ぜんぶ秦恒平文学の話

音楽 2004年

 

* ハイネの詩に、シューマンが曲をつけている。「詩人の恋」48。ギーゼンのピアノでテノールのヴンダーリヒが歌っている。惜しいことにこの人は家の中で事故死したらしい。
ハイネの詩を日本に初めて紹介したのは「嶺雲揺曳」の熱血田岡嶺雲だった。わたしが、生まれて初めて翻訳ながら外国人の詩集を買ったのは、あれはアテネ文庫の「ハイネ詩集」であった、なにしろわたしでも手に出来たほど廉価本であった、アテネ文庫は。岩波よりみな厚さは薄かったけれど、いつでもいい本がやすく買えて有り難かった。そしてハイネ詩集は若い日に出逢うのに本当に懐かしい恰好のものであった。いささか、へんてこな翻訳のようにも感じながらその稚拙な韻律が可笑しくもおもしろく身につまされて愛読し、しらずしらず暗誦したのである。
この年になってハイネの詩にまた出逢って、また、こと新たしく身につまされるとは思わなかった。
2004 1/12 28

* スキャンしながら日本の歌をCDで聴いていて、鮫島有美子の「遙かな友に」に突然声を放って泣いてしまった。なるほど「悲鳴」だと呆れながら。
静かな夜ふけにいつもいつも 思い出すのはおまえのこと おやすみ安らかに たどれ夢路 おやすみ
と鮫島は、美しく歌う。わたしが思い出しているのは「友」ではない、幼い日々の「娘」朝日子、だ。この歌に日頃わたしは弱いが、何かが胸の奥で砕けたのだ。
昼間、妻から聞いていた。もうだいぶ前になるが、妻は十何年ぶりに清水の舞台から飛び降りる気持で、久しい禁断の電話を朝日子にかけたという。娘が出て第一声は「よかった」と。しかし母の声が聴けて、ではなかったのだ、朝日子の傍に夫がいなくて「よかった」のだと娘は言った。それを聴いてわたしは黙っていたが、刺されるように傷ついた。そういう子には育てなかった……。
それが胸に滞っていて、鮫島の歌で破裂した。どうしていいのか、分からない。

* 今はイタリア男歌手の美声の民謡を聴いている。意味は何もわからない。分からないことに救われる。涙がとまらない。
2004 1・23 28

* 戴いた趙非(ソプラノ)の歌曲を、妻と、しみじみと聴いてきた。故郷をうたう「兎おひしかの山 小鮒つりしかの川」では二人とも泣いた。十七曲。正規の音楽教育をしっかり受けた中国女性が、幼くからお母さんと共に歌いこんできたという「日本のこころの歌」である。筧千佳子のピアノ伴奏はもう一つだが、すばらしい声量と美声。さほどとも思わず聴き始めて、最初の「荒城の月」でもう茫然とするほど胸にしみいる美しい歌唱であった。この音盤をお土産に戴いただけで、わたしは、なんだか、今日は大儲けした心地がする。いいものに出逢う嬉しさよ。
2004 3・2 30

* 初めてメールさせていただきます。私はひょんなことから趙非と知り合い、現在、趙非の音楽活動のお手伝いしております**と申します。現在、趙非事務所としてこのアドレスもホームページm私のところで作っています。
「日本のこころの歌」のCDお聴きくださり、本当にありがとうございます。早速、趙非のメールの方へ転送させていただきますが、事務的なことなどはこちらにご連絡いただけばと思います。
普段は主に、CDや楽譜集また、ディナーショーやリサイタルのチケットなどの注文を受けたり、発送など、また、彼女が時折、上海に戻る時は留守番もしています。リサイタルなどイベントの時には、何人かのボランティア(というより、ファンと言った方がいいでしょうか)と一緒に開催の準備から様々な手配をすることになりますが。
ホームページで見て頂いたと思いますが、定期リサイタルは2/14にカザルスホールで開催したばかりですので、後は、各所の演奏会や集まりなどにゲストとして唄うということが決まっているくらいです。
ちょうど、あとふた月、上海から母と姉が来ておりますので、4月末にでもミニコンサートの案があることはあるのですが、未定です。
CDはべつに「中国こころの歌」がありますが、これも「日本のこころの歌」同様、両国語で唄っています。「日中名曲選」には、日中の二種のCDに収められた全曲の日中両国語の歌詞、楽譜、曲の解説が載っております。「中国のこころの歌」のCDをお送りすればよろしいでしょうか。恐れ入りますが、ご面倒ですがご返信をお願いいたします。
私ことになりますが、もともと音楽は遠い遠い存在で、今、こうして音楽活動に関わっている自分がとても不思議です。娘が中学入学と同時に習い始めた日本画を今でも細々と続けていますが、その絵の会での初の海外スケッチ旅行が中国だったことから、帰国後中国語を習い始めました。
そんな時、たまたま新聞記事で見つけた彼女の初のCD「日本のこころの歌」とリサイタルの申し込みは、あくまでも中国語学習のためだったのですが、これが、ただの申し込みに終らず、そろそろ3年になる彼女との交流の縁結びだったようです。
一昨年から去年にかけて編纂した「日中名曲選」では日中両国語の歌詞を中文ソフトでピン音を調べながら打ち、校正をし、カットを描くなど、十分お手伝いが出来たのですが、この楽譜集完成後は、ただのオバサンでいてはとても味わえなかっただろうという様々な体験を(営業、事務的なことは苦手ですが)楽しんでいます。ほとんど中国語
の先生と生徒、時には年上の友達としてですが。
余談ですが、スケッチに行ったグループとは別の絵の先生、F先生が、以前、目 精二 というペンネームで「異聞・みにくいあひるの子」という本を書かれたのですが、秦様のホームページにその本を紹介され、とても喜んでらしたとのことでした。現在も画廊主であるF先生には機会あるごとにお目にかかっています。
早春賦を実感する昨日今日ですが、お身体お大切にお過ごし下さい。

* いろんな人生があり縁がある。目(さかん)精二さんは画家でもあり画廊主でもあり、小説や戯曲も書いていた。わたしの「湖の本」全巻購読者でもある。繪の個展で二度ばかり会っている。「e-文庫・湖(umi)」に氏の小説を載せてある。趙非事務所の連絡アドレスを此処に挙げることは今は控える。検索すればホームページには簡単に達すると思う。
2004 3・3 30

* 繰り返し、趙非のうたを聴いている。「荒城の月」「花」「宵待草」「早春賦」「平城山」「ゆりかご」「出船」「椰子の実」「故郷」「浜辺の歌」「雪の降る街を」「初恋」「花の街」「この道」「赤とんぼ」「鐘が鳴ります」「からたちの花」の十七曲、すぐれてポピュラアな選曲であるが、歌唱は豊かに清潔。うまいとかうまくないとかでなく、こころこめて打ち込んで歌っている。日本語と中国語とで歌ってくれる。
「故郷」や「平城山」や藤村の「椰子の実」や啄木の「初恋」や白秋であろう「からたちの花」など、じいやんは、泣かされる。
「中国こころの歌」も注文した。さすがに中国語になると自信に溢れて歌はすこぶる安定する。すると曲がますますピカーッと光る。われわれは、いい遺産に恵まれている。
2004 3・4 30

* 診察の後、まっすぐ帰った。いや、途中池袋で京都行きの切符を買った。診察に萎縮したのではない、すでに診察待ちの間に院内食堂で昼食に「松花堂弁当」を食べていたからで。それに早く帰って機械の前にすわりたいわけがあった。
保谷駅外の臨時の売店でジャズなどのディスクを売っていた。ジャズは分からないから、マリア・カラスのオペラアリア集を買って帰った。
2004 3・19 30

* マリア・カラスは階下のテレビDVDで半分聴いた。すばらしい。マリア・カラスは昔に彼女の主演したギリシァ劇映画を観ているが、比較的縁の遠い人であった。すばらしい歌唱。
二階へあがって、この機械のCDボックスに、マドレデウスの「ムーヴメント」を入れて、聴いている。これまた、まことに素晴らしく、秘蔵の愛盤の一枚。魂が共鳴し、深く顫う。どんな歌手とも、どこの国のどんな素性の音楽ともじつは無頓着なわたしは認識もしていないのだが、すばらしい歌唱であることに間違いなく、ときどき、聴いていて涙が湧いてくる。
趙非の歌唱はこれらに較べるとアマチュアの清潔な才能ではあるが、それはそれで十分に宜しい。わたしのうしろのソファで黒いマゴも満足して聴き惚れている。可愛いネコである。
2004 3・19 30

* 今は家の中に私ひとりで、好きな音楽を聴いています。昨日マリア・カラスを買われたようですが、肌の粟立つようなすばらしい歌でしょう。あなたが京都に育まれたことが天の意志であるように、マリア・カラスがギリシャに生まれたことにも意味があると私は思っています。マリア・カラスは女神の一人ですもの。

* ほんとうにそう感じる。マリア・カラスの大いさ、一枚の録音盤からもまざまざと。立派なものは、まぎれもなく立派である。
ポルトガルの、マドレデウスたちが演奏し歌っている「ムーヴメント」にも、ほとんど酔っぱらってしまう。ヴォーカルのテレーザ・サルゲイロの歌声、蜜のようだ。ギターもベースも快く鳴っている。
2004 3・20 30

* 藝大新奏楽堂での退官記念コンサートは、全席招待、千人席がほぼ満席の盛況で、(予想をはるかに超えて)すばらしかつた。退官するのは、ソプラノの嶺貞子教授、テノールの鈴木寛一教授、それに実相寺昭雄講師。実相寺さんの企画・構成で、嶺さんと鈴木さんが、こもごもにたっぷりと歌い、司会は実相寺夫人の原知佐子と俳優の寺田農。ピアノ伴奏は多田聡子、山岸茂人、フルートは立花千春、オーボエは石橋雅一、ヴァイオリンは松原勝也、編曲は山田武彦という、藝大系の気鋭が揃って、退官というたいせつな節目だけにはせ参じている招待客にも、熱気があり、二十分の休憩をはさんだ一部、二部、アンコールを加えれば二十曲をらくに超えて、びっくりするほど充実した。
退官する歳である、わたしより二つほど若い人、失礼だが声はどうだろうなどと生意気に気に掛けていたが、とんでもない、お二人ともそれはそれは全曲を美しくみずみずしく歌われて、ことに嶺さんのソプラノ選曲はみごと、超絶技巧の歌唱に、満堂うっとりと静まりかえり、ああ歌唱もまた純熟の藝術なのだと涙が頬を伝うのであった。鈴木さんのテノールも若々しく豊かで、しびれる巧さ。ほとんどの歌曲が原語であるから、司会者の簡単な予告以上には意味は伝わらない。それなのに嶺さんの歌でも鈴木さんの歌でも、熱いもの切ないもの、なやましいもの、うれしいものがみなよく胸の奥へ流れ込んできて、いささかの中だるみもなかった。長身のフルート奏者の優雅なみごなしにも、ピアノ伴奏の二人の巧さにも惚れ惚れした。コンサートそのものがファミリアに濃密な凝縮力をもっていたからだろう、我が身も溶けて行くような感動へと刻々高まって行くのに身をあずけて、幸せであった。
或る意味では吾々夫婦など全くの門外漢なのだが、さすがに音楽の魅力は容易ならぬものがあり、妻も涙をおさえかねていたし、わたしも心から拍手を送り続けて、いい気持であった。最後には学生達が壇上にあがって先生達をとりかこみ、みんなで、あれはナポリの民謡であったか、フニクリフニクラの大合唱になった。拍手が鳴りやまなかった。

* 済んでからも、とても実相寺さんにも原知佐子にも声をかけられそうにない盛況であったから、失礼して、上野の山、三分咲きの夜桜の下をそぞろ歩き、店をあけていた「韻松亭」にあがり懐石を食べて、上野駅から帰ってきた。二日酒を休んだので、今夜はほぼ一合ほど「山形桜」を呑んだのがすこぶる美味で、懐石もまずまず、筍飯がいい味であった。

* 御陰で思いがけずすばらしい音楽の饗応にあずかり、広い奏楽堂の前から数列、とても視野の佳い席を得て満ちあふれるほど幸せに帰って来れたのは何よりであった。

* 花見とまでは今夜は行かなかったが、咲いてはいた。ことしは、どこで、どんな花見が出来るだろう。あさっては、昼前から池袋で食事付きの、何だろうインタビューでもないか、お話し会。そのあと、「千鳥ヶ淵の桜が咲きました」というメール速報に乗ってみるかな。
2004 3・21 30

* マリア・カラスは現代の女神だという人がいる。頷ける。小さな盤で聴いていても。そしてまた力在る美声の前では梁(うつばり)の塵が舞い立つという古人のおもいの確さにもおどろく。
2004 3・22 30

* 先日、弥栄中学の同窓生が二枚のディスクを送ってきてくれた。その一枚は隣校粟田小学校の同期会で配ったという「懐かしいあの頃の歌・唄・うた」で、少年の昔に聞き慣れた二十六曲が収めてある。
この友人はタンゴに趣味があり、以前にも手製のディスクを貰った。彼は大学の同期会などがあると、そういうディスクを手まめにつくって配り、みんなに楽しまれているらしい。二枚の内もう一枚の大学用のはタンゴ曲が集めてある。
さて懐かしやかな先の二十六曲は、「軍艦マーチ」に始まり、岡晴夫の「泣くな小鳩よ」に至る。いましも二十三曲めの「泪の乾杯」を竹山逸郎が歌っている。もう戦後に入っていて、並木路子と霧島昇の「リンゴの歌」も、バタやんこと田畑義夫の「かえり船」も、もう聞いた。今、津村謙の「流れの旅路」にうつった。次は「異国の丘」だ。
圧巻は、李香蘭の「夜霧の馬車」。幻想的な美声の絶唱には胸をかきむしる蠱惑の魅力がある。のちの山口芳子参議院議員であるが、なにしろあの頃不思議な経歴の絶世の美女として喧伝されていた。事実その通りの人であった。「夜霧の馬車」の此の世ならぬ奇抜に澄んで艶めかしい歌声と旋律には、いやもう脱帽。この頃の李香蘭は日本語を正確に発音できなかったらしい、奇妙な片言めくイントネーションがまたすばらしい。
「父よあなたは強かった」「紀元二千六百年」「暁に祈る」「隣組」「めんこい仔馬」「月月火水木金金」「空の神兵」「ジャバのマンゴ売り」「南の花嫁さん」「加藤隼戦闘隊」「ラバウル海軍航空隊」「若鷲の歌」「同期の桜」「轟沈」「お山の杉の子」などなど、よく集めてくれた。
集めた彼も言うように、こういう軍歌や国策歌をべつにその気で鼓吹しもされもしたのではない。「他意は」少しもなく、「ああ、そういう時代やったなあ」と思うに過ぎないし、懐かしくないかといえば、むろん大いに懐かしい。みんな聞き覚えていて、歌詞も忘れていない。「今ではなかなか手に入りにくいので、意図して集めてみました」と森下達夫氏の厚意には、ありがとうとぜひ伝えたい。耳慣れないタンゴ曲よりは、ま、ちょっとした「お宝」盤である、歌の周囲や背景に、亡くなった父や母や叔母や、新門前通りや、東山や、小学校や中学や疎開していた丹波の景色や友達が、ぞろぞろと蘇ってくる。軍歌や国策歌であるより遥かに少年時代のバックグラウンド・ミュージックなのである。
また「隣組」が始まった。作詞は岡本かの子の夫で、岡本太郎の父であった岡本一平である。先生格の歌手が先ず調子づいて歌い、「ハイ」とうながすかけ声で、今度はあどけない子供達が歌う。隣組そのものをわたしは必ずしも是認しないが、この歌声、ほんわかと和やかで懐かしい。
「濡れた仔馬のたてがみをふけば両手に朝の露」と歌う女性歌手と子供達の歌声も、とてもいい。可愛い。歌い方の無造作にご機嫌サンなのも佳い。
今気が付いたが小唄勝太郎が歌っている「明日はお立ちか」の前奏のメロディは、あれは映画「ゴヤの恋歌」のなかで歌われているポルトガルの歌のそれをパクッているのではなかろうか。勝太郎には似合っていない。
2004 4・17 31

* シューマンの「詩人の恋」を聴いている。フリッツ・ヴンダーリッヒの柔らかい静かなテノール。
2004 4・29 31

* ヴンダーリッヒのテノールに陶然と耳をあずけながら、武林無想庵の「ピルロニストのやうに」を校正している。ドーデーの「サフォ」やアルツィバーシェフの「サーニン」の翻訳者としてよく知られ、わたしなど学生の頃はよほど大きい存在のように思いこんでいたほど、昔は有名な書き手であった。その人の仕事の中でも、この「ピルロニストのやうに」は甚だ特異な顔付きをした作品である。
ピルロニストとは、ピュロンの思想に追随する者というような意味で、ピュロンは世紀前四から三世紀頃のギリシアの懐疑主義哲学者。いろんな孫引きに従って謂えば、ピュロンは、なにごとに対しても、絶対の判断中止(=エポケー)により、心乱されない静寂(=アタラクシア)を産み出さねばならぬし、それは可能と説いて、「神の如く静かな」境地に至っていたと、愛弟子ティモンにより詩に歌われている。わたしのよく謂う、「静かな心」だ。そしてそれは有り得ないのではないか、「心」の先生も作者の夏目漱石も求めて遂に求め得られなかったのが「静かな心」でるとわたしは言い続けてきた。だがピュロンは即ち「静かな心」が、可能である、それを得た、と言い切る哲学者であった。その限りでは懐疑的ではなかったのかと笑ってしまうが。
「判断中止」は、なかなかの態度であり選択であるが、取りあえず、文字通りの意味に受け取って大過はない。こう書くと、わたしが、この武林作品に興味を持っているのも自然の成り行きなのだが、武林はこの作品によって「ピルロニスト」というより「ダダイスト」と呼ばれたのが事実である。

* 日付はとうに代わり、虚しく、一時過ぎた。椅子の下で素足の足先が冷えてきた。階下で、「東屋」の巻とバグワンを先ず読んでこよう、そのまま床へ入り夢を観よう。
2004 4・29 31

* 昨日、上野駅でデートの若い連れ二人を待っている間に、構内の売店でマドレデウスの「エレクトロニコ」を見つけ、買って置いた。テレーザのエンジェリック・ヴォイス。ヴィム・エンダースの言葉を借りておこう、「彼等の演奏は喜びに満ち、激しさと誠実さに溢れ、テレーザの声ときたら、ほとばしる感情で小さな空間を埋め尽くし、そのために私の鳥肌はいつになっても消えることはなかった」と。とても異風の興趣に富んだバンド演奏がテレーザの声をエレクトロニコに織り上げて行く。「ムーヴメント」とはすっかり趣向を異にして機械音楽と柔媚なヴォーカルとのマツチとミスマツチの面白さ。
2004 5・3 32

* 疲れるとこの機械のDVDでまぢかに「マトリックス」特別版を見ている。映画と音響を独占している感じで感情移入がつよい。キャリー・アン・モスにこう間近に直面するとドキドキする。
そして新しい小説を二篇、「ペン電子文藝館」に送りこんだ。
少しもの憂い気分でいる。しっくりと気持ちがおさまらない。マドレデウスの「エレクトロニコ」を今は聴いている。金属的な機械音に刻まれて、テレーザ・サルゲイロのえもいわれぬ優麗柔美な声音のつくり出す不思議なマッチとミスマッチ。とろりと、聴く耳から溶けて行くよう。映画「黒いオルフェ」の音楽とはちがうのであろうが、通い合うものをやはり持っていそう。あの映画ももの憂く悲しい物語であった。「エレクトロニコ」。はじめは異様に聞こえていた演奏の面白さが、繰り返し聴くに連れ生き生き伝わってくる。躰をすこし揺らしながら、ぼんやりしている。
2004 5・6 32

*  >> なみのせのせに ゆられてゆれて つきのしほぢの かへりぶね
この敗戦直後に大いにはやった歌詞の「表現効果」を、夢のなかでしつこく検討しつづけて、くたびれた。やれやれ。夢の中にいっぱい執着をためているようで、(本人にもわかりかねるが、)しんどいこと。夢には何の意味もないと思うことにしているけれど。
歌い手の田畑義夫(バタやん)には殆ど特別の感じはなかったし、復活してきた初老の彼の声は渋く錆びていて、スタイルなどもわたしの好みでは全然なかったのに、この曲と詞には、後年になるほど心惹かれてきた。
最近、若い日の田畑義夫のこれを唄う歌声を聴いたとき、信じられないほどむしろ小畑実の甘やかな声に似ているのでビックリした。なるほど、こういう唄い口で人気をとっていたんだ。あの当時は男の歌手が甘い声をよくつかった。小畑実などとろけそうな声だったし、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」も近江敏郎の「湯の町エレジー」も甘ったるかった。その裏返しを狙っていたようなディック・ミネでも気取っていて甘かった。楷書でうたう藤山一郎でも甘かった。「いきな黒塀見越しの松に あだな姿のお富さん」の春日八郎でも、万博音頭の三波春夫でも甘かった。男の歌謡曲がおおむね甘かったのは、あれも女たちの好みの反映か。みな、「女文化」であったのか。
2004 5・7 32

* 宵から長田幹彦を校正し、倦むと、DVDの映画をみたり、仕事をしながら音楽を聴いたり。マドレデウスの「エレクトロニコ」が、いまも機械的なリズムを刻みながら、艶やかなテレーズの美声が絹の布の風に吹かれるように優美に流れている。とてもセクシイ。まるで強い男と優しい女とが深く抱き合い愛し合っているかのように「音楽」を成している。「舞踊」も見えてくる。不規則な雑音すら混じってくる。舌と舌との鳴るような音も聞こえる。
2004 5・14 32

* 眠くなってきた。マドレデウスを聴きながらもう少し校正して、今夜は早く寝床に入り、シェイクスピア劇を読み上げてから寝たい。

* マトレデウスのテレーザ・サルゲイロの声に魂を浸している。昨今、わたしを、(励ましはしないけれど、)しっとりしみじみ慰めてくれる一番の声援は彼女の歌声。うそいつわりのない愛情と世界苦とが耳に流れてくる。
さ、今日も過ぎて行く。わたしもまた過ぎ行こう。
2004 5・18 32

* 上野駅構内でたまたま見つけて買ったマドレデウスの「エレクトロニコ」を聴いている。「ムーブメント」はしっとりと濡れた情動そのものを世界苦のせつなさで歌うが、これは、「機械音」と美しいヴォーカルとの巧緻に計画された合唱・合奏の面白さである。強い男と深い女との、とも謂える。聴き込むにつれて新たな魅力があり、セクシィですらある。
2004 5・28 32

* 美空ひばりの特集を聴いた。すこしも古びない本格の歌唱力。詞の読み込みの透徹度。時代を呼吸して時代を超えてゆく本質の藝。何度も何度も泣かされた。好きな歌は枚挙に遑無いが、わたしの葬儀にはわたしにだけ「川の流れのように」を聴かせて欲しいと妻に頼んだ。
この歌を聴いていると、はじめてチビの黒い雀みたいなひばりを、家からはだしで駆けていって、あの吉井勇の白川の歌碑のまぢかで、人垣をもぐり込むようにして手も触れそうに相見た戦後少年の昔から今日までの人生が、ありありと絵巻のように蘇るのである。あのひばりとの出逢いはあれがわが初恋であったのかも。「愛燦々」は作品として見事だが、「川の流れのように」はいとおしいまで自分の生きを、そして共に生きてきた時代の哀歓を蘇らせる。わたしの代わりに、わたしを、ひばりが歌ってくれている。そんなふうに感じる。
2004 6・23 33

* シューマンの「詩人の恋」をフリッツ・ヴンダーリヒのテノールで聴いている。荷風の「ADIEU」を校正しながら。「すみだ川」や「冷笑」や「つゆのあとさき」や「墨東綺譚」や「踊子」の荷風は知っている。この作品の荷風は、知識としては知っていても作品を通しては初めて出逢う。「あめりか物語」は少し読んでいたが「ふらんす物語」の一節に出逢うのは初めて。ふーんと唸って読んでいる。
2004 7・7 34

* 次の湖の本のスキャン始動。深夜に太宰治「裸川」の校正往来二つ終えた。ムローヴァのバイオリンがずうっと静かに鳴っている。チャイコフスキーとシベリウス。階下から、音楽が響きすぎると注意報。いつもより少し早いが階下ですこしくつろいで、早めに床に入る。
「ゲド戦記外伝」の収録作品はみな読み終えた。アースシー世界の解説が読み落とせない。田辺元・唐木順三の大冊往復書簡集は読み応え十二分。「浮舟」は、横川の僧都にねだって落飾した。この辺はすこしスリリング。近代小説の感じがする。「今昔物語」では、昨夜、あの、藁しべ長者の原話を読んだ。オウオウと声が出た。
では、おやすみ。
2004 8・2 35

* ウービー・ゴールドバーグ主演の「天使にラヴ・ソングを」をキッチンで独りで観ていた。初めてではないが。佳いところへ来て佳い歌声が上がると、声に隠れてクーゥッ、クーゥッと、喉を鳴らして感動して泣いていた。音楽には弱い弱い。若い瘋癲だと苦笑した。
2004 8・6 35

* カマロン・デ・ラ・イスラの「ポトロ」などフラメンコの曲を聴いている。バルセロナの人であったらしいが、故人であると。「濃い~ぃ中身」と聞いていたが、いま機械の中から鳴り響く音響は、楽器もボーカルもタップも、なるほど、すばらしい。呉れるのはこれだけで足りていた。「竹鶴」の21年ものなんてはり込み過ぎです。何か晴れの時がくるまで栓も抜けないもの。
2004 8・18 35

* 浅井奈穂子さんのお父上から、またピアノリサイタルのお誘いがあった。十月である。今度は何を弾かれるのか。
2004 9・2 36

今日は普通のお天気。
いま、並木路子と霧島昇の「りんごの唄」を聴いていた。今は田畑義夫が「かへり船」を歌っている。
目の前の大きな日立のディスプレイがあの地震で音立てて揺れたから、ほんとに驚いた。このディスプレイの上に、使い古したパスネットカードが二枚立っている。
一枚は村上華岳の名作「裸婦図」でもう一枚はモジリアニの美しい「ジャンヌ・エピュテルヌの肖像」です。みごとな対照で最良の繪合。ティスプレイの右脇には、切り抜いた興福寺「阿修羅像」のみごとな顔と、卒業生クンの家で生まれたての赤ちゃんの顔とが。たとえ写真でもいつも佳いものに目をとめているのは幸せなこと。目は、いつもこういう美しさで洗っていたい。
「異国の丘」がきこえてきた。少年の昔、息をつめて聴いたものだ。
2004 10・7 37

* MADREDEUSの「EXISTIR」を聴いている。手にした三枚目の盤で、これはバラエティが楽しめる。ヴォーカルのテレサ・サルゲイロの身にしみる美声もたっぷり楽しめる。ポルトガル語はまったく聴き取れないのだから、ヴォーカルも楽器も、純然の音楽として楽しめる。感情移入も音楽そのもの。全体に静かな音楽が波打っている。わたしの祈りを自在にかぶせながら聴き込める。
2004 10・7 37

* 体育の日らしからぬ曇った天気。夕方まで、校正したりスキャンしたり本の寄贈の挨拶文をつくったりしながら、機械でマリア・カラスのオペラ名曲集を聴いていた。圧倒的なソプラノに言葉もない。幾つか知った曲もあるがそれには拘らない。今・此処に、素晴らしい「音楽」が鳴り響いていると思うだけのこと。
2004 10・11 37

* 千住真理子の意欲的なパガニーニ「24のカプリース」をとても面白く聴いている、今。なにともいえず必然のつよみが感じられるきりっとした演奏、とても好ましい。並んで、秦始皇帝の大兵馬俑を覗き込んだとき、言いしれぬもの哀れに心騒ぐように、彼等が鎮魂慰霊のバイオリン演奏を「此の場で、出来ればしてあげたい」とわたしに呟いた人を思い出す。
2004 10・19 37

* 千住真理子のパガニーニ「24のカプリース」がこんなに聴いて楽しい尖鋭で硬質な美しい作品とは、初めて気付いたアンバイで、少し恥ずかしい。この盤はこれからながくわたしのお気に入りの最たる一つになりそうだ。
概してピアノ曲をたくさん聴くわたしで、バイオリンは、ヴィクトリア・ムローヴァのチャイコフスキイ、シベリウス、ビュータン、そしてパガニーニ「コンチェルト第一番」しかディスクでは持っていない。そういえば、余儀なく、レコード盤で音楽を聴くことがなくなった。かなり佳い盤が数有り、惜しいなと思う。なかにグルジアのホテルで手に入れたとてもいい「マリア讃歌」がある。
あすお招きの浅井奈穂子さんのピアノリサイタルは、ベートーベンとモーツアルトと、それから「展覧会の絵」だと聞いている。
颱風一過でめでたい。どうなるかと思った。
2004 10・21 37

* 演目は前半に、モーツアルトの「幻想曲」とベートーヴェンの「ワルトシュタイン」、後半にムソルグスキーの「展覧会の絵」。選曲宜しきを得て、珍しいモーツアルトが聴けた。重厚でちからづよく、これがあの軽快なモーツアルトなのと驚くほど、ベートーヴェンにさも似たほど、底知れぬ深みの、しかも実に美しい音の鳴り響く幻想曲でわたしはびっくりし感嘆した。また聴きたいと思い、力強く拍手できた。演奏の力みなぎってしかも大柄に安定していたし、何より音響の音楽的に美しいのが嬉しかった。
つづく「ワルトシュタイン」がまた、第一楽章がまさに美しき颱風、第二楽章が流れる川から河への豊かなうねり、そして第三楽章がかがやきわたるあけぼの色の美しさと力づよさとで、わたしは舌を巻く思いがした。この曲も繰り返しいろんな人の演奏で聞いてみたいと思っていた。盛んに拍手。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」は独特のプロローグを繰り返しながらいろんな絵画の印象を音楽にしていて、どちらかというとわたしは苦手にしてきたが、なんと今日の十六曲は興趣横溢して耳も眼もぱっちり開いて、面白く感心して聴けた。
浅井奈穂子のピアノは、とてもいい意味で、力強い。容量も響きも音色も大きくて、美しいのが魅力。しかも流石に年々に安定して確かな色彩を放っている。とてもとてもお父上の義理で聴きに行く演奏会ではない、モスクワやイタリアを中心に国際的な声価と地位とは年々に高く、派手ではないが確実な活躍ぶり、お誘い下さり万々有り難い、嬉しい年中行事となり、私たちはただただ厚かましく押しかけている。
そして九時半過ぎには、もう家に帰っていた。中日ドラゴンズが西武球場での対戦を勝ち凌いで、三対二と逆転して名古屋へ帰って行く、その九回の裏の西武敗退を見届けることが出来た。
2004 10・22 37

* 福原百之助の笛の名曲をもう一時間もじいっと聴いている。嵯峨野秋霖、飛天など、粛然、眼閉じ、深く深く闇に沈透(しず)いて底知れない。
2004 10・23 37

* 水天宮まえのスイレンでラーメンとマオタイを狙っていたが、賛成が得られず、どら焼きを買って帰ろうと楽しみにしていたのにもう閉店していて、仕方なく手ぶらで銀座経由、池袋経由、帰宅。お萩が買ってあり、えたりやおうと食べた甘味がよかった。
2004 10・28 37

* 千住真理子のパガニーニ「24のカプリース」がこんなに面白い、こんなに美しいソロバイオリンだとは。「耳」からウロコが落ちたみたいに聴き入っていた、今日は。戸外の雨音をしずかな陪音にとりこみながら。
大学時代だった、さあ、二回生か三回生になるその頃だろう、大学を出たところで英文科の吉岡義睦教授(名誉教授)とパタリと出会った。実父方祖父吉岡誠一郎の弟だ、実父吉岡恒の叔父にあたる人だが、当時のわたしにはそれとも正確には知らない、へんに気のつまる親戚風の人であった。なにやらわたしにはワケの分からない親戚風の大人が、父方にいろいろいたのである。生母方にもいたのだが、まったく触れ合わない世間であった。
大叔父さんはわたしを認め、電車を、一緒に三条河原町で下車した。あれはわたしの帰り道に合わせてもらっての下車だったかも知れないが、大叔父はわたしを近くの鮨屋に誘い、たしか鮪の鮨を御馳走になった。
その間にもいろいろ聞かれたり話されたり答えたりしていたけれど、そのうち、専攻の美学藝術学や、わたしの美術への関心に触れてであろう、「音楽は」と聞かれた。大叔父の謂う音楽とは、西欧のクラシックのことであった。わたしは、それ以前に印象にあるクラシックはといえば、弥栄中学から四条河原町の公楽会館だろうか、いや京都新聞の会館であったか、どかへ聴きに連れて行かれた「運命」の、ドドドドーンだけであった。謡曲や歌舞伎囃子なら聴いてきたが。
で、そう返辞したのだと思う。なにしろ妻と出逢った頃、音楽について聴かれ、「美空ひばり」は天才だと答えてそれだけだったために、痛く失望させたような「美学」の徒でしかなかった。
大叔父の吉岡教授は、おだやかに「音楽」がいかに素晴らしいかを説き聴かして、専攻の学問には「音楽」も含まれているはずだと、もっともなことを言われた。わたしは素直に聴いた。何の反撥も反駁もなかった。
翌年「音楽概論」を選択した。甚だ有名な、中国人のような姓名の教授であった。名は忘れた。いきなり毎回クラシックのレコードをながながと聴いて、わたしはかなり毎時間退屈した。しかしまたわたしはその頃持て囃されはじめた「ハイファイ」なるものに興味を持ち、四條河原町の東北角に出来ていたナショナルの「ハイファイ試聴室」へ行き、たぶんサラサーテの官能的な弦楽などに少し惹かれたが、ま、そんなところであった。
しかし、四回生の師走ごろに、妻が下宿していた家の女の高校生に、クリスマスプレゼントをするというので、わたしがバッハの「シャコンヌ」を選んでいるのだから、少しく進歩していたのだろう。
今では、美空ひばりが祟ったか妻は、パソコンのトランプゲームや新聞のクイズが好きで、わたしは少しずつ少しずつクラシックの愛盤を増やしている。場所を取るレコード盤が聴きにくいのが本気で残念なのである。
繪を観るためには脚を遠くへ運ばねばならないが、印刷の繪ほど割り引かなくても音楽は洋の東西となく、かなり佳い音で身近で聴ける。けっこうクラシックが好きになり、満足するつどあの大叔父先生の遺産を貰った気がして、感謝。

* 明日は散髪し、明後日は自信のない診察を受けに行き、土曜には卒業生クンの結婚式で少し話すことになっている。日曜には友枝昭世師の能「柏崎」が楽しみ。「柏崎」という短編小説を書いて何年になるか。あの『修羅』のなかの一編、好きだった。

* カマロン&パコ・デ・ルシアのフラメンコ曲「ポトロ」を聴いている。早口に駆け抜けて行くようなヴォーカルもいいが、パコのギターの音色や、リズムを刻む手足の打楽器に似た弾みにも胸がさわぐ。カマロン・デ・ラ・イスラは若く死んだ。四十二歳に達しなかった。

* 「ポトロ」の歌詞は、九つある曲のどれも、うしなう愛の悩み哀しみに溢れてせつない。詩の洗練を湛えて。

* 賢者に尋ねた
死の後になにがあるかと
賢者は答えた
それは誰にもわかない   とカマロンは「情熱の迷路」を唱う  ただ神のみぞ知る と。

* そうか。それなら見にでかけよう。
2004 11・3 38

* 一日機械の前にいて、いくつもの用事を済ませた。『珊瑚集』を巻末までスキャンしたが、相変わらずひどい識字。近藤富枝さんの「水上心中太宰治と小山初代」のスキャンは、ま、順調そうに思われる。
雨で。冷える。スキャンのあいだ、マドレデウスの「エレクトロニコ」を鳴らしていた。「ムーブメント」とは違う味わいで、これも好き。
2004 11・18 38

* 今夜はわたしも眠くてもうもたない。学会で鶴見までと思ったのも断念した。出れば食べて呑んでしまう。良くないに決まっている。睡眠が一の薬だ。みづうみに沈透(しず)いて眠る。さっきまで月光、情熱、悲愴を聴いていた。階下ではウッディ・アレンの「マンハッタン」を観た。眠い。
2004 11・27 38

* ベートーベンの三大ピアノ曲を、ホロヴィッツとアシュケナージで繰り返し三度四度と聴きながら、余儀ないスキャンを八十頁ほど敢行した。途中一度、十二頁分ほどあやまって消去してしまい、二度手間になった。さて、スキャンの成果は。
会員作品、送られてきたプリント用紙がばかに大きく、ムリにスキャナーに据えてみても、行の上と下と二三字ずつ、前と後ろが三四行ずつ、欠け落ちている。校正しながら書き起こさねばならない、間違いがでやすく、閉口。私より一つ年上の女性会員だが年相応の病状や日常が次から次へ現れ、同情もするが身につまされゲッソリ辟易もする。
そして不正メールの多いこと、日に三十本ほども見ないで削除するヘンテコメールが舞い込む。どうなってんだろ。
2004 12・19 39

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