☆ 秦君 メール有難うございました。
お元気に越年された由、何よりと喜んでおります。手術をされて早や二年近くになるのですね。高齢になってからの手術を伴う闘病生活、特に消化器系統の疾患は体調の維持・盛衰に直接関わるだけにさぞ大変だったでしょう。
私はお陰さまでここ40年近く内科医や合成薬品とは無縁ですが、13年前に網膜剥離の手術をした左目の視力がここ数年来めっきり衰えて
遠近感がとれず、少しの段差に躓いたり転んだりの上に昨年11月未に耳掃除に行った耳鼻医院で左耳の鼓膜に孔をあけられて、以来毎日通院していますが、電話の応対もできず不便な生活を強いられています。医者は必ず治りますと言ってはいますが、二十歳代から結核の特効薬の後遺症で右耳が難聴気味なだけに、頼りの利き耳がこんな有様では日常生活の不便さは勿論、音楽が愉しめないのが情けない次第です。
そんな訳で五感の内まともに機能しているのは口だけですが、元々美食には関心がうすく、3 365日、朝は玄米飯にワカメ、葱に麩か豆腐の味噌汁と納豆に半熟卵。昼はうどんかそば。夜は何でも肴にしては出来るだけ度の強い焼酎、ウオッカ、テキーラ等の蒸留酒等をストレートでクエン酸水を飲みながら休肝日なしに愉しんでいます。肴が無くなればゴマ塩を振り掛けた玄米飯をつまみに、飲んでおります。
そうしてまでも飲みたいのかなと女房は呆れていますが、お父さんなら病院に入れられても消毒用のアルコールでもきっと飲まはるで、と正月に集まった息子や娘に冷やかされました。アルコール類なら種類や銘柄は関係なく、ただ度の低い日本酒やビール、ワインは量が多くなり胃にも財布にも負担が掛かるので、好きですが晩酌には不調法です。この年齢になって甘いもの、塩辛いもの、脂っこいものなど何でもござれの食べ邦題、飲み邦題が出来るのがいちばん有難いと感謝しています。
昨秋も開催のクラス会に15名集まりましたが、若い頃と変わらず飲んでいるのは私ぐらいで、錠剤やカプセルの薬をテーブルの上に並べているのが殆どでした。企業戦士の若い頃から、どの君も美食家が多く、夜は接待の飲食や麻雀、週末や休日は農薬まみれの芝生の穴に球入れの生活では加齢と共に体調が狂ってくるのは当然と言えば当然ですが、市場経済の寵児達は合理性に欠けること夥しく、グルメに銭をかけ、出っ張った腹を凹ますジム通いに亦々銭を使いその悪循環のつけが廻っての医者通い。どの君も企業では夫々のスペシャリストで有能なマネーャーではあったでしょうが己の健康管理者としては余り優秀ではなかったようです。学生時代から今日に至るまで大差を付けられっ放しの私ですが学友達が学園生活を謳歌し卒業後は企業の最前線で奮闘していた17歳から28歳まで、宇多野療養所での三年間を含め11年間肺病と輸血による血清肝炎で病床暮らしをした見返りに、どの君よりも10年は長生きできる術が会得できたと感謝しています。
そんな仲間が年に一度は集まろうと始めたクラスの有志会や不定期の旅行会の記念に、PCをいじり出した2000年から作り始めたCDから、2 枚を、同封しましたので聴いて頂ければ幸いです。例によって五目飯的な盤ですが、どの君にも1 曲は喜んで頂けそうな選曲を毎回心掛けているせいか、結構本人やご家族にも好評なようですが、さて貴兄は如何でしょうか。
今年の会合までに聴力が回復しないと、現状のようでは心から音楽を愉しむ気にはなれませんので、通院を続けて一日も早い回復を待ちたいと思っております。
日吉ケ丘の同窓会も解散し、旧の洛東学区のメンバーが中心のような有志会ができていますが、今いち参加する気が起きません。
弥栄中の同窓会が待たれるところですが加齢とともに幹事役のなり手が中々ないようで、さみしい限りです。そんなことで貴兄とも久しくお会いしておりませんが、お互いに元気でさえ居ればその機もありましょう。お互いに爆弾を抱えているような体ですが、充分に自愛をして再会を心待ちにしましょう。
愉快でもない近況などを長々と書きましたが、悪しからずお許しください。
寒さもこれからが本番です。万病の元の風邪に気を付けて日々ご活躍ください。亦メールを入れます。 京・岩倉幡枝 辰
* 文字どおりいろいろの楽曲を混ぜた音盤二枚を頂戴した。
2014 1/10 147
* 晩、「天才」美空ひばりの番組を半ば聴いていた。つまらない歌を信じられぬほどうまく唱う真の天才。同世代の直木賞作家が天才はひばりだけ、同時代を生きたのが嬉しいといった感想は、そのままわたし自身のもの。石原慎太郎が出てきて好きな歌だと少し声を添えるほどにして聴かせた歌の作詞が、妻の兄の保富康午だったのに、妻と一緒にびっくり仰天した。これまでずいぶんひばりの歌は繰り返し沢山聴き、音盤も持っているのにたったの一度も聴いた覚えがなかった。石原もまたひばりは田中角栄と並んで同時代を生きてきた二人の天才と明言。義兄の名前をほんとうに久しぶりにテレビで見た。石原氏に少し感謝した。
2014 2・9 148
* 死んだハズだよお富さん 生きていたとは知らぬホトケのお富さん というのがよく流行った。春日八郎の唄として記憶しているよりも盆踊り最高潮の体感として全身で覚えている、そしてこの歌詞は、あたりまえに嬉しいモノであった。死なれるのは堪らないとどれほど繰り返し小説に書いてきたか。生きていて欲しかった人たちばかりが思いだされ、夢にも現れる。亡くなった人が夢に見えないと嘆く声をときどき聴くが、秦の親たち三人にも、御恩の先生方にも、友人にも、わたしは比較的よく夢で逢っている。三月の写真に出してみた装幀画の橋田先生とも夢で数度も逢っている。
稀に、死んだと思いこんでいた人の現存をうわさに聞いておどろきも喜びもする。生きられるかぎりは誰にも生きていて欲しい。
2014 2・27 148
* だれに、いつ送って頂いたのか忘れ果てているが、プリシラ・ハーンという全く覚えのない女歌手の歌が機械の中からきこえてきた。こういうソフトな静かな歌声は聴いたことがない。いま「うえをむいて歩こう」というあの九ちゃんの歌を唱っている。こういう場合はたいてい失望するものだが、まるでちがう!のだ。優しい。優しすぎるほど声音も唱いようもハートも優しい。まいった。ディスクをとにかくも機械には入れていたらしい。この手の歌では松たか子の「いつでもひとり」をよく聴いているが、さらに遙かに柔らかい歌声である。
2014 3・8 149
* 十一時になる。音楽を聴いている。だれのピアノ曲かわからない。いろいろと相次いで歌曲が来たり演奏が来たり突如として歌謡曲も来る。わたしにはもそれでよい。音楽はだいたい聞き流している。批評もできないしふかい鑑賞もできない。それだからむしろ理屈抜きに楽しめる。いまは、シューマンの歌曲らしきを美声の女性が唱ってくれている。
文学は機械でも読める。音にうるさくし構わなければあらゆる種類の音楽も機械で楽しめる。クラシックもジャズもアリアや歌曲も唱歌もわたしの機械にはこの十余年のうちにたくさん録音されていて、好き放題に思い屈したり疲れたりしたときには聴いている。
その点、絵画などの美術は、写真の限界に厳しく制約されるので、ま、こんなものという程度にしか楽しめないけれど、それでも目に入る作は、どのジャンルでも写真として機械に取り込んでいる。佳い書をもっと溜め込みたいと欲張っている。食べるご馳走、呑むご馳走よりも、健康のためにすばらしく良い。
* たぶん、さっきからずーっと聴いている女声歌曲はシューマンそしてブラームスではないか。しみじみ聴いている。キャスリーン・フェリエか。それならシューベルトも唱うだろう。十一時半になっている。おやすみにする。
2014 3・19 149
* 久しぶりに橋元敏江さんの平曲、灌頂巻「六道」を戴いていたディスクきで聴いた。いましも読み進めて原稿づくりしている『風の奏で』は、まさしくこの大原御幸を分厚い下敷きにしている。読み返しながら、もうもうこんな作はどんなに書きたくても書けないだろうなと慨嘆を重ねてきた。グイグイと書いている。選集第一巻に優るとも劣らない第二巻が成るだろう。『清経入水・風の奏で=寂光平家・初恋=雲居寺跡』で一巻に足るだろう。
第一巻の、表紙もともに本紙刷りだしが届いた。函と総扉と巻頭の写真とで全部が揃う。搬入にあと一週間と予告されているが、急ぎはしない、いい仕事で仕立ててほしい。
2014 4・18 150
* 「月光」の一楽章を繰り返し聴き、それから「マドレデウス」たくさん聴いた。
2014 5・28 151
☆ お元気ですか? みなさん
望月太左衛です。( ^- ^◎
浅草の三社祭に引き続き、6月の東京はお祭り真っ只中です。
今年は山王祭が行われます。山王祭は江戸三大祭であり、日本三大祭の中にも入っていて、まさに日本の祭!!であります。
神幸祭は6 月13日(金) 7:45 ~17:00 齋行される、山王祭メイン行事です。御列は供奉員総勢約500 人・300 メートルに及び 御鳳輦二基・宮神輿一基・山車三基が氏子区域を巡幸します。
皇居坂下門にて麹町囃子の皆様とバトンタッチをして、私たち山桜会と京橋一丁目婦人部のみなさん、城東小学校のみなさんと
日枝神社まで祭囃子をしながら進みます。
6 月14日(土)は各町会神輿渡御
6 月15日(日)は下町連合渡御
となり、東京の中心部が江戸時代にタイムスリップしたようにお祭り一色となります。
ぜひ山王祭にお出かけください!
そして次の週、
6 月21日(土)は滋賀県大津市坂本の日吉大社にて演奏、楽器体験レクチャーを奉納させていただきます。
翌6 月22日(日)は奈良県桜井市談山神社にて、私の創作「音語りさくらさく」を奉納演奏させていただきます。
各お祭りでの演奏、そして神社での奉納は 現代では劇場やホールで上演している芸能の原点の形、もともとの姿です。
奉納演奏を通して私達の演奏、舞台の本来の有り方をみつけてゆこうと思います。
応援よろしくお願いいたします。
望月太左衛
* 久しく太左衛さんらの演奏を聴いていない。いかにも楽しそう。藝大へ入ったお嬢ちゃんももう卒業したか院へ進んだか、お母さんをたすけて大活躍しているだろうな。
太左衛さんというと、繋がりは無かったろうが早くに無くなってしまった舞踊の藤間由子を思い出す。荻江の作曲でわたしの「細雪 花の段」を最初に独り舞いで国立劇場で舞ってくれた。二人舞いのときは娘の抄子ちゃんが連れて舞ってくれた。抄子ちゃんは今は新橋の芸者になり音曲の名手になっている。懐かしいが、新橋へ繰り込む元気はないな。ハハハ。
2014 6・1 152
* 豊中の大学友だちから、「いちど きいてみて下さい。お大事に 大切に おすごしくださいますように。」と書き添えて、アルヴォ・ペルトの「アリーナ 鏡の中の鏡 アリーナのために」CDを送ってもらった。「黙考する音楽詩人ペルトの70年代重要作品の新解釈」とある。何だろう。安原さんは、美学にいた妻の同期生のなかでとびぬけた知性と感性の人。ピアノを弾き繪を描く。湖の本も最初からずうっと応援してくれている。「アリーナ」 何だろう。機械に入れて、聴いてみる。
2014 7・22 153
* 森下君に島津亞矢の音盤をもらったのを機に、いろんな歌や楽曲・演奏を、機械で聴いている。ただいまは、ジャズ。歌も曲もおもしろい、ただ誰が歌っているのか演奏しているのか通でないわたしには分からない。
音楽に取り付くと開放される。しかし聴きながら読まねばならない小説は読めない、仕事できない。
2014 9・20 155
* 機械の前でキイを叩き文章を読みつづけていると、とてものことに眼がもたない。それでも、少しずつ少しずつ、やめられない。
今は、機械の気儘にまかせて、いろんな音楽を聴いている。歌も器楽も。じつにいろんな歌が去来する。誰の何のという聞きわけには気が無い。ただ耳にいろいろ楽しんで何時間も。ときどきじっと目を閉じてやすむ。寝入ってしまうこともある。
明日は日曜だが、もしも雨もよいならばむしろ好都合に街へ出てみよう。「墨牡丹」と「湖の本122」の校正を捗らせたい。電車が空いていて座れさえすれば、苦にならない。
おやおや、「蛍の光」を歌いだした。今度はなにかのアリアだ、トスカかしら。
2014 10・31 156
* 心ゆるめて、階段を上がったり降りたり、上で下で好きな仕事をしたり居眠りしたり酒を飲んだりして過ごしている。機械ではもう何時間もピアノ曲や管弦楽や,かと思うと好き勝手に演歌や唱歌や同様が聞こえる。仕事の邪魔はすこしもしない。
それにしてもよほど衰えてきたものだ、漢字が正確に思い出せなかったり、書き間違いもいっぱいする。
困ったことに、先日送り出した「湖の本122」をお届けしますという挨拶のつもりが「122册」分、折り返しご送金下さい等と書いてしまっていたりしている。恐縮だけで相済まない。やれやれ。
2014 12・25 158
* いま聴いているバイオリン曲は千住真理子と想っているまに、もうグールドのピアノ曲。
2014 12・25 158