* 年初から楽しんできた小沢昭一さんの『小沢昭一的昭和の歌昭和のこころ』を、夜前深夜に読み終えた。気軽にとりあげた本であったのに、巻末の「美空ひばり」から読み始めて嬉しくなり、巻頭の「藤山一郎」から順に始め、すべて読み通して何度かほろりと泣き、ツンと泣いた。「灰田勝彦」「ディックみね」「勝太郎」「みち奴」「霧島昇」「杉狂児」などなど、小沢さんの歌い出す沢山の歌声にわたしも覚えがある。自分で歌える歌もたくさんある。なつかしのメロディを喜ぶのではないのだ、だが。「昭和」という時代をただ懐かしむのでもないのだ。そこで生きた人間が、自分たちも含めて、省られて胸をつかれ剔られる。
2009 1・6 88
* 夜中、美空ひばりの初期の歌か、「うまれて母の名も知らず」という歌い出しが、ひっきりなしに耳につき、眠れなくなった。往生した。
2009 1・26 88
☆ 椿姫 2002 1・20 「音楽」
* 多大の期待をもってNHK芸術劇場の歌劇「トラヴィアータ」を観た、聴いた。生放送で、こうまで望めるかと思うほど見事に美しいオペラのドラマチックな再現だった。音楽そのものが楽しめ、ドラマには泣かされた。
椿姫という小デュマの小説を読んだのは、中学二年生の三学期に、人に借りてであった。大人になってからも岩波文庫で二度三度読んでいるが、お話としては純熟しておもしろく書けているが、面白すぎるという気がして、同じ面白さでもバルザックの「谷間の百合」やスタンダールの「パルムの僧院」やフローベールの「ボヴァリー夫人」などに比べると読み物だという感想を持っていた。
オペラとしてはさわりの部分は何度も見聞きしてきたし、有名なアリアにも馴染んできたが、今夜のように、固定した舞台から解放されて、豊かにリアリティーのある演出で全曲全場面をくまなくリアルスペースで見聞きできたなんて、はじめてことだ。満足した。シェイクスピアの芝居の、リアルスペースでの忠実なテレビ再現も有り難く、好んでよく観たが、こんなふうにオペラを生放送の緊張感とともにまたみせてくれるなら、テレビを、もっと有り難いと思うだろう。いいジェラールで、すばらしいヴィオレッタだった。ビデオにも撮りながら妻と二人で観た。ビデオは躊躇なく保存版になる。
この物語が好きかと云われれば、ノーと答える。それでも音楽も登場人物の演技にも歌唱にも満足した。
それだけは書いておきたい。 「むかしの私」より
2009 2・4 89
☆ 頭を雲の上に出し 2001 10・28 「唱歌」
* いま書きながら、耳に聴いていた「海は広いな大きいな」の歌詞の中の、「行ってみたいなよその国」に、またしても耳がとまった。海外への旅をおもう、そんな歌詞とは、あの、わたしが国民学校でこの歌を習った頃は、ちがったのである。そこには南洋の島々があり、アジアの国々があり、世界があり、日本から外へ外へ領土や政治支配を拡大したい政策の要請がはっきり有っての歌詞であった。そのように仕向けられていた。そういう仕向けが空気のように身のまわりをとり包んでいた。いま聴くような無邪気な憧れとは質が違っていた。そういう子ども向けの唱歌や歌謡が数少なくなかった。
たしかにメロディは純然と懐かしさを誘いはするが、忘れられない批判や批評は、体内に生きている。わたしは「行ってみたいなよその国」とはたいして思ってなかった。「何しに行くのン」と思っていた、世界地図の上に占領を示す日章旗がピンで刺され続ける日々にも。
* 日本は狭い島国である。海外に領土を発展させねばならぬと、たとえば本多利明のような開明的な江戸時代の経済学者は真剣に論策した。その影響下で蝦夷地探検などが発起され、最上徳内のような民間から出た優れて先見的な探検家が活躍しはじめた。徳内が大きな成績を積み上げ、幕政の北拓展開に大きく寄与したのは、近藤重蔵や間宮林蔵らの活躍より遙かに先行していた。
徳内は本多利明の最も優れた門弟であった。重蔵も林蔵も徳内のいわば後輩であり、徳内の先導や指導により、徳内の耕し拓いておいた道を辿って活動していたのである。
日本全図をつくった伊能忠敬のような人達も、そういう意味では最上徳内の、また本多利明の、さらに謂えばさらに先駆して世界をしっかり見ていた新井白石の、後輩達なのである。
こういう江戸時代の系譜を思うべきであろう。と同時に、彼らに働いていた「行ってみたいなよその国」の思いの延長上に、近代日本の拡大政策が出来ていった事実も忘れるわけに行かない。日本は狭い島国なのであった。今もそうだ。
その事で最も早く苦労し若い命をすり削り果てたのが、北条時宗であった。時宗のつらさを知っていた戦国大名や天下布武の織田信長や豊臣秀吉は、部下に対して切り取り御免という領土拡大政策であたり、その結果が、秀吉に、朝鮮はおろか大明国までもという出征を思い立たせた。元寇の逆を行こうとした。それ以外にもう日本列島に恩賞の土地が無くなっていたのである。ここから近代の対半島・大陸侵略戦へはまっすぐ繋がる。
「行ってみたいなよその国」とは、思えば、そら恐ろしい意図も託された無邪気そうな唱歌であったことを、海に囲まれた狭い日本の国民は、忘れきれないであろう。
* 「頭を雲の上に出し 四方の山をみおろして 雷様を下にきく 富士は日本一の山」と、いま、無邪気に唄っているのが機械の中から聞えるが、この歌なども無条件には好きになれなかった。子供心にべつの意図が隠されてあると気付いていたとは言わないが、すなおな自然賛美の歌とは思えぬ擬人化が察しられて、イヤぁな心地がした。独り勝ちを望む国は、人は、こういう表現が好きだろう。 2001 10・28
2009 2・13 89
* 卯の花の匂ふ垣根に ほととぎす早も来啼きて と唱歌「夏は来ぬ」を歌ったし、「卯の花」の「卯」は四月を指しているとはいえ、歌は旧暦にしたがい、新暦の現在とはほぼ一月の差がある。しかも唱歌に来ている「夏」はさわやかを誘ってこそおれ、暑さとは無縁。そんなふうにクダクダと愚痴を言いたくなるほど、昨日今日の暑感ははやじとっと肌にまつわる。
2009 4・11 91
* マリア・ピレシュらのシューベルト、ピアノ幻想曲を連弾で聴くなど、またピアノとチェロとの合奏を聴くなど、短い時間であったが小一時間堪能した。「美しい」ということばは、このために発明されたか、とおもうほど。俗の垢を洗い流した。
2009 6・1 93
* 生まれつき目の不自由な青年がバン・クライバーンのピアノコンクールですばらしい優勝を遂げてきた。しばらくのあいだ、わたしはこの青年の演奏にも話題にもうれし涙をこらえるのに苦労した。ピアノの技術が分かって感嘆するのではない。それは、分からない。構わない。
2009 6・11 93
* 浅草の見番で、鳴り物の会を「明日」するが、いかがと望月太左衛さんのお誘い。江戸の芝居小屋の風情をのこした空間ですよと聞くと、そそられる。済めばその足で「高勢」の鮨もあるし。さ、どうしようと。作業半ばだが、べつに誰に急かれているわけでも、ない。これはという先へは、みな、もう送りだせている。
2009 7・4 94
* 作曲家船村徹の時間に、ひばりの「哀愁波止場」と「みだれ髪」をたっぷり聴いて感動した。圧巻。渾身の藝力。
2009 7・4 94
* 小金井の浅井さんから電話で、八月末に海外の優れた歌手を招いて歌劇「トスカ」を歌ってもらうので、おいでをとお誘い頂いた。感謝。
2009 7・6 94
* 金澤の画家から長大な「藝術」論ふうの手紙と、バッハの無伴奏チェロ組曲全六曲を珍しくサキソフォンで演奏している二枚組CDを貰った。いまそれを聴いている。演奏者はヘンク・ファン・タイラーとでも読むのか。輸入盤で、解説は読めない。それは構わない。
長い手紙はもっぱらこのサキソフォン・バッハの「演奏論」で、かなり入れ込んでいる。ゆっくり拝読する。演奏は聴くに従い身内に溶けいり沁みいり、ぶっきらぼうのようで濃やかに分厚い。すばらしい。
彼。相変わらず、繪は、描かないのかな。
☆ 秦 恒平様 弘
御無沙汰しております。お便りを書きたくてうづうづしながら、実際に書き出すに至らぬまゝ、月日が過ぎておりました。申訳ありません。
「湖の本」いつも嬉しく拝受し、拝読しております。隅々まで読んだとは言えませんが、共感し、涙し、言葉を失い、迂闊に言葉も選べずつまり書き出すこともできないのです。
それにしてもこの厖大な言葉の記録は、思うことの一つ、二つさえ容易に言葉に換え難く難渋する私にはたゞたゞ感嘆し羨望するばかりです。文学とはまことに人の魂の無限律動の記録とでもいうべきで、一個の精神が活溌に震動を続け、信号を発し、文字に変換されるというこの行為は、魂の最も幸福なありかたではないか、と、私は感じます。普段から私は秦さんの生きよう(生き様のことですが、私はイキザマという読みが嫌いなのでついこう書きます)について想いをめぐらしているのですが、何一つ言葉にできないでいるのは、おそらく自分の生きように手間がかゝりすぎているせいで、残念です。
そこであるCDを勝手にお贈りすることを思いつき、ここひとつき余り、そのCDについて書き連ねたことを抜き出してみました。お便りの代役がつとまるかどうかわかりませんが、私の愚鈍な精神活動の報告くらいにはなろうかと考えたのです。そのいきさつは本文に書きました。 以下略
* 音楽を聴きながら、わたしの湖の本49『お父さん、繪を描いてください』下巻288頁のクロッキーを眺めている。ものの二分か三分ももちいずにこれの描ける画家の魂の震動を想うのである。
話はかわるが、この繪を通算101巻から「湖の本」表紙に持ち出そうかという大胆不敵な発想もじつは抱きかけている。それはあんまりだという思いもある。憎まれそうな思いがあって、さすがに首をすくめる。
2009 7・30 94
* 雨が降ると云われて今日は家に籠もっていたが、降らなかった。むしろガンガン照りで。あすで七月も終わる。むかし夏休みというと宿題やもろもろ義務的なことは七月中にみな済ませてしまい、八月はまるまる遊ぶのを楽しみにしていた。小沢昭一さんにもらった『道楽三昧』を妻と引っ張り合い楽しく読んでいる。
バッハをサキソフォンで聴いている。巧く言えないけれど、とても佳いです。昨日はソ連の旅の写真を見つけたし、今日は「音楽」と手紙を貰って。
2009 7・30 94
* サキソフォンで聴くチェロのためのバッハ作曲組曲。すばらしい。
2009 8・2 95
* 「月光」アシュケナージ 「熱情」「悲愴」ホロヴィッツをつづけてずうっと聴いている。
2009 8・15 95
* 晩景、三鷹へ。軽食のあと三鷹藝術センター風のホールへ。三人の海外の歌手を招いて、第一部は歌曲、第二部はオペラ「トスカ」の場面を演出したアリア集。ホール二階正面中央最前列で、歌声を二時間聴いてきた。
そしてタクシーで帰ってきた。
2009 8・27 95
* ベートーベンのピアノ曲を次々聴きながらしばらくぶりにスキャナーの仕事をした。平山城児さんの有り難い論攷を頂戴した。校正にしっかり手がかかる。
2009 8・29 95
* ふと手に触れたディスクを見ると、Jacques Loussier Trioのジャズで、バッハを聴かせてくれるとある。ずいぶん前、高校の友人が自身で編成し送ってきて呉れた。
もう一枚はMJQのThe Last Concertとあるが、こっちはまだ聴いていない。
バッハの方のジャズピアノは最高、嬉しくなる。仕事にもまったく邪魔に成らず励ましてくれる。ジャズ ピアノにわたしは少しもアレルギーがない、聴くチャンスが少なかっただけ。
この友人にもう何枚もディスクを貰っていて、ナツメロ集もラテン音楽もタンゴ集もある。李香蘭の「夜霧の馬車」の入っているナツメロ集は愛盤に類する。
今聴いているジャズピアノのバッハも、とっておきの愛盤になる。
じつは昨日もう一枚届いていて、これは問題作。滝廉太郎の名曲「荒城の月」が1600年頃の作の海外音楽に、怪しからず「酷似」しているという、その大昔の原曲を聴かせてくれるという。ウーン。まだ聴いていない。?!
2009 8・30 95
* アリス・紗良・オットのピアノコンチェルト「皇帝」を、金澤のオーケストラとの共演で聴いた。アンコールに、パガニーニの「鐘」を聴かせた。連続ドラマ『ER 救急救命室』の女医アビーに似た美しい弾き手の美しい演奏。瞬きも忘れ、聴き惚れ、鍵盤に舞う美しい指に見惚れた。「皇帝」がこんなに佳い曲なのにわたしは持っていない。買ってこなくちゃ。
2009 9・11 96
* いま、そばの機械でイグナチオ・アルベルティーニの「バイオリンソナタ集」を鳴らしている。先日、京都の友人が送ってきてくれた。
十七世紀の楽人であるらしい、第一番のニ短調には、なるほど瀧廉太郎作曲の「荒城の月」と酷似のメロディーが静かな物影のように暫時流れてビックリする。
瀧の作は二十世紀冒頭であり、では偶然の一致かと想うには短い範囲とはいえ歴然と音楽が似ている。わたしは滝廉太郎の驚異の勉強かと、むしろ称讃しておく。アルベルティーニのソナタや前奏曲が十四も収録されていて音色の懐かしさ、好きである。佳いものを贈ってくれた、ありがとう。
* この間マリア・ピレシュのピアノ曲をたっぷりの盤でわたしたちに贈ってきてくれた富士の卒業生からわたしたち夫婦のそれぞれにメールが来て、わたしには本栖湖夕晴れ富士山の写真がついてきた。
ピレシュはテレビでピアノレッスンの先生をしていて、わたしたちはずいぶんそこで彼女の風貌に接していた。
* さてわたしは、ひたすら、仕事。
2009 9・20 96
* 十七世紀アルベルティーニのバイオリンソナタ第一番ニ短調に「荒城の月」と酷似のメロディーが静かな物影のように暫時流れてビックリすると書いたが、第十二番イ短調にもさらに酷似のメロディが今少し長く現れる。
なんともいえず懐かしい気持ちになる。エレーヌ・シュミットのピアノ他の演奏で、演奏もまた懐かしい音色を響かせる。音楽を聴いていると雑念はひっこんでいてくれる。
2009 9・21 96
* 校正、かなりシンドイ。
ロンドンフィルの「コリオラン」序曲についで「エグモント」序曲聴いている。
2009 9・21 96
* 「月光」の第一楽章が鳴りだしている。なぜか、やや空腹感。
2009 9・26 96
* 二階へ上がり、しばらく、日本の唱歌集を読んでいた。いの一番に「あおげば尊し」、歌詞もメロディも骨の髄に擦り込まれている。小学校でも高校でもない、弥栄中学を思い出す。「蛍の光」の歌詞は好みで唱ったことはないが、「四季の月」が懐かしく、そして「庭の千草」。
高崎正風「紀元節」の皇国調は、それなりに和語の洗練にのせていて、京の二月の季感とともに歌詞は身に染みている。
そして明治唱歌一、スコットランド民謡に取材して明治二十一年五月に出来ていた「夕空はれて あきかぜふき」と唱う「故郷の空」は、東京へ出てきてからも、ひとり湯槽のなかでひそかに涙を洗いながらよく口ずさんだ、「ああ わが父母 いかにおはす」と。「すみゆく水に 秋萩たれ 玉なす露は すすきにみつ」と唱う歌詞がすきだった。
2009 9・27 96
* エチェリ・グヴァザーヴァの唱う歌劇「ラ・トラヴィアータ 椿姫」を聴いていた。ことに第一巻が躍動する。アトヘ行くのは辛い。
* ものをみて、読んで、そして熱を入れて「仕事」していると「私語」は減る。
* 九月も逝く。
2009 9・30 96
* どんなことをして心をやっているか。いろいろある中に、こんな唱歌の歌詞を書き写して楽しんでもいる。こういう歌詞を通して沢山言葉を覚え、言葉の向こうの世界に溶け込んでいた。懐かしい人、多かろう。国策の加味された唱歌や、他国へ攻め込んでいる歌は覚えていたくない。書き写してある分を、披露します。
☆ わたしのなつかしい唱歌
あおげば尊し
一 あおげば とうとし わが師の恩。
教の庭にも、はや いくとせ。
おもえば いと疾(と)し、このとし月。
今こそ わかれめ、いざさらば。
二 互にむつみし、日ごろの恩。
わかるる後にも、やよ わするな。
身を立て 名をあげ、やよ はげめよ。
いまこそ わかれめ、いざさらば。
三 朝ゆう なれにし、まなびの窓。
ほたるのともし火、つむ白雪。
わするる まぞなき、ゆく年月。
今こそ わかれめ、いざさらば。 小学唱歌集三 明治17 ・3
四季の月
一 さきにおう、やまのさくらの、
花のうえに、霞みていでし、
はるのよの月。
二 雨すぎし、庭の草葉の、
つゆのうえに、しばしは やどる、
夏の夜の月。
三 みるひとの、こころごころに、
まかせおきて、高嶺にすめる、
あきのよの月。
四 水鳥の、声も身にしむ、
いけの面(おも)に、さながら こおる、
冬のよの月。 小学唱歌集三 明治17 ・3
庭の千草 里見 義
一 庭の千草も、むしのねも、
かれて さびしく、なりにけり。
ああ しらぎく、嗚呼 白菊。
ひとり おくれて、さきにけり。
二 露にたわむや、菊の花。
しもに、おごるや、きくの花。
ああ あわれあわれ、ああ 白菊。
人のみさおも、かくてこそ。 小学唱歌集三 明治17 ・3
紀元節 高崎 正風
一 雲に聳ゆる高千穂の、高根おろしに、草も木も、
なびきふしけむ大御代を、あおぐきょうこそ、たのしけれ。
二 海原なせる埴安の、池のおもより猶ひろき、
めぐみの波に浴みし世を、あおぐきょうこそ、たのしけれ。
三 天つひつぎの高みくら、千代よろずよに動きなき、
もとい定めしそのかみを、仰ぐきょうこそ、楽しけれ。
四 空にかがやく日のもとの、よろずの国にたぐいなき、
国のみはしらたてし世を、仰ぐきょうこそ、楽しけれ。 『紀元節の歌』明治21・2
故郷の空 大和田 建樹
夕空はれて あきかぜふき
つきかげ落ちて 鈴虫なく
おもえば遠し 故郷のそら
ああ わが父母 いかにおわす
すみゆく水に 秋萩たれ
玉なす露は すすきにみつ
おもえば似たり 故郷の野辺
ああ わが兄弟(はらから たれと遊ぶ 『明治唱歌(一)』明21・5
旅泊 大和田 建樹
磯の火ほそりて 更くる夜半に
岩うつ波音 ひとりたかし
かかれる友舟 ひとは寝たり
たれにか かたらん 旅の心
月影かくれて からす啼きぬ
年なす長夜も あけにちかし
おきよや舟人 おちの山に
横雲なびきて 今日も のどか 明治唱歌三 明治22・6
埴生の宿 里見 義
一 埴生の宿も、わが宿、
玉のよそい、うらやまじ。
のどかなりや、春のそら、
花はあるじ、鳥は友。
オーわがやどよ、たのしとも、たのもしや。
二 ふみよむ窓も、わがまど、
瑠璃の床も、うらやまじ。
きよらなりや、秋の夜半、
月はあるじ、むしは友。
オーわが窓よ、たのしとも、たのもしや。 中等唱歌集 明治22・12
元寇 永井 建子
一 四百余洲を挙る 十万余騎の敵
国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり
正義武断の名 一喝して世に示す
二 多多良浜辺の戎夷(えみし) そは何蒙古勢
倣慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我がかいな
ここぞ国のため 日本刀を試し見ん
三 こころ筑紫の海に 浪おし分て往く
ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の
神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし
四 天は怒りて海は 逆巻く大浪に
国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るは唯三人(みたり)
いつしか雲はれて 玄海灘月清し 「音楽雑誌」19号 明治25・4
うさぎ
うさぎ うさぎ
なにを見てはねる
十五夜 お月さま
見てはねる 小学唱歌二 明治25・6
一月一日 千家 尊幅
一 年の始めの 例(ためし)とて、
終なき世の めでたさを、
松竹たてて、門(かど)ごとに、
祝う今日こそ 楽しけれ。
二 初日のひかり さしいでて、
四方(よも)に輝く 今朝の空、
君がみかげに 比(たぐ)へつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ。 官報第三○三七号附録 明治26・8
港 旗野 十一郎(たりひこ)
一 空も港も夜ははれて、
月に数ます船のかげ。
端艇(はしけ)のかよいにぎやかに、
よせくる波も黄金(こがね)なり。
二 林なしたる檣(ほばしら)に
花と見まごう船旗章(ふなじるし)。
積荷の歌のにぎわいて、
港はいつも春なれや。 新編教育唱歌集三 明治29・5
夏は来ぬ 佐佐木 信綱
一 うの花のにおう垣根に、時鳥
早もきなきて、忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ。
二 さみだれのそそぐ山田に、賎の女(しづのめ)が
裳裾ぬらして、玉苗ううる 夏は来ぬ。
三 橘のかおるのきばの窓近く
蛍とびかい、おこたり諫むる 夏は来ぬ。
四 楝(あうち)ちる川べの宿の門(かど)遠く、
水鶏(くいな)声して、夕月すずしき 夏は来ぬ。
五 さつきやみ、蛍とびかい、水鶏なき、
卯の花咲きて、早苗うえわたす 夏は来ぬ。 新編教育唱歌集五 明治29・5
2009 10・5 97
* 眠気をはらうために子機のほうでポルトガルの歌を、長い時間聴き続けていた。聴きながら機械の中をバックアップ気味に整理した。いまはホロヴィッツのピアノを聴いている。
2009 11・5 98
* グレン・グールドのゴールドベルクを聴いている。音の把握のなんという美しさ。
2009 11・7 98
* フランシス・プーランクのグローリアを聴いている。「神なる主」 此の世のものと想われない。
2009 11・7 98
* 静かに静かに、いま第六番「田園」が終えた。午から、音楽を聴きづめで。
2010 1・9 100
* 八時、背の高くなった隠れ蓑に真っ白う雪降りそそいでいた。毎朝のように松壽院さん、心窓さん、香月さんにいっとき頭をさげる。
いま、ヴュータンを、ムローヴァのバイオリンで聴きながら。
2010 2・18 101
* 昨日に増して寒々と冷え込んでいる。ま、三月の大雪はむかしから有ることで、雪でないのを幸いとする。春遠からじと思いたし。
* 奇妙に淋しい心地がするので、音楽を聴きたくなり、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」からフリードリヒ・グルダの弾く「プレリュードとフーガ第一番」を機械に入れた。
音楽を、音楽「学」的に知る才能の滴ほどもないわたしは、平均律もクラヴィーアもプレリュードもフーガも、何であるかなど何一つ「理」としても「識」としても、弁えない。そうしたい気もない。単純に「音」を「楽」しんでいるだけ。楽しむことはできて、有り難い。我流すらないのが有り難い。
驚くのは、わたしの目の前にも背中の方にもクラシックの盤がけっこうたくさんあることで。わたしが自分でこういうのを「買ってくる」ことは、能力や趣味の上からも、そうそうは無い。大方が多年の内に、誰からか、いつしかに贈って戴いたものばかりに相違ない。しかも誰からと、いつごろと、ほとんど覚えていない。このグルダのバッハもことに愛している一枚だが、もともとから私の側で根が生えたように「此処にある」としか、他の記憶は失せている。ピアノの「音の粒」の確かさと美しさ。耳を傾けながら、気持ちが、生き生きと静かに喜び始めている。
2010 3・8 102
* グレン・グールドのゴールドベルクを聴きながら、新しい宛名を三十ほど書いた。
編輯者の昔から、どれほど多くわたしは宛名住所を封筒に書いてきただろう。昔は人の名前も住所や電話番号もよく覚えた。それが商売であった。
今は、まず三人分と記憶できない。その代わり、よく記録する。記録する根気、歴史家のそれは力だ。
* 今晩は浴室へ七冊、持ち込んでいた。水滴をはじくカバーの附いた文庫本が読みやすい。
枕元へ中村光夫先生の単行本『老いの微笑』を、機械の傍へ福田恆存先生の語録『日本への遺言』を新たに置いて読んで行く。語録はたくさん紹介したい、私語の中で。
* 曲が、ホロヴィッツの月光に変わった。さ、やすもう。
2010 3・18 102
* 後遺萎縮で、こわごわ、あれこれと保存したり場所を移したりした。保存といってもわたしの場合、大方が現在進行形で、昨日から今日へ明日へ内容が変わったり追加されたりするので、保存はしても、厳密にはそのつどバックアップしなくてはならないが、ま、いいだろうと油断が積もった時分に狼狽することになるから情け無い。
佳い音楽を聴いて落ち着こう、マリア・カラスを静かなほどの音量で。「苦い涙を流せ」から始まるのも悪くない。
* 「序章」にもう一層を添えてみた。「五つ」の断層を践んだ姿勢で、不退転の検討を我が身に加えてみることになるか。
2010 3・31 102
* さ、腹痛まで起こした仕事の、きのうの続きを。グルダのバッハを静かに聴きながら。
2010 4・8 103
* 写真で観ると、ベラボーに高い高い塔で、心配もし、かなり惘れてしまう。
勝田さんにもらった「ちあきなおみ 船村徹をうたう」を静かに静かに音量を落として、もう十一時なのに聴き始めた。「別れの一本杉」を歌い終えて、つぎは「なみだ船」。音量を上げれば十倍佳いだろうとすぐ分かる。いい歌手だ。いまはやりの坂本冬美の歌は曲も声もよく歌も佳いけれど、この歌手からは、ほんもののなげきやなさけが聞こえてこない。得意満面で歌っているのが惜しいなと思っているが見当違いか。つぎは、「新宿情話」。
2010 5・4 104
* 明晩は国立小劇場で「人間国宝の会」を楽しむ。ひとりで行く。主に音曲だが、高麗屋松本幸四郎が最後に出演して舞を観せてくれる。雨が降るかも。雷雨とも。それもよし。
2010 6・3 105
* むかし「蘇我殿幻想」の取材で亀戸天満宮を訪れたことがある。久しぶりにもう一度行ってみたいと思っている。地図を観て、そこから十間堀川まで歩いて、川沿いに隅田川まで浅草通りを歩いてみたい、業平橋も渡ってみたいと。
* 今日は予報の雨もなく雷雨もなく。暑さに負け、酒を飲んだ。それから、国立小劇場へ。開場の五分前。
開場して中へ入って、三十分後に開演、開演して河東節の「松竹梅」を聴いているその途中まで胸が苦しく、荒縄でグルグル巻にされた按配、脈は急行電車ように早い。苦痛と不安の中、落ち着いて、持っている血圧降下剤をやや間隔を置きながら、結局三錠のみ、効果の程のややあやしい古いニトロを、やはり間隔をあけて二度飲んだ。よほど危ないなあと思ったが、国宝山彦千子の三味線で河東節の浄瑠璃を聴き惚れている内、いつかかき消すように苦痛が去っていた。助かった。
家を出がけ、玄関で俄かに血圧をはかったとき178もあり、降圧剤を一錠飲んで出掛けた。京都で講演直前に血圧が高いと感じて咄嗟にクスリを飲み、おかげで成功裏に話を聴いて貰えたのだったが、当分、用心しなければならない。
* つづく新内「千手の前」は、米川俊子の箏や田中之雄の琵琶、それに国宝堅田喜三久の鼓も加わって、新内仲三郎が弾き語りで人間国宝の藝をしっかり聴かせた。物語は熟知した平家物語もの。うっとり聴いていた。
NHKのカサイ・アナの司会はとても好きになれないシャベリであったけれど、要領よく曲の妙味を告げ知らせていて、その点はプロであった。
休憩のアト、義太夫「新版歌祭文 野崎村の段」 浄瑠璃は可憐な娘義太夫ならぬ国宝竹本駒之助のオババ義太夫、よくよく筋の知れた名場面であり、鶴澤津賀寿の三味線が安定感抜群、鑑賞に堪え、音も美しかった。さらに終幕、土手と川との野崎詣りをさらに六人の美しい三味線が加わって悲しい場面に賑やかな迫力のツレ弾きは、まこと聴き物であった。嬉しくなった。
そして今夜のトリは、高麗屋松本幸四郎が悠々としかも端然かつ閑雅な風情でくりひろげた「広重八景」、これが美しかった。人間国宝は新内の弾き語りに仲三郎、小鼓に喜三久、加えて上調子の新内仲之介もなかなかよかった。
* 幕になったところへ高麗屋の夫人がみえて、立ち話を少々。会員に推薦した松たか子が、今年のペンの催しに「朗読」してくれると。感謝。
今日は全席自由席と聞いていたのに、前から五列目通路脇の最良の席をもらっていて、幸四郎の踊りがとてもよく目にも胸にも届いた、これまた感謝感謝。
出だしは苦しく不安だったが、帰りは気もしゃんとして、タクシーで市ヶ谷まで行き、地下鉄で幸便に西武線へ直通に乗れて帰ってきたが、保谷で、今日初めて雨に遭った。タクシーが直ぐ来てくれた。
2010 6・4 105
* 朝、6時前に血糖値を計った。108。懸命にコントロールしている。すぐ、放っておけない要事に立ち向かい、あまり心の寒さに、いま、「マドレデウス」を聴いている。なよやかに輝いた繊細なこの女声とともにいると、わたしは孤りでない。ポルトガルの言葉は一言も分からないが。「O Olhar」というとても好きな歌をいま歌っている。目を閉じ、静かに静かにわたしは沈んで行く。
2010 7・8 106
* 「悲愴」の、好きな三楽章をグールドで聴いていた。なんというピアノの音色のきれいなこと。
いまはマリア・ピレシュでモーツアルトのコンチェルト23を聴いている。なんというピアノの美しいこと。子松君の呉れた盤だと思う。彼、どうしているだろう、この頃は。
2010 7・22 106
* ホロヴィッツの「月光の曲」を聴いている。一、二、三部とも好き。今、三部の美しいプレストアジタート。
2010 7・23 106
* さすがに二日続いて、暑さ負けの気味、夕方三時間ほど寐た。夕食も遠慮した。九時。アシュケナージの「熱情」を聴いていたが、いつか「悲愴」に転じ、さらに今はマリア・ピレシュのモーツアルトをまた聴いている。ビアノコンチェルト23の、アンダンテ。美しい。
2010 7・24 106
* シューマンのピアノコンチェルト。ピアノ、誰だっけ。
2010 7・24 106
* 瀬踏みではあるが新しい本のためのスキャンも始めた。半日掛けてスキャナを働かせ続け、その間は手順を集注して守らないと粗相をする。音楽を聴きながらが気持ちいいが、サギョウニウカと手落ちがあると、あとで困る。こまぎれに放心の時間のあるのを、も場通り静観の機会にしている。
「仕事」の山がまた目の前に三つ四つと並びはじめ、忙しい夏になる。誰のためにも誰のためにも、どんな熱暑であろうと、どうか平安な今年の夏でありますよう。
2010 7・29 106
* 朝、グスタフ・マーラーの交響楽一番を部分的に聴いて、その面白さに初めて惹かれた。これまでは喧しい音楽だと感じがちだったが。
午後の仕事も捗らせたあとで、持っている「マーラー五番」を心新たに聴いてみた。バーンスタインとウイン・フイルとの相性の良さも有るらしいが、かつてなく面白く聴いてきて、第四部に温かみを受け取れとても喜んでいる。今は五部に移って、こまやかな「交響の魅力」に心惹かれつつ機械のキイを叩いている。
2010 8・8 107
* この数日の視力の酷使はすさまじく、夜の床に就く時分はメガネの儘でも視野は霞みきっている。それからの裸眼の読書は、出来なくはないが、半量ほどに減らし、かわりに、東工大で買った複合機能のラジを持ち出し、三遊亭圓生の「圓生百席」を当分耳で聴くことにした。昨日は入浴しながら「文七元結」を聴き、今朝は起床前に「山崎屋」を聴いた。たっぷりと長枕を圓生は置いてくれる。これでわたしはどんなにたくさん勉強したか知れない。それに前にもサゲのあとにも、悠々と美しい音曲を、それはもういろいろ聴かせてくれる。
圓生は爆笑させる名人ではなくじっくりと噺して聴かせる「噺し」の名人。わたしはそれを心ゆくまで楽しむ。この十数年は妻も私も歌舞伎座に奉公していたようなものだから、ひとしお圓生の噺がしみじみと面白く分かる。視力をいたわるために、圓生百席の偉業・遺業にまた触れるというのは嬉しい名案ではないか。
2010 8・15 107
* 落語には素噺もあれば音曲ものもある。圓生の音曲もの「庖丁」は、都々逸坊扇歌の名人藝をながい枕に置いて、それだけで逸興の噺が楽しめる。そして「庖丁」という「ヤツチャマ(やわい脅迫)」噺が続くのだが、この江戸弁が途方もなく面白い。圓生は根は大阪と聞いているが、この人の江戸弁はなんともみごとで、それだけでも痺れる興趣を覚える。都々逸をわたしは好くが、落語を知らずに都々逸に接する機会は少ない。「庖丁」一時間、ぬるい湯に漬かったまま楽しんだ。
2010 8・15 107
* 大文字はどうだったか、雨には降られなかったろうと思うが。大文字が過ぎれば、来週はもう京都は地蔵盆。
暑い一日だった。暑さ、凄い。さ、涼しくして今夜はすこしオッカナイ圓生「髪結新三」を聴こう。
2010 8・16 107
* 湯に漬かりながら「唐茄子や」の後半を聞いた。この人情噺が好きで、若旦那の「唐なすや唐なす」の売り声にかぶって吉原の花魁との馴染み話。いつか圓生得意の美声で粋でしぶい音曲がひとつ聴ける。これが楽しみ。そこから浅草の裏長屋で不孝な浪人の内儀を救うところへ噺は美しいように推移する。ほろっとくる。
校正も、ほぼ半分近くを終えて。
2010 8・22 107
* 朝一番、コントラルトのキャスリーン・フェリアーの歌曲を聴いている。シューマンの「女の愛と生涯」の、いま、「友よ、手を貸して」を歌っている。言葉は分からないのに、「うたふ」とは「うったふ」だと、しみじみ分かる。この盤も、いつ、どうして誰から手にしたのか忘れている。硬質の美声。
ソプラノのエリザベス・シュワルツコップのR・シュトラウスの「四つの最後の歌」という盤も在る。マリア・カラスもある。マリアのは自分で買った記憶がある。
器楽の曲を主に聴くが、時に人の声が懐かしくて堪らぬときがある。そういう日か、今朝は。
2010 9・20 108
* 今はエリザベス・シュワルツコップのソプラノを聴いている。優雅にうねる波のようだ。
2010 9・20 108
* いま、千住真理子の「Caprice」を聴いている。
昼過ぎには、エリア・カザン監督でグレゴリー・ペック主演の「紳士協定」をおもしろく観ていた。日本名の題はわかりにくいが、アメリカでのユダヤ人差別の問題を取り上げていた。すこし運びがムリかなあと思いながら観ていたが。
2010 11・4 110
* グレン・グールドの弾く、ベートーベンのピアノソナタ30 31 32 美しい音の冴えに、なにも手につかず魅了されている。いまは金澤にいる細川くんにもらったにちがいない、彼にはグールドとバッハを沢山教えられたが、こんなに美しいピアノ曲ももらっていた。身のふるふやうな美しさだ。むかしのレコードは余儀なく針からも盤からも劣化したが、今は音質のよさが保たれてこころ強い。それと機械が自身の中に保存してくれるので、いつでもすぐ選んで聴ける。
わたしは全く音楽の構成や理屈は理解できないが、おかげで音の面白さや美しさが、きもちよく無心に聴ける。批評なく楽しめる。文学より純粋に楽しめる。日本の古典音楽も西欧のも甲乙なく楽しめて有り難い。このベートーベンの三つのソナタがなにものであり、作曲家が何歳ぐらいの作でありなどといった何一つ知らないし、解説を読む気もない。ピアノが鳴りはじめて瞬時にもう美しさに降参した。それでいい。
2010 11・22 110
* わたしの掌説「鯛」をとくに選んで、或る会で朗読したという岸野有美子さん、例年のように富山の鱒寿司と烏賊墨の「黒漬け」を下さった。腹も老酒でも、いまは足りているのだけれど、せめて大好きな烏賊墨で日本酒をちと戴きたい。モリア・ピレシュの美しいピアノが、静に終わるまで待って階下へ。
2010 12・16 111
いま、32番。ナニ、何番であろうとわたしには分からない。耳に届いているピアノの音色と旋律の美しさに、ホオッとしている。幸福ッて、こういうこと。
いまはヘンク・バン・トゥィラートがチェロでバッハを聴かせている。大好き。
2010 12・19 111