ぜんぶ秦恒平文学の話

音楽 2007年~2008年

 

* 午後、NHKが美空ひばりの、今までにないユニークな大特集を放映してくれた。釘付けにされ、泣いて泣いて、目の縁が燃えそうに熱かった。

呆れる人もあろう、だが、昭和の天才といえば、彼女が一人だけである。そのひばりとほぼ同時代を歩いてきた。すでにスターになりつつあった「色の黒いちっこい雀みたいなヤツ」を幾重もの人の輪をかいくぐって、さわれるほど間近に見たわたしは新制中学に入って、さ、一年生か二年生だった。真夏で、パンツ一枚の素足に近かった。家からすっとんで行った。初恋が芽生えたような出逢いだった。

 

* 何度も同じことを書いている。

今日の、かつてなかったことは、建日子が一緒に、観て、聴いていた。建日子はひばりなんぞ初体験に近いのだ、が、誰とかと誰とかと誰とかとを足してまだそのずっと上を行くなあと嘆賞してくれたのが、じつに嬉しかった。

ひばりの声や演技や歌唱力は褒めるのもヤボ、わたしが心酔してきたのは美しい日本語の発声・発語であった、どんな歌い方をしても日本語が明晰で崩されない。それだけでなく、アアと歌えばアアの意味と深みとが伝わってくる。青いといえば優れて青く、なみだといえばひとしおになみだが感じられ、一語一語の深みと表象とが見える。正確なだけでなく、言葉がただの指示・説明でなく、表現と象徴とに達している。くだらない歌詞と曲とが、ひばりの天才により名曲に化ける。歌そのものに泣かされてしまう。

 

* 泣きながら、拍手しながら、だがなんでひばりにこう惹かれるのだろうと思い続けていた、今日は。

こんなことを言うのは憚った方がいいのだが、わたしが真実「死なれた」と嘆いて身に刻んだ人は、それは何人もある。ある、が、だが、思うつど泣かされるのは、やす香と、死んだネコとノコと、そして美空ひばり。それほど同行者の思いが「ひばり」にはあり、そのセンチメントがどこに湧いて出ているのか、わたしはこれまで自分で自分に封印してその先を考えなかった、が、今日は、泣きながら、封印が溶けてしまう思いにとらわれていた。

 

* わたしがひばりの存在を知り、ひばりの歌「唄も楽しや東京キッド」「わたしは街の子巷の子」「りんごの花びらが」「角兵衛獅子」などを聴き始めたころ、わたしは「孤児感覚」に苦しんでいた。「もらひ子」であることの不条理に乾くほど苦しんでいた。ひばりの歌う歌詞の中に、今はいない「父さん」「母さん」を恋い慕う言葉が出るだけでわたしはひばりに一体化する感情を押し殺すのに懸命を必要とした。ひばりは歌がうまい、天才だと思う方へ方へ自身をリードした。そういう気持ちがわたしの独特の「身内」観を育んだ。血縁よりはるかに濃い慕情を、他人達の中へ注ぎ込みたかった。ひばりのレコードを買う金などどこにもなく、しかし、わたしは現にわたしを魅する「身内」の存在を日増しに身近に疑わなくなっていった。

 

* こんなことは、誰にも言わず気取られもしなかったと思うが、今日、わたしは思わず妻と息子とに、気恥ずかしい告白をしてしまった。肩の荷がかるくなった。

多くの作品や文章の中で、わたしは久しく強がってきた。現実の父や母を恋い慕ったのではやはり全然無かったのだけれど、かっこ付きの「父」「母」にわたしは恋いこがれ、苦しいほどであった時期をもっていた。そこから救い出してくれた人達にたいする感謝は親の恩に匹敵したのである。

 

* 晩は一転、東天紅の料理で、紹興花彫酒を堪能した。建日子がいて、ネコが、マゴとグーと二匹いて、妻と、私。いい歌を聴き嬉しいメールももらい、心晴れて佳い元日だった。「mixi」日記には、この時代…わたしの絶望と希望、を語った。

2007 1・1 64

 

 

* 正月は例年だが、新聞を全然見ない。テレビもニュースを観ない。たまたまその場面だけ、往年のバタやん田畑義夫の「帰り船」を聴いて、当時の「歴史の厳粛」今更に泪溢れた。「浪のせのせに揺られて揺れて 月の潮路の帰り船」と歌詞も優れているが、何と言おうともこの演歌調の深部から、はるか海外の戦地をのがれ日本へ日本へかろうじて引き揚げる同朋たち命がけの思いが噴き上げてくる。それに熱く泣く。幸せにも何の関わりもなかったわたしも、あの頃、日々のラジオの「たずね人」放送に、耳押しあてるように聴き入った。

2006 1・4 64

 

 

* グレン・グールドの弾くバッハ「ピアノ(クラヴィーア)協奏曲」の四番、五番、七番とイタリア協奏曲とを、とてもおもしろく嬉しく、懐かしい心もちで聴いた。いまの気分ではモノーラルの「ゴールドベルク変奏曲」や「「フーガの技法」より協奏曲が懐かしい。そしてふと想う、何を自分は探しているのか知らんと。

ここしばらくバッハが聴きたい。わたしのコレクションにバッハのヴァイオリン曲が一つも無いのに気が付いた。自作のヴァイオリンコンチェルトからピアノに編曲したのもバッハにはある。グレン・グールドのピアノの音色は精緻な磁器のようだ。冷たく深く優美。

2007 1・14 64

 

 

* なにかしら体調を損ねている。気持ちがわるい。

 

* 気のすすまない夕食の後、堪らず寝てしまい、十時半まで。いま、本機に外付けしたオーディオマイクでバッハのピアノ曲を聴いている。グレン・グールドが、心地よい寒気のように、冴えて美しい音色を呉れる。

2007 2・11 65

 

 

* 出前の鮨を奢って妻とふたりきりやす香を偲んだ。それから松たか子に、と言うよりお母さんの藤間さんにもらった、竹内まりやが作詞作曲して松たか子が歌っている『みんなひとり』という音盤を聴いた。ほかに松たか子が作詞作曲し歌っている「幸せの呪文」「now and then」も。 『かくのごとき、死』を高麗屋へ送ったら、すぐ何も言葉はなくこれが贈られてきた。有り難かった。

いま、となりの部屋で妻はビアノ曲「月光」のあたまを繰り返し弾いている。

2007 2・25 65

 

 

* 磬を打っている。静かな気持ちの時は静かに澄んで鳴る。いらだっていては音色もいらだつ。

2007 2・27 65

 

 

* 高校の友人が、われわれの少年時代に聴いていた唄のかずかずを一枚の盤に構成して、送ってきてくれたのは、もう何年も以前のこと。ときおりそれを此の機械で聴いている。なかに『夜霧の馬車』という李香蘭の唄が入っていて、一のお気に入り、とても愛づらかな一曲で、西条八十が詞を、古賀政男が曲を。詞も曲もじつに愛づらか。しかし何と言おうとも李香蘭の透明に高調した美声の魅力が圧倒的。名高い『夜来香』より哀調に富んで闇の底を唄声が疾走する。この一曲が入っているだけでわたしは、友人の好意を大いに多とし楽しんでいる。昨夜もおそくに妻に聴かせ、妻も新鮮な作調に驚いていた。

先ごろ上戸彩であったかがテレビで演じた『李香蘭』に、この『夜霧の馬車』の唄も流れていただろうか。

『異国の丘』『こんな女にだれがした』の二曲にも、しみじみした。こういう「時代」がリアルに、おそろしいまでに実在した。

2007 3・5 66

 

 

* 下関の方が送ってきて下さった「ゴゥイングホーム」と題した歌謡集のディスクを、歌詞をみながら昨夜、妻と、聴いた。ホームレス支援の運動の意味もいろいろ想いながら。

「ホームレス」と謂えば、広く汲めばむかしの「出家」の意義にも届く。またたんに世にあぶれた「宿なし」ともみられているが、アクティヴな「遁世者」と自認している人もあるようだ。

釈迦もイエスもホームレスだった。

だがそういう一面をだけ傍観していては済まない、もっと厳しい現実社会問題としての側面がある。大きく、ある。きれい事では済まない。手だては、立っていないように想われる点が厳しい。

2007 3・29 66

 

 

* 朝、妻が、バート・ランカスターとテリー・ポロらの『オペラ座の怪人』を、ビデオからCDに移していた。愛盤。歌が佳い。

2007 4・18 67

 

 

* わたしのいる町も鴉の多い町になってきた、しきりに鳴いてとびまわっている。

鴉は好きでも嫌いでもない。ときに嘴が不気味、ときに羽色の漆黒に魅される。丹波に疎開していた少年の頃、あの山村で記憶に残っている鳥は、鴉だけ。なぜか雀すら印象にない。

村の少年たちは、鴉をいくらか畏怖していた、賢いというのだ。一丁ほど向こうの街道にいても、田畑や畦にいても、

「よう観ててみ。ここで石を拾うただけで翔びよるで」と皆が言う。たしかに、そうだった。自分で石を拾って試みたが、いつもそうだった。

あれを賢いというか、要するに人が石で追っていただけの条件反射なみの話だろうが、相当な距離でも、反応はいっしょだった。しかし今、西東京の鴉がそうのようには思われない。時には一メートルまで迫って歩いていても、逃げて翔んだりしない。

前にも書いたが、鴉は、鳶とならべて、蕪村に、とても佳い絵がある。鴉の木にとまった姿は秋の夕茜に似合い、冬の降雪にもしんしんと似合う。必ずしも嫌われてばかりでない証拠に、鴉の童謡がいくつもある。「鴉のあかちゃん」なんて観たことがない。それでも「可愛い七つの子」があるから鴉はいとしがってよく鳴くのだと唄っていた。「七つの子」とは何じゃ? 七羽とも七歳ともとれて、よろしくない、と幼いわたしは批評家だった。

西国ずまいの鳶さんは、この連休にも絵を描いているだろう。

2007 5・3 68

 

 

* おかげで次の「湖(うみ)の本」のための大きな用意が出来た。これから原稿に作り上げる。

いま浅井奈穂子の圧倒的なベートーベン『熱情』を聴きながら、作業していた。浅井の演奏は力感にあふれ、情があつい。グレン・グールドもいい、ホロヴィッツいい。浅井の熱情は巨匠に比しても、強い個性だ。激動のなかでピアノが澄んで珠のように鳴っている。いま、アンコール曲を弾き始めた、バッハのコラール、主よ、人の望みの喜びよ。

2007 5・21 68

 

 

* 滝の落ちるように、雨の音。わたしは童謡の歌詞にはこうるさい批評童子であったが、「アメアメ フレフレ カーサンノ ヂャノメデ オムカヘ ウレシイナ ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」は好きであった。「カーサン ボクノヲ カシマショカ キミキミ コノカサ サシタマヘ」「ボクナラ イインダ カーサンノ オホキナ ヂャノメニ ハヒッテク ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」と続くと不覚にも泣けた。わたしはそんな自分の母を知らなかった。持たなかった。

2007 5・25 68

 

 

* 平曲の海道落と千手とに関心を寄せていた。能の熊野で母重篤を告げてくるのが、平家物語の本にもよるが、熊野の妹侍従であったとしてある。そして東海道を引かれてゆく囚われの重衡を池田宿で慰めたのが侍従となっている。ただそれだけのことであるが、ものあわれでわたしは身にしむのである。橋本敏江さんが演奏の海道落、千手、期待の好演。

2007 6・11 69

 

 

* 浅井奈穂子のピアノで、モーツアルト「デュポールのメヌエットによる九つの変奏曲」 バッハ=ブゾーニ「トッカータとフーガ ニ短調」 ハイドン「皇帝賛歌の主題による変奏曲」 ヘートーヴェン「熱情」そしてバッハの小曲「主よ、人の望みの喜びよ」を聴きながら、一仕事。

日曜の夜だ、もう階下へいってやすもう。

2007 6・17 69

 

 

* マリア・カラスを聴いている。瞑目して。

2007 6・22 69

 

 

* 美空ひばりが生きていたら七十歳と。

少しだけ、「みだれ髪」だけ、聴いた。大病での衰えを天才的なうまさで克服して歌うみごとさに、やっぱりちょっと泣いた。

2007 6・23 69

 

 

* 午後、校正しながら長々とひばりの番組を観て聴いて楽しんでいた。ゆうべ小沢昭一の『色の道』を多大の興味と満足とで読み終えたが、小沢さんが永六輔と二人三脚で熱心に追いかけてきた世界と美空ひばりの世界とはかなり膚接している。ひばりは権威や権力に背を向けながら自身で名声を築き上げた。好きな理由の一つ。ひばりは日本語を生かして歌ってくれる。大好きな理由の一つ。ひばりはわたしたちと同世代。親しめる理由の大きな一つ。わたしが死にかけたなら、構わず、ひばりのレコードを聴かせて欲しい。

「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子の唄」「わたしは街の子」「リンゴ追分」「お祭りマンボ」「津軽のふるさと」「港町十三番地」「ひばりの佐渡情話」「哀愁出船」「哀愁波止場」「悲しい酒」「ある女の詩」「一本の鉛筆」「おまえに惚れた」」「愛燦燦」「みだれ髪」「川の流れのように」「城ヶ島の雨」「恋人よ」「昴」

読物小説もひばりの唄ほど日本語が美しく確かであれば許せるが。ひばりの歌う歌詞などおおかたはつまらない、けれど音楽音声としては天才的に日本語を把握し表現して決定的。

2007 6・24 69

 

 

* ふと気がつくと、しなければならない何一つなく、水が音なく流れてゆくように自分も流れている。あ、これだなと思う。ほんとうは、あれもこれもどれもかも次々にしているのだが、何をしているという達成感など持っていないし求めていない。これでいいんだなと思う。

 

* ベートーベンの名高い三つのピアノソナタが鳴っている。聴きながらわたしはスキャナーをつかったり、バグワンを読んだり、誰サン、それサンのことを想ったり、今月のスケジュールを確かめたりしているが、何もしていないと同じぐらいいっしょになり流れている。

 

* またふらりと出かけてみたい。

2007 7・9 70

 

 

* マドレデウスを聴きながら、数十頁、スキャナーで複写した。

2007 7・13 70

 

 

* むかし人に送って戴いた、オソレミーオなどの美声を聴いて励ましている。パバロッティも亡くなった。曲は突然フニクラ・フニクラに変わった。おや、カタリ・カタリだ。送ってくれた人の推奨だった。

2007 9・9 72

 

 

* 原典『平家物語』を聴く会から、巻第一を贈ってきてもらった。喜多郎のテーマ曲ではじまり中村吉右衛門が「祇園精舎」野村萬斎が「殿上闇討」その他「祇王」を平野啓子が、「鹿谷」を片岡秀太郎が、語っているらしい。DVDのようだ。亡くなった梶原正昭さんらが監修している。お付き合い久しい山下宏明さんらが推薦されている。事務局の古場英登さんから鄭重な挨拶を戴いている。恐れ入る。

2007 12・26 75

 

 

 

 

* 先刻来、パガニーニの「24のカプリース」を千住真理子の演奏で聴き続けている。千住さんが自選のプレゼントで、シャープに美しい。何度聴いても飽きない。バイオリンは、この千住真理子のほかに、ビクトリア・ムローヴァのチャイコフスキー、シベリウス、ことにパガニーニとビュータンを好んで聴くことが多い。足りているという気分なのである。

2008 1・21 76

 

 

☆ お元気ですか  泉 e-OLD多摩

明日は雪が降るとか、寒いですね。そのせいか血流悪く、肩痛の回復、今いちです。

パソコンもまた立ち上がりません。

気晴しに映画「レンブラントの夜警」をUさんと観て談笑してきました。

朝一回目でも、広い映画館が満席。17世紀のオランダの話は暗く重く、それでも気が抜けず抜かず。

携帯からは面倒で詳細には打てないですが、映画はやっぱり手軽で面白い。

手持ちの新聞切り抜きの、ピーターグリーナウエイ監督の言葉、「描くべきモチーフは、これまで通り、セックスと死以外に何があるんだ」と。

 

* 手軽で面白い、という感想には、『蕨野行』を観たあとでは、頷きにくい。

今夜もずうっと千住さんのパガニーニを聴いていた。

2008 1・22 76

 

 

 

* グレン・グールドのベートーヴェン、ピアノソナタ「第30  31  32番」をつづけざま聴いている。1956年 5月17~25日ニューヨークのスタジオで例の創り上げられた録音盤である。32番の前半がおもしろい。

2008 2・17 77

 

 

* 十代目望月太左衛門を「偲ぶ会」がある。

2008 3・20 78

 

 

* 国立小劇場で、十代目望月太左衛門を盛大に「偲ぶ会」があった。長女の太左衛さんのお招きで、夜の部へ、すこし雨降りだったが妻と出かけた。

当然ながら、番組の全部を、最初の「獅子」から、大ぎり、人間国宝中村富十郎の洒落て清潔な踊り「七福神」まで、心底楽しんできた。鳴り物はほんとうに陽気で楽しい。人間国宝の杵屋喜三郎、杵屋伍三郎、杵屋巳太郎、また笛の鳳聲本家分家の両家元らほか、特別出演、賛助出演の顔ぶれがすこぶる豪華。

そういう出演者にがっちりまわりを守られ固められながら、一門門弟たちの晴れ舞台となる演奏も、緊張と上気と懸命さとで生き生きと盛り上がる。鼓、大鼓、太鼓、笛、三味線など楽器が生きて弾んで唄ものびやかにみな美しく聴かせた。

二時半に家を出て、帰宅したのが十一時前。

 

* 次から次へ快調に番組が運んで、夕食も抜きで、お囃子に聴き惚れた。わたしの図体が自然に動き出す。音曲のリズムに反応して楽しみながら、拍手また拍手と、嬉しい長時間であった。妻もすっかり大よろこび。鳴り物の会は、退屈ということが全然無いのである。それに望月一門、少し見慣れていて、顔なじみの藝人さん達も何人もいる。すこぶる惚れ込んでひそかに内心贔屓の人もいる。

魂もとびそうになる。

なかでも、祖母太左(大鼓)、母太左衛(小鼓)、孫娘真結(太鼓)に笛は鳳聲晴雄の「石橋」のみごとだったこと、唄のたては喜三郎、三味線は五三郎。

みごとなアンサンブル、凛々しく成長した真結ちゃんの凛然と鳴り響く太鼓の格調。わたしは感心して泣けてしまった。太左衛さんの鼓のよく鳴ること鳴ること、舌を巻く。この人、もし男だったら、と、思う。どんな名人になって歌舞伎囃子をリードしたかと思う。元気という言葉の深い意味はこの人の音楽のためにある気がする。

また、たぶん家元太左衛門の男の子であろうまだ幼い二人の、ことにちいさい弟大貴の「獅子」の太鼓のあざやかさ。もはや練達といいたい音色、撥さばきのきびきびと美しかったこと、これも喜三郎の唄、五三郎の三味線、鳳聲晴之の笛に太左衛門、左吉の小鼓が揃って、開幕の第一番を無類に盛り上げた。

そして更には、家元太左衛門と、やがて望月朴清を嗣ぐという弟長左久とに、男勝りの名手姉太左衛が加わっての「高砂丹前」も楽しかった。唄と三味線に人間国宝の二人を得た長左久とたぶん子息かが小鼓を打ち鳴らした「橋弁慶」もさすがに立派で、堪能した。 今晩は何度も、聴いて興奮して、涙をながしていた。ドライアイのこのごろにはそれも大の恩恵であった。

「舌出し三番叟」「竹生島」につづけて笛をつとめた望月美沙輔の姿勢の良さ、笛の作法の正しさ、また演奏の安定のよろしさ。達人と見えて感嘆。

そして最後に大好きな富十郎がさわやかに袴姿で踊ってくれた。幸せを覚えた。

すべてを終えて舞台からこころよい佳い挨拶があり、三本締めで締めてきた。小劇場の外は雨も上がっていた。少し寒かったが永田町から地下鉄で保谷まで。云うことなし、いい半日のよろこびを満喫してきた。

 

* ありがとう、太左衛さん。感謝、感謝。

 

* 家に帰ると、岡山の有元さんから、備前焼を頂戴していた。これから荷を開かせてもらいます。ありがとう存じます。

2008 3・20 78

 

 

☆ 雑誌のスタイル、マタイ受難曲  2008年03 月23日14:58   ボストン  ハーバード 雄

朝一番に、日本の元ボスからメール。先週送った、大学院生の論文の改定稿がJournal of Biological Chemistry誌(略称:JBC)無事に受理されたとのこと。ようやく論文が通ったということで、僕もホッとした。僕自身も第二著者として名を連ねているので、そういう意味でも嬉しい。

先日の日記にも書いたが、この日記の筆頭著者は、西アジアの某国からやってきた留学生。研究室に加わるまでは、全く異なる専攻だったこともあり、生物学のことを本当に何一つ知らなかった。そんな彼がJBCの筆頭著者になったというのは、何とも感慨深い。

今では多くの日本人がネイチャーやサイエンス、セルなどの超一流雑誌に論文を発表しているので、JBCのことを良く言わない研究者も少なくない。それでも僕は、この雑誌が好き。自分の学位論文もこの雑誌に掲載されたし、自分の送った原稿がJBCフォーマットのゲラとして編集部から送られてきた時は、本当に嬉しかった。JBCに限らず、自分が苦労して通した論文が、ゲラ刷りになって編集部から送られてくると、本当に感慨深い気持ちになる。最近はJBCに限らず雑誌の個性が失われる傾向があり、多くの雑誌のフォーマットが似通ってしまいつつある気がする。少し残念。

*

夕方からシンフォニーホールへ。実は今日は、こちらでお会いした日本人の方々の歓送会が大々的に開かれ、僕も是非参加したかったのだが、申し訳ないと思いつつ参加を断念した。こんなことならば、平日のチケットを買っておけばよかった。

このコンサートは、シンフォニーホールのコンサートシーズンが始まった昨年の秋にスケジュールを見て、いち早くチケットを入手したコンサート。このシーズンの中で、これだけは外せないと思っていた。

演目はバッハの「マタイ受難曲」で、指揮者はベルナルド・ハイティンク。1929年生まれだから、来年には80歳になる。今、生きている指揮者の中でも僕が最も敬愛する指揮者の1人であり、特にウィーンフィルとのブルックナーの交響曲8番のCDは素晴らしい。特別なことをするわけではないのだが、丁寧な音楽作りが素晴らしい。

ボストンシンフォニーのオーケストラのメンバーもハイティンクを敬愛しており、毎年客演してもらっているらしいが、あいにく去年は聞きそびれてしまった。おまけに演目がマタイとあっては、どうしても外すわけにはいかない。

ご存知の方も多いと思うが、バッハの「マタイ受難曲」は、新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にした作品。実は明日はイースター(復活祭)。だからこそ、この演目をぶつけてきたのだろう。全曲の演奏時間は3時間にも及ぶ、超大作。

冒頭のコラールから、既に圧倒される。タングルウッド合唱団の実力は、やはり抜群。ハイティンクのテンポは、想像していたよりもかなり速めだった。逆にいうと、リヒターのものが遅すぎるのかもしれない。

正直言って、ちょっと残念だったのはソリスト達。特に福音史家とイエス、そしてアルトのソリストが、ちょっと期待はずれだった。特にアルトには、「憐れみ給え、わが神よ」というアリアがあり、これこそマタイの中でも名曲の誉れの高いものなので、かなり過大な期待をしていただけに残念。ただ、幸いなことに、この曲はヴァイオリンのソロにのせて歌われる曲なのだが、コンサートマスターのソロが抜群に巧かったことにも助けられ、感動的なアリアを聴かせてくれた。

このアルトの有名なアリア以外でも、ソプラノのアリアではフルートのソロが伴奏を務める曲もあるし、バスのアリアではチェロのソロが伴奏を務める曲もある。今までCDを聴いているだけでは気づかなかったが、これらの伴奏は信じられないほど難しい。特にチェロに関しては、この伴奏だけを務めるチェロ奏者がいたほど。こんなに難しい曲だったのかと、あらためて驚いた。

後半に進むにつれ、合唱の演奏は益々素晴らしく、力強くなり、感動的だった。特に、終曲の「われらは涙流してひざまずき」は、この大作を締めくくるに相応しい、素晴らしい演奏だった。

全体を通して感じたのは、ハイティンクの棒の確かさ。実に明確に、彼の意思が伝わる指揮ぶりだった。とても来年で80歳とは思えないほどの力強い指揮だった。指揮台には椅子が用意してあったが、ハイティンクは一度もそれに腰掛けなかった。

演奏が終わり、ほぼ全員がスタンディングオベーションで迎える。このときも、裏方から譜めくりに至るまで、多くのスタッフにハイティンクは気を遣っており、彼の誠実な人柄が伺えた。

もう少し僕にキリスト教に関する知識があったなら、もっと愉しめたに違いない。これは、こちらの美術館で中世ヨーロッパの作品に触れる際にも感じること。そうしたことについて書かれている本でも読んで、少しずつでも知識を増やしていけたらと思う。

 

* 残念だが、わたしはバッハの『マタイ受難曲』を知らない。聴いたことがあるかどうか、分からない。しかしこの曲に触れてメールを呉れる友達がいなかったわけではない。わたしの音楽は、その程度に行き当たりバッタリの域を出ていないということ。

わたしはかの有名すぎるほどのビートルズとやらについても皆目認識がない。求めて聴いたことが一度もなく知識はゼロに近い。むしろわたしはバッハやベートーベンなどを好んできた。クラシック音楽は好きだと言って間違いないが、やはり行き当たりバッタリのフアンに止まっている。愛好といっても、美術でも工藝でも演劇でも、ま、そういうものだろう。能と歌舞伎と、日本の古典文学と、近代文学とぐらいか、専門なみに、ま、触れてきたのと言えるのは。

「雄」君の感想を読んでいると、音楽の美味に舌づつみを打っているようで羨ましい。妻も、そう云う。

2008 3・23 78

 

 

* 朝の一番に小沢昭一さんから『昭一爺さんの唄う童謡・唱歌』が「謹呈」されてきた。二十三曲。定番ものだ。

昨日はマリア・カラスとマドレデウスとを聴き続けていたが、あいまに中学の友人が趣味の手仕事でつくる「懐かしい歌」を聴いている。

李香蘭の唄う「夜霧の馬車」のような掘り出し物が入っていて、「軍艦マーチ」から「泣くな小鳩よ」まで二十六曲、いいわるいは棚上げに、過ぎた時代の「元気も病気も」ありありと耳に届く。一種の名盤である。

小沢さんには唄とハーモニカの『明日天気になあれ』も戴いている。面識も声識もまったくない小沢さんだが、藝能俗史などの著書をもう十冊ももらっていて、みな読んでいる。書き手としても評価するが、インタビュアとして凄みがある。

2008 5・5 80

 

 

* グルダの弾いているバッハの『平均率クラヴィーア曲集』を聴きながら、スキャンしたり校正したり、資料や記録の整理をしたり、そして書きかけの作の先を書いている。もう眼が霞んでいる。

2008 5・27 80

 

 

* 十時半、もう眼がもたない。

 

* ヘリベルト・ブリューワの指揮とオルガンで、バッハの「フーガ」を宵から聴き続けている。ベルリンのバッハ・アカデミー。好い演奏。深い安堵。でももう眠った方がいい。明日出かけたいと思っていたが。その元気が出るかどうか、かなりの雨と予報されている。

2008 6・2 81

 

 

* よく太った小馬にまたがって地上数メートルをゆぅらゆぅら乗り回したまま、うとうとうと眠っている夢を、いま数分のまどろみの中で見ていた。たわいない。

 

* グレン・グールド演奏によるバッハのピアノ協奏曲一番二番三番四番五番そして七番とイタリア協奏曲、さらにフーガの技法フーガ1から9までと、ゴールドベルク変奏曲のモノーラルを、続けざまに聴いていた。

ディスクが三枚。繪を描いていた「お父さん」の贈り物だった。

その間に、放っておけない残った仕事を全部終えたし、校正の仕事にもハカがいった。演奏はチャーミングであった。マイミクに、絶対音感のある遺伝学の研究者や、ピアノ演奏の大好きな理系研究者がいるので、音楽の感想はつきなみに大雑把にさせてもらう。

言うまでもないがグレングールドは二度死んだと悼まれている。

一度は、コンサートを一切拒否して聴衆を拒絶し、全てスタジオでの録音で完璧な音楽を創り出したときに「死んだ」といわれ、もう一度は惜しい逝去をそう言われた。

わたしには何も言うすべないことであるが、わたしが文壇的通常の姿勢を放棄して「湖の本」による活動に転じたのも、グレン・グールドの場合と同様に「死んだ」「逃げた」と言われた。グールドの拒絶にも理があった。わたしにも積極的にそう選択したのに理はもっている。諸井誠氏のグールド哀惜のことばを読みながら、涙がぽろぽろこぼれた。

2008 6・16 81

 

 

* 発送用意しながら、美空ひばり生涯の歌を全身で聴いていた。

2008 7・3 82

 

 

* バッハ「平均率クラヴィーア曲」をグルダで聴いている。プレリュードとフーガ。

 

* シャロン・ストーンの映画『グロリア』を観てから、また機械の前でマーラーの騒々しい極みの『交響曲第五番』を鳴らしている。凄みの音楽。わるいのではないが、ぶん殴られているみたい。

2008 7・23 82

 

 

 

* 歌舞伎座で買ってくる鈴を、ディスプレイの真左に吊っている。

妻が、劇場の前席にバッグなど吊るためいつも持っている「S字掛け」を一つ貰って吊すと<恰好の視線に入り、左手の指で触れてやると琳琅というアンバイにそれは清しく鳴る。「鈴の屋」といえば本居宣長、彼は書斎に鈴を鳴らして楽しんだという。清く鳴るものは嬉しい。讃岐の岡部さんに戴いた「磬」も打てば鳴りひびく。いろんな音色で鳴る。

このあいだ望月流の名手太左衛さんに、鼓を買いたいと頼んできた。わたしは、空き缶でも空き瓶でも、鼓を打つように打って鳴らすという奇癖を持っている。何もなければ、まさか太鼓腹はやらないが、腰掛けた素肌の両太ももを、力こめ掛け声して両手でリズミカルに打ちつづける趣味がある。鳴り物、お囃子が好きなワケである。

能楽堂でも歌舞伎小屋でも、聴いていて小鼓の鳴りは実に美しく実に難しそう。練達のひとすら、いかにも今日は鳴らないなあと感じる日があるぐらい。だから興味がある。

2008 7・30 82

 

 

* この日ごろを心いやしてくれる一つ二つに、讃岐の岡部さんに頂戴した宮脇磬子さんらの演奏「磬樂」(これは私のふと思いついた呼び名であるが。)と、やはり岡部さんが看護学校の生徒に創らせた短歌集である。聴いて、読んで、黙想の時をもつ。讃岐特産の「サヌカイト」と呼ばれる磬石から繊細で清冽な音素を打ち出しながら、みごとに楽曲・音楽が成っている。他の楽器演奏家も興味を寄せて演奏会をひらいている。

サヌカイトを精選して石の中から音を汲み上げてくる宮脇磬子さんは異能というよりも心技のもちぬし、すなわち岡部さんのお母上である。看護学生達の素朴な短歌のリズムを読み込んでいるうち、わたしの耳には讃岐の石の音楽が絹糸を織るように聞こえ続ける。

2008 8・9 83

 

 

* 夕方、美空ひばりの最晩年の幾つかの歌を聴いた。ああ、あっちには、ひばりがいて、やす香がいるんだなあと思いながら泪をこらえていた。

2008 9・16 84

 

 

* 「松」クンは今は富士山麓で大きな会社に勤めている。なるほど、そういう勉強も必要と云うことは、管理職になったのかな、そろそろそういう卒業生が増えてくるだろう。厳しい折です、心して日々をお大切に。

手持ちのディスクを調べてみたが、モーツアルトはバイオリン曲とシンフォニイとが一枚ずつ。バッハが沢山、それからグレン・グールドの演奏がたくさんあると分かった。

2008 12・17 87

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