ぜんぶ秦恒平文学の話

映画・テレビ 1998~2001年

* 日比谷で、久しぶりにフランス映画を見た。『秋の恋』ーーどこかの映画祭で最優秀の脚本賞などを得ていた映画で、久々に静かに大人の作品を楽しんだ。写真も録音もじつにリアルで、しかも叙情的な映画だった。自動車のタイヤが葡萄畑の中の砂利道を踏んで行く音までが、しみじみと懐かしい田園の匂いや日差しを感じさせ、誰一人知った俳優などのいない映画のよさを時間いっぱい堪能した。もともとフランス映画の持っているモーパッサンの短編に似た厳しい、静かな、人間の把握が好きだが、テレビではどうしても「ダイハード」っぽいものにばかり惹かれてしまう。映画館のよさがまた胸に戻った。妻に、アルパカのコートを買った。

  1998 12/22 2

 

 

* 私の日々は、そんなふうに、静かにいつも賑わっている。寂しいのは、年ごとに「死なれた」人の訴えを多く聴くことだ。聴いて、話しかけて、少しでも私が役に立つのならと思う。今日、聖ルカに出かけた妻の留守に、ひとり映画『黄昏』を見て泣いてしまった。娘朝日子は、元気にしているだろうか。

 1998 12・24 2

 

 

* テレビで映画を観ていた。都会の少年四人がふとした度の過ぎたいたずらから少年院に送られ、四人の看守たちから徹底した性的虐待を受け続けて、出所する。少年の一人は「モンテクリスト伯」を愛読し、虐待に耐え抜いていた。彼らが出所し、それから復讐が始まる。最も凶悪だった無気味な看守は真っ先に撃ち殺された。そこで映画の先は見えたので、ここへ、器械の前へ戻ってきた。凄まじいものにも堪えられはするけれど、つまらないものには時間を惜しむ。

 いま『カラーパープル』という黒人女性の小説をよんでいるが、これは、ユニークに優れた表現で胸を打つ。悲惨に育ちながら魂の無垢を守り抜いている黒人の若い女の、女は母であり妻であり、母ともされず妻ともされない境遇に生きていて、彼女が神に語りかけるモノローグの体で小説は進んで行く。凄まじいけれど、不思議に清い。女は父に産まされた子を二人も喪っていて、何人もの子持ちの妻になっているが、男は他の女に夢中であり、当のその女に小説の語り手である女は、純に憧れている。まだ読みかけて半ばだからどうなるか知らないが、佳い作品に触れているという満足感がある。大岡山の本屋で買ってきた二冊の一冊だった。いい買い物をした。

 いま観ていた映画にはそういう満足が得られない。ただもう人間の無残に捻れた悪行の汚さを、看守たちにしたたかに見せつけられた。うんざりした。

 1999 4・17 3

 

 

* 昨日は終日、湖の本の発送の用意をしていたが、晩からは、テレビを「聴き」ながら宛名貼り込みなどをした。ドイツ映画『橋』をビデオにとり、耳で聴きつづけた。黒白の戦争映画。この傑作をこれまでに少なくも三度は見ている。無邪気な少年たちが学校の教室からいきなり敗走するドイツ軍中隊に兵士として配属され、ちょっとした偶然でわが街の橋の一つを、指揮官もなく死守するものと思い込み、十人に足りないクラスメートだけで、潰走するドイツ軍には取り残され、進攻してきた連合軍の戦車隊に果敢に挑んでむなしく果てて行く。「些細なことであったために記録も残らなかった」というこの始終を、リアルに、声高にもならず、烈しく無残に描き尽くして、みごと。

 藝術としても優れ、反戦意図もしっかり帯びた戦争映画の秀作がずいぶん数多くあり、わたしは、どう辛くてもその種の映画は求めて観るように観るように若い頃から自分に課してきた。戦争物の文学作品でつよい感銘をえたものは、もちろん、ある。しかし優れた映画から受ける痛みや悲しみや憤りは、画像による訴求力が大きいし、深く胸を剔られる。

 黒白の映画の良さも『橋』は充分持っていた。近年では『シンドラーのリスト』も黒白映画で、いいものだった。

  1999 8・23 4

 

 

* 昼間のテレビで、先日亡くなった淡谷のり子を回想の記念番組、ドラマ、を放映していた。歌をたくさん歌うのかと思っていたら生涯をドラマにして、秋吉久美子が演じていた。この女優の独特のキャラクターがわたしは好きで、まして珍しくも一夕の鼎談をともにした大歌手の生涯劇ではあり、腰を据えて観た。比較的淡々と、さほど誇張なく好意を以て描いた人物像で、感じ入った。歌は相変わらずのブルースやシャンソンであるけれど、しかるべき場面で謡われると訴求力強く、涙も零れた。ガンとして軍歌や国策の歌はうたわず、戦前戦中の難しい限りの時節にも、外地や戦地ででも兵隊たちのために、自分の持ち歌だけをしっとりと唄い聞かせて感涙を誘っているところは、魅力いっぱいだった。

 晩年にいたり、広い劇場のステージを見切り、渋谷の「ジャンジャン」に自ら頭をさげて舞台を求め、何年も十何年もそこで歌い続けてフアンの前に現役歌手たる歳月を維持し続けていたことにも感動した。徹して「野」にあって己の個性を貫き通した歌手だった事に深く感動した。美空ひばりと同じなのだ。番組が終わって、妻と二人で、暫くのあいだ静かに拍手しつづけた。

 1999 10・11 4

 

 

* この映画は知らない。原節子と佐野周二との映画では、他にも佳いのがあった。言葉の美しくて品のあった懐かしさを忘れていない。言葉は時代により動いて行くものではあるが、それは語彙だけでなく発声にも関係している。むかしの人の発声発語のぜんぶが好きだとは言わない。しかし近時の発声発語のしどけない、しだらなさ、には時々泣きたくなる。

 1999 10・13 4

 

 

* 二三日前であったか、昼に映画「おれたちに明日はない」の、ウォーレン・ビィーティとダナ・フェアウェイ版をまた何度目か観た。途中からであったが、ジーンと、その日一日中、なにとなく重い痛みのように余韻がのこった。あんな極悪ものに、何故に感動が残るのか。ボーニーとクライドのもはや切り離せない「身内」の結びつき以外に考えられない。無残に撃ち殺されながら、彼らの、余人を超えた幸せが信じられるところ、そんな幸せをだれも容易には持ち得ていないところ、それに羨望し、感動するのである。

 1999 10・21 4

 

 

* 妹尾河童原作のテレビ映画「H少年」を見た。原作は読まないが、噂に聞いたときから佳い題だなと、ちょっと先を越された羨ましさを感じていた。わたしもまた少年時代を、小説というよりも記録として書き続けていたからだが、また、妹尾氏の作品がおそらく「あの時代」を書いているのだろうから、もし氏がわたしと同世代ならば、どういうふうに書いているだろうと関心も寄せていたのである。妹尾氏の年齢は知らなかった。

 今夜の映画で、氏は昭和五年生まれと知った。わたしは十年末の生まれ、結論的に感想を言えば、この五、六年の差はじつに大きい。真珠湾奇襲の為された日、わたしは幼稚園にいた。妹尾氏はもう五年生だった。「時代」や「戦争」への姿勢や視線の向け方にとって、満で六歳の子と十一歳とでは、ぜんぜん違う。敗戦の夏にわたしはやっと四年生の満九歳半だった、まして戦災を知らない京育ち、わたしには「戦争」や「時代」への視野も関心もあまり無かった。体験が無かった。育ち行く心理や体力に応じてあまりにも自分自身としか向き合っていなかった。

 妹尾氏の家庭にはインテリジェンスと時代への切迫した姿勢が見える。優れた良識と信仰の空気がある。幸せな、良い意味で、あの不幸な時代では最も価値ある幸せな発想と生き方との可能な家庭だった。我が家に、そういうものはなかった。親子で時局や信条や未来を語らいうる何もなかった。もっと乾いたリアルな、或る意味で安全で貧しい生活をしていた。お国からの圧迫も受けていなかったし、お国に殉じようなどという気持ちも、父も母も祖父も叔母も持ち合わせていなかった。わたしは読書にのみ熱心であったが、仲良しのグループももたなかった。

 ああ違うなあと感じた。わたしの周囲にはアカだの兵役忌避だの切った張っただのは何も無かった。有っても私の目にも心にも全く届いていなかった。その上に京都は空襲を九分九厘免れて焼けなかった。妹尾氏の兵庫県は無差別に爆撃された県の一つである。わたしは丹波の山ふかくに疎開生活が長かった。都会者として誰も見知らぬ山村に暮らす不自由と不如意こそあれ、戦争の影は少年のわたしに色濃くは落ちかかって来なかった。京都に住めないでいることだけが「戦争」のせいであったが、それも実質は半年間のことで、わたしと母とは敗戦後もなお十四ヶ月ほど京都へ帰らなかったのである。その意味で都会の敗戦後をも、きわどく知らずに過ごしていたわたしなのである。

 映画は佳い出来だった。涙をこぼし続けた。少年たちがみなよくやった。両親役もよかった、兵役を忌避して死んだ青年が、好演だった。こういう作品がもっと常日頃に出来ないのかと歯がゆい。

  1999 11・5 4

 

 

* 元禄繚乱、討ち入りが近づいてきた。勘九郎の内藏之助に気合いが入ってきた。宮沢りえの瑶泉院との、南部坂雪の別れをあっさりとやってくれて感動が深まった、どだばたやると講談になってしまう。講談にある場面もなつかしくて少しは観たいが、さらっと願いたい、するとリアルになる。

 自分でも分かっているが、わたしは子どもの頃から忠臣蔵が好きで、通俗な映画の類も、映画館までは行かなかったけれど、テレビだと大方古くから新しいのまで見逃していない。江戸時代の武家社会に起きた事件では、赤穂浪士の吉良邸討ち入りほど含蓄の深い面白い史実はない。人気の寄る理由は色々あろうが、寄ってあたりまえだ、関西の関東への討ち入りであるというほどの身びいきさえ、子どもの頃からしていた。勘九郎の内藏之助の関西弁が、関東の人には無縁であろう或る親しみ深さをわたしたち関西人に与えている。いろんな理屈をつけて四十七士を贔屓にしてきたのだが、「公」に対する「私」のリベンジという立場を、ことに大事に観てきた。判官贔屓とはすこしちがう。敵討ちだけではないのだ。ろくでもない「お上」に対して「私」の弓弾く気概だ、その意味だ。

 

* あすの大島渚監督の映画「御法度」は、新撰組らしい。新撰組は好きでない。それをどう面白く魅せてくれるか、楽しみにしている。侍ものでは「七人の侍」はじめ「切腹」「上意討ち」などみごとなものだった。ああいう切れ味だと佳いが。予備知識は何も持たない。配役も知らない。大島監督の映画ではビート・タケシの出た「戦場のメリー・クリスマス」をテレビで観ただけだ。

 大島さんとは面識はないが、テレビ発言の大半には賛成できるので親しみを感じてきた。時に怒る人だ。希少価値である。むかしはよかった、今はよくないと、したり顔の論者に、いったい過去のどの時代に戻ればいいと言うんだ、今よりも良かったどんな時代が有ったと言うんだ、言ってみろと、かつてバカを怒鳴りつけた大島渚に、わたしはいたく共感した。懐かしい昔は有る。だが、政治・社会・経済・技術・自由等のインフラ部分では、二度と戻ってはならないほど、昔はひどすぎた。今より良かった時代など絶対に無い。そのひどい昔へ昔へ戻りたがろうとしている今日の政治的「公」の策謀に、わたしたち「私」は最も心して抵抗しなければならない。

 忠臣蔵も新撰組も、無くて済む方が佳いのである。

  1999 11・7 4

 

 

* 有楽町の新マリオン五階で、大島渚監督「御法度」試写を観てきた。満足と不満とが半々というのではなく、截然と分かれた。映像としてはみごとな美しさで、最良の黒白映画と感じたほどの追究で、これには大いに感服した。場面の設定も写真もすばらしかった。演技陣の芝居にも満足できた。殺陣の凄まじい迫力など驚くべきもので、すかっとした。ビートタケシをはじめ、一人一人遺憾なく演じていた。映画は映像であり写真であるからは、それが魅力的なら半ばは目的を達している。

 しかしまた黒沢明の晩年の映画が、映像的には様式美に溢れ整然として大きく豊かであった、目を瞠るものであったけれど、初期の「生きる」中期の「七人の侍」の人間味あふれる感動はついに得られなかったのに観る如く、映像美だけで映画が完結するものでないことは明かである。推敲の完璧な文章がそのまま感動の小説にならないことは、例えば尾崎紅葉の小説が示していた。大島渚の新作は禁欲的なまでに映像世界の推敲の利いた、彫琢の利いたものであったが、映画のもう一つの大きな要素である物語ないしドラマの魅力という点からすると、小味なねらいではあっても大藝術の豊かさは備えていたとは言いにくい。

 男色・衆道ものだからどうこう言うのではない。それにはそれなりの魅力はあったし美しく演出されていたけれど、胸の奥には空洞が空洞のまま残って、美学的な感銘はあったが人間的な感動は甚だ希薄で、初手からそういうことは監督によって意図されてもいないらしかった。よく出来た美学的な娯楽映画であり、それ以上のものではないから、テレビで放映されたら喜んでまた観るだろうが、映画館まで行ってもう一度観たいとは思わないで帰ってきた。

 大島氏らがステージで挨拶した。帰りには映画の完成を祝して握手してきたが、大病のあとにこれだけ緊密な映像を構築されたことには敬服もし喜びも深かった。その上で、感想は、といえばそんなところに落ち着く。今ひとつ気になったのは、一時間四十分がなめらかには流れていなくて、ぶつぶつと場面が切れて繋がって、存外に武骨な時間経過であった。いかにも試写の試作品の感じだった。もっともっと手を掛ける余地が有ろう、そんなことは百も承知の第一回試写なのだろうと思いたい。

 1999 11・8 4

 

 

* ゆうべの「御法度」をゆっくり反芻している。基本の感想は変わらない、素材の「新撰組」は、男だけの封鎖された集団・社会として映画の「場」に利用されているので、幕末の政治的歴史的な内実とは殆ど関わっていない。野間宏の『真空地帯』は優れて劇的な小説だったが、あの閉ざされた兵営を新撰組に置き換えながら、衆道にことよせた一種人間の化け物を美学的に躍らせて見せた。無気味におそろしい人性の歪みを禁欲的に美しく清潔に写真に撮って見せた。黒沢明のようには映画を創らなかったもう一人の巨匠、木下恵介的な普通に「生きる」感動とは、今度の大島の映画は触れ合おうとしない。そこに特色があり限界もあった。佳い写真だっだが、写真のことなど忘れさせてしまう感動とは無縁の秀作だったと言っておく。

 1999 11・9 4

 

 

* 「ここがヘンだよ、日本人」という番組は、ときどき胸に残る議論もあるが、低俗極まることも多くて、優良番組と言いかねるが、ビート・タケシの企画はなかなかのものである。

 今夜は「東大生」が出てきて外国人の叩き台にされていた。出てきた東大生は「出てきた」というその選択と姿勢とで、すでにある種の偏りを代表しているので、東大生ぜんぶのイメージを決めてしまうのは誤りだろうが、それでもなお、ああこれが「東大生」かと憮然とさせてしまう傲慢で脆弱なもの言いはしているようであり、聴いていて恥ずかしかった。器が小さくて知性は希薄、気迫に乏しく平然と屁理屈に安住しているのに驚かされた。こういうのが「政治」や「実業」にやがて確実に反映してくるかと想像するだに、そんな時代は見たくないなとイヤになった。

 繰り返して言うが、一種の「やらせ」に成りかねない、なにもかも「敢えて」放言して行く後味の悪さに、きっとあとで彼ら東大生出演者は苦い唾を天に向かって吐かねばなるまい、ゆめゆめ、あれが「東大生」のすべてとは思わない、いや思いたくない。しかし文系学生の怠惰で柔弱な愚かさは、したたかに見せていた。

 1999 11・17 4

 

 

* 清少納言は、人の噂話ぐらい面白くて楽しいことはない、禁じられては堪らないと率直に言っている。さもあろう。わたしは、人の噂話で楽しもうという気はあまり無い。噂をするためには少なくとも二人の人間が「世間」を共有していなければならない。ところが広い世間を共有するようなつき合いをわたしはあまりもたないし、好んでもいない。親しい人となら、他人の噂をするよりも、二人だけの関心事に没頭する方が楽しかろうと思うからである。

 滅多にないが、よほど退屈すれば、わたしは、これまでに観た映画や映画俳優の数を数え上げるようにして、思いだしている。どれほど覚えているだろうかと、たとえば湯にゆっくり浸かっていた方がよろしいときなど、ただ数を数えるかわりに、知った俳優や女優の名前と顔を、何十人分か思い出す。さもなければ百人一首の和歌を、せめて五十首は諳んじるなどしている。昔、母に銭湯につれて行かれると、もう上がりかけなど、たっぷり湯に「肩まで」浸かれと強いられ往生したものだが、今でも、風邪気のときなど我から強いてのぼせるほど浸かってから、浴室を出る。それが風邪気に利くと思いこんでいる。そんなとき、子どもの頃のように「数を数える」なんて、いやではないか。

 

* それにしても人の名前を忘れるようになった。出てこない。好きだったジョン・ウエインでも、映画での役の顔はいろいろに思い出せるのに、名がすぐ出てこなくて、危機感を覚えることがある。腹が立ってくる。フルネームが出てこなくて寂しくなる。百人一首の和歌なら、上の句が出てこずに下の句しか思い出せず、湯の中で癇癪が起きる。永遠に湯から出られないような気がしてくる。

 

* ジョン・ウエイン、ゲリー・クーパー、ジェームズ・スチュアート、ケーリー・グラント、ビクター・マチュア、クルト・ユルゲンス、ローレンス・オリビエ、ジェラール・フィリップ、アンソニー・クイン、ジェームズ・コバーン、アラン・ラッド、スティーヴ・マックイーン、クリント・イーストウッド、トム・クルーズ、トム・ハンクス、チャーリー・シーン、ジャン・ギャバン、ジャン・マレー、ユル・ブリナー、スチュアート・グレンジャー、オーソン・ウエルズ、スペンサー・トレーシー、ジャック・レモン、チャールズ・チャプリン、シャルル・ボワイエ、ウィリヤム・ホールデン、トニー・カーチス、カーク・ダグラス、マイケル・ダグラス、アレック・ギネス、ピーター・フォンダ、マーロン・ブランド、ヘンリー・フォンダ、ポール・ニューマン、メル・ギブソン、ピーター・セラーズ。

 もうこの辺になると自分の脳味噌がぐちゃぐちゃに固まってしまって、動かない。それでいてあの「風と共に去りぬ」や「美女と野獣」のあの男、あの「眼下の敵」の駆逐艦の艦長、「カサブランカ」でバーグマンとともに痺れさせてくれた男優、「クレオパトラ」に出ていたエリザベス・テーラーの夫だった俳優、「ペリカン文書」の、また、題名は忘れたがいい映画に主演していた二人の黒人俳優、薄い髪を見せるようになって渋みの出た「007」や「レッド・オクトーバーを追え」の主演男優、「レッド」などで悩める反体制を演じた若い男優、その他、あれ、あの、あの、あれもと映画の画面はありあり思い出せて懐かしいのにいっこうに名前の出てこない俳優がいっぱいいる。「ローマの休日」「小鹿物語」のあの二枚目の名前がどうしてもでてこない。「ボニーとクライド」や「俺たちに明日はない」ほど好きな映画の俳優、ああ、そうだ一人はウォーレン・ビーティだった、もう一人はなんとかギャグニィではなかったか。

 

* ま、こういうことをしていると、数を数えて三百ではきかないほど時間がかかる。それにしても歳が分かるという名前ばかりだと、若い映画フアンには嗤われるだろう。私自身はいったいいつのまにこんなに映画を観ていたのだろうと思う。六七割はテレビだろう。

 女優の名前となると、じつは、もっと楽しいが、ところが名前を覚えている人数は少ない。男優の方が多く覚えている。女優は、魅力的であればあるほど、名前なんかどうでもいいのかも知れない。

 

* 今夜は、すこし、のんびりしたさに、変な時間つぶしをしてしまった。

 

* 女優はイングリット・バーグマンが好きだった、日本の原節子のように。オードリー・ヘプバーン、エリザベス・テーラー、デボラ・カー、ジョン・フォンテイン、「ウエストサイドストーリー」のナタリー・ウッドなどが好きだが、個性的な演技派にも好きな女優は大勢いる。「北北西に進路をとれ」の金髪女優、「アパートの鍵貸します」のすてきに巧い女優、またバーバラ・ストライサンドやメリル・ストリープ。サンドラ・ブロックもいい。「オペラ座の怪人」の可憐な美女が、映画の出来と共に、とてもよかった。肉体派では、むかしミレーヌ・ドモンジョに痺れたのを思い出す。名前がよかった。ソフィア・ローレンも好きだ。

 

* これも一種の人の噂話なのかも知れない、そうだとすれば、こういうなのが罪が無くて楽しい。歌舞伎役者を贔屓しているようなものだし、差し障りがない。いつもこっそり内々にやっていたことを、いま、こう「闇に言い置い」て、気分良く今夜は早く寝てしまおう。

  1999 11・16?17 4

 

 

* 士農工商などという階級はもう無い。資本家と労働者などという尖鋭な階級意識も地を払って散り失せたかのようである。学歴差も殆ど意味を持たなくなっているのは上の例でも分かる。

 いまは、わたしの持説だが、少数の「テレビに出ている人たち」と、大多数の「テレビを見ているだけの人」とで、階級差が形成されている。前者が現代の貴族のつもりでおり、後者はやむをえず平民にされているし、意識していないだけで、要するに殆どが前者に振り回されている。

 その大多数の後者からすれば、名前を例にして申し訳ないが、分かりよいから使うけれど、哲学者の梅原猛よりもテレビコメンテーターの猪瀬直樹の方が影響力も知名度も高い。梅原氏は新聞雑誌にはよく顔を出すけれど、猪瀬君のテレビの敵ではない。信じられないほどだが、わたしが教授をしていた頃の東工大の教室で、俵万智を知らない学生は殆ど無かったけれど、斎藤史を知っている只一人も無かった梅原猛とか『隠された十字架』などと言って知っていた学生もまた皆無に近かった。わたしを太宰治賞に選んでくれた選者のなかで、東工大生に通じたのはたった一人の、井伏鱒二だけで、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫の各先生は全く通じなかった。

 つまり、テレビに出ない人の中にもこういう最高級の人もいるのだ、が、その影響力は、遺憾ながらテレビでテキトーに喋っている人たちより、おそろしく低いのである。一つの「文化的事実」である。だから、俗受けしたい野心家は、やたらテレビに出たがる事になる。無理もない、わたしでもNHK日曜美術館などをはじめ再々顔をさらしていた頃、京都へでも帰れば実家の近所の人たちは、「テレビにでたはるなあ、エロゥならはったんどすなあ」と苦笑させてくれた。出なくなれば、つまり落ちぶれたと「テレビを見ている人たち」の多くは価値判断をするわけだ、その意味でもテレビ番組を創っては出ているビートタケシこそが、現在日本でいちばん「エライ」人だということになろうか。やれやれ。

 

* いちびった藝能人たちもふくめて、政治家も学者も大方の「テレビに出ている者たち」をも、すべて、四角い檻の中で鳴いている動物と思うくらいの強い立場と見識を持たないといけないのである。

 よく聴いていれば分かるが、コメンテーターたちにせよ、自称芸能人たちにせよ、自称政治家たちにせよ、ろくな事は喋っていないし、して見せてもくれない。有害無益ではないが、厚害薄益な存在だと思っているぐらいで付き合った方が賢明なのは、明らかである。テレビ画面から消えて惜しいと思うのはニュースステーションの久米宏だけだ。

  1999 11・18 4

 

 

* スーザン・サランドンとトミー・リー・ジョーンズの「依頼人」をまた来週放映するという。面白い映画で二人とも渋い佳い俳優だ。トミー・リー・ジョーンズでは、ハリソン・フォードを追っかけまわした「逃亡者」での演技が、すかっとしていて、忘れられない。思い出したが「ローマの休日」の男優はグレゴリー・ペック。日本の佐田啓二が似ていた、感じが。「眼下の敵」の駆逐艦長はロバート・ミッチャム、あの映画に限っては抜群の魅力だった。リチャード・ウィドマークという「アラモの砦」などで渋い男っぽい役の俳優も好きだった、吹き替えの声も。男っぽいと言えば「空中ブランコ」や「プロフェショナル」のバート・ランカスターも痺れる役者だ、印象的な映画が何本も何本もあった。「風とともに去りぬ」のあれはクラーク・ゲーブル。マリリン・モンローと共演した映画「美女と野獣」がとくによかった。「ここより永遠に」のモンゴメリー・クリフトは神経質な魅力だったが、アンソニー・パーキンスの神経質は刺激的すぎた。フランク・シナトラが好きだったことはない、フレッド・アステアのダンスはとびきり好きだつた。ダニー・ケイは「アンデルセン物語」で。また、喜劇もできるが「チャイナ・シンドローム」その他のジャック・レモンの巧さと面白さは抜群。ああ、締め切り原稿が有るというのに、こんなことをやつていたら、きりがない。

 しかし不安な気は、すこし安まる。

 タバコは吸わない、晩八時以降は極力飲み食いを禁じている。その代わりに夜更けまでじっと、こんな気晴らしをしている。

  1999 11・21 4

 

 

* ゆうべ、とうとう『元禄綾乱』が大団円と相成った。十五分延長の後日のサービスまで付いた。めったになくよく大河ドラマに付き合ったものだ、はじめのうちはどんなものかと首を傾げていたが、勘九郎が動き出してから面白く見続けた。だいたいが、赤穂浪士は、織田や豊臣や徳川と違い、それらの大権力への抗争であるという小気味よさも意義もある。そこが大好きであり、上で威張っているヤツらの芝居は好きではない。来年の徳川ものなど観たくもない。

 それにしてもお軽のお産までとはご丁寧であった。お軽役の安達祐美は、京ことばといい、演技といい、なかなかの素材であった。ショーケンの綱吉将軍も面白く演った。大竹しのぶも煮詰まって行くにつれてさすがであったし、南果歩も佳い個性が生きた。高岡早紀がいつも同じような着物で姿だったが、美しく儲け役でもあった。むろん、宮沢りえも情味があって宜しく、もっともっと働かせてやりたかった。柳沢吉保も堀部安兵衛も、また吉田忠左、小野寺十内、原惣右その他の浪士たちもご苦労であった。

 ちょっと来週から寂しくなる。

  1999 12・13 3

 

 

* 吉永小百合の「伊豆の踊子」をテレビで。別れは泣かされた。吉永の持ち味というよりは彼女の役づくりだと思うが、美空ひばりとも山口百恵ともちがい、巧さではいちばん巧いのではないか、前の二人の印象がもう薄れているので比較しにくいが。高橋、秀樹だか正樹だかも佳い、清潔感があり好きな役者だが、原作者川端康成はもっと塩辛い学生だったと思う。

 

* 旅芸人たちの腰が低く、一高の学生がそれは丁重に扱われている。そういうのを見ながら佳いな佳いなと嘆じていて、妻に、「学生さんの身になって見ているからよ」と叱られた。大きにそうであろうと思う。昨今の芸人たちの、我が世の春のような大手を振った厚かましさやくだらなさにあきれ果てていると、つい、往事往年の芸人たちのへりくだって物腰の柔らかなのが床しくさえ感じられるのだけれど、それ自体が「差別」感情である怖れ、十分にある。

 

* 「役」という文字には遙かな由来がある。近代では「役人」というと官吏公吏の感じだが、江戸時代では不浄役人などといった。役人村があった。罪人の死刑執行や後始末をした。捕り方なども役人といった。もっと神代にも溯れば、神や人をして「日八日夜八夜」をいろんなペルソナを配して遊んだものだ、いわば葬儀の際に。つまり神ないし屍霊を慰め鎮める「役」と「役人」があった。遊びと清めと祭儀とはリンクされていた。藝は、人が先ず人をでなく、先ず神ないし死者の霊魂を慰め、その後に徐ろに生者に対し祝福を与えたのである。言祝ぎ=寿ぎにこそ藝の名目があった。藝人や役者たちがめでたい名乗りをすることにはそういう遠い背後からの「役回り」があずかっていた。能の座や流儀のあの観世、宝生、金春、金剛、喜多という名乗りをみればよい。最も典型的である。しかも能こそは死と幽霊との芸能である。死者を慰める藝である。昔の芸人の腰の低さには、死者を静めつつ生者を祝おうという謙った使命感がひそんだ。それをしも是非せざるをえない、藝は身を助ける身の不幸、も、確かにあったのである。

 今は拙い藝で人気を取り、物欲と名誉欲とをともに満たそうという仕儀に転じている。結構なことではないかと思う一方で、図にも乗っておるなというはらはらするような不安もある。戦後僅か六十年足らずの大きな転換であったが、ほんとうに定着したのかどうかはまだ分かっていない。

 1999 12・25 3

 

 

* デンマーク映画「奇跡」を観た。舞台劇の映画化かと思われるほどシンプルな設営の中で、信仰と愛との永遠の課題が抑制された筆致で深刻に描き取られていた。息を詰めて観た。涙も流した。

 老父は妻をうしない、子らへの不満ゆえに神への無垢の信仰を我から喪いかけている。長男はまったく神を信じていないが心は清く、深く妻を愛している。感動をどこかに置き忘れた知的な善人である。三男は宗派のちがう家の娘を愛し結婚したいと願っているが、父は許さないし、娘の父も許さない。次男は神学を学んでいたが、誰の目にも「乱心」としか見られないほど、さながらにイエス・キリストの如く語り振舞い、しかし言うところ説くところは映画を観ているわたしたちには、すこぶる深い。すこぶる心深い。彼はみなにいたわられ愛されながら、家族の誰もが持て余している。いやそうではない、長男の妊娠している妻インガは、信仰厚く、無垢の愛で誰とも接している。また誰もがこの主婦を愛し信頼している。インガの幼い女の子も、キリストのように「乱心」した叔父さんの祝福を心から喜んで受けている。

 そんな中で、主婦のインガのお産が始まり、痛ましい難産の末、期待されていた男の子は死んで生まれ、インガも死の危機に陥る。女の子と次男との祈りゆえに一度は深い眠りの中へインガは甦るが、また、ふっと事切れてしまう。その期に及んでも、父は、神のみわざと諦め、夫はただ哀しみ、弟も祈りはしない。「乱心」の次男は家族にむかい、なぜ心から深く祈ってインガを救われようと望まないかと、嫂の死の床で倒れてしまう。そしてひそかに家を出て行方知れなくなる。

 インガの葬儀のときが来て、なお父は嫁の死をただ主に委ね、夫はただ哀しみ、末の弟も哀しみの中で、祈ろうとはしない。牧師も医師も「奇跡」などを全く信じないで、イエスのような次男をつまり「乱心」の「病者」と決めつけつつ、目前のインガの「死」を、成行きに任せ、自然のなせるものとしてただ見送ろうとするだけである。

 他方、娘を嫁にやろうとしなかった父親は、神の前に偏狭を悔い反省して、娘をつれともに死者のある家におもむき、インガの亡骸の前で、我が娘をこの家の三男と娶せたいと望む。新しい主婦として娘は、哀しみのさなかの祝福を受ける。

 そこへ、行方知れずだった次男が、理性をとりもどして帰ってくる。その彼が、死者の幼い娘のためについに「奇跡」をよぶのである。

 

* モノクロームの静かな静かな映画であった。だが吸い込まれたように見入った。

 1999 12・26 3

 

 

* 昨日の深夜にメグ・ライアンの「フレンチ・キス」を半分ほど観てやめて寝た。「恋の予感」など一連のメグのシリーズ物と思われ観ていて楽しかったが、眠さに負けた。けさは、久しぶりにジュリー・アンドリュースの傑作「サウンド・オブ・ミュージック」を、たぶんノーカット版だろう、ビデオに取りながら懐かしく楽しんだ。ジュリーの映画は他にもあるが、断然これがニンにはまっている。深夜でなければ「シェルブールの雨傘」をぜひビデオに欲しかった。

 今夜はかならず「風とともに去りぬ」の、ノーカット修復版を保存する気でいる。懐かしい映画と俳優たちとの蒐集を楽しんでいる。映画が大好きである、

「シンドラーのリスト」も「戦争と平和」も「ダイハード」や「リーサル・ウェポン」も、「老人と海」も「ウェストサイド物語」も「アパートの鍵貸します」も「ゴアの恋歌」も「いちご白書」も「道」も「眼下の敵」も「アラモ」も「奇跡」も「北北西に進路を取れ」も「髪結いの亭主」も「ローマの休日」も「十戒」も「カサブランカ」も「ケセラセラ」も「黄昏」も「市民ケーン」も「橋」も「ロミオとジュリエット」も「静かなる男」も「南太平洋」も「アンデルセン物語」も「オペラ座の怪人」も「天井桟敷の人々」も「スミス氏都に行く」も、まだまだ、キリもなく映画が好きである。日本映画も、一頃は、目を瞠るほど続々と、いい作品で魅惑してくれた。

  2000 1・3 5

 

 

* 「風とともに去りぬ」六時間の大作を、コマーシャルぬきをこまめに、ビデオに収めた。大作の時代劇だが、登場人物の設定が二組で四人、対照的に図式化してあるので分かりいい。震えるような感動作ではない。ビビアン・リーのスカーレットもクラーク・ゲーブルのレット・バトラーも、むろん第一級の魅力でよく描かれているし、オリビア・デ・ハビランドのメラニー役は扇の要のように利いている。しかし原作自体がよく出来た読み物であり、性格劇としては「嵐が丘」の強烈な把握と表現にくらべればずっと弱い。歴史的な大作として忘れがたいものだと思うし、ビデオコレクションに加え得たのはなによりだと思うけれど、繰り返しては観ない気がする。

 2000 1・3 5

 

 

* ペギー葉山の歌った「南国土佐をあとにして」の裏ばなしをテレビが再放映していた。戦陣に送り出された鯨部隊の望郷の歌であったと、前にも聴いていた。再度、歌を聴いて、涙が出た。お国自慢といって、つい軽く言ったり見たりするけれど、平和をねがう根底にも愛国心の根底にも先ずこれがあるのは事実であり、この歌ほどのお国自慢にどれほど兵士たちが啼いて慰められ励まされたか。そのことに感情移入してわたしはまた泣いてしまった。

 つづいて田辺朔郎ら明治の若き工学士たちの、例えば京都疏水やインクライン設計にかけた時代の大志と情熱を、いろいろみせてもらい、気持ちよく胸を打たれた。近代日本の若い元気といえばそれまでだが、あまりに今の日本の老け込んで活気に欠けているのも事実である。いややなあと思う。政治家の六十五歳定年制を願いたい。

 2000 1・10 5

 

 

* 昨夜は二時前まで机の前にいて、それからテレビの前にすわり、ショーン・コネリーの「ライジング・サン」を一人で観た。暫くして、そばで寝ていた黒い少年がツツッときて膝に乗ってきた。初めて来たときから、もう十倍近い体重の大きな少年を抱いたまま四時頃までかけて見終えたが、一度もコマーシャルで中断されなかったのにはビックリした。広告中断があれば途中で寝ていたかも知れないが、おかげで程々に面白く観られた。原作は読んでいた。

 2000 1・19 5

 

 

* 晩には、「タワーリング・インフェルノ」を見た。スチーヴ・マックイーンの代表作だと思う。ポール・ニューマン、ウィリヤム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、それにあのフレッド・アステアとジェニファ・ジョーンズ。俳優たちもいいが映画が映画ならではの絶対条件を生かして、劇的に面白い。

  2000 2・12 5

 

 

* 映画「荒野の七人」を久しぶりに見た。ユル・ブリナーはこの映画がいちばん恰好良い。

  2000 2・17 5

 

 

* 九時から、建日子脚本の一時間番組が一つあって、見てきた。柴田恭兵と風吹じゅん、風間とおるらの刑事物。連続ものの枠がすでに出来て在るからか、比較的らくらくと創れていて、題材もインターネット犯罪、まずは時宜に適っている。もっときりきりと深く剔ることも可能だろうが、ともあれ、いちばん現実に悪影響を及ぼしてもいるパソコン掲示板での面白ずくが、殺人に繋がって行くことはあり得るので、インターネットやメールを触っていない人たちへも話しはよく通っただろう。また痴漢・セクハラに「されてしまった人」の悲劇も、は現に頻発しているという側面があり、また軽率なおやじ狩り的な暴行にも触れていて、盛りだくさんにやっていた。一時間なのでテンポがよく、こういうドラマは、かちっと決めた一時間が適していると思う。火曜サスペンスなどの二時間殺しは、水増しも多く、だらけ放題なことが多い。まあまあで、よかったとしよう。

 役者は、みな嫌いではなかった。風吹じゅんの中年になってからの落ち着いた独特の柔らかい芸風は、愛するに値する。コマーシャルもわるくない。今夜のヒロイン役の女優も、むかし田村正和の現代物に絡んで子役でデビューしていたなかでも、印象的な個性で、ずっと記憶していた。風吹もその子も美人ではない、が、味わいをもっている。それが大事なのだ。美人だけで女優は長続きしない、とびきりの看板スター以外は。

 2000 3・8 5

 

 

* 帰宅して、映画「フォレストガンプ」の最期の二十分あまりを観て、妻と二人して泣いた。心を洗い清められる涙であった。全体は以前にビデオにもとりよく観ているが、何度観てもこの映画には深く感動できるのが嬉しい。この「嬉しさ」それこそが、芸術に不可欠の fascination なのではなかろうか。この魅惑と訳されることの多い、堪らない嬉しさ = FASCINATION。二次会でわたしは、この頃の強い思いとして此の語に就いて話してきた。

 2000 3・11 5

 

 

* 去年の赤穂浪士に替わって、今年の大河ドラマは「葵」徳川三代話であるが、ドラマの出来は去年よりもだいぶん悪い。やたら武将や大名の名前ばかりが乱立するばかりで、劇的なようで平板、それを水戸光圀を演ずる梅雀の語りで運んでいるのだが、ちゃちな印象。それよりも今日はアン・バクスターやベティー・デイビスの「イブの総て」をビデオにとって置いてもらったのを、夜中に観ようと楽しみにしている。

 息子の「お気楽主婦のツアー殺人事件」だかは、ビデオで見直した。尋常に出来ていることは分かった。が、所詮はそこまでで、二度三度と繰り返しみることはない。親友の原知佐子が出演してくれていて、彼女らしくよく考えての演技に感心し、感謝した。建日子は撮影の現場に一度立ち会ってきたらしく、原さんが一番広い控え室を使っていた、あの人はえらいんだねと今さらに感心していた。原知佐子は吉永小百合よりも先輩の日活のスターだった。

  2000 3・12 5

 

 

* テレビの映画「釣りバカ日誌」をみた。名取裕子が美しい歯医者を演じる。シリーズの中では好きな、よく出来ていて笑わせてくれる一篇で、三国連太郎と西田敏行との、浅田美代子も含めての、このうえもない「身内」もの。

 わたしは「寅サン」シリーズのややしんどい無理の臭みよりも、こっちの、自然さに優った嫌みなさに心を惹かれる。スーさんとハマちゃんには「かなふ」宜しさがあり、寅サンとマドンナたちには「かなひたがる」つらさを感じていた。

 2000 3・17 5

 

 

* スチーブン・セガールのつくった不出来な娯楽映画を観た。彼は、だが、我が国の政治家よりもずっと熱心に「環境破壊」と闘う姿勢を映画作りに露出している。主張がストレート過ぎるが、セガール映画にはふしぎにハートが感じられる、たいていの場合。

  2000 3・26 5

 

 

* カトリーヌ・ドヌーブという女優の名前がまったく想い出せなかった。「シェルブールの雨傘」という優秀なミュージカルのヒロインであることはしっかり覚えているのに、である。もっともあの映画では、もう一人の、ガソリンスタンドを夫と二人でやっている女性の方にわたしの同情・愛情は寄っていて、なぜかカトリーヌ・ドヌーブの役の女性にやや冷ややかに向かっていた。今日の昼下がりに、病院へ行った妻の留守に「トリスターナ」で久々に美しいセクシイなドヌーブをみて、身内が痛くなったほど見とれはしたが、どこかで心情的には距離を置いていた。養父で事実上の夫でもある老貴族の方にむしろ身を寄せていた。

 カトリーヌ・ドヌーブとグレース・ケリーとが、ちょっと似通っている。むろん嫌いでもなく美しいと思っているが、可愛い女ではない。「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンのようには胸をときめかせてはくれない。「わらの女」のジーナ・ロロブリジータの美しさは痩せていたが、「トリスターナ」のドヌーブよりは死んで行く夫に情があった。

 ともあれ、なんとしても思い出せなかった大きな主演女優の名を、また一人記憶にとどめた。今年のアカデミー賞の演技賞俳優達の名前も顔も、わたしは一人も知らなかった。映画館へ行かないのだから当然だ。テレビにはパソコンよりも遙かに違和感・不快感をもっているものの、映画を簡略に見せてくれるありがたさには感謝あるのみ。西洋の映画は、下らない二三流の通俗娯楽ものでも、ま、許せる。とにかく客を呼ぼうと頑張ってつくっいる。視聴率稼ぎとは異質の努力だと思う。

 2000 3・28 5

 

 

* 春風亭小朝がテレビで話していた、落語の「聞き方」などを。また人生訓話を。落語が面白くなくなるわけである。落語の上手な聞き方を客に求めるのは筋違いだろう。どんな客であれ巧みに楽しく笑わせてくれるのが話藝であろう。語るに落ちた話だが小朝はとくとくと書いたものまで用意して、「出来る者は、やる。出来ない者は、教える」と。

 教えてくれる芸人が多くなった。小朝もしかり、桂文珍しかり、各局各紙の人生相談に顔を出す「芸能人」の多いことはどうだろう。しかも、さしたることは言えていないのだから、つまらない。

「芸能」の本義は、忘れ果てられている。忘れ果ててももはやいいとも言える、が、そうでない一面も有る。人生相談に乗ってくれても教えてくれても、需要があるならそれもいいだろう。ただ芸能という「能」からいえば、はからずも小朝が紹介していた言葉の通り、「出来る者は、やる。出来ない者は、教える」のである。芸人は藝が出来たほうがいいのであり、藝の見方や楽しみ方から説き起こしてくれなくてもいいのである。藝そのものの魅力迫力で自然と教えてくれればいい。

 NHKの伝統芸能テキストの「能」の項に書いた一文を転載しておく。能に限らない、芸能の淵源に触れた。わたしの読者には耳にたこなのであるが。

 

* 能の魅力 死生の藝

 広くも狭くも「能」という。静御前が白拍子の舞を鎌倉の八幡宝前で舞ったのも、「能」と書かれてある。また「藝能」ともいう。藝「能」人は、今日ではいわば一種の貴族であるが、その「能」の字が「タレント」を意味するとして、本来はどんなタレント=技能・職能を謂ったものか、綺麗に忘れ去られている。

 能や藝能を、たかだか室町時代や鎌倉・平安末に溯らせて済むわけがなく、人間の在るところ、藝能は歴史よりも遠く溯った。日本の能や藝能に現に携わった人や集団は、遙かな神代にまで深い根ざしを求めていた。能の神様のような観阿弥や世阿弥は、傷ついて天の岩戸に隠れた日の神を、此の世に呼び戻そうと、女神ウヅメに面白おかしく舞い遊ばせた八百萬の神集いを即ち「神楽」と名づけ、「能」の肇めと明言しているが、それは、アマテラスという死者の怒りを鎮め慰め、甦り(黄泉帰り)を願って懸命に歓喜咲楽=えらぎあそんだ「藝能の起源」を謂うているのであった。幸いに、天照大神は甦った。

 国譲りの説得を命じられた天使アメワカヒコが、復命を怠って出雲の地にあえなく死んだときも、遺族は互いに色んな「役」を負うて「日八日夜八夜を遊びたりき」と古事記は伝えている。だが甦りは得られなかった。ここでも死者を呼ばわり鎮め慰める藝能が、そのまま「葬儀」として演じられていた。藝能=遊びの本来に、神=死霊の甦りや鎮め慰めが「大役」として期待されていたことを、これらは象徴的に示している。そしていつしか、鎮魂慰霊の「遊び役」を能とした「遊部」も出来ていった。藝能人とは、もともとこういう遊藝の「役人」「役者」であった。各地の鳥居本に遊君・遊女が「お大神」「末社輩」を待ち迎えるようになったいわば遊郭の風儀すら無縁ではなかったのである。

 「能」とは、わが国では、死者を鎮め慰める「タレント」なのであった。能楽三百番、その大半は死者をシテとし、その「鎮魂慰霊」を深々と表現している。

 だが「能」の藝は、それだけに止まらない。死者を鎮め慰める一方で、生者の現実と将来を、鼓舞し、祝い励ますという「タレント」も、また同じ役人たちの大役であった。能の根源の「翁」は、生きとし生ける者の寿福増長をもって「今日の御祈祷」としている。「言祝ぎ=寿ぐ」祝言の藝こそが藝能であったのだ、死の世界と表裏したままで。

 観世、宝生、金春、金剛、また喜多。こういう「めでたい」名乗りには、じつに意義深いものが託されていた。死霊を慰める一方で、また生者を懸命に言祝ぎ寿ぐ。能楽に限らず日本の藝能と藝能人は、役者は、そのタレントを途絶えることなく社会的に期待されて、一つの歴史を、永らく生きてきた。世の人々はその能を見聞きし、笑い楽しみ、また死の世界をも覗き込んで、畏怖の念とともに心身の「清まはる」のを実感してきたのである。

 今日では、能は、ひたすら「美」の鑑賞面から愛好され尊敬されている。謡曲が美しい、装束が美しい、能面が美しい、舞が美しい、囃子が美しい。舞台が美しい。美の解説には少しも事欠かない、だが能と藝と役との占めてきた遙かな淵源の覗き込まれることは無くなってしまい、能の表現の負うてきた人間の祈りや怖れや畏みが、おおかた見所の意識から欠け落ちてばかり行くようになっている。死を悼み、生を励ます真意を、能ほど久しく太い根幹とした藝能は、遊藝は、他に無い。それと識って観るのと観ないのとでは、「能の魅力」は、まるで違ってくることに気づきたい。

 死生一如のフィロソフィー。死なれ・死なせて生きる者らの、深い愛と哀情。同じ「美」も、そこから「思ひ清まはり」汲み取る嬉しさに、「能の魅力」を求めたい。

 

* しばらく見なかった成駒屋橋之助夫人の三田寛子をテレビでみた。さりげない普段着のようないでたちで、話も表情も目づかいも、相変わらず聡明であった。出て来た頃からおかしい声の話し方ではあるが見所のある子だなと贔屓にしていたが、なによりも不自然に「かなひたがる」のでなく、聡明にむりなく「かなふ」魅力が、自然にすべてに適応し得ている。子供をつくらされるのは「雌牛」扱いだなどとバカな、何の値打ちもない軽薄な突っ張りは言わないで、成駒屋には金の卵の男の子二人にも恵まれ、みるから「幸せそう」に生き生きしている。おなじ梨園のおかみさんたちも見知っているが、まったくワキの素人筋から嫁いで、三田寛子はみごと模範的に自然に「生き」ている。若・貴のおかみさんなど、生きる自然さと聡明さを少し見習うと宜しいのかも知れない。

 テレビで楽しそうに話していても、無理にしているのと自然なのとは分かってしまう。三田寛子のそれは天成の美質で、橋之助は慧眼であった。

 2000 4・8 5

 

 

* 映画「戦場にかける橋」は三度四度も観てきたが、観るたびによさが加わり深まる。日、英、米の際だった対比を生かして作られた思想性の濃い作品で、ただの戦争映画ではない。活劇でもない。日本の早川雪洲、イギリスのアレック・ギネス、アメリカのウィリアム・ホールデンがガシッと組み合い、譲らない。人間劇であり立場論であり誇りの在り方である。その争点になるのが、クワイ河に架かる橋、立派な橋。威信にかけ作らせる日本、誇りを持してみごとに創るイギリス、平和と勝利のために生くべき命を賭してその橋を爆破するアメリカ。図式的に割り切って言えばそのようなものだが、割り切れない人間の不思議が渦巻き、劇的な内容をはらむ。何度も観ていて、ひときわ今日は打たれた。佳い作品とはそういうものだ、だんだん受け手の中で大きく豊かに育って行く。アレック・ギネス、ウィリアム・ホールデン、早川雪洲。一代の名演を誘い出したデビッド・リーン監督の名画であった。

 2000 4・23 5

 

 

* 今夜は、もう一本、ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」を観るつもりだ。エバ・マリー・セィントという金髪美しい個性横溢の女優が、好き。はずかしいほど色男のケーリー・グラントも、粋で憎めない。わたしの時代のいろんな名優たちの姿を、ビデオに蒐集している。昼の映画のアレック・ギネスを、代表作なのに、撮りのがしたのは残念だった。

  2000 4・23 5

 

 

* 昨夜の「北北西に進路を取れ」はヒッチコックの軽やかな演出が楽しく、臆面もないケーリー・グラントの男前が小憎らしいほど粋であった。エヴァ・マリー・セイントと久しぶりに再会し、やっぱり惹かれた。殺されたはずの男が殺されずに目の前に表れたときの驚きと、愛を自覚た安堵の表情など、洒落ていた。洒落てさわやかなヒッチコック映画の代表作で、「鳥」や「めまい」とは味わいがちがう。娯楽映画の上等であった。

 今日は、デボラ・カー、ジーン・セバーグ、それに色男のデビット・ニーブンの「悲しみよこんにちわ」を観た。愚かな父と娘の物語で、ほとんど同情しない。映画としては美しく撮れていたが、ほんとにアホウな父娘で、見終えてぐったりする。むちゃくちゃに乱暴なジャン・ポール・ヴァンダムの「マキシマム・リスク」の方がまだしもハートがある。デボラ・カーという女優はまことに美しいけれど、この映画ではあまり同情できなかった。ときどき表情が爬虫類じみた。若々しいジーン・セバーグ、手の着けられないデビット・ニーブンは、それなりに代表作を創っていた。魅力的だった。だが彼らの悲しみは、ヴェルト・シュメルツとは無縁な、だだら遊びの退屈にすぎない。悲しいからと言って何の言いわけにもならない。

 2000 4・24 5

 

 

* しばらくぶりに息子の関係したテレビドラマを、帰宅して見た。「ショカツ」とかいう刑事警察モノ。そつなく創ってあったが、警察の、アタマから腐って行く現実への、これまた「如才ない」妥協で話がやや尻切れトンボになり、後味がぬるかった。脚本は二人名でタイトルが出ていた。聴けば息子はあらすじを提供しただけで、科白は一行も書かず、仕事はもう一人に譲ったという。議論の結果そういうことになったらしく、そういうケースはまま有るだろう、あの世間では。どっちにしろ、職人的には腕を上げている気もする、が、仕上がった今度の作にも、やはり「ハート」は感じられない。如才ないだけのそういう仕事は、一生懸命やっているのだと思うし励ましたいけれど、つまりは「バカバカしい」気分にさせる。次作に期待したい。

 2000 4・25 5

 

 

* テレビで、『七歳の捕虜』という本を何十年か前に書いていた、わたしと同年の光俊明氏のことを、手ぎわよく紹介していて感銘をうけた。肉親を見失って中国の兵隊たちに育てられ兵とともに転戦していた七歳の少年が、日本軍の猛攻にあい「捕虜」となり、今度は日本の兵隊たちに可愛がられて育つうち、さらに「親」ともなってくれた軍医さんの愛育に委ねられて、兵たちともろとも八千キロの大陸を右往左往のあげく、またしても米英軍の「捕虜」となり、しかし敗戦後に、米英軍司令官のあたたかいはからいで、軍医さんと共に日本にわたり、熊本で就学し進学し職に就き結婚して、佳い家庭を作ってきた。波瀾の、しかも心温まるその光さんの人生が、養父一家の健康な家庭のさまと共に巧みに再現されていた。

 こういう話に、胸がとどろく。国会で飛び交うような空疎で誠実さの欠けた、「正論」がって嘘の多い日本語になど、まともに向き合うのも恥ずかしい。

 2000 4・26 5

 

 

* スペンサー・トレーシーの「花嫁の父」を観た。世界一の美女エリザベス・テーラーが初々しい花嫁役で、母親役のジューン・ベネットがまた適役、ところどころで、はっとするほど美しい。わたしの女友達にちょっとこの母親に似た人がいた。何といっても父親役の、ごっついスペンサー・トレーシーが佳い、堪らない。日本の小津安二郎監督の戦後の映画作品の味に、この昭和二十五年のアメリカ映画のオリジナリティーが、必ずや寄与していただろうと感じた。いわゆる花嫁の父としてわたしは苦い失敗を演じてきたので、この映画、観ていて幾らか辛くもあったが、文句なく素晴らしい作品で、心を洗われた。

 

* きのう妻が、わたしのために「黄色いロールスロイス」を録画して置いてくれたのが、オムニバスで、イングリット・バーグマン、シャリー・マクレーンそしてジャンヌ・モロー。繪が美しく、なによりも好きな映画女優の五本の指に必ず数えるバーグマンとシャリー・マクレーンである、妻はそれと知っていて気を利かせてくれた。感謝。

 バーグマンは「ジャンヌ・ダルク」「ガス燈」そして極め付きの「カサブランカ」よりは老けていたが、面白く、魅せ、た。抜群に愛らしく美しく女の表情のみごとな千変万化を楽しませてくれたのは、シャリー・マクレーンで、こんなに巧い可愛い美しい大人の女と組んでは、それこそバーグマンのような、シャンヌ・モローのような大女優でなければ太刀打ちがならない。「黄色いロールスロイス」の黄色が実に利いていた、スクリーンの中で。ロールスロイスを見ているだけでどきどきした。

  2000 4・27 5

 

 

* 夜、クリント・イーストウッド製作・監督・主演の「目撃」を観た。かっちりとした脚本で、なかなか見せた方ではないか。「花嫁の父」のような完成された芸術品ではないが、しっかりした娯楽作品の一つに挙げていい。

 これにくらべるとジェームス三木が作者の大河ドラマ「葵」は、年譜の上を滑り台のように滑っているだけの、人間ならぬ、人事ドラマで、此の調子で暮れまで遣るのかと愛想が尽きてきた。

  2000 4・30 5

 

 

* ヒッチコックの「断崖」はさほどの映画でなく、尻窄みで興ざめだが、ジョン・フォンテインという、デボラ・カーよりも品のいい美女が登場するのでは観ないでおれなかった。若い日のケーリー・グラントはあまりよくなく、モーパッサン『女の一生』の酷薄で強欲な夫ジュリアンを想わせて不快千万だったが、それでもフォンテインはすばらしかった。女優なのだから何とでも演技するわけだが、フォンテインの品のよさはグレース・ケリーに数倍し、申し分ない。

 イングリット・バーグマンかエリザベス・テーラーかで先ず指を折り、なにかの連想でソフィア・ローレン、キム・ノヴァク、ジーナ・ロロブリジータ・ブリジット・バルドーそしてヒビアン・リーと数えているが、好きということでいえば、ジョン・フォンテイン、オードリー・ヘプバーン、シャリー・マクレーンを、ソフィア・ローレンの後か先へもってくるだろう。うま味や凄みでなら、キャサリン・ヘプバーン、ベティ・デイビス、メリル・ストリープらを挙げるし、昔懐かしさで言えばスーザン・ヘイワード、ジェニファ・ジョーンズ、モーリン・オハラなどを想い出す。ドリス・デイも「女は一階勝負する」のミレーヌ・ドモンジョも好きだった。

「花嫁の父」の母親を演じたジョーン・ベネットも、ダンスのうまいデビー・レイノルズも気持ちの佳い女優だった。魔の魅力ではシャロン・ストーンの冷たいハートとセックスに惹かれる。

 2000 5・2 6

 

 

* 「市民ケーン」「第三の男」と、つづけざまオーソン・ウエルズの映画を観た。前のはオーソン・ウエルズが製作し監督し主演している。あとのはキャロル・リードの監督で、オーソン・ウエルズが主演し、「市民ケーン」と同じくジョセフ・コットンが脇を演じている。「第三の男」では女優アリダ・バリが印象的。ともに映画史上の名作の誉れ高い。妻は、「市民ケーン」は、も一つピンと来ないと言う。わたしも、評判ほど面白くて堪らないとは想わない。ダイナミックに深く大きく割り切った脚本で、写真もみごとだし、主題もよく分かる。

 しかし主題なんてものは、「分かる」べきものだろうか。

 同じ歴史的という意味ではもっと未完成だが、「戦艦ポチョムキン」の無声映画には感動と興奮とがあった。

「第三の男」の黒白の写真=繪の美しさには舌をまく。ある時代の怖さが、ウイーンに限定せずとも、グローバルに無気味に迫ってくる。

 2000 5・6 6

 

 

* 昨深夜から建日子が帰っている。能から帰って食事をともにし、食後に、映画「花嫁の父」のビデオをみせた。何度見ても佳い作品だった。笑って、しまいには泣かされた。スペンサー・トレイシー、ジョーン・ベネットの両親が完璧で、花嫁のエリザベス・テーラーが奇跡のように美しい。原節子が懐かしくなった。

 今時分、テレビは「ローマの休日」を映している。あれも完璧な映画だ、楽しめるという点で。

「花嫁の父」はあらゆるあのての映画やテレビドラマのオリジナルなのだから、えらい。五十年前の映画だ。結婚式に教会へむかう母親の美しさに涙が出た。結局はジョーン・ベネットの助演ぶりに票を投じていたのかな。  2000 5・6 6

 

 

* きっぱりしない気分の、天候よろしからぬ一日で、冴えなかった。仕上げのようにジョディ・フォスターの「羊たちの沈黙」で一層気が滅入った。これは優秀なおもしろい映画で、もう三度は見ていていつも感心はするけれど気はしんどく、楽しさいっぱいとはいかない。昼間の、ポール・ニューマンの「評決」のほうが、まだしもカタルシスに富んでいる。あんなにひどい裁判では、いくら何でも陪審員も正義につかず居れないだろう。「羊たちの沈黙」の緊迫感はもっとほんもので、手に汗を握りたければお勧めだ、しかも感銘が残る。だが、今夜の気分には重すぎた。  2000 5・11 6

 

 

* アヌーク・エーメらの「男と女」を観たかったが、妻にビデオ撮りを頼まねばならなかった。佳い作品だった、あれは。男のルイ・トランティニャンもよく、フランス映画の味わいが捨てがたい。ときどきはどうしてもフランス映画が観たくなる、この映画もそういう気分の時に映画館で観た。「秋の恋」もそうだった。「髪結いの亭主」などもそうだった。久しく、だが、映画館に行かない。

  2000 5・14 6

 

 

* 昨日と今日とで、読者への発送のための挨拶書きを、ア行カ行分、終えた。その間にビデオで「男と女」「オペラ座の怪人」を、「聴い」ていた。フランス語。そしてオペラ。テリー・ポロとバート・ランカスターらの「オペラ座の怪人」を見ると、聴くと、きまって泣いてしまう。愛藏のビデオで、永久版にしてある。

  2000 5・17 6

 

 

* 今日は調子が上がらなかった。雨のせいにしておく。シルベスタ・スタローンの「クリフハンガー」を観ながら発送用意などしていて能率がよくなかった。それほどこの山岳ものサスペンス映画はけっこううまく出来ていて、つい手に汗をにぎる。ボブ・ラングレーの『北壁の死闘』という小説を三度も四度も愛読してきた。山の大きさや怖さをありありと書いていて面白かった。シルベスタ・スタローンの映画では「ランボー」が代表作だろうが、この山で闘う「クリフハンガー」もハートがあって悪くない。

  2000 5・20 6

 

 

* 映画「ミザーリ」をやっているのだが、ホラーは好かない。根が恐がりのせいもあるが、カタルシスを全く得られないものを見て、わざわざ不快に陥り、時間も無駄にする必要がどこにあろうか。バッハを聴いている方が百倍優れている。

  2000 6・6 6

 

 

* スティーヴン・セガールの環境汚染を扱った比較的真面目なアクション映画をみた。いつもの観念過剰にならず、まずまず出来ていた。ちょっと感じのいい女優にも惹かれた。おととい晩に見た「アサシン」は、もう何度めかだが、これも気の入った娯楽もので、ピーター・フォンダの娘が主役、この若い女優が佳い。ハードで、もののあはれがあり、ビデオに取りたかった。

  2000 6・11 6

 

 

* ピラミッドはファラオの墓だと思っていたら、また、数十万人の奴隷を駆使した建造物であったと思っていたら、それはヘロドトスがエジプトへの旅行記以来、久しくも久しい受け売り、または思い込みであったという。NHKテレビが、七時のニュースから交替した森田美由紀の美しい語りで教えてくれた。

 エジプトといえばナイル河。そのナイルが氾濫して四ヶ月間は農作業はまったく出来ない、その間のファラオによる民生安定の公共事業として、ピラミッドが造られていた。国民は男女共にその作業に従事することで、雨季の生活を衣食住にわたって保証されていたという、公的な労働協約の内容や実物も発見され、労作の間に亡くなった大勢の整然とした共同墓地も見つかって、男女比は半ばしているという。かなりの医療なども受けていたという。奴隷なら女子やまして妊婦などは使うまいし、病人は見捨てたであろう。また王の墓なら、一人の王が一代に幾つもピラミツドは造るまいが、公共事業としてなら分かるというわけだ、定説は大きく変化した。

 まだまだ、ピラミッドは、では何の用途でどう使ったかとなると謎は解かれていないが、「公共事業」として極めて有効に平静に機能していたと分かってきただけでも、おもしろい。ナイルのあの氾濫の広大なさまを見知れば納得しやすく、かつまた現代技術が氾濫を食い止めたため、エジプトの農業立国が逆に危ういものになっているという指摘も考えさせるものがある。さて、極東日本の「バラマキ公共事業」やいかに、と、問い直すのもウザッタイではないか。

 2000 7・10 6

 

 

* 瀬戸内寂聴さんが、徹子の部屋でしていた、ガンジス河に入ってきたという話は、このマスコミ尼僧の物見高さを暴露しこそすれ、とても善知識の教えとは受け取れなかった。混濁かつ薄い感じを受けた。いい感じがしなかった。マスコミで大きな活字で名前が書かれて、ウケに入っているわりに、説得される静かな佳い言葉が無い。

  2000 7・11 6

 

 

* 久しぶりに「男はつらいよ」の寅さんに、また三船敏郎に、逢った。シリーズ中でも一二の秀作ではないか、寅さん一家はもとより、三船敏郎、淡路恵子、そして竹下景子、すまけい、もよかった。心和んだし、クライマックスの三船の告白に淡路が感極まって手で顔をおおったときは、くっと私の喉も鳴った。寅さんも三船も十分懐かしかった。柳智衆も懐かしかった。竹下の、どう出てきても知床娘らしくなく東京の令嬢風なのも、それはそれで懐かしかった。いまどきこの映画の竹下景子のようなお嬢さんスタイルは、いくら見たくても、東京でもまず見られない。だが、なんと心のやすまる清楚さ清潔さだろう。

  2000 7・13 6

 

 

* 難儀で必要な仕事があったのに、日曜日、休んでしまった。くだらない映画まで見てしまった。トミー・リー・ジョーンズは「逃亡者」で主役を喰う快演だった、あの記憶があるので、つい見てしまうが、あれ以上のモノには出会えない。 

  2000 7・16 6

 

 

* ゆうべ、題名も忘れた、日中だか日台だか合作のような、角川書店が後押しの映画を観た。金城武とかいった若い俳優がかなりしっかり演じていて、出だしなど、気迫のこもった写真でじりじり進めてゆく粘りっ気など、みどころがあった。新宿歌舞伎町の、まるで中国租界のような環境を舞台に、中国マフィアの暗闘もからんだ話。話そのものは珍しくないが、腰の据え方、落とし方に個性は感じさせたし、映画らしい生な空気が画面を支配していて、息子らのテレビドラマのような、あんな薄い空気と比べものにならない質感であった。

 だが、観ていて、おやおやと思うほど、いつまでたっても同じ調子でじりじりと匍匐前進する。気がつくとすっかり退屈しているのであった。こういう退屈は、他の映画でもむろん何度も何度もいやになるほど覚えがある。出だしはいいのに、出だしの滑走のまま、いっこう離陸しない。あげく低空飛行のまま着陸してしまう。まことに下手な純文学みたいに、気だけあって、発展しない。一級の娯楽映画は「映画」的に面白く飛び立って行く。ああ、やっぱり、これもダメだと途中でやめたいぐらいだった。男と女との関わり方に、或る「あはれ」を感じていたので最後まで観たけれど、観終えてしまえば、たちまちに忘れて行った。あげく、息子らの創った「孫」の、言いようもなく薄くて軽いものなのに、それなりの後味をのこしたのは何故だろうと思った。題材の身近さもある。俳優たちへの馴染みもある。急性骨髄性白血病の怖さもある。父と子との愛情もある。だが、それらをどう足し算しても、あのドラマが優秀な画像を、映像作品を成しえていたとは思われない。

 どっちがと比較するのは無理な、製作する足場の違いが大きいのだけれど、一般の視聴者は、まだしも「孫」に泣いた人が多かろう。だから即座に「孫」の方がよかったかとなると、そうは言い切れない。映画の方の、出だしから三十分ほどの新鮮で圧力のある映像展開から受けた感銘は、さすが映画を観ているぞという嬉しさであった、が、「孫」には優れた映像の持つ魅力などまったく無かった。

 だが、三十分が四十五分になっても、同じように続いて行く映画の方に、思わず「オイオイ」と声を出した。陥りやすい失敗をまたやりかけている。力んだ助走滑走が長すぎて、離陸のエネルギーを映画が浪費していると分かってきた。その感じが、最後までつづいて、盛り上がらなかったのである。力作にありがちな失敗である。

 

* 円生の「子別れ」上中下をじっくりと聴いた。やっぱり、うまい。

  2000 8・6 6

 

 

* ゆうべ深夜に富山八尾町の「風の盆」をテレビで観た。初々しい娘たちが鳥追い笠をまぶかに、そろいのゆかたで町を踊り歩く。男たちも踊り、三味線や胡弓、哀調したたる小原節も、みな男の役だ。風情と謂うにはあまりにしみじみと切ない、底に侘びて哀しいものの、ふつふつと音無くたぎつような風の盆である。花籠さんの阿波の踊りとは大いに違う。しかし、盆の踊りは、根に通い合うものをみな持っていて、そこに「民俗の日本」が息づいている。「東京」が日本だと思っている人は大間違いなのである。政治が都市部重点に傾こうとするばかりでは、何かが狂ってくる。田舎が今のままでいいわけはないが、東京型の都市部が「日本」をすべて代弁できるかのように傲るのは考えものである。そういう姿勢がじつは田舎をより田舎に置き去りにし、悪しき部分の田舎が良く変わって行こうとするその芽をつんでいることに、政治も気づかねばならない。

  2000 8・7 6

 

 

* 夜のテレビ、火曜サスペンスという例の、息子の仕事でおなじみになったシリーズで、珍しく澤口靖子が主演したのを、妻に誘われ、観た。これが、そこそこの写真であった。なにより主演澤口靖子が、とびきり美しいだけでなく、美しさが映えて生き生きとこっちに伝わってくる。演技の進境、著しいと感じた。嬉しかった。妻も盛んに、うん、今夜の靖子ちゃんは佳いわねえと褒めながら、どんな角度からでも、なんという美しい人なのかしら、ヤケテシマウと、感嘆を久しうしていた。

 事実今夜の澤口靖子は、ほんとに生き生きしていて、わるいが、こんなドラマにはもったいないと思えるほど突出していた。つまり、その分、軽井沢が舞台のドラマからは、はみ出ていたと言える。柄と人と品のよさが、ドラマの薄さからはみ出ていた。もったいなかった。澤口靖子の現代物テレビドラマでは、出色の作であった。拍手。

 

* 骨髄性白血病で、骨髄液の適応ドナーを見つけるのは猛烈にむずかしい。さらに、適応するドナーが見つかったら、もう直ちにその輸液で「治る」などという簡単なものでは、全く、ない。パーセンテージは、よくても五分か六分。そんなことは白血病患者や家族なら痛いほど知っているし、医療関係者ならもっと正確に知っている。

 息子が脚本の「孫」は、その辺が「実例」にもたれ過ぎ、甘くなった。むしろ、ドナー探しの深刻な大変さ、ドナーが見つかってからも安心できない不安と緊張に正確に目をそそいで、ドラマに、切実な社会性をひろげて欲しかった。無用で不必要な説明的画面を省いて、前半にもっとテンポを与えていれば、時間的にも、後半わ質実に盛り上げうる余地は十分有った。流行歌「孫」の歌手の「実体験」がたとえ有ったからと言って、それを超えた、鋭い問題意識と現実認識とを脚本家がもっていたなら、もっとドラマは深い感動に繋がったのに。

  2000 8・8 6

 

 

 * 「ため口」というらしい。贈りの「為書き」ではない。そんな言葉も知らなかったが、実例を教われば納得する。「ぞんざい」寄りの「ざっくばらん」かなッてな、もんさ。

 で、「ため口」は、よいのか、よくないのか。好きではないが、その方が良い時と場合のあることは分かる。わたしも、けっこう使っている。だが「ざっくばらん」はまだしも、概して「ぞんざい口」は、使うのも、使われるのも、好きではない。

 学校の先生が生徒に、生徒が先生に。この「ため口」の応酬が、何もかも「根」の乱れではないか。言葉は心の苗だと謂う。そういう生徒が教室を巣離れし、成人しても、親になっても、社会人になっても、「ため口」でしか話せない・書けないのでは、日本の乱調子、どうにも歯止めが利かない。テレビのコメンテーターにも、司会者にも、「ため口」専らの者がいる。大いに得意そうに、横柄にやっている。井中蛙のツラの青さよ。

 もっとも「ため口」を俄かに改めて、明治の女学生のような「ご丁寧」である必要はない。用い慣れての自然な丁寧はゆかしいが、付け刃を無理にふりかざしては危ない。心もとない。自然な節度で、丁寧に話せて書ければ、いいではないか。時には心親しい「ため口」も佳いものだと思う。親しき仲にも「節度あり」は、回復させたい徳の一つだと、やはり思っている。 

 

* NHKテレビ指折りの好番組に、少年少女たちの「しゃべりば」がある。「喋り場」の意味だろう、とにかく、元気に、しかも突っ込んだ本音で、むずかしい学校の問題、青春の問題を、時間もかけて徹して議論している。「朝まで生テレビ」なんかに出てくる大人たちのように、物欲しげに売名的なスタンドプレーが無いだけでも、気持ちがいい。

 大人が司会しないで、その日のターゲット役になる子からの、切実な問題提起と告白をめぐり議論が白熱する。じつに雑多に、混ぜものめく顔ぶれを、取り替えないで続けているので、遠慮が取れ、集中度が増し、微塵もふざけない。

 おっ、そこまで言うかと思うほど、辛い、聞いていて涙の出る告白場面もあり、それにもジメつかず、十数人の仲間から間髪を入れない意見が交錯する。ビートタケシ司会の外国人番組に出てくる日本人ゲストより、この番組の少年少女たちはもっと身に痛い体験や問題をかかえながら、おめず臆せず議論している。例えば「苛め」ることが、どんなに楽しくどんなに苦しいかもごまかし無く語るし、苛められる子の問題とともに、苛めつつ苦しみ、苦しみつつ苛めを「楽しんでしまう」子らへの、的確な配慮も彼らはきちんと提言し、切望する。一応、一人の知名人ゲスト(今日はラグビーの大八木選手)が真ん中に坐っているが、誰が出ても、いたって影が薄い。「しゃべり」にかけては、今どきの子らに大人は勝てない。それでいいのだ。

 こういう「しゃべり場」をうまく多く創って、子供同士でも答えをみつけさせてやりたい、世の中が。

  2000 8・12 6

 

 

* 朝まで生テレビの司会でも日曜朝の番組司会でも、田原総一朗に、一つ目立ってきていることがある。「評論的」意見に対して手厳しく「おまえの具体策」を言えと迫っている。それはいいことだ。

 しかし、彼自身は徹底して評論・評価に終わっていて、彼の具体策を言ったタメシがない。そういう立場だとは言わせない、司会者として平静でなく、彼が圧倒的に沢山喋りまくっているのだから、自分を例外のような顔をしていてはズルイだろう。

 教育の深夜討議では、長芋のような顔をした田原の隣の男が、ヒヒヒ、ヒヒヒとせせら笑いの声をあげているのが聞き苦しかったのと、自民党の武見議員、高市議員の「国家」観の平板であること、「歴史を」と口にしながら、日本史における天皇と天皇制の理解などいかにも薄く、幼稚な認識に終始しているいるのにも、シラケた。

 司会の田原総一朗には定見というモノがあるのだろうか。番組により、その場その場で態度も発言内容も違って聞こえてくるので、信頼しにくい。久米宏や筑紫哲也には、さすがに、その不安がない。鳥越キャスターにもそういう不安はない。

  2000 8・27 6

 

 

* 夜は、山田太一の脚本になる「いちばん綺麗なとき」というドラマを「聴き」ながら作業した。以前に見ていたものの、ビデオでみた。八千草薫、加藤治子、夏八木勲のドラマ。演技者にも脚本にも申し分はなかった。最初に見たときも感心し、今夜も感心したが、最初の時にも感じたように、今夜も、いちまつ、趣向が過ぎて薄くなっているとも感じていた、内心に。

 山田太一のものには、ときどきそれを感じてしまう、感心しながら。台詞のうまさ、設定のにくさ、とても息子のドラマなど太刀打ちできないのだが。だが「手際」がみえて、そのぶん薄くなる。それでも、橋田寿賀子なんぞのホームドラマの、概念的でがさつな薄っぺらさとは、モノがちがう。

  2000 8・30 6

 

 

* 午後の囲碁番組で、石田芳夫九段の勝ち方には唸った。序盤から中盤へかけては、石田の白番がひどく形勢不利に見えていた。それを、死にそうに見えなかった黒のややこしい大石を攻め落とし、中押し勝ち。唸った。凄かった。

 

* 碁の途中を、妻に付き合いいつもの「新婚さんいらっしゃい」を見ていた。あとのゲームで、後攻の奥さんが景品を全部一人でさらっていった、そのさらいかたも喜び方も無邪気で可笑しかった。二組の夫婦が何一つ持たずに帰ることもあるボードゲームだ、全部を一人でというのは珍しかった。金持ち夫婦と貧乏夫婦の貧乏奥さんが一人勝ちしたのも面白かった。貯金夫婦の、「どうすると金が貯まるのか」という司会桂三枝の質問に、夫が、言下に「金をもたないことです」と答えていたのが印象的だった。その含蓄をもう少し聴きたかった。

 

* 昼の映画、ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」は、見たのは二度目だが、胸に深く落ちて良かった。この間は山折哲雄氏と「自然に老いる」ことで話し合ったが、グロリア・スワンソン演じる往年の名女優の執着は、すさまじかった。以前には厭な気分で見た記憶があり、若い燕のウイリアム・ホールデンの役にも共感しなかったが、今日は、よく映画的に筋道が通っていて、リアリティは堅固であった。ホールデンの表現にも納得した。

 

* 夜の映画は「ポセイドン・アドベンチャー」の焼き直しの気味もあったけれど、川の底を走るトンネルの破壊という極限状況を巧みに設定し、シルベスタ・スタローンのハートを、うまく活かしていた。二時間がとても長く、また短く感じられたほど映画表現に密度があり、娯楽映画に「徹した」良さが感じとれた。

 終日、ゆったりと過ごせた。いまから、もう一仕事する。

  2000 9・3 7

 

 

* 芝居の留守中に、澤口靖子の颯爽としたテレビドラマがあるというので、ビデオを用意して出かけた。出だしの少しをみたが、きびきびと美しい。たいへん楽しみ、明日にのこしておく。

 澤口靖子の夢は見ないが、ゆうべ、中山美穂といっしょの親密な夢を見たのがおもしろい。飲めない・飲みたい、ビールのいい広告写真が頭に焼き付いていたのかも知れないが、もともと彼女の佳い写真だけが理由で、NECのパソコンLaVieを買ったのだから、相当な贔屓にちがいない。若い健康な、遠くの方の美女というのは、危なくもなく、しかも老生を鼓舞してくれる。その点、若くても年寄りでも、男はたいした役には立たない。

  2000 9・9 7

 

 

* 朝、ジャック・レモンの映画を観た。魂の色の似た師弟、夫婦の、感動へ導いてくれる佳い作品だった。なかで、海と波のはなしが出ていた。ちいさな一つの波が大きな深い海をおそれる。べつの小さな波がその波に言うのだ、きみは海の一部、海そのものなんだよと。人の命の一つ一つがいかなるものであるかを、これほど豊かに言い得た話はなく、まさに、バグワン・シュリ・ラジニーシに聴いたはなしなのである、これは。ちいさな波が海にかえる。このはなしをバグワンに聴いたとき、どんなに心を打たれ安心しただろう。こういう感銘に比べれば、世間のことはおおかた灰色の塵のように引き沈んでいる。

 

* 午後ジェームズ・スチュアートとジューン・アリスンの「グレンミラー物語」を暫くの間みた。よく覚えている映画で感動作であるが、最期が哀しく二度最期まで観る気になれなかった。佳い夫婦であった。安きにつきかけた夫に「落胆したわ」とまで言って励ましてみせる妻、励まされ思い直して、よりいい創作へ勉強して伸び上がって行く夫。やすっぽい金銭的な成功に我とわが身を追い込んで行く夫、それを望む妻。そういう夫婦も世の中にはあろう、多かろう、不幸なことだ。ジューン・アリスンのような妻は、創作者には宝である。

 

* オリンピックの開会式。きっちり観た。とても、よかった。楽しくもあり、感慨もあった。子供の頃、六十五歳まで生きるだろうか、今世紀の最期に立ち会うだろうかと、よく想っていた。無理のような気もしたし、祖父は七十八まで長生きしていたから、六十五は不可能でない気もしていた。そんな感慨が、二十世紀最後の、紀元二○○○年のオリンピックを迎えて心中を去来した。シドニーに何の思いもあるわけではなかったが、先日の俳優座の芝居が流刑地シドニーを舞台に陰鬱であったことは思い出し、開会式とのコントラストに感慨があった。

 趣向の大きな、よく出来た構想と展開で、時間は一時間以上ものびたけれど、すばらしい開会式で満足した。

 

* ジュリア・ロバーツの映画は、妻にビデオ取りを頼んで置いた。数日出ずっぱりの疲れも取りたく、今日は短い原稿を二本書いて郵送し、ペンクラブ事務局に理事会報告をメールで入れ、OCR原稿を校正しただけで、比較的のんびりした。

  2000 9・15 7

 

 

* 「やわらちゃん」こと田村亮子選手が念願の金メダルをはやばやと勝ち取り、心の底からほっとした。よかった。あれほどの小さい名選手に、国民が挙って莫大なプレッシャーをかけ続けてきた。応援だといえばそれまでだが、気の毒な、申し訳ない気もわたしはしていた。他のなによりも田村選手の金メダルをわたしも念願していた。よかった。一本勝ちした瞬間の田村も、表彰台の上で国旗掲揚を見上げていた田村も、メダルに口づけしていた田村も、インタビューを受けている田村も、素晴らしかった。美しい佳い顔をしていた。こころから拍手、涙が出た。よかった。男子60キロ優勝の野村も金メダルを噛んでみせ、いい顔をしていた。男の顔だった。

 

* 朝早々に、女子トライアスロンで、伏兵のスイスが金と銅をかちとり、メダル独占の前評判のオーストラリアを圧倒した。最後まで一二位のデッドヒートがみものであった。そのオーストラリアは、水泳男子四百メドレーリレーで、不敗の歴史を誇る圧倒的な評判のアメリカを最後の最後に抜きさり、世界新記録で優勝を遂げた。興奮高潮のすばらしいデッドヒートだった。女子はアメリカがぶっちぎりの世界新記録で圧勝した。これも素晴らしかった。

 女子四百メドレーで日本の田島選手が、予想もしなかった凄い日本新記録で銀メダルに輝いた。金が欲しかつた、「めっちゃくやしい」と破顔一笑のインタビューもよかった。

 

* 大相撲は十四日目にして全勝の武蔵丸が八度目の賜杯を獲得してしまった。明日も勝って、二度目の全勝優勝をして欲しい。我が家では昔から、苦労して勝ち上がってきた異国からの力士達を応援している。

 

* 夜、デンゼル・ワシントンとメグ・ライアンの「戦火の勇気」が優れた作品だった。「ペリカン文書」のワシントンとジュリア・ロバーツが好きだったが、この映画のワシントンもきりっと感銘を彫り上げていた。ジュリア・ロバーツの昨日か一昨日かの映画で、昔の恋人の結婚式をぶちこわしに乗り込む映画はつまらなかった。「プリティー・ウーマン」のジュリアは「ペリカン文書」とはまたひと味違う美しさと魅力に溢れていた。メグ・ライアンでは「恋の予感」が楽しかったが、今夜のヘリコプターに乗った女指揮官の大尉もわるくなかった。俳優以上に映画としてよく出来ていた。

 

* ついでにビデオにとってもらっていた、とびきり美貌の澤口靖子鉄道捜査官のシリーズもの第一回なのかどうか、を、みた。例によってキビキビと、やや語り口はかたいが、ことばは明晰で、品のよさが、むしろ他と釣り合わないほどだ、が、終盤のクライマックスに来て、演技の進境も、ますますの美しさも見られて、その部分だけ二度観ておいて、テープごと「戦火の勇気」に切り換えた。

  2000 9・16 7

 

 

* 花籠さん  うん、あのラストだけは美しく緊迫感を出しましたね。よかった。「御宿かわせみ」の靖子は、仰せの通り微妙な大人の役どころを、いとおしいほど、しんみりと人柄よく演じ、大いに見直したものでした。総じて少しずつだけれど静かに巧くなりつつあるのかなと悦んでいます。みていて不快感の無いのが、わたしには嬉しいのです。

「オリンピックの顔と顔」と、三波春夫が歌っていた昔がありました。六十五歳に到達する壮大な「誕生祝い」をもらっている気分で、オリンピックをテレビで楽しんでいます。自分の日々を、自分の思いで盛り立て盛り上げ、ゆったりと暮らせるのがいいと思うのです。社会の色々にきちんと対応できることと、そういう日々とが、両立してこその人生なのかなあ。はんなり、ゆっくり、歩んで行きたいものです。月

  2000 9・17 7

 

 

* 午過ぎのテレビで、童謡の作詞で聞こえた齋藤俊夫と謂ったか、その人の生涯をあらまし見聞きして、「里の秋」に思わず嗚咽してしまった。佳い歌である。もとは戦時鼓吹きみの作であったのを、戦後に、初の引き揚げ船を迎えるに際し、三番の歌詞を改作したのが、じつに良かったのである。

 「尋ね人の時間」というラヂオ番組に、息をころして聴き入ったような時節であった。わたしなど、身寄りにそんな誰一人いない子どもでも、よそごととは思えずに聴いていたのだ。妻の父はインドネシアに出征していた。どんなに復員帰国の日を待ったことか、「里の秋」の歌詞は、そのまま母と自分との思いでしたと妻も涙をこぼしていた。

 なにを今さら感傷的なと笑われるかも知れないが、あの引き揚げ船を国を挙げて迎えていた日本の日々を、わたしは最も印象に色濃く残している。忘れてしまいたくないのである。それは「南国土佐をあとにして」という兵隊たち望郷の歌の話を聴いたときにもわたしを捉えた感情であった。笑われようとも、忘れはしないのである。思い出せば自然に涙が湧くのである。仕様がない。

 学校の先生であった齋藤が、敗戦とともに責任を感じて教師を辞職し、貧に堪えたという話も胸をうった。「里の秋」は美しい詩であった。「岸壁の母」という歌も、身につまされてじっと聴いた。

  2000 9・20 7

 

 

* ソフトボールが、カナダと初めて苦戦し、延長戦で勝った。柔道の百キロ男子が悠然とすべて一本勝ちで金メダルを手に収めた。水泳は苦戦しているが、野球は善戦している。サッカーも苦境を先ずは脱して決勝リーグ入りした。

 その一方で怪我に泣いている選手もいる。コンディションを保つのも難しく、コンディションを最良の時点へ盛り上げて行くのも難しい。選手選考の段階でハイレベルに仕上げ、オリンピックの場で下り坂という例もあるようだ。千葉すず選手が、的はオリンピックの時機に絞って調整しているのにと言っていた意味が、あの時にも分かっていたけれど、いま、まざまざと分かる。難しいものだなと、どの競技のうまくいった選手にもいかなかった選手にも、ご苦労さんと言いたい。

 2000 9・21 7

 

 

* ブラック・ピットとハリソン・フォードの「デビル」を観た。この若い方の人気俳優を初めて見たが、ペーソスをにじませて、なかなかの味わいであった。

 

* 女子水泳で銅メダルをとった選手の泣き顔も笑顔もよかった。柔道女子の重量級の銅メダルも立派だった。男子重量級で期待していた篠原が、決勝で明らかに一本勝ちしていたのを誤審され銀メダルにされてしまったのは、今回オリンピックの大きな汚点の一つになった。可哀想であった。伝えるNHKの有働アナが泣いてしまったのは珍しいが、折に適いそれも自然であった。日本中の悔し涙を代表してくれていた。

  2000 9・22 7

 

 

* オリンピック女子水泳、四百メドレーリレーで銅メダルを獲得したのは偉かった。とても良い締めくくりになり、嬉しかった。野球は同点で松坂投手を交替させたときに負けを確信し、あとを観なかった。サッカーも同点に追い付かれた追い付かれ方がまずく、負けを予感できたので仕事に戻った。やはり負けた。ソフトボールもビーチバレーもしっかり勝ち進んだ。頼もしい。 

 陸上男女百は、準決勝決勝を楽しんだ。順当勝ちマリオン・ジョーンズの笑顔が美しかった。ジャマイカのオッティが惜しかった。銅メダルをせめてと応援したが四着。しかし今日のオッティも、丈高く、女神のように美しかった。前のオリンピックで、人のフライングに気づかず、無念無想、独り半ばまで疾走したオッティのあの美しい走りを、わたしは忘れない。崇高なほどに見えた。今日の準決勝を、一位で駆け抜けたオッティのあの美しい姿を記憶に刻みたい。もうオリンピックを走るオッティには逢えないのだろうか。

  2000 9・23 7

 

 

* シドニーオリンピック女子マラソンで、高橋尚子が、すばらしい走りの、大きな大きな金メダル。終始安定した堂々の優勝で、35キロまで競り合っていた強豪シモンに、ついに一歩も前へ出させず、あざやかに振り切って大差をつけた。感嘆のほか無く、すかっとした。ほっそりとかすかな少女選手が咲かせた、今回オリンピックの大輪の華であった。胸のつかえがおりた。金と言われていて、金メダルを確実に取った。他の山口 (七位)市橋(十五位)二選手も健闘した。市橋は途中まで三位に入るかと思わせたし、山口ははやくに不運な転倒事故がありながら入賞にもちこんでいる。立派だった。

  2000 9・24 7

 

 

* ソフトボールは可哀想だが、予想通りの結果になり、銀メダルの二位。しかし優勝したのと少しも変わりない大活躍だった。なにしろ優勝戦を争ったアメリカをも含め、予選では全勝しての決勝戦であった。当然勝ったとも奇跡的であったとも謂えるのである。とにかく強かった。立派というもおろかな大奮戦、大勝利をおさめてくれた。拍手を惜しまない。シンクロナイズド・スゥィミングは、あまり好みではないが、銀メダルはたいしたもの。オレンピックももう終盤に入った。はや、こころもち寂しい心地もする。

  2000 9・26 7

 

 

* 男子陸上二百の準決勝に日本の二人がともに勝ち上がったのは、快挙といわねばならぬ。ファイナルはとても無理、よく二人ともここへ伸び上がったと嬉しくなる。女子一万の弘山選手にも期待をかけている。棒高跳びのブブカにも、めでたい花道をと、彼の久しい経歴に感謝したいほどの気持ちでいる。勝てば、奇跡だが、前回にも彼は奇跡を現じたのだ。

  2000 9・27 7

 

 

* ブブカが跳べなかった。奇跡はならなかったが、偉大な選手だった。「だれにでも終わりがあるのね」と妻は言い、「鳥人が大地に帰ってきました」というアナウンスにわたしは感謝の泪を流し続けた。すばらしい選手だった。前回の最後の最後の跳躍前に咆哮したブブカの凄まじい気迫と顔とに、わたしは励まされた。あのブブカ、同じあの時の孤独のランナー、オッティの二人を、わたしたちは愛して忘れない。

 2000 9・27 7

 

 

* 男子走り幅跳び、どたんばのみごとな逆転優勝が凄かった。男子二百決勝に伏兵のギリシァが金メダルをさらったのも面白いみものだった。

  2000 9・28 7

 

 

* 四百リレーが準決勝三位で決勝へとは、短距離日本勢、やってくれる。一六○○リレーでバトンミスがあったのは気の毒だが、それも勝負のうちである。

 マリオン・ジョーンズが走り幅跳びには勝てなかった。一人で金メダル五つなんてのは、多すぎると思っていた。十七歳の少女の、ハンマーなげに優勝したのがすばらしかった。新体操、体操の床、シンクロナイズド・スウィミングなど、人の趣味と主観とで採点される競技はあまり好まない。百メートルの疾走ではらはらするのと、演技の失敗にはらはらするのとは、味わいがちがう。綱引き、縄跳び、腕相撲を種目に入れて欲しい。

 今世紀最後のオリンピックともそろそろお別れかと、そぞろ寂しい。ジャマイカのオッティが女子四百リレーか八百リレーのアンカーに出るかも知れないと聞いた。そうだと嬉しいが。どんなメダルでもいい、上げたいのだ。

 2000 9・29 7

 

 

* さ、オリンピック閉会式が始まると、階下から妻が呼んでいる。

 

*美しいギリシァの神女たちの手に厳かにオリンピック旗が渡って、今世紀最後のシドニー・オリンピックは果て、歌う清い少女の頭上で聖火は天上へ飛び去った。盛んな直会の宴が続いている。サマランチ会長の挨拶にも実があった。

 少年少女たちが歌い上げたギリシァとオーストラリア国歌もさわやかであった。世紀末の健康な祭典を、選手諸君、有り難う。ブブカ選手がIOC委員に選手団から選ばれ、第一番に登場したのも良かった。さ、終わったのだ。もう三ヶ月で二十一世紀。わたしは十二月二十一日に満六十五歳になる。

 子供の頃に何度も指折り数えて、半信半疑だった。そこまで生きているだろうかと。それが昨日のことのように思われる、ほんとうに。兄恒彦にも生きていて欲しかった。

 2000 10・1 7

 

 

* 妻が定例の病院に行き、わたしは終日家でゆっくりした。仕事もしたし、黒い少年とも遊んだし、手紙も読んだ。「戦火の勇気」という、題はうまくないが一級の戦争映画を、また観た。映画そのものが、いい。良く描けている。

  2000 10・5 7

 

 

* 秦建日子作のどらま「編集王」には、見ようによれば「マンガ」を介しての批評的な問題や問題意識が角を出していて、今後の育ち方しだいで、或る意味も意義も持てるかも知れない。愚劣で弊害のあるマンガ雑誌というのが確かに在るのだろう、手にしたことが皆無絶無でわたしにはしかとしたことは言えないが、玉石混淆しているのだろう。そして、自然な反応として愚劣な者への反感と反対運動も生じるのは分かる。分かるけれど、そういう動きの根の部分に、往々にしてまた愚劣な偽善や反動や臭みのからんでいることも否めない。遠回しに言えば官憲や行政の権威にすり寄りながら、自分たちの基本的な権利を貢ぐようにお上に返上している動きにも成って行く。だがまた、出版や編集の野放図に自己肥大した言論表現の自由の名にかりた愚劣な儲け主義がはびこっていて、それこそが諸悪の根元なのであることも、もっと自覚し、自浄化してもらわねば困る。それをやらないから、日弁連ほどの巨大な弁護士団体が、強制的に官憲と協力して愚劣出版や報道に向かい、刑事罰を背景に吶喊しようとするのだ。それが出版や報道の規制に止まらずに、拡大されて市民的な「個」の権益の強制的な取り締まりへまでも拡大して行く道がつくられ、結果として官憲がほくそ笑んで便乗拡張の引き金を用意しているのと異ならないことになる。堪らない。

 

* 「編集王」が、そういう風潮や潮流に警告できるほどのおもしろい鋭い視点を見失わないで呉れるといいが。

  2000 10・11 7

 

 

* 建日子脚本の「編集王」第二回を見た。編集といっても文藝ものでも専門書でもない、マンガ雑誌の編集である。とは謂え、編集の難儀さは編集者を十五年経験し、編集長らしき立場にもいて識っている。作家としても編集者たちとは三十年以上も付き合ってきているから、苦労も楽しみも嘆きも十二分に察しがつく。受賞して文壇に出た頃のわたしの新聞紹介記事には、「A級の編集者」としてあることもあった。上司が記者の取材にそう持ち上げてくれたのだが、わたしは編集の仕事が好きで、誇らしかった。今でも好きだし、それだから「湖の本」が出せるのである。編集者がどんな気持ちでいるかも、編集者と付き合う作家からみた編集者の言動や内心も、よく知っている。

 むろんわたしの場合は医学研究書の編集者であったし、作家になってからは、いろんなタイプの出版社のいろんなタイプの編集者に無数に出逢ってきた、だが、マンガ編集者との付き合いはない。それでも、分かるのである、いいもわるいも。

 建日子のテレビ仕事の、敵は、目的は、「視聴率」であるようだが、マンガ雑誌では、一にも二にも「売れ部数」であるだろう。いいや医学書の場合ですら、「いい本」と「売れる本」とは常には重ならなかったし、「売れない本」は「いい本」とは無条件には言われ難かった。だいいち、わたしは「いい本」を企画出版したり、自分でも書いてきたつもりだが、そして「わるい本」と言われたりしたことは一度もないが、残念ながら会社時代も作家時代も、たくさん「売れる本」では先ずなかったから、著者としても編集者に対しても、微妙な立場にいつもいた。わたしは、だが、その微妙さの中で自分を曲げなかったし妥協もめったにしなかった。出来なかったという方が当たっている。

 建日子は、およそそういうオヤジの仕事ぶりを見知り聞き知っているから、歯がゆくも思ってきただろうし、少しは敬意も払ってくれていると思われる。

 今度の「編集王」では、そういう彼なりの体験や見聞もいくらか作に反映させやすいだろう、また、ガムシャラに売らねばならない「編集長の立場」ではなくて、その反措定役の熱血青年を主人公にしているのだから、或る意味ではわたし寄りのものの考え方や受け取り方に近いところでドラマを書くことが出来ている。そしてまた、秦建日子の、すこし甘いめの優しさや素直さも、わりとまっすぐに持ち出しやすい場をしめなて脚本を書いているらしい。つまり、これは、いい仕事に出来る、出来やすい仕事をしている、と言えるのである。そのメリットが、今夜の二回目にわりと素直に出ていたと思う。

 無意味なわるふざけに走り過ぎなければ、これは脚本家の「地」にふれて書ける題材であり、うまく書けば質的には出世作に成るかも知れない。そう、今夜は思った。好調に行っている、そう思った。主役の原田泰造が悪くない、またライバル役の女優京野ことみが感じよく演じている。大竹しのぶもとてもサービスしてくれている。ほかにも好感の持てる役作りの脇役もいて、このドラマ、案じたほど脱線はしていないようだ。

 とはいえ、女性の大勢乗ってくるタチのドラマではなく、「視聴率」にはきっと恵まれまい。わるくすると、放映打ち切りのピンチもかくごしなければなるまい、そんな厳しいことも予測される。そんなことには、しかし、腐らないでもらいたい。

 2000 10・17 7

 

 

* 異相尾上辰之助の三代将軍家光役がはまって、この俳優の強いバネのような魅力が光り初めてきた。以前、「大石最後の一日」で細川の殿さん役を凛々と若さで演じ、冴えた役者だなと思った。もう何年も前だ。祖父松緑ばかりか若い父の辰之助にも早く死なれて、新之助や菊之助にくらべて可哀相な気がしていたが、凛々しくつよい役者になってきたのが嬉しい。テレビではアップが利く。彼の異様に光るまるい眼が、ピンと張ったまるい頬とつろくして、この異相が瑞相になればいいと思う。西田敏行ほどの俳優が、並んで普通に見えてしまうほど歌舞伎俳優の底光がすごい。

 

* サンドラ・ブロックの「インターネット」が面白く、惹きつけられ、手に汗した。この女優は「スピード」で好きになった。いつもは元気いっぱいなだけとも言えたが、今日のプログラマー役は厳しかった。敢闘していた。器械にさわっているので、何となく題材にのりやすいのであるが、それだけの魅力ではなく、ネット社会が曝されているサイバーテロの恐ろしさに肌に粟立つのでもあった。「エシュロン」「サイバーテロ」この魔の手の巨大さは、明らかに「核」に匹敵している。そういう点にも目を向けずに「IT革命」の何のと浮かれている森内閣の薄さ軽さバカさ加減には、だんだん、言う言葉もなくなってきた。

 2000 10・22 7

 

 

*  昨夜は「編集王」しっかりと観ました。ストーリーも役者の演技も佳いのに、劇画的なシーンがとても下品で、目を背けたくなります。狙いはたとえそれでも、損をしていますね。あれでは、若い女の子は敬遠します。あの時間帯は、その人達の心を掴むものでなきゃ視聴率は上がらない。娘も勤めから帰ってましたが、「それはちょっと敬遠」と、別のテレビで他のドラマを観てました。「(建日子さんの)芝居を観た時、面白く、とても佳いなあと思えた、あんなレベルの物を書いて欲しい」とも言っていましたよ。

 

* このメールの通りである。もっとも、「視聴率」が上がればそれでいいとは、わたしは、少なくも考えていない。なにが何でも「視聴率」に媚びた、すり寄った、そんな仕事がいいわけがない。若いのに藝達者なんかであれば、いくらかは気味がわるい。若者が「藝」のなさをふっとばして補いうるのは、烈々の意欲と志しかありえない。まだ職人づらするのは厚かましいのである。職人藝の人の徹し方を知らないのだ。なめてはいけない。

 視聴率でピンチなら、それも経験。あてがいぶちに「パンツをぬげ」と言われて脱ぐのはいい、工夫のある脱ぎ方を見せて欲しい。落語の中村仲藏「定九郎」の意地と工夫。苦労したから幸運も来たと円生の藝が語っていた。仲藏も名人になった。円生も名人だった。だが、彼らの藝がなにも最上とは限らない。いくらたとえ「視聴率」が上がろうと、そういうやりかたはしないと、例えば志賀直哉なら突っぱねる。そういう藝もあるのだ。

 いろんな「藝談」がある。わたしも読んできた。いいものほど、応用は利かない。だいじな藝は、自分で創って磨くしかないのだ。 2000 10・25 7

 

 

* 「編集王」には参った。気が散った。二人の若い女優は好きだが。主役のマンガそのもののような男優もわるくはないのだが。息子の書いているものだから見ているけれど、他人のものなら、振り向きもしない。

 2000 10・31 7

 

 

* ミア・ファローの「フォロー・ミー」を同窓会で妻が留守のうちにビデオでみた。監督はセシル・B・デミルだったか。画面の佳い、まずまずの仕上がりであったが、やや図式的に人物を作って構図も作ってという、パンチにやや乏しい、小洒落た映画であった。ミア・ファローは「ペイトン・プレース」の昔からの懐かしい女優だが、この映画では可もなく不可もないヒロインだった。批評の角度のちょっと面白い、それがプラスでもマイナスでもあるような映画だ。

 夜には「釣りばか日誌」をみた。平社員ハマチャンと大社長スーさんの、現実には在りうべくもない「身内」の情。これに尽きる。小林ネンジと吹雪じゅんとの物語は平凡なモノであった。裏番組をコマーシャルの時にだけみていたが、自民党のごたごたを評して外国人のコメンテーターが、明解な日本語で明確に「根本は首相を密室で選んだ選び方がわるい」と言い切って、それだけ聴いて、大きく頷いた。一切がそこから始まっていて、絶対にそれは容認しえない。

 日本赤軍の重信房子逮捕と彼女の昂然とした元気さは印象的でありながら、また「ある種の時代錯誤」をそれに見ていた若い女性のコメンテーターの言にも、うなづいた。大きな感慨はわたしにはない。公正な裁判がなされるように、また、なぜ重信のような人たちが何十年もにわたって「志」のようなものを捨てずにいたか、その背景を、より正しく評価したい、いや、して欲しいと願う気持ちがある。

 2000 11・11 7

 

 

* やがて「編集王」の放映時間なので階下へ。

 昨日の会議の席で、はじまる前であったけれど、建日子が「編集王」の脚本を主に担当している(十一回の八回分とか。) 話をしたら、猪瀬氏が、三十一や二で連続ドラマの脚本書きの芯の役が担当できる、それだけでも幸運なこと、どんなに辛いいやなことがあっても、いつかはと歯を食いしばって粘り抜き頑張り抜き、したたかに現場の泥を呑んだ方がいいと、真面目な話であった。いま辛抱して、その結果としていつか思いのままのいい仕事をすればいい、今は泥水に首までつかってガンバレと。

 そのまま、建日子に伝えて置いた。 

 2000 11・14 7

 

 

* 今夜の「編集王」には脚本家のモチーフが生かされていたようで、それなりに、平凡だがそつなくやっていた。どういうメッセージを伝えたいのか、もひとつハッキリ読めなかったけれど。東大を出たというお嬢さん役にはあまり魅力がなかったが、編集部の二人の女性は佳いではないか。主役の原田泰造も、評判のわるい夜中の番組を知らないので、このままなら、なかなかのもので、好感が持てる。

 2000 11・14 7

 

 

* 昼間に「ニキータ」というテレビ映画(?)を見た。ニキータは何種類か映画化されていて、気が付けばみな見てきた。ぐれていた少女が逮捕された後、秘密裏に訓練をうけて殺し屋に仕立てられる。訓練に落第するとそのまま「消去」されてしまう。そのドンづまりの中で、人間性と女性とにめざめながら殺戮の使命に応じ続けねばならない。そういう極限状況を生きている美女ニキータは、なみのドラマのヒロインよりも胸に堪えるものをもっている。昏い魅力だが執拗に胸に残っている。

 2000 11・16 7

 

 

* 寒い一日。送本のための挨拶を一人一人に書き続け、そのあいだ、ビデオの「デイライト」シルベスタ・スタローンを耳に聴いていた。ときどき手に汗して見ていた。「ポセイドンアドベンチャー」とどっちかと言えば、あのジーン・ハックマンもよかったけれど、スタローンのハートのある映画をとる。「クリフハンガー」でも、シャロン・ストーンと撮った殺し屋の映画でも、むろん「ランボー」でも、スタローンはなかなかいいところへ観客を運んで行く。ほろっとさせる。

 香港映画の「グリーン・ディスティニー 臥虎藏龍」が面白いですよとメールで勧められている。映画館には行きたいがなかなか機会がない。

 2000 11・17 7

 

 

* 少し陰気に寒い一日だった。依頼原稿を書いて送って、時間をとるこまごまとした仕事を少しずつ前へ前へ送りだして。ヴィンセント・ミネリ監督の「花嫁の父」をまた見終えて、大笑いし、しんみりし、最後にまたちょっと涙を流した。ビデオを永久保存版にした。

 2000 11・19 7

 

 

* 湖の本の荷造りをしながら、映画「グッド ウィルハンティング=旅立ち」を、何度目か、見ている。不幸に育った孤児に埋蔵された数学の天才が見いだされるが、かれは誇りを見失うほどのトラウマを抱いて、恋もうまく出来ない。フィールズ賞の受賞教授が学生用に呈示して置く廊下の黒板の数学の難問を、掃除アルバイトの彼はひそかに簡単に何度も解いておき、それに気づいた教授が何とかして彼を学問と学界とのなかへ引き込もうとするが、ことは簡単でなかった。

 優れた映画で、主役を演じる青年がすばらしいが、名前はおぼえにくい。ヒロインにもう一段の魅力が有ればと惜しまれるが、何度見ても、青年と、深い絶望を抱いて生きてきたサイコロジストの教授との「身内」化してゆくプロセスは美しく、感動に溢れる。

 どんなに話題になろうとも、例にしてわるいが大島渚の「御法度」や北野武の受賞映画などに、こういう深い感銘は得られなかった。

 同じことは村上龍の、初めて読みかけた『限りなく透明にちかいブルー』にも謂える。文藝として高名を得たとは思いにくく、この思い切った材料が時勢を刺激したのだろうか。だが、そんな効果なら古びて行く一方だ。刺激は幾らでも変わって行く。いまどき『太陽の季節』の障子破りにおどろく者はいない。あれに驚かなくなれば、それ以上にあの作品に文藝の命があったろうかと疑わしくなる。村上龍の作品で致命的に響いているのは文章に「読ませる」勢いが失せていて、ボソボソのつなぎのわるい蕎麦を噛んでいるみたいなところか。文章が死んだ状態で刺激的な場面が連続すると、無声のバイオレンス効果が出てくる。それが意図的に狙われていたのかどうか、だ。文庫本の解説が苦労して無理無理に褒めよう褒めようとしているのが可笑しかった。あの作品だけでは、やはり村上龍の今日はなかったろうなと、余計なことを思ってしまった。それは石原慎太郎も同じだ。芥川賞作品は二人の場合ともに、ジャンピングボードだった。継続して仕事の出来るヒトの場合はそれで良いのだろう。

 いずれにしても先の映画の感動の深さとは、モノが違うように感じられる。映画なら「見る」文学なら「読む」というそのこと自体が嬉しくて堪らないような感銘、そこに藝があらわれる。ファシネーションの発光。

 2000 11・29 7

 

 

* 遅くまでこつこつと荷造り作業をつづけ、その間に映画「H少年」を「聴い」ていた。かなり「観て」もいた。十分に事前の用意がしてあるので、半々に目を配りながらでも仕事が出来る。で、映画の後味は清潔で懐かしく、いいものであった、何度観ても佳いものは佳い。

 2000 11・29 7

 

 

* 今夜のテレビ映画はつまらなかった。あれなら、その前の、澤口靖子の「科捜研の女」で京都の景色などを見ていた方が良かった。

 2000 12・7 7

 

 

* ジョン・トラボルタ、ニコラス・ケージ主演、ジョン・ウー監督作品の「フェイス・オフ」がとても面白く、ダイハード級に楽しめた。もうけものであった。テンポのよさ、思い切りのよさ。中味など何もないバイオレントな娯楽作品だが、ハートに響かせる物も持っていた。正味二時間が映画的によく詰まっていた。

 2000 12・9 7

 

 

* 出かける気でいたが、実業女子駅伝をみていたり、そのうちに、ワインで牛肉が食べたくなって食事にしながら、映画「ベニー・グッドマン物語」を見始めて、映画の出来はともかく、演奏されるジャズの名曲の数々に感激してしまって涙さえ浮かべながら時を過ごしてしまった。ドナ・リードという、名前ばかり懐かしい女優の映画は初めてみたような気さえする。

 満腹して、それから、あれやこれや身辺のかたづけを始めてしまったので、すっかりでそびれた。通り雨に足を止められたというと、雨に気の毒か。

 

* 階下でいま大河ドラマの「秀忠終焉」をやっているが、どうも人の死ぬと分かっている場面をわざわざ見たくなくて、器械に触れている。徳川秀忠は家康と家光にはさまれ、あまり過去には触れられなかった将軍だが、わたしは、はっきり『秀忠の時代』と謂うべき時代があって軽視できない難儀な時代であったことを、京都の側から見て、書いたことがある。

 秀忠を俳優西田敏行みたいな男とはイメージしていなかったが、、西田はさすがに面白く演じてくれて、家康の津川雅彦に見劣りしないキャラクターを表現したと思う。家康には既製のイメージが出来ていた。レディメードでやれる役柄である。家光にもそれはある。だが秀忠や妻のお江には一般にレディメードの下絵がなかった。岩下志麻のお江はことにやりにくそうであったが、やり遂げた。西田も秀忠の造形に成功して、楽しかったろうと想像している。秀忠の死でもうこのドラマは終わったに等しい。家光の、鎖国と切支丹、柳生の剣や、寛永文化や慶安太平記などは、また別のドラマになる。

 春日の局は、わたしはミスキャストだったと思っている。この女優のよさというのが私には掴めない。 

 2000 12・10 7

 

 

* ジョーン・フォンテインという女優は、多くも五本の指に入れるほど好きな、美しい、品のいい女優だ。彼女の映画「哀愁」を全編は見られなかったが、それでも満足した。相手役のジョセフ・コットンにはあまり惹かれないが、彼の妻の役を演じていたジェシカ・ダンディーは忘れがたい味わいの佳い脇役で、いつ見ても心惹かれる。だがフォンテインの魅力は図抜けている。美しいということは、かくも決定的であるかと思うものの、必ずしも美しいだけではない、人品に惹かれるのである。原節子に通じるのは若き日のエリザベス・テーラーと、成熟したジョーン・フォンテインのように感じている。こういうラチもない評判をしていても、美しい人の話は楽しいものだが、これぞ闇に言い置くだけのことである。

 2000 12・12 7

 

 

* 秦建日子がもっぱら書いていた連続テレビドラマ「編集王」は昨夜で終えた。最後までマンガっぽいものであったが、主演の原田泰造はじめ主なる「編集室」の演技人は尋常によくやっていた。原田泰造のキャラクターは好感の持てるものであったし、女優二人も気持ちよかった。視聴率=売れ行き、はサッパリ良くなかったようだ、当然だろう。そういうものを厳しく批評している「編集王」を、そういうものだけが神様だと考え愚劣さとも平気で妥協して行く「テレビ」が作っているドラマなんだもの、自家撞着も甚だしいのである。脚本家の苦渋推して知られるが、そのわりには、そんな「テレビ」の強烈な制約をうけながらも、曲がりなりに「編集」を書いていた、演じさせていた。

 考えてみると、この程度にも「編集」の苦渋や日常を書いた小説もドラマも映画も、少ない・無い、のが現状なのであり、一つの足跡を息子達は印したのだと思ってやりたい。 2000 12・20 7

 

 

* 誕生日のお祝いに、三原橋ヘラルドの試写室で、「リトル・ダンサー」の試写を妻と観てきた。どういう縁なのか「お二人でどうぞ」と招待状に書き添えてあった。試写室は、すばらしく見やすい佳い場所だが廣くはなく、すぐ満席で追い返されてしまうので、電話で前もって二席分確保を念押しして置いた。おかげで定刻三十分前に行って無事入れてもらえたか、列を成していた大勢の人が断られていた。かなりの前評判と見えた。

 最高に見やすい席で、ゆったり観られた。そのせいでというワケでないが、映画はすばらしい感動作で、最高級の芸術品と言い切れる。全英でも全米でも歴代の高位を占める評判であったというが、さもあろう。地味な作品といえば地味なものであるが、深く訴えてくる。沸き返ってくる感動がある。少年が主役だが、大人達のワキのかためも完璧であった。バレエという芸術の世界と激しい炭坑の労働争議とが、違和感なくみごとに綯い交ぜられながら物語が盛り上がって行く。サウンドの魅力も充実し、そして当然にも少年のバレエ、少年が立派に芸術家になってのダンスが、電気に撃たれるようにみごとだった。劇的なうまい映画の手法に、さんざ泣かされてしまった。満たされて幸せな、六十五歳誕生日の映画鑑賞であった。

 2000 12・21 7

 

 

* あまり寒いので台所の妻の器械を借りて、雑誌「美術京都」の対談の手入れを進めた。昼に、キャサリーン・ヘップバーンとヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォンダの佳い映画があった。以前に二度ほど観ていて、映画の出来のいいのはよく知っているが、つらくて、今日はやめた。晩には、仕事しながら「ナバロンの要塞」を楽しんだ。これは最高の部類の戦争もの娯楽大作で、何度見てきたか知れない。グレゴリー・ペックもアンソニー・クインもデヴィッド・ニーブンも好きな俳優だ、原作も面白かったが、映画の効果は大きく、骨の太い作品になっている。

 今この器械でこの「私語」を書くのに、妻の、マリ・クレールの細い手袋を借りている。細い毛糸なのでぴちっとわたしの手にも添い、多少気になるが、とても温かくキイにもマウスにも触れられて有り難い。手先や足の冷え込む年齢になった。 

 2000 12・28 7

 

 

* キムタクこと木村拓也と常盤貴子のドラマ「ビューティフルライフ」を、夕方ごろ、歳末の特別番組か、つづけざまにやっていた。この二人が、とくに役者として意識したこともなかったキムタクが、じつにうまい、とくに科白がうまいのに、感嘆した。常盤の独特の魅力はよく知っているつもりだが、このドラマで車椅子に乗っての役柄は、これまでの中でも一二の魅力を光らせていると思うが、キムタクがいささかも負けていない。これに感心した。いい場面では泣かされてしまった。しかし、幸せな結末ではなさそうなので、二階へ避けた。昼間の「愛と追憶の日々」であったか、シャリー・マクレーンがおばあちゃん役の映画でもそれは同じで、よう見終えなかった。映像の中でといえども、あまり「死なれ」たくはない。

 2000 12・29 7

 

 

* いきなり約束を破って、また三時になっているのは、勧められていた映画「グランブルー」を観ていたから。美しいが、畏れと哀しみに充ちていた。水に惹かれ、憑り添われる心地の、昔から身内に常にあるわたしには、この映画は懐かしくも怖ろしくもあった。主役の他にジャン・ルネがとてもとても佳いが、もう一人、ヒロインのスザンナ・アークエットが、もう一度逢いたい逢いたいと願ってきた女優だった。以前、ジャン・クロード・バンダムと「脱獄者」を共演し、セクシーな魅力満点の好演技をみせていた。ビデオで何度も観てきた。思いがけず、「グランブルー」で再会したのは拾い物、いい場面をたくさん見せてくれた。彼女がいなかったら、この映画、やはり哀しみに追われて、途中から避けていたかも知れない。但し避け方は、「黄昏」などの場合とはちがったろう。この映画の主役は水であり、海であり、そういう名の故郷である。その故郷へ抵抗どころか、すすんで帰って行きたい、海に潜ればもう上へ上がりたくないと真実深く深く願っている二人の幼なじみの男達。主人公は同じ潜水者の父をその海で失い、また身内の友を、末期の願いに頷いて同じ海の深く深くまで送り返してやる。それが、美しくて悲しくてわたしは辛くて憧れて泣いてしまった。いまも泣いている。そして、さらに主人公の男もみずから体不調を覚悟していながら、友を追い求めるようにして深海に潜って行くのだった、自分の子をみごもった最愛の地上の女を海上に遺したまま。そのラストシーンのせつなさは、堪らなかった。妻はもう寝入っていた。深夜に、独りで観ていた、泣きながら。遅くからの長い長い美しい映画であった。

 

* 映画の前には、「美空ひばり」の歌と映像とトークにも、三時間付き合って、やっぱり涙を流した。

 今世紀のとじ目に「ひばり」とは嬉しい企画であった。少女時代の歌のうまさ、ある時期のひばりの美しさ。愛燦々、みだれ髪、悲しい酒、川の流れのように、など、挙げればキリのない魅力の歌唱。この人ほど棺を覆うてまさに声価定まった、安定し持続した天才はすくない。へんなことを言うが、もうあの世には「ひばり」がいる、それだけでも、ふと向こうの世界が懐かしい気さえしてしまう。

 

* さ、遅くなった、また勝田貞夫さんにあやまらなくてはならない。

 2000 12・30 7

 

 

* 映画「グラン・ブルー」をもう一度見た。確信をもてた、自分の見方でいいと。

 身勝手な男が、愛情ふかい今しも子まで宿した女を捨てて、自殺行為に出た映画だというのは、浅く見れば現象的にはそのようであるが、ちがうと思う。海という自然の深い美しさを、人の愛とともに、親和的にとらえたロマンチックな愛のストーリーに過ぎないとも、思わない。

 海から生まれて陸に育ったものが、根源の海に帰って行く、むしろ神話にちかい畏れを描いている。地上的なものは、女がやがて男の子を産むことに象徴されている。日本の神話のさかさまで、男たちが、父と友と己れとが海へ深く深く帰ってゆく。いるかに象徴された深海のイデアルな「身内たち」の実在が、誠実に信じられている。海に深く入って行けば、もう、上(地上)に戻って行く「理由がない」という畏れに満ちた言葉には、また根源の憧れの秘められてあるのが、わたしには分かる。わたしにも、そういう思いが深く在る、昔から。

 「戻る理由がない」という主人公の述懐は、あらゆる世俗の論理を破砕してしまう力をもっている。それが分かる。

 

* 海はすごい。水はすごい。そのすごみを少しも見ぬまま「水」をテーマのシンポジウムなどが、現世・地上の理屈だけでもたれていたりするのを聴くと、読むと、逆に、「戻る理由がない」というこの映画の男たちの「憧れ」の強さ、「断念」の深さが分かる。

 2001 1・2 8

 

 

* すでに大勢の方から反響があったと思いますが、テレビの週刊ブックレヴューで、次週、「湖の本」が取り上げられますね。とても良いことだと思います。マスメディアの影響は大きいですから、どのような波紋なのか興味があります。もっとも、発送の手作業の範囲を超えるようだと、これまた問題でしょうし・・いずれにしても、どなたが取り上げたのでしょうか?秦さんはご存知なのでしょうか。次週が待ち遠しいかぎりです。そういうときに限って見過ごしてしまいがちですから、よほど気をつけたいと考えています。

 竹内(整一)さんへの賀状にも書いたことなのですが、以前飲んだ際に、「秦さんにいいと知ってもらえる仕事を、一緒にやりましょう」と言われ、共感したことを覚えています。いずれそういう共同作業ができるといいですね、と。

 今年は、もうすこしキーボードに向かう時間をとりたいと思います。お会いできるのを楽しみにしております。

 

* この番組は、まったく見たことも聞いたこともなく、どこでどう見るのかも知らない。『日本語にっぽん事情』の巻を取り上げるのか、「湖の本」シリーズとして取り上げるのか、それも知らない。本屋さんに本のない本を取り上げるのはどうなのかなと、わたしの方で心配している。わたしのところにも、もともと、そんなに多く在庫の在るわけもなく、「マスメディアの影響」がアタマの上をどう無事に通り抜けて行ってくれるか、だ。わたしは、ただ、佇んでいる。息子へのメールのついでに、たぶん、BSだろうけれどと伝えたが、もしそうなら、わたしの家では見られない。BSを見られるようにするのは簡単だが、映画の魅力に引きずられ、仕事や外出にしわ寄せの行くのは努めて避けたく、そういう誘惑には、乗らぬようにしている。一頃は、息抜きに、器械で碁や麻雀も楽しんだが、いまは全くその気もなくソフトも削除してしまい、忘れ果てている。

 しかし、昨日白澤さんに聞いたが、彼女の使っているソニーの器械だと、テレビがそのまま映るのだと。そういうことを聞くと、つい、それもいいなと思ってしまう。映画の映せるパソコンの話などを耳にすると、耳がピンと立ってしまう。さしあたり、早く、シグマリオンを買いたい、買うぞと、息子に伝えてみた、が。

 急務は、だが、「e-文庫」の増頁なのだ。どうも怖くて、まだ自力で手が出せずにいる。

 2001 1・7 8

 

 

* 長田渚左さんが、佐高信氏らとともに『日本語にっぽん事情』をBSテレビのブックレビューで親切に紹介してくれている番組ビデオを、友人に送ってもらい初めて観た。うまく問題点や力点に、三人の評者も、司会の木野花さんも、正確に触れてくれていて、著者として有り難かった。書店に置いてないので視聴者からの注文は数冊に止まっているが、それは構わない。拾う神があって親切に拾ってもらえたことが嬉しい。城景都氏の表紙絵がとても美しく見えたのもよかったが、わたしの顔写真がブラウン管いっぱいに映ったのには閉口した。

 2001 1・19 8

 

 

* 久しぶりに初見の大型活劇映画「エア・フォース・ワン」を観た。ハリソン・フォードはやや神経質に唇をゆがめるところなど、そうご贔屓ではないが、演じる映画には相応の筋が通っているので、数を観てきた方だ。「逃亡者」や、ジャック・ライアンものは、いつもそこそこ魅せられているが、今夜の、米大統領が専用機をハイジャックされ、妻子を守り抜くためにも機内で最後まで奮闘努力する姿は、いかにもアメリカものらしい。不幸にして日本はこういう理想的に強い首相を持っていない。理想のかけらもなく党利党略を恣にし、政治権力を、国民抑圧のためにしか用いようとしない政治屋を飼っている日本国民の不幸は、目に余るものがある。悲しいとも何とも言いようがない。理想のために悪を敢えてするのならまだしも、利欲のためにしか権力を行使しない。

 こういうもの言いを、現実家は、たんにわたしの不平不満の故にと説明したがるであろうが、わたしは、土岐善麿のこんな歌を大切に思い、胸にいつも抱いている。

 

   とかくして不平なくなる弱さをばひそかに怖る、秋のちまたに。

   人の世の不平をわれにをしへつるかれ今あらずひとりわが悲し

 

 あとの歌の「かれ」とは、石川啄木のことである。わたしは、善人でありたいなどと自分を特別に拘束したりしない。ことに、「公」に対し、その無能と暴虐を批判すべくする悪ならば、世の「私」たちに甚大な迷惑を及ぼすわけでない悪ならば、あえて避けて歩もうとは思っていない。「公」の「私」を侵す犯罪のあまりに増長していることをこそ憎め、「私」がそのような「公」に小さな弓を引くことを悪だとは少しも考えていない。

 2001 1・19 8

 

 

* 映画「エアフォース・ワン」をもう一度見た。家族と理想と正義のために米国の大統領が、テロにハイジャックされた大統領専用機の中で一人闘い抜いて克つ。もとより作り話でしか無いが、こういう事件が絶対起こり得ないとは言えないし、そういうときに、このような大統領をもって「再選に値する理想の人」とする意図で創られた映画なのは、全くのところ間違いないだろう。こういう映画がマジで成り立つ基盤もアメリカは持っているわけだ、日本でこのような理想的な総理大臣映画など、たとえ作り物語としても発想され得ないのは明白だ、あまりにもリアリティーの基盤が崩壊しすぎている。十人の内八人以上が支持していない総理大臣とその内閣にわれわれは餌を呉れているのだ、なんというひどいマンガだろう。

 2001 1・22 8

 

 

* 夕方、広末涼子と小林薫の映画「秘密」を、中途から見始めて、したたか泣かされてしまった。この映画は、出来た頃のキャッチフレーズをみて、すぐ、ねらいを理解していた。広末はその当時早稲田通学問題であまり評判が良くなかったけれど、奇妙に気になる、好きになれないのに気になる女優であったため、さて、この子にこういう微妙な役が出来るのだろうか、出来るとして配役されているのなら、相当評価されている演技者なんだなあと遠くで思っていた。好んで映画館へ見に行こうとは考えなかった。

 最近、彼女が役所宏司とのビールのコマーシャルのなかで、泡の膨らむジョッキをみながら、「きれい。コマーシャルみたい」と言うせりふのさりげない旨さに、感心していた。コマーシャル写真の中で、役所の手でうまくつがれたビールの琥珀色と泡とを、「コマーシャルみたい」と口にして極めて自然というのは、たやすい芸当ではない。が、こともなく広末涼子は呟いていた。

 その広末の「秘密」がテレビで見られるとは、思いがけなかった。

 母娘で交通事故に遭い、母は死んだものの、生き延びた娘の肉体に魂として生き移り、娘の存在が実質失せて夫と暮らしてゆくのである。見た目は娘のまま、妻の心と言葉をもって夫との生活をはじめるのだ、なかなか巧みな物語を、ベテラン小林と若い広末とは、悩ましくも緊密にうまく演じていた。そして、不思議の日々は「現実」の前にいろいろに揺れ動く。

 

* 数年前に「死者たちの夏」といったか、同じ傾向の佳いドラマがあり、舞台でも、すまけい主演のやはり死者と生者との交感の芝居が好評だった。

 こういうのを見ると、わたしは、今昔の感を覚えざるをえない。幽明境を異にしながら、生者と死者とがおなじ次元おなじ地平で心も暮らしもともにするという創作を、わたしは、現代の創作者としては、最も早くに肇めていた。『清経入水』で太宰賞をとったとき、このような作柄の小説も舞台も、むろん真面目な文学や演劇としてはまるで世間に存在していなかった。「化け物小説」「妖怪小説」とも揶揄され、「秦氏は生の世界と死の世界とを自在に往来できる人」と批評家奥野健男は書いた。たしかに「初恋」「北の時代」「冬祭り」「四度の瀧」「秋萩帖」「鷺」「修羅」そして多くの掌説作品など、みな、尋常のリアリズム作品ではない。生者と死者とが緊密に共生しつつ物語は展開する。

 わたしの世に出た頃はもとより、その後も十数年、めったにこの種の不思議を現実のなかへ普通感覚で持ち込んだ作柄には、お目にかかれなかった。わたしより以前でも、それこそ、泉鏡花にまで溯らないと、まともな仕事はなかった。そしてその前は、上田秋成か。

 それからすれば、最近は、「秘密」のような作品は、むしろ趣向としてもそれが人気を得ている。バーチャル感覚に慣れたとも言えるが、生死の感性に、不思議を許容する欲求が根ざしてきたとも言えようか。若い人たちの小劇場での舞台づくりにも、ごく自然にその傾向と表現とが見えている。ひとつには「宇宙戦艦ヤマト」その他のSF感覚がその辺の間口を広げたと言えるが、だが、「秘密」や「死者たちの夏」などは、やはりそういうものではなく、むしろ、わたしの創作・作風の後続・展開だという感じがもてる。生と死との問題なのだから、モチーフ自体が。わたしは、何となくほっとして、そして感銘をうけるのだ、こういう作品に出逢うと。

 

* やがて、一つの肉体に娘の精神も戻って来始め、母と娘とが交替しながら、夫に、父に、相対する。ああ、娘が戻ってきたと分かったときに、母であり妻である広末が、ひとこと「ウレシイ」と言う科白の、身に迫って、美しく、巧かったことは、あれは絶品であった。娘が戻るということは、母の魂がついに永遠に逝くという事を意味する、それでいて「ウレシイ」と我が娘の復活に無心に口にする母の、深い優しさを、若い広末が、こともなく深切に演じて揺るがなかった。どうも、わたしにはぴたっとこない敬遠ぎみの女優であるのだが、優秀な感性に触れ得た喜びは大きい。もう十年も逢わない娘朝日子に、かすかに広末は似ているのである、だから、わたしはこの女優が少し気味わるいのであるが、それと、演技力や感性のよろしさとは、まるでべつである。いい映画、いい演技者に逢えたと、余韻を、しみじみ喜んでいる。

 2001 1・27 8

 

 

* 「日本人の質問」というNHKテレビの番組に、「おじいさんの古時計」という米国製童謡の訳詞をめぐって、クイズの出題があった。その訳詞者保冨康午は妻の兄で、もう亡くなって十数年になる。よく太った写真が二度も画面に出て、懐かしかった。妻の方へ事前に知らせがあって、妻は親族の誰さん彼さんにだいぶ報せていた、放映が済むと電話が幾つもかかつて来た。

 義兄は、若い頃、谷川俊太郎らと詩を書いていて、詩人になるはずだった。だが詩では食えず、父親のコネでシェル石油に入り、広告などやっていたようだが、自然に放送の世界に接近して、ラジオや、テレビ初期からの「構成」とか「作詞」とかをやりはじめ、やがて脱サラして、全く、放送や歌謡曲歌詞の世界に身を置くようになった。

 わたしたちが結婚した昭和三十四年頃が、放送世界で義兄の働きの認められ始めた初期であったろうと思う。その頃の先輩や同輩に前田武彦とか青島幸男らがいた。

 あまりに急な早い死がやってきたとき、義兄は五十四歳だった。夜半に仕事を終えて一休みしたところで亡くなったと聞いていて、ときどき、それを思い出す。生きていたら、わたしはともかくも、息子は、かなり力に感じられただろうと、そうでなくても、惜しまれる若死にであった。ひさびさに、テレビ画面でよく肥えたまるい顔を見て、その思いを新たにした。

 例の訳詞は、おそらくは最もよく知られた代表作の一つであろう。

 2001 1・29 8

 

 

* 昨日、役所宏司主演の「Shall we ダンス ?」を見た。妻は二度目でわたしは初めて。面白かった。気持ちのいい映画。周防監督はさらりと味わいある面白い映画を見せてくれる。わたしはダンス(舞踊)をみるのが大好きなのだが、社交ダンスだけは毛嫌いしてきた。しかしこの映画の意図は健康で共感できたし、渡辺えり子にも芸達者の竹中直人にも、その他ワキ役たち何人もの社交ダンスがそれぞれにとても巧くて、しんから楽しめた。「タマコ先生」役女優の姿勢も品もいい穏やかな初老感覚がよかった。お気に入り原日出子の奥さん役も、静かで美しいと思った。こういう映画が造れるのだから、なにもことさらバイオレンスに傾きすぎることはないのになと感じた。北野武や深作某氏のああいう映画に、しんそこは共鳴していないのである、どこかに、もっと人を励ます、感動させる映画を創れば良かろうに、才能が惜しいとさえ思っているのである。

 ヒロインの草刈民代といったか、もっとこの人のダンスを観たかった。その父親役が、出はすこしなのに、よく深く映画作品のつくりに噛み合っていて、確かな印象を得た。出色の日本映画であった。

 2001 2・3 8

 

 

* 映画「Shall we ダンス ?」をビデオで、また前半見直した。渡辺・竹中のけれん味たっぷりの、しかしきちっと小気味よく踊れているダンスに、あらためて笑ったり泣いたりした。役所も草刈も原もだれもかも心懐かしい。探偵役までがいい。残念なことに我が家では二人ともフアンのモックンが、映えないチョイ役なので惜しいが、よくみていると草刈の父役とともに、きちっとモノを抑えている。アレはアレで成功している。

 2001 2・3 8

 

 

* 今夜九時のキムタクとマツタカの連続ドラマは、息子の脚本だとか。これは、見てみよう。このあいだキムタクのべつのドラマを初めて途中から覗いてみて、うまいのに感心した。幸四郎の娘の松たか子は、足利義政の大河ドラマの初登場でびっくりし、つづく太閤記の淀殿役で舌を巻いた。この存在感、たいした大物だよと予言してはばからなかった。食パンの広告一つでも印象づよい。

 二人がどんな風に噛み合うのか、べらぼうな視聴率だそうで、秦建日子のプレッシャーも大きいだろう、視聴率なんかドスンと落ちても構わない、いいドラマがみたいものだが。

 2001 2・5 8

 

 

* キムタクと松たか子は、期待に応えて光っていた。松たか子が逸材であることはこの世界で初めて一瞥して、すぐ分かった。よく分かった。そういう「見抜き」には、多年かなり実績と自信がある。美しいからではない。俳優としての素質である。魅力である。その意味での突出した美しさである。品位である。マツタカにはそれがあると咄嗟に感じて胸の鳴ったのを覚えている。歌手だかダンサーだかの木村拓哉は全然知らないが、演技は、モノにはまれば、さらに佳い味わいが出せるだろう。

 ドラマは、脚本も、とくに可不可はなかった。楽しんだけれど、ほめるところも無い。脚本家秦建日子は、担当を尋常にこなしたというところか。こんなメールがすぐ届いた。

 

* ただいまあ!

 HEROを見たくて、急いで帰ってきました。

 建日子さんの脚本だったんですね。しっとりと落ち着いてみることができました。このドラマのいいところは、死人がいないこと。殺伐としていなくて、人間性の機微に、妙に嬉しくなってしまうのですよ、私は。木村拓哉さんと松たか子さんのコンビもいいですね。彼の演技は自然体で、しかも花(色気)がありますもの。見ているこちらもついニンマリしてしまい、われながら可笑しくなりますの。高視聴率だというのも肯けます。

 牡丹鍋はとても美味しかったですよ。八丁味噌と胡麻の風味がよくきいていて、おなか一杯食べてしまいました。

 イノシシ年生まれのあなたも、美味しいかも?

 2001 2・6 8

 

 

* 秦建日子の第五話脚本を書いた「ヒーロー」は、五週連続視聴率30%台という新記録と、さらに過去最高の高視聴率をあげたと各紙報じている由、メールや電話が朝から来ている。それ自体には驚かない。事前に、高視聴率が続くか続くかと、あれだけムーディに報道されれば、テレビ人間達は、何ということなくてもそこへ気を寄せる。そういう世間なのだから、いわば「作為された自然の成り行き」という「心理」的な数字=:結果に過ぎない。そんなことで、もし、自分の手柄のように思っては甚だ滑稽であるから、脚本家たるもの、気をゆるめて増長しないでもらいたい。幸い責任だけはやっと果たしたということである。

 身贔屓がなくても、キムタクとマツタカのホンワカムードでなら、甘いフアンはとびつく。しかしあのドラマ自体は、まことに底の浅い娯楽品である。殺しのないだけが見つけモノという程度の。比較して、広告スポンサーの動向に怯え、増頁問題でヤキモキしていた「編集王」の或る回などの方が、現実の場面に苦く迫っていたと思う。

 どっちにしても、言葉はワルイが、テレビドラマの浅くふやけた質の低さには、満足ゆく豊かな喜びは希薄も希薄、ただもう消耗的なその場しのぎに近い仕事であることに変わりはない。

 消耗的でなく、ドラマが真に劇的に人の胸を打つためには、作者や関係者たちは、もっといろんな意味で勉強し、「意識と姿勢」を、そして「テクニック」も、深め正す以外にないが、「関係者たち」に望んでみても仕方のない現場的な現実があるだろう。これは、作者秦建日子に突きつけて置くしかない課題であろう。満足するな、と。

 2001 2・7 8

 

 

* 昨日の晩ビデオにとっておいた「風立ちぬ」を観た。田中裕子、宮沢りえ、田畑智子に、小林薫、加藤治子、米倉斉加年という、信じられないほど藝達者な顔ぶれでは、見損ねるのがイヤだった。テンポのゆるさは、向田邦子原作ものの常でそれだけは辛抱ものだが、田中裕子のうまさひとつでも必見のよろこびであった。宮沢りえも大の好きなら、田畑智子のおもしろい味わいは若手の中で出色で、いやもう、ドラマよりも演技陣の競演におおいに満足し堪能した。うまいヤツはうまいなあという感想。杉村春子や音羽信子、観世榮夫らで、その前の時間にやっていたのより、田中裕子と小林薫の夫婦、宮沢、田畑のその妹たちの芝居の方がよくできていた。等身大ドラマとしては、しっかり見せてすこし泣かされた。

 2001 2・13 8

 

 

* 神戸の芝田道さんから『DSLならできる超高速インターネット』という本をいただき、読み始めている。NTTをマイラインにして、このADSLがどれだけわたしの仕事に有効になるのか、まだ見当はつかない。光ファイバーまでの数年をどんな技術革新が我が手元に届いてくるのか。

 昨日田中裕子や加藤治子たちのドラマを観ていながら、五徳を据えて炭火をおこした火鉢に思わず両手を出している図など目にし、またいかにも昭和十年代の民家の外観や内装を観ていて、懐かしみながら、ああここには、インターネットはおろかテレビも無いのだと思っていた。

 その一方で、昔に在って今は払底した美しいものの大きな一つに、「謙遜な人間味」を数えざるを得ないことにも寂しい思いがした。あの母子家族の娘たちのような、あんな娘たちが、この世から消え失せていった。劇中のいちばん小さい末娘の田畑智子の役が、昭和十四五年のお茶の水女学校の制服を着ていた。わたしは、まだ四五歳で、秦の家にもらはれて来て間もない時分だった。宮沢りえの次女役はもう出版社勤めをしていた。職業婦人のハシリだった。いろいろあって、だが後年には四人の子の母親になったとナレーターは語っていた。この人たちの子女の時代までは、かろうじてまだ、昔の、ほんとうに佳い意味の良風美俗を親たちから見習い得ていた。だが、悲しいかな我々の時代から、子女たちの躾が全面的に崩れてきた。我々が、親世代から受け継いでかろうじて匂い程度は残していたものを、適切に、次世代によう手渡せなかった。そして、そういう世代が親世代になった今、親は子を、子は親を、まるでもてあますようにして生きる混雑の時代が現出している。

 以前に幸田露伴と娘と孫娘とのドラマを観た。露伴を演じていたのは森繁久弥だったと思うが、この記憶はどうか分からない。娘の幸田文の役をやはり田中裕子が、孫の玉青を新人のやはり田畑智子が演じて、しみじみとしたドラマであった。この家族にせよ、ドラマ「風立ちぬ」の女家族にせよ、なにも上流社会の有り余る家庭ではないが、凛乎とした空気を日々の生活に呼吸していた。どちらにも、つらい、もやもやとした事件は有ったけれど、それらへの処し方に、しどけなさというものが無かった。

 いま、インターネットを取り上げる、そのかわりに、ああいう家庭人たち、市井の人たちの、物静かに節度のある日々を日本の国に返してあげると言われれば、わたしは躊躇しない。人間らしい、静かさと誇りとのある昔の気象を、世の中をあげて取り戻せるものならば、それを取り戻したい。ホームページが無くても、メールが使えなくても。かまわない。

 2001 2・14 8

 

 

* 澤口靖子が途方もない汚いコマーシャルをやってくれるもので、胸が痛い。まったく、考え違いではないかと、そばについている軍師のアホウさに怒っている。もっとも税申告をすすめる広報にも出てきて、白い飾り気ないシャツ姿など美しい。こっちが澤口靖子なんだよとテレビに声をかけてしまう。

 

* もとNHKの七時のニュースを聴かせてくれた森田美由紀がまたテレビに復帰するという話を小耳にしたが、もう始まっているのだろうか。あの人の声と名人藝のアナウンスを聴くと、心地が深くなり穏やかになる。最近は、NHK女性アナウンサーのアナウンスが、ハッキリ言ってひどくなっている。ベテランの桜井洋子などが相変わらず雌鶏が菜っぱを啄むような早口で、言葉をつぶしてしまっているのは聴いていて腹立たしい。自分の喋りを彼女は謙虚に聞き直しているのだろうか、自覚があまりに足りない。

 日本テレビの女子アナウンサーたちは、明らかに意識して、いい、正確なアナウンスを心がけているのが分かる。

 2001 2・24 8

 

 

* また大河ドラマを見始めている。北条時宗に対しては可も不可もない、好きも嫌いもない、難しい戦後策を迫られたかなりシンドかった最後の得宗と思っている。北条家に対しては昔から冷淡だった。義時や泰時のような出来るヤツがいて、京都はだいぶ難儀した。頼朝よりも義時の方が京都はやりにくかった。彼らの力量をわたしは評価している。時頼になると、食えない。時宗にはとにかくも蒙古に対して卑屈に引き下がらなかったのを感謝する気はある、その気持ち、小さくはない。なにしろ、派閥のこんぐらかって政治より政局好きな自民党よりも、なお難儀に暗闘していた当時の鎌倉武士たちであり、禅の渡来というおおきなトピックスはあるが、鬱陶しい時代だった。わたしは、鎌倉時代を、室町時代ほども好きではない子供だった。わたしの中世観は、大冊の『中世の美術と美学』三巻ほかを読まれたい。

 大笠懸、小笠懸を演じていた。庶兄時輔と弟時宗とが競った。側室をあれは篠原涼子とかいった女優が演じて、そこそこに力演していた。正室役は浅野温子で、合っているとも逸れているとも、微妙な役。それより原田美枝子の足利氏がさきざきに現れ出るだろうことが、不気味。この女優は力がある。黒澤明の映画を思い出す。 

 

* 十時から、映画「年上の女」を十分に楽しんだ。別のチャンネルで「レオン」もやつていたが、ビデオがとってあるし、この名画は気分を落ち着かせていないとあまりにつらい。しかしシモーヌ・シニョレの「年上の女」も深く食い込んで、若いローレンス・ハーヴェイの青年とともに、抉るように恋の深層を苦くつらく嘗めさせてくれた。佳い映画だったとはっきり言おう。黒白の字幕スーパーであり、得難いコレクションの一つになった。わたしの最も好きでないタイプの男優ローレンス・ハーヴェイではあるが、卑屈になり切らぬ誇りと根の哀しみと純な涙とをみせ、堪能させる演技であった。終えて、ぐっと乗り出して首肯いた。

 2001 2・25 8

 

 

* 沢口靖子主演、岡本克己脚本の「目撃」をビデオで見た。殺人のある犯罪ものとしては、かなり等身大自然ドラマに近づけた脚本・演出そして演技で、なんの感動作でもなかったけれど佳作であった。靖子が、少しずつ水かさを増すように上手になっている。きんきんと声をはらず、静かに落ち着いて話して、長丁場にも破綻を見せず、品位と美しさとを楽しませてくれた。「泣きの靖子」とあだなを呈したいほど上手に泣き顔がつくれるようになり、科白の仕舞いについ唇をつぐむかたちがもう少し自然になれば、顔の藝はさらに観客にとどくだろう。顔立ちだけでなくスタイルがすばらしい。どうして、こういう人が生まれたのだろうと、奇跡というのはあるのだなと思う。努力してうまくなって行くタチの人であるらしい、それは少しずつだがはっきり見えてきている。あまり見たくはないが汚れ役にもいずれは激しく挑戦しなくてはならないだろう。

 このドラマでは、榎木孝明一人はぎごちなく下手であったが、永島敏行の刑事役も、アパートのおばさんも、パチンコ屋のオーナーも、犯人兄弟の兄貴も、殺される女もみな巧くて、たいした作品とは思わないのにとても画面が安定していた。一人として大声をはりあげて喋ったりしない。それが好感をもたせた。主役が大事にされながら作られているドラマだとよく分かり、身びいきで好感できた。こういう等身大の落ち着いたドラマを見せて欲しい。それとも思い切り趣向した様式性の濃い演出の効いたドラマ。

 2001 3・1 8

 

 

* 夕過ぎて建日子が帰ってきた。夕食後に、彼が持参の、ロケットを天高くとばす高校生四少年のビデオ映画を観た。長い題で、忘れた。いい映画で、妻と試写会に招かれた「リトル・ダンサー」とつくりが似ていた。背景に炭鉱のつかわれてあるのまでいっしょだった。今夜のは、ちょっとハナシがうますぎるかなという気がした。

 引き続いて向田邦子原案金子成人脚本の「風立ちぬ」をまた観た。田中裕子、小林薫、宮沢りえ、田端智子、加藤治子、米倉斉加年らの、隙のない名演技に、三人で感嘆した。演出し、また脚本を書いている経験から息子は明らかに「玄人」として観ている。めったなことで、うまいとは言わないのだが、このドラマの田中裕子たちには惜しみない評価を与えていた。原作も、大御所級の脚本も、久世光彦の演出すらも凌駕する演技。役者のうまさが大方を決めてしまう。

 だが、あのテレビ画面での同じうまさが舞台でも映えるかとなると、それは、またちがうだろう。其処ではまた別の芝居をしてうまみが出る。うまい役者の演技でなら映像も見たいし舞台も観たい。

 2001 3・3 8

 

 

* 熊井啓監督の『冤罪』試写会の招待が来た。同伴一人が可能なのだが、妻は遠慮するという。長野のサリン事件に取材したエンターテイメントだと銘打ってある。わたしは、喜んで行く。劇団昴が、朝鮮の人たちと合同で「火計り」という芝居をする。妻はこれも遠慮するというので、一人でご招待にあずかる。火計りとは、焼物で、日本のものは焼成の火だけ、他は、土も造形も朝鮮出来、といった意味だと、むかし叔母に聞いた。「火計り茶碗」の一枚が我が家にも遺っていると思う。

 2001 3・5 8

 

 

* キム・ノバックとジェームス・スチュアートという、おまけにジャック・レモンという、見逃せない映画「媚薬」を楽しんだ。邦題はよくない。端的に「恋」のほうがよい。キム・ノバックの美しいこと、それだけで大満足。クローチェという美学者がいた。大学院の哲学研究科に進んだときの園頼三先生のテキストがクローチェであった。クローチェはひたすらに美を研究した。真や善は考えなかった。なぜなら美しいものが真でないはずがなく、美しいものが善でなかろうはずがないから、安んじて美を研究したと言われている。そんなことは真についても謂えそうな気がするし、しばしば極悪にはすごい美があらわれるではないかと一頃の谷崎なら言ったにちがいない。それはそれとしても、キム・ノバックの演じる魔女の美しいのには参ったし、この魔女は悪女ではなく、恋の前にナイーヴであった。涙を流して魔力をうしないいい男のジェームズ・スチュアートと結ばれた。よくある話であるが、この映画は純に美しく和やかに造られていて、ロマンチック・コメディーとして甚だ上質であった。お気に入りの二人を、一つのビデオでうまくコレクトできて満足。

 エリザベス・テーラーとイングリットバーグマンとが頭の中で第一ランクの対になっている。その次にはいつもソフィア・ローレンとキム・ノバックとが対になって思い出せる。キム・ノバックに、佳いときのシャロン・ストーンが似ている。キムのほうが遙かに美しいけれど。

 2001 3・6 8

 

 

* ソフィー・マルソーの「アンナ・カレーニナ」をビデオで観た。あの大作の映画化は容易なことではないが、凡庸の出来ではなかった。アンナにも、キティー役の女優にも好感をもった。続いてみた「ある貴婦人の肖像」は、それ以上に魅力的によく描けていた。主役の女優がすてきによかった。

 目がこんな按配では何もする気がしない。 2001 3・9 8

 

 

* 勘九郎の「髪結新三」を玉三郎、芝翫、染五郎、それに富十郎、仁左衛門という豪華版で、テレビですっぽり楽しんだ。円生の人情噺でしっかり頭に入っている芝居だ、悪党なのだがいなせに気っぷのいい髪結新三。それを我が家では大の贔屓の勘九郎がやるのだから、惚れ惚れと大詰めまで堪能した。勘三郎や松緑の役だった。勘九郎にはまだ大悪の貫禄はないが、水際だってみよい美貌がある。口跡もある。仕事のアトでゆっくり通して楽しめたのが、今日の収穫。

 2001 3・11 8

 

 

* 東京へ着くと、食べたかったカレーライスを食べて冷たいビールを小さなジョッキで飲んだ。どっちも旨かった。銀座のル・テアトルで、熊井啓監督の映画「冤罪」の試写会にならび、はやめに佳い席がとれた。招待名簿に姓が「シン」と読んで記録されていたため一瞬ひやっとした。

 映画は誠実な作りであったが大味でもあった。ま、これでいいと思った、いい作品であった。松本サリン事件の当時をありありと思いだし苦痛も感じた。

 あのとき、サリンということが報じられたとき、わたしは妻に言った。わたしの正直な勘でいえば、この犯罪が被疑者として報じられている河野氏個人の犯罪でむしろあって欲しいと。これが、何か難儀で大がかりな組織的犯行であったら恐ろしいことになるから、と。恐れた方の勘がやがて的中した。気の毒をきわめた被疑者の無実ははれたものの、惨状は広がりに広がっていった。世界が恐怖したとすら言えた。

 大味であれ何であれ誠実にこういう映画が、あれからもう何年、こう出来たことはすばらしいことだと思った。寺尾聡の被疑者、石橋蓮司の警部が、ことに石橋の演技が底光りしていた。二木てるみの最後の車いすの顔も、苦痛の演技も短いながら見応えがあった。

 

* 有楽町線で急いで帰った。メールが十数本来ていて、返事をしきれなかった。息子の、なんだか、お涙頂戴式の、やすい殺しドラマが録画してあって、それを観ていて遅くなった。ドキュメンタリータッチの、刺激的なメッセージに富んだ、演技陣も揃った映画大作を観てきた後では、消耗品めくテレビ量産ドラマは、我が子の脚本といえどつまらないの一言で済ますしかない。

 2001 3・21 8

 

 

* 御成門から日比谷まで夕暮れ過ぎてゆっくり歩き、「クラブ」でうまい酒を少し呑んで寄稿された小説を読んできた。帰りの電車では少し寝入った。

 

* 妹尾河童原作「少年H」の青春編を三時間ほど、妻と、しみじみ見た。泪あふれて。

 

* いま、妹尾河童原作の「少年H」を、妻と二人で見ていました。戦中戦後の旧制中学生の青春でした。いのちからがら戦火の下で必死に生きて、生き抜いた人も有れば、不幸不運に死んだ人もいました、生きたかったのに。意味があり理由があって生きるのではなく、生きたことで意味を生みだしてゆく。そう受け入れて、元気に、ねばりづよく生きて欲しい。音楽なら、ベートーベンやモーツアルトやバッハを超えたろうかと思い、文学なら、シェークスピアやトルストイやチェーホフを超えたろうかと思って、やすく妥協しないでねばりづよく進みましょう。この年で、わたしはまだ生きてきたと胸を張れない。きみは、まだ生き始めてもいないようなものです。いま絶望するなんて、投げ出すなんて、とんでもない。せめて五十年後に絶望するなら仕方ないが。元気で。

 2001 3・23 8

 

 

* 昼に見たウィノナ・ライダーの「恋する人魚たち」が面白かった。名前のおぼえにくいこの初々しい思春期少女役が純真にきれいで、ちいさい妹も、シェール演じる飛んでる母も、母の恋人になる背のひくい人のいいボブ・ホスキンスも、みな洒落た役を創っていた。もうけものであった。

 そして夜にみた、ジャン・トランティニャン、イヴ・モンタンやイレーヌ・パパスらの「Z」が、渋いけれど斬り込みの鋭い、高度に批評的な思想映画であり、引きこまれた。

 大河ドラマの北条時宗も、展開がよくなってきた。和泉元弥の時宗ははなはだまだ食い足りないが、伊東四郎、ピーター、柳葉たち幕府の重臣連中がそこそこ固めていて、浅野温子、原田美枝子ら端倪すべからざる曲者女優もまだ働きそうであるし、北大路欣也たちの海外派も展開に役立って来るだろう。楽しみに待ちたいのは禅と渡来の禅僧がどう登場してくるのか、だ。またご家人たちの層の分離や乖離がどう進んでゆくか、だ。

 2001 3・25 8

 

 

* 高校の選抜野球をときどき覗いている。すっかり子ども達の画面として見える。結婚してからかなりの間は、子ども達のゲームと思えないほど一体感があったものだ、あの感じが懐かしい。仙台育英の長崎海星にたいする終盤の逆転攻防は見応えがあった。

 

* 世に映画の種は尽きじとツクヅク思います。試写で観た映画「スターリングラード」は、全シーン、その地でのロシアとナチスドイツとの歴史に残る実質ドイツ敗退の壮烈な戦いで、狙撃の名手であるヒーローも、実在の人であったそうです。

 最初から何か変だと思い、すぐ気付きました。アメリカの戦争映画は常にアメリカ兵が主役なのです。この映画はロシア兵が主役です。時々錯覚しそうになりました、時代は少し変わったようです。対立の政治状況で、第二次大戦中の物も含めソ連を良しと描いた映画を観た記憶が、私にはありません。

 観客の大半を占めていた若い人の実感を聴いてみたかった。子どもの時ながら戦争の被害も多少受けた私など、悲惨な戦争は未来永劫映画の中だけで結構だとツクヅク思いました。

 「グラデイエイター」もビデオで観ました。さすがに今年のアカデミー賞を取るだけの観ごたえがあり、昔のハリウッド大スペクタル映画「以上」の何かを彷彿させました。

 

* 映画好きな老人、少なくない。このメールは孫の二人いる、男性ではない、おばあちゃんである。

 わたしなど、たまたま目の前のテレビにあれば、良ければ付き合い、いやなら途中でも逃げ出す程度でしかない。しかし、映画は好きである。文藝では、「読み物」など読みたいととくべつ思わないのに、映画だと娯楽ものも歓迎している。新聞に「星三つ」の好評予告があると敬意は表しているけれど、星数少なくビデオにとらなかったのが悔しいほど面白いものも幾らもある。批評家の誉めているもので退屈なもの、幾らもある。

 2001 3・28 8

 

 

* 地球温暖化問題への国際協調にアメリカは背を向けた。これで事実上協調の誓約は潰え去ったことになる。ゆゆしい世界環境の大問題であり、国際会議を主催した議長国日本の顔は踏みにじられた。顔のことはまだしも、事実、地球温暖化の悪影響は深刻に人類の未来を傷つけるのである。

 大国に正義なしとはわたしの悲しき持論である。かれらは自国の利益以外には正義も簡単にかなぐり捨てる。そういう大国との外交は悪意の算術に徹する以外になく、賢い国ほどそういう外交をしてきたのに、日本は出来なかった。

 そういう事態に当面していながら、日本政府と政権与党の昨日も今日もやっていることは、これはいったい何事か。国民にあきれ果ててのあきらめムードが瀰漫してきた。これは深刻な危機である。昔なら、国会へ市民がデモをかけたであろうに。

 政治評論家たちよ。キャスターたちよ。いま、きみたちは、何を言うかではない、何をするかではないのか。朝まで生テレビでかりに名論卓説を披露してみても、それだけでは始まらないのだ。

 

* 米中の飛行機が接触し、米偵察機が中国領内に緊急着陸を強いられた。偵察機とは、機密の巣であり、機内に入って専門家に精査されれば、アメリカ軍の痛手は計り知れない。ブッシュ政権に憂慮された問題点が、はやくも一つまた一つと露呈している。クリントン政権に比して、またもや一触即発の物騒な国際環境が加熱状態にあるとは、有り難くない。

 2001 4・2 9

 

 

* 九時に家に着き、すぐ、メル・ギブソンの映画「ペイバック」を予備的にテープに入れておき、沢口靖子「お登勢」の一回目をみた。千葉の勝田「おじさん」もみておられたようである。ドラマは可もなく不可もなく、今後の展開を待つという気分である。それはそれ、また「救急治療室 ER」が再開されたのは有り難い。あのアメリカ産医療ドラマは、はげしいカメラワーク一つでも、楽しみ。映画「ペイバック」は殺伐とした三流映画だが、マリア・ベロという女優に、メル・ギブソンと通い合うハートのあったのが、救い。メル・ギブソンは、「ブレイブ・ハート」「リーサル・ウェポン」その他で、硬軟ともに比較的気に入っている。

 2001 4・6 9

 

 

* 中村橋之助と三田寛子夫妻のオーストラリア旅行をテレビが流していた。気持ちのいい夫婦で、おもわずこっちまで笑みこぼれてしまう。こうありたいものだ。

 2001 4・15 9

 

 

* 朝のテレビで澤口靖子が出て、機嫌良く話していた。聴き手は薬丸裕英クンがもっぱら勤め、もう一人の主なるホステスの岡江久美子は、すべて薬丸に譲っていた。岡江久美子はわたしも大好きなすこぶるの美女である、が、美女と美女との対話はしにくいモノなのかも知れない。人によれば岡江の方が美しいと言うだろうし、それも肯えるほど彼女はよく光った美女であるが、惜しいことに、スターのオーラが立たない。我が家では岡江久美子を、昔に初めて見たときの役の名のまま、今でも「ヤマナさん」と愛称している。大きな深い役がつくといいのだが。

 澤口靖子はそこへ行くとやはりスターの輝きをもっている。五月の帝劇「細雪」の雪子にさらに磨きをかけて欲しい。

 2001 4・19 9

 

 

* 富十郎の「喜撰」をテレビで堪能した。お梶の藤間勘十郎との藝質のちがいも面白かった。富の絶妙の踊りを観ていると目尻にポチット涙がわいてくる。

 2001 5・5 9

 

 

* 昨日の午後であった。「天上の村に正月がくる」というドキュメンタリー番組をみて、じわーっと涙を流し続けた。中国貴州省の、二千メートル近い高地で、十三歳の少女イライが、両親の出稼ぎに出た留守宅を、幼い弟二人を守って、健気に、純にかつ淳に日々勤しみ暮らして明るく優しく、いつしかに家族の揃った正月を嬉しく迎えるのである。イライは母が丹精の民族衣装で正月の村の女舞の輪にはじめて加わる。その美しさにも涙が出てこまった。やがて父も母もまた出稼ぎに出てゆく。子ども三人の教育費を稼ぎに行くのだとイライは知っていて、早く、親たちをらくにしてあげたいと澄んだ瞳でたおやかに語る。イライのこれぞ「少女」という無垢の美しさも、高地の天に近い自然も、とにかくもわたしには、一緒に観ていた妻にも、まさしく「懐かしい」のであった。身内の奥のこみちを伝って、はるかにはるかに遠く通い合う記憶の共有のようなものを感じてわたしは泣けた。平和ということばを最も価値ある気持ちで尊いし守りたいとも思っていた。

 こう涙もろくてはしょうがないねと笑いながら夫婦で泣いていた。

 

* そして夜おそめには、再放送の芸能まわり舞台で、なつかしい守田勘弥の舞台をみて嬉しかった。いなせに粋な、万能の役者だった。籠釣瓶の榮之丞とか、伊勢音頭の貢とか、斧定九郎とか切られ与三とか、勘平とか、まあ、きりりと引き締まって惚れさせた。嫁入りの戸無瀬のような女形もちゃんとやれた。そして息子の坂東玉三郎を世紀のいい女形に育て、またいまの水谷八重子の父ともなった。玉三郎が勘弥を継いで一段と大きな看板になってくれればと、なんだかこのごろは、先にちらつきだした大名題役者たちの襲名興行が楽しみで長生きしたい気分なのがおかしい。妻もすっかり歌舞伎の魅力によろこんで囚われているようで、それもおもしろい。

 2001 5・7 9

 

 

* 午後、エリザベス・テーラーとリチャード・バートンの「じゃじゃ馬ならし」をビデオにとった。シェイクスピアをかなりまともに映画にしていたと思う。「わたくしがいなければだめになってしまう、と思わせておくも(  )の手なり」沖ななもの短歌を極めて適切に思い出す。女の「手」なのか、男の「手」なのか。面白くて二度もみた。女である妻はいやがるかなと思ったのに、「うん、おもしろいわ」と。それも、おもしろい。与謝野晶子はシェイクスピアをどう読んでいただろう。 カテリーナの「手」を女としてどう眺めただろう。

 2001 5・8 9

 

 

* 建日子からNHKのドラマ「定年ごじら」をビデオに撮って置いてと頼んできた。参考に観たいが外での仕事で録画できないという。佳いらしいと言うので観ていたが、あまり作りの薄さに、それと主演女優のあまりな痩せすぎに辟易して、二階へ逃げた。

 2001 5・12 9

 

 

* 久々に見ていたテレビ将棋の攻防にぐいと足をとめられた。

 2001 5・13 9

 

 

* 両国のちゃんこ「巴潟」で、なまじ座敷にまではせ参じて妻は、夏場所直前の、腰に故障の大関魁皇に握手などしてきたものだから、大事な初日にだけは負けさせたくないわと張り切っていた。幸い初日二日目と強い相撲だった。今日は残念ながら上り坂の琴光喜に負けた。残念残念。

 2001 5・15 9

 

 

* いろんなことに手をつけたが、しかし、今日がどんな日かと謂えば、新機「やすか」で、昨日銀座で選び求めてきたDVD映画を二本観た日だ。画質のいいことに驚嘆する、ビデオテープをテレビの画面に映してきたのが、かなり粗悪な画面であったことがよく分かる。よく描かれた色絵の磁器の膚のようだ。

 選んできたのは、我が家にすでに山ほど写し取ってきたビデオに無い、少し楽しいもの、と、観たいもの。

 

* 楽しいのはトム・ハンクスとメグ・ライアンの「ユー・ガット・メール」今はやりのメル友・ロマンチックストーリーで、この二人には似た映画がべつに有り、メグ・ライアンには別の俳優との間で、やはり似たタッチの「恋の予感」がある。彼女には「戦火の勇気」のような健気ものもあるが、軽快なラヴ・コメディで知り合った仲だ。感じのいい可愛い女優だ。トム・ハンクスは名優の一人だろう、感銘作が幾つもある。この映画でトム・ハンクスはちょっとメグ・ライアンに意地悪な立場に立ちすぎるが、わるくはない。メグは十分楽しませてくれるし、素材がEメールというのにも親近感を覚えたのである。しかしわたしはこの二人のように二人だけのチャットに迷い込みたい気持ちは全然無い。メル友犯罪が横行し始めているその方が疎ましい。

 

* もう一本は、リュック・ベッソン監督、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の「ジャンヌ・ダルク」で、フェイ・ダナウエイやダスティン・ホフマンがつき合っている。ミラは「ニキータ」を演っていたのではないか、この映画を選んだのは、だがミラへの興味でなく確実に「ジャンヌ・ダルク」への関心からだ。

 歴史映画や信仰に触れた映画が好きなだけでなく、「ジャンヌ・ダルク」はわたしが映画らしい本格の映画、そして「総天然色」といわれたテクニカラー映画を観た最初の題材であったのだ、主演はイングリット・バーグマンだった。震えるほど感動した。新制中学三年生で、学校から連れられていった。講堂で先生から感想を求められ、手を挙げて何かを答えた記憶があるが、なにを聞かれてどう答えたかは忘れている。ただもうバーグマンとジャンヌ・ダルクが一体になってわたしを強く強くとらえた。以来、外国の映画女優で一番に名を挙げるのは、エリザベス・テーラーかイングリッド・バーグマンとわたしの場合は決まっている。エリザベス・テーラーとは、この映画より早く、「大平原」だったか「名犬ラッシー」だったかで少女エリザベスに出逢っていた。

 中学時代の「ジャンヌ・ダルク」は、作の大がかりなことでも、印象として、長谷川一夫の「源氏物語」のようなスペクタルであった。だが、今日のミラの「ジャンヌ・ダルク」は映画的につっこみが深く、この年で観てもなお動かされる表現であった。満足した。わたしのイギリスやフランスの王室嫌いの、またキリスト教の教会を疎ましく思う思いの、原点が「ジャンヌ・ダルク」の映画であったことを、鮮明に再確認した。ジャンヌは、十四五の昔から六十半ばを過ぎた今でも、わたしの中ではほぼいつでも息づいている聖なる存在だ。火あぶりなどという刑罰を為す側より為される側の方にわたしは理屈抜きに心情的に立ちたいのである、いつでも。

 ミラの映画はかなりの大作だが、満足した。繰り返し観ることだろう。

 2001 5・18 9

 

 

* 買ってきた「ジャンヌ・ダルク」は、ジャンヌその人への痛烈な「批評」を神自らにさせる描き方をしていて信頼できる。ジャンヌが誠実に、混乱しながらも批評に堪えて理解してゆく最後のプロセスに救いがある。間違えて四千円もする(トムとメグとの盤の二倍)のを買ってしまったが、それだけの値打ちがある。わたしはもともと歴史映画も好きなので。メル・ギブソンの「ブレイヴハート」もわるくなかったが、それよりも更に質実な刺激をくれる、この「ジャンヌ・ダルク」は。

 2001 5・20 9

 

 

* また「ジャンヌ・ダルク」を、今夜は妻と一緒に観た。胸にこたえた。ジャンヌの魂にわたしは生き、二十一世紀の現実よりも遙かに強烈にそのリアリティーに触れ、その世界に呼吸していた。火に燃えてゆくジャンヌにくらべて、われわれのこの平成十三年など、なにごとであろうと思う。

 2001 5・20 9

 

 

* つまらない映画を一つみたあと、「救急治療室=ER」を見た。これは立派なモノだ。いくつもの、解決つかないほど難儀なドラマを、かきまぜたように時間内に投げ込み攪拌しながら、一つの大きなドラマが「起承転転」と続いてゆく。そのイデアルなリアリズムの激しいエネルギーが魅力だ。

 2001 5・25 9

 

 

* 膝に大きな故障を起こし、十四日め全勝に土をつけてしまった貴乃花横綱の千秋楽相撲は、絶望としか、だれにも思えなかった。本割でばったりと武蔵丸の前に手をついた。それでも決勝戦に彼は臨んだのだ、そして武蔵丸を上手投げに土俵に落としたのだから、偉い。

 勝った瞬間の貴乃花の形相の、こわいほど激しく美しかったことは、どうだ。

 長い間、双子山部屋の兄弟横綱にわたしはそっぽを向いていた。弱い若乃花が当然ながら早く引退した後に、だが、弟横綱はたんたんと、ちょっと面白い表情で、強い相撲へ盛り返してきていた。もともと若乃花は薄い感じが嫌いで、気概のみえる貴乃花を声援していたが、宮沢りえ事件でうとましくなった。しかし兄横綱と父親方へ猛然と牙を向いたあたりから見どころを感じ、貴乃花へ贔屓の気持ちを持ち直していた。今場所はぜひ全勝優勝させたいと、力こぶを入れて応援していたが、昨日の怪我には落胆した。そんな落胆を貴乃花は鬼のように踏みつぶしてくれ、仁王のように、仁王よりも生き生きと美しく、眼に光を輝かせて咆吼した。みものであった。かつて棒高跳びのブブカが大舞台の土壇場で、クワッと雄叫びして跳び、逆転優勝して以来の、みごとな「男」の顔であった。いいものを見せてもらった。二十二回目の優勝である、これもすばらしい。

 2001 5・27 9

 

 

* 川端文学は「山の音」に移っている。これは、高校の頃から胸にも身にもしみた。菊子に惹かれた。映画で原節子が演じてからは、もうあの美しい映像から逃れられない。「菊子」という名によほど惹かれて、わたしは後に「祇園の子」にも「みごもりの湖」にも大切にヒロインの名につかっている。「千羽鶴」の菊治には爪弾きしたのに、「山の音」の菊子にはゾッコンであった。理想のお嫁さん像が出来てしまい、この悪影響に悩まされたのはわたしだけではあるまい。とにかく面白い。佳い。

 東工大にいたとき、助手というのではないが、お茶の水女子大の院生が正式に一時期手伝いに来てくれていた。谷口幸代さんで、ドクターに進み、いまは名古屋で、立派な大学のいい先生になっている。寡黙というより、声音のあまりに清しくちいさく話す佳人であったが、教壇での講義を一声でも聴いてみたい。

 この谷口さん、川端康成の優れた研究をその後幾つも積み重ね、幾つも読ませてくれた。もっともこの際に大事なことは、教授室に映画「山の音」のビデオを持ってきて見せてくれた、思い出だ。映画、懐かしかった。原節子、山村聡、上原謙、杉葉子、長岡輝子。濃密に組み立てられたカメラワークと脚本とで、優れた映画作品に成っていた。あまり優れていたために、原作を文章で追う際、イメージが決定してしまって、これには嘆息してしまう。どう頑張っても原節子のあの理想的な美貌と好演から「菊子」の印象を他にうつすことが出来ない。まいった、である。山村も良すぎるほど良かったが、極めつけは上原謙で、あれを観て原作の息子修一が見えてきた、いや見えすぎて、まいった。

 「山の音」の話題はつきない、が、名古屋の谷口さんの活躍も嬉しく、また大いに懐かしい。彼女は「山の音」で修士論文を書くと言っていた、二人で大いに議論の盛り上がったこともあった、と、言いたいが、うまく谷口さんに誘導されてわたし一人が迷論悪説を吹っかけていた。もう何を言うていたか、忘れた。

 2001 6・1 9

 

 

* 帰途、小説「髪結いの亭主」を心ゆくまで読みながら、新宿で旨い晩飯を食べてきた。映画で感心したこの小説は、幸いにというべきか映画をほぼ忘れているために、文学作品としてとても気を入れて気持ちよく読める。胸が熱くなる。読み切るのが惜しまれ、少しのこして、もう一冊持っていた石本正さんのエッセイを二三節楽しんだ。

 石本さんとは、甘えていえば仲良しである。ふたりだけで、小声で、すこし好色じみた話題をたのしむこともある。創画展で、美しい着衣半裸の女性などをながく描いてこられた、日本画壇での大きな実力者である。実力とは美術家・画家としていうので、まつたくもって世俗的ではない、梅原猛さんにいわせれば「好色奇人」であるが、わたしに言わせれば、ほんものの「芸術家」である。エッセイがとても佳い。私には肉声で届く。語る表情も見える気がする。姫路の友達はわたしより早くに読んで、すばらしいとメールをくれていた。掛け値なく佳い。文章が佳い。姿勢も佳い。

 2001 6・2 9

 

 

* 国会の党首討論なども聴きながら、終日荷造りをして、夕方過ぎには第一便を送り出した。

 夜は、久しぶりにわたしの脚色した俳優座公演の「心=わが愛」のNHK藝術劇場版のビデオも観ながら聴きながら作業をつづけた。妻も一緒に観ていた。初めのうち加藤剛の芝居がすこし気恥ずかしかったりしたが、うまい編集がしてあり後半へ進むにつれて引きつけられ、もらい泣きした。加藤の先生、香野百合子の静、阿部百合子の母親、寺杣の私、そしてK役がじつに適役で俳優の名さえ忘れさせた。わたしの長い長い脚本を演出家島田安行が適切に台本に纏め、演出がよく行き届いていた。夏目漱石の「こころ」に間違いない筋書きでありながら、その理解は全くわたし自身の固有のもので、わたしの思いを漱石原作をかりて表現したような舞台になっていた。しかし原作のよさと、加藤剛のニンに合った熱意とが舞台にあふれて、緊迫感を高めていた。久々に心地よい時間がもてた、テレビドラマのようにならず、終始演劇の時空間を成していた。ああ書いてよかった、書かせてもらえてよかったと、発起人の加藤剛の好意に今更ながら感謝を深くした。

 2001 6・6 9

 

 

* 六時で果て、帰りに独り「サンキエーム」に寄り、ワインと料理を。豚の腸と野菜スープ、珍しかったがピーマンなどの野菜に辟易した。帰宅して、テレビで松坂慶子の映画「卓球温泉」を見た。松坂の、人の佳いかわいい女ぶりが好きなのである。沢口靖子の時代劇は、以前の「御宿かわせみ」に比べると、原作がつまらない。松坂の映画も彼女だから楽しんでみていたが、映画自体の体温は高いものではなかった。だが松坂慶子は楽しめる。

 2001 6・8 9

 

 

* 日曜の夜分は休息ぎみ。八時から「時宗」を見ている。いわば「有事」を主題にしているようで、今日的という意味では徳川三代の去年の「葵」よりも現実感がもてる。この時期の北条得宗家のありようは複雑で、そしてあまり他人事でない、その後の歴史に多くのいろんな種を落とした時期でもあるのだ。蒙古襲来といった事件がなければ、時宗がいまほど名声と人気を得た執権たりえた保証はない。無足御家人はすでに続々増えようとしていたし、外患がなければ鎌倉の内憂も内紛ももっと陰湿になり、時宗の闘いは必ずしも有利なものとはならなかったろう、途中での非業の死もなかったとは言い切れない。その意味では蒙古襲来は時宗を立たせたし、しかし、恩賞の出せない神風の後の始末はたいへんなものであった。御恩はくずれ奉公の基盤は揺れた。ドラマ「時宗」はおおまかなものだが、その意味では「葵」ほどの役者は出そろわないが、なにかしら惻々として迫る歴史の跫音は生きている。

 

* そのあと、妻は見向きもせずどこかへ行ってしまったが、わたしはジーナ・デイビスのはでなアクション映画を、ビデオにとりながら二時間、しっかり楽しんだ。

 本を発送の作業には倦んだ、今回はもう打ち上げにする。時間に迫られた必要な仕事が目の前に三つも四つも押しくらまんじゅうで早く片づけてくれと言っている。

 2001 6・10 9

 

 

* 不愉快なモノを見聞きしてしまった。いわゆる「専業主婦」を罵倒し尽くした著作で売り出している中年女性が、テレビで喋りまくっていた。論旨の問題ではない、つまり下品で愚劣な女の顔をしていた。専業主婦を庇うのでも職業をもった女性たちを持ち上げたり庇ったりするのでもない。そんなことは一概に言えることではないだろうし、大きなお世話であるだろう。そういうことよりも、その著作者の砂を噛むような索漠とした価値観の貧しさにウンザリした。ああいう利口者がいつの時代にも一人二人といるものだ。たとえば花びらのように美しく柔らかに生きることを願っている人は、専業主婦であれ無かれ、関係ない。イヤなものを見た気分がイヤだ。

 2001 6・10 9

 

 

* 昨日の深夜に鶴見和子さんの話を、妻といっしょにテレビで聴いた。聴き入った。例の「心の時間」とか何とかであるが、鶴見さんの話は、そんなところを飛び越えていた。話は明晰で具体的で、そのシンボルとして大患後「回生」の短歌群が続々と口をついて出、それらが話の芯にも進行役にもなり、温厚で物静かな聞き役のNHK編集委員の女性のうながしに、やや燥ぎみに高揚し、また落ち着き、じつに分かりよく鶴見さん自身の老境と死生観、人生そのものを語り尽くして飽かせなかった。この手の話で、これほど意志と意欲と誠実な反省に裏打ちされた哲学的な、詩的な話の出来たひとが、こういう番組で何人いただろうか。人を舐めたようなその場の思いつきでえらそうに喋りまくるのはいても、またはもっともそうに陳腐な口舌を、したり顔で操るのはいても、鶴見さんのように、皮をむきたての新鮮な果物のように真実のしたたり落ちるような話の出来たエライ人など、ほとんどいなかったのである。

 片麻痺を残して、片手を失ったような絶対安静の床の中で、噴出してきた短歌を大声で叫んでは妹さんに書き取らせていたというが、一つ一つが半端なものでなく、ふにゃふにゃのでたらめに自己満足した当節の女流大歌人などの及びもつかぬ境涯が、ガシッとにらみ据えるように表現されていたのに、わたしは感心した。歌なんかと軽蔑して多年抑えつけ抑えつけて外に出さなかった歌ごころと言葉とが、死生の境から奇跡のように噴き上げてきて、もうやむところ無いのである。この体験だけでも莫大に教えられるではないか。われわれの用いている日頃の言葉の、うつろに安い論理を追い理屈にしているだけであることよ。それこそが心の障りになっている。言うてもいい、考えてもいい、してもいい。だが、それが、無心の境から自然に言い考えしていることでなくては、「障り」になるだけだ。真心という無心から噴出するような言葉や行為や思索が必要なのだ、と鶴見和子は語って聴かせてくれた。有り難いことであった。ビンビンとハートに響いてくる言葉が欲しい、聴きたい、語りたい。

 2001 6・17 9

 

 

* 「ダンシング・ヒーロー」という昼下がりの映画に感動して何度も泣いた。古くさくなく、まっすぐに感じて藝術を創造してゆく青春。そういう若い人の登場をわたしは心より期待している。まがいものでなく、ほんとうに志の澄んで丈高くある才能を。名誉心にのみ溢れて如才なく世渡りしながら、無垢の才能と魂とに目もくれず、むしろ高飛車に蹴落とそうとしている似非の栄誉人たち。いやだなと思う。

 

* 「時宗」が順調にすすんでいる。和泉元弥は可もなく不可もないが、誠実にやっている。くねくねした時輔役は、くねくねが気になるが存在感は巧みに増している。日蓮役はさすがにカチッと引き締めてやっている。若手の女優が、どれもかッたるい。ともさかりえが、中では佳い方か。

 2001 6・24 9

 

 

* 再放送の猪瀬講座、横光利一から円本の話を聴いた。話の中身は彼のくれたテキストで分かっているが、話しぶりを聴いてみたかった。そう、こういう風に穏やかにしかもメリハリよく話せるのだから、いつの会議の時も斯くあってくれると助かる。こういうふうには話せない男かと思っていたが、じつに温厚にうまく話せるではないか、この能は、隠さなくていいのです。

 2001 7・3 10

 

 

* 「花見酒」という落語がある。樽に入れた酒を前後ろで担いで納めに行く男二人が、途中で、酒の匂いに負け飲みたくて堪らない。売り物だから金をはらわなくちゃと、二百文もっていた後ろの男が、前の男に金をはらい飲む。すると前の男も飲みたい。いまもらった二百文を後ろの男に支払って飲む。繰り返している内に酒はなくなり、さて金はやりとりしていた二百文のほかには何も残らない。バブル経済や株価の曖昧さのこれほど鮮やかな説明はないものだから、よく「花見酒経済」などという。落語もバカにならない。

「あたま山」なんて噺は途方もなく不思議な幻想物語であり、しかもリアルなのである。わたしは、どれか変わった噺というなら、「あたま山」、こわい噺なら「死に神」を挙げる。立川談志がご機嫌でオダをあげている深夜番組でも、「花見酒」「あたま山」を面白く話題にしていた。 

 2001 7・5 10

 

 

* さっき階下へおりたら、アメリカ大リーグのオールスター試合開幕前の豪華な選手紹介が続いていて、両リーグを通じてフアン投票数一位のイチローも爽やかに登場していた。いつものように行者のように静かな面もちにも嬉しそうなリラックスの表情がうかんでいた。彼の活躍をこのように温かに見守ってくれるアメリカの人たちに感謝したい。日本人が相撲の高見山や小錦や曙や武蔵丸にしてきたどこか冷たい仕打ちとは、ちがっている。野球界でも、すぐれた外人選手は何人もいたが、オールスター投票で惜しみなく一位に選ぶような気構えは日本人には希薄であった。国民性といえばそれまでだが、イチローや野茂や佐佐木に注がれたフランクな支持には嬉しい思いをいつももつ。今年のイチローや佐佐木が期待に応えて活躍してくれることをやはり心から願っている、が、試合を観ているよりは河野さんの論考を校正する方をえらんで、機械の前へもどってきた。ここが、わたしの場所なのだから。

 2001 7・11 10

 

 

* 何のストレスだか、軽い腹痛まで感じる。が、さしあたり、わたしに何の問題もないのである。ただ、もう静かでなく、世間の波も風も、あまりに刺激的で、政治も事件も生活も、おもしろいといえばおもしろいでもあろうが、すこし神経を静かに休ませてやりたくなる。映画ででも楽しもうかと、ビデオにとっておいたつもりのお楽しみを開いてみると、操作ミスでとんでもない裏番組のドラマが入っていた。がっかり。後半だけを立ったまま見た黒澤明台本の「雨あがり」は、わるくはないが、山本周五郎原作のなまぬるい善意ばっかりの上澄みドラマで、かえって根のところが癒されない。寺尾聡も宮崎美子もわるくない、だがリアルに胸に落ちない人形ぶりに見えてならなかった。わたしがいらいらしていたからとも言えるが。ジョン・ウエインとロック・ハドソンの「大いなる男たち」の通俗なガッツのほうが、この身から遠いだけ、かえつて親しめる。これも、しかし見通すほどの魅力ではない。ジャック・レモンの「へんな夫婦」は笑えるけれど、二言目には訴えてやるからな、名前を言えと紙切れに書き付ける主人公の騒がしさが、草臥れているときには鬱陶しい。

 

* こういうとき、結局バグワンに聴き入ることになる。

 2001 7・11 10

 

 

* たいしたことのない潜水艦映画を見た。同じ俳優が飛行機の危機を救った映画も以前に見たことがある。

 2001 7・19 10

 

 

* 大河ドラマ「時宗」で、兄時輔が討たれた、弟時宗に。最期はあわれに描かれた、渡辺篤郎は、陰翳のある人物をそれらしく巧みにハートで演じた。妻役の、ともさかりえも若手ではしっかりあわれに演じた方だ。この夫妻のおかげで、ドラマに幅がとれていた。宗尊親王という鎌倉の将軍崩れは、和歌一首を詠じてかなり見苦しい立場から転落したが、彼を代表とした公家社会の描き方はあまりに図式的・概念的。もっと賢い集団として冷静に鎌倉幕府と対置すれば、ドラマが本格化して行くのに、この稀有の題材、専守防衛、近隣有事、侵略と反撃といった国難主題の歴史題材が軽く薄くなるとしたら、京都が書けていないからである。

 時宗役の和泉元弥も、ここまでは地の頼りなさと見栄えの素直さとで大過なくやってきたと言うておく。素材としてはわるくない役者なのだから、意識を厳しく地道に固めて、本職の狂言を、みんなが応援できるようによくよく勉強して欲しいものだ。

 今日の「時宗」は、ほろほろと泣かせた。 2001 7・22 10

 

 

* 黒澤明の遺作台本だという映画「雨あがる」を、通して、ビデオで見直し感銘をうけた。なによりも写真がじつに美しい。自然もよく人間も劣らずよい。この映画を見て、テレビの時代もの、大岡越前やその他のしろものとどう違うかを考え直せば、わたしの謂う時代小説なるものの低俗と、そうでないものとの差へ、きちんと思い及ぶであろう。清々しく美しい雨から晴れへの自然劇であった。人間が、草や木や空の時間で静かに生きていた。ストーリイを賛美する気は無いが、雨での川止めに宿にたむろする庶民の姿にも言葉にもリアルな美しさといえるものが、ごく自然に的確に描かれているのに感心した。寺尾聡の浪人剣客、宮崎美子の奇妙にリアルな浪人の妻女、原田美恵子の抜群の夜鷹、松村達雄ら宿のものたちの存在感、そして三船敏郎の息子なのか、大名役三船史郎の朴訥なおかしな真実感。みな心地よかった。人の善意をえがいているようで、そんなことは問題ではない。雨から晴れへのお天気とともに生きて動いてゆく日本人の日常が、いやみなくスケッチされている美しい画面の深みに、酔う魅力があった。演出家や俳優たちの映画を作り上げている喜びがよく伝わってきた。まさに、見直した。

 

* これから比べると、三浦綾子原作の「氷点」の下手さ加減には、げんなりした。浅野ゆう子のかびくささが鼻について、どうにもならない。テレビ関係者の意識の低さと考え違い。

 映画の人たちは、佳い映画を創ろうという意欲から仕事に入っているように見える、錯覚かも知れないが。

 テレビのドラマ関係者は、視聴率優先と、業界内での仲間褒めや足の引き合いという右顧左眄、スポンサーの鼻息うかがいという卑屈さ、などが悪循環して、しみついた体臭をかかえこみ、覆いがたい低俗容認の臭みに溺れているように見える、錯覚かも知れないが。

 2001 7・26 10

 

 

* 昨夜はメラニー・グリフィス主演の、きびきびした演出の娯楽映画を妻と楽しんだ。ビデオにとって置いて、続けて二度見させるほど、テンポの小気味よい、娯楽作としてはまず出来のいい方の映画だった。「雨あがる」とは同日に談じられない。芸術作品と娯楽見せ物との差異は厳然とどの畑にも実在する。

 2001 7・27 10

 

 

* 何度も言うが、わたしにバグワンへの縁を結ばせたのは、嫁いでゆく娘が物置に仕舞って行って、もうそれ以前から久しく顧みなかった三冊の説法本であった。三冊がその後にはわたしの意志で七冊にも八冊にもふえて、ほぼ十年近く、読まない日はないだろう。そのバグワンに帰依の現在からいえば、わたしは、無住の自在さにある種の共感を覚えているかも知れない、もう一度読み返して理解したい。少年の頃から、仏教の基督教のという区別にも、念仏の法華のといった教派の差異にも、ほとんど心をとらわれてこなかった。だが信仰心というか宗教的なセンスは信じて手放さないで来た。比較的、法然・親鸞の至りついたところを日本仏教の粋として感じ取ってきたが、それが仏陀の仏教からかなり遠く隔たり離れてきた甚だ特殊な変形であることも分かっている。宗教家の運動としてそれは少しも差し支えないことだ。ただ、法然・親鸞の教えは、基本的には慰安という名の安心の授与信仰である。抱き柱を抱かせて不安を取り除くものに他ならない。仏陀その人の教えは、禅に伝えられている決定的な脱却、端的には「静かな心」という無心、心を落としきることで知るありのままの自身、その安心。そういうことかと思われる。バグワンは、それを端的に示唆し、タオ=道を指し示しているが、それにすらとらわれるなと彼は言う。へんに「柱を抱くな」といわれているように思う。未熟なままの考えである、わたしのは。ただ、ありのままに生きていたい。 2001 7・27 10

 

 

* 雨にもふられず、機嫌良く帰宅、映画「ジョーズ」1 の、ど迫力を楽しんだ。

 2001 7・27 10

 

 

* テレビのコマーシャルを見ていたら、ベツドから転がり落ちた若い女の子が、ごろごろと冷蔵庫の前へころがって、中からペットボトルのお茶を取りだして飲んだ。かわいい子だ。また、負けないほどかわいい女の子が、床の上をごろごろ寝そべり、尺取り虫のようにうごめき、そしてなんとか「メー」かんとか「メー」と舌たるく喋っては「目薬」をさしている。

 わたしが、その女の子らの年頃だつた昔の女友だちを思い起こして、よっぽどのお転婆娘でもああはしていなかったなあと思う、ごくプライベートな場面でも。まして明治の女学生たちからすれば、信じられない図である。彼女らからいえば「はしたない」極みであろうが、いま、コマーシャルをみている若者はむろん、オジサンでも、はしたないなあと驚く気持ちもあるが、なんだかひどく娘らしい気もしているのだ、そういう行儀のわるさに。時代はひどく変っている。

 藤田まことが主演のドラマを見ていたら、ぐれていた女の子が藤田の店にひきとられ、少しずつ立ち直ってゆく。いい子だった。ところが、幾つだと人に聞かれて「十六」だと。わたしは、てっきり二十歳過ぎの大人のように見ていた。成熟していた。ドラマの中では大人の男を「釣って」稼いでいたような少女だったのだから、さもあろうけれど、わたしの十六のころの高一の女友だちを思い出せば、比較にもならないまさに少女ばかりだった、子供子供していた。時代は当然のようにまるまる変っている。たんに「はしたない」ではすまない感じがある。

 「はしたない」という批評は、本来が、強制にちかい抑制・抑圧の批評語でもあるのだ。度を過ぎればじつに多くを殺してしまう。だが戦争に負けて、戦後社会がよほど進行するまで「はしたない」という批評の毒はかなり効いた。それへの反抗と反撥とがどっと徹底してきた時点に、いまのわれわれは生きていて、必ずしも絶対に是とも絶対に非とも言いにくい。例えば女の子たちがかなりはしたなくて、おかげでほっとしている気味は、わたしにもある。なんだかくつろぐからである。

 二年前の花火の折りに、わかい娘たちの浴衣と厚底とガングロとに、わたしも妻も辟易した。ことしは厚底とガングロがほぼ消え失せて、浴衣はお義理にもけっこうではなかったけれど、顔のゆがむほどいやな恰好も見なかった。極めて少なかった。じつは、中毒していたのだろうが。

 ところで「はしたない」という語を、手近の辞典で調べても、通用の意味しか書いてなかった。語源に遡っていない。もっと詳しい辞典ではどうなのか。広辞苑でも、意義はたくさん用例を添えてあげているが、「はしたなむ」という文語もひろっているが、「はしたない」語源は説明していない。浅草への電車の中で、妻とだいぶ検討してみたが、うまく説明の付く語源の見当はなかなかつかなかった。着物の裾=端下に適切な裏打ちなどの処置が足りなくて、やたら裾のひらひらひらめくのが「はしたない」のかなねとは、わたしの推測。

 2001 7・28 10

 

 

* とよた真帆、秋吉久美子の「愛するあまり」というサスペンスドラマを見た。三分の二の時間に縮め、畳み込むテンポをあげたらもっとよかったろう、だが、佳い方であった、二人の女優が深切に演じてくれた。とよたに期待はしていなかったが、見直した。秋吉は昔からわたしのお気に入りで、なにかやってくれるだろうとドラマの進行を辛抱よく待っていたが、期待通りの顔と力を見せてくれた。秋吉久美子と原田美枝子とは、わたしが嘱望し続けて期待通りの道を歩んでいる映画女優である。タレントの芝居とはちがうものを持っている。

 かなり等身大の、空気の感じられる画面を、いくつも見せた。おやすいドラマには相違ないが、原作ものだというのが脚色の強みになって、纏まりながら変化も見せた。変化は大方予測がついた。その辺に安さがあるのは仕方がない。

 映像化される原作には、どこか、弱点がある。映像に文藝が媚びてしまうからだ、テレビ時代になってからの原作には、はなから映像にすり寄ったような計算がしてある。それでは文学は衰弱する。

 

* 谷崎潤一郎は映画の魅力を最も早くに体得し実践した文学者であった。シナリオも書き、映画会社に関係し、家族で映画出演し、いわくのある妻の妹を女優にしていた。大正時代である。芝居も好きで戯曲を山ほど書いている。そんな谷崎の昭和期の傑作は、大方が映像性を豊かに表現して、たくさんな映画が出来た。成功した映画も少なくない。

 志賀直哉のあの『暗夜行路』でも映画化されたが成功するはずがなかった。映像からすり寄ってきても歯の立たない文学性を志賀直哉は確立している。

 わたしは、何度も担当の編集者から「映画化権」がどうのというハナシをされた。だが頑固者のわたしはいつもハラのなかで、映画になどされてたまるか、できるものならやってみろと想って小説を書いた。「清経入水」「秘色」「みごもりの湖」「初恋」「風の奏で」「冬祭り」「四度の瀧」「北の時代」「秋萩帖」など、やれるものならやってみろと思っていた。安易に映像化させないことに「文学の文藝」を意識していた。もっとも、だから読むのにも難しいと言われたのかも。

 2001 8・1 10

 

 

* とにかく小泉内閣の、報じられている首相と外相とのチグハグは、精神衛生にわるい。首相と官邸サイドの仕打ちには不明朗な、旧態依然の自民党の不快さを感じる。そういうことからの脱却こそが小泉の旗印であったと思うのだが、清新な明朗さに欠けた陰湿なバッシングで内閣の「要」をとりはずしにかかっている。不愉快でならない。

 2001 8・2 10

 

 

* だんだん大河ドラマの「時宗」像に惹かれてきた。和泉元弥は上手な狂言役者でもうまい俳優でもないが、さすがに姿勢がいい。時代劇では、せめてこの姿勢が守られないと少なくも武家や武士はむずかしい。渡辺篤郎の時輔役が終始上体をくねくねさせる異例の演技で逆に存在感をみせていたものの、あれは渡辺の弱点欠点でもある。北大路欣也がテレビにデビューして間もないころに時宗を連続で演じていたのを、「胸の血潮に真っ赤に咲いた」と歌い出す主題歌もろとも、よく覚えている。まだ医学書院で「看護学雑誌」の編集をしていたような、遠い昔だ。北大路は謝国明役で今夜も出ていたが、役者としてどんな今昔の感慨をもっているだろう。テレビの演出も効果も天地ほどの差で進展している。

 

* 鳥越キャスターの番組にヤワラちゃん田村亮子がいい笑顔で出て、いい話を聴かせてくれた。この時節に彼女の健闘と笑顔とは、掛け値なしの一服の良薬である。感謝する。 2001 8・4 10

 

 

* 銀座で買ってきたDVD「タイタニック」を通して見た。予期以上に映画的な成功をおさめていて、満足した。海難ものの映画はタイタニックを含めていくつか見てきたが、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのラヴストーリーを抱き込んだこの大作は、軽薄なドラマ性を抑制して、超豪華大船沈没の現場を、リアルな画像で辛抱よく写し続け、かなり誠実な作り方を守っている。終盤へかかって感動を呼ぶ力を十分持ち得ていた。こみあげた。「ジャンヌダーク」は苦しい迄の精神的な緊迫を強いてきたが、「タイタニック」は映画技術の可能性を楽しませながら、メロドラマ表現に加えて積極的な映画ならではのヴィジブルな大刺激を与えてくれた。劇場の大画面で見れば迫力はたいしたものであったろう。あまりの評判に敬遠してきたが、満足した。

 

* シルベスタ・スタローンとシャロン・ストーンとの午後の映画「スペシャリスト」を前の三分の一ほど階下で見てきた。これはビデオに取ってあり過去に何度も何度も見ているから、途中で二階へ戻ってきた。スタローンの哀情に飛んだガッツも大好きだが、シャロン・ストーンの闘争心に隠された哀情にも心を惹かれる。だいたい主要な彼女の映画はそういうキャラクターの魅力を生かして作られている。この映画でも「氷の微笑」でも。 2001 8・5 10

 

 

* 気味わるいといって映画「エイリアン」の怪物ほど気味わるい造形は少ない、絶無かもしれない。それなのに、1から4まで全部見ている。進んで見ている。シガニー・ウィーバー演じるリプリー役の強靱な闘争精神と不思議な断念の哀情に誘われるのかも知れない。それにしても今夜の「エイリアン4」の気味わるさはこれまでの三作を凌いで徹底していた。それだけ、映画効果も凄みがあった。目を背けたい場面は幾らもあったが、見ていた。映画の魅力は底知れない。ウィナノ・ライダーのような可憐なタイプの女優がロボットで出演していたのが目の救いであった。

 2001 8・11 10

 

 

* エドモントンの世界陸上、女子マラソンは、文字通りの死闘を制してリビア・シモンが大きな世界大会で初の金メダルを奪い取った。トラックに入ってからの美しい速い走法に驚嘆し、惜しみなく栄誉に拍手を送った。終始競技をリードして二位に駆け込んだ土佐選手の力走も、優勝こそのがしたが見事であった。リビア・シモンはもう久しいおなじみの名選手。高橋尚子にオリンピックで破れたときの悔しさを圧倒的な自信と力とではらした。わたしも妻もこの選手が好きである。土佐を応援したが、シモンが先へ出てスパートしたところからはシモンのために拍手し続けた。

 

* 田村亮子の世界柔道五連覇は世界に冠たる偉業であったし、世界陸上での男子ハンマー投げ室伏堂々の銀メダルといい、男子二百ハードルの為末選手の健闘良く銅メダルを獲得したトラック初の喜びといい、見応えのある結果が続いた。その一方で、男子棒高跳びブブカの姿、女子百、二百オッティーの姿の見られなかったのは寂しい。時代はゆっくりゆっくり動いてゆく。若きに席を譲ってゆく。自然なことだ。

 2001 8・12 10

 

 

* 映画「釣バカ日誌」スペシャルをみた。三度目ぐらいか。それでも大笑いして、ほろりとした。理屈ぬきなのである。この映画の「ハマちゃん」「みちこさん」夫婦の尊いのは、この二人をバグワンが徹して言っている「マインドを落とした人間」として描ききっているからだ。「スーさん」にはそれが分かっているから憧れているのだ、釣りがうまいからでも、愛想がいいからでもない。マインドという分別・思考・拘泥をこの主人公夫婦はほとんど持たない。ありのままに自然なハートで行為し愛し生きている。「鈴木建設」の管理職達とくらべれば、明白。人がこの映画を愛するのは、気づかないでだろうがこの「どんまい =DO NOT MIND」夫婦の高貴さに惹かれているからだ、滑稽を嗤っているのでなく、逆に、この夫婦から嗤われているように「自分の寸足らずなマインドの日々」を内心に恥じらうからだ。

 小泉純一郎の「熟慮」とはまさにその「嗤うべきマインド」の塊であった。「虚心坦懐」が聴いたら真っ赤になるほどマインドの固まりであった。人間としてどっちが高貴であるか、あまりに明白である。

 2001 8・13 10

 

 

* 童謡詩人金子みすずを松たか子が演じるというので、ちょっと期待したが、脚本も演出も、松をとりまく役者達も、あまりのたわいなさ、ぎごちなさに投げ出した。石坂浩二の評判のわるい「水戸黄門」も、なるほどひどい。すぐ顔を背けた。

 それからすると、昼間に一時間分ほどビデオの最初から見掛けた「屋根の上のバイオリン弾き」はユダヤの人たちを印象深くレアリティーを失わないイデアルな描き方で、盛り上げている。先が楽しめる。

 2001 8・27 10

 

 

* 「タイタニック」を二夜連続で放映、最初の二時間あまりを今夜見た。氷山にあたり浸水し始め、ジャックは盗難の容疑で監禁された。今夜のところは、ま、よく出来た方のメロドラマだ。船首で、ヒロインのローズが羽根のように両腕をいっぱいにひろげ、タイタニック最期の夕焼けの海へ飛翔しようとする姿は文句なく美しい。

ケイト・ウィンスレットの演じるローズは、新しい時代の女の要素を備え、だからこそ明日に生き残り、二十世紀を満喫できたそういうキャラクターとして、意図して映画の中で創造されている、とは、妻の批評だが、そういう生き抜く生命力がたしかに感じ取れる。DVDの吹き替えに比べテレビでは、ややローズが蓮葉に話すのも、いまいまのギャルたちにまで命脈を伝えた新しい女の魁ゆえとみれば、面白い。つばを飛ばす所など無意味には描かれていない。

 2001 8・31 10

 

 

* 田原総一朗の番組に猪瀬直樹が出て、道路公団の一部事業の凍結等について、石原伸晃大臣と歩調を合わせ、若々しい率直な発言をしていた。くわしい論評の出来るわたしではないが、いつもの猪瀬氏よりも静かに抑えて、しかも短い言葉で自信をまともに表明していたのは、聴いていて安心感がめばえ、ただの評論ではない実践姿勢が前に出てとてもよかった。とにかくも旬の人であり、この時期に所を得て活躍してくれるのは、ペンと言論の仲間としても嬉しく喜ばしく、いつも自分の言葉で、自由人として語り遂げ、働き遂げてほしいと思う。

 彼は理想主義者ではない。見えている理想から目をそらすとは思わないが、「今」なら「何」が出来るのかをとても大事にする。そのために、観る人の視野によればときに物足りない狭さや偏りを感じさせることもあるが、行政の場に近く影響力も持って在るときには、この彼の現実性が、政治の「マイナス暴走」をふせぐいいブレーキの役もする。推進力にもなる。亀井静香のような無法則な乱暴者にも、負けない大声で退かずにおれる落ち着いた根性は、わたしから謂えば、あれが「文学」のちからなのだ。文壇人とは謂えない猪瀬だが、それがいいのだ。調査と探訪に基づいた遠慮ない自由な活躍が、彼の真骨頂であり、亀井ごときを怖れたりしないでやり合える。自由であることのよろしさ誇らしさから、多彩に発想し発言し、国民のための改革、自民政権のためではない改革に、力を致してほしい。期待は大きい。好漢、健康に、自愛せよ。

 

* ほっこりと疲れているのは、昨日に比べて今日の蒸し暑さのせいか。

 2001 9・2 10

 

 

* 家に帰ったら、ドルフ・ラングレンのB級娯楽映画の途中だった。血しぶきのとぶこととぶこと。ヒロインの女優はしかし最高にチャーミングであった。清潔にしてエロチックであった。これだなあと思う。

 2001 9・6 10

 

 

* 山田太一の「再会」というドラマを午後にみた。だんだん太一さんの想が乾上がってきているのか。推敲しすぎて白骨化し脂っ気のないまずい散文を読んでいるように、セリフなど、聴いている口の中で、ボソボソと乾いた飯みたいにのどに障った。わるいとは言わない、凡百のドタバタとヤクザな芝居からすれば、上等だ。前夫の長塚京三も、男を作って出奔した前妻の倍賞美津子も、娘の石田ゆり子も、みな、まっとうな芝居を見せているのだ。ただ、この頃の太一ドラマには、ミエは切りませんですよ、ね、という大ミエが、かなり臭く見えてくる。なんだか、たいへんそうな「母帰る」劇のようでいて、存外に常識の範囲内で予想通りに安着陸、はらはらも、どきどきも、くすくすも、ない。ね、こういうのが人生っていうものですよと、ミエを切られた感じで、シラケルのである。ドカーンとしたものが故意に無い。

 2001 9・8 10

 

 

* ケビン・コスナーの「ポストマン」はいい写真を撮っていたけれど、ストーリーとしてはあまりドキドキするものではなかった。最後もたわいないといえばたわいない、強くない表現であった。近未来のバイオレンスでなら、メル・ギブソンの「マッド・マックス」の凄みがまさる。「ポストマン」にはやや牧歌的な夢の入り込んでいるところ、いいとも味が薄いとも。ヒロインは美しかった。発送準備の作業をしながら聴いたり見たりしていたジャック・レモンの「おかしな夫婦」の方が、笑えた。この映画では、あまり美しくない「奥さん役」がいい。西洋の映画はわたしには煙草のかわりで、煙をふかすていどにしか観ていないのだが、休息効果はある。

 2001 9・8 10

 

 

* 発送作業しながら、午前にはシルベスタ・スタローンの「ロッキー ザ・ラスト」を、ビデオで、耳に聴きながらちらちら観ていた。久しぶりだが、シリーズの中でも好きな作。うまく作ったツクリモノであるが、スタローンのハートが、また妻子の役が適役で、うまく乗せられる。午後には、ビデオにとりながら、ポール・ニューマン、メラニー・メグリフィス、ブルース・ウィリスそれにジェシカ・タンディという豪華なキャストの「ノーバディース・フール」を感心して観た。渋い地味なつくりなのに、繰り返して観たくなる佳作で、どの役にも佳い味が出ていた。ポール・ニューマンのものでは一番佳いかも知れない。メラニー・グリフィスも幾つか観ているが、役の幅のある、美人ではないのに魅力を感じる女優で、忘れがたい。なんといってもジェシカ・タンディの実在感と落ち着いた品位がいい。映画そのものがジェシカに贈られていた。もう亡くなったか。

 高校から大学の頃は断然日本映画の黄金期で、名作秀作がしのぎをけずって現われ、洋画などばからしいと思っていた。それが、すっかり日本映画は観なくなった。ときどき試写会に呼ばれるが、洋画のほうが胸にしみるもの多く、邦画は問題作だと認め得ても、今ひとつ深い体験になって残らないのは何故だろう。「御法度」でも「冤罪」でも。大評判の宮崎監督作品のまんが映画など、わたしは信服したことは無い。「もののけひめ」でも、あざといつくりの、感傷的に浅い啓蒙娯楽品としか受け取れないもので、材料のこなれはよくなかった。あんな程度でコロリとだまされるのかなあと、マンガ体験の質的な底の浅さに失望したのを覚えている。洋画に親しんでいるのは、無責任に、ただ娯楽と割り切って付き合っているだけのこと。いっそその方が、ほんものの佳いのに出逢うと、とてつもなく儲けたトクをしたという気になれる。 2001 9・19 10

 

 

* 蒸し暑い一日、まさに、ひねもす作業で、へへとへと。晩はしばらくぶりに「グランブルー」を見ながら、根気よく手作業をつづけた。かなりはかどった。ジャン・ルネもいいが、主役の寡黙なのもいい。それに女優のロザンナ・アークェットが好きだ。見ているうちに次第に美しくなって行のがいい。切なく深く哀しいラストへ入ってゆくのが、胸をしめつける。どの人間よりも「いるか」たちが素晴らしく懐かしいのである。男女の愛以上に「いるか」との愛の方が本質的にみえてしまうところにこの映画の堪らない誘惑がある。

 2001 9・19 10

 

 

* 明らかにおかしい方向へ世界が総崩れの勢いで浮き足立っている。ガキ大将がこわくて、だれもがみな本音を隠している按配で、本音は、民衆のなかで動こうとしている。そういうものだ。ブッシュがだんだんヒトラーに見えてきた。

 むろん、彼はまともな敵を敵と指さしていると思う、わたしも。放っておくことは出来ないし、彼は相応に外交努力もしていると認める。だが、この先の展開に堪えがたい悲劇の場面が、極めて不毛かつ悲惨な場面が、展開するおそれは拡大している。容易に効果の上がらない戦争が、報復の反復というかたちで百年二百年もグローバルに残留継続するかも知れぬと思うと、まことにゾッとしない。

 

* そう思いつつ「グランブルー」の終末部を繰り返し二度見直した。ジャック・マイヨールの必然の最期、「わたしの愛を見定めてきて」とジャックを自身の手で深海に送り込む妊娠している恋人ジョアンナ。ジャックを迎え取る「いるか」たちの幻影。「海に潜ると、上(現世)に戻る理由が見つからない」とジャックは、心から愛している恋人に対し呟くように告げていた。一切がその一語にこもっている。「海」のかわりに譬えばわたしなら「遠山に日のあたりたる枯野」と言うことも可能だ。海から「戻り」枯野から「戻る」とはどういうことか。ツインタワーへのハイジャック機の体当たりテロに付き合うことであり、報復の世界戦略に付き合うことであり、あれであり、これであり、思えば思えば、どうでもいいことばかり。しかし、まだわたしは、帰ってくる。帰ってきてあれもこれも降りかかる火の粉を払う。そんなゲームにまだ興じている自分のいることを知っている。視野には「黒いピン」がハッキリ見えていて、視線はそれをとらえ、黙認している、痛みと共に。

 2001 9・20 10

 

 

* で、チャールズ・チャップリンの「モダン・タイムズ」「犬の生活」を昨日撮って置いたビデオで観た。子どもの頃、チャップリンといえば、エンタツ・アチャコなみの滑稽屋なのだと思っていた。偉大さに感銘を覚えるようになったのは大人になってからだ、まぎれもない天才であり、演技者としても批評家としても映画の製作者としても比類ない大才能である。スリラーのヒッチコックも楽しませる監督であったけれど、娯楽作の大家。チャップリンの仕事は時代と渡り合い、ひるむことなく批評し抵抗して譲らない。しかもギスギスしない。弱者への慈悲の視線と姿勢がハッキリ出る。うたれ強い人間の、毅然とした明るさと温かみとが、映画の表現に魅力的に沈んでいる。藝術家である、偉大な。今日は、それだけで嬉しい。

 2001 9・24 10

 

 

* 「リーサルウェポン4」は、前三作に劣らない面白さであった。

 愛妻を死なせて自殺願望にも悩んでいた刑事役メル・ギブソンが、いま心から愛する同僚女性役ルネ・ロッソの妊娠出産を前に、「結婚」の二字に懊悩する心理を縦糸にし、成功している。妻の墓の前で亡き妻に切々と新たな結婚を問いかける夫の前に現われて、レオ・ゲッツ役が語る「蛙」の話は泣かせた。あれで、びしりと締まり、おそろしく騒々しい過酷なバイオレンスの連続劇を、もののみごと、しっとり縫い上げた。おみごと。こまぎれで二度見直しているが、楽しめる。ダニー・グローバーの先輩刑事が佳い。この黒人デカ長の人柄の美しさがどんなにこの映画を通俗からすくい上げているか計り知れない。

 昨日昼間から来ていた息子と夜更けてコーヒーをのみ、彼が隣の仕事場へもどり妻も寝てから、ひとりで、この映画を、また最後まで見た。体力的な衰えを自覚しながら難敵に捨て身で挑み行く二人の刑事たち。強いばかりのこれまでの作にひと味深みも添えた。  2001 10・1 10

 

 

* NHK大河ドラマ「北条時宗」が、グサグサした妙味のないツクリであるにかかわらず、奇妙に惹きつけて、毎週を気をつけて見ている。時宗役が嵌ってきて、ドラマを支えている。うんうん、やはり主役だわいと思えるようになってきた。むしろ今では時輔役が難しい芝居を強いられて、泣きべそ渡辺篤郎が戸惑っている気配がある。安達泰盛の柳葉や北条実時の池谷慎之介がそこそこ場を纏めてくれるので、鎌倉方は何とかなっている。博多は太宰小弐役が凛々しくやっている。何と謂ってもこのドラマを成り立たせているのは、個々の役どころを遙かに超えて威圧している、蒙古=元の存在である。この未曾有の有事を思う故に緊迫してくる。演技ではないようだ。

 2001 10・7 11

 

 

 お気に入りの田村正和現代劇「さようなら小津先生」の幕開きだったので、見た。脚本の出だしがテンポ宜しく緊密感もあり、大いに宜しい。やせこけた田村が、いきり立った「幽霊」の感じから、失意の底でひとり泣き伏すまでを、段取りよくセンスもいい、臭みも自然に利かせた達者な芝居で、したたか見せてくれた。けっこうであった。

 この俳優は、かつての、「時代劇べたづけ」のような持ち味から、捨て身と自然な貪欲さとで、もののみごとに藝域をひろげた「達人」である。彼のねっとりした眠狂四郎ほかもわるくないが、現代サラリーマンものや色男ものでも、面白く大いに楽しませてくれるサービス精神旺盛で、持ち味にこだわらずに持ち味をうまく押し広げている。加藤剛にこういう藝当の無いのが歯がゆいといつも思っているのだが、田村正和の、それこそあの世界貿易センタービルで金融界を牛耳っていた境涯から、一転スケープゴートとして禁獄され、その後転落のきわみに追いやられ、家庭も失い、あげく破滅的に荒廃した中学校の臨時教員になって行くという成り行きは、設定も、場面の展開も、まず上等のエンターテイメントとして面白いと思えた。くさいくさい役者だが、田村正和に限ってわたしはくさいところがうま味のアクかのように、賞味している。美空ひばりに似ている。

 2001 10・9 11

 

 

* 帰宅後、常は見る気のない「ホテル」というドラマについ見入ってしまった。ラストはいけないが、途中は一本筋をぐいぐい押して、主役の任侠親分さんも、ホテル勤務の清潔なヒロインも、うまく噛み合って緊迫感をにじませた。剣劇が本職の俳優がうまく気を入れて主役の芝居をし、純真な美しいレディーが素材の魅力でみせ、目を放させなかつた。キャストだけで勝負をかけ、うまく成功していた按配。

 ひきつづき「ER」を見ないわけに行かなかった。さすがに、これは、ドラマの仕立ても撮影も脚本も、めちゃくちゃ上手いい。ドラマを見ているといった気分でなく見せる力がある。リアリティー。

 じつは先夜、「はみ出し刑事」とかいう続き物の一回分を、息子の脚本だというので見始めたが、どう身贔屓してみても最後まで見ている気になれなかった。カッタルく、ダレてしまい、ドラマという「劇」性も律動感もなかった。借り物のセリフ。みんなが低調なカッタルイ仕事を「言訳だけ沢山に」濫造している世間なのだと、だれもがこの業界を謂うが、そうだろうとは思うが、そんな姿勢では、所詮は坂を転げ落ちてゆくことになり、お話にならない。「もの創り」の誇り、それが肝腎だと思う。

 2001 10・12 11

 

 

* 仕事に追われ先週見られなかった「北条時宗」を昼過ぎに見た。

 ようやく無学祖元が登場、あの役者はわたしの大学の先輩ではないのか。それは、どうでもいいが、時宗は宜しい。時輔は鎌倉武士にしては泪もろすぎる。桐子役の木村佳乃といったか間違いかも知れぬが、このタレントに打掛姿の時代劇はとても無理。時宗妻の祝子は、ただもう神妙にしているのでボロは出ていない。平頼綱役の役者の面構えのまがまがしさは、この先の波乱を予感させて不気味に面白い。何と謂えども、クビライと対決する仕方が時宗と時輔とで変ってくるのが、ドラマの寄せ場であり、評判はどうなのか知らないが、わたしはごく好意的にこのドラマにつき合い続けている。

 おそらく日本史上、第二次大戦が済むまでと敢えて言うが、北条時宗ほど、アジアの国際関係で危機感を嘗め尽くした政治家は、他に一人もいないのである。そこが、みどころになる。クビライとの戦争は一文のトクにもならず、莫大な損費と犠牲を要した。ご家人に酬いうる余力は幕府には無かった。足利や新田が、後醍醐政権が鎌倉幕府を倒したのは、現象的にはその通りの事実だが、根は、蒙古襲来によってもう倒されかけていた。

 あの若さで未曾有の国難に立ち向かった史実には、敬意を覚える。いわゆる神風もものを言ったか知れぬが、毅然と立ち向かった時宗の歴史的功績は評価に絶するものがある。平安時代であったなら、日本は滅びていた。神風だけが幸運ではなかったのだ。

 禅宗という無心の教えがまさに鎌倉に到来したのも幸運であった。渡来僧たちはみなクビライらに逐われてきた、宋の僧であった。大元がどのような国かを、時宗に知らせる姿勢も、彼らは備えていた。情報は必要であった。

 2001 10・20 11

 

 

* 帰ったら、見損じた「北条時宗」を妻はビデオに撮っていてくれた、早速見た。今日も、時宗、そして死んでゆく北条実時も、時宗を支える安達泰盛や妻祝子も、落ち着いて「歴史」を想ういいヒントをわたしに投げかけてくれた。わが先輩の筒井康隆が無学祖元を厳しく演じていて、うまくなったなあと感心した。黒澤明に鍛えられ愛されてきたピーターこと池谷慎之介が渋い名演技でここまでドラマを支えてきたのは、いかにも時宗の守役らしく好感がもてた。一人また一人と古老、老職が逝去してゆくのも見てきたが、そういう場面が身にしみる年に、わたしもまた成っているのだなと思う。

 柳君は、いま、なにをしていても自分が一番若い部類に属していると話していたが、わたしも、ある時期、なにをしていても、どこにいても自分が一番若いと感じて、安心なような物足りないような思いをしたものだ。だが、ふと、気がつくと、わたしより年上の人の少なくて、だれもかれもが自分より若いことに愕かされる事が増えている。愕きながら、すうっと気持ちが冷えて落ち着いていることもあり、肩をすぼめるように寂しいときもある。

 2001 10・21 11

 

 

* 田原総一朗、田島陽子、佐高信を囲んで大勢の男女が、男女の構造改革と題して議論していたが、田島の声ががんがん響いて、その「硬直した正論の喧しさ」に辛抱しきれず逃げてきた。

 2001 10・30 11

 

 

* 一休みして、見た「ホブスンの婿選び」がやっぱり気持ちよく面白い映画であった。デヴィド・リーン感得の代表作の一つだろう、靴店の主人に名優チャールズ・ロートン、三人の未婚の娘達の長女がブレンダ・デ・バンジー、彼女が選んで夫にしてしまう靴職人がジョン・ミルズ。きちっと仕上がった舞台劇さながらのモノクロ映画で、下敷きにシェイクスピアの「リア王」や「テンペスト」がさりげなく忍ばせてある。スペンサー・トレーシーとエリザベス・テーラーとの「花嫁の父」とは味わいは違うが、気持は似通っている。「屋根の上のバイオリン弾き」とも話は似通いながらはるかに救いがあり温かい。むしろ印象は「クリスマス・キャロル」にも近いかも。それもあれよりは心温かい。ブレンダ演じるマギー・ホブスンの小気味よさ、知情意のととのった魅力がドラマを押し切ってゆき、父と夫との対面を面白く仕立てて佳い喜劇になっている。ずいぶん高価なDVDだったけれど値打ちはある。

 2001 11・9 11

 

 

* 迪子と待ち合わせた中華料理の「保谷武蔵野」で夕食し、歩いて市役所のこもれびホールに入った。建日子が推奨の中国映画「初恋のきた道」を観た。途中のかりん糖工場で買ってきたかりん糖と食事の時の老酒と、その前のビールがきいてしばらく寝てしまったが、いいところで、きっちり目覚めて、映画を十分楽しんだ。

 

* 父親に死なれて一人息子が故郷に帰ってくる。母は夫の死を心から嘆いて、遺骸を遠く離れた病院から、車ではなく古式にのっとり担いで帰りたいと、つよくつよく息子達にねがう。

 父は死ぬる日まで学校の先生であった。すばらしい先生であった。新任してきた若き日の先生に、愛らしい村娘であった母は恋し、二人は愛し合った。その恋と愛とが、いかに清純に深く豊かであったかを、息子の回想と語りとで描き出されてゆくのが、それはもうみごとな繪になっていて、すばらしい。主役の少女が魅力横溢、ほかの何も要らない少女が画面に映ってさえいればただもう嬉しく感銘を受けてしまうと云った映画なのであった。

 そして、その、夫であり父である人の遺骸は、吹き降る雪のなかを、教え子達や遺徳を偲ぶ大勢の手に担がれて、村へ帰ってきたのである。

 息子は、父がそうしていたように、村の学校で、父の書き残していた文章で、一日、村の子ども達に授業する。それこそは、死んだ父が望み、死なれた母も心から望んでいて息子の果たせなかった大きな心残りなのであった。老母は、息子の音吐朗々と読み上げる授業の声にひかれて、やがて改築される昔ながらの学校の前に、かけつけるのであった、昔

も、いつも、そうしていたように。

 

* 大味でありながら、心美しく澄んで優しい映画であった。中国辺境の大自然を描いた映画に通有の設定とも言えるが、この映画には悲惨な悪意が働いていないので、後味がとても美しいのが嬉しかった。

 2001 11・17 11

 

 

* 昨日、テレビでスティーブン・セガールとケリー・ルブロックの映画「ハード・トゥ・キル」を見た。その少し前だったがクリント・イーストウッドの「目撃」も見た。もう何度も見てきたものだが、見飽きしない。セガールとルブリックとが実の夫婦であったときに撮っているこの映画は、何とも言えず面白い。筋もセリフもみなすみずみまで覚えているほどだが、運びに緩みがない。二流の娯楽ものだと思っているが、それなりに面白い娯楽ものを幾つも覚えていると、ビデオで再見の出番がある。

 眠れないときに、外国の男優や女優のフルネームを数え上げてゆく。男優が百人をこえるときがあり、女優が七十人をこえることもある。競演した男女優をあげていく複式では、なかなか五十は行かない。途中で寝入ってしまう。

 2001 11・25 11

 

 

* NHKの、「死者からの手紙」という極めて不出来なドラマにつき合いながら、湖の本の挨拶書きを始めた。エミール・ゾラの原作の翻案劇なのだが、演出がへたで芝居にダイナミックな流れが無く、ギクシャクの思わせぶりで、やたら岡田茉莉子のこわい顔ばかり印象づけられ、こんなものなら翻案でなくても毎日のように火曜サスペンスなんかでお手軽にいっぱいやってらと思った。期待はずれ。これは取材もミスなら脚本も演出もダメで、演技者もやりにくそうにもたもたしていた。あれぐらいなら澤口靖子の「科捜研の女」を気楽に見ていた方がよかった。

 2001 11・29 11

 

 

* 皇太子ご夫妻に内親王誕生の朗報は、心和んであまりあった。心の底から、ああよかったとお祝い申し上げた。天皇皇后のおよろこびもさりながら、若いご夫妻にあまりにも過重な負担を国民も強い続けてきた。理不尽な渦の中へ引きずり込むような按配であった。出産はあきらかに性的な事象であり、しかもなにかしら能力に絡めて是非する思い習いを人は持ちすぎる。八年に及ぶその種の関心の的になり話題にされ続けていた夫妻への同情をわたしは棄てられなかった。お気の毒に、おつらいであろうと思い続けていた。だから、無事に、平安に安産なさるよう祈っていた。まれに見る安産であったと聞く。そして国中が、およろこびの声をあげていた。そういう声ばかり報道されたのではあろうが、わたしたちも素直に共感した。泣けるほど嬉しかった。

 天皇制には、必ずしも熱い思いは持たないが、現在の天皇家には理屈抜きの敬意と親愛の思いを持ち続けてきた。いまの天皇さんも皇后さんも、これぐらい優れた人がまたとあろうかと思うほどだが、皇太子さんも妃殿下もすばらしい。優れた家庭の優れた品位と知性と愛情をてらいなく発露されている。そういう家庭に、理不尽なほどの負担を強いているのは、これが天皇制の宜しくない一つには違いないが、そのことはべつにして、どれほど安堵されたことかとお察しする。それが嬉しくて泣けたのである。心からおめでとうございますと申し上げる。

 

* 夜に、またまたまたの「釣りバカ日誌」を見た。ここにも一つの家庭があり、不壊の値をみせて或る「身内」が成り立っている。現在の天皇家・皇太子家とくらべるのは、おかしいかもしれないが、ハマちゃんとみちこさんと鯉太郎クンの家庭にスーさんも寄り添っている、その根底の愛は、理念としてさほどちがうものには見えない。

 この映画で、わたしは「スーさん」の境涯に関心を持っているが、彼と同じ憧れを感じている人が多いだろうし、そういう人には、地位の高貴とは無関係に、天皇さんと皇后さんとが革命的に実践されてきた家庭設計に共感しつつ、ハマちゃんみちこさんたちを眺めてきたのでは無かろうか。

 2001 12・1 11

 

 

* 「若い勇者達たち」という午後の映画が、見終えて以外に印象をのこした。アメリカの、山岳地を負うたいわば広大な田舎のハイスクール校庭に突如として落下傘部隊が降りてくる。演習ではなかった、映画ではソ連とキューバの連合軍らしく、それは、「アフガニスタン」以後に何年もたっての突如とした第三次大戦、アメリカ本土侵攻の一瞬だった。容赦ない銃弾に多くが死に、市は、郡は、州は制圧され、多くが過酷に収容され過酷に殺されてゆく中、あの日以来辛うじて山へ逃れた若きチャーリー・シーンその他数人の少年達が、或る兄弟を芯にして果敢なゲリラ活動をつづけ、戦い抜いてゆく。

 彼等を山岳地に追いつめて一人また一人殺してゆく占領軍の地上兵や空爆隊は、まさに現に今タリバン兵たちを追いつめているアメリカ軍をそのまま髣髴させる奇妙に刺激的画面になっている。しかも少年達は捨て身の攻撃でついには占領軍の仮借ない将軍をうちとり、侵略者たちが撤退と敗北への道を開いて行く。

 近未来の架空の物語でありながら、異様な仕立てにせず、リアルないわば普通感覚での少年ゲリラにしてあるのが成功していた。どうして今の今にこういう皮肉な映画を御蔵から引っ張り出してきたかと、番組の意図を忖度してみたくなるシビアな作品だった。

 

* 昨夜がおそかったため、八時半まで寝ていたのに一日中目が痛むほど眠くて参った。入浴して、これから手仕事をしながら「時宗」を見る。

 2001 12・2 11

 

 

* ジュリア・ロバーツの映画をみた。「プリティー・ウーマン」「ペリカン文書」ほどではなかったが、それなりの魅力を滲ませていた。リアリティーは乏しいし、おはなしも陳腐な方に属しているが、なんとなく魅せられた。ビデオを「置いておく?」と妻は聞き、「うん」と返事した。

 2001 12・7 11

 

 

* 「北条時宗」が死んだ。なんだかんだドラマの外では、気難しいおじさんたちにわるくちを叩かれ続けながら、このドラマでは、和泉元弥クンはよくやったと思う。佳い顔をしていた。はまっていた。だんだんに誠実に賢くなって行った時宗に、現実の元弥は謙遜にあやかり学ぶとよい。この一と役で、彼はながく記憶に値する感銘を、最後の最期まであたえてくれた。無学祖元の鞭撻に服しながら、最期のときに、現世に精いっぱいの思いを隠さなかった、静かな死。よく盛り上げていた。

 こう最後まで来ると、妻祝子役の西田ひかるが、品のいい優しい妻であった。覚山尼に変じた十朱幸代がさすがに魅せてくれたし、一年間のナレーションにしっかり締めくくりをつけた。

 いろいろと印象的な人物があり、よく時宗夫妻をたすけて好演していたと思う。最後に出てきた無学祖元役の筒井康隆と、早くから出ていた日蓮役の奥田某とでは、素人の筒井の落ち着いた貫禄勝ちであった。感じ入った。クビライが、よく一方でバランスを取り得ていたのも、わるくない。むかしむかし、今回謝国明役の北大路欣也が若き日に連続ドラマで演じた果敢な時宗役よりも、今回のドラマは悠然と大きく、世評は知らないが、一昨年であったか、モックンの端正に演じた徳川慶喜に劣らない北条時宗を、和泉元弥は、たぶん受け身にであろうが、造形しえていた。あまり器用でなかったのがかえって好感が持てた。

 

* 前夜、妻と、ビデオの「冒険者たち」をみた。とりとめなく始まるようでいて、リノ・バンチュラとアラン・ドロンのすてきな組み合わせに、さっくりしていながら一抹の哀れを包み込んだ若い佳いヒロインが加わり、これもまたまさしく「身内もの」のしみじみと悲しい、佳い映画に仕上がっていて、見終えてからもジンジンと余韻にうたれた。うそのように不思議な「島」が出てくる。一人でしか立てない大きさの島に三人で立てている嬉しさを、三人は味わえないままバンチュラ一人が生き残って、最愛の二人に死なれてしまう。「グラン・ブルー」に通う、また別の、趣深い佳い映画を拾い上げた。リノ・バンチュラもアラン・ドロンも、これ以上に好もしい映画が他にあったろうか。

 2001 12・9 11

 

 

* 長谷川泉さんの「阿部一族」論を読んでいると、原作もそうだが、テレビ映画の「阿部一族」も思い起こす。ずいぶん数多くの単発テレビドラマも観てきたが、もし只一つと限定されればわたしは「阿部一族」を挙げるだろう、少なくも歴史モノとしては、他にあれを凌駕した秀作は思い浮かばない。娯楽ものなら五社監督の「雲霧仁左衛門」なども思い出すが、感動作という批評性と完成度からは「阿部一族」を取りたい。そして森鴎外のと限らず、近代以降の歴史短編としても「阿部一族」を最高の作品の一つと認めている。たいていの読み物の歴史物は時代物でしかなく、なによりも文品いやしきものが多すぎる。

 2001 12・14 11

 

 

* 荻江の家元壽友氏の久しぶりの手紙が来ていた。わたしの作詞の「細雪 松の段」をNHKが録画することになったと。これまでに藤間由子が弟子と舞い、今井敬子が一人で舞い、京都先斗町の芸妓が舞っている。こんどは誰が舞うのか、荻江の新作では曲の佳い作品だと思っている、楽しみだ。

 2001 12・17 11

 

 

* 昨夜寝入る前に、建日子のくれた雑誌で、宮沢りえのと澤口靖子のと、インタビュー記事を読んだ。ま、予期したとおりであった。宮沢リエは天性の演技者で才能であり、澤口より随分若いけれど話すことには深い蓄積と覚悟と洞察がある。読んでいてもおもしろい、とても。それに比べると澤口は、年齢は十分に大人だが、演技者としては漸く目が開いてきたと思わせる素直に明るいものが感じられる。これからがさらにさらに楽しめる女優になるだろう。宮沢りえの方は、成熟にもう向かおうとしている。デヴューした頃から、この子はすごいねとまだ幼かった息子と感心してテレビを見ていたことがある。掛け値なしの才能だという思いは、作品に接するつど、美しいときでもやせ衰えていたときでも裏切られたことは一度もない。澤口靖子はそうは行かなかったが、だんだんに階段を上ってきているのは確実で、このごろはかなり安心して見られる。本人にもそれが分かってきている。いいことだ。やすい連続ドラマのヒロイン慣れしてほしくない。テレビの世界で連続ドラマの主人公を確保しているのは業界的には大変な重みなのだと、むかし俳優座の演出家島田安行に聞いたけれど、大俳優加藤剛のために「大岡越前」が真にプラスしているのだろうかという、あの時のわたしの不審は晴れてはいない。宮沢えりは作品を悠々と選んでいる。選んで行ける地位と覚悟を手にしているということか。定期的な連続ドラマのヒロインになどならない宮沢の自覚は大きい重みである。

 2001 12・20 11

 

 

* 夕食時、チャプリンの「独裁者」を最初から見た。こんなに強烈な動機に押されて創られた作品は、そうそう多いものではない。チャップリンの心臓が映画の中で破裂したように、魂がすみずみにまで籠もり、主張と表現の一致は、すばらしい。映画的に完成されていて無駄も隙もない。しかも笑わせられ魅せられる。最後に演説する顔が美しい。チャップリンの「藝」は優雅で確かで真実面白い。ポーレット・ゴダードも美しく、チャップリン映画の宝石のようだ。

 2001 12・26 11

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