* 北朝鮮が「水爆」実験に完全に成功したとブチあげている。危ない「刃物」ほど危ないヤツの手に握られる。この手のニュースが乱舞のたびにこの頃ではきまって余命の少ないことを勿怪の幸いなみに感じているのが情けない。
英文学者で文藝批評家の佐伯彰一さんが、英文学者で詩人の加島祥造さんが亡くなった。お二人とも九十代。わたしたちにしても、八十という数字は、希望的にすら持ってなかったが。だが寂しくなる。点鬼簿の数が増えて行くばかり。減ることは決して無い。
佐伯さんにはたくさん読んで頂いた。息子さんが医学書院に就職受験したいがと相談を受けたこともあった。
加島さんに貰った、懐紙を上下二つ折りに毛筆で大きく書かれたお手紙が、すぐ手の届くところにあった。『愛、はるかに照せ』へであったか。
☆ 湖の本
つねに敬意と興味を持ちつゝ読んでいます。また お努力にも感嘆しております。
とくに詩歌集の評釈語には教示されるのを覚えます。
わが國では稀な仕事ですね。
とくに、学者のなぶりものになったあとなので、こういう少数のよい感性ですこしづゝ回復してゆくほかない。しかしそれを受け容れる人々は絶えない、どこかにいる――これはあなたが私以上に実感されている事でしょう、 匆々
九月十一日 加島祥造
秦 恒平様
* 点鬼簿 という言葉を少年の昔に芥川龍之介の本の題で覚えた。
記憶の利いたかぎり、御恩やお力を得た方々、また親しい知友として敬愛を分かち持てた大勢の名前をわたしも書き留めているが、あまりの早い増加に胸が冷える。「死なれて 死なせて 生きねばならぬ」と思ってきた。
2016 1/6 170
* 「選集第十四巻」の初校が出そろってきた。
一両日にも未公開の小説三編を主にした「湖の本129巻」の初校も届くだろう。
問題を孕んだ未発表未完小説ほかの「湖の本128巻」は、此の二十二日に出来てくる。
選集第十一巻は二月十日前後に出来てくる予定。
2016 1/7 170
* 湖の本129の初稿ゲラが届いた。
*川柳作家の速川和男さん、湖の本への礼状に添えて泉屋のクッキーを下さる。
* 昨日は手術後、真夜中まで、病室のベッドで、裸眼、200頁近く再校ゲラを読んだため、さすがに今日は視力が宙に濡れて浮かんでいる。九時まえだが、今夜はもう休息しよう。
すでに湖の本128送本用意に掛かっている。二十二日朝に出来てくる。
この週明けは、月曜午後、腫瘍内科のCT検査、泌尿器科の利尿処方に、またも聖路加へ。水曜午後にも、今度は聖路加眼科へ。そのあと、楽吉左衛門から招 待の三越本店「萩・楽」展のレセプションに顔を出してみるつもり。さらに次週の火曜午後にも、腫瘍内科と循環器内科の診察。疲れないように要領よく湖の本 発送用意をしておかないと。二十二日の晩は、初春歌舞伎座、幸四郎の二条城の清正、久し振り玉三郎の吉田屋夕霧。待ち遠しい。
2016 1/9 170
* 浴室で未発表の小説『チャイムが鳴って更級日記』を読んだ。快く最初の一節を読んだ。
* 湯から上がって、いちばん好きな時代劇、藤田まことの「剣客商売」を楽しんだ。明日の聖路加腹部CT検査への用意などしながら「刑事フォイル」を観てい た。仕事はまたもや輻輳しているが、落ち着いて片づけて行く。次次巻の「湖の本」に未公表の小説を三作送り出せるのが有り難い。
* 来週は、なんの楽しいワケもない病院等への外出が月水金と断続する。疲れてしまうと、翌週末からの発送が身に堪える。やすみやすみ、ワクワクしながら事を運びたい。休めるときは休むようにして。
2016 1/10 170
* 明日は妻が地元病院の循環検査。明後日の水曜午後も、また私が築地へ病院通い、眼科。そのあと五時、「楽・萩」展のレセプションに。当代の楽吉左衛門 は逸材、行けば楽しめるのだが、妻の体力がどうか。金曜は、夕刻にこれも二人で歯科。十九日にはさらにまた聖路加の腫瘍内科と循環器内科へわたしのダブル ヘッダー。いやでも歩く運動にはなるが疲労も加わる。湖の本の発送が、すぐ続くが、用意できるかどうか。居直ってゆっくりやるしかない。
2016 1/11 170
* 湖の本128送り出しの用意にかかっている。未発表小説を二作おさめ、今ひとつ、雑纂ながら楽しんで頂けるであろう一編を加えた。初校中の、つづく湖の本129には未発表小説三作が入ってシリーズの継続読者の皆さんに喜んで頂けるだろうと思う。
2016 1/12 170
* 送り出し挨拶の印刷を、みな切り出した。明日、郵袋が届いて、宛名書きを貼り込み、ハンコ捺印。宛名の手書き文は住所ともども書かねばならないが、な んとか間には合わせられそう。余裕が在れば、以外の色んな仕事もハカが行く。とにかくも六月の桜桃忌まで、とぎれなく仕事の波は寄せてくる。けっこうなこ とだ。
2016 1/13 170
* 奇想の推理編「チャイムが鳴って更級日記」、古典にも史実にも文献や口碑にも拠って、面白く、初校を終えた。今時の若い編集者では、これだけの背景を 把握しながら小説の成り行きに適切な助言をわたしに呉れられる人は、九割九分いないだろう。古典の読める若い人にめったに出会えない。史実や史料を批評的 によめるような編集者には、昔でもなかなか出会えなかった。それでは小説の面白さがはなから大幅に割り引かれてしまう。一流の文藝誌で半年一年時間を掛け ても理解して貰えなかった作が、敬愛する批評家や学者に私家版にして送れば、先方から文学賞候補作にしたいと言われて、結果、「清経入水」は選者満票で当 選受賞した。そういう体験を芥川賞候補になったときも鏡花賞候補にされたときも、わたしはしてきた。日常生活の報告書のような私小説ばかりを読んでいた編 集者の大方は古典や歴史や美術や芸能に取材の創作世界は、よほどみな苦手らしかった。
「チャイムが鳴って更級日記」でも「あやつり春風馬堤曲」でも「秋萩帖」でも「風の奏で」でも、いわゆる文藝誌にもちこんでも手に負えないのだと分かれ ば分かる程、わたしは自身を「湖の本」の世界、騒壇餘人の境涯に身を起こうと心を決めていった。もしも編輯と出版の経済効果論に屈して創作の室と持ち味と を殺していたら、わたしはとうの昔に読み物屋に堕落するか、「作家さよなら」するしかなかったろう。
幸いに、読書の世界、学藝の世界には、わたしの仕事を喜び迎えてくれるありがたい読者が、まちがいなくいて、「騒壇餘人」のわたしを支持しつづけてくださった。支えてくださった。有り難かった。さもなければ、どこの世界の誰に一作家の作だけで、三十年、百三十巻もの私家版「湖の本」が継続刊行出来ただろう。
* だが言っておく、上のようなわたしの文学活動も、なんら「生」という「橋」の上に建てる「家」ではない。「生は橋、橋は渡るだけ」、橋の上にどんな家 を建てても始まらない。では、何のための命懸けの仕事か。自分には出来ることを心から楽しむ仕事なのである。橋の向こうまで持って渡る仕事ではない。
2016 1/15 170
* 湖の本128の出来までに余す五日。うち、火曜十九日は聖路加で心電図をとり、循環内科の診察と、CT検査結果を見ての腫瘍内科の診察と。発送用意がかつがつ間に合うかどうか。からだをやすめやすめ、働きたい。金曜は今年初の歌舞伎座。
2016 1/16 170
* 封筒への宛名貼り込みを終えた。明日は、腫瘍内科の診察と、心電図付き循環器内科の診察。みっちり時間が掛かるだろう。残っている作業 は、追加分の宛名書きと、出来本の受入用意。うまくすれば二十日中に用意出来、木曜二十一日は、束の間の休息可能かも。二十二日に湖の本128納品、しかし晩は初春歌 舞伎。湖の本発送は土曜日からになる。
2016 1/18 170
* なんとなく、幸いに明日と明後日がラクになった。今少し家の中の受け入れに手を掛けておかねばならないけれど、ま、発送しながらやりくり出来るだろう。
* ほんとは今日の帰路、三越本店へ寄って楽焼と萩焼とのコラボレーション展を観てきたかったのだが、出がけの陰気な気分が響いて、そんな気になれず、疲 れもしていたので(電車でも外来でも一心に校正して目玉はバサバサに乾いていたし、)帰ってきた。凍てた雪道で転ぶのもイヤだった。保谷など、雪道は朝の ママに凍てて滑った。
あす、あさってはどうかな。
2016 1/19 170
☆ 久方ぶりに(湖の本127「有楽帖」で)
観世先生(栄夫)や勘三郎(先代)さんに会えたような嬉しさ……「邯鄲」や「髪結新三」大好きでした。
ピラミッド建設が古代の公共事業であったとは驚きました。 京都 羽生教授
* 「有楽帖」は受けました。わたしも一昨日病院の帰りに読んでみて、思わずずんずん頁の繰れるのに嬉しくなった。せいぜい新世紀になっての三年までで頁満杯。以降、干支一巡の余も同じように沢山の「舞台・映画・ドラマ」に出会っている。続きが待たれているようだ。
* さ、腹を括って明日以降、湖の本128を送り出す。今回と、続く湖の本129とは、「小説」の巻になり、ことに次巻129は読者の皆さんには喜んで頂けよう。
問題は、創刊三十年記念の第130巻。ほぼ仕上がっている新しい長編小説をと言いたいが、躊躇いがある。せめて短い方の物語『清水坂』が仕上がればと願うのだが、けっこう奇想の物語ゆえ、心ゆくまで手入れもしたい。
楽しみ半分にいろいろ考えていて、ほんとは無心に放心しつつかつはきっちり考え抜いて書き上げるためにも、二、三泊の旅がしたいが乗り物を降りる自信が ない。博多まで乗って、また東京まで乗って帰る、その安楽な窓際の席が確保できたら日帰りができるかな。いやいやバカげている。
大学生のむかし、京都駅始発の各駅停車(鹿児島のさきの)終点指宿行きに乗り込み、36時間かかって熊本駅で音をあげて下車し、水前寺公園の入り口まえ の銭湯に飛びこんだ。湯に漬かると帰心矢の如く、すぐ熊本駅へ走り、こんどは急行京都行きに乗って帰ってきた。あれはへとへとに疲れただけの強行軍だっ た。生涯の愚行であったが、懐かしく無くもない。いまはそんな愚行、体力が許さない。
ナイショにすることでもないが、新潟の村上へはまえから是非行ってみたかった。後白河の皇子の伝奇が伝わっていて、気を惹かれたまま、忘れがたいまま、まことに久しい。ああまた夢をみそうだ。
2016 1/21 170
* 湖の本128、出来て届く。玄関内へ運び入れた。玄関外が凍てて滑りやすいので、早くから妻と凍りついたのを湯で流すなどかなり労力をつかった。北向きな ので雪がなかなか溶けない。20册の本包みを二つずついいとしの小父さんが運び込んでくれるのをわたしが玄関に積み上げて行く。小父さんに転ばれてはタイ ヘン、気を遣った。
送り出しの作業は、すべて明日から天候を眺め眺め落ち着いて進める。
選集第十一巻ももう刷了になって今朝の内に刷りだしが届いていた。引き続いて、もう二月上旬にはこれも送り出さねばならない。なにも急ぐことはなく、ゆっくりゆっくりと言い聞かせている、自分に。
2016 1/22 170
* 湖の本128、送り出し、始める。終日、作業。
2016 1/23 170
* 湖の本128、送り出し、順調に。今晩にも一段落し、明日午前で終えるか。ただ、一寸した予定違いで、数日中に今一度別内容の送り出しを用意しなくてはならない、たいしたことではなく、その用意ももう出来たも同じ。
* 今度の湖の本128は、かつて例のない編輯になった、未発表で、二編の一編は未完中断のまま創作ノートを付録してある。二編とも、原稿用紙の表題署名 は秦 恒平でなく「菅原万佐」になっている。高校の頃、菅井、原田、万佐子という三人の同級女性徒の氏名から失敬して、校内新聞に投書して以来、筆名に用い、四 册出した私家版本の三册までが「菅原万佐」著となっている。文藝誌「新潮」編集部から突然の電話にひき続いて届いた数通の手紙やハガキはみな秦方「菅原万 佐様」になっているのを最近古い古い荷物の中から見つけて、ちと感慨ものであった。やがて「新潮」編集長と初対面のさいに、即座に「本名にしなさい」と言 われたので、四冊目の私家版小説集『清経入水』は「秦 恒平」著になっている。
今度の湖の本では小説「資時出家」も長編初稿「雲居寺跡」も、原稿に「菅原万佐」と署名している、それほど大昔の処女作時代の勉強ものであり、しかもこ の両作ともに、以降「作家秦 恒平」が創作をかなり豊富に示唆もし刺戟もして幾つもの小説に成っていった。私家版の「湖の本」なればこそ可能な誰にも遠慮のない出版であり、こういう未 公表小説を次の「湖の本129」では三作公表する。三作ともまぎれもない私の創作であり世界である。読者の皆さんに喜んで頂けるとわたし自身が楽しみにし ている。
2016 1/24 170
* この「私語の刻」の一読者の手に成ったまた新しい37分類の記事が電送されてきた。有難うございます。これ有って、もう何冊もの「湖の本」が成って来まし た。ただただ感謝申し上げます。
* 亡き谷崎先生の五十年が来てしまった。文壇や学界ではいろんな動きがあるのだろうが、なにも知らないし耳にも目にも触れていない。湖の本から、「谷崎 潤一郎の文学」「谷崎潤一郎を読む」を280高校の国語科へ寄贈した。高校の先生がたを通じて生徒諸君へ谷崎文学への新たな関心が生まれて欲しいと心底願 いつつ。
* 湖の本129の初校を要再校で印刷所へ戻した。
* 掌が一面の深い皺で乾ききり痺れている。今日、やがて夕刻の六時、これまでに一体何度持ったり取ったりしたものを取り落としたろう。
それでも、倦まず弛まず仕事をし続けていた、お酒も飲みながら。着々。それでよろしく、慌てることも急ぐこともない。着々が、結果的にはいちばん間違いなく早く済む。
* 追加の発送作業に今日一日をかけて、今し方、用意を終えた。疲れで、また歯が傷みかつ痛んで閉口している。十時半。もう、一休みしないと、潰れそう。しきりに歯が傷む。
それでも、やっと一週間ほど、骨休め気休めのゆとりが持てそう。極端に出不精になっていて、よろしくないが。
* すぐ追いかけて、二月上旬には選集第十一巻が出来てくる。今度の巻は、いわば私には「地(ぢ)」の京都ものの作物を並べてみた。また気疲れの送り出しになるが、励まねば。
* つぎつぎの「湖の本」新刊の予定が樹って行く。新しい小説もあり、わたし自身思いがけない隠れていた小説もみつけている。小説以外にも、まだまだ横溢の興味も趣味もある巻、巻が送り出せそうである。その用意も怠らず進めている。
2016 1/26 170
* 起床8:15 血 圧148-77(60) 血糖値79 体重67.2kg
☆ 湖の本128
受け取りました。有り難うございます
体力よりも、持ち前の気力でお仕事をしているのかなと、感心しています。
八十歳寸前と思うと、ワオとおののきますが、早生まれなので、仲良し同級生の中では最後に大台に乗るので、 小学一、二年生の頃は辛かったけれど、この歳になると早生まれで良かったかなァ(^o^)と。 あんたそれでもいばってるェ の声が聞こえてきそうやけど…
話変わって
今テレビの「世紀の映像」に夢中です。
終戦が二年生、気が弱くて(笑うな ! ) 団体の学童疎開は無理と、大阪郊外で一人暮らしの祖母に預けられ、農家では無かったので、食料に乏しく、何時もひもじくて、道に落ちていた青梅を土を 払って口にした事と、大阪方面が空襲で空が真っ赤になっていたのを、何時も思い出します。
今も、放映の「世紀の映像」に夢中です。
戦争体験者が減っていくこの頃、先日、映画「二十四の瞳」を観ながら、「反戦」をひしひしと思いました。 花小金井 泉 中学高校後輩
* 久し振りに、サックリした便りを読んだ。八十か。シャーないか…。キリっとして頭抜けた美少女やったがなあ。
今回湖の本「トウチャコ」第一報。今回本は、ちょっと様子がちがうので向き不向きがあるかも。次回本には「未公表」小説が三作、これは、いろいろに楽しんで貰えるだろう。
もののしたから埃まみれの紙袋に入って、未公表のままの小説や習作原稿が、ゾロゾロ出てくるのら驚かされる。なんで。
わたしの小説や志向・傾向が、とうてい現下の文壇や文藝出版向きでないという体験上のかすかな諦念が、書いてもそのまま仕舞ってしまう方へ向かわせた、 所詮は騒壇余人の意識が強まっていたのだと思う。でなくて、現役作家が、「湖の本」のような舞台を自ら創り出すか。だれも、と言って間違いないだろう、事 実「秦 恒平」のように「文学」世界を自身切り開いて進んだ作家は他にいない。いても、続きはしなかった。「続く」ことが必要なのだ。「湖の本」三十年、わたし は、今も続いている。まだまだ続くだろう。
☆ 寒中お見舞い申し上げます。
傘寿をお迎えとのこと、ぉめでとうございます。衷心よりお祝い申L上げます。
「湖の本」有難うございました。不変の出版意欲に脱帽、敬服です。もう三十年にもなるのですね。
正月は生まれて初めて京都で新年を迎えまLたが、貴船神社が近くなったのには、驚きました。
今年は例年になく厳しい寒波の襲來ですが、お風邪など召しませぬようお大事になさってください。とり急ぎお礼まで。 草々
平成二十八年大寒 目黒 重金敦之 エッセイスト 元朝日記者
* 「三田文学」「東大大学院」「昭和女子大」から、受領の挨拶。
* 「湖の本129」のあとがきを書いていた。もう十二時になる。
2016 1/27 170
* 「湖の本129」に、「私語の刻」とアトヅケを送った。
* メールで送って戴いた、わたしのホームページ「私語の刻2015」の「全37分類」記事内容を機会に保存した。まったく順不同のまま、一応以下に「分類名目」を挙げておく。
スポーツ、 バグワン、 ペンクラブ、 京都、 人物評、 人間関係、 仕事関係、 e-文庫・電子文藝館、 呑み・喰い、 音楽、 電子メティア・コ ンピュータ、 雑、 読書、 詩歌、 茶の湯、 自作を云う①、 自作を云う②、 演劇・舞台、 湖の本、 歴史、 歌舞伎、 時事問題、 映画・テレ ビ、 思想・文学観・述懐等、 家族・血縁、 女、 外出、 問題含み、 名言集、 卒業生・読者・友人等の① ②③、 健康、 作家論、 能・狂言・古典芸能等、 美術。
* ホームページに「私語」し始めたのは、前世紀1998年の春。以降2016年の今日まで、病気で入院中以外は、ほぼ一日も欠かさぬほどに語り続け書き 続けてきた。個人のそのようなホームページ日録は、世界的にも稀有であろうと思う、おそらく400字原稿用紙で10万枚も書いてきただろうという実感があ る。
だが「書く」「書き続ける」のは、そんな10万枚もの記事を、各年ごとに数十項目に「分類」すね作業はもっと遙かに大変な労作(ろうさ)であり労作(ろ うさく)であって、その作業に全く自発的に取り組んで、去年度分までを仕上げて下さった方には、どんな感謝も万分一にしかならない。
「日記・日録」のままであれば、10万枚もほとんど利用の仕様がなく、屑山と化しかねない。ところが、上記のような分類がされると、例えば前々回「湖の本 127」として編んだ『有楽帖 舞台・映画・ドラマ』の如きは、ほとんど瞬く間に編輯できて、読者の手へ届けられ、楽しんでももらえる。同様に編輯してす でに何巻の「湖の本」が送り出されたか、『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻、『バグワンと私』上下巻、『歌集光塵・詩歌断想』、『ペンと政治』上中下 巻、『作・作品、批評』、『歴史・人・日常』、『堪え・起ち・生きる』、『九年前の安倍政権と私』、と十三巻を数え、全「湖の本」のきっちり一割に及んで いる。
「湖の本」という舞台を創っていなかったら、他の多くも含めて、かような出版は実現していない、いまの日本の出版事情はあまりにも異様に「品質より利益」 に傾いて倒壊しつつある。とはいえ、繰り返して言いかつ感謝せねばならないのは、多年膨大な私の「私語」の山を、労苦を惜しまずに「分類」して戴いてれば こそ「可能」な編輯であった。ありがたいことに、この「分類」を真摯に活かしつつ編輯すれば、数多くの秦 恒平著作は実現できるし、帯同して、新たな創作にも強い弾みがついてくる。幸せな作家だと言える。
* 幸せのついでと謂うのでは決して無く、このところ、個々の作品論でなく、包括して大きく「秦 恒平」を論じて下さった長大な論考がてもとへ届いている。慌ただしくしていてまだ叮嚀に読めてはいないが、有り難いことと感謝している。
* 梅原猛さん、大正大、水田記念図書館、東海学園大名古屋キャンパス、など、受領の挨拶があった。読者からの払い込みも始まった。
☆ 拝復
御鄭重に「湖の本128」御恵贈にあずかり有難うございました。まず「はじめに」で酒井健次郎編集長が登場していますのを非常に懐かしく思いました。 「なお三、四前々の新作を日々に用意」されているとのこと、「私語の刻」で傘寿を迎えられて、4度目の検査の御入院があるにもかかわらず「次の『湖の本』 もまた一癖或る珍しい小説三作の出版になるはず」との仰せに、我々と同世代の作家達にこのように活気のある人物は他にいないように私には感じられ、心から 敬服致しております。
どうぞ呉々も御体調に御留意され、本年も変らぬ御健筆を心からお祈り申し上げます。
本日は取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。敬具 元「新潮」編集長
☆ 拝復
このたびは「湖の本128 資時出家 初稿・雲居寺跡」をご恵贈くださり 心より御礼申し上げます。
二編の御作の重厚感が「京の散策」に描き出された京都の空間に共鳴しているかのように受け止めつつ拝読しております。
酷寒の季節を迎えておりますが くれぐれもご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます 草々かしこ 山梨県立文学館
* 新刊の「はじめに」とうしろの「私語の刻」をあらためて読み返し。感慨深い。いつまでもフレッシュな少年感覚で、めげずに無心に進みたい。身内の支えに、感謝している。
☆ みづうみ
寒くても冬の朝のぴんとはった空気は大好きです。
お元気ですか、みづうみ。
湖の本はまだ届いておりませんが楽しみにしています。
私語の編集させていただきましたことは、わたくしの財産です。
始めたときにはただお役に立てばという思いだけでした。これだけ大量の原稿を少しずつでもきちんと読んでこられたこと、いつか秦恒平論を書く上での底荷になった気がいたします。在野の秦恒平研究者になれたら本望ですが……。
年明けてすぐから体調不良で、まだ回復していません。すっかり引きこもり生活です。最近はベートーベンのピアノソナタ全曲、九時間以上かかるのですがはま りこんで聴き続けています。最初の一曲から素晴らしいのですが、晩年にいくほどに凄みを帯びてくるのがわかります。優れた藝術家の仕事は出発点から終着点 までの流れを観ることも大切だと教えられます。
早く発送作業のお疲れのとれますように。 紅 紅すこし初天神といひて濃く 占魚
☆ 鴉に
寒波も一段落してホッとしています。
本の発送などお疲れかと察します。大事になさってください。
昨日 みづうみの本が届きました。早速「資時出家」を、そして今日は「雲居寺跡」を読んでいます。
興味深く、しかし読み進めるには時間がかかります!
詩に関してご指摘と励ましをいただき、改めて考えるのですが、数年書きためたものの中から選んで時系列に沿ってまとめるのには、やや躊躇する思いがあります。
まだ時間がかかりそうです。 尾張の鳶
2016 1/28 170
☆ 「湖の本128」落手。
ありがとうございます。
なんだか楽しそうにお仕事をなさっているようで、まねをしたいです。 島尾伸三 作家・写真家
* 小説家島尾敏雄子息。「ミセス」の連載で一緒に旅も楽しんだ。酒の楽しい知己。
☆ 冷たい日がつづきます。
体調はいかがですか。
お正月の入院で大事なくてよかった! と思ってます。
早々に湖の本128送って下さり 京都のこと 楽しみに読みます。
又、メールします。お気を付けて。 京・渋谷 華
☆ しびれるような作品を
次から次へと よくもまあ。だれもまねしうるものではありません。いつも感服しております。
一月二十五日の「私語」 馬祖道一とルソーとの比較、痛快で、これこそ秦 恒平の世界であり、もう存分に元気を頂きました。怖いけれども、痛快・痛快・幾度も痛快。
痛快に泪を添えて。 東近江五個荘 川島民親 作家
☆ 私も
80歳となりました。
先生のブログはどのように検索すればよいてすか。 大阪・松原市 岸田準二
* わたしのこの膨大なホームページへ入るアドレスは、湖の本奥付に、メールアドレスとともに書き込んであります。接続すれば湖の本表紙繪をあしらった大 きな表紙が出、どこでもクリックすると、詳細な目次が出る。今月の日録も、大量の電子文藝館も入っており、邯鄲にすべて観られるようにしてあります。
☆ ありがとううございました。
「はじめに」と「京の散策2003」「私語の刻」を、まず読ませて頂きました。あとは一仕事終わってからの楽しみです。 調布市 完 文化出版局役員
☆ ありがとう御座います。
何度も読み返せる本が「湖の本」しか無くなりました。 狛江 秀
☆ 新しいご本が届き
ワクワクしながら頁をめくっています。
ずーっと音楽に関わってきましたが、昨年から奈良大学の通信教育で、歴史の勉強をしています。慣れないレポートを書きながら、なんだか(おかしいかもし れませんが)秦 恒平の世界に近付いてむく気がしています。送金は少しだけ多めですがそのままお納め下さい。 鎌倉 橋本美代子
2016 1/29 170
☆ ありがとうございました。
「しんどかろうとも 元気」 思わず襟を正されます。お体 お大切に! 中野区 恭
* 俳人奥田杏牛さん、静岡大教授小和田哲男さん、渋川市森田比路子さん、神奈川近代文学館、成蹊大、二松学舎大、中京大、文教大、お茶の水女子大等から、受領の来信。 2016 1/29 170
☆ 旧臘
十二月二十一日に傘寿をお迎えのよし、おめでとうございます。新年早々入院とのよし、もう退院されたのでしょうか。「湖の本」128お送りいただきありがとうございました。一気にたのしく拝読しました。
昭和三十七年というと、まだ私は佐賀にいた頃で、あの頃『愚管抄』が再評価されたのを思い出しています。「資時出家」は、よくまとまった小品で感心しました。「雲居寺跡」は、こういった形でノートを開陳されと、これはこれで私などにはありがたく読ませていただきました。
平成十五年の日記、二条陣屋、これは近世文学会の時、はじめて行き感心したので、佐賀大学の学生を連れて京都へ行った時、予定の所が駄目だったので、野 間(=光辰)先生の研究室に立ちより、紹介状を書いてもらって出かけ、学生達がたいへん喜んでくれました。今ではああいう見学は出来なくなってしまってい るようです。なつかしく思いました。
伊吹和子さん(=中央公論社編集者、谷崎・川端など担当)の名も見え、これもなつかしく、いまどうされているでしょうか。
「白装束」のキャラバン、ああこの年だったのですね。郡上に関係し出した頃で、毎日の様にテレビに釘付けになったのを思い出します。
(転居養生中の=)所沢、ほんとうに昼食の気のきいたところ、ありませんね。夜なら娘婿が行く気の利いた見せもあるのですが、私は、在宅医療ということで、いまは流動食と、それにいくつか許可されたものという食事で、目下栄養は点滴によっている生活です。
それでも元気にしていまして、何とか『源氏物語放談』書き上げ校正の来るのを待っているところです。 北所沢 島津忠夫 阪大名誉教授
☆ 「湖の本128」
忝のう存じました。
添えられていたご挨拶文の終わりに、『親指のマリア』の拙読後感をくりかえし読まれた由、記されており、痛み入りました。
今回の若き日の習作その他を本日拝見いたしました。
「雲居寺跡 創作ノート」 秦 恒平という作家誕生のプロセスをトレースする気持で拝見、人間の複雑なぶつかり合いの影を凝視しようとするスピリットを感知しました。
これをお書きになった頃にはすでに課長の重責を担っておられたのですね。創作への修練とよく両立させたものです。「資時出家・他」をお書きの頃の私は、 ようやく論文を二本公にし、正義と法に関する新約神学辞典の大きな項目の飜訳をしておりました。既に息子、娘がおりました。助手の薄給に耐えつつの日々で した。
まだ通院とは縁が切れないご様子、十分にご自愛の程を。平安 浩 国際基督教大名誉教授
☆ 「湖の本128」
有難く お礼申上げます。
大き恙のあとも 壮絶とも云えるご活躍 尊敬申上げるところ多大であります。
まず京都。 一気に拝読いたしました。奈良の明るさに対して 京都の昏さが気になっていましたが、幾たびか通ううちに その昏さの裏に万象に通底する或る明るさのあることに気がつきました。 人のいのちと通うものがある そんなことを思っています。
今、京都はどんな貌をしているのでしょう
厳寒の折り どうぞお身体をくれぐれも大切に。 江戸川 清沢冽太 思想家
☆ 風花の舞う朝
コトリと音がして「湖の本」が届きました。有難うございます。
日々ぼんやり過ごして居ります 恥しい在りようですが、御本を手にすると背を真っ直ぐにしようと想います。
少しずつ日が長くなって参りました どうぞお平らにお過ごしの程を。 京下鴨 文 同窓
* ロサンゼルスの池宮さん、多摩美大、作新学院大、日本近代文学館、山梨県立文学館から、受領の挨拶、またペン会員の菱沼彬晁さんには中国人戯曲集の訳本を戴いた。
☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 128 資時出家 初稿・雲居寺跡 他 」を拝受しました。
「平家物語」の世界は複雑怪奇、なかなか理解が難しいところがありますね。「資時出家」「雲居寺跡」がその腑分けの一助 になろうか と 期待して読んでいますが、果たして?
「京の散策」を読みながら町並みのそこここが映像化されて懐かしい気分に浸っています。それにしても京都で15年(学生時代4年、京 都支店勤務11年)も過ごした割には随分知らないことが多いなと思いました。まあ、住んでいたわけでもなく、観光にも熱心で はな かったので仕方がないとはいえ残念なことです。
P.S.
「湖(うみ)の本 127」拝受メールを送信したと思い込んでいましたが、どうやら未送信状態で残っていまし た。今更ですが お送りします。
「湖(うみ)の本 127 有楽帖 舞台・映画・ドラマ」を拝受しました。
舞台のことはよく分かりませんが、映画・ドラマについては懐かしい作品の数々 に出会える楽しみを味わっています。
巻末の「わたしは小説やエッセイを創作してきた。妻は、作家・秦恒平、此のわ たしを創作してきたのだ」に、深くガッテンしました。 練馬区 靖 妻の従兄
2016 1/30 170
☆ 前略ご免下さい。
「湖の本128」 ありがとうございました。
今巻でもまた 秦様の日本古典文化へのご造詣の深さに、改めて驚いております。とくに、平家物語は秦様の中に血肉化されているように存じます。
近代日本の文学者の多くは、大抵、西洋文学の圧倒的な影響の下にその出発を遂げ、晩年になるに従い日本文学の伝統に回帰するといったコースを辿りますが、秦様はこの「近代の逆説」とは無縁なように感じられ、日本文化の純血種といった印象を抱きます。
江藤淳が秦様を東工大の教授の後任に指名されたのも、『近代以前』の執筆過程で明確になって来た、日本文化の正統な後継者の必要を感じたからではないかと愚考いたしております。
また『愚管抄』は、丸山真男が筑摩刊『歴史思想集』の中で『神皇正統記』『古史通』『日本政記 論賛(抄)』『大勢三転考』とともに、日本の歴史思想を 代表する重要な史書の一つとして挙げており、ずっと気になって来ておりましたが、今巻の秦様のご文章に接し、どうしても読まなければならないと思うに至り ました。
不勉強な日々を過ごし、古稀を過ぎても己の不明を恥じることばかり多い私にとって『湖の本』は貴重な知的刺戟を与え、さもすれば衰えかねない向上心をか きたててくれる宝庫の一つとなっております。最後になりましたが、秦様の今後のご健康とますますのご健筆、心からお祈り申し上げます。 草々 国分寺 市 鋼 近代日本思想研究家
☆ 「湖の本128」
誠にありがとうございます。
ご病気と闘いながらお仕事、敬服致します。 邦 青山学院大学教授
* 新潟大名誉教授黄色瑞華さん、法政大学文学部、早稲田大学図書館、富士大学等々、また読者の皆さんからもお便りを寄せて頂いているが、視力が追いつかなくて読ませて頂くにとどめた。
* 上の四年前のわたしの「顔」 胃全摘入院の「明日は退院」という晩に自分で撮ったが、手術前と変わらない表情をしている。このすぐ一月後ぐらいから一年間 「抗癌剤」を気張って服したが、その重篤な苦痛は思い出したくもないほどだった。ドクターの方が案じて間隔を縮めてくれたほどだった、が、一度もやめたい とは考えなかった。転移癌が以降再発していないのもそのおかげと信じることにしている。
が、副作用は「眼」にそして「歯」に来て容赦なかった。
いま四年後のわたしの日頃の「顔」は、四年前のと比べようなく、まるで別人、表情に「リキ」と「ハリ」を失い、ひ弱くなっている。
ま、やせ我慢をいえば、それは「顔」だけの話。文学との日々は、たくさん仕事していた盛年期(…じつは、わたしには、そういう「盛年」の自覚や意識が、 ついぞ無かった。文壇の空気からはまるで逸れていると思い決めて、そのように生きていた。)よりも元気でいる。意識も自覚も乏しかったわりに、なんだか評 価もされていたのかなあというあれこりに今頃思い当たることもある。東工大教授ま話が降って湧いたり、ペンの理事にひっぱり出されたり、作家代表団で中国 やソ連へ旅できたり、百册を越す本を出版できていたり、湖の本が三十年もつづけられたり、など、今にして、ふーん…と思い至ったりしている。人生とは、そ んなもののようです。
2016 2/1 171
☆ 「湖の本128」を拝受。
これぞ湖の本! よくぞ公刊なさったと感嘆しました。
まずは「資時出家」を拝読、すでにして<覚悟>の定まっていることに圧倒されました。
「初稿・雲居寺跡」と創作ノートは本当に貴重なもの、読むものを昂奮させます。
そして「京の散策」も、当方知りえなかった京都を楽しみました。
秦さんの<享楽>の深さ、計り知れません。
いつもお心にかけて下さり感謝いたします。
寒さが続きます。どうぞ御身お大切に。 敬 元「群像」編集長
☆ ご芳情に
ただただ感謝いたしております。
先生はここ数年体調が十分でないにもかかわらず、「書いて」「本にする」お仕事に励んでおられ、強い精神力で病と闘っておられる作家としての矜持、はかりしれないものがあります。
どうか寒暖差の激しい季節ですので、ご油断なさらず、くれぐれもご自愛くださいますようお願い申し上げます。 京山科 あきとし じゅん 詩人
☆ 略啓
「湖の本128」有り難く頂戴しました。
お書きのやうに試作品と完成稿の違いを楽しませて戴きます。
寒さ厳しき折から 御自愛を祈り上げます。 志木 英 元文藝春秋専務
☆ 寒中お見舞 申し上げます
昨夜来の雨もやっと上って 雲間から淡い陽ざしもれてきます。
ご病気をおして、いよいよ躍動的なご出版 今回もご恵与にあずかりありがとうございました。
私の方 昨秋 突然主人体調くずし、一時どんな事かとオタオタしましたが、新年 どうにか家で迎える事 出来ました。 京下鴨 正 同窓
* 大阪藝大、東海大から、また読者の皆さんからも受領のご挨拶が多くあった。
2016 2/2 171
* やや出遅れて送り出し用意を案じていたが、今朝のうちに、妻に手伝って貰い、ほぼ問題なく用意調った。ご希望の井領祥夫さんに第九巻を送り、印刷所へ は第十三巻の本紙、前ヅケ、函表紙など責了で送った。跋と奥付等の念校が出れば、あとは印刷・製本をまつだけ。第十二巻は、たぶんもう刷了しているだろ う、わたしの方の受け容れ待ちと思われる。
第十一巻が、明後日の朝に届く。なにも慌てることはなく、ゆっくり日数かけて送りだそう。
「湖の本129」は、再校出を待っている。事実上の、この巻が創刊三十年記念の一巻になる。
第百三十巻に、わざわざ、あぶない本を持ち出して「湖の本」に火傷をさせるのも憚られる。「非売品」として選集にいきなり収めて記録だけを残すことにしようかなと思案している。
とにかくも、温厚に、しっとりと楽しんで戴ける一巻を三十年記念には用意したい。 2016 2/3 171
☆ 節分
昨日の記述、お母様に対する「永い永い」時間の後の安らい、和みほどける思いを、嬉しく嬉しく読みました。
抗がん剤の副作用が眼や歯に容赦なかったことには圧倒され、絶句します。
歯抜けお爺様は返上して、あと数日で入れ歯ができあがりますよう、とにかく一件落着されますように
身体のさまざまな困難にめげず、靭い精神を保ってらっしゃること、そして行動されていること、読む人の励ましになっていると確信します。
小倉ざれ歌、あと八首、早く百首成って読ませていただきたいと期待しています。
ざれ歌だからこそ簡単に詠めるものではありませんから。
ルソーやバルビュスの著作、いずれも半世紀近く前に読んだことがあります。
ルソーは女性やわが子に対する「処置」を知った時に、たといどんなに立派なことを書いていて
も信じられないと、これはわたしの若気に至りかもしれませんが、以後彼の本は読んでいないのです。
バルビュスの『地獄』はニヒリストの立場ながら読む人は好奇心や覗き見趣味に終わる危険性を孕んでいました。彼バルビュスの後年の軌跡の中でソ連擁護な ど時代背景を考えれば当然だったかもしれないと思いつつ、スターリンの伝記を改作している時期にモスクワで亡くなったなどを知れば、なんともミステリーめ いています。が、詳細は知らないのでそれ以上は・・。『クラルテ』という作品は読まれましたか?
『初稿・雲居寺跡』はまだ読み終わっていません、難渋しています。難しいです。
『資時出家』の中のp20、院が「政に自信はない、と仰せられたよ」とある箇所を読
みながら、同時に院の存在の不気味さ、大きさをも感じました。
『親指のマリア』については既に述べられた方もいらっしゃるので・・ p331以下の絵について書かれた箇所が心に沁み込みます。
「親指とみても小指とみても、両方いいのですよ。小指ならばこの小指は、母に抱かれたみ子・・・もし親指を描いているとすれば、母の愛とともに、父なる神の愛もまた同時に、こうして・・子に・・、人の子すべてにまぢかに在ることを、表してみせたのです」
わたしがあまりに視覚人間だからでしょうか。そして上野の美術館やフィレンツエのピッテイ宮殿などのドルチの絵に魅かれているからでしょうか。
春立つ前の今日、冷たい空気に身が引き締まります。わたしの家族はそれぞれに問題を抱えて、まだ具体的な解決が掴めません。が、ワハハと一番磊落な態度をしているのがわたしらしいです。
娘がHPにあるわたしの詩の一つを読んでママの気持ちが分かって涙が出たと伝えてきました。面はゆく受け止めました。
くれぐれもお体大事に 再度、鴉の歯の修復が早く済んで、少しでも晴れやかになりますよう、風邪ひかぬよう。 尾張の鳶
* ありがとう。しみじみと繰り返し読みました。
この季節には、蕪村描く枯木雪中の鳶の繪、鴉の繪が瞼にうかびます。
親指、小指 あれはしみじみとした気持ちで感得したまま書きました。ああいう箇所にふれてもらえると作者冥利です。感謝。
大幅に歯がないのも、さほど気にせず時に忘れています。昨日も歯医者でこれは蝋で造りました見本、この通りに歯を造りますと手鏡で見せてくれ、なるほど と思いそのまま蝋の歯が入ってるものと思い帰宅して、食事しかけて歯が無いので慌てました。呑み込むには大きいし、電車や路上へ落としてきた自覚は皆無な ので、ギヤアギヤア騒ぎ立てましたので、家内が歯医者へ電話しましたら、見本の歯はこっちに置いて有りますよと。つまり入ってない歯を入ってるものと思い 込んでたワケで。つまり、あんまり歯抜け顔を気にしていないんです。小野小町でも在原業平でも晩年歯抜けでなかった保証無いんですからね、と。
さてさても繪も詩も、ワハハと描いて書いてください。
* ルソーについてもバルビュスについても、だいたいこの人とは、話が通りやすい。世界を繰り返し独り歩きしているし、西洋の文学にも美術にも実物に触れてわ たしなどより遙かに精しく、しかも京大での専攻は中国文学・思想というから、何を教わるにも頼もしい。どれだけたくさんな本を貰ってきたか、教わってきた か、「指輪物語」も「水滸伝」も「抱擁」も「ゲーテ名言集」もマキリップの「ヘド」の原書も、とにもかくにも受容超過の上に、久しくも久しく何かと激励さ れてきた。バルビュスの「クラルテ」は一の名作であり、必読の一冊とは知っていても、まだ手にしていない。「地獄」からは深い深い絶望の情けなさを読み 取ってきたが、この作者の人生は、ウーン、不可思議にひっくり返るのだ。「クラルテ」必ず読もうと思っている。
☆ ご丁寧なご挨拶頂き恐縮です。
謡のお稽古の新年の発表会が日曜日にあったものですから、失礼しました。曲は、「山姥」でした。ピッタリ?
詞章を読んでいますと仏教用語が多いのですが、かわいいところのある山の精霊でも。
選集を次々と発刊され、そのうえ湖の本の創作・送本してくださること。など 私から見ますと気の遠くなるようなご奮闘ぶりにひたすら感心しています。お二人の共同作業がもたらす強さなのでしょうね。終わりは想像もできません。
「創作ノート」を読ませていただきますと、まさに長年の作品への熱情。育てられていたのだなーと。
平家物語に興味を深めることができましたのも、秦さんの作品のおかげです。
能へともつながってきて、稽古に励みのつく気持ちです。
また今号は資時についての考察で深く読ませていただけること感謝しています。
「京の散策」を読んでいますと、10年以前の京都の町を歩いている気分が本当にします。むかし「京都」の案内文をいただいてから、あちこちらと気ままに訪ね歩いた町が蘇ってくるようです。
最近は一人旅をする自信が無くなってしまいました。
京の散策次年度版を楽しみに待つことにしましょう。
寒さがまだしばらく続くようですね。雪にならぬように。
インフルエンザに花粉症が始まったようです。
お二人ともくれぐれもお大切にお過ごしください。 練馬 晴美 妻の同窓
* 妻といっしょにこの人を訪ねていったのは五十八年ほど昔のこと、二人で倉敷という町へ小旅行し、「ブラマンクの青」に出逢ってき たりした帰路の途中下車でであった。ご縁で、東京でも比較的ちかくにいて、女同士の往来も何度もあった。「湖の本」も最初から、筆紙に尽くせず応援しつづ けてもらった。平家物語や謡曲になど縁の無かった人が、いまでは能舞台にも乗る人になって。たいへんな勉強家、いい人生を努力して立派に創り上げられた。
* 30周年おめでとうございます。この間のお二人のご苦労を想像するだけで気が遠くなります。
どうぞお元気で、ますますご活躍を! 葛飾 日比孝一 元筑摩書房編集者
* 「京の散策」を
読ませていただきました。京都は中二から高二の足かけ四年間を九条山で過ごしました。インクライン、都ホテル、明智の首塚などは通学路にありました。 (祇園の=)貝田孝江さんは、中学生の時から美人で目立つ存在でした。 府中市 石川布美 翻訳家・エッセイスト 弥栄中後輩
* 弥栄中学から東大へ入った只一人と思う。一年下にいた途中入学の後輩で、大秀才と聞こえていた。医学書院時代、ひょっこり東大構内で再会、以来、いろいろ読んでもらっている。難病に苦しんでいるとも聞いている。お大事に。
貝田は祇園の名妓のひとりで、御茶屋の階下のバーには、橋田先生によく連れて行ってもらった。たしか、老舗の銘菓舗の娘ではなかったか、やはり一年下。
☆ 暖冬といいながら
今年に入って大雪となりました。気を抜いた時の雪の始末は大変です。
ご夫婦共に傘寿という節目の時を迎えられる事 御無理をなさらずに、充実した日々でありますよう、願っております。 新潟市 鶴
☆ 今年は
「創刊・満30年」 桜桃忌までに第130巻上梓のご予定とか。
先生と奥様のご健康を祈りつつ、ひたすら「ガンバッテ!」と旗を振り続けるのみ。
傘寿も間近な奥様とともに、日々だいじにお過ごしくださいませ。 渋谷区 宏
* おかげで夫婦ともども身内のように元気づけて下さり、ありがたい幸せです。
劇作家で「金八先生」の小山内美江子さん、作家の杉本利男さん、立命館大学図書館等からも受領の挨拶を受けている。
* 実の父方、父の長姉だか次姉だかに当たる伯母の子、かたちの上ではわたしの従兄にあたる広田雄一夫妻から、選集第十巻への礼として「洋菓子」の大きな包みが届いた。父方にはクリスチャンか多いらしいので『親指のマリア』を送っておいた。
従兄とはいえ、みなわたしの父にちかい人ばかりで、この広田は、元日銀の大阪支店長や日銀理事を勤めていた。同じ広田のもう一人の従兄は総合大学院大学 の学長をしていたらしいし、べつの高橋家の従兄は三菱商事の重役だったらしい。そういう家系からまるではみ出た無縁のものとして秦 恒平や北澤恒彦がそれぞれの頑固な人生を歩いてきたのだから、おもしろい。
それよりもわたしは、生母探訪のなかで聞かされた、母の父が、東海道水口宿本陣の娘とさる九州大名の落胤であったという言い伝えの奥の奥を面白づくにも覗き込んでみたいなあと思っている。そっちの方が小説として面白そう。
2016 2/3 171
* 「湖の本129」再校が出た。昨日も書いたように、事実上この巻が、六月桜桃忌創刊三十年の、そして三月結婚五十七年の、さらに四月五日、妻も揃って相合 の傘寿を祝える、そんな記念の一巻になる。すこし気を入れた、おそらくは読者のみなさんにも珍しがって頂ける記念の編輯内容にもなっている。六月の「第百 三十巻」は、温厚に、しっとりと楽しんで戴ける一巻を用意し、老境の「ユニオ・ミスティカ」を描くあぶない火傷はひとまず避けておく気でいます。
☆ 「初稿・雲居寺跡」から、
昭和54年講談社刊の「初恋」に成っていくのですね。
興味津々です。 紀の川市 三宅貞雄 朱心書肆主人
☆ 木守柿三ヶ、
一ツ目は 12月中になくなりました。
二、三個目は 一月の雪が降ったあと、やっと柔らかくなったのか 雀が来るようになった。 朝食を喰べながら眺めています。
なかなか順番を譲らずつついている小雀。目白も来ますが すぐおっぱらわれます。
今日(2/1)、梅一輪 咲きました。 京 有栖川 桐山恵美子
* 詩情 は、こういうメールにも美しくあらわれる。京ひとの、センス。
☆ 寒い日が
続きましたが、お健やかに新年をお迎えのことと存じます。
新年早々の「湖の本」128、ありがたく頂戴いたしました。
「京の散策」を拝読しつつ、「京」を知らない(=京大卒から九大名誉教授=)自分にあきれているところです。お礼まで、一言申し上げます。 今西祐一郎 国文学研究資料館館長
* 南山大学からも、受領挨拶あり。
* ちょっと気を遣って、埋め草ではなしにと或る一年分の「京都散策」を入れておいたのが喜ばれていて、わたしも嬉しい。ほぼ二十年分も「京都散策ないし 京都私情」を書いてきたが、「京都」だけではなく、三、四十項目に分類された二十年分の日録・私語を、この機械は満載している。その気なら分類前のそのままの私語・日録・有即斎箚記が、ホームページ表紙を経て「目次」からすべて読み出せる。誰を拒んでもいない。
* 明日からの選集⑪の送り出し用意、ほぼ全部できた。
もう限度いっぱい、十時半だが、明日も期して、機械からは退散のほかない。
2016 2/4 171
* 十一時半。もう寝床に入って、いましばらく、「選集⑭」初校 「湖の本129」再校。そのあと、バルビュス、ルソー、バグワン、そして水滸伝を楽しんでから寝ます。地震、ありませんように。
2016 2/5 171
* 朝、いちばんに、京の「華」さんから、おいしい「葛」や、俵屋吉富や仙太郎の和菓子など、たくさん届いた。お茶を点てて戴こう。
☆ 拝復
立春の候 御清祥のこととお慶び申し上げます。
先生には 御高著 湖の本「資時出家 初稿・雲居寺跡」を御恵与いただき誠にありがとうございました。
小説という「手法」を用いて『平家物語』の成立論を掘り下げる試みは 学問とは異なるアプローチで道を拓くものと存じます。郢曲の家、綾小路家と資時、金仙寺のあたりは特に興味深く存じます。
近年 実践女子大の牧野和夫先生のアプローチと合わせて 次へ 背中を押していただいたように存じます。取材の記録もありがたく拝見致しました。
拙い感想ですが今後ともよろしくお教え下さいませ。 かしこ 清水真澄 中世文学研究家
* わたしのアプローチは、いずれも昭和四十六年(一九七一)の創作で、四十五年も昔の仕事。
小説家の試みは、なかなか同時代の研究家の眼にはとまりにくい。それでも幸いに『風の奏で』も『雲居寺跡』も、のちの『秋萩帖』や『あやつり春風馬堤 曲』なども、かなり深切に話題にされた。わたしの応援団めく専門家がかなり広範囲にいて下さるのは、東郷克美さんのいわれる「学匠作家」として仕事してき たからと思うしかない。何のヒキもないわたしに東工大教授の矢がいきなり翔んできたのもそのおかげと、いまごろ思い当たっている。
☆ 早 二月になりました。
過日は湖の本128を賜りましてありがとうございました。
『雲居寺跡』など 初稿時 先生三十二歳のご執筆、改めて感動させられます。
「京の散策」も、出掛けますとき 手引きにさせていただけます。
くれぐれも御身お大切にお過ごし下さいませ。 吹田市 郁 歌人
* 鳴門教育大、ノートルダム清心女子大 から、湖の本受領の挨拶あり。
2016 2/6 171
* 川崎の島田正治画伯からは「選集⑪」へ、京都の漆芸家望月重延さん、京・今熊野の同窓松井孝・章子夫妻からは「湖の本128」へのご挨拶があった。
* 「選集第十四巻」の全部を要再校で戻した。これからは、「湖の本129」事実上の創刊三十年記念の巻を再校しはじめる。創作も進める。「湖の本130」入稿、「選集第十五巻」入稿の作業も進めて行く。
仕事としての元気は元気で有り難い、が、断っておくが、「選集」は限定150部の非売品、つまり出費の一方なのであり、「湖の本」は、この数年来、累算 赤字出血つづきでお金儲けとは百パーセント縁がないのです。そそっかしい誰かが、息子さんがやって下さるのでしょう、いい息子さんねと云われたことがある が、幸か不幸か、まったくそういうことはないのです。要するに、無心に懸命に生きている事実しかわれわれ夫婦には無いのです。自分がいま健康なのか危険な のかも、わたしには分かっていない。 2016 2/8 171
☆ 選集ありがとうございました。
早々と、今日夕方、選集11巻届きました、限られた冊数にもかかわらずお送り頂き有難うございました。懐かしい所が沢山出て来る様で楽しみです。
お菓子喜んで頂き嬉しいです、お疲れたまらない様にお気を付けて下さい。
では 京・苦集滅路 華
* 「地(ぢ)=祇園・京」の作を揃えてみたので、昔の友だちには読んで貰い易いかなあと。まるまる京ことばでの作が二つもあり、少し冒険でもあったのだけれど。
仙太郎の最中、最中の好きな甘党のわたしにも、とびぬけて思い出のしみこんだ美味い甘みを堪能した。俵屋の葛も、京菓子の粋の粋。感謝、新た。
このところテレビで、京都探索の番組にしばしば出会い、みなそれぞれの魅力を見せていた。わたしにも、わたしの「京都」を見続けた歴史があり、何度も連 載で書いたり本にしたりしてきたが、もっとプライベートに近い、それだけ濃い翳りも匂いももった思い出はまだ沢山ある。「湖の本」編輯のついでのような付 け足しで何度か紹介はしているが、腰を据えて書き置きたい「京」はまだ有る、かも。そんなのは存外に此の「闇に言い置く 私語」にこそ書き散らされている のかも知れないが。ま、ま、…宿題の多いこと。
2016 2/9 171
☆ 頭が下がります
秦恒平先生 ご無沙汰しております。
このたびはまた「湖の本」にひきつづいて『秦恒平選集』第11巻をご恵投たまわり、感謝にたえません。ありがとうございます。
先生の活火山のようなご活躍ぶり、大変なものですね….。当方も高齢者の仲間入りをしましたが、先生のお仕事ぶりを見ていると、元気がでてまいります。
この選集は後世に残ると思います。
御礼のみにて。 西垣通 拝 東大名誉教授・作家
2016 2/14 171
* 朝、目覚めて、そのまま床に座って小説「チャイムが鳴って更級日記」を再校し終えた。おもしろ小説一作を、幸いにモノの山から掘り出せた、よかった と、胸を撫でた。もうほどなく責了に出来るだろう此の「湖の本129」の三作は、創刊三十年その他を記念の好い小説一巻にまとまったと思う。わたしの精神 衛生も好い。
2016 2/15 171
☆ 春先の変りやすいお天気に加え
風は冷とうございますがご体調はいかがでいらっとゃいますか。「湖の本128」を賜り本当にありがとうございました。
平家物語は大好きで(学徒動員で日本の古典は殆ど習っていませんでした)これだけは五○歳台になって愛読いたしました。「初稿・雲居寺跡」、読ませて頂きます。体調をくずしておりましてお礼を申しおくれましたことお許し下さい。 福 故東大法学部長 夫人
2016 2/15 171
☆ 湖の本の
頁をめくる喜びにいつも感謝しています。暮れに母が突然他界しました。人がそこに在ることの尊さと不思議を思います。お体をお大切に。 沖縄 嘉
2016 2/15 171
☆ 湖の本128拝受致しました。
選集第十一巻もありがたく頂きました。湖の本支払いに添え、ほんの気持ちだけですが、併せてお送りさせて頂きます。
くれぐれもくれぐれも御大切になさって下さい。 鈴 追手前大学名誉教授
* 過分の御喜捨 恐れ入ります。感謝します。
☆ 湖の本128ご送付
ありがとうございました。おげんきそうでいらっしゃいますね。本当に嬉しいです。インフルエンザが流行しています。寒さも続きます。くれぐれもご用心下さい。お大切におすごし下さい。
近況報告 娘の*子がやっと大学院を終えます。阪大の演劇学教室にそのまま助手代理で残ります。やっと社会人です! 大阪市 祥
* オー、あの愛らしかった新中学生が。益々りっぱな演劇学の研究者になる子です、おめでとう。
2016 2/15 171
* 「湖の本130」創刊三十年記念に、ちょっと趣向の編輯が出来そう。楽しまれもし思案もさせて、当分の読書に成るのではと、私も期待している。
2016 2/16 171
* 「湖の本130」入稿直前まで用意を進めた。もう、眼がダメ。
2016 2/16 171
* 「湖の本130」創刊三十年記念原稿を入稿した。キャッチボールのボールはいま、みな、印刷所の側へ行っている。反動で、仕事の大波が来る用意をしてない と、きっとヘバる。発送も、相次いで迫ってくる。とにもかくにも、今年の桜桃忌が、おおきな中仕切りになる。その辺で息もつぎたい。
2016 2/17 171
* 「選集第十二巻」三月十日に出来てくる、と、連絡有り。
「湖の本129」を今日責了。
2016 2/18 171
☆ 拝啓
やっと春らしくなりました。
ご療養のことうかがっておりましたが 旺盛な創作 ご出版のこと敬服いたします。
前巻に続いて、選集ご恵与たまわり身にしみて光栄なことと厚くお礼申し上げます。
「地」の小説集とうかがいましたが、確かに編輯の魅力、「湖の本」で拝読していたのと一味違う迫力が感じられます。
人間を描くのが文学の業として、作者ご本人が直かに登場なさるとあればまた格別、それにしましてもすさまじい記憶の力は圧巻です。同級の方々がよき愛読者とうかがっておりましたが、私ごときが賜るなど恐縮に存じます。
じっくり拝読するとして、とりあえず、かわりばえしませんが、秋田のうどんお届けいたしたく。
お揃いでお大事に。
奥様 着到のご返事どうかご放念ください。
かえってご手数かけ恐縮に存じます。 信 神戸大名誉教授
☆ 秦 恒平様
寒暖のはげしい冬です。いかがお過ごしでしょうか。
先日は「湖の本128 資時出家 初稿・雲居寺跡」をお送りいただきましてありがとうございました。
とんでもない草稿で、ぼくなどには手がつけられない内容です、よくぞ「大きく逸れて動いて」『初恋』ななってくれたものだと思いました。本腰を入れて論じる人には、やがて貴重な資料となると感じました。
さて別刷が出るのを待っていて遅くなりました。
『みごもりの湖論 物語の<虚>をもとめて』 同封させていただきました。いつもながら、的はずれな読み方をしているのではないかと心配しております。
胃腸の具合すっきりしないまま何とか過ごしております。
お身体 じゅうぶんにご自愛くださいますように。 奈良五條市 永栄啓伸 現代文学研究家 2016 2/19 171
* 本の納品を大量に受け容れるには、東棟玄関を明けて残本を西棟へ運び、西棟玄関を明けるために玄関に積んだ選集、湖の本を書庫へ運び込み、また二階へ 運び上げて位置を記録して保管しておかなければならない。これは相当腰や背筋へ堪える重労働で、湖の本本25部一包みだけでも重いのを、二包みは抱えて巻 によりそれぞれの位置へ移動させる。
今日、それをし終えて、選集⑪と、追っかけてくる湖の本129の運び込みに備えた。いちばんきつい仕事を、とにかく曲がりなりに終えた。
次は、郵袋の注文。選集用は「十字架と呼んでいる大きいのを買いおかねばならない。湖の本には、一冊用と二冊用の二種類の封筒をそれぞれ幾箱も買って、 宛名やいろんな印を捺して発送に備えておかねばならない。荷造りと発送のすべても身体労働で、かなりの運動量になる。荷造りした六十册ぐらいな湖の本はダ ンボールに入れて廊下鳶を繰り返すのが常である。幸い選集の送り出しに二十日近い余裕があり、書いたり読んだり出来るのが有り難い。
* 津島佑子さん、野坂昭如さんが亡くなった。
* 夜分、根気仕事に集中したが途中まで。疲れた。
* 元朝日新聞社の伊藤壮さん、「越の寒梅」二升下さる。湖の本三十年の大きな恩人であるのに、お祝い戴いて。恐れ入ります。有難う存じます。さっそく頂戴しました。
信太周さんからも、稲庭饂飩をたくさん戴いた。恐れ入ります。
2016 2/21 171
☆ 謹 啓
このたびは「秦恒平選集」第十一巻(「或る雲隠れ考」他)をご恵贈賜り、まことに有難く心より厚く御礼申し上げます。
「或る雲隠れ考」は、わたしにとっての秦文学親炙にいたる初期の出会いの、印象深い一編でした。
御作品の深い印象は、三十年以上も昔の読書でありながら、印象にとどまるところが多々あり、こんかい選集で再読しながら、ふと色彩の異なる感じを受け、 立ち止まるところがありました。なぜそこで、と不思議でしたが、物語の半ばに至って、「彫琢」ということに思い至りました。「或る雲隠れ考」では、わたし は「湖の本」17巻と「雲隠れの巻」(昭和50年 西澤書店名著刊行会刊)とを手元にしておりますが、原典に最も近いと思われる「雲隠れの巻」を書架から とりだして再読いたしました。そして、わたしが立ち止まった箇所が、細部に亙り、彫琢が加えられているのを見出し、深い感銘を受けました。
こうして、「或る雲隠れ考」をわたしなりに検証しつつ読み終えてみますと、選集は何れの作品も秦作品の改訂版であり、決定稿として、再び世に問われた作 品集となっているのではないかと、思い至ります。そして改めて、世の文学研究者には、決定稿「秦恒平選集」は、秦文学鑑賞・研究に欠かせぬ重要な資料とな るだろうと思いました。
遅々とした読みではありますが、選集を日々播きながら、文学の深さと、高峰の遼遠さを身に染みて感じております。
天候不順、寒暖定めない陽気が続いております。どうぞご健康にご留意くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
「湖の本」30周年記念号の発刊も間近とのこと、楽しみにしております。 八潮市 瀧 作家
2016 2/24 171
* 「選集第十二巻」刷了。三月十日の出来は確実になった。三月にはいると病院通いもあるが、松本紀保が夭折作家久坂葉子を、俳優座の岩崎加根子の助演を得て主演する舞台、それに歌舞伎座の春歌舞伎もある。はんなりと好い春の訪れを待ちたい。
しかし、あまり間もあかずに「湖の本創刊三十年」記念の第129巻が出来てくる。またまた体を働かせた力仕事になる。本は、重いですねえ。
この記念の巻には、さらに桜桃忌を期した三十年記念の巻にも、すこしく頬の綻ぶ期待がある。
2016 2/24 171
* 「選集第十四巻」492頁の再校が出そろった。追っかけて「湖の本129」の再校も、「選集第十五巻」の初稿も出てくるはず、着々と迎えとる。しかし、どこかへ出掛けてもみたいなあ。
2016 2/25 171
*「湖の本130」えらいものに手を付けた。初校に緊張を強いられている。
2016 2/27 171
* 宅急便で床を出てから、三時間ちかくも床に座って校正していた。むそのせいで血圧の最初の測定値は182もあった。血圧は平静時に計らないと。三時間 も読み耽ったのは「湖の本130」の初校。これは、ひょっとして風変わり代表作の一つに成っているかも知れない、「選集」に入れて良いかも知れない。文学 の読書体験からすると、先ずは「作品」を味わい次いで「作者」を知りたくなる。選集は、後者にも応えたい。
2016 2/28 171
* 凸版印刷からの予想通り怒濤のゲラ出しに、混乱しないようにしないと。選集第十三巻の念校責了分、湖の本129の念校責了分を、明日、送り返す。
選集第十四巻の再校、第十五巻のゼロ校ももう出てくるだろう。「湖の本130」の初校もあらかた終えて、要再校で送り返す前に、慎重に内容を点検してお きたい。著者であり編集者である仕事を独りで斡旋しなくてはならないが、医学書院では十五年、湖の本では倍の三十年、選集のように平均五百頁、気の張る特 装限定出版すら、もう満二年体験してきている。二年で十二巻もまずまず無事に刊行してきた。人が驚き呆れているのも当然だろう。だがムリに疾走していると いう気は少しも無い。大いに楽しんでいる。ぜいたくをしているという気持ちも、むろん、全然無い。これがわたしの仕事なのだから。
新しい小説「清水坂(仮題)」「ユニオ・ミスティカ(仮題)」「父の子と子の父(仮題)」が先陣を競って(譲り合って?)犇めいており、ほかに、電子化さえ出来れば伸び上がってくるだろう棚上げ小説が手を掛けて呉れよと言うている。うち、五作は処置できている。
人も押しわれも押すなる空(むな)ぐるま
何しに我らかくもやまざる 遠
やれやれ。
2016 3/1 172
* 八時半、「選集⑫」の納本を待機している。「選集」創刊のとき、この巻『生きたかりしに』は予定に入ってなかったが、この巻の実現のためにこの企画が成ってきたという思いも今は深い。
* 妻もわたしも風邪気味で、妻の方は近くの病院で処方された風邪ぐすりを服している。インフルエンザ検査は陰性だったと。おちついて乗り切りたく、送り 出しの作業も前回の倍の時間・日数をかけて無事に終えたい。とにかくもこの六月桜桃忌、つまりは創刊満三十年までは、「選集」「湖の本」刊行がしのぎを削 るように進行する。
2016 3/10 172
* 保谷市庁舎まで税務申告に行ってきた。申告するほどの殆ど何もない、医療費等の支払い過多でいくらか返送されてくるらしい。わたしにはよく分からな い。同じ市庁舎で幸い暁会へ費用支払いも終えて来れた。月末までに、こんどは「湖の本129」発送の用意が要るが、ま、なんとかなるだろう。成るように成 るように成らせるまでのこと。
* もう「湖の本130」三十年記念の巻再校が届いている。今回に限り、記念の口絵も入れ、それらしく粧わせてみる。
2016 3/15 172
* 「湖の本130」の表紙とあがきを要再校で戻し、「選集14」の口絵を入稿、追いかけて「湖の本129」発送の用意を前へ進めた。 2016 3/16 172
* 「湖の本」129巻 四月七日に納本ときまる。ほおっと一息つける。
2016 3/18 172
* 「湖の本129」納品が四月七日ときまり、二十日近く間が出来、創作仕事のためにも、発送用意にも、休息にも、ありがたい。四月五日の妻傘壽と歌舞伎 座四月興行まで、気分的にゆっくりできる。暖かくもなってきたし花も早く咲くという、少し浮かれてみたい気も湧いてくる。目が良く見えてくれたら言うこと ないのだが。
歯医者さんへ行かなくちゃ。
* 元朝日新聞社で「湖の本」創刊時の恩人である伊藤壮さんから、名酒「越乃寒梅」を二升送って下さった。四月、いっしょに楽しく祝ってくれる酒の友が欲しくなるなあ。 2016 3/19 172
* 「湖の本130」創刊満三十年記念巻を「要全念校」で戻した。出来る限り遺漏のない刊行へこぎ着けたい。
2016 3/23 172
* 必要があって、『死なれて 死なせて』を読み返している。思えば『生きたかりしに』のこれは身代わりのように書き下ろされた或る叢書中の一冊で、わた しの本としては、ま、よく売れたらしい。反響も痛いまで深切であった。もうこれを書いた頃には「生きたかりしに」草稿もほぼ出来上がっていて、だが、だれ がこんなのを読んでくれよう、本にしてくれようと、我から棚上げにしたのだった。
よく覚えている、この新刊が評判を呼んでいたまさにその時にわたしは東工大教授として授業を
はじめたのだった、学生諸君はわたしと出会うまえにいくらかこの新著の評判や内容を知ってくれていて、おかげでよほどトクをした。聴講の学生たちが教室へ殺到した。
この本で生みの母や実の父にふれては、今からして事実上の間違いも含まれているが、それらはホンの些事に過ぎない。このほんこそはわたしのいわば「思想」書なのであった。人は「生まれ」そして「死なれて 死なせて」 「死んでいく」。
いま読み返していて、あーあ、こんなところを通ってきたのだなあと嘆息もし、しかし、この先にはさらに嵯峨として嶮しい難路がわたしを待っていた。
* むかし、師表とうたわれている国文学の二人の教授と鼎談したことがある。話し終わったアトで、一人の先生がやおら取り出して見せてくださったのは、巻 物の秘畫であった、その手のものとしては格別に筆が優しく美しかったが、男女の交接をいろいろに描いた絵巻物の春画に相違なかった。もとよりその先生は 「文化・文物」の一端を興趣ゆたかに披露してくださったのである。
どこかの文化資料施設から、むかし「えろ本全集」の広告が送られてきたことがある。フーン、こんなにもあるのかとかなり書目詳細を一覧にし露骨な交接画 もでかでかと印刷されていて、一資料としてその広告は保存されていたが、最近資料棚から現れたのを再見して、もう必要ないとシュレッダーで断裁した。その 種のモノへわたしなりに「分かったよ」という断案が出来ていたから、必要も失せて捨てた。
露骨な春画など、見ていてなにも面白くなく、醜悪で目を背けたいだけ、と、思っているが、そこに描かれてある男女の行為じたいは、貴賎都鄙のわかちな く、洋の東西の別もなく、ほぼまったく同じだという当たり前の認識にわたしは立っている。皇族貴族は排泄すらしないという笑い話は子供の頃から耳にしてい て、だれもがそれを信じてなどいない事実だけが胸に畳まれ、ひいては性の容態・様態もまた同然と、それを本気で疑う人になど独りも出逢ったことがない。
さればこそ、また、わたしは、その厳格な事実性を、愛とか恋とか性欲とかいう人間不可避の営為認識の当然の前提と見てきた。いかなる男女の愛や恋や交情を描くさいでも、その認識を捨てていたことは無い。
アンリ・バルビュスの『地獄』は、露骨に謂えば終始隣室の男女の「覗き」であり、覗きと聴き耳とで、きわめて優れて悲愴な絶望の思想を、優れた文才で描 出している。それこそ、「四畳半襖の下張」めく男女交接をひしひし描いた本は、発禁のおそれをかいくぐって古来けっして少なくはなく、あの戦後となって 「えろ本」が解禁後は、相当に赤裸々にアクドイまで書かれてきたと思う、わたしはまだ少年だったので、実際には読んだことがないと正直に言いきれるが、裁 判になった「チャタレイ夫人」も、誰の作とも断定しきれないで流布した「四畳半襖の下張」も、荷風散人のその手の佳作も大人になってからはちゃんと目にし てきた。いやいや例の「襖の下張り」は、東工大に教授室を並べていた時になんとある日政治学の教授が、「こんなコピーを手に入れましたよも差し上げます よ」と手渡しに呉れたモノだった。むろん、読んだ。ホームページの「電子文藝館」にも入れて、但し転送はしないままに保存してある。
* わたしは仕掛かりの創作のためにも、字で書いたものよりも、写真による性の容態をコンピュータから意図的にかなり蒐集までもしてきた。女性の裸の写真 は美しく撮っているので美しいモノが多く、知名の女優さんでもけっこう裸の写真はひとに撮らせている。そしてそんなのは、わたしの創作にはほとんど何の役 にも立たない。わたしはいかなる美女といえども、静止して意図して美しく撮られた裸が美しいのは美術に類するのだからあたりまえ、あまり意味がないと思っ ている。そして、どんな美女でも素っ裸で動き回れば決してそんなに美しいわけがないと思っている。ミロのヴィーナスのように人は佇立して過ごせるわけがな い。乳房がたぷたぷしたり、腹が揺れて皺になったり、それは美しいよりは疎ましいモノのように思われる。男でも同じである。ダビデや考える人のように男は ただ立ったり座ったりはしていない。力士達がまわしを外した恰好で相撲を取ればどんなものか、言うまでもない。ほぼ見苦しいだけである。女性ならもっと見 苦しかろう。
しかも、そんな見苦しいような裸形をからませての男女交接の容態は、人類という種の生存保存に避けるわけに行かなかった。皇帝と后妃であれ、浮浪の貧男 女であれ、すること、せざるを得ないことは、ま、同じである。「えろ本」全集の広告にでかでか出ていた春画のいろいろが、致命的なまでまったく変わり映え しない同じ図様・容態であったことを、苦笑いして思い出す。しかもそんな図を乗り越えての理想は、結局「ユニオ・ミスティカ」であろう、つまりは、それも 人間の営む不可避・不可欠の「文化」となっている。文化ならば、たとえ美しくなくどう見苦しくても、見捨てられはしない。
* わたしはわたしの「地獄」をなど書こうとはしていない。どんな作が語られるか、それはナイショだが、しかしバルビュスの「地獄」は、予期した以上に文 学としての美しさと哀れさとをよく備えていて、それを学ぶ・マネぶ気は無いけれど、いましもこの佳い作品を、そろそろ読み終えようとしている。それしかあ るまいという女の声が聞こえてくる。
そういえば戦後直ぐのベストセラーでわたしの感化された二つ西洋人の著していたエッセイがあった。最近の病気で、とっさに書名が出てこない、が、あああの頃からいろんなこと思ってたんだとかすかに納得したりしている。
2016 3/23 172
* 湖の本も選集も、いまはボールが印刷所側の手にある。その間を利して「第十六巻」の原稿を慎重にかつ面白く読んでいる。
2016 3/30 172
* 明日は花見に出ようかと妻と話している。七日からの「湖の本129」三十年記念の(一)、発送用意はもう出来ている。引き続いて「選集第十三巻」も出来てくる。 2016 3/30 172
☆ 京の櫻も
見ごろとなってまいりました。
「秦 恒平選集第十巻」ありがとうございました。
一月、二月、三月、講座「イタリアと日本」で、ナポリの大学で教えていらした方と、ギリシア悲劇と能楽の話から いたりあオペラと歌舞伎で、 二つの国について考えてみようと、私は「親指のマリア」と「神曲」を読みながら 頑張りました。
最初の日に観世寿夫「井筒」のDVD映像をみたのですが、御本にも「御座敷のほうで聞える謡が『井筒』らしい、お優しいなどとつぶやいていた」とありました。
今回は、京都新聞や湖の本で気づかなかった間部詮房の魅力を感じることができました。政と祭とがつながってたいた古代的ものと現在をむすぶ力を持ってい た人なのだろうかなどと… またシドッチが手元に置いた二册の一冊がダンテの「神曲」で、なんだか講座の進行を応援してもらっているような気持でした。 「神曲」から想を得たオペラ「ジャンニ・カキッキ」は、喜劇に仕立てられていますし、「平家物語」の義経も「千本桜」では、狐の話になっています。叙事詩 と芸能の関わりも面白いと思いました。 勘三郎さんの忠信のDVD映像で受講生と一緒に、涙しました。
「すべては生来変化し、変形し、消滅すべく出来ている」というアウレリウスの言葉は、「平家物語」の無常観と響きあっているようにかんじました。
「親指のマリア」は、読ませていただく度に、新しい発見に出あいます。 新聞紙上で挿絵に助けられながら、読み続けた昔が懐かしく想い出されます。 (挿絵を描いた=)池田良則さんとお会いする機会があり、話が盛りあがったきおくもございます。
十一巻、十二巻のお礼は、じっくり読ませていただいたあとに申し上げたいと思いますが、「姑」は一気に読んでしまいました。「京の女」が言葉の中から立 ちあがってくる迫力がどこにあるのか まだ、よく分かりませんが、本を読んで眠れなくなるという稀な体験をいたしました。
新潟から出てきた学生時代、夫と会い結婚して大変だった日々がよみがえってきたせいでしょうか。
それとも、小説の中に描き出される人と、それを書く人との間にある共感と反発に文学の根のようなものを発見できたと思ってしまったからでしょうか。
ゆっくり考えてみます。
佳い季節になってまいりましたが、花冷えの日などもございます。先生、奥さま、どうぞ くれぐれもお身体大切におすごし下さいますように。 羽生清 京都芸術短大教授
* なんという、ありがたい「いい読者」であって下さるかと、深く頭をさげています。まさしく「読んで下さる」方である。有難う存じます。
羽生さんは、まさしく話題の「親指のマリア」京都新聞朝刊連載を終えた直後に、東京の保谷市までわざわざインタビューに来て頂いた。お目に掛かると、そ れより少し前に京都でのあるパーティでお見かけしていて、すてきな人だなと印象につよく残っていたそのご当人であったのにビックリしたのを今もありあり憶 えている。インタビュー記事は「湖の本27 誘惑」のうしろに「きょうのきのう きのうのあす」と題して併載してある。
2016 4/2 173
* 「湖の本129」刷了見本、「湖の本130」三校、「選集14巻」三校、「選集15巻」再校、ダンボール箱に満杯で届く。投げてあったポールが、みん な投げ返されてきて、また当分、たいへんな騒ぎです。まずは明日から「湖の本129」の発送。今度は、妻に胸部の痛み有り、重荷の仕事はわたしが独りです るしかなく、ゆっくりと送り出すしかない。
発送用意は、しっかり出来ている。
2016 4/6 173
* 明日からは、湖の本創刊三十年を記念の、まず第129巻を送り出す。宅急便に渡し始めるのは明後日から。未発表の小説が「三作」、おもしろい運命に背中を押されて出揃う。
2016 4/6 173
* 起床8:00 血 圧127-57(61) 血糖値96 体重67.3kg
* 九時過ぎ、雨中、「湖の本129」納本、今朝は20册一包の玄関へ積上げの作業に疲れた。
今回、妻は胸に痛みを抱えているので、重荷扱いの手伝い仕事はムリ、全部自分で遣る覚悟で発送に取り組む。幸いというか、今日は近くのクロネコやまとが超忙しい日といい、うちの出荷は明日からに願うと頼まれている。今日は荷造り専念で過ごせる。十時になった。開始する。
* ぶっとおしで、読者分の荷造りだけはでき、幾らかはクロネコさん運んでいってくれた。
☆ お元気と存じます。
私はよぼよぼ老醜をさらしつつ、まだ生きています。
肉体的にも精神的にも老いてしまったので、もう興味も感動もすっかり無縁と思っていましたが、4日からずっと興奮が続いています。
すでに情報お持ちでしょうが、4日のTVでシドッチの遺骨が…途中から見たので詳細を知りたく、文京区教育委員会埋蔵文化財科に電話したのですが、女性職員はあまり興味無いらしく、小日向1―23を掘った程度の情報でした。
私が図々しく訪ねて色々お話伺った小日向の檀野家が番地1―24ですので、ドキドキしました。
友人がインターネットで調べてプリントアウトして送って来ました。
一体はイタリア人、残る二体は日本人。シドッチと長助はる(-o-;)
もう一度杖ついて、小日向へ行きたいと思いましたが、14年7月に調査したそうですので、もうマンション建っているでしょう。 横須賀 檸檬
* とにかく燃え熾るように作の場面を歩き回る愛読者だった。シドッチや長助、はる、そして小日向切支丹牢となると、この「レモネード」さんはじっとしてられないだろうなと昨日も思い出していた。
興奮、むりもなく、それに値する感動の報道ではあった。
この人やこの人の仲間さん達、しかし「湖の本」創刊に不賛成で、いらい、ご無沙汰になっていた。「湖の本」が三十年も百三十巻も命永らえて活躍するとは信じられなかったのである。
作家・秦 恒平にとって「湖の本」とは何であり、何をもたらしなにを喪ったか、いずれは誰かが論じてくれるだろう。
* 創刊三十年の六月桜桃忌には、「湖の本130」の発送を終えており、たぶん「選集第十四巻」まで送り出せているだろう。心はずむ仕事を無事に終えてお いて、六月の歌舞伎座へと、三部制通し狂言「義経千本桜」を予約、一部染五郎の「碇知盛」に珍しい所作事の「時鳥花有里」がつき、二部幸四郎の「いがみの 権太」、三部は猿之助の「狐忠信」前半に染五郎の静で「道行初音旅」が、後半に猿之助宙乗り狐六法が盛り上げる「川連法眼館」。歌舞伎屈指の名作である、 待ち遠しい。
* さ、湯に漬かって、昨日山のようにダンボール箱いっぱい、まだ一包み剰って届いたゲラを読みましょう、眼が見えるならば。
2016 4/7 173
* 晩の九時まで、ひたすら発送作業。
たぶん、宅配の引き取りこそ明後日になっても、荷造りは明日のうちに終えるだろう。日曜には、プランと遊びに出られるかも知れない、花吹雪すらもう過ぎていようが。
* あと、苦渋を噛みしめながら原稿の読み。
* 精神的に、へとへと。今回の発送では、腕車使用を避け、じかに力仕事で本を運びに運んだ。ダンボールに荷造りした六十包一箱ほどを、床から持ち上げて は何度も何度も何度もキッチンから玄関へ運んだ。腕力はともあれ、腰椎がへしゃげそうに重かったが、がんばれる限りはやるしか無い。
幸い、妻の胸骨痛は、医者の再診できややに軽快しつつあると。よかった。
2016 4/8 173
* さ、今日の仕事を始める。
* 今日の、今回の発送作業、つつがなく終えた。ほっと一息。
* なんといっても、わたしの高齢読者のみなさんが、ここ十年に夥しく亡くなられて、湖の本の購読者も数少なくなり、その分を大学高校施設各界への寄贈にみな加えている。
「湖の本129」佳い一冊になったと喜んでいる。次の記念の一巻、楽しんで頂けると思っている。
* まだこんなに力が出せるかと、危ぶむも半分、ガンバッタが、ほつこり疲れもした。
これで五月連休あけ「選集⑬巻」発送までは、創作や校正に力がさける。気分、ゆっくりしたい。
2016 4/9 173
* 今日はよくよくとみえ、つぶれるように寝入ってしまう。
それでも、五百頁ちかい大冊の選集「十四・十五」両巻の再校、三校ゲラへの赤字合わせを終えた。「湖の本130」の三校めも読み進んでいる。
さらにこれも大冊の選集「十六」巻入稿原稿を、ほぼ読み終え、「あとがき」を用意している。 2016 4/10 173
☆ 「湖の本129」有り難うございました。
八十路を迎えて、尚変わらずお元気でお仕事、何よりです。
桜が散って気分がやや落ち着きました。
博物館目当てで上野公園に何度か通い、お花見は報道されていたような、無遠慮な中国人に占領された感があり、さっさと素通りですが、日本人の花見宴会は変わらずやっていました。
(写真は、博物館へ正面の上野公園)
宿泊を付き合って呉れる弥栄中の友だちがいるので、梅雨前頃にお墓参りを兼ねて故郷へ行くつもりです。
何時まで通えるかなぁ。 花小金井 泉
* やっと「湖の本」が届きはじめたらしい。この写真はうまく撮れている。
故郷 京都…か。わたしも、行きたい。
☆ こんばんは!
新しい湖のご本、送っていただきありがとうございます。
大切に読ませていただきます。
主人が腰の手術で入院、先日無事退院しましたが、何かと雑用に追われ、花の盛りもあっという間に過ぎてしまいました。
今日は又肌寒い一日でした。
少し気合いを入れて毎日をがんばらねばと思っています。
どうぞ奥様共々お大切にお過ごしください。
ありがとうございました。 京 道 従妹
2016 4/11 173
☆ 拝復
昨日は又 御鄭重にも「湖の本」129を御恵送下さいまして誠にありがとうございました。「私語の刻」をまず拝読致しました。「清経入水」の「受賞(=「展望」発表)作」の「前作(=選考会での当選作)」を初公開された所以がよく分りました。
「湖の本」を自ら創り出され、「続く」ことが必要とされて、創刊三十年、あと一巻で「百三十巻」に迫られた「堅忍不抜」にはただ頭が下る思いが致します。
私もまだ自転車にはよく乗っていますが、くれぐれも御体調に留意され、首尾よく「百三十巻」を完成されることを楽しみに致しております。(現在相変らず慌しくしておりますが、一段落致しましたら「原作」を拝読致します。)
右、取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。 敬具 元「新潮」編集長
2016 4/12 173
☆ 「湖の本」129、
嬉しく拝受いたしました。ありがとうございました。
「チャイムが鳴って更級日記」、洒落たタイトルだなぁ、と思っていたのですが、ああ、なるほどと。読み進むのがたのしみです。
ソメイヨシノはすっかり散って、こちらは八重桜が咲き始めました。
花粉症はあと少しの辛抱でしょうか。
どうぞお体ご自愛下さいませ、先生も奥様も。 岐阜 以
2016 4/12 173
☆ ご無沙汰しておりますが
お変わりなく 百花繚乱となりました今年の春を、お楽しみの事と存じます。
湖の本を受け取っております。有難うございました。
私もすっかり解放されて、元気に過ごしております。 これから5月下旬ころまで、娘一家と過ごすため、コペンハーゲンに移動いたします。 菜
* 今度の発送では、手順違えと眼の見えなさとで、いろいろ書いたり挟んだりを間違えていそうな不安がある。間違えてたら、遠慮無く仰有って下さい。
2016 4/13 173
☆ 昨日、
「湖の本」129『原稿・清経入水 秋成八景他』をご恵贈にあずかり、忝のう存じました。ご厚情に心から感謝を申し上げます。なお、ご無事にまた一巻を「湖の本」に加えられたことをお慶びいたします。
『清経入水』は創作シリーズの初巻によって、かつて二度ほど拝見し、青春の息吹を懐かしむ幻想小説の初々しさを堪能しておりました。昨日、いただいてから三読し、かつての鮮烈な印象を刷新しました。ありがとうございました。
秦さんの小説世界は虚構中に夢とうつつの往来があり、さらに虚構世界と現実世界との往来が二重なる不思議な世界であり、読者はその往復のあわいに置かれ ます。そう思っておりましたら、「チャイムが鳴って更級日記」の中で、「小説の中でも夢を見、夢の中でも小説を書き、……何が夢やら現やら、小説と現実と のけじめもさだかでなく、濛々と昏い想像の世界を踏み迷うている」との一節に遭遇しました。言語によって世界を創造する表現者の特権であり、至福でしょ う。
先日はICU図書館への貴重な私家版選集をご寄贈いただき、大変名誉に感じております。
今回の「私語の刻」によれば、自転車で武蔵野風情を静かに眺め楽しむお力を残されている由。自転車にて長くその風情をお楽しみ下さいますよう。平安をお祈りします。
感謝を込めて。 浩 国際基督教大学名誉教授
* ありがとう存じます。
☆ 早速のご返信、
有難うございました。記念の号が出来上がるのは楽しみですが、振込先の番号さえお知らせ下されば、お送りできるとおもいます。
私もいつもお幸せとお体の順調なことを祈っています。
息子たち一家もそれぞれ元気で、活躍? しています。ジャンルが違いますから、ご覧になることもないとおもいますが、喜んでくださいますか?
メールは煩わしいかなと思っておりました。 菜
* 振替番号は奥付の「版元」の下にあります。
お互いに、息子達が健康でのびのび活躍してくれているのは、何より頼もしく嬉しいことです。この方のお子さんはみな赤門を出た科学者であったかと。
* 外へ出て、また客を迎えて話すということがほぼ絶えて無くなっている。なつかしいメールは、歓迎です。いたずらな不良メールばかり多い時節ですので。
☆ 妻の老人病を介護のために、こちらへ移ってすでに三冊の御本をいただきました。御礼を申しあげます。
胃がんを征服して、自転車を愛用されるとは驚きです。名古屋にいた頃から、買い物に出かけて転倒、早々と娘に自転車をとりあげられ、今や二本の杖をついて学会や研究会に参加し、車中、席を譲られては、すなおにお礼を言って着席します。秦さんの生活力に感服いたします。
老いて能の世界に頭を突っ込み、槍書店の皆さんをあきれさせています。
(清経) には、その解読に悩まされました。
能・狂言に関する六〇〇枚ほどの原稿の推敲に時を費やしています。ほとんどの書を名古屋で捨てざるを得なくなり、今になって、必要に迫られ、重ねて購入する始末です。老いの執念ですね。
どうもありがとうございました。どうぞ日々をお楽しみください。小生も見習います。
二〇一六年四月十一日 名大名誉教授 宏
☆ 拝復
湖の本の「(原稿)清経入水」を拝受 なつかしく読み返して居ります。それにしてもこの数か月、おどろくばかりの御著書の発行、いただくたびに御精の強 力さに、当方はひたすら打ちのめされています。その都度さし上ぐべき御礼状さえ書けない無力な老懶の日々なのです。思えば昨秋の肺炎が祟りました。一気に 体力を喪い体重は四○キロを割る始末で、どうなることかと思いました。加うるに上下の歯が脱落して、食事も思うにまかせなくなり、リハビリ師に頼ってよう やく回復中という次第です。この間いろいろ御礼状の欠失など御無礼があったと思いますが、お許し下さいますよう─。
現在はたいりょくを失なってなお可能なことは妄想であると思い、とにかく原稿用紙に向って過去のことを書いています。 敬具 都立大名誉教授 衛
☆ 新緑の色
次第に濃き季節となりました。
先生にはお気持も新たに日々ご精励の御事と拝し上げます。
過日は選集第十二巻『生きたかりしに』拝受、只々圧倒されました。本集は、すでに連峰を成す選集諸峰のうちでもひときわ気高き主座たるべき高峰。しか も、その上り口の脇に鎮座まします小社「(参考)阿部鏡短歌抄」──その社のたたずまい。そこに籠められた、先生による涙ながらのご訂正ご補綴。その、幾 重にも及ぶ、くまなきご推敲ご尽瘁の跡。涙を重ねずしてその御跡をたどることは、歌心とぼしき愚生でさえ、到底できませんでした。先生ご自身の思いこそ さぞやさぞやとご拝察申し上げつつ。第十二巻こそはまさに連山中核の高峰たるゆえんと存じます。
末筆乍ら、何卒御身ご大切に、ご専一にと念じ上げます。 不尽
二伸 別便にて 丹波から心ばかりのもの、お届け申し上げました。少し季節はずれですが、失礼おゆるし下さいますよう。 神大名誉教授 昌
☆ 御著『湖の本」129
御恵与頂き有難く、お礼申し上げます。
「清経入水」 その後の小生の生き方の変化など確かめつつ 期待を持って拝読させて頂きます 与えられた機会をどのくらい生かすことが出来るか 大きな楽しみです
今年の気候の変化の激しさは並みではありませんでした。幸いヤマは越したとは思いますが 十分のご留意の上 更なるご活躍を祈念いたします。 江戸川 冽
☆ 湖の本
一二九巻をお送りいただきました。創刊三○年になるのですか。
私など 続けるというだけで先に疲れが来るようで情けないです。
ps 先月 はじめてペンくらぶの集まりに出ましたが 知ったお顔は**さんぐらいで、でも、あいてをしてくださったのでとても助かりました。
ともあれお礼まで。 脚本家 金
* 静岡大教授の小和田哲男さん、日本近代文学館、山梨県立文学館、明治学院大図書館、昭和女子大日本文学科、城西大学水田記念図書館等から、湖の本129受領の挨拶があった。
購読のかたたちからも払い込みがどっと来始めた。
* 京都府中央図書館へも選集を全部送っていたが、初めて「受領しています」と返信があった。やれやれ。
重ねて、京都府文化資料館へも選集全巻寄贈して欲しいと京都府の正式の依頼が来た。諒承。半恒久的の施設へなるべく最後は納まって欲しいと願っている。
☆ 「湖の本」の試み
すばらしい成果ですね。
更なる御発展をお祈り申し上げます。 稲 中央公論社
☆ 年々
桜の開花が早くなっているようです。
「清経入水」読み比べて見ます。
先生、これからもお元気で… 作品無待っています。 桐生 一
☆ 「おなじ書物を
時をおいて六たび読むことは、六冊の異なった書物を一度ずつ読むことよりどれほど身になるかしれないのだ」(黙示録論 ロレンス)
それでも まだ目にしたことの無い小説が詠みたいという業から解放されない、いやはや、有難うございます。 狛江 秀
☆ 今回は
「清経入水」原稿 (=太宰賞「銓衡当選」作。 べつに太宰賞「受賞発表」作があり、「湖の本」創刊の巻を成していた。二編にかなりの「推敲差」があり 「別作」とすら読めるので、「未公表だった当選作」を創刊三十年「記念」に刊行した、秦) および未発表新作二編を頂き 有難うございます。
まだ、自転車に乗れるのは素晴らしいですね。小生は大分脚力がおとろえていますので。
今後のますますのご活躍をお祈り致します。 横須賀 敏
☆ 湖の本エッセイ16
『死なれて 死なせて』の在庫ありましたら一部お送り下さい。 吉備の人
☆ 毎回
気力あふれるご様子 ホッとしております。
この四月で、お二人揃って傘寿をお迎えとのこと。無理をせず、お過ごし下さい。
奈良の二人(=息子さん夫妻)も悩みながら成長してほしいと願っております。 新潟 鶴
* 体力をいたわり保ちつつ、気力豊かに、落ち着いて奮励するだけの老の坂道。
自転車にかなり驚いて下さる。いまも郵便局へご注文の本を送りに自転車でかなりの坂道を往復してきた。転んではいけないので、或る程度の速度を維持して走る。ハンドリングには不自由感はすこしも無いが。八十で自転車が便利という暮らしは予想もしなかった。
2016 4/13 173
☆ 御身
御大切に。呉々も(自転車で)おころびになどならぬやうに。 福田恆存先生夫人
☆ 前略でご免下さい。
「湖の本129」ご恵投に与りありがとうございました。
秦様が「清経入水」で太宰賞を受賞されたのは、私が筑摩書房に入社して四年目、まだ編集者としての初々しい気持ちを失わない頃で、「清経入水」の四文字には思い入れ深いものがございます。
秦様の文壇や文藝ジャーナリズムと距離を置き、ご自分の世界をひたむきにつむがれてきた姿勢、まことに見事なものと存じます。江藤淳の言う「フォニー」が横行する時代にあって、「湖の本」に接するたびに、美しい泉に出会ったような気がいたします。 草々 鋼 飜訳家
☆ 湖の本
一二九巻ありがとうございました。
今年は創刊三十年、こんなに永く読み続けてきて、まだ秦恒平全作品読破できていない、読み尽くせないのですから、信じられないことです。
毎日の三度の食事を摂るように、湖の本を読み続けてまいりました、湖の本はわたくしの魂を育てる栄養となってきましたし、これからも。
菜 菜めし上手ほかにとりえのなき妻の 占魚
☆ 湖の本
空前絶後の偉業です。あり得ないことで、今後もないでしょう。
何故、可能だったか、本当のところは解らない無謀な試みが達成されています。 藤沢市 澄
☆ 頂戴しました
選集第十一巻 なつかしくて二回読み返しました。
懐かしい方々の名前、京の地名に涙が出ました。ありがとうございました。 枚方市 冨
☆ 三十周年
おめでとうございます。
先日のニュースで 「シドッチ神父」のものと思われる人骨の発見 ということばを聞き、 三十周年とのめぐりあわせに驚きました。
どうぞお元気でいらっしゃって下さい。 早稲田大文藝科卆 濱
☆ かつて
図書館で借り出しコピーして熟読 市販本(受賞発表作)とのあまりの違いにびっくりした日々を思い出しています。
広島に長く住んでいたので 宮島の場面も嬉しく、ご縁を感じたものでした。 上北沢 米
* 墨画の島田正治さん、評論家の高田芳夫さん、高麗屋事務所、中京大、東海学園大名古屋図書館、ノートルダム清心女子大、大正大、三田文学、お茶の水女子大図書館法政大文学部、京都現代美術館等からも受領の挨拶があった。
☆ ご本 ありがとう
秦兄 いつも気にかけて頂き、ほんとうに有り難うございます。留守にしておりお礼が遅れました。
桜の季節も過ぎましたが、その後体調はいかがですか。私は昨年10月東京でのクラス会で酩酊し転倒、右手首を骨折しましたが、長いあいだギプスをつけていたせいか指か五本とも曲がり難くなり、握力がまったくなく不便な日々を過しております。それも皆身から出たサビ、いのちに別状なかっただけ儲けものと喜んでおります。
箸はどうにか使えるようになりましたが、ペンに力が入らず字が書けないのが不便です。
それでも懲りずに毎晩芋や麦の焼酎やテキーラなど度の強いのを飲んで 女房に嫌味を言われています。世話をかけているのであまり威張ってもおられませんが。
中、高の同窓会なども幹事役の老齢化で開かれなくなり、お会いする機会がすくなくなりさみしい限りですが お互いに元気なら亦会うこともできるでしょう。
精々ご自愛のうえ日々ご活躍ください。ではまた。 洛北 辰
2016 4/14 173
☆ 貴重な
「原稿・清経入水」など収載の記念の一巻『湖の本129』を拝受いたしました。ご厚意ありがとうございます。そして、おめでとうございます。
読みくらべは後の楽しみとして、まずは「秋成八景 序の景」を拝読、もし完結稿が出来ていたらと、「私語の刻」にお書きになっているご事情があったにせよ、今更ながらに勿体なく無念な思いが押しよせています。当時(も)編集者は力不足でした。
どうぞお身体お大切になさって下さい。 元「群像」編集長 敬
* 「秋成八景 序の景」を手練れの読み手に読んで戴けて、真実、嬉しい。落ち着いて残る「八景」が書けるといいのだが。
☆ 秦恒平様
花散らしの風雨に耐えた桜がまだ咲いています。
その後お元気でお過ごしでしょうか、お伺い申しあげます。
この度は、選集第12巻に続き、「湖の本」129冊をお贈りいただきありがとうございました。
「原稿・清経入水」は貴重な資料となりますが、やはり、外枠を取った現行(=推敲の発表作)の方がすっきりしていいように思いました。
先ごろ「閨秀」論を書きました。例のところに送っていますが、また出ましたらお届けさせていただきます。
それにしても自分の勉強不足を思い知らされます。先生の作品はほんとに大変です。今度はどこへむかって行こうか、と思案しているところです。
なんとか健康で乗り切りたいと思っています。
先生もお身体大切にしてくださいますように。 五條市 永
* 言われる通り、太宰賞選考会で満票当選と決まった私家版の原作より、一夜を徹して推敲した「展望」誌に受賞作として発表された作の方が何倍も良くなっていると、双方を何度も校正し再読・三読して、わたしもそう思う。「すっきり」そして無用のツクリを排し得ている。
☆ 今年の花は
近くの目黒川の水上から楽LみまLた。
いつもながら「湖の本」をご恵投いただき、有難〈お礼を申し上げます。
長いあいだ医者の言うままに不整脈予防で服用L続けていました血管拡張剤が効きすぎたようで、徐脈状態となり往生いたLまLた。体力の養えや体質の変化 など生身の人間ですから、いつも「従前通り」で良いわけはありませんね。薬を止めたお蔭で現在は平常に復しまLたので他人事ながらご安心ください。
「ボンシャン」の席がうまく空いていることを願っております。
私も自転車は大好きで常用Lておりますが、最近の若いお母さんたちの電動自転車はかなりのスピードがあり、走行も乱暴なので、くれぐれもご用心ください。
取り急ぎお礼まで。草々 エッセイスト 敦
* 医療で異常をもらってくるという感触は捨てきれない。信頼しつつほどほどに自身の勘や生気を大事にしたいもの。
お母さんやおばさんの自転車は、ことに歩道へ相乗りの自転車は実にあぶない。子供を乗せていると危険は倍加する。緊急にブレーキをかけたり、脚を落とし て停車したりが出来ず、人中へもスピードで突っ込んでくる。バス停でバスを待っているとは、歩道が坂になっていたりすると危険極まりない。前後ろに子供を 積んで、ゆっくり自転車を走らせたり急停車するのは、膂力の足り成すお母さんにはムリが有りすぎる。
ケイタイやスマホで自転車を歩道に走らせる人には怒りを覚える。
なににしても八十病後のわたしが自転車をむしろ楽しんでいると書いたので、大勢の方にご心配かけた。
* 漆藝家の望月重延さん、神戸松蔭女子学院大、國學院大、文教大、武蔵野美大、南山大、天理大、作新学院大等からも受領の挨拶有り、払い込みも。
☆ 元気印だった
私が体調をくずし入院しております。
先生の活力 生命力を頂戴したいです。 各務原 真
☆ 人は
時代や環境等々によって考え方や行動は異ってくると考えながら、「生きたかりしに」を読ませていただき なみだが幾度も流れてきます。 湖南市 敬
☆ 湖の本創刊30年
おめでとうございます。もうそんなになるのかと驚いています。 大府市 門
☆ 法隆寺の
宝物館で秦河勝夫妻の像を拝してきました。あの方の御蔭で日本の文化は大変進んだのですね。ありがたいことです。お元気で御活躍下さい。 二宮町 真
☆ いつもながら
ホンの少しだけ多めに送金させていただきます。お礼の気持ちですのでお受け下さい。
朝日新聞のシドッチのニュースには私も思わず声をあげました。さっそく『親指のマリア』を読み直しています。(なんだか嬉しくてもう一度です。) 鎌倉 橋
☆ 立派なご本を
二册も頂いて有難うございました。私も今年は79才(二月生まれの為) 独居老人ですが40年ほど続けている図書館の読書会のメンバーです。
ご本 沢山になりました。 加古川 藤 妻の親友
☆ 「私語の刻」を拝読しながら、ご健康のこと、気になりのした。
未発表のお作が、どんどん「湖の本」となりますことを願っています。 相模原 憲
2016 4/15 173
* 東大教授坂村健さんから著書「毛沢東の赤ワイン(電脳建築家、世界を食べる)」「IoTとは何か(技術革新から社会革新へ)」とお手紙を戴いた。
「秦 恒平先生
前略 ご無沙汰しております。おかげさまで元気Iこしております。
この度は、『湖(うみ)の本』通算129巻のご出版、誠におめでとうございます!
ご本が届くたびIこ、精力的なご活動に深く感銘を受けております。
秦先生の長年にわたるご功績に敬意を表しますととともに、
今後益々のご活躍をお祈りしております。
時節柄くれぐれもご自愛ください。
専門とする分野は異なりますが、私の本を同封いたしました。
お目通しいただければ幸いです。」
* わたくしが日本ペンクラブの理事を務めながら出会ったなかで最も敬愛を覚えた方である。世界的な「電脳建築」専門家で「YRPユビキタス・ネットワー キング研究所所長」でもある。ペンクラブにはじめてホームページを創る責任者として、坂村先生と出会えたのは、最良の賜物であった。「世界を食べる」人で もあり、頂いた二册を楽しみます。
* 日本近世文学の東大教授、上田秋成研究の今や第一人者である長島弘明さんからも、放送大学客員教授としての新講義録『上田秋成の文学』を、「拙い本で すがご笑覧下さい」と謙遜されてお送り頂いた。創刊以来「湖の本」をご購読いただいているが、出逢いはさらにはるかに遠く、わたしが受賞して何年と立たな い春の「東大五月祭」に主催のひとりとして講演の依頼に見えた。院生ではなかったか、本郷の小洒落たライスカレーの店で歓談し、そのときに「秋成」を書き たいとわたしの方が熱を上げたのを懐かしく思い出す。長島さんの方が着々と秋成学の高峰を究めて行かれ、わたしの方は今度の「湖の本」の「序の景」や「生 きたかりしに」どまりで成果が無くお恥ずかしい。
放送大学の講義をたのしみに聴かせてもらう。
2016 4/16 173
☆ 次巻で
No130巻 めでたくも、すごいことです!!
お体、お大切に。 三鷹市 唐
☆ 貴重な
初稿「清経入水」 読ませていただけて嬉しいです。 同志社大教授 励
☆ おめでとうございます。
祈念の巻として、未発表作2作、及び「清経入水」の(受賞発表作前の)選考当選作 楽しみな作です。ゆっくり味わいたいです。 知多 則
☆ おからだお大切に
小生も歩きがつらく 自転車です。
寝床で読書か バッハです。はりのないことおびただしく。 平凡社 駒
☆ お送り下さり
大変な作業だろうなと思っています。
あっという内に花も終り 若葉の美しい季節になりました。
寒暖のはげしい中 御大事に無理なきようおすごし下さい。
その内 美味しいもの送ります。 京・今熊野 華
* 神奈川近代文学館、皇學館大 鳴戸教育大 常磐大からも「湖の本」受領の挨拶があった。
2016 4/16 173
☆ 略啓
御健勝 大慶に存じます。
「原稿・清経入水」(選考当選作)には驚きました。しかもこれ(受賞発表作)が一晩での改稿とは。
まだまだお楽しみが隠れてゐさうですね。
楽しみにしてを゜ります。 不備 前・文藝春秋専務 英
☆ 前文ご免下さい。
ご恵与の選集第12巻拝受いたしました。ありがとうございました。
命を削ってのお仕事、お身体大切にお願いします。 草々 元・平凡社 興
* いつものように過分のご支援を戴いた。恐れ入ります。
* 作家・写真家の島尾伸三さん、大阪藝大からも「湖の本」受領のご挨拶を戴いた。
☆ 「清経入水」
冒頭の文章からもうその違いがはっきりしています。それを見比べて読んでいこうと思います。
しかし「初稿」? の方が瑞々しく感じられるように思われます。
お体、気にしています お大切に。 能美市 哲
☆ 選集第12巻の余韻さめおらぬ折りから、今度は「湖の本」創刊30年。その129巻へり「原稿・清経入水」の配置、まさに手練の必殺技。そのはるかな初巻も清経でしたね。思い茫々です。
何卒御奥様共々、お元気にと念じ上げつつ 不尽 神戸市 昌
☆ 湖の本129 有難うございました。
新芽の緑がまぶしいくらい麗らかな日よりです。
目覚めにウグイスの声が聞こえ、今朝はとても上手になっていて、つい熊本の惨事も忘れてしまうようです。避難所で過ごしている方にお届けしたいようです。
「チャイムが鳴って更級日記」の執筆の様子を時折ブログで読ませていただいて楽しみにしていました。
ていねいに丁寧に読ませていただいています。(最近は繰り返し、戻しながら読まなければならなくなって。)
始めの秦様のご家庭の様子も想像できてほほえましく。
高校生のころ始めて更級日記に触れました折、作品より菅原孝標女と名前のない当時の女性の事が気になったことを覚えています。今も名前のないことに拘り続けているかもしれません。
届けていただいたお礼が遅くなり申し訳ありません。
次回130巻楽しみにしています。
でも決して決してお身体にご無理なさいませぬように。
迪子様ともにご自愛を祈っています。 練馬 晴 妻の親友
2016 4/18 173
* ペンの委員会で親しかった弁護士の五十嵐二葉さんのたよりを貰った。早稲田大学図書館からも「湖の本」129受領の挨拶があった。
2016 4/19 173
* 京都府立総合資料館から『秦 恒平選集』第一~十二巻を一括受領の謝辞に添えて「総合資料館だより 186」が送られてきた。京都では、他に府立中央図書館、市立中央図書館、同志社大、京大、立命館大、京都女子大にも寄贈してある。
* 山田あけみさんから多大のご支援を戴いた。ありがとう存じます。
* 山梨県立文学館、立命館大図書館、多摩美大図書館、青山学院大の新保邦寛教授から「湖の本129」受領の挨拶があった。
2016 4/20 173
* 「湖の本130」創刊三十年記念の一巻を責了した。
「選集」第十三巻は五月六日に出来てくる。いままででいちばん分厚い一巻になる。
「選集」第十四巻は三校がすすんでいて、この巻は、私にはある意味「とっておき」のような自愛の一巻に纏まりそうに思っている。
印刷・製作の担当者が「せんせい、だいじょうぶですか、凄いようなこのところのピッチですが」と。
わからない。わかっているのは、いま「走りやめる」気は無いということ。
2016 4/21 173
☆ 謹啓
このたびはご結婚五十七年、そろって相合傘寿を迎えられたこと、大賀至極とお祝い申し上げます。
また「湖の本」129で、第五回太宰治賞受賞(発表)作の「原作」原稿(選考会で当選作)の刊行、おめでとうございます。
それにしても、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫六選考委員、錚々たる実績文士の満票を得るとは、凄いことですね。重ねてお祝辞申します。
それにしても打出の小槌のように「創作」原稿が出てくることに吃驚します。想いの深さが分かろうというものです。
小生も自転車に乗っていますが、とにもかくにも、御自愛重ねて、続刊されますように。
御礼まで。 敬具 講談社役員元「群像」編集長 義
☆ 記念の
お作品でございますね。遠い日にご受賞のお作の一冊を賜りましたことをなつかしく思い出しています。いつもながら筆力に圧倒されました。
くれぐれも御自愛下さいますように。御礼まで申し上げます。 かしこ 吹田市 郁 歌人
* 詩人のあきとしじゅんさん、元岩波書店「世界」の高本邦彦さん、歌人の堀江玲子さん、また、奈良女子大からも受領のご挨拶があった。
2016 4/21 173
☆ 秦恒平様
おはようございます。
故松下圭介の長女猪原皆子です。
このたびは、「堅忍で善良」だったとのお言葉に、弟も私も涙してしまいました。
父もきっと喜んでいることと思います。
私たち以上に長い間、父のことをよく知って下さってたからこそのお気遣い、ありがとうございます。
2年ほど前のことですが、父が私に、秦様と中学時代のことでしょうか、カール・ブッセの「山のあなたへ」という詩を劇にして上演したことをまざまざと思い出したから、この詩のことを調べてくれと頼まれました。
そして、先日、就職した娘に宛てた手紙にもこの詩のことを記しておりました。
秦様が覚えてらっしゃるか、父の思い違いか分かりかねますが、秦様が教えて下さった詩と申してました。
今、改めてこの詩をながめてみますと、ああ、父はきっと山の彼方で幸せを見つけに安心して昇天していることだろうと思いを馳せております。
「湖の本」も、御著書も、誇らしげに大切によく読ませてくれていました。
このような形で失礼かとは存じますが、重ね重ねお礼を申し上げます。
秦様におかれましてもご養生の上、お過ごしくださいませ。
* まぎれもない、謂われている詩は、私たちが新制の弥栄中学一年生の折に演劇大会で演じ、優勝した舞台でのシンボルの詩であった。わたしの一つの代表作 として永井龍男先生や笠原伸夫さんらに賞めて頂いた短篇「祇園の子」の芯におかれていたのがこの純真な学童劇であり、わたしは懸命に、火だるまのように熱 くなって演出し出演もした。
やまのあなたの 空遠く
さいはひすむと人のいふ
山の好きな、そして今再びの山めぐり山あそびを願って懸命にリハビリの歳月を重ねていた松下圭介が、この詩をくちずさみ覚えていてくれたとは…。
彼との思い出は、寄せる波のように往き帰りしつつ絶え間ない。しかも彼はわが青春の燦めく幾場面もにもっともまぢかにいてくれた生き証人のような友であった。彼の存在を感じることでわたしはやすやすと懐かしい昔へとんで帰れた。
* 「また、おいしいもん送ったげます」と言い寄越していた京都の「華」さん、すてきにカッコいいバウムクーヘンを朝の内に送ってきてくれた。ありがとう。
高校の茶室雲岫席で茶の湯初歩の手ほどきをした二つ下の後輩が、今日只今もおなじ茶道部をまもり育ててくれている。こどもを育てて貰っているような安堵がある。
あのころの、わたしから手ほどきをうけた仲間達の何人もが、いまも「湖の本」も介していろんな便りを寄せてくれる。もう六十余年になる。不徳なれど孤ではないという私の安心はさほど虚構ではない。
2016 4/22 173
* とり市老舗の竹の子を主にあしらった食菜が、大学の同窓、京都下鴨の澤田文子さんから届いた。美味そう、だが、日本酒をまず買ってこなくては。
☆ 「湖の本129」
ありがとうございました。と同時に 創刊30年本当に本当に おめでとうございます。
なつかしい「清経入水」(の当選作)、しみじみと読ませて頂きます。次回以降もよろしくお願い致します。お体 お大切に! 中野区 恭
☆ はや
新緑の候となりました。
18日 七之助さんの「葛の葉」観てまいりました。「1.きつねの事」で、また きつねに会えました。
「チャイムが鳴って更級日記」から、赤兄が「武蔵大臣」と号していたことを教えていただき、斉明、天智。天武・持統時代に生きた後に、興味が湧いてまいりました。
皆様 どうぞ お元気で。 京・高野 羽
2016 4/22 173
☆ 十日に御本が届きました。
早や四月も下旬になって新緑が日毎に表情を変えています。八重桜は散り始めたもののまだ満開、ライラックの香りに溢れています。
この明るさは一体何だろうと、訝るほどの思いがあります。
熊本の地震は少し余震の回数が減少しましたが、復興はまだこれから。私たちの本籍は熊本にあり、熊本市内には親戚が数軒ありますから、地震直後から確認の電話やら大変でした。
なかなかメールを書けません。自分の抱えもつ薄闇に欝々としています。
が、いつまでたっても解けない、その薄闇、トンネルの出口に至らないのは、おそらく齢を重ねることへの抵抗と無力さを痛感しているからなのでしょう。
その状態を生きるしかないのですから、せめて空元気も覚悟も混ぜ合わせて行動していかなければ・・。
身体に関しては些かの不調もあり、CTなどの検査もしましたが、放免されました。
鴉のことを思えば、わたしのことなど全く問題にもなりません。
昨日の記述にも視力の事に及んでいましたが、今日はいかがでしょうか。少しでも調子の良い時間が長引きますようにと願っています。
短いメールでごめんなさい。少しずつ書くようにします。
くれぐれもお体大切に。大切に。 尾張の鳶
* 「湖の本129」をおくってからか、こんなメールを送っていた、らしい、「鳶」メールのうしろに付いていた。
「湖の本129」送り終えて、肩で息をしています。「130」楽しみに待ってて下さい。
この春は、ひさしぶりに東工大の桜をみてきました。帰りにやす香の墓を撫でてきました。
シドッチ神父への敬愛に、「遺骸」の発見がこたえてくれました。長助・はるも見つかったのだと想っ
ています。
作家として、最も望ましい「幸せ」をすら感じています。
元気になって、ピーヒョロロと歌いなさい。元気で元気で。 保谷の鴉
* 熊本が本籍とは知らなかった、清水港の次郎長親分の知り合いかなと想っていた。
2016 4/23 173
☆ 「湖の本」
お送りいただきありがとうございました。
「チャイムが鳴って更級日記」 新鮮な思いで拝読いたしました。
鬱の状況は続いています。
母二人が、97歳、91歳になりました。
月~金は (会社経営の=)仕事 土日は介護という日々で、心身ともに休める日がありません。
仕事のゴールはほぼ見えてきたのですが、
介護については月~金までいろいろな方に手伝っていただき、何とか綱渡りをしつつ、この状況がいつまで続くのか先が見えません。
お体、どうぞお大事になさってくださいますよう。 波
* 想像するだにたいへんな状況だが、似た事情の人が年ごとに増してきている。お互いに曲がりなりに立ち働ける健康をありがたいと思う。
2016 4/24 173
☆ 湖の本129
ありがとうございました。いつも「私語の刻」から読み始めていますが、元気を戴いています。
「わたし独りで嬉しがり楽しんで(チャイムが鳴って更級日記=)書きまくっていた」 という先生の生き方は神さまからのおくりものといえるのではないでしょうか。先生との幸せな出会いはラボの「なよたけのかぐやひめ」でした。嬉しさと感謝 の気持ちはことばであらわせません。ありがとえございます。
お元気で! 群馬・佐波郡 都
* 同窓であった松嶋屋片岡我當くんから「お大事に」と過分のお見舞いを戴いた。いやいや、彼の方をこそ見舞ってあげなくてはいけないのだ。三月、雀右衛 門襲名の口上にも彼、律儀に体の大儀を押して一と月休まず祝辞を述べに出ていたと聞いている。せっかくのそれを、三月十四日、具合を損じて観に聴きに出か けられなかった。申し訳ない。
* 千葉県の和洋女子大からも受領の挨拶があった。
* 十時前だが、やすもう。
2016 4/25 173
* 「選集第十三巻」の刷了紙が届いた。「選集第十四巻」本紙の責了用意が出来た。「選集第十五巻」は再校出、「選集第十六巻」が初稿出、「選集第十七巻」は入稿の用意をしている。「湖の本131」も入稿の用意をしている。
新しい創作は、長編・中編とも、じわじわっと仕上がりに向かっている。
かなりの数ある書きっぱなしで埋没・棚上げの原稿は、電子化されていないので手の出しようがない。機械へ入れて行くにはよっぽど時間がかかる。
ま、歌舞伎座と聖路加病院とへ出かけるだけ、文学の「仕事」一辺倒で、気晴らしは「読書と酒」のほかまったく無いとはあんまり「気」の貧しい日々で、宜しくない。
2016 4/27 173
☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 129 原稿・清経入水 チャイムが鳴って更級日記 他」を拝受しま した。
「清経入水」は以前に頂戴した小ぶりの(四六版?)私家版で拝読して以来です。緻密な時代考証、時空を超え て夢幻と現実が入り混じる怪奇性、展開される不思議な世界は今もって小生の頭を混乱させます。当時から小生のアタマは一向に進歩していないようで すね。
パソコンが不調に陥り、四苦八苦したあげく、遂にリカバリーやむなきに至り漸く稼動となりました。御礼が遅くなった言い訳です。ご宥恕ください。 靖 妻の従弟
* 錚々たる諸先生の満票を得ての当選当受賞作といえども、ごく一般の読者には仰天ものであったということ。そこにわたしの文学の問 題が露出する。今日では難なくこの怪奇性を自然に読みこなせる人は増えていると思う、時代を超え他界を馳せては現世へもどるぐらいな読み物は昨今むしろ流 行っているのだから。だが、1969年の受賞当時はまことに稀有の作柄で作風であった。読みたいと思ってもそんな作に出逢えなかった。河上徹太郎先生の選 評に「現代の怪奇小説」の一句が殊に挟まれていたのも、時代を示している。
思い出す、同じ太宰賞の先輩吉村昭さんは、あのころ、わたしの顔を眺めるようにして「秦さんのあの作はぼくはよう分からなかった」と述懐された。そうなんだ…と感慨を覚えた。
しかもというか、しかしというか、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、河上徹太郎、唐木順三、中村光夫の六先生は、声を揃えて受賞作に当選と推して下さった。 これはもえたいへんなお顔ぶれであった。その「何故に満票」をよく問うてみることに、「文学」本質の問題が在ろう。とわたしは思う。当選作と受賞発表作と を、今度くり返し読み返して、右の問題にわたしは自信をもって答えられると思うようになった。選集を思い立たせたそれが推力になった。
2016 4/28 173
* 日本人の骨相に薩摩顔と長州顔の区別が認められるという「放送大学」での講義、初耳ながら納得できた。やはり放送大学で「問題」処理に関するうまい講義を聴いた。思えば八十年、いろんな「問題」に立ち向かい対処してきた。
大学院を捨て、果断に就職、上京、結婚した「問題処理」は、若さに助けられた。小説を書き始めただけでなく、貧苦の中で敢えて私家版本を四冊も出し続 けた「問題処理」も、果断かつ窮することのない大きな成功をおさめた。二足のわらじを脱いで作家として自立して行く用意の「問題」も、創作と家系との両面 で危なげなく処理して行けた。出版界の状況よりみて、将来という「問題」対応のためあえて「湖の本」へ大きなハンドルを切ったことは、妻と読者とに助けら れて確実に成功した。その戦場に「選集」を用意したのも「問題」の総括としてとにかくも路線に乗っている。
2016 4/29 173
* 「畜生塚」という旧作にわたしのいわば「物語=ロマン」の原点がある。ヒロイン「讃岐町子」もつづく大勢のヒロインの原像を成していた。ま、その前に 処女作「或る折臂翁」に「弥繪」という従妹妻がより遙かな現像であったかも知れないが。そして「讃岐町子」は長編「斎王譜」の「朱雀慈子」になっていっ た。昭和四十五年二月「新潮」に発表した「畜生塚」も、昭和四十七年四月に書き下ろし作として筑摩書房から出た「慈子」も、ともに私家版本、前者は『畜生 塚・此の世』、後者は同じく『斎王譜』に納まった作からは、ともに飛躍的に推敲されていて、ともに徹底的に原稿の總枚数が絞られている。ムダと見えた箇所 を惜しみなく厳しく省く体に推敲したので、原作と発表作とは、太宰賞の当選作になった「清経入水」私家版原稿と受賞作として「展望」に発表された「清経入 水」の場合と同じく、それぞれに別作かのように手が入っている。
いま、その「畜生塚」「斎王譜=慈子」の原作(私家版作)を丁寧に読み返している。
このまえ「原作・清経入水」を湖の本129にしたとき、畏友で前の石川近代文学館の館長さんだった井口哲郎さんは、原作に「瑞々しさ」を感じたと言って きて下さった。ま「初々しさ」でもあるのだろうか、同様のことをわたしは今、さきの二作の原作(ともに世間へ殆ど出ていない、読んだ人はせいぜい百人ほ ど)に感じている。びっくりするほど、双方とも懐かしく、初々しく書き進んで、わるくいえば情感に溺れている。この二作は、男性にも女性にも「ものすご い」と感じたほど幸いに愛された。極端に言えば、これらを愛読してわたしの名を覚えて下さったような読者が今も湖の本を迎えて読んで下さっているのであ る。
湖の本のやがて130巻以降の何巻かに、新作に準じた扱いでこれらを入れて読者に届けたいと願っている。
2016 4/30 173
☆ 冠省
いつもながら「湖の本」 ありがとうございます。
「清経入水」の原作 とてもミステリアスで面白く拝読いたしました。
小生も二十代の頃 亀岡の詩友の家へ行って屋根の上に寝っ転がって夜空の星がきれいだったことなどを懐しく思い出しました。
「あとがき」で胃癌手術後の経過が良ろしいと知り喜んでおります。 不一 国分寺市 苑 詩人
* 今日もう一つうるうると嬉しかったこと、やはり原作「斎王譜=慈子」を読み返し初めての冒頭、そして東福寺大機院の歌会・初釜の場面など、なにかしら美し い柔らかいうすものの絹に包まれるような嬉しさ懐かしさがあった。文学は歌わない音楽であり言葉による表現の藝術である。ナラティヴな筋書きが文学なので はない、ことばによる表現を生かして人間や生活や思想や感懐が浮かび立つのである。
雑な文章、文品に欠けた常套・陳腐な筋書きツクリには嫌悪感しか覚えない。
すくなくとも原作「清経入水」についで原作「畜生塚」と原作「斎王譜」は、親愛なるわが読者の手元へ送り届けておきたい。読んだ人は、ほとんど無いのだから。
☆ 皐月
遅くなりましたが、朝出掛けに「湖の本129」振り込みをし、夕方、創刊三十年のお祝いを送りました。
お店に入って、一目で決めた品。
明後日午前に届く予定です。 九
* 「湖の本129」は、桜桃忌に到らぬ創刊三十年には前夜祭のようなものだが、あえて当選の原作「清経入水」を巻頭に選んだので、創刊の受賞作とはきっちり呼応している。
なんといっても、此の「三十年・百三十巻」は、私たち記念碑の嬉しさがこみあげる。五巻ももたないよと嗤った人の声も、もう忘れよう。
百三十巻という数字が問題なのではない、数字はまだまだ増えて行く。わたし自身にとって本当に大事であったのは、それほどに値した質と量との原稿を、作品を、事実山のように書き続けていたこと、それが根本だった。
2016 5/2 174
* 漱石原作「こころ」戯曲を丁寧に読み返して「選集」原稿を創っている。上演した台本「心 わが愛」よりは長編だが、演じてくれた「先生」加藤 剛や「静」香野百合子や「私」らの声音がそのまま耳に甦ってくれる。初体験の戯曲だった、愛おしい孫娘やす香の誕生記念するような創作になり上演になっ た。大盛況で、好評だった。「静」と「私」との愛と結婚への前奏曲である解釈がたいへんな論議も呼んだ、が、わたしはこの早くから、限定豪華本「四度の 瀧」を五十歳の賀に刊行の折りの後書きにすでに確言していた。確信してもいたし、いまも揺るぎなく確信している。
* 「ディアコノス=寒いテラス」「逆らこてこそ、父」の校正は、とても重苦しい。精魂をこめた私小説である、その重みを堪え堪えて読み継いで行く、文学としては遺憾を覚えないが、体験の苦痛がはげしく甦るのに堪え続けねばならない。
* そんな時に、原作原稿の「畜生塚」「斎王譜」の読み返せる嬉しさと安堵とは底知れない。わたしのなかに、まだそれらの世界がちからづよく生き残っていると 知る安心。有り難さ。生きの妙薬である。これあれば、なんとか、目のふさがりそうな大きな重石の私小説送り出しに堪えられる。
* 「少年」のむかし、短歌に心を籠めていた。東京へ出て、朝日子が生まれる前後まで歌を詠んでいたが、昭和三十七年夏から小説を書き始めると、ふっつりと短歌から遠のいた。もともと俳句は難しいと手を出さなかった。
建日子が生まれ、ついでかなりの間をおいて朝日子を嫁がせたころにも、ぽろっぽろっと作が残っていたが、比較的尋常にまた短歌づくりに手を出したのは、 二十世紀のごく最期からで、新世紀に入ってからは思いがけず折々に歌よむことが増えた。2011年晩秋には、久々に二冊目の歌集「光塵」を編むことまでし た。数えてもいないが、かなりの数の「句」も含んでいる。
「光塵」を編んで、明けて正月五日に胃癌を診断されて大きな手術を受けた。その頃もその後も、歌や句めくものを随分書き散らし書き置いてきて、潤一郎先 生の述懐にならえばそれは発汗や排泄にも似た吐露といえば吐露、遊びといえば遊び楽しみであった。第三歌集を編むにも苦労がないほどの数も書き散らし書き 溜めた作が、機械に雑然と貯蔵されていたのを、とにかく刷りだしてみた。それらには、「小倉ざれ和歌百首」のようなのも入っている。「ざれ」てはいるけれ ど、むしろ韜晦の気味を歌に「うったえ」たのでもあり、藝はみせている。
「少年」以来の全部を新選集の一巻にしてもよいと思っていたが、むしろ「湖の本」の一冊に先に第三歌集を編むのが順だろうと今は思いかけている。気に入った表題ができるかどうか。
2016 5/3 174
* もう、あれも、それも、どれも、これもと「仕事」小絶えもなく、手の着いてないのも、手の付けられないのも、やたらにいろいろと在る。いいかげんイラ イラするのは、いつもの本が出来てきて発送の前の不要な緊張ゆえであり、明日と明後日とは、みんな投げ出して、だらりぺたんと休息してやろう、何か好きな ことをして遊んでやろうと思い至っている。九時半。今晩も、もう休もう。
2016 5/3 174
* 今日も、幾つもの「読み」「書き」仕事をすすめながら疲れては居眠りして視力をたすけて、もう九時半。今まで戯曲「こころ」を読み耽っていた。まさし く漱石先生の作をかりて秦 恒平の思いを籠めている、科白の一つひとつにも情景にも。舞台では、こんな長大な台本は実現しがたく、むろん今一つ「上演台本」を創ってもあった。その方 は、いますぐは見つからない、どこかに埋もれてしまってるらしい。幸い、一部適切に簡略にされてあるがNHK藝術劇場版のコピーがやはり何処かには在るは ず。
大きな違いの一つは、海と小島とを眺めながらの文字どおりにわたしの「身内」の思いを、「島の思想」を、原作戯曲では「K」が語っているが、舞台では 「先生」役の加藤剛さんの強い希望で、個々の持ち場をというより、主な科白をごう「先生」が語り「K」は聞き役に回っている。どう考えたって「先生」から こんな「身内」観が出るワケはないのだが、そこがスターシステムの上演の機微であった。わたしは反対はしなかった。観客から怪訝の声も一度も聞かなかっ た、そういうものだ、現実は。
今回「選集」に入れたい戯曲「こころ」は、わたしの原作の儘である、当然。しかも上演時にホンの少し書き加えた場面や科白も、「湖の本」第二巻の二刷りのおりに付け加えていたかも知れない。その辺は明日の仕事で確かめられるだろう。
2016 5/4 174
*「湖の本」創刊三十年を祝って、名酒「久保田」三十周年の純米大吟醸一升を送ってもらった。うまさに、あっという一日の内に五合ちかくを堪能した。感謝。
2016 5/5 174
☆ 「湖の本129」拝読いたしました。
集中できる時間がとれず、昨日今日とでようやく一気読みすることが出来ました。持ち重りに臆しておりましたが、原石の重みでしょうか圧倒されています。少年少女の描写 特に少女の魅力・魔性には、いつもゾクゾクさせていただいております。 豊玉北 裕
☆ 陽の目を見ずに終る飜訳原稿の山に、心が痛みます。秦先輩の執念(?)の強さには感嘆するばかりです。
くれぐれも御大切に。 府中 布 弥栄中同窓 翻訳家
* 心痛まれる厳しい重さがよく分かる。飜訳原稿だけでなく、多くの作家の小説原稿も、批評家の評論原稿も、学者の著述も、今日のこんな出版界ではほとん どが「陽の目」を見ない。質実な仕事ほど「陽の目」を見ない。出版界には与太な「やすもの」ばかりがハビコッテしまっている。
仮にもしもわたしが「湖の本」を持っていなければ、私の作家・批評家の境涯は、はるかの昔に窮屈を究めていただろう、潰されてしまわないまでも。
それが、いまなお、厖大な量の旧稿もはつはつの新稿も、思い立てば悉くが本になり得て世の中へ、ともあれ(つまり、金目にはならないにしても)出回って 行く。さらに進んで非売の特装「選集」まで着々出せている。協力してくれる家族も大事だが、何よりも、出版や書店抜きでも、がっちり支えてもらえた「読者 のおかげ」である。そういう有りがたい「いい読者」を得られる仕事、それこそが書き手の務めなのだ、と、しみじみ思う。
* 終日、十三巻の荷造りに励んだが、第一巻とくらべて100頁も多く、荷造りがとても難しく捗らない。しかし、充実のいい本になった。何のこだわりもためらいもなく、作風を新たな方角へ運んで、過去に拘泥していない。マンネリズムは創作者には死活の猛毒になる。
2016 5/6 174
金澤の金田小夜子さん、「湖の本」三十年を祝っても純米吟醸の名酒「能登誉」を二升送って下さった。三十年「久保田」を美味さに誘われ、なんと三日で飲み干した処へ頂戴し、有りがたく手を拍った。メロンや苺の美味しい季節、薫風も胸一杯に。
しかし、なかなか暑い新緑でもあるなあ。
2016 5/7 174
* 夕刻 選集十三巻の送り出し作業終える。お疲れ様。今回の荷はひとしお重く、持ち運びに疲れた。これを近くとはいえ坂道を通って郵便支局へ全部運んでいたかと思うとぞっとする。やっと、この数回は本局が集荷してくれて助かる。
着々、六月桜桃忌へ歩んでいる。創刊三十年の「湖の本」第百三十巻は、もうすでに責了にしてあり、選集十四巻の本紙も責了にしてある。
前のめりにすっ転ばぬように、日々、落ち着いて仕事に励みたい。日一日がもったいなく、残り少なくなって行く。 2016 5/8 174
* じつを云うと…、ああ、云うまい。ただただ内奥の不快に、呻き、堪えている。
* 恒彦兄がいてくれたらなと、口惜しい。
いい本に、没頭したい。気分のやすまるモノを読みたい。少年の昔の、「モンテクリスト伯」へ帰ろうか。
しばらく「選集」「湖の本」を休息して、書きかけの新しい創作へ没頭するのがいい。そうしよう。幸い、「繪を描いてください」の「お父さん」とちがい、今のわたしは「書ける」のだ。不快な呻きをぶっつとばす怪作を書けばいい、書き上げればいい。
2016 5/10 174
* また気も新たな出発になる「湖の本131」をどう編輯するか、いま二つの思案があり、どっちでも満足だが、もう暫く作業と思案を重ねてのこと。
2016 5/14 174
* 昨晩、震度3の地震に見舞われた。震源は茨城県南部、比較的こっちへ近い。勘弁願いたい。
* 「湖の本130」発送の用意にかかっている。「選集」と比べれば軽量とはいえ、普通の単行本とほぼ変わらないし、数がある。根をつめても荷造りに時間 がかかる。その送り出しまでに、相当な用意の手数がかかる。腰骨を傷めてしまったら、もう何も出来なくなる。逸らないでゆっくりゆっくり少しずつ送り出し たがいい、せっかちがいけない。
とにかくも、おっかな・びっくりの古い古いOS機械で仕事をしているので、いつ何が起きて頓挫するか知れない。いつもヒヤヒヤしながらの作業である。
本気で、まだまるで使い慣れていない新しい(といっても、これも古びて行くのだが)機械に慣れないとと思うのだが。
2016 5/17 174
* 高麗屋から六月通し狂言『義経千本桜』三部制興行の座席券が届いた。「湖の本」創刊三十年・通算百三十巻刊行の、夫婦での自祝に、まことに嬉しい恰好 の楽しみ、わくわくする。第一部は染五郎、猿之助らの「渡海屋・大物浦」に加えて所作事「時鳥花有里」を梅玉、染五郎、東蔵、魁春で楽しめる。第二部は御 大松本幸四郎の「いがみの権太」に、染・猿もとより、秀太郎、彦三郎、右之助らが盛り上げる。そして第三部、待ってました、猿之助「狐忠信」に染五郎が静 御前で付き合い、大切りでは「市川猿之助宙乗り狐六法相勤め申し候」とある。
元気が出るぞ。
2016 5/17 174
* 記念の「湖の本130」 六月三日に納品と、新任の担当者から連絡があった。
2016 5/18 174
* 十時半。しっかり、読みかつ書いた。疲れた。黒いマゴに輸液してから、さらにゲラを持って床に就きたい。
発送の用意も、進めてきた。あと二週間で「湖の本」第百三十巻が出来てくる。そして、それを追いかけるようにして桜桃忌過ぎには、「選集」第十四巻も出来てくる。新たな入稿用意も着々進んでいる。
2016 5/19 174
* 戯曲、漱石原作『こころ』のほかに、当然にも、原作を脚色した加藤剛さんら俳優座劇団が希望の舞台台本『心 わが愛』も、用意しなくてはならなかっ た、いやいや、この方が本来の「注文」であり、戯曲の方はわたしが是非に書き置きたかった。上演時間などに、また出演の劇団員などにとらわれずにわたしは 漱石の小説「こころ」の解釈・理解、その表現に取り組みたかった。ふつう新劇の舞台は、よほど長くても二幕構成で三時間未満であり、わたしの書いた戯曲は 倍近くもの分量と場面を持っていた。
台本の方も、稽古が始まると、演出や俳優からの希望で、新たな場面を加えたり、また省いたりかなり日に日に動的に変容して行くのはあたりまえのことで、 だからたいへんとも、おもしろいとも云えた。ウームと唸ってしまうような追加や削除や変更希望にも付き合わねば済まない、それが演劇の現場だ。
いま、戯曲も文字に組み上げ、台本も現場感を生かしたまま決定稿にちかく落ち着けようとしている作業、懐かしくも、たいへんでもあって、面白く新たな刺戟を受ける。
今では、息子の秦建日子の方がすっかりこういう方面のプロになっているのだが、俳優座で『心 わが愛』の幕が開いたときは、まだ早稲田の一年生であった が、彼ももう目前に五十というトシを迎えかけていて、指折り数えるまでもなく、わたしが戯曲を書いたり台本を作ったりしていた五十歳に近寄っている。思え ばわたしも長生きしてきたんだと、すこし呆れる。そうそう戯曲『こころ』はわが「湖の本」創刊の年の創刊『清経入水』につぐ第二巻めの刊行だったのだ、ま さに俳優座の幕があがるその時の仕事だった。つまり「満三十年」昔のことだ。長生きしたなあ、わたしも「湖の本」も。
2016 5/20 174
* 三十年前の今日も明日も、「湖の本」創刊第一巻『清経入水』の「桜桃忌」に刊行へと、無我夢中に打ちこんでいた。あの年の春からわたしは早稲田ら頼ま れて文藝科の創作指導にも当たっていた。早稲田へは二年通った。その二年の内にのちの直木賞作家角田光代を見つけ出し、「小説家」への道へ、背を押した。 元気にしているか。実のある良い仕事を、確かな表現と感動の作を創り続けてくれるように。ふの年、秦建日子は早稲田法科へ入学したのだった。
2016 5/21 174
* 十一時。もうやすみたい。新しい「湖の本」発送のために残っている手作業は、封筒への宛名貼りがもう六割がた残っているし、挨拶の刷り分をカットしな ければならない。さらに、今回分を呈上したい先の宛名住所を手書きしておかねばならない。幸い、あと十日余の余裕がある。
今度の編成内容、どう受け取られるか、ちょっと心配でかなり楽しみ。
幸い、あと十日余の余裕がある。明日にも、電車に乗りにでも出かけてみようか。
2016 5/22 174
* この暑さ、よほどの用のないかぎり出歩きにくい。思い切って、夕刻から晩へかけて出歩くようにした方が賢そうだ。
今日も家で、気をつかう封筒への宛名貼りを一山終えた。まだ残っている。それも終えたら、手書きでの呈送先を選んで宛名を書かねば。仕上げは、A4用紙に五人分ずつ印刷した挨拶文を、カットしなくては。これが、相当、気草臥れする力仕事。
「発送」は仕事の重みからして何分の一かにしか相当しない。作を、書き、読み、整えねば。この方は「目と頭」の仕事になる。何とか成るというワケに行かない。
2016 5/23 174
* 早大図書館から、第十三巻を受領の挨拶あり。大田区の青田吉正さんから、同じく、喜捨を頂いた。
京の「華」さんからは、頼んでおいた京都市の最新地図を送ってもらった。ありがとう。
稲城の鈴木良明さん、わたしの短歌や短歌感想への感想を下さった。
* ずうっと冷房していた。
☆ 六月後半にお時間を。
秦先生、 ご無沙汰しております。
私のアキレス腱断裂の怪我も
無事、松葉杖、装具もとれ、
筋肉が落ちてしまったことによる、
歩行の不安定感を除けば、完治に近づいてきました。
仕事の方では、
実験動物学会会員になり、
先週学会にて、高度安全実験室についての
論文発表を行いました。
また、
丸山君の国会対応も一段落付き、
6月前半は熊本被災地対応とのこと。
6月後半にお時間作っていただき、
食事でも出来れば、と思いますが、いかがでしょうか。 建築家 柳
* 丸山君からも、湖の本129払い込み票を介して同様の声が掛かっていた。
久し振りに、元気な顔を見せてくれるとは、何より。東工大教授を退任したのが平成八年の三月だった。二十年経ったわけだ、いまも卒業生少なくも十数人と交流がある。持ち場持ち場をみな、がっしりと支えている。嬉しく頼もしいことだ。
* 東工大卒の柳君から
2016 5/23 174
☆ 謹 啓 秦 恒平様
「秦恒平選集」第十三巻(「迷走」三部作・「お父さん、繪を描いてください」)
をご恵贈賜り、まことに有難く御礼申し上げます。発刊早々に賜りましたこと、このたびも重ね重ね身に余る光栄と感じさせていただいております。しっかり拝読させていただきます、大切にいたします。
「迷走」三部作は、やはり昭和52年ごろ、家内と日曜日毎に通っていた北区の王子図書館で、読みました。私にとっての秦文学入門は「秘色」や「みごもり の湖」でしたので、あの薄水色のハードカバー装のご本を手に取るには、いささか躊躇いがありました。「亀裂」一行目から、私が心に秘め親炙してきた世界と は異質な世界が展開されていく勢いがあり、とても陶酔だけでは読み切れない、難解な人事世界の追及を予感させるものがありました。
印象が今も鮮明なのは、幾冊かの評論集を読み得ての後、図書館には、もう読むべき秦さんの本が無くなって、最後に「迷走」三部作を借り出したことでし た。あの、どこか自分で敬遠しておきがら、むしろご著書に拒絶されている、という遠い思いが胸内に灯って、胸焼けのような違和感となり、それがあの薄水色 の装丁と一体になって、記憶に残ってしまったのでした。
こうして、今改めて選集で読み直してみれば、「迷走」三部作は、もう一つの秦文学ではなく、むしろ秦文学の豊穣な世界の一つとして凛然たるものであるこ とを実感させていただきます。透徹した心理分析、人事の、鵺を掴むような機微、美しきものの二重構造の明晰な把持は、「みごもりの湖」にも「蝶の皿」にも 秦文学の核心一眼として貫かれているものでした。
文学は美しく、陶酔をさそう夢ですが、夢から覚めてなお夢を紡ぐ覚悟がなければ、本当のよき読者にはなれない、そんな思いをいだきました。
「お父さん、給を描いてください」は「湖の本」で拝読いたしましたが、藝術家小説として、描くこと・書くことと人生の問題を、考えさせられる小説でし た。人語の絶えた林間に分け入って、透き入る夕日を感じながら、これを機に今ひとたび一人静かに読みたいと思っております。
持ち重みする「選集」は、作品と著者の存在の重さを実感させ、「選集」そのものが新しい宇宙のようです。人生の晩年を迎えて、このような大きな宇宙に出会えましたましたことを、本当に有難いことと、感じております。
改めて御礼申し上げます。
日中には汗をかきながら、夕にはコートを羽織らなければならないほどの寒風が吹く、異常な陽気です。どうぞ先生にはくれぐれもお身体お大事にご養生くださいますよう、また奥様もお身体お大事にして、いつまでもご健勝でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
御礼が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。また失礼の段はご宥恕のほどお願い申し上げます。 早々頓首 瀧
2016 5/25 174
☆ 前略ごめん下さいませ。
先生の「湖の本」折々読ませていただき感動しております。
右の手と指を痛めておりまして手紙も思うように書けず、ごぶさたとておりました。
電話をしてもよろしいでしょうか。時折お話をお聞きしたくなります。
ご恵送の御礼、わずかで失礼ですが、ご笑納下さいますよう。
ご体調も悪しきご様子 くれぐれも御大切になさって下さいますよう。
やはり乱筆…ごめん下さい。 杉並 秋
* たしか、歌誌か文集を編纂されている歌人と記憶している。恐縮です。
ただ、電話は、とても苦手。ご勘弁下さい。それぐらいなら、杉並と西東京ていどのこと、出会って話すぐらいは出来ると思う。出歩いた方が元気回復に役立つかも。ただし朱明向暑の季節なのが難儀ですが。
2016 5/26 174
* 六月は、生半可な迎え方では潰れかねない忙しい日々になる。六月一日から、オンコロジイ(腫瘍内科)の検査が来る。三日に、ついに「湖の本」三十年目の第百三十巻が出来てくる。十九日には桜桃忌、いつもに増して心嬉しい日になる。翌日には、三部制の遠し狂言、幸四郎、染五郎、猿之助らの「義 経千本桜」を歌舞伎座で終日楽しみ、すぐ追いかけて、ま、とっておきの「選集第十四巻」が出来てくる。追いかけて、秦建日子が演出の藤原竜也らの芝居があ り、東工大の卒業生と久し振りに会食の申し入れも承けている。それらの間に、「湖の本131」の入稿、「選集⑮」の責了、「選集⑯」の再校、さらに「選集 ⑰」の新入稿がついてまわる。
言うまでもなく、新作小説のすかっとした仕上げへの道のりもまだ続いている。
ま、いずれも、負担なのでなく、気張った楽しみだと云える。同じなら、元気に楽しみたい。楽しみは一つでも二つでも出て来て欲しい。
2016 5/27 174
* 「湖の本131」入稿。
* 暑いとも冷えるとも。体に良くない。ともあれ、三日からの「130」発送の用意は九割がた出来て、気が楽になった。
2016 5/28 174
* さて、妻は新しい機械を買って貰って「嬉しくて」と、ほくほく。ただし妻の新機が穏当に順当に諸般設定されて起動稼働してくれるのか、わたしは、まったく今や機械の手順になど自信も責任ももてないので、手出しも口出しもしない。
願わくはただ、妻の機械穏和に働いてくれて、発送のための宛名印刷や、必要なコピーの電送などして貰えないと、「湖の本」や「選集」のしごとが進められない。成功を切に祈っている。
2016 6/1 175
* さてさて、明日には、作家生活四十七年、湖の本創刊三十年を記念する第百三十巻が、読者のみなさんにヒョイと肩すかしをくわせるような可笑しな一巻になって出来てくる。夫婦とも疲れ気味なので、慌てずに、ゆるりと数日かけて送り出したい。
東工大卒の諸君には縁の濃い特輯なので、あたう限り謹呈したいと思うが、二十年も経ち、住所の確認がきかない、関わりのある卒業生は連絡あれ。また当時友人の住所の分かる人は、教えて欲しい。
2016 6/2 175
* 無事、九時半ごろ、「湖の本130」綺麗に出来てきて、さっそく発送作業に入った。終日、従事。時にはテレビを観るともなく聴いている。
このところ定番で楽しんでいるテレビドラマは、Dlifeの「キャッスル」 これは読み物作家のキャッスルはどうでもよく、刑事ケイト・ベケットの飛び 抜けてシャッとした美貌を観て楽しんでいる。毅くて品が佳い。圧倒される、いや、吸い込まれる造形的な美貌、日本でなら若い盛りの頃の松坂慶子と似通う。
もう一つは変な題の「輝くか、狂うか」という高麗皇室と渤海の出らしい大商団談との絡んだ、皇位と権力支配あらそう錯綜の陰謀劇に、純愛の行方を見守 る、お話。たわいなくても、史実時勢を敷き込んだ構成と展開なので、それなりに興味深く、新知識もえられる。日本ではこういう皇室を描いた史実的な語がま るで創られない…というワケでもないが、近世以前では源平、南北朝のかい撫でで済んでしまう。去年か一昨年の平清盛の前半などが院政の朝廷を描いて出色で あった。白河、鳥羽、後白河を実像で観る気がした。
2016 6/3 175
* さ、晩も、しっかり作業を続けねば。 2016 6/3 175
* 人さまの感想は分からないが、わたし個人にはおもしろい記念の一巻になった。二階へ上がって、しばらくソファで読み返して、かなり照れもした。
明日の作業へ体力も気力も伝えねばならない、早めに寝てしまおうと思っている。
2016 6/3 175
* 二日めの発送を夕方に終え、あとは明日のことに。おそらく明日の内にキマリがつくと思う。機械へ来たのに、腰かけたまま寝入っていた。
* 晩にも、明日発送のための作業をつづけた。
昨日今日と、多いときは六十册が各郵袋に入った箱を何度も何度も作業場のキッチンから送り出しの玄関へまで運んだ。八十爺がよく持てると我ながら感心す るが、持ち上げるとき腰骨がめり込みそうに感じて、むろん痛い。幸いに痛みはしつこくは続かないでくれる、が、腰は少しずつ前かがみになって行きそう、や れやれ。
こんなことを三十年、百三十回も続けてきたのだ、妻と二人だけで。子供達が手伝ってくれたことは只の一度もなかった。人手を頼んだことも一度も無かった。
思えば、今月の桜桃忌が、「湖の本」の「三十年」とばかり意識していたが、「太宰治賞」からの「満四十七年」、つまりは「作家」生活も「満四十七年」をむかえるのだった。
それなら、せめても「作家五十年」の桜桃忌まで、新創作も、ホームページの私語その他の充実も、むろん「湖の本」も、可能なら「秦 恒平選集」も可能な限り続けてみたい気が、油然と湧いてくる、むろん妻と二人で、である。三年経てば二人とも八十三歳、東京オリンピックにもまだ一年前 だ、丁寧に用心深く生きれば不可能でないかもしれない。
いい歳をして騒がしい男だと笑う人が多かろう、悠々自適できないのかと。お生憎である、わたしの悠々自適は「創り出す日々」にある。現象的には「読み・書き・思う」ことにある。今もこう書き表している「私語」が、畢生の表現となるだろう。
* ともあれ、「湖の本」刊行の当面の目標は無事に遂げた。早ければ今日にも送り先へ届きはじめていただろう。
月曜には、ふうっと息をついて、独り乾杯の散策にでられるといいが。
2016 6/4 175
* 送り出し、明朝の、郵便局経由便をのこし、宅配便は、一応了。
今回記念の湖の本130『秦教授(はたサン)の自問自答』は、わたしの、まるハダカもの。かなり恥ずかしいが、ま、書き置きのようなモノと思って貰おう。
乾杯。食べようと思っても沢山はとても食べられない。食べるのが概して苦痛とは困ったもの。
* さ、当面は、つつがなく十九日の桜桃忌(作家47年、湖の本30年)を迎え、そして歌舞伎座三部制の『義経千本桜』を楽しみ、その週末には、「秦 恒平選集」第十四巻を出迎える。
2016 6/5 175
* 「湖の本」創刊三十年記念の第百三十巻におさめた「秦教授(はたサン)の自問自答」は、少なくも今日現在で私がほぼ「マルはだか」に語っている自画像のようなもの。ご希望があれば、若干在庫のこしてあり、善悪共にご異見あらば教えて下さい、
下記は、その前置きと内容です。
☆ 以下は、私(秦 恒平)が、江藤淳さんの後任教授として東京工業大学工学部(文学)教授に在任の全期間に、学部生、院生との毎時間、講義の以外に欠かさず提示し必ず「筆答」を提出させた、謂わば「挨拶(強く押し込んだ問いかけ)」の一覧であります。
問いかけは意地悪いほど難犠でしたが、東工大の学生諸君は、むしろ踏み込んで、いつも、よく答えてくれました。筆答分は400字原稿用紙に換算すれば三万枚、本の百册分にも及んだのです。
学生諸君にだけ答えさせて私はそしらぬ顔もいかがかと、退任後も気にして、とうどう私も回答を書こうと決心し、とにもかくにも書いて答えたのが、以下「秦教授の自問自答」であります。
お気が進めば、試みに、みなさんもお答えになってみられたらと思い、「挨拶」を仕掛けた全部の「問いかけ」を、順不同、何の整理もせず列挙しておきます。どうか首を捻ってでもご思案ご批判くださらば幸いです。
曾ての教室の諸君、以来二十年、今なら、どう答えてくれるのかなあ。
* まず、東工大学生諸君が書いて答えた「挨拶(問いかけ)」を、順不同に並べます。
*
* 故郷の「山」「川」の名前をあげ、今「故郷」とは何かを語れ。 * 自身の「名前」について語れ。 * 身にこたえて友人から受けた批評の一言を語 れ。 * 身にしみて学校(大学は除く)の先生に言われた言葉を思い出せ。 * 「別れ」体験を語れ。 * 「父」へ。 * 何なんだ、親子って。 * 今、真実、何を愛しているか。 * 何を以て、真実、今、自己表現しているか。 * 寂しいか。 * 今、心の支えは在るか。 * 真実、畏れるものは。 * 不思議を受け容れるか。 * 秘密をもつか。 * なぜ嘘をつくか。 * 信仰とは * もう一人の自分へ。 * 「位」の熟語一語を挙げて所感 を。 * 「式」の熟語一語を挙げて所感を。 * 仮面を外すとき。 * 親に頼るか、子を頼るか。 * 結婚と同棲 * 死刑・脳死・自殺を重く思う順 にし所感を述べよ。 * 誇れる国とは。 * 今、思うことを述べよ。 * 自由とは。 * (漱石作『こゝろ』の先生に倣って)「恋は( )( )である。」 * 漠然とした不安について述べよ。 * 人間のタイプを強いて一対(例・ハムレットとドンキホーテ)の語で示し、所感を述べよ。 * 何 が恥かしいか。 * 「日本」を示すと思う鍵漢字を三字挙げよ。 * なぜ嫉妬するか。なにに嫉妬するか。 * セックスについて述べよ。 * 絶対なも のごとを挙げよ。 * 家の墓および墓参りについて述べよ。 * わけて逢いたい「 」先生。 * 科学分野に「国宝」が在るか。 * 清貧への所感 を。 * 「性」の重み。 * いわゆる「不倫」愛に所感を。 * 「参ったなあ」と思ったこと。 * 自身を批評し、試みに、強いて百点法で自己採点せよ。 * 「挨拶」について。 * 今、政治に対し発言せよ。 * 東工大の「一般教育」を語れ。 * 心に残っている「損と得」を語れ。 * 他を責める我を語れ。 * 報復したことがあるか。 * 仮面をかぶる時は。 * 結婚とは学問分野に譬えれば「 」学か。 * 一生を一学年度と譬えた場合、あなたは現に何学期の何月何日頃を今生きている か。 * 「脳死」「死刑」「自殺」の重みに順位をつけ、所感を述べよ。 * 国を誇りに思う時は。 * 嬉し涙・悔し涙を流した記憶を語れ。 * 「心臓」と「頭脳」のどちらに「こころ」とふりがかなせよ。何故か。また東工大の他の学生がどう選ぶか、比率で推測せよ。 * 「心」とは何か。 * 何から自由になりたいか。何から自由になれずにいるか。 * 生かされた後悔、生かせていない後悔。 * ちょっと「面白い話」を聴かせよ。 * 話せ るヤツ、または、因縁のライバル。 * 今「思う」ことを書け。 * いま「気になる」ことを書け。 * 疑心暗鬼との闘い方。 * あなたは信頼されて いるか。 * あなた自身の「原点」に自覚が有るか。 * 自分の「顔」が見えているか。 * 兵役の義務化と私。 * 何が楽しみか。 * 心残りで いる、もの・こと・人。 * Realityの訳語を一つだけ挙げよ。何によって・何を以て、感受しているか。 * 「童貞」「処女」なる観念の重みを評 価せよ。 * 自分に誠実とはどういうことか。あなたは誠実か。 * 何があなたには「美しい」か。 * 何でもいい、上手に「嘘」を書いてみよ。 * あなたの「去年今年貫く棒の如きもの」を書け。 * 「生まれる=was born」根源の受け身の意義を問う。 * 井上靖の詩『別離』によって、「間に合ってよかった」という、出会いと別れの運命を問う。* 漠然とした不安、あるか。 * 「魔」とは何か。 * 「チエ」に漢字を宛てよ、何故か。 * 「風」の熟語を五つ選び、風を考えよ。 * 「死後」を問う。 * 「絶対」を問う。 * 「祈り」を問う。 * 生きているだから逃げては卑怯とぞ( )( )を追わぬも卑怯のひとつ この短歌の虫食いに漢字の熟語を補い、所感を述べよ。 * 上の短歌に補われた 多くの熟語回答例から、もう一度選び直し、所感を述べよ。 * 「劫初より作りいとなむ( )堂にわれも黄金の釘一つ打つ」という短歌に一字を補い、その 「( )堂」とは何か。「黄金の釘」とは何かを語れ。 * 落語「粗忽長屋」を聴かせて、即、「自分」とは何か。 * 「春」「秋」の風情を優劣せよ。 * 今、何が、楽しいか。 * 「血」について語れ。 * 集中力・想像力・包容力・魅力。自身に自信ある順にならべ所感を記せ。 * 「事実」とは何 か。信じるか。 * 「絵空事」は否認するか、容認するか。 * 「幸福」は人生の目的になるか。 * 「惜身命」と「不惜身命」のどちらに共感するか。 何故か。 * 毎時間読んでいる井上靖散文詩の特色を三か条で記せ。 * 五年後、新世紀の己れを語れ。 * 今期言い残したことを書け。 * 公園で撃 たれし蛇の無( )味さよ この俳句の虫食いを補い、その解釈を示せ。 * 命は地球より重いか。 * 命にかえて守るもの、有るか。 * 喪った自信、 獲た自信。 * 仮面と素顔の関連を語れ。 * 漱石作『こゝろ』で「先生」自殺のとき、先生、奥さん、私の年齢を挙げよ。 * 漱石作『こゝろ』で「先 生」自殺後の、未亡人と私との人間関係を推定せよ。 * 目から鱗の落ちたこと。 * 「私」とは何か。 * あなたは卑怯か。 * 自分が自分であることを、どう確認しているか。 * 「情け」とはどういうものか。風情・同情・情熱のどれを、より大事な情けだと思うか。何故か。 * 「死ぬ」「死なれる」重みを不等記号で結べ。何故か。 * 「本」を読む、とはどういうことか。 * 先生曰く「恋は罪悪、だが神聖」になぞらえて 「金は( )、だが( )」である。何故か。 * あなたにとって「大人の判断」とは。 * 踏絵を、踏むか。何故か。 * 人の「品」とは、どんな 価値か。あなたに備わっているか。 * 「自立」を語れ。 * むしって捨てたいほどの「逆鱗」があるか。 * 性生活の、生活上健康な程度を、人生(100)に対し、どの水準に設定(予定・願望)したいか。何故 か。 * 「未清算の過去」があるか、どうするのか。 * 「神」は、(人間に)必要か。 * 罰は、当たるか。 * あなたの価値観とは、つまり、どういうも のか。信頼しているか。 * いい意味の、男の色気・女の色気を、どうとらえているか。 * 二十一世紀は「 」の世紀か。何故か。 * みじかびのきゃ ぶりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ このコマーシャル短歌の宣伝している商品を推定せよ。 * 秦さんに今期言い残したことを書け。 * 「死後」は必要か。 * 命とは。命は地球より重いか。 * 運命天命未知不可知を「数」と呼び、その「数」を見出す・拓く方法や意思を「算」ない し「易」と呼んだ東洋的真意を推測せよ。 * 迷信の意義、迷信とのあなたの付き合い方は。 * 「情け」とは。「情けが仇」「情けは人の為ならず」「情 け無用」のどの情けを重く見ているか。 * 「縁」とは。 * 「不自然」は活かせるか。無価値か。 * 「工」一字を考えよ。 * 「花」の熟語を五つ と、好ましき「花」を語れ。 * 「( )品あり岩波文庫『阿部一族』」の上句の虫食いに一字を補い、かつ所見を述べよ。 * 仮想敵を語れ。 * 「父」とは。 * 虚勢・嫉妬・高慢・猜疑・ 卑屈 自身の蝕まれていると思う順番に並べ替え、思いを述べよ。 * 「常」一字を英語一語に翻訳し、日本語「常」の熟語を幾つか添えて、自己観照せよ。 * 人生は「旅」であろうか。 * 第一原因として「神」を信ずるか。 * 証拠・証明が無ければ信じないか。無くても信じられるとすれば何故か。 * 直観は頼むに足るか。勘・直感と直観とは同じか。例を添えて述べよ。 * 日本のいわゆる「道」を考えよ。 * 親は子を育ててきたと言うけれど ( )手に赤い畑のトマト一首の虫食いに一字を補い、作者(俵万智)の親子観を批評せよ。 * 二十一世紀を語れ。 * 最期に、秦さんに言い残したことを。 2016 6/6 175
* 元・朝日新聞社の伊藤壮さん御電話で「湖の本」三十年を祝って下さる。伊藤さんのいの一の応援で「湖の本」は一気に軌道に乗り、維持にも難なく好調の 起動に乗ったのだった。感謝有るのみであるのに、また、「越乃寒梅」を送って下さると。ありがとう存じます。私よりもいくつもの長者、幾久しくお元気でと 願います。
* 大学で妻と同期、奈良の阿部陽子さんにも電話で祝って貰った。お元気でと願う。 2016 6/6 175
☆ 秦恒平様 湖の本130をいただきました。
奥様が傘寿を迎えられた年に秦さんが依然、活動的な生を生きておられ、『湖の本』第130巻『小倉ざれ和歌百首 秦教授の自問自答 他』の出版を果たさ れたことをお慶びします。今回もご労作をいただき、忝のう存じます。いただいた本はすぐに読む(今の仕事を終えてからなどと言っていると結局読めない)と いうのが私の原則です。今回は幸いにもそれを実践でき、早速に拝見、楽しく読み終えました。
「ざれ和歌」に溢れる自在な言葉使いの妙に感服しました。「私語の刻」、その初行の心持ちを確かに随所で感じ取りました。書きたいように書き、言いたいように言う。お幸せです。たとえ、その中に苦渋の事柄が刻み込まれていようとも。
巻頭の写真3点には目を奪われます。東工大桜花の下での神妙な「相合」のお二人のお写真はいいですね。何年も前のお写真ではないかと想像しました。聡明な 奥様は見目麗しく、秦教授は立派な押し出しです。103巻、『私 随筆で書いた私小説』の表紙画の女性の姿は、女性の美しさを強調する大胆なポーズです ね。しかし、男の夢を追い続ける秦恒平の文筆精神活動のエネルギー源を率直に表現しているものと、好感を懐きます。女性にとっても、そのからだの美しさは 自愛の対象でしょう。
「短歌の質じたいわたしは母に『敵わない』という実感を得、正直、ふくざつな気分であった。表現の藝としては知らず、短歌へ込めた生活実感のきびしさ、そ れに堪えて歌おうとした母の気概は烈しくて熱い。 よかった…と思っている」。 そうでしょうね。『選集』第12巻を拝見して私が感受した印象は、このご 感想に添うものです。
60頁、「死刑を、わたしは否定していない。……死刑廃止の議論を聴く機会は多々有ったけれど、今ひとつ説得されたことがない。難しい」。
死刑に関する議論は、人間の尊厳を先験的に措定するか、否か、の選択で決すると私は考えています。私はキリスト者として、旧約聖書以来の、神が意図する 「人間の尊厳」(神の似像としての人間)と「生の保護」(「なんじ殺すなかれ」)を無条件で認めております。これはいわば、「人間の条件」、「公理」で す。それで当然に、私は死刑には反対です。人の命を自分の命で償うことなど、人間にはできません。報復は神のなさること(「復讐するはわれにあり」)で、 人の事柄ではありません。これも聖書信仰の基本です。被害者家族の傷は「復讐」ではなく、別のかたちでの「修復」努力を重ねるべきでしょう。今日、カナダ とアメリカのメノナイト派の運動に端を発する restorative justice(修復的正義)の運動が世界的に広がっています。自由主義諸国では、日本は際立った後進国です。実は私はこの運動と関係を持っています。
という次第で、この事柄に関しては、私は珍しくも秦さんと意見が一致しません。
「自死」に関しては、キリスト教に自殺批判の伝統があるにもにもかかわらず、私は決して非難しません。人間は弱く、苦痛には耐えがたい存在です。やむを得 ざる自死はありえます。限界状況での自らの死の選択は、人間の尊厳が発動される一つの側面でしょう。キリスト者が、もし人々と違うところがあるとすれば、 「せんかた尽くれども、望みを失わず」(パウロの言葉)という姿勢を、限界に達するまで目標に据えるところでしょう。なお、キリスト者医師はガンの末期医 療における麻酔薬の使用によって、消極的な安楽死に積極的に関わっています。キリスト者は肉の命が「人権」に勝る価値だとは思っておりません。ALS患者 に対する人工呼吸器の装着には批判的です。「尊厳死」の選択と「臓器提供」の発想は、今日のキリスト教的価値観を代表するものでしょう。
アベ政権に対するお怒りにはまったく同調します。アベは、人間がパンのため(経済第一主義!)には自由を喜んで差し出す存在であることを良く認識しています。
ありがとうございました。
ご健康が維持され、よいお仕事を長く継続されますように。平安。 浩 国際基督教大名誉教授
追伸 書き忘れ
お早うございます。昨夜は感想を書き連ね、失礼いたしました。1点書き忘れました。
52頁、終わりから2行目 「悟り」は enlightenment でしょう。
今日もご機嫌麗しく。
* 至当に斯くあるべき感想を早速に頂戴できて、嬉しさ、ひとしお。ありがとう存じます。文字どおり「悟り」損ねの私の誤記にも噴き出しました。恐れ入ります。
☆ 京都です。
新しいご本ありがとうございます。
創刊満三十年、誠におめでとうございます。
今回は恒平サンの自問自答、楽しみに読ませていただきます。
こちらは今日は夏日、これからの蒸し暑さが思いやられます。
どうぞ奥様共々お大切にお過ごしください。
お礼まで申し上げます。 みち 秦の従妹
☆ 秦先生
湖の本、ありがとうございました。
少年のような「はたサン」が泳いでいました。 下保谷 西
2016 6/7 175
☆ メール 嬉しく。
本当にありがとうございます。
湖の本は一昨日届きました。
鴉の百人一首、戯れ歌などという表現には当たらず、大真面目、面目躍如。わたしは三回も続けて繰り返し読みました。
自問自答、いくつもいくつも納得。
選集の、『お父さん、絵を描いてください』は、やっと400ページあたり、小説の半分まで読んだところです。
いずれも感想は改めて書きたいと思います。
(欧州行脚=)時差ぼけの程度は毎回異なり、今回は旅の疲れが激しかったのでしょう、漸く日常の暮らしになってきたようです。
と言いつつ、先週末には甥の結婚式に出かけたり、市の文化団体の催しに参加出品したりと、忙しい時間も過ごしていました。
今回廻った土地、南イタリアや南スペインの多くは、以前、一人で行った処でした。
丁寧に歩き、そして新しい「発見」もあり二度目の良さも実感しました。奇跡に近いこともありました。(娘がインターネットで予約したホテルが、何とわたし が絵にしていた、まさにその建物でした。インターネットの画面にその光景の写真は勿論載って、いなかったのです。)
現在イタリアを目指す難民の地中海での悲劇も報道され、実際にあれは難民の人たちが集められている処ではないかと思える光景も一瞬見かけましたが・・。そして日本と異なりさまざまな人種の行きかう場所でもありますが、怖い場面には出遭いませんでした。
多くの人の親切に会いました。
「鳶は鴉より永久に若いのである、」
実に実にその通りなのです。そして鴉の体調を考えれば、わたしなどまったく愚痴も不平も何も言えません!!! 大いなる励まし、身に染みて感謝します。
そしてお互い、今生きている現在の自分が、自分にとって一番若い自分なのだと覚悟し励ましましょう。
どうぞくれぐれも御身大切に。
梅雨といっても、あまり雨降らず、陽射し強く。無理なさらず、佳き日々を。
短いメールですみません。 尾張の鳶
* 東横短大での一年間だけの学生が、いまも湖の本を応援してくれている。お姫様のように愛らしい学生であったが、じつに勤勉な社会性溢れた戦士で、広島 の庄原へ帰ってのち、絶えず市民活動に打ちこんでいる。わたしが七四年に退社後一年のバイト出講だったのだから、一別いらい四十余年になる。今日の払い込 み用紙には、「(福島)浪江町消防団をえがいたアニメーション「無念」を上映しようと、取り組んでいます」と。「それにしてもアベ政権支持率下がらないの は なぜ? 日本人どうかしているのでは…」とも。
* 能美市の井口先生、今回湖の本に入れた口絵にふれてくださり、「いい写真、つくづくと眺めています。 本巻は じっくり読まねばなりません」と。
* 歌人の藤原龍一郎さん、「紫陽花が美しい季節です。湖の本130巻『自問自答』は面白いです、秦教授(はたサン)の答えを読みつつ、自分ならど答えるかを考え、また本に戻り、読み飽きません。」と。
俳人の奥田杏牛さんは、「芍薬咲く 祝(ことほ)ぐ創刊三十年」と句に添えて「偉業心からお祝い申し上げます。知己に謝し、『小倉ざれ和歌百首』楽しませて頂きます。お二人、お大事に」と。
墨画家の島田正治さんからも。歌人の堀江玲子さんからも。祝って頂いた。
妻の親友からも、「秦教授とお話しさせていただいている気持ちで少しずつ読ませて頂きます。迪子さんならどう答えられるかとも。」と。
* 三田文学、南山大学、東海学園大、大阪市立大、お茶の水女子大、山梨県立文学館、日本近代文学館、明治学院大、作新学院大等々からも受領の挨拶が届いていた。
凸版印刷からは早や請求書も着。「湖の本」は現在までに累積赤字が二百万近く積んでいるけれど、なにしろ、わたしたち発行者夫婦が揃って八十の坂を歩ん でおり、過去作家生活四十七年のわたしの読者であって下さった大方は、わたしよりもおおかた年長者だったのだから、数が減って行くのは自然の趨、当たり前 のはなしであって、少しも気にしていない。文学の仕事にお金をつかって暮らせるなど、幸いこれに過ぎるものはない。
2016 6/8 175
* 「選集第⑰巻」を全部、入稿した。「湖の本131」明日初校出と報せあり。
2016 6/9 175
* 西東京市中央図書館へ「秦 恒平選集」既刊の十三巻を、「秦 恒平・湖の本」130巻を寄贈した。他に、適切と思われる蔵書を数十册、寄贈した。
☆ 満三十年で
第百三十巻を刊行された御快挙は、私自身の「新潮」編集体験を顧みましても、実に忍耐強い御快挙と非常に感銘深く存じました。凸版に斡旋した、文(藝)春(秋)の寺田英視君(前専務取締役)の存在をあげていらっしゃったのも よかったと思いました。
「小倉ざれ和歌百首」と「秦教授(はたサン)の自問自答」の構成もこの記念の一巻には誠にふさわしく、とても面白いと思いました。机上に置いて、ゆっくりと拝誦、拝読致したく存じますが、取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。 敬具 坂本忠雄 元「新潮」編集長
* 県立神奈川近代文学館、早稲田大学図書館、中京大学、城西大水田記念図書館、富士大学等々から、受領の挨拶があった。
* 昨日歯医者への西武線電車で今度の新刊を読んでいた妻が、「小倉ざれ和歌百首」の「叙景歌」がひときわ「美しい」と感想を洩らしてくれた。ちょっと嬉 しく、有り難く、アタマを下げた。「ざれ和歌」とは謂うが、作としてはけっして悪くは戯れていない、むしろ大方はほんものの「和歌」になっている筈と自負 している。石清水の零れ出るように自然と言葉も調べもわたしのなかから生まれてくるのだ、「つくった」歌だとは咎められようが、そして「つくった」には相 違ないけれど存外本音で歌ってもいるのです。
2016 6/9 175
* 赤穂の義士ではないが、いまも残って「湖の本」を支えて下さっている有り難い「いい読者」は、みなさん、今回130の「問い」に、自身「自 答」を試みておられるだろうと想って、何となし、楽しい。東工大の卒業生は、そうは行くまい、日々喧噪の現実にかなり足を取られながら苦闘している日々で あろう。四十歳台とはそういう遮二無二の時代であった。
2016 6/10 175
* いい郵便がたくさん、とても興味深い長文のも来ていて、記録しておきたいが、なにしろ目が疲れていて、読んで書いての作業がなかなか出来ない。出来る限りは視力は仕事のために使いたい。
山梨県立文学館の中野和子さんから、「『小倉ざれ和歌百首』の完成度の高さに驚嘆しつつ じっくり味わっております」と。これは嬉しい。同志社の田中励 儀教授、「30年130巻 すごいですね。問答の『今、真実、何を愛しているか』、共通するものが多く、嬉しく思います」と。吹田市の歌人丸亀市の大成繁 さん、「30年130巻 おめでとうございます。全巻拝読のよろこびを共にでき幸せです!!」と。桐生市の住吉一江さん、「すぐ読み切ってしまいそうで す」と。文化出版局の中野完二さん、「通算130巻、創刊満20年、すごい、すばらしいです」と。桐生市の阿部君江さん、「楽しく読み始めました。送金の 余分は送料としてです」と。吹田市の歌人阪森郁代さん、お城の博士小和田哲男教授、滋賀・湖南市の小田敬美さん、朝霞市の歌人恩田英明さん、下関の大庭緑 さん、広島大大学院、立命館大図書館、國學院大図書館、ノートルダム清心女子大、皇學館大学等々、受領の挨拶あり。
* 午には「湖の本131」が組み上がってきた。そろそろ「選集⑮」の再校も追いかけてくるだろうし、「選集⑯」の初校戻しももう出来るところへ来ている。
* とはいえ、今日戴いた高城由美子さんからの長文のお手紙一通は、さきに送り出した「初校・雲居寺跡」の内容や進行と俄然緊密に関わった、じつに八百年 昔からの家系の表白で、興味津々。機械に入れて保存したいと思うのだが、今夜はちょっと、無理。じつはもあの「初稿・雲居寺跡」はあのまま中断なのが惜し くて、思案の創作メモもたくさんあり、「承久記」を読み返して、今一段サマにしたいと願っていた。高城さんのお手紙はじつに刺激的に有り難い内容で、くり 返し読んで頭に入れておきたい。感謝します。
* 京都の木谷妙子さんからは、京・二條若狭屋の竹筒の水羊羹やいろいろの宇治福寿園の銘茶などたくさんに添えて、これまた懐かしい興味深いお手紙を戴いた。
この方は、本を送った先、 藝術至上主義文藝学会の会員で同志社の国文に籍のある研究者の、母上で、生粋の京のご婦人。俳優やドラマへの京言葉指導もされているという。なるほど、ウマ の合いそうな方である。
* 東工大建築の院卒から、なんと東京藝大難関の油絵へ合格して行った目を瞠る人が、東工大生として今度の本へ初の連絡を呉れた。「近況・感想」等は永くなるのであらためて手紙をと。
2016 6/10 175
☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 130 小倉ざれ和歌百首 秦教授の自問自答」を拝受しました。
今回のような作品に接するときこそ教養の程度に足を掬われることになりますな。
「小倉ざれ和歌百首」は本歌を知らないとクスリともできませぬ。
「秦教授の自問自答」は、「なるほど」「そうなのか」「フーン?」の連続です。
厳しい第三者?としての異見です。 妻の従弟
☆ 秦教授(はたサン)
130巻の読者として、私も誇らしい気持です。ずーっと続くのを楽しみにしています!
(少しだけ多く送金します、なにがしかの足しになればと…) 鎌倉 橋
☆ 次々と
味わい思いながら読ませて頂いてます。
梅雨に入ったようです。お体を大切にお過ごし下さい。 今熊野 華
☆ 「湖の本130」
楽しみいっぱいの内容です。
天候不順の折から お大事に。 吉備の人
☆ 創刊三十年 130巻
おめでとうございます。こんなに続くとは、みなさん思っていなかったと思います。でも、そを超える秦先生の思いのおかげとおもっております。 知多郡 則
☆ 心より
およろこび申しあげます。ありがとうございました。
味わいながら読ませていただきます。 豊川市 紫 詩人
☆ 若い学生さんたちと
おすごしになれてよかったですね。 高松市 星
☆ 30年 130巻
ただ、ただ驚くばかりです。
先日 安土沙沙貴神社の祭礼を取材しました。古代が見えました。「みごもりの湖」も深く深く見えました。 五個荘 民
☆ 先日は
奥様からはげましのおハガキをありがとうございました。つらい抗ガン剤治療を受け、退院してまいりました。たっぷり時間はあるので 湖の本 一生けんめい 読みます。 各務原 真
☆ 梅の木、自然に落ちた種から目が出ているのを貰って来て植えたのが 今では玄関のシンボル的な存在になっています。今年も又 9キロ取れました。大 きな梅実です。この時期 梅酒作りが終わらないと つゆ本番を気持ちよく迎えることが出来ません。半夏生がほんのり白くなって来ました。 西京有栖川 桐
* 法政大、大阪芸大、多摩美大等々から受領の挨拶があり。
* 同志社の田中教授から今日は鏡花の「銀鼎」成立を論じた一文を戴いた。また作家の三田誠広さんから新著「親鸞」を送ってきてもらった。
2016 6/11 175
* 「選集⑯」の初校を要再校で戻せるところへ、来た。「選集⑰」は入稿した。「湖の本」131の初校がもう出ている。「湖の本」132の入稿用意もほぼ出来ている。
2016 6/12 175
☆ ご無沙汰しております。
秦サン (東工大院卒。女性)川口です。
先日、湖の本、届きました。ありがとうございました。
階段教室で毎回唸りながら「挨拶」に向き合っていた日々を懐かしく思い出しています。
近況を簡単に報告します。
子連れ単身赴任は、2年ほど前に解消し、東京に戻ってきました。私が転職する形で実現しました。
今までの経験を活かせるものの、新たに学ばなければならない専門知識と経験を求められ、見習いとして奮闘中です。落ち着きましたら改めてご報告します。
息子はただいま小学3年生になりました。ラグビーをやっていて立派な体格に生っています。(スクラムを組むポジションのようです。)
先日、息子が「歌舞伎というのを観てみたい」と言い出しましたので、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に連れていくことにしました。どんな反応をするのかを、楽しみにしています。
それでは、また。
* 東工大院へ飛び級で進学し東大の先生をしてから転任し、また古巣へ帰投されたらしい。
子育て中も慈愛と軽妙の育児日記を書き続け、わたしの編輯している「電子文藝館・湖(umi)」に寄稿してもらっていた。三年生のスクラム・ラガーだって!! いいなあ。しかも「歌舞伎が観たい」とは、佳いなあ!!
川口さんとは歌舞伎の思い出がある。いつかも書いたことがあるが。東工大で秦教授(はたサン)の授業が済んだばかりの教壇へ、女子学生が二人三人で寄っ てきて、「歌舞伎を観せてください」と、率直。はいはいと二つ返事で歌舞伎座前三、四列中央の席を用意し、わたしも一緒に、たしか四人で「弁天小僧」や 「稲瀬川勢揃い」などの通し狂言を、盛んに楽しんだ。それだけ。それだけで十分楽しかった。いいことをしたなと嬉しかった。なんと、あの女子学生の子の少 年が、歌舞伎へと! 嬉しいねえ。
* 川口さん、卒業以来ずうっと「湖の本」を応援してくれています。感謝感謝。
☆ 秦 恒平先生
「湖の本」を有り難うございます。
拙著ではありますが私も謹呈させて頂きます。 藤平信一拝 東工大卒 心身統一合気道会会長
* 幻冬舎文庫藤平信一著『心を静める』 これは日頃わたしの念願に深く関わる表題の一冊、「大事な場面 で実力を 120%発揮する方法」と表紙にある。以前、父君の著を何冊か読ませてもらっている。じつは、いくらか秘かに試み続けていることも有る。戴いた この本、心静めて読ませてもらう。
この藤平君、在学の頃から、合気道の大会では向かうところ敵無い人と聞いていた。温厚な青年だった。父君を嗣いで「心身統一合気道会」を今は主宰しているようだ。栃木県でなければ出向いてハナシを聴いてみたいのだが。
☆ 「湖の本」が
創刊三十年を迎えた由、衷心よりご祝詞を申L上げます。まことにおめでたい限りです。ここに至るまでには、大変なご労苦の連続だったことと推察いたします。
やはり先生の一途な熱意と周囲のご理解が今日の栄光をもたらしたのでしょう。
また、銀座の「ボンシャン」を楽しまれたとのこと、実にうれLいお知らせです。相変わらずのご健啖とご健筆、うらやましい限りで、小生も意欲が湧いてまいりました。
列島は梅雨前線の真っただ中です。
熱中症や湿度の変化にご注意ください。草々 元朝日新聞社 エッセイスト 敦
☆ 向暑の候
この度はご本お送りいただきまして誠に有難うございました。しかも最新作 湖の本129 湖の本130 二册も頂だい致しまして大変恐縮しています。
読み初めましたら止まらなくなりました。今後もよみ返させていただきます。
私、千葉の田舎の田んぼのまんなかで育ちました。小学校の頃から農作業を手伝っておりました。作物、土、すべての自然気候が今の私には役に立っています。ブドウの木も同じだと思います。産地に行きましてつくづく思いました。
先日は奥様とご来店下さいまして心よりお礼申し上げます。
今後共よろしくお願い申し上げます。 敬具
銀座ボンシャン主人 ワインソムリエ 照 東京ワイン専門家協会会長
☆ 創刊三十年 通算百三十巻
おめでとうございます。そして今回も又 有難うございました。
ご教示の十全に納得出来るところ、戒心 反省を指示されるところ数多 大いに深く読ませて頂いた次第です。
残年の少なくなった今 なお余命を大切にと思うばかりです。
くちなしの華が開き よいかおりを立てております。
「湖の本130」が 確かに生んだ香りです。 清・冽 俳人・思想家
☆ 「作者ご夫妻の手」から
私の手へと渾身の作品の群が届けられることの幸せをカミシメテおります。
p.118 一行目の、
「風」は、力、方向、流儀、方法。そして美意識の母胎。
白眉の一行です。
なお私事ながら、私の一番好きな句は、「海に出て木枯帰るところなし 誓子」 これもやはり風ですね。 練馬区 宮
☆ 楽しい130巻目の「湖の本」
ありがとうございました。
昔、こんな質問に応えられる人は凄いなーと思っていましたが 先生の自答も面白く、頁を繰っています。益々のご活躍を、ご自愛下されながらと 祈念しております。 金沢 夜
☆ 湖の本130拝受
「秦教授(はたサン)の自問自答」を一気に読ませていただきまして誠にありがとうございました。秦教授の講義を、若い学生さんたちに混じって受講したかったなあ! と思います。
梅雨に入りました。先生も奥様もご自愛くださいませ。 渋谷笹塚 宏
☆ 三十年 百三十巻と
先生・奥様 傘寿 誠におめでとうございます。
「秦教授の自問自答」を拝読と共に私自身は?と 応えるノートを子供に残したいと思いました。
「湖の本」が何年も続きます事をお祈り申し上げております。
想像しておりました通りの奥様のお写真を拝見でき、とても幸せでございます。お体呉々もおいとい下さいませ。有難うございました。 渋川市 路
☆ 「湖の本」創刊30周年
お目出とうございます。
選集前巻の小説「迷走」は、小保方さんの「Nature」論文事件がダブリます。 千駄ヶ谷 肇
* 『迷走』中「亀裂」不正論文問題の担当新米課長だった、この、今はペンクラブ会員に推薦して落ち着い ている肇君の、この小保方さんに搦めた感想には同感できない。小保方さんの実験が失敗であったとしても、誠実で懸命であっての失敗なら、あんなにイジメ抜 かれなくて良かったはずとわたしは今も不快である。科学の成果は失敗のくり返し山積の上へ築かれるはず、失敗は決して不正ではない。英書論文を飜訳して自 著として売り出すような医者とは、競べられない。小保方さんのあの細胞問題は、マサチュセッツ大での追試でむしろ証明されたかされそうな様子と報じられて もいる。わたしは小保方さんの「スタップ細胞は、アリマス」と最後まで語っていたのを、今も気持ち応援しながら、理研の高慢体質を憎んでさえいる。
☆ 「湖の本」130
まことにおめでとうございます。大変なことですね。
又、今回の一巻、「秦教授の自問自答」愉快ですね。愉快な、後始末、お見事。こんな先生(せんせ)が本物の、せんせ。学生も幸せです。発芽した無数の芽 は、立派な若木に育っていることでしょう。同じ立場にいた小生にも少しはその様子が目に見えるように思われます。実に良きこと(=本当の教育)をなさいまし たね。
御奥様共々、どうぞお元気で。 神戸 昌
☆ 自己採点してみました。
自分では80点と思いますが、家族(夫)は50点位と評価するかも知れません!! 仕事、子育て、夫の両親の面倒と、よく働きました。人を頼りにしない、しっかりした、可愛げのないバーサマです。最近は、終活トやらに取組んでいます。これはマコトに疲れます!! 玉野市 国
* 30年130巻という事実に
圧倒されます。
「挨拶(問いかけ)」への自答だけでなく、自問の項目自体がすでに問いかけた人の”心の姿勢””心の構造”の物語りです、ネ!! 上北沢 米
☆ 読者として、
先生の数々の作品に出会えたことを本当に誇らしく幸せに存じます。ありがとうございました。
百人一首 どのお歌も美しい響きに満ちてすばらしいと感じ入っております。
ますます御自愛下さいませ、 かしこ。 静岡市 鳥
☆ 創刊三十年
ご縁を得て、読者に加えていただいたのは、いつ頃だったのかしら…と、ずっと以前の湖の本を手に取ってみました。これからも宜しくお願い申し上げます。
時節柄 ご自愛くださいませ。 高槻市 厚
☆ 「秦教授の自問自答」
在職中に知っていたらと思いつつ拝読。ありがとうございました。 相模原 憲
☆ 恭敬
『秦 恒平選集』、各巻をご恵送いただき、深く感謝しております。
「湖の本」も130巻を数え、着実なご活躍に感動しています。
私の方は牛歩そのもので、恥ずかしい限りですが、泉鏡花についての拙文を草しましたので、抜刷を送らせていただきます。鉄道小説的研究(?)の側面もありますので、お手隙の折にご笑覧いただければ幸いです。 敬具 茨木市 田中励儀
* 漆芸家望月重延さん、元岩波書店の高本邦彦さん、川村学園女子大からも受領の挨拶があった。
* 五個荘の乾徳寺さんから、瀟洒な京「末富」の餡菓子や煎餅をたくさん、また、大学で妻と同窓の澤田文子さんから、京「玉壽軒」の茶と干菓子とをたっぷり頂戴した。「口福」というべし。
☆ 湖の本
お元気ですか、みづうみ。
記念すべき創刊三十年記念の第130巻『秦教授の自問自答 他』を頂戴しました。ありがとうございます。
広い意味での科学に最も大切なこと は、如何に価値ある「問い」を持てるかだと思います。みづうみが学生さんに「問いかけ」続けた多くの事柄、そのすべての設問も秦恒平の一つの創作に他なら ないと、感じ入って拝読しました。このような「挨拶」を受けた学生さんたちが、懸命に考え書いて答え続けた授業は、真の学びという幸福な青春大学であった ように思います。
東工大の学生は今も昔も理系の優秀な人材であることを期待されていますが、もしみづうみの挨拶に応えていなければただの国家や企業に便利に使われる優秀な人材=材 料で終わるのかもしれません。意味ある「問いかけ」に真摯に答えることの出来る若者はやがて次世代に正しく「問いかけ」ることのできる大人になるでしょ う。人材でなく「人間」になることのほうが遙かに遙かに意味あることです。東工大教授としてみづうみの播き続けた種が、今社会のあちこちで開花しているの だろうなと思うと、秦教授(はたサン)に感謝です。
みづうみの自問自答は、長い読者であれば大体理解できる内容なのですが、一つとても意外に感じたことがありました。
自分の「死後」になにか意識に逼る「他界・他生」があるとは信じない。土になり水に帰り天に散ずるだろう。
『畜生塚』に描かれていた「自分の家」に帰ることや『慈子』で朱雀先生に「人は世界から世界へ輪廻する」と語らせた作者とは全然違う顔で驚きました。「倶會一処」はないという表明に思えるのですが、誤読でございましょうか。
小倉ざれ和歌百首、わたくしのお気に入りを三首選ぼうとしていたら、好きなものが多くていつまでたっても決められなくて今回はパスです。
ツバメの雛が孵りました。まだとても小さくて餌を頂戴と巣からのぞく黄色い嘴だけしか見えません。元気に巣立ちますように。
みづうみはいつもお元気でいらしてください。
萍 萍(うきくさ)に大粒の雨到りけり 星野立子
2016 6/13 175
* 東工大から東京藝大の油絵へすすみ、修士で卒業した女性「叡」さんの過去と近況とがメールで伝えられてきた。東工大の院を出てから抜群の才能にして入 学にヘキエキする藝大へ入っただけでも容易に信じがたいことであったが、いろんな悩みも持ち「死ぬの生きるの」の窮地をメールで励まし続けた時期もあっ た。「叡」さんという仮り名もその時就けてあげた。今朝のひさびさ十余年ぶりのメールでも「叡」の名が気に入って使われているのが愉快だった。「人生」い ろいろやなあ。
☆ 近況:
結婚はしていません。でもまあ、親しい友人はいますし、パートナーに近いですから、充分幸せと言えると思います。
芸大は結局修士まで行き、研究生も一年やって、20**年に卒業しました。長い学生生活の終わりです。途中、研究室を移ったり、指導教官が事故死してしまうなど、大変なことも多かったです。
卒業した年から、私立大学で****の基本と展開を教える授業の非常勤講師をしております。
ストレートに美術を指導するのでない点は残念ですが、学生相手の面白さはあります。もちろん難しさも、というよりほとんどが難しさです。50人相手に四苦八苦。
秦先生のように、大教室で何百人の学生をひき付ける、とは到底行きません。
しかし先生がなさっていたのを少し真似て、出した課題のうち、面白かったり一生懸命取り組んだものを匿名で紹介する、というのを時折やっております。
あれはとても刺激になりましたので…。
それを楽しみにしている、とアンケートに書いてくれた学生もいました。授業評価アンケートは毎回嫌なものですが…。
生きるの死ぬの、ということを最近は考えなくなりました。
「貫録がついてしまった」とおっしゃられた芸大の先生もいらっしゃいました。もっとキリキリしていたころの方がよかった、と。
肉体的に太った、だけでなく、心に贅肉でも付いたのでしょうか。
やりたいことがたくさんあり、でも人生の半分以上は来たであろうことを思うと、死にたいなどと全く思わなくなりました。
時々、コンペなどに応募したりしています。
なかなか通りませんが、それでも続けていきます。
制作を続けられなくなる日も想像できます。
とても恐ろしいことですが、「作らなくなる日」を妙に具体的に想像できるのです。日常の小さな幸せ・小さな表現で、満足してしまう日が来るのではないかと思うとぞっとします。
例えばその日着る服を選ぶとか、お裁縫をして細々と何か作る等で、表現意欲を満足させてしまうことです。
大きな自由を小さな自由で置き換えるような、すり替え。
死にたくないなどと言っておいて、これでは半分死んだようなものではないか。
難しいです。
先生、お身体、どうぞ大事になさってください。
叡 (この名を今もお許しいただけるかわかりませんが)
* 東工大時代、わずかな年月であったが、思いの熱い歳月だった。教授会か、学生と教室か。教授室をもふくめ、徹底して後者を優先した。大学内、教科内の政 治には全く振り向かなかった。つとめて学生達と一緒の時間を楽しんだ。学生とは男女をとわず「一視同仁」に徹して、誰とも仲良くなった。ひとりひとりが秦 さんはボクにはワタシにはトクベツと思っていたかもしれないが、だれと向き合っても同じように仲良かったのである。専攻のではない、一般教育の元の秦教授 (はたサン)を晴れの結婚式に招いて祝辞を求めてくれた卒業生が十数人もいた。もらっている手紙やハガキやメールの数は夥しく、その上に今回自問自答した 「挨拶」に毎時間学生たちが書いて提出した応答文が、いまも全部我が家の内で場所を取っている。
東工大の理工学生になまじっかな「文学概論」など教えて何になるかと思い、ひたすらカケラ自身の「言葉」で考え考え自身を見出して行くようにとわたしは 心がけた。だから、詩歌の虫食いを自ら詩人歌人として埋めさせ、途方もなく難儀な「挨拶」に応じ続けさせ、書きに書かせつづけた。その総量は市販ふつうの 単行本の百册分に相当した。学生の殆どがウンウン唸りながら、秦教授の奇妙な挨拶にも虫食いの出題にも、いっそ熱心に応えつづけてくれた。それでよかった のだ、願い通りだった、わたしには。
2016 6/14 175
* 四国の木村年孝さんから、大きな一箱で美味滴るみごとなオレンジをたくさん頂戴した。四国の柑橘はことに美味しく、健康のためにもとても嬉しく有難い。感謝します。
小田原の津田崇さんからも、海の幸の佳い干物をたくさん頂戴した。わたくし、たぶんに栄養の失調気味が疑われているだけに、有り難いこと。感謝します。
☆ 秦 恒平 様
謹啓 初夏の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
このたびは、『湖の本 秦教授(はたサン)の自問自答』をお送りいただきまして、ありがとうございます。
また、創刊三十年を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。
これまで大変なご苦労があったことと思いますが、長きにわたり執筆・出版活動を続けてこられましたことに、心かち敬意を表します。
これからも刊行されます作品を楽しみにしております。
私も、夢や希望に満ちた「新しい豊かさ」を実感できる滋賀の実現に向けて尽力してまいりますので、今後ともご支援賜りますようお願い申し上げます。
時節柄、くれぐれのご自愛とますますのご活躍をお祈り申し上げます。 謹白
平成二十八年六月十三日 滋賀県知事 三日月大造
☆ 拝復
はや梅雨の候 確かな季の移りに自然運行の妙が感じられます。
「湖の本」130 ご恵与たまわりありがとうございます。創刊三十年の節目の趣、作家が自作について語ることの珍しさにひかれ参加したことでした、よき読者たりえないことを反省しつつ、ご厚情に厚くお礼申し上げます。
また 奥様 傘寿の趣 おめでとうございます。よき協力者でいらっしゃることはもちろん、作中しばしばご登場で、学生と回覧しながら、あれこれいらざる「詮索」いたしましたこと、なつかしいかぎりです。
東工大で 漢字一字欠の短歌を題材に作者と語りあうがごとき独自の鑑賞の方法のことうかがい、作者を超える「解」あるかと援用させていただいたことあります。
また「挨拶」も当時の学生にとって 改めて秦教授の回答に接し、自分の回答思いかえす機となることと 興尽きません。
東工大は原発推進の拠点ではありますが、実験はともかく、実用では脱原発の代になることは必定、ご発言に大いに啓発 励まされております。
ことほぎのつたなき意、いとこの葉書の要約の態で恐縮です。
お揃いでお大事に 草々
白壽叔母の指図今年も梅しごと 信 神戸大名誉教授
* 時鳥が来て
声音に夏を告げています。
今般も「湖の本」を御恵投被下、ありがたく頂戴いたしました。
薬の副作用で、メマイ、タチクラミ 甚だしく閉口していますが 「秦教授の自問自答」 休み休み拝読。 私の小さな人生をはずかしく思いました。
ありがとうございました。 称名念仏 黄 新潟大名誉教授
☆ 創刊
30周年 おめでとうございます。
お元気で、 末永く続きますように。 大府市 門 女流文学史家
2016 6/15 175
* すこし気持ちにゆとりかすきまかが出来、一息ついている。何れ直ぐまた追い立てられるだろうが、とにかくも六月十九日の桜桃忌、つまり湖の本の三十年と作家生活満四十七年とを、くつろいだ気持ちで迎えたい。翌日には歌舞伎を楽しむ。
* 「承久記」「モンテクリスト伯」「砲火」そして「静かな心に」を読み、湖の本131を校正し、眠くなれば眠る。
明日あたり散髪もしておこう。
2016 6/15 175
* このまえ、久しく棚上げにされていた「チャイムが鳴って更級日記」をとにかくも形をつけて「湖の本」におさめた。「初稿・雲居寺跡」は中断の儘で「湖 の本本」に入れた。この中断作を仕上げたい気が動いている。なんとか、やってみようと思う。やれるという気が兆している。二宮のご夫妻高城真・由美子さん から戴いた長文のお手紙に刺戟を受けた。すこししつこく小説の形をおいかけてみたくなった。新しく書き継いでいる「仮題・清水坂(本題は秘しておきた い)」そして「ユニオ・ミスティカ」があり、「初稿・雲居寺跡」も新たな表題と主題とをもってすこし強引にでも新しい顔の歴史語りに創りあげたい、と願っ ている。
2016 6/16 175
* 帝国ホテルのクラブでもらってきた佳いワインの栓を抜き、前夜祭は小津安二郎の映画「彼岸花」を妻と笑ったり泣いたりして観た。山本富士子が演技賞も のの京娘を浪花千恵子と母子で演じ、佐分利信と田中絹代夫婦に、有馬稲子と桑野通子の二人娘。柳智衆の娘に久我美子。有馬稲子と結婚するハンサムに左田啓 二。
なつかしい、おもしろい、しみじみとした戦後映画、昭和三十三年の秀作。この年の春、わたしは大学院に入り、妻は四回生、そして翌三十四年(一九五九)の春まだきには倶に東京へ出、六畳一間のアパートを新居に結婚したのだった。
以来、五十七年、太宰治賞を受賞し作家生活に入って明日で満四十七年、湖の本を創刊して明日で満三十年。
2016 6/18 175
☆ 梅雨の晴れ間が
暑い日になりました。
まずは『湖の本』創刊満三十年、百三十巻と、いろいろお躯の障りを手なづけ(?)ながらも、刊行されつづけたことに、心よりお祝い申し上げます。
それにしても、理科系の名うての東京工大の学生さんに投げかけた問いの、本音でしか答えられぬ事項には感服いたしました。さらに新たに自答される中味も、傘寿を越した年月の重みが加わって、とうてい「遊び心」とはいえない「答案」と、自分ならどうだろうと考えながら拝読しました。
それにしても舛添都知事のセコさには呆然、アベノリスクが後ろにいること思い、暗然とします。後世に託せぬ気持です。
奥様ともどもご自愛を。 徳 講談社役員
2016 6/18 175
☆ 秦先生
湖の本をお送りいただきありがとうございました。
また、湖の本通算百三十巻 おめでとうございます。
人文社会群時代を懐かしく思い出させていただきました。
この3月に東工大を退職する際、秦先生がいつも授業の前に中村さんと私にそっと置いていかれた空欄のある短歌のメモ用紙の数々を大事に持ち帰ったばかりなので、先日の先生からのお電話には驚きました。
今では、秦先生からの問題のメモを選んで復習する毎日です。
胃の手術は大変でした。これからもどうぞお大事になさって下さいませ。
いつかご健康を取り戻された時にお会いできると良いですね。 高木恵子
2016 6/18 175
* 山形の「あらき蕎麦」さんから、今年の桜桃忌にも、みごとに粒大きく輝いて甘い「桜桃佐藤錦」たっぷりの二たパックを頂戴した。同じ便で、小滝英史さんから雄町米の名酒「櫻室町」三本を頂戴した。
嬉しく、さっそく桜桃を戴き、萩焼の大盃でしみじみ美味い酒を、三盃。
ホームページを亡き友の美しい花の繪で飾り、桜桃忌を心嬉しく恙なく迎えた。全国の読者、先達、友人知己に、心より感謝申し上げます。
2016 6/19 175
☆ 秦 恒平様
「湖の本」創刊満三十年、
通巻百三十巻のご刊行を
お祝い申しあげます。
今号も、秦教授(はたサン)の自在に乗って
存分に楽しみ、考えました。
ご厚誼をいただきつづけたこと、
改めて感謝いたします。
二○一六年六月十九日 敬 講談社 元「群像」編集長出版部長
* 晴れやかに赤く粧われた「お祝 CELEBRATION」の厚手折紙に挿んで詩のように書いて頂いていた。知己の芳情、謹んで頂戴した。ちなみに謂う が、わたしは雑誌「群像」とは、ほとんど縁無くすごしてきた。単行本は「初恋」「茶ノ道廃ルベシ」「愛と友情の歌」を出して貰っている。もう騒壇余人を自 称の後に亡き「群像」の鬼編集長大久保房男さんや、大久保さんの後輩、徳島高義さん天野啓子さんの知己を得てきた。こういう人生があるのだなあと思う。
文藝春秋専務だった寺田英視さんの手厚い紹介があってこそ「湖の本」を、また「秦 恒平選集」を凸版印刷株式会社には三十年、渋い顔ひとつみせず応援してもらえた。
新潮社の前の「新潮」編集長坂本忠雄さんの毎々欠かされぬ声援も、どんなにわたしの励みに力添えて頂いたことか。
「湖の本」は、そもそも朝日新聞社の伊藤壮さんの親切懇篤な応援があって一気に軌道に乗ったのだった、その前に福田恆存先生のまだ若い、もっと書きなさ いという激励を戴き、騒壇余人の「湖の本」を敢行したのだった、すぐさま永井龍男先生からの励ましと、大勢の購読者紹介があった。福田先生も読者をご紹介 下さり、いまもなお奥さんは湖の本を購読していたくださる。
なにごとも独りで我のみでは成らないのである。そのためには、仕事の質と真面目とで信頼を得、応援して頂くしかない。
* 太宰賞選者の中村光夫先生は、ある音楽会のはじまる前のロビーで、「あなたのような人がもっといなくてはいけないんですが」と、励ましてくださった。 臼井吉見先生は篠田一士さんとの対談でわたしの秦の名前を出され、お二人で「いまも、この後にもとても大事なひとになります」と話されていた。唐木順三先 生は機会をとらえてはわたしにふれて書いて下さり、著書の書評にはしばしばわたしを希望して下さった。「わたしなりの道をゆきます」と授賞式の日に広言し て「そんな道あるのかい」と一瞬に私をして頓悟せしめられた河上徹太郎先生は、その後も蔭なららのお励ましを何度もくだった。
小林秀雄先生は大著「本居宣長」を出されるとすぐお名刺に「謹呈秦恒平様」と書き入れて勤め先へ人を介し贈り届けて下さった。井上靖先生はご自身で電話 を下さり、中国へいっしょに行きましょうと誘って下さった。江藤淳さんは東工大自身の後任教授にわたしを指名されていた。
* もくもくと、ひたすらに仕事してきて、顧みれば、びっくりするほどの知己の励ましにわたしは恵まれ続けてきた。望みが先なのではない、仕事が先を歩ん で行く。眼のある人はわたしを観ていない、仕事を観ている。そしてそんな仕事をしていたわたしにも気がついてくれるのだ。
2016 6/20 175
☆ hatakさん
いつも湖の本と撰集をお送り下さりありがとうございます。発送の力仕事も骨が折れること、創刊30年の重さを感じております。
以前体を壊した教訓から、週末はなるべく休むことにしていますが、このところ、休日も職場に行くことが増えてきています。あわただしい毎日です。
今日は、某省の局長視察の説明要員のため、前日に現地入りしています。大荒れを予想して早い便で移動したのですが、飛行機が風雨をものともせず定刻に飛 んでくれたため、移動先で特に予定もなく半日をゆっくり過ごすことができました。人気ない小雨の街を歩き、通りすがりの郵便局から湖の本の代金と、撰集の 維持のための資金をそれぞれ振り込みました。振込局が網走になっていますが、間違いではありません。
着陸時に、雲の切れ目から見たオホーツクの大地は、緑と土色で塗り分けられた幾何学模様の絵画のようでした。美しいとおもう気持ちが半分、職業上の重苦 しい気持ちが半分で、着陸する頃には、農家の高齢化、担い手不足、耕作放棄地、TPP、天候の不順や極端化、病虫害など、北海道風にいえば「ゆるくない」 問題ばかり考えていました。
明日夕方に札幌に戻り、明後日から週末まで今度は十勝で会議があります。土曜も職場の行事で、日曜まで休み無しです。それでも、「迷走」の頃のhatakさんのモーレツぶりに較べれば、足下にも及ばないという気がします。
秦教授の「挨拶」もしかり。数十人のレポートに目を通すのも大変なのに、数百人単位とは、想像も出来ません。
何より目を、お体を、おいといください。またお便りします。
網走より maokat 植物病理学者 行政官
☆ いつものことですが、
秦様のすさまじい想像のエネルギーに圧倒されております。本当に書きたい衝動が八十すぎても存在し続けることは間違いなく才能だと存じております。
大いに見習うつもりでおります。 草々 鋼 飜訳家
2016 6/21 175
☆ 自問自答
なかなか興味深いものと拝見いたしております。「信仰とは」の部分、いろいろと思うところもあり、納得いたしております。
先生のご健勝とご活躍を祈念申し上げます。 敬具 芳 東洋大準教授
* 東工大で事務職を務めていた高木恵子さんが「湖の本130」で、電話を。電話が遠くて、ちぐはぐしたか知れないが、懐かしく。
* 六はらや鳥部野わけて苦集滅道(くづめじ)を
花山へとぞかよふしあはせ 遠
* 機械部屋も階下の仕事場も、あまりにむさくるしく片づき悪くて快くないので、せめて階下だけでもと片付けてみた。際限なくいろんな仕事に追い立てられるのを、堪えて堪えて慌てないようにしている。
次のメドは、作家五十年の「三年後」桜桃忌、さらにそのあと「湖の本150巻」をめざせるかどうか。成るように、成って、成らねばそれもよし。
* ロサンゼルスの池宮千代子さん、カードで、「HAPPY 30 TH」と湖の本三十年達成を祝って下さる。英文を機械でうつのは苦手などでひかえる が、おしまいに、「And just think… this is only the beginning.」と。まことに。
☆ 秦 恒平様 迪子様
湖の本創刊三十年 本当におめでとうございます。よくなさいましたね。 一番に思うことは
迪子さんの御協力 御助力です。ほんとにほんとに御苦労様でした。
一番始めまだみんな京都に居た(=最初の私家版の)頃です、 小畠さん、良子ちゃん姉達が 恒平ちゃんがこんな文章書かはるなんて信じられへんと口々に噂して居りました。 そしい今 あれから六十年以上でしょうね。
今立派な文学者に成られ 私は自慢自慢のお友達です。一杯教えて頂いて居ります。ありがとうございました。
お二人の写真の前にピンクの紫陽花がいけてあります。今年はあじさいの豊年で近所に配っています。他に白木槿もピンクのも満開です。毎朝切ますのが楽し みです。お茶のお稽古(=先生)まだ続けて居ります。ふしぎに私はヒザが痛くなく皆さんに羨ましがられてゐます。でも頭の方がボチボチです。今日は私の 84歳の誕生日です。
どうぞお体お大切に、 そして書き続けて下さい。 千代 ロサンゼルス
* お姉さんも小畠さんももう亡くなっている。この二人にも、わたしは叔母の代りに稽古を見ていた。わたしは美しくて正しい作法の教え方がわりと的確だった。年かさの誰もわたしの代稽古をイヤがらなかった。
千代さんは、いまなおアメリカで現役のお茶の先生をされている。「四海皆茶人」を実践されている。
* サッポロのマオカットさん、選集の刊行に力を添えて下さる。有難う存じます。
故福田歓一先生の奥様、また米沢短大の前学長遠藤恵子さんも、お手紙で、それぞれにお祝い下さる。身に沁みます。
* 済んだのではない。 just think… this is only the beginning.に過ぎない。
*もう今日も 眼がよく見えない。
2016 6/22 175
☆ 第130巻 創刊30年
ご同慶のいたりです。
同志社大学の先輩に秦さんを持ち幸せ一杯です。30年間 一冊も欠かさずご著書が持ててうれしいです。今回の内容も興味津々です。今後も楽しみに読んでいきます。
益々ご健康に留意され ご活躍下さることを祈っています。
私も来春四月に「文芸社」より一冊刊行を予定しています。 愛知 古市
☆ おめでとう存じます
ますますお元気でご活躍下さいますよう お祈り申しあげます。 千葉市 松浦
* 有難う存じます。
2016 6/23 175
☆ 秦 恒 平様
梅雨のあとさきに紫陽花のいろひときわ瑞々しく、世の事象の憂いからひとしきり解かれる思いのする日頃です。(荷風作品から)
このたび創刊三十年、通算-三〇巻の「秦恒平・湖の本」の達成、壮観大慶に存じ上げます。
かつて太宰治文学賞受賞作『清経入水』「展望」誌上で民俗学的夢幻の泉にふれて以来、秦文学に魅せられ、「湖の本」講読いたし、途中から御贈呈いただき何時も感謝致しておりました。
拙著『旅の日本文学続編』上梓したこのごろ、正・続併せて、御目にしていただきたく、勇を振るって謹呈させていただく決心をいたした次第です。
先日、東洋大学のエクステンションの連続講座「日本列島-文学文化風土の旅」で畿内「奈良・京都」に達した折、谷崎・川端・三島作品を扱った最後に出身作家の『みごもりの湖』を花結びとしたばかりです。秦文学の世界を私の論藻に加える折もあろうかと望んでいます。
御掌にひとときでもおいてくだされば仕合わせです。
それにしても長編『生きたかりしに』は、どこかに謎として予感していたこともありました重大な作品でした。
どうかくれぐれも御身ご大切にお願い致します。 草々
竹内清己 千葉大教授 東洋大名誉教授 藝術至上主義文藝学会会長
* 畏れ入ります。
☆ 湖の本130巻
今回の構成と中味は、いつものと全く様子が変って感じました。和歌は和歌なりにすばらしく思っておりましたらば、つづく展開がまたすばらしく、久々に大き目のバッグに入れて歩いております。有難うございました。 小山内美枝子 脚本家(金八先生など)
☆ 第130巻 おめでとうございます。
奥さまのお写真 想像にたがわぬ素敵な方ですね。初お目見えはこの節目ならこそでしょうか。
30年というのは私の30年でもあると気づきました。自慢できるような年月ではありませんが、ここ10年は能を発見して、先生の作品とのつながりができて、深まっていったように思います。ありがとうございます。
五月の発表会を終え、六月、国文の友人たち(8人)の金沢での同窓会の幹事をやり、鏡花、秋声、犀星のゆかりの地、鈴木大拙館をたずねて、皆さんに喜んでいただけました。
今は七月の太鼓会に向けて、<雲林院>の舞囃子に励んでいます。
季節柄お大事になさって下さいませ。 小松市 八代啓子 元・市教育長
☆ 創刊満三十年記念となる
貴重な御本を頂きありがとうございました。
早速手に取り拝読と云うところですが。何分年令でもあり ゆっくりゆっくり同じページを繰り返し乍ら読ませて頂いております。
秦教授(はたサン)の自問自答にある故郷(京都)は 80才を越えてくると 今更乍ら大昔のようだと思い乍らも懐かしく思い出させくれます。
(弥栄中学の)西池先生、小堀先生には お正月御自宅でお餅を焼き乍らカルタ取りをさせて頂いた事、橋田先生には 木彫りの市松人形を 学校に残せと云 われても 自分に返して欲しいと思った事、 貴兄とは二人で比叡山のロープウエイの索道を歩いて登山して運転手さんに怒鳴られた事、なつかしい限りです。
今は老人会で お習字で百人首を書いたり、水墨画を画いたり、月二回のペースのゴルフに参加したりして、「流水心なくしておのづから池に入る」の日を待 つような生活をしております。私は今のところ元気です。世の中は騒々しいですが…… 私も、もう東京の方は行けないと思いますので 残年乍ら、お目に かかれる事はないと思いますが、御身体だけは充分御自愛頂き 一日も永く御活躍頂き 若い人達の教え、指導を願っております。 私も 東工大生のように 頭は廻りませんが この御本を参考に ゆっくりと自問自答してみたいと思います。
ありがとうございました 御元気で!! 京・大原野 濱田美範 同級生
* 衰えなどすこしもない、昔の友のいい手紙を貰った。
2016 6/25 175
☆ 30年 130巻
この間の、精神的、肉体的、金銭的御苦労を思うと気が遠くなります。
心からの敬愛の意を込めて、快挙と言うより怪挙と呼ばせていただきます。
どうぞお元気で! 日比幸一 元筑摩書房編集者
2016 6/27 175
☆ 切れ切れに
読んだ「湖の本130」に続いて「12」9を一気に読了、エッセイ1「蘇我殿幻想」へ戻り…と、久しぶりの「読書」を楽しんでいます。
「亂聲」と新しい歌集の名をうかがって最初に浮かんだのは、「夢幻の如くなり」でした。「敦盛」中の言葉でしょうか。
三十年の節目の桜桃忌を迎えて紡がれる「歌」が華やかで、艶やかでありますよう、「歌集」が成りますよう願っています。 岡山 九
* 偶然の一致かたまたまわたしは今夜「敦盛」と向き合っていた。ただし、心がけている「亂聲」が華やかで艶やかにまとまるかどうか、かなり「みだりがわしく」チンドンヤの鳴り物めいて乱雑かもしれませんよ。
2016 6/29 175
* 必要な校正の仕事が、選集二巻分、湖の本一巻分、手もとに積んである。書きたい仕事も、幾種類も抱いている。
2016 7/1 176
* 昨夜おそく、大デュマの『モンテクリスト伯』を一気に読み終えた。満たされた。
この作で、挿話的に記憶に印していることがある。その話を昔の湖の本原稿で思い出そう、取りだ:そうと捜して、最近、読者から注意されていた大事なことに気がついた。
このホームページに、多年、月々の日録は、悉く保管してあるのに、なんたること、「湖の本」の通算第百巻以降が入れてなかった。別の場所には入稿原稿と して大方保存されてはいたが、それさえ欠けている巻のあるのに今頃気付いた。まこと厖大なフォルダ、ファイルを抱えているので、おそらくどこかでは探し出 せるかも知れないが、楽観は出来ない。
機械のなかの整理整頓も、落ち着いて心がけねば悔いをのこすことになる。これがまたたいへん難儀な作業になるだろう、このごろ脳味噌の乾燥が進んでいて機械の設定や操作が苦手に成ってきているから。
2016 7/2 176
* 湖の本131 初校を終えた。私には、ピンからキリまでとても懐かしい一巻となってくれた。
うしろの「私語の刻」を書き添えて要再校で印刷所へもどす。大きな、重い重い選集が第十五、十六巻とつづいて、第十七巻で、先へ明るく抜けて出る。
2016 7/4 176
* ホームページの総量が、わたし自身にも計り知れず厖大になり、全容を、具体的に此処に確認し記憶するのが容易でなくなっている。この「宗遠日乗・私語の 刻」だけでも、1998年3月以降此の先月までに「176ファイル」も収録保存されてある。おそらく近現代に書かれた「日記」群のなかでも突出した大量、 200頁の「湖の本」にあてはめて80ないし90巻分を擁している。
わたしのホームページは、むろん、日記だけではない。既刊の「秦 恒平・湖の本」すでに小説等とエッセイ等とを含め、全130巻が保存されており、なおこの先へ続々刊行され収容されて行く。
他に、わたし自身の創作、随筆、論考、詩歌、東工大体験等々、また生活史に属する厖大な諸記録等々が密集保管され、さらにその他に、幕末來平成に到る文 豪・大家、詩歌人、新人らの心してわたしの選び抜いた優に600もの作品集「電子文藝館・湖(umi)」までが、このホームページにはおさまって在る。
よくまあ、なんとか保管してきたよと思うものの、もう、わたしの手から頭から大きく剰る大荷物になってきてしまった。娘・昔の朝日子が傍にいて手伝ってでもくれれば運営を委ねられたろうが、それももう叶わない。
せめて、すこしずつでも不備を直し、手も加え、ムダは省いて、サマを調えてだけは置きたいと思っている。
2016 7/6 176
☆ 秦恒平さま
メールをいただき、ただただ恐縮しています。
ご本をいただいてから、お礼の一つも申さずご無沙汰し本当に申し訳ありません。
私達夫婦はお陰様で健康に恵まれそこそこ平穏に暮らしています。もちろん自然に少しずつ歩み寄ってくる老いを感じつつですが。
ご無沙汰の言い訳をするならば、理由は二つ
一つは「お父さん、繪を描いて下さい」への感想をどう書けば良いか悩んで。
もう一つは昨秋ふとしたきっかけで、台湾基隆を訪れることを思い立ち、それはこの6月後半に実現したのですが、そのことに私は尋常でなく心奪われて居たのです(このいきさつは後述)。
その船旅が終わり、つきものが落ちたようになったところへ秦様からのメールをいただき、やっとお返事を書こうと思えるようになりました。
湖の本で「お父さん、繪を描いて下さい」を読んだときから、印象は強烈でした。
とにかく、あのボールペンでの(作家幸田=秦を描いた=)肖像画に驚嘆しました(今もしています)。そして、芸術家として生きるってたいへんなんだよなあ--と思いました。
さて、今回読み返して前回以上に懐かしく興味深かったのが、前半主人公の京都での繪の勉強時代です。
私は山名さん(秦さん)より2学年下ですので、山名さんが中一、二の時は小学生、ようやく油絵を描き始めたころです。京都での展覧会デビュー? するの は山名さんが帰郷されたあとの、昭和26年頃になります。その次第は、自分史「ひまわり」(E-文庫・湖 所収)に書いたとおりなのですが。
私の師事した二紀会の水清公子先生は、関西美術院で黒田重太郎門下、文中にスミコさんとして出てくる先輩はやはり関西美術院の津田周平さん(作中の津島 耕二さん?)の指導を受けていました。関西美術院に私は出入りしたことはありませんが、通っていた人は少し知っています。
結局私もスミコ(後に京大病院小児科医・金成純子)さんも、大学進学を前に、繪の道の恐ろしさに何となく気がつき、敵前逃亡の様な形で、京大受験へと切 り替えたのだと思います。そして二人とも、どこか繪への未練と後ろめたさがあった気がする。そして身近に「同じ仲間」がいることで、慰められていた気がし ます。二人とも、「山名」少年ほどの天才ではないと、早くに知って良かったのかなあ。
純子さんは結局繪を再開する前に白血病で死んでしまいました。そのときの私の喪失感は単に友人を失ったに止まらず、繪への最後のつながりを持ち去られた気がしたものです。
そこから、どのようにして立ち直れたか-----。
いろいろな経緯があって、今は細々と、でも絶えないように水彩のスケッチなどしています。
次に弥栄中学の職員室風景に興味をそそられました。
というのも、以前お話しした気がしますが、私どもの菩提寺は、七条にある東本願寺派の正因寺と言いますが、このお寺の住職が当時の弥栄中学の青年英語教師・万年元雄先生です。父上の前住職が癌で急逝され、”いやいや新聞記者を止めて”寺を継がれました。
母は、法事などの日程を決めるのに、いつも弥栄中学の職員室に電話していました。橋田二朗先生とは仲良しだったみたいです。今もお元気で住職を務めて下 さっています、が、先日奥方を亡くされ、お悔やみの手紙とお供えを送ったらわざわざお電話を下さり、久しぶりにお話しをしましたが、さすがに気落ちして居 られました。
そうそう、夫(=藤江孝夫君)にはこの天才(山名)少年の記憶は全くないようで、興味は卓球だけ。片岡秀公さん(=歌舞伎の片岡我當君、現仁左衛門の長兄)と一緒にプレーしたとは覚えてるようです。
ここまでは”私の興味”の話です。
もう少し本質的なところで、いろいろ考えさせられました。
抽象と具象、私などの様なアマチュアでも悩んだところです。
スーパーリアリズムの作品を見ると、こんなに書けるのだといつもクラクラします。
写真が、対象を写し切れていない事は、私にもわかります。
この先の難しいはなしは私には無理なので、すっ飛ばして、
最後の、線ばかりで書かれた肖像画が「作家幸田さん」の内面までも伝えている繪は、写真以上に「伝えることが出来る!」が、答えなのでしょう。
主人公の山名さんは”繪が上手すぎた”んでしょうねえ。
(ピカソは小さいときから無茶苦茶繪が上手かったようですね。10代で写実は完成し、あとはそれから抜け出す努力、絶えずたどり着いた境地を壊して次を目指し、長生きして、しんどかったやろうなあ、と思い、尊敬します。)
写実が苦手なら、自然に別の方法での本質への迫り方を見つけることができる気もするのです。
いろいろ考えさせられましたが、それをまとめて文章にするのはこれまた大変なしごとなので、今日はこの辺でお許し下さい。
もう一つの、台湾基隆について。
私は本来は「基子」と名付けられました。
もと子は、単なる読みに過ぎないのに、届出した伯父が勝手に仮名にしました。
1937年にシナ事変が勃発し11月に父は招集を受け台湾基隆に赴きました。
母は父の実家の新宮川町五条の家に移り、12月31日に建仁寺前の武藤医院で私を出産しま
した。
早速台湾の父に知らせが届き、小隊の皆さんに祝福され、若い少尉さんの娘は「基隆の基をとって基子が良かろう」となったようです。だから「あなたは基隆の基子ちゃんなんだよ」と言われ続けて育ったのです。
基隆ってどんなところなのだろう? と思い続けて育ち、生きてきました、なんていうと大袈裟なんですが、私にとって大切な「原風景」だったんです。
一度行ってみたい、見てみたい。
昨年九月ぼんやりテレビを見ていたら、クルーズ船が基隆港に入って行くではりませんか、そうだ! この手があったのだと、後先考えず(息子をお供に)一部屋申し込み、それから出港の日まで夢中で過ごしました。
6月17日 奇しくも「父の日」の朝、船は基隆港に着いたのですが、まあどうってこともない港でした。80年近く経っているのですから山と海の形くらいしか”昔のママ”のものはないでしょう。
がっかり--ではないが、「ああ、そうか、ここか」くらいだったのですが、夕方出港するとき、折しもまだ白い満月が海から登ってきました(写真)。
月は昔も同じだったろう、父はどんな思いで眺めたのかな、そう思いを馳せたとたんに、つきものが落ちたように私の原風景は鮮明になり、その風景の中に少尉の軍服姿の父がすんなり融け込みました。
すっかり満足して、あとのクルーズ生活を大いに楽しんで帰って来ました。
(私の航海したコースを今台風一号が訪れています!!)
おかしなメールになりましたがお許し下さい。
2016/07/07 藤江もと子(実は菅本基子)
* あざやかな、一種の名文が此処に、在る。この人は、この明晰にして感性に富んだ健康さで今からでも小説が書ける。このメールからでも、小説世界へ展開し表現を結晶させられる力感をわたしは受け取る。以前寄稿された作にもそれを感じたが、いま、もっとハッキリ感じる。
ただ無意識にそのつどの思いや状況を伝えて下さるメル友であるが、この人からの在るメールが刺戟にも示唆にもなって、いま書いている「清水坂(仮題)」 という新作小説は千年の時空を懸命に飛翔しつつあるのです。幸いに出来上がれば、大笑いか大唸りかしてもらえるだろう、ぜひともそこまでガマンづよく書き 進め書き上げたいと願っているこの頃なのです。
2016 7/7 176
* 妙に、ほっこりとして、息を静めて今日は過ごしている。
「湖の本131」例になくのんびりと初校ゲラを抱いていたが、添え物の後書きなどもやっと書き揃え、明日には要再校で返送する。
「選集⑮」はもう責了にしてあり、いつごろ納品して貰うかを決めねばならない。
「選集⑯」は、もう一通り読めれば責了にできる。この二巻は、重たい。
「選集⑰」は昨日から初校にかかった。興味の持てる、けっこう中味の濃い、面白い一巻になるだろう。
「湖の本132」の入稿原稿づくり、にかなり難渋している。元原稿がいまのわたしの眼でなかなか安々とは読めなくて、すぐ疲れてしまう。しかも量がある。
2016 7/12 176
☆ 前略 お世話になっています。
いつも「湖の本」を楽しく拝見しております。このように永年にわたり継続されていせっしゃることに敬服しております。
ラボパーティは、おかげさまで、今年50周年を迎えました。その記念の年に、ラボ・ライブラリーの最新刊行巻GT25『ハムレット』を河合祥一郎氏の監修のもと制作しました。ここに一セットお送りいたします。何かのおりに聴いていただけますと幸いです。
いつもいつも、ごあいさつもできずにおり恐縮しております。
今後もどうぞよろしくお願いします。草々 ラボ教育センター取締役 渡邊浩之
2016 7/12 176
* 「湖の本131」の要再校ゲラ、表紙、二種の追加原稿、あとづけ 等、印刷所へ送った。
2016 7/13 176
☆ 御本 いただきました。
素直に有りがたく頂戴することにしました。
有り難うございました。
黒とんぼが一尾 八年前に兄が亡くなり その一年あと頃から毎年のように この時季になると飛んできます。二、三日庭の同じところに、そして いなくなります。
ここ 三年ほど気がつきませんでしたが 又 見つけました。
つゆ明けとともに 暑さも酷しくなることと存じます。
どうか御身大切に お伺い下さいませ かしこ 京・有栖川 桐山
* 久しい湖の本の読者であるが、この方をむろん直には存じ上げない、のに、いつもこのように、ふっと優しい風情を文におきかえ届けてくださるのに心惹かれてきた。
2016 7/13 176
☆ ご挨拶が遅くなり 申訳ございません。
暑中お見舞い申し上げます。
庭で蝉の抜け殻を見つけたり、ゴーヤが少しずつ大きくなるのを 手に取りながら楽しんだり… 今年も夏がやって来たなあと 独りぐらしの長き日の感謝です。
「湖の本130 秦教授の自問自答」 殊に楽しんで読ませて頂きました。 いつも乍らですが、迪子さんへの感謝の思いが あちこちに伺えて 私にとりましては 我がことのようにうれしい事と 妙な気分? になっていました。
本当に 力を合わせて ここ迄 ご立派としか言い様がありません。 一読者として、お祝い申し上げます。
参院選挙も終りましたが 次は都知事ですね。「福島みずほ」さん 私も応援いたしました。
七月十日 選挙の日 私は京都へ出かけていました。同志社の「住谷(=悦治先生・経済学 総長)会」の集りで、相国寺に墓参の後 松井本館(女将が卒業 生)で懇親会と食事会でした。当時ゼミのメンバー達 東から西から25名程が集りますが、今年は選挙当日でもあり 学生時代の様に 活溌な思いが止りませ んでした。
鶴見俊輔先生のことも話題にのぼりました。市川(=夫君)が逝って十九年ですが、友は皆、健在でした。
書棚を整理していましたらー江藤淳氏が自殺ー見出しの新聞1999年7月22日(木)の読売新聞夕刊が遺作「妻と私」にはさまっているのを見つけました。座り込んで 又 ページをめくってしまいました。その年の10月末に夫は亡くなりました。
秦先生は 江藤淳さんの後任教授として東京工大にいらした事、湖の本で知りました。
本の感想など お話したい事いっぱいありますが字も乱れてきました。「信仰とは」など、興味もってよみました。
歌集「少年」は小さくて軽いので よくバッグに入れて愛読しています。
どうぞ、秦先生のご体調よろしく、迪子様も 決してご無理のございませんよう、 生き抜いて下さいませ。お祈り申しております。
同封致しました「DVD 新島襄 その心」は亡夫の友人が昨年製作したものですが、未だ手持ちがあるとか で 私も余分に協力致しました。お時間がございましたら観てあげて下さいませ。
やがて梅雨が明けましたら 夏本番です!!
お互い 一日一日 楽しい時間を過ごせます様 元気でいましょうねぇ
思いつくままの乱文 お許し下さいませ。
迪子様 神戸市垂水区 澄 妻の高校同窓 大学同窓
* 実意と優情とのこもったこういう自在に静かなお手紙をもらうと、ああ、これが人間の素養なんだと、しみじみとする。
* 戴いたDVD「新島襄 その心」を妻と一緒に観た。
わたしは同志社、同志社という学生ではなかったように思っているけれど、結果的には、新島襄の精神を承けて、自由な市民の一人として権威的な支配に卑屈 に膝を折ることなく、よく学んで、よく励んで、自身の個性と才能をはぐくみ伸ばし続けて来れたのだと思う。総括して、良かったと思う。高三の秋に体調を崩 して、そのままどこの大学も受験せず同志社大学へ成績推薦されたのを受け容れた。だれもが秦は京大へと思っていたようだが、強いて拘泥するものを持たな かった。それで良かったのだと今もむろん我が歩みを顧みることができる。 2016 7/14 176
☆ 秦 恒平様
突然のお便り どにたから? と思いながらおなまえを拝見したら 「秦 恒平」。すぐ「三輪山」を思い出しました。
弥栄中学校の教員になったばかりの頃、頼りになりそうな二人の先生に出会ったのです。橋田先生と西池先生です。昭和27年6月16日(秦註 これは万年 先生の記憶違い。わたしが弥栄を卒業し日吉ヶ丘へ進学したのが昭和26年4月のこと。先生はわたしが中学二年生のうちに、おそくも三年生の頃から弥栄の先 生だった。先生が指導の演劇部に顔を出していたのだから、間違いない。そこで本読みしたのが、逍遙の「桐一葉」だった。わたしは読めたが、忽ちに演劇部は 続かなくなった。印象深い。)新任先の弥栄中へ不安な気持ちで赴任しましたら まず目に入ったのが西池先生(秦註 三年生時の担任。数学。菅大臣神社の宮 司さん)でした。旧制中学の一年先輩で よく顔を覚えていましたので、まずご挨拶申し上げましたら、大変 丁重に接して下さったのでホッとしました。その 日から何かにつけて相談相手になって下さり勤務が楽しくなるくらいでした。その横の席に橋田先生がおられたのです。お二人共、ものの考え方が、私と共通部 分が多く、私のその後の人生も 大きく支えて下さったように思います。
退職してからも 三人で旅行したり、スキーに行ったりの……楽しい思い出ばかりです。
話がそれましたが、その、貴著「三輪山」を橋田さんからいただいたので 貴方のお名前がその時からあ他のにきざみ込まれました。「湖の本130」にも 両先生のことがありましたので なつかしく拝読しました。
特に親しかった教員三人組も、私一人になり淋しくはなりましたが、貴方の後輩の弥栄中学卒業生が、昨年十一月一日に、同窓会に招待してくれました。卒業生77歳、私88歳のおめでたい会合でした。
新聞記者から教員へ。そして今、小さな寺院住職として生かさせていただく有難さを感謝しながら 自然体で過ごさせていただいております。
沢山の貴著 御本をいただき、誠に有難うございました。
厚く 御礼 申し上げます。 京都 正因寺 万年元雄
* 叮嚀なお手紙で恐縮した。懐かしいというにもあまりに久しい初の触れあいだが、先生の風貌の独特の大きさなど記憶に刻まれてある。わたしが二年生の頃、三年二組の担任をなさっていたのではなかったか。
2016 7/19 176
* 今日、ある都内の「湖の本」読者から130巻の払込票に、「200巻を以て、継続購読をやめます」と。あと70巻を、年四、五巻の刊行で15年ほど。著作両の不安は無い。心身健康であらねばと、思いを新たにする。願わくは日本国の平安が保たれていますように。
2016 7/21 176
☆ 暑中お見舞い申し上げます
御著「湖の本」130巻 拝受致しました、ありがとうございます。あわせて創刊満三十年おめでとうございます。しかし凄いですね。出版し続けるのはなかなか出来ないこと、頭が下がります。小生も秦さんに負けずがんばらねばと……。励みになります。
自問自答拝読し 小生も自問しています。答がなかなか見つかりませんが…。
今夏は例年になく暑い夏になりそうです。
世の中、いやになることが多々ありますが、どうぞ御身体にはお気を付けて下さいますよう。くれぐれもお怒りにならず、心平穏にお暮らしくださいますよう。不一 葉山町 詠 作家・協会理事
☆ 選集第一四巻 ご恵与いただきありがとうございました。 変わらぬお心遣い恐縮です。
暑くなってきました。お元気お祈りしております。草々 さいたま市 興 元平凡社
* 出田興生さん、過分のご支援をいつものように添えて下さり、私こそ、恐縮。ありがとえ存じます。元平凡社の駒井正敏さんからもお手紙をもらった。駒井さんが私より一つ若いと知った。
* 神戸松蔭女子学院大から選集の、武庫川女子大から湖の本の受領挨拶があった。
2016 7/22 176
* 「湖の本131」の再校が出、「選集⑯」の念校分も出た。「選集⑰」の要再校用意も仕上がろうとしている。
睡眠が少し足りなくて。それでも、必要な仕事の打ち合わせや確認の取り付けや、あれこれ忙しく、晩になってしまった。明日は、酷暑らしい。無事に往復したい。
2016 7/28 176
* 楽しみは、となると、結局は歌舞伎などの演劇へ。今月八月は三部制のまんなかだけ、染と猿との弥次喜多で笑いを期待。
九月の秀山祭、夜の部は、吉右衛門、染五郎、菊之助、玉三郎、松緑、東蔵。歌六、亀寿と名を並べるだけで腰が浮く。演目にも変わり映えがある。
十月は国立劇場での幸四郎、梅玉らの仮名手本大序から、そして十二月にも同じく八段目から討ち入りまで。
十一月のおかる勘平の愁嘆場などは失礼して、この月は先ず姉の松本紀保評判の舞台「治天の君」を観、ついで妹松たか子の翻訳劇、これが楽しみ。 みな、ちゃんと妻と二人の座席が恃んである。
思えば、仕事と芝居の他に楽しみらしい予定が、ゼロ。これも宜しくない。
選集はうまくすると十五、六、七巻まで年内に出来るだろうし、十八巻、十九巻の入稿も用意が進んでいる。
湖の本は、131、132巻までは確実に出来て、もう一、二巻分が先へ進行しているだろう。
「間に合うか」な。何に?
2016 8/2 177
* 湖の本131をそろそろ責了にと催促されている(気がする)。もう20頁ほどの常識校正をのこして、ほとんど終える用意は出来ている。読みは機械の前ではし難くどこかへ出たいが、こう暑くてはからだが参る。夏場にからだを毀すとロクなことにならない。 2016 8/6 177
* 「湖の本132」を入稿し、「選集⑱」の入稿用意も進んでいる。
わたしは小説家である。しかし批評家として、言論人としても仕事をし続けてきた。それらを下支えて分母となってきたのは、大学で文化学科に所属していた「文化学」「日本文化学」であったと、今にして、シカと思い当たる。それをさせてくれるもう一つ「底=其処」の思いは、「閑事」にほかならぬ「一期一会」である。
2016 8/9 177
* ドヨンとして熱中ぎみに腹重く、噛み合わせ硬く痛み、眠けにも包まれている。しかしボケてはいられない。沖津浪のように仕事のうねりが迫ってきている。湖の本131を手放すことから始め、遅滞なく寄せる波へ乗りあげて行かねば。
2016 8/10 177
* 「湖の本131」責了の用意を終えた。相手方は夏休暇に入っているかも。わたしには休暇は無い。今朝からも幾種類もの「仕事」をしてきて、やがて六 時、夕食。いまは食事ときいてちょっと胸高鳴るといったことが無い。妙な食べ方をしてしまうとお腹が重苦しくつらくなったりする。つい、スープっ気のもの を望んでしまう。バラの飯よりは煮つめた粥の方が食べいい。色彩にも悩まされる。以前なら美味しそうと乗り出した、たとえばカレーやシチュー色の濃い食べ 物に、顔をそむけてしまう。
2016 8/11 177
* 大きな決断をした。
私の「選集」 現在十八巻まで入稿してあるが、当初、第一期分を「十七巻」でと予定し刊行を始めた。このまま続けるには造本材料の纏めての用意が必要に なるが、今後、どれほど巻数を出しますかと、印刷所に聞いてこられた。からだが保つかという心配無くもないが、この老境を、清閑でもありたししかし精悍に も生き抜いてみたくあり、思い切って「全三十三巻」での締めくくりをと思い決めた。私家版このかた、所詮は文学ひと筋を生き通してきた。妻とふたりで、さ さやかにも力を分け持って、行けるところまで行きたいと決心した。息子は両親の「破産」を心配しているらしいが、心配してくれるとは有り難い。
そもそも、いつまで掛かるだろうと肇めた刊行だが、創刊から二年半で十七巻までは確実に出来る。
東京オリンピックまでに、まるまる四年あり、少なくも四年後それを楽しんでからあの世へと思っている。四年、もう十六巻分の刊行に、いままでのテンポな ら、東京五輪会場などの竣工よりよっぽど早く「秦 恒平選集」全三十三巻は仕上がってしまうだろう。湖の本も、つづくだろう。
なにもかも百パーセントの出費覚悟ですすめている仕事、息子にも誰にも借銭せず、それが出来るためにも此の「売れない」作家は、五十年、通俗を排しつづけ、ありがたい読者や知友に励まされつづけてまさに頑張ってきた。
気を入れて、夫婦共々、ただ「蘇民将来」を願おう。
* 少し眠っていた間に、堀上謙さんから電話をもらっていた。妻がたくさん話し合うてくれていた。
* 「湖の本131」責了全紙を宅急便に託した。
2016 8/15 177
* いよいよ選集⑮が二十二日に出来てくる。送り出してしまえば、八月いっぱいはラクに過ごせるだろうが、九月は「湖の本131」の発送と、つぎの選集刊 行も追いかけてくる。病院、医院、歌舞伎の秀山祭のあいだへ「湖の本」は割り込むだろう。月の後半に大きく息のつけるのを頼みにしている。気候はどうだろ え、白蔵清爽の秋とは、九月はまだムリかな。
* さて、大覚悟で選集を積み重ねる決心をして、小説もともにいよいよ批評やエッセイの領分にも入っていくのがとても楽しく喜ばしい。「蘇我殿幻想」「猿の遠景」「死 なれて 死なせて」そして漱石の「心」の世界へも踏入り、まずは「ことば」への懐かしい親炙の仕事から、小説とはべつの一翼を拡げようとしている。わたし の文学は小説とエッセイとの層を重ねた輻輳において建設されている。あえて、選集でも、この両翼をひろげて翔ぼうと決心した。
小説の処女作は、判断微妙に幾色にもとれるが、エッセイの正真正銘の処女作は『花と風』であり、これによってわたしの美学は文学的に発足した。春秋社の 「春秋」に「花」一年「風」一年連載した。当時春秋社編集長をしていた山折哲雄さんの依頼で、一年のつもりだったのを是非にと頼まれ二年に連載が延びた。 その間にわたしは、はじめて長者からの「フアンレター」をもらったのである、荻原井泉水さんであった。「花 風」の二大字を大きく書かれ「秦 恒平雅兄一餐 井泉水」とありがたい嬉しい贈り物を頂戴した。いまも目をあげるとその額が掛けてあり、いつもわたしの仕事を見守ってもらっている。「一陽 来復」の好い短冊も戴いて軸装した。
わたしは、けっこうビックリするほど偉い先生方の「フアン」レターを戴いてきた。なかでもびっくりしたのは、丸善の「学鐙」に三年も書いていた『一文字 日本史(日本を読む)』に、西田幾多郎門の高足下村寅太郎先生から戴いた「フアン」レターで、以後亡くなられるまでいろいろお教え下さった御本もよく戴い た。。仲良しであられた西山松之助先生と三人で鼎談したこともあり、西山先生はご自削「今年竹」の茶杓や立派な御本をよく戴いた。
ついてといっては申し訳ないが、森銑三先生からも同様にいろいろお手紙や御本を戴き続けた。どんなに心励まされたか知れない、みなさん「泰斗」というに相応しい先生であられた。
2016 8/19 177
☆ 陶淵明に聴く。
静かに念(おも)ふ 園林の好きを、
人間(じんかん) 良(まこと)に辞すべし。
當年 詎(なん)ぞ幾ばくも有らんや、
心を縦(ほしいまま)にして復た何をか疑はん。
「當年」とは働き盛りの年代、わたし(秦)はすでに倍の老境に佇んでいる。
「心を縦に」するとは、自身の気持ちの儘に、ということ。陶淵明が斯くうたった時、彼は三十六歳。わたしが此の心境に好意し「騒壇餘人」の自覚のまま親近したのは、五十歳。「湖の本」を肇めた。
以来、
閑居すること三十載、
遂に塵事と冥(くら)し。
詩書 宿好を敦くし、
林園 世情無し。
如何なれば此れを舎(す)て去りて、
遙遙として西荊に至るや。
「湖の本」すでに「三十載」、「塵事」を厭い避けて詩書との「宿好」を敦くしつづけてきた。「西荊」は陶淵明の場合遙かに遠い荊州(塵事の世間)を謂うているが、「荊」の字には「いばら」の意味がある。
* 今度の本を送り出し始めながら、しみじみ思う。苦境は毎に足下にあるが、堪えて忍べば済(な)す有れと。
「有済」国民学校に学んだ。いまなお学んでいる。
2016 8/24 177
* 今日中に、選集十五巻 送り出しを終えそう。集荷車が来て渡せば、終わり。
「湖の本131」の出来・納本は、九月十二日(月)と決まった。すぐ発送用意しなくては。
「湖の本132」の初校出は、明日と、連絡有り。ちょっと通常より分厚くなるかも。
とぎれなく仕事は前へ前へ続いて行く。
2016 8/25 177
* 幾つもの仕事を前へ進めた。明日には「湖の本132」の初校が届く。 2016 8/25 177
* わたしはもうずっと先を歩いている。
明日には「選集⑱」の初校が出てくるし、昨日も今日もよたしは「選集⑲」入稿のために、日本の永遠を念いながら文字どおりのエッセイを叮嚀に読み返している。
今日「湖の本132」の初校も届いている。美しいかぎりの物語を仮構ときめて書き上げた作であった。エッセイの方も同じ。小説が書けてエッセイが書け、エッセイが書けて小説が書けた。ずうっとそうだった。
2016 8/26 177
* 来週明けには新しい「湖の本」が出来てくるが、発送用意、間に合うかどうか。期日を決めた出版ではないのでユックリやればいいのだけれど、滞ればそのぶん他の仕事に響いてくるのが、難。ま、いいか。
2016 9/6 178
* 十二日からの「湖の本131」発送用意は、概ね済ませて、あと今少し念入れの消せ問うと作業を遺すだけ、明日夕方には一月ぶりに歯医者へ行くが、本の届くまでにそれも含めて三日の余裕がある。何とか万全に用意を終えて待機したい。
2016 9/8 178
* 建日子が黒いマゴの終焉を惜しみ悼み、われわれを心配して二度三度電話をくれている。
建日子、十月には一つの劇場で日替わりに二つの芝居(一つは再演、ことつは新作)を「秦組」公演するらしく稽古で大忙しらしい。いい舞台が成りますように。
* 明日か明後日には、妻と二人だけで、黒いマゴとほんとうのお別れをしいられそう、それが辛くて静まりきって横になったままのマゴと向きあっている。
がっくり疲れながら仕事の手もとめられず。
2016 9/8 178
* 堀上謙さんの訃報に動顛し、想い乱れたまま、宜しくない夢見から身を揉むように目ざめたら、六時前、妻はもうキッチンにいた。そのまま起きてしまった。
* 脱水ひどく腎臓、肝臓最悪と警告され輸液を指示されたのが三年前の真夏八月だった、以来、輸液と投薬をほぼ一日も欠かさず、想えば三年ものあいだ、黒 いマゴはわたしたちへの愛情のままに耐え抜いて生き長らえてくれた。何といっても黒いマゴ自身のガンバリは言語に絶していたのだった、しかもついこの夏八 月まで、黒いマゴが苦痛をうったえて啼いたり騒いだりしたことは一度として妻もわたしも、記憶がない。最期の最後まで静かだった、ただいつもいつも視線を 求め視線をひしと合わせて飽くことなくわたしたちの眼をみつめて、庭へ出たい、水をのみたい、砂でおしっこをしたよ、うんこをしたよとそのつど教えに来 た。後ろ脚はまったく脱臼してか使えないのにゆっくり家も庭も歩いて、夜中の便意尿意にも自分で砂場へ行って排泄していた、しようと努めてくれていた。
久しく久しいわたしの希望であった、自転車の前籠へいれていっしょに走り回ることも、八月、九月に入って亡くなる二三日前までじつに静かに、しかも顔を上げてご近所をたしかめ楽しむように一緒の時間をわたしのために創作してくれた。嬉しかった。
☆ 九月
悲しみの日々、死なれた者の思い、どうぞ堪えてください。
御身大切に。迪子様大切に。 尾張の鳶
* 書きかけの長い小説のなかへ黒い子猫の「存在」を、これまでも触れてきた以上に、もっとしっかり大きく造形してみようかと思い立っている。それあるゆえに「脱稿」しかねていたのかと。
* 往年 愛したネコを悼んで
1984.04.15 愛してやまぬ「ネコ」逝けり
ネコ逝きてふた月ちかくなりゐたる吾が枕辺になほ匂ひゐる
この匂ひ酸しとも甘しとも朝夕にかぎて飽かなくネコなつかしも
線香も残りすくなく窓の下に梅雨まち迎へネコはねむれり
* 母ネコはそれ以前、一九七六年春の頃、我が家の近くで娘のノコを生んで、我が家に引き取られてノコを賢く育てて、六年の間、暮らしていた。わたしを、千年の恋人かのようにいつもみつめて、ノコにもだれにも愛情あふれて静かな聡い優しいネコであった。
母ネコが亡くなったとき、テラスの遺骸のそばへ、いったいどこから持ってきたのか太ノコは、太い竹輪を一本銜えてきて、母のすぐ傍へ置いたのには天を仰 いで泣かされた。驚愕した。埋葬の時は、二階の屋根のヘリからじいっと母ネコの葬られるのを見下ろし見送って動かなかった。
1995.8.6
鳩啼くや愛娘(ノコ=母ネコの子)十九年を生きぬけり
この心優しいネコの子、つまり「ノコ」ちゃんは、十九年我が家に生きて、愛おしい限りのわたしたちの秘蔵っ子だった。不幸にして病魔に遭い壮絶の最期だった。泣きに泣いた。いまでも泣く。
黒いマゴは、十七年生きてわたしたちの無二の「身内」になった。
99.10.4
このマゴを斯うも愛しては良くないと
深くおそれて頬寄せてゆく
09.12.21
黒いマゴの我の湯槽で湯を呑める
ただそれだけが嬉しくて笑ふ
この十七年の間に、わたしはいとしい孫娘やす香に死なれ、死なせ、あげく、実の「娘、婿」の連名で、やす香を「死なせた」とは親が「殺した」と謂うの だ、名誉毀損だ損害賠償金を支払えと訴えられ、数年もの被告席裁判苦に、腸も凍えて千切れそうな苦痛と堪忍に堪えねばならなかった。かりにも哲学を学び説 くインテリ夫婦の、かかる実親への仕打ち例が、世の中に有ったりするのか、わたしは曾て知らない。しかも父・秦 恒平に、それよりずっと以前、ベストセラーにもなった志の文化叢書の一巻『死なれて 死なせて』の著のあったこと、それを読めば著者の説く「死なせて」の 意味は誰にもはっきり明確に知れるというのに…。
黒いマゴは、裁判沙汰の間、終始、私を慰め励まして最たる温かい命であった。彼に日々励まされてわたしたち祖父母は仕事にうちこみ、五百頁平均の「秦 恒平選集」を出し始めはや第十五巻、「湖の本」は創刊三十年を迎えて第百三十巻を達成、それらを皆きっちり見届けてから、黒いマゴは静かに静かに、かすか に身を顫わせて、わたしたち二人の眼前で息絶えていった。泣かずにおれない。
十七年のあいだに、わたしは胃癌で胃全摘し、一年間の苦しい抗癌剤にも堪えた。三度入院した。四年半が経った。
12.02.24
人の見舞ひ欲しくはなくも黒いマゴの
受話器の闇に鳴くがかなしき されど嬉しき
どんな遊具にも見向きもせず、黒いマゴはひたすら私や妻と「遊び」たがった。家中の隠れん坊が大好きだった。
12.09月
ちりんと鈴鳴らして在り処(ど)おしえつつ
黒いマゴはわれを隠れんぼの鬼に
12.10月 黒いマゴ 最愛の猫
われが着肌を好んでマゴの敷寝する
汝(な)が夢に かけて悪政などあらじ
13.01.19
隠れ蓑の根かたに埋めしネコ・ノコよ
しばし待てよわれもそこが奥津城
ネコとノコと黒いマゴもゐてさもこそは
和(おだ)しき後世(ごせ)のわれらの家ぞ
13.02.21
三角の帆がけのやうに黒いマゴは
耳だけ上げて熟睡(うまゐ)すらしも
三角の帆だけのやうに耳だけで
熟睡の黒いマゴが愛らし
13.10.05
黒いマゴの三角の耳の一つだけ
妻と寝ていてまだ六時半
16.04.05 妻傘壽
相あひの八十路に匂ふ櫻よと
傘かたむけてあふぐ此の日ぞ
黒いマゴと迪子とわれに咲く花の
天晴(あは)れ八十路を生きて行かまし
2016 9/11 178
* 「湖の本131」 出来。
2016 9/12 178
* 「読者」の分を、今しがた宅急便に託した。残るは、謹呈分。各界の人、大学と高校。三日掛ける気で荷造りする。
* 発送の仕事しながら、妻とわたしとで、まるで交替のように、黒いマゴの「不在」に泣いている。家中のいたるところにいて、さも父さんや母さんを待っていた黒いマゴなのに、今は…いるはずの黒いマゴがいないのだ、何たることか。
* 読者分から送り始めた。作業は順当に進んでいる。作業の合間にも黒いマゴの不在が不当に悲しくてせきあげるものを堪えきれない。話しかけに庭へ出て、テラスへ腰を下ろしてしまう。
五体と眼と気の疲れにぐたりとしている。九時前。明日のことを思い、もう休息しよう。
2016 9/12 178
* 中井から練馬へ戻るのも、満員。それでも席を譲ってくれる若い女性があった。練馬で乗り換えて保谷へもまた満員。それでもまた若い女性が席を譲ってく れ、熱っぽく疲労していたので、たすかった。持って出ていた「湖の本」新刊をお礼にと、貰ってもらった。駅からくるまに乗った。
帰ってからは、黒いマゴへも「ただいま」と声かけておいて、テレビの前で発送作業を続けた。
2016 9/13 178
* やがて三時。送り作業、一応終えた。疲れました。妻と二人だからできる仕事。感謝。
2016 9/14 178
* こんどの「湖の本131」は、創刊三十年記念の内『原作・畜生塚 此の世 付・京の散策(二)』とした。作歌以前の私家版第二冊所収の記念資料作。こんな「あとがき」を私家版には書いた。
昭和三十九年十一月私家版 菅原万佐『畜生塚 此の世』あとがき
昭和三十七年七月三十日、私はとつぜん小説を書きはじめた。書きはじめてみると、書いてみたいと望んでいた頃とはまるで違った自分がそこにいた。べつに 感嘆した訳ではないが、たしかに自分のことを「ほうっ」という心地で見直したようだ。二年余のうちに七篇の小説と二篇のシナリオを仕上げ、小説を二篇書き かけにしている。四百字の原稿用紙にして千百枚ほど、驚ろくに当らない量であり、出来栄えがいいとは決して思わない。ただ、私なりの考え方があるので烏滸 の沙汰にもけじめをつけておきたい。
妻は結婚当初、藝術家は半ば狂人である、好かないとかなり強い牽制球を投げていた。藝術家きどりの傲慢で横暴な人間が僅かな誇りをも見失って、やがて裸 の王様と化してゆく実例を見知っているからであろう。二年、三年と私は妻の心中のこの負の像と秘かに抗争せねばならなかったが、この経験は良かった。もの を書く以上、妻の眼力というよりは素朴な批判を超えてゆく必要を覚えた。
百万の読者をもつ職業作家と百人にみたぬ知人しかもたぬ者とであっても、創作の第一義は等しく生きている。また賭博そこのけのサーカス的苦行で何かの懸 賞に当選せねば創作者の本義に叶わない訳はない。そういう印可がないとものを書くことに卑屈な恥じらいを覚えねばすまぬのなら、そんな割のわるい苦行はや めた方がいい。僅かの読者に恵まれ、自分の書く文章が自分なりに新天地を拓きつづけてゆくものなら、素人が素人のままいることに卑下することはない。生活 の中で獲た時間をそのためにつかう、それは誇りにもならぬし卑下するにも当らぬことだと私は思う。あってならぬのは努力を惜しんでの自己満足と不用意な妥 協である。文学はそれを許さない。
(編集者=)勤務の性質上、活字の魅力を表裏にわたってかなり承知している。私はむろん貧しいし、たしかに少からぬ金をかけてこの私家版を印刷したこと を、活字の魅力に屈した笑止の振舞と冷笑する人もいるに違いないが、弁解めいたことは言うまい。それどころか、これからも事情が許せば私はつづけて作品を 小部数ずつ印刷する気でいる。幸いにして師友知己の鞭撻がいただければ嬉しいし、未知の人の目に少しでも触れて認められれば、さらに嬉しい。
私小説ふうの拵えにはなっているが、詮索は無用である。作品の批評がほしい。簡単に心覚えを書いておく。
「歌集・少年」のことは後記に書いた。愛着が深く歌として自立できるものを選び、これ以前の作は思い切って割愛した。良かれ悪しかれこれは私の十代を記念するもののようである。
「少女」は最初に書いた百枚余の作の中途で、ふと思い立ってペンを走らせた即興的な作だが、筆づかいの粘っこさなどが、多少私なりに特徴的なので入れた。
「畜生壕」は、先にタイプ印刷したシナリオ「懸想猿(正・続)」の主題を承けている。小説としては五作めになる。情景の転換がいささか唐突だとすれば、 ちょうど(築地の松竹)シナリオ研究所に通っていて「懸想猿(続篇)」のまとめと時期的にだぶった影響があるのだろう。波乱の多い運びではないので、映画 的にカットしたりカットバックさせたりすることが多分に頭にあったと思う。
「此の世」は、筆つきはやや軽いが私らしい仕事だと思っている。軽みについた点など十分でないが、今の私には馴染んでいる。どうしても、このままで放っておかせない所がある。
いずれにせよ、道徳の欠落者という主題にはまだまだ関心がある。業念とか業執という方へ退避しないで積極的に手づかみにしたい。
「桔梗」は(現在四歳の=)娘の誕生日が来るたびに書いてやる童話の一つなのだが、すぐには読んでやれそうにないものになってしまった。
表紙と目次の絵は妻が描いた。原画は可翁と南岳である。
書いて見つける自分、それがうめきたいほど厭な男の像(もちろん、作中人物とか作品とかを意味しない。私自身の心にはねかえって来る或る自意識とでもいうもののことだ。)を結んでいても、顔をそむけのがれることはできない。二年余の私の.感想である。
昭和三十九年(一九六四)霜月 菅原 万佐 (=秦 恒平)
補注:此の私家版『畜生塚・此の世』に収録の
歌集「少年」は、出版を重ねたのち「湖の本」31巻に、
短篇「少女」は、「湖の本」16 巻、「秦 恒平選集」7巻に、
中篇「畜生塚」は、大幅に改稿し、「新潮」昭和四十五年二月号に、「湖の本」11巻、「選集」3巻に、
短篇「此の世」は、「湖の本」16巻に、
短篇「桔梗」は「露の世」と改題・改稿して「湖の本」13巻、「選集」9巻に、収録されている。
作者署名の、菅原万佐 は、高校以来当時の筆名。
* 本巻(湖の本131)跋「私語の刻」には下記の一文を敢えて記念のために入れた。
私語の刻
作家「以前」というと習作時代のようであり、私の場合事実そうに違いなかったが、その頃の仕事が、のちのち姿・形・中味を変え、新作同然の小説に仕上 がっていった。「或る折臂翁」を最初に、「懸想猿(シナリオ)」「祇園の子」「畜生塚」「斎王譜=慈子」五十作もの「掌説」たち、また「或る雲隠れ考」 「蝶の皿」そして「清経入水」「秘色」など、どれもみな、「作家(受賞)以前」に概ね仕上がっていた。そんな「原作」に更に手を入れ、「作家」ほやほやの 仕事として、諸誌・各社で活字にも本にもしていった。
作家以前に、師事した人も同人といった仲間も私には無かった。貧の極の新婚時代に、がんばって購読した講談社百余巻の日本文学全集、月々に配本の一冊一 冊が有り難い教科書になった。漱石、藤村、潤一郎そして直哉や川端、諸先達選り抜きの作と年譜とから、限りなく多く学んだ。通俗の読み物や時代小説は書か ないと姿勢を定め、なに迷うこともなかった。文学賞に応募しようの、文藝雑誌へ投稿しようの、そんなことはほとんど考えてなかった。本にしたいなら、自分 ですればいい。読んでくれる人は、自分で捜せばよいと。
昭和三十四年三月に結婚し、翌年七月に娘朝日子が生まれ、三年目の真夏から突如小説を書き始めた。
書けばこそ好機も来よう、書きもせずあだな夢を見ていて何になるか。そう友人に一喝され、すぐ応じた。
どう貧しくとも、ボーナスというものに一切手を付けない家政と家計であったが、私家版本のためにだけ、妻の同意を得て貯金を崩した。総じて五十数万円も かけた、昭和三十末年代ではかなりの経費であった。『懸想猿(正・続)』『畜生塚 此の世』『斎王譜』『清経入水』四册の私家版は、ごくごく少部数、編集 も装幀もまさしく夫婦の手造り本であった。送り出す先もほとんど持ってなかった。知友はすくなく、えらい人としては志賀直哉、谷崎潤一郎、中勘助、窪田空 穂、小林秀雄といった名前しか思い浮かばなかった。
ところがある日、突如として雑誌「新潮」の編集長から、「来なさい」と手紙をもらった。世界が波打つように足もとで揺れ、まともに歩けなかった。すでに 「三冊」出来ていた私家版中の何作かが、しかし、すぐに役だってくれたのではない、それどころか「新潮」という大舞台が目の前にありながら、わたしは果敢 に四冊目の私家版『清経入水』を、また自前で造った。表題作にした小説「清経入水」が、どうしても編集部をパスしなかったからだ、エイクソと本にし、美し い平家納経をあしらった色刷りの表紙に函まで造って、小林秀雄や円地文子といった、僅かな、縁りもない先生がたに送った。
と、これまた突如、昭和四十四年春すぎた或る日、今度は筑摩書房から家へ電話で、秦さんの「清経入水」という小説を、雑誌「展望」の第五回太宰治賞銓衡 「最終候補作」へ入れたいが、「応募」してくれませんかと言ってきた。「展望」も「太宰賞」も存在すら知らなかった、「どうぞご自由に」と承諾したら、 「新潮」ではあんなに通らなかった「清経入水」が、そのままで石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫という鳴り響くような六選者先 生の「満票」で「当選作」に大化けし、「展望」八月号に発表された。いわば賞まで添えて「文壇」の上へ私は引っぱり上げてもらったわけで、家に積んであっ た私家版の「原作」たちがつぎつぎ役立ってくれた。
とりわけ、今回復刻した原作『畜生塚』は、丹念な改作推敲を経て「新潮」翌年の二月号に掲載され、幸いに批評家桶谷秀昭さんが雑誌「文藝」の「一頁批 評」欄で、じつに丁寧に読んで下さり、或る意味、事実上のこれが「処女作」とさえなった。三部作のように長編『慈子』が筑摩書房から書き下ろしの本に、中 編『或る雲隠れ考』が「新潮」にと続いて、いわば秦の作風を「貫く棒」のような役をしたのである。今回本文のみ復刻した「私家版原作」『畜生塚』は、よほ ど多くみても刊行当時数十人の目にしか触れてこなかった。おなじ事は『此の世』にも謂えた。しかも見る人は驚かれるであろう、この私家版は私が勤務先医学 書院で編集製作刊行を担当していた医学雑誌とおなじ、大判での8ポ二段組み、奥付ともで64頁という珍種であった。
ま、編輯余話としてはこの辺で措くが、筆名「菅原万佐」のわらい話だけ記録しておこう。京都市立日吉ヶ丘高校のころ、校内新聞に、その年たしか生徒会長 をしていた男子が「男女交際」の行儀について四角四面に寄稿していたのがあまりバカげて読めたので、ひやかしてやろう、それなら女子からの方がおもしろい と、当時仲良しだった三人の女友達の姓や名からとって「菅原万佐」の署名で反駁の投書を入れた。それも載った。
以来、なんとなく女とも男ともつかぬ筆名が気に入って、なんと後年四册中三册の私家版までも「菅原万佐」で通していたのだが、「新潮」に呼ばれておそる おそる出頭そして初対面の編集長第一声が「男かあ」であった。即座に本名にしなさいと。で、紆余曲折あっての私家版第四冊め『清経入水』から作者名「秦 恒平」と、ま、本来へ立ち帰ったことであった。
その後の私家版といえば、創刊いらい三十年、一三一巻にまで達している全集「秦 恒平・湖(うみ)の本」が敢然として私家版、続いて、はや第十七巻まで進行中の特装美本『秦 恒平選集』もまた躊躇いない私家版少数限定の「非売本」として、稔りつづけている。とはいえ、終始「私家版作家」として歩んできたのではない。太宰賞授賞 このかた、筑摩書房、新潮社、講談社、中央公論社、文藝春秋、平凡社、集英社、NHK出版、淡交社、弘文堂等々からとうに百册余の本を出し、新聞連載小説 も、岩波「世界」や「アサヒジャーナル」「学鐙」等々での長編の連載も繰り返し担当してきた。なによりも、お名前はとても挙げきれないが、想えばどれほど 多くの文壇の先達や学界の碩学、藝界の実力者らの薫陶・庇護・鞭撻を戴いてきたか、これを多幸といわずに何を謂うかと、感謝の思いは、まこと、限りない。 決して決して我一人で生きて来れたのではなかった。
最期になるかどうか、『光塵』以後の新歌集の、永く惑っていた「表題」を昨夜定めた。
亂聲 らんじやう
残年はしらず、一箭は、すみやかに来るべし。
亂聲、破を調べて、念々死去の空晴れたり。
催事や演舞・演奏などの始まる前に、鼓笛など賑やかに拍ち鳴らす。「亂聲」と謂う。
2016 9/14 178
☆ 湖の本を受け取って
秦恒平さま こんな引き寄せられる偶然ってあるのですね。
湖の本が届き、封筒から取り出し、右手で支えて パラッと----何故ここに自分の名前が?
まず最初に開いたのが156ページでした。
しばらくは何故そこに私の書いた文章があるのか理解出来ませんでした。
そして、恐れ多くも「湖の本」の中に引用していただいた光栄!に驚いています。
京都への思いは今も変わらず、と言うよりも 年齢を重ねるにつれ一層深くなっている気がします。
台湾クルーズから帰って来て、ようやく懸案の左目の白内障手術をしました。
白く霞んでかなり見えにくかったのです。
お陰様でこれが大成功、本当によく見えるようになりました。
景色が若い頃そのままにビビッドに見え、車の運転も楽になったのですが、身体の一部だけが若返ったような不自然さにしばらくは落ち着きませんでした。医 者は右目も白内障だから手術すればよく見えるようになりますよ、と言うけれど、まだそこそこ見えている右目の、少し黄味がかって慣れた視界が名残惜しく、 当分は今のまま、若々しい視界と年相応の視界のミックスで過ごすことにしました。
今夏後半は台風、大雨、残暑とぐったりさせられましたが、この数日気温が下がりようやく一息ついています。
秦様も夏のお疲れが出ませんようご自愛くださいませ。
本の代金送金が滞っていました。ごめんなさい。早速、これから郵便局へ行き振り込みます。
2016/09/16 藤江もと子 藤江孝夫君夫人
2016 9/16 178
* 名大名誉教授の山下宏明さんから、身に沁みるお手紙を戴いた。
鎌倉の橋本美代子さん、湖の本131の払い込みに添えて「黒いマゴ」に花をと過分のお心遣いを戴いた。昨日には甲州の葡萄をたくさん頂戴していた上に。
木津川市加茂の従弟岩田孝一君から、珈琲豆や碾茶をたっぷり送ってもらった。
2016 9/17 178
☆ 『湖の本』131
ありがとうございました。
創刊三十年 通算百三十一巻。この凄い文学に対する執念を感じ、秦さんに尊敬の念を抱きます。なかなか普通の文学者には出来ない偉業です。そして処女作に回帰する… 小生も見習わねばと思いました。
御健筆をお祈りします。不一 作家 森詠 文藝家協会理事
☆ 『湖の本131』拝受いたしました。
創刊三十年 目もくらむ思いです。
菅原万佐名の私家版へのあとがき、さらには「私語の刻」を拝読し、秦さんが<文学への初心>をいまも貫き通されていることに感動します。
貴重な私家版原作を無駄にすることなく、読みくらべて観たいと思っています。
祝意 謝意のしかるべき表しようを知らず、せめて経費の一助にもなればと、失礼を省みず微意同封いたしました。 お許しを。
まだ不順な天候は続きそうです。どうぞ呉々もお身体お大切になさって下さい。
元「群像」編集長 出版部長 敬
追伸 「京の散策」 奥深いですね、読み流せません。
余談ながら、高校の後輩とある湯浅氏は無事定年退職、いまは僧侶だそうです。
* 恐れ入ります。励まされます。
* 湯浅君は、もともと泉涌寺悲田院の人、お寺の直ぐ真下にわたしたちの高校があった。彼の講談社時代に二度ほど立ち話をしたと覚えている。
* 元「中央公論」編集長粕谷さんの奥さんからも、佳いお手紙を戴いている。脚本家の小山内美江子さんからも、ペンの会合で会いましょうよ、などと。
全国大学国語国文学会常任理事や解釈学会会長などされていた黄色瑞華さんからもいつものように懇篤のお便りを戴いた。お城のプロである小和田哲男教授や山科の詩人あきとし・じゅんさんからも、そして神奈川県立近代文学館や早大図書館からも。
京・岩倉の同窓 森下辰男くんからは、また、懐かしのメロディ盤を送ってもらった。
2016 9/20 178
☆ また台風が近づいているようでございます。
お元気ですか、みづうみ
湖の本131巻頂戴いたしました。ありがとうございます。
月 はなやぎて月の面にかかる雲 虚子
2016 9/20 178
* 「湖の本132」 要再校で印刷所へ戻した。例になく初校を二度読んでから戻した。追いかけて選集十七巻の初校を追って行く。
* 清沢冽太さん、福田良子さん(福田歓一さん夫人)のお手紙を戴いた。お茶の水女子大、明治学院大、東海学園大名古屋、多摩美大からも「湖の本」受領の挨拶が在り。
2016 9/21 178
☆ 湖の本131拝受しました。
黒いマゴちゃんとのお別れの哀しみの中に、早々とご本送っていただきありがとうございました。どんなにかお辛い時間の中のことだろうと、ご本を開く手に悲しさが伝わってくるようです。
「畜生塚・此の世」など菅原万佐作のご本を送っていただいた、あの昔を鮮やかに思い出しました。驚き、感激しながら、むさぼるように読ませていただいたのでした。
難しかった。あの頃は、お能も知らなかった。今では「胡蝶」の詞章を作品の中に見つけることも。
秦様のたくさんの作品を読ませていただくことで、どれだけ多くの事を学ばせていただいたかと、ページを繰りつつ感謝の気持ちです。
「京の散策」は以前・京都の案内文をいただき、それを頼りに歩いた京都の町並みを思い出しながら懐かしく読ませていただいています。
精力的な秦様のご本の発刊に、読む力が衰えついていけない情けない昨今です。
でも、楽しみにしています。
迪子さんの描かれたマゴちゃんの絵を見せていただき、迪子さんの悲しさがひしひしと伝わってまいります。
お水を飲ませておられる手の優しさ。思い出されるお辛さ如何ばかりかと。
建日子さまがご両親の哀しみを支えてくださっておられるご様子にホッとしています。
来週からの舞台をぜひ拝見したいと日を繰っています。土日の休日は若い熱心なフアンにお譲りして、平日に見せていただきたいと思います。迪子さんのお出かけになれる日と合えば、ご一緒できればと願っています。
台風の影響の日々が続き、お身体に障りがあるのではないでしょうか。くれぐれもお身体お大切にお過ごしくださいませ。 練馬 晴美 妻の同窓
2016 9/21 178
☆ 秦恒平 先生
湖の本131号拝受いたしました。
胃の手術で入院をしており、振り込みが遅れましたことをご容赦ください。
秦先生は、“ 両手先がきつく痺れて ”いらっしゃる由 お具合はいかがでしょうか。呉々もおいといください。
私も1年前腎臓の手術で30日入院し、今回また10日間ほど入院・手術しました。
なんとか回復途上にあります。普通に歩き普通に食事出来ることの有り難さを痛感しております。
原作『畜生塚』、大変おもしろく拝読しました。
「夢の中から」冒頭からの展開に意表を突かれ、一挙に読み通しました。
私の人生は“山登りの人生”でしたが、本格的な登山が出来ない体となり、在宅の時間が多くなりました。
実は、読み残した湖の本が結構書棚に積んであります。
あらためて全巻通読に取りかかります。 鎌ヶ谷 篠崎仁
* お大事にと願わずにおれない。三十年、お付き合い頂いている。
2016 9/22 178
* ようやく雨の音が絶えたか。
湖の本132 初校も送り返し 選集19も 入稿したし。このところかなり肩が凝ったが、まずは選集18の初校を進める以外、「書く」方へ方へ少なくも 九月中精力が掛けられる。熱海までぐらいなら、昔も一度出かけたように新幹線で、出かけても好い。横浜中華街なら保谷からまっすぐ行けるが、食欲は湧かな い。マオタイでも紹興酒でもうまい酒は飲めるけれど。
十月は二十日過ぎまで、また、いろいろに追われる。
2016 9/23 178
* 「湖の本132」にどっと沢山のお便りを貰っていた。
☆ 畜生塚など
甚だ面白し。 梅原猛
* めったに無い、自筆で、恐縮。
☆ (前略)
このたび心待ちしていた湖の本 選集が 相次いで配達され、明日出発のヨーロッパへの出張に持参することが出来 改めて日本文学の粋を味わうことが出来そうです。
先生の作品はご自身の真実をなにげなく語っているようで 他方 まったくの創作(フィクション)であるようにもおぼえ、まさに日本文学の真髄を表していると自分勝手の解釈ながら いつも感心している次第です。
私の国際ペンへのご奉仕も今回のスペインでの大会をもって無事終了いたします。12年余にわたる長い期間、先生のご指導ご支援がなければ勤めることが出 来なかったと思います。日頃のご厚情とあわせ 心からお礼を申し上げます。 近いうちにまた再会できることを願いつつ 先生のますますのご健勝を祈念申し 上げます。 堀武昭 国際ペンクラブ専務理事
* 日本ペンクラブの理事会でもっとも信頼し親交をいただいてきた世界人であられる。感謝。
☆ 台風と
秋雨前線が騒がしいのも地球温暖化の影響でしょぅか。ご健勝のこととお慶びいたします。
「湖の本」をご恵投いただき有難うございました。創刊三十年、通算百三十一巻とのこと心よりお祝いを申し述べます。
「畜生塚」は、京都の奥深い歴史と歌舞技藝の日常と美意識を背景に描かれた実に清々しくも悲しい「青春讃歌」として原作でも感動し拝読いたしました。
季節の変わり目くれぐれもご自愛専一の上、お元気にお過ごしください。取り急ぎお礼とお祝いまで。草々 重金敦之 エッセイスト 元朝日新聞社
☆ (前略)
湖の本131御恵与たまわりありがとうございます。
創刊三十年記念の趣 もうこんなに時がたったのかと、学生達と話しあうきっかけ与えていただいたこと感謝いたしおります。
創作意欲の強靱なさま いつものことながら敬服いたしますとともに、読み書きも体力満ちてかなうことと痛感しきり。
お揃いでお大事に とりあえずお礼まで 草々 信太周 神戸大名誉教授
☆ 朝夕凌ぎやすい季節になってまいりました。その後 恙なくお暮しでいらっしゃれば嬉しく存じます。
さてこのたび 「e-文庫・湖(umi)」に 私の寄稿をお許しくださるとのこと、ありがたくお受け申します。 とりあえず 未発表の歌稿 まとめて五十首 同封いたしますので どうか よろしくお願い申します。
このたびの「湖の本」私語の刻にて、新歌集ご上梓のこと尻ました。 すばらしい表題も定まり ご上梓が待たれます。まことにおめでとう存じます。
余談になりますが、「湖の本」のお作品『生きたかりしに』拝読した折り お母様の昔おすまいになられたとイウ住所が「東城戸町」とあり、そこは今 私のおります「杉ケ町」のすぐ隣町なので驚きました。
小野医院、酒屋の都鶴の看板などみつからないものかと、なんどか足をはこびましたが わかりませんでした。 内科の「奥医院」というのは昔からあり、そのあたりの町の人にたずねても「小野医院」は知らないということでした。
奈良のこのあたりは、昔のままの民家も少々残っておりますが、 この数年 どんどん取り壊され、新しいマンション等が 建ちはじめました。 私には 少々残念な気がいたしおります。
それでは くれぐれもお大切にお励み下さいませ。 東淳子 歌人
* 早くから歌人としてもっとも信頼をおいてきた方であり、「e-文庫・湖(umi)」に是非新作をとお願いした。ほかにやはり詩人にもおねがいしてあるのだが。
「e-文庫・湖(umi)」 しっかり充実させたい。
なお「小野医院」は実を憚ったので、本当は内科の「奥医院」です。
☆ 秦先生
湖の本 創刊満三十年 おめでとうございます。
湖の本の発刊を続けられつつ 病をかかえられて、選集をも刊行なさり、ご立派です。
高齢になられて なおご自分の選集を出すという 倖せな老後を送られる作家の方を 私は 存じません。
先生の「電子図書館(=「e-文庫・湖(umi)」)」寄稿のお話、ありがたく嬉しく存じます。 是非にと考えおります。十月の初旬くらいにお送りでき ればと思いますが、よろしうございますか(可なれば どうぞご返事ご無要に) どうぞ先生 ご自分を労られ、奥さまとご一緒に 更なるご長寿を!と 願っております。 かしこ 高松市 星合美弥子 作家
* 同人雑誌は全国からいろいろ寄せられるが、これはと思って、電話でまで感服しましたと告げたただ一人の書き手で、わたしよりも少しだけお若い。どんな作が届くか楽しみにしている。
☆ 秦恒平様
関西地方は、台風一過とは言えずに、厚い雲が覆っています。
お変わりございませんか。
先ごろは「湖の本131冊 原作・畜生塚 此の世 他」をお送りいただきましてありがとうございました。128冊の「初稿・雲居寺跡」や、129冊の「原稿・清経入水」と共に貴重な資料になると存じます。
今回は特に「私家版 あとがき」に見られる、「作家以前の秦恒平」の力強さに惹かれました。
「百万の読者をもつ職業作家と百人にみたぬ知人しかもたぬ者とであっても、創作の第一義は等しく生きている。」に始まる(三十代での)決意は、もうすぐ70才になろうとする小生の心にも響きます。
笑われるかもしれませんが、「そういう印可がないとものを書くことに卑屈な恥じらいを覚えねばすまぬのなら、そんな割のわるい苦行はやめた方がいい」。
そうだ、そうだと思います。
「生活の中で獲た時間をそのためにつかう、それは誇りにもならぬし卑下するにも当たらぬことだと私は思う。」
同感しながら、「努力を惜しんでの自己満足と不用意な妥協」は、してこなかっただろうかと反省します。
この年になっても「何してるの」と聞かれて、「小説みたいなものや、論文みたいなものを書いてる」と答える自分に思わず「喝」と言わねばなりませんでした。
夏が過ぎると胃腸がおかしくなります。
先生もどうかご自愛専一にと願います。 奈良・五条市 永栄啓伸 文学研究者
☆ 御本 ありがとうございます
この夏は 三部作「亀裂」「凍結」「迷走」を読ませていただきました。
平安の女文化から、近代小説まで勉強させていただいた先生の、もう一つと言いましょうか、現代を生きる姿には、興味深いものがありました。 現代と書い てみて、あれからこの国も変わったという感慨と、 いや、何も変わっていないのではないかという疑念が同時にやってまいりました。
昭和四十九年は、三月まで松下電器で働き、八月に出産いたしましたので、あの時代はしっかりと記憶に残っております。
三部作は ミステリのようでした。
外部からの悪辣なやり口に対して共に闘うべき内部も一つではなく亀裂があって、それが組合運動に凍結して、いよいよ迷走してゆく……犯人は人間を越えて しまった業界の全体、更にはこの国のあり方、いやこの国だけではない組織の病理。愛らしい女性が組合の力を背に、突如、恐くなってゆく… 涙さえこぼして 自分の上司の「意識」と「態度」を金切声で非難しはじめる……あの静かな子をかくも見苦しく泣き叫ばせているもの… 上に側近政治、下に呑み屋談義があ り、既に事は決まっている会議の空しさに、私も叫びだしたくなったことがありました。 でも怒る前にあきれはて、男社会、男というものに距離を持つことに なっていったような気がいたします。
男社会に対する疑問が 奥さまの言葉でしっかり語られていて、溜飲が下りました。
「いい気なもんだな。―女房族の革新人気って奴の正体見えたよ」というのは、男の台詞。
岡目八目で 終始よく見えている奥さまの視点があったから、小説が 今読んでも古くなっていないのだと思いました。
「老社長さんがいちばん、お気の毒だわ」です。 今日もさまざまなところから可哀相な老社長さんの声が聞えてきます。
それから、「お菓子食べたいなんて可愛いわ。眼くじらを立てることないでしょうに」に 嬉しくなりました。
管理職手当をもらうようになった私は、それを、研究室を見事にまとめる女性職員たちとのランチやお菓子代にして、女子会(そのころはそんな言葉はありませんでしたが)を、楽しみました。
お芝居じみて我慢のできなかった会議も、人間観察の好機と捉え、舞台の「仕方噺」のように見ることができるのではないかと考えました。 しかし演出家不在の不条理劇が報復遊戯となってゆくのは、子どものいじめの世界と一緒で目にあまるものでした。
毎回 勝手な読み方をして、恐縮でございますが、これぞ小説を読む醍醐味と開き直ってしまったようです。
いよいよ灯下したしむ候となりました。 先生 奥様 どうぞ くれぐれもお身体 大切に おすごし下さいますように。 清 造形美大教授
* たいそう結構な京の和菓子を、妻とわたくしのために二つずつ選んで送って下さった。よく読んで下さったのがそれ以上に有り難い。
☆ 台風
静かに通過してくれること願っています。
先日はあの見事な選集第十五巻恵与にあずかり 本日は また湖の本を頂戴しありがとうございました。体調悪いまま 本もよまずにここ何ヶ月 「畜生塚」なつかしく いとおしく 一気に読み終えました。本当に重ね重ねありがとうございました。
二人とも体調よくなく まいっております。いつになりますか、街に出かけましたとき 何か送ります。まずは御礼まで 正 元京都市立小学校校長先生
☆ 「湖の本」百三十一巻
有り難うございます。
正に文士魂を頂いて勇気を覚えます。敬具 俳誌主宰 杏牛
☆ 今から
三十年ほど前のことになりますが 先生の愛読者であった友人にさそわれ 京都東山一帯を探訪したことを思い出します。改めて書棚より箱に赤い縁どりのあ る『みごもりの湖』を開きつつ この度の「畜生塚」を拝読致しております。御健勝にお過ごし下さい。敬具 横浜市 相原精次 作家
* ほかにも岩波の高本さん、画家の高安醇さん、作家の杉本利男さんはじめ、法政大、立命館大、南山大、中京大等々たくさんなご挨拶を受けた。書代の払い込み票にもありがたい通信文がいっぱいだが、今夜は、もう、とても取り上げきれない。
2016 9/23 178
☆ 「湖の本131」拝受
『原作・畜生塚』 「一すじの道に影ながきかも」ではなく、「道に二つの影ながきかも」と切なく極まる因果の糸。その無情は、まさに一期一会の業ゆえ に、最愛の人の心をすら「まぎれない絶望」で満たし切ってしまいます。嗚呼。同感しきりの読者も必ずや少なからず。一読再読、感銘一入。
追伸 大分からカボス、信州から栗きんとん、すこしだけ届けさせて頂きました。お口にあえば幸いです。奥様からは、いつもご丁寧なおはがきを頂いております。
選集の方も大変な勢いですね。 神戸市 岡田昌也 歌人
☆ 小説の良い読者(の一条件)は
記憶力のある人と書かれていた先生の言葉に 自分の読書能力の限界を自覚したものでした。でも、「畜生塚」に関しては、とてもよく覚えていました。
ほんものの佳いモノが当り前のようにある京都に住んでいる喜びを日々感じています。
皆さま どうぞお元気で。では、又。 高野 羽生清 デザイナー 美大教授
☆ よき時代の物語
嬉しく拝見いたしました。 朝霞市 恩田英明 歌人
☆ 「湖の本」をいつも
お送り下さり、ありがとうございます。
心身ともに少しでも平安な日々でありますようにお祈りします。
オスプレイのヘリパッド建設が進められる辺野古では、反対派の市民が機動隊より暴行を受ける、逮捕されるという異常事態が続いています。「早く片づけて 欲しい」と発言する政権。日本中で注視することを希望します。沖縄だけの問題ではないと思います。 沖縄 名嘉みゆき
☆ おめでとうございます。
「湖の本」創刊30年 131巻。 先生の御本を愛読させて頂きました年月でございますが、私に耐えられないような悲しみ、寂しさ、身体の苦痛等のあります時 ご本とお言葉に助けられました日々でもございます。
先生と奥様のご多幸をお祈り致しております。 渋川市 森田比路子 前図書館長
☆ 手先が
痺れていらっしゃるにもかかわらず お言葉も添えて下さり、感謝にたえません。
「畜生塚」 懐かしい作品です。
次回以降もよろしくお願い致します。
お身体 くれぐれもお大切に。 中野区 安井恭一
* 梅原猛さんのガンと鳴る「面白し!」一言をはじめとし、幸い「原作・畜生塚」「原作・此の世」が受け入れられている。「新潮」作と比較すれば、原作に は省かれたいろんな言葉や表現がかなりの量混じっている。省いたのだから無駄と言えるし、しかしそこに志をたてた若い書き手の奇妙な熱も意気も残ってい る。作家以前に書かれていた生涯の処女作といえる「畜生塚」「斎王譜=慈子」そして「清経入水」だけは、ほとんど人目に触れていなかった三十年「私家版原 作」を愛読して下さった方々に読んで頂きたかった。次巻の「原作・斎王譜」も、筑摩版単行本や集英社文庫版では相当量省かれた徒然草との分厚い絡み・重ね など、楽しみに待っていただきたい。
それにしても愛するヒロインに対してあまりにむごい男を書いてしまったと、読み返し校正しながらわたしは息苦しい思いをした。しかし、「美しいかぎりの小説を書くのだ」と息ごみ書き始めた大昔が懐かしい。
* いまこの時機にこのような「原作」を持ち出したのは、一つには「湖の本」三十年を記念しているのだが、今一つには、今まさに現在進行中の「秦 恒平選集」十五・十六巻をさわっている堪らない苦渋の重圧をわたし自身慰めたいからでもある。一生涯を、ただ一色に平穏無事にいきることは出来ない。あり がたいことに、此の三十年に此の肺腑をえぐるような辛かった日々をも私の有り難い佳い読者のみなさんは倶に堪えて下さったのである。
2016 9/24 178
☆ 拝啓
「湖の本」いつもかわらぬご厚情に心より御礼申し上げます。
古典世界と今とを往還する世界、京都という空間との繋がり、いつもながら古典文学を味わうということのあり方を教えられております。なお今後ともよろしくご教示下さいますようお願い申し上げます。 敬具 志立正知 秋田大学教授
* 昭和女子大、國學院大、また西東京市中央図書館からも、「湖の本131」への感謝状があった。
2016 9/24 178
* 朝いちばんに心嬉しいメールを読みました。東工大で飛び級で院へあがり、東大に職位を得ていた人で、お子さんのできたとき、佳い育児日記を「e-文庫・湖(umi)」にもらって嬉しかった。ずうっと「湖の本」も見てくれてきた。
なにより懐かしいのは、授業の後で講壇へ友達とやってきて、「歌舞伎みたいんです」と。「そうか、よしよし」と歌舞伎座のまんなか前の佳い席で弁天小僧や稲瀬川の「つらね」など、乾杯しながら楽しんだこと。
お子さんが幾つになったかな、どんな子に大きくなったかなと「湖の本」を送る序でにお母さんに聞いた。その返信があった。嬉しい。
☆ 秦さま
川口です。
ご無沙汰しております。
湖の本、拝受いたしました。
今更ながらで恐縮ですが、ネットで送金したつもりになって、送金できていないものがあったのではないかと心配しております。不足分がありましたら、ご請求くださいませ。
さて、本と一緒にお送りいただいたご挨拶に息子のことについてリクエストがありましたので。
息子は現在9歳です。
元気一杯で、口達者。周りのことをよーく観察していて、ちょっと泣き虫です。
小学生が大好きなアニメ等には、ちゃんと? はまっています。今はポケモンのようです。
少し、興味がなくなったかなぁと思った別のアニメを録画して見ていたので
「もう、学校のお友達も(このアニメは)あんまり見ていないんじゃないの?」と聞いたら
「見ているお友達もいるから、話を合わせるには、見ておかないとダメなんだよ。」と言っていました。小学生も大変です。
前回のメールでお話ししたように6月に、国立劇場の歌舞伎教室に行ってきました。
高校生の団体の鑑賞と一緒になってしまい、少々騒がしく、落ち着かない会場でしたが、集中して見ていました。
初めてだからと、イヤホンガイドを借りてみたのですが、
「パンフレットに書いてあることだからもういい」と途中からガイドなしでも楽しんでいました。帰ってきてからも「宗五郎の飲み方!」と言って麦茶を飲むときに仕草を真似していました。
その後、夏休み、歌舞伎好きの大伯母に歌舞伎座に連れて行ってもらう機会に恵まれ、「東海道中膝栗毛」を楽しんできました。
仕事から帰ってきた私に、楽しかった場面をたくさん解説してくれました。子供も存分に楽しめる内容だったようですね。
今はラグビーが特に楽しい様子。通っているラグビースクールの仲間ととても気が合うようで、のびのびラグビーを楽しんでします。
また、学校では相撲好きの校長先生のおかげで、お相撲マットが用意されている部屋があり、相撲好きのお友達と休み時間に楽しむこともあるようです。
力いっぱい体をぶつけあうことが好きなのでしょうか。。。
読書も好きなようで、夏休みに子供向けの三国志を読んでいました。
学校の図書室では戦国武将の伝記をよく借りているようで、よく解説してくれます。(日本史が好きではなかった私には、息子にわかりやすく教えてもらっているような感じです)
夏休み、京都に行ったことをきっかけに”御朱印“を集めることも始めています。
祇園祭の後祭りを見に祖母と出かけ、御朱印帳の存在を知った息子。平等院、平安神宮、下賀茂神社等を巡り御朱印をいただいてきました。
その後、旅行に行くときは必ず御朱印帳を持っていきます。
というわけで、いろんなことに興味をもっています。
まだまだ吸収力があるようですので、興味を持ったことにはできるだけ協力してやりたいと思っています。
大人が楽しんでいると子供も楽しんで取り組むことを最近特に感じるようになりました。
一緒にいろんなことを体験していきたいと思います。
それでは、また。
* なんと嬉しいメールだろう。なんと、気持ちの良い母子だろう。
歌舞伎も観て楽しめるなんて。この夏の、染五郎、猿之助の弥次喜多や宙乗りも観たなんて。アニメやポケモンこそわたしは知らないが、三国志も相撲もラグビーも戦国武将も社寺めぐりも、みーんな気持ちがすぐ通う。九歳か…。ぐんぐん豊かになっていくだろう、嬉しいことだ。
なんだか、久し振りに心が晴れ晴れした。ボクに感謝。お母さんにも感謝。
* 卒業生の大方には、このようにお子さんが出来ている。林君、丸山君、柳君らのお子さんも見知っている。大きくなったろうな。多忙を極めているにちがいない親世代よりも、孫のようなそんな少年少女の行く先に希望を感じている。成長ぶりなど、報せてくれると嬉しいが。
* 今朝も、目ざめてから、床のすぐ脇のたくさんな抽斗棚を点検しながら、東工大生から来ていたたいへんな量の手紙やはがきや案内に驚いていた。どうしよう…と思ったが。
☆ 秦恒平様
『湖の本129』『湖の本131』を頂きながら、お礼状も差し上げず失礼しました。三十年以上にわたる私家本刊行に加えて「選集」の刊行と、個人の力量 をはるかに超えるご業績に、感心するばかりです。拙い私家本を勝手気ままに制作している身にとっては、秦さんの編集作業や進行だけを考えるだけでも想像を 超えています。その上、諸経費のお支払い、郵送業務が重なり、さらに創作活動が加わるのですから……。
何冊か同封します。たしか『ブックデザインの日々』は前にご送付したと思いますが、その後のデザインが加わっていますので読んで頂ければ幸甚です。『興行のグラフイズム』は、まさに同年輩向けのものです。楽しんで頂ければと存じます。 千駄木 遠藤勁 拝 元・平凡社編集者
* 文と絵とでされた中味の濃いデザイン本は、「昭和」「平成」を証言する当代語り部の力篇集。ウーンと思わず(佳い感じで)唸るシリーズである。
2016 9/25 178
☆ 秦恒平 先生
ご返信をありがとうございました。大変うれしく拝読いたしました。
丁度1年前は、6時間を要する手術で右の腎臓を摘除し30日間入院しました。遺言書、そして妻と二人の娘に感謝の手紙を残しての入院でした。
今回は、胃の良性腫瘍の摘除手術で10日間入院し16日に退院しました。内視鏡手術であり気楽に考えていたのですが、思ったより大変でした。
昨日は17日ぶりにコーヒーを飲みました。昼にラーメンも。これだけのことが無性にうれしいものです。
未読の「湖の本」が溜まっています。来春冬休みの終りまでに、131巻分の通読を目指します。
先ずは、『死から死へ』。
10年ほど前、「死」について思想、哲学、文化史的な観点から文献を読み漁ったことが有ります。道元禅師の「今日存するとも明日もと思ふことなかれ。死の至てちかくあやふきこと却下にあり。」の言葉に触発されてのことでした。
プラトン『パイドン』における死生観、ラテン語の memento mori. 吉本隆明『死のエピグラム』、柳沢桂子『われわれはなぜ死ぬのか 死の 生命科学』 フィリップ・アリエス『死の文化史ーひとは死をどのように生きたか』 E.キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』(On Death and Dying)などなど。
ただこれらは知的考察、“他人事”としての死の考察でした。
昨年9月、それが突然自分のこととして迫ってきました。特にロスの『死ぬ瞬間』に描かれている心理的各段階を身を以て体験することとなりました。
この手術を経験してからは、いつも頭の隅で覚悟を決めています。
とはいえ、さとりの境地にはほど遠く、不安との同居ですが…。
秦先生の『死なれて・死なせて』の観点から死を考えたことはありませんでした。
あらためて私の人生に引き当てて考えると、幾つか思い当たることがあります。
深い後悔にかられることも。
私は、2001年に住友信託銀行を経てアセットマネジメント会社の役員を退任し、その後は再就職せず大学院に入学、5年間で三つの大学院をハシゴしました。当時、日本山岳会の自然保護委員長、担当理事をしていたことから環境法特に自然保護法の研究をしました。
考察が深まると、“なぜ自然を保護するのか、そもそも保護すべき自然とは何か”という命題を考えるようになり、上智大学の聴講生として2007年に新たに哲学を学び始めました。特にギリシア哲学に惹かれ古典ギリシア語を学んで原典講読のセミナーに加えてもらっています。
この10月からまた若い院生たちとの交流が始まります。楽しみです。
毎回の予習はかなりシンドイのですが、何とか精進します。
ながながと書き連ねました。
秦先生とお目にかかる機会があればと念じております。
不順な気候が続きます。お体おいといくださいますように。 篠﨑仁
* 書き手・読み手として三十余年もお付き合いがあっても、読者のみなさんに向きあってお目に掛かる機会は有るもので無く、お名前や住所や払込票を介して の多少のアイサツはありえても、ほとんどの方のお歳も分からない。ご病気やご事情から高齢の方が多いのはわたしの年齢からして少しも不思議でない。そんな 中で、こういうふうに、もう一段深まった交流が生まれると、それはもう嬉しいものである。篠崎さんもお若くはあるまい、けれど「山」にご縁の方とぐらいし か分かってなかった。いろいろ教えて戴けて良かったなあと喜んでいる。
2016 9/25 178
* 講談社役員の徳島さん、京大経済の依田高典教授、京都府庁の横田香世さん、山梨県立文学館の中野さん、歌人で青山の新保教授、東大大学院、岡山のノートルダム清心女子大などから「湖の本」へのご挨拶を受領、なにとなく疲れが濃いので、紹介は省く。
凸版印刷所へも、クロネコやまとへも、「湖の本」131支払いを済ませた。
2016 9/26 178
* 文春専務だった寺田英視さん、「畜生塚原作を拝読してまた新たな感興を得ました。<京の散策>には分る人にしか分らない噺も書かれてゐて 京都は上海ならぬ魔都であるか…」と。
吹田の歌人阪森郁代さん、「創刊三十年の記念作 感慨深く拝読しております。太宰治賞御受賞からは四十七年。錚々たる銓衡メンバー(=石川淳 井伏鱒二 臼井吉見 唐木順三 河上徹太郎 中村光夫)六名の方々の満票当選というのも考えられないような快挙。以後のぼう大な御著書は、やはり選者の目の確かさ を思います。御自愛の上 御健筆下さいますようお祈りいたしております」と。
神戸松蔭女子学院大から、さらに奈良上村家の松伯美術館からも。
* 「湖の本132」の要再校が出てきた。これで創刊三十年の記念を終えて、また新たな作や編輯で進めて行く。
☆ 前略
「亂聲」 刻してみました。 新歌集へのご期待です。ただし全く他意はありません。ただのお便りとお見捨てくださってもかまいません。
印字のしまりのなさは 刻者の性の表れでしょうか。隠しようもなく、正直に出てし
印材の同封は ちょっと躊躇しましたが、思い切ってお送りします。(お贈りではありませんのでお取り扱いはご自由に願います。)
奥様ともどものご健勝をお祈りしています。 井口哲郎 前・石川近代文学館館長
* 嬉しい贈り物です、有り難く頂戴致します。「新歌集」としての「亂聲」編纂には少し時間を掛ける気でいます、あるいは最期の集に成るとも思われますので。
しかし「亂 聲」は、まさしく私の毎日毎日の仕事が、そのまま体を表していますので、頂戴の印章もその方面からも愛用させて頂きます。なんだか源氏物語っぽい優艶な歌 集を想われている人もあるらしいのですが、元来の語意が文字どおりなので、ジャンジャカ、ゴチャゴチャと、なんでもござれの日々を表現した意嚮と寛容いた だきたいものです。しかし妙に惹かれて好きな言葉です。
☆ いつも
先生の誠実さには、心が弱った時に、起ち直らせて下さるものがありました。こんどの選集も、また、より深く、生きる糧になるものと信じてうれしく、本当 にうれしく思っております。ありがとうございました。ぜひ、お元気でいらして下さい。 長岡市 植木信子 詩人・ペン会員
2016 9/30 178
* なんということなく休息かたがた前回「湖の本」131の「京都散策」をばらばらっと読んでいて、いつしかに読み耽っていた。文春専務だった寺田さんの 感想に、京都の人にしか分からない京都、「京都は魔都」と書かれていたのを反芻する気であった。ははーん、こういうところを寺田さんは言われていたんだと 納得してニヤッとした。ここ二度ほど「京の散策」を本文のうしろへ添えて、二度ともえらく好評なのに嬉しいやら照れるやらしていた。なるほどね…ともう一 度ニヤッとした。
なんといっても、わたしの文学は「京都」に太い根をよほど深く下ろしている。
もっともっと書いて置いていいなと思う。
2016 10/7 179
* 創刊三十年記念の第三「湖の本132」を全紙責了にした。入れ替わるように「選集第十九巻」の初校が届いた。この巻も、つづく第二十巻も、秦 恒平として代表的な記念の一巻にきっとなると思っている。
2016 10/10 179
☆ 生きる意味について
「湖の本エッセイ20」・『死から死へ』の31頁に、「生きる意味なんてものは無い。」と。
まったく同感です。なかなか言い切るには勇気が要ります。
我が意を得ました。
しばらく前、高校生相手の出前授業を頼まれ3年間ほど出かけていました。
与えられたテーマは二つ、①「なぜ仕事をするのか」、②「銀行の仕事について」
「なぜ仕事をするのか」の命題は、「仕事の意味」延いては「生きる意味」にも
つながります。
結局、私自身が信託銀行で「どういう仕事をしてきたか、その中で仕事のやり甲斐、生き甲斐をどう感じてきたか」などについて話し、あとは学生に考えさせることにしました。
**大に通い始めて12年目になります。教授に頼まれ、「就活」について時々相談に乗っています。現実的な話がほとんどですが、哲学科の学生相手なので、時に「生きる意味」、「生きる目的」などと言う議論になります。
私は18歳の時にヒルティの『眠られぬ夜のために』を読み、「自分がほんとうにめざしている目標はなんであるか」と問われ一所懸命考えていましたが、もちろん答は見つかりませんでした。さいわい深刻には悩みませんでした。
秦先生のこのページをこれから学生たちと話をするとき参考にさせていただきます。( “日々をきっちり「生きる」” という生き方は、お釈迦さまの教えに通じるように思いました。)
今月16日に入院をすることになりました。
『湖の本』を一冊携えて参ります。(さて、どれにしましょうか。) 仁
* その考えは変わっていないが、言われているエッセイの巻は、江藤淳の「死から」実兄北澤恒彦の「死へ」かけて編んだ日録であったとはっきり覚えていて、抜き出してその辺りを読んでみたら、はからずも黒いマゴが我が家へきた日でもあって、ハタと思い出した、
* 一九九九年八月四日 水
* 親友でもある新潟の高校生クンが手紙をくれた。いつもながら、言うこと無しの佳 い文章文面で、元気と知性とではちきれそうに言葉が生きている。冗長でなく情は熱い。多彩な読書は、ま、高校二年生の頃の自分を思い出せば、なに不思議も ないけれども、昨今の読書嫌いな学生も大人もいっぱいのなかでは、驚かされる。コンピュータ、放送部活動、それに彼は大の競馬好き。そして創作。生彩に富 んだ旺盛な少年の送ってくる友情には励まされる。
* 六百グラムの黒い仔猫が舞い込んできた。とても可愛くて、もう手放せそうにな い。軽くて、やわらかくて、ノラ経験が皆無とみえ、全然怯えないで視線を合わしては啼く。初めのうちは弱々しかったのに、慣れるに連れて元気に歩きまわ り、後をついてきて、仕事をしている上に乗ってきたりする。することなすこと、かつての、母「ネコ」仔「ノコ」の思い出につながり、いとおしい。あの母子 猫はしんからの我らが「身内」であった。ノコは十九年も生きてくれた。そのノコの写真に、この仔猫を「置いてやっていいかい」と尋ねている。
むかしのアパート時代から数えると、わたしたちが愛して付き合った猫は、今日の仔で七匹めになる。セブ ンと呼ぼうかと言うと、妻はそれなら「ナナ」が可愛らしいと言う。それでは差し障りが有るといえば、有る。同じ呼び名で、わたしの好きなすてきな女子学生 が以前東工大にいて、輝く星のような人だったから、猫の名前にするのは少なからず抵抗がある。ま、可愛いのだから、可愛がるに決まっているのだからと多少 言い訳も用意はしているが。
ノコに死なれたときは悲しかった。あんな辛い悲しい思いはもうしたくないと言い合ってきたが、明後日 が、その愛しかったノコの満四年の命日なのである。そういうところへ添い寄るようにして訪れてきた仔猫であることに、心を動かされている。ちいさいちいさ い漆黒の猫である。久しぶりの感触に胸の内があたたかい。
* 直哉の和解三部作『大津順吉』『或る男、其の姉の死』『和解』を読んだ。『流行 感冒』もここに加えていいのではないか、これと『和解』の二作は、文藝の香気も高く、ともに繰り返し読むに堪える。
直哉全集第三巻へ来て、目白押しに佳作秀作がならんでくる。小説という限定をつけないかぎり、どれもみな佳 い文学・文藝であり、感じ入る。結晶度の高い硬玉を掌中にした心地で、やはり「エッセイ」の最もよろしきものという実感である。小説だけが、物語だけが文 学ではない。この作家にもっと戯曲があればよかったのにと思う。
* 『或る男、其の姉の死』のなかに突如として鏡花作品のことが出てくる。わたしの 方は、これから鏡花作品を心して多く読んで、十月の鏡花を語る講演に備えなければならない。
* この時季に珍しく、今強い雨の音に家がすっぽり包まれている。涼しくなるだろう か。
* 同・八月五日 木
* 仔猫に一晩啼かれ、眠れずに朝の七時まで相手をしていた。それからやっと眠っ た。眠りたくて眠れない頭や胃がかなり苦しかった。
黒い仔猫はすっかり慣れ、ものも食べ、見違えるほどの元気さで、私や家内のうしろをついて廻って遊び戯 れ、甘えて啼き、お腹を空かして啼き、我々の姿を見失ったと言っては啼いている。仔猫の習性を一日でほとんど思い出してしまった。ひさしぶりの仔猫の柔ら かい軽い感触にしびれる。
正直の所、もう手放せないだろうと思うが、せっかく夫婦で家をあけて外出や旅が出来るようになっていたのにと思うと、ウーンと 唸ってしまう。留守の時は預かるかと、息子を、夫婦して口説きかけているが、向こうはわたしよりも出歩く商売のようだから。さあ困った。
* 「人間とは何だろう、生きるとは、老いるとは、死ぬとはなんだろう、といつもい つも胸に問うています。就職してから2年半、ずっと問い続けています」とメールの裾に書いてきた。親しい、東工大の元女子学生の若い友人が。
思い切ってこ う返事を送った。
* あなたは反芻するように繰り返しこう書いてきました、「人間とは何だろう、生き るとは、老いるとは、死ぬとはなんだろう、といつもいつも胸に問うています」と。
「老いる」「死ぬ」のことはすこしワキに置きますが、前半の問いは、じつは「無意味 な問い」であることに気づいています。
少なくも「生きる意味」なんてものは、無い。意味づけするまでもなく「生きている」ことが「生きてい る」意味なのだと。そんな無意味な問いに、どれほど大勢が無駄に悩んできた・無駄に悩んでいることかと呆れています。
「生きる意味」なんて、問うべき問題では無い。「生きる」のに「意味」は無い。「何だろう」と、答えのあ るはずもない問いを重ねているまに、「日々生きる」実質を見失うなんて、なんて無意味なんだろうと。
「問う」ことは、ことにより極めて大事ですが、「問い癖」になって、本質を逸れたと ころで、つまり「問うているぞ」という自意識だけが残存し続けて、かんじんの「日々の生き」が荒んで行くのは、はなはだ無残なことです。「意味を問う」の をしばらく落として、やめて、日々をきっちり「生きる」のに精力と誠実を注ぐこと。わたしは、そう考えるようになって、すうっと明るい場所へ浮かび出た気 がしています。もっとも、もともと、そういう「問い」はあまり持たなかったけれども。
あなたを煩わせているのは、つまり「マインド=思考作用=頭脳=心」なのだと思う。こういう心が、「静 か」になれない。そんな心は捨ててしまった方がいい。
他の人になら、こんなに乱暴そうなことは敢えて言わない。あなたは「気づく」のではないかと思い、言い ました。お元気で。
* 日記を、義務的にでなく、書きついできた。コンピュータでホームページをもち、そこへ「闇に言い置く 私語の刻」と題して日記を書き初めたのは一九九八年 三月であった。それ以前の日記は大学ノートで数十册、これは読み返すのも大変、電子化しておくのはて、もっともっと大変。しかしホームページ内の日記は以 来二十年ぶん、厖大な量だが、簡単に引き出すことも読むことも出来る。本にも出来て、もう何冊も「湖の本」として編輯してきた。わたしだけでなく、どんな よそのひとでも、自由に読まれて構わないようになっている。「作家・秦 恒平の文学と生活」と總題した厖大なホームページを検索すれば、読める。読まれて困るような何も無い。
2016 10/11 179
* 十一月、喜多流友枝昭世の能「野宮」国立能楽堂招待、俳優座の早野ゆかり「常陸防海尊」稽古場公演招待 があった。
十一月は歌舞伎座顔見世月で芝翫一家襲名の舞台だが割愛し、松本記保の「治天の君」 松たか子のコクーン公演を予約してある、聖路加も二科診察予約があり、たぶん加えて「湖の本132」も「選集第十七巻」の発送も賑やかに逼ってくるだろう。
日本ペンクラブも、二十六日のペンの日に、何だか表彰するのどうのと言ってきている。これは、ま、従前の名誉会員にしてくれる意味であろう、永年会費を払い続けた会員であったと、それだけのことと思っている。
2016 10/12 179
* 印刷所から十一月の予定が届いた。「湖の本132」(記念の巻の納め)が十一日に、「選集第十七巻」が二十五日に出来てくる。この二つの送り出しを終えたら、今年の力仕事は終え、すこし寛いだ師走を迎えられる。来年に心備えの穏和な日々でありますように。
☆ 秦先生、おはようございます! 田無の ゆめです。
今朝も雨、秋もいよいよ深まってきましたね。
先日はご本・選集十六巻をありがとうございました。なかなか思うように読むことができなくて、お礼がすっかり遅くなってしまいました。
今回の内容については「湖の本」で以前一定読ませていただいていたので、そう新しい感興はないかと思って読み始めたのですけれど、やはり改めて人間の愛憎について考えざるを得ませんでした。
「人間関係は合わせ鏡」とよくいいますけれど、まことに「愛」と「憎」は背中合わせだと思います。この小説にでてくる、優秀で甘えん坊のお嬢さんにして も、客観的にみればいわゆる「ファーザーコンプレックス」そのものですね。「自分はもっと幸せになっていいはずだ」とずっと思っている。けれど世間はそう そう甘くはないわけで、父や弟に対しても羨望や引け目をいつも感じている。夫婦関係もけっして良いとはいえず、そのいらだちをぶつけても大丈夫そうな実家 の人々に対して投げつけてよこす。別の立派な顔もお持ちでしょうけど、一面「おとなこども」そのものですね。
先生には出来ないかもしれませんが、お嬢さんのことはもう忘れてあげてください。そうしないと、お嬢さんは「父の愛情」という名の「呪縛」から逃れて自立できないのかも知れませんよ。「忘れる」というのはある意味一番残酷な仕打ちかも知れませんけれども。
一読者の勝手な感想とお笑いください。
朗読のほうは2カ月に一度くらいの頻度で図書館での朗読などがあるので、下調べなどの準備や練習でかなり忙しいです。音読のおかげで本を二度も三度も楽 しめるような気がしております。この夏には家中の障子を張り替え、さっぱり明るくなりました。げんきにやっております。
* 上は、あくまで「小説」について言われている。そう受け取って、頷いています。
2016 10/17 179
* 「湖の本」133巻の編輯に没頭していた。無事、電子化テータで、入稿した。
2016 10/19 179
* 湖の本132の発送用意をあらましの見当だけでも付けておきたくて。
* 十一月は、難しい月になりそうだ。願わくはわたしのからだに急変のないことを。 2016 10/23 179
* 湖の本132の郵袋へのはんこ捺しを始めた、が、頸が痛み始めたので、機械の前へ戻ってきた。なぜ、こうなるか。何かが過剰なのだろう。しかし、前へ歩いて行く。立ちどまる気は無い。死はいつ来るかしれない。
じつは今度の入院で一度、退院時にもう一度、死を感じた。
入院中の一夜、俄かに暑いと感じ、それが熱くなり、目の前が白濁しながら激しく揺れ始めた。このまま寝入ればいいのかなとも感じたが、夜中巡回のナース に告げるとすぐ「血糖値、低い」と。それですぐ分かった、これに近い体験はインシュリンとご縁の十数年來に数度は体験していた。価を確かめると「41」と 言う、それはあまりに低すぎる。ナースは駆け戻ってブドウ糖を一袋呉れた。それで、すぐに持ち直した。だが、幸いに糖の補給が得られなかったらやがて 「ショック」が起き、死も優にあったのだ。「110」で正常という血糖値が「41」というのは、あのりに低い。しかしまた糖分を摂れば回復もする。
問題はなぜそんな数値が夜中に来たか、だ。
「点滴」中の抗生物質などの影響であったかもとかすかに聴いたが、正確には聴いていないし分かっていない。要するに「死」はすぐ目の前まできている「事実」だけをわたしは自覚した。
退院して昼食後の堪えがたいほどの激しい苦痛も、もし、わたし独りでいたなら、かなり危険な症状であった。まぢかな喫茶店へ入り、「水」を繰り返し返し 摂り続けながら、手探りで、いつも用意している手持ちの「クスリ」箱を取り出し、硬結してくる頸の痛みを大目のアリナミンで和らげようと努めた。これが幸 い奏功、しかし、今度は付き添っていた妻に変調が起き、病院救急へ車で駆け戻った。
* 何が起きるか分からない、だからこそ、敢然と生きて行くしかない。
2016 10/29 179
* 村上開新堂の山本社主よりお手紙添えて、おいしさがギッシリ詰まった大缶を戴いた。
たとえ総理の注文でも、配達はしないという、お届けは宮中だけと聞いてきた老舗の中の老舗。「湖の本」が取り持ってくれた心温まるご縁を喜んでいる。
2016 10/29 179
* さ、十一月の松本紀保、松たか子 姉妹、それぞれの異色の舞台が楽しみ。
久々に、名手友枝昭世の能舞台にも招んで貰っている。
早野ゆかりが主演の俳優座稽古場公演にも、観てほしいと招かれていたのに、申し込む機会を逸してしまった。惜しいことをした。
それもこれも、しかし健康しだいのこと。十一月七日には「湖の本」132が出来てきて送り出さねばならない。いま、発送用意が怠れない。無事に間に合う といいが。送り出せるといいが。建日子に気働きのいい嫁さんがいてくれたらなあと、心底、希望してしまうが、ま、仕方ない。妻にひどい疲れが溜まらないよ うにと心底祈っている。
2016 10/29 179
* 夜前0時の血糖値は、100。
早暁4:15 手洗いにと床から立って、ゆらゆらと転倒。これは床の上で大事なく、しかし起きあがっての歩行もゆらゆらとモノに当たって危なく、ここまでの不安定は初のこと、驚く。念のための血糖値は92で問題なく、血圧が142と高いのが気になりながら、また寝た。
朝、起きても揺れ気味なので、すぐ起たず、床に坐ったまま暫く「校正」した。仕事に差しつかえは少しも無く。
たしかに昨日は食べられれば食べていて、体重増は分かる。血糖値はやや低め。
驚いたのは血圧が、つねづね低い気味のわたしには、異様に167と高い。ま、校正のような仕事あとは高めになるのだが、それにしても。すこし胸元に吐気の停滞感あり、ちいさくハアハア云う。
湖の本132発送宛名用郵袋への住所はんこ捺しだけはほぼ終えて(あとは宛名の貼り、書き)二階へ上がってきたが、階段の感覚が、起床時よりは落ち着いているがすこし心許ない。
2016 11/1 180
* 「湖の本133」のゼロ校ゲラが出てきた。「選集⑲」の初校を、もう一両日には終える。「湖の本132」が十一日に出来てくる。発送用意は幸いに間に 合うだろう。その間に、松本紀保の芝居があり、友枝昭世の能「野宮」があり、聖路加病院での退院後診察も、歯科治療もある。二十五日に予定されていた「選 集⑰」納品は、十二月五日に延期になっていて、すこし息をゆるめられる。
なにをするにも、無傷の健康体でするのではないと自覚しながら、慎重に果敢にと。脇目も振る気持ちは捨てたくない。なにしろ読みたい本だけでも書庫に唸るように在る。幸か不幸か食べたい楽しみは失せている。
それにしても、病室へ隠し持って行ってた「諸江屋の和三盆」はしみじみ美味かった。純良の砂糖であり、小粒につくられてあり、とき、どき、の一粒に生き返るようだった。低血糖傾向にもかすかに歯止めをしてくれていた筈。
2016 11/2 180
☆ 同じ時期に
秦先生もおつらい思いをなさっていたのですね。
“ 病室でたくさん本の校正ができました ” には唯々敬服致しました。
私も病室に『バグワンと私 上』、『ギリシア語文法』、そして電子書籍(これには哲学書、古典文学、大衆文学など約500冊が入っています)を持ち込んだのですが、しっかり読んだのは『バグワンと私 上』だけ。
病院のベッドの上では、手術部位が痛み、肩と腰も疲れてきて、難しい本は集中できませんでした。岡本綺堂、久生十蘭、中里介山など家の書斎では先ず読むことの無い本を読んでいました。
聊斎志異は、私も大分以前に大変面白く読んだことがあります。今昔物語、宇治拾遺物語に通じるものがあるように思いました。
秦先生におけるバグワンとは意味が違いますが、私は『正法眼蔵』をなかなか理解できないままに毎日少しずつ声を出して読んでいます。
しばらくご無沙汰している京都、奈良を歩きたいと思っていますが、体調が回復するまでは実現は難しそうです。
大分寒くなってきました。
先生も何とぞお体おいといくださいますようお祈り申し上げます。
p.s. 湖の本「みごもりの湖」に1996年9月15日付け日経新聞の「作者から読者へ、手渡され続けた作品」の切り抜きがはさまっていました。文中に、“46冊目を送り出した” と記されています。
それから丁度20年、さらに100冊近くを発刊されたことに深い敬意を表します。 篠崎仁
* 篠崎様
目方の重い本は、キツイですね、ベッドでは。しかし 文庫本は字が小さくて、半盲の視力では辛く、湖の本も選集も 10ポイント組にしています。入稿前に作や論を原稿として読み返すときは12ポに大きくして読んでいます。
ホームペイジの日記も、いつの間にか、大きな太い字でしか書けなくなりました。
正法眼蔵とは、大きな山ですね、わたしも何度か登りかけては途中下山。
代わりにというのは変ですが、臨済録を多年愛読しています、それと陶淵明全集も座右に。加えて平安の勅撰和歌集をしょっちゅう休息用にそばに置いています。
湖の本130の記念に、「自問自答」を入れましたが、篠崎さんにも多彩なご思案が期待できそうです。今思うと欠けている問いもいろいろあります。あれらはみな二十歳過ぎの学生への挨拶でしたから。
お大事にご静養ください。 秦 恒平
2016 11/2 180
* 「湖の本132」発送用意のあらましを遂げた。「選集⑲」の「要再校」戻しの用意もほぼ終えた。「選集⑳」入稿用意、「湖の本133」の初校を併行して進めて行く。
新作創作の辛抱強い進行も心がける。
2016 11/4 180
* 「選集⑲」の本紙初校を、要再校で送った。この巻が出来てきたらわたしはそれは嬉しがるだろうと想う。
「湖の本132」の刷りだしが届いた。これで「創刊三十年記念」企画の結びとし、以降、平生心でさらに刊行し続ける。発送用意もほぼ仕上がっている。
「湖の本133」の初校をすでに始めている。
「選集」第二十巻の入稿原稿づくりも半ばを過ぎている。この一巻も、秦 恒平のためには重い懐かしい一巻になる。
2016 11/5 180
☆ 陶淵明に聴く
閒居すること三十載
遂に塵事に冥(くら)し
詩書 宿好を敦くし
林園 世情無し
如何なれば此れを舎(す)て去らんや
* 此の三十年、「湖の本」とともに「騒壇餘人」を自覚し、「塵事」の世をただ「ウソクサイ」と恥ずかしく眺めつづけてきた。わが「林園」は「いま・ここ」に在り、それすらも無い。
2016 11/6 180
* また二日家で休息して、腫瘍内科退院後の診察に、水曜午前、聖路加へ。十一日金曜朝には「湖の本132」が出来てくる。発送用意はほぼ出来ている。夕 方には沼袋まで歯科へ通う。本の発送にどれほど体力が使えるか、ながく掛かっても無理の無いように二人で頑張る。十五日には楽しみにしてきたコクーンでの 松たか子公演に出かける。じわじわと師走へもう目が向いている。「選集第十七巻」を送り出して今年の力仕事は終える。來手年も再来年も鬼が笑い怪獣が笑っ ても、わたしたちの日々は変わらない。ゆっくり、怪我なく歩みたい。倒れたら、おしまい。
「虚空裏に向って釘橛(ていけつ)し去るべからず」と、臨済和尚に真っ向打たれている、「虚空に釘を打つような真似はするな」と。ハイハイ。
2016 11/6 180
* 八時半過ぎてでかけ、十二時前に病院を出て来た。何処かで食事をと思いつつ何処へ寄る気もせず、歩いて歩いて有楽町から保谷行きに乗って帰ってきた。京の若菜屋の大きな栗菓子を二つ持って出ていたのを、ペットボトルのお茶で、昼食に代えた。美味かった。
さ、明日一日やすんで、明後日から「湖の本132」三十年記念の結びの一冊を送り出す。
「選集」第18巻の再校が出そろってきた。
2016 11/9 180
* 今夜はもう床に就きたい。あす、もう一日、ゆっくりして、小説を書き進めたい。明後日から、また数日、我が家は戦場になる。
2016 11/9 180
* 「湖の本133」を「要再校」で戻した。手元にすき間を造っておかないと仕事が息苦しくなる。明日からの発送前に、「選集⑲」「湖の本133」と再校 待ちで印刷所へ戻せたのは有り難い。「選集⑱」の再校ゲラが出ており、「選集⑳」の入稿用意が半ばへ来ている。年内に「選集⑰」も送り出せる。肩の荷をす こしでも軽く軽くかつ慎重に進めて行くのが編輯という作業の要諦である。およそ半世紀にも近くわたしはこの作業にわたしは手慣れてきた。併行して、無数に 原稿を書いていた。自身は「寡作」と感じて時に口にもしてきたが、今になってみると寡作は自己誤認であったよ。
* 文藝誌「新潮」の突然の手紙で呼び出され、筑摩の太宰治賞を受けてほどなく新潮社の新鋭書き下ろしシリーズに加えられて『みごもりの湖』を書いた。そ の創作途中に担当の編集者池田さんから戴いた現代語・古語の入った久松潜一監修『新潮国語辞典』を、四十七年近く文字どおり手近に愛用し続けてきて、つい 先ほども「刺」という字が「名札」を意味し「名刺」の「刺」であることを確かめたばかり、それにしてもさすがに手擦れで、表紙はガムテープで剥がれは防い であるが、気の毒なほど表紙じたい痛んで反り返り裏剥がれたりしている。お世話になったなあと、つくづく。どう見た目は窶れても、版型といい厚さといい、 じつに温かに手慣れて懐かしいのである。
小説の良い読者とは、いい想像力、優れた記憶力、創作性のいいセンス、そして、進んで辞書をひく気性と挙げていた世界的な作家がいた。辞書を座右に愛し うることが優れた読書の基礎の条件だという、わたしは諸手を高く上げて賛成した。今一つ加えれば、「繰り返し読めるちから」「本当の読書とは、再読から始 まる」とわたしは思ってきた。自身そう楽しんできた。上の条件を皆満たしている読者に、再読を誘わない作や本は、足りないのである。
わたしはこれぞという本を一読だけで棚上げしたこと、ほとんど無い。近年読んで、いま強く再読を心誘われているものに、ミルトン『失楽園』がある。宇宙 を飛翔するように我と現実とを忘れうる。詩といえる作の最大規模の最優秀作ではないか、しかもほぼ失明のまま書かれたという。
2016 11/10 180
* 起床7:30 血圧145-67(63) 血糖値88 体重65.1kg
* 幸いに強い雨降りのほぼやんでいた合間に、「湖の本」132、無事玄関へ届いた。
発送に掛かってはいる、が、目が眩しくて眩しくて仕事にならない。堪えながら少しずつゆっくり進めているのだが。黒い眼鏡を二重に被せていても目が開けてられないほど眩しい。やれやれ。じりじり進むのみ。
* 疲労していて、捗らない。途中ですこし眠りたかったが、眠れもしない。仕方なく、少しずつ少しずつ荷造りしている。
「湖の本」が、初めて、すこしシンドイなと思った。体力に連れて気力も落ちればオシマイになってしまう。歯医者は、延ばしてもらった。
何が障りなのかというと、やはり視力と思われる。眼科を頼らず、率直に、馴染みの保谷眼鏡へ行ってみるか。
だが、ま、発送の作業を、今日は根気よく。
* 夜九時半、今日中にと予定の荷造りを、かろうじて仕上げた。いつもの三倍も時間が掛かった。へとへと。ひどく疲れた。手がすいすい動いてくれなかった。
とにかく予定分だけはし終えた。明日からの作業は、今日一日の仕事より少しはハカが行くはずで、波に乗りたい。歯医者を、再来週に延ばしてもらえてよかった。
からだを横にしたい。
* あわや腸閉塞、そして強度の低血糖、もう一度は頸と肩の鉄鋼のような硬結に悲鳴を上げ、よほど体調を崩したと見える。詰まらぬように考え考えしっかり 食べるは食べて、体力をつくらねば京都へ帰れない。歩け歩け、歩けばそれだけ腸もよく働くからと言われている、だが、これが苦手。今日の東山を歩きたい。
2016 11/11 180
* 昨日は捗らなかったが、今日の作業はわずらわしい余分の手間が少なく、とんとん運んで、中休みも出来ている。もう五時過ぎ。食後に、もう少し はハカが行くだろう。なにしろ荷造りを要する本の量も多く嵩も高い。よく持てるなあと自分でも驚く重いケースを持ち上げては、玄関とキッチンとを往来し続 ける。イジケがちな腸も働いてくれるといい。
* やがて九時。今日の予定は終えた。明日も、発送の作業を主に。さっきまで手を働かせながら、「スーさん」「ヤマちゃん」の映画を観るともなく聞いてい た。二人も佳いが、「ミチコ」さんが昔から大の贔屓、それも交替する前のケレン味なく生き生きした女優が好きだ。この映画は、わたしの「身内」観に好適の モデル。「寅サン」のものあはれは無いが、あんまりあはれが過ぎると苦しくなる。「スーさん」「ヤマちゃん」は佳い。羨ましい人が多かろう。
2016 11/12 180
* 数日の、文字どおり「難渋」を解消した。よし。作業にハズミついて、もう正午。
心配なのは、発送してくれるクロネコ・ヤマトの内部で、なにらか争議めく動きがあるのではないかと。働いている労務系の人たちへの同情を覚えつづけてきたので、黙って様子を見ている。
2016 11/13 180
* クロネコやまと、 漸く発送され始めたらしい。労使の関係があらたに見直される時代になって行くべしと思う。昨日も、社民党代表の福島みづほさん宛 て、労組支援を新たに大々的に組織化しない限り社民党の復活は絶望ですよと励ましておいた。労組活動ほ軽視して観念過剰の「憲法」論にのも偏重したのが 「票を失った」社民衰退の病弊であった、いくら言っても土井福島社民党は耳をかさなかった。自業自得のぶざまに過ぎた社民立ち枯れであった。国会を出て市 井にかけまわって労使の労を奮い立たせよ、とわたしは言う。
2016 11/14 180
* 「湖の本132」 の発送を終えた。「選集⑱」の後書きなどツキモノが出た。
2016 11/15 180
☆ 書肆の棚淋しかりけり文化の日 杏牛
この頃の書肆 実に淋しく残念です。世の中が人間根源の美の希求を損ねていると存じます。表現者の端くれとして、生きの限り全力を尽くさねばと思います。
「湖の本」頑張って下さい。
くれぐれも、お身大切に。 匆々 小金井 杏牛 俳誌「古東多万」主宰
2016 11/16 180
☆ 「露往霜来」に書いて下さった、
「茶の場面」を読むようにとの、温かなメモに、今開いています。走り読みしましたが、ゆっくりゆっくり、それこそお濃茶を味わうように読みたい文章です。お茶のふくよかな香りと、初春の凜とした空気が、私を包んでくれ、「お前は何をしている」と優しく叱咤されたみたい。
この2,3ヶ月、お茶の心得の全くない知人が、お茶会に招かれたので特訓してくれないか、と頼まれました。喫茶の作法だけならと気軽に引き受けたもの の、「利休所持の鶴首の茶入」という国宝級のお道具がでるというので、(お稽古は10代後半から20代にやっただけで、その後はお客様専門なので)、高校 の後輩で、裏千家の先生を紹介し、私も5,6回付き合いました。
結果は地元財界人のお遊びの会で、無手勝流で充分だったとのこと。
私はお稽古に付き合って、またお茶のお稽古をしたくなりました。
でも先生が描き出す、余分なものは削ぎ落としたお茶席の場面の美しさ。そんなお稽古にはなかなか出会えません。
10月末、枳穀亭で行事があり、源融や、源氏が建てた六条院を偲びました。午后、名古屋に松岡正剛さんがいらっしゃるというので、講演を聴きにとんぼ返りでゆっくりはできませんでしたが、月末は大徳寺へ行く予定です。
京都はやはり京都、そこここに歴史が生きていますね。
勝手なことばかり、申し上げましたが、久しぶりに先生の世界へ戻れた、気分です。
御身大切に。 名古屋 珊
2016 11/16 180
☆ 「秦 恒平・湖の本」創刊三十年の記念すべき一冊『原作・斎王譜=慈子』をありがとうございました。『慈子』は心に沁みた一冊、その原作をあえて刊行なさったお 心は、「昭和私家版・あとがき」を拝読するとひしひしと伝わってきます。谷崎論であると同時に、秦文学宣言、それを文学的出発点にあって記され、いまにい たるも持続なさっていることに圧倒されます。読みくらべさせていただくつもりです。
<気力・意欲・覚悟>は疑いませんが、どうぞお身体呉々もお大切になさって下さい。
元「群像」編集長・出版部長 敬
☆ 「原稿・清経入水」の
最終の著者註には驚きました。
文学として、人に紹介するなら 清経入水>畜生塚>慈子の順になりますが、私が好きなのは、畜生塚>慈子>清経入水 の順です。
そしてこれらは、秦さんのファンタジーの鍵です。
その奥には「生きたかりしに」のリアルが、徐々に見えてきます。
母をこれだけ魅惑的に描いたもの(品)を私は知りません。 藤沢市 永田澄雄
* ありがとう存じます。
* 能美の井口哲郎さんの御健康を、くれぐれも願う。
* 茅ヶ崎の吉川幹男さん、選集にご助勢下さる。
* 「隠居している機ですか」とぶつけた菅元総理からも返事があった。
☆ 湖の本132号おめでとうございます!
次々本が出て、良かったですね!
やりたいことがある人は、長生きすると最近聞きましたよ。
腸閉塞とは大変な病気でしょうに、すっかり快復されて良かったですね。
お酒を飲む時は、氷水を横に置き、時々水を飲むといいらしいですよ。義弟の尚さんからも言われていますし、先日の千里山会で横に坐った人は、自分でペットボトルのお茶を用意し、交互に飲んでいました。
迪っちゃんは日記を何年も細かくつけていて偉いですね!
私のは、決して他人には見せられないです~
明日はまた逗子の例のお店で、シャンソンの会があり 友人と聴きに行きます。
本当に寒くなってきましたね。どうぞくれぐれもお大事にね! 妻の妹 琉
☆ ご本戴きました。
いつもながらご本有難うございます。その後もお元気そうで何よりとよろこんでおります。
今夏の参院選はダメでしたが、次の衆院選は是非とも安倍自民を壊滅させようと頑張っております。アメリカもトランプ氏の当選で世界中が揺れ動いていますが、私はアメリカの有権者にエールを送りたい気分です。日本の有権者も結束すれば何でもできるはずです。
結束の要 ? になるものをまとめあげるのに苦闘中ですが、昨年骨折の右手首が不具のためPC のキーが叩きにくくてなかなか捗りません。このメールも雨だれのような有様です。
先に兄にペンクラブの名簿でお世話になりましたが映画人の住所が入手可能なら早大卒で護憲会員の吉永小百合さんの住所を教えて頂ければ大変有難いのですが、入手できますか。
10/21 に一年ぶりに学友たちと旧交を温めてきました。年々参加者は減り予定の15名が結局10名でした。昨年の醜態以来、外では度の強いのは控え今年は本会は専ら熱燗、二次会以降はワインで通し最終の新幹線で無事帰宅しました。高校は小橋君らが世話役で年一回開催ですが、洛東中の連中が多く欠席勝ちで、小中は幹事役不在の休眠状態で淋しい限りです。
弥栄中学跡も市立の漢字ミュージアムに変身、今夏旧職場のOB会が近くであり、少時立ち寄りましたが、素面のとき再訪するつりです。
運動不足解消に歩いていますが、過日百万遍の 智恩寺境内の古本市に行ったついでに、境内墓地にある船川未乾の墓参りをしてきました。昭和5年44才で夭逝した洋画家で、渡仏しアンドレ・ロートに学び ピカソ、ブラマンク、ブラック等と交遊し帰朝後は鹿ケ谷法然院西のアトリエで静物画を専らにして肺病で亡くなりました。
この画家は私の家内の大叔父なのですがく、親戚は勿論画壇仲間とも疎遠で作品も四散し、未乾の葬式も榊原紫峰が葬儀委員長、智恩寺の墓も園頼三先生が発起人になっての建立だったと亡父から聞いております。
京洛の秋も紅葉狩りの観光客で大賑わいです。
観光スポットも乗物も日本人より外国人のほうが多く戸惑います。
「日本に京都があってよかった」
地下鉄車内のポスターの文句ですが北大路橋からの景観を見るにつけ京都に生まれ育って老いていく喜びを痛感しています。
つれづれに物置の音源整理を続けています。李香蘭の懐メロが20曲ほどテープに入っていますので、編集して近日中にお送りして、ご本のお礼に代えさせていただきます。
好季節も今しばらくの向寒の折、充分ご自愛のうえご活躍ください。
有難うございました。 京・岩倉 辰
* 京の便りの 懐かしいこと。
* 大学での主任教授、恩師園頼三先生のお名前も見えて。
園先生に私家版の作など励まして頂いたのが、書き続けようの大きな力になったこと、嬉しくも有難かった。最初の面接時、わたしは歴史志望としていたが園 先生にいろいろ聞かれているうち、「美学だね」と言われ、はいと専攻志望を美学に変えてしまったのだった。国文学でも歴史学でも構わなかったのだが、ちらと見たすてきな女の子が「美 学・藝術学」志望と耳にしていたのも引力になった。その女子学生が、のちに日活女優になり小林桂樹と松本清張原作の「黒い手帖」を主演した原知佐子に大化 けし、しかもわたしの太宰賞授賞式に花束をもって駆けつけてくれた。じつは、昨日にも、「二度も死にかけたんだって。がんばって長生きしようよ、ばたばた 死んで行くじゃない大勢。長生きしようよ、がんばってね」と電話をくれていた。おお、あのショートケーキのように愛らしかった田原知佐子も八十か、ウー ン。それでも今年の春にはダンスもある舞台を踏んだというし、今も一舞台公演を終えたところと、ご機嫌に元気だった。賑やかそうな場所からの電話だった。
☆ 新しい湖のご本届きました。
こんばんは。
いつもありがとうございます。
ご体調のすぐれないなかでの発送などのお仕事、お疲れのことと存じます。
秋も深まりあちこちの紅葉がきれいです。
くれぐれもお大切にお過ごしくださいますよう願っています。
奥様からきれいなお葉書頂戴しました。
ありがとうございました。 みち 秦の母方従妹
2016 11/17 180
☆ 秦先生
湖の本132巻拝受しました。
丁度先週、慈子を読み終わり「みごもりの湖」中巻を読んでいるところです。
私はJ.S.Bachの音楽をこよなく愛し 毎日CDで聴いています。
先生の創作は、バッハの音楽作品と共通するところがあると思っております。
バッハの1音といえどおろそかにしない曲の組み立て方と秦先生の文章の構成、またロマン派以降の音楽と異なるバッハの多声音楽と秦先生の次元の異なったストーリーを同じ作品のなかで展開させる仕方にも共通点を感じています。
これらが複合して奏でる美しさは 他の(音楽家または文学作家)追随を許しません。
132巻の刊行、あらためて偉大さに敬服しております。本棚に並んだ132巻は、私の誇りでもあります。
月並みですが、世界的にもギネスブック登載ものでしょう。
退院してから3週間になります。まだあちこちに体の不都合があり時に気落ちしたりしていますが、秦先生のお言葉、“体力はゼロに近いが、気力と意欲と覚悟とは衰えていない”を眼にすると 弱音を吐いてはおられません。
精進します。 篠崎仁
* 篠崎さん、また病気をかかえておいでの皆さん、「いま・ここ」の持続を逞しく、幾らかは太々しく謙虚に生きつづけましょう。
わたしは、今も喉もとが灼ける感じで、腰も背も痛み、血糖値はショックに陥る低い危険域へとかく揺れ揺れてはいますが、それはそれ、なにより仕事をしているときが元気そのものです、時を忘れます。
わたしの愛蔵している音盤で数多いのはバッハです、バッハをわたしに刷り込んだいちばんの人物は、「繪を描いてください」の「お父さん」ですが、大学時 代にお祝いに人に贈ったレコードがバッハのシャコンヌでした。久しいつきあいです。篠崎さんのご指摘、ドキッとしました。
☆ 湖の本132
早速拝読しております。ストーリーもさることながら、文章の力だけで読ませる秦様の小説に改めて感心しております。結局、文学は文章に始まり、文章に終るものだという思いがしきりにいたします。
秦様の湖の本の刊行は、私のような文筆人に、大きな励ましと力を与えて下さいます。 鋼
☆ この秋は 急激な暑さ寒さの変化やにわかの豪雨など 健康に良くない日が続きましたが 大過なくおすごしの様子 なによりとおよろこび申上げます。
「湖の本」斎王譜 有難くお礼申上げます。
九十も過ぎますと長い読書の時間も獲得がむずかしく それに理解のちからも劣えます 十分な読み込みが出来ますかどうか 然し貴重な楽しい時間が頂けますこと なによりと感謝しております。
寒さの厳しくなるこれから どうぞ十分の体調にてご活躍のこと 祈念しております。
有難うございました。 江戸川区 冽 思想家
☆ 略啓
御壮健何よりです。「湖の本」有難く頂戴致しました。
小説作法として 井伏鱒二のやうに 版を改める度に大きく手を入れる人と さうでない人がありますが、 今度 秦さんのお考へをおきかせ下さい。
向寒の砌 御自愛を祈ります。 不備 前・文藝春秋専務 寺田英視
* 井伏鱒二の「山椒魚」が初出稿からはげしく変化したといった噂を聞いた気はするが、何も知らない。
私ごとに限っていえば、作が、一字一音といえどもより良く、より「作品」を湛えて美しくなる限り、作者は精いっぱい作を推敲して当然と考えています。
2016 11/18 180
☆ 札幌近況
hatakさん 斎王譜ご送付頂きありがとうございました。
愛猫マゴさんに死なれたhatakさんのHPを見るのが辛く、しばらくご無沙汰をしておりました。入退院されたことを知り、ちゃんと消息を見ておくべきだったと後悔しております。くれぐれもお体をお大切にしてください。
最近は東京出張も日帰りのことが多く、なかなか寄り道もできなくなりましたが、先日週末に学会の評議会があり、土曜の午前中に畠山記念館を訪れました。 二十年以上前に来た際には、敷地続きに般若苑という料亭がありましたが、今回訪れてみますと、庭も料亭もなくなっていて跡地には白い大きな邸宅が建ってお りました。
畠山記念館では、信長の井戸茶碗や秀吉の書状も出ておりましたが、牧谿の煙寺晩鐘図に足が止まり、橫物の大きなお軸の前で長い時間を過ごしてきました。土曜朝の美術館は人影もまばらで、畳の上に座ってゆっくりと国宝を堪能しました。
札幌に戻っても、霞棚引く風景が目の奥に残っております。
今年の札幌は冬が早く、紅葉の枝の上に何度も雪が積もりました。木々の冬囲いも終わり、半年近く白い世界になります。
はやインフルエンザも流行の兆し、くれぐれもご自愛下さい。 maokat
* こういう雅な便りをもらえる小説家は、もう川端さんもとうに亡く、払底しているのではないか。
この植物病理学者は、茶人でもある。
毎朝二服、妻にも一服、茶をたて、欠かさず服しているうち、不心得にもお茶が切れてしまった。章のない無茶人になってしまった。廊下の行き帰りに、庭で 暮らしている猫たちにいつも声を掛けている。三人で暖かくして元気に仲よく過ごせよ、トーサンもカーサンもすぐ傍に一緒にいるからね、と。写真を見ると、 妻の描いた彼女や彼の繪を見ると、まだまだ堪らない。
2016 11/20 180
* 明日には「湖の本133」の再校が届くらしい。
☆ 創刊満三十年記念の
第132巻を拝受いたしました。あらためておめでとうございます。
作家は事実上の起点である「処女作」に戻るといいますが、秦さんもまさしくその通りですね。それにしても通算百三十二巻。執念に作家の心意気を感じ頭が下ります。
ますますの御健筆を。 文藝家協会理事
* ありがたい激励だけれど、この先わたしは「処女作」を後ろ足で蹴散らそうというのである。その馬力が得たくて「清経入水」「畜生塚」「斎王譜=慈子」 の原作を、なんというか露地の関守石かのように置いたのです。百三十二册ぐらい、べつに執念の所産なんかではなく、要するに秦 恒平流の「仕事」をし続けてきた、積んできたから出来ているという過ぎないのです。
* 病気して、治療して、「再発もなく元気にしております」と遙々、払込票に書かれてくるとまことに嬉しい。各務原の石井さん、お大事に。
「あまりのガンバリで体調悪くしないかとひやひやして居ります。今日は天候良く 泉山から東福寺の紅葉狩りに行ってきました。寒さに向かいます どうぞお大事にして下さい」と、京都から。
「30年には目を瞠ります。選集も33巻までと。がんばって、お元気で お願いします」と、愛知から。
「お具合の悪い中でのたゆまぬ御出版、本当に励まされております。奥様もくれぐれもお大事にと念じております」と、作家の高史明さん。ご支援いただき有り難う存じます。
「国立博物館の「平安の書」展へ行ってきました。帰路古本市で「墨スペシャル 7号」をみつけました。もう四半世紀まえの本です。秦先生の「平家納経の真意」の記事につられ「写経」を購入しました」と、桐生の住吉さん。
「静かな雨音の向うに、日毎に色づく蜜柑がのぞいています。私にとって、かけがえのないお作「斎王譜=慈子」と何度となく出会える機会をいただける幸せ を、ありがたく味合わせていただいて、なお、痛みや痺れと闘っていらっしゃる先生のお苦しみが少しでも和らいでくださることを信じて祈るばかりです。どう ぞお大切になさってくださいませ」と、静岡市の鳥井さん。
「斎王譜」ゆっくり読ませていただきます。私が、初めて泉涌寺を訪ねたのは、中学一年の折りの家族旅行で、それがまさしく昭和四十一年でした。今でも泉 涌寺のたたずまいははっきり覚えています。秦さんの作品とのご縁も感じます。今回も送金はちょっぴり多めです。何かの助けになれば、と」と、鎌倉市の橋本 さん。ご主人と一緒に久しい有り難い読者です。
「いくつもの大病を押して、 ほんとに敬服大慶の至りに存じます」と、昔の「展望」編集長。
「先生の文章を読むのは快いです。お元気にお過ごし下さい」と、太宰治研究の渡部芳紀教授。
* 全国の大学、高校へもひろく受け入れられていて、励まされている。
* 今にして新ためて心血を注ぐほどの思いで読み返しているのが、長編の『神と玩具との間』で、なまじの小説を読むより遙かにしみじみ面白く、谷崎愛をこ めたわたしの打ちこみに、ふと、我と我が拳を握りしめていたりする。「読む」という行為の面白さと難しさと楽しさに満たされている。谷崎先生、松子奥さま のまぢかな佳い写真に手元を見られている。いいかげんなことは出来ない。
* もう眼が見えず、手も痺れ、痛いほど攣れてくる。けれど、そんなことには凹まない。目の前にやす香も、可愛かったノコも、いとおしい黒いマゴの静かな 永眠の像も、わたしを見てくれている。「斎王譜」を書いていた頃といまも気持ちちっとも変わっていないのに、成長しないんだと苦笑もされる。
* 字がよく見えないのと、古い機械の不調も手伝い、文章が千切れたように飛んで行ってしまったり、ややこしいことだ。妻が読んで、メモで直してくれるで、また機械へ戻って訂正したりしています。
2016 11/21 180
* 湖の本133の再校ゲラが届いた。やがては次ぎに「選集」⑲の再校も出そろってくるだろう。十二月の多くは校正の月になりそう。
2016 11/22 180
☆ 冬に入って蕭条とし始めたわが狭庭も仙寥の赤い珠菓と柚子の黄小球群がわずかに眼を慰めてくれます。
『湖の本132』(原作「斎王譜=慈仔」)拝受しました。
御厚意ありがたく御禮申し上げます。
この二年程、心房細動の深化で医療機関の厳重な管理下に置かれることになり、入院生活を送って居りました。半月程前、マイ・ケア・リンク・モニタという 器械を装着して 常時病院の電送管理されることになり、自宅で暮らすことができるようになりました。ほとんど介護の人の世話になる暮らしですが、(妻は七 年前にたかいしました)、入院末期まで認知症で痴呆状態にあったのが、奇跡的に回復、活字を眼にしたり、字を書けるようになったり、と、やゝ人間に戻りか けた思いで居ります。
そこに御本が届いたのですから、それも『慈子』ですから、徒然草の分まで戻ってきました。次いで家人に『畜生塚』を持ってきて貰い、「身内」「繰り返し」に助けられた思いです。
間もなく82歳(昭和10年元旦生れです)で、あとわずかな生命かと思いますが、秦さんの「物語り」の中に生きられることを嬉しく思います。
ずっと送り続けて下さった『選集』『湖の本』に感謝の返禮をしなければなりませんが、少しだけ時間を下さい。
右、御禮の気持だけを申し記しました。 東北大名誉教授 陽
* もっとも早い時期から愛読していて下さった。ご快復を心より慶びます。ますますのご平安ご健勝を切に願います。
* 「ふりがな」の仮名遣いの「不統一」を注意して下さる読者があったので、ちょっと言い訳しておきたい。わたしは、古典の原文へのふりがなは努めて「旧 かなづかひ」で、その余のふりがなは、なるべく1漢字に2ふりがなを宛て、ふりがな字の多さで組版の乱れるのをむしろ嫌っている。
例えば「永正」という年号二字には「えいしょう」よりも敢えて「えいせう」としている。古典言語にはもとのよみがなを宛てて当然だが、現代語や普通語の場合は「その漢字が読めれば良い」と割り切っている。
また「奨子内親王」の名を「しょうし」と読まれては「困ります」と注文がついて、しかもその方は、内親王のその名を「スケコ?」「ススムコ?」と疑義されている。即ち、正しい読みが分かっていないのであり、そんな際は通例に順って「しょうし」としてある。
角田文衛先生に多くを学んできたわたしは、古典女性の本名は、分かっている限りは「明子アキラケイコ」「高子タカイコ」「北条政子マサコ」「日野富子ト ミコ」のように読むが、遺憾にも、女性本名の正しい読みは「たいてい不明」であり、そんな際は久しい慣例にしたがい「式子内親王ショクシ又はシキシ」と読 んでおくか、読み仮名を振らないことにしている。
☆ 秦 恒平 先生
メールをいただきながら失礼をいたしました。
上洛して、長くリウマチを病む妹を見舞い、留守に致しておりました。
お身体の調子が良くないとうかがいましたのに、端々まで気を配って頂き恐縮でございます。
門脇照男先生とは、十年余り「瀬戸内文学」という同人誌でご一緒させてもらい、教えて頂くことがたくさんありました。静かな、胸に落ちる文章を書かれる優れた作家でいらっしゃいました。
秦先生お奨めの作品をあらためて読もうという気持ちが強くなりました。
三原誠氏のお作も(=「e-文庫・湖(umi)」の中で)読んでみたいと思います。
藤江もと子さん(=京大薬学部で、年次が近いかと。)という方も、ご教示いただかなければ知らないままでした。ありがとうございました。
『斎王譜(=慈子)』が送付されてきて、覗いてみて、細やかでゆきとどいた文章に、読みやめられなくなりました。自分の文章がぶっきらぼうなのがよく分かり、どうにかならないか考えたいと、強く
思います。11/24 かしこ 香川 星合美弥子
* 永いあいだにたくさんなお付き合いもありまた読書も積んできた、そのなかで、はなばなしく文壇で名前ばかり売っていた人でなく、創作の実力と姿勢とで 感心し続けてきた作家、は、上のメールに出ている門脇照男と三原誠のお二人だった。二人ともとうに亡くなってしまったが、その優れた代表作は「e-文庫・ 湖(umi)」に戴いてある。
星合さんは最近「e-文庫・湖(umi)」に一作「似たひと」を掲載されたばかりだが、同じ四国住まいの方であり、遺作から学ばれていい作家と確信して 「門脇照男」さんを奨めた。ついでに「三原誠」さんも強く奨めた。星合さん、門脇さんとは同人誌仲間であったとか。そして今はやはり「e-文庫・湖 (umi)」に何作も寄稿されている榛原六郎さんらと同人であるとか。
* 先頃亡くなった作家葉山修平さんの門下生かのように、ずいぶん沢山な同人誌めく雑誌が出ていて、いつも送られてきていた、が、いまいち、これはと読め た作が乏しかったのは残念だった。本腰の入った、作文の域を抜けた小説を「e-文庫・湖(umi)」にぶつけてきて欲しいが。新人であれ初心・無名であ れ、書こうというかぎりは頭抜けていなくてはお話しにならない。秀作に出逢いたい。
小説に限らない。詩歌でも研究や論攷・批評でもおなじ事。
2016 11/25 180
☆ 拝復
寒くなりましたが かわらずご執筆ご多忙のことと存じます。
「湖の本132」 ご恵与たまわりありがとうございます。卒業生と「秦世界」語りあう機会もなくなり ご厚情たまわりますこともつたいない感でおります。
「諸註集成」「解釈大成」とう参照しながら徒然草を繙読するたび結論出しがたい考証に辟易、今度のこの定稿で、斎王・野宮をキーワードとして秦さんの徒然草の読みが緻密な構成のもと展開していることに魅了されたことでした。
作者ご自身により初稿・定稿ご提供による問題提起に すぐにはとりかかれないことお詫びかたがた御礼まで。
初稿私家版あとがき拝見するにつけ、朝日子さんに寄せる思い入れの強さ痛感、お悲しみ他院事ではありません。
お揃いでお大事に 草々 神戸大学名誉教授 信
* 新潟大名誉教授、二松学舎大教授からもご丁寧なお便りを戴いた。
☆ 予報をきいても、まさかと思いましたのに雪がふり 庭の紅葉の上につもっています ビックリ…。
選集。湖の本(30年記念)お送りいただきありがとうございます。読ませていただいています。
過日大学のクラスメートにそひわれ奥能登へ旅し、念願の時国家も見学に参りました。幼いとき ヨコハマで近くに「時国さん」というお宅があり、おじさま に可愛がっていただいたことや、それにしても、京からここへ移った平家の人々はさぞや心細かっただろうなど思いを馳せました。 藤
* 葉書一面に淡彩で「能登 千枚田」が基子の印とともに描かれてある。繪も文も書ける人である。 触れてある 「時国家」のことも、いま書いている小説へ因縁の糸を垂れている。早く書かなくてはと思いあわててし損じてもイヤと思っている。
2016 11/25 180
☆ 湖の本 132「原作・斎王譜」
前回131巻につづき 秦文学に接した時の思い出に繋がります。創刊満三十年…読者としては、作品を受け取らせていただいた感謝の時間です。
時節柄、ご自愛下さいませ。 高槻市 井土厚子
* わたしからも、同じ感謝の数十年であった。
* 能美の井口哲郎さんから、珍味の「丸イモ」を送って下さると、妻にお手紙いただいた。ありがとう存じます。
2016 11/26 180
* もう眼が灼けてしまって、機械相手ではどうにもならない。器械でない階下仕事に交替し、すこしやすみます。幸い師走五日からの選集送り用意はほぼ出来てきた。「湖の本133」「選集⑲」の後書きを用意しなくては。
* 月曜の聖路加診察は十一時五十分の予約で、あまり待つことはないと思われるが、月曜で、美術館はやすみ。どうするか。火曜は歯医者。
2016 11/26 180
☆ 冠省
大変ごぶさた致しておりますがお変わりございませんか。
いつもながら「湖の本」をお送り頂きましてありがとうございます。
一三二巻『斎王譜』 静かな御作で、兼好についても、お教え頂きました。感謝致しております。
創刊満三十周年 おめでとうございます。 作家 鎌田慧
* 「湖の本」を介して、鎌田慧さんや、山口二郎さんらともご縁が生まれていて心強い。
* 作家の吉田知子さんが、「湖の本」を「真似して」文藝同人誌を創刊したと、送ってこられた。「湖の本」は同人誌ではないが。
短編小説を主とするらしく、吉田さん自身の編集・発行の由。綴り方教室なみの、それでも文藝を称する小雑誌がたくさん送られてくるが、吉田さんの編集はそう甘くあるまいと期待している。
も一つビックリしたのは、「ps」として、「秦建日子さんの大フアンです」と。ウヘーッ、仰天。
* 元気かなと案じていたロスの池宮千代子さん、お手紙を戴いた。骨折はしなかったが転んだと。いけません。気を付けて。池宮さんも胃全摘の先輩で、腸閉塞も何度か経験があると。そうそうは体験したくないです。
* 元岩波の高本邦彦さん。お蜜柑を大きな箱で送って下さった。
2016 11/30 180
☆ 拝啓
今年の私共の境内の紅葉は大変鮮か目を楽しませてくれています。
毎回極めて貴重な作品を御恵贈下さり心より感謝しております。
ほんの小さな御縁を頂いた事からこの様に御芳情を賜り誠に有難うございます。
今回お送り頂きました「湖の本132斎王譜=慈子」を拝読しております。
美しい京都風景のの中に上品でしかも熱い情念を秘めた女性が精一杯生きている姿が無眼子の私にも見えてくるように感じます。登場する人々を彩るようにさ り気なく椿の花やこぼれ梅の柄などが描かれている美しい文章を心地良く拝見しながら、そういえば同志社の前にあった「わびすけ」としいう喫茶店が何年か前 に閉店したと聞いたナァなどと思ってみたりしております。
余り上等ではない読者の私ではありますが、何かしら先生の作品に懐かしさを感じながら拝読しております。(中略)
今年の冬は厳しくなるとの予想がされております。御自愛専一に御活躍下さいますようお願い申し上げます。 頓首敬白 五個荘 乾徳寺 中野正堂合掌
2016 12/1 181
* とにかくも、終日、孜々として、仕事を前へ前へ押し出している。漸く「選集⑱」も責了へ近づいている。「湖の本133」も。「選集⑲」はこれから再校、「選集⑳」は着々入稿用意が進んでいる。
* 新しい小説の吟味も出来つつある。まったく新しい小説も書きたくなっている。
* 「湖の本」刊行にともなう出血つづきは、なにしろ読者の方々のご高齢を想えば、詮方ない。しかし値上げは考えていない。ありがたいご支援、ご助勢もい つも頂いている。「湖の本」は刊行が「続いて」行くことにも意味が生じかけている。わたし自身が気弱に投げ出してはならぬと誡めている。
2016 12/3 181
☆ 師走に入りました。
先日は『湖の本132』を御恵贈賜わり有難うございました。三十年、四つのゼッタイ条件プラス1があったとはいえ、ギネス級の連続刊行、心よりお祝い申し上げます。又、その前に御選集第十六巻の御礼も失礼していました。
三作中とりわけ『死なれて死なせて』に目を通すように、作者の思いに触発され、拝読。更に、川島至『文学の虚妄』が気になり(昔、「季刊藝術」掲載時を憶い出しつつ)、図書館を通詞じ、再読、その間に身近にいろいろあって、御礼の言葉がおそくなってしまったわけです。
『原作・斎王譜(=慈子)』など、出発点から「死なれて死なせて」が大いなる原点であること、改めて得心しました。『心』『源氏』『嵐が丘』『平家』 『ハムレット』等々に、御自身の出生、結婚、創作……「悲哀の仕事」には、秦文学の全体がその人生とともに考えつくされ、深く感じ入りました。奥様ともど も傘寿を越され、一層の慈しみを祈り上げるのみです。 元「群像」編集長 講談社役員
2016 12/4 181
* 「湖の本133」の後書きを電送、「選集⑱」の責了用意をほぼ最後まで進め、「選集⑳」の入稿用意も七割方進んだ。
あすからの「選集⑰」の送りがすめば、歳末は「湖の本133」の再校、「選集⑲」の再校「選集⑳」の入稿に集中する。
新作小説への見切りや見通しも、重い仕事になる。その間に、祝い日もあり、八十一の誕生日も迎える。
明日からの作業、無事にし終えたい。急ぐまい。
2016 12/4 181
☆ 前略
(前略)「大病もほぼ克服して八十まで生きつづけたこの満三十年の間に、夢のような百三十巻を越す「湖の本」が積み上がった」という一文を非常に感銘深 く存じました。他のどの作家もできなかった快挙と心から敬意を表させていただきます。尚、続いての「八十まで生き延びてなお未練の愛着」というお言葉は 「推敲」ということへの究極の生命力があると元編集者として感銘致しました。私も又「八十一翁」ということをいつも意識するようになりましたが、呉々も体 調に御留意のほど、心よりお祈り致します。草々不一 元「新潮」編集長 文藝批評家
☆ お元気ですか、みづうみ。
『慈子』の受容に欠かせない原作『斎王譜』も読み上げました。言葉では表現し難い秘跡のようなものを感じています。
「もうやってらんないわ」という日本を横目に、自分でものを考えて書いている時間はとても幸せです。みづうみのこの一年の凄まじいまでのお仕事ぶりに接し、自分も時間を無駄にしまいと身の引き締まる思いでいます。来年も、楽しみにしています。
寒さの中、どうかご無理のないようお大切にお仕事を進めてくださいますように。 薯 甘藷(いも)焼けてゐる藁の火の美しく 虚子
* 『秦 恒平選集』をと思い立ったとき、十 七巻で小説等の創作は編みとれるかと思ったが、そうは行かなかった。少なくも新作、未刊行作と詩歌の巻に届かないし、わたしの仕事は小説等の創作だけでは 半分にしかならない。三十三巻でもじつは足ると思っていないが、定命をむ甘く見積もるわけにも行かない。道半ばと思って、淡々と、坦々と、歩んで行くだけ のこと。まずは資金が尽きることだろうが、妻の余命を支えるだけはと心している。「歩一歩」と若い日から腹におさめ、「歩み歩み」とこの三字を読んでき た。わたしは走らない。
2016 12/5 181
* 「和可菜」寿司の肴でやまと櫻の純米吟醸を楽しみ、浴室で、源氏物語「螢」巻、無門關、サフォン「天使のゲーム」 椿説弓張月を読み、湖の本133再校をゆっくり読んだ。
そのあと、もう何度目になるか、ハリソン・フォードの映画「エアフォース・ワン」を、やはり引きこまれて観た、この主演者には馴染めないのだけれど、彼にはこういうガンバリものの秀作が重なる。
2016 12/7 181
* 「選集」第二十巻編輯に集中していた。口絵や中扉のための写真を見繕わねばならないが、おそくも二三日中に入稿できるだろう。引き続き第二十一巻の用意も一気に進むだろう。
「選集」第十八巻に必要だった念校ゲラも届いて、全面責了の用が果たせる。一月末か二月初には出来てこよう。
第十九巻全編の再校読み、そして佳い口絵写真を用意したい。
「湖の本」133も、二、三日中には十分責了に出来る。つづく「湖の本」134入稿用意ももうアタマに在る。
選集は150部限定だが、こころもち私自身のために予備本がつくってある、強って頒けて欲しいと云ってこられる読者もある。
2016 12/15 181
* 「湖の本133」のあとがき初校が届いた。きちんと書いたつもりなのに、零校ゲラ(電送原稿をそのままに刷ったもの)を読むと、いかにも打ち違いミスがぽ つぽつ有る。字もキイも見えないまま書いていたのが歴然と分かる。夜分の機械仕事は、ほとんど用を為さない、眩しくてしかも暗くて、字が見えていないの だ。
しかし、機械から離れ、寝室の明るい電灯の下で裸眼でいると、重い恆存全集の小さな活字も、文庫本「椿説弓張月」のルビの多い小さい活字でも、全集本の「源氏物語」でも、目薬をさしさし、とにかくも機械の字のように眩しく霞みもせず、なんとか読める。
機械の照りは、眼に痛いほど。
昨夜、ほとんど手探りするようにし「選集19」のあとがきを書いたが、さ、どんな零校ゲラになって来るか。
2016 12/21 181
☆ ご丁寧に
メール頂き有難うございました、
顔見世 昨日行って来ました、三部制で、会場は狭くて舞台は近く 良く見えましたが、役者さんはちょっと可哀想かな?
題目は -引き窓-仁左衛門 孝太郎他、松嶋屋さんで -京鹿子娘道成寺-は雀右衛門さんの襲名公演でした。
海老蔵さんが左馬五郎荒事で登場、ちょっと迫力有りました。が、何となく一寸不足!
片岡さん(松嶋屋)三女四女さんは洛東中学でご一緒でした、 秀太郎さん、孝夫(仁左衛門)さんも洛東中学の様です、お住まいは、方広寺の近くで 小学区も同じでした 三女の秀子さんは以前日吉ヶ丘の同期会でご一緒でしたが、その後亡くなられた様です、寂しいことです、
色々とお話はありますが、又ね!
これから暮れの用事を一頑張りです、元気で良い年を迎えたいと思っています。
寒さに向かいますお大事に 京・北日吉 華
* 弥栄中学で、同志社で一緒だった松嶋屋惣領の我當君の名が見えなくて、ひとしお寂しい。
秀太郎を或る大きな賞に推してあるのだがなあ。三男仁左衛門の健勝を祈らずにおれない。
それにしても顔見世が南座から逸れたなど、初めてのことか。奇妙に寂しく心もとない。
喜寿を祝いに南座顔見世へ妻と出向いてから、もう十一年も経った。あの祝い年の「京の散策」(三)は、明けて新年に送り出せる「湖の本133」巻に入れ ておいた。あれから京都は「もの凄い」までに変容しているらしい。それでも、来年には一度帰りたいな。帰りそびれていると、もうわたしの余命残年の方が尽 きて了いかねない。
2016 12/24 181