ぜんぶ秦恒平文学の話

音楽 2005年~2006年

 

* 二日に聴いた太左衛さんらの「四季の壽」のめでたい詞がしきりに耳に蘇る。めでたい語彙なのではないが、「京の町のヤショーメ」の「ヤショーメ」は、亡き父の口ずさみで聴いた頃から印象的だった。「八瀬女」である。

あの唄に何度も「蛤子、蛤」と唄われる。蛤はむかしから女性になぞらえ謂われてセクシイな喩になっている。我が家は、昔から、大晦日にはじまり三が日、晩の食事には蛤椀を欠かしたことがない。その蛤を買いに行くのが、東京での暮らしではわたしの役目にされていて、大晦日に町に出掛けて三十、四十と買って帰る。今年の蛤はとても上等で美味かった。

あすは、七草粥で雑煮を祝う。野菜嫌いなのにわたしの大好きな粥で、こればかりは青い野菜が真っ白い粥を清くいろどり、見るからに嬉しい。

2005 1・6 40

 

 

* バッハの「平均率クラヴィーア曲集」の第二巻を手に入れて、今も、聴いている。プレリュードとフーガ。二枚のディスクに24曲入っていて、フリードリヒ・グルダが、なんとも懐かしく、静かに確かに音色もいろいろに「クラヴィーア」を鳴らしてくれる。聴き入っていてよく、聴きながらほかの仕事をしていても心地よい。身の傍で、こころゆるした伴侶がさらさらと、聴かせるとなく四方山の話をしてくれているようだ。そうだ、人はみなこのように快く静かにはなせばいいのだ。

もう一枚、お気に入りのマドレデウスの一枚も、ありがたく手に入っている。「Um Amor Infinito」の題が佳い。

未だ、在る。わたしもいろんなものを手に入れる。それは玉三郎が踊る「鷺娘」などの舞踊DVD。美しいもの、静かなもの、は、こよなく佳い。比較的大きめのディスプレイが、われ独りの贅沢な時に役立ってくれるのである。

2005 1・27 40

 

 

* マドレデウスの、砧をうつような、鍼を鳴らすような、霧に閉ざされた湖心へ声をはなつようなボーカルを聴きながら、珍しくこの正月の「私語」を読み直していた。

2005 1・27 40

 

 

* 心経の校正をしながら、耳には、マドレデウスの「ムーヴメント」を繰り返し聴き続けていた。この盤に惚れ込んでいらい、目に付くとマドレデウスを買い足しているが、やはり最初のこの「ムーブメント」の各曲が好きでしびれる。ポルトガル語はむろん分からない。しかし日本語に歌詞を訳したものもあり、あまり字が小さいのでなかなか読みはしなかったが、新スキャナーの威力を借りてスキャンし、字を大きくしてみた。フィロソフィカルなロマンティックな好い詩がついている。

2005 2・18 41

 

 

* 花粉がまず、はなへ来ている気配。今日はとても天気冷えている。

 

* 仕事の合間に、いま、マドレデウスの「存在 EXISTIR」を聴いている。存在のなげきかなしみを唄っている。むしろ他界無限の非在へ誘うような歌声である。

2005 2・19 41

 

 

* わたしは、ありがたく、こういうメールにより、耳の汚れる、気色わるい世間とのバランスをとるというか、いやいや消毒され清まはっているか。はかり知れない。

マドレデウス「ムーヴメント」の歌詞を、高場将美さんの訳で、一つ、聴きたい。

 

* 1  あこがれ

 

わたしがあこがれて求めるものは

この社会の

最後の

ヴィジョン

わたしはさすらう

真実の上に

根をおろした

夢の中を

 

わたしが告白するのは

感受性のない印象

――そしてわたしは祈る

歌のなかに

ほんの少しの光明!

 

わたしがあこがれて求めるものは

たしたちの時代の

全体的な

ヴィジョン

その時代を運んでいくのは

現実とは

反対の

いろんな説

 

わたしは告白する

まだそれでも

すべての意志を

なくしてはいないと

人類の

すべての

写真を

今からでも撮りたい

 

わたしがあこがれて求めるものは

混乱の

真っ只中でも

ひとつの理由

そしてわたしは待つ

あなたが

止まって

話をしてくれることを

 

*「あなた」が見つからない。道に惑い、胃が痛む。もう一つ、書き写させて欲しい。

 

* 4  ラビリンス

 

わたしは孤独の迷路に迷い込んだ

感じた

動かない場所が積もった

山があるのを

そして昇った

 

そして目もくらむ未来の

探い谷底に

降りた

 

太陽を探し求めた

海を探し求めた

 

でもあなたはいなかった

風景の空のなかに

ここから

結局わたしは出られなかった

 

でもあなたはいなかった

風景の空のなかに

わたしはわからなくなった

自分が旅をしていることが

 

もう記憶よりも柔らかくなってしまった石に

わたしは書いた

時の文字で書いた

それを苔(こけ)が覆ってしまう

 

希望が

わたしたちのまなざしにくれる輝きの文字で

わたしは書いた

 

でもあなたはいなかった

風景の空のなかに

わたしはわからなくなった

自分が旅をしていることが

 

でもあなたはいなかった

風景の空のなかに

ここから 結局わたしは出られなかった

 

でもあなたはいなかった

風景の空のなかに

わたしはわからなくなった

自分が旅をしていることが

 

* わたしは、「あなた」を「=道TAO」と読む。

2005 2・20 41

 

 

* ワグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」を全部録画しようとし、その第一部だけを面白く観た。聴いた。のこりは朝までかかるので、もう寝てあとは機械に任せよう。

2005 3・25 42

 

 

* マドレデウスを聴いていた。十六曲。堪能。今はマーラーの交響曲五番第一部の二を選んで聴いている。クスクスわらってしまうほど、タイソーな音楽であり、しかし到底凡ではない。複雑に組み上げた構成音が強弱大小ともに、奥の方からしっかりとよく鳴る。

2005 4・28 43

 

 

* フリードリヒ・グルダの平均率クラヴィーア曲集からブレリュードとフーガ第一番から二十四番までを聴きながら、インターネットのサーフィンで宵のうちをすごしてしまった、いろんなものに出逢った。オヤオヤと興深いのにも出逢うし、行けども行けども蕪雑な荒れ野ばかりであったりもする。

2005 5・3 44

 

 

* 病院はいかがでしたか。眼のほうも心配していました。視野検査はお疲れのことでしょう。

今日は風が肌寒い薄曇りでした。一日バッハを聴いて過ごしていました。 武満徹は、作曲を始めるときにはたいていバッハの「マタイ受難曲」を聴いてから、始めました。彼の愛してやまないこの曲を、まるで魂を清める儀式のように聴いていたそうです。「マタイ」は偉大すぎて、百回聴いてもまだ手の内には入りません。もう片方の名曲「ヨハネ受難曲」、最近、ようやくこの曲の芯に近づいてこれたと思います。  春

 

* 大学の頃、吉岡の大叔父に、美学を学びながら西洋の古典音楽を聴かないなんてとわらわれ、発奮して聴き始めた最初が、無伴奏のバッハ、バイオリン曲であった。画家の「山名君」の感化があり、バッハのピアノ曲を近年もたくさん聴いてきた。

だがピアノ曲ではベートーベンの三大コンチェルトがわたしのようなモノには分かりよくて、弾き手を替えては、繰り返し聴いてきた。

2005 5・11 44

 

 

* 「FADO」ヘキがやや高じて、アマリア・ドロリゲスを手に入れてきた。マドレデウスのテレーザ・サルゲイロの、瞑想の底で甘美に憂愁を湛え美声を噴き上げる、あんな歌い手ではなく、キッパリと乾燥していながら深い歌い方をしている。

2005 5・26 44

 

 

* 美空ひばりを偲ぶBSの長い番組を、前半の途中から最後まで、打ち込んで、見ていた。その歌唱力、日本語を読み込む詩的能力、人生と藝とにかけた類い希な精力と誠実。なにを云うこともない、わたしの人生で、遠くからいつも同世代の最強の戦友のように眺めていた、愛していた、真の天才。比べる者の誰一人居ない天才。

もう何度も何度も何度も見て聴いてきた曲の一つ一つが感動の渦を胸いっぱいに巻く。そして「川の流れのように」へ辿り着くと、畏怖にちかいほど自分の人生も顧みられ、ああ自分も、だいたいこの感慨を今まさに実感にして生きてきた、ひばりもきっとそうだったと、シンとした気持ちで、熱い涙を溢れさせるのである。

わたしが死んだら、この曲をどうか繰り返し聴かせてくれと、毎度のように、今夜も妻に頼んだ。

玉三郎や勘三郎と同時代にあるのは、嬉しい。ひばりと同じ昭和を生きてきたことは、嬉しいと云うよりもじつは誇らしいとさえ、わたしは感じてきた。小学校六年か、中一の夏休みだったか、祇園の白川筋で人山をかきわけて間近に見た、ロケハンだったらしい、あの、ちっさい黒い雀みたいな女の子が…ひょっとすると、わたしの初恋だったのかも。

2005 6・3 45

 

 

* 三鷹市藝術文化センターの「風のホール」で、武蔵野ミュージックアカデミー代表浅井奈穂子さんの企画になる「韓国三大テノールの夕べ」に夫婦で招かれていった。伴奏は浅井さんと橋爪淑恵。テノールは、リー・クワンスン、チェー・スンウオン、キム・チョルホ。七時から二時間余、しんから楽しんだ。アンコールにもたっぷり応えてもらい、充実したプログラムと佳いホールで、私たちは二階正面の最前列に席をえて、堪能した。曲はポピュラーなものもまぜて飽かさず、中には「川の流れのように」もサービスされて、テノール自体も三人三様に上等だった。

浅井さんのピアノ伴奏の音の柔らかな深さに新鮮な感動を覚えてきた。いつもは、このホールやサントリーホールで浅井さんのピアノを聴くのだが、今日は企画ものであった。お父上が「湖の本」の読者なのである。

 

* 明後日は、新劇。「八月の鯨」これも楽しみ。京都大会に行かないと決めたので肩に荷が無く、十月上旬はゆっくりできる。

 

* うっとり眼をとじてしまうと、引き込まれるように寝入って行く。はっと目をあいて、だが、また眼をとじている。オリサイタルの前に、妻に強いて三鷹駅前で夕食に食べてきたロースカツが、久しぶりで、うまかった。あのときのビールがいまごろ眠気になっているのか、いま日付の変わる正零時。

2005 9・27 48

 

 

* すぐ新宿へ移動して、タクシーで新国立劇場のオペラ館へ。真中央の特上の席をもらっていて晴れがましいほどであった。

オペラは二つ、先に「修道女アンジェリーカ」次ぎに「ジャンニ・スキッキ」で、こちらへ、招待してくれた沖野夫人の子息が、テノールで出演していた。作曲はプッチーニ。二つとも巧みな演出で、人物の配置と移動が動的にも静的にも流れるようで、また的確。これが快くて舞台に惹かれた。音楽的なことはわたしには批評できない、ドラマとしては二つともたわいない単純なものだが、人間の肉声が渾然と交響し調和する楽しさには文句の付けようがない。大感動の楽劇ではないけれど、一つは敬虔で清楚な聖母讃歌、一つは死者の枕頭でくりひろげられる醜く道化た人間の貪欲と無頼が喜劇的に描かれているだけ。しかし音楽というつよい魅惑がそこに君臨し、要するに楽しいし、心地よいのである。晴れやかな劇場の中央にラクに腰掛けて、のんびりしてきたといってはわるいか。

京王新線から大江戸線へ、そして西武線へと乗り継いで十時に帰宅。

2005 11・5 50

 

 

* 久しぶりにヴラディーミル・アシュケナージの「月光」を聴いている。思えば随分永く機械で音楽が聴けなかった。

2005 11・28 50

 

 

* 千葉のE-OLD勝田貞夫さんに、なんと! ステレオ音源による「美空ひばり名曲全集」12ディスクを頂戴した。歌詞集も付いている! わたしは自分で、ひばりに限らず演歌や歌謡曲を歌うことはない、が、ひばりだけは抜群の日本語理解と歌唱力の故に、少年時代から熱愛して聴いてきた。なにかしらいつも仕残した仕事の一つに、ひばりのこと、がある気がしてもいる。

ひばりの実像に出会ったとき、わたしは中学生に成る成らずであり、一二歳ちいさいひばりはもうスターとしてウチの近所へ何かの用で来ていた。人だかりに囲まれて「ちっこい黒い雀みたいなヤツ」に見えた。

あの頃、わたしはだがもう「短歌」を創っていたが、歌集『少年』は、すべて高校以降の作だけで編んだ。文学体験の最初に編んだ短歌集『少年』が、古稀を記念すべくたぶん来週に出来てくる。そして少年の青春につよい刺戟をくれた美空ひばりの全集を勝田さんはたぶん察して、古稀の老年に贈って下さったのだろう。「川の流れのように」七十年がいましも流れすぎて行く。一掬の感傷を、われにゆるせ。

2005 12・9 51

 

 

 

 

* もう会期の切れる当代の「楽茶碗」を、もう一度観に行きたかったが、美ヶ原への留守二晩のあいだに黒いマゴが額や耳を傷めていたらしく、改善しないので獣医に診せに行った。完治にはしばらくかかるらしく、五日に一度ほど投薬を受けに運ばねばならない。

発送の用意もまだ半途、じりじりと手を付け、前進を怠けることはできない。六日の木挽町までに用意をほぼ終えておきたい。

めずらしくもう十日以上都内へ出ていない。おかげで心おきなく夜更かしして、いろんな本読みを楽しんでいる。

今日は一方で映画「マトリックスリローデッド」を面白く途中まで観ていたし、「志ん生正月」でひさしぶりに「大津繪」の喉に堪能した。古今亭志ん生の小唄は、秀逸の極み。三遊亭圓生も、もろもろの音曲に長けていた。わたしは彼等の咄や噺も大好きだが、歌藝にもゾッコンなのである。この先の老いの坂で、日々の暮らしではなるべく耳の楽しみをと思っている。眼をすこしでも労るために。

謡曲、鳴り物、小唄端唄、俗曲。

むろん西洋の古典音楽も、歌曲も、マドレデウスのようなのも。いきおい人づきあいからわたしは離れて行くだろう、少なくも我からそれを追いはしない

2006 1・30 52

 

 

* 暫くぶり、マドレデウスの「ムーヴメント」を繰り返し聴く。

2006 2・21 53

 

 

* どういうワケか使ったことのないソフトを介して、さっき聴いていたヴィクトリア・ムローヴァのパガニーニとビュータンのヴァイオリン曲が機械に保存され、ディスクなしでいつでも聴けるようになった。なんで、こうなるの。有難いが。

わたしの希望は美空ひばりの好きな曲だけを二十曲選んで、いつでも外出先でも聴けるようにしたいのだが。その調子でいつでも聴きたいクラシック曲がたくさんある。マドレデウスも真っ先にそうしたかった。

機械の可能性は、向こうの方からこんなふうに知らないうちにひろがる。

2006 3・3 54

 

 

* 今日は、夕方、目白で秦建日子作・演出、若い人達の「比翼の鳥」を観てから、サントリーで浅井菜穂子のピアノリサイタルは、ベートーベンなど。

2006 3・18 54

 

 

* 正直の所、わたしは、今日は熱っぽくてだるくて元気でなかった。ぐたっとしていた。ちまちました普通の芝居なら吐きけを訴え逃げだしていただろう。そうならずに済んでよかった。

小雨の中を目白から渋谷経由で溜池山王まで走り、サントリー小ホールで、今度は浅井奈穂子のピアノを聴きに行った。なんと、四列目の真っ正面、茶室でいえば正客席がわれわれに用意されていて、隣に元新潮編集長坂本忠雄さん夫妻。

演奏はもう、番組最後のベートーベン「熱情」が圧倒する魅力のすべてで、それは出向く前から十分期待できた。前にも浅井さんの「熱情」は聴いていて、あまりのすばらしさに日経新聞のコラムに書いたこともあったが、今夜の演奏は言うも愚かな好演奏で、気分のだるさも重さも大砲の十門ほどを一度にぶちこまれたようにふっとんでしまい、気分も颯爽として、タクシーで帝国ホテルのクラブへふっとんで行った。

空腹をみたしながら、レミ・マタンと重厚なウイスキーを機嫌良く呑み、これぞとっておきのブランデーというのを勧められ、ボトルを買い置きしてきた。年度替わりのサービスにワインを一本土産に貰って帰った。

ベートーベンの人気のピアノコンチェルトのなかでも、わたしは、「熱情」が好きで、盛期のホロヴィッツと、G.グールドと、浅井奈穂子此の盤を何度も何度も聴いている。音楽会は苦手だが、こういう好きな大曲がメインの晩は、ま、それにつられて足を運ぶ。浅井さんのご招待も、もう十年できかないだろう、感謝している。今夜は「熱情」のほかに、第一部でバッハ平均律クラヴィーアとベートーベン、第二部の始めにモーツアルト。結果的にはいずれも「熱情」の前の前座めいたほど、いい「熱情」であった。

2006 3・18 54

 

 

* バッハのプレリュードとフーガ、一番と十四番をグルダのピアノで聴きながら、考え考え、原稿を書いていた。

2006 4・3 55

 

 

* グレン・グールドのピアノを聴いている。ベートーヴェンのソナタ第30.31.32番。とても佳い音。

2006 4・4 55

 

 

* 新しい機械にマドレデウスの「ムーヴメント」やホロヴィッツの「熱情」「悲愴」アシュケナージの「熱情」ムローヴァのバイオリン曲、それにカンツォーネなどをインポートした。少しずつ新機に馴染んでゆく。

2006 5・30 56

 

 

* 有り難いこと。

マドレデウスに反応して戴けて、ワケもなく、にこにこ。マドレデウスのアンサンブルもけっこうだが、何と云っても魅力は「テレーザの声」で。とくに「ムーブメント」のテレーザには痺れる。偶然に手に入れて以降、少し買いたしてあるが、機械音効果のいい「エレクトロニコ」も好き。

能「歌占」は身につまされる能で、観ると、どこかで泣いてしまう。

2006 5・31 56

 

 

* 有り難いこと。

マドレデウスに反応して戴けて、ワケもなく、にこにこ。マドレデウスのアンサンブルもけっこうだが、何と云っても魅力は「テレーザの声」で。とくに「ムーブメント」のテレーザには痺れる。偶然に手に入れて以降、少し買いたしてあるが、機械音効果のいい「エレクトロニコ」も好き。

能「歌占」は身につまされる能で、観ると、どこかで泣いてしまう。

2006 5・31 56

 

 

* マドレデウスをきいたあと、マリア・カラスを聴いている。テレーザのヴォーカルも懐かしく、カラスの絶唱もすばらしい。もう夜更け。さあ、やすもう。

2006 6・4 57

 

 

* マーラーの交響曲五番を機械にインポートした。

2006 6・6 57

 

 

* 金澤の細川画伯と先夜ながなが電話で話したあとへ、今日長い手紙と何枚か最近の画蹟を、丁寧な写真に撮って送ってきてくれた。眼をうばう、みごとな風景画、そして花の繪。嬉しい。よく描いた。さすがである。原画を一枚でいい、買いたくなった。リヒアルト・シュトラウスの歌曲「FOUR LAST SONGS」をエリザベス・シュワルツコップの歌っているCDも贈ってくれた。このごろ、始終これに聴き惚れていると。感謝。

2006 6・12 57

 

 

* 月光。しずかに静かに。アシュケナージのピアノ。

2006 10・1 61

 

 

* 昨夜おそく階下に降りてテレビをつけてみると、現代のバイオリン協奏曲を女性が演奏していた。あれは私の好きなヴィクトリア・ムローヴァであったろう、見事な演奏ぶりであった。

そのあと、日本の田口選手が活躍場所をえたカーディナルスが、リーグ優勝する最後九回のすばらしい攻防を観た。田口壮をわたしは日本にいるうちから何となくいい選手だと気に掛けていたが、大リーグを目指して出国したときは正直危ぶんだ。危ぶみながら気に掛けてニュースを追っていたが、イチローや松井のようにはやはり行かず、苦労に苦労を重ねながら粘っていた。わたしは応援した。アメリカの大リーグでリーグ優勝し優勝に貢献もしていた田口壮選手に拍手する。

イチローは偉大だが、田口のような選手にも、わたしは共感を惜しまない。

2006 10・21 61

 

 

* マドレデウスの「ムーヴメント」を聴きづめに仕事していたが。三時半、ネット、回復せず。もう一度医院へ出直す。健康診断とインフルエンザ予防接種。

九時過ぎても回復せず。

明日は歌舞伎座昼の部のみ。「先代萩」を菊五郎で。踊りを三津五郎で。

2006 11・9 62

 

 

* 高麗屋の奥さんから、松たか子の「みんなひとり」という歌盤の、まだ市場に出ていないらしいのを貰った。竹内まりやの作詞そして作曲。

詞から、よく気持ちが伝わってきて。嬉しく頂戴した。感謝にたえない。

松たか子自身の作詞作曲も二つ。しなやかに心優しい詞句で、文章を読んでもハッキリしているが、この若い女優さんの才能は、舞台の上だけでなく、文藝でも突き抜けたものを持っている。思いが一段と正しく深まれば、落ち着いた気品が文章にしっかり添うだろう。父幸四郎丈との二年予定の往復書簡も気が入っていて、とても興味深い。お父さんも娘に胸を貸し、とても気張っている。娘は本格的に真っ向語りかけてたるみも騒がしさもない。とても佳い。幸せな父と娘の取り組みをわきで見ていると、おもわず涙ぐみそうになる。

あんまり親子でまともに視線を合わせすぎると、「観客=読者」が、話題から、いい親子の芝居から、往復書簡という空気の外へ置いてゆかれかねないのだけは、斟酌されたい。わたしたち読者もその中に楽しくゆったりと入っていたいから。

2006 12・14 63

上部へスクロール