* このところ思いなやむつど電源を送って、アムステルダムの「Loeki Stardust Quartet」の「The Art of Fugue」とあるのを聴いているが、色んな中身のなにものかは一切わからない、わからなくて差し支えなく、管楽器の吹奏が美しい、男性四人の顔が出てい る、誰とも何とも知る必要なく、音色の多彩に美しいのに慰められる。落ち着く。いつ、どうわたしの手もとに届いたかまったく覚えていない。それも今となれ ば面白い。
2019 1/7 206
* バッハのトッカータ集とあるのをグレン・グールドのピアノで楽しんでいる。音の粒が部厚く男らしく弾んで聞こえている。
2019 1/21 206
* ひとり先に寝室を出て冷え切ったキッチンをガスの応援も借り暖房する。テレビの報道は不快極まるニュースの蒸し返しばかり、すぐ宮澤明子の軽やかに楽しいピアノ曲に替える。
2019 2/2 207
* 独り早起きし、マリア・ピノシュのピアノを聴きながら棒茶を沸かし、食パンの半枚をバターとジヤムとで食した。雪というほどは無い、が、二階へ来て、暖房 の下にいても脚は冷え冷え。ヘリコプターらしき飛行音がゆるゆると遠のいて行く。機械の煮えを待ち、『法然上人集』の長い解題を読んでいた。
2019 2/10 207
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
童冠齋業 童冠 業を斉(ひと)しくし、
閑詠以歸 閑(のど)かに詠じて以て帰る。
我愛其静 我れ其の静を愛し、
寤寐交揮 寤寐(寝ても覚めて)も交(こもごも)揮(ふる)ふ
但恨殊世 但だ恨むらくは世(=死生)を殊(=異)にし、
邈不可追 邈(ばく)として追ふ可からざるを。
往時、いっしょに授業を受けては、互いに若くのぴやかに詩をうたいながら帰って行ったものだ。
わたしはその心静かなありようが慕わしく、寝ても覚めても今も思いこがれている。
残念なのは、遠くはるかに世を隔ててしまい、もはやどうしようもないこと。
* 幼稚園、国民学校=小学校、新制中学、高校、大学 男女となく、なんと多くの友に先立たれていることか。日々にむなしくも親愛し思慕して忘れがたい。
新制中学に進んだとき、音楽の教科書に「オールド・ブラック・ジョー」を歌う曲とと歌詞とがあり、音楽の先生はこれを歌わせずに年終えられた。わたしは 久しくその配慮に感謝し、十余歳の少年少女生徒にあのような、「死者のもとへ」「早くお出で」と誘うような「歌詞と歌」とを選んだ教科書をほとんど嫌悪し 憎悪したのをよく覚えている。
ああしかし、あのころ、音楽教室や講堂の壇上で、遠足の途上で親しく唱い合っていた何人も何人もが、もうこの世をはなれ、あの「オールド・ブラック・ジョー」らの空の上へ行ってしまっている。
我れ其の「静」を愛し 寝ても覚めても 交(こもごも)に恋しい。恨むらくは死生を異にし、邈(ばく)として追ふこともならぬ、と。
この「静」一字を いかに反芻しうるか。老境の一公案とも謂うべきか。
2019 5/8 210
☆ 陶淵明の短詩句に聴く。
靄靄堂前林 靄靄(あいあい)たり堂前の林
中夏貯清陰 中夏 清陰を貯ふ
凱風因時來 凱風 時に因りて來り
囘颷開我襟 囘颷 我が襟を開く
息交逝閑臥 交を息(や)め逝いて閑臥し
坐起弄書琴 坐起に書琴を弄す
營已良有極 營み已(をは)りて良(まこと)に極まり有り
過足非所欽 過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非ず
遙遙望白雲 遙遙として白雲を望み
懐古一何深 古(いにしへ)を懐(おも)ふこと一に何ぞ深き
* モーツアルトのバイオリン・ソナタ集を、ヘンリック・シェリングとイングリット・ヘブラー(ピアノ)で満喫しながら陶淵明の詩句に聴いていた。朝の至福。
もう久しく新聞を見ない。字小さくてまったく読めず、見出しにも心惹かれない。無くて何差し支えもなく、乏しい視力を新聞で費やすことはない、読まねばならぬ本、読みたい本はまだ山のようにあるのだ。
テレビは大画面の五十センチ前へ近寄って観ている。いい映画、いいドラマ、いい自然美、そして芸能花舞台や相撲・競走・跳躍などの他は、天気予報で足りている。耳はちゃんと聞こえている。いい音楽にはよろこんで向き合う。
2019 5/20 210
* 雨、風。マリア・ジョアオ・ピレシュのピアノ・コンチエルトを聴いている。東工大の卒業生が呉れた、盤。ピアノを弾き 山に登り 卒業してからは 倉 敷勤めのせいであったか美術にも興味をもってくれた。学部や院の頃にはよく家まで自転車で話し込みに来てくれた。ああ思い出した子松時博君だった。この 頃、というよりもう近年、なかなか人の名もモノの名も本の題もすっとは思い出せず絶句する。そうそう子松君。転勤の多そうに思えていたが。元気にしている かな。
2019 5/21 210
* 森下君は昨日、手紙も添えて、例の自編「懐メロ特集」盤も送ってきてくれた。これが、私、手近なラジオの操作手順を忘れてしまい聴けないというのが、 悔しいのである。ラジオ屋の息子で育ちながら、情けない。機械は難しい。建日子の呉れた機能優秀らしい小さいカメラもまだ旨く使えない。超ロートルのこの パソコンも気息奄々のままで、新品に替える勇気がない。なさけない。
☆ 秦兄
過日は労作を有難うございました。
きょうはお気に入りの歌手に出合いましたので、「感動の独り占めは罰のない罪」と常々口癖にしている通り、兄ご夫妻にも強要しますので是非ご一聴ください。歌手の名前は********で検索すれば懐メロがずらりとでてきます。
はじめて聴いたときは、どこかのカミさんが夕餉の支度をしながら歌っているのかなと思うような素人っぽい印象を受けたので、高音部や低音部は上手く出る かなと気を揉みながら聴いていたのですが、音程もたしかで癖のない楚々とした歌い振りに 聴くほどに魅せられて、ついつい20曲ほどつづけて楽しみまし た。
さて、どんな歌手かと検索してぴっくり仰天、なんと年齢27歳で身長158センチの合成音声のイメージ・キャラクターだったのです。八十路を過ぎた爺さんはヴァーチャルの歌姫の歌声に魅せられたという次第です。
例年、東京で開催の早大クラス会に持参していた手製の記念CDも、軒事役が自宅を出たら帰路が分からず迷子になることが屡々なのでご放免ねがいますと奥 さんからの連絡で昨秋かぎりでクラス会は自然消滅となり、CDの選曲作成の手間は省けたものの、ひとつ愉しみがなくなりました。毎秋、押しつけの被害を 被っていた学友たちも半数近くは逝き、生存者も五体満足なのは数名の有様です。
そんな状況下で、兄のバイタリティには脱帽するしかありません。
今度のこの労作は一見して コンビニで週刊誌を立ち読みする部類ではないので 性根をすえて読ませていただきます。
読後感はいずれお伝えするとして、続篇を楽しみにしておりますのでご記憶ください。
またメールいたします。 2019-6-16 森下辰男
* ラジオ 働いてくれんかなあ。
* なんとか機械めをごまかしたようなワケ分からずに音盤が鳴りだしてくれた。なーるほど、なんとも妙味 の女声ナツメロで、しびれる。いま「並木の路」を聴かせてくれている。この辺の音楽はすべて中学時代そして高校の青春に、しかもなお戦時の世情ともかぶっ てくる。「流浪の旅」に変わった。22曲。「誰か故郷を想わざる」は、丹波の山奥の疎開先で歌っていたのだ、半分泣きながら。
階下で、妻と、22全曲を時に感動し時に感嘆しつつ機械女声のいい歌を楽しんだ。ありがとう。
2019 6/21 211
* 早い夕食後、昏倒したように六時半近くまで寝入っていた。
少しく機械前の身辺を模様替えし、ラジオで録音盤が聴けるようにした。いまもマリア・ジョアオ・ピレシュでモーツアルトのピアノ曲が聴けている。
ソクラテスら(プラトン)は人間に必需基本の教養として 詩歌、音楽そして体育と言い続けていた。わたしには自身を体育する励みがなく、成年以後もなかった。一時期、一日に数時間も自転車で遠乗りを楽しみ続けたのが例外というに近いが、もうそれは危険極まりない。
詩歌(文藝)への、また幸いに器楽曲や舞台音楽への嗜愛は失せていない。
2019 7/10 212
* 朝から ショパンを聴き続けている。ラジオ放送にも、ましてディスクジョッキーや軽薄な対話などに関心はゼロ。すぐれて佳い音楽が嬉しい。
2019 7/11 212
* 昨夜おそく、もう寝る前に、機嫌のわるかったラジオが音楽を聴かせて呉れたが、それが「父よあなたは強かった」などの戦中唱歌で、むかついた。敗戦後の歌には身につまされて泣ける作があるが、真実感に徹底して欠けた作為的・国策強要の戦中戦歌には、子供ごころにもただ眉を顰めた。菊池章子の「星の流れに」やあの「異国の丘」などをこそ徹底的に記憶し保存したい。
2019 7/20 212
* 今、グレン・グールのゴールドベルクを聴いている。
2019 7/21 212
* 森下君に戴いた2016録音の一枚をさっはからずっと聴いてて、いま、織井茂子の「夜が笑っている」に胸を押されていた。
* いまも同じ盤の二度目を聴いている鶴田浩二がの「東京詩集」を歌ってて今はまた織井茂子が「夜が笑っている」に聴き入っている。森下君にたくさん貰ってきた中でこの盤は一二に気に入っている。若原一郎の「オーイ中村君」になる。
2019 7/22 212
* あ。ベギー葉山が「南国土佐」を歌ってる。この歌手の母校を歌った学生歌が好き。どこかに在るはず。
2019 7/22 212
* テレビで気分をと思っても、観たいものが観られない、無い、あまりにツマラナイ。ミケランジェロとユリウス四世の「華麗なる激情」のような美しいものはめったに覗けない。政治、芸人、くすり・商売、台所ばなし、なってない殺し・刑事もの。
仕方なく、ひとりで音楽を聴く。
2019 7/23 212
* 小学校を卒業し六・三新制の中学へ進む年の歌たち。
近江敏郎の「湯の町エレジー」は惘れるほどよく聴いたが、近江の歌唱は脆弱で歌世界はただ柔弱だった。間庭小枝の「アカシアの花」は小うるさく聴いた。 「異国の丘」はとても人ごとと思えなかった。「倒れちゃなららないその日まで祖国の土を踏むその日まで」。耳を澄まして泣きながら聴いた。奈良光枝の「雨 の夜汽車」など記憶にも蘇らない。岡晴夫の「憧れのハワイ航路」は半分呆れて聴いていた、敗戦後の時代がまざまざ動きつつあるのを実感した。歓迎というよ り、半ば茫然としていた。小畑実の「小判鮫」はまったく印象にも無い。映画の主題歌か。くだらない。淡谷のり子の「君忘れじのブルース」は歌唱力と戦後の 深い悲しみとで胸にしみた。絶唱。美空ひばりを大批判しうる唯一人のたいした歌手であった。二葉あき子の「さよならルンバ」はこの場かぎりの平凡で妙味の ない歌。笠置しづ子の「ジャングル・ブギー」は戦後のどさくさが表現したその場限りのガサツな「歌声」にすぎない。伊藤久男の「シベリア・エレジー」はご く尋常な望郷歌て、間奏曲のセンチメンタリズムに支えられ無難には聴かせたが戦後の慟哭はもう聴き取れなかった。灰田勝彦の「東京の屋根の下」は明らかに もう一の戦後が来て、日本人が、「若いボクら」が自分の脚で歩き出したなと実感させた。なんと昭和二十三年、わたしが新制の弥栄中学に入学したばかりだ。 近江俊郎と奈良光枝の「愛の灯かげ」は、男女の愛などという言葉が戦後感覚でまだお伽噺っぽく表れた最初のように思われる。二葉あき子の「夢よもう一度」 など、何をうたっているのやら、何の印象も刺激も無い。
中学二年になった年の菊池章子の「母紅梅の唄」には悲しみがしみとおっていて、失ったものをまた思い出させた。菊池章子は心ある歌声の歌手、「身内」の 切なさを感じとらせしっとり聴かせた。久保幸江と楠木繁夫の「とんこ節」には、びっくりし、少し呆れ、自分でも歌った。林伊佐緒の「麗人くさの唄」などは わたくしには全く不必要なものの一つだった。市丸の「三味線ブギウギ」は、踊りに踊りまくった盆踊りの大主題歌、懐かしい唄の最大曲、懐かしい懐かしい昔 の人たちの踊り姿が目にありあり蘇る。わたし自身も大声で歌いながら踊って踊って夜更かししていた。懐かしい戦後。竹山逸郎と藤原亮子の「月よりの使者」 などという無意味な唄は歯牙にもかけなかった。歌謡曲のつまらなさの代表だった。藤山一郎は声で魅した。奈良光枝も。「青い山脈」はむしろ映画に心惹か れ、原節子を今日に及ぶまで熱愛した。きつかった戦後を少しずつ少しずつ忘れさせた。竹山逸郎の「今日われ恋愛す」二葉あき子の「恋のアマリリス」なんて のは、バカかと吐き捨てていた。 もう三つほどあるが以下同じ 美空ひばり以外の歌謡曲を全面嫌悪するに到らしめるものばかり続いた。
淡谷のり子と市丸さんだけに胸を揺すられた。
敗戦後胸を抉った歌謡の第一は「星の流れに」次いで「異国の丘」そして「岸壁の母」か。
* こんなヒマなこと、やってていいんですか、わたし。は
2019 7/25 212
* 気分直しにただただ綺麗な歌声が聴きたく、李香蘭を選んでいた。前半は文字どおりに李香蘭の歌だが、後半は日本の歌を懐かしく美しく歌ってくれる。 これほどの美声歌手が当時ほかにいたろうか。今、いるだろうか。浜辺の歌、宵待草、そして荒城の月。いま、「荒城の月」を聴き、涙の溢れるのにおどろいた。
ほかに、心惹かれて思い出すのは小鳩くるみの、歌声豊かな埴生の宿。 また聴きたくなった。
「敗戦日本人」の絶対に忘れてならない絶唱は、菊池章子の「星の流れに」。
わたしは、もう日本の現世を見捨てつつあるのだろうか。「選集」をもうあと二巻つくり終えねば、それまでは…などと感じているのだろうか、根深い悲しみに負けて。
「星の流れに」を、聴いた。「敗戦」とはアレだった、子供の目にも思いにも。アレは、負けた日本政府の苦肉の或る策でもあったと耳にしたことがある、多く良家の婦子女を占領軍の凌辱から守るのだと。本当だったか。もし本当に本当だったなら……言葉を喪う。
2019 7/28 212
* 京・岩倉の森下辰男兄から、また新しく編集された音盤を五枚も送ってもらった。ショパンやハイドンもありフランク・永井はともかく、島津亞矢や藍川由美といった知らない名前の歌謡曲もある
2019 7/29 212
* 森下兄に送ってもらった JOSEPH HAYDNの「弦楽四重奏曲ニ短調を、三つの弦楽四重奏団が競演しているという盤を聴いている。これはとても 楽しめる。若い女性歌手の歌唱力に欠けた演歌、歌謡曲の方は、李香蘭に較べては可哀想なほど聴くに堪えない。クラシック音楽は、聴き惚れながら聴き入れ る。何をしていても心が和み、落ち着く。
2019 7/30 212
* ハイドンの弦楽四重奏曲を聴いている。思いのほか身深く草臥れているらしい。老耄の度を早足にしないためにもアタマはよく使い、からだは労ってやりたい。
2019 7/31 212
* 朝いちばんから、幾つものショパンのピアノ曲がすぐ身のそばで、と絶えなく。わたしも音に成りたい。わたしはいま金縛りに遭って動けない。身の内の貪欲な蛆虫に好き放題に食い荒らされ抵抗できないのか、情けない。
10枚組みの、なつかしい日本の唱歌集を聴き始めた。最初に『故郷』20曲。
「いかにいます父母 恙なしや友がき 雨に風につけても 思いいずる故郷」と、東京へ出て六十年、その年々の思いでひとり入浴のつど歌い続け涙の顔を湯に漬けてきた。いま「父・母」亡く「友がき」すくなく。せめて山青く水清き故京でありますように。
丹波への疎開生活を体験しなかったら、街育ちのわたしは「菜の花畠に入り日うすれ」るのも「里わの火影」や「蛙の鳴く音」の朧月夜は知らぬママであっ た。言いたくはないが、戦争苦がわずかにわたしに酬いてくれた見聞だった。「朧月夜」も「青葉の笛」も「冬景色」「四季の雨」にも、みな、日本語の美しい 優しい文語表現をしみじみ教えられた。
そして「あおげば尊し わが師の音」と思うだけでわたしはこの六十年、有り難い嬉しい熱い涙にくれてきた。何人も何人も何人もの先生から戴きつづけた御 恩を別れたことが無い。わたくしの得てきた最良の幸福であった、それは学校という世界から離れて東京で一作家として暮らし続けていた間にも数えきれぬ師の 恩に出逢えた。幸せ者であった。
2019 8/4 213
* 二枚目の唱歌が済んだ。「荒城の月」藤山一郎の「夏は来ぬ」中沢桂の「浜辺の歌」中村浩子の紘子「野菊」小鳩くるみの「五木の子守唄」などに耳を傾けた。
2019 8/4 213
* 小鳩くるみが歌いあげる、大好きな「埴生の宿」を繰り返し聴いている。
もう一つは伊藤京子の「螢の光」を。 「さきくと」という歌詞を、子供の頃から、「先久と」「幸くと」意味を重ね聴きも歌いもしていた。唱歌のこういう表現からとても多くを自然と教えられた。
小鳩くるみが歌う「家路」を聴いていると、メリ前にある春草描く夕焼け「帰樵」の繪の美しさ懐かしさが身にしみる。
2019 8/6 213
* 聴いているショパンは、どうやら一つの同じ曲を、二、三十人もがそれぞれの気概と鑑賞とで演奏しわけているのらしい。わたしには、そういう機微はとて も掴めないが、聴いている嬉しさには深い安らぎがある。ショパンなればこそか。そんな評価はわたしには出来ないし意味もない。何という曲が弾奏されている のかもわたしは知らない。なんとも謂えず心地良い。
2019 8/8 213
* 朝から心身きりっと立たず、かすかな吐き気ににた感じで項垂れ、いい始動を待っている。ショパンのいろいろを聴いていたが、いまは倍賞千恵子の「かあ さんの歌」を聴いている。わたしの幼時に「かあさん」はす重すぎる秘密の禁句だった。倍賞千恵子の歌を聴いているとこの歳になってなお泪ぐむ。
2019 8/12 213
* いま鳴っている唱歌の盤は、「城ケ島の雨」も「美しき天然」も「出船」も「ゴンドラの唄」も「波浮の港jも「影を慕いて」も「国境の町」も「湖畔の 宿」も「誰か故郷を思わざる」「惜別の唄」も「山小舎の灯火も」も「あざみの歌」も「長崎の鐘」も「さくら貝の歌」も「白い花の咲く頃」も「水色のワル ツ」も、まあよくもじめじめとセンチに気取った歌と歌い方ばかりと、時代をも顧み、いっそ愕然。
「リンゴの唄」「青い山脈」のメロディ、そしてひばりの「川の流れのように」にしか、心寄せて聴き取れなかった。戦争を怒り原爆を責める歌がまるで遺っていない。
いっそ「晴れやかなきみの笑顔やさしくわれをよべば」と、生き生き歌った唄が、戦後少年は胸をふくらませて大好きだった。
ひばりの「川の流れのように」は、真実身に沁みる。これと、小鳩くるみの「埴生の宿」を聴き、そして「蛍の光」を歌いながらこの世に暇を告げたいものともう三十年も想ってきた。
2019 8/19 213
* 頑強な 「海」の壁に真っ向衝突、手も脚も出ない。ショパンの、或る一曲だけがいろいろの演者の演奏で次々に美しくこの部屋を満たしてくれているが。 此の世にとり残されたものの悲しみが筆を重くしている。もう此処で此の作の筆は折ってもほぼ成っているのだと諦めをつけたくなるのが危うい。
聴いているこのショパンの、この同じ一曲は、なにという題なのだろう、なんと美しい。
ノクターンの20を、ピアノ、バイオリン、チェロ、ファゴット等で競演しているらしい。
2019 8/20 213
* ショパンの全く同じ曲のノクターンを、演奏者も協奏の楽器もかわりながら、こうも美しくいろいろに楽しめるなど、かつて想ったこともなかった。わたし は音楽にはまったく疎い。通の友人達がいろんな盤を呉れるのでただひたすら誰のどんな曲でも聴いているだけだが、森下君の送ってくれたこのショパンは異に 嬉しく楽しんでいる。気が淀んでくるときなど、有り難く救われる。
2019 8/29 213
* それでも十二日には、秀山祭。久しぶりに、しかも、新幸四郎の弁慶と寺子屋の源蔵が楽しめる。三月には、体調を損じ、舞台途中に、タクシーで帰宅した。そういうことの無いように願う。
十月には、二世新白鸚の帝劇「ラ・マンチャの男」のいい席が用意されてきた。楽しみ。
もう一つ期待しているのは松たか子の新しい舞台だが、座席、余り希望が持てそうにない、人気だからナア。果報は寝て待とう。
* こうして気を他へ逸らしながら、なんとかなんとかと小説の先を想うのだが。読む、読む、読んで活路を得たい。すこし、休息。ショパンが美しい。それに しても印象的にとびきり美しいメロディも字音ではに描き取れない。或る箇所、ピンポポ ピンポポ ピポピポボン ときこえるのだが。
2019 8/29 213
* なさけなくも日本の強権保守統治に、「わがことでなし」と冷笑のママ傍観しているのは、若者、学生達だといわざるを得ない。それと、文筆で立っている団体。
天はゆるさじ良民の 自由を無みする逆賊を
十三州の地はほとばしり ここに起ちたるワシントン
という歌を聴き慣らった。秦の父でも口ずさんでいた。少なくも香港の市民はこう気分だろうに。
* 事実問題として、起床から七時間半のうち五時間以上、執拗な夢に揺すられながら寝潰れていた。汗をかき、本も読めない。
病徴は無いと医師に頼もしく明言されていてこれというのは、重度の夏バテか。「食べる」と「疲れる」といった悪循環もある。小説の難関を突破できないのも神経を痛めているか。映画「ザ・ロンゲストデイ」でのリチャード・バートン率いる難関爆破のシーンが懐かしまれる。
* せめて音楽が聴きたいのに、ラジオでのCD操作が巧く行かない。ほんとうならテープの音楽も聴ける筈なのに。廿年のうちにマニュアルも見つからなくなっている。まさしく老耄。
六日、築地の帰りにも、有楽町のビックカメラは近いのに、あの、地下二階から六、七階もの超雑沓店内で欲しいモノに行き当たるなど堪らなく気遠く、立ち寄る気になれなかった。まさしく老耄。
2019 9/8 214
* もう一台在った、これも古い古い「複」用の機械が、 ライ゛オもテープもCDも聴けるとわかった。少々場所を取られるが、なんとかこの部屋へ持ち込んで音楽を楽しみたい。いまも、もはや大昔ばなしになるが東 工大でたしか上尾君が、わたしのために曲を選びましたと、フルート曲のテープを教授室へ持ってきて呉れたのを、久々に聴いて懐かしい限りであった。
上尾君とは、たしか特許庁からの海外派遣を、日比谷のクラブで食事して送り出し、帰国した時にまた日比谷で迎えて食事していらい、少なくも十数年逢っていない。奥さんお子さんと、元気に幸せにすごしてもうエラクなっていることだろうな。
2019 9/16 214
* 昨日は冷え、今日は暑い。
よっこらしょと重い大きな「複」式の機械を場所的には多大の犠牲を払い此の機械の近くへ、とにかくも置き電源を入れた。テープ一枚のフルート曲を無事に 聴いて楽しめた。テープというのは裏表無かったかなあ、どう転回するのだったっけ。ま、ともあれテーブが聴けると分かった。
次は、CD。ラジオは人の声がうるさく、また聴きたくないことを聞かされるので、まず使わない。なにしろ機械の指示文字がわたしの目では小さくて薄れ霞んでて見えないのを、頼りない勘と慣れで凌ごうと。
2019 9/17 214
* 深くもぐった、幸いに恐れなく。
じっとガマンの時間がつづく。「清水坂」は遠い背後に。それでも考え、想い、ねちこく粘りたい。
* 身のそばへ運び上げたプレーヤー。ラジオとテープは聴けるのに肝心のCDに成功しない。これでは運び上げた値打ちは四割とない。手持ちはCDが多いの だ。この機械、天板をあげると昔のレコード盤も載せられる。これも一度試みよう。レコード盤も何枚もどこかに蔵われているはず。何でどう気を励ましてでも 「清水坂」をのぼり切りたい。
2019 9/17 214
* 何かの弾みで古機械の鳴らなかったテープ音楽が鳴り始めてくれている。うまく今後も鳴り続けてくれると、嬉しいだけでなく大助かりだが。
2019 9/17 214
* CDも試みて、一度は鳴り始めたのに途中からガタガタしはじめて音が切れてしまい、音盤を取り換えてみたが、もう働いてくれなかった。根気よく付き合ってみるさ。
2019 9/17 214
* 九時十五分。ホンの少し、ホンの少しずつ、しかし大事なところへ踏み入りながら文を編み込んでいる。どこかで吶喊が利き突貫できれば一気に持って行け るだろう、いっそシカと楽しむように凄いところを書き抜きたい。今晩は、もう、やすもう。編集や入稿や校正の仕事を印刷所に頼んで暫く待機して貰ってい る。「集中」無くては無事通り抜けられまい。前作のラストでも気を張った。
* と云いつつ、十時半。今は幸いにフルート曲のテープが美しい音を奏でてくれている。
2019 9/17 214
* ごく静かなフルート曲に迎えられて機械の前へ来ている。眠気はまだ去っていないが。
2019 9/18 214
* ごく静かになつかしくフルートのテープ曲が身ぢかに聞こえている。さ、「清水坂」へ帰ろう。
2019 9/18 214
* 例の機械は今は「テーブ」だけが働いてくれて、「CD音盤」は鳴ってくれない。
テープでなら、久々、何十年ぶりか、三遊亭圓生の咄が楽しめると嬉しいが、テープはもう劣化してるだろうなあ。そもそもどこへ仕舞い込まれているやら。
「CD音盤」に、なんとかして鳴ってほしい。いま鳴っているフルート曲、上尾君はいちいち曲名を書き添えて呉れたのだったが、それが失せていて、曲名も作曲家も分かりません、が、心清しい佳い曲で気が澄みます。
2019 9/18 214
* フルートの協奏曲が 元気に いま終えた。テーブはなんとか使えるようだが、CD音盤がいっぱい在るようにはテーブ録音の音楽は、他に手持ちが無いと思う。圓生の落語はさがせば百番あるがが、これは「聴き」ながら「書く」わけに行かず。
* 階下で、能管のテープが見つかった。これは音楽以上に静かで「無意味」で有り難い。
* 能管は まことにケッコウです。ただ惜しいことに、誰に戴いたか、ひょっとしてあの名張の囀雀さんであったか、テープへの録音に何箇所か躓きがある が、そんなことは気にしない。声・詞にも旋律にも聴き煩うなにもなく、ただもう佳い笛の音色だけが走り流れる。「書き」にも「読み」にも絶好の音色が嬉し い。少し少し要所へ書き進んでいる。ただし歯が痛む。痛み止めの厄介になり午食に階下へ。
* 能管には、田中一次の「恋の音取」と「烏手」とが入っていた。佳い物が手に有った。感謝。ものをみやみとは捨てない徳か。
2019 9/19 214
* 強いていえば結語まで用意はあるのだが文章にかたちづくるのが日に五行十行しか成らない。それも創る楽しみと思って堪えている。いいフルート曲が鳴っ ている。耳は聞こえるが眼は霞んでいる。十時半。やすむ。床に就けばまた『アンナ・カレーニナ』に息苦しく、しかし魅されて引っ張られそう。
2019 9/19 214
* 九時十五分。 恋の音取(ねとり) 田中一次の能管(笛)を テープで聴いている。
2019 9/20 214
* 晩は、休息。三遊亭圓生の、唄も咄も豊富におもしろい「三十石」一時間の余を聴いた。実に久しぶり、名人圓生に心底満足。
今夜は、はやく寝入りたい。明日また気を新しく取り組みたい。
2019 9/20 214
* 書庫へはいると疲れるようになった。夥しい戴き本に宛名や献辞が添っていて、その大方は仰ぎ見た先師先達でもう亡くなられている。思い出に胸がつまる。つい立ったまま、歯を食いしばっていて痛み出す。疲労が加わる。書庫には引き留める魅力と魔力がある。
疲れで目が明かない。機械から離れた方が、きっと、いいのだろう。いま、テープは「スターバト・マーテル」(と謂ったか)を聴かせてくれている。女声のこの世ならず美しいこと。荘重な合唱も交互に。
2019 9/21 214
* 二時間余睡る。眠りを誘うのに、ホメロス「イリアス」を第三編の前まで、「アンナ・カレーニナ」のレーヴィン、キチイのめでたい嬉しい結婚式までを、読んで。
大相撲、乱戦を楽しむ気はなく。
疲れと歯の痛みとで食べられる物もなく、やはり出汁を利かして溶いたた卵汁に味付けした麩を浮かして。歯医者へ行きたいが、その前に長編、可能なかぎり結びかその直前まで運びたいの、だが集中できない。
いまは、誰の作と知れない、むかしむかし人に貰ったのだろう、テープのピアノ曲を聴いている。昨晩の圓生「三十石」は楽しかった。「妾馬」を聴こうかな、たまたま他に芝居話の「淀五郎」「猫忠」などが手近にあるが、笑いたい。
2019 9/21 214
* 気を入れ、ロキソニンで歯痛はおさえ、脱稿の初稿を読み続けていた。正午。上尾君にもらったフルート曲で雑念をはらっていた。
* 午後二時。 全四章の前半二章を 推敲しつつ気を入れて読み返した。この辺までは、是までもイヤほど読んでは直し直ししてきたので、幸い大きな齟齬は無かったと思う。
台風の余波らしきがしきりに窓を打っている。フルート曲を聴き、今は能管が静かに恋の音取りを聴かせてくれている。仕事中は疲れを忘れているが、やすむと、ぐったり心身折れてくる。今日は、かなり暑い。すこし階下で休くでくる。いま、横になると読みだす本は、
まず、ホメロス「イリアッド」。大変な長編だが、予備知識が出来ているので、苦にするよりむしろ楽しめる。いま、トロイの王の質問に応えて、両国わざわいのタネとなっている美女ヘレネがアカイア側の英雄・勇士たちの紹介をしている。
次に「千夜一夜物語」 アラビアンナイトなんてと軽くみて読んでない人は大損をしている、世界中だこれほど面白くよく語られていて飽きない本はめったに無い。厖大に大量の咄が満載で、美女シャーラザッドの語り口は心憎く軽妙。
次にはトルストイ「アンナ・カレーニナ」 これは楽しいばかりの名作ではない、息苦しいまで凄惨なの女の悲劇と、またこころよき愛し合う夫妻の幸福物語でもあり、トルストイの筆の精妙な活躍と把握の凄みは、世界一の近代小説とすら云いたくなる。
そしてル・グゥインの「懐かしく なぞめいて」 これはもう快く降参してしまうほど知的に深く徹底した創造力と世界把握の現代奇跡的な名作。
そしてそして久保田教授に頂戴したばかりの岩波文庫新版「後拾遺和歌集」 和泉式部を初めとする絢爛の平安女流達の和歌の美がいい解説付きで満喫できる。
2019 9/23 214
* 今日も昨日の続き。
もし歯医者が来ても良いとなれば、江古田二丁目、沼袋まで出向くが。
彼岸休みか、連絡付かず。痛み止めで凌ぎ、能管の音色に惹かれながら、順調に(と思う)初稿を読み進み推敲し、正午になった。昼食はろくに出来そうにないが、階下へ。 2019 9/24 214
* 建日子の呉れた「CD」の聴ける機械が此の仕事しているまぢかに落ち着き、いま、森下辰男君の呉れたメンデルスゾーンの音楽を楽しみながら、これを書いている。
森下君に感謝、建日子アリガトさん。
2019 9/27 214
* 音楽を聴き、圓生の芝居咄でも聴いて、もう、やすむ。
2019 9/28 214
☆ 秦 兄
雑食系音キチからの音楽便。
何に限らず好き嫌いのないことだけが取り柄の老生だが 時の権力者の長期にわたる居座りだけ
はご免蒙りたい。
11月20日には歴代総理在任期間の最長記録保持者になるが、日本憲政史に最悪の一頁を加え
ることだけは絶対に許さじと Amazon本を出したが、紙本に拘り 2年間を無駄にして時間切れを
迎えることは真に慙愧に堪えない。
死の商人と二足のわらじを履く世界中の悪徳政治屋を-掃せんとして2冊のKindle本を纏めて
〟The best way to wide out bad politicians in eIection〝と題してAmazon本にして地球温暖化にも触れたが、傷心無念の老生にとっての救いは スエーデンの少女GretaThunberg のこの度の国連での名スピーチである。
世界中の政治屋は何と聞いたことか。蛙の面に小便の破廉恥な政治屋にたいして「あなたたちを
絶対に許さない」と断じた少女のような未成年者に選挙権を与えて ×票 で悪徳政治屋を一掃せんとする私の主張は必ず陽の目を見るときが来ると 少女の演説を聞いて確信した。
やっぱ半端ない、などと気色のわるい言葉を大人までもが平気で口にしている日本人には愛想が
尽きるが 嘆いていても埒が明かないので根気よく活動をつづけることにしよう。
9月19日に 84歳になり 耳目に支障はあるものの 肺同様に2つある臓器は 1つあれば最低の用は足せると楽観視して1次目標の百歳めざして猪突猛進するので 兄にも是非お付合いを願いたい。
乳牛ですらモーツアルトを聞けば良質の乳を出すそうだから 万物の霊長なら効果のない筈もな
いので これからも独断と偏見の音楽レシピの中から見繕って精々届けることにしよう。
きようは兄の好きな李香蘭の秘曲第2集とBGM用にJ.S.バッハの名曲を聴き比べていただこう。
李香蘭の音源は大半がSP盤のため針音が気になるがスクラッチノイズの中から妖艶なソプラノを
聴きとるのも亦一興かも。
バッハはモダンジャズに化けたものも入れたが 出来るだけ刺激のすくない演奏を選んでおいた。
カーステレオでも聴いていた音源ゆえトランキライザーになるだろう。随分と逡巡したが誕生日前
に免許証を返納したので もう運転しながら 音楽を聴くこともなくなった。
20数年湖国にいた頃と違い 京都に戻ったので不便は何もなく、森下の棺桶は車と言われていた
だけに心配事がなくなり 家人も安堵していることだろう。
では愛息ご手配の装置で音楽の五目飯をお二人でご賞味ください。2019-9-30 森下辰男
* 感謝、感謝。 幸い建日子の呉れたCD専用?機 好調に音楽を聴かせてくれる。持ち駒はテープよりCDがたくさんなので、音質も悪くないので喜んでい る。森下君の選んでくれた「これが芸人だ」という音盤では、東京ぼん太の歌のうまさ、坂上二郎の「鉄道員」の歌、渥美清の「遠くへ行きたい「人生の並木 道」にほろっとした。植木ひとしの「はいそれまでよ」「スーダラ節」にも、久しぶりに笑えた。今日もらった李香蘭秘曲第二集は題をみても全部知らない。楽 しませてもらいます。感謝。
2019 10/1 215
* なにとなくひと休みの感じで、李香蘭を聴いていた。なんと繊細に張り切った美声であることか。歌いブリは中華民国風とすら云えるが、そこに日本人であり中華の人として生きていた不思議な哀歓の気の張りが鳴り響く。
2019 10/1 215
* ドップラーのファンタジーが快調に笛の音を響かせている。森下君のお蔭です。感謝。曲が、メンデルスゾーンのわたしでも聴き馴染んだバイオリン・コンチェルトに代わった。
2019 10/2 215
☆ 秦 兄
兄のホームページの巻頭を飾っている「方丈」の二字ですが、気になる横線など、画像の汚れをすこし修正してみました。
手を加えないほうがよいのか分かりませんが、見比べてみてください。
受信画面のメッセージ欄右のアイコンをダブルクリックしてご覧ください。 京・岩倉 辰
* メールと一緒の写真 とても大きいよう。さ、適切にうまく機械へ呼び出せますように。明日の勉強にします。感謝します。
遣ってみたら美しく観られました。保存もしました。どうするとこういうことが出来るのかなあ。わたしは、字を書くばかり、それも乱脈と見えてきて。
* 写真、較べてみると直して貰った方の書字中の黒い斑点がやや濃きにみえたので、取り換えを断念しました。森下君、ありがとう、お手間をかけました。力強い佳い二字ですね。
2019 10/2 215
* 建日子の呉れた機械で、CD盤は懸念なくたくさん聴けている。テープも、ラジオも、その下の古機械で支障なく聴けている。音楽が、と云うてもクラシックの主に器楽曲にかぎっているが、こう楽しめるとは思ってこなかった。
2019 10/3 215
* グレン・グールドのピアノの颯爽快速感に魅される朝の嬉しさ。
* とはいえ、体調の違和拭いがたく、散漫にやすみやすみし、横になったまま手に触れる本を読みあさる。
アンナ・カレーニナ流浪・孤独を深める痛ましいまでの女の悲惨、打ってかわってキチイとレーヴィンの真実味溢れる結婚生活幸福な日々、の、対照に胸を穿たれる。読み進むのも怖い小説、しかもみごとな把握と表現の構造美。
鴎外先生のやっと二十歳台の『ヰタ・セクスアリス』を読了。堅牢にして流暢な叙事叙述。「名作」と受け取る人もあるようだが、セクシイな何物も特段には 書かれていない。これが鴎外唯一の発禁小説であったとは、時代やなあ。わたしの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の方が文藝作品として冒険と発明とがあ るのでは。
芥川龍之介が編集した「近代日本文藝読本」の最初の二巻から、鴎外の飜訳「老曹長」、加藤武雄の「薬草の種」が佳い感じに胸に沁みた。この六巻本は買ってしばらく乗らなかったが、今では恰好の読み本としてかすかに敬意も払いながら愛読を重ねている。
ホーマーの長巻も長巻『イーリアス』 神々も神の子も兵も激戦激闘、死屍燦爛。それにしても女神さんたちの贔屓側に別れての敵対戦闘意欲の凄みに辟易の気味。あまりに大長編。
プラトンの大作『国家』分厚い二巻を後ろの詳細な解説までふくめ、再読を終えた。たくさん教えられた。仏陀、基督、ソクラテスと子供の頃から頭にあり、 その時機時期に応じて心して触れて読み継いできた。八十余年、心に残って、より近付きたいのは、バグワンへの親炙もあり、禅。
* 晩の八時。グレン・グールド速度感に彩色された精確なピアノの鳴りに今も魅されている。
2019 10/5 215
* 誰の何のなど考えない、しみじみ美しいフルートの曲を繰り返し今朝から聴き続けている。東工大の頃の上尾敬彦君のプレゼント、彼ならではの選曲の優しさも嬉しく。
で、私はいま何をしているか。濯鱗清流。もっぱら入稿原稿づくり。
「選集第三十二巻」の小説原稿がもう順序に配列されている。入稿の前に、処女作から最新作まで。とはいえ、手書き原稿から器械へ写せるなら、もう何作か が埋もれているのだが。間にも合うまいし、本にそれらを含む収容力もない。やはりそれは何れ「湖の本」で初出刊行を考えた方がよい。 「選集第三十三完結 巻」の編輯は難しい。書誌、年譜、随筆等々、自身に関わり深い資料的原稿をつくりながら新作の短篇等を拾い採るか。
慌てまいと思う、ただそりためには体調と健康とは維持していないとし損じる。「選集」を早くアガッてラクになりたいという気分もある、にはあるが。
2019 10/7 215
* グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲、男性的なピアノの底深さに聴き入りながら、あぶない歴史を反芻している、わたし。やれやれ。
2019 10/11 215
* 機械の前で疲れ寝している時、建日子が来てくれた。長くは居れないようだったが、トーサンのために凄いほど上等な(むろん、使い終えての品らしいが) 写真機を持ってきてくれた。巧く使えるかなー、何よりもこれほどのキャノンを使うのには広々とした何処かへ出て行かねばナア。隅田川とか、秩父とか、箱根 とか、むろん京都とか。からだがなあ…云うことを聴いてくれるといいがナア。
* 建日子はほかに、トーサンは音楽を楽しんでいるのでと、ジャズも含めてクラシックのCDを100枚ほども大きな紙袋二つに入れて持ってきてくれた。ア リガト、建日子。建日子が来てくれると、奇妙に、家へ帰ったように寛ぐ。忙しくしていて永くは居れないのだが、ホッコリと嬉しく心慰む。いま、貰ったなか から、手に触れたモーツアルトのバイオリン協奏曲四番と三番とをこれも建日子の呉れた器械で聴いている。幸せなことだ。建日子が元気に怪我なく心ゆく仕事 をしつづけて呉れますよう。舞台でも、映画でも、テレビドラマでも、小説でもいい、自身の内深くに根ざした仕事を楽しんで仕遂げて行って呉れよ。
2019 10/13 215
* 建日子の呉れた音楽の板を、つぎつぎに(これは何、なんどという穿鑿ぬきに)聴いている。わたしは、概して個人の演奏(小音楽)に聴き惚れてきた。建 日子のはオーケストラというのか大きな音楽が多そう。何にしても人のナマの言葉や声のない器楽曲は邪魔にならず、懐かしい。演奏しているのが誰といった関 心はもっていない。いまはバッハが鳴っている。ベートーベンより、バッハの方に遙かに親しんでいる。
2019 10/14 215
* 建日子の呉れた、初見参のジャズ盤八枚を聴いているが、すさまじいほどの吹奏やドラムに反り返る。仕事中は、フルート曲や能管やピアノ曲がありがたい。仕事中でなければ、ジャズのピアノも悪くないだろうが。
映画で、兄弟のピアノでミシェル・ファイファーが歌う好きな佳い作があって、おりごとに観ているが、あれもジャズなのかな。ジャズは即興とも聞いた気が するが、その辺のセンス、わたしにはまだ掴めない。いま鳴っているのは、ジャズ・バラードの「マイ・フーリッシュ・ハート」とか。しかし、題のちがう15 曲もが一枚に入っていて、演奏もいろんな人のよう。
だんだん好きになるかな。やはり大好きな映画の「帰らざる河」で、マリリン・モンローの歌がしっかり耳にのこっていて、これも折り有ると観かえし聴き返している。ロバート・ミッチャム主演というのも殊に嬉しい一作。
* そういえば、わたし。一頃は海外映画の主演男優も主演女優も各100人以上もそらで上げられた。そのなかでも、いま挙げた、「眼下の敵」のロバート・ ミッチャム、「帰らざる河」のマリリン・モンロー、そしてミッシェル・ファイファーが大好き。ま、私には大好きはいっぱいいるのだが。
* お、ジャズ 佳境にある。右から左へ「処分」という必要はないようだ。と、盤の置き場所がまた要る。建日子はほかにクラシック音楽の盤を100枚ちか くも持ってきてくれたのです、有り難いが置き場所に頭痛む。わたし自身で既に持っているのが少なくも6-70枚は在る。ウーム、ちっちゃな家じゃのう。
2019 10/15 215
* ジャズを聞いている。高らかな吹奏楽器や打楽器の多い音楽のようです。耳に真新しく新鮮ではある。建日子が払い下げてくれたCD用の機械、簡明な手順 で使える。もっともっと多様に簡明に使えるのらしいが、センサーの使い道が難しそう。ま、CDが好きに聴けるだけで満足。
キャノンのカメラ、どうやら写すことは出来かけている。この機械へどう取り込むのか、それがないと撮った写真が楽しめない。
2019 10/16 215
* 「バイ バイ ブラックバード」と表題された盤で、思いの外に静かなジャズを鳴らしている。ジャズに惹かれて行きそう。この歳になっても、素直に胸を開いていると、出逢いがある。
2019 10/17 215
* Stella By Starlight という曲のジャズを聞いている。知りもせずジャズは「やかましい」と受け付けなかった、ごめんあれ。むろん、ジャズとはと聞かれてもわたしはどう返事も出来ないが。
なんだかピアノの奏者の鼻声みたいなのもかんかにまじる。あの希代のビアニスト、グレン・ゴールドも興が乗るとか、ときどき演奏中の呟きがきこえる。あれもわるくない。
2019 10/18 215
* 今朝、明け方の夢に懐かしい人たちと出会っていたが、誰で何処でがまるで分からなかった、胸のワクワクする嬉しい出逢いに相違ないのに、何もシカと把 握できなかった。気分だけが靄のようで、残り惜しく目覚めた。なにしろ、人と、会わない話さない。出かけないのだから当然。用もなくボーっと出かけるのが 漫然と懶い。不健康やなあと思いながら「静かな」ジャズの吹奏を聴いている。建日子の呉れた一箱のジャズ十枚には「Jazz Ballads」とある。わたしはBalladsの意味も知らない。思いこんでたより十枚ともまことに静かな演奏なのはBalladsゆえであるのか、それも分からない。「ジャズは喧しい」と思いこんでいたのは何故かも説明できないが、とにかく此の「Jazz Ballads」は静かで、読み書き仕事に邪魔にならず有り難い。すこし眠気ももよおしてきた。
* ジャズ10枚を終えて、手近な盤を聴き始めた、純然の洋楽のコンチエルトなのに途中にしきりにあの「夕焼け小焼けのアカトンボ」そっくりのメロディーが聞こえるのが妙であった、偶然なのか、どっちかが借用しているのか。わたしは何もこだわらず面白く聴きましたけれど。
2019 10/19 215
* 明け方の五時台から執拗に「マ・ア」に起こされた。仕方なく、ファビュラス・ベーカーズとか云ったか、ピアノ抜群のジェフ・ブリッジス兄弟と好きなミシェル・ファイファの映画を半ばまでまた観ていた。彼等のピアノもジャズというのか、そういうことは分かりません。
努めて食べている。血圧は高めに、血糖値は低めに推移。
妻は、ご近所のお婆さん達とおしゃべり昼食会とか、タクシーに乗ってちょくちょくどこかへ出かける。このへん、五十年のうちに、お気の毒にお爺さんはおおかた亡くなり、連れ添いの家のほうが少ない。五十年……
2019 10/20 215
☆ 秦 兄
兄がきのうの日録でつぶやいておられた「赤とんぼ」の飛び交うピアノ曲は、おそらくR. シューマン(1833-1856)が20代に作曲した「序奏と協奏的アレグロ Op.13」でしょう。三木露風の詩に山田耕筰(1886-1965)が曲をつけたのが1927年ですから、元祖は言わずもがなでしょう。その山田がオペ ラ歌手の三浦環が歌うのにジプシー音階の箇所を変調した滝廉太郎(1879-1903) の「荒城の月」(1901)もバロック期のイタリアの作曲家で41歳の時に暗殺されたIgnatio Albertini (1644-1685) のViolin Sonata No.1 D Minorの模作だと私は10年ほど前にネットの音楽サイトのレビューでつぶやいて、兄にもお送りしたかとおもいます。
わが国に西洋音楽がもたらされた黎明期にはこんなことは頻繁に行われていたのでしょう。
かの大バッハでさえVivaldiのViolin Concertoをそっくりそのまま頂戴しているぐらいですから 大らかな時代だったのですね。そんな頃を「古き良き時代」というのでしょう。
「古き良き時代」の音源を これからも折に触れて送信します。 京。岩倉 森下辰男
* 驚嘆 教わりました。荒城の月でも、それと感触したのを記憶しています。
ジャズの概史を教わったのも嬉しいことでした。なーんにも識らないで聴いているばかりですが。ま、それも気楽という楽ではありますけれど。
2019 10/20 215
☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」
後になって追懐されるとき、戦時下の日本列島を暗黒の黒一色に塗りつぶすことは一種の後知恵による時代印象の改竄である。三寒四温の気流のぅねりというものがあるのであり、 人それぞれの笑いや涙や団欒は、あの時代は時代のものとして、日々に営まれていたのである。そして一億一心の総力戦では確かにありながら、人されざれの置かれた幸不幸の差は、極端に不平等なものといえた。幸運なものは、空襲をされず、家を焼かれず、兵隊にとられることもなしに過すことができた。
その限り、その人たちは楽天的であった。そしてその範囲において、わが将士の奮戦ぶりに、沖縄のひめゆり部隊の壮絶な集団自決に、誰よりも熱く感動したのである。
* この指摘は、峻烈に正鵠を射ている。爆撃されなかった京都に育ち丹波の山奥へ疎開し、敗戦後も一年して傷つかず焼けもせず戦禍の何一つにも遭わぬ京都市内の家へ私は帰っていった。
幾度も幾度もこの幸運と、対比を絶していた同じ日本人やその家庭の不幸を思わずにおれなかった。その思いが熱ければ熱いほど私のうちに忸怩としたモノがぶすぶす燃えた。
* その思いに重なってくるいましも聴くジャズの名曲「St.James Infirmary」の17バンドの切々として独自の演奏に胸打たれ胸を塞がれている。盤をおくって呉れた森下君の解説によると、「私の好きなディキシーランド・ジャズの名曲St・James Infirmary「聖ジェームズ病院」を聴き比べて頂こうとおもいま す。売春婦の情夫が彼女の死を知って聖ジェームズ病院にやってくるところから歌の曲は始まりますが、それぞれの楽団が薄幸の女の死をもの悲しい旋律で紡ぎ 出しています」と。
わたしは敗戦後の無傷な京都市内でも夥しい「売春婦 パンパン」を日常に見知っていた。買い手の占領軍兵士であれ「情夫」であれ何の珍しさもなく、しか も私は「負ける」とはこれだこれだこれだとよく泣いた。私が戦後歌謡曲で他の何にも何百倍して今でさえあの、「星の流れに身をうらなって」と歌った菊池章子 の歌を思うのと、このジャズとは、痛いほど強烈に連携してくる。伴奏など似てる気さえする。
* 当分はジャズというと、これを繰り返し聴くだろう。
2019 10/21 215
* 音楽の恵みを惜しみなく私に注いでくれる京都の旧友森下辰男兄は、「早大一法35J」卒とCD版に書いている。同窓の「呑んべえオヤジ」さんらと旅行 も楽しんでいたようで。森下兄は、思えば、わが息子の作家・秦建日子の直の大先輩だったのだ、今まで気づかなかった。いま、フランク永井と松尾和子とが 「昭和枯れススキ」を歌っている。「昭和」ははるか三十数年も昔に影を遠くして、もはや枯れススキですら無くなっている。
いやいや、今日を明日を思って、怯むまい と 生きている気。
☆ 森下さんが、
きっとバッハの本歌取りのCDをつくってくださいますよ。
わたしは、どちらかというと即興演奏のほうに、興味がありました。緊張感のある、各人のやりとりと、ひとつのものを創ろうとする一体感や、スリルに魅か れたらしいです。聴いている人もふくめて、それなりの形式もできていたような。むかしのことです。迪子さんと、そういうピアノあそびを、すればよかったと おもうのです。
しかも、バイエル連弾の件はなにも覚えていない。
メールのおかげで、元気でしょう?
お二方もお元気でありますように。 美沙
* ショパンの、ノクターン。なんという…こんな清らかな音色の美しい曲が 他にそうはあろうか。胸のふるえる心地で聴いている。
2019 10/22 215
* 「湖の本」148 入稿できるまで用意できた。
ショパンのノクターン同じ曲を いろんな楽器でさまざまに演奏しての20曲を聴きながらも、あすに備えて 今夜は すこし早めにやすみたい。
2019 10/22 215
* 建日子の山のように呉れた音楽CDのなかから、「シャンソン ベスト・コレクション」一枚が見つかった。シャンソンは演奏曲でなく歌謡曲のよう。馴染みは 無い。だれがなにを歌っているのか、ケースの超ちっちゃな字は一切読めない。ピアフの映画は観たことがある。唄は知らないが危険な道を爆発物を積んで運搬 するような誰かもいたかなあ。
2019 10/24 215
* 「父よあなたは強かった」「暁に祈る」などという歌を流行らせた時代。いやだった。ほんとにいやだった。
そしてあげく、菊池章子は歌声せつせつと「星の流れに身をうらなって」泣いたのだ。敗戦とはあれに極まっていた。繰り返してはならぬ。そのためには國 は、政治は、国民は何を考え何うこころ励まして勤めねばならぬか。文学者達よ、何を考えているのか、言いたまえ。悪政・失政のために、きみの「言葉」をま た売るのか、空しくもウソくさく「父よあなたは強かった」などと又しても。
* 「明日はお立ちか」という小唄勝太郎の 唄った歌を、あなたは覚えているか。特攻へ立つ青小年兵を泪声で見送るおばさんの歌だ、ボロ飛行機とともに敵艦へ体当たりに散りに逝く子を見送る「母」の 歌と聞こえる。決行指揮官の大西中将は、特攻第一陣機の兵士らへこう語ったという。
「諸子は今や神である。諸子は体当りの結果を知ることはない。しかし、それは決して無駄なものでないことを確信してほしい。本官は、及ばずながら諸子の英 雄的行動を最後まで見届け、これを、畏くも大元帥陛下にご報告し奉ることを約束する。諸子は既にして靖国の神である。安んじて往かれんことを。最善を尽さ れんことを要望する。」
2019 10/27 215
* まあなんと沢山なクラシックCDを建日子は呉れたのだろう、100枚はあった。なるべく静かに聴きいりたい盤を手もとに置きたい。いま、ヨハン・シュ トラウスの曲を聴いている。ダンス向きに流れるような調べではあるが、非凡に胸にせまる優美とは思えないまま、聴いている。
2019 10/27 215
* 手持ちに沢山なすでに材料の在るのへ目を向け、次へ、次の次へ、心はせて。そして疲労は濃い。濃くても仕方ない。快いことを、思うなり読むなり書くな り聴くなりして疲れは払う。他にどんな道があるか。繪は好きなのに画集はあまり手にしない。重いのも苦手、何としても印刷された繪は割り引かれる。美しく 鳴るピアノや弦や笛は、そしていい歌声も、ありがたい。
2019 10/27 215
* 藍川由美という藝大出の声楽家を知らなかった。森下辰男君のおかげで、この人の、静かに歌いつぐ20曲の歌謡曲を聴いている。伴奏はごく控えめなピア ノだけ、少し浮き上がるかと感じもしたが、歌い手の「歌」だけがまこと静かに美しく聴ける。歌謡曲を「声楽」の「博士」がこう歌うのかと、「青い山脈」 を、今も、こころ新たに聴いている。いわゆるあのいやらしい演歌も。この人の歌で試みに聴いてみたくさえなった。声量で圧倒する歌い方ではない。清潔感の美しさ。 人によれば物足りぬかもしれないが。
2019 10/30 215
* 昭和二十三、四年「戦後 日本流行歌史 第三集」で たったいま淡谷のり子が「君忘れじのブルース」を歌っている。全24曲も森下君の選んでくれたな かで、圧倒的に、ズバ抜けて、淡谷のり子のこの歌唱は傑出し、りっぱに藝術の域にある。あとは、「異国の丘」がやはり胸を打つ。昭和二十三、四年というと、六年生から新制中学へ入った時。森下君は、音盤を入れてきてくれた袋を、「夫婦生活」といった当時著名な雑誌の「8月創刊号」表紙をアレンジしてくれている。
雑誌の特集として、一つは「理想的な各種避妊法」を五人の「大博士」が語るらしく、二つめには「性行為を子供に見られたら?」と「諸名士」にアンケート しているらしい。夫妻か恋人同士か男女の顔がおとなしく晴れやかに繪写真にしてある。古本屋での立ち読みを日課にしていたわたしは、こんな雑誌の平積み を、手にこそ執らないが、いっぱい見ていた。凄い写真の表紙もあった。性教育というに近かった
2019 10/30 215
* 藍川由美の歌声に聴き惚れている。清潔の美がいかに胸を打つかに思い当たりながら。「青い山脈」をこんなに歌曲として聴かせてくれた例はなかった。原節子が懐かしい。わる口もきくけれど、わたしは原節子を、いまも慕うほど懐かしむ。森下兄に感謝する。
藍川由美のこの20曲のどの一つも明らかに昭和の歌、元号の再び変更された今今の歌声でも旋律でもない。全然無い。それだけに聴いていると胸を締め付け るほど往時の懐かしさに引きこまれる。好きな歌だった、思い出がいっぱいというのではないのだ、だのに藍川由美の歌唱はわたしを魔法の絨毯ではこぶように 往時へ運ぶ。歌声の背後に、もう見失ってしまった何人も何人もの懐かしい笑顔や声が聞こえる。ああ、また「青い山脈」を歌っている。ナンでもない歌の一つ と聴いてきたのに。
2019 11/1 216
* 森下兄
藍川由美唱歌に魅了されています。流行歌のかぶっている埃りをここまで洗い流すことの是非には、議論があるやも知れませんが、本格の清潔に心惹かれ、耳も喜んでいます。重ねて感謝します。
秋冷えせまる日々、体調など くれぐれもお大切に。 秦 恒平
☆ 秦 兄
兄の日録を 毎日楽しみにしています。
いろいろな音楽を愉しんでおられるようで何よりです。
用途別に 目下 6台のPCがフル稼働しているのですが、あいにく音楽専用ソフトの入ったPCが酷使と耐用年数オーバーかダウンしました。
PCと音楽ソフトの調達中で作業開始まで 1週間ほどかかりそうです。
「戦後日本流行歌史」も24-5年の第4集で中断したままのため 続行を第一に考えています。
日本の歌謡界は一人前の歌手になると持ち歌がレコーディングされ、自分の歌を持たない歌手は肩身のせまい思いをしていますが、そんなカバー歌手の中に逸材がいるものです。
「戦後日本流行歌史」も 旋律と歌詞とが私の心を震わせるあいだは続けるつもりですが 藍川由美さんが歌っているような美しい日本語の歌詞や旋律が心をゆさぶってくれるのは いつ頃まででしょうか。
近頃の歌は ゼスチャーと衣装だけが目立つテレビ向きのものが大衆受けして、目を閉じて聴くに堪える曲や歌手がたいへん少なくなりました。
個性化が叫ばれる時代ですが ラジオやCDで聞いたら 皆おなじような曲調を同じような唱法で歌っているようで、興が湧きません。
これも老化現象の一つでしょうか。古いものを愛でるのが老化と笑われるなら クラシック好きの10代は早や老人と言うことですかね。
兄ご夫妻も ご自愛の日々をどうぞ。 2019-11-2 森下辰男
* 批評、わかるなあ。美女美女めかした演歌歌手など、歌っているのか気取って身をくねらせてるのか、どっちと思ったりする。いい作詞作曲もガクンと減っ ていないか。懐かしのメロメロで、今今の歌手が昔のヒット曲を歌わせて貰っているよう、映えない。どの世界でも創作力がメタメタに落ちていそう。
兄ご夫妻もご自愛の日々をどうぞ。 2019-11-2 森下辰男
2019 11/2 216
* 藍川由美のうたごえで騒ぎやすい心を静めているのかと思う。清潔、それは「静か」の代名詞でもある。濁って騒がしいモノは要らない。要らなくても、攻め寄せるのがそれだ。「方丈」以下の四枚の写真にわたしは今、その謂うところの清潔・静謐を託し求めている。
2019 11/4 216
* 建日子の呉れた盤から、モーツアルトの「フルート協奏曲」二番を静かに鳴らしている。とても、いい。
2019 11/4 216
* 「待ち待ち」読む文庫本の字が、もうちと大きいと有り難いが。音楽はまさしく音の楽しみ。昨日からモーツアルトのフルート協奏曲がこころよい。
ものぐさになってはいけないのだが、テレビのニュースの類を見たくなくなり、藝のない有象無象のバカはなしもイヤ、コマーシャルもいや。新聞は目をいた わり全く手にも触れない。視力は、機械仕事と楽しみの読書用にだいじにしている。耳は利く。佳い音楽があるので真実ありがたい。
2019 11/5 216
* モーツアルトのフルート協奏曲、静かに美しく鳴り続けている。もうそろそろ妻が帰宅かな。往き帰りともタクシーを使うように云ってある。夕暮れが日ごと早く くらくなる。
2019 11/5 216
* 歳をとると夜眠れないと聞いてきたが、朝までよく寝る。「マ・ア」につつき起こされねば、いつまで寝ているやら。寝入る前の読書が利くのか。しかし夜 をこめてアタマに歌が甦り続けている。一夜で幾つもの歌ではない、ほぼ一つの歌詞(の一部)とメロデイが反復している。ゆうべは「フランチェスカの鐘の音 が」「チンカラカンと」と反復つづいて、わたしは「チンカラ」はいかん、「キンカラ」がいいと抗いながら「やっぱりチンカラか」と反省したりし続けてい た。これは安眠とはいえないか。
朝早や、冷え込んでいた。
* けさは、「A couple of (二つの)」「A part of(の一部分)」というのを復習した。couple が「夫婦」の意味となどとうに意識から落ちていたなあ。
* 今朝もモーツアルトのフルート協奏曲がじつに静かに美しく鳴り続けていて、微塵の邪魔もしない。わが背景音楽として一の静かさ美しさ豊かさにきこえる。ありがたし。
2019 11/6 216
* 建日子の呉れた百ほどのクラシック音楽のCDをひとつ一つ確かめ、読み書きの仕事に障ってくる交響楽や大きな音の協奏曲の盤はとりわけて妻の方へまわ す。喜んで受け取ってくれる団体があるという。いまは「ドレスデン宮廷管弦楽団のホルン協奏曲集」を聴いている。やわらかに聴いておれる。モーツアルトの 「フルート協奏曲二番」もよかった。同じくモーツアルトの「クラリネット」や「ファゴット」の協奏曲も聴いてみる。グレン・グールドのピアノは籤とらずに 手もとに置いている。
2019 11/9 216
「ホルン」の協奏曲集、なかなかユーモラスに景気よく、ドレスデン宮廷管弦楽団の演奏と云うだけあって行儀も佳い。管楽器をこんなにわたしが好むとは思ってなかった。佳いです。
2019 11/10 216
* 「ホルン」協奏曲の音色がユーモラスで、こうも楽しめるとは。パピプペポの弾みが快調に面白く、ときどき笑えてしまう。狸の腹鼓など知らないが、ポンポコポンポコ、プと、こんな面白さなんかしらん。
2019 11/11 216
* よかれあしかれ、元教授のわたくしですら若く元気であったなあと、いささか「今」に銷沈している。胸に重石がかかったように鈍い窮屈感がある。モーツ アルト天来のフルート協奏曲二番にただただ思いを預けている。いい音楽の美しさに、ただ、ひたっている。言葉ではないが「美しい詩」に極まっている。
2019 11/15 216
* 赤間の「うに」でお酒がのめて、昼すぎ、気分良く一寝入りした。モーツアルトのフルート曲が終始こころよく。
2019 11/20 216
* もう半世紀も大昔になる、美術出版社のために『女文化の終焉 十二世紀美術論』を書き下ろした時、「終焉」などという言葉が自分にもいつか意味をもつ のだろうかと遙かな思いをもったのを覚えているが、「終焉」が日に日に意味をもってきた。ほほう…という心地。モーツアルトの静かなフルートを聴いてい る。
2019 11/23 216
* モーツアルトの「フルート協奏曲第2番」の静かな美しさに魅了されている。つづく「フルートとハープのための協奏曲」も。このところもっぱらこのモー ツアルトに身も耳もゆだねている。建日子のどさっと呉れた100枚ちかいクラシックの盤から拾い上げた。喧しい交響曲や協奏曲は割愛させてもらい、受け容 れてくれる何処と屋らへ妻が送り届けている、らしい。たけひこの呉れた中でいま一等愛用し感謝しているのは、比較的に操作の容易な何と謂うのかな音楽の盤 を差し込むと自動的にいい音色で拡声してくれる機械。デザインが軽妙で場所を塞ぎすぎず喜んでいる。
2019 11/24 216
モーツアルトのフルートに慰められている。正午を過ぎた。
2019 11/30 216
* テレビに「駅のピアノ」とでもいうらしい番組があり、わが家では今 最歓迎・感動の時間。人間の世界に希望と期待をもちたくなる。
* 久しぶりに倍賞千恵子の絶唱「「かあさんの歌」に涙ぐんでいる。
見たことも感じたこともなかった「かあさん」は、少年「もらひ子」の私の胸の、どう強がろうとどす黒いまで、うずめようを知らぬ大きな「欠損」であった。『オイノ・セクスアリス』にせよ今度の『花方』にせよ、他のことはどうでもいい、ほとんど懸命にその欠損を埋めようとしていたのである。八十四歳を目前に なお わたしは未熟な少年のまま底知れぬ感傷を捨てえないでいる。バカみたい。
* 岸洋子「希望」の寂しい旅にも、胸を絞られた。なんという、感傷。
2019 12/1 217
* 「美学・藝術学」を専攻と決心した時も、私の日常の好みの中に西洋の現代はもとよりクラシック音楽はほぼ影もなかった。きのう自分の年譜を見返してい て、ある時、たまたま街で私の実の父方大叔父にあたる英文科の吉岡義睦教授と出会い、ご飯をご馳走になった。その時に専攻のことを聴かれ、西洋のクラシッ ク音楽からも多くを承けなさいと訓えられたと書き残していた。
いまも、この機械の間近で モーツアルトの、好きな「フルート協奏曲第2番」と 「フルートとハープのための協奏曲」が美しく聴けている。日本の音楽で はもっぱら謡曲や和笛を、そして懐かしい唱歌の類を楽しむが、クラシックの盤も身ぢかに沢山置いている。あの大叔父(祖父の弟)に感謝している。私の主任 教授として終始優しくご指導頂いた園頼三先生と親しくされていたのもそれとなく覚えている。
* 私の学部卒論の題は「美的事態の認識機制」とご大層であったが、一本の参考文献も挙げて無いことに最近気が付いた。或る読者から「参考文献無しの論文 とは、それだけで落第です」と云われ、われながら大笑いした。園教授は卒論に80点下さり、躊躇もされず私に大学院進学を勧められた。プラトン専攻の友・ 大森君と二人だけが院へ進んだ。だが私は一年で院を見捨てて東京へ奔り、そして、少年の昔から念願の小説家になった。小説に「参考文献」は、ま、挙げなく てよい。「チャランポラン」な私と少しは身を縮めながら、往時を顧み、やっぱり笑ってしまう。
2019 12/3 217
* 京・岩倉の森下兄の送ってくれた盤で、いま、昭和二五年(一九五○)の美 空ひばり「越後獅子の唄」を、懐かしく聴いた。ひばりの歌声はもとよりとして、この唄は、また「私は街の子」も、ひとしお懐かしい。中学のころ、「妹」と 真実心より愛していた梶川道子、貞子姉妹は唄がうまく、二人ともことに美空ひばりの唄をそれは上手に愛らしく歌ってくれた。今聴いたひばりの歌声は 妹た ちと同年のもの、まだまだ少女のあどけなさと哀しさとで胸に沁みた。あの子たちも、こういう声で、私のために愛らしく歌ってくれたのだった。貞子ちゃん は、はやくに婚家で亡くなったと聞いた、一つ年下の道ちゃんが、あの昔から今はどう過ごしているか、京都で結婚とのほか、まるで分からない。知らない。た だただ、元気でいて欲しい。
* 林伊佐緒という作曲もして歌う歌手が、「ダンスパーティの夜」という昭和25年頃としてはハイカラな歌を歌っていたが、歌詞三番とも「ダンスパーテの夜」と歌っていたのが、奇異に聞こえた。
昭和25年といえばまだ海外渡航が許されたかどうかの時期だが、佐々木俊一と渡辺はま子が「桑港のチャイナタウン」なんて歌ったのが当時の耳をそばたた せたのを覚えている。昭和26年になって暁テル子の賑やかな「ミネソタの卵売り」も、なんでこんな唄ができるかと思っていた。
その点、美空ひばりという同年代の少女歌手の抜群に巧い「越後獅子の唄」も「私は町の子」も、ピタッと胸に響いて聴けた。
三木鶏郎、丹下清子、森重久弥で歌う「僕は特級の機関手で」らは驚いた、とくべつ好きという唄ではなかったのに新時代の「才気」があった。久保幸江・加 藤雅夫の「トンコ節」は、盆踊りの唄としては楽しんだが、歌詞がおもしろくハネている分、ヒンのない下らない唄でもあった。
菅原都々子の「憧れは馬車に乗って」は、歌手歌声の個性が、「月がとつても蒼いから」や「江ノ島エレジー」「連絡船の歌」同様に、突き出ていた。忘れが たい奇妙の女歌手であった。対比的な灰田勝彦が、「レイホー」を連発する歌声特異な「アルプスの牧場」は、存外に飽きのはやい唄いクチだった。一本調子で、菅原都々子のような歌手としての個性は弱かった。高峰三枝子のような大女優(と思っていた)が、何で歌謡曲なんて歌うのかなあと「牧場の花嫁さん」などいうつまらん歌も聴いていた。
何といってもバカに懐かしいのは久保幸江と霧島昇の、「京都音頭」です、盆踊りで踊った踊った、夜通しでも踊った。京都中が盆踊りで煮えていた。下らな い歌詞なのに夢中だった。祇園町と東山のために出来た唄のように想えていた。あれは、舞子や芸子が御座敷でも歌っていたのだろう。
暁テル子の「東京シューシャインボーイン」の弾みには、なんとなく鼓舞された。「ボクの好きなあのお嬢さん」なんて歌詞が弾んで聞こえた。現実には京都で靴磨き少年を私は見た覚えが無い。
津村謙の「上海帰りのリル」には、時代の歎きが響いて心萎れた、何度聴いても。是に較べると二葉あき子の「巴里の夜」なんて、じつにウソ臭かった。
美声の岡本敦郎が美しくうたった「リラの花咲く頃」は、歌謡曲の域を超えていたのでは、ないか。
2019 12/6 217
* モーツアルトのフルートに思い清められながら、さて…と、今日の仕事へ向き直る。 2019 12/7 217
* 晩の七時。あいかわらず、一日中 モーツアルトのフルート協奏曲を鳴らしている。 2019 12/9 217
* モーツアルトのピアノ協奏曲 21 23番を 心地穏やかに聴いている。目は霞みきって、おはなしにならない。
2019 12/18 217
* 「夜更けまでの音楽」と売り込みのジャズ・バラーズCD10枚を建日子が呉れていたのを、一枚目の「バイバイ ブラックバード」から鳴らしている、静 かで、しみじみ。
ジャズを聴いたり とうとう携帯電話を持ったり、わたしも動いている。蠢いているというべきか。 ま、携帯電話は 外出時の家族連絡用、緊急病 院用につかうのが、私に精一杯。実感で、なめらかに話せない。
* 今宵はもう二時間余も 二階で、六畳一間になにもかも積んで重ね並べたゴチャゴチャのまん中で、建日子の呉れたジャズ・バラードに心身をあずけ、ナー ンにもせずただやすんでいる。こんな時間は絶えて無かったこと。このわたし自身の体温で温めたような狭い部屋が好きなんだと、しんみり、納得。
階下へ降りると、キッチンには『選集32』一冊分600頁もの初校ゲラが手つかずで積まれ、「湖の本148」一冊の再校ゲラが、早く早くと待っている。いいんだ、この暮れはゆっくりしたい、と。
しかし、新しい創作の方が、チクチクと針で尻を突くように催促してくる。これは放っておけんのです。
やすむ。今晩は何が何でもやすみます。
2019 12/23 217
* クリスマスには、皆目かかわりがない。のんびりの継続なりに、こまかな忘れてはならぬ用や仕事をかたづけつつ、ジャズ、聴き流している。
2019 12/24 217
* 望月太左衛さんとメールで話した。ジャズを聴きながら。
2019 12/25 217
* この数日聴きつづけているジャズは、「The Days of Wine and Roses」と総題されている16曲、静かに花やかで仕事や思索の邪魔にならず、音楽そのものが懐かしく感じられる。鎮静の効果も安楽の効果もあり、なにの邪魔にもならず懐かしい。
2019 12/28 217
* 十時半、風が鳴っている。ジャズを聴いている。
* 心静かに新年、恒平二年を迎えよう。トクベツの感懐もない。静かに靜かにと願うだけ。
誰も誰も、心も身も健康でと祈る。
新年を迎えて鳴りわたね京の除夜の鐘 聴きたいなあ。
2019 12/31 217