この人は、もう知る人は知っている、植物の研究者で、理学博士である。大学教授である。文人でもあり茶人でもある。
☆ 馬鈴薯(ポテトー)と金剛石(ダイヤモンド) maokat
三が日、ほぼ同じく、起床、食事、出勤、仕事、食事、読書(書類添削含む)を繰り返した。
出汁を引いておいて出勤し、帰ってから、元旦は澄まし、二日は味噌で、雑煮を祝った。具は、餅とかしわ、大根、人参、三つ葉。餅は同僚の北関東の里から届いたものを分けてもらった。紅白なますも作り、元旦は紅い楪子、二日は白い柿右衛門の小皿に盛った。黒豆は、何年か前に失敗して以来、出来合いを買っている。三日目の今日は、おせちもやめて、虎杖浜産の新鮮な鱈子を使って、パスタを茹でた。
『三四郎』の後、元旦に『狭き門』『それから』を読み始め、今日の朝、布団の中で読み終わった。私がマークしていた『三四郎』の宗八、つまり穴蔵の中で光の研究をしていた貧乏な学者は、『それから』には登場せず、残念なことだった。漱石先生でも、あれだけ単純明快に研究に打ち込んでいる人を、美禰子やよし子にかこつけて、穴蔵の中から引っ張り出せはしなかったようだ。おそらく宗八は研究に忙しくて、細君を貰うこともせず、まだ『三四郎』の中で、穴蔵に入って光の振動を調べているに違いない。美禰子を譲った人は、『それから』では、何もしていない遊民となって、ストーリーを引き継いでゆく。
『三四郎』でも『それから』でも、意外に空の描写が多い。ストレイシープの雲や、代助が朝な夕な縁側から見る空模様。東京にはまだ広い空があったのだ。今は、見上げるべき空がない。空がないので、人はポケットから携帯を出して、俯くのだ。
『それから』は、八重の椿が畳の上にぼたりと落ちる印象的な場面で始まる。椿はツバキ科。その後登場する重要な花は、なぜか香りが強いユリ科ばかり。鈴蘭を水盤に放ったり、百合を活けたり。三千代は、この鈴蘭を漬けてある鉢から水を汲んで飲んでしまう。たしかスズランにはジキタリスと同じような強い毒性のある物質が含まれていたはずだが、三千代さんはびくともしない。そればかりか、今度は百合もぶつぶつと剪って、鈴蘭の鉢に放り込んでゆく。鈴蘭と百合が浮いている水盤はどんなだろう。この場面は意図するところがわからない。
『それから』には面白い比喩表現がそこここにちりばめられている。
「印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をする」
「鍍金を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する」
秀逸は「もし馬鈴薯(ポテトー)が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。・・・万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に囓り付かなければならない。そうしてその償いには自然の愛が残るだけである。その愛の対象は他人の細君であった。」
「自然の愛」よりも「金剛石」よりも「馬鈴薯(ポテトー)」を大切に正月から嬉々として働いている私など、いったいどうしたらいいのだろうか。
『三四郎』『それから』までは、煎じ詰めると金と細君の話。これから『門』を読んでみるがどうなることだろう。
* 人それぞれに漱石にすでにくわしく接してきた読者達には、いろんな感想が湧くことだろう。それはそれである。また一つのユニークな漱石体験が達成されて行くんだなあと、わたしは楽しみに心待ちにしている。
* もう一人の理学博士で絶対音感の持ち主は、ボストンの希有の寒気の中で、新年を始動している。
そういえばアイオワで、オバマがヒラリーを凌いだらしい。ウーン。どうなるだろう。「雄」のレポートが待たれる。
☆ 寒いにも程がある ハーバード 雄
今朝,ついに華氏7度まで気温が下がった.摂氏だとマイナス14度くらいか.身支度を済ませ,外に出たが,冷凍庫に顔を突っ込んだような気分.
もともと寒いのは嫌いではない.ゆだるような暑さよりは,寒い方がマシだ.ピンと張り詰めた空気の中に出て行くと,凛とした気分になる.しかし物には限度というものがある.さすがにこれだけ寒いと,10分も歩くと顔が痛くなる.
ラボに着き,居室にいると,ボビーが声をかけてきた.「おい,なんだよ,この寒さは.こんな寒さは人生で初めてだよ」とボビー.
ボビーは,このラボがアメリカ南西部にあるワシントン大学からハーバードへと移転してきた時からボストンに住んでいるわけだから,もう3年は経っているはずだが,それでもこんな寒さは経験したことがないという.
「くそ,なんでこんなところに移って来たんだよ.ボスがここに来る時,ハーバードとUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)の両方からオファーがあったんだけど,サンフランシスコにしてくれれば,こんなアホみたいな寒さを経験しないで済んだのに」とボビー. 「でも,もうすぐ他に移れるだろ」と僕.ボビーは輝かしいpublication listを持っているので,独立しようと思えばできるだろう.「いや,でも,今やってることは金がかかるから,中々外に出られないんだよ」とボビー.確かにそうかもしれない.
「この年末,実家に帰ったらさあ,親に怒られちゃったよ.お前はなんでまだ独立できないんだ,って.そんなこと言われたって,しょうがないよなあ」とボビー.ボビーはまだ32歳だから,ポスドクでも何の不思議も無いのだけれど,他の職業の人から見れば,なんでそんな歳にもなって,自分の研究室をもてないのか,と思われるかもしれない.
ランチを食べに,カフェテリアに行こうと外に出たが,朝よりも寒くなったのではと思うほど寒い.サイエンスセンターのカフェテリアに行ったが,今日も休業中.今日から営業だと思ったのでがっかり.ロースクールのカフェテリアへと歩いたが,それだけで凍りつきそうに寒い.食べ終えて居室に戻り,部屋にいたジョンに「外,寒かったよ」と言うと,「知ってるよ.Hiroが入ってきただけで寒いもの」とジョン.冷え切ったコートが寒気を運んでしまったらしい.
寒さのせいだろうか,時計の液晶が消えてしまい,リセットされてしまった.去年,ボストンに来たばかりの頃,やはり同じようなことが何度かあって,安物のデジタル時計だからだろうと思っていたのだが,どうも寒さで液晶がいかれてしまうのではないかという気がしてきた.
時計だけではない.寒さのせいか,最近,肩が凝って仕方がない.今日は特に,実験していて首の凝りがひどい.
帰り道,Kotobukiyaに立ち寄る.店までの道のりだけで,身体が凍りつきそうになる.キムチの素を売っていたので購入.夜はキムチ鍋にした.こういう寒い日には鍋が一番.暖まった.
* 東京は、暖かい。
2008 1・4 76
☆ アイオワ州党員集会,音楽の好み ボストン 雄
今朝も寒い.テレビをつけると,ニュースは昨日のアイオワ州でのオバマの勝利と,ここ数日の寒波の話ばかりを繰り返していた.
ラボに着き,ライアンに「オバマ,勝ったねえ」というと,ライアンはわざとらしく「やったー」と叫んだ.エドワードやクリントンと僅差ではあったが,一応勝ったことは嬉しいようだ.
とりわけ,エドワードはアイオワ州での活動に重きを置き,もう4年も前から,アイオワ州の至る所をくまなく「二度ずつ」回ってきたのだそうで,オバマが勝ったということには大きな意味があるようだ.やはりアメリカ国民は,変化を求めているのだろう.
一方で共和党のハッカビー候補については,「あいつはどうしようもない」とバッサリ.こちらはキリスト教右派を支持団体にしたのが功を奏したらしい.
昼,ライアンとジョンと3人でランチを食べに行く.向かった先は,Biological laboratoryの中庭に面して最近できたカフェテリア.メニューはさほど多くないが,雰囲気も良いし,今日のランチメニューの白身魚の焼いたものと,クスクスは中々だった(サイドメニューのカボチャの焼いたのは今ひとつだったが).空いているので,また来ようと思う.
ランチを食べながら,音楽の話をする.
ジョンがライアンにも「マタイ」のCDを貸したのだが,どうやらライアンは気に入らなかったらしい.しかし,その後借りた「ブランデンブルク協奏曲」は気に入ったらしい.僕は特に第2番が好き.「スイングしているのがいい」とライアン.
「スイング」という言葉から派生して,ジャズの話になり,ポップスの話になる.
僕もポップスを聴かないわけではないが,詳しくはないし,あまり良く分からない.
「Hiroはポップスは聴かないの?」とジョンに聞かれ,「聴かないことはないけど,日本のしか良く知らないし,外国のでも古いのしか知らないんだよ」と答える.
ランチから戻り,お茶をいれていると,ジョンも入ってきて再び音楽の話に.
「Hiroはどんな作曲家が好きなの?」と聞かれ,「特にといわれると難しいけど,バッハやベートーベンかなあ.あとはブルックナーとかワグナーとか」と答える.
「モーツァルトは?」とジョンが聞くが,僕はモーツァルトがあまり得意ではない.「ごく一部の曲を除いては,そんなに好きではないかな.レクイエムの前半部分は好きだよ」と僕.
モーツァルトはレクイエムを完成させる前に亡くなったので,「ラクリモーザ(涙の日)」までは本人の作曲だが,それ以降は弟子の手により完成した.だからというべきかどうかは分からないが,後半の出来が良くない.前半だけで完結している印象を受ける.
ここ最近,実験をしながらPodで聴いているのは,ヴェルディのレクイエム.トスカニーニ指揮NBC交響楽団の録音.
もともとヴェルディのレクイエムは大好きで,色々な指揮者のものを聴いてきたが,やはり僕にとってはトスカニーニのがベスト.これを聴いてしまうと,他の指揮者の演奏が間延びした,気の抜けたものに聞こえてしまう.ソリストやオーケストラの上手さも素晴らしいが,やはりトスカニーニの指揮に圧倒される.ギリシャ彫刻を思わせる造型美.凄まじいまでの集中力.その先に現れるのは,ひたむきな「祈り」の世界.僕自身はクリスチャンではないが,自然と頭を垂れたくなる.
この演奏の唯一の弱点は,1951年の録音であるために,合唱パートが聞こえにくいこと(ただし合唱そのものは抜群に上手い).合唱パートが綺麗に聞こえる最近の演奏で,これに匹敵するものを求めてきたが,なかなか見つからない.
唯一匹敵すると思えるのが,アバド指揮ベルリンフィルによる2001年の録音.癌を克服して復帰したばかりのアバドの指揮が素晴らしい.
妙な言い方になるが,カラヤンを引き継いでベルリンフィル藝術監督とウィーン国立歌劇場音楽監督を兼任していた頃のアバドはあまり好きではなかったが,このCDを聴いて、僕の中のアバドのイメージが激変した.
「Hiroは自分や他人に厳しい,厳格な感じの音楽が好きなんだね.バッハやベートーベンもそうだし,トスカニーニが好きというのもそうだよね」とジョン.
確かにそうかもしれない.
☆ 豊かさってなんなのでしょう 羅臼の 昴
中学生の頃、図書館の司書のお姉さんに頼んで、サー・トマス・マロリーの「アーサー王の死」という文庫本を買ってもらったことがある。
その本の中で、ギィネヴィア王女と騎士のランスロットが森に逃げ、夜にランスロットが剣をギィネヴィア王女との間に置いて眠る場面がある。
本を読んでいる時はサラサラと読み進めていた場面だったんだけど、後で、ラファエロ前派か、その次の時代の絵でその場面を見て、とても綺麗で忘れられない場面になった。
なんだか、その絵を再び見たくなっている。
その本を買ってくれた司書のお姉さんは、「イメージシンボル辞典」というマニアックな本まで買ってくれました。どんな思いで買ってくれたのでしょうか。
その本の中で、百合の花が大天使ガブリエルを象徴しているということを知りました。後々、受胎告知の絵には百合の花が描かれていることを知り、受胎告知の絵を見るたびに百合の花を探すようになったのですが、こういう絵の楽しみ方を間接的に教えてくれたのは、司書のお姉さんだったと言ってもいいかもしれません。
生きていく上ではあまり役に立たないかもしれないですが、ちょっとだけ豊かな人生を送れるような知識があるのは嬉しいですね。
* 優しい述懐。
☆ 初釜 maokat 札幌
今日、社中の初釜。今年は本格的な仕事の始動前に土曜日があったので、出席できた。午前中半端に仕事をし、午後二時半会場に到着。去年稽古をサボった罰として、正客。否とは言えぬ。
午後三時、席入。
床には結び柳と椿。
一閑の高麗卓に、桶側の水指が簡素ですがすがしい。
袴を着けた大先輩が、奉書を敷いた炭台に輝くばかり堂々とした胴炭を載せ、点前座に出る。眼前に上げられた大振りの天猫(明?)釜。地紋が優しく美しい。近江八景か。見事な炭点前を見せてくれた。しかし、大きな手から拝見に出された香合は、可愛く「宝珠に鼠」。ちっこい鼠が俵の影から覗いている。
菓子が出て、濃茶。流儀の正月菓子は「えくぼ」という。薯蕷饅頭の頭に小さく紅が打ってある。嶋台の重ね茶碗で桜柳園の茶を飲む。上座に男子四人が並んだので、服紗に載せられた茶碗は手から手へ継ぎ送られてゆく。菓子より茶が甘く感じられた。服紗は宝尽しに鼠の文様。
俵の焼き印を打った味噌煎餅に、鼠の打ち物が近左の干菓子盆で出て、薄茶。
場所を変えお膳が出る。燗鍋、朱盃で一献。三段に盛られた料理は美味しかった。碗の海老真薯はやはり料理人でなくては出せない味・姿・歯触りだった。八寸に大きな数の子あり。
食後に福引きもあり、終われば五時。一時、二時間の至福。
* 床に、書は、あったろうか。
2008 1・5 76
* 朝いちばんに、ボストンからの声を聴いた。気がシャンとする。つまりこういう話題が好きで乗れるということ。わたしには、逆立ちしてもこういう日記は書けない。すこし長いけれど、読んで下さる人も多かろうと想う。
☆ 恐怖のメール ハーバード 雄
Mu-ming pooという名前は,僕の日記を読んでくださっている方の多くには,馴染みが無いかもしれない.しかし,神経科学者で彼の名を知らない人はいないのではないか.それほどの有名人であり,現在カリフォルニア大学バークレー校の教授をつとめている.
神経細胞は軸索と呼ばれる細い突起を持っている.神経細胞が回路を作るとき,軸索の先端は成長円錐と呼ばれる扁平な扇型に広がっていて,この部分で標的となる細胞を認識し,正しい標的細胞に向かって突起を延ばしていく.逆に標的以外の細胞に近づけば,その細胞を避けるようにして方向転換することもある.この成長円錐の挙動を制御する仕組みが分かれば,どのようにして神経細胞が回路を作るのかを理解する上で,大きな手がかりとなるだろう.Mu-ming Pooは,この分野での第一人者で,カエルの神経細胞の初代培養系を用いてオリジナリティ溢れる研究を展開し,この分野をリードしてきた.
この分野の第一人者であり,著名な学者であるが,それにしては名前がちょっと可愛らしすぎる.
カタカナで書けば「ムーミン・プー」.なんだかちょっと締まらない.おまけに風貌もどこかユーモラスであり,セミナーで大きな身振りを交えて話す様子は,ちょっと愛嬌がある.
Mu-ming Pooが日本神経科学会の招待講演で話したのは,1997年だったか.もう10年以上も前になる.その時,自分の研究内容の話をする前に,こんな話をした.
「実は,今回,日本に来る直前に,アメリカの学生達が主催するセミナーに呼ばれ,色々な質問を受けてきた.その際に1人の学生から,こんな質問をされた.「常にサイエンスの最先端にいるためには,どうしたら良いのですか?」と.」
こう聞かれたPooは,「サイエンスの最先端に居続ける研究者は,大きく分けて二つのタイプに分類できる」と答えたという.
一つは「ボストンマラソンランナー型」.このタイプの研究者は強靭な肉体とスタミナとを備え,常に誰よりも速いペースを保ったまま,ひたすら走り続けることでサイエンスの最先端に居続ける.しかしながら,悲しいことに人は歳を取るのであり,それと共に後から来る研究者に先を越されることになる.
もう一つは「ジャパニーズ・ツアー・コンダクター型」.今でこそ(少なくともボストンでは)めっきり見かけなくなったが,昔は日本人の海外旅行客が団体旅行をする光景は,あちこちで見かけられただろう.今は日本人が海外旅行慣れして単独行動が増えたのか,あるいは不景気になったからか,日本人の団体観光客を見かけることは滅多に無く,代わりに韓国人や台湾人,中国人の団体客を,ここボストンでは良く見かける.
それはともかくとして,これらの団体旅行客を率いるコンダクターのように,旗を持って歩き出せば,その後ろから付いて来る人が現れる.そうすれば,旗を持って歩き出した人は,あたかも行列の先頭を歩いているかのように見える.そして,(「これが大事なのだが」とPooは前置きし),一旦先頭を歩き出したら,なるべくゆっくり歩くこと.これが常に先頭を「維持する」上では重要(<勿論ジョークです,多分).中には体力の有り余った人が,自分より先を歩くかもしれない.しかし,その時は,旗を持ったまま,くるっと方向を変え,今度はそちらに向かって歩き出せばいいのだ,と.
勿論,僕もその話を聞いて大笑いしたし,オリジナリティ溢れる論文を沢山書くPooならではの話だと思った.
ところが,Pooが自分の研究室のメンバー全員に向けて送ったメールというものを,最近知った.読んでみてびっくりした.全文はこちらをご覧下さい.
http://my.opera.com/DarrenWONG/blog/2007/02/25/mu-ming-poo-s-letter-to- his-students-in
内容をかいつまんで書くと,以下の通り.
1.一流の研究者は最低でも週60時間は働く.君達はせめて,最低週50時間は働きなさい.
2.上記の時間には,ネットサーフィンをしたり,私用のメールを書いたりする時間は含まれず,純粋に科学の研究(=実験)をする時間のみ.論文や本を読む時間も含まれない(それらは家に帰ってから読みなさい).
3.休暇は年に20日以内.病欠や,あらかじめ長期休暇を取ることが分かっていれば,前もって報せること.
4.以上が守れない研究者は,1ヶ月以内に,この研究室から出て行く準備を始めること.
まあ,日本の研究室の多くでは,この程度のことは当たり前かもしれない.条件も,メチャクチャ厳しいという程ではない.かつてイオンチャネルの研究で世界をリードした沼正作・京大教授のラボなど,夜中の2時でもラボのメンバー全員が働いていた,などという,とんでもない例もある.そんなのから比べれば,労働時間そのものは大したことが無いかもしれない.
しかし,ここまではっきりと明文化し,メールという形でラボメンバー全員に送るというのには,ちょっと驚いた.アメリカでここまで時間のことをうるさく言うのは,研究者社会では珍しい気がする.
アメリカでも,あまり働いていない研究者に,こっそりと口頭で忠告するくらいならばよくある話だとは思うが,ラボメンバー全員にメールで送信というのはちょっと怖い.ある日メールチェックしたら,突然,こんなメールがボスからメンバー全員に届いていたら,ちょっと引く.
内容の厳しさ云々よりも,日本神経科学会であのような話をしたMu-ming Pooが,自分のラボのメンバーにはこんなことを言っているということに,むしろ僕は驚いた.
しかしながら,この手紙の中で思わず僕が笑ってしまったのは,「上に挙げた条件通りに仕事をしなかったのに成果を挙げることができたのはFlorian くらいだ.みんな自分が彼と同じ位ラッキーだと思ってはいけない」というクダリ.ここに出てくるFlorianというのは,ハーバードの同じ Departmentに所属しているFlorian Engert(http://www.mcb.harvard.edu/Engert/)のことだろう.
たまにdepartmentの主催するセミナーなどでEngertを見かけるが,明らかに常人ではない.人々がコートを羽織るような時期でもタンクトップと短パンで歩き回り,移動は常にローラースケート.セミナーだと,大体開始10分過ぎ位に会場に現れ,堂々と発表者とプロジェクターの前を横切り,(そんな時間だと席が埋まっていることが多いため)机を飛び越して最前列の中央付近の席に座る.目立ちたくてわざとやっているのではないかと思うことが良くある.
たまにキャンパスを歩いていてEngertを見かけることもあるが,いつ見ても人生を楽しんでいるかのように見える.Engertはドイツ・ミュンヘンにあるマックスプランク研究所のTobias Bonhoefferのラボで大学院生として働いていたが,TobiasもPooと全く同じことを言っていたというから,やはり相当に自由を謳歌していたのだろう.一般にドイツ人は良く休暇を取り,金曜日も午後3時頃には仕事を終える人が多いというから,そのドイツで「あいつは自由だなあ」と思われるということは,よほどなのに違いない.それにしても,そのBonhoefferのラボでもPooのラボでも,それぞれネイチャー誌に筆頭著者として論文を出しているのだから,よほどの天才か,(二人の元ボスによれば)よほどラッキーな人かのどちらかだろう.
話を元に戻すが,やはり研究では,どうしてもある程度の時間,働かないと成果は挙がらない.他の職業の人から見れば,研究者は頭脳労働者に映るかもしれないが,実際にはアイデアを思いつくのは一瞬であり,実際には,それを証明するために多くの作業をこなさなくてはならないのであって,肉体労働の方がむしろ大きかったりする.
また,人間の思いつくアイデアなどはタカが知れているので,いかにそれを早くこなすかが重要であり,そうなるとラボにいて仕事をする時間が長いほど有利になるのは確かだ.
かといって,長時間働いてさえいれば良いなどという訳では,勿論ない.長時間ラボにいることで,「自分は頑張っている」と酔いしれている人も時折いるが,実際には長時間お喋りに興じていたり,ネットサーフィンで暇つぶしをしていたりして,実際には大したことをしていないことも多い.
自分自身を振り返ってみると,やはり頑張りが足りないかなと反省しきり.もう遅いかもしれないが,せめて今年から心を入れ替えて,頑張るとするか.
追記: この「恐怖のメール」を,なんとPoo本人に直接聞いて,本人が書いたのかどうか確かめた人がいるようだ.なんとも度胸のあることだが...それに対し,Poo本人からの返信が,再びネットに曝されていた.こちらも併せて掲載した方が,Pooの名誉のためにも良いかもしれない.
http://www.mitbbs.com/article3/Biology/26503001_1_p.html
2008 1・6 76
☆ 小堀遠州 碧 長門
マイミクの「瑛」さんのおかげで小堀遠州なる人物が急に近しくなった。昨日の朝刊TV欄を見たら「新・日曜美術館」で採り上げられている。朝は慌しいのでそのまま出かけたが、再放送を録画することが出来た。
偶然は他にも。教会からの帰りに寄った書店で熊倉功夫氏の『小堀遠州茶友録』(中公文庫)をみつけ、雑誌の棚で、ふと目にした『目の眼』2月号も、彼の特集。なんと嬉しい日だったろう。
これも前日に家にあった雑誌(以前「ずいひつ」を書かれた方からの贈りもの)の背表紙を見ていなければ、手に取らなかったかもしれない。
今日はお午から録画を観た。面白い。いや面白い。
*「小堀遠州」のたしか四代ほどの「孫」に、あの小説家上田秋成があったという画期的な研究が世に出たことがあります。都立大学の高田衛さんの犀利な研究成果でした。
少なくも当たらずとも遠からぬ関わりが二人に認められていて、わたしも四半世紀前に金剛・葛城山の麓まで調べに行きました。残念ながら小説には出来なくて、わたし自身の実父・生母を探索する長い旅になりました。九百枚ほどの草稿が今も放り出してあります。
わたしの育ちました京都新門前通りの東の末が袋町になっていて、秋成がはじめて大坂から京都に移り住んだとき、その袋町に住みました。袋町界隈は久しく「こっぽり」とも通称されていまして、小堀遠州ゆかりの故地であったと想われます。 湖
2008 1・7 76
* 米大統領予備選挙、女性のヒラリーが下馬評とは逆に大苦戦し、アイオワを制した黒人のオバマが優勢らしい。オバマの表情には、あのブッシュの顔にぬぐいがたい軽薄と愚とが無い。よく知らない人だが、顔つきはヒラリーより佳い。顔は、表情は、あまり多くを裏切らないものだ。
☆ 大統領選挙 ボストン 雄
今日は実験をせず,これまでとったデータを一通り解析した.今までやり方がわからずに避けてきた解析もやる.パソコンのソフトの使い方が分からず,四苦八苦して,どうやらコツが飲み込めたのが既に夕方.明日も解析でつぶれそう.これらを元にして,水曜日にボスとディスカッションする予定.
ランチをお茶部屋で摂っていると,次々と人がやってきては話をする.話題はもっぱら大統領選挙.誰が勝つかで盛り上がっている.アイオワ州でのオバマの勝利は,想像以上にアメリカ人にとってはエキサイティングなことであったらしい.
ボスと秘書のフィリスは,オバマ勝利を非常に素晴らしいことと捉えているようだ.それも,若いオバマをJ.F.ケネディーと重ね合わせているようだ.
当時ボスやフィリスは,今の僕よりも若い頃だろう.アメリカが最も良かった時代だ,とフィリスは言っていた.既にベトナム戦争は始まっていたわけだが,まだその影がアメリカ本土に押し寄せる前だったのだろう.その後ベトナム戦争で精神的にも経済的にも弱ったアメリカには,ケネディほどのカリスマ性をもった大統領にも恵まれず,今に至っては誰も誉める人を見たことが無いジョージ・ブッシュが8年も大統領を務める有様.
ラボの人々の口ぶりからすると,ほぼ全員がオバマに対して好印象を持っているようだ.しかし,それ以外の候補に対する評価が三者三様で,聞いていて中々面白い.
フィリスはオバマよりもエドワードに勝って欲しいらしい.やはり黒人の大統領には抵抗があるのだろうか.しかし,エドワードでは共和党には勝てないだろうとも思っているようだ.
隣のラボのポスドクのジュリーは,オバマも良いけれども,ヒラリーも悪くないと思っているようだ.しかし,ラボの男性陣は,こぞってヒラリーを嫌う.
グレッグが友人と話していた時,友人はヒラリーが嫌いだと言ったという.理由は醜いから,と.それを聞いてグレッグは「でも56歳にしちゃ綺麗だろう.お前のお母さんはあの位綺麗なのか?」と思わず口走ったとのこと.
「どうしてそういうことが判断理由になるのかしらね」とジュリー.しかしグレッグは「いや,別に彼女に限らず,候補者のルックスは,結構重要なファクターになってるよ.今までの候補だってそうじゃないか」と反論する.
外見はともかくとして,先日の候補者討論会のヒラリーの態度は,ジュリーも気に入らなかったようだ.
共和党の候補についても,「マケインはまだマシだけど,ハッカビーはどうしようもないアホだ」とライアン.これに対しジュリーは「でも,ハッカビーの講演聴いた?彼は本当に話が上手いわね.ジョークもとても上手いし」.
ライアンも,マケインは「マシ」だと思っているに過ぎず,彼のイラク政策には反対のようだ.「マケインの奴,イラクには千年でも二千年でも駐留させるとか言ってるらしいよ」とネットニュースを見て笑いながら話す.しかも,どこかの暇人が,その場合にかかると予想される費用を計算してブログに掲載したらしい.馬鹿馬鹿しい予想にライアンは腹を抱えて笑っていた.
判断基準として上がって来るのは,つまるところルックスだったりジョークの上手さだったりするのか.いや,そんなことは無い.勿論,政策が一番重要な訳だが,それ以外にも,離婚歴があるかどうかなども関係してくるらしい.
この辺は,主に南部などの敬虔なクリスチャンなどにも重要なファクターのようだ.中には,選挙戦の間は円満ぶりをアピールしておきながら,選挙が終わってから離婚するなどという候補者もいるという.逆に結婚していない場合には,これも問題となるらしい.中々難しいものだ.
結婚関連に限らず,やはり州によって人々の思想・身上が大きく異なるのが面白い.それがゆえに,大統領選は誰が勝つのか最後までわからないらしい.外国人であるジョンや僕は、「誰が勝ちそうだと思う?」などと気安く聞くが,アメリカ人に聞くと誰もが口をそろえて「そんなのわかる訳がない」と言う.日本だって,誰が総理大臣になるかは最後までわからないだろうが,それでも大体誰がなりそうか位は分かりそうなものだが.
おまけに,今回の選挙では,これまでに無かった要素が必要となるらしい.それは,「いかにブッシュ的でないか」ということ.みんな,よっぽど嫌だったんですね.
* やっぱりそうか、という印象。
2008 1・8 76
☆ 長浜の孤篷庵 瑛 e-OLD川崎
正月も終わりふと心が真空になる。
真空に春を呼ぶmixiの声があった。小堀遠州のこと。
琵琶湖の東、湖東長浜の孤篷庵はいつ行っても心が和む。
この地を調べますと
『遠州の生家が近くにある総持寺(滋賀県長浜市)は小堀家ともかかわりが深く、小堀家より寄進された用地に造られた池泉回遊式庭園では、春は不動岩を囲むようにきりしまつつじが咲き、初夏にはピンクの睡蓮が水面に影を映します。冬は亀島におりたった鷲に霙が降りかかる眺めもみものです』とある。
男を魅了するなにかがある。
孤篷庵の鯉の色はなにか美しい。
* 「瑛」さん手練れの写真も美しい。「mixi」で、下関の「碧」さんとすこし小堀遠州の対話があった。
2008 1・9 76
* 次の「雄」くんの日記を、気も新たに転写しておきたい。
☆ レモンをレモネードへ ハーバード 雄
今日は、1時からいよいよボスとミーティング.このために,最近,ナーバスになりながら準備をしていた.
たかがボスとのミーティングではないか,大げさだと思われるかもしれない.いつものミーティングなら,ここまで身構えない.しかし,今日のミーティングは,今までのデータを総括して,どういう方向性に進むかを決断するのが目的.それだけに,やはり色々と考えてしまう.
ノートパソコンにデータをコピーし,教授室に持参.今までのデータを見せながら話をする.
データといっても,当初の予定からすれば完全にネガティブなものだけに,気が重くなる.今までのデータを見せただけで,予定の1時間が過ぎてしまった.どうしようかと思い時計を見ていると,「今日はこの後予定が入っていないから,このまま続けて」とボス.
新しく何をやるか,自分なりに色々と考えたのだが,考えようによっては,今までのネガティブデータは,全く他の目的のための実験として扱えば,それなりに解析する意味があるように思えてきた.
そこで,そうした観点から,自分なりの方針をボスに話してみた.
ボスの今までの研究からすれば,こういうテーマは好まないだろうと思っていたのだが,意外にもボスは興奮して、「いや,それは面白いよ」と乗り気の様子.結局,僕の方針通りに進むことになった.
新しいテーマについてはボスも考えていたはずだが,どんなことを考えていたのだろうと思い,それとなく聞いてみた.するとボスの答えは次の通りだった.
「僕がラボのメンバーに期待するのは,ここを出て次に自分でラボを持つとき,どういうことをすれば自分の世界を築けるか,その芽となるものを掴んで欲しいということなんだ.そのためには,多くの人がやっているようなことをやったんではダメだ.例えば,もしYouが、××や〇〇について研究したい(<やっている人が読むかもしれないので,敢えて伏字にしました>)と言ったら,それはやめろと言っただろうと思う.でも,Youが今,提案したテーマは,You が自分で工夫して,その結果自分で見つけたことだ.それは誰もやったことが無いことだし,そのまま発展させれば独自の世界が築けると思う」
確かに,ボスの言うように,決して新奇性に富むという訳ではないが,この一年間でやってきた実験から分かったことは,自分で一から試行錯誤して,自分なりに見つけてきたことであり,今日提案したのは,それらを踏まえてのテーマ.決してネイチャーやサイエンスに載るような実験ではないが,それでも論文にする価値はあるだろう.
mixiのトップページにも掲げてある言葉だが,「運命がレモンをくれたなら,それでレモネードを作る努力をしよう」という言葉が,僕は好きだ.研究していると,本来の目的どおりに行かないことなどしょっちゅうだ.しかし,レモンを単にレモンとして終わらせるのではなくて、(英語ではレモンには「嫌なこと」というネガティブなイメージがある),そこから新しく研究を展開することも大事なことだと僕は思う.
何より,僕にとって理想的なサイエンスのスタイルは,「自分の手を動かし,自分の目で見たものを,自分の頭で考える」というもの.立場が変わっていけば,これらの全てを行なうのは難しくなるのだろうが,できることならば上のサイクルをどんどんと回していって,独自の世界を切り開いてみたい.そういう意味では,今の展開はむしろ好ましいかもしれない.
さらに,上記のボスの言葉を受けて,最近僕が漫然と考えていた,将来の方向性について話してみた.もしその端緒となる実験をここで始められたならば,それは自分のラボを持ったときに生涯のテーマになるかもしれないと思った.
しかし,これもボスの好みからは反しているかもしれないとも思い,口に出すのがためらわれた.しかし,話してみると,こちらもボスは大賛成で,あっさりとOKが出た.おまけに,来月でラボを去るジョンも,近い分野での研究を目指しているのだが,独立してからもウチのラボとしばらく共同で実験したいので,誰か協力してくれる人を探してくれないかと,今朝,ジョンから申し出があったばかりだとのこと.まさに渡りに舟だ.
さっそくボスとのミーティングが終わってから,ジョンと話す.ジョンも乗り気になってくれて,さっそくお茶部屋でお茶を飲みながらディスカッションをする.
彼はこのラボでも1,2を争う良い奴なので,人のアイデアを盗んだりとか,人を出し抜くようなことは一切しないから,僕も安心して共同実験できる.筆頭著者云々はともかくとして,彼との共同研究から,将来の核になるような「芽」が得られれば良いと思う.
ディスカッションの後に,留学助成金をもらっている機関に中間報告書を作成.その後,いよいよコーリーの使っていた部屋への引越しを始める.コーリーがテレビゲームをするのに使っていたテレビを地下の倉庫に運び,代わりに実験機器を入れる可動式棚を倉庫から頂いて,電気生理用機器をセッティングする.この部屋には防震台ががあるので,その上に顕微鏡などを設置する.もっとも,コーリーはその上にタオルケットを敷いてベッド代わりに使っていたようだが.
大分実験室らしくなった.マウスのアレルゲンが舞っているのは確かで,思い切ってamazon.comで格安の空気清浄機を購入した.
帰りは久しぶりにLE’sに行き,いつもの鶏肉のフォーと春巻き.
* よそながら、わたしは、こういう日記に、興奮もし励ましもされ、心嬉しいのである。芝居の話は、明日で十分。
2008 1・10 76
* いま、わたしの心身はあまり現実的でない。芯のところで疲労がすすんでいるのだろうか。すべき事のいろいろがちゃんと分かっているのに、そっちへ手も足も出す気がしない。茫然とあるがままに謂わば怠けている。
歌舞伎は楽しいし、読書にも引き込まれる。が、その先へ行かない、動かない。
そして、ものすごく眠い。その気になれば、すうっと寝入っている、座ったまま。
いましがた、「mixi」でメッセージをもらった、が、どうしてもどういう方か、何も思い出せない。
☆ あけましておめでとうございます
新年のご挨拶が遅くなりました。
昨年は、御本を頂戴したままその後メールも差し上げずに 大変失礼いたしております。
年末からお正月にかけての無理が祟り体調を壊してしまってました。幸運にもいい治療法がありましたので、精神的にはすっかり
立ち直っておりますが、仕事とはいえ あまり徹夜はしないようにと 新年の誓いは「健康」にいたしました。
秦さまもどうぞお体ご自愛ください。
あれから何回も作品を愛読しています。
不思議ですね、読んでいると初めて読んだころの自分、 高校生にもどっているのですから!
めずらしくクラブのない秋の放課後、チャイムの音と枯葉を燃やすけむりが混じるなか、この本を書かれたひとと 同じ風景をみているなんて! と、ひそかに思いながら ぺーじをめくったものです。
それがこんな便利な時代になって、ネットでこうしてメールができるなんて、あのころの私がどう想像できたでしょうか!いつもそんな風に、思っております。
すみません、、またいろいろ書いてしまって、、
2008年も秦さまにとって、すばらしい年になりますように!
* 高校とあるから、あの日吉ヶ丘の卒業生であろう、が、お名前を読んでも何も思い出せない。なにが機縁で本を差し上げたかも思い出せない。
「人」を忘れないわたしであったのに、どうしたことか。
2008 1・12 76
* ゆっくり寝た。せっかく、今日は用事を前へ進めよう、一つでも二つでも。そのためには隣棟の室温八度を先ず煖房しなくてはならぬ。温まる間に、マイミクe-OLDの「うた」を聴こう。
☆ 雨 慈 e-OLD多摩
久しぶり
半ば霧になり、たちこめる…雨。
冷たく 寒く。
電線に一羽のカラス。一声二声啼き 首をすくめる。
空が低く雲たれ込めて 景色が鈍色に曖昧に沈むなかの
黒いカラスだけが 色。
カラス 寒いか?
☆ Jan と May 優 e-OLD多摩
東京は年明けて初のお湿りだったか
春を迎える甘雨ではない
六畳の座敷牢の天窓を打つ雨音にはいささかも
温度を感じない
リズムも感じない
こういう日があってもいい
冬(ふゆ)の語源には諸説あっても
やはり「冷ゆ」から来ているのではと
今朝は外で触れた景色を思い出せないが
ふと
燗(かん)よりも冷やで愛でたし冬椿 優
尻と下半身だけを温める唯一の暖房
二畳の電気カーペット
介助を受けて三度目の冬を過ごす
きのう見た公園の寒椿は塵埃で薄化粧していたが
冬枯れに一点の紅ではあった
英国風物誌にこんなくだりがあった
May and January
ふつう順序からいくとJan. が先ではと読み進む
January(爺サマ)とMay(若い娘っ子)の結婚の比喩だった
いうまでもないが
英国の厳冬はまさに「ふゆ」「老人」
Jan. である
Mayには一気に
重い冬の名残が崩れ落ち
八千草薫るのだ
日本もさほどは違わぬとは思っても
彼我にはやはり温度差があって
そこから生まれる風物誌やポエムや文藝や風土精神はおのずと違う
時代差もあろう
そこが微妙で難しく
また比較が楽しくもある
(略)
さてと
昼餉に帰宅しようか
あの寒椿を見てみよう
* わたし自身は、「冬」は冬祭り由来、ものの「殖ゆ」という民俗学の説に馴染んでいる。
☆ 稽古始めに稽古を思う。 珠
昨夜は稽古始め。帰り際になって持ち込まれた話に手間取って、稽古始めなのに師匠宅の門を開けたのは夜9時だった。
83歳になる師匠は最近不調の訴えが多くなっているので、夜遅い稽古が申し訳なくて仕方ない。遅くなってしまった旨を電話するが「大丈夫だから、とにかくいらっしゃい」と昨夜も仰って下さった。遅い時間の年始挨拶に、すこぶる元気に明るい笑顔で迎えて下さって、お元気さに安堵した。稽古というよりも、仕事の疲れを癒してもらいにきていると、あらためて感じる一瞬だ。
来週、社中揃って初釜があるからと、竹台子に皆具で稽古。東宮製の梅薯予饅頭がむっちりと美味しく、薄墨色のこし餡ともさらりと馴染んでいる。ほのかな桃色が目に可愛く、思わず笑みこぼれる中、一服。後片付けをして、師宅を辞したら11時をまわっていた。師には今年も元気でいて頂きたい。
仕事が忙しくて仕覆の稽古を休んでいた時期に、ふと会った先生の息子さんに言われた言葉を思い出す。
「稽古したい時には師はいないっていうでしょ。いつかは、、ないんだよ」ドキッと胸にきて、その後何とか稽古時間を作るように頑張った。それでも、もう一度私は思い知ることになった。
数年前、子供の頃から25年茶を教えてくれていた師が、急に逝ってしまった。
師匠を喪う直前、仕事が忙しくて初釜以後、私は稽古を休んでいた。そして夏、人から師匠が病に臥せっていると聞き、慌てて会いに行った時には、何とか話しができるという状態。
「あなた、聞いたら心配するでしょう、黙っててごめんなさい。でも見れば、どういうことか分かるわね。待ってたの、、よかったわ、間に合って」と細い声で言い、痩せ細った手で包みを指した。
私の名前が書いてあるその箱は、軸だった。「青松寿色深」いつだったか、新宿御苑での茶会で掛けた、師匠愛蔵の品。落涙烈しくて、寝ながら書いたと思われるメモは読めなくて、暫く傍らにいて、私は帰った。混乱した思考で、明日から毎日寄ろうなど思っていた。その翌早朝、師匠は逝ってしまった。
茶が好きで、大好きで、厳しかった。その生き方が私には茶の師匠、最後の稽古が何時だったのかも思い出せない不真面目な弟子に、「一期一会」身をもって刻みこんだ。
その後3年間ほど、お茶が出来なかった。泣けてきて、駄目だった。そんな私も、その後また人の言葉に背中を押されて景色がひらけ、今の師匠と出逢った。
大切な人を喪うと、「限りある」を、感じすぎるのかもしれない。今やっておかなければ、、できる事は出来る限りやっておこう、、私はちょっと脅迫的に頑張りやすくなったかもしれない。
今日、正月からの片付けの続きをしていたら、師匠の震える字で書いたメモが出てきた。何度も目にはしたけれど、いつも泪で霞んだ文字しか見えなかった。もう泣かずに読める。いくつか書いてあるが、先生の言いたかったことは多分これだろう。
末永くお茶を愛してくださる○○さまへ
お茶をする。
独りでも、友とも、社中とも。
そして、末永くするために、無理せずに、心地よく、楽しく。
感情の波に茶碗を浮かべるのでなく、どんな場でも茶一服清々しくあるように。
力が入るばかりの私は、今年も、力をぬいて稽古に通う。
* むかしの、叔母の稽古場を想い出す。
☆ 歯医者さんはスッキリしたけど 昴 羅臼
歯医者さんから退院したあと心臓の病院に行ったのですが、驚いたことに、「心臓、問題ないね。」と言われました。
どうも、カテーテル必要かもと言われた時は一時的に心臓の調子が悪かったよう…。
なので、夏のカテーテル検査はなくなりました。
良かった良かった。
でも、問題が出るときもあるようなので、ちょっと心配。
お医者さんも、「何かあったらいつでも病院に来てね」と言うしなぁ。
ま、気を失ったら行きます。
心臓は、歯を抜いたときのようにスカッと「治った!!」と言えないので消化不良の感じがします。
具合が悪い時は、心臓の何が悪いんだろう。
羅臼にいると、具合が悪い時にすぐにかかりつけの病院に行けないので不便です。
* 若い「昴」の容態を、いつも心に掛けて案じている。用心しながら、元気でいてください。
* マイミクがいま五十一人いる。みながみな毎日日記を書くとは限らない、が、たくさん読める。そのごく僅かをわたしは此処へ貰っている。貰える人からだけ貰っているので、日記はもっとたくさん読んでいる。わたしにとって、心安まる「窓」の景色である。いい窓をもっていたい。
2008 1・13 76
☆ 父の成人式 ボストン 雄
今日は午前中は部屋の片付けをし,午後から隣の市であるベルモントに行って来た.先日,合唱でも共演して下さった,マリンバ奏者の布谷さんがベルモント市の図書館でコンサートを開くというので聞きに行った.
最初はアストル・ピアソラのタンゴを演奏.2曲目はリベルタンゴ.ヨーヨー・マがチェロで演奏したものがCMにも利用されていたから,馴染みのある人も多いだろう.
圧巻だったのは,4曲目に演奏された,バッハのシャコンヌ.本来はバイオリンの曲.バイオリンは3音以上を同時に弾くのが不可能なので,和音も同時に鳴らすことはできず,アルペッジョとして弾かざるを得ない.それが故にシャコンヌの演奏は難しいし,逆に演奏者の腕の見せ所となる.ピアノ用に編曲されたバッハのシャコンヌもあるが,10本の指でいとも簡単に和音が弾けてしまうピアノの演奏では,バイオリンで聞きなれた人にとっては邪道に聞こえるだろう.マリンバの場合は片手に最大でも3本しかマレットを持つことができないので,バイオリンほどではなくとも制約がある.今日の演奏は,そんな制約など全く感じさせないほど,自在にマレットを操って繊細な情感を出したり,逆にダイナミックかつ正確に,テンポの速い箇所もこなしておられた.素晴らしい演奏だった.
演奏会を聴き終えてからポーターに戻り,最近できたTavernでお茶を飲み,Kotobukiyaで買い物をして帰宅.
さて今日は,日本では成人の日で3連休だろうか.最近は,3連休にするために,やたらと色々な祝日を動かしてしまったので,何が何やら良く分からない.この歳になると,20歳といっても子供のように見えてしまう.とても「成人」という気がしない.
自分自身のことを思い返しても,当時はまだ大学一年生だっただろうか.本当に精神的にも幼稚だったと思う.高校を出てすぐに就職した幼馴染と待ち合わせて一緒に成人式に行ったが,社会人を2年した友人は,とても大人びて見えた.
新調してもらった背広を着て,成人式に行ったが,今ほどの荒れ様ではないにせよ,誰も区長の話など聴く者はおらず,会場にはガヤガヤとおしゃべりをする者が大勢いたので,終始騒がしいまま式が終わった.確かその後,高校時代の同級生達と,京王プラザホテルだっただろうか,新宿のホテルのロビーで待ち合わせて会ったはず.しかし,記憶が全く残っていない.成人するということについて,それほどの感慨が無かったのかもしれない.
成人式のことは覚えていないが,20歳になった誕生日のことは良く覚えている.塾講師のバイトを終え,自宅に戻ると父がチキンラーメンを作ってくれた.バイトに行く前に夕食を済ませていたので,腹は減っていなかったのだが,父が食え食えと言うので,箸をつけた.チキンラーメンを食べていると,父がボソッとつぶやいた.
「お父さんは,20歳の誕生日をこれで祝ったんだ」
3歳で父親を亡くした父は,女手一つで育てられた.しかし,学費の援助を母親がしてくれたのは高校卒業まで.「あとは,学校に行きたければ,あんたがなんとかしなさい」と言われ,大学の学費の面倒は,みてくれなかったという.
そこで,しばらく地元の電気屋で働いた後,金を貯めて上京してきた.働きながらの受験準備だから,いわゆる難関校などを目指すことは不可能だった.それに,父が学びたかったものを専攻として有していた大学は,東京でもわずかに3校しか無かった.そこで,父はその中でも学費の安い私学の大学に進んだ.
父の大学生活は困窮を極めたという.昼は大学に通い,夜は小学校で宿直のアルバイトをして,学費と生活費に充てていたらしい.そんな当時の父にとって,チキンラーメンはご馳走であったという.とりわけ,お湯を注いで作るチキンラーメンは,最高の贅沢であった.光熱費も切り詰めていた父は,そのままバリバリと食べることが多かったそうだ.
きっと,そんな苦労をして迎えた20歳の自分の誕生日のことを,チキンラーメンという形で,父は僕に伝えたかったのだと思う.決して裕福とはいえないかもしれないが,20歳になるまで,僕は金で苦労したという思いは無い.そのことを,僕は両親に深く感謝する.逆に父も,そうして20歳になるまで子供を養えたということを,その時きっと誇らしく思ったに違いない.
僕が面白いと思うのは,そうまで貧乏をしながら父が東京で学んだのが「書道」であったということ.いわゆる大家と呼ばれる人が,どれほど稼ぐのか僕は知らないが,おそらく多くの書家にとって,書家という職業は決して儲かる職業ではないだろう.つまり,父が苦学をして学んだのは,学んだことを元にして金を儲けたかったからではなく,純粋に自分のやりたいことを選んだ故だったのだと僕は思う.
そうした価値観は自分にも確実に受け継がれている.僕は金儲けのために何の学問を専攻するかを考えたことは一度もないし,今後も無いと思う.大学の同期が次々と一流企業に就職し,自分よりも多い月収を得ていることは分かっているが,そのことで自分のことを恥ずかしいだとか,負けているなどとは,これっぽっちも思わない.自分にはこういう生き方しかできないのであり,そのことを思うとき,僕には父の血が流れていることを強く感じる.
* 「お父さんは,20歳の誕生日をこれで(=チキンラーメンで)祝ったんだ」に、涙がこみあげた。この青年科学者にどうか恰好の伴侶をとわたしはいつもいつも願っている。
* 秦の日録が無関係な人様の文の転写にかたよってきたのは「良くない」と思う人もあろう。
だが、まちがいなく、どういう人のどういう言葉に、言葉のなかみにわたしが共感しているかは、わたしと「無関係」でなど、決してない。
手間を掛けて転写しているのは、私自身の「関心と表現」に他ならないからで、こういう人や文との「いま・ここ・これ」を、わたしが大事に意識しているということである。
行間や紙背に秘めて匂っている「人間」「生活」を大事にしている。
以前、誰であったか、こういういろんな人の文章も、わたしの「自作自演」であろうと邪推した人がいたが、幸か不幸かわたしはそんなに奔放な人ではない。自分には無い、出来ない、気づかない、知らないことに比較的謙遜な敬意と好奇心とがあるというだけのことである。
☆ 戌の日 馨
五ヶ月に入って最初の戌の日が11日だったので、おんめさま(大巧寺)に行ってお守りと腹帯を頂いてきました。
腹帯は、上の子のときは結構律儀にさらしのを巻いていたのですが(ガードルっぽいのとかは体質に合わなくて、帯と同じで締め具合を自分で変えられるさらしが好きです)、下の子のときはほとんど巻かず。今回もどうしようかな、と思ったのですが、縁起物ですし、あとお守りについては、ちょっと楽しみにしていることがあって頂いてきました。
このお守り、中に入っている妙苻を包んでいる紙の折り方が二種類あるそうです。兜に折ってあったら生まれてくるのは男の子、金魚に折ってあったら女の子。
ところが、下の子の時は赤い紙で金魚に折ってあったのに見事に男の子でした。
家中で大笑いしましたが、それでも「今回はどうかね~」と、なんとなく期待してしまうのが不思議ですね。
お参りに行ったその足で検診に行って帯を巻いて頂いた後、開けてみました。
またしても金魚。
でも、紙は白いんです。
前回は写真も撮っていないし、記憶違いかなー、と思いつつムスメに「何色だったか覚えている?」と尋ねると「真っ赤だったよ」。
う~ん、折り方だけでなく色も時々変えるのかしらん。
金魚が今回は当たるかどうか、楽しみにしていようと思っています。
今回の検診では、始めて4Dの超音波を撮って頂きました。本来なら4Dはまだ撮らない時期なのですが、後に患者さんがいなかったのと、赤ちゃんの角度がちょうどよかったのとで、先生が「面白いもの見せてあげよう」と、撮って下さいました。
4Dは日本ではまだ数台、しかもこちらの医院のが輸入第一号だそうで、わざわざ遠くからこのためだけにいらっしゃる方もいるのだそう。それをこんな時期に撮って頂けてラッキーでした。普通の3Dに時間軸が入るので、映った様子は本当の写真のように立体的でした。まだ大泉門が思いっきり開いている様子などが見えたのですが、一人前に手を動かしたりもしてちょっとかわいい。
顔もしっかり見えるのですが、なんとな~く上の子に似ていました。
またしても私に似たのは出て来ないんだなぁ…3回目のクジ(!)なのに。なぁんてちらと思ったりして(上の子は父方の祖母似、下の子は父親似)。いや、別に自分に似ていてほしいとはあまり思わないんですけど、確率的に興味深いなぁ、と。
もう数ヶ月すると一番かわいいとのことで、普通はその頃に撮るそうです。次回、どんな様子になっているか、金魚と同時にこちらも楽しみに待っていようかなと思っています。
(写真は妙苻の入った金魚です)
* こういう「日本」の「家庭」がきちんと記録される大事さも、わたしは思う。「馨」さんね平安を祈ります。次のe-OLD「優」さんのも、同様に。
☆ 粉餅の夫婦ぜんざい 優 e-OLD多摩
粉餅の夫婦善哉小正月 優
正月用の旨い餅パックはとうに新玉の糞として押し出したが
おっと、ひとつだけ残っていた
あとは99ショップの粉餅五個パック
これは私の非常食
今年は鏡餅も供えなかった
ありあわせの足るを知る毎日に
にわかに冬が、冬らしくなった
早出のカミさんの腹ごしらえに
パック餡で汁粉をこしらえた
私は甘党ではないが
最近はまったく贅沢はいわぬ
あるものはナンデモござれ
口に入るものは按摩の笛でものクチ
計六個の餅をはじめ仲良く三三で分け
むろん旨い餅はカミさん用で
めでたく重ねるつもりだったが
しぜん
カミさんの椀には四ケ入っていた
私は二つで充分だ
あったまった
旨かった
塩ひとつまみの工夫が効いた
カミさんは満ち足り顔で
元気に
元気すぎて大事なケータイを忘れて跳び出した
あとを追ったが
すでに豆粒になっていた
仕事部屋兼居間兼寝室のエアコン・パイプ口の窓に
前から隙間があって
冷気が容赦なく忍び込む
夜間はエアコンを消す
換気にはいいと別段目貼りもしないが
冷え性のカミさんには毛布を一枚足して
電気カーペットを下に敷く
私は寒さには――暑さにも――強いほうだから
寝て一畳をさらにくぐもりホカホカ丸くする
* 電メ研創立の一昔前からの同僚委員、いまもこう、マイミクで仲良くしてもらっている。ご覧のように、人情「綿」のごとくホカホカと、ふかふかと、俗でなく、温かい。
☆ まったりと 昴
今日から研修で札幌へ行きま~す。道徳の勉強です。勉強ばかりだ。
今は喫茶店で汽車を待ってます。カプチーノとか、キャラメルシナモンとか甘いコーヒーをすっんごく、飲みたいです。でも、我慢します。歯が痛くなるから。
駅や学校に洞爺湖サミットのポスターが貼られています。今年ですね、サミット。何事もなく終わって欲しいなぁ。北海道の自然に暴力は似合わないよ。
* 「昴」は学校の先生。
* 「まったり」という形容が若い人たちにつかわれているらしい。
幾昔かまえは「まったり」は「はんなり」以上に理解されていなかった。いまは、どうなのだろう。
「はんなり」は、「花あり」または「花なり」の語源で、わる口のじつに達者な京ことばの使い手のなかでも、希に見る純真な褒め言葉だろうと思って、早くから小説につかい、講演や読書会では盛んに質問された。『京と、はんなり』という本を書いて以降、類似題の本がつぎつぎに出たのを覚えている。
しかし「まったり」は、意味するところ、つかいみちは承知しているが、「はんなり」とはやや筋のちがった批評語で、裏千家に学んだわたしたちは、主としてお茶のいかにもよく点った感じに用いてきた。どちらかというと、味覚にちかづけて用いていた。悪口ではない、むしろ感触のよろしさを褒めていた。
上の「昴」の文によれば、安息してゆっくりした気持ちで「汽車を待って」いる「気分」を表現しているようで、最近耳にする用例は、これに近いのかなあとふと思う。
2008 1・14 76
☆ 「山を甘く見ていた」 吾妻連峰遭難男性謝罪会見 麗
私が,おバカな「迷い道」をクネクネとさまよっていた頃,この記者会見が福島で行われていた。
生きて帰れてよかった,などとお気楽な笑顔で帰宅し,TVをつけると,遭難男性の記者会見が始まっていた。男性は,直立不動でカメラを凝視し,関係各位への謝罪と登山からの訣別を,一気に述べた。
見ていて,思った。
「もしものときには,ここまで言う覚悟が必要。」
まさしく,最高の遭難会見。
「夏も冬も山をやめる」
経験も知識も体力も勘も,そして,山を愛する気持ちも,大ベテランの「山男」が,全国に向けて宣言するのは,どれほどの覚悟か。見ていて辛くなった。
「他山の石」などではない,どんな近場でも,山に登るときには,覚悟してから行こう。
生きて帰れたことに感謝。
* よく生還できたと、わたしも胸をなでおろした。
☆ またしても雪 ボストン 雄
ギリシャ神話によると,人間に火を与えたプロメテウスは,ゼウスの怒りを買い,カウカソス山に磔にされ,毎日肝臓を大ワシに喰われるというバツを与えられた.日中は大ワシに肝臓を喰われるが,夜になると再生するため,その苦しみは未来永劫続いたという.このギリシャ神話から,古代ギリシャ人は肝臓が高い再生能力を持つことを既に知っていたことが伺える.
何故,こんな話を書くのか.
またしても今日,ボストンは大雪に見舞われた.昨日までは綺麗に雪が道路からなくなっていたというのに,今朝起きて外を見ると,既に水墨画のように辺り一面雪に覆われていた.雪は激しく降っていて,ニュースでは繰り返し各地の雪の様子,それによって起きたと思われる事故などを報道していた.
確かに雪は美しいかもしれないが,こうも続くとうんざりする.先週のクレイジーな暖かさのおかげでようやく雪から解放されたというのに,またしても雪に閉ざされるのかと思うと,たまらなくうんざりする.大げさだが,プロメテウスのように,自分は未来永劫,この雪にまつわる苦痛(ツルツルと歩きにくい歩道,雪解け水が溜まった道,雪かき...)が続くのではないかと言う気持ちになる.
激しく雪の降る中,ラボに行くのは気が重かったが,そうも言っていられないので家を出る.雪が降ると知っていながら,この週末に,何故自分はスノーブーツを買わなかったのかと,自分の愚かさに嫌になる.外は人もまばらで,しんとしている.昼飯用にと,途中,サンドイッチ屋に立ち寄り,ローストビーフと玉ねぎのサンドイッチを購入.
今日はジョンと一緒に実験.彼のやり方を見学するだけなので,気楽といえば気楽.大半を新しい居室で過ごした.週末ラボにいなかったせいか,今日は妙にアレルギー反応が強い.鼻の奥がヒリヒリとする.
雪は昼過ぎて,ようやく小ぶりになった.
ジョンとの実験が早く終わったので,自分の実験を始める.しかし,いざ観察しようと,いつも使っている顕微鏡の前に立ち,呆然とする.対物レンズが全て取り除かれている.レンズが無ければ顕微鏡など何の意味もない.うちのラボは気のいい奴が多いが,唯一許せないのは,こうして人が使っているものを勝手に拝借して,戻さない奴が多いこと.セットを初めに組んだヒューノに聞くと,「先週,ジェイが使っていたみたいだよ」とのこと.ジェイを捕まえて聞いてみると,やはり彼女が勝手に対物レンズを取り外して別のセットで使い,そのまま忘れていたらしい.謝っていたので許したが,そのせいで実験は失敗してしまった.
早めにラボを切り上げ,自宅に戻り,またしても雪かきを行なう.今日は気温が高かったせいか,雪がかなり融けていて,おかげで大きな水溜りができていた.いくらシャベルで掻き出しても,水はすぐに他所から流れ込んできてしまう.車の回りの水を掻き出し,ようやく道路に出て雪かき.今日の雪は水を含んでいて重い.もう雪かきは沢山だ.僕は雪国には住めそうにない.日本海側や北海道などの豪雪地帯に住む人のことを,心から尊敬する.
* 京の都びとの多くは、「雪」を風情風雅の友と観ていた。
徒然草に、雪の朝、兼好が用あって或る人、女人、にものを頼んで手紙をやったところ、「今朝の雪はいかが」と風流の一言もないようなお人の御用はおことわりという返辞をもらってしまったとある。
しかし豪雪に悩まされた国の人には雪は時に憎いほどの敵である。何度も書いているが、むかし呑み友達の助産婦さんにきらくに雪の話を仕掛けると剣幕で怒られた。北国の出の人であった。
2008 1・15 76
☆ 冬めく好日 優 多摩e-OLD
蝋梅(ろうばい)はまっ盛り
このうち
どれだけ実をつけるのか
歳を重ねた乾果がぶーらり揺れていた
むめ(梅)は 蕾(つぼみ)が少しふくらんで
はよ咲きたいと待っている
今朝は光りあふれ
ずいぶん気が晴れた
一日おだやかに過ごせそう
☆ 昼酒@京都王将 直 神戸e-OLD
帰宅すると鍵がかかっていて入れない。
無断で鍵をかけた者が悪い。
電話すると時間つぶしに王将で待っておれとの命令。
これはありがたい。
定番のギョウザ+ビール。
ついで牡蠣ふらい。
それでも迎えが来ないのでポテトと冷酒。
わはは。たまにはいい気分。
☆ 声字実相義 瑛 川崎e-OLD
年男の僕は年初から山へも行かず家にとじこっもている。
新年会、同期会はこれからである。
新年の「テレビ」を見ていると玄侑宗久(「中陰の花」著書)が現れ NHKの女性アナウンサーと25分間の対談があり見た。
坊主とあだ名をつけられ自分への関心をおぼゆ。
バーのフロント・マネージャなど職をてんてんとしながら、ある年に 出家への道にはいる。
氏の本はひろい読みしているが、まだ読んでない『まわりみち極楽 論』をここ数日読んだ。
声を出すことの『体』との微妙な響き合いのことを知った。読経。
音読。呼吸。この本で空海の本に「声字実相義」があることを知る。
「湖」さんがよく、ろうろうとバグワンを読んで床に就くことも。空海。
* e-OLDのマイミクさんはみな、写真自慢。割愛でごめんなさい。
2008 1・16 76
☆ 湖へ 珠
「湖の本」整えて頂き、ありがとうございました。
本が届くことを楽しみに、通勤そして勤務してきます。
先週末からの底冷えで咳がまたでているのではないでしょうか。まだまだ今週は寒さ厳しい様子ですので、くれぐれもお気をつけください。
NHKでの、坂東玉三郎さんの特集を見たのですが、気づくと正座していました。
何と全てに力のぬけた、淡々とした生き方かと、感じ入りました。「無意識の美」という言葉で表現されていましたが、その言葉の使われるさまに、湖が「私語」に以前書かれた「逢花打花 逢月打月」を思っていました。ご覧になられたでしょうか、湖。
もうこんな時間、今宵はもう寝ます。
湖も、休息は充分にとってくださいね。
正月があけたといっても、この季節、身体は冬眠中を無理に起こしているようなものです。急にエンジンふかしませんように、湖。
* 卒業生の中には、妻にあててメールをくれる人もある。
☆ ご丁寧なお返事をいただきまして、 松
>
> 思いがけなく お茶を頂戴いたしました。
> 有り難うございます。
> お手紙も入っていて お心づかい おそれいります。
> 秦も 有り難う お元気で と申しております。
>
> お元気でいらっしゃいますか??
> いつかお出かけいただいて ピアノを聞かせていただいた折
> ギロックの楽譜を頂戴して
> 聞いたことのないお名前で 興味津々
> そしておそるおそる 挑戦しましたが
> とても新鮮で 随分楽しみました。
> とても嬉しいプレゼントでした。
> これを言いたくて 秦に このメールアドレスを教わりました。
> 本当にありがとうございました。
>
> ピアノは ほぼ 毎日 鳴らしていますが
> 冬に入って? 歳をとって? 指の動きがいよいよ悪く
> せめてミスタッチをなくしたい一心です。
> 脳の老化予防が 第一の目的ですから
> いわば指の運動の様で 音楽からはちょっと遠いです。
>
> では 良い新年をお迎え下さい。
> ありがとう ございました。
こちらこそ、恐縮です。
静岡はお茶がおいしくて安いところです。またおいしいものを見つけましたら、お送りします。
楽譜、喜んでいただいて良かったです。
ピアノ曲は簡単でも良い曲が多いので飽きることがありません。
また、ピアノは他の楽器に比べて少ない力で音を出すことができるので、指の動く限り続けることができるとおもいます。
ホルチョフスキーという人は100歳まで演奏会を続けることができたといいます。私も生きている限り続けたいと思っています。
楽譜が細かくて見えないこともあるかと思います。周りの方を見ていると、片面をB4ぐらいに拡大コピーして、貼り付けて楽譜を読んでいます。
もしよろしければ試してみてください。
今度お会いするときにはまた良い曲を探して行きます。
秦先生にはいつも私の結婚についてご心配していただいています。
新しい仕事も徐々に慣れてきましたし、紹介してくれる方も出てきましたので、少しづつ人に会っています。
何とかここ2年ぐらいで結論が出れば良いなと思っております。
寒くなりましたが、どうぞお体には気をつけて下さい。
秦先生にもどうぞ宜しくお伝え下さい。 松
* わたしが「卒業生」と書くときは、おおかた「東工大」の卒業生のことで、わたしが在職時に教授室や教室や時に学外で、またわが家ででも、親しんできた元学生諸君のこと。この人も、「mixi」のマイミク。
卒業生ではないが、広島にいる、もう久しい若い友の「mixi」日記も、読みたいな。
2008 1・16 76
* 東大の研究室で女先生をしている仲良しの卒業生が、マイミクに加わった。洋弓の達人らしい、が、学生時代には、何人か友達も一緒に、歌舞伎座で弁天小僧の遠し狂言を観ながら、前三列目ぐらいど真ん中の席で、売り出しの「菊之助」に一斉に乾杯したりした仲間である。いいお母さんでもある。
☆ どうなるか?? 悠
記録代わりにこれまで書いていなかった日記を活用しようかと...
小学校のときの”宿題”の日記はばっちり6年つけていたけど,自発的に続けられるものか.読み手がいれば続けられるかな..と
ただ,自分にとっては昨年からの出産・育児という”激変”を、なにか残しておきたいとも思っていたので...
07年6月上旬からとった”お休み”を日曜に終了し,月曜から職場復帰です.前とは同じ働き方は到底無理.保育園の時間を軸に生活リズムが決まりそうです.
ただいま、慣らし保育3日目.
1日目は私同伴で2時間(検診+離乳食トライ+入園説明会)
2日目は10:00~12:00の保育(母と離れても泣かない子でした)
本日3日目は9:30~16:00と昨日より一気に長時間.
伸びた時間のほとんどに”ねんね”の時間が入っているので大丈夫だとは思いますが.どうなるでしょうか?
子供を預けて一人保育園を出るときの身軽さはちょっと寂しいものです.
せっかくの時間.復帰に向けて仕事の整理をと思っていたけど,つい家事をやってしまいました.こんなことができるのもあと数日.
仕事にちゃんと復帰できるのか,心配です..
2008 1・16 76
* 思い立って、一昔前、平成十年(1998)に始めた「闇に言い置く私語の刻」を一月余りかけて読み直してみた。校正しておく気持ちもあれば、十年前の自分を現在の自分の影と見立てて、反省があるか退潮があるか、変化があるか眺めておく気だった。
せっかくだから、と言うのも変だが、「mixi」に幾らか再録してみた。1986生まれのやす香は、もうカリタスの中学部に入っていたのではなかろうか。
2008 1・16 76
☆ 先生 ごぶさたしました。 香
年始めのお祝ひも申しあげず、失礼いたしました。
この秋から冬、どこへも出てゆけず、何も読めず、あ、蕪村をちらちら見てゐました。
長いトンネルをどうやら、抜けられさうでございます。意気地がなくておくすりに頼つてかへつて副作用に苦しめられたりしましたが。
今日、一月ぶりに外出しました。国会図書館にまゐりました。出掛けるのが億劫で億劫で、やつとの思ひで出掛けましたが、やはり、とほんとして
をりました。
でも、帰りに東京駅の大丸に寄り、「近代日本画・美の系譜」といふ催しを見て来ました。大観から又造に至る六十点の作品の中に、松園の「夕べ」「かんざし」がにほつてゐました。とても、疲れてゐましたので、あまり、よく見られませんでした。もう一度、出直して見たいとおもつてゐます。
久しぶりに「湖」を拝見しました。お目のコンディションが、芳しくないご様子、お案じ申したとて、何のお役にも立たぬことながら、お案じ申さずにはゐられません。
でも、お芝居をほんたうにたのしんでいらつしやるご様子、こちらまでほくほくしてまゐります。
この初芝居から芝居見物再開の予定でしたのに、その気も失せてぐづついてゐましたが、先生の観劇記を拝見して、ゆきたいな、といふ気になつて来ました。
ミクシイへのアクセスは相變らず、うまくゆきません。今月末に、器械のセンセイが来てくれさうなので、それを待つてゐるところでございます。
風邪がはやつてゐるやうでございます。どうぞ、おたいせつになされますよう。
* 心配していた。すこし安堵。
* 「mixi」に「オルセー」さんの「足あと」がついていた。この人の「マイミク」は二人で、一人は、なんと亡くなってもう一年半の孫・やす香(=思香)と「むらっち」サン。「むらっち」サンの「マイミク」は「オルセー」さんが只一人。二人とも、わたくしからはアクセスが出来ない。日記は書かれていないと「mixi」は教えている。
プロフィールは無いも同然。ロゴ写真も、無い。
こういう、「思香」がらみらしい半端な「足あと」が、ときどき、永く断続して、ついてくる。やす香の友人たちとは、とても、思えない。
なにかわたしに尋ねたいことがあるなら「遠慮無く尋ねてください」とメッセージしておいた。こういう例は、他に何度もあったが、反応は全く無い。悪意すらつきまとった「アンフェアー」で、陰気な感じ。
2008 1・17 76
* 猫 慈
もう暗くなってから ちょっと近くの酒屋まで駆けて出て 帰路。
チンチンと鈴が鳴る。
うちの猫(こ)だ。ご近所の庭うちを私と平行して走って。
ドアを開けるときにはもう足下に控えている。この寒いのに・・・
* 妻も、いつも似たようなことを話している。
* 町田市から、また一人「マイミク」さんが増えた。
☆ 内田光子 ボストン 雄
二日ぶりにラボへ.朝,遅めに家を出る.ラボまでの距離は大したことがないはずだが,二日間もベッドで横になっていたせいか,歩くだけでヘトヘトになり,額に大汗をかく.
昼からポスドク候補のセミナーがあり,それまでの間,ジョンと一緒に脳の切片を作る.セミナーの開始時間ギリギリまで作業をし,セミナー室に行くと,ボスが「おお,調子はどう?」と声をかけてきた.’I’m fine’と言ったら,ボスを含むラボメンバー全員に笑われた.明らかにfineには見えないらしい.’Better than yesterday’と言い直す.ボスの奥様も風邪を引いているとか.やはり流行しているのだろう. セミナーを聞き終えてから,ジョンと一緒にサイエンスセンターのカフェテリアに行き,慌ててブリトーを胃袋に収め,再び切片作製.最後に,絵筆を使って切片をスライドグラスに並べるが,昨日まで寝ていたせいか,目が回って仕方がない.顕微鏡酔いしてしまった.
夜は,今シーズン初めて,シンフォニーホールへ.曲目はモーツァルトの交響曲第36番「リンツ」,ピアノ協奏曲23番,シューベルトの交響曲第2番.指揮はサー・コリン・デイヴィス.考えてみれば,昨年ボストンに来て,初めて聴きに行ったのもコリン・デイヴィスの演目だった.去年と変わらぬ,端正な音楽作りで,優雅なモーツァルトとシューベルトを聴かせてくれた.
オーケストラのメンバーは,去年に比べて若干アジア系の演奏者が増えた気がする.オーボエの方は日本人.昨年,シンフォニーホールで第九を演奏した際,偶然楽屋裏で擦れ違い,少々お話させて頂いた方だった.素晴らしい演奏だったが,そんな素晴らしい演奏をされる方とお話をしたことがあると思うと,不思議な気分になる.
しかし,指揮もオーケストラも素晴らしかったが,なんといっても今日の目玉は内田光子のピアノだった.もともとモーツァルトのコンチェルトでは世界のトップといっても,何ら誇張ではないだろうが,今日の演奏はこれまでCDなどで聴いたよりもはるかに素晴らしいものだった.特に第二楽章は,静寂の中,ピアノだけがひっそりと演奏を始めるのだが,この緊張感といったら,たまらない.ピアノの演奏を受けてのオーケストラの演奏も,ピアニッシモの中に緊張感がみなぎっている.第3楽章を弾き終えると,たまらず観客のほぼ全員がスタンディングオベーション.
風邪が治りきらないのに,わざわざシンフォニーホールに足を運ぶなんて,馬鹿じゃないかと思われるかもしれないが,このピアノコンチェルトだけのために足を運んだとしても,ちっとも惜しく感じられなかっただろう.
シンフォニーの駅から,途中地下鉄を乗り継いで,ポーター駅へ.駅を出ると,再び雪がちらついていた.今週末は,また一段と冷えるらしい.
2008 1・18 76
☆ 冷えています。お元気ですか、みづうみ。
今日はお稽古でした。先生が腰痛に配慮してくださったので、立ったり座ったりの動作のない「萩桔梗」を舞っています。
腰痛は物書きの持病らしいですが、パソコンの前に座っているだけでプロにもなれない人間なので、誰も同情してくれずお恥ずかしいかぎり。 わたくし
* パソコンは、ほんとうに、無数の物書きを生み出している。
ほんとうは「パソコン学」と謂う「人文社会学」が成立して行かないと、この野放図な機械からたちあがった、いろんな生き物たちのすばらしさも異様さも醜さも、行方知れずに混淆して混濁して行くだけだ。
成立しているかのように錯覚している学者達もいるかもしれないが、へんな譬えになるが、柳田国男の行動と蒐集・観察、折口信夫の洞察と構想力とを兼ねたような、天才的な学者が「人間」を基底に、「学問」自体を「創作」しなくては、とても歯が立たないだろう。
2008 1・18 76
* 必要あって、「mixi」二年前の二○○六年日記本文を網羅してみた。
なんと、あの「むらっち」さん「アルセー」さんからの、つい昨日一昨日のと全く同じ「足あと」がついていて、全く同様に、「不審」のメッセージをわたしから送っていた。姑息な「潜入」などしなくても、堂々と名乗って読みにくればいいのに。
娘らは、わたしの「私語」の格別の「愛読者!」らしくあり、ことこまかにチェックしていることは法廷を通じても、以前からも、分かっている。わたしの「発信」はここで受け取っている。
いま此の位置で、今日網羅した全部を掲示すると、量も厖大で、日常の記事に障る。一案、このファイル末尾に、「引き出した本文の全部」を、便宜に掲示し、娘等のために与えておこうと思う。一昨年の「悲しい一年間」の推移が、手にとるように読み取れる。
で、いったい、それらを、此のわたしに、父に、どうして欲しいというのか、また法廷へ持ち出してください。
2008 1・19 76
* 次の「雄」君の日記、二度読み返した。ひとの思い出なのに、わたしも同じようになんだか胸が熱かった。
誰のむねをも熱くさせる時期・世代・環境つまり青春が語られているからだろう。わたしも、なんだかいっぱい思い出してしまった。誰が書いても、この年代への思い出話はひとの胸にもせまるということ。
東工大での元の学生諸君には、あるいはとても恰好のタイミングかもしれない、この辺で「いま・ここ」の関心として、青春を振り返っておくことは。
☆ 茗荷谷 護国寺 ハーバード 雄
昨日,マイミク「湖」さんのホームページを拝見したところ,茗荷谷の話が載っていた.「茗荷谷」の3文字を見ただけで,なんともいえない懐かしい気分になり,来週のプログレスレポートのためのパワーポイントの図をラボで作りつつ,茗荷谷のことを思い出していた.
高校3年間,僕は茗荷谷の近くにある高校に通っていた.実家が営団地下鉄有楽町線沿線だったせいもあり,護国寺駅から通った時期の方が長いかもしれない.護国寺駅から,キツくて長い音羽の坂を登って,毎日登校していた.
茗荷谷や護国寺は,それこそ学校しかないような場所だから,特に何か目立つ店があるという訳ではない.しかし,一つ一つの建物,店に思い出がある.
生まれて初めてコーヒーというものを飲んだのも,茗荷谷駅前の「Tohoパーラー」だった.小学校の5年生だっただろうか.初めてのコーヒーが苦くて,砂糖を入れすぎて親に叱られた.
高校生になってからも,小遣いが少なかったせいもあって,買い食いなどは滅多に出来なかった.帰り道,高校時代の友人が,「ちょっとコーヒーでも飲んでいこうか?」と言うので,茗荷谷駅近くの「ドトール」に一緒に入ったことがあった.その時の僕には,それが妙に大人っぽい行動に感じられた.今思うと,笑ってしまうけど.
昔の歌ではないが,「こんなのが青春だったら,たまったものではない」と当時は思っていた.しかし振り返ってみれば,高校時代はまさに青春だったんだと思う.今でもあの頃に戻ってみたいような気分になることがある.
とはいえ,具体的に何があったかを思い返してみると,ロクでもないことばかりだ.
高校二年生の春,文化祭の実行委員をやらされた.毎晩のように帰宅が11時以降になり,丸の内線の終電に飛び乗ることが何度もあった.土日も登校することさえあった.もともと身体は強い方ではなかったのだが,これがよほど身体に堪えたらしく,文化祭が終わると同時に風邪をひき,あっという間にこじらせてしまった.
激しく咳き込んだ後,息が吸えなくなるという症状が続き,夜中にベッドでもがいているところを親に発見された.この発作が収まらなくて,しばらくの間,夜は自分の部屋ではなく両親と共に,夜9時までには床に就かされるようになった.あれ以来,僕の体質が変わってしまったのか,以前にも増して病気がちになった気がする.
ちょうどその頃,数学で、「代数・幾何」と「基礎解析」が始まった.「指数・対数」の最初の授業を聞き損ねた辺りから,数学がさっぱり分からなくなった.以来,あれほど好きだった数学でオチこぼれてしまい,数学と理科の不出来を国語でカバーするという,妙な理系受験生になってしまった.結局,数学の苦手意識を克服できたのは,浪人生になってから,それも入試直前の時期だったと思う.理科は最後までダメだった.学問としてのサイエンスは好きだったけれど,受験問題はさっぱり解けなかった.
東工大は僕にとって最も似つかわしくない大学だと思っていたのに,そこに行くことになるなんて皮肉な話だ.僕が受かったのは,後期試験で小論文が得点の半分を占めていたからに違いない.
きっとこの日記を読んで下さっている方の中には,僕のことを典型的な理系人間だと思っている人もおられるかしれないが,元来,僕は文系人間です.もし僕の文章が理系的だと思われるとしたら,それは「東工大出身者」ということで,そう思いこんでおられるのかもしれないです.
あるいは僕自身が変わっていったのかもしれない.それは「理系」として暮らしてきた年月の方が長くなって徐々に理系的になったか,そうでなければ,文系人間として当然身につけているべき教養を,僕が身につけていないかのいずれかだろう.
それはともかくとして,高2の春から夏にかけて悩まされた風邪の症状がなくなっても,その後しばらくの間,まるでエレベーターに乗っているかのように耳の奥に圧迫感が残り,あちこちの病院に診てもらった.しかし結局,原因は分からず,「精神的なストレス」の一言で片付けられた.
医師の勧めで運動部に入ることになり(この方が,僕にとってはよっぽど精神的なストレスだったのだけれど),空いている曜日の関係で卓球部に半年ほど在籍した.音羽の坂を下り,音羽通りを江戸川橋方面に向かって走り,鳩山邸の脇の坂を登り,小日向の辺りを回って学校に戻るというコースを練習の時に良く走らされた.
体育の授業でも,このコースを良く走らされた気がする.高3の頃,当時体育の担当だったS先生に,「お前ら,今が人生で体力のピークなんだからな.今より上がることはないんだから,今のうちに鍛えておけ」と良く声をかけられた.当時は「こんなのがピークだったら,僕の人生は終わっているよ」と思ったけれど,今にして思えば,確かに先生の言うとおりだった.
走らされたのは決して良い思い出ではないけれど,卒業して大分経ってからこの付近を通りがかると,ゆっくりと歩いてみたい気分になる.
高校を卒業してからも,この近辺に来ることはちょくちょくあった.
茗荷谷駅裏の目立たないところでひっそりと営業していたイタリアンレストランは,まだ残っているだろうか.僕にとっては,とても大事なレストランだったのだけれど.とても尊敬し,密かに憧れていた人と,たった一度だけ二人きりで,あの店でランチを一緒に食べたことがあった.学位を獲るちょうど1年前,失意のどん底にいた時だった.あの時,元気をくれたおかげで,立ち直ることができたような気がする.
昔から,食べ物の好みも本の嗜好も全く合わないのに,僕が本当に孤立し,落ち込んだ時には,そっと手を差し延べてくれる不思議な人だった.
* お店が三つほど出ているが、どれも覚えがありそうに想われ、こんど見確かめに途中下車してみたくなる。
2008 1・20 76
* また一人、教授室時代の常連、若い友人が、「mixi」のマイミクに加わった。
☆ 秦さん、こんばんは。 琢
mixiへのご招待ありがとうございました。
早速登録して少しだけ覗いてみましたが、随分と内容が盛りだくさんのページですね。少しずつ読んでみようと思います。そのうち自分でも書き込めれば良いですが。
1月で職場の部署が移動となり、毎日午前様という生活からはひとまず脱却しています。家にいるときは、赤ん坊三昧という感じの生活です。子育ては、思った以上にエネルギーがいるものですね。ゆっくり食事も出来ない、という状況からはようやく脱却しつつありますが、落ち着いた自分の時間をもつことは、かなり難しい状況です。時間のやり繰りが下手なのかも知れません。
「子を持って知る親の恩」を、今更ながらに痛感しています。子育ての苦労をほとんど語ることのない両親ですが、随分と迷惑をかけて育ってきたんだろうなあと。ありがたいものだなあと。自分が同じ立場にならないと分からない事って、やっぱり多いですね。
きっとこれからもこんな風に、子供が色んな事を教えてくれるのでしょうね。一つ一つをおろそかにする事なく、楽しみながら学びながら子育てしていきたいです。
では寒さも厳しくなってきましたので、くれぐれもお身体を大切にお過ごし下さい。
またお時間のある折に一度お目にかからせて下さい。
☆ 毎日,毎日 悠
今日で長期のお休みが終了となりました.明日より職場復帰です.
とても楽しくまたありがたいお休みでした.楽しかったです.
明日からの生活.どうしよう? と,どうなるのか? ということで頭がいっぱい.
でも,出産以降 ”なるようにしかならない” という開き直りがすんなり受け入れられるようになったような気がします.
さて,先週の慣らし保育がスタートして毎日やらなきゃいけないことが増えました.翌日の準備や連絡帳といったことに加え重要なのが,冷凍母乳の準備.
これまで,粉ミルクなしで育ててきました.
特段気合を入れて,そうしたい!とやってきたというよりも,生産過剰気味で,粉ミルクを必要としなかったというほうが正しいと思います.そういえば,私,粉ミルク調整したことがありません.(今,気がつきました)
せっかく準備できるのであればということで,お願いして冷凍母乳に対応してもらうことにしました.足りない場合は粉ミルクを足してもらうことにしていますが,慣らし保育期間の様子を聞いてみると,どうもあまり飲まないようなので,せっせと時間を見つけて準備してきました.
私の体にしてみても,子供に飲んでもらうのが一番楽なのですが,そうできない場合,時間を見つけて採らないとつらいんです.子供が要らないというまでがんばってみようと思います.
必要な量は一日,約200ccx2=約400cc.
完全に凍らせたものを保育園に預けます.(3週間保存可)
何とか日中に1回と夜中または明け方に採って保育園での必要量を確保しないといけません.でも,子供が飲みながらなので,なかなか難しいものです.一日の必要量の6割程度が取れれば上出来な状態です.
土日がストックのチャンス.現時点で1.5日分ぐらいは確保できました.
乳牛は一日30Lぐらい出るそうで..うらやましい...
子供のほうは,目やに大量発生であわてて昨日病院につ入れていきましたが,塗り薬で落ち着いてほっとしたところです.
前髪が目にかかっていたので,お風呂の前にカットしてやりました.
さぁ,明日からまた新しい生活がスタートです.
* 覗いてみると、今朝はマイミクの何人もがそれぞれの、それぞれらしい元気な日記を書かれている。わたしのためには、それぞれに眺めのちがう景色いい「窓」だ。「mixi」の上では共有しにくいかもしれず、おゆるしを得て此の「私語」の方へ転写すると、その窓ははるかに多方面に元気に開いてゆく。この「私語」の頁をとおして愛読されている何人もの人の文章がある。インターネットでの「佳い表現」を探訪したい、また読み手も得たいという久しい希望が、少しずつ多く広く酬われてきている。
2008 1・21 76
* 次の一文、もし、秦さんはなにが面白いのと問われたなら、一生に一度も経験したことのない類だから面白いんですと返辞する。
☆ プレゼンテーションあれこれ ハーバード 雄
今日は一日,気温が摂氏零度以下だった.アパートの部屋から外を眺めると,リスたちが元気よく,隣の家の塀の上や庭などを駆け回っていた.奥に見える公園では,犬たちが,こちらも元気良く駆け回っている.僕はといえば,こう寒くては外に出る気が全く起きない.一日中アパートの部屋に引きこもっていた.
明後日のプログレスレポートに使うためのパワーポイントの資料作成に取り組み,先程ようやく完成した.同時に,話すべき内容も,ほぼ固まった.後は,細かい点を直したり,話し方を少し練習すれば,なんとか乗り切ることができるだろう.
研究者にとって,研究した成果を発表することは,大切な仕事の一つ.最近は,学会でもポスター発表が多くなってしまったけれども,口頭発表も重要であることに変わりはない.発表に用いられるツールも,時代と共に移り変わっていく.
僕が研究室に所属した頃は,パワーポイントなどというものは無くて,発表は全てスライドを使っていた.学科によってはスライドではなくてOHPを使うところもあるようだが,生命科学系の研究室はスライドがメインだったのではと思う.
研究室にも拠るが,僕が最初に所属した研究室では,カラースライドを除いては,スライドは基本的に自作するものだった.原図をつくり,カメラで撮影した後,暗室に篭ってフィルムに焼くのだった.青焼きなどというのも,まだ健在だった.修士課程を終える頃,パソコンから直接フィルムに焼くことのできる機械というものが出来,皆,画期的だといって興奮していた.
パワーポイントが博士論文の審査会でも使われるようになったのは,僕より1,2年位下の学年からだった.従って,僕の学位論文審査も,スライドを使っての発表だった.当時,研究室の近くにはフィルムを現像してくれる店が無く,いちいち電車に乗って恵比寿まで行かなくてはならなかった.いちいち図を直すごとに,フィルムに焼いては現像に持っていく.暇な時ならば気分転換になりそうだが,学位審査会の直前となると,この時間すら惜しかった.
マイクロソフト社によるパワーポイントの出現は,研究発表会にとって画期的だった.今の学生さんや,学位を取りたての人には知らないかもしれないが,スライドしかなかった頃は,発表者が手許でスライドを変えることができないことが多く,多くの場合は学生がスライド係としてかり出され,演者が「次のスライドお願いします」と言うたびに,スライドを切り替えていた.
単に発表の形態だけではない.パワーポイントならば,発表の直前まで,スライドの訂正をすることができる.さらに,動画を用いる発表の場合,以前はいちいちビデオに録画したもの持参して,発表の際にスライドとビデオを切り替えたりしていたが,パワーポイントならば,パソコン1台あれば,全て事足りる.
パワーポイントを使ってのプレゼンテーションには,だが,欠点もある.多くの場合,発表者は自分のノート型パソコンを持参しなくてはならないし,アダプターなどのトラブルで,パソコンが認識されないこともある.動画が思うように動かなかったりすることもある.特にマッキントッシュのパソコンを使っている人がセミナーをする際には,アダプターの形状がパソコンの機種によって異なったりすることもあり,なかなか面倒.全てウィンドウズに統一されれば良いのだろうが,マックユーザーは,阪神ファンにも匹敵する愛着を持っているので,そんなことは恐ろしくて言えないだろう.
発表の際に気をつけなくてはならないことも増えてきたように思う.先日,とあるホームページを見ていたら,Youtubeのこんな動画が紹介されていた.(注意:音が出ます)http://www.youtube.com/watch?v=HLpjrHzgSRM&eurl=http: //www.kenkyuu.net/whatsnew/2007/12/how_not_to_use_powerpoint.html 内容は,「パワーポイントを使った,ダメなプレゼン」について.話しているのはコメディアンらしいが,もともとはIBMの技術者だったとのこと.そのせいか,コメディーというよりも,なんだかプレゼンに関する真面目なレクチャーを聞いているような気分になった.
このコメディアンが挙げる「ダメなプレゼン」の例は以下のとおり.
1.話す内容を全部,文章形式で書いてしまっているスライド.
2.誤記の多いスライド.
3.箇条書きがやたらと多く,何がポイントなのか分からないスライド.
4.色使いのおかしいスライド.
5.枚数が多すぎるスライド.
6.1枚の中に,盛り込む内容が多すぎるスライド.
7.アニメーションの多用されたスライド.
8.適切でないフォントの使用されたスライド.
ざっとこんなところだろうか.確かに英語の場合,しゃべることを忘れないように,
全部書いておこうとして,盛りだくさんなスライドを作ってしまうことは多々ある.
7については,以前のボスが,良くやっていたのを思い出して,失礼ながら少し笑ってしまった.スライドを作っているときには,アニメーションにしたのに,発表の時になるとそれを忘れて口で全部説明してしまい,次のスライドに行こうとした瞬間,色々なものが動き始めることが良くあった.
5については,人によって意見が分かれるところであり,なかなか難しい.平均的には,1枚のスライドに1分くらいというのが標準ではないだろうかと思う.僕の大学院時代のボスは,大体1枚あたり40秒くらいで,テンポ良く次々とスライドを説明していくといったプレゼンテーションだった.逆に,今のアメリカのボスは,1枚のスライドに5分かけることも珍しくない.それどころか,特別講演の時などは,真っ黒な画面からスタートし,何も映さないまま10分くらい話して,聴衆をひきつけておいてから,やおらパワーポイントを使うことさえある.二人のボスとも,話が上手いと評判の人なのだが,そのスタイルによって全く正反対の結論になる.僕の印象では,次々と早いスピードでスライドを切り替えていくプレゼンは,外国ではウケが良くないようだ.
僕自身はというと,なんといっても,スライドの図のセンスが悪いのが欠点.分かってはいるのだけれど,「センス」の問題だけに難しい.センスが良くないことは自分でも分かるのだが,どうしたら良くなるのかが分からない.
スライドとは話がずれるが,未だに僕ができないのが,正面を向いてのプレゼンテーション.照れもあるのだろうけど,どうしてもスライドの方に顔が向いてしまい,聴衆に向かって話せていない.こちらの人達はこれが普通にできる.スライドに完全に背を向けて話すことのできる人が多い.これは,文化の違いもあるかもしれないが,スライドに書かれていることをきちんと把握しているからなのかもしれない.発表ギリギリになってスライドを作っているようでは,まだまだ無理ということか.
Youtubeにはpowerpointを使ったコメディーなるものも載っていた.下らないけど,これもちょっと面白い.
2008 1・21 76
* さて、このファイル末尾に、余儀なくかなり大量の「記事」を載せた。「mixi」に書いていた日記の一部だが、娘夫婦が起こした「仮処分」審尋に、彼らはそれも問題にしていながら、具体的な主張ないし希望がなかなか出てこない。対応のしようがない。「mixi」日記内容を適切に把握し承知していないのではないか、いたずらに法廷がノビノビになるのは互いに有り難くないので、娘達に読み取りやすく、此処へ便宜に「一括転載」しておいた。必要ならダウンロードしたであろう。
機械の働きが重くなるので、今明日にもこの「私語」のファイルからは外したい。早々に対処して欲しい。
このホームページ以外に両家に疏通・伝達の「道」がない。 もう片づけて「よろしいか」と問うておく。
2008 1・21 76
* 一昨年の「mixi」日記をつらつら読み直して、「つらかった一年」でしたと妻は涙する。その通りだった。作為のないその日その日の日記だが、いつわりなく情況を反映し、さながらまた「一編」をなしているのに驚く。
電話をいただいた原田さんは、たじろがず対処してきたことに、作家魂と作家の冥利というものを認めてくださった。そういう声は文壇の諸方からきこえてきた。だが、ことなかれと穏便に受け流していいのではという思いで見守ってくださった方も少なくあるまい、その方がこの世間のおおかたの知恵であるかも知れないのをわたしは承知している。
* 二○○六年の「mixi」日記は、そのまま他に記録保存した。必要ならそのままいつでも復元できる。もう「mixi」に残しておく意味はない。またこのファイルに一時仮置いたのも、娘達の手元にその気ならダウンロードすればよいと思っただけのこと、もう用は足りたろう。今日正午には消去して別に記録保存しておく。(正午、消去済み。)
二○○七年、昨年分はまだ見直していないが、さしたる関連記事は無かろうかと思う。必要に応じて対処する気でいる。
* ことが収束に向かっているわけではない。この先まだまだ永そうである。冷静に対応し、たじろぐことは無い。しょせん水はどう逆巻いても峰にはのぼらない。海へ、情理の自然へ流れ落ちて行く。
* 剣道五段を目前にめざしている剣士が、マイミクに加わった。東工大の、元のわが学生君である。どんな「アイサツ」を書くだろう、この人は卒業後も波瀾の上を歩んできた。その体験がきっと今の仕事に生きているはず。東工大でいま教鞭をとっている人も加わっている。この人の生家はたしか、超級の人文系研究文献・書籍の出版社であったように記憶しているが、この人自身は人類に貢献する「薬」の創製を学生時代から志していた。そういう余話が聴けるかもしれない。
この人は趣味豊かな化学者。
☆ 雪の日と夕食 松
昨日の夜中からみぞれだった。朝起きると車に雪が積もっていた。静岡のこの辺りは暖かいと聞いていたので、驚いた。何でも新富士から東方面では雪だったらしい。
出勤前にブラシで雪をかき落とした。
週末買った土鍋で、日曜日にポトフを作った。
二日目でジャガイモや人参は良い味に染まっている。エリンギやシメジもおいしい。
ただ、キャベツやカリフラワーはだいぶとけてきた。材料によって煮る時間が違うのが難しい。投入するタイミングを考えた方が良かった。
明日はもう煮ず、暖めるだけにして食べようと思う。
晩酌はオーストラリアの『アリス ホワイト シラーズ』。とってもコクがあっておいしい。香もいい。オーストラリアは濃くてのみ応えがあるワインが多いと思う。
* 文章にムダなく、具体的に、シマリがきっちりついてきた。こうは書けない学生時代だった。この一文など、名文にちかい。
☆ 休日のセミナー ハーバード 雄
今日はマーチン・ルーサー・キング・デーで祝日.しかし,当然のように全員ラボに来る.それどころか,昼には脳センター主催のセミナーさえあった.セミナー会場に入った時は,ほとんど人がいなかったので,やはり祝日だからかと思ったのだが,あれよあれよという間に人が増え,結局立ち見まで出ることとなった.
演者はブランダイス大学の研究者.味覚の情報が,脳でどのように情報処理されるかに関しての研究.工学のバックグラウンドを持つ研究者らしく,ちょっと僕には歯が立たなかった.
独身者にとっては普段と何も変わらない一日だが,小さな子供のいる家庭では事情が異なる.特に共働きの家庭では,託児所が祝日で休みになってしまうので,交代で働きに来なくてはならない.
JCの奥さんのモニカに,今日は実験を教えることになっていたのだけれど,そういう訳で彼女は3時からしか来れないという.
今日になって更に,細胞の調子が悪くなったとの連絡が入り,実験そのものの予定がなくなってしまった.かといって,プログレスレポートを控え,急に実験の予定を組むのも難しく,結局スライドの体裁を整え,話すことを纏めて終わった.
明日は,プログレスレポートもさることながら,早起きしなくてはいけないのが苦痛.発表担当者は,皆にベーグルを振舞うこととなっている.家を出て寄り道し,ベーグルを買わなくてはならない.何故,話をする上にベーグルまで振舞わなくてはならないのか,納得いかないが,まあ,しきたりだから仕方がない.
このところ,日記を長く書きすぎなので,今日は短く,この辺で.
* かじるほどに春待つ甘さビターチョコ 優 e-OLD多摩
今週はもろもろ段取りよく進んでいるのが何より嬉しくホッとする。
相変わらず頭痛の種も幾つか抱えてはいるが、その一つ、交渉相手は海外出張中で、これは先延ばしであっても、ま急くことはあるまい、しばしの間でも休戦のやすらぎ。
新聞やTVや人づてに世の中の憂きこと学ぶことたっぷり見聞きし、自分なりに大いに感じつつも、本質に絞り切りカミさんとだけ淡々と意見を交わしている。
おとついの「認知症」、昨夜の「赤ちゃんの成長」番組にも少し触れた。
呑み屋にも行かぬが、たまさか暖簾をくぐっても難しい話はしたくない。
そう言えば馬鹿っ噺もしばらく無沙汰しているなあ。ま、いいか、そのうち。
今週はむやみに腹を立てない、邪気を払いたくない。いまは、満を持す。たしかに日脚は伸びていて、その実感を先取りしながら、じきに冬が去り春が訪れよう。
雪が降らぬだけ寒く感じるが、これは運を天まかせ。今朝はおだやかに気が晴れ、朝方から近くを廻って用事を済ませた。
帰りの百メートル坂を前にコンビニに立ち寄る。求めたビターチョコをかじりながら前かがみで登攀。指がかじかんで一口大矩形には折れず三口ほどのマッターホルンになった。そのままくわえ、折って齧ってひと登り。誰かに見せたいほどに他愛無く可笑しかった。 横をオバチャリに乗った旧知のオバハンが一生懸命ペダルを漕いでいた。粗い鼻息も吐かず黙々と私を追い抜き先に登り切った。働き者で評判のご婦人だ。この長坂を「なんだ坂こんな坂」で普通自転車で登り切るひとには滅多にお目にかからない。
そう言えば、マウンテンバイク趣味の、ボクとおない年の知人男性が「楽勝」と自慢してたが、それよりはるかに健気で素晴らしく、ボクはすっかり気圧された。
口腔に染み渡るカカオ・ポリフェノール3倍チョコがとても甘く感じられた。
唇のよこちょからちょっぴり奄美の純正黒糖液がはみだしていた。
* 感慨には、独特の味と魅力がある。すんなり出ていればいるほど。
2008 1・22 76
☆ プログレスレポート ハーバード 雄
朝9時から,プログレスレポート.7時に起床して,近所のベーグル屋に行き,ベーグルを2ダース購入.ベーグル屋に向かうだけで,足が凍りつきそうに寒かった.ベーグル屋からラボまで急ぎ足であるくと,逆に汗が噴き出してきた.
セミナールームでパソコンをプロジェクターに接続するが,画面が切り替わらず,プロジェクターに何も映らない.このノートパソコンは日本から持ってきたものだが,プロジェクターとの接続端子の部分の構造に少々問題があり,こういうことが頻繁に起こる.30分近くトライしたが,諦めて2階の居室からデスクトップパソコンを抱えて運んだ.重たかった.
時間までにセットアップは完了したのだが,ボスがやってこない.秘書のフィリスが「あと5分待ってと言ってるわよ」と言う.しかし,5分経ってボスがやってきて,「ごめん,あと15分だけ下さい」と言う.今日がグラント申請の締め切りなのだそう.
待っているとフィリスが「プログレスレポートって,どんなプログレスをしたの?」と余計なことを言う.おまけに,日付を略して080122と入れておいたら,「その数字は何?」と聞いてくる.もう,タイトルのスライド全部を捨てたい衝動に駆られた.
15分待ってもボスは戻ってこず,もしかしてプログレスレポートは中止になるかと思ったが,ほどなくしてボスが現れた.発表開始.
1時間半,たっぷり話す.望んでそうしているわけではないが,ムービーファイルが多いし,皆あれこれと口を挟むので,どうしても長くなる.おかげでヘトヘトになった.
発表が終わると,皆口々に「いいトークだった」「面白いよ」などと声をかけてくれるが,内容が乏しいことは何より自分が一番自覚している.さっさと自分のアパートに戻り,布団をかぶって寝てしまいたい気分になった.
意外だったのは,僕がこれまでやってきた「失敗」としか言えないデータについては,概ね好評であり,これからジョンと始めようとしている面白そうなテーマに対しては,セミナーを終えてからJCとボビーから「何であんなことやるんだ?やめたほうがいいんじゃない?」とこっそり言われた.ジョンとやろうとしていることは,今僕がやっていることよりも,明らかに多くの研究者が研究していることなので,今更やるのは意味がないと思っているのかもしれない.
今日話していて,いかに自分が光学的な知識を欠いているかが良く分かった.確かに,それを勉強しにアメリカまで来たのだが,こんなことではダメだ.自分で自分が情けない.自分で実験していながら,自分のやっていることを良く理解できていないことに腹立たしさと情けなさを感じる.解析も,今までのものでは不十分だった.やはりもっと勉強しなくては.
これまで発表の準備で実験できていなかったので,今日は実験するつもりだったのだが,いつも使っているヒャーノのセットを使いに行くと,ムリカに占領されていた.相談の末,木曜日は僕が一日使うことにする.
なんだか虚しくなり,部屋でデータ解析の本を見ながらデータを解析し直す.そうしていると,「ああ,あのムービーではなくて,こちらを見せるべきだった」というものが次々と出てきた.悔しい.
* こういう話題がわたしには、無性に興味深い。「いま・ここ」「いま・ここ」を真剣に呼吸している人の汗の香がする。わたしはいま自分の言葉と感情とにヒマを与えているので、その空白へこういうしっかりした言葉を汲み入れる。
2008 1・23 76
☆ 雪 慈
玄関を出ると 道は白くなりはじめて 足跡だけがくっきり残る。おや 「ふらの」さん出掛けましたね と 人にも知れる。
小一時間で戻ってみると 私の足跡はもう消えていて がっちりと大きなべつの足跡が郵便受けに近づき 去っている。
雪でこそ見える人の動き。 面白いこと。
☆ 雪 昴
札幌の雪は、融雪剤の影響で、踏むとしゃくしゃくいっていたけど、羅臼の雪は風と寒さで固まって、キュッキュッという。羅臼の雪は、たぶん砂の音に近いんじゃないかなと思う。地域によって雪の鳴き方が違うのはおもしろい。
今日は、国語の授業はまだましじゃなかったのかなと思う。予定していた範囲までいかなかったのはいけないことだけど、子どもの中には授業の内容が残ったんじゃないかなと思う。今までのテンポよりはよくなったけど、もっと速いテンポで授業を進めたい。
今日の問題は家庭科だ。授業の流し方を思いっきり間違えてしまった。昨日あんなに、この部分は間違えずに流そうと思ってから寝たし、朝もこの部分は間違えずに流そうと思っていたんだけれども、間違えてしまった。すっかり頭の中から抜けていた。もっとしっかり頭にたたきつける方法を考えなくては。
と思っていた矢先、帰りの会でいうべきことを、一瞬忘れてしまった。ほんの数秒前までこのことを言おうと考えていながら、言うときになって忘れてしまった。子どもに、ちょっと待ってといいながら、言う内容を思い出したのだけれど、記憶力が低下するのには困る。
疲れがあったのだろうか?
頭の中は、少しボウッとしている。
このままじゃいけない。
昨日、先輩の先生に今にも泣きそうな瞳で、「今変わることができたら、同じ思いで苦しんでいる子の気持ちを理解して助けることができる先生になれるんだよ」「今がんばらないと、先生やめても同じだよ」と言われた。
とにかく具体的に動いて、がんばらなくては。
☆ 洗濯物が乾かない 和
ずうーーっと、曇りか雨で、たまに晴れた日には洗濯するのを忘れてしまし、洗濯する機会を逸してしまった。今日室内干ししてみたけどやはりまだ乾かない。
今年に入って麻雀は放縦しまくるわで、収支はおもいっきりマイナスだ。うまくアガれば門前清一色一気通貫平和一盃口ドラのひっさびさの3倍満を9順目で張ってwktkしてもあがれないのには、涙がでてきた…。
日経平均下がってるしな、就活おわるまで景気もっててほしい。
そういやマイミクの人もいろいろ本を読んでるらしいので、俺も対抗して今年に入って読んだ本をリストにしてみようか。。
オープンビジネスモデル ゼミの課題の本。
草枕 夏目漱石
経営と国境 試験で出そうだから図書館で借りた 伊丹敬之
群集心理 19世紀フランスのル・ボンって人の本
経営財務入門 経営財務の試験勉強のため。ってか公式の証明見ただけ。
存在と無 サルトル
親族の基本構造 レヴィストロース
ローマ帝国衰亡史第…何巻か忘れた。 ギボン
為替がわかれば世界がわかる 榊原英資
動物農場 オーウェル
ナポレオン伝説とパリ 杉本淑彦
こんなもんだな。しかし、俺が読む本は何にも脈絡がないのばかりだな…。一回優良雑誌と巷で呼ばれる
「セ レ ビ ッ チ」
っていう雑誌を是非読んでみたいけど、どこに売ってるのやら…
それにしても、ローマ帝国衰亡史って、アイゼンハワーとかもよく読んでたんだね。あれはおもしろいし。けっこう前から読んでるけど、巻数が多いからなかなか読みきらん…。
でも、アイゼンハワーが言うように、薄っぺらなビジネスモノや戦略モノ読むよりも、人間社会というものを深く知ることができると書評にも書いてあったけど、やはり古典とよばれるものに勝る本は世の中にはそうそう無いのではないだろうか…
もと軍人であるにもかかわらず、軍産複合体に対する脅威を退任演説で訴えかけた知性とバランス感覚は古典を読むことで培われたものなのか…
と、あまりにも暇なバイトの読書の合間につくづく思う1月であった。
それにしてもセレビッチはどこに…。
2008 1・24 76
☆ 初心の人,二つの矢を持つことなかれ ハーバード 雄
ようやく実験復帰.といっても,単に大腸菌を蒔いただけなので,やったことはごくわずか.分子生物学の部屋から廊下に出て,マウスの解剖部屋でグレッグとJCが実験している横をふと通り過ぎようとした時,JCが僕を見つけてグレッグに話した.
「こいつ,テーマを変えようとしてるんだよ.〇〇なんかやろうとしてるんだよ」とJC.
それを受けてグレッグも
「お前,そんなことをやってどうするんだよ」
僕の中では,決して悪いテーマだとは思えないのだが,新たにジョンとやろうとしていることは,そんなにダメなのか.
まあ,いちいち人の言うことを気にしていてはキリがないし,もしかするとやっかみもあるのかもしれないが,しかし様子を見る限りでは,本心からそう思っているようにも見える.
「いや,だから,前のテーマをやめたわけではないよ.ただ,これもやった方がいいと思ってるんだ」と僕.しかしこれに対してJCは、
「それは最悪だ.ここに居る年数が,5年から10年になるだけだぞ.」
しかしJCだって,色々なテーマを手がけているではないか.そう反論するとJCは
「だから言ってるんだよ.だからこんなに長くラボにいることになったんじゃないか.今はお前は自分ならできると思ってるかもしれないけど,あと数年もすれば,「ああ,あの時,頭のおかしいチリ人が言ってたことは本当だったんだな」って理解するだろうよ」.
徒然草ではないが,「初心の人,二つの矢を持つことなかれ」ということか.
しかし,日本にいた頃,僕は常に同時並行して複数のプロジェクトを走らせていたし,そうすることで,仮に一つがうまく行かなくても,他のテーマが上手く行くことで,バランスが取れていた.同じような訳には行かないのだろうか.
なんとなく憮然として,二人の前を去る.
☆ Mozart 瑛 e-OLD川崎
ビデオでモーツアルトの曲を聴く。
三十半ばで逝く男。素晴らしい、美しい調べを残している。
アマデゥス・モーツアルト
大寒を過ぎぬ調べをレクイエム 瑛
☆ 蕨野行 泉
恩地日出男監督の作品なら、と録画しておいて見ましたよ。
老いの死がモチーフですね。
画面の美しさが暗いテーマをカバーしています。
「もがりの森」は録画はしておいて未だ観ていません。
数日間起動しないパソコンを、教則本を見ながら、あれやこれやと試してみて、一つのキーをタイミングよく押して電源を入れて立ちあがった時の喜び。
このパソコン、長年共に暮らした我が子のような愛情もあり、思い切りよく放棄できません。
* みなさんの声も、言葉も、たのしい。
2008 1・24 76
* 新しく加わってくれたマイミク卒業生たちが、それぞれに趣味のある「アイサツ」を書いてくれている。
昨夜遅くに息子の秦建日子が用事を持って顔を見せた。二時間ほど話し込んでまた仕事場へ戻っていった。
彼も、タダ原稿はつまらないと思うか知れないけれども、「mixi」に、それこそプロフェショナルな連載エッセイを書き、自分のマイミクやわたしのマイミクを通して「評判」をとってみるといいがなあ。
☆ 蜘蛛の糸、切れたのは必然? それとも偶然? 光
理系離れが深刻だとニュースで報じられてもうだいぶ経ちます。
子供たちに、科学のおもしろさをアピールする動きも多々試みられています。
もっと、理系の人を優遇するべきだ、という意見もあります(そうだそうだ)。
しかし、何か根源的な問題があるように思われます。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を引用してみましょう。
- 切れたのは必然? それとも偶然?
蜘蛛の糸のあらすじはご存じでしょうか。
昨今は便利な世の中で、Web上で「蜘蛛の糸」と検索すると数秒後には全文をパソコンのモニターに表示することができます。
主人公は、カンダタ。地獄の底の血の池にいます。生前は「人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒」だったようです。そんな彼の目の間に、「遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸」が現れます。彼は、極楽を目指して蜘蛛の糸を伝って登り始めます。途中、だいぶ登ったところで、「ふと」下を見ると「数限りもない罪人たちが」蜘蛛の糸を伝ってよじ登ってくるのが見えます。彼は叫びます。「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」
蜘蛛の糸が断(き)れるのは、その途端です。カンダタは再び「暗の底へ」落ちてしまいます。
子供向けのお話しですから、「自己中心的な行動(発言)について考えさせられた」で国語のテストは対応できると思われます。
しかし、彼の失策は本当に「自己中」のせいだったのでしょうか。
- 合理的判断は世間に受け入れられない?
彼の生前については、ここではとやかく問わないことにして、「あの日」の彼の行動をチェックしてみましょう。
まず、行動力。 どこに続いているかもわからない細く切れそうな蜘蛛の糸を登ろうとした行動力は評価していいのではないでしょうか。研究者に向いているかもしれません。
判断力。 蜘蛛の糸は丈夫であることを知っていたのかどうかはわかりませんが、人一人分の重さには耐えうると判断している点で(登り始める前に確認しているでしょう)、あの状況においては比較的冷静な判断だったのではないかと思われます。
そして、例の問題の発言です。
ここで、目標である極楽への道が途切れてしまった点では、失敗だったということになりますが、もし問題があるとしたら、それは表現力だったのではないでしょうか。
細い蜘蛛の糸には、「耐荷重制限」があるはずです。極楽へ続くかもしれない唯一の手段を失っては、罪人ともどもメリットがありません。実際に、蜘蛛の糸は切れています。限界以上に荷重が掛かれば、偶然というより当然の成り行きです。切れる直前に彼が叫んだ点を見ると、その時ぎりぎりの張力が掛かっていたことに彼は気づいていたと推測されます。観察力もあったようです。
合理的に判断したら、一人ずつ順番に登っていくのがいいと言うことになります。
あの状況で、「仕切れる」としたら、もはや彼しかできません。彼は、本当はそのことを表現したかったのではなかったのでしょうか。
もし、本当に自己中であれば、さっさと自分の足下辺りから蜘蛛の糸を切断すればすむことですから。
理系の人たちは待遇が悪いと思う前に、表現力を身につけて世の人すべてを幸せに導くべきです。
一部始終をご覧になっていたお釈迦様が、最後に悲しそうな御顔をなさったのは、そうしたところだったのかもしれません。
P. S.
「蜘蛛の糸」、あの文字数であの世界観。何度読んでも頭が下がる思いです。
☆ お気に入り 悠
朝から息子は運動会かの様に元気いっぱい動き回って大変です.
頼みの綱のダンナは、昨日大学の研究室のOB会に出席し,ずいぶん楽しい時間をすごしてきたようで,ダウン...
昨夜,ご機嫌で帰ってきたときの話では,いつものごとく,来春就職を控えた後輩学生を捕まえて,”技術者として会社でどうやっていくべきか”の持論を” 押し付けて”きたようです.
もともと同じ学科出身のわれわれですが,専門分野も違えば,かたや開発に重きをおいた企業の研究所勤務.こちらはどっぷり,教育を含めた研究者.話が合わないこともしばしば.素直に聞いていくれる純粋な後輩学生は大のお気に入りなんでしょう.
ところで息子のお気に入り.
最近は”ひも”ですが,生後間もないときから,どうもお気に入りらしい物がひとつ.
実家にあった片岡球子さん(先日,103歳でなくなられた画家)の赤富士の絵です.
実家にあったいくつかの絵のうち,赤富士の絵は凝視してました.何度も試してみましたが,ほかの絵では見せない反応を示してました.力強く大胆な絵ですが,本能的に受け入れられる何かがあったのでしょうか?
わたしはその絵を見るたび”あっぱれ”という言葉が思い浮かびます.
期間が開いてのち帰省したときも,おんなじ反応を見せました.実家の母が気に入って購入したものですが,息子はいずれ譲ってもらうつもりでいるようです....
私は山本容子さんのユーモラスでやさしい感じの銅版画がお気に入り.
勤めたら小さくてもいいからほしいいなぁと思い,数年前,念願かなって手に入れました.息子はあまり興味を示しません.
好みって,こんなに小さいときからはっきりしているものなんでしょうか?
☆ スカシカシパン 雄
昨日の歓送会は朝3時半まで続いた.こんなに遅くまで飲んだのは,こちらに来て初めてだった.飲んだといっても,ずっとお酒を飲んでいたわけではなくて,もっぱら食べたり話したりだった.招いてくださったDoppyさん,有難うございました.参加されていた他の方々も素晴らしい方々ばかりで,本当に楽しい時を過ごすことができました.
Aさんの車で送って頂き,仮眠を取ってからラボへ.行きしなにトマトとモツァレラチーズのサンドイッチとコーヒーを買い,昼食にそれを食べた以外は,ずっと顕微鏡に張り付いていた.
一昨日手術しておいたマウスを観察.今まで試したことのない方法で神経細胞を染めておいた.機械のトラブルもあり,かなり原始的な手法を用いたので,正直あまり期待していなかった.しかし今日,観察してみると,思いのほか良く染まっている.さっそく神経節の標本を作って神経細胞の活動を測定する.
あれこれと視野を変えるうち,刺激電極の電源をオンにした途端,クリスマスツリーのようにピカピカと光出す細胞群を見つけた.しめた,と思い,焦点を合わせようとした瞬間,刺激電極につながっているゴムチューブに誤って触れてしまい,視野がずれてしまった.しばらく粘って探したのだが,あいにくそれらしいものが見つからず,最後まで見つけることができなかった.惜しかった.
帰り道,久しぶりにフォーが食べたくなり,LE’sで夕食.ポーターまで電車に乗り,Shaw’sとKotobukiyaで食料を買って帰宅.
家に帰り,テレビをつけると,サウスカロライナ州の予備選挙で,オバマがヒラリーに倍近い差をつけて勝ったとのこと.サウスカロライナ州は,前からオバマ優勢と聞いていたが,これほどの大差がつくとは驚いた.
ところで,先程ロケーションフリーで「サンデージャポン」を見ていたら,「スカシカシパン」という言葉が出てきてびっくりした.なんでも,中川翔子がローソンと一緒になって開発した菓子パンだという.(http: //www.lawson.co.jp/recommend/shokotan/index.html)
スカシカシパンというのは,ウニの一種で,本物はこんな形をしている.(http: //www.aquamuseum.net/aqua/uni/kasipan.html).中川翔子がこのウニのことをブログで取り上げたのがきっかけで,このようなことになったのだとか.確かに菓子パンの形もスカシカシパンに良く似ている.
何故これがウニ? と思うかもしれない.ウニやヒトデなどの棘皮動物の特徴は「五放射相称」.ヒトデは言うまでもないが,実は普段良く見かけるムラサキウニなどの棘だらけのウニも,割ってみると五放射相称になっている.(例えば http/www.souya.pref.hokkaido.lg.jp/ss/sis/soyaweb/untiku3.htm)
スカシカシパンに良く似たウニで,タコノマクラというのもいるのだけど,そのうち,こんな形の枕もできるんだろうか
(http://www.chiba-muse.or.jp/UMIHAKU/shizen/iso/kyokuhi/takomakura.htm).
* 東工大 東大 ハーバード大の揃い踏みを楽しませてもらった。東工大「作家」教授の幸福というもの。
2008 1・27 76
☆ 木の実 慈
ユズリハの木は 沢山実をつけ 青黒く熟すると 小鳥がやって来ます。
上手に啄めず 落とした実を 私は拾い集めて 濡れ縁の籠に。木に、もう一粒も無くなると 鳥たちは 籠の実を食べ散らかすのです。
乾いて堅い実のなかの まれにまだふっくら柔らかなまま残っているのを 探すのでしょうか。
ひょっとして 今が一番空腹? 小鳥さん
2008 1・27 76
☆ 初稽古、ちくちく。 珠
晴れてはいるけど、寒さいっそう厳しい日曜。仕覆の初稽古へ。お三時には花びら餅を頂き一服。温かさが腑を満たす。老若揃って口も手も、賑やかな稽古。
黒楽の小茶碗のため、採寸、仮縫、生地選びなどをする。知り合いの作家さんから、竹の楊枝いろいろが届いた。煤竹の色濃く艶のある、節しっかりした楊枝を選び、めくら縞(今では怒られそうだが、そう呼ばれる細かい縞)で楊枝入れを作ってみた。切っ先が美しく鋭くて、小刀めいて密かに懐中に、ある。女人なればこその楊枝、誰のためでもなく、我が身の為に。そんな白昼夢想いつつ、敢えて地味な縞模様を着せてみた。
明日は毎年実家近くで開かれる「だるま市」の日。仕事なので、だるまや御札は母に頼んだ。だるまを買った時、魂を入れてもらうあの瞬間が好きだ。明日は晴れの予報、人多く出て景気のいい魂が入るといいな。
* 現代医療の最先端で、患者の「こころ・からだ」に日々文字通り直面している人の「お稽古」であり、茶の湯なのである。稽古が生きている。
次の「雄」日記は長編だが、だれもが一度は吐き出したい話題で、特別吃驚はしないが、身につまされる人は多かろう。
☆ 塾長先生 ボストン 雄
今日もまた,ボストンは雪.激しい雪ではないが,止んだと思ってしばらくすると,また小雪がちらつく.一日中,洗濯機と乾燥機を回し,待っている間,以前から読みたかった生理学の専門書を読んで過ごした.
先日,ネットニュースに載っていて気になったのが,「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」などと教えて分限免職になった教師のニュース.非ユークリッド幾何学だったら,これは間違いではないと思うのだけど,そういう問題ではないのだろう.
こうした「教師の質の低下」は,実は今に始まった話ではないと僕は思う.僕自身,小学校・中学校では酷い教師達を何人も見てきた.
「麦秋」は「秋」の季語だと言って最後まで譲らなかった中学校の国語の先生などはまだマシな方で,二人の先生で作成した数学の試験問題で,片方の先生が出題した問題をもう一方の先生が解けなかったなどということもあった.
同じことを何度も話しすぎるために,教科書の3分の1しか毎年終えることのできない理科の先生など,他にもいくらでも例を挙げることができる.
教科のことだけではない.小学校では,教科全般を教えることができず,毎日サッカーばかりさせていた先生がいた.
授業中,寝てしまうからと言って,教壇にポットとインスタントコーヒーを置き,飲みながら授業をしている年配の女性の先生もいた.
極めつけは,僕が小学校に入学して,初めて接した担任の教師だった.はっきりいって,この人は少し頭がおかしかったのではないかと僕は思う.入学してすぐに,給食が始まったのだが,飲んだ後の牛乳瓶をラックに戻すのに,皆を教室の端に一列に並ばせ,瓶をラックに綺麗に並べさせた.誰かが少しでも乱すと,また瓶を持って,一からやり直させた.えんえんとこれを繰り返すため,午前中だけの授業のはずなのに,夕方になっても下校できなかったことさえあった.
道具箱にしまって教室の後ろに収納してあるものを,競争で取りに行かせたりもした.敏捷性に欠け,いつも人より遅かった僕に対して「オンボロ機関車」とあだ名をつけ,クラスの皆にもそう呼ぶように強要したこともあった.
一番酷かったのは,5月の「こいのぼり運動会」だった.クラスごとに「こいのぼり」の絵を描き,運動会の時に掲げることとなったのだが,その際,目を塗っていた誰かが,少しだけはみ出して塗ったことに激怒し,誰がやったのか名乗らせた.
怖いから誰も声を上げなかったのだが,30分ほどして,**君という同級生が勇気を出して名乗り出た.今思うに,本当は彼がやったのではなく,自分が犠牲になることでこの場を納めたかったのかもしれない.まだ小学校一年生だったけれど,正義感や責任感の強い人だった.すると,この教師は**君にビンタを浴びせた上に,彼を高々と持ち上げると,いきなり教室の床に叩きつけた.
こいのぼりの目から,少しはみ出したくらい,別に良いではないか.少なくとも,小学校一年生に対してすることではないだろう.今,こんなことがあれば,新聞沙汰だ.
この教師は夏休みを機に,学校に来なくなった.生徒ではなく,教師が登校拒否になったのだった.2学期の間,僕のクラスは授業がなく,毎日教頭がやってきては,「先生はお休みです」といって,自習をさせられた.新しい先生がやってきたのは3学期になってから.おそらく定年退職された後であろう,年老いた先生が臨時教員としてやってきた.
いちいち書き出すとキリが無いので,これ以上例を挙げることはしないが,どう考えても,僕の通っていた小学校・中学校には,こうした問題を抱えた先生が集まりすぎていたように思う.
最近,ニュースで,杉並区の和田中学校では,通常授業の後に,意欲的な生徒のために塾と提携して補習授業をすることになったということを知った.このこと自体はとても素晴らしいと思うが,ひとつ気になるのは,このような試みが,教育熱心で優秀な生徒の多い杉並区で行なわれるという点.もし,地域によって,こうした教育レベルの格差が生じているのだとしたら,それは由々しき問題だと思う.もっと他の地域の学校でも同様の試みを始めるか,そうでなければ補習授業については越境での受講も可能にして欲しいと思う.
そんな訳で,僕は学校の授業に何一つ期待していなかった.小学校5年生の時,そのまま地元の公立中学校に進むのが嫌になり,親に頼んで中学校を受験することにした.
中学受験にあたり,地元の塾に通うことにした.月謝が高かったせいもあって,それまで続けていたピアノと水泳をやめ,それらの月謝を塾の月謝に充てた.
この塾の塾長は,強烈な人だった.たまに新聞に折り込みチラシを入れていたが,塾に関することは,表に,ごくわずかに書かれているだけ.裏一面に,過去の偉人にまつわる話などを,細かい文字でびっしりと書いてあった.それらは,塾の宣伝ではなく,純粋な読み物であった.
この塾長のことを両親が面白いと感じたせいもあって,この塾に通うこととなった.塾では,塾長のことを皆,「塾長先生」と呼んでいた.これはひとえに名前を名乗らなかったからだった.後になって「光男」というお名前だと知った.名乗らなかったのは「自分は光っていないので,名前負けしているから」という謙遜からだった.
塾長先生は,国語を専門としていた.入試問題などを良く解かされたが,たまに分厚いコピーを生徒に配ることがあった.入塾して間もない頃に渡されたのは,中島敦の「名人伝」のコピーだった.小学校5年生になりたての子供には,かなり難解な読み物だった.(このホームページで読むことができます.
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html
しかし次第に,その文章の面白さに惹かれ,両親にせがんで,「山月記」や「李陵」も一緒に収められた新潮文庫の文庫本を買ってもらい,これらの作品も読んだ.
入試のための塾ではあったが,塾長先生は,入試のためのテクニックを教えるなどということは一切しなかった.なるべく本格的な本や,優れた文章を題材とした問題に数多く触れさせてくれた.解答の説明もほとんどしない.選択問題の解説でも,「「ア」じゃないよ,「ウ」よ」の一言でおしまい.題材となっている文章を書いた作家のことは,色々と話してくれた.それらの話を聞くだけで自然と身についたのか,文学史の問題は勉強せずとも解くことができた.
残念ながら,僕の中学受験は失敗に終わった.国立中学の試験にはくじ引きがあり,試験すら受けられず,門前払いとなった.唯一受験した私立中学では,どういう訳か入試でひどく緊張してしまい,問題文を読み間違えたり,名前を書き損ねたりした.同じ塾で,テストでは一度も負けたことのない奴が,二人も揃って同じ中学に合格し,僕だけが落ちた.悔しかった.小学校の担任は,僕のことを「こまっしゃくれた,嫌なガキ」とでも思っていたのだろうか,僕が入試に落ちて学校に帰ってくると,クラス全員に萩本欽一の「万歳ナシよ」をやらせた.
屈辱的だった.悔しかった僕は,親に頼んで中学校一年生の英語,数学,国語の参考書を買ってもらい,それらを小学校6年生の2月,3月に独学し,中学に入学するまでに全ての問題を解き終えた.続けて中学2年生用の参考書を買い,勉強を始めたのだが,「連立不等式」の解き方が分からず,塾の先生に質問していると,塾長先生は僕を一学年上のクラスへと編入させてくれた.「空いている日は,本来の学年の授業にも出なさい.そちらの月謝は要らないから」.そうして中学校2年生の終わりまで,ほぼ毎日,この塾に通っていた.大学に入学してからは講師として採用して下さり,大学2年生の終わりまで,アルバイトをさせてもらった.
塾長先生は,今から十年以上前に亡くなられた.
もし,塾長先生と出会わなかったら,たぶん僕は「井の中の蛙」として,適当に勉強をし,それで満足してしまって,さらに上を目指そうなどとは思わなかっただろう.
塾長先生は常に僕らに「本物」と接するようにと仕向けてくれていた.何事も「本物」に接することこそ一番の近道であり,王道なのだということを教えてくれた.亡くなられてから,お線香を上げに御宅にお邪魔した際,「私はあんなに勉強する人を見たことがありませんでした」と奥様がおっしゃっていた.努力は無限だということを,身をもって教えてくれた.
塾長先生は大変な本好きで,夕方塾に行くと,いつも決まって入口近くの椅子に座って本を読んでいた.塾には夥しい数の本が,所狭しと積まれていた.確か中学生の時だったか,「何か面白い本は無いですか」と聞いたところ,快く貸して下さったのが,杉森久英氏の「大風呂敷」だった.同じ塾に通っていた妹には長谷川時雨の「近代美人伝」を貸して下さった.これらの本のチョイスが,今思うと興味深い.
* よく人を呼んで「先輩」「先輩」と遣っている図が、わたしは好きでない。しかしまた、先輩・先達をこころよく受け容れるのはとても大切なことで、それの出来ない人は、性格的な歪みをかかえていることが多いと眺めてきた。今でも、そんな図はいくらも眺められる。
仕事師といえるような人で、よく出来る人ほど、その道での先輩・先達の名と業績とその意義を、「歴史」として謙虚に心得ている。感銘を受けることが多い。歌舞伎のような伝統藝能でだけの話ではない。文学・文藝の道でも殊にしかりとわたしは思っている。
2008 1・28 76
☆ Brownbag Seminar ハーバード 雄
今日は12時から脳センターのセミナー.先週の月曜から始まったセミナーで’Brownbag Seminar’と呼ばれている.耳慣れない言葉だが,「昼食を各自持参し,食べながら聞くセミナー」という意味.
日本人の常識では信じ難いことだが,未だにこちらでは茶褐色の紙袋が使われている.たまにスーパーのレジで’Paper or Plastic?’と聞かれるが,これは「紙袋にするか,それとも(コンビニなどで使われているような)プラスチック袋にするか?」という意味.サンドイッチやブリトーなんかは,小さな紙袋でもいいが,うちの近所の酒屋では,黙っているとビールなどでも紙袋に入れられるので,持ちにくくて困る.
それはともかくとして,要するにこれは気楽に聞けるセミナーであり,誰でも話の途中でも自由に質問を挟むことができる.もちろん,無理に昼食を食べる必要もない.
今日の演者はBoston Universityのkamal Senで,「自然の複雑な音を,脳の神経回路がどのようにして区別するか」という内容で話した.Kamel Senは,ブランダイス大学のLarry Abbottのラボで学位を獲り,その後カリフォルニア大学サンフランシスコ校のAllison Doupeのラボでポスドクをしてから,6年前にBoston Universityにポジションを得て独立した.その間,一貫して研究に用いてきたのは,ゼブラフィンチという鳥.
一般に,鳥類は聴覚系が良く発達しているので,聴覚系の神経回路の研究に良く用いられている.しかも,ゼブラフィンチをはじめとする多くの鳥は,歌で鳥どうしのコミュニケーションを取るので,人間の言語研究のモデルとしても良く用いられている.
「カクテルパーティー効果」という言葉をご存知だろうか?
カクテルパーティーのように,大勢の人々がガヤガヤと話していても,人は話を聞きたい相手の声を認識することができるし,ふいに誰かから名前を呼ばれれば,それに気づくこともできる.同じような大きさの音でも,雑音はカットして,自分の聞きたい音だけを認識することが人間には可能なのであり,このことを「カクテルパーティー効果」と呼んでいる.
講演などをテープに録音して,後から聞き返した経験は誰しもあるかと思うが,実際に講演を聞いているときには気にならなかったのに,あとでテープに録音して聞き返してみると,驚くほど多くの雑音が録音されていて,良く話が聞こえないことに驚かされる.
確かに,唇の動きなどの視覚情報によるバックアップが無いからというのも理由の一つであるが,それだけではない.理由の一つは,音源の方向性が変わったことにある.講演を聴いているときは,様々な方向から発せられていた雑音が,テープに録音され再生されると,聞きたい情報と同じ方向から発せられるようになってしまう.これが大きな理由の一つと考えられる.
本来,聞きたい情報だけを選択的に聞けるように備えられた神経回路の特性であるが,逆にこれが災いとなって,補聴器を利用している方にとっては非常にやっかいな問題にもなるのだとか.いかに感度の良い補聴器を作っても,雑音も同じように拾ってしまうからだ.
心理学などでは「カクテルパーティー効果」は人間固有の現象として説明されているのだが,Senによると,ゼブラフィンチも集団で行動するため,カクテルパーティー効果と同じことが起きているものと考えられるらしい.
セミナーそのものの内容は,異なる音源から異なる泣き方で発せられたゼブラフィンチの歌に対して,どのような活動を示す神経細胞がゼブラフィンチの聴覚野(L野)に存在するかについてがメインだった.
セミナーが終わってからは,先週土曜日にやった実験の追試のための下準備.久しぶりにロースクールのカフェテリアで夕食を摂る.
* 受け売りする気も機会もないが、小説の中で効果的に使ってみたいなと思う、我々には耳寄りの新知見が、「雄」日記に、惜しげなく現れる。
2008 1・29 76
* 化けたかと想われるほど、文章表現が的確に具体的に、清明にすらなった例は、「松」君だ。教室のアイサツこの方、十数年もメールや手紙をもらってきた。今は「mixi」で日記だ。
句読点が適切に打ててきた。それで印象がクリアになっている。以前はそうでなかった。
☆ 雪の白川郷 松
先週末の土曜日、名古屋の友人達と白川郷へ行ってきた。
小牧で友人二人を拾い、東海北陸道を通り荘川インターで高速を下りる。しばらく行くと雪道になり、慎重に運転する。途中ダム湖の脇に荘川桜が見えた。深い雪に覆われてひっそりとしている。翌日思わぬところでこの桜に再会し、驚くことになる。
冬の白川郷は人影もまばらで静かだった。一面雪景色で、合掌造りの屋根も真っ白。空は明るく、軽く雪が降っている中を気持ちよく歩く。静かな山村の雰囲気を味わうことができた。
お昼には『飛騨牛』を食べようということで、白川診療所近くの『あらい』に入る。ここは話好きの女主人が出迎えてくれる。さっそく『飛騨牛の朴葉味噌焼き定食』を注文する。柔らかくてコクあり、非常においしい。2年前にもここに来たことを話すと非常に喜んでくれた。
昼は秘境の雰囲気を味わえたが、だんだんと人が増えてくる。今日は年に数回しかないライトアップの日で、地元も人も準備に忙しそうだ。日が沈み、山村がライトに照らされると、家々がうっすらと浮かび、まるで日本昔話を見ているようだ。鄙びた味わいがある。ただ人が非常に多く、展望台への道などまるで神社の縁日のように混雑している。あまりに寒いため一通り見た後、飛騨牛串焼きや、みたらし団子などを食べて休憩する。
混まないうちに早めに帰ることにしたが、夜の凍結した雪道は来るときより厄介だった。それでもタフな愛車のおかげで安全に運転ができ、無事名古屋まで戻ってきた。帰ったら洗車とメンテをしなくては。
☆ 縄文人は毎日鍋を食べていた=鍋大好き縄文文化説 光
縄文土器を見ていたときにふと解説を読んでみると、縄文人はこうした土器で煮炊きして食事をしていたのだろう、とある。土器に火の跡があるからである。
ふーん、一体何を煮ていたんだろうか。
魚? 獣(シカ、イノシシ)? 貝?
これらは、貝塚から見つかっているものである。
土器で煮炊きしていたのは、今でいうところの「鍋」だったのではないかと推察される。竪穴式住居の真ん中で、鍋の火を囲んで家族で食事をしている、そんな日常であっただろう。
その後、大陸から北方弥生系が渡ってくる。弥生時代のはじまりである。稲作のはじまりもこの頃(すでに縄文時代に行われていたという諸説有り)。その頃の日本では、すでに先住民として暮らしていた南方縄文系の人たちと北方弥生系の人たちが、それぞれ村をつくっていたが、平和的に徐々に混在していったようだ。
土器で「鍋」を食べている縄文系の家族。
北方弥生系の家族が遊びに来たら、やっぱり「あの、ご飯入れてみます?」というのではないだろうか。
現代日本人は、平均として、およそ北方弥生系7~8割、南方縄文系2~3割の比率で混血しているというのが、最近の人類学の報告。
鍋の後の、締めのおじやで幸せを感じると、「縄文時代の血がさわいでいるなぁ」とつい遠くを見てしまう。
溶き卵を入れるようになったのは、いつ頃からだろうか。
2008 1・30 76
☆ 繪を観る 松
せっかく名古屋まで来たので、開催されている日展を見に行く。日本画、洋画、彫刻、書と多くの作品が展示されている。
ちょうど作者による日本画解説を行っており、聞くことにした。若々しい絵だと思っていたら、かなりご年配の方だったり、重厚な絵だと思ったら、実は若い人だったりして驚く。
その中のお一人がこんなことを言っていた。
「絵は自由に各個人の感性で見て欲しい。良いと思う作品、つまらないと思う作品は人によって違うし、それで良いと思う。この展示会の中で一つの作品でも良いと思うものがあれば、たとえ自分のものでなくてもうれしいと思う。絵の解説を、ということでここに来たが言葉で完全に説明できるのであれば、絵を書く必要がないだろう。」
非常に共感できる話だと思う。作者のひらめきに対して、鑑賞する人は別の受け止め方をするかもしれない。作品となった以上、どう受け取るかは鑑賞者に任されるものであろう。そして見た瞬間何かきらめくようなものがあれば、それは良い作品であると思う。
音楽においても完全な解説などあり得ない。言葉で説明できない感情のほとばしりが音楽にはあると思う。
日本画の展示の中で満開の「荘川桜」を描いていた人がいた。薄桃色に染まる桜の姿を描き、華やかながらも、ほんわりとした柔らかい感じがする絵だった。
昨日の雪に埋もれた桜の木の姿を思い出した。
* 画家のいいお話であるが、一つ間違うとつまらないことにもなってしまう。
作品の真価というものを、人により受け取り方がちがうので、良い、つまらないは一概に言えない、と。
こういうことを、享受者も創作者もわりに平気で言う。相対化の可能な、つまりは観る人も創る人も「わたしなりに」という言い訳をしてしまう。
それはちがう。
何が何であろうと、衆目の差をとびこえてより大きくより優れた秀でた作というものは在る。それを創り、それを見分けて行く、それが創作者の意気であり、それを享受者の真の喜びにしないといけない。「解説」の域とはかけ離れたことで、自己満足は赦さないそれが厳しい藝術の誇りなのである。
いいモノだとおもって美術や骨董を買う。幾つか買う。ところがそれらを束にしてもそれよりもずっと優れたものに出会うことがある。出会わねばいけないのである。
そしていいと思ってきた全部を売りはなってなりとも、さらに積み増してでも、より優れた作品をわがものにする。わがものにする、買うというのは、この際の方便で言うのである。
「絵は自由に各個人の感性で見て欲しい。良いと思う作品、つまらないと思う作品は人によって違うし、それで良いと思う」などというのは、創作や鑑賞の厳しさを舐めたはなしであることに、だんだん気づいてくる。
藝術の達成には、厳しく言えば上には上がある。上をはなから見捨てていては、鑑賞も創作も、つまりその程度でおわるだけだ。
そうなんだよ、「松」くん。
2008 1・30 76
☆ フェロモンの神経科学 ハーヴァード 雄
今日から隔週に一度,4つの研究室で合同のミーティングが開かれることとなった.1回につき2人の演者が発表する.
今日の演者のうちの1人は,最近ハーバードにやってきたそうで,それまでデューク大学で行なってきたフェロモンの電気生理学的研究について話した.もう1人の演者は隣のラボのポスドクのトーメックで,シナプスが形成される過程について話した.
以前の日記にも書いたとおり,マウスでは,フェロモンの受容は鋤鼻(じょび)器で行なわれる.鋤鼻器で受容された情報は,副嗅球と呼ばれる脳の部分へと神経細胞によって伝えられる.
フェロモンは尿の中に多く含まれており,今日の演者はマウス副嗅球に測定電極を置いて,同性および異性のマウスの尿でそれぞれ刺激した場合の,副嗅球での神経活動を測定していた.同性のマウスの尿では副嗅球の神経細胞は活性化されないが,異性のマウス(しかも発情中のもの)の尿で刺激すると神経細胞の活動が見事に活性化されていた.
興味深かったのは,この演者は,他の動物の尿を用いて同様の実験を行なっていた.すると,マウスにとって天敵となるような動物の尿で刺激すると,フェロモンの時と同様に,副嗅球の神経細胞が活性化されていた.つまり,鋤鼻器-副嗅球を介した情報伝達は,フェロモンによる情報だけではなく,身の危険を察知するなどの,防御行動にも関わっているらしい.
ちなみに,多くの方が興味を持たれるのではないかと思うが,人間にフェロモンがあるか否かについては,まだ最終的な決着はなされていない.
山元大輔・東北大教授の著した「男と女はなぜ惹きあうのか」(中公新書クラレ14)には,この辺りの事情が詳しく書かれていて,読んでいて非常に面白い.中々手に取るのがためらわれるタイトルであり,文章もくだけすぎていて気恥ずかしくなるが,書かれている内容は科学的にしっかりとしている.しかも文章も上手なので,読んでいて思わず引きこまれる.
この本によれば,ヒトでもフェロモンの候補となる分子はいくつか見つかっているらしい.例えば,男性フェロモンとしてはAND,女性フェロモンとして ESTと名づけられた分子が挙げられる.これらの分子をかがせても,匂いを感じることは無い.しかし,例えば歯科医院の待合室の椅子などにANDをかけておくと,女性はANDのかけられた椅子を好んで座り,男性はむしろその椅子を避けて座るという.また,脳波を取ってみると,異性のフェロモンをかがせた場合,アルファ波が多く見られ,リラックスした状態になっているという.
ただ問題なのは,ヒトの場合,鋤鼻器から情報を脳へと伝える神経細胞が存在しない.胎児の頃にはあるのだが,生後発達に伴って無くなってしまう.また,鋤鼻器にフタをして,フェロモンが届かないようにしても,ANDなどのフェロモン候補分子で刺激すると,フタの有無に関わらず女性の脳波に影響が出るらしい.したがって,何か別の経路がヒトの場合には存在するのかもしれない.今のところ,その科学的根拠は無いようだ.
ちなみに,この本の著者の山元大輔氏自身の研究も面白い.山元氏はショウジョウバエをつかって行動遺伝学の研究を行なっているのだが,氏の発見した突然変異体にsatoriというものがある.この系統のオスを,メスと一緒にしても性行動を取ろうとしないことから,「きっとコイツは悟りを開いてしまったのに違いない」ということで,このような名前がつけられた.
しかしsatoriのオスは,実はオスのショウジョウバエと一緒にすると,性行動を取ろうとする.つまり,satoriは決して「悟った」のではなく,単に同性愛になっていたのだ.この原因遺伝子は既に明らかにされ,fruitlessという名前がつけられている.この遺伝子を破壊したショウジョウバエのオスでは,神経回路がメスに特徴的なものとなるらしい.
*湯冷めしてきた。明日は聖路加の医師診察日。
2008 1・31 76
* 心惹かれる「mixi」日記があったけれど、つい此処へもらわないまま夜が更け、もう機械もしまいかけてから、東工大で先生をしている「光」君の日記を見付けた。
何でもない記事のようで、わたしの不出来な頭には「円錐」と出てきたあたりで、そこが、あたまに来て、そこが、おもしろくて、貰うことにした。なるほど鉛筆の芯は「円錐」だ。なるほど、削るとね。
☆ シャーペン vs 鉛筆 光
小学生の頃までは、筆記具といえば鉛筆だった。
鉛筆削り器でがりがりやるのが、勉強の合間の(密かな)楽しみだった。
結局最後まで、あこがれの電動鉛筆削り器を買ってもらうことはなかった。
小学生も高学年になると、シャープペンシルが鉛筆の地位を脅かす。
ずっしりしたメタルな感触、メカニカルな機構、芯を追加すればいくらでも使用できるという半永久性は、大人的な雰囲気を醸しだし、鉛筆以上の魅惑を子供心に感じさせてくれた。
しかし一方で、小学校教師のいかにも「子供は鉛筆を使いなさい」的な視線と、シャープペンシルの芯を使い切ったときにでる、あのどうしても余ってしまう部分を捨てざるを得ない後ろめたさが、その使用のたびにつきまとった。
小学生ながら、自問自答する。
鉛筆だって、ちびたら捨てざるを得ないじゃないか、何もシャーペンだけがもったいないわけでも悪いわけでもない。
しかし、心の中の悪魔はすかさず囁く。「鉛筆ならばキャップをつければまだまだ使えるぞ。」
シャーペンの芯の最後の5分の1は、始めから捨てられる運命なのだろうか。
格好の良さのためには何かを犠牲にせざるを得ない、そういうことを暗に教えてくれる筆記用具なのだろうか。
鉛筆はいいお爺さんで、シャーペンは悪いお爺さんなのか。
鉛筆の尖った芯を見つめながらため息をついたとき、あれ、鉛筆の芯はよく見たら(習ったばかりの)円錐じゃないか、体積は円柱の3分の1ではなかったのか? それでは、残りの3分の2はどこへ?
鉛筆削り器の削りかすを入れるケースを、そっと引き出して覗いてみた。
これまで、鉛筆の芯のうち3分の2を知らず知らずのうちに一生懸命、粉にしていたらしい。
鉛筆をちょっと使っただけで、すぐに削ろうものなら3分の2どころの話ではない。
なぜなら、芯の円柱の半径が小さくなったことと同じことだからである。
装着した芯の5分の4を使用できるシャープペンシルは、何と完成度の高い筆記具なのだろうか。
(現在は、残り3.5 mmまで使用できるものも市販されているようだ。)
それ以来、心おきなくシャープペンシルを愛用している。
最近は、キーボードにとって変わられつつあるが。
* さ、また本をよみに、階下へ行こう。
2008 2・1 77
☆ たのしみ 2008年02月01日 悠
息子は今日も元気に保育園に行ってきました.
周りでばたばたと発熱してお休みするお友達が多い中,元気です.
大分生活のリズムが固定してきて,何とかやっていけるかなぁという感触が出てきました.
毎朝同じバスに乗車するようになって,ご近所のお姉さんと顔見知りに.で,帰りのバスでも偶然一緒になりおしゃべりして帰って来ました.息子はわかったのかにっこりごあいさつ.そのお姉さん.息子に会うのを楽しみにしてくださっているようで,朝出社するのがいやだなぁと思っても,バス停に待っている息子に会えるのを楽しみにがんばっているとか.
我が家での最近の小さな楽しみは保育園の連絡帳.
園での生活を先生が書いてくださいます.
担任の先生自身も小さなお子さんをもっていらっしゃるのでいろいろとアドバイスをいただけて毎日楽しみです.ダンナも帰ってきてからの楽しみにしていて,内容を話そうとすると”読むの楽しみにしているんだから”といってニヤニヤしながら読んでいます.
毎朝預けて職場に行くときにぐずらずニコッとして送り出してくれる息子.保育園のほうが楽しいのか???
お仕事のほうは、来週,修士論文の発表会があります.
研究室では3名の修士課程終了予定者がいます.まだまだ実験と平行しながらの状態.データをアップデートしながら何とかまとめていかなくては....でも本人たちはいたって余裕の様子.大丈夫か??
卒論は一週間遅れのスケジュールなので4年生はなれない執筆活動中.
研究室は毎年恒例のあわただしい季節になっています.
☆ みかんとカラス 馨
冬になると静岡の知人や親戚から届く段ボールみかん。
我が家はみんなみかん好きなので(息子は剥くのだけが好きですが)かなりの消費スピードで消えていきます。
ご近所やお知り合いにももらって頂いたりして。
それでも、四人家族なので、さすがにこの時期まで、ちょこっと残っています。
しぼみかけたりカビが出始めたりするので、ジュースに絞るなど、手を替えてみるのですが、イマイチ消費しきれません。
そこで「そうだ! 小鳥にやろう!」
メジロをはじめ、みかんの好きな小鳥は多いですよね。
お向かいのピラカンサスに小鳥の混群が群がるこの時期、あまりおいしそうに見えないピラカンサスまで食べるくらいのこの時期、みかんが木にさしてあれば喜んでもらえるはず。
というわけで葉の落ちた桑の木に半分に切ったみかんをさしてみました。
最初の二日間は素通り。ピラカンサスを食べ尽くしてちょうど群れがいなくなってしまったこともあるようです。
が、三日目、メジロが来ました。つがいです。
喜んでいたのもつかの間、次の日の朝には二つさしたみかんのうち一つが皮ごと消えていました。カラスだ!!
翌日、今度は深めにさしてみたのですが、今度も朝には二つとも消えていました。
「カラスって、五歳児くらいの知恵はあるらしいよ」とのダンナの忠告は無視して、カラスに奪われないよう、今度はタコ糸でみかんを木に縛り付けました。
昨日は一日中、つがいのメジロが交代で食べにきていて、ちょっとした勝利感。
カラスは私が家の中から見ているのがわかるらしく、窓から遠のくと近くの電線に寄ってきます。でも、夕方まで二つのみかん、しっかりと桑の木についていました。
「カラスに勝ったよー」と、大人げない報告を家族にしてまわる私。
が、今朝雨戸を開けると……みかんのうち一つが姿を消していました。
がっくり肩を落とす私に、
「お母さんって、カラスと知恵比べして負けたわけね」と、追い討ちをかけるダンナさん。
あれほど枝に深くさしてタコ糸でくくりつけたのに、どうやって持っていったのかと観察すると、なんと、タコ糸をほどいた上で、枝ごと折って持って行っていました。
カラス、知恵だけじゃなく馬力もあったとは…。
残ったみかんにメジロがやはりつがいで飛んできて、みかんの小さな粒を一つずつ一生懸命ついばんでいるのを見ると、なんとかしてメジロの口にだけ入れてやりたいと思って、ただいま思案中です。
だいたい、持っていかれたみかんをほかのお家に落としたりされたら大迷惑ですしね…。
何年か前、ムスメはウッドデッキの上からお菓子を袋ごとカラスに奪われましたが、ホント、カラスってあなどれない。
でも、カラスだけでなくて鎌倉の海岸沿いではトンビも相当に人間の食料を狙っているらしいですが……。
なんとかして、「五歳児レベル」との戦いに勝利を収めるんだ! ちょっと熱くなっています。
* 初めての赤ちゃんのお母さん。おなかに三人目のお母さん。研究生活と育児と、ダンナさんとの日々と。
2008 2・2 77
* めずらしく同じ「朝日子」という実名を持つインド在住の学生の「足あと」を発見。びっくりする。メッセージをやりとり。
☆ 雪ふりてやさしかりふと五臓六腑 瑛 e-OLD川崎
節分の豆まきをする。鬼を豆で外へほうりだす。
鬼は巣食ういごごちのいいところへ。
こころのおにもなかなかでてこない。
* 夕食の前、わたしも例年のように豆撒きした。鬼は外、福は内。福は内。
☆ タンジブル・ビット ハーバード 雄
今日はMITに行き,講演を聴いてきた.演者は,日本人でMITメディア・ラボ教授として活躍しておられる石井裕氏.
石井裕氏は,NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」にも出演されたことがある.「出すぎた杭は誰にも打てない」というサブタイトルで放送された石井氏の回は好評を博し,同番組の昨年末の特別企画での視聴者アンケート「心に響いた流儀」でもランクインしたという(詳細はhttp: //www.nhk.or.jp/professional/backnumber/071225/index.html).
氏の提言した「タンジブル・ビット」が何かも知らぬまま,興味本位で話を聞きに行ったのだが,非常に面白かった.コンピュータ科学に疎い私がタンジブル・ビットについて解説するのは危険なのだが,今日聴いた話を私なりにどのように理解したかを書きとどめておきたい.
石井氏の一連の研究の根底にある哲学は、「ややこしい,敷居の高いコンピュータ科学を,いかにして人に近い存在にするか」にあるように思われる.
講演の中で,氏が例に挙げていたのが「そろばん」.そろばんは,実際に自分の手を使って操作することができ,途中の計算過程なども全て見ることができる.これに対し,パソコンは数字を入力するだけで,途中の計算過程はブラックボックスだ.また,計算にそろばんを使うことのできない人でも,音を出して遊んだり,背中を掻いたりすることはできる.そうしたことについて,いちいち取り扱い説明書を読んだりする必要もない.
氏が目指しているのは,このように「必ずしも一つの機械で色々なことが出来るわけではないが,人間にとって接しやすく,直感的で,マニュアルなど読まなくとも誰にでも簡単に操作できる技術」ということだった.そのような概念が「タンジブル・ビット」に結実したのだろう.
例えば,pinwheels(http://tangible.media.mit.edu/projects/pinwheels/)(ビデオファイルがリンクされています.以下同じ).株価の移り変わりなどを,風車の回るスピードで直感的に理解できるようにしたもの.あるいは,Legoのように,複数のブロックを使って様々な形を作るだけでなく,そこに動きを学習させることで,作った物体が動き出すというtopobo
(http://web.media.mit.edu/~hayes/topobo/videos.html).
あたかもパレットにある絵の具をとって画を描くように,その辺にあるものを刷毛の先端で触れることで色を吸い取り,それを使って画を描くことのできる I/O brush
(http://www.metacafe.com/watch/66123/i_o_brush/).
それらはアートのようでもあり,最先端技術でもあり,不思議な世界であり,僕にはこれがどのように役に立つのかは理解できなかったが,見ていて楽しいことは確か.世界の様々な美術館から招かれて,展示することも多いらしい.
MITに招聘される前,石井氏はNTTヒューマン・インターフェース研究所で「クリアボード」という機器を開発した
(詳細はhttp://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2001_08/2001_08_36.html参照).
これが認められ,アメリカで講演をしないかと声をかけられ,その際にMITへの招聘を打診されたという.給料はピザの入っていた箱の裏に書かれたとか.その際に言われたのが,「今までやっていたのと同じ研究はするな」.
勿論一からのチャレンジは大変だったが,その結果としてタンジブル・ビットを生み出すことができたという.
氏が意識しているのは,「パソコンの父」として名高いアラン・ケイの「未来を予測する最良の方法は、未来を創りだすことだ」という言葉.氏にとって未来とは予想することではなく,実際に作っていくものなのだ,という.そのために氏が必要と考えるのは「燃料(飢餓感),屈辱,誇り,情念(passion),問い(Ask deep question)」とのこと.
氏が最後に話していたことが僕には印象的だった.
「私はおそらく20年後位には亡くなっているでしょう.そして,誠に失礼だが,ここにおられる皆さんも,50年後位には亡くなっていることでしょう.私が常に頭においているのは,もう少し先,つまり2200年頃にいる人間が,私のしたことをどのように捉えてくれるか.それを意識して私は仕事をしています」.
講演に行く前は,コンピュータ研究者ということで,なんとなくとっつきにくい人を想像していたが,実際にお話を伺ってみると,ざっくばらんにお話してくださり,非常に気さくな方という印象を受けた.講演の後の質問コーナーでも,非常に気さくに様々な質問に答えておられた.
講演の中で,氏の開発したmusic bottle( http://tangible.media.mit.edu/projects/musicbottles/)の話をされる際,こんなことを話しておられた.
「これを思いついたのは,母のことを思ったからです.実家に居た頃,毎朝彼女は家族のために料理を作ってくれました.毎朝醤油の入った瓶を開け,醤油を出していた.彼女が料理を作るために,わざわざwindowsを立ち上げ,internet explorerを立ち上げている姿は思い浮かばない.毎朝醤油の瓶の蓋を開けるような気軽さでもって,蓋を開け閉めするだけで音楽がオンになったりオフになるようなものを作ってみようと思ったんです」と.
技術というのは人間と遠い,冷たい存在に感じられがちだが,本物の技術というのは,人に対する温かい心から生まれるのだろう.
2008 2・3 77
☆ 童心の絵と人生 瑛 E-OLD川崎
幼稚園の子供が描く絵と、最初に見たときは思った。
画家は熊谷守一。今年はじめに丸善で目について、文庫を買った。
その話を 「笠」 さんへした。琴線が響く。・・・。以下氏の断りもな く僕の日記に記載。
『丸善にも行ってみたいですね。東京駅の地下街のお濠寄りに?石ふうのゴムの印材を売っている店があったのを思い出しました。もう何年も前なのですが行ってみたい。
「熊谷守一」。絵は本物を見たことはありませんが、パソコンには数枚保存してあります。たしかこの人だと思いますが「良寛は字がうますぎる」と云ってたような話を憶えています。
mixi の友人。湖さんと縁あればまた会いたいと思いつつ節分の日記。
* ああ、わたしも逢いたい、「笠」さんにも、「瑛」さんにも。体調はどうだろうかと、「笠」さんを案じない日は無い。暖かく、暖かくなって…と思う。
2008 2・3 77
* いわゆるメールを私が極力出さぬようになったため、来るメールも減った。外の声は「mixi」のマイミクさんたちの日記を読んで漏れ聞いている。メールが全く来ないのではない。「mixi」とは無縁の人で、少しも変わりなく声を届けて下さる人。
2008 2・4 77
* 「mixi」で、私にとってと限定するのは、礼としても当然だが、佳い日記、心惹かれる日記に次々出逢う日は、心嬉しい。
しかしそんな日ばかりではなく、幾ら読んでも、いろんな意味で、琴線にちっとも触れてこない文章にばかり出くわすと、ふと空しくなってしまう。ことに、身振りのほうが、書かれている中身より大げさに活躍? しているのは、往々にして空疎な一人ダンスに終わっていて、惹きこまれない。
むろん、たんにガサツに感じられ、胸に届いてくる真率を覚えないのも嬉しくない。卒業生達の文章に、つい気を惹かれるのは、かれらは、佳い意味で等身大に落ち着いて自分をながめながら、具体的に把握し述懐していることが多いから。
2008 2・4 77
* 手が冷たい。
わたしの言葉が、此処へむけて、ほぐれない、働かない。私の言葉は今、べつの場所での表現に、顔を向けている。そんなとき、人の言葉に温められるのは有り難い。
☆ inspection ハーバード 雄
今日は年に何度かのlab inspectionの日.日ごろ,ラボでは危険な試薬や器具を使っているので,それらが適正に使われているかどうか,査察を受けなくてはならない.そんな時にマウスに麻酔をかけたり解剖したりしていては,色々面倒なことになる.そんな訳で,午前中の実験は諦めた.
その代わり,自分の車のinspectionを受けに行くことにした.日本では最初の車検は3年目,以後は2年に一度だと思うが,ここアメリカでは州の inspectionと保険のinspectionとがあり,保険のためのinspectionは2年に一度,州のinspectionは毎年受けなくてはならないことになっている.今月で期限が切れる,行かなくてはと思っていた.
日本の車検と違って,こちらのinspectionは値段も安い.大体30ドル位で済む.近所のガソリンスタンドでやってくれるので,車を持っていった.しかし,このガソリンスタンドでは,以前,部品をあれこれ換えられてしまい,ものすごい額を請求されたことがある.果たして今回は大丈夫なのだろうかと,心配しながらガソリンスタンドに向かった.
長くても30分と聞いていたが,案の定,1時間近く待たされた.ナンバープレートを照らすランプが切れているというので,交換することに.またボッタくられるのではと恐れたが,幸い全部で20ドル.車検代を合わせても50ドルで済んだ.
前回,ここで修理をしたことも幸いした.あの時僕と費用のことで言い争った男が居たのだが,どうやら自分が修理したことを覚えていたようで,「うん,これは俺が修理したから大丈夫だ」といっていた.こちらが文句を言ったことは忘れているのか,my friendを連発して,やたらと機嫌が良い.
やれやれ,と思って帰ろうとすると,その男がやってきて「My friend,これはsafety testはOKなんだけど,今,州のパソコンとつながらなくて,inspectionそのものは終わってないんだ.2ヶ月間有効のステッカーを貼っておくから,来週また車を持ってきてくれ.そうしたら,2分くらいでタダで手続きをして,それで終わりだから」.
また来週来なくてはいけないのかと思うと,うんざりする.まあ,目と鼻の先だから,いいのだけれど.しかし,こちらには何の落ち度もないというのに,仮ステッカーを貼られ,inspectionに落ちたと書かれているのは,なんだか納得いかない.憮然としてガソリンスタンドを去る.
ラボに着いたのは,思っていたよりも大分遅くなってしまった.ほどなくして査察官が数人現れた.ラボの技術員のデビーが案内役としてついてきた.
「この部屋は,前はコーリーが使っていた部屋なんだけど,ずいぶん変わったでしょう」とデビー.査察官たちは「ホントだ.綺麗,綺麗」というと,拍子抜けするほどあっさりと帰っていった.これで良かったのか.
後でデビーと会うと,「あの部屋は,前にコーリーが使っていた頃は,規則を守っていなかったから,査察官達に目の敵にされていたのよ.綺麗に使ってくれて有難う」と礼を言われた.
午後からは,ジョンと一緒に顕微鏡でbrainbowマウスの脳の写真を撮る.先週,顕微鏡の簡易マニュアルをダウンロードして読んでおいたのだが,それではとても追いつかないほど,あれこれと高度なテクニックを駆使して写真を撮った.おかげで,こちらは予習したことでは全然歯が立たず,必死になってジョンの説明をメモしながら写真を撮った.
せっかくの記念なので,期間限定で,brainbowマウスの脳の写真のごくごく一部を,ここに貼っておく.左は共焦点レーザー顕微鏡で撮影した1枚の光学切片.右は,焦点深度を変えて何枚も撮影した写真を重ね合わせて立体的に表示したもの.
この写真で,右側にたくさん並んでいる糸状の構造は,軸索(axon)といって,1本1本が神経細胞から出ている細長い突起.これが他の神経細胞と結合し,シナプスを形成することで,情報を伝えていく.真ん中辺りに強く光っている小さな粒粒は,軸索を縦に輪切りにしたもの.そして,それらの間に丸い形をして写っている赤いものは,1個1個の神経細胞の細胞体(soma).その上に,水色や黄緑色をした突起が取り巻いているが,これがシナプス.こんな風にシナプスが目で見えると,それだけで感動する.
* 志賀直哉のような表現者だと、これだけで、そう大きく何も変更しないで短編の一つにしてしまうだろう。微妙に話材に首尾の配置があって、一つの「 inspection」という英語が働いている。
肝腎の写真二点だが、わたしには幸か不幸か転写の腕がない。なくても構わない。写真の妙味は全く理解できないが、妙味や感動を書いた雄君の「言葉」は、「表現」は、読み取れる。わたしにはそれが、その方が、面白い。
☆ まめまき 悠
息子は今日,保育園で豆まきをしてきたそうです.とはいえ,ちびっこすぎるひよこぐみさんに,先生が小さなペットボトルに豆をつめたものを用意してくださいました.豆入りマラカス..がらがらならして遊んだそうです.
昨夜,我が家でも一応,豆まきをしましたが,息子に豆入り枡を持たせたらひっくり返してあっという間に豆まき終了.鬼が外にも福がうちにも入らないような...
明日から修論の試問が始まります.
帰宅直前まで学生に捕まりました.
明日,発表の学生が最後の議論で堂々巡りを始めてしまい,ほかの部分の練習もままならない様子...帰宅後に電話とメールで話し合いましたが,まだ不安要素たっぷり残っています.大丈夫か??
* わたし、修論は、修士論文は、書かずに大学院を退散した。試問は卒論でだけ受けた。学部のそれも美学の卒論と、東大の理系の修論ではモノが違いすぎるけれど、わたしへの試問では、聞かれたことより、聞いた先生方の顔つきばかり覚えている。論文の題は「美的事態の認識機制」だった。ハハハ。
論文のなかみより、この題の方がサマになっていた。
* マイミクの一人に、皇學館大学の博士課程後期に志して、中国からみえた人らしい、日本で「神道」を真剣に学んでいる若い「紅」さんがある。きのう、たまたま李清照のいわゆる「宋詞」にふれた記事を日記に出しておいたら、コメントをもらった。
こういうすばやい反応が、李清照についてまっすぐ出てくるなど、「mixi」では思いよらなかった。
この人も、この一月末に無事修論を終えたという。
2008 2・5 77
☆ チョコレートに溶け込んだメッセージ 東工大 光
職場に来られたお客さんが、つまらないものですが皆さんでどうぞ、と菓子折を置いていってくださった。
せっかくなので、テーブルの上に開けてみんなで食べられるようにしておいた。
コイン状のチョコレートが個装されて、箱に二列に並んではいっていた。いわゆる標準的なチョコレート色のものと白いミルクチョコレート。
パッケージには、ROYCE’の文字。
私は、ふーん、どこか有名どころかね? くらいの反応しかなく、持ってきてくださった方ガッカリの認識度である。逆の見方をすれば、先入観がなかったとも。
(再現)
1枚目、ひょいっと食べてみる。 あれっ、おいしい。チョコと言ってもいつも食べてるコンビニのものとは別物だな。
2枚目、へへっ、今度はミルクの方を。 うーん・・・このチョコ、レベルが違う。
3枚目、・・・、何? いったい何が違うんだ? 口の中で溶けていく、ミルク感が口いっぱいに・・・。あれ、終わっちゃった。
4枚目、(続き)・・・なのに、後味はさっぱり。ん、Tm? 融解温度が絶妙なのか・・・。
おいしいものには、きっと理由があるはずだ。
そこに到達するまでには、職人さんのどれくらいの努力があったのだろう。
計算され尽くしたかのようなチョコレートの余韻の中に、彼らのどれほどの努力を私は想像できていただろうか。
※Tm=melting Temperature (融解温度)
* ただの手土産ではあるまい、何か具体的な研究と繋がっているのではないか。
☆ Super Tuesday ハーバード 雄
アメリカに来るまでは,和菓子は殆ど食べなかったのだが,アメリカに来てから,和菓子を見つけるとついつい買ってしまうことがある.昨夜遅く,よせばいいのについつい惹かれ,小さな最中を口に入れて,もぐもぐとやった瞬間,口の中に違和感が走った.
歯の詰め物が取れてしまった.
これは,去年,ボストンでも一度取れてしまったことのある箇所だった.あの時は,森永ミルクキャラメルを食べていたら,キャラメルに絡まって取れてきてしまったのだった.以来,キャラメルの類は買わないようにしている.しかし,まさか最中で取れるとは思いもしなかった.
去年,この詰め物を元に戻してもらう際,ひどい目に遭ったことは,以前日記に書いた.顔に水を二度もかけられ,回りにこびりついたセメントを取り除くのに2時間もかかった上,費用は100ドル.こんな目に遭ったというのに,1年も持たずにダメになるとは,腹立たしい.
他の病院に予約を入れたが,診てもらえるのは早くても明日の午前.虫歯になっている場合は,来週,また通わなくてはならない.一体いくらかかるのか,今から不安だ.
アメリカのサイエンスは楽しいし,日常生活も悪くないが,やはり不安なのは医療.技術そのもののレベルは世界トップなのだろうが,何しろ高い.問題が山積しているアメリカの医療保険制度は,この国の最も深刻な問題点の一つだろう.
今日は週に一度のラボミーティング.雨の降る中,ラボへ.いつも通勤に使っているオックスフォードストリートは,かつてないほど多くの車でごったがえしていた.今日は,マサチューセッツ州の大統領予備選挙が行われた.マサチューセッツ州以外にも,20以上の州で一斉に選挙が行われた.いわゆる「スーパーチューズデイ」だ.投票所である,オックスフォードストリート沿いの小学校の前では,雨にも関わらず多くの人が「ヒラリー」や「オバマ」と書かれたプラカードを掲げて,道行く人々に愛想を振りまいていた.
医療保険制度は,ヒラリーとオバマとで意見の食い違いがあり,争点の一つとなっている.国民皆保険を掲げるヒラリーに対し,オバマは高額な医療保険料そのものを引き下げるべく,国家が支援することを提言している.果たしてどちらが有効な手段なのだろうか.
個人的には,僕はあまりヒラリーが好きでない.あくまでもテレビなどで受ける印象といったレベルにすぎないが,好感を持つことができない.そういう意味ではオバマに期待しているが,一方でオバマも人気が先行している印象があり,果たして彼が大統領になったらアメリカは好転するのかどうか,僕には良く分からない.少なくとも,日本との関係については,民主党である限り,今より良くなることはないのだろう.
今日のラボミーティングは,ジョンが発表した.フランスに帰国する前の,最後のセミナー.しかしセミナーとはいっても,話の中身はサイエンスとは殆ど無縁のものだった.
ミーティングルームに入ると,机の上に,美味しそうなクロワッサンとチーズが並べられていた.魅力的だが,日曜から腹痛が続いている僕には,食べられそうに無い.残念.
初めにジョンが話したのは,何故自分はこれからフランスに帰るのかについて.
初めに示したスライドは,フランスの悪い点ばかりを列挙したもの.人々が無造作に駐車しすぎること,ストばかり行われること,満員電車などの写真を見せて,「これがフランスだ」とジョンは言う.
ならば何故帰るのか? そこで挙げた二つの理由が,テーブルに載せられていたクロワッサンとチーズだった.どちらもアメリカでも手に入るが,やはり本当に美味しいものにはフランスでないと出会えない,とジョンは言う.
この気持ちは,僕には痛い程分かる.日本食だって,アメリカで手に入らない訳ではないが,美味しい蕎麦やラーメンにありつくことなど不可能だ.
続いて彼が見せたのは,brainbowマウスの美しい写真の数々.様々な画家の絵と対比させながら,彼が撮った美しい顕微鏡写真を見せた.最後は,これから就職することになるフランスの研究所の話.
一つ意外だったのは,ボスの「美しい顕微鏡写真は魅力的だが,我々は科学者なのであり,アーティストではない」という発言.ボスがこれまで手がけてきた研究には,常に美しい顕微鏡写真が載せられていた.きっと,そうした美しい写真を論文に載せることがボスは好きなのだろうと僕は思っていた.しかしボスの真意は「美しい顕微鏡写真は,自分の主張したい科学的発見を,できるだけ説得力を持たせてアピールするための手段にすぎない」ということらしい. brainbowの写真に対し,あちこちの美術館からリクエストが殺到しているので,そうした現状に対する戒めもあるのだろう.
ミーティングが終わってから,大学院生のシュシェンに頼まれて,マウスの横隔膜の標本作製を見せ,標本を彼の実験のために渡す.久しぶりにやったので,少々手間取る.
昼を過ぎても腹痛が治まらず,昼食はベーグルと小さなスープで済ませる.
午後,ようやく自分の実験に取り掛かるが,思うような結果が出ない.ついつい,ヒャーノと雑談をする.
ヒャーノは日本のドラマを実に良く見る.「SP」という,岡田准一主演のドラマのDVDを先週貸してくれた.1話だけ見たが,中々面白かったので,礼を言った.高校時代に日本語の授業を受けていたヒャーノは,日本のドラマの3割位は字幕なしで理解できるという.
ついでボストンの日本食レストランの話題に.「風雅居」というレストランはボストンで最も高級な日本食レストランなのだが,中国人が経営しているらしい.以前,「恋を何年休んでますか」というドラマで,黒木瞳がバイトをしているレストランという設定で,撮影にも使われたと聞いている.
もしかして,日本のドラマ好きのヒャーノならば,黒木瞳のことも知っているかと思い聞いてみると,「そんな歳上の人には興味が無い」とバッサリ.ならば誰のファンなのかと思い聞いてみると,長澤まさみとの答えが返ってきて,思わず絶句した.ヒャーノは僕より年上なのに,気が若い.他にも竹内結子や篠原涼子がお気に入りなのだとか.
ヒャーノがこれだけ日本のことを良く知っているというのに,僕は韓国のことを何も知らない.せめてハングル文字だけでも読めるようになろうかと,ふと思った.
こちらでは韓国食材店が日本食材を扱っていることが多い.以前,カレーに違いないと思って,ハングル文字で書かれたレトルト食品を湯で温め,ご飯の上にかけたら真っ黒なソースが出てきてびっくりしたことがあった.ハングルが読めれば,そんなことにはならなかっただろう.ヒャーノによれば,これは韓国では非常にポピュラーな食べ物だそうで,普通は麺の上にかけて食べるのだとか.今度,一緒に韓国料理を食べに行こうという話になる.
世界には色々な国がある.アメリカの大学には,実に色々な国々から研究者が集まっている.アメリカの文化を享受し,それを楽しむだけでなく,色々な国から来た人たちと接することで,様々な国の文化にも接することができる.これもアメリカならではなのだろう.そしてもちろん,同時に母国への愛着も常に感じながら暮らしている.クロワッサンやチーズが理由で母国に帰るなんてバカみたいだと言う人もいるかもしれないが,それは自国を出たことの無い人の考えだと思う.僕にはそれが身に沁みて良く理解できる.食ほど,母国を強く意識するものは無い.
さて,今日,アメリカ人達は,自国をどのような方向に向かわせたいと意思表示したのだろう.大勢は明日の朝には判明することだろう.
* 長いエッセイだが、内容がさりげなく、あるいは無意識に構成されているので、読み終えて、一つの作品に触れた気がする。寺田寅彦や、中谷宇吉郎といったか、雪の博士の随筆を思い出す。上手に書こうなどと考えていないから、天性のものが出てくる。一種の花である、ファシネーションと謂うか。
米民主党の候補選びは熾烈に混迷気味だが、ヒラリーの分がだんだんにわるい。わたしには二人ともよく分かっていない。だから興味がある。
こんなにたいそうな手間をかけるからよい大統領が生まれるとは、ブッシュという悪例が否定し尽くしている。
2008 2・6 77
☆ Unbelievable ボストン 雄
昨日の大統領選挙だが,民主党の候補については予想通り熾烈な争いとなった.勝った州の数ではオバマがヒラリーを上回るが,ヒラリーが勝った州は代議員数の多い重要な州ばかりなので,獲得代議員数だとヒラリーの方がオバマより上となる.
なんとなくではあるが,今回ヒラリーが勝っている州の分布を見ると,前の大統領選挙でケリーが勝った州の分布と似ている気がする.つまり,東海岸と西海岸はヒラリーを支持する人が多く,内陸部ではオバマを支持する人が多いようだ.
さて今日は,朝一番に地下鉄に乗り,ニュートンセンターにある歯科医院に行ってきた.僕のアパートからだと1時間はかかる.車で行けば,その半分で済むのだが,初めての場所で土地勘が無い上,雨が強くて運転する気が起きなかったので地下鉄を利用した.しかし,地下鉄の駅まで歩く間に,ズボンの裾がびっしょりと濡れてしまった.
このニュートンにある歯科医院は僕の家からは遠いが,日本人の先生がやっておられ,ボストンではとても評判が良い.実際,病院の人達も皆,感じが良く,先生の説明も非常に丁寧だった.
だが,しかし,先生から告げられた言葉は,かなりショッキングだった.歯の詰め物が取れたのは,その下の部分が虫歯になっているからで,しかもかなり深くまで虫歯になっているらしい.7割くらいの確率で,神経を取らなくてはならないのではないかとのこと.
更に驚いたことに,こちらでは神経を取り除くのは専門医でないとできないのだそう.さらに,その上で土台を作り,さらにそこに金属を被せるという.トータルでかかる費用は,なんと3000ドル以上だという.たかが虫歯一本で30万円以上とは...信じられない.
今日の先生によれば,おそらく1年前に詰め物が取れたときに,既に虫歯だったのではないかとのこと.去年のあのヤブ医者は,詰め物の取れた痕などろくに確認せず,無造作にセメントで戻しただけだった.あの時,手を打っていれば,こんなことにはならなかったに違いない.返す返すも腹立たしい.
ラボに戻ってから,色々な人に話を聞いてみた.皆,自分なりに色々な方法で保険に加入していることを知り,ちょっと驚いた.そんな手があったのか,というものもあったが,どれも今の僕にはちょっと難しそう.
夜,合唱の練習に行く.なんとついに男性は1人だけ.最後の方になって,もう1人やってきたが,かなりの時間は1人だけだった.辛い.
メンバーの1人が,タフツ大学の歯学部の教授の奥様ということで,相談してみた.練習後に迎えに来られたご主人に色々アドバイスを聞く.上に挙げた値段は決して高くはなく,こちらでは極めて良心的な値段だとのこと.ただし,大学のデンタルスクールで診てもらうと,もっと安く上がるらしい.しかし治療にあたるのは,デンタルスクールの学生らしい.果たしてどちらが良いものか,悩む.
* 湖 幾昔も前ですが、パリに家族で暮らしていた婿が、日本の歯医者にかかりたいので、わたしたちが久しくかかりつけの歯医者を紹介して欲しい、治療のため一時帰国するといってきたとき、なんでやねと驚きました。
きっと同じようなことだったろうと想います、今は。
わたしらのように歯医者通いをルーチンワークのように心得ている者にはビックリですが、タイヘンですね。同情を惜しみません、が、同情だけじゃね。
* 羅臼の「昴」さんが病状に押されて、倒れた、と「mixi」に告げている。とても心配。とても心配だ。
2008 2・7 77
* 相変わらずSPAMメールは一日に百は下らないが、最近では日本語のヘンなSPAMは無く、九割九分が海外からの英語のもの。プレビュウで題目をときおり見ていると、バイアグラ系の薬品売りますがものすごく多い。よけいなお世話である。
2008 2・8 77
☆ 二つのパーティー ボストン 雄
今日は二つのパーティーに出席することとなっていた.一つは,留学助成金を頂いている団体が主催のパーティー.主に,助成金を受けている人達が参加する.もう一つは,来週でラボを去るジョンのホームパーティー.
どちらも外すわけに行かないので,パーティーのはしごをしてきた.
夕方にラボを抜け出し,ニューベリーストリートへ.会場のスペイン料理屋に行く前に寄り道をし,ワインを買う.これは,ジョンのホームパーティー用.お酒を飲めない人のためには,明治の「メルティーブレンド」のチョコレートを,昼にKotobukiyaで買っておいた.
夕方の会では,思った以上に多くの知人に会えた.1年前,こちらに来て間もない頃に一度だけお会いした方も見えていた.お互い,もう、1年をボストンで過ごしたわけだ.
昨日,ラボの見学に来られたスタッフの方々(特にアメリカ人の女性)に,英語の発音が良いと褒められ,少々調子に乗る.
このパーティーは7時半まで.もう少し居たかったし,話してばかりで食事をあまり食べられなかったので,できればもう少し食べたかったが,次があるので早々に切り上げる.
ハーバードスクエアまでバスで向かい,Garden streetをひたすら歩く.途中,道が不確かになり,地図を広げていると,`You!`と声をかけられた.近所のラボでポスドクをしているナディーンだった.彼女はこの界隈に詳しくて,大いに助かった.
ジョンのアパートに入る直前に,すぐ近くに住んでいるライアンに会った.3人でジョンのアパートに向かう.ジョンの部屋には,既に多くの人がいた.後から続々と人が押し寄せ,30人近くが集まった.座る場所などない.先程のパーティーも立食形式だったので,さすがに疲れる.先刻英語を褒められたが,ここに来れば,僕はこの中で最も英語の出来ない人間となってしまう.
疲れたので早く切り上げたかったが,タイミングを逸し結局最後までいた.パーティーの終わったのは,12時近かったろうか.おみやげに奥さんのイザベラが作った、ラタトゥイユとチョコブラウニーを頂いて,ジョンのアパートを去る.
ずっと立ちっぱなしで,しゃべりっぱなしだった.疲れた.
* 疲れたろうが楽しそうで、読んでいて気が晴れる。わたしは、ホームパーティの経験はすくない。宴会か大きな会のパーティーか。気が向けば行き、たいていは不参。酒も、食も、妻以外は「見ぬ世の友」を迎えて、ひとり酒。現世ではよくて二三人どまりに願いたい。ながらく、付き合いから、毎月の「うまいものを食う会」に会費を払っているが、ここ数年参加していない。よくて念に一二回。
☆ A型の人御用達? 電波時計 光
腕時計をほぼ7年ぶりに新調した。
小学生1年の時に買ってもらったキャラクター時計(トム&ジェリー)1代目から数えて今回は6代目の腕時計となる。
電波時計が欲しかったからである。
今や、壁掛け時計も目覚まし時計も電波時計になり、携帯(電話)の時計機能すら電波時計の精度で時を表示する。
周りの時計がみな同じ動きをしているなかで、自分の腕時計だけが取り残されているかのように秒針が動いているのを気の毒に思えてきたからである。
日進月歩の技術革新にいちいち驚いていては落ち着いて生活できないが、それにしても日本の腕時計の高機能ぶりには目を見張るものがある。
光発電により電池の交換は不要、カレンダー機能内蔵で日付修正不要、電波時計になると時刻あわせすら不要。
あまりにもやることがなさ過ぎて、時々メガネふきで拭いてあげている。
朝、腕時計のBボタンを押すと夜中の2時と4時に電波をうまく受信できたかどうかがわかるようになっている。
電波受信にはコツがいるらしく、窓際に置いたり時計の向きを電波の来る方向に合わせることが必要であると説明書に書いてある。受信の結果は、H(電波が強い)、M(中くらい)、L(弱い)、No(受信失敗)で示される。
1日くらい受信できなくても特に時刻が大幅にずれるわけでも何でもない。
しかし、朝、腕時計を腕にはめるとき、ついBボタンを押して結果を確かめてしまう。
おっ、今日はうまく受信できたな、あれ、今日は不調か? と一喜一憂する。
毎夜、寝る前に腕時計をいろいろなところに置いてみる。向きも微妙に角度を変えて置いてみる。
そして、翌朝、一喜一憂する。
ある日帰宅後、腕時計をズボンのポケットに入れたままにしてしまったことがあった。
朝そのことに気付き、あぁ、しまった、しまった、やっちゃった、と思いながら癖でBボタンを押してしまう。
受信結果:H(電波が強い)。
その日以来、電波のことは腕時計本人に任せることにした。
* わたしはドンだから、この「光」くんの、「A」型の人という意味が分からない。自分の腕時計が何型なのか、知らない。
2008 2・9 77
☆ 中国産食品 ボストン 雄
ここ最近,日本のニュースをネットで見ていて気になるのは中国産食品の問題.特定の国を非難することは良くないのかもしれないが,僕は以前,このウェブサイト(http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/)を見て以来,中国産食品は極力買わないようにしている.この手の問題は,今に始まった問題ではない.
極力気をつけているつもりではあるが,しかし避けようのないこともある.特にアメリカにいると,日本食材というだけでついつい手がのびてしまうが,その多くは冷凍食品だったり,中国製だったりする.自分では気をつけていても,外食で使われていると,防ぎようがなかったりする.
今回のニュースで分かったのは,これまで,日本の輸入食品受け入れ時のチェック体制が極めてずさんだったこと.水際で食い止めない限り,この種の問題が生じることは避けられないだろう.
今日,ヘアーカットで美容師さんから聞いた話だが,これは果たして本当なのだろうか.
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20060608/103900/
それにしても,食の問題だけでなく,上記のウェブサイトの映像が本物だとすれば,隣国である日本にとっても,全く「対岸の火事」という訳にはいかない.
* 「mixi」が、みな、こんな日記に溢れているわけではない。これは私の信頼するマイミクだからの「ハナシ」で、マイミクさんたち以外についてくる沢山な「足あと」には、嬉しい出会いもタマにあるけれど、とんでもない不良風俗まがいも軽薄を極めたのも山のようにまじる。
なにしろ数百萬人の会員所帯なのだから、千差萬別どころではない。一日に百人前後の「足あと」だけでは判断できない、判断してもならない「世間」がここにはあり、たいへんな宝も隠れていると、希望はある。
「ああ、秦さんですね、見付けましたよ」という嬉しい知人や読者たちからのメッセージが、フイと飛び込んでくるのを、楽しみに待つことも出来る。
2008 2・ 10 77
* おお早速、そうかい? そう思わせたのは新大阪府知事の、岩国市長選挙を応援しての言い草だ。地方は中央政権の指示に誠実に従う義務があると。
法的な杓子定規は問題にしていられない。地方分権は中央集権とは対等の思想であり、それこそ誠実に反応しなくてはならない。この若い法律家知事のセンスは、県民や市民の生活を守り抜くべき誠実な政治家のものではない。岩国の米軍基地化は国策としてやむを得ないという認識には、歴史的な洞察も反省も憂慮もない、権力主義であり帝国主義への無批判な阿諛ですらある。
次ぎに転載したマイミクさんの実感と怒りに溢れた声を聴こう。
☆ また「二度とこういうことがないよう」 maokat
昨夜沖縄キャンプ・コートニー所属の米海兵隊員が女子中学生を乱暴する事件が起きた。仲井真沖縄県知事は「女性の人権を蹂躙する重大な犯罪で、特に被害者が中学生であることを考えれば決して許すことはできず、強い怒りを覚える。これまで悪質な暴行事件が発生するたび米軍などに強く申し入れてきたが、またこのような事件が発生したことは極めて遺憾だ」と述べた。
高村外相は今日、「極めて遺憾なことで北米局長から二度とこういうことがないように綱紀粛正を申し入れたところだ。事実については日本側において、法と証拠に基づいてきっちり対応する」と述べている。
問題はこの「二度とこういうことがないよう」だ。
高村外相も仲井真知事も「二度とこういうことがなくなる」とは思っていないし、綱紀粛正も効果がないことは分かっている。これまでの沖縄の歴史を見れば明白だ。
沖縄米兵少女暴行事件というのを憶えているだろうか? 1995年9月に沖縄キャンプ・ハンセン所属の米海兵隊員3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した事件だ。翌月宜野湾市で行なわれた抗議集会には8万5千人もの県民が参加し、沖縄に集中する米軍基地の整理・縮小や日米地位協定の見直しを求めた。
本土でも終戦直後の進駐軍が駐留していた一時期には、このような事件も起きていたことだろう。
だが今、東京や千葉や埼玉の繁華街で他国の軍人が子供を拉致して強姦するなど聞いたこともないし、もし仮にそういうことが起きたら、マスコミ上げての大騒動になるだろう。
しかし沖縄ではそういったことが、まだ、まだ、頻繁に起きている。
1953年に起こった「由美子ちゃん事件」もそうだし、上の抗議集会後にも、2000年7月に沖縄市で、米海兵隊員が女子中学生を襲う事件が起きている。
2003年にもキャンプ・ハンセン所属の米海兵隊上等兵が未成年の女性の顔面を殴り、強姦している。
5年前の衆議院沖縄・北方特別委員会で、外務省は過去30年間の日本全国における女性暴行事件のうち、およそ7割が沖縄で起きていると答弁している。
危険はこれだけではない。2004年には普天間基地所属の大型ヘリコプターが、沖縄国際大学の校舎に墜落、炎上した。ヘリが落ちてこないまでも、基地周辺は日常的に騒音被害を被っている。
こちらに住んでいると実感できないのだが、生活圏に米軍が駐留するということは、こういうリスクを常に背負っているということなのだ。
先の市長選で基地移転推進派が勝利した岩国の市民は、ほんとうにこのことを理解しているのだろうか?
沖縄を離れて8年経つが、沖縄で生活しなければ見えてこなかったものが今でも見えている。
アメリカという国の良さと悪さ。そして、日本という国の甘さである。
* なぜ、まっすぐ怒らないか。政治に怒りは禁物なのか。
当と不当は別にして、チャーチルは、怒りまくることで英国民を危機から鼓舞し得た。
日本の政治に、凛然とした怒り、適切な行為や反応を伴った即座の怒りが完全に失せている。ただの言葉としても失せている。それが政治手法だと錯覚している。
いま、福田内閣の中に、わたしの最も信頼しない大臣は、高村外務大臣と町村官房長官。二人とも、福田総理のコピーのように、いつも、口先で言葉を玩弄し、うつろな眼をキョトキョトさせながら、仮面紳士の薄笑いに無信念を隠蔽している。あの中国の食品テロに等しい無道に対しても、国民にもしかと見える怒りを中国に対し伝えていない。そのうちに言われ放題に、あたかも日本側に事故や害意の理由がありそうにまで言われかけている。
怒ることに似而非の行儀を覚えて、国民性までが、偽善者めいて来ている。怒るべきは怒り、同時に対策し、痴呆的な健忘症になどなってはならない。
2008 2・11 77
* 最初に機械を開いてメールを点検する。今朝は、やす香の大の仲良しだった大学生からの、懐かしい優しいメール。そしてペンの同僚会員から『災害と文学』の大きな国際的な催しに出席しますかという問い合わせを兼ねた、近況。「花」さんからも。
次いで「mixi」にマイミクさんがどんな日記を書いているかを観る。
わたしのマイミクは現在五十五人だが、みんなが書いているわけではない。多くて日に十人か十二、三人。
とにかくも新しく書かれたマイミク日記は、「見出し」が一覧表記されるので、便利。書く人と書かない人とは、およそ決まっていて、その人達の日常生活が反映する。自分は書かないが、人のは読んでいる人もあるだろう、全く「mixi」を開かないままの人もある。当然だ。
わたしが日記を書く、と、五十五人のマイミクさんらは「mixi」を開いて、それと分かる。いわゆる日記は「mixi」には書かないが、多年に書きためた一太郎保存の莫大な発表済み原稿から、今も読んで欲しいなと思うのを、ホイホイと面白づく転記している。「エッセイ集」の綴じ目を切ってしまい、大空に投げ上げているようなもの。
そんなわたしの記事(日記)を、すくなくも「開いて」くれた人は、「足あと」というかたちで、すぐ分かる仕組みになっている。平均していつも三十数人ぐらいは「足あと」をつけてくれる。ほかに、気儘にサーフィンして「足あと」をのこしてゆく、マイミクではない未知の人たちが沢山いる。その日書いた話題に応じて、つく「足あと」が有る。
例えば歌舞伎観劇を書いたアトには、歌舞伎フアンたちの「足あと」が一斉にいくつもつく。
しかし悪質な風俗まがい、でたらめな「足あと」も日増しに増えている。「mixi」の「腐敗」化も防ぎようなく進んでいるのだが、まだ数は少ないと思いたい。事務局には早く防止策が欲しい。
前にもふれたが、底意あってまわりくどい手段を弄して日記を「覗き込み」に来るらしい「足あと」もつく。プロフィールは、いろんなことを推察させる。
マイミクさんの日記を読んで、むろん「遠慮がない」という意味で人によることだが、より大勢にもこれは読んでもらいたいな、自分のホームページに記録しておきたいなと思うものを、内容、文章、表現、意味など汲み取り、気を入れて、此処へ転写している。それがさながらわたし自身の「生活」「日々」「思い」ともなりうるものを、である。いいものをひろげたいという編輯者の感覚や意欲がぬけない。
気軽に書いて欲しいなと思う人もマイミクの中に何人もいるのだが、これだけは、日常生活の忙しさも関係することで、無理は言えない、が、気張ってしまう性質の人ほど書きにくいものらしい。書きそうな人が書き、書きそうにない人は書かない。それも面白い。
わたしには、否応なく「mixi」が、世の中へ開かれた大事な「窓」になっている。ときどき閉めてしまいたくなる窓でもあるのだが。
☆ 初チョコ 馨
我がダンナにはかねがねわだかまりが一つあって、それはバレンタインデー数日前の自分の誕生日とバレンタインデーが一緒に片付けられること。
人生に一度はモテモテ期が到来すると言いますが(私には来たことない。そろそろ来てもいいような…)、その時期がダンナさんは中学だったらしいです。
その中学時代、バレンタインでチョコをもらって、ドキドキしながら開けたところ、中には「お誕生日おめでとう」と書いてあってがっくりしたのだとか。
女である私には理解不可能ですが、「バレンタインのチョコ」をもらったのと、「誕生日のプレゼントとしてのチョコ」をもらったのとは、男として「価値」が大きく違うようです。以来、バレンタインと誕生日との明瞭な線引きを提唱してやみません。
(でも、私にはその女の子の気持ちがわかる気が…。きっと、バレンタインでチョコを渡すだけじゃなくて、「お誕生日だって知ってるのよ」と、アピールしたかったんだろうな~。女心はいつの時代も男には理解されないんですね。)
夫の誕生日どころか自分の誕生日まで忘れるような相手と結婚したせいで、この手の混同が家庭内では引き起こされたことはないのですが、
「なんだか、今年も誕生日忘れ去られていなかった?」と、誕生日数日後に思い出して(本人だって忘れていることが多い)ブツクサ言う、という事態はまま引き起こされています。
今年のダンナの誕生日、珍しく私が、お昼前くらいに気がつきました。
「あ、今日誕生日だった! おめでと、おめでと!! ケーキでもプレゼントでも、何でも好きなもの買って下さい」
雪が降るという天気予報だったので、もはや自分が出かける気は全くない、私。
ため息をつくダンナを無視して、
「あ、大町に新しいケーキ屋さんがあるみたいだよ」と自分が食べてみたいお店を、レコメンド。ダンナもちょこっと気になったらしく、お店のホームページを開いてみたものの、「はぁー…これだよ…。バレンタインフェアだよ」
いや、世の中みんながあなたの誕生ケーキを用意しているなんてことは、あり得ないんですけど…。
理屈ではわかっても多少気がそがれしまったようで、買い物のついでに別のお店にケーキを自分で(気の毒に)買いに行ったダンナでした。
思春期のトラウマは大きい。
そんなダンナがさすがに気の毒になったこともあり、冷蔵庫にクーベルチュールのチョコの塊があるのを思い出して、ガナッシュにすることにしました。このチョコ、なぜか出入りの魚屋さんが配達のついでに下さったのですが、私がツワリの時期だったのでそのまま死蔵されていたもの。
「今年はチョコを作ろうと思うのー」と宣伝し、
「それはもしかしてバレンタイン?」と確認するダンナに、
「いいえ、チョコが酸化し始めてダメになっちゃいそうだから早めに処分」と、ほとんど、夫婦漫才。思えば、私も乙女であった昔はせっせとチョコを作った気がしますが、ダンナ様に作ったことは一度もないかも。ごめんよ、愛はちゃんとあるからね。
最近料理をやってみたくて仕方のないムスメに指示すると、チョコを刻む以外、ほぼすべて(といっても温めた生クリームにチョコとラム酒を入れて冷やすだけ)やってくれたので、夕飯のあとにココアを用意して、二人で一口サイズに丸めはじめたのですが、ここで、頭の黒いネズミ、登場。
小さな手を下から出してチョコを掴もうとして、アブナイアブナイ…。そしていつの間にか、
「おかあさーん、S(息子の名)の口見て~」
まるで、チョコレート色の口紅を塗ったような口の、息子クン。
息子が初バレンタインは、姉と母との手作りチョコ、でした。 それにしても、ムスメには3歳になるまでチョコレートは食べさせなかったのに…。
こうやって下の子はゆるく育ってしまうのねー。と、反省しきりの母です。
* こういう「筆致」に気を惹かれて書いている、満たされた日々。誰の日々であっても大事にしたい。『大草原の小さな家』を英語で楽しんでいる気持ちにちかい。
☆ 細い杖 珠
ゆっくり寝坊。起きた時が起きる時という幸せ。何も考えず、ゆっくりぼーっとしながら、出かける準備。出来た時が出かける時、これも幸せ。昨夜の名残り、雪景色は其処此処に、それでも陽射し温かくて風もない。外出日和。
半蔵門の国立劇場小劇場へ向かう。大好きな「文楽」第二部を観る。
(略)
最後に期待の『壺坂観音霊験記』 住大夫さんが語るのは、沢市内の段の切。
楽屋でご挨拶した時おっしゃていたのは、夫婦二人だけの場面で難しく、また、夫沢市は盲目なので、盲目のように語る難しさがあるのですと。盲目の人を語る、、どういう事か。「耳から聞きにいきますのや」
そう、その言葉通り、舞台観て聴いていたら、よくわかった。妻お里とは違う、相手が見えない夫沢市は、自分の声や話を耳で聴きながら妻へ語りかける。
毎晩七つ(午前4時)に出かけてゆく美しい妻お里へ、疱瘡の痕が残る盲目の自分でなく、ほかに誰かいるなら言ってほしいと迫る。見えないなか、お里の心もみえず不安、けれど今こそ、、と迫る沢市の、意を決した様子が語りと共に桐竹勘十郎の遣いで生きる。今日の勘十郎さんはとてもよかった。上手い人形遣いは、人形だけが生き生きと目に入り、遣う人は見えなくなる。お里は沢市の目を治したいと、祈願に壺坂寺の観音様を毎日お参りしていた事を告白。一旦夫婦になったからには来世までも夫婦だと、疑われたことの悲しさを訴えて。
住大夫さん、声量は確かに落ち、長い語りは体力がもたないとのこと。納得。されど、声色でない「語り」この奥深い浄瑠璃の藝を他に繫ぐ大夫さんが見当たらない。もうしばらく、、、出来る限り語ってほしいと祈る。
お里の気持ちにうたれた沢市は、細い杖を細い心の頼りにしながら、気を取り直して夫婦で壺坂寺参りへ。お里が言い付かった用事で離れた間に、自分がいなくなればお里は何処かへ縁付きできると、沢市は谷間へ身を投げる。戻ったお里は、残った細い杖を見てそれを知り、形見の杖はこの世を去って渡すと後を追って身を投げる。最期、観音様現れてお里の信心などから夫婦二人の寿命延ばされ、三十三所順礼へと出かけてゆく。
芝居としては、心弱く気鬱な夫に貧しくも献身的な美しい妻、大きな感情の山場を越え心深く結ばれるという分かりやすいもの。でも、俗な私は、目の見えるようになった夫の、二人の、その後に興味がある。芝居ではその後なぞあるわけないが、「見える」がもたらす「見えなさ」に、二人はどうなってゆくのだろう。ふと「春琴抄」を思い出した。
今日の舞台の細い杖、春琴抄で佐助が肌で温める草履。二人を繫ぐ「小物」も、「語る」ようだ。
☆ Don Giovanni ボストン 雄
午前11時,車でCambridgeside galleria mall近くにあるホテルへと向かう.日本の某研究所でポスドクとして働いている大学院時代の後輩が,MITにジョブセミナーをしに来た.ホテルのロビーで彼と数年ぶりの再会を果たす.何も変わっていないような気もするが,近づいてよく見ると,しわやシミなどが,お互い経てきた年月を表している.
彼は1年後輩だが,年齢は僕より一つか二つ上.大学時代,休学して世界中の山々を登りまくったという山男.大学院時代でも,その腕力は健在で,なにしろ道路標識を掴んで身体を地面に平行にすることができたほど.細身なのに,人の二倍食べ,二倍働く人だった.
ハーバードスクエアまで車で向かい,ラボの近くに車を停め,ラボを簡単に案内する.その後,ハーバードスクエアに出て,いつも行っているベトナム料理の LE’sでフォーとチャーハン,春巻きをご馳走する.食べ終えてからは,Au bon painでコーヒーを飲みながら語る.
やはり話題になるのは,ポスドクを終えた後のことや,論文のこと.抱える悩みは共通だ.おまけにお互い独身であることも共通している.
もう少しゆっくりと話がしたかったのだが,僕は午後からオペラを聞きに行くので,再び車で彼をホテルへと送る.帰り道,雨が降ってきたなと思ったら,あっという間に雪になり,猛烈な吹雪となった.なんとか自宅前まで辿りつき,車を置いてポータースクエアへ.
地下鉄で会場へと向かう.Park street駅でグリーンラインに乗り換えようとしていると,合唱でご一緒しているKさんとそのご主人とばったり会った.なんでもレッドラインに乗っている時,僕の隣に座っておられたらしいのだが,僕は全く気づかなかった.ポーター駅で電車に間に合うようにと必死になって歩いていたので,電車の中で放心状態だったようだ.グリーンラインEラインのLongwoodで下車し,会場へ.
今日の演目はモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』.スペインの伝説的な放蕩者ドン・ファンの物語.
ドン・ジョヴァンニは,世界中のあちこちで女性をひっかけ,その数たるやイタリアでは640人,ドイツでは231人,スペインでは何と1003人.騎士長の娘アンナの部屋に夜中に忍び込み,乱暴を働こうとするが,その際,アンナの父親である騎士長を殺してしまう.ドン・ジョヴァンニに捨てられ,つきまとうドンナ・エルヴィーラ.結婚式を挙げているマゼットとツェルリーナに言い寄り,ツェルリーナを口説いて落としかけるが,エルヴィーラに邪魔をされる.アンナとその恋人のオッターヴィオ,マゼットとツェルリーナ,エルヴィーラなどの恨みを買い,殺されそうになるが,最後には墓場に作られた騎士長の石像がドン・ジョヴァンニを地獄へと連れて行き,「悪い男もついに地獄に落ちた」ということで最後はハッピーエンドとなる.
あらすじを書くと,本当にたわいも無い話だ.いとも簡単にドン・ジョヴァンニに口説き落とされる女性達,あくまでも自己本位で,自分のためには犯罪も厭わないドン・ジョヴァンニ.内容は下らないのだけれど,モーツァルトの音楽そのものは美しい.有名なアリアもいくつかあるが,歌詞の内容がこんなに下らないとは知らなかった.
今日の演奏はセミプロ達によるものであり,オーケストラの規模も小さく,舞台も学藝会でもやるような小さなステージであったので,不備は色々とあった.しかし序曲の時には気になったオーケストラの力量も,いざ歌手達が舞台に登場してからは気にならなかった.歌手も全てがプロではないのだが,皆,声が良く,表情たっぷりで素晴らしかった.4日間続いた演奏会だったが,今日が最終日だというのに,声も枯れず,素晴らしい演技を見せてくれた.
実は,オペラを生で観たのはこれが初めて.DVDなどでは見たことがあったが,こうして間近で見られるのは嬉しい.今度は是非,ニューヨークに行ってメトロポリタン歌劇場でオペラを観たい.
帰りは同じ合唱団におられたOさんの車で,Kさん夫妻と一緒に自宅まで送って頂いた.Strrow driveを走ってケンブリッジへ.Strrow driveから見るボストンの夜景は本当に美しい.
もう少しでハーバードスクエアというところで,昼にあったようなブリザードに突然見舞われた.あっという間に道路に雪が積もった.車で送って戴けて,ラッキーだった.
* 「珠」さんは大忙しのナース、「雄」君は極微の世界を見つめて実験に明け暮れる科学者。文楽や文学が、またモーツアルトが、輝いてくる。
2008 2・11 77
* メールを読んだり「mixi」の日記やコメントを読んだりしているうち日付もとうに変わっている。
じつは、昨夜中に起きてルソーの『告白』を一気に、補注や「告白以後のルソー」という一文も含めて、読み上げたものの、心底暗澹とした驚嘆で、あとを曳いている。感想を書こうと思うとかなり時間がかかるが、書かずにおれないタチの暗澹たる驚嘆であった。
もう一つ、興膳さんの『中国名文選」中の一文が、また枯れ葉を巻く疾風の印象で、これは不快どころか、共感豊かな刺激的な名文・書簡であったものの、これについて書くのも、かなりの精力を必要とする。
この二つがドスンとアタマの道を塞いでいるので、この夜更けに、歌舞伎の評判をする元気も余力も今夜はない。潔く今夜は機械の前を撤退する。やすんでおかないと、昼夜顛倒の暮らしになる。それでも夜の読書だけはしておく。
『イルスの竪琴』の英語、モルゴンの孤独な苦闘とともに難渋を極めた、が、ようやく、先の明るみが窺える。
* すこし疲れている。どれか一つでもと思った、これだ。
☆ Robert Weinberg ハーバード 雄
最近たまたま知ったのだが,MITでは学部生向けの講義をインターネットで世界中に発信しているらしい.無料なので,インターネットさえ利用できれば誰でも見ることができるし,iPodにビデオをダウンロードすることさえできる.
この中で,生物学の初級コースを担当しているのが,なんとロバート・ワインバーグ.MITのホワイトヘッド研究所の教授であり,がん遺伝子の研究では世界でも最も有名な研究者といって良いだろう.ヒトのがん遺伝子としてrasという遺伝子を発見し,rasのDNA配列のたった1文字が突然変異を起こしただけで細胞ががん化することを示すなど,センセーショナルな発見を次々と行なってきた.
近年は,染色体の端の部分であるテロメアと老化との関連についても精力的に研究している.
このワインバーグ研での生活について描かれた本もある.「がん遺伝子に挑む」(上・下)(ナタリー・エインジャー著,野田亮・野田洋子訳,東京化学同人)(http: //www.amazon.co.jp/gp/product/4807903519/ref=cm_cr_dp_orig_subj)という本.
この本は,元TIME誌記者の著者が1年間ワインバーグ研に滞在し,ラボで起こったことを記したドキュメンタリー.これを読むと,サイエンティストが毎日どんな生活を送っているのかが良く分かる.特にポスドクたちの抱える葛藤,成功者への嫉妬など,人間的なサイエンティストの姿が赤裸々に綴られていて,おそらく科学に縁の無い人が読んでも面白いのではないかと思う.
この本で描かれているのは1980年代のワインバーグ研なので,当時のポスドク達も今や世界をリードする科学者となっている.例えばrasの突然変異で有名になったクリフ・テイビンはハーバードメディカルスクールの教授として発生生物学の世界で活躍しているし,完璧な美しさと賢さを持つ大学院生として登場するコーリー・バーグマンは,現在ロックフェラー大学で線虫を使った神経生物学・行動学の第一人者として活躍している.スポーツ好きで攻撃的なポスドクとして登場するルイス・パラーダは,現在は神経再生の研究で活躍している.
そうした有名研究者の若い時代の話が読めるだけでなく,この本には、ボストン・ケンブリッジエリアの話題も多く載せられてる.チャールズ川やリーガル・シーフードなどの話も出てくる.初めてボストンに来た時,チャールズ川を見て,「ああ,これがあの本に出ていたチャールズ川なんだな」と感激した覚えがある.
それにしても,生物学の初歩の初歩を,超一流の学者であるワインバーグが手ほどきしてくれるなんて,なんという贅沢だろう.僕も大学に入った時,最初に生物化学の講義を担当されたのが大島泰郎教授で,毎週感激しながら最前列で講義を聞いた覚えがあるが,やはり最初等の講義こそ,優れた科学者に担当して欲しいものだと思う.
ワインバーグの講義はこちらのウェブサイトから視聴できる.(http://ocw.mit.edu/OcwWeb/Biology/7- 012Fall-2004/VideoLectures/index.
2008 2・12 77
☆ 若さは七難隠す? ハーバード 雄
今朝は週に一度のプログレスレポート.担当はボビー.以前から手がけている,脳の連続切片作製機の話.まだ色々と問題も多く,それらのトラブルシューティングに関して話した.それにしても,こんなことを思いついて,それを実行に移すなんて,本当に大した奴だと思う.普段はいい加減なことしか言わないけれど.
昼からはセミナー.ニューヨーク郊外にあるコールドスプリングハーバー研究所のポスドクがやってきた.おそらくジョブセミナーなのに違いない.内容は「恐怖などの感情が記憶にどのように影響を与えるか」について.
痛い思いをすると,そのときのことを良く憶えているものだが,これは脳の中の青斑核とよばれる部分から延びている神経細胞からノルアドレナリンという物質が出て,これが記憶をつかさどる海馬の神経細胞に働いているためと考えられている.今日の演者は,ノルアドレナリンが分泌されると,記憶に重要な働きをすると言われているグルタミン酸受容体という分子が海馬の神経細胞の表面に沢山現れ,その働きが増すことで記憶が強まることを明らかにし,Cell誌に論文を発表した.
話のストーリーはシンプルだし,恐怖と記憶という身近な現象を,遺伝子レベルで明らかにしたという点は素晴らしい.だが,トークを聴いた印象では,彼女のオリジナリティーが見出せなかった.解析手法そのものは,彼女の所属するラボのお家芸のようなものだし,様々な行動学習実験なども,心理学の世界では既に確立されたものだ.そのせいか,質問は批判的なものが多かった.
この手の実験では動物の行動を研究する必要があるので,心理学的な手法が多く用いられる.単に恐怖といっても,色々な恐怖の与え方があり,色々な種類の恐怖がある.”Learned Hopelessness”なんてものもある.演者が具体例として,「5回以上やっても,一向に成功しない実験とか・・・」と言ったので,皆笑う.全くその通りだ.
セミナーが終わってからは夕方までひたすらマウスの手術.その後,予約してあった顕微鏡を使う.夜10時まで予約を入れてあったので,実験を終えて先程帰宅した.これでもまだ足りない感じ.顕微鏡の予約がもう少し空いていれば良いのだが.
いつの間にか雪が降っていた.かなりの降り方なので,この分では積もりそうな気がする.
さて,今日は複数の州で大統領予備選が行なわれた.オバマがヒラリーに比べて圧倒的大差をつけて勝利し,獲得代議員数でも逆転したようだ.先週末も複数の州でオバマが圧倒的に勝っていたので,このまま一気に差が開くことになるのかもしれない.
僕もヒラリーよりはオバマが良いだろうと思うし,ましてや共和党のマケインよりは遥かに期待できると思う.ただ,今更なのだが,果たして本当にこの人で大丈夫なのだろうか,と思うこともある.
演説が上手いと評判だが,僕には月並みな言葉を並べただけとしか感じられない.具体的に彼の公約の何が優れていて,それをどの程度実行できると考えられるのかが見えない.
確かに若いということは魅力的かもしれない.特にアメリカではJ.F.ケネディーの影響も強いのだろう.しかし,若ければ何でもいいのだろうか?と,最近思う.ただしこれはアメリカだけのことではない.
大阪で橋本弁護士が大差をつけて知事になった.自民党などの応援も必要とせず,純粋に知名度だけで圧倒的な差をつけたようだ.しかし,こんなことでいいのだろうか,と思う.大阪は前の前の知事で,タレント知事には懲りたのではなかったのか?
確かに橋本知事は若いし,弁護士ということは頭脳明晰で弁も立つのかもしれない.しかし,テレビなどで見る限り,この人は言っていることをコロっと変えたり,すぐにキレたりする.そういう人に知事という職業は向いているのだろうか?
近年の「若いことはいいことだ」という風潮は,ちょっと行きすぎなのではないかと,僕は思う.もっと「経験」というものの価値を重要視すべきなのではないだろうか.大阪知事選の場合,民主党の候補も新人候補だったと思う.もっと政治経験の豊富な候補者を立てるべきだったのではないか.民主党の判断ミスだったのではないか.とはいえ,経験とは名ばかりで,単に長く政界にはびこっているだけの,老獪な政治家が多すぎるのも事実なのだけれど.
橋本知事の一連の行動で,唯一僕にも共感できたのは,NHKに対する言動.かねてから官僚的で高圧的なNHKという組織には反感を持っていたので,ちょっと胸のつかえが下りたような気がした.
橋本知事が今後どうなるのか,まだまだ分からない点も多い.しかしオバマには,もし大統領になるようなことになるのならば,せめて安倍晋三のようなことにはならないで欲しいと思う.
* いきなり、かなり思い切り、オバマらへの思いを「雄」君が代弁してくれた。
2008 2・13 77
☆ 映画監督の市川崑さんが死去 麗
在宅で仕事をするときは,たいてい映画を、BGM代わりに流す。昨日は,市川昆監督の『雪之丞変化』だった。長谷川一夫の藝の幅広さ,若尾文子の儚い美しさ,そして,市川雷蔵の軽妙な味,さらに,大映映画の「隠し味」のような伊達三郎の演技などに,仕事そっちのけで見入っていた。「訃報」に接したのは,まさに,その翌日。
例によって,勝手に縁を感じて,続けて書く。
市川崑作品は,雷蔵出演の映画を中心に,いくつも見ている。しかし,最も印象的だったのは,『東京オリンピック』。初めて泣いた映画だった。椅子に座った足が,まだ地につかないほど小さかった頃。長尺のあの映画を,封切館のテアトル東京で,身じろぎもせずに見ていた。どこで泣いたかは忘れたが,忘れられないシーンが,いくつもあった。
会場建築工事で,埃の渦巻く首都・東京。
大混雑の会場で開幕を待つ,ねんねこ半纏に日和下駄の母親。
開会式では,今井光也作曲の『東京オリンピック・ファンファーレ』,そして,入場行進とエンディングは,古関裕而作曲の『オリンピック行進曲』が,颯爽と流される。
しかし,ベラ・チャスラフスカの華麗な演技のバックには,流麗なピアノ曲ならぬ,「ドシン・バタン」の地響きを流す。
マラソンでは,沿道の民家の2階から見物する住人の目線で,アベベ・ビキラや円谷を追う。
随所に挿入された,実況中継の音声が臨場感を添える。
一方で,アフリカ某国から,たった一人で参加した選手の一日を追うなどの,ドラマツルギーも織り交ぜる・・・。
ドキュメンタリーのパラダイムを,様々な点で打ち崩し,見るものを安心させない作りの,「ドキュメンタリー」だった。
先日,縁あって全編を見直す機会があった。ファンファーレと行進曲を聞いて,全身が粟粒立った。泣いたのは,この場面だったかもしれない,と思えた。
この映画は,当時は必ずしも高い評価を得なかったという話もある。しかしこれは,オリンピックのみならず,オリンピック開催地・東京の当時を活写した,記録映画でもあった。往時の回想と感動に浸るには,『ALWAYS』にはるかに勝る,と私は思う。
アントニオーニ監督のときもそうだが,最近,何気なく映画を見ると,翌日あたりに,その関係者が死去する。しかし,市川監督は,つい先日,インタビューに答える姿を見て,その元気さに,「次回作が楽しみ」と思ったばかりだ。
一寸先は闇,なのだなあ。
* 合掌。
* 市川崑の才能に最初に痺れたのは、テレビで、あの伊丹十三の「光君」で源氏物語を見せて暮れたときだ。唸った。
個人的に有り難かったのは『細雪』。貞之助と雪子とのあやうさをおそれず表現してくれた。この映画で、わたしは個人的にもいい機会をもらった、新潮社から華麗な写真集を出したとき、撮影に立ち会い、ちょっと面白い解説を書かせて貰った。吉永小百合とも知り合った。
市川崑の特色は、斜に切り込める批評の冴えが、みごとに美しい映像を、皮肉なほどまっすぐ鋭く立たしめる魔術だった。お若いと思っていたが、残念。もう一つ二つは新作を見せて戴きたかった。
2008 2・13 77
☆ 記憶に刻まれるのは 光
高校の数学の授業では、いろいろ公式を覚えさせられた。
結局、それらが役に立っているのかどうか疑問であるが、今だに覚えているのも不思議である。
三角関数の加法定理というとピンとこないかもしれないが、コスモスのあれ、と聞けば、あるいはご存じの方も多いのではないだろうか。
咲いたコスモス コスモス咲いた
sin (α+β) = sinα cosβ + cosα sinβ
コスモスコスモス 咲いた咲いた
cos (α+β) = cosα cosβ – sinα sinβ
私は、この語呂あわせで覚えたものである。
ところが、いろいろな人に聞いてみると、いろいろな覚え方があることを知った。
咲いたコスモス 今夜も咲いた
sin (α+β) = sinα cosβ + cosα sinβ
今夜もコスモス 盛んに咲いた
cos (α+β) = cosα cosβ – sinα sinβ
まさか、語呂合わせが一篇の詩になるとは思いもしなかった。
しかし、さらに上手がいた。
刺すぞ殺すぞ 殺すぞ刺すぞ
sin (α+β) = sinα cosβ + cosα sinβ
校長校長 死んだ死んだ
cos (α+β) = cosα cosβ – sinα sinβ
忘れ得ない、強烈なインパクトである。
記憶は、美を選択しないのであろうか。
* こりゃあ、お手上げです。こんなのが堪らんので、解析Ⅱへは近寄らなかった私です。よその庭の花は紅いなあと面白がっています。
2008 2・14 77
☆ なるほど 本郷 悠
高熱と認可保育園の入園前健康診断で、2日お休みした保育園に、今日は元気に登園。さっそく、ずり這いで友達の輪へ突進していきました。
最近、うちのダイニングテーブルの下を縫うようにはいずり周り驚いていましたが、今朝、保育園に行って納得。木製のジャングルジムの下をくぐって遊んでいる息子の姿が、写真にとってありました。すごくゴキゲン。
家でも復習していたのでしょう。
お陰で目が離せず家でのお仕事は寝ているときにしかできません。
職場(大学の研究室)では、久々実験モード。ちょっとウキウキでした。
* もう一度、こういう赤ちゃんをまのあたりに、一緒に暮らしてみたい。
2008 2・14 77
☆ コップ半分の水は十分か 光
とある国家公安委員会委員長の言葉だったか。
水が半分入ったコップをイメージするのだという話を、テレビのインタビューでしていた。
何かに備えて準備するときには、「まだ半分しかはいってない、何とかしなくては」とがんばるのだが、いざ本番と言うときには
「まだ半分ある、大丈夫」と思うのだそうだ。
問: 200cc入るコップに半分、水が入っています。水は何ccですか。
学校の算数のテストだったら、答えは一つ。
問:200cc入るコップに半分、水が入っています。十分ですか。
そんなテストをする学校の先生はいるのだろうか。
小学校教育から、「問題には必ず答えがある」とすり込まれた我々の世代は、答えのでない問題を、無意識的に避けているのではなかろうか。
一度の自分の人生に、答えも何もない。
現実はむしろ、「答えのない選択」の連続である。
「最近の若者は、なぜ結婚しないのか」
そんな疑問を呈する前に、学校教育の抜本的な改革が必要かもしれない。
☆ 偶然と必然 ハーバード 雄
ここ最近一緒に仕事をしていたフランス人ポスドクのジョンが,ついにこの日曜日にボストンを発ち,パリへと帰国する.
今日はそのお別れ会ということで,ランチを食べにGrafton Street Restaurantへと向かう.ジョンの人柄ゆえか,隣のラボなども含めて総勢20人ものメンバーが参加した.
レストランへ向かう道すがら,大学院の見学にやってきた学生の話をボスがする.
今朝来た学生は,なんでも北京大学で一番の成績という女子学生らしい.生物学の専攻だが,数学でも物理でも一番ということで金メダルをもらったのだとか.
「基本的に僕らがやっていることについての知識は無いんだけど,僕が話す前に、自分が言いたいみたいなんだよね.面白かったよ」とボス.
こういう人が研究者に向いているかというと,一概には言えない.勿論,飛びぬけて優秀な人なのだろうとは思うのだが,常に自分が一番でなくては気がすまないという人だと,他人から学ぶことに苦痛をおぼえたり,自分に科したハードルを越えられず自滅することも,少なくない.
「その人はウチのラボに来るんですか?」と僕.
「いや,分からないよ.そもそもハーバードに来るかどうかさえ分からないから.色々な大学院を見て歩いているんじゃない?」とボス.
昨年から比べると,ラボは随分と人が減った.クビになった人もいるが,去年の年末から今年にかけて,コーリー,ジェイ,そして今回のジョンと,僕と仲の良かったメンバーが次々と抜けていく.確か夏にイスラエルから1人ポスドクが入ると聞いているが,それにしても随分とラボが小さくなった.
「近い内に,誰かポスドクで来るんですか?」と僕.
「いや,僕はもう少し小さいラボの方が好きだから,夏に1人加わる以外は無いよ」とボス.ボスの知名度からすれば,今でも充分小さいと思っていただけに,ちょっと意外だった.
ランチを食べながら皆あれこれと話しているが,バックミュージックや他の客の話し声などがうるさくて,なかなか会話が聞き取れない.
最近ボビーとケンが成し遂げた快挙,ハーバード大学が今ヘッドハンティングしようとしている著名な研究者などの話をボスがして,それに皆が色々と口を挟む.
更に,現在建設中で,夏には我々が引っ越すであろう建物の話でも盛り上がる.その規模は膨大であり,聞いているだけでも夢が膨らんでくる.
コーリーの時同様,今回もボスが全員分をおごってくれた.いくらボスが高給取りだからとはいえ,そう毎回みんなの分を払っていたのでは大変だろう.ボスというのも大変だなあと思う.
ランチの間,皆が楽しそうに話しているのをぼうっと眺めながら,ふと僕は、「何故自分はこのラボに入れたのだろう」と思った.
大きな仕事を成し遂げてフランスに帰るジョン,大きな仕事を成し遂げつつあるボビー.ラボの他のメンバーも,殆どが「コイツはすごいなあ」と思えるような人ばかりだ.それに,このラボにちょうど合ったバックグラウンドを持っている人が多い.
僕は全くの畑違いといっても良い分野で研究していたし,僕のバックグラウンドをボスが必要として僕を受け入れたとは思えない.前のボスと今のボスが知り合いだったわけでもない.
自分の興味の赴くままに論文を片っ端から調べ,その中で「いいな」と思ったラボを5つほど選び,いきなりEメールを送りつけた.その中に,今のラボがあった.
今にして思えば,これだけラボを縮小しようとしている時に,しかも畑違いの僕を良く受け入れてくれたものだと思う.勿論,留学助成金をもらってきた事は大きかっただろうが,ボスがラボを縮小しているのは,予算のためというよりはメンバー1人1人に目が届くようにするためという意図の方が強いと感じられるので,単にお金だけの問題ではないだろう.
唯一いえることは,きっと僕は相当ラッキーだったのだろうということ.それも,「道を歩いていたら百円玉が落ちていた」とかいうようなレベルではなく,おそらく信じられないほどラッキーだったのだろう.
「来てもいいよ」と言われた時には良く分かっていなかったのだが,今になって,そのことが良く分かる.この運を活かすも無駄にするも,全ては僕次第ということなのだろう.
人生にとって,どこまでが偶然で,どこまでが必然なのだろう.僕は普段から,こんなことを良く考える.
生まれ育った環境,卒業した学校,就いた職業,伴侶...それらは偶然といえば偶然といえるかもしれない.しかし,考えようによっては,それらは必然であったとも思えるかもしれない.無限の可能性を秘めているように思えることでも,考えてみると実はそうではなくて,人は自分のごく身近な世界で判断し,選択するものだ.自分の意思で決めたつもりでも,実はその背景に,ある種の必然性を秘めていることも多々あることだろう.
逆に,ちょっとしたボタンの掛け違いから,予想だにしなかった方向に進むことさえある.不思議なものだなあと,ことある毎に思う.
僕が神経回路網の形成のメカニズムを研究しているのも,こうした疑問に端を発している.神経回路は遺伝子によって,ある程度必然的に決まっている.
しかし全てが必然的に決まっているわけではない.少なくない部分が偶然によって左右されている.しかし,偶然だけで決まっていたのでは,まともに機能する神経回路を作ることはできない.どこまでが必然で,どこまでが偶然か.偶然と思える部分の中に,必然は潜んでいないだろうか.そんなことを考えている.
ランチから帰り,自分の部屋で実験していると,ドアをノックする人がいた.ジョンだった.
「僕は明日もラボに顔を出すつもりだけど,もしYouが週末ラボに来ない場合は,今日がボストンでは最後だからと思ってね」とジョン.
「フランスに帰っても,頻繁に連絡を取ろうね」と僕.
「勿論だよ.Youとは研究でもこれから一緒にやっていく訳だから,そのうちにフランスにも来てよ」とジョン.
仕事でパリに行けるのなら,それも楽しそう.固い握手をして別れる.
夜は,ムービングセールでヒーターを売ってくださる方の御宅へ伺う.バックベイにある御宅で,ヨーロッパ風の煉瓦造りの建物が立ち並ぶ中の一つ.こんなところに住んだら,また一味違ったボストンを満喫できるのだろうなと思う.
帰りはプルデンシャルセンターに立ち寄り,イートインコーナーでインドカレーを食べてから帰宅.
* わたしが、こういう若々しい世代の述懐を、こうしてわざわざ手を掛け、何故何度も何度でも転載させてもらっているか。何故でしょうね。
2008 2・16 77
☆ タンパク質ダイエット・その1 光
「BMIが25超えてますね。もっと下げないと・・・」
健康診断の問診風景である。
確かに、太りましたよ、認めます。
しかし、点数でばっさり宣言されると、不合格の烙印を押されたようで、ショックである。
BMI(体型指数)など余計なもの、いや便利なものを導入しおって・・・。
悔しいので、ダイエットを始めることにした。
「ダイエット」で検索すると、あるわ、あるわ。
運動しましょう、から始まり食事系ダイエットに、痩せるツボ(押す方です)まで、いろいろな方法が紹介されている。
中では、低インシュリンダイエットやらアミノ酸ダイエットなどは、「科学」っぽくて良さそうだ。
いろいろ調べて、(独自解釈により)納得できそうなのが「タンパク質ダイエット」である。
・過剰の炭水化物が血中にあると、脂肪になる(夜寝る前に食べると太るのはこのせい)
・必須アミノ酸はつくれないので、外部から取り込む必要がある(タンパク質は食べないとダメ)
・アミノ酸から、糖質と脂質はつくることができる(炭水化物はとらなくてもなんとかなる)
結論:タンパク質だけ食べれば、太らない
要するに、日々の食事で、おかずだけ食べ、ご飯は食べなければいい、ということである。
説明によれば、はじめはご飯をやめ、その分おかずは好きなだけ食べてもいいらしい。
やせてきたら、ごはんをこれまで食べていた半分くらいに戻す、という手順で、10 kg減量は夢でないという。
たいがいのダイエットは、我慢するのでリバウンドしてしまうらしいが、この方法だと大好きなおかずをどんどん食べていいので、その心配がないそうだ。
無精な私にも、何とかなりそうだ。
目標、-10 kg。
翌日から、脱炭水化物生活がはじまった。 (その2へつづく)
* わたしの素朴な体験でも、炭水化物を目の敵のように摂らないでいたときは、けっこう効果的に体重が落ちた。但し、タンパク質だけでいいのかどうか、不安があった。(その2へつづく)に期待。
* 今日のマイミク日記、何人もあったが、目下「光」君のこれだけ。
白状すると、ここへ持ち込ませてもらうのは内容に生活のセンスが反映しているだけでなく、やはり文章。少々推敲を加えて、なお、ガサツに乱雑なのは遠慮する。
2008 2・18 77
☆ President’s day ボストン 雄
今日はPresident’s dayでアメリカは三連休.President’s dayには色々な表記があり,Presidents dayと記載されることもあれば,Presidents’ dayと記載されることもある.
元々は,初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンの誕生日である2月22日を祝うものだったらしいのだが,エイブラハム・リンカーンの誕生日が2月12日であることから,一緒に祝ってしまえということで,2月の第3月曜日ということになったという.さらにニクソン大統領の時に,ワシントンやリンカーンだけでなく,歴代大統領そのものを祝うという趣旨に変えたのだとか.自分自身を含めた歴代大統領を祝うと言い出したニクソンには鼻白む思い。
ニクソンはともかくとしても,アメリカにとって大統領の存在は非常に大きい.アメリカでテレビニュースを見ていると,大統領がどこに行ったとか,何を言ったかといったことをしつこいほど何度でも報道する.
まして,今年は大統領選挙の年.新しい大統領にかかる期待は尋常でない.
何故日本に大統領制が導入されないのだろう.議員内閣制を敷いているからという説や,大統領は元首であり,皇室がある以上,大統領制を敷くことはできないという説があるようだが,詳しいことは僕には分からない.何より国会議員がそれを望まないからなのではないかと勘繰ったりもする.しかし不甲斐ない首相達を見ていると,日本でも大統領制を敷いて,総理大臣を国民が直接選挙で選べるようにすれば良いのに,と思うこともある.
しかし石原・東京都知事や橋本・大阪府知事などを見ていると,直接選挙をしたところで仕方がないのかなとも思う.東国原・宮崎県知事は県民の評判が良いようだが,あんなふうに県の物産をPRするためにテレビに出まくることが,果たして知事の仕事なんだろうかと思ったりもする.他にも知事の仕事というのは沢山あると思うのだが,テレビや人前に出ることばかりに熱心なような印象を受ける.知事になる前のタレントの頃よりも,今の方がはるかにテレビでの露出が増えたのは皮肉な話だ.
実際のところ,国民が総理大臣(または大統領)を直接選ぶとしたら,とんでもないことになりそうな気がする.この手のアンケートは良くメディアでも見かけるが,少し前はビートたけしが筆頭に挙げられていた.最近ではテレビ番組の影響か,爆笑問題の大田光なんていう答も見かける.今度,フジテレビで木村拓哉が総理大臣になるというドラマをやるらしいが,本当に国民が直接選挙をしたら,相当の人数がキムタクに投票しそうな気もする.ここアメリカでもレーガン大統領は元・俳優だったし,現・カリフォルニア州知事はシュワルツェネッガーだから,日本だけで起こることではないのだと思うが,国民直接投票も、考えモノかな.
2008 2・19 77
☆ 海外での出逢い ボストン 雄
先日,留学助成金を頂いている団体の主催するパーティーに参加した話を日記に書いた.そのパーティーの席で,たまたまお知り合いになったご夫妻と,今日,ランチをご一緒してきた.ご主人は,僕のラボのすぐ斜め前の建物のラボで働いておられる.先週メールを下さり,お誘い頂いた. (略)
先日のパーティーでお会いした際のお話では,ご主人の専門は僕のそれとは少しかけ離れているのかと思っていた.しかし話していくうちに非常に近いことに気づいた.例によって,共通の知人が沢山いる.毎度のことながら,世界は本当に狭い.
2年間の留学を終え,来月帰国されるという.今度就くポジションも非常に魅力的なポジションであるし,テーマも非常に面白いのだが,個人情報ゆえ,ここには書けない. (略)
店を出てから,奥様とお子さんと別れ,ご主人と一緒に職場に戻る.職場に戻る道すがら,仕事の話題などで盛り上がる.そのうちに僕が日本に帰る日が来たら,是非とも共同研究でもできればと思う.このようにして,人と人とのつながりが広がっていくのは,留学ならではだろう.日本では,なかなかこうは行かない.
ラボに戻ってからはマウスに注射を打ちに行ったり,細胞のメンテナンスなど.日曜にラボを去るといいつつも,荷造りが終わらずにいたジョンだが,今日こそは夜10時の飛行機でパリへと発つという.これがボストンでは最後になるであろう,堅い握手をし,別れる. 日本に居たときにはあまり意識しなかったが,留学という非日常的な立場に身を置くと,人と人との関わりがいかに大切かをしみじみと感じる.今日ランチをご一緒したご夫妻にしても,今日でラボを去るジョンにしても,人間的にも学問的にも本当に優れた方達だ.こうした方達と知り合いになったことは,今後の自分にとって大きな糧になると思う.
もし留学しなければ一生お会いしていなかったかもしれない.もし仮に,日本にいてお会いしたとしても,これだけお互い腹を割って話をすることは無かったかもしれない.異国に身を置くことで,一種の連帯感が生まれるのだろう.
* さもあろう。
☆ もしや? 悠
先週からずーっと風邪で大変だった息子。なんとか落ちつきました。昨日は午前中ちょっと高い熱を記録したものの、久々呼び出しなしで夕方まで過ごしていました。
これまでの息子の発熱はお昼ね後。家に帰るとすーっと下がるのを繰り返していました。
もしや、早く迎えに来てほしかったのか?
近頃は家に帰って寝るまでかなり甘えん坊です。
我慢してるのかなぁ。
ごめんね!
今から職場保育園の一時利用登録の為の親子面談です。 で、ただいまお迎えに向かっています。
* 文章の「呼吸」のこの自然さ・柔らかさが筆者の確かな「生活」を成している。
* どうしているかなと想っていた卒業生の男子君が元気なメールをくれた。
そうそう、思い切り弱っていた女子さんも、久しぶりに昨夜メールをよこした。
☆ 「山」にはもう長らく書いていませんが、お元気でしょうか。
「叡」はパソコンのメールからますます遠のき、PHSをキーボード付きの入力しやすいものにかえてから、専らこのアドレスを使っています。よろしく。
昨秋より自律神経失調の症状がひどく出て寝込んでばかりいて、年末にはノロウイルス、一月いっぱいは胃痛と吐き気に悩まされました。二月に入ってようやく外出できるようになりましたが、床にいた時間が長いため10数キロも太ってしまい身体が重いです。
昨秋に会社時代の同期の友人が突然亡くなってしまいました。
彼の妻もまた同期で友人なのですが、彼女は当然の帰結か体調が悪くなり今入院しています。お見舞いにも行き、メールのやりとりも続けていますが、夫を亡くして自分の存在意義がわからないという彼女にどう返して良いものやら。
やっと動けるようになってきたと思ったら、またも詰め込みすぎの「叡」です。具合悪くなりそう。
* 孤独(孤立)は、病気だとバグワンは謂う。「独りになる」のは自由(自立)だと謂う。孤独で求める愛も、せがむ愛であり病気だと謂う。独り立っての愛は分かつ愛だと謂う。
2008 2・20 77
* 「mixi」でよく分かる、人の書かれた文章に素直に感歎することは、めったにない。ならば、自分の書いている文章が人サマの趣味に適うことも滅多にないのだと、覚悟していなければいけない。三十数年も売れない物書きを辛抱よく務めていると、それぐらいのことは分かっている、だからほとんど人の喝采とは無関係にものを書いている。
鏡花ではないが、五百人も熱心な読者がほんとうにあれば、たいしたことだとわたしは自負することにしている。お笑いぐさであるが。
2008 2・21 77
* 昨日、「mixi」に、かつて書いた『感染爆発』という憂慮のエッセイを、あえて「フリーセックス」の題で出しておいたら、案の定の予想通りに、風俗まがいの坊やや嬢ちゃん等のキャッキャとした「足あと」がわんさかくっついてきている。いまの「mixi」には、タチのよくない、いわば感染源なみの坊やや嬢ちゃんも雲集して厖大な会員数になっている。会員数の多さを佳い意味での社会運動に組み立てうれば力になるのだが、まだ、そういう動きが効果を挙げているとは聞いていない。
* ペンクラブに「電子メディア委員会」を提案し創設したとき、わたしの現在ないし近未来に具体的に懼れてそれらへの対応を考えたかったのは、技術的な学習やちいさな事件への対処ではない。グローバルに危険な「サイバーテロ」および「サイバーポリス」への恐怖と、その否応もない現実化であった。より具体的には「私民」の個人情報の国家的・世界的権力による、無差別な収集と迫害的な悪用であった。
そういうと、みながまさかと自分に関係はない顔をしたが、とんでもない。
その一端を今朝もテレビは、「データマイン」という観点から、いかに今日の米国社会が個人情報を國に、大統領の手に吸い上げられているかの実情を報告していた。ウソではない「一秒」に数十百億のデータを無差別に収集しながら、篩に掛けるようにして特定の事実へ近づこうとしている。国家機関が民間の情報収集企業と秘密に提携して、信じられないほどのことを現に日々に実行している。
よく映画などで、個人の情報を追究してパンツの色まで、財布の中の小銭の数まで分かると云っているのを見聞きするが、架空のことでなく、もはや出来る機関には何でもないことだ。
問題は、日本でもそれは必ずすでに行われていると云うことだ。
サイバーテロは頻繁に実行され得ないが、サイバーポリスは一秒の隙間もなしに稼働していると考えていた方がよい。電子メディアの上で自分のしている一切合切は、秘密を奪われていることを承知していた方がいい。のがれることは出来ない時代になっている。
諦めたがいいというのでは、ない。現実を最大限に聡明に察知し認識して怖れと怒りをもって、圧倒的な「私」民の多数が意識と連携とで悪しき國の犯罪に対抗しなければならないのだ。
2008 2・22 77
☆ おみごと 悠
日々活動範囲を広げる息子.
今日は廊下への扉についているペット用の出入り口から脱出しました!
扉の反対から声をかけてみたところ,最近甘えん坊の息子は必死になり、見事にするっと出てきました.おみごと!
あまりにもよく動くため,疲れてしまうのか,最近は朝の登園途中に寝てしまうことが癖になってしまったようです.
そこそこ混雑しているバスの中で、いつも決まったバス停付近からうとうと.降りて電車に乗り換えても起きる気配なし.そのまま保育園に到着.私が荷物を片付けて,連絡事項を記入している間にパチッと目をさまして,友達の輪に入れてくれるようにせがんできます.
寝ながら登園って..
でも,私も昔からどこでも寝られるので仕方ないんでしょうね.
いまも横ですやすや寝ています.
明日は予防接種だよ!! 内緒だけどね.
* お見事な「mixi」日記。クリアに把握され表現されてムダがない。志賀直哉の作品の魅力は、長編の『暗夜行路』だろうが短編の『母の死と新しい母』であろうが日記であろうが、こういうふうにクリアに書かれていて、神品なのである。その魅力がだんだんものを書く人たちにも理解されなくなり、じだらくなトンだりハネたり、しかも事理不明瞭な独り満足や独り合点が晒されてくる。
2008 2・23 77
* と、いっこうにオモシロイ話題が、古希すぎた爺からは絞っても出てこない。で、助けて貰うのである。
☆ 姉妹は似る? 馨
お葬式があった関係で、このところほぼ毎日、姉の家族と顔を合わせる日々。
普段はあまり気がつかない細かな共通点に、気がつく機会にもなりました。
実家で苺を一山出してくれた時に、母が私の苺の上にコンデンスミルクをかけようとするので、慌てて、
「あ、私、苺には何もかけないの」と押しとどめていると、横で姉が、
「アンタも…?」
姉も苺には何もかけない派のよう。父も母もコンデンスミルクに抵抗のない人たちだったので、
「どうしてだろうねー」と。理由まで二人とも同じで、
「苺の甘みが消えちゃうんだもん。」
翌日、大学生の姪が娘と自分たちの飼い猫について話し合っていて 、
「でもね、うちの猫が鳥をくわえてきても、うちでは、誰も片付けたくないからお父さんを待ってるの。お父さんが帰って来ると、お母さんが、『ユーちゃん…鳥かたづけてほしいんだけど…』」
上手に声色を真似ているのを聞いて、思わずむせ込む、私。わが娘が、しれっとして、
「あ、うちもそうなんだよ。お父さんをずっと待ってて、『あのぉ、お願いがあるんだけど…』ってお母さん言ってる」
自分のやりたくないことをこうして極力避けようとするセコい性格、どうして似てるんでしょうねぇ・・・。
ちなみに、母はこういうのは躊躇なくてきぱきと片付ける人です。
似ているのは私と姉だけかと思いきや、先ほど、昼寝していた私の頭の上で娘が、
「お母さん、お母さん、大変だよぉ~」。
また息子が何かやらかしたか、と薄目を開けると
「おひなさまの髪の毛、ぐしゃぐしゃにしたーー!!」
・・・娘よ、それはアナタという先達がいるのだよ。
娘が二歳だったか三歳だったか、お人形遊びが大好きになり始めた頃、おひなさまの髪の毛を梳かしてしまって、ぐしゃぐしゃにした過去があります。
人形の修理をしている知人に直し方を尋ねて、教えられた通りに濃いめに溶いた膠を用意し、一本ずつ髪の毛を埋め直し、
「なんで私、家でまで修復作業してるのかしらん」と、煩悶したのも遠い記憶。・・・となっていたのに、またやるんですか!! 息子のイタズラがひどいので、今年は用心して高いところに出しておいたのに、どうやら椅子を持ってきてよじ上ったよう。はぁ・・・。おひなさまにどうしても手を出したい気持ちというのは、この姉弟の共通点なのかしらん。
でも、その直後に見つけたトイレの便器の中にトイレットペーッパー半本分をつっこむ、という所業は、娘にはなかった新規事業だぞ。
私たち姉妹も、苺だの鳥片付け以外にも、きっと母や父を嘆息させる類似点が数々あったのだろうな、と思う最近です。
* よそさまの家を覗き込むって、やっぱりオモシロイんだなあ。
も一つ。これは高尚な方。
☆ アルフレッド・ブレンデル ボストン 雄
天気予報どおり、今朝からボストンは雪に見舞われた。予報によれば8インチも積もるという。昨年末の大雪と同程度の雪が降ることになる。
午前中は大した雪ではなかったのだが、午後になってから次第に勢いが増してきた。勢いは増してくるが、雪そのものはあくまでも軽やか。
ボストンに来るまで、雪にこんなにも多くの種類があるということを僕は体験したことがなかった。
ぼたん雪、もち雪、しめり雪、べた雪、水雪、風花、どか雪、細雪、沫雪(あわゆき)、小米雪(こごめゆき)、吹雪、はだれ雪、雪しぐれ、雪あられ、みぞれ・・・。
雪を表現する語彙は一体どれだけあるのだろう。しかし、雪にこれだけの種類があれば、それらを表現するための語彙が数多くあるのも、当然なのかもしれない。
こんな日はさっさと仕事を終えて帰宅するのが一番。しかし今日は、仕事を終えてから外出してきた。向かった先はシンフォニーホール。アルフレッド・ブレンデルのピアノリサイタル。
日本に居た頃も、ブレンデルのCDは何度か聴いている。中でも、リストの「巡礼の年 第一集」は文字通り何度も。しかし、例えばその中の「オーベルマンの谷」は、ホロヴィッツが1965年にカーネギーホールで行なった神がかり的な演奏と比べると、退屈で分別臭い気がした。決して嫌いなピアニストではないが、それほど好きという訳でもなかった。
しかし、そんな印象は、去年、モーツァルトのピアノコンチェルトを聴いたとき、吹き飛んでしまった。なんて綺麗な音なんだろう。春の陽だまりのような、幸福感溢れる、まばゆいばかりの音に、すっかり僕は魅せられてしまった。あの美しい音色はCDには収まりきらないものなのだ。
残念なことに、高齢のため、ブレンデルは今年でピアニストを引退するという。実は今週は日曜にも別の演奏会を聴きにシンフォニーホールに行くつもりでチケットを買ってあったので、ブレンデルのリサイタルのチケットを買うかどうか、悩んでいた。しかし、これが最期と思うと逃すわけにいかない。先週、急遽、ブレンデルのチケットも購入した。
大雪の中、若干不安ではあったが、幸いハーバードスクエアからシンフォニーホールまで一本で結ぶバスがちょうど来たので、それに飛び乗った。
ホールのチケット預かり場でチケットを受け取り、少し買い物をしてから、近くのタイレストランに入る。この店は入りやすい雰囲気で値段も安いが、味は悪くなく、シンフォニーホールに来る時には良く利用している。今日はPad Thai(タイ風焼きそば)とTaro roll、トムヤムクンを注文。
ホールに引き返すと、普段から親しくさせていただいているポスドクのMさん夫妻と、ホールの前でばったり出くわした。「もしかして?」と思い、聞いてみると、やはりこの演奏会を聞きに来られたとのこと、なんと座席も隣同士だ。Mさんは1ヶ月も前にチケットを買ったというから、あまりの偶然に三人ともびっくりした。
今日の演目は次の通り。
ハイドン「変奏曲 ヘ短調」
モーツァルト「ピアノソナタ へ長調」K.533/K.494
ベートーベン「ピアノソナタ 変ホ長調」Op.27 no.1 “quasi una fantasia”
シューベルト「ピアノソナタ 変ロ長調」D.960
実はどれも良く知らない曲だったこともあり、演奏の良し悪しを評価するのは難しい。ベートーベンのソナタも、1番違いの”Op.27-2″は、いわゆる「月光」なので馴染み深いが、こちらは聴いたことがなかった。
個人的にはモーツァルトのソナタが一番気に入った。やはりブレンデルのピアノには、モーツァルトが一番合っているように感じた。今日の演奏会は、ピアノ独奏のせいもあってか、前回ほど「まばゆい」という印象は受けなかった。しかし、独特の艶のある、高音の美しさは特筆するに価する。
それにしても、こんなに素晴らしいピアノがもう聴けなくなるなんて、なんと勿体無いことだろう。まだまだできるのに、どうして今辞めてしまうのですか? と聞きたくなる。
もっともブレンデルは1931年生まれだそうだから、今年で75歳となる。いくら演奏は完璧でも、そのために海外を飛び回るのは、さすがに体力的に辛いのかもしれない。実際、ピアノの前では溌剌としていたが、ステージ袖から出てくる際の歩き方を見ていると、もうそろそろ辞めたいと思うのも無理ないかもしれない。晩年のホロヴィッツが来日した際の演奏はミスタッチだらけでボロボロだったが、今日のブレンデルの演奏は、全く衰えを感じさせない、素晴らしい演奏だった。
アンコールを3曲も演奏してくれた。残念ながら2曲目と3曲目が分からないのだが、1曲目はバッハの「イタリア協奏曲」の第2楽章。慣れ親しんだ曲ということもあってか、これが一番身に沁み入った。
ホールの出口でMさんご夫妻と別れる。なんと日曜の演奏会も来られるそうだから、またお会いするに違いない。
雪は益々勢いを増して降ってきた。Symphony駅から地下鉄で帰宅。この雪だというのに、地下鉄は多くの人でごった返していた。
* よそながら、心豊かにして貰う。感謝。
それはそれとして、わたしは今年末には七十三になる。ブレンデルより四つ若いだけだ。ピアノ演奏のような力仕事ではないけれど、わたしもじりじり衰えて行くのだ。気力をだいじにと思う。願う。
☆ きぶんよく 悠
今日は午後から職場へ。
風邪の治りきらないダンナと、午前中に三種混合の予防接種を大泣きで終えた息子は、遊びにきた義母にお願いして。
土曜は、忙しい上司とたっぷりディスカッションの出来る数少ないチャンス。投稿準備中の論文のめどがたち、いくつかの事務的な雑用を済ませることができました。
滞在時間は三時間あまりでしたが、懸案事項が一気に片付けられた充実感で、気分が軽いです! ただいまいい気分で帰宅中です。
残している仕事を冷静に考えると、これは勘違いだとすぐ気が付くと思いますが。
* このお母さんは飛び級で大学院に進み、東大の院で博士になったのではなかったかと思う。いま大学の先生の階級はややこしくて分からないが、少なくも東大の院生の卒論指導もしているらしい。
* このところ卒業生の諸君とのメールや「mixi」での接触が続いていて、なんとなくわたしも元気になっている。
☆ 孤独の人 淳
まろまろと昇る月見てもどり来ぬ狂ふことなく生くるも悲劇 大西民子
狂うことができれば楽になれるのに、と思ったこともある。そのころは夜中の散歩が日課だった。
真冬。
作者の孤独はわかるような気がする。
やはり人がたくさんいるところは苦手だ。
やはり、学問を愛する人が好きみたいだ。
* 大西民子の歌としては上乗の作とは思わないが。つらい境地を潜ってきた真摯な歌人だった。
* 一つ「淳」さんに聞いてみようかナ。
「作者の孤独はわかるような気がする。」と「作者の孤独はわかる気がする。」とは違う。違うけれども、それでも、ぜひ「ような」であるべきでしょうか。「わかる気がする」と言い切っては間違いでしょうか。
「やはり人がたくさんいるところは苦手だ。」と「やはり人のたくさんいるところは苦手だ。」とは違う。違うけれども、それでも、ぜひ「人が」であるべきでしょうか。「人の」ではいけないでしょうか。
「やはり、学問を愛する人が好きみたいだ。」と「やはり、学問を愛する人が好きなようだ。」とは違う。むかし「新潮」のベテラン編集者に原稿を見せていました頃、「~みたい」と書くと、黙って、きっと、鉛筆でスイと下線を引かれていました。なぜでしょうね。
2008 2・23 77
* きのう一人マイミクにと希望された。「徳」ということを重んじていると自己紹介されていたので、申し訳ないが敬遠した。わたしは不徳な人間なのだし、それで仕方がないと思っている。
2008 2・25 77
☆ おすわり 悠
息子,一人でお座りできる時間が長くなりました.
“自然にお座りするようになるから,無理にさせなくてもいいよ”
と保育園でアドバイスされ,家でお座りの体勢をとらせることはほとんどしてきませんでした.まだ少し上半身がふらふらしていますが,時々得意そうに両手を挙げてこちらにアピールしてきます.
保育園に預けてから,日中に向き合う時間がなくなった分,息子の成長がよりはっきりとわかる気がします.私のほうも集中して見ているのかもしれません.
息子のほうも私といる時間がぐっと減ってしまったのを理解したのか,家ではべったり.ちょっと私の姿が見えないと,ダンナに抱っこされてもダメで,私のいるところまで連れてこられてピタッと泣き止みます.なんだかうれしいけど,やっぱり我慢しているのかと思うとちょっとつらいです.働く目的を日々考えてしまいます.
* こういう赤ちゃんを目に浮かべていると、気持ちがラクになる。家の中に黒いマゴがいるだけでも助けられている、ましてこんな赤ちゃんがいたら、そのためにも励むなあ…などとバカなことを思う。
それにしても科学の先端にいる「悠」さんも「馨」さんも、夫君を「ダンナ」と書いている。これって、ハヤリなのかな。
* ボストンからは、すばらしい音楽の感動が伝わってくる。
わたしの身の回りにも音楽好きの人は何人もいるし、多年楽器に触れてきた人もいる、が、音楽の喜びや感動をこのように「体験」として表現できる人は数少ない。「雄」君はいわば電子顕微鏡の世界を日常生きている人だが、こういう体験に日々を養われている。けっこうなご身分なのではない、これは優れた「生」そのものの表情なのである。気が入っているから行文もピンとしている。わたしなんぞのちまちまとした歌舞伎の感想とはモノがちがっている。
☆ Thomas Quasthoff ボストン 雄
昼からシンフォニーホールに行ってきた。今日の演目はトーマス・クヴァストホフによるシューベルトの「冬の旅」。ピアノ伴奏は、なんと、ボストンシンフォニーの首席指揮者であるジェームズ・レヴァイン。
クヴァストホフは、この世代では世界最高のバリトンとの誉れの高い歌手。レヴァインがピアノを弾くというのは意外かもしれないが、実は彼のピアノ演奏は大変素晴らしい。以前、アルゲリッチの誕生日を祝うコンサートの映像をYoutubeで見たことがあったが、素晴らしい腕前だった。そして、数ある歌曲の中でも、僕が最も好きなのが、シューベルトの「冬の旅」。これでは聴きに行かないわけにはいかない。
ケチって一番安い席を取ったのが災いして、今日の席は2階の桟敷席で、最もステージから遠い右側の2列目の席。身体をひねってもステージが良く見えない。一昨日お会いしたMさん御夫妻は、同じ2階桟敷席でもステージに最も近い場所で、しかも一列目。もう少し奮発すれば良かった。
やがて場内が暗くなり、ステージにライトが点ってクヴァストホフとレヴァインが登場したのだが、僕は少し驚いてしまった。実は後になって知ったのだが、クヴァストホフは母の体内に居た時のサリドマイドの後遺症で、身長も低く、手足も小さいのだった。今まで音と顔写真でしか接したことが無かったため、全く知らなかった。
しかし、一旦歌いはじめれば、そんなハンディキャップは全く感じさせないほどの豊かな声量。かといって、その豊かな声に頼り切るのではなく、適度に抑制された、知的なシューベルトを聴かせてくれた。
最初の曲”Gute Nacht(おやすみ)”のピアノ伴奏が始まった時、「おや?」と思った。僕はディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウがジェラルド・ムーアと録音した「冬の旅」を愛聴しているのだが、これよりも一音低く演奏されている。実際の楽譜を見たことがないので、どちらが正しいのかは分からない。
今日の演奏を聴いた印象では、クヴァストホフの声は、特に低音部が鋼のようにしなやかで美しい。逆に、フィッシャー=ディスカウの声は、高音部が特に伸びやかで美しい。そうした、それぞれの歌手の特性を生かして、どちらかが少し変調したのだろう。曲によって、フィッシャー=ディスカウと同じ調のものもあれば、半音から1音下げてあるものもあった。しかし、聴き進むうちに、調のことなど全く気にならなくなり、シューベルトの「冬の旅」の世界に浸ることができた。
レヴァインの伴奏も素晴らしい。柔らかく、時に激しく、しかし決してクヴァントホフの歌を邪魔することなく、ひたすら裏方に徹する。こんな風に引ける伴奏者は、一流ピアニストの中でも極めて稀だろう。
「冬の旅」はヴィルヘルム・ミュラーの詩に曲をつけたものだが、いずれも暗く、苦しい内容のものばかり(実際の歌詞は、
http://www.damo-net.com/uebersetzung/schubert/d911/all.htm)。
聴きながら僕は、去年の初夏に訪れたミュンヘンの風景を思い出していた。ミュンヘン市内は都会であり、「冬の旅」の世界とはかけ離れている。しかし、空港から市街地までの間には、原野のような光景が見られる。僕が訪れたのは初夏だが、僕はドイツの原野に樹が一本ぽつんと生え、そこに激しく雪が降りしきる風景を思い浮かべた。いや、クヴァントホフの歌を聴いているうちに、そんな風景が見えてきた、といった方が適切かもしれない。
ふと我に返ると、最後から4曲目の”Das Wirtshaus(宿)”に差し掛かっていた。目の前の風景は、激しく雪の降るドイツの原野ではなく、昼下がりのボストンのホールに戻った。右に思い切り身体をひねってステージの方を向くことは、もはや諦めていたので、目の前に見えるのはステージを見つめる大勢の観客達。そんな光景を見ていて、ふと「幸せだな」と思った。日曜の昼下がり、ゆったりとした気分で極上の音楽に浸る。これが幸せでなかったら、何が幸せだというのだろう。
終曲の”Der Leiermann (ライアー回し)”が、ひっそりと終わった。ステージ上のクヴァントホフもレヴァインも、その余韻を名残惜しむかのように、なかなか観客の方を向こうとはしなかった。
やがて、性急な観客が、その静寂を待ちかねるかのように拍手しはじめると、ようやくステージ上の二人も我に返った様だった。場内は、瞬く間に、割れんばかりの拍手に包まれた。
やはりボストンの客は耳が肥えている。ここ最近僕が接した中では、最も熱狂的な拍手喝采となった。ほぼ全ての客がスタンディングオベーションで迎えたのは勿論のこと、感極まった客達が、通路に出てステージ前へと押しかけ、惜しみなく拍手を送った。普段の演奏会でも、演奏者や指揮者がステージ袖に一旦引き返してはステージへと戻るというのを3回は繰り返すものだが、今日はそれでは収まらず、4回繰り返されてようやく拍手が収まった。
すっかり満ち足りた気分になって、ホールを後にする。シンフォニーホール横のWhole foods marketで少し買い物をし、ハーバードスクエア行きのバスに乗った。途中、チャールズ川に差し掛かった。僕がボストンで最も好きな風景は、このチャールズ川からの眺め。夕日が川面を照らし、まぶしい。氷はもはや見られない。辺りは一昨日の雪がまだ残っているが、確実に春に向かいつつある。
* 一編のエッセイとして、うちこんで読める。
☆ いそげ! 悠
只今保育園にお迎えに向かってます。
実は少々遅刻です。
職場を離れる直前、修論(=修士論文)修正版の作成に追われている学生に捕まりました。
彼は明日から運転免許の取得のため合宿に行ってしまい、提出期限も不在に。
ほぼ完成していますが、きちんと計算していなかった格子定数が、やり直してもうまく合わず、白旗を上げてきました。
えー、ひと月前に同じこと話をした気がする! と思いつつ、要点だけで失礼させてもらいました。
頼むから、ちゃんと仕上げてからでかけてね! いそげ!
で、わたしは、お迎えを待つお迎えを待つ甘えん坊のもとに急いでます!
* 簡要の妙。
☆ さすが♪ 花籠
包丁の切れ味が悪くなって久しい。
砥石を買おう、買おうと思いながら ついつい買い忘れてしまう。
お茶碗の糸尻や、大谷焼きの一輪挿しの底を利用して その場しのぎに研いでいた。
家から歩いて十分のところに100円ショップが出来たのは去年の9月。何度か買い物に足を運んでいるが、砥石に思いが及ばなくて買い忘れる。
今日は「砥石を買う」気で出かけた。昔ながらの砥石だけど、荒砥と中砥が裏表に合わさっているのを買った。手ごろな大きさで砥ぎよい大きさだ。
早速包丁を砥いで、野菜サラダ用にキャベツを千切りにした。
シャキシャキと切れ味は抜群!
本当にもっと早く買えばよかったのにって なのに、つい買い忘れてしまうのは
「多少切れ味が悪くても使える」
「当面は困らない」
「代用品でしのげる」
からだろうね。
* 「花籠」さん、久しぶり。
2008 2・25 77
* 「光」君は、ユーモラスに、途方もない視野をわたしの目の前に提供してくれる。以下の一文、唸って、頂戴した。
☆ ハイジのブランコ 光
(ネット上の)私に影響を与えている作品がある。
はじめに紹介しておかねばならないのは、柳田理科雄氏の「空想科学読本」である。ご存じの方も多いと思うが、アニメなどの空想世界を氏独特の科学的分析力でばっさばっさと解説していくもの。
その中の「アルプスの少女ハイジのブランコは時速68 km!」は名作の一つである。初めて読んだときは衝撃的であった。
もう一つ、紹介したいのは、やゆよ氏の傑作「痛みの基準は鼻毛」である。やゆよ氏は、新聞記事風、あるいは社説風な文体で「嘘」をネタに非常にウィットに富んだ爆笑ものの作品を次々に作り上げている方である。
そんな両者を(勝手に)組み合わせたらどうだろうか、と実験的に行ってみたのが以下である。やはり、両巨匠は偉大である、と感じずにはいられない。機会があれば、原文を読んでいただきたい。
「ハイジのブランコは時速68km」
- オープニングの歌に合わせてアルプスの少女ハイジが乗っているブランコが、実は時速68kmのスピードであったことが、このほど日本遊園地乗物安全協会(遊安協)の調べで明らかとなった。
これは、東京都内にある某有名遊園地が新しいアトラクションとして「ハイジのブランコ」を導入しようと遊安協にその建設の打診をしたところ、「ハイジのブランコ」に詳しい横浜技術工科大学の拝路 義彦助教授(48)が待ったをかけたことがきっかけ。これまで、ハイジが異様に長いブランコをこいでいたことは知られていたが、実際のスピードが明らかになったのは今回が初めて。
- 拝路助教授によれば、ビデオ画面で見る限り「ハイジのブランコ」は前方の空中で一瞬停止してから後方で止まるまで、6秒もかかっているという。これに、ロープの重さやハイジの体重が40kg前後(推定)であることを考慮すると、「ハイジのブランコ」の長さは27mと見積もられるという。
さらに、ブランコが最も高く上がった地点で垂直方向からの角度は70度もあった。これは明らかにこぎ過ぎと、拝路 助教授は指摘する。
- ブランコの落差18m。最高速度は、6階の窓から飛び降りたのと同じ、時速68kmに達する。ディズニーランドのジェットコースター・スペースマウンテンでさえ最高時速50kmだ。しかもシートベルトもなんにもなく、頼りになるのはシリの下の狭い横板と両腕だけ。
こんなブランコに何人の子供たちが耐えられますか、と拝路 助教授は憤慨する。
- しかも、ビデオをよく見ると、ブランコに乗っているハイジの足もとのはるか下界を教会の尖塔が行ったり来たりしている。どうやら100mぐらい上空で遊んでいるようなのだ。
歌の中でハイジは「口笛はなぜー遠くまで聞こえるの」などという素朴な疑問を漏らしているが、「それはアンタがそんなに高いところにいるからだ。」と拝路助教授は看破している。音は全方位ドーム状に広がっていく。ヒバリやトンビの声がよく聞こえるように、障害物のない上空では、地上より音が伝わりやすいという。
- 地上から100m上空を時速68kmで振子運動する「ハイジのブランコ」。子供たちに夢を与える一方で、その夢を一瞬にして奪ってしまう危険なアトラクション。今後、こうしたアトラクションに対する安全基準の見直しを迫る声が高まることは必至であろう。
* わたしにとって東工大の居心地よさは、こういう学生達の目新しさ・珍しさにあった。教授室へ押しかけてきて双方未熟な文学論なんか仕掛けられていたら、わたしは早々に逃げ出していたに違いない。学生達が今日はどんな話題で教授室をノックするだろうと、わたしは授業のあともよく、帰宅を急がずに待ちかまえていたもんなあ。
2008 2・26 77
☆ 久しぶりのスコア 巌 南山城
といってもゴルフが上手くいったとかではなく 大学を卒業して以来本当に久しぶりに譜面を買った (ゴルフは一度も マージャンもパチンコも今はしません)
去年友人に手持ちのヴァイオリンを使って貰っていて 年末にそれが戻ってきた
長らく弾く事なく痛んでもあり これを機会と オーバーホールに出し 使って貰っていた 良くした物で 上手な人がある程度の期間弾いてくれたので 楽器がとてもバランスよく鳴るようになって戻ってきた
せっかくだからこの良く鳴る間だけでもと まずは音階の練習からかなと弾いてみる
部屋に音が一杯になる 顎には振動が伝わってきて とても気持ちはいいけど普段使わない筋肉を使うのか 翌日からあちこち痛い
それに 以前は教本のスケールシステムで音階練習でも 長時間弾いていると 無心になるというか単調なりに 面白くなっていったような(ランナーズハイ?)記憶があるが 今はそんなに指も体もついていけないし そんなに時間をとって弾こうとも思っていないので これじゃ すぐ続かなくなるなぁと
ちょっとの時間弾いても楽しみになるものをと 名曲選のスコアを買った すごく久しぶり パラパラとめくっていると それもまた楽しい さて少しは続くのか?
* ひきずられてモーツアルトの297b と 364を贅沢に鳴らして(聴いてとはいえない。)いる。先のが、バイオリンとビオラのための、後のはオーボエとクラリネットとホルン、バスーンのための Sinfonia concertante。錚々たる演奏者であるらしいが、それは猫に小判。
2008 2・26 77
☆ ひといき 悠
今日も息子は元気にお友達の輪の中へ這っていきました。片手をひょいと上げた、彼なりのバイバイで見送ってくれました。これから職場に向かいます。
このところ、地下鉄に乗る前にコーヒーショップで一息いれることにしています。ここで一人ミーティング。ちょっとモードチェンジ。で、携帯から日記を書いてます。
さて、今日も頑張りますか。
* 身構えも、気取りもない。必要がないのだ。意識の流れと言葉の流露とが自然に同調している。なまじ文学・文藝など意識してしまうとヘンなカッコや臭みがついてしまう。
☆ 雀右衛門の居眠り 麗
舅は歌舞伎に詳しい。
金沢から大学進学のため上京して以来,歌舞伎座の一幕見に通ったと言う。それは,老いて足が弱り,歌舞伎座の階段が登れなくなるまで続いた。
そんな「一幕見」を初めて体験した。前売りでは無駄になる可能性があったからだ。
羽田から,キャリーケースをゴロゴロと引きずり,歌舞伎座へ向かった。一幕900円也を支払い,重い荷物を持ち上げて,赤い絨毯のはげかかった階段を登る。この急な階段を,舅は何十年も上り下りしてきたのだ。しっかり見てきて,伝えようと思った。
「そんなこと,僕は全部知ってますよ。」
と返されるのが,お約束だが。
二月大歌舞伎の「一力茶屋」から,「寿曽我対面」,「白鴎27回忌追善口上」まで観ることができた。傑作だったのは,最後に観た,「口上」。
幸四郎が,「身内だけでシンプルに」と言う。舞台には,雀右衛門,幸四郎,吉右衛門,染五郎,松緑の5人が並び,主に幸四郎が述べた。
稽古をつけられた子ども時代。絵を描くのが好きで,背景の襖絵の「松」は,白鴎の原画を元に,松竹の大道具の皆が描いてくれたこと。闘病時,妻が痛む足をさすってやりながら,
「バレンタインデーにチョコを差し入れたのは,巡業でどこに行っている時だったかしら。」
と語りかけると,
「松江だよ」
と,意識を取り戻して応えたこと,そのときの二人が,新婚時代のように微笑み交わしていたこと。などなど。
「この親子,兄弟は,同じ楽屋で一言も口をきかないほど仲が悪い。」
という噂は,はたして本当なのかしらん,と思われるような,ほのぼのした挿話が続いた。
幸四郎が語る間,他の4人は平伏しているのだが,ふと,向かって右端の,雀右衛門の肩が目に留まった。
ほんの少しずつだが,下がってゆく。
まさかと思ううちに,手の甲が,これも少しずつだが,前に出てくるのも,目に付いた。
まさかまさかと思って,隣の松緑を見ると,平伏しているはずの頭が,雀右衛門をうかがうように,ほんの少しだが,傾けられている。幸四郎をはさんであとの二人は,「お辞儀福助」人形のように,正面向きで平伏したきり,微動だにしない。
雀右衛門に気を取られたためか,このあとの幸四郎の話は,残念ながら記憶にない。
幸四郎が声を張り上げた。
「皆様がたには,隅から隅まで,ずずずいいいいと,」
拍子木! ここで全員が,「お辞儀福助」の姿勢から,ぱっと上半身を起こした。もちろん雀右衛門も。
「…おん願い,奉りいまあすううう…。」
全員,再び平伏。幕が引かれた。
重い荷物を提げ,階段を下りつつ思った。舅にこのことを話したら,何と答えるだろう。
「なあに,よくあることですよ。雀右衛門も,もう80過ぎなんだから。」
と,軽くいなされる,だろうか。
* ハハハ。能を観ても、歌舞伎を観ても、いねむりは、つきもの。観客だけが ねむい。まさか。舞台の真ん中で、ひとり、えんえんと、じいっとしたままの役にいる、たとえば「十種香」の武田勝頼なんか観ていると、気の毒になる。
「口上」のときなど、ひょっとするとチャンスじゃあるまいかと想像している。あの日はただの五人列座というイキな趣向でラクであったろうが、それでも雀右衛門丈、うとうとされたでもあろうなあ。
追善の記念に戴いた扇子はあの松の繪で、佳いものだった。高麗屋は、大勢さんに口上で居並ばせるのを、きっと遠慮されたに違いない。襲名ならいいが、追善はあれで気が利いていてよかった。
いつもいつもわたしの勝手な感想なんかと今回二月の遠し観劇感想は「mixi」へは遠慮したが、「麗」さんに思い出させてもらった、ありがたい。染五郎の「鏡獅子」も観て欲しかった。
2008 2・27 77
☆ 辛味と痛覚 ハーバード 雄
神経科学では、味覚は4種類または5種類とされている。それぞれ、酸味、塩味(えんみ)、苦味、甘味、そしてうま味。4種類か5種類かで意見が分かれるのは、最後の「うま味」を認める学者と、そうでない学者がいるため。えてしてアメリカの科学者は、「うま味」を味覚として認めない人が未だに多い。
実際、うま味成分の一つがグルタミン酸であることを発見したのは、池田菊苗という日本人であるし、英語論文でも「うま味」は”umami”と表記される。昨年あたり話題となった”mottainai”と同様、欧米には無かった概念といえるかもしれない。
さて、上に挙げた中には、「辛味」は入っていない。実は、辛味は味覚ではなくて、痛覚なのだ。辛味を感じるカプサイシン受容体はTRPV1(トリプ ヴィーワンと読む)という分子なのだが、この分子は痛みを感じる神経に存在している。したがって、「辛い」と感じるのと、「痛い」と感じるのは、実は感じる場所が違うだけであって、起きている現象そのものは一緒なのだ。
このTRPV1という分子は、僕の日記に何度も登場している「イオンチャネル」という分子の一種。イオンチャネルが開くと、イオンは、その濃度に応じて高いところから低いところへと流れるのだが、TRPV1の場合は、カルシウムイオンやナトリウムイオンなどが、細胞の外から中へと流れる。
イオンチャネルは、何かの刺激によって開いたり閉じたりするのだが、TRPV1の場合、それは「熱」である。大体、42度を越えた辺りから開くと考えられている。これは、熱さが痛みとして認識される温度と、ほぼ一致している。
つまり、本来TRPV1は熱さを感じて脳に伝えるための分子なのだが、辛味成分であるカプサイシンがあれば、体温程度の温度でも開くことができるので、辛さを伝えることが出来る。英語では「辛い」ということを”Hot”と表現するが、これは極めて理にかなっている訳である。
*
このTRPV1を発現している神経細胞は、舌にある神経細胞だけではない。たとえば、腸にある神経細胞にもTRPV1は発現している。したがって、辛いものを食べ過ぎれば、お腹も痛くなる。
ちなみに、同じ「辛い」という言葉で表現されるが、ワサビやカラシを感知するのはTRPV1ではない。ワサビやカラシの辛味成分はイソチオシアネートという物質なのだが、この物質の受容体はTRPA1という別の分子。ただし、TRPA1もカプサイシン受容体TRPV1と同じ「TRPファミリー」と呼ばれるイオンチャネルの一種であり、TRPV1と同じように、痛みを伝える神経細胞に存在している。
TRPA1はTRPV1と同じ神経細胞に存在しているのだが、異なる点は温度感受性にある。TRPA1も温度によって開閉が制御されているのだが、 TRPA1の場合は低温になると開くことが知られている。「熱い」のが痛いと感じられるのと同様に、「冷たい」ことも痛いと感じられるが、この場合には TRPA1が働いている。
つまり、TRPV1は高温、TRPA1は低温から、身を守るための手段と考えられる。
ちなみに、メントール受容体もTRPファミリーの一種で、TRPM8と呼ばれている。こちらは8-28℃の低温刺激に応じて開くのだが、TRPA1や TRPV1とは別の神経細胞に存在していることや、28℃では「痛い」とは感じられないので、上の二つとは少し意味合いが異なるようだ。
では、インド人や韓国人などは辛いものを食べても平気なのは何故なのか?あいにく僕はその答えを知らないのだが、大きく分けて二つの可能性があると思う。
1.遺伝子の違い
TRPV1やTRPA1の遺伝子が、インド人や韓国人などの辛味に強い人々と、日本人などとでは違いがある、という可能性。
同じ人間であっても、遺伝子の配列には、ごくわずかに違いが見られることが少なからずある。こういうのを「多型」と呼ぶのだが、もしかすると民族間において、これらの遺伝子にわずかな違いがあり、そのことで辛味に対する感受性が異なるのかもしれない。これについては、もう少し研究が進まないと、確かなことは言えないだろう。
2.脱感作
辛味に強い人とそうでない人との遺伝子の差は大きくなく、むしろ辛いものを摂り続けることで、辛味に対して鈍くなる、という可能性。
このように、同じ刺激に対する応答が鈍くなっていくことを、生理学では「脱感作」と呼んでいるのだが、実はTRPV1が脱感作を起こすことは、既に証明されている。驚くべきことに、辛味成分であるカプサイシンは、少量だと鎮痛剤として作用するのだ。これも、少量のカプサイシンにより、TRPV1が脱感作を起こしたため、痛みを伝える働きが鈍くなるためと考えられる。この説によれば、辛いものを食べる民族では、子供の頃から辛いものに接する機会が多いので、自然と辛いものを食べられるようになるのかもしれない。
したがって、昨日の日記に僕は「もうこのカレーは食べません」と書いたのですが、むしろ食べ続ければ、お腹は痛くならないのかもしれません(実行するつもりはないけど)。
* 辛いは、hot 。分かります。わたしはいま、辛いに鈍感というより、平気になってきている。ときに快味を覚える。度がすぎないようにと気をつけている。
☆ 湖さん 朝
早速のメールうれしく存じます。
間近にいると解らないことも、最近では冷静に見つめられるようになりました。
母が60歳で亡くなり、4年になりました。
居てくれたらどんなによかったろうと思うことも、居たら、どんなにけなされただろうと思え、また、要らぬ心配をさせずに済んだことも(あちらで嘆いていてもそれはわからないです…)、よかったとさえ思えるようになりました。
今日も湖畔は小雪舞う寒い一日でした。
最近、初めて当地で友人が出来、今日も夕飯を一緒にして、只今帰宅したところです。いいことのなかった当地ですが、これだけでも財産と思えます。
乗り越えられないことは人には起こらないと、クリスチャンの友人がいつも申します。その通りと思います。
年末に腰まで痛め、身体ももうあかん…と思いましたが、気持ちの整理とともに体調も戻りつつあります。
時折、メールを差し上げてもよろしいでしょうか。
ミクシィを通じては、イヤなことも多々ありましたが、湖さんのような先輩と知り合えたこと。プラスでした。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
* 「mixi」を引き上げて行く人がいる。よく分かる。今日もたくさんついていた「足あと」の中には、途方もない、猥褻な写真で誘っているモノもあったり。大群衆が犇めいているのだからムリもないが、一部上場会社のキリッとした自己管理を願う。
2008 2・27 77
☆ 15年越しの研究テーマ ハーバード 雄
今朝は隔週で開かれる、他研究室との合同ミーティング。今日の演者は、うちのラボのボビーと、かつて隣のラボに在籍していたアルバート。ボビーのトークは「さすが」というべき内容。質問も多く出て、トークの後の質疑応答も活発だった。僕も5月末に当番が回ってくるのだが、そのことを考えると今から頭が痛い。
ミーティングから戻り、実験していると、ボビーが僕の部屋に入ってきた。
「いいアイデアを思いついたんだよ」といって、僕の研究テーマに関係する新しいアイデアを話しに来た。実はこの話は先週もしてきたのだが、ちょっと僕のテーマには使えないアイデアかなと思い、保留していた。
「やっぱり、これは試さないのは惜しいアイデアだぞ、You」とボビー。今のところ、画期的な打開策が無いだけに、試しに来週やってみることにする。
逆に、今日のトークに関係することで、僕が思ったことを伝えてみた。するとボビーは興奮して、
「そうだよ。それは是非ともやるべきことだ」。
実は、これに関しては、既に共同研究を申し込んできた人がいるのを僕も知っているのだが、ボビーは乗り気でなかったし、ボスは
「それは良いアイデアだね」というものの、「すぐにやるべきだ」という訳でもなければ、積極的に共同研究者にコンタクトを取ろうとするでもないので、できれば僕にやらせたくないのかもしれないなと思っていた。
そのことをボビーに伝えると、
「ボスが『それは良いアイデアだ』と言った時、次にボスが期待しているのは、同じアイデアを繰り返して話すことでなくて、それに関する実際のデータを持ってくることだ。だから、ともかく実行すべきだよ。共同研究者は、ボスと共同研究したいんだ。だから、このラボのメンバーなら、誰でも大丈夫だ。俺は他にやることが沢山あるから、コーヒー1杯おごってくれたら、このプロジェクトをそっくりYouに譲るよ」とボビー。それはちょっと考え物だが、僕があれこれアイデアを説明するたびにエキサイトしたボビーは、早速、その共同研究者に向けてe-mailを書き上げ、あっという間に送ってしまった。ということは、もう後戻りは出来ないわけだ。
ちょっとこれは軽率と思われるかもしれない。
しかし、実はこのテーマは、今思いついたことではない。大学院の修士課程の時にボスに申し出て、あえなく却下されたものだった。つまり15年も前からの、因縁のテーマなのだ。
確かに当時の技術では、とても修士課程2年間で終わるようなテーマではなかっただろう。当時のボスが却下したのは当然といえる。しかし、ボビーが開発した新しい技術を用いれば、わずか一日でサンプルは出来てしまう。データ解析に取られる時間を考えても、1ヶ月もあれば充分だろう。本来、この研究をしに、このラボに入ったわけではないのだが、これも何かのめぐり合わせなのだろう。 ボビーとのディスカッションを終えてから、車で合唱の練習へ。今日はフォーレのレクイエムのSanctusを練習。初めから予想されたことだが、高音が多くて僕には上手く出ない。おまけに、ボビーと熱く語りすぎたのか、喉がヒリヒリとして、なおさらシンドイ。
唯一良かったことは、1年前まで団に所属していた高校生の男の子が再入団したこと。男声が増えるのは嬉しい。
帰りは、サウスエンドに住んでおられる方が家まで送って欲しいとのことだったので、ぐるっと回り道をしてお送りしてきた。
シンフォニーホールの前を車で通ったのも、これが初めてかもしれない。都心部を走るのは不慣れでドキドキするが、なんとなく新鮮で楽しい。
* 「希望をもちたし」とコメントした、すぐ、わたしは。
2008 2・28 77
* おめず臆せず「憲法はなし」の用意をしている。目薬ばかり減って行く。煙草という一服がわたしには、無い。本を読むのは、少なくも目の休息にならない。小さい文字よりいいだろうと、こんなとき、撮り溜めてある写真の編輯をしたりする。「mixi」に「フォトアルバム」のサービスがあるので、非公開のまま、気に入っている猫の写真や花の写真や家族の写真を編輯して一服にするのはどうかしらんと考えている。そんなとき同時に音楽を聴いてもいる。
昼間も晩も機械に向かい、済んだら、数えてみて今十二冊の本をきちんと読んでいる。オモシロイので頁のハカが行くと、つまり視力遣いの時間はますます長くなる。休憩のつもりでテレビを見ても、映画を観ても、同じこと。新聞は全然、手にも取らない。見出ししか見えないから。
* もっと外出しなくちゃ。人と会わなくちゃ。人と言葉をかわさなくちゃ。
2008 2・29 77
☆ チャイナ・フリー ボストン 雄
例の「ギョーザ事件」は予想通りの展開となった。
<続報><ギョーザ事件>中国で混入の可能性「極めて低い」、日本人記者がメタミドホス持ち出し図る ─―中国
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=419294&media_id=31
この国の政府や国民性からして、こうなることは、捜査が始まった時点で、充分予測できたこと。日本政府は、もっと迅速かつ露骨に対応すべきだったのではないかと思う。
それにしても、メタミドホスを購入して、中国政府につけ入る隙を与えた記者は、なんとも愚かなことをしたものだ。
かつて狂牛病騒動で、米国産牛肉を完全に締め出した時のような対応を、どうして今回、日本政府は取ろうとしないのか。狂牛病に罹った牛の肉など、米国産牛肉のほんのわずかでしかなかったはず。今回の冷凍食品では、次から次へと、さまざまな薬品が検出されている。そもそも、牛の変異プリオンが人に感染するかどうかは、まだ決定的な証拠さえないのだ。薬品の場合は、初めから有害であることがわかっているのだから、なおさら厳しく取り締まるべきだと思う。
ニュースを見ていると、日本に中国産食品が溢れているのは、自給率が低いからだということになっている。しかし僕は、そうは思わない。アメリカは食糧自給率100%以上を誇るが、それでも中国産食品で溢れかえっている。これはひとえに「安いから」なのだろう。
しかし、中国産食品や玩具が有害物質を含み、危険であることは、アメリカでも知られるようになっており、それらを明確に排除しようとする動きが広まりつつある。このような動きは「チャイナ・フリー」と呼ばれている。
実際、アメリカの大手スーパーチェーンであるTrader’s Joeでは、今月半ばから中国産食品を完全に締め出した
(http://www.todayonline.com/articles/237118.asp)。
最近では、ヒラリー・クリントンが、「中国から鉛入りの玩具、有毒のペットフード、汚染された魚が入り込んでいる」と発言し、「私は中国製品は食べないし、子どもを病気にするおもちゃはいらない」と、今後輸入品に対して規制することを示唆している。これは勿論、選挙対策だろうと思うが、ここまで明確に発言しているのは驚くに値する。
おそらく中国は、「どうせ日本は、中国産食品を輸入せざるを得ないのだ」とナメてかかっているのだろう。政府が弱腰である以上、唯一の対抗策は、とにかく自分自身が気をつけて、中国産食品を極力避ける以外、手段は無いだろうと思う。
外食で利用されていると防ぎようが無いのだが、いずれ日本のレストランでも、中国産食品を利用して原価を下げることよりも、むしろ中国産食品を使用しないことを明記して、安全をウリにした方が、結果的に利潤を生むことになれば、こうした粗悪品は、いずれ駆逐されると思うのだが。
* よく代弁してくれている。
2008 3・1 78
* うちでも造ってもらおうと思って。ことに「バタ丼」を。
☆ バタ丼とオイルサーディン丼 馨
学生時代に合宿所でうんざりするほど丼ものを食べたせいか、あまり丼ものが好きではないのですが、結婚した相手はなんと丼もの好きでした。
鰻丼やいくら丼と言った素材を堪能する丼ものは好きですけど、中華丼・麻婆丼・ホイコーロ丼等、炒め物を上に乗せるものはやっぱり合宿所の記憶とあいまって食傷気味。
いきおい、合宿の記憶がなく、かつ休日のお昼に作るのに適した、ラクで安くておいしい丼物を探す結婚10年間でした。
最近登場することの多いのは、バタ丼とオイルサーディン丼。
バタ丼は藝大の大浦食堂で昔から出しているもので、美術館に変わってからちょっと値上がりしましたが、豆腐ともやしをバター醤油で煮ただけのシンプルな丼。正式名称は「豆腐のバタ焼き丼」だったかな。
上にのせている「バタ煮」とご飯とを分けてオーダーして、オプションでバタ煮の上に卵も落としてらって半熟と一緒に食べるのもおいしい。
職場が近いし仕事でも出入りするので時々食べに行っていて、家で作ったら子どもまで含めて大好評でした。簡単な上にみんなが大好きなので、最近はしばしば登場しています。
オイルサーディン丼は、森瑶子さんの小説やエッセイにしばしば出てきたもので、これもオイルサーディンを油ごとあたためて醤油を落として煮詰めるだけの簡単ドンブリ。でも、主人は大好きです。ただ、娘があまりオイルサーディンを好きでないので、バタ丼ほどは登場しないかな。ちょっと大人の味、というか、飲んべさんの好きな味かもしれません。
今日のお昼は久々のオイルサーディン丼に茹でほうれん草添え。
結婚後、いろいろ丼物を試していて気がついたのですが、丼もの、上にのせる物も大事ですが、結局はお米のおいしさで決まりますね。
合宿所のお米、標準価格米だったからなぁ…。 今うちで作ったら、麻婆丼も好きになるかも。
2008 3・1 78
* 「mixi」を見ていても、ものの譬えにも「小説が書きたい書きたい」と言うている人は、掃いて捨てるほどいる。しかし、小説は書かずに現に漏らしている述懐や感想を見ていると分かるが、たんなるファッションのように「書きたい」を口にしているのだ。黙々と疼く動機に迫られ追われて書かずにおれないでいる人、現に書いている人が、極めて極めて少数いるはいても、他は、アクセサリーのように気持ちを飾っているに過ぎない。文章そのものが書けていない。
本気で「書く人」たちを迎え入れられる、「e-magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯」を、ながかった空白を埋めて、また稼働したい。今までのママの「機能」でいいか、点検してみる。
2008 3・1 78
* 「mixi」には、雑誌に初出、単行本には未収録のエッセイを、目に付くか手当たり次第に、持ち出している。マイミクさんたちが一斉に「足あと」を付けて下さる、またタイトルに興味を寄せたらしい未知の人の「足あと」も沢山。
こっちのホームページの私語は、「mixi」よりずっと数多い遙かに広範囲からのアクセスがある。有り難い。
2008 3・2 78
☆ 時の流れを「感じる」 東工大 光
職場の売店のお弁当コーナーは、昼食時には人だかりができる。
ちょっとでも時間が遅いと、あらかたのものは完売しており、「今日もカップかぁ」となる。
久々に、新発売の弁当を真っ先にゲットし意気揚々と自分のデスクに戻ってきたときである。
机の上のメモを見て、驚いた。
「ノートかってくる」
お弁当ではなくて、当初の目的はノートを買いに行ったんだっけ。
ショックである。すっかり忘れていた。なんとか健忘症とかいうやつか。
以前に何かで読んだことがある。
ロシアに記憶力がずば抜けて優れた人がいたそうである。
10年前の何月何日の夕食のメニューを覚えているくらい、らしい。
はじめはうらやましいなぁ、と思った。
ところがその人には悩みがあるという。
「すべての記憶が鮮明なのです。夢で見たことも現実のように鮮明なので、私は夢と現実が区別がつかないのです」
「あれ、やったのっていつだったっけ? ほら、えーと、だいぶ昔かなぁ」
そんな感じの私とはずいぶんと違うものである。
もしかしたら、(生物は)記憶の「薄れ加減」で時間経過を感じているのではないのだろうか、とふと思った。
忘れていくことも、生物が生きていく上で大事な「時間認知機能」の一つなのではなかろうか。
そう考えると、忘れることは、そんなに悪いことではないように感じてきた。
「時間」という見えないものを感じるためには、むしろ、必要なことなのだ、と。
10分前に、自分が書いたメモ内容を忘れることは、生物学的には意味はないとは思うけれど。
☆ 山中効果 ハーバード 雄
昨夜遅くから、天気予報どおりに降り始めた雪は、朝になると一層強さを増していた。
朝、日本のテレビを点けると、教育テレビの「サイエンスZERO」という番組で、京都大学再生医学研究所の山中伸弥教授が出演していた。思わず、見入る。
皮膚から取ってきた細胞に4種類の遺伝子を導入するだけで、多分化能を有するようになるというiPS細胞(induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)は、再生医学でも画期的な成果。
これまでの方法と異なり、受精卵を必要としないことから倫理面での問題も生じないし、自分の細胞からできている組織・臓器を移植するので免疫拒絶反応を気にする必要も無い。日頃、サイエンスにそれほど関心の無い人でも、この話は良く知っている人が多い。
山中教授の講演は、以前、何かのシンポジウムで聞いたことがあった。少なくとも、そのシンポジウムではiPS細胞につながる研究の話はしていなかったが、その時の印象では、やたらと元気の良い先生だなというものだった。今日の番組で知ったが、学生時代は柔道やラグビーに熱中していたという。いかにも体育会系といった雰囲気だったのは、そういう訳かと納得する。
もちろんiPS細胞の成果は画期的であり、今後、精力的に解析されるべきことだと思う。ただ、思わぬしわ寄せも出ている。
今回、文部科学省はiPS研究に膨大な予算を計上し、集中的に研究を進めていく予定だという。そのこと自体には賛成する。しかし、科学研究費そのものが大幅に増額されるわけではないので、実は、他の分野の研究者にとっては、予算が減ることになるのだ。昨年末、日本に一時帰国した際にも、この「山中効果」を嘆いている先生と少なからずお会いした。
iPS細胞の研究は、是非とも予算を奮発して、大いに加速して欲しいと思う。とくに、特許との兼ね合いから、日本が本腰を入れないと、あっという間に多くの特許をアメリカに取られてしまい、日本での医療費が跳ね上がる可能性も無いとはいえない。これを防ぐためにも、先行投資として、多額の研究費を充てて欲しいと思う。
ただ、だからといって他の研究にしわ寄せが行かないようには、してもらえないものだろうか。
山中教授の話に触発された訳ではないが、今週、あまり仕事が捗らなかったこともあって、今日は土曜日だが出勤。カフェテリアが閉まっているので、弁当箱に炒り卵と野菜炒めをご飯と共に詰めて持参。出勤する頃には、雪は雨へと変わり、うっすらと積もった雪の上に無数の穴ができた。
土曜日だというのに、ウチのボスと隣のラボのボスは出勤している。あるプロジェクトのグループでミーティングがあったようで、関係のあるポスドクが数人、ボス達と一緒にお茶部屋でディスカッションしている。
淡々と実験をこなす。
実は、今週半ば頃から、気になるデータが得られている。ここにそれを書くことはできないが、当初僕が期待していたのとは全く異なる形だが、僕が見たかった現象に関係しているのではと思われる結果が見えている。
今日も、その確認を行なったのだが、どうも見えている現象そのものは間違いないようだ。ただそれが、どのような意味を持つのかが、まだ頭の中で整理できていない。うまくすれば良い結果につながるかもしれない。
6時頃、仕事を切り上げて帰宅。既に雨も上がり、太陽さえ出ている。驚いたことに、6時近くでも、まだ空がうっすらと明るい。確実に日が延びているのだろう。
夕食の後、猛烈に眠くなり、先程までうたた寝していた。
* わたしが普通に作家生活をだけしていたら、わたしは「光」君とも「雄」君とも出逢えなかったし、こういうハナシを聴くことも出来なかった。吾が学生君達のハナシの有り難いことは、この口うるさい私にして、概して、一言も異議や疑義を挟む余地のないこと、信じがたいほどそれが有り難い。頭が安まるとでもいうか。
2008 3・2 78
☆ 良薬は口に苦し ハーバード 雄
(前略)そもそも、この手(味覚)の研究を進めるのは、そうたやすいことではない。手技的には難しくないのだが、人種間での遺伝子の差について議論することは、人種差別に繋がる恐れもあり、慎重を要する。
例えば、「アングロサクソンの<うま味>受容体には欠損がある」ということを調べるのは、大きな抵抗を生むであろう。「うま味」が未だに味覚の一つとして完全には認められないことや、「フランスやイタリア、スペイン料理などは旨味があるのに、イギリスやアメリカ料理にはそれが無い」ということからしても、科学的事実としては真実なのかもしれないが、仮に事実であったとしても、イギリスやアメリカの科学雑誌が好んで載せてくれる話題とは思えない。
しかし、種を超えての議論ならば、異議を唱えられることも少ないだろう。実際、そのような研究は、<苦味>において既になされている(Go,Y. et al. Genetics. 2005;170(1):313-26.)。
苦味受容体としてT2Rという分子が知られている。実は多くの生き物において、この遺伝子は一つではなく、複数あることが知られている。このような現象を「遺伝子重複」と生物学では呼んでいる。
ヒトの場合、T2R遺伝子は25個あることが知られている。さらに、遺伝子としては良く似ているのだが、機能に大切な部分に突然変異が起こり、実際には苦味を感知できなくなっているようなT2R遺伝子の「残骸」も11個ある。
これだけ見ると、多くのT2R遺伝子がヒト染色体上にあるように思われるかもしれないが、他の種と比較すると、この数は少ない。例えば、マウスには41 個のT2R遺伝子があり、そのうち機能しない残骸は6個に過ぎない。他の霊長類と比較しても、ヒトの持つ苦味遺伝子は圧倒的に少ない。
つまり、ヒトは進化の過程で苦味に対して急速に退化したと考えられている。
苦味を持つものには、毒をもつものが少なくない。例えば、植物のアルカロイド類もそうだし、動物の肝にも毒が蓄積されやすい。したがって、多くの動物では、苦いものを摂らないようにすることで、毒から逃れるようになっているのだろう。これに対し人間は、発達した脳で何が毒かを学習することができるため、このような遺伝子を必要としなくなったのだろう。
魚のハラワタやコーヒーの苦味が「大人の味」であるのも、そう考えると頷ける。
むしろ、苦味を持つ物質であっても、ときとしてそれが有用であることさえ、人間は知っている。その一つの例として、キニーネを挙げることができる。味覚研究において、苦味物質の標準物質として用いられるほど、キニーネは苦い。
人類が誕生して以来、もっとも多い死因は、実はペストでも戦争でもなく、マラリアであると言われている。熱帯地方では、今なお約100万人が毎年この病気で亡くなっている。
マラリアは、マラリア原虫という原虫が赤血球内に入り込むことにより引き起こされる。周期的に(大抵は真夜中から早朝にかけて)激しい高熱を出す。これは、マラリア原虫が、赤血球を食い破って血中に出るからであるが、この発熱が周期的になるのは、メラトニンが関係していると言われている。メラトニンは睡眠に関係するホルモンであり、時差ぼけ解消にサプリメントとしても最近では用いられる。マラリア原虫にはメラトニンの受容体があり、宿主であるヒトが作ったメラトニンを受け取ることでライフサイクルを進め、最終的な形となって溶血を引き起こす。このため、メラトニンが活発に作られる夜間に、発熱が多いと考えられている。
それはさておき、このマラリアの特効薬として昔から知られていたのが、キニーネ。これはキナという木の皮に含まれる成分なのだが、マラリアに対して効果があると言われている。このキナの木の皮を浸した水は「トニックウォーター」と呼ばれている。カクテルの「ジン・トニック」のトニックであり、あの苦味はキニーネによるものなのだ。イギリス人がインド経営に成功したのも、イギリス人が頻繁にジントニックを飲んでいたからだ、などという話さえある。
このようなマラリアの特効薬キニーネを合成しようという化学者が現れるのは当然だっただろう。その先駆けといえるのがイギリスのパーキン。1856年にキニーネの人工合成に着手したパーキンの試みは、結果的には失敗したのだが、その過程において偶然、美しい紫色の化合物ができた。これが世界初の合成染料「モーヴ」の誕生であり、化学工業の幕開けでもあった。
パーキンの後にもキニーネの合成に取り組んだ化学者は多く、多くは挫折したのだが、その過程で作り出された「ピリン系」と呼ばれる化合物は、解熱鎮痛剤として今でも多くの市販薬に配合されている。
最終的にキニーネの全合成に成功したのは、1944年、ハーバード大学のロバート・ウッドワードによってであった。有機化学に疎い僕ですら「ウッドワード則」などでウッドワードの名前は知っているほどなので、おそらく有機化学者で知らない人はいないであろう。
ただし、この全合成はいわくつきでもあった。1944年にウッドワードが合成に成功したのは、全合成の一部であり、あとはそれ以前にパウル・ラーベによって報告されていた手法に従えば全合成できるというものだったのだが、このラーべの手法の妥当性について意見が分かれていた。その理由の一つには、ラーべの報告の記載がいい加減で、他人が追試できないところにあったと言われている。
しかし、昨年になってコロラド大学のロバート・ウィリアムズらが、ラーべの合成の追試に成功し、当時の機器や手法で充分に実現可能であることを示した。こうして約1世紀にも亘って、様々な科学者たちが、このキニーネという化合物に関わってきたのだった。この辺の話が、今週号のネイチャーに紹介されていて、この日記を書きたくなった。
ちなみに、現在では、人工的に合成されたキニーネを添加した水がトニックウォーターとしてアメリカでは売られているが、日本では劇薬指定されているため、未だにキナの皮の抽出物を添加した水がトニックウォーターとして売っている。いずれにせよ、キニーネを含む水は紫外線を当てると光る性質がある。もしジントニックを作るときにでも、トニックウォーターのボトルを手にする機会があれば、一度試してみてください。
* <興味>津々。これは、母校で教鞭をとっている研究者「光」君の畑でもあるかも。
2008 3・3 78
* 今季? かと思うが違うかも知れない、太宰治賞を受けたという人の「mixi」足あとがついていた。わたしと知ってのものか。
もっと大昔の福本武久さんも、ときどき覗いて呉れているようだ。
2008 3・4 78
* 今夕、上村淳之展のレセプションに呼ばれている。すぐ近くで創画会春季展もやっている。とくに心をそそるというのではないが、春風に誘われて、校正刷りをもち出かけてみようかと。
2008 3・4 78
☆ 校長に会いに 昴
海上に、小さな流氷がいくつかプカプカ浮かんでいた。
羅臼よりも野付湾の方に流氷が多かったのは、なぜなのでしょう?
自然はふしぎです。
さて、今日は兄夫婦の車を借りて、父母と一緒に、校長先生に病状の説明と今後のリハビリの予定について話してきました。
校長先生は、「そうかい…」と言いながら、今後必要になってくる事務的なことの説明と、「産休で休んでいるのと同じ感じでいいんだよ」というようなことを話されました。
改めて、教員って育児や病気に関してはしっかりとした制度が整っていて守られていると思いました。もちろん、ボーナスはカットになりますけどね(当たり前)。
今後どうなるか分からないけれど、とにかく、リハビリに専念して丈夫な体を手に入れたいと思います。
それが、これからの私の仕事になります。
最後になったけど、兄夫婦&お父さんお母さん、仕事で忙しい中(牛の子いつ生まれるか分からない時期なのでは?)有り難う。
* 「昴」さん。気をはずませ、心静かに、リハビリという学習の期間によく馴染まれるように、みんな、応援しています。元気で。次の「馨」さんの一文も、応援の声だと思って読んで下さい。
☆ どこまでもどこまでも歩いていけるよ 馨
娘が二歳前後だったか。夕方一緒に外に出た時、とことこと歩きながら「あーちゃん、どこまでもどこまでも歩いていけるよ」と言いどんどん坂を下りて行ったことがあります。
家からの道はちょうど西に向いていて、夕焼けに向かって一生懸命歩いていく娘の背中を、夕飯の仕度を気にしながらゆっくり追って行きました。
ちょうど今の息子くらいの時だった気がしますが、息子はまだ二語文どころか、単語も十あるかないか…。人の言っていることはよくわかっているようなのですが。
その息子に昨日、妊婦検診の帰りに新しい靴を買いました。外遊び大好きな息子が冬中で一足履きつぶしてボロボロになってしまったので。
帰宅して足を合わせてサイズを確認し、脱がせようとすると激しく抵抗。
そのまま玄関に下りて外に行く、と指差し。
「お外はクライクライだよー。」と言い聞かせても聞かずワンワン泣きわめくので、夜に靴を下ろすのは…と思いつつもやむなくドアを開けました。
とことこと歩き出し門も開けて、と指差し。
開けると、またとことこ歩き歩き、結局近所のおばあちゃんの家まで行きました。
おばあちゃんに新しい靴を大いに褒めてもらうとようやく満足し、またとことこと自宅まで帰ってきました。
途中で私が抱っこしようとすると嫌がるところを見ると気分は「どこまでもどこまでも歩いていけるよ」なんだろうな。
夕焼けの中、同じような背中を見ていた気がします。
家に入ってもまだ靴を脱ぎたがらない息子。新しい靴がとてもお得意でアンヨしたくて仕方ないよう。
そうだ、そうだ。
二人とも自分の足でどこまでもどこまでも人生歩いていっておくれ。
☆ 徹夜 maokat
徹夜が身体に悪いことはわかっている。
でも、六千万円の税金を使ったプロジェクトの成績書が、まだまだ校正を必要としている。
大学の院生の実験計画が修正を必要としている。
**大学の先生に持って行く資料がまだ真っ白だ。
年度末の報告、多数。
いつもちゃんとしているのに、またやってきた殺虫剤の管理状況報告書。
寝る暇は、やはりない。
そして、三時間後に会議の座長だ。
明日は温泉に行こう。
温泉に行ってお風呂に入ってテレビも見ないで、ニュース番組が始まる前の時間にふとんに入って寝てしまおう。
朝は早くに目が覚めて、散歩などしてから、光るお米の朝食を食べよう。
では、もうちっと、がんばります。
☆ 週末は乗鞍高原で演奏会とスキー 松
週末乗鞍高原に行ってきた。土曜日朝ゆっくりと出発し、芝原荘という奥まった民宿に着く。非常に静かでしんしんと降る雪の降る音が聞こえてきそうだ。こたつに入りながら楽譜を読んでいると、名古屋の音楽仲間が着いた。初めてお会いするヴァイオリン修理師のご一家ともご挨拶をする。
落ち着いたところで『マドンナ』というピアノのあるペンションに行く。少し合奏で遊ぼうというつもりだったのだが、その夜にスノーウォーキングの集まりがあり、そこで演奏したらと勧められる。さっそくヴァイオリニストとリハーサルを行う。細かいテンポ変化を支持されるが、自然に合わせて欲しいとのこと。ゴセックのガボットは初めて弾く曲なので、何度か弾いて指を慣らす。さらに遊びでモーツァルトを弾くが、みっちりとレッスンになってしまった。
夕方一旦民宿に戻って夕食に。ここの夕食はおいしい和食で、マツタケご飯、川魚の塩焼き、煮込み蕎麦、山芋の煮物など食べきれないほど料理が出てきた。非常に満足。
一息ついて観光センターへ行くと50人ぐらい人が集まっていた。翌日のスノーウォーキングの説明があり、その後に飲み会となったが、さすがに演奏前に飲むと大変なことになりそうなので、止めておく。
宴会の終わりでペンション、旅館の方々で『三四郎』というバンドの曲が演奏された。その後ヴァイオリニストがコブクロの『永遠にともに』を無伴奏で演奏。その後一緒にゴセック作『ガボット』、モンティ作『チャールダッシュ』を演奏した。観客席を回りながら華麗な音を披露するヴァイオリニストに拍手喝采。素晴らしい盛り上がりでアンコールをもらった。
今回の曲ではピアノの出番はあまり無かったけど、喜んでもらえて本当に楽しかった。演奏して拍手をもらえると次もやってみたいと気力が沸いてくる。伴奏者として起用してもらったヴァイオリニストに感謝。
終わった後は民宿で楽しくワインを飲んで、夜が更けるまで話し込んだ。
翌日はスキーを楽しんだ。乗鞍は標高が高くさらさら雪で非常に滑りやすい。長いコースはないけれど、急斜面のコースもあって飽きない。しかもすいていて好きなように滑走できるのもいい。
名古屋のヴァイオリニストに次はモーツァルトを是非共演しましょう、という話をして帰途についた。充実した週末だった。今週も頑張って仕事ができそうだ。
【モーツァルトのK.378(第34番)の演奏について】
遊ぶつもりで持っていったが、しっかりとレッスンとなってしまった。モーツァルトは調和と上品さを保ちながら、みずみずしい音楽に仕上げなければならないので演奏家にとっては非常に気を使う曲ばかりだ。以下のようなありがたい指摘をもらった。
・難しい分散和音でも正確なリズムを刻むこと。
裏拍も意識しなければ、正確にならない。
・緻密なモーツァルトの音楽を再現するように努めること。
・音色、アーティキュレーションにムラ無く演奏する。
・すべての部分で音楽的であるように意識すること。
・毎日少しづつでも良いから、正確に弾くこと。
普段慣れた友達と弾いているとなんとなくでも合奏になってしまい、それ以上を求めなくなる。人を感動させるにはまだまだ課題が多いとおもった。
K.378は華麗でありながらもピアノ、ヴァイオリンが頻繁に対話を行い、演奏する方も大変楽しい曲である。とても活気があり、内容も充実している。1楽章の展開部がほのめかすような短調に変わり、だんだんと緊張が高まっていくと、演奏しながらもいろいろな思いが込み上げてくる。モーツァルトは悲しい時でも大声で号泣することなく、そっと涙を見せる程度であった。その上品さが素晴らしい音楽になっている。
さらに素晴らしいのはK.379(第35番)である。一楽章の途中で突然短調に変わり、そのまま第一楽章が終わる。ドラマチックでオペラの1場面を見ているようだ。この曲もいずれは演奏したい。
2008 3・4 78
☆ 将来の甥っ子? ハーバード 雄
(変な夢見の=)嫌な気分のまま、部屋に篭って実験していると、外から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「おや?」と思っていると、僕の部屋のドアがノックされた。ドアを開けてみると、隣の部屋を使っているポスドクのボビーと、その奥さんのエリザベス、そして二人の子供で、昨年産まれたばかりのオスカーが乳母車に乗せられていた。
先週の中頃だが、ボビーが、
「そうだ、今度、エリザベスの妹がセントルイスから来るんだけど、You、結婚したらどうだ?」と言ってきた。ボビーは人をからかうことに関しては天才で、ありとあらゆる方法で僕をからかってくるので、
「またかよ」と思った。
「お前の奥さんの妹と結婚したら、おれは日本のしきたりでは、お前のことを『兄さん』と呼ばなきゃならなくなるから嫌だ」と言うと、ボビーは、
「そうなのか? 日本のしきたりだと、俺が兄さんということになるのか。それは面白いな。うん、これはいいアイデアだな」と、一人で盛り上がっていた。
今日は、どうやらエリザベスとオスカーが、散歩がてらラボに来たようで、ボビーの実験の終わるのを待って3人で帰るらしい。普通の会社では考えられないかもしれないが、大学などではポスドクが奥さんや赤ん坊をラボに連れてくることが、しばしばある。
「そうだ。エリザベスの妹を、Youに会わせようと思ってるんだよ。どうかな?」と、ボビーがエリザベスに言う。
エリザベスを困らせても悪いので、
「僕は、妹さんには年寄りすぎるから」と言うと、
「あら、私も最初はボビーのことをそう思ったけど、今は関係ないわよ」と、エリザベス。
そんな会話をしている間、オスカーが乳母車からずっと、僕をジロジロと見ている。なんだか、
「お前、なんだよ」と言いたげな顔つき。前に会った時は、顔も良く分からないような赤ん坊だったが、久しぶりに見たら、はっきりとした顔つきになっていた。整った顔立ちは、エリザベスから受け継いだものだろうか。前に会った頃には、赤ん坊に出来やすいという大きな瘤が目の上にあったのだが、それも随分と目立たなくなった。
そのうちに、エリザベスはトイレに行ってしまい、ボビーは自分の実験をしに行ってしまった。その間もオスカーはずっと、
「なんだよ」といった表情で僕を見ている。自分に子供がいないせいもあって、僕は赤ん坊の相手が苦手。どんな表情をして子供をあやしたら良いのか分からず、オロオロする。できることなら、自分の実験に戻りたいのだが、親二人が姿を消してしまったせいもあって、これで僕が消えて、そのせいで大泣きされたら嫌だなあと思い、実験に戻れない。ほとほと困る。
すると、オスカーが急に背中を反らせ始めた。一体どうしたんだろう、何か良からぬことの前兆では? と不安になる。
しかし、良く見ると笑っているように見える。口を尖らせて、キスをせがむような仕草をする。やがて戻ってきた両親にも、同じ仕草をしていた。どうやら僕を味方と見なしてくれたらしい。なかなか可愛げのある奴だ。
「オスカー。このYouは、お前の叔父さんになるかもしれないんだぞ」とボビー。
ボビー一家のおかげで、なんとなく、少し、気が晴れた。
* 成るべくして成ってくれますようにと、わたしも嗾したい。
* 「mixi」が会員の日記等を編輯して書籍化したりしたらどうか。
これは明らかに権利の侵害になる。
しかし、そういうことを言い出すのではないか、という危惧は早くからわたしは感じていた。だから、第一年度に連載した自分の作品群のほとんど全部を、一斉に削除撤収しておいた。その後は、「編輯」などされないようにと、見た目もバラバラな読み切りのエッセイを日記代わりにすることに切り替えた。何も書かないと、マイミクさんに何と無く無愛想で申し訳ないと感じるからだ。
「雄」君には、そろそろ言ってあげねばと思っていた、書き始めからの分は、自分のパソコンに一括保管して、「mixi」からは削除しておいた方がいいよと。しかしまた、「mixi」で本当に善意と力ある編集者が見付けてくれたなら、それはそれでチャンスになる。そのためにも、「mixi」が危険なら、私の「e-literary magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯」を早く再稼働して、そこで掲載かたがた預かって上げたなら安全なのだがと。
いずれにしても、連載しているモノが勝手に書籍化されては大変だが、そんなこと、出来ることではないというのが原則である。
2008 3・4 78
* 「mixi」が規約を動かし、会員の「日記等」の利用に「mixi」の支配権を固めようとする構えに反発が出ている。「mixi」の一部上場後の商法の下品化傾向を日々に見ているモノとしては、いよいよかとその欲深さに呆れる前に可笑しくなる。
昨日も書いたが、このソシアルネットを運営していたら、必ず其処へ欲が働くのは日が東から出るのと同じほど見え見えであったから、適当な機会に過去掲載の日記を撤収・削除しなくてはいけないと予定していた。そして予定の通りに削除した。
「日記等」とある。たいていの日記は、観ていてもとても商品価値などないが、なかにはいい編輯をすればと思うのも混じっている。そのほかに、わたしのように「小説・評論・歌集・エッセイ・講演・対談」などを書き下ろしまで含めて連載していた作品群は、「等」に含まれてすぐ対象商品化ができる。ねらいはあくまで書籍化の可能なモノであるから、むしろ片々とした「日記」は対象にしづらい。的は、「本能寺」のほうに、つまり「等」の方に見定められている。
極端にいえば、「mixi」日記等は、見本市的にすばやくみせて、さっさと引き上げておくのがいい。自作や自文の保管は、自分の機械にきちんとしておくのが筋である。またその方が、後々のためには便利である。
2008 3・5 78
☆ 花粉症になる理由、ついに明らかに? 光 東工大
くしゅくしゅ。あれ、風邪かな。
毎年、3月になると目がかゆくなったりするけど、まさか、花粉症では、ないよね。
と、自分に言い聞かせて数年経つ。
病は気から。認めたら負け。無意味な戦いが今年もはじまる。
花粉症は、アレルギーの一つだが、そもそも昔(例えば縄文時代)の人達は花粉症になったりしなかったのか。もちろん、ハウスダストのアレルギーをもつ縄文人はいなかっただろうが。
アレルギーは、外部からの侵入物に対して免疫(兵隊)が「過剰」応答してしまうことが原因である。もちろん雑菌やウイルスから身を守るためには、免疫システム(軍隊)はなくてはならない大切なシステムだ。
ではなぜ、雑菌やウイルス以外の「望まないもの」に応答してしまうのか。
その理由は、周りが「きれい」になりすぎたため、ではないかと思う。
かつて人間(例えば縄文時代)は、常に一定量の雑菌やウイルスなどの外部からの侵入者(危険)にさらされていたのではないだろうか。それらに対処するために、一定量の免疫システム(軍隊)が用意されていた。
ところが、この数十年あまりの間に生活環境は劇的に「清潔(安全)」になり、免疫システム(軍隊)はその能力を持て余し気味になった。そこで、免疫システム(軍隊)は雑菌以外の侵入者(花粉やハウスダスト)に対して自分の活躍する場を見つけてがんばっている、そんなシナリオが浮かんでくる。
本当にそうなら、花粉症にかからないようにするには簡単だ。(子供の時分に)どろんこになって、遊べばいい、ということだ。免疫システムに(本来の)仕事を与えてあげればいいということである。
人間は、これまで経験したことのない「きれいな」環境に戸惑っているのだろう。
くしゅくしゅ。
花粉症になった後でも、どろんこになったら、治るのだろうか。
時には、子供と一緒にどろんこになって遊ぶのも、大切なことなのかもしれない。
* 昨日しばらくぶりに外出して、保谷へ着いた頃から、おや、少し痒いかしらんと気づいた。寝入るまで痒みがあって、久しぶりに温湯で洗ったりしたが、今朝は、まず元へ戻って、どうもない。少し怖くて、つい自転車乗りを控えている。
人類に貢献する薬を創りたいと教室で書いてくれていた博士くんの言うことだ、えらく分かりやすいなあ。
☆ つかまりだち 悠
おすわりがずいぶん上手になってきた息子.ほぼ同時に,つかまり立ちも始まりました.
ソファーにつかまって得意そうに振り返り,あっという間にコテン! バランスを崩します.自分で転んだことがわかっているときには泣きません.めげずに再度チャレンジ.頑張ります.
お風呂の湯船の中でもつかまり立ち.ただいま約70cmの身長は胸のところまでしかお湯に浸かりません.”肩まで浸かって”と抱っこしてもダメ.体をよじって逃げ出し,湯船の壁面をつかんで再び立ってしまいます.仕方なく,背中からお湯をかけてやっています。
* 末尾の「立ってしまいます.仕方なく,背中からお湯をかけてやっています」と書く呼吸・気味が、この全文をピュッと立たせる。瞬間風速のよさである。
2008 3・5 78
☆ おたよりありがとうございます。さっそく試食してくださってくださってありがとうございます。効果があってお役に立てばどんなにいいかと思っています。
今日は、陽射しが明るく、春が近づいていることを感じさせてくれる陽気です。
庭の桃の枝に手製のえさ台を取り付け、砂糖水とミカンを置きました。
まずメジロ夫婦がやってきました。
初めは、ミカンにしか来なかったのに、ミカンがなくなったとき味見したらおいしかったのか、今は砂糖水ばかりに来ます。ちょこまかと枝を移りながら、首をかしげたり、あちこちと見回したり忙しそうにしながら水を飲みます。プリンのカップの水が1日で空になります。
ミカンの余ったのを、地面に棒で差しておいたら、まあいろんな鳥がやってきました。
なんと、あるときなんか、メジロとウグイスが差し向かいでミカンをつついています。
ウグイスは用心深くて、姿を見るのも難しかったのに、今年は、じっくり観察を楽しめています。お礼に、きれいな声で鳴いてくれます。「ホーホケキョ」もだいぶ上手になってきました。
例の、ヒヨドリも来ます。なぜか、彼はえらそうにしてほかの鳥たちを追い払ってしまいます。でも、ヒヨがいなくなるとすぐ戻ってきます。
「シロハラ」というツグミの仲間も来ました。これは、地面をひょいひょいと両足で跳んでやってきます。とても臆病で、こちらのちょっとの動きで逃げていってしまいます。逃げ足も、「ひょいひょい」なので笑ってしまいます。
野生の動物を飼い慣らしてはいけないと聞きましたが、かわいくて、楽しくて、やめられません。また、ミカンを買ってきます。
金比羅歌舞伎のチケット購入券が当たりました。3月9日の発売日に朝から(夜から?)並んで買ってくれる人がいるのでお願いしました。
今年は海老蔵が『暫』を見せてくれます。
歌舞伎好きの先生に、金丸座を見ていただきたいなあと思っています。 讃
☆ 随感随想 優 e-OLD 多摩
湖さんがHPで書いていたが、「mixi」にはほどほどの、あたりさわり無い日記、身辺雑記に留めた方が無難かも知れない。交際、アクセス少なく、書く暇なければ、自分のように自然そうなるかも知れぬが、しっかりやりたい事は別に考えている。
毎日、相も変わらず小忙しくはあっても、待ち望む春にもなったし、元気を戻し、まともな創作準備を進めているところだ。
Social Networking Service(SNS)の「ソシアル」(ソーシャル)とはいささか硬く、義務をともなう社会参加を意味すると思うが、ミクシィなどは「ソシアブル」つまり、互いに人を楽しませ気分をなごませる社会参加、交際に近く置くべきではないだろうか。
余計なお世話だから、人さまのことには触れない。
「ソシアル」には植物界では「群生する」動物界では「群居する」という限定義もあって。これなぞは、そのまま、ごちゃ混ぜの人間界、ひいてはこのソシアル・ネットワーキング・サービスにあてはまる。そしてこれら通称ソシアル・サービスが――隅々までは達しないが、やたら肥大すると、必ず鵜の目鷹の目のビジネス症候が顕れてくる。
それならSNB=ソシアル・ネットワーキング・ビジネスと言い換えてもいい。
商いあってのこと、ニュービジネスとして成立、成功させるのは大前提であろう、と、起業家、企業家、投資家、株主らがはなから期待して何ら不思議ではない。ほとんどのサービスがロハであるからして、不都合云々とも言わない。
「ソシアル」は「スノビズム」にもつながる。
また「内輪」の意味も強い。さらに「社会奉仕、社会福祉」、欧米のよき良心的伝統であるべき、主にキリス教広布の精神にもとづく――フィランスロピー、カリタスなど「無償のサービス」も含意される。
オバマは――私の外戚のご先祖、祖父母と縁が深い小浜市や、長崎の小浜町は盛り上がっていると伝わるが――、イメージ先行で未知部分が多い。ひらりクリントンは、ヒステリーが怖い。共和党に負けることもありえる。
ここ二三年、幕末、維新の国事記録、伝聞、風説(攘夷問題中心の内政外交)の古文書を多数拾い読みし、整理してきた。明治期~戦前の古資料も少なくない。
振り返り、改めていまの「中・露・朝」の存在に置き換え、日本の在り様を考える。
かの国々に共通するのは、軍事、行政集団が事実上絶対に近いことである。民主、民権主義はなお存在しない。
日本には無い資源をたくさん保有し強権外交を拡げる難儀で手ごわい相手である。経済発展クライマックスの中国もオイル成金ロシアも鼻息荒く覇権を推し進める。北朝鮮は疲弊していてもしたたかである。韓国にはない(日本にもない)核を装備し、レアメタルを埋蔵している。林業資源も豊富。日本はかつて北朝鮮の林鉱業に目をつけ開発を進め技術を残した。いま北はその遺産で食い始めている(中国もつい最近まで大日本帝国時代の投資遺産で食ってきたことは歴史的事実である)。
この期に及び、覇権、出征、拓殖、占領統治の歴史の復習は有意義ではなかろうか。
* 「mixi」に、さりげないおしゃべりや消息風の記事から、最後に「出会い系」サイトへのアクセスをすすめる「足あと」が無数に増えている。なかには同文で別人からも来る。奇怪な社会であるが、選別の目をもつこと。好奇心に任せてだらしなくアクセスしない方がいい。アクセスさせた数だけあぶく銭を支払っているスポンサーがいる。中身は要するに街なかの電話ボックスに無数に貼り巡らしてあった、あの手のエッチなお誘いでしかない。それにしても、手際の工夫はなかなかもって変化してゆくもので、面白い。
* 時として、眼が痒い。
2008 3・5 78
☆ 友人 瑛 e-OLD川崎
九州から高校同期の男が来たので東京駅の八重洲であう。
小学校四年のころいらいである。
あって何を話すか、先生の『悪口である』。 いや、・・・自分は何でこの道を選んだかである。
『師』というのは海の「みおつくし」、大阪のマークである。
人生に死ぬまで「悪口を言える」。いい仲間である。しかし
襟を正す そんな気持ちの朋と春。
☆ エレベーター・コミュニケーション 光
私の住んでいるワンルーム・マンションは、一人暮らしが多いようだ。
学生さん、都心につとめるサラリーマンやOL風の人。
かつて仕事をバリバリこなしていたというおばさん。
越してきて数年経っても、隣の部屋にどんな人が住んでいるのか今だにわからないコンクリートの箱ではあるが、エレベーターだけは唯一(十数秒の)コミュニケーションの場であった。
以前、同じ階に、80を超えているのではなかろうかと思われるのに歩く姿は元気そのもののおばあさんがいらっしゃった。
ご近所に息子夫婦が住んでいる、というような話をしていたこともあった。
息子が、心配だから一緒に暮らそう、というので引っ越すことになりました。
そうですか、御達者で。そんな会話をしたこともあった。
それから数年が経ち、再びその同じ階だったおばあさんの後ろ姿をマンションで見かけるようになった。
「嫁さんとうまくいかなかったのかねぇ。」かつて仕事をバリバリこなしていたというおばさんは、タバコを吸いながらそんなことを言っていた。
そんなある日、元気なおばあさんと同じエレベーターになった。
「お久しぶりですね。いつ戻られたのですか。」
私は、日々のお天気あいさつ程度のつもりであったが、返ってきた言葉は予想していなかったものだった。
「どちらさまでしたかね」
その日以来、ちょっと後ろめたい感じで、マンション近くの道ですれ違っても何も知らない他人のふりしてすれ違うようにした。
そうしてしばらく経ったが、この日、再びおばあさんと同じエレベーターに、なった。
エレベーターといっても3人乗ったら一杯になるくらいの小さなものである。
私は、何となくエレベーターの階を表示するインジケーターを見つめてやり過ごそうかなぁ、としたときである。
「今日は、風が強いわね。」
私は、はっとして横を見た。そこにはにこにこした小さなおばあさんが、いらっしゃった。
何と言うことか。
私はコミュニケーションとして一番大事なものをすっかり忘れていたではないか。
「そうですね。もう春の風ですね。」
「はい、ありがとう。お先に。」
私は、自分の小ささを感じた。まだまだだな、と思った。
春が、もうすぐそこまで来ている、そんな日のことであった。
* マイミクさんにも、それぞれの朝が来ている。
2008 3・6 78
☆ バタ丼 ボストン 雄
たまにこの日記を読んでくださっている「馨」さんのページに載っていた「バタ丼」を作ってみた。
豆腐を1センチ角に切ったものともやしをバター醤油で煮て、白いご飯の上に載せたもの。
シンプルな料理だが、なかなか美味しい。濃い目に味付けたつもりだったが、もやしや豆腐から出る水分で、少し薄味すぎた。次は上手く作りたい。
それにしても、醤油、塩、味噌と、どうしてこんなにバターと良く合うんでしょうね。
* わが家でも即、試みた。やはり水分に味を薄められたが、基本のバター味を生かして幾らも別メニュが可能だろうと、次回も心用意している次第。
2008 3・9 78
☆ 雨の日は 悠
今朝は、雨。
息子を前にだっこひもで抱え、背中にノートPC(パソコン)の入った仕事かばん。肩に息子の保育園バッグ。週はじめはシーツ類があるので若干多め。で、手に傘。うーん、我ながら凄い姿。
四月になれば近い保育園に転園し、ダンナが送ってくれることになっているので、この姿もあとわずか。
そう思うとこの状況がなんだか楽しく思えます。
今週も「熱」で呼び出しがきませんように!
* わが家は、あなたの日記の、愛読者クラブです。老夫婦で感心したり面白がったり。怪我のないように、みんな、お大切に。 湖
2008 3・10 78
* いま「mixi」が会員の「日記等」の自由使用を言いだし大きな反発を買って慌てている。「mixi」の当局が、むちゃくちゃに「もの知らず」であった。
わたしは、数千枚もの作品を「日記」欄に連載しながら、「mixi」がいずれは言い出すであろうことを予期していた。版権や著作権を「mixi」に勝手にされては困るので、ほどよく撤収・削除する気でいたし既に実効済みだが、また一方、「mixi」の皮算用などほとんど実現の可能性は無いに等しいのも事実であった。
たとえばわたしが日本ペンクラブのために企劃・創設して開館を実現した「ペン電子文藝館」には、わたしが館長時代のうちにも六百人、七百作ちかい日本近代現代文学が顔を並べて、国内外に無料発信されていたが、もしそれらを紙の本にして出版するには、単純計算しても物凄い資本がいる。販売して資金回収しなければ破産する。しかしながら、そうそう紙の本は売れるわけが無く、売れなければ保管の倉庫も要る。また著作者への権利料も必要になる。ほぼ百パーセント絵に描いた餅なのである。
「mixi」会員の「日記」が紙の本として売り物になる可能性は、パーセンテージにしてほとんどゼロ。千万会員中の十五点あれば上等だが、紙の本にしての資金回収のメドは、さらに少ない。
「日記」ではない、「日記等」の「等」のなかに何かを掘りだそうという気は、誰にも一度は起きるに違いなかった。編集者なら考える。問題は探索の労が現実に儲けとして酬われる可能性だが、やはりゼロに近い。ケイタイ小説とは似て非なる「場」のように想われる、「mixi」の「日記」欄は。
あまり神経質に身構えすぎて、日記が薄味のメモ同然にになれば、書き手も読み手も少しずつ落胆を深めるだろう。
2008 3・11 78
☆ 川のはじまり、源源流 光
川のはじまりは、どうなっているのだろう。
コンクリートの建物とアスファルトで囲まれた環境で育ってきた、子供の頃からの疑問である。
山のちょっと開けた草むらの中に、澄んだ水を湛えた泉があって、そこから滾滾と冷たい水がわき出てくる、そんなイメージをずっと持っていた。むかし、テレビで放映されていた「まんが日本昔話」の影響であろうか。
ダイエットの必要性に迫られていたとき、手軽な運動をしようと、ウォーキングをやり始めた頃の話である。せっかく歩くなら、何か目的地があった方が励みになるだろう。本屋で「厳選ハイキングコース100」みたいな本を立ち読みしていると、○○川の源流を見に行く、というコースが紹介されていた。
お、これなら歩けなくもない距離だし、おもしろそうだし、チャレンジしてみるか。
週末、朝から数時間かけて山あいの静かな土地にたどり着いた。車道も細くなり、スタートした家の近くでは大きな川だった流れが、跨いで渡れるほどになっていた。
「○○川源流→」の標識に従って、さらに遡っていくと、小さな公園のような広場が出現した。ここが「源流」らしい。確かに、公園の中にはいくつかの整備された小池があり、それらは水路でつながり、辿ってきた流れへと向かっていた。
これが、子供の頃から夢見てきた源流か。感動すべきところなのだろうか。
世の中は、広いものである。
ネット上には「源流マニア」なる人々によって写真付きで紹介しているページがあるではないか。
かの源流も紹介されていた。しかし、そこで驚くべき情報を入手した。なんと、源流のさらに奥に源源流なるものが存在するというのだ。マニア、恐るべし、である。
これは、行かねばなるまい。
再び週末、公園的源流を訪れた。いよいよ本当の源流、源源流へ。
車道から外れて、人の肩幅ほどのけもの道みたいなところを草むらをかき分け、さらに山の奥へ奥へと進んでいく。本当にこちらでいいのかどうか、どこが目的地か、さえわからなくなってきた。
30分ほどして、木々が途切れて、10m四方程度の日だまりにでた。明確なランドマークはもはやなかった。確かなことは、さっきまで水がちょろちょろしていた流れはすでになく、濡れた地面がただ広がっていることだけだった。
平日は、日々の仕事に追われる現実に戻ってくる。
休息中に、ふぅと思う。源源流には雨が降ったときだけ現れる源源源流が存在するのではないかなぁ。
エルドラド(黄金郷)、ザナドゥ(桃源郷)、シャンバラ(理想郷)。
自分だけの、小さなまだ見ぬ世界、あってもいいかなと思う。
☆ 母のマタニティジャケット 馨
急に暖かくなってきて、冬の厚地のコートがちょっと重すぎると感じる今日この頃。
とはいえ、お腹の出てきた身にはたっぷりしたロングコートはちょうどよかったので、この暖かさだと外出用に羽織るものがなくなってしまって、悩ましいわけで。
普段着ているスプリングコートやハーフコートはみんなボタンがしまらないので、思い出して母のマタニティジャケットを出してきました。
これは二人目の子を妊娠中、それももう臨月だよ、という頃に二番目の姉が「届けようと思ってたのよー」と持ってきてくれたもの。
もう少し早く欲しかったなー、と思いつつも二番目クンは春生まれだったので、臨月からでもほぼ毎日着て重宝しました。
姉もだいぶ使い込んだようです。
ただ、母と私では裄(ゆき)が5cm以上違うので、腕がにょっきり出てしまうのですが、時期が時期だし、着心地もいいので気にしないで着ています。
我が家は三姉妹にもかかわらず、服の貸し借りをめったにしないので、家族が着た物に袖を通すのは、小さな頃のお下がり以来かも。
今回、仕事にも着ていかれるように、ボタンを付け替えたり、ちょっと手を入れたのですが、よく見るとこのジャケット、すべて手縫いなんです。
母が洋裁上手だったので、お手製かな、と思ったのですがそれにしてはタグなども縫い付けてある。裏地もボロボロだし、今回が終わったら捨ててもいいかな、と母に聞いたついでに、
「これ作ったの?」と尋ねると、
「オーダーよ」。
そうか、50年近く前のオーダージャケットはすべて手縫いだったのか…。
道理で着心地がよいというか、仕立てがよいと思ったわけだ。裏地はぼろだけど表のツイードはいい織りだし。マタニティ服などが気軽には売られていなかった時代。でも手縫いのオーダーが生き残っていた時代。たった50年弱なのに、ずいぶん昔のような気がします。
服の貸し借りのない我が家の、数少ない「伝承」のようなもの。
二番目の姉から回ってきたけど、亡くなった上の姉は妊娠中、着たのかしらん。
ちなみに、
「今回が終わったら捨ててもいい?」と尋ねた時の母の答えは、
「四人目がないならね」でした。
ないって、絶対ないって。三人目だってないはずだったんだから…。
* ハハハ。思わず笑わせてもらって有り難い。
2008 3・11 78
☆ 源流 ボストン 雄
湖さんのホームページを読んでいたら、川の源流の話が出ていた。思わず、愛知県にいたときのことを思い出した。
僕のいた三河地方には、矢作(やはぎ)川、菅生(すごう)川(男川、乙川ともいう)、豊川が流れている。この三つの川から「三河」と名づけられた、という説がある。ただし別の説もあって、矢作川は「御川(みかわ)」と呼ばれ、尊ばれていたことから、これが転じて「みかわ(三河)」になったという説もあり、どちらが正しいかは分からない。
いずれにせよ、この地区には三つの川が流れていて、その源流の巴山には「分水嶺」となる石が置かれている。この石は先端が尖っており、三面から成る三角柱となっている。雨水が、この石の先端に当たり、三方向のどれかへ流れることによって、その水が矢作川になるか、菅生川になるか、それとも豊川になるのかが決まるのだと、以前、聞いたことがある。
* なんとなく、人間の運命にも似たものを感じる。
☆ 今日の夕食は 松
日曜日に作ったおでん。
三日目になり、大根に良い味が染みてきた。
熱いおでんをふうふう言いながら食べるのはいい。また作り置きができるので、忙しい平日に向いている。
今回は大根、こんにゃく、ゆで卵、つみれ、にんじんと牛蒡の揚げ物、豆腐の揚げ物、はんぺんを入れた。それぞれの味が合わさり、深い味わいを醸し出している。「すじ」をスーパーで見つけることができなかったのが残念。
お酒は先日諏訪で購入した「高天」純米酒。
力強くしっかりした味のお酒だと思う。1合ほど飲んでほろ酔い気分になった。明日も早起きしなければ。
* 平和だもの、いいじゃないか……
2008 3・12 78
☆ 松花堂 maokat
毎月送られてくる雑誌に、「松花堂」が載っていた。
弁当ではない。男山八幡の境内に松花堂昭乗(=寛永三筆の一人)という坊さんの建てた二畳の茶室。
堀口捨己博士の起こし絵と、平面図、写真によれば、松花堂さんはこの二畳で、寝起きし、煮炊きもし、さらに客を招いて茶の湯をしていたそうだ。
図面を見ているうちに、半間の床を踏込み床にしたらどうかな、と思った。そうするとその隣の袋棚も取っ払って、少し広々としたい、土間の方は勝手との仕切に今風のキッチンカウンターを設け、ちょっとした食事や、冷たい麦茶を飲めるように、などなど考えていたら止まらなくなって、結局家一軒分の図面を引いてしまった。
しかしこの家は、さまざまな点でいびつだ。
居住スペース(二畳)の十倍以上の物置(蔵)がある。こうしないと、季節の設えや道具を収納しておくことができない。
トイレには、ドアが二枚あり、客は外から、亭主は内から使うことになる。なんか、無駄。
ふとんを収納する場所がない。これは、畳の下に収納庫を作るか、はたまたボタン一つで畳がひっくり返って、ベッドが出てくるという趣向にでもするか。
非常に不用心。外との仕切は、戸板一枚。シリンダー錠などはどこにもない。すきま風で冬は寒いだろうな。
冬は寒いだろうな、と考えたところで、私の方丈は、胡散(くさく=雲散)霧消した。
やっぱりあったかいところがいいです。住むには。
* さあホンモノかどうか、わたしは、松花堂書と「極め」の付いた「蝸殻」と大きな二字横書きの軸を持っている。隷書。字は隷の得手であった松花堂でもいいが、そばに添えた拙劣な不釣り合いに小さい署名は、後生の愚行としか思われない。二大字はあきらかに時代の汚れが洗ってある。ま、道具屋のまともな売り物にはならないが、二字はみごとに柄大きく丈高く、わたしは叔母にぜひ買っておけばと奨めた。まだ大学生だったろう。
叔母がいかほどを懇意の道具屋に支払ったかは知らない。カタツムリの殻ほどの部屋で生涯過ごすさだめを自ら買い込んだようなものかと、後々も苦笑されたが、その大軸も大隷も、気に入っている。六畳の壁に掛けると威風あたりを祓うのである。ホンモノでなくてもキズモノでも、構わない。
2008 3・13 78
☆ Seeing is not believing ハーバード 雄
朝一番に、他ラボとの合同ミーティング。今日の担当者は、うちのラボの顕微鏡担当テクニシャンのスティーブと、他ラボのポスドク。スティーブは話下手だが、彼の顕微鏡写真は美しいので、皆熱心に聴く。後半のトークは、まだ何もデータが出ていないらしく、簡単に終わった。僕も5月に発表を控え、何もデータが無いので頭が痛いが、今日の発表を聞いて少し気が楽になった。
ミーティングの後、ラボのメンバーと共に、脳センターの新しい建物を見学。まだ工事中ということで、ヘルメットを被らされ、蛍光色の上着を着させられて、建物内へと入った。
とにかく大きい。工事現場の外から眺めていた時には分からなかったが、奥にかなり大きなスペースがあり、全体を通してみると、巨大な建物となっている。 MITのPicower Instituteも近代的で巨大な建物だが、ハーバードの脳センターの方が、はるかに巨大。
我々のラボが移るであろう場所を見学したが、個々のスペースそのものは、多少減るようだ。僕も、おそらく誰かと部屋をシェアすることになるだろう。しかし、今は個室でかなり孤独でもあるので、相手にも拠るだろうが、誰かと部屋をシェアするほうが良いように思う。
地下にある講堂も見学したが、大きな講堂が2つもある。黒板が既にセットされていたが、まだ新築の建物だというのに、なぜか黒板はずいぶんと古めかしかった。しかもアインシュタインの相対性理論の数式などが書かれていた。一体誰の仕業?
とにかくハーバードの他の建物とは全く異なる、現代的な建物。階段の手すりなどは全てガラスでできているし、天井も吹き抜けなどがあり、開放感がある。しかし、殆どの部屋には窓がない。これは、顕微鏡を使うために日光を遮る必要があるので仕方が無いのだが、圧迫感があることは確か。電子顕微鏡のテクニシャンのエリカなどは、それが嫌だからといって、新しい建物に移る時に仕事を辞めると言ってきたそうだ。
さすがに僕は、部屋に窓が無いからなんていう理由で仕事を辞める気にはならない。でも、僕も今の建物の方が好きだ。
唯一、手放しで喜べるのは、ヒャーノが彼の部屋にある顕微鏡セットを、そっくり僕にくれると言ってきた。「このセットを一番良く使っているのはYouだから」とヒャーノ。これまでは、自分の部屋で作製した標本を、いちいち階下にある彼の部屋に持っていって観察していたが、自分の部屋にセットがあれば便利だし、なにより標本にとっても良い。
午後からDuke大学のDale Purvesのセミナー。実はPurvesは、僕のボスの大学院生時代の指導教官。当時は分子や細胞、組織といった、ミクロなレベルから神経回路の研究を行っていたようだが、最近では研究テーマをがらりと変えて、個体レベルでの脳の高次機能、とりわけ視覚や聴覚に関する研究を行っているらしい。著名な研究者となり、一流大学にラボを持ってから、これほどまでに研究テーマを変えるのは、かなり度胸の要ることだろう。
今日のトークのテーマは、「動き」の錯視について。実際に、Purvesラボのウェブサイトで体験することができるので、是非試して頂きたい。 (http: //www.purveslab.net/seeforyourself/index.html?4.00)
このウェブサイトで、”motion”の項目を選択すると、斜めの線が左から右へと移動する画面が出てくる。この画面の左下に、■のボタンと、その両脇に三角形のボタンがある。右向きの三角形のボタンがplayボタンで、■のボタンはstopボタンとなっており、これらをクリックすることで、線を動かしたり止めたりすることができる。
さて、これらのボタンの右側に、円の中に斜め線の入ったボタンがある。これを選択すると、円の中に斜め線の入った画面に切り替わる。これはちょうど、先ほどの線を小さな穴から覗いたのと同じように見えるはず。しかし、ここでplayボタンを選択して線を動かすと、先ほどとは違って見える。先ほどは、左から右に向かって動いていたはずの線だが、円の中の線は右斜め下に向かって動くように見えるはず。
さらに、二本の縦線と斜め線から成るボタンを選んでplayボタンをクリックすると、今度は斜め線が上から下に向かって動いて見えるはず。いずれの場合も、斜め線の動きそのものは変わらないはずなのに、動く方向が変わったように見える。
これと同じものを、私達は既に、日常的に目にしている。理髪店の前にあるマークがそれ。実際には、青と赤と白の縞模様のマークが斜めに描かれたものが筒状になっていて、ぐるぐると回っているだけだが、あたかもこれらの縞模様が上に向かって動くように見える。
Purvesラボのウェブサイトには、「動き」以外の錯視の例も沢山載っていて、なかなか楽しい。例えば、 “Lightness/Brightness”の中で僕のお気に入りは、中段左から2番目にある”Craik-O’Brien-Cornsweet effect”。縦に長方形が二つ、ちょうど携帯電話が折りたたまれる途中のような形で描かれている。この図で見る限り、上側の四角形の方が暗く見える。だが、実際には、これらは同じ色なのだ。携帯電話の「蝶つがい」に当たる部分を指で隠して頂けば、納得して頂けるかと思う。
つまり、私達の視覚は単にレンズで光を集め、それをそのまま脳で受け取っているのではなく、その途中途中で様々な情報処理がなされ、バイアスのかかった情報を「見て」いるのだ、ということが分かる。
人間は、自分の見たものを「真実」と思い込みがちだが、実はそうではない。
* こんなおもしろいことを教わって好いのかなと、感謝。追試を。
2008 3・13 78
☆ もう一人の「自分」、こんなところに 光
学生時代、3ヶ月間だけオーストラリアに留学していたことがあった。
いろいろな人と出会い、その度に自己紹介をしていた。
英語で説明するのも大変なので、「自分」の方が簡略化されていった。
「日本では実は○○で、まぁ、○○ってことで、今は○○なんだけどね。」:私
「ふーん、そうなんだ。」:オーストラリアで知り合った友人
そして、思った。あ、そうか。最初から、全く新しい「自分」を作り上げることもできたのではないか、と。
* * *
そんなこともあり、「mixi」を始めるにあたって、こんな試みをやってみようと考えた。
新しい人格をweb空間に作り出してみよう、と。
そうして、いろいろな「日記」を書いてみた。ずぅーと、心の中にあったことを書いてみようと思った。家族にも友人にも職場でも、話したこともないようなことを、書いている。
もしかしたら、職場の人達がみても、同一人物だとは想像もつかないかもしれない。
職場の人達の中には「mixi」をやっている人がいる、ことはもちろん知っている。しかし、私が「mixi」をやっていることは、まだ誰にも話していない。
* * *
「mixi」を始めて2ヶ月経った、ある昼のこと。
職場でお昼を食べながら、ふと思った。
今の「自分」と、mixi内の人格はずいぶん違うなぁ。
・・・いや、待てよ。むしろ「mixi」内の人格の方が、本来の「自分」に近いのではないか・・・。
私は、愕然とした。
職場での「自分」の方が、すでに新しい「人格」として作り上げられてきたものだった、という事実に気づかされた瞬間だった。
* * *
こころの中の「自分」は、職場の「自分」をマイミクにしてくれるだろうか。
* この昔の学生君を「mixi」に誘い込んで、たしかに、また一人のハツラツとした「光」君にわたしは楽しみ楽しみ出会っている。自意識に負けないで精神をかなり生き生きと自由にし始めていると察しられて。
* むかし教授室にあらわれる学生諸君をみながら、「栗の実」君「柿の実」君と感じ分けていたのを思い出す。すこし微妙すぎるなら「栗」君「苺」君かもしれない。
そういえば、人間を思いきって二つのタイプとして弁別してみよと、書いて貰った日の学生諸君の「アイサツ」は興味深かった。ずいぶん教えられた。押し入れの奥に蔵っとくには惜しいものが、山のようにあれらの「アイサツ」には有った。
ルソーの『エミール』をじっくり読み継ぎながら、栗君や柿君たちの咄嗟に絞り出した多彩な「アイサツ」をよく思い出す。
2008 3・15 78
☆ 文化の力 ハーバード 雄
* 結局、昨日は夜中の2時過ぎに実験を終えることができた。朝までやるつもりではあったが、もう観察すべきスライドが無くなったことと、今日も朝からやるべきことがあったので、早めに切り上げて睡眠を取ってから出てきた方が良いだろうと思い、実験を切り上げる。 家に着いたのは3時近かっただろうか。もうそんな時間だから、誰も歩いていない。
さすがに歩いている人はいないが、車はたまに走っている。すると、一台の車が右からやってきた。先に車を通そうと立ち止まると、車も止まって発進しない。マナーの良い車なのかとも思ったが、角を曲がって僕の歩く方角にターンすると、ゆっくりと走り、やがて去っていった。まるで僕のことを、じろじろと見ているかのようだった。
しばらく歩くと、次のブロックの角で、先ほどの車が再び走ってきた。怖くなったので、道路の反対側に渡り、歩いていたが、その次のブロックの角でもまた、その車を見かけた。どうも、この辺りを、ただひたすらぐるぐると回っていたらしい。あれは一体、何だったのか。女性目当てなのかもしれないし、金目当てなのかもしれない。
そんな訳で、気味が悪くなったので、今日は一旦自宅に戻り、車を大学の近所に停めてから、顕微鏡での観察を始めた。僕の家と大学は、本当に近いので、小心者とラボのメンバーに言われそうだが、しかし、ここはアメリカ。やはり夜中は、用心するに越したことは無い。
* 午後、ボビーが「You、コーヒー飲みに行かないか?」と言ってきたので、一緒に隣のビルのカフェテリアへ。
「なあ、サイエンスのことじゃないんだけどさあ」と、ボビーが切り出した。
「この間さあ、友達と話してたんだけど、今、アメリカはイラクに派兵して、戦争をしてるだろ?この戦争で、何千人もの人間が亡くなっている。きっと、イラクや中東の人達はアメリカを憎く思っているだろうと思うんだ。どうしたら彼らはアメリカを許すようになるだろうと思う?」とボビー。
いつものボビーらしからぬ話に驚いていると、続けてボビーが言った。
「昔、アメリカは日本と戦って、原爆を2個も落としただろ?でも、今、日本はアメリカと友達だ。ドイツも同じように、かつてはアメリカと戦ったけど、今はそんなに悪い間柄じゃない。でも、今のイラクを見ていると、とてもそうなるとは思えないんだ。だから、かつてアメリカと戦った日本が、どうやってアメリカと友好関係を築けるようになったのか、日本人であるHiro に話を聞きたいと思ったんだ」。
残念ながら、その時、ボビーに用のある人が現れてしまい、僕も仕事で忙しかったこともあって、充分に答えることはできなかった。
僕自身も、正解を持ち合わせているわけではない。
勿論、肉親を原爆で亡くした人や、自分自身がひどい目に遭った人の中には、依然としてアメリカを嫌っている人も少なくないだろう。ただ、全体としてみた場合、アメリカは日本の友好国であり、そう考えている日本人も少なくないだろうと思う。
過去のことは「水に流そう」という、日本人の国民性の問題もあるかもしれない。あるいは、日本はアメリカと友好関係を築かざるを得なかった、という政治的理由もあるかもしれない。しかし、それだけではないだろう。
本当かどうかは分からないが、戦後GHQは、いわゆる3S政策(Screen,Sports,Sex)を日本に敷いたと言われている。GHQの差し金によるものか否かは別として、実際のところ、今の日本人の関心の多くが、この3Sに向かってしまっていることは認めざるを得ないと思う。
こういうと日本はアメリカに「スポイルされた」ということになるのだろうが、逆に言えば、日本人がアメリカの文化の良い面に惹かれるようになり、次第にわだかまりが解けたということかもしれない。
翻って、アジア諸国の中には、いまだに強い反日感情を抱く人々も少なくない。日本政府の戦後処理は、どう贔屓目に見てもお粗末だったと思うし、逆に中国などには外交カードとして利用されているふしさえある。
しかし、僕が直に接するこれらの国の人々は、必ずしも反日的ではないし、日本に対するわだかまりは減りつつあるように感じる。これは、勿論、年月が経ったためでもあるだろうが、それだけではなくて、日本の文化に親しむ人々が増えたせいもあるだろう。文化といっても高尚なものではなくて、マンガやドラマやゲームなど。
現に、うちのラボの韓国出身のポスドクのヒャーノは、簡単なひらがなならば読むことができるし、日本のドラマは僕よりずっと良く知っている。台湾出身の大学院生シュシェンも、僕よりずっと、日本のマンガやドラマのことを良く知っている。
日本は、ある意味、彼らを「スポイル」しているのかもしれない。が、しかし、彼らが日本の「文化」の良さに惹かれるようになったことで、次第に打ち解けるようになったのかもしれない。
果たして中東が、アメリカの文化に「スポイル」されるかどうかは、僕には分からない。ただ、一ついえることは、ボビーのような考え方をするアメリカ人もいるのだ、ということは、僕にとって新鮮であり、嬉しくもあった。アメリカに来るまで、アメリカ人は他国に傲慢であり、自国の価値観を全ての国に押し付けようとしているのではないかという印象を僕は抱いていた。しかし、ボビーのような考え方をするアメリカ人もいるのならば、中東とのわだかまりも、やがては解消されるのかもしれない。
* 少し前にやった実験で、どうも気になるデータを得ていた。
データが出た時には気づかなかったのだが、ふと、この現象は、大学院時代の同期と共同で進めてきた研究と関係しているのではないかと思い、彼にメールを先程送ってみた。
すると、かなりエキサイトした調子のメールが返信されてきた。どうやら、大いに関係しているどころか、まさしく「そのもの」のようだ。全く別の研究テーマとして、全く違うことをやっていたはずなのに、気づいてみたら背中合わせになっていたようだ。
幾何の問題で、一向に証明できそうにないように思えていたことが、補助線を一本引いただけで、目から鱗が落ちるように明らかになるのにも似ている。こういうところが、研究の面白さでもある。
先程、帰宅。今日も忙しかったが、昨日と比べると、随分と楽な気がする。ただ、帰り際、顕微鏡のレーザーの電源を落とす手順を1箇所間違えてしまった。
明日、おかしなことにならなければ良いが、と少し不安。
* どの段落にも心を惹かれる。友人にメールするとすぐ返辞があり、視野が大きく動くところなど、電話すらままならなかった昔の研究者には、ウソのようだろうなあと驚く。
GHQの「3S」にも、今の日本の若い人たちの政治的な去勢にからめて、わたしには大いに強い関心が前々からあったのである。
☆ おしごと 悠
午前中、耳鼻科に息子を連れていき、お昼の離乳食を食べさせて午後に職場へ。
昨日準備するはずだった、EPMA用の樹脂埋めした試料の研磨、学生の研究発表練習、2件。
最後に保育園の“卒園”文集の編集。
たった、三ヶ月でしたが、四月から転園するので、今の園は卒園ということに。文集といっても、園児が書けるわけがなく、親の文集。プリンターから出力するためにスキャンしてPDFファイルで統合、保存。月齢順で並べました。息子は後ろから三番目。
あと一名の原稿が揃えば、印刷、簡易製本で完成。来週土曜の卒園式で皆さんのお手元へ。頑張ります。
* お母さん先生は忙しい。
わたしも、波のひたひたという感じで忙しくなってきた。十八日には、また歯医者、そして近用専用の眼鏡を受け取りに青山へ。太左衛さんお招きの「偲ぶ会」も、目前の楽しみ。そしてすぐ、「美術文化賞」の選考のために京都へ行く。往き帰りの切符も予め。
連日、湖の本新刊の発送のためにも、いろいろ。からだを動かすのはいいこと。
2008 3・15 78
* 伊井春樹様
青陽の春、花もまぢかく感じられます。いまは、私、花粉に悩んでおりますが。
お元気にお障りなくいらっしゃいますことと存じます。ますますお大切にと祈りおります。
このたびご高配賜りまして、おどろくべき高著(仰木政斎著『雲中庵茶会記』)ご恵贈に胸打たれております。御礼を申しますより早く、惹きき込まれまして拝読してゆくに従い、ますます嘆賞嘆美のおもいにとりつかれました、すばらしい文化財であるなと真実舌を巻いています。記事の克明も深切もさりながら、悠揚とした「茶味」の妙趣が筆者のお人を表現し得ていますかと、ゆかしくまた羨ましく思われます。えらいものをお遺しに成りました、またえらいものを能くお創りになりました。時代と文化とのために心より慶びます、また感謝します。
まだ、頂戴しました方へのご挨拶が出来ておりません、なによりも中を幾らかでも拝見してから、また真っ先に伊井様へ御礼申し上げてからと存じました。こういう時、電子メールの使えますことは有り難く助かりますね。伊井様からも、どうぞ秦のおどろきと喜びと感謝とを御鳳声願い上げます。
おそらく、この大著、活字で「紙の本」にすることは容易ならぬ難事ながら、すくなくも当面、電子文字にして保存されますことの絶対的な必要を覚えます。「読み通し易く」仕立てれば仕立てますほど、この著の文化史的資料的価値はえらいものになります、喜ばれる方々もずいぶん有りましょう。その道の専門家の監修がなければいけませんが、電子化はお急ぎいただきたいと私自身も願います。意外に速やかに成りうる作業かと思われますし、半永久的に、コンパクトに収容されて保存されれば、利用者はのちのちまで絶えまいと思われます。
松屋会記、天王寺会記、槐記などに接したときのよろこびと等しいものを得ました。望外の大慶でございました。御礼申し上げます。
平成二十年 三月十五日 夜 秦 恒平
2008 3・15 78
* チベットが動いている。
理は、歴史的に明白にチベットにある。「暴動」という報道は中国の視点に偏している。支配に抗した「自治権(独立)運動」のまたも露頭と観ている。
「共産党支配」という古服のままでは、とても中国は事実上もうもつまいところへ内から変容しているはずだ。チベットと新彊地区とは、中国の明日明後日を揺すぶり続けるだろう。
こう書いたところへ、ボストン発の鋭い声が届いた。
☆ 革命の起きるとき ボストン 雄
どうやらチベットで暴動が起き、中国政府がこれを武力で制圧しようとしているらしい。ロケーションフリーでTBSの「サンデーモーニング」を見るまでは、ここまで大きな騒動だとは思っていなかった。ネットニュースで見出しには気づいていたものの、インターネットのニュースは、テレビと比べると、やはりどうしても臨場感に欠ける。
「暴動」などと報じられていたが、明らかにこれはチベットではなく中国政府に問題があると思う。「制圧」などと言っているが、既に多くのチベット人を殺戮しているようだ。到底許されることではないと思う。
これまでも、決して良いとはいえなかったのかもしれないが、ここ最近の中国の様子は、明らかにおかしいように思う。食品の問題もそうだし、大気汚染もひどい。自分の国を自分達で壊してしまって、将来いったいどうするつもりなのだろう。
高校生の頃、世界史の先生がおっしゃった言葉の中で、いまだに覚えているものがある。
「革命は、とても充ち足りている時には起きないが、同時に、極度に酷い状況でも起きない」と、その先生はおっしゃった。極限まで追い詰められた状態から少しでも改善され、わずかな望みを持つことができるようになった時に、人は初めて革命を起こすのだ、と。
北朝鮮で、あれだけ国民が虐げられながら、未だにクーデターが起きないのは、おそらく希望を持つ余裕すら国民に無いからなのだろう。それに対して、今の中国政府は、おそらく崩壊の一歩手前にあるのだろう。それを察しとったからこそ、このような暴動がチベットで起こったのに違いない。既に「共産主義」が破綻をきたし、ソ連も崩壊した今、このような政治体制を維持しようとすることに、諸悪の根源があるのだと僕は思う。
ここ最近、日記に何度も書いているように思うが、そういう国に「食」を預けてしまうのは、極めて危険だと思う。自給することが困難なのであれば、せめて他の国に乗り換えるべきだと思う。いざ事が起きてからでは遅いような気がする。
それにしても、今日の「サンデーモーニング」でのコメンテーターの発言は、僕には納得しかねるものばかりだった。国際政治学者の浅井信雄、日本総研の寺島実郎などは、「今年は中国でオリンピックが開かれるというのに、こんなことが起きて気の毒」とでも言わんばかりの口ぶり。そもそも、そんな国でオリンピックをすることの方が、おかしいのだと思うのだが。ただでさえ、これら二人のコメンテーターの発言には、以前からくだらないと感じられるものが少なくなかったのだが、今日のは特にひどかったように思う。
唯一、それに反論していたのはジャーナリストの江川紹子くらいだったが、その発言を受けた関口宏の対応も冷ややかなものだった。「サンデーモーニング」の後の「サンデージャポン」に至っては、取り上げすらしなかった。最近のTBSの中国に対する報道姿勢に、僕は違和感を感じる。
2008 3・16 78
☆ 旅抄: じゃがいも・ケーキの寄進・職家 maokat
* ジャガイモの原産地がペルー近辺だということはご存じだろう。大航海時代にヨーロッパへ持ち込まれるが、1845年に疫病という病気で一度壊滅的な被害を被る。この大飢饉で食い詰めた多くの人々が米国へ移住し、現在の米国の繁栄の礎となったこともご存じだろう。
さて、ジャガイモの遺伝子配列を調べると、1845年以前にヨーロッパへ持ち込まれたジャガイモ(第一波)と、1845年以降に入ってきたジャガイモ(第二波)を区別することができるというのだ。
ではわが国はどうかというと、慶長年間(1596~1614年)にオランダ人によって長崎に伝えられたのが最初だといわれているので、この時伝えられたのは、第一波のジャガイモということになる。このいもは、長崎からじわじわと全国に伝播したが、明治初期に欧米から近代品種(第二波)が導入されると、次第に姿を消していった。
しかしよく調べてみると、中央構造線という地層に沿った、山間の奥地の平家の落人などの集落で細々と伝承されていることがわかった。昨年私が調査したのは、山梨の丹波山、長野の清内路、売木、天竜、下栗、静岡の井川など、いずれも山の奥の奥にある古い村の在来ジャガイモばかりで、これはおそらく第一波のものではないか、ということをH先生に確認したかったのが、神戸を訪問した第一の目的だった。
さらに、第一波と第二波のジャガイモが遺伝子配列で区別できたように、第一波のジャガイモ(慶長)と第二波のジャガイモ(近代)に含まれているウイルスについても、遺伝子配列で区別が出来ないか、もし両者に違いがあれば、大航海時代やさらにその前に遡って、ジャガイモとウイルスがいつどこで出会い、どんな変遷を経て極東の日出づる国までやって来たのかを、壮大に考察できるのではないか、というのが第二の目的なのだった。
この話をH先生にすると、大変乗り気で、すぐさま、四国などから収集された第一波と思われる古い品種を、保存庫から出してきて分譲してくださった。これからこれらのいもに含まれるウイルスと、男爵薯など第二波のいものウイルスを比較してみる。
いもに歴史を載せて料理できるかどうか、腕の見せ所だ。
* タクシーを飛ばし大徳寺へ。塔頭を訪れ若和尚に会う。昨年暮れの茶会の御礼。昨年お土産に頂いた大徳寺納豆を、研究室でお土産に配ったら、料理のプロ級で、育種家から新品種の調理レシピの依頼まで受けている同僚が、何と愛知の八丁味噌と合わせたシフォンケーキを焼いてきた。味噌松風を名古屋風に強烈にしたような味で、松風のように胡麻も散らしてあり、あまりに完成度が高かったので、彼女に頼んで自信作を焼いて京都まで送ってもらい、大徳寺に持参したのだ。
若和尚の話で、大徳寺納豆は夏に作るものであることをはじめて知った。祇園祭が終わった後の、最も暑く寝苦しい頃に、一気に作って天日で乾燥させるのだそうだ。この塔頭では毎年大豆百二十キロを仕込んでいるという。さらに驚いたのは、室に土着している天然菌を使った自然発酵で仕込むとのこと。
私のように試作品を持ち込む人も結構いて、和食中華フランスイタリア、あらゆる料理に大徳寺納豆が使われていることも知った。但し、これまでシフォンケーキを焼いて持ってきた人はいなかったということだ。開山大燈国師以来のお初ものを寄進する栄誉に悦に入る。
* 今回の京都訪問は、お茶関係の師、知人には知らせていないが、道具職家の友人にだけは、とりあえず一報入れておいた。午後七時にロビーで落ちあい、木屋町へ。五条あたりの店で高瀬川を近く見渡せるカウンターに座る。
私がよっぽど疲れた顔をしていたのか、いきなりすっぽんのキモの入った土瓶蒸しを食わされた。しかしこれで本当に元気が出て、あとの品々を美味しく頂くことが出来た。友人に感謝。明石の鯛がとびきり美味しく、頭もバラバラに分解して全部頂いた。ふぐの唐揚げもさっぱりしており、季節外れの鱧のしゃぶしゃぶをしたあと、そのスープで雑炊を作ってもらった。これがさっぱりしているのに滋味深く、二人でおかわりをして打ち物の鍋を空にした。
店を出て、四条大橋を歩いて渡り、祇園のお店でさらに一時。
ずっと前から聞いてみたかった「自分の中で職人と作家の相克は無いのか?」という問いに、彼の答えは今ひとつはっきりしない。京都人のものいいか。
「そやおもうときもある。そやないとおもうときもある。そんなもんやないんやろか」てな調子。そのくせ
「じゃ、大金持ちがガンダムの茶釜を作れといったら作るの?」と振ると
「そりゃつくりませんわ」と、これははっきりしている。でも話をするうちに、だいたいのイメージは掴めるようになった。
職家さんという業態は、広告代理店とだいたい同じなのじゃないか。つまり、クライアントがあって、これこれこういうものを作ってくれといわれたら、それに最大限かなう範囲で、創作活動をする。クライアントが無いのに、勝手に広告など作りはしないのだ。こう考えることで、私のイメージは大分すっきりしたものになった。
* maokat style とでも謂えるモノが、この「私語」世間にほぼ確立されて、愛読者が出来ている。今日の三話など、そのまま「e-riteraly magazine 湖(umi)」にもらって嵌るだろう。名張の囀雀さんにも読者ができている。ハーバードの雄くんにも読者が出来ている。このわたしの「私語」は毎日ほぼ必ず書きくわえがあり、アクセスする人をその点では満足させているので、「mixi」でのマイミク+アルファどころでない広範囲、それも各界の人に読まれていることが分かっている。読まれて困る人には迷惑をかけてはいけないが、そうでない限り、此処に転写されるのは、ちょっとした雑誌に原稿が掲載される感じと似ている。恥はかかせていないと思うし、極力配慮もしているつもり。
☆ ブログ インターネット ボストン 雄
昨日、遅かったこともあって、今朝は久しぶりに朝寝坊。ラボに行き、夕方から買い物へ。久しぶりにリライアブルマーケットに行き、日本の食材や豚の薄切り肉、キムチなどを購入。
この店には、Aさんという、ボストンでは名の知られた六十歳代の女性が働いている。この方は、この店で働くだけでなく、僕のように日本からボストンにやってくる人の生活のセットアップを手伝う仕事もしている。日本にいる間にアパートを探してくれたり、家具や電化製品などをそろえたりするらしい。最初は僕もお願いしようかと思い、一度だけメールを送ったことがあったのだが、結局自分で全て行なうことにしたので、お願いすることはなかった。
たまたま、この方のブログを見つけて、母にその話をしたところ、どうも母はそのブログを愛読するようになったらしい。他にも、いくつかボストン在住日本人のブログを読んでいるようだが、Aさんのものが一番しっくりくるのだとか。さすがに、僕の日記のことは伏せている。別に読まれて困るようなことは書いていないと思うが、それでも両親に読まれるのは、ちょっと嫌だ。
レジでカードを出し、レシートが出てくるまでの間にAさんが、
「ご出身は九州?」と聞いてきたので、
「いえ、違います」と答えた後、思い切って、「Aさんですよね?」と聞き、上記の話をした。母から
「なんだか、毎日ブログを読んでいるから、知り合いのような気分になっているのよね。今度行ったら、よろしくお伝えしておいてね」とリクエストされていたので、初対面で失礼と思いながらも、お話した次第。
「あまり変なこと書けないわね」と言って、Aさんは笑っておられた。
先程Aさんのブログを見たら、早速そのことが書かれていた。きっと母も満足に違いない。
僕の日記も、ある意味、ブログのようなもの。僕の日記を読んでくださっている方は、殆ど面識が無いに等しい方も少なくない。だけれども、毎日「あしあと」が残っていたり、コメントを寄せてくださったりすると、なんとなく親近感が湧いてくる。不思議なものだ。
昨日の日記を読んで、「湖」さんが、
「友人にメールするとすぐ返辞があり、視野が大きく動くところなど、電話すらままならなかった昔の研究者にはウソのようだろうなあと驚く。」と、ご自身のホームページにコメントされていたが、全くそうだと思う。
確かにインターネットには、犯罪などの裏社会に通じるものもあるし、心して利用しなくてはならない部分もあるだろう。しかし、インターネットの普及による恩恵もまた、計り知れない。
色々と難しい問題はあるけれど、巧く使いこなしたい。
リライアブルを出てから、フレッシュポンドモールのWhole foodsと酒屋で買い物をして帰宅。
* 電子の杖は、ことにお年寄りにはむしろ貴重で、これからははっきり必要とさえいいたいほどの、利器。ことに子弟を海外に出されている親御さん達はどんなにか安心で心落ち着かれているか知れない。
「mixi」の「足あと」群をその気で観ていると、ホームページを不時に「アクセス」させる回数に応じてなんらかペイバックしながら、妙な商売をしている「業者」の利用意図が透けて見えている。このごろ機械をさわると「お金になる」方法があると、しきりに奨めながら、このサイトを開け開けと誘導している類の「足あと」は、「プロフィール」の書き方にも自ずと類同性が読み取れる。それなりに工夫をしているんだと苦笑しつつ、そういうサイトは決して、物好きにも開かない。広告も、俄然として品のないモノが「mixi」に蔓延しだし、不愉快度はとみに高まっているが、見えれども見ずに、マイミクさんたちとの交歓にアクセスを限定している。マイミクを申し込まれても、暫くはその人の日記やコメントを観てからということに慎重になっている。
2008 3・16 78
* 新潮社刊の『新中国人』の著者は、ニューヨーク・タイムスの北京支局で、ねばり強く旺盛に取材しニュースを送りつづけたビュリッツァー賞受賞記者夫妻。浴室で寝床で、わたしは毎日欠かさずペンを片手に熱心に読んでいる。リアリティーにどこと云って不審や疑念を覚えた箇所はなく、さもあらんという中国と共産党とが描破・証言されていて、必読に値する。以下に「mixi」で読んだ「優」さんの体験や実見聞混じりの見解を転写させてもらうが、かなり烈しい批評も、上の『新中国人』の証言とおおかた輪郭を重ねていると読んだ。この際、やはり知っておいていい情報であり判断であるようにわたしも思うので、「優」さんに感謝して、此処に置く。
☆ チベット、中国など 優 e-OLD 多摩
チベットでの人民解放軍の人民弾圧のニュースが――隠し通せるはずもなく──世界を駆け巡っている。これは、毒入りギョーザ事件どころの話では済まない。天安門事件も蒸し返される。中国国内の農民暴動、民族紛争も連動する。
何よりも、欧米(ロシアを除き)は圧倒的に人権問題に関心が深く、フリー・チベットを支持している。欧米を中心に世界中に自由チベッタンが散らばり、広く深く活動してきた経緯がある。
ビルマにもスーダンにも火の粉が飛ぶ。
ようやく落ち着き始めた隣国ネパールの政情も無関係ではありえない。チベットには入り難くなろうが、ネパールにはチベット難民が多く暮らし、最近祖国との交流も増えてきた。世界の登山家、マスコミ、平和主義者、平和ツーリストらがわんさか出入りしているので、生に近いチベット情報が集まり、ネットで情報が瞬時に発信伝播される。
目を転じて、22日の台湾総統選挙投票にも少なからず影響が出るであろう。チャイナ・マネーで大陸と太くつながる野党国民党・馬英九候補の優勢がぐらつくは必至。目元涼しきイケメンの彼は人気高いが、前々から中国共産党とのつながり深く、チャイナ・マフィア、裏華僑筋、日本のアンダー・グラウンドとのかかわりの噂もあって、そんなことは大方の日本人は知らないだけの脳天気。以前から、与党民進党、フリー・チャイナ(自主台湾)の謝候補が優勢なら、また勝つようなことがあるなら、中国は何らかの軍事的威嚇を謀略しているとの専門家の推測もくすぶっていた。
米国ブッシュも、共和党の不人気を撥ね返すべく、何らかの最後っ屁をかますであろうし、こと人権問題なら民主党候補も黙ってはいない。
日和見の、後出し得意の日本政府よ、マスコミよ、言うべきことは言わねばならぬぞ、またまた遅れをとり、世界中に馬鹿にされるぞ。対岸の火事、ブッシュの後になどと、まさか高見の見物を決め込んではいないだろうな。
中印もあやしくなるぞ、経済、マネーだけで世界が片付くと思ったら大間違いだ。
五輪が吹っ飛ぶかも知れない、などと無い智恵絞って先を読みすぎるな、恐れるな、万一ボイコットの動きが広がっても、日本はどうせまわりの顔色見てから決めるんだから、関係ないだろう。
ことは人権抑圧、軍事介入、丸腰人民に対する虐殺問題だ、ウンもスンもなかろうに。
平和象徴の祭典であるべき五輪を望むなら、是々非々で望むのが先決、すると善良友好の中国人民とも仲良く出来るんだ。
米国が今回のデモを仕掛けたとも思いにくい、日本が加担したとはまして想像できない、たまりにたまった弾圧へのうっぷんがチベット大衆の示威行動になったのだろう。
☆ 戦後、中国(中共)の弾圧覇権史:
1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中
1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺開始
1950年 朝鮮戦争参戦
1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中
1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突
1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領
1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援
1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明
1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略、占領
1989年 天安門事件
1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言
1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃
1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言
1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
2003年 スーダンのダルフール大虐殺を強力支援
2005年 日本EEZ内のガス資源を盗掘
—————————————————————–
2008年現在、非漢民族に対する大虐殺、婦女子の強制連行・中絶・不妊手術など民族浄化を継続中。主に北京五輪に向けた環境問題整備、早期収拾目的で全国規模で人民の財産、土地を収奪し続けている。
* まさかと思いたいほどのことも、今一段の実地取材経過や中国人の証言とともに『新中国人』は、ほぼ同じ内容の手記で報告している。驚かされる。
* むろん日本の世情はこういう憂慮の声でばかり蔽われてはいない。のーんびりと春爛漫に酔うている人の方が多いだろう。春闘も、聞けば、なんともしまらない労働戦線の弱い噂ばかり。
2008 3・16 78
☆ ドル安、円高、どうなってんの 優 e-OLD多摩
今週は気分を変えて空元気でも明るくやるぞーと奮い立ったら、なんとワンダラー96円台に突入。円高株下落はひどいもんだ。ため息がうなりに変わって、そのうち酸欠、無呼吸症候群になるのは必至。
円高ではなく、大元凶のドル安にやむなく引きずられているのが問題なんだ。
これじゃ日本も簡単にドル買い介入できないぞ。すでにたっぷりドルを抱えているから。80円台もまさかではなくなった。輸出下請けの倒産がバタバタ出始めるぞ。
塩漬けドル建て金融商品じゃ、虎の子は手も足も出せない。トホホ
インチキ米国経済と彼の地のバブリー消費に目くらまされ、気がつけばこの有様だ。
そこで、緊急提案だけど、日本はドルと心中する覚悟を世界に示すことだ。役人と政治家と日銀マンの給料や資産をドル建てにし、三分の一は三年ぐらい引きおろせぬ塩漬け定期にしたらどうか。こうすれば彼らは死に物狂いで滅私奉公する。損切りもへったくれもないし、ドルが持ち直すかも知れない。
個人レベルでは、メリケンへ行って、バッタ売りの不動産やら会社やらホテルやら絵画やらレアメタルやら何やらかにやら、キャッシュで買いまくったらどうか。底値で買ってしばらく寝かせたら、必ず円は安くなる。そしたら売れば大儲け。遊びだけのアメションでも行かぬよりましだ。
株はちと難しいかな。
つまりこのまま日本経済が混乱下落を続けると、大黒柱の輸出産業が不況になって、結果、日本の信用ガタ落ちで、GDPも大いに下がり円安が進み、それで1ダラーが150円ほどに戻すことにはならないだろうか。
突然の外貨下落リスクをどう避けるかなんて、保証はまったくなし。
ましてこの際、対ユーロまで考えが及ばない。
ま、アメリカも困っているからどんどんモノを買ってやったらいい、円建てで。きっと彼らも恩にきるぜ。ただし戦闘機や軍艦はドル建てだぞ。
ま、いつ底になるかの見極めは大事だが。
ま、早く何とか手をうって下さいよ。
* 反射的に福田総理の嘴をとんがらかした仏頂面が目に浮かぶ。ダメだ、こりゃ。
☆ ドル安、円高、どうなってんの 優 e-OLD多摩
今週は気分を変えて空元気でも明るくやるぞーと奮い立ったら、なんとワンダラー96円台に突入。円高株下落はひどいもんだ。ため息がうなりに変わって、そのうち酸欠、無呼吸症候群になるのは必至。
円高ではなく、大元凶のドル安にやむなく引きずられているのが問題なんだ。
これじゃ日本も簡単にドル買い介入できないぞ。すでにたっぷりドルを抱えているから。80円台もまさかではなくなった。輸出下請けの倒産がバタバタ出始めるぞ。
塩漬けドル建て金融商品じゃ、虎の子は手も足も出せない。トホホ
インチキ米国経済と彼の地のバブリー消費に目くらまされ、気がつけばこの有様だ。
そこで、緊急提案だけど、日本はドルと心中する覚悟を世界に示すことだ。役人と政治家と日銀マンの給料や資産をドル建てにし、三分の一は三年ぐらい引きおろせぬ塩漬け定期にしたらどうか。こうすれば彼らは死に物狂いで滅私奉公する。損切りもへったくれもないし、ドルが持ち直すかも知れない。
個人レベルでは、メリケンへ行って、バッタ売りの不動産やら会社やらホテルやら絵画やらレアメタルやら何やらかにやら、キャッシュで買いまくったらどうか。底値で買ってしばらく寝かせたら、必ず円は安くなる。そしたら売れば大儲け。遊びだけのアメションでも行かぬよりましだ。
株はちと難しいかな。
つまりこのまま日本経済が混乱下落を続けると、大黒柱の輸出産業が不況になって、結果、日本の信用ガタ落ちで、GDPも大いに下がり円安が進み、それで1ダラーが150円ほどに戻すことにはならないだろうか。
突然の外貨下落リスクをどう避けるかなんて、保証はまったくなし。
ましてこの際、対ユーロまで考えが及ばない。
ま、アメリカも困っているからどんどんモノを買ってやったらいい、円建てで。きっと彼らも恩にきるぜ。ただし戦闘機や軍艦はドル建てだぞ。
ま、いつ底になるかの見極めは大事だが。
ま、早く何とか手をうって下さいよ。
* 反射的に福田総理の嘴をとんがらかした仏頂面が目に浮かぶ。ダメだ、こりゃ。
☆ Wellesley college ボストン 雄
昼2時半過ぎに家を出て、ボストン郊外にあるWellesley collegeに行ってきた。この大学で日本語の授業を担当されているOさんとは、昨年、合唱でご一緒した。昨年末のコンサートで共演してくださった、マリンバ奏者の布谷史人さんのコンサートをOさんが企画され、直にお声をかけてくださったので、20マイル弱離れたWellesleyまで車を走らせてきた。
Wellesleyはボストンの南西にある都市だが、僕には全く土地勘がない。そこで、初めてGPSを使ってみることにした。
GPSを利用するのは初めてなので不安だったが、いざ使ってみると、やはり便利。GPSが無かったら、おそらくたどり着いていないだろうと思う。しかし、前方は勿論のこと、バックミラー、再度ミラーに加えて、もう一つ見なくてはならないものが増えたことで、運転に集中するのが大変。わずか30分足らずのドライブだったが、少々疲れてしまった。
疲れてしまったのは、高速道路を利用したせいもあるだろう。GPSの言うとおりに走っていたら、いつの間にか高速道路に乗ってしまった。できれば下道でのんびりと行きたかったのだが。高速道路だと、当たり前だが後ろから来る車のスピードも半端ではないし、少しでもこちらが遅いと煽られたりするので、血圧が上がりそうな気分になる。オプションで、高速を利用しない道路なども選択できると良いのだが。
初めて行ったWellesleyは、こじんまりとした綺麗な街だった。大学内のゲストパーキングのスペースも充分広いし、タダ。今回行くまで知らなかったのだが、Wellesley collegeは女子大なのだそう。しかも、今まさに大統領選を戦っているヒラリー・クリントンの母校でもある。構内の建物はレンガ造りの瀟洒なものばかりで、いかにも品が良い。
早めに家を出たせいもあって、僕は一番乗りだった。Oさんとご挨拶する。早く着きすぎて、会場のJewell auditoriumは開錠されていなかったので、廊下のベンチに腰掛けて、論文を読む。やがて人も集まりだして、場内へ。
肝心の演奏会だが、個人的にはベルモントの図書館でのコンサートの方が好きだった。音響や観客は今回の方が圧倒的に良かったたのだが、選曲は前回の方が僕は好きだった。
ベルモントのコンサートで良い演奏を聴かせてくれた、バッハの「シャコンヌ」や、アストル・ピアソラの「リベルタンゴ」などの曲を、来月末に Natickでのコンサートでは演奏するらしい。ちょっと僕は行けないかもしれない。
合唱関係での知り合いも数人来ておられた。昨年まで参加しておられ、今年に入ってからは参加されていないPさん&Dさんご夫妻も来られていて、久しぶりに挨拶。
僕の隣には、同じく合唱関係のKさんがお座りになったのだが、帰り道、駐車場まで戻る間、お話させて頂く。このWellesley大学には、Kさんの娘さんも通っておられるのだとか。ご自宅から大学までは、わずか20分だというが、娘さんは寮に入っているという。大学に入ってハメを外すのは、洋の東西を問わないのだそうで、とても付き合っていられないからといって寮に入れたのだとか。僕の大学時代を振り返ってみると、あまりハメを外すようなことは無かったなあ。男女比19:1で、毎週のように山のような宿題が課される東工大では、ハメの外しようが無かったかも。
☆ 春のひとときとF1開幕 東海 松
週末は春の陽気だった。自転車で買い物をしながら、日頃気になっていた史跡を回る。近くの吉原商店街には「東海道 吉原宿」の碑があり、近くの「鯛屋旅館」は清水次郎長や山岡鉄舟といった歴史上の人物の常宿だったそうだ。「平家越」という碑が小さな川のほとりにあるが、源平合戦の時に水鳥の羽音を夜襲と勘違いして平家が逃げた場所だそうだ。他にも歴史上の史跡などが近所にあるので、徐々に紹介していきたい。
夕食はあっさりしたものでまとめた。ご飯と卵焼き、ほうれん草とベーコンの炒め物、そしてインスタント味噌汁に葱をたっぷり入れた。今日のご飯はうまくいったので満足。
今日からF1グランプリが開幕した。初戦はオーストラリア。22台中7台しか完走できないという波乱の展開だった。王者フェラーリはマシントラブルで2台ともリタイア。優勝はマクラーレン=メルセデスのハミルトンだった。去年わずか1ポイント差で年間優勝を逃しているので、今年は気合が入っている。
頑張って欲しい日本勢はホンダの二人がリタイアと失格。トヨタ、スーパーアグリは2台ともリタイア。唯一のニュースはウィリアムズの中嶋一貴が6位入賞でポイントを獲得したことぐらいか。
量産車では世界的なレベルにある日本車だが、F1ではまだまだ世界に及ばない。フェラーリやマクラーレンほど資金をかけることができないという面はあると思うが、技術的なノウハウの蓄積が違うのだろうか?それともドライバーの差?
是非今シーズンは一度ぐらい優勝して欲しい。
☆ シャワーカーテン:技術革新 vs ビジネス 光
家はユニットバスなので、シャワーカーテンを使っている。
気をつけているけれども(ウソ)、どうしてもカビてしまう。端の方からグレー領域が徐々に広がり、だいたい1年くらいで、これはあかんと降参して新しいものを購入する、そんなことを繰り返していた。
どうせ1年経ったら買い直すのだから・・・。特にこだわりもないので、お店に行って安いもので間に合わせていた。
*
そんなある日、お店でシャワーカーテンを物色していると、ふと目にとまったものがある。抗菌防カビ仕様シャワーカーテン。これは私のような人向けのカーテンか。
しかし、抗菌防カビというのも本当だろうか。世の中、うさんくさいものも多いし。しかも、お値段は通常品と比べて1.3倍という微妙な設定。ダメでも仕方ないね、という人の心理を捉えている。
うーん、その手にはのらないぞ、と思いつつ、買ってしまった。その、抗菌防カビの技術力とやらを見せてもらおうじゃないか。
*
そして、数ヶ月。なんと驚いたことに、全くカビが生えない。技術の進歩は、すばらしい。その感動だけで、購入した価値があった。
しかし、これだけカビが生えないと、カーテンの買い換え需要がなくなって、商売あがったりなのではないか。技術の進歩で、シャワーカーテン・メーカーは自らの首を絞めているのでないか。
お節介にも余計な心配をしてしまう。
ところが、購入1年近くなってさらなる驚きが待っていた。
突然、カビはじめて、あれ、抗菌効果がなくなったのかなぁ、などとのんきなことを言っている間もなく、あっという間に降参レベルまでに達してしまったのである。
*
結局、抗菌防カビのカーテンでも1年で買い換えるサイクルは同じだった。
それでも、11ヶ月はカビが生えないのであれば、消費者は技術の恩恵に与れる。
すべてが丸く収まっている。
一枚のシャワーカーテンは、私にいろいろなことを教えてくれた。
* 同じ年に同じ教室にいた三人の、十余年後の述懐である。
e-OLDさんがいちばんハゲシいのが、面白くもあり考えさせもする。
2008 3・17 78
* 声が届いてくる。
☆ チベットの叫び 2008年03月17日20:23 恭 e-OLD播磨
長い間「mixi」に文章を書かなかった。が、チベットの暴動のニュースを聞き、今日は思い立って一市民わたしの感想を書く。
地を低く這う唸りは 既に既に確かに聞こえていた
10日 ラサ市内のデプン寺の僧侶のデモが始まった
11日 同じくラサ セラ寺の僧侶のデモ 翌日はハンガーストライキに入った
14日 同じくラサ ジョカン寺で抗議行動
そして群集が市内の中国系銀行や商店を襲撃、暴動発生
15日 中国政府は死者10名と言う
16日 中国政府の発表はいぜん10名 亡命政府に依れば30名
17日 午前のニュース 中国政府の言う死者は13名
夕方のニュース 中国政府16名 亡命政府は80名と
四川省でも15名の死者という
チベット自治政府代表は軍は一切兵器は使っていないと語っているが 日本人旅行者が撮った写真にはラサ繁華街北京公路を占拠する戦車、一軒一軒虱つぶしに家を捜索する警察や軍の映像 そして密告、摘発を奨励する通達 「あなたたちチベット人よ またこの地に根付いた中国人よ 当局に密告せよ 五族共和のこの中華人民共和国に何の恨みか! チャンパ・プンツォク自治区主席は言う 中国政府の対応は正当である 暴動、叛乱を起こす破壊分子は排除されなければならぬ、と。」
北京オリンピックのマスコット人形の一つは、おお、チベット山羊だった。
それにしても各国は生ぬるい思惑ばかり 。
オリンピックは開催されなければならぬ。
中国経済が失墜すれば さらに世界は震撼するぞ。
日本政府も穏便な意見に終始する。
そして同じ仏教徒が弾圧されているのに 日本仏教会は何の対応か??
チベット自治区に限らない。
チベット族は既に分断されてきたのだ。
河西回廊蘭州から遥か南に連なり 四川・貴州の山々から西に幾筋も幾筋もうねり突き進むカム、アムドチャンタン高原の荒涼 カイラス抱くンガリの地 広大な大地チベット文化圏は軽んじられ、陵辱され・・
亡命政府の活仏ダライラマ14世は語った。
文化的虐殺が行われています。
我々は自治権の拡大を求めているのです。
独立ではありません 。
叫びは 空高く 谷深く 届け。
民族の誇り・自由 そして平和。
ひたひたと滲みわたり 燎原を渡ることを。
* この「mixi」の声に、自分は「当事者ではない」「胸の痛みに沈んでいるより、自分の『生』を全うしたい」という趣旨のコメントがくっついていた。わたしは共感しない。
☆ 紫式部や源頼朝や後醍醐天皇が「当事者でない」というなら分かりますが、たとえば今チベットの問題に「当事者でない」といっていられる日本の大人は、むしろ例外でしょう。それは、分かりやすくいえば、「中国」問題に「当事者でない」と云うているのと同じであり、今、どうして日本人が「当事者としての関心」を「中国」に対しもつことを嗤えるでしょう。それで、どうして「自分の生」を全うなどできるでしょう。
近い将来に、日本列島が中国権力の快適な別荘地とされて、日本人がそれに奉仕するサーバントになるかも知れぬと仮におそれたとしても、今の中国覇権や支配の実情からして、まんざらの只の悪夢でもない。
ギョウザの毒についての中国の態度一つにも、日本人はいま「当事者として」の関心をもっているし、それはさらに、その背後や彼方に広がる「対中国大問題」を、政治的にも経済的にも軍事的にも予感させているではありませんか。
そもそも「自分の『生』を全うする」とは、いったいどういうことですか。
われわれは、地球環境や主権在民や人類の基本的人権など、答えまた応えうるものには真摯に、地球大の視野をも持ちながら、応えまた答えねばなりません。チベットと中国についても、全く同じです。
そしてまた、「生を全うする」といった「観念」が、何の足しにも成らない空論で終わりがちなことを、わたしはおそれます。
「胸は痛むけれど」どうしようもないではないかとは、しばしば聞かれる、またつい自分でも云うている俗論です。そこで立ち止まって「ごめん」とあやまって、それでも「全う」できる「自分の生」って、在るんですか。
失礼ですが、共感しかねます。 湖
2008 3・17 78
☆ アメリカ出張終了 2008年03月18日06:38 創
二月上旬から一ヶ月半続いた出張も終わり、やっとポーランドの家に帰ってきました。異国のポーランドと言えども「家」は「家」。落ち着きますね。聞いてわかる英語より、聞いてもわからないポーランド語のほうが耳に落ち着くようになってしまいました。
ポーランドはいい国、いい人々です。
さて、
アメリカ出張時に多くの建築を見てまわる機会がありましたが、今回はあまり有名ではない建築家、建築を。
エーロ・サーリネンのミルウォーキー・ミュージアム旧館です。
丹下健三と同世代のアメリカの建築家で、日本ではあまり有名ではありませんが、どちらかというと家具で有名かもしれません。
さて、今回その建築自体は知らず、昨年(一昨年?)サンティアゴ・カラトラバによる新館が出来、それを目的に見に行ったのですが、旧館の建築としてのたたずまいは、やはり数倍素晴らしいと感じます。
構造と空間構成、アプローチ、空間配列と、洗練されつつも未知の空間を提出しています。特に四方に飛び出された上部ヴォリュームと中庭を形成する方形のピロティ配置は出来上がってはじめてバランスする形態として、建築の構想力としてすばらしいものがあります。
数多く輩出されたアメリカの建築家(ジョンソン、カーン、ヴェンチューリなど)の中で、「アメリカを代表する建築家」とは誰か? という問いに、「サーリネン」と、答えたいと思い始めています。
2008 3・18 78
☆ すねてる?? 2008年03月19日15:57 悠
本日お昼に呼び出しがかかりました.38.2℃!
これまで高熱でも機嫌よく遊んでいたのが今日はご機嫌斜め.大好きな食事もやっと食べている状態ということで,早退して迎えに行きました.
保育園に着くと,珍しくぐっすり寝ている状態.昨夜,熱を出していたのですが,朝は平熱だったので連れていたったのですが..残念.
昨日,研究会があり,朝も夕方も時間的に厳しかったので,有給をとったダンナに保育園の送り迎えをお願いしました.(二人とも)頑張っていたようですが,息子としてはなぜ?? という状態だったのかもしれません.
帰宅後はいつもよりもじっくり母乳を飲み、やっと落ち着いたようです.しばらく抱っこしているといつものニコニコの笑顔が戻りました.熱も37.6℃に下がりました.
中耳炎,風邪,とすっきりしていないものを抱えていましたが,今日は”すねた”が正解でしょう.
明日は休みだからね,べったりしてあげるね!
* 生母の記憶を全くもたないわたしには、こういう母と子との場面はまぶしいように温かい。わたしはいま「mixi」に長編の書き下ろし自伝『もらひ子』を再掲連載中。読んでいて下さる人も、少なくないようで、半分恥ずかしい。
2008 3・19 78
* 昨日「mixi」のマイミク「風人」氏が紹介されていた四川省での銃撃虐殺の写真は凄惨眼をおおわしめた。悲惨な情況を伝えてあまりがあった。おなじものか、テレビでもちらりと報道されていた。
この十七日にやはり「mixi」に出たマイミクさんの日記に関連して、飛び入りのコメンテーターとわたしとに、意見交換があった。その一部を此の「私語」に報じておいたが、「当事者ではない」のでとコメントしていた人が、「自分の娘や友」が虐待や屈辱をうけているなら「盾になり守る」けれどという考えを、また洩らされていた。
ちょっと合点が行かない。むろんわたしにもカサにかかって正論を云うような具合のわるさはあるが、正直に反応しているつもりで言うなら、やはり、こうなる。
☆ あなたのお嬢さんでなく、あなたの友人ではない、そういう人、人たち、が、あなたの目の前で虐待され屈辱を受けていても、あなたのお嬢さんでもあなたの友人でもないのだからという理由で、その「虐待や屈辱」から守る「盾」になど「ならないよ」という意味に読めました。
仮にそんな場合でも「盾」が一枚(あなた)だけでは守り抜けないことの、あまりに多いのが、想像出来ないでしょうか。
「盾」「盾」「盾」が連帯し協働しようとしなければ、その一枚の「盾」自体もまた、不当な「虐待や屈辱」に脅かされてしまうでしょう。
娘だから友だからは、たしかに大切なモチーフですが、そこに立ち止まっていては、結局、娘も友もとうてい守りきれないだろうという世の中の過酷な力学に気づきたいと思います。
あなたのようにして小さくエゴをまもろうとすれば、命に関わるほどの「いじめ」や「差別」を、自分とは無関係なら見て見ぬフリしてしまう社会や世界が、出来ていく道理ですね。
「娘」や「友」への情愛はあるが、「虐待や屈辱」への批判や批評が無い。情愛を生かすためにも、その批判や批評や抗議や対抗こそが必要であり、それには一枚の「盾」だけでは足りないのが、ややこしい人間社会のように私は思えています。 湖
☆ 黄砂 2008年03月20日12:24 優 e-OLD多摩
北京五輪開催を支援はせぬが、それよりなにより、黄砂にギョーザ事件と同成分の農薬毒が混じっているのがコワイ、環境汚染がコワイ。
雨が上がればもろ降ってくる。雨にもたっぷり混じってる。花粉症、アトピー、アレルギーもろもろ無関係では有り得ない。
<中国の五輪ボイコット史>
1949年 中華人民共和国 建国
1952年 ヘルシンキ五輪 参加
1956年 メルボルン五輪 開会式直前にボイコット(理由は台湾問題)
1960年 ローマ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1964年 東京五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1968年 メキシコ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1972年 ミュンヘン五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1976年 モントリオール五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1980年 モスクワ五輪 ボイコット(理由はアフガン問題)
1984年 ロサンゼルス五輪 参加
1988年 ソウル五輪 参加
1992年 バルセロナ五輪 参加
1996年 アトランタ五輪 参加
2000年 シドニー五輪 参加
2004年 アテネ五輪 参加
2008年 北京五輪 開催予定
(ネット情報より転載)
☆ チベット 2 2008年03月20日13:59 恭
決意をあなたは伝える
これ以上暴動が広がるならば わたしは完全に引退すると
あなたの影響力はあまりに大きい
生涯の大半 半世紀以上を闘い続けるダライラマは非暴力を訴える
目前の危機を回避すること 犠牲者がこれ以上出ないことを訴える
無力に思えるか 非暴力 無抵抗
稀有至難の姿勢 それを貫くこと
屈辱や悲嘆を伴い そして死さえ同じ椅子に座っている
完全に引退することの意味は・・?
これ以降も新たな動きは生まれるだろう
状況は・・変わっていないのだから
ごわごわの茶褐色の衣の人々 恐ろしさ悲しさに縋りつく女たち
鮮やかな紅や朱の布をまとう僧侶たち
どの衣も塵に泥に粘液にまみれている
銃弾を浴び 夥しい赤い血を流して死んだ人たち
凝固した血は訴えている
未だ雪がれていないものの行方を
生きている人間は見定めなければならない
* 隠蔽と欺瞞と暴圧とでチベット問題に蓋をし、海外ジヤーナリストの取材を中国政府が不当に拒み続けるなら、オリンピック開会式を全世界がボイコットするようなことが有っても仕方がない。守られねばならないのは人命と人権と人間的な理性である。日本国政府も毅然とした姿勢を見せよ。また国連も動き出すべきである。
☆ 以前書いたことがありますが 2008年03月20日20:31 昴
昭和の三~四十年代頃だと思うのですが、アイヌのおばあちゃんが物語を語っている途中に、突然語るのをやめたことがあるそうです。
そして、「こんなの語って何になるの。もう聴く人もいないのに」というようなことを言って、やめたそうです。
豊富にあったアイヌの文化や言葉が徐々に消えていっていた時期のことです。
自分の使っている言葉がなくなるということは、使えなくなるということはとても怖いことだと思います。自分のこととして、ちょっと考えれば分かることだと思います。
チベットの人達も、文化や言葉が失われるという恐怖があったのではないかと思います。
日本の江戸時代や昭和期に起きた出来事が、現在起きていることに、驚きます。
想像力を育むこと、歴史を学ぶことの大切さを感じます。
教育力が決して低くない国であるだけに、残念でなりません。
* 雨。もうやむか、これから降るか。
☆ 雨ですね 2008年03月20日07:00 馨
ここ一週間ほど気の滅入ることが多かったのですが、少しずつ解決が見えてきて、今日くらいはどこかのんびり出かけようかと思っていたら、この雨。
とどめのように主人は夕べから熱を出しているし・・・。
今日はおうちライフするしかないかな。
昨日は妊婦検診。
普段は個人病院で検診を受けているのですが、そこは出産はできないので、分娩する大きな病院でもそろそろ検診を受け始めました。
ここは流れ作業になっていて、お医者様の問診、超音波検査、助産婦さんの検診など、受診の要素が全部小部屋に分かれていています。
最初の問診で担当して下さった女医さんがカルテを見ながら「あら、前回の出産、私が担当しているわ」。この病院は分娩は助産婦さん主体ですが、胎盤の処置などにはお医者様がいらっしゃいます。でも、もうこの頃には疲れ果てているし、あまりお顔を覚えていないんですよね。女医さんだったのは覚えているのですが・・・。
ところが、助産婦外来の部屋に入ったらこちらでは「あ! ご無沙汰しています」と、思わずご挨拶。
助産婦さんも下の子を生んだ時、担当して下さった方でした。こちらの方はお顔を明瞭に覚えていました。まだ産前の意識が明瞭なうちにご挨拶していますし、明るくてチャーミングな覚えやすい方でしたし。
助産婦さんのほうはやはりカルテを見ながら「そうですね、私が担当したんですよね」という感じでしたけど、相変わらず明るくて素敵な助産婦さんでした。
年間千件以上分娩を扱う病院で、お医者さんも助産婦さんもかなりの人数いる中、この組み合わせでお目にかかれたのは嬉しいびっくりでした。
いろいろなことがあって気が滅入ったまま行った病院でしたが、こういう小さなことでもちょこっと救われたりします。
ちなみにこの病院、未だに「助産婦」と名称を統一しています。巷では「助産士」や「看護士」といった言葉が席巻しつつあるけれど、やはり私は「助産婦さん」や「看護婦さん」という言葉が好きです。蛇足ですが、曾祖母は「お産婆さん」でした。
そのあと娘を迎えに行った科学工作教室で、久しぶりに幼稚園のママ友さんとばったり。相変わらずふわっとした優しい笑顔で、こちらまでふわっと気持ちが軽くなります。このお教室、主催している方が娘の同級生のママで、気の滅入っている私はこの方ともお話しできて、また気が軽くなり。
ママさん二人に助けてもらったな、と。
いろいろな小さな出来事に支えられて、人生って歩いてゆけるんだなー、と思います。
でも、声をかけられないくらい辛そうな方も見かけました。
昨日の病院で超音波室の前で待っていると、前に出てきた方がもう一度呼ばれて入り、暫くして出てきたあとは、ソファの端でずっと静かに泣いていました。
まだ妊娠初期かな、ほとんどお腹は目立っていなくて、ほっそりとしてきれいに髪をブローしている方でしたが、その髪が彼女がすすり上げるたびに揺れて、そばにいるこちらまで辛くて。
彼女の赤ちゃんが無事に生まれてきてくれますように。
雨だといろいろなことを思います。
* わたしは儒教の徒ではないけれど、惻隠の情という教えにはやはりながく頷いてきた。バラバラに一枚一枚一枚に過ぎない盾、盾、盾を繋いでゆく接着剤のようなものでもあるのではないか、惻隠の情とは。
☆ レッドソックス イラク開戦五年 ボストン 雄
・レッドソックスが、今年の開幕試合を日本で行なうことになっていたが、コーチなどのスタッフへ手当てが支給されないことに選手達が抗議し、日本へ行くのをボイコットするというニュースが入ってきた。結局、スタッフにも手当てが支給されることとなり、日本へ向けて発ったとのことで、ホッとする。
25,26日に試合が行なわれるようだが、時差のことを考えると、自宅のテレビでの観戦は不可能か。ロケーションフリーの入ったノートパソコンをラボに持って行けば、日本のテレビ放送でレッドソックスの試合が観戦できるかもしれない。さすがにそこまでする気は起きないが、日本からの中継で、レッドソックスの試合を見てみたいという気持ちはある。
いずれにせよ、もうメジャーリーグのシーズンが始まるのだな、と思う。去年は、初めてボストンに来て、いきなり優勝し、チームの勢いやファンの熱気、フェンウェイパークの雰囲気に、すっかりレッドソックスファンになってしまった。去年は1回しかフェンウェイパークに行けなかったが、今年はもう少し行きたいな。
・さて、今日でイラク開戦から5年が経つ。振り返って、いったいこの戦争は何だったのだろう、と思う。もっと言うならば、ジョージ・ブッシュが大統領の間にしたことというのは、いったい何だったのだろう。つまるところ、彼が大統領としてやったことは、父ブッシュが大統領在任中にやっつけることのできなかったサダム・フセインを仕留めることだったのか?そして、たったそれだけのために、これほどまでの人命が奪われ、莫大な金が費やされたのか?
今日、ブッシュは開戦の正当性を改めて演説の中で説いたそうだが、今更そんな言葉に耳を貸す人がいるのか、甚だ疑問。こんなにも希薄な根拠で8万人以上ものイラク国民を殺してきたアメリカに、チベットの民衆を弾圧する中国政府に対して、偉そうなことを言う資格など果たしてあるだろうか?
いずれにせよ、この問題が大統領選に影響を及ぼすことは間違いないだろう。イラクからの早期撤退を表明している民主党の候補者が勝つのか、それともイラク戦争支持の立場を明確に打ち出しているマケインが勝つのか。少し前ならば、民主党の候補者が勝つのは疑いないようにさえ思えた。しかし、人々のイラク戦争に対する関心は薄れつつあるようにさえ映る。実際、今日、全米各地で行なわれた反戦運動は、極めて小規模だったようだ。オバマとクリントンがお互いに潰しあいを行なっているうちに、気づいてみればマケイン大統領誕生なんていうことになるのかもしれないなと思ってしまう。
2008 3・20 78
☆ パラレルワールド(1/2) 2008年03月20日23:19 光
高校生の頃、習い事として「書道」をやっていたときのことである。半紙に書いた私の書を見た恩師に言われたことがあった。
「墨で書かれたときにできるこの白い部分、これを活かしなさい。」
私は、はっとした。それまでは、一生懸命、黒い墨汁で如何に整った字の形が書けるかどうか、に気を遣っていた。ところが現実には、それと同時に半紙の中に「白い形」も自分はつくっていた、ということに気づかされたからである。
デジカメで撮った写真をパソコンの画面で見ていたときである。
いたずら心で、左右反転してみた。そこには、いつもとは異なった風景が広がっていた。
別の世界? この世界はもともと存在しない、デジカメのシャッターを押すと同時につくられた(非現実な)世界、ということになる。
何か行動すれば、いつの間にか別の世界がつくられていく。
これは、パラレルワールドの入り口なのだろうか。
* 茶碗などの器ものを鑑賞するとき、器体の造形に目を取られてしまうものだが、わたしは器体が囲んでいる、或いは捉えている塊(マッス)としての内形をも想像してみる。「光」君の云うている墨書を包んでいる「白地」もそれに相当するか。
「余白」の美と盛んに云われてきた、書でも絵画でも。それは写真のトリミング効果にも関係している。
もう一つの「左右反転」にも、強い印象をもっている。いつの昔とも不確かだが、デジカメでの人の顔を、反転ではないが左に、また右に横倒しにして見てみると、普通では(失礼!)さしたる印象も持たない顔の造形美が、五倍にも八倍にも美しく輝いて見えるのを発見することがある。何度繰り返し実験(!)しても、横倒しの顔が通常の顔よりみごとに美貌に見えることがある。
そういう例もタマにあるということに過ぎないが、以来、わたしのデジカメの楽しみは、トリミング効果と横転・反転効果の「お遊び」になっている。
☆ 人の心を読み取る ハーバード 雄
今週号のネイチャー誌に、ちょっと驚くような論文が載った。内容は、「他人が何を見ているのか、その人の脳の働きを見ただけで、ある程度予測できる」というもの。既にネイチャー誌のオンライン版に掲載された時点でニュースになっていたようだが、今週になって雑誌に掲載された。
あいにく僕は、脳の高次機能に関する知識が乏しいので、論文を読んで分かりやすく解説することができない。
詳しい情報はhttp://wiredvision.jp/news/200803/2008031022.htmlを参照していただきたい。
これまでも、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて、人が本を読んだり、写真を見たりしているときの脳の活動を記録し、それと全く同じ事をさせて、その際のfMRIのデータから、何をしているのかを当てることは可能だったらしい。
しかし、今回の論文は、1750枚もの写真を見せ、その際に大脳皮質の視覚野から記録したfMRIのデータを元にモデルを作っている。こうしてできたモデルを用いることで、「全く新しいものを見たときでも」、そのfMRIの記録から、その人が見たものをかなりの精度で当てることができるという点で、画期的。
ある意味、他人の心の中までも読めるということになるわけで、「そんなことができるようになったのか」と神経科学の進歩に驚く反面、あまり好ましくない目的にも応用されそうであり、ちょっと怖いようにも感じる。
* かなり怖い。
2008 3・21 78
☆ 戻れるなら 2008年03月22日13:56 昴
小学生の頃に戻りたいなぁと思うことがある。
何も知らなくて、友達とひたすら遊んで、疲れて、時々けがをして泣いて、でもすぐにコロッと忘れて笑って遊んで、そんな頃に戻りたいと思うことがあります。
勝手気ままな、自由な生活を送る猫が帰ってきません。
寂しいです。
さて、午後は国木田独歩の恋文を文字の練習で書いて、その後、古事記の中巻でも読もうかな。日本書紀を読みたいとも思う。
万葉集も読みたい。でも、車を運転できないから図書館にいけないんだな。これが。
そうそう、ある会社に行ってきたのですがそれはどうだろうということがありました。担当の人はすごくいい人だったんだけど、他の人がいきなり玄関をほうきで掃き出したのにびっくりしました。いや、会社の信頼失いますよ、そんなことしたら。担当の人がすごくいい人である分、残念でなりません。
信頼を得るのって、難しいことですよね。
偉そうなこと言えないですけど。
昔に戻れるのならば、昔に戻りたい。
何も分からない子どもに戻りたい。
そう思う時がある。
* 元気な元気な社会復帰をこころより願う。
2008 3・22 78
☆ And most important, have the courage to follow your heart and intuition. ボストン 雄
今日は、昨日のディスカッションに基づいて、新たな実験手法を模索すべく、文献を探していた。幸い、「これはいけるかも」というものを見つけることができた。満足したので、昼食を挟んで午後は、昨日やり残した脳のスライス作製。
夕方にラボを出て、MIT近くのポルトガル料理の店Atascaへ。マイミクDoppyさんのご紹介で、お二人の方とご一緒した。あまり具体的なことを書いてご迷惑がかかるといけないのだが、お一方は司法の仕事に携わられている I さんという女性。もうお一方は、こちらの製薬会社のvice presidentをされている K さん。K さんは、実は、先週のコンサートでお隣に座られた K さんのご主人でもある。お二人とも個性的。I さんは非常にシャープな、頭の回転の早い方という印象を受けたが、K さんの強烈な個性には、すっかり圧倒されてしまった。
実はDoppyさんと I さんがお店に来られるまでに、しばらく時間があって、K さんと二人で飲んでいたのだが、K さんのこれまでの人生についてお話を伺って、そのスケールの大きさに圧倒された。
大学院修了時に助手として研究室に残るように教授に言われたにも関わらず、「自分のしたいことは、こんなところではできない」といって企業に入られた話。日本の企業で収まり切れずに、アメリカに留学し、こちらで会社を立ち上げた話。そして、ご自分の日本での出身研究室から教授として戻ってこないかとお話があった際、ご自分の作られた会社を見せ、「自分のやりたいのは、このような規模のことだから、とても大学などには戻れない」と一蹴された話。日本の大学のポジションのことなどを、ちまちまと考える自分がとても小さく感じられた。
そんな話だけでなく、何でものめり込んでしまう性格に関するお話、日常に関する下らない話なども可笑しく、大笑いさせて頂いた。
料理も美味しかった。こちらで、これだけの魚介類を口にしたのは初めてかもしれない。イカなども、こちらではカラマリといって、イカフライのように油で揚げたものは良く見かけるが、僕は実はこれが苦手。だが、今日食べたイカは輪切りにしたものを茹でてあり、ソ
ースがかかっているもので、これは僕の好物。イワシを塩焼きにしたものなども、こちらに来て初めて口にすることができた。ワインも美味しかった。なんとK さんが、全員の分をおごって下さった。申し訳ないと思いつつも、有難くご馳走になる。
K さんが繰り返しおっしゃっていた言葉で印象的だったのは、
「自分を枠に填め込もうとするな。自分の好きなことを、好きなようにやれ」ということ。
今年の1/26の日記でも紹介した、AppleのCEOスティーブ・ジョブズの講演の言葉を思い出した。
“Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma ― which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.”
* これら先達・先輩の教えは、有効で尊い。だが、また、成功者の気炎でもあり、よく聴いて考えれば、この人達のこういう言葉にすら囚われてはいけないよと云う意味にもなっている。それでも、「自分を(社会や世間や時代の強いてくる=)枠に填め込もうとするな」という一言は大きい。
「枠」とはいわば悪しき教育の強いてくる、牢獄。そこへ安易に進んで落ち込めば、もう立ち上がれなくなる。出られなくなる。
わたしもこの「枠に填らないでいたい」流儀でやってきたと思っている。思っているが、「自分の好きなことを、好きなようにやれ」という流儀は、あまり安易には人に奨めなくなっている。「我は我と云うことやめよ 奴凧」と、年初に述懐した。自分で自分の口に轡をはめて得意そうな人はいるのである、この世間には。大勢いる。
全てのコーチから縁を切って大事のマラソンに臨んだ高橋尚子の、あの失敗もあった。適確なコーチの助言を真摯に聴き、世界の頂点にしっかり立ってきた、モーグル上村選手の偉業もあった。
「名伯楽」は、いる。しかし出会うのが難しい。その気がなければ絶対に出会えない。
2008 3・22 78
* 「mixi」に連載の『もらひ子』が、何人もの読者達を得ていると、実感できる。気恥ずかしいが。一回ごとに思いつきで写真一枚ずつを添えているのも、わたし自身の気の弾み。
☆ チベット、中国、日本 2008年03月22日17:17 優 e-OLD 多摩
「チベットの真実」に関する、東京では見られないTV(とくに10CH、中国べったりの加藤解説委員の「報道ステーション」では絶対ありえない報道内容の)番組、ラジオ番組の一般公開URL(画像、音声)が、仲間から回ってきたので紹介します。ここでは特に論評しません。是非はご自身でご判断下さい。
続いて、5月来日予定の胡錦濤中国国家主席の経歴(Web専門情報)を紹介します。
関西ローカルの「アンカー」という番組で、青山**氏が解説したチベット蜂起がYouTubeで流れていて、ひじょうに説得力があります。
いつ消されるかわからないので、興味のある方は早く御覧になってください。
1. http://jp.youtube.com/watch?v=obbFja9-sVY
2. http://jp.youtube.com/watch?v=6u5_zDb2UWE
青山氏は、毒餃子事件の直後にも同じ番組で、その後の展開をみごとに言い当てる名解説をおこなっていました。
TBSラジオ「ストリーム」での勝谷**氏の解説も流れています。
3. http://jp.youtube.com/watch?v=h5YBtZxSSHw&feature=related
4. http://jp.youtube.com/watch?v=LMZctkPQwDU&feature=related
関西のTVや、ラジオというマイナーなメディアで流れた情報は一昔前では、狭い範囲で終わってしまったのですが、今はネットのおかげで共有することができるようになりました。
東京の大マスコミが権威を失うのは当然でしょう。
* 「中国共産党によるチベット虐殺史」
1951年中国共産党人民解放軍がチベットに突然侵攻、無差別に民衆を大虐殺。人民解放軍がチベットに侵攻支配後には、侵略した中国に対して当然のごとくデモが起きていた。
しかし1987年9月、1988年3月とラサで大きなデモが発生すると、たびたび起こるデモにたいして、歴史に残る残虐な大虐殺が実行された。この大虐殺を実行指揮したのはチベット自治区の書記(チベット自治区総督)として新たに就任した、胡錦濤という人物。
後に、このチベット大虐殺が江沢民に認められ、江沢民の後継国家主席として江沢民より今の中国国家主席の地位を譲り受け継いだ。今年、北京でオリンピックを開催する中国国家主席、胡錦濤がそのチベット大虐殺を指揮した人物である。
* いろんな仕事をした。仕事をして、思って、惟って、想って。太極拳の呼吸のように静かにことばを吐く。
☆ 春の一日 2008年03月22日23:34 珠
気の滅入る週だった。先週後半から何となく嫌な予感のしていた出来事が、週が明けた頃から小さく燃え始めた。
仕事上のこと、相手は病を持っている、だからその攻撃にも心に白衣で受身をとるが、飽くなき口撃やその行動に、ほとほと疲れた。いろいろ考えて行ってきたことも、向けてくれた笑顔も、一瞬にして攻撃に変わる。
これもサービス業、そうならないようにするのがプロのケアなのだから、予測が甘かったと言える。何故そうなるのぉぉ、、、という展開に、あれこれ手を打って、ひとまず収拾はつけた。多分、ついたはず。
無力感。現場で人に学び、落ち込み、反省して、考えて、また向かい、そうして何度も繰り返してきて。大事な経験だけど人は皆違うから、この経験も役に立たないこと、未だ多くある。
何かできると思ったら大間違い、何もできないから、できたらと願って、やる。ずっと、そう思って続けているけど、できないことばかりをズラーッと並べ、思い知らされるような時は、こたえる。
テレビ゛をつければチベット。
ここでも自分を思い知る。怒りを、憤りを、哀しみを、祈りを、自分の感情を、どう行動に表したらよいのだろう。これをすれば社会の為になる、人の為になる、わかるならやります、と思う。
自然に息ができ食べて寝て、失敗して学んでまた失敗するような仕事をして、こんな幸せをただシアワセと受けとっていてよいのだろうか。罰があたるようで、いけない気がする。でも、どうしたらよいのだろう。考えてはいけないような、考えなければいけないような。
こういう重さをふと忘れてるのは夢中な時。
一昨日、そして今日。忘れてたのはこれらの時。
* ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 「パレルモ・パレルモ」
もう20年も前に初めて舞台を観た時から、魅かれて欠かさず足を運んでいる。穏やかな表情になってきた、ピナ。舞台も激しさから柔らかさに満ちてきた。なぜだろう、どんな人をも、「あなたでいいよ」と言ってるように聴こえる舞台。
* オランダ・バッハ協会演奏 「ヨハネ受難曲」
教育テレビで流れていて、片付けながら聴いていたら手が止まっていた。バッハの作曲した頃のようにと、室内楽のように。教会では自分の歌う時に立って一歩前にでて歌うという、そのように。教会の礼拝に出かけるように全員背広とネクタイで。奏でられる音は歌声に寄り添って静かに響き、沁みた。
* 当流家元古稀記念 好み物展
青竹の花入に様々な花が生き生きと。千家十職さんの作られた家元好み物「今」に添えてあった。会場の三分の一には、大福茶や二条城観桜の茶会、祇園会の茶会や還暦の茶会道具が展示されていて、宗旦の短冊や葵の紋の入った茶碗など、時を過ごしてきた道具に魅入られたようで、身体のちからが抜けていた。
皆、自分のできることをしている。
先月逝った友も、土に還った。生きている間だけでいいのだから。わたしは、できることしているか。春の一日に想う。
* この人の日々の「仕事」は、想像を超えた難しさ、苦心苦労の多さであるに違いない。この人自身がバランスするのに懸命であることが察しられる。地の塩である。
2008 3・22 78
* 雑誌「ひとりから」に載ったわたしの講演『憲法は抱き柱か』は、同じこのホームページ内に在る、「e-literary magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯」の「講演」部に掲載しておく。
2008 3・23 78
* マイミクさんたちの日記は、一つには楽しんで、一つには文藝としての一定の批評意識から毎日読み取っている。いかにも日記、いかにも記録、というのでなく、一文としての興趣と纏まりを愛しているのは云うまでもなく、長いか短いかは問うていない。むろん、お人により此処へは転写できないと判断している人も、転写をゆるしてもらえる人もある。
☆ 十年 2008年03月23日11:31 馨
昨日の朝のこと。前日に2時まで起きていたのでいつもは家族で一番早起きなのに、つい寝坊。
カラカラカラ…という音で目が覚めました。
見回すと、音はトイレの中から。開けてみると息子が、にかっと笑顔でご挨拶。カラカラという音は、息子がトイレットペーッパーすべてを便器に突っ込んでいる音でした。ご丁寧にスペアのロールまで!
他にも、目覚まし時計は分解されて床にあるし、洗濯物は全部バラまかれているし…。
大慌てで着替えて、朝ご飯の支度をして息子の面倒をダンナ様に任せると、今度は娘へのお説教。(ここのところ片付けや言葉遣いなど、我が家では強化期間です。)
その後、片付けものをしていて、はっと気がつくと庭でお友達と遊んでいる娘と一緒にいたはずの息子がいない!!
慌てて夫婦二人で探しに出ていると、暴れる息子を抱えながら主人が帰ってきました。
聞けば、ご近所のパン屋さんのお姉さんが連れてきてくれたとのこと。
あぁ……。
*
先週、生け垣の隙間から脱走したので、大急ぎでその穴は塞いだのですが、今度はどこから抜け出したのか!?
門の周りでどこだろう、と考え込んでいると、息子がまたしてもにっこり笑ってバイバイと私に手を振り、そのままクルリとしゃがみ込んで門の下の30cmほどの隙間にずるずるずる…とオシリから突っ込んでいく!!
こらぁ~! と、つまみ上げて家の中に連れ込んだのですが、窓や玄関の鍵を簡単に開けて自分で靴を履いて出て行ってしまうので、門の内側にもう一つ出入りの柵をつけるしかないようです。
主人曰く「これじゃぁ、『どこまでもどこまでも歩いて行けるよ』じゃなくて、『どこまでもどこまでも歩いて行っちゃうよ』だよ」
ごもっとも。
男の子って、どうして一瞬でも目が離せないんでしょう。
これって、我が家だけなのか、男の子一般なのか…。
娘が2歳の時はこんなにはらはらしなかったし、いたずらなんてたかが知れていたような…。それとも過去が美化されているだけかしらん。
こんなのがまた一人増えるんですねー、六月に。(どうやら三番目も男の子らしいです。)
*
午後から主人は息子を連れてラティスや柵を買いに行ってくれ、娘はお友達と遊びに出かけ、私はようやく一息。
気がつけば、昨日は十年目の結婚記念日でした。
それなのに、朝から息子の後始末と娘の説教で一日が暮れようとし、一人になれる瞬間が最大に癒される時間、というこの現状。
結婚記念日を祝おうにも「これ連れて行かれるお店なんてある?」と、息子を見ながら話し合うしかない状況。
それでも、一度だけ行ったことのある中華街のお店に行くことになりました。それほど高級店ではないのですが、味だけは確かだし、子連れOKなお店なので。
家族で外食っていつ以来だったかしらん。
お腹を減らした息子は、珍しく着席して食べ続けてくれたのも、ほっ。
子どもが座っている、ということくらいで幸せを感じられるなんて、幸せの閾値が低すぎるとは思いつつ…。
午後に一人の時間をプレゼントしてくれたダンナさんに、お礼に「好きなだけお酒をどうぞ」ということにしました。つまり、帰りの運転は私です。
運転は嫌いではないのですが、動体視力の悪い私は高速だけは苦手で、横横を使う帰り道の運転を私がする、というのはかなりドキドキ。
アルコールが入っていたはずの主人もしゃっきりと助手席で目が冴えたようで、後ろの娘にも緊張が伝わったか、喋りっぱなし。
そして一人で眠りこける、ここでもマイペースな息子。
十年前は、こんな家族になるとは予想もつかなかった…。
十年後はどうなっているのか、せめて落ち着いて食事ができているといいなぁ。
* 懐かしさと憧れとが、こういう「文藝」につい引きよせられる。これは記録である以上にそれなりの「表現」という藝を得た一文と読み、楽しんだ。
☆ 雑誌のスタイル、マタイ受難曲 2008年03 月23日14:58 ボストン ハーバード 雄
朝一番に、日本の元ボスからメール。先週送った、大学院生の論文の改定稿がJournal of Biological Chemistry誌(略称:JBC)無事に受理されたとのこと。ようやく論文が通ったということで、僕もホッとした。僕自身も第二著者として名を連ねているので、そういう意味でも嬉しい。
先日の日記にも書いたが、この日記の筆頭著者は、西アジアの某国からやってきた留学生。研究室に加わるまでは、全く異なる専攻だったこともあり、生物学のことを本当に何一つ知らなかった。そんな彼がJBCの筆頭著者になったというのは、何とも感慨深い。
今では多くの日本人がネイチャーやサイエンス、セルなどの超一流雑誌に論文を発表しているので、JBCのことを良く言わない研究者も少なくない。それでも僕は、この雑誌が好き。自分の学位論文もこの雑誌に掲載されたし、自分の送った原稿がJBCフォーマットのゲラとして編集部から送られてきた時は、本当に嬉しかった。JBCに限らず、自分が苦労して通した論文が、ゲラ刷りになって編集部から送られてくると、本当に感慨深い気持ちになる。最近はJBCに限らず雑誌の個性が失われる傾向があり、多くの雑誌のフォーマットが似通ってしまいつつある気がする。少し残念。
*
夕方からシンフォニーホールへ。実は今日は、こちらでお会いした日本人の方々の歓送会が大々的に開かれ、僕も是非参加したかったのだが、申し訳ないと思いつつ参加を断念した。こんなことならば、平日のチケットを買っておけばよかった。
このコンサートは、シンフォニーホールのコンサートシーズンが始まった昨年の秋にスケジュールを見て、いち早くチケットを入手したコンサート。このシーズンの中で、これだけは外せないと思っていた。
演目はバッハの「マタイ受難曲」で、指揮者はベルナルド・ハイティンク。1929年生まれだから、来年には80歳になる。今、生きている指揮者の中でも僕が最も敬愛する指揮者の1人であり、特にウィーンフィルとのブルックナーの交響曲8番のCDは素晴らしい。特別なことをするわけではないのだが、丁寧な音楽作りが素晴らしい。
ボストンシンフォニーのオーケストラのメンバーもハイティンクを敬愛しており、毎年客演してもらっているらしいが、あいにく去年は聞きそびれてしまった。おまけに演目がマタイとあっては、どうしても外すわけにはいかない。
ご存知の方も多いと思うが、バッハの「マタイ受難曲」は、新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にした作品。実は明日はイースター(復活祭)。だからこそ、この演目をぶつけてきたのだろう。全曲の演奏時間は3時間にも及ぶ、超大作。
冒頭のコラールから、既に圧倒される。タングルウッド合唱団の実力は、やはり抜群。ハイティンクのテンポは、想像していたよりもかなり速めだった。逆にいうと、リヒターのものが遅すぎるのかもしれない。
正直言って、ちょっと残念だったのはソリスト達。特に福音史家とイエス、そしてアルトのソリストが、ちょっと期待はずれだった。特にアルトには、「憐れみ給え、わが神よ」というアリアがあり、これこそマタイの中でも名曲の誉れの高いものなので、かなり過大な期待をしていただけに残念。ただ、幸いなことに、この曲はヴァイオリンのソロにのせて歌われる曲なのだが、コンサートマスターのソロが抜群に巧かったことにも助けられ、感動的なアリアを聴かせてくれた。
このアルトの有名なアリア以外でも、ソプラノのアリアではフルートのソロが伴奏を務める曲もあるし、バスのアリアではチェロのソロが伴奏を務める曲もある。今までCDを聴いているだけでは気づかなかったが、これらの伴奏は信じられないほど難しい。特にチェロに関しては、この伴奏だけを務めるチェロ奏者がいたほど。こんなに難しい曲だったのかと、あらためて驚いた。
後半に進むにつれ、合唱の演奏は益々素晴らしく、力強くなり、感動的だった。特に、終曲の「われらは涙流してひざまずき」は、この大作を締めくくるに相応しい、素晴らしい演奏だった。
全体を通して感じたのは、ハイティンクの棒の確かさ。実に明確に、彼の意思が伝わる指揮ぶりだった。とても来年で80歳とは思えないほどの力強い指揮だった。指揮台には椅子が用意してあったが、ハイティンクは一度もそれに腰掛けなかった。
演奏が終わり、ほぼ全員がスタンディングオベーションで迎える。このときも、裏方から譜めくりに至るまで、多くのスタッフにハイティンクは気を遣っており、彼の誠実な人柄が伺えた。
もう少し僕にキリスト教に関する知識があったなら、もっと愉しめたに違いない。これは、こちらの美術館で中世ヨーロッパの作品に触れる際にも感じること。そうしたことについて書かれている本でも読んで、少しずつでも知識を増やしていけたらと思う。
* 残念だが、わたしはバッハの『マタイ受難曲』を知らない。聴いたことがあるかどうか、分からない。しかしこの曲に触れてメールを呉れる友達がいなかったわけではない。わたしの音楽は、その程度に行き当たりバッタリの域を出ていないということ。
わたしはかの有名すぎるほどのビートルズとやらについても皆目認識がない。求めて聴いたことが一度もなく知識はゼロに近い。むしろわたしはバッハやベートーベンなどを好んできた。クラシック音楽は好きだと言って間違いないが、やはり行き当たりバッタリのフアンに止まっている。愛好といっても、美術でも工藝でも演劇でも、ま、そういうものだろう。能と歌舞伎と、日本の古典文学と、近代文学とぐらいか、専門なみに、ま、触れてきたのと言えるのは。
「雄」君の感想を読んでいると、音楽の美味に舌づつみを打っているようで羨ましい。妻も、そう云う。
2008 3・23 78
☆ ご無沙汰しています。 福
「mixi」に日記を書くことはしなくなりましたが、元気ですよ。
全くの他人とも思えず、親しみを感じています。
機嫌良い風に暮らしてはいますが、相変わらず自分のなかで吐き出している言葉は多々あって、ホントは機嫌を損ねている! 部分を解消するのが難しすぎて困ります。
縁もゆかりもないようなあるような先生あたり(とは失礼な!? ですね)に心情報告して、愉快な話に摩り替えられたらいいのかも知れません。顔も見ずに書き散らすのももどかしいし、会って笑いとばしてもらうのも、東京ではちとスグには叶いそうにないし…。
台所の窓辺にチューリップを植えていたら、すぃーと伸びて、真っ赤なのが昨日咲きました。ちょっとどぎつい赤い色でびっくり。
家の前の桜はぷくぷくに芽が膨らんで、開花寸前、歓声間近。
秦さんもお元気でどうぞ。
2008 3・23 78
* 「mixi」の足あとの一つに、いわゆるハヤリの「金もうけ」の手の内を、ことこまかに紹介して長々しいのを、参考までにコピーした。幾つも幾つも胡散臭そうなサイトを紹介し、とにもかくにもそれへ人にアクセスさせると、点数がカウントされ報酬が出ると云っている。そういうことをしてくれる仲間を公然と広く募集している。
胡散臭いサイトを世の中に蜘蛛の子をまきちらすように無数に広げようと云う策略だ。寄ってくる足あとの大半は、そういう手に乗りアクセスを誘おうというモノ、同時にさらにそういう誘い仲間を誘い込もうとしている。
「mixi」はそういう連中に膨大な数、もう蚕食・蠹蝕されているように想われる。「mixi」が、上場企業として健康で晴朗なソシアルネットでありたいなら、こういう情況に、誠実な対策がなければならない筈だ。会員の日記をあわよくば他の形で都合良く商品化しようなどという、著作権の何であるかも知らない画策よりも、自己環境の浄化に手を付けないと、有料会員達の退散ラッシュに遭遇するだろうと思う。
2008 3・24 78
☆ 東京 街で。 2008年03月24日00:28 珠
休日は、用事がなければ稽古ぐらいしか出かけない。人ごみは疲れる。以前は街や店をウロウロするだけで楽しかったが、あまり目まぐるしく街も店も変わるので落ち着かず、もうほとんど出なくなった。だから出た時にはキョロキョロする。
研修で、昨日久しぶりに新宿へ行った。帰り、都庁から新宿駅西口方向へ歩くその前方、建築中の高層ビルが目に入った。
不思議なビル。
形はまるでお琴を縦にしたようで、茶道具「ぶりぶり香合」そっくり。四角い窓はなく、白い紐をぐるぐる巻きつけたようで、そのちょっとした紐と紐の間が窓らしい。上の方には、まるで仮面ライダーの目のような、透明に膨らんだところがある。他のビルとは全く違う。銀座にある高級ブランド゛の入るビルがこういうモコモコした形だったが、大きさが違う。イメージ゛は竹を巻いた感じなのだろうか。それにしても周りのビルとはそぐわない。いったい中には何が入るのだろう。久々の新宿で、らしからぬビル目撃、驚いた。
西口地下街には人の列ができていた。若い女性ばかり、警備員さんまで出ている。たどってみたら「ゴディバ゛」のチョコレートショップだった。今時どのデパートにもあるのに? と思ったら、アイスクリームとショコラドリンクをその場で買って食べる? 飲むショップ゜だった。濃い茶色に白いクリームという彩りもお洒落な飲み物を、皆嬉しそうに手にしていた。
うー、甘そう。でも、一口だけ味見したいと思わせる笑顔ばかりだった。
*
先日、小田急線の新百合ヶ丘駅近く「テアトロ ジーリオショウワ」という昭和音楽大学のホールでピナバウシュを観た。新しく出来た音楽大学のホールというので期待したが、今ひとつピンンと来なかった。音楽大学のホールなのだから、音響は良いのだろう。今回は舞踊、古いピアノ6台でのチャイコフスキーは清んで行き渡っていたように思う。
それにしてもホール内の動線が悪すぎる。女子トイレへの長蛇の列が、そこしかない狭いエントランス兼ロビーにのび、パンフレットを購入するための列もできて、もう混乱・混雑。おまけにグラスワインなども販売し、手にした人が其処此処に立つ。寛ぎのスペースはほとんど無く、カフェはすぐ外に見えるが雨に濡れなければゆけない。道の行き止まりにあるホールで、車寄せも駐車場もない。このホールで今後コンサートなどが開催されそうだと聞いていたが、これでは大変だ。高齢者も多く住む地域、歩かなければ着けないホール、中も階段ばかり。
ここは元気な音大の学生さん向けホールにしておいた方が、いい。
*
新百合ヶ丘へは車で行ったが、駐車場が無くてホトホト困った。駅近くの複合ショッピングセンターの駐車場に何とか入れたが、帰りはその混雑に降参した。急な坂道発進での出庫に車が連なり、漸く出庫した挙句、駅のロータリーを一周して戻る以外帰りようがない。駅のロータリーへは、バス・タクシー・一般お迎え車全て一緒に一車線だけ。渋滞するのは明らかだが、其処しか道がない。急行の停まる駅、昔は無かった駅を計画的に開発して出来たはずだがどうしてこんなことになったのだろう。実家近くの駅なのだが、驚くほど動線の悪い、澱んだ駅周囲になっていた。
街の開発とは難しいものだとつくづく思う。
* 東京という街への自ずからな批評。巨大さに呆れたように慣れていると、視野が鈍に無感覚になる。
2008 3・24 78
* マイミクのお一人が、中国人の「知識分子」三十人連名とともに、彼らの対チベット問題に対する中国当局やチベット政府に対する要望ないし批判を紹介されている。それが中国国内に現住の「知識分子」が国外で意思疏通した団体であるのかが、ちょっとこのままでは分かりづらい。
国際ペンの関連で云えば、中国には、国内に、国際ペンに加入したような協力しないようなすこし気難しくて対応に我々も苦慮するような「中国ペン」があると同時に、おもに国外に拠点を置いた「もう一つの中国ペン」の団体もあり、後者は本国ないし本国ペンに対してかなり厳しい姿勢と主張をもっているように理事会でも報告されている。
マイミクさんの紹介されている意見や主張も、国内で公にされているものとは思いにくい。今の中国でこれほどのことを連名で明言し声明すれば、公に糾弾され逮捕に到るのではなかろうか。国外で活動している人たちならば、逆に明瞭に理解がきく。
それで、わたしは、マイミクさんの情報に感謝しながら、掲げられた「知識分子」三十人の氏名は掲げないし、列挙された意見・批判・要望等のニュースソースも、信頼できるとだけ書き添えて、具体に掲げないことにする。以下の箇条書きは、原文の然るべき日本語訳であると受け取れる。
☆ 30人の中国知識分子が、連名で、チベットのこの局面の処理に関する意見を表明。(以下、原文を引用)
① 目下、中国公式メディアの偏った宣伝的報道は、民族の仇敵を煽動し、状況の緊張を激化させる効果があり、国家統一維持の長期的目標に非常に有害であり、これを停止することをもとめる。
② われわれは、善意、平和、非暴力の原則を遵守し妥当に民族問題を処理したいとするダライ・ラマの平和的呼びかけを支持する。無辜の平民に対するいかなる暴力行為を譴責し、中国政府に暴力的鎮圧を停止するよう強烈に促し、チベット族民衆に暴力活動を行わないように求める。
③ 中国政府は「ダライ集団が組織的にあらかじめ策謀を練った計画的な事とするにたる証拠がある」というが、ならば、その証拠を提示し、国連人権理事会に対し、その証拠、事実過程、死傷者数などについての独立調査を求めるよう、政府に提案する。それをもって、国際社会の相反する見方や不信感を改変すべきである。
④ われわれは、チベット自治区中国共産党指導者がいうところの、「ダライは袈裟を着たけだもの、人面獣心の悪魔」といった文革時代みたいな言葉が事態の収束になんの役にもたたず、中国政府のイメージに不利であると認識する。我々は、国際社会にとけ込もうとする中国のために尽力し、現代文明にふさわしい、執政の風格を示してゆくべきであると思う。
⑤ われわれは、ラサで暴力行為が発生した当日(3月14日)、チベット自治区で責任者が「ダライ集団の組織的であらかじめ策を念入りに練った計画的事件であるとするになる十分な証拠がある」と説明したことに注目している。つまり、チベット当局は早くから暴乱が発生しうると知っていたわけで、それをむしろ有効に阻止できず事態を発生、拡大させたわけであり、これは内部に汚職が存在する、ということではないだろうか。厳粛な調査、処置を行うべきだ。
⑥ もし、最終的に、これが組織的、あらかじめ策を練った念力な計画的事件であると証明できないならば、これは民間暴動が惹起させられたものであり、暴動を惹起させ、かつ捏造、虚偽情報で中央と国民をだました責任者を追及すべきであり、教訓をまじめに反省し、経験を総括し、今後同じ轍を踏まぬように、しなくてはならない。
⑦ われわれは、チベット民衆に「踏み絵」を踏ませたりや後で責任を負わせるようなことをしないように強烈に要求し、逮捕者に対する審判は、公開、公正、透明な司法プロセスに従い、各方面が心から敬服するような効果に到達しなければならない。
⑧ 中国政府が信頼できる国内外メディアにチベット自治区内で独立した取材報道を許可するよう求める。目下、この種のニュース封鎖は、国民、国際社会の信頼をえることがかなわず、中国政府の信と誠をそこなう。もし、政府が真相を昇格しているなら、あれこれあら探しされることを恐れないはず。ただ、開放的態度があってはじめて、目下の国際社会の我が国政府に対する不信感は転換できる。
⑨ われわれは、中国民衆と海外華人が冷静と寛容を保ち、深く物事を考えるよう呼びかける。激烈な民族主義の態度は、ただ国際社会の反感をまねき、中国の国際イメージを損なうだけだ。
⑩ 1980年代、ラサに限定されていたチベットの動揺がこのように、チベット各地に拡大した。このような状況の悪化は、対チベット工作に重大な過失があったことを反映する。関係部門は痛恨の極みと反省し、失敗した民族政策を根本から改変すべきである。
⑪ 今後、同類の事件発生をさけるため、政府は中国憲法で明記されている宗教信仰の自由と言論の自由の権利を遵守し、チベット族民衆に十分、彼らの不満と希望を表明させ、各民族国民に自由に政府の民族政策の批評と提案を表明させなくてはならない。
⑫ われわれは、漢族チベット族の誤解をなくし、交流を展開し、団結を実現し、政府部門であろうが、民間組織、宗教人士であろうが、すべてがこのために努力するよう希望する。われわれは民族の仇恨をなくし、民族和解を実現せねばならず、民族間の分裂拡大を継続させてはならない。ひとつの国家が領土の分裂をさけるには、まず民族間の分裂をさけなければならない。
* かなりに原則的な意見が出ていて、あの広大な中国で、求心力の著しく低下した共産党支配に対して、こういう原則的な反対や批判意見を持った人は、むしろ今や少数ではないだろう、が、しかも、それならばこそ一層コ・キントウ政権はこういう声の弾圧や抑圧に躍起になっているに違いない。一つの強い「情報」として、ここに紹介し広い関心を誘いたい。
日中友好協会や日中文化交流協会が、また日中親睦の代議士団が、この「文化的虐殺」と云われている事態に、どんな意見表明や働きかけをしているのか、ぜひ知りたい。ステイツマンシップのかけらも感じさせない福田総理や高村外相にものを聞く気にもならない。
2008 3・24 78
* けさもエゾナキウサギくんを見上げていて、この魅力は、「円満」の二字の体している魅力なんだなあと感嘆しきりであった。同じナキウサギくんと対面している人の、昨日の「案山子」さんばかりでないのに、思えばアタリマエだが、びっくりしている。同じカレンダーを愛用している人が多いということ。このエゾナキウサギの保護を民間運動している北海道の人からも今朝メール・メッセージをもらった。嬉しくなった。
カレンダーというと、つい一年分の写真や繪をさきに観てしまうのがつねだが、というのも二ヶ月分ずつ六枚カレンダーが多いからだが、この新日鐵カレンダーは、十二ヶ月ぶん一枚ずつで、一枚目の一月の写真がとてもよかったので、堪えて一と月経つのを待って、楽しみにめくることにした。だからやがて四月になって何があらわれるか知らない。三月のエゾナキウサギには痺れるほど嬉しくなった。
* ナキウサギの写真
ごきげんようお過ごしのこと、なによりです。
エゾナキウサギのこと、わたくしの文章はいかようにもお使い頂いて構いません。写真はもともと私の撮影でなく、ある企業のカレンダーの三月分として然るべき写真家の著作権のある写真を拝借しているので、そのてんだけ念頭においていただかねばなりませんね。
円満ということばが好きですが、このエゾナキウサギくんの嬉しさは姿態のまさしく円満にあるのだなと対面のたびによろこんでいます。
大切にしたい愛すべき命そのものです。
「mixi」日記で、あなたの、読み応えする文藝と述懐やご意見に触れ続けたいと願っています。 秦 恒平・湖
* 空の遠くで爆音が尾をひいている。観もしないで白い雲が目に浮かんでくる。春が来ている。
そうは云うがヒマラヤの氷河が目に見えて消えてゆくというではないか。大河の起源が涸れてゆくと想像するとゾッとしてくる。あれもこれも、それもどれも、ヘンなことばかり世界中で起きていて、しかも春はまだ春の容貌をして近寄ってくれる。四季の神よ、八方の風神よ、方神よ。安らかにあれ。
2008 3・25 78
* 空の遠くで爆音が尾をひいている。観もしないで白い雲が目に浮かんでくる。春が来ている。
そうは云うがヒマラヤの氷河が目に見えて消えてゆくというではないか。大河の起源が涸れてゆくと想像するとゾッとしてくる。あれもこれも、それもどれも、ヘンなことばかり世界中で起きていて、しかも春はまだ春の容貌をして近寄ってくれる。四季の神よ、八方の風神よ、方神よ。安らかにあれ。
☆ 遠野ユースホステル 2008年03月25日00:26 光
自動車の免許を取り立ての頃、車でどこまで行けるのか、急に旅に出たくなった。
学生の特権、長い夏休み、目的地なく、北へ行ってみよう。東京から東北道でひたすら北上する。
仙台も過ぎた辺り、高速道路の単調な運転にも飽きた頃、ふと、遠野に寄ってみたくなった。
遠野物語、カッパ淵の、あの遠野である。
*
遠野はのどかな風景だった。
人もいない。私一人、カッパ淵でブラブラするくらいである。
ふと気づくと、私と同じように観光できたのであろうか。
旅してますよという格好の、学生風の女の子2人組がカッパ淵をのぞき込む。
今でも不思議に思うほどである(一人が寂しかったのだろうか)。
コミュニケーション下手の普段の私なら絶対しないであろうことを、あのとき何故したのか。
「旅行ですか? どちらから?」
お互い学生ということもあるし、今から思えば、遠野に来るくらいだから何となく趣味があったのかもしれない。
3人で話が盛り上がる。
彼女たち二人も遠野で初めて出会ったのだという。
彼女たちはいう。「今日はどこに泊まるの」
「まだ決めてない。車で一泊かなぁ。」
「それなら、遠野のユースホステルに来ない? 私たちも泊まってるし。」
彼女たちは親切にも、ユースホステルに連絡を入れて部屋を予約してくれた。
ユースホステルは、安さと気軽さでバイクのライダーさんとか一人旅の人が多く利用しているという。
私は、ユースホステルは知っていたが、利用は初めてであった。
林間学校的な、お酒ダメ、消灯時間あり、シーツ交換はセルフ、みたいなイメージがあったが、他にあてもないのでご厚意に甘えてユースで一泊することになった。
*
私は、いまでも「遠野」のユースホステルしか知らない。
でもきっと、「遠野」のユースホステルが一番なんだと信じている。
「談話室」があり、夕食後、宿泊している一人旅のみんなで集まってのワイワイがつきなかった。
「どこから?」「へぇ~」「あそこ、行きました?」「あれ、お勧めですよ~」「そろそろお休みなさい」「おやすみ~」
翌日、朝食後、みんなそれぞれ次の目的地へ旅立っていく。
自然と外に出て、みんなでワイワイお見送り。「気をつけて」「またね」「元気でね」
彼女たちも、それぞれ、次のユースに向けて旅立っていった。「ありがとう」「じゃあね」
当然、目的地のない私が最後になった。
ぽつんとまた一人になり、自動車に乗り込む。
「東京へ戻ろうかな」
*
高速道路を南下する。一人、静かな車内。
そういえば、結局、連絡先も何も聞いてないなぁ。もう二度と会う方法もないんだ・・・。
楽しかった、昨日の談話室。もう二度とないんだ。
そう思った瞬間に、高速道路、運転中なのに、涙が溢れてしかたがなかった。
* 「光」クンが学生だったのは、遠野へこういう旅をしたのは、もう十数年前になる。君はいまでは博士であり母校での「先生」だ。その人のこういう思い出を聴くのは、「空の遠くで爆音が尾をひいている。観もしないで白い雲が目に浮かんでくる。春が来ている」という感じで、嬉しいいい気持ちだ。
この人の、アンコールワットを訪れた旅日記を読んだのはもうよほど前だ、「e-literary magazine 湖(umi)」に投稿してくれた。
あれもユースホステルといったのだろうか、わたしが『北の時代 最上徳内』のために北海道の海縁を東へ東へ、そして北へと経巡っていったとき、尾岱沼の「牧場の宿」へやはり「光」くんと同じ、こんなふうにして泊まった。
あの一夜の心優しく楽しかった思い出は、宝のようにいまも光っている。あの出会いをわたしは大胆不敵に小説に作りあげることが出来、おかげで徳内さんとの二人旅がすばらしい三人旅に成っていった。
「もう二度とないんだ。そう思った瞬間に、高速道路、運転中なのに、涙が溢れてしかたがなかった。」
その通りだった。あの人は、いまは。いやそれは知らないままでいいのだ。
☆ 我がことのように ―教師の感性― 2008年03月25日08:05 麗
他人の痛みや喜びを我がことのように捉えられる感性 これが一番求められる職業は,「教師」かな,と,そして,実際,そうした感性を持った人が集っているな,と思った。
土曜日の夜。
『北海道の文学』は,『北の人間北の文学』という題名で,いよいよ今月中に刊行される。22日,最後の編集会議があった。
校正刷りを回覧して,しばし感慨にふける。いつしか,編集会議は販売戦略会議へと移行する。いかに,全国の中学・高校の副教材として「売り込む」かなど,高校教師という素人集団が,ない知恵を絞る。そして,最後はお約束の懇親会。
「ビッグニュースがあるんです」
と,もと同僚が言った。半端でなく「手間ひま」をかけた教え子が,去年末にラーメン屋を開業したと言う。
「まだ30前でしょ,彼は。」
正直,驚いた。
私も,彼のことは覚えている。聞けば,中学卒業後,すし職人の修行に入り,先輩が独立するのについて行ったのだが,その計画が頓挫。やむを得ず,ラーメン屋に路線を変え,機会を狙っていたとか。
「すごいもんですね,ぜひ一度行かなきゃね。」
2人で相好を崩しっ放しで語り合った。その間,乾杯を交わすこと,数回。
別の人は,教え子からの手紙を見せてくれた。もらってからずっと,持ち歩いていると言う。
その教え子は,まだ20代だが,現在,某出版社で,***賞作家を担当しているという。和紙の便箋に,恩師との思い出や,その作家との関わりなど,万年筆でしっかりとしたためてあった。
その作家の***賞受賞作は,北海道東部(道東)の,***を舞台とする。教え子の,編集者の故郷だ。作家がその地に関心を示し,取材旅行にも共に出向いた,と言う。それが,受賞作に,結実した。
「彼も,在学中は新聞部にいて,相当文章は書けるんですよ。」
やはり,我がことのように,嬉しげに語っていた。
2人の教師は,まったく同じ顔で語った。教え子の旅立ちや成功を,我がことのように喜ぶ顔だ。決して自慢ではない。純粋に,喜び。
これが,正反対の話題なら,純粋に悲しんで語るだろう。笑止と言わば言え,これが教師だ。この詩のような感性を持った人間を,教師と言うのだ。
—–
「夕焼け」 吉野弘
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりがすわった。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘はすわった。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
また立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘はすわった。
二度あることは と言うとおり
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
かわいそうに
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッとかんで
からだをこわばらせて――。
ぼくは電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
なぜって
やさしい心の持ち主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇をかんで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
——-
この夜は,大いに盛り上がって夜半に帰宅した。
翌朝登った盤渓山は,完璧な「二日酔い登山」。下戸の家族から大顰蹙を買った。・・・嗚呼。
* こういうメールに朝ばやに出逢えるのは、一日を言祝いでもらうようである。この「私語の刻」が、そのまま青空の白い雲のようにふわりと宙に浮かぶような気もだ。
2008 3・25 78
* これはもう専門家のレベルの日記だが、動画を観られる・読める人にはトクダネものかも。わたしの友人なら、ミセス藤江さんなどはご覧になるかも知れない。東工大の卒業生達には親しいものだろう、但し専攻学が精微に異なっていたから、どうなんだろう。
しかし学問的に縁のまったくないわたしでも、少なからず心惹かれるのである。「雄」くんが承知してくれなければわたしの「私語」だけの読者はこういうのに接し得ないと思うと、ありがたい。
☆ Bernardo Sabatini、「非線形科学」 2008 年03月25日13:58 雄
* 今日は週に一度のbrownbag seminar。今日の演者は、ハーバードメディカルスクールのBernardo Sabatini。Harvard大学からHarvard Medical Schoolに進み学位を取得、ポスドクを経て再びHarvardに戻ってきた秀才。
ポスドクとして働いていたラボは、ニューヨーク郊外にあるCold Spring Harbor LaboratoryのKarel Svobodaラボ。二光子励起顕微鏡を使って、脳のシナプスの構造機能変化を見ることに関しては、世界最高のラボといって過言ではない。
現在Svobodaは、Janeria Farmという研究所に移っている。
ここは、ハワードヒューズ財団が最近作った研究所で、膨大な研究費と設備の揃った研究所。しかし、名前の通り、周囲には何も無い。去年、ここでのシンポジウムに参加してきたライアンが言うには、「科学者のための監獄」とのこと。科学だけできれば、後はもうどんなところでも構わないという人にとっては、地上の楽園だろう。
今日のセミナーは、スパインの形態と細胞内シグナル伝達との関係について。海馬などの神経細胞を二光子励起顕微鏡で見ると、突起の部分に細かいトゲがあるのが見える。ここはス(パイン(棘)と呼ばれ、別の神経細胞が軸索を延ばしてきて、このスパインの上にシナプスを作るのだが、スパインの形によって、シナプスの性質も色々と違うことが知られている。そこで、このスパインの形をどのようにして制御しているのか、というのが今回の話のテーマ。
この問題は、ミクロなレベルでの神経科学では、最重要課題の一つであり、多くの研究者が研究している。
話そのものは、普段のマクロな神経科学に比べて僕にも理解しやすかったが、少々聞き飽きてきた内容と言えなくもない。重要なのは分かるが、もう少し違った話が聞きたいなあと思ってしまう。
* ここ最近、蔵本由紀・著「非線形科学」(集英社新書)を読んでいる。昨年末に日本に一時帰国した際に買ってきてあって、ずっと放ってあったのだが、少しずつ読むと面白い。この本が出版されたのは比較的最近だが、もしこの本を大学生の時に読んでいたならば、間違いなくこの分野に進んでいたのではないかとさえ思う。
例えば、有名な例としてベルーソフ・ジャボチンスキー(BZ)反応と呼ばれる反応がある。その類似反応の動画として、
http://www.youtube.com/watch?v=Ch93AKJm9osを見ていただきたい。
初めオレンジ色だった溶液に透明な溶液を加えると、溶液は濃い藍色となる。これだけならば、良くある化学反応だが、驚いたことに、更に溶液を混ぜ続けると、溶液は次第に透明になっていき、再びオレンジ色に戻った後すぐに藍色になる。以降、このサイクルを繰り返していく。
普通の化学反応ならば、二つの溶液を混ぜ合わせて色が変わると、そのままで落ち着くはずなのに、この反応では藍色、透明、オレンジのサイクルを繰り返すのだ。この反応をシャーレの中でやると、縞模様となって面白い。本来のBZ反応をシャーレで行なった動画はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=8DYhk-SjL2c。
その他にも、振り子時計の同期現象や体内時計の話など、読んでいて飽きない。数式を極力使わないようにして書いたとのことだが、それでもやはり内容は難しい。大学教養レベルの化学の知識があったほうが、読みやすいかもしれない。
しかし、そうした知識が無くとも、面白い実験を見るのは手品のようでもあり、観ていて飽きない。
それらの面白い化学実験の動画が
http://wiredvision.jp/news/200803/2008032123.htmlに載っている。先程の周期的に色が変わる動画も、ここに載っている。
個人的には、第1位に選ばれた「ドライアイスの塊の間でマグネシウムを燃焼させ」た実験が面白かった。第9位の「クマ型グミキャンディー」も、可愛そうだけれども笑ってしまった。哀れなクマ。。。
ここには載っていないけれど、ダイエットコーラとメントスの実験も面白い。例えばこれ
(http://www.youtube.com/watch?v=zxl4eGio95A)。
このネタは、以前、「探偵ナイトスクープ」でもやっていた。「探偵ナイトスクープ」というと、僕は「爆発たまご」を思い出すのですが、これも実際にやるのは危険ですけど、見ている分には面白いですね。
http://jp.youtube.com/watch?v=qsMpRrlZe9c
* 秦さん一人と此処で付き合っていても、こういうのには全く出逢えない。なんだか元・作家教授の職権発動かのように厚かましく「紹介」させてもらっているが、楽しんで下さる読者があれば嬉しい。
写真の転写もゆるされるなら、ポーランド発の「創」くんの撮影と解説になる美しい「建築」も紹介したいのだが、どうも写真の扱いは難しい。
☆ なんと 2008年03月25日16:21 悠
大変でした。
昨日、息子が入院しました。
長引く熱が下がらず、ダンナと揃って休みをとり、大きな病院に連れていき、精密検査の結果、乳突蜂巣炎で入院となりました。
耳というか、鼻というか、近くにある空洞に膿がたまって細菌が増えていたようです。ここが熱の原因だったようです。
抗生剤と膿だし(鼻水を沢山出してやる?)で治すことに。
慌てました。実家の母に応援にきてもらい、今日は出勤。
昼休み、連絡するともう点滴もとれて元気いっぱいとのこと。よかった!
昨晩は、度重なる発熱でも強い子と受け流していた事を、深く反省しました。
* よかった、元気になって。ほっ…
2008 3・25 78
☆ まっかり 2008年03月25日23:23
札幌の積雪がゼロになった。例年より早い雪解け。送別会と引越の季節。
年度末で研究予算を使い切ってしまったため、休暇を取って出張する。羊蹄山の麓にある農場。場長さんに会い、近年のジャガイモウイルスについて情報提供。この農場から出たジャガイモが回り回って日本中の種いもになっている。川の源流をきれいに保てば、水系全体の透明度が増す。大事な仕事の一つだ。
毎週研究室を訪れている人は、ここの職員。一年で進んだ研究の概要と、次年度の予定についても話し合い、秋には学会で口頭発表ができるよう頑張ってみようかという線で落ち着いた。毎週末片道二時間、よく一年間通ったものだ。受け入れ側もしっかりしなければ。
夕方農場を辞し、札幌方面と反対側に走る。十分ほどで真狩村にある村営真狩温泉に着く。食事をして入浴。やや白濁した天然温泉で、体に優しい。露天風呂からは、目の前に雄大な羊蹄山が見える。
前回ここを訪れた際には、館内は元気なお年寄りで大混雑だったが、今日は人影少なく、食堂や土産物売り場も縮小されていた。お風呂の方もやや客層が代わり、ニセコが近いせいか、オーストラリア人と思われる大柄な男が、地元の農家のおっちゃんと露天風呂につかり、片言の英語で天気の話をしていた。
お風呂を出てから汗が引くのを待ち、留寿都、中山峠、定山渓と山道を走って札幌に戻る。一日がかりのドライブだった。
明日は、仕事の後に送別会を兼ねたお祝い会。私とNさんの受賞も含まれるが、メインは同僚の育種学会賞受賞祝いだ。
* 題の、「まっかり」が、探りにくいなあ。
2008 3・25 78
☆ のんびり昼下がり 2008年03月26日 15:15 優 e-OLD多摩
午後は珍しくのんびりやっている。小散歩もした。
暖かさに尻を押されて、三四分が一日で七分ほどになった早咲きさんもいる。
桜守の話では、最近、樹々に瘤(こぶ)病がはやっているとか。ばっさり伐るしか防ぐ手はないようだ。
そういえば昨年、そんな老桜を小金井公園で見たような憶えがある。
2008 3・26 78
☆ 発見、あのワイワイがミクシィに 2008年 03月27日00:52 光
ミクシィの楽しさは、いる人の数だけさまざま。
ミクシィでは、いろいろな人と出会い、文字情報をやり取りする。
文字情報が飛び交うそこには、なんとまぁ、温かいコミュニケーション(=ワイワイ)があった。
見つけた。
想像もしなかった。
遠野のユースホステルの談話室で。一人旅同士集まって時間を忘れた、肌で感じたあのワイワイの温かさが、なんと電子媒体上のミクシィの中にあったとは。
*
心に感じる温かさ。
その正体は、熱源から発する赤外線ではなく、温かな人の心から発する情報なんだと確信。
* 一面ではあるが、こういうふうにもたしかに成るし、成りうる。軽い「ワイワイ」だけでいいとは思わないが。
教授時代のむかし、「ワイワイ」の和やかさとしか見えない思えない学生仲間内から、「ほんとうは、も少しカタイはなしがしたいんですけど」という呟きをいくどか聴いた。そういう一面もあると分かりながらの「ワイワイ」の楽しさにはこたえられないモノがある。それでよし、それだけでなくても、よし。
2008 3・27 78
☆ もののけ姫の森 屋久島へ 2008年03月 28日00:39 松
3月20日から24日まで、映画『もののけ姫』の舞台となった、屋久島に行ってきました。
今回はひさびさ、父親との二人旅。父が素晴らしいガイドと知り合いになり、案内をしてもらう手配をしてくれた。まる1日そのガイドに案内してもらい、道の無いところにある『お谷ヶ滝』や屋久島最大のヤクタネゴヨウ(屋久島、種子島にしかない松の木)、巨大なガジュマルの木など、一般人だけではとても行けないところに案内してもらい、非常に感動した。屋久島は森深く、谷は断崖絶壁の連続で道の無い良い場所が多く残っている。その一部だけでも目に焼きけることができて本当に良かった。
別の日にはガイドなしで淀川(よどごう)経由で黒味岳を往復した。まるで水がないかのような清流淀川、そして屋久杉の林を抜けていく登山道、途中にある湿原花之江河(はなのえごう)、360度の展望が味わえた黒味岳など素晴らしい景色の連続だった。屋久島の山は白骨化した屋久杉が立ち、多くの巨石が点在していており、一種異様な感じがする。ここの山にしかない独特の景色だ。
父と歩いていてやはり衰えているな、と感じた。私より30歳も上なのだから当然なのだが、子供の頃からずっと一緒に歩いているとその変化が良く分かる。同世代の人と比べたらずっと体力はあるのだろうが、無理はできなくなっているようだ。
あと自分自身の体のキレがなくなってきていることにもショックを受けた。昔は当たり前のようにあった体力が、ここ2年ぐらいで徐々に落ちている。今週など遊び疲れで風邪気味で、仕事をやっていて体が重かった。生活の仕方を変えないと、これから先が不安である。
父より先に衰えることは、何としても避けたい。
* おしまいの一行が嬉しい。うちの息子君に聴かせたい。
☆ さくら 2008年03月27日17:42 悠
入院中の息子は一気に回復。土曜の血液検査がOKならば、退院です。
付き添いは母が引き受けてくれたので、私は病院経由で家と職場を往復しています。
今日は都内で行われている学会に参加。最寄りが尾山台だったので大岡山乗換えで大井町線で向かいました。
大岡山駅を出ると東工大グランドの桜が見事でした。
帰り道、東工大に寄りたい衝動にかられましたが、元気一杯で待っている息子のもとに急ぎたく、車窓からのお花見としました。
* 東工大へ行ってみたくなった。あの櫻は、いまも胸にじんじん燃えているほど。このファイル冒頭に、わたしをとり包んでいる櫻が大岡山の櫻です。ほんのほんの一部です。
2008 3・28 78
☆ Two body probleml 2008年03月28日14:54 ハーバード 雄
毎週木曜日にはdepartmentの主催するセミナーがあるのだが、今日の演者はハーバードメディカルスクールのTim Mitchison。細胞分裂に関係する細胞骨格の研究での世界的権威。おそらく、生物学の研究者で知らない人はいないのではないだろうか。普段、 departmentのセミナーは分野外なので参加しないのだが、今日は参加する。
会場でぼうっと待っていると、後から見覚えのある人が入ってきて最前列に腰を下ろした。なんと大学院博士課程時代の先輩Mさんだった。何故ここに? 向こうも僕に気づいて、後で話をすることに。
セミナーそのものは、正直言って少々期待はずれだった。今日の内容の多くは、既に確立された教科書的な事柄が多かったし、質問をされても「それは実験した彼じゃないと分からない」の一点張り。やはり要職についてしまうと、研究の最前線からはむしろ遠ざかってしまうものだろうか。
セミナーが終わってから、Mさんと一緒にロースクールのカフェテリアで昼食。Mさんは僕が大学院生の頃にサンフランシスコに留学し、その後ずっとアメリカにおられると聞いていたのだが、実は既に昨年帰国して、今は某研究所でポスドクをされているらしい。
今回はどのような用件でアメリカに来られたのだろうと思ったのだが、実は奥様がボストンにいらして、急に病気になられたので看病に来られたのだとか。奥様はピアニストと聞いていたが、ボストンで学校に通っていらしたとは知らなかった。
Mさんはボストンの雰囲気が気に入られたようで、「俺もサンフランシスコじゃなくて、こういうところの方が良かったなあ」とおっしゃっていたが、それは真冬を経験していないからだ、と思わず僕は思ってしまった。ただ、レンガ造りの建物が並ぶハーバード周辺は、やはり趣があって学問をするには良さそうな雰囲気を感じる。
「こんな最高の環境で研究できて、いいじゃない」とMさん。「これこそ、学問をするのに最高の環境だよ」。確かにそうかもしれない。
Mさんは、あと1週間ほど奥様の看病をされてから帰国されるという。もう既に奥様の体調は大分回復したらしく、今日は学校にいってしまったので、暇だからセミナーを聞きに来たのだとか。来週も、良さそうなセミナーがあったら来るとおっしゃっていた。
それにしても、ご本人は日本で奥様がボストンとは、なかなか大変だ。夫婦共に研究者というケースは良く見かけるが、やはり職探しなどでは相当大変なようだ。これを “two body problem” というのだが、この問題、今後益々多く見られるようになるだろうなと思う。
* 北海道のマイミク「麗」さんがレポートされている、学校カリキュラム等の真新しい動きに強い関心があるが、今日、すぐさま反応を書き記すのは、もう疲れてもいて、かえって粗略になってはいけない。
* そうそう、京都へ出かける直前に若い若い友達から、先日maokatさんの書いていた日記の題の「まっかり」が分からないとぼやいていたのに対し、教えてもらっていた。
「まっかり」とはじゃがいもの一つの通称らしい。ああそうなのかと脱帽した。「男爵」のようなものか。そういえばじゃがいもの話題だったんだあれは。なにかしら、「まったり」とか「なんどり」とか「はんなり」といった類の形容詞かと想像していたが、ピンとつかめなかった。感謝。
☆ おまけの話です☆
おじい様のブログ。。。“まっかり”です。
もしかしたらもうご存知かもしれませんが、北海道羊蹄山の麓、真狩村です。
すご~く美味しいじゃがいもの採れる所です。
以前札幌三越から送られてきたじゃがいもが、まっかり産でした。
ずいぶん前の事なので、今もそうかは分かりませんが、じゃがいものトップブランドでした。
まっかり=じゃがいものカリスマみたいです!
おじい様がご存じなくて、私が知ってるなんて一生に一度のチャンス! と思い込み、声を大にしてお伝えしたくって!
もしかしたら、真狩村をご存知だけど、タイトルと本文のミスマッチを指摘されていたのなら、赤面ですが。。。
。。。庶民的な事なら、私にお任せ下さい。 琳
2008 3・28 78
* 「mixi」で連載中の『もらひ子』によくコメントを入れて下さる川崎のe-OLD「瑛」さん。こんな対話がときどき生まれる。
「mixi」の「足あと」に、風俗営業紛いのヒャラヒャラしたのが増えてきているので、不愉快を解消すべく、日記の公開範囲を制限縮小した。ほんとうなら、それをしては「mixi」の意味は薄れるのだが、運営がそれらを野放しに受け容れている以上、自衛の他はない。
☆ 瑛 e-OLD川崎
幼稚園では「キンダーブック」、小学校は国民学校になりました。
校門をはいると(ご真影の=)拝殿があり帽子を取って最敬礼をして教室へ行きました。
国語教科書最初の頁は、「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」に変わっていた。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」から変わっていた。
咲く桜の匂いから、東から昇る赤い赤い朝日へと「言葉が、語句が変わる」ことの違和感が心にのこりましたね。サクラはひ弱いといった。
本居信長を書いた小林秀雄を(このごろ=)やっと読めるようになりました。イザヤ・ベンダサンの小林秀雄論を読みながらですが。
(連載に挿入されている=)「写真」の川の洲は、どこか「パリのルーブル美術館界隈の川」を連想させます。
* 2008年03月20日 23:27 河合川崎の写真は、京都の東北からくる高野川と西北からくる賀茂川との合流点で、この中州にあたるところに下鴨神社があります。合流のこの地点から「鴨川」と名が改まります。この鴨川も、先へ行って木津川や桂川と合流して淀川に流れ込みます。
キンダーブックが大好きで、配本を首を長くして待ちました。幼稚園のいい思い出の三つとない中の一つが、キンダーブックでした。
国民学校へ入学の日、運動場に櫻が咲いていたのを思い出します。我が校にも御真影の奉安殿が運動場の真東にありました。 湖
☆ 瑛 03月22日 08:46
コインシダンス。幼稚園も国民学校もいい先生に恵まれました。
国破れて山河在りの昭和21年の先生は 永山 勝先生。戦地から復員されて「教育ということに」全生命を漲らせていました。「古事記」、「漱石」をまた「ギリシャや長靴のような国」の話をしてくれました。
小学校は大げさに過ぎますが、人生の正師に出会いました。
* 2008年03月22日 12:03 瑛さん 幼い恋もしましたか。 湖
☆ 瑛 2008年03月30日 01:49
国民学校一年生の机は二人で一つの「机」でした。
初めて一緒に机を共有したのが立野さんという女の子、でありました。
恋が芽生えたのは六年生のとき。中学への進学で受験勉強をした後に「講堂(:舞台がありグランドピアノがある全校生徒の集まれる建物)」で彼女と「ピンポン:卓球」をしたときは、何かほのぼのと祖母か母親のような包容力を感じました。中学は女子校へ彼女は進学しました。あわいがなかなか宝のような瞬間の恋であり、今でも温かい体温、余熱があります。忘れえない思い出であります。.
* 六十五歳ぐらいから、わたしは勝手に、「e-OLDS 我が仲間」パソコンという電子の杖の適齢と思っている。声を迎えたいと思っている。
☆ ピナ・バウシュ ブッパタール舞踏団 「フルムーン」Vollmond 珠
先日に引き続いて期待の新作を観るために新宿文化センターへ。
家の前は桜満開、白いお花のトンネルになっている。我家近くの公園へお花見に向かう多くの人に逆らって、私は駅へ向かう。お花は好きだが、人が多いのは好きじゃない。お花は帰り道、独り占めの予定で。
新宿文化センターは、大学時代に初めて独り暮らしをしていた場所のすぐ近くにある。街並みは大分変わったけれど、とても懐かしい。よく歩いて新宿に出かけた、その道筋に今もかわらずある。レンガ色の外壁も落ち着いて、雰囲気も含めここはとてもよい舞台だ。
*
舞台中央には大きな岩。空気の音で舞台が始まる。男性ダンサーが棒を振る、プラスチックボトルを振る、ヒュッビュッと空気が振動し、響く。月明かりを思わせる光、そして男と女、様々な交歓。抗いがたい力、存在のように降りしきる雨、そして川となる。舞台横幅いっぱい川となり、とめどなく降る雨のなか、ダンサーそれぞれが踊る。男として、女として、独りで、二人で、睦まじく、喧嘩しながらと色々。
時折、科白。「今夜はフルムーンだから酔っ払いはだめよ」「どっちがいいかしら?いっぺんにくる大きな愛と、毎日毎日ちょっとずつの愛と?」、、、
*
にっこりと微笑んで腕を伸ばす女、男は抱きしめようと近寄ると叩かれる。装った女がツンと腕を差し出すと、男は厳かに口を寄せ、寄せる男は段々増えて、競って噛むほどに口寄せてゆく。繰りかえし、そして誇張、削ぎ落とされた人間の関係は単純化され、鍛えられた肉体の動きになる。男は筋肉を顕に力強く、女は髪長くその身体を魅せるドレスを纏う。肌の色、髪の色、背の高さ、違いを顕に男と女。くすっと笑いが洩れるほど、男と女のやり取りにすれ違いを見せる。行動は、すれ違う、でもそんなもの、と思わせるように。容姿や見栄えでなく、ちょっとした出来事によって単に行動が変わる。人と人との関係を、男と女に映し出し、雨・川・月という自然に際立たせる。
*
こんな風に文にするのは難しい。書いてみるとそれがよく分かる。観て感じたことを、下手に文になどせずそのまま自分のなかにそっと置くのがいい。
舞踊など身体表現は、そういう表現芸術なのだろうと思う。その自由さは、多分私が舞踊、とりわけ現代舞踊を好きな理由だ。舞踊や彫刻(これも好き)など、観るのはいつも独り。誰かと話すことはしないので「ことば」にする必要はない。いや、ただ「ことば」にする難しさを回避しているから、独りなのかもしれない。
単純さに憧れるが、日常生活でさらっと見せられる単純さにはイライラすることがある。そんな私が舞踊でも彫刻でも魅かれるのは、どこまでも削ぎ落とされた単純な美しさ。こういう時を求めていると思い知る。
今までのピナ作品で1、2を争うほどに今日は良かった。記憶に刻み、「ことば」にしてみた。
帰り道、夜桜トンネルに目を凝らしても、本物に見えなかった。舞台や店先の作り物と同じに見えてしまう。あまりにみな同じく、白く盛りと咲いているからだろうか、それとも動きがないからだろうか。
鳥は枝から花を啄ばみ落とす、芽吹いた葉は風にそよぎ、花びらは雪のように舞う。桜は満開、これからに美しさがある。
* 「ことば」「表現」とのこのような内心の葛藤、そしてやはりことばで表現してみる。このパソコン時代になって最も特徴的な一つとして市民をとらえている課題のこれはひとつなのにちがいない。
☆ earth day 2008年03月30日14:39 ボストン 雄
帰宅してパソコンを見ると、インターネットが繋がらない。再起動してようやく繋がった。大家に確認した訳ではないので定かではないのだが、もしかすると “earth day”ということで、一旦電源を落としていたのかもしれない。
おそらく世界中での試みなのだと思うが、今日の夜8時から1時間、電気を切るという運動があった。環境保護のための試みなのだとか。1時間電気を切ったところで温暖化に大きな影響が出るとは思えないが、エコ後進国アメリカでも、こうした環境保護の運動は日増しに強まっているようだ。
実際、こちらのスーパーチェーンWhole foods marketでは、プラスチック袋の利用を止め、商品は全て再生紙を利用した紙袋か、あるいは何度も再利用できるエコバッグ(90セント位で売られている)に入れることとなった。
ハーバード大学でもグリーンプロジェクトという環境保護運動が始まっている。こうした動きが全米に広がれば良いと思う。
2008 3・30 78
☆ 先週の日記「まっかり」では、マイミクさんにご迷惑をかけたようです。著者より先に、「まっかり」がなにものであるかを湖さんに教えてくれたマイミクさん、ありがとうございました。真狩村はじゃがいもや百合根が美味しく、銘水が湧き、羊蹄山を望む温泉地です。その道では有名な「マッカリーナ」というレストランもあります。機会がありましたら、ぜひ一度お出掛け下さい。 maokat
* 一件落着。
☆ サプリ的ライフ 2008年03月31日00:26 光
都会ではシングル・ライフの人たちが多いせいだろうか。外食でも、コンビニでも、お一人様向けのものが充実している。
そんな中での食生活は、私の場合、(意志が弱いので)自分の好みのものにどんどん偏っていく。もちろん、栄養が偏っているのはわかってはいるけれど。
その後ろめたい気持ちを察してくれたのか、コンビニには、野菜ジュースやマルチビタミンなどのサプリメント製品が並べられるようになった。
好きなものだけ食べたら、後でサプリメント。
*
都会の電車の中の人たちは、iPodで音楽を聴いているか、携帯をいじっているか。
「話しかけられるのが、うざいから、音楽聞いているふりしている」と、年下の知人は言う。(素直に「今時の若者」と言い直そう)。
そんな彼女は、実は「mixi」をやっている。
なんだ、コミュニケーションが嫌いなわけではないのか。
あぁ、そうか。
彼女にとっては、「mixi」はコミュニケーションのサプリメントなんだ。
*
これからは、サプリ的な時代なのかもしれない。
* 関心を持って読んだ。いいところを突いている。こういう「感想」の、すらり、すらりと出てくるのが「光」クンのおもしろさ。
「mixi」では、羅列・記録型の「日記」より、こういうセンスでの「述懐」や「感想・感覚」に、つい心を惹かれる。当然である。
とはいえ、難しい。
人の胸に届く質的な「述懐」と、われひとりの「吐出し」とは自ずと異なる。わたしは、述懐や意見や感想はこの「私語」に置いて、「mixi」では、作品をとだいたい決めている。
2008 3・31 78
* やや茫然としている。「春眠」の候か。
☆ 辰野 隆の惚れた作家 2008年04月02日 17:58 瑛 e-OLD川崎
昔の仏文の大御所の文章に触れた。露伴を回想して滾々と思い出を語る。
『忘れ得ぬ人々』文芸文庫を読んでの今日の日記である。.
「太閤時代には一流の宗師、一流の先達であったかも知れぬが、それも、深厚なる知識教養趣味に於いて、清貧に晏如たる襟懐に於いて、我らの露伴に比すれば、畢竟、成り上がり者藤吉郎にぶら下がり過ぎて振り落とされたお茶坊主の観がある。、・・・蓋し露伴の日和下駄の塵を払う資格もなかろう」。
露伴翁は茶人を歴史のスパンで振り返り語る。先人は文章に質量がある。
* 辰野さんが露伴の文章を引用されていたのではあるまい、この口調は辰野さんご自身の露伴頌と思われる。やっつけられているのはどうやら、千利休のようだ。露伴自身が茶と茶人ないし利休をどう観ていたか、ふとモノに当たって調べてみたくなった。
露伴は、『運命』でも『連環記』でも、わたしをひっ掴んで酔わせた人だ。『五重塔』が有名だが、わたしは翁の随筆的な、史論的な作品や評釈が好き。
とはいえ、わたしの実父の所持本でと、異母妹らがわたしに呉れた暑さ十二㎝ちかい『露伴叢書 全博文館蔵版』が身近にある。この部屋を出た二階廊下の本棚にいつもある。明治三十五年六月十五日発行で、奥付には著者「幸田成行」とある。秦の父が五歳頃に本になっていて、露伴にはそれ以前にもうこんなに沢山な作品があったのだから驚く。目次をみると殆ど、題にすら馴染みのない五十五篇が上がっている。ウーン
わたしはこれを読まなくちゃいかんのであるなあ。実父の遺産であるからナア。
* 文体についてのやりとりが少し「mixi」であった。不充分だが、小さな感想を今後の踏み段のために書き留めておく。
* 文体は、指紋や独自の体臭に譬えられてきたと思っています。わたくしの理解でいえば、基本に、ことばの「発語」によって成される文学・文藝の本質的な「音楽」性が関わっていると。
いい書き手は、犯しがたく犯されがたい独自の「言語表現音楽」を入手ないし達成しているように思います。「恣意的に選び取る」というより、遅速の差はあれ「成熟の過程で成就されてきた、独自のリズムやメロディを発している表現力」として仕上がっているものでは無いでしょうか。
藤村の音楽と直哉の音楽とは明らかに異なりながら、それぞれに魅力や魅惑をもちます。訴求力をもちます。ファシネーションを持っています。
そして少なくも文学文藝を成そうとする人なら、そういう独自性を表してゆくべく、いい作品を書かねばならないでしょう。 湖
☆ 大きさ、世界一(ただし面積) 2008年04月02日01:43 光
日本史好きな親のせいだろう。子供の頃は、よく歴史の本を薦められた。いわゆる、子供向けの日本の通史の本だったと思う。ただ、かなり詳細に書かれた内容で大部だった記憶がある。
章ごとに、中心となる人物(聖徳太子とか中臣鎌足とか)が登場し、ストーリーが時間軸に沿って展開していく。
その中で、仁徳天皇の章で「世界一大きな墳墓(面積)に埋葬されている」という記述があるのに、ずっと気になっていた。
世界一 =(ピラミッドレベルで)すごい(ただし、面積)、という子供にもわかりやすいインパクトがあったからだろう。
本当だろうか。大阪の堺にあるのか。いつか行ってみたい・・・。(エジプトなんかに行かなくても)世界一を実感してみたい。と、夢見た10年後、大学生の時に友人と「仁徳天皇陵を一周する旅」に出た。
青春18切符で、その筋では有名な大垣行の夜行電車で、東京を真夜中に出発し大阪には朝方に到着した。
電車を乗り換え、最寄り駅は三国ヶ丘というところ。
駅を降りれば、樹木が茂った丘のようなものが目前に迫って来るではないか。
あぁ、これが10年来夢見てきた、世界一の・・・。
友人「どっち周り?」、私「やっぱり、時計回りじゃない」
どっちでも良いと思うが、やはり10年間のこだわりか。
長い方の辺の長さは、500 m弱である。
歩いても歩いても、樹木が茂った丘のようなものがずうっと続いているだけである。
私「どの辺が、世界一の前方後円墳なんだ?」
友人「てゆうか、これ、本当に前方後円墳?」
友人「あれ、あっちの小さい古墳の方が前方後円墳っぽい」
私「うーん、大きすぎるとわからないね」
ということで、ようやく長辺部分が終わろうとしたころ、次の駅が見えてきた。
友人「・・・一周する?」
私「うーん、いや、満足した。・・・電車、乗って戻ろうか・・・」
こうして、10年来の夢はいまだ志半ばである。
* 一日遅れのエイプリルフールみたい。
どこの国だか、ペンギンが翔んでいるという映像でかなり広範囲にダマシたらしい。発想も映像もリアルだった。
2008 4・2 79
* 「mixi」に連載中の自伝にときどきコメントが入る。秦の母のよく歌っていた数え唄、
いちじく にんじん さんしょに しいたけ ごぼう
むかご ななくさ 「 」 くねんぼ とンがらし
「八」のところだけ忘れた。「はじかみ」だったか、「はっさく」かも知れない。そんなことを書いていたら、「はくさい」「はつたけ」なども考えられますねと。
秦の父も母もときどき、こういう昔唄を口ずさんでいたのを思い出す。
ヨイサッサヨイサッサ これから八丁 十八丁
八丁目の潜(くぅぐ)りは 潜りにくい潜りで
頭のてっぺんすりむいて 一貫膏薬 二貫膏薬
それで直らにゃ 一生の病いじゃーぃ
こんな歌はむしろ父のお得意だった。
☆ はなればなれ 2008年04月03日08:29 悠
息子は先週土曜に無事退院。保育園に通うのはしばらく様子見てからとなったのですが、私は研究会などでばたばた。
4月からは新しい保育園になるし、家の引越し(同じ町内)を控えているため、こんな環境の変化が続いては休めないだろうと、私の実家でしばらく預かってもらうことになりました。
月曜から離れ離れの生活。寂しいです!
毎日、冷凍宅配便で母乳を送り続けています。
気になるので朝晩電話で様子を聞き、時々写真を携帯に送ってもらいますが、心配!
早く元気になって!!
* 「悠」さんのお里は北陸ではなかったか。はやく、よくなれ。
☆ 携帯電話がない! 2008年04月03日06:52 馨
携帯電話がなくなりました。
気がついたのは一昨日の朝。最後に触れた記憶があるのはその前日の電車の中。そのまま充電もせずに鞄の中に入れておき、当然入っているものと思って翌朝出かけて、すっと青ざめました。
ただ、その時点では帰宅して探せば出てくるだろうと思っていたのです。
息子が携帯が大好きで、人の鞄を開けては持ち出すというイタズラをするので、たぶん家のどこかにあるだろう、と。
ところが、家に帰ってさがせどもさがせども出て来ない!
副産物として違うものはいろいろ出てきました。
ソファの後ろから櫛。台所の燃やすゴミの中から小さなボール。ビデオデッキの中からチャイルドロック。裏庭から娘の小物入れ。
これすべて息子の所業です。
が、肝心の携帯が出て来ない!!
もしやと思って、JR東日本にもタクシー会社にも問い合わせたのですが「お届けはありません」とのこと。
一年半前に電話会社を変更するまでは、家の中でほとんど電波が入らないこともあって持ってはいるもののあまり携帯は使っていなかったんです。
ところが、その後、おサイフケータイに変更してから頻繁に使いはじめ、今や携帯を使えないと出張も不便になってしまっている!
帰りの時間をキリキリに設定して行動するために、出先から予約できるシステムを多用していた自分に気がつきました。
やむなく、お休みまであと一ヶ月なんだけど、と思いながらも、新しくすることに決めました。
人間って、機械に狎れる(慣れるのではなく)のはすぐなんですね。これは堕落の一歩でもあるのでしょうね、などとも思ったりして。
そうそう、限りなく有罪に近い当の息子ご本人。
ここ数日、ことあるごとに「ケータイがない!!」と言いつつ探している私に、息子クンは「ケータイ」の単語が耳に入るたびに「あいっ!」と自分のブーブの中から自分の携帯を取り出してニコニコしながら届けてくれます。
だから、それはアナタのおもちゃ。お母さんの携帯はどこに隠したの~?
今日、新しい携帯に更新して、明日は京都に日帰り出張です。
* こういう日記をマイミクの範囲だけでは、勿体ない。そう思うほど、ハヤリの言葉で謂うと、癒される。頬がゆるんでくる。
2008 4・3 79
☆ 焙煎 maokat
洗濯機の回る音で起床。目覚まし代わり。まだ目に新しい白い食器でゆっくり朝(昼)食をとる。珈琲は今、モカマタリとマンデリンを交互に飲んでいる。
今朝はマンデリン。先月送られてきた生豆は、端が割れて、カビや虫食いもあり、見た目の品質は最悪だったが、三四割を取り除いて焙煎すると、見違えるような美味になった。
焙煎後さらに掌に余るほどの豆を取り除くので、実質半量ほどになっているはず。しかし、この香りに部屋が満たされて朝を迎えられる幸福は何ものにも代え難い。
珈琲焙煎の奥義は畢竟このハンドピックという工程にある。雑味をいかに取り除くかということ。
☆ お花受信感度、良好に 2008年04月04日 00:42 光
幼少時代を都会で暮らした人は、花の名前系に弱いのではないか、との仮説を考えている。
特に花屋さんで売られていないような類について。
もしかしたら、私だけかもしれない。
回りくどい言い方だが、要するに、(地方でのびのびお育ちになられた)友人と歩いていて、花の名前を知らなすぎる点を指摘された、だけのことである。
マイミクさんの中には、ふと目にとまった日常の「お花」をデジカメで見事に活写してくださる方々がおられます。
私のような(仕事上)朝から晩まで部屋にこもりっきりの日々を過ごしている者にとっては、バーチャルお花鑑賞ができるという点で、いつも楽しませてもらっている。
へぇ~、今の季節には、こんな紫色のかわいらしい花が咲くんだ。
名前はなんだろうなぁ。
と、ある日、仕事場に向かう途中の道端を、ふと見ると、いつも荒涼とした茶褐色のイメージの場所に、紫色のものが目に入ってきた。
あ、マイミクさんの写真のお花と同じだ・・・。
毎日通っている道筋だけどなぁ?
いったい、いつ咲いたのだろう、・・・あれ? いや、なんで今まで私は、気づかなかったんだろう。
きっと、お花の方は、わかる人にはわかるように静かに咲いていたに違いない。
バーチャルお花鑑賞で、こころの「お花受信感度」が向上したのかも、しれない。
☆ トクサの花 2008年04月04日00:42 珠
春は大好きだが、どうも弱い。毎年花粉症から調子をくずす。身体も「萌える」季節に反応するのだから、、と勝手な解釈。季を待つしかない。それでも、花や、緑には引き付けられる。調子がどうであろうと、待てない。
先週末、稽古に行く道すがら、トクサに花が咲いているのを見つけた。このお宅のトクサは見事に美しく、腰辺りまですくっと伸びて、青々とある。昨年建ったコンクリート打ちっぱなしの現代的な外観、入口のスペースには一本の彼岸桜と、生垣としてトクサを配している。何ともすっきりと、意図された美しさを感じる。稽古の行き帰り、いつも立ち止まって見ていた。
そのトクサに花が、、初めて、見た。青く不器用に真直ぐで、愛想なくただ潔くすっきりとしているようなトクサにも花は咲くのか、、と思わず顔を近づけて、じっくり見た。たった一輪、真直ぐな太い枝から分かれた細い枝の先、紅い星のように開いた花弁には花火を想わせる黄色のオシベ゛。トクサ、トクサと真直ぐな緑の線にその紅く弾けたような花が、何とも映える。携帯だったが、写真に撮った。ぼけた写真だったが、珍しくて、「mixi」にも載せた。
それからずっと、トクサの花について調べていた。あちこち、あれこれ。
「珍しいトクサの花」として紹介されているのは、どれも違う。トクサの真直ぐの一番上、小さなクレーターみたいな所に、つくしと同じようなポッコリ、これがトクサの花だという。そう、それはいくつか確かにあった。所々、ハカマを付けたように伸びるトクサ、その先端に小さな小さな松ぼっくりを載せたような、そんなトクサが何本かあった。
でもあれがトクサの花だというなら、私の見た星型紅花はいったい何だろう。。。
今宵、仕事の帰り、師匠宅に用事で立ち寄った。そうだ、トクサの花を確かめよう、、満開の桜並木を歩きながら、トクサのお宅へ向かって歩く。街灯だけの暗い道、少し先にある桜が灯となってトクサに目をこらす。調べた「トクサの花」は、トクサのてっぺんにチョコリとある、ある。私の見た花は、、、ない。見間違いだったのか、、行きつ戻りつトクサの間に目をやる。
あー、あった。それは確かに見たままの、星型紅花。トクサに引っかかるように斜めにほろっと一輪、あるではないか。先日は「観て」とばかりに枝から伸びていた。思わずそっと手に受ける。桜灯に掌にのせた花をじっくりと見た。なんと、紅星型は「がく」ではないか。同じスペースにある彼岸桜、近隣一番先に咲いて、散ってしまったその桜の、花びらを喪った「はな」だった。星型紅花、そっと手に載せ家に戻る。明るさのなか、恥ずかしげだが、どの角度からも美しい五角形の花。花びら散りし後、美しさ遺す星型紅花。受けた緑がトクサでなければ、真直ぐのトクサでなければ、気がつかなかった。星型紅花、これは私にとってトクサの花。
* 朝のマイミク日記を三つ読んだ。前の二つが男性、おしまいのが女性。文章にもおのずと男女差はあるものだ。簡潔な文章意識はどちらかというと、男性にある、とも必ずしも言い切れないのだけれど。
2008 4・4 79
☆ チェケラッチョ maokat
北海道の千歳空港からJRで札幌へ向かい、札幌の一つ手前に新札幌という駅があります。今日通りかかったら、改札入り口の真ん前に、「チェケラッチョ」という店ができていました。
「チェケラッチョ」って秦建日子監督の沖縄映画だよね? ってことは沖縄料理屋?
ところが、新札幌のチェケラッチョは、なぜかカレー屋さんでした。
今度行ってみます。
2008 4・4 79
☆ やさい+肉=おいしい? 2008年04月05 日21:18 光
子供の頃から私は、野菜嫌いにもかかわらず、なぜか鍋の白菜はOKだった。いや、むしろ、白菜がなければ「鍋」ではないような雰囲気すら感じる。(極度の)野菜嫌いゆえに、そのことが子供の頃から不思議であった。
縄文時代、土器でいろいろな食材を煮込んで食べていた「記憶」が残っているのかな、とそんな風に思っていた(過去の日記参照)。
*
最近、とある雑誌(1)を読んでいて、あ、これかぁ、ということがあった。
その記事によると、
・ 乳類の舌には、苦み、塩み、甘み、旨み、酸味 に応答するレセプターを発現する細胞がそれぞれ存在する
・他の哺乳類はアミノ酸を「旨み」として認識するそうだが、ヒトはなぜか2つのアミノ酸、グルタミン酸とアスパラギン酸だけ
・それら「旨み」は、核酸系旨み成分であるイノシン酸とかグアニル酸によって印象が強められる(数十倍?)
・これら「旨み」をおいしいと感じるためには、(i)ナトリウム塩であること、(ii)アミノ酸系と核酸系の旨み成分が共存すること、が大事。
要するに、
* 塩がないとおいしくない(=塩加減が腕の見せどころ)
* おいしい料理のポイントは、植物系の旨み成分(グルタミン酸)と動物系の旨み成分(イノシン酸)の組み合わせ方
ということ、らしい。
*
あるHP(2)では、各旨味成分の含有量の多い食品を挙げて、料理における食材の組み合わせは「旨み」の相乗効果を活かしている、と述べている。
例えば、
植物系の旨み成分(グルタミン酸)・・・こんぶ、チーズ、しょうゆ、みそ、トマト、白菜
動物系の旨み成分(イノシン酸)・・・煮干し、かつお節、畜肉類、魚肉類、イカ・タコ
だしを取るのに、かつお節と昆布の両方でとったり。
イタリア料理のトマトと魚介類の組み合わせとか。
そう、日本の鍋も白菜と肉系(鶏とか魚介とか)の組み合わせになってる!
*
いろいろな食材、やさいや魚肉類を食べ合わせることが、おいしさのひみつ、ということ。
逆に、食べ合わせを選択的に選ぶように「旨み」の相乗効果があるとすれば、生存競争においてヒトはいろいろ食べ合わせて栄養源をとるように進化した、と考えられ、この戦略は生存に有利だったということなのかもしれない。
厳しい時代を生き抜いてきた我々ご先祖様の知恵が、おいしさとして記憶されていた、と思うのもちょっとロマンがあっていいかな、と思う。
1 Nature, 444, 288-294 (2006)
2 http://www.kasoken.com/archives/01kitchen/umami.php
2008 4・5 79
☆ 異動 2008年04月05日23:37 司
タイトルの通り、4月1日付で異動しました。
これまでの出向先から親元の職場へ。
それで2月に書いた日記に色んなコメントがあって、それもしばらくぶりに読ませてもらって。
一方で、「mixi」の内容とは関係なく、4月1日から仕事を始めて一週間たってみてやっぱりこっちの職場の方が仕事がしやすいなぁと(仕事が面白いとか、充実しているとか、そういう事ではなく・・・です)妻と話をしていたりもするところで・・・・。
要するに、出向先の職場は、何となく不自由な仕事の仕方をしていたのかなぁと。精神的に不自由なまま仕事をしていたのかなぁと言う気がします。
それは明らかにトップの影響であることは間違いないのだけれども、一方で、今のトップがいるおかげで助かっている部分も多くあるわけで。
この辺は、どっちが良いとか悪いとかは何とも難しいというか表現し難いなぁという気がします。
色々なコメントを貰ったけれども、私としては公務員と民間はやっぱり違うんだろうな、と考えざるを得ないから。
少なくとも、トップは市民の信任を得た人であるという事実は動かし様のない事実であり、公僕たる公務員は、そのトップの舵取り、すなわち市民がこうして欲しいと思う事をすべきでしょう。
私たちは、議員の言葉はその選挙区民全員の言葉と思って聞け、とよく言われます。
そう考えると、出向先であった市民の人たちが望む事をしていたにも関わらず、精神的に不自由だったなぁと思ってしまう事自体が公務員としては恥ずかしい事なのかも知れませんね。
ただ、一市民としてはまた別だったりするわけで・・・
小さい市町村で働いている公務員の人って、自分が選挙で投票した人が落選しちゃったりすると、やっぱり働き難いんだろうなぁ・・なんて余計な事まで考えてしまいました。
ちょっと言葉足らずですみません。
ホントは違う事を書こうと思って、久しぶりにmixiを開いたんですが・
* 心新たにまた努めてくれるワケだ。健康を祈ります。
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☆ 黄金の花 2008年04月07日00:48 善
沖縄についていくつか。
3月24日
「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」北谷町で開催。雨の中6千人参加。仲井真知事、自民党は不参加。
3月26日
沖縄市内でタクシー運転手強盗致傷事件発生。米軍基地内の少年二人逮捕。抗議大会も役に立たず。
そんな中、高校野球沖縄尚学、聖光学院(福島)を破り初戦突破。
3月28日
沖縄戦で住民に集団自決を命じたと著書で虚偽の記述をされ、名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐らが作家の大江健三郎氏と岩波書店を訴えた「沖縄ノート裁判」。大阪地裁は大江氏勝訴の判決。
「名誉を傷つけられた」元少佐と、「名誉」もなく死なされていった乳飲み子老人と、法の秤は、どちらに重きを置くのだろうか。人の秤はどうか。
沖縄にいてわかったこと。少なくとも私は、この「国」のためになど戦はしない。国といっても、所詮は軍や、政治家のためだもの。そんな輩のために命を差し出したり、取ったりするのはまっぴら。
4月1日
在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)に関する現行協定が、期限切れ。七千万の高級住宅を建て、資源乏しい沖縄で水道電気使い放題。ゴルフ場やボウリング場などの娯楽施設まで「思いやる」二千八十三億円は、社会保障費の削減額に相当する。まさに身を削っての思いやり。
4月4日
そんな中、高校野球、沖縄尚学、聖望学園(埼玉)を破り優勝。子供はがんばっているではないか。大人達よ、目を覚ませ。
* * *
素朴で純情な人たちよ
きれいな目をした人たちよ
黄金でその目を汚さないで
黄金の花はいつか散る
* こういう声や言葉が、若い人たちから絶えて聞こえてこない。
「mixi」でもどこででも、声を、ほとんど悲鳴を、あげているのは大人だ。私民の思いがどうにかしてリンクしないものか。福田内閣の支持率が四分の一をさえ割った。若い友達に、こういう意識を確かにもった人のいてくれる力強さを、わたしは冷え切ってゆく胸の僅かな温みとしていつも頼みにしている。
☆ 茶に酔ふ。 2008年04月07日00:06 珠
温かく、木洩れ日に風、心地よく。うえに若緑、桜吹雪に足元清く。もとめてもかなわぬ春の彩満ちた根津美術館の庭、茶会に。こういう茶もあると、初めて知った。
定家の字に目を奪われ、探幽は柳たおやかな風を味わい、光悦の和歌に金銀蔦からまるままに酔って、亀山切に目が覚めた。利休さんの書状も風にゆれ、なんとも、なんとも言葉なく。古銅曽呂利桃底の紅柏と延齢草、燃え立つように生き生きと、目の奥に、今も。「夢」の一日。
懐紙をとろうとふと目をやると、花びら一枚懐にあり。散華のような薄紅、今日の「夢」さそひし名残りなのか。大阪より移築の庵には、移築から40年ぶりに常什の炉縁「なぶり」力つよくおさまる。時のうつろひに目がくらむ、一日。
* こういう感性や体験は、わたしには「故郷」のようなもの。
根津美術館の茶席や池は、東京へ出てきたわたしのもっとも早い時期に知った、馴染んだ場所。もっとも最近に行ったのは雨の日ではなかったか、傘に隠れ池をながめ、声もなかった。光琳の燕子花を観たのだと思う。応挙の藤の屏風がまた観てみたい。
こういう世界をこゆるぎもなく胸に抱いていることの幸せを、また未練や執着をわたしは想う。
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☆ 屋久島の数寄の料理屋 2008年04月07日 00:47 松
屋久島での見所を少し紹介。
ガイドの人から非常に珍しい料理屋があると聞いた。お城のような石垣があり、その上に一風変わった小さな料理屋がある。料理は予約制で、お茶だけなら予約なしでも大丈夫とのこと。石垣とお店はご主人が7年の歳月をかけて手作りしたものだそうだ。
屋久島での最終日のお昼に寄ることにした。まず入り口の案内が小さいので非常に分かりにくい。ここだな、と思ったらあっという間に通り過ぎてしまった。戻ってきて駐車場に車を置く。しばらく歩くと立派な石垣と石畳が。とても手作りのものとは思えない。お店は落ち着いた黒い板で作られた数寄のお店である。
中に入ると奥まった二人席に通される。他にお客もなく、非常に静かだ。木々の奥に海が見える。風景にも気を配っている。料理は前菜、煮物、お魚、とびうおのつくね、デザートと地元の幸を生かした心づくしの料理だった。(写真をバシャバシャ撮るような無粋なことはできず、外見の写真しかありません。)
ふと外を見ると、漆黒のカラスバト(天然記念物)が枝に留まった。どうやらホルトの木の実を食べているらしい。他にも多くの鳥が集まる庭である。ゆったりとした雰囲気に満足してお礼を言って帰った。ガイドの方とは非常に仲が良くお互い行き来をしているとのこと。
今回案内してくれたガイドの方は山と高原地図(旧名エアリアマップ)作成者で屋久島の山岳に精通している。九州に住んでいたが、屋久島に惹かれ50歳を過ぎてから屋久島に移り住んだ方。現在はガイド、登山家、写真家として活躍し、旅館の経営を行っている。この方が作った写真集を見ると、一般人が見ることができるのは屋久島のごく一部でしかないことが分かる。写真の内2/3は普通の人では見ることができない奥深い滝や、雪深い山を写している。今回はその一部の滝や巨木を見せてもらって本当に良かった。
ガイドの方の旅館に今回は泊まったが、こちらも落ち着いた場所だった。3~6人泊まることができる独立したコテージが3棟ある。道路から奥まっているので、非常に静かな場所だ。そして、料理もおいしい和食であり、お酒がすすむが、肉をたっぷり食べたいと言う人には向かないかもしれない。
数寄の料理屋さんも、ガイドの旅館も少ないお客さんを十分にもてなしたい、という心意気が伝わってきた。もし行ってみたい人がいたらそっと聞いてください。
* まだ二十歳のころから十数年、この山男を見続けてきた。へんな表現になるがじつに正確に彼は小気味よく豹変しつつある。だれかこの男の嫁さんになる人はいないかなと、或る詩人のために佐藤春夫のしたと同じ嘆息を、わたしもしている。
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* 「mixi」に、書かないでいるが、マイミクの日記は読んでいる。感じたまま、コメントを入れたり、メッセージしたりもしている。写真も最近のモノなどに取り替えたりしている。
わたしふうに謂えば「電影感触」ではあるが、基盤に人への信頼があるので、けっして浮薄な感触ではない。外出してじかに語ったり会ったりは誰もがそうそう出来ることでない、それは今も昔も同じだ。だが昔は、このような「電影感触」すらつかめなかった。「御無沙汰」という言葉が、事実その通りであった。
それからすれば基盤に人への信頼のある毎日のような「電影感触」は、けっしてバカにならないのをわたしは踏み込んで久しく体験してきた。それをある程度信じている。
* 「甲子」さんの小説『遠い春』の連載は、もう七十回になって続いている。およそ八十五歳のまさしく健筆であり、ご病気をかかえられたままの持続力のたくましさに感嘆する。小説が「書きたい」とだけ云う人は、掃いて捨てるほどいるが、「書いている」「書き続けている」実例は、海水の一掬いほどしかない。おそらくこのご老人の「書く」意欲は、青年の昔にはるかに溯って生まれていただろう、そして育ち続けて、いまも噴出している。尊いことといえば、わらう人もあろう。だが、ほんとうにわらえるかと、省みて問いたい。
ますますの健勝を祈ります。
付け加えるが「甲子」さんの「mixi」発表作は、『遠い春』以前にももう十指に届くほど在った。敬服。ご自愛ありますよう。
* 息子クンのホームページの述懐を拝借します。いくらか代弁してもらったような軽くなった肩さきに春風が流れました。いえいえ春風どころか、ほんとうに困った世情であり、人情であります。
☆ 悪意。 2008.04.09 Wednesday author : 秦建日子
日々「ホカベン」漬けです。
「ホカベン」って、タイトルはホンワカしてますが、内容は全然違います。
正直、生きていくことに悲観的になりそうになります。
(全然タッチは違うけれど、「ドラゴン桜」もそうでした。)
キケン、キケン、油断しているとキケンキケン、と、ずっと耳元で囁かれているような感覚になってくるんですよね。でも、油断せずに生きるのって、疲れるじゃないですか。だから、今、かなり疲れてます。
今日、ホン打ちから帰って一通りニュースをチェックしていたら、自分がブックマークしているとある車情報のHPが、悪意ある何者かに改ざんされてウィルスが埋め込まれたという記事にぶつかりました。
で、びっくりして、その関連のニュースを調べていったら、今度は別の、音楽関係の器材が買いたくてブックマークしていた通販の楽器サイトが、やはり悪意ある何者かにハックされて、クレジットカード情報が10万件近く流出したというニュースにもぶつかりました。 (そこで買い物をしたかどうか、正直覚えていません。遡って調べなきゃいけないのかな)
なんかね。
この先、どんどん「悪意」ばかりが巧妙な世の中になっていくのですかね。
そして、普通の「善意」の人々は、そうした「悪意」に蹂躙されないように神経を使って使って使って、とにかく騙されないことだけを考えて考えて考えて、そしていつしかくたびれ果ててしまうような世の中になるんでしょうか。
それは嫌だな。
騙されるのも、くたびれるのも、どっちもね。
でも、ならどうすればいいのか―――が、実はとても難しい。
「理不尽な目に遭わずに生きていく」
たったそれだけのことが、どうして、今の世の中ではこんなに難しいのでしょうね。
* 次ぎの「珠」さんの発言も、多くを代弁してくださる。此の発言に感謝します。
☆ 混迷と不安 2008年04月09日00:44 珠
この国はどうしてしまったのだろう。現場は混乱している。
この四月から始まった後期高齢者医療制度‥‥、医療従事者でさえ先月半ばになって概要を知り、慌しく動いた状態。対象者である75歳以上の高齢者は、理解に程遠い様子だ。
四月に入ってもう十日になる。自分がいくらの保険料を納めた対価として、どの程度の自己負担で医療機関を受診できるのか、、こういった基本的な事も知らぬまま利用する医療保険が、不安でならないのは当然だろう。最近の、国・厚生労働省・年金のことを見ている側からすれば、国の年金すら詐欺のような実状があったのに、医療保険料を知らせて来ないなど、不信極まりないはず。
その上、月にたった一万五千円しかもらっていない年金からも天引きで徴収するなんて、、僅か数百円ですら死活問題になる人はいるはずだ。確かに負担の軽くなる人も、いるのかもしれないが。
国のことだ、細かい計算は、自然な余命など含めてされているはず。大きな問題は、その利用者に対する解りやすい告知・繰り返される広報・個別に合わせた説明といった「サービス」のレベルの低さにあると思う。この国の行政担任者たちは、公僕として国民にサービスを提供する機関でも人でも無くなっていると、痛感する。ここまで国民が、高齢者の実情が見えていないとは驚く。議論し考える人達の家には老人が一人もいないのか。目の見えなさ、耳の聞こえなさ、情報のとらえ方、忘れ方、、こういった高齢者特有の状況に合わせた上手い広報など、民間の広告会社なら今少し適切にやってくれたはず。選挙時に党のCMなんて作ることを考えつくのだから、実は分かっていてもやらないのではと思えてくる。空恐ろしい。
現場で日々、小さな心配り、ささやかな気配りもサービスとして提供するわたしのような専門職、医療関係者はサービスス業に分類されている。人に元気に、健やかに在ってほしいと願って関わる日々なのに、国は、人が生きてゆくという根源的なところに「不安」ばかりを与え、人を苦悩に突き落とす。われわれの現場はその不安感を受け止めるのに精一杯だ。
安心感の持てない暮らしの人たちにむかって、「さ、治療をしましょう」という言葉は、時に空虚であり、脅迫にすらなりかねない。弱い人たち、助けの必要な人たちほど、長生きしたくない国に、なってゆく。
*
・高齢者への医療制度なら、高齢者がきちんと解るように、解るまで説明してから始めればいい。
・高齢者自身に、広報チームに入ってもらえばいい。
・夫が被保険者、妻が扶養者だった場合、夫が75歳になったら妻は75歳にならなくても国民健康保険に加入する手続きをしなくてはいけない。誰も教えてくれないと吃驚している人たちがいる。会社の健保・国保・共済・後期高齢者医保など、医療保険間の移動は一元管理でサービスを知らせるようにしてほしい。
・保険証の字は大きく、高齢者が読みやすく携帯しやすい形を再考してほしい。
・保険証でサラ金からお金を借りられる時代、、せめて郵送するなら普通郵便でなく配達証明くらいつけて大事さを強調してほしい。再発行より手軽なはず。
*
年金を払っていない人が四割近くいるらしいから、払っていない人は年金をもらわないのだろう。その人達が高齢者になった時は、天引きする元金はなく、自分で振込み、期限付き保険証をもらうことになる。お金を払って国の医療保険を買う、、どうみても国民皆保険とはいえなくなる。もしや自然崩壊のための目論見かとも、思えてしまう。
アメリカのマイケル・ムーアの映画を思い出す。お金を高く払えば良い医療が買えるならば、いい。でも、医療はちょっと違う。世界をみて、高いレベルで質の高い医療を提供している国の医療費は自己負担は安いことが多い。但し税金や保険料は高い。国の考え方ではあるが、今の日本は医療・年金への不信を訴える人への対応に手をとられ、しなければいけない医療はどんどん遠ざかる。負担は増えても質の低下に歯止めはかからない。医療現場の収支は悪くなり、医療者はいつも忙しい。忙しいから続かない。そのうち、海外の労働力に縋らねば、高齢者ケアなど全く動かなくなるのだろう。そうなったらこの国は日本であって、外国だ。
国は、誰に、何をしてほしいのだろう。国民に、日本で生きてきた高齢者に、どうあってほしいのか、、それを聞きたい。聴いたらがっかりして、この国に見切りをつける人が大勢いたりして。。。
この国の病は重い。
誰もよい治療方法を持たないのかもしれない。ならば、ああ、どうなるのか。
* この国の病は重い。 ああ、どうなるのか。
☆ 三好達治の詩の一節に、 淳
花ばかりがこの世で私に美しい
というのがある。北川冬彦に、という序文が添えられていた。
私はこの詩の主題を、長いこと絶望に近い「苦悩」として取っていた。
何か自分を支える大きなものを失ってしまったり、道が開けなくて暗礁に乗り上げてしまっていたり、そうしたことなどによってがらんどうな、空虚な心になってしまった、「私」。
その「私」にとって、なにかの花(の生命)が、それだけが美しく、心にしみて来る。
人としての生に少しくたびれてしまった、それが「私」にとってのつらさであると、私は思ってきたのだった。
なぜかと言うと、自分が論文を書けないでいた時に、ふと、この一節が思い浮かんだから。
書けないのに書かねばならないし、締め切りはやってくるしで、苦しくて苦しくて、なんだか生きている心地がしなかった。
「あ~あー、花はいいなぁ。精一杯咲いているなぁ。それだけで美しいなぁ」
なんて思ったりして。
そういう心持ちの詩であるのと、私は長らくこの詩をとらえてきたのだった。
けれどこの間、満開の桜を見ていて思ったのです。
花がうつくしい、と思える、その感性が「私」に残されていることはすでに希望であり、救いではないのかな、と。
「私」は死んでいない。
同詩の中のもう一節。
私の上を雲が流れる。私は楽しい。私は悲しくない。
自然はどんなときも、「私」よりも大きくて、私をよみがえらせる。
と思いたい。
達治の詩には、人間のあり方への悲しみがあるのだけれど、なんとなく、希望を持ってこの詩を読むこともできるのではないかな、とこの春私は思ったのでありました。
桜の圧倒的な美しさは私に浸透してくる。
春は、やはり花があるから私が生き延びられる気がします。
吹く風に耳を傾けることもある
そんなとき思う 風の吹くのを聞くためだけでも生まれた意味はあると
――アルベルト・カエイロ
* 「淳」さんに。
三十四、五でしたか、初めての長いエッセイが『花と風』でした。七十二になり、「酒が好き・花が好き」という一冊を本にします。なに、これはたいしたモンじゃありませんが。
先日、病院の待ち時間を利して、人一人の影もないカソリックの教会に入りました。外の築地界隈、櫻が満開でした。会堂で瞑目してみても殺到する雑念に悩んで、絶望的な心地でしたが、堪えて、凝然とそのまま目をとじていました。眠ってはいませんでした。
と‥、ほの明るんだ目の底のが凪いだ池の面のようでした。わたしはまったく無にちかい状態でいたようでした。
目を明けますと、小一時間も経っていました。
教会の外は、日盛りに花と春の匂いでした。自然と自分とが対立しているうちは心は私を騒がせるばかりです。自然があって自分も在るのでなく、自分の外に自然があるのでもなく、波が海に溶けいるように、自然と自分とはトータルに一つらしいとその小一時間だけ、だけ‥、わたしは在ったようでした。幸せでしたよ。 湖
☆ ハーバードの春 2008年04月09日12:22 雄
・ 朝一番に、週一度のプログレスレポート。今日の担当は大学院生のシュシェン。このところ、彼がまともに実験しているのを見たことがない。
プログレスレポートの前に部屋にいると、ボビーが入ってきて、「おい、You。コーヒー飲みに行こうよ」というので、一緒にカフェテリアへ。「なあ、今日のプログレスレポートは、どうしようもなくなりそうだよなあ」とボビー。僕も全く同意見。
そして案の定、前回と前々回のスライドをそのまま並べただけの発表となった。同じ内容を話すにしても、せめてスライドくらい作りなおせば良いだろうに。
中に一つ、どうしても見過ごすことのできない、ひどいデータがあった。皆、回りくどく、実験条件の検討などをさりげなく指示しているが、それ以前の問題だと思った。たまりかねて、前提となる事実を確認したのかという内容の質問をしたが、シュシェンには質問の意図が分かっていないどころか、僕が内容を理解していないとでも思っているような返答。匙を投げた。
プログレスレポートが終わり、引き上げようとすると、技術員のサラが僕を小部屋へと迎え入れる。小さな声で「You有難う。シュシェンは全然分かってないわよね。Youにああ言ってもらって、本当に胸がスッとした」と言う。
・ 昼になり、ランチを食べにロースクールのカフェテリアへ。これまで雑草が伸びていた構内が整備され、ロープが張られている。おそらく、芝の種を蒔いたのだろう。栄養剤だろうか、緑色の粉末が蒔いてある。まさか、どこかの国と違って、大気汚染で枯れた芝の代わりという訳ではないだろう。この光景は昨年も見た。いよいよ、ボストンの冬も終わりを告げ、春に向けての準備をしているのだろう。
カフェテリアの建物に入ると、大勢の学生で埋め尽くされている。先週まではガラガラだったのだが、春休みを終えて学生達が戻ってきたのだろう。
何故か、カフェテリアの職員の大半が、レッドソックスのTシャツやユニフォームを着ている。考えてみたら、今日はフェンウェイパークでの今年のオープニングゲームが行なわれたのだった。夕方そのことに気づき、早めに仕事を終えて試合を見ようかと思ったのだが、デーゲームだったようで試合は既に終わっていた。
松坂が登板したようだが、今回は0点に抑え、まずまずのピッチングだったようだ。
日本でのオープニングゲームだけでなく、アメリカでの初試合、そしてホームでの初試合、これらの全てで登板を任されるということは、エースとして認識されつつあるのだろうか。
・ 午後は電気生理のセット作り。昨日、ようやくノイズがなくなったと思ったので、今日はマウスの標本を作ってみたのだが、またしてもノイズが入る。いったい何が悪いのか。
・ 日本のニュースを観ていたら、大阪の「くいだおれ太郎」で有名な「くいだおれ」が7月で閉店するという。お店には入ったことがなかったが、あの人形がなくなってしまうのは寂しい。あの人形と、新世界の「づぼらや」のふぐの看板、グリコの巨大電飾は大阪の「象徴」のようにさえ感じられる。どことなくユーモラスであり、大阪という街にマッチしている。たとえお店がなくなったとしても、せめてあの人形だけは何らかの形で保存して欲しい。
* 「雄」君のハーバード生活もすっかり落ち着いた感じ、述懐にも、歳月をめぐってきた視野の厚み・弾みが感じ取れる。
* ポーランドから「創」君は、無事帰ってきたろうか、もう新しい職場に着陸しただろうか、暮らしの場はどこに定めたろう。
2008 4・9 79
☆ 現場では皆、吐き出す場のない怒りに包まれています。高齢者は気力を失い、医療スタッフは無用な罪悪感を感じて、思わず言葉が溢れました。
この先を、この国の治療方針を、見せてもらいたい。
医療でいうインフォームド コンセント(説明と同意)、これは国の場合は、解散総選挙ということになるのかもしれません。選べなくても、それでも誰かを、厳しい目で選んで新たな治療を願う、もうもう、そういう段階だと感じています。 珠
* 同感。
2008 4・9 79
☆ ねんきん特別便到着 2008年04月10日16:02 玄
加入者全員に送るという「ねんきん特別便」が今日本当に届いた。届かないのでは? と疑っていたが。
共済組合加入月数も正しかった。今度は返送した「回答票」がきちんと事務処理されるのかどうかが心配になる。
こんなことを思わせるお役所とは困ったものだ。
「後期高齢者医療制度」にも怒っている。
☆ 笑顔 2008年04月10日15:45 悠
息子は順調に回復に向かっている様子。入院当初は泣き続けていたそうだが、昨日は満面の笑みでお医者さんを迎えていたとのこと。
息子の笑顔は健康のバロメーター。鼻の辺りにしわを寄せたクシャクシャの笑顔は絶好調の印。
明日はお休みをとりました。今から実家にむかいます。
また、忘れられているかも。
ニカッと笑ってくれるかなぁ?
* よかった。
* この数日インターネットの不調が現れ、今日はコトに執拗で回復しない。また困惑の季節が来たか。
2008 4・11 79
* すうっと一路帰宅、インターネットが自然復旧していてほっとした。メールや「mixi」をすぐ点検。
2008 4・11 79
☆ 御徒町から三越院展へ 2008年04月11日22:53 瑛 e-OLD川崎
雨と晴れの天気が続いた。晴れた日に渋谷の八公前で友達と待ち合わせる。春の四月は都心へ向かう列車は午前9時台でも満員である。
友人は東横線の日吉から来る。約束の時間より二十分遅れた。「遅延証明書」の紙切れをひらひらさせて渋谷へ来た。
企業の新人配属まで教育が続くのであろう。
中央線の火災事故で数万の人が線路を歩くこともある。
便利な世の中だがしかし本当は思わぬ「脆弱性と背中合わせに」日々を過ごしている。
上野まで20Km 弱を歩く。
青山墓地、乃木神社、虎ノ門、新橋、丸の内、秋葉原、神田、御徒町へ。
終戦後を思い出す屋台のような店、上は山手線と京浜東北線が走るその下の店で、遅い昼のおやつを食べ飲む。電車が走るたびに「鉄粉が舞う」ような気持ちを味わう。
ここから日本橋の三越の「第六十三回春の院展」へ行く。友人は今日は無料といったがそうでありました。
平日だからか混んでない。午後も5時ちかくだからか。
後藤純男の「富士山の絵」と、福王寺法林の作品「ヒマラヤの朝」を観る。二人の画家を知ったのは石川県立美術館であった。
* 「上野まで20Km弱を歩く」に、どっと仰天、感嘆。脱帽。わたしより、ほんの少しお若いか。
2008 4・11 79
☆ 斎藤辞典の話 e-OLD吉備 玄
山東功著「唱歌と国語」のプロローグに、音楽家斎藤秀雄が英語学者斎藤秀三郎の次男だったと書いてあったことがきっかけで,久しぶりに「熟語本位英和中辞典」と「斎藤和英大辞典」を手にとってみた。
何年か前この両辞典をおおざっぱに通読したことがあるのだが,どちらも読み出したらその面白さに引き込まれ、時間の経つのを忘れるほどだ。例えば, 次のような都々逸訳がある。
惚れて通へば 千里も一里
會はずに歸れば 又千里
Love laughs at distance, Love!
A thousand miles is one to love;
But when I do not meet my love,
A thousand is a thousand, love!
漢詩の訳に次のようなものもある。
月落烏啼霜満天 The moon goes down, the raven calls,
江楓漁火対愁眠 And bleak appears the sky;
姑蘇城外寒山寺 The fishers’ fires by maples banks
夜半鐘声到客船 Salute the dreamy eye.
* 逢はねば咫尺も千里よなう である。
斎藤辞典、わが家にも祖父か父かが買い置いた、厚さ十数㎝もの斎藤英和辞典、枕になりそうないい一冊があった。紙がいいのか製本がいいのか、持って傾けると女の髪の崩れるように、サアーッと頁が流れ落ちるようだった。
2008 4・13 79
☆ 鮮やかな画面。 2008年04月 13日21:59 珠
肌寒く、身体を動かすと軋むようにぎこちない。昨日の転倒は、左肩から背部に少々の打撲で済んだようだ。目も覚めたし、打撲の後遺症への注意時間も大分少なくなって、安堵。
義弟と姪がやってきて、パソコンを更新してくれた。データ移行までしてくれる有難さ。。。姪はマンガ゛を読み、私は網戸外しに再挑戦している間に、パソコンはピカピカに準備完了となっていた。画面は大きくなって見やすく、色も鮮明!今まで画面が白くてはっきり見えなかった写真や地図が、鮮やかに美しい。自分の「mixi」日記の写真も、初めてしっかり見た。こうなると人の写真も余計に楽しく、思わずあちこち「mixi」写真の旅をしたくなる。
義弟へのお礼を兼ね、昼食は近くのお寿司屋さんへ。久しぶりに握りを堪能。未だ春遠し、、と思うように寒い。遊歩道には花弁の散った桜からパラパラ、蕊降る。時折名残か、ひとひら花弁も舞う。四月に入って仕事慌しく、春の嵐に、相次ぐ路線事故など何かと落ち着かなかった。ようやく網戸も外れ、修繕工事の準備も整った。蕊降り、肌寒くても若緑の季。さぁて、頑張りましょうか。
* 人様の機械でもピカピカに明るくなったと聞くと、妙に励まされる。
☆ 湖先生へ 昴
メッセージ、ありがとうございます。
湖の本の発送の住所ですが、今までと同じ住所でも届くようにしています。ですから、今までの住所で送っていただければ問題ないと思います。
今、古本屋でたまたま見つけた『みごもりの湖』を読んでいます。朱色の箱の中に本と、まだ読んでいませんが対談の小冊子が入っていました。
注釈が欲しいと思いながら、電子辞書と国語便覧を片手に、ゆっくり読み進めています。
新刊が発送されてくるのも楽しみにしています。 昴
☆ 湖先生へ 昴
こんばんは。
1年間だけになると思いますが、新しい住所は上記のようになりました。
郵便以外で発送される場合は、新しい住所でお送りいただければと思います。
北海道では、雪が降ったり、福寿草が咲いていたり、春になろうとして、頑張っている最中です。
東京は、桜が散りながら、緑が萌え出しているのでしょうか。
* ありがとう、昴 お元気で、昴 湖
先日、聖路加病院の待ち時間を利して、人一人の影もないカソリックの教会に入りました。外の築地界隈、櫻が満開でした。
会堂で瞑目してみても、殺到する雑念に悩んで、絶望的な心地でしたが、堪えて、凝然とそのまま目をとじていました。眠ってはいませんでした。
と‥、ほの明るんだ目の底が、凪いだ、池の面のようでした。わたしはまったく無にちかい状態でいたようでした。
目を明けますと、小一時間も経っていました。
教会の外は、日盛りに花と春の匂いでした。自然と自分とが対立しているうちは心は私を騒がせるばかりです。自然があって自分も在るのでなく、自分の外に自然があるのでもなく、波が海に溶けいるように、自然と自分とはトータルに一つらしいとその小一時間だけ、だけ‥、わたしは在ったようでした。幸せでしたよ。 湖
あなたはいま、パソコンに触れられるのですか。それがもし、あなたを慰めたり憩わせたりしているのなら、あなたの前に書いていた小説、物語を、ひとまとめにして、メールテキストのまま、私に送って、読ませてくれませんか。
あなたには自然な文才があります。それが構想のある文章でどう発揮できているか通して読んで見たいのです。いま、あれこれ手を入れたりしないで、現在あるがままで読ませて下さると嬉しい。
ただしからだに障るようなら絶対にむだなことはしないでください。
元気で元気でと、いつも祈っていますよ。いい春の到来、いい生の深まりを祈りますよ。 湖
2008 4・13 79
☆ 炭の音 2008年04月14日04:27 maokat
土曜朝雪降る。体調崩し、終日自宅。豆腐の味噌汁と白飯で夕膳。
メールで、茶の講習会のドロドロ。アンタはケイコにも来てないんだから役は辞退しろと。そうですか、こちらは忙しいのです。勝手にしてください。
日曜学校は休めず。研究室にいると体調が良いような気がするが、帰れば同じ。ホメオスタシスが崩れていて、方々に綻び。
更くる夜や 炭もて炭をくだく音 大島蓼太
前々から目に留まっていた一句。「炭もて炭をくだく音」は、炭の燃え尽きるまでの時間と、炭の崩れる一瞬の動きと、夜中の静寂と微かな音と、そして寒さ。またあるかなきかの仄かな火の色までを想起させる。
蓼太の句には、さらに、人のいたところに今誰もいない虚無をさえ感じる。昔々、夜中に便所に起きて、ふと誰もいない居間を覗き見たときの、妙に静かな感じを思い起こす。
炭の崩れる音。茶の湯でもまれに聞くことがあるが、そう多くもない。茶席というものは案外、雑音・俗塵に満ちているのだ。茶事ならば火の落ちる頃は、大層な箱書きを褒めて、騒々しく退席するところ。点前座を拝見しても、前後に人もいて、火相湯相はうかがい知れない。この音を聴こうと思えば、客の去りし後独座して落ちる火のかそけき音に耳を澄まさねばなるまい。
漱石の『行人』に「佐倉炭」というのが出てくる。昔は関西では池田、関東では佐倉が炭の産地だったとか。今の千葉県佐倉市よりさらに東の八街市あたりだそうだ。
二郎が下宿で寂しく夕食を済ませ、火鉢に「新しく活けた」佐倉炭は、樫。備長炭のごとく、カンと鳴ったものか、それとも、クヌギの茶炭のごとくカサッと鳴ったものか。その音によって、春先今頃のこの場面の印象は大分違ってくる。そしてこの場面の直後、二郎は嫂の不意の訪問を受ける。
* そうか、『行人』へ来ているのですね。
☆ マラカス 2008年04月13日22:58 悠
息子は金曜日に無事退院となりました.
まだ,レントゲンで肺にうっすら影が残っているのでこれが完全に消えるまでにはもう少し通院が必要とのことでした.でも一安心.
満面の笑みには先生,看護師さんがびっくりしていました.よほど入院当初の機嫌の悪さがひどかったのでしょう.
今回息子のところに行くときに”マラカス”を持っていきました.昔,雑貨屋で見つけて買った小さめのマラカス.引越しの片付けの際に出てきて息子に持たせてみたら、ちょうど良い大きさ.上手に振って音を出してくれました.ご機嫌な様子を思い出して持っていくことにしました.
病院のベッドの上で元気よく鳴らしてくれました.回診にきた先生の前でもご披露.で,”機嫌がいいね,帰ろうか”と退院となりました.
帰ってきてからも”どうぞ”と持たせるとマラカスを振って,周囲にいるみんなをウキウキした気分にさせてくれます.
ほっと一安心.でもまだ通院があるので実家に息子をお願いしてきました.今週もがんばってお仕事して週末息子に会いに行きます.
* よかった。マラカスが聞こえてくるよう。
☆ 水晶玉を通じて別の世界をのぞいてみたい 2008 年04月13日23:32 光
雑貨屋さんをのぞきながらブラブラ歩いていたときのこと。
あるコーナーに、水晶玉とかいろいろきれいな石が飾られていて、いい感じにライティングされていた。
パワーストーンのコーナーのようだ。
水晶は化学では無機物の結晶であるが、不思議なことに見ているとだんだん欲しくなってしまう(水晶のちからのせい?)。
大きな水晶玉は、(レンズ効果で)向こう側がゆがんでゆらゆら見えている。
なるほど、昔話に出てくるような占いのおばさんが呪文を唱えてのぞき込むと遠く離れた場所が見えてきた、と思うのもうなずける。
水晶玉を通じて別の世界をのぞいてみたい、昔の人はそんな道具を夢見ていたのだろう。
* * *
先日、アメリカで仕事をしている知人が一時帰国で遊びに来た。
たわいのない話題で会話もはずんだが、なぜか日本にいる私よりプロ野球ネタに異様に詳しい。
私が知らなすぎ、なのもあるが、やっぱりつっこまざるを得ない。
「どうしてそんなに日本のこと、知ってるのさ」
「毎日、ヤフーニュース見てるからね(笑)」
私も海外に行ったときには、日本のニュースをチェックするのにネットカフェなどで日本のサイトに接続する。
おそらく、「mixi」もOKだろう(やったことないが)。
液晶画面だけに集中してのぞき込んでいると、(当然だが)日本でネットやっているのと全く変わらない。その瞬間だけ、海外にいる感覚がなくなるのだ。
* * *
水晶玉の代わりに液晶画面になり、呪文の代わりにマウスのクリックになった。
占いのおばさんの「ちから」の代わりに、IT技術。
実は、水晶玉でやろうとしていたことは、パソコンで実現しつつあるのかもしれない。
便利な時代になったものだ。
* フムフム。
2008 4・14 79
* 朝から作業。そして理事会に出かける前に機械を開いた。
☆ 諸刃の剣 2008年04月15日08:22 ボストン 雄
ここ最近気になっていたニュースに、神戸大学での遺伝子組み換えに関するものがあった。
神戸大学の某研究室で、遺伝子組み換えをした大腸菌などが、廊下で培養されていた上、実験に使用した大腸菌などを、滅菌しないまま水道から流して捨てていた、という。
普通の人は、このニュースそのものに対して驚くのかもしれない。しかし、僕が驚いたのは、その処分について。なんと、全学での遺伝子組み換え実験の停止処分が取られるという。
こんなことを書くと、「そんなことを言う奴がいるから研究者はダメなんだ」とか、「研究者としてのモラルに欠ける」と言われるかもしれない。
が、しかし、あえて書く。この処分は、いくらなんでも重すぎはしないだろうか?
勿論、大腸菌を廊下で飼ったり、滅菌しないで下水道に流すのは良いことではない。遺伝子組み換えのガイドラインにも反している。
だが、僕が言いたいのは、実際に起こったこととマスコミの取り上げ方の間に、かなりの温度差があるのではないか、ということ。
通常、遺伝子工学実験に用いる大腸菌株は、K12株という株を元にした、非常に弱い菌株が用いられている。水道はおろか、人間の体内のような「過激」な環境で生き延びることは、ほぼ不可能に近い。それでも、「もし遺伝子組み換えにより導入した遺伝子が、たまたま大腸菌を丈夫でかつ毒性の強いものに変えてしまうかもしれない」という恐れがあるため、生きた菌を水道で流すことはせず、高圧、高温で充分に滅菌された後で捨てることとなっている。
したがって、多くの場合は、そのまま水道に流したとしても、何か有害なことが起こる可能性は、まずない。有害物質と分かったものを流す場合とは、事情がかなり異なる。
しかし、新聞ではその辺りのことは全く説明されていないので、読む人からしたら危険きわまり無い行為ととられても仕方が無いだろう。
勿論ガイドラインで厳しく取り締まられている以上、違反に対して厳正な処分が下るのは仕方が無いかもしれない。しかし、全く関係ない研究室の人たちにまで処分が及ぶというのは、あまりに厳しいと思う。
今、まさに論文の追い込みで、外国のグループと競っている人もいることだろう。大学院生で、学位取得のためにギリギリの追い込みをかけている人もいるだろう。昨今では、多くのポジションが任期付きとなりつつあるので、この停止処分が「死」に値するような研究者もいるかもしれない。全く関係のない研究室での行為により、このような処分が下るというのは、とばっちりとしか思えないのではないか。
僕が思うに、今回のことは「見せしめ」としての理由が大きいのではないか。
ここ最近、文部科学省は遺伝子組み換えのガイドラインを遵守を徹底させることに必死になっている。それでも守られない例があることから、「違反するとこういう目に遭うぞ」ということで、今回のようなことになったのではないだろうか。
さらに僕が気になるのは、今回のことが、いわゆる「タレこみ」によって発覚したという点。最近は分からないが、大学のスペース難のこともあって、廊下に大腸菌の培養振とう機が置かれていたケースは少なくなかったと思う。神戸大だけでなく、他の大学も抜き打ち検査してみればよい。おそらく日本の大学・研究機関の多くにおいて、研究停止に追い込まれるのではないだろうか。うがった見方かもしれないが、今回取り上げられた教授に対する私怨に端を発している可能性も無いとはいえない。
おまけに、このことが話題となった際、いっせいにマスコミは研究者の行動について批判したにも関わらず、「全学での研究停止」という処分については、どの新聞社のウェブサイトを見ても取り上げていない。あいにく海外ゆえ、新聞を手にすることができないが、ネットニュースだけで判断する限り、報道の偏りを感じてしまう。
今回の件に限らず、僕が日頃疑問に思うことに、「遺伝子組み換え」に関する過剰な拒否反応がある。
遺伝子組み換えによる大豆は絶対に口にしない、という人も少なくない。しかし、その根拠は何なのか? それを裏付けるだけの知識に基づいての行動なのか、それとも、ただ「良く分からないけど、ただ怖い」のか。
テクノロジーの進歩により、人は多くの恩恵にあずかることがある。しかし反面、テクノロジーを野放しにすることは非常に危険でもある。当初開発した時には予想もしなかったような弊害が生じることもある。テクノロジーには常にそうした両面性がある。
しかし、遺伝子組み換えに関しては、特に「罪」の面ばかりがクローズアップされ、「功」については取り上げられる機会が少ない気がする。同じ遺伝子組み換えでも、医療、例えば「iPS細胞」は世紀の発見のようにもてはやされるというのに。
勿論、今回の事件は良いことではないし、それに対して処分が下るのは当然のことだ。
しかし、その事件がどのように「利用」されるかについては、もう少し多面的な視野から判断して欲しいと、特にマスコミや行政に対して思わないでもない。
* どんなに環境が調っていなくても、よくないことは、よくないとせざるをえない。が、「雄」クンの指摘には無視しがたいことが書かれてある。発言のその思いは汲みたい。ことに報道の与えてしまう一面性について「報道」自身が甘えているという日本的な現実。
そもそも「報道」そのものに、「問題有り」という前提を持って報道に接する訓練が、日本人に出来ていない。そのために報道自体が甘えた記事を自己容認してしまう。現に、おおかたそうである。記事内容を相対化する努力や配慮が乏しい。日本のマスコミの不健全な弱点になっている。読み手が賢明で聡明な「現代人」であらねばならない。
ちがうのとちがうやろか。
この二枚腰が読み手に備わらねば自衛できない。
2008 4・15 79
☆ 湖 お元気ですか。
「湖の本」を送って頂き、ありがとうございました。
「私語」で「そろそろ発送」という言葉を見かけてから、ポストを覗く事が自然楽しみになり、仕事からの帰路も気がつくと普段より速足になっていました。(昨日=)今宵は、冷たい雨に出迎えられての帰宅でしたが、待ち人ならぬ「待ち本」きたる。お陰様で温かくなりました。
題にハッと魅かれ、まだ、ぱらぱらとめくらせて頂いただけですが、久々に盃を取りたくなりました。
今年は、桜の後蕊に新たな花も知りました。花も色々ですね。これから「湖の本」に花を愛で、香を聞かせて頂きます。
「mixi」 で「お雛様」のお写真を拝見しました。
とても立派なお雛様ですね。
品のあるちょっと頬のふっくらとした柔和な表情に、思わず目を奪われました。こうお聞きすると、苦しくなってしまったらお赦しください。お嬢様のお雛様なのでしょうか。
どうみても最近の洋風なお顔立ちのお雛様ではなく、特にその垂髪はふわっとしなやかにふくらんで、まるで本物のお髪のように自然です。今どきは、固く撫で付けられたような垂髪ばかり、どうしても扱いやすさが先にたってしまうのかしらと残念に思っていました。
また、冠の細工の細かさには驚くばかり!
私の実家押入れに眠るお雛様にも以前は冠がありましたが、母が忙しく、姉妹で適当に片付けたりしているうちに、冠の細工はポロポロと折れて失われてゆきました。これだけの飾りを綺麗なままに、緋扇も丁寧にお手にされているなど、大切に、慈しんで扱われてきたこと、見ずにいられません。
日本には、季にあわせ、目的にあわせ、出しては仕舞い、仕舞っては出す、そうして大切に繋げてゆく人の生活がありました。この作業、、どれほど大変な事だったか。それでも、繰り返されてきたその日々に、その心に、胸熱くなりました。
ご家族の大事なお雛様を拝見させて頂き、大変嬉しく、感謝申し上げます。(丁度機械の画面が綺麗になったところで、何よりでした。)
考えても、何をしても、時間はサラサラと音をたてて過ぎてゆきますね。
ありがとうございました、湖。
どうぞくれぐれも大事に。湖、大切にしてくださいね。 珠
* 「mixi」の歌舞伎座日記に添えてみたお内裏様たちの、少し角度をとって撮した写真は、少女の昔から、妻が大事にしてきた雛。
一昨年の二月二十五日、孫・やす香が、妹のみゆ希と二人で祖父母の元へ遊びに来て、欣喜雀躍飾り付けて行った、名残の写真である。
以来やす香はガン発病と孤独に闘い続け、七月末に亡くなった。
妻の雛人形はわたしが好きで、あの日も、ぜひ孫娘達に飾り付けを楽しませてやろうよと、用意しておいた。
珠さんにこう褒めてもらい、感謝。妻も感謝。
2008 4・18 79
☆ あれこれ 2008年04月17日22:56 淳
「mixi」日記がしばらくぶりだ。
その間、いくつか記録すべきこともあった。
1 「北京バイオリン」
テレビで映画をやっていたので見た。最後が少しくどい気もしたけれど、人間の結びつきは血が問題なのではなく、人間自身の手によって、いかに作り上げていくかなのだなぁ…とつくづくと思った。
北京駅に捨てられていた赤子を拾って育てていく父は、少年のためだけに本当に必死に働く。
少年は音楽が好きで、バイオリンが好きで、バイオリンを弾いているのだけれど、実は父のための音楽だったのだな。父親のために弾くバイオリンでなければ、音楽は少年にとって意味はないのではないか。
そんな風に、私はとった。
泣けて仕方がなかったので一瞬、中国がらみのいろいろなことを忘れました。
2 「ルオーとマティス」
先週の日曜美術館ですね。またテレビの話題。
ルオーとマティスの絵が通い合うところは、一見すると全然なさそうなのだが、実は二人は心の通い合った友人同士で、かなりの数の手紙をやりとりしていたらしかった。
ルオーがマティスにあてた手紙の、なんと愛情にあふれていることか。
いいなぁ。
こういう人間関係は、やはりじんわりする。
ふと私も友のことを思ったりしました。
友人がいるっていいなぁ。
3 『なつかしい本の記憶』
岩波少年文庫50年記念で編まれた本。
池内紀さんと池内了さんの兄弟対談など、親しい者たちの何組かが本にまつわる思い出を語っている。
日本全体が貧しかった時代に、どれだけ人々が活字に飢えていたか。
また、むさぼるように読んだ活字からどれほど大きなものを受け取ったか。
一つ一つのお話が宝物のようにキラキラしていて、読んでいて切ないくらい。
(しかしまだ全部読んでいない)
* こういう日記、いいなあ。
☆ 山歩き、なめてはダメ 2008年04月18日02:29 光
最近、首都圏に近く気軽に山歩きを楽しめると、高尾山(標高599m)が人気なのだそうだ。最寄りの駅(京王線高尾山口)から山頂まで1時間30分ほどの行程だ。
ところが、道に迷って下山できなくなったりする「遭難」が相継いでいるという。
実は、私も低山遭難しかかったことがあった。
ダイエットを実行していた頃のことである。体についた脂肪は燃やすしかないと、近くを流れる川沿いに20kmのウォーキングを行ったりしていた。
もっと効率よく、脂肪を燃やせないものか。燃やすんだったら、酸素をどんどん取り込んで(有酸素運動)負荷をかければ燃えるはず。
これは山登りしかない、ということで、さっそく本屋さんで「首都圏近郊日帰りハイキングコース50選」的な本を購入し、週末には電車で付近の(低い)山々の麓に現れては、次々と制覇していった。
(低い)山登りも慣れたともんだと、高尾・八王子の山歩きコースはほぼ自分の庭のようなものですと、公言するまでになった。
そんなある日。
いつもの如く、気軽な普段着に手ぶらに近い格好で、今日はちょっと足を伸ばして奥側の山の方までやってきた。さすがに、ハイカー達もほとんどいない静かなコースだった。iPodでお気に入りの音楽(Atomic Kitten)を聴きながら、あとは駅に向かって下山するだけ、というときである。
途中、道しるべがあり二手に分岐していた。
(お手軽な本の)地図で見る限り、右側の道が最寄り駅への近道のようだった。
ちょっと道幅が狭いけど、まぁ、いいか。
近道なだけあって、ぐんぐん下っている感が実感できる。はやいはやい。ちょっと気になるのは、途中で見かけたベンチがぼろぼろだったことだ。こっちのコースは、余り人が通らないのだろう。しかも、誰一人、人がいない。すれ違わない。
杉林の間を、下っていく。気になるのは、道の跡が追跡しづらくなってきたことだ。斜面が急で、砂に覆われてかき消されてしまっているようだった。
砂の上をずるずると、滑り降りるように下っていく。
心にすっと、不安がよぎる。もう、後戻りはできないな・・・。iPodからは軽快なリズムの「If you come to me」が流れている。分岐点からちょうど30分である。
砂の斜面を下りきると、小川の岸に出た。
岩の上を渡っていける程度だが、はたと困った。
どこが道なのかわからない。向こう岸にも道らしきものが見あたらない。大雨のときに削りとられたかのようだ。
心拍数が上がる。iPodの音楽のせいだろうか。
今なら元の分岐点まで戻れば1時間のロスで何とかなるか。しかし、朝から歩きづめで砂の斜面を登り切る体力が残っているかは自信がなかった。このまま強引に川に沿って下れば、案外、道が見つかるか。そんな保証はどこにもない。目の前には、笹に覆われた薄暗い空間に、川の水がちょろちょろと吸い込まれていくだけである。
携帯に目をやる。圏外ですか。
遭難? 最悪のシナリオが頭をよぎる。果たして、何ヶ月後に発見してもらえるのだろうか。
時計は、14時30をまわったところだ。日没まで数時間。
決断しろ、こころの中の冷静な自分が叫ぶ。
タイミング良く陰影を持った「If you come to me」のサビの部分が流れてきた。
* * *
結局、あの時の私は、元来た道を戻る判断をした。
砂に足を取られながら斜面を登っている自分を支えていたのは、信仰に近い自分の判断力だけだった。
分岐まで戻ってきたときには、これが「安堵」というやつかと思った。
偶然にも、きちんと山登りの装備をされている(経験豊かそうな)ご夫婦2人組に出会い、ストーカーの如く下山するまで5mと離れずついて行った。
低い山歩きでも、なめてはいけません。
山登りは、一人ではしてはいけません。
今でも、Atomic KittenのIf you come to meを聴くと、あの時の光景が浮かんでくる。
* これはこれ、一編を成している。
わたしなど、たった百メートルほどの、蒲団着て寝たるすがたの京の東山でさえ、迷って慌てた覚えがある。ご用心。
☆ メールアドレス 2008年04月18日10:10 ボストン 雄
日本の研究所を退職して3ヶ月が経った。今まで、メールアドレスを残したままにしていたが、そろそろアドレスを削除しなくてはならないということで、昨日、削除をお願いした。
今朝、パソコンを立ち上げると、既にアドレスは削除され、メールサーバーに繋がらなくなったので、メールソフトからアカウントを削除した。
さすがにもう、このアドレスにメールを送ってくる人はいなくなった。送られてくるのは、研究所でのセミナーの案内から、落し物の案内、果ては食堂のメニューまで。どれも僕には関係ないものばかり。最近では、届いた端から削除してしまうことも少なくなかった。
今すぐに日本に帰りたいという気持ちは、もうない。今、どこでもいいから日本に職を見つけて戻ることが、バラ色の未来のように思える、などということはない。
ただ、延々とメールサーバーを探し続けるソフトを見ていて、ふと急に、寂しくなった。
* 寂びしみ、分かる気がする。
2008 4・18 79
* 今日の発送分をいま送り出したところ。
☆ 秦(=恒平)さんの私語の刻を読んで 2008年04月18日17:01 玄
今日、湖(うみ)の本エッセイ43『酒が好き・花が好き』が届いた。
本文を読む前に、巻末の「私語の刻」に目を通して,日本国の現状を憂える秦さんの真情が心に沁みた。この優れた「憲法論」をできるだけ多くの人に読んで欲しいと思う。(この本は、「湖の本」で検索してアクセスすれば、手がかりが得られます)。
2008 4・18 79
☆ 今日もボストン 2008年04月19日14:38 雄
・ 午前中、マウスの手術。少し前から、論文の追加実験のために1ヶ月限定でジェイがラボに戻ってきているのだが、彼女の実験には普段僕が使っているセットアップが必要ということで、交替で実験している。
というか、そうなるのならば、あらかじめ教えておいて欲しかった。僕が実験しようと思うと、彼女が既に使っていたりする。
昨日、相談して、午前中から昼すぎまでは僕が使うこととなった。期間限定なのだから、仕方がない。
昼少し過ぎ、遅めのランチを摂りに外出。このところ、ランチは大学のカフェテリアで食べることが殆どだったので、今日は久しぶりにハーバードスクエア界隈に出ることにした。向かった先はBrattle street沿いのCafe of India。ビュッフェ形式で、色々なカレーを楽しむことができる。満足。
帰り道、Bob Slateという文房具専門店に立ち寄り、実験ノートとクリアファイルを購入。こちらに来て、プリントなどを気軽に保存できるようなクリアファイルを探していたのだが、日本で探していたようなのが見当たらなくて困っていた。ようやく手に入れることができて満足。背表紙のところにITOYAとある。おそらく、日本からの輸入品なのだろう。
お茶が飲みたくなり、以前から気になっていたTado teaへ。お店に入ると、入口付近に色々な茶葉が置いてある。日本の煎茶もあるらしいので、これを注文してみた。
メニューにはIced TeaとBubble Teaの2種類がある。アイスでも良いかと思ったのだが、Bubble teaというのが気になり、良く分からないまま注文。出てきた商品を見て驚いた。煎茶には牛乳が入っていて、全体的に白っぽい。煎茶に牛乳は果たしてどうなのかと思ったが、考えてみれば抹茶ミルクは良く見かけるので、似たようなものだ。
驚いたのは牛乳の件ではなくて、下に茶色い粒が沢山沈んでいたこと。そういえば、台湾などで、ゼリー状の粒が沢山入った飲み物が流行しているというのを、以前ニュースで見たことがあった。どうやらbubbleとは、この粒のことだったらしい。
帰る際、お店の入口付近にSさんが外国人と二人でお茶を飲んでいるのを発見。軽く挨拶する。
・ 日本の元ラボの留学生が筆頭著者となっている論文が受理され、そのゲラが送られてきた。昼食後は、論文の校正。届いてから24時間以内に送り返さなくてはならない。いくつかミスを見つけ、元ボスにメール。
・ 夕方、共同研究者にメールを書こうかなと思っていると、ドアがノックされた。ラボのメンバーなら、すぐにドアを開けそうなものだが、中から”Hi! “と言っても、ドアを開ける気配が無い。ドアを開けてみると、立っていたのは2月にボストンを去り、日本の某製薬会社の研究所に戻られたTさんだった。サンディエゴでがん学会があり、そのままボストンでのシンポジウムに参加しに来られたという。
思わず、「今日、忙しいですか? もし予定が無ければ、飯でも食いに行きませんか?」と僕。本日二度目だが、ハーバードスクエアへ。
この1週間で、ボストンはめっきり春らしくなった。朝晩は寒い時もあるが、日中はコートは不要。今日は日が暮れてきても、まだ暑いくらい。
ハーバードヤードの一角から、大音量で何か言っている声が聞こえる。てっきり、このところ頻繁に駅周辺で見かけた、チベットへの中国政府の対応に関するデモかと思ったが、そうではなくて大学生のためのお祭りらしい。図書館の前には大勢の学生が群がっていた。IDカードにcollegeと書かれていないと、中に入ることはできない。ちょっと覘いて見たい気もしたが、残念。
駅周辺でタイ料理の店に行こうと2軒ほど覘いたが、いずれも満席。何故?
そこで、John Harvard’s Brew Houseへ。ここは「地球の歩き方」などでも取り上げられていて、観光客も良く訪れるバー。僕は一度しか行ったことがない。お店独自で作っている各種ビールがウリ。ブルーチーズの載ったハンバーガーを注文し、ハンバーガーをかじりながら話をする。
ちょうど今日はボストンレッドソックスの試合がフェンウェイパークで開かれていて、先発は松坂だった。
「ボロ負けしたら、生きて帰れないかもしれないですね。その場合はこっそり抜け出しましょう」と僕。それにしても、偶然とはいえ、バーの大画面のテレビでレッドソックス観戦をしながらビールを飲むことができて、かなり幸せな気分になる。Tさんも同じ気持ちだったのか、
「いやあ、やっぱりアメリカはいいですよ」と、何度も繰り返していた。
Tさんはダウンタウンのホテルに宿を取ったらしいので、ハーバードスクエアの駅でお別れする。本当に偶然の再会だったけれど、色々話ができて楽しかった。
* 「花」さんのも「雄」くんのも、 春……。
2008 4・19 79
☆ 心月弧円 2008年04月20日00:25 瑛
北陸の七尾線の宇ノ気駅の『西田記念館』へ行った時に当時の館長の上杉知行さんから頂いたカレンダーの「字」は、梶尾大拙老師。
心月孤円 に続く次の句は、「光呑万象」と。
抽象であろうが実感でありましょうが、「詩」に、こころが触れる。
「笠」さんの動画に感動する。メールにて。
南洋の海の漕ぐ舟、同じリズムでぎっこらギッコラ、・・・。単調な動きに安らぎを感じる。「冒険ダン吉」とその友人であろうか。
いや、・・・人間の静かないとなみ。崇高なリズム。彼岸へと漕ぐ。
* 通い合うもの…。
☆ 美しき水を求めて 2008年04月20日04:56 光
子供の頃に育ったところは、アスファルトに囲まれた人工的な街並の新宿まで電車で10分というベットタウンの中だった。
家の周りの川といえば、いわゆるどぶ川であった。池といえば、整備された公園のコンクリートで円く囲まれた、噴水付きの貯水池のことであった。
そんなものだと思っていた。
当時、通っていた小学校では、5年生のときに富士山の麓にある宿泊施設を利用して林間学校を実施するのが恒例となっていた。
山登りにオリエンテーリング、キャンプファイヤー、枕投げ、風穴洞・氷穴洞。
今でも、断片的に覚えているということは、当時はきっと楽しかったのだろう。
その中でも、鮮明に覚えている映像がある。
忍野八海の池の一つ(おそらく銚子池)である。
直径5mくらいの円形の池、水晶の如く澄んだみずの底からこぽこぽと砂を舞上げながら湧水している。
ここが大地のおへそ、地の底との出入り口ではないかと思ったほどの神秘的衝撃だった。
みずはこんなにもきれいなんだ。
それ以来、神秘的美しさのみずを探し求めている。
人から、それなら上高地でしょう、と言われれば、行ってみた。空の色との対比が素晴らしかった。
奥入瀬ははずせないんじゃない、と言われれば、行ってみた。木々の中を流れるその姿は、どこで立ち止まってもその都度印象的。 実は鍾乳洞の洞窟内も要チェックである。龍泉洞の地底湖の青も幻想的であった。
* * *
それでは、これまでで私のこころの中でのとっておきの場所は・・・。
オーストラリアの東端近く、時計でいうと3時の位置に「フリーザー島」という島がある。
川から流れてきた砂が堆積してできた砂の島である。
その真ん中に、砂の島に一度吸収された雨水が滲みだしてできた世界的にも希有な湖がある。
マッケンジー湖という淡水湖である。
真っ白な砂の上、足下の水は透明なのに、目を湖の方への移動すると見たこともないブルー。
ピュアな水のブルーとはこのことか、と直感した。
いつか、最愛の人に見てもらいたい、そんな美しさだった。
* あこがれ、という湧き水を感じる。おみごと。
2008 4・20 79
☆ 今年も筍を頂きました 2008年04月20日10:44 巌
昨日19日は父の月命日 母の祥月命日で姉夫婦が墓参に来てくれました
花を持って貰ったり用意をしている所に 父の従弟が来られて 今年もまた 朝から掘りに行ってきたという筍を頂きました
一年前の日記にも書いたように 父は筍が好きで この時分の孟宗竹やもう少し後になる頃は真竹の筍を 春の後半は楽しみにしていました
姉が筍食べてから帰りたい というので 仕事の合間に あく抜きをして冷ました後 せっかくなので柔らかいところだけを贅沢に使って若竹煮をこしらえ 適当な焼き物を添えて 墓参から戻ってきた姉夫婦と しばし小宴会
今日は中くらいの硬さの部分で何か作って 明日は筍の残った部分と挽肉とでカレーにしよう
これもまた贅沢
* わたしも、筍が大好き。それゆえにも、佳い季節。
☆ 植物性のクリームが苦手 2008年04月20 日08:00 馨
小さい時から、植物性のクリームが苦手でした。
当時は市販のデコレーションケーキでも生クリームよりバターケーキのほうが多かった時代。
いわゆるスポンジケーキ類の上にもショートニングベースのきれいな色のクリームがほどこされていたのですが、クリームだけ手こずりながら食べていた記憶があります。
加えて父が化学系だったために、マーガリン・ショートニングについては「水添した植物油脂のトランス脂肪酸についてはまだ正確なことがわかっていないから」と、家庭内では使用禁止でした。
長じて現在、植物性のクリームが使われていたらかなりの確率でわかる気がします。
頂きもののおみやげやコンビニのお菓子でその手のクリームが使われていても別に素通りできるのですが(不思議なほど全然気にならないし。というか、割とおいしいと思うし)、「おいしいのよ」と薦められて自腹を切って買ったお菓子に植物性のクリームが入っていた時の衝撃はかなりなものに…。
最近のショックは、奈良の**堂という有名な葛のお店のロールケーキ。小麦粉を使っていなくて、葛粉だけで作ったロールケーキがとてもおいしい、といろんな人から教えてもらっていて、何ヶ月も期待を高めていき、先日わくわくしながら一口食べた瞬間のあの衝撃!!
もうなんというか、その場で崩れ落ちそうでした。
きちんとした生クリームに増量材として植物性生クリームを混ぜた、というレベルでなく、絶対に正真正銘の植物性100%生クリーム!!
食べ終わってからこっそり原料を確認したら、原料には堂々と「ホイップクリーム」とありました。これ、植物性生クリームの、それも既に泡立てた製菓材料ですよね。
葛粉はとてもとてもおいしいお店なのに、洋物はやっぱり苦手なのかなぁ。
こういうときはショックがおさまらずネットでブログ等を延々と検索してしまうのですが、この有名な「くずの子ロール」について、植物性クリームである残念さに言及しているのは、ほんの2、3人でした。
あとは皆様礼賛記事ばかり。
きっと私の味覚って、ほとんど共感を得られないんだろうな。さみしい…。
*
もう一つ、植物性クリームといえば、鎌倉市内にある某ケーキ屋さん。
本格的にバターを使ったバタークリームのロールケーキがおいしい、という評判なのですが、小さい時からケーキのバタークリームもどきを食べ終えるのに難渋してきた私には記憶のある味…。
でも、こちらのほうはいくら検索をかけても、植物性油脂関連の記事はなく、ブログでは絶賛記事ばかり。
一度しか食べたことないし、自分の味覚がおかしいのかなぁ、と自信がなくなってきて、探究心に打ち勝てず(?)先日久しぶりに購入しました。
自分で買ったものだからと、堂々と原材料を確認したところ、ありました!「植物油脂」の四文字!! 思わず飛び跳ねてダンナさんに、
「やっぱりそうだった!! 合ってた!合ってた!」と、報告。
お店の名誉のために付け加えると、もちろん、バターも使ってありました。
せっかく買ったものだし、と食べている最中には、クリームのみならず、一緒に巻いてあるシュー皮もバターではなくショートニングで作ったものだろう、という新たな発見も。(たぶん、ですけどね)。そうですよね、昨今のバター不足の中、そうでなければ、あの値段では売ることはできないだろうなぁ、と思いますもの。
実は鎌倉にはもう一軒、評判と私の感覚とが完全にずれているお店があるのですが、近いうちに確認したいなぁ。
でも、どのお店もきちんとしているなと思うのは、そういう材料をちゃんと明記してくれていること。偽装事件の影響もあるのかもしれませんが、そういう律儀さは、ホントにえらいな、と思います。
でもその律儀さのついでに、バターや生クリームを使ってくれると、もっと嬉しいんだけどな。
* 文化的な民度・感度がこまやかに深まっているとも、生活感覚の格差があるところでは豊かに落ち着き、あるところでは余裕なく落ち込んでいるとも見えている。
2008 4・20 79
☆ 法律って何? 2008年04月20日10:04 ボストン 雄
・ 久しぶりに家で日本の情報番組を見る。
このところネットニュースで気になっていたのが、日本のイラク派兵が違憲であったとする名古屋高裁の判決に対する反応。
中山成彬・元文科大臣が「最後っ屁」と言ったという。その後の釈明でも、「分かりやすく言っただけ」「裁判官の趣味で、こんな判決を出されるのは困る」と述べたという。その他にも、自衛隊の幹部だったか、「そんなの関係ねえ」と小島よしおのギャグを使って反論したとか。
これは「三権分立」を無視した暴論ではないか。
まあ、中山氏は「南京大虐殺は無かった」などと口にするような人であり、取り上げるに値しない人物なのかもしれないが、それでもちょっとひどすぎやしないか。
裁判には原告、被告を取り巻く様々な人々が議論を尽くし、その上で裁判官が判断を下すもの。その判決は重く受け取らねばならないはず。それを「屁」とは何事だろう。自衛隊の幹部の発言にしても、判決を無視して兵隊を戦闘地に送り込むという趣旨であり、大げさに言えば「軍部の暴走」だと思う。
政府、政治家、自衛隊も、もう少し判決の重みを厳粛に受け止めて欲しい。
・ もっとも、「趣味を判決に反映させる」ということが、全く行なわれないわけではないかもしれない。
22日に山口県光市での母子殺害事件の判決が下される。この事件で、弁護側は1,2審で認めていた殺害や強姦の事実を否定し、苦し紛れの弁解をしている。差し戻し控訴審で弁護を担当しているのは、いずれも死刑廃止論者の弁護士ばかり。
死刑を廃止したいという人々の意見を否定するつもりはない。しかし、そのために、起こった事実までを曲げて証言させるというのは、間違っていないか?
この裁判で終始感じるのは、この裁判の原告として闘っている本村氏の態度。僕より4歳も若いのに、本当に立派だなあと思う。何者にも屈しないという態度。しかし、決して冷静さを失わず、感情に走るのでなく、あくまでも論理的に主張を展開している。
正直言って、この判決がどうなるのか、僕には分からない。今までの判例からすると、無期懲役も充分に有り得るとも聞く。しかし、単に過去の判例のみにすがって、多くの人が「おかしい」と思う判決を下すのが、裁判所の役割とは思えない。法律・判例は大事だろうが、それが人々の常識からかけ離れてしまうとしたら、それはそれで問題だろうとも思う。
・ ニュースを見ていて、改めて腹立たしいのは「後期高齢者保険制度」の話。まさに「老人は死ね」ということだろう。この制度は2年も前に国会で採択されていながら、今まで殆ど耳にしなかった。2年前ということは、これも小泉政治の残した禍根の一つ。
ここ最近、日本のニュースを見るのが辛い。これらを見ていると、日本はどんどん魅力的な国でなくなりつつある。このままではいけない。何とかしないと、日本はさらに悪くなるかもしれない。お前は海外にいるくせに、偉そうなことを言うなといわれるかもしれないが、国外にいればこそ、日本のことを考えずにはいられない。
* 適確な指摘であり批判であると思う。
問題は、そこから、どう、こういう指摘や批判が「動的に」輿論化するか、運動体化するか。そういうことにこそ、インターネットでの連帯が盛り上がるといいのにと願う。
2008 4・20 79
☆ 炭の声 2008年04月21日00:35 maokat
炭がはぜるという経験を、さて、近頃の人はしたことがないのではないだろうか。
そうすると、炭を洗うという陰の仕事も、全く知らないのだと思う。
ところで、
昔の人は、炭が炉の中ではぜてパチパチいうと、
炉の真上から大声で「山で言うた事忘れたか!」と怒鳴ったそうです。
そうすると、はぜなくなったそうです。
*
山で言った事って、何だろう。
ご存じの方、おられますか?
* ハテ。 うろ覚え、ありそうな…。
2008 4・21 79
☆ 岐阜で友達の演奏を聴く 松
週末の土曜日、岐阜に演奏会を聴きに行った。演奏するのは名古屋在住時代に知り合ったアマチュアのピアニスト達である。うまい人達ばかりで、いつも名曲、難曲に挑戦している。
今回のプログラムも、バッハ=ブゾーニの『シャコンヌ』や、ショパンの『幻想曲』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』、チャイコフスキーのピアノトリオなどの難曲が並ぶ。メラルティンという珍しい北欧の作曲家の作品を弾いた人もいた。
出演者は演奏会やコンクールの経験豊かな人達。技術的にうまいだけでなく、音楽を通して何かを伝えたいという人ばかりである。
演奏会が終わって楽しく打ち上げ、場所を変えながら3次会まで。音楽の話は広く、深くいつまでも尽きることがない。この会で1年に1度しか会わない人も多く、近況を聞いて驚くことも多い。自分自身も新しい仕事や町の話をする。
こういった演奏会に行くと、自分ももっとピアノに時間をかけていい演奏をしたいと思うが、いろいろとやりたいことも多く、うまくいかない。
また最近音楽に対しての情熱が少なくなってきたような気がする。昔は心の底から弾いてみたい曲がたくさんあったのだが、最近そういう思いをあまり抱かなくなってしまった。心境の変化だろうか。
* 人、それぞれの夢をみている。「松」くんの心境の推移、注目。
メールも、いろいろ来る。
☆ 連係プレー 2008年04月21日09:19 馨
娘がエプロンと三角巾を作ってほしいというので、土曜日に生地などの材料を買ってきました。
へたに出しておくとチビ怪獣がどこに持っていくかわからないので、翌日に縫い始めるまでは、と鞄の中に入れておいたのですが、待ちきれない娘は、翌朝からそわそわと生地を出して眺めたり。
「人の鞄を勝手に開けない!」と、口だけで叱って片付け物をしていたのですが、片付け物が終わってようやく作り始めようとすると、生地がない…。
娘を本格的に叱りながら、家中探したのですが、娘が「置いておいた」という二階の廊下にはなく、娘の歩いたあとにも全然見つからず、おもちゃ箱をひっくり返したり、息子が持っていきそうなところを探したり。
あまりにも見つからないので、手持ち無沙汰にクローゼットを開けてみると、なんと天袋の上に見覚えのある緑色の袋が…。
妊婦の私も子ども達も、絶対に置けない場所。
容疑は一気に、そこにあった五月人形を出してくれている主人にかかりました。
探し物疲れで思わず言葉強く、
「どうしてあんなところに入れるのっ!」と問うても
「クローゼットから出しておいた荷物の上にあったから、これもクローゼットの中にあったかなぁ、と思って」と、淡々と答える主人。
まだまだ気のおさまらない私は娘に、
「あなた、廊下に置いたって言ったじゃない!」
「廊下だよ、廊下にしか置いてないよー」半泣きの娘。
・・・ということは・・・?
そこにちょろちょろしているチビ怪獣が仲介したという展開?
鞄の中→(by 娘)→廊下→(by 息子)→荷物の上→(by 主人)→天袋
わずか数分の間のあまりにも見事な連係プレー。
さすがO型三人。大ざっぱな性格そろい踏み。
待ちきれず鞄から生地を持ち出すO型。
どこにでも物を持っていくO型。
自分が出した自覚もないのに適当に片付けるO型。
私もあまりA型には見てもらえないかなりいい加減な性格ですが、この三人には勝てません。
そもそも鞄を勝手に開けてはいけない! と娘を叱りつつも、見事な連係に思わず吹き出してしまい迫力無くなった母でした。
* こよない、わたしの「一服」です。
2008 4・21 79
* 知人の作家より「著作権侵害」問題でペンクラブへ対応依頼のメールを受けた。文字通り電子メディア上の問題であり、とりあえず事務局と言論表現・電子メディア委員会の方へ伝えた。
早速副委員長の高橋茅香子さんからお返事を貰って、依頼者へも伝えた。
こういう問題は時を追って駆逐されるどころか蔓延する時代のように、わたしには想われる。仕方がないのではない。困るのである。
2008 4・21 79
☆ 長距離出勤 2008年04月21日23:06 悠
週末,実家で療養中の息子のもとにいきました.
土曜日,午後から研究会があったため,夕方の新幹線+特急を乗り継いで向かいました.
実家に着いたころには息子はぐっすりお休み中.私もほど無く横で寝ることに.
夜中,ぐずぐずと暗闇で起きだした時,”はっ”と私が居ることにに気付いて,すごい勢いでハイハイで向かってきてくれました.で,真夜中の授乳タイム.息子の半分眠りながらも一生懸命飲んでくれる顔をみてうれしくなりました.
日曜夕方には戻る予定で居たのでたっぷり,べったりすごしていました.
夕方,帰り支度をしていると,TVのニュース速報で乗る予定の電車が人身事故で不通! なんと.ひとまず,予定通り駅に向かったところ,開通まで時間が掛かりそうだったので月曜朝の電車に変更.
思わず息子と一緒にすごす時間が増えました.
というわけで本日,(北陸から東京本郷まで)長距離通勤.
意外と快適でした.論文をじっくり読んだり,予定を立てたり,そして一眠り.
息子の体調は少し咳と鼻水が残っているけどすこぶる機嫌がよくて,つかまり立ちが素早くなっていました.あと,ご飯を食べた後,手を合わせて”ごちそうさま”が出来るようになっていました.
もう一息.
がんばって治そうね.また来週行きます.
* 優しい、いいお母さん。うれしくなる。
☆ きよ水の里 郡上八幡 2008年04月22日00:14 松
岐阜での演奏会の翌日、ホテルで目を覚ます。外は雲ひとつ無い晴天、雪を抱いた山が遠くに見える。朝食をコンビニで買い、JR高山線に乗る。途中の美濃太田で長良川鉄道に乗り換える。この路線は長良川を渡りながら上流へと登っていくローカル線で、車窓からの眺めは飽きることがない。長良川の清流は時に滔々と流れ、時に激流となり瀬を成す。山に目を移せば、山桜がところどころ白い斑点となっている。のんびりとして春だな、と思う。
まだ景色を見ていたいと思う頃、古い城下町の郡上八幡に着く。駅前で春祭りをやっていた。お囃子が笛を吹き、獅子舞が踊り楽しそうだ。ゆっくりと街の中心部へと歩いていくと『やなか水のこみち』という石畳の道が水路の脇に伸びている。おいしい水が引いてあり、旅人が喉をうるおすことができるように、カップが置いてある。石畳の道に木が立ち、涼しげだ。水路を過ぎ、裏道を抜けると日吉神社があり、満開の枝垂れ桜を見ることができた。しばし写真をゆっくりと撮る。
神社から少し歩くと乙姫川に出る、上流に滝があるとのことなので、草生した林道を歩く。しばらく歩くと二条の滝が見えた。片側は勢い良く落ち込んでおり、もう一つは岩の上から流れ落ちている。滝の落ち口には祠があり、水神を祭っていた。飯尾宗祇も汲んでお茶にしたというおいしい水を口に含む。冷たく甘い水だった。
昼時になったので、宮ヶ瀬橋脇の『そばの平甚』へ行き、もちもちざる蕎麦と、朴葉寿司を食べる。弾力があり非常においしいお蕎麦だった。満腹になり、店を出る。
少し離れた場所にある『いがわこみち』という水路沿いの道を歩く。ここは共同の洗い場となっている場所で、使っている人の名前がずらっと書いてあり、傍らには炊事道具が置かれている。水を大事にしている町らしい。
『あじさいの道』と書かれた道を登りお城に登る。ここは人柱になった人の話や、重い石垣を運んで息絶えた人の碑があり、かなり悲劇的なお城である。展望は良く、街と長良川が一望できる。石垣と新緑のもみじがとてもきれいだ。中腹にある岸剱神社の脇に満開の枝垂れ桜を見つけ、しばし写真撮影に時間をかける。一人だとこういうときは気楽だ
下山するとまた水飲み場があり、乾いた喉を潤す。町の中心部へ歩いて行くと、『積翠』というお酒を作っている店があった。以前も買ったことがあり、濃い目のおいしいお酒だと覚えていたので、さっそく四号瓶を二本買うことにする。
吉田川を渡り、慈恩禅寺荎草園に行く。ここは背景に岩山と滝があり、大きな池と庭がある素晴らしい庭園である。ちょうど紅白の石楠花が咲いていた。自分の他に誰もおらず、水琴窟のかすかな響きを楽しむ。(撮影禁止のため残念ながら写真はありません)
ゆっくりと歩きながら駅に向かうと、祭りの御輿や山車に出会う。名残惜しいが列車の数が少ないので先を急ぐことにする。旅の余韻に浸りながら、先日届いた本を読む。酒飲みの話など思わず笑ってしまいながら読む。本を読んでいるとうつらうつらしてきて、気持ちよく寝てしまった。
* てきぱき書いている。「松」くんの可塑的な才能がうかがえ、うれしくなる。
☆ クレジット・カード 2008年04月22日01:09 光
私は、現ナマ主義である。
しかし学生時代、初めて海外旅行に行く際に、カードを持っていた方がいいよと勧められ、○○○○VISAカードを作った。
結局、海外では使ったものの日本に戻ってきてからは、財布に入れたままであった。
当時は年会費無料などというカードはなく(知らず)、持っているだけで年会費がかかるので、カードに対してますます良い印象を持たなかった。
ただし、いざ、と言うときにはきっと助けてくれるお守りみたいなものなのだという、心の中に何となく淡い気持ちもあった、ことは否定できないが。
* * *
学生時代は、これまでの生活の中では極貧であった。
極貧レベルでは、いや、私の方が極貧度は高い、という人はもちろんたくさんいた。
まぁ、少なくとも、私の人生の中では当時は極貧であった。育英会奨学金の銀行への振込が、唯一の収入源であった。
奨学金の振込日まであと一週間。そんなときには、たいてい、パスタに丸○屋の「のりたま(or ごま塩)」を振りかけて食べていた。
しかし、金曜日にはすでに財布の中は\100以下。なんとか、来週の月曜日まで食いつながなくては。 銀行にちょっとくらい残ってなかったかなぁ。
数百円くらいあったような気が・・・。期待せずに通帳を見ると、なんと全財産¥1500も!
なんと、なんと。予想外は嬉しいものである。
さっそく、通帳を持ってATMへ。えぇい、全額おろしちゃおうっと。
ピッ、ピッ、ピッ、と。通帳入れてっと。
あれ、残金がたりない? おかしいな。
もう一度、やり直してくださいと、出てきた通帳を見て愕然とした。
○○○○クレジット年会費 ¥1312 残金 \188
* * *
予想外は衝撃も大きいものである。
あのとき、全財産が\1300だったら、引き落とせずに翌月に延期されたはずだ。○○○○のやつ、気を利かして残高確認してから引きおとしてくれたって・・・。
信じていた淡い気持ちは、霞の如く消えてなくなった。
この事件以来、ますますカード不信に陥った。
* 笑っちゃいけないが。いつも教室でみていた飄々としていた「光」くんの顔が思い出せて、うれしくなる。
☆ 学位審査会 2008年04月22日07:35 ハーバード 雄
・ 昨日までの陽気と比べると、今日は少し肌寒い。やはりボストンの気候を侮ってはいけない。セーターとコートを着てラボへと向かう。
途中、いつも通っている道に、桜のような花が咲いている木々を見つける。良く見てみると、樹の幹のあたりも桜に非常に良く似ている。まだつぼみがほころび始めたばかりなので断言できないが、もしかすると本当に桜かもしれない。ボストンで桜が見られるとは嬉しい。
今日、マサチューセッツ州はPatriots’ dayで祝日。そしてこの日はボストンマラソンの日でもある。そのせいか、ラボは若干閑散とした印象を受ける。
しかし、基本的にハーバード大学は、この日は休みではない。カフェテリアも通常営業しているし、セミナーなども普通に行われる。
そして今日は、うちのラボの中国人大学院生ジュ・リュウの学位審査会の日でもある。彼の審査会はメディカルエリアで開かれ、ボスと何人かのラボメンバーはメディカルエリアまで行ったようだった。本当は僕も行ってみたかったのだが、ケンブリッジキャンパスとメディカルエリアはバスで40分近くかかる。おまけに、今日はボストンマラソンで通行止めの場所も多いので、普段以上に時間がかかる。ジュには申しわけないが、僕は行かなかった。
・ 代わりに、同じ時間帯に開かれたbrownbag seminarに出席。演者はChildren’s hospitalのChinfei Chen。2003年のノーベル化学賞を受賞したロデリック・マッキノンの研究室でiイオンチャネルの研究で学位を獲り、その後Harvard medical schoolに移ってからは視床のシナプスの発達に伴う変化について研究している。
目から入った情報は、視床(ししょう)と呼ばれる脳の部分を通して、大脳新皮質へと伝えられる。生まれたばかりのマウスでは、網膜から複数の神経細胞がひとつの視床神経細胞にシナプスを作る。しかし、発達が進むにつれ、余分なシナプスは無くなり、1対1の投射となる。
生まれてからずっと暗いところで育てられたマウスでも、正常のマウスと同じように、この「余分なシナプスの除去」が起こる。ところが、生後20日位までは明るい状態で育て、それ以降暗い環境で育ったマウスでは、シナプスの除去が起きない。このように、生後発達の間に余分なシナプスが刈り取られるのに特に重要な時期があることが知られていて、「臨界期」と呼ばれている。
今日の話は、どのようにして視床のシナプスで臨界期が生じるのか、について。具体的には2006年に彼女らがNeuron誌に掲載した論文(Hooks,B,M and Chen C. (2006) Neuron 52:281-91)の内容がメインだった。
・ セミナーの後、サラダで簡単な昼食を済ませてから、実験を再開。週末に充分な休息を取ったせいか、仕事が捗る。午前中にも一仕事を終え、午後も順調に仕事をこなすことができた。
実験を終え、ちょうど実験室から出てきたところで、ジュ・リュウとボス、JCが立ち話をしていた。審査会から戻ってきたばかりらしい。ジュ・リュウは濃紺のスーツを着、ネクタイをつけている。
まず問題なかっただろうが、決めつけるわけにもいかないので、それとなく目で問いかけたところ、ボスが「ドクター・リュウ!」とおどけて言った。
「おめでとう!」と握手をし、肩を叩くと、ジュ・リュウは、ちょっと涙ぐみそうな顔をしていた。
自分が学位を獲った時のことを思い出した。他の人の学位審査を見ているだけだと、何も問題なく済むのが当たり前なような気になるが、自分自身の時にはそうではなかった。大学院生として研究している時、何度も「本当に自分は学位なんてもらえるのだろうか」と思った。学位審査を終え、本郷から白金台に戻って来た時、多くの人から「博士」と呼ばれた時、なんとも晴れ晴れしい気分になったのを憶えている。きっとジュ・リュウも、今、そんな気分なんだろう。
* おう! うれしくなる。
* 記者さんはわたしの後輩で。
つづく四人は東工大でわたしの教室にいた学生諸君の、十数年後。自分でダベっているよりも、こう聴いてこう読んでいる方がわたしは晴れやかにうれしくなる。何故って。
世界の、ひろがる心地がするから。
2008 4・22 79
☆ 死刑判決 ボストン 雄
昨夜、インターネットで日本のテレビを見ていた。山口県光市の母子殺害事件の死刑判決のニュースに、食い入るように見入っていた。
本村さんの会見も見た。いつもと変わることなく、正論を堂々と述べている姿に尊敬の念を抱いた。
本村さんもおっしゃっていたように、決して死刑になったからといって「ざまあみろ」とか、「仇を討って、せいせいした」などというものではないだろう。死刑とて、一人の人間の命を奪ったことに変わりはない。きっと、このことは本村さんの心に死ぬまで傷として残るに違いない。
弁護団は、「後から出てきた事実を全く認めないのは、著しく正義を欠いた判決だ」などと言っていたが、一体「ドラえもん」や「蝶結び」云々の言い訳に、どうして納得できるのだろう。一歩譲って、仮にそれらが被告が本当に自らの意思で述べたことだったとして、この弁護団が過去に最高裁での公判をすっぽかしたことを、私達は忘れてはいない。
テレビではコメンテーターとして弁護士らが盛んに、「永山基準」を持ち出しては、過去の判例に比べて重い処分であると発言していた。
しかし、そもそも「永山基準」とは何なのか? 確かに、最高裁が示した死刑の判断基準としては重要な指標かもしれない。しかし、逆にそれにとらわれて、なんでも杓子定規に処理するというのは、どうなのだろうかと思う。
朝日新聞の女性記者が、半ば挑発的に、「この判決で死刑のハードルを下げたことについて、どう考えるか」と発言していたのには、呆れた。
遺族の感情を全く考えられない人に、一体何を報道する資格があるのだろう。
本村さんもおっしゃっていたように、「過去の判決に囚われず、個々の事例に向き合って判決を下した」ということが今回の裁判では重要な点であったと思うし、それが実際に成されたということに、国民の一人として安堵した。
* 同感している。
2008 4・23 79
* ある非会員の若い作家から、例のwinnyがらみの著作権侵害に関するクレームと、ペンにも何等かの対応や態度表明が願えないかと、一理事のわたしに申し入れがあった。
すぐ事務局と言論表現・電子メディア委員会に申し入れを仲介する一方、ことが著作権侵害問題に傾くなら文藝家協会へも働きかけられたらいいと奨めておいた。
ペンの事務局から、いましがたわたしへのかなり事分けた丁寧な返信が届いた。ペンとしても関心はぜひもたねばならないが、現実の対応は文藝家協会がよろしかろうと、ま、そういうこと。
当の作家宛にも、わたしへの何分の一かの簡単な返辞が出たらしい。つまり「門前ばらい」かと失望も落胆もあるであろう。その辺がペンクラブの実力で、事実手も足も出ないし、出す気もないのである。文藝家協会とても同じだろう。
だが、こういう問題から目を背けていては二十一世紀の文筆表現者の足場は、あしもとを土石流に薙ぎ倒されるぐらい危ないことになる。しょうがないなあと諦めながら、何かしら何かしらしぶとくやって行かねばならないだろう。
2008 4・24 79
☆ 読むとは生きること 瑛 e-OLD川崎
送られてきた「湖」さんの本の題を読んで榊 莫山の筆と絵を連想した。
もしこの本を読む力量が中学か高校生のときにあり、形が違ってもそのような「場」があったら、僕は文系を志望していただろう。大学も伝統のある学校と駅弁大学ができたばかりの学問の府は、新しい時代に入ったばかりであった。
湖の本 エッセイ43『酒が好き・花が好き』。
「酒が好き したみ酒古典の味わい」の書き出しになんとも艶があり、酒を嗜むといった品格がさり気なく書かれている。露伴翁を思わせる。莫山が「莫山書話」の大和八景に吉野川清流の写真付きで書いている数行を思いだす。
「紙漉ク女(ヒト)は 裳裾ヲ濡ラシ 流レル水ヲ 神トイウ」。
本は、文章は、数文字でも、また一行でも連想へのヒントを与えてくれる。
竹西寛子著『言葉を恃む』の表紙の帯には、
「言葉によって生きることこそ自分の在り方を 知ること・・・」とある。
柳田邦男の著書の題名に『読むとは生きること』というのがありますが、静かに腹の底に響く晩鐘の響きがあります。勇気づけられる。
* 「このところ全く余裕なく過ごしており、(今度の湖の本を手にし=)ホッとしています」と江田参議院議長は葉書に達筆で書かれている。「ホッと」してもらえれば、嬉しい。
あとがきには「憲法」にふれて書いたが、これにも数多い「共感」「賛同」「感服」の反響が多くて、心強い。
* 「読む」という営為・行為は、だが過剰に評価されない方がいい。読むのが楽しい、どまりでいいのではないか。「読むとは生きること」と云ってしまうと「生きる」とは何だと難儀な問を生み、答え得ざる質問の前でいたずらな論がただ山積みになる。
2008 4・25 79
☆ 自転車 泉 e-OLD 小金井
乗っていますか。
先日の新聞に、黒目川で翡翠が巣作りをしている写真がありました。そんな写真が撮れれば、いいなあ。
翡翠は品のいい好きな鳥ですもの。
小金井公園の池にもいるらしく、アマ写真爺婆がたむろしてます。
* まちがっても古稀すぎた人が可愛い孫を自転車に乗せ、走らないこと。そう思いながらわたしの今の念願は、どうにかして黒いマゴといっしょにサイクリング出来ないかなあということ。
☆ サイエンスセンターのライブラリーへ。 ハーバード 雄
これから始めようとしているプロジェクトに関連して、どうしても目を通さねばならない論文があったのだが、聞いたことも無いような雑誌の上、発表されたのが1965年と古いため、電子化されていない。ライブラリーのウェブサイトで検索した限りでは、ハーバードでも手に入らなさそう。
サイエンスセンターに限らず、ライブラリーに足を運ぶのは、これが初めて。今では、殆どの学術雑誌において、論文が電子化されているので、わざわざライブラリーに足を運ぶ必要がなくなりつつある。
おそるおそるサイエンスセンターのライブラリーに足を運んだのだが、専門のライブラリアンが非常に親切な人で、大いに助かった。3報の論文を入手したかったのだが、うち1報は既に電子化されているという。こちらの落ち度なのだが、親切にもタダでプリントアウトして渡してくれた。他の2報に関しても、どこに行けば手に入るかを教えてくれた。
1報は、サイエンスセンターのライブラリーの地下の書庫に、もう一報は、自然史博物館のある建物内のエルンスト・マイヤー・ライブラリーに、それぞれ保管されていた。
どちらのライブラリーにも、夥しい数の書棚が並んでいて、辺りは水を打ったように静か。図書館独特の臭いがする。僕はこの臭いが大好き。幼い頃から慣れ親しんだ臭いでもある。実家から徒歩5分のところに図書館があったため、図書館は僕にとって格好の遊び場であった。多くの本に触れ、多くのことを図書館で学んだと思う。
こういう雰囲気に浸ると、それだけで何ともいえない幸福な気分になる。
それにしても、こんなマイナーな雑誌まで大切に保管されているとは、さすがハーバード。
てっきり、取り寄せなければならないだろうと思っていたが、こんなにも簡単に論文が手に入るなんて。やはり、ここは学問の都なんだなあと、改めて思う。
* こういう話は、自分はあまりに遠い部外者なのに、たまらなく刺激され励まされる。こう有って欲しいと思うからである。
いま日本の大学の図書館では、保管に苦しんで多くの本を廃棄したり、廃棄同然に死蔵(殺蔵)したりしている。図書館というものの本質的な意義が、日本では、作家達のような本来知的世界の一環を担っているはずの人種にすら理解されていない。自分たちの本の売れ行きばかりを顧慮して、図書館機能の歴史性や超歴史性に理解が届いていないのを、イヤほどペンクラブの中で見聞してきた。
だいじなものは電子化を。そうプロに、助言され忠告されたことがあった。但し電子化した以上は、その財産権にあまり固執していると自己矛盾に逢着することも知っていた方がいい。
2008 4・25 79
☆ キリストの墓 2008年04月26日01:00 光
驚いた。あまりの突拍子もない学説(当時はそう思っていた)に、畏怖の念すら感じるほどだった。
小学生の5、6年のときだったか。
友人の家に遊びに行き、別の友人を待っている間、ごろごろ本を読んでいた。友人の本棚にあった「日本のミステリースポット」みたいなタイトルだったと思う。文庫サイズの、今で言うところのオカルト系B級ミステリースポット的な話題を紹介している本だった。
何気に開いたその本には、小学生の冒険心(?)をくすぐる魅惑的なお題が満載であった。
巨大な石が池に浮いているかのように見える、兵庫県の生石神社の謎の浮石(石の宝殿)。
南アルプスの山中、しらびそ高原の御池山付近、日本にも隕石クレーターがあった?
戦国時代、武田一族の隠し金山、黒川金山の埋蔵金伝説。
そんな中でも異彩を放っていたのが、「イエス・キリストは日本で死んだ」というもの。えっ、ホントに?
まだまだ素直な小学生であった。
* * *
なんでも、茨城県の祖皇大神宮の竹内家に伝わる竹内古文書を解読すると、青森県の戸来村(現在の新郷村)にキリストの墓があるとの記述がみつかったのだという。実際に、竹内巨麿なる人物が突如やってきて、山腹の盛り土を指して「これがキリストの墓だ」と断言したのだという。
話はまだ続く。ゴルゴダの丘で磔にされたのはイエス・キリストではなく、実は弟のイスキリだったと。その数日後、イエスが現れると弟の遺髪をもって弟子と共にシベリアを東方し日本海を渡り、ついに東の果て、日本の青森県戸来村に到達したのだという。布教活動はせず、日本の女性と結婚して3女をもうけ 106歳で大往生したというのだそうだ。
もしこれが正しければ、数日後イエスが現れたことが復活祭の話の元になったと考えられるし、東北地方に美人が多いのも鼻が高く色白の混血によるものと考えればつじつまが合う。
「戸来」村は、「ヘブライ」が訛ったもので、この地方に伝わる盆踊り歌「ナニャドヤラ」はヘブライ語で「神を讃える」と言う意味があり・・・、と(小学生には)説得力のある文章がずらずら並んでいたように記憶している。
友人と2人で大爆笑(特に弟が登場するあたり)した後に、とにかく、こいつはすごい、これは青森に行かねばなるまい、と思った。
(その2に続く)
* 平家一門は渡来ペルシァ人というのも、蒙古のジンギスカンは源義経が奥州から大陸にのがれて大変身したというのも、流刑の源為朝は沖縄に渡って王になったというのも、あった。
2008 4・26 79
* インターネットが働かず、どうしようもない。
2008 4・27 79
* インタネット回復せず、メールも「mixi」も開けず、この「私語」も転送できない。自然回復を待つしかない。
* 22:30 過ぎて回復。メールを点検し、私語も転送し、それから「mixi」をのぞいた。「麗」さんのが、内容もあり爽やかであった。
☆ 旭岳から後旭へ縦走登山のはずが・・・ 2008年04月27日20:08 麗
昨日,「最後の冬山」を狙って,道内最高峰旭岳2,290mに登りました。
姿見まではゴンドラで。例年今頃は白一色の世界,のはずが,眼前に山頂が,「黒々と」迫ってきました。眼下には,満開のエゾノリュウキンカとミズバショウ。
あぁ温暖化の波はここまでも。
9:30 登山開始
7合目までスノーシュー。これ以降は,ところどころ地肌が見えて,着脱を繰り返しました。これがけっこう厄介でした!8合目を越えると,完全な夏山モード。「雪が解けて川となって」,チョロチョロと山を下っていました。
12:15 登頂
頂上直下,再びスノーシューを着けるも,最後は地肌。昨年の今頃との差は歴然でした。
山頂からの眺望は,雲はないものの,全体的に霞がかった感じで,トムラウシ辺りはかすんで見えました。あの,いつもの今頃の,くっきりした眺めは,望むべくもありません。山頂征服の爽快感はあったけどね,うん。
12:25 後旭へ
頂上後方からまっすぐコルまで降りました。しかし,そこから雪が解けて地肌丸見え。そこを登山靴でというのは,自然保護的見地からも望ましくないので,引き返しました。
15:20 姿見駅
この日は,山頂までたどり着いたのは5人ほどだったと思います。GWの混雑とは無縁のぜいたくなひとときでした。しかし,異常気象の実態を見せつけられた思いもしました。
なお,本日27日は,強風20メートルのため,旭岳ロープウェイは運休です。
ラッキー
* わたしは、こういう「麗」さんの快哉・快適をしらずに果てることになるか。
2008 4・27 79
* インターネットの不調で、すべて交信また記事の更新がストップしている。僅かな復旧をみて受発信している。晩の八時半やっと回復し、いろいろ受信したり発信したり。
さしたることもなかった。
2008 4・28 79
☆ 育児休業中 2008年04月28日22:34 悠
週末,実家に帰り息子との時間を過ごしてきました.
めきめき発達を続ける息子.一週間ぶりの再開でもたくさん驚かされました.
朝起きて,私の母(息子の祖母)に向かい”ババ,ババ”と連発して向かっていったこと.うーん,”ママ”じゃないのね....このひと 月あまりの状況で、息子のほうも頼れる人はこの人! と早い段階で認識していました.当然の結果でしょう.
実家に居る2匹の犬とは仲良しになったようでした.家の中にいるヨークシャーテリアは追い回されていました.裏にいるゴールデンレトリバーは頭をたたかれても仕方なくおとなしくしていました.いずれもオス.実家では悪がき3人組と呼ばれています.
育児を休業中の今日この頃.”昔の”生活リズムに戻ってしまいました.つい,時間を忘れて(研究室での)作業に没頭したり,遅い時間の(研究仲間の)ディスカッションに気にせず参加できたり,送別会に出席したり.
しばらく,夕方以降の時間は無いものとして生活してたのに、”こんなにも色々出来るんだ”と実感してしまいました.
息子はばっちり回復したので,連休中に戻ってきます.連休明けには保育園生活をスタートさせる予定です.
息子が新しい保育園でもう一度,保育園での生活をスムーズにスタートできるのか心配ですが,それ以上に私が育児生活に戻れるのか...これがとっても心配です.育児のお休みはあと少しです.
息子との生活が楽しめるように気持ちに余裕をもってすごしたいと思います.
2008 4・28 79
☆ 幼児教育は有効か? 2008年04月29日11:02 ハーバード 雄
・ 日本はゴールデンウィーク真っ只中だろうか。アメリカでは祝日がそんなに続くことは無い。もっとも自分が休みたいときに、勝手に長期休暇を取るのがアメリカ式だから、勝手に休めば良いのだけれど、貧乏性ゆえ、そう長期休暇を取る気になれない。今年はビザの更新があるから、それで日本に帰るのが長期休暇ということになるだろうか。日本のゴールデンウィークを羨ましく思いながら、重い体を起こしてラボへ。
・ 今日は週に1度のbrownbag seminar。今日の演者はハーバード大学のヘンシュ貴雄先生。名前を見ても分かるとおり、日本にゆかりの深い方。お父様がドイツ人、お母様が日本人であり、ご本人は幼い時からニューヨークで育った。そのため、お父様に話す時はドイツ語、お母様に話す時は日本語、外で話す時は英語というように3ヶ国語を自在に操ることができるのだという。
ただ単に日本人の血が流れているというだけでなく、ハーバード大学を卒業後、修士課程は東大医学部の伊藤正男教授(当時)のラボに在籍し、修士号を取得している。その後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のMichal P. Strykerのラボで学位を取得。ふつう、学位を取得した後はポスドクとして経験を積むものだが、ちょうどその頃、理化学研究所に脳科学究センターが設立され、初代センター長に就任した伊藤正男先生の呼びかけで、なんとポスドク経験を経ないままいきなりチームリーダーに就任。若干29歳だった。
その後、前評判に違わぬ活躍ぶりで、様々な一流雑誌に論文を発表し、数年前にハーバード大学に教授として招かれた。ハーバードでも、ケンブリッジエリアとメディカルエリアの両方にラボを持っている。日本では、なんと天皇陛下の前で講義をしたことがあるという。
ヘンシュ先生が一貫して研究しているのは、「発達期において、脳が環境によってどのように変化していくか」について。特に、「臨界期」と呼ばれる、神経回路の再編成が盛んに行なわれる時期について着目して研究しておられる。やはり、ご自身の生まれ育った環境が大きく影響しているのだろう。詳しくはこちらを参照されたい。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/55/research_21_2.html
臨界期の典型的な例としては、やはり言語習得が挙げられる。幼少期に言語を学ぶと容易に習得できるのに、大きくなってから学んでも、なかなかモノにすることはできない。「なのに、アメリカでは外国語を学ぶのは14歳になってからで、これは全くナンセンスだ」とヘンシュ先生。
・ しかし、いわゆる「早期教育」は、果たして意義あるものなのだろうか。確かに、音楽家になるためには4歳では遅くて、3歳からレッスンを始めなくてはならないなどという話も良く耳にする。しかし、幼い頃は神童の名をほしいままにしていたのに、大人になってみるとタダの人というのは、そう珍しいことではない。
ヘンシュ先生が臨界期の形成において注目しているのは、GABAを放出する神経細胞。このGABAは神経細胞の興奮を抑制する作用をもつ物質で、これを受け取った神経細胞は興奮できなくなる。
最近では、GABAの入ったチョコレートなんてものが売られている。この抑制性神経細胞が正しく働かないと、臨界期の形成が異常になるという。
http://www.katei-x.net/blog/2007/08/000319.html
今日はもっと踏み込んだ話もしていたのだが、これはまだ論文になっていない話なので、ここに書くことはできない。前から知ってはいたが、かなり意外な内容。
・ 午後は、他所のラボからbrainbowマウスを使って実験したいという人が現れ、一緒に実験。昼食も食べぬまま作業に没頭したので、終わるとどっと疲れた。帰り際、ちょうど今日の昼のトークの実験をやっているヘンシュ研の人にバッタリ出くわし、しばし立ち話。
<<前の日記へ コメント
抑制性神経細胞が働かないと どうなるんですか?
興奮しつづけると よろしくないんでしょうね?
<< 雄
神経細胞が過剰に興奮すると、熱性けいれんやてんかんになります。でも、脳の部位によっても色々と状況が異なりますし、本当にきちんとしたことは、もう少し研究が進まないと、分からない部分も多いと思います。
あと、上に書きませんでしたが、発生の初期では、GABAを放出する神経細胞は、抑制性ではなく興奮性で、発生段階と共に切り替わることが知られています。
* すこし見当は異なっているけれど、「幼児教育」に関して歴史的に最も早く深く微妙を極めて論を展開したのは、ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』であろうか、むろん先蹤の何らかは在ったろうが。ルソーの論説ほど時代に対し、知識人達に対し、また宗教家や教育者達に対し刺激的な優れた例は、未曾有であったろう。
わたしは毎晩岩波文庫の『エミール』を蝸牛の這うほどの速度で読んでいるが、異様な刺激を受ける。速く読んでゆくには論旨の展開が細微に過ぎ、一行一行に立ち止まらされる。すばらしい洞察であり同時に理屈のための理屈のようにもときに訝しく立ち止まらされる。奇書である。
「雄」クンの日記の題を観たとき、反射的にわたしはルソーを思い出していたし、読み終えた今もルソーの方が頭に居座っている。
* さてこの数日お定まりのインターネット不調がまた起きている。昨日はこのまま晩おそくまで回復しなかった。今朝の「私語」途中で転送しておけばよかったが。
あきらめて他の仕事を始める。
2008 4・29 79
☆ 青葉若葉 2008年04月29日20:50 瑛 e-OLD川崎
五月の連休はどこへ行っても人の波である。混雑を厭わなければ新緑のこの晴天の下を、上野の薬師寺展その他へ行くか、山なら奥多摩か、丹沢かを歩きたい。最近は丹沢は「蛭」が出るので少しの注意が要るが、それでも薫風を全身に受けて二本の足を地面にしっかとつけて歩きたい。リュックに地図と好きな文庫をいれて、大きく息を吸いながら、吐きながら無理をぜず自分の地のまま山へ登る。
庭の花も満開、山の目に沁みとおる青葉若葉でありましょう。
2008 4・29 79
* インターネットは夜の十時半まで動かなかった。ま、動かないならそれなりの仕事の仕方はある。
高麗屋の奥さんにわざわざ録画したのを頂戴していた、真山青果『元禄忠臣蔵』三ヶ月通し興行のディスクから、最初の吉右衛門内蔵助版をずっと仕事の傍で聴いて、観ていた。熱演である。歌昇の堀部安兵衛が水を得た魚のように力演で、小気味がいい。
2008 4・29 79
* 午前十時半、まだインターネットは働いている。と、書いたとたんに不通となった。
2008 4・30 79
* 相変わらず朝の十時半にもなるとハタと、インターネットは不通になり、晩の九時半、十時にやっと自然復旧する。理由はまったく分からない。千葉や川崎の E-OLDさんとデートしたくても、メールが働かないのに、閉口。連休のうちでも、済んでからでも、十日まで、わたしは他の約束がありません。お天気のいいうちに鮨でもつまみませんか。
2008 5・1 80
* 寝が足りず、眼がひどく霞む。夕刻にも間があるが、今日は、ほどよく休みたい。ハンでついたように、インターネットはキチンと!? 不調。やれやれ。
気はいいかと思ったが、さほどでなかった。
2008 5・2 80
* 今夜は十一時過ぎてもインターネットが回復しない。まいりました。いま、日付が変わって復旧。
2008 5・2 80
* 憲法の「前文」を読み返し、思いを新たにしたい。
「国民の国民による国民のための 日本国憲法」であらしめたい。
憲法を守る気のない総理大臣や代議士や都知事を恥じる。選挙で淘汰しよう。「民意」を新たにしよう。
☆ 「文学報国会の時代」から 2008年05月 03日13:33 玄 e-OLD 岡山
最近読んだ吉野孝雄著「文学報国会の時代」の中に次のような記述があった。
「日本文学報国会」や「大日本言論報国会」に拠った文化人たちが「聖戦」を説いて人々を戦争に駆り立て、軍隊では「戦陣訓」によって日本人の美徳である「恥」の意識に訴え、幾多の善良な人々が「玉砕」という美名のもとに死に追い詰められていったのであった。
しかし、そう教えた当の本人東条が敗戦後もいわば敵の捕虜の立場で生き残り、戦勝国に裁かれて死刑となったのは、何とも皮肉で不名誉な事実だったというほかない。
その東条の存在について、作家の尾崎士郎は戦後になって次のように述べている。
『(戦争責任について)私はひとり東条のみを非難するつもりはないが、あの実直な、そして、くそ真面目な、その上、生一本すぎる性格をひたすら憲兵隊の訓練だけを受けて成長してきた男が、正面をきってあの戦争の指導力の中心の座に坐ったということは、ただ意外であるというだけではなく、あそこまでいくと宿命につながる人間の悲劇だというよりほかに仕方あるまい。』
悪しき世になって、人間として優秀な人間がトップに立つことをためらって引いてしまったときに、本来はトップに立つべき器ではないものがその座に就いてしまう、そういうことはよくあることだ。傍観者にはそれは喜劇でしかないが、渦中のものにとってそれは取りかえしのつかない悲劇以外のなにものでもない。
この場合、事は一国の運命を左右する首相の器の問題である。国民の運命は国と一蓮托生、傍観者として笑って済ませられる問題ではない。指導者の不適切な判断によって国民はとんでもない過酷な運命に身をさらされることになるのだ。
戦争を回避し、平和な社会を維持していくためには、国際情勢に対する冷徹な情勢分析能力と、したたかな外交能力と手腕をもった政治的指導者と、それを支える有能なスタッフが不可欠だが、そうした指導者やスタッフ、そして彼らを理解し支持する国民の意識が果たしてそこまで成熟しているかどうか、このことについて太平洋戦争当時のみならず、今日の日本社会の現実をみてもはなはだ心許なく思うのは、筆者でけであろうか。
今日は憲法記念日であるが、朝日新聞の調査によると、憲法9条を守るべきと回答が66%だったという。この数字を70%、80%と上昇させなければならない。
* 共感する。こういう声が、若い世代からも、火箭のように飛んで欲しい。
2008 5・3 80
☆ 花たちは、夕方に帰宅しましたが、夕食をとったり片づけたりしたあと、テレビの「ルパン三世 カリオストロの城」を聞きながらソファでうとうと、真夜中に起きてシャワーを使い、今、こうして風にメールを書いています。
今日は、「イケア」という、北欧家具・雑貨のお店で、少々買い物してきました。
二日間、大好きなインテリアのお店を見て歩くことができ、楽しかったです。
明日、母と妹が午頃駅に着く予定ですので、午前のうちに買い物と掃除を済ませておかねば。雨の予報が出ていますが、午後には止むらしいので、幸いです。
『漱石 母に愛されなかった子』が、おもしろそう。
花も読んでみたい。
> 連絡がむずかしく、つい先送りしています。
わかるなあ、これ。逢いたい、と思っている友人が花にもありますが、連絡が難儀で。
花は、「幹事」肌ではありません。
さてさて、風は小説をたくさんお書きになっている。花もがんばる!
* 名の不思議ということが、この人のメールを読むつど、おもしろい。
もともと「名」の不思議は人の歴史にひろく浸透している。名の扱われようには昔から心して目をとめてきた。魂を嗣ぐかのように家の名字が嗣がれてきた。名字が信頼のもとに授受もされた。諱があった。替え名もあった。通称が用いられた。名を名乗るというのは相手に支配の力を譲ることだった。人の名を聞くのに自身が先に名乗らないのは無礼とされた。西洋人の風儀にも、「ボブと呼んでくれ」などと名で呼ばせるのを、相手への親愛と信頼の表現にしている。お互い名乗りや呼びようの定まらないうちは奇態に窮屈で他人行儀になる体験は、だれでもしている。まして敬称がしいて伴うときは困る。
わたしは名で呼ばれようが姓で呼ばれようが先生と呼ばれようが、「さん」であれ「くん」であれ、相手に任せて気を遣わない。そのかわりと云うのではないが、めったに、先生でもない人を「先生」といわない。ものごとを生徒として教わった学校の「先生」と、習慣でお医者さんだけを「先生」と呼んでいるが、「あなた」で済む場合はそうしている。頼んでいる弁護士も、ふつうに、姓で「さん」と呼んでいる。先輩作家や藝術家でも、明らかな例外はあるが、十分な敬意をこめてわたしは「さん」と呼んでいる。
* この「花」さんがはじめてe-magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯に投稿してきたころのメールも手紙も、読むのが「痛い」ほどコチコチで閉口した。そんなことでは、意見も告げにくいし助言もしにくい。それで、ふっと思いつきで近くの額の二字をとり、そっちは「花」こっちは「風」にしましょうと取り決めたのだつた。
わたしの育った社会圏には事実「替え名」の用をなしていた事例や見聞が珍しくなかった。「花」さんはとまどったろうが、しかし徐々にその効果は目に見えてきた。名が「ペルソナ=仮面=人格」化していって、意思疏通は格別になった。
前例があった、それは「囀雀」さんだった。この人はコチコチでなく、まるで渋谷っぽいギャルだった、五月蠅さかった。それで上の渾名をつけた。ところが渾名が出来たときから目を疑うようにこの人のメールは変貌した。云うことも為すことも変貌した。このホームページで最も早くに、一種の贔屓を「書く文章」で得た人は此の「囀雀」さんであった、彼女のために、何であったか荘重な渾名を献じてくれた人さえある。
* 電子メディアはいわば「電影のリアリティ」を創造せざるを得ない世界。「電影のペルソナ」を有効に発揮できる世界である。
それで、わたしは、替え名のおつきあいを是としてきた。一つには個人情報をすこしでも被覆できる。一つには信頼や親愛にハバができる。そして、どうせといえば捨て鉢めくが誰とも事実のレベルで対面などむずかしい間柄、つまり逢わなくていい同士と心得あっている。「電影のリアリティ」が「現実のリアリティ」に遜色など無いと言いうるかもしれぬ、不条理な真実世界、が生まれているのかもしれないのだ。
* ま、そんなことだ。わたしは「おもしろい」と受け容れている。
2008 5・3 80
☆ Accept! 2008年05月03日07:17 ハーバード 雄
・ 朝9時から、マウス飼育室のオリエンテーションに参加。今まで入室が許可されていなかったエリアへ入る必要性が生じ、大分前から書類を提出したりしていたのだった。
朝9時に動物センターの入り口前で待っていると、担当者が現れた。既に他のエリアについては入室が許可されているので、あくまでも形式的なオリエンテーションで済んだ。もっと時間がかかるかと思ったが、所要時間はたったの15分。
これで、今日中には許可が下り、晴れて自由にエリア内に入れるようになった。今までは、既に許可を得ている人に協力してもらっていたので、気を遣うことも多かったし、誰も居ない時にはどうにもならなかったが、これでようやく自由になった。
・ オリエンテーションから戻ってくると、ボビーが「煙草吸いに行くから、一緒に付き合ってくれよ」と声をかけてきた。僕は全く煙草を吸わないのだけれど、ボビーは煙草を吸う際に話し相手を欲しがり、僕かケンかJCが犠牲となることが多い。僕も早くオリエンテーションが終わり、ちょっと気が抜けているせいもあって、快く応じ、外に出た。ボビーは、化学のdepartmentのある建物の前で、良く煙草を吸っている。今日もそこに行くと、背の高い、丸い眼鏡をかけた知的な雰囲気の男が、先客として既に煙草を吸っていた。
ボビーがポケットをまさぐるが、ライターは出てくるのに、煙草が出てこない。「くそー、置いてきちゃったみたいだ」と言うと、先ほどの男が親切にも煙草を1本、ボビーにくれた。「いや、本当にわざとじゃないんだよ」などといいつつ、ボビーは丁寧に礼を言って、煙草をもらう。
それがきっかけとなって、3人で雑談となった。この先客はダニエルといって、向かいのビルに入っている地学のdepartmentで働いているらしい。6ヶ月前に、チリからやってきたという。チリといえばうちのラボのポスドクJCの故郷でもあるのだが、JCのように下品なジョークを言うことはなく、英語も非常に綺麗。
チリの火山帯で岩石を採取しては、走査型電子顕微鏡で観察する研究をしているという。この冬にも1ヶ月ほど、岩石採集の名目でチリに帰っていたらしい。「この長いボストンの冬を、うまいこと逃れた」とダニエル。
二人とも煙草を吸いおえたので、握手をして別れる。ボビーと二人になってから、思わず「JCより、よっぽど英語が上手いな」というと、ボビーは爆笑して、すぐさまJCに告げ口をしていた。
・ 午後、Hさんに電子顕微鏡の試料の作製時のオスミウムの使い方を教わる。オスミウムは非常に毒性が強い物質なので、所定の場所で取り扱わねばならない。うちのラボで電子顕微鏡を扱っているのはボビーとJCだけであり、彼らはこの手の危険物の取り扱いは、あまり信用ならないので、ちゃんとした知識を持った人に教わることが出来て良かった。
・ 先ほど、日本でやった仕事が、無事、受理された。昨日の段階で、受理されるか否かの結論が出るはずだったのだが、ウェブサイトで確認したところ Pending Final Recommendationと書かれていて、結論が見送られていた。正直言って、昨日から気が気でなく、仕事が手につかなかった。
先ほど、ウェブサイトを確認したところ、現在の状況がManuscript Ready for Publicationとなっており、同時に掲載されたFinal discisionでも正式にacceptされたと書かれていた。
正直言って、この論文に関しては、色々と思うところが無い訳ではない。内容はそこそこ重要なことを取り扱ったと自負しているのだが、共著者が増える過程であれこれあり、そのたびにデータが削られていったのだった。最終的な原稿を見た時点では、「これはfull paperではなく、short letterとして速報誌か何かに送った方がよいのではないかと思ってしまった。
内容を説明するための最小限のデータに限られてしまい、ずいぶんと貧弱な図になってしまった。もっと色々出来たのではないかと、少々悔いの残る論文となってしまった。しかし、既にアメリカに来てしまった身としては、いまさら何かを追加できるという訳でもなく、なんとかこれで形になって欲しいとも思った。
したがって、先ほどウェブサイトで確認した時の気持ちは、「ホッとした」という感じ。勿論嬉しいのは、それこそ誰かれ構わず捕まえて話したい位なのだが、このラボでやった仕事ではないだけに、それもしづらい。一人でこっそりと祝杯を挙げたいと思う。
これで僕が積極的に関わった仕事で論文がまだ受理されていないのは、大学院時代の同期との共同研究を残すのみとなった。もうかれこれ10年以上もかかっている仕事だから、なんとか論文になって欲しい。
他にも、運がよければ共著者に加えてもらえるかもしれない仕事が無い訳ではないが、獲らぬ狸の皮算用は止めて置く。そう改めて考えると、まだまだ論文の数が少ない。やはり、今のラボで一花咲かせないことには、研究者としての将来は無いかもしれないなと思うと、喜んでばかりもいられない。また気を入れなおして頑張らなくては。
来週は、校正やら何やらの手続きで忙しくなりそう。来週には合唱のコンサートも控えているのだが、果たして大丈夫だろうか。今週も疲れる1週間だったが、来週、再来週は一層忙しくなりそう。
* よかったね。一層の研鑽あれ。元気に。 湖
2008 5・3 80
* 昨日来、インターネットが全く働かない。必要な連絡には電話を使うしかなくなった。電話は好きでない。いきおい機械での諸連絡やメール交信は不能にひとしくなる。記事は書ける、が、更新できない。
僅かな時間、偶然に復旧したとみると即時に更新また受発信するが、恒常的に可能なのでなく、不可能にひとしい。ま、仕方がない。音楽も聴けるし映画も観られる。ワープロ機能は問題ないから「書く」不自由はない。撮り溜めた写真をいろいろに編輯することも、機械が孕んでいる過剰なコンテンツを機械外へ保管して機械を身軽にしてゆく作業もできる。「mixi」と「mail」そして「ホームページの更新」だけが停頓。
いいじゃないか、それぐらいと思うことも出来る。
* ともあれ電話連絡で、明後日の夕刻、e-OLDさんと会うと決めた。いいお天気でありますように。
* 終日、機械環境をすこしでも身軽にしてやろうとコンテンツを整理していた。夥しい量の文章が機械に埋まっていて、自分で愕いた。夜も十時半、インターネットは全く復旧しない。接続不良ではないかと警告が出るが、戸外からの配線の付け根あたりに弛みがあるならわたしの手におえることでない。
ていよく休日気分になり、遊んでいた。困るのは、この間に莫大な数の不良メールが機械に溜まりに溜まっていること。
* 日付が変わって、三時半まで三浦雅士さんの『漱石 母に愛されなかった子』に読み耽っていた。ふと、床についてから二度目、機械のようすを伺いに二階に来たら、ランプが四つとも緑。急いでメールをとりこみ、返辞もし、書いてあった「私語」を転送。ついでに「mixi」のマイミクさん達の日記も読んだ。幸か不幸かおおかたいかにもただの「日記」であった。
☆ 童心と良寛 2008年05月04日16:27 瑛 e-OLD川崎
「フーテンの寅さん」こと車寅次郎の銅像のある柴又駅前に足を運んでから、映画(テレビ)を見る目線が変わってきた。
映画の中に、吹く風を感じ、寅さんの実家の二階の部屋、店の奥の座敷のなんともいえない大正・昭和の家族の団らんが、ひしひしと映画の画面から伝わってくるのである。
「湖」さんの難しい引用の文と「寅さん」。感銘しました。会社定年を過ぎてから寅さんの映画の真髄をわかりかけてきた気がします。「バグワン」に通じ、老子に通じ「己、おのれ」を知ることではないかと。
心を降して俗に順はんと欲すれば、則ち故(=自己本来の心)に詭(たが)ひて情(=自然)あらず。堪へざる也」と。(湖さんの日記から転用)。
映画「男はつらいよ」を古希を過ぎるころより何回も見ていると、荒唐無稽な発想をし、傍若無人に振る舞う天真爛漫の大人の幼児「寅さん」の『優しさと悲しさ』が胸を打つ。
2008 5・4 80
* 払暁四時半に床へもどり、八時半に起きた。あれこれしているうち、十時前、はやインターネットは途切れた。
2008 5・5 80
* 今日ももう十数時間、インターネットは効かぬママであった。世離れて暮らしている気持ち。
2008 5・5 80
* 機械復旧していたので、いそいで昨日の「私語」を更新し、メールを開いて読み、「mixi」を読んで日記の二三を保存。返信や発信は一切出来ないあいだに、律儀なほど、もう機械は不調。ルーター一番下のランプは、赤に。また明日までダメか。
* 今夕は、久しぶり二人の「マイミク」でもある「e-OLDS」と浅草で歓談の予定。
☆ コップに半分の水 ボストン 雄
日本ではインターネットを使用する際、同時にプロバイダーからメールアドレスがもらえることが多い。しかしアメリカでは、仮にもらえたとしても使い勝手の悪いものが少なくない。そこで僕は普段、フリーメールを利用している。
最も良く利用しているのはgmail。googleがサポートしているフリーメールであり、容量も6GBと充分。インターネットさえ繋がれば、どこでも見ることができるので、外出時にも便利(ただし日本語対応のパソコンでないと、文字化けしてしまうが)。このほかにも、用途に応じて、いくつかのフリーメールを利用している。
今日、普段開くことの無いフリーメールの一つを偶々開いたところ、夥しいジャンクメールに混じって、見覚えのあるメールアドレスからのメールがあった。昨年の1月から8月末まで住んでいたブルックラインのアパートを引き継いでもらった、Uさんからだった。車もこの方から譲っていただいた。
Uさんは、MGHとブリガム&ウィメンズホスピタルで働いておられた外科医。実に感じの良い方で、日本でボストンの物件探しをしていた僕にも、実に親切に何度も電話を下さったし、Uさんが帰国され、入れ替わりで僕がアパートに入ってからも、「何か問題はないか?」などの電話が入ったり、逆にこちらが分からないことがあった時には、電話やメールで何度もお世話になった。
Uさんご家族はボストンがお気に入りのようで、日本に帰るのが残念だとさえおっしゃっていた。昨年のクリスマスにはボストンに来るかもしれないので、その時にはお会いしましょうとお話していたが、結局ご連絡はなかった。
メールが届いていたのは5月2日。もしかすると、このゴールデンウィークを利用してボストンに来られていたのだろうか。だとすると、もう帰国されてしまったかもしれない。メールには簡単な文面と電話番号しか書かれていなかったので、とりあえず書かれた電話番号に電話してみた。留守電になってしまったので、とりあえずメッセージを残したが、ホテルの電話ではないようで、個人の電話らしい。
しばらくして自宅の電話が鳴った。Uさんからだった。
驚いたことに、実はUさんはボストンにポジションを得て、再び戻ってこられたのだという。お子さんの学校の問題もあって、しばらくは奥様とお子さんを日本に残し、ご自身はボストンで単身赴任するという。
*
外科医であるUさんにとって、日本に帰国した際、一番不安だったのは手が元通り動くだろうかということだったという。内視鏡は問題なく使えるだろうか、手術なども長いブランクを挟んで大丈夫だろうか、と不安だったらしい。しかし半年もすれば、自転車に乗るのと同じように、昔の勘が完全に戻ったという。
そんな折、ボストンの元ラボから、戻ってこないかというお声がかかったらしい。今度は、こちらで5年以上過ごすことを念頭に、グリーンカードの取得も視野に入れた上で働くという。
「日本の、とくに医者の世界は、2年位アメリカなどに留学して、「私はハーバードに居ました」とか「私はMGHにいました」といって、ふんぞり返っている人も少なくないし、自分もそうしようと思えば出来たかもしれない。でも、まだ自分は若いし、手術だって一度身についたものは、勘を取り戻すことはできる。そう思ったら、これから落ち着いてしまうのではなくて、もうひと勝負してみたくなったんです」とUさん。
30代後半になると、多くのスポーツ選手が引退する。研究者はスポーツ選手とは違うけれど、その気持ちは分からない訳ではない。大学院生の頃だったら何でもなかった徹夜でも、今では翌日以降しばらくの間、影響が現れる。過去の多くの優れた研究者たちを見ても、真に創造的な仕事をしているのは30代前半であることが多い。
良く言えば、今が脂の乗り切った時期なのかもしれないが、今後が下り坂なのだろうということは、容易に察しがつく。目を背けたいが、多分事実なのだろう。
僕が果たして何歳まで生きるのかは分からないが、いずれにせよ既に折り返し地点を超えているか、そろそろ差し掛かっている頃であることは確かだと思う。今後の人生で何ができるだろう。時々、そのことを考えると重い気持ちになるが、Uさんのように僕と同い年であり、これから新たに、ひと勝負しよう、という人を見ると、勇気付けられる。
コップ半分の水を、「あと半分しかない」と思うか、「まだ半分残っている」と思うか。要は気の持ち様だろうと思う。
Uさんとは、近々お会いする約束をして、電話を切った。
* 人生の微妙な重さ。次の一文にも、人生の鈍い痛みが一人の影像(シルエット)に感じ取れる。それは誰しもに他人事(ひとごと)ではない。
☆ ある影像(シルエット) ハーバード 雄
プリペイド携帯のチャージ額が残りわずかとなったため、ハーバードスクエアのCVSに行きがてら、Cafe of Indiaで遅い昼食を摂る。
外はまさに春爛漫といった気候で、まだ多少肌寒いけれど、陽の光が当たるとポカポカと暖かく、もはやコートは不要。ホットコーヒーではなく、アイスコーヒーを飲みたくなるような気候。
*
オープンテラスの店内でカレーを食べていて、ふと大学院時代の先輩Yさんのことを思い出した。Yさんは、僕が博士課程に入学してから1年間、僕に実験を教えてくださっていた先輩だった。
こんな気候の頃、研究所の向かいにあった「タンドール」というインドカレーの店に、よくYさんと行った。土曜日には生協食堂が閉まってしまうこともあって、土曜の昼下がりに「タンドール」でカレーを食べるのが、当時の僕の最高の贅沢だった。行く度に、「こんなに大きかったっけ?」と思うほど大きく感じられるナン。カレーの味も最高だった。
Yさんは、いつもくたびれた白いTシャツとジーンズを履いていて、同じような格好をしたもう1人の先輩と共に、当時の時代背景もあって「ラボの猿岩石」と呼ばれていた。
Yさんのご実家は病院なので、本当は御曹司なのだけれど、医学部卒業後すぐに基礎研究に進むことにお父様が反対され、半ば勘当状態で大阪の実家を飛び出し東京に出てきたという。たまに行く健康診断のアルバイト位しか収入もなく、当時は風呂無しのアパートに住んでおられた。隣の部屋に、良く借金取りが押しかけていたというので、どんなアパートかは想像に難くない。
ちょうどゴールデンウィークの頃の土曜日、ラボでコーヒーを飲んでいたYさんは、コップを倒して白いTシャツを茶色に染めてしまった。しかし、どうしても昼に「タンドール」でカレーを食べたくなったYさんは、上から白衣を着て、白衣の裾を一生懸命になってジーンズの中に押し込もうとしていた。
見るに見かねて、僕は上に着ていたYシャツをYさんに渡し、僕は中に着ていたTシャツのまま、二人で「タンドール」に向かった。通りすがりの知り合い達が、「なんだかいつもと逆だな」と口々に声をかけてきた。とても天気の良い日だったのを、12年経った今でも良く覚えている。
*
Yさんは驚くほどのハードワーカーだった。よほど何かの用事が無い限り、Yさんがラボにいないということは無かった。朝の8時から夜中の2時まで働いているという噂だった。
ある日、「たまには旨いものでも食べに行こうか」と言って、白金の高速道路下にある、「とんかつ すずき」に連れて行ってもらったことがある。そこで豚カツを食べながら、Yさんは「僕、卒業したら留学しようと思ってるんや」と僕に告げた。ちょうど博士課程最終学年だったYさんは、卒業後の進路をあれこれと悩んでいるようだったが、ようやく決心したという。
Yさんは尊敬できるサイエンティストだったが、唯一の弱点は英語だった。
ラボに実験しに来ていた外国人に”Thank you”と言われても、どう返して良いか分からず、ずっと”No, Thank you”で通したという。留学先のインタビューのため、初めてアメリカに行った時には、隣に座っている人に「ちょっとすみません」とどう言ったら良いのか分からず、なんとトイレに行くのをずっと我慢したと聞いた時には、もはや開いた口がふさがらなかった。大阪人のYさんは、それでも、「でもなあ。隣の外人さんは、多分、分かってくれたと思うで~。ユーはグレイトなジャパニーズのボーイや、ってな」と言っていたが。
*
思い出すと顔が赤くなるようなこともある。当時ラボの秘書だったKさんが、テニスをしていて足を骨折してしまい、入院してしまった。 ある土曜日のこと、
「これからKさんのお見舞いに行ってこようと思うんだけど、君も一緒に行くか?」と聞かれ、
「はい、行きます」と答え、入院先の横浜の病院にお見舞いに行った。
次の週になって、他の先輩にその話をしたところ、
「お前は馬鹿か?あの二人が付き合ってるのを知らなかったのか?」と言われ、あまりの無粋さに顔から火が出る思いをした。朝8時から夜中2時までラボにいるYさんが、どうやってKさんと付き合うのか、僕には想像もつかなかった。
見舞いに行った際にもそのことに気づかぬどころか、Kさんのお姉さんご夫婦に「飯でもどうですか」と誘われ、横浜名物サンマーメンまでご馳走になったとは、口が裂けても他の先輩には言えなかった。
ラボの先輩の言うとおり、Yさんは卒業と同時にKさんと結婚され、二人でアメリカに留学された。アメリカに行かれる際、僕は藤原正彦の「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)を先輩にプレゼントした。
*
アメリカに行って3ヶ月位経ったころだろうか、Yさんが一時帰国してラボに顔を出したことがあった。
「頑張ってますか?」とYさんに聞かれ、「はい。Yさんはアメリカ生活はどうですか?」と聞くと、「僕は相当へこんでます」とYさん。驚いた。今まで弱音を吐くYさんなど、見たことがなかった。
それから1年後、やはり一時帰国したYさんに、「今は、電気生理とかやってるんですか?」と聞くと、Yさんは寂しそうに笑いながら「今は1M Tris(緩衝液の一種)とか作ってるわ」と言った。本来なら技術補佐員がやるような仕事だ。
やはり、英語が苦手だったことが相当に厳しかったようだった。はじめはラボのメンバーと殆どコミュニケーションが取れなかったという。そのため、ベンチも与えてもらえず、しばらくたってからようやく、他の人の3分の1ほどのスペースをもらえたという。ハワード・ヒューズ研究所のラボでポスドクの数も膨大であったし、ボスもいちいち一人一人のポスドクに目が行かなかったのだろう。ヒューマン・フロンティア・プログラムという、留学助成金としては世界で最も権威のあり、且つ額も期間も恵まれた助成金を得ての留学だったというのにこの仕打ちでは、きっとYさんにとっては苦痛の日々だったに違いない。
帰国後は、研究室にゆかりのある先生のラボでポスドクをされていた。僕が愛知に居た頃、たまたま東京に帰省した際、ばったりと有楽町駅で会ったことがあった。二人して「どうしてここに?」と声を上げた。喫茶店に入り、お互いの近況などを話した。
留学する直前、とある先輩から、Yさんが研究をやめ臨床に戻るべく、研修医になったと聞いた。40歳という節目での決断だったようだ。お子さんも二人おられ、色々考えての選択だったのだと思う。40歳になってからの研修医は厳しいものに違いない。それでも、きっとユーモア溢れるYさんのことだから、患者さんから慕われる医師になるだろうと容易に想像できる。しかし、ああいう優れた研究者が研究の道を断念せざるを得なかったことは、僕にとってはなんとも寂しく、残念なニュースだった。
* わたしがこの一文をこうあつかましく此処にとりあげるのは、これが単なる噂話でなく、一人の「人」をしっかりとらえて自身を対面させながら、ほんものの物思いがきちんと書かれているからだ。その辺に転がった下手な小説にはとても出来ていない、藝以前の文藝なのである。
☆ 姉と弟 2008年05月06日00:57 光
4つ年上の姉がいる。
今から思えば、一風変わった感覚の持ち主だったかもしれない。
*
私もあまり覚えていないのだが、3歳くらいの時だっただろうか。
実家には、今のような薄型テレビではなく、当時は足のついた大きなブラウン管型の四角いテレビが畳の部屋に置いてあった。
高さはどのくらい。感覚的には、1mくらいあったような気がするが、それほどでもなかったかもしれない。
おそらく、姉と畳の部屋で遊んでいたときのことだろう。
姉曰わく、「高いところから飛び降りると、鳥になったみたいにふゎーってなるんだよ」
「・・・」
「テレビの上から、いっしょに飛び降りてみようか」
「手、つないで、1、2の3で飛び降りるからね。そーれ、1、2のさんっ」
ごきっ。
おそらく、体の大きな姉に引っ張られて、そのまま畳の上に落っこちたのだろう。足をくじいて、親がわーわー言って、病院に連れて行かれたのをうっすらと覚えている。
*
冬のある日、親がちょっと買い物に行ってくるといって、姉と2人で留守番をしていたときのこと。
居間に横長に置いてあった大きなFF式ガス・ストーブが、カンカンと音を立ててついていた。
ストーブがONになっていることを示す赤いランプがついている。
何を思ったのか、姉が赤いランプをのぞき込んでいる。
「ねぇ、何が見えるの?」
姉曰わく、「お父さんとお母さんが見えるよ。のぞいてみなよ」
「・・・」目を近づけると、赤いランプの光が目に飛び込んでくる。
ぼやーっとした光は、見つめているといろいろな形に見えてくる。
「あっ。ホントだ!」
確かに、あの時、人影っぽいものを見た気がした。本当に見えたと思った、のを覚えている。
*
のら猫に攻撃されたのだろうか。
庭に一羽の雀が横たわっていた。まだ、ばたばた動く元気はあった。
雀のお宿のお話を知っていたせいかどうかはわからないが、介抱することになった。
敷物を入れた箱に横たえてやり、祖母が餌を食べさせようといろいろやっていた。
しかし、介抱の甲斐なく動かなくなってしまった。
母親は、庭の隅に埋めてきてあげなさい、といい、姉と2人でシャベルで穴を掘った。
そっと横たえてあげる。
姉はポケットから10円玉を取り出して、雀のそばに静かに置いた。
「三途の川を渡るときに必要だから、お金を持たせてあげないといけないんだよ」
「うん。」姉の真似して、手を合わせた。
*
今で言うところの「天然」的な姉に振り回されたのも、小学校入学前までだったと思う。
姉は現在、デザイナーの仕事に従事しているが、姉の描く天然的な構図は、やはり姉でないとムリだと、弟の私でも思う。
そんな姉と共に、幼少時を「不思議ワールド」で過ごせたことは、何事にも代え難い幸せだと、信じている。
* こういう表現(力)を身に抱いて日々を過ごしながら、こういう話題をさりげなく温かく書き出して見せるのは、この人のすぐれたパーソナリティだと謂うしかない。
☆ 茶というもの maokat
連休が明けると、流儀の講習会、総会、周年行事、夏の茶会と茶の行事が続く。
夏に男性だけで実施する茶会、茶は愛知の「瑞鳳」というのを使ってみることにした。
明日は、この絡みで、外出する。胃が、痛い。
*
昨夜には、さる東山の道具屋さんから研究室に電話が入り、七月に大徳寺の老師を招いて札幌で茶会をするのだが、水屋に入ってくれないかとお誘いがあった。
当地での不文律は、こうなっている。
稽古>師匠の茶会>流儀支部の茶会・行事>他の茶会>他流の茶会
このシークエンスでは、重要度は左が高く、右へ行くに従い低くなる。今回お声がかかったのは、カテゴリーでいえば、左から四番目の「他の茶会」。
ところが私は、一番重要度の高いカテゴリーにある「稽古」や、「師匠の茶会」にもあまり顔を出していない。そんな私が、重要度4の「他の茶会」に大手を振って出るためには、毎週の稽古に顔を出し、師匠の茶会は皆勤し、支部の茶会にも必ず出て、ようやく「他の茶会」に顔を出すことが黙認される。もちろん、これは不文律だから、知る人は知り、知らない人は知らない。
沖縄からぽっとやって来て、この不文律をしらないが為にどれほど痛い目にあったか知れない。
こんな事を気にかけなければままならないのが、当地のお茶なのだ。
*
そういえば、先に訪れた松江の城主松平不昧公には、親しい者に宛てた「最近は江戸でばかり茶が盛んになって、京や大阪の茶がすっかり廃れてしまった」という述懐の手紙が残っている。
私の感覚では、茶は今以て「西高東低」だと思うのだが、将軍在府の文化文政期は、やはり柳営の茶が栄え、京大阪の町民茶は廃れていたのだろうか。
士農工商だった時代に、町民の茶はどんなだったろう?
* 執心出精の自然科学者にして、今日の「茶」の人。この人には「茶」の表現・表象もまた同じ。苦闘はつづくようだ。
2008 5・6 80
* 機械の不調深刻。
で、いま、ふと、今夕の鮨屋に、この機械から電話予約したら、通じない。こころみに、家の他の電話から此処へ掛けても通じない。これは電話線の不調らしいと、もう一度掛けてみると、ぱっとルーターの下のランプが赤から緑に直った、はなはだ頼りないけれど。
2008 5・6 80
* 幸い、機械の調子は穏和に保っていて、安心して、機械の前にいる。
☆ ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭 松
ゴールデンウィーク後半は東京で過ごしていた。5/2は有楽町の東京国際フォーラムで開催されている、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭に行った。
この音楽祭は格安の値段で気軽に音楽を楽しんでもらおうという企画であり、もともとはフランスで始まったものらしい。東京でも今年4回目となり、人気が高い。今年のテーマは没後180を記念し、『シューベルトとウィーン』だった。
格安のため、本来のコンサートホールではないし、プログラムも短めだったりする。オーケストラも有名どころは来ない。しかし、一流ソリストも多く出演し、シューベルトの普段演奏されないような曲を演奏したり、当時の演奏会プログラムを再現するなど工夫をこらしている。
私が行ったのは5/2の夜の公演で、以下の二曲を聞いた。
<1.シューベルト ロンドD438> 庄司紗矢香さんヴァイオリン、ヤチェク カスプシク指揮、シンフォニア ヴァルソヴィア
シューベルトにヴァイオリンとオーケストラの為の曲があることを初めて知った。シューベルトらしいメロディーにあふれた良い曲。五千人も入る会議室で演奏されたにもかかわらず、ピアノからフォルテまできれいに音が響いてくる庄司さんの演奏は素晴らしい。独奏以外の部分ではオーケストラとぴったりと合わせていた。さらに冗長になりがちなシューベルトの曲をうまく表情の変化をつけ、魅力的な演奏にしていたと思う。
こんな若いのに、趣味も良く、独奏部分で突っ走ることもなく、合奏もうまいという素晴らしい演奏をしている。最近の若い人は本当にうまいなと思う。短い一曲だったが十分に楽しめた。
<2.ベートーヴェン ピアノ協奏曲第五番 『皇帝』> ボリス ベレゾフスキー ピアノ、ヤチェク カスプシク指揮、シンフォニア ヴァルソヴィア
ベートーヴェンらしい雄大な名曲。ベレゾフスキーも達者で音がとてもきれい。曲の随所で見せる名人藝には耳を惹きつけられる。結構独自の解釈もありおもしろい。3楽章最後のパッセージなど小さめの音から初めて、がーんと盛り上げていた。ブラボー!!
でも、ベートーヴェンなのだから、あんまりさらさら弾くのもどうかな、と思った。簡単に弾ける部分でももう少し情感がある方が好みなのですが。
オーケストラは小編成ながら堅実な演奏で良かった。ヨーロッパのオーケストラには、日本のオケにはない雰囲気がある感じがする。
こんな良い演奏を2,500円で聞けて大満足。
* 残念だが、謂われている音楽を知らない。ただ、いかにも「松」くんが楽しそう。その楽しさに薫染されるだけで、うまい料理の匂いだけかいで、それでもわたしの気持ちがよくなるから、それでいい。わたしの書くことだって、せめてそのように読まれたり伝わったりすればありがたい。
☆ ロシアの風景 2008年05月06日22:46 淳
またまたテレビの話で恐縮ですが、日曜美術館で東山魁夷の展覧会についてやっていましたね。
魁夷は青を貴重とした作品(の多さ)で知られていますが、その青い作品のうち、北欧を旅した直後に描いた風景画が印象的でした。
以前にもその絵を見たことはあったのですが、「北欧の白夜」についての解説を聞きつつ、テレビ画面に映るその風景画を眺めていて、ふと私は思い出したのです。
異国の風景を。
*
10年ほど前のことですが、ロシアを経由してドイツへ行ったことがありました。アエロフロートのひどくせまい座席に運ばれる長旅。
トランスファーというのか、モスクワで一旦飛行機を降り、そこで一泊して、翌朝再び飛行機に乗り込む。
当時ロシアは民主化の第一歩を踏み出したばかりでした。
空港で4時間以上待たされ、連れて行かれたホテルはずいぶんひどいところだった。壁紙はところどころ剥がれ落ち、浴室のシャワー口からは赤錆びた水がじょろじょろといつまでも流れました。
3人分の料金を払っていたのにも関わらず、私たちの部屋にベッドは二つしかなかった。(英語があまり通じず、面倒くさくてそのまま寝た。)
翌朝の朝食も、出されたティーカップにだれのものとも知れぬ口紅がべったりついていたり、ハムの一部はもはやカビているのかとも見まがわれる様相。
土地を包む雰囲気がずいぶん空疎で古びている印象で、「えらいところだなぁ」と感じたように記憶しています。
眠れない夜の客室に横たわりながら、外を走る車のタイヤの響きを長いこと聞いていました。
翌朝。
6時ごろだったか、7時すぎていたか、とにかくそう早くもない朝のロシアを窓ガラス越しに眺めて、私は遠い切なさを覚えました。
その時目にした風景は、魁夷の風景画のような静謐さと青白さによって、私に訴えたのです。
まさに異国の空気。
一日はすでに始まっているのに、時間は止まっているかのように感じられました。
遠くに広がる森林を包む、もやのような青白い空気は、私の知らない幻想の世界のようにも見えた。
朝はゆっくりと明けていきました。
*
ま、ただそれだけの話でございます。
* このお話しは、わたしにも、はるかに遠い物思いをさせる。
ホテルのひどさは想像がつく、が、わたし自身の実経験はこうまではなかった。それどころか、モスクワでもレニングラードでもグルジアのトビリシでも、招待客だからか、いつも豪華に落ち着いたホテルで、三人の連れが一部屋ずつ用意されていた。
わたしが感じるのは、ここに書かれたロシアの「風景」である。じつにこういう「感じ」だったと、いまも思う。わたしも、作家の高橋たか子さんらと三人で旅したのだが、帰国してすぐ持ち上がった初の新聞小説に、ためらいなくこのロシア旅行を、全面的に取り込んだ。わたしの旅のよろこびも、ものあわれも、あまさず表現されている。しかも民俗学や神話を駆使し、日本列島とシベリア・ロシアの秋を。千年の時空に溶かし込んでしかも現代の愛しい幽霊との「畢生(これは講談社の惹句)の切ない恋を書いた。『冬祭り』である。一箇所も一人称を用いなかった。
* 熱烈歓迎ということでは、それより前に招かれた中国での旅の日々は、すくなくも日々の料理だけでも素晴らしすぎるほどであったが、旅を楽しんだ点では、旧・ソ連時代のロシアの旅ははるかに自由に楽しめた。少なくも自由行動に尾行(ないし護衛)はなかった。
仰天する違和感も多々あったけれど、お国柄じゃのうと気にしなかった。むしろ風景を自分の脚でも歩いて、見て、実感した。自然の美しい国だと思えた。しかも寂しかった。
作中のわたしは旅の間じゅう、ひしと、わたしが死なせた「一組の母娘の幽霊」の深い愛に、護られたり脅されたりしつづけていたのである。
2008 5・6 80
* フランス在住、演奏家の夫君と音楽活動している人の「mixi」メッセージをもらっていた。インターネットが安定して働かないので返信しかねていたのを、今朝、いま、やっと返信。
「足あと」のあった若い男性の日記に、ブラマンクへのいい言及を読んで、共感のコメントも送った。昔々『畜生塚』で、ヒロイン「町子」が倉敷で出会った画家の「青」への深い共感を書き込んだのが、わたしが作品の中で具体的な画家と作品に触れた最初だった、と思う。
* 今日は終日インターネット可能だった。ワケが分からない、が、成るようになっているということ。
2008 5・7 80
☆ 本日初日 2008年05月07日08:42 悠
(病気静養していた稚い=)息子は、連休中にこちら(=東京の親の家)に帰ってきて、(母=)私の育児(の)休業は終了。
今朝から保育園にいきました。4月に入園した新しい保育園のため本日初日。
別れ際、ちょっとぐずってくれました。前のところではなかったんだけどなぁ。と、発達に喜びを感じつつ、出勤です。
今日は初日なのでお昼ごはんまで。一旦迎えに行って、夕方までは慣れていると思われる前の保育園に行く予定です。
元気で落ち着いて過ごしてくれるといいのですが。
☆ 初日前半終了 2008年05月07日13:19 悠
新しい保育園の初日が終了。
引き続き、三月までの保育園に連れていき、職場に戻るところです。
午後からの保育園に行く途中、寝てしまい、寝たまま登園。
目が覚めたときが怖いです。プロにお任せということで。
がんばれよ!
* がんばって!
☆ 秦さんへ 笠 e-OLD千葉
昨日はほんとうにありがとうございました。元気がはちきれそうな秦さんと元気が歩いている「瑛」さんに元気を沢山貰って帰って来ました。みつ豆も最高でした。
地下鉄浅草橋駅構内の自販機のドリップコーヒーがブラックで美味しく、腰掛もあったのでゆっくりしました。明日からまた頑張ります。
ライトアップなどはもったいない限りだと思っていましたが、浅草の観音さまはいいことにします。絶景でした。
余談ですが、寺尾聡の映画「雨あがる」で、雨に閉じ込められた宿で宴会が出来たとき、松村達雄が、「こうゆう事が年に一度でもあれば生きていけるんだよなあ‥」という場面が思い浮かんで来ました。
もう一つ、なぜかしきりに「‥あれはなじょのおきなども、そやいづくの‥」と秦さんの小説の場面を思い出していました。今日はゆっくり、その『神歌』(湖の本36)を読み直しました。「市田のおじさん」や「美代ちゃん」「寒谷(さぶたに)のひぃお祖父ちゃん」にも会えました。
宿題の、CD-Rに音楽を焼く方法は、別に「iTuneを使う」のファイルを添付しました。うまくいきますように。
「舟」の次作は自分で彫ったハンコを動かしたもので未完ですが。もう少しプログラムを勉強します。
一番過ごしやすい季節のようです。どうか引きつづきお元気で。またお会いしましょう。 拝
☆ 立夏過ぎて言問通り 瑛 e-OLD川崎
秦様、「笠」様
昨日は江戸情緒濃くのこる言問通り、気品ある鮨店「高勢」、露伴の五重塔、浅草寺、仲見世の裏の甘味処などなど、大変お御馳走になりました。人生の「林住期」での忘れ得ぬ最大の思い出と、心から感謝申し上げます。
江戸という地政学、文化を再認識する契機にしたいと思います。
それと、要らぬものは捨てていく、など、余韻嫋嫋のひと時でした。
写真をお送りします。
今夕は余韻に浸るべく「笠」さんに頂いた「ジャック・ルーシェ/プレイ・バッハ」を聴くつもりです。 拝
2008 5・7 80
☆ そんなわけでマイケル・ムーア 2008年05月08日01:02 麗
どんなわけで? …ハハハ
映画『シッコ』
アメリカにおける医療問題を取り上げたドキュメンタリーです。
133分。
率直な感想は
「興味深かった!」
しかし不満の残る部分は多々あります。
あまりに一面的でeasyな展開などもあったりして。
基本路線は『ルポ 貧困大国アメリカ』で報告されている内容とほぼ同じ。製作は2007年。
映画中面白かったのは、フランス、カナダ、イギリス、キューバの医療制度(国民皆保険)を取り上げていたところ。それらの国々では医療に対する支払いというのは「ゼロ」だそうで、映画ではその制度を褒めそやしていました。
が、各国国民の税金の負担率はどのくらいなのか?
それが知りたい。(勝手に調べるべし)
人口の多いアメリカで同様の制度を導入するのもずいぶん大変革だろう。
それでも何年か前に、ヒラリー・クリントンが保険制度を改革しようとしたらしいが、各方面から圧力がかかりあえなく断念。
アメリカでは保険に加入していても、医療を施してもらえずに亡くなる人が現実にいる。
イギリスやフランスでのインタビューが印象的だった。
政府が国民を恐れているから「国民のための制度」が手厚くなる。でもアメリカは逆でしょ。国民が政府を恐れて声を上げることができない。
支配には2種類あります。被支配者から士気を奪い、生存そのものに危機感を抱かせ、目の前のことだけを精一杯させること。
*
ところで日本は皆保険だけど、医療崩壊という問題を抱えています。
それに将来的に、生活保護とか医療費で必要とされる額というのは、飛躍的に確実に上がるだろう。
日本は日本で、大変だあ。
☆ 年金 2008年05月08日13:09 ボストン 雄
・ 今年の1月に、日本の研究所を退職したため、共済年金には加入できなくなり、代わりに国民年金に切り替えた。そこで1月の時点で両親に手続きをお願いし、僕の日本の銀行口座から毎月引き落としてもらうことにした。
毎月分は、その月の前の月に引き落とされる。しかし、手続きに少し時間がかかるので、3月末に2,3月分を引き落とされたのを確認したら、ブランクとなる1月分については所定の振込用紙で振り込んでくれと言われたという。振込用紙には2月末日までに振り込めと書かれていたらしいが、この用紙は5月くらいまで使えますと言われたという。
3月に2か月分が引き落とされたのを確認し、両親に伝えた。両親は、振込み用紙が5月まで使えると聞いていたので、書かれていた締め切りから少し遅れて1月分を立て替えて振り込んでくれたという。
・ ところが、この連休の間に、実家宛に社会保険庁から葉書が届いたという。聞けば、1月の振込み分が遅れたので、付加分は受け付けられないと言う。ついては、これまでに振り込まれた付加分についても返還するという。
この「付加」というのが僕には初め分からなかったのだが、本来の国民年金に千円ほど付加すると、将来的にもらえる年金額が増えるのだという。これは別に、両親が頼んでそうした訳ではなく、社会保険庁の人が勝手にしたのだとか。そのこと自体も妙な話だが、そもそも「用紙は5月まで使える」と説明しておきながら、勝手に付加を取り消すというのは納得いかない。
少子高齢化が進む一方の日本で、果たして千円程度上乗せしたところで、将来本当に年金がもらえるかなんて分かったものではない。しかしながら、勝手に付加をつけておきながら、ろくに説明もせず、あたかもこちらに非があるような物言いは納得いかない。両親に頼んで、社会保険庁に連絡を取ってもらった。
すると驚いたことに、これまでの年金が引き落とされておらず、未払い扱いになっているという。冗談ではない。すぐさま、インターネットで自分の口座情報を確認したが、きっちりと国民年金は引き落とされている。
・ 噂では聞いていたものの、これほどずさんな管理がなされていることに、改めて僕は驚いた。と共に、嘆かわしい気持ちになった。
世間では、「中国は大気汚染も酷く、政府も横暴で、中国製品など締め出せばよい」とか、「アメリカの労働者の質は低く、当たり前のこともまともにできない」などと口にする日本人は多い。しかし、果たして今の日本を冷静に顧みて、果たして同じことを胸を張って言えるだろうか。
社会保険庁のずさんな働きぶり。高級料亭が、客の残り物を平然と出す国。これが果たして、胸を張ることのできる国の話だろうか?
中国だって、もとはといえば東アジア一の文明国だったのだ。日本からは遣唐使や遣隋使を送っては、その文化を学んでいた。しかし、その中華思想のせいで、今なおプライドばかりが巨大化し、中身が伴わなくなってしまった。同じことが、日本で起こらないなどという保証は、何一つない。油断して、自らを磨く努力をしなくては、先が思いやられる。
* ああ、思いやられる。
2008 5・8 80
☆ 胡錦濤の来日 ボストン 雄
主席来日の様子を、最近ネットニュースで見かける。
朝食会で安倍晋三が、「チベット」問題を口にして、一時的に不穏な空気にしたが、森・元首相がオリンピックの話題に切り替えて事なきを得た、と。
福田首相をはじめとして、どうしてこうも今の日本政府は、中国に対して腰が引けているのだろう。
チベットでの事件以来、中国のトップが民主主義国家を訪れるのは、日本が最初。当然、日本は人権問題に対して、それなりの姿勢を示すべきであったはずなのに、福田首相との会談で話題に上ったのは、パンダの貸与についてとか。聞いて呆れる。
民主党の小沢代表も、ネットニュースで見る限りでは、自身の政治信念か何かを語ったそうだが、全般的には友好的に対応しただけのようだった。
安倍・元首相は在任当時からKY(空気読めない)と言われていたので、今回の行動を「KY」という言葉で片付けようとしているメディアもあるようだが、世界の民主主義国家に目を向ければ、果たしてどっちが「KY」だろうか。
小泉・元首相が欠席したことを「エライ」などと評価している声も聞かれるが、僕には全く理解できない。何も語らないことでメッセージを発信するなどという理屈は、国際社会では通用しないと思う。何もしゃべらないのは、何も考えていないのと同じことだ。
この一件に限らず、このところ小泉・元首相の存在感が増しているというのは、僕には全く理解できない。「自民党をぶっつぶす」などという言葉のもとに、実際には国民生活を「ぶっつぶした」のに、何故国民はかくも彼に対して寛容なのか。僕には理解できない。
* その通りだ。
2008 5・9 80
☆ 外の気配 2008年05月12日00:50 珠
雨降る母の日。街は賑わったのだろうか。
家の外壁塗りが始まって、窓が不透明なビニールで覆われている。家中の何処からも外が見えない。空の色も、雨の吹きつけようも、風に揺れる葉も、何も見えないと時間の流れが分からなくなる。何となく寒そうな気配。外出に何を着ようか、、、普段自然に外の様子を見て決めていたことに気がつく。着るものに迷い、外出も面倒になる。
外が見えないと、音に敏感になるらしい。ビニールの微かな揺らぎの音、雨の雫が風にのってビニールを叩く音、鳥の羽音。いつもよりも繊細に響く。見えないと、聴こえた音の源を目で追わずに、耳を澄まして音を追う。シャッターがガラガラガラと閉まるような音。でも周囲にシャッターなどない。しばらく耳を欹てていると、どうも茂った枝から雨の滴が一度に落ちてきた音らしいと分かる。ビニールも加勢した音の悪戯に、思わずドキドキしている。
見えると、まず目から求めるらしい。五感の感じ方には微妙な順序があるのだろう。見えること、見ていることに、気づかぬうちに依拠している。見えないことを選んだ『春琴抄』の佐助を思い出す。
* 急転直下の最後の一句に、惹かれた。感謝。
2008 5・12 80
* 次の、北海道の「麗」さんのレポートは敬服に値するピックアップで、有り難い。ここに紹介された『北帰行』の著者のことは、しばしば、思い出していた。優れた小説で称賛されながら、すずしやかに爽やかに新聞記者への道をえらんで東京から離れていった。優れた文学の香りがここには、この紹介記事からは、はっきり窺えて嬉しくなる。
☆ 『北帰行』から『新聞記者疋田桂一郎とその仕事』を経て「取材・文章論」に至る学習転移 2008年05月12日15:08 麗
「―ふるさとを読む― 北の人間 北の文学」編纂事業も終わった。
これに真っ先に推薦した作品が,外岡秀俊作『北帰行』だった。
この作品は,発表時,『限りなく透明に近いブルー』の陰に隠れてしまったが,作品としては,こちらのほうが上質,という評価もあったという。私も,当時両方を読み比べ,そう思った。その思い出が,迷わず推薦させた。
作者・外岡氏は,新聞記者への道を進み,一方で,報道関係の著作も,多数成している。私も,編纂事業に携わる中で,改めて,氏の作品をいくつか手にとってみた。その中で,「疋田桂一郎」という新聞記者の生き方が心に残った。
新聞記者 疋田桂一郎とその仕事 (朝日選書 833)2007
新聞社は,大事件や企画記事に取り組む際,「飯場」と呼ばれるチームが組まれるそうだ。残念なことに,その場限りの組織だが,そこでの経験は,その後も貴重な糧となって,記者を成長させる。外岡氏は,自らも属した「疋田飯場」の魅力や,疋田の記事や文章,「天声人語」,そして講演など,’50~80年代に渡る仕事を再録し,紹介している。
特に,’75年,エリート銀行員が障害を持つわが子を餓死させてしまい,懲役3年の判決を受けた直後に自殺した事件を,殺人事件として扱ったことを,「事件記事の間違い」,として背景を丹念に追い,分析した文章は,プロフェッショナルであるがゆえに落ち込む穴の底深さを示しており,印象深い。
疋田は最後に,「実際の出来事」と「記事」との差を少しでも縮めるためには,以下7点が肝要としている。
・ (警察の)発表内容を必ず一度は疑ってみる
・ 必ず現場で裏付取材を
・ 「警察情報はここからここまで」と記事中に明記する
・ 断定を急がずわからないところは「わからない」とはっきり書く
・ 上を受ける形で,書きっぱなしにせずもっと続報を書こう。
・ 警察や広報と馴れ合いで面白く話を作るな
ここまで述べた上で,「他社との競争を考えると上の主張は通じないと言われる。しかし,実際に部数で負けているのかなどを分析して,その思い込みが正しいのかを確かめ,従来の評価基準を再検討する必要があろう。」,と結んでいる。
この文章は,「社内誌」に掲載されたのみで,長く一般に知れることはなかったが,今回のこの本の刊行によって,ようやく我々の眼に触れることとなった。「ものを書く」立場の人間すべてが心してかかるべき事項を,静かに,しかし熱く,重く問いかけている。
また,文章上達のためには,自分の文章を読み,批評してくれる「異業種の人」を身近に持つこと,専門分野以外の文章を書いて「遊ぶ」機会を持つこと,などなど。疋田の主張は,取材論を経て,文章論全般にも及ぶ。「正しい文章」とは,「文法的に正しい」,「自分勝手で一方的な慣用表現のない」,「無味無臭の『真水のような』」,ものであると言う。このような文章が魅力的であることは,新聞記事に限ったことではない。
このように,知っていくことの楽しさが,次の学習をどんどん広げていく。教育用語で言うところの,「正の学習転移」というものだろうか。次に何か書くとき,「真水のような」文章が書ければ,その証明となるだろう。
* ボストンの「雄」くんがダウンしたと「mixi」に漏らしている。
ムリは利く 利くムリはある しかれども 利かぬムリするムリは ムリなり 湖
大事にしてください。
2008 5・12 80
☆ 大学への数学 ボストン 雄
先週、東京出版の黒木社長の訃報をネットで知る。東京出版といえば、月刊誌「大学への数学(大数)」「高校への数学(高数)」で、受験生の間では有名な出版社。
何を隠そう、僕は中学3年生の時、「高数」で読者モニターをしていた。ダメもとで応募したらラッキーなことに採用された。モニターの仕事とは、毎月二度ほど広尾にある東京出版へ行き、次の号で取り上げられる問題を解かされるというもの。各モニターがどんな解き方をしたかが、次の月の号に載るのだった。
家が厳しかったせいもあって、滅多に1人での外出は許されなかったので、山手線に乗って恵比寿に行くこと自体が僕にとっては新鮮だった。恵比寿の駅から15分位歩いて、広尾まで1年間通った。月二度行っていたにも拘らず、黒木社長を見かけた記憶は殆どない。いつも行っていたのは、お宅の隣にある倉庫の2階で、そこにある小部屋で5人位の他のモニターと一緒に問題を解くのだった。
ただ解ければ良いのではなく、「いかにエレガントに解くか」が重要だった。ゴリゴリと計算で押して行くのではなく、補助線一本で最小限の計算で答えを導くべく、あれこれと知恵を絞った。
中学生時代は「高数」、高校生時代は「大数」を愛読していた。毎週号の巻末には「学力コンテスト」(学コン)というコーナーがあり、4問程度の問題を解いて送ると、添削して返却してくれるのだが、この問題が本当に手ごわい問題ばかりだった。
「学コン」に応募して、優秀な成績をおさめると2ヵ月後の号に名前が載る。日曜日の午後など、たっぷり時間のある時に、「ああでもない、こうでもない」と頭をひねりながら、「学コン」の問題に取り組むのが何より楽しみだった。名前が載るのは励みになったし、「学コン」で名前が載るようになれば、数学にはある程度の自信を持つことが出来た。大学受験の時は、現役生の頃は最後まで「学コン」には歯が立たず、浪人生となってしばらくしてから、ようやく答案を送ることができるようになった。
浪人時代は、新宿にあるSEGという塾の予備校部に通っていた。この塾は、本来現役生を対象とした塾なのだが、僕が高校生の頃に予備校部を開講していた時期が数年間だけあった。この塾は、理数系の受験生の間では評判の塾ということもあって、予備校部にも全国から理数系に自信のある学生が沢山集まってきていた。
ここで僕は、それまで「学コン」の成績優秀者の欄で毎回のように名前を見かけた、数人の常連に直に接する機会に恵まれた。僕は、たまに「学コン」に名前が載るだけで満足していたが、彼らによれば、同じ点数でも名前が前にある人ほど、エレガントな解き方をしたことを意味するのだという。彼らは、名前が載ることは半ば当たり前なのであって、「今月は俺の方が前だった」とか、「いや、その前は俺の方が前だった」といって競っていた。
世の中には、こんなに数学のできる人間がいるのかと、圧倒された。できれば将来は数学科に進みたいと高校時代思っていたが、この経験により数学科への進学はあっさりと諦めた。
そんなに数学のできる彼らが何故大学に入れなかったのか? 答えは簡単で、文系科目が恐ろしく出来ないからだった。ある人は古文で「聖」という言葉が出てきて、僕に「これ、なんて読むの?」と聞いてきた。「ひじり、だよ」と僕。すると、「どういう意味なの?」と彼。そこで、「徳の高い坊さんだよ」と答えると、それに対する彼の返事は「なんでこの字で、そういう読み方で、そういう意味になるの?」。
彼は1年間、国語ばかり勉強していたが、結局第一志望の大学には入れなかったようだ。あんなに素晴らしい数学・物理の才能を持っているのに、1年間古文の勉強ばかりさせられ、挙句第一志望に入れない人を見ると、入試というものに対して考えさせられてしまう。
* 数学は悪夢だった。
反対に、国語や社会は、高校一年や二年のときでも、全校テストで上級生より上に出ていた。こんな簡単なものとこんなむずかしいものとが両極端だった。
大学などどこでもいいと思っていた。京都という京都をよく歩き回り、成績推薦で受験などせずに大学に行った。学校でもよく勉強はしたけれど。意欲にあふれた勉強は大学を出てから、作家になってから、猛烈にしたと思う。
2008 5・13 80
* 世界にも国内にも政治へのひたっと来る緊密な関心がどうしてももちにくい。福田内閣のメルマガで、総理の言い訳ばかり読んでいても、国民のレベルで政治力や行政の親切を受け取れることは皆無に近い。云い飽きて来る。
「mixi」にもさほどの記事はあらわれない。琴線を揺ることは、プロにもアマにも至難のわざ。
2008 5・15 80
* 「mixi」に、「風」の美学を二度に亘り載せておいたら、さ、土佐現住の人か、紀貫之所縁の土佐国分寺を、動画でいねいに写真にしている人から、コメントが届いていた。動画はすこぶる有り難いもの。お礼を書く。「mixi」ではときどきこういう出逢いがある。それにしても写真や動画をうまく創り出せる人が増えている。わたしなど、パソコンにとびついた十数年昔のレベルから、ちっとも上がっていない。勉強しないロートルであるわい。
2008 5・16 80
* 散髪。やはり、せいせいする。
* すこしも張り切らない。カラッポの長持ちのように不細工にただ置いてある自分に呆れながら、いい天気だなあと、機械と漫然遊んでいた。おびただしいデジカメ写真がある。分類しさらに分類し、徹底して日付順に、資料としてすぐさま取り出せるように始末してきたが、大方、出来てきた。
文章も、我ながら信じがたいほど多種多彩多方面の大小の原稿がのこっているのを、書斎の書棚、抽斗ようにかなりこまかに分類整理して、必要なものがすぐ捜しだし利用できるように、これも月日掛けて、だいぶ調ってきた。
電子メールでの交信や交渉も、大方は整理できている。
これらの全部を機械の中におかずに、べつに取り出して保管できればいいのだが。
* 今ひとつ、沢山な関係資料が山と溜まっているのが、二○○六年よりこのかた★★家との間の紛糾。
無数の文書や証言や交信資料をきちんと整備して、いつ何の目的にも応じてどのようにも繰り出し活用出来るようにしておく必要がある。大方整理してあるけれども、次の新しい事態が来れば、すぐにも対応しなければならない。ただし昨年八月以来の「仮処分」審尋は、まだ、結審していない。
2008 5・17 80
☆ 夜はなぜかまたもやマイケル・ムーアを見る。 惇
『ボーリング・フォー・コロンバイン』
1週間前に『華氏911』も見た。
ちょっと忙しかったのでそのままになっているが、チョムスキーの『金儲けがすべてでいいのか』も読み直している。彼等の立場は一貫しているから主張がわかりやすいし、しかも私にはそれがとてもまともな論議に思われる。
『ボーリング~』の中に、マリリン・マンソンのインタビューがあって、この方の言うこともあんまり的確なので驚いた。歌を聴いたこともないのだけれど。
いわく
アメリカは恐怖を生み出すことによって、消費を煽っている。恐怖と消費の一大キャンペーンの国だ。
この映画がソースなのか、アメリカでは一般的に知られていることなのか、アーサー・ビナード(詩人)もまた、映画で使われていたのと同じネタを使って、アメリカの現在を嘆いていたのを思い出す。
ハロウィンで子どもたちがもらうリンゴやお菓子の中に、(第三者の悪意によって)剃刀や毒薬が仕込まれているかもしれないという恐怖。そうした風聞が蔓延することによって、アメリカのハロウィンから、手づくりのお菓子はほとんど姿を消したようだ。
このように一般の人々の恐怖を煽ることによって、オイシイ思いをしたのは誰…? と、アーサー・ビナードは問いかけていたが、根本的な立場がマイケル・ムーアと同じ、ということだろう。
本編もさることながら、DVDの特典で見ることができた監督のインタビューが印象的だった。
イギリスが福祉国家から小さな政府へと移行したことに対して警鐘を鳴らしている。
アメリカのように堕落するぞ、 と。
このインタビュー中の「イギリス」を「日本」に置き換えても、同じことが言えるわ~とか思いながら見ていた。
国家うんぬんをあまり言いたくはないけれど、どこに生まれるかによって、生活や思考パターンや命そのものの重さ、そういったものが全然違ってくる、というのは恐ろしいですね。
時代だってあるし、そんなの分かり切ったことだけどね。
(インタビューは様々な問題を提起をしています。興味深いことは他にもたくさんあった)
* 「mixi」の日記が、当然かも知れないが、概して「自身」に膚接している。視野や視線がひろやかに、批評的に、他へ届いていない。連帯する気運が醸成されていない。
2008 5・18 80
* エクスプローラで調べると合計して約「21G」をこの機械で使用しているようだ。うち写真は「2G」に足りない程度。文章だけで凄い量を書きかつ保存している。
重複分は極力削除し、バックアップはつとめて機械の「外」へ出している。「年度」にも分けまた内容からの「分類」も大事だと、どこかで気づいてからは面倒でもこまめに整理している。活用には、記憶の防護には必須の手順。急がば回れである。もしも「湖の本」が体力的に出せなくなったら、機械的に保存したものを編輯して簡単に提供できる。原価すら殆どかからない。
それでもまだ電子化できていない「サラ原稿」が信じられないほど在る。
わたしがワープロを使い始めたのは「東芝トスワード・1号機」で、作品でいうと『最上徳内』を岩波の「世界」に連載し始めた前半の何回目かであった。それ以降はほぼ百パーセント機械で書いてきたが、ワープロ時代の原稿の殆ど全部は、パソコン保存のようには便利に再利用できない。ましてワープロ以前に書いた全部は電子化がほとんど出来ていない。
どうでもいいようなものだが、どうでもいいと済ましていると、不便なときもある。つまりほんとうに便利な時代になっている。
漱石がいたら絶対機械を使ったろう、好奇心に満たされて。潤一郎も好奇心に勝てなかったろう。痛みがちな指には、やはり機械の方がラクだと思う。
* 見失ったか、消去したかと落胆していたほぼ半年分ほどの資料が、子機のなかで発見救済できた。それも危なかったのだが、ちょっとした操作から復旧できた。諦めなくなっているのが、さすがに慣れであろう。
部屋にモノを置いて積んで、どうしようもなく部屋の機能が死んでしまっている、そういうことが現にわが家にも一部屋ある。機械も同じそれで、積みに積み重ねていると、にっちもさっちも行かず、ガラクタの物置になってしまう。少し、いや少なからず何日も手間をとられているけれど、すべきことはしてしまうのがいいと、投げ出さずにいる。
2008 5・18 80
☆ 空の郵便飛行 2008年05月18日21:12 瑛 e-OLD川崎
「mixi」の日記を読んでいると、この日記に何か書きたいという衝動に駆られることがある。本だとか著者だとか、歴史上の人物、旅日記ふうエセーであったり、美術館の絵画であったり、その他その他で琴線にふれると、何かを書きたい。・・・が書くための思考と蓄積が僕の「蔵」にはあまりない。積分は乏しいが「微分的発想」で「mixi」日記で読んだフランス人のサン・テクジュペリのことを書きます。
ただ書くだけで、この作家の今でいえば宇宙から地球を見ているような「詩的慧眼」を感じ、サン・テクジュペリが自分で操縦する飛行機から見下ろす下界の灯を見て感じたであろうことを、共感するのである。
老子、荘子の詩と共通するものが、「星の王子さま」にある。
夜間飛行のプロペラの飛行機の中で一人アフリカへ定期便の郵便物を運ぶ。
夜を飛んだのであろうか、昼だけの飛行であったのだろうか。
カセットに録音した「星の王子様」のフランス語の音、声を聞くと、王子様の声は子供、相手の声は名優ジェラル・フィッリップである。
月光にきらめく川の流れのような言葉です。
ドイツ語が第二外国語であったが、仏語への憧憬が残っている。
☆ 葉陰の月 2008年05月18日23: 24 珠
久しぶり、今宵は月が美しい。
桜並木の葉陰から、黄みがかったお月様が見える。
手が届きそうなのに、見つめていると雲隠れ。。。
早くあそこへ行きたいなぁ。
今日のお茶「壷切抹茶」は甘露に濃い碧、身に沁みた。苦味のない素直で高貴な味。甘みも、苦味も、生々しく思えるような、生れ落ちたばかりはこんな味か。今宵の月を愛でるには、ぴったり。
また明日から雨らしい。お月様を隠す雲も、雨も、キライ。
”ちらり”でいい、夜には其処に、いてほしい。
* おしまいの二行で、いい感じをこわされた気がする。月が好きでいて、雲や雨がキライなんて、ちょっと信じられないが。
2008 5・18 80
* 東大の「悠」さん、がんばっている。
☆ 慣れません 2008年05月19日09:16 悠
今朝も大泣きしてしまいました。新しい保育園にまだなれていないみたいです。先生にだっこされていても泣いてしまい、しばらく一緒に遊んで、おもちゃに夢中になっているすきに保育園をでました。後ろから息子らしき泣き声が。がんばれよ!
昨日は保育園の親子遠足。芝生広場であそんでお弁当を食べるだけでしたが、随分疲れたみたいで、昨晩は夕飯食べずにねんね。
ちなみに息子のお弁当。離乳食なので悩みましたが、普段食べているもで。しらす入り軟飯を一口おにぎりにしたも、ふかしいも、鳥のササミと野菜の煮物。豪快にたいらげていました。
* こどもを無事に健やかに育くむのは、とほうもなく楽しくも苦しくもある。毎晩ルソーの育児論『エミール』を読んでいて実感するのは、ルソーは、事実、自身の手と思いとで我が子を全く育てていないという、そのこと。
際限なく、とめどなく、リクツにリクツを重ねて重ねて論理は精緻に運ばれてあるようでも、誰の役に立つのだろうかと、半ば呆れながら読んでいる。書かれ言われていることが的を射ていないと云うのではない。が、上のお母さんの日々刻々の奮戦を片方に観ながら読んでいると、これこそ絵に描いた「机上の論策」であり、へたすれば読んである程度咀嚼するだけで一年はかかりそうな大部の本は、立派そうは立派そうでも、ルソーの旗印である「自然」ということから謂えば、ずばり「不自然」といわざるを得ない。わたしは世の若い親たちにこれを勧めない。
2008 5・19 80
☆ カモの算術 2008年05月20日00:52 光
川沿いのサイクリング道路を歩いていたときのことである。
この辺りの川は、市民、行政の努力あってか、比較的きれいな水辺環境を維持している。大きな鯉(ときには錦鯉など)や白鷺(っぽい鳥)など、見かけることができる。
ふと川の水面を見ると、カルガモ1羽と、なんと子ガモたちが楽しそうに散歩しているではないか。カルガモ親子だ。ちょっと得した気分である。
親ガモの周りを子ガモたちが、水面上でぱしゃぱしゃ泳ぎ回っている。
何羽いるんだ? 都合よく、親ガモを先頭に一列になった。ひぃふぅみぃ、子ガモは7羽。
川の流れは、結構速いところもある。子ガモ4羽が先に流れに乗って行ってしまう。親ガモがその後ろについて行く。
あれ、3羽は? と思ったら、親ガモは心得たかのように、後ろを振り向いた。あわてて、3羽がついてくる。
もしかして、カモは算数ができるのかも。
流れの速いところでは、親ガモの周りにぴったり寄り添うようにくっつきながら子ガモたちは泳いでいく。
子ガモさんちょいと動かないで。数えられないぞ。
ん?、1羽足りないんじゃない? 親ガモさん、気づいてよ。
親ガモさんは、知ってか知らずか悠々としている。よく数えたら、きちんと7羽いた。
私の方が、むしろ数えられていない。
気づいたら、私以外にもカルガモ親子のギャラリーが増えていた。自転車に乗った近所のおじさん風の人が、慣れた手つきでエサを与え始めた。
子ガモたち、エサ食べられるかなぁ、なんて楽しみに見ていたら、なんとちょっと離れたところにいた親ガモがものすごい勢いでやってきて、真っ先にエサをバクっと食べたではないか。
一瞬、親ガモの評価に? が点灯。それは、ちょっと大人げないんじゃないの。
ところが、親ガモが食べたのは、最初の一回だけだった。その後は、子ガモたちがエサを食べているのを後ろの方で見ているだけだった。もしかすると、親ガモは安全かどうか食べられるものなのかどうかを確認したかったのかもしれない。
親ガモ評価、急上昇である。
川辺の散歩は、こうしてなかなか楽しめるのである。
* わたしも楽しませてもらう。
☆ 対照的なセミナー 2008年05月20日13:12 ハーバード 雄
・ 朝からセミナー2つに立て続けに参加。一つ目は、うちのラボのポスドク候補のジョブセミナー。某有名ラボの大学院生で、9月に学位取得予定という。学位取得者のセミナーとしては非常に高いレベルのデータと思うが、結局何が分かったのか、結局何をしたいのか、僕には今ひとつピンと来ないセミナーだった。
二つ目は今学期最後のbrownbag seminar。演者はハーバード大学OEB(Organismic and Evolutionary Biology)のHopi Hoekstra。まだ若い女性で、カリフォルニア大学サンディエゴ校からAssociate professorとして最近ハーバードに移ってきたばかり。
OEBでは、比較的マクロな生物学を主体としたラボが多いのだが、彼女のラボで手がけている研究テーマのひとつは、「巣穴を掘り生活するネズミ」について。
アリにせよミミズにせよモグラにせよ、地中に穴を掘って、その中で生活する生物は決して少なくない。地中の温度は比較的一定しているし、何より外敵から身を守ることが容易だ。HoekstraはPeromyscusという種類のネズミが巣穴を掘ることに着目し、どのように巣を作るのかを研究している。
Peromyscusはネズミの一種であるが、マウスとラットが分岐したのが約1500万年といわれているのに対し、Peromyscusは2500万年前にマウスやラットとの共通の祖先から分岐したといわれているので、マウスやラットよりも大分遠縁ということになる。
Peromyscusの掘る穴は、くの字に折れ曲がっている (http//www.oeb.harvard.edu/faculty/hoekstra/Links/ProjectsPage.html#Behavior 参照)。
くの字の折れ曲がるところが地面から最も遠い部分であり、両端は地面に近い。しかし、地上に穴ができるのは片方だけであり、もう片方の端は地表すれすれとなっている。地上に貫通しない方の端は、避難口となっていて、外敵が入ってきた場合にはこの部分に隠れ、いよいよ追い詰められた際には、地面を突き破って逃亡することとなる。
彼女はPeromyscusを実験室の巨大なケース内で飼い、ケース内に土を大量に入れることで、形成された穴の形状を観察するという、実に地味な仕事をしている。性別との関連や、複数回にわたる巣穴掘りと巣の長さの関連などについて調べている。また、同じPeromyscusでも、更に細分化され、長い巣穴を作る亜種と、短い巣穴しか作らない亜種がある。これらを掛け合わせた際に、その子供はどんな巣穴を掘るか、といったことについても解析していた。得られた結果は、まさにメンデルの遺伝の法則を見るかのようで、ちょっと僕はびっくりした。
実験室での作業だけでなく、野生のPeromyscusが作る巣穴についての観察も行なっている。こうしたフィールドワークは体力的にもキツイだろう。二人がかりで、地上から穴に棒を入れては反対側からネズミを逃亡させ、巣穴にスプレーで泡状のものを吹き込み、中で固化させて巣穴の形状を調べるのだとか。固化された巣穴の模型の実物を持ってきて見せてくれた。
こういう実に泥臭い生物学の研究が、今なお続いていることに僕は深い感銘を受ける。日本の生物学教室の多くは、遺伝子や細胞といったミクロな研究に走りがちであり、こういう地道な研究をじっくりとやっている研究室は、決して多くない。そうした研究を日本でやるのは、非常に難しい。こういう地道な生物学でも、それをサポートしようという姿勢を見ていると、考えさせられる。
・ 今朝の二つのセミナーは、ある意味対照的だった。最初のセミナーは、最先端の遺伝子工学を駆使して、実に精度の高い情報を抽出していくような研究。しかし、そこから得られるメッセージは、あまりに機械的であり、「生物とは何か」という問いからはかけ離れているように感じられる。
二番目のセミナーは、まだまだ原始的なレベルであり、海のものとも山のものともつかないが、「巣穴を作る」という、一つの生物学的現象に密着している。どちらが良いかは、人によって意見が分かれることだろう。
個人的には後者のほうが圧倒的に好き。
* 教えてもらった。
2008 5・20 80
* また次の「湖の本」の起稿にせまられている。一冊分、スキャンに相当な手間をかけねばならない。機械のデスクトップは予定の仕事のロゴで満員。昨日、ついに「mixi」にとられる時間を省くべく、ロゴをデスクトップから遠ざけた。「mixi」日記から、省くべきは省き、アクセスも「友人=マイミク」に限定した。
省力。それは、だいじなこと。
2008 5・22 80
☆ プレゼンテーションは難しい 2008年05月22日06:42 ・先ほどの日記の続き。 ハーバード 雄
先ほど、たまたまボスが暇そうにしていたので、昼に話してくれなかったプレゼンでの改善点について、何を言いたかったのか聞いてみた。そこで言われたのは次の3つ。
1.最初のスライドは真っ黒な、何もない状態から始めること。そして、2枚目以降のスライドでも、図を見せる前に、ある程度説明をすること。
いきなり図を見せてしまうと、聞いている人は、図のどこを見たら良いのか分からなくなり、図全体を見てしまうので、話を聞かなくなる。そこで、最初にあらかじめしゃべってしまうことで、聴衆の関心がそこにしかいかなくなるように仕向けることが大事。
2.一枚のスライドに情報を詰め込みすぎない。詳細を説明しようと思わず、そこで分かってもらいたいメッセージに絞って説明する。もし1枚に複数の内容を入れるなら、他を消しておいて順番に見せておく。これも理由は1と同じ。
3.レーザーポインター(どこを見て欲しいか指し示すのに使う)を動かしすぎない。今日のレーザーポンインターは電池が切れかけていたので、動かしてしまうと尚更光が弱まってしまって、見えなくなってしまう。
*
1と2については、スライドの全部の枚数が7枚ということで、かなり詰め込んでしまったのだが、その辺を見透かされてしまったかなという印象。3については、緊張していて手が震えてしまったのだ。それにしても、当日のレーザーポインターの電池のことまで考えなくてはいけないとは。。。
1はまさに目からうろこなのだけれど、英語の苦手な僕は、ついつい図に頼ってしまうので、先に説明するのは大変そう。でも、徐々にそういうことに気を配っていかないと、なかなか良いプレゼンはできないのだろう。
正直、かなり落ち込んだ。やっぱり質問が出なかったのは、皆、僕の話が理解できなかったからなのだろうな。タミリーは「全てのことを非常に的確に説明していたと思う」といってくれたけれど、大半の人にとっては何が何やらわからなかったのに違いない。
うちのボスはプレゼンの仕方についての講義を持つような人なので、プレゼンのプロフェッショナルと自認しているし、他の研究室主宰者達が彼のプレゼンに関するセミナーに参加する位なので、今できなくても落ち込むには当たらないと言っていたが、かなりへこ
むことに変わりはない。
* りっぱな指導だ、文字通りの。有り難い。
2008 5・22 80
* 以下、「雄」くんの日記をもらえば、書き疲れるだけのわたしの日記など必要がない。それほど、読んで心嬉しかった。ああ、よかったなとほっこりした。
☆ 近くのクジラ 2008年05月23日12:39 ハーバード 雄
・ 昨夜、今度引っ越す部屋に行き、今住んでいる方の家具一式のうち、どれを譲っていただくかを見に行った。結果としては、残すもの全てを引き取ることになった。
家具を引き継がせて頂いた方も研究者。大学院からアメリカに来られたとのこと。
昨日あったプレゼンの話と、それについてのボスのコメントを伝えると、
「その先生は本当に素晴らしい先生ですね。そういう指導は、特にポスドクになってしまうと、なかなかしてもらえないですからね」、と。
・ 確かに、そうだ。ポスドクともなれば、いちいちプレゼンにダメ出しを食らうことは、日本のラボでさえ殆どない。昨日のボスの指示は非常に的確だったし、決して叱ったのではなく、より良いプレゼンにつなげるために敢えて語ってくれたのだ。
今朝、ラボに来る途中、いつもの煙草エリアでボビーとJCが駄弁っていた。僕を見かけてボビーが「昨日のセミナー、ボスも褒めてたんだろ?」と声をかけてきた。
「いや、そんなことは無いよ。大体、アメリカ人は悪いことは面と向かって言わないからな」と僕。
すると、「いや、そんなことは無い。例えばお前の着ているシャツの色は良くない。あと、お前の髪型も良くない」とボビー。
少し真面目になって、ダメ出しをされた話をする。するとJCが、昨日ボスが指摘したのと全く同じことを口にした。
彼らは二人とも昨日の僕のトークには顔を出していないので、僕のセミナーを聴いた訳ではない。かといって、僕がいつもそうしたヘマをしていたという訳でもない(と思う)。
つまり、彼らが指摘したのは、彼らが自分自身のプレゼンに際して注意していることだった。この辺りは、やはりボスの指導の賜物なのだろうな、と思う。長年ボスと接しているうちに、直接的か間接的かは分からないが、こうした指摘を受けてきたからこそ、自然と注意を払うようになったんだろう。
・ ボストンに来て間もない頃の日記にも書いたが、留学を決めた理由の一つに、
「クジラを見たければ海に行け」という言葉があった。是非とも海に行って、クジラを見たいと思った。
実際、ボストンに来て、今まで名前しか聴いたことの無い著名な研究者達に数多く接することができた。
しかし、あまりに身近すぎて忘れていたけれど、まさにうちのボスこそ「クジラ」だったのだということに、改めて気づいた。あまりに優しく寛大であり、あまりに頻繁に接しているがゆえに、そのことに気づかなくなっていた。彼と一緒に仕事をできることに、改めて感謝の念を抱いた。
・ ラボに戻ってから、少し書類仕事をし、ようやく実験に取り掛かる。このところ、セミナーやら校正やらで、実験から少し遠ざかっていた。今週から来週にかけては、仕事が忙しくなりそう。頭を整理して、何を優先して進めるかを決めなくてはならない。
* こういう指導者、こういう後輩。どこの世間にもあるだろうが多くない。少ない。少なすぎるかも知れない。
2008 5・23 80
* 撮り溜めてあった写真の全部を整理し終えて、今日までの分、すべて機械の外へもバックアップした。
* 今度は、法廷関連の資料を徹底的にすぐ利用できるよう、もう半ば以上できているが、検索の便と敏のために整理してゆく。
2008 5・24 80
☆ 「どうぞ」 2008年05月24日22: 31 悠
今日は私の小学校からの友人が家族連れで遊びに来ていました.友人は,旦那さんの転勤で最近,愛媛から埼玉に引っ越してきたところ.5歳と3歳の2人の娘を連れて遊びに来てくれました.
出張帰りの旦那さんも駆けつけてきてくれて,大賑わい.息子はお姉さんたちが元気に遊んでいるのにニコニコ付き合ってご機嫌.”営業スマイル”を連発していました.
子供がいたのでゆっくりおしゃべりとはいかなかったのですがなんとも楽しい時間でした.
これまでも子供同士が会うような場面があると,その後急に出来ることが増えるってことがあったのですが,今回は、”どうぞ”でした.
自分のストロー付きのマグカップに入っている飲み物を、私やダンナに
「どうぞ」
といって分けてくれました.のんで、”おいしいよ”というと両手をたたいて喜びます.最近こんな風に他人が喜ぶのがうれしいのか,自分の食べ物,飲み物をやたら渡してくれます(とっても,大好きなものは絶対分けてくれない).今日はそれに「どうぞ」という言葉がついてきて、びっくり.良く出来ました!!
しばらくして,遊んでいると思ったら私に、「どうぞ」といって紙おむつを一枚渡してくれました.遊びでやっているのかと思いきや,おしりはとってもかぐわしいにおいになっていました.
失礼しました.オムツ替えなくちゃいけなかったのね.
本格的にしゃべりだすともっと楽しくなりそうです.
* 嬉しくなる。
☆ 箱根の神山 2008年05月24日21: 07 瑛 E-OLD 川崎
坂田金時伝説の「金時山」へ登った前日に、箱根火山群の最高峰「神山」の姿を見たいとケーブルカー駅「早雲山」で下車、久しぶりに快晴の天気の中を急坂の山道を登って行く。
新緑の山間は樹木が茂り過ぎて見晴は無い。木の太い根っこの山道を登ってやっと神山への分岐点へ着く。
観光地はこねの山をこれまで登る気もしなかった。ところがたまたま仙石原へ午後4時に着けばよいという時間の余裕があり、山々への謙虚な気持ちで、きつい厳しい山道をあるくことができた。
箱根の山々は奥が深い山である。観光客の絶えない喧噪の観光地と、山そのものとを、同じと先入観で思っていたことの恥を知った。
「冠山」のそばを通り「大湧谷」へ下る。
登山ケーブルで前の座席におばあさんと娘さんが居た。京都の左京区に住むという。申年。昭和7年生まれ。娘さんは奈良からお供をしてきたという。箱根は初めてだという。
親孝行を思いながら日記す。
2008 5・24 80
☆ カブトムシごろごろ 2008年05月25日20:12 馨
数日前に、近所の植木屋さん(であり、私の小中学校の同級生)が母と立ち話している私のところに来て、「カブトムシほしい?」
なんでも、近くの神社の森を手入れしている時に、幼虫が大量に出てきたのだそう。
のぞきにいくと、おびただしい数のでっかいイモムシがごろごろ…。100匹近くでしょうか。この大きさでこの大量さ!
こんなにたくさんのカブトムシの幼虫を見たのは初めて。壮観です。佃煮にできそう…。
イモムシ類はそれほど苦手ではないはずなのですが、なんだかお腹いっぱいというか、胸がいっぱいというか…うえっぷ。
なんでも、機械で土を掘り返していて出てきてしまったので、轢かれないように少しずつよけていったらこの数になってしまったそうです。このところ、ミニ開発が進む鎌倉ですが、いるところにはいるんですねー。
思えばその神社のすぐそばに住んでいた頃、やたら、猫が雌のカブトムシを捕まえてきました。
「どうして雄でなく、雌ばかりなんでしょう」と、当時カブトムシを大量に飼っていた知人に尋ねたところ、メスのカブトムシは昼間、落ち葉の中で休んでいるそう。オスは木の上で休むそうです。そういえば、その猫、やたら穴を掘るのが好きでした。これだけの量のイモムシが出てくるくらいの、あの神社。掘れば掘っただけカブトムシが出てきたでしょうね~、と今はいないその猫に向かって仰向いて話しかけてしまいました。
結局、娘がほしいというので、10匹だけもらってきて(それでもかなりかさばります)、バケツに裏山の腐葉土を入れて置いておきました。今日になってダンナさんがカブトムシ用の腐葉土(そんなもの売っているんですね)やら何やらで、娘と一緒にそれなりの環境を作ってくれましたが。
なんだかいそいそとカブトムシの世話をする我がダンナ。
もしかして、昔飼ってた??
「毎年飼ってたよ。男の子のお決まりでしょ」
・・・やっぱり。
おたまじゃくしやらかたつむりやら金魚やら、我が家にはなんとなく常に扶養家族がいたのですが、今年は人間の三番目という大きな扶養家族が一人増えるので控えめにしていたのに、ついに来ました、カブトムシ。
生き物が増えると、好き嫌いに関わらずついつい真面目に世話してしまう因果な性格を、見抜かれているような気がする…。
でも、卵を生んでも孵さないからねー、と、今の時点から宣言しています。大変なことになる、というのはあちこちから聞いているので(知人は3つがいから 200匹になった、と言っていました)。卵の状態でか、孵った後かに、腐葉土の林へ放しに行こうと思っています。
でも、そこに至るかな。本当になるのかな、成虫に。
今年は忙しくて、あまり手塩にかけられないぞ~。
* ふえーっ。
夏は東山へ、クワガタ、京都ではゲンジ(源氏)と謂ってましたなあ、とりに出かけました、汗びしょになって。
2008 5・25 80
☆ 充電 2008年05月26日21:15 悠
息子がいて,保育園に送り迎えする日々の生活のリズムがやっとつかめてきました.仕事(=研究)のほうは先月ほど進められずにいますが,もう少し,やることを整理して進めていこうと思います.
息子のほうもすっかり慣れたようで,今朝は週末の間に先生方が作ってくださった新しいおもちゃに突進して行き,私のバイバイにも応じてくれませんでした.
一日しっかり遊んでくるため,うちに帰って小腹を満たし,お風呂に入るともうトロンとした目をしてきます.最近,夕飯は少しだけで(保育園でたっぷり食べてきているみたい),両手を合わせてた”ご馳走様”のサインをあっというまに出してきます.
しばらく遊ぶと,いよいよ眠くなってきて目をこすり始め,やがて自動的に布団のほうにハイハイしていきます.まるで,自動的に充電器にたどり着くお掃除ロボットみたいに.
ただし,”急速充電モード”があるようで,1分ほどでまた布団から這い出してきます.またしばらく遊んで充電器(=布団)へ.急速充電はすぐに放電してしまうらしく,何度かやると本格的に寝てしまいます.
朝まで,ゆっくり寝てくれるかなぁ...
* みごとな日記。
☆ 沈黙の魅力 2008年05月26日21:40 瑛 E-OLD川崎
飛行機、特急に乗ると座席の前に「雑誌その他」があるが、まず見ません。
新幹線のグリーン車に現役のときに無理をして乗ったことがある。金沢から東京への「飛行機」と同じか安い運賃で、米原経由で東京へ往復した。新幹線の車中では数人であるが、あっと驚く文化人や皇族を見かけた。作家は車両でしばらくするとわかるが、皇族は東京駅に駅長が出迎えにきていることでそうとわかったのですが。
このころの新幹線の雑誌に「グッデイGOOD DAY」が座席の前にあり、ときどきではあるが楽しみに読んだ。そのことを書く。
漱石の句があった。
句は 『秋の江に打ち込む杭の響かな』。
季節は秋だったのであろう。大岡信のエセーで写真は十和田湖の紺深き入り江であった(僕の感じた風景ですが)。
漱石が生き返って十日ばかりしてできた句だと数年して知った。修善寺の大病のころ(明治43年(1910))。
遠出をするときは、山散策のときは、漱石の俳句の本が友となった。
「歌のある風景」大岡 信著のエセーの題名を、日記の題に借りました。
* 漱石句の、よろしさ。
2008 5・26 80
☆ Memorial day 2008年05月 27日14:17 ハーバード 雄
・ 今日、アメリカはMemorial day。今日を境に夏といっても良いのかもしれない。日本の感覚からすると、夏というにはまだ涼しすぎる。しかし、この連休は、本当に良い天気だった。
あいにく僕は今日、顕微鏡の予約を入れてあり、朝から出勤。さすがに、この天気のせいか、ラボには2,3人ほどしか人がいない。朝からひたすら脳のスライスを切り続け、夕方スライドグラスに貼り付ける。
休日のラボ、悪いものではない。良く晴れた休日、ほとんど誰もいない部屋で、外の青々した草を時折見ながら、のんびりとスライスを切っていると、それはそれで爽快な気分になる。人生って、捨てたもんじゃないな、という気になる。
一旦自宅に戻り、夕食を摂り、車でラボへ来て、顕微鏡。
昨日、ぐっすり寝たせいか、今日はそれほど眠く感じない。
・ 午前2時40分を回り、ようやく最後の画像取得のセッティングを終えた。これで後は寝ている間に勝手に顕微鏡が画像を取り込んでくれるはず。
今まで気温が低かったので気づかなかったが、夜12時を過ぎると、空調が切られてしまうらしく、部屋の中が蒸し暑い。おまけに、先ほど雨が降ったようで、窓をあけても蒸し暑い。
さっと帰って、シャワーを浴びよう。
2008 5・27 80
☆ 息子近況 2008年05月28日05:42 馨
2歳を2ヶ月近くになって、ようやく息子から言葉が出始めました。
今まで、かなり複雑なことまで理解はしていたようなのですが、向こうからの発信は、指さしとコクコクッといううなずきだけ。
いろんな方から「こういうタイプは言葉をずっと溜め込んでいるから、出始めると一気ですよ」と言われていました。
「一気」が来たようです。
本が大好きなのは前からだったのですが、読んでいると文の語尾を必ず一緒に発音。
「~~しました。」という文だと、「たっ!」
「~~してね」だと、「ねー」
本を読み終わると、「おンまい!」(おしまい)
どうやら子音の発音は後回しのようです。
「はな(鼻)」は「な!」
「は(歯)」は「あー」
h がふっとぶということは、キミはフランスから来たのかな。
*
お遊戯みたいな動きも多くなりました。
最近のお気に入りはアルゴリズム体操。
おばあちゃんのお家に行っていた頃に見て、多少覚えていたようなのですが、家にいるようになってからは私があまりテレビをつけないので見ていなかったのに、なぜかなんとなくそれらしく動いて遊んでいるのを見て、家族で面白がってYouTubeを見せたのがいけなかったか、食事中でも突然やりはじめたり。
「こぶたぬきつねこ」なども、自分で歌いながらブタやタヌキの身振りをしています。
先日は洗濯をしている私のところに走ってきて、両手でそれぞれ、ほっぺをぐにゅっとつかんでいる。
思わず笑って「どうしたのー?」と尋ねると、手でおいでおいでの身振り。
連れられて行くと、お姉ちゃんの本棚の端にあった「あかんべノンタン」の本を見つけ出してソファに広げていました。
確かにキミのほっぺぐにゅっは、アカンベ! 初めて見た本なのによくわかったね。
その後もあまりにも何度も繰り返し読みたがるので、ついにノンタンシリーズを何冊か購入しました。今まで持っていたのは実は私が小さい時にご近所さんから頂いたもの。ページは落ちているし、破けているし、修理したセロテープですら変色して剥がれ落ちてるし、だったので。
保育園に行きはじめたのがきっかけになったか、2歳をこえて単にそういう時期が来ただけなのかわかりませんが、お母さんはようやく双方向コミュニケーションが成り立ってやれやれです。
ただ、お姉ちゃんほどは喋らなくていいからね。
娘は家では本当に喋りっぱなし。私は「ダダ漏れ喋り」と呼んでいます。
そうそう「ダダ漏れ」って言葉、かなりな流量がダーッと流れていく時に使っていますが、主人からは「それ、どこの言葉?」
どうやら関東近郊では使わない? 私もよく考えると関西圏の人とのおつきあいが増えて使うようになった気が…。
ともあれ、娘のおしゃべりは脳天に穴があいて漏れていくような延々としたおしゃべりなので、「ダダ漏れ喋り」。
こちらのほうは、「喋りすぎ!」と、年中叱ってます。
* 癒されている。
「タダ漏れ」は京都では、「馨」さんの謂う意味で常時用いている。
* 知識の提供と、日々の「今・此処」の生きと。人さんの日記は大きく二つに分かれる。どちらがどうということではない。日によっても気の惹かれかたがちがうかも知れぬ。が、後者の方がかけ離れていても胸に響いてくること、多い。知識は、よほど珍しいと好奇心が働く。
☆ アメーバも「学習と記憶」する 2008年05月28日00:52 光
「やーい、単細胞!」
こう言われて喜ぶ人はあまりいない。
大抵は「あまり頭がよくない」みたいな意味で使われるからである。
ところが、アメーバの一種である多核単細胞生物モジホコリは、どうも「学習と記憶」ができるようだという、驚きのニュースが報告された(1)。
*
ある研究チームが、このアメーバに一定の間隔でショックを与え続けたところ、そのパターンを学習し、次のショックを見越して行動するようになった、という結果が得られたという。
ショックを与えるのをやめた後でも、このパターンを数時間くらいは覚えているようで、しばらく中断した後に再びショックを1回与えると、このアメーバは以前覚えたリズムで次のショックがやってくると予期したらしい。
今回、注目されているこのアメーバは、形を変えながら1時間に約1cmの速さでじわじわと移動する、到底物覚えが早いようには見えない、という生き物である。
しかし、この奇妙な生き物が、迷路を最短距離で抜けたり、やさしいパズルを解いたりする様子が近年報告されており、「周りの状況を把握する」だけでなく、今回のように「学習と記憶」という知性も持っていることが明らかにされつつあるようだ。
*
我々も含め生物はみな、常に変化する周りの環境を受け止めて、理解・判断し、それに応答していく能力が要求される。
そうでないと、厳しい自然界で生き残るのは大変だらかである。
「固定と安定とは違う。安定とは変化しながらバランスをとることである」とは本田宗一郎氏の言葉だそうだ。
もちろん、企業経営についての言葉であるが。
『企業は時代適応業に過ぎない。安定成長したければまず変化しなければならない、ただしバランスにも気をつけよ』ということだ。
*
アメーバですら身につけている環境適応能力は、激動の世を生き抜く上で大事なものであることを、我々に示しているのかもしれない。
(1)Nature Digest 日本語編集版, Vol. 5, No. 3, pp34-36 (March 2008)
* わたしの(と謂うてはヘンであるが、)卒業生が、こういう日記を日々に読ませてくれる嬉しさひとつで、わたしは「mixi」をやめずにいる。自分の表現の場所としてはホームページも、むろんその他に本来の場所があるが、開かれた窓としての「mixi」の意味は無視しがたい。世に背きがちな性行のわたしには、その毒をいつも中和してもらっている。
よく書いてくれる人の全部が、日頃は高度の研究機関に属して自身の仕事の深化に余念無く、だから日記も欠かさないのだろう。教授時代、わたしは学生諸君にむやみと「自身」を書かせ、読んで倦まなかった、倦むどころかわたしの方が多く教えられていた。今も。
感謝している。
2008 5・28 80
☆ サンプル ハーバード 雄
・ 新しいプロジェクトのために必要なサンプルが、ついに届いた。この日を今か今かと待ちわびていた。生き物だけに、輸送の途中で死んだりしないか、不安でならなかった。
Fedexからメールが入り、配達を終えたとの記録があったが、品物が研究室に届かない。そこで、技術員のサラにお願いして、二人で荷物の一時保管所に行き、無事にサンプルの入った箱を見つけた。
研究室にサンプルを持ち運び、はやる気持ちを抑えて開封した。
だが、しかし、サンプルは生きているものの、肝心の実験には使えない代物だった。季節によって変動するものなので、こういうことは容易に想像できたことだった。以前からその点を業者には再三確かめていたのだが、やはり自分の目で確かめないとダメなのだろう。
業者にメールを送り、次からは実際に目で見てから注文したいと伝えてみた。業者へは、バスで2時間も行けば着けるはず。許可が下りれば、次からはコンスタントに足を運ぶこととしたい。
* ガマンづよくこういうこととも付き合わねばならない。彼だけのことでない。
☆ バギー 2008年05月29日17:48 悠
毎朝、バギーに乗せて保育園へ。以前のだっこ紐に荷物大量の日々が懐かしいほど楽チン。(今のところはあんまり着替が少なく、食事のエプロンも用意しなくてよいので荷物はぐっと減りました。)
雨の日はすっぽりレインカバーを装着。息子は温室にいるみたい。あんまりすきではない様子。帰りは、時にグズッてだっこで帰ると言い張る。
バギーにわたしの仕事鞄をのせて息子は片手にダッコ。片手でバギーを押していく始末。結構大変。息子はご機嫌でバスに手を振りながら帰宅。
今からお迎え。今日は乗ってくれないと傘を差す手がなくなるからね。
* 可愛くて、ご機嫌で、ちょっとタイヘンかな。
2008 5・29 80
☆ 六本木の絵画展 2008年05月 29日23:10 瑛 e-OLD 川崎
朝から雨が降り止まない。
六本木の美術館へモディリアーニの絵を見に行く。ひと月前に岸 恵子をゲストに迎えた「日曜美術館」の放映を見ていたが、ゲストはモディリアーニを「感性」で知りつくしていた。この画家の絵を見たいと思っていた。
画家の展覧会は一回みているが、友人から声かかりうれしく今日は絵を見ました。
酒に溺れる画家のユトリロの絵はモーツアルトの曲が聞こえる。
同じく酒を友とするモディリアーニの絵は人物の目が無言で何かを語りかけ、長い首の線がそれほど長くはないと今日感じた。
モディリアーニは彫刻家を目指した時期があった。
雨で館内は来館者もそれほど多くはない。
印象深い作品は「C・D夫人」、数点の「ジャンヌ・エピュテルヌ」の絵であったが、死近き青年画家のモデルになった絵の主人公の当時の時代の息を聞きながら、画家とモデルとバーチャルな時間を共有した。
* 佳い感じ。
2008 5・29 80
* 何日か前、 「mixi」の「雄」君日記に、コメントを書いていたら、返辞が書き込まれていて、「馨」さんのコメントもつき、さらに「雄」訓が応えていた。いまいまの感想で、出口も入り口も不確かなまま困惑の課題でもある。そのまま此処へももらっておく。
☆ 船場吉兆 ボストン 雄
・ 今、船場吉兆の廃業の記者会見を、日本のテレビで見ている。この女将という人は、一体何を考えているのだろうかと、会見の度に思う。
一番最初に牛肉の産地偽装問題が発覚した際に、当時の社長にこそこそと耳打ちして有名になったけれど、先日、客の食べ残しを使いまわしていることが発覚した時点でも「食べ残しではなく、箸をつけなかった料理と言って欲しい」などとこの期に及んで言うのには呆れた。
今の会見を見ていても、あくまでも低姿勢に、「自分のことは考えられず、お客様に申し訳ない」などと口では言っているが、聞いていればそうでなくて、自分の身のことばかりを慮っているのが明らかだった。呆れ果てる。
僕などの貧乏人にとって、こうした高級な料亭は敷居が高い。確か、学位を獲ってポスドクになり、初めてお給料を貰った時に、両親と妹を連れて池袋にある某料亭に行ったことがあった。どの店が良いのか分からず、マイミク湖さんにアドバイスを頂いた。確かに料金は決して僕にとって安いものではなかったけれど、どの料理も美味しかったし、家族も満足してくれた記憶がある。
料亭に足繁く通う金持ちもいるのだろうけれど、そうやって目いっぱいの贅沢の気持ちで店に行く客だっているのだ。僕が行った店はそんなことは無いだろうが、もし船場吉兆のようなことが行なわれていたとしたら、怒り心頭といったところだろう。
* 京都嵐山の吉兆で予定の、六月会議に、欠席通知しました。食べ残しを食わせるとは、どうにも心証がよくない。
その一方、こういう高級店からコンビニの弁当類に至るまで、上に謂う「食べ残し」ではないが、毎日毎日「売り切れている」とは到底想われません。売れ残りはどのように処理されているかと想像するだに「もったいない」と思いませんか。なかには空路はるばる鮮度を慮りながら運ばれてくる青物・生ものもあると聞きます。
ハコもの行政の無駄遣いも言語道断ですが、食べ物の場合、ただの放棄でない有効な別途「配給」措置は不可能なんでしょうかね。飢えている人も現実にいる。人でなくても、と、いった予想をしてしまいます。
飢えて育ったわたしは、、飢えの苦しみも、勿体ないという痛みも両方知っています。 湖
☆ ボストン 雄 2008年05月29日 03:43
そうですね。コンビニ弁当の話は、いずれこの日記でも触れたいと思っていました。
アメリカにもコンビニとしてセブンイレブンがありますが、そう多くはありません。ドラッグストアなどは24時間開いており、コンビニ代わりの役割を果たしています。
しかし、アメリカのセブンイレブンにせよドラッグストアにせよ、日本のように弁当が沢山陳列されているなどということはありません。せいぜいセブンイレブンにサンドイッチが置いてある位です。
日本に居た頃、コンビニのない生活は考えられないと思っていましたが、こちらに来てみて、むしろコンビニのないことは良いことかもしれない、と思うようになりました。無駄にお金を遣うこともないですし、美味しそうな弁当についつい手がのびて食べ過ぎるということもありません。
売れ残った商品は、おそらく消費期限を過ぎると捨てられているはずです。実にもったいないと思います。
アメリカには「もったいない」という概念がない、と聞いたことがあります。だからこそ、ケニアのノーベル平和賞受賞者マータイさんの “Mottainai”キャンペーンが注目を浴びたのでしょう。確かに、レストランで出てくる料理の量は半端ではないですし、それらは残すことを想定した上で提供されているとも聞きます。
ですが、アメリカのレストランでは”doggy bag”を下さいと言えば、たいてい残り物を詰めてくれます。日本でそんなことをしたら、はしたないような気がしてしまいますが、そうやって残りものも持ち帰ることができれば、食べ物を無駄にしないで済みます。
色々考えてみると、一見行儀良く、ゴミ処理などでも徹底した分別をしている日本の方が、アメリカよりも、かえって物を無駄にしているのかもしれないなと思ってしまいます。
☆ 馨 神奈川 2008年05月29日 15:21
こんにちは。ご無沙汰しています。
doggy bagならぬ「お持ち帰り」は、日本のお料理屋さんでは断られることも多いようですよー。理由は、持ち帰ったもので食中毒等が出た場合に責任をとりきれないからだと聞きました。旅館の朝のご飯で、おむすびを作るのも昨今は厳禁になっていますし。
こういうのって、昨今、モンスターペアレンツ並みのクレーマーが増えたのと関連しているのかもしれません。
自分のやったことは自分で責任を取る、という態度を多くの人たちが取っていかないと、「もったいない」ということも増えるし、その状況の中で船場吉兆のような発想もでてきてしまうのかもしれないですね。
日本では、いま食品が(もっと言えば紙や燃料まであらゆるものが)どんどん値上がりしています。何かの足音が聞こえるような気がしているのですが、それがどんな方向に進んでいくのかは、まだ明確には見えていません。
☆ 雄 ボストン 2008年05月29日 22:21
持ち帰りが日本のレストランで断られるという話は、僕も聞いたことがあります。旅館の朝ご飯でおむすびを作るのが厳禁になったというのは知りませんでした。
小さい頃、民宿などに家族と泊まった際、民宿のおじさんやおばさんが、昼飯にといっておにぎりを沢山作って渡してくれたのを思い出します。もっとも、今は各地にコンビニがあるから、そこでおにぎりでも弁当でも買えば良いのでしょうが。
食品の消費期限についても、アメリカに来てから思うことがあります。
日本の消費期限は、短かすぎるのではないか、と思います。確かに、そこまでならば絶対に安心ということなのでしょうけれど、消費期限を過ぎても本当は品質に問題のないことの方が多いのでしょう。
アメリカですと、商品に貼られているシールは消費期限ではなく、”sell by…”となっていて、その日までに「売れ」ということなので、その後の判断は消費者自身にゆだねられているように思います。
もっとも、貼ってあるシールどおりに買ってきても、商品が悪くなっていることもあるようです。特に牛乳などは安心できないようで、こちらの人が牛乳を入れる前に臭いを嗅いでいるのを良く見ます。結局のところ、消費期限をむやみに信用するのではなく、あくまでも自分の目や鼻、舌を信用し、おかしいと思ったら口にしない、という姿勢が大事なのでしょう。
日本でも物価が上がっているようですが、アメリカでもここ最近のガソリンの値上がりはすさまじいものがあります。今にして思えば、それでも日本の方が食費は安かったような気がします。スーパーで売られているものも、日本の感覚からすると高く感じますし、レストランなどはどこも高いです。その分、量も多いのですが、こんなに沢山でなくて良いから、もう少し安くはあげられないものだろうか、と思ったりします。
* 福田総理がアフリカのエライ人たちをいっぱい呼んで、いろいろ振る舞った報道があります。関連して、見るも気の毒な本当に「飢えた」子ども達や人たちの映像がこれでもかというほど流されます。グローバルに食糧の逼迫が危惧されている今、日本中のコンビニで売れ残るあの厖大な量の弁当はどこへどう棄てられるのかと、胸がギシギシ痛みます。 湖
2008 5・31 80
☆ 金山平三の最上川 2008年05月31日22:38 瑛 e-OLD川崎
写真(割愛)は、六本木の国立新美術館の館内を撮った一枚である。
黒川紀章設計のこの美術館の館内は、上野の美術館とはどこか一味違った空気がある。建物の中に一歩はいると土の匂いがなく、ガラスの風が心に無風の光を投げてくる。なにか身構えてしまうような。
二階へ三階へとエスカレータを登る。すると右半分の空間が、気品ある舞台の幕のような温かい空気が感じられ、「壁のデザイン」が目にはいる。
吹き抜けの空間の右に展覧会場が設けられており、絵画関係の図書を閲覧できる部屋がある。ここにはずっしり重い『画集』があり神戸出身で明治、大正、昭和を生きた洋画家、金山平三(1883-19)の絵を見た。この画家は唯我独尊の気のある、評論家でいえば小林秀雄にどこか似たところがある画家だと、僕は思う。先日のモディリアーニ展の帰りに氏の画集の絵を一枚一枚丹念に短い時間だったが見た。全集の通読といったような、(いや不遜にも、冗談ですが絵は概略つかめました) 作品のひとつひとつが、それぞれ世界をもっていくことになります。
金山平三が戦時中に疎開で滞在した山形県大石田町を描いた『大石田の最上川』があった。「最上川」を描く画家の絵は白く荒涼と寂しい雪景色があり、春でも夏でも大きな時間の流れに流されていく自分を知るような絵である。
山形県の大石田へは1980年ごろ斎藤茂吉記念館.を訪ねたことがる。
隣りか、同じ館内だったか、芥川龍之介文学館もあった記憶があるが、処女歌集「赤光」が高く評価され、芥川龍之介が茂吉の評価者だったことが縁であろうか。
今から半世紀まえの斎藤茂吉記念館であり、建物も敷地の観光衣装も今とは随分違うであろう。
全国一律に、小奇麗な記念館には、昔は纏っていた地元の土着の衣と匂いが無いのは、寂しいかぎりである。ネットで美しい建物と絵その他も見える時代の空虚さ。
☆ 昼のお月見 2008年06月01日01:26 珠
冷たい雨降る一日。ゆっくり起き、ゆっくり仕度。
気づくともう昼過ぎ、ようやく仕覆の稽古へ。仕舞いかけた冬物を必要とするほどに、寒く風も吹きつける。稽古道具を濡らさぬ様に、庇いながら行く。
萩茶碗のため、仮縫い完了。さて、どんなおべべにしようかな。。。
一番楽しい裂選び。格と品、後はどこまで遊ぶか。開けて吃驚も楽しいし、そっと醸しだすように雰囲気を伝える仕覆もいい。
師匠と、器に裂をあてては替え、相談。結局、小紋柄の青みがかった緞子にする。
次に人なら帯か、それともおしゃれな髪留のようなものだろうか。緒を選ぶ。長さと色。大振の井戸茶碗、裂をどしりと引締めるべく、長緒に濃い茶色を合わせることにした。
さて、あとは御仕立てばかりなり。雨が樋を伝う音を聞きながら、チクチク、チクチク。
今日のお三時、お菓子は「ひと声」という主菓子。月に時鳥のまま、葛外郎の皮はもっちりと、餡は白小豆、そして仄かに見えるは大徳寺納豆。目を閉じれば、まるで月見に一献。味噌の余韻ひろがって、これは菓子かと忘れるよう。そういえば、器は師の敬愛する京の児科医加藤先生の作品、うさぎの皿。五月雨冷たく、月を白磁の皿にうつして。 ありがたきこと。
* お二人とも、いい感じ。
2008 6・1 81
* 厖大な量の十年来のメールを克明に整理し、機械の外へ出した。数日かかって、疲れました。部屋を片づけたような快さもあるが。
☆ めしあがれ 2008年06月02日18:08 悠
息子の「どうぞ」は、前のように言葉と一緒になるのがまれになっていますが、行動は頻繁に。
ニコニコしながらハンガーをどうぞ。ダンナが洗濯物を干しているときの光景。素早いハンガーの供給に、干す方が追いつきません。 タオルをどうぞ。ちょっと眠くなった時の合図。
食事の時は手掴みでどうぞ。お腹が一杯になったきた証拠。お皿が空になるまで周りの人におすそわけ。昨日は遊びにきたおばあちゃんにうどんを、今朝は私が大根の煮物、ダンナが煮魚の小さなかけらを食べさせられました。
食べてもらうと、とっても満足そうな顔をします。
* 「mixi」でいい日記を二、三読んだが、いまの心持ちにはそれぞれに重かった。坊やの「めしあがれ」に笑わせてもらった。
2008 6・2 81
☆ 掃き溜めに鶴はいない 2008年06月03日14:40 雄 ハーバード
・ 今週前半、ボスは出張らしい。明日のラボミーティングがキャンセルされた。何故かボビーの姿も見当たらない。隣のラボのボスはロンドンに出張中だという。そのせいか、ラボ全体が閑散としているように感じられる。
今日もひたすら脳のスライス作成。スライス作成装置は小さな共同実験室の入口近くにある。最初、部屋に入った時には、隣のラボの大学院生のエマがいたが、やがて出て行った。後で、再びエマが部屋に入ってきた際、まだ僕がスライスを切っているのを見て、「ずっとYouはここでスライスを切っていたの?」といって笑われた。
根をつめすぎたせいか、切ったスライスが多すぎたせいか、自分の部屋に戻ってからスライドグラスにスライスを貼り付ける作業を全て終える前に精魂尽き果ててしまい、少し作業を残して帰宅。
・ 途中、Kotobukiyaに立ち寄り、先週末から切らしていた米を購入。Kotobukiyaの中に貼り紙がされていた。昨今の食糧難に伴い、各商品の値上げをするという。本当にそんなに食料難なんだろうか?日本のニュースなどでは、最近食品の値段が上昇していると聞く。日本食品を扱っているからなのか?なんとなく僕には便乗値上げとしか思えないのだが。
・ このところ、なんとなく目がしばしばとしている。Kotobukiyaでうな丼を売っていたので、騙されたつもりで買ってみたが、これが中々美味しい。以前、鰻が食べたくなってクーリッジコーナーの「竹島」に行った際には、寿司ネタの鰻を敷き詰められたうな丼を出され辟易としたが、それよりはよほどうな丼らしい。食べ終えてから、たまらなく眠くなり、2時間近く、うたた寝してしまった。
・ ニュースで船場吉兆の従業員が解雇された時の話を聞いた。たった10分、紙切れ3枚の説明とは、いかにもあの女将らしいと思う。先日の記者会見でも、ずっと下を見たまま話続けていたのが、反省してしおらしくしているわけではなく、単に、予想される質問と、それに対する答えが書かれた紙を、机の下に隠していたからに過ぎなかった。
従業員の人達は突然の解雇に驚いただろうし、納得いかないのは当然だと思う。ただ、こんなことを言っては当事者の方々は怒るだろうが、実際に客に食べ残しを出していたのは、これら従業員ではなかったのか?たとえ上からの命令とはいえ、実際に食べ残しを皿に盛り直し、それを客のところまで運んでいたのだ。全くの被害者とはいえないのではないか。
知らなかったのならば仕方が無いかもしれないが、10年前から知っていたと、解雇を不服として会見していた仲居さんは話していた。ということは、悪いと分かりながらもバレなければいいや、と10年間も食べ残しを運び続けて金を貰っていたことになる。
突然解雇を言い渡され、途方に暮れている人達には大変申し訳ないとは思うが、社長の言うことが理不尽であり、なおかつ料理人としてのモラルに反すると思うならば、反論するなり、店を辞めるべきだったのだと思う。他に職が無いなどということはないだろう。探せば他にいくらだって職はある。「船場吉兆で働いている」というブランド意識と、給料とに目がくらんで、自分の良心を曲げてしまったのではないのか。「社長が怖かったから」という理由では、理由にはならないだろう。上司に恫喝されれば何をやってもよいという訳ではないだろう。
人間的に尊敬できないボスの下で仕事をせざるを得ない状況は普通に起こることだろうし、いちいちそれで仕事を辞めていたのでは、キリがない。ただ、どこまでが許されることであり、どこからが許されざることなのかという線引きはある。その線の引き方が、自己の利益だけを考えたことなのか、それとも道義的な観点からなのかを考えなくてはならないと思う。
これらは決して他人事ではない。研究室に所属していて、ボスと馬が合わないということは日常的に起こる。面白くないことを言われることも少なく無いだろうし、不当な扱いを受けたと感じることもあるかもしれない。それらはラボをやめる理由には当たらないかもしれない。だがしかし、ボスから捏造を指示されるようなことがあれば、僕はそのラボを辞めることを躊躇しないつもりだ。
バレなければ良いだろうと思って都合の良いデータを出せば、その時点では自分に有利なことが起こるかもしれない。ボスは自分の説に都合の良いデータを出す人間を優遇するだろうし、良い雑誌に論文が沢山載れば、独立のポジションを得る上でも有利になるだろう。だが、たとえ損得のみを考えたとしても、これは得とは思えない。いずれ捏造が明るみになれば、いくら「ボスに指示されてやりました」などと言っても、悪事に手を染めたことには変わらない。その時点で解雇されたとしても、誰も僕が無実だなどとは思わないだろうし、そんな研究者を雇おうなどという研究室は、もはやどこにも無い。
何より恐ろしいのは、そうした倫理観を持った人間を上司として働き続けることで、自分自身の良心が損なわれることだ。朱に交われば赤くなる。掃き溜めに鶴などいないのだ。自らを貶めたくなければ、多少一時的に不便を感じることになろうとも、そうした悪い環境に身を置いてはいけない、と僕は思う。
* そう。学生には、もと学生たちには、変わりなく、こう、「元気です」「シャンとしています」「掃き溜めにに鶴などいない」というメッセージが届けば、世間狭く生きている元・教授も、つられてだいぶ元気になる。なれる。有り難いこと。
どうしておるかな、他のみんなは。そう想う。
☆ 静謐という贈り物 2008年06月03日01:22 珠
空は暗い雲ばかりとなってきて、今にも泣き出しそう。雨が降りだすと、サントリーホールへの途中、傘をささなくては。自然足は遅くなるだろう。待っていた大事な電話を済ませ、急ぎ足に職場を出る。何とか、間に合うだろうか。今宵最後のアルバン・ベルク゛四重奏団解散コンサート。
ホールの入口で予鈴を聞く。仕事帰りの人が多いためか、少々遅れての開演らしい。おかげで席に座って、一息。今日の曲目も昨日と違うので、新たな楽しみ。
・ ハイドン 弦楽四重奏曲第81番 ト長調
・ ベルク 弦楽四重奏曲
・ ベートーウ゛ェン 弦楽四重奏曲第15番 イ短調
ハイドン、ベルクと、今宵も申し分なく。美しさに複雑さ、荘厳さ、そして単純さに。百年余りことなる時代を生きた作曲家の、様々な思いを聴く。さらにベートーヴェンへ。
プログラムによると、この曲は結成当時から彼らにとって「一つの挑戦」と見なされ、舞台での演奏を控えて勉強に勉強してきたそうだ。結成十年の頃から演奏するようになり、三十周年記念演奏会でも取り上げたという。ここで、簡単に口にしてはいけないが、、と前置きの上で、「この作品はこの世にある弦楽四重奏曲の中で最高のものだろう」と、カルテットリーダーーのギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)は言っている。今宵のベートーヴェンは彼らひとしおの別れの贈り物といえるだろう。
チェロの静かな旋律に、はじまる。重なる弦の旋律に、パイプオルガンンを聴いているよう。少し明るい様子をみせた後、第3楽章では静かに祈るような音に。
泪が落ちてくる。
こんなに感謝に満ちた音は、初めて。。ベートーヴェンは重い病に倒れて作曲を一時中断していたが、回復して再び筆をとれるようになったことを神に感謝し、この楽章を作曲したという。「病が癒えた者が神に感謝する聖なる歌、リディア調で」と記される。何と素直に、その想いを音にしたのだろう。この楽章を今に聴ける幸せに、その病にさえ感謝したいと思ってしまう。そして、繰り返される旋律に、不思議と昔よく歌った歌「、、こぶな釣りしかの川、、」を思い出す。懐かしい、、なぜかそんな第3楽章。
第4、第5楽章では力強く弦が弾かれる。前へ前へとしっかり進むように、勇気づけられて、終わった。
拍手喝采。ホールに興奮が広がる。皆立ち上がっての拍手、拍手。昨日とは拍手の熱さが違うよう。そして、アンコール。
日本最後、アルバン・ヘルク名残りの曲は同じくベートーヴェン、弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 第5楽章。
別れを惜しむ音、音、音。そのままに、熱く胸に沁みた。それは、演奏する彼らも聴衆全員をも、一つに、ただ感謝のひと時をもたらした。弦すら楽器を放れたくないかのように、ゆっくりと下ろされても、満場は静けさに満ちて。静謐…。
ただ、感謝。この音の美しさに。今・此処に。こんなにも美しいものが、この世にはある。誰もが、音のない感謝に満ちる。こんな力が音楽には、ある。
隣に座るおじさんも、反対側の青年も、ひげもじゃの男性も、若い女の子も、この瞬間共に在る誰もが愛しくなる。この美しさを感じ、享受し、そして沈黙を共有する。人の奥に同じ温かさを感じたようで、嬉しい。その余韻は共有する間だけ、一つ。それは17秒くらいだろうか。
人と通じた、一つになったと感じ、何の思考も入り込まずにいられる17秒は、恍惚感と呼ぶにふさわしい。私には、最長不倒記録のような気がする、今宵の 17秒。
熱い私に、帰り道、雨のお出迎えも名残りのようで。ありがたい、夜。
アルバン・ベルク四重奏団に、心から、感謝。
* この静けさより輝く宝玉は無い、のである。
「拍手という害悪」もあることを藝術体験者は心得ていたい。活字の案内文にとらわれず、きっちり自分の思いと言葉とで書かれた感動の一文には、嬉しいものがある。
2008 6・3 81
☆ 「掃き溜めに鶴とカメ」 2008年06月04 日01:22 maokat
マイミクさんの「掃き溜めに鶴はいない」という日記は、身につまされた。船場吉兆従業員の倫理感から、研究者のデータねつ造に話が及んで、職業人のモラルが問われている。
身につまされた一つは、会席、懐石、茶事、茶道へと繋がる閉鎖社会の悪い面、弟子師匠の弊害が出てしまったなぁ、ということ。この方面に少し情報があるだけに、調理場のいやーな雰囲気が想像できる。相撲もそうだが、変に伝統や格にこだわるとろくな事がない。しかし、場合によっては、師匠を選べない場合もある。そういう時の選択肢は二つ。倫理に基づき、自分の好きな道を捨てるか、泥田にはまっても、胸の中に一輪の花びらを抱いて、のたうち回りながら好きな道を続けていくか。現在私は後者を選んでいるが、最近前者になりそうで、自信がない。
もう一つは、公的な研究資金を受けて運営されている組織では、行政にやれと言われた研究はやらなくてはいけなくなっていること。「バイオエタノール」しかり「組み換え作物作出」しかり。例えば昨年度突然資金が降ってきた「バイオエタノール」では、研究に参画した誰もが「バイオエタノールを作るためには膨大な石油資源を浪費する」という既成の事実に目をつぶってやっている。国会議員が立法してしまった「有機農業」も、気持ち悪い予算の付き方がしてきている。
「こんな研究はやらないよ」と断っても「あなたの組織、あなたの研究室はそれをやるのです」といわれることがある。(この辺は大学とは大分違いますが)長の特命という伝家の宝刀が抜かれることもある。そうなるとなかなか断れない。そういう意味では既に悪い環境に身を置いてしまっていると、身につまされた。
倫理観。私も老母を養っているので、簡単には職を辞することは出来ない。そうなれば直ぐに母の生活が立ちゆかなくなる。但し、そんな私でも、意図的に病原菌をばらまいて作物を枯らし飢餓におとしめるとか、生物兵器的な研究をやらされそうになったときには、迷わず辞表を書きます。そういう日が、こないとも限らないので、こわいのですが。
最後に。「掃き溜めに鶴」ということわざを読むと、お茶の「塵穴」というものを想い出す。客を招き茶事をする際、庭の隅に穴を掘ってゴミ捨て場を作っておく。そこに、青々とした竹の塵箸を入れ、青葉を数枚入れておく。利休はそこに椿の花一輪を入れておいたそうだ。「掃き溜めに鶴」ならぬ「掃き溜めに椿」。ちなみに椿はカメリア属。「掃き溜めに鶴とカメ」で、こいつは縁起がよろしい。
* 正直の頭に神宿る。
2008 6・4 81
☆ ちょっと一休み 2008年06月05日20:10 司
最近、自民党の無駄遣いプロジェクトチームなるところが無駄遣いをなくそうとばかりに、色々な資料を要求してきている。
その中の一つに、様々な公的研究機関に対して、本当に国の研究機関として必要なのか、民間に任せられないのか、というのがある。
以前、研究機関の企画部門にいたこともあるが、私も、組織全てとは言わないけれど、「本当に必要なの?」と思う事が、とても多くあった。
研究機関と言えども、国民の税金を使って仕事をしている以上、自分の研究ではなく、国家国民のための研究をすべきであって、そこに異論を挟む余地は、ほとんど無い・・・はず。
「国家国民のための研究」というのが何なのかという論点があるけれど、「これは国家国民のための研究ではない」というのであれば、そのことを、きちんと骨を折って説明をするのも研究者の仕事のはず。
これを言うと、「それは研究職の仕事ではない」と堂々と言う研究者の多いこと。
もちろん、そんな研究者ばかりでは無いことも事実だけれど、研究者には税金を使って飯を食わせてもらっている感覚の薄い人が多いなぁというのが、私の感想でした。
* これは、注目する人があるだろう。
2008 6・5 81
☆ Commencement 2008年06月06日07:35 ボストン 雄
・ 本日、ハーバード大学では卒業式(Commencement)が行われた。昨日はClass Dayといって、著名人を招いての講演会が開かれた。こちらの大学の行事などに疎いので、僕はcommencementという言葉もclass dayという言葉も知らなかった。
今年の講演者は連邦準備制度理事会議長のベン・バーナンキ。講演の様子が、今朝のテレビで繰り返し報じられていた。昨日はあいにくの雨で、卒業生達は全員レインコートを着て、講演を聞いていた。
今日もさほど天気は良くないが、赤いマントを羽織り、帽子を被った学生や、その家族と思われる人々が数多く、キャンパスを歩いている。きっと晴れがましい気分なのに違いない。
前にも書いた気がするが、大学の卒業式に出席するチャンスは、僕の場合、学部、修士、博士と3回あったが、結局出席したのは修士の時の1回だけだった。
学部の時は、3年生から修士課程に飛び級したので、そもそも出席できなかった(飛び級は中退扱いになる。したがって僕は正式には大卒ではない)。
後で聞いた話だが、当初、僕は送辞を読むことになっていたらしい。しかし研究室の教授が「今年で学部を出る人間が送辞を読むのはおかしい」と主張して、他の人になったのだとか。その年、答辞を読んだのが同じ研究室の先輩だったので、同じ研究室から二人出るのはまずいと配慮したと、後になって教授から聞かされた。
博士の時は、それまでの無理がたたってか、学位審査の直後に入院してしまい、退院して間もない頃だったので、式に参加できなかった。
修士の時の卒業式では、親と一緒に行動するのがどうもためらわれて、結局ほとんど別々に行動していた。今日、マント姿の卒業生と嬉しそうに写真を撮っている家族を見ていて、親に悪いことをしたなあと、後悔した。
・ 昼、久しぶりにDarwin’sのサンドイッチが食べたくなり、ケンブリッジストリートを歩く。ハーバードの卒業式にちなんでか、今日のメニューは卒業式スペシャルだという。そのうちの一つを注文し、ついでにコーヒーを頼む。コーヒーをコップに並々と注がれてしまったせいもあり、本当はラボに持ち帰って食べるつもりだったのだが、お店で食べることにした。
店の奥にはテーブル席がいくつかあるが、あいにく殆ど埋まっている。中央に集団客用の長いテーブルが空いていたが、さすがにここに一人で座る勇気はない。
ふと見ると、入り口近くのテーブルの一つがあいていた。隣にはかなり年配のアジア系の女性が座っていて、新聞のクロスワードパズルに熱中していた。「隣、空いてますか?」と2度ほど声をかけたが、パズルに熱中しているのか、耳が遠いのか、全くこちらに反応しない。黙ってそのまま席に着き、サンドイッチを食べ始めた。
しばらくすると、横の女性が急に、「あなた、向かいの学校に居たことある?」と聞いてきた。向かいはCambridge Latin Schoolという高校。
「いや、ないです」と答えると、女性が「そうなの。私はあの学校の先生の中に好きな人がいたのよ。もっとも殆ど話したこともないから、「校門の前での恋」って感じなんだけど」と言う。いきなりこんなことを話してくるなんて、ちょっと変わった人だなあと思ったが、また女性はパズルに熱中し出したので、黙ってサンドイッチを食べていた。
再び、女性が僕に話しかけてきた。
「あなたは、どこの学校を卒業したの?それとも、まだ学生さん?」。
これにはさすがに驚いて、思わず、「いや、もう働いていますよ。僕、何歳に見えますか?」と聞いてみた。すると女性は「そうねえ。20歳は超えていると思うけど、30歳までは達してないんじゃないかしら」。
僕が本当の年齢を伝えると、女性は唖然とした顔をしていた。さらに、この会話が聞こえていたのだろうか、先ほどまで黙っていた一つ先のテーブルの女性までが笑った。
隣のテーブルの女性は、中国で生まれ、アメリカで育ったのだという。僕にどの学校を出たかと聞くので、それに答える代わりに、「去年、日本から来た」と答えると、松坂の話を切り出してきた。
「松坂は、まだ英語をしゃべらないわねえ」と、その女性。
・ ラボに戻ってからは、ひたすら顕微鏡観察。
* こういう現地からのレポートに触れるのが、好き。あの彼がなあ、と、学部の頃を思い出すのも好き。
2008 6・6 81
☆ アルバム 2008年06月07日07:14 ハーバード 雄
・ 以前所属していた日本の研究室が、他大学に正式に移転した。今回移ったのは教授のグループだけなので、助教授のグループは残っている。昨日、助教授グループのメンバーの一人が、研究室の立ち上げの頃から今までの写真をパワーポイントファイルにしたものを、送ってきてくれた。
これに先立って、色々な人から写真を募集していた。あいにく僕は殆ど写真を持っていなくて提供できなかった。今回ファイルとして送られてきたのは、それらの写真のうちの本当に一部に過ぎないが、懐かしい気持ちで一杯になった。
研究室立ち上げの頃は、全員で5人、研究に直接携わっていたのは僕を含めて3人だけだった。晩御飯も皆で食べに行くこともあった。年ごとに人数が増え、最後には、研究所全体でも上から数えた方が早いほどの大所帯となった。
「ああ、こんなことがあったなあ」と思い返しながら見ていた。最近のメンバーの中には、誰だか分からない写真も数人入っていた。
30代前半という貴重な時期を、4年半過ごした場所。今はまださほど実感は無いが、後になって振り返ったら、きっと、かけがえのない日々だったと思うに違いない。
ただ、それならば、悔いが残らないほど頑張ったかと言われると、残念ながらそうとも言えない気がする。その時はそれなりに頑張ったつもりではあったけれど、今にして思うと、「もっとできたのではないのか?」と思わないでもない。「いま、ここ」の精神を欠いていたのだろう。
今も似たようなものかもしれない。もっとできたのではなかったか、と、後になって思いそうな気がする。やるべきことをやっていない、という自覚がある。
十年後にはきっと、
「せめて十年でいいから、戻ってやり直したい」と、思うことだろう。
今やり直せよ。未来を。
十年後か、二十年後か、五十年後から
戻ってきたんだよ、今。
というのは、悪評高き「2ちゃんねる」から生まれた言葉らしいが、出典はどうあれ、素直に共感できる。
今のうちに「未来」を「やり直し」ておきたい。いざその日を本当に迎えてから、後悔しないためにも。
2008 6・7 81
* 失せモノ、捜しモノを見付けるのに大苦労。願っている物はまだ見つからないが、他にかなり大量のものの、頼んだ仕事がハンパのまま、物の隈に離ればなれ片づけられていたのを見付け出した。
物書きには、初出本や雑誌の記録と保存がとくに大事で、完備していないと新しい本の編集も利かず、年表も年譜も造れなくなってしまう。
* 手がけている同時進行の仕事が多くなると、頭の中も蜘蛛の巣のようになり、溜め込んだ脳内情報がうまく取り出せないと閉口する。コンピュータのおかげで凄いほど便利はすすんでいるが、それにつれ、こっちの仕事も厚かましくややこしく多岐にわたるから、記憶や資料の交通整理がおろそかになると何十キロ道路渋滞といった、堪らない難儀に落ち込む。それで気が腐ると仕事まで腐りかねないから、よほど日ごろ用心しているけれども、追いつかなくなる。
2008 6・8 81
☆ 拍手喝采 2008年06月08日17:30 悠
金曜日,38℃の発熱の為,保育園をお休み.私も仕事をお休みしてしまいました.
朝,機嫌が良く,食欲もあり,さぁて,保育園に行こうか! と準備して,熱を測るのを忘れていて、計ったら37.5℃越え! 保育園はNG.
保育園に電話し,職場へはメールで連絡し,やらなくてはいけなかった仕事はメールで済ませました.発熱は夕方には下がってきました.暑かったのかもしれません.疲れたのもあるのかもしれません.
土曜日にはすっかり回復.元気だったので懸案事項の3種混合の予防接種(3回目)にいってみました.先生も”大丈夫でしょう”ということでチクン! 無事終了.帰ってきてからも調子が悪いことも無く大丈夫そうです.
土曜日は千客万来.
昼過ぎに後輩夫婦が3ヶ月の女の子を連れて遊びに来ました.近くに引っ越す予定で,現地確認に来ていたのですが,小さな子がいるということで,我が家を休憩所として利用してもらいました.久々,小さな赤ちゃんをみて息子の同じ月齢のころを思い出し,少し前のことなのに懐かしく思えました.
少しして,高校からの大親友も到着.我が家の引越しのときに大活躍してもらったので,片付いたので、ご招待をと、やっと実現.夜には旦那様も到着.ピザを生地からつくって焼いてみました.われながら良く出来ました! みんなで楽しく過ごしました.
息子はたくさんのお客さんの前でもマイペース.
突如出来るようになった”拍手”をご披露していました.うまく”パチン”と音が出るようになったので楽しくなったようです.
驚いたのが,人の拍手を見て真似していると思ったら,”拍手”という言葉にも反応して ”ぱちぱち”してくれること.周りにいる大人も楽しい気分にさせてくれます.
テレビでバレーボールを観戦していて,オリンピック出場が決まった映像をみて,状況がわかったのか ”ぱちぱち”と.
大変良く出来ました.
2008 86・8 81
* 一期一会。
☆ 勤勉なる師。 2008年06月09日01:35 珠
午後には雨になるだろうと、傘を片手にお茶の研究会に出かける。
今日はお菓子当番。師匠を迎えに寄る道すがら、御菓子司「東宮」の開くを待って主菓子を。先月は青々とした色だったけれど、今日の「青梅」は季を映し黄色みがかった彩(いろ)。
干菓子も調えて、一路師匠と共に研究会に向かう。
年老いた師匠外数人の、気心しれた稽古。お茶を愛する人達ばかり。時に笑い、時に厳しく。私たちはいろいろなお許しものを稽古させて頂く傍ら、先生方は、長い時間を経て微妙に変わる点前の細かな動きを互いに確かめ合ってゆかれる。
動きには、目的から繋がる意味がある。それでも、人に習う以上、意味から導かれる動きにはふくよかな幅がある。生きた個性のようなもの。正しい、間違いではなく、解釈による差異といえる。師として人を教えるために、自分の常日頃教える所作の幅を確認し、弟子への指導を振り返る。茶暦60年以上という先生方、簡単に質問して答えてもらえるような場は、それこそ無いらしい。真摯に茶を求める姿には、心から頭が下がる。
茶の世界、先生方にも様々な人間模様をふと耳にする。贔屓や破門騒動、出逢いや別れ、、、それでも、髪がまっ白になっても、腰が曲がっても、正座ができなくても、こうして茶と共に、ある。出来る限りまで、時代に生きた茶の変遷を、受けとめ伝えてゆこうと力を尽くす。こういう茶の先達に出逢えたことに、深く感謝する。流派の力だけではないだろう、辛抱強く耐えて茶と在った、人ならではと想う。
小さな頃から習った師のことも想い出す。存生であれば、やはりこんな風に茶に没頭されていただろうと、想像に難くない。
30代前半、仕事の忙しさを言い訳に私は稽古のほとんどを休んだ。とても疲れていて、面倒だった。そのうち、そのうち、、と思ううちに、師は急逝。稽古の場を失って、茶は人の繋がりだと身に沁みた。茶を点てると、泪も落ちて、茶はもういい、、と思う日々、縁あって今の師に繋がった。謙虚に勤め続ける、その姿勢も同じく此処に。
導かれるまま、謙虚に、これからも茶と共に在りますように。勤勉なる師らに、幾許かでも繋がるように。ただ、ただ願う。
2008 6・9 81
* またインターネット不調。通信はメールも「mixi」も把握できず、発信できず。
* 夕過ぎてかろうじてインターネット復旧。なるようになるという諦めの心境。
2008 6・10 81
☆ 東京漂流 恭 清水湊
東京に近づくにつれ 微量な一種の違和感が体の中に沸いてくる。違和感が膨張し始める。どうしようもなくなって逃げ出すことはない。が、何かに拒否されているのだ、といつも感じる。
かなり以前の流行歌に東京砂漠というのがあった。前川清が歌っていたと思う。「ああ、東京砂漠、あなたがいれば、怖くはないわ、この東京砂漠・・」危うい記憶だが、そのような歌詞。
東京砂漠、か。この砂漠は人に溢れ、物に溢れ、それでも砂噛むほどに白々しいか・・。
あなたがいれば、あなたがいても、やはり東京は砂漠か?
わたしの周囲にぶよぶよしたゼリー状の膜が張り巡らされ、徐々に包囲され纏いつかれる。それでも面白いよとわたしは歩き出す。空しさは空しさのまま、面白いよ、面白いよ、と。
JR上野駅から博物館への道、真っ先に目に入ってきたのは泰山木だった。
朝九時過ぎ、樹木の下のベンチにはホームレスの男の人が三人、まだ眠そうな顔をして座り、その一人はまだ横になって顔を腕で隠している。
人は誰しも些細なきっかけや境遇の変化でホームレスになる可能性がある。なりたくてホームレスになる人は稀のはず、いや皆無だろう。あの人たちは日々何を感じているか、何を思うか。いびつな思いに引き裂かれる。
東京はどうしてこんなにうようよ人がいるのだろう。びっしりと茎に葉裏に密集しているアブラムシと像が重なる。わたしもまたアブラムシの一人ならぬ一匹。
どこでもすぐに行列ができ、人々は「根気や辛抱」を学ぶ。それにしても並んで待つのは苦手だ、この瞬間はvipになりたい。
奈良から初めて日光菩薩様、月光菩薩様、聖観音様が東京にいらした。奈良ではもう何回もお会いしているが、光背なしの後ろからのお姿をやはり目にしたかった。背は思いがけないほどに明確に本性を語るというではないか。
人々は周囲を取り囲み、ためつすがめつ、嘆賞し・・しかし一人の中年女性を除いて誰も合掌していない。不思議なことだ。我ら自称仏教徒は、信仰の対象としての仏像ではなく、より美術的価値ある仏像として崇めているらしい。そう疑われても仕方がないほど、人々は祈っていない。見ている。
聖観音様、ライトを浴びたあなたは遠目には厳しいお顔。近づくにつれ少しづつ優しいお顔に女性的なお顔になった。奈良でお会いする時はいつも隔たりがあり、小さな静かなお姿という印象だったが。
横に回ると豊かな体の厚み、後ろに回ると微妙な衣の襞、瓔珞の垂れ具合。佇み佇み、崇め、自然に胸元で合掌する。やや高い位置に移動して眺め眺め、そっと斜めからのお姿をメモ用紙に描く。再び下に戻って仰ぎ見る。あなたは不動のまま、そこにいらした。
「聖観音様はですね、みなさんの心にある理想の異性のお姿なのですよ。」
薬師寺管長、故・高田好胤師は言われた。そう、本当に聖観音様の理想の若々しく凛々しいお姿がわたしの胸に脳に刻み込まれた。そして長い時間を貫いて、聖観音様に似た、現の異性の、男の姿が幻がわたしにはあった・・。
幻は失えば幻滅・・そのほの暗さは何に喩えようか。幻よ、生涯の果てまで消えるなと書けば、何を言うと人は笑うだろうか。
* わたしの脳裏に、いま、幻影としても「抱き柱」としても「拝」の対象としても、仏像が存在していない。神も存在していない。救いも無い。悟りもむろんない。からっぽの「いま・ここ」だけがある。それでいいのだ。ヤケクソでも何でもない。
しかし、いま、とてもムカついて、気持ちが悪い。とてもわるい。
2008 6・10 81
* わたしは、ほぼいつも、「コト・モノ・ヒト」と書き分けて「世界」を把握している。この三つからハミ出るような「何か」を、日常的には、ほぼ、持たないから。他に在るとすれば、「フシギ」である。フシギのなかに譬えば「カミ」「マモノ」などを入れたければ入れればよい、わたしの思いは必ずしもそうでないが。
動・植・生・鉱物が「モノ」なのは分かりやすい。「コト」の理解は人により揺れるだろう、が、事件や現象また社会や歴史と見切れば、ほぼ尽くせている。国もその中に在る。
「ヒト」は、人間という理解だけでは足りないはず。わたしのように「自分・他人・世間・身内」と「ヒト」を観ているヤツもいれば、男女や人種や、さらには才能や性質や言語でヒトを観ることも出来る。
あまりよそで出逢ったことのない把握なのだが、わたし自身は此の「モノ・コト・ヒト」という三分法を、便利な発明と自負して、よく利用してきた。わたしの「哲学」の入り口になっている。
* 小さかった頃は「カミ」「ホトケ」を混同しながら、「何でや」と疑問も覚えていたが、「ホトケ」は「ヒト」の内に含まれていい。新井白石のように「カミ」も「ヒト」の内だと見極めた人もいたが、ま、わたしは、カミ様は「フシギ」の範囲内に囲っておいていいと思い、あまり関わらない方がいいとも思っている。
* こんなこと書いていると際限がない、暫く、措く。
☆ シーラカンス(本物) 2008年06月11日01:29 光 東工大
実は、本物のシーラカンス(冷凍)をちょこっとさわったことがある。
なんでも、アフリカ大陸沖インド洋で捕獲されたものを、学術的な研究のために日本に寄贈されたものだという。
体長1m50cmくらい。
マグロのように、ステンレス製のテーブルにごろんと展示されていたのを、ちょっとつついてみた。
鱗っぽいもので、覆われていて表面は固かった。胸びれが足っぽい。
ふーん、これが「生きた化石」か。
*
シーラカンスは、4億年前に登場した魚類と陸上脊椎動物の分岐点にあたる生物とされ、1億年前に恐竜とともに絶滅した、化石のみが残る古代魚と考えられていたそうだ。
ところが、実は深海でひっそりと生存していることが20世紀になって明らかになり、化石とそっくりだったことから大騒ぎとなった。
彼は、1億年もの間姿を変えずにずっと生きてきたのである。
現代人の先祖であるクロマニョン人が出現したのが、4万年前。
シーラカンスにとっては、ぽっと出の新参者にしか見えないであろう。
進化するもの、しないもの。
2006年には、シーラカンスの泳ぐ姿が水中カメラによって捉えられた。
深海にゆったりと漂い、エサを食べる様子は自らエサを求めるのではなく、口を開けて入ってきたものをもぐもぐ食べる、そんなスローな生活を映し出したという。
生物の大先輩、シーラカンスは若造の人類に何かを伝えようとしているのだろうか。
* シーラカンスは、「モノ」である以上に、たいへんな「コト」に属している。べつに観たくも触りたくもないが、ふしぎに「いてくれて、ありがとう」という気分になる。「フシギ」だ。
☆ 新米先生 2008年06月11日09:28 悠
息子は今日も元気一杯。朝、5:30から絶好調です。
昨日は保育園でタンコブを作って帰ってきました。食事中に椅子の上に立ってこけたそうです。
先生が次々、謝ってこられたのですが、息子のクラス担当の新米先生は今にも泣きそうな目をして謝ってきました。昨日は息子の担当だったようです。
安全に子供を預かることが責務ですので、再発防止に努めてもらえればいいのです。息子も問題なく元気でしたが、新米さんには相当こたえたようです。少し、自信がついてきたかなぁと見えてきた矢先。
頑張って! やんちゃ坊主が今日も行きましたよ!
* 一言でこの「気持ち」を謂えば、「ありがとう」です。
☆ 変質 2008年06月11日08:05 ボストン 雄
・ 昨夜、秋葉原の連続殺人事件のニュースを、日本のテレビで見ていた。
被害者に対して話しても何も反応を示さないのに、自分の生い立ちについて話が及ぶと号泣する犯人。
あまりに身勝手に感じられる。先日、アパートの隣人を殺して死体を切り刻んでトイレから流したニュースもあったが、なんとなく似たものを、今回の事件の犯人に対して感じた。
事件そのものが極めて残忍なことは変わりない。
ただ、この事件は、異常な性格な持ち主が起こした異例の事件ではなくて、現代の日本人の多くが持ち合わせる、ある種の「自己本位さ」を端的に示している気がした。勿論、犯行を起こしたりするのとは同列に扱えないが、ニュースを見ていて気になったことがいくつかあった。
例えば、被害者の友人だった人がインタビューを受け、「初めは自分と関係ないことだと思って、写メールを撮って、みんなに話そうと思っていたのに、まさか自分の友人が被害に遭っていたるとは」と話すのを聞き、少なからぬ違和感を覚えた。自分の知り合いが被害に遭いさえしなければいいの?
この人以外にも、警官に取り押さえられている犯人を写メールに収めるべく、近づいて携帯をかざしているオタク風の若い男性の姿なども見えた。一体、何がしたいんだろう?
日本人って、こんな民族だっただろうか? 何かが大きく変わってしまったのではないか?
何か、ひどく間違っている気がした。
2008 6・11 81
* 駟も舌に及ばずと教えられた。そう思っている。「駟」とは、最速の馬車の意味と思っていい。今日なら音速を超える乗り物と想っていい。それよりも早く、口にしたこと(書き表した言葉)は、もう、我一人の所有では在りえない。
前世紀末から、日本の世間も私民も、電子化情報の時代に、自らパソコンとインターネットを用いて、無数に参加し始めた。
大きくはサイバーテロの恐怖が世界的にのしかかり、対して、サイバーポリスの恐怖時代化も権力による個人情報収奪と管理というかたちで、驀進しつつある。
他方、日常的には、たとえばプライバシーの多く深くが無きにひとしく浸潤されて、それが普通化して行く。
いかなる技術的な抵抗も、いたちごっこで押し越えられる。それにより物凄くて新たな「機械環境」「精神環境」が日々にマトリックス(母胎)化してくる、いや、して行くだろうと、わたしは予測した。
わたしは一度も覗いたことなく覗く気もまったくないが、よほどおとなしく謂って「匿名で過激ならくがきコーナー」のようなサイトもあると、繰り返し聞いている。そこに犯罪の種が播かれ、過激な犯罪がそこから現に無数に産まれてきている。犯行そのものはあるいは制御できるにしても、犯行の種を未然に抑えることは至難となり、対応の立法が躍起に画策されるが、その正体も、「個人情報保護」といった美名のもとに、じつは、私民のプライバシー保護なんかでなくて、いちばん暴かれてはイヤな内情を抱え持った政治家や権力者たちの「秘密保護」が優先目的となっている。
おまけに保護どころか、情報の流出や盗難や悪用やたれ込みは起こりに起こっている。加えて、ケイタイという、文字と言葉の乱舞場も普及し、幼い子たちに至るまで、安全そうで逆に危険な犯罪環境にも肌身で触れあっている。
もはやウエブは大津波のように世界を奔り、誰にも押しとどめられない。権力は抑えようと画策に躍起になるが、それは、日を負うての影踏み遊びで自分の頭の影がどうしても踏めないのと似ている。平たく謂えば、人の口に戸は立てられない文明の登場を、人間は、みずから招いてしまったのである。
そういう時代が来る。来た。
(そうわたしは眺めて、前世紀の最末期に、例えばいち早く日本ペンクラブに「電子メディア委員会」創設を提言し、実現させた。以来十年、しかし時代の潮の読めていない執行部は、これを今期になり潰してしまい、「言論表現委員会」に吸収させてしまった。ただ一例をあげても、紙媒体の出版と電子メディアとの「言論・出版・表現の質の差」を知らないに似た愚行だった。小さな政府が言われていたなかですら、大蔵省が分散された意味を思え。ひとしく「言論表現」と謂うとも、ただ一つインターネットの在ると無いとでは、生じる問題の質も状態も、おはなしにならぬほど異なることが理解されていれば、むしろ時代は、「電子メディア委員会」の多局化をすら考慮すべきに立ち至っているのであり、旧態依然、「紙・活字媒体」時代の意識を重く負うた「言論表現委員会」で、二十一世紀の全ての「言論表現」の問題がカバー出来ないのは、明瞭な事実。現に、出来ているとは思われない。)
* 少し方面が逸れた。わたしが謂おうとしたのは、そういう時代に自分も生きる、わたし自身の思いと態度である。
* わたしは「言論表現の自由」「著作権」を、一作家として、むろん大切に考えている。自由や権利には自然と守らねばならない節度があると考えている。
同時に時代環境は、わたしの幼少また青壮年の昔とは、上に言うように、著しく変容し変質し、その変化の多くがむしろ拒みがたい空気になっている。たとえば、「人の口に戸は立てられぬ時代」を人類の文明は、もはや制止も抑制も、まして後戻りなど出来ないであろう、とわたしは見ている。
わたしは、そういう環境の中で、およそ今のところ、こう考えている。
一人の「物書き」として、匿名では書かない、署名して文責は明らかにする、自分の書いた文章で他者に勝手に商売されては叶わないが、それ以外で有効に利用されるのは、概ね黙認してもよい、と。著作権の、権、権とは偉そうに言いたくないのである。
もう撤退して久しいが、わたしは一時は「某紙匿名欄」をまるで独占していたような、匿名コラムの書き手、でもあった。伝統をもってよく知られた其処はいわば「批評」という「藝」の見せ場でもあった。
だがインターネット時代の最強の毒性発揮は、藝も志も皆無の「匿名」にあることを、わたしは「恥じなき人たちよ」と歎く。蔭に隠れて、卑劣な中傷や捏造で故意に人に傷つける表現行為は卑しい。わたしはしない。しかしされたことがある。身をまもるべく対抗した必然の手段にも、相続権だの肖像権だのをもちだし、「損害賠償」を要求されている。
わたしは人と人との信頼や愛情を大事に思う。ゆるしあう間柄というものが、そこにおのずと出来てきて、それは人生で拾える珠のようなものである。たくさんな珠をえていることを、わたしは心よりよろこんでいる。
たとえば、わたしは、此の日録の中にしばしば親しい人たちの文章を紹介している。もし権利をいえば、それは侵害か。
たとえば可愛くて仕方ない孫の写真を、祖父がウエブに入れて愛おしんでも、内容証明の郵便が来て、権利の侵害である、撤去しないと損害賠償で訴えると、孫の親が自分の親に居丈高に迫って来るとき、「法」は、あるいはそれを是としているのかも知れない。
しかし、わたしの生き方はちがう。わたしには、その間に成り立っている人と人の気持ちに深く頼み恃むものがあり、そこに深い喜びもある。もう一度繰り返す。わたしは人と人との信頼や愛情を大事に思う。ゆるしあう間柄というものが、そこにおのずと出来てきて、それは人生で拾える珠のようなものである。逸脱もせず暴発もせずにたくさんな珠を掌中にえていることを、わたしは心よりよろこんで誇りにもしている。そう想いながら、この生きがたい時代を、残り少ない歳月を、せめてギスギスしないで生きて行く。
* 明かしておくが、あたりまえ、わたしは聖人君子でも大きな顔の出来る善人でもない。偽善者にちかく悪人にもちかいのではないか。韜晦すべく言うのではない。
つまり、そうしか生きられないように生きてきた自覚が、世の常識を・枠組みをおよそ望ましい善と謂う以上は、とても人サマから簡単に赦されそうにないわるいヤツだという意味である。
* ずいぶん書くなあ、秦さんはと思われるだろう。ひ弱いわたしは、こうして心身のバランスを保とうと足掻いているのですよ。喝
* 仕事の合間に昔も昔の原稿を、二つみつけた。さきの「鬼面哄笑」は、太宰賞をもらって新聞から随筆をと依頼され、初めてに近い原稿料をもらった作であるが、それだけでなく、後に新潮社の書き下ろしシリーズに『みごもりの湖』を書いたとき、書き出しにそのまま利用することで、作品世界の「空気」を定めた、私にはとても大事なもの。あまり懐かしく、そのまま此処へ置く。当然とはいえ、今の思いからはさらに推敲したいゆるい箇所が目立つが、そのままに。
* 鬼面哄笑 秦 恒平
清水坂を下るうちに夕かげは濃くなってきた。清閑寺から辿って来た脚が心もち重い。古い雑器を売る店なども奥の方はくらくなって、わずかに道へセリ出した板土間などにはさすがに残る夕日が微妙な縞目をうつしていた。丹波の徳利を寂しい夕ぐれの店の隅に見つけたのは、草臥れた脚をほっと休めるいいしおでもあった。ステテコ姿の取的みたいな主人がくらい中から白い大きな顔を見せて、「へ、ゆっくり見ていとおくれやす」と灯をつけた。切って落としたように外がくらくなった。
「名ばかり丹波」で仕様もない代物だが窯はぜが美しい景色をつくり、肩から口への立ちあがりがむしろ京焼あたりの優しみをただよわせている。一升ばかりのものか、水でも入れて重みをつけたいお手軽な徳利をいくらか値切って買うことにきめた。桔梗の青がよく映るだろう。秋はじめの涼しさともなれば、武蔵野では部屋の中に虫が鳴く。露ばんだ肌で壷は壺なり静かにもの言いはじめる頃、「月皓く死ぬべき虫のいのち哉」と書いた短冊の下にでも置いてやろうと想いながら。
もうそこが高台寺というあたりへ来ると、京都神社の石段の方へ西日がまだ夕明かりをほのかに斜めに残していた。「さいなら」と言いあって三つ四つの男の児ががらがら三輪車を押し押し帰ってゆくのが寂しくなつかしい気がする。
「およしなさいな」と妻は眉を寄せたが、私は道わきの軒の低い店で般若面をのぞきこんだ。
清水焼だが、この頃では精巧なつくりが多く手にとらないと実物との見分けがつかない。小づくりな面に金彩を施した角がきりりと長い。口の裂けよう、眼の窪みようも、写実というとおかしいがみごとな夜叉相で、額ぎわに髪が乱れたさま、いたるところ黝ずんで、むき出した鬼歯に鈍い光がたまるさまを、妻は一々に数え立てて、「気味がわるいわ」と言う。
私の方は最初に見つけた時から、よく出来た鬼面と思いつつ、どうにも般若が大口あけて笑っているように見えて仕様がない。頬のそばから夕明かりがのいてゆくのを感じながら、私はしきりと「笑ってるんだよ」と念を押した。しまいには妻も「そうね」と相槌をうつようになった。
鬼面哄笑という語がぽっかり私の中で浮かんだ。豪快な寛容の哄笑であれとふと願ったが、いやいや所詮は鬼の笑いよと突き返してきた何かがある。他ならぬこの私が笑われているのだと気がついて、得体の知れぬ落胆がうそ寒く肌に迫った。物凄い鬼面に哄笑を見たのが私の余裕からでなく、積み上げることしか知らぬ罪障の咎であることを、妻にさえ私は告げることができなかった。
「青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光。微妙香潔。舎利弗。極楽国土成就如是功徳荘厳──」と金銀まばゆく阿弥陀経を書写された花園天皇の宸筆を、前日京都博物館で息をのんで観て来た。経文の華麗もさりながら、豊かな肉筆で料紙を選んで一字一字を写経された帝の想いはどのようなものだったか。
私は以前からこの写経という営みを重々しく意識してきた。経を写すという功徳で後世安穏を願うことは、もはや私の時代には習わしとしても根絶えていて、それだけにこうした筆跡を遺した人たちの極楽往生のほどが羨ましく信じられてならぬ。一字一劃の重みに耐えながら、人々の頭から高らかに哄笑する鬼の顔はうすれうすれて行ったのかと思う──。
妻の歩き出した方へ追いすがるように小走りにかけた。「青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔」と西山の空へ私のつぶやきは力なく消えていった。
* もう一つはなお七年ほどの知に「藝術新潮」のたぶん「私の好きな路地」とでもいうアンケートに答えたモノか。
* 高台寺への道 秦 恒平
京都祇園祭で名高い八坂神社二軒茶屋の前を鳥居外へ出ると、俗に下川原と呼ばれる静かな、やや広い通が南へ通っている。その道のどこかから東向きに、これは石塀小路と呼ばれている小粋に長く曲りくねった路地内に入って行ける。下川原独特の高級席貸屋や料亭が奥に密集していて、ひっそりひっそり歩ける風情満点の抜け路地になっている。
この石塀小路をぽっかりと東の高台寺下に抜けて出ると、すこし左へ戻れば甘酒の文之助茶屋があり、道の真中から右を眺めれば屋根の上に八坂の五重の塔がにょっきり見える。私の好きな路地はこのアスファルト道からまた東へ、文字通りの高台寺庫裡の前へと真直ぐ長くゆるやかに上りつめた石段になっていて、木深い翳りも美しく、秋には金木犀が香り春には薮椿が朱い。京都へ帰るつど必ず一度はこの路地を上る。一人で、また誰かと二人で。そして、その誰か次第でこの路地は趣を幾重にも変え、しかも私にはこの一筋の石道がなぜか遠く遙かなわが隠国(こもりく)に通うもののように想えてならない。
2008 6・15 81
* あいかわらず午後に入るとインターネットは不調になり、復旧の気配もない。あきらめの心境。
2008 6・16 81
☆ お早うございます、風。 08.06.17 08:50 花
風のインターネットはまだ通じているでしょうか。
朝は、何時くらいまでつながりますか。
花は、八時半に出勤するのを見送り、すぐにパソコンの前に来ました。できれば携帯ではなく、パソコンでメールを送りたいのです。パソコンの方が、文字を速くたくさん打てますので。
風のお時間が、陰惨なものに消費されることを、花は悲しみます。美しいもの・人をたくさん見て、どうか、楽しんでお過ごしください。
お元気ですか、風。
花のきのうは、友人にじゃがいもと枇杷をいただき、豊作でした。
花は、義母の送ってくれたたまねぎを進呈。
枇杷は、さっそく冷やし、夕飯時のデザートにしました。上品な甘さでした。
爽やかな甘さで、花は風を溶かしたい。
花の元気を受け取ってください。ではでは。
* 晩になってこのメールをもらうより、朝一番が一日励まされてありがたい。ビタミン愛のように服用。手紙では書けない。メールだから書ける。
電子メールの初期の頃、メールの文章は冷淡になりやすく、そのために仲良い人たちが喧嘩沙汰になることが多いとよく聞いた。それも一理ある現象だと思い、電子メディアでの人と人とのふれあいに、新しい風俗としても真情としても文藝的な関心をもっていたわたしは、逆に、メールこそは恋文に近い文章の書けるツールではないかと思うようになった。ちょっとした配慮と工夫と気持ちでそれが実現すると。
そういう意味の恋文をわたしから受け取った、受け取っている人は、変なハナシだが男女を問わずいっぱいいる。もらう方も同じである。大事なことは、それが虚礼でも虚飾でもなくなってゆく。互いの真情が生まれてくる、何の問題もなしに。これまたヘンな譬えになるが「現代の茶室」のように個々の「メール環境」がうまれ、茶は飲まないが思いを分かち合う「メール茶の湯」が楽しまれているのと、同じだ。
もっといえば、わたしが「世界」に連載した『最上徳内 北の時代』で多用していた現世と他界とのはざまに在る「部屋」にじつに似ている。その「部屋」でわたしは紫式部とも後白河院とも、清経とも、蕪村とも、新井白石とも、むろん徳内先生とも、自由自在に出逢っていつも歓談してきたし、それどころか紫上とも寝覚の中君とも、心の先生や奥さんとも逢ってきた。「メール」はうまくすると、この「部屋」に同じい。「個」と「個」とのとざされた部屋とも強いて謂えば言えるが、あの「部屋」よりは現世の俗により濃く触れているけれども。
* このサイトの私語に密かに耳を傾けて下さる人は、想像以上に広範囲に及んで、なかには悪意の検閲をこととしている人もいるようであるが、そんな中から、秦さんはモテますねえよく、などと俗なことを言いかける人もいる。モテルという俗語の意味本来をもし求めるなら、わたしは上のようなメールを此処へ転載したりしない。秘しておく。
わたしは、この私語の「闇」が、わたし一人の陰気に堅苦しい「私語」だけでよりも、華やぎ、ふくらみ、広がるのがただ心穏やかに嬉しい。それである。「身内」が見えてくるのである。
2008 6・17 81
☆ 給料 2008年06月17日10:58 ハーバード 雄
・ 朝一番にボスとのディスカッション。昨日解析を終えたデータを見せつつディスカッション。顕微鏡画像の評価についても、今まで知らなかったことを教えてもらった。
今日のディスカッションは、研究のこともさることながら、もう一つ気の重い相談事があった。来年以降の給料の件だ。
僕が現在貰っている留学助成金は2年間しか保証されていない。そのため、ビザの有効期限も2年間となっている。そして、アメリカ滞在において、ビザ同様重要な書類として、DS-2019がある。
ちゃんと勉強していないので、まだはっきりとは理解していないのだが、ビザの更新には、まず最初にDS-2019を更新する必要がある。その上で、アメリカ以外の国に行き、ビザの更新手続きをする必要がある。
いつも仲良くして頂いているメディカルエリアのラボのポスドクMさんによれば、DS-2019を更新する際に、どの程度の給料になるかを書く必要があるらしい。そしてその額に応じて、ビザの年数が決まってくるという。僕の場合はJ-1ビザというビザで滞在しているが、このビザは最長5年間まで延長できる。しかし、給料の額によっては、それに満たない年数しか保証されないのだとか。
実は、ハーバードや MIT などの有名大学では、ポスドクの給料はむしろ低いことが多い。NIH(アメリカの厚生省に相当する機関)が定めているガイドラインがあるが、それに満たない額の給料しか払わないラボが多い。というのも、それらの大学の研究室には、参加したいというポスドクが殺到するので、有名ラボであるほど買い手市場となるからだ。
うちのラボでも、ポスドクの給料はかなり安いと聞いていたし、実際、他の人から漏れ聞いた話では、僕の留学助成金に比べて皆の給料ははるかに安いようだった。だからこそ、少しでも生活費を切り詰めるために、今より安いアパートを探していたのだった。
・ 今朝、ボスに来年の給料のことに関して、ビザの更新の都合上、そろそろ考えて頂かなくてはならないということを説明した。
すると、「今もらっている留学助成金よりは多く出すから」とボス。
「でも、僕の留学助成金は、他の人達の平均の給料よりも大分高いんですよ」と僕。
いくら貰っているのかと、学位を獲ったのは何時かをボスに聞かれたので、正直に答える。
すると、ボスは「それならば、今の給料よりも高く出すことには何の問題も無いよ。学位取得後の年数で給料は決まってくるから、その位の額ならば喜んで出すよ」とボス。
有難い。これで何の心配もしなくて済む。正直、来年以降の生活については、貯金を切り崩さなくてはダメかなあと覚悟していただけに、予想外の嬉しいニュースだった。なんとか期待に応えられるような成果を挙げなくては。
* よそながら案じてもいたので、胸をなでおろす、佳い「たより」で。
☆ 新しい地下鉄に乗ってみようよ、と、 泉 e-OLD北多摩
皆を誘う。好奇心旺盛「婆」数名。いや、それが家路の人もいます。副都心線駅隣接の体育館(毎週定例、ウンドーの寄り)から渋谷まで初乗り。
長い工事期間で明治通りの渋滞が迷惑だったのをサラッと忘れて…
構内に一歩足を踏みいれまして、当然外からはちらりとも見えなかった駅内の明るさと広さに圧倒されるが、工事中に事故の一件もなかったらしく、先ずは安全に竣工されたのが喜ばしく。
壁面や天井等、全般がアイボリーというより白に近い色に統一され、70 over oldの目はハレーションを起して、ショボツクヨ。
座席の奥行きはやや短く、その分通路を広く設計されているのでは。
案内板で目的の出口ナンバーを辿るべく、顔を挙げっぱなしの渋谷駅でした。やれやれ
2008 6・17 81
☆ 今日は卓球大会 2008年06月18日01: 40 松
今日の夕方、定時後に社内の卓球大会が開かれた。
この日に備えてここ一ヶ月ほど部署の仲間で終業後に集まって、密かに練習をしていた。しかし、うまい部署が多く結果は一勝一敗でリーグ戦敗退。
金曜日の決勝トーナメントに残ることができなかった。
後日打ち上げをすることを決めて今日は解散した。卓球はラケットは小さいし、コート(板)は小さいしなかなか入らない。しかも慣れた人は変化球を操り、打ち返すことは難しい。普段球技を何もしていない僕には大変だった。
でもスポーツをしていると仲間は増えるし、終わった後が気持ち良い。体を動かすのは気分転換にいいと思う。もちろんその後のビールもおいしいです。
今日は野菜炒めとと共においしくビールを飲みました。
* この卒業生も奇しくも富士山の見える麓町に暮らしている。なんでも楽しめる元気な人だが、独身。娘道成寺のうたにもある、「花」と「松」は似合うのでというシャレではないが、「花」さんが結婚するよりずいぶんまえに、「松」クンに紹介しようかなとちらと思ったことがある、が、時既におそかった。そんなぼんやりとした記憶がある。
2008 6・18 81
* 日々に去来する或るかなしみと思いとは、姉・やす香と一緒に嬉々として祖父母に逢いにきていた、もう高校二年生の妹孫のみゆ希のこと。
やす香は高校二年生で、敢然として祖父母との日々を自身の自由な決意で回復した。もとより今の、また今後のみゆ希はみゆ希のすべて自由な判断で動いていいこと、そう在ってほしい。
だが、まんいちにも両親の拘束でそれが妨げられていては可哀想なというより、無道なことになる。いまの法廷(代理人)にも、そのことは、みゆ希の自由意志の尊重されて欲しいということは、申し出てあるが。
こんなレポートがマイミクに出ていた。
☆ 勝手に子連れ 2008年06月19日05:49 バルセロナ 京
「国際離婚、勝手に子連れ帰国ダメ 日本、国際条約締結へ」 (アサヒコム5月9日掲載)
離婚する夫婦が、子の親権を譲らず揉めにもめている。という話、スペインでは珍しくない。「子」をもたずそのありがたみを実感しない私は、子は、離婚する親にとってむしろ「重荷」である、と思い込んでいたし、父親と一緒に生活した実感のないせいか、男親が、育児をまるまる引き受けてまで子供を欲しがるとは、ちょっと驚きだった。
スペインでは、子のある夫婦が離婚する場合、余程のことがない限り共同親権になる。子は一方の親と生活し、隔週の金曜の午後から月曜の朝まで、もう一人の親と一緒に過ごす、といったような策がとられる。3ヶ月ある夏休みも、二人の親に割り振られる。どちらの親にも、定期的に子供と会う権利があり、継続的に子供を養う義務がある。親も大変だが、あちらとこちらを往ったり来たりしなければならない子供もしんどいに違いない。ある小学校では、すでに「両」親と暮らしている子供の方が少なくなった、そうだ。
これが、スペインに住むスペイン人の夫と日本人の妻の間に起こるとどうなるだろう。
こういったカップルは、たいてい日本人妻に収入がない。育児に費やしてきた時間から、妻の方に子と住む権利の与えられることは多く、その場合、それまで住んでいた家に引き続き住める可能性も高い。今どき収入のない外国人に、家を貸す家主がいないため、これはかなり大切な要素である。妻に収入がなければ、子の養育費の大半は夫がもつことになるが、家賃の何割かに加え、自分の生活費は負担しなければならない。仕事を探しても、外国人であるがためまず見つからないし、見つかっても、あまりの安月給にその間子供を預ける費用すら出ない。頼る身寄りなく、言葉に不自由あり、たとえ精神的に持ち堪えても、事実八方塞だろう。子供を連れて日本へ帰る。私には、決して安易な選択ではなく、追い詰められ、追い遣られた結果に思えてならない。
それが、実は「誘拐」に当たる、と言われたらどうだろう。初めてそれを聞いたとき、私はあまりにびっくりして、しばらく意味が呑み込めなかった。育児を現に負っている母親に向かって、その言い様はあんまりではないか。弱い立場の人間を、さらに槍玉に挙げている気がして、やりきれない気持ちだった。
が、元妻に子を連れて行かれたスペイン人父たちの、絶望し、憔悴しきった顔を見るうち、彼らにとっては、ある日、突然子供が連れ去られたことに、なんら変わりないことも見えてきた。父親だって子供を育てたい。子供に逢いたい。無意識に育児を「女の仕事」と捉えている人間にとっては、理解し難いことかもしれない。私とて、育児を「自分のこと」として、当たり前にやっている男親たちを、こちらで何人も見るまでは、彼らの嘆きがピンとこなかった。
黙って子を連れ帰った親に、被害者意識はあっても、加害者意識は薄いことが多い。子の捜索に、元妻の実家が協力するわけはなく、「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」に加盟していない日本相手では、法の手も及ばないから、日本へ連れて行かれた子供とは、二度と逢えないと思っていい。
三年前、離婚の危機に直面した日本人の友人と、弁護士を訪ねたことがある。
友人は、話に聞いていた「誘拐」の件を、スペインの弁護士に再確認していた。
「(黙って日本へ連れて帰ってはいけないのは)結局、もう一方の親にも子に会う権利があるから、なのよね。」
分かったような口を利いた私に、向き直った弁護士は、意外なことを言った。
「そう、ではないのよ。親にも子に会う権利はあるけれど、これは、《子供に》親と会う権利があるから、なの。子が、基本なの。いくら親であっても、子がもう一方の親と会う権利を、子から奪ってはいけない、と。」
あっ、と声が出そうになった。
子の権利。考えもしなかった。
「国際離婚、勝手に子連れ帰国ダメ 日本、国際条約締結へ」
これによれば、上記の国際条約に将来日本も調印し、日本へ勝手に連れ去られた子供の捜索に、法が手を貸すことになるらしい。自分がどちらの立場になるかによって、意見は真っ向変わるだろう。私には、自国へ追い遣られた親の大変さの方が分かりやすい。でも私自身、三十年無関与だった父親と新たに関係を築こうとしている中、それを反射的に阻もうと体当たりしてくる母親へ、戸惑いのあることにも気付いている。
「親権」ばかりが問われる中、引き離される子の側の権利について、もっと話されてよい時期がきたのではないかと思う。
* 重い指摘だ。ありがとう。
2008 6・19 81
* 次のマイミク間の論議は、一度は自然に起こるだろうと思っていた。ことに今も「研究」生活をしているわたしの東工大の卒業生同士でも、また「真」さんのようなベテランの研究者からも。
ともあれ、わたしは少し引っ込んだまま、そのまま次の転載をゆるしてもらう。活溌な意見交換があるか、どうか。特許庁の人も建築会社の人も都文研の人も、東大の人も、東工大の人も、大手企業勤務の人も、研究者は多士済々。最初に発言してくれた人も、果敢に考えを敷衍して欲しい。とてもとても大事なことだ。
☆ 研究者と研究と国民と 2008年06月19日08:26 ハーバード 雄
・ 今日は一日中、脳のスライス作製。明日、顕微鏡観察するための試料を作っていた。昨日から作っていたサンプル作りの続きをしたかったのだが、なぜかJCの姿が見えない。サンプルが悪くならなければ良いのだが。
・ 僕は普段、firefoxをブラウザとして、thunderbirdをメールソフトとしてそれぞれ使用している。いずれもMozilla社のもの。 firefox3がいよいよリリースされたので、先ほどインストールしてみた。確かに少し早くなったかも。しかし、それほどとも思えない。
・ 新しいアパートにファイバーケーブルを利用したインターネットがようやく設置されたというので、先ほど契約した。来週の月曜の午前中に取り付けに来るという。果たしてうまく行くのだろうか。
・ さて、今日はここから長いです。長いので、興味の無い方は読まないほうが良いかもしれません。
・ 以前から、湖さんからの「宿題」となっていたことについて取り上げたい。勝手にホームページからの転載となってしまうことを、「司」さんと「湖」さんにお許しいただきたい。もし差し障りがあればおっしゃってください。削除いたします。
・ 以前、「湖」さんのホームページで取り上げられていた文章は以下の通り。
☆ ちょっと一休み 2008年06月05日20:10 司
最近、自民党の無駄遣いプロジェクトチームなるところが無駄遣いをなくそうとばかりに、色々な資料を要求してきている。
その中の一つに、様々な公的研究機関に対して、本当に国の研究機関として必要なのか、民間に任せられないのか、というのがある。
以前、研究機関の企画部門にいたこともあるが、私も、組織全てとは言わないけれど、「本当に必要なの?」と思う事が、とても多くあった。
研究機関と言えども、国民の税金を使って仕事をしている以上、自分の研究ではなく、国家国民のための研究をすべきであって、そこに異論を挟む余地は、ほとんど無い・・・はず。
「国家国民のための研究」というのが何なのかという論点があるけれど、「これは国家国民のための研究ではない」というのであれば、そのことを、きちんと骨を折って説明をするのも研究者の仕事のはず。
これを言うと、「それは研究職の仕事ではない」と堂々と言う研究者の多いこと。
もちろん、そんな研究者ばかりでは無いことも事実だけれど、研究者には税金を使って飯を食わせてもらっている感覚の薄い人が多いなぁというのが、私の感想でした。
・ おそらく、「司」さんの話しておられるのは、研究の中でも特に、基礎的な学問のことなのだろうと思う。基礎的学問の研究者以外にとって、上の文章は非常に的を射ており、一般的な意見を的確に表現したものなのではないかと思う。しかし、基礎科学の研究に携わる者としては、反論したくなる点もいくつかある。
・ まず、先日の日記にも書いたように、「きちんと骨を折って説明するのも研究者の仕事のはず」という点についてだが、これは現在では多くの研究機関において、近年改善されつつある。
多くの研究機関では、そのために専門の職員を雇い(もちろん研究機関全体の予算が増えるわけではないので、その分、他の研究者に皺寄せがある訳だが)、広報活動に重点を置いている。
また、近隣の住民や、科学に興味をもつ人々のために、定期的に研究所を公開して展示を行ったり、スーパーサイエンスハイスクール活動など、高校での授業を行ったりもしている。傍から見れば大したことではないかもしれないが、その準備には大変な時間と手間がかかる。それらを知らずして、一言で「努力していない」で片付けては欲しくない。
本心を言えば、僕もそれらは本来、「研究者の仕事ではない」と思っている。研究者の本分は、真に科学的に価値のある発見をすることであり、その成果を論文にまとめることで成果の報告には事足りていると思う。しかし、そのような論理がまかり通ったのは、かつて科学が貴族の遊びであった時代までなのであり、「職業としての」科学者には、それでは済まないのだということは分かっている。したがって、あくまでも「仕事」として、それらをこなしている。
・ さて、上の「司」さんの文章の中で、僕が最も反論したい点は、以下の一文。
「研究機関と言えども、国民の税金を使って仕事をしている以上、自分の研究ではなく、国家国民のための研究をすべきであって、そこに異論を挟む余地は、ほ とんど無い・・・はず。」
まず言いたいことは、「自分の研究」と「国家国民のための研究」と、はたして区別がつくだろうか?という点。自分の研究が何の価値も無いなどと思っている研究者は、世の中にはいない。価値があると思うからこそ、自分の貴重な人生を費やして没頭している。問題は、その価値が万人にとって見えやすいか否かにある。「万人にとって価値のある研究でなければ、その研究は価値が無い」と考える人もいるかもしれない。しかし僕はそうではないと考えている。
・ 一例を挙げる。
・ 最近では、ごく微量の血液さえあれば、そこから犯人を割り出すことができる。DNAを用いた鑑定の技術は目覚しい発展を遂げた。しかし、この技術を支えているのは「温泉に住む細菌の研究」である、ということをご存知だろうか?
DNAが二本のDNAの鎖がくっついて、二重らせん構造をとっているということをご存知の方は多いと思う。DNAは温度を上げると1本ずつにバラバラになり、温度を下げるとまた元の二本鎖になるということが知られている。
そこで、キャリー・マリスという研究者は、温度を上げて1本にしてからDNA合成酵素を働かせれば、DNAを2本に増やすことができるのではないか、と考えた。
この考え方は正しく、この手法を用いることで原理的には1本のDNA二重鎖さえあれば、温度を上げ下げするだけで無限にDNAを増やすことが可能になった。これにより微量の血液などからでも無限にDNAを増やすことができるようになり、犯罪捜査に大いに役立つこととなった。
これがPCR(polymerase chain reaction;ポリメラーゼ連鎖反応)法の原理で、この発明によってマリスはノーベル賞を受賞している。
しかしここで問題は、PCRを行う過程では温度を上げ下げしなくてはならないということにある。DNA合成酵素はタンパク質でできている。生卵を煮ればゆで卵になるように、温度を加えるとタンパク質は変性してしまい、もともとの性質を失ってしまう。したがって当初、PCRは温度を上げ下げするたびに、 DNA合成酵素を添加して行われていた。これは手間がかかるし、費用も膨大になる(なにしろDNA合成酵素は今でも数百マイクロリットルで数万円する)。
これを解決したのが、温泉に住む細菌の研究だった。温泉に住んでいる細菌は、高温の中でも生育できる。この細菌のDNA合成酵素を使えば、温度を上げて DNAをバラバラにしても酵素は変性しないのではないかと考えたのだった。
この考えが的中し、今では温泉に住む細菌由来のDNA合成酵素がPCRに盛んに用いられている。これならば、最初に酵素を1回加えれば、後は機械にセットして自動で温度を上げ下げするだけで、2,3時間もたてば充分な量のDNAが得られる。コストの面でも手間の面でも、大いに無駄が省け、PCR法の普及に大きな貢献した。
しかし、こうした温泉の細菌の研究は、なにも犯罪捜査を目的として始められたわけではない。「何故これらの細菌は、温泉などという過酷な環境下で生きられるのだろう」という、極めて素朴な疑問に基づいている。さらには、こうした極限下で生息する細菌は、原始地球に誕生した生命と類似していると思われる性質を有することから、「生命の起源」を考える上で非常に興味深い生物である。
こうした極めて基礎的な興味に端を発した研究が、思いもかけない形で実用的な応用を生んだのだった。逆にいえば、こうした真に学問的興味から進められた基礎科学的成果があったからこそ、いざPCR法が生まれた際に、その成果をすぐさま応用することができたのだ。
一体誰が、「犯人を割り出すためには、温泉の細菌の研究が必要だ」などと考えただろう。そんなことを言えば、「こいつは頭がおかしい」と思われるか、或いは「こいつはサボって温泉に行きたいだけなのではないのか?」と思われるだけに違いない。
「国家国民のための研究」という発想は、一見非常に正しいように思われるが、実は考え方を近視眼的なものへと硬化させかねない危険性を孕んでいる。もし一滴の血から犯人を割り出すということを真剣に考えて研究していたならば、温泉の細菌など研究しようとは思わないだろう。微量な血液からでも効率よく DNAを回収する方法や、微量なDNAをいかにして感度良く分析できるかの研究を行ったに違いない。
このように、科学研究においては、思いもかけないところからブレイクスルーがもたらされることを基礎科学者たちは知っている。そして、そうした基礎科学の発展に最良の方法は、「それぞれの研究者の好奇心に任せることである」と、経験的に基礎科学者たちは知っている。だからこそ、一見「自分のための研究」とも取れる研究に血税を使って平然としていられるのだ。
本当に自己中心的な欲求のみで、多額の研究費を税金からかすめ取ろうなどというほど、人間は強欲にはなれない。本当に自分の好奇心を充たすためだけに研究するということは、研究のモチベーションを維持する上でも容易な事ではない。人は誰しも、何がしかの形で、他人の役に立ちたいのだ。
・ 適切な喩えかどうかは分からないが、科学研究はサッカーに似ているところがあると僕は思う。サッカーは相手のゴールにボールを蹴りこむことで点を取ることができる。したがって、相手のゴールにボールを入れることがサッカーにおいて最も重要なことなのだから、シュートを決めるストライカーさえいれば、後のポジションは不要なのではないか、という論理が成り立つ。自分のゴールに点を入れないために、キーパーやディフェンダーは必要かもしれないが、中盤というポジションは無意味なのではないか。
しかしサッカーの試合を見た人ならば、その考えが正しくないことは容易に分かることと思う。ゴールキーパーから直接ストライカーにボールを投げ、シュートを打たせるという戦略では、かえって得点を得ることはできない。実際、そんな戦略を取るサッカーチームは、子供の遊びでもないかぎり、有り得ない。ストライカーがシュートを打つためには、自陣のゴールキーパーから放たれたボールを敵陣内にいるストライカーにまで、「適切に」運ばなくてはならない。ここでの「適切」とは、いかに敵の意表を突く形でストライカーにボールを渡すかということになるかと思う。
真に優れたミッドフィルダーは、たとえ自身の放ったボールが直接ゴールネットを揺らすことがなくとも、芸術的なパスをストライカーに送ることで、観客に大きな感動を与えることができる。ストライカーだけではサッカーは成立しない。より多くのポジションの選手がボールに絡み、より多くパスを回しあうことが、逆に効率的に得点を挙げる上で重要なのだ。
同じように、サイエンスの世界でも、一見して国家国民の利益に直結するような研究だけでは、思うような成果を挙げることはできない。巨大な基礎科学という土台の上に立ってこそ、真に国家国民の利益に適った研究成果を挙げることができるのだと僕は考える。
・ 残念ながら、科学の世界はサッカーのように万人が見ても分かるようなものではない。一見すると、「これ、本当に役に立つの?」と思われる研究も少なくないだろう。しかし、その価値判断は、傲慢とも取れるだろうが、どうか研究者にお任せいただきたい。
科学のテーマの中には、確かに無駄なものも無いわけではない。しかし、その研究が無駄か無駄でないかの判断を下すためには、それなりの修練が必要となる。一見「国家国民のためになる」ようなテーマが、実は研究するに値しないことは、決して少なくない。そしてその逆も少なくない。
それらを正しく見極めるためには、適切な指導者の下での長期間にわたるトレーニングが不可欠だ。何が真に重要であり、何がそうでないかを見極めることは、けっしてたやすいものではない。一朝一夕に身につくものでは、決して無い。時には、そうした訓練をつんだ研究者ですら、見誤ることがある。
おそらく、この文章を読んでも「司」さんは納得しないであろう。「研究者が自分にとって都合の良い理屈を並べているだけだ」と思われるに違いない。しかし、私利私欲からこのような文章を僕は書いているのではない。
僕が言いたいのは、本当に「国家国民のため」の研究をするためには、その何倍もの基礎科学的裏づけが必要になるということ。結果的に役に立たぬ研究も生まれるかもしれないが、それは不可避のことであるということを言いたい。
・ こう言う人もいるかもしれない。「確かに基礎研究は大切かもしれない。しかし現実問題として、日本は今、非常に厳しい経済状況にあるのだ。そんな状況で、好奇心だのといっている余裕はないのではないか」と。それは確かにそうかもしれない。
ならば、「司」さんの文章にもあるように、基礎研究を民間の研究機関で行うことは可能だろうか?これまでの歴史からいって、ほぼ不可能であると思われる。実際、そのような趣旨から作られた三菱化学生命研究所は、2010年3月に閉鎖されることが最近決まった。
民間企業の場合、どうしても利潤追求は避けられず、純粋に基礎研究を行うことは難しい。結局、基礎研究を民間に押し付けることは、企業をさらに弱体化させるだけであり、より国の財政を逼迫させるだけだと思われる。
さらに言えば、アメリカの場合、研究費の中には、国家予算から捻出されるNIHのグラントだけでなく、様々な企業からの多額のグラントも多数ある。企業に限らず、各種団体や資本家などによる寄付も膨大な額に上る。基礎科学に対する社会の理解が根付いている土壌だからこそ、このような寄付が得られるのであろう。
かたや日本の企業が行っている研究助成金では、多くて2-300万円、少なければ50-100万円といったところが相場だ。それらを得ることさえ熾烈であり、実際、教授たちは多くの時間を割いて、そうした民間助成金の申請書を作成しているのが実情だと思う。このあたりは文化の違いとしか言いようがない。
・ 研究費だけではない。研究者の収入も、最近では問題となっている。国立大学の教授でも、年収1千万円を超える人は、ごくわずかだろう。助教で額面 600万円弱、准教授で800万円弱というところではないだろうか。民間企業と比べて、決して多いとはいえないと思う。
しかしこれらの常勤研究職はまだマシなのであって、今一番深刻なのは、博士号を取得してから、上記の職に就くまでのポスドクの収入だ。ポスドクといっても年収には大きな幅があるのだが、平均は400万円弱程度であると思われる。
しかもポスドクは全て任期制なので、せいぜい長くても3年程度の任期であり、1年ごとに更新というポジションも、決して少なくない。任期が切れれば、ほかの職場へと転々としなくてはならない。もちろん転勤ばかりなので、家を建てるなどということは想像すらできない。
そして近年では、博士課程を修了し、博士号を取得しても、上記の常勤研究職に就くことのできないシニアポスドクが増加し続けている。40歳を過ぎてもポスドクのままという人は驚くほど多い。僕自身、全く他人事ではない。
研究員などというと聞こえは良いが、実質はフリーターと変わらない。「高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院」 (水月昭道・著、光文社新書)という本が出版されているのも笑い事ではない。
ポスドクの給料は、アメリカでも大して変わらない。しかし、独立研究者になれば給料は跳ね上がる。収入という点において、日本ほど研究者を冷遇する国も珍しいのではないかとさえ思う。その上さらに、「お前ら、税金で養ってやってるんだから、・・・」などと言われるのか。。。研究を続けることが、馬鹿馬鹿しくさえなる。
* お互いに日々に時間の足りない人もいる。それぞれのゆるす範囲内で、我が事として考えて見てくれる人から、また発言があれば、歓迎したい。あの教室で繰り返し繰り返した「あいさつ」のもう中年版になる。けしかけているのではありません。
2008 6・19 81
* この「光」クンのトクダネは、お伝えしたいなあ。光クン、戴きます。
☆ ラスボス(iPhone)登場か、デジタル戦争 2008 年06月19日00:40
有史以前から物々交換が行われていたように、産業といえば「モノ」が基本。
同じモノでも、欲しい人、欲しい場所にモノが存在するだけで価値が生まれるように、モノを制することが成功への道でした。わらしべ長者は、そのことをよく理解していた代表的人物と言えます。
モノで世の中を制するという観点からみれば、他人よりモノをたくさんかつ低コストで作ることができれば良いわけで、生産競争時代に突入しました。
ご存じイギリスが、産業革命を通じて大量のエネルギーを利用し、大量消費時代を作り上げたのです。
モノがあふれるようになると、勝ち残るためには差別化が必要になってきました。
「モノ+技術」の時代の到来。日本が世界に躍り出た20世紀はまさにそんな時代であったと思います。
では、今は?
米アップル社製のiPodのヒットが示しています。
iPodも同じようなモノはすでにあったし、特別に難しい技術が必要だったわけではありません。
違いは何かというと、パソコンと専用ソフト(iTunes)と組み合わせて音楽の楽しみ方(スタイル)を提案したところではないかと思われます。
もちろん、デザイン性の提案も無視することはできませんが、そのこともスタイルに含めてもいいでしょう。
「モノ+技術+スタイル」、スタイルを提案し実現するために新しい技術が必要・・・。そういう時代になったことを実感させられたものです。
*
そしてついに、スタイル戦争とも言うべき争いが勃発。
パソコン vs 携帯電話のデジタル戦争です。
ハブとして「パソコン」を中心に添えてメールやウェブ閲覧だけでなくiPodやデジカメを楽しむ「パソコンハブ型」スタイルを提案したいアップル(米)やマイクロソフト(米)。
一方、アメリカ主導のパソコン勢力を排除して、日本のお家芸である「ケータイ」で情報端末から家電まで制御する「携帯端末型」スタイルを提案したい日本メーカー。
まずは、パソコン勢。手のひらサイズのデバイスにWindows CEなるOSを載せてきました。
対する、携帯組。ドコモがi-モード搭載機種を発売。i-モードは携帯電話機でメールやインターネット閲覧ができるサービスのこと。
軍配は、携帯組に。i-モードによって、メールするのに携帯で十分との認識が拡がり、多くのユーザーの支持を得ました。
残念ながら、Windows CEは使いづらくマニア受けしたくらい。
i-モードは日本が誇る大発明だったのです。
そして、その後の携帯端末のパソコンにも迫る高機能化は、皆さんもご存じの通り。
携帯端末でmixiを行っている人の方が、パソコン接続の人より多いというデータからも、携帯優勢であることがわかります。
勝負あったか、と思いきや、パソコン勢も負けてはいません。
米アップル社のiPodに続く大ヒット作、iPhoneの投入です。
iPhoneは、携帯電話といいつつ中身はパソコンと同じOSなのです。ついにパソコンで電話ができる時代になりました。
日本でも、この7月にいよいよソフトバンクから発売開始。因縁のドコモから発売されなかったのは、何か意味深です。
携帯組の次の秘策は?
この勝負、まだまだ目が離せません。
2008 6・19 81
* 愚の骨頂劇を、仕方がない、続けねばならぬ。
* 「mixi」に書いた。
* 娘と婿の被告として 2008年06月22日11:15
異色の晩年を迎えることになりました。昨日東京地裁から訴状が送達されました。
マイミクの方はおよその事情をご存じです。
卒業生諸君には十数年前からおりおり漏らしていましたので、秦さん、モノモチがいいなあと呆れているでしょう。
久しい「湖の本」九十数巻の読者の方は、「かくのごとき、死」などの作品を通してよく事情はご承知です。
およそのキッカケなどは、此の「mixi」日記の一昨年、2006年に残っている記事で分かります。
この年は、孫のやす香が必死の余力で「mixi」に、肉腫という過酷なガンとの闘いを書き続けた年で、七月二十七日に二十歳を目前に亡くなりました。祖父母も両親もあえなく愛する孫・娘を「死なせて」しまったのです。
「死なせる」は、日々にテレビからも聞こえてくる「自責の痛苦」を帯びた普通の日本語です。私には『死なれて死なせて』という死の文化叢書の一冊があり、東工大で開講直前には大きく写真入りで新聞もテレビもとりあげ、私の本としては、広く数多く読まれた一冊でした。自己紹介の必要がなかった。
そして孫を「死なせた」と震え歎いたのは、真っ先に私達祖父母でした。
ところが、やす香を「死なせた」とは、両親を「殺人者」と謂うのだと、青山学院大学教授である婿と、お茶の水女子大で哲学を学んだ娘は、娘との告別式の三日後から、父親を、舅を、民事刑事で「訴えてやる」と、声高に言い立ててきました。所属団体や私の知人たちにも抗議文を送ると。訴訟の「警告」が日々に手紙やメールで届くなど、堪ったものではありません。
それが、いわば十数年前「遠過去」の不幸に次いで起き、その年いっぱい継続した「第二幕」の開幕でした。いろんな椿事がありました。その年の私・湖の「mixi」日記は、ほぼそれを記録しています。
さらに昨年の八月から今日只今にいたってなお、「第三幕」の「仮処分」審尋へ、私は「債務者」として法廷に引き出されていましたが、ついに「第四幕」の「本訴」が始まることとなりました。私はほんものの「被告」になりました。
一昨年の民事調停では、娘達は、私に「五十万円」の要求を示しました。和解を期待した「調停」は、残念にも不調に終わりました。
今度の本訴では、婿と娘は私に「千四百二十万円」の名誉毀損等の賠償を請求しています。
娘さん達にもよくよくの思いがあるのでしょうと想われる方もありましょう、それはそれで、よそ目には自然なことです。真相はどうでしょうか、私は作家ですから「書いた作品」の内容に責任を持ちます。
彼らの謂う「名誉毀損」とはいかなるものか、提示された訴状の列挙にしたがい、まずは数例どんなものか、私の公式ホームページが、当座の「反論」と共に掲載しています。
http://umi-no-hon.officeblue.jp/
心強いことに、娘の弟で、作家、劇作・演出家、脚本家として働いています秦建日子は、全面的に父を支持し支援してくれています。嬉しいことです。
被告は実に忙しいのです。なかなかこの「mixi」には手が回らないと思います。
作家・秦 恒平の日々「いま・ここ」の生きように、興味や関心のおありの方は、どうか、「生活と意見」を示すホームページの日録『闇に言い置く私語の刻』で、継続してご注目下さい。 URL は上にあげました。
厖大で多彩な質・量を擁するホームページ『作家・秦恒平の文学と生活』には、公刊されたほぼ「全作品」や、十年の途絶えなき「日録・私語」や、文藝サロン「e-magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯」や、「電子版・湖の本」全巻も掲載されています。日記だけでも数万枚を擁しています。世紀をまたいだ時代の証言としても、無数のエッセイ集また評論集としてもご覧願えるはずです。
さ、太宰治生誕百年、太宰の跡を追う太宰賞作家の、すさまじい「晩年」が今日から始まります。お笑いください。 湖
* ことさらに決意したとか拳をにぎりしめたのでは、ない。こういう日々が来たのなら、こういう日々に沿って、老境を終末の海へ海へただ流れてゆくだけのこと、相変わらず書いて行くし芝居も楽しむし、一枚の鏡になり、来るものはありのままに映し取り、去るものは追わない。セキとして声なく鏡が真澄の青空になるのがなにより望ましくはあるが、此の人の世にある以上は黒雲の去来もまた、わが心がらではあるのだが、拒むことは出来ない。「我は我」とも思っていない。
我は我ということやめよ 奴凧 遠
年頭にこう述懐した。その通りである。すべて夢、遠からず覚める。いやもう、半ば覚めています。静かな眼を抱いた大嵐のように過ごせるのは、退屈至極な日々をすごすよりよほど景色面白い「川下り」か。
2008 6・22 81
☆ 掘り出し物? 2008年06月22日17:13 碧
今日は教会での昼食準備のない日、普段より早く帰宅した。
朝のうち霧雨のように降っていたのも上がって日が射してきた。ふと思いついて、倉庫の中を片付け始める。目的は二つ。木槌を探すのと、父の隠し煙草をみつけるのと。木槌は直にみつかったが、煙草はどこにもない。そのくせいつの間にか吸っている、現場を押さえたり、吸殻を拾ったり。父には「汚い」という概念が殆どないらしく(軍隊・捕虜生活の影響?)ほんとにどこにでも隠す。吸い指しもあちこちに、靴の中、植木鉢の下、ぎょっとするようなところでみつけることがよくある。
結局目的は果たせずじまい。代わりに古証文をみつけた。祖母の学業修了証書、伯母と母の成績表、種痘接種!の証明書に混じって、貸し金請求の訴状と判決書(昭和五年~六年、原告は曾祖母)。やれやれ、いつの時代にも、金銭は裁判沙汰になるのか。
私には伯母の遣った「尋常高等小学校国史教科書」の方が気になるけれど。
2008 6・22 81
* 以下に拝借するこういう「往来」は、身に染み、胸静まる。
☆ 茶の湯の講習会へ。 珠
今日は流派の資格者講習会に出席。
ここ暫く仕事は思わぬ慌しさ、出席は厳しいかなと思い始めていた。半日だけ出席して午後から仕事へ、、これがベスト。
でも、以前そのために洋服で出席したら、壇上から、着物で稽古する意味を厳しく問われた事がある。個々に理由はあるだろうにと思ったけれど、現状、その講習会での洋服は、針の筵を羽織ったものと解っていなければならない。そのツラサを味わう半日のために洋服で出かけるのは、億劫。
結局この2日間、終電まで仕事を続け、何とか休めるように、した。昨夜遅くに帰宅して、着物を調え仮眠。普段より早い時間の電車に乗って出かけた。何となく、朝から着物でお出かけなんて良い御身分、、など思われているのではなかろうかと。混雑した車内での着物姿は、乗り合わせた方にも迷惑だろう。少々被害的に感じるのは、睡眠不足のせいだろうか。出勤する人混みに馴染めぬまま、湘南新宿ラインで大船に向かう。暫くして座れた車内で、爆睡。着物で熟睡も恥ずかしいが、仕方ない。終点ですと大船で起こされて、下車。目覚めて小田原あたりだったら、一日は違う色になったのに、残念。
午前中は実技。
舞台上に設えられた茶室、宗匠の前で進む稽古を拝見する。懐かしい宗匠のお声。若い頃にご一緒したままというのは失礼だが、髪に白いものが混じられた程度で、穏やかに明るく説明される様子に変わりはない。お元気で何より嬉しい。
稽古の様子は映されているが、大写しの画面から手が震える様子を見てとると、苦しくなる。落ち着いて、とても綺麗な点前なのに、手だけ震える。途中、何度も息を整えてから物を取ろうとされるけれど、その震えは止まらなかった。自分の震える体験も蘇る。茶杓の細さを、茶入の口の小ささを、抹茶の粉散るを、何度哀しく思っただろう。これもまた、仕方ない。こういう時に優しく丁寧な宗匠の指導は有難く、心に沁みる。舞台上で稽古をされたい方はいらっしゃるらしい。そういう緊張に強い方は、適材適所、是非。役の方、ご苦労様と感謝。
午後は講義。「飾る」という古来の意味から現在の「飾る」在り方まで、今・此処の茶をする難しさを想う良い話しだった。
暑い陽の少し傾く頃、帰路へ。平日の夕、どうしてこんなに人がいるのだろうと驚くほどホームは混雑。電車も混雑、これでは終電と変わらない。夕方なのに、気分は連夜の終電模様。
お茶も、仕事も、学んで、実践して。そうして、そうして、さてこれからどう動いてゆくのだろう。動かして、ゆくのだろうか。
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湖| 流儀によるのかもしれませんが、かざる のを、 荘 の字で書いています。茶筅荘 というふうに。飾という字をあえて用いていないのか、どういうことかと、ふとかんがえてみたことがあります。 湖
tamae 飾る と 荘る。荘厳。 を勉強いたしました。 tamae
珠 お二人の一言から、ひらけました。「荘」は、荘厳(しょうごん)なのだと。サンスクリット語の分配という言葉を語源とするらしい「荘」。仏具で美しく飾るという意味。
茶筅を飾る、その行為の「飾」でなく、その意味では「荘」に違いなく。
茶筅荘の景色、知らなかった荘厳に胸熱くなりました。深謝。 珠
* 別荘といった世間の文字遣いから、「荘」の字がなにか邸宅のように合点されているが、いわれてあるように別の角度から気づくことが大切である。装飾という文字遣いが多用されているから、荘の字義はますます置き忘れがち。
* 一編のエッセイとしてしみじみ読んだ。思えば「香」さんとはもう十数年、公私のかかわりで親しくしてきた。こころしる人の有り難いお一人である。
☆ 父の海峡 2008年06月20日22:03 香 e-OLD 常陸
紋白蝶だとともだちは言つた。わたしは黄色い蝶々だと主張した。安西冬衛の一行詩、
てふてふが一匹 海峡を渡つて行つた
の、蝶のことである。中学生のときだつた(でも、わたしはほとんど学校へ行つてゐなかつた)。ともだちはこの詩の題が「春」だから、春まつさきに姿をあらはす紋白蝶だと言ひ張り、わたしが黄色の蝶々と言つたのは、北国の海の黒みを帯びた藍色と黄の取合せに、暖かさを感じたからだつたやうに思ふ。
安西冬衛のいふ海峡、間宮海峡が冬には凍結すること、その凍つた海峡を橇で渡つたことがあると父が話してくれたのは、たぶん、そのころだつたとおもふ。
父が凍結した間宮海峡を渡つて、沿海州へ行つたのは、いま流行つてゐる自分探しの旅とか冒険旅行などといふのんきな旅ではなかつた。特高警察から遁れるためだつた。ロシア文学の徒といふだけで、危険思想の持主とされて官憲に追はれる、さういふ時代だつたのである。
父が生れ育つた京都からどのやうにして北海道に、さらに樺太に行つたのか、聞いてゐない。話さうとしなかつたのかも知れない。
特高に寝込みを襲はれて、鞍を置くひまもなく裸馬にまたがり、雪の原野を駆けたり潜んだりして、辛うじて助かつたこともあつたといふ。父が二十歳を幾つか出たころといふから、大正十年(一九二一)前後といふことになる。
しかし少女のわたしは、たてがみをなびかせて疾駆しゆく馬にまたがつて、白皚々(はくがいがい)たる雪の原野を遁れゆく父を、あをくきらめきわたる氷の間宮海峡を橇でゆく青年の父を、物語の主人公のやうに想像して、胸をときめかせたものであつた。
樺太からロシアへ渡つたのは、ロシアの風土に触れてみたいといふ気持ちもあつたのだらうが、国内では特高に追はれ、外国では旅券もない密入国者の身とあつては、心の安まる時とてない旅だつたらう。
けれどわたしに話してくれたのは、泊めてもらつたロシアの農家でウオトカをふるまはれ、酔つた勢ひで外へ飛び出して行つて豪雪の吹き溜りに落ち凍死しさうになつたのを、犬がくはへてひきずり出して助けてくれたことや、ふだん乗りまはしてゐる馬とともに田舎の草競馬に出場して、ビリから二番だつたこと、そのとき、参加賞に大きな麻の袋(父は南京袋と言つた)に詰めた馬の飼料をもらつたけれど、きやしやで小作りの父は馬に積めなくてうろうろしてゐたら、通りがかりの大男がひよいと馬の背に投げあげてくれたなどといつた、たのしい話が多かつた。農家のおぢいさんとおばあさんが、畑から手を組んで歌ひながら帰つてくるとか、田舎の結婚式やお葬式のことなども話してくれた。
密入国者ゆゑ遭遇した容易ならぬ出来事も、どこか物語めいた感じに話してくれたやうに覚えてゐる。聞き手が娘、それもまだ少女だつたから、意識してつらい話は避けてゐたのかも知れない。
当時、南樺太は日本の領土になつてゐたので、ロシアとの国境に大きな石碑が立てられてゐたといふ。日本側には天皇家の紋である十六弁の菊が彫つてあつたが、ロシア側はロマノフ王家の紋章が彫つてあつたのを、ロシア革命のとき、赤軍が削り取つたまゝになつてゐたといふことも父から聞いた一つである。
旅券なしでどうやつて国境を越えたのといふわたしに、父は、鹿や熊はそんなもの無しで、勝手に行つたり来たりしてゐる、鮭や鱈が旅券をくはへて泳いでゐるかと笑つた。岡田嘉子の国境突破事件も、あゝ派手に国境線を越えたのは、多くの耳目をあつめる必要か目的があつたのかも知れないと言つてゐた。
父が凍れる間宮海峡を渡つたときも、その話をわたしにしてくれたときも、北方に広大な領地を有するかの国は、「ソビエト社会主義共和国連邦」と称してゐた時代だつた。けれど、父は「ソビエト」とも「ソ連」とも言はなかった。いつも「ロシア」であつた。
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湖(うみ) 読みましたよ。いろいろ書いて下さい。 湖
香 湖さん お読みくださいましてありがたうございます。tamaeさんの日記の「南極記」から、雪と氷の北国をさすらつた父のことがおもひだされて、長文の日記ならぬ日記になりました。
剥がれたる写真の裏におもひがけず見出せり父のロシア文字の署名
子われのため節を枉(ま)げしことなかりしや写真にルパシカの肩そびやかす
特高より遁ると馬に雪の原野を駆けしとぞわれの父となる前
偶然といふこともあるこの古書肆に父の手放ししチェーホフなきや
亡き父の知らざる逸楽ネットにてロンドンの古書肆をめぐりてあそぶ
2008 6・24 81
* 「ウエブに書く」、それが問題だと云う人が、いる。
しかしウエブは、まさしく二十一世紀「現代」の文房具であり、ノートであり、出版物であり、書庫であり、それはグローバルに「等」条件である。
匿名で、悪意と卑劣さでウエブを中傷で用いる人を、わたしは認めない、無視すればいい。が、インターネットを用いて知的に、文責を明らかにしてものの書ける地球上の誰しもを、彼らの「書く内容」や「書き方」を、一律の規則や規制で「縛り切れる」ものであろうか、そんなことは、もはやWWWの世界では絶対に不可能であることを、日々に我らの文明社会は暴露してしまっている。
言い換えれば、その環境では、「社会的」に生きている人間一人一人の人品と、誠意・不誠意とが反映するだけの話になる。遺憾にももう「人の口に戸は立てられない」現実は動かしがたく明瞭で、それは、この時代に、この文明に「生きる」一つの前提となり、「難儀な環境」と化してしまっいる。
極端に言えば誰もがメイワクをかけ、誰もがメイワクを蒙りやすく、それを公正に規制する術を人間は見失うというより、機械発明の当初からまるで用意していなかった。「便利」という「文明の毒」を無差別に全開して人々に呑ませ続けてきた。それが此の「新時代の文房具」の「時代的素質」なのである。
我々のもう久しい慣習では、活字本や活字の雑誌でなら、相手の氏名を挙げて、顔も歪むような批評や議論や非難をゆるしてきた。論争も可能であった。
同じそれを「ウエブではいけない」などというのは、やられかねない不心得な政治家達の恐怖心がやたら「規制」に向かうのであろうが、機械の素質・性質・技術から観て、もはや取り返しのきかない、それは古くさい時代認識というしかない。「現実」は機械と技術とが便利に創りだしていて、制御は効きませんと承知で売りに売り出し、大富豪たちを生んでいる。政治はまた彼らから貢がれている。
今世紀の人間は、この、便利だが決して良い一方ではない「毒性濃厚な機械環境」を手放しの前提としながら、ヒューマニズムを胸に逞しく濁世を生きて行くしか、じつはもう仕方がないのである。べつに仕方が有るというなら、目の前に示して貰いたい。
そういう「機械環境」を創り出したのは我々「人間」なのである。
わたしが電子メディア委員会を、文筆家達の「日本ペンクラブ」にいち早く創設せよと発起し実現させたのは、こういう「新時代」「の表現の自由」がどうなってゆくかを、プロとして考えたかったからだ。
陰口としてかげで言う分には構わない、ご随意に。しかし名乗って公然に書いてはいけない。いまは、まだ、そんな俗論がまかり通っている時節だが、そんな卑怯なリクツは、少なくも私には恥ずかしい。かりにも表現者、文学に志を持つモノの処世ではない、真っ逆さまである。
陰口なんか叩かない。書くことは、書くべき事は、署名して公に書く。だからわたしは文学者であり、物書きなのである。その主張は
わたしのホームページ運営の基本思想である。相手氏名のマスキングなんて、明治にも大正にも昭和の文明や表現には、いっそ恥ずかしかった。そんなことなら書くなということだ。
ウエブなら、何故そんな恥ずかしいことが必要か。わたしの婿殿の弁を聞くと、氏名を「検索」されて「こと」が広く知られてしまうのは不都合だ、恥を掻く、と。
わたしに言わせれば、知られて不都合なことは、もともとしなければいいのだ。簡明だ。作家の著作を、創作を、「仮処分」の法廷に持ち出して抹殺しようなど、かりにも大学教授のできることか。それもまたよほど恥ずかしい真似ではないか。彼の学生さん達、彼の同僚教授達の意見をどうぞ聞かせてほしいモノだ。
* ★★★が人に語った言葉を読んでいると、これは妻もすぐ気づいたことであるが、「争い」をまるで娘(自分の妻・朝日子)と父との喧嘩沙汰にすり替えて、自分は妻に協力しているだけのような物言いをしている。
これが、一昨年八月以来彼のよそおってきた基本姿勢のようだが、われわれ両親は、わが娘となど争っていない。わたしたち舅姑に本人も書いたと認めているように、唐突に罵詈雑言で喧嘩をしかけてきたのは、★★★なのであり、その★★を赦せなかったということである。朝日子が妻として彼に必死で協力しているつもりであるなら、それも分かっている。それは朝日子の思いで、自由でもある、あまりに無道に放埒にさえならなければ。
終始一貫、婿である★★★との問題であった。問題である。しかももともと「非は自分にあった」と、叔父にも言われ、「平成五年九月九日」私たちに宛て、自筆「詫び状」をファックスで送ってきたのも彼である、但し妻も息子もその礼を失した文面を断然受け取らなかったが。
父母と娘との血で血を洗う争いだと思う人があれば、★★はそう舵をとっているようだが、誤解しないで欲しい。朝日子は娘である。どう逆上したふりをしてみせても、親は親として、生まれたとき以来朝日子を観てきた眼で見つめているだけ。★★★が、どんなに平然と真っ赤なウソを根拠なく人に喋ったか、たぶんマイクに取られていただろう、★★がインタビューに答えている言句はひとごとながら読んでいて恥ずかしい。そういう彼を、わたしは赦していない。はっきり言っておく。
* 備忘のためにも、事を此処に明かしておく。作家として普通の営みである。
* わたしたちが、その年(平成五年)八月以降、時計の針をきれいに元へ戻すために★★★に求めてきたのは、例えば以下の内容を備えた「遺憾・自省」をとにかく示すことでした。相手はルソーの『エミール』をわたしに読めと言い、「リベラルな教育環境に育った」と自負している学徒でした。
私、★★★は、秦恒平様及びご家族に宛てました、平成三年八月一二日発信以降 九月に及ぶ礼を失した通信・郵送等につき、心からお詫び申し上げます。一切の内容を 謹んで撤回させていただきます。またその後も肉親間の接触に、いくつかの非礼を重ねましたことについても、同じく、心からお詫び申し上げます。ご海容下さいますようお 願い致します。
平成五年 月 日 (署名)
これに対し、平成五年九月九日の夜分に、叔父を介し届いたFAXは、文字通りに以下の通りであった。
詫び状
朝夕めっきり涼しくなってきました。皆様、お健やかにお過ごしのこととお喜び申し上げます。
さて、二年程前になりますが、私は秦様より「秦文学を読まぬものは身内でない」と罵られ、さらに「文学音痴」など一連の嘲笑を浴びせられ、抗議文を書きました。しかし秦様より何ら釈明が得られなかったので、怒り心頭に発して絶縁状を送付しました。しかし今年七月、間接的ながら、「『みうちでない』は秦文学の語彙である」と聞くに及びました。
いまだ秦様から直接の弁明を受けてはおりませんが、仮に「みうちでない」発言が「故意」ではなく「不注意」であったとすれば、私の書き送った絶縁状と、その前後幾通かの手紙は、いわば「過剰反応」に相当し、慙愧の念に堪えません。したがって、慎んでこれを撤回します。
時節柄ご自愛のほど、お祈り申し上げます。
平成五年九月九日 ★★★
妻も、また息子も一致して、かように事実を歪曲捏造したものは受け取らないと、突き返した。★★自身が事の発端として挙げている秦の「身内」という物言いに、そんなにも拘泥っていながら、夏生と結婚して何年にもなる今年七月まで、理解もしないまま「過剰反応」したとの言い訳一つでも、いかに★★が不用意で「不注意」な、傲慢な人物かが分かる。誤解のまま怒りを「暴発」したというだけでも幼稚な振舞いである。怒るまえに「どういう事か」と確かめるのが、大人なら自然当然の順序であり思慮ではないか。
まして舅婿の間柄、朝日子に確かめてよし、著作に当たってよし、作品を通して親交した仲人さんに問うてもよく、手段はいくらでも有った。わたしからわざわざ「弁明」することでなく、「不注意」なのは★★自身だった。
要するに「身内」問題など、言い掛りの口実だった。問題はそんなことでは無かった。真っ正直に「金銭」「住居」の援助を申し出られない己(おの)が情けなさから、「暴発(妻朝日子の即座の批判)」してしまったのだ。★★の何通もの手紙が示す全ての「文面」が、最初から★★家葛藤の内情とともに、明白にそれを指さしている。ぜんぶ残っている。
そう理解して、そんなことよりもただ親へ「暴言」の「非礼」を先ずは「詫びなさい」、それで水に流そうとわたしたちは言ってきた。何もなしに許せる度合いを、遥かに超えた「無礼」があったから。
けれど、ここに至っても★★は、事のこじれの意味、無礼・高慢の事実を、「故意に」「身内」解釈の「誤解」に無理にすり替えようとだけした。
わたしにも不徳を恥じて身に痛い点は多々ある。それはわたしの問題だ。
★★との対話は、事の打開と解決とのあとで成されることと考えてきた。そして今にしてやはり言わずにおれない、やっぱり、きみは「身内」じゃない、と。 ★★は「娘の夫」は「身内」じゃないかという。わたしがそんな「身内」観でないことは、朝日子も子どもの頃からイヤほど知っていた。聞けば誤解の余地はなかった。議論なら出来ただろうに、望むところだった、そうやって話し合うのは大好きだ。だが彼が暴発「問題」は、全くそんなことではなかった。
2008 6・24 81
☆ 大発明? 斜めカット 2008年06月25日00:21 光
線路沿いを駅に向かって歩いていたときのこと。
ちょうど駅から電車が発車し、こちらに向かって動き出した。
ぐぉーん、がたん、ごとん、がたん、と大きな音がするのかと思いきや、最近の電車は性能がいいのかすぅーと静かに動き出す。最初の「ぐぉーん」がないのである。
でも、さすがに線路と線路のつなぎ目部分を車輪がゴトンと通過するときには、がたんごとんと大きな音がする。これが改善できると、騒音も小さくなるし、振動も小さくなって乗り心地もよくなるし良いことずくめ。
音の出る原因は線路のつなぎ目部分に隙間があり、そこに車輪が一度落ち込むから。しかし、つなぎ目部分の隙間は、夏の暑いときに線路が膨張しても大丈夫なための「遊び」部分。「隙間」は大事な機能を担っているのである。
隙間はあるけど車輪が落ちないように、できればいいんだけど・・・。
あ、隙間を斜めにすればいいんじゃないか。
料理で言うと、キュウリやネギを「輪切り」にするのではなくて「斜め切り」にするように。これなら、隙間に車輪が落ちないんじゃないか。
*
実は、斜めカットには先輩がいる。
いつもよく見るコンビニのお弁当である。
お弁当を選んでいるとき、あれ、ハンバーグでかいぞ、これにしよ、と手に取ってみたらハンバーグが斜めにスライスされていたのである。なるほど、こうして切ると、確かに大きく見栄えもいい。なのに、コストは垂直に縦に切るのと変わらないという、何と素晴らしいアイデアなんだ。
まぁ、感心している場合でもないのだが。
しかも、斜めカットする角度が急であればあるほど、効果も大。
同じ斜めカットの手法を用いた、ウナギの蒲焼きを見たことがある。効果の大きさに笑うしかないくらい、ウナギの蒲焼きはでかく見えた。
*
ちょっとの工夫で世の中が幸せになるのなら、それはそれで「いい発明」か。
* なるほどね。
☆ 李賀の酒の詩 2008年06月 25日21:40 瑛 e-OLD川崎
「中国詩人選集14」の李賀を取り出して昨日から拾い読みをした。
湖さんの日記に27才で生涯をとじた夭折の詩人李賀の詩の文句に出会 ったからである。
「日暮聊か酒を飲む」。
この詩は「陳商に贈る」と題する厭世的な詩のようであるが、李賀の気骨のあるつぶやきが聞こえてくる。
先日の鎌倉の小雨の中の新緑が、緩やかに残照として残っている。
2008 6・25 81
* 妻が面白そうに、高田衛博士の本で『雨月物語』を読んでいたので思い出したわけではないが、「mixi」に、気分直しにと旧作ながら『於菊』という短編小説を、二回に分けて掲載した。怪談を読んでほんとうに怖い名作は雨月物語の「吉備津の釜」に、とどめをさす。向こうを張ろうなどいう山気ではなかったが、吉備津の釜に取材し、失明している秋成老人の老残を書いた。後半を今夜校正していて、怕い寒気を感じたと言えばわらわれるだろうが。
こういうのを秋成老にかわって、さささと十ほど書けば佳いんだが。
2008 6・27 81
* 件名無し、正体不明のメールが昨日から続いている。即座に廃棄。ムダである。
* 「珠」さんが京都で拾ってきましたと以前に送ってくれた木の種を、庭の土にもどしてやった。
* 私の「いい読者」たちにお願いしておきます。
* 私のこのホームページを、またも無道に全棄却されてしまわないうちに、全保存可能の方は、どうぞお手元に、しかるべく遺して下さい。「闇に言い置く私語」は、文章の改竄さえなければ、いかようにお手元で編輯して保存されてもけっこうです。原版は手元に保存しています。
残念ながら「電子版・湖の本」は、入稿時校正のままのものもあります。多くは勝田貞夫さんのご尽力で、紙の本版からスキャンされていますが、それとても校正未了がまだ多いのです。「紙の本版・湖の本」に拠って校正を全うしておきたいのですが、余力がありません。手伝ってくだされる方、よろしくお願いします。
* 私の「全文業」は、機械を実質使い始めたこの十年来のものは、ほとんど漏れなくこまかに分類し、保存されています。なるべくデータを副え、引き出しやすいように整理しています。
前世紀・平成初年・昭和期のものの主要な大方は、幸い殆どが百冊余の単行本・出版物になっていて、主なモノは、だいたい「湖の本約百巻」にも再録・収録されています。
初出本や雑誌・新聞も、ほぼ全部がたぶん漏れなく保管されていますが、一部古い新聞原稿や書評などは薄れて行きます。電子化しておきたいのですが、余力がありません。
* 蔵書は、図書館のキャパシティーに問題があり、寄贈が無になりやすく不安定なので、欲しい方にさしあげ、あとは思い切って全廃棄もやむなしと考えています。りっぱな全集やセットもの、辞典・事典類はもったいなく苦慮します。私の読者や研究者で、秦の手元にこういう本や作品(秦でない著者のもの。)はないかと問い合わせて下さり、うまく有れば、悦んで差し上げます。
* 書画骨董・茶道具は、同好の友もあり、機会をみつけて残らず差し上げて行く予定。すべて整頓し、いましばらく愛玩して処分します。読者のの方、こういう道具があるかと具体的に問い合わせて下さい。有れば、いいですね。
* わたしの著書類も、多年の必要に応じて余分に買い置いたモノがあります。ぜひ欲しいという本、幸い余裕があればよろこんで記念にさしあげます、署名はご勘弁下さい。
* けさ、また、信頼できる久しい関わりの出版人から、親切な助言と、何らかの支援を言ってきて下さった。感謝します。
* わたしは自分に「徳」があると想ったことがない。世界史的用語としてはとにかく、日本人の用いる「徳」の字を、むしろハッキリ嫌ってきた。「損はいや徳と道づれ」の処世が不快なのである。
「徳は孤ならず」という。誰の言葉であったかも覚えていない。わたしは、何度も何度も書いてきた、自分は、「不徳なれども孤ではない」と。わたしが極めつきの少数派であることは、どの世間に出てもほぼ明白だが、わたしの詩と真実は「不徳」にある。これは覚えていていただきたい。
「徳」の「不孤」とは、わたしからみれば、利益で大勢が「つるんで」いるだけ。日本では「徳」とは「損でない」「得」の意味であることは、中世の「徳政」をみれば一目瞭然、莫迦げている。
きわめて数少ないだろうが、わたしの「不徳」をかえりみず親切と情義とを尽くして下さる方、わたしの謂うそういう人たちこそ、「身内」と謂うに近い。その点は、わたしに数多くの著作がある。
* 婿・★★★の謂うように、親子だから舅婿だから夫婦だから当然「身内」じゃないか、などと、わたしは成人以来思ったことがない。そんな薄っぺらい理解はない。婿の考えていたそんなことなら、子が親を、婿が舅を法廷に引きずり出し、金をよこせと裁判沙汰は起こせまい。家族内で「話せば済む」ことだ。もしそんなことなら子が親を、親が子を、夫婦がお互いに殺し合うか。しかし世間はそんな惨虐例に満ちてきている。この青山の大学教授は、ハナからすでに自己矛盾を犯している。
このルソー学徒、十数年前の「暴発」事件の時も、仲人さん一緒の話し合いに、只の一度も顔を出さず、「叔父様」にぜんぶマル投げで、面と向かい一言も話し合えない弱虫の大人であった。わたしと妻とは、一度も欠かさず事態改善のために汗みずく渾身努力したのだが、三十半ばの健康な「学者」自称の男が、「叔父様」の袴の下に隠れっぱなしだった。なんだ、こいつ。わたしは何度も苦々しく嗤わずにおれなかった。
姻戚は「身内」なら、自分で出てきて自分たちの手と思いで解決に努力すればよい。あそこで、すでに彼は間違っていた。それでいてわたしに向かい、『エミール』を読めの、自分は「リベラルな教育環境で育った」のと、ごタイソーな。論語読みの論語知らずではないか。漏れ聞いたある東大教授が、言下に舅への「嫉妬ですね」と切り捨てたという話を思い出す。
2008 6・28 81
☆ 初めて出席した研究会、ある先生の言葉に震える。
「健康」は誰のものか、国がお腹の周りから人を選別して指導する「健康」とは何か、誰のものか。国民が細身ならいいというのか。基本的な議論が、ない。
そう、「病気でない」と「健康」とは一致しない。個々の求める、今・此処の「健康」を。国任せでは皆細くなるばかり。そのうち食事の配給まで指示されるような気がしてくる。
また東京での研究会でお逢いしたいと約束し、熱い時間の興奮を胸に宿のホテルに帰る。 珠 札幌で
* なんとなく、莞爾。自分につごうよく読みました。ハハハ
2008 6・30 81