ぜんぶ秦恒平文学の話

音楽 2022年

* 一日、何という何もせす過ごしていた気がする、夕食後に、歴史的に編集したショパンコンクールでの名だたる演奏を聴きながら、地酒「東村山」にも酔うて卓に伏し、寝入っていた。もうすぐ八時になる。
2022 1/4

* 朝の音楽番組で、バイオリンの耳慣れた曲、また三人の、現代日本を代表するテノールの幾つかのみごとに美しい合唱を聴き、涙あふれたのに、てビックリした。
いま「やそろく翁」にして感受性のまだ乾いてないことにも感謝した。嬉しかった。
秦の祖父鶴吉は、敗戦直後にたしか七十九歳で亡くなった。おそるべき「年寄り」哉と十一歳に成るならずの少年は驚嘆していたが、その幼少であった私が今は「八十六(やそろく)翁」であり、斯く生きて働けている。感謝。誰にも、何にも。
2022 1/8

* 朝のテラスへ、大きいの、ちっちゃいの、鳥がきて妻のようしてやる餌をつついていく。それを硝子戸越しに「マ・ア」と見入る。
今は,仕事前に、というより朝食ぬきに、金の鈴をふるように美しいピアノ曲を聴いている。
オミクロン感染は都で一万人を超えて当分は増え続けるだろう、政治家・専門家らの姿勢も意見も右往左往している。可能な限りは家でぢっとしているにしくは無いだろう。古池都知事の懸命なタクトに期待する。内閣は外交に忙しい。外交とは「悪意の算術」にほかならぬという私の確信によく学び給え。
2022 1/23

* 私の眠りは剣呑とは云わずも安穏でない。人と夢の話題を支わした記憶が無い、人の場合は分からないが、私は怖い夢を見る、怖い同じような夢を見る。怖い同じような夢が茫漠と曖昧よりも、かなり精微にかつ同様な情景と背景で顕れ、かつ、夜を隔て日を隔てながら何度も繰りかえされる。人とのゆめは滅多になく、いつも自分独りで行歩または自転車のことが多い。若い頃には歩く人らを眺めて中空を飛行遊泳したり、鬱蒼の山林を見下ろして高くから舞いおりる夢を何度も見たが、それはもう無い。今は、蕪村であったか句を借りて云うなら、「月天心貧しき町を通りけり」のこどくな怖さを夢見てることが多い。これはもう繰りかえし書いているが、その一方、夢におびえない夜は奇態なほど「うた」を歌い続けている。雅な和歌や短歌でない、なんでもない、近頃は テレビで耳にし耳に付いた「うた」の端切れを、夜っぴて、夢ともなく口ずさみ続けて、惘れるほど。「あーかり瞬ぁく黒門町に」とか「遠く下谷の、遠く下谷の鐘が鳴る」とか、寝ながら夢のなかで唄っている。自分の声が聞こえ続ける。歌は他にもある。子供心に憶えた、歌わせられた「金鴟輝く日本の 栄えある光り身に承けて」とか「雲に聳ゆる高千穂の 高嶺おろしに草も木も」とか、ことにこれは好きで、いまでも「君が代」の代わりの国家にすればいいと思う「見よ東海の空あけて 旭日高く耀けば 天地の正気ハツラツと 希望は躍る大八洲 オー晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ 金甕無羯ゆるぎなき わが日本の誇りなれ」とか、と思えば「垣根の垣根の曲がり角 たき火だたき火だ 落ち葉焚き」とか「母さんボクのを貸しましょか キミキミ此の傘さしたまえ ピッチピッチ チャプチャプ らんらんらん」とか、「ボクならいいんだ母さんの 大きな蛇の目に入ってく ピッチピッチ チャプチャプ らんらんらん」とか、寝ながらの「夢」ともないまま、歌い続けている。淋しいことにこの「雨降り」の歌で私自身はいつも、「ボクならいいんだ母さんの」のボクでなく「きみきみこの傘さしたまえ」のキミなのだ。それでもこの歌が繰りかえし寝ていながら唱われる、繰りかえし繰りかえし。子供にかえっているのか。それとも「やそろく」の翁想いであるのか。
とにかくも謂えるのは、私は、概して「くちびるに、さまざまの歌」の有る生涯をたどってきたということ、ただ流行歌や演歌は好みも憶えもしなかった、美空ひばりだけで十分足りていた。
2022 1/28

* 体調は整わず、疲労感は心身をびしょ濡れに。それでも、想いはせて、おそろしい怪談へくぐり込むもうと昼間は藻掻いていた。晩の食事、二口三口とも入らぬまま、思い立って、心底好きな映画の『ロシュフォールの恋人たち』の歌とダンスと恋の、ロマンチック・ミュージカルに没頭、楽しんだ。みじんの邪気も無い懐かしい歌とダンスと街景色の映画で、疲れ果てていた心身の心地よく優しくもほぐれる嬉しさだった。いま書いている小説世界は、さながらの地獄なのだ、すくなくも私の構想において。
2022 1/28

* 二階へ来て、ひとり、静かなピアノ曲を聴いている。ガルッピか、スカルラッティか、ショパンかバッハか。そういうことは気にしない。静かに美しいピアノの階調と音色を快くたのしむだけ。ニューヨークで宮澤明子が弾いているが、それも私には問題で無い。音楽に親しむだけ。知識として深入りの気はまるで無い。曲が代わる、次の曲の最初の階調が耳に沁みる。
音楽は苦手の科目で、小学校でも中学でも「通知簿」の「音楽」に「優」や「5」のついてくるのを我ながら異様に感じた、「ひいき」やと思った。が、さらに奇怪なのは、中学三年のおり、音楽会で、指名され講壇の上、全校生の前で「ローレライ」の独唱を命じられたのには魂消た。仰天したが逃げ出せない、恥ずかしくも壇に出て歌うは歌ったのだ、先生の指名では逃げ場が無かった。
あの時、けれど、私の、耳にも目にものこっていたのは、ちょうど一年前の同じ音楽会で、心底憧れていた三年生女子が同じ講壇の上で、同じように、いや私などより何層倍も上手に晴れやかに佳い声で「春のうららの隅田川 上り下りの船人が」というのを美しく独唱した、それを思いだし、あのひとの後に続くのだと自身を慰め励ましたのを今も忘れない。そして今も「ローレライ」はイヤ、「春のうららの」は大好きなのである。
2022 3/18

* 能管とバイオリンのコラボを愉しく美しく聴いた。中学であった、高校のろか、「笛」が習いたいと父にいうと、「胸が悪ぅなる」と一蹴された。なんとなく納得できて諦めた。能舞台の地謡にもかり出されていた秦の父には、何かしらそう思う知見があったのかも知れないと、今し方、変容をきわめて美しい笛の音色に感嘆もしつつ妻と話し合った。 2022 4/23

* 暫くぶりにガルッピのピアノを聴いている。心静かに呼吸して。逆上は何のタメにもならない。
2022 5/12

* 映画に次いで聴いた、子供に伝えたい「日本の歌」にもみみを傾けて二人で聴き入った。美しい歌声であった。
2022 7/4

* 「金鴟耀く日本の 栄えある光り身に承けて 今こそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴る」は、断然,野暮でも有り、宜しくない。
「見よ東海の空あけて 旭日高く耀けば 天地の正気溌剌と 希望は躍る大八洲(おほやしま) おお晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ 金甌無欠揺るぎなき わが日本の象徴(しるし)なれ」が、「君が代」と並んで今一つの「国歌にふさわしい」と、夢の中で説き続けていた。子供の頃からそう思っていた。沢山な魅力の詞と漢字とをこの歌で覚え憶えた。「富士山」が好き。
2022 7/21

* いま朝の八時前、宮澤明子の美しいピアノの音色に聴き惚れている。
2022 7/25

* マリア・ピレシュ、パッションのピアノで、モーツアルト、シューベルト、ショパン、そしてまたモーツアルトとシューマンと、を聴いている、適確、音色すばらしく鳴りわたる。ビレシュは、テレビでのピアノ指導番組も観て聴いていたことがある。表情のパチッとしたレディだった
柚さんは好きなブラームスでピレシュを聴いていると。ブラームスのレコードをいただいたことがあったな。
2022 8/29

マリア・ピレシュの冴え冴えと美しいつよいピアノ演奏が部屋を充たしている。
2022 9/2

*  私は 雑然と鳴り響く交響楽や協奏曲は遠慮し、ピアノかバイオリン、大方はピアノ曲を やや静かめに聴いてます。唄は 懐かしい昔の唱歌や童謡を聴くだけで、エライ歌い手の独唱や合唱は 文字通りに敬遠してしまいます。

〇 雑然と言わないで下さい。
音の重なり合うのが面白いです。例えばホルン,どこでどの様に全体と関わっているのか、バランスは。ソロの部分となれば、指揮者はどこまでかかわれるか、3人の奏者がある和音をつくるとき、どのようにお互いに関わっているのかとか。
しんどいことですね。
協奏曲も好きです。
何を考えているのかとか、想像しています。暑いのに。で、汗をかいている事も。
交響曲でも  聴き流せばいいものを。  通

■ 詩歌 唱歌 琴、三味線、鼓 謡曲は ともかく
いわゆる「音楽」とは 縁遠く、気ままに聴くほかは 音楽会など八十年一切無縁、テレビで観る(聴くは二の次)程度に、ことに西洋音楽とは縁遠いのです。「美学芸術学専攻」生が何だと、大叔父の同志社英文学教授に𠮟られたことがあるほど、ことに西洋音楽とは無縁なんです。指揮者という存在が何をしているのかもよく分からず、知らず、元気な恰好を面白く眺めてるだけ。 ま、 音盤で、ピアノやバイオリンや声楽を楽しみに聴くようになったから、我ながらエライもんと。お叱り下さるな。
そうそう、テレビの「駅ピアノ」は愛聴してますよ。「読み・書き・読書」人なんです、根から。
コロナの下火に期待しています。このままだと脚が使えなくなる。  お元気で。 湖
2022 9/5

* モーツアルトのピアノソナタk332 シューベルトのスリー ピアノ ピーセスd946 ショパンのノクターン 27 g 55 の板を、マリア・ピレシュのピアノソロ、このところ聴きに聴き続けている。力づよく 飽きない。励まされる。
どうも交響曲や協奏曲にはついて行けない。ピアノ曲をたくさん持ってるがソロ演奏は少ない。グレン・グールド演奏のバッハ ゴールドベルク変奏曲集や バッハのトッカータ集も好き。
バイオリンは、ビクトリア・ムローヴァの音色が好き。
此の、私独りきりの雑然六畳書斎にだけ鳴り渡って呉れるえり抜きの音楽が、すばらしく美しい慰安。
時には旧友森下辰男クンが編んでくれた「戦後日本流行歌史」何枚もを懐かしく聴く。「星の流れに身を占って」と歌われる曲がいつも一等胸を打つ。

* いつしかに100枚を越す音楽のcd板が手もとに並んでいる。自身で勝ってきたという覚えはほとんど無いのに、である。

* 早く起きていながら、何という何もしないまま、十一時半を廻っている。勤勉この上ないハタ君が、どこかへ隠れてしまっている。

* グレン・ゴールドのすばらしいバッハを聴いている。
音楽は機械的に部屋へ持ち込めて、有難い。美術工藝は簡単に行かない。まてこんな狭くて雑踏の書斎では。それでも、私は此処が好き。生きながらのさながら温かな墓室に思える。ミサイルに攻められれば私は、此の席を動かないで死にたい。
2022 9/17

* 藍川由美の歌謡曲を歌うのを聴きながら、書いてみる。
いま「あざみの唄」を歌っている。声量 豊かに過ぎるほど。懐かしい歌謡曲は遠く過ぎ越し日々の匂いを嗅がせてくれる。 次は「リラの花咲く頃」 あきらかにこのような感傷を胸に抱いていた歳と時季が有った。 つぎ、「さくら貝の唄」ああ、どんなに遙かに遠くわたしは歩んできたことか、多くを多くを喪いながら。 「惜別の唄」 争って人と別れるといった覚えはない、思えば 別れとは 死別ばかりであったよ。 「白鳥の唄」 牧水の短歌に先ず出逢った、中学三年で。そしてすぐ茂吉を感嘆と感銘で迎え入れ心酔した。 「三日月娘」は 私の敬愛には影の無い女性。 「青い山脈」 なんと懐かしい。新制中学時代の象徴歌、わが青春が、声高に歌いあげていた、原節子の恋しいほどの美貌と倶に。 「山のけり」 こういう体験を遂に私の青春は知らなかった、もてなかった、余りにも私は「京都の町なかっ子」だった。 「月の浜辺」 少しくどく凝った縁遠い唄だと聴き流していた。 「鈴懸の径」 高校時代の匂いがする。知らん顔をつくりながら気取ってやがと爪はじいて、やはり、懐かしんでたかも。 「黒いパイプ」。 無縁、つまらん唄と、聴く気もなかった。私は遂に煙草を吸うという習いを生涯もたなかった。煙草に遣う金があれば、古本でもいい岩波文庫が欲しかった、買った。 「雨のオランダ坂」 世界がちがった。わたしは「京都」しか知らず「京都以外」へ行きたいとも知りたいとも思わぬ少年だった。 「白いランプの灯る道」 短編小説を読むように好きな歌の一つだった、人と別れたいとか別れるとかいう経験になんら憧れもしなかったが。つまりセンチメンタルとはこうかと。歌詞は、曲によく添うて巧いとも。 「港の見える丘」 情景がよく見え、好きな歌の一つだった、なにかしら創作へ心誘われたりもした、何故か小学校六年生頃によく聴いたり口ずさんでたりした気がしてならない。 「フランチェスカの鐘」 ゆるやかなまま、胸にせつなく衝き立ってくる唄だった。曲も詞も、少年から青年へ成熟して行く時季の感傷にじつに難なく逼ってきた。「ただ一目だけ逢いたいのよ、愛しているわ、愛しているのよ」「あなた」という心地に、実感以上の象徴が感じ取れた。少年を抜けて行く、感傷。それだった。 「長崎の鐘」 名歌だと賞讃と共感を惜しまずに、涙に濡れた。藤山一郎の正装して歌うようなこの歌の歌声が好きだった、常は藤山の唄など何も感じなかったのに。 「白い花の咲く頃」 こういう「ふるさと」「さようなら」と人に告げた「さみしさ」を、私は体験として持たなかった。よその世界をやや感傷的な短編小説で読んでいる気がした。 「上海帰りのリル」 別世界の唄と聴いていた。「どこにいるのか」という一語のみ、あの敗戦後日本の哀しみに触れているのを実感していた。 「月がとっても青いから」 おもしろい唄、歌唱のおもしろさ、菅原つづ子とか謂ったか、おもしろい歌手の実在を、「美空ひばり以前」に初めて実感した。 「黒百合の歌」 やや、わたしには、こけおどしめく「遠い」うたであった。ニシパも黒百合もよく見えず、実感へ添ってこなかった。

藍川由美の凄いほどな声量で、やや一本調子にもなりやすげ、だったが、しかと楽しめた。
森下兄の手作りで贈ってくれたこういう心入れを、わたしは、折に触れては無にしないで、楽しみ懐かしみ、ときに切ないほど往年の夢へ帰る。この頃は、「はやくおいで」と天上から「オールド・ブラツク・ジョー」を呼ぶ声が耳につく。もう少し待っててよ。
2022 9/18

◎ 富士山の見えるのが羨ましい。富士山、好き。「見よ東海のそら明けて 旭日高くかがやけば」という溌剌たる歌を、物静かな「君が代」と並べて「國歌に」と希望しています。
2022 9/20

* 六時。空腹を感じている。
低い音量で「マドレデウス」16曲を聴いている。何故ともなく、ポルトガルのファド盤が四、五枚もある。なぜか気に入って聴き馴染んでいる。
2022 9/29

* なにとはなく、正五時の尿意のまま,起きて。二階へ。体重やや減り血圧は高め。音を低くして、誰かが弾くシズに佳いピアノをこのところ愛聴している。たしかに愛しているが、曲や演奏に関連の知識は私には無用、なにも識らなくてかまわない、なんという美しい静かに優しいピアノの魅力か。
2022 10/14

* ねむけか微かにのこっている。ボーゼン、独り機械の前に温かにして腰掛け、ピアノを聴いている。
2022 10/14

* ピアノ演奏の「ひとやすみ」というところで「板」を見ると、おう、「ベートーベンのピアノソナタVOL6」を、グレン・グールドが弾いていた、美しいはず。私愛蔵のせいぜい七、八十枚のクラシック録音版で、「ピアノ」を演奏してくれる一等数多いのが、グレン・グールド、何故か、など言えないけれど。楽曲の前後周辺に私の知識は皆無と謂える。詮索も勉強もしない。上のピアノソナタ もう当分この板を機械に容れておく。
それにしても、ふしぎなのは、いつのまにたくさんな、こんな名曲たちの「板」が手もとに居並ぶか。「買った?」いやいやそんな買い物に財布をあけた記憶など、三,四度も有るか無いか。私の佳いもちものは、みな「天与」と謂うしかない。
2022 10/14

* 何人かにどうあっても手紙を書かねばいけない、それも疲労感に繋がる。字が.書きたくないのだ、言葉は機械で書ける。いま、背の方でグレン・グールドがピアノを弾いている。思えば今日、創作をはじめ、校正も、私語そして各種の読書等も相当に量を積んでいた、疲れるのも自然か。九時半。階下へ降り、そのまま寝入ってもいいではないか。
2022 10/16

* アルチュール・ピザロが、フレデリク・ショパンの15曲を静かに聴かせて呉れている。暁けの五時四十分。
2022 10/18

* 相変わらず機械とスッタモンダしている。グレン・グールドのピアノに救われている。ほとほと情けない。
2022 10/19

* ブーニンのピアノに魅されていた。ピアノの音色の純潔な美しさには感動してしまう。不器用な私にピアノに触れるの縁も無いが19歳でショパンコンクールに優勝したブーニンのその後のピアノ生活・ピアノ人生・ピアノ家庭に賞嘆の思い禁じ得ない。
2022 11/6

〇 今朝 ブーニンというピアニストの「テレビ」放映に感動しました。
ピアニストというと、グレン・グールド一辺倒のように来ましたが、ブーニンの佳いピアノ曲をしみじみ耳近に聴きたくなりました。板で、どこかで、買える物でしょうか。
やはり「ピアノ」が断然好きです。それもピアノだけで聴きたい、オーケストラやコンチェルトは、未だ荷が重い。
演奏者によって、おなじ曲をおなじピアノなのに、まるで違う「音楽」が聴こえる、それに今頃、心惹かれています。
とても私は、今、元気と謂えません、疲弊し困憊の底を這っているような毎日ですが、「考えて、書く」仕事だけはしています。「もーいいかい」と天上から呼ばれる日々ですが、「まあだだよ」と返事しています。
感染はまだ下火とも言い切れないらしく。ご用心あって,お元気でと心より願っていますよ。
2022 11/6

* グレン・グールドの精美・巧緻のピアノでベートーベンのピアノソナタ30 31 32に聴き惚れて疲れをやすめている、この頃。「美しい音色」という魅了の真価を私なりに呼吸している。寶ものと思うている。
2022 11/12

* 夕食前に映画『戦場のピアニスト』を深い感動と感嘆とで観た、すばらしいピアノを聴いた。なんと美しいピアノの音色よ。
2022 11/19

* 夜中夢中に繰り返しの口ずさみは、「泣けた泣けた」こらえきれずに泣けたっけ、と、「包丁一本」さらしに巻いて、だった。昔昔にもこんな唄を唱ったことは無いのに。 2022 12/12

* 朝七時半 「湖の本 162」を「責了紙」に仕上げた。
八十七歳誕生日の業績となった。
ピレシュのピアノでモーツアルトを静かに聴いている。
2022 12/21

* 夢で、唱歌を評論為続けていた。「雨、雨 降れ降れ 母さんの蛇の目でお迎え 嬉しいな」「あれあれあの子は ずぶ濡れだ 柳の根方で泣いている」「母さんぼくのを 貸しましょか きみきみ この傘 さしたまえ」」
わたしがこの唄を、幼少の昔、どんなに憎むほど嫌ったか、人は知るまい。
わたしには、こんな「母さん」を「生まれながら見喪って」いた。雨に降られ、濡れて泣いている方の「あの子が自分」という自覚に屈していた。「ボクならいいんだ 母さんの 大きな蛇の目に入ってく ビッチビッチチャップチャヤップ ランラン」がうらやましさにこの唄を憎んで啼いた。こう書いている今、「やそしち」の「爺」が、愚かしくも涙をいっぱいに目に溜めている。
むごいと思う童謡が、幾つもわたしには、在ったのだ。「青い月夜の浜辺には 親を尋ねて啼く鳥が」とか。

* かと思うと、歌詞の佳い歌を夢中、探していた。「磯の火ほそりて更くる夜半に 岩打つ波おとひとり高し」「とまれる友船ひとは寝たり たれにか語らん旅のこころ」のことに歌詞前半を、少年のわたしは「音」楽の「詩」「うた」として絶賛していた。
「音」「韻」の濁って強張った日本語を「うた」に持ち込んだ例をつよく嫌った。
私の和歌・短歌「批評」の根底が、幼少の感性で生まれ育っていたのだ。
2022 12/25

* けさも五時起き。
夢には、戦時の唄、ことに「父・夫」や「兵隊さん」への唄に怒りまくっていた。これはもう何度も同様に書き置いたこと。「父よ、あなたは強かった」「勝ってくるぞと勇ましく」等々。
「兵隊さんよアリガトー」の「よ」の語感に不快を覚えた少年時代があった。
明日の命も知れぬ野戦の兵士が、「夢に出てきた父上に死んで帰れと励まされ」るなど、そんな「父」がいるものかと絶対に少年・私は拒絶し、怒った。
「勝ってくるぞと勇ましく誓って國を出たからは、手柄たてずに死なりょうか」が本音なものか、「進軍喇叭聴くたびに、瞼に浮かぶ母の顔」こそと、ぜったい「兵隊さん」になりたくなかった私は、卑怯に臆病な非国民であったのだろうか。それは、永い青年期まで私の抱えもった公案のようであったよ、そして「小説を書き」始めたのだった。
2022 12/29

* 夜を籠めてのゆうべの夢では、「明ぁかり瞬ぁく黒門町の」とかいう唄のアタマ、「明ぁかり」だけが、私の夢の世を此の一声だけの歌声で「照らし」続けていた。私独りの変な身に覚えなのか。人に聞いたことは無い。「潮来ぉの(いた郎)」「おーい(中村君)」「カキネの(垣根の曲がり角)」「灯りを(つけましょ)」「いぃらあかの(なぁみぃの)」「あめあめ(降れ降れ)」の等々、初めの一音一句の唄聲だけが延々私の夢世界をリードし支配し続け」る。不快では無いけれど奇妙である。
2022 12/30

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