* どこにあったのか、天から降ってきたかのように積んだディスクの中から宮澤明子というピアニストの盤を掘り当てた。宮澤明子という名にも他の何にも覚えがないが、ガルッピという十八世紀の大家らしい人のソナタ ハ短調を聴いていると、ピアノという楽器のもっとも美しい命をみごとに引き出していて恍惚とさせられる。続いてスカラッティ、そしてショパンのカンタービレ、コントルダンス、そしてノクターンが二つ遺作とある。ショパンの遺作なのだろう。1996年、MEIKO MIYAZAWA in NEW-YORK だと。
わたしには音楽家や音楽史の知識は何もない。ただ美しい音色や旋律を愛する気持ちだけがある。音楽を負担に感ずる何の借りもなく、 純然とかつ横着に楽しめる。最後にバッハの二曲がある。大変なもうけものを見つけだしたらしい。だれかが贈ってくれたのだ、感謝する。めったには買わない。いや、ときどき思い立って駅の地下の出店で買ってくるが。マリア・カラスとか。そういえば、妻への年始のブレゼントによくクラシックの盤を暮れの内に買っていたことがある。しかし、 妻は自分でピアノを鳴らす方で、音楽を聴くのはわたしの方の楽しみだ。
2011 1・13 112
* ガルッピ、スカルラッティ、ショパン、バッハのピアノ曲を宮澤明子のピアノで満喫。今はベートーベンの月光を聴いている。第二楽章になった。音楽を聴いていると深い安心にひたれる。
2011 1・14 112
* 宮澤明子のピアノを聴きいまはマリア・ビレシュのピアノを聴いている。音楽がずいぶんわたしを慰める。励ましても呉れる。
2011 1・26 112
* この頃、煙草をのまないわたしのチョイトの気晴らしは、国技館で買ってきた拍子「キ」で。うまく打てばカーン、コーンと小気味よく鳴る。鈴など振るより、はるかに鳴り響いてご近所へも届くだろうから、再々は鳴らさないが、スッキリする
2011 1・27 112
* 原子爆弾のような烈しいメールももらう。あぶなくてここには取り上げない。今日ももう一台の機械が終日音楽を聴かせてくれていた。いまはジャズの、しかしとてもとても静かなピアノが美しく鳴っている。わたしはジャズ風の演奏もとても好き。
2011 1・29 112
* 宮澤明子のガルッピ、スカラティ、ショパン、バッハのピアノに魅了されて、繰り返し繰り返しこの頃聴いている。聴きながら、いる。
2011 1・29 112
* 前原外相の辞任、余儀ないこと。ジタバタしないのが賢明。民主党政権は何をしてもチグハグになってきた。小沢一郎が創り上げ小沢一郎が潰した政権、鳩山一郎が政権の混濁にわるく荷担した。最悪。自民党政権に「戻したくない」と思うが、国民と国家の行方を現状の舵取りにまかせていては最大不幸に陥るは必至。とても総選挙しても安定は覚束ないが、民意に賭ける時期は来ているのかも。それでもわたしは民主党をふくむ「反自民の政権」に希望を持ちたい。
*バッハをチエロで聴いている。
2011 3・8 114
☆ 過日ご恵贈本のお礼代わりに、 昔のクラスメート
例によって独断と偏見のCDをお届けします。
1 枚は仲間との記念行事のためのものですが、好評だったのでコピーをしたものです。クラシックから歌謡曲までてんでバラバラな好みを1 枚に纏めて面倒をみようと手抜きをすると、毎回このような五目飯的CDになるのですが、変化に富んでいる所が結構受けているようです。
「**さんて顔に似合わずロマンチックな曲を聴かれるのねと女房が言ってたぞ」と書いてくる奴もいますが、「お前の奥方は器用にも音楽を顔でお聴きになるのか。森下はオイドで音楽を聴いてよる、と言っとけ」「関西弁ではオイドは尻、スペイン語では耳をOidoと言うのじや」と切り返しています。
1 は布施明の知られざる名唱、 2 はハンガリー製、 4 はオペレッタ作曲家の秘曲、7 は騒々しいキューバものですが日曜日ごと花束を母の墓前に供えて親不孝を詫びる男のうたで、身につまされる曲、8 はガキの頃の一番印象に残っているなつかしい曲、15は14と違ってこんなファドもありの見本。
クラシックも演歌もすべての音楽は{ムード音楽」が私の持論でその時々の気分で音楽を愉しんでいます。きのうは騒々しいと拒否反応を起こした曲も今日はくつろいで聴けるから不思議です。いつでも聴きたい曲を身近にと若い頃から浅くても広くかき集めてきた音源を、読書の楽しみが失せた今は正に寝食を惜しんで手当たり次第に聴いていますが時間が足りません。
住み辛いご時世ですが、百歳までは音楽と酒を愉しみたいものだと真剣に思っている次第です。そのためにはまず健康が第一。首から上はともかく右肺がないのを除けば所謂生活習慣病とは無縁で内科医には30年近くもご無沙汰していることだけが自慢のタネです。と法螺を吹いていますが、片目で遠近感がとれず僅かの段差に躓いたり転んだりしては周囲の人達をハラハラさせているのが実情です・・・
奈良のお水取りが始まり、26日の比良八荒が終われば春の到来ですが、寒暖差のはげしい昨今、充分ご自愛のうえお元気にお過ごしください。
追伸、 奈良旅行記念盤の16の曲途中に針とび箇所があり、折角のムードを壊しますがお許しのほど。
* 残念、この晩は二十曲の十三曲までに針きずあり。ファド二曲からは聴ける。いま松尾和子とフランク永井の「昭和枯れススキ」を聴いているが、イマイチ。あと四曲、いろいろ聴けそうだ。
他に、ちあきなおみの盤が二枚、そしてジャズ盤一枚。ありがとう。
いま、ジャズ十五曲を賑やかに聴きながら機械に向いている。聴いたような曲も混じっているようだ。
2011 3・9 114
* Jacqes Loussier Trioのジャズをずうっと聴いているが、そのまえもなんだか無数の音楽を聴いていた気がする。宮澤明子のピアノもグレン・グールドのピアノも。いつのまにかわたしのiTunesには、クラシックを主に、ずいぶん沢山の音楽が溜め込んである。一日中でも間に合うほど、いつでも気持ちのいい曲が聴ける。特別選んで聴くのでなく、アトランダムに順に鳴っている曲を耳ひとつに楽しんでいます。とっても、精神衛生上たすかっている。
2011 3・10 114
* 珠をころがしたようなグレン・グールドのピアノが身の傍を満たしてくれている。
2011 3・11 114
* ベートーベンのピアノソナタ第30.31.32蕃と続けて、グレン・グールドで聴いている。珠玉の舞い散る美しさに恍惚と。
最近の私の愛聴定番はまず宮澤明子のショ」パンのノクターンを二曲、ついでグールドのベートーベン。鳴っているあいだ、うっとりしている。名画は実物で観られないが、音楽は眞の演奏とほぼ同じと信頼して聴き入ることが可能、機械文明の恩恵の最たる一つ。ありがたい。
2011 4・19 115
☆ 播磨の鳶
昨晩メールをいただいていました。ありがとう存じます。
花粉症に苦しまれているご様子、いくらか改善されているでしょうか。
静かに雨が降り始めましたが、桜は今しばらくは散らないだろうと、これは希望的観測です。
東京の日々はいかがでしょうか。まだまだ余震が続き落ち着かないと思います。震災と原発のこと・・さまざまなあまりに膨大な困難に直面しています。その現実に四月初めからの日常の変化など私的な事柄を改めて述べても、それさえ何か白々しいようにも思えます。
詩集のことに関して。何処でもいい、小さなところでも、自費出版のかたちで・・と既に鴉は書かれていますが・・。
一つの具体例を書きますと知人から貰った*社のパンフレットが手元にあり、割引の特典付きで150ページの本300部、あるいは500部でほぼ100万円の費用とあります。神戸の知人の出版では70万円くらい、ただし雑誌などでの広告がなされることはありません。
その某社に一度電話したのですが、電話口の人の応対に何となく距離を感じて臆しています。
知人や詩を通じてのつてを辿って読んでくださいと配るあたりが現実なのですが、何回も出版することなど考えられませんから納得して出版社に委ねられたらと思うのです。
どの出版社に依頼したらよいか、助言いただけたら嬉しいです。
4,19
前のメールを書きさしのまま数日、長い時間だった気がします。久方ぶりの歯痛に見舞われ、たいしたことないなと思っていたら耳の奥まで変調をきたして・・週末にかかってしまい医者にも行けず苦しい時間を過ごしました。痛み止めの薬を飲んでからはかなり?眠りました。今はほぼ落ち着いています。
あえて地震に関係ない話を書くことにします。
菊五郎の番組はわたしも見ました。自分の立場、役者としての強い覚悟を感じられ、創意工夫も興味深く楽しく頼もしく感じました。同時に歌舞伎を支える多くの人の気概も緊張も受け取りました。
土曜日、毎朝ラジオのバロック音楽を聴くのが習慣なのですが、皆川達夫さんの解説紹介された曲に驚きました。グレゴリオ聖歌が日本のキリシタンに伝わっており、それが琴の曲、六段の調べにそのままなっているというのです。
六段はあまりに有名、ポピュラーで琴を嗜む人は誰でも知っているもの。二つの演奏が同時に流され、それがほぼ完璧に合っているのがとても不思議に感じられました。
今インターネットで六段の調べについて調べたら、早速そのことに関する記事がありました。二つを送ります。
六段発祥の地
「六段の調」(六段調、六段)は近世箏曲の祖といわれる江戸時代初期の演奏家で作曲家の八橋(やつはし)検校(けんぎょう)(1614~85)が作った。諫早市の慶巌(けいがん)寺を訪れて第4代住職の玄恕(げんにょ)上人から琴を学び、諫早での修行時代に親しんだ本明川のせせらぎの音を思い起こしながら京都で作曲したとされている。寺には「六段発祥地」と書いた大きな石碑が立つ。現代でもBGMや学校教育の教材として広く使われている。
もう一つの記事
「グレゴリオ聖歌と箏曲“六段との出会い”」音楽の泉でのことです。
なんと、日本の筝曲だと思っていた六段の調べは、400年前のグレゴリオ聖歌と一致するというもので、九州のお琴の先生が発見したとのことです。
・六段(初段) (2分40秒)
(箏)野坂操壽
・クレド第一番 (1分30秒)
(演奏)中世音楽合唱団
(指揮)皆川達夫
・六段とクレド第一番 (12分19秒)
(箏)野坂操壽
(演奏)中世音楽合唱団
(指揮)皆川達夫
・六段(全段) (7分18秒)
(箏)野坂操壽
<ビクター VZCG-743>
なんということでしょう。これは覚えていたいので記しました。
400年ぶりに発見したお琴の先生は自分でもびっくりしたのではないでしょうか。
別々に聴くとこれが一致するとは思えないのですが、一緒に演奏されるとぴったりなのはほんとに驚きました。」
もし僅かでも歌詞が残っていたらキリシタンの音楽だと即座に排斥弾圧されたでしょう。どのように耐えて伝えたいものを残していくか、それを後世の人間が見出し受け止めていくか、これもまた大切なことと鳶は思いました。
今週末は再び岡崎( 姑の家) 、です。
どうぞ元気にお過ごしください。
* まず詩集のことだが、詩歌の本はまず九割がた以上も自費出版ふつうと聞いている。わたしの歌集『少年』は何種類も本になったが幸いに印税を貰っている。短歌新聞社の文庫本の場合は印税分にちかい買い上げを望まれたけれど、持ち出しはしていない。そういうわけには、だが、行かぬ例が一般に多いらしい。
この場合、二つの意思選択がある。まず、いわゆる出版社からの「単行本」らしい体裁を望むかどうか。それとも、とにかく本の形で人様に手にとって読んでもらいやすい形なら、版元の如何を問わないか。
わたしは文学史的には「私家版作家」と総括されるかも知れないほど、作家としての出発点で、四巻の私家版を造っていた。これは一冊も売れるものではなかった。500円をお一人だけから祝って頂いた。
次いでは現役作家のママ後年に、「 秦恒平・湖(うみ)の本」 というシリーズの私家版を、すでに四半世紀106巻まで出しつづけ、いましも第107、108巻刊行の用意も出来ている。これは数多くはないけれど製作費を回収できる程度に読者の皆さんに助けられている。それに、幸い作家として各社から出版した本も、100巻をとうに越している。非常に恵まれた幸運な文士の一人であった。
* で、駆け出しというより、それよりまだずいぶん以前の、四巻の私家版には、「星野書店」という版元の名が奥付に入れてあったが、これは正規の出版社ではない、暮らしていた社宅のお隣の貸本屋さんの名前を、ただ体裁として借りたに過ぎない。装幀などみな、わたしと妻との手作りであった。100せいぜい多くて300冊しか造らなかった。それでも送り先が無くて、かなり手元に余ったものだ、今も幾らか残っている。
だが、今としてはそういう私家版だったのが良かったか、珍しかったか、一時古書市場で四冊合わせて50万円もしていたと人に聞いたことがある。素人の手作りが珍しかったのだと思う。
しかし、そういう造り方で自費出版する人をわたしはほとんど知らない。業者に高額を支払っても「単行本」らしい見映えと製作の実務とを委せたいらしい。「鳶」さんもそうらしい。そして詩には詩の、短歌には短歌の、俳句には俳句の自費出版扱が専門の会
社は、いろいろありそうである、よくは知らないが。歌集『少年』を出版してくれたのは不識書院だった。ここは歌集や歌論の出版が専門だろうと思う。
実は、わたしも、そろそろもう一度歌集を作ってもいいなと思いかけている。少年そして結婚より以降、くちずさみのように書き散らしていた短歌や俳句が、「 湖(うみ)の本」 の一冊になりそうなほど書き溜まって在ると気が付いている。それはもう谷崎先生流にいうと日々の汗とも排泄物ともいえるものたちで、いささかも歌史の玉でなく、私史の雑記に過ぎないが、それでも「 湖(うみ)の本」 の読者にはそれも秦恒平のモノと愛して下さる人があるかも知れぬ。すでに『少年』は復刊してあり、たとえば『老境』とか戯れて『不老』または「不良老年」とか、在りうるだろう。それは幸いにわたし自身の営みなのである。が、……
* 数年前から、別巻「 湖(うみ)の本」 をもつというのはどうかと、ときどき考えることがある。わたしの「 湖(うみ)の本」 別巻として、同じ装幀だけれどまた別の趣味のいい装画で、誰もが手に取りやすい150頁限度の本を、実費でつくってあげたら、何等か文学への寄与とならないだろうかと。
各ジャンルにプロではないがプロに遜色ない在野の創作者たちのおいでなことを、幸いわたしは知っている。しかしそういう人達も、生涯に只一冊の創作本も遺されない例の多いことも知っている。
むろん問題も多くて実現はじつはなかなか難しい。たちどころに難儀な問題点の七つや八つはすぐ思い浮かぶ。それより、秦恒平の作を一つでも書き残せと、「鳶」さんでも拳固を振り上げるだろう。当然であり、ま、わるくない夢に過ぎない。ただそのようにしてでも手伝って上げたいという気は有るのだ、「鳶」さんの詩作はそれだけの質のよさを十分備えている。
* さてまあ、箏曲の「六段」がグレゴリオ聖歌の曲そのものだという発見に、ビックリ。
このまえ、高校の友人から、瀧廉太郎曲の『荒城の月』が、西洋の著名作曲家の作曲から一部を導入していると教えられて驚いたが、この六段の例では完璧に曲譜が一致すると云うから驚きはもっと大きい。
2011 4・19 115
* さて、着々明日からまた仕事を先へ先へ押し出して行く。今日も往復の車中では、ずっと校正していた。
いま、ジャズのピアノをきかせたトリオの曲を聴き続けている。 2011 5・9 116
* わたしの二度目の誕生日、太宰治賞から満四十二年。グレン・グールドで、ベートーベンのピアノ曲を聴きながら。
朝一番、山形の読者から毎年のすばらしい桜桃をたくさん頂戴し、美しさ豊かさに歓声、さっそく妻と賞味。うまい。甘い。季節を眼でも味わいでも満喫した。感謝、感謝。同時に、高麗屋さんから特製の蕎麦をたっぷり頂戴した。午にはこれを戴こうと妻としばし眺めていた。
昨日の夜は、創刊二十五年、第108巻になる新刊「 湖(うみ)の本」 も事無に送り出したし、前夜祭ふうに、鮨と大盛りの刺身を取り寄せ、萬歳楽の清酒で祝った。読者への本はおおかた今日中には配本されるだろう。
☆ 秦 恒平様
「湖の本 バグワンと私ー死の間近でー下」を拝受しました。
創刊満25年、誠におめでとうございます。
とは言え未だ通過点、遥かな到達点に向けて更に巻を重ねられることでしょう。6/19/2011 濱 拝
2011 6・19 117
* 前夜、階下の大きなテレビにディスクを入れて、「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観た。聴いた。この映画では、わたしも妻も誰一人見知った俳優が出ていないので、またロケーションがすばらしいので、造りは思い切りシュールですらあり凝っていながら、ツクリモノと思えず、まともにイエスのありように身近に添うている心地がした。イエスが、そのままイエスとしか思われない。ミュージカルの歌唱力がかえって真実味を増し、もう何度目でもあるのに、わたしはくいいるように観た、聴いた。
* 日本映画の「蕨野行」や、海外の「グランブルー」さらにはサイエンスフィクションながら「マトリックス」などを想い浮かべて、シンとした思いで床に就いた。
ジブラーンの『人の子イエス』を読み継いだ。たぶん一冊の中の最長篇ではないか、マリアの隣人である、人の母の、しみじみとマリアを語った述懐に、胸のふるえる心地がした。映画では同じマリアでもマグダラのマリアがすばらしい詠唱で、胸にも目にも迫ってきた。
2011 6・26 117
* クーラーなし、小休止の気でつまらないドラマを見ていたが暑さに負けて倚子のママ寝入っていた。 家の中でも熱中症はやる。去年の夏は日照りの真昼に自転車で走り、あわや入院かと云うほどヒドイめに遭った。高熱で、吐いた。まさか六月ではなかったのに、今年は六月からひどい暑さ。
それでも外へ出たい気持ちは有る。
今は、機械部屋にクーラーを働かせ、「悲愴」は、済んだ、モーツアルトのコンチェルトK438をマリア・ピレシュの綺麗で清潔なピアノで聴いている。何曲も続くはず。さ、それならと手に取る本は、亡くなった網野善彦一の名著の『無縁・公界・樂』で。わたしの頭も、働きます。
2011 6・28 117
* 妻と、遅い晩飯を近所のフランス田舎料理の旨い店でした。赤いワインで。今日は妻の手までたくさん借りた。
帰ってからまた根をつめた。もう十一時、限界だ。ずうっとJazピアノを背中で聴いていた。励まされるように。
2011 7・7 118
* だれに貰ったのだろう、岡晴夫の「逢いたかったぜ」ほか田畑義夫の「玄海ブルース」まで、20曲のオリジナル盤CDをみつけた。いまは青木光一が「柿の木坂」を歌っている。ちょっと懐かしい。そして全く同じ20曲をもう一枚の盤で、ちあきなおみが全部歌っているのも併せ貰っている。一つのビニケースに二枚入っていた。今は平野愛子が「港が見える丘」を歌っている。なんと懐かしい。少年のわたしも歌った。なんとなんと。
次は田畑義夫の「すえり船」 エト邦枝の「カスバの女」 佐藤千枝子の「船頭小唄」 菊池章子の「星の流れに」 二葉き子の「水色のワルツ」 津村謙の「上海帰りのリル」 楠木繁の「緑の地平線」 バーブ佐竹の「ネオン川」 さくらと一郎「昭和枯れススキ」 扇ひろ子の「新宿ブルース」 ディック峰の「夜霧のブルース」 春日八郎の「別れの一本杉」 松山恵子の「未練の波止場」 三橋三智也の「りんご村から」 春日八郎の「雨降る街角」 田畑義夫の「玄海ブルース」 そして石川さゆりの「紅とんぼ」は録音盤。
ほぼ全曲覚えているし、よく聴いていた。この選曲では、19枚もオリジナル盤から選んでいるというのでは、京都の森下辰男君のプレゼントに想われる、が、千葉のe-OLD 勝田貞夫さんからもたしかちあきなおみの盤を選んで送ってもらっているしなあ。われわれ三人とも一つと違わない同年生。
いま二葉あき子が「水色のワルツ」をあの銀色の声を震わせて歌っている。日吉ヶ丘高校の入学式の日にはじめてバックグラウンド・ミュージックとして聴いた。上の何人の歌手が存命で健在だろう。
* さて各歌手のオリジナル盤とちあきなおみのライヴ盤を聞き比べると、ちあきの歌唱力は認め得ても溌溂の魅力は断然原曲が優っている。懐かしいという価値も加算されているが。
聴きながら身の回りの片づけをしていたが、なかなかかたつづいたと謂えないので腐る。捨てることを覚えないと。
2011 7・24 118
* シューベルトをキャスリーン・フェリアが歌っているなと思っていたら、いまは、「月光」が二楽章に入っていて、もう、プレスト・アジタート。すばらしい。弾いているのは、アシュケナージ。 2011 7・31 118
* クラスメートの森下辰男君の送ってくれる彼が編輯の音盤は、もう何枚にもなる中で、好きな一枚を聴いている。ご近所に漏れていたら思わず破顔一笑ないし怪訝な思いをされていよう。いま、二葉あき仔や高橋裕子らの「めんこい仔馬」を聴いている。ここまでに「軍艦マーチ」「父よあなたは強かった」「紀元二千六百年」伊藤久男の「暁に祈る」岡本一片作詞の「隣組」さらには「月月火水木金金」を聴いて、いま、お待ちかね、美声李香蘭の「夜霧の馬車」が堪らなく懐かしく歌われている。
全26曲もあるのだ、ああこういう時代があったなあと、胸が湿る。懐かしいと言うより胸がしめつけられる。
「朝だ元気で」についでいま「空の神兵」を灰田勝彦らが歌っている。なんと高木東六の曲だ。つぎは小唄勝太郎が「明日はお立ちか」を、灰田勝彦とヨヨッ…大谷冽子が「ジャバのマンゴ売り」を、高峰三枝子が「南の花嫁さん」を歌う。そして一転「加藤隼戦車隊」「ラバウル海軍航空隊」「若鷲の歌」「同期の桜」「轟沈」と勇ましくも悲しい軍歌がつづく。敗戦だ。
まだ国策の臭味ののこる「お山の杉の子」につづき、とうとう並木路子のあの「リンゴの歌」。そして田端義夫のせつない「かえり船」菊池章子の「星の流れに」と続けば、涙も煮えてくる。「泪の乾杯」「流れの旅路」そして吉田正曲の「異国の丘」に至る。「異国の丘」。何百千度と聴いた。苦しかった。
最後には甘い声の岡晴夫が「泣くな小鳩よ」だ、少年のロマンチシズムをどれほどか刺戟したのだった。
森下君のような友がなければ、わたしは此処に再録された大方の歌をうまく思い出せもしなかった。
だが聴いていると確実に我が身に擦り込まれた「時代の歎き」が甦る。忘れ果てていいとは思われない。無念に果てていった夥しい兵や私民の前に「ありがとう」と言わずにおれない。それにしても「歌」の罪深さもしみじみ思う。なんという、なんという詐術も行われていたかと口惜しく、怒りが湧く。
わずかに数曲、それも軍国の詐術の縛りを抜け出た敗戦後の幾つか真率の歌曲と歌声にわたしは、頭を垂れる。「星の流れに」とりわけ「異国の丘」では、覚悟していたがやはり声を漏らして泣いた。
* 世間は夏休み盛りだろう、わたしも幾らか暢気に好きに暮らしている。今日も、気の向くままいろんなことをしていた。好日というところか。
2011 8・14 119
* ときどきヘンなことを思い出す。むかし、まだ若かった伊藤ゆかりとかいった歌手がいて、三人娘の中では好感をもっていたが、彼女のヒットソングで、「あなたが噛んだ小指が痛い」というのは、なんとやら合点が行かなかった。「あなた」とは男だろうと想われる。男が女の小指なんか噛んで、また女も噛まれて、そは、何事であるのかわたしには分からなかった。川端康成の『雪国』のように女が久しぶりに逢った男の指を、真実愛憎こめて噛むなら、分かる。それとて「小指」なんぞ噛むものか。歌謡曲の歌詞はときどき、こういうデタラメが混じるようだ。
しかしまた、美空ひばりのごく晩年の絶唱歌のひとつに、たしか「春は二重に巻いた帯」が「三重に巻いても」今秋は余るといったのが有った。作詞者の巧さか気障かと思った人は多かろうが、あれは、作詞した人が積んだ底荷からうまく利用したのである。あの歌詞は、まさしく万葉集の歌の中にほぼそのまま表現されてある。
* 「あめあめ降れ降れ」という歌が好きであった。「ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン」というリフレインもこの歌では清々しいまで利いていた。幼稚園で月に一冊ずつ配本されるキンダーブックで初めて見たように覚えている。キンダーブック、大好きだった。家の何処かに、わたしは今も秘蔵している気がするが。
あの「雨、雨、ふれふれ」では、傘がなく柳の木蔭で雨に濡れている子に、自分の傘を貸してやる。
「ボクならいいんだ 母さんの 大きな蛇の目に入ってく ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン」という、此処へ来ると、わたしは羨ましくて嬉しくて、こっそりと泪を手でふいた。 今も、泪がとまらない。
2011 10・26 1221
* 雨を聴くのは嬉しいほどだが、冷え冷えとした雨のなかへ出掛けて行くのは、すこし、つらい。
冬を想うなど、まだ早すぎるが。四季の日本列島に、秋と春がすこしずつ短くなっているのか。
* 風邪けか。機械の前が冷える。何をしていても身に沁みない。かすかにヘンなにおいがする。
* 三鷹市の藝術センターまで、招待された声楽の会へ出掛けてきた。雨に負け、往きも帰りもタクシーになった。腰も痛くて。韓国から招かれた二人の男性、一人の女性の声楽。けっこうでした。
主催は、ピアノ伴奏の浅井奈穂子さん、湖の本の長老格読者の、お嬢さん。若くない。世界的な演奏家でありモスクワ音楽大学の博士号取得者です。
2011 11・11 122
* 昨日の声楽の会で、「故郷」をうたった日本の二つの歌を聴いてきた。衝き上げてくるものがあった。言葉の分からない異国の歌曲やオペラのアリアより胸にこたえた。二つとも、口うるさい批評家のわたしの、子供の頃から好きな歌であった。
* わたしの故郷とはどこだろう。
京都市東山区新門前。これは間違いない。東京の新宿区河田町も、京都府当時南桑田郡樫田村杉生も故郷として懐かしい。
京都府相楽郡当時当尾村はどうだろうか、実父の生家があり、一つから四つまでわたしは両親とでなく、父方祖父母の一家とともにそこで暮らしたのだが。
生母の歌碑の今も建っている生母実家のあった滋賀県当時神崎郡能登川村では、半日も母といっしょに暮らしていない。
ほんのしばらくでも生まれて両親や幼い実兄や年嵩の異父兄と起居を共にしたらしいのは、京都市右京区太秦であったらしいが雫ほども記憶にない。
新門前の二十年ほど、丹波杉生と新宿河田町との各二年ほどがわたしの「故郷」だ。あえて加えれば子供達二人ともともに過ごし、孜々として小説を書き始めていて太宰賞をもらった、あの医学書院社宅で八、九年をすごした、当時保谷町字山合も故郷に数えたい。 2011 11・12 122
* 昨日の晩、美空ひばりの何回忌か記念の番組を、途中から観た。何度も何度何度もひばりの唄番組は観て聴いてきて、聴くと、観ると、聴いてしまい観てしまい、飽きるどころか感動を新たにしている。なんという藝の確かさ美しさであることか。
他の歌手では、五木ひろしの哀愁波止場であったかの絶唱に感心し、嬉しくなった。精魂こめて一心に歌ってくれた。あれなら天国のひばりも満足だったろう。
完璧な名唱がひばりには多すぎて、十選ぶのも容易でない。何度も声を呑むように感動をこらえながら、満たされて聴き惚れた。
* 同時代に生きて胸をはるほどの思いのできて嬉しいのは、わたしの場合、筆頭に美空ひばり、俳優では坂東玉三郎、相撲では白鵬、それにイチローかな。ひばりとは文字通り昭和をともに活きた。他はみな平成の同時代人。作家や画家には大きく思う同時代人はいません。
2011 11・27 122
* バッハをチェロで聴いている。
2011 12・25 123
*蛤のつゆが美味く、お節料理で久保田の碧壽を楽しんでいる。夕食後に美空ひばりを聴いた。建日子も聴いていた。
2012 1/1 124
* 今朝から仕事を展開させている。たくさんな初出原稿の再度のスキャンを妻と妻の機械に手伝ってもらっている。おかげで仕事に要する時間が半減する。
しかし、今日は軽微とはいえ継続して腹のしくしくが止まない。朝起きて、 十二時間が経ち、うち十時間は機械に向かっている。まだ休むな、まだ早いとそそのかす声も聞こえるが、ともあれ休息してこよう、階下で。いやいや、今日京都の友の贈ってきてくれた、わたしの希望をくんで音盤に作ったという「ひばりの歌」など聴こう。
☆ 流行歌はわたしの心の日記帳 第一集
秦 恒平 兄
新年も早や五日、元旦には大変にうれしい年賀メールを有難うございました。
正月三が日は毎年箱根駅伝と大学ラグビー選手権のTV観戦で過すのですが、今年のラグビーは予選敗退で出場できず駅伝は快調な滑り出しも尻すぼみで屈辱の4 位に終わって、祝い酒のはずが自棄酒になりました。私は兄と違ってアルコールなら何でもこいで出来るだけ腹の膨れない度数の高いものを常飲しています。普段は昼間は飲まないのですが正月は飲みながらの観戦が恒例。
さて兄からのひばりは如何、とのメールにCDで返事をしようと正月早々物置をひっくり返して、カビの生えたカセット・テープなどを引っ張り出して編集してみました。タイトルが返事です。飲食物同様音楽も雑食人間で、その日の気分で手当たり次第に聴いています。従って音源もかなり広範囲に亘って取り込んであります。CD一枚80分に詰める曲で迷いましたが、お持ちの曲とダブる定番曲より、比較的なじみの薄いものを選曲しました。私はひばりの曲では「哀愁波止場、みだれ髪、波止場だよお父っあん」がベスト3 てすが
06銀座の雀や09浪曲子守唄のようにカバー曲にも名唱がありますね。
10の船村徹の「みだれ髪」以下は毎晩深夜近くにちびちび飲みながらBGM として聴いているレパートリーからの選曲です。
ここ数十年来私の体内時計は、午前中はクラシック、午後は軽音楽、夕食後はクラシックで、夜更けは歌謡曲というパターンです。収録曲中13箱崎晋一郎「熱海の夜」から21岡晴夫「港の子守唄」は、飲みながらよく.聴くものです。14遠藤実の「さらば昭和よ」は作曲家の自作自演で大変珍しい音源です。 13 の箱崎は夭逝の歌手、16井上ひろし「並木の雨」はミス・コロンビアのリバイバル物、15,三浦洸一の「釧路の駅でさようなら」も21もメートルがあがれば口にする曲たちです。千昌夫の歌も味があって好きですね。
新年早々大変押し付けがましい選曲で恐縮ですが、独断と偏見の選曲でもよろしければ機をみて又作ってお届けします。その意味で敢えて第一集としておきました。
兄のお好みの曲などあればリクエストしてみてください。その内の何曲かにはお応えができるかも。
昔から金には無縁の男ですが、音楽三昧の気儘な生活を過しております。
では今年一年がよい年でありますよう。日々お健やかにお過ごしください。 辰
* 暮れのひばり番組で、ひばりの書き残していた手帖の書き込みを曲にしたのを作曲した船村徹の歌が、じつに良かった。貰った音盤にはその船村の歌っている「みだれ髪」「風雲流れ旅」「別れの一本杉」がいれて有る。
かんじんの「ひばり」は、「旅のサーカス」「女ながれ歌」「流れ人」「裏町酒場」「男の友情」「銀座の雀」「ある女の詩」「しのぶ」「浪曲子守唄」の九曲入れてくれている。演歌。 ありがとう。
2012 1・10 124
* アマデウスという音楽おもしろ番組がある。つねは観ないが、サラサーテのチゴイネルワイゼンをこまやかに解説しながら、繰り返し細部や要所を、そして全曲通してとても美しく聴かせてくれたのは有り難かった。
わたしの真実尊敬し脱帽するのは、他のどんなジャンルよりも音楽・奏楽の天才です。
2012 1・25 124
* 美空ひばりの曲を他の歌手が歌ってひばりの誕生日を祝うコンサートを聴いた。森進一が初めに「川の流れのように」おしまいに「涙の酒場」二曲を歌ってさすが森進一だった。ほかには天童まゆみ、クミコ、キム・ヤンジァが聴かせた。あらためてひばりの歌声の天稟のものであることを懐かしく思った。
2012 5・29 128
* 仕事しながら、ジュリー・アンドリュースのミュージカルを耳に楽しんでいた。
2012 6・3 129
* グレン・グールドのベートーヴェン ピアノソナタ30番を聴いている。政界のだらしない悪る揺れに負けていられない。
2012 6・17 129
* 一仕事をやめ、ベートベンのソナタ30番をグレン・グールドで聴いている。なんという美しい出だしだろう。わたしは音楽の何であるかロクに知らない者だが、聴いて喜べる幸福は持ち合わせている。ありがたい。
2012 7・13 130
* いつしかに音楽もやんだ。やすもう。
明夕、亀戸まで俳優座劇団の芝居を観に行く。無事に行ってきたい、ゆらゆらと転ばぬように。
2012 7・13 130
* 午後、あまり身動きに自信はないのだが、誘ってくれる人があって、都心まで若い人たちの音楽会を聴きに行く。
2012 8・13 131
* 今晩の音楽会、太鼓が各種活躍し、太鼓は太鼓であり元気なのは佳い。
だが音楽とは「音」「音色」表現の妙趣であり美味であるとすれば、ひたすらな「騒」楽では困る。本人達がそれが佳いのだと本質で勘違いしていると、ことに困る。
わたしの日頃の思いで強いて例をあげれば、津軽三味線など、得てして、ただただ叩き三味線の大音響でしか音楽の味わいが出せないと思いこんでいるのでは、と、あまりに訝して、あれでは「藝」として失格してしまう。
文楽や歌舞伎やその他の舞台藝・座敷藝の名手の三味線に少年の昔から真実魅了されてきたわたしには、もともと門付け藝として出発していた北国や雪国での或意味必要ですらあったろう大音響を、それが「いい」のだとばかり打楽器並みに叩きに叩いて叩きつけていればそれが「迫力」だという演奏では、あまりに工夫も藝もない。騒々しければいいのでは音楽の演奏を楽しむ側は迷惑だ。
打楽器にもいろいろ在る。歌唱にもいろいろある。それにしてもわたしは藝術・藝能の表現の芯は「静か」で「清い」ことだと今も信じている。この静か・清いは、音響・音量が小さければよい意味では、全くない。音の妙味が聴くひとの胸にあはれ・美しいと届く意味である。日本の美学では、静かと清いは、美しいと同義語であった。どんなに大音響でも、それが清くて靜かな美しさを表現し得ているなら鑑賞できる。その辺の勉強の足りないただただ力任せの興行では、藝が無い。
誤解されては困る、これはわたしの好きな、藝の立派な太左衛さんらの会とは関係ない。
外食が全くダメのまま抗癌剤を服したりで、よろめくほど疲労した。だが、楽しくなかったのではない。
2012 8・13 131
* 夕食後にテレビで歌手五木ひろしの特集をしばらく聴いていた。いまの歌手といにはもう歳もいっているが、五木と森進一とは歌唱力抜群と思ってきた。
五木ひろしは上手い。それが歌手としての徳と難であろう。山口洋子作詞と平尾正晃作曲で最初に大ヒットした曲を歌ってくれた。うまいものだ、が、涙は出ない。
中に、「あの人は行って行ってしまった もうかえらない」といった言葉がある。
死別と限らない、こういうことは、入り組んだ永い人生にはありがちなこと。「歳歳年年人不同」とはそういうこと。
2012 8・18 131
* ここへ写真を入れたり取り替える手順が機械的に機械の中で変わってしまい、困惑している。「一太郎2012承」に換えたメリットより、困惑の方が今は多い。
晩、好きなムローヴァのバイオリン協奏曲(パガニーニ ビュータン)聴きながら機械整備 掌ジンジン痺れる。
2012 9・13 132
* 二世望月太左衛さんから、明後日、紀尾井小ホールでの主催「鼓樂」への招待状が来た。長唄「松の翁」には「湖の本」読者でもある唐音岩田喜美子さんの三味線出演も予告されており、小鼓に太左衛、義太夫「海女」でも小鼓は太左衛、そして作と作曲が望月太左衛の音語り「龍田 風の女神物語」の語りはなんと丹阿弥谷津子とある。小鼓はやはり太左衛さん。晩の七時開演というりが難。上智大に沿って行く道が暗くて片目には足下が危うい。明日は聖路加眼科の検眼があり、眼鏡のための処方箋が出るかと期待している。で、やはり眼鏡の調製が先立つのだろうなあ。
2012 10・22 133
* 中野サンスヘプラザで、川平慈英を座長格のクリスマス スペシヤルコンサート「ア・ソング・フォー・ユー」を楽しんできた。高麗屋の松本紀保が出ているので座席を頼んだ。春野壽美礼、池田有希子、杜けあきそれに巧者の松本紀保がそれぞれの歌唱を競いまたバックを堅めて、男性は上条恒彦、尾藤イサオらが力演・熱唱、ことに臨時のゲスト二人の歌唱の卓抜に感動した。曲はカーペンターのを主に、プレスリーのも尾藤と慈英らが爆唱、喝采を浴びた。十一人プラス二人のゲストの、流れるような演出のもとに、だれのどの歌も楽しい歌声に広い会場が沸いていた、とても楽しかった。
歌唱は人間の生理を弾ませる一種特別の器楽であり、胸にひびいて魂を躍動させる、わたしは楽器が奏でる音も愛でるが、人がうたうのが好きなのである。うまく歌われると意味の取れていない外国語の歌でも、涙を催すほど惹かれる。歌曲のコンサートにもたまに出かけるが、今日のよく仕立てられたコンサート形式の微塵停滞なく元気に優しく心地よく高潮したミュージカルは、すてきなわたしへの鼓舞でもあった。
2012 12・20 135
* 何故か分からないが、歌の切れっ端が頭にのこってしょっちゅう口をついて出てきて弱ることが、まま、ある。人様にもあるかは知らない。いまは、歌舞伎の蔭囃子というのか下座音曲というのか、吉原通いを唄った切れ端の、「通ひなれたる土手八丁ォ」というのと、コマーシャルに出てくる「佐藤の切り餅ィ 餅 餅 もっち 餅ィ」というのに憑かれて、離れてくれない。罪のない犯行ゆえ赦してはいるが、時に邪魔になる。
2012 12・22 135