ぜんぶ秦恒平文学の話

音楽 2016年

* このところ、何度も、グノーの歌劇「フアウスト」を、ただ音楽として聴きながら、原作を想っている。つれて、ミルトンの『失楽園』をなんともいえない 憧れ心地で思い出す。幼少、誰にも知られずわたしは河原町三条の基督教教会へ行ってみたいと想っていたのも思い出す。あれはどうしたのだろう、中学生の 折、人に貰ったとは想われない、偶然に拾ったのかしれないが十字架の鎖を持っていた。英語の先生に見せたら「コンタツ」と謂うものと教わった。身につけは しなかったし、いまでもどこかに仕舞い込まれているのかも知れない。
小さい頃から、家には漢籍も古典籍も信じられないほど豊富だった。だが、そんな中に、誰かから送られたらしい小型の良い新約聖書があり、じつは、わたし はその文語体が気に入り、福音書などはみな繰り返し読んでいた。基督教の空気は、誰からでもない教会からでもない、一冊の聖書から吹き込まれていた。かす かに教会へ気が動き、そのままになった。コンタツとやらを拾っても身には帯びなかった。まったく同時にわたしは、仏壇の般若心経や燈明の色に惹き込まれ、 また地獄の想像に夜中泣き叫ぶ子だった。
高校生のうちか大学入学のころには裏千家から茶名を受けていた。希望した一字は「遠」つまり茶名は「宗遠」とつけられたが、これが「老子」から得た一字 で、老子も荘子も唐詩選も白楽天も、みな祖父の遺していた蔵書で、例外なく小学生の頃のわたしの愛玩書だった、愛読書とまではとても云えなかったが。
わたしは、聖書も含めて古典や歴史書との出会いが、いわゆる小説などの読み物と出逢うよりよほど早かった。変わり者にならずに済まない環境がはなから養家にあったのだ。
2016 1/6 170

* NCISをつづけて二作観ていた。十時。ピアノを少し聴いて、もう、やすむ。
モーツアルトのバイオリンソナタのピアノ伴奏が素晴らしい。マリア・カラスのアリアに聴き惚れた。
2016 1/7 170

* ピアノを聴きながら、うたた寝していたようだ。からださえラクなら、うたたねもまた良いものだ。今はマリア・プレシュがピアノを弾いている。弾いてくれているという感じ方でもある。
2016 1/10 170

* 金、土、月、水、金、火と続く「病院」通いは、さすがに過剰で、身の疲れも気の疲れも、のしかかって来る。その先へ湖の本の送り出し。ようやるよと、我ながら感じ入る。フウ。あすは眼科。この眼、すこしは何とかならないか。

* 疲れた。
グノーの「フアウスト」を三枚の晩からACT5まで機械に入れた。歌劇はおおかたは独唱でないので、声楽の交錯する魅力に身をずけてただ聴いている。解 説を利用すれば歌詞の訳があるけれど、そんな窮屈さで音楽は楽しめない。詞としての意味の通らない、純然の音楽と声楽との時間を黙然と呼吸しているのが好 い。目は見えないが音は楽しめる。
2016 1/12 170

* ともあれ送り出し作業をひとまず終え、暫く瞑目のままグノーの「フアウスト」一部の第四、五、終幕に聴き惚れていた。ことばは分からないが、成り行き は頭に入っているので、牢ないのマルガリーテ、そしてフアウスト、メフィストフェレスのやりとりはほぼ聴き取れて遺憾はない。この場面じつに多くを思わせ る。
いかなる大才も「フアウスト」第二部は現実の舞台にも歌劇の舞台にも再現できまいが、第一部は出来る。第一部だけであとは失礼した読者も多かったろう、 それほど第一部はドラマとして分かりよく掴みよい。第二部の壮大には、とてもそうはいかない、それだけに第一部とは比べようのない面白さがある。ホメロス の世界ともゲルマン神話の世界とも、無礙に交配されている。しかも全編に不可思議のヒューマニズムが感じられる。そこにゲーテが実在している。
ミルトンの「失楽園」ははるかに神話的で、しすも人間の苦渋に満ちながら、懐かしい。
ダンテ「神曲」の地獄編はかなりイタリアないしフイレンツエのルネサンスに主導されていて、或る意味で偏っている。意味深さ面白さを味わうにはダンテの 頃のイタリア、ローマやフイレンツエなどについて具体的な下敷きの知識を請求される。いましも読み進んでいてそれを感じている。
2016 1/19 170

* 大関琴奨菊、十四勝一敗で幕の内最高初優勝を遂げた。賞賛に値する一途の敢闘であった。大関栃東の優勝いらい日本人力士十年目の優勝とはすこし情けないが、それほどモンゴル横綱たちの強さが際立っていた。ようやく琴奨菊が賜杯を手にしたのは、祝着。
もうわれわれも本場所を国技館で観戦する体力と根気ががなくなってきたと思う。もとどおり、またテレビ桟敷で観戦し続けよう。八海山で和可奈の鮓。
暫く機械のまえでうたた寝していた。
Glenn Gould Legacy に聴き惚れた。ピアノ曲がしみじみ身に沁みる。
一気に作業を頑張って妻も私も、したたかに疲れている。熟睡をむさぼりたい心地。 2016 1/24 170

* 「刑事フォイル」を観てきた。しばらく、佳いピアノ曲を聴こう。

* グレン・グールドのビアノに聴きほれながら、織田一磨という石版画の真の草分けであり大成者でもあった藝術家の生涯を深い共感をよせつつ顧みている。 近代日本の繪画で敬愛する畫家は何人かいるが、油絵でも日本画でもない石版という舶来の技術に誠意と精魂をこめた織田もまたわたしには突出した先達であ る。
2016 2/7 171

* ずうっと、宮沢明子という人のピアノを何曲も聴いていた。済んだ美しい音色を愉しませてくれる弾き手で、どういう人かも知らないのだが、いつしれず手 元へ訪れ寄ってくれて、もう十年できかないほど愛聴している。気持ち、静かに落ち着く。聴きながら、簡単な機械の中の整理などして休憩していた。
にわかにラヴェルのピアノコンチェルトに転じて、よほど賑やかになった。
2016 2/9 171

* 十一時半。懸命に「清水坂」を掘り返していた。たくさんな音楽が作業の奥で堪えず流れ続けていた。
もう休もう。幸い、この二月末はすこしからだを休められる。近年にまれなこと。と言って、動く予定もないが。三月の前半は、十日を境に、前も後も追いまくられるだろう。創作も出版も。
2016 2/18 171

* 今晩はバッハのピアノ協奏曲をくり返し聴きに聴いていた。今も第五番。目がダメなら音楽が楽しめる。くだらない映画やドラマより遙かに純粋に楽しめる。音楽にかかわる知識などまるで持ち合わせないが、佳いなあと没入でき、それで十分。もう十一時半。
2016 2/20 171

* 「人生は紙飛行機」と朝の連続ドラマ主題歌がもう耳慣れて。力一杯飛ばしてみても紙飛行機はぐるぐる旋回して遠くへ一直線になどめったに飛んでくれないが。落ちるときは真っ逆さまにスコンと落ちてもしまう。こわい歌だ。
2016 2/17 171

* 晩 ひばりの名曲を幾つか聴き、聴くにつれ涙が溢れた。死なれたくなかったとしみじみ思う。ひばりというと、どうしても少年の頃の出逢いを思う。ああ。もういないのだな、向こうにいるのだなと思う。向こうにいる人があまりに多くなってきた。

* 天才ひばりのあとへ思いがけず建日子の作というドラマが現れ出た、が、あまりのつまらなさに逃げだした。「刑事フォイル」や「NCIS」を観ている目 には、あまりに画面の密度がぬるくゆるく、しまりなく、娯楽の域にも達していない。「人生は紙飛行機」とうたいあげている連ドラ「あさがきた」の方が客を とらえるコツを駆使し得ている。やれやれ。
2016 3/14 172

* 晩には作曲の古賀政男特輯を仕事しながら聴いていたが、ひばりの「悲しい酒」が歌唱の藝として飛び抜けているほかは、古くさくて、アホくさくて聴いて られなかった。三波ハルオの東京オリンピックの歌ぐらいなもの。おなじ古くさいなら、ナツメロになりきった昭和戦前の軽音楽風の方がマシだった。
2016 3/18 172

* バッハの協奏曲をグールドのピアノで聴き、いまはチェロの独奏で聴いている。悠然でも茫然でもなく、目疲れを、うたたね半分にやすめている。とにか く、私の仕事の大半どころかほぼ全てが「読む」行為を伴う。それも「機械」画面でか「書物」「校正紙」にほぼ尽くされる。機械は照り、本やゲラの字は小さ い。
しかしわたしの「機械」には、文字どおりもの凄いほどの量の原稿や資料が入っていて、そのほかに音楽と写真がたくさん入れてある。写真は目疲れには効用 がうすいが、音楽は大いに助かる。声楽も器楽もたっぷり。それも気恥ずかしいほど選りすぐってある。男声ならパパロッティ、女声ならマリア・カラスといっ た按配。グノーの歌劇「ファウスト」、それに選曲した「ひばり」、倍賞千恵子や小鳩くるみの唱歌。そうそう謡曲も平家琵琶も入れてある。ききながら寝入れ るならそれも有り難い。やすみやすみ、仕事。それに限る。
2016 3/20 172

* 目は霞み歯は浮き、疲労は濃い。それでも仕事はわたしを呼び続ける。ときどき居眠りでも良い休むに若かず。
いまは「選集⑬」送り出しの挨拶を刷りながら、ベートーベンの悲愴を聴いていた。幸い耳に問題は無い。
2016 4/3 173

* 晩、美空ひばりのたくさんな歌声を妻としみじみ聴いた。
この人には負けるという今日の小説家など誰ももたないが、ひばりの人生と藝・術には勝てない。もしあの世があるならば、ひばりに、兄恒彦に、そして孫やす香に逢いたい。
2016 4/6 173

* ひばりも歌っていた、「決めた、この道まっしぐら」と。わたしの思いも同じだ。それが煩悩であるかどうかなど考えもしない。
2016 4/6 173

* 黒いマゴがそばのソフアへ来てわたしの仕事をみていたので、いい音楽いっしょに聴こうかと、ピアノの幻想即興曲、マリア・カラス、小鳩くるみの埴生の宿、松たか子の「みんなひとれぼっち」などを聴いた。音楽はしみじみと胸のつかえや疲れを溶かしてくれる。
マゴと一緒に階下へ、かれは外へ夜の散歩に出、わたしは機械を始末しに上がってきた。これから、マゴに輸液する。マゴはかなり会話できるし理解もすこぶる良い。妻もわたしも黒いマゴが愛しくて堪らない。少しでも少しでも長生きして欲しい。
2016 4/12 173

* {my picture}には万ちかい写真が分類されてあるが、お気に入りは無数の「花」の写真、上に大きくあげた明石町の名を知らぬ花でも鴬谷の皐 月でも、なまえなど知らなくていい目を惹いてくれる花ならどんな小さな花でもカメラを近寄せ、撮ってくる。カメラはいつもポケットにある。心を静かにして くれるのに「花」の写真ほど嬉しいものはない。
気に入った写真をあれこれと拾い観ながら音楽を聴くのが好きだ。ピアノ曲。歌では、マドレデウスとか、日本の唱歌とか。
2016 5/14 174

* 十一時半、ヘンリック・シェリングのモーツアルト、バイオリン協奏曲24番を気持ちよく聴いている。なるべくなるべく気持ちよく日々を送り迎えたいのだ、不快に落ちて溺れたくない。
楽当代の茶碗を観たり、家蔵の茶碗を持ち出して手に慈しんだりしている。バイオリンとピアノの懐かしげな調和音の心地よさ。 さ、それでももうやすんだ方がいいぞ。
2016 5/28 174

* 歯医者の帰り、店の「休み」に二軒フラれ、バーの「VIVO」の止まり木で、二人できらくに飲んで喋って帰ってきた。
郵便がどっさり、中に、京都の森下辰男君が板にした昭和23・24の「戦後日本流行歌史」第三集があり、24曲ぜんぶ聴いた。

* ただいま、
家内と、ぜんぶ、楽しんで聴き終えました。昭和23年にわれわれは新制中学に入学,つまりは一、二年生の頃の流行歌特輯で、おおかた耳に残っていまし た。あのころはラジオに耳をくっつけている時間が多く、耳から入って口ずさめた歌も多かった。湯の町エレジー、異国の丘、憧れのハワイ航路、君忘れじのブ ルース、ジャングル・ブギ、東京の屋根の下、トンコ節、三味線ブギウギ、青い山脈など、ことに心親しく、聴いたり歌ったり、踊ったりしていました。わたし き「盆踊り狂」だったんです。
淡谷のり子がさすがに巧いのにいまごろ感心しました。
淡谷さんとは、山本健吉さんという文藝批評の大物も入られ、鼎談したことがあります。淡谷さんは美空ひばり嫌いで聞こえていましたし、山本先生もわたし もひばり狂いでしたから、ひばり論でかなり淡谷さんに迫りましたが、噛み合いませんでした。しかし、さすが…という讃嘆の思いも持ちました。

二葉あき子、奈良光枝、菊池章子なんて、それぞれに好きでした。「こんな女にだれがした」とか、胸にこたえました。

ありがとう。
そして、怪我にメゲず、元気でいて下さい。
わたしは、ひたすら仕事に励んでいます。今度の「自問自答」 兄なら、またいろんな答えもあろうなあと想っています。

ではでは。 秦 恒平
2016 6/8 175

 

☆ 秦兄

終戦直後の流行歌CD、ご夫婦で愉しんでくださった由、羨ましい限りです。
兄は盆踊り狂だったとか、私も同様で、当時は日の暮れが待ち遠しく、拡声器から「炭坑節」や「瑞穂踊り」などが流れ出てくると、夕飯もそこそこに浴衣に着替えて飛び出したものです。町内の輪だけでは飽き足らず、はずんでいる輪を探して近所の兄い達について新京極の「松劇」前まで遠征した懐かしい日々です。 (わたしにも覚えあり。秦)

そんな盆踊り唄も作曲年代に取り入れて歌史に入れていきますのでご期待ください。
兄はご存知でしょうか。昭和26年3月にリリースされた作詞西条八十、作曲古賀政男、唄霧島昇・久保幸江の「京都音頭」を。
一番は「男心は東山、ふとん着て寝て高いびき(なんとねー)女心は鴨川千鳥、恋し恋しと泣き明かす(それ、ぐっときてパッと咲いて、ちょちょんがちょんちょん)。

毎年夏になると岡崎公園グランドで納涼盆踊り大会が催され、「江州音頭」が踊られますが、私は京都人としてこれを非常に不満に思っております。そのうち京都市の何課の担当か調べて、是非とも「京都音頭」の復活を提言しようと思っております。

兄のパソコンでメール添付の曲は聞くことができるでしょうか。

このメールに添付しますので聴いてください。  京・岩倉  辰

* ウワ、びっくりした、いきなり大音量で「京都音頭」。
2016 6/11 175

* 菅野茉莉子 宮沢明子のピアノを聴き、トランペット曲を聴き、マリアカラスを聴いていた。倍賞千恵子の篠懸の道、小鳩くるみの埴生の宿も聴いた。青春 のパラダイスにも目尻をぬらした。螢の光も聴いた。「あけてぞ今朝はわかれゆく」日のそう遠くはないのではという気がする。
2016 8/14 177

* モーツアルトのバイオリンソナタ24番を聴いている。美しい、とても美しい。弦をひきたてるピアノの音色がすばらしい。
2016 9/16 178

☆ 秦先生
湖の本132巻拝受しました。
丁度先週、慈子を読み終わり「みごもりの湖」中巻を読んでいるところです。
私はJ.S.Bachの音楽をこよなく愛し 毎日CDで聴いています。
先生の創作は、バッハの音楽作品と共通するところがあると思っております。
バッハの1音といえどおろそかにしない曲の組み立て方と秦先生の文章の構成、またロマン派以降の音楽と異なるバッハの多声音楽と秦先生の次元の異なったストーリーを同じ作品のなかで展開させる仕方にも共通点を感じています。
これらが複合して奏でる美しさは 他の(音楽家または文学作家)追随を許しません。
132巻の刊行、あらためて偉大さに敬服しております。本棚に並んだ132巻は、私の誇りでもあります。
月並みですが、世界的にもギネスブック登載ものでしょう。
退院してから3週間になります。まだあちこちに体の不都合があり時に気落ちしたりしていますが、秦先生のお言葉、“体力はゼロに近いが、気力と意欲と覚悟とは衰えていない”を眼にすると 弱音を吐いてはおられません。
精進します。     篠崎仁

* 篠崎さん、また病気をかかえておいでの皆さん、「いま・ここ」の持続を逞しく、幾らかは太々しく謙虚に生きつづけましょう。
わたしは、今も喉もとが灼ける感じで、腰も背も痛み、血糖値はショックに陥る低い危険域へとかく揺れ揺れてはいますが、それはそれ、なにより仕事をしているときが元気そのものです、時を忘れます。
わたしの愛蔵している音盤で数多いのはバッハです、バッハをわたしに刷り込んだいちばんの人物は、「繪を描いてください」の「お父さん」ですが、大学時 代にお祝いに人に贈ったレコードがバッハのシャコンヌでした。久しいつきあいです。篠崎さんのご指摘、ドキッとしました。
2016 11/18 180

* やはり外出疲れが残っている。機械からは離れ、からだを横にし、明るい照明に助けられて本を読むか。ワイ ルドの戯曲「サロメ」、原作原画の奇抜におそろしい豊富な挿絵も楽しんでいる。ツルゲーネフの「初恋」は、小学生だった建日子にやった岩波文庫。ちゃんと 読んで、かなりの刺戟を得ていたらしかったが。すっかり、つかこうへいの門下に入りきっているらしい、今は。自分のモノがもう確かに出来てきてよい時機かと。
源氏物語は「玉鬘」へ入っている。しそがず、楽しんでいる。ぐんぐんと物語が盛り上がってくる。
京の森下辰男君が送ってきてくれた、懐かしや「李香蘭」の歌20曲を聴こうかな、とも思っている。「夜来香」「支那の夜」その他、懐かしすぎる歌が録音してある。
2016 11/21 180

* 校正の視力が痩せて崩れてハナシにならぬ。22日早朝からの聖路加眼科検査や眼鏡処方に一縷の望みを託しているが、眼鏡の問題であるのか、どうか。
仕方なく、李香蘭を聴いてボーッとしている。へんな歌も入っているが、懐かしい佳いのも多く、全23曲おまけの最後に美空ひばりの「国境の町」も。
李香蘭うたう「満州姑娘」「支那の夜」「夜霧の馬車」「浜辺の歌」「宵待草」「蘇州夜曲」「夜來香」「何日君再来」「荒城の月」は耳を傾けられる。彼女にくらべると、ひばりがうたう「国境の町」の歌声は濁みた悪声に聞こえてしまう。
森下辰男君の自編 題して「伝説の歌姫 李香蘭 秘曲選集」わたしの愛盤になった。森下君感謝。
いま、二順目の「支那の夜」を楽しんでいたが、十時半。階下へおりて、校正もしたいが。
暖房しているが膝下へ冷えを感じ始めた。小説を念頭に、睡ったが佳いかも知れぬ。からだを長保ちさせるには、仕事の量を追ってはならぬ。大事なのは質だ。作品だ。   2016 12/11 181

* 李香蘭が二度目の「宵待草」を絶唱している。 十一時を回ってしまった。
2016 12/11 181

 

* 信じられない。八十一になったわたしが、なぜ岸洋子の「希望」の歌に胸をつかれ、なぜペギー葉山の「学生時代」に泣くのだろう。
わたしはまだなにかしら喪ったままの「希望」を追い続けているのか。
ペギー葉山の歌っている学校は立教と聞いた気がするが、わたしの母校同志社に雰囲気はちかいのかも知れない。しかしわたしは若々しい学生らしい学生では なかった、大学の構内よりもはるかに多く、広く、「京都」の町と自然を愛し、ひとりで、いつしか今の妻と一緒に、ひたすら歩きまわっていただけなのに。そ れが学生時代であったけれど、大学構内の雰囲気にもいつか薫染されていたのだろうか。

* 遺憾にも絵画や美術品は、そうそう実物を家の中で堪能はできない。我が家はそれでもその機会には恵まれているかも知れないが、とても多くは望めない。 しかし音楽は、とにかく、聴くことが、聴き入ることができる。わたしはこんなに音楽へはまりこめる自身とは昔は思っていなかった。
学生時代のある日、ふと家に帰る途中、父方の大叔父にあたる英文科の吉岡義睦教授と出会ってしまった。大叔父は同じ市電をどこかしらで途中下車してわた しに寿司をご馳走してくれた。わたしは無口を極めていたが、専攻しているのは美学藝術学だと告げ、すると大叔父の英文学教授は音楽が好きかと聴いた。美空 ひばりはともかくも、また秦の父に心得のあった謡曲のようなのはともかくも、西洋音学にはとんと縁も気もなかった。教授は、音楽には親しむといいねと言っ た。そしてそのただ一度の出逢いでは、それしか記憶した何もなかった。
けれど、あれから六十余年、わたしは、少なくもバッハやモーツアルトやベートーベンその他のピアノ曲も弦楽や交響楽にも深い懐かしさを持っている。読み書きの仕事しながらも、こころよく聴いている。そしてわたしは、音楽や歌声に、よく涙を流してしまうのだ。
2016 12/22 181

上部へスクロール