ言葉」についてわたしは発言し続けてきた。近年は三省堂から『からだ言葉・こころ言葉』を出版し、今月には『からだ言葉の日本』を「湖(うみ)の本エッセイ」の一冊として出版した。次の『こころ言葉の日本』も用意しているが、此処では、直接に「こころ」を問題にしているのだが、それでも、「こころ言葉」の紹介は、前提に、無くては済まない。

「心」は目に見えない、とらえどころが無い、が、「こころ」と付き合わずに済む日常はない。「心」って、何? という自問自答をつい余儀なくされてしまう。

 

人の心は知られずや 真実 心は知られずや   (二五五)

浮からかいたよ よしなの人の心や   (九二)

うらやましや我が心 よるひる君に離れぬ   (二九一)

文はやりたし 詮方な 通ふ心の 物を言へかし   (二九二)

よしや頼まじ 行く水の 早くも変はる人の心   (三◎◎)

恋の中川 うつかと渡るとて 袖を濡らいた あら何ともなの さても心や   (三◎二)

花見れば袖濡れぬ 月見れば袖濡れぬ 何の心ぞ   (三◎五)

 

目に付いた『閑吟集』(数字は集の中での番号)から室町小歌をひいてみたが、万葉集このかた、人はかように「心」を問うて問い続けてきた。あげく「物」と対極の「心」に、まるで物と同じ属性を授け、例えば「心根」「心の底」「心構え」「心の奥」「心の闇」のように、また「心を砕く」「心を痛める」「心を抱く」のように、また「赤き心」「清き心」「濁った心」「心の鬼」のように、また「広い心」「狭い心」「偏った心」のように、「心細い」「心丈夫」「心頼み」のように、また「熱い心」「心冷える」「心温もる」のように、また「心得る」「心付ける」「心掛ける」のように、あたかも物に触れたり、物を使ったり、物の大小・色彩・冷熱などと同じ何かが、さも「こころ」にも在るかのように「こころ言葉」を用い、ようやくに「心とは何」かに或る見当をつけてきた。推知・推量してきた、そういう「日本」「日本人」が目に見えてくるではないか。

わたしは、「からだ」にしても「こころ」にしても、出来合いの観念から入って難儀な哲学や生理学や心理学を持ち出す、その前に、日本語の中に莫大に現に存在し、何の難儀もなく日々常用している「からだ言葉」「こころ言葉」への理解や洞察から、より具体的・生活的に、より日本的・日本語的に、「体」や「心」のことは考えた方がいいと説き続けてきたのである。

だが、今この場でのわたしの(可能ならばのはなしであるが)追究は、今度初めてやっと「こころ」を、「ことば」は念頭にしながらも、直接に端的に考えてみたかった。大胆すぎるが、待ったなし直かに「心」へ向かってみようというのである。  06.2.21

(この「mixi」の「日記」という場は、秘め事なみに狭い範囲の知人にだけ発信するブログとちがい、夥しい会員の目に、触れれば触れる仕組みになっている。しかし会員の全員に近くをわたしは知らない。その意味で、「日記」は覗かれていると頭で知っているだけのわたしの「孤室」である。

そもそも「匿名」でものを書くのは、(筆名ですら同じと思うが、)「ラクガキ」に同じで、だれより自分自身に対して無責任に流れやすい。わたしは無責任な書き手ではありたくない。日記の公開に危惧する人はときどきいるけれど、密室の日記は(よほど優れた人間を例外として)概して飾られている。人によるとはいえ、日記を実名で公開していると、(サカサマに思われるだろうが)恥ずかしくてウソは書けない、極めて書きにくい。

「秘める」という本能は、当然生物であり人格である人間には或る程度許されているし、必要なことでもある。だが、匿名に隠れてひゃらひゃらした日常や言葉を書き散らし垂れ流してあるものを見ると、自分はそんな真似はしないとあらためて思う。自分自身に恥ずかしくなるのは御免である。

この『「静かな心」のために』は、『静かの文化を論ず』と仮題し、数年来予定していた仕事の一つなのだが、難しくてなかなか取り組めないで来た。たまたまご厚意に出逢い此処へ招かれ、そうだ、此処で「見切り発車」しようと思い立った。用意も何もないエッセイとして、此の場にふさわしいかふさわしくないかなど考えもせず、いきなり書き始めた。

立ち往生のおそれもあるが、腹をくくっている。

「孤室」が好き。テレビに出るよりわたしは「ラジオ」の孤室に抛り込まれる方が、いつも気楽であった。スタッフから終始覗かれていても、である。)

2008 7・23 82

 

 

☆ 冷やしたい焼き  馨

ナイスな発見がありました。

大船駅ルミネの中で、(手足口病と暑さとで=)食欲のない娘が、ようやく「食べたい」と言ったのが、たい焼き。

普通のたい焼きもあったのですが、「冷やしたい焼き」なるものも売っていて、試しに買ってみると、これが意外なおいしさ。

餡は「サクサクきなこ」を選んだのですが、きな粉ペーストに砂糖がジョリジョリ入っていて、これがサクサクの由来らしい。

ひんやりしていて香ばしく、久しぶりの外出で疲れていた親子には、「おいし~い!」。

ところで食べ終わってちょっと気になったのが、このジョリジョリのお砂糖、どうして溶けないのかしらんという疑問。シリコンか何かで砂糖をコーティングしてあるか、まわりの餡を糖の飽和状態にしてあるかだなー。低温商品だということを考えると、どちらもありかな。 血糖値が落ちていて、家に着くなり食べ尽くしてしまったけど、お砂糖だけ取り出してちょっとよく見ればよかった…、とちょっと後悔。 でも、冷やしたい焼き、夏にバテた時にはちょっとおススメです。

2008 7・23 82

 

 

* マイミクさんの日記に、ひとりは「やるしかない」と書いて自身を励ましている人があり、深夜の独り言で「もっと」「もっと」と自身に鞭を当てている人もいた。どっちにも、ひさしい「覚え」がある。それなりにわたしの中に生まれている感懐もある。

 

* 「やるしかない」クンとは、何百度も顔をつきあわせてきた。たいていの相手は来ては去りまた来るのだが、この「やるしかない」クンはこびりついて離れて行かない、憎らしいけれども、一面親しくもある。彼が励ましてくれなければ、「簡単で詰まらない」ことしかできなくて、彼は失望して去っていっただろう。彼にこびりつかれているのは、良く強く生きる天恵なのだと思っている。

また、「もっと」「もっと」「もっと」 もっと健康になろうなどというのは結構。しかしこの「もっと」クンは何らかの欲、意欲や貪欲とくっついて人間を食いつぶしてきたそれが真面目な仕事の場合ですらも。

意欲を持つなと言うのではない。なにかべつの誰かサン(ことば)を発見し発明して、「今・此処」を健康に。豊かに。

「もっと病」は、精神のがんで在るのかも知れない。

2008 7・24 82

 

 

☆ 先日の大暑の日に  瑛 e-OLD川崎

山百合を写真に撮った。

夏の山道では白百合に出会うことがある。この日も一休みしているときにあちこちにユリが咲いていた。賑やかな百合、秘める思いをさり気なく凛とした姿で咲く百合の花。

歳時記で調べたら高校時代に知った川端茅舎の句があった。

 

百合の蘂(しべ)みなりんりんとふるひけり (川端茅舎)

 

もう二句。水原秋櫻子「近代秀句」から目に飛び込んできた。

 

まひまひや雨後の円光とりもどし

尾長来ていよいよたわわの若楓

 

ユリの語源は「揺り」にあると解説にありました。

茅舎は、画家川端龍子の異母弟であり、岸田劉生について絵を学んだこともあった。事物の写生・描写には透徹した眼を持っていたという。

百合から川端茅舎へ、高校の国語の授業へと連想することの今年の盛夏を思う。

 

☆ スクワット  2008年07月25日18:25  悠

去年の今日は退院して子育てが本格始動した日。オムツやら足りないものがたくさんあって買いに走ってもらっていました。かなり気が張っていたなぁと。

体重約三倍。身長1.5倍になった息子は今朝もペタペタ歩き回っていました。

時々立ち止まりスクワット。

疲れ知らずで何度でもやります。どんなに深くしゃがんでもピョン! と立ち上がります。

こちらが真似したら余計に調子づいて繰り返します。頑張るんですが、かないません!

 

* オリンピック!

2008 7・25 82

 

 

 

☆ さらばFairchild    ハーバード 雄

・ ラボの引越しの続き。午前中いっぱいで一気に残りの荷物をpackingした。良く分からないものについてはどんどんとゴミ箱へ。もう部屋には何も無い。がらんどうになった部屋の中で、午後は日本に送る書類書きをしていた。

ハーバードの建物の多くには固有名詞がついており、今までラボのあった建物にはFairchildという名前がある。ラボに見学に来たときには、随分とボロい建物だと思っていたが、今ではそれなりに愛着がある。

来てすぐに過ごしていた部屋は、窓の無い、小さな部屋だった。おまけにライアンとシェアしていたし、最後の頃はジョンも一緒だったので、デスク一つ分しかスペースがなかった。

今年の1月にコーリーから今の部屋を引き継ぎ、2階に移った。部屋は決して大きくはないが、個室をもらえることは有難かったし、窓からは中庭が見えた。この窓から冬に眺めた雪のこと、春になって燦燦と降り注ぐようになった日差しのこと、夜中まで顕微鏡を覗いた日のことなど、あれこれと思い出していた。

新しい建物は、Fairchildと違って近代的な造りになっている。まだFairchildのような固有名詞は付いておらず、ラボの皆は Northwest buildingという無機的な名前で呼んでいる。新しく僕の移る部屋は、今の部屋の2倍以上と広い。しかし、僕には今ぐらいでちょうど良い。おまけに新しい部屋には窓が一つも無い。建物の中央付近にあるからだ。顕微鏡周りを暗くする必要があるので、実験のためには良いのだが、居室も兼ねているので少々侘しい。「窓の無い部屋しかもらえないのなら仕事を辞める」といってラボを去った、テクニシャンのエリカの言うことも分からないでもない。

2時を過ぎると、Fairchildの1階には色々な料理が並ぶ。Fairchildの1階の会議室では、毎週金曜日の昼に教授会が開かれる。教授会はランチを摂りながら行なわれるらしく、ケータリングで余った料理が置かれるので、皆、好きなだけ取って、食べて良いことになっている。いつもはあまり食べないのだが、今日は最後ということで、しっかりと頂いてきた。

午後、書類書きをするも、あまり落ち着かない。部屋に物がなくなったせいで、音が妙に反射する。咳払いをしただけで、大きな音が響く。おまけに隣のボビーの部屋では、解体作業で大きな音がしている。結局6時少し前にラボを後にし、郵便局に立ち寄ってから帰宅。

慣れ親しんだFairchildを後にして、今、なんだか寂しい気分。

 

* わたしまで慣れ親しんできた気がして、雄クンの気持ちにふと寄り添う。

2008 7・26 82

 

 

☆ 分岐と融合   2008年07月27日06:05

・ 今週末から月曜日にかけて、ラボでは引越し業者が荷物を新しいビルへと運び出している。僕も立ち会わねばならないのかと思っていたが、むしろ逆に、ラボに居てはならないらしい。ということで、今日から3連休ということになる。嬉しい。とはいっても、明日はフランスから研究者が来て、朝から一緒に実験することになっているのだが。

・ 家で書類書きをしつつ、録画しておいたテレビを見る。その中で印象的だったのは、この日記でも何度か取り上げている「爆笑問題のニッポンの教養」。今回、爆笑問題の二人が訪れたのは国立科学博物館の篠田謙一氏の研究室。氏はミトコンドリアDNAの配列解析から、人類の系統について明らかにするという研究を行なっている。

ミトコンドリアは、母から子へと受け継がれる。父からは受け継がれない。さらにミトコンドリアは染色体とは別の、独自のDNAを持っている。したがって、ミトコンドリアのDNAを調べることで、母子鑑定に役立てることができる。これを突き詰めれば、ミトコンドリアDNAの塩基配列を比較していくことで、人類の系統がどのような進化的過程を辿ったのかを明らかにできる訳だ。

・ 篠田氏によれば、現在の人間の直接の祖先が誕生したのは、今から15万年前、東アフリカにおいてだったという。その人数は、およそ数万人だったという。約7万年前に、わずか数百人が中東へと渡った。この子孫がどんどんと東へ移動していき、アジアへと広がっていったという。やがてユーラシア大陸の北東部からアラスカへと渡り、南アメリカ大陸の南端にまで達したのが約2万年前だという。

かたやヨーロッパへの移動は遅れ、やはりアフリカから約4万年前に移動したと考えられている。ヨーロッパへの移動が遅れたのは、当時ヨーロッパにはネアンデルタール人が住んでいたためではないか、と考えられている(ネアンデルタール人や北京原人、ジャワ原人は、今、地球上にいるヒトとは別の種であり、ホモ・サピエンスではない)。

やがてコロンブスの「新大陸発見」を経て、アメリカにおいて、それまで移動を繰り返す中で分岐していった白人(コーカソイド)、黒人、アジア人が一堂に会することとなった。これが今からわずか500年前のこととなる。

地球上に人類の祖先がゴリラやチンパンジーから分岐した時から現代までを1年間として計算すると、実は現代人の祖先が初めてアフリカを出たのは12月 25日のクリスマスの夜となり、西洋文明が完成したのは12月31日の午後11時となるらしい。

一見、地球上には多種多様な人種が存在し、それぞれ様々な言語・習慣・文化を有しているけれども、それらの差異は私達が考えるほど大きなものではなく、人類の歴史からすればごく最近生じたものであり、見掛けほど大きなものでは決してないのだ、というのが篠田氏の主張だった。

・ 爆笑問題の二人も、唾液を採取され、それぞれミトコンドリアDNAの型を調べられていた。田中はD4aというアジア人に最も多いタイプ。大田は M7a1aというタイプで、おそらく縄文人に多く、沖縄など南方から日本に入ってきたタイプではないかとのことだった。これらのミトコンドリアDNAの型は、必ずしも国や地域に縛られるものではなく、ある程度広範囲に亘って見られるものらしい。「遠くの親戚より近くの他人」というが、DNAの型に関しては逆が成り立つという訳だ。

これらの研究を通して篠田氏がおっしゃっていた中で印象的だったのは、「これらの研究をしていても、国という概念が全く出てこない」ということ。つまり、国を規定するような生物学的根拠というものは存在せず、あくまでも人間の頭の中で勝手に線引きされているに過ぎない、ということになる。

篠田氏の著作「日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス 1078)」には、「普遍的な価値を持たないナショナリズムにこだわって未来があるとは思えません」という一節があるらしい。これも、氏のこれまでの研究に基づく信念なのだろう。

確かに世界中には、実に様々な人種が存在する。同時に様々な言語や文化もある。それらを大切にすることも大事なことかもしれない。しかし、こうした生物学的根拠に基づく知見は、度を過ぎたナショナリズムに対する警鐘として有用かもしれない。いまだに続くパレスチナ問題などを見ていると、そんな気がする。

・ 500年前に、様々な人種が初めて一堂に会したのがアメリカであるというのは象徴的だなと思う。アメリカに来てから、いずれ人種というものは無くなるのではないだろうかという気がしている。

当初、人類がアフリカを出て諸大陸へと移動する過程においては、その移動のスピードはゆるやかなものであっただろうし、その気候や生活環境に適した人間のみが自然選択されて生き延びるという過程を経ることで、様々な人種が出来上がっていったのだろう。

しかし今や、様々な交通手段の発達により、世界中の人間が自由に行き来できるようになっている。同じ人種どうしが結婚しなくてはならない必然性も下がりつつあるように思う。日本に居た頃は滅多に見なかったが、アメリカでは様々な人種同士のカップルを日常的に見かける。うちのラボでも、ボビーはインド人だが奥さんは白人だし、同じようなカップルが3組いる。それらの子供達がいずれ結婚するようになれば、さらに混血は進んでいくことだろう。

民族としての純血性を重んじる人もいるだろうし、そうした純血性から生まれた文化を尊重しないわけではない。しかし、人類の歴史から顧みて、純血性というものは一過性のものに過ぎず、やがて世界は再び一つへと融合していくのかもしれない。

 

* 興味津々。感謝。

2008 7・27 82

 

 

☆ 機種変更  2008年07月27日17:08   悠

長らく使ってきた携帯電話.バッテリーも弱ってきているようだし変えようかと思い,土曜日にお店に行って見てきました.が,今ひとつ決められなくて,近々発売の機種に目星をつけ,もうしばらく待つことに.

夕方,息子が私の携帯で遊んでいるなぁとは思っていところ,良く見ると本体と画面の部分がわずかな配線だけでつながっているという状況!! 開きすぎたみたいです.すごい力....

運良くダメージはフレームだけだったので,何とかデータも確保できて,一応使えますが,開くたびに危うい状態.

というわけで,本日機種変更となりました.

新しいほうも早速ブンブン振り回しています..保つかしら?

 

* ハハハ。

2008 7・27 82

 

 

☆ 童謡  悠

息子のお気に入りは童謡が16曲入っていて,ボタンを押すと演奏が始まる絵本.生まれてすぐに一つ上の子供がいる友人がお祝いでくれたものです.

”すごい喜んでずーっと使っているよ”と言っていました.

はじめは音楽が鳴るのが楽しいだけかと思いきや,次第にどこのボタンを押すと何がなるかまで把握して,お気に入りを連続して鳴らしています.

合わせて体を動かし,ご機嫌です.なぜか眠くなると開いて”演奏”を始めます.

本日も大演奏会がありました.私の膝に座り,私の両手をつかんでリズムをとったり拍手させられたり....眠くなるまで約20分.歌い続けました.

それにしても,改めて歌詞を見直すと,今ではなかなか使わない言葉がたくさんあり,また驚くような内容だったと今更気がついたり.

息子の大好きなこの絵本,実は3冊所有しています.全48曲.日替わりでお好みの曲が変わります.

 

* くちびるに歌を。

 

☆ 「あんぶん」「いーい?」   馨

あいかわらず言葉の発達の遅い我が息子。

周りから言われることはずいぶんとよくわかっているらしいのですが、発信のほうはワンワード + 身振り手振り ばかり。

ひたすらに喋り続ける姉娘と足して二で割るとちょうど良いだろうなぁ、とは親二人の共通の意見です。

手足口病の直後に、今度は下痢の風邪を引いて、ようやく昨日から保育園に行かれるようになりました。

そんな息子、交渉能力だけは姉より早く身につけ始めました。

お姉ちゃんが食べているものを自分が欲しい時は 「あんぶん!(半分の意味)」

もらえないと「あんぶん、あんぶん!」と言い続けるところがしつこいのですが。最初から全部ほしいと言わないところが、やはり二番目と言うか、保育園のいい影響と言うか・・・。

そして昨日からは 「い~い?」が増えました。

台所の調理台にあるおかずの残りを指差して「い~い?」

テレビを見たい時は指差して「い~い?」

上目遣いに言われると、こちらもついほだされて「いいよー」と言ってしまうのですが、よく考えるとダメだろう、という場合も多く。戦略負けしています。

今朝も私の目覚ましを指差して「い~い?」

渡したら最後、時間を変えられてどこかにしまいこまれるのが目に見えてるので「ダメ!」

そこで引き下がらないのが 2 歳児で、しつこく

「い~い?」 「ダメ」

「い~い?」 「ダメ」

「い~~~いっ!?」

根負けして、「そーっと、そーっと、よ」と渡すと、意外にも少し遊ぶとあっさり返してくれました。

「い~い?」は、我が家では教えたことがなかったので、きっと保育園で教わったのだろうな、と思っています。集団生活のいい部分ですね。

その交渉能力、ちゃんと伸ばしていってね。

 

* こういうのが読めるから、「mixi」 やめられない。

「あんぶん」

「い~い?」

ぜ~んぶ いいよ。

2008 7・30 82

 

 

* この機械、このところ俄かにいろんな異常が告げられてくる。インターネットが切断されていますというのが多い。しかしインターネットはそんなときも働いているが。

ある日、わたしのホームページが読み取れなくなったら、ご面倒でもメールで知らせて下さいますよう。

2008 7・31 82

 

 

☆ 心配  鳶

何と今回は京都特集ではありませんか! 新聞や雑誌に掲載されて、これまでわたしが読んでいないものも含まれているようで、早速読み始めました。他の事は少し後まわし。

夕方6時現在、HPを見ようとしましたが、HPの内容が読めません。心配しています。

 

☆ 整い調う   ハーバード 雄

・ 今回の引越しで一番の難関である、イメージング装置のセットアップを朝から始める。顕微鏡だけでも大変なのに、ステージを動かすための装置、マニピュレータ、蛍光フィルターの切り替え装置、顕微鏡の画像を取り込むCCDカメラなど、色々な機械が取り付けられているので、かなり複雑な作業となる。

朝からヒャーノと一緒に始めて、終わったのは3時近く。ランチも摂らずに一気に終えた。おかげで前の建物にあったのとほぼ同じものが出来上がった。無数のケーブルをつなげなくてはならず、僕だけだったら到底無理だった。ヒャーノが以前撮っておいてくれた写真が大いに役立った。今回の引越しにあたり、僕も何枚か写真を撮っておいたのだけど、やはりポイントが良く分かっていないせいもあって、肝心な写真が無かったりということもしばしば。

ヒャーノは写真を見ながら無数のケーブルをつなげ、なおかつそれらを綺麗にまとめて、見た目にもすっきりとしたセットに仕上げた。ケーブルの纏め方には彼独自のこだわりがあり、僕はただ見ているしかできない。「強迫神経症みたいだろ」とヒャーノ。気になってついつい血液型を聞いてしまったが、A型だという。良かった。これでO型だったら、僕が片付けベタなのを血液型のせいにできなくなってしまう。

ちなみに韓国でも、血液型と性格の関係というのは一般的に言われていることだという。あまり突っ込んだ質問をするのもためらわれたので、日本で言われているようなことと同じなのかは確認しなかった。

ランチを摂らずに作業を終え、二人ともクタクタになった。僕がランチに行くというと、ヒャーノが僕も行きたいという。もうカフェテリアはとっくに閉まっている時間帯なので、どこに行くかを相談し、結局、日本食レストランの集まっているポーターエクスチェンジモールに行くことに。ヒャーノに、どの店が一番美味しいかを聞かれる。ヒャーノは以前からCafe Mamiに行ってみたかったそうで、実際に何度か来たらしいが、いずれも火曜日で休みだったらしい。僕はハンバーグ、ヒャーノはトンカツを注文。「トンカツ、下さい」と、ヒャーノは日本語で注文していた。

ヒャーノの日本に関する知識の豊富さには、いつもながら驚かされる。「関東と関西は地図で見るとそんなに離れていないのに、どうして文化的に大きく違うのか?」について聞かれ、あれこれと説明する。

しばらくして出てきたトンカツを一口頬張り、美味しいといって喜んでいた。僕も久しぶりのCafe Mamiのハンバーグに満足。ハンバーグの上に目玉焼きを載せてもらったのだが、これがいかにも日本的だといってヒャーノは笑っていた。

ラボに戻った頃には既に4時近く。二人とも疲れていたが、実験台回りを片付け、ようやくラボらしくなった。

・ どうも昨日辺りから、少し喉が痛い。暑いからといって、寝る時に窓を開けているのがいけないのかもしれない。新しいラボの冷房も、ちょっとキツめなので、そのせいもあるかも。これ以上悪化させないようにと風邪薬を飲んだら、たまらなく眠くなり、9時半には寝てしまった。先ほど目が覚め、眠れなくなってしまい、起きてパソコンに向かっている。

 

* 身辺のすっきり整った状態というのは、海を越えたはるかな向こうの話でも気持ちが救われる。疲れすぎないようにして下さい。

2008 7・31 82

 

*  八月になった。ホームページがなんだかややこしく破損しているようだが、

 

http://umi-no-hon.officeblue.jp/iken.htm

 

と書き込むとこの櫻の下の私が現れ出る。そのままお気に入りに追加保存してもらうと、少なくも日々の日記は読んで頂けるようだ。どういうことになっているか理解しえてない。もし読み取れないときは、ご面倒でもメールで仰って下さい。

2008 8・1 83

 

 

 

* 喫茶店「ぺると」に寄って、マスターにホームページの修繕をお願いする。いまのデザインや構成は全体に森中さんが仕上げてくれたもの。

2008 8・1 83

 

 

* ホームページの大混乱を、「ぺると」の森中さんに、深夜までかかり一部必要な箇所のみ直してもらった。はらはらした。しばらく、復旧に手がかかる。

この際、広範囲にホームページ構成の改善をはかってもらうことにお願いした。

2008 8・1 83

 

 

* 大破を免れ、ホームページはほぼ復旧していると思う。

2008 8・2 83

 

 

☆ 戦争の傷跡で    昴

昨日は、釧路で不発弾が見つかって大変でした。

交通機関が少し混乱して、実家に帰るためのバスの時間が少し遅れました。

今日は49日の法要があるので、帰って家の留守番をしなければならないのでちょっと焦りました。

自衛隊さんが来て、不発弾処理に当たっているそうですが、自衛隊さんありがとうございます。

こういう風に、攻撃に向かうような自衛隊さんでなく、守る自衛隊さんなら、いいのになあ。日本だけでなく、外国の人も守るような…。そんな形なら、反発はそんなに受けないんじゃないかなあ。海外の人にも笑われないような気もする。

きっと、釧路の空襲で石川啄木に関係する建物も壊れたんだろうなぁ。

2008 8・2 83

 

 

☆ 日本の食糧自給率は4%?  光

雑誌の記事などというものは、たいてい危機感を煽ったりするものである。購読者も、そんなことは半ば “暗黙の了解” で、目次を眺めて見ているものだ。

しかし、である。

日経ビジネスのオンライン記事「リン鉱石と食糧危機」(2008.6.10)は、読み飛ばすことができなかった。

要約すると、食糧生産に必要な肥料(窒素、リン酸、カリ)の一つ、リン酸の原料となるリン鉱石の価格が世界的に高騰しているという。この価格上昇は、トウモロコシと大豆の世界的な需要増によるものだが、背景には資源枯渇問題もあるようだ。

リン鉱石の07年の生産(1.5億トン)は、中国(24%)米国(20%)モロッコ(19%)ロシア(8%)の4カ国で7割を占めているそうだ。その米国ではリン鉱石の資源枯渇が危惧されており、戦略資源としてすでに輸出禁止になっている。

この5月には、中国でも自国の資源保護のためリン鉱石に輸出関税をかけたりと、実質輸出禁止の政策を打ち出してきたという。

ある機関の試算によると、2060年代には世界の残存鉱量は現在の50%になってしまうという。

どの国でも、自国の人口増加と食糧生産量の維持には、リン鉱石は必要不可欠。原油と同様に、世界規模の資源争奪戦が始まりつつある印象である。

問題なのは、リン鉱石資源がなく中国からの輸入に頼っている日本。

食の安全意識の上から国産のものがいいとか、食糧自給率をもっと上げようとか、言いたいところかもしれないが、肥料がなければもはや幻想である。

DNAにも骨にも使われているリンは、動物(ヒト)にとっても必須な元素。

そうした意味では、資源の枯渇は原油よりも深刻のはず。

日本の、こうした肥料を輸入しないで実質可能な食糧自給率は、およそ4%とも言われている。

日本の食糧事情は、本当に危ういのである。

と、危機感を煽られると、同じく人に言いたくなるのが人情というもの。

ここまで読んでしまった方、他の誰かを煽りたくなってきたのでは?

 

☆ 対決!巨匠たちの日本美術    惇

昨日、お休みを取って行ってきました。おかげさまで10万人突破、らしいですね、この展覧会。CMがすごいもんね~

ところでこの展覧会は企画がまず面白いです。

「対決!」って、従来は私たちが勝手にそれぞれの頭の中で思い描くことはあっても、展覧会としてはありそうでなかった。それを実際にやってみた、というのが面白い。

で、当然のことながらずいぶん「浅く、広く」の展覧会になったけれども、そのことがかえって、個人の鑑賞の域を趣味・嗜好の分野のみに限定せず、それをむしろ広げさせたとも思えるから、とてもよい展覧会だったのではないだろうか。

私は今まで円空仏を「見てみたい、見てみたい」と思いながら、見たことがなかったもの。

で。

何が一番印象的だったかというと、若冲でも、芦雪でもなく、笑  長次郎と光悦の茶碗なのであった。

ははは。

とはいえ、芦雪の大虎には本当に圧倒されるし、ものすごく惹かれる。

すごいなぁと思う。

師を凌ぐほどのスケールだとも思う。

近くで見ていると何がなんだかわからないのに、遠くから見るとしっかりと虎の斑の模様になっている線。ひげの硬質な質感。

鉄斎の富士にも、とても言葉にできない力強さを感じる。それが画面からだけでなく、描いた人の内面からほとばしるもののように感じられて心をわしづかみにされるような感覚を持った。

雪舟の「慧可断臂図」は線の妙だ。

幾種もの線をたくみに描き分けて、絵の奥行きと人物の存在感を出す。

その画力にやはり、引き込まれてしまう。

で。

長次郎の赤楽。

「無一物」もいいけれど、「道成寺」の端正なフォルムの美しさ。

手におさめたときの、ほっこりとした感覚が伝わるようでため息すらでるほどである。

最初、私は「チューリップのようなふくらみだ」と、その茶碗を見て思ったのだけど「道成寺」という名がまた、いいではないか。あの赤楽に抹茶の深い緑が泡立ったとき、道成寺の物語を思う。

ひぇぇぇぇぇ~!!

想像しただけでおもしろすぎる!

それから光悦の「時雨」、「七里」。

「時雨」のざっくりとした、切りっぱなしのような口あたり。

長次郎に比べると全然整ってはいないように見えて、しかしやたら藝術的で美しくて、目で見てうっとりとさせるお茶碗だ。

「七里」の夢のような白い斑が、まるで天の川のようでございます。

う、うつくしい…!!

ほしいなぁ。

いいなぁ。。。。

琳派のものはいろいろと楽しく見た。

また秋に琳派展をするようですね。

夏休みの期間だからか、けっこう込んでいた。人ごみを歩くと疲れますね。かなり疲れました。

この日、三井記念美術館にも行こうかな、なんて思っていたけれど(金曜は8時までやっているのだ。ブラボー週末) 疲れたのでやめた。

ブヒー。

でも、美術館は楽しい。

具合が悪くなっても楽しい。

またどこかへ行きたいな~。

 

* 繪だけでないから「繪合」と謂いにくいけれど、趣向はそれで、源氏物語以前からの伝統的な好い「遊び」ですね。出ている作が、さすがに東博の膂力だけあります。

「惇」さんの鑑賞で、十分、堪能しました。

どの作も脳裏に生きていますので、人混みを掻き分けて観る気ははなから持ちませんでしたが、ありがたい日記で、雰囲気はよく感じ取れましたし、長治郎や光悦の茶碗が一に来るのは自然当然でとても嬉しくなりました。

名前の出ているどの作品にも胸がふるえますね。ありがとう。

広告で何が並んでいるか主なものは知っていますし、ごく常識的に組み合わせているなと、違和感はありませんでした。

わたしは、こういう作品たちには、趣向の企画展ででなく、静かな本館の通常展示で「偶然に出逢う」のを楽しみにしています、いつも。閑散としたあの本館で、飽く無くたたずんで没入できますので。しかし特定の何処かに出かけないと常は容易に観られないモノもありますね。企画展はそれの観られるのが嬉しいです。

おかげで、脳裏深奥にたくわえてきた名品たちの、さゆらぐ生命感を感じ取れ、いっときとても幸せでした。お礼申します。 宗遠・湖

 

* 鉄斎富士、そして雪舟への鑑賞に深く頷いた。とびきりの名作だもの。しかし、存外に通りすぎてしまう人も多いのである。

 

* マイミクの「惇」さんだが、どれほどの年齢の人かも知らない。ブログ世間でのかなり一般化している語り口、これは自然にこうなのか、多少の演戯センスが働いているのか、このごろ、たくさんのいろんな人たちの日記をみながら、思う。語りかけているのか、私語なのか、作文なのか。

その辺から、二十一世紀日本の男女の、文章とも語りともつかないが一つの展開が確実になっている現象に着目し続けたいと思っている。

 

☆ 藁のお布団   珠

暑い土曜日。。。一昨夜の稽古の替わり、昨日は土曜稽古へ。

日照りの中、しばらくぶりに駐車場へ行く。

駐車場の隣は大家さんの畑。柵越しに赤いトマトや葉物繁る様子がよく見える。

この暑い季節の農作業、さぞかし大変なことだろう。”雑草と競争だよ”と言って、欠かさず畑に出ていた祖母を思い出す。大家さんもお婆さん一人、日々の仕事にと畑だけは手放さず、毎日手入れをされていると聞く。

ふと見ると、私の駐車スペース後方に藁の束がこんもり。。。何、これ?? どけようと恐る恐る束を掴むと、なかから西瓜が出てきた。

まぁ!

もう小玉西瓜並みの大きさだ。柵越えして伸びた蔓の先、駐車場のアスファルト上で実をつけてしまったらしい。西瓜の下には藁の敷布団。アスファルトでは西瓜も茹(ゆだ)って辛かろうということかぁ。。暑いけど、頑張って、大きくなぁれ! 藁布団を掛け直す。

土曜稽古はおば様方多く、賑やかで、五月蠅い。茶以外の話しが多くて、残念。夜眠れないからと茶は飲みたがらない、足が辛いと客にはなりたがらない、、

お指図のまま有難く客になってお茶頂いてたら、気づくと八服! もう充分です、ホント。

で、撤収も速いおば様方でした。

稽古って、何でしょうか、ね。「稽古場に来た」その事実だけが、大事なのでしょうか。。いい人達には違いないけど、共に茶をするのは、疲れます。笑顔の相槌も、徐々に強張る土曜稽古。はぁ、、、

夕方、駐車場に車を停め、西瓜のご機嫌伺い。早く大きくなぁれ。、、、でも、これ、私が穫って食べるわけには、いかないのかなぁ。うーん、食べたいよぅ。。。

 

* 茶の湯と談笑とは、ひとつのリトマス試験紙のようで、人により反応が違いますね。「和・敬」の理解でうごいてきます。

稽古場の茶と茶席の茶とは、どうあるのでしょうね、同じが当然か、違って当然か。

茶席も、正客の理解一つで、押し殺したような沈黙と型どおりなアイサツに終始したり、和んだ談笑のうちに茶・菓や床や花や時節が楽しまれたりします。人が寄っての飲食の遊藝と観るか、座禅瞑想の変形と観るか。へたをすると茶の湯が、ともに緩んだり乾いたりします。

稽古場では、何を覚えるか。作法や精神。それもある。寄り合った者達を通して「人間」の世間・社会を観てくるのも茶の湯ゆえの功徳です。大事なのは「茶」ではなく、「人間」観察ではないか知らんとも思っています。

これは「真」さんにも聴かなくては。 湖・宗遠

 

* 西瓜が目に見えるような、夏。こういう夏って、好い。

2008 8・3 83

 

 

* さてわたしの不調だったホームページは、ほぼ全体に復旧している。「ぺると」マスターの手引きに聴きながら、根気よくわたしも不具合と向き合った。もう大丈夫である、らしい。

 

☆ 肉食獣  ハーバード 雄

昨日,充分過ぎるほど寝たせいか,朝5時半に目が覚める.ベッドの中であれこれと考え事をする.その結果,何かを得るためには自分が動かなくてはいけないのだな,という結論に至った.そんなことは当たり前すぎる位,当たり前のことかもしれない.でも,改めてそんなことを思った.

雨が降っているからといって,雨が止むまで,ただただ待っているだけでは,獲物にありつくことはできない.とにかく出て行って,前を行く獲物に襲い掛かり,薙ぎ倒し,骨を噛み砕く,肉食獣のようでなくてはいけないと思った.そうして動いていれば,運が良ければ何かを得られるかもしれない.

・ 一日がかりでパソコンに向かい,ついに書類を書き上げた.ようやく自分の納得の行くものが出来上がった.明日,細かい体裁をチェックし,プリントアウトして日本に送るつもり.もっともプリントアウトするだけでも一仕事という膨大な量の書類だから,仕事を終えて帰ってきてからの作業ということになれば,実際に投函するのは今週末ということになるだろう.

・ 共同研究者に電話をし,協力を取り付ける.今週から,また新たなチャレンジに取り組むつもり.

 

* 「動かなければ出逢えない」と絵手紙元祖の小池邦夫さんが、鯛二尾の繪に書いた額を、買い上げたことがある。

私自身はいまは必ずしもそう思わない、が、若い人は「動かなければ出逢えない」のが鉄則であろう。

 

☆ 鬼ごっこ?   悠

週末、いろいろと家の懸案事項が片付きました。

息子のオムツはじめ各種買い出し。友人来訪に備えた来客駐車場の予約。息子の衣類の整理。引っ越し以来開けていなかった段ボールの片付け。

私が夢中になって息子をダンナに任せていたところ、ふたりで鬼ごっこらしきものをはじめました。

ドタドタ、ウキャキャキャ!の繰り返し。いつも鬼はダンナ。

半月前に歩きはじめ、みんなを喜ばせていた息子。もう小走りするようになりました。

疲れて最後は布団に駆け込みコテン。よーく寝ていました。

 

* いろんなことを、いろいろに思う。思いながら、必要に応じ動かねばならない。億劫になってはならぬ。

2008 8・4 83

 

 

☆ 大臣交代   司

大臣が替わりました。

大臣や副大臣や政務官が替わると、私達の仕事の何かが変わるかと言えば、実はあまり変わらない・・・と少なくとも私は思っています。

あえて言うなら、引継書の作成や確認という仕事が来たり、改めて自分たちの仕事をゼロから説明をしなければいけない、といった仕事が短期的には増える位でしょうか。長期的には、そういう中で自分たちの仕事内容が変化したり、極端に言えば今までやってきた内容をゼロから見直さなければならなくなったり、という事もあり得なくは無いですが、それが大臣が替わったからか? と問われればちょっと違う様に思います。

「トップが変わったのに、仕事の中身が変わらないなんて」と思われるかも知れません。でも、大臣はトップでは無いでしょう。総理大臣? いやいや、違います。

私たちは国民のために仕事をしています。なので、大臣が替わったからと言って自分たちの仕事の必要性が変わる訳では決してありません。少なくとも私はそう信じています。

“長期的には”という様に書きましたが、自分たちの仕事を見直さなければならなくなるのは、その仕事が国民から必要とされなくなったときか、その仕事の必要性が財務省や大臣に理解されなかったとき、のいずれかしかありません。後者の場合、“国民から必要とされている仕事なのに、財務省や大臣に理解して貰える様に説明できなかった”という責任が私達にある、と理解をしています。

以前、国家国民のため、という話で研究機関の話を書きました。誤解の無いように補足しますが、国家国民の為であるか否かは、国民が判断すべき事であって、私達が自分で判断すべき事では無いはずです。

微妙な違いなのかも知れませんが、私は結構大きな違いだと思っています。

国会議員は国民の声の代弁者であり、大臣は国民の声を施策に反映させる遂行者でしか無いはずです。

なので、大臣が替わろうと、副大臣が替わろうと、局長が替わろうと、基本的にはあまり気にしていません。

もっとも、大臣や副大臣が皆こういう思いの人であれば良いのですが、そうで無い場合もあるので誰が大臣になるのかはホントは気になりますが・・・・

 

* 「国家国民の為であるか否かは、国民が判断すべき事であって、私達(官僚)が自分で判断すべき事では無いはずです。 微妙な違いなのかも知れませんが、私は結構大きな違いだと思っています。」

此処がポイントで、此処が難しい。へたをすると此の「国民」って誰のこと、と気が遠くなりかねない。

「国民が判断すべき」は当然のこととして、ではどういう手段でその「判断」を国民は自身の「為」に有効なものにすればいいのですか、それに関して官僚や政治は何を「国民の為に」どう適切にしてくれているのですか、という問題が生まれている。

それに的確に応えてくれない行政や政治だから、国民は日々途方に暮れているのではないのですか、ということ。

厖大な「むだづかい」「かくしがね」「あまくだり」「党利党略」「よけいな施設や組織」等々があり、国民はとうの昔から「国家国民の為でない」と「判断」し苦情もつきつけているけれど、「だれも責任を取ろうとしない」し、希にしか「処罰もされていない」し、目に見えて「何が改善されているのか」も甚だ分かりにくい。

と、たぶん、こういう声が上がるはずなので、まず、わたしが触れておく。ここのところを、「司」くん、今少し具体的に聞かせて貰えると、国民と政治との間を流れる水も豊かに清くなると思います。

久しぶりの発言を歓迎して、コメントしました。 湖

2008 8・5 83

 

 

☆ 対決 巨匠達の日本美術を見て   松

日曜日、国立博物館に対決、巨匠達の日本美術を見に行く。この企画は近い時代に生きた二人の画家、彫刻家、陶芸家を並べて展示することにより、違いを感じてもらおうという企画のようだ。

まず印象に残ったのが円空、木喰の彫刻である。春に岐阜で見た円空の像はいずれも荒々しいノミの跡の残るものであったが、一体だけきれいに磨かれ着色された十一面観音菩薩像があった。これは非常に驚いたが、優しく暖かい感じがするところは円空の作品らしい。

同じく展示してあった、運慶、快慶の作品は素晴らしいと思うものの、近寄り難い雰囲気があった。

となりの木喰も円空と同じく、諸国を旅した彫刻家である。円空と同じく暖かみを持った像を彫り上げているが、表面を滑らかに仕上げており、もっと整った美しさがある。

与謝蕪村の数々の作品にも惹かれた。懐かしさを感じる山河の風景は素晴らしい。ほっとした落ち着きを感じる。中でも銀箔の上に描かれた墨絵は迫力があった。金ではなく、銀箔を使うことにより、派手さより重厚さが感じられた。墨絵でありながらも素晴らしい立体感があり、山河が迫ってきた。

伊藤若冲、池大雅といった画家の作品で驚いたのは、『点描』を使い絵を描いているところである。近代フランスの技術かと思いきや、江戸時代に同じようなことを考えていた画家がいたとは驚いた。若冲は点描を使い、石の燈籠を見事に描いていた。若冲は極彩色の精密な鳥の絵など、他の作品も素晴らしかった。

一つの展示会で多くの画家の作品を見ることができて、非常に充実した。むしろ疲れてしまったぐらいである。

 

* パンフレットに頼らず自身の好みをとおして感想が書かれている。これは大きな展開だ。先日の「惇」さんとはまた別々の作品たちが名乗りを上げていて、それまた当を得ていて楽しい。蕪村そして若冲という特筆もわたしは嬉しい。一度ひさしぶり、また「松」君と一緒に繪を観てみたくなった。

 

☆ 月曜アレルギー  珠

2週続け、月曜の夜、帰宅後に蕁麻疹がでた。

先週は忙しく、夕食代わりにクロワッサン2個をパクつきながら仕事した。帰りの電車内、蚊に刺された?? と思うほど痒くなった。帰って観たらボコボココの膨隆疹、、慌てて薬を飲み、水をがぶ飲みした。

お気に入りのクロワッサンだけど、バターと卵が多いかもしれないと、先週は絶った。

今宵、戻って夕食。けど、遅くなったので、軽く、、サンドイッチを食べた。そうしたら、また痒くなってきた。あぁ、卵サンド゛も一つ、食べちゃった。。

子供の頃から、卵・牛乳アレルギー。でも、卵は好きで、出汁巻きなんかもう苦しいほどスキ。こんなに好きなのに、身体は拒否反応。インフルエンザワクチンも、以前試しに打ってみたらショックを起こして倒れ、我ながら驚いた。

でも、どうして月曜なのだろう。

考えられる原因、、、

・ 月曜は家に帰りたくない

・ 少しでも卵

・ パンに使用されたバター

・ パンの原料、小麦粉

・ 週末の水分不足

・ 花粉症の予防薬を最近服用していない

このあたりかな。といっても、「家に帰りたくない」反応で蕁麻疹がでるような困りは、我家には思い当たらず、どうせでるなら朝の言い訳に出てほしいもの。

 

* みな、いろいろ持っているものだ。

2008 8・5 83

 

 

* 乱調を強いられていたホームページも、おかげで、完全に復旧した。但しインターネットは、ほぼ毎日数時間は不調に陥る。すぐ直るときも午後いぱい直らないこともある。夕飯過ぎには直っていることが多い。

 

☆ 運命   ハーバード 雄

・ 今日からヒャーノはテキサスへと出かけた.テキサスで学位を取得した奥さんがボストンへと引っ越してくるので,それと絡めて2週間の休暇を取ったらしい.この部屋もしばらくは僕専用ということになる.

・ 昨日のボスとのディスカッションの内容を受けて,JCとボビーがやってきた.元はといえば,二人がやりかけていたテーマだけに,僕としては非常に心苦しいのだが,二人とも驚くほど寛容に僕の参入を喜んでくれた.早速明日から実験を始めようということになる.

二人とも「まだ僕らは入口をやっただけに過ぎない.これが進めば,このプロジェクトはHiroのものだし,論文のオーサーシップもHiroのものだ.僕らは他に沢山のテーマを抱えている.何も気にすることはない」と言うが,どうしてそんなに寛容でいられるのか不思議にすら感じる.本当にそう受け取ってしまって大丈夫なのだろうかと心配にならないでもない.ただ,この点についてはボスもそう話していたから,そう思っていて良いのかもしれない.

ただし二人とも口をそろえて忠告していたのは,「この実験には条件検討すべきところが山ほどある.もしこれを本気でやる気ならば.他のテーマは止めて,これ一本に絞った方がいい.でないと,結局何も手にしないということになりかねない」ということ.今までやってきたことへの未練もあるので,なんとなく踏ん切りがつかないが,彼らの言うことにも一理ある.

「とりあえず,手始めにこの論文を読んで見てくれ」といって,論文を渡される.実を言うと,この論文をpublishした西海岸のラボは,当初僕が留学先の候補として考えていたラボなのだ.そのことを二人に告げると,二人とも爆笑して,「じゃあ,どっちのラボに行っていたとしても,結局Hiroは,これをやる運命だったんだな」と言われる.おまけに,このラボとうちのラボは,現在,密接な共同研究をしていて,定期的に行き来しては情報交換しているという.留学先のラボ選びは,誰のコネもなく,そのため自分で色々な論文を読んでは悩んだのだけど,今になってみれば結局はお釈迦様の手のひらの上で迷っていただけなのかもしれない.

かなり分厚い論文のリプリントを打ち出し,先ほど全部読み終えた.一言で言って,「これはいける」と直感した.この感触を上手く表現するのは難しいが,相対的なものではなく,絶対的な感触として,咄嗟にそう思った.何かを明らかにするという類の研究というよりは,技術革新のための研究というべき代物だが,これがうまくいけば,おそらくその影響は絶大なものになるに違いない.

・ 先ほど,大学院時代の同期で,ずっと共同研究をしてきた友人からメールがあり,論文がほぼ間違いなく受理されるとのことだった.reviewer二人のうちの一人はこのままアクセプトとの結論であり,もう一人も細かい記述や図についてのクレームをいくつか挙げただけで,論文を掲載することについては同意しているので,アクセプトされるのは間違いないだろう.メールを読んで,思わず胸が熱くなった.

この仕事のとっかかりとなる話を最初に聞いてから,もう10年もの歳月が経っている.実際に一緒に実験をし始めたのは,今から7年前のこと.この実験をする日は,どうしても徹夜になってしまうので,その日は予め着替えとタオルを用意してラボに行っていた.ラボの近くには,白金台のオシャレな雰囲気とはかけ離れた古めかしい銭湯があり,そこで入浴してからラボに戻り,仮眠を取りつつ長時間の記録を取っていた.去年帰国した折,この近くを通りがかったが,あの銭湯はもう無くなっていた.

僕が手伝っていた頃から紆余曲折を経て,随分と磨き上げられたストーリーになった.この論文は僕も共著者として名を連ねており,改訂稿が出るたびに読んではディスカッションしてきた.続編となるべき論文も控えている.産みの苦しみが長かっただけに,その先は健やかに育って欲しいなあと,この研究の行く末のことを案じる.それと共に,この長きに亘って腐りもせず,ただひたすらチャレンジし続けた友人に心から敬意を表したいと思う.

 

* モノやコトの成ってゆくときには、必ず、ある勢いに背を押されている。

2008 8・6 83

 

 

 

* 一昨年の九月十四日に、娘が「木漏れ日」の名で、「mixi」に父親の名も明記しむちゃくちゃなハラスメント妄想を書き散らしていた時期に当たるが、こんなメッセージが、やす香の友達の一人から届いていた。

 

☆ 日 付 : 2006年09月14日 12時47分

件 名 : 湖さま

以前のメッセージ、お返事できないままですみませんでした。

今でも、作品読ませていただいてます。

メッセージ返信できなかったのは、伝えたいことが自分の中でまとまらなかったからです。

・・・あたしは正直、やすかのママにがっかりです。

あたしは★★家(=原文なれど、お断りしてマスキング。)の深い事情はわからないにせよ、やすかのMIXI を使い続けて、やすかのおじいちゃんについて、なんかいやな感じに書き綴って、、、そーいうことは、やすかのMIXI使わないで自分で新規ログインしてやりゃあいいじゃんって思ってしまいます。

湖さまは、責任感が強くて、頑固で(失礼っ)だけど、優しい方なんだなあってあたしは知っています。

あたしはやすかはこんなこと望んでるなんて思えません。

やすかはおじいちゃんおばあやんを最後、憎んでいたんですか?

最後にやすかに聞けなかったし、わからないけど、やすかが憎んでも怒ってもいないんなら、やすかママとパパの怒りを発表する場所を『思香』のMIXI じゃなく自分たちで作ったらどうなんだって思います。

やすかの築いてきた人間関係をママとパパが勝手に使うほうがおかしいんじゃないかな。。

でも、直接やすかママとパパにメッセージを送る勇気のないあたしです。ごめんなさい。

でも、これ以上なんかあったら送ってしまうかもしれません。。泣

 

* この状態はいまも続いていて、いまだに「思香」を唯一のマイミクにした新しい会員がわたしの「mixi」へ「足あと」をつけてくる。わたしが何を書いているか気になるらしい。

娘であれ婿であれ、気にしないでまともに覗きに来ればいいのにと思う。とにかくも「思香=やす香」を「まるで幽霊」のように扱い利用するのはやめて欲しい。「mixi」にも抗議するのだが、さてどうなっているか「思香」も「木漏れ日」も、わたしのアクセスは拒絶している。

「やすかの築いてきた人間関係をママとパパが勝手に使うほうがおかしい」という上のお友達の言葉はまともである。

やす香の「mixi」会員登録も、例の★★★ らが大好きな、「相続した財産」だと謂う気であるらしいが。

 

* やはり一昨年の十二月十八日にも、べつの、やす香の親友からメッセージを貰っている。迷惑を掛けない範囲で、遅ればせにも引用させて頂く、わたしたちが一方的にものを言っているのでないことも、本訴の始まったいま、補強しておきたいのである。

一裁判のことではない、私たちの人生に起きた大事であり、後のためにも分かることは此処でハッキリ分かっておこうというのである。

 

☆ 日 付 : 2006年12月18日 03時09分

件 名 : はじめまして、やす香さんの友人です。

突然のメール失礼いたします。

カリタスでやす香さんと親しくさせていただいた、**と申します。いつもやす香と呼んでいるので、やす香と呼ばせていただきます。カリタス時代では、高校3年間は同じクラスでした。

今年の3月には一緒に箱根に旅行にも行きましたし、4月のクラス会は、やす香がアルバイトをしていた六本木のお店で開きました。

秦さんのブログを拝見しました。

おじいちゃまの事も大好きで、お母様のことも愛していたやす香の気持ちを考えると、なかなかメールができませんでした。

ただ、やす香がおじいちゃまのことを大好きだったことをお伝えしたくて、メールをしました。

初めて私がおじい様のことを、やす香から聞いたのは、高校の時で、たまたま授業でおじい様のお名前が載った文章を読んだ後、

「あのね、うちのおじいちゃんなの!」

と、教室の片隅でものすごく嬉しそうにコソコソ話しをしてくれたときでした。

にっこりしすぎて、細いかわいい目がとろけていました。

喜んだり、恥ずかしがると、長い手足をくねくねする癖を持っていました。

その後、おじい様に会った話や、行幸(断って、仮名化)ちゃんと一緒に会いに行った話しを聞きました。

ただ、お母様には決して知られたくないようでした。

病気になってから、おじい様に病室に来て欲しいと意思表示したのは、かなり強い思いからだったと思います。

私が会ったのは、7月25日が最後でした。

やす香は一生懸命に「ありがとう」と言ってくれました。その頃はほとんど喋れなかったのに、久々に聞く声でした。

それが最後の会話でした。あの言葉は忘れられません。

23日にもお見舞いに行き、お母様とお話をした時、普段は見せない涙を見てしまいました。そして、「親は無力です」と、仰って上を向いて流れる涙を隠して。

やす香にとっては、お母様もおじい様もとても大切でかけがえのない方なんです。

長々書いてしまい、失礼いたしました。

おばあ様の体調が優れないようですが、いかがでしょうか?

お寒くなりましたので、お風邪など召しませんように。

 

* やす香の訪れくるわが家に、いやいや、まだやす香の小さかった昔のわが家にも、猫がいて、やす香は、母親ネコの娘ノコも、また今いる黒いマゴも大好きだった。母親であるわたしたちの娘も猫が好きだった。

娘の書いた文章で一等早い時期にまとまっていたのは、母猫の「ネコ終焉記」だった、とてもよく書けていて、わたしは「e-magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯」におさめて愛していた。娘も、著作権侵害だ、損害賠償せよと苦情を言ってくることなど、一度もなかった。

* 蕪村のことを思い出す。わたしの見解ではすこし問題があるのだが、通説では、蕪村は年若い娘を嫁がせたものの、先方が気に入らず断然取り返したことになっている。

婚家は有名な京都の料亭で、その子孫だろうか同じ名前で、新宿駅のわきにいい店を今もあけている。

蕪村の場合、実際がよく分からない。嫁に出したときは大賑やかに呑んだくれて祝っていたが、取り返しにかかったのも早い。

2008 8・7 83

 

 

 

* 勘が働き、電話局に頼んで来て貰った。案の定、電話線への室内接続に問題がありADSLが不安定だったと分かり、すぐ直して貰えた。

これでインターネットは安定するだろう。久しい胸のつかえがおりた。ありがたい。

2008 8・7 83

 

 

☆  夏休みの木工工作、椅子をつくろう   光

小学生1、2年の頃だったか。

隣に住んでいた叔母に、子ども向けの大工工具セットを誕生日プレゼントでもらったことがあった。

小さなのこぎりに、小さな金づち、カンナ、錐、直角定規まで、本格的にそろっていたものだったと思う。何でも興味津々のころで、嬉しかった記憶がある。

ただ、工具セットだけあっても「活用」しなければ始まらない。

そこで、親が本屋で「子ども向け木工工作の本」的なものを見つけてきて、その中に紹介されていたドールチェア(小さな椅子)を作ろうということになった。

夏休みの工作として息子に何かをやらせてみたかったのだと思う。

父親と近所のホームセンターに行き、木板を買ってきた。寸法を測って、鉛筆で線を引き、その通りにのこぎりでぎこぎこ切っていく。 椅子といっても、シンプルなもの。お風呂の蓋のような板を、背もたれ兼後脚、座面、前脚の3分割にして座面の下に補強板を入れた構造。

ところが、のこぎりで切るのが思いの外、たいへんであった。毎日ちょっとずつ切っては、続きは明日、という感じで切るだけで何日もかかった。半ば、イヤになってきたが、中途半端に切れている板を見るのも(負けたっぽくって)イヤだった。

ちょっとずつでもいいから切るしかない。

そんな甲斐があって、ようやく、部品ができ上がって組み立てたら椅子らしくなってきた。

ペンキで色を塗るのは、楽しかった。青色に塗ったのを覚えている。 姉が、座るところに白のペンキで花のマークを描いてくれた。

あら、なかなかいいじゃない、と家族が気に入ったらしく、追加で2つ、父親と姉が同じものをつくった。緑色と黄色の椅子が出来上がった。

追加の2つは、あっという間にできた。

後日談がある。

青、黄、緑の3つの椅子は庭で使われていたが、黄色と緑の椅子はしばらくして壊れてしまった。

不思議なことに、青の椅子だけはずっと壊れることなく、庭で使われ続けていた。

子供心に、「時間をかけてつくったものは壊れるのもゆっくりなのかな」と思った。大工工具セットが私に教えてくれた、貴重な経験であった。

 

* おもしろい。

2008 8・8 83

 

 

☆ 対決―巨匠たちの日本美術展@東京国立博物館  麗

「絵合」の趣向は見事に当たったようで,いろいろな人がいろいろなところでこの展覧会に言及している。

見ながらあれこれ考えた。

「光悦なら『不二山』が出てこなきゃ。」

「歌麿なら,写楽より清長か春信でしょ。」

「若冲と蕭白まで来たら,もう一歩進めば,暁斎と絵金かな。」

「さらに進んで,清方と松園。」

「もう一声,球子と遊亀!」

「・・・しかし,芸術は男社会だなあ・・・。」

ともあれ,いろいろ考えられる展覧会は,質の高いものだったのだろう。

宗達対光琳のコーナーで,光琳の「菊図屏風」を見ていたときのこと。

一時期,屏風も,他の絵画や襖と同じように,平面に広げて見せる,無粋な展示方法が取られていた。これでは,屏風の凹凸を生かした魅力が伝わらない,と,現在は行われないことが多い。確かに,昔,この方法で,見せられた観山の『弱法師』は,何と間の抜けた印象だったことか。

そんなことを思い出しながら,6曲1双の画面に見入った。金箔を背景に,様式化された菊花が描かれる。茎や葉の色は,緑青と墨の2種類。

さっきから,隣の男性が,ガラスに横顔を付けるようにした妙な姿勢で,屏風に見入っている。面白い見方もあるもの,と,彼が立ち去った後,真似をしてみた。息を飲んだ。

ちょうど屏風を左側から覗き込むようにする格好で見えたのは,墨で描かれた,黒い茎と葉。

慌てて今度は右側に回りこみ,またガラスケースに顔を付けるようにして,屏風を覗き込んだ。やはりと言うか,見えたのは,緑青で描かれた,緑鮮やかな茎と葉。右から見れば,初秋の菊。左からなら,晩秋の菊。これは,広げた画面や各扇すべて等しく平面的に見た場合は,気づくことはない。「屏風と食い物屋は広げすぎると倒れる」ということばがあったような。そのときは,画家が見せたかった世界も,同時に倒れてしまうものか。

一人で悦に入って,何度か繰り返してしまった。

この日は,他の屏風もすべて,矯めつ眇めつ眺めてみた。楽しい発見がいろいろあったが,それはまた別の話。

 

* こういう上質の美術鑑賞が「mixi」の日記にもあらわれるのが、嬉しい。マイミク自慢がしたくなる。

2008 8・9 83

 

 

* 新しいマイミクさんの日記の末尾に、「罪悪感を無視してみるのも、たまには悪くない。」とあった。

深夜に雨を聴きながら自宅で独りで缶ビールをあけた。お父上の「影響で」自宅では決して飲まなかった、「罪悪感」があった、のに、どうしても飲みたくなった。ま、それはそれ。末尾の述懐も深刻ではないようだが、このフレーズ一つだけを相手にすると、いろんな想いが付いてくる。

かんたんに是認もしにくく、否認もしにくい。人は、こうして新しい曲がり角を曲がって曲がって進んでゆくのだろう。曲がり角の先に深い闇があるか、明るい展望が開けるかは、分からない。たいがいは何でもなく、自然、その罪悪感から遠のいて行く事例が多い。

人の持つ、大小深浅の「罪悪感」とは、何だろう。

2008 8・11 83

 

 

☆ 氷壁   瑛 e-OLD川崎

静岡市の高台に「クレマチスの丘」という絵画へ誘う美術館と井上 靖文学館がある。画家はベルナール・ビュッヘ。

訪ねたが休館日でありました。

この界隈は自然公園になっている。一時間ほど散策した。近くに700種の竹を集めている「富士竹類植物園」がありここに寄る。

竹。北の丸公園の一角に竹を集めた植込みがあるが、駿河の世界一の竹の植物園で写真を撮る。

氷壁が新聞に連載されたのは昭和34年頃であった。記憶はあてにならないが、日記に正確さは要らない。

 

* 日記に正確さは要らないという「瑛」さんの意表をつかれた一言。これは、一見識かも。もう少し聴いてみたい。

2008 8・12 83

 

 

 

☆ お盆  巌 南山城の従弟

12日13日と親族併せて7人で琵琶湖に行き 帰りは ケーブルカーで比叡山に登って そしてロープーウェイとケーブルカーで

京都の方に下りて戻ってきた

昨日は 川崎に住む母方の従姉夫婦が朝から来られた

先日 この近くの母の郷里当尾に住む別の従姉から電話で

「京都へ夫婦で旅行に来て上狛に住む叔母を訪ねるそうで 私の車で上狛に迎えに行って 千日墓地に恒伯父さんの墓参に行くので その前後に一緒にお店に行こうと思う お盆のあいだだけど お店開けてます?」

と連絡があったので まあ お昼頃に京都入りで 夕方に来られるのかなと思って 朝開店前の掃除をしていたら 外で話し声がして

・・にぎやかに ひさしぶりの ごあいさつ・・

夜行バスでの京都入りだったのか 早朝京都駅に着いて 上狛の伯母のお見舞いの後 電車を乗り継いで加茂まで二人で今来られた

小さい頃 一年ほど一緒に暮らしたお姉さんの事を伺って 秋には会えるかなと期待 そして 家族の近況などをキャッチボール

姉から電話が入り 今から行くから待って貰えるように伝えて と

当尾の従姉の家族や別の従姉も集まって来て みんなに珈琲を飲んで貰いながら この日の予定などを

墓参りに行って そのあとクローバー牧場に寄って 美味しい牛乳を買ってくるから それをここでカフェオーレで飲ませて欲しい ということで みなさん炎天下の中を墓参に出発

しばらくすると姉が来て 一行に電話すると 墓参を終えて この近くの美味しい蕎麦屋の橘さんで昼食中とのこと 店を出られたところで姉も合流して当尾の家に行った様子

従姉夫婦から 川崎に戻る翌日の指定で送って下さる?  と注文を貰った分の豆の焙煎をして

夕方 皆さんが戻って来られて クローバー牧場さんの特別牛乳とうちの「深煎りブレンド当尾」 でカフェオーレを作って 皆に飲んで貰って では今度は秋にまたぜひ と別れた

人もよく集う お盆の一日

///

川崎の従姉の夫は ペットボトルのキャップを集めて世界のこどもたちを救おうという NPO法人に参加しているという

今年頂いた年賀状にそのことが書かれてあった

初耳だったけど とりあえずキャップは貯めおくことにして ネット上で いろいろと調べてみたら いろんなグループがこのような活動を行っていて キャップ400個だか800個でポリオワクチンが一人分になるらしい

なので 送るコーヒーを箱詰めする際の詰め物代わりに 今回は、とってあったキャップを使うことにした

 

* 「川崎の従姉」とあるのは、わたしの異母妹。もう一人も川崎で暮らしている。久しく顔を合わしていないが、妹に聞いていて、わが家でもキャップを溜めては川崎に妻が送っているようだ。こういう話とは私は知らなんだが。

2008 8・15 83

 

 

* こんな面白い「mixi」日記を「光」君が。

 

☆ 幸福のカード  2008年08月16日03:11  光

あ、電車が来た。急げ。

駅に向かっている最中に、遠くから電車が来るのを見て駅に駆け込んでも、非接触型のICカード型乗車券Suicaなら改札口をすっと通れて、電車に間に合うようになった。

自動券売機の切符では、こうはいかないだろう。便利になったものである。

接触型のICカードは以前よりあったが、この非接触型ICカードは、ソニーが1988年から開発・着手した新しい技術だそうだ。

ソニーでは、かざすだけで情報を読み書きできるこのカードをFeliCa(フェリカ)と呼んでいる。

開発当初、このカードは電池式だったのでこれでは使いづらいという問題もあり、なかなか使ってもらえなかったという。

それならばと、彼らは苦労の末に現在の電磁誘導式を開発し、電池レスを実現した。

そんな努力の結果、2001年にはJR東日本で非接触型IC乗車券Suicaとして、ビットワレットの電子マネーカードEdyとして活躍。

今では携帯にも組み込まれて、もはや生活の一部にすらなっている。

何と言っても、この「タッチ1秒」という近未来的な感じが好きである。

しかし、そこには開発者の苦労と努力があった、と再認識させられた。

FeliCa(フェリカ)とは、felicity(至福)とcard(カード)を組合わせた造語だという。

それを聞いたとき、幸福のカード”FeliCa”というネーミングに、開発者の夢が詰まった温かさを感じた。

 

* 便利という恵みは小さくない。ただ便利の含んでいるじつは毒も薄くはないと知っていたい。なかなか「幸福」はむずかしい。しかも「幸福を追はぬも卑怯のひとつ」(大島史洋)と歌われている。

2008 8・16 83

 

 

☆ 音花火   珠 2008年08月16日 21:09

今宵は、我家近くの多摩川花火大会だった。

花火といえば、毎年お盆15日の諏訪湖花火が大好き。でもここ数年、仕事が忙しくてお盆に帰郷出来ず、結果諏訪湖の花火も見られずにいる。今年は久しぶりに帰郷したいとやりくりしたが、はずせない会議に諦めた。

お盆15日、昼間はお坊さんがお経をあげに寄って下さり、夕方から諏訪湖花火へ。遅く帰って、静かな山の夜に、花火の音を耳の奥に聴く。翌日16日はお墓参り。その後早い夕飯を仏様にさし上げて、夕暮れに向かう虫の音を聞きながら、火を点した提灯を道案内にお墓まで仏様を送ってゆく。「秋の彼岸にまたきておくれ」小さな頃から毎年、祖母や叔父と迎え送ってきた。一人で任されるようになったときの、嬉しい緊張感。途中蝋燭の火が消えてしまった時のパニック。蝋燭をお墓にたててほっとした、帰り道。

毎年繰り返される、そのいつものことに、静かな時間をみる。

今年もまた、お盆がおわる。お盆様、叔父が送っていったのだろうか。

この家に引っ越して初めて聞く多摩川の花火の音。

家揺れるかと思うほどの大きな音に、思わず耳を澄ます。

諏訪湖の花火、あの諏訪のお山に響いて還る、音花火。ずんん、、どすんぅぅぅぅん、、、どぉぉぉん、、、耳の奥に、今宵聴こえる。

 

* 故山夢ニ入ル。 「珠」さんの一文、胸にしみ入る。しきりに『みごもりの湖』を思う。わたしは妊らないが、母なる湖国に身籠もり水隠りたいと切に思う。生きているのは、地獄だ。

2008 8・16 83

 

 

* 二日まえ、川崎のe-OLD「瑛」さんにこんな日記があり、「珠」さんの心嬉しい佳いコメントもあった。

 

☆ 十三夜   2008年08月15日21:18 瑛

夕暮れのパソコンに向かいふと東へ目をやるとまん丸い月が出ている。 肉眼では満月と見えた。

写真に撮る。夕日が西へ沈んだころ、もう一枚撮った。日記帳を出して今日の頁を見ると、十三夜であった。

演歌で好きな歌に「十三夜」がある。

中学で音楽はいつも3点だったが、酔えばなりふり構わずよく歌った。すなをで美しい歌、歌詞だと思う。調子はずれの声に構わず歌った。

“河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる顔と顔 立ち上がり 懐かしいやら 嬉しやら 青い月夜の 十三夜”

 

☆ 湖(うみ)  2008年08月16日 07:05

長身の金田投手の奥さんだった、小柄な愛らしい女歌手が歌いましたね。幾昔になりましょう。

 

☆  珠  2008年08月17日 00:35  「瑛」さん 美しいお月様、今宵もう一度お写真で拝見できて嬉しく。

私、昨夜空を見上げて、終戦記念日の今宵は満月か、と想っていました。何となし、十三夜でよかった。人の目に、そのわずかな足りなさの見えないことに、自然な美しさを感じます。

戦火の頃、人々は空に月を見たのでしょうか。お月様は、その時をご覧になって、今も其処に在るのですね。

2008 8・17 83

 

 

 

* 二◯◯五年九月から◯六年七月までの、やす香の全日記を、ゆっくり読み返している。友人達の鈴生りのコメントも。

やす香の日記の素晴らしい素質は、自分を飾ったウソを書いていないことだ。この子の眼は、日ごろ家庭でなにを観ていたろう。

2008 8・17 83

 

 

☆ 一日二食  ハーバード 雄

・ 最近始めた新しいプロジェクトは,ある意味ラボの重要プロジェクトの一つでもある.そのせいか,プレッシャーが今までよりも強いと感じている.プロジェクトに携わっているボビーやJCからは,ひっきりなしに進抄状況を聞かれる.今まではこちらから何かしない限り何も聞いてこなかったボスにも,「どう?この間の結果は繰り返してみた?」と聞かれる.

自分のやっていることに関心を持たれているのは悪いことではない.ただ,余裕が無いのも確か.何故こんなにも追い込まれている気分なのか考えてみたが,理由の一つに,何故かこのプロジェクトに関わるラボメンバーがランチを摂らないことがある.ボビーもJCも,そしてボスも,ランチを摂らずに働き続ける.最近このチームに加わったテクニシャンのリチャードも,チョコレートバーをかじる程度.

みんな腹は減らないのだろうか,と不思議になる.

僕はランチを摂らないとたちまち仕事の効率が落ちるので,ランチを抜くことはまず無い.ランチの時間が遅れただけでもイライラしてくるし,その後の仕事の効率が落ちるので,早めに食べることこそあれ,抜くということは考えられない.

でも,皆ランチも摂らずに黙々と働いているかと思うと,なんとなくせっつかれている気分になる.おまけにこのチームのメンバーは,土曜日は必ず働いている.土曜日を休むのに,なんとなく気が引ける.

「僕は一日三食食べないとダメだ」と言うと,

「それはお前が日本人だからだ.俺の故郷のインドを見てみろ.一日三食食べられない人なんてザラだぞ」とボビー.

そりゃあそうかもしれないけれど,ランチくらいゆっくり食べさせてくれ.

 

* なぜとなく、フフフとおかしかった。わかるよ、You。

2008 8・19 83

 

 

* 裁判員制度が、ほぼ強行される気配である。この制度の得失について十分心得た国民がどれほどいるだろう、しかも裁判員にいつ誰が指名されるかも分からないのではないか。

裁判員には、高度の判断力が、また公正な中立性が求められて当然だろうが、誰しもがそれを備えていると確言できるものではない。自信がない。何等か任命前の審査があるのか、審査方法が精緻に確立できているのかも、じつは知らない、そんなことを漏れ聞いたこともないし、それ自体が或る意味危険に思われる。ことは「裁判」である、たんなる試み気分で強行されていいとは思わない。

 

* ところで、「二十一世紀の機械環境」としてもっともポピュラアな、「ウエブ」というのは、或る点では、或る意味では、一種の「国民総裁判員」型にインターネットの利用者が意見や立場や自分の思想や願望を開陳して、是非を広く人に問うているのに、同じいのではないか。これは例の「裁判員制度」なんかよりも、もはやどんな手段でも拒みがたい、拒みようのない、まさしくポピュラアな「問いかけ」「諮問」の状況そのものを成している。

悪意と捏造とによる中傷や、情理の支持のない不当な私人攻撃は当然制度的に責められるべきであるが、こと「議論」「討論」に類する言辞を、ウエブ上で「不公平なく」「一律に禁抑」するこなどは、現在のパソコン環境・技術環境にあっては、とうてい無理なことである。

この機械は、人間社会にたいし、有無をいわせぬ形で、「判決の出ない裁判員制度」のごときものを、近隣社会にも国際社会にも、つとに構築してしまっている。誰にもそれは否定・否認できない。空気のように人の世にもはや確実に設定されている。つまり「輿論」「世論」形成に自然当然に参加してしまっている。わたしは、そう観ている。

そう観て、わたしは自分の「闇に言い置く 私語」を発信している。

2008 8・20 83

 

 

☆ 百日紅の紅  瑛 e-OLD川崎

やっと狭い庭のさるすべりの木に紅の花が二つ三つと咲き出した。日あたりがよくないせいだが、忘れた頃に万緑草中紅一点である。

夏はこの句が好きだ。

夾竹桃しんかんたるに人をにくむ   加藤楸邨

百日紅学問日々に遠ざかる      相馬遷子

女来と帯纏き出づる百日紅      石田波郷

俳句と和歌。なぎなた が和歌で 俳句は 懐剣だろうか。

ふと蝉とあそびながら 暮れる空を見ながら 似非俳人。

 

 

* ウイルス駆除の報告はときどき受けてきたが、この数日、執拗にウイルス攻撃の報告が続いている。誰かが個人的に躍起になって仕掛けているかのように。

2008 8・20 83

 

 

☆ 「りゅうきゅう」と「りゅうきゅう」    馨

娘が通いの林間学校に行き始めて、親の方はようやく夏休み気分。

あと少しで夏休みはおしまいなのですが。

赤ん坊がいるのと、引っ越しとで、あまり遊びに連れて行ってやれなかったのはちょっとかわいそうなことをしました。

*

この前の夕ご飯のこと。

献立を決めて作り始めた後に気がつきました。

「あ、今日はリュウキュウとリュウキュウだ!」

一つ目のリュウキュウは、大分で食べて我が家で再現してみて以来、家族にかなり人気のお魚料理。

料理と言うほどのものでもなくて、関サバや関アジをネギや胡麻と一緒に九州のお醤油(あちらでは普通のお醤油が甘いんですよね)に漬けたもの。

うちで作るときは地の小鯵を使って、溜まり醤油にお砂糖を足しています(九州のお醤油っぽくしたいので)。自分で思いついていながら、生魚にお砂糖を入れるなんて最初はドキドキだったのですが、これが意外においしいです。

この前、お料理の本でハワイにもほとんど同じ「ポキ」という料理があるのを知りました。あちらではマグロを使うそう。

大分ではそのまま食べる以外にも「りゅうきゅう茶漬け」があって、これを白いご飯にのせてお茶漬けにしたりもしていました。これもとってもおいしいです。娘のお気に入りです。

もう一つのリュウキュウは、宅配で来たお野菜。サトイモの茎みたいなざくざくしたもので、この時期に毎年やって来ます。塩もみすると、しんなりしてとても量が減るので、意外に食べちゃうんですよね。今回はワカメと三杯酢で頂きました。

こちらは高知産です。

どちらも琉球には近い地域のものですが、なぜ「りゅうきゅう」と名付けられたかは不明。

きっと沖縄から伝わってきたものなのだとは思いますが…。

*

食べ物の名前の伝播と言えば、こちらのサツマイモ。本場の鹿児島、薩摩ではリュウキュウイモというのだそう。で、沖縄ではカライモというそうです。話し上手な知人から聞いたので、半信半疑なのですが。

もう一つ、これは自分の体験ですが、西瓜について。名前から当然、中国あたりから来たのかな、と思っていたら、中国も西域の敦煌でも「西瓜」と札がついていてびっくり。原産地を調べたらアフリカだそうです。納得!

食べ物の名前って、静かに自分の来歴を残しているから面白いです。

 

 

* 基本的に、わたしは夏が好き。頭が焦げるほどの炎天下でも、小十分ぐらいならバスを待ちながら「夏気分」が楽しめる。蒸し暑くなければ、日照りは少年の昔を思い出させる。

気の遠くなりそうな京の武徳会の水泳帰り、日蔭のない川端通りを二条の北から三条へ帰って行く暑さ。また丹波の山奥の山の上で、燃えるような赤土の長い急坂を、木橇をえいえい持ち上げては滑り降りていた。よくまあ日射病にもかからなかったものだ。

夏は夏休み。ことに八月一月はまるまる遊んだ。学校の宿題はほとんど全部七月の十日間で片づけておいた。

戦時中で、食べ物の楽しみは極端に少なかったが、京都では流しに真瓜、トマト、ときに西瓜があった。丹波ではなんとなし木の実や草の実が食べられた。蛙の大合唱。蝉は京の街中でも電柱や狭い庭の木へ来てよく鳴いた。

だが街中でも田舎でも、長虫には閉口した。

 

* 「雄」くんの一日。夏休みどころかという感じだが、遠見の見物はなんとなく楽しい、なんて云っては怒るかな。怒らないで。

 

☆ 人探し   ハーバード 雄

・ 新たに引っ越した我々のラボは,新築の研究棟の3階にある.外から見たのでは全く分からないが,実はこの建物は地下4階まである.地下1階には講義室などが入っており,地下4階には,我々の研究室の電子顕微鏡関連の設備が入っている.地下2,3階が何なのかは分からないが,おそらくその一部分は職員のための地下駐車場になっているのではないかと思う.

このところ,新しいプロジェクトに移って,僕は地上3階と地下4階とを行ったり来たりしている.

その殆どは,人探しのため.

このプロジェクトに関与しているのは,僕のほかにボビーとケン,JC,そしてテクニシャンのリチャードの計5人だが,色々とディスカッションしながらチームプレーで進めていく部分が多いため,顔をつき合わせて,あれこれと話す必要度が高い.

おまけに僕の場合,このプロジェクトに新たに参入したため,いろいろなことを人から教わらなくては先に進めない.そのため,何か分からないところが出てくると、人探しに3階と地下4階とを探し回るということになる.

しかも,信じ難いほど,見つけたい人間が見つからない.携帯電話が使えれば良いのだが,新築だというのに,この研究棟では電波がほとんど受信できない.内線電話をかけても,わざわざ受話器を取るような,気の利いた連中ではない.

そんなわけで,ここ最近,僕の一日のかなりの時間は,この「人探し」に費やされている.まるで新しい研究棟の中で,鬼ごっこをしている気分になる.

・ 来週,僕はプログレスレポートを控えている.まだ何も用意していない.用意していないというより,用意すべきネタが無いのだ,困ったことだが.

今の予定では,今後やるプロジェクトについて簡単に説明して終わりにしようと思っているのだが,ボビーはなんとしても僕の発表までに,僕にデータを持たせたいらしい.そのためにチーム挙げての協力体制となっている.当の本人は,既に殆ど諦めているので,尻を叩かれている気分.

今日は,もともとJCが用意したブロックを,リチャードが切片にした.それを明日の朝から僕が顕微鏡で観察することになっている.同時並行で,僕自身もサンプルブロックを作成している.

協力体制を敷いてくれるのは有難いが,とにかく上に書いた理由のために,探し出すべき相手が見つからない.今日も昼前にリチャードが切片を切り始めることとなっていたが,当の本人がどこかに行っていて見つからない.

おまけに僕のいない間にJCが共通試薬を使いきってしまい,ストックが無いため,僕のブロック作りができない.ブロック作りのために必要な試薬を他のラボに貰いに行っている間に,リチャードが僕を探しに来たりと,全てがちぐはぐになってしまった.

ようやくリチャードと切片を切り始めることとなったものの,ブロックが見当たらない.「これみたいだね」といってリチャードが切片を切り始め,サンプルを顕微鏡で見てみるが,どうも様子がおかしい.そこにJCが現れて議論しているうちに,サンプルの取り違えらしいことが分かって初めからやり直し.

ようやく本来のブロックを切片にしてリチャードが手渡してくれたのが、夜の7時半.同時並行で進めていたサンプル作りがようやく終わり,早く帰って夕食を作って食べようと思っているところへ,夕食を済ませたJCとケンが現れる.サンプルを見せてくれといい,そこからまたディスカッション.

結局,夕食を自分で作るのは諦め,帰りにLE’sでフォーを食べてきた.

遅い夕食と一日中歩き疲れたせいで,今はもうクタクタ.この日記もやっとの思いで書いている.

でも,明日は朝8時から顕微鏡の予約が入っているので,早く寝なくては.

それにしても疲れた...

 

* ふうっとわたしも大きな息を吐く。

2008 8・21 83

 

 

☆ 夜の雷   2008年08月21日19:38  瑛 e-OLD川崎

日が沈み空に稲妻が走り雨が降っている。雷雨だがよわよわしい。。

ビックバンウインクルがボーリングをしているような響きを聞きたいが。

 

古い音であるが ごろごろと雷は鳴る

街の空の雷さんも 遠慮しているなあ

どこに雷を落とそうかと 迷っている姿はいいなあ

雨の音は涙が濡れるなあ

 

* マイミクさんには、詩人も歌人も。作家も評論家も。とても「いい読者」も。

2008 8・21 83

 

 

* 「光」くんのこれ、面白かった。

 

☆ 働きアリの法則  2008年08月23日00:33   光

一体どこで聞いた話だか覚えていないのだが、その内容については鮮明に記憶に残っている。

あるアリの巣をじっと観察してみると、どうも働きアリの2割は他の働きアリのように働いていないらしい。

そこで、その2割のさぼりアリを取り除いてみると、他の働きアリ全体のうちの2割のアリが働かなくなってしまうという。

人間社会でも同じようなことが当てはまるらしい。

となると、組織としては『怠け者』と言われている人たちも、やめさせちゃうとますます怠け者が増えるから、『必要』なのだという答えが導かれる。

どこまでこの話が本当なのかはわからないが、『2 : 8の法則』などと言われているらしい。

何となく受け入れてしまう背景には、実際の経験に当てはめてみると思い当たる節が感じられる、冷たい印象の組織だけど実は柔軟さが必要とのこの説に賛同したい気持ちがどこかにある、この二点の理由があるようだ。

働き蜂バージョンもある。

100匹の働き蜂がいるとすると、よく働く蜂は20匹で、60匹は普通に働き、20匹はあまり働かない。そこで、よく働く蜂をあちこちの巣から集めてきて100匹にしてみたが、結局よく働く蜂は20匹だけだったらしい。

「お店に置いてある全商品のうちの20%が、売り上げの80%を占める」というのもある。

「お店の売り上げの80%は、全顧客のうち20%のお得意さん」など、そうかなという話もある。

全てにおいて完璧を求めると、全体を維持するエネルギーが大変だから、というシステム学的な説明が、当を得ているようにも見える。

難しいことはさておき、組織の中では自分なりの働きをすることが大切なんだと。

それは、どうであれ『必要』だから。

(補足)

さぼりアリのように見えた2割のアリは、実は特殊任務を帯びて別行動していた働きアリだった、というオチがあるらしい。

本当のところは、どうなのだろうか。

 

* わたしも幾つかの「組織」に属してきた。その間は「自分なりの働き」を、ま、人一倍きちんとしてきた。

学校では勉強したし、会社ではモーレツに仕事した。大学に勤めても人が呆れるほど工夫していろいろやってきたし、ペンクラブで正式の「委員会」を二つも企画し立ち上げた理事はいなかったはずだ。

とはいえ、わたしは学校で教室を抜け出す常習犯だった。来迎院の縁側で昼寝しながら、こういうところに「好きな人を置いて通いたい」と願うような高校生だったし、大学では院生身分も放棄して、妻と東京へ出てきた。

会社では小説を書いて太宰賞をもらい、東工大では教授会を全欠席しても学生達と仲良く過ごした。

ペンにいても、理事として一心に勤めながらも組織に対して従順なだけの理事ではなかった、ただただ「やかましい」と思われていることだろう。

わたしは組織に拘束されるのが小さい頃から嫌い。組織に抱きついて身の安寧をはかりたいという願望より、寒々と心細くても自由で在りたかった。力をつけて、はやくそうなりたかった。

願いはなかなか叶わないで、存外の誤算に迷惑もしているが、ま、だいたいうまくいっている。二割はいるという働かないアリや蜂の仲間であるとは思わないが、女王などという「王」様に仕えて働くなど、マッピラである。この社会では雇われて働いている限り、経済面の働きがいはほとんど皆、ある種の「王」たちの「手」に収まるだけ。そんな組織や社会は、わたしは好きでない。可能なら、つまるところ権力を争っているような組織からは、外れて生きたい。

2008 8・23 83

 

 

* 先頃の日記を「舟」と題して「mixi」に送っておいたら、「瑛」さんの有り難いコメントが付いてきた。もう一度、此処へ併せて転記し、道元法語、三誦。

 

*  舟   湖

千葉のe-OLDさんに戴いている「阿弥陀経ノート」を読み、スクリーンの「アイヌの舟(二)」で、彼岸に、ゆっくりゆっくり漕ぎ渡る。無念・無想。わたしの座禅・瞑想のとき。

阿弥陀経は般若心経とならんで少年来もっとも多く親しみ、心経のように暗誦はできないが、手にしていればほぼ目をむけなくても「お経読み」でラクに、そして或る程度までこまやかに感受できる。

千葉の「兄さん」は、つとに般若心経の現代語訳もされているが、一句一句「表覧」にし現代語訳も添えた此の労作は、もの柔らかな境涯を想わせてじつに有り難い。

ただし「今・此処」のわたしは、自身をむなしく投げ出し捨身飼虎することは、出来ないというより、してはならぬと思っている。

逢花打花、逢月打月。

「無行為」により安心が得られるのではない、「今・此処」に貫通・尽力して真の「捨身飼虎」に至れとバグワンは説く。バグワンに教えられている。

バグワンはヒマラヤへ去れとも山林へにげよとも決して言わない。仏陀も云わない。

此の地獄の巷にいながら安心せよと。右し左し大きくローリングしながら静かな「目」を深奥に持し、はげしい嵐のように、台風のように分別を捨てて進めと。

花に逢えば、月に逢えば、花を月を即心痛打せよと導く。

私の胸の芯には心経も阿弥陀経も在る。無いのではない。千葉の人が絵解きで示してくれているように、いましもわたしは、妻とであろう彼岸への「舟」を感謝して静かに漕いでいるのである。

 

☆ 湖さん   瑛 川崎e-OLD

つい題の『舟』に触発されました。千葉のe-OLDさんの「優しさ」を静かに日記に書かれているように思います。道元の好きな文章をここに書かせてください。

 

生といふは、たとへば、人のふねにのれるときのごとし。このふねは、われ帆をつかひわれかぢをとれり。われさををさすといへども、ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。われふねにのりて、このふねをもふねならしむ。この正當恁麼時を功夫參學すべし。この正當恁麼時は、舟の世界にあらざることなし。天も水も岸もみな舟の時節となれり、さらに舟にあらざる時節とおなじからず。このゆゑに、生はわが生ぜしむるなり、われをば生のわれならしむるなり。舟にのれるには、身心依正、ともに舟の機關なり。盡大地、盡空、ともに舟の機關なり。生なるわれ、われなる生、それかくのごとし。

 

座禅もしたことがないのですが、言葉が体を透きとおります。

* 先日、マイミクの「香」さんが、玉葉集の為兼の和歌を挙げておられたので、ちと戯れにカランでみた。あとで思うとちょっとお気の毒した。しかし、こういう「mixi」の楽しみは捨てがたい。こういう仲間なら、幾らでも増えて欲しい。

 

* 「香」さんに、すこしカラミます、暑気払いに。ゆるされよ。  湖

 

沈みはつる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峰  為兼

 

措辞のあちこち気になる歌です。

「沈みはつる」「入日」の、うつろう時間の把握が逆でもあり、ダブリでもあります。沈み果てた日はもう入日ではないのですし。「いりひ」「いるひ」しだいで、音も混雑しかねません。

「きはに」は、「とき」なのか「位置」なのか、詩語として寸足らずです。「きはにあらはれぬ」は、語の斡旋としても表現としても難がありますし、「あらはれぬ」を否定の「ぬ」と読む人はいないにしても、「露はれぬ」「霞める山」とのならびは意義の流れが齟齬し、ギクシャクしています。

「きはにあらはれぬ」が、名手にしては成功していない無理筋とおもわれます、わたくしには。

 

しづみゆく入日のきはに霞みたつ外山の奥のなほ奥の峰

 

などと尋常ではあるが、僭越ながら。

ただし、まぶしい入り日に真向かってこういう風に山の霞みが目にはいるかどうか、微妙な時の間をとらえているとはいえ、頭で作った歌のようにも思われます。

いずれにせよ歌人の云いたいのは下句の風情でしょうね。京都なら北山のやまなみにこういう風情はしばしば観られますが、夕日の落ちてゆく「きは」の西山に向いて、この景情に目をあてることは、少し無理なのではと体験的に感じます。まぶしくて。 御免あれ。

☆ 湖さん    2008年08月22日 11:48

かういふご意見が、うかゞへるのが、ミクシイの、たのしくも、ありがたくもあるところとおもひます。しかも間髪を入れぬタイミングで。

為兼の「しづみゆく……」のうた、わたしは、下の句に一目惚れしてしまひ、上の句は、すーつと通り過ぎてゐました。といふことに氣がついたのも、お説を拝見してからのこと、時にへんな深読みをしてうろうろすることがあるくせに粗い読みしかしてゐなかつた、と、思ひ知らされました。

つぶさに読んでゆけば、おつしやる通りだとおもひます。「まぶしい入り日に真向かってこういう風に山の霞みが目にはいるかどうか」にも、得心がゆきます。

わたしはつぶやきました。「為兼さん、あなたのこのうた、後世の「湖」と名告る読者には見やぶられましたね」。

湖さんのやうな眼を持てるやうになりたいとおもふ一方で,甘ちやんのわたしは、名手の技にうまく欺されたい、欺されて酔うてゐたいといふ氣持ちも捨てかねてゐます。   香

ごめんなさい。ゆふべ、書き終らぬうちに、変な不安感に襲はれて、おくすりを服んでむりやり寝てしまつたので、ご返事が今になつてしまひ、間のぬけたことになつてしまひました。

 

* 「香」さん 22日 21:47

戯れが少し過ぎたのかと申し訳なく思っています。ごめんあれ。

お大事に。 日々ロクなことはないので、一服の清涼剤を戴いたのに、とんだ茶々を混ぜてしまいました。 湖

 

☆ 湖さん  23日 02:14   香

しまつた、申しあげなければよかつた。こゝのところ、為兼さんのことであつちこつちしてゐまして、『太平記』を読んだり,「玉葉」や「風雅」をめくつたりして、少々、寝不足気味だつたものですから。

とてもうれしいコメントでした。

京極為兼といふひと、わからないところの多いおひと。とりついてみましたが、苦労しさうです。

 

* ハーバードのこういう「雄」くんの世間も、わたしには覗き甲斐があり、リクツ無く楽しめるる

 

☆ サイエンスを楽しむ  ハーバード 雄

・ このところ,新しく始めたプロジェクトが思いのほか良い滑り出しとなっている.さらに,有難いことにテクニシャンのリチャードが切片を切ってくれるので,その間に他のことをしていられる.

リチャードは仕事が速くて正確.こちらがお願いしたことを,実に的確に短時間でやってくれる.人柄も温厚なので大変有難い.年齢は40代後半から50代といったところだろうか.Wakefieldから毎日1時間のドライブで通勤しているという.

朝早くから夜遅くまで,みっちりと仕事をしているので,帰る頃には目が真っ赤に充血している.仕事をしていない時も,ボビーやケンの愚痴を聞かされていて,それに適度に相槌を打ち,良き相談相手になってくれる.

今朝,彼の渡してくれた切片は,僕らのまさに望んでいた結果を示していた.ボビーと拳を突き合わせて喜ぶ.ディスカッションしている間に,あっという間に12時前になり,慌てて外に出る.

・ 食べ終えてからラボに戻ると,JCからメールが入っていた.「明日,俺は朝7時から夕方4時まで顕微鏡の予約を入れてあるけど,お前,さっきの切片の写真を撮ったらどうだ?」とのこと.僕がランチに行っている間に,彼も切片を見たらしい.

普段,JCは他人のものを横取りしてでも実験するだけに,これだけ長時間のスロットを僕に呉れるというのには驚いた.

後で彼と会ったので,「本当にいいの?」と聞くと,「ああ,この切片は,それだけの価値があるからな」とJC.有難い気持ちでいっぱいになる(と同時に,明日も朝7時から実験なのかと思うと,ちょっとウンザリもする).明日は土曜日だというのに,リチャードも来て,切片作りをやってくれるという.

・夕方4時半から,新しい建物に移ったラボの間で,簡単なパーティーがあった.最初にこの建物に引っ越したのは,ウチのラボと隣のラボだが,その他にもいくつかのラボが引っ越してきた.例えば,コネクトミクスの研究でウチと共同研究しているClay Reidや,網膜の電気生理学で著名なMarkus Meisterなども,最近引っ越してきた.

Clay Reidとは,地下の電子顕微鏡部屋で初めて挨拶をした.今までキャンパスでは良く見かけていたし,家がラボの近くということもあって,また子供がまだ幼いこともあって,良く子供の手を引いて学校や保育園まで行く姿を見かけた.しかし,これまで挨拶をしたことは無かった.物覚えの良い人なのか,その後は会うと挨拶してくれる.

Markus Meisterは,昨日,うちのラボのエスプレッソマシーンを偵察に現れた際に,ボビーが紹介してくれた.Markus Meisterは,「今までキャンパスでは時々見かけたけど,挨拶するのはこれが初めてだね」と声をかけてくれた.僕のことを認識してくれていたとは,ちょっと嬉しい.

今日のパーティーでも,これらのボスおよびラボメンバーが集まり,あれこれと話をする.こういうところから人の輪が少しずつ広がっていくのは嬉しい.

・ 新しい建物に移り,いろいろなことが少しずつ,良い方向に動き始めている.何より,今,自分のやっていることが楽しいし,好きだ.今,自分はサイエンスを楽しんでいるな,という実感がある.

操作そのものも自分の性分に合っているし,出てきた結果を皆でガヤガヤと,ああでもない,こうでもないといってディスカッションし合うのが楽しい.どこに向かっているのか,本当のところは良く分からないけど,毎日,得られた結果を見ては皆で一喜一憂している. 「楽しい」とか「好き」というのは,決して「楽」とか「快適」という意味ではない.うまくいかなかいことも多いし,フラストレーションを感じることも少なくない.でも,それらを含めて,「楽しい」し「好き」だ.ラボから離れている時でも,自然とそのことについて考えていることが多い.あそこをもう少しこうすれば上手くいくんじゃないか,などとぼうっと考えている.

この感情は,好きな異性に対して抱くのと似ていると思う.いろいろあるけれど,「でも」とか「やっぱり」という言葉が「好き」の前に付くのが,本物の愛のような気がする.こう思うのは,僕が屈折しているのだろうか?

・ そしてなにより,一日の時間が短いと感じる.本当は,バックグラウンドとなる知識についてもっと勉強したいのだけれど,なかなか本や論文をじっくりと読んでいる余裕がない.一日がもっと長ければ,色々なことができるのに,と思う.今日もそうしたいのだけれど,明日早いので早く寝なくては.

 

* 「雄」くんにしても、新たに演劇集団「秦組」を今日から旗揚げ公演している秦建日子にしても、こうして日々ジワジワと前へ前へ動いている。真っ直ぐではないのだ時に右へ時に左へローリングしている、失意から得意へ、挫折から展開へと。

こういう「雄」くんの日記やときおりの息子の述懐など、目に触れると、わたしは視線を高くあげ、初代早稲田中学校長会津八一・秋艸道人の「学規」に、心新たに、眼を向ける。早中は、建日子が選んで卒業した母校。

 

一 深くこの生を愛すべし

一 かへりみて己を知るべし

一 学藝を以て性を養ふべし

一 日々新面目あるべし     秋艸道人「学規」

 

* 八一高弟の宮川寅雄先生に此の八一の書を頂戴した。

2008 8・23 83

 

 

☆ 整備   悠

夏休み明けに1日だけ登園後、発熱のためにお休みしていた息子。長い夏休みになりました。ダンナが夏休み中だったのでたすかりました。休みたかったのかなぁ。

今朝、久々の登園に向けダンナがバギーを玄関に広げレインカバーを装着中に大笑い。

何かと思い見に行くと、バギーのタイヤを手で触ってうなずく息子。空気圧の確認中でした。

ダンナが先日タイヤに空気を入れていたのを横でしっかり見ていて、お手伝いしていたなぁ。

一緒にバイクや車の整備をしたいダンナは大喜びでした。

さあ、保育園で元気に遊んでらっしゃい!

 

* すこし心配していましたが。一安心。

2008 8・25 83

 

 

* このホームページの中に、「電子書簡・千花萬趣」というファイルがある。いただいたメールから興趣ゆたかな感じのいいのを経時的に編輯してあるが、読み直していてとてもいい気分だった。

ほとんどが、何方からとも分からなくなっていて、それがそれなりに落ち着いている。書き手の察しのつくのも、もう分からなくなっているのもある。それでも、ふんわりと情は優しく気持ちよく今に伝わってくる。こんないい「読めるファイル」を手がけていたのだ、あまりに多くなり中絶したままになっていて、いまから六七年も昔の儘だけれど、あとを継ぎ足し、同時に日記からは外してゆく作業もしてみようかな。ああ、この人がこんな昔にこんないいメールを呉れていたんだと、改めて嬉しくなったりした。

 

* すっかり作業手順を忘れ果てている作業に、アテズッポーで挑戦してみたが、ことごとく失敗。

2008 8・26 83

 

 

* 六時に起きて、しんどかった作業分二つをファイルにして事務所に送った。一つは、サーバーそして「mixi」当局との折衝の経緯と収束。もう一つは週刊新潮記事関連の経緯と、後日譚一つ。

こんなことを、あと、何度も何度も必要としている。好んで自分からしていることではない。払わなければ火の粉に心身が焦げるからだ。たいへんなたいへんな命と時間の無駄遣い。

2008 8・30 83

 

 

 

☆ 焼魚定食  悠

来月開催される国際会議の事務局業務に連日頭を悩ませている今日この頃.息子にも延長保育で協力してもらいバタバタしています.

延長保育になると,仕事時間は確保できるのですが,帰ってからの時間が短縮されてしまうだけ.息子の生活リズムを崩さぬようにするとかなりのスピードでこなさないといけません.

そんな中,息子がほぼ大人と同じものを食べられるようになって助かっています.おかゆや軟飯を作っていたのは炊飯器からそのままのご飯でOK.あとは作り置きの煮物と味噌汁.焼き魚などあれば息子は大満足.特に魚と味噌汁は驚くほど喜んでくれるので助かります.

私も一緒に食べている方が良く食べてくれるので,一緒に済ませてしまい,疲れもあって息子と一緒に寝てしまう日々.

以前は息子を寝かしつけてから,大人の夕食を準備し,ダンナが帰ってきてから一緒に食べていたのですが,最近はダンナが帰ってきてからごそごそ一品作って食べている日々.すいません.電池切れで..

お肉が苦手.魚介類大好きな息子.

来週もたっぷり”焼魚定食”,”煮魚定食”でいきますよ!

 

* 元気に元気に育ちますように。

2008 8・30 83

 

 

☆ アクギョーの数々  馨

昨夕に、ご飯の支度をしようと台所に立つと、何か様子がヘン…。

調理台には大小のお鍋が置いてあるだけで、沸かした後に冷ましておいた麦茶とお昼ご飯の残りのそうめんのおつゆがそれぞれ入っているのですが、なぜかお出汁の鍋が空っぽ。

なぜ、と考える間もなく「・・・んっ!!」

ひらめいて、麦茶をかき回すと、麦の他にふわ~っと漂う鰹節と煮干し…。

そして足もとには踏み台。

そう、2歳児が二種類の汁を大きい方のお鍋一つにまとめてくれたよう。確かにどちらも同じ色。

お出汁の残りは夕飯の野菜の揚げ浸しに使い回そうとしていたので、急遽こんだてが変わらざるを得ない展開。

あまりのことにお風呂から上がってきた主人に、これこれのことがあって、と話しているうちに、段々といろいろなことが思い出され

「この前は夕飯が待てなくて泣きわめくから先に一人分のご飯だけ盛っておいたら、それに調味料を棚から全種類出して色とりどりに一振りずつかけてて、食べたくなくなっちゃって…」

横から娘が

「それで、もったいないからお母さんがパセリをかけたところだけ使ってシラスを混ぜておにぎりにしてくれたのに、海苔だけはがしてご飯いらないからって海苔を振り回してご飯落とすから部屋中にご飯粒が飛び散ったんだよ」

「だいたい、赤ちゃんがちょうど寝ついたところでお腹の上に飛びついたりするし」

「そうそう、この間なんか目の中に指突っ込もうとしたんだよ」

もはや止まらない女性陣二人。

平日の夜はほとんど下二人の顔を見ていない主人に、一週間分の報告をするとなると、ものすごい量となるわけで…。

ダンナさん、ぽつりと一言

「アクギョーの数々だねぇ」

ワルさばかり書いてもなんなので、ちょこっとだけ名誉挽回の話も。

庭のベランダから上がってこようとしたときに、

「ココ?」と尋ねてきちんと階段の上の段で靴を脱ぎ

「コッチ?」と尋ねながら玄関の方へ靴を持っていきました。

てっきり玄関に置いておいたのだと思っていたら、翌日主人が「S(長男)の靴がないんだけど」

「あれ? 自分で置きに行っのに」と探すと、なんとシューズクロークの中にきちんと揃えていれてありました。

いつも息子の靴は玄関に出しっ放しでそこにしまったことはなかったのに、なぜ靴をしまう場所だとわかったのかしらん。

夏休み中、娘に「かたづけなさーい!」と毎日叫んでいた母は、ちょっと感動です。

しかもお姉ちゃんはいくら言っても、サンダルのままベランダ通るしね。

息子は「おーらい」が「ちょうだい」のつもりらしく、「もっとーらい(もっとちょうだい)」と、この夏さかんに言っていました。

おーらい、「ちょうだい」→want の意味になったようで、変形バージョンも。

最近は「だっこーらい」が、「だっこして」です。

君がいるとかわいいんだけど、その10倍くらいのアクギョーってのが・・・ね。

 

* オカーサン! お酒、「もーっとらい!」 ごはん、「もっとーらい」

 

☆ バナナ   悠

少々せきがあるものの,元気いっぱいの息子.ここ最近のブームはお目覚めバナナ.

朝,目が覚めたと同時に”マンマ,マンマ”を連発.台所のかごを指差し,抱っこで連れて行くように要求.

バナナ一本持たせてやると今度は”皮をむいて”と要求.万事整うとおとなしく座って食べていてくれます.ペロッと一本食べてしまいます.

食べている間に,朝食の準備.私にとってはバナナは時間稼ぎの貴重な一品.助かっています.

童謡”さっちゃん”では”小さいから半分しか食べられない”という歌詞があったと思いますが,我が家の一歳児は本日昼までに3本のバナナを食べてしまいました.たまにはいいか....

 

* ウーン。時代は変わりました。わたしが秦家に貰われたときは四歳か五歳。以降八つ、十になってもバナナは煮て消毒したのしか食べられませんでした。そもそもバナナ、めったに無かった、戦争中は。

2008 8・31 83

 

 

* このホームページを、いっそう宜しく改造しようと、「ぺると」主人の力量を拝借しようとしている。日録「私語」部分の、アーカイブとしての繙読しやすさと、「e-literary magagine 湖(umi)=秦恒平責任編輯」つまり、「e-文藝館=湖(umi)」に、力を入れたい。ああもこうもと悩ましい。創作の刺戟にもなるだろう。

 

* 今の人はケイタイや「mixi」などであまり安易に狎れ馴れて忘れかけているが、「日記」「随筆」そして「評論」も、文学史的に大きな文学たるジャンルなのである。ウエブをもち、また電子的に日記や感想を書いている者は、覚悟あっていい。「書簡」もしかり。漱石でも直哉でも潤一郎でも、全集には小説以外に随筆も評論も日記も、また書簡も、収められていて、それらが読ませる。電子化時代になっても文学・文藝の基本は変わりはしない。そう思っている。

2008 9・1 84

 

 

☆ 秋   2008年09月01日13:41  ボストン 雄

・ NY行きを諦め,今日はゆっくりと寝ていた.NYにいけなかったのは残念だったが,久しぶりにのんびり出来て,それはそれで良かったかなと思う.体調も随分良くなった.今のところ腹痛は無い.ただ,嵐の前の静けさのようでもあり,まだ油断できないのだが.

・ 昨日,ラボに行く途中,バスから外を眺めていて気づいたのだが,もう既に紅葉している木がある.どこかのアパートの横に植わっていたもみじは,綺麗に赤くなっていた.それに気づいて街路樹を見てみれば,黄色く色づいている銀杏もある.もう本当に秋なんだなあと,改めて思う.

昼も,窓を開けると爽やかな秋風が入ってきた.時々ブラインドが風に烈しく揺られ,大きな音を立てていたが,風が心地よくて,そのままゴロゴロとしていた.

一日のんびりできたが,ちょっと人恋しくなるのも秋.明日は体調が良ければ,少し外にも出たい.

 

* 風のおとにぞおどろかれぬる   いずくも、秋か。

2008 9・1 84

 

 

☆ 福田総理辞任  ボストン 雄

朝目覚め,ネットニュースを見てびっくりした.慌てて日本のテレビでニュースを見る.

一体何故この時期に? 前回の安倍首相もそうだが,あまりに唐突な幕引きに驚くとともに呆れる.

だが,福田氏に対しては,こんな幕引きもあるかな,と実は以前から思っていた.官房長官を辞任したときもそうだったので.あの時は国民年金の未払いに関する問題だったと思うが,辞め方があまりに唐突だった印象があった.カタストロフィックになりがちな人なんだろうか.

結局,この総理は何をしたのか,何がしたかったのか? 安倍総理の突然の辞任により首相になったとはいえ,これだけの期間があれば自分なりの方針を打ち出す気になれば打ち出せたはずだし,そういうものが何も感じられなかった.

次期候補としては麻生太郎が有力だというが,僕は前からこの人が何故人気なのか全くわからない.マンガやゲームに詳しいのが親しみやすいなどという理由だとしたら,もう日本人は終わっている気がする.とはいえ,誰が良いという人もいないのだが.

アメリカのように,これだけボロクソにこき下ろされても任期途中で大統領が辞任することのないのも問題かもしれないが,日本のようにサミットのたびに総理が変わるのも困ったものだと思う.

 

* 「雄」君の反射の速さ。

わたしも麻生太郎ははなはだ「危ない」と、大きく懸念する。放言や失言の常習犯であり、外野でヤジ程度の元気よさだけで軽率な軽薄な政治をされては、本当に困る。

自民党には、日本をまかせて安心な人が、ほんとうにいない。いまの官房長官や外務大臣は絶対的に願い下げ、もと竹下派の連中は私利私略の徒ばかりだし、辛うじて加藤元幹事長かな。

なによりも今は一度は、好きではないのだが小沢一郎の力量に期待を掛けたい。と民主党の実務派の行動力に期待してみたい。シャドウ内閣は、ともあれ、いろいろやっていた。

わたしは河村という名古屋辺から出ている民主党代議士の型破り実働力にも好感をもっている。自民党の大臣病代議士達の物欲しそうな有象無象には、当分逼塞していてもらいたい。

 

☆ ペット同伴の是非   麗

週末は,大雪山系で登山を楽しんだ。悪天候や体調不良に悩まされたが,いい汗をかいた。

某MK岳。誰にも会わず下山してきたところ,登山口近くで,大きく呼ばわる声がした。何ごと,と慌てて駆け下りれば,四駆の軽が走り去るところだった。運転者は,ハンドル握りつつ,さっき聞いた声で叫び続けている。

わが愛車に駆け寄ってみたが,特に変化なし。ほっとして足元を見れば,リュックが2人分,投げ出してあった。

いぶかしく思いつつも,装備を解き始めた。と,茂みの中から,初老の婦人が出てきた。「こんにちは」と声をかければ,返答しつつも戸惑った表情で,その婦人は問いかけてきた。

「あの・・・犬を見ませんでしたか。」

「犬?」

「連れてきたら,逃げちゃったんです。」

途方に暮れた,口調と表情。

「山に犬連れてきて,よかったんだっけ。」

何気なくつぶやいて,しまったと思った。婦人の表情が,ますます途方に暮れた。

「どんな犬ですか」

家族が問いかけた。

「黒の,大きい・・・」

「いや,登山道では見かけませんでした。」

きっぱりした家族の口調に,婦人の表情は,悲しみさえ帯びてきた。登山の支度をするとき,ちょっとリードを外したところ,茂みの中に入っていってしまった,呼んでも出てこない,と言う。

「放すと,喜んで駆け出しちゃいますよね。」

言ってからまた,しまったと思った。婦人は,こんなことは初めてだと弁解した。

さっきの四駆が戻ってきた。こちらも見つからなかったらしく,初老の男性が,困惑した表情で降りてきた。彼がまた,同じことを問い,こちらも,同じように答えた。我々から得られる情報がない,とわかると,二人は,すっかり平常心を失っている様子で,悲しげな,大きな声で,犬の名前を呼び続けていた。

こちらも,もはや役立てることはないと思い,辞去して車中の人となった。林道を低速で流し,振動を最小限に抑えつつ,宿へと向かった。呼び声は,かなり遠ざかるまで耳についた。車窓から,幾度となく探してみたが,「大きな黒い犬」の姿は,見当たらなかった。宿に着くまで,重苦しい沈黙が続いた。

ペット同伴の是非は,登山に限らず,あらゆるところで問題にされる。あの夫婦にとって,その,「大きな黒い犬」は,まさに家族なのだろう。だからこそ,どこへでも一緒に連れて行きたかったのだろう。その気持ちは,わからないでもないが,犬は人間ではない。しかし,「家族」として動物に接していると,人間のほうが,それを忘れてしまう。公共の場所で他の人や動物に迷惑をかけたり,生態系を乱したり,最悪,このような「悲劇的な別れ」につながる場合もある。

ペットは,家族であっても人間ではない。人間がこれを忘れては,いけない。

 

* この問題は根が深い。いま多くの人が神にも仏にも「抱き」つかないのに、ペットを「抱き柱」にしている実例は「mixi」のコミュニテイや掲載写真を観ていてもよく分かる。かく言うわたしも黒い猫のマゴを愛している。しかも思っている、過剰なペットとの一体化は人間のもろい衰弱現象そのもので、警戒し自戒していないといたずらに心を慰める以上に傷つけると。

たしかに人間を信じたり愛したりするより無垢に、あるいは無責任にペットを溺愛する方が心慰むイヤな世の中ではあるのだ。これはたんに慣習や規則や常識で左右しがたい。だが、心得ていなくてはならないのである。

「家族であっても人間ではない。」

つい「人間以上」と思いたくなる現実への批判や批評も、常に発動しなければならないだろう。

2008 9・1 84

 

 

☆ これって…?   花籠

残り福ならぬ…残り更年期障害?

環境が変わったせいかもしれない。

少しはストレスを感じているのかもしれない。

体内時計に狂いが生じてきているのかもしれない。

まあ、こんなところでしょうかねぇ。

真夏の猛暑での汗かきは当然のことと思っていたけど 最近、家でゴロゴロしている時に 突然、全身にぶわぁっと汗が噴出すことがある。

仕事中はそんなことないのに、気を緩めているからかなあ。

十年前にちらっと顔をみせていた更年期障害。冷や汗が出る程度の軽いものだったから、苦にはならなかった。

おいおい、今頃ぶり返してくるんかい?

ま、気持ちの持ちようだから…

まだ猛暑が続いているってことにしておこうっと。

 

* 「花籠」さんは、わたしを「月様」とよびかけてくれる。メールで交信し始めた読者の、最古参の一人。

「花籠」と「月」とは閑吟集で「花」の定座をしめている最傑作の歌謡に由来し、わたしの読みでは、もっとも深い男女の仲らいを示している。この、ひと目も出会ったことのない四国徳島の友が、よほどのユーモアの持ち主であること、逞しい精神のもちぬしであることを示している。わたしの苦労もちゃらんぽらんも、ずうっと見守ってきてもらった。

だから上の「mixi」日記には感慨を持つ。もう優に、読者と作者として四半世紀になるのではないか。お互いに歳月を重ねてきたんだなあと。

肝っ玉母さんのように子たちをみごと成人させ、過重な労働に挺身しては時代の荒波にゆられ続けてきた人だ。一度も会う機会などもてぬまま、歳月は風波を受けて積まれている。

人生を思わせてくれる「いい読者」の一人。「花籠」さん、お元気で。

 

☆ 禿げかけ   ハーバード 雄

・ 先日,MIT(=マサチューセッツ工科大学)の人達と飲みに行った際,「病気の話と髪の話になったら,もう年寄り」という話題となった.実際,髪のことを気にしている人が同年代でも増え始めている.この飲み会でも3人が髪のことを愚痴った.3人とも,他人から見るとあからさまに禿げているわけではないので,話題に出すのもおぞましいという訳ではないのだが,自分の髪の毛のことは自分が一番知っている.そして,その3人のうちの一人が,何を隠そう僕自身だ.

もともと髪の量も多めで,髪質も太く堅いので,床屋に行っても「髪が多いですね」と言われるほどだったが,どうも頭頂部の髪が確実に減っている.電車に乗っても,真っ先に頭頂部で冷房を感じる.たまたま,その方向から風が吹いているのかと思って,あれこれ頭を回転してみても,やはり頭頂部が一番敏感なようだ.

そして恐ろしいことに,ここ最近,前髪が急速に薄くなっている気がする.今までは前髪がうっとうしくなると散髪しに行っていたのだが,ここ最近は,サイドの髪が鬱陶しくなる方が前髪よりも早い.前の日本のラボで,完全に禿げているバングラデシュからの留学生が,僕よりも頻繁に散髪に行っていて,彼は一体何が鬱陶しくなって散髪に行くのだろうと不思議に思っていたが,サイドの髪が伸びるというのも鬱陶しいものなのだと,最近になって分かって来た.

もうひとつ,最近気づくのが寝癖.今まで僕は酷い寝癖で,朝起きると全体が持ち上がった髪型になっていたのだが,最近,頭頂部の髪の毛には逆立つだけの元気がないのか,ぺちゃんとしている.両サイドだけが逆立っている.

・ もともと男性が禿げるのは男性ホルモンが原因のはずだが,男性ホルモンが多いことの証であるはずのハゲが,どうして女性から忌み嫌われるのだろうか? 生物学的には理にかなっていないようにも思われる.しかし,ハゲていることが高齢であることの証であると考えれば,高齢の男性を避けるという意味合いもあるのかもしれない.マウスも高齢になってくると,体重以外に顕著にエイジングを感じさせるのが毛並みだ.年老いたマウスは目だって毛並みが悪い.

・ 先日の飲み会の主賓でもあったMITの方は日本の医科大学で薬理学教室の講師をされているのだが,そのせいかハゲ薬の効用にもやたらと詳しかった(ちなみに,この方も3人のうちの一人).

ある薬は男性ホルモンのテストステロンの代謝産物の阻害剤だとか,別の薬はカリウムチャネルの阻害剤で,単に血行を促進しているだけだ,など,今まで知らなかったが同じハゲ薬でも色々とターゲットが異なるのが面白い.

禿げ方にも色々なタイプがあるが,僕の場合,頭頂部から前頭部にかけて,薄くなりそう.この部分の髪の毛を触ると頭が痒いような感触があって,髪が抜けるとスッと気持ちよくなる.

しかし,前の生え際は意外としっかりしており,あまり抜けそうにない.どうせなら前から綺麗に禿げ上がってくれたほうがまだ良い気がするのだが,未練がましく前髪だけが残りそうだ.分かる人には分かるだろうが,「安穂野香」ちゃんのような禿げ方になりそう(勿論,あんな格好はしませんが).

昔,中曽根康広のように一方の髪の毛を長く伸ばして反対側に持ってきている,いわゆる「バーコード」の髪型を見ると,未練がましくて嫌だったが,その気持ちが少し分からないでもない今日この頃.

詐欺と言われても構わないので,せめて結婚するまではなんとか保って欲しい.

 

* ウーン。こういうことを聞くようになったか…。

ちなみにわたしの髪は前が白く、少しずつ後方へ白が広がっているそうだが、幸い、その気配はない。夏は髪の量がやや減るのかも知れないが、冬になると十分量有るらしい。ホルモンのことは、意味すら分からない。

だいたいわたしは精神的な感情的な意味で、男にも女にもなれる。だが性的に同性に惹かれることは、滴ほども無い。うっかりおかまバーに連れて行かれ、戸口から瞬時に一丁も走って去ったこともある。偏見だと笑われるが、舞台の女形は「表現」と敬愛しているから感動すらするが、常日頃女の服装で女のように喋っている男は、近づくは愚か、目に触れるのもイヤ。昨日見た映画『娘・妻・母』の美しい落ち着いた和服の原節子像が、いまも「天然記念物」かのように懐かしい。しかしマリリン・モンローも懐かしい。若き日のイングリット・バーグマンもエリザベス・テーラーも懐かしい。『羅生門』の京マチ子も『カルメン故郷に帰る』の高峰秀子も懐かしいのである。

『酒が好き・花が好き』を出したとき、ペンの同僚理事からあれは正しくは『女が好き』でしょうと笑って肩を叩かれた。当たり。わたしは昔から「男は嫌い」。そして「女バカ」。但しともに、真実男への評価と、女への敬愛を示した反語であることだけは読み取って貰いたい。

2008 9・2 84

 

 

* この機械をつかって自身の「場を」創ってから、十年半が経過した。平成十年三月から「闇に言い置く 私語の刻」は肇まっている。電子メールの使用はもっと早かったが、機械のクラッシュ等でデータを喪い、いま一番古いのも、わが家へ来て目の前で現在のホームページ原形をあっという間に創り上げてくれた、卒業生・田中孝介君との交信であるらしい。大きなクラッシュがあり、田中君がおおかたすくい上げてはくれたが、メール交信分の回復は出来なかった。いろいろ救出してくれた平成十年九月の交信がいちばん古くに残っている。

まる十年。幸いその後のものはほとんど全部がバックアップ保存されている。

 

* 七八年前まで、電子メールというのは、顕著な新「文化」であり新「時世粧」であった。パソコン文士として比較的先駆の一人であったから、なんどか関連の感想原稿も求められたしインタビューも何度も受けた。新「表現」新「社会」の鮮明な登場にわたしは最初から関心と意見とを持ち続けてきた。

個人的に顧みれば、メール人口とまでは言わないが「メール読者」は、顕著な扇形をなして増加し続けた。「メール数」もそれに応じた。一日に三度も四度もメールを寄越す人が何人もいたものだ。毎日呉れる人はザラであったし、未知の人からもたくさん舞い込んできて、新しい知友として定着した例も枚挙にいとま無い。

そういうことは、だが永く続くものではない。

もともと、メールを呉れればすぐさま返辞を書くという難儀な「習慣」は避けてきたから、書いても返辞がこないと苦情を聞いたこともまま有ったけれど、一日に何十という返辞が書けるものではない。労力の問題でもない。書く内容・文面において同じ一人のわたしがそうそうバラエティのある返辞は書きにくい、かといって同文にちかいメールを書き送るのは面白くない。

そんなことは、誰にとっても同じ。だから内容の鮮度を保つ意味でも、メールは、必然或る程度の間隔を開けるしかなくなる、それをしないとかえって間柄が干上がってくる。海外だの国内でも遠方に離れ合っている場合、メールの有り難さ、有効さはとてもとても手紙や電話の比でないが、それは全く別ごととして、一つには真の人間関係はもともと「メールだけ」で維持できるものでなく、ある種の習慣性空疎が感覚されてくると、その修正のために別途の親愛や情愛を苦労して注入せざるをえなくなる。人と人のベッタリ付き合いのそれこそが古来の難所であった。

かくして、決して「メール以前」にまるまる帰って行くのではないが、ある穏やかな疎隔、いや無沙汰関係が立ち帰ってくる。自然の趨というものだろう。

「mixi」のような、必ずしも「個と個と」限定されていない、しかしマイミクシイという或る程度選ばれたやや濃い関わりのなかで展開するソシアルなインターネットが有効なのは、歓迎されているのは、個と個との時に重苦しさを賢く回避しながら、親愛を気軽につなぎ止めやすいからであろう。親しき仲にも礼儀ありふうの、ベタつかない交歓がインターネットで可能であり、システム的マイミクの人数を増やすのも減らすのも自在なのである。わたしは、せいぜいよほど多くて七、八十人までのマイミクに限っている人を信頼する。わたしは現在五十一人だがその程度で十二分と思っている。あまり多くなれば空疎でなげやりな、ある種人もなげな人間関係が想像されてきて、わたし自身は好まない。荀子の「解蔽」という二字に借りていえば、バカバカしく多数のマイミクシイなど、一種の「ボロ」「襤褸」に発臭しかねないと警戒する。

 

* 十年を経て大人の電子メール世間は平静になってきている、のではないか。お互いに負担にならない程度の間隔で、佳い声や言葉が届いてきて、むろん必要が有れば一日に二度三度を拒むものではない。いろんな意味での「必要」原理がマトモに働いてきたのだと思う。

大事なのは、しかし、これらもいわば人と人とをつなぐ有限の「エネルギー」であるからは、怠けて火種を継ぐ気がうせていると、また元のもくあみの疎遠・無沙汰という風化は免れない。たしかにそれでいい相手もあれば、それではいけない相手も、誰にも有る。

機械は機械、とはいえこの機械、新世紀の人間関係に、もう、ぬきさしならず食い入っていることは確かだ。わたしが「言語による表現」団体である日本ペンクラブに、いち早く「電子メディア委員会」が必要だと発議し実現させた理由もそこに一つ在った。

このところ十年ほど、電子メールでの国民の新「表現」は、必ず将来の文学史記述、社会史記述の一章たるを要求するに違いない。無視できない。

2008 9・4 84

 

 

☆ 居残り   2008年09月04日23:35   悠

連日の延長保育で少々,疲れ気味の息子.保育園でもかまってほしいのかいろいろと悪さをしているようです.

クラスからの脱走は,朝,保育園に行った時に私の目の前で実行していたのでわかってはいたのですが,今日は”いけない,だめよ”と言われていることを何度も繰り返したそうです.

ニヤッと笑い,怒られても繰り返したため,”強く叱りました”とのこと.

先生のほうは恐縮して報告してくださったのですが,”だめことをやったら叱ってください”とお願いし,ご迷惑をお詫びしてきました.うーん,なかなか手こずる一歳児です.

で,本日,あまりにも反省がなかったため大好きなお散歩に連れて行ってもらえず,居残りさせられていたそうです.

家でも食事中に遊びだすことがあり,だめと言っているのですが,甘いのでしょうか?

 

* 人間にとは限るまいが、人は、「逆らう」と「従う」という、両面の生き方を覚えて行き、結果として「逆らわず、従わず」という境へ自然に落ち着きたいもの。だが、概して人それぞれ「逆らい」型、「従い」型に、ま、偏して生きることになる。後者が圧倒的数多くて世の中穏便にいっている、が、穏便だけが支配すると、誰のための穏便かという盲点が瀰漫してくる。

価値観を「逆らう」「逆らわない」「従う」「従わない」のどれへ近接してもつか、個人により属する世間により種により国によりいろいろだろうが、「従う」ばかりを、覚え「させられる」、覚え「させる」のが普通の大人社会であることは、誰しも体感しているだろう。ルール社会を人は造ってきたのだから或る程度ムリないが、ルールは変更されてゆくからこそルールだということも覚えねばならない。

一概に言えぬにせよ、「逆らう」「従わない」の意義を覚えた大人達による、平衡のとれた変更の利くルール社会が望ましい…と、それは、わたしの考えです。

2008 9・5 84

 

 

☆ 風邪と浄水器   光

東京で育ったせいかどうかわからないが、生水を飲む習慣がない。

水は、まずいもの、と思い込んでいるふしがある。

ワンルーム・マンションで一人暮らしを始めたときも、何も考えずに浄水器をつけた。

蛇口の先に取り付けるタイプのものだ。

ただし、半年に一回、カートリッジを取り換えなくてはならないのが、手間である。

しかも、交換用カートリッジは結構なお値段である。

なんだ、まだ水が出るじゃないか、と思うとカートリッジを交換しなくても大丈夫なのではないかと思えてくる。

半年に1回交換しろというのも一般家庭の場合で、私のような一人暮らしなら使用量も少ないしちょっとくらい交換しなくても大丈夫。

一つのカートリッジで2年くらい使っていると、逆に得した気分になってくる。

一人暮らしをするようになってから、不思議なことに気がついた。

必ず、7月と1月に風邪をひくのだ。しかも毎年。

それも、決まってのど風邪なのである。

どうも、風邪ひくときはその時期に冷房、暖房を初めてつけたときのようだ(仮説1)。

そう仮説をたてて、空調のフィルターをこまめに洗うようにした。

しかし、改善された様子は見られず、やっぱり決まって風邪をひく。

確かに7月と1月といえば、世間でも夏風邪、インフルエンザが流行る時期である。

外で風邪の菌をもらってきてしまうのかもしれない(仮説2)。

良くうがいをするように気をつけてみた。

が、やはり、決まってこの時期に風邪をひくことには変わりはなかった。

栄養不足で体力が低下し、風邪をひきやすいのか(仮説3)。

市販の野菜ジュースでビタミン補給してみたが、改善は見られず。

もはや、風邪をひくのが恒例化してきて、慣れてきた頃。

気休めでも、せめてうがいくらいはと、欠かさずにやってきた。

いつもは、イソジンを愛用しているのだが、新聞記事に「水だけでも効果あり。むしろ市販のうがい薬は口内常在菌を減少させてしまうので、外からの雑菌に弱くなる」とあったので、浄水器の「清水」でうがいをしてみることにした。

結果、一発でのど風邪にかかった。

まさか、とは思ったが、第5の仮説:浄水器が雑菌の巣窟である、を疑わざるを得なかった。

うぁー、やっぱり、カートリッジは真っ黒。

早速、全て新品に交換した。

驚くべきことに、今年の7月は風邪をひかなかった。

(結論)

病院の「診療代+薬代」に比べれば、浄水器など安いものである。

浄水器のカートリッジは、ケチらずに指定通り半年に1度は交換すべきである。

 

* 「光」くんのこれは有り難い処方箋だと思おう。わが家も浄水器をつかっている。どの程度こまめに入れ替えているかは知らない。

2008 9・6 84

 

 

昔とは大違い、いまの若いお母さん達は、余裕綽々、自在に書いている。ときに自在すぎると感じることすらあるが。

 

☆ もーも、あ、と  2008年09月08日13:54   馨

二語文をだいぶ発するようになった我が家の二歳児。昨日はドアのところでエンエン泣きながら「あひ、たい、ここ」と言っていました。翻訳すると「足、痛い、ここで」となります。ドアに足をぶつけたらしいのですが、これで一応三語文まで出てきました。

二語文だけでなく、コミュニケーションもかなりスムーズに。

「にゅうにゅう(牛乳)」と言ってコップに注いでもらうと、「もーも、あ、と」。

宅配の配送さんが来て、荷物を置いてくれると、「もーも、あ、と」

これ、わかる方いらっしゃいますか~?

私もわからずに2、3回、やり過ごしていたのですが、どうやら「どうも、ありがとう」だったようです。お母さんはてっきり桃好きなアナタが桃を欲しがっているのかと思ったよー。失礼しました。

「もーも」だけの時もあります。

平日には朝の一瞬しか会わない主人は当然わからず、週末に「もーも、あ、と」と言われているのに、そのまま通過。慌てて、「どういたしまして! って言ってあげて」と、呼び戻しました。

娘に「はい」「ごめんなさい」「ありがとう」を教え込むのに苦労したのを考えると、生まれつきの違いというのは大きい、としみじみ思います。(「ごめんなさい」に関しては未だにことあるごとに叱責しています。)

躾でカバーできる範囲って、生まれつきの差異を覆すほどではないのかもしれないとすら感じたりして。この息子、言われなくてもまわりに声をかけられると、「あーい」と返事してますから。

しかし、これまた生まれつきの違いで、イタズラはスゴいです。

先週の出汁&麦茶のブレンドに引き続き、今日は気がつけば砂糖入れの中に塩を思いっきりあけてブレンドしていました。ご丁寧にスプーンでかき混ぜて…。

砂糖が茶色なので、白い塩のかたまりはできるだけ選り分けたのですが、その塩をお昼のパスタのゆで汁に使ったら、なんとな~く甘みのあるパスタができました。味がきりっとしなかいというか。アナタは不思議とよく食べたけどネ。

電話の設定がいきなり変えられていたり、水筒の中からマカロニが出てきたり、よく寝ている赤ん坊の鼻をつまんで泣かせて起こした挙げ句、「っパイ!(おっぱいだよ)」と母に言いわけ。

ただ、イタズラの後、使った道具がなんとなく片付けられているのが、散らかし魔の父親や姉とは違うところ。そしてこの喧噪の中でもすやすや寝ている三番目。

子ども三人もいると教育って何なんだろう、と思わず考えてしまいます。

教育なんてもので矯正できる範囲って、ホント、ごくちょっぴり。あとは、生まれてくるときに持ってきた持ち前で人は生きていくんだろうなぁ、と。

それにしてもキミのおしゃべりは遅すぎだったけどね。そして、「あち」が蜂と足と鍵と蟻の、すべて兼用なのもやめてほしいけどね。玄関で「あち!あち!」と大騒ぎするから、蜂が入ってきたのか、蟻がいたのか、足に靴を履きたいのか、と悩んだ挙げ句、「車の鍵をボクも持ちたい」だった、というオチは、かなり時間のムダだと思うよ。

 

* ウフフ…。ほんと。

『エミール』なんてリクツばっか、何役にも立ちゃしない教育論なんて、ドッカへ飛んでけ?

 

☆ BPOに訴えてやるっっ!!  2008年09月08日06:47  麗

過激なタイトルで恐縮です。

以下の新聞記事ですが,「クチグロナキウサギ」という,チベットに住む,ナキウサギの仲間についての番組が,7月末にNHKで放映されました。ご記憶でしょうか。

あれ以来,いろいろな方が,「TV見ましたよ」と,あくまでも好意的に話しかけてくれました。そのたびに,「いえ,実は・・・」と,こちらのほうで真相を話さねばなりませんでした。そのたびに,相手の表情が曇ったり,戸惑ったりするのを見るのは辛いものでした。

さて,タイトルの「BPO 放送倫理検証委員会」ですが,過去に番組側の非を認めたものは,たった1件だとか。地元紙さんが記事にしてくださったのはありがたいことですが,道はまだまだ遠いです。エゾナキウサギとは無関係な話なのに,世間への誤解は広がってしまったし。

難儀やなぁ。

—–*——

ナキウサギ番組「疑問」 豪雨、猛暑招く? NHKに訂正要求(09/03 14:00 北海道新聞)

札幌の市民グループ「ナキウサギふぁんくらぶ」(市川利美代表)が、「中国・チベット高原のナキウサギが大発生すると、日本が猛暑や豪雨になる」と放送したNHKの番組は「虚偽または非科学的で、ナキウサギが不当に温暖化で悪者扱いされた」として、NHKに訂正を求め、放送倫理・番組向上機構(BPO)に調査と審理を要請した。NHKは反論しており、自然保護の象徴的な存在のナキウサギが温暖化論争に巻きこまれた形だ。

番組は、NHK総合テレビで七月三十日午後七時半から全国放送された「ちょっと変だぞ日本の自然3 風が吹けば○○が…大変だスペシャル」。アジアでの環境異変が日本の異変に連鎖している一例として、中国科学院の西北高原生物研究所の研究を取り上げた。

まず、チベット高原では少雨と家畜の増加で草原の草丈が短くなり、同高原に生息するクチグロナキウサギの視界が開け、雄と雌が出合いやすくなって大発生した、と紹介。

その上で、クチグロナキウサギが草を根こそぎ食べて砂漠化し、砂漠化による温暖化で上空のチベット高気圧が強まり、日本が猛暑や豪雨になる-として「チベットでウサギが増えた今年は猛暑や豪雨に注意しましょう」と呼び掛けた。

これに対し、ナキウサギの生態に詳しく、チベットでの調査経験もある川道武男・元大阪市立大助教授は《1》クチグロナキウサギのつがいになる時期は草が伸びる前の雪解け直後《2》雄と雌は自分たちが掘った地下トンネルの中で頻繁に出合う《3》鳴くことで自分の存在を知らせる-と指摘。「草丈の変化による大発生説は荒唐無稽(むけい)。今年の大発生も疑わしい」として、ふぁんくらぶと共同で八月十一日にNHKに意見書を出した。

NHK広報局は「西北高原生物研究所は草丈を高くすると、ナキウサギが減るという実験結果を得ている。生息密度が十年で倍増したデータもあり、同研究所は『大発生と言える状況が続いている』と結論付けている」と反論、訂正には応じない方針だ。

ナキウサギは北半球の高緯度地域の高山などにいて、世界で約二十種が確認されている。国内では道内にのみエゾナキウサギが生息する。クチグロナキウサギはチベット高原に生息し、鼻から口にかけて黒いのが特徴。エゾよりひと回り大きく、体長一二-二五センチ、体重一〇〇-二〇〇グラム。

BPO 放送倫理検証委員会  http://www.bpo.gr.jp/kensyo/

 

* 適切な発言に、関心をもつ。

2008 9・8 84

 

 

☆ 出張中  2008年09月09日01:40   東大 悠

土曜日より,京都に出張中です.国際会議が日曜から始まりました.事務局業務にへとへとです.

150名程度のワークショップクラスの小さなもの.でも,研究室のスタッフ5人での準備は結構大変でした.加えて,自分の発表もポスターセッションであったので,合間に準備するのに一苦労.こちらは本日終って一安心.

日曜はレジストレーション.

フランス人の名前は鬼門.2人から”名札のスペルが違っている!”とクレーム.想定外の申込があったり,お弁当,バンケット,エクスカーションの人数確定等の締切.ベジタリアンの”程度”を本人に確認したり....

今回の“業界”に顔を出して約5年.

顔見知りの外国人研究者の数も増え,笑顔で”お久しぶり!”の挨拶ができるのはうれしいものです.

開催場所は京都の真ん中あたり.四条から少し上がった大学生協のホテル.日本人からも,外国人からも”迷った!”という声が多いですが,楽しんでいらっしゃるようです.よかったよかった.

さて,息子.連れてくるわけにもいかず,土曜日に羽田空港へ母に来てもらい、息子を預けてとんぼ返りしてもらいました.

京都に続いて仙台でのワークショップ,会議が連続します.息子は今週いっぱい実家でお留守番です.

テレビ電話でおはようのご挨拶の毎日です.

 

* 若いお母さんの、活気。

 

☆ パボ 日本語と韓国語   ハーバード 雄

・ 昨日は一昨日と打って変わって快晴.外に出ようかと思ったが,面倒くさくなって最近買った電子顕微鏡に関するテキストを読んでいたら,いつの間にか眠ってしまっていた.風が爽やかで,気持ちよく寝てしまったのだが,起きてみると頭が痛い.変な格好で寝てしまったから寝違えたのだろう.サロンパスの塗り薬を首に塗ってみたが,一向によくならないので,バファリンを飲んでまた寝てしまった.今朝起きてみると,すっかり痛みが消えていた.

・ 僕とラボで居室を共にしている韓国人ポスドクのヒャーノによると,肩こりの際に使う,先端が網状で,押すと液体が出てくるタイプの塗り薬を,韓国語では「パス」というらしい.以前,同様のサロンパスの塗り薬をラボに置いていたら,ヒャーノが教えてくれた.彼はカタカナが読めるので,「きっと韓国語のパスは,このサロンパスから来ているんだろうな」と興味深げな様子だった.

日本語と韓国語は一見大きく違っていて,横で話しているのを聞いても殆ど分からないが,実は単語レベルだと意外に近い発音のものもある.例えば「脳」は韓国語で「ヌウェ」.やはり隣国は隣国,文化の交流はお互いに密なのだろう.

こんな近距離だけでなく,もっと全世界に亘って近い音韻の言葉もある.例えば閼伽棚(あかだな)の閼伽はaquaと語源を一にすると聞いたことがあるし,「茶」を表す言葉は,中国語,英語,ロシア語など,様々な言語を通じて似ている.これらがどうやって伝播していったのかは興味深い.

・ 僕とヒャーノのいる部屋の前には,名札を入れるボードがあり,ここに僕とヒャーノは自分達の名前をアルファベットだけでなく,漢字とハングルで記載している.先日,これに気づいたボビーが大喜びし,是非隣の部屋を利用しているチリ人ポスドクJCの部屋の前にも同様の名札を作ってくれ,と言ってきた.ただしJCの名前を正確に表記するのは英語だけで,日本語や韓国語では代わりにassholeを意味する言葉を書いてくれ,という依頼だったが.

ヒャーノが僕に,「日本語だとassholeは”馬鹿野郎”かなあ?」と聞く.僕もそれが一番ニュアンスとして近いかなと思う.

「バカとアホだと,アホの方が少しやわらかい表現なんだよねえ?」とヒャーノ.ヒャーノは実に良く日本語を知っている.

「確かにそうだね.でも,それだけじゃなくて,関東と関西でも違うんだよ.関東だと”バカ”が一般的だし,関西だと”アホ”っていうのが一般的なんじゃないかな」と付け加えた.そういえば昔,「探偵ナイトスクープ」の企画で,「全国アホバカ分布」という企画があって,「アホ」が使われる地域と「バカ」が使われる地域を調べたものが本になった.単純に思われた企画だったが,途中から「たわけ」という言葉も表れて,意外にも複雑な分布をしていることが分かったのだった.

逆に僕が「韓国語だとなんていうの?」と聞くと,

「そうだなあ.一番当たり障りがないのは,”パボ”じゃないかな」とヒャーノ.

「アホ」と「パボ」.結構似ているなあ.もしかすると,日本から韓国に伝わったのかもしれないし,逆に韓国から日本に伝わった可能性もある.バカと似た音の言葉は無いようだが,そうすると関西圏の方が韓国と文化的に近いのだろうか.現在でも大阪にはコリアタウンが多いし,在日韓国人も多く住んでいるので,地理的にも文化的にも,関西の方が関東よりも韓国と近いのかもしれない.

 

* 人間の基本の姿態は、立つ、坐る、臥る、だ。立つと臥るとは、世界中同じだが、座り方は国により民族や種族により、ちがう。その違いを克明に世界地図に描き込んで行くと面白い動態・動勢図が出来るかも知れないとは、三十年も前から言ってきた。正坐などという座法は極めて孤独な方だろう。仏像を観ていてもいろんな座り方をしている。しかし、跪座は稀に見ても正坐の仏像はさらにさらに稀で、見覚えが全くというほど無い。

正坐は極度の謙譲・服従ないし罪人の座り方である。

利休以前、茶の湯がほんとうに正坐で為されていたと考えるのは思いこみの最たる一つであろう。利休の出自には朝鮮半島の気味が濃いと研究家はもうだいぶ前から言い始めているが、朝鮮半島では文字通り正坐は罪人の座り方であり、かの国の人たちはたとえば片膝たてで自在に美しく振る舞う。能舞台で正坐しているのは、今では笛、太鼓、地謡、後見。シテもワキも正坐などしているのを一度も観たことがない。

織田信長や羽柴筑前が正坐して茶室にいる図を想像できない。

 

* ひところ娘は「茶」を探索すると言って熱心そうに見えた。「茶」を言い表すには、「テー」「チャイ」の二型がどうやら別系統らしいわよなどと言っていたが、それだけでストップ。

あのまま本格に「茶」学を追究していたら、学界の一角に席が出来ていたかも知れない。根気よく続ければ、視野は深まるものだが。

2008 9・9 84

 

 

☆ 菊の酒  瑛 e-OLD 川崎

久々の快晴、空気は、大気は上から降りてくる高気圧に日本列島が包まれた。山を歩いてきた。

山に行くときは杜甫の文庫本を持っていくことがある。秋は山頂で杜甫の「登高」の詩を読むような雰囲気が好きである。昨日は九月九日。

重陽の節句であったので友達を誘って秋晴れの中を山へ登り、酒を飲みお互いの歩いてきた見聞を語り合った。

「重陽」の説明文を引用しますと、「旧暦の9月9日は現在の10月の中ごろにあたり、菊の花が美しく咲く時季で、「菊の節句」とも呼ばれます。古代中国では、「九」は陽数(奇数)の中でも最も良いとされることから九月九日は陽が重なる大変おめでたい日としてお祝いをしていたといいます。この日は、「登高」という故事にちなんで人々は小高い山に登り、菊の花を浮かべた酒を飲むという風習がありました。中国では古来、菊の花には邪気をはらい、寿命を延ばす力があると考えられていた」とある。杜甫「登高」の詩です。

 

風急天高猿嘯哀   風は急に天高くして 猿の嘯くこと哀し

渚清沙白鳥飛廻  渚清く沙白くして 鳥 飛び廻る

無邊落木蕭蕭下   無辺の落木 蕭蕭として下り

不盡長江滾滾來  不尽の長江 滾滾(こんこん)として来たる

萬里悲秋常作客  万里 悲秋 常に客と作(な)り

百年多病獨登臺   百年 多病 独り台に登る

艱難苦恨繁霜鬢   艱難 苦(はなは)だ恨む 繁霜の鬢(びん)

潦倒新停濁酒盃   潦倒(ろうとう)新たに停(とど)む 濁酒の盃

 

声に出して読んでいると体が喜ぶ。我が懐古趣味の世界です。

 

* 昨日中国にいる息子に重陽を祝い、両親は歌舞伎を一日楽しんだ。

 

* 此処に「客」の一字があり、杜甫の場合は余儀ない漂泊と無縁でないが、ひろく「人」の場合、「此の世は旅先」であり、自身はそういう「旅客・過客」という慨嘆がある。そこから「客愁」というわたしの胸を去らない感慨が湧く。

2008 9・10 84

 

 

* 話は急激に変わるが、このところウイルスの「駆除」報告が殺到している。以前は月に一度、二度、最近は数日に一度ぐらいだったのが、数日前から一日に何度も何度も駆除報告が入ってくる。誰かが意図的にウイルスを送ってきているのかもしれぬ。

駆除報告は、詳細を教えてくれているが、背後の悪意まで調べが届くにはもう少しかかるだろう。幸い「駆除」機能は元気なようで有り難いが。

2008 9・12 84

 

 

* 「e-文藝館=湖(umi)」に、瀧井先生の小説『結婚まで』や布川鴇さんの詩編『湖の向こうに』などを加えた。

「e-文藝館=湖(umi)」への「掲載操作」は、ほぼ確実に覚えた。しかし手順は今のうちに記録しておかねば。

外部との折衝や接触を生活から減らして行けば、自然、自身の仕事へ手も出るし、思いも走る。「mixi」に書くのはあくまで、従。

一般に、外へ向けては、大きなホームページ『作家・秦 恒平の文学と生活』を、我が書斎・書庫とし、書斎・書庫の中には、以下、

① 「e-文藝館=湖(umi)」と、

② 電子版・秦 恒平「湖(うみ)の本」「湖(うみ)の本エッセイ」全96巻(現在進行中)と、

③ 日録「生活と意見 闇に言い置く私語の刻」全85巻(現在進行中)と、

④ 必要に応じ供覧したい自作書架と、

を備えている。

なお機械の中には、ウエブの外に、受賞以来書き貯めた、既刊・未刊の多くの原稿や備忘や記録が各種のソフトに分類され、数えきれず入っている。全てを合わせれば五万枚を超える。

そして、その中で、ワープロソフトを幾つも用いて、新しい創作を心の趣くままに書き継ぎ書き起こしている。

バックアップはほぼ完全に出来ていて、心がけていて、悪意の妨害や攻撃で崩れ去ることはないよう用心している。

2008 9・12 84

 

 

* バックアップも、ものによるとずいぶんコピーの貼り付けに時間がかかる。その間に、中村光夫の荷風論を読んだ。

2008 9・13 84

 

 

☆ 文楽9月公演   珠

昨日は文楽へ。忙しかった今夏、ずっと先のような気がして数日前まで忘れていた。第一部11時開演も久しぶり。早めに家を出て、デパートでお昼のお弁当を調達。射すような陽射しの中、年内最後になるだろう石畳の道を国立劇場まで歩く。

5月の公演でお目にかかってから4ヶ月。暑かった夏も無事に越え、住大夫さんのお元気そうなご様子に安堵する。

大阪は商売が厳しいせいか、夜の劇場でも空席が目につくけれど、東京公演は盛況で有難いと。日々、いつまで語れるか考えていると仰る。まだお腹に力は入るので、何とか体力的には語れるが、息が短くなってきていると。「一息で語らなあかんとこ、途中で息切れますのや。まぁな、あと一年、来年はさせてもらえるやろかぁ、、思ってますのや」

どうか、どうかお元気で、一日でも長く語って頂きたい。

「近頃河原の達引」聖護院の森での心中事件を題材にした作品。

まずは”四条河原の段”、井筒屋伝兵衛と遊女おしゅんは馴染みを重ねて相思相愛。そんななか、得意先亀山藩の重宝である茶入れをめぐり、おしゅんに横恋慕する勘定役は伝兵衛に斬りかかる。結果、伝兵衛は勘定役を斬り殺してしまう。

”堀川猿廻しの段”では、おしゅんの実家が舞台となる。貧しく目の不自由な母と、猿廻しをして母の面倒をみている兄与次郎の暮らす実家に、伝兵衛の騒動から逃れるためおしゅんが戻っている。心配する母と兄に、おしゅんは伝兵衛への退き状(離縁状)を書いてみせる。でも心は伝兵衛を想い、ついに夜中、伝兵衛が忍んできた時、止めようとする母と兄に、おしゅんは女の道を通し運命を共にすると訴える。母と兄与次郎は泪をこらえ二人を落ち延びさせる覚悟をし、ささやかな祝いに猿廻しをするのであった。

住大夫さん語るこの”堀川猿廻しの段”、おしゅんの母が三味線の稽古をつける場面から始まって、もの哀しい地歌と三味線が長く続く。稽古なので、その一曲を母が教えたり一緒に奏でたりするのだが、ふと目をやると、三味線をひくお二人の手の動きやバチのリズムと全く同じく人形の手も三味線をひくではないか。廻し床まで目に入れるように少し退いて観ていると、人形と人、合わせて4人が奏でているように見えた。人形方と大夫さん達、合せるとかえっておかしくなると、元来舞台直前の通し稽古しか一緒にやらないというが、、、思わず目を疑うほど同じだった。

そしてこの作品、人形がよく動いた。生活していた。兄与次郎は、火鉢に火をおこし、湯を沸かして飯を炊き、椀に飯をよそって食事をし、箸や膳を仕舞う。布団をひいて妹を寝かせ、自分のかいまきを妹にかける。祝いに遣う猿廻しも、細かな動きに人形が生きていた。貧しい家での派手な展開のない場面だが、その動きにやさしい兄と目の悪い母の想いがよく見えていた。そういえば、文楽には演出家はいない。

いったいあの動き、誰がつけたのだろうか。

 

☆ hatakさん

mixiにメールを頂きました。

ご無沙汰をしています。お送りできるものは何もないのですが、以前頂いた『茶心の背景』を、hatakさんの傍線とともに読みました。『利休の逸話』も読み始めたところですが、『茶心の背景』からは、私が抱え続けている茶と茶の湯と茶道について、再認識させてくれるところが沢山ありました。というより、茶と茶の湯と茶道を抱え続けている私を再認識させてくれたといった方が正確です。これについてはいつか触れますが、まず、この本の中で出会った、「栄秀」という笛吹きの話を紹介させてください。maokat

 

生方貴重著『茶心の背景 和歌と仏道』を精読している。

その中に、鴨長明の『発心集』永秀法師、数寄の事というくだりが出てきて、強く惹き付けられた。

 

八幡別当頼清が遠流にて、永秀法師といふ者ありけり。家貧しくて、心すけりける。夜昼、笛を吹くより外の事なし。かしかましさにたへぬ隣り家、やうやう立ち去りて後には、人もなくなりにけれど、さらにいたまず。さこそ貧しけれど、おちぶれたるふるまひなどはせざりければ、さすがに人いやしむべき事なし。

頼清聞き、あはれみて使ひやりて、「などかは何事ものたまはせぬ。かやうに侍れば、さらぬ人だに、事にふれてさのみこそ申し承る事にて侍れ。うとくおぼすべからず。頼りあらん事は、憚らずのたまはせよ。」と言はせたりければ、「返す返す、かしこまり侍り。年ごろも申さばやと思ひながら、身のあやしさに、かつは恐れ、かつは憚りてまかり過ぎ侍るなり。深く望み申すべき事侍り。すみやかに参りて申し侍るべし。」と言ふ。

「何事にか、よしなき情けをかけて、うるさき事や言ひかけられん。」と思へど、「彼の身のほどには、いかばかりの事かあらん。」と思ひあなづりて過ぐすほどに、ある片夕暮れに出で来たれり。すなはち出で合ひて、「何事に。」など言ふ。「あさからぬ所望侍るを、思ひ給へてまかり過ぎ侍りしほどに、一日の仰せを悦びて、左右なく参りて侍る。」と言ふ。「疑ひなく、所知など望むべきなめり。」と思ひて、これを尋ぬれば、「筑紫に御領多く侍れば、漢竹の笛の、事よろしく侍らん一つ召して賜らん。これ、身にとりてきはまれる望みにて侍れど、あやしの身には得がたき物にて、年ごろえまうけ侍らず。」と言ふ。

 

清貧の笛吹き栄秀は、親戚のお金持ち八幡別当頼清に「なにか望みのものはないですか?」と聞かれる。領地でも寄こせと言われたらどうしようと動揺している頼清に栄秀は「御領地の九州の竹で作った笛を一つ」だけ所望する。

この後笛をもらった栄秀は、頼清に食べ物をもらってそれがある間は楽人を呼んで合奏し、それがなくなると一人で笛を吹いて、明かし暮らした。

この項は、

 

後には、笛の功積もりて、並びなき上手に成りけり。かやうならん心は、何に付けてかは深き罪も侍らん。

 

栄秀が笛の名手になり、「このような心は深い罪を犯すことがあるだろうか」

つまり、一藝に没入する心は、滅罪をもたらして、仏道成就の機縁になると、鴨長明によって結ばれている。

鴨長明のコメントはともかく、私は笛三昧の栄秀にとても惹かれる。さらにいえば、かくありたい、と思っている。

 

* 題などもつけ、「e-文藝館=湖(umi)」のために、ぜひ筆者述懐の「懐」をもうすこし寛げ、長明の和文ももう一段読み込んでその妙機をいまの読者に興味深く伝えて下さると嬉しい。長明という人物が多く心にものをためていた。その胸懐をもあえて押し開いてみて、ここにある「罪」一字が、いわゆる狂言綺語 転じて転法輪の種となる式の決まり文句に落としていたかどうかも按じつつ、「かくありたい」の「斯く」の心境を伝達してくださると嬉しい。興味がある。

2008 9・14 84

 

 

 

☆ 外に出たいような…  2008年09月14日13:59  昴

今日は雨が降ったり、止んだり。

父や兄は、草刈が思うようにできなくて大変。

そんな人間なんかお構いなし、というように空は今、きれいな水色。

窓外を見ると、ななかまどの実がなっているのが見える。

緑はまだまだ多いけど、コスモスが咲いたりして、秋が来ている。

 

* リハビリがいい効果を積み上げてくれますように。昴、元気をうしなわず、心に太陽を。

2008 9・14 84

 

 

 

☆ 恐縮しつつ・・・   馨

ありがとうございます。

ミクシィで書いていたものらしく軽くまとめて下さったお心遣いに深く感謝申し上げます。

「あんぶん」「いーよ」を先生のHPでご紹介下さった時に「ぜーんぶ、いいよ」とコメントして下さいましたが、あれを読んで「ふらの」さんが「たまらず」私のミクシィを訪ねて下さいました。

たった数文字で書いた私まで目頭が熱くなるような言葉の力。秦先生だな、と。

「書く」ということの強さと怖さを考えつつ、向き合っていきたいと思います。

 

* 一夏のママさんの、こもごもお子さん達との日々を、「ざっと・オーライ」と勝手に題をつけて十編、「e-文藝館=湖(umi)」随感随想の欄に入れた。散漫に陥らない、求心力のある散文の魅力が、「ざっと(ふうわりと)」纏まって活きたのではないか。マイミクさんから早速の収穫を喜んでいる。井川さんには、本舞台の研究生活があり、そこからの興味深い余話にも期待している。

東工大卒業生諸君は社会に出て十数年、さまざまな「人生」を貯蓄しているだろう。飾り気や気張りのない胸にゆとりの大人のアイサツが届いてくれますように。

2008 9・15 84

 

 

 

☆ 湖、お元気ですか。  珠

珠は、忙しいをよいことに時を過ごしています。

久しぶりに文楽にでかけてみて、mixiにも書くことができました。

日々は淡々として、色つけて言葉にするには無理があるようです。

舞台やコンサートは、行きたいとか行けるかよりも、砂がこぼれるように何もなく過ぎてゆく日々に色の付いた石を転がすように、ひとまず予定しておくものだなぁと思うようになりました。誰と行こうか、行ってみようかなど量っていると、何もできなくなりますね。

思ったら予約、、くらいでないと、私の日常生活は干からびて過ぎてゆくように思いますが、またそれも静かでいいとも。。

今はとにかく、時間を過ごすことを第一に、しています。

mixiに書いた文楽の感想に、お声をかけて頂き驚きました。考えてみます。どうぞよろしくお願いします。

先ほどmixiに書いたのですが、「リレーフォーライフ」というプロジェクトに参加してきました。

私の勝手な思いで、夜のミレナリオに「やす香さん」を偲んだ袋を作り、点灯しました。

湖のお書きになったものから察して、やす香さんは大きな団体や集団で社会に働きかけるような仕事を目指していたように思います。今日のようなプロジェクトを見るにつけ、様々な人のいる大きな集団に働きかけてゆくには、特殊な力を必要とすると感じ、彼女がサバイバーだったらきっと自分にできる何かをと思って動いたのではないかと思いました。

私など、対少人数はやれますが、大人数は苦手です。

1000もの灯が、自分の家族だけでなく、生きて闘う多くの人への想いと願いでそこに輝いていました。あの灯を見て、残された人が痛みを抱えても、なお強く優しく生きてほしいと、祈りました。生きてる間だけですからね。

秋めいた涼しい風、秋は苦手。長い本に没頭しようかと思います。

涼しくなってきました。くれぐれも、湖、大事にしてください。

お気をつけて。どうぞ、お大事に。湖。

 

☆ 「リレーフォーライフ」@新横浜  2008年09月15日19:40    珠

昨日13時開始、今日13時まで。新横浜にある日産マリノスのグランドで「リレーフォーライフ」が開催され、私は昨日昼~夜中まで参加してきた。

これは、がん患者を支援するプロジェクトで、研究資金を集めたり患者団体の交流をベースに、サバイバーと呼ぶがん闘病中の人を勇気づけ、また亡くした人を偲ぶというもの。

もう20年も前、アメリカでシアトルの医師が24時間得意なランニング゛をして友人達に寄付を頼んだことに始まって、すでに世界規模で行われている。アメリカでは対がん協会の年間予算300億円も集めるという大規模さで、様々な医療・治療に働きかけるパワーを持っている。そのイベントがようやく日本で、がんを患う一人の患者さんが、仲間を求めて種になり、3年前つくばの地で産声をあげた。

 

大学病院でがん看護を主に勤務してきた私にとって、父を、そして伯母も伯父も喪ったこの病気は、公私共に関わりの深い病である。今も身近で、友や叔父の妻にあたる叔母が長いがんとの睨み合いを続けている。その叔母の果てしない闘いは、側から見ても時間のやり過ごしを中心に据えるしかない日々だったが、そんな叔母が目に留めたのが、「リレーフォーライフ」だった。

病院で知り合った患者仲間は減ってゆく。そのやりきれなさは、「患者である」ことに追い詰められるばかりか、「患者である」ことを隠さないと、周囲に憐れまれて生活しずらいという側面がある。それでも、生きる日々がある。気楽にお互い頑張っている話ができそうな機会かもしれないと「リレーフォーライフ」への参加を決めた叔父夫婦に声をかけられ、姪や甥など親戚多くで”つくば”の第一回目に参加した。

医学界や厚生労働省、患者団体の後援も得て、「歩く」という単純な事の傍らで、様々なリラクゼーションや勉強会、コンサートなども行われる。親戚一同、田舎のピクニック気分で盛り上がり、Tシャツまで作って楽しく温かい交歓の時を過ごした。

昨年は神戸で開催された第2回に妹家族が叔父夫婦について参加してきた。そして今年、叔父夫婦の地元新横浜での第3回目に再び親戚一同で参加となった。

 

サバイバーと呼ぶがん克服&闘病中の人々の行進に始まり、後は皆それぞれのペースで400mの競技場をテクテク歩く。周回数もペースも全く気にせずに、ただ歩けばいい。多くのボランティアさんが、水を配ったり案内やリラクゼーションの場を提供したりしてくれる。我親戚チームの登録名は「チーム・和」。叔父夫婦の名前には「和」がそれぞれあって、そこから名づけたもの。テントで休みながら交代で歩き、お互いの近況などを話す。祖母が生きていた時は、お盆に田舎で寄り集まったと同じよう。暑さもほどほど、時折吹く風を感じながら歩くのは気持ちいい。叔母はあちこちで顔を知った人に逢うらしく、「元気?! あぁうれしい」と声をかけあっていた。

 

子供たちのお気に入りは”乳がんチェック体験コーナー”、、乳房そっくりに作った自己チェックの模型を最初は気恥ずかしそうに「えー触っていいの??」と言っていたが、おずおずと手で触れ始めると夢中。。しこりを見つけては「あっこれだ!」と真剣な表情に。サバイバーの方に「お母さんのおっぱい、触ってみてあげてね」と言われて大きく頷いていた。それぞれパパ゜を連れてきて、「こうやって触るんだよ」と得意気に教えていた。妹は食事中、走って戻った息子に「おっぱい触ってきたよ!」と大きな声で言われて噴出しそうになっていた。

 

教育に優る治療はない。健康は、こうして気遣って実践して守りあうものだなぁとしみじみ思う。生きることの根本的なサポートを考えさせられる。こういう場所では、「自分は看護師。でも、だから何なの?」という気がする。皆それぞれだ。つよく(ありたく)、確かに(願って)、毎日出来ることをする。ちゃんと生きる。それが最低限で、最高。今・此処、だ。

 

夕刻、とろりとした色の朧月に目を向けながら、”ミレナリオ”点灯。防水した袋を購入し、想う人の名前や気持ちなど書く。水に浮かべた蝋燭を袋に入れて、トラック周囲に並べた。いのちの灯を月も見てるだろうか。予報の雨は降らずに、満月が高く高く昇ってゆく。

初回のミレナリオで、歩きながらこの袋に書かれた一言一言を読んで、泣かずにいられなかった。皆ぽろぽろ落涙しながら、歩いた。喪った想いをもつ人が、こんなにいる、、灯が沁みる。今は小学生になって字を読めるようになった甥が、声にだして読んでゆく。姪とは一つづつ、袋を数えて歩いた。

生きてることは、そちら側とこちら側程度かもしれない。だからこそ、こちら側にいる人は、その痛みを分かち合えるようでありたいと、想う。

 

来年のことは誰にも分からない。それでも、叔母夫婦は来年の「リレーフォーライフ」を心に願い、また日々を過ごす。一歩、一歩、毎日、毎日。ありがたい目標。

 

* ありがとう。

2008 9・15 84

 

 

☆ 顔  ボストン 雄

・ 最近の日本のニュースを見ていても,暗い気持ちになることが多い.特に事故米の件には怒りをおぼえる.中国の毒入り餃子のことをとやかく言えないほど,日本は堕ちてしまったのだろうか.太田農水相は「メタミドホスの混入量は中国の冷凍餃子の60万分の1だ」などと言っていたが,なんて馬鹿な人だろうと呆れてしまう.量の問題では無いだろうに.

・ 総裁選も一体何のためのパフォーマンスなのか,僕には理解できない.今更政策論争をして何になるのだろうか.自民党が一枚岩ではないことをアピールしているだけなのか.

そもそも今回の総裁選挙は自民党の,しかもごく一部を対象としたものに過ぎない.政策をアピールしたところで,誰に訴えかけることになるのか.今やっているパフォーマンスは,全て解散後の選挙のためなのだろうなと思うと,大いに鼻白む.

個人的には,色々と政策論争を聞いている限りでは,与謝野さんが一番マシなような気がする.消費税増税を明言しているのは彼位ではないか.麻生さんもいずれは消費税をアップしなくてはならないと言っているが,何時からなのかを明言していないし,それはただ単に国民に言いづらいことを後延ばしにしているだけのようにも見える.いずれやらざるを得ないのならば,あえて嫌なことも話す人の方が僕には信頼できる.ただ現在70歳で,既に癌を患っていることを考えると,健康面での不安はあるかもしれない.

後の人たちの様々な政策のことをここで書き並べるつもりはない.しかし,今回の総裁選の面子を見ていて,リンカーンの「人は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだ」という言葉を思い出した.

全く主観的で個人的な意見だが,今回の総裁選の立候補者達の顔は,与謝野さんを除くと,どれも僕は好きになれない.石原伸晃は世間的には爽やかなイメージなのかもしれないが,どうも口先ばかりという印象で,裏づけとなる人間的な厚みが全く感じられない.何でこんなに軽薄な印象を受けるのだろうと思ったが,もともとテレビ局の局員だったと聞いてなるほどなと思った.

石破氏はしゃべり方も風貌もなんとなく不気味な印象を受ける.

しかし中でも小池百合子に対し,僕は最も嫌な印象を受ける.この人は一体今まで何をして,ここまでのし上がってきたのだろうか.この人が成し遂げた政策を僕は全く知らない.世間的には美人なのかもしれないが,なんだか人間的な嫌らしさを強く感じる.

幼い頃に初めて聞いたとき,リンカーンという人は嫌なことを言う人だと思ったが,この歳になってくると,この言葉は名言だったのだなあと思う.顔の作り云々とは別に,その人の風貌に生き方は現れてくるのだなと,最近改めて感じる.

他人の顔のことばかり,あれこれと勝手なことを書いてきたが,ならば自分はどうなのか? 残念ながら,僕は自分の顔が嫌いだ.40歳になるまでに,少しでもマシになれば良いのだが.

 

* ヒヤヒヤ。

 

 

* 明治大正の演説会では、こんな声が上がった。「静聴静聴」というぐらいの「聞け聴け」だろう、子供心には冷や冷やに読めて当惑した。候補の五人とも、観れど聴けど薄く、「雄」クンのいうとおり与謝野馨だけが大人の声音で渋く喋っている。個人的には彼が持論の消費税上げは痛いが。

「mixi」のコメントを観ると、石原伸晃と彼の一族に手厳しい声が集まっている。もっともだと思う。軽い。

2008 9・16 84

 

 

☆ 秋雨  2008年09月16日11:36    馨

今年は十五夜からずっとお天気がぐずぐず。

十三夜から毎晩月を見ては十五夜を楽しみにしていた娘が、かなりがっかりしているので、「明日の十六夜もきれいだよ」と慰めたのですが、昨夜も雲が多く。

がっかりしながらも、それとは別と、しっかりお祭りに出かけ、帰ってきたあとに、花火までして夜を楽しんでいた娘です。

今年は十五夜が早くてススキの穂があまり出ていなかったのですが、数日前からお散歩の度にあちこち見て探しておいて、日曜日に娘と取りに出かけました。

何年かに一度、こういう早い十五夜が来ますね。

夕方、ご近所のお友達と薄暗くなるまで遊んでいる娘に、「お団子を作るよー」と声をかけると、そのお友達も、「うちも買って来たー」。

その後、そのお友達はススキ探しをしていたとのことで、娘がちょっと得意げに昼間に取りに行った場所に案内したそう。

今までご近所にお月見仲間はいなかったので、ちょっと嬉しい。来年からは一緒にススキを取りにいったら、と早くも手抜きを考えている母です。

十五夜は年によってずれるのでススキの穂の出方に振り回されますが、15日前後の八幡様のお祭りに雨が降って肌寒くなるのは毎年のこと。鎌倉では八幡様のお祭りと一緒に秋が来る、と言われていますが、本当にそう。あ、でも去年のお祭りは珍しく暑かったかな。

お囃子をやっていたお友達やママ達、今年もおつかれさまでした。

そして今日も秋雨。

二歳の息子が、玄関を出て頑として動かないので何事かと思ったら、「アサ! アサ!!」。

傘をさしたいのだそうです。

君の傘もそろそろ用意しようかね。

 

* こういう母子の日々が、日本のいたるところで、いつまでも続いて欲しい。

 

☆ リーマン・ブラザーズ  2008年09月16日13:29   ボストン 雄

リーマン・ブラザーズの倒産,前々から言われてはいたものの,改めて実際に起こるとやはりショッキングではある.メリルリンチはバンク・オブ・アメリカが買収するようだが,これとて共倒れなんてことにならないだろうかと不安になる.

一晩でドルが大幅に安くなったのも,この倒産の重大さを反映しているだろう.

大丈夫なんだろうか,アメリカ.

いや,問題はアメリカだけにとどまらないだろう.日本も含め,全世界的に更なる不況へと追い込まれるのかもしれない.

こういう場合,今の身分で自分を守るにはどうしたら良いのか,僕には想像もつかない.

 

* 肌寒くなる。正直、どうなるんだろうと思う。観ていてやるぞと思う。

2008 9・16 84

 

 

* 次の「雄」クンのハーバード レポートはすばらしい。わたしは、こういう話題も大好き。内容とは少しも触れあわないわたしだが、この「世界」自体は無縁でない。何かわたしの関心と価値的に深く触れあうものがある。有り難い刺戟がある。政局だの金融破綻だのとはちがう。「馨」さんのコメントも「雄」くんのコメントも合わせて喜んで読む。こういう「お裾分け」を黙って「秦さん」に許してくれるのが、有り難い。

 

☆ lecture   2008年09月17日11: 30  ハーバード 雄

・ 今日から週に2度,ボスが学部生向けに光学顕微鏡に関する講義をする.以前から受講したいと思っていたが,隔年の講義なので,去年は受講できなかった.

今や講義はパワーポイントが一般的らしい.僕が大学生の頃はパワーポイントなんて無かったので,チョークとOHPが一般的だった.カラーのOHPは高いんだ,などといって白黒しか使わない先生も多かった.隔世の感がある.

それどころではない.今回の講義はメディカルエリアにも同時中継されていた.ケンブリッジの教室にいるボスとパワーポイントの映像が,メディカルエリアの教室に,音声と共に送られる.

同時に,メディカルエリアの教室の様子が音声と共に,ケンブリッジの教室の,教壇下のモニターに映し出されている.これにより,メディカルエリアの教室の参加者も,自由に質問することができるし,ボスは誰が質問しているのかといったことや,メディカルエリアの教室の様子を見ながら講義を進めることができるという訳だ.このモニターはボスにしか見えないので,我々には物音しか聞こえない.どこからともなく音が聞こえるので,ちょっと異様ではある.

・ 講義の内容だが,本当に素晴らしかった.光学の初歩の初歩から,丁寧に説明してくれる.数式は全く出てこず,直感に基づいていて理解しやすい.と同時に,初歩の初歩でありながら,顕微鏡を理解する上で非常に重要だと思われる箇所を,的確にチョイスして話してくれているのだということが分かる.今日の講義の内容そのものは知っていたことばかりだったが,それでも感動した.

今にして思えば,どうして光学に関する講義が僕の大学では無かったのだろう.多くの研究室で顕微鏡を使うはずなのに,誰もそんな講義をしようとしない.しようとしない,というより,できなかったのだろう.ほとんどの教授は,教科書に載っているような事実の羅列ばかりでごまかしていたし,それすらままならない教授さえいた.「1時間の講義に10時間は準備しているんですけどね」などと言い訳ばかりしていたが,10時間も用意してあれでは,よほど能力がないのではないかとさえ思う.

・ ただ,今になって受講するからこそ,有難みが分かるとも言える.

実際に顕微鏡をいじって,綺麗な写真を撮るのに苦労している今だからこそ,そして自分自身でも教科書を読んではみるものの,なかなか持続して勉強するのは難しいなあと思っているからこそ,有難く感じるのだろう.

実際,僕の前に座っていた学部生の女の子は,パソコンを開いてメールを書きながら聞いていて,真剣に聞いているといった様子ではなかった.しかし,さすがハーバードの大学生というべきか,誰も私語をする者はいなかったし,ましてや携帯が鳴るなどということは無かった.

僕が大学生の頃は携帯電話などなかったので分からないが,今はどうなのだろう.携帯を消し忘れる学生は多いのではないか.ひどいのになると,そのまま電話でしゃべりだしかねない.

・ 講義はこれから毎週火曜日と木曜日の午前11時半から午後1時まで続くことになる.これだけ受講したら,ずいぶん勉強になるだろう.

講義の後,ハーバードスクエアに行く用があったので,ついでに久しぶりにBertucci’sで遅い昼食を摂り,ラボに戻って実験再開.

 

<<前の日記へコメントを書く

馨   2008年09月17日 12:53

そういえば光学って、あまり習わなかったかも。マジメに物理学を受講していたら多少は入っていたのかもしれませんが。

光学に限らず、実際に自分が研究を始めてから初めて有り難みがわかる分野って多いですよね。

よい講義だと、本を読むよりずっと濃縮して脳ミソにしみ込む気がします。

そういえば職場で半ば強制的に、有機溶媒取扱主任の講習を受けにいきましたが、学部の頃に聞いていてもただのカタカナの羅列でしかなかっただろう有機溶媒各種が、具体的にイメージされて受講できました。この状態だからこそ、頭に定着するんですよねー。

学部学生にとって猫に小判の授業も多いのかもしれないですね。

 

雄   2008年09月17日 13:30

大学に入ってからの教養課程でも,物理学は力学と電磁気学しかなかったですねえ.おまけに力学の最初の講義で,教授が「生命科学に物理は要らないから」なんて言ったので,大いに落胆しました.生物物理学というれっきとした学問があるというのに,不勉強極まりないです.こういう人は物性論とか素粒子くらいしか物理学じゃないと思ってるんでしょうね.

大学に入る前も,光学は虐げられた分野ですよね.みんな力学や電磁気学は気合を入れて勉強しますが,光学はとらえどころがなかったように思います.今思えば,光学は色々な実験を取り入れることで,物理学の中でも特に面白く感じられる分野だったと思うのですけどね.

今にして思えば,大学時代に「ファインマン物理学」の「光学」でも読んでおけばよかったです.

僕はへそ曲がりなので,大学に入って周囲が勉強しなくなってから,割と真面目に勉強しました.物理化学の講義が分かりにくかったので,教科書を何度も読み返した記憶があります.おかげで蛍光の原理などを理解する上で,今になって役に立ってます.

 

☆ 書かずにはいられない…  2008年09月17日11:24   馨

朝、娘が学校へ出かけると、我が家の一日が始まります。

林真理子さんが森下祥子さんの言葉としてエッセイの中で紹介していた言葉。

練習を一日怠けると自分にわかります。

練習を二日怠けるとパートナーにわかります。

練習を三日怠けるとお客さまにわかります。

本日の我が家はパートナー(ダンナ)に掃除をしていないことがわかる段階。

というわけで、早速掃除機がけ。

息子はちょこちょこと遊んでいるのでその隙にかけてしまえー!

が、ここでご近所のおうちから子どもの泣く声が…。

「あ!エンエン!!」と叫んで、二階で寝ているベビーのところへダッシュする息子。

ちがうよー、うちじゃないよー、よけいなことしないでよー、と心の中で叫ぶも、とりあえず掃除機を少しでも進めておきたい私は二階には行かず。

と、せっかく寝ていたはずの三番目クン、兄貴に襲われてやっぱり泣き始めました。

はぁ~・・・。

取り急ぎ、家中の掃除が終わったらね。

 

途中、娘が昨日学校へ持っていった水筒を出し忘れているのを見つけて台所へ。

でも、台所へ入る頃にはベビーの泣き声は終了。切り替えの早い赤ん坊で助かります。

水筒やお鍋を洗い始めようとすると、息子が二階から「ウンチ、でた!」。

はー・・・。

台所片付けを中断して二階へ。連れて来てオムツを替えようとすると、おや・・・髪の毛が散らばる、散らばる。

もしかして

「髪の毛チョキチョキした?」

「チョキチョキ」

「したの?」

「しタ!」

あーーー・・・言葉にならない。掃除機をかけたばっかりの家中に息子の細い髪がぽそぽそ散らばっています。ソファの上にまで。

そんなにチョキチョキ好きなら、毎回髪の毛を切るたびに大泣きしないでほしいゾ、まったく。

つい一昨日、パパさんに取り押さえてもらって超特急で切ったので、息子の髪型はいまいちジャキジャキ。さらにそれをジャギジャギにしてくれたわけネ。

とりあえずオムツを替え、掃除機をかけ直し・・・と、そこに外へ遊びに行っていた猫が登場。

雨上がりの土の上を歩いて帰って来た猫です、はい。歩いた通りに猫の足形模様が・・・。

息子は干しておいた傘を振り回して遊んでます。

もう一度雑巾がけをし直し、ようやくチビちゃんを抱き上げて授乳タイム。落ち着いたところで、洗濯物干しへ。

干している間に泣き出すベビー。洗濯物を干し終わって様子を見ると今度はこちらがウンチ。

その横で今度は二番目クンが「チー、出タ!」

 

世のお母様方、本当にエラいです。尊敬します。

三人いるから大変なのか、二歳違いだから大変なのか、もしかしてウチの二番目だけがとびぬけて大変なのか(あまりそう考えたくないけど)、よくわかりませんが、猛烈社員とまでは言わないけど、普通の社会人仕事なんかよりよっぽど大変。

なにしろ段取りができない上に、一仕事を終えたと思ってもまた同じことがすぐに起きる…(このまえ、二人で一日三回ずつウンチしてくれた日もありました)。

私にはなかなかまっとうできない母親業。ちゃんとやっているママ達、本当にエラいです。

でも、障害者の痛みを健常者は理解はできても実感できないのと同様に、子育てしてない人には、この大変さへの協力を強要はできないんだろうなー。

少なくとも逆の立場だったら私には想像もできないだろうと思います。だって、今の現実、ここまでとは自分でも予想していなかったくらいですから。世の中ってこうやって意図せずして棲み分けが進んでしまうものなのかもしれないですね。

今も電車をつないでは外し、のエンドレス作業に延々付き合わされている母親です。

 

* 「馨」さんも、よく登場してもらう「悠」さんも、母で、妻で、最前線の理系研究職。だからどうだとは言わないけれど、頼もしくも嬉しくも、ある。みな、わたしの娘や息子よりずっと若い。

2008 9・17 84

 

 

* マイミクさんから「『飛騨匠物語』試論」と題した興味深い論考が届いて、じっくり読んで、初出データなどをもとめかたかだ感想も送った。

この原作はなかなかあれこれの原拠めくものを巧みにとも厚かましくとも大胆にとも自在にとも利用し活用して、好読本に仕立てている。

むかしの読本作者は、上田秋成もそうだが、和漢の材料によく通じていて、或る意味では今日の学者が「後追い」するのに恰好の運動場を提供している。

この論文に、原作そのままでも、現代語訳ででもいい、付録としてついていると嬉しいがナアと思った。

マイミクではないのだが、妻の親友がミクシイに日記を書いている。この人は「能」にはまりこんでいる。そのうちに能について書いた文章を数編纏めてもらいたいが。まだ、能の梗概に添った「知識」を大切に、楽しんでいるようだ。もう少しして、能を通して自身の人生が文章に関わってくるようになると、がぜん別の深みが出てくるだろうと楽しみに待っている。

2008 9・17 84

 

 

* メールはなかったが、マイミクさん達の日記が並んでいた。読んでいって、胸におさまるものだけ一太郎に取り込んでおく。そこから、更に選んで此処へ頂戴する。どうしても頂戴して差し支えない(と、黙認して貰っている)人のものを主に読む。それが楽しみなのだから。

書き手の独自の思いが、揺れは揺れていても自身の表現で完うされている文章を残す。ふわふわとナミの言葉はつらねてあっても、その人の発明といえる述懐や表現でないものは、また具体的でない感想は、つまりその人でなければ出て来ない記事、読んでいる自分には興味があっても体験はできない記事、以外は、流し読みにしている。

 

☆ 時間勝負  ハーバード 雄

・ 午後からボスとディスカッション.前のラボミーティングで,顕微鏡の画像をより綺麗に撮るためのアドバイスをもらうことになっていたが,延ばし延ばしになっていた.

今までに獲った画像を見ながら,色々アドバイスしてもらった.本当にタメになる助言や示唆ばかりで嬉しくなる.

・ 夜8時から,今日もovernightで顕微鏡の予約を入れてあった.ところが僕の前に顕微鏡を予約していたヒャーノが,もっと早く終わることになったというので,夕方5時から使わせてもらう.

取り込む画像が膨大なので,全部獲り終えるまでに13時間かかる.

早めに顕微鏡を使い始めることができて良かった.顕微鏡のセッティングをして,8時前には切り上げることが出来た.

良かった.疲れた。食事を作る余力もないので,レトルトのカレーであっさりと済ませる.

2008 9・18 84

 

 

☆ nanoからPeteまで  2008年09月19日10:36  ハーバード 雄

・昨日はあんなに疲れていたのに,夕飯を食べてから目が冴えてしまい,全く寝付けなかった.結局寝付いたのは朝4時半.昨日から顕微鏡を動かし続けているので,朝8時にラボへ.もう動かし始めてから12時間以上経っているが,未だにスキャンし続けていた.

・ 今日も火曜日に引き続き光学の講義.今日はパワーポイントファイルのプリントアウトが置いていなかった.これからは必要に応じて,各自がハーバードのウェブサイトからダウンロードするらしい.僕はどのサイトからダウンロードできるのかさえ知らなかった.

講義が終わり,ティーチングアシスタントをしているジュからサイトを教えてもらい,プリントアウトしていると,ちょうどボスがプリンターのところにやってきた.「内容,分かった?」と聞くので,「非常に勉強になります」と言うと,「いやいや」と照れていた.

勿論内容は知っていることばかりなのだけれど,自分のやっていることと照らし合わせて勉強することで,理解が一層深まるので,それが嬉しい.それに,こういう上手な講義のお手本を見ておくと,将来自分が講義をする立場になった際,良いと思った点を取り入れることができるだろう.そう伝えると,ボスは満足げだった.

・ 午前から昼過ぎにかけて実験と講義で忙しかったが,その後は余裕が出たので,少し足を延ばしてポーターエクスチェンジモールまで歩いた.ここ数日, Cafe Mamiのハンバーグが食べたかったのだが,あいにく店は閉まっていた.いつも,この時間は開いているはずなのに.

仕方なく,同じモール内の一兆でハンバーグ定食を食べたが,やはり満足度は大分違う.

・ ラボに戻ってからは,昨晩の睡眠不足と,昼までの忙しさも手伝って,睡魔との闘いだった.昨日から今日にかけて撮影してきた画像をパソコンで確認する.この一晩だけで,取った画像の容量は10ギガバイトにまで達していた.この分では,パソコンのハードディスクを食いつぶすのも時間の問題だろう.

うちのラボのネットワークにつながっているディスクは11テラバイト(terabyte;TB)もの容量を誇るが,これとて皆が利用すれば食いつぶされるのは目に見えている.一応,ことあるごとにDVDに焼いて保存しているので,パソコンが壊れてデータを紛失するということはないだろうが,それでも不安ではある.

いまやサイエンスはゲノムサイエンスを初めとして情報が山積みとなっている.網羅的解析が色々な分野で可能となり,そうして得られたデータがパソコンに保存されるようになったことで,今やテラバイトでは足りず,Petebyte(1petebyte = 1024 TB)の時代に突入したのだろう.

かたや,以前から「ナノサイエンス」といった言葉で知られるように,サイエンスは極微の世界にも迫ろうとしている.いや,ナノメートル(nm, 1nm=1/1000 マイクロメートル)での解析が可能となったからこそ,逆に得られたデータはpetebyteの世界に迫ろうとしているのだろう.

どんどん世界は広がっている.その中で,人間はどのようなビジョンを持ちうるのか.膨大な情報に埋もれ,目には見えない極微の世界から,何をもって人間は「分かった」と感じるようになるのか.

月並みな疑問ではあるが,難しくもあり,興味深くもある.

 

* わたしが新任の「文学」教授として工学部研究費を支給され、大学生協で最初に買ったバソコンは、なんと黒白画面で1Gにも遙かに足らない容量だった。次ぎに買ったときは、2Gだった。それが、あれれというまに40Gになった。それとともに、いろんなことが出来るようになった。

ところで此処で「雄」くんが話している単位に関するあれこれは、説明がないとわたしなどの想像は及ばない。そういう世界があるということを一方で知りながら、農水省やら社保庁やらリーマンやら三笠フーズやらとも付き合うのであり、わたしがわかりもしない「雄」くん方面の話題にもすすんで飛びつくのは、有り難いクスリでも服するような精神の効用をおぼえているのであるらしい。

2008 9・19 84

 

 

☆ あはれをば誘うてくりやるな   香

朝顔は夏のものだと、ずつとおもつてゐた。が、さにあらず、秋のものだつたのですね。俳句で秋のものとして扱つてゐるからだけではなく、手もとで培ひ咲かせてみると、それが痛感される。

夏の間は、まさにmorning glory、大きく色あざやかな花がかゞやく。でも、花の数はさう多くない。ところが立秋過ぎてからいつぱい咲く。そして、咲く花の一輪一輪が見る見る小ぶりになつてゆく。

 

朝顔や夜はむぐらのばくち宿   去来

 

ばくちは打たないけれど,すッ堅気とも言ひかねる人間が暮してゐる陋屋,窓辺にむぐらもどきの木草などを茂らせてゐる。そこに朝顔の鉢も置いてあるのだけれど、今や、morning gloryの面影無く、ちひさな花がいくつかひらいてゐる。

こどものころ読んだ童話に,砂を振りかける魔女がゐて、その砂をかけられると、睡つてしまふ、と、いふのがあつた。

その砂が浴びてみたくて、必死に目をあけてゐるのに、いつも知らない間に睡つてしまつたものだけれど、このごろは、ほんの少ししか砂を撒いてくれないらしい。それも夜昼問はず。

夜ねむれないのも困るけれど、昼間もぼやーと靄の中にゐる感じ。コーヒー飲んだくらゐでは、靄は薄らいでくれない。降りそゝぐこまかなこまかな沙のなかにゐる──。

コンクリート長屋の軒? 通路? に置かれてゐるわが家の朝顔にも、こまかな沙は降つてゐるらしい。午後になつてもすつかり萎れきるでもなく、水気の失せたちひさな花がぼんやりしてゐる。

老い初めし小野小町か、あはれをば誘うてくりやるな。

 

☆  峠の釜飯    馨

横川の峠の釜飯。

長野新幹線が開通してからは新幹線の中でも買えるので有り難みが薄くなりましたが、子どもの頃、横川のあの限られた停車時間で窓から買う釜飯は、ほかほかなのと相まってとっても貴重な食べ物に見えました。

ここ数年、峠の釜飯の本店「おぎのや」のある横川へ仕事で行くようになり、ますます有り難みが減って、今ではおぎのや本店に入りながら釜飯を無視して親子丼を食べてたりしている私ですが、そんな私でもとても有り難がっていたのが、あの釜。

あの釜、一合炊くのにちょうどいい、と包み紙に書いてあり、半信半疑で試したところ、確かにきっかり一合がきれいに炊きあがるんです。

我が家のお釜は五合釜なので、娘一人だけのお弁当を作るときや、私のお昼ご飯にご飯をちょこっと炊きたい時に、とても重宝。

もっとも蓋は水平に載せてあるだけなので、中のお水が沸騰する瞬間に炊きこぼしが結構出るため、沸騰しかけたらすぐに火を弱められるよう見張っている必要はあるのですが、五合炊きのお釜で一合炊く時におこげが出来てしまうリスクを考えれば、ずっとラクチン。

かれこれ3-4年、愛用していました。

が、ついに釜の底が抜けました。

「お釜底抜け行かれない♪」という花いちもんめの台詞って、現実なんだわ、と実感。

少しずつヒビが入っていっていたのを、お米を炊いて穴を塞げてごまかしごまかし、していたのですが、ある日持ち上げたら、すこん、と底が抜けました。

ずいぶん使い込んでいたので本当に残念…。

簡単な素焼きでできていて、すぐに割れるものをここまで使ったのだから悔いはないのですが、代わりのものが欲しいなぁ。

ただ、かなり重いものなので人様に持って帰ってきて、というのは申し訳ないし、しかもこれ、かなりの確率で運んでいる時にすぐに割れちゃうんですよね。学生の時に持ち帰ってきて、家に着いたら割れていたことがあります。

だいたい、おぎのやに行っても最近は釜飯食べないしなぁ、なんて考えて諦めて、通販で買いました、他のお釜を。

二重蓋になっている1.5合炊きです。

二重蓋なので見張っていなくても炊きこぼれはなし。さすがにこちらは「炊くための」お釜ですね。が、届いてみたら、体積で倍くらいありそうなくらい大きい。今までの置き場におさまらないんです。

おぎのや、釜飯の釜だけ通販で売ってくれないかしら。絶対に買うのになぁー。でも、梱包材とかで輸送コストがかかって元が取れないかな。

 

* ずいぶん御無沙汰だが「小闇」はどうしているだろう。勤務に追われているのだろうか。「黒体放射」にならぶエッセイ集がまた欲しいなあ。

ボストンの「雄」くんが「mixi」の方へ二度追うようにメッセージをくれていた。

2008 9・21 84

 

 

* そうそう昨夜おそく、また一人東工大でのもと学生君が秦教授の近くへ戻ってきてくれた。優れて文学的な佳いウエブサイトも経営している。教授室には比較的はやい時期に顔を出してくれた、一人。いまのマイミク君たちとも、専攻でいくらか繋がっているのではないか。文章の読める人がまたマイミクに加わってくれ、楽しみが増えた。書いたものが読める、「mixi」の楽しみはそれ。それだけとも言える。そこからどれだけ汲み取るかはわたしの問題。

 

☆ 登場人物の名前 ポニョ・チョコレート工場・etc…

2008年09月23日21:55  馨

最近、自分の本ばかり買っていることを反省して、先日娘に本を買いました。

「くるまの色は空の色」は、このところ少しずつ学校の音読宿題になっているのでちょうどいいかな、と。もう一冊はロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」。

まだちょっと難しいかなと思いつつも、読み始めれば内容の面白さに引き込まれて難しくても読み進んでくれないかと期待しての一冊。

そろそろ長いものを勢いで読み切るという読書もいいかな,と。

最初は「なんだか大人の本みたいだよ」と、装丁だけで尻込みしていたのですが、ページをぺらぺらめくっていきなり笑い転げる娘。

「だって、バケツだって。名前がバケツなんだよー」

あまりの掴みのよさにビックリ。

そう、あとがきに書いてありますが、この名前の訳こそ訳者の柳瀬尚樹が細心の注意を払ったもので、直訳ならチャーリー・バケット。ただ、作者は明瞭に「バケツ」の意味で命名しているので「バケツ」と意訳されています。

他にも、おブスの「イボダラーケ・ショッパー」やおデブの「ブクブトリー」など、登場人物の苦心の訳が次々と娘の心をとらえた模様。

大人になってから読んだ母は、そのあたりは素通りしてしまったヨ。

本には出会うタイミングというのがあるのだなぁ、と改めて思いました。

登場人物の名前といえば、先日入ったお店で隣のテーブルのおばさま達が、漱石好きだったらしく、ミレーのオフォーリヤがどうのこうの、明暗がどうのこうの、と話していましたが、

「ポニョの『そうすけ』は『門』から取ったのよね」という話題になり、耳がダンボになった私。

実は今日、娘の映画デビューとして「崖の上のポニョ」を見に行くことになっていたのです。

映画を見に行かれるようになった年齢で下が生まれてしまったので、中々行かれずにいたのですが、学校でみんなが見ている上に音楽でもポニョの歌を習うことになり「どうしても見たい」ということでパパさんと行ってもらいました。

行く前に主人に「『そうすけ』って『門』由来らしいよ」と言うと、「ふーん」。三四郎三部作、読んでないだろうなー、この人。

「チョコレート工場の秘密」についても、相当に熱心に読んでいるよ、とも言うと、

「ふんふん。それってチョコレート工場の中の機械の話とかじゃ…ないよね」。

・・・理系人間と結婚したなぁ、とこういう時に思います。

そういう私も「リーマンってどうして倒産したの?」「ユーロまで落ちて来たのはなぜ?」など経済ネタに関しては完全にダンナ様を辞書代わりにしているのでエラそうなこと言えないのですが。

娘は楽しそうに帰ってきて、ひとしきり映画の話しをした後、チョコレート工場を読んでいました。いい休日です。

お母さんもそういう生活したいなぁ。

 

* こういういい話は、いわゆるメールでは読めない、メールだと、個と個との通路に狭まるから。

「mixi」の日記では、ちょっした舞台での所作のようにまず自己表現されていて、それを読者(観客)は受け容れたり、読み流したり、スルーしたりしている。或る意味、この無責任な「覗きっこ」をメンバーは許容しあっている。なんにも書かない人は、つまり、読み手からすると愛想がないのである。

 

☆ 義賢最期     maokat

新橋演舞場で新秋九月大歌舞伎を観た。歌舞伎を観るのは七夕の歌舞伎座以来二年ぶりということになる。

演目は、義賢最期・竹生島遊覧・実盛物語からなる「源平布引滝」と舞踊「枕獅子」。

新橋演舞場ははじめて。スマートで綺麗だが、歌舞伎座のような華やぎはない。

見始めてからわかったのだが、帯刀先生義賢という人は、木曾義仲の父にあたる人だ。その義賢が平氏に討たれ、義仲を身籠もった葵御前は近江堅田に身を隠すが、平氏方の斉藤実盛の配慮で、平家の追っ手から逃れ、信濃の国に落ちてゆくという内容。

その落ち行く先が、信濃の国今の長野県木曽郡だったことから、義仲は「木曾」義仲といわれている。私の母は、木曽郡日義村の生まれで、この日義という村名も朝「日」将軍木曾「義」仲からとられている。母の生家は日義宿の脇本陣をつとめた古い農家で、伯父の代からは民宿を営んでいた。母の長姉も、そのすぐ近所で食堂を営み、幼いころ私は半年ばかり伯母と伯父の家に預けられていた。食堂のある伯母の家の前は中山道(国道19号線)が通っていて、道一本挟んで山側には林昌寺という古い禅寺があった。この寺は母方の菩提寺で、私の祖母も九十で亡くなると、この寺で葬儀を行って墓所に納まった。林昌寺は、義仲を匿って養育した中原兼遠が建立した寺だ。また、ほど近い所には、義仲が平家討伐の旗揚げをし、館跡もあったという旗揚八幡宮や、義仲の墓所のある徳音寺などがあって、ともかく母方の里は義仲一色になっている。そのせいか知らないが、民宿の伯父は隠居した後、『木曾義仲』という本を書き、木曽義仲史学会という団体まで作ってしまった。その下の伯父は九品仏で絵描きをしているが、洋画で源平の合戦を描いて、やはり義仲にかかわった仕事をしている。母も含めて母方の兄妹はものを書くことが好きなのだ。

一方父の生家は、隣町の木曽福島で薬屋を営んでいたが、名字が珍しいために、容易に家系が辿れ、元は甲賀の修験者で薬を阿波まで売りにいっていた一族らしい。木曽といえば薬草と御嶽修験道で有名なところだから、父の先祖はそのつながりで、木曽に流れ着いたようだ。父方の家系は皆短命で、父も叔父も四十代で病死した。その叔父さんも生前、子供の頃父達と遊んだ想い出などを本にして上梓し、そのうちの一冊が実家に残されている。

偶然観た歌舞伎が義賢最期であったため、普段は思いもしない生まれ故郷を思い出した。木曽は山また山の辺境にして、主産業の山林業も漆工芸も、荒れ放題でもはや消えゆくのも時間の問題だ。生まれてから十一年間を過ごしたが良い想い出はない。それでも、木曽にゆかりのものを見れば、楽しいことのなかった幼少時を思い出し、こうして夜中に文字を書き込んでいる。考えようによっては、合わさった両親の形質が私をして書かせているともいえる。

話を戻すが、葵御前が隠れ住んでいたのは近江の堅田。堅田といえば、一休宗純が、師、華叟宗曇の元で修行をした場所だ。華叟宗曇という人の偏屈で筋の通った生き方は、思春期の私に少なからぬ影響を与えている。長じた義仲が討ち死にしたのも近江。墓所は大津の義仲寺に芭蕉の墓と並んでいる。その大津から東海道を伊勢に向かえば、父の縁の甲賀に至る。

木曽と近江は、私の中でも妙な具合に繋がっている。その繋がりは、俳諧と平家物語への道筋かも知れない。あるいは、その繋がりが、私にものを書かせているのかも知れない。

 

* こういう「自分史」ふうの述懐もメールでは書けないが、ニックネームでの「mixi」では書ける。おもしろくも、きまじめにも、書ける。心知った友であっても、こうはなかなかふだんは聴けない、それが「mixi」だと聴けるのである。わたしはよろこんで、この一文を「e-文藝館=湖(umi)」の「自分史」に頂戴する。

ただ、一つ欲をいえば、思春期少年の昔に、偏屈の「華叟」和尚から受けた「少なからぬ影響」ないし感化に触れて、少しでもいい、具体的に印象に残る書き添えてあるともっといい。それを書き添えておくと、この一文、またもっと別方向へ展開する「序章」に成ってくれる。 maokatさん、いかが。

 

☆ バリアフリー,チョコレートと電磁波  ハーバード 雄

・ 今朝は週一度のプログレスレポート.担当は大学院生のライアン.昨晩,なぜかなかなか寝付けず,睡眠不足のまま慌ててラボに来た.睡眠が足りないと,英語の理解力がテキメンに低下する.おかげで今日のライアンのトークはさっぱり分からなかったし,それに対する質問,ジョークも殆ど理解できなかった.我ながら情けない.引き続いて行われた,ボスの光学の講義も,そんなわけで今日は消化不良だった.もったいないが,どうしようもない.

・ 今日の講義の際に驚いたこと.最前列に座っていた男子学生は,どうも聴覚に障害のある人らしく,補聴器のようなものをつけていたのだが,彼の前に手話のできる職員が座り,ボスの講義を同時通訳していたのだった.しかも,時間ごとに交代することとなっているらしく,二人の職員が交互に彼の前に座っては,同時通訳をしていた.おそらく,聴覚に障害のある人は,あらかじめ申し出ることで手話の同時通訳のサービスを受けられるのだろう.

今,日本の大学で同様のサービスをしているところはあるのだろうか.僕は聞いたことも無い.考えてみれば,大学入試の英語の試験でリスニングが導入されているが,こういう時に聴覚に障害のある人に対しては,どのような措置がとられているのだろう.全く措置がとられていないとしたらひどい話だが,逆に無条件に点数を与えるとしたら逆差別にならないとも限らない.

ただ,こうした障害を持った人に対するアメリカの取り組みは素晴らしいなと,いつも思う.バスも車椅子に対応しているし,老人やベビーカーを持ったお母さんなどが乗るときには,バスの高さを自動的に下げられるような工夫がなされている.日本でも,車椅子の人が電車に乗る際に職員が対応している姿は見かけるが,まだまだ不充分な点も多いかなと思う.

・ 光は電磁波の一種であるが,同じ電磁波の仲間である電子レンジを使って簡単な実験をすることができる.電子レンジに板チョコを入れ,加熱する.すると,熱せられた箇所のみが溶ける.この溶けた箇所のうちの2点の距離を測ると,電子レンジの波長が求められるのだ.

要するに,電子レンジの中でできる電磁波というのは,ちょうど弦楽器のように,動かない場所と激しく動く場所とから成っていて,チョコが溶けた2箇所の距離というのは,ちょうど波長の半分になっている。

先週ボスは,これを自由課題として取り上げたのだが,実際に試した学生二人が,レポートをパワーポイントファイルとしてボスに提出したらしく,ボスがその内容について取り上げていた.

電子レンジで熱すると,確かに板チョコには窪みが2箇所できていて,この距離を測ると6cmだった.ということは,この電子レンジの電磁波の波長は 6cmx2=0.12m.さらに,この電子レンジの周波数は機械の取扱説明書によれば2450メガヘルツとのこと.ということで,これらを掛け算してみると,0.12x 2450,000,000(1/sec)= 294000000(m/sec)=秒速 約30万キロメートルということで,ちょうど光の速さにほぼ一致する.光の速さは光の波長と周波数とを掛け合わせた値になる(c=λν)ので,当たり前といえば当たり前だが,思いのほか良い精度で値が出るので,ちょっとびっくりした.

それにしても,こうして自由課題が出れば積極的にやる学生がいるというのは素晴らしい.もう講義は今日で3回目だったが,未だに私語をする人も現れない.さすがだなあと思う.

電子レンジでチンして,定規で測っただけじゃないかと言う人もいるだろうが,実際にやるのとやらないのとでは大きく違う.そもそも,今の(特に日本の)学生は,手を動かして何かする習慣の無い人が多いので,研究室に所属してから戸惑うことが多い.僕自身もそういう傾向があったと思う.

さすがに僕はやらなかったが,大学院生の頃,技術員の人がビーカーにアルミホイルをかぶせたまま電子レンジに入れようとしていてびっくりしたことがあった.技術員とはいえ,某国立大学の修士課程まで出ている人なので,そんなことをするとは思いもしなかった.日本だけでなく,インドなどの階級制度の厳しい国の出身だと,研究者になるような人は階級の高い人が多いので,サランラップをかぶせることさえ難しいという人も少なくないと聞いたことがある.

さすがに今回の学生は,アルミホイルをまいたままチョコレートを電子レンジにかけるようなことはしなかった.それだけでも偉い,といってしまうのは,レベル低すぎ?

2008 9・24 84

 

 

☆ 雨,困惑    ハーバード 雄

・ 昨晩は,結局12時半過ぎまでラボにいた.顕微鏡のセットをして帰宅.ここ数日,家には寝に帰るだけのような生活が続いている.しかし,嫌ではない.むしろ研究を楽しんでいる気分.

週末も,本当はゆっくり過ごすつもりだったが,日曜日に誰も予定を入れていないのが勿体無く感じられ,朝から目一杯予約を入れてしまった.土曜日はさすがにゆっくりしようと思っていたが,同僚のジュ・リュウが一緒に実験してくれないかといって,とあるテーマを提案してきた.面白そうなので,早速土曜日に試すこととなった.

土曜日は夕方からはボストン日本人研究者交流会に参加するつもりなのだが,ギリギリ間に合うかどうか不安.

・ ハリケーンの影響だろうか,ボストンは強い雨に見舞われた.やがて止むだろうと思って車は利用せず,あえてバスで出勤したのだが,時間を追うにつれて雨足はどんどん激しくなる.ランチを食べに行くにも一苦労で,結局すぐ近くの中華のケータリングで済ませたのだが,弁当を買いに行く数分の間にびしょぬれになった.

家にまともな食材が無いこともあって,帰り際,ハーバードスクエアまで歩いてLE’sへ.びしょぬれになった上,道路の水溜りを避けようとして,つま先を上げるようにして歩いていたせいか,ハーバードスクエアまで歩いただけで足が筋肉痛にでもなりそうな位,疲労してしまった.

2008 9・27 84

 

 

☆ 品格ある大人に会いたい,と子どもは思っています。  麗 北海道

もと日教組ですが,何か問題でも。・・・じゃなくて。

中山氏は,文科相時代に,中学生たちを前にして,ゆとり教育を「詫びる」というパフォーマンスを演じています。今回も,「単一民族」発言以外は,日教組攻撃の意図でなされたものでしょう。

なぜ,このような発言をしたか。

文科相時代,よほどいやなことというか,日教組がらみの教育界の暗部を知り,「許せん」と思ったのでしょう。その気持ちが,文科相でなくなった今もなお,続いているのでしょう。彼にとって,日教組は「天敵」,なのかもしれません。もちろん,彼が蛇蝎のごとく嫌うのは,日教組という組織の,病理とも言える部分であり,授業や部活,生活や進路指導に日々まい進している教師たちを同一視してはいないでしょう。多分。

そして,なぜ今発言したか。

日教組からの抗議は,彼にとっては織り込み済みです。彼の意図は,今月いっぱいの超期間限定とは言え,大臣という注目度の高い立場を用いて,自ら知ったところの,病理団体・日教組を糾弾する目的もあった,とも考えられます。マスコミは当然,大臣批判を展開するでしょうが,迫った選挙に向けて,日教組やその支持政党を「正しく」理解し,1票を有効に使用してほしい,という有権者への訴え,と見ることもできます。

他の方の日記を拝読したところ,日教組に批判的なものが大部分でした。議員辞職まで求める資格があるのか,国民の真意は選挙で問うべきだ,と。ここで,団体の品格があらわになってしまった,とも考えられます。「大臣のご発言は真摯に受け止めます」と言って,直後に,『正しく知って日教組キャンペーン』でも打てば,世論を見方にできた,やもしれませんのに。もう,遅いか。この点では,中山氏の勝ち?

以上,だいぶ中山氏に好意的だと思われるやもしれませんが,氏の意図がこの通りだったとしても,それが正しく伝わったかどうかは,疑問です。

あまりにも,言い方が舌足らずで,説得力に欠ける。自身の肝いりで実施された「学力テスト」からは,日教組の組織率とテストの成績の相関関係は,必ずしも明確でない,という結果が出た,くらいは,わきまえて語るべきだったでしょう。

そして,あらゆる意味で,周囲への配慮に欠ける。これでは,まるで私怨を晴らすために大臣の地位を利用した,自爆テロ的だ,と批判されても,反論できないでしょう。妻も息子も財務(大蔵)官僚出身の,掛け値なしに優秀な人材は,国家のために,それこそ,「火の玉」となって働いてもらわねばならなかったのに,「火だるま」になってしまった点は残念です。

大臣も日教組も,今回の発現・辞任騒動を,品格なき泥仕合として見せてしまった,言わば,大人として無責任な姿を子どもに印象付けてしまったように思われます。

それが,私には一番残念なことです。

————–

日教組 「(中山氏は)議員も辞職すべきだ」

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=620526&media_id=4

(時事通信社 – 09月28日 18:01)

中山成彬国土交通相の辞任について、日教組の岡本泰良書記長は28日、「個人的な思想を国務大臣という公人の立場で発言したことは、政治家としての資質・見識が問われることであり、国会議員も辞職すべきである。麻生首相の任命責任は極めて大きい。日教組は改めて一連の発言に対して強く抗議するとともに、発言の撤回・謝罪を強く求める」などとする談話を発表した。

 

* わたしが根本おかしいと思うのは、中山辞任大臣は、組織である「日教組」という労働組合と、その運営者である人間集団への憎悪か私怨かを、混同していること。

かりに一歩譲って日教組の指導者・顔をかりに「ぶっこわして」も、「日教組」という、法に基づいた組合の趣旨と精神とはぶっこわしてはいけない、そんなことを考えるのは、権力者の恫喝であり労働者への圧政以外の何ものでもない。

よほど自民党政権は戦後史のなかで「組合」に恐怖している。

しかし、「組合」は歴史的所産として、血と汗と涙とをつんで獲得してきた働く人たちの公に認め合った「大権利」なのである。その大切な意義を、保守自利のチンピラ政治家ほど忘れている、と言うよりも、知らないのではないか。

じつは国民もそれを忘れてしまっている。

だから政治がこうも権力拡大へばかりうごいて、国民の生活が置き去りに放置されて行くのだ。働いている人たちが、その意義と本当の力にもう一度聡明に目覚めなければ、どうにもならぬところへ日本は後退している。

2008 9・29 84

 

* 今朝の「雄」くんの長い日記は、一字一句、おもしろく読ませた。

 

☆ ピンホールカメラ  2008年10月01日11:44  ハーバード 雄

・ 朝一番にプログレスレポート.イギリスから来ているエイドリアナが最初に30分くらい話して,その後,残りの時間を使ってJCが発表するとのことだったが,エイドリアナが質問攻めにあったため,結局彼女が話しただけでお開きとなってしまった.

質問攻めになるのも無理はなくて,突っ込みどころ満載のセミナーだった.しかも,何を聞いても「それは知らない」「それはやってないから分からない」といった答えばかりで,自分がしゃべったこと以上のことを答える気が無いのではと思ってしまう.僕は(英語が聞き取れないという理由もあってかもしれないが),真剣に聞くのを早々に止めてしまい,他のことばかり考えていた.

ラボメンバー達は,お人よしなのか単なる粘着気質なのか,それでも食い下がってあれこれ質問していた.最近ラボに加わったダーウェイは,「そんなものを研究して何になるのか?」とでも言わんばかりの質問をし,タミリーに「じゃあ,貴方はこの研究に価値が無いとでも言うの?」と食い下がられていたが,エイドリアナ本人が「私も意味ないかもしれないと思っている」などというので,がっかりする.

この間の日曜日,ラボでエイドリアナに会ったので少し話したのだが,僕はどうも彼女を少し買いかぶりすぎていたらしい.土日もラボに来たり,ボストンに来てまだラボとアパートの往復しかしていないというので熱心な人だと思っていたのだが,うちのラボメンバーの労働時間の話題から,「私は学位を取った後は,1週間に4日以上は働きたくないわ」との言葉に少々驚かされた.土日を休むのは別に悪いとは思わないけれど,さすがに週の半分近くを休んでいては,仕事はそうは進まないだろう.

今日のセミナーを聞いていて,ボスが「この実験の目的としていることを本当に追究するとしたら,毎日同じマウスを手術して,時間経過を追って観察しないとダメだろうね」とコメントしたのだが,「私はできない」とエイドリアナ.ボスが,「何故?そうか!確かイギリスでは,同じ動物を2度以上手術してはいけないと,法律で禁止されているんだよね.ゴメンゴメン」と応えていた.確かにイギリスの動物愛護運動は,ちょっと度を越しているケースが少なからずあり,動物実験施設に入り込んだ運動家が研究者を射殺する事件さえ起きている.法律で実験が禁止されているのは事実なのかもしれないが,それまでの彼女の話を聞いていたせいで,皆信じていないように見えた.

この人は,学位を取って,この先どうするつもりなのだろうかと考えてしまった.もっとも学位取得者のキャリアパスは欧米では日本よりはるかに選択肢が多様なので,別に大学や研究機関に残り続ける必要はない.しかし,週の半分を働くだけで食べていける職業なんてあるんだろうか.別に他人は他人なので,人生観・価値観の違う人がいるのは当たり前だし,干渉するつもりはさらさら無いが,熱意の無い人と一緒に働くのは心地よいものではないし,わざわざエジンバラからボストンまで来て実験しているので意欲的な人だと思っていただけに,ちょっとがっかりだった.

 

・ プログレスレポートが終わってから,ヒャーノと雑談.彼は昨日ラボにいなかったのだが,この週末,ニュージャージーに用があって出かけていたらしい.

たまたま先週,ニュージャージーにあるスーパーミツワの話をして,ホームページのアドレスを知らせてあげたのだが,早速行ってきたとのこと.「あそこはいいよ.すごくクリーンだし,品揃えも素晴らしいし.是非行くべきだ」とヒャーノ.

さらに先週,ミツワのフードコートには山頭火というラーメン屋があるという話もしたのだが,早速食べたそうで,「とても美味しかった.スープがとても濃くて,ああいうラーメンは初めて食べた」と感激していた.次は是非,同じニューヨークにある「一風堂」で,とんこつラーメンにチャレンジして欲しい.

ヒャーノがふと,かばんから紙袋を取り出すと,「これ,Youにお土産だよ」といって手渡してくれた.中をみると,焼酎「よかいち」が入っていた.感激.高かっただろうに申しわけない.ありがたく頂くことにする.

ヒャーノは来年の1月に,久しぶりに韓国に里帰りするという.ついでに東京に寄りたいので,いくつか質問があるという.どうやら奥さんが僕に聞いて来いとでもいったようで,質問の書かれた紙を見ながら色々聞かれた.「銀座,東京駅近辺,渋谷,新宿,六本木,上野の中でホテルを見つけるとしたら,どこにするか」などの質問だったが,僕だったらそれらには宿は取らないだろうな.理由はマチマチだけれど.

 

・  今日もボスの光学の講義に参加.今日は,いわゆる講義スタイルではなくて,デモンストレーションなどを中心としたものだった.顕微鏡の照明に関するデモンストレーションと,偏光についての実演.やはり百聞は一見にしかず.教科書で読んで分からないことでも,こうやって実演してくれると非常に分かりやすい.

ついで,かねてから宿題となっていたものについて,学生から送られてきたパワーポイントファイルを紹介.学生は自分のスライドについては自分で説明していた.

今日までに出されていた課題は,「ピンホールカメラを作って,何か写真を撮ってくる」というもの.顕微鏡とピンホールカメラは直接関係ないのだが,レンズがなくとも小さな穴を開けただけでカメラになるというのは驚きだし,幾何光学を理解するうえではタメになる. 5人以下の班または個人で,1個のカメラを作り,それで写真を撮ってパワーポイントファイルとしてメールで送ったらしいのだが,皆,ユーモアのある出来栄えのパワーポイントで楽しめた.

何を使っても良いので,使い捨てカメラを壊してレンズを取り除いて作った人もいれば,マッチ箱や空き缶に穴を開けた人もいた.手軽にラボにあるもので済ませてしまえということで,ラボに転がっていた空き箱に注射針で穴を開け,X線フィルムに焼き付けた人もいた.中には,ラボの顕微鏡にくっついている CCDカメラを取り外して,上に穴の開いたアルミホイルをかぶせて作ったなんていう猛者もいた.素子を壊したりした日には,その学生の所属ラボのボスから,うちのボスに苦情がきそうだ.

残念ながら,多くの写真は失敗作だった.かろうじてシミのようなものがうつっているX線フィルム,何か模様のようなものが映っていると思ったらマッチ箱の中の模様だったとか,そんなものばかり.中には中々の出来栄えのものを提出している学生もいた.ピンホールカメラで撮った写真は,遠近感が無い.遠くのものも,近くのものも全てにフォーカスが合うのだ.手前にいるネコが巨大にうつったり,遠くにあるはずの電信柱までがくっきりと写っていたりして,なかなか面白い.

感心させられたのは,皆,色々と創意工夫を凝らしている点.失敗してもめげずに,どうやったらうまくいくかを考えて,色々試行錯誤した過程が見られて楽しめた.先ほど例にあげたマッチ箱の模様のついてしまった人は,中を黒く塗ってみたり,穴の大きさを厳密に比較して,どの程度の穴が一番良く写るかを調べている人もいた.

これって,まさに研究そのものだよな,と思った.やれと言われたからやりました,ではなくて,やってうまく行かなくても,あれこれ試行錯誤を重ねて改良する.皆で同じようなものを作るのではなく,少しでも人と違うカメラを作ろうとしていて,それも面白かったし,素晴らしいなあと感心させられた.

なんだかすっかり僕もピンホールカメラが欲しくなってしまった.といって,早速こんなものを買おうと思ってしまった僕は,既にキットに慣らされすぎた分子生物学者の典型で,なんだか情けない(http://www.sha-ran.co.jp/p-sharan/m-1.htm).

 

* 「生活」という二字があまりに記号に化しているけれど、「生=活」と読んでみるとわたしの好む「生彩」という二字の有無の問われているのが生活だという実感が湧く。上の「雄」くんの一文など、若い羨ましい幸福な「生活者」が、彫り込むように書いている。

 

☆ 蝋燭の炎に浮かび上がる鬼女たち   燦

能は月見から紅葉狩りへと季節が移っていく。

長野の戸隠山の鬼女伝説からなる話の「紅葉狩」を観て来た。

「時雨を急ぐ紅葉狩り」と謡い 現れ出てきた美しい貴女と侍女たち。

笛の音が響くと

紅に染まった全山が広がる。女たちが酒宴を開く。

鷹狩りに来た武将平ノ維茂一行が通りかかる。

女たちに酒宴の中に入るように勧められる。

「袂にすがり留むれば、さすが岩木にあらざれば。

心弱くも立ち帰るところは山路の菊の酒」と謡い

美しい女に「林間に酒を暖めて紅葉をたくとかや」と盃をさされる。

美酒に、妖艶な歌や舞に魅了されてしまう。

扇を手に取り眠った所作の維茂。

貴女の舞が突然急になり、塚の中に消える。妖しい風が吹くよう。

狂言方が出てきて「神慮で維茂の危急を救う」と夢の中で話し太刀を与える。

後の場面になり、紅葉の塚から鬼神が現れる。

鬼揃の小書きの演出。

侍女たちも鬼になり、総勢の立ち回り舞う姿は200本の蝋燭の炎に照らし出され、影が揺らめき、雷鳴が鳴り響き豪華絢爛。

豪華な装束の鬼女たちの華やかさに酔いしれる。

能楽堂でなく、ホールでの能ならではの演出に観客も幽玄さに豪華さに酔いしれた。

蝋燭の火入れ式も厳かで、神事のような気分ながら、幕の開く前のわくわく感で一杯になった。

「紅葉狩」の始めに祝言の「高砂」の舞い囃子。

狂言「千鳥」 仕舞「松風」「菊慈童」と能舞台のフルコース。

蝋燭能で「紅葉狩り」と分かりやすい演目だったので、能初体験の若い知人を招待した。

能の前に舞台の説明やあら筋の話などがあったので、知人も理解が深まり充分楽しんだようだ。

知人は幼稚園の園長をしていることもあり、この美しさ佳さを持つ古来の芸能を小さいときから見せてやりたいと話していた。

この公演は所沢市文化振興事業団主催で多くの市民に古典文化に触れる機会をとの目的から催された。

ホールで多くの観客を動員できて、豪華演出も可能で大成功だったのではないだろうか。

佳い舞台を観た後の帰り道は豊かな気分で遠路も暗さも気にならなかった。

 

* ていねいに観ている。熱心なフアンは、こういうふうに観て「酔いしれ」て、こういうふうに「書いて」いることが多い。「あらすじ」を含む綺麗な絵葉書の上を、滑り台に酔うように滑り降りる。それでいいのだ、藝能の楽しみは。或る程度までは。

 

* 書き手が心親しい人であると、しかし、ふと問うてみたくなる。

「で、あなたに『鬼』とは何なのですか。絵葉書のような美しさに『酔いしれ』ながら、そのときあなたの胸の奥であなたの『鬼』は何を呟いていましたか。それとも不在ですか」と。

上のような「あらすじレポート」は、それなりに参加しなかった人を魅するであろう。が、それは書いた人にも読む人にも「体験」に深まらない。「燦」さんにしても、あらすじという「知識」のレベルで「観ました経験」を一つ積んだだけで済みかねない。

もう一つ奥へ。もう一つ奥で、自分自身の生活や生彩と交叉してくる感想がぐうッと湧いてきて、そこにまた人にも我にも新たな葛藤や問題が生まれてくる、そんな「立ち向かい」。

一つ上の「雄」くんの日記がわたしを動かすのは、その「立ち向かい」が見えるから。彼は簡単には「酔いしれない」で自分と周囲とを見ている。少なくも今日の日記では。

2008 10・1 85

 

 

* 夜前、とうとう『太平記』全四十巻を読了。

はっきり言って後半は竜頭の蛇尾。しかしこういう「文飾日本語」がゆたかに創造されていた歴史的事実には感心する。滝沢馬琴が後世文飾の限りを尽くして読本を書くが、なんとなく文体がぎごちない。『太平記」のそれはホンモノの流暢を最期までうしなうことがない。流石と言っておく。

 

* 大久保房男さんの一冊は、最終の文壇ゴルフのパートだけ興味が持てなかったが、他は、襟を正すほど愛読した。お礼申し上げる。こう書いても、たぶん機械になど手も触れまい大久保さんには伝わらないんだ。このごろ手紙というのを書かないので、つい礼を欠きかねない。

2008 10・1 85

 

 

* 書いて外へ出してきた初出原稿は、コピーし、カードにもデータを記録して掲載原本ともども保存してきたけれど、コピーの類が、劣化して読み取りにくくなってきた。今のうちにスキャンして機械に入れてしまわないと難儀なことになるが、あまりに厖大な量で、茫然としている。パソコンで書いたかなりの量は機械にのこっているが、ワープロ段階の昔のものは、さてディスクすら見付けるのが容易でない。

いまも『北の時代』を岩波「世界」に連載していたちょうどその頃新聞に書いたコラム原稿をさがしたけれど、機械とはいえ「ワープロ」時代のことで、もはや簡単に探し出せない。せめてコピーを見付けたいのに三十余年も前で、整理もわるく、見つからない。

 

* 何を探していたか。当時岩波「世界」の若い編集者氏が毎月のように原稿を受け取りに家まで来ていた。原稿が無くてもよく話しに来て楽しい酒にもなった。妻はそういう来客達の接待にいつも追われていた。

そんなある日、わたしは「世界」君に、いまの日本、近未来の日本で難儀な負担になる問題は何でしょうねと尋ね、編集者氏は言下に「教育」と言い、わたしは即座に「世襲」と言った。わたしの挙げた二字一語に「人類の歴史」の重なっていたこと、ことに日本史における世襲の「重負担」が意味されていたこと言うまでもない。

以来三十年、「世襲」はいまや、わたしの憂慮していたとおり、例えば政治世界でもっともイヤな有毒瓦斯に成り、腐臭だけでない実害をもたらしている。麻生新内閣の閣僚の大半が世襲議員である。そしてそれが日本の政治の強い力どころか、どうしようもない空疎・脆弱・特権化の害毒に結びついている。小泉・安倍・福田、麻生。彼らの世襲の血はすこしも国民のタメにならない。

 

* 三十余年まえ、あのころまだ生まれてまもなかつたろう、ボストンの「雄」君が、いま、同じことを沈痛に話題にしている。

 

☆ サラブレッド  2008年10月03日09:31   ボストン 雄

・ 昨日の昼,DさんとランチにLE’sへ.フォーを食べ,店を出ようとすると雨が降って来た.急いでハーバードのCOOP書籍部に行き,本を物色する.

もう止んだかなと思って外に出てみたが,雨は却って激しく降っていた.諦めて裏口から抜け,向かいにあるハーバード関係のグッズの置いてある店舗へ.そこで僕もDさんも,「ハーバードカラー」の臙脂色の傘を選んだ.せっかく来たついでに,あれこれ見ていたが,その間にも同じことを考えてか,次々と人が入ってきては傘を購入していた.

レジに向かうと,僕の前に年老いた女性が,ひとり、買った傘の支払いをしようと、手に、白と臙脂のストライプの折り畳を握っていた.だがレジ係の初老の男性は,その人の選んだ傘には値札がついていないからダメという.同じタイプのならここにあるよと別の傘を見せるのだが,「それは臙脂色だけでしょ.私は,このストライプが気に入ったのよ.この白が入っているのじゃなくちゃ嫌よ」と主張する.渋々,レジ係はレジを離れ,傘置き場に商品を探しに行った.

やがてレジ係は所望のストライプの傘を持って戻ってきたのだが,いざ老婦人のクレジットカードを通すと,「あれ? これはダメみたいだよ」と.

「ああ,今月は病院に行ったりあれこれ使ったからだわ」と婦人は絶句.現金の持ち合わせも,他のカードも持っていないということで,傘を置いてそのまますうっと店を出ていった.

正直言って,あまりに待たされイライラしていた.しかし,いくら今月病院に行ったからといって,傘一本買えないとは...背中を小さく丸め,髪もまばらな後ろ姿を見て,なんだか気の毒で悲しくなってしまった.

言うまでもなく,アメリカは格差社会だ.この傾向はきっと永く変わらないだろうし,最近の金融破綻によるアメリカ経済の悪化は,貧困層を一層追い詰めることだろう.

・ 小泉政権が「自民党をぶっ壊す」といってあれこれやったが,結局壊れたのは弱者の生活基盤だけだった.そんな格差社会を,日本人は望んでいただろうか? 病院に行っただけで,雨が降っても傘一本買えない社会を,望んでいる人などいるだろうか?

そんな弱者に向かい,「人生いろいろ」などと無責任な言葉を吐き,自分は息子に地盤を譲ってさっさと引退する政治家を,何故高く評価している日本人が未だに多いのか.

先日,研究者交流会で後半に話していた某東大教授は,「日本はこのまま黄昏を迎えるのか,それとも痛みを伴った改革を受け入れるのか」と話していた.しかし,黄昏を迎えようと,痛みを伴った改革を進めようと,つねに痛みに晒されるのは弱者だ.そのことに,あの演者は気づいていない.いや,気づいて分かっているのかもしれないが,自分は高みの見物を決め込んでいた.

・ 昨日の深夜,日本の情報番組を観ていた.長渕剛と志穂美悦子の娘である長渕文音が今度映画デビューするそうで,その映画「三本木農業高校・馬術部」の宣伝を兼ねた特集だった.あの二人にそんな大きな子供がいたことも知らなかったし,たいそう美人だったのにも驚いたが,そんなことよりも,この映画の原作となったドキュメンタリー映像に深い感動を覚えた.長渕自身,インタビューで,

「果たしてこのドキュメンタリーを越える映画が作れただろうかと思ってしまい,役作りに悩んだ」と答えていた程だった.

(以下,内容について書いているので,映画を観る方は読まない方が良いかもしれません)

この映画は青森県の十和田市にある三本木農業高校の馬術部にいた湊香苗さんという高校生と,盲目のサラブレッド「タカラコスモス」との間の交流についてのドキュメンタリー映像を元に作られている.

タカラコスモスは中央競馬に17回出場した牝馬だが,1勝も挙げられずに中央競馬を去った.しかし,その後,乗馬として大学馬術部に引き取られ,そこで才能を開花させ,この大学を全国大会で優勝に導くほどだった.

ところが,程なくして,タカラコスモスの目に異常が現れ始める.治療を試みるも回復せず,以前からこの馬に興味を持っていた三本木農業高校の教諭により引き取られ,さらに治療に専念するが,ついに完全に失明してしまう.

湊さんは,この盲目のサラブレッドの世話を担当させられた.視力を失ったタカラコスモスは不安と苛立ちで全く人を寄せ付けなくなり,身体を拭かせることさえ拒んだ.しかし,湊さんが世話をするうちに,次第に湊さんに心を開くようになっていく.

なんとかタカラコスモスに活躍の場をと考えた顧問教師が,タカラコスモスを繁殖牝馬として北海道に2ヶ月間送り,奇跡的に子供を授かり出産する(「奇跡的」だったのは,人間では70歳にも相当する高齢であり,しかも初産だったため).湊さんは,この子供に,タカラコスモスと自分の名前「香苗」の一部をとって「モスカ」と名づけた.

盲目のタカラコスモスが誤ってモスカを踏みつけないように,モスカの首には大きな鈴が下げられていた.鈴の音が少しでも自分から離れると,タカラコスモスは狂ったように啼いて辺りを探す.

盲目のタカラコスモスの世話で,ただでさえ手一杯なのに,その上小さなモスカの世話まで加わって,湊さんは大変そうだった.「一度でいいから遊びに行って見たい」と湊さんは語っていた.

「デートなんかしないの?」とのインタビュアーの問いに顔を赤らめながら,「彼氏なんていない」と答える湊さん.本当に朝から晩まで,この二頭の親子の馬の世話に明け暮れていたのだろう.

しかし,やがてモスカが別の厩舎に引き取られる.サラブレッドは小さい頃に親と引き離さないと,その後の調教が困難になるかららしい.

引き渡しの日は、朝から親子を引き離すことになっているらしいが,モスカは柵を越えて再びタカラコスモスの居る厩舎に戻ってしまう.しかし,夜にはとうとう引き離され,悲しげな啼き声を上げながら,モスカは去っていった.湊さんは号泣しながら「モスカはわがままだから,きっと向こうでも迷惑かけるに違いない」などといいながら,タカラコスモスのいる厩舎に行き,「モスカ,行っちゃった」と言うのが精一杯のようだった.

タカラコスモスは目が見えないので,大会には出場できない.湊さんは,大会に参加する際には常に他の学生が世話をしている馬を借りて出場していたが,やはり息が合わないのか,落馬することも多かったようだ.そんな湊さんを後輩達は「下手くそ」といって哂ったらしいが,湊さんは笑ってやり過ごしていたという.

偉いなあ,と思った.

「目の見えない馬の世話をさせられて嫌じゃなかった?」とのインタビュアーの問いに,「なんで私だけ,という気持ちはあった.でも,もし目が見えていたら,タカラコスモスと私は会えなかった」と湊さん.

一番胸を打たれたのは,湊さんの高校生活最後の馬術大会のシーン.それまでタカラコスモスとの出場は許されなかったが,最後の大会だけ,タカラコスモスと出場することを認められる.この大会は,速さや障害物などで競うものでなく,馬術の技術を競うものであったので認められたのだろう.

ただし,当日の朝になって,タカラコスモスは前右脚を捻挫してしまう.直前まで冷やしたり痛み止めを注射して,なんとか大会には出場できたが,演技を始めてすぐにタカラコスモスは脚を引きずり始めた.さらに,目が見えないので,枠にぶつかったりもした.しかし,その中でもタカラコスモスは最後まで演技をやめず,湊さんの手綱捌きにあわせて停まったり後退したりと演技をこなした.湊さんとタカラコスモスの息は本当にぴったりと合っていた.

「普通の馬だったら,あんなことは絶対にできない.かつて「女王」と言われた馬の意地であり,湊さんとの絆の深さゆえだろう」と顧問教師は語っていた.

湊さんの高校卒業で,タカラコスモスとの生活は終わる.卒業式を終えてまっすぐに厩舎に行き,タカラコスモスに卒業を報告すると,この日のために縫ったというタカラコスモスのための防寒着を着せ,厩舎を後にするところでドキュメンタリー映像は終わる.

・ 失明し,絶望の中で奇跡的に授かった子供さえ奪われてしまうとは,惨い話だ.しかし,それが「サラブレッド」ゆえの宿命なのかもしれない.サラブレッドは文字通りthoroughbredだから,徹底的に品種改良された血統の馬なのだろう.

しかし,血筋が良いからといってそれに甘んじたのでは真の競走馬は得られない.幼い頃に親に引き離され,しかるべく教育を施されてきたのだろう.おそらくタカラコスモス自身も,そうした経験をしているに違いない.

・ 最近,麻生太郎だの,小泉ジュニアだのの話題で頻繁にサラブレッドという文字を目にする.別に僕は子供が親の職業を継ぐのが悪いことだとは思わない.親の背中を見て育つうちに,次第に同じ職業を選ぶ人もいるだろう.歌舞伎の世界など,未だに世襲がほとんどだろうし,それでいて名優を生み続けている.しかし,それは幼い頃からの厳しいトレーニングがあってのこと.

政治の世界に果たして「サラブレッド」は必要なのか? あまり好きな言葉ではないが,「昼の光に,夜の闇の深さが分かるものか」.医者に行っただけで傘も買えなくなるような人の気持ちが理解できるのか? もしサラブレッドが政界に必要なのだとしたら,それは真のサラブレッドであって欲しい.

もし本当に政治家として育てるのならば,幼い頃からそれなりの教育が必要であるし,せめて自分の地盤を譲るなどということはすべきでないと思う.

麻生太郎は「ずっとほうっておかれたので,生まれは良いが育ちは悪い」などと自ら言っているし,小泉だって離婚して息子の面倒など殆ど見ていなかったのではないか? 地盤を譲られただけで簡単に政治家になれるようで,果たして良いのか? 職業選択の自由があるから,政治家の子息が政治家になることを阻むことはできないだろうが,せめて同じ地盤から出馬することは禁止してはどうか.

安易に「サラブレッド」などという言葉を,「政治家には使って欲しくない」.

 

* 「世襲」には、トクだから世襲したい、ソンだから世襲させておくという、過酷な二面がある。

両方を合わせて言えることは、つまり「手分け」の「手直し」をしないのである。人間根源のエゴのつくる、「つよい我欲」と「よわい立場」とを、「世襲」の二字は本質として体している。

「世襲」こそ日本を悪くしてきた。そう言い切れる過去が、伝統藝能伝習の一部を除いて、日本史の総体を成してきた。藤原や源・平という世襲もあれば、人外を強い強いられる世襲もあった。表裏一体、つまり人間の世界に固定した「手分け」を全然「手直ししない」エゴが、強烈に絶対的にモノを言い続けてきた。

もし今日只今のまま悪しき世襲慣例を看過し続けると、大きな「トク」にしがみつく者等の対極に、またもやおおきな「ソン」を過酷に世襲させられる生まれながら不幸不運な階層が固定して行くだろう。反省のない安易で強欲な世襲は、格差の極端な不幸をなによりも「日本」という国に与えてしまうのである。

深く深く懼れねばならない。聡明に手直しを急がねばならない。 2008 10・3 85

 

 

☆ 歩く歩く  2008年10月03日09:20   悠

歩くのが大好きな息子。保育園に行くとき、玄関でバギーへの乗車拒否を示し、すぐさま玄関ドアの前で待機。手をつないで歩いていくようになりました。

葉っぱに手を伸ばしたり、大好きなバスが見えなくなるまで手を振ったり。

いつもの三倍時間がかかりますが息子は疲れた様子はなくむしろご機嫌。少しだけ家を早く出て、この時間を楽しみたいと思います。

 

* このお母さんの短いなかに盛り込んでいる生活の生彩は、詩、の豊かさを十分たたえている。短く書くのはじつは、とほうもなく難しいのに、やすやすと書ききって何も余していない。

2008 10・3 85

 

 

☆ 秋の卑弥呼     瑛 e-OLD川崎

ここまれにみる好天が続いたので10月3日(金)に山へ行った。目指した山はハイキングを兼ねての「市民ウオーク」の参加者で群れをなしていたので予定を変更し、「岳ノ台」へ登った。

ヤビツ峠でお昼となり、誰もいないベンチで汗でびっしょりの肌着を干す。いい気分。男の洗濯であり山山を仰ぎみて着替えをする。

紅葉が近い。細い雨もとっくに止んで、青空を白い秋の雲が静かに流れる。ふとご無沙汰していた「詩」を思い出す。

「山のあなたの空遠く <幸>住むと人のいふ ああ、われひとと尋(と)めゆきて 涙さしぐみ かへりきぬ、・・・。」

カール・ブッセ の上田敏訳の「声明」と、今ここにある自然の息吹きに遊ぶ。

午前中に大山へ登った登山者がおりてきた。しばし話す。還暦のネズミだという。横浜線の長津田(ながつた)の人で意気投合し年男が二人、これからの未来への豊富をさわやかに語った。僕は先輩であった。

目指す山へ登り、登山道にある枯れ木の女王に久し振りで会った。雷にもやられずに凛と手を差し伸べている姿に僕は惚れ込んでいる。命名しているのですが、『卑弥呼』。

 

* 小気味いい写真、「瑛」さんの爽快な秋晴れ。

 

* 「卑弥呼」とは。これ、やがて新刊の今度の湖の本でも繰り返し語っている。

2008 10・6 85

 

 

☆ コミュニケーションそれぞれ   馨

「こじゃぱ~」というのが最近の二番目二歳児の多用する言葉です。

モノが落ちると指さして「こじゃぱ?」

食べたいものがあると指さして「こじゃぱ~」

遊びたいものがあると指さして「こじゃぱ~?」

どうやら「これは?」の意味らしいのですが、広範囲に使い過ぎて「please」とか「よろしく」の意味になっているよう。

この前はウッドデッキの柵によじ上り「こじゃぱ!! こじゃぱー!!! こーじゃーぱーー!!」と泣き叫んでいました。

降りられなくなったから下ろして、の意味です。

何にでもかんにでも濫用しないように。

この二歳児、このところ急速に意味ある言葉が増えてきて、大人とある程度会話が出来るようになりました。(ただし発音は舌足らずなので、こちらの推理力がとっても必要)

おもちゃの電車をわざと二つぶつけて「おこんじゃった、たいたい」(転んじゃった、痛い痛い)。

ぬいぐるみを寝かせて「ぴっぴーたん、ネンネ」(ミッフィーちゃん、ネンネ)。

暗くなってからベランダに出て、いきなり私のところに走ってくると「うきたん、ピーピーピー!」。

??? 難易度高いぞ  「虫さん、りーりーりー」かな。 息子はにっこり。ピンポンだったようです。

自分はあまり喋れないのに、虫の声には気がつくセンスにびっくり。

一方で思う通りにならないと「いやう(違う)、やーじゃーもん! ばーか、ばーか」

いったいどこでこんな言葉覚えてくるのでしょう。さすがに2年生のお姉ちゃんはそんな言葉は使わないじょ。

三番目の息子クンは、最近よく笑うようになりました。

目が合うと誰とでもニコニコ。

中でも、私の顔がイコール食べ物と認識したようで、とびっきりの笑顔。

うーん、母も嬉しいよ。(その後は早く飲ませろ、と泣き顔になるのがナンなのよね)。

二歳の息子1は、息子2が泣くと「エンエン。っぱい!」と代弁。ついでにお尻のにおいもかいで「ウンチ!」

私がのぞいて息子2が笑顔になると「あ、わやった(笑った)」と自分もニコニコ。

お腹がいっぱいになった赤ちゃんがブリブリブリ…とすると「あ、また!また! ぅンチ!!」

はいはい、人のことはどうでもいいからアナタもちゃんとトイレでして下さいね。

そばで娘が「私もよく言われているけどS見てると、ホント『人のことより自分のことをきちんと』って思う」

そうなのよ。

あなたもそうして下さいね。

コミュニケーション発達にはそれぞれの段階があるのです。母はその段階に応じて叱っているんですよ。

娘が今年の誕生日プレゼントとして私にくれたカードセット(手製)には「背中マッサージ券」や「洗濯物たたみ券」「お料理券」「お買い物券」などいろいろ入っていました。何回でも使用可能だそうです。ありがたや、ありがたや…。

こんなにたくさん日頃から手伝ってもらっていたんだな、と改めて思いました。

でも、お母さんは、「宿題を言われなくてもやる券」も作っておいてほしかったな。

 

* 読み終えて、ホオ~っと、しました。感謝。

2008 10・10 85

 

 

☆ 「澱」   2008年10月11日04:54   珠

ニュースを見ていると背筋が強張る。暗澹たる経済、政治、そして世界。残念ながら、世界中でこの影響を受けない人はほとんどいないのだろう。金額の多寡ではなく、廻る因果のように末端まで届いてしまう。経済は生き物。感情的な反応で動き、のたうちまわる。暴れる獰猛な生き物を、しっかと見据えて身を盾に向かう勇気ある人はいないのか。

私の職場では診療に加え、健康診断も行っている。

高齢になって働いている方の状況は、見ていると比較的似ている。若い頃から既往症がとても多い。勝手な想像だが、長期間仕事に携わるのは難しく、体調をみながら仕事をしてきたのではないだろうか。家族のいない方も多く、健診結果の危険な「!」に受診・治療を勧めると「お金がかかる」「お金がない」という返事をよく聞く。仕事をしてるのに、、と思うが「給料日まで無理」と言われると、結果の危険さと、抗えない現実に、脱力感を覚える。医療費は高い。世界に比べれば破格に安いと思うが、それでも高血圧で30日分の薬などもらうと3割負担なら軽く8000円位はかかるだろう。痛くも痒くもないからだの為に1万円札を使っても、現実には楽しくも嬉しくもならない。

教育も、指導も、とても大事だと思う。だが、高齢者の老化に伴う変化や染み付いた生活習慣を今更変えることは、相当に難しい。それが必要なのか、、とすら思う。

健康とは何か。

「死なない」ことではない。本人がよく生きて、そしてうまく死ねたなら、「健康」と言っていいのではないだろうか。今は、人によってはよく生きることを得られる時代になったと思う。でも、うまく死ぬことの難しさは皆感じているのではないだろうか。

高齢者にうまく老いてうまく死ねるようであってほしい。それまでの生活習慣や老化にペナルティーを与えるような社会ではなく、治療が必要な時期がきたら躊躇なく受けられる、そういう社会にならないだろうか。

今、「健康」は「贅沢」になりつつあるらしい。ささやかな贅沢一位が‘お酒’なら、痛くもない病気治療という贅沢は何位くらいになるのだろうか。。。「健康」になるために生きているのではない。「健康」に生きてゆきたいだけだ。

日本で、世界で、お金が消えてゆくのは、目的と手段を間違えた結果だろう。もったいない。こうしているうちにも多くの財源が消えてゆき、そのツケは澱のように弱者に降り積もるように思えてならない。

誰か、いないか、何か、できないのか。切ない。

 

* 切ない。

 

☆ 光と影  ハーバード 雄

・ 昨日の日記でGFPのことを書いた.GFPそのものを精製したのはノーベル賞の下村氏.GFPを利用したのが,残りの受賞者であるロジャー・チェンとシャルフィー.

ならば,GFPの遺伝子を単離したのは誰なのか?

昨日の日記では,企業の研究者と書いたのだが,そうではなかった.今朝,nprに載っていた記事を読んで,暗い気持ちになってしまった.

要するに,この研究者は,研究費が獲得できなくなったために研究職を諦め,今ではアラバマ州でバスの運転手をしているという.良く冗談半分に「これがダメだったら,タクシー運転手にでもなるか」などと言う研究者は居るが,実際にそうした道を選ばざるを得ないというのは,なかなか厳しい.そして,今も生活は困窮していて,貯金を使い果たしそうになっているという.

かたやノーベル賞で,かたや失業・困窮とは,なんともつらい話だ.

アメリカで研究を続けた下村氏にしても,取りまく環境は同じことだったろう.こうした基礎的な研究を「維持」することは,アメリカにおいても難しかったことだろう.マスコミは安易に「頭脳流出」というが,日本を離れてアメリカで研究を続けるには,大きな覚悟が必要だったのだと思う.

今回,自分以外の研究者達がノーベル賞を獲ったことについて,件の元研究者は,「自分だったら,こんなことはできなかっただろうから,それは納得している」とのこと.

「ただ,もしアラバマ州に来ることがあれば,ディナーでも御馳走して欲しい」という言葉が泣かせる.

 

* これも切ない。

2008 10・11 85

 

 

☆ 美術館ふたつ 秋らしく。  2008年10月13日22:33   惇

どうしても行こう、と思っていた展覧会が三井記念美術館であったので、東京国立博物館の琳派展とセットにして行ってきた。

三井の美術展は題して「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」。名古屋市博物館で春にやっていたものの巡回展として東京へきたものである。

森川如春といえば、十代のうちに光悦の茶碗「乙御前(おとごぜ)」と「時雨」を所有していたことで有名な茶人で、例の(夏に箱根に行った時の下見編で話題にあげました)原三渓とか益田鈍翁らとの関わりでも知られる。

私は20歳の時に、京都旅行で出会った乙御前の写しに惚れていまい、購入もしたものの、以来、いつか本物を見たいなあと漠然と思ってきたのでありました。

今までにチャンスがなかったかと言われればそんなこともなかっただろうけれど、なぜか、今回の展覧会では「乙御前」が出る!と言うのに強い磁力を感じてですね。タイミングだと思うのです。

で、乙御前見たさに展覧会に行ってきたのだったが、もうもう!! 実によいものがたいへん出展されていて、大興奮の展覧会でありました。(しかしこういうところに興奮する、というのを理解してくれる人は少ないですね。)

お茶碗では念願かなって見た乙御前、琥珀や瑪瑙のような深みを持つ朱色で、つやつやと美しい。

所有している写しは、かなり大ぶりで厚みのある茶碗なのだが、本物は薄い。小ぶり。きめの細かい赤肌のなんと色っぽいことか。

よく志野の肌を女性の肌に比することがあるが、赤楽のあの歳月を経た美しさはまた全然ちがった色艶である。高台のつぶれているところから優雅に立ちのぼってくる線の、なんとも見事な女性的丸み。「時雨」の持つ男性的なシャープさとは対照的で。

のぞきこんだ茶碗のうちに、吸い込まれるような赤みの傾(ママ) れがあって、どこまでも完璧にうつくしい茶碗であった。ウットリ。

時雨も相変わらず切りっぱなしのような口のあたり。潔い線。

あと、ととや茶碗「小倉山」というのが出ていて、これがまた、もう、涎が出るほどすばらしくいいお茶碗であった。白緑というのかしら、うす~い上品な色目にぽつぽつとまあるい斑のあるお茶碗で、そのぽつぽつとしたけしきを紅葉に見立てたらしかった。

あれと「乙御前」だけでも、もう一回見たいほどのいいお茶碗で、これは朝鮮のお茶碗。

志野もかなりの数が出ていた。

昔は志野のぽってりとした肌が好きで、ほっこりと赤みを持つ白い肌がなんとも色っぽいなぁなどと思っていた。今は少しつくりが大きいなあと感じる。あの肌合いを堪能できるのには、若干大きめの作でないとならないのかもしれない。

卯花垣(ちょっと字が違うけど)、亀のをの山、大海老。

あれは女性の肌というよりも、大地そのものだなあと感じる。

黄瀬戸もよかった。

青磁や白磁の冷たく完璧な美しさも好きだが、一方であたたかい土の匂いのする器にも心惹かれる。作り手の「手」が感じられるあたたかさがある。

お茶碗だけでなく、お軸などもものすごくて、やっぱり違うなあとうなってしまう。集まるところに集まるのだな。

藤原佐理はあるわ、西行はあるわ、石山切はあるわ、息を呑む。

あと特筆すべきは伝羽田五郎の黒漆の小棗「五郎棗」で、これがもうもうもう、本当に美しいのである。そもそもが漆って美しいんだけれど、この小棗はかたちもよいし、やっぱりこれももう一度見たいもの。

琳派展はやはり人がすごかった。

でも、その話はまた次回。

とにかく、三井の展覧会は興奮した。

そしてまた無理をして(食べまくったために)体調を崩し、今日は1日腹痛とともにすごした。

あほ~

2008 10・13 85

 

 

☆ 書の道   光

大学生だった、ある冬の日。

実家のコタツに一応正座して、半紙を目前に筆を持って対峙した。

漢字6字を一気に書き上げる。

その間、息をしているかどうかさえわからないーー全神経は半紙の上にしかないから。

書道の師範昇格試験課題作品の提出日を次の日に控えていたための、だったと思う。

* * *

書道は小学生の頃の習字から近所の教室に通わされていた。

明治産まれの祖父が、当時は尋常小学校しか卒業させてもらえず、大人になってから「字」を書くことに苦労したという話を聞かされた母親の意向だったと思う。

当の私にとっては、書道に対して特段の愛着があるわけでもなく、姉と共に毎週教室に通い、課題をこなし、ただそれだけであった。 半年に一度、昇段試験というものがあった。

長く続けていればほぼエスカレーター式に、十級から始まり一級までくると初段から五段へと段位が上がる仕組み。

五段までいってしまうと、あとは師範昇格試験を受けるしかなくなる。

それも、一気に「師範」になれるわけではなく「準師範」「師範」とステップを踏まなくてはならない。

書道を初めて十数年、別格に字がうまくなったわけでもないが、エスカレーター式に五段まで行き着いてしまった。

受験料も高かった記憶があるが、そのころはもう試験を受けるしかもうやることがなかったので、先生の勧めもあってまずは「準師範」目指しての課題作品に取り組んでいたのだと思う。

* * *

何枚も、何枚も、ひたすら書いた。

自分ですら、これではだめだろう、と思う程度の字しか書けなかった。

むしろ、一番最初に書いた作品がまだ、ましな出来映えであった。

差し指と中指と親指で支えているほぼ垂直の筆に、微妙に角度をつけながら再度試す。

いくら書いてもダメ。ダメなものはダメ。目に見えない超えられない、何かがある。

自分に絶望した。

気づいたら、コタツでうとうとしていた。明け方の4時半。

しまった。よほど驚いたのか、今でもその時計を見たときの映像は、記憶に焼き付いている。

また、半紙に向かう。

数枚書いたところで、はっと気づいた。

仮眠して、無駄な力が抜けたためか、無心だったためか、これまでにない清廉さを感じる字が書けている。

しかし、そのことに気づいたときには、もうその後はいくら書いても同じ字は生まれてこなかった。

* * *

結局、書道の先生が選んだのも、起きがけに書いた作品だった。

その後、異例の準師範をとばしての師範合格通知をいただいた。

そして、私は書道から手を引いた。

「道」を垣間見て、自分には無理だと悟ったからだと思う。

 

* こういう一編を、「光」クンの温容を思い出しつつ読んでいると、はじめてわたしは、和んでいる自分に向き合える。

 

☆ 秋の日に   昴

ひさかたの光をあびてもみつ葉は犬の午睡を見つつ輝く

明け方の頭痛に独り寝肌寒し

どうっと吹く風に流れる山葡萄

 

今日は行書の練習をしました。

行書、難しい。

上手な字が書けるようになりたい。

 

* リハビリの場所を替えて、日々に書に向かっているという、はるか北の国の「昴」さん。歌も句も、流露の道を見付けたようである。

 

☆ 獅子舞  2008年10月14日22:05  悠

連休中は息子と実家に行ってきました.秋祭りの獅子舞を見せてやろうと連れて行きました.

息子は当初太鼓と笛のリズムに合わせてカラダを動かしご機嫌.そして拍手喝さい!!

ところが,我が家に来てもらって玄関から勢い良く入ってきた時には泣いていました.怖かったのね.食べられそうだった??

町内の小さな祭り.今でも続いていることに感慨深く,また息子と見ていることがなんだか不思議な感じでした.

どういうわけか実家のほうでは祭りは神輿ではなく獅子舞が多いように思います.

私が通っていた小学校では5年生が獅子舞をやることになっていて,笛,太鼓,獅子,天狗ごとに前年度担当した6年生から一対一で教えてもらうシステムがありました.2週間ぐらい習ったあと,ひと月あまり練習して,学校祭や,イベントで披露することになっていました.私は縦笛担当.4つの演目,今も吹けると思います.

息子は時折片方の足だけ爪先立ちになっていることが.そうね.獅子の後ろのほうの人はそうやっておどっていたよね.

 

* 懐かしい。『みごもりの湖』や『冬祭り』などで、わたしはこういう世界に全身でなついていたのだと思う。

2008 10・14 85

 

 

☆ ちょっと一休み  2008年06月05日20:10  司

最近、自民党の無駄遣いプロジェクトチームなるところが無駄遣いをなくそうとばかりに、色々な資料を要求してきている。

その中の一つに、様々な公的研究機関に対して、本当に国の研究機関として必要なのか、民間に任せられないのか、というのがある。

以前、研究機関の企画部門にいたこともあるが、私も、組織全てとは言わないけれど、「本当に必要なの?」と思う事が、とても多くあった。

研究機関と言えども、国民の税金を使って仕事をしている以上、自分の研究ではなく、国家国民のための研究をすべきであって、そこに異論を挟む余地は、ほとんど無い・・・はず。

「国家国民のための研究」というのが何なのかという論点があるけれど、「これは国家国民のための研究ではない」というのであれば、そのことを、きちんと骨を折って説明をするのも研究者の仕事のはず。

これを言うと、「それは研究職の仕事ではない」と堂々と言う研究者の多いこと。

もちろん、そんな研究者ばかりでは無いことも事実だけれど、研究者には税金を使って飯を食わせてもらっている感覚の薄い人が多いなぁというのが、私の感想でした。

 

* 「司」くんがいいかげんを口走る人でないことを、わたしはあの大学の頃から、よく理解している。ことに心して行政の要所に身を置いている現在、いわゆる放言はしない人である。

 

* ここで、一つの語彙問題としてとりあげておいた方がいいのは、「国家」のことは措くが、「国民」ということば。

じつはこの一語は、中世まで、いや古代へまでも溯って、いろんな内包が有った。そんなややこしいことは措いても、なお、わたしがよく謂う「私の私」の「私」にこれが関わってくる。当然、「公」とのかかわりゆえに、ややこしい座標が浮かんでくる。

わたしは「国民」とか「市民」とかいう物言いとべつに、「私民」という言葉が、ないし理解や概念がもっと用いられていいと腐心してきた。その理由の一つに、「国民」と謂ってしまうとき、それが「国家」と対の「公民」性と、もっとプライベートな「私民」性とがごちゃまぜになってしまい、我が田に水をひくだけのために「国民」の一語がいろいろに濫用されてしまう不安が有ると考えてきた。

 

* 「司」くんの発言にある「国家国民」という四文字の、「国家」の方はともあれ、「国民」というのは、「私の私」でいえば、先の私なのか後の私なのか、公民なのか私民なのかが、しかとは分別されていない。そこへやみくもにとりついて「国民のため」論が始まると、水掛け論がはじまるだけで容易に収束しないのではないかという心配を、わたしは持ってきたのである。いまも持っている。

「国民のために」という名の下に国家権力が侵してきた「国の犯罪」は、すべての「私民犯罪」とつりあうか凌駕していないかという不安をも、わたしはいつも歴史的視野において持ってきた。大げさか、な。

そしてこういう問題意識に論点が推移して行くと、今日の「京」の提起は、さらなる整理を促し促されるだろうなという期待になる。

幸か不幸か、「司」くんも「雄」くんもまだ発言を控えている。

 

2008 10・18 85

 

 

☆ 秋の生りもの  2008年10月19日21:04   馨

最近、ホントは通り抜け禁止の切り通しを通って、近道して帰って来る我がムスメ。

通行禁止の理由は落石らしいのですが、その実その心配はほとんどなく。しかし、数十mほどとは言え、完全な古道の山道になるので、変質者など防犯の方が心配。

と、いうわけで「どうしても通りたい時は電話しなさい」と言ってあります。

電話がきてすぐに家を出るとちょうど切り通しを越えたところでお迎えできるので、そのままもう一度切り通しを通り直して来た道を帰ってきます。

先日は、その切り通しを越えてすぐのところに住むお友達が遊び来てくれ、その送迎に一日に2回、山越えすることに…。大した距離ではないのですが、舗装してない坂道を一気に上り下りするので、スリングで、7キロの赤ん坊を抱えた身にはいい運動になってしまいます。

お友達を送って帰って来ると、切り通しに入る直前の地面の上にごろんと茶色いかたまり。・・・・これは!!  アケビ!!

「わー、アケビだ。蔓はその辺にいっぱい見かけるけど、実は時々しか見ないよねー」と言っていると、上を見上げた娘が

「なってるよ!」

頭の少し上に、あけびが5、6個ありました!

取るぞー、取るぞー、久しぶりにアケビ食べたい~。 前のうちの近くになっていたのは、人目を気にして取れない場所だったもんね。ここならよじ上って取っても人目につかないし!

赤子もろとも枯れ葉まみれになりつつ、取りました、大きいアケビ一つ。うふふ。娘と種の周りをかじりかじり種を捨てつつ山を越える親子二人(+赤子)。こんな姿、誰にも見せられません。ホント引っ越してよかった!!

そうそう、アケビって、柿の味がすると思うのは私だけかしらん。強烈に甘くて、香りは不思議と柿にそっくりだと思うのですが。

先週は、ご近所にザクロの木を見つけました。娘に、以前から鬼子母神の話をしていてザクロの話を聞かせていたのですが、実物はようやく教えられました。昔はごときおり見かけたのですが、最近はとげのある木は嫌われるのか見かけないですよね。

そのお家の前で少し離れたところにある椎の実をかじりつつ、カタツムリや死にかけの蜂を覗き込んで子ども二人が遊んでいると(注:さすがに私は椎の実はかじってません。皮もちゃんと回収)、中からお家の方が出てきてしまいました。

声をかけられて「ごめんなさい、ごめんなさい、息子がカタツムリが好きなもので、しかも娘がザクロを気にしてしまって…」と謝ったのですが、親切な方で「ザクロ、一つお持ちになりますか?」と、取って下さいました。

家の前に居座った挙げ句、本当に申し訳ないです。

親切なご近所さんに頭が上がらない毎日です。

夏に幻想的な花を咲かせていたカラスウリは、雌株は一本だけだったらしく、お隣の家のそばでいくつもまっかな実がなっています。これもまたこのあたりの子ども達のおもちゃになり、この前は一個100円です、とへたくそな字で札が立っていて売りつけられるところでした。100円か10円か1円だそうです。違いはなぁーに?

カラスウリって、長いこと烏瓜だと思っていましたが、唐朱瓜と書くのだそう。納得!!

唐朱って、辰砂だとネットでは書かれていますが、色としては鉛丹に近いような。

蔓植物は突然と顔を出すので面白いですよね。裏山にもムカゴが実りはじめています。

赤い実をつけた蔓はここの裏山で初めて見ました。こちらはヒヨドリジョウゴというのだそう。

ご近所から新米やリンゴのお裾分けも。本当にいい方達ばかりで感謝の気持ちでいっぱいです。

実りの秋ですね。

 

* すばらしい。い~い気持ちの秋心地。

2008 10・19 85

 

 

☆ 運動会  2008年10月21日08:59   悠

日曜日、息子の運動会がありました。予行演習では固まって出来なかったお遊戯が、できるかなぁ、と楽しみにしていきました。

これまで、色々と想定外の行動を起こしてきた息子。すんなりよくできました! とはもちろんなりませんでした。お遊戯、親子で参加する障害物競争、すべてダンナにだっこされ寝たまま終了してくれました。暖かい日差しの下、そうとう気持ちよかったみたいです。熟睡していました。

来年はどうかしら? かけっこにでられるかな?

 

* 大丈夫。

2008 10・21 85

 

 

☆ 蓼科へ。古希に墓参り    珠

先週末は、諏訪へ出かけてきた。母の誕生日は祖母の命日でもあり、古希の報告とお墓参りをしようと母を誘った。

5年前、秋の穏やかな陽が昇っても、祖母は目覚めなかった。早朝には色づく葉に霜がつき、日が昇れば山は美しく輝いていた。

毎年お盆に帰省するばかりで、雪の降る前の蓼科には出かけたことがない。泪で霞みながらも、秋の山の美しさには目を見張った。祖母の愛した蓼科の自然、その一番美しい季を皆に見せようと祖母は逝ったのかもしれないと思った。

 

土曜の昼近くなって出発。母を迎えに行き、知己の人々へのお土産を車に積み込んだ。母の実家には、独り住む伯母がいるので当然其処へという母を説得し、今回はゆっくり山を見たいからと実家近くの蓼科東急ホテルを予約した。その辺り一帯、元は区の財産だった場所。山小屋風の落ち着いたホテルだが、実家に近すぎて却って泊まる機会がなかったので楽しみ。

よくある中央道の渋滞にウンザリしながらも、八王子あたりからの山迫る道では側壁の蔦が紅く染まり、美しいグラデーションを見せてくれたので、遅々とした動きも気にならなかった。

午後遅くなって、母の実家に到着。温かい陽気に驚き、5年前の祖母をおくった時との気候の違いを実感する。独り暮らす伯母は、しばらくぶりだが元気そうに見えた。だが、花を作って出荷する仕事は灯油の値上がりもあってとても厳しいと、口から洩れるはため息と愚痴ばかり。これから冬。ビニールハウスの温度を調節しながらでは、確かに大変だ。。生活必需品ではない‘花’は、不況でまず売れなくなる品だろう。こういう時だから‘花’を、、と思いたいけど。

遅い昼食を頂いて、母の知人宅を廻る。今年は秋になって温かく、野菜が採れて困っているから帰りに積んでいってとあちこちで言われる。母は嬉しそう。。。相当な荷物になると覚悟。

暗くなって、村はずれの山道を抜け、蓼科東急ホテルに到着。最近鹿がよく出るから気をつけてと言われたら、途中の道で小鹿に遭遇。親鹿でなくてホッ。鹿とぶつかったら私の車ではひとたまりもない。

ホテルはラウンジ゛の暖炉に火が入っていて、燻すような匂いに運転の疲れが融けだすよう。高原というより、山の谷間にあるホテル。周囲の山の遠くに、星が瞬いているのが見える。明日は八ヶ岳がそこに見えるだろう。

チェックインして、温泉へ。母の実家の村と同じ泉質、肌はしっとり、すべすべ。2週続けて温泉に入るのは初めてかもしれない。やはり慣れたこの泉質、肌にはうれしい。夕食に軽くつまみながら、母とビールで古希前夜を祝った。

母の若い頃の話を車中で聞いた。高校生になり上諏訪で下宿した頃のこと、大家さんに泥棒が入り母の寝ていた部屋の窓から逃げたという。寝ていた布団の足元を通っていった泥棒に、顔を見られたと思って怖くていられず、しばらくは下を向いて歩いていたとクスリクスリと思い出し笑い。母は戸締りにはとてもうるさくて、それは母子家庭だからかと思っていた。ぼそぼそ話したその口調から、そのショックは相当だったと推察。お陰でその心配性は私もそっくり受け継いで、戸締りを確認しても用心にと、寝室の扉には鈴が下げてある。我ながら可笑しいが、こんな流れとは知らなかった。

 

翌朝、ゆっくり寝坊。朝から母は友人と電話で話している。妹が珍しく電話をしてきたと思ったら、母の誕生日を忘れ別件での電話だった。「やっぱりね」と母と笑う。からまつ林に降り注ぐ木漏れ日に目をやりながら、静かな朝食。木立の向こうには教会があり、式の準備をしている様子がよく見える。その奥には池、そして遠く八ヶ岳も見える。

「静かでいいわね」母も気に入ったらしい。食後、ゆっくりとからまつ林を散策。甥への土産にどんぐりを拾った。

チェックアウトして、山へ向かう。母は未だお墓参りが済んでいないことを気にしつつ、車外の彩りに歓声をあげていた。横谷峡から乙女滝へと歩き、蓼科を愛した映画監督小津安二郎の別荘‘無芸荘’に寄る。囲炉裏に火が入り、腰を落ち着けて話し込む雰囲気。小津監督の愛した蓼科は、まさしく祖母の愛した蓼科だろう。蓼科山は腰に雲をまとい、八ヶ岳は優美な稜線を見せる。山の中腹はもう黄みがかり、所々に紅い彩が浮かんでいる。

母の実家の隣村、父のお墓へ先に参る。今夏は従兄がお盆の送りをしてくれたと聞いていた、その蝋燭が墓に白く残る。父の墓からよく見えた八ヶ岳、今は防風林の丈が伸びて隠れてしまった。そこに山はある、父にはどこからでも見えるだろう。父の村で遠縁のお宅にご挨拶。80代でも小母さん元気に野良仕事をされていて、採ったばかりの野菜を頂いた。

母の実家へ移動し、伯母と連れ立って祖母のお墓参りへ。祖母のお墓からは美しい八ヶ岳がよく見える。西日があたってきた八ヶ岳は赤く染まっている。祖母にとっては何よりの場所。

伯母と遅い昼食を過ごし、帰り仕度。母の友人などから続々と野菜が届く。移動の八百屋さんが開けそうな有様。皆一様に持っていってと車から下ろしながら、私の小さな車に心配そうに目をやる。「ちっちぇなぇ」という言葉を耳にしながら次々と野菜を積み込む。皆安心して食べられる食材には違いないが、こんなにもらってどうするの、、、というほど頂く。(以下に)

キャベツ・白菜・トマト・ミニトマトト・きゅうり・じゃがいも・ヤーコン・紫芋・人参・大根・長ねぎ

南瓜・糸瓜・ピーマン・パプリカ・茄子・セロリ・ズッキーニ・ほうれん草・フルーツほおずき・かりん

手作り味噌

夕刻、重たくなった車を労わりながら出発。ゆっくりと山の裾野を中央道へ向かう。インターチェンジ゛に乗ったらもう日が暮れてくる。帰りもまた、渋滞の表示。まぁこの荷物ではそんなに早く走れないから、皆と一緒にゆっくり走れて却ってよかろうか。。

結局九時過ぎに母の家に到着。電話をしておいた妹もほどなく到着、行商のように野菜分け。妹は食べ盛りのいる家族4人、喜んで半分以上をもらってくれた。私はほんの少しで充分。田舎の野菜なら料理もする気になるだろう。ありがたい。叔父への届け分も預かって、解散。

花梨の甘い香りを抱いて、家に帰った。これで役目、無事完了。

 

* 折しも蓼科へ行かないかと息子の誘い。蓼科には幼なじみの友人が、プチホテルを経営していて、一度泊まってきた。

自動車、そうとう途中渋滞しそうだな。

2008 10・21 85

 

 

☆ 湖へ  珠

ご無沙汰しています。

「湖の本」を送って頂き、ありがとうございました。丁度今日は私の誕生日だったので、郵便箱の包みを見つけて嬉しい贈り物と勝手に解釈させていただきました。

「色」から鏡花、谷崎まで、幅広い一冊に新たな一年の始まりに楽しみに読ませて頂きます。

一昨日は横浜に泊まってきました。ゆっくりと穏やかな日を港で過ごし、秋の空と海をスケッチしてきました。昨日は久しぶりに横浜美術館へ寄って、「源氏物語の1000年」という特別展を見てきました。

全体に絵が中心の構成で、紫式部の人となりや石山寺での日々、その後源氏物語が時代を経て伝わってゆく様々な写本、絵巻からマンガ、

そして世界への広がりまでが展示されていました。

古来何と多くの画家が、源氏物語を絵にしてきたのかと驚きました。江戸時代の、現代ではマンガのような挿絵と本文の色々を見ていると、

次を貸して、、と友に本を借りた自分と同じかもしれないと、ふと思いました。時代が違って借りる本が違っていただけとすると、現代のように借りるよりも安易に買えてしまう時代では、密やかに長く続く作品は生まれてこないかもしれないと、ふと思いました。

今回の展示で目を奪われた作品は、ほとんど‘九曜文庫’からでした。初めて耳にした文庫だったのですが、研究的な視点から源氏物語の

多くの作品を持っていることを知りました。一つの文庫ができるとは、さすが源氏物語、と思います。「語り」もされているようで、今後気にして

調べてみようと思いながら帰路につきました。

先般からの「科学・研究」の議論、最初から発言したくなっていました。立場違えど、研究者の方々だけが論じることではないと思いましたので。しかし仕事がひとしきり忙しく、夜にパソコンに向かう時間がとれなかったので、先に考えをまとめようと、毎日印刷した「私語」を持ち歩いて考えています。どこかで書いて送りますので、無愛想などと思わずにいてください。

こうして長くなってしまうのが悪い癖ですね。

蓼科行き、お気をつけて。これから日々寒くなります。

それこその、一番美しい季節。

どうぞ、お大事に。

 

* 同じ人が「mixi」にも日記を書いていた。展覧会の部分のみ重ねて読み取る。

 

☆ 横浜美術館へ。  珠

「源氏物語1000年」という特別展を開催中。しばらくぶりの横浜美術館だったが、平日のためか比較的空いていて、お年をめした方ばかり目に付いた。最近視力が落ちてきて、眼鏡をかけても見えていない私には薄暗い照明はきつい。お年の方も口々に、見えないと仰って展示品との境にあるガラスに額をぶつけていた。お仲間の気分になって、遠慮なく顔を近づけ見ていった。

今回初めて、源氏物語に多くの写本があったことを知った。その中心になる写本は聞いたこともあったが、長い歴史の彼方から何と多くの写しがされてきたものかと驚く。その微妙な字の違いや様々な絵、読みたい人がいたからだと思うが、そこには美的な競い合いのような広がりが見て取れる。室町時代には既に人物帖のようなものまであって、特徴や人となりまで書かれている。何となく現代の攻略本と同じようにも思え、最近ではハリーポッターを思い出す。次を読みたくてわくわくする感じは、時代が変わっても同じだろう。それでも1000年読み継がれる物語とは、ただ繋げようとしても出来ることではない。今は便利でいつでも本が手に入る時代だけど、写本は写経の如く深い理解や記憶につながる方法だったのかもしれない。

最近、老化防止対策に「徒然草」や「枕草子」を書き写す本が出ていた。次は「源氏物語を写してみよう」なんて出るのかもしれない。 夕刻、帰宅。蓼科からの野菜を煮込み、やさしい味の夕食。誕生日。過ぎた一年に、きちんと頭を下げたかったが叶わず、心からの感謝を静かに想う。この年になっても知らなかった自分がいる。情けないが、叩けば埃ならぬこれが今の自分。日々を大切に、前へ進む。幸せは人にしてもらうのではなく、自分でなるものだと身に沁みて分かった。身についた色々な余分、うまくそいで単純になってゆきたい。

さぁ自分のペースで「今・此処」を大事にいこう。

 

☆ 歌舞伎座  ボストン 雄

・ 日本のテレビでニュースを見ていたら,歌舞伎座の建物が老朽化のために建て直しになるという.しかも,新たにできる建物は,オフィスなども入った現代的なものになるとか.実に残念.

僕は歌舞伎座には2度しか行ったことはないけれど,あの雰囲気がとても好きだった.あの建物の中で見るからこそ,より一層,歌舞伎が引き立つように思うのだけれど.

歌舞伎を見たのはたった2回だけれど,いずれも素晴らしかったという記憶がある.

初めて見た歌舞伎は3階の席で舞台は遠く,しかも内容も現代の創作劇であり,たわいもなかったのだけれど,腹を抱えて素直に楽しめた.

二度目の時は「俊寛」と「十六夜清心」を観たのだが,解説イアフォンの助けもあり,奮発して良い席を取ったせいもあって,迫力ある舞台を楽しめた.

建て直される前に,また行きたいなあ.

 

* 来年中はいまの歌舞伎座で観られるが。寂しいが、また大きな曲がり角を「歌舞伎」が曲がって行くと謂うこと。

いまでこそ「伝統」藝能だが、もともとは「現代批評」の歌舞伎である。どんな環境にも適応し、いつまでも美しく、辛辣で優しい「表現」を提示しつづけて欲しい。

「雄」くんの「mixi」日記がいろんな事情があるらしく「マイミク限定」になるというので、一年余、さまざまに楽しませて貰った「雄」日記の此処への書き写しは、今日で最期になる。感謝。

 

* 昨日の「皓」くんが文字化けを訂正し、一点追加してきてくれた。追加分は、昨日のアイサツの末に書き添えたので、読み取って欲しい。

 

* わたしの読者には、思えば「理系夫人」が何人もおられる。「馨」さんや「悠」さんや「百合」さんのように事実理系研究者であるのを謂うのでなく、夫君が理系の研究者である奥さんの意味であるが、指折り数えても何人も思い出せる。「藤」さんは自身理系出身でもある。そういう奥さん方の立場でも、「科学・研究」に感想がある筈だなと、いま、想っている。

2008 10・22 85

 

 

☆ 病むことと,生きることと  2008年10月23日18:54   麗

最近,病む人の話を何度か聞いた。

自分で自分が制御できない。妄想が起こる。幻聴が聞こえる,気力が萎える,疎外感や不安から他罰的になる。家族や友人などが攻撃対象となる場合も多い。

関わる側も,「まとも」に戻ってほしい一心で,治療を勧める。あくまでも,病む人に「良かれ」と思って。

これが,病む人にとっては大変な苦痛,らしい。太宰の『人間失格』では,家族にだまされて精神科に連れていかれ,いたくプライドを傷つけられた,絶対許せない,という描写がある。これは,太宰自身の経験に基づく。病む自分が受け入れられないと,良かれと思う周囲のかかわりも,恨みや憎しみのの原因にされ,攻撃の理由とされるのだ。

家族や友人知人が病んでいる人は,その関わりに自分自身も疲れきってしまう。

他を攻撃しても解決にならない。関わってくれる人もどんどん減っていく,気がつけば,まったく孤立した自分がいる。この段階で病む人は,自分自身を罰し始める。全世界が許せなくなったということは,自分自身も許せなくなったのだ。自らの存在を自らの手で消し去る場合もある。

聞けば聞くほど辛くなってくる。そんな話を何度か聞いた。

今朝,武田鉄矢のネットラジオ番組で,北海道は浦河にある『ベてるの家』について語っていた。病む自分を受け入れ,治ることよりそのまま生きることを重視する,という生き方。この施設の理念は次の通り。

—*—

・三度の飯よりミーティング

 

・安心してサボれる職場づくり

 

・自分でつけよう自分の病気

 

・手を動かすより口を動かせ

 

・偏見差別大歓迎

 

・幻聴から幻聴さんへ

 

・場の力を信じる

 

・弱さを絆に

 

・べてるに染まれば商売繁盛

 

・弱さの情報公開

 

・公私混同大歓迎

 

・べてるに来れば病気が出る

 

・利益のないところを大切に

 

・勝手に治すな自分の病気

 

・そのまんまがいいみたい

 

・昇る人生から降りる人生へ

 

・苦労を取り戻す

 

・それで順調

——–

病む人も関わる人も,病むことを受け入れ,病むままに生きる。それこそが,病むことと正しく関わる,ただひとつの方途だろうか。その難しさを,あまりの難しさを,改めて知る,上の理念。

 

浦河ベてるの家

http://www18.ocn.ne.jp/~bethel/index.html

 

* つくづく同じことを思う。他人事(ひとごと)としてだけではない、我が事としても。わたしが、よそめにムヤミヤタラあれもしこれもして気ぜわしく見えるとしたら、自分で自分の「今・此処」を創りだして堪えているのである。ボウとしていては、「不快」に屈して「鬱」になって仕舞いかねない。さいわいにしてわたしは不徳であるが孤ではない。孤に陥るおそれは生来持っていると分かっている、だから、だから、自分で自分の「今・此処」を創りだして堪えるのである。

2008 10・23 85

 

 

☆ 作   昴

小倉山なきし子鹿のピィピィと声聞くときぞ秋はかなしき

打瀬舟静かな水面暗き影

袴着をむかえる前の娘達輝き続けよ花の咲くまで

橋架かる小川の傍の電柱や

 

枕詞を使って短歌を作ってみたらどうだろうと思ったけど、北海道では作れないということ発見。

季節感も地名も違いすぎます。

 

* 枕詞の時代ではありますまい。 遠

仔鹿なく背の尾の森の夕日かげ彩づく秋と見つつ愛(かな)しむ

 

たが影や水面(みなも)くれゆく打瀬舟(うたせぶね)

 

橋というふしぎの界(もの)を風が渡り人影ににて立つか電柱   2008 10・23 85

 

 

* なぜか機械の前で昏睡ぎみに姿勢が崩れかけ、ビックリする。

 

* 「三田文学」に、谷崎の『飆風』が載ってすぐさま発禁に遭ったことを、武藤康史氏が論じていた。この発禁は有名なことで承知していたが、当時のマスコミが報じた際、谷崎という姓を「ヤサキ」「ヤザキ」と読んでいた識者ないし記者のいたことは忘れていて、改めて可笑しかった。

可笑しいでは済まないところもある。当時の谷崎潤一郎はまだ新進作家以前の「新思潮」に拠った学生だった。苗字の読み違いも、ま、ありえたこと。

ところが、今仮に「飆風(ひょうふう)」の字を借りて書いた谷崎作の表題は、こんにちの全集では大方「ひょう」の字が「風」の右に「犬」三つになっているけれど、初出「三田文学」での「ひょう」の字は「風」の右に「火」二つだった。それが「火」三つに書かれた例もすくなくなかった。なにより今わたしの使用している機械での文字パレットからは、「飆」しか取り出せず、他の三漢字はみな「?」になって出る。

2008 10・25 85

 

 

* 朝一番に、聞き慣れたことだが、旨い一服のようにこういう話が気持ちいい。(この一服は、わたしの場合煙草でなく、お茶。)

 

☆ 一番スケールが大きくて一番スケールが小さい話     光

第二次ベビーブーム世代は、なんでも数が足りなかった。

病院の産科のゆりかごから小学校の机まで、とにかく押し込めて無理にでも入れられていたような状態であった。当然、中学校や高校の受験も激化。受験戦争などと言われて、やれ勉強しろだの何だのと、子供たちは振り回されることになる。

小学生までのんびりしていた我が家でも、さすがにまずいと思ったのか、中学に上がった頃から近所の塾に行かされることになった。

塾の先生は、どこぞの大学院生だという話を聞いたことがあったが、それはさほど重要ではない。国語の担当の先生だったか、授業の最初の5分間に必ずちょっとした「小話」をしてくれたのが楽しかった。

今でも覚えているのが、「ユリイカ」。「我、発見せり」という意味のギリシャ語だそうだ。かの有名なアルキメデスが、お風呂に入っているときにアルキメデスの原理をアッと、ひらめいたときに発したという。

 

もう一つ覚えているのが、これまでに私が聞いた話の中で「一番スケールが大きくて一番スケールが小さい話」。

我々がいる宇宙は、ビッグバンから生まれていまでも拡がっているそうだが、その中にはたくさんの銀河系があり、その中の一つに太陽系があって、その中の惑星として地球があり、その地球上で我々がこうして暮らしていることになる。

そんな人間はというと、たくさんの細胞からできていて、その細胞はさらにたくさんの原子からできている。

原子はさらに複数の素粒子から構成されているが、その素粒子の一つ一つの中は実は別の宇宙なのだという。

 

我々の今いる宇宙も、どこか別の宇宙の、誰かの体の中の細胞の、原子の中の素粒子の一つなのかもしれない。

と思うと、そのスケール感は爽快ですらある、と、思った。

 

* 大勢愛読していたボストン「雄」くんの「mixi」日記がいろんなしがらみからか、此処へ転記出来なくなり、ちょっと淋しい。

2008 10・27 85

 

 

* あれあれと、十月が消えてゆく。いやになるなあ。

 

* このところ、よそながら聞こえてきて情けなく胸の痛むのは、或る噺家と離婚して後の元細君の言いたい放題で、それにどんな背後や足下の事情があるのか知れぬにしても、口汚くてとめどなくて抑えがたく病的なこと。その「病的」な印象にこっちの胸も黒ずんでくる。やりきれぬ。

 

* そんなとき、わたしをほうっとさせるのは「悠」さんや「馨」さんのお子さん達を書いた日記。

「うまい仁丹」というのは書いている自分にも妙なモノだけれど、もしそんなものがあるなら、それらは、わたしをとても落ち着かせる「うまい仁丹」のように喜ばせる。

 

☆ あきらめません!   悠

おしゃべりが増えてきた息子。独自の単語を駆使してジェスチャーをまじえ要求をつたえてきます。

まんま! は欲しいもの、してもらいたいことに使用。食べ物にかぎりません。指差しで対象物を特定します。

だーっ! はものを別のところに移す動作を表す言葉。飲み物が空になったとき、まんま! と合わせて使い、おかわりを手にしていきます。

最近飲み過ぎのイオン飲料をやめさせようと、このおかわりの要求をわからないふりをしてやり過ごそうとしましたが、大泣き。新しいのを納戸に取りに行くように私の手を引きつれていき、納戸の前で、キャップを開けて容器に移し替えて自分が飲み干すまでの一連の動作を泣きながら、まんま! を連呼しながら、やってくれました。

なかなかの「交渉人」です。

こちらが折れて、おかわりをゲット。満足そうに寝ていきました。午前二時半の出来事です。

 

* いまトルストイの『復活』を読み進んでいるが、トルストイは、この「悠」さんのような観察と表現とで小説を書いて行く。『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も同じである。わたしもつくづく思うことがある、こういう風に小説の場面を書いて行きたいと。

2008 10・29 85

 

 

☆ 展示会   松

ここ1ヶ月ほど準備していた展示会が昨日開催された。私はグループ内のとりまとめ役だったので、展示する試作作成を他の人に依頼したり、展示物、展示パネルについて専門の会社と話し合いを続けていた。何とかある程度の展示物をそろえることが出来てよかった。

説明員としてブースに立ち、開発中の試作品について来場者に説明した。それなりに来場者も多く、説明で大忙し。立ちっぱなしなので非常に疲れた。今後話しが展開していきそうなメーカーの訪問もあり、楽しみである。

夜は会社の上の方々と、準備担当者との懇親会+ご苦労さん会が開かれた。

節目節目に必ずと言っていいほど飲み会が企画される。中途採用の私にとっては、多くの人と知り合うことが出来るのがいいところ。

そういえば勤め会社が変わって1年以上たち、ようやく違和感無く勤務することができるようになった。緊張することが減ってきている感じがする。仲間も増えて居心地がだいぶよくなってきたからだと思うが、新しい環境に慣れるためには長い時間が必要だと思う。

 

* 「毒にも薬にもならない」メールを秦さんは喜んでいると腹立たしそうに叱ってくる人がタマにいる、が、「毒にも薬にもならない」のが「無事」の日々には貴重なのであり、強烈な毒はもとより迷惑だが、強烈であろうが無かろうが「薬」ものまなくて済むなら済ませたい。「毒にも薬にもならない」貴重さをわたしは大事に思う。足腰も思いもよわりかけた老境にはなおさらで。

好いのみものは、清水。酒も、刺激的なまぜもの無し、清水をのどごしにひくようなのが旨い。

 

* 杜撰なわたしの誤記を訂正してくださるメールは、じつに嬉しい。たいてい書きっぱなしで、済ましている。看護師を看護士と書いていたりする。いちばんいけないのは人さまの氏名を誤記することだが。なんてズボラなんだろう、わたしは。

2008 10・30 85

 

 

* この二三日で、メール以外に、八人も「mixi」メッセージを貰っている。耳寄りな話もまじり、思い賑わう。

2008 10・30 85

 

 

☆ ド・モルガンの法則  2008年10月30日21:08   司

「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」いわゆる情報公開法には、行政文書の公開に関する条文が並んでいて、その第5条は行政文書の開示義務を定めている条文です。

その本文及び1項一号を抜き出してみます。

 

第5条 行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。

一 個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)又は特定の個人を識別することはできないが、公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの。ただし、次に掲げる情報を除く。

イ 法令の規定により又は慣行として公にされ、又は公にすることが予定されている情報

ロ 人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報

(ハもありますが、ここでは略します。同様に二号以降もありますが略します)

 

あっち行ったり、こっち行ったりと忙しい条文ですが、端的に言えば

「行政文書がαに該当する場合を除き開示しなければいけない」と定めているのが本文で、αの1つである1項一号は

「A又はBであるもの、ただしイ又はロに該当する場合を除く」

というのが全体の構造です。

これでも分かりにくいですね。

 

論点を明確にしましょう。

上記条文に沿って当該行政文書は「不開示情報である」と確定させるためには、「αに該当する」ことを証明すれば良く、それはつまり「Aであること、かつ、イではないこと、かつ、ロではないこと」を証明するか

「Bであること、かつ、イではないこと、かつ、ロではないこと」を証明することになります。

同じ事を言い換えます。

「Aであること」又は「Bであること」を証明します。

その上で、

「イでないこと」かつ「ロでないこと」を証明します。

つまり、イでないこととロでないことについては必ず両方とも証明しなければならず、加えてAかBはどちらかを証明する必要がある、ということになります。

 

逆に、当該行政文書は「開示情報である」と確定させるためには、

「αに該当しない」ことを証明すれば良く、それはつまり

「Aでないこと、かつ、Bでないこと」を証明するか

「イであること」を証明するか

「ロであること」を証明するか

のいずれかです。

つまり、一番簡単にはイであることか、ロであることのいずれか一方だけを証明すれば当該行政文書が開示情報であることが確定できるのです。

 

当該文書が開示情報であるか否かを条文に沿って議論する時には、当該行政文書のAへの該当性、Bへの該当性、イへの非該当性、ロへの非該当性・・・というように個別条文毎に論証をしていくので、個別条文の1つ1つ・・と、更には条文の中の一言一句への適合性・非適合性・・・と段々枝葉末節(という言葉が適切かどうか分かりませんが)へとはまり込んでいってしまいがちです。

 

で、さてその辺の論拠が一通り出揃った時に、アレ? と思ってしまう事があります。

上記の例で言えば、不開示情報であるためにはAへの該当性が証明できればBへの該当性を証明する必要が無い、とか

逆に開示情報であるためにはAへの非該当性を証明するだけでは足らずBへの非該当性も証明しなければいけない、とか。

 

ところで、上記のAとBの関係って、昔高校数学でならった ド・モルガンの法則の1つ

___ _ _

A∩B=A∪B

 

なんですってね。

今日はこんなことを「議論」していたもので、ちょっと頭の整理も兼ねて書き込んでみました。

 

* ウワッ。興味有るけど、でも、これ、だれかに、さらに手引きして貰いたいなあ。

 

☆  金色の鳥の銀杏  2008年10月30日21:35    瑛 e-OLD川崎

快晴の空のしたにいこう。大山は雲が湧き富士山は見えず。

櫻の木の下に新聞紙を広げ腰をおろし昼の弁当のひと時を過ごす。

ときおり枯れ葉が舞いながら落ちてくる。

何やら居ると思ったら毛虫が僕の腕を這う。

桜の大樹の上の青空には銀色の翼が飛ぶ。空を泳ぐ鮎である。鯉のぼりのようなアユである。まっすぐに流れる。

数時間を過ごし西のほうへ山をおりると「金時山」が黄金の中で自己主張をしている。舞台でいえば「ハイライト」の色である。

 

歌を思い出す。

金色の小さき鳥のかたちして いちょう散るなり 夕日の丘に

 

* ああ、これで、今夜の機械を静かに閉じられる。

2008 10・30 85

 

 

* 朝一番に、気がかりな「mixi」日記が出ていた。決して今今の目先に止まる示唆ではない、が、いちばん気になる「予防接種」の是非と副作用事故について触れてない。それが焦眉の急なんですが。

 

☆ 新型インフルエンザのことなど 「理想」と「現実」    珠

数日前、新型インフルエンザ゛対策の講演会にでかけた。今年の春頃から目だって案内が増え、学会・行政機関・製薬会社・NPO法人など主催もいろいろある中、選んで出席してきている。

毎回、帰りにはため息しか出ない講演内容が多く、何をしたらよいか、、というより、何も出来ないだろう感ばかりを強く感じた。メディアからも同様に出席しているので、当然報告の論調も、危機感を強く表現する内容で活字になっている。

 

今回は、厚労省からも担当官が出席するというので、少しだけ期待して出かけた。結果として、思わず声が洩れるほどの苦笑いしかなかった。

でも最後に、久しぶりに真っ当な医師の話が聞けた。

インフルエンザウイルスの、正しく日本を代表する臨床専門家であるその先生は、日本の対策はおかしな方向に向かっているという事を繰り返された。欧米先進国の対策と異なる希望的感染防御対策ばかりが目立つと。

世界共通なのは、手洗い励行。あとは、カナダ゛では簡単なマスクだけ、アメリカではマスクと手袋といった状況。日本ではガウンテクニックなど完全防備、、なぜか「どんどん過剰になる対策」は、科学的とはいえない。

 

新型インフルエンザ゛対策はとても大事だが、まずは過去のインフルエンザ゛大流行に学ばなくてはいけない。どのインフルエンザ゛も鳥だけの病気から変異して、人に感染してきた。その都度、人にとっては新型インフルエンザ゛だった。誰も免疫をもたなかったから、世界中で大流行して多くの人が亡くなった。今でも世界中で季節的に流行し、人の亡くなる病気でもある。

ただ、人類が生き残っているのは、新しいインフルエンザウイルスへの免疫を獲得してきて、致死的な経過が減ったからである。だから、新型インフルエンザ゛も国民皆が感染する病気だと考えなくてはいけない。大正初期のパンデミック(大流行)の頃は、抗生物質も無かったし、当然タミフルなどの抗ウイルス薬もなかった。今はそれがある。早くできる治療をしながら、何とかワクチンが開発されるのを待つ。現在、国の整えた対策マニュアルでは、水際作戦で国内へ持込をさせないとか、自宅に引篭もるという対策がある。現実には、季節流行でさえコントロールできていないのに新型対策でやろうとすることそのものに、無理があるのではないか、というのである。国民のほとんどが感染するという前提に先に準備が必要なのに、現在は感染しないようにすることに力が注がれている。

 

今の対策マニュアルでは、新型インフルエンザ゛を疑う患者は地域の‘発熱相談センター’に相談し、その指示で‘発熱外来’を受診するとなっている。そこでは誰が働くのか、それはどこの病院が担うのか、その時には開業医は処方に足るタミフルを発注できるのか、、など厚労省担当官に対して現実的な質問がぶつけられた。それには、ただ平身低頭、「先生方からのご意見を伺いながら検討を進めてゆきたいと思っています」を繰り返すばかり。。

あぁ、机上の空論である。

エライ専門家は、熱のある人がどうやって医療機関を受診し、そこで待って診療を受け、家に帰って休むのか、、想像できないのだろうか。発熱相談センターへの電話相談など、年金問題での相談窓口への電話の通じなさから学んでもよいのではないか。素人さんに電話を受けてもらうなら、何のための相談電話か分からないし、また医療者を電話の前に座らせていられないほど患者は多くなるはずなのに。。

 

個人は当然のこと、毎年のインフルエンザ゛流行期のように咳エチケットなどで予防に努め、熱があって療養する時のため自宅に食料・飲料は準備すればいい。一番の問題は医療機関だ。爆発的に増加したインフルエンザ゛発症者と不安にかられた微熱の人まで、医療機関に押し寄せるだろう。うちは通常診療だけしかできないので、発熱外来へと言うようなものなら、どんな事になるかは簡単に想像できる。また、ガウンテクニックにマスク・ゴーグルで感染防御対策を、、など言いだしたら、一般外来診療ではやりきれない。そこまでしなくちゃいけないなら、休診するしかないという医療機関もでるだろう。どちらにしても、スタッフは女性が多く、子供が病気又は預けられなければ出勤できない可能性も高い。先日の調査では、新型インフルエンザ゛が流行したら辞めたいという看護師は3割を超え、医師ですら2割近かったという。一番近くでまず患者に接する医療者の、その安全を護りながら働いてもらう対策、そして重症者をすぐに受け入れ治療できるような感染病床と機器の準備は、仲間に聴いても、手付かずとしかみえない。

 

マニュアルとは難しいものだと思う。お役所は、危機管理として何かにつけマニュアル作成を求める時代で、確かに整理してゆくことで見えてくる問題点はあり、良い機会にはなる。それでもどちらかというとマニュアルが作成され、それに伴って動いていたかどうかで責任回避できるという点が大きいように思う。私には、国は理想的な内容でマニュアルを用意しましたから、後はこう出来るように皆さん頑張って、、としか読めない。これではむしろ、ただ手かせ足かせだけにならないか。地域によって居住者の人数も違えば、医療機関の数や規模も違う。大人数の患者をどう診るか、国が主導しているが、先日の妊婦さん救急搬送問題でも明らかなように、何かあれば責任は自治体に向かうだろう。国ばかりが、メディアで何か「しているしているという顔」をするのはおかしい。現実の診療では国は何の力にもならないはず。国のすべきことと、地方行政のすべきことが、ごちゃごちゃになっていると思えて仕方ない。

 

インフルエンザ゛は経済と深く関係すると言われている。早い治療を可能にするには医療が身近ということ、予防にはワクチン接種が誰でも可能ということ、などなど全てに渡って経済と密接に関係する。経済の研究者が予測した新型インフルエンザ゛の影響は、インフルエンザ゛治療の専門家の死亡率などより悪い。経済の視点では、その方が危機管理対策の準備はしやすいに違いない。今のように世界経済の悪い時には、なおさらだろう。

ただし、自然は経済の感情的反応を越えたところにある。経済から科学者の意見を聴くのではなく、正しい評価のできる科学者の意見を、正しく聴きとって対処を考えたい。

 

治療薬は昔より増え、科学の進歩に伴う情報もある。情報伝達も即時に可能で、移動手段もある。豊かになった現代、自然の猛威に対処できるだろうか。経済に裏打ちされた社会的な治療要求に、医療者はただ一生懸命に奉仕し、乗り越えてゆけるだろうか。経済と科学、発展した現代に生きて、人はその発展を使いこなせるのだろうか。

医療者としては、できることをするしかない。まずは忙しい医療者に、正しい情報がきちんと伝わるようにと願う。

 

スタッフが来れなくても診療しないわけにはいかない、、といううちの医師と話しながら、でもやはり先生一人では無理です、、と言うしかなかった。今年の冬は、しばらくぶりでインフルエンザ゛が猛威をふるうだろうと聴いた。これも予行演習、忙しいその時こそ問題点もみえてくる。医療機関として出来ること、考える機会にしよう。まずは、予防接種だけど。

 

* その「予防接種」の副作用で去年、我々夫婦は死にそうに苦しんだ。今年も予防接種に「当てられた」という噂が入ってきて、恐怖感で予防接種「パス」という結論へ我々はにじり寄っているが、「珠」さん、これを如何。

2008 11・3 86

 

 

☆ お月さまの大きさ    馨

先月、十三夜で「おつきまだねー」とお月見をして以来、空を見上げては月をさがすのが大好きになった二歳の息子。

朝起きて来ては残る月をさがして見ていたのですが、朔の月の頃はあまりお目にかかれずに「いナいネー」と言っていました。

ようやく三日月を過ぎる頃から「あ、おっきさまだ!」と、夕刻に会えるようになりました。

昨日はきれいな半月。

保育園の一時保育のお迎えに行き、車に乗り込んでエンジンをかけると、「あ、おっきさま、いた!」。

正面はきれいな夕焼け雲。だけどお月さまは見えないよ。と、顔を覗き込むと、「おっきさま、いた」と、カーナビの画面を指さす息子。画面はちょうど材木座周辺で、空色の海に白抜きで和賀江島が映っていました。その色のコントラストが、たしかに昼の月そっくり。

なるほど!

「月」と一口に言いますが、月の大きさのイメージって人それぞれだそうです。

私は長いこと10cmφくらい、と言っていましたが、息子とよく見るようになると2cmφくらいかなー、と。

10cmのイメージは、もしかすると満月の日、月の出の直後の印象かも。

高度が低い時って、大きく見えますよね。夕焼けが赤いのと同じ原理かな。

カーナビの画面上の月(和賀江島)は直径8mm程度。これが息子の見ている月の大きさのようです。ためしに縮尺を変えて、3mm程度の和賀江島にすると「おっきさま、いないよ」と言われました。

ふむふむ。

今度は縮尺を大きくして1.5cmくらいの和賀江島にしてみたのですが、残念なことに、その大きさになると和賀江島の上に「遺跡」の地図マークが入ってしまい、白抜きにならない・・・。

息子の見ている月は1cm弱、ということのようです。

家に帰って暗くなってから、ご飯の前にもう一度「あんぶん」の「おっきさま」を見ました。最近は、そのそばを点滅しながら通っていく飛行機もお気に入りです。

一緒に月を見ていても、きっと感じている大きさは違うのかも。ちょっと寂しいような、でも、面白いような気持ちの母親です。

2008 11・7 86

 

 

☆ 枯れ葉   瑛 e-OLD川崎

ゆるやかな時間があって好きな丘があり天気が良い。

秋は照る日があり慈雨が降り山道が昨夜の雨でしっとりする。

山を歩きたいと思う日である。七回目の年男の日が過ぎた。

自分の鍍金がどんどん剥がれていく。風に吹かれ葉が枝を

はなれるように。

 

今朝NHK零時十分からの『羽生善治の勝負の真髄』を見る。

一言一言の声もいい、対談のアナウンサーが真剣に問う。

質問を真摯に受け止めて真面目に応える。春風のごとく爽やかな 時間を共有することが出来ました。

 

* こころ嬉しく。

2008 11・8 86

 

 

☆ カンドコロ  maokat

筑紫哲也さんの訃報を、沖縄の人々は悲しんだことだろう。

太田昌秀元県知事が地方紙に談話を寄せている。「基地問題から文化まであらゆることに理解が深かった。取り組み方が東京の目線でなく地元と同じ視点だったため、沖縄のあらゆる層の人たちが、筑紫さんの文章や発言に励まされ、勇気をもらったと思う。」

キー局のキャスターでは、唯一沖縄の実情を理解して報道をしてくれていた人。

オバマ次期大統領に浮かれているが、その陰で、在沖縄米海兵隊8000人のグアム移転が先送りになりそうなことはほとんど伝えられていない。金融危機で米国防予算が削減される。移転も当然延び延びになる。しかもこの移転にあたって、米国は日本政府に6000億円の費用負担をさせる。延び延びになっている間にも、酔った米兵が民家に入り込んだり、タクシーを強奪したりしている。

マスコミは、落語家の痴話喧嘩を取り上げる暇があったら、自国民の生命財産を危うくしているこういう状況を報道してほしいのだが。

Self-Defenseと名乗っている組織の将は、自軍の上官、しかも最高司令官(総理大臣)の統制に従わなかったことをあまり自覚していない。上の米軍で同じことをしたら、どのようなことになるか知っているのだろうか?

そんなことをしている暇があれば、(もう一度言うが)自国民の生命財産を危うくしている状況をこそ、「Self-Defense」すべきと思うがいかが?

 

* ありがたい一文。だいじなことほど、カンドコロが報道されない。鼎の軽重をまともに問う力量がマスコミに無いことを歎く。

2008 11・9 86

 

 

* このホームページの「私語の刻」だけ、パスワードで括ってしまおうかと思いかけている。ホントウの「私語」にしてしまうわけで、その「方法」がありますと人に聞いたが、技術的にわたしの手では不可能。

2008 11・12 86

 

 

☆ 阿波丸と消えたゴム長靴  2008年11月12日21:20  燦

歴史を訊ねる会の方たちと、増上寺や近くの丸山古墳を訊ねて歩いた。

案内を見たときに増上寺内の徳川家の歴代将軍や和宮の霊廟見学などのほかに「阿波丸遭難慰霊碑」があり、驚いた。

阿波丸事件はもう歴史なのだ。

増上寺の大きな山門をくぐり少し歩いたところに殉難者合同慰霊碑がある。阿波丸に乗船して、殉難した2000人に余る人たちの名が一人ひとり刻まれている。

ありました。

私の叔父の名が。「  頼政」と。手でなぞってみた。カメラに納めた。慰霊祭に参列したときとは異なる気持ち。

1945年終戦の年。3月には私たちの下谷の家は戦火に遭い焼け出された。打ちひしがれていたであろう家族に朗報が。

逓信省の役人としてシンガーポールに赴いていた叔父が帰国してくると。

絶対安全な緑十字の船に乗るのでと。逓信省や外務省などの上官たちと一緒だから安全だと。

本土決戦が近くなってきたので、大事な人は帰してもらえるのだと聞かされ、私は信じていた。

「ほしがりません 勝つまでは」と言っていた国民学校2年生だった私はその頃もう内地では手に入りにくいゴム長靴をお土産にと慰問文にねだって、首を長くして待っていた。

生まれたばかりの娘と新妻を置いて、叔父はアメリカの潜水艦の魚雷を受けて海の藻屑となり去ったのだ。

その叔母は気持ちは今も新婚のままだ。80歳を過ぎてもまだ夫のことを「頼政さんがね‥‥」と話す。

従妹は全く父親のことを知らないので、話をした事のある私を羨む。

従妹のアルバムには新妻と軍刀を持った勇ましい父親の姿だけ。

阿波丸事件は戦後も、いろいろ日米間で問題になったが、事件の真相ははっきりされないまま、今ではもう歴史の一つなのだろうか。

 

* 「e-文藝館=湖(umi)」に、このまま戴く。

2008 11・12 86

 

 

☆ 気になって言い置く  珠

そう、忙しいと却って気になるから、言っておこう。

先日来、防衛省の田母神氏の論文が賞をとった件が参考人招致にまで発展し話題になっている。内容もさることながら、私には「何故アパホテルがそのような懸賞論文を募集したのか」「大賞をとるからには誰かが選考しているはず、一体誰が何を見てるのか」と気になっていた。

アパホテルといえば全国に安価なビジネスホテルを展開していて、私も利用したことがある。安価の割には居心地の良いコンパクトさで、部屋の回転率も良さそうだ。最近は地方都市だけでなく、都心の一等地にも進出してきてビジネスマンには名前の行き渡った感がある。耐震強度の偽装問題の後半、名前が出た際にも、女性社長は即座に会見し利用客に対応するなど、ギリギリの価格でも真っ当なホテル?? という印象だった。

しかし、今回の一件を見聞きしていると、違った側面が見えてきた。

アパホテルの会長さんは男性。社長さんが表にでてたので、会長さんがお爺さんとかかと思いきや屈強な男性だと初めて知った。防衛関係の方々とは永の付き合いがあるようだ。防衛省を退官した人がアパホテルに再就職していたりもする。以前からある「わが国、日本」への思いの強さから懸賞論文となったようだが、今この時期に‘第一回’募集となった点には意味があるのではないかと思えてしまう。

迷走する政界、弱体化する国、国民の不満、官僚の牛耳る役所そして防衛省、、小池百合子氏は苦手だったけれど、防衛省の隠れた危険さをある意味で白日の下にぶちまけたとは言えるだろう。今の防衛省は勝手な意思をもった団体のように感じられる「危険」印象いっぱい。今後、何かしら権力の分散なども検討されるのではないかとすら思える。そんな弱体化する団体から、その所属も明らかにして応募するという行為は、影響力も分かった上で敢えて「討って出た」ということではないのだろうか。

アパホテルの会長さんは、以前から田母神氏や政治家と会談された様子を公開してきている。その共通な歴史認識から今回の出来事へと発展しているのではないだろうか。300万円の賞金をホテルがだす論文、、ホスピタリティーやサービスといった論文ではなく、全く違う類いに、である。それも自民や民主の政治家に献金もして、会談歓談もしているとされる、名の知れた成長する企業で起こった事に驚きを禁じえない。そら恐ろしくすら感じる。

国とは、国会議員とは、何をみているのか。自衛隊のセクハラ隠蔽事件が明らかになってきた中で、田母神氏が自衛隊の機関紙、それも巻頭で書いた文章が出てきた。そこで、不祥事の隠蔽は自衛隊の弱体化を防ぐ意味からある程度仕方ないと驚くような事を書いている。

また、反日的日本国民という言葉も出てくる。驚くばかり。それこそ税金を投入されている機関紙ではないのだろうか。そんな足元の綻びすら見えなくなっている政治家とは裸の王様以外の何者でもない。

環境は人を作る、、と思っているが、いつも敵を想定した仕事をしていると、自分たちの意見にそぐわないものは‘反’になってしまうのだろうか。。

何が反日か、何が親日か、、シアワセ呆けした私たちに判別できるだろうか。己のなかの‘敵’と戦うことから逃げているだけではないのだろうか。

今の政治は情けない。でも、だから駄目だ、どうしようもないでは済まない。そこで頑張らせ求めていかないと、温かいベッド゛を提供するホスピタリティーから気がつくと思わぬ病気になってしまっている気がしてきた。一見真っ当な感じほど恐いものはない。

小泉劇場ではないが、繰り返し主張されると人は信じてしまう危険がある。どうあるべきか、、国も経済も先が見えないなら、過去を紐解いてこの国の護るべきものをもう一度確認し直すことから始めるしかない。田母神氏の論文を含む受賞作は本になるという。概略だけでなく、まずきちんと読んで、「こういう人がいる」という怪訝な事実から現実として受け止めていかなければ。

あぁ、しっかりせよ、政治家!

 

* 「ペン電子文藝館」「e-文藝館=湖(umi)」の論説・解説室で、せめて下記を読んで欲しい。

文部省     「あたらしい憲法のはなし 附・日本国憲法」

 

井上清 日本近代略史1

「近代天皇制の確立 新しい権力のしくみ」

色川大吉 日本近代略史2

「近代国家の出発 自由民権請願の波」

隅谷三喜男 日本近代略史3

「大日本帝国の試練 大逆事件 明治の終焉」

今井清一 日本近代略史4

「大正デモクラシー 関東大震災」

大内力 日本近代略史5

「ファシズムへの道 準戦時体制へ ファシズムの日本的特質」

林茂 日本近代略史6

「太平洋戦争 総力戦と国民生活」

蝋山政道 日本近代略史7

「よみがえる日本 占領下の民主化過程」

 

読み終えてさらに意欲が湧けば、どうか、中央公論社版『日本の歴史』から、上記責任編集者の執筆になる「明治維新」以降の七巻をぜひ読んで、学校教育の不備と至らないところを補って貰いたい。上記七人の先生方の七巻からなるいわば『日本近代通史』は、その精神において一貫して立派であると、わたしは心から推す。

2008 11・16 86

 

 

* もうずっと以前から、時に二日三日に一度、時に連日、一日に二度も、本文を全く持たない、いかにも手当たり次第のアルファベット・メールが届く。

削除よりほかに為すすべないが、むろん誰かとも知れず誰であろうなどと推測すらしない。わたしに用があるなら率直に言ってくれていいのである。用がないならムダなことだと思う。ニフティから、これも、ひっきりなしに届く「ウイルス駆除通知」と関連があるなら、迷惑なことだ。

2008 11・17 86

 

 

☆ 半身浴   悠

息子がお風呂で湯船に浸かりません。

浴室に入るのは嫌がりませんが、湯船は断固拒否。無理に入れると必死になって、這い出ようとします。

その代わりなのか、洗面器とバケツに溜めたお湯には浸かって満足そうにしています。

いくら小さい息子でも洗面器ではおしりまで、バケツでも腰までしか浸かりません。シャワーや湯船から汲んだお湯を肩からかけてや るのですが、それで十分だと思っているみたいです。これから寒くなるので心配です!

 

* なるべく遠慮しているが、こんな「mixi」日記は見遁せない。可愛い。

2008 11・19 86

 

 

* 幾つか気味の良くない夢に追われながら、疲労を取り除こう、よく寝ようとかすかに意識し、そのうちに存外朝寝を貪っていた。「mixi」をざっとみて二つコメントし、さて今日の作業に戻ってきた。

夜前は冷え込んでいた。

日なかの今も、椅子に掛けた尻の辺がひやひやしている。

2008 11・20 86

 

 

☆ 更紗で夢見   珠

土曜日は動けなかった。持ち帰った仕事をしなくちゃ、出かける予定も、、けれど一日ソファでゴロゴロしてしまった。怠惰な一日。レースのカーテンの向こう、青く清んだ空は遠かった。

昨日は仕覆(しふく=茶入・茶碗など茶の湯の道具を包んだ袋類)の稽古へ。朝から持ち帰った仕事を一つ片付けて、安堵の気分。失せた集中力はなかなか戻らず、縫っていても欠伸がでる。目も霞み、針は指をつつく。何とか小さな品を仕上げてみたが、こんな稽古ではいけませぬ。。。

帰り際、師が手に入れられた「頼山陽」の軸を拝見。茶掛というより文人向けだが、品のある字に見とれてしまった。

今朝、空はすでに薄曇り。午後から雨の予報。降らないうちに戻りたくて、珍しく身支度も素早く家を出る。風がないので歩けば暖かい。約30分で五島美術館に到着。特別展「古渡り更紗ー江戸を染めたインドの華」へ。

有難いことに、日頃から師の収集される裂や仕覆で、古渡り更紗を手にとって拝見させて頂く機会がある。とても好きな裂。貴重さ故、道具の格からも私の道具に誂えることはなかなか無いだろうけど。。見るだけで嬉しい。あの裂、この裂、、と更紗のもつ穏やかな気配にやさしい気分になりながら、大事に手鑑(てかがみ)として伝えてきた手厚さに、貴重さだけでない愛しさを感じる。小さな、1cm 強ほどの裂を、丁寧に和紙に貼り込む作業。美しいものへのこだわり、そしてその裂の系統をも辿る探究心。知的な殿方たちのなせる業に今更ながら頭が下がる。

更紗には、草花や動物、鳥などを描いたものが多い。自然を写しこんだ手描きの裂の温かみに惹かれる心は古も同じなのだろう。武野紹鴎作の茶杓に添えられたその筒を包む裂。人に見せることのない裂だからこそ、選ぶ目に人を見る。黄色地に流れる藍の水流に散らした花模様。細身の茶杓に水の流れを見たのだろうか。それとも一片の笹の小舟を想ったのだろうか。。東インド会社の印が残る更紗は初めて。裂の長旅、歴史の旅、よく此処まで来たものだ。感謝。

たっぷり時間を過ごし、帰路に着くと雨が降り出してきた。思わず速足になる。途中一度上がり、そのうちに帰り着いた。その後はざんざん降り。。

今週は今年の正念場。厳しい仕事がたまっている。更紗の世界に心残したままではマズイだろう。最近スイッチの切替が下手になったようで、寝ていておかしな夢をみる。ま、どうせ見るなら更紗で作った白衣ならぬ更紗衣での仕事がしたいなぁ。ちょっと派手かもしれないけど。。

 

* 「珠」さんの日記が、近来、とてもよく書けていて。

五島美術館から案内も図録ももらっていて、更紗を見に行きたいなと思いつつ、つい遠さに脚が出なかったが、代わりに観てきてもらえた心地。先日「お宝鑑定団」でたくさんな更紗の端切れを大きな一面に美しく貼り込んだのを出された婦人があり、その心意気に深く感動した。

珍裂屋はわたしの育った町の近在に何軒もあり、茶の湯の仕覆や帛紗などでもいろいろに手に触れてきているなかでも、更紗はことに気を惹かれるモノだ。「珠」さんの日記はお稽古や茶の湯の体験を通していて、いわゆる知識の披瀝ではないところが、よく優しく胸に届く。こういう日記が、読んでいても楽しい。

手元の「更紗」特集など、そうなんだ「珠」さんにあげればどうだろう。五島美術館に一緒に行けていたら楽しかったろうな。

2008 11・24 86

 

 

* 「朝の一服」をすこし多めに。

 

* 親の「遺品」の歌を「mixi」にも載せ、その中に「明珍の火箸」の歌があったのへ、北海道からコメントが来ていた。聴けば、わが徳内さんのお墓のある近くに、「明珍」家の菩提寺もあるらしい。ついでにその近所に「穴子天丼」のうまい店があるという。コメントの主はいま北海道住まいだが、実家にいたころ美味しくて家族で食べたと。

穴子大好き。行ってみたいと尋ねたら、教えて下さった。本郷へでも用のおりに足を伸ばしてみよう。

2008 11・27 86

 

 

* 大事な声を伝えておこう、朝一番に読んだ。

 

☆ 軍用機で友好?  2008年11月27日23:18  maokat

在沖米海軍が「11月28日、沖縄の石垣空港を強襲用ヘリコプターが使用する」と、空港利用を沖縄県に「通知」してきた。「申請」でも「要請」でもない「通知」。日米地位協定を盾に民間施設も自由に使うという傲慢な態度だ。しかも、その目的が「市民交流、日米友好のため」とは噴飯ものだ。

石垣空港は、純然たる民間空港。付近に米軍の軍事施設もなく、今回の「通知」には、まったく合理性が認められない。住宅地の真っ只中にあるこの空港は、国内の地方空港のなかでは運行スケジュールが過密なことで知られており、滑走路も短いため、離着陸には高度な操縦テクニックが必要だ。加えて南国特有の天候の急変もあり、いつも危険と隣り合わせで運行している。過去には一度オーバーランの事故も起きた。そういう状況の民間空港へ「友好」と称し、イラクでも使われている強襲ヘリで乗り込んでくる米軍はいったい何様のつもりだろう。

平時でさえこういう感覚の組織が、有事の際、目の前を逃げ惑う民間人(他国人)に何をするか、想像に難くない。今すぐ、直ちに、沖縄から出て行ってもらいたい。さらに頭に来るのは、日本政府の対応だ。自国の領土で占領軍まがいの行為がまかり通っていることを、多分麻生総理は、知りもしないだろう。

同じ米軍は、北海道の矢臼別演習場(根室管内別海町など三町)で行っている実弾射撃訓練について、これまでの方針を突然転換し、今年から訓練を非公開とし、説明会も行わないと「通告」した。地元自治体は不信感をあらわにし、道知事が上京し防衛省などへ要請した結果、今日になって米軍は非公開通告を撤回した。

米軍にとって北海道は対ロシア、沖縄は対中国・北朝鮮の軍事上の重要地点だ。北の本務(軍事訓練)通告さえ撤回したのだから、南の本務外(自称友好)通知も是非撤回してほしい。矢臼別の撤回には、道知事の上京とあわせ、道選出国会議員の政治的圧力がものをいっている。残念ながら、日本政府に働きかける力=政治的圧力は、西高東低ならぬ北高南低。ここにも南北問題が存在している。

私は、なりゆきを注視している。

 

* 私たちも注目する。

2008 11・28 86

 

 

☆ 新幹線「ひかり」号  2008年11月30日23:56  珠

緊張した週は、過ぎた。。ひと息つけるだろうか。つきたいなぁ。

慌しく過ぎた霜月をおくる、街路樹の紅い葉が降る。バラバラ、かさかさ音たてて。降りそそぐ。夕暮れ、空には閉じた目のような月。輝く一番星、葉の落ちた枝の合間に瞬く。風のちからを想う、晦日。

昨日、国立にいる祖母を訪ねた。年が明ければ96歳。。よくここまできた。

久しぶりの祖母は、叔母曰く私が来ると聞いて、甘えて、調子が悪くなってるようだと。ベッド゛の中。声をかけると笑って手を伸ばす。久しぶりだが、本人の訴えとは裏腹に顔色もよく元気そう。私にできるのは、ひたすらに聴くこと。蓼科の家で一人気ままに過ごした長い年月のせいか、叔父夫婦の世話になる今の生活は不満ばかりらしい。毎度のこと、愚痴のてんこ盛りを聞く。

デイケアにも出かけている。動けないはずはないがベッド゛から起つ気配のない祖母の横で、からだの不調と早く逝きたいという話の繰り返しを聴く。一時間半ほどすると、ようやく叔母の声かけを受けいれて、お三時をしようと、起きてテーブルへ歩く。足取りは以前より覚束ない。それでも小さな段差はゆっくりマイペースで越えてゆく。ケーキもお茶も美しく頂く。おしゃれな祖母は着てゆく服が同じものばかりだとデイケアへ行きたがらなかった。お嫁さん泣かせ、息子泣かせで意思のはっきりした祖母だったが、さすがにここにきて立場は変わりつつあるようだ。その分、、というのか、耳もあまり聞こえず目も翳むという状態のためか、時折違う自分だけの時間世界へ行ってしまう。

私の顔を、急に不思議な表情でまじまじと見て、「おまえさん誰かね?」と言う。私の名前を言うと「ほぅ、そうかぁ、、」と。そしてそんな会話は無かったかのように、直ぐに私に向かって話の続きを始める。

その後ベッド゛に横になって二時間近く、再び祖母はしゃべり続けた。少し寝たら、、などかけた私の言葉も、サラリとかわされた。ひたすらしゃべり続けたのは、私の小さな頃の、元気だった父と滋賀で過ごした日々のこと、そして父が亡くなるまでの出来事。

嬉しそうに目を細め、「びゅわーん、びゅわーん走る、白い光の超特急、、われ歌ったらぁ。。びゅわーん、びゅわーんってなぁぇ」

そう、その通りに家のすぐ近く、高架をゆく新幹線を見てよく歌った。父と私と祖母と出かけた琵琶湖へのドライヴ゛や、家を建てようとしたら父が病気になったこと、父の亡くなる時のことなど、、私の知らないことまで、笑って、泣いて、しゃべっていた。後で母に聞いて知る、本当のことばかり。

祖母の記憶には、初孫の私とでは、楽しかったこと、哀しかったことに大きなパンドラの箱があるのだろう。息子である父を喪った後の人生、祖母は、強くあるしかなかったろう。父がいたら、とは言わないが、祖母を喜ばせるようなこと、ちゃんと私はしてきたろうか。パンドララの箱を開けるような時間世界に生きる今となっては、もう、小さな私になって、祖母と一緒に「びゅわーんびゅわーん走る、、」と歌うだけ。

目を閉じれば今も見える、あの高架の上を、びゅわーんという音でゆく新幹線。

そして今日、着物を着ていると、テレビ゛から流れてくる「びゅわーん、びゅわーん走る、、」懐かしい歌声。あの新幹線「ひかり」は、今日が最期というニュース。

おばあちゃん、「びゅわーん」は夢の超特急に、本当になっちゃった。また一緒に歌って新幹線「ひかり」、想い出して笑おうね。

 

* 九十六歳か。秦の、育ての母を思う。新幹線ひかりの最期の日に結びが利いて、一文にシマリがついている。ウエブの文章にもこうして文藝の匂いのする述懐が増えてくる。

2008 12・1 87

 

 

* つい先日、「mixi」の「朝の一服」で、父の遺品の明珍の火箸をうたった一首を出しておいたら、北海道からコメントが来て、今度はまた昔の学生さんからもコメントが来た。コメントの出てきかたは話題によりいろいろになるが、いい気分になれる。

 

☆ 明珍(みょうちん)よよき音(ね)を聞けと火箸さげ父の鳴らしき老いてわが鳴らす   藤村 省三

 

初句は、「この火箸はモノがいいんだよ、明珍の作なんだよ」という直接話法。「明珍」は具足鍛冶師で、他に火箸や釻など茶道具の名品も製した作者の家名。金の含量が多めで、チリーンチリーンと佳い音色がする。今は亡い父の自慢の品で自慢のしぐさだったのを、いつとなく年老いて自分も、そっくり踏襲しているのだ、苦笑いの内にも、感慨深いものがある。作者のまぢかで自慢のしぐさに小首をかしげているのは、はたして子か、孫か。私も子供の頃に実はよく鳴らして遊んだ。「国民文学」昭和五〇年八月号から採った。

 

☆ コメント 2008年11月26日 17:42  麗

ご無沙汰しています。

実も義理もありがたいことに存命ですので、どんな品物で偲ぶことになるのか、と、ふと思われました。

明珍の墓所は、確か千駄木のあたりでしたね。近所のてんぷら屋「天安」の穴子天丼が我が家の好物でした。

東京暮らしの頃を思い出しました。まったく関係ない感想で相済みません。

 

* 湖(うみ) 2008年11月26日 21:29

明珍のお墓は知りませんでした。

穴子天丼とは堪りませんねえ、何を見当に行くと見つかりますかねえ、天ぷら屋さんは。

其処で聞くと明珍の菩提寺が分かりましょうか。

実の親御さん達も、義理の親御さんも健在ですか。お大事に。 秦 恒平

 

☆ 麗  2008年11月27日 15:17

文京区向丘2丁目 光源寺

明珍宗妙(五十八代目)

明珍宗胤(五十九代目)

明珍宗正(五十五代目)

明珍宗政(五十六代目)

以下より

http://www.kokohe.com/info01/art.html

天安

http://www.manabook.jp/aji03sp0320tenpura.htm

同じサイトの「天仲」や、両国駅前「天亀八」も好きでした。後者2階座敷で結納を交わしました。

またまた関係ない話題で失礼しました。もう,私の通っていた頃から、代も変わっているかと思われますが、いらっしゃったらご感想などお願いします。

 

*湖(うみ)  2008年11月27日 20:28

ありがたく。本郷の方へ足の向いたときに参りましょう。

最上徳内のお墓も近いように思いますね。お寺の多いところかと。

明珍がそんなに代を重ねていましたか。これも教わりました。

そちらとても寒いと。お大切に。

 

☆ 悠  2008年11月30日 23:44

以前,大学の講義(学生実験)の一環で、姫路の明珍さんに火箸づくりを教えに来ていただいたのを思い出しました.

大岡山の構内で、レンガで即席の火床をつくり、鉄の丸棒をあっためては鎚でたたく...なかなか思うように火箸の形にならず、大変な作業でした.明珍さんが目の前であっという間に作られたお手本に習い、同じ材料で我々が作ったのは...当然の音色(?)でした.

 

*湖(うみ)  2008年12月01日 09:29

へーえっ。

明珍ふうの火箸をつくりましたか。あの音色のほんとうの組成は何なんでしょう、金の含量だなどと勝手な理由を聞いていましたが。 なにが目的のなにがカンドコロの実験だったのか、興味が湧きます。

いま明珍家は姫路ですか。それも知りませんでした。

いろいろ興味深く拝見。

お元気で。坊やも。 湖

 

* 「麗」さんが結納を交わしたといわれる両国駅前の天麩羅店というのが、もしいま大江戸線両国駅を出た右斜め向かいぐらいの老舗店なら、わたしは、あそこの美術館へ出かけた機会に食べに入った気がする。桜の頃だったような。

 

2008 12・1 87

 

 

* 一昨日昨日に紹介した、原始ローマの民主主義前進の歴史、そして労働組合法に触れて、京都の若いマイミクさんのコメントが来ている。京大から来春の就職が決まっている。わたしと同名の人で、東京にもやはり同名の若いマイミクさんがいる。東京の同名クンはどう考えているだろう。

 

☆ 所感

日本も大学教育にもお金がかかるようになり、いわゆる裕福な家庭しか高等教育が受けられなくなってきてるような気がします。

実際、アメリカでは大学の授業料がこの25年で44倍になり、その間所得は1.5倍しか上ってないので、裕福な層以外は高等教育が受けられず、必然的に階級が固定化されつつあると思います。もちろん高等教育だけが社会的成功の必要条件ではないとは思いますが。

僕は経済学部なんで少しばかり経済学を勉強したのですが、経済学では、特にミクロ経済学という分野では、経済の効率性は考慮に入れるんですが、一人ひとりの平等性については全く考慮していないんで、時間がたつごとに富める者がさらに富み、持たざるものはさらに持たざる者になるようになることを肯定してますね。現代の政策がこのような経済学に立脚している以上、中産階級以下は搾取といったら語弊があるかもしれませんが、何かと苦労はしそうです。

まぁ、僕も来年から就職して、うまいこと出世できれば、いわゆるブルジョワ経営者といわれる立場に立つかもしれないのでなんとも複雑なんですが…。まぁ、富裕な上にさらに富が集中するのはどうかなと思いますね。

ローマ時代でも、危機に乗じてカエサル、オクタヴィアヌスが強大な権力を手に入れたので、危機だといわれている今の時期にこそ民主主義を守るために我々選挙民は注意しなければならないのかもしれませんね。

 

* ウーン。

 

* これには、嬉し泪。

 

☆ お豆腐騒動  2008年12月08日10:06   馨

我が家の近くには週に二回、夕方にお豆腐屋さんがお豆腐を売りに来ます。

昔懐かしいラッパの音がすると、娘と息子はすっ飛んで来て

「お豆腐屋さん来たよ!!」

「おとうちゅ、おとうちゅ!」

小銭を持って、お遣いに行くのが大好きな二人。

先週もいつもと同じように出かけて行ったのですが、雨が降っていて二歳児がたどたどしく傘をさして歩いていたら、どうやらお豆腐屋さんはいなくなってしまったよう。

「傘さすと歩くのが遅いんだから!」と、弟を怒りつつがっかりして帰って来た娘。

「雨の日は仕方ないのよ。また今度行ってね」と慰めたものの、怒りはおさまらないよう。

その怒りのとばっちりを受けて、目に涙を溜めて帰って来た息子。

その後、私が家中の戸締まりをして階下に下りてくると

「おとうちゅ、ないの?」と自責顔の息子のみがソファにいて、娘の姿は消えていました。

慌てて家中探しても、どこにもおらず、傘がないのに気づいて外に行くと、傘をさして家の前の街灯に下にしょんぼり立っている娘。

近づくとこちらも泣き顔。

どうやらお豆腐屋さんの帰り道を捕まえようとしていたようです。

今日は三番目クンの離乳食用にとってもほしいの、とやわらかいお豆腐を頼んでいたので、どうしても買わなきゃ、と思い詰めていた模様。

仕方がないので、近くのコンビニに絹ごし豆腐を買いに行かせることにしました。

真っ暗な中に子どもを一人で出すのは初めてな上、お遣いはお店の人の顔がわかる小売店にしか行かせてなかったので、コンビニに行かせるのも初めて。でも、この顛末に蹴りをつけるには仕方ない、という感じです。

娘には、余ったお金で好きなオヤツ買っていいよ、とこれまた初めての特別オマケもつけました。

置いていかれる弟は

「じてんしゃ? ダイジョブ?」と、玄関でお見送り。

「大丈夫だよ」と、本当は歩いて出かけるのに、弟に合わせて優しく返事する娘。

姉弟、ようやく和解しました。

ちょっと心配しながらお風呂掃除をしていると

「おかあさん、ただいま~」

朗らかに帰って来た娘の声で、あー機嫌が直ったなぁ、と背中で感じつつも、掃除し続けてると

「お金余ったからね、お母さんにチョコのオヤツ買ったよ。このまえおやつに食べちゃったから。S(弟)にはアンパンマングミ。お父さんにはビール飲むとき用にうまい棒」

あーら、お父さん、ビールにうまい棒、食べたことあったかしらん。でも、その気持ちが嬉しいヨ。

「うまい棒ね、3本買おうと思ったけど、3円足りなかったから2本なの」

算数もだいぶできるようになりました。

「十分、十分。ありがとう。で、あなたには何を買ったの。」

「ううん、何も」

「え、自分には買ってないの?」

「うん。みんなの分買ったら、もうお金あまらなかったし」

 

ありがとう。

 

お豆腐は、おみおつけと離乳食とになりました。

いつもと少し味の違うおみおつけ。

顛末を聞いた主人も

「おいしいね。」

 

* 「mixi」の日記も、いろいろ。

2008 12・8 87

 

 

☆ 合図     悠

先週一週間を私の実家で過ごした息子.日曜の昼にこちらに戻り,今日から保育園への通園を再開しました.

ちょっと風邪気味のようですが,元気一杯.久々の保育園で,お友達とすぐに仲良く絵本を読み始めました.一歳児同士でもなんだか会話が成立しているようでした.

夕方迎えにいくと,先生から「保育園での生活やルールを忘れてしまったようで,少し戸惑っていました.」とのこと.おもちゃを奪ってしまったりしていたようです.

まだ十分にお話が出来ない息子たちのクラスでは,おもちゃを貸してほしいとき,手を重ねてパンパンすると”貸して!”の合図になっているそうです.

これを実家でもやっていたようです.

実家で小型犬が息子の持っていたおせんべいを隙を見て取っていってしまった後,大泣きして,”貸してってやらないでとっていった!! おばあちゃん,ちゃんとワンちゃんに教えて!!!”といわんばかりに手をパンパンして,犬を指し,訴えていたそうです.犬には通じないよね....

私も息子との生活リズムに戻りバタバタ.

ご飯を食べず ”ねんね,ねんね” と連呼してタオルを抱いて寝いってしまいました.夜中に起きて”まんま”と言い出しそうです.

元の生活リズムに戻るまで,しばらくかかりそうです.

 

* 「馨」さんといい「悠」さんといい、なんとなく嫁に出した先から、孫たちのようすを知らせて貰っている心地で。感謝。

2008 12・8 87

 

 

* いま、「悠」さんに纏めてもらった、今年一月半ばからの「mixi」日記を、一日のこらず全部読み返している。間違いがないかと読み返すこういう作業はややシンドイものだが、この人の育児日記は、読み返しているそれ自体が不思議に嬉しくて、つい他の仕事がとまってしまうほど。やっと「三月」に入ったところ。

読んでいて感心するのは、このお母さんの表現の簡潔で要を得ているところ。そのために一種懐かしい音楽の聞こえてくる文章になっていること。むだにぞろぞろ書いていない。物書きの鑑のよう。このお母さんがとても忙しい理系の研究者であること、そして人柄の行き届いて優しいことがかかわっていると思う。一番に感じるのは清潔な文体から来る気稟の清質。ラコニックにちかいのである。

 

* 志賀直哉の文体を特徴づけて、「ラコニック」という。ラコニア即ちスパルタの別名に拠っている。いわゆるスパルタ教育の厳しさと直哉とに関係はないが、その文章の削ぎ落とすべきは徹して削ぎ落とした、文飾のない簡素・簡朴の極みのような表現を「ラコニック」と評するのである。バッハの無伴奏曲のような印象か。無類の音楽美。

これを悟ることが、文学に志す者の、第一のとは言うまいむしろ究極の門であろう。そして不思議にも対蹠の感をもちやすい谷崎文学の流暢な音楽も、漱石文学中期以降の簡潔な音楽も、それぞれにラコニックの空気を擁している。優れた文章はみなそうなのである。

2008 12・10 87

 

 

☆ 博士学位請求論文公開発表会  2008年12月13日12:14

ほぼ一年ぶりに自宅で目を覚ます。白湯一杯で家を出、麹町のクリニックへ。採血後、汗をかきつつカレーを食べ、半蔵門・東急線で用賀へ。浅煎り珈琲の美味しい店でしばし書きかけの論文に手を入れる。用賀駅前からバスで大学へ。就職の決まった修士院生とミャンマーのウイルスについて、意見交換。今年夏のトルコの国際学会で台湾の研究グループが興味ある発表をしていたので、その検証試験をしているとのこと。台湾中興大学の黄先生とは不思議なご縁で、数年前ニューヨーク州のジェネバから国境を越えカナダのケベックまで旅行をした。その先生の最新発表を講座の学生が検証している。

 

博士課程の学生の口頭発表が始まる。きっちり40分で終了。学科の教授との間で質疑応答。彼の発表内容は自然科学の病理学だが、興味深いことに社会科学系の教員から多くの質問が出ていた。研究成果の社会に与えるインパクトや、防疫など経済システムにどう結びつくかという質問は意義深い。自然科学系の研究者からはなかなかこういう質問は出てこない。

口頭発表が無事終わり、後は審査した論文へコメントをつけ、来年一月の教授会で学位授与が決まる。まずは順調に進んでいる。学生君と一緒に食事をし、バスで元来た道を用賀に戻り、東急線たまプラーザで下車。バスに乗り継ぎ、自宅へ戻る。珍しく甥が遊びに来ていて、夜遅くまで話してから就寝。  maokat

 

* クリアな行文、こういう簡潔の美にいまのわたしはつい心惹かれる。若いといっても立派に壮年のよくコントロールされた生活がここに浮かび上がっている。くだくだしくならないと言うことの大切さを想う。

2008 12・13 87

 

 

* 「mixi」に連載の「悠」さんの長男君との日々を、「e-文藝館=湖(umi)」随感随想にもらい受けた。すべて読み返してみた。小さかった昔の娘や息子を夫婦して一心に育てた日々が懐かしくなる。この日記、保育の専門家「波」さんの感想を得たいもの。

2008 12・15 87

 

 

* いつでも「mixi」から離れられるように、書き込んだ「日記」の取り込み保存にかかっている。やっと一昨年の三月までを。

おどろくほど大量を「mixi」につぎ込んでいる。写真は断念する。日記のホカに、メッセージの往来があるのも、取り出して保存しておきたい。拘泥するのではない、「いま・ここ」を生きていた生の軌跡に対してもわたしは責任がある。

2008 12・16 87

 

 

* 去年一年分の「mixi」日記を、すべて此のホームページに引き写し、総目録を添え保管した。今年分も同様に保管し終えたとき、「mixi」からの退会を本気で考慮する。結論はまだ持っていないが。去年分の「目録」を念のため此処へ書き写す。

 

* 「湖」名義「mixi」日記 平成十九年(2007)分総目録。

 

* 一月 一日 この時代に‥私の絶望と希望(チェーホフ劇に寄せつつ)

* 一月 二日 袁枚悠々

* 一月 三日 早春 花びらのように

* 一月 四日 サマ文化とさん文化

* 一月 五日~七日 記念したい井上靖1~2

* 一月 五日  2006年「mixi」に掲載した「湖・秦 恒平著作」目次

* 一月 七日 kasa さんの見返り小僧さんの写真を

* 一月 八日~九日 京言葉と女文化1~3

* 一月 十日~二六日 京のわる口1~18 跋「京都と私」

* 一月十二日 一月十一日は歌舞伎座で

* 一月十六日 閑話休題 京ことばと日本語と

* 一月十六日 秦建日子作・演出『月の子供』本多劇場

* 一月十八日 空蝉と軒端の荻と

* 一月十九日  祇園と歌舞伎と

* 一月二十日 早春

* 一月二一日 志賀直哉の日記

* 一月二二日 湖の本版『早春』の埋め草に

* 一月二三日 河原町商店街のために

* 一月二四日 秦 恒平・湖(うみ)の本 十四年歩み

* 一月二五日 こんなふうに思っていたときも

* 一月二六日 翁と天皇

*  一月二六日 使い慣れた親機大破のため作業難航します。

* 二月 二日 回復への一週間 闇に言い置く私語

* 二月 三日  やっと機械は復旧し

* 二月 四日~八日  京で、五六日京都案内1~4

* 二月 四日 マイミクにと誘ってくださる人に

*  二月 八日  昨日は一日中歌舞伎座にいた

* 二月 九日~一九日  蘇我殿幻想1~12

* 二月十二日 あらすじで書ける? 小説?

*  二月十九日 私語の刻 存在の詩

* 二月二十日 消えたかタケル

* 二月二十日 『蘇我殿幻想・消えたかタケル』の跋

* 二月二一日 私語

* 二月二三日  昨日の私語の刻 松たか子の『ひばり』

* 二月二三日 私語の刻 『ひばり』のこと

* 二月二四日 闇に言い置く私語の刻

* 二月二五日 「mixi」に送る最後の日記 湖

* 三月十六日 『ひばり』のジャンヌ、近代への誠実

* 三月二十日 ホームページ更新が不可能に

* 三月二六日 京都へ行ってきました

* 四月十六日 『愛、はるかに照せ』

* 四月二二日  「湖」の日記は

* 四月二六日 小田実氏のメッセージ 湖の「私語」に転載

* 五月 三日 憲法記念日の「私語」

* 五月 十日 親機のインターネット破損のため

* 五月十一日 「私語の刻」復旧そして俳優座へ

* 五月二二日 この二、三日の私ごと

* 五月二四日 伝えずにおれない 湖 今日の私語から

* 六月十三日 染五郎の知盛 わたしの船弁慶

* 六月十三日 六月歌舞伎座昼夜の楽しみ

* 六月二二日  六月二十二日 涙雨

* 六月二五日  恋童さんの「小説の豚どもへ」に和して

* 七月 七日  渡らぬ織女 渡る織女

* 七月十一日 「闇に言い置く 私語の刻」より 抱き柱

* 七月十六日  襤褸が脱げるか

* 七月十七日 写真の嬉しそうな巨猫氏は、

* 七月十八日 写真の凛々しい美青年は

* 七月二五日  徳田秋声の『あらくれ』

* 八月 一日 秦 恒平・湖の本エッセイ41『閑吟集』跋

* 八月 三日 花と湖

* 八月 四日 「二度」の地獄 安倍総理に訴える

* 八月 九日  井上ひさし作、大竹しのぶら出演『ロマンス』を観て

* 八月十二日 心と夢との危うさ

* 八月十七日 敗戦の日と納涼歌舞伎

* 八月十七日 涼しそうに

* 八月十八日 幽霊 宮沢りえ

* 八月二十日 海は見ていた 清水美砂

* 八月二十日 励まない

* 八月二一日 鬱陶しくなってきた

* 八月二一日 弱虫

* 八月三一日 家 実父の生家

* 九月 一日  昨・平成十八年「湖・秦 恒平」の「mixi」日記掲載目録

* 九月 九日 枯木寒鴉

* 九月十二日 吉右衛門と福助と左団次 九月の歌舞伎座

* 九月二十日 述懐 そして「星空」

* 九月三十日 珠光の「心の文」①茶の湯も文学も

* 九月三十日 珠光の「心の文」②観世榮夫も松本幸四郎も

* 十月 四日 截金の江里佐代子を心より悼む

* 十月 六日  追従しない 独りぽっちで

* 十月 八日 あッ お月さま

* 十月十二日 中村屋ッ 奮闘公演

* 十月十九日 我當に拍手「新口村」 楽しんだ歌舞伎座の昼

* 十月二二日 蕎麦と能装束と卒塔婆小町と天麩羅の一日

* 十月二八日 兼好の眼

* 十一月 一日 生母

* 十一月 三日 闇に言い置く私語の刻 人生の消費税

* 十一月十六日 山科閑居など 十一月歌舞伎座

* 十一月十七日 玉手御前と合邦 国立劇場

* 十一月二三日 今・平成十九年「湖・秦 恒平」の「mixi」日記掲載目録

* 十一月二五日「置き去り」俊寛と「居残り」俊寛

* 十二月 九日  日々に思うこと

* 十二月十一日  めでたし『松浦の太鼓』

* 十二月十五日   闇に言い置く 1 川口久雄 女文化 バグワン

* 十二月十六日   闇に言い置く 2 東工大 院展 電メ研発足

* 十二月十七日   闇に言い置く 3 パソコンと漢字 文字コード

* 十二月十七日   闇に言い置く 4 湖の本 ホームページ ペンにもHP

* 十二月十八日   闇に言い置く 5  併読 能 囲碁ソフト バグワン 真山賞の我當

* 十二月十九日   再撰・再録「闇に言い置く」 6  佐高信と猪瀬直樹など

* 十二月二十日   一昔前の「闇」7

* 十二月二二日   七十二歳誕生日の歌舞伎座

* 十二月二三日   一昔前の「闇」8 大坂の松竹座など

* 十二月二四日   一昔前の「闇」9 ペンクラブに 根本的な疑問

* 十二月二五日   一昔前の「闇」10 お国と五平 菊五郎の知盛

* 十二月二五日   一昔前の闇 11 京都美術文化賞 浅井忠展など

* 十二月二六日   一昔前の闇 12 茶道具 手紙の引用 核声明

* 十二月二七日   一昔前の闇 13『寂しくても』『能の平家物語』『心は頼れるか』

* 十二月二八日   一昔前の闇 14 電子メディア論

* 十二月二九日   一昔前の闇15 フォントと漢字の標準化 作家の稼ぎ

* 十二月三十日   一昔前の闇16レイタースタイル 自問 『戦争と平和』正字と略字

* 十二月三一日   一昔前の闇17 表現の自由 参議院自民惨敗 東工大卒業生と湖の本

2008 12・19 87

 

 

☆ おてつだい  馨

二歳の息子はここのところ、「待っててね」ができるようになりました。

何かをしたいとき「◯◯が終わったらね」とか、「じゃ、これをやったら次はこれこれしてね」とか、時系列の交渉が可能になったので、夏から初秋の頃の待ったがきかない大変な時期を一つ乗り越えられました。

6ヶ月の三番目クンは、ひたすらに放っておかれるのに慣れているせいか、手元に小さなオモチャを置いておけば、静かにいじって遊んでいます。

彼がいたずらし放題になるまでのこれから数ヶ月、ちょっとだけ生活に余裕が出るかも。

真ん中クンの最近のブームはお手伝い。

ホットケーキを作る時に卵を上手に割ってくれるようになったのは夏頃ですが、その後、お野菜をお鍋に入れる、まぜまぜする、などにも上陸。

一緒に台所に立っている限り後ろで予想外のイタズラをされる心配もないので、一つずつお仕事をあげることにしています。

そして、先週からついに包丁きりにも挑戦。 お姉ちゃんも3歳前後で包丁を使い始めましたが、その子ども用包丁を息子クンへ。娘は最近は大人用の菜っきりの方が重さを利用して切りやすいことに気がついたらしく、あっさり譲ってくれました。

人参のしっぽや菜っ葉の茎など、まぁ、失敗したら捨ててもいいかな、と思えるものを渡しておくと、「キコキコする」と言って丁寧に切ってくれます。ただ、横で私がトトトト、と別のものを切り始めてしまうと、同じ速度で包丁を叩き付けることだけに集中するので、全く切れず。

でも、とにかくその時間分はヘンなことをされる心配がないのが嬉しい。

お料理ができ上がり始めると「タテタンが運ぶね」と、頼みもしないのに自分でさっさと持っていきます。

洗濯物干し、洗濯たたみ、掃除機がけ、すべてやりたがるのですが、お付き合いしていると時間がかかって仕方ない。

ここで邪魔だから、と邪険にするとあとあとお手伝いしなくなるかも,と懸念して、ぐっと忍耐。 お手伝いがお手伝いとして機能するまで、親の忍耐力の勝負だなぁ、と。

お姉ちゃんはようやく「お味噌汁作って」と具を出しておけば出汁取りから全部できるようになりました。万歳。

長い道のりでした…。

真ん中クンも早くこうなってラクさせておくれー。

あまり嬉しくないお手伝いも。

雨の降った日に干し柿を取り込んでおくと「これ食べてい~い?」と、ヒマさえあれば周りをうろうろ。

先日は、そろそろ渋も抜けて来たかな、と試食を許すと姉弟で3つも消えました。

干し柿って小さいけど、柿一つ分あるわけで、かなりお腹が満たされるらしく、予想通り夕飯はイマイチ。

なのに二人は「お味見したんだよ」と、お手伝い気分なのがなんとも。

年末に向けて、どこまで「お手伝い」が機能するか…やっぱり私の忍耐力向上キャンペーンになるのだろうなぁ。

 

* こんな子たちがいつも三人も、みぢか・まぢかに在ること、羨ましい。

2008 12・20 87

 

 

* 毎日、「朝の一服」で愛の歌を、此処にも「mixi」にもあげて、読み返している。心静まり温まるいっときで。

誰彼となく読んでも欲しいし、読まれてなくても、それはそれ。自身の胸奥を深く覗き込んでいるいっときである。「夫婦」「子」「親」「血縁」「友」「師弟」まできて、もう残り少ない。「さまざまの愛」までみな書きぬいたところで、「mixi」から離れようかと思っている。決心したわけではまだないが、もういいかなあとも。

気になるのは「mixi」今年の書き込み分、またメッセージ往来などの記録保存が出来ていない。それも自身の著作に類するので、投げ出してしまうことは出来ない。

 

* 少し疲れている。

2008 12・22 87

 

 

* 「mixi」に足あとがたくさんつく。一応、どんな人かなとプロフイールを覗き返す、ふつう。もしかして懐かしい知った人なら嬉しいと期待するのだが。ときに短歌が好きな人だと、作品ものぞいてみる。

2008 12・23 87

 

 

* 札幌のmaokatさんが、今年を振り返って、考えさせられる良い論説を書かれている。「e-文藝館=湖(umi)」の「論説」欄に戴いた。此処にも、年内書き込ませてもらう。

 

☆ 毒入りギョーザで悪いのは? 平成二十年を振り返る:   maokat

そろそろ今年(平成二十年・2008)を振り返る時期になってしまった。

昨年から今年にかけて、食品に関する偽装、毒物・異物混入事件が相次いだ。農産物に関わる仕事をしているので、一連の報道で説明してもらえなかったことについて述べておきたい。

 

11月のある会議で、日本の農薬登録を担当する法人の役員が挨拶した。

「毒入りギョーザ事件以来食品に混入する殺虫剤がマスコミに取り上げられているが、気になるのはあたかも殺虫剤が悪者として取り扱われる傾向があること。悪いのは殺虫剤自体ではなくその使い方(ギョーザの場合は食品に混ぜ込む、残留農薬の場合はしてはいけない使い方をしている)にある。」

 

この挨拶には共感するところが多かった。

 

農薬といえば、マスコミでは悪役として取り扱われることがほとんどだ。たぶんこの傾向は、高度経済成長が終わり、公害など負の部分がクローズアップされて来た頃から始まったのだろう。できるだけクスリを使わず「安全性の高い」「ナチュラル」な状態で育ってきたものを口にしたい。そういう願いは、私も一消費者として持っている。しかし同時に、一億三千万人分の食糧を生産し供給し続けることが、いかに難しく、大変なことか、農業・農政に身を寄せている立場としては、その苦労も理解しているつもりだ。

 

食糧は、われわれが想像するよりいとも簡単に足りなくなる。団塊の世代以上の方は思い出してほしい。ついこの間まで、三食ちゃんと食べる、銀シャリをお腹一杯食べる、ということがいかに難しく、有り難いことであったか。また、それ以降の世代の方だって、冷害の1993年に国産米(日本の主食!)が払拭して、タイ米を緊急輸入したことを憶えているだろう。もっと若い方には、一時期バターがスーパーの陳列棚から消えてしまったり、小麦製品が軒並み値上がりしている今年のことならば知っていることだろう。

小麦の話は、オーストラリアの干ばつや、バイオエタノール用作物との土地の競合など、主に海外での小麦生産の事情により起きたものだが、食糧輸入や自給率の話はまた別の機会に述べるとして、今回は国内の農業事情に話を絞って話を進めていきたい。

 

化学肥料、農薬、大規模化、機械化、農産物の規格化、周年栽培、近年は担い手の集約化。これらが一億三千万人の胃袋を維持している日本農業の根幹だ。そして、基本的にはこれら根幹を構成する要素は変わらないと私は思う。しかし、農産物の評価が量から質へと変わり、食の安全に対する意識が高まって「安全性の高い」「ナチュラルな=減農薬、無農薬、有機栽培の」農産物に対する需要が多いのも確かで、これからそういう農産物がますます増えてくることも間違いないだろう。

 

食べ物を作る生業=農業には、より良い食料を食べたいという消費者の欲求に答える使命と、国民に安定的に食糧を供給し続けるという使命の、両方がある。農薬に例をとっていえば、前者と後者では、役割や重要性が全く異なる。それぞれの役割を理解した上で、減農薬や無農薬栽培に対する考え方を持ち、食品混入などの事件にもこの役割を理解した上で冷静に対処してほしいものだ。

 

では順を追ってみてみよう。

「減農薬、無農薬、有機栽培」などの農産物に消費者の需要が高まれば、そのような農産物を作る、作りたい農家も増えてくる。しかし、化学肥料・農薬を使わない農業は、気候の変動などに収量や品質が左右されやすく、場合によっては生産皆無の年もありうる。そういう時に、売り上げゼロになってしまった農家が潰れてしまっては、何年経っても化学肥料・農薬を使わない農業は定着しない。そういうリスクを認識した上で、農家を潰さない仕組みを作ることが必要なのだ。また、不作の年には、品質の悪い農産物しか出来ないことも想定される。

さらに、当然のことだが、化学肥料・農薬に頼らない栽培は大変な手間がかかり、相当なコスト高になる。フランスなどで流通している有機栽培農産物と同じものを日本で安定的に食べたいと思うならば、消費者は、腹をくくってほしい。より良いものを食べるにはそれなりの負担が必要。天候不順で生産が無かった農家への補償、不作の年には品質の悪い生産物でも買って消費してくれること、そして手間に見合った価格で生産物を買ってくれること。

こう書いてみて、化学肥料・農薬を使わない農業の買い手は、こういう農家のパトロンになるということなのだと気付いた。お金を払って、こういう農家を育てるという表現が一番ぴったりするし、さてそう書いてみて、改めて、これは今の農政や大型スーパーを核とした物流組織とはしっくりいかないなぁという感じが、鮮明になる。

 

一方、食糧安全保障は、外交、防衛、教育、福祉といった国が責任をもって行うべき基本的な施策で、消費者の欲求とは別の観点から考える必要がある。冒頭出てきた毒入りギョーザ事件以来、すっかり悪者になっている化学農薬だが、一億三千万人を飢えさせないためには、化学農薬はなくてはならないもの。といってもあまりピンとこないかもしれないが、食糧生産に危機的な状況が訪れた際には、化学肥料、殺菌剤、殺虫剤の有り難さを、われわれは再認識することになるだろう。また、そうならないまでも、農業生産現場においては、これらの肥料農薬を日々適正に使用することではじめて、スーパーの食料品棚を一杯にすることが出来るということを忘れないでほしい。

 

「ナチュラルな」食べ物を食卓に届けるために、もう一つ大切なことがある。減農薬、無農薬、有機栽培の定義をはっきりして、その認証制度を設けると共に、偽装をさせない仕組みを作ることだ。例えば、農薬を何%減らせば、減農薬というシールを貼っても良いのか、今は統一的な規格が定められていない。無農薬と一口に言っても、薬の代わりに酢を撒いたらどうか?酢の代わりに活性炭では?その代わりに鉄を水に溶かしたら?さらにその代わりに銅を水に溶かしたものを撒いたら?など、無農薬と農薬のボーダーがはっきりしていない(正確には多くのものがボーダーライン上にあってどちらになるかまだはっきり決められていない)。「有機栽培」というシールを農産物に貼るためには、どのような土作りを何年前からしていて、実際に有機栽培が適性に行われ、他の農産物が混入していないことを証明し、常に検査していなければならない。これはけっこう大変な手間だが、厳しい制度を設けない限り、またぞろ不正、偽装が頻発し、かえって有機栽培農産物の信頼を失うことになる。先に挙げたフランスの有機栽培認証制度はまさにこのようなことを細かく調べて運用しているので良い例になると思うが、フランスは欧州では指折りの農業保護政策をとっている国であることも知っていてほしい。

「安全性の高い」農産物を食べるためにも、今まで以上にチェック体制を強化する必要がある。一口に、また簡単に「安全性」というが、例えば農薬の安全でなかった使用例の中には、 ① 生産者のミスなどで本来その作物に使ってはいけない農薬を使ってしまった、 ② 正しい農薬を使ったのだが撒く時期を間違え、成分が生産物に残留してしまった ③ 生産者に過失はないが、隣の畑からドリフトして(漂って)きた農薬が混入してしまった ④ 生産者の悪意により使ってはいけない農薬を使った、 などいくつものパターンが考えられる。また事故米のように、生産者の手を離れた後、流通過程に原因がある場合もあるし、ギョーザ事件のように農業とは関係ない場面で故意に混入される場合もある。どのケースについても、農薬の正しい使い方を守っていれば、問題は発生しないので、今の制度をより厳格に守ってもらうことが重要だ。

 

すっかりはやりとなってしまった食品への農薬混入事件では、「こんなアブナイものをなぜ使っているのだ」というような、直情的短絡的な思考から、農家が農薬を正しく使えなくなることを危惧する。

 

さらに、危惧していたことがまさに現実になってしまったが、事故米不正流通事件では、大阪農政事務所の一課長の不正が、いつのまにやら「国の出先機関の農政事務所は必要ない」という話にすり替えられている。

事故米事件の遠景には、1993年のガット・ウルグアイ・ラウンド農業合意の結果、日本は1995年から買い手のない外米を毎年輸入しなければいけない義務が生じたこと、その保管料が年間150億円もかかっていること。さらには農政事務所(旧食糧事務所)がいつも行革の削減対象に上げられて、職員の志気が著しく低くなってしまっていたことなど、制度的な問題点があるのだが、今回の事件でそこに鋭く切り込んだ報道はあったのだろうか? 元々売れない外米を抱えている農水省がそれを買ってくれる加工会社の検査をするという仕組みも変だが、検査の主体が国から自治体に移れば、広域(三笠フーズの場合は大阪と九州)に亘る不正行為を見抜けなくなり、現在よりチェック体制が脆弱になってしまうことは明らかだ。国の出先機関全てが必要とは思わないが、食品の検査制度は国のお仕事。消費者庁でも何でも良いので、食品に関わる一連の検査体制を一元的に管理する国の機関が出来てほしいと私は思う。

 

漢字はものを良く現していると感じ入るが、農産品には商品として販売される「食料」と国民生活に不可欠な「食糧」としての別々な顔を持っている。食べ物について大揺れになった今年、食べる人も作る人も、そして(本来)その仲立ちをする農政も、農業の二面性を良く理解して、農薬を含む農業に対するバランスの取れた考え方を持ってほしいと思う。

 

* 次の「日記」も、「e-文藝館=湖(umi)」の「随感随想」に頂戴したい。

 

☆ 逢いに、「山口 薫展」    珠

昨夜の冷たい雨は上がり、遠く雲間に青い空が見える。やり残した感のあることを、する貴重な日。パソコン作業などを済ませ、昼過ぎに家を出る。晴れているものの、頬にあたる風はキリリと冷たい。

 

本日最終日の世田谷美術館「山口薫展」へ。京都の何必館から我家近くに来ているというのに、なかなか行けなかった。やさしい光に満ちた穏やかな絵、「おぼろ月に輪舞する子供達」に、久しぶり、逢いたかった。

 

この絵にはドキドキさせられてきた。ずっと以前、何必館で目にした時はほわっと温かい気持ちになって。絵の架かった一番奥のそこだけ、別な光の注ぐ明るさを感じた。でも、絵の前から動けなくなったのは、別な絵だった。

それから数年後、紅葉の頃にお茶(茶の湯)のことで京都に出かけた。夜、祇園白川近くを歩いていたら、小さな店先のウインドウにこの絵を見た。ポスターを額に入れたのだったが、どこかで見た懐かしさと、夜の路でそこだけ明るい感じがして足が止まった。先を行く友に急かされながら、目だけ何度もその小さな窓を振り返った。そのまま想いだせず、いつの間にか忘れていた。

それから少し後のクリスマス頃、ある人とのメールのやり取りのなか、「こんな絵が似合うかも」という言葉と一緒にクリスマスプレゼントがファイル添付されてきて、開けたら、この絵だった。息をのんだ。急に、数ヶ月前の小さな窓の明るさがよみがえり、今自分が何を見ているのか分からなくなった。待っていたものが、急に目の前にあった。贈ってくれたその人に、何必館の絵だと教えられ、以前見た時の様子も戻ってきた。それからは、京都へ行くといつも寄る何必館に、その絵に逢いに寄った。

 

ここしばらく、逢ってなかった。今年の誕生日も近くなった頃、通勤の帰りに駅ビルの自動ドアを通ろうとしたらそこにその絵があった。思わず足が止まり、そばに寄った。近くの世田谷美術館で山口薫展をするというポスターだった。

来てくれたんだ、そう思った。

きつい年だったから。絵の方から、来てくれたんだ、そう感じた。

それからの毎日、朝に夜に、そこにポスターは架かっていて、大丈夫だよと励ましてくれているようだった。誕生日もやり過ごし、その絵を目の頼りに往来するうちに、ある朝、別な絵になっていた。

 

近くにいるうちに、必ず逢いに……、と、思いながら、気づけば最終日。結局、またクリスマスプレゼントトのようなものか……歩きながら思わず笑っていた。自然の描く美しい葉の色を見ながら歩く。風は冷たいのに、寒桜は陽に向かって花をつける。逢える……。

 

こんなにたくさんの山口薫作品を見たのは初めてだった。戦前、戦中、戦後と、時代と絵との変遷がよく見えた。群馬県榛名への疎開中、農作業をしながら描いていたらしく、このあたりから牛や馬、田畑のモチーフが多く現れる。そして終戦の頃、銃を描いた絵を満たす赤、紅、茜。何と様々な赤だろうか。怒りとか、血とかいうイメージではない、美しい哀しさを感じる赤だった。そしてその後、削ぎ落とされるように、絵は具象から抽象に向かい、病をえてからの切ない美しさには妖精のような透明な空気感すらある。

 

絶筆のその絵の少し前の作品「サラサラ粉雪ふる」音のない静かさは少し淋しそうで、それでもやさしさに満ちている。‘やさしい’という言葉はあまり好きじゃないが、それはそれしか謂いようない、心温かくなる、やさしい絵。

赤の絵では「矢羽根飛ぶ」に魅せられた。織物のような微妙な息づかいのある赤、さまざま。空気を一緒に織ったのだろうか、色にふくよかさを感じる。モチーフは銃から矢羽根に変わり、具象から抽象化したけれど、奥行きある赤は時を経てそこに繋がったと想った。

 

「おぼろ月に輪舞する子供たち」では、紅い馬がいる。牛や馬のモチーフはどんどん変化して、この作品では馬を中心に抽象化してきている。そして山口薫が若いときから好んだ菱形、田畑を抽象化した絵にもよく描かれている。

この絵の真ん中、子供たちの踊る中にある菱形めいた花壇を、私は花咲くお墓かな……と想っていたけれど、大地そのものなのかもしれない。

 

画家は、ちょっとお茶目な、愉しいところのある方だったらしい。小さな貝で作ったおもちゃや、ノートの走り書きなど、生活の楽しみ方に独特なやわらかさを感じる。扇子に風景をスケッチし、ペンで、「ポータブル手動式作風器涼風おのずから湧く扇子かな 風と共に去る」と書いてある。暑い夏の陽が見えるようだ。

 

制作に行詰っていった山口は、ウィスキーと煎茶を交互に飲みながら過ごす日々だったという。胃がんになって手術、治療をしたのは女子医大だった。そして 60歳、女子医大で亡くなった。私はそのとき、五歳。それから十五年後に女子医大で働き、そして今、山口薫の絵に励まされる。不思議なこと。ささやかな「点」が、後に「糸」に見える。いや、見たいのかもしれない。生きてみなきゃ、わからない。

 

世田谷美術館から、扉にクリスマスリースのかかる住宅街を歩いて、玉川高島屋へ。ずっと思いながら、ずく(=?)がなく後回しにしてきたこと、「眼鏡を作りに」行く。老眼も始まったのか、とにかく見えない。目が疲れて痛くなる。こんな状態では、新年を迎えても先など見えまい……と、重い足を向ける。

 

検眼の小父さまは、さすがプロ! デパートなら、値引きはないけど人は揃えているかも……と思ったとおり、検眼しながら色々な話を聞くことができた。目は体力と同じで、筋力という意味で男性の方が調節機能の落ちるのは遅いらしい。男女差というよりは、筋力差ということらしい。目の筋肉は今更鍛えるわけにいかないから、眼鏡でよい調節を目指すしかない。結局、今まで矯正しなくて済んでいた乱視を矯正し、近眼の調整をしてもらった。そして新しく、レンズ゛下部の方だけ少し近視を弱くいれておく、特殊レンズ゛にすることで初期老眼に対処することになった。遠近両用は未だちょっと……と思っていたので、この提案は嬉しかった。眼鏡を外せば見えるんです……が、そのまま適ったようなもの。あとは出来上がるのを待つだけ。どう見えるか、楽しみ。

よく見えるようになった眼鏡をかけて、また来年も絵を見よう。これからは、信頼できる歯医者さんと、眼鏡調整師さんは、友、いえ杖かもしれない。大事にしよう。

 

* 京都祇園の何必館は、妙に里のように懐かしい。懐かしい匂いがする。館が出来上がるまでに、いろいろ梶川とも話し合った。オープンは、当然、村上華岳展と山口薫展と、魯山人や富本憲吉のものが並んだ。梶川は、記念にと、山口薫の少年時代の「絵日記」を呉れた。画集も貰っている。

「珠」さんは、「おぼろ月に輪舞する子供達」の他に佇立した作があったと書いているが、題は挙げていない。何かな。

2008 12・24 87

 

 

* わたしのメールアドレスが悪用され、ずいぶんいろいろな「SPAM」メールが当のわたしのところへも山のように押し寄せる。アドレスを変更すればいいのだが、面倒で。

ま、これが電子化時代の錆のようなものと、放ってある。その手の「SPAM」とは全く縁もゆかりもないことだけハッキリ書いておく。

2008 12・26 87

 

 

☆ あんと!  2008年12月28日17:32   悠

息子のおしゃべりが急速に発達しているようです.

返事は「あーい!」.最近上手に返事をしてくれるようになりました.

「お風呂に入ろうか?」ときけば「あーいぃ!」と片手をあげて元気にお返事.「お買い物に行く人」と聞けば「あーい!」と返事をしながらコートと帽子を探しに行く.お返事が出来るときはすんなり次の行動に移ってくれます.

昨日から「あんと」が加わりました.”ありがとう”らしいです.

大好きのジュースを渡すと,「あんと」.「どういたしまして」とこちらは自然と笑顔に.駄々をこねて獲得していったリンゴジュースをあげた場合でも,思わず許してしまいます.

 

* 「悠」さんの日記に最良の「題」ができた。

「あんと!」

もう大方は「e-文藝館=湖(umi)」に掲載されているが、総題に迷いがあった。迷いは吹っ切れた。心から楽しませてもらったよ、「あんと!」

2008 12・29 87

 

 

* マイミクの「うきふね」さんが、「朝の一服」にコメントを下さっていた。

「mixi」に参加し積極的に日記を書くことで行動にもハバが広がって、それがまたいい日記につながるという、望ましい連鎖。感心する。自然当然にマイミクも増えている。

 

* 「mixi」の「マイミク」というものが人によりどう想われているか知らないが、人により、うまくその仕組みを生かしている。「うきふね」さんなど佳いお手本のように見える。

お茶のお稽古を実に多年熱心につづけている人でも、人のためにお茶をたててあげることは滅多になく、簡略な作法ですら客を迎えてお茶を点てて差し上げたことは無いと聞くと、わたしは驚いてしまった。驚いて思わずその人に、「それじゃ「mixi」に参加してながら、マイミクをちっとも増やさないのと同じだなあ」と言った。

「それ、うまい譬えですね」と感心しながら、たぶんその人は何かしら思い当たったのでは無かろうか。

 

* その日の「朝の一服」には佳い作品が並んだ。大晦日、大歳の最期に、もういちどそれを読んで頂き、「うきふね」さんのコメントを記録させて頂こう。

 

☆ 猪鍋(ししなべ)や吉野の鬼のひとり殖ゆ   角川 春樹

 

「言霊の鬼、前登志夫氏」と添えてある。私には分かる気がするが、前氏を知らぬ人には無理だろう。それならば採るまでもないようなものだが、この句、そんな限定を大きく超えた魅力がある。たんに一人の現代歌人をほめるだけでない、もっと初原へ帰って「鬼」そのものへの強い愛を感じさせる。

鬼が「ひとり殖」えた…、それがなぜ作者の喜びになりまた私の喜びになるのか、理づめに説く気も起きないがいわば「鬼の世界」を信じているのだ。むごいばかりな「人の世界」に無い、貴い秘密を抱き込んだ真実を信じ愛しているのだ。「吉野」はそういう世界だったと、古いものの本には証してある。だが「吉野」ばかりか「日本」中がひろくそういう世界だった。昭和五九年『補陀落の径』所収。

 

 

☆ この祭はかなしみ多し雪が疾(はし)り鬼が裸体であることなども

見捨てられ追はれし村も遠ざかり鬼のしづかにねる雪の洞   春日井 建

今は昔朝けの堂に栗鼠は来て籠(こもり)の鬼と遊びけらしな   木山 蕃

 

春日井の昭和四五年『行け帰ることなく』から二首、木山の昭和五四年『鬼会の旅』から一首を採った。日本中に、「鬼祭」「鬼会」といえる催しは数多い。が、何故かという事までは人はあまり考えない。自分とは関係がない…という気もするのだろう。そうだろうか。ここに挙げた歌で「鬼」は雪のなかを「裸体」で「見捨てられ追はれ」て、わずかに村はずれの「雪の洞」や「堂」に籠もりながら、人外に栗鼠などと遊んで心をやっている。まぎれもないそれは敗者の境涯のように想われ、人はさも「鬼」だもの当然かのように思い切って、顧みない。そこを敢えて顧みて本当に自分は、自分たちの歴史は、敗者でなく勝者のそれであると断言できるのかどうか、よく思い直してみたがいいだろう。日本の歴史で、もっとも「かなしみ多」く、「愛」に欠けていた部分として「鬼」の世界への偏見と差別が、ある。自分だけは「鬼」ではないなどという思い上がった誤解から自由にならない限り、日本人の暮しに、真に高貴な「自由」は確立できないだろう。

 

 

☆ わが合図待ちて従ひ来し魔女と落ちあふくらき遮断機の前   大西 民子

 

前の岡井隆の歌でいう「通用門」が、この歌では「遮断機」という一層毅然たる表現に転じている。「われ」と「魔女」とは異なる世界を踏み越えて変身の間際の、同じ二つの顔に相違ない。この歌でも「われ」と「魔女」との価値判断はしていない。出来もしない。「われ」のなかにいつも「魔女」は潜み、「魔女」として生きる暮しが「われ」の暮しでもある。お互いにしめし合わせて不都合なく生きて行くよりないと、世界を分かつ「遮断機の前」は、両者が慎重に瞬時に打合せを遂げる秘処なのである。むろん作者が勤めの退けどきや、通勤途中の踏切などにうち重ねて想像してみるのは、「岡井隆氏」の場合と同様、いっこうに差支えない。ただ、そこで読み止まっては面白くない。これらは私のみる所、自身および「生きる」ことへの、まぎれない、「愛」の歌である。昭和三五年『不文の掟』所収。

 

コメントを書く

 

ウキフネ 2008年12月30日 21:17 「鬼」

ミクシィで、秋にいただいた大きな課題。私の中の不在の「鬼」

能の鬼の面をみると、恐ろしいより哀しみを思います。

今日の3首。続いて大西さんの魔女の1首に、来年への生き方を示されたような。大げさですが、足の立ち位置のようなものを思わざるをえません。

「鬼」に対しての解説を読ませていただいても、まだまだ理解が届きません。

ー 「鬼の世界」が貴い秘密を抱き込んだ真実を、愛し信じている。ー

自分の中の「鬼」を見ようとしない事は、自分自身以外の人に対しての愛の不足でしょうか。

自分だけは「鬼」ではないと偏見と差別を持って別の世界を見ている自分がいるのも事実です。

世の中にしっかりと「立ち向かい」が出来ない、平衡感覚だけで過ごしてしまいがちなことが、自分自身が自由でないことです。

やはり難しい課題です。が、考える機会をいただき有り難く、しっかりと受け止めて過ごしたいと思っています。

「朝の一服」連載を、来年も写真と共に楽しみにしています。

どうぞ平安な良い新春をお揃いでお迎え下さい。

2008 12・31 87

 

上部へスクロール