ぜんぶ秦恒平文学の話

湖の本 2006年

*「湖の本」の続く限り私の人生に終りはありません!!  四国・E-OLD

*「わが無明抄」の中で「一枚起請文」を見てなつかしうございました。実家浄土宗(知恩院派)で小学一、二年ころから暗記していて大人にほめてもらいました。発願文は高学年に暗記しました!  靖・京都
2006 1・3 52

* いつもよい本をありがとうございます。楽しみます。  崇・作家
2006 1・3 52

* 朝食も、種類たくさん、満腹。妻は、息子にもらったかなり精度のいいデジカメを盛んに使う。建日子らはカメラマンなみに大きな機械をかかえ、撮影も大わらわなら、パソコンまで持っており、「仕事」「仕事」がはかどっているやら、いないやら。わたしは、下界でなら一週間以上かかると歎いていた校正仕事を、期待していた以上に全部仕遂げて、大満足。なにしろ外は寒いし危険だし、テレビはつまらないし、退屈するに違いないとフンで校正仕事に期待をかけてきたのである。
2006 1・6 52

* 四人でなにくれと少ししみじみ話もしてみたかったが、建日子は急ぎの仕事を抱えてきており、顔が合うと、さて、あらたまった話にもなりにくい。
ま、結局そういうことは諦めて、二日目の晩もわたしは校正の能率をがんがんあげ、そして持参の『八犬伝』をどんどん読み、四人でわけて呑んだ売店のワインにすこし酔ったまま寝入った。
2006 1・6 52

* 湖の本新刊分の初校を戻しておいて、渋谷へ向かう。佳い能が観られますように。

* 湖の本の初校を送り戻し、池袋で来週の京都行きの往復切符を買い求め、渋谷駅前「松川」で、佳い鰻重とすっぽんの茶碗蒸し、それに銚子一本。
時間があり、ゆっくり芹沢光治良作「死者との対話」を読み返した。原稿の締め切りが迫っている。
2006 1・9 52

* さ、三日ばかり家で休息し、次は木挽町で「壽初春大歌舞伎」は、新藤十郎の「夕霧名残の正月由縁の月」藤屋伊左衛門、「曽根崎心中」天満屋お初、「伽羅先代萩」の乳人政岡の、御殿と床下。床下で高麗屋と播磨屋兄弟がはげしく向き合う場面がある。願ってもなかなかない場面になる。そして幹部総出の「口上」に満場が沸くだろう。
ほかにも豪勢な出し物がある。わたしの春は一気に酣となる。ねがわくは、わたしが風邪ひかず、妻の風邪が下火に落ち着いてくれますように。

* その前に、湖の本の長めの「あとがき」と、新聞、雑誌のちょっとムズカシイ頼まれ原稿とを、書ければみんな書いてしまいたい。
そんなこと言いつつ今夜は、すっかり機械と戯れていた。
2006 1・9 52

* 湖の本のために、長めの跋を書いた。本の丁数からの必要で、そうはいえ「あとがき」を読んで下さる読者の多いことも分かっている。自分のために書く「あとがき」だけれど、読者のみなさんに語りかける気持ちになれる場であり、大事に思っている。
2006 1・10 52

* 冬の乾燥が呼吸器を侵す。

* 改めて福盛君の自画像に見入った。背景の色彩が効果的に美しく、シャツの色とのコントラストも大胆に嵌っている。質感ある帽子の柔らかさも佳い。いずれにしてもこれらは自画像の二次要因であり、肝腎の顔が、眼がしっかり把握されていて感心している。ただこれだけのまさに上半身の自画像で、構図にも何の衒いも作為もない。しかしこの繪が、そこそこの大きさに描かれていて展覧会場に出ていれば、わたしは一票を投ずるだろう。

*『お父さん、繪を描いてください』の下巻末尾にあらわれる、作中の「山名君」があり合わせボールペンでほぼ一、二分で描いた顔、わたしの顔の繪も、本が間近にある人は見て欲しい。
福盛君によれば、「山名君」が新制中学のむかし、華やかに新聞紙上に声名をあげた「八坂神社拝殿図」は、中学の図画のクラブでの課題作であったとか。朧ろな記憶にあるが、当時の同窓性では他に桑山嘉三君、小山光一君がやはり繪の上手であり、桑山君は今でも繪を描いている。小山君は惜しいことに消息がない。
福盛君の証言によれば、それでもあの「山名君」の力量はあまりなまでに抜群であったという。
福盛君また「お父さん、繪を描いてください」と言われて奥さんをうしなわれたという。奥さんもやはり中学の同期で、面影に記憶がある。あの小説の題は『自画像』であってもよかったのだが、『お父さん、繪を描いてください』も捨てがたい好題であった。かなり頑固な「つくり」を押し通して書いたが、もの創りの苦しい厳しい内景外形を描いた、ザラにはない長編であったと思っている。「山名君」との再会に、また切ない別れに今も感慨深い。
2006 1・11 52

* 昨日、湖の本の本文再校が出揃ってきた。京都へ車中往復の仕事が出来た。旧臘、顔見世にかけつけ、正月長野の美ヶ原に行き、また京都。
七十郎、なかなか、お忙が氏である。
2006 1・15 52

* 湖の本新刊分が煮詰まってきた。もう発送作業の用意をはじめた。
2006 1・21 52

* 息をのむメールが届いていた。あっさり消去しかけ、あ、題名に「もらひ子」を読んでとわたしの作品の名が出てあるのに声をあげた。

* 「もらひ子」を読んで。
(琵琶)湖南にもふたたび雪がちらついて参りました。
先生のホームページは昨年の夏頃から、ふとしたきっかけで毎日読ませて頂くようになりました。「私語の刻」は欠かさず拝読しています。ながく(滋賀県) 大津におりますが、大学が立命(館)だったのと、なによりも母の実家が上賀茂でしたので、京都には愛着があり、先生のお作のなかや、私語の刻のなかに京都や近江のことが出てくると、とくに熱心に読みこんでしまいます。
数年前から年に二回ほど蓼科のカナールというペンションに通うようになり、ご主人は大学のいわば先輩にあたることもあって、遊びにいくたびに、昔の京都のことや大津あたりのことを話して下さるので楽しみにしているのですが、あるとき先生のホームページに接し、作品のなかに先生の同級生として登場する「松下さん」が、そのペンションのご主人松下さんご本人であることに気がついて、吃驚しました。
ところが今夜「もらひ子」を読んでいてまたまた吃驚することとなりました。それは文中に登場する「安井修身」が近江水口宿の本陣鵜飼氏の出であり、水口藩出身の書家巖谷一六に書のてほどきを受けたとあることです。私は水口町(現在は合併で甲賀市となりましたが)の資料館に勤務しておりました折、巖谷一六と子の小波の記念室をつくったことがあり、一六や小波の事績を色々と調べ、作品も集めておりました。小波は墨を磨らせるのにそれを子どもにやらせたことは、子息大四氏からもお聞きしたことがありますが、一六居士もそうだったのかと、それと、鵜飼本陣は維新後早くに没落したということで、その子孫のことがわからなかったのですが、それが作品にあるような活躍があったこと、しかも先生に有縁であったことを知ったわけでございます。
それぞれのことには本来脈絡はないのかもしれませんが、今夜はなにやら不思議な縁に心が騒いだことでございます。  大津  鳰

* わたしの知らぬところで、知らぬお人が、こうしてつづけてホームページの「私語」などを読んでいて下さる。そういう大方はずうっとお互い連絡もないママに過ぎているのがふつうだが、ときにこういう御縁を生じて、闇の彼方の有難い存在に気が付く。北海道もオホーツク海に面した佐呂間からは、この前「昴」さんが便りをくださり、『最上徳内』のような特殊な感じの長い小説を愛読して下さった。
このたびは、京都といい大津といい、まして水口といい、わたし自身の根にふれた御縁であり、そのうえ国民学校、中学、高校の親友松下圭介君まで関わっていたのだもの、ビックリした。
ここに「安井修身(おさみ)」としてあるのは仮名で、わたしの母方の祖父「阿部周吉」のことである。周吉は水口宿本陣鵜飼家の子であったが、のちに能登川の阿部家に婿入りし、女子三人の父となった。その三女がわたしの生母ふくである。生母ははやくに隣家深田家に嫁いだが、一女三男をのこして夫に死なれ、寡婦となった。
のちにわたしの実父と彦根で恋におち、兄北澤恒彦を彦根で、私を京都西院の産院で産んだが、父と母とは添い遂げられる運命になく、兄もわたしも、「もらひ子」として父方吉岡家のはからいで、北沢家や秦家にさばかれたのである。「鳰」さんの読まれたのはその『もらひ子』一件のわたし一人の記録である。
阿部周吉の原戸籍はついに追跡できなかった。水口の脇本陣であった小島家や朏(みかづき)家、また京都山科に転居の、もとの水口宿本陣鵜飼家等を尋ね歩いて聴いた話では、祖父周吉は水口本陣で生まれた、実はさる九州の大名の落としだねであり、明治半ばまで九州から何かしら扶持が届いていたらしいとか、奇妙な話であった。
周吉はのちに東洋紡績や近江鉄道の創業にかかわったり、実業界の人として半生をすごし、能登川に退隠して晴耕雨読、自適の生活をしたと聞いている。一度だけ訪れた生母の実家阿部家には、一六の書や周吉の書蹟がたくさん遺っていた。

* こういうことを小説になどしてみても仕方がないと、わたしは、みーんな投げ出してしまったが、調査した草稿は千枚近くに及んでいる。

* 読者は有難いなあとつくづく思う。こんなことを、お返事の代わりにしておこうか。水口のことなどお教え願いたいことが幾らもある。

* 無関係なことではあるが、わたしの「もらは」れた秦家も、養父長治郎の祖父の代に滋賀県の水口宿から京都に移転してきたと聴いている。その方の調べも出来ていないが、水口に秦姓の何軒かあることは分かっている。ただし本陣の鵜飼家とはたぶん無縁で、わたしが秦家へ預けられたのにも何の連絡もないことである。
滋賀県からは大勢が永い期間に京都へ流入し、おおかた川東に定住したであろう事は、史実としても推察できる。それに秦家へわたしを預けたのは、南山城当尾村の大庄屋であった父方吉岡家であり、吉岡家と、母の実家能登川の阿部家とは、当時から険悪に没交渉であった。父方が、水口本陣鵜飼家出の(阿部) 周吉に何の連絡も関心ももっていなかったことは察しが付く。
2006 1・22 52

* 四月なかなか遠くもあるかな…
二月半ばから、今年一回目の議会も始まりますし、退職に当たっての引継ぎもあり、何かと気ぜわしくなってきました。
『北の時代』は今日感動のうちに読み終え、さあいよいよ私も北へ出発です。
徳内さんの極めて積極的にして筋の通った生き方、魅力的でした。岳父平秩東作を初めとしたさまざまな人々との出会いが、彼の運命をどんどん広げていくあたりも興味深く、先生ならではの人間観察もあって、とても楽しかった!
またアイヌの人々のリアルな息吹を肌に感じました。
一人の通訳の言葉「アイヌは神さんと一緒に暮らしている。カムイ…ね。だけどね。日本人は同じ人間かも知らんけど、ちがうよ。日本人は、金と一緒に暮らしている」この言葉は本当に耳に痛い。
北への一日目は、紋別空港からです。白鳥も飛来しているか? トーフツ湖岸を走り、網走へ。北方民族資料館を見学して、夕日の美しい網走湖畔に泊まります。
二日目は期待の流氷船クルーズ。凍れる摩周湖や、鶴居村で丹頂鶴、と、たくさん楽しんでくるつもり。果たして私は流氷の音を聞くことが出来るでしょうか?  ゆめ

* 徳内さんとていねいにつき合って下さり、頼もしく、感謝。しかし、いくらなんでもこの厳寒にオホーツク海までは、誘ってくれても遠慮します。ひっくり返りそう。いきなり北へ向かうのですね。わたしのかわりに美味い蟹を食べてきて下さい。あの旅では、よく「北の誉」という酒をのみました。
佐呂間の昴は、いま「冬祭り」を読み始めました。
北辺で徳内さんやキム・ヤンジァに出逢ったら、よろしく言ってください。何日に発ちますか。何日に帰りますか。 湖
2006 1・25 52

* 作業の傍ら、録画した「評決のとき」ひきつづき放映の「ゾラ」を観て聴いていた。おかげで作業は予定通りのところまで出来た。遅くても三十日には校了にして送れる。うまくすると二月第三週には発送できるだろう。
2006 1・26 52

* 三十日(月)に校了になれば、二月十日に本にすると連絡があった。その一両日の余裕を利して校正ゲラをもち都内へ出たかったが。今日は、出そびれた。
なぜか、たまらなく眠い。
2006 1・27 52

* あけがた四時まで『八犬伝』を読んでいた。何冊もの読書の最後にこれを読むのは、読めるだけ読んで楽しもうというハラだから、夜前も、もう寝ようと手水に立ち、床に戻ると、尿意も退治したことゆえ、もう少し読もうと、また先へ進んで、四時になった。いや四時に手洗いに立ち、灯を消したのは六時であったかもしれない。

* そして、ゆっくり寝た。夢に、なんだか背丈ほどある機械物を、うかとしたことからこまごまと解体してしまい、途方に暮れながら、ウーンと唸りながら、また間違いなく組み立てていた。奇蹟だと思いながら、ハラハラした。
何の夢だか知らないが、たわいない。そんな夢のあいだに、宅急便が校了紙を玄関まで取りに来てくれたのも知っていた。安心して寝ていた。
2006 1・29 52

* もう会期の切れる当代の「楽茶碗」を、もう一度観に行きたかったが、美ヶ原への留守二晩のあいだに黒いマゴが額や耳を傷めていたらしく、改善しないので獣医に診せに行った。完治にはしばらくかかるらしく、五日に一度ほど投薬を受けに運ばねばならない。
発送の用意もまだ半途、じりじりと手を付け、前進を怠けることはできない。六日の木挽町までに用意をほぼ終えておきたい。
めずらしくもう十日以上都内へ出ていない。おかげで心おきなく夜更かしして、いろんな本読みを楽しんでいる。
2006 1・30 52

* 今年も節分「豆まき」の役目を果たした。発送用意の作業もかなりのところまで果たした。それでも気になること、気分の重いことは、ある。背中がずんと重い。
2006 2・3 53

* 世間をせまくせまく暮らしてゆくのは、いわばわたしの特技のようなもので、幸いに著書という身方が気遣ってくれて知友は多く、かなり深切につきあっているものの、実際に顔を見合わせ言葉を交わす交際にはほとんど踏み込んでいない。「淡交」こそ理想と思ってきた。
ゆうべ、夢を見た。あれは京都にちがいない、東山線より西、およそ五条から建仁寺・祇園への範囲内であったろう、が、そのほぼ全域が南北に流れる大きな墓地であった。鬱蒼とした古代の墓地ではなく、いまいまの、空もカラリと広いゆるい斜面の墓地だった。そのどこか近在で、賑やかな同窓会か親睦会めくパーティがあり、しかし賑やかであけっぴろげな参会者の誰一人も知った人がいないのに、わたしは親切に迎えられていて、なにやかや気遣いしサービスに努めてくれる人たちが多かった。五十代めく女性が多く、和服が多く、さてお洒落な会でもなかった。がさつに喋っていた。しまいに、きらきらしい服を着た漫才の紳助ひきいるグループが割り込んできて、いっそう賑やかになり、みながわたしに紳助と向き合わせようと気をつかうらしかったが、対面しないまま散会した。
広い墓地の中の道をつたい、わたし一人でなく数人ががやがやと北向きに帰って行くところで、宅急便に起こされた。
湖の本の刷りだしが届いた。本は午前ないし午過ぎまでに届く約束だが。
また妻と二人で発送する。この仕事など、わたしの世間を極端に狭くも、また或る意味豊かに広くもしてくれている。夢に墓地のなかを歩いてきた感触がいまも残っている。学生の頃から広い墓地なかが嫌いではない。賑やかに、そして落ち着くから。
2006 2・10 53

* 一つ、我が家にエポックメーキングなことが起きた。当然予想していたことだが、ついに貯金を、生活費のために取り崩して暮らす日々に入るらしい。
東京へ出て来て四十七年、この間、何の浪費もしないまま貯金は増えていた。去年、今年まで、増えても減ることは一度もなかった。それがとうとう頭をうち、これからは貯金で暮らしてゆくことになる。稼ぐ気がまるで無いのだから、それはわたしが予期しつつそこへ身を寄せたことである。金をのこして死んでも何にもならない。頭に置くのは、世間の変動、不時の災難の予防、そして当然来る老病であり、心構えがいやでも要るが、寿命の方はもう、ほぼ図れるところへ来ている。秦の母の九十六迄など夢にも期しがたく、それならいまの儘に暮らしていて、まず問題ないであろう。あくせくすることは何ももう無い。
湖の本は今日のが出来て、創作四十九巻、エッセイ三十七巻、秋にはわたしたちよりよほど早く「米壽」に達する。卒壽を迎えるも、目の前。そのあたりで、少し真剣に先のことを考えていいだろう、何よりわれわれの体力がこの力仕事に、もう、もつまい。若い手助けを期待することも所詮ムリ。
なーんにもしなくて遊べるときになり、老いの不自由が訪れるとは、人生の苦味か、はからいか。それが甘露であるのか。

* 予想したより一、二時間はやく出来本が届いた。すこし早い昼飯を済ませてから、慌てず、発送にかかる。十五日のペン理事会までに済ませてしまえばいい。
創作とエッセイと通算して、八十六巻にあたる。次を送るときは、創刊以来満二十年めを迎えている。現役の書き手が私版の売り本として、これだけの量と歳月を経過した出版例は、幸か不幸か、絶無のはず。

* め、いっぱい頑張った。なにか手違いがあって紙質がいつもとちがい、それでツカ(本の厚さ)が、前回と同頁数なのに一倍半ほど分厚くなってしまった。これは有難いことでないが、ま、今回は余儀なしと断念。中身に影響はない。
2006 2・10 53

* さ、二日目の発送に取り組もう。

* 出がけにご本受け取りました。ありがとうございます。お疲れを残されませんよう、くれぐれもご自愛お願いいたします。
タイトルを見て、なんで? としばらくわかりませんでした。あのご本、絶版…ですの?  たまらンなぁ!
さきほど友人から「八木にいます。右翼やかましいっっ」とメールが入りました。
飛鳥でのんびり、ひなたぼっこしながらおしゃべりしない? そう提案してみるつもり。 囀雀

* 新刊、ありがとうございます。
外国語を学んでいると、「からだ言葉」の翻訳の難しさにたびたび行き当たります。「からだ言葉」を考えるのは、まさに「日本」、「日本語」について考えることと思っています。
まず、そんなことを念頭に置きつつ、読みはじめます。きっと、新たな発見に溢れていることでしょう!  花

* 先陣はもう届き始めたらしい。たぶん明日いっぱいで大方済むだろう、そのあとにもう一日二日やや煩雑な追加の発送事務が残る。

* トリノ冬季オリンピックの開会式をちらちら見ながら、仕事をはかどらせた。今朝も早かったので、眠い。小説の草稿に少し手を入れていた。
2006 2・11 53

* 今日もまだ作業中。
2006 2・12 53

* 発送ほぼ「打ちあげ」に、和可菜の鮓、今日の味は良かった。こっちの好みを心得て握ってくれた。しかしあすもまだ残る作業を続ける。
2006 2・12 53

* 湖の本は本日届きました。ありがとうございました。
「日本語の含蓄にふれた本を、繰り返し書いてきた。元来、そういうことに関心があった。日本語の古くかつ新たな魅力に、すこしでも面白くいつも触れていたいからだ。」
湖の面目躍如、湖しか書けない言葉です。再読楽しみです。読んでも読んでも尽きせぬ魅力の宝の山に、いざ行かん。
昨日のオリンピックの開会式はアメリカへの一矢のような「イマジン」と、引退したパヴァロッティの美声が聴けたことが嬉しかった。 おやすみなさい。   春
2006 2・12 53

* 湖の本『からだ言葉の日本』届きました。「”ことば”と”こころ”とは、”からだ”を根に養分を吸い上げた葉や花だ」という一節に会えて、今日は幸せな気分です。時代が秦さんのご本を追っかけているようですね。
益々のご健筆を念じています。  元講談社出版部長

* 小山内美江子さんからも。

* 陽に当てて   雀
島ケ原正月堂の日当たりに水仙が一輪咲いていました。
字ってものを、見るだけでアタマ痛くなるワという人もありますが、まさか自分がそうなるなンて思ってもみませんでした。この二ヵ月、活字を受け付けない状態に陥っていて、吐き気を催す自分がどういう状態か理解できず、はがゆくもどかしく、いらついたり落ち込んだりしておりました。
身にはなんの障りもなく、時間はたっぷり。不具合などなにもない、書物に耽溺するのに最適という状態でありながら、活字をみる、読み下す、読み進むことがまるきりできないのです。かといってらくちんでジャンキーなものは目にするのも胸がむかむかします。読みたい本はたくさん積んであって、広げるのにアタマが受け付けない。そういう調子の自分を受け入れることが困難でした。
テレビをぼんやり見ていたある日、高野豆腐の製作過程を紹介しているのが目に留まりました。凍らせて、溶かして、乾かして、それであんなにたっぷり煮汁を吸うンだと思ったら、いまの自分のアタマは凍ってる状態じゃないかっ、溶ければ入る場所ができるゾと少しやわらぐ思いになり、焦らずいこうと考え直しました。
それで、恢復の手がかりになればと、主人の蔵書にあった松岡正剛『花鳥風月の科学』を読み始めました。
2~3行に1度は辞書をひく有様ですが、知らないことば、知らなかった世界に出会うことも含め、楽しんでいます。
辞書を引いているうち、
時ものを解決するや春を待つ   という句にも出会いました。
そして、新しいご本が届きました。
昨夜は月を見て寝床に入り、今朝は山に沈む月を見つめながら洗濯をしました。干すさきから凍ってゆきます。熱いお茶を喫みながら、今日も活字に親しむ時間を、深くおだやかにすすめていこうと思います。

* 久しく人に逢わない。そんな気がする。相変わらず活字に親しんでいる。時々思い出すが、こんなわたしも、本をまるで読まなかった時期が会社勤めのころにあった。会社のせいでなく、おそらく「書く」のにせわしなかったのであろう。充電中ということを言う人がある。なんだか最近もだれかから聞いた気もする、忘れた。わたしはいま充電中か。いや、そんな気は全くない。今そうありたい、それがいい、というふうにわたしは暮らしている。逢いたい人はいつでもいる。逢う逢わないは、べつごとである。楽しみに待っているのは三月十日の先代仁左追善の歌舞伎、十四日染五郎たちの三谷幸喜芝居。そしてあわよくば、再びの総選挙。

* 著者さま、同「湖の本」版元さま、昨日、新しいご本『からだ言葉の日本』落掌。早速に楽しく読み始めております。お代は今朝送金しました。これはやはり、それぞれの、時代時代・来し方に思いはせ、当世を見渡す、行く末を想う<からだ言葉の日本>ですね――<日本のからだ言葉> というより。分厚いご本。
小輩も日常的に――ほまち仕事の方で――冊子類の発送を手がけておりますが、今度の丈夫で長持ち分厚いご本は、冊子小包なら風袋290円。毎々、送金手数料は受取人持ち、封筒もしっかりしているし…….いらぬ節介、下世話なことですみません。体を惜しまず長寿本の健康管理を続けるおこころ充分に有難く頂戴しております。…….
「親モナシ妻ナシ子ナシ版木ナシ金モナケレド死ニタクハナシ」。『海国兵談』の林子平ではなく、版元○○弾正の発禁、版木没収への嘆き歌、と憶えています。ま、いまは有り難い時代ですが気持ちはよーく分かります。  この夕べ新本一冊送られて貧しき書屋輝きてをり。
ひさびさに二夜酒抜き何おもふ霜置く頭(カシラ)そこはかとなし   秀

* 新刊届きました。まず「私語の刻」を読みました。後は毎日ゆっくり先生と対話したい…。  ゆめ

* 四函ものいろんなチョコレートが一包みに遠くから届いた。賞味期限もなにも、もう二箱食べてしまった。ありがとう。血糖値は確実にあがる。

* 配本 終了しましたか。お疲れ様でした。
三寒四温、出よう出ようと隙を覗う喘息が、この暖かさに引っ込んでくれています。
息子と娘と私とが、それぞれにプラド美術館へ行っていて、同じように図録を購入していました。時間の制限のあるツアーで、不慣れな館内をあちこちと歩き、なるべく多くの作品を観ようとして、図録を買ったのは集合時間ギリギリで、オッチョコチョイは間違えて英語版を買っていました。
手元に息子の日本語版がありますが、この英語版、いつか贈りたいと思っていましたが、昨日のクロネコ便のパッケージに入れてみたら、ドンピシャと収まり、明日届きますから。
明日はバレンタインデイとか、まあ、それは偶然の事、ご笑納ください。「私語」の記事に、日本で開催のプラド美術館展に携わるという元学生さんのメールを眼にしたことも加味して。
どれと絞れないほど多い絵画の中で、まず突進したのは、ボッスの「快楽の園」や「乾燥の車」。想像していたよりも大きい祭壇画で、美しいとは程遠い、一見グロテスクでありながら、生き難かった中世、諺に託した、今でも通じる世の習い等をよく映し出して、異色の絵だと思いました。
ベラスケスの「ラス メニナス」、ムリーリョ、エル・グレコ、ゴヤ etc
楽しみにしていた「裸のマハ」「着衣のマハ」は貸し出し中で、気落ちしたのを思い出します。  泉

* 追加分を少し送本し、もう一度明日同じように発送して、今回はそれで終えたい。
2006 2・13 53

* お元気でしょうか?  湖の本 エッセイ37を拝受いたしました。有難うございました。むずかしくなさそうな興味をそそられるようなご本です。楽しみに読ませていただきます。今日入金もいたしました。よろしくお願いいたします。
いかがお過ごしでしょうか? 日日有意義な時間を持たれておられることでございましょう。
さて私はいつもながら忙しく過ごしております。出かけることも多いですし。
絵のほうも追われている状態です。つぎつぎと展覧会の出品作を描かねばならず、こんなのではなかなかいい作品は描けないんじゃ、と、思っています。恒平先生に叱られそう!
明日からは2日間のみですが、二人の裸婦を描きに藤沢までまいります。大きいのをもっていきます。どんなモデルさんか? 描きたくなる方か? 期待をこめてまる二日間頑張ろうと思っています。昨日は**さんのお宅へ伺い、院展出品者たちの研究会に参加させていただきました。意欲のあるお若い方々がおおくて、なにかと刺激をうけました。私は毎日絵の日記をワードへいれてますが、先生に公開できるようなものではありません。自分の悩みなどなど、です。
このところ寒さも加わり、すぐ疲れてしまいます。予定どうりには進みません。
またどうぞハッパをかけて下さいませ。 ごきげんよろしく。  郁

* 湖の本、ありがとうございます。
新刊本、届きました。ありがとうございます。封を開けてすぐ、エッセイの赤い(というよりも朱色でしょうか?)
表紙に出会いました。まだ中をパラパラとしか見ていませんので感想は言えませんが、早く読みたいなと思っています。
ただ、今は『冬祭り』と古事記(現代語訳ですが)をゆっくり読んでいるので、もうちょっと先になりそうです。蛇の意味のかけらがようやく掴めてきました。難しいですが、おもしろいです。
仕事でスキーに行っていると、春はまだまだだなと思います。流氷が居座っていて、風もとても冷たいです。この冬が過ぎれば春が来ます。その時が楽しみです。春になれば、一通の手紙でも元気にしてくれる、そんな逢いたい人にも逢えるかもしれないです。とりあえず、今日はご本ありがとうございました。  昴

* さすがに作業の連続で、ほっこりと疲れを感じながら、くつろいでいる。
2006 2・13 53

* 「湖の本」落手しました。豊富な知識を自分のものにして、そこからいろんな言葉を繰り出してゆく面白さを再体験しています。
建日子さんの「推理小説」、「アンフェア」も見ましたが、断然私には、原作のほうが面白かった。小説とテレビとは、別のものかも知れませんが、面白さで比べても問題にならなかったようです。
(URLアドレス中の)「~」は、ご指示のとおりで出たようですが、とんでもないところから出たという感じです。
とりあえずメールしました。お話できる材料がたくさんたまればよいがと願っています。  哲
2006 2・15 53

* 都立大名誉教授高田衛さん、作家永井路子さん、白川正芳さん、彫刻家清水九兵衛さん、もと「新潮」編集長坂本忠雄さん、歌人持田鋼一郎さんほか多くの大学研究室からも、湖の本エッセイに、懇切な感想や謝辞をいただいている。
「私どもは言葉から出発して、やはり言葉に返るのだなと、つくづく思います。レトリックではすまされないもの。からだ言葉はそのイミで日本語の幽玄につながります」と高田さん。
「私語の刻を拝読、静かな感動にひたっております。からだ言葉とはユニークな発想ですね。たくさんあることに気付かされます」と白川さん。
「このようなエッセイは小生には大変参考になり」と清水さん。
持田さんの手紙には、「それからご本の中の『目』の所に、碁の話が出てまいりますが、碁をお打ちになるのでしょうか。私は碁キチの一人で、毎週二回は碁を打っております。棋力は四段か五段というところです。もし同じ程度の棋力でいらっしゃれば、是非お手合せ願いたく存じます」とあり、心胆を寒くされた。それは文壇本因坊の白川さんの方へ仰せあれ。わたしは井目に四風鈴つけても、持田「五段」のお相手は成りかねます。
永井さんの長文の手紙がケッサクで、感謝しつつ噴き出してしまったが、やはり大事な点によく触れて居られ、そして先の高田衛さんの手紙にもあるように、やはり永井さんもさいごには「言葉」を語って「日本」の皮を剥いで終えたいと。そういえば、わたしは、吾ながら、多くの著作で「日本」と「日本人」とに関わり合ってきた。
2006 2・16 53

* 『からだ言葉の日本』拝受しました。こういう本も書かれるのかと、間口の広さに感嘆しました。秦さんは「情」の人と同時に「思考」の人ですね。
宗教などに言及されている部分が面白く、考えながら読ませて頂いております。
それにしても何と多作なことか、自分に向けて溜息が出ます。   作家

* こう言われたこの際に書いておくが、自分自身を「表現」できない文章は書かない、書きたくないと思ってきた。小説においても同じである。自分に関心や興味の持てない原稿依頼は、だからもう十年来、それ以上も、引き受けていない。
わたしの「湖の本エッセイ」は、全体で「一つの著作」のパート(章や節)になっているはずで、湧き出たままの「自己表現」「自己批評」が、そのまま日本の歴史や文化や社会や藝術への思想・思索・批評・愛情であるように書かれてある。そのハズである。
わたしの小説を小説だけで批評することは容易いだろうが、裏打ちされた全エッセイとの一体において「作家・秦恒平」を批評してくれる人、いつか現れるだろうか。
2006 2・18 53

* 秋萩帖届き、明日送金します。有難うございました。「秋萩帖」は臨書しているので、楽しみです、とメールがありましたので、お伝えしておきます。
寒暖の差が激しいですが、お元気ですか。
寒い日は、家に篭って録画の映画を沢山観られます。昨夜のラッセル・クロウの「ビューティフルマインド」観たいと思っていた映画、いかにもアカデミー賞好みの作品ですが、よかった。凡人には計り知れない天才の波乱の人生に驚き、ラストで、喝采。やっぱり映画は面白い!
ほな また   泉
2006 2・18 53

* またきっと面白い話が聞けると、きっといいことが書いてあると、炬燵にからだ半分入れて遊んでいます。たのしみたのしみ、ゆっくり、ゆっくり。いつもありがとうございます。
ホームページの写真もきれいに載ってうれしいことです。マゴ殿は、あの(動く黒)ねこと似てますね。でしょ。
春を待っていますが、まだまだ寒いと思います。
みなさんくれぐれもお大切にしてください。    千葉E-OLD
2006 2・19 53

* こんなメールが届きました。
名前に記憶があったのに思い出せず、気になっていたのが、湖の本を読み出して思い出しました。二十年も前に、購読している雑誌「墨」での連載『秋萩帖』を見ていました。小野道風の書体が好きで、その関連の秋萩帖や本阿弥の臨書をしているので・・・ あぁすっきり! と。
昨夜というより日付の変わっての発信だから、安らかに眠れた事でしょう。淡交ながら楽しい友人です。
高山辰雄の表紙絵が美しくて余分に買いおき、長らく手元にある「慈子」をこの人に差し上げるのが、最良と気が付きました。
追伸
メールを送った処へ電話が入りました。雑誌では見ていたけれど、確かとは読んでいなかったけれど、今読み出すと面白くて、もう半分読んだ、と。
日本の小説は読まない主義だけれど、この方のは別格と、べた褒め。直筆が入り、恐縮していました。
今初耳で、俳句は二十五年、謡歴も長く、バドもゴルフもします。
貴女がなんでこんなエライ人を知っているの? エヘン! 子供の頃からよ。
これを読み終えたら、又お願いしたいとも。軽くて電車で読むに最適とも。
分かる人に偶然出会えて、湖の本は幸せ!   泉

* 紹介し薦めてくださる人、薦められてこんなふうに出逢いのある人。わたしの「湖(うみ)の本」の命脈は、このようにして深まっている。ちっとも広くならない湖だが、深くなっている。現在講読の85パーセントは創刊以来の全巻読者。途中からの人も、新刊の出るつど既刊分を一冊二冊数冊と買ってくださり、いつか全巻読者になってくださる。むろん中止でこぼれてゆく人も少なくない。湖の本は、また一本の木のようで、こぼれてゆく葉もあり新たに芽生えて繁る葉もある。根に、すすんで水をくださる人もある。いま八十六巻めが出たが、読者によってはあと五十巻も続けるようにと、まとめて予納代金を送ってくださる人もあり、恐縮という以上に恐懼してしまう。

*「泉」さんの謂う高山辰雄の装画本とは『初恋』のこと。『慈子』の文庫本なら今はなき森田曠平画伯「紅梅少女」のカバー繪ではあるまいか。あんなに美しい文庫本は見たことがないが、今は全く手に入らない。わたしの手許にももうほとんど残っていない。
湖の本版には必要な書き足しが出来ている。「下巻」には短編もはいり、野呂芳男教授の解説も入っている。年数が経ち、少し糊やけなど出ているけれど、湖の本版でも読んで欲しい。
2006 2・20 53

* 湖の本に小説もエッセイも数多くあることを、宣伝しておきましたよ。電話を切るタイミングを失う程、話が続くのです。
クリントン・イーストウッド監督、主演、モーガン・フリーマン、ヒラリー・スワンク「ミリオン ダラー ベビー」を、一人で観てました。
アメリカ映画らしくない悲劇のクラーイ作品でしたが、此の世での人と人との出会い、人と人との絆を強く感じさせ、女ボクサーを演じる女優ヒラリースワンク(テレビドラマ出身の人で、これで二度目のアカデミー主演女優賞を取ったまだ若い演技派)並でない体当たりの努力が見えて、敬服です。   泉
2006 2・20 53

* 作家阿川弘之さん、元日大病院長馬場一雄先生、また作曲家池辺晋一郎氏のお手紙をもらった。『からだ言葉の日本』へのもの。三人とも、自分の今後の仕事に生かせる、と。恐れ入る。

* ある声  ご無沙汰にうち過ぎております。今年は風邪にやられて数週間を湯たんぽ入りの床でうとうとしたり目につく本を読んだりで過ごしましたが、気付くと春の兆しはあたり一面にただよっております。
おりしも『からだ言葉の日本』を拝受いたしました。有り難うございました。ぱらぱら頁をめくっていると「中仕切りにかえて」が目に飛び込んできました。森 鴎外を思いだしました。「智恵袋」と題のついた鴎外の文庫本もありましたが。
川端康成のように風呂場で転んではなりませぬ。バグワンの声です。 川崎 e-OLD
2006 2・21 53

* 昨年の読書・鑑賞
hatakさん   十日間ほど出張しておりまして、今日札幌に戻りました。留守中に『からだ言葉の日本』届いておりました。ありがとうございます。
出張の半ばに、茶友と東博の「書の至宝展」に行きましたが、楽しみにしていた蘭亭序も秋萩帖も混雑でとてもじっくりみることなどできませんでした。大晦日のアメ横のような騒ぎでした。
お正月にとりまとめようと思って延び延びになっていた、去年一年間に読んだ本、観た映画、聴いた公演を集計しましたところ、本26冊、映画43作品、音楽会等9公演でした。一昨年は、64冊、28作品、8公演でしたから、去年は本を読まなかった年でした。読書は睡眠時間と競合しており、昨年は睡眠時間さえ確保できず、体調を崩すことが多くありました。映画鑑賞は、ストレスの量と正比例して増加しました。前回お送りした分の後、4月以降の分をお送りしてみます。頭の数字は日付で、050504は2005年5月4日を表します。各ジャンルごとに通し番号を付して、簡単なコメントを書いてあります。
月曜からまた出張です。 maokat

(こういう整理は、忙しければ忙しいほど、頭脳をラクに軽くする。始末がつく。始末が付くとはうまい表現だ。 湖)

050504
映13 『Shall we Dance?  シャル・ウィ・ダンス?』リチャード・ギア、ジェニファー・ロペス
ハリウッドテイストだと、やっぱり家族愛になる。あーあ。
映14 『コンスタンティン』 キアヌ・リーブス, フランシス・ローレンス
ちょっとコミカルに神と悪魔との闘争を描く。コンスタンティンが自殺未遂する場面が現在になっていてそこからストーリーが始まる。悪魔がこの世を支配してしまえば、これまでの神が悪魔になって立場逆転、神と悪魔なんてそんなものさ、という視点がいい。天使ガブリエルを演じたティルダ・スウィントンが面白い存在。
050521
映15 『デンジャラスビューティー』 サンドラ・ブロック
今回も女の友情がテーマ。恋<友情なのがこのシリーズの面白いところ。冒頭、主人公が電話で彼に振られる場面がある。気まずい電話を切ろうと「I have to go(用事あるから)」と二度、三度呟く。英語的に良い場面。
050527
映16 『バタフライエフェクト』
過去に戻れる男が、愛する女の幸福のために、過去に戻って人生のシナリオを書き換えてゆく物語。観客は、過去の契機となる出来事を変えることで主人公と彼の友人たちがたどって行くいくつかの人生のシナリオを見ることができる。しかし、ただ一つ変えられないのは、彼と彼女が同時に幸福にはなれないということ。これを運命という。あるいは相性というのだろう。ラブストーリーとして見るよりも、人生運命的な相性ってあるんだな、それは変えられないんだな、と観念的に見る。
050528
映17 『ブレイド3』
客層悪ろし。鑑賞に支障きたし、身の安全も不安という状況で観る。内容は、全くのTVゲーム。バンパイアを殺すと、死体は残らず、燃え尽きて消える。この手軽さ、軽さ。
仲間を殺され怒る脇役に、ブレイドは「Use it!(その悲しさをバネにしろ)」と繰り返し言い放つ。この簡潔な表現はどうだ!英語の語感のもつ強さである。
050604
映18 『キングダム・オブ・ヘブン』
12世紀の十字軍。エルサレム王に仕えたフランスの青年。王の妹ヘレン美し。結局エルサレムはサラディンの手に渡り、主人公は女王ヘレンを連れて故郷フランスへ帰る。市民のために異教徒に無血開城したキリスト教徒の物語。イラクやベトナムのアメリカ人を髣髴とさせる。
050607
映19 『ミリオンダラー・ベビー』クリントイーストウッド監督
ハリウッド映画には珍しくハッピーエンドではない。家族愛もない。神の救いもない。主人公は自殺する。しかし、彼女らのひたむきな姿は感動を与えてくれる。『バタフライエフェクト』『キングダム・オブ・ヘブン』『ミリオンダラー・ベビー』、すべて自殺が絡む映画だ。自殺が許されないカトリックへの抵抗か。
050613
『戦争と平和1』トルストイ著 読み始める。
050618
映20 『戦国自衛隊1549』
福井晴敏原作。一度鎧武者とヘリコプターが一緒に並んでいる画面を見てみたかった。ただそれだけ。
050702
映21 『バットマン ビギンズ』
渡辺謙あはは。ハリウッド映画にぽつぽつ出ることはよい。アメリカのダークヒーローの暗さは興味あるもの。ヒロインの造形も面白い。なぜかジャガイモっぽい。『スパイダーマン2』のキルスティン・ダンストしかり。本作のケイティ・ホームズしかり。
050709
ホール3 札幌コンサートホールKitara PMFオープニング札響コンサート
ブラームス1番。夏の札幌ならでは。東京では暑苦しかろう。
050714
映22 『HINOKIO』本郷奏多・多部未華子
これは、ネット・ゲームのバーチャル世界に逃げ込んでしまった少年を、生身の、少女の感情が、リアルな現実世界に呼び戻すというストーリー。ラストシーンがよかったー。
050724
映23 『スターウォーズ3 シスの復讐』
やっぱり映像がみごと。この絵をみながらジョン・ウィリアムズのあのテーマ音楽を聴けたから、いうことなし。
050725
23 『戦争と平和4』トルストイ著 読了。
最後の「歴史論」をおいて、ピエールやナターシャやマリアやニコールシカ小公爵のことをもっと語って欲しかった。作中人物に「お別れの挨拶」をしないまま読み終わってしまった。しかし、名著。
050803
映24 『電車男』山田孝之、中谷美紀
秋葉オタク君もやっぱりバーチャル世界でしか生きていけない。彼の場合は小さな勇気とバーチャル世界の仲間の応援で、現実世界で生身の人間とのやりとり(これを社会生活という)ができるようになっていく。しかしなぁ、ヲタク君は彼女にあそこまでしてもらわんと、なにもできないのですかぁ? あれじゃ彼女じゃなくて、おかあさんでしょ。
050808
映25 『ダンシング・ハバナ』ディエゴ・ルナ、ロモーラ・ガライ
ダンス・音楽を素材にした映画は楽しい。ストーリーはともかく、ダンスや音楽シーンを見たり聞いたりしているだけで満足できるからだ。ディエゴ・ルナ、『ターミナル』で入管職員に片思いの空港職員を演じた。陰影のある顔がいい。ラテンアメリカに行ったことがある人なら、サルサのこの感覚はわかるはず。完全なハッピーエンドではなく、最後に別れをちゃんとおいたところで、この映画の魅力がぐっと高まった。
050813
映26 『亡国のイージス』真田広之、勝地 涼、寺尾 聰、佐藤浩市、中井貴一、チェ・ミンソ
福井晴敏原作。ぬるい。『ローレライ』『戦国自衛隊1549』そして本作と、一貫して面白くない。変にマジメなのだ。娯楽映画で憂国の情を訴えるのは野暮。「後生」のネーミングは最悪のセンス。福井は、ハリウッド意識しすぎ。家族愛をストーリーにからめても、映画の格を小さくするだけだ。
050820
24 『日本を読む-一文字日本史-上』秦恒平著 読了。
客:茶の中での主客の対等を見つめなおすいいきっかけをもらった。 筋:語源が種子とは面白い。作物学的にはどう探求できるのだろうか? いつか挑戦しよう。 縁:錦と仕入れもとの他国とを繋ぐ地図。社会学でも栄養学でも歴史学でも農業経済学でもいけそう。どなたか、卒論のテーマにいかがですか? 祝:源氏物語の「千尋」。女色いろいろの源氏君だがここだけは清廉な印象をもってよく憶えている。 私:全く違和感なく公職と考えていた私。最近になって公(権力者)がしろという仕事と、私が公としてしなければならないと感じる仕事とが、異なってきた。こういう名もない公務員の矜持が大切。「私民」、宿題としよう。
『日本を読む-一文字日本史-下』秦恒平著 読み始める。
映27 スガイ・ディノス苫小牧 『宇宙戦争』スティーブン・スピルバーグ監督。トム・クルーズ、ダコタ・ファニング
原題はWAR OF THE WORLDS、「世界戦争」。荒唐無稽の一言でした。世界で一番初めに反撃が始まった大阪は世界で一番汚いところかい? 微生物屋としては、はじめのシーンがミトコンドリアに似ているなぁと感じたけど、人類と微生物の共生が「落ち」で、侵入種が淘汰されるという話だったとは! 進化生物学者さんのコメントを聞きたいもの。
050827
映28 『奥様は魔女』 ニコール・キッドマン
ラブコメディに、あれこれ真面目な注釈をしてはいけない。はなから、何も考えず、笑う気持ちにならなければ。そういう意味では、良い映画だ。TVを見て育った世代は特に楽しめる。母親役のシャーリー・マクレーン、父親役のマイケル・ケイン(バットマンビギンズの執事)がいい。TV版サマンサのエリザベス・モンゴメリーは62歳で亡くなっていたのか。合掌。ダーリン役ウィル・フェレル、特に言うこと無し。
050903
観戦1 横浜ベイスターズvs阪神タイガース (札幌ドーム)
生まれて初めて野球を見た。職場の隣の野球場で。4対3で阪神の勝ち。審判の誤審でフォアボールからヒットが出た。
050909
映29 『釣りバカ日誌16浜崎は今』 西田敏行、伊東美咲
生まれて初めて映画館で釣りバカ日誌を見た。1000円。もとは取れた。力強いオープニング(歌は信田かずお:さだまさしのバックバンドをしていた人か?)、単純なストーリー。美しい長崎の街。佐世保の独特の雰囲気。久々の尾
崎紀世彦。イラクでの米軍を揶揄したくすぐりが効く。伊東美咲は今が旬だ。
050915
25 『日本を読む-一文字日本史-下・わが無明抄ー思惟すてかねつー』秦恒平著 読了。
「一文字日本史 下」、 身:「「からだ」という根幹との関わり如何が、色や匂い、形もさまざまな言の葉を繁らせ、心の花を咲かせた。」からだと心を植物の構造にたとえている。このような「生物ことば」は『戦争と平和』などにも。
暦:医学書院で「週に一度の企画会議に一度も欠かさず、毎回一本ないし数本の企画を一年中提出して企画を通し続けた」記録。その間秒単位の時間を使って『懸想猿』や『或る折臂翁』を書いていたことになる。こういう人の前で「私は忙しい」など口が裂けてもいえない。さらに「「平成」の新天皇が、第一声に「みなさん」と共に「日本国憲法を守る」と国民の前に誓ったことを、まさに憲法改正の委員会が国会に設置されようとしている今、もう一度思い出したい。 女:「天照大神はもともとは男神であったという古伝もある」。えぇー! ホンマデスカ。 風:物理的な風は嫌い。圃場で病徴写真を撮りづらいから。冷たい一吹きで風邪を引くから。よって「風」は深い畏れなしに親しめない。」同意。 「花」は愛し易い。」そうかなぁ、花もあんまり。私が好きなのは、きっと物質ではなくて、それを浮き上がらせる光、そして影。物質をはなれて漂う香り、かな。といいつつ、旅が好きなのは、やはり「風」を求めてのことか。
「わが無明抄ー思惟すてかねつー」 なまなましい述懐。「静かな心」、ないない。まだ闘争的体力が充分だった二十代のころ、禅寺に四五年通ったことがある。暁天も臘八も皆勤したが、ついぞ一度たりとも「静かな心」になり得たことはなかった。「門」の前からすごすごの口だ。東工大の学生は核心を突いている。「死後は、無い。在るように思って生きることが大切です」。「死後を在るように思って生きる」は、「一人しか立てない島に二人立てると思って生きる」に通じるか。 「美しい仏」、美しい仏。気づかせてくれたこと、ありがたい。 「所詮「安心」は得られまいかと、心細かった。」と結ばれた「わが無明抄」 闇の深さに悲しくなる。冷たくとも明るく照らす月が恋しい。
050916
ホール4 小林研一郎指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 ピアノ:舘野泉
リムスキーコルサコフ:シェエラザード ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ラヴェル:ボレロ
小林研一郎、ボレロ冒頭に長い挨拶あり。東北弁の唸りと能面「俊寛」の顔で、オーラ出る。日本のクラシック公演にスタンディングオーベーションが定着するのはいつのことやら。(スタンディングオーベーションについては後日北海道新聞「読者の声」に投稿掲載)
050917
ホール5 小林研一郎指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 ピアノ:小山実稚恵
ブラームス:ハンガリー舞曲第1、5、6番 ショパン:ピアノ協奏曲第1番 スメタナ:連作交響詩《わが祖国》より「モルダウ」 チャイコフスキー:祝典序曲《1812年》
祝典序曲《1812年》座席のすぐ後ろでバンダ(東海大四高校吹奏楽部)のファンファーレが鳴り響く。東海大四高は野球部員の不祥事から秋の大会に出られなかった。彼らも応援がキャンセルされて、へこんでいたことだろう。そんな時にこの演奏。みな顔が光り輝いていた。小林研一郎氏のカリスマが何かを引き出していた。しかし、日フィルの演奏会は私にとって難しい。楽団員が家族のように思えてしまって、平常心で聴けないのだ。見ず知らずのオーケストラを、客観的に聴くほうが、楽だ。
050918
映30 『ファンタスティック・フォー』
内容・質共劇画をそのまま映画にしたもの。宇宙線を浴びて獲得した超能力、岩、ゴム、透明、火。これは、レインボーマンの剽窃か?
051001
映31 『鳶がクルリと』薗田賢次監督。観月ありさ、哀川翔、宇津井健
内容は二時間ドラマ。ツミ役の通山愛里が元気でよい。一世風靡セピアの哀川翔も中年の魅力があります。どうかなぁとも思うが、こういう映画は日本でしか作れない。それを良しとする。
映32 『セブン・ソード』 ツイ・ハーク監督。
中国・香港・台湾のキャストが混合。首領フー・チンジュ(傅青主)役のラウ・カーリョン(劉家良)多くの映画で見る。リュイジュ(緑珠)役キム・ソヨン(金素妍)秀逸。内容はまあ平凡。グリーンディスティにーは水、今回は「火」の扱いが美しい。
051005
ホール6 神奈川県民ホール
blast 冒頭のボレロ。先月コバケン・日本フィルを聴いてしまったので分が悪い。本来は比べるべきものではないがあえて両者を比較すると、オケは材料の皮をむき、鍋に入れ、じっくり煮込んであくを取り、味付けして、ァーっと火を通した熱々を食べさせる料理。材料の下ごしらえから見ているので、フィナーレの感動も深い。
blastはいきなり大音響になり、いわばレトルトの味。それなりに美味しいのだが、手間暇かけた手作りの同じ料理をすぐ前に食べたのがいけなかった。アメリカ生まれのブラスと踊りが融合したエンターテイメントショー。NYやラスベガスではでは夜毎こういうものが上演されているのだろう。舞台は肉体の表現に負うところ大。これはこれでよい。興味深かったのは、青、緑、黄色、オレンジ、赤のテーマにもとづきパフォーマンスがあったこと。それぞれ、神秘、
大地、お祭り騒ぎ、遊び、血といったところか。
051006
映34 ワーナー・マイカルみなとみらい 『忍』下山天監督。仲間由紀恵、オダギリジョー、沢尻エリカ
映画と歌舞伎。見る前に頭を整理しないと、スクリーン一杯に歌舞伎の所作をみせられると、しばらく困惑する。その点『髑髏城の瞳』は巧かった。内容はともかく、この映画は仲間由紀恵の目の力、目の魅力があってはじめてつくることができたものだ。仲間は独特のキャラクターとなりつつある。
051007
映35 109シネマズMM横浜 『蝉しぐれ』黒土三男監督、市川染五郎、木村佳乃
冒頭蛇の大写しには困った。日本情緒映画として泣かせるキーワードはちゃんとおさえている。文四郎とふくとの水辺の幼恋、蛇の毒を吸ってくれた痛甘い想い出。夏祭りに見た花火、暗がりで人知れずそっと?んだ袖。道半ばに力尽きる時、坂の向こうから駆け寄るふく。世間体も体面も捨て強い想いがふくを走らせた。そして別れ、そして再会。想いを言葉にしない美徳というものがある。この映画の中ではそれを表現しようと、半ば成功、半ば失敗した。切腹する父の最後の息遣い、対面後の文四郎の後悔などは成功。終盤のふくと文四郎のやりとりは失敗。いずれにせよ、幼くして別れ、成長して別れ、双方別の子の親となってまた別れる。日本の時代劇のストーリーは暗く、ウエットだ。
051027
映36 『ステルス』ジェイミー・フォックス、ジェシカ・ビール
もともとなんの気負いも期待もなく見ているので、かえって満足できる内容だった。「たった一人の正義」と「愛は勝つ」。ハリウッド映画の定石。無人攻撃機エディが機体を消火してくれた隊長に恩義? を感じ、後半は共同戦線を張るところは、まあ面白いかな。コロンビア=ソニーピクチャーなので、PCはすべてVAIOでした。
051106
映37 『カスタムメイド10.30』監督:ANIKI(伊志嶺一)、木村カエラ、西門えりか
映画には美しいものを美しく、完成度高く表現するものと、監督の頭の中の混沌を、そのままぶちまけたようなものがあり、そのどちらもが許される表現手段だろう。下手な脚本、せりふ、カメラアングル、それも混沌のうち。小林マナモ(木村)の頭に渦巻いて噴出しようとしているメロディーは、幼い頃父が唄っていた民謡だった。そのメロディーと、奥田民生の不思議な声に惹きこまれて終盤のライブを楽しんだ。
051111
映38 『花都大戦 ツインズ★エフェクトⅡ BLADE of ROSE』Twinsその他
ツインズ・エフェクトとはいかなる意味や! と思い、見てみたが、香港のアイドルユニット、ツインズの映画第二作とのこと。最終日、客四人。娯楽映画で楽しい。気分転換、気分転換。
051105
ホール7 札幌コンサートホールKitara 札幌交響楽団第483回定期演奏会 高関健指揮 バイオリン:ジョセフ・リン
ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」(原典版)
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調
バーンスタイン シンフォニックダンス
バーンスタイン 管弦楽のためのディヴェルティメント
はげ山の一夜、空間に広がる音響を楽しみながら、気持ちよく寝入る。
ジョセフ・リン、早弾き技巧派と思いきや、一番聴かせたのが一楽章のソロ。弱音が美しく。なぜか、いいヴァイオリンを聴くと猫の声を連想する。馬+羊=猫。謎だ。定期でバーンスタインをメインに据えるのは、PMFの地元ならでは。
051118
映39 シネマフロンティア札幌 『春の雪』行定 勲監督、妻夫木 聡、竹内結子
映像は美しかった。冒頭の孔雀の屏風など、映像的に秀逸。続くボートに乗って下から橋上のヒロインと出会うシーンも良い。それから、ツマブキ君のフンドシ姿を見たい方、どうぞ。竹内結子は目力の感じられない女優なので、目に膜がかかったような表情がかえって運命に翻弄されていく役柄に合っていた。及川光博扮する春宮との縁組が破談になり剃髪して寺に入る時だけは、打って変わって凛とした目、良い顔をしていた。聡子は剃髪後一度も画面に姿を現さず、襖越しに声だけの出演だったのは好い効果。私はスクリーンに向かって「お願いだから出てこないで!」と願っていた。最後に、東京国立博物館のエントランスが舞踏会場面に使われていて、重厚な画面作りに成功していたが、国立から独立行政法人になった国営事業の影響をこんなところでも感じてしまった。
26 『閑吟集』秦恒平著 読了。
会議続きで、このところ全く読書をしていなかった。映画を見てばかり。先日の会議でストレスが遂に胃に来て、ホメオスタシスを全体に崩す。体も心も、冷えかじけてしまった。仕事を休み、布団の中から手を伸ばしたのがこの一冊。性と生をケレン味なく歌い上げた数々を読み進むうち、体に血の巡りが戻ってきた。
今回再読して気づいた点の、一つ目。中世室町時代へのイメージを再構築できたこと。茶の湯流行前の16世紀初頭についてや、一休を精神的背景にした宗祇(正字は示偏)、珠光、雪舟についてはあまり考えたことがなかった。茶の湯以前の時代についていろいろ想像を働かせてみたことから、利休以降の茶の湯が得たものと失ったものを整理できた。肩書を取り払った個(孤)の客が寄り合って、一座を建立できるか、現代の茶事(茶会ではない)でもう一度考えてみたい。
二つ目。閑吟集の編纂様式と編者への興味が湧いたこと。四季の巡りにならった配列の後に、恋の歌をもう一度並べる。これはどうしてか。「侠客」「桑門(よすてびと)」への興味が俄然増してきた。なぜ彼は、この歌謡集を編纂し
たのか、なぜ冒頭に面影の歌を置き、挙句に籠の歌を据えたのか。どういう想いに衝き動かされて、彼がこの歌集を孤独のうちに編んでいったのか、繰り返し考えてみるうちに人物像が浮かんでくればいいのだが。
三点目は非常に重要。この本は、表面閑吟集の解説とはいいながら、実は、著者秦恒平の歴史、人生、人間、文学に対する真摯な意見表明、文学的宣言に他ならない。初読時には、閑吟集の歌自体に注意が逸れて、このことに気づかなかった。秦文学の「女」「この世」「身内」観が、歌々にことよせて語られていた。繰り返し読むということ
の、大切さを実感した。
051118
映40 『エリザベスタウン』
最初に喪失あり。喪失から鎮魂、再生への道筋。ヒロインがその道筋をつけてゆく。あとは、アメリカ国民の意識せざるをえない、カントリーホームの原型。これはいろいろな映画に顔を出す。『カスタムメイド10.30』とともに今年一番印象に残った映画。
051204
映41 ユナイテッドシネマキャナルシティー(博多) 『ALWAYS 三丁目の夕日』
懐古趣味。ちょっといいところ描きすぎだが、いいたいところは良くわかる。東京タワーは戦後復興の希望を積み上げていったものだ。
051208
映42 『七人のマッハ』
カンフー映画と思いきや、タイの映画でした。たまたま競技会で村へやってきたテコンドー、スパクロー、器械体操、サッカーの選手たちが、村を占拠した麻薬組織のテロリストと戦うというストーリー。つまりタイ版「七人の侍」です。タイで生活した身には、あの時報と共に流れる、タイ国歌は懐かしかった。サッカーボールを蹴り上げて、監視塔の射手を倒したり、竹ざおで大車輪、平行棒、台の上であん馬、壁の上で平均台をしながらテロリストと戦うという趣向は、けっこう笑えた。タイ人はスポーツ娯楽映画好きだ。同系に『アタックナンバーハーフ』がある。
051212
ホール8 サントリーホール 東京交響楽団第NNN3回定期演奏会 大友直人指揮
ヘンデル オラトリオ 「メサイア」
年末恒例。高らかなトランペットと、時折聴こえてくるヘンデル節ともいえる軽快なアンサンブルが、重い楽曲のアクセントになっていた。19時に始まり 21時半に終わる。長大な音楽物語を堪能。
051214
ホール9 歌舞伎座 十二月大歌舞伎 当日券。二階最後部座席と扉の間の臨時席。
勘太郎、七之助兄弟の器械体操のような「三社祭」も面白く、「盲目物語」では玉三郎の妖艶な舞に言葉を失う。
「弁慶上使」は、なんとも凄惨な話。舞台上で純な若い娘と乳人の二人の首が刎ねられ、弁慶は血滴る生首を花道で取っ替え持ち替えしてから下がる。しかし観客はたいしたもので、そんな芝居の幕が下りて一分としないうちに、幕の内弁当を開けて舌鼓。場内の食堂もあっという間に満席。お江戸の庶民はしたたか。谷崎の「盲目物語」は、お市の方という絶世の美女、その美ゆえに翻弄された、長政、勝家、秀吉、淀君、弥市、そしてお市自身を見事に描いている。人間に潜む魔性を鋭利な刃物で抉り出したよう。
051216
映43 『ハリーポッター 炎のゴブレット』
シリーズ第三作。CGは完璧。一作二作を見ているので、ストーリーも映像もだんだん刺激的でなくなる。次作ががんばりどころか。

* MAOKATさんは前の年にもレポートしてくれた。読みながら、此処にも一人の優れた一私民、一知識人の生活がある、と、嬉しくなる。わたしの本を読んでくれるから言うのではない。
所感も落ち着いてツボをおさえ、少しも堅苦しくなく気取ってもいない。MIXIでも、こういう仲間を見つけたいが。
2006 2・24 53

* 「からだ言葉の日本」を有難く頂きました。その昔、「手」の御考察を、嬉しく読んだものでした。こえやって、身体全体のことに及んでいらっしゃるとまでは存じませんでした。
思いのままに書き、想い通りの本造りをなさる独特のスタイルは、誰も、真似しませんね。似たようなことはありますか。
今の時勢には合っていると思うのですが。   元「新潮」編集者

* 秦さんの「湖の本」も創刊二十周年、八十六巻、そして古稀を迎えられたそうでおめでとうございます。
『からだ言葉の日本』を御恵送いただき、まことにありがとうございます。
からだ言葉を探求されたこのご本はまさしく秦さんでなくてはできない鋭い目の付けどころであり、興趣つきない豊かな展開ぶりです。読む者をして言葉の海、からだの海にいざなう生命の泉の思いが致します。
かつて医学書院の近くの店でお目に掛かったときの紅顔の美少年がいまや古稀を迎えられたとは驚きです。そう言えば私も今年は傘寿なのですが、先週も志賀高原スキーに行ってリフト三日券で滑りまくってきて(その間、転んだのは二回だけ)、八十歳の実感はまったくありません。
もう長幼の序も儒教の精神も自然崩壊して、地球と人類は精神的に思想的な方からさきに滅んでゆく気がします。それに逆らうべく毎日プールで泳いでいます。
今後ともお元気でご活躍ください。    元新潮社出版部

* この二人、わたしに文学の師があったとしたら最良の人たち、素晴らしくもコワい編集者であった。いまも「答案」を出す先生である。
2006 2・24 53

* 今日はひどく冷える。寒ぅと思いながら郵便箱の鍵をあけた。三月へもう一日しか残っていない。二月はニゲルと昔から聞いていた。わたしの寒い二月は、湖の本の発送もあったのに、近年になく、ラクラクであった。歌舞伎座とと会議が二つ、余は、おおかた家に籠もっていた。
2006 2・27 53

* 『からだ言葉の日本』に、まだ、たくさん手紙やメールが来ている。

* <ことば><言の葉>がおろそかにされています今日、きわめて貴重なご追究です。湧き出るような連想のことばに、どこからでも読める楽しさがあります。国文学研究資料館の(館長)業務で追われていますだけに、やすらぎを覚えております。ありがとうございます。  阪大名誉教授

* お世辞でなくいちいち興味深く、なるほどと感じ入っております。このような角度から日本の言葉や文化を批評したものは、言語学者のものにもなかったように思います。大変ありがたく心より御礼申し上げます。京都はようやく春の気配です。  評論家

* 常にお元気で、次々とよい御本を出され敬服しております。今回も「からだ言葉<を>考える」を始めとして『古語拾遺』『平家物語』『太平記』などからもいろいろ例を挙げられ、現代の女流作家の場合なども御教示にあずかる所多く有難うごさいました。   東大名誉教授

* 厳しい寒さのなかにも、ようやくほのあたたかさを感じる昨今となりましたが、いかがお過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。いつも大変お世話になります。このたびは御著『からだ言葉の日本』をありがとうございました。
今度のご本では「からだ言葉」の表現力、文学表現に現れた「からだ言葉」などについての考察が大変面白く、じっくり読ませていただいております。お礼申し上げます。   政党学術・文化委員会

* これは私の愛読書で、たしか大昔に空穂会で先生にご講演をお願いした時に、今こういう本を書いている、まもなく上梓される、とうかがったのがこの『からだ言葉の本』(筑摩書房)で、すぐにもとめ、以来愛読しております。先年
一、二の大学の時間講師をつとめました折も、何度かこのご本を教材にして喋ったり、学生に書かせたりいたしました。それがいま装いを新たにして頂けて、ほんとうにうれしく存じます、ありがとうございました。
また歌集『少年府』も文庫として再読できますこと、これもうれしいことです。
日本のウタ、とくに歌壇の歌がどんどん悪い方向へ進んでいるのを憂えておりますが、また一度こういうことについてご高説を承りたいなど、ひそかに念じております。    短歌結社 主宰

* 忘れていた落葉の間から急に立ち上がって来た球根の芽が、はっと春を伝える昨今となりました。
過日先生のエッセイ『からだ言葉の日本』 有難く御礼申し上げます。
与えられている仕事の時間切れが気がかり乍ら、本が面白そうでついつい横目で拾っているうち、楽しくて遂に凡て読ませていただく始末となりました。三月早々の搬入を二三抱えるタイムリミットクリヤーの後、ゆっくり今一度、そしていづれ『こころ言葉』もと楽しみ居ります。
草木に習っていぢけずそろそろ活動しなくてはと鞭打ちますが…
先生の御健勝願いつつ 有難うございました。
染色作家(みごもりの湖 蘇我殿幻想 装幀)
2006 2・28 53

*「冬祭り 上」読みました。
北海道は寒さがまだ続いていますので、この時期、時候の挨拶は何を使えばいいのか迷います。4、5日前の、気温が8~9度の時は、死者がよみがえっているような不気味さがありました。この時期はまだ寒くあってもらいたいです。今日は冬らしい寒さで安心しました。
さて、「冬祭り」上巻ですが読み終わりました。ロシアの白樺やポプラの木々に親しみを感じながら、京都の風景にはなけなしの想像力を総動員して、作品を読んでいきました。これからなので、どうなっていくのか楽しみです。土曜日に送金したいと思います。土曜日以降、何かのついでに中・下巻をお送り下さい。
「からだ言葉」も読んでいます。体を用いた表現が譬喩の働きをしているというのは、よく考えると当たり前のことなのですが、ああ、なるほどと思いました。それと同時に、この表現は日本人でないと理解できないんだろうなとも思いました。「からだ言葉」には、視点をかえてもらっています。ありがとうございます。   昴
2006 3・1 54

* 次回「湖の本」の入稿用意もじりじり進めている。やみくもにからだは働かせていないけれど、頭の中は、やっぱり、いろいろに何かといつも忙しい、起きてから、寝床で消灯するまで。しかも、ああもしてみたい、これもしてみたいと思っている。それらに囚われぬようにようにするのも大事なこと。
2006 3・11 54

* 沼正三氏からも手紙を貰い、今朝また、作世界に心ゆるし愛している詩人からも『からだ言葉の日本』へこまやかな礼状が来た。
2006 3・15 54

* この冬の寒さようやく通り抜けたようなこのごろですが、お健かにおすごしのことと存じます。過日は『からだ言葉の日本』ご恵送下さりまことに忝く存じました いつもご芳情恐悦でございます 表題自身すでに意表をつかれるようなものですが 日本人が予想以上に体で考え感じる民族であること これはもう他の種族に比べても圧倒的だろうと判断したくなるほどでした それにしても湧き出るような からだ言葉の連想・連発 これは秦恒平エッセイのなかでも屈指の作品とみました はがきでの御礼おゆるしください。   早大名誉教授
2006 3・17 54

* ブリストルより 秦さん、こんにちは。
ご連絡遅くなってしまいましたが、『からだ言葉の日本』無事にブリストルまで届いています。どうも有り難うございました。『百人一首』もそうでしたが、楽しみつつ、また日本の事を考えつつ、読み進めています。
日本人の気質は現状本位、世間本位、情緒本位との箇所、とても興味深く読みました。
自分自身をちょっと覗いてみても、そうした性向を見つけることは、いとも容易です。対立より宥和、我々という意識、最後の一歩を追い詰めない。意識しないでいるといつの間にかそちらへ流れてゆくような引力を、確かに感じます。
しかし、それが必ずしも「人間」一般の普遍的な性質でない事は、イギリスに来て生活を始めるまで、意外にきちんと認識出来ていなかったように思います。もちろん人間としての共通の素地はあるものの、生まれ育った地域や国によって、いわゆる「気質」は、驚くほど違ってくる。当たり前といえば当たり前のことなのですが。
最近これまでになく、自分は「日本人」なのだなあと強く感じています。たとえ住んでいる世界や世代が全然違っても、日本人であるが故に共有しているものの存在。「気質」もそうですが、もっと言葉にならない雰囲気のようなものも、そこには確かにあると感じます。そしてそれは一般に人間なら誰もが共有している訳ではないという事実。今それがとても不思議です。
先日ケンブリッジ大学を訪問し、その一つ一つのカレッジの立派な事に驚きました。それぞれのカレッジが、学生が寝泊りする建物に加えて、チャペルや大広間や広々とした庭などを備えていて、いずれも数百年の歴史を持っているとの事でした。そして、そうした時間の流れの蓄積が、その場所を「旧跡」にしてしまうのではなく、ちゃんと現在へと繋がっていることに、とても魅力を感じました。
日本ではまず出会えない空間と雰囲気がそこにはありました。ニュートンを初めとする秀才を生み出し続けてきたのも、ごく自然な事と感じるような。そして自分に問い返さずに居られませんでした。では日本や日本人が積み重ねてきた時間は、どこに繋がっているのだろうかと。
地震や台風に度々襲われる上、高温多湿な気候も影響して、日本ではどうしても、時間と共に物を風化させる自然の力が、強烈に働いている気がします。それが恐らくは太古の昔から、日本人を悩ませ続けてきたであろうことは、想像に難くありません。
造っては雨に流され、また造っては地震で崩れ去る。運よく天災を免れたとしても夏の気温や湿度から、建物や書画などをいつまでも守り続けることはそうそう出来ず、一つまた一つと歴史の中に埋もれてゆく。そもそも我々の先祖は、何かを後々に残す事に、いつからかそれほど重きを置いてはこなかったのかもしれません。一期における一会を求め、その時その場でしか有り得ない調和や響き合い、そこから生まれる色彩、空間を楽しみ、そうした形にして残せない、言葉として表現される以前の、空と色との狭間にあるような存在のありようを愛し、感覚を研ぎ澄ます。
厳しい自然条件のために、具体的な形で残す事の難しいことが身に染みていたゆえ、形になる以前のものに対する感性を伸ばしてきた。そして、咲いては散ってしまう花を、また新たに咲かせることを、果てしなく繰り返して来た、と考えては想像が過ぎますでしょうか。
日本人の積み重ねてきた時間は、他ならぬ我々自身の有り様へこそ繋がっているものなのかも知れません。そうすると、冒頭の日本人の諸性質も、何となく納得できるように思われてきます。
圧倒的な自然に対抗するより調和を目指し、我と我との間に生まれる場の色彩を大切にする。そして言葉で表せないようなものに対する鋭い感性は、論理でとことん突き詰めることを避ける感性と、紙一重です。
そして、西欧の、明確で具体的でぶれにくい石の文化文明との違いを認識しうつ、常に繰り返し咲こうとするエネルギーを持ち続ける時、初めて日本人はこれまでの歴史との繋がりを持って、さらに新たな時間を積み重ねてゆける気がします。
HPを拝見しますと、このところ調子がお悪いようで心配しております。どうぞお大事になさってお過ごし下さい。また元気な秦さんにお会いできる日を楽しみにしています。
それではまたご連絡いたします。
ps1.先日珍しくかなり雪が降った際の写真を一枚添付します。ブリストルの家から歩いて10分ほどのところにある吊り橋です。150年前くらいに完成したそうですが、今でも普通に自動車が通っています。
ps2.モロワの「英国史」を、日本から送ってもらい読み進めています。今はちょうどエリザベスの治世が終わり、スコットランドからジェームズ1世を迎えたあたりですが、イングランド国内のみならず、大陸の諸勢力との関係などもダイナミックに描かれていて、あまり知見のなかった内容だけに、とても新鮮です。  敬

* この人の、深い呼吸から一瞬満を持して吐き出されるこういう「挨拶」が、わたしは好き。メールで話題にしてきたモロワの『英国史』も、ちゃんと読んでいる。わたしはまだ十四世紀、百年戦争の辺をゆっくり読んでいるのに、もうエリザベス時代へ進んでいると。この本は、おそらく彼の英国体験に、また一つの骨格を有効に与えるだろう。
「一期の一会」観のあたりは、少しわたしに異説もあるが、英国の空気に具体的に触れ、「日本人」としての「日本」の見え方に検討を加えて行く彼の思索の道筋は面白く、そう遠くない将来、顔を見ながら話し合える日々を楽しみに待ちたい。
教室で、教授室で、卒業してからは我が家や都内での、またメールでの親密な触れ合いが、そのまま彼の思想形成や体験の充実にいくらかでも役立っているかと想えるのは、わたしの嬉しい実感。
どうか奥さんともどもお元気に。
2006 3・17 54

* 『湖の本』の新刊を贈っていただき、ありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありません。
先日、たまたま古本屋で雑誌『太陽』の本阿弥光悦の特集号を購入したところ、秦さんの文章が載っていて、その博識ぶりに改めて感心いたしました。  伏見

* 博識はどうでもいい。センスである、問題は。
2006 3・19 54

* ようやく湖の本新刊分を入稿。さしあたりの眼前の滞貨がどっと流れ出す。
2006 3・21 54

* さ、もう一夜ゆっくりやすもう。三月がかけあしで過ぎて行く。連休前に湖の本の発送はちっときついだろう。
2006 3・24 54

* さて、その花見。二十九日の勘三郎コクーンのあと、三十一日の劇団昴のあと、を楽しみにしている。そして四月一日に友枝昭世の能「湯谷(ゆや)」とは、まさしく清水の花見。五日は歌右衛門の五年祭の大歌舞伎。妻の古稀。六日は日中文化交流協会がたしか創立六十五年、中央公論社が百二十年の記念パーティ。湖の本新刊の校正刷りが出て来るその頃まで、しばらく春心地に花を愛でたい。
2006 3・25 54

* 寝がとぎれず珍しく熟睡した。夢は見ていたが覚えていない。
はや湖の本新刊の初稿が出て来た。待ったなしにまた忙しくなる。夜前、久しぶりに一人「ペン電子文藝館」へ作品を入れた。その気になれば作品の用意は幾らもあるのだが、手を拱いている。
今月いっぱいで、久しく使ってきたニフティ・マネージャーが廃業し、なんだか手続きを替えねばならないらしい、ヤイヤイ言われているが何の心用意もない。林丈雄くんが家へ来てくれ「秀丸」というのをセットしていってくれたが、しばしばこの「秀丸」に不具合の警告が出て、時に難儀に器械がフリーズし回復に苦労するので、思い切って削除した。つまり四月一日からどうなるやら手が打てていない。「アウトルック・エキスプレス」があれば心配ないという説もあるが、どう安心なのか知らない。
2006 3・28 54

* 湖の本の本文初校終えた。あとがきを点検して一緒に戻すのは明日で足りている。
2006 4・8 55

* 櫻は北上の旅をつづけているのだろう。花の幻をふと目に追う心地で春を惜しんでいる、が、ま、なんといつまでも冷えることは。
今日新演出の「四谷怪談」を観て、十七日にペンの理事会があって、その先は五月連休明けの聖路加受診までカラリとからだがあく。湖の本発送の用意は順調にすすむだろう。
いま困惑しているのは、郵政改革の煽りだか、郵便局への代金支払い手数料が、一冊六十円から百円にポンともう値上げされてしまったこと。読者からこの手数料はもらわず版元負担にしてあるから、がくっとその負担がふえてしまう。一冊送料も、まるまるは貰ってこなかった。ウーン。二十年籠城してきたが、赤坂落城ちかし。問題はどんな次なる千早城が可能かということ。ま、成るように成る。
2006 4・13 55

* 湖の本の再校も出揃った。責了にするまでに、「タ行」ぐらいまで挨拶を書いておけると、少し手順がラクになる。すこし奮発してまた生活に活気をよびもどさなくちゃ、ガツガツする気はないけれど。
2006 4・18 55

* 七時間続けて眠れると十分な目覚めになる。暖かくなったせいかとぎれなく眠れて、有難い。朝のうちに、しっかり用事や仕事ができる。
今日は校正刷りをもって外へ出る。家の中に校正刷りをひろげて丁寧に読める机がないのだから堪らない。
家を建てたとき、すでに作家になっていたが、建築屋さんから「書斎」が無いじゃないかと指摘された。年寄りの三人を迎え取る予定からしても、書斎なんてものはとてもムリだった。
隣棟を買い入れてやっと書斎を造ったが、今は息子の山のような荷物に占領されている。
ペンをつかって書く仕事は、ものをひろげて読む仕事は、わたしは大体テレビのなっているキッチンでしてきた。そんな按排で生涯を終えるらしい。
幸い、喫茶店でひとと相席でも小説を書いていた勤めの昔の余儀ない習慣が、雑踏のなかでの仕事も可能にしてくれている。修業といえばわたしのそれが修業であった。そんなところで書いていたんですか、そんな風には思われませんと、「慈子」や「みごもりの湖」の世界の静かなことを指摘してくれた人も少なくなかった。
2006 4・26 55

* 上野はいま美術展の花盛りで、ことに西洋美術館のロダンとカリエール展、東博平成館の天台の至宝展、都美のプラド展が三つどもえにしのぎを削り、とても一度には観きれない。わたしに入りやすいのはロダンとカリエールで、この組み合わせはコロンブスの卵のように、実現してみればもっとも至極な、世界でも初の試み。この美術館には「すいれん」という落ち着いて晴れやかなレストランもあり、レストランにはわるいが腰を据えて校正もしやすい。
今日はいいお天気で心地よかった。

* 銀座美術館で京都の玉村咏さんが出て来て染めの着物の展覧会を昨日から。
京の高瀬川ぞいの「すぎ」で出逢い、雑誌「美術京都」で対談もした気鋭の染色家、染めの技術はすばらしいものを持っている上に、着物に関して独特の眼も。正直の所、わたしは染色美にも、つい繪として向き合ってしまうヘキかあるが、この人、若いがなかなかの実力とみている。
銀座美術館のちかくに京の田舎料理と看板を出した店を見つけた。風情の店内で。いい米の、炊きたての白飯を喰わせて、これが美味い。気に入った。

* 帝劇モールの「香美屋」にも貸し切りのようにして座りこんだ。

* 湖の本の今日一日ではムリかと思う量の校正も、ことごとく終えた。よしよし。
2006 4・26 55

* 「湖の本」を責了したところで、機械部屋の構図をうんと変えた。大道具を入れ替え、妻と、階段ののぼりおりで、大汗かいた。わたし自身はまたも穴の底に隠れ栖む按排。まだ部屋はとりあえず移動したり仮置きしたもので混雑、足の踏み場に窮している。なによりコードの連結がやたら難儀なのを、そっくりそのままで機械机を交換したり新しくしたりしたのだから、気が気でなかったが、あらかじめマスタープランを頭に入れていたので、何一つ故障なく機械は順調に、もとどおり稼働している。次は、従来の子機と子機に連結した外付けのディスクと古いスキャナーとを取り外して、新しいノートパソコンと置き換える。これがすらすらとうまく行くかどうか、もう少し周辺を片づけてから取り組む。
小一年も念願の大仕事をして、息が切れたが気は晴れた。老夫婦、もう一年あとではこんなことは出来ないだろう。
2006 4・29 55

* 新しい湖の本が、十二日に出来てくると、さきほど凸版印刷から連絡があった。十一日に、夜の部の歌舞伎がある。いいタイミング。それより前に聖路加や歯科医の診察や治療日がつづく。
十五日に、しばらくぶり「ペン電子文藝館」の委員会。総会前でもあり、出ないワケに行くまい。十八日にこれまた久しぶりに猪瀬直樹委員長が召集の言論表現委員会。またシンポジウムがしたいらしい。
その翌日、文藝家協会の総会。もう久しくこっちには出たことがない。
二十四日に松たか子の芝居、二十七日には観世栄夫の能「邯鄲」が。月末にペンの総会。一日には苦手な眼科の視野検査。そして…桜桃忌のくる六月がつづく。
ともかくも五月はかなり忙しい。合間合間をうまく利して息抜きをして元気づけないと、バテてしまう。
2006 5・2 56

* さて、目の前へもう発送の日程が迫ってくると、なかなか日々容易でない。気をつかうのである。頭の中であれこれと探るだけでまだ用意がかなり残っている。力仕事もある。
2006 5・2 56

* 発送用意が、今日で一段落する。ほんとはこの後の二段落めに神経を疲れさせるのだが、それとて一段落しないことには始まらない。今日は「飛ぶ教室」というケストナー原作の学園映画を「聴き」ながら仕事していた。
2006 5・6 56

* とにもかくにも明日からの「湖の本エッセイ38」発送を的確に終えたい、早く。
2006 5・11 56

* 新刊の見本が届き、気の悪い大ポカを見つけた。もうここでジダバタもならない、わたしの失策であった。意義をなしてないわけでないのが、辛うじて救い。編集者時代このかた、こういうミスを数十年の内に犯したこと、皆無といえない。
本は、今日のうちに、午前か午後か、届く予定。気を振り絞って一日もはやく送り終えてしまいたい。

* 能率良く働いた。もう一働きする。

* 仕事しながら「東京物語」を観て(聴いて)いたが、鬱がひどくなりそうで途中でやめた。当たり前の話だが、柳智衆や東山千栄子に寄り添って観てしまう。原節子のような嫁がいるわけでもない。香川京子のような娘がいるわけでもない。アホらしくなった。写真はすばらしいが。
2006 5・12 56

* 昨日午前中に本の搬入があり、おかげで一日目の効率が良く、二日目へうまく引き継げて、快調に発送作業は進んだ。もう届き始めていると思われる。

* 湖の本が届きました。  連休明け以降、お天気すっきりしませんね。少し早いようですけど、梅雨のはしりか、「卯の花腐し」か・・。さきほど傘をさしておつかいに出ましたら、梅の木に小さな青い実がたくさんついていて、雨に濡れているのを発見。いままではたくさんの春の花に目をうばわれていて、ちっとも気づきませんでした。あまり可愛いいので、2つ3つとって帰り、ガラスの小さな器にいれてテーブルの上に置いてみました。
昨日から市の社会教育講座の「ヨガ」が始まりました。市の講座なので妙に宗教的だったり、マニアックだったりせず、まずはからだと精神をつないで、からだの声を聞くこと。ゆっくり無理せずゆがみをとっていき、健康になることを第一目的にするということで、なかなか良さそうです。けれど昔からスポーツ音痴なので、両足を両腕でかかえて後ろに後転し、ゆっくりそのまま起きあがる、というのができません! 若い人たちは難なくできるのに、と、ちょっとうらめしいです。長年の運動不足で筋肉が弱っているのかも知れません。
「かかと、つま先をそろえて地球の上にまっすぐ立ち、うでを上にあげて、手のひらを上に。目をとじ自分があの『ジャックと豆の木』になって天につながっていくと想像してください」などという指示も、なかなかユニークです。鼻から息を吸い、ゆっくりと長く息を吐いていく腹式呼吸もからだによさそうです。
『こころ言葉の本』はこれからゆっくりと読ませて戴きます。雨は憂鬱ですけど、ゆっくり読書できるので案外嬉しいです。  ゆめ

* 薫風   予定していた三ヶ所の美術展を見て食事を済ませ、御蔭神社に立ち寄り、鞍馬寺に着いたのは午後四時でした。
昨日神事が行なわれたばかりとあって、御蔭神社は途も境内も整えられていました。「鴨社」とだけあるのが却って本(もと)らしくて、静かに雨が降るなか手を合わせてまいりました。
鞍馬の五月満月祭―ウエサクマツリというのですね―は夜七時からというので、準備中の本殿に入れていただいてお参りしたのですが、若い女性が続々と集まっていらっしゃいます。雨は小降りになったもののいっかな止む気配なく、今にも向かいの山から黄金色の龍が飛んできそうな神秘性をたたえていました。
そのあと月読神社を訪ねました。松尾大社から月読神社へうねうねと細い街道を行く途に、葵の葉で飾った門を見ましたわ。
松尾神社も、こちらも門を閉ざしています。時計は六時を回ったばかり。そぉかぁと思いつつ諦めきれずに門のところをうろうろしていましたら、社務所から声がして小学六年生くらいの男の子が出てきました。お参りさせてほしいとお願いしたところ、足元に水が溜まっているところを小走りに扉に走り寄り、「どうぞごゆっくり」と開けてくださいました。有り難いこと。
お参りしてお礼を述べて門を出たあと、ご家族で出てらして門前のお車に乗り込み出てゆかれました。明日は松尾大社の国祭。なにかとご用がおありでしたのでしょうに、本当に有り難いことです。男の子の言葉付きも顔立ちも実にしっかりと大様に大人びて、お仕込みの善さが思われましたわ。
月読橋には先端に束ねた葉をくくりつけた青竹が立てられ、その東はしばらくの間、家先に「松尾祭」の幟と提灯が続きました。お旅所があるのですね。
このまま七条通りを行くと智積院…いいえ松尾大社同様に明日祭礼の新日吉神宮ですわ。交通規制であちらこちらおおわらわですのよ。
鴨の葵祭と松尾の葵祭、満月祭、その空気をどれもわずかですが味わうことができ、山の藤や桐の花は紫を目に残し、美術展や人の心が雀の心の部屋にいくつもの薫りを漂わせました。  雀

* ただいま帰宅。
ポストに待ち兼ねた(湖の本新刊の)封筒が見えました。うれしい! 雀
2006 5・13 56

* ほぼ一段落し、あとは発送の追加を。湖の本は「届ける」ことに意義がある。届きましたと全国から次々に声が帰ってくる。

* ありがとうございました 秦先生
お元気でいらっしゃいますでしょうか。
私は家族ともども元気に暮らしております。
このたびは湖の本をありがとうございました。
最近は忙しくてゆっくり読書もままならず、本といえば子供の本や料理などの本ばかりです。また、自分のことをあれこれ考えたりする時間も作れずにいます。
秦先生の本は、そんな中で、”もうちょっと立ち止まってみたら”と言われている気がして、はっとさせられます。人生は一度しかなく、忙しいばかりであっという間に時間ばかり経ってしまっていては勿体無いと、最近特に思います。
どう生きるか、ゆっくり考えてみたいとも思い始めました。年齢的にそういう節目なのでしょうか? それとも自分の病気などのことを考えてそう思っているのでしょうか。
自分でも良く分かりません。
先生の本を教科書にじっくりと自分の生きる道を整理してみたいなと思っています。
どうもありがとうございました。私にとってとてもいいタイミングで本が届き、先生との絆を感じました。
また、メールします。  麻

* 湖の本届きました。ありがとうございました。「からだ言葉」のあとは「こころ言葉」と、編集の妙味です。類まれな日本語と日本文化への考察を、素晴らしい文藝の力で読ませていただく嬉しさは、めったに味わえるものではありません。なんと大きなお仕事でありますことか。充実の読書が楽しみです。じつは夕方から読み始めて、ほかのことはほったらかし。面白くてやめられません。そして、十回読んでも読み尽くせないことも、読者としての深い喜びです。みづうみに溶けるように読み進んでいます。深い感謝を。
おやすみ前に一つだけ、ナースのお節介です。
自転車でのお出かけの時にはどうかどうか交通事故に気をつけてください。スピードは出さないで。三回交通事故に遭っている人間からの切なるお願いです。
自転車には、車を運転する場合と同じリスクがあります。視野の問題です。自転車は車より無防備なだけにさらに神経をとがらせなくてはいけません。歩くほうが安全な運動のように感じます。ご一考いただければ幸いです。こういうことを書かずにいられないのをうるさいと思われませんように。
「梨花溶月」はお作りになったお言葉ですか。何か優しいお誘いに感じられて嬉しく。おやすみなさい。 春

* 秦 先生   「湖の本」をありがうございます。
他人の病気の「気」が感染する、何か、わるい「気」をもらってしまう、ということ、ときどきありますけれど、このたびは、よほど、しっかり、もらってしまったようで、くにゃんとなってしまいました。とにかく、何もする気になれない。
十日ほど、ぼんやり、ぐだぐだしていました。今日は、テレビで競馬をぼんやり見ていました。残り時間をおもったら、こんなことしていられないのに――。そんなことをおもいながら、うつくしい馬の姿を見ていました。
そうしたところへもたらされた先生からのご本。風が本であそぶように、はらはら、ページを繰っていて、ふと、
「たらちねの抓までありや雛の鼻」が目にとまり、そこからよみはじめて……。
何と、気随気ままな読みよう。おゆるしくださいませ。
けれど、知らぬ間に、どうしようもない倦怠感・脱力感は消えていました。ご本から離れてもこの気分が続きますように。     香

* こう書き込んでいる最中に、福島県郡山から久しい馴染みの男性読者の元気な声で、「からだ言葉の日本」「こころことばの日本」にきわめて具体的な示唆し刺戟をうけ、いま心掛けているいろんな仕事にとてもいい弾みをつけてもらいました、あまり嬉しくてお声が聞きたくなったと、電話。
もと東京で、なかなか充実した美術雑誌を編集していて、わたしも何度も手伝ったことがある。湖の本のはじめからの読者でもある。
座談会のあとの接待に、銀座裏の、女装男性がサービスするバーだかクラブだかに誘われ、はっと気づくやいなやわたしは百メートルも遠く路上へ遁走していたのを、今もクツクツ笑えるほどに思い出す。わたしは、ダメ、ああいうのは。純然の女がいい。
2006 5・15 56

* エッセイ38拝受しました。毎度有難う存じます。
また、先ほどはテレビニュースで「共謀罪反対の会見」を拝見しました。お元気さに学ばねばと感じました。 ペン会員

* 湖の本着きました 波
湖様  「こころ言葉」・・・なんともやさしい言葉ですね。「こころ」とかなで書くのと、「心」と漢字で書くのと、また印象が違います。意図的に使い分けられたのでしょうか。ああ 一冊の本になんと「こころ」「心」の溢れていること!! 心臓がどきどきしてきそうです。こころして読ませていただきます。ありがとうございました。
2006 5・15 56

* 秦恒平 先生 御無沙汰しております。湖の本、お贈りいただきまして恐縮に存じます。読書の習慣が無く、中々完読できませんが、パラパラと読ませていただいております。
私も今年、還暦です。一巡したので新しく出直そうと、老後の計画など考えております。
ますます御活躍くださいませ。お礼まで  宝飾デザイナー

* もう三十年も前になろうか、この人と京都で対談した。美しい人で、金銀や漆を駆使した身装品も若々しく、美しかった。着想と技術とで、一つ一つが元気に造られていた。十数年前に銀座で、ぱたと小さな展示会をしているのに出逢った。おやおやと思い、妻と一緒だったので、それに京都で対談したおり妻も京都にきていて挨拶ぐらいしていた仲なので、店に入り声を掛け合い、ちょっと面白い出来の指輪を一つ買った。会ったのは二度だが、年始の挨拶などかわしてきた。湖の本もものによりときに送っていた。
もう「還暦」とは、これもおやおやだが、「老後」の二字のある、上のメールに、一種の「乾燥」を感じ、あの若々しい人がと、少しわたしは心配したのである。「読書の習慣」の無い造型・創作家の「老後」に、どんな「底荷」があって落ち着いた航海がつづくのだろうと、ふと寂しくなった。
こういう人は、いまからこそ恋をしたらいいと思う、それぐらいなバランスを図らないと乾ききってしまう。その辺が造形美術と文藝とのわかれめだろう。
一緒に美術賞の選者をしている染色造型家三浦景生さんの、個展の案内に図録をいただいた。九十歳の作家が、瑞々しい、アイデアに溢れて眼をひく作品をたっぷりと創り出されている。舌なめずりするほどファシネイティヴに創作を楽しみきっている人の深い息づかいがきこえ、それはやはりもう手だけの、技術だけの造型美でない、まさに老境の蓄えが生きている。この方は差し上げなくてもわたしの本も一冊一冊買って読まれて、感想も書いてきてくださる。だからと言うのではないが、つまり創作にいい知れない人生がしみ通っていて、いささかも、作も言葉も乾いていない。老境の藝術家にはそういう風格が出てくるから嬉しいのであると、わたしなど恥ずかしいほどに身をちぢめながらそう思うのである。

* 月様  花籠です。
御本、昨日、嬉しく拝受いたしました。
本を「読む」ことから遠ざかっていましたら、「書く」ことにも気が削がれてしまって…地方紙夕刊への投稿文も出せずに、あっという間に日々が過ぎてしまい、何ヶ月もさぼっていたと気がつく始末です。
毎日、「私語の刻」は拝見させてもらいながら、囀雀さんのおしゃべりに、小旅行に出かけている雰囲気を楽しませてもらい、ほぅっと気分を和ませています。
体は元気なのですが感性のアンテナが受信不良になっているみたい。
「からだ から こころ への旅」が必要なのかもしれません。閑吟集からの引用もちりばめられているのが嬉しい。
ゆっくり、ゆっくりと、味わいながら。
どうぞ過飲過食には心してください。気温の変化が体調に及びませんように、ご自愛くださいませ。
2006 5・16 56

* 前略このところ歌舞伎座やサントリーホールなどで御夫妻お揃いのところお目にかかれ、嬉しく存じておりましたが、此度御恵送の『湖の本エッセイ38』の「私語の刻」にてお二人の歩みを親しく拝読致しまして、同世代者として大変感銘致しました。「好き勝手」をじつに実質豊かに実現してこられましたことに心から敬意を表させていただきたく存じました。『静かな心』へ到達したい願いにも共感致しましたが、『静』をめぐる様々の御述懐にもずいぶんと教えられるところがありました。本文も楽しみに拝読致しますが、取り急ぎの御礼と敬意を申述べたく、一筆計上致しました。奥様にも何卒御鳳声下さい。併せて呉々も御体調に留意され、さらなる御健筆をお祈り致して止みません。不一    元「新潮」編集長

* 前に「からだ言葉」を大変興味深く拝読しましたが、今度は「こころ言葉」大変おもしろく拝読してをります。「湖の本」が通算八十七巻ださうで、ただただ感服してをります。  元「群像」編集長

* 早速「私語の刻」読み、いつものこと乍らその博識ぶりに感嘆しています。「静」にこんないろんな意味のあるとは改めて驚かされました。
「本の少々」23 24 も全く同感です。23について、これは教師のマスターベーションではないかと思っていましたが、こういう論調はマスコミに出て来ませんので私だけの偏見かと思っていましたが、そうでないことが分り、力強く思います。
またアメリカの勝手さは東京裁判以来ですが、今の日本がアメリカに見放されたらどうなるのかを考えると、じれったい気がします。
生きることは大変なことです。老いのぐちを虚実とりまぜてNHKの「銀の雫」に投稿しましたが大抵ダメでしょう。もっと書き込みたかったのですが時間も紙数も足りませんでした。  お元気で。  名古屋大学名誉教授

* 不順な天候がつづき、私は、少し弱っております。
お元気で、次々とよき御研究に精励なさっておられます御様子、何よりと嬉しく存じております。この度も「湖の本エッセイ」38をお贈り下さいまして有難うございます。いつも楽しみにして拝読させて頂いており、今回は、日本語をどのように美しく考えるかがよく分かる御本、丁寧に拝読致しております。  東京大学名誉教授

* 心とこころ、身体とからだの問題は私には難しく、とても心穏かではありません。いまがもっとも若いときとおもっていても、心なしか身はギクシャクとします。  神戸大学教授

* 何時もながら鋭く確かなご観察に感服いたしております。  法蔵館 社長
2006 5・16 56

* 新しい湖の本エッセイ『こころ言葉の(日)本』への払い込み通知とお手紙・お便りがどっさり届いてくる。中には、昨日など、目もまばゆい20グラムの純金を送って下さった横浜市の読者もある。大学の大先輩。この方はときどきこういう贈り物で「湖の本」を励ましてくださる。恐縮している。
2006 5・17 56

* 「ことばの妙への絶妙な御観察 感銘」と、中西進氏より『こころ言葉の日本』へ。また「御論拝読し乍ら日本の『こころ』と佛教、儒学等々のことを対比して考へてみると、日本の『こころ』の表現は概して情を如何に表現するかに苦心してゐるやうに感じられます。当今しきりに陽明心学に読みふけってゐます。お元気でお二人で」と文藝春秋の寺田英視氏も。馬場一雄先生や小山内美江子さんからも。
2006 5・17 56

* スッキリしない天候続きですが,いかがお過ごしですか.私は例によって明日から国際ペン大会出席のためベルリンです。
昨日,今日はその準備で雑用に追われていますが,肉体労働はややもすると退屈,どうしても最近届いた本に目がいってしまいます。
そして,出発までに何としても「湖の本エッセイ」38号を読了しようと決め,いま読み終えたところです.その途端,息が止まりました.
最終ページに,わざわざ拙著のことに触れられているではありませんか。あぁ,秦先生はご無理をなさってくださったのだ、と思うと同時に,少々恥ずかしい気持ちになりました.
先生にあれほどお褒めいただくほどのものではないからです.
いつもの事ながら,格別のご配慮に預かり,心から御礼申し上げます.また、戻った後,一度ゆっくり先生とお話できる機会を作っていただければと思っています。
出発前のバタバタでなんとも取り留めのない文章になってしまいましたが,何はともあれ御礼を申し上げたく.今回の機中は楽しいものになりそうです。先生の書かれた心について,できるだけ連想,空想を重ねてみたいと思っています。  前国際ペン理事

* こんなふうに言われると、わたしの方が恐縮する。想像を超えて国際社会のいわば奥座敷へ自在に出入りされ、偏りの少ない世界視野のもとに活躍されている。見識といい判断といい、柔軟で温厚であることといい、真実敬愛できる人である。

* あの「しめくくり」に私の「心」がありました。感謝します。
いま、言論表現委員会から帰宅しました。井上会長名の共謀罪新設法案への反対声明は、「将来への禍根」であり、声明文は提案者の「個人的な趣味」に過ぎぬと断言する人の意見を聴いて、とても困惑しました。共謀罪法を持たない国は日本だけだと。国際条約を批准した国がこの法案をもつのは当然だと。
会議の間、御本の始終をずうっと頭の中で反芻(!!)していました。
お大事にお出かけ下さい。「電子文藝館」の一委員がベルリン総会に出て「宣伝」するのだと申しておりましたが、適切にと、どうぞご指導下さい。  秦恒平
2006 5・18 56

* 四国の**です。
新しい「湖の本」が、「からだ言葉」につづき「こころ言葉」であることと、「からだも、こころも」共に傷つける「共謀法案」成立の目論見がごり押しで実現しようとするような状況であることに、時代の、意図せぬ一致をみています。ご本の拝読と一斉メール受信の反応が遅れて申し訳ありません。
取り急ぎ私の所属する「電子掲示板」に日本ペンクラブ声明とメールを転載させて頂きました。「詩人集団『D』」のBBSです。
検索は「文学の仲間リンク集」で出てきます。
なお、電子署名や抗議先などは下記です。
「要請:共謀罪新設反対 国際共同署名を集めてください(リンク)
http://www.kyoubouzai-hantai.org/#renraku
署名用紙のページです。緊急に印刷して署名を集め下記に郵送しましょう。
共謀罪新設反対 国際共同署名 用紙(pdf)=(リンク)
http://www.kyoubouzai-hantai.org/pdf/syomei0603o.pdf
●集約先
【救援連絡センター】東京都港区新橋2-8-16 石田ビル4F TEL.03-3591-1301
FAX.03-3591-3583
【日本基督教団羽生伝道所】TEL・FAX.03-3207-1273
< 〒振込番号00170-5-483045 国際共同署名運動>
断固反対の意思メールを送りましょう。
共謀罪を共謀する与党議員たちのメールアドレス(リンク)
http://www.kyoubouzai-hantai.org/siryou/houmuimeibo.htm
2006 5・18 56

* 明暗をわけた二つの知らせ。
一つは俳優田村高廣氏の急な遠逝。ずうっと「湖の本」をみて戴いていた。美しい封書、豊かな達筆のお手紙も何度も戴いた。なんどか何かの折り、立ち話ではあるが懐かしくお話しした。なくなった上村松篁さんのレセプションなどへも顔を出されていて、ひっそりと人のかげにおられた。気象の烈しい武士を演じても、「白い巨塔」の芯の強い温厚な助教授を演じても、みごとな実在感のある優れた俳優さんであった。大学の先輩でもあった。畏敬の思いを抱いてきた。残念だ。
いま一つは、医学書院のころの後輩の同僚で、保谷の社宅時代に、毎週、わたしが茶の湯の手前の手ほどきをしていた遠藤恵子さん、わたしの退社後に退社し東北学院大学で社会学教授を務めていた遠藤さんが、米沢短大の学長に選任された。米沢へと、例の声明に反応して頂いたメールに書き添えてあって、それなら永い付き合いの馬場重行氏の勤務校じゃないかと、馬場氏あてに仲良くして上げてくださいと連絡した。
馬場氏も声明にいち早く反応してくれていて、またメールが届いて、遠藤さんは新任の「学長」で、選任には自分も参加していたと。
オウオウと声が出て、朗報を大喜びした。遠藤さんにもお祝いを言い、馬場さんと仲良くしてやってくださいとメール。

* 医学書院のころ、遠藤さんのように同僚ではなく、仲良くしていた看護婦さんたちの何人もが、看護大学や保健医療大学などで、副学長だの教授だのになっている。お医者さんはみなわたしより年輩であったが、「看護学雑誌」等で知り合ったナースたちは、当時みなわたしとどっこいどっこいかやや年嵩ぐらいな若い人達ばかりだった。いまも「湖の本」の変わりない購読者であったりする。だれかに、「秦さんはていねいに人とつきあわれますね」と言われたことがある、そういう一面もある。たいそう人付き合いのむずかしい一面のあるのも確かだが。
2006 5・19 56

* 秦先生 いつも「湖の本」をお送りくださいましてありがとうございます。私の勉強の本でございます。沢山学ばして戴いております。ありがとうございます。
また、「別冊芹沢光治良」に先生がお書き下さいまして誠にありがとうございました。
先生からいただきました今日の(日本ペンクラブ声明等の)メール、出来るだけ多くの友人に知らせます。
このところ、与党勢力で都合のいいように国民を無視するような法案が出来やすくなってしまい、怖い事でございます。先生がんばって反対お願い致します。
父の『人間の運命』お読み戴けますようでございましたら大変ありがたく存じます。お手元に本がございませんようでしたら、贈りさせていただきたく存じます。ありがとうございました。  芹沢光治良先生息女

* 一人一人が自身の微力を疑って抛棄すること、これが、いちばんおそろしい道をえらぶことに繋がると、人間の歴史は教えているように思います。メールを嬉しく拝見しました。どうぞ、日々お元気にお大切にといつも願い居ります。
ぶしつけな原稿を書きましたが、お叱り無く、ほっとしています。
『人間の運命』は、自身の蔵書で読むということが出来ませんでした。あの原稿を書き、新しい気持で心してまた読んでみたいと思っておりました。
わたくしは、毎日、なるべく長大な作を何種類も読みつぐようにしています。それを読んでいる内は生きつづけたいと願いまして。何十巻の日本史や世界史や、旧約・新約聖書や、千夜一夜物語や、日本書紀や。戦争と平和も、源氏物語も、フアウストも、南総里見八犬伝も、モンテクリスト伯なども、その様にして読み上げてきました。『人間の運命』も、いつも念頭に願っておりました。
ひどい雨と聞いていましたのに、今朝はうって変わった五月晴れ、なんとなくほっとしています。
いつもいつも、有り難うございます。
こころより御礼申し上げご平安を祈ります。  秦 恒平
2006 5・20 56

* 「こころ言葉の本」頂戴いたしました。お心遣いいただき恐縮です。前回の「からだ言葉の本」も何気なく使っている言葉をあのように整理していただくと大変便利で、いろいろ勉強させてもらいました。ありがとうございました。
「共謀罪」取り敢えず法案の採決は先送りになりましたが、まだまだ問題はそのまま残っています。矢張り廃案までもっていくべきです。
小泉自民党には目が離せません。   元朝日新聞社
2006 5・20 56

* 湖の本が 次回は通算八十八巻の米壽を迎える。書き下ろしの長編小説を宛てる。入稿の用意成る。
2006 5・21 56

* やっと春になりました   昴
今日は波が穏やかでした。桜もちらほら咲き出し、牧草畑の真ん中に桜の木があったりして車を運転していると驚かされるときがあります。冬とは違う顔を自然は見せてきました。
「こころ言葉の本」、届きました。まだ目次に目を通した程度ですが、モノについて書かれているようなので、早く読まなくてはと思っています。
ただ、まだまだ読んでいない本がたくさんあるので、その後になりそうです。GW中、用意していた本を実家に持って行かなかったのは失敗でした…。
共謀罪法のメールも届きました。
何これ? と言わないような友人に送りましたが、返事は、言いたいことは分かるけど、法律あった方がいいんじ
ゃない? というものでした。テロリストや他人に危害を加えるような団体などの対策として、多少の不便さは我慢して、法律はあった方がいいよ、という返事でした。大規模犯罪の予防をとるか、自由をとるか、難しい問題だね、ということも言っていました。
治安維持法のことなんかを説明して、自由の方を私はとるなぁという思いを返信しておきましたが、どう受けとったかは、返事待ちです。建設会社で働いていたことがある人なので、私の考えを受け止めてくれるかは、分かりません。以前はそんなに考え方は違わなかったのですが…。ちょっとさみしいです。
強行採決はなかったようですが、不便で不自由になるような法律は作ってもらいたくないです。
さてGW中、他の方の作品を読みました。どういう思想の流れで現在の本ができているのか、ほんの少し見えた気がします。秦先生が「私」で書くのも、ほんのほんの少しだけ見えた気がします。頭が悪いので、難しい話を正確に理解できないのが口惜しいです。
長くなりました。申し訳ありません。この辺で失礼します。
体調を崩されたようですが、大丈夫でしょうか。無理をなさらないようにしてください。
* 晩になるとインターネットに不調が現れる。ADSLのルーターがビキビキ鳴ってはランプを点滅する。
2006 5・21 56

* 妻が病院に出掛けている間に郵便局の用をしてから、ひばりヶ丘、田無、東伏見方面を、ぐるぐると迷いに迷いながら足任せに、結局一時間ほど走ってきた。
ほんのわずかな間の回復で、出来たのは五十何本ものスパム・メールの受信。馬鹿げている。それでも、かつがつ凸版印刷への入稿が出来たかも知れない。

* 御丹精の御本造りに、そして、論攷に御忙しい御日常と拝察致します。
日本文化の、日本語の根本を御指摘になる作業は、本当に、貴重ですので、どうぞ御元気で、御活躍下さい。  元新潮編集者

*この、こわいほどであった元担当のベテランにこう言ってもらうと、胸をなでおろす。
2006 5・25 56

* 火曜日は、湖の本の払い込み連絡が来ない。土日が挟まるからで、金銭のことはともかく、読者からの通信の来ない日になる。郵便の来ない日曜とならんで、わたしにはつまらない一日に数えられている。
で、午前、妻の眼科のお薬だけ貰い受けの役に自転車で佐藤眼科まで走り、そのさき、田無への道を保谷新道まで行き、保谷新道をひばりヶ丘方面へ走って、なんだか団地の中かワキかを走り抜けて、ひばりヶ丘駅のちかくの、或るお気に入りのビストロへ辿り着いた。以前に何度か妻と来ていた店だが、店が無くなったと小耳に挟んで落胆していた、が、そうではなかった。元通りちゃんと店は開いていた。
この店は、本格のソーセージ料理が出来る。ハンバーグもうまい。野菜はみな自前の菜園で無農薬で栽培し収穫しており、パンも店で焼いている。久しぶりにうまいソーセージを食べてきた。赤いワイン。パンのためのバターもジャムもこの店の生産だと聞いている。
マスターは、たぶん「話せる」相手だぞと見込みを付けていた。で、湖の本の新刊二冊を土産に持っていった。店は満員、わたしはカウンターに腰掛け、マスターを独り占めしてしばらくいろんな話が出来た。なんともヨレヨレのややこしい恰好をして汗まみれであったが、「話せ」て気分がよかった。
2006 5・30 56

* 「群像」の鬼編集長といわれた大久保房男さんから、『終戦後文壇見聞記』を頂戴した。俳人で亡くなった上村占魚さんと大久保さんは仲良しであった。三人で鮨を食いに歩いたりし、もう久しいおつき合いである。湖の本を送ると必ずご挨拶がある。「新潮」の元編集長坂本忠雄さんも、小島喜久江さんも、「文藝春秋」出版部長だった寺田英視さんも、「講談社」出版部長だった天野敬子さんも、「岩波書店」の野口敏雄さんも、一流の編集者ほど、じつにこういう際のご挨拶はみなさんみごとなものである。「河出書房」の小野寺優さんもきちんと手紙をくださる。
大久保さんには御本もよく戴いているが、小説はさておき、『文士と文壇』『文藝編集者はかく考える』「理想の文壇を」『文士とは』等々、主張や意見に異見なくはないが、一貫してすばらしい意気が、どの頁にも漲っている。願わくはこれがもう「過去完了」さなどと言われたくないものであるが。若い出版人・編集者たちに今少し真摯に拳々服膺してもらいたいものであるが。それならば、わたしは「湖の本」など刊行していなかったろうに。
2006 5・30 56

* いま、わたしが少しく気分よくしているのは、作品『秘色』を校正し始めたからで。関西のある大学の先生の本が無事出版できた内輪のお祝いに、担当編集者として招かれた私は、社命もうけて新幹線に乗り、となりあった年輩のご夫人と静かに近江大津京の跡の噂などして。そうして現代と天智天皇の昔とが夢うつつに交錯しながら、不思議の時空に誘われてゆくことになる。
『清経入水』で太宰賞をもらったあとの、事実上の受賞第一作だった。候補作になっていることは知っていて、それまた夢かうつつかとわたしはふわふわしていたのであり、そのさなかに、思い立って近江大津京の崇福寺址を観に出掛けていた。それだけでも、文字通りの受賞第一作なのであった。
「展望」に発表した。最初の作品集の表題作にもなった。
発表までに苦心惨憺したけれど、発表後の評判は、受賞作を措いて処女創作集の表題作にもなったぐらいで、馬場あき子さんは、「秦さん、『秘色』は名作ね!』と励ましてくれたし、新潮社の池田雅延さんも、井上靖先生の『額田姫王』よりいいですと持ち上げてくれた。読み返すのは、本当にひさしぶりだが、湖の本からのスキャン原稿がやはり相当に誤記が出ているので、直しておきたくなった。
で、読み始めて、つくづくわたしはこう思う、「こんな小説が読みたいなあと思う、そんな小説をわたしは没入して書いてたんだ」と。誰のどんな作品よりも、自分の書いた作品が好きで面白いのだから、妻にいつも笑われるが「幸せ者」である。「ああ、こんなの書かなければ良かった」と思う作品は、いままでのところ思い出せない。
だから物書きなんてのは、ほとんど「ビョーキ」なのである。わたしなど全くの「ビョーキ」もちであったが、それが幸せであった。
今日の昼も、ビストロで、マスターと、ものを書いたり創ったりも生涯に一つ二つぐらいならマトモだけど、十も二十も百もとなると「ビョーキ」なんだよねと笑ってきた。「ショーキ」を喪わないとそんなバカゲた真似は続けられないのである。いや、ほんと。
2006 5・30 56

* 明日はペンの年次総会と懇親会。例年だと委員長報告で大いに気をつかって忙しいところを免除され、つくづく大助かりしている。理事会で、歌人藤原氏の推薦の弁を述べるだけで済む。晩の会に誰か目新しい知人の顔が見えるといいが。
明後日はつくづく嫌いな視野検査に朝早く起きて出掛ける。あれはホトホト疲れる。そして京都へ。またも慌だしい限りのとんぼ返しで帰ってくる。新しい「湖の本」のゲラが明日明後日にも出てくれれば持って出掛けられるが。
2006 5・30 56

* なんとなくご無沙汰してしまいました。   藤
でもずっとホームページは読ませていただいています。
まず、湖の本の御礼から。
少しづつ読んでいるのですが、その間中、「こころはどこにあるのだろう」という命題を考え続けています。
”考える” という作業が頭の中、脳でなされるとは知っているし、手話もヨン様も、胸に手を当てて ”こころ” を表現するところをみるとあの当たりに ”こころ” あるのかなとも思うのですが、あそこには単に心臓があって動いているだけのような気もして。
こころは目に見えないと誰しも思っているし、人間の体の中には目に見えないものが他にも沢山含まれていることを考え合わせれば、(生命を司る生化学反応などは目には見えない) ”こころ” がふわふわとどこか確かめようのないところに潜んでいても良いでしょう。
その ”こころ” を ”ことば” で表そうとしたとき、はじめて形を得る。
共謀罪が抱えている問題点も、この ”こころ” の中を形にして、法律で取り締まろうとするからなのだろう—–などと考え込んでいるうちにご無沙汰になってしまったのです。
おかげさまで一同元気にしています。
ご近所を自転車で走って居られるのですね。
黒目川の遊歩道(自転車の入れるはず)へはいらっしゃいましたか? 黒目川もようやく水がきれいになり、橋の上からでも小魚が見えるようになりました。水鳥も訪れ、「カワセミも見かけますよ」と養護学校の門前に立っている
福島県から単身働きに来てるというガードマンのおじさんが教えてくれました。
私が息子を家からかなり遠いこの学校へ入れたのは、ひとえにその自然環境が気に入ったから—-当時は水縁まで降りられましたし、となりの敷地ではニワトリが放し飼いになっていて、川辺で遊んでいました。
橋の上からは富士山がきれいに見えます(今の季節は無理ですが)。
竹林公園の湧水も美しいですね。子どもたちが小遠足にいっていたところです。
もう一つ
四国のお菓子で、笑ってしまいました。
「ケンピ」っていうものではありませんか?
夫の職場にあちら出身の若い方がいて「ボクはこれが好きなんです」といって、いつもかケンピを下さいました。
そのご本人がかなかな頑固な堅物で、家では彼のことを「ケンピくん」と呼んでいました。ケンピ君はその後会社を辞めて海外へ、今どうしてるかな。
あれは堅いです。気をつけないと歯がいかれます。歯根がくたびれます。
お大事に。

* 佳いお便りである。少し前に戴いたが、機械の不調で書き取れなかった。このメールに教わって黒目川の遊歩道を自転車で走ってきた。
2006 5・31 56

* 「湖の本」有難うございました。
四月初めに新しく建て直した家に引越し、念願だった図書コーナーが出来、秦さんの本を全て並べることが出来て、幸せを感じています。
初めて手にした文庫版の「清経入水」は残念ながら無くなってしまったのですが…道成寺の時に戴いた「親指のマリア」をはじめとして、いつ求めたのかはわからないのですが、サインの入った「顔と首」など大切な本が並んでます。
先程、五月三十日の所を読んでいましたら、「マドレデウス」という名が出てきてびっくりしました。
私もつまりはホンダアコードのCMからのファンなのですが、いまでは大好きで大切なお気に入りグループです。来日公演は何をおいても出掛けていますが、最近は生でテレーザの声が聴けないのが残念です。
相変わらず取り留めの無いことを綴りました。ご寛容の程…
追伸 六月十一日の月並能で「歌占」を息子と勤めます。  光

* 有り難いこと。
マドレデウスに反応して戴けて、ワケもなく、にこにこ。マドレデウスのアンサンブルもけっこうだが、何と云っても魅力は「テレーザの声」で。とくに「ムーブメント」のテレーザには痺れる。偶然に手に入れて以降、少し買いたしてあるが、機械音効果のいい「エレクトロニコ」も好き。
能「歌占」は身につまされる能で、観ると、どこかで泣いてしまう。
2006 5・31 56

* もう湖の本の新刊ゲラが届いていた。書き下しの小説になる。二百頁にもなり、採算割れも甚だしいが、ま、仕方がない。創作シリーズの第五十巻という切り目になる。京都へとんぼ返しの旅のうちに校正がすすむだろう。印刷所が間に合わせてくれた。
2006 6・1 57

* 昨日、元新潮社の、京都人としても先輩の宮脇修さんとペンの懇親会前に顔が合い、『からだ言葉の日本』『こころ言葉の日本』を、熱い言葉で、とても褒めてもらった。言葉、日本語、へのああいう精緻で深切な思索、ほんとうに貴重なものです。ああいう形で本にされていること、それはそれで素晴らしいけれど、出版社は恥ずかしいですね、とも。
2006 6・1 57

* 六時前起床。血糖値130、少し高め。噂だけれど800だの1000だのという人もあるとか、まさか。しかし、わたしも高い頃300台もあったのではないか、記憶にないが。
明日の朝は、京都で目覚める。別しての用事はないが、ややあらたまる。汗になるので着替えなど持たねばならず。好天を望む。今回は京を歩いてくるヒマもない。

* 車中、ぶっ通しで校正。視力がゆるせば、幾らでも読みたかったが、眼が霞んでくるのには閉口。
2006 6・2 57

* 「吉兆」と祇園とでかなりの酒量になったので、ホテルに帰った夜前十一時過ぎ、しっかり補充のインシュリンを注射し、補強薬ものみ、すぐ寝てしまった。
夜中一度顔を洗い、またゆっくり寝た。朝食もなにもかも省いて、さっさと京都駅で乗車時間をはやくし、正午過ぎには東京駅に着いていた。
車中では校正、校正。窓の外も見なかった。家から持って出たゲラは、全部読み通して帰宅した。
2006 6・3 57

* 「最上徳内 北の時代」「秘色」を校正して、家に帰ってきたなという気持。作品世界と家とが同心円になっている感じ。
2006 6・3 57

* プロの言い訳 画家の「盗作」騒動に。
ここ数日世間を騒がせている事件で、興味深いのは、某日本人有名画家による、外国人画家の作の「盗作」騒ぎ。文化庁が、問題の日本人画家を大きく顕彰していて、それを取り消すかどうかも関心の的になっている。
本人は、ガンとして「盗作」を認めていない。
その「抗弁」に、或る意味、かなり大きな課題が隠れている。美学藝術学の学生なら、学部卒業論文の主題にとりあげても、まんざら見当違いでないだろう。
わたしは、かねがね、自分の「創作物」に批評や非難を浴びた作者たちの、「言い訳」「自己主張」の弁に、興味をもってきた。ひとくくりに謂えば、「プロの言い訳」に、である。それには「アマの見方」が対立する。
問題の和田画伯の抗弁は、いかにも「プロの言い訳」であり、わたしには、それも理解できる。たぶんそう言うであろうと予測できたことを言い立てている。そう聞こえる。
この例の場合、素人は、いちばん分かりよい「構図」の似かよいを指摘し、「盗作」だと言っている。だがプロの画家のなかには、絵画での構図程度は必ずしも絶対条件とせず、無視は出来ないがむしろ付随的なもの、ま、小さな必要条件の程度と見なす足場の人も、必ずしも少なくないであろう。
そんな彼ないし彼らにすれば、絵画を成す上でもっともっと重いのは、その構図を、どのような線や色彩や陰翳や光線や気分や認識で「表現」するか、だろう。それこそ「真に大事な創作」なのだというぐらいな、意見や認識や態度を持している(のではないか)。今回大勢の画家仲間から、あまりそういう声はきこえてこないけれど、和田画伯の弁を同情的に理解している人も、皆無とは言えまいかと察しられる。
テレビ番組で、「盗作も盗作、何一つ言い訳ならないですよ」と声を弾ませている門外漢識者のようなプロばかりでは、案に相違し、ないのではなかろうか。分からないが。
造型の勉強では、伝統的に「構図」を学んで(真似び写して)その先へ自己表現してゆく「手」も認められてきたし、造型上の「写し」は、むしろ大切な技術の鍛錬であったし、和歌の場合でも、本歌取りは公然、創作行為として許されていた。「臨」「模」を大切に観る考え方が、歴然と、あった。
つまり、「プロ」ならではの、お互いに自慢や自負の域にある高度で秘密なリクツや考えが、その辺に潜んでいて、そこから一家の見識が培われてきた例は、案外少なくないのである。そしてそのあげく、彼等の口からとかくとび出す一言は、「素人には分からんよ」なのである。
はっきり言っておくが、こういう「言い訳=自己肯定」を、一度もしなかったような創作者は、どのジャンルにもきわめて少ないであろう。
たしかに素人には分からない微妙な思惑の襞、襞を、創作者は傲然として持っている。だから和田画伯の、あの自信に溢れたにこやかな笑顔での抗弁、「盗作でなんかあるものか」という抗弁が、昂然として出てくるのである。そこまでは、わたしですら、かなり理解できる。
今も言うように絵画に限らない、あらゆるジャンルの創作者が、みな似たリクツを堅持し、たまたまきつい批評が、素人筋や、愛好家や、自称自任のプロの批評家から飛び出しても、「素人には分からんよ。ここの、そこの、目にみえないところの微妙にして本質的な創作・表現の秘密や工夫は」という「言い訳」になる。言い訳ではない、それが創作の秘儀だと真っ向主張するのである。
ところが、むろん素人には、ただの「言い訳」と聞こえて、素人は素人なりに、高慢に、また自然当然に、大いに失笑してしまうのである。つまり滑稽なほどの水掛け論になる。
批評家になにが分かるかと、高名な小説家でも、ときに逆鱗に触れられ、怒ってきた。そうかもしれない、そうでないかもしれない。つい水掛け論に終わるのである。邪魔くさい、いちいち反論してられるかという態度も、だから、喧嘩せずのお高い処世のうちとなり、ことがあからさま犯罪めく「盗作」「剽窃」なんてことにならない限り、こういう水掛け論は、安全圏でのこぜりあいのまま終わる。双方で済ませてしまう。
たとえば文筆家の場合の「盗作」や「剽窃」は、「ことば」「文章」の同似、酷似、相似、類似であらかた推し量れる。ところが、造型や音楽の場合は、「技術」の占める度合いが、いい意味でも、わるい意味でも深遠かつ微妙で、「プロの言い訳」は、たしかに素人の及びもつかない「技術」の闇に身を隠せる一面がある。
では、「プロの言い訳」は、結局、通るのか。
いや、それが、そうは行かないのである。「アマの見方」も時に実に鋭くて本質を射抜くのである、技術などもっていなくても。バカにしてはならない。
創作物は創作者ひとりのものでは在りえない。鑑賞者ないし享受者ないしは無趣味なその他大勢の公然の所有でもあるからだ。そして彼等愛好者ないし門外漢は、あらゆる創作物に、好き勝手に接していい権利を、ガンとして保有し、創作者にはこれが拒めない。拒みたければ創った作品を不特定多数には見せられない。
創作者とは、厳密な意味で「孤独なただ独りなる存在」で、鑑賞者ないし野次馬は、何の責任も帯びない圧倒的な「大多数」なのである。しかも「技術」的にたとえゼロに等しい無知識・無体験も、誰からも咎められる負い目を持たない。その意味で甚だ放埒な、自由自在な、創作者からするとあまりにシマツのわるい、やりきれない「絶対多数者」なのであるが、中にはプロも顔負けの藝術センスを備えている。素人の強みを人間として持ち備えている。そういう多数者からの「批判・非難」と、孤独な「抗弁・弁明」とでは、勝負はハナからついていて、創作者のリクツの多い「プロの言い訳」など、所詮は通りっこない。
今回の、あの、構図の酷似した「盗作」の疑いでも、素人側の、「これは似ているよ、どうみても盗作だよ」という思いや声が、そんな疑いが、かく降って湧いた以上は、もう動かしようがない。「プロの言い訳」は、どう微妙でどう精細にわたろうとも、たとえ学問・学藝の話題・問題にはできても、勝ち目はない。効果もない。素人のどんな素朴な、素朴すぎる感想であろうとも、「プロの言い訳」は効かない。覆えす力になれない。まして優れた「アマの見方」には、人生の味が加わっていて感動の有無を精緻に見極めることも多い。
そういう遁れようない機微をよく覚悟しているのが、「本当のプロ」というもので、今回の和田氏のどの作例も、絵の描けないわたしにすら、やはり「盗作」以外の何ものでもない。
だが、絵の好きな、それなりに気を入れて多くを観てきたわたしには、和田画伯があの「構図の先へ」付け加えている「創作の腕」は、さすがと思わせる美しさも確かさも持っている。原作より、格段におもしろいものが出来ている、と、そういうことも平気で言えるのが「アマの見方」というものであり、そういう「アマの見方」を、自分が小説や文章を書くとき、わたしはしっかり恐れている。
創作の世間では、同業同士はともかく、「アマの見方」で文句を付けられたら、負けておくしかない。だが、本音の所、負けておくだけのことである。

* いまのところ、わたしは、このように考えている。『お父さん、繪を描いてください』のあの「お父さん」画家ならば、あの世から、もっと凄いリクツを繰り広げるだろうか。彼は、今度の和田画伯の数年の先輩なのである。
一昨日京都での美術受賞者の一人が、授賞挨拶の最後に自分の作品は「盗作」ではありませんと胸を張っていた。会場に笑いの漣が起きていたが、余分なコメントだとわたしは感じていた。そんなことをことさら言ってみて、何が自作に付け加わるというのだろう。素人ではないプロの仕事として、どうなればほんとうに盗作であり、どうならばそうでないのか、内心に問い返していて欲しかった。気の低い話だと感じた。「写真」で描くのだって、まちがいない「盗作」なのである。
2006 6・4 57

* 北の旅が、襟裳岬に近づいている。最上徳内サンの一行も近くを歩いているはずだ。近江の旅は、堅田の幻花庵(げんげあん)泊まり。近江大津京に悲劇のいくさがはじまる寂しさ。
2006 6・4 57

* MIXIの「日記」を利して、校正かたがた『最上徳内北の時代』を連載していたのが、上中下の「上巻」を通過した。最上徳内先生と作者のわたしとは、連れ立つように襟裳岬をすぎて、いつしかにやがて厚岸に着こうとしている。
江戸の蝦夷見分は歴史的な一大事であった。北方四島の問題にもからみ、アイヌ差別の江戸資本主義支配にもからみ、「世界」にもからんで、忘れていいどころか、今の今の問題にもからんでいる。もう数十日かければ、読み上げられる。スキャン原稿を校正して、いいかたちでホームページに掲載しておきたいのが願い。

* 同じ目的でもあるが、加えて、孫のやす香ら若い青春ともかかわりたく、やはりMIXIの「日記」欄を利して、もう一つの連載を始めた。「東京工業大学」というコミュニティもあり、大勢がMIXIの中でたむろしていると分かり、たまたまやす香も大学二年生になっていると分かり、それなら二年生の多数を主に対照にしていた『青春短歌大学』を再掲連載して行きながら、平成十八年の出題も試み続けてみたいと思うようになった。うまく続けられるかどうか。
それかあらぬか、どっと「足あと」が増えてきている。
2006 6・10 57

* 歯医者で麻酔され、唇が膨れあがった感じで昼食も禁じられ、どこへも行かず帰る。とはいえ、保谷駅ちかくで初めての渋い喫茶店を見つけ、校正しながら、カレーライスを。オランダビールと珈琲で。今度の小説は長い。校正にも時間を掛け、初校を二度している。
2006 6・13 57

* 梅雨の晴れ間か。街へ出た。蒸し暑さも堪らないほどでなく、持って出た校正も十分以上に出来た。今日の一のアテは、用を済ませたあと、いつも食べる帝劇モール店の香美屋ではなく、根岸の本店へでかけて本店の味を楽しむことだった。場所も聴いておいた。
すこし分かりにくかったが、尋ね宛ててみれば、そうでもなく。
端正に静かな洋食店で、藤田嗣治の小品や、有楽町にもあるビュッフェの繪など飾られ、料理も、デザート、スープ、魚は鱸、そしてビーフタンシチューがさすが本店の美味さで感心した。
店の行儀もじつにいい、校正など始めるとこっちの行儀が咎められそうな。
有楽町店はくらいほどの店内につくられてあるが、本店はからりと明るい。下町の、ごく庶民的な町通りも気に入った。食事は静かに、構われないのがなによりである。
2006 6・14 57

* 新しい「湖の本」は、創作の第五十巻記念作になる。その「あとがき」冒頭にわたしは、危機感をもって次の文を入れる。予告しておく。いろんなことは後で言われるだろうが、少なくも「その時」は間違いなく誰一人も発言しなかった。

*  だいじなことだから最初に書く。
六月の日本ペンクラブ理事会(阿刀田高専務理事主宰)で、あっさり容認され通過したが、わたしは異存を唱え、発言を必ず記録に留めて欲しいと願った議事があった。日本ペンクラブは、日本政府からの資金提供を受けてもよいかという問題である。具体的に言う。いましも、日本ペンは、アジア諸国のペンと協力し、「災害と文学」と題した大きなイベントを計画してきたものの、資金がないため、幸便に文化庁の資金供与を受け、共催事業としてプランを進めてきたのである。
一昔二昔前のペンクラブでなら、これは考えられないこと。ペンは、政府権力に対し常にフリーハンドを保ち、それにより例えば共謀罪新設法案にも盗聴法にも国歌国旗強制法等の悪法にも果敢に反対しうる足場をまもってきた。国に金をだしてもらって事業をひろげるなど、最も避けたい拙策だと、少なくも二十年前なら、問題にもされなかった。それが日本ペンの誇りともする当然の伝統だ。
ところが今回の企画では、もっと悪いイヤな結果が出た。台湾の優れた監督による映画「命」の上映を企画者たちは大きな目玉として大事に大事に予定していた。それに対し、理由はいろいろ想像できるが、文化庁が急に「台湾はノー」と言い出した。日本ペンクラブは茫然、余儀なく金主である政府・文化庁の上命には従うしかないと、六月理事会であっさり決めたのである。
驚いたことに、理事の誰一人、立案者ですら、疑問の声を放たない。これは危ないとわたしは急遽異存を唱え、こういうことが自堕落にすすみ拡がれば、日本ペンクラブの自主的な思想的立場は大いに傷つき、諸声明等に対する「国民・私民」の支持信頼も大きく失うだろうと警告した。この発言はぜひ公式に記録して欲しいとも求めた。
政府に金を出してもらうことにも、わたしは異存がある。まして、いちばん実現したかった最たる企画の一つが、政府の意向で簡単に圧し潰されるとなれば、さらに重大事である。しかし、繰り返して言うが、理事会は、当然かのように文化庁の横槍に心臓を突き刺されて、金には換えられないと、腑甲斐なく沈黙したのである。わたしは、承服できないし、慨嘆あるのみ。。(06.06.16 この記事内容も、刊行時には事態が動いているかもしれない。好転を切に望むが、なお悪化しても、ともあれ必ず言い置くべきことと思うので、このまま記録する。)

* 執行部・理事会のさらなる見解を出して欲しい。
2006 6・17 57

* こんばんは。
「冬祭り」を読みながら、「最上徳内-北の時代」を読むと、ああ、そうか、こういうことか、と思う事があります。一人の作家の作品を複数読むのは大切ですね。
「最上徳内」を読み返している最中ですが、ふと、町史に、「アイヌの遺跡等は、開拓によって壊された。」というような事が書かれていたのを思い出しました。。
江戸時代と変わらず、昭和に入っても、和人のアイヌに対する仕打ちは酷かったようですね。私の祖父達は、アイヌの文化をどんどん壊していったのです。文化が壊れる恐怖は相当なものだったと思います。
そんなことを、本を読んで思いました。    昴

* ありがとう、昴。
わたしも『最上徳内 北の時代』を読み返しながら、日本人のアイヌにした酷薄な非道の数々に行き当たり行き当たり、恥ずかしい思いでいっぱいになります。人間の業の最たる一つは、あらゆる場面に露出してくる、人間による人間への差別です。人種差別、職業差別、性差別、地域差別、貧富の差別、習慣差による差別、思想信条の差による差別、宗教信仰に於ける相互差別、等々。
『最上徳内北の時代』ではアイヌへの、また朝鮮人への人種差別だけでなく、国内の人間差別にも触れました。『冬祭り』では歴史的な人間と職業への差別を「蛇」というシンボルを用いて国際的に書いてみました。『親指のマリア』では、キリシタンへの差別を、『風の奏で』や『初恋』では芸能への根強かった差別を書きました。わたしが「蛇」に着目するのは、根底にグローバルな差別意識がそれに絡まっていると観ているからです。
具体的に名や場所は言わないが、マスコミに、どうしてこんなことが起きるのと遠く離れていて異様に感じる事件の多くに、その地元や身近へ近づいて眼をちゃんと開けば、犯罪や事件の根底にえげつない差別が渦巻いているのが、日本ではむしろ普通なのですが、知らん顔をしながら、マスコミは、やいのやいのと騒いで煽って儲けているのですよ。掌をさすように、外れていないと思います。イヤな国であったのです、昔々から。だが、そういう国ならではの、味の濃い文化が根付いているのも事実なのです。源氏物語や古今集だけが文化なのではない。
2006 6・17 57

* 「湖の本」20年のお祝いをお送りいたします。名張のもなかと三笠、つぶあんです。明日、黒猫がお届けにあがります。お納めいただけましたら幸せ。 雀

* 餡ものは大の好物だけに、ウーンと呻きながら、明日が楽しみ。そして明後日は桜桃忌。太宰賞をうけて三十七年のいわば誕生日。山形から贈られるすばらしい桜桃が今年も楽しみ。
2006 6・17 57

* 朝、まっさきに山形の美しい桜桃が贈られてきた。嬉しい。三十七年目の誕生日である。なんとその後半の、二十年間もわたしは「湖の本」を出し続けてきた。そういう作家なのであった、わたしは。それはわたしの非力の証明でもあり、わたしの「自由」というものでもある。

* 20回目のお誕生日おめでとうございます。
イチローの「通過点に過ぎない」を思っています。
四角いベースを一つ踏み、二つ踏みして五角形のホームベースに滑り込み…いいえきっと両足でポンと踏んでホームインなさって、そしてまた次の打席にお立ちになると信じてこの20回目のお誕生日をお祝いいたします。
なにより、たのしい。居待ち立ち待ち心待ちのたのしみなのですから…。雀にも、一刷け一刷け塗り重ねられてきた二十年弱であることをあらためてありがたく思います。冥利に尽きることです。
心よりあつく感謝申しあげ、ますますのお幸せとご平安をお祈りいたします。  囀雀

* 読者のみなさんにこころより感謝申し上げる。
2006 6・19 57

* 秦先生、ご本お送りくださいまして、ありがとうございます。
『風の奏で』息もつかず読んでいます。
大学時代を京都(桂、下鴨)で過ごし、なにかと理由をつけては年に何回も京都を訪ねている私には、徳子さんや市子さん、T博士たちの京言葉が、下宿のおばさんの言葉に重なり、なんともいえないいい気分に包まれています。
また、「つろく」は、こちら香川にもれっきとした通用する言葉として、残っています。
ずっと、「新古今」や「平家」、西行、後白河院、後鳥羽上皇などのことを知りたいと思っていましたので、飛びつく思いで読んでいます。
ストーリーや、人物関係にも何とかついて行けているように思っていますが、さて、どこまで正確に理解しているか自信はありません。実はすでに、「讃岐典侍」辺りからあやしくなっています。
古典を、民俗学的見地から読む姿勢は、大学で教わった万葉集の講義をおぼろげに思い出しもして、なつかしく、また目から鱗の気持ちがいたしております。
今年は春から、亀岡、岡崎、花見小路など歩きましたので、「清経入水」や、このご本との浅からぬ縁のようなものを、失礼ながら勝手に感じさせていただいたりしています。
これからも、「湖の本」読ませていただきたく、よろしくお願い申し上げます。
時節柄、お体お大切になさってくださいますよう。   讃岐

* 有り難いことです。
2006 6。・22 57

* 『最上徳内北の時代』の「MIXI」連載は、半ばを過ぎた。もう四十日あまりになる。語り手の私は尾岱沼の牧場の宿で愛らしい「楊子さん」と相宿を経て標津から国後島を眺めている。その視線に押されるようにいましも最上徳内は大石逸平とともに初の国後渡島を敢行している。徳内が大をなしてゆく活躍の実質第一歩。
懐かしい旅であった。

* 『青春短歌大学上巻』の読み直しを目的の連載も、二十日を過ぎた。佳い歌を選んでいるし、解説・鑑賞にも遺憾はない。気の乗った仕事であった。ただの連載ではつまらないので、末尾に新たな「出題」もしているが、解答者は、はなはだ少ない。学生達と違い、センスを試みられるのは好まないのであろう。
2006 6・26 57

* 新刊の「湖の本」の進行が、いまのところ鈍く停滞している。印刷所にわたしの方が追いまくられている。校正が家で出来ないのは実に厳しく、仕事を溜め込んでしまう。宛名を書いて挨拶も書かねばならず、校正して責了にもしなくてはならない。そうこうしているうち、京都での対談も迫ってくる。
2006 6・28 57

* 永い時間電車に乗ると、校正がはかどる。有楽町へ出て、十一時「小洞天」に入り、定食ランチを頼んでおいて、どんどん校正。すごいほど分量の多いランチで、丼に山盛りの白飯は遠慮した。かに玉が小山のように出、これには満足満足。シュウマイも二つ付いていたが一つしか食べず、スープとざーさい。安くはなかったが正味が多く、中ジョッキの生ビールで、昼食は十二分。但し予想以上に昼過ぎには客が行列し、とても長居出来ずに一時間半で退散し、場所を移動。
おしまいは甘党の「つる瀬」で、白玉善哉。両脚が痙攣、痛みつづけていた。
それでも池袋で甘い飴をからませた芋菓子を買って帰る。
2006 6・29 57

* 京都への往復にどの本を持って行こうか思案している。通算の米壽をかぞえる「湖の本」の本文は責了にして行こうと思っている。
三好閏三氏(祇園梅の井主人)との対談は異色のものになろう。
2006 7・3 58

* 郵便局へ走り、いろんな用事を一度に片づけてきた。雷が鳴っている。湖の本、跋をのぞいて責了に。
2006 7・3 58

*『最上徳内』と『青春短歌大学』の「MIXI」連載をつづけている。のこっていた後書きも入念に良く読んで「湖の本」新刊を責了し、これでいつ本が届くやら、困ったことに発送の用意が本の搬入までに間に合いそうにない。発送の仕事も、今度は一冊が二百頁という一入の大冊、その重さからも容易でない。ハラを決めて、ゆっくり時間をかけてやる。
2006 7・6 58

* 映画二作を「聞き」ながら、新刊発送のための作業をよほど進めることが出来た。それでもまだいろいろ遅れている。追いつけるかどうか、はらはら。
明日は休めるけれど、明後日の月曜から木曜まで、四日連続して、委員会二つや歯医者など、休める日がない。
2006 7・8 58

* 『初恋』、読み終えました・・・
本当に凄い作品、只只感動するばかりです。読んでいると、いろいろな想念やら情動やら、もはや虚実がはっきりしない過去の記憶の断片やらイメージやらが、諸々押し寄せてきて、その大きな塊をどう扱えば良いか途方に暮れるような状態です。
読み始めた瞬間、乱暴に持ち上げられた子ネコのようにひょいと掴まれ、無造作に{あの場所}へ放り込まれた感覚でした。
読み終えても、主人公と木地(雪子)さんが居る、あそこから出られません。あまりに現実と地続きで出口を見つけられずにいるのです。そして、まだ帰らずにもう一度たどり直して深く理解したい、と、帰ることを拒む私も居ます。困りました・・・。
物語は、何本もの絹糸が寄り合わさって一本の美しい紐になったような造りで、読んでしまったことで、それ以前の自分には戻れないと思うほどです。
私の人生では、ごくたまに、こんな風に、天から翼を持った鯉が降ってきたような、そんな歴史的な出会いを賜ることがあります。私は特定の宗教を信じていませんが、こういうときは、確かに神様に祝福されているなぁと実感します。湖先生に会わせてもらえたことを、本気で神様に感謝しました。
そういえば、私の一番好きな女神がアメノウズメノ命で、作品中に彼女の名が出てきたこと、愛八さんたちが嗣いできた藝能の消息とともに、深く心に刻まれました。
とりとめがありませんが・・・。それではこれにて・・・。  from 百合

* 原題は『雲居寺跡(うんごじあと)』現在では京都の東山、大きな露座の観音さまのおわす高台寺になっている。名作能『自然居士』の舞台であり、わたしの小説では、平家物語そのものを主人公にした現代小説「風の奏で」でも重要な舞台になっている。『初恋』も『風の奏で』もれっきとした現代小説であるが、梁塵秘抄や平家物語の時代へずぶと半身をさしこんで幻想的であり歴史的であるように創作されている。そしてともに「藝能」を担ってきた人達への愛と理解と痛恨を書いている。
そうそう易しい小説ではないが、読み巧者、達者には愛されてきた。
『風の奏で』ではこんな人もいた、はじめて文藝春秋本を手にしたとき、読みにくいと腹が立ち、壁に投げ付けました、と。それが、アヘンを呑んだようにもう手から放せない、何度も何度も何度も読んでいます、と。
文学とは、優れた力ある読者にこのように迎えられるものでありたい。百合さんに感謝、作が幸せである。
2006 7・9 58

* アイヌ語と江戸時代の言葉とを対訳するように蝦夷地事情を報告している最上徳内の文書が在る。「MIXI」にこれも連載中の長編でそれを読んだ人が、すばやく反応してくれていて、にんまりした。
2006 7・9 58

* 発送用意の作業に追いつこうと頑張っている。もう、明日から三日間しかない。うち一日は、相模大野へ見舞いに行く予定。二十一日に出来本が搬入される。今度は二百頁、作業の重量負担が大きい。本はときに石のように重い。
2006 7・17 58

* 発送の用意を、ひとまず最初段階の分、追いついた。だが、頭を使うむずかしい作業はまだ残っている。
明日は妻が自身のために聖路加病院に行く。わたしは、明後日からの発送のために、もう一段二段を努めねばならない。
2006 7・19 58

* かろうじて明日からの新刊「湖の本」発送の用意がほぼ調った。いつもいつもストレスの多い駆け込みであるが、このようにして満二十年、八十八回もわたしたちは「湖の本」を送り出し続けた。
趣味でも道楽でもない、わたしの、文学史にも例のない孤独だが長寿の出版活動であり、読者と理解者とに支援され期待されながら、一度の停頓もなく続けてきた。出し続けた。次々と期待して頂ける作品の質・量が豊富であればこそ、成り立ってきた。
問題はわたしの気力でなく今は体力である。本は重いとつくづく思う。腰の蝶番はもうボロボロになってきている、ハハハ。
今度送り出すのは小説の第五十巻で、A5版二百頁という大きな増頁、三百円臨時に値上げはしたが、厳しい。しかしこれでわたしは営利を求めては来なかった。維持し続けられれば目的は十分達している。
2006 7・20 58

* 午前、折良く雨のなかやすみに、新刊の「湖の本」創作第五十巻が出来てきた。早速発送作業に入って、夕食前に第一便を送り出した。嵩の高い分、作業量は多い。用意はほぼ万全にしてあり、注意深く運んでいれば作業自体はむしろ単純なのだが。そばで、ジョルジュ・クルーゾー監督、ベラ・クルーゾーとシモーヌ・シニョレが主演の「悪魔のような女」を観ていても仕事は進む。
2006 7・21 58

* もう日付が変わる、それほどまで今日は米寿を迎えた「湖の本」新刊の発送に没頭していた、と、ま、それに違いなくても大層な言いようだ。宮崎駿の「ハウルの城」なる童画を妻が観るというので、そばで付き合いながら作業していた。能率をあげた。
童画は、いつもながら、こんなものかと思った。原作というか構想というか、やわいし甘い。善意のお伽噺ではあり、繪は美しいが、『ゲド戦記』などの本質的な思想性からみると、月とすっぽんのように少女漫画めいて、すぐれた児童文学の原作、たとえば「魔神の海」などと較べても、魂を揺さぶられる刺戟がない。静かに考えさせられる佳い意味の負荷も軽い。
2006 7・21 58

* 御本のお礼
秦様、早速に新しいご本をお送りいただき有難うございます。カミさんから秦先生から本が届いたよ、とメールが入りました。彼女も「湖の本」を時々拾い読みしておりますが、帰るまで開封するなよと威張って言いました。今日は夜まで家に戻れないので、待ち遠しいなあ。お代は月曜日にお送りします。まずは御礼まで。どうぞお大事に、お心やすまりますよう。 ロミオ

* 京都 のばら です。 早速に新しいご本届きました。いつもありがとうございます。創刊満二十年をお迎えになり、通算第八十八巻の出版、心よりお祝い申しあげます。これからも益々ご活躍されますよう応援しています。
今度の小説は遠い時空を行き来して頭がこんがらがる事もなさそうだし、楽しみに読ませていただきます。
ご心痛の絶え間ないご日常、発送などのお疲れがでませんようにお大切にしてください。
やす香さんに皆さんの祈りが届きますよう切に願っています。

* 湖の本届きました。ありがとうございます。
哀しい大きな苦しみの中でも、粛然とお仕事をなさる姿勢に敬服いたします。それと共に尚一層のおじいやんとまみいの苦しみを思います。聡明な夕日子さんもどんなにかお辛いだろうと身を案じています。
お心の傷が体に障らぬはずがありません。くれぐれもお体おいといください。
夕飯の後片付けもそこそこにずーと頁を繰るのももどかしく読みふけっています。それがやす香さんの生を祈ることにもなるように思えて。
ご本が届く前の昼には「細川ガラシャ」の書かれた本を読んでいたのですが、毎日何か祈りに通じるものへ身を置きたい気持ちでいます。
重ね重ねお二人のお体をお大切に。  晴

* 明日は建日子と一緒に、三人で病院へ出掛けてみる。逢えるかどうか、分からないが。
2006 7・22 58

* 私の目・私の手  理
ごぶさたしています。梅雨とばかりによく雨が降っています。内陸の山間で土砂崩れがかなり起きていて、中国山地の険しさを思い知る心地です。
たいへんおつらい日々をすごされているところ、このたびの湖の本、いつにもましてありがたく受け取りました。「逆らひてこそ、父」・・・楽しみに、読みます。
(払い込みですが、平日郵便局に行く時間がないので、前回のように直接お届けするか、また払い込むにしても少し日にちがあくと思います。お待たせしてすみません。)
会社はなかなかたいへんです。楽しくやっているとは言いませんが、日々何かしら失敗し、そこから学び、充実しています。
配属されて、いきなり職場に自分の机とパソコンをもらい、担当の上司と先輩について回っています。来年いっぱいまではこの体制で、’08年1月から独り立ちせよ(担当の部品を全て自分の判断で買いつける)、とのことです。
私は変速機のチームに入り、手動変速機用のギア部品を受け持っています。ギアすなわち歯車です、私の机には歯車のサンプルが置いてあり、さわりすぎて錆だらけになってしまいました。
自動車は大半が鋼でできており、歯車も同様です。(近年、プラスチック、アルミ、マグネシウムなど、素材の多様化が進んでいます。ただ、日本の自動車メーカーは鉄鋼会社への依存度が強いです。それだけ日本の鉄鋼は優秀なのですが、フェアな取引ができているかという問題はあります。)
鋼を刀鍛冶の要領で叩いて(鍛造といいます)円盤状にします。これを加工して歯車にするのですが、鍛造された鋼は組織の密度がつまって硬いため、加工しにくい。
そこに焼きを入れて組織の質を変えてやります。すると強度を保ちつつ組織に柔軟性が生まれ、加工しやすくなります。
加工には刃物が必要です。円盤の中をくりぬき、外周に歯を削りこみ、表面には磨きを入れます。それぞれに異なるカッター、磨きには砥石を使います。歯車ひとつのできるまで、加工用の設備は四、五台用意されます。
加工のすんだあと、もう一度焼きを入れます。はじめの焼入れとは違って、歯車全体をとことん硬くするために行います。その上にマンガンや亜鉛などを吹きつける表面処理をほどこすことで、中身は硬く、表は滑りのよい、立派な歯車になります。
鍛造、加工×5、焼入れ×2、表面処理。それぞれに人件費、設備投資、償却、製造時間によるばらつき、といったコストが発生します。そこに洗浄、検査、梱包、物流が加わります。すべて合わせてこの歯車ひとつ300円です、こいつは高い精度を出しているので500円です、といった見積もりが出ます。
歯車は地元(広島、山口)の下請けに造ってもらっています。下請けは親と一蓮托生ですから、価格交渉というより、一緒に努力して製造コストを下げていこう、といった協働作業がほとんどです。そのぶん下請けは見積もりの細かい明細を出してくれ、工場も隅々までよく見せてくれます。
大手の独立系や、他社系列の有力企業(系列外とも取引があります、それだけ優秀ということです)、また異業種(電子部品、商社など)は、こうはいきません。見積もりをとっても総額しか載っていないし、工場に行っても「見学」しかさせてくれません。こういう相手とはまさしく交渉で、騙されているとわかりつつ、こちらもはったりで対抗するしかない・・・のだそうです。
たまたま私は地元中心の部署に配属されました。教育の一環で近隣の取引先工場を見て回りました。大手メーカーのきれいで自動化された大きな工場を見て、いやあすばらしいと感心はしますが、見学を終えても何をどう造っていたか、よくわからないままです。いいところも悪いところも全て見せてもらって、いわばむきだしの「ものづくり」は、何よりの勉強になります。
少しずつ、自分の目、自分の手で何かつかめている、という実感があります。まだまだ目は方向違いだし、手は先輩の足を引っ張っているのですが。
大学の後輩が、いま四年生ですが、潰瘍性大腸炎という病気にかかり、一年半ほど入退院を繰り返しています。本来であれば就職活動に取り組み、もう進路を決めていておかしくない時期ですが、むしろ悪化し、先日また入院したそうです。今までは抗生物質で抑えていたものを、手術で取り除く・・・大腸を切除し、人工のものに取り替える。それで完治の可能性はある一方、たいへん難しい手術で、失敗の危険性もある、と。手術に賭けるか、完治をあきらめるか、悩んでいるようです。
私はいままで大きな病気にかからず、健康に恵まれています。だから毎日仕事に行き、休みの日は遊びに行ける。つらいこと、いやなこと、苦しいこと、あるにはあります。しかし、それは健康だから降りかかるものであり、健康であれば乗り越えられるものです。健康に生まれたことの幸せ、よろこび・・・。
秦さん、迪子さん。どうか、おからだお大事になさってください。やす香さんの若い、たくましい、強い生を、私も祈ります。

* この若き友は、彼らしい話し方で、懸命にわたしたちを慰め励ましてくれているのだ。なんという生き生きとしたことばと暮らしぶりであることか。頼もしい。嬉しい。

* いつも「湖の本」お送りくださいましてありがとうございます。
最近職場で大きな変化があり、毎日とても疲れてしまってパソコン開けるのもお手紙出すのも難儀で、失礼しておりました。
勤務先は今年度から「指定管理制度」が導入され、「**区地域振興公社」から抜けて「株式会社***メソッド」が、区から直接委託されてホールを運営するようになりました。
しかし、大幅な人員削減(私はかろうじて居残り)と新しいシステムが始まったため、勤務日数が増えて大変なことになりました。(お金は増えないんですけど)企画や事業も提出しなければなりませんし。
先生、人生ってこんなに疲れるのでしょうか。
創作もやりたくてやりたくて、何かたくさんの「やりたいこと」が頭を渦巻くばかりです。
母はなんとか元気にしてくれています。
ただ10歳の飼い犬が、なんと糖尿病になってしまいました! 治療はしてやれないので(ほんとに動物医療は高額です)食事療法で持ちこたえています。彼女(メスのヨークシャーテリアでジャスミンと言います)がわたしの今一番の生きがいです。
先生の「自分の幸せと健康だけを考えて」とのお言葉、胸に染みる日々です。
先生、奥様、どうぞお元気でお過ごし下さい。   弓

* 持ちこたえて下さい。

* 秦先生  ごぶさたしております。  道  神戸
生活と意見は拝見しておりますが、なかなかメールのタイミングが掴めませんでした。
やす香さんが病気で大変な折のご発送ありがとうございます。
晩婚だったので、長男が今大学2年で、やす香さんと同じ年です。息子は先月誕生日を迎えましたが、やす香さんが二十歳の誕生日を迎えられますことをお祈りしております。

* ありがとうございます。

* ご不調と伺っていますが、その後いかがでしょうか。御高著『湖の本』50号をお送りいただき、ありがとうございました。
大変おもしろく、考えさせられながら拝読しましたが、巻末の「未了」には悔しい思いをいたしました。
早く続きが読みたいです。代金は明日振込みいたします。  ペン会員

* 秦 先生  ご本、いただきました。
たいへんななかをお送りくださいましたこと、また、ただならぬ時を、「濯鱗清流」の寿詞を賜りましたこと、どう、申しあげたらよろしいのか。
どうぞ、おたいせつになされますよう。
メロスのごとイチローのごと走りませ**のモーション盗みて
相模大野に病む乙女子に届きますように。   香
2006 7・23 58

* 孫娘のやす香さんのこと、なんとも言えません。
「肉腫」といえども、適切な治療が、早ければ、ほかに転移せず、手術と化学療法で、3人に2人は、再発しないまま、5年経過(5年再発しなければ、治ったというそうですね)する確率が高いということを知りました。
それだけに、悔しい秦さんの思いが、私の胸にも、高波のように、どっと押し寄せて来て、なんとも言えなくなってしまいます。お許し下さい。
「湖の本」(50)安着しました。エッセイも(38)まで揃っていますから、88の米寿達成ですね。次は、とりあえず、白寿が目標。
きのう、受け取り、きょうまでに、一気に読んでしまいました。批評、感想などは、いずれ、直接お会いしたときに述べるとして。
御自身の体も御自愛下さい。   英

* 湖の本 50 私でも理解できそうな感触を得ています。送金も近いうちにさせていただきます。 有難うございました。
さて このところのHPで毎日毎日胸のふさがる衝撃を受けております。どんなに深いご心痛の日日かと。奇跡よ起こって! 心からのお見舞いを申し上げます。
私はこのところすこしさぼりながら、それでも一水会展本展に向けての制作をしています。2点 どちらもパッとしない作品になりそうで私も胸がふさがりそうです。時折気分転換にモデルを描いたり、展覧会をのぞいたり・・・と、このごろのお天気のように、晴れない日日でもあります。 もううんざりでしょうが、そのうちまた絵の添付をさせていただくかもしれません。 郁

* 本(ツヴァイク「メリー・スチュアート」)が、たとい僅かでも苦しみを紛らせてくれたら・・。
怖くてHPをあけられない。やす香さんのこと、祈るばかりです。  鳶
2006 7・25 58

* 「金八先生」作者の小山内美江子さんに、根岸海老屋の藍染め、みごとにみっちり織り染めた卓布を頂戴した。「創刊満二十年、心から敬意を捧げ、また励ましていただいた思いでいっぱいです。すばらしいタイトルですね。米寿のお祝に」と、お手紙も戴く。
院展の長老松尾敏男さんからも、「精力的なお仕事ぶりに感嘆しております、創作の大変さは吾々も同じ立場で良く分かりますが、絶え間のない御努力を重ね次々とご著作をつみ重ねて行かれることに敬服しております」とお手紙を戴く。
元新潮編集長の坂本忠雄さんからは、「岡井隆さんの短歌に題を借りられたことにも含蓄があります。「作品の後に」を先ず拝読致しましたが、(ペンクラブが)政府に金を出してもらうこと、御令息、御令嬢の文運隆盛、「私小説」の重要性等々、共感致したり、色々と啓示を受けたり致しました。「気儘に消光すること」は同世代者として羨ましく、大いに後に続かねばとの想いを強うしました」などと、いつもながら有りがたく。
2006 7・25 58

* hatakさん   湖の本が届きました。
しおりに強く書かれていた「ありがとう」という言葉の大きさ重さを思いました。
HPを通して、私も大きな波を感じています。耐えて堪えて、踏みとどまってと念じつつ、日々の仕事を進めています。
先週は職場がある羊ヶ丘の丘の上から、遠い花火を見ました。少し風の冷たい日でしたが、空気が澄んで、音のない、きれいな花火でした。今週末は、豊平川の川岸から、今年最後の花火を見ます。
平安を祈っています。  maokat
2006 7・25 58

* 「湖の本」が届いて~   樹
読みかけの本が、いつも数冊(電車の中用、就寝前用、ゆっくりした時用、探求分、等々…)適当に手許にあるのですが、「湖の本」は初頁をめくってから、何用もなく「今、一番」で読みあげました。
素直にとりつき、読み進んだこと。
これはどういうことだろう。
真っ直ぐに向かっていった「私のこと」を考えました。
その時、考える私は、
「湖の本」を開く前でなく、読み終え閉じてからの私だ。
何かが、きりっと動いたな。
そのような自覚がハッキリ。
ひとりひとり、人の加減で、その人の折りしも、や、間合いがある。
私は、「秦 恒平(先生)が一心に生きる」事実を知った。
きりっと動かす力を持っているのが、
秦 恒平の文学。
秦 恒平の存在。
だと、思った。

* 「MIXI」により、ありがたい読者に、一人また一人出会っている。感謝。
2006 7・26 58

* 新刊 受け取りました。お送りくださり、ありがとうございました。
今日は、ひさしぶりに、朝から晴れています。
とはいえ、部屋の中は高湿。先日買った除湿機を動かしています。お孫さんのことは、わたしにとりましても深い悲しみです。
どうしてそんなことが起こったのか。風がやっとお逢いになれたお孫さんなのにと、胸を痛めています。
風がお気を確かにお持ちになり、どうか挫けないようにと祈る毎日です。
八月は、月曜午前の英語サークルが夏休みです。たとえ今世間の常識とちがっても、お逢いして、風をちからづけて差し上げたいです。  花
2006 7・26 58

* 秦先生  夏らしい暑い日が続くようになりました。いかがお過ごしですか?
湖の本、ありがとうございました。自分の家庭環境や家族のことを思い出しながら、読みました。時に引き込まれ、時に読むのをためらいながら、自分が社会に出るまで家族と過ごしていた時のことを思い出していました。
私の家族は父母、二人の妹、祖母、祖父の姉と最大七人もいて、にぎやかでした。息子の目から見て、母が一番苦労していたと思います。
父は自分のペースで物事をすすめる方でしたが、息子に対してはしっかりしたところを見せたかったのだと思います。
大学の頃の授業の中で、以下の短歌が出題されたのを良く覚えています。
『父として幼きものは見上げ居り ねがはくは金色の獅子とうつれよ』
この短歌は自分から見た父のようだと、その日の挨拶に書きました。
大学へ上がるまで、父には山に連れて行ってもらったり、数学を教えてもらったりしました。
父は自分にとって負けたくない存在で、、私自身は父の数学とは似ているけど違う道化学を専攻しました。
父にも胸をはれる存在になったつもりではありましたが、父は父で、定年後も新しい道を進んでいるのには驚きです。今では1/3以上家を空け、国内海外を仲間と一緒に飛び回っています。いつまでも元気なのはうれしいですが、自分の退職後も、父のような満足の行く生活ができるかどうか疑問です。そのときには父の姿を思い浮かべながら、何か違う充実した生活ができるように努力したいと思っています。
本を読んでいて、妹二人のことも思い出しました。やはり難しい時期や、不安定な時期があり父は苦労していろいろと手を尽くしていました。息子とはちがう甘やかしぶりに苦言を呈したこともありますが、育て方が両親の中で違っていたのだと今では思っています。
久々に、自分の半生を思い出してしまいました。また次回作品もお送りいただけることを楽しみにしております。
まだまだこれから暑い日々が続きますが、どうかお元気でいらしてください。 山
2006 8・4 59

* 建日子作の「花嫁は、厄年!」観た。建日子の、また岩下志麻と篠原涼子のだから観ている。
わたしには、自作ながら『北の時代最上徳内』の達成感に心を惹かれる。蝦夷地と現代とを把握し得た「方法」と、細部にいたるまで「表現」のこまやかさ、つよさに、あの旅の懐かしさがこみあげる。地味な仕事だと思い思われてきたが、「天明蝦夷地検分」の歴史的な仔細をただ説明的にでなく、北海道や、見も知らぬクナシリ、エトロフ、ウルッブ、の風光や厳しい自然とともに、あたう限り想像力を駆使して書き取れているのが、我ながら面白い。
わたしの、この方法も文体も、オリジナルで、こういう行き方の作をわたしは他に知らない。長編小説『親指のマリア』『冬祭り』『みごもりの湖』『罪はわが前に』そして『北の時代最上徳内』のどれ一つも同じ手口でなく、それぞれの「方法」と「趣向」を貫いた。今、読み返しながら、何ともいえず「徳内さん」がわたしは好きだ。キム・ヤンジァも好きだ。

* 「MIXI」の『死なれて 死なせて』も三十回連載で終わる。
『徳内』も終われば、そして、やす香ももういないし、「MIXI」を撤退してしまうかどうか、迷っている。

* ホームページに掲載されている未定稿の小説『聖家族』を、必要あって、丁寧に読了した。場合によって出版を考える。
2006 8・24 59

* 十余年前に書き下ろしておいた創作『聖家族』が、ホームページの「長中編創作」8欄に掲載してある。著者「奥野秀樹」は「これは『私の遺書』である。作品ではない。」と、まえがきしている。作者であるわたしは、「どんな家庭の食器棚にも髑髏が隠されている。」という(フランスの諺)をまえがきしている。
2006 8・25 59

* 萩の、三輪壽雪の陶藝は魅力に溢れていた。わたしは、日頃、ぐいぐいやりたいときは、壽雪創る豪快で品位高い大盃で酒を呑んでいる。土味にぶあつに白雪が絡んだようで、器胎も凡でない。
萩焼がわたしは好きで、叔母から佳い茶碗を二枚相続している。蹴上の都ホテルで大きな茶会をしたとき、その萩の茶碗を贅沢な替え茶碗につかったのを懐かしく覚えている。床には、小堀宗中の月一字の軸をかけた。

* 久しぶりに、中華料理で、マオタイ、佳い紹興酒を楽しんできた。次の新刊のために用意した原稿を街で読んできた。

* 九月に、三鷹で、音楽=声楽の会のお誘いがあった。八月は、もう一日。不快なことの多い八月であったが、今日は久々に街に出て、ながく畳んでいた羽をひろげてきた。美しいものを見るのは楽しい。気稟の清質最も尊ぶべしと芭蕉は言う。
2006 8・30 59

* 「MIXI」での『最上徳内北の時代』連載を、ほぼ三ヶ月かけて終えた。これには、つらい、寂しい夏をずいぶん励まされ、慰められた。徳内という日本人がわたしは好き。作中で出逢ったキム・ヤンジァも大好き。久しぶりに読み返してみて、誇らしい気がしている。書けてよかった。大多数は、ダメ。少数の優れた読者の前に胸をはって提出できる。 2006 9・3 60

* 今更らしく繰り返すのもナンだが、わたしには、自分の代名詞のような、『秦恒平・湖(うみ)の本』という、創作とエッセイとで、満二十年、八十八巻にもなり、なお継続してゆく「私版の全集」がある。
明治期に島崎藤村が四冊『緑陰叢書』をつくって、有名な『破戒』『春』などを私版で世に問うたことは知られているが、現役の作家が自身の作を、二十年に亘り、九十、百巻にも及ぼうほど自力で国内外に出版し続けている例は、わたし以外に無いと思っている。
趣味的な仕事ではとても、こうは、続かない。作品の質と量とに導かれて、しかも本づくりの技術がなければ出来ない。また制作費を回収できる程度に売れないと、続けられるワケがない。
しかし、この仕事は所詮営利のためには成り立たない。現にわたしは、愛読者に支えられながら、しかも文化各界の知名人や大学の研究室・図書館へ、惜しみなく「湖の本」を寄贈している。買って貰えればむろん助かるけれど、それ以上に、作品を作者から読者へ送り届けることに意味を置いている。それで二十年通してきた。
そういう考え方だから、一度そうして送りだした作品は、例えば「MIXI」であれ、わたしのホームページであれ、無償で公開し続けることに何の物惜しみももっていない。もし商売として売ろうというのなら、作品を出すわけがない。作品は出し惜しみしながら「広告」し「宣伝」して、買って欲しいと頼むだろう、が、「MIXI」でも、わたしは、ひたすら作品を惜しみなく「よく校正して、無償公開」しているのである。あたらしい読者が一人でも二人でも知らぬまに出来ていたら有り難く、たとえそれが期待できなくても、実は「紙の本」からスキャナにかけた誤記の多い原稿を、しっかり校正できる「機会」には成ってくれる。
間違いの少ない本文を創りながら、ついでにみなさんに公開している、それだけのことである。

* 秦恒平というヤツは、「MIXI」で「湖の本」を売って、売りつけて商売しているという「悪声」が、「MIXI」事務局の方へ届いているらしいが、本文を無償公開していてどうして商売になるものか、どうか、そんな魔法があるなら伝授ねがいたい。
すでに「MIXI」に連載した『北の時代最上徳内』は三巻、『日本を読む』は二巻、『死なれて死なせて』も『青春短歌大学』も各一巻なら、今も続けている『漱石「心」の問題』も『秘色』も、みな「湖の本」作品であり、「あとがき」も添えてあるから、プリントされれば、そのまま「本」の内容は、校正済みで完備している。
「MIXI」は、わたし自身のこれまで触れてきた読者世界からは、とびきり異色の不特定多数世界であるだけに、そんな中へ自作を惜しげなく投げ込んでゆくことに、わたしは、それなりのスリルと喜びを感じている。まれに本が欲しいという人には、喜んで差し上げてもいるほど。
もともと「MIXI」では、送り先や宛先は知れない約束のはず。
むしろ、「書きたい」「書きたい」ひとたちに、わたしは、「MIXI」に作品を書けばいいじゃないですかと言いたい。人目にさらしてこそ作品は、創作は、鍛えられるはず。
この作品はどうだこうだと批評されるのは歓迎だが、商売をしている、けしからんと事務局へ言い付けに行くとは、どんな神経をしているのか、なさけないことを言うてくれるものだ。

* 幸いなことに、わたしをとらえて放さない魅力の世界は、幾らでもある。人、事、物。着物、持ち物への執着はほとんどない、ま、食べ物・飲み物は相変わらず好きで、量はいけないが、まだぞんぶん楽しめる。「事」は、求めて拡げないけれども、いろいろある。読書も観劇も、出逢いもある。旅が出来ればどんなにいいかと思うけれど。
2006 9・10 60

* 東郷克美さんが成城大学の先生時代に書かれていた、昭和五十一、二年頃の二つの「批評」文が、ものの整理中にみつかったのでと、送って下さった。ともに学界雑誌への執筆で、その当時に目に触れていたらどんなに嬉しかったろうと思う褒美の言説、いま読んでも頬が火照る。
一つは「日本文学」子午線への執筆で「宿命と方法」と題してあり、書き下ろしの谷崎論である『神と玩具との間』が丁寧に論じられ、秦恒平論にも十分なっていて、こんなふうに知らないうちに知らない場所で人と作品とが語られていたのかと感慨深い。お許しを得てぜひ復刻したいところだが、今は措く。
もう一つは「解釈と鑑賞」の学界寸評で、「文学研究私感」と題しながら、「海」に書いてわたしの谷崎論がひろく認められる或る意味で決定打になった「谷崎の『源氏物語』体験」に、溢美の讃辞を送ってもらっている。
「谷崎愛」の作家と自らも名乗りながら小説と批評とを両翼に、体温熱く書きに書いて翔んでいた時期だ、体熱は衰えていないと想うが、たしかに齢は重ねてきた。
自分も「古稀ちかい」といわれる東郷さんのご厚意に、心より御礼申し上げる。お手紙には、湖の本近刊にも身にしみるひと言が添えられていた。
2006 9・12 60

* ただいま。
急遽故郷北陸に見舞った母は、一晩入院ののち胃カメラ検査をいたしまして、悪い情報は見当たらないといわれ、雀がつきそって帰宅いたしました。食欲はないものの、気持ちが前向きになり、雀が父を看ているからと言うのに安堵して、趣味の集まりに出掛け、発散して、気持ちに始末をつけたようです。
それにひきかえ、雀はダメですね、「鬱」を引き込み、定例の体調低下も重なって、にげるように今朝一番早い特急に乗って名張への帰路につきました。
冷たい雨が降りしきる日。永原駅で降り、菅浦の須賀神社(旧・保良神社)に古例に従い素足でお参りしてまいりました。北陸を「からりと焼いたような」湖北の寂しさは、今日のような秋雨になお増して、それは比良を越えるまで景色のなかにシンとあって、忘れられない風景が、道を曲がるたび目と胸の奥を射ました。
夏の旅で得たあれこれを囀りたいのに、思いばかりでちっともうまく言葉につながりませんの。
時雨て、木の葉も色づくような肌寒さです。どうかお大切に。  囀雀

* 雀さんにも鳶さんにも、湖北へいざなわれゆく想いの芯になって、『みごもりの湖』の寂しみが抱き込まれているのだろう。作者以上に読者の胸の奥で小説が生き続けてくれている。
それほどの湖北を、わたしは、実は知らないのである。なんという無責任な作者だろう。だが、ながく湖北に新聞記者として勤めてきた人が、あの小説の湖北ほど、湖北の静かさ寂しさ美しさの魅力を表現しえている例をしりませんと、発表当時に太鼓判をおしてくれた。あれは嬉しかった。わたしも湖北へ、一度行ってみたい。
2006 9・13 60

* 藝術至上主義文藝という学会誌に、「わが『島』の思想と文学」を書いた初校を終えた。一度はきちんと書いておきたいと願っていたので、ありがたい機会になった。根源の文学論のひとつになったと思っている。
「MIXI」では、湖の本エッセイ17『漱石「心」の問題』全編を連載完了した。あとがきを加える。この本は、まさしく上の、「島」の思想の母体になる、いや母体は漱石作『心』そのものであり、湖の本のこの一冊は『心』につつまれた胎動そのもの。
2006 9・15 60

* もう日付は変わっているのだが。
思えばやす香が自分は白血病と「MIXI」に公表した日から、きっかり二ヶ月経った。二十年経ったような、昨日のような気もする。

* この不快だった一日に、なぜかそれでも一掬の、しかもちからづよく澄んだものが胸に残っているのは何だろうと、さっきから思っていた。
それは「MIXI」に今日連載を終えた小説『三輪山』への想いであった。昭和四十九年の末に平凡社の看板雑誌「太陽」に書いた。妻は好きな作の一つだといい、読み直してくれている。わたしは久しぶりに読み返したが、何度もこみあげるものがあった。『秘色』もそうだったが『三輪山』もそうだ、わたしは「生みの母」のことをずうっと想っていた。顔もろくに知らない、口もほとんど利いた覚えがない。秦の家にその人が姿を見せるとわたしは二階から屋根づたいに逃げだした。あんな振舞いをわたしは今も自身にとがめはしないが、悲しくなる。
この小説は、「織物」を特集した雑誌の「特集小説」として依頼されたので、どうしても織物に的をしぼる約束があった。どうしようかなあと思案しながら、ある夕暮れ、保谷野を妻と散歩に出た。そして自然にものの熟するあんばいにラストを創った。唄も創った。一個所だけ、わたしは「おかあさん」と書いている。その言葉は、わたしの堅い禁句であったのに。あの小説は書きながら何度も泣いた。
今日も建日子の「花嫁は厄年!」最終回を観ながら、ふっと『三輪山』の感じに重なってくるものを感じていた。篠原涼子がさいごまで気を抜かずによく付き合ってくれたし、誰よりもさすが岩下志麻はリッパに我をとおして美しかった。俳優のみんなが、ま、あの娯楽作にしんみりと朗らかによく付き合ってくれたなあと、建日子の喜びが伝わってくる。ものを創るという嬉しさを建日子は覚えてきた。わたしは造る醍醐味を懐かしみながら、ひそかに構想している。

* これだけを書いて寝ようと想っていた。疲れた、とても。
2006 9・21 60

* 秦 恒平さま ご挨拶申し上げます。   マルデン
初めまして。私はハンドルネームをマルデン、本名は***と申します。
つい最近、友人に誘われてこのmixiに入り、そこで始めて書いた日記に、秦さんのホームページを友達たちに薦めるつもりで、リンクさせて頂いておりました。この件、遅くなりましたが、勝手な事で失礼いたしました。
さて昨日、“三輪山”で日記を検索していましたら、秦さんをmixiで発見し驚いていたのも束の間、今日、日記を少し詳しく拝見していたら、ホームページが閉鎖されてしまった旨を知り、衝撃でした。
自分は文学の熱心な読者という訳ではありませんが、あのページには真摯なご姿勢と熱意を感じておりました。
たまたま興味を持った大神神社の三輪山について調べていた際、『神奈備大神三輪明神』三輪山文化研究会編(東方出版)という本で、小説『三輪山』が紹介されており、ネットで検索し、行き着いたのです。
誠に残念な状況ですが、また復活される事を願っております。書かれておられる日記なども、まだ読み切れておりませんので、詳しい事情など何も分からないまま、取り急ぎ、応援のエールをお送りしたく、メッセージさせて頂きました。
突然に、大変失礼いたしました。お身体にお気をつけてお過ごし下さい。
追伸 私の日記で、mixiでの小説『三輪山』へリンクさせて頂きたいと思っていますが、よろしいでしょうか?もし問題ございましたらお知らせ下さい。万一掲載後でも、その旨お伝え頂けましたら、直ぐに削除いたします。よろしくお願い申し上げます。

* 有りがたいこと。こういう読者たちに助けられている。
自分の過去の仕事のおおかたを、私は、もう半ばは「パブリック・ドメイン=公共財」に準じて考えているので、ことに「MIXI」に公開した過去作品のすでに「湖の本」に入っているモノは、ご自由に読んで下されば好い。リンクもご自由に。
但しまだ著作権はあり、勝手に商品化するのはお断りする。まだ売れているので。
2006 9・25 60

* 『太平記』の音読に快く惹かれている。いまは巻第三、東国勢がいよいよ赤坂城の楠木正成に当面する。子供の頃にどんなにか惹き入れられたか。少し思い上がって言うのであったけれど、二十年前にわたしが「秦恒平・湖の本」を旗揚げしたときから、この「出版への叛旗・謀叛」と叩かれた実践を、「わが赤坂城」と自覚し名付けてその旗を今も降ろしていない。二十年、八十八巻まで来てまだ落城していない。まだ千早城は健在に温存されているのだから、我ながら健闘してきた。六波羅の両探題と目していた東版・日版の今がどんなであるかわたしは知らないけれども、わたしは、湖の本の実に山中の小城にもおよばないささやかな闘いを通して、単に事業としてでなく、一人の男として自由自在に生きられる喜びも得てきたと思う。
2006 10・9 61

☆ 『廬山』拝読いたしました。   格調高い文章と、思わず引き込まれる流れに一気に最後まで読み進みました。と言いましても、朝の十時から夜の二時まで働いていますので、確かに一か所で中断したのですが。
今日が祭日とも知らず、会社に出るつもりがいきなり午前に空白が出来、後半の四分の三ほどを一気に読み進みました。
感想を申し上げるのは当然のことでしょうが、なにぶん教養も表現力も不足する身の上、賞賛することさえが失礼になる可能性も高く、内容に立ち入らない無礼をお許し下さい。
ただ、一つ。最後の恵遠の言葉、一読したときには正直に申し上げまして唖然としたのでしたが、再読しまして、「これしかない」のだと漸く理解しました。
そもそも私如きの感想など取るになりないものですね。失礼になるという考えこそが失礼だったのかも知れません。  通

* とんでもない。有り難う存じます。

* 触れておいでの、「恵遠」が祖父につげる最後の一語を、いま本をひらいて読み返してみた。瞬時に目の前も泪ににじんだ。宗教や信仰に関して、この三十年で私はずいぶん遠くまで歩いてきてしまったけれど、この一語、いままさにわたしの思いだ。
雑誌「新潮」編集部でついに通らなかった、雑誌「展望」では一決で通った、そして芥川賞の選考では近代日本の私小説の大きな存在、瀧井孝作・永井龍男両先生が推して下さった。すべて不思議なようで不思議ではなかった。のちに偉大な「恵遠(えおん)法師」となるちいさな「劉=四郎」の旅を、わたしは、全身で追いかけた。
『撰集抄』という本に出逢っていたわたしの幸運にも頭を垂れたい。
2006 11。3 62

* 字を書く根気なく、湖の本の発送用意に一日取りくんでいた。バグワンと太平記を読んで、床につくことに。『太平記』は呉王越王の闘いを語っている。児島高徳が隠岐へ流される後醍醐天皇行在所の庭の桜樹に、有名な詩を書いた話の、いわゆる「付(つけたり)」だが、短編小説ほど長い。太平記はこういう「付」に面白いお話が多く、社会教育の効果をあげていたと想われる。
いまは「世界の歴史」も近代へ歩をすすめつつあり、面白い。芹沢さんの『人間の運命』もじりじりと読み進めている。もう機械から本の方へ移動しよう。
2006 11・11 62

* なにが今嬉しいだろう。
転送も出来ない「MIXI」のために小説『初恋』を校正しているのが嬉しい。宮川寅雄先生が、いの一番に褒めて下さった。まだ受賞していないころ、わたしがこつこつと書いていたのが平家物語に関心をよせた幻想的な「雲居寺跡」だったが、仕上がらなかった。『清経入水』へ変貌していった。それでも後に、弥生書房が雑誌「あるとき」を出したとき、顧問の河上徹太郎先生の推薦があったらしく巻頭に小説を書いて欲しいと社長が家まで見えた。まず『マウドガリヤーヤナの旅』を書き、ついで『雲居寺跡』を上下二回書き、これが後に改題『初恋』となった。高山辰雄の繪を表紙にもらった。この繪も好評だった。
この作品は、その前後に筑摩から出した『日本史との出会い』と思想的に一対の観があり、ターニングポイントを成したと説く人もある。わたしにもその自覚があった。
マキリップを二ヶ国語で併読してやろうと思い立ったことも、けっこうわたしを嬉しがらせている。ものごとが邪魔くさくてしようがなければ、こんな事は思い立たない。
しかし、ものごとが邪魔くさくてしようがないかというと、かなり邪魔くさいことがある。いやになることがある。気の乗らないことが有りすぎるほど有る。そういうことは、なるべく放り出しておくのである。したくないのに、ムリにする必要がどこにあろう。
政府に腹の立つことなども、ありすぎて困るではないか。教育基本法が強引に委員会可決されたし、本会議も単独採決する気だろう。公聴会では「やらせ質問」に金をはらっていた。政治家や役人の教育からやり直すべきで、彼らに教育基本を云々出来るどんな資格があるだろう。いずれラチもない心、心、心とだらしなく羅列して、ものごとを空疎に乱脈に飾り立て、責任の取りようも、ゆめ知るまい。子供達は死んで行く。殺されて行く。親の不出来が子に祟っている時代である。
なにが嬉しいか。かなりに反語的である。しかしなにが頭に来るかなどと数え上げるバカらしさ。嬉しいことをさがしたい。求めたい。
2006 11・15 62

* 校正をもって街へ出た。食べて飲んで読んで、やすんで。上野には日展があり仏像展があり、銀座では江里夫妻の仏像荘厳展が。命の洗濯も。しかし校正の中で難儀なことも見つけてしまった。建頁が狂ってきそう。オイオイオイ…。
2006 11・16 62

* 湖の本エッセイの発送用意に、とにかくもじりじりと取り組んでいる。風邪をひいたのではないか。髪にふれると痛みがある。土曜日曜を大事に寝てすごそう。月曜には「ペン電子文藝館」の委員会がある。機械の前へ来てもインターネッが使えないのだからと、今日は主に階下でこつこつと手作業を。
栗原小巻も小巻ながら、美保純の感じのすこぶる佳い「寅さん」映画を観た。中越大地震で潰滅した「小千谷棚田の修復五百日」の努力をルポした映像にも、感動した。
その一方、国も行政も地方自治もむちゃくちゃ。公の傲慢と勝手放題は目に余る。「公」は徹して「私」に奉仕してこその「公」に過ぎないことを、「私」たちは心肝にしみわたるほど、自身の強い思想にしなければならぬ。
何故それが出来ないか。何故それが出来ないか。
2006 11・17 62

* 用事で出掛けなくていい日々は、くつろぐ。来週は月曜と土曜とに、再来週は月曜と水曜とに用事がある。十二月にはいると本の発送になる。こんどは、いつもよりよほど疲労するだろう、作業日数も倍かかりそう。今年のきついしめくくりの仕事になる。
2006 11・18 62

* 小説『初恋』をスキャン原稿から校正し終えた。ながらく、読み直したい読み直したいと願っていた、が、果たすヒマがなかった。「よく書いておいた」と思い、読み返して満たされた。誰にも書ける作と思わない。
2006 11・21 62

* 英國屋の仮縫に行く約束。気乗りしないが。
本の発送のために急いでしなくてならぬこと、に、今回は手が出ない。しなくてはならぬ、そんなことは、しかし本当にしたいことではない。ただ、放っておくと煩いが重荷になる一方。どうせ運んでしまうしかないのだから。今週中に手を付けたい。
2006 11・22 62

* いま実感しているのは、厖大な量のホームページが重い=遅いで支障のあること。何が何でもADSLルーターを、送られてきている新しいのに取り替えよということか、いっぱしストレスであるが、それ以上に新しい本の発送用意が滞っていて、腹がちくちく痛む。この方がストレス信号である。
2006 12・1 63

* なんとも気が沈滞している、わたし自身は体力問題なく思われるが、妻が、風邪か胃腸か、元気がない。我が家は夫婦二人と黒いマゴの暮らしだから、ひとりでも調子が落ちると沈滞する。あさってには新しい本が届くのに、発送用意が滞っている。今日明日にそこそこ行き届いていないと混乱してしまう。気の晴れることがない。
七日の俳優座稽古場が「野火」そして二度目の仮縫い。十日の国立劇場は幸四郎の大石内蔵助で真山忠臣蔵。吉右衛門の十月、藤十郎の十一月も見逃した。師走の討ち入りで今年の厄を落としたいが。
2006 12・3 63

* この「私語」が更新できるかどうかも実は分からない。更新できるなら、親機は切り捨ててこの子機へ重点を移すしかない。だがこの子機にもなにかしら不安定な不確かさがある。
親機に入っていてプリントアウトしていない沢山な住所録やメルアドが全部取り出せないまま消え失せそうである。いまのところ暗記している人にだけメールを書けるが、発信は出来そうにない。何と簡単にこわれてしまう人間関係だろう。メールを交換しているだけの交際は、手紙に切り替えるアドレスももたないのだ。幻影のようだ。
他にも困惑していることはたくさんあるが、繰り言を言っても仕方がない。コンピュータ生活を打ち切るいわば好機到来ということか。親機の機嫌をうかがいながら子機へ移動できるものはしておきたいが、その気力も萎えている。
このまま明日からきつい肉体労働で苛酷に本を送り出す。

* もし幸いこの私語が正常に更新できれば、片道ながら、意思疏通は、この日々の「私語」を通してしか無理な現状。
2006 12・4 63

* 新刊本が出来てきて、午後一番から九時半まで発送の作業。妻もわたしもすっかり疲労して、今日の仕事を打ち切った。
2006 12・5 63

* 妻の体調よろしからず、近くの病院へ運んだところ、医師は点滴をほどこし、明日にもくわしい検査をしたいという。点滴で体調をとりもどしたようだが、精査に越したことはない。聖路加とも相談し、明日の検査は地元病院でひとまずうけることにした。心から心から無事を願う。
本の発送は山場へ来て、今回は妻を多く煩わせることも出来ず、それでも兎に角進んでいる。
2006 12・6 63

* 地元病院での妻の胃カメラ検査が済んだ。歳末にもう一度聖路加病院で念を入れる予定。点滴と投薬とで、妻に食欲も出て来た。★★★・夕日子夫婦の、理由も権利もない見当違いな「あやまれ」「金を払え」などの申し立てには、わたしも呆れ果てるが、心優しい妻に心労の募るのもムリはない。俳優座稽古場の「野火」招待を遠慮し、英国屋の仮縫いも延期してもらい、今日は妻は休息し、わたしは本発送の大部分を終えた。まだ出来ていない「趣旨送本」や「寄贈」追加の気を遣う「人」選びをしなくてはならない、甚だ気が重く、しかし本の維持のためにはぜひしなくてはならない。

* もう各地から、本が届きましたと、読者の有り難い声が届いている。
2006 12・7 63

☆ ご本届きました振込み済ませました。今回はいつもの二倍くらいの厚みでしたね。さぞ費用がかかったことと想います。
散歩中、動物に出会います。
わたしをじーっと見る犬。
浅い用水路に足を浸す鷺。
流れの速い用水路に、並んでツツツと浮かび流れる二羽の鴨。おもしろかったです。
今夜遅い新幹線で夫の実家へ行きます。日曜に戻ります。
今日はとても寒いですね。あたたまりたい。
風邪ひかないでくださいね、風。  花
2006 12・8 63

* 冷えて、雨すこし。膝下が寒い。上半身に着重ねるのは容易いが、つい下半身の保温がおろそかになる。

* 発送作業は一段落のまま途切れているが、少しずつ、まだ相当数送り続ける。

☆ 想像していた以上の分厚い持ち重りするご本に、覚悟を感じました。量だけでなく、重たい重たい中味のご本であることに、粛然と襟を正す思いです。
このつらく悲しい酷い文学世界を歩んで行く気力があるでしょうか。でも、読まなければなりませんね。
さらにさらに名作を書き続けてください。長生きしてください。
それにしましても、いつもの倍以上の重たいご本の発送、どんなにお身体の負担でいらっしゃいますか。どうぞご無理なさいませんように。 冬

☆ 私は穏やかな師走を迎えています。
「私語」で窺うご様子から、奥様の体調も含め気にかかっていました。
そのようなお忙しい中、「湖の本」をお送り頂きありがとうございました。昨夜遅く、マドレデウスのコンサートから帰宅したら届いていました。
久しぶりのテレーザの歌声は、冷たく頬をうつ海風。清涼剤のようにすっとして、その後は温かさに満たされました。
新しいCD「美しきわが故郷」「無限の愛」を全て歌ってくれました。前半はオフホワイトのドレスでしっとりと想いを歌いあげ、後半は真紅のドレスでリスボンの街中、港や海を一緒に旅させてくれました。そして、テレーザの歌声や
ギターの音色をリスボンにいるかのようにみせてくれる照明の素晴らしいこと。ほとんど何もセットがない舞台で、唯一石を削ったように見える壁が一つ。
照明は、これをリスボンの石畳の街並へ、古城の中へ、小さな酒場へ そして陽光や夜の闇へと知らぬ間に変えていきました。華美でもなく、寂しげでもなく、美しかった…。海の匂い……。
テレーザは英語がとても上手になっている上に、「ありがとうございました」と澄んだ日本語で何度も繰り返しました。言葉の美しさは、発音などではなく、きちんと伝えたい気持ちをのせて話せるかだと、しみじみ感じながら拍手を贈りました。
寒さ厳しい折、冷たく凍った人の心はこちらの心も冷やします。今はただ大切に、凍傷せぬようご自分をお守りください。
本に下さった「お幸せに」を、大事に戴きました。幸せは種。日々育てるものでしょう。毎日、丁寧に、ささやかに出来ることをして育てます。
それを下さった湖にも、そうであってほしいと願いつつ。 珠

☆ 12・9 泣きながら読みました。・・時が、さらに経過した時、作者は、また新たなものを紡ぎ出していかれるだろうと思います。
先のメールで「鳶は外に外に向かっている・・」と書かれていますが、果たしてそうでしょうか。外見にはそのように見えましょうか? 鴉は内に、と対照的に、反対方向に向かっているように考えたことは、ついぞありません。ただ体が動けるうちに大いに動き回り旅行したいという、同世代の人たちとさして変わらず、ただその癖が少し激しいということにしてくださいませ。
十牛図のことがふと頭をよぎりました。外を飛び歩く鳶はさしずめ彷徨い尋ねる第一の「尋牛」図から、せいぜいどんなに頑張っても第三の「見牛」あたりまで、それが鳶わたしの限界ではないかしらん。
十二月の静かで寂しい雨が降っています。  鳶
2006 12・9 63

☆ 秦先生  10日ほど前に「美術京都」、大層たくさん拝受いたしました。すぐにお礼を申し上げようと思いつつ、私が体調を崩し順に子ども達にうつしてしまい、その間に幼稚園や身の回りのお約束も多く、などとドタバタしているうちに先生の方からのメールを頂いてしまい、本当に申し訳ありません。
先生の「冷えますね、お大事に」のお言葉が身に沁みる師走です。
データを図示しながらでないと中々伝わらない内容を、縦書きの雑誌の中で、どの程度表現できたのかは不安ですが、先生がお書き下さった編集後記に「沈糊という言い方」を掬い上げて下さっていたのを拝見し、多少なりともこちらの世界の方のご興味にひっかかるような部分があったのであればうれしく、安堵しております。
偶然にも雑誌を頂いた同じ日に、この原稿を書く直前に投稿していた古糊の英語論文がアクセプトされた連絡がありました。査読期間が長いので有名な雑誌でしたので随分とかかりました。英語圏の方達からこの内容はぜひ投稿しておくよう、と言われて苦手な英語で遅々として進まない中を書き進めていたものですが、これでようやく肩の荷がおりました。
この一連の研究に携わる中で、自分の能力というものを社会の中の一つの歯車として機能させていく方途を教えて頂いたように思っています。歯車としてこの人間が多少は役立つだろうと思って下さる方がいらっしゃるからこそ、実にたくさんの方達の協力をたまわりましたし(原稿最後の謝辞の長さは尋常ではないのをご覧頂いていると思います)、だからこそ得られたデータは私個人のものでなく、できる限りたくさんの方が活用できるようにしておかなければならない。
人は皆、誰もが小さな歯車になれるものですね。仕事はお休みを頂いて娘のお友達のママさん達とよくつきあうに連れ、その思いを深くしています。誰もが小さな特技を持っていらっしゃるのです。娘のソルフェージュの時間に、声楽を学んでいらしたママがアリアを歌って下さったこともありますし(なんて贅沢なレッスン!)、お正月のお飾りの作り方を教えて下さったママは中学の頃から描かれた絵を何百万かで売ってらしたとか。自分で作ったアロマテラピーの石鹸を見せて下さったママは実は理系出身で機械直しが上手でした。
一人二人でなく、本当にみなさんがそれぞれ何かしら小さな世界を持ってらして、私は頭を低くして「自分の専門しか能がないなぁ」と謙虚な気持ちにならざるを得ません。私の場合、研究職の性分で、初めての冬を越す子どものために編み物を始めたりすると、ついついそれにかかりきりで集中してしまい、他のことがお留守になってしまうもので。手芸その他、できなくはないけど、主婦としては失格ですね。
後先になりましたが、「湖の本」お送りいただきましてありがとうございました。封を開け、中を開いて息をのみました。先生のお覚悟を感じます。
寒さが一日ごとにつのってきております。
温かいものが恋しくなる季節です。体調が良くなってきたので料理に少し手をかけようかと甘鯛を買いました。かぶら蒸しにするつもりです。師走になったので春に仕込んだ味噌の封も開けたのですが、これもおいしく。
先生も佳いものを体に優しくお召し上がりになって、くれぐれもおからだをおいたわり下さい。  典
2006 12・10 63

☆ しばらく湖の本が届かないので心配していました、昨日、冷たい雨中宝ガ池のホテルから帰ったら届いてました、無事であったなと安心しました。今日、数頁開いて辛いこと知りました、思わず大谷本廟の方を向いて合掌しました。来年は良い年で有ります様、念じて居ります。  清

☆ バグワンの言葉が目にはいりますと深く懐かしく読んでおります。『湖の本』のページは王朝文学と古事記と歌舞伎、能、映画、姫の紀行文、スペインの風その他その他でありますが、時々じっくり読んでおります。自分の『殻』がなかなか抜けられません。
二上山、畝傍山、天香具山、耳成山を先日登り散策して来ました。怨霊が多くおりました、まほろばは。
日々寒さがつのりますが勢いでお過ごし下さい。   川崎 E-OLD
2006 12・10 63

* ゆめさんに富山の「鱒鮨」と「黒づくり」を戴いた。鮨の、魚も美味いが純白の鮨飯が美味も美味。それよりまた数段美味い珍味が、富山の「黒づくり」つまりイカ墨での塩辛。美味い。甘みすらあって、文字どおりの絶品。沖野さんから秘中の秘酒と名高い清酒も戴いたし、石川の吟醸元からの、粋の粋の清酒萬歳樂も戴いた。ほんとうは、まだまだ、とてもとても「これからが大変」なハラを括らねばならない来年を迎えるのであるから、引き締まってゆかねばならないけれども、今年も余す二十日というもの、ゆったり超然と遊んで暮らしたい。
「湖の本」新刊に、各地の読者からぞくぞく激励の声や応援が届いている。今度の本は、いわば「世間の常識」をはみ出たものをもっている。もしも事前に世間に対し相談をもちかけていたら、百が九十九まで自重をすすめられたに違いない。分かっていた。
わたしは、だから弧り決意し覚悟して用意し、決然出版した。出版するなら「今」でなければならない。来年では、まして二年三年五年十年後では「ダメ」なのである。「覚悟」とはそういうものだ

☆ 湖様  ずっしりと重い湖の本 確かに受け取りました。モゥンーニング ワークですね。
あの 息づまる日々が ご一緒に無事を祈った日々が よみがえります。
安らかに・・・・。
娘に死なれてから 10年以上もとらわれていた母  波 より

☆ ずっしりと重いご本、それにもまして重い重い内容…
ただただ気を揉むだけしかできませんが、発送のお疲れなどでませんように。奥様の体調も良くなられますようお祈りしています。 のばら

☆  色々心配しています。三日にお出ししたメールは届いたでしょうか。
奥様のご体調はいかがですか。
本日、本をいただきました。ありがとうございました。想像していた以上の分厚い持ち重りするご本に、覚悟を感じました。量だけでなく、重たい重たい中味のご本であることに、粛然と襟を正す思いです。
このつらく悲しい酷い文学世界を歩んで行く気力があるでしょうか。でも、読まなければなりませんね。作者の味わっている地獄をご一緒に分かち合う覚悟でいます。どうか、この本を読む多くの読者の祈りが、支えと慰めの力となりますように。 真冬

* こんな声がいちはやく届いていてわたしは披露をためらった。だが、こんな返辞を書いていた。

* 何としてもきちんと本にしておくべきだと思いました。わたくしの没後にも、この本が、何か言い尽くしがたいものを証言してくれるかと。
茫然と放っておけば、わたくしの精神が腐ると感じました。人に相談すれば出すなと大抵が止めたかもしれない。今が今ならそういう「常識」に「理」を感じる人がきっと数多いに違いない。しかし、わたくしの理には「情意の裏打ち」があり、今、本にしておかねばならぬという気力で敢行しました。これが「わたくしの私」、これが「もの書き」であるわたくしの「名」において表す、「わたくしの情理」です。「文学」の問題だと思っている。
「湖の本」をもっていて「よかった」とつくづく思う。
2006 12・11 63

* いま、「その話」にふれて講演などは、やはり勘弁して欲しいと思う。「かくのごとき、死」については、つねに全身で感じているが。mourning work としても。
『死の巻』の編集をされた学習院大の中村教授からもお手紙を戴いた。ドナルド・キーンさん、大久保房男さん、川本三郎さん、小山内美江子さん、島尾伸三さん、鈴木栄さん、天野敬子さん、馬場俊明さん、木山蕃さん、榊弘子さんら、早くもぞくぞくとお手紙が来ている。

☆ かくのごとき、死 拝読いたしました。驚くべきことの連続に、ことばを失いました。こんなことがあるのか、あっていいのか。人の世の無常という言葉さえ、空しくなります。なんと申し上げていいのかわからず、ただ心がふるえています。そして秦さんの「書く勇気」に頭が下がります。

☆ 『かくのごとき、死』重く、切なく、心打たれながら拝読しました。秦さんの無念苦衷、心に沁みます。そしてこのような情報空間に生きていることを強く意識させられもしました。
ご自愛を念じつつ。

☆ いつもありがとうございます。インターネットの出現は、何かを大きく変化させましたね。ネットには夢中になれませんが、風通しが良くなったような気がしています。

☆ 大冊 拝掌いたしました。
最初に頂戴したお便りに押捺された「念々死去」の印、死を考えるときに思い出します。
電子文具の新しい試みなど畏敬いたしております、と共に、この夏秋は苦渋・煩忙の御事とか、ただただ御健筆を祈念申しあげます。どうかよいお年をお迎え下さい。
2006 12・12 63

* 当たる亥歳。例年歌舞伎座で買う干支の、「亥」を玄関に置いた。「戌」ももうしばらく置いておく。

* メールもたくさん届いている。通信欄にも書き込みがたくさんある。

☆ 四国の**です。驚くべき大冊拝受いたしました。
妻が郵便ですよと手渡したとき、片手で受けとって思わぬ重量に一瞬、気持の方が揺らめきました。内容を確認するにつれて、その重さが単なる物理的なものではないと判明し、肉体感覚に直結する精神宇宙のなせるわざの不可思議に、想いをめぐらせています。暑く長く苦しかった、この夏の宿命的ともいえる「悲哀の仕事」を紙の形で再確認し、同年生まれとして「闇に言い置く」べきくさぐさを自己に問い直しています。
日本現代文学のなかでも特異な位置を占めるはずのこの仕事(仕事、プロ等のコトバは嫌いですが)が、未完の現在進行形であることの意味を、深く噛み締めて拝読しています。ありがとうございました。
以下は、話題が変わります。
11月2日に隣町である善通寺市の「四国学院大学」の新図書館の、一般へのお披露目があり参加しました。すでに一ヶ月前に開館していたのですが、市民をはじめ関係者への披露(全館案内や図書館職員による懐かしいリードオルガン三台の演奏会、簡単な立食パーティと充実した内容でした)が、少し遅れて開かれたものです。
一番驚いたのは一階フロアーのIT受付席を通り過ぎた場所に、天井まで吹き抜けの大書架コーナーがあり、漢籍の大著「四庫全書」1600冊がぎっしりと並んでいたことです。学内でも今のところ利用者は、たった1名とのことでした。
この大学は敗戦直後に設立されたアメリカ資本のミッション系の大学(前身は「四国キリスト教大学」)ですが、今では一般大学になっています。私が新制中学卒で社会人となり、仕事のかたわら同大学図書館に入り浸っていたのは、はるか50年も昔のことで、新設の図書館は三代目となります。
不思議なご縁で、その後、妻が「子ども読書運動」で同図書館の司書の方と知り合い、今回の出席となりました。 成

☆ 重たい本、行き帰りの通勤時に鞄に入れて持ち歩いています。少しづつ、読み進んでいます。
色々と嫌な事が多々ある世の中ですが、正面から向き合っていかないとと、心してあたっています。
最近、仕事柄、表に出る機会が多くなっています。まだまだ未熟者の私は、「市の担当課長の***です」と言う事に躊躇します。特に、市の考え方に反対派の多い時は。同様に、「地元市に住んでいる***」としても「まちづくり」に積極的に参加しなければいけないのではないか、と思い、少しづつそういった会合にも出始めました。でも、やはり自分の住所氏名等を公表しつつ自分の意見を発言する事に躊躇します。
まだまだ、ですね。頑張って精進しなければ、と思います。
話は変わりますが、先日の日曜日、我が家もあまりの天気の良さに誘われて銀座まで車をひとっ走りさせました。築地で美味しいお寿司を食べ、三越で仲人の先生宅に年末のご挨拶に伺う際の買いものをして、木村屋でパンを買って帰ってきただけですが。
木村屋で妻が買いものをしている間、2階への階段を少しあがったところから店内を眺めて、「あぁ、そういえば秦
先生もよく木村屋に来られているよなぁ。まさか今日は来て無いよなぁ」なんて思ったところです。ちょっとのところでニアミスしていたみたいですね。
とりとめもありませんが、湖の本の受領ご挨拶まで。  丸

* 全国有数の大都会で「課長」職というのは、激の激職だろう。いい奥さんと可愛い子が二人。頼もしい。
2006 12・12 63

☆ いつもとちがふ大きさ重たさにはつと胸に来るものがありました。
やはり、お書きになつた――。世にこんなモォンニング・ワークをなさつた、否、なさらねばならなかつたおひとが、またとありませうか。  香

☆ ホームページの新しいURLも見つけることができ、「私語の刻」も拝見しております。
私がホームページを開設したのが、神戸の震災の翌年ですから、もう10年はインターネットと付き合っています。しかしながら秦先生が巻末の「私語の刻」で述べられているように、このインターネット環境は不潔極まるドツボと化しています。今後ますますこの状態は世間も含めて続いていくことでしょう。
先生の今回の著作は、ネット社会と関っている私にとっても貴重な事例として学び取りたいと思います。 芝
2006 12・12 63

☆ ご本と前後して届いた季刊誌で八木重吉という詩人の詩をよみました。

こころよ/では いっておいで/しかし/また もどつておいでね

もどってこられるか、もどってきたときうけいれてもらえるか、やわらかに変形してスムースにもどることができるか、そういったもろもろをなにも考えず、ほぅって「いってきます」というのが雀です。
何百年を経てまた、まつろはぬ人、漂泊の民がうまれています。古代をひきずる奇形の存在かのように人に思われ、コンピュータには幽霊かバグのように扱われて。インターネット社会やコンピュータネットワークに参加しない人は生者ではない亡霊の存在になってゆきます。念じる力が出せないとき雀は窓の外で囀ることも肩に止まることもできず、くちばしとつめでうちへうちへかいてゆきます。 囀雀

* この雀の「自意識」は、月日を追い歳月を追い、社会現象化してゆくと想像される。使う人と働く人の「区別」が尖鋭に意識された時代があった。テレビに出る人とそれを見る人との区別された時代になっている、今は。コンピュータを咀嚼する人とその毒に当てられる人とが現れつつある。
2006 12・12 63

* 口を一文字に結んで、胸、腹で深呼吸している。なにかを持して待つのであろう。

* 君閑かに泉壌に入り 我劇しく泥沙にすてらる 天の東と地の下と 聞くに随ひて哭始を為す  菅公
友をうしなった菅原道真の長詩の末尾、太宰府の「西」を西東京の「東」に置き換えて、やや、私の懐にちかい。

* 第三回の調停にわれわれは出席しなかった。代理人に依頼した。報告はまだ無い。
われわれは「相手方」の和解代案を読み、「見解」「回答」「和解新案」を代理人に託した。調停の場に提示されるかどうかも一任したので、結果は知らない。
相手方は私に「ウェブ上十日間の謝罪文掲載(謝罪文文案付き)」「★★夫妻に対し各五十万円、計百万円の賠償」その他を要求していた。拒絶。
代理人の報告を聴いて、われわれの「見解・回答・提案」を、必要なら此処に明らかにするが、相手方はわたしたちが相手方案を受け容れないなら調停を切り上げ、告訴し訴訟に踏み切ると言ってきている。そうなれば、むろんそのように対応・対策する。

* 今回調停に先立ち、わたしが敢えて新刊『かくのごとき、死』を出した理由を、明かしておきたい。

一、 上のような相手方の謂われない要求を、「事の経過」自体により闡明にしたかった。
相手方がプロバイダにはかり、我がホームページの厖大な全部を削除させたがった理由も、その「内容」を不利と感じ続けてきた反映であった。
結果的に、核心に相当する六月二十二日から八月半ばまでの日録を、慎重に「紙の本」に再現したことで、相手方の暴状は、「流れ」においてハッキリする。ハッキリさせるなら、今、であると確信していた。
二、 上と重なるが、わたしには、多年親愛の大切な読者があり大事な先輩知人知友もある。また組織の同僚もある。そういう人達に、事態を明白に正確に伝えて、知って欲しかった。わたしのそれも務めであるから。

この二点では、すでに圧倒多数の理解の声や言葉が寄せられている。ことの経過に、私がたに遺憾な落ち度のたぐいは無いと確信しているが、三百四十頁を超えた「流れ」総てがその事実を明かしている。「湖の本」は、匿名の怪文書ではない、新時代の「私小説的文藝」として心して真剣に提出した署名ある「作品」であり、虚偽も捏造も犯していない。亡き愛孫・やす香への、これぞ「mourning work 悲哀の仕事」「人の業」であり、読者のある人は言ってくれている、「やす香さんは、永遠にこの本に生きて行かれます」と。

三、 その意味でこの『かくのごとき、死』一冊は、単なる「私事」の公開ではない。今度此の本で世に問うたのは、むしろ文学・文藝の問題である。
わたしは文学者として「斯く生き」そして「斯く書い」た。その恥なき証しの本である、この一冊は。何より大切にそれを自覚している。わたしは誤魔化さない。

四、 配本に際しわたしはこう考えていた。
『戦後日本の小説論が優れた探求を遂げたのは事実ですが、電子ツールの「表現」を知らなかったのも事実です。「私小説という小説」のまさに頑張った事実も事実ですが、その「私」は、紙と活字媒体のコアな読者に当面していたに過ぎません。死も愛も喜怒哀楽も。
しかし今、パソコンとケイタイのインターネットは、そんな「私」を瞬時に世界大に開示しうるのが現実です。愛する孫娘の不幸な「かくのごとき、死」を通じて、「私」「私事」の表現が変容・拡大して行く一「報告」としてもお読み願えれば幸いです』と。

五、 最も大切なことを言わねばならぬ。わたしは、「法」よりもはるかに大切な価値「気稟の清質」を、「生き方」としても「人と人との繋がり」にも、観てきた、今も真正面から観ている、ということ。
建前は法治国家であり、だれもがその私民・市民であるとはいえ、人間には、時に、いや、常にとわたしは言う、「法」をも超えて大切な「情理と人格」の問題がある。少なくも娘・夕日子にはそれを知りなさいと訓えたい。

* 人も知る聟・★★★は、早稲田の教育学部助手を経てパリに学び、早大理事であった亡き父上をつぐ教育哲学等の現在教授であり、ヨーロッパの人文主義の系譜にある一学徒かと察している。ところが、不思議なことに、その学習が身についていないというのだろうか、日本語の理解が貧しいのか、とんでもない誤解からかんたんに「暴発」する。
十数年前には、小説家であるわたしの文学上のモティーフである「身内」という言葉を粗忽に誤解して、途方もなく「暴発」し、わたしたち舅・姑にむかい聴くに堪えない罵詈雑言を手紙で繰り返し続け、ついにはわれわれは彼から姻戚から「離縁」され、その結果娘や孫との今に至る十数年の断絶を強いられることになった。不幸にもそれがやす香の無惨な死去に影響してしまったのだ。
わたしの「身内」の説はかならずしも容易でないから、当座の浅慮・誤解にも同情できなくはないが、若輩の無礼ぶりはあまりといえば下品で愚劣だった。呆れた。
しかしも今回のやす香の不幸な死に、「死なれた」悲しみもさりながら、「死なせた」悔いと自責も深いとのわたしの言葉を、「死なせた」とは両親を「殺人者」であるというものだ、秦は「殺人者キャンペーン」で★★夫妻を名誉毀損している、「法」に訴える訴える訴えると、手をかえ品をかえ、言いがかりをついに「ハラスメント」にまで押し広げて、脅しつづけたのである。
わたしには「死の文化叢書(弘文堂)」の一冊に『死なれて死なせて』と題したよく読まれた著書があり、こんな浅薄な誤解を青山学院大学の哲学系の教授が犯すなど、どう思っても不審に堪えない。「死なせた」「死なせてしまった」など、気をつけていれば、テレビから日に何度も聞こえて来る普通の物言いではないか。

* まこと心貧しくも★★★・夕日子夫妻は、ことあるつど、「法」の力でわたしを叩きつぶすと言ってきた。争えば「95%の勝訴」だともトクトクと言ってくる。
具体的に挙げる。
わたしが、病苦に喘いでいた孫やす香の「MIXI」日記を、一個所に纏めて多く文章に引用したのは、日記の「相続権者」である両親の権利を「法」的に犯している、と。
当の娘・夕日子と、父親であるわたしのごく穏やかに仲よい旅写真などをホームページに載せると、「肖像権侵害」だと「内容証明郵便」を寄越し、「法」に訴えるぞ、と。
その娘がとうとう小説を書き始めたと聞いて驚喜し、苦労して片々たるブログから延々再現し、わたしの編輯している「e-文庫・湖(umi)」に仮置きし、「いい読者」たちに少しでも読んで貰えるようにはからい、日記では作の出来を褒めたり助言したりした、そのすべてが、父による「高慢」な著作権侵害・名誉毀損・財産権侵害であって、民事刑事の「法」に訴えると威嚇してくる。いと簡単に、繰り返し言い立ててくる。
「法」「法」「法」の一点張り。情理の具足がまったく無い。アカの他人ではないのだ、親と子とである。どこに、告訴や訴訟に及ばねばならない何があるか。この「私語」ファイルの末尾に敢えて掲げてある、久しい親和の写真や夕日子自身のハガキなどを見れば簡明に分かる、一目瞭然、★★達がどんなにムチャクチャを言っているか。

* 寂しいことに「人格」が全く感じられない。何もかもの物証・挙証が彼らの「人間失格」「人格障害」を自白しているかのようではないか。だが、これを読むやいなや彼らはまたしても名誉毀損だ、「法」に訴える、と言ってきかねない。
2006 12・13 63

* 語られうる「道」など、本当の道ではない。語られうる「真実」など、本当の真実じゃない。覚者は、だから書かない。大抵の聖典は弟子の解釈が入った文書であり、仏陀の、イエスの、ソクラテスの書いたものは残っていない。真実は語られ得ないし、教えられ得ない。書く人間は痛いほどそのことを知っていなければならず、その上で自身にきつく爪をたてながら、「書く」のだ、「覚悟」して。覚者は概して「言葉」に厳しい。言葉に対して安易に賛成しない、いつも反対なのだ。言葉を頼めばその瞬間から足もとに我と我が手で陥穽を掘っている。「書く」人間はそれを知っていなければならない。私は、知っていなければいけない。

* ホフマンの小説『黄金宝壺』に、人の書いた文書を、壺にはった不思議の水につけると、ろくでもない文書はたちどころに文字が消えて流れてしまう場面が書かれている。消えて流れない書き物。その可能不可能は論じがたく、ただ水につけると流れてしまうという厳しい審判だけがある。
審判を恐れていてはならない。ひたすら書かれる命の文字がありえて、消えも流れもせず宝壺の祝福を受けることを、内心に期待すらせずに、「書く」べきは「書く」生きようがある。わたしは、そのような生きを願っている。
2006 12・14 63

* 『かくのごとき、死』を、きちんと出版して、よかった。いろんな評価はあるに違いないと、最初からしっかり予測し覚悟して、だが、わたしの一分を貫いた。ちいさな無用な一分であると自身分かっていて、したのである。意地ではない。「今・此処」を「生きている」という、それだけのこと。はかないか、はかなくはないか、そんなことは考えない。読者に届けるのはもとより、広範囲に各界の人達に贈っている。そしてもう数え切れない反響が、佳い反響が手紙やハガキや書き入れで、ぞくぞくと。あまり数が多く、書き写すことができない。
「本」にして良かった。
「序」の文を、此処に掲げておく。そのうち長文の跋文も。

* 永く生きていると、つらいことにも、奇妙なことにも出あう。平成十一年(一九九九)、七年前の真夏七月に江藤淳の自死にあい、晩秋十一月、実兄北澤恒彦の自死にあった。『死から死へ』と題し、「湖の本エッセイ」第二十巻を編んだ痛い記憶は、まだ私の身内にあたらしい。
今年、平成十八年(二〇〇六)七月、また一つの「死」に向き合った。九月に二十歳になるはずの孫娘★★やす香を、「死なせて」しまった。手の施しようない「肉腫」であった。だが自覚症状は遅くも正月早くに本人の手で記録され、以降、扇を拡げたように急激な苦痛・苦悶がソシアルネット「mixi」の日記に克明に記され続け、しかも、北里大学病院に入院したたぶん六月半ばまで、只一度の有効な医療や介護を受けた形跡が見えなかった。責任の一半は、私にもあった。私はやす香との盟約(マイミク)で、互いの「mixi」日記を毎日読んでいた。繰り返し、「親と相談し適切な医療を受けよ」と癇癪も起こし、だが、両親に対し直接警告してやれなかったのである。娘・夕日子の婚家★★★家と私たち秦家とは、十数年一切の交通を断たれていた。
だが、二年半前から、両親に秘し、孫やす香ははるばる玉川学園から保谷の祖父母を訪れつづけ、驚喜させてくれた。やす香は、生まれ落ちた時から、私たち祖父母にはそういう愛おしい初孫であった。
驚くべきは、やす香が永逝して一週間せぬまに、私は★★両親により「告訴」「訴訟」を以て威嚇されはじめた。『死なれて死なせて』の著者私に向かい、やす香を「死なせた」とは、両親家族を「殺人者」と呼ぶ名誉毀損だと謂うのであった。
奇怪な事件はなお「調停」半ばにあるが、私は、孫やす香の「かくのごとき、死」を、ためらいなく、斯様「闇に言い置い」て、重ねて、やす香の前に悔いて詫びたい。  二〇〇六・九・二七
2006 12・14 63

☆ 札幌も暖かく 過ごし易い一日でした。
昨日出張より戻り中三日でまた次の出張です。
お送りいただいた湖の本が、机の上で手にとられるのを待っています。なんと重い、思いの籠もった本でしょう。
出張で行った博多で、飴色に美味しそうなからすみを発見しました。少し早いのですが、お誕生日のお祝いに地酒を添えてお送りしてあります。
行く年よりも来る年に期したい今年でした。
お大切に。 maokat

* たいへんな激務ですね、それでもどこかあなたの旅は楽しげで。胸懐がせせこましくないからでしょう。
あなたを「文質彬彬」と評しえた根拠は、「随処作主」の胸懐のあたたかさだろうと羨ましい。ますますお元気で。心の苗のよい言葉を培って下さい。   hatak
2006 12・14 63

* 『かくのごとき、死』を出版した気持ちを、あらためて箇条で自覚しておく。数え上げる何にも増して、可哀想なやす香の死に当面した、わが「悲哀の仕事  mourning work」であること、言うまでもない。そして、

一 事の経緯を闡明すべく。
二 読者・知友に心事と事実を。
三 斯く生き 斯く書く 自身を、ごまかし無く。
四 電子化時代の新しい「私」「私事」の表現、新「私小説」の行方をさぐる、一報告。
五 「法」は法。しかもより大事な「人間の情理と気稟の清質」を尊信する。

* 老境をこういう不幸な方角へ歩まねばならないのは残念だが、すべて私の不徳。運命は甘受する。
こうも考えている。大抵の老人は過ぎ去った過去の蓄積や堆積の記憶でものを言う。そんな老人の一人である私は、過去完了ならぬ現在進行形の只今湯気の立った事件と直面しながら、「老境」の今・此処に身を処して、考えたり動いたりしているのだから、人生劇場の最現役ではないか。一種の「天恵」だ、と。ま、なるべく「ゆったりと自然に」日々を送り迎えて行こう。願わくは戦友である妻の心身が豊かに安くありますように。またこれまで以上に、働き盛りの秦建日子のたすけも頼まねばならないかと思う、気の毒に思うが助けて欲しい。

* どっちもどっちとあっさり嘲笑う人も、どんなに多いだろうか、想像に余るが、そういう毒にこそ当たらずに生きたい。分かる人には言わなくても分かる。分からない人にはいくら言っても分からない。中学生だった昔にしかと耳に聴いた、ある人の声をいまもわたしはしかと聴いている。

* 調停委員から最後に伝えられたという「弁護士報告」によると、要するに「相手方は<賠償金支払いの無い案は呑まない>ことを伝えられました」と、ある。つまり「金」ですよと、何人にも予測されていた。賠償金だの謝罪文だのと、理由のない話である。
三回ぐらいで終わる「調停」は「いくらもあるんです」と、弁護士さんは言う。わたしたちは裁判所でただ一度も★★や夕日子の顔も見ていない。大の大人が莫大な勢力と時間をつかつて、ほんの「おしるし」の鼠も出たかどうか。具体的に「五十万円ずつ百万円欲しい鼠」が出たじゃありませんか、と。なるほど具体的だ。
2006 12・15 63

* 『かくのごとき、死』の分厚さにはみな驚かれ、しかも読み切りの早いこと、一気に通読して震えたと云われる。書いた私はふるえっ放しだった。

☆ 十四年前、『死なれて死なせて』を読んで 私はいたく慰められたことを忘れられません。 「死なせる」痛みを 人とわかちあうことができてなかったら、 どうやって生きていけばよいのでしょう。おからだを大切に、書きつづけてくださいますように。  世田谷区

☆ 漱石の『心』の「先生」は、「K」を死なせたのだという一文を新聞で読んでから、湖の本を送っていただいている私です。「死なせた」という言葉のニュアンスが私なりにわかります。が、このことが裁判沙汰になるなど、しかも実の娘さんから、ということは驚きです。こんなことまで人は自分自身でひき受けられず「外在化」してしまうのですね。情けないなあと、と思います。  名古屋市

☆ 衝撃で言葉がありません。このようなことが有る筈ないと、心が痛いです。私は娘や孫に対して傍観者では居れません、骨を削り、血を流しても、守る!! と思います。動物的本能です。教養、理性、何の役に立ったと云うのでしょうか。理不尽な事柄に寛容や許容は不要です。先生の平安を唯々お祈りするのみです。どうかお体もご大切に。  玉野市

* たった今届いた読者のお便りに、こういう趣旨のものが多い。いつもはただ払い込み通知が、今度ばかりは身にしみて物思われるあまり、いろいろと書いてきて下さる。
2006 12・16 63

* 『かくのごとき、死』は、つねの巻の優に二倍半も部厚い。むろん制作費も。そしてむろん赤字も。しかし、必死の思いで出した、出してよかった。今でなければ、あとあとに出しても出し遅れの言い訳じみたであろう。

☆ 涙をこらえ拝読しました。このようなご発表は大変なご決断であったと、敬意をもって、苦衷を思いながら読ませていただきました。  阪大名誉教授

☆ 胸のふたがりで言葉がありません。  浦和

☆ 文学を表現する方法以前に大きく重い人生苦にさらされていますね。くれぐれもお体をご自愛頂いて最終的には文学の極地へ着地なさって下さい。   ペン会員

☆ 今回配本も 私の生きる糧になりました。有難うございます。  中野区

☆ 感動で涙があふれました。 竜ヶ崎市

* なるべく書き写しやすい短い文面をひろった。 今は、この話題にどうしてもひっぱられる。それが自然で必然であるのだから、抵抗しない。
だが世間のこともいっぱい気になる。強引な教育基本法の改悪。どこに改善があるだろう。教育とは矯正か、強制なのか。官僚や警察の世間をこそよく矯正し監督すべきなのに。
住基カードの一律強要はまずいと判決した裁判長がなぜ自殺に追い込まれるのだろう。 2006 12・18 63

* 金澤にいる画家の「お父さん」からもありがたい心親しい手紙をもらった。彼の苦闘もつづいている。広い世間には、つらい、悲しい、苦しい思いの人達が、少なくないどころか、あまりに多いことが分かる。わたしのように書いてあからさまにする気も勇気もなく悶々と我一人の胸にかかえ持った人達を、今度の『かくのごとき、死』をきっかけに何人も何人も知った。
2006 12・19 63

☆ 『湖の本・かくのごとき、死』を、ありがとうございました。
拝読しております。誰かに話さずにはいられない気持ちになっております。
そんなとき、秋の講座の最終回で、せっかく受講してくださった方とお話もしたいと思って皆さんに声をかけて昼食をとりました。
その中で私のブログが話題になり、最近更新した内容に『湖の本』のことがあってと話をしましたら、多治見市の方が「古くからの読者です」とおっしゃって、いかに秦先生のファンであるかをお聞きしました。
そういう方が受講してくださったことも嬉しかったですし、この本についてお話できる方がいたことを嬉しく思いました。
師走の言葉どおり、お忙しい日々と思いますが、どうぞ御身体大切になさってください。
ひとことお知らせせずにはいられませんでした。   ペン会員

☆ 新刊『かくのごとき、死』のあまりの切実さ、哀しさ、重さ(内容)。人間が立ち向かわなくてはならない厭なことは世間には多々あるのですが、先生のご心情、ご同情申し上げます。またそうまでしなくてはならない選択を押し付けた輩に対する憤りを共有することも、お伝えしたく存じます。  桂 京都
2006 12・19 63

☆ 近年になく東山は今だにカラフルです。湖の本…どうして、何で、と思いながら読みました。悲しい、辛い70歳でしたね。71歳、お誕生日おめでとう、楽しい事があります様に。
明日私は南座の顔見世です。今年も行けて感謝。
今年も後少し。体に気を付け、自転車でむちゃしたらあかんえ!  清
2006 12・20 63

☆ 人一倍ご家族思いの先生にこんなお苦しみがふりかぶさるという理不尽さに、憤りすら感じております。奥様ともどもお身体お大切になさって、やす香様の分も長らえて頂きたく存じます。  俳人

☆ お書きになった勇気に感動しました。  福山市

☆ お元気で立派な作品を、何よりです。
文を読む無限のいのち喜びて   文藝評論家
2006 12・21 63

* 秋山駿さんに『私小説という人生』を戴いた。『かくのごとき、死』にまた一つの新たな時代の新たな私小説の芽を読み取られのかも知れない。
花袋の『蒲団』『生』も藤村の『家』『新生』『嵐』も直哉の『和解』『母の死と新しい母』も瀧井孝作の『無限抱擁』「結婚まで」もみな私小説であり、それらを論じた優れた論攷から多くを学び取って文学の道に歩んだ後輩は多い。
しかしそれらの全部に共通して言えるのは、どの作家もどの批評も、例えば「MIXI」のようなメディアを知らず、ケイタイもパソコンも事実上知らなかった。そこに書かれ語られた「私」と、今日インターネットを場にして双方向・多方向のウエブ世界を場とも方便とも用いられる私小説の「私」とでは、よほど性格が変わってくる。或いは少しも変わってなどいないのか。そういう論議が「文学論」として成り立ってくる。『かくのごとき、死』はそれを予見させる一つの「報告書」に仕上げてある。
2006 12・22 63

* 秋山駿さんに『私小説という人生』を戴いた。『かくのごとき、死』にまた一つの新たな時代の新たな私小説の芽を読み取られのかも知れない。
花袋の『蒲団』『生』も藤村の『家』『新生』『嵐』も直哉の『和解』『母の死と新しい母』も瀧井孝作の『無限抱擁』「結婚まで」もみな私小説であり、それらを論じた優れた論攷から多くを学び取って文学の道に歩んだ後輩は多い。
しかしそれらの全部に共通して言えるのは、どの作家もどの批評も、例えば「MIXI」のようなメディアを知らず、ケイタイもパソコンも事実上知らなかった。そこに書かれ語られた「私」と、今日インターネットを場にして双方向・多方向のウエブ世界を場とも方便とも用いられる私小説の「私」とでは、よほど性格が変わってくる。或いは少しも変わってなどいないのか。そういう論議が「文学論」として成り立ってくる。『かくのごとき、死』はそれを予見させる一つの「報告書」に仕上げてある。

* 東大の上野千鶴子教授から、「今回の部厚い本には、内容も、スタイルも、「mixi」という新しいメディアの利用も、そしてご家族の関係にも……驚くことばかりでした。
どんな悲傷の思いを味わっていらっしゃることでしょうか、言葉もありません。どうぞご自愛下さいますように。」と。
「よくよく」という物言いをする。人はお互いに「よくよくの」思いで跳ね出ることがある。夕日子にもそれがあったろう、但し「やす香」への愛惜に収斂される「よくよく」だったのか、ただ「親憎し」だったのか。そこが「誠」の分かれ目であろう。
わたしは妻に繰り返し言い聞かせている、われわれは何一つ恥ずかしいことはしていないよ、と。

☆ やす香様のこと、かぎりなく痛ましく、遅ればせながら心よりお悔やみ申し上げます。
また、発病前後から亡くなられた後まで続く、さまざまな経緯についてのご心労は、計り知れないものでありましょう。くれぐれもお大切に。
インターネットは便利ではあるけれど、悪く利用されないよう、用心が肝要というのが、私の感じ方でありましたが、『かくのこどき、死』を読んで変わりました。「私語の刻」に書いておられる、「そういう革命的な新機械環境の効果ないし毒性を前提に」の、むしろ「効果」を読むことができたと思います。
今年も、もう終わります。奥様の心臓病と秦さんの糖尿病、お気をつけてお過ごしください。
追伸 私事ですが、この5月はじめに、くも膜下出血をおこし危ない橋を渡りました。幸い開頭せずカテーテルによる塞栓術がうまくいって(プラチナの糸毬入りの、高価な頭です)後遺症は全く無く、仕事に復帰しております。暫くの間は、もしかしたら今、自分はいなかったかもしれないという妙な気持ちが拭えませんでした。  矢
2006 12・22 63

☆ 早速『慈子』、お送りくださり、ありがとうございました。お忙しいなかお書きくださった文字の一言一言、お手の跡をたどっています。
『流雲吐月』、いい言葉ですね。お床に掛けたい言葉です。折しも年末、新しい年の予感がいたします。
流れゆく雲からぴかぴかに磨かれた明月がぽっかり現れた瞬間のような、2007年の始まりの予感です。
『平家』のパスワードでたどりついた先生のHPとの出会いが、新しい時代を開く実りあるお作を拝見する感激に結びつくことになるとは、思いもよらないことでした。『かくのごとき、死』は、悲しみを超克していく足どりの、強い一歩だと信じました。
『私語』で、先生やみなさんが言われているように、双方向の、電子時代の、全く新しい、画期的な、『私小説』が新たな近い未来に期待できるであろうことは私にもわかります。文学が、こんな方向にも広がっていくのか、という驚きを感じます。
そのほとばしりでた清い流れの一点に紛れ込ませていただいていることを思ったら、身震いがしてきました。
どうぞ、その流れの先頭で、力強く導いていってくださるようお願いいたします。  洋

* 何度も自身認めているように、わたしは、いわゆる世の多数派でありえない人間で、もし多数派を「世間」と呼ぶべきなら、わたしは所詮「世間」に容れられないだろう、志操において、思想において、意見と行動において。わたしを理解して下さる方々は、その意味で「世間」との中にたって、頑固者のわたしをせいぜい放れ凧にしてやるまいと思っていて下さる気がする。感謝している。
わたしが多くの読者や知友の皆さんの声や文を、十分気遣いながら此処に掲げさせてもらうのは、それらがまた此の「私」という男の「表現」で在り得ているからだ。一人の人間は、社会的にはそういう「多数他者」からの思いや評価を照り返しつつ「自己」を形作っている。それ自体は決して堅固な確実を意味しない一種いわば幻影・幻像であるにしても、それもまた現象的に或る事実面の反映になる。「人の世」という「世間」では、それが「自分」であるという約束になりやすい。それでもよろしく、それでは危うい、難しい機微がそこにある。

* わたしは頑ななところの多い男だが、自分を「明けひろげて」生きてきた。近年はことにそうである。露出でも顕示でもない。そんな小さな拘りではない。青空という「鏡」の下で大の字の総身・総心を映させておけばいい、その鏡からは所詮遁れられないのだから、と。
文学では自身を秘め隠したまま表せる道があるとも、そんなものは無いとも、言える。作風がそこできまってくるが、人としての生き方はその前に決まってくる。これには「時代」もかかわる。
秦恒平ほど時代と徹して関わらない作者は稀有だと、デビューの頃に批評した優れた批評家がいたけれども、感謝しながら、それはどうかなと自身は考えていた。
わたしは「歴史」から人生と人間とを学んできた。「時代」を読むことを大切にいつも自身に課題してきた。
東工大教授に突如名指されたとき、「名人事」ですと支持してくれた大勢の知友の思いも汲みながら、わたし自身は、なにより自分の足もとで「時代」の動くのを感じていた。この大学に足場を置いて「時代」に身を委ねて行くなら、「コンピュータ」だろうと、初月給を貰う前から、わたしは自身に語りかけた。「お前は時代を、先へ行け」と教えていた。
わたしが、ワープロと異なりパソコンに最も期待したのは、「双方向」「多方向」の疏通を可能にする機械力と、それにともなう、いわば「毒の効き目」であった。毒を持たない文明などあり得ないし、毒を持たない強い文学もありえない。毒をどう嘗めて体質を変え、その毒をどう文学に実験するか。

* わたしは、コンピュータに助けられ、自身を「明け渡す」日々へ身を運んでいったと思う。「明け渡す」とは、バグワンの言葉である。古びた別の物言いに翻訳できる余地はあるが、あえてしない。露出だの顕示だのとは次元が違う。「自身」を「明けひろげ」「明け渡して」前へ進めるという予感を、わたしは早くから持っていたし、インターネットには少なくも実験的なその視野が見えていた。毒のつよさもはっきり見え、その度は強まってきていた。
2006 12・23 63

*「世界の歴史」第七巻、松田智雄ほか執筆の『近代への序曲』を読み終えた。ダンテ、ミケランジェロ、メディチそして偉大な人文主義者エラスムスらの「ルネサンス」、ルター、トゥイングリ、カルヴァンらの「宗教改革」と血腥い葛藤。そして北欧、仏独西、法王のローマのさまざまな躍動・蠢動・支配欲。新興ネーデルラントの台頭、エリザベス女王とシェイクスピアの陽気な大イングランド序曲。大きな大きな序曲。モロワの『英国史』を読んだアトでもあり、なまじの読み物よりもはるかに「世界史」のこの巻は興味深かった。今が今の自身に繋がる「人類史の跫音」を聴く感銘、言葉にならないほど深い。広い。
次は、わたしの最も厭い嫌う『絶対君主と、人民』との死闘が始まる。福沢諭吉がどんな意味で謂った謂わぬにかかわりなく、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とわたしは堅く信じている。支配せず支配されない人生でありたい。出版資本のねじけた文学と作者支配に抗して自立したわたしの「湖の本」の努力を、さも浅はかに嗤う人も世間にいないではないが、こういうわたしの「志操」を知らないだけのこと。
2006 12・26 63

* 三島賞作家の久間十義氏、来信。『かくのごとき、死』を拝読し、大変驚きました、と。まことに人生は理不尽なことに満ちております。どうか御身大切に、と。プレジデント社の青田吉正氏からも。
2006 12・29 63

* 『岩佐なを銅版画蔵書票集』を戴いた。吸い込まれる美しさ、精緻さ。久しいお付き合いの中で、季節ごとに戴き続けていた蔵書票がずいぶん沢山になっている。岩佐さんは、H氏賞詩人でもある。ついでに言うと、男性である。
岩佐さんと同じようにユニークな藝術家で、わたしは原光さんとも久しいお付き合いがある。原さんはボードレールや『白鯨』その他の優れた翻訳本を立派に自家出版の一方、世界的に活躍の山岳や海洋の写真家で、豪快で鮮鋭な画像を創りつづけている。
岩佐さんとも原さんとも文字どおり「一面識」だけであるのに、とても久しい。お二人ともに最初から「湖の本」を応援して戴いている。

* 金澤の松田章一さんから泉鏡花記念館が主催した一般観客による感想文集成『鏡花を観る』が贈られてきた。七月の歌舞伎座、あの鏡花の四戯曲を観ての感想文を選考されたものだ。好企画だ。実のところわたしは、やす香の悲しみがあのとき無かったら、自分で書いてみたかったのが、この四戯曲論であった。
選者のなかの松田さんも田中励儀さんも「湖の本」の久しい読者で、劇作家としても文学研究者としても親しくお付き合いしてきた。読者でも友人でもある。田中さんは大学の後輩でもある。松田さんは私に『私の私』という講演の機会をつくってくれた人である。
で、まだ感想文はほとんど読んでいないけれども、かなり多数の関心が「山吹」に集まっているようで、「山吹」の部だけ別立てになっている。ただ、かなりの数の「佳作」中に、『山吹』を題名に含めた感想は二つしかない。このことに総じてわたしの興味も関心もある。
「夜叉が池」も現代劇であるが、関心が「山吹」に集まっているのは何故だろう。そして深く厳しく舞台を観ているだろうか。一つだけオシマイの所に出ていて読んだ「山吹」感想の一編は、わたしから見ると見当がまるで外れていた。ほかのはどうか。
すでにかなり堅い見方を「私語」しているわたしは、ことが鏡花論である、厳しく興味深く読んでみたい。「海神別荘」論のいいのがあれば、「ペン電子文藝館」に欲しい。
2006 12・29 63

上部へスクロール