ぜんぶ秦恒平文学の話

湖の本 2020年

 

* 次々の「湖の本」のため原稿を用意していて、危ない事故に遭い、思い切って身を捨てるほどに処置し、辛うじて今は回復してくれている。おかげで、用意 した大量の原稿を、消去するしかなかった。また最初からやり直さねばならぬ。やり直せるのなら幸いとしたい。断崖絶壁に沿って幅一尺の桟道を践んでいるよ うな機械の危なさ。致し方なく、なんとかなんとか顛落せぬように歩み続けている。坂倉健教授に教わったとおり、この機械はむしろそうは感嘆に壊れないんで す、無数に編まれた蜘蛛の巣の道を如何様にも通り抜けて回復するんですというのょ信頼し、諦めないようにしている。

* もう今日の機械はとじましょう。目も胸も疲れました。
2020 1/5 218

* 「湖の本」148 この二十三日に納品できると。ウーン、かなり体力的にきついので、めったになかったことだが、二十七、八日にしてもらえまいかと折 衝しています。「発送」用意は、「発送」作業よりも細かな仕事が多般にわたって、ウカとすると、前回のようなご迷惑な「しくじり」をしてしまう。
何にせよ、注文の郵送封筒が届いたので、明日から「ハンコ捺し」にかかる。各種の「挨拶」にバカな誤記を繰り返せない。宛名印刷も、謹呈先の思案や宛名書きもラクでない。150回近くも、34年も二人でし続けてきた。

* 「湖の本」149 の入稿用意にかかり、かなり進め得た。ただ。視野が霞んで半ば失せながらの原稿づくり、疲労の度は増す増す、で。それでも、佳い一巻一巻を作り続けたい。坐っていて出来るのだから有り難いとも云える。
それにしても、暮れから七草の今日まで、よぅお呑んだなあ。
2020 1/7 218

 

☆ 秦先生 ご無沙汰をしております
お変わりなく新年をお迎えのことと思います
昨年5月に 同居している義父が亡くなったため、新年のご挨拶を失礼させて頂きました
本年もどうぞよろしくお願い致します。
私自身の近況ですが、昨年8月に**庁に異動となりまして、以後、**の**自治体への出張が極めて多くなり、出張に伴う疲れが蓄積されるという日々を 送っております。今年も年始早々、昨日・今日と**市に出張でした。仕事の中身は・・・と書き始めると終わらなさそうなので、また今度お会いした際にで も。
我が家は皆元気に過ごしております。上の子はもうすぐ高校受験ですが、今どきの子だからなのか、我が家の子だからからなのか、あまり緊張感があるとは言い難い年末年始を過ごしており、私の方がドキドキする始末です。。
さて、本日ご連絡をさせて頂いたのは 先ほど「湖の本147」の代金を銀行振込にて振り込ませて頂いたので、そのご報告です。本題が送れて申し訳ありません。
昨年8月に**庁に異動と書かせて頂きましたが、それに伴い、郵便局が入っていない庁舎となったため、なかなか振込手続きができずに時間が経ってしま い、それならとインターネットで手続きをさせて頂きました。振込者名が記載されると思いますのでどうぞよろしくお願い致します。
それでは お体にお気をつけてお過ごしください。   ○

* 親しんだ本人の現況もさりながら お子さんの成長に真実 往時は遙かな気がする。私にダッコされていた写真を見なおして、オー 高校生になりますかと 嬉しくなる。東工大の教室で、新入生の○ちゃんらとはじめて逢ったのは教授就任から半年後の一九九二年春だった。二十八年も昔だったのだ、以来いまも親し く年賀状を呉れまた談笑のおりもある卒業生、少なくない。そして、大方のお子さんは数年のうちにもはや「大学へ」と心がけているだろう、「秦さん」 そん な日にもめでたくぜひ会ってみたい。
2020 1/9 218

* メール便の「私語分類19」を無事に保存してゆく作業、わたしのアタマもずいぶん捩れてきていて、簡単そうな作業にかなり戸惑い、まだ半分に間がある。こんな作業をして戴いて、有り難い極み、お蔭で、「湖の本」への段取りも建てられる。
十時まえ。もう目が見えていない。よく働いたとと思う、今日一日。寝床のらいとだと、もう少し本が読める。『選集32』の校正も出来るか。
2020 1/9 218

* 二十八日の「湖の本148」納本までに、病院・医院へ三度通わねばならない。煩多な送り用意のアレコレも 油断無く捗らせながら、『選集32』の初校了・要再校にも達しておきたい。
忙しいとは、ヘバッテるヒマはない、ということ。とはいえ、ぐたっと疲れている。すこし横になり、昔々の若書きの『初稿・雲居寺跡』を読もう。
すくなくも あの五月蠅かった「新潮」が一字一句にも注文を付けなかった『蝶の皿』や太宰治賞選者満票の『清経入水』より、一段と若い早い時期の、ひた すら小説が書きたい書きたいで書いていた未完の「草稿」だけれど、今の目で見ても、なんという瑞々しい清々しい筆致で描写し表現しているかと我ながら呆れ るほどの思いがある。「愛着の作」と自身に言い聞かせられるほど、小説の文章がもう存分に書けていて、読み替えしていて懐かしい。しかも、いかにも私なり の超現実、シュールの時空が彫刻されている。あの時期時代の、そして現在でも、この私の作は、異様に孤立していると評された『清経入水』らの一卵性の兄弟 と見える。身辺の些事を書いての私小説型リアリズム時代だった、あの頃は。まさに私の作風は中村光夫先生の評されていたように、異様なまで孤立していた。 「作家さよなら」と手記して、作家世間に入り交じるのは止そうと思ったのはムリなかった。常態は、ずーっと続いて、私は「群れを嫌い、拘束を嫌い、権威を 嫌」って、あたかもフリーランスの作家になった。必然の成り行きだったなあと、未完成の「初稿・雲居寺跡」は納得させる萌芽を見せている。

* まだ八時前だが、目はもふ潰れている。機械を離れる。
2020 1/10 218

* やすませた眼をまた酷使し、ここ十日ほど掛けていた「湖の本149」入稿原稿の用意を、あらまし終えた。これで「148」発送用意に集中できるが、新しい創作・小説の一つに、山・川そして海の道を構想していて、本腰を入れねば相撲にならない。
2020 1/11 218

* 心していろんな仕事・作業を把握しながら落ちなく進めないと、先で苦しくなる。要事を箇条に書きだして置いて、一つ一つ消して行くのが私の流儀。
けさもまぢかで、静かに、気に入りのジャズ・バラード。心地良い。

* がまんづよく、郵封筒に、わが住所印や謹呈印などを捺して行く。二箱400枚も捺すと手先が痺れる。何日かかけて捺し終えるのが無難。今日は、正月に 京都市内を走る全国女子駅伝を聴きながら。町並みがそれはもう懐かしく、しかも「京都」の女子達は伝統的に強く、今日も、あれれどうかなと案じたが悠々優 勝しました。拍手。
2020 1/12 218

* このところ集中的に用意していた「秦 恒平・湖の本 149巻」の『歴史に学び・今を傷む』本文を入稿した。
これで、「秦 恒平選集 32巻」の初校 と 「湖の本 148巻」発送用意に集中しながら、新しい仕事の思案と試行錯誤ができる。選集にあつめた超初期(作家以前の習作期)小説の読み直しを楽しんでいる。が、疲れた、けど。
「戦争と平和」第二編。園先生「怪奇美について」 レマルク「汝の隣人を愛せ」 「孫子に学ぶ処世」 「般若心経講義」 「歪められた佛教」 「源氏物 語 若菜」 芥川編「日本近代文学選集 2」 「千夜一夜物語」 等々を手に触れた順に 少しずつ読み進めてから寝ている。
2020 1/12 218

* じりじりと「湖の本 148」発送の用意も進めているが、『選集 32』の初稿を思いがけず妙に新鮮にかつ懐かしく楽しんでいる。面白い組み立ての小説集一巻に成っている。へえ、こんなのをこんなふうに書いてたんだ、若いっていいなと思ったりして。
2020 1/14 218

* 「秦 恒平・湖の本」が第150巻を迎える。何を書いて充てるか、出来れば、書き残しているモノを新しく書き下ろしたい、容易でないのだが。
2020 1/15 218

 

* 創作を書き継ぎの仕事をのぞけば、今は、もっぱら『秦 恒平選集 32』の初校を終えねばいけないのだが、慎重に進めたくて時間が掛かっている。幾らかは、読むのを楽しみにしているので。
しかし『選集』予定最終33巻の確かな、佳い編輯にももう手を掛けねばならない、しいて今年の桜桃忌に完結しようなどとは思うまいけれども。
それよりも、二十八日には出来てくる「湖の本 148」発送用意がまだ十全でない。きっちり用意できていないと発送のその場で齟齬や停滞が出て疲れてしまう。
そしてその上で、本気で思案すべきは「秦 恒平・湖の本」第150巻をどう編むかだ。そのためにも第149巻はもう入稿してある。私なりに満足できる一巻にしたいが、まだ思案が付いていない。
八十四歳、ちっともヒマでない。
2020 1/18 218

* 「チャイムが鳴って更級日記」という旧作は、「更級日記」論ないし「菅原孝標女」論として成り立っている私には面白い小説に仕上がっていて、このころ はもう文藝誌に望みをもたぬまま手書き原稿用紙のまま抽斗に蔵われていたのを「湖の本」のために活かした。「初校*雲居寺跡」もそうだった。大化改新から 武蔵武芝や平将門登場までの不思議を現代の女子高校生登場を背後に存分に物語っている現代小説『チャイムが鳴って更級日記』は、まさしく古典と歴史に親炙 の所産となった。「読める」人には縦横無尽、興趣の読み物になっているな、と、納得した。
戸棚の奥からひきずり出したような、「承久前夜」の重苦しい曇り空のもとを史実と幻想とで夢見るようにさまよい歩いて書いた『初稿・雲居寺跡』も、公武暗転の時代にのめり込めばこその意欲の若書きであった。『選集32』 私には、おもしろい一巻に纏まってきた。
『選集33』予定の最終巻がどう編めるか、モノは溢れかえっていて、多くが未収録のママに残される。
2020 1/19 218

 

* とにかくも、この一週間の内に『選集32』の初校を終えておき、二十八日からの「湖の本148」発送を無事に終えたい。そうこうするうちに「湖の本149」の初校が出て来てしまうだろうが。
2020 1/19 218

 

* 六時に目覚めた。十時半には聖路加病院へ向かう。検査もふくめ、診察時間にまで余裕はある。『選集32』の巻頭に最新作として収める『花方』の初校読みを終えてきたいが。
寒いけれど 幸い好天。
「湖の本148」発送へあと一週間の余裕を適切につかいたい。用意は未だ万全ではない。
買ってきた写真機の使用法がまだ読み取れていない。撮影できても、パソコンへ取り込む方法が手に入っていない。
2020 1/21 218

* 親友の女優、原(田原)知佐子が、昨日か、上顎癌で逝去の報に愕然、哀泣に耐えず。
同志社大へ入学、文化学科の教授面接の日に、いきなり、それはそれは魅力的な(美しいショートケーキのような)子の存在に目を惹かれた。人と対話の様子 では土佐の高知から出て来て、「美学・藝術学」へと言っている。わたしは「歴史学」を念頭においていたが、たまたま美学の園頼三先生の面接と対話から、成 り行きで私も「美学・藝術学」を専攻とサマ変わりしたのだった。要は、田原知佐子の引力を受け容れたのである。
気のサッパリした佳い子であった。もう芝居仲間を持っていて、その一人が、著名な造庭家重森三玲(ミレー)の息子の重森ゲーテだった。
田原知佐子は、しかし、一年生の間に、翔ぶ鳥のように「新人女優・原知佐子」として鮮やかに映画界に引き抜かれていった、わたしはポカンと口をあいて吃驚していた。
小林桂樹と共演の「黒い画集」は印象強烈、好評で、映画女優としての地歩を築き、その後も「野菊の如ききみなりき」の姉役などで持ち役をしっかり創っていった。
わたしも重森も卒業して東京で職を持ち、重森は仲良しの原知佐子と二人で、わたしたちの、六畳一間の新婚のアパートへも気楽に歓談に来てくれたし、新宿などで愉しく、さっぱりと会うことも何度もあった。じつに気さくな女優だった。
一方、重森ゲーテはわたしの、顔を見れば「小説を書きたい書きたい」に一喝し、書きたいなら「書け」「書いて作を溜めておけ」と重い尻を蹴飛ばした。ど れほど感謝してもし足りない「後押し」だった、そして、上京ちょうど十年め、わたしは世にも難しい畏い選者先生らの満票を得て太宰治賞に当選した。授賞式には女優にして親友の原知佐子が花束贈呈役に晴れ晴れと馳せ参じてくれ、むろん重森ゲーテも来て盛んに祝ってくれた。嬉しかった。とてもとても嬉しかった。同じ大学同じ専攻で一年後輩の妻もそれは嬉しそうだった。
不幸にして重森ゲーテは病に斃れ、亡くなってもう二十年も過ぎたか。原知佐子はゴジラで売った実相寺昭雄と結婚し。けれど実相寺氏も先立って行った。葬儀に妻とはせ参じた。寂しいなかに秋色いちじるしい日だった。
その後も、原知佐子出演の舞台を何度も観にいったし、誘って、三人で歌舞伎を楽しんだりした。気性そのままのさっぱりと諧謔も添えて面白い走り書きのハ ガキや手紙をよくくれたし、「秦 恒平・湖の本」は、創刊以来三十四年もの購読を律儀に通してくれた、この急逝まぎわまでも。

* なんという寂しいことだ。大学の同期の友は、もう、一人もいなくなった。妻の同期も寂しくなっている。寂しいことだ。今日の悲しみ、寂しさは、ちょっ と堪えがたい。ま、最新作の長編小説を二つ見せることができて、あの花束贈呈にもしめくくりをつけたことになるか。吉永小百合とあんたの噂したよ、などと も聞いたりしたが。
そうそう、女優原知佐子はわたしの息子・秦建日子のテレビドラマにも出演してくれたのだ、ああ。そして、私も妻も、原知佐子の娘の舞台を観に行っている。
いい友達だった。わたしを、歴史でなく美学・藝術学へ引っ張ったエンジェルだったし、それなくては妻と私とは出逢えていなかった。ありがとうよと、呼びかけたい。

* 知佐子の逝去は、京都の森下辰男兄からも報せてくれていた。感謝。
2020 1/21 218

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

83 * 2004 12・31
☆ 補陀落渡海と身内幻想
秦さま 丁寧にお答えをいただきまして、ありがとうございました。「身内」幻想と言ったら、お叱りを受けるでしょうか。
人間のエゴ(利己性)は体から生じるものだと思っています。意識は体を保全する目的で生じたのではなかったでしょうか。ひとりしか立てない島に二人、あ るいは多数で立つ、きっと体を乗せる余地はないでしょう。観念上でしか、あるいはネット上にしか、存在しえないと思うのです。
「ネット心中」については、マスコミは報道を自主規制しているようですが、沈黙して過ぎ去らせるなんて、言論の敗北ではないですか。
インドネシアの大地震&大津波のニュースになんともいえない傷ましさを感じます。目の前で濁流に流されていく家族を見送らねばなかった人たちのことを思 います。中世という時代には、疫病、飢饉、戦争、天災、こういう死が日常茶飯事であったことを思えば、浄土信仰というのは、生き残った人間がなおも生き続 けるための智恵とすら思えてきます。死が日常茶飯事になってしまえば、人間はあまりにも恐怖したり、脅かされたりしないように適応していくものではないで しょうか。
イラクの人たちにとっては、どうなのでしょう。
「こういう天災にあえばあうほど、人間の手で防げる人災だけは、せめて起こすなと望む。」――同感です。不幸は人間がつくりださなくても、地上にあふれていますのに。
来年、来年こそは、少しはちがった風が吹いてくれればと祈ります。
どうぞ、よい年をお迎えになりますように。
安物のワインの力を借りて、メールを送り出します。ぜーんぜん知性的でも理性的でもないので、恥じ入りつつ。   大阪・まつおより
* 「身内」は「貴重な錯覚=愛」であると思いつづけ、書き続けてきました。「幻想」と言い換えてもいい。しかもなお「愛」ゆえにそれの 「在る」ことも、わたしは知っています。「絵空事」の不壊(ふえ)の値いを。現世の論理や常識から、百尺竿頭なお一歩を踏み出す勇気があれば。
ひとつ、わたしには課題というか、気になる分岐点があるのです。
「人間のエゴ(利己性)は体から生じるものだと思っています。意識は体を保全する目的で生じたのではなかったでしょうか。」
後段の議論は措いて。
前半の「体」についていえば、わたしは逆に感じています。思っています。
人間を「エゴ」の苦へ誘い込み追い込みイタブるのは、「体」ではなく、「心」の方だと。モノとしての「体」など影のように実体がない。色即是空。物理学 もそれは認識しています。心という我執がすべて影を形にし働かせていると。「静かな心」「無心」「平生心」を久しい人の歩みが容易に得られなくて苦しんで 来たのは、それかと。  2004 12・31

* 懐かしい歳末のメール対話であった。大阪の「まつお」さんは延慶本平家物語に関した著書も持った詩人で、大阪の或る地区で懸命に働いていた女性だった、古典に取材し鎌倉初頭を書いた小説も読ませてもらった。私に出版への力があれば紹介して上げたいほどの力作だった。
この「まつお」さんとだけ、わたしは「花方」を書きますよと約束しておいた。上の年紀をみてもずいぶん久しい前のことになる。わたしはこれでけっこう根 気がいいようである。「まつお」さんからは「湖の本」の支払いが来る程度で、もう久しく話していない。会ったことはいちどもなく、どういう方か分からな い。作者と読者とは、そういう間柄である。
2020 1/23 218

* 幸いに数日の余裕で本の納品前、慌てなくて済んだ。明日、「湖の本 148」を送り始める。
2020 1/27 218

* 八時半の雨中、「湖の本 148」着。 さ、労働の開始。

* 六時過ぎ。
かなりガンバッた。胸苦しく、ニトロも一度含んだ。胸部の芯、胃全摘のあと、食道と十二指腸を直かに結び繋いだ辺に固い圧感がある。
目もよく見えず、疲れは加わる。しかもガンバッた分も、雨のため集荷に来てくれず、大方は明日へ延期と。ま、お天気には逆らえない。

* 午前は国会審議も聴いていたが、安倍自民党総理のムチャクチャには惘れ返るのみ。イヤ!!

* このまま、今晩は遊んでしまうか。休むか、もう少し粘ってガンバルか。佳い映画でもあると気が晴れるのだが。
ま、ガツガツはしないでおこう。

* 二時間近く、気ままな「読み・書き」仕事をしていた。「読み」「書き」そして「読書」が私の「仕事」。「休息」でもあり、幸せなことだ。
2020 1/28

* 夜通しの大雨だった。いまは晴れている。新しい仕事が追ってくると印刷所の通知があった。
さ、昨日の続きを、まだまだ仕遂げねば。

* 午後になり。 まだまだ、先がある。焦れないで、きっちり進める。

* 夕方、先が見えてきて。やれやれと一息。明日からは、またまっ新らの日々を始められる。
2020 1/29 218

* 暁けまえの五時半ころから眠れず、床の中で(記憶力をたしかめる意味で)天皇126歴代を思い出したり、百人一首を50以上思い出したり、新しい創作のタネをまさぐったりし、七時半には床を出た。二階へ上がると、昨夜のママに機械は働いていて、部屋に電氣も暖房もついていて。老耄は、着々と私を蚕食しているよう。

* 昼すぎ ともあれ予定の「湖の本 148」 全発送を終えた。
2020 1/30 218

* 「湖の本 149」の初校が組み上がって届き、放っておく気になれず、校正し始めている。内容が気に嵌って興深いので、あれれという間にはかどるだろ うが、数のキマリの「湖の本 150」をどんな創作で満たすか、これは容易ならぬ難関である。材料がないのでなく、実は幾つも有って気迷いというムダ時間 を心して警戒せねば。
追いかけて、間もなく『選集 32』の再校分もどさっと纏めて飛び込んでくる、これは大量で、時間を要する上に、
ここまで来た以上 予定完結の「第三十三巻」を腰を据え腹を決めて編輯にかからねばならない。相当に骨が折れ、気疲れしそう。体調との闘いにも負けるわけに行かぬ。
なにより、恥ずかしい、ウソ出来のヤッツケ仕事は決してしてはならない。続けて、同題、二種類の
韓国ドラマ「心医 ホ・ジュン」を心して見続けている。すくなくも創作の姿勢としてあのユ・ウィテ先生と弟子ホ・ジュンとの及びも付かぬ精神と医の技術とに敬意を覚えつつ、気分として真摯に「後続」したいと願う。「ニゲ出す」わけに行かない。
2020 1/31 218

 

* 「秦 恒平・湖の本」に歌誌「広告」を載せて欲しいという、創刊三十四年にして初の奇抜な希望が寄せてこられた。夢にもそういうコトは思い寄らず、その気なく、もう目前に「第150巻」の出版が手招きしている。
2020 1/31 218

☆ 手に受くるなになけれども日の光

秦恒平さん

ご無沙汰しています。いつも立派な著書をお送りいただき、有難うございます。

題記 秦さんの句のように なにごともなく過ごしています。日の光はほんとにありがたいですね。
ちかごろ黒川創さんの「鶴見俊介伝」を読みました。アマゾンで読み、本を買って再読しました。鶴見俊介は尊敬する日本人の一人ですので、楽しかったで す。生まれ育った環境から93才でなくなるまで、細部にわたって書き込まれた伝記文学は大仏次郎賞に値する著書でした。鶴見俊介が「9条の会」「べ平連」 の活動にかかわるところもすばらしかったです。黒川さんは秦さんの甥にあたる方と聞きました。

尊敬する日本人の何人かはぼくたちに希望を与えてくれます。
昨年末に凶弾に倒れた中村哲さん、悲しい出来事でしたが日本人がこの世界の中でなにを考え、なにをすべきかを教えてくれました。ぼくは以前から「ペシャ ワール会」に加入しささやかながらアフガニスタンでの活動を応援してきました。中村医師亡き後もこの活動が続けられることを祈っています。治安問題があり 困難な事業ですが。

函南町(かんなみちょう)での活動は大したものではありませんが、毎年の原爆展、三上智恵監督作品「戦場ぬ 止み」の上映会、去年9月には元文科省事務次官 前川喜平さんの講演会など函南9条の会が中心となってやってきました。今年1月成人の日には集まった成人 男女に9条のアピールでクッキーを手渡したりもしました。

憲法9条の日の光がもっと輝きを増してくれることを願っています。
静岡・函南   明  中高同窓  元・日立製作所 役員

* 同窓の女優原知佐子の死に滅入っていたので、懐かしいテルさんのメールに、おおげさに謂えば狂喜。文面にも、嬉しく身の引き締まるモノがあり励まされ た。中学いらいの友人を誇らしく思わずおれない。と同時に、早世していったテルさんと一対のようだった田中勉君を懐かしまずにおれない。弥栄中学のむかし の校舎が目に浮かんでくる。
なにより、テルさんの同じ老境での身を働かせての尽力。努力。 その言葉や行動に励まされる。ありがとう。わたしの句まで覚えて引いててくれて。ありがとう。お元気で。怪我せずお元気で。

* 音沙汰はないが 北澤の甥の勉強も、もれ聞いて、心づよい。病気はするなよ。

☆ 秦恒平様  湖の本148 濯鱗清流4 をいただきました
変わらぬご厚情を感謝いたします。早速に、半日をかけて味読をいたしました。2002年から2003年になされた読書とそれに関する自由なコメントを楽しみました。私がまったく知らない豊かな文学の世界があったのだと驚きました。ありがとうございました。
「日本ペンクラブ電子文藝館」の記録も、どういうものが収録されたのか、トレースしました。ご活動、ご苦労様でした。
秦さんが本巻の文章群をご執筆時の私は、第一次大戦と第二次大戦を経験し、30年代にはスイスに亡命した詩人にして思想家のマルガレーテ・ズースマンの 研究に没頭し、彼女についての長文のエッセイを執筆、2003年4月からは岩波版旧約聖書のためのヨブ記(訳・注)のための仕事に没頭していました。並行 して秋には『「ヨブ記」論集成』(教文館)を刊行、それにプラスして、大学の仕事、いくつかの学会の仕事で、息つく暇もない生活でした。
実はこの2年ほど ヨブ記に戻り、主として ヨブ記注解 を執筆する仕事に時間を費やしました。気ままな読書生活からはまったく遠い存在です。
ご夫妻のご健康をお祈りいたします。感謝をもって。  ICU名誉教授  浩

* ヨブ記 ですか。聖書のなかでも最も堅固な壁で、なかなかよじ登れないで押し戻されてきた。曾野綾子さんがうちこまれてたように聞き、お話しを聴きに行きたいと思ったこともあったが。

* 小中陽太郎さんからハガキ二枚の「湖の本 148」受領の通信有り。氏が、紅葉門の小栗風葉の縁者であること、なき梅原猛さんとも縁者であったことな どが書かれていた。今度の本には風葉とその作についてかなり厳しく触れていたので恐縮したが、それにはなにも触れられて居なかった。永くペンの理 事会で顔を合わせていた。ベ平連とも関わっていた人で、亡き実兄北澤恒彦とも縁があったろうと思う。
2020 2/1 219

☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 148 濯麟清流 (四) 読み・書き・読書」を拝受しました。
インフルエンザに加えて新型コロナウイルス、免疫力低下の高齢者には厳しい状況です。お互い気を付けましょう。 令和2年2月1日 濵 靖夫拝   (妻の従弟)
2020 2/1 219

☆ 秦 兄
『湖の本 148』 ありがとうございます。
正月が過ぎて年賀状の整理をしていますが、今年かぎりで年始の挨拶を失礼する旨の賀状と、年末の喪中連絡ハガキが年々多くなって さみしいかぎりです。
ガキのころ 近所に85歳の年寄りが居たかなと振り返ってみても 思い出せません。
そう思うと、就寝したまま永遠に目覚めないのでなく 翌朝は足腰は痛いなりにも起き上がれることは有難いことです。
明日は(京都)市長選挙日です。友人間での「政治と宗教の話はタブー」という亡父の戒めはやはり正解でしたが、野党がこぞって与党候補を支援する有様を見せつけられるに至っては 思考回路を大きく変える必要がありそうです。
日録(=秦の、私語の刻)によれば Jazzに目覚めたご様子。音楽に限らずこの世に存在するものは全て誰かが必要として生まれたものばかりです。私たちはそうした先人たちの遺産を享受しているのですから TPOに応じて存分に愉しませて頂きましょう。
好みに理屈は無用。すべての音楽は所詮ムード音楽で 今日は聴く気分でなくても明日は聴きたくなるかもと 家人のひんしゅくを買いながら、せっせと音源集めの言い訳にしています。
労作 ありがとうございました。 十分のご自愛を。  京・岩倉  森下辰男  中高同窓

* まことに。 ありがとう。

☆ 秦様
「湖の本 148」、本日拝受いたしました。ありがとうございます。
早速、気になるところから拾い読みを始めております。『モンテクリスト伯』のところなど、思わずわがことのように胸が締め付けられるような思いがいたしました。少年時代に心をとどろかせて読んだ思い出が堰を切ったようにあふれ出てまいりました。
とにかく、本に関するありとあらゆるご関心の中に流れる 「文学」という清流の水を深く味わっております。
長塚節について、「短歌往来」の連載に乗せる拙稿、送信いたします。ご笑覧いただければ幸いです。  茨城・  持田 拝   (家人・翻訳家)

* 感謝。ただ、せっかくの添付文献が、私の古機械では、設定不備でか、開かない。申し訳ありません。

* 好機とも行き会い「湖の本 149」フルスピードで校正が進み、この分では、雛祭りも過ぎるか前ぐらいに送り出せてしまうかも知れない、そうなると謂 わば記念の第150巻に間が開くだろう、間が開いていい、それに相当する一巻を創り出したいと、一つ、二つ、いや三つほども目標が見えている。素早く一つ に搾りたいが、まだ急く必要がない。桜桃忌にまにあえば、創刊満34年で150巻と成るが。その辺で完結『選集33巻』とも湊合してきそう。あまり締め括 りを意識したくはない。
2020 2/2 219

☆ メール
届きましたよ! 2月前半には京都に行く予定です。承知しました。 尾張の鳶

* 自分で京都まへ行けず、けれど、ぜひ手に入れたい「見聞」の要を覚え、お嬢さんがいてよく京都へ通っている尾張の鳶さんに、可能な写真や資料入手を依頼した。少なくも目にし得た印象や感想が欲しくて。

* 常陸の人からも 懐かしい便りが届いていた。

☆ 沢山な思い出を、
今も ありがたく思っています。なんと言っていいか、ただただ懐かしく思います。
お元気でいらっしゃることを 心からねがっています。
80代はじめは 歳など感じるにはまだ早すぎますよ。
わたくしは、ここ何十年か いろんなことをしてきました。75歳になっていますが、これからも若くいようと思っています。
今は少し休んでいます。
戸外にも出て、お元気に まだまだ沢山 楽しんで下さいませ。  司

* いい犬をあげようか、送ってあげようかと云われたこともあった。とても面倒をみてやれませんと辞退した。毛筆の細字のきれいた書き手だった。

* この前 「甕覗」のお酒を戴いて、お酒は飲み干したあとも、青磁の美しい甕はそのまま、買ってきた別のお酒を一升ずつ容れては、小さな柄杓で汲んで楽しんでいる。このごろは、夜遅くよりは朝の早めに賞美している。

☆ 雪のない一月が過ぎて、
カレンダーを切り替え、掛軸を取り替えて、さてというところへ『湖の本』が届きました。
二十年前の記事を拾い読みしています。改めて自分の「読書」が 読書と呼ぶには程遠いと思い知らされ、比較するには相手が悪いと思うことしきりです。
小林秀雄が、評論とは、文学作品によって自己を語ることだというようなことを(ちょっと思い違いかもしれません)いっていたように思いますが、「湖の本 148」を、私は、そのように読んでいます。誌
上に現れる作家や作品を 秦さんと結び付けては読むなか、頭に残る作家や作品をなつかしく思い出しています。そして「参考私記録」のなかに自分の名前を見出して、だれも開くこともなかろう、せめて自分がと、パソコンのキーをたたいてみたことでした。
H.Pで、ポンチョ姿の秦さんを懐かしく拝見しています。お体の具合を気にしながらも、「ご健康で、お元気に『前』を着々歩いて」いらしゃること 頼もしくもうれしく思っています。
『湖の本』も『選集』もまだ先があるようです。思いが満たされるまで成し遂げられることを願っています。
報告すべき近況もないまま、『湖の本』の受け取りといたします。
どうぞお二人ともども ご息災にとお祈りしています。
冬つばき世をしのぶとにあらねども  万太郎
令和2年2月1日   石川・能美  井口哲郎 (前・石川文学館館長 元・県立小松高校長)

* 井口さんのお手紙があると、ああ、わたしはまだ頑張っているなと肯く気持ちになれる。嬉しいことだ。

☆ 拝啓 『湖の本 148』拝受いたしました。
早速拝読。ことに 梅原猛氏の「猛然非小説」への論評おも白く、 坂本忠雄氏もよく知っていますので引き込まれました。
日本ぺんの電子文藝館創設にご尽力賜ったことも初めて知りました。昨年は 私方の熊谷かおりがペン入会早々 その恩恵に浴したようです。御礼申し上げます。
末筆ながらご健勝ご多祥お祈り致します。 敬具  都内・豊島  稲垣眞美  作家

* 私家版本が今日も一冊届いた。題して『幸福の絆』と。速読して手厳しい感想をもったが、奥付には住所しかない。手紙を書いて投函しにゆく元気は乏しく、願わくはメールアドレスが有ればすぐにも感想が言えるのにと、いつも思う。
感想を書き、ちょうど『濯鱗清流 読み・書き・読書』を出したばかり、送ってあげたいと思ったが、ついつい、億劫に。
郵便手紙を昔から億劫がって ハガキすらめったに書かない人なのです、私は。ご無礼ばかりしている。
2020 2/3 219

☆ 年が明けて
早二月ですが 御体調如何ですか
「濯鱗清流」有難く頂戴しました
拝読しながら西鶴を再読したくなりました 古文を読むのは苦になりませんが 長く坐つてゐられないのが難儀です
昨年ギリシャへ行つて来ました 40年ぶりのヨーロッパ訪問でした 経済環境の苦しさなどどこ吹く風といふ彼らの暮らしぶりは なかなかしたたかな国民性だと感じました
武漢由来の肺炎騒ぎで落ち着きませんが 暖かくなつたら一献お誘ひします
御自愛を   寺田生  (前・文藝春秋専務)

* ほんとに永らく私は西鶴をばくぜんと敬遠して過ごしましたが、森銑三先生のお教えから、『好色一代男』や『好色一代女』等に触れて行って、おおいに有りがたく読書欲を満たされたのを思い出します。
春遠からじ、江古田に いい肴の店がみつけてあります、お誘いしたい。

☆ 湖の本148  おめでとうございます!!
目の覚めるような萌黄色?の入った 148号の湖の本着きましたよ!
色がとても綺麗ですね!
表紙も2か所 色が変わったことで 何か新鮮ですね。
それにしても、代金ちがいのことは色々大変でしたでしょう。
私の方は先日 術後3か月の検診がありました。
24時間の心電図で、一度も心房細動なしで、再発率20パーセントでした。最初は、再発率80パーセントだったの。
迪っちゃんの方は、その後如何ですか?
阪大のips細胞の治療があるから、きっと大丈夫よ。
阪大の病院は、確か千里山にあるのよね。
気温の変化が激しいですね。
コロナウイルス騒ぎで、私も外出はマスクをつけています。
お二人ともどうぞ大切にお過ごし下さいね。    琉  妻の妹

* 予後良しと。嬉しいことです。大事に大事にお元気で。

☆ お元気ですか、みづうみ。
『湖の本 148巻 濯鱗清流 四 読み・書き・読書 日本ペンクラブ電子文藝館 提案・創設・私記録』無事に届きました。
「ペンクラブ電子文藝館」の創設についての一冊は 以前から 喉から手が出るほど欲しいと願っていた大事な「記録」です。
「日本ペンクラブ電子文藝館」の価値を現在の文壇や出版界やペンクラブ会員がどこまで評価しているのかわかりませんが、これは現在と未来の電子メディア 環境を見据えた偉業です。日本語と日本文学のためになくてはならないものでした。○○賞や勲章をもらっている文学者なら可能というような生易しい仕事でな く、「秦 恒平」のような詩的な「知の人」の覚悟あって初めて可能になった達成です。
みづうみは ご自身の視力を犠牲になさって、日夜の献身、無報酬での過酷な作業を、それでも溢れる文藝への愛で楽しみながら成し遂げられたと、わたくし は讃嘆するばかりです。「電子文藝館」が、日本語と日本文学の財産で希望となりますように。未来へのかけがえのない図書館とも。
先細る読書社会ですが、少なくとも「湖の本」の読者は、秦恒平のホームページを読んできた読者には、よく分かっていることでございます。みづうみの読書 量には到底及びませんが、みづうみの書評や作家論を読むことで未読作品までその魅力を堪能してしまいます。ありがとうございました。
介護や引越しでなかなか読書に集中できなかったのですが、やっとやっと 『花方』読み始めることができました。とても面白く読んでいます。
前回配本の『花方』にはどういうわけか振込用紙が挿入されていませんでしたから、郵便局で直接振込したので きちんと振込できたか少し不安でした。
今回は振込用紙が入っていて助かります。
お手間でなければ これからは「配本を二冊ずつ」にお願いできますでしょうか。どうぞよろしくお願い申し上げます。  鮭  から鮭の切口赤き厨かな  子規
前回のメール、ご不快でいらしたらすみません。わたくしが本気でぶつかる唯一の師がみづうみなのです。

* 恐縮です。
前回戴いたメールは、基督教の根幹にふれての私の無知や不十分へのお叱りでした。十二月二十六日のバグワンに聴きながらの私の感懐へのものでした。もう十数年前の思いでしたので、拝見にとどめまして失礼しました。ゴメンあれ。不快などという思いは持ちませんでしたよ。

* 今回の「濯鱗清流」は、ま、文字のママに読んで頂いて、先人師友への感化に感謝し素直な敬愛を示した四文字でした。出典の原意で謂うと「よい時勢に会 えば名声を得られる」らしいのだが、私は、そういう思いは一向持っていない。先人往時の精華や達成を「清流」とみて我が拙い鱗を清く強く洗いたいというに 尽きています。

* もう初校を「要再校」で返した次149巻は、題して「流雲吐月 歴史に問い・今日を傷む」 容赦ない叱咤に満ちた「批評」の一巻になる。
これまた「流雲吐華月」とある韋応物の詩的な自然描写から離れて、「流雲」には「自身」を托し 「吐月」には「批評」を意味 させています。三月上旬にもお送りできるかと。
2020 2/4 219

* 昨日から、維新前から大正半ばまでの政局を調べ始めている。敗戦へ直結してくる機運や根底の露わな時代だけに、簡単明瞭にも引きこまれる。ああ、まあ、私の気の多いことよ。
しかし、この目がけた仕事は、私のそれらの中でも稀有なものになる見込みがある。稀有というのは変わり種とも謂え、しかし美味く仕上がれば私らしい物の 珍しい物となろう、ただし量も要して相当な手が掛かる、厳しい批評も必要になる。六月桜桃忌に「湖の本 150」として刊行するのは容易でない。これ一つ に六月まで掛かっているわけに行かない、『選集 32』の再校は、もう目前に迫っていて、これも容易でない仕事、作業になる。ムリしないで、いいミノ実の 熟して落ちてくるのを待つ気になっている、つまり可能な限りを少しずつ、なるべく毎日進めて行くということ。楽しみだ。
しかしながら、では「湖の本 150」には。知恵は無いではないのだけど。
2020 2/4 219

☆ 暖冬のまま立春を迎えました。
いつも『日々の窓』を拝見させて頂き 先生のご体調に安堵したりちょっと心配してみたり・・・。
先生と奥さまのご健康を心よりお祈り申し上げます☆
思い返せば某HPで『茶ノ湯スタルベシ』のご本に辿り着き かれこれ20年余りになりましょうか。沢山たくさんの事を教えて頂きました。感謝一杯です。
私事ですが家人の介護の事もあり少しずつ片付けを始めました。一番気になっているのが書籍類(先生のご著書・図録・茶の湯関係)。
ちょうど 茶友のお孫さん:<経済と文化に携わる>30代青年(京都大&大学院卒:現在同志社研究室)が喜んで引受けてくれました。
彼はお茶も続けているので <収まるべき所に収まった>と安心しています。<研究室に置いてくれるとの事 きっと興味のある方たちの目に触れる!>事を願っているのが 今の心境です。
長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。 愛知 岡崎  山名一枝

* われわれの年齢を思えば、余儀なくも自然当然の流れで、こんなに親切にご処置戴けたのは幸せなことである。その方の宛先が判れば、ひきつづき著書を「謹呈」しつづけたいと思う。どこかの段階で「湖の本」の「頒価」を廃することも思案に入れている。
山名さん  有難う御座いました。どうぞ介護の日々をお大事に。

☆ 148号も〓次々と発刊。
驚異です。ありがとうございます。
ペン電子文藝館の発足、充実の熱意もまたまた脱帽です。
今改まり当時の熱意、ご苦労を読ませていただき、書物へのご愛着に感動しています。秦様ご選択の秀作を読み反したいと思っています。
源氏物語を夜毎読み進められているのも、この本で今読ませていただきますと 源氏を想像できる気分で楽しませていただいています。
最近とみに読んだ物が頭に残らず、我ながら情けなく思っていますが、今年は年頭に丁寧な読書をしようと。心がけようと。
いやなコロナ肺炎の流行で騒がしい気分ですが、お二人様ともに、どうぞお身体を大切にご自愛くださいますように。
次回のご本の発刊を楽しみにしています。  都内 練馬  晴美  (妻の親友)

* 私も、着々? とモノ忘れ増えています。数分以内に思い出せていますけれど。ま、自然の成り行きと、逆らいもせずにいます。それよりも やはり 眼 の弱りに弱ります。

☆ 遠先生
こんにちは。

3日間の力仕事は無事に終えましたか?

また少し時間があいてしまいました。

仕事が超多忙で会えない恋人に一言文句言ったら、

彼がキレてしまって別れ話されたんです。

10日前位の出来事なんですが。

すっごく悲しくて悲しくて泣いて暮らしていたので、

遠先生へのメールもまた遅くなってしまいました。

新年早々、高熱が出たり、恋人に嫌われたり

暗いですよね。

いい歳して恋に翻弄されている罰があたったのかしら? なんて

こんな風に自分を責めてしまいます。。。  三重

 

* つきあいという愛は 本物の恋にも結婚にも 到達しにくいようである。
これも仕事柄か、「よくあり」そうなこういう若い声も、ときどき聞かせてもらう。
「遠」とは私の茶名を識っていてのこと。

☆ 秦 恒平 様
久しく御無沙汰しておりましたが、 その後、お体の調子は いかがでしょうか。
老齢を重ねると、 どこかしら おかしくなるもので、 小生など 九十四歳、あちこち 骨が がんがんし 先日など 大腿骨骨折とか、 ふいにころんだだけで 今は車椅子生活です
何よりも 秦さんの御健勝を祈ります
だが、 このたびお贈りいただいた「濯鱗清流」を見ると、 その心配も余計なこと、秦さんは健康、健筆 そのもののように見受けられ、安堵 いたしました。
老人には 健康第一でございます。
健康あって はじめて健筆ありで、
貴方様の健筆を喜んでおります。
それでは、 また、縁があったら せめて一度なりと、 お目にかかりたく存じます
山梨・北杜   色川大吉 拝  (思想家・歴史学)

* 色川先生ほどの大先達に こう仰有って頂けて幸せ者である、私は。

☆ 過日は
御高著 ありがとうございました。
『源氏物語』関係のところ、勉強になりました。戦国武将がなぜ『源氏物語』を読んだのか考えていたところでしたので…。 恐々謹言   小和田哲男   静岡大名誉教授

☆ 湖の本 ありがとうございます。
先生の自筆のメッセージもありがとうございます。
源氏物語は 最近 少し 興味を持てるようになりました。昨年の秋も市民講座で「葵」をかじりました。
自分だけでは 読みも おぼつきませんが 講師の先生が声に出して読まれるのを聞いていると 情景が浮かんできて  ちょっと楽しい時間でした あとのまつりですが 父(=源氏物語読みの権威であられた故・島津忠夫先生)が聞いたら苦笑しながら喜ぶかなと思います。
チョコレート 2種を送らせていただきます。奥様と お茶(お酒)のお供に 楽しんでいただければと思っております。
外出時は ウイルス、花粉予防に マスクをしてお出かけくださいますように お願いいたします。
埼玉 所沢   藤森佐貴子

* 島津先生の「放談」源氏物語は 物語を再読・飜読するさい必備座右の指南書である。

* 大阪・茨木の石毛研究室 石毛直道さんからも 受領の礼信が届いていた。
2020 2/5 219

☆ 暖冬のまま立春を迎えました。
いつも『日々の窓』を拝見させて頂き 先生のご体調に安堵したりちょっと心配してみたり・・・。
先生と奥さまのご健康を心よりお祈り申し上げます☆
思い返せば某HPで『茶ノ湯スタルベシ』のご本に辿り着き かれこれ20年余りになりましょうか。沢山たくさんの事を教えて頂きました。感謝一杯です。
私事ですが家人の介護の事もあり少しずつ片付けを始めました。一番気になっているのが書籍類(先生のご著書・図録・茶の湯関係)。
ちょうど 茶友のお孫さん:<経済と文化に携わる>30代青年(京都大&大学院卒:現在同志社研究室)が喜んで引受けてくれました。
彼はお茶も続けているので <収まるべき所に収まった>と安心しています。<研究室に置いてくれるとの事 きっと興味のある方たちの目に触れる!>事を願っているのが 今の心境です。
長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。 愛知 岡崎  山名一枝

* われわれの年齢を思えば、余儀なくも自然当然の流れで、こんなに親切にご処置戴けたのは幸せなことである。その方の宛先が判れば、ひきつづき著書を「謹呈」しつづけたいと思う。どこかの段階で「湖の本」の「頒価」を廃することも思案に入れている。
山名さん  有難う御座いました。どうぞ介護の日々をお大事に。

☆ 148号も〓次々と発刊。
驚異です。ありがとうございます。
ペン電子文藝館の発足、充実の熱意もまたまた脱帽です。
今改まり当時の熱意、ご苦労を読ませていただき、書物へのご愛着に感動しています。秦様ご選択の秀作を読み反したいと思っています。
源氏物語を夜毎読み進められているのも、この本で今読ませていただきますと 源氏を想像できる気分で楽しませていただいています。
最近とみに読んだ物が頭に残らず、我ながら情けなく思っていますが、今年は年頭に丁寧な読書をしようと。心がけようと。
いやなコロナ肺炎の流行で騒がしい気分ですが、お二人様ともに、どうぞお身体を大切にご自愛くださいますように。
次回のご本の発刊を楽しみにしています。  都内 練馬  晴美  (妻の親友)

* 私も、着々? とモノ忘れ増えています。数分以内に思い出せていますけれど。ま、自然の成り行きと、逆らいもせずにいます。それよりも やはり 眼 の弱りに弱ります。

☆ 遠先生
こんにちは。

3日間の力仕事は無事に終えましたか?

また少し時間があいてしまいました。

仕事が超多忙で会えない恋人に一言文句言ったら、

彼がキレてしまって別れ話されたんです。

10日前位の出来事なんですが。

すっごく悲しくて悲しくて泣いて暮らしていたので、

遠先生へのメールもまた遅くなってしまいました。

新年早々、高熱が出たり、恋人に嫌われたり

暗いですよね。

いい歳して恋に翻弄されている罰があたったのかしら? なんて

こんな風に自分を責めてしまいます。。。  三重

 

* つきあいという愛は 本物の恋にも結婚にも 到達しにくいようである。
これも仕事柄か、「よくあり」そうなこういう若い声も、ときどき聞かせてもらう。
「遠」とは私の茶名を識っていてのこと。

☆ 秦 恒平 様
久しく御無沙汰しておりましたが、 その後、お体の調子は いかがでしょうか。
老齢を重ねると、 どこかしら おかしくなるもので、 小生など 九十四歳、あちこち 骨が がんがんし 先日など 大腿骨骨折とか、 ふいにころんだだけで 今は車椅子生活です
何よりも 秦さんの御健勝を祈ります
だが、 このたびお贈りいただいた「濯鱗清流」を見ると、 その心配も余計なこと、秦さんは健康、健筆 そのもののように見受けられ、安堵 いたしました。
老人には 健康第一でございます。
健康あって はじめて健筆ありで、
貴方様の健筆を喜んでおります。
それでは、 また、縁があったら せめて一度なりと、 お目にかかりたく存じます
山梨・北杜   色川大吉 拝  (思想家・歴史学)

* 色川先生ほどの大先達に こう仰有って頂けて幸せ者である、私は。

☆ 過日は
御高著 ありがとうございました。
『源氏物語』関係のところ、勉強になりました。戦国武将がなぜ『源氏物語』を読んだのか考えていたところでしたので…。 恐々謹言   小和田哲男   静岡大名誉教授

☆ 湖の本 ありがとうございます。
先生の自筆のメッセージもありがとうございます。
源氏物語は 最近 少し 興味を持てるようになりました。昨年の秋も市民講座で「葵」をかじりました。
自分だけでは 読みも おぼつきませんが 講師の先生が声に出して読まれるのを聞いていると 情景が浮かんできて  ちょっと楽しい時間でした あとのまつりですが 父(=源氏物語読みの権威であられた故・島津忠夫先生)が聞いたら苦笑しながら喜ぶかなと思います。
チョコレート 2種を送らせていただきます。奥様と お茶(お酒)のお供に 楽しんでいただければと思っております。
外出時は ウイルス、花粉予防に マスクをしてお出かけくださいますように お願いいたします。
埼玉 所沢   藤森佐貴子

* 島津先生の「放談」源氏物語は 物語を再読・飜読するさい必備座右の指南書である。

* 大阪・茨木の石毛研究室 石毛直道さんからも 受領の礼信が届いていた。
2020 2/5 219

* 東村山の写真家近藤聡さん、名酒一升下さる。このところ、北越光明寺さんに頂戴した名酒「甕覗」の美しい青磁の「甕」にお酒を満たしては、小柄杓でお 酒を賞美堪能している。瓶からのなま注ぎより格別の風情で、小柄杓ゆえ存外に量も控えられている。柄杓の、ふと甕にふれて鳴る色佳さも楽しんでいる。

☆ 『湖の本148 濯鱗清流(四)』を拝受
<読み・書き・読書>の巾広さに、エネルギーに今更ながら驚嘆しています。古典や近現代文学、新刊や増本バグワン(!)に加えて、この時期のペン電子文藝 館の読書の記録には興奮すら覚えましたこれぞ作家の眼なのですね。ペンクラブはいい時に最適の方を得て、内外に誇れる宝庫を公開で出来たことをいまも喜ん でいます。お疲れさまでした。
本巻は三校私記録もふくめて、後世に残すべき貴重なドキュメントです。
ありがとうございました。    敬  講談社役員 元・出版局長

☆ 秦 恒平先生
拝啓
ますますご清祥のこととおよろこび申し上げます。
このたびは「湖の本」をいただき、当時のことが懐かしく、また早い段階での電子化のお手伝いが出来たことを光栄に思います。
一層のご活躍をお祈り申し上げます。
まだまだ寒さが続きます、体調を崩されませぬようご自愛下さい。敬具
坂村健  (東京大学名誉教授)

* ペンクラブの電子化を秘薬充実させたいとわたしは理事就任、即、東大へ坂村先生を訪ねていろいろ御指導や御助言をいただいた。「聴く」ことから始めねば未熟な機械下手の私には何も出来なかった。あらためて感謝の思い深い。

☆ 拝啓
寒い風が吹きつける中にも明るい曙光を感じられる此の頃ですが 益々の御活躍、慶賀申し上げます。このたびは「湖(うみ)の本」濯鱗清流第四巻を頂き、 ありがとうございました。各章末の日付を見ると殆ど連日連夜の作業、よく身体が続くなあと舌を捲いております。今後共、呉々もご自愛の上、私どもの知見を 広めて頂けるよう、希望致します。
なお校正みす一つ。四十一頁森鴎外の遺書中「岩見」は「石見」です。これのみ気づきましたので、いづれご訂正下さいます様。今後共宜しく。敬具  神奈川・横浜  小泉浩一郎  (評論家)

☆ 拝啓 (前略)
先生がペンクラブでなされましたお仕事のうちの「ペン電子文藝館」設立から、充実を図られていくご様子がこの一冊に込められているのですね。
まず先生の読書量とそのスピードに驚いております。
かつて目にされた作品やそれ以外のものから「ペン電子文藝館」に選んでいかれる過程の一端が明かされ、先生自らがスキャン・・校正もされていらしたこと を知り、さらに驚いております。当然ご本業の、小説を、エッセイをお書きになられていらっしゃる時間以外の時を使われてのことと存じます。藤村のこと、芥 川龍之介のこと、田山花袋のこと、荷風のことなどなど、これから改めて先生の視点を参考に、繙いて参りたいと存じます。
それに致しましても 「源氏物語」の音読をなさりながら、「モンテクリスト伯」をお読みになり、日本史に踏み入り、と、先生の頭脳の抽き出しはどのよう になっているのかと、想像を絶するものがございます。常人には考えにれないことです。それだからこそなしえたことと、改めてこのご偉業を讃えたく存じま す。
昨年十一月のペンの日に集まられた方々に、このことをお伝えする術があればよろしいのに、とかなわぬことを思ったりしております。
大久保房男先生(=元・講談社群像編集長)のお名や、尊敬する小島喜久江様(=元・新潮編集者)のお名前も拝見出来、うれしく存じました。俵(万智)さんはちょっと残念でした。つまらぬこと申し上げ失礼致しました。
ご大病のあとも変わりなきご健筆を心よりおよろこび申し上げます。
まだしばらく春の寒さが続きますことと存じます。
どうぞご大切にあそばしますようお祈り申し上げます。 敬具   菊  紅書房主

* おかげで此の一巻「湖の本 148」を取り纏めて置いた甲斐があった。
「ペン電子文藝館」を引き継いで呉れている委員達の尽力、なによりも優れた作を選んで質を落とさない打ち 込んだ「勉強」をお願いしたい。当時、委員に校正を依頼しても、日本語を知らず明治大正の漢字の読めない委員・会員の多いのに、心底仰天したものだった。
下手をすると文学中老年「自己満足」の作文集の ように成りかねない。
往年の諸先人達の名作・力作・秀作・問題作をこそ集積し、湮滅させない敬意と努力とを希望する。

* 成蹊大図書館より受領の来信あり。

* 九大名誉教授(前・日本文学研究資料館館長)今西祐一郎さんから、校訂を分担されている岩波文庫新版『源氏物語』の第七巻を送って頂いた。宇治十帖へ 入った。頂戴本の到来を待ち待ちわたしはいま『若菜上」巻という微妙な岐れ場を落ち着いて読み進んでいる。本のそばには島津忠彦先生の「源氏物語放談」を 置いて併読してもいる。

* それはさて今日今西先生からは源氏物語のある箇所の「読み」にかかわる別のお手紙や所論も頂戴していて、これから腰を据えて拝見する。先年来か、雑誌 「汲古」所掲の岡田貴憲氏所論をめぐるもの、今西さんまで登場となると 私のような門外漢は傾聴の姿勢たらざるを得ないが、簡単なようで簡単にとりあげに くくもあり、まずは、今西氏考をも頭に入れたい。
2020 2/6 219

* 実は今 私の頭と時間を所有しているのは「湖の本」「選集」「病院通い」のほか、幾つかの創作の「芽」を飼うことにまじって、明治の元勲山縣有朋とい うややこしい「人」なので。私のなかへ住まいを得るなど「とんでもない」遠い人物なのであるが、ひょこんと、しかも影濃く跳び込んでこられて動かない。仕 方なく、わたしは「尾張の鳶」さんの京都行きを煩わしてすこしでも情報が得たいと頼んだばかり。
なにやら気ぜわしい老人になっているものです。眼が、もっとすっきり見えると助かるのですが。
2020 2/6 219

* 明日には、『選集32』の再校が出そろってくるという。「湖の本 149」の再校も追っかけてくる筈だ。『選集 最終巻』の編輯入稿が目前のも急務な ら、「湖の本 150」の原稿づくりも目前の急務。予感した通り、気忙しい二月三月になる。今の実感では俄かに、体が崩れるという予感は無いのだけれど。 ま、楽観はいいとして、油断はしない方がいい。
2020 2/7 219

* 近藤聡さん、山梨県立文学館の中野和子さん、ノートルダム清心女子大、鳴門教育大、文教大等、「湖の本」受領の来信。
2020 2/7 219

* 『選集』零校の赤字が(主に読み仮名付けだが)莫大に多くて再校ゲラで確認するのに凄いといいたいほど手間が掛かり、昨日終日、今朝も続行して、まだ 相当な頁が残っている。これを遣りきって初めて再校作業になる。信じられないほど嵩高い一巻になるが、ちょっとこれまでのお行儀のいい一巻一巻より型破り な面白みももちそう。とにかくも、これを校了するには全部を丹念に間違いなく読みとおさねば事は終えない。
十二日早朝に一次のカメラ検査を受け、二十四日には通常の前立腺診察、翌二十五日に更に何種かの二次検査を受けたあとに診察・診断がある。つまりは、二十四日までにこの厖大な『選集32』を「責了ま」で持ち込んでおきたい。
たぶん「湖の本 149」の再校出も逼っていて、この通読再校は妻を煩わさざるを得まい。
問題は、なんとか無事に『選集』も「湖の本」も「送り出せる」か、だ。
更には、『選集 33』という最終巻の編輯と入稿という難しい作業がある。「湖の本 150」という切り目の入稿も、見当はもう付けてあるが、原稿が仕上がるか、実はこの原稿づくり作業がほとほと手間がかかる。
妻の、二台も持った私のよりずっと新しい機械が、二台とも「字が書けない」などという故障を起こしていて、それでは、どう手伝って貰いようもない。単純に一太郎でひらかな字が書けなくなる、なんてことが信じられないのだが。

* 「選集 32」のものすごいほどの赤字を、再校ゲラで尽く点検し終えた。一日かかった。あとは常識校正風に読み通せばよい。

* わたしがどう介入してみても慣れぬ妻の機械には、手も足も出なかった。妻に、文字原稿を代筆・筆写して貰う願いは諦め、いわゆる上の常識校正などを頼むことに。
わたしは今、或る和本の和活字本を懸命に筆写しているが、原本を読んで理解しながら正漢字をたくさんたくさん拾わねばならない。内容的にはマ興味津々、 身を寄せて理解しやすくはあるけれど、筆写の手間は大変。A4判で150頁ある。やっと18頁を機械に入れた、これで数日も掛かっている。美本の傷みを歎 きながら機械複写も試みたが、まったく不可能、マックロになる。写本はしかも従の仕事、原稿を創らねばならない。これはかなりアタマを使う要がある。
2020 2/9 219

☆ 拝啓
立春の候 先生にはご健勝にてお過ごしのこととお喜び申し上げます。いつもお世話になり感謝申し上げます。
『秦 恒平 湖の本 148 濯鱗清流(四)』のご刊行をお祝いします。2002年以来の日々、「日本ペンクラブ電子文藝館」の歴代会長作、招待席諸作、物故会 員諸作、反戦・反核作品室諸作など、また、「祖が物語」や「モンテクリスト伯」等々への多彩を極めた言及を楽しみ、圧倒されました。感謝。
右、御礼にて   原山祐一  新聞記者

☆ 拝復
お礼が遅くなりました。ご容赦ください。(略)
「ペン電子文藝館」の起ち上げ、創設、盛大な展開のご苦労を拝察、推薦して頂いた一会員としても重ねて感謝申し上げます。ありがとうございました。
時節柄ご自愛専一に    京・山科  あきとし じゅん (詩人)

* いつも選び抜いて佳い絵葉書であきとしさん、今回はあの懐かしい先輩作家・富士正晴さんのネクタイ姿の自画像、これが奇抜に面白い、的確な線で簡明に 描かれていて嬉しい。惜しいことに郵便局のスタンプがかすかにであるが髪の毛にかけ写っていて。惜しい。しかし、十二分にこのまま嘆賞できる。佳い絵葉 書って、佳いモンです。画家の池田良則さんに戴いた京の町家の路地繪も胸に沁みて懐かしかった。わたしは、まだまだこういうのが、少年の心地で嬉しがれ る。
2020 2/11 219

* 『選集 32』の巻頭作、次作、三作を三校、および自筆原稿を再校し終えた、残るは四作、まだ道半ばだが、あすの検査後つぎの検査二十五日までにはう まくすると「責了へ漕ぎ着けられるかも。 とにかくも「選集」と「湖の本 149」とをキレイに片づけておくことを先決とし、「選集33 完結分」「湖の 本 150」の「入稿」は別途の集中に期するのがいいようだ。とにかくも明日、上部消化管カメラ検査を事無く終えてきたい。
2020 2/11 219

* 岩波「世界」に居られた高本邦彦さん、人権尊重の弁護士五十嵐二葉さん、それぞれに「湖の本 148」へ来信、感謝。 五十嵐さんは日本の検察強引是正に奮励されており、高本さんは「おかしな肺炎が流行りそうな気配があります」とも警告。
2020 2/12 219

* 「湖の本 149」あとがきが書けた。機械が、穏便に担当さんへ送達してくれますように。
2020 2/16 219

* 「湖の本 149」に、気を入れて、あとがき「私語の刻」四頁分を書き上げ、電送入稿した。本文はもう今夜か明日にも再校を終えてしまう、三月中には発送出来るだろう、しかも此の「あとがき」には、めったになく、大きな中仕切りとなる次回「第150巻」で、何を書くと予告もした。
前回『濯鱗清流 読み・書き・読書』は、嬉しいことにわりと佳い感じに受け容れて貰えたよう。次回もと、私はかなり力強く期待している。
2020 2/17 219

* 校正仕事が「湖の本149」「選集32」とも手もと分では落着したので、『秦 恒平選集 第33巻』の編輯構成と入稿用意に手をつけ、残る作業は作業として、大方の見当がき、用意も半ばは出来た。

* いましも手を掛けつつ思い入れ考えているのは、「秦 恒平・湖(うみ)の本」第150巻のそれなりに心ゆく用意と執筆。腹を括って、毎日用意をしている。

* コロナ感染症に用心し、次のCT検査をクリヤし、気を入れて今年の桜桃忌前後に強い中仕切りを樹てて置きたい、そこでは終わらない気でいる。
それにしても視力の衰弱は日増しに顕著で、長時間に堪えて仕事していると、階下へ降りて大きな画面のテレビにさえ数十センチきでも近付かねば演者、話者の顔がボヤケる。新調の眼鏡がたちまちにダメになり、むしろ裸眼に頼っている。ブルーライトに負けている。やれやれ。
2020 2/18 219

☆ 拝復
進化した菌の侵入など、文化・宗教も速度こそ今少しのろくともかくばかりだったのかと感心しています。コロンブスのもたらした病気等 世界史の授業でのただ一つの思い出、ばかばかしくて試験に出せそうにないこと、昔の教師はのんびりしたものでした。
「湖の本」148 ご恵与たまわりありがとうございました。行き届いて読書案内の態、読まずして原著読んだ気になる危険な書と感服。 卒業生の訃報が続き 回覧する者いなくなりもったいないことです。
辻井喬著にかかわる
妻の訃を告げ來し友よ寒見舞
卒業生の母上など辛いお悔み状書くこと多くなり、早い者勝ちとはこんなことかなと思っています。
暖冬とはいえ冬は冬、春待ち遠しいことです。
お揃いでお大事に   草々     神戸・須磨   周

* たよりのとぎれたまま日かずを積んだ人があると、案じられる。いやな病気が流行っている時はことに気になる。
2020 2/19 219

☆ 秦 恒平様
いつもご著書をありがとうございます。
いつの日か、また保谷のお宅に遊びに行きたいと願っております。  島尾伸三  作家・写真家

☆ 拝啓
余寒の候 秦先生にはご清祥のことと存じ上げます。
このたびは「湖の本148 濯鱗清流」を誠にありがとうございました。
私は日中の近代文学を専攻しておりますので、先生の永年に亘る「読み・書き・読書」のなかで、多くの近代の作家と作品が生き生きとよみがえり、新たな魅力をお示し戴いていることに感銘を受けました。
私もぜひ学生に明治、大正、昭和期の作品に親しんでもらいたいと願っております。今後ともご教示をお願い申し上げます。
まずは御礼まで申し上げますとともに、昨今の時節柄、先生には呉々もご自愛の程 お祈り申し上げます。敬具    早稲田大学文学学術院  和
2020 2/20 219

* 図書館から、私の自著を全部揃えて貰えまいかと頼まれ、やっと腰を上げて妻に手伝ってもらい書庫の棚からおろし始めたが、し終えなかった。「湖の本」「選集」を除いても、なんという著書の多さ、豪華限定本を除いても、創作、論攷、随筆、対談、座談会、講演、歌集、新書、文庫等々、百册を優に抜いて、床にひろげ置いても、もう置き場がないほど。続きは明日にしようよと痛む腰を伸ばしてやめてきた。
むろんこういう著作本は、悉く出版社の請いを受け入れ刊行を私が肯んじ承知したものばかりであり、ここに私家版や選集、湖の本は加えていない。いかに、 疾走する勢いで「本」を出し続けてきたか、受賞後十年と経たない頃、ある店で顔の合った吉行淳之介氏から、呆れ顔でどうするとああも書けるのと声を掛けら れた。べつだんの気持ちはわたしには無かった、ただ心して仕事し続けていだけのことであったが、生涯に一冊の著書が持ちたいと熱望している人、多いんです よと。担当編集者に笑って云われたこともあった。
ま、それだけの本をわたしは、九割九分は自身でも買いおき保管してきたから、今回図書館にかりに二部ずつ寄付しても、一二冊ずつは手もとに残る。幸か不 幸か朝日子にのこしても受け取るまいし、建日子は父親の作物にあまり手を出したり目をむけるタチでない。おいおいに外へ散らばってもも選集もあり湖の本も あって自身で、むかし谷崎先生の書かれていたように老来自著・自作を楽しんで読み返すのに不自由はない。幸せな書き手であったよと素直に感謝し喜んでい る。なによりも今なおいくらでも書けることだ、病気さえしなければ。完全な盲目におちいらなければ。

* 今日も、懸命にこころがけて書写の仕事にも耽っていた。当初はとてもとてもと仕事量に音をあげていたが、手がけて数日、ムリかなあと渇望していた段階 も通り過ぎ、総じての半ばを越えてきた。これ以下は割愛しても差し支えないというところまでは、もう32頁。すてに82頁の難儀な書写を終えている。この 仕事がまことに興味も趣味も豊かで、しかも背後に日本の近代を貼り付けている。「湖の本」記念の第150巻を「ホホーゥ」と受け容れて戴けるように折角努 めたい。
2020 2/23 219

* 明日には待機していた「湖の本」「選集」のつづき仕事が届いて、気忙しくなる。それもよし。
2020 2/25 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  盃 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

李白は振りかえった。たしかに誰かが呼んだのに、人の姿がなかった。
李白は眼を惹く店先のひとつのさかづきを買った。わずかに掌にあまる、青みを帯びて美しい荊州の白瓷であった。
家に帰ると李白はすぐ酒がめを引き寄せた。眼を細め、李白はさかづきに酒を注いだ。とくとく、とく、くとく、とく。酒はさかづきに満ち、満ちたかと見る間に美しい琥珀色は汐の乾くようにさかづきの底に沈んでしまった。
とくとく、とく、とくとく、とく。
李白は眼を疑いながら徳利を傾け、燦く酒の艶を急いで唇に受けた。またもや酒は漏れるようにみるみる消え失せ、芳醇の香気がむなしく李白の鼻を打った。
これはひどい。思わず李白は呟いた。すると、答えるようにさかづきの底から酒が湧き溢れた。李白は大慌てで飲み干した。
三度めの酒は穏かにさかづきに波打って光った。李白は幸福そうに、盛りあがった酒の色香に顔を寄せた。白玉のさかづきの底に、李白を見て笑っている一人の男の顔があった。人の良げな男は、揺ら揺る酒の中で笑みくずれ、物言いたげな眼をしていた。
李白が問うと、さかづきの男はこんな事を言った。
自分は昔淅県の参軍まで務めた者だが、酒で官をあやまり市隠のまま一生を終った。好きな酒はやめられなかった。死に際に自分は人を呼んで、かならず我を 陶家の側に埋めて呉れよと頼んだ。願わくは百千歳の後に化して一塊の土となり、幸い採られて酒壺とも成らば、実に実に我が心を獲ん、と。
さて自分はかようなさかづきの底に栖む事を得たけれど、不運にも久しく店頭にさらされて美酒に遇わず、今日貴公の眼にとまったのは千秋の僥倖、はなはだ有難い。毒味までに一杯お先に頂戴したーー。
李白は手を拍ち大笑してこれぞ酒中の仙、莫逆の友と、それからは、先ず李白が一杯、つづいて男が一杯、仲良く代わる代わる飲みかわして夜の更けるのも厭わなかった。
李白が戯れて歌を所望すると、男はかがやき揺れる酒の下から、美声を張って朗々と唄った。
蘭陵の美酒は鬱金の香  玉椀盛り来たる琥珀の光
ただ主人をして能く客を酔はしめば  知らず何れの処か是れ仙郷
夢にも恋しい故郷の酒を   いざなみなみと酌みたまへ
この家の主の客あしらひに   酔うてうたへば花が散る
酒は百川をも吸う勢いでさかづきの底へ引かれて行った。李白は喝采して、そんな窮屈ところに居ないで出て来ないかと誘った。おうと叫んで、忽ち筋骨うるわしい精悍な武人が李白の前にどっかと坐った。
二人は庭上の春色をめでながら、今度は先ず客が一杯、次に主人が一杯、物も言わず泣きみ笑いみ応酬やむ所を知らなかった。
とうとう李白は盛んに酔を発し、ぐるぐると両手を振りまわして唄い出した。
両人対酌山花開く  一盃一盃また一盃
我酔へり眠らんと欲す君しばらく去れ  明朝意有らば琴を抱きて来たれ
花を浮かべて酌むさかづきに   夢も匂へや星あかり
酒がめ枕に寝たまへ倶に   明日も聴きたい君のうた
声の下で李白はそのまま酔い伏してしまった。男はひとり神色端然、しばらく美味そうに酒を口に含んでいたが、やがて皮ごろもを脱いで李白の肩に被せ懸け、かき消す如く春の夜のやみに去った。

* 此の作は、東博の東洋館で出逢うた武人像に魅されて成った。

* 今は自在に酒飲みの私だが、勤務の昔は酒に一切手は出さなかった。しかし「作家」としても世渡りし始めると、当時の風とし て、担当編集者や出版社は盛んに酒の席へ私を連れ歩いてくれた。そして言われた、「秦さんは、幾ら飲ませても酔わない」と。たいてい接待してくれる側が先に酔い潰 れていた。あの頃の出版社は景気よく、編集者はズボンの尻ポケットに札束をねじ込んだままわたしをあの店この店へ連れ回ってくれた。あの時代、あのような私の頃は、「出版」も、「作家」への対応も、ほぼそんなふうに「好景気めく最期の火の手」をあげていた。
しかし、やがて、「売れる本なら何でも」「売れる本を本を」と編集・出版者が私のような作風の者にも一つ覚えのように言うようになった。程度や水準を問 わない「文字本・読み物」を追いかけ、「文学・文藝」の質は問わずむしろ硬質・高程度の作品が「たくさん売れない」理由で敬遠されだし、純文学・高度文藝 の人はだんだん置き去りにされていった。私のように「秦 恒平・湖(うみ)の本」といった形で自作の文藝を数十年に亘り愛読者や各界人へ送り出せる作者は、他に、一人も出なかった。
言うまでもなく「湖の本」は雑誌ではない、装幀は簡素でも、作家・秦 恒平「ひとり」の書籍として150巻も送り出せていて、まだなお「先が有り」うる。「貴誌に広告を載せて」という希望が最近寄せられ驚いたが、「雑誌」で はない、明瞭に単著に類した一巻一巻が「書籍」なのである。

* 亡き鶴見俊輔さんと対談した折、秦さんの「湖の本」に倣いたい作家は大勢いますと言われ、但しそれには、「作品の絶えない提供と高い水準」「相当数の 愛読者・協力者」そして「編集・出版の技術」と「家族の熱心な協力」が「絶対的に不可欠」で、これが他の誰にも充分には出来ないと断言されていた。さすが に正確な見立てだと感じ入ったのを思い出す。
2020 2/26 219

 

* 『選集 32』と「湖の本 149」とを ともに「責了」として印刷所に送り返した。相次いで出来てくると発送作業で草臥れるだろう、せめて先だって出来る用意はしておきたいい。
相次ぐ、最終予定の『選集 33』 および 大きな中仕切りになる 「湖の本 150」の入稿用意は、大方をこれから仕上げて行く、慌てまい。
2020 2/27 219

☆ 時ならぬ
コロナウイルスの騒ぎで、落着かない毎日です。
いつも、御高著をお送りいただき、有難うございます。
先日の「湖の本」を読んでいたら、思いがけず、私のことが、あんなふうに書いていただき、とても励みになります。いま、「**」論を単行本にまとめてい るところです。秦さんの谷崎についての考察が、参考になります。20 2 26 都・杉並  川本三郎  近代文学研究・評論家

* 川本さんには何冊も著書をもらい、よく読んできた。実績に「実」のこもった批評家として今日数少ない存在と思って期待を寄せつづけてきた。

* 私は、文学幼少年から、勉学・読書そして習作時期を経て、文壇作家として十年余で60册を超す著作を積んで、そのさきで自然に文壇からはなれ、実質に おいて他に例を見ない「フリーランス」作家の「独り道」へ歩んで出た。「秦 恒平・湖の本」がその存在証明となって満34年・150巻を達成してなお継続、更に600頁平均の『秦 恒平選集』33巻の予定も完結を目前にしている。
鷗外・漱石・藤村・直哉・潤一郎・康成・三島等々や大江健三郎その他の道を慕って純文学ないし藝術としての文学作家を真実心がけ願っている人には、私の歩いてきた作家道は、念頭に置かれ自問自答されていい課題になるだろう。これは広言でない、老いの提言なのである。

* 此処までで足りていると思えるまでを書写し終えて、なお、もう一段奥へも踏み込んでいる。
体調、宜しくない。気を入れて書写など続けている間は打ち込んでいるのだが、手をとめるとぐたっと頭が落ちてくる。掌を開くと指の十本の一本ずつに縦に 無数の縦皺が走り、掌全体は音のしそうに痺れている。もう八年、手術と抗癌剤いらい斯うである。それでも見えにくい視線を走らせてキイを押すことは出来て いる。これの可能な打ちは作家しているというわけ。
うろうろしていると、「湖の本」も「選集」も本が出来てくる。明日から三月。用意だけでも容易でない。狼狽えると潰される。一つ一つ一つ、仕憶えてきた作業を積んで行くしかない。疲れてくると、目を閉じつづけては開いて一仕事しまた目を閉じている。
2020 2/29 219

* 念願してはじめた或る「書写」の仕事 百五十頁 すべて書き写した。正字・旧かな。難儀であったがまた頗る有意義に心涼しい楽しめて佳い仕事だった。 日付変わって十分過ぎている。夕食後に、疲れはてて七時から四時間も寝入っていた。し終えてよかった。明日から次の段階へ、そして「湖の本 149」発送 用意の作業へ。ブリンタが働いてくれず 大難儀しそうだがなんとか別途を通っても立ち向かうしかない。「書写」を終え得てよかった。一冊の本をまるまる書 き写すなど、初体験であったよ。
2020 3/2 220

 

*我が家の機械の印刷力が方途を見失って、というのは逆か、われわれの面倒もと能力が落ちていて、安々とはうまくいかない。発送時の「挨拶」も、どうして も必要な読者のみなさんへ向けてだけ印刷し、謹呈の方には、封筒表の「謹呈」印で失礼することに。これで多大のストレスと労力とが和らげ得よう。
封筒への宛名印刷と貼り込みとが残っている。妻のプリンタでしか刷れなくて、おおごと。発送分の封筒に住所印、謹呈印を捺すのもこれがなかなか力仕事になる。六月までに「湖の本」にも『選集』にも繰り返し必要になる。

* 本一冊をまるまる書き写すというかつて経験のない作業を終え、これから、記念ともなる珍しい対象への批評の原稿を書き下ろすことになる。私の趣向が自然な顔で立ち上がってくれるか、新刊の発送用意に追われながらも、心地良い佳い仕事にしたいもの。   2020 3/3 220

☆ 謹啓
御著『湖の本148』を頂戴し、御礼がこんなにも遅くなったことをお詫び申し上げます。
本書は「序にかえて」と「参考私記録」「私語の刻」を拝読すれば、中身を実に的確に把握され、二○○二年(と、○三年春まで)の「ペン電子文藝館」長と しての大要が読み取れますが、逐一、頁を重ねるごとに、この仕事にかける誇りと大変さが身に沁みてくるかと存じます。不勉強な小生には、筆名だけ知って中 身には触れ得なかった作品が多くあり、改めて恥じ入りました。
ホッとするのは、篇中、「喉ごしのうまさを楽しめば、読書は最高」とか、「小澤征爾指揮でムローヴァのバイオリンを聴いた」り、「古典は声に出してどれ ほど正しく読めるかが、ポイント」とお嬢さんの受験勉強を手伝ったり、「年譜の大切さ」を説いたかと思うと、「(寝)床のそばに本があるというよりも、本 の間へ床が取れている按配」にニヤリと共感する自分を発見したりすることです。
それにしても「某医系書肆」に入社早々の秦さんが上役に即座に抗議する挿話は、凄い。
話がおかしな方向に行きましたが、連日、新型コロナウイルスに神経をつかわされる日々故、ご容赦を。とにかく御自愛専一に。 敬白    高   講談社役員

* ありがたいご感想。

☆ 謹んで申し上げます。
過日は「湖の本」148を御恵送下さいましてありがとうございました。私は母の面倒をみる日々が続いておりますが、時間のある時は「濯鱗清流」を拝読させていただいています。
目が老いて銅版画づくりは厳しくなってきました。  都・神田   岩   造形作家
2020 3/5 220

* 「湖の本 150」入稿の原稿を、着々書き進んでいる。目さえ健康に達者に利いてくれれば、もっとラクなのだが。瞼が厚ぼったい。

* 新しい作の書き出しに手を染め、これが存外に速く纏まるかも知れない。根が外出の少ない日々であったが、コロナ感染症の騒ぎで、日々、真っ向の家の内籠もりが強いられ、仕事は存外に捗ってくれるかも知れない。
2020 3/5 220

* 封筒に住所印や謹呈印を捺す作業に入った。これを終えないと宛名が貼り込めない。 2020 3/6 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)
私の「掌説 無明」各編に、競作で「絵」を描いてみようと思う人はいませんか。(平成十年八月十九日)

☆  電話

あ…分かった…。
男のもしもしを聞くときまって、それが女の最初の挨拶だった。二十五年電話をかけてきた。いつも男からかけた。最初三年も間をあけた。だから、あ…分 かったはその以後の科白だが、いつ、どこから突然かけても、女は声ひとつで男を受入れた。前置きはぜんぶ省けて、寄り添うほど温かに女からいつも話しかけ た。
「なにかあったの」
「なにもないけどね。そっちはどう」
「変わりないわよ。きのう膳所へ行ってきました」
「お母さんは達者」
「こっちより元気なの。いっしょに石山寺の紅葉をみてきました。すこぅし冷えましたけど、よかったわ。今日は、どこから。大学…」
「ちがう。出張費をもらって、天の橋立の根っこの…松林に在る宿屋です。すいててね。絶景をひとりじめですよ」
「蕪村なの、また。加悦…。それとも浦島太郎の方かな」
「ま、そっちに近いな。元伊勢の籠宮さんの狛犬に逢いたくてね。それと、国宝の海部氏系図がお宮に里帰りしてて、見せてもらえる段取りができた」
「やれやれね」
「なんだい、やれやれってのは」
「よかったわねということよ。それで…あと、京都に寄るの」
「逢ってくれるならね」
「逢ってあげたいわよ、そりゃ。でも逢うとあなた、命がないわ」
「命は惜しいな、まだ。もうちょっとね。やっぱり、やめとくか」
「電話が無難でいいって、いっつも、おなかン中で思ってるくせに」
「それはちがうよ。もう一度でいいから、いっしょにあそこへ行きたいよ」
「言わないでそんなこと」
女は毎度のこと、ここで、しおれた。男はじっと受話器に耳を押しあて、女がひそめた息のしたで泣いているのを聴いた。どっちからも、さよならとも言わず、男が先に、いたわるように電話を切った。
卒業生名簿に、旧姓なにがしの女名前に添えて「死去」とあることを、男は十年もまえ、東京駅の、新幹線ホームへ向かう改札口ちかくで擦れ違った昔の知り 合いから聞かされた。バカなと言い返しかけ、口を噤んだ。数日まえにも電話で彼女と話してるんだぜなどと、それは誰にも、妻にも、言えたことでなかった。 頬の毛のそそけ立つ恐れと悲しみに負け指定席に沈んだが、やがて立って、車内電話から本誓願寺町の女を呼んだ。あ…分かったと例の科白がすぐ出迎えて、
「なにかあったの」と、驚いたふうもない。いつものように、数日まえ話したことさえ無かったかのように、女は次々に話題を追い、笑いさえした。
とうとう男は絶句した。声を堪え、そして、もう一度でいいから、いっしょにあそこへ行きたいねと口にした。「言わないで」と女が声を放った。男は震える 手で受話器を置き、そのまま肩を縮めていた。目の前のベルがすぐ激しく鳴った。受話器から女の声が、こころもち遠く、しかしはっきり男の名を呼んで、
「またかけてね…」と、こと切れた。

* 今や言うまでもない、この「掌説」一編は、ごく最近に「湖の本 147」にした私昨秋の「最新作」長編小説『花方 異本平家』に、シンボリックな「前詞」として、やや想と筆とを加えて利用した、往年の一作である。東工大の教授時期にほぼ前後している。
『花 方』も、僅かに先だって書き下ろし出版した千枚の長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』(「湖の本 144 145 146」)も、この老耄の体躯にひそんで生きつづけてきた「少年の憧れと怖れ」とを書いた作であり、書かずにすまなくて書いた。
2020 3/7 220

* 「湖の本 149」発送用意の、半ばには達したか。
『選集 32』も追いかけて出来てくる。その発送用意もしておかねば。
重ねて、次々のメインには記念の中仕切り「湖の本 150」分入稿への執筆が、さ、半ばは出来あがったと謂えようか。思いがけず興趣の仕事へ付き当たって、嬉しい拾いものに。
『選集』最終巻入稿の用意は、まだ半ば。あとの半ばに、辛抱の手作業を相当量残している。こつこつと進める。
さらにその向こう先へとなれば、心身の健康を頼みに、気もはればれと、好みの創作や執筆をのびのび楽しみたい。もう思い付いていること、幾つもある。もう、評判の何のと気にかけずに。

* 八時前なのに、気を入れ根を詰め見えない目を酷に見ひらいて朝から集中していたので、いまは半盲どころでなく、タダの勘でキイをまさぐっている。20 年にもなる愛機なればこそ。今は、かなりの画面のテレビでさえ、すり寄って間近でないと演者が誰かもしかと見えない。寝床で、昔の古電球の明かりになる と、すこしラクになり、文庫本の字も少しずつ見よくなる。「源氏物語 若菜上」がやがて過ぎ、「戦争と平和」は戦場を出て待望の第三編へ入り、「千夜一夜 物語」はベラボーに面白い。レマルク本は次ぎに「凱旋門」が控えている。のず絶妙の選択です。持ち重りの単行書も、ホメロスの長い長い「イリアス」を根気 よく、島津先生の「源氏物語放談」のほかにもう一冊、私の『花方』をはるか昔から導いてくれた或る「源氏物語論」を楽しんでいる。楽しむと謂えば、自分で 書いた『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の第一部を身内に逢うような楽しみで読み返している。
今日のたとっておき一升瓶の口を切った。漬けた小鯛が有りがたかった。
2020 3/7 220

* 原善君から「湖の本」に払い込みがあり、連絡が付かないと書き添えていたので、すぐ返事したが、テンで出て行って呉れない。携帯らしい番号に電話しても出てこない。
仕方がない、送った気のメールをここへ貼り付けておく。

* 善さん
きみとのメールの交信はいつも一度送ったきりでブツッと途切れたまま、打てども何も響かず、なんとも味気なく感じていました。メール機能の不出来が関わっているのかも知れないが。
そんなこんなのまま、コロナ騒ぎで、わたしも家に籠もって、余儀ない病院通い以外は、楽しみにしていた三月歌舞伎座へさえ、座席券を無にしても、行かずに済まそうとしています。電車やバス、タクシーにすら乗るのを今は避けています。

腹を割った歓談を希望していたのに、打てども響かない太鼓のまえに 歳月を無にしてきました。

わたしの歯医者は江古田二丁目バス下車して三分ほどの近く、きみの宅からはさほどの距離と思えないが、その近在に佳い小店も見当たりそうになく(知らないだけですが)、昨今の剣呑では、たとえ気に入りの
小店の空気すら遠慮される始末。いつも、バスの「丸山営業所」とあるのを見て、「善くんの家はこの近くだよ」と家内と噂したりしています。

私の日常は HPの「私語」でみてもらえるが、きみの日常は察しもつかない。

ま、そんなところです。 ご家族のお幸せを願います。 秦

* さっと翔んでいってくれたメールも有るのに、何度書いてもその人へはメールが出立してくれない例も。よほど機械もいけないが、新型のウイルスに遣られているのかも、流行のようで。
2020 3/8 220

* 六時半、もう目が霞んで、小さな字での原稿は書けない、わたしの「湖の本」は本文10ポ組みだが、機械の上でそれでは、ましてミン朝文字では書くも読 むもほとんど無理。ま、やすみおすみ、字も大きく太くして書き進むまで。うまくすればもう三日の内にも「湖の本 150」記念の一冊を入稿できるかも知れ ない。「湖の本 149」発送の用意は、宛名の印刷貼り込みができれば、ほぼ仕上がりになる。『選集 32』発送用意は、まだ何も出来ていない。

* 九時。およそ、八、九割がた今してきた仕事は成ったと思う、あとは仕上げの推敲か。今夜はもうやすむ。
2020 3/9 220

* 晩の八時になる。朝の八時に起き、今日は昼間に寝入らず、「湖の本 150」の入稿原稿の仕上げに打ち込んでいた、整備はまだ半ば、よくよく叮嚀に興深く仕上げたい。 2020 3/10 220

* 「湖の本 150」 入稿の手数を運んでいる、じりじりと。やがて纏まると思う。 2020 3/11 220

* 「湖の本 150」記念の中仕切り特別編を「入稿」へ漕ぎ着けた。このさきは、記念の口絵調製を慎重に。
懸命の意気とがんばりで、創刊34年の桜桃忌には「無理かなあ」と思っていたのが、十二分に間に合うまで運べた。
次いでは『選集 33完結巻』の編輯、これは構成は出来ていて、「書誌」の書き足し作業に相当手がかかる。これは、さまで急がなくてもよい、充分思案を筑紫悔いの残りの寡いのを願っている。
それよりも次ぎに当面の力仕事に「湖の本 149」発送 さらに『選集 32』の発送が続いて来る。からだへ堪える力仕事になるので、妻も私にも、要用心の家仕事。外出は極力避けたい。
2020 3/12 220

* 「湖の本 149」の納品 三月十九日し連絡有り。月末ないし月初に『選集 32』出来てくる。
2020 3/12 220

* 頭痛はあるが、『選集 33』最終の辛抱仕事になる「全書誌」追加の仕事へとりついた、創作・エッセイを区別無く追い始めたのが第百一巻の長編小説 『凶器』から。以降少なくも第百五十巻までを詳細に精確に原稿に仕遂げねば。ま、幸いといっておくが、版元をもった刊本はたぶん平凡社新書の『京のわる 口』だけだろう、これは簡単に追加が利く。辛抱仕事は辛抱すれば成って行く。辛抱も、その気で楽しめない物ではない。
2020 3/13 220

* 『選集33』を締めくくる「単行本等・湖の本・選集」全書誌の「単行本等」は見落としに注意すれば把握できる。「湖の本」分前回全書誌からの追加分が50巻、これは詳細の作業で、注意しつつ着々進めている。
何を何処へ発表したかという個々の原稿「初出書誌」も大方は把握しているが、ごく近年は原則外へ書いてないだけに、稀少例の精確な把握ができていない。
それよりも、「私語の刻」の「書誌」を正確にしておくべきか、私の最大量(10万枚を越している)の「創作」にも類した「日乗」なので。
なにもかも私一人の手でするしかない仕事、時間的に気を急くことをすまい。
2020 3/15 220

* 細かな字の仕事(湖の本全書誌)を一日していた。捗りはしたが、目は痛み放題、霞んでしまっている。九時過ぎ。もう休む。体調は、宜しからず寒けを覚え続け、頭も重い。櫻のたよりも聞いたと思うのに、今日は好天なりにとびきり寒かった。寒いのに弱い。
2020 3/16 220

* そ、階下へ。「湖の本149」発送用意は出来ている。「湖の本150」は、いま組み版が造られている。追いかけて『選集 32」が出来てくる、この発送用意が出来ていない。
2020 3/16 220

* 朝九時過ぎ。「湖の本149」搬入を待機している。
2020 3/19 220

* 発送作業に集中、疲労でからだゾワゾワと気持ち悪い。明日の用は明日にまわし、休息しいしい、慌てまい急ぐまい。と、言いつつ、ヘトヘトまでやって、ノビている。九時半。もう寝る。明日も作業は続く。
2020 3/19 220

* さ、発送のつづき作業に掛かる。

* 老夫婦ともに草臥れて。急ぐまいぞ。急くから疲れる。なにごとも、これまでの倍の時間をかければよい。
コロナはとてもまだ下火とはいえまい、よくて横這いか。世界、海外、欧米がピンチにある。世界のせまさをウイルスが思い知らせる。
二月から、飽きず、機械の側ではいつもじャズ・バラーズの17曲が鳴り続けている。仕事や気分の邪魔はせず、鳴っているのを忘れているほど気は落ち着く。『椿山集』まるまる一冊もこれを聴くと無く聴き続けているうちに書き写せた。
2020 3/20 220

* 「湖の本 149」 今日の分、送り出した。明日にも、つづく。

* 「湖の本」全書誌を第140巻まで仕上げた。こまかな内容まで可能な限り記録した。二、三巻、本が手近に見当たらずトバしているが、探し出せばすぐ補える。
『全書誌』といえども、所詮収録できるのは選集が第33巻で終結までのもの、むろんそれなりに落ちなく仕遂げておく。コツコツ、コツコツ仕遂げる。

* すぐさま次の『選集 32』の、各界へ献呈分送り出しの用意にかかる。済むと、すぐまた私にはまる51年めの桜桃忌がくる。『選集』終結は急がない が、「湖の本」創刊34年をちょっと様子を異にした一巻で自祝したい。わらうひともあろうが、こういうけじめをキチンキチンと践んで行けばこそ息の長い仕 事が積めて行く。会社勤めの15年半にも、どんな予定や目標も一度として外さなかったのは自分の仕事を把握し切っていたからだ。受賞した時、社の長谷川泉 編集長(森鴎外記念館館長・国文学者)が、ある新聞社からの取材に、「A級の編集者」と評価してくれていたのが、「会社を卒業」時の通知簿のようであっ た。
2020 3/20 220

☆ コロナの騒動の中、いかがお過ごしでしょうか。私は相変らず出張三昧で、今日は、宮城県の郵便局から振り込みをさせて頂いています。
我が家の二人の子供達は休校でずっと家に居ます。上の子は、無事に第一希望の高校に入学がキマリ、ここぞとばかりに毎日本を読みあさっています。下の子は……これからですね。
お体に気を付けてお過ごし下さい。  国立  ○  東工大院卒 国交省

* 嬉しい便り。この間の 川口さんといい今日の○ちゃんといい、お子さんがみな孫のように思われる。

* もう目がくらく、細かな仕事は今夜は無理。八時だが、休息に。ダンボール函に荷造りした本包みを55册ずつ入れて、この一箱ずつをキッチンから玄関へ 何度も何度も何度も運ぶ。重い。刊を重ねる度に重さが腕に背に足腰に堪える、が、まだ持てる。両掌は指先まで四六時中痺れて、ヒリヒリしている。痛いのも 痺れるのも生きている証拠。
さ、よこになって、トルストイや紫式部や成島柳北やホメロスや千夜一夜物語を楽しもう。
2020 3/20 220

☆ 湖の本 届きました。
有り難う
お元気そうで何より
この明るい青空に反して、世の中コロナで騒然としたこの頃です。うまく収束すればと、先の短い私でも願うのみです。
膝を痛めて以来、外出は控えていましたが、やっと楽になってきたので フラフラ散歩してます。
鶯谷菩提寺のお墓参りを兼ねて、上野のお花見ができれば なんて…
歩いて数分の円山公園の桜が懐かしい。 京都産まれやなァ   花小金井  泉  中・高同窓

* 膝の恢復はなによりだけれど、この時節に上野の花見とは、勇敢な!
2020 3/21 220

☆  秦恒平様
本日、『湖の本』149 流雲吐月(三)歴史に問い・今日を傷む を、感謝をもっていただきました。早速に拝見し、共感ばかりしておりました。
中国人と韓国人による日本の土地購入は問題の種です。国土の保有という観点ばかりでなく、彼らの購入した土地の管理がなされないということにおいても問 題です。丹沢の杉林の一部も中国人によって買われているとのことですが、購入者が杉林の手入れなどするわけはない。山は荒れるばかりです。日本国の荒廃と 無責任体制の象徴のようなものです。
私事ですが、もう、10年ぐらい前に「九条の会」から、会への加入を勧誘する封書が届きました。この会を知らないはずはなかろうという姿勢で書かれた文 面だと感じました。そもそもこの文書を誰の執筆責任で送ってきたのか、この会の代表者たちがどのような顔ぶれであるかが何も記されていない。どうもこの誘 いは「集団」への帰依を促すに等しいような感じがして、私はそれを無視しました。無責任体制と権威主義は、この国の権力者だけのものではありませんね。
ご本の最後に記されていた、この国が「ローマ法の精神」を学ばず、学び得ず、という批判にはまったく首肯しました。
ローマ的精神は三権分立に要約できるでしょう(皇帝権、元老院と民会の権利ーー三者のチェック・アンド・バランス)。それは「権力」は分割されなければならない、という信念です。分割されない権力は腐敗し、民衆はポピュリズムに走る。
アベの執拗で露骨な権力追求を支えているのは、「経済第一主義」(その実態はポピュリズム)に引きずられる民衆ではないのか。
政治家の「世襲」を支えるのは民衆を支配する「家元」意識でしょう。天皇家はこの国の最大の家元でしょう。この国の諸々の家元は「権威」と「特権」の保 持を「自然」なことだと決めてかかる。「自然」の前では、個々人の権利と義務の確認に基づく「契約」は人為的で「わが国」の伝統にはそぐわない。人々は 「憲法」すら戦後のいきさつが生みだした所与であり、それがこの国の為政者と人民の間の権力制約と権利についての取り決め(「公法」)であるという意識を 持たない。憲法が「社会契約」なのだという認識がない。
アベは「支配の道具」として憲法を見ている。改憲の意図は支配の強化にあるのでしょうね。ことに軍事力を掌握したいのでしょう。
アメリカの軍事基地が日本を救うためのものではないこと、「アメリカ・ファースト」であることは、トランプによってはっきりしました。彼は国家の「悪意」を正直に表明する男です。新型肺炎ウイルスを「チャイナ・ウイルス」と言ってみたりする。
「批評」とは「選択・選別のこと」というご納得には、なるほどと思います。「よきものの」選択・選別と言うならば、さらに説得的であろうと思います。批 評家は「よきもの」を選択しているか否かについて、他者から批評される存在なのでしょう。大澤聡『批評メディア論 戦前期日本の論壇と文壇』岩波書店、 2015年によれば、戦前に三木清が「批評家」とは「批評する者のことでなく、批評される者のことである」と記しているとのことです。
腫瘍マーカーが二桁を示した由。心配に及ばずという結果が出ますように、心から祈念します。ご健在で長く執筆活動をなさって下さいますよう。  ICU名誉教授  浩

* うれしい、ありがたいご感想を得て、一冊を送り出した思いを、黙然、肯いています。有難う御座いました。
2020 3/22 220

* いささか途方に暮れていた「湖の本」101巻から150巻までの詳細な「全書誌」作成が、一気の集中で、数日を要せず仕上がった。8ポ 7ポという細 字を用いての作成に目はひどく傷んだが、これを欠いては『選集』が締めくくれない。いわゆる「年譜」は、わたくしがまだ生きて仕事を続けている途中なの で、85年を詳細に言い尽くす意味はなく、仕事の「中身」は此処までの「全書誌」で足る。どんな風に産まれ育ち作家に成ったかは、日録に近いまで、恥ずか しいまで、詳細に年譜化して置いた。ま、恥の掻き捨てと居直っておく。

☆ 秦先生

ご無沙汰しております。
大阪の岡崎です。「流雲吐月(三)」=湖の本149=落掌しました。ありがとうございます。新しく出されるたびにお送りいただいておりましたのに 御礼 のメールを…と思いながら 何か気の利いた内容にと 力量以上のことを自分に期待するものですから 当然のことながら無い袖はふれず…。呆然というか、 ボーッとしているうちに、気がつけば新刊が届くという悪循環でした。
すみません。お恥ずかしい限りです。
今巻の「日録」は 「2006 1・20」からですね。ちょうど私が大阪本社から東京本社に転勤になって
谷中で暮らしていた時期と重なります。先生とも直接、お会いできるチャンスだったにもかかわらず
子会社の立ち上げや新しいデジタルメディアの構築に従事してけっこう多忙な時期でしたので 結局、その好機は活かせませんでした。
この年の6月に大阪本社の文化部に戻った途端、それまで頚椎ヘルニアの影響だとみられていた症状が筋肉の病気であることが判明し 阪大病院に2カ月近くも入院したことなどを思い出しました。
(その際にもご報告していたかもしれませんが、おかげさまで適合する薬が見つかり翌春には寛解し、その後、完治といって差し支えない状態になりました)
今巻、まだ、サーッと全体に目を通させていたいた下読みのような段階ですが、「対馬」や「電子メディア」「中国」などへのご見解は 僭越ながら慧眼と感じ入りました。
ドイツのメルケル首相が 「第二次大戦以来の試練」とするような時節で、終息の時期も見えませんし 検事長の停年延長という、白昼堂々の公衆の面前での 犯罪のような、「権力」の異様な行いがまかりとおり、こればかりは いかにしても「白紙撤回」が相当…と事態の経過を見つめております。
2015年9月末に53歳で新聞社を退社し 翌月から取締役に就任した(家内が代表をつとめる)会社は 若い社員の将来も考えて平成31年4月にM&Aで安定した会社と業務提携を結んで同社の子会社となり、私は取締役を退任させていただきました。
その前の同年1月から医薬品会社の「企画・制作」の部署に勤務しており、現在の上司(72歳)の後を引き継いで 70歳くらいまで、のんびりと勤めて社 会人生活を終えるという流れにまかせる気分にかたむいていたのですが、思うところがありまして現在、別の方向への転換を進めております。
現在の職場にもなんとか了承を得ましたので なんとか来月初めには迷惑を最小限にできる状況を整えて、新しい仕事に着手いたします。
以上、御礼というより 単なる近況報告になりました。ご容赦いただければ幸甚に存じます。
時節柄、何卒、御身お大切になさってくださいますよう、衷心よりお願い申し上げ、擱筆いたします。

* 大学の後輩かと破屋している。テキパキの新聞記者さんから、旺盛に世渡りして行かれる。元気が伝わってくる。「対馬」「電子メディア」「中国」への言及に目を留めて貰えただけで、感謝。お元気で。

☆ 秦 兄
しばらくのご無沙汰ですが お元気なご様子で何よりです。 「湖の本149巻」ただいま頂きました、有難うございました。
例によって お礼は後日するとして「私語の刻」で批評家の文字が目に留まり フト 「批評家は本職の成り損ない」の文句を思い出しました。
監督や指導者と同一視はできませんが 「名選手必ずしも名監督ならず」からすると イチローさんは名監督になれるだろうかと 長嶋茂雄の監督時代を振り返って苦笑しています。
では野村や王さんは、ということになりますが 天才型と努力型とのちがいだろうと 今どき呑気なことを考えたりして 不真面目な爺です。
安倍暴政への憎まれ口は あれ以来 専らtwitterやFacebookで発散しています。と言うより山本太郎との首のすげ替え作戦を思案中です。
片肺の老躯には肺炎がいちばんの強敵。兄も十分のご自愛を。 京・岩倉  辰  中・高同期

* 腕白爺さんの息づかいが聞こえる。
2020 3/22 220

☆ 御礼
秦様  当地は桜が七分咲、明日か明後日には満開になり、週末には散ってしまいそうです。書斎の前に佇つ桜の木を一日中眺め暮らし、桜の歌を思い出しております。
本日、「湖の本149 流雲吐月」、拝受いたしました。ありがとうございました。いつものように早速拝読いたしております。
今回の時事的なご発言が、十年以上経っても古くなっていないことに改めて驚き、感心いたしております。
とくに、中国に関するご発言はますますリアルな認識になってきていると存じます。秦様の歴史に対する深いご関心と読書の所産と拝察いたしております。
秦様の日本古典の教養に裏打ちされた歴史認識に、深く学ぶところがございます。わたくしも年を取るごとに歴史に対する関心が強くなってまいりました。
わたくしの方はこの五月に、『世界史上最高のスパイ』(仮題)なる訳書を上梓いたします。今日、訳者あとがきを書き終わったところでございます。
今後もよろしくご指導の程、お願いいたします。  茨城・水海道  鋼  翻訳家・批評家

* 「十年以上経っても古くなっていないこと」に批評や判断や思想の要点があると私は思っています。
2020 3/23 220

☆ 謹啓
御著『湖の本』149巻 ありがたく拝承致しました。御選集とともに ギネスブック的持続力と驚嘆致しております。「國公立・公職・公務員というものが、度を超して公権力に隷従させられる傾向の強まって行くのは、おそろしい気がしませんか」(P20)
こんな國になるとは、若い頃、想像もしませんでした。
御快癒お祈りいたします。  都・清瀬   慧  評論家

☆ 過日は
『湖の本』149 「流雲吐月(三)」お送りいただきありがとうございました。
読んでいて、八十五ページに私の名前が出てきて、びっくりしましたが。恐々謹言
庚子三月廿二日  静岡市   小和田哲男  歴史学者

* 2007.8.3日日付の項に、こんなふうに書いていた。

* あまりたくさんな『閑吟集』へのお手紙で、感謝してバンザイの体だが、歴史学の小和田哲男さんから、「戦国武将、信長、秀吉、家康の時代を勉強して いる者として、一一八から九ページのあたりの記述にハッとさせられました。自分なりにとらえ直さなければと思った次第です」とあるのに、感謝した。いちば ん戴きたかった指摘であった。わたしはそこでこう書いている。
* 十五世紀の百年は、足利義政による応仁文明の乱をまんなかに抱きこんで、いわゆる東山時代なる禅趣味貴族文化を、破産に導いて行きます。前にあげた 宗祇、珠光、雪舟といった人材の独創は、明らかに東山文化の似而非ぶりへ、内から外からつきつけた厳しい反措定としての、ほんものの性根をもっています。 三人に先行して反骨一休の禅をおいてみればもっとよく頷けるところです。
さきに、この時代、自然な趣向をうるに好環境だったかどうかの判断がむずかしいと私が言いましたのは、一般の説とはかけちがうかも知れないのですが、い わゆるまやかしの東山文化なるものと、雪舟、宗祇、珠光らが精神の重みをかけて求めたものとの、拮抗と隔差に、この時代の創造的環境としての意味や評価を 見なければならぬと思うからです。
一つの見当として、あの申楽の能の天才世阿弥の存在が、十六世紀へと近づいてくると、さすがに変容変質を強いられて、能の中に、傾(かぶ)きの要素が近 づき浸透してくる。それ自体は積極的な「趣向」要因なのですが、世阿弥が理想とした幽玄な〝花〟の美しさが、彼の直接の後進の手でより深められたとばかり は言うわけに行かず、むしろ雪舟、宗祇、珠光らの方が世阿弥の高邁と深玄そして優美とを、それぞれの分野で承け嗣いだ感がある。
世阿弥を世阿弥として消化も吸収もできなかった体質として、私は反庶民的な禅趣味に終った東山文化を否定的に考えています。さらに言えば東山文化と闘っ た雪舟の藝術は、狩野派がこれを受けとってやがて官僚的画風へ変質させ空洞化させます。宗祇の藝術は『閑吟集』という異色の子をなして、その後は、俳諧の 芽がそして芭蕉の新芽が芽ぶくまでのあいだ、立ち枯れを余儀なくされます。幸い珠光の茶だけが利休の茶へ大きく育つのですが、しかもそこで躓いた。利休は 秀吉の手で裁断され、後継者は茶の道を容易に立て通せなかった。あげく頽廃の繁栄へと今日にまで導いた。
この三様の挫折。それは信長、秀吉、家康の成功と当然に表裏していました。武家の側からみれば、十六世紀の戦国大名時代そして安土桃山時代は上昇そして 勝利の時代でしょう。が、民衆の側からみれば、全く同じ時代が雪舟、宗祇、珠光らの余儀ない変容変質へと下降そして敗亡した時代でした。
安土桃山時代は、実は、私の表現を用いれば、〝黄金色(きんいろ)の暗転期〟にほかならなかったのです。 2007 8・3

* いまも、およそそう考えている。
2020 3/23 220

☆ 秦先生 湖の本 ありがとうございました。
先生、大変ご無沙汰しております。お元気でしょうか。アイピロー(=むかしむかしに、眼を労るようにと、戴いた。)の荒川です。
帰宅して集合ポストを覗いたところ、湖の本が届いていました。ありがとうございます。
それで…いきなり本題で失礼します。実は、2年前にお電話を頂戴してから、ずっと先生のパソコンのことが気にかかっていました。
「調子が良くない」を慎重に言い換えると「できないことが少しずつ増えていった」のではありませんか? 古いOS(オペレーション・システム)をお使いですと、ある日突然、昨日までできていたことができなくなります。
「新しいOSに対応するため、古いOSでのサービスを順次終了させていった」とお考えになればわかりやすいかもしれません。
現在、ウィンドウズパソコンの最新OSは「Windows 10」です。
先生お使いのOSは、Windows98あたりでしょうか?(違っていたら申し訳ありません)
インターネットに関することで、ウェブの閲覧、ツイッターなどの双方向サービスなどは切り替えが非常に早いです。容赦なく、どんどん、できなくなってい きます。同じ理由で、買ってきた外部装置が使えないことも多発します。(つないだ装置を動かすソフトウェアのサービスが終了して
しまっている)
ですが、メールやホームページのアップロードは技術の進歩が緩やか(というか、ほとんど進んでいません。サービス自体が単純なため進む必要がないのです)なので、先生お使いのソフトウェアにニフティが対応している限り、どうにか可能な
はずです。
あと、パソコン本体に関して、ハードディスクは消耗品とお考えになると良いかと思います。突然だめになります。メモリや電源装置も(ハードディスクほど弱くはありませんが)やはり突然だめになります。
パソコンで一番大切で重要なのは「保存しているデータ」です。
古いOSのパソコンから、新しいOSのパソコンにデータを移すことは難しいかもしれないですが、まずは、どうにかデータを退避させておくことをおすすめします。
うまくいくことをお祈りしています。(いざとなったら専門業者もあります。お高いですが…)
長くなりました。また気付いたことがありましたらメールいたします。それでは!

* リツ然とするばかりで、戦いている。荒川さんには、ペンに「ペン電子文藝館」を建てていた頃に智慧を借りたりしていた。遠方のお住まいで、ちょつとお 願いとはとても無理。今は、どの世間でも幹部級に出世している東工大卒業生の助けも借りられず、毎日ヒヤヒヤしながら古代人のような機械と向き合ってい る。新しい機械も買ってあるのに、親切な説明書が無く、持ち腐れにしか成っていない。わたしは徹底して「機械」にがてで、買ったばかりの携帯電話も新しい 小型カメラもテンで役に立てられないまま「置いて」ある。

* なんとか、この機械の全部の現設定や現内容を、新しい方の機械へ「入れた」「気」ではいるのだが、あやしい。ま、よろよろと日々の足を前向きに運んで いるだけ。どなたか、「秦 恒平・湖の本」150巻は「優にギネスブック」級とおだてて下さった。励まされました、が、機械クンに感謝です。

* 岩淵宏子さん来信を添えて女性文学全集の第11、12巻の完結分までを戴いた。
講談社役員の天野敬子さんからもお手紙を、井上靖先生のお嬢さんからも、元岩波書院「世界」の清水克郎さん、妻の従弟の濱靖夫さんからも、「三田文学」編集室、大正大学国文学研などもう何通も戴 いており、医学書院の七尾清君からは電話ももらっていながら、何ともいえずシンドクて、このまま寝入ることにする。『選集32』発送の宛名書きという用意 が全然出来ていないが、今は断念してでもやすむことに決める。
2020 3/24 220

* 妻は、わたくしのは花粉症と診断していて、もう一月どころでなく洟水が止まらないのは、さもあろうかと思っている。何にしても「湖の本 149」は送り出せていて、それだけは有りがたい。
2020 3/24 220

☆ 世界中が
新型コロナ猖獗の様相をみせ、足下の揺らぐ不安感漂うなかに、
「湖の本149 流雲吐月(三)」が届きました。
2006年から2008年
秦さんが「何を、どんな理由で、どう考え、愛し嫌い重んじ疎んじてきたか」、それを今、読ませていただいていると、何だか足下が固って動揺がおさまるような気がいたします。
<歴史に問い、今日を傷む>という言葉に尽せる一冊です。
拝受後、つい読み耽ってしまいました。
お礼申し上げます。
第150巻、楽しみです。
どうぞ呉々も
御身おお大切に。二○二○年三月二三日  敬   講談社役員

* 身に沁みる。励まして戴く。感謝。

☆ 櫻の花も満開で
とてもよい気節になってまいりました。が、どこのテレビをつけましてもコロナウイルスで世界中が大変なことになっております。年寄りにはとてもこわいウイルスのようで どうぞお気をつけ下さい。
「湖の本」お送り下さり有りがとうございました。たのしく読ませて頂きます。何十年も前 父母(井上靖)生前の時 世田谷の家にお越しいただいた時のこと思い出しております。お元気で。 幾世

☆ 例年より早く
櫻が開花したと言いますのに、コロナウイルスの脅威に取り巻かれて落ち着かない日々でございます。お障りもなくお過ごしでいらっしやいますか、お伺い申し上げます。
過日は、『湖の本一四八』を、昨日は、『湖の本一四九』をご恵送賜り、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。もっと早くに御礼申し上げなければいけませんでしたのに、取り込んでおりまして、このように遅くなり、まことに申し訳なくお詫び申し上げます。
間もなく刊行されます新・フェミニズム批評の会の論文集の編集委員としての仕事や、水田宗子先生の支援のために参加しております一般社団法人 国際メ ディア・女性文化研究所の決算報告書作成(会計を担当しておりますため)、中国の院生の博士論文の添削にも追われておりました。自分の原稿もあるのです が、何か追われていて手が届かない状況でございます。
いただいたご本により、先生はご自分のお仕事だけでなく、日本ペンクラブ電子文藝館のお仕事をされていらしたことを存じ上げました。また、『作家・秦恒平の文学と生活 私語の刻』というホーム
ページをもっていらっしやることも知り、早速ネットで検索させていただきました。いずれのご本も、大変興味深く、少しずつ拝読させていただいております。
同封の『〔新編〕日本女性文学全集』(=岩淵さんは、監修者 意義深い佳いお仕事であった。)は、これで完結となりました。初の近現代女性文学全集ですので、やはり感無量でございます。お暇の折に、ご笑覧いただけましたら幸甚に存じます。
コロナウイルス騒ぎは、いつ収束するのかわかりませんが、くれぐれも御身ご自愛のほどお祈り申し上げます。  敬具       岩淵宏子
2020 3/25 220

☆ 「湖の本」が届きました。
ありがとうございました。日々の学びの様子がとても刺激的です。おおいに触発されました。ありがとうございます。  金丸弘美  作家  日本ペンクラブ環境委員

☆ 「湖の本 149」を
お送りいただき ありがとうございます。
最後の頁に書かれている辻邦生さんの『背教者ユリアヌス』には、高校生の頃を思い出します。遙かまえなので 物語の内容はおぽろげですが 世界史の先生が雑談で話してくれた本でした。
女子高生 2人で 読み終わった後 喫茶店で盛り上がり もしも画廊喫茶を開いたならば『喫茶ユリアヌス』がいいねと話して。その頃の名古屋は 気のきいた喫茶店が 多くありましたので そんなことを思ったのだと思います。
先日 いただき物の海苔菓子が風味よく美味しかったので 夫に調べてもらうと熊本の海苔店が造るお菓子でした。風雅巻きしょうゆピーナッツは、日本酒にもあうかと思います。
毎日コロナのニュースばかりですが 奥様と お楽しみいただければ幸いです。(楽天ショップからなので 夫の名前で送らせていただきました。) 埼玉・所沢  藤森佐貴子 (島津忠夫先生ご遺族)

* いつもいつも 佳いおてがみとともにお心遣い下さる。感謝。

* 妻の親友 練馬の持田晴美さん、友枝昭世らしき「猩々」の、雅な墨畫に、「一曲の能の果てる、あの静けさほど輝く至宝は無い」と二○○八年六月に書い ていた一文を添え、「そうありたいです」とお葉書戴く。あまり佳い繪なので此処へもうつしたかったが、プリンタを使えない私の不器用、残念。

* 山梨県立文学館からも受領の来信。
2020 3/25 220

☆  「湖の本」149 おめでとうございます!
迪っちゃん 昨日「湖の本」届きました!有り難うございます。秦さんにおめでとうとお伝え下さいね。いつも頑張っておられて感心しています。迪っちゃんもよく働きますね。
実はうちは現在大工さんが入っていてあちこち修理中なんですが、私がギックリ腰になって、家族に迷惑を掛けてしまっています。大分良くなってきましたが、やはり年ですね。働きたいのに出来ないのは本当に辛いです。でも家族が元気なので助かります。
どうかくれぐれも無理しないようにして下さいね。   琉  義妹
2020 3/25 220

☆ 今日を傷む
今日、湖の本が届きました。流雲吐月・・歴史に問い・今日を傷むとあり、鴉の想いが伝わってきます。「今日を傷む」は今現在のコロナ肺炎に直面した抜き差しならない世界の状況であるとも重ねて思われます。
東京では感染爆発の危機だと会見が報じられています。
ひたすら健康に留意して外出も控え、どうぞこの日々を無事過ごして下さい。それはこちらも同じで、加えて月曜日に退院したばかりの新生児と暮らしている のですから、何気なく暮らしていけることが既に十分に幸いと思わずにいはいられません。同時に世界の多くの人々が苦しんでいるこ
とを忘れてはいけない、と心しています。
とにかく今は極力外出を避けて暮らすこと!どうぞこの困難な日々を乗り切って下さい。
本を何気なく繰っていましたら、p98にわたしの文章が載っていて驚きました。書名など細部は忘れている部分もありますが、基本的な姿勢は変わりような く・・。友人の一人に住井すえ氏に大きな影響を受けたという人がいるのですが、彼女とその点についていつか話し合ってみたい思っています。
P120辺りからのチベット問題、中国共産党の問題も今もって重要な事柄、本当にビンビンと響いてきます、ヘンな表現ですけれど。
孫の世話の手伝いが最優先の日々、決心しないと本も絵も飛んでいってしまいそうですが、頑張ります。
再度。くれぐれもお身体大切に、風邪も肺炎も絶対だめです。  尾張の鳶

* 油断大敵 という四字をいやほど聴いた時代があったが。いま、コロナのまえでそう自身にも誰にも言い聞かせねばならない。

☆ 拝啓
櫻が満開となりましたが、コロナ感染症拡大のニュースに、日々愁いが増すようです。
ころなころなかんせんしョウ
このたびは「湖の本 149 流雲吐月(三)」をご恵送賜りまして恐縮いたしております。心より厚く御礼申し上げます。まだ全てに目を通してはおりませ んが、政権に対するご批判やご意見は、これが十何年前のものと思いますと ほとんど体勢が変わっていないことを痛感させられます。
そんな中、閑吟集とそれにまつわる「船津屋」の美しい若女将のお話は、何とも匂やかで素敵ですね。本当に聡く、藝達者でもいらして、その上お美しい方、鏡花ゆかりのお宿にぴったりでしたことと、先生のご満悦ぶりが思い浮かびます。
また、奥様が活けられましたお手洗いのお花の佇い、それを上からこそ見るべきもの、と、折々楽しくご鑑賞されていらっしゃる先生の美意識をお伺いし、私もこんど実行してみようと思います。
いつもお送り頂き、たくさん学ばせて頂くばかりではバチが当たりそうです。
ほんの少々ですが、お茶のお伴に、粗菓をお送り申し上げます。
ご体調を崩されませんよう、お変りなきご健筆のほどお祈り申し上げます。  かしこ
三月二十五日     菊池洋子 拝  (紅書房主人)

* 恐縮です、感謝感謝。

* 私の「湖の本」には、小説や短歌、戯曲等の「創作」 古代現代の多方面に亘る論攷やエッセイ、随筆、観劇・美術鑑賞。音楽等々日々の随感随想や、かな り激しい政局や時代への嘆息や批判など、それに仕事のメモや用意、大勢の方々とのメールや書簡等を介しての交流が、毎日書き込まれて二十数年、総量すでに 十万枚を超して、ほぼ一日として欠かしたことがない。
それが斯く「湖の本」のかたちをとって、何らか「的を絞った」独特の批評や感懐の本に成りうるには、或る一読者の多年懸命のご尽力で、猛烈な量の感想群 をほぼ「三十余項目」に分けて分類整理して下さってあればこそ、なのである。「濯鱗清流」「流雲吐月」「京味津々」「ペンと政治」「詩歌断想」「バグワン と私」等々のシリーズが成り立つのは、一に、その方の莫大なお力添えあってのこと、改めて篤くここで更にお礼申し上げる。

* そうそう都市封鎖の成る昨今とは思えないが、賢しらに動き回るのは人メイワクから我が身に災厄をまねくことになる。
こんな時こそ可能な人はしずかに本をよむことだ。

* 京都、宇治の水谷葉子先生(敗戦後新制の弥栄中学へ入学時の、理科の先生)、お便りと宇治茶を送って下さる。

☆ 都をどり(=京祇園、井上流)の(コロナ自粛でか=)ない春は、
私にとってはじめてのこと。振付とお稽古の日々から、一転、稽古場(八坂クラブ)も閉めてという事態になりました。
新門前(井上家やもと私の育った秦家が在った通り=)でできる稽古を、グループ別に、窓をあけてすることにいたしましたら、予想以上に、若い子が喜んで熱心に来てくれまして、久方ぶりに、体育会系の熱の籠もった毎日です。
夜は時間ができ、先生の御本を手にとることも多く、本日、流雲吐月が着きまして、いまから楽しみにいたしております。何とか、焦らず、気負わず、穏やかに過ごしたいと思います。
どうかお身体お大切に! ありがとうございました。  八千代

* 「こころ ばかり」と、湖の本へご喜捨戴いた。有難う。
東の仲之町から白川を渡って八千代さんの西之町へ。途中に仕出しの「菱岩」があり、井上家を通り過ぎるとすぐ縄手、疏水、そして鴨川、川西は先斗町。帰りたいなあ。

☆ 梅が散り果てて
馬酔木が咲いています。深紅の木瓜を剪り取って床に移すとピンクに変わって、桃の花然と収まっています。
『湖の本』149号が届きました。この読み方は、先号に準じてということになります。
私が「小説家」秦恒平に魅せられ、その小説を愛して現在に至っていますが、その間「批評家秦恒平」を見せつけられて、その「言」に深く引き付けられていることは、以前からも申し上げているとお
りです。恐らく秦さんの読者は、みなさん私と同じ感想ではないかと思っています。本号の「私語の刻」での記述は、納得納得です。
以前にお話ししたかも知れませんが、この28日から徳田秋聲記念館で、「岡栄一郎展」が始まります。館長の上田正行先生から、期間中に「岡栄一郎」について語ってくれないか、とのご依頼があ
りました。70歳を過ぎてから、人様の前で話すことがほとんどな
くなっています。「岡栄一郎」を知ってほしいことはやまやまですが、頭のなかの事柄が、なかなかことばになって出てこないのです。そのことを告げてお断りしたところ、館長との「対談」ということでど
ぅだと言われて、上田先生に助けていただけるならと、お受けしました。それで今、久しぶりに手元にある「資料」を読み返しています。いまさらながらもっと きちんと、そして丁寧に調べて、まとめておくべきだったと思うことしきりです。一方で、熱い思いで「資料」に接していた日々をなつかしく思い出していま す。
『選集』も完結間近というところまできているようです。思いが完遂されることを願っています。
とりあえず『湖の本』の受け取りといたします。
どうぞ お二人ともどもご息災にとお祈りしています。
(追) H・Pでの掌編小説を愛読しています。
雨がちにはや三月もなかばかな   万太郎
令和二年三月二十四日
石川・能美  井口哲郎  前・石川近代文学館館長 元・県立小松高校校長先生

* 嬉しい、佳いお便りを戴いた。生誕一三○年記念企画 「岡 栄一郎の陰影」展の内容等も知らせて戴いた。「今 生きている証の一つか」などと。お大事と書き添えて戴いている。おなじ声と言葉とを送り返します。
井口さんの懐かしい声に、「対談」を介し聴き入りたい、が。

☆ いつも
心にかけて頂きありがとうございます。『湖の本 149』拝受 感謝しています。
前巻『148』を読了、思う所あって、『147』の『花方』を読み返しました。選集で拝読した『オイノ』、『花方』などを含めた総集編 一種の創作の完 全版に当たると思いました。そうすれば先生から頂いたメールの主旨がすこし読み込めたと思いました。あれやこれやありがとうございます。「流雲吐月」読ま せて頂きます。
くれぐれもご自愛下さい。穏やかな世になって欲しいものです。
総理一派のインペイもなくしてほしい。草々   都・府中  杉本利男  作家

* 湖の本への支払いをかねた佳いお便りも大勢の方から戴いています。有りがたいことです。
十年も前の日記なのに、かえってそれが今にも当たっていてか、前回につづき、いい反応を獲ている。思ったまま 真っ向 書いている。不快に思う方もあろうけれど。
「批評家」とはホンモノへのなり損ないとか批評するひともいる。小林秀雄、山本健吉、中村光夫、唐木順三、福田恆存等々のホンモノに鍛えられたので、そん な批評には即、随わないけれど、一世を指導してくれる文学批評家の出動を待ち焦がれている。器が小さく、なにより批評の文章がホンモノの文藝に逸れすぎて いる。それでは創作者の宗に響かない。
2020 3/26 220

* 立命館大、昭和女子大、鳴門教育大、久留米大、ノートルダム清心女子大、 また、桐生の阿部君江さんから 受領の来信、その他に大勢の方から 御送金を戴いた。次の 150巻を楽しみにというご挨拶も多く、これには緊張。
2020 3/27 220

* 『選集 32』の送り出し用意、余裕が明日一日ではきついが、「出来次第」の仕事とし、数日間延びしてもよしとする。幸いに、追いかけて の目先の仕事は「湖の本 150」の進行だけで、遅くも六月の桜桃忌(創刊満34年)には、充分な余裕がある。『選集完結 第33巻』の入稿はしっかり ゆっくり遺憾なきように用意すればよい。
やがては新創作と「湖の本」のさらなる継続に思いを籠めれば良い。病気はしたくない。
2020 3/27 220

☆ 前略
『湖の本』の新巻  ご恵送賜わり有難うこざいました。
医学書院でのお仲間でしたか、粂川光樹君の名前があって懐かしみました。今春の東大國文関係者からの賀状で、平成十八年暮れに粂川君死去のこと知ったば かりです。昭和四十年頃ゝ同人誌にいたこともあり、つづけて直木賞候補となったこともあり、小生は京一中昭和十八年卒、彼は昭和十九年入学で、年代こそち がえ、駒場で共にすごしたり、思い出は尽きません。
熊谷かおり(鳩居堂10代主人孫)が今度日本ペン広報委員に就任とかで、今度の御本を読むようにもと、回しました。
京都のために奮闘してくれよう願っております。敬具   都・豊島  稲垣眞美

☆ 大変な世の中になってしまいました。
恐竜もこうして滅びたのかと思ってしまいました。じっくり時世を見守ろうと思います。
湖の本149 感謝申し上げます。
(瀬戸内=)寂聴の全集14 ここ過ぎて、 白秋と三人の妻 515ページおいささか疲れました。
(秦 恒平昨の=)『{みごもりの湖』『罪はわが前に』で四月誕生月を過す予定です。
地酒「東村山」めしあがってください。  都・東村山  近藤聡  写真家

☆ 謹んで
申し上げます。過日は『湖の本 149 流雲吐月(三)』を温恵送下さいまして有難う御座いました。
まず「私語の刻」を拝読・150巻とは、ものすごいことだと思います。どうかこれからも御執筆、永く続きますよう強く祈念申し上げます。   都・駿河台  岩佐なを  造形美術家

☆ 『流雲吐月』
久しぶりに秦節に接して心躍りました。
特に、安倍総理(私は彼のこと、”あの千枚舌”と呼んでいます。)と山縣有朋を「ひき較べて」みたいという試み、ぜひぜひ早くお願いします。安倍をはじ めとする政財官から日本の風潮に対して文句、悪口を言うのですが、回りから無視され原ふくれてパンクしそうです。コロナウイルスは天罰ではないかと案じら れて仕方ありません。
先生、病は気からと思って病をケトバシて、なんとか実現させて下さい。心よりお待ちしております。(私もだいぶ体が弱ってきました。)  都・小石川  典

* 御茶ノ水女子大図書館その他からも「湖の本」受領の来信あり。
2020 3/28 220

* 九時、新刊の『選集32』届いてすぐ送り出し用意にかかったが、思いの外に今回はからだに堪えて捗らない。やすみやすみ、とにかく潰れてしまわぬように作業するしかない。一巻が「湖の本」の数册分にあたり筺も表紙も分厚い。一々印を捺したりし、ひと作業に大げさにいうと骨身が傷む。それでも、予定の三分の一は郵便局に渡せた。この分だと三日はかかる、いつものことだ。湖の本を一冊ずつ封筒に容れて行くだけで済むとは行かない。
もうあと一巻で予定分の三十三巻終了の『選集』 もう、ひとふんばり。体力の露骨なほどの衰えに驚いている。当然といえば、当然だが。力仕事までも妻が 手伝ってくれて出来ている難行苦行だが、少なくもこれだけの仕事を仕遂げてきた生涯、まだ時間にも力にも余りがある。楽しみたい。
2020 3/30 220

☆ お礼
湖の本149号 御贈呈有り難うございます。迪子奥様わざわざのお添え書き痛み入りました。
困難に敢然と立ち向かわれる秦さんを見習わねばと励まされています。
反面 長生きが時間とお金の無駄遣いになりそうな心配もあります。  吉備の人

* ムダとおもう中に値打ちもありましょう。せいぜい気を張って長生きなさってください。

☆ 保谷の霙?
昨日の保谷は霙でしたか? 世田谷辺りの積雪をテレヴィで見て 保谷は雪かしらと思っていました。
コロナの感染者が増え続けて、特に東京は緊迫した状況に。
元気に「逼塞」して日々を乗り越えてくださいとばかり念じます。
「眼 耳 鼻 舌 身 みな頼りなくなり、残るは 意」 ・・と。般若心経を繙いているような気になりました。眼耳鼻舌身・・から離れて、鴉は 既に半ば以上自由な境地に至っているのです・・。
新生児の成長は著しく、生まれて半月ですが 何やら顔が大きくなったように思えます。
育児の補助をしながら人間の成長を再度見直しているような感があります。それにしても乳幼児を育てることは、人間一人が大きくなるというのは、 大変なことと改めて思います。不思議な得難い日々ですが、無理だけはしないようにと身体を庇っています。
繰り返し くれぐれもご自愛ください。お大事に。  取り急ぎ   尾張の鳶

* 孫、孫、孫している鳶バアを 羨ましいと思います。
お互いに、コロナ、気をつけましょう。

☆ 湖の本
ご連絡遅れましたが湖の本第149巻、『流雲吐月 歴史に問い・今日を傷む』無事に頂戴しています。ありがとうございました。
この「凄み」の一冊に粛然と襟を正して対峙し続けたいと思います。
『花方』を、理解の及ばなさと共に楽しんだ読書とは異なり、古今東西万巻の書籍を読み、考え抜いた文学者の「今日を傷む」しかない呻きと絶望に出逢うのですから 相応の覚悟がいります。この一冊を冷静に読めるひとがいるとはとても信じられません。
変な譬えかもしれませんが、漱石の『心』を読むような、シューベルトの『冬の旅』を聴くような、心が千々に乱れる悲劇を追体験しなければならないのです。みづうみがどんなに苦しい生を生きているかが切々と胸に迫り、わたくしには心傷む読書になります。
読み始めてすぐに出逢うのがこの一文。

※ 称賛は、百人分で一人分。(激励も含んだ)批判ないし非難は、一人で百人分と受け取るべきである。

名言ですが、本当に突き刺さるように激烈。そして次頁を繰ると出逢うのがこの文章です。

※ 一人一人が自身の微力を疑って抛棄すること、これがおそろしい道を選ぶことに繋がると、(芹沢光治良先生)に教わったと思っています。

秦恒平ほどの読者、文学者であればこそ、芹沢光治良作品(『死者との対話』のことだと思いますが)を読みこみ、真実の鉱脈を掘り起し一行で見事に表現し得たと思います。ただの一行ですが、批評の理想とはこのような表現の創出だと教えられています。
この一冊は、以前『ペンと政治』に書いていらしたような「ひどい悪のひどさの度が過ぎれば、民族の生きていけない危険が迫る」「迫る国民最大不幸」とい う痛嘆が 一段と深い絶望の域に達しながら 「歴史から学べば、かなり多くの愚が避けられる」という、今の時代を代表する一人の文学者、知識人の「微力を 疑って抛棄すること」「おそろしい道を選ぶこと」をあくまで拒む、「寒ければ寒いと言つて立向かふ」勇気ある闘いの記録でありましょう。
わたくしがこのような拙い感想を書き送って、時々私語の刻に載せていただいている内容を、さぞ笑われているだろうなと思うことがあります。アイドルの熱 烈追っかけファンみたいなバカと。バカなことは認めますが、わたくし自身は「熱狂」とは程遠いところで、著者秦恒平との静かな対話をしているつもりです。 秦恒平文学の美酒に酔いつつ、自分にとっての「飲んではいけない毒」は決してのまないように「批評とは、選択、選別のこと」を心しているのです。谷崎を読 んでも、川端康成でも、太宰治でも、三島由紀夫でも、それは同じです。
以前、批評家の東浩紀が日経新聞のコラムに「天才をひとりにしないこと」と題してこんなことを書いていました。
「天才はたしかにひとりで現れるが、ひとりのままでは生きられないと信じている」
「才能は、才能を支える共同体を必ず必要とするのだ。」
「ではデビューできなかった小説家志望者や美術家志望者たちは『負け組』なのだろうか。そうではない。芸術とはそもそもそういうものではない。彼らプロ になれなかったアマチュアたちこそが、次世代の才能を見抜き育てていく。その循環がなければ芸術は存続しない。その点で彼らも、芸術の立派なプレイヤーな のである。」
「天才待望論は資本主義の論理である。才能を買い付け、売り抜ける。編集者もギャラリストも、いつからかそんなひとばかりになってしまった。でもそれで はだめなのだ。天才を理解し許す聴衆を育てなければ、文化は育たないのだ。いま日本に欠けているのは、その聴衆のほうである。」
「湖の本」は 秦恒平と彼の作品を読み続ける読者共同体によって遂に150巻を迎えようとしています。「湖の本」は秦恒平と彼を読み続けてきた読者共同体の文化的達成といえます。
しかしながら、肝心の出版業界、文壇はどうでしょう。
この本のあとがきに、『選集』について「盛大な笑われ仕事」と秦恒平に書かせてしまうことでよいのか。秦恒平という作家をひとりにしていませんか、恥ずかしくないですか。わたくしはそう問いたいと思います。
わたくしは同時代の読者として、秦恒平を支える共同体の一員である理由を素直に書き続けてきました。それはごまめの歯ぎしりにもならない微微微力ですが、それでも彼の居場所をその分だけでも守りたいという試みでありました。
原題が「Hidden Life」という最近話題になった映画があります。ナチスによる徴兵を拒否し頑なにヒトラーを礼賛しなかったために処刑された名 もなき農民の人生を描いたものです。この題名はジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』からとられたとのことですが、学生時代四苦八苦してあの大長編を原 文で読んで感動したのに、そんな文章のあったことまったく気づきませんでした。二十歳になるやならずの学生には読んでも有難さがわからなくて通り過ぎた文 章だったのでしょう。翻訳で読むと次のようになります。

世界の善性を育むのは、幾分かは非歴史的行為に依存する。君や私にとって、物事が思っていたよりも悪くはならないのは、半分は頑なに隠れた生をいきた人の、もう半分は訪れる者のない墓の中にいる人のおかげなのである。

歴史の泡と消える名もなき凡人は世界をより善くまでは出来なくても、より悪くなることを阻むことは出来ると信じていますし、信じなければいけないという ことかと、励まされました。微力を断じて抛棄しないで「頑なに隠れた生」を生き切ることは難しいですけれど、そう在れたら人生の終わりにこれで良しと微笑 むことができそうに思います。たとえ「訪れる者のない墓」に入るとしても。
この作品は著者の一言一句深く考えながら読むべき一冊で重たい、とても重たい読書ですが、たしかに「読者」が読んでいることをみづうみにお伝えできたら幸いです。

海外在住の知人から、日本のコロナウィルス対策は甘すぎると深刻に心配されています。マスクだけでなく手袋必須、エレベーターのボタンやドアノブにも直 接触ってはいけないと警告されました。危機感が桁違いです。「戦地にいる」、そんな感覚に近いのです。みづうみも、どうかどうかお大事に「籠城」お続けく ださい。選集発送作業もご無理のないようになさってください。わたくしも決して頑健ではないので注意深く日々を過ごさなければなりません。
このウィルス禍の一日も早い終息を願いつつ。
鐘   一斉に撞き出す鐘のかすみけり  虚子

* 文明は危うし文化はうす暗し

* 「眼 耳 鼻 舌 身 みな頼りなくなり、残るは 意」 ・・と書いていたらしい。よろよろの爺には、かなりな言上げに思われる、が、それしかもう有るまいに。ただ「意外」という怖い言葉もこの世間には通用するからなあ。
2020 3/31 220

* 「湖の本150号」校正が 4日(土)午前中着で届くと連絡有り。さ。どんな一巻に成りうるだろうか、的中してくれるか、的はずれか。楽しみにまつ。
2020 4/3 221

* 「湖の本 150」 初校が届いた。異色の一巻、さ、うまく纏まるのかどうか。校正が難しい。慌てまい。
2020 4/4 221

* 『湖の本 150」初校に励んでいた。
2020 4/4 221

* 初校の出た「湖の本 150」の「校正」を愉しんでいる。いいものに触れている満足感に元気づけられている。
2020 4/5 221

 

* 新刊の「山縣有朋」の初校、とても刺激的で、仕甲斐・読み甲斐もある、が、さ、どう読まれるだろう。送り出すのが心待ちされる。
2020 4/5 221

* 新しい湖の本の校正を楽しんでいる。「日本語」の優しさ美しさむづかしさを、まさしく体感している。

* 月曜日で、たくさんなお手紙おはハガキ、きたお払い込みや、「選集」への多大過分のご支援などを頂戴した。とても、一つ一つ記録していられない。好物 の和菓子をたくさん送って下さった安田鏡子さん、はじめ、宮川寅雄先生のお嬢さん宮川木末さん、日中文化交流協会理事長も務めた佐藤純子さん、谷崎先生御 夫妻のお孫さん高萩たをりさん、愛媛・今治波方の木村年孝さん、早稲田を退かれた小林保治さん、亡き島津忠夫先生のお嬢さん藤森佐貴子さん、静岡の鳥井き よみさん、それに「最近はコロナビール」ばかり「注文しています」と写真家・作家の島尾伸三さんらの来信、「湖の本」払い込み票でも、選集へ迄ご助勢の出 田興生さんや真岡哲郎さん、及川恵美子さん等々、ほんとにありがとうございました。
2020 4/6 221

☆ 湖の本(流雲吐月) ありがとうございました。
秦恒平先生 大変ご無沙汰をしております。東工大OBの新野です。
ご著書お送りいただきありがとうございました。言い訳ですが、年度末の折 久しぶりの部署異動と在宅勤務への移行が重なり、余裕がなくなっていた時期でした。
漸く仕事のペースが少し掴めてきましたので、お送りいただいた本を手に取り、頁を繰っておりますと、何と言いますか 緊急事態宣言が出されたこの日に備えて編まれた気がしてくる文章が続き、驚きました。
浮き足立ちがちなこのような時だからこそ、歴史の文脈に位置付けて冷静に考えることを先生のこのご著書から教えていただいた気がしております。
何せ この状況です。
先生におかれましては、くれぐれもウィルスにお気をつけいただければと存じます。ウィルスが落ち着いた頃、お目に掛かることができると嬉しいです。   聡

* 新野くん。ありがとう。生き生きと、お仕事を。心ゆく日々でありますよう。

☆ 連絡も出来ずにおり……恐縮です
どれくらい、ご無沙汰をしてしまったのか… 思い出すこともできません。
四月に入り、京都に戻って参りました。母の具合が悪く、私の具合も悪く、時ばかりが過ぎて行きました。
『湖の本』を三冊も頂戴いたしながら、御礼も申し上げず… 情けないことでございます。深くお詫び申し上げます。
携帯電話の契約も切れておりましたが、漸くし直して、先ほどタブレットから写真を送付させて頂きました。
何もかにも、相変わらず余裕のないことで、タブレットの不具合もそのまま、先生のHPも読むこともできないままですが…
その上、大変な状況にある今日に、なぜ写真を送付などするのか… ただ、私には『祇園』に花が咲いていて、それを昨日たまたま撮ることができたから、としかお伝え仕様がないのです。此の世に生きているただ今に、できることを致しました。 御礼を申し上げますと同時に『祇園』を送ることくらいしか、今の私にはできず… お恥ずかしいことながら… 取り急ぎ 京・鷹峯  百 拝

* 案じていたので、まずは、一息。全心身にぜひ生気を吸い込みつつ、いちにちいちにちお元気でと願う。
2020 4/8 221

* 十人分ほども、戴いていた佳いお手紙を「記録」している間に、ワケの知れない妨礙で、全て消え失せ た。がっくり。機械君の故障というより、しきりに何か「しろ」と請求されたのを拒んだまま、画面がもとへ戻らないまま、保存もならず消去したのだから、 ぜーんぶ無くなった。お手紙そのものはみな在るからいいのだが、此処へぜひ保存したいのが多かった。ま、今晩は、このまま打ち切ろう。アーア。幸いに、籠 居の日々。また明日にでも。
2020 4/8 221

* フェイスブックで建日子が何かはつげんしてるらしく通知は来るが、もう七、八年にもなろうか、わたしの此の機械でかなり華々しく発信し続けていたフェ イスブックもツイッターも、両方とも、全く画面が掴み出せなくなってしまい、いっそこれ幸いとソシアルネットでの発信や発言は封じ切ってきた。建日子が何 をどう考えて発信したり発言したりしているか、何も知らない。
それにしてもあんなに活溌に活用してきた画面が、いったいどこへどう雲散霧消して無くなってしまったのか、不思議。
建日子には、小説を書くだけでなく、それ以上に芝居を書いて演出し、映画を製作演出する仕事がある、らしい。当然のようにコロナ禍で仕事は痛手を蒙り、さて國の補償が得られる公算は、どんなものか。
なにはともあれ、今は住まいでの籠居に徹し、決して決して無用の外出など気まぐれにもしないで慎重に乗り切ってほしい。ほんとなら建日子が保谷へ帰って くれて、いろんな話しが出来ると嬉しいのだが、それは、この際はむしろ厳に避けた方がいいと諦めている。無事を願い祈る。
わたしはわたしの仕事と気を入れて向き合い過ごす。「湖の本150」記念の一巻をすこしでも面白く仕上げたいのだが、思案に暮れる難関もある。十七日に 内分泌の診察が予定されているのだが、幸いにもインスリン注射分はもう数ヶ月分は余裕があり、ビタミンや催眠剤は何とでもなる。
籠居は、我が家の老夫婦に向いているのである、ちょっとも出かけたいなど思わない。歯医者さんへも当分は失敬させて貰う。

* 湖の本の口絵を工夫している内 十時をまわった。もう、眼が限界を超えている。 2020 4/10 221

 

* 福田恆存先生の奥さまから、穏やかに過ごしている、湖の本などを日々に楽しんでいますよとお手紙があり、もったいないほどの洋菓子を送って下さった。 私からお見舞いもなにもサボっていますのに。ありがとう存じます。今この難儀な日本の日々を、どうぞお大切に安全にお過ごし下さいますように。

* すぐ目の上の書架、手の届くところに福田恆存「全集」「飜訳全集」が並んでいて、いつも仕事ぶりをみてもらっている。

* 旺然として、懐かしい先生方、先輩方の名や声や表情が指折り数えきれずに思い出せる。わたしは、実に実に大勢の先生先達に、もったいないほど、その時々、優しく温かに声かけて戴き、背を押して戴いていた、決して忘れない。

* 久し振りにマット・デーモンの映画を観ていた。いい出来ではなかったが。都内のコロナ患者は日曜日にして、大勢出ていた。
今日は、昨日に継いでアタマがよく働かなかった。印刷所へ「湖の本 150」口絵の案を送信できただけか。
十一時半になる。やすみたい、ぐっすり。
2020 4/12 221

* 「湖の本」新刊分のあとがきが書き出せない。アタマにコロナ禍へのこだわりがあって。

* で、どうせ『選集33』の締め括りに絶対欠かせない全単行著書等の書誌に、もう出来てあるモノの複写と校正に取りかかったが、これが猛烈に大変、字は 小さし(8ポ)、細かに型式を定めて関係の事項を漏らさず書き上げて行くのだから、共著は全部除いても、やっと13册めの『みごもりの湖』まででぎっしり 半日かかり、文庫本を含む全単行著書で全102 册分を詳細に記録し遂げねばならない。「湖の本」150巻分はこれと別に詳細にあらあら出来ているが、途方もない大仕事になる。「年譜」に代わる「作家」 としての表仕事だけに省けない。コロナよ、どうぞ因ってきて呉れるな。
2020 4/13 221

* 思案を重ね、むしろ筆の走りをおさえていた「湖の本 150」の跋文を、必要な半ばまでは書いた。もう一思案してから、初校の出来ているゲラとともに、早ければ明日にも送りたい。

* よく気張って ほぼ心ゆく「私語の刻」を費やし終えた。疲れて半盲に同じいが、致し方もなく。
2020 4/14 221

* 午後は、単行著書の書誌づくりもしていたが、二日がかりでやっと四十册分、もう六十册余のオチない記録を細字で作り上げねばならない。大概の人はウン ザリしてしまうだろうが、自分で書いて創って出版された本だし、詳細に亘って記載していると往時のこともありあり思い出せる。よくまあこんなに本にしてく れたなあと今更に感謝。そんな中で、時節という物か、信じられないほど私は数多く限定豪華本を書肆にのぞまれており、単行本が千円未満の頃に単価が万、何 万という立派に美しい少部数本を出して貰い、売れない作家の割にたいそう稼がせて貰っていたと分かる。そしていつか「本が売れない」とどの社も編集者も売 れる物を書いて書いてとやかましかった。決然と私は「秦 恒平・湖の本」時代へ行く手を切り換えたのだった。
2020 4/15 221

* 「湖の本 150」初校を宅急便で戻し あとがき 口絵写真など 電送入稿した。一息つくうちに『選集』最終巻のための原稿づくりを進めねば。まずは固い肩の荷をもみほぐして。
2020 4/16 221

* 微細な文字で詳細につくってゆく単行著書の書誌づくりはシンから疲れる作業で、やっと四割五分ほど出来た。幸い「湖の本150」の仕事を「向こうサン」へ渡したので、二、三日気張れば本の書誌は片づくと思う。
この期に本当に手がけて進めたい仕事はむろん小説で、書き進めたい、書き始めたいのが、具体的に二つ有る。どっちも、容易ならぬ暗闇の奥から手づかみでモノを引っ張り出さねば、進まない。
2020 4/16 221

☆ 拝啓
今宵 あのアベ内閣が、前回の発令につづいて、残りの全道府県に「緊急事態宣言」をいたしました。
そんなこんなで落着かぬ二○二○年ですが、如何お過ごしでしょうか。案じています。
先日は 御書『湖の本149 流雲吐月 歴史に問い、今日を傷む』 と 『選集第三十二巻』を頂戴し、誠に有難うございました。2008,年2月に中央公論社の『世界の歴史』まで計42巻を完讀したとあり、それも全頁斜め読みしなかったと、脱帽しきりです。
それでいて手洗いにおいた唐銅の筒の生け花を便座のまうえから眺める洒脱さ。そんな姿勢の大本が『自筆年譜(一)』あると分かり、胸に落ちました。何なのでしょうこの真実稠密は凄い。奥様への一貫した芳情も見事です。
とにもかくにも御二方の健康を心より祈り上げます。敬具  講談社役員  義

☆ 拝啓
秦 恒平選集第三十二巻めをご恵送くださりありがとうございます。
今回は目が直ぐに自筆年譜に――。これまでご著書でなにとなく知り、また想像していた秦さんの人生を著者の筆でたどることは何ともいえぬ愉しみでした。『少年』の歌が編まれたのはどのようにしてか? また奥様とのご結婚の経緯は? ときょうみが尽きぬものがありました。
それにしても、祇園の目の前でのお育ちと、茶の湯が秦さんの中で占める大きさを改めて認識した次第です。続きの年譜を楽しみに致しております。ありがとうございました。敬具
武寒コロナ、なんとも息苦しい世の中ですが、
どうぞお大事にお過ごし下さい。   都・杉並  十   三島由紀夫賞作家

☆ 拝啓
コロナ騒動のさなか、いかがお過ごしでしょうか。東京はあぶないと思っておりましたら 当地福岡も危険地域になってしまいました。
過日は「湖の本」ならびに『選集』第三十二巻を賜わりありがたく存じました。
御年譜(一)の詳しさに圧倒されました。
時節柄 くれぐれも御自愛下さい。   祐   九州大学名誉教授 国文学

☆ 拝啓
若葉の候となりましたが、お変りなくお過しのことと拝察致します。この度は選集第32巻を御恵投頂き有難く感謝申し上げます。
コロナ感染への安倍政権の無策停頓ぶりにはあきれるばかりです。
御健勝をお祈り申し上げます。   元・岩波書店「世界」編集長  邦

* 八時まで、コツコツと頑張っていた。
2020 4/18 221

* 単行屠所のかたちで出版社から出版した平成十八年十月までの101册の書誌を再確認し取り纏めた。その前後からの書籍に準じた新刊内容の本は、「秦 恒平・湖(うみ)の本」150巻のうちに相当数編輯出版している。「湖の本」書誌も纏まれば、『秦 恒平選集』最終33巻の入稿へ近づける。仕遂げ得れば年内には刊行できるだろう。
2020 4/19 221

* やけくそ同然 8ポイント大の細字原書誌を 各頁複写しては逐一校正確認して原稿につくっている。湖の本の創刊から第百巻分。十册分の原稿をやっと確認した。元の資料冊子でやっと一頁分。もう十二頁分仕事が残っていてこの機械へ容れて行く、厳格に校正して行く。
早くてもう一週間かかりそう。ガマンして、ガマンして。頭重たい。

* こめかみの痛みを堪えて堪えて 廿四册分の既刊湖の本の書誌を確定した。こんなふうになる。

22・23・24 『冬祭り』(上・中・下)  (東京・中日・北海 道・西日本・神戸新聞・河北新報その他夕刊連載小説)昭和五十五年五月九日~五十六年二月二十八日 二百四十一回連載  上・ロシアへ、バイカル号で 津 軽の海を ナホトカから ハバロフスク経由 雨のモスクワ 中・ルサールカ 再会 そして一週間 黄金の秋 冬のことぶれ 下・提案 ひまつりの山へ み ごもりの湖へ 愛しい日々 冬祭り  各巻に・作品の後に  各・百八十四頁 上・一九九一年八月十日刊 中・同十月一日 下・同十一月十日刊 各・一九 ○○円

遣って仕舞うのは何かに催されているのかと少し不安だが、投げ出せない。ま、色んな記憶や思い出に励まされもする。関わって下さった沢山の方々に「死なれて」もいる。

* 双の上腕が痛み、頭痛もきた。休みに降りよう。体を横にしたい。

* 吉備の人、最上のお酒を送って下さった。今朝 生協配達の四号瓶二本は三日で消えるなあと気弱に勘定していたので、ひときわ嬉しく、御礼申し上げま す。日々お寂しくはないかと妻ともよくお噂しているが。お大事になさって下さい、ぜひにも。この方には「湖の本 150」の中仕切り本、ゆっくりご味読頂 けると佳いなと願っている。
すこし、背が、ぞくっとしてきた。おやすみなさい。
2020 4/22 221

*  昨夜おそくの発作的な苦しさは根が深いかも知れず、いまも「靖子ロード」で、やや重めに設定してあるいわゆる脚踏み機械を50回(いつもは100回)踏 んでみて、30回目頃から微かに胸の奥に痛みを感じた。日々を静養すべきなのだろうが、今世紀に入っての二十年だけ見ても、わたしの日常は静養なんて日々 ではなかった。
「作 家ってそんなに忙しいんですかと聞かれる」が、むかし、週刊誌の連載小説を三つも四つも書き飛ばしていた連中などたぶん今は昔語りで、今日「自称作家」の 500人 に450人は、作が売れる、本になる希望はかぼそく、昔なら腹立ち紛れ原稿用紙をクシャにして身のまわりに撒いていたのと大差ない日々を過ごさざるを得て いない。世の中も出版社も編集者もまともな書き手など期待していない、「売れる物書いて」が、少なくもこの40年は決まり文句だったし、まともに日本語も 書けない自称の文士が文藝団体の会員や役員にもぞろぞろいたのを私は「ペン電子文藝館」での具体的な校閲作業を通して呆れるほど知っている。
私の「湖の本」のように、書いた仕事が確実に活字になり、本になり、読者へ届くというのは、これは異様も異様なほど「世界的にも」例外なのだ。「書ける」「技術的 に本が作れる」「受け容れ支えて呉れる愛読者が相当数有る」「出版に協力ないし理解を示してくれる家族」無しには、ゼッタイに「作家」として作品を世に出しつづけるなど不可能。せい ぜい頁数も少ない仲間雑誌に拠る程度になり、これがまた維持できずに壊れて行く。
2020 4/23 221

* もう十年頑張りましょうと書き添えて「湖の本」を送ったロサンゼルスのお茶人ちょこチャンから、十年するとわたしは百歳と手紙が来た。

☆ こちら
今日は雨が降って居ります。
何か変な世の中になって、家の中に閉じこもってゐるのが良のかなと 窓から外を眺めて居ります。
御本頂きました ありがとうございます。
この頃は皆さん機械ばかり使ってゐられるので 私のように 本を読んでる と 言ふとびっくりする人が多いです。(それに手紙も) と言うのは 三四日前から御電話をしてゐるのですが 何時もブーブーと話中のような音がするだけで掛りません。
最近気がついたのですが TVの中で「キリンが来るの中で 女性は皆片膝をたてゝゐますね、前に日本人の正座のこと書いてゐられたのでおぼえてゐるので すが 韓国の友達がどうして日本人は罪人の坐り方を日常するのと言ってました。やっぱり色々のことがよそから来てゐるのですね、オかしいですね。
「せめてもう十年ガンバリましょう」と(「湖の本」に添えて=)書いてありましたが、十年たったら私は一○○才ですよ
どうでしょうね、  世の中が落ち着付いたらもう一度日本に帰るつもりです。 生活は此処の方が気に入ってますので。
早く 又 きれいな空気になります様に
お二方共 どうぞお元気で。
四月九日         千代子

ひまなので (コヘちゃんの=)「茶もありげに」を再読してゐます。 いゝ事ばかり書いてあります 私らのうなずく事ばかりです。

* お手紙ありがとう、嬉しく拝見。

* 我が家の電話はなにがどうなっているのか、よそから掛からなくなっているらしく、妻は建日子とだけ 私は印刷所とだけ携帯電話で話せるようにしてい る。私は、仕事上の所用でない会話電話は苦手で、建日子ともまだ一度も話していない。携帯電話の使い方、掛け方も受け方もまるでアタマに入ってない。向こ うサンの電話番号を機械に入れておくと掛けやすいそうだが、機械に入れておく技倆も持たない。 手紙もハガキもまるで書かない、「湖の本」や『選集』を送ったり献呈する際にちょっと白い紙に走り書きする程度。私の状況は、上の本と、かなり詳細にこの ホームページ「闇に言い置く 私語の刻」で語っている。
2020 4/24 221

* 「湖の本」全書誌の残っていた前半分の五頁分を、懸命に整えた。あと10頁強残っている。8ポイントという字の小ささは目玉を突き刺すハリのよう。 ま、私にしかできない仕事。それにしても書き置いていわゆる稼ぎ・飯の種にしてきた作物・原稿の量の多さに、われながら息を呑む。よくもこれだけの仕事を 注文してくれた、私も手を抜くことなく書き置いてきた。いまの生活と家とは、この原稿の山の上に手狭ながら安全に建ってくれている。家にあるのは「本」 「本」「本」だけだけれど。
2020 4/26 221

* ジャズというのは、乱暴な限りピアノを叩きまくる喧しい下等な音楽なのだと、つい最近まで、建日子がよいしょ「ハイ、ジャズです」と袋に入れたり函づ めで持参してくれ、で、何枚か聴いてみて、じつにここちよく静かな吹奏楽器の音楽、ピアノ伴奏ももの静かに優しいことに気付いて、いらい、仕事のそばで鳴 らしっぱなしは「ジャズ」に限ると相成った。事実、こんど「湖の本」百五十巻の記念の仕事は、思い立ってから、祖父の遺したくれた本をまる一冊手打ちで機 械へ書き写し、前後へ原稿を書いて我ながら時節柄なかなかの一巻になし得たぞと自信も持てたのは、すっかり惚れ込んで聴き流しに聴けるジャズのお蔭であっ た。歌がなく歌詞のひどさに邪魔されないのが有難く。ありがとう、建日子に、感謝。
2020 4/27 221

* いよいよ「湖の本 150」記念の一巻、再校ゲラが明日にも到着するらしい。「連休」という言葉は私の生活カレンダーには無い、楽しんで再校し、さらにさらに良い手入れをしたい。
2020 4/29 221

* 「湖の本 150」半ばをおもしろく再校した。時宜に最適の、記念の一巻となるだろう 。

* 八時だが、全書誌に少し手を触れておいて、心身をやすめよう。いまは、隠忍、それが肝要の第一。
2020 4/29 221

* 「湖の本」全書誌の仕事も煮詰まってきて、永くもあと二日で纏まる。含雪家集の校正は厳格でなければならず、稀覯本の原本は撮影のために印刷所へ出て いて、返りを待ち、しっかり校正しないといけない、これは苦にならない。むしろもう一つ奥へも何らか踏み込める可能性もよく探りたい。
2020 4/30 221

* 晩の七時。今日なにをしてきたかよく覚えていない。瞬間的な物忘れが起きはじめている。そうだ、「湖の本 150」の再校を進めて、主要部分の初校朱 字がちゃんと直ってきたかを通して確認した。これからはその主要部分を、初校する気で、厳格に原稿原本に当たりながら読み返して行く。数日はかかるはず、 この数日は昔感覚で謂うとゴールデンウイーク。しかし今はコロナ戦争の守勢に甘んじてむしろ厳しい籠居自粛に身を持さねばならない。
それでも今日、ポストまで自転車で走った。近辺ではほとんどひとに出会わなくて済む、それが有難いというのもへんな時節だ。
2020 5/1 222

* さきに纏めた「歴史に問い、今日を傷む」湖の本で、今世紀のはじめの日付で私は、今後の世界の脅威は「中国」と確言している。それが現実になりかけて きた。まっさきに武漢にコロナ感染の災禍を起こして、これが複雑な変容を経つつ世界に及んだころ、中国は少なくも一時期の「武漢被害」をほぼ克服したとい う。いまや感染猖獗の炎は、「コロナなど風邪程度」と放言していたトランプ・アメリカで燃え盛り、いまや西太平洋に配されてきた航空母艦四隻を「コロナ」 は侵しているという。中国は、久しく太平洋への海路・開路を事実上ふさがれた観があったのを、今ぞ好機と航空母艦を太平洋へ押し出そうとしている。火花こ そ散ってなくとも新たな「太平洋戦争」の兆しとも憂慮される。「日本」は、こんな際に、どう外交し対応すべきか、コロナがある、仕方ないでは済まない。

* 静岡市の鳥居きよみさん、今年も「新茶」を下さる。湖の本創刊いらい歩みを倶に、歳久しい。ありがたいこと。

* 創刊満34年を迎える「湖の本 150」刊行の見通しがついてきたので、感謝の序文を書いた。口絵の初校が来たなら、要三校、表紙や奥付等ツキモノの類もそえてもう一度送り返したい。連休明けまでにその用意を万全に。
2020 5/3 222

* 新聞雑誌等を含む初出の「全書誌」は私の場合、途方もない量と作業になる。それで、『選集』を締めくくる「全書誌」は、共著を除く「単行図書全書誌」 と「秦 恒平・湖(うみ)の本150巻全書誌」とを作成した。「湖の本」にも未収録の初出原稿がまだ相当数(略200点は)残っているのは、整理を断念した。実の ある原稿はおいおいに「湖の本」に吸収されるはず。

* それにしても念頭にある『選集33収結巻」は、今のプランのままでは異様に分厚く、製本し難くなりはせぬかと案じている。印刷所に、何百頁まで製本等不安がないか先にたしかめたい。

* 「湖の本 150」の再校を、ことに参考原本の厳密な校正に神経をつかっている。シンドい仕事でなく、読み読み、楽しめて有難い。一両日で要三校として送り返せると総じて要領を得てくる。
仕事のこれからの芯は、『選集33』の編集そして入稿になる。原稿は有り余って手の内に出来ている。どう収束するか。思わず唸っている。
2020 5/4 222

* 寺田様
お変わりないことと想っています。
山縣有朋の「椿山集」をあっかった「湖の本 150」 刊行のめどが立ちました。
このところ 「成島柳北全集」や明治期の「孫子講話」を面白がっています。どっちもすこぶる面白いです。
柳北隠士は、御存じのようにたいそう有能な幕臣から維新後は新聞社主の身で闊達をきわめた雑文や紀行にたいした力量を見せています。面白いんです。
面白いというと、「孫子」というのは面白くて分かりいいですね。老荘孔孟より時にウフウフ笑いながら原文が読めます。
日々のHR「私語の刻」の最初に、私の「枕草子」選訳を抄録して、みなさんに読んで貰っています。
いま、選集の最終巻を締めくくるのに「全書誌」を整備しています。まあ歌集「少年」以来の文学・文筆修行、よくもこんなに色々に様々にという大量に驚い ています。福田恆存先生には及びませんが。福田先生の奥様、ご養生のなかから先日お手紙も添ってお菓子を送ってきて下さいました。「湖の本」など楽しみに 手にしていて下さるとお家の人からも教わりました。嬉しい限りです。福田先生、そして永井龍男先生、懐かしいです。
私ほど多くの勝れた先達に声を掛けて頂き励まして貰えた人はいないのではと感謝しています。
籠居は何の苦にもならず、好きな読書を、いっそ盛大に楽しんでいます。体調は、こういう時ですから妙に微妙にイヤラシイですが、ま、無事なのであろうと厚かましく構えています。
寺田さん 御家族もむろん、 お大事にお過ごし下さい。   秦 恒平  五月三日

☆ 家内中みな元気にしてをります
「湖の本 150」楽しみですね
孫子は様々な人が注釈をかいてゐますが フランス人がフランス語に訳した孫子を日本人が日本語訳したものまであります 一番古い注釈は曹操がつけた「魏武註孫子」ではないでせうか
以前に山形へ御一緒した時 福田先生の奥様の健脚ぶりには驚嘆しましたが さすがに昨今はあまり外にはお出になつてをられないやうです
小生も溜りに溜つた本を読むにはよい機会ですので 励んでをります
疫病退散後にお目にかかれるのを楽しみにしてをります   寺田生

* 山形へ とあり、「おらき蕎麦」を思い出す、生前の福田先生の大勢紹介して下さった「湖の本」各地の読者に、「あらき蕎麦」のご主人の名も有って、い まも継続購読して頂いている。永井龍男先生も大勢の読者をご紹介下さった。福田先生とは三百人劇場ではじめてお目に掛かった。「想っていたようなお人でし たよ」と笑顔が優しかった。永井先生とは、芥川賞に瀧井孝作先生とともに推して頂いた「廬山」が本になった時、鎌倉のお宅へお届けに出向いた。帰りに、近 くの紫陽花寺へぜひ寄っておゆきなさいと。たまたま出会うことがあっても、先生から寄って見えて声をかけて頂いたり。
こういう思い出も、たくさん書いておくといいかも。
2020 5/4 222

* 夕餉も過ぎて、一日組み合っていた再・三校の原稿づくりを終えた。どうにか、ほぼ成り、これから始末をつけて、明日にも「湖の本 150」のゲラ返送の用意をしておく。思いの外に手を掛けた。それだけ心ゆく一巻に仕上がってほしいもの。
2020 5/6 222

 

* 「湖の本 150」の要再校・三校分 追加入稿分を朝一番に郵送。
2020 5/7 222

* 「湖の本 150」のゲラ郵送、無事に届いたと。安堵。選集最終巻の製本上の安全な編輯頁数、820と教わった。限度へは近寄らないよう気を配り、従来より超えて心残りの寡いように編輯し入稿したい。
2020 5/8 222

☆ 鴉に
もうお休みになられたでしょうか。
HPの血痰の記載に驚いています。無理せずお身体休ませて下さいますよう。 尾張の鳶

* 「湖の本 150」を送り終え、『選集』最終33巻の納品をみるまで、たとえ、何かしら病状を呈しても決して入院しない。私にしか成し終え得ない仕事であるから。少なくも其処へは地力と自力とで辿りつく。要心はしながら、
2020 5/9 222

* 喪ったかと落胆していた「湖の本107 バグワンと私 上」一冊分を、広漠とした機械の中から辛うじて見付け出した。疲れた。大仕事だった。
この肉親にも同じい馴染みの旧友機械クン、おそろしいほどのコンテンツを呑み込んでくれている。
湖の本150巻の全部、選集既刊32巻の全部、1998年三月から二十数年欠かしたことのない「私語 日乗」が毎年毎月毎日の365日、ほぼ8700日 分、そして創作、エッセイ、随筆等々の依頼原稿。そして萬と数え切れない永年保存のメールと写真。パソコンが無かったら、とてもこれだけの原稿用紙やノー トや資料を収容保存しきれない。
驚いたことにそれほどの大量を事ともせず「すっかり全部」保存してくれるモノも別に在る。
いやはや、 あらためて、東工大教授に招聘してくれた大学に感謝します。何故かなら、東工大の学生君らの助力なしくて私に「ホームページ」の何のと、出来得た話でなかった。ぜったい無かった。感謝。

* が、いまや、視野が、春霞とはこれかというほど滲むように霞んでいる。休憩。
2020 5/10 222

* 『選集 33』の入稿原稿を作りはじめているが、読みに読まねばならない、目玉が焦げそう。今日は暑くて、歯は痛み、両肩は水晶玉のように尖って痛く 凝り、ロキソニンと抗生物質のプロモックスで凌いだが、この難行は優に今月中かかるだろう。加えて、「湖の本 150」三校が出て来て、ここでは超複雑難 読の漢字に悩まされる。しかし、口絵は綺麗に出来てきた。これの発送は六月の早めにしたく、封筒を買い入れ、印を捺し、送り先を今回は慎重に選びたい。安 倍晋三氏にどう「謹呈」するか、また今回は歌の詠めて字の読める先を選ばせて貰う。拗音も濁音もふりがなもないひらかなの表現を句もなく読める人はもう今 日歌詠みと雖も多くはない。
2020 5/11 222

* 今にして、活溌に働いていた私のフェイスブック や ツイッターが使用不可の闇間へ隠されてしまったのが惜しい。
私には、「福島大地震と原発爆発」の昔から、「秦 恒平・湖の本」の何冊もを介して「安倍政権」の立つのを「逼る国民の最大不幸」と予言し憂慮し、また批判し尽くしてきたが、斯くも予言と憂慮は的中するか と、ゾッとしている。記念の中仕切りとなる「湖の本 150」では、また私なりの凝った手法の批判と非難とでもう「辞めよ」とアキレ返っている。
2020 5/12 222

* 『選集 33』編輯の、一の関門を、いま晩九時半に通過した。あとはだいぶラクになるか。いや、この関門に今少しの旗を立ててやらねばなるまいか。それはいっそ楽しみとしたい。そのあとは、一気にかなり強硬に進んで行くか、期待したい。

* それでも、午後、「湖の本149」の請求分支払いのために、日盛りの下を思い切って妻と郵便局へ歩いた。腰が痛んだ。自転車ならあっという間なのに、 杖を突いてマスクして歩くのはしんどかった。すこしは遠くまで散歩の気でいたのに、払い込みの機械操作を妻がし終えるのを待ちかねて、そのまま家に帰っ た。もう一つ,『選集 32』の支払いもあるが、銀行は駅の向こう。駅までバスやタクシーを敬遠して往復歩くのは厳しいなあと言い合った。

* たんに運動も摂食も足りなくてか、体調になんともいえぬ違和があり、体を横にしたくなる。そうもしてられず仕事に打ち込む。さらに疲れる。うまいも の、さしづめ「寿司」など思っても寿司屋こそ今は休業しているだろう。小さかった頃から食わず嫌いの多い子だった。このところ、酒の酔いが早い。
2020 5/14 222

*『選集 33』の編輯へ、よほど踏み込んできた。思い切り。残るは、それか。
週明けには、『湖の本 150』三校が出て、届く予定。一日中、倚子の暮らし。立ち歩くと腰に負担を覚えますなあ。。
2020 5/15 222

* 今日もよく仕事した。すこし寒けの一日だった。休息には横になり『女王陛下のユリシーズ号』に同船して、へとへとに揺すられる、が、読書の魅力に他ならず。

* 『選集 33』を ほぼ編輯し終えたかと思う。従来巻より100頁ほど増頁になるか。何にしても見通しが出来た。最終巻、もの怖じせず、私自身を押し出してみる。
自筆年譜(二 – 四)を昭和五十九年九月一日まで、作家として自立満十年まで加えることにした。
「一」とは異なり、創作記録を主に簡潔にする。
「湖の本 150」の三校ももう届いた。責了へ持ち込む前に発送の用意を遂げ ておかないと、手順が前後してしんどくなる。今回は「寄贈先」をよく考え、適切に有効に送り出したい。秦の祖父のおかげで佳い記念の中仕切りが立てられる。お祖父ちゃんに感謝。

* 九時半。機械を離れるのは十時過ぎか、半か。目玉が音たてて軋むよう。
2020 5/16 222

* 『選集 33』の受賞後15年「自筆略年譜」や単行図書・湖の本等の「全書誌」など細字の原稿調整や本文原稿の念入りの編輯で、知らぬまに五時半、肩が石の割れるように痛い道理。参った。

* 『選集』書誌作業が最終巻のためにまだ残っている。ただもうこつこつと下ごしらえはできた。明日にはもっと詳細に細かな仕事になる。細かな仕事は気も目も草臥れるが、投げ出せない。仕事は投げたら、お終い。
「湖の本150」を責了に出すのも、遅くももう数日内には遂げておきたい。
九時半。疲れた。

* 感染病の大きな揺り返しがこの秋にはと聞き、それまでに、少なくも『選集』33巻の完結へ少なくもせめて「初校」ぐらいまでは自力で運んでおきたい。オールド・ブラックジョーのように、生きていたい気力が痩せて来ているのに気付く。
2020 5/17 222

* 山形 村山市の「あらきそば」芦野又三さんが亡くなった。長女の真弓さんから、「秦さんと おつき合いさせて頂いて、父は何よりのはげみになったと思います」と添え書きして下さっている。
芦野さんは、福田恆存先生のご紹介で「湖の本」の継続購読の読者になって下さり、桜桃忌には毎年きまってすばらしい桜桃をたくさん下さるのが三十年近いならいであった。心より、ご冥福を祈ります。ありがとうございました。
2020 5/18 222

* 九時。終日、『選集』全書誌作業にとりついて、大変さにしんから草臥れた。かろうじて第十巻まで。まだ創作巻の途中 で、いい方。エッセイの巻々へ来ると、泣きそう。ま、あと二十三巻分、四、五日かける気で、それより「湖の本 150」を責了へ持って行き、荷を軽くした い。
二つ三っつ心がけ手も掛けている小説が、「こっちへ来い」と呼びつける。疲れた。風呂へ浸かる元気もない。北極海の酷寒・烈風・高層ビル大超弩級の怒濤に加えてドイツ自慢の潜水雷撃のUボートと爆撃機に襲い続けられる船団指揮の『巡洋艦 ユリシーズ』のもの凄さにアテられてわたしもマイっているのかも。やれやれ。それでも、今夜も読む。レマルクもトルストイも源氏物語も読む。栄養は本で摂っているよう。
2020 5/18 222

* 午前中 書誌の仕事をしていた。疲れた。だが、生涯かけて積みあげてきた、ことに「創作」の書誌的な点検と回顧は、いろんな意味で身につまされる。と 同時に、井口哲郎大兄の立派な題字を戴いて着実になってきたわが「選集」本の手触りの良さ、適度の重さ、文字の大きさ、余の用はおいてゆっくり読み返した いとついつい思い入れてしまう。谷崎先生が、老後には楽しんで自作を読み返したいと述懐されていた頃、ああ、そんなものかなあと半ば余所に聴いていたが、 いまや七十九で亡くなられた先生より五年生き延びてきたのだ。感慨深い。やはり、書き継いで行きたいと願う。

* 仕事とは「用意」なのである、ことに連年連続して繰り返す仕事ほど、間隔によるが、間隔が短ければ数回分の前途を頭に入れてねば忽ち「用意・準備」の欠陥から仕事は停頓・渋滞し破産しかねない。
比較的間隔のある場合も、一つが終えればもう少なくも「次ぎ」のための「用意・準備」に掛かっておかねば、間際へ来て狼狽し結果渋滞して手数も増え疲労も加わり、仕事にキズのつくことも起きる。

* 私の、ほぼ単行書籍とかわらない「湖の本」が、創刊三十四年・百五十巻をどうにか迎える得るのも、文字通りさまざまな用意に用意を連携させてこれたから。行き当たりバッタリの思いつき仕事とは全然ちがう。
それでも小さな「迂闊」で辟易したことも数え切れない。機械を頼んでの作業・事業であるからは「機械君」の「ご機嫌や食べ物」に不備不十分があると、たちまち此方は「お手上げ」になる。それでは困るのである。
2020 5/19 222

* 『選集・全書誌』は楽勝と想っていたが、始めると容易ならぬ難行で、やっと半分にならぬ十六巻分まで書き上げた。あと十七巻分。他用先行の必要に迫ら れ、暫時棚上げに。「湖の本150」責了そして、その送り出し準備を優先集中。『選集』最終三三巻の入稿はそれらに後続。選集刊行了は、早くて九月中か。 コロナ禍の第二波必至と見られているそのさなかになるか。よくよく要心したい。
2020 5/21 222

* 早い「梅雨冷え」かのように今日も雨で肌寒い。五月雨と梅雨とはべつものだが、いま、この五月の雨は梅雨入りの雨かのよう。

* 夕刻前に 「湖の本 150」責了全紙 用意できた。明朝一番に郵送できる。
ひきつづき、発送用意。 読者ほかの皆さんへ挨拶状を書いて印刷、 郵送封筒に住所印等の押印、宛名印刷と貼り付けを。
そのかたわら、創作の進行。『選集 33』編輯を終え、頁数を睨みながら、入稿。その頃には、「湖の本 150」ず納品されて発送の力仕事。その間にも、 「湖の本 151」の心づもり。
おおかた「六月仕事」か「七月」へ引き摺るか。コロナ禍が一度沈静したら、聖路加病院へも神戸歯科へも通いたいが。
團十郎襲名興行が どうなるのか、すこしヤキモキしている。いまの白鸚さんのお父さん(先々代幸四郎)がまだ染五郎で、伯父さん先々代、すばらしい美男 子だった團十郎がまだ海老蔵の時分からわたしは歌舞伎を観てきた。今しも新團十郎になろうとコロナ禍に遮られじっと待機している海老蔵は、孫に当たる。惜 しくも早く亡くなった先代、どんどんよくなる成田の太鼓といわれた先代お父さん團十郎の襲名も観てきた。一等大きな襲名舞台、かなうなら中村歌右衛門の襲 名もぜひ観たいんだがなあ、福助に怪我があって残念だった。美しさの輝いてきた七之助が、兄勘九郎の勘三郎襲名と並んで歌右衛門というのが夢だが、たのむ から早く嗣いでおくれよ。
2020 5/21 222

* こまかな仕事でよほど疲れたか、夕食後、横になったら十時まで寝入っていた。アコが心配そうに覗きに来たので起きあがったが、まだ茫然と。いっそもう今夜は寝てしまおう。
幸い、郵送の「湖の本 150」責了紙は、十円分値上げ切手を貼り忘れたが、追跡で、届いたようだ。
2020 5/23 222

* もう二日で、「選集」全書誌が仕上がって。最終巻「入稿」のさきが読めてくる。そのうちに「湖の本150」納品の日取りが知れるだろう、発送用意、注 意しつつ進めている。慌てなくて済むように。湖の本発送、選集入稿を通り越せば大きく一息吐いてこの先先を視野に、ものの思案が立てられるだろう。
2020 5/27 222

* 十一時になる。今日の仕事は芯からろげるほど草臥れた。やすんでいるときが辛く、機械と向き合っている方がマシ、ただし目の酷使はなはだしい。洋は疲れ目と思うことにして、さ、やすもう。六月六日に「湖の本150」が出来てくる。十日頃までが、シンドい。
2020 5/28 222

* 六月六日に「湖の本」のすこしく変妙の第150巻が出来てくる。どんなふうに受け取って貰えるか、楽しみにしている。ものすごいバッシングが来るかも知れない。
2020 5/29 222

* 西隣に入って、必要なモノを捜したがみつからず、そのうち、昔々の講談社文学全集で、まっこと素晴らしい見付けもの、というか「着想」を得た。「選 集」後の先々の「大きな新しい創作」へ、ガチッと繋がりそう、嬉しくて、ほくほく。「湖の本 150」を送り出し、「選集 最終の33」を入稿し終えた ら、新しい大仕事へ、周到に、大胆に用意にかからねば。そのためには、何としても歩かねば。何としても歩きたい。歩いて「調べる仕事」から始めねばならな い。コロナを横目に、奮発、何としても電車に乗らねば。暑い暑い七月からになるか。参考文献をあつめねば。ねばねば、ねばだけで終わるまい。

* じつを謂うと、以前に一作書いた『女坂』という題の作を三、四も色合いを変えて書こうと用意してあるのだが、手先仕事にしたくなく、「女坂」に拘泥し ないでしかとした物語を大事に先ず一つ書きたいとも。前の「女坂」は『選集』にも入れていない。ああいう調子でなく書きたい、むかしまだ初心の
昔、小説集『廬山』に「祇園の子」などを入れた時、永井龍男先生が「こういうのが幾つも書けるなら、たいしたもんです」と励まして下さった、あの思いに立 ち帰って短篇を幾つか書きたいと時機を待っていた。一作一作自立の「女」短篇でありたいと心用意を新ためている。大作の方は、しっかり勉強し、まぎれなく 「男」を書く気。
2020 5/31 222

* 『選集』を、如何様に結ぶか、は、慌てず、「湖の本 150」を無事送り出してからでいいと。ゆっくりでいいと。

* 十時をまわった。五月が逝く。おやすみ。
2020 5/31 222

* 選集最終巻の編輯 「湖の本」にして一冊分ほど、分量超過している。
「私」か「記録」か。
「業績記録」としては、「受賞後満十年自筆略年譜」 詳細な「選集全書誌」「単行書籍101册全書誌」「湖の本150巻全書誌」が用意出来ている。文字通りの「記録」に徹している。私個人としては重い記録である。
「私」の開陳としては、「バグワンに聴く」「読み・書き・読書と、<ペン電子文藝館>創立」「歴史に問い、今日を傷む現代批評」「一筆呈上 匿名批評集」「秦教授の自問自答」「平成は穏やかであったか」となり、「受賞後満十年自筆略年譜」は、私的記録は簡略に、「作家」としての活動内容となっている。時代・現代と深く接触している。

* しばらく このまま放置する。
2020 6/1 223

* 当面の仕残しの作業は、「湖の本」を献呈追加の宛名書き、そして印刷してある本に挿入の挨拶文を個別に切り分ける力仕事が遺っている。あます四日間に は送り用意、出来るだろうウカとした失念がなければ。体を疲れさせずに納品を待ちながら、この先に思い描いている仕事の用意、おもに、難儀な参考文献の読 みをむしろ楽しみとしたい。
2020 6/1 223

* 追加分の宛名をほぼ確定。送り用意一歩前進、あと住所を書き入れる。
暑い。疲れが砂袋のように重たい。
2020 6/2 223

* 発送までに残る作業は、追加七十人ほどの宛名書きだけになった。あと三日でらくに出来る。
2020 6/2 223

* 何にしても発送前のもう二日の余裕を安らかに心用意し、目前へ迫った力仕事を、慣れなじんだ作業を無事通過したい。
2020 6/3 223

* 「湖の本 150」 「刷りだし」が届いた。医学書院の頃は「一部抜き」と謂うていた。かなり気の張る通過点だった。難儀な刷り替えを要するミスを見付けねばならぬ関所だった。
医学書院時代を書いた仕事は『迷走 三部作』ただ一つか。「清経入水」の主人公は廣島での小児科学會取材の編集者だったし、「風の奏で」の語り手も東北 大の先生への要用出張で先代へ出向いていた。体験は、まことに有難く生きてくれている。「湖の本」を150巻、34年も跡絶えず刊行し続けて成り立ってい ることが、例のないことだった。気をいれた攻めの「体験」は何にでも役立ってくれる。

* たまらず「一部ぬき」で、また読み通した。よし、という感懐。政治家にも送るつもり。

* とにもかくにも、宛名書きを一段落。明後日の納品を待ちながら、一日半、くつろぎたい。
2020 6/4 223

* さ、明日からは力仕事、急ぐまい、が、「ゆっくり疲れ」というのの有るのも知っている。無事にというのが願いである。
2020 6/5 223

* 朝ちばんに嬉しいお便りが届いていた。

☆ ごぶさたしております、神戸のe-oldです
秦恒平先生
おはようございます。
長い間、ご連絡もせず申し訳ございません。
秦先生と東京會舘でお会いしたのが2003年の確か2月、月日の経つのがはやいです。
あの時は食事とワインをご馳走になりました。
その東京會舘も建て直しになったそうですね。
この17年の間に私は、20**年に妻を亡くし、20**年の4月に突然襲ってきた脊柱管狭窄症のため歩けなくなってしまいました。
外科はもちろん整骨院に行ってみたり雑誌の特集記事に掲載されたストレッチ体操を試みるも改善しませんでした。
六ヶ月も経ったある日、これも突然歩けることに気がつきました。非常勤だった大学の職を失いましたが、未読の溜まった「湖の本」を読む時間ができまし た。その結果、やっと追いつき、今では新刊の「湖の本」を心待ちするようになりました。そして、生かされていることに感謝する毎日です。
e-oldの私も数年前に古希を迎えました。血圧も高く、3週間ごとに医者に行きまして薬をもらっております。一方、まだ社会に役立つことがあればと、写真展を開いたり、要望があれば神戸の下町の気になる店のことなどの講演をしたりしております。
以下のホームページの「What’s New」に掲載しております。
http://msibata.org/
東工大がらみで嬉しいことがありました。
私は神戸市立工業高専(一回生)に通っていたのですが 高専(八回生)の後輩になる益一哉さんが2018年4月から東工大の学長を務めています。
高専出身者の学長は初めてと思いますが、東工大の風通しの良さを象徴する出来事のようです。人文社会系の分野においてもユニークな先生方を招聘する伝統も失われていないですね。
私のところには特別給付金どころかアベマスクも届いておりませんが、新型コロナウイルス対応を含め政権のやることは闇だらけ。情けない国になっています。とは言え生きて行かなければなりません。
秦先生のことはホームページの「私語の刻」で毎日のことがわかります。無理をせず、頑張らないで日々大切に。ではまた。   2020.06.06. 神戸のe-old

* こういうこと、あるのだなと思う、この方のことをどうされてるか、また機械のことで教えて貰えるかなあ、前に、電話やメールでなにかとお尋ねして教え て貰ったが、と、ついこの一両日にも思っていた。東工大の学生君達はみな今しも働き盛りで邪魔はしたくないし、機械音痴はますます極まって来しナア、懐か しいなあ、どうされてるかと。
還暦ですか。病気もされてましたか。奥様のこと、残念極まりなく。
神戸の匂いが届いてきた。まだまだお互いに元気に生きなくてはと思う。早速に最新刊「湖の本 150」が送れる。もし途切れていたなら言うてください、すぐ送って差し上げます。

* 九時前。そろそろ新刊が到着する。雨に降られず送り始めたいが。
2020 6/6 223

* 一便は夕方に送り出した、が、宅急便サンは多忙らしく、すぐには送り出せませんよと無愛想。やれやれ。どっちがお客やら。よしよし。もう三、四日も掛ける気で。

* 今日、テレビで、わたしの新刊「湖の本」とも呼応の「軍国明治」番組があった。掌をさすようにわたしの今度の「湖の本」では、すでに書きかつ語っていた。

* とほうもなく疲れたのが分かる。いつも、ダンボールの空き箱に荷造り本を55册ずつで一と荷にし、玄関まで運んで積んでおく。この「55册一箱」を持 ち上げるのが、前回も感じたが今回更にひとしお重くなった。同じこの作業を創刊から34年150回繰り返してきたのだ、妻と二人だけで、と思うと我ながら 「ようやるよ」と感じ入る。それにしても今回初日にしてこのひどい疲労にはすこし驚いている。
そう思いながら、「151」巻には、出来るのか出来ぬか途方もないことを遣ってみようかなと、もうウズウズしている。当たり前に思えば、ま、不可能で しょうという難作業、最初の段を登るのに優に一年はかかる、けれど、もしやれたらやり甲斐あって面白いよと、やはりウズウズする。そのためには、少なくも 大きな漢和大字典が必要、幸か不幸か、それは書庫に在る。気合いだけの、いやいてや残年寿命の問題でもあり、怖じ気づかずにやるか、だ。だが私の漢字の素 養は往昔の文学者とはとても比べものにならないと、はや逃げ腰。ただ「読む」ぶんには故障は無いのだ、「読みながら」という手をうまく使えれば。
こんなことを思っているうちは疲れを忘れている。ありがたい。
2020 6/6 223

* 謹呈贈呈分は 送り終えた。順が逆で申し訳ないが、読者の皆様には今、荷造りをしていて、送り出せるのは明日になるかも知れない。佳い一冊になってくれたと思っていますが、さ、どうでしょうか。

☆ 秦 恒平様
コロナウイルス感染の事態は一向に収束の気配が見えませんが、恙なくお過ごしでいらっしゃいますか。
高齢者は危いと娘達に心配され四月初めから五月末まで富士宮で過ごしておりました。人が少なく人に会わずに森の径を散歩ができることにひたすら感謝の日々を送りました。
江戸時代にできた用水池そこから一続きの高台の住宅地の間に思いがけず昔からの保全された森があります 絶滅危惧種の金蘭の花束のような蕾から咲き終え る迄を見届けることができました 東京ではクッキーの製造と配送を続けるべく時間短縮で娘たちと従業員が頑張ってくれました
ぼつぼつ店を開けて営業を始めておりますが 当分限られた範囲で細々とやってまいります
どうぞ 御身 ご大切にお過ごし下さい
令和二年六月五日     村上開新堂  道

* 思えばもう三十四年も「湖の本」を応援し続けて下さったのである、出会いは、まことに フトしたことであった。人生で人との出逢いのありがたさ、不思 議さをいつも思う。要は、誠心誠意というに尽きていた。お互いに、一心に自身の仕事に立ち向かっておればこそ、親愛も生まれるということ。

* 疲労困憊 身動きもならない。ここまで来たかと思うが、妻はもう休ませても、わたしはまだ此の道を懸命に歩くしかあるまいか。
2020 6/7 223

* ま、送り出した「湖の本 150」の、『山縣有朋の「椿山集」を読む』は、大方の人を驚かして、それなりの訴求力を持ってくれるのでは、と。
2020 6/7 223

* さて何とか今日にも送り出しを終えたいもの。今度の本には写真をとってもせい口絵にしたのが色美しい。ま、百年以上もむかしのもの言いや表現は、いっそ読みときけば承知楽しんで欲しい。
「龍動にて」とあって即、「ロンドンにて」とは分かりにくいだろうが、「日の本にけさたちし春のいちしるくいきりすかけてかすむ雨かな」とあれば、故国 で立春という季候と「かすむ雨」の英国ロンドンの風情はうちかさね感じ取れる。こういう「読み解き」のおもしろさも今や『椿山集』の一魅惑ではある。
「鷗外兄より秋の頃めづらしき内外産の種々の野菜をおこせければ」と前詞して、
七草の花にもまさる匂かな色香も深き畑のなりもの
と詠んでいる。大正七年、功なり名とげていた公爵山縣元帥をふり仰いでいた部下で「文豪」の森鷗外か らの届け物に、謝して「兄」と敬称している。もののたとえに私・秦 恒平の歌集などまことに単に私的で国家・国交・政治・広範囲な交友などかげもないが、山縣有朋の人生は尊皇攘夷の幕末から、西南戦争に勝ち、日清・日露の 戦役に勝ち、第一回帝国議会に総理大臣として臨み、なんともかとも謂いようのない人物なのだが、終生、表現し続けていた詩歌は日本の近代史を背負いつつ も、なんともはや優雅に清純なのである。
しかも私は、八十五歳の今日まで書庫にはおきながら今回この優美な『椿山集』を実に初めて詠んだのであり、何故かなら山縣有朋という「名」ひとつを、も のの譬えに同じ長州出の安倍総理同様にむしろ憎むほど嫌い続けてきたからなのだ。ここに、私にとってもひとつ「ドラマ」が生まれたので、どうかそれを「湖 の本」の読者の皆様に読み取って戴きたいのです。

* 今回の「湖の本 150」 送り終えた。ただ、アメリカへは送れたがスペインへの荷物はコロナの影響で送れなかった。
心底、ホッコリした。過去149回、今回ほど疲労したことはなかった、しかも半ば妻に手伝ってもらいながら。暑さもこたえた。いま、ほっとしているが、いきなり次の仕事へ、ムリは利かない。暫く息をつぎたい。
2020 6/8 223

☆ 湖の本150拝受
秦 恒平先生  コロナ闇にもめげず紫陽花も彩りをましております。
首都圏の緊急事態宣言解除後の東京アラートの赤色が悲しい音を奏でているようです。
ひさしくお目にかかっておりません。ご無沙汰をしております。
本州の西端の草庵まで、ご恵送たまわり恐縮しております。
折に折りに希少な重厚本を賜り、「黙って納めよ」と言われたことに甘えております。
のんびり流れていく老いの時間に、なまけごころに「カツ」をいれられるようでもあります。
本日拝受いたしました『湖の本150 山縣有朋の『椿山集』を読む』はとくに感激いたしました。
かなり以前(横浜在住時)、国会図書館で『山県公遺稿 こしのやまかぜ』というのを開いたことがあります。
その折、「椿山集」の「風雲集」あたりをコピーしましたが、枚数制限があり全部をコピーできませんでした。
秦先生の思いの文章とともに復刻全文を手にすることができました。ありがたき幸せに存じます。
楽しみに読んでいこうと思います。
とりいそぎ一言御礼もうしあげます。  山口縣  淳  歌人

☆ 湖の本 拝受
コロナ騒ぎの昨今 如何ように落ち着くものやら…
マスクの箱買いの残品が多数あったので  これは何時の時 かと調べてみたら、遥か昔のスペイン風邪流行の時でした。 その恐怖は若いからこそ しっかり覚えています。箱には飛沫 風邪 花粉用とあります。考えれば花粉症なんてヤワイもんですね。
何とか我が家で暮らせていますが 、子供達には何かと助けて貰っています。
どうぞお元気でお過ごし下さい。
まだ自転車に乗って ますか まさか   花小金井  千  中・高同窓

* 長時間 長距離は 避けていますが、近距離短時間なら自転車はあるくより遙かに颯爽とらくらく乗り回せていますよ。

* さすがに、ホッコリ息がつけている心地。猛暑とか。 本が届き始めているらしく。核心に触れた感想や批評・批判が来ればいいが。
2020 6/9 223

☆ 目な高に山法師咲く孤なりけり  杏牛
『「椿山集」を読む』 拝受有難うございます。
このコロナを瀬戸に文藝の世界も変るでしょう。今は寂しい限りです。
南山先生のご健筆 列びに奥様大事になさって下さい 匆々

* 「南山」の名告りを受けていただいた。 南山は とみにわが目に浮かんで見えている。陶淵明の昔から南山は心穏やかに眺める懐かしい景色であった。

☆ 謹啓
初夏の候 貴殿におかれましては、ますますご清祥のことと拝察いたし、お慶び申し上げます。
平素より格別のご厚情を賜っておりますこと、厚く御礼申し上げます。
さて、このたびは、『湖 (うみ) の本』第一五〇号をご寄贈賜り、大変有難うございました。ご寄贈賜りました書籍は今後ヒも、当センターの骨重な研究資料ヒして活用させていただきたく存じます。
末筆ながら、ご自愛のほど切に念じ上げ、御礼とさせていただきます。 謹白
二〇ニ○年六月八日   親鸞佛教センター所長  本多弘之

☆ 御礼
秦様   湖の本150号のご恵投、ありがとうございます。山縣には興味があり、早速拝読し始めております。秦様とは歴史観、政治観を異に致しますが、秦様の直観的な、また経験的な歴史把握にはいつも刺激され、啓蒙されております。今号も実に興味深く拝読しております。
ただ、山縣が明治天皇に信愛されたということはないのではないでしょうか。研究書を読む限り、山縣は明治天皇にも、大正天皇にも疎まれたとあります。こ の反論をご教示願えれば幸いです。また山縣と2.26事件に関する拙文、添付いたします。ご笑覧いただけたら幸いです。  鋼 生

* お便りを有難く。
私は 明言していますように、もともと山縣有朋には反感や厭悪こそあれ、興味ない一人でした。ただ、不思議の経緯で手もとに美しい非売品の「椿山集」原本があり、この度び初めて読んだというだけ、それよりも同じ長州出の総理安倍晋三のほうがアタマにきていました。

山縣に関しての研究書とかは一切読んでいません、ただただ、『椿山集』一冊の詩歌だけは、叮嚀に気を入れて繰り返し読みました。全部「手寫」もしたのです。

明治や大正の天皇さんが彼を疎んじていたかなども関心なく、しか し、多年に亘り数多くの詩歌の実作実感を介して、彼山縣が、天皇や皇室に敬虔なほどの神的敬愛を捧げていたことは、数々の「表現」や「事蹟」からも疑いよ うが無いと思われます、かれが「偽り多き」「虚言の詩歌人」だと説得証明されるならば別ですが、とても、つくりもののうそくさい歌人詩人とは読みとれない と信じます。

また彼のいわゆる栄位栄達の順調な経路にも、疑念や不自然は感じ られませんし、彼の奇兵隊時代からの当然の体験と痛感とが、日本国と日本列島の安寧のためには「主権線・利益線」を意識し続けつつ「軍」への最大の配慮を 謀り続けたらしいのは、政治家としても軍人としても、まこと余儀なく「当を得ていた」ことはみとめざるを得ず、それなしには、とても二本差しのお侍軍団な んかで、清国や朝鮮やロシアと対等以上の抗戦が出来たわけのないのは明々白々でした。よしあしの問題でなく、皇室が、終生彼を元勲・枢密院議長として遇し た「事実」は当然のことで、余人を以て替えがたい「眼」と「策」とを國のために山縣の持ち続けていたことは確か、公の史実としても詩歌の私情表現からも、 まぎれなく読み取れます。

さりとて私は、昭和を生きた一私人としては、山縣有朋とつきあいたい気は全くありません、が、安倍晋三と比すれば、スッポンに対する月、汚泥に対する明雲ではあるなと認めざるを得ません。

山縣の反民主主義や反政党主義はまるで認めませんが、世界の動きと帯同しつつ「眼の利いた人」だなあとは思っています。和歌も詩も、そこそこに純真に感じています。歌と詩とを一つ一つ、よく読んでやって下さいませ。

大正十二年には死去している山縣の、十数年後の二・二六事件との係わりについては、何一つ知識も関心もありません。いまの私は 安倍政権への憂慮と懸念しかありません。

歴史観、政治観を「異にする」とおっしゃっていますが、持田さんのそれをそれと伺ったことがなく、古今の日本史や世界史を通じての「異」なのでしょうか。

いま、私は、山縣有朋は忘れて、次かその次ぎかの目標に、山縣へのそれとは全く異なる視線と関心とから、「幕末と維新」を生きた一人の男と、興味津々付き合っています、呵々。

お元気で。  秦 恒平

* 四国の大成繁さん、たくさんの素麺を下さる。食のてんで進まないいま、ことに有難い。感謝します。

* まだ六時だが、どうしようもなく草臥れきっている。

* 十時まで寝潰れていた。

☆ 秦様
ご丁寧なご返信ありがとうございました。わたくしも山縣に限らず、日本の近代の政治家は、秦様のおっしゃるように、もっと内在的に、つまり彼らの「生き た時代に即して」理解されなければならないと存じております。戦後の歴史学研究会の連中はマルクス主義史観に立ち、日本の近代を断罪してきましたが、これ はとてつもない誤りだったと存じます。
遠山茂樹はコミンテルンの1932年テーゼに従い、要するに、ソ連の革命戦略に沿って歴史を書くと昭和史論争で明言しております。とんでもない妄言だと考えます。
ただ、山縣が明治天皇、大正天皇に疎まれ、国民にも嫌われたことは事実と存じます。そして、時に政治家は国民に嫌われることも必要だと存じております。 日ロ終戦交渉のポーツマス会議から帰国した小村寿太郎がロシアに譲歩し過ぎたと国民から総スカンを食い、夫人が精神に変調をきたした事実と、松岡洋右が国 連を脱退して帰国したときの国民の大歓迎ぶりを比較すると、このことが明らかだと存じます。
安部首相に対しては、小泉や鳩山に較べれば ずっとましだと存じます。とにかく小泉が竹中を登用し、新自由主義経済学に基づく経済政策を推進したのに比 べれば アベノミクスはずっとましです。コロナ発生までは、わずかながら格差は縮小し、失業率は減り、求人倍率は上がり、自殺者数は減少傾向にありまし た。子供の貧困率も 6人に一人から7人に一人に減りました。犯罪率も世界一低いようです。
外交面でも対中国に慎重な姿勢を取り、尖閣問題を先鋭化させていません。対韓国に関しては韓国の方に問題があると存じます。拉致問題の解決は現行憲法では解決不可能だと存じます。
もちろん、政権批判は大いにすべきで、その批判に安倍が耳をどれだけ傾けているかは不明です。
「政治を軽蔑する国民は軽蔑するに値する政治しか持てない」とトーマス・マンは言ったと言われていますが、私も同意見です。
私の政治に対するスタンスは、ベターよりベストを求めるのではなく、ワーストよりワースを求める、ということです。
安倍と山縣の比較は後世に任せたいと存じております。
問題は憲法改正に関してですが、中国が覇権主義を露わにしつつある現在、尖閣諸島を武装民兵などで占拠した場合、自衛権の行使がどこまで許されるかとい う問題を含んでいると存じます。この問題を議論しているうちに中国は尖閣を事実上、施政権下に置いたと宣告するでしょう。仮に尖閣を中国に譲れば、中国は 沖縄を自国の領土だと言い始めます、中国ではすでにそう言い始めております。
また、憲法の条文と現実との矛盾を、解釈で繕い、そのままにしておいた方がよいのか否かという問題もあります。憲法学者のたしか8割は自衛隊の存在は武 力にあたり、憲法違反だと言っております。憲法機関説との関連についても意見がありますが、これは長くなりすぎるので控えます。
山縣の歌については これからじっくり読もうと存じております。
また秦様がこういうご努力を密かにされていることには 多大の敬意の念を抱いております。 鋼 拝

* 有難う存じます。たくさん、教わりました。ことに、中国との今ないし今後には私は深い懼れをもっています、今世紀に入って以来、絶え間なく。
幸いにして山縣有朋の実像に触れずに生きてこれたと思いつつ、彼ならば 尖閣などの不安にどれほど前からどう対処していたのだろうなと思ったりします。 日米安保とかに安閑と頼って米国追従の姿勢ではたして緊迫の事態がどう乗り切れるのか、政治を頼みとしたいだけに現状を肌寒く思っています。

☆ 秦恒平様
昨日、『湖の本』150をいただきました。いつもながらのご厚意に感謝いたします。本日、武蔵野日赤への通院から帰宅してから、いただいたご本の頁を括りました。
山縣有朋の歌のすべてからではありませんが、彼の歌からは 柔らかな詩情を感じ取ります。しかしそれは、秩父騒動を武力弾圧して、日本の自由な民意形成 ヘの道を閉ざした暴力行使者の苛立ちとも、弾圧される者の痛みとは関わりがありません。山縣の歌には国土の拡張を誇る晴れがましさが感じ取れますが、弾圧 された朝鮮人の悲惨は視野から消される。ただ朋友伊藤の死を悼むのみ。
詩文が人事と政治的な抵抗の手段であったユダヤ的風土と西欧の文明に親しんできた私には、山縣という権力政治家の人間性、人間の尊厳へのアパシーには驚きます。このアパシーが美と暴力を結合させる。 今回の読書は、日本人とは何かの認識に資するところがありました。
アベ政権下での梅雨入りは不快の念を深めますが、そんなこの国の風土にへこたれない精神を培いたいものです。どうぞご自愛下さい。失礼しました。  並木浩一

* 山縣への批判・非難は私の久しく持して離さなかったそれと変わり有りません。と、同時に、ことの善し悪しを措けば、幕末から維新以後の、昭和以前の日 本の近代が、山縣の軍形成と指導と方法なしに西欧列強の威嚇や東洋の先進清韓露等との軍事抗争に堪え得て日本国土と国民とを無事護り得たろうかとは思われ るのです。鎖国可能の時代ではゼッタイにあり得なかったでしょうから。日本の近代史の最も難しい問題点と感じたことでした、政治家山縣が(私自身からも) 幾重にも批判を受けねばならない、にしましても。

☆ 秦様
立派な「椿山集」をご紹介いただき、貴重な機会をありがとうございます。じっくりと読んで参りたいと存じます。
お目をお身体も 大切にお過ごしいただきますように。
次の作品も楽しみにしています。
迪子さま
自粛生活の間にも季節がどんどん移り、周りの木々のみどりもすっかり濃くなってしまいました。育ち盛りのネコちゃんと賑やかに楽しく過ごされているようす 何よりとホツトしています。
このところ 私は謡のお稽古をリモートでしています。スマホで先生とつながり、間違えばその場で訂正していただけ、声の質も直ぐ側で聞いているようです。仕舞いもビデオ録りして、一緒に見ていただき、先生のお手本も見れるのです。電車やバスで外出しなくて済んでいます。
何時までも続きますコロナ騒動ですが、熱中症にはならないように、お互い身体大事にすごしましよう。
ずっと以前、秦様にパソコンはOLDの良い杖になると薦められました、感謝です。
練馬  晴美

* 建日子へは本が届いていない、と。

* 十一時になった。もう、機械も止める。疲れた。今度の本はそれなりに考えて頂ける刺戟は持てたようで、肯いている。
2020 6/9 223

* 建日子へは本が届いていない、と。

* 十一時になった。もう、機械も止める。疲れた。今度の本はそれなりに考えて頂ける刺戟は持てたようで、肯いている。
2020 6/9 223

☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 150  山縣有朋の『椿山集』を読む」を拝受しました。
創刊34年、第150巻の偉業、慶賀に堪えません。才能の発揮はもとより、出版から配送までのあらゆる工程を夫婦お二人の不断の努力で成し遂げられてきたことは まことに稀有なことと拝察しております。
新型コロナウイルスの鎮静化に未だ遠い昨今 くれぐれもご自愛ください。
令和2年6月10日   濵 拝    妻の従弟

* 僥倖というか配剤というか、こんなことが有るのだと、昨夜就寝直前の偶然の出会いに思わず天を仰いで驚嘆した。いきなりこへ書くのが惜しい気さえする。

* 秦の祖父鶴吉が市井の一小商人にしてはたいそうな蔵書家であったとは繰り返し語ってきた。現に出版したばかりの「湖の本 150」 山縣有朋の『椿山集』を読んだのも、明治の祖父の旧蔵書一冊に令和の私なりに日の目を見せたのだった。
ところで、それとは全然無関係に寝床のわきほ持ち出していた百何十年の埃の垢のようにこびりついた和装本の大冊、分厚さが七、八センチもの和綴じ和紙・ 和活字・和装の一冊を、特別の関心もなくなく、というより軽い面白半分の気まぐれで寝たまま手にしたのである。和紙の本は、大きさよりも軽いので仰向きに 持ってももてるだった。
何の本か。無残に禿げ禿げのしかし、和装のママシッカリした大冊の表紙題簽には『増補明治作文三千題』とあり「文法詳解」と二行に割った角書きがある。 「ナンジャ、これは」と思うだろう、だれでも。「明治四十四年三月求之」と奥付の上に毛筆、祖父の手跡と見える。本の発行は「明治二十四年三月二十九日出 版」「明治三十年十月増補出版」「同十一月訂正再版」とある。著作者は「伊良子晴州」増補者が「川原梶三郎」発行者は大阪市東区安土町四丁目三十八番屋 敷」の「花井卯助」発売者は大阪市、福岡県、広島県の『積善館本店・支店』とある。東京本ではない。
それにしても、ざっくりした、しかし多彩に多様多用な「編輯」で、そもそも「総目次」がなく、組みようも頁に三段二段 字の大小も、その区分されたそれ ぞれの内容も目が舞うほど色々に異なってある。ちなみに第一頁を見ると、上段に『論文門』と大きく「○学問論」と題した文章が「天地ノ間一モ恃ム可キ無シ 矣」と書き出してある。中間には細い段があり「類語日用文の部」として先ず「○時代の風俗にて無是非候」「○無御遠慮御申附被下度候」などと細字で居並ん でいる。下段はやや丈高くて、「明治作文三千題巻之壱 伊良子晴州編述」と総題らしく、ついで「日用文之部」と掲げ、「◎揮毫を頼む文」と例題し、即、 「粛啓然は拙者故郷の者京都本願寺へ参詣いたし立寄候処先生の御高名承り居今度是非御揮毫度願紹介の義依頼せられ候就而は近頃甚だ願上兼候へども右は需に 応じ被降度即ち料紙為持上候間御領収の上御一揮可被下候先は御願まで筆余は拝跪を期し候頓首再拝」とある。こんなのが延々と、次は「◎烟草の商況を報ずる 文」また「◎雑誌を贈る文」等々と大量に頁を追って行くが、実は大題の項目は他にいろいろあり、先に『論 文門』というのがあったが、類似に何種もあって、いささか様子も表情を変えて二段組みの下段に丈高く『◎文門』とかかげた頁がある。上段には『和歌和文 録』と構えてまず「和歌の部」がはじまり、高崎清風、福羽美静など私でも承知の有名人の作が以下並ぶらしい、で、その下段『文門』の初ッ端をみつけて私、 思わず起きあがった。
西南ノ役征討参軍トナリ総督ヲ輔翼シ参籌戦闘敵ヲ破リ平定ノ効ヲ奏ス
と表題され、次行に、『◎熊本陣中私(ヒソカ)ニ西郷氏ニ贈ル文」とあるではないか。紛れもない山縣有朋が西郷隆盛を案じて私「ひそか」に送った親書が此 処に上がっていると見えた。「おおう」と私は唸った、実は、この二人の間にこういう往来があったのでは、きっとあったとろうと予測しながらとても確かめる 方途がなかった。「湖の本 150}の65頁に、「明治十年西南の役参軍として肥後の国にくだりしとき」以下の三首和歌に私は何度も立ち止まっていた。こ とに
薩摩の國大口に戦ひけるとき
ともすれば仇まもる身のおこたりをいさめかほにもなく郭公
に切ない心地で立ち止まりモノを思った。「仇(あだ=敵)まもる身のおこたり」とは。「まもる」には「見守る」意味に「護る」心地も重なりやすい。「郭公 ほととぎす」は死に近縁を詠われることの多い鳥である。西郷の最期へひしひしと迫る山縣のかなしみがここで歌われているなと、傍証をもたぬまま私はむしろ 山縣の苦衷を察し、または感じていた。
そこへ「明治作文三千題」などいう珍な大冊の中、山縣の、苦境西郷隆盛に送っていた衷心の長書状を目にし手にしたのだ、唸ったのである。そうそうに此処へ書き写すことは出来ない、ほとんど漢文なのである、が、胸に響く。書き写しておく。
こんなのに目をふれたことこれまた「秦のおじいちゃん」の遺徳と感謝し、『椿山集』を今度は「論攷する仕事」にもしなくてはと思い至っている。

* 上に、「征討参軍トナリ総督ヲ輔翼シ参籌戦闘敵ヲ破リ」ちあった。「参軍」とはよく謂う参謀であり、「参 籌」もまた戦闘の謀りごとを能くする意味である。山縣有朋の軍歴ではこの「参謀」「参謀長」「参謀本部長」「参謀総長」という一線が目立ち、いわば智慧す るどい「いくさ上手」であったようだ。軍事にかかわりながら国家の安寧と戦略的外交に能力をそそぎ、そこから國の「主権線」「利益線」を世界地図上に敷い て行くべくこと思い至った太のであろう。事の是非は問わず、そういう方針為しに世界列強との海を航海はならないと山縣はだれよりも恐れかつ備えていたということか。
現下の日本には、戦争戦闘体験者はもう一人も実在しないまま、国防の防衛のと構えているが、真剣で有効な「参籌」 能力は、山縣級の眼からはゼロに近いのではないか。肌寒いほどの現実である。戦争は、シテはいけない。もう一つ、シカケられてもゼッタイにいけない。この 後者の備えが「日米安保」では、限りなく頼りない。トランプ型のアメリカは、すこしの損でもすたこらと日本など棄てて立ち退く、これ、間違いない。

☆ 謹んで申し上げます
この度は湖の本150「山縣有朋の『椿山集』を読む」を御恵送下さいまして、ありがとうございます。
山縣の仕事をじっくり考えてみようと思います。
さっと『椿山集』をながめただけで。安倍にはこの百分の一も語彙がないことがわかります。はやく消えて欲しいものです。  千代田  なを  美術家
2020 6/10 223

☆ 秦 さん
お元気でご活躍の様子で何よりと よろこんでおります。
本日、「山縣有朋の『椿山集』を読む」を頂戴しました。ありがとうございます。ゆるりと読ませていただきます。
昨年来、山口県の方とSNSで交信しています。
幕末から維新を主導してきた長州人の中でも萩の人は特に誇り高き人たちが多いようで安倍一族では安倍寛を聖人と崇める一方で 孫の晋三へは酷評しきりです。
そんな折に萩人の山縣有朋の歌集を手にして萩の聖人寛を祖父に持つ晋三の人となりを思うとき乖離の大きさに隔世遺伝の突然変異の悪戯に失笑を禁じ得ません。
こんな他愛のないことに一喜一憂しながら余生わずかな日々を一病息災のままであれかしと過ごしています。
コロナ禍の終息を念じてご自愛の日をお過ごしください。
ありがとうございました。   森

☆ 秦先生、
きょう『湖の本』150号頂きました。有り難うございます。今夜インターネットより入金致しました。
ご無沙汰で失礼致しております。コロナもありますが、腰痛がひどくて、やる気も失せておりました。
150巻到達おめでとうございます。「山縣有朋の『椿山集』を読む」のタイトルにびっくり。あの政界の妖怪のような山縣有朋をお好きなのかしら、信じられないと。解説を読み、では山縣有朋はどんな歌を詠むの? と『風雲集』の巻頭の歌を詠み感心しました。

花とのみ見てやかへらむ嵐山松のこのまのもみちそめしを

ほんとに、古今集の一首といわれたら、私など、そうですかと頷いてしまいます。
『椿山集』を取り上げられたこと、良いものは良い、美しいものは美しい、という先生らしい取り上げ方だと。それに先生の解釈がコロナの蹂躙でかき乱されたこの世相に問う内容だと。
とても面白そう、味わって読みます。このところ眼の調子も悪く、本もろくに読んでいませんでしたが、少し気分が晴れていきそうです。
取り急ぎ御礼まで。   愛知  珊
2020 6/11 223

* 講談社の天野敬子さん、哲学の石内徹さんから、「湖の本 150」へお祝いをいただいた。お励まし、こころより御礼申し上げます。

☆ 「秦 恒平 湖の本」第百五十巻
『山縣有朋の『椿山集』を読む』の刊行を
お祝い申しあげます。
前巻で、山縣のことを書くとの予告はいただいていましたが、 想像をはるかに超える珍しくも貴重な一冊でございました。
秦さんにこのような形で見出され、余に問われること手は山縣ありせば欣快とするところでしょう。願わくばしばし世にあらわれ後輩総理を叱りとばしてもらいたいものです。
鷗外の名が出て来たのも予想外でしたが、「老いぬれば世の箏のみかなく蝉の聲さへ耳に疎くなりぬる」などという感慨にも驚きました。
祝意とお令の微意を同封する失礼をお許し下さい。
人智の統御を嘲笑うごときウイルスです。どうぞ御身お大切に、さらなるご健筆を祈念いたします。
二○二○年六月十日     天野敬子

* ありがとう存じます。

☆ 拝復
梅の実が甘い香りを放つよい時期になりました。
本日 御労作の「湖の本 150」拝受いたしました。厚く御礼申し上げます。
些少ですが印刷代の一部に御利用いただければ幸いです。  敬具   千葉  石内徹

☆ 「湖の本」いただく。
私語の刻 読む。 秦さんは深いこと考えている。僕も88歳という年齢。ここいらで終止符を打とうかと思う。
秦さんの一生涯の仕事はたいへんなものだった。  墨畫家  島田正治

☆ 『湖の本』一五○巻
おめでとうございます。
「山縣有朋の『椿山集』を読む」ありがとうございました。安倍総理との対比 まことにその通りです。
「私語の刻」孫子も興味深く読ませていただきました。 恐々謹言 静岡大教授  小和田哲男

☆ 『湖の本』第百五十巻の
ご刊行心よりお慶び申し上げます、
たいへんお恥ずかしいのですが これまで知ることのなかった『椿山集』を秦先生のお導きにより親しむ機会を得ましたこと まことにありがたく存じております。少しずつ味わいながら読み進めております。
また「私語の刻」にございます、コロナ禍における現政権への鋭いお言葉一語一語噛みしめながら受けとめております。
秦先生のお住まいのあたりではご心配なこともまだほまだ多いことと拝察しております。くれぐれもご自愛のうえお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。  山梨県立文学館

☆ この度は 又
創刊三十四年「湖の本150」を贈って下さいまして有難うございました、心よりお祝い申しあげます。
長い長い間に亘り:研鑽を積まれ精進なさっておられるお姿を思い 頭が下がります。常に願っていることですが お体は くれぐれもお大事になさってくださいね。
こちら宇治は、ここ数日三十三度ほどの暑い日が続いて いよいよ梅雨に入りそうです。
梅雨、コロナ、そして猛暑 どうか体にお気をつけられて、奥様とお二人、お健やかにお過ごしなさいませ。
ありがとうございました。  かしこ     京・宇治  水谷(旧・佐々木。弥栄中)葉子(先生)

* 県立神奈川近代文学館、西東京市図書館、城西大水田記念図書館、天理大学図書館からも、「湖の本 150 山縣有朋の『椿山集』を読む」 受領の来信。
2020 6/11 223

* 京・宇治の水谷(佐々木)葉子先生、「宇治」選りすぐりの銘茶を、たっぷり選んで送って下さった。宇治茶のうまさは、格別。楽しませて戴く。先生、有難う存じます。

☆ 山縣に関しては
勝海舟評の、「胆力の井上(馨 か)、利口者の伊藤(博文 か)のあとに、「山縣(有朋)に至っては、あれは正直一方の男さ」が目に残る。
勝の理屈っぽい歌より、山縣の調べの美しさに驚きました。
明治の政治家達はよく歌をうたいますね。
ありがとうございました。    狛江  野路秀樹

* 教えていただきました。 山縣和歌の穏和に優麗な調べでなかったら、私は立ち止まらなかったかも知れません。

* 所沢の藤森佐貴子さん、いつもお心づかいの、めずらかな「旬のめぐみ新茶とお菓子」を頂戴した。「ひだり団扇」とある、美しい模様で小さく造られた団扇も二枚副っていて、おもわず夫婦して破顔。

* 京・有栖川の桐山恵美子さん、寺町三條の老舗「とり市」から、美しい大きな加茂茄子をはじめ生鮮の京野菜いろいろを沢山に下さる。感謝。

* 四国の大成繁さんはタップレと讃岐素麺と饂飩とを、神戸の信太周さんは故郷の名品「稲庭饂飩」をたくさん送って下さった。逼塞して暮らしている老夫婦には気の晴れる有難い賑わいです、御礼申します。

* 参議院議員福島みずほさん、所沢の藤森佐貴子さん、聖教新聞の原山祐一さん、元中央公論編集長粕谷一希氏夫人幸子さん、作家の杉本利男さん、杉並の柏 木洋子さん、井上靖先生の娘さん浦城幾世さん、また上智大学、東海学園大学名古屋キャンパス、お茶の水女子大学、山梨県立文学館、大正大学等々よりお手紙 また受領の来信あり。
下関の大庭緑さん、横浜の安田鏡子さんからも送金に副えてご挨拶があった。感謝します。

* 機械不調、メールの往来が昨日から杜絶、試みに階下から妻に送って貰ったテストメールも届かない。やれやれ。
いま、通った・

☆ 秦恒平先生
神戸のe-old道です。
先ほど、湖の本No.150山縣有朋の『椿山集』を読むが届きました。
送り出すのに大変だったと思います、ありがとうございます。
山縣有朋の名前は知っていますが、どのような人物であるのか考えたこともなく、作品を残していたとは。じっくり読むことにします。
さて、先日は突然10年ぶりになるメールを差し上げまして、驚かれたことでしょう。
秦先生はパソコンのことを「電子の杖」と仰ってましたね。パソコンが世の中に登場してから随分と経ちますが、用途と言いますか、使い方はあんまり変わっていない気がします。
文章を書く(write)、計算する(calc)、絵を描く(draw)、通信(mail)が主で、動画等が送れるようになったことはありますが。
私は、壊れないものだから、いまだに10年前のノートパソコン(widows vista)を使っています。
やはり遅いです。
これが壊れたらwindows10にしますか。
あるとき従来から使っていたスキャナーが壊れました。使用頻度がそれほど多くないので必要になったらコンビニのマルチプリンターを使います。
プリントアウトは1万円台の安いレーザープリンターでモノクロだけは印刷します。
めったに印刷しないカラーですが、家庭用のカラープリンターは、インクの故障が多いので、やはりコンビニを利用します。保守が要るようなものはなるべく自宅には置かないようにするだけでも気が楽です。
で、働き盛りの卒業生君らは多忙でしょうね。秦先生、機械のことで困ったことが発生しましたら
取りあえず、私にメールください。
パソコンの本を書いたのは20年も前のこと(本は東工大の図書館にまだあるようです)、すぐ役立つかどうかは保障できませんが、私にわかる範囲でしたら遠慮なく。

* 心づよく嬉しい限りです。「友軍あり」という嬉しさ頼もしさです。
2020 6/12 223

* 今回の送本は、宅急便の事情からか、必ずしも荷を托した順序で各地へ届いているようでなく想われる。よくは分からないけれど。
2020 6/12 223

☆ 秦 恒平様
6月10日午後4時30分。ただ今の自室の気温は31.7度、湿度44%です。先ほど、温められた郵便受けから、『湖の本』を取り出してきました。HP で諸氏の感想を拝見していましたが、現物を目にして、私には直ちに入っていけそうにはありません。とりあえず「山縣有朋の『椿山集』を読みて」をたよりに 拝読したいと思っています。
先頃、150号到達を記念して、「流雲吐月」を篆刻にと鉄筆を手にしたのですが、途中でなんだか彫った覚えがあるような気がして、調べてみましたところ、平成27年10月20日「秦さんに」と印譜に残っていました。思いの証しに、未完の印影を添えておきます。
それにしても空気の重い春でした。老人の日常生活には特に変動はないものの、なんとも気鬱な毎日でした。その間、5月8日、八十八歳に到達しました。と たんに左膝を痛め、整形外科に診てもらったところ、水がたまっていました。水を抜いて貰いましたが、痛みは抜けきっていません。これも年をとった証拠と耐 えています。
その五月、珍しく二つの出来事が降りかかりました。私がその年譜や著作を調べた北村喜八と岡栄一郎に関することです。
北村喜八については、北陸中日新聞が「わがまちの偉人」というシリーズに取り上げてくれました。若い女性記者が取材に来ました。大ざっばに話して、後はご参考にと、手持ちの資料を貸し与えました。まあまあ無難にまとめてくれました。
岡栄一郎の方は、徳田秋聲記念館が、「生誕130年記念企画展『岡栄一郎の陰影』」を催してくれました(チラシ同封)。開催期間中に、講演の依頼があり ました。頭に浮かんだことが、なかなか言葉にならないとお断りしたところ、館長さん(元金沢大学国文科主任教授)から、「私の質問に応えるかたちでどうで しょうか」とまでいわれて、結局「対談」ということでお受けしました。しかし5月16日の実施予定が「例にならって」中止となり、現在に至っています。お そらく開催期間中(6月28日まで)
の実行は無理でしょう。お声を掛けてくださった館長さんには申し訳ありませんが、正直なところほっとしています。
今夜から雨の予報が入っています。今、庭はカラカラですが、紅と白の杜鵑花(五月躑躅)が爆発的に咲き誇っています。花言葉は「愛の喜び」だということだそうです。いろんな「愛」に受け止めたいと思います。
歳月や傷の夫婦にさつき咲く   角川源義
という句が目にとまりました。近況報告でおじゃましました。
お二人にはどうぞお大事にと、お祈りしています。
<追>「近況」については、以前にお伝えしたような気もしています。
無為な老人の身の回りには、エピソードも少なくなっていますので。
元・石川文学館館長    井口哲郎   元。石川県立小松高校校長先生

* 米壽、おめでとう存じます。積み重ねられたご業績に触れてのまだまだご用事の有るのは、何よりの健康薬です。きかいのあるつど、どうぞ元気にお出向き下さい。
「流雲吐月」 の印影 美しく。なんでもない句のようですが、なにかしら一歩を踏み出す気概で原典の一字は省いて四文字を脳裏にいつもおさめています。

☆ 拝復
コロナ大変の季節 かわらぬ執筆意欲 お健やかにお過ごしの趣 大慶に存じます。
湖の本ご恵与たまわりありがとうありがとうございます。
時代の要請等 同時代後世の人物評相違するのは理のあること、山縣有朋の再来望むところはありませんが確かに人品卑しからぬことが肝要、発掘資料ご披露、警世の書と拝読いたしおります。 時々の感懐を歌に詠むこと廣く人々の教養であった時代に思いをはせています。
それにしても、軍人、文人の違いはあるにしても「厠半ばに出かねたり」と詠んだ漱石にあらためて親しみ感じました。
コロナ第一波のがれたにしても 第二波・第三波の怖れ観念、くれぐれもお大事にと念じております。
厠何処せわしき夢や夏の月
三月來 お礼言上出来ずにおりましたが やっと外出
郷里のうどん少々お届けしました。 草々  神戸  周   国文学者

☆ 拝啓 梅雨の候
お変わりなきご健筆をおよろこび申し上げます・
湖の本150「山縣有朋の『椿山集』を読む」を賜りまして、厚く御礼申し上げます。
タイトルの「山縣有朋」にまず、あらと思い、中を開きましてそのお歌の多さにびっくりしております。
元勲として、政治家としての存在でしか捉えておりませんでしたが、短歌、漢詩など、これだけ沢山残していらっしゃったことに驚いております。まだ全てに 芽を通しておりませんが、お歌から、お心の澄明でありますこと、また沈静された物の把握が感じられ、また新たな一面を知ることが出来ました。
いつもいろいろなこと、いろいろなものをお教え頂き、深く感謝申し上げます。
これから、折々このお歌の味わいを一首一首かみしめ読ませて頂きます。
粗菓ですが お疲れ休めにでもお召し上がり下さい。
ご自愛のほど お祈り申し上げます。 かしこ   紅書房主

* 感謝します。

* 海江田万里さん、皇學館大学国文学島田規代さん、神戸松蔭女子学院大、作新学院大からも受領の来信。大勢さんの払い込みも頂戴した。

* 古門前の「おッ師匠(しょ)はん」が、祇園四條「鍵善」の砂糖菓子「おちょま」を送ってきてくれた。わたしと同い歳で、まだ踊りの弟子を育てていると。えらいもんだ。
戦時疎開先の 丹波からもとの小学校へ帰ったのは、五年生の二学期もおそく、三学期だったかも。学校には知らない顔がいっぱいだった。日本中のあたこちから空襲の被害な どのなかった京都へ避難の家庭が多かった上に、中国や朝鮮からの帰国家庭も戦禍を浴びることのほぼ無かった京都へ親戚等を頼って、同じ町内にも何軒もそん な家があった。
「おッ師匠(しょ)はん」は、そういう戦争被害の転入者ではなかったのだが、妙に事情のありそうな転入生で、しかも、小学生ながら遠目にもおッとおどろく頗るの美少女だった。敗戦直後の小学校は、独特の新鮮と劇性に溢れていた。私は六年生になると、初の民主主義的「公選」を経て当選「生徒会」初代会長になった。
後々の若柳流「おッ師匠(しょ)はん」は、おどろいた、私の叔母が出入りの豪商と謂うていい大きな茶道具商の「ワケあり」な「もらひ 子」であったらしい。私の叔母は其の子を将来の私の嫁にとめがけていたらしく、叔母には叔母ならではの打算が働いていたろうが、成るはなしでなかった、そんなウラ 話は私らがもう古稀も過ぎての久々の(電話での)再会時に「おッ師匠(しょ)はん」の口から初めて聞いた。笑えた。
以来、わたしは京都へまったく帰る元気も機会もなく、美少女の極みであった「おッ師匠(しょ)はん」がどんな婆さんになってるやも知らない。湖の本を送ると、京の菓子を、時には縄手の好い「鰻」を、送ってきてくれる。どんなときも熨斗紙にはいつもただ一字「そ(粗品の「そ」カナ)」とあり、「おッ師匠(しょ)はん」の現姓が書かれてある。「おッ師匠(しょ)はん」は宝塚に入団後のいろんなドラマを経て「同性」の旦那さんと結婚した。私も一度は会ったことのあるその旦那さんはもう亡くなって、「おッ師匠(しょ)はん」は、いま、息子娘夫婦のような養子分に支えられながら、やっぱり「おッ師匠(しょ)はん」をしているらしいのである。
この世に、知らぬまに「お嫁さん」にし損じていた美女が一人いるなど、ちょっと面白いではありませんか。電話口では昨今、仲よく会話しています。人生は、おもしろい。 2020 6/13 223

☆ 第百五十巻 「山縣有朋の『椿山集』を読む」
頂戴いたしました。ありがとうございます。巻頭の『椿山集』のカラー写真を見ると山縣有朋がこの一冊を、心を入れて作ったことが感じられます。私家版 『畜生塚・此の世』を頂戴したときに美しいご本だと感じ入りましたが、その時の印象に少し似ています。あえてカラーになさった理由もそのあたりにあるのか しらなどと拝察しました。

(秦補注  『椿山集』は山縣有朋死後に養嗣子伊三郎の名で為された「非売品」であり、生前すでに現在の家集名と造本とを指定指示していたかは分からない。が、そのほぼ全容は有朋が平生自愛の感懐でありえたろうと思う。)

椿はわたくしのことに愛している花で、椿の歌を集めていたくらいですから、『椿山集』という題名も表紙の色や椿のデザインも気に入りました。美意識やセンスはあらゆるところに顕れてしまいますから、野暮なことばかりしている人間としてはコワイなあと思います。

(秦補注  云うまでもなく集の名の『椿山』は、東京ではことに知られた山形嗜愛の別邸目白の「椿山荘」等に関わっていよう、山縣の好んだろうことは、集にも繰り返し椿また椿山荘の名がみえている。)

山縣有朋については批判的な言説を少し読んだことがあるくらいで、彼が歌集を作っていたことも全く知りませんでした。ましてその歌が、斯様に採り上げら れる「作品」を備えているとは全く意外でした。山縣の和歌や漢詩がどこまで味わえるか自信がありませんが、時間をかけて少しずつ読んでまいります。
総理大臣が文学者の鑑賞に堪える歌を詠めた時代の日本人と、現在の日本人はDNAのまったく違う人種ではないかと思うくらい違います。理由は色々あるで しょうが、この傾向は益々顕著になっていくでしょう。昨今の珍な短歌を目にしながら、消滅しつつある和歌の世界を愛し支えた日本という国を、牧水のように 「ほろびしものはなつかしきかな」と思うしかないのでしょうか。

(秦補注  ことに古今集の古来、貴顕と権柄のひとほど和歌やその前は漢詩に述懐の才能を持っていたことは源氏物語や枕草子が、また多くの和歌集が明瞭 に証言しています。今日でも皇室の歌会始に伝統化されていますが、敗戦後は殊に政治家にも世間の要人にも文筆・読書の教養が底をついたこと、一つには文 学・文藝の人たちにまず能が涸れ乾いた情けない現状なのでしょう。)

ボンヘッファーはナチの政治宣伝によって人格の内奥まで汚染された《愚かさ》によって、ただちにデモクラシーという政 治形態に即応資質を欠いている民衆について「そのときまでは、愚かな者を説得しようという試みを、われわれはすべて断念しなければならないであろう」と書 いていました。「愚かさは悪意よりも、いっそう危険な善の敵である」とも。月とすっぽんを相手の、如何なる説得の試み も、今は無駄で危険でしかないと思っています。
夏   夏めくやうなじに揃へ髪を切る   秀

* 今回の出版は、少しく「趣向の一冊」でこそあったけれど、或いは読者の大勢さんのお好みからかなり逸れるかも、逸れたかなと、気づいている。たんに 「読み煩われる」前に、和歌や漢詩に当節ほぼ「馴染みがない」こと。加えて歴史人として「問題の多い」しかも勲章だらけの明治の元勲の家集では、どう取り ついていいかと惑われたでもあろう、やや秦 恒平の悪趣味が嵩じたというところか。すなおに謝っておきます。が、
実を云うと、ちょっと「このまま」では済ませない、なおこの先へ小説世界と時世とを少し溯ってみたい魂胆でいます。それもあくまで現代や現実を忘じ抛ってという算段ではなく、サカサマの積もりで居るのですが。
ま、やがての八十五楼、建物ごと取りつぶされるハメになっても、命があり古馴染みの機械君が応援してくれる限りは書き置き言い置くとします。
2020 6/14 223

☆ お久しぶりでございます
~先日はご丁寧に「湖の本」記念号をご送付頂き 誠にありがとうございました!
今年は歴史上にも残る様な新型コロナウイルスの蔓延に生活様式まで変化してしまっています
この時節に有朋翁のおおらかな和歌に癒やされるものもありましたね
どうぞこれからもお身体お大切に ご活躍下さいませ
当方 まだガラ系で失礼いたします! 有り難うございました   奈良  雪

* 今日東京のコロナ感染者は47人にはね上がっていた。都知事選挙めあてに「アラート」なる自重と用心をもとめる警告を、洟紙を棄てるほど簡単に抛擲・撤廃したツケの来ないことを願う。
2020 6/14 223

☆ 湖の本
真剣 熱意 冷静なとり組みが、150巻達成という大事業を成し遂げました。 藤澤  永田澄雄

☆ 「山縣有朋の『椿山集』を読む」
珍しいモノを読ませて頂きます、そして、増々のご健筆 慶賀に存じます。折からお体お大事にして下さい。   八潮   小滝英史

☆ 激電の如き悪疫が東西に混乱を及ぼしております。いかがおすごしでしょうか。
「もみつ」の精確な用法の学びが巻頭からあり感謝。  朝霞  恩田英明

* 妻が往年の親友兵庫県の市川澄子さんよりお便りに副えて有馬温泉の軽快な銘菓煎餅を頂戴した。感謝申します。

* たくさんなご送金もあり、京の漆藝家望月重延さん、文教大国語研究室等より受領の来信もあり。
2020 6/15 223

* 劣化して行くような体感を荷のように負いながら、せっかく取り組んだのだからもう少し「山縣有朋」の時代を見返しておこうかと。史書はこの多年のうち に繰り返し読んでいて、人と時代とを大きくは見間違ってはこなかったと思いつつ、そこにまた、多く激筆により指弾され続けている山縣有朋にかかる『椿山 集』や詩歌のあるに触れていた論者には、ついに出会わなかったのである。元勲、元帥、公爵の山縣がほぼ徹しての民権迫害者であり他国への侵略という形での 國の「利益線」拡張も思い詰めていたことも、それを少年来嫌い憎み疎んじてきた自身の思いも知っている。ただ、その間の八十余年というもの、私は秦の祖父 の蔵書に『椿山集』あるを知りつつ、山縣有朋の家集としてただ一度の通読も卆読も果たしていなかった、そして今は、その少なからぬ作をおさめた一巻を尽く 自身の手と機械とで透き写し読み通している。この「新たな視野・展望」を慎重に熟読してみるのは確かに「悪くない一仕事」だと思って「湖の本 150」と いう中仕切りへの到達の記念ともしたのである。少なくも日本の詩歌に久しいよろこびを感じて触れてきた一人として、いまこの一巻の美しい家集を介し山縣有 朋なる史上の人となりをそれなりに読みかえしても必ずしも不当な無駄骨と私は思わない。所詮は「鬼の目になみだ」であれど鬼は鬼という評価はそうは動くま い、私はそれを理解している。私は長州出の山縣を以て同じ長州出の安倍某を揶揄してみたが、日本の近・現代史に徴してみれば、所詮は比較にならぬほど山縣 は巨魁であった、優れて有能な軍人であったが、反民権の鬼でもあった。それに比すれば今日の総理の安座然たる無能など、良くも悪しくもとうてい比べものに ならないのだ。
それでも、私は秦の「お祖父ちゃん」がかかる『椿山集』をまるで私の為かのように遺しおいてくれた恩を喜んでいる。私の眼は、この一巻に惹かれともあれパッと光ったのだから。
2020 6/15 223

☆ 拝呈
「湖の本」百五十巻目の刊行、心よりお祝い申し上げます。三十四年間に亘り出版をつづけられたご偉業に感服しております。何よりそれらがすぺい御自身の作品であることに驚く次第であります。
妙なウイルスが世界中にただよっていますが、そして亦 誰もがマスクにたよっていますが 近づかないよう逃げるばかりが能ではありませんが、これも生きている「楽しみ」にしたいと思っているところであります。
例によって石川の菓子(=中田屋のきんつば)一折 お送りいたします。百五十巻の御出版祝いのつもりであります。
私こと 昨年より一年ばかりかけてオペラ台本を書きました。 鈴木大拙(=いま、秦のすぐ手もとにある『無心ということ」の著者、世界的な禅家・師表) を主人公にした『禅 ZEN』というものです。作曲も出来上ったそうで、明年二月に上演するそうです、ちょっとお知らせまで。(簡単なことではありません でしたが)。
お大事に    不一    金澤  松田章一  劇作家

* 松田さんには、本当に永らく永らくたくさん沢山のお世話をかけてきた。大拙先生の「オペラ」とは胸に鳴り響いてくるよう。この日ごろも機械の側に角川文庫『無心ということ』、こころより、妙薬のように読み継いで騒ぐ心を静まらせている。
そして「金鍔」が美味いのだ。感謝感謝。
2020 6/16 223

☆ 拝啓
過日   「湖の本 山県有朋の『樺山集』を読む」 ご恵与賜りましたこと御礼申し上げます。
先生の巻頭や巻末のお言葉を読ませていただきながら、改めてこれに掲載されています数々の
歌を拝読いたしました。私なりに心に残った歌について自分の心覚えのために拾ってみたくなりました。
さりげなく読まれていて心に残る歌が数々あるものの、作られた時の年齢などを思いやりつつ読みかえしてみると、山県有朋という人の、その時々の状況・背 景などについて全く知織のない私にとって、この淡々とした表現の「背後は?」「時代は?」などとフト思うと、取り上げてみたい手にも、いささかのためらい が生まれてしまいます。
そういう意味で私は神奈川県に住み、舞台となった地名や風景になじみのある歌は安心してみる
ことも出来るという思いも働き、取り上げたくなったものは多くあり、また巻末に近い「常磐会選歌」は特に柔らかい心の現れた作品集で、作者の「老境の歌集」か、そんなことさえ思われ、親しめた気がいたします。
とりあえずいくつかの歌をここに上げさせていただきます。

「風雲集」 より
かしましき蛙の聲にひきかへてにほひゆかしき春のうぐひす
草まくらむすふもつらきおもひねの夢のすゑとふ郭公かな
(時あたかも我が家の近く、夜中を含めて早朝などホトトギスの鳴く音を とりわけ近頃多く聞い    ています・相原)
船にのり車にうつり海山とかはるうき瀬をめぐりきにけり
戦ひしあとなほのこる山かけに身にしむはかり筒の音する
「風雲拾遺集」 より
夕なきに小貝ひろひしあともなく白洲は海になりにけるかな
松風も磯うつ浪もおとたえておとろくはかりつもる雪かな
めなれてもめてたきものは朝窻にむかへる富士の高ねなりけり
(横浜在住ながら、丹沢山と富士山のコラボは日々、
朝の目覚めの天気判断になっています・   相原)
ふたつみつ帆かけもみえて江のしまの山のあなたは雨はれんとす
「年々詠草」  「大正七年」 より
七草の花にもまさる匂かな色香も探き畑のなりもの
「常磐會選歌」 より
山川のきしの大巌くさむしてひとすぢほそき水もおちけり
草まくらひかずかさねて野路山路よごとにかはる月をみるかな

末尾に、私ごとですが「歌を捨てた大伴家持」について、後半生の持つ意味について、今執筆
中です。「無粋なテーマ」と先生には叱られてしまいそうですが、「家持の生涯の一部分は語られていない」「古代史は何かを隠している」これが若い頃からの 私の思いこみでした。その私、年齢も近々七十八歳になろうとしています。やはり確認したい、そんな思いでおります。   勿々
二〇二〇年六月一四日       相原精次   作家

* 莞爾と笑む山縣の老境が甦るようです。 感謝。

* たくさんなお便りや本・雑誌等を戴きながら、機械へ転写に、逐一「保存」を欠いていたからか、ちょっとの隙に「全部」消滅した。沢山な時間を掛けていたのに。
もう繰り返す元気はなく。

* 元・岩波「世界」編集長高本邦彦さん、近代文学研究家岩淵宏子さん、作家美術家の島尾伸三さん、参議院議員の蓮舫さん、桐生の歌人竹内正さん、山梨・ 南巨摩の読者石澤えり子さん、神戸のエッセイスト芝田道さん、「星灯」同人でアカハタ記者の北村隆志さん、「三田文学」編集部さん等々。
無駄骨になったのは残念という以上の疲労になる。それも私の機械クンとのつき合いに配慮がないため、か。小説や創作文の事故でなかったのはまだしも幸い。
2020 6/16 223

* 一時間半を用いて、原本の半頁を読んで書き下した。やっと一頁半を濟した。あとを少なくも十二頁ぶん、つまりは根をつめて一ヶ月は掛けねば要を成さな い。けれども、けっこうに興趣の仕事であるのも違いない。棒を折るか、苦労して楽しむか。難儀は、視力。とっかかっている相手は、せいぜい8ポイント活字 の漢文。わたしの湖の本し10ポイント字をつかっている。小さい字にさらに小さい字の脇書き。こんなことを私は楽しみと謂うのか、嗚呼。
2020 6/17 223

* もう、「湖の本150」としての「山縣有朋の『椿山集』を読む」は吹っ切った方がいい、別の新しい仕事のなかで、山縣有朋は再吟味すればいい、何かと 対照になどしつつ。「近代国家」としての「日本」の苦渋や増長とともに、政・軍といわば風雅などとの対照・対峙を直かにテーマ化したほうがいいように思わ れる。予想し想像していたよりも遙かに今日のみなさんに「山縣有朋」的存在の近代史としての課題性が読めていない。むりからぬことか。
それなら、また別の日本人に問いかけた方が適切か、と。

☆ 梅雨の候
お見舞申し上げます。コロナ禍中の昨今、いかがお過ごしのことかとご案じしております。
(中略) 本巻を拝読し、山縣といえば「政界の黒幕」とか「軍国主義の権化」とか負のイメージがつきまとっているだけに、晩年の老いの身を詠っているギャップに若干心が動きました。
本日別便にて京都西陣の老舗「孝太郎の酢」をお贈りいたしましたのでご賞味いただければ幸甚です。  京・山科  あきとし・じゅん  (詩人)

* 練馬区の宮本裕子さんに頂戴したお手紙が、胸に沁みて私の「湖の本 150」の意図や願いと共鳴していて嬉しかった、ただ宮本さんのお手紙の字はごく小さくて、かろうじて読み取れて有難いが、此処へ書き取れないのが残念です。
2020 6/17 223

☆ 「選集32巻」拝受しました。
ありがとうございます。
文筆家、政治家の貧困が我々国民ひとりひとりの為体の総意によるのなら、「湖の本」愛読者の総意が秦恒平を生み出したと誇りに思いたい。  都・野川  秀

* とにもかくにも 幸いに懸命という生き方を保てているのを喜びとしています。
☆ 湖の本149 流雲吐月(三 実は四)を拝読致しました。
納得、共感、ステキ!なところを記します。
P16   文学はほんらい音楽です。文学の根は詩歌ですもの。優れた文体は音楽です。
P156  詩も歌も「うた」にほかならず 音楽の美を見捨てた詞の藝術が成るはずがない。詞の一つ一つが十分な「詩化」を遂げているかどうか、そういう基本の語感が歌でも詩でも俳句でも大切なのは言うまでもない。
P176  秘めておくことでもない、私は私の八十五年の生涯に思いも想いもしなかった、むしろ強く 厭い嫌い続けたような、あの「明治の元勲」長州「山縣閥」の頭領「公爵・元帥 山縣有朋」に触れて「述懐」「批評」を試みたいと意図している。そんな試み じたいが私・秦 恒平の奇妙なでまともな「批評」を成してくれるか、さ、どうだろうかと。
秦先生 湖の本 150 山縣有朋の「椿山集」を読み  拝読
P165   「有朋和歌を、或る喫驚のそして嘆賞の思いで読み進み」  (私も全く同じ想いで読みました。)
P164  (「おおかたの訓みがなに 濁点や促音拗音が無く…」 故に私には新鮮で、これこそ「うた」だなと想いました。)
好きな数首を記します。
P42  ことにふれ時につけつゝうつれるは心のほかのこゝろなりけり
P75  新宿御苑にて 御手づから御杯をたまひけるとき
海山にたゝかひかちしおもかけもいたゝく酒にうかふけふかな
P84  西行の畫賛
うつり行くよし野の春も津の國のなにはの秋もゆめの世にして
P102 床頭の撫子の花を
いつくしむまゝにそたちて又一つ花咲きそひぬ鉢のなてしこ
P109 時事有感
親しきも疎きも友はさきたちてなからふる身そかなしかりける
P123 八十歳の誕辰に
しる人もまれになるまて老いぬるを若きにましるけふの楽しさ
玲和二年六月十五日         練馬   みやもと

* 「椿山集」の歌人も 泪していよう。
西行画賛によせた一首など、「よし野」の春、「なにはの」秋と、慣用にも自然に馴染みつつ、さすが歴年を行事してきた山縣有朋らしい感懐が美しいまで詩化されている。
撫子の歌など、床頭に幼い撫でし子の声さえきこえそうに、体言どめの実感ゆたかに、美しくもの「想われ」る。相当な藝よと読める。
現今、日本を総理の宰相には、こうした「ことば」の誠と美とが決定的にな欠けて卑しいのを私は歎くのである。

☆ 梅雨
「部屋で転んだ・・?!とHPにありましたが、どうか転びませんように。転倒は後々に響きます。わたしは背骨の圧迫骨折の後、不快な痛みに悩まされています。
梅雨、その合間の空は既に真夏。なかなかメールが書けません。目下自分の日々は殆どを孫のことに費やされている現状ですので・・ 鴉のHPからの感想を述べてみます。

今回の湖の本、山縣の『椿山集』への反響、なかなかのものがありました。それにしても維新の頃の武士、或いは知識人という括りに入る人たちの教養や嗜み というべきものを現代のそれと比較すると あまりの隔たりに驚きます。文学に限らず絵画や建築などに至るまで、そして肝心の思想の枯渇まで思い至るので す。
歌集には三分の一位でしょうか、およそ40程の七言絶句の漢詩が載せられています。が、
わたしは比較的漢詩に接した方だと思いますが、それでも山縣の漢詩をすらすらとは読み進められません。それは夏目漱石の漢詩でも同じです。短歌はかなり自然に読み進められるのに・・。
(熊本陣から最期の=)西郷に宛てた書状の痛切。熊本には縁があるので、自然に西南戦争の事は身近に思えてきます。そして横井小楠のことが思い浮かびます。
京都に行くと必ず歩くのが寺町通、その寺町丸太町にある殉節地と刻された碑が気になり横井小楠を知りました。明治2年に暗殺された彼を勝海舟は高く評価していました。
山縣の朝鮮人民への「無思慮」、伊藤博文暗殺と彼への哀悼・・はやはり納得できないことです。

森鴎外の『渋江抽斎』 実によく分かる・・この牽引力は何でしょうか。
近世、近代史をどのように考えていくかという新たな方向への展望は見えず、思索には至らず・・けれど興味は尽きません。

細切れな日々の時間と幾らかお疲れ気味な体力と怠け心、頭の中はかなり散漫になり、時には混乱しています。孫は三か月を迎えて首はとうに据わり、抱っこ も楽になりました。喃語を盛んに発し、時には一人自分に向かって語っています。とにかく最優先して頑張るしかありません。腰痛も追い払うしかありません。
まとまった集中できる時間が欲しいというのが率直な願い!!
くれぐれもお身体大切に。夏の暑さに慣れるまで特に注意なさって、コロナは拒否、滋養のあるものを・・美味しくなくても頑張って食してください。元気に元気に。   尾張の鳶

* ありがとう。心行くいい激励に感謝感謝。
無隣庵をせっかく調べてもらいながら、写真など生かせなかった。が、まだ此の仕事は、向きを換え表情も替えて先へ進みます、と、言い切ってもヤバイが、その気で居ます。
西郷さんへの山縣書簡はもっと長く、声涙ともに下るもの。たしか、伊藤のあと二人目の総理をつとめたこれもヒドイ黒田が、やはり西郷に充てたさらに長文 書簡も、例の、妙な明治の「作文三千題」に入ってました。昔の人は内容と表現のある長文の書簡がかなり自在に書けました。負けますね。

* 法政大学文学部、武庫川女子大図書館から「湖の本 150」受領の来信あり。 衆議院辻元清美議員からも。しかしまあ、先の蓮舫議員のもそうであった が、いかに型通りの挨拶とはいえ、何という貧しいi日本語なのであろう、そんなことではいけないよと安倍総理を戒めた「山縣有朋の『椿山集』を読む』で あったが、こんな陳腐な日本語でしか挨拶できないのでは、野党議員の日本語に生きる「程度の低さ」も極まっているとみられよう。或いは、たんに代議士先生はお高いの か。

* 明日は桜桃忌。太宰治賞をうけて、満五十一年めになる。湖の本創刊から満34年、150巻を積み重ねてきた。雑誌ではない、総べて定価がついての優に 単行書並みの量、そして秦 恒平個人の創作と文筆とで出来てきた。日本の近代文学に例を見ない。たぶん世界でも稀有と思う。
「コロナ籠居」の日々で、どこへも出かけない。妻と二人で乾杯か。
2020 6/18 223

* 山形の「あらきそば」さん、久しいお付き合いの又三さんがおしくも亡くなられ、娘さんの手で、今日、此の桜桃忌にもどっさりと見事な珠玉桜桃を賜っ た。ほんとに嬉しい。心より御礼申し上げます。お父上に何度も誘われていたのに出向けぬママのお別れとなったのが、残り惜しい。そして「あらきそば」さん を湖の本の読者にとご紹介下さったあの福田恆存先生の温かな御厚意も懐かしく有難く思い起こされる。大勢の方にお力を戴いての半世紀を超す創作と執筆と出 版の日々であった。有難い日々であった。すぐ目の前の谷崎先生御夫妻の写真にも目をむけ、感謝している。

☆ 先生が
「椿山集」を復刻なさったことで、私達も拝読できましたこと、秦先生でなければ成し得なかったことと深く感謝申し上げます。「山縣有朋」という人のイ メージと「椿山集」の数々の和歌のどの歌にもやさしい美しい調べ響きがあふれているように感じられて、今までの想いと結びつかないことが一番の驚きでし た。    静岡市  鳥井きよみ

* 甲斐がありました。感謝します。お友達にもお送りせよと。ありがとう存じます、お送りしました。
2020 6/19 223

☆ 「湖の本 山縣有朋の『椿山集』」頂きました。
その前にも「濯鱗清流」「選集三十二巻」を頂いておりますが、お礼のお手紙何度も書き始めたまま今日まで来てしまいました。おわびしますっ振替で今回のお代金のほか、わずかですがお送りしましたので軍資金の一部にお加えください。ほんの少しで恐縮です。
私事ですが、三月の二十三日の八十六回目の誕生日を今年は入院先で迎えてしまいました。ほとんど症状もなく、病気の自覚もありませんでしたが、手術もす み、その後通院で先週八回目の注射も終了、これでほぼ四ケ月半、この後は一か月ほど間をおいて経過を診る再検査をするようです。このご時世、病院も完全な 臨戦態勢、通院の度、入口で並んで検温、問診を受けています。病気の方は当たり前のように過ごしていますのでご安心ご放念ください。
ほとんど何の症状もありません。むしろそのほかの老化、劣化の甚だしさ、このほうが何とも鬱陶しいのですが、別のお医者からは多少愚痴交じりで訴えますと「立派なお齢ではないですか」と褒められるのか慰められるのか-
『椿山集』、無性に読みたく手にしますが、目もカサカサで、今は眼を閉じているのが楽です。それでも退院後、少しつつ本を開いて、ご著作『花方 異本平 家』読了。最初は「異本平家」という題に惹かれてのことでしたが、京の路地を彷徨うような、何とか迷路から抜け出そうと「祇王」「熊野」「小督」など。そ れから『冬祭り』へと、新たな迷路のなか、また彷得いつづけながらもう少しで終わります。しばらく休んで次は『畜生塚』と勝手に考えています。
コロナ禍の終りも見えないまま、空を覆うバッタのニュースなど、昔読んだパール・バックの『大地』など思い浮かべます。この地球、人間だけのものではないと改めて思い居りますが、厳しいお仕事の日々、どうぞお体お気を付け下さいますよう祈ります。
六月二十一日         横浜    宮下 嚢  詩人・島崎藤村学者

* 「学研」にお勤めだった頃、『明治の文学』シリーズでの『泉鏡花』の一巻を担当させてもらった。久しいなあとしみじみ思う。病後をどうぞお労り下さり、お大事に、お元気でと願います。

☆ 「椿山集」を読む
ありがとうございました。
山縣有朋という人は私の中でははなはだイメージがわるい人でしたが、近所の椿山荘をはじめ、ゆかりの京の庭は美意識にあふれた秀作ばかりで、そのアンバランスを不思議に思っておりました。
今回拝読した本でその秘密を垣間見た、解けたような気がします。
得に安政期の詞書がおもしろかったです。
千枚舌の総理にうんざりしているばあさんより

* 私の知る限りの過去に、「山縣有朋」を語って、評して、『椿山集』にもふれていた一例も記憶がない。刊行の際すでに「編輯兼發行者」養嗣子公爵「山縣 伊三郎」の名で「非売品」と奥付に明記された特装美本であれば、心知った、ないし係わりの先々へ遺族からの寄贈品であったろう。たまたまと謂うよりない、 その一冊がいつか市井に溢れ出たのであろう、大正末ないし昭和初にかけていつ頃か「秦の祖父鶴吉」が手に入れていた。祖父の思いは察しもつかないが、上 の、東都の椿山荘に遠からぬ暮らしといわれる「ばあさん」と同じに、私も、この「有朋家集」を読まぬうちと、読んでのちと、「元帥山縣」を観る目と思いに 明らかに添えて加わるものの有ったことは、とても否認・否定できない。
私は現代の文士であり。「日本の言葉」を用い、詩歌をふくめ文藝・創作を衷心受け容れてきた八十四老である。尊皇倒幕と明治維新を経てほぼ大正時代を通 じ表向き「元勲」として生きた一軍人政治家に、かように私的私情の文字と言葉の慎ましい「表現」も在った、在りつづけた事実を、また一面の真実・真情と受 け取るのは、こと「人物」の観察・批評に及ぶかぎり妥当で至当の姿勢と思わずに居れない。「湖の本」の読者に同様の反応や感想のうかがえたのも自然な情意 であり、むしろ「有朋詩歌」には自身触れぬままの「山縣嫌い」だけが吐き出されていたのなら、ま、余儀ないことと、私自身も強く思い合わせて頷くしかある まいが、私は「秦のお祖父ちゃん」のお蔭でこの『椿山集』と出逢えたのを、やっぱり。「よかった…よ」と思っていて、それを羞じない。
2020 6/23 223

* 大阪の河野能子さん大好きな京の御池煎餅を下さった。嬉しく戴きます。
都内の中野完二さん、名酒「やまと櫻」を下さった。有難く戴きます。

* 金澤の金田小夜子さん、大病を克服されて多年念願の創作集一冊『小夜子抄』を出版された。大好きな金澤の甘味を添えて、送って下さった。
おめでとう。よかったですね。ありがとう。
くれぐれも、なおなお、お大事にされて下さい。

* 奈良の西川絹子さん、「湖の本」150巻の上梓へ「御祝」の応援を頂戴した。ありがとう存じます、恐縮です。「絹ちゃん」というと、どうしても、「雲 岫」席の茶道部へ入部してきた高一の初々しい顔しか見えない。わたしは三年生、点前作法を部員に手ほどきしていた。あの頃の高校生、みんな、それは行儀良 かった。65年も昔のことだ。
2020 6/24 223

* 倒幕維新の原動力になった「薩長」両藩に、共通して、特徴的な苦い一大体験のあったことは、ともすれば忘れられがちだが、西欧列強の軍艦に、鹿児島 を、下関を、強烈に砲撃され、なに為す術なく屈服した過去があった。どうお侍たちが槍や刀を振り回し弓を引いてもお話しにならず、奇兵隊の隊長山縣狂介も あえなく手ひどい負傷を体験している。軍人山縣有朋にとって此の体験こそは決定的な認識になったろうこと、察し得て余りがある。
外国に、戦争を仕掛けては、いけない。しかし、外国から戦争を仕掛けられては絶対ならず、仕掛けられた以上、国土と国民のためにも絶対に負けられない。が、負けぬ為にはどうあらねばならないか。
山縣有朋の生涯は、この一点を「不動の基に堅い信念」となって築き上げられただろうと思われる。徴兵制、軍人勅諭、強力な陸軍(海軍)の創設と構築と強化、列強に対峙できるだけの不断の軍拡に国家として費用を掛けても「備え」続けること。
これらを、即、山縣有朋の「悪」「欲」と決まり文句に決め付けてばかりで、当たっていたのだろうか。軍艦からの砲撃に縮み上がったまま、相変わらず二本 差しのお侍たちに国防を任せ得たろうか。朝鮮、清国、ロシアとの紛争や戦争に日本がともあれ負けなかった、征服されずに、むしろ勝ったとも謂える優位の講 和が出来たどの場面でも、山縣有朋は外交をも含む終始知謀の参謀であり、事実上の最高指揮にいつも当たっていた。
この点のみに就いて云うなら、「時代」という問題もふくめて、山縣のおそらく真意とよめる辺へ、ただただ無批判な批判を加えるだけで済むのかナと、私は、『椿山集』の詩歌ともしっかり触れ合うて、しばし、立ち止まった。考えてみた。
「戦争はしなくていい」と山縣は、征韓論にも西南戦争にも慎重であった。しかし「外国から戦争を仕掛けられたなら、日本は、決して「敗北」してはなら ぬ、国体と国土と国民を「占領」されてはならぬ、それには日本国の自力で備えねばならぬが、「備える」とは何を謂うのかと、闘い勝てる力とは、軍の統率・規律であるとともに相応に強力な防備と戦闘力の用意・蓄えであったろうとは、常に常に山縣は考えて確信していたろう、そう、私は ぼんやりとでも、今は、山縣有朋という人を少しく想い直すのである、「反民権」等々の、真っ向責めたい、責められて当然な「悪」項目の、他にも幾らも有ることはよくよく承知 し認識しての上で。
2020 6/24 223

☆ 疫病の終熄はまだ見えませんが
御体調は如何ですか
「湖の本 150 山県有朋の『椿山集』を読む」有難く頂戴しました
「椿山集」の歌ですが 維新前の作は伴林光平の歌の風情を感じますが
維新後の歌は 明治天皇との関係では 「臣」の立場からした感情が強く滲み出てゐるし 全体に見て 志士の慷慨調一辺倒の歌とは明らかに違ひ 和歌の伝統を踏へた歌作りの姿勢があると感じました
良いものを読ませて戴きました
外出にはまだ注意を払はなければなりませんが 御自愛を祈り上げます   寺田生

* 肯いて、有難く拝見しました。 時に感奮はみえても慷慨という気張りのない和歌であるなと私も読みました。天皇や皇室への思いも無理筋とはよめず、しいて思いをかざっていない。
寺田さんの感想を汲みながら、私の目をとめた作をすこしく検討しておき、その思いを先々へ繋いで見たい。
2020 6/29 223

* 中仕切りを明けて、つぎの「湖の本 151」を一段と興味ある新刊に仕立てたいと書き進めながら、厖大量の『選集 33』校正を三分の一近くすすめた、これだけで「湖の本」二巻分ちかい分量。実質は七巻分量ほどの大冊になっている。なんとか800頁未満に絞りたいが。
2020 7/2 224

☆ 「椿山集」 誠に 誠に
<面白く> 一気に拝読  実家(横山)長州藩士 曾祖父 松下村塾生~松門神社に祀られています。 無隣庵(現東行庵に祖父の顕彰碑 父母の句碑アリ)
絶望的 今日日本の政治の中 <政治家は詩人でアレ>と言った父の語を重ねております。
北九州市小倉    谷   俳人

* ここに謂われてある「詩人」とは、必ずしも詩歌俳句の作者たれという意味ではない、「言葉を、日本語を」 心して、美しく、確かに語れよ、書けよとの 願いであり教えであったろうと思う。私が、敢えて山縣有朋の家集『椿山集』を書き写すという苦労もいとわず敢えて「湖の本」記念の巻におさめた真意は誠に 「其れ」であった。この方とはNHKで俳句を語り合ったこともある。
2020 7/3 224

* モスクワまで乱入したナポレオンの大軍は、ロシアの「冬将軍」に惨敗して末路を転げ落ちる。
今年の日本の秋から冬は、「コロナ王」が率いて襲いかかるかも。経済か命かという「破壊的な選択」に迫られ、サイエンスで備えねば、惨敗があるだろう。最期になりかねない私の『選集 33』「湖の本 151」にこころ籠めたい。
2020 7/6 224

* 弥栄中學の二年生で同じ組にいた横井千恵子さん、例年のように私の好きな今日の漬け物、それも歯の弱い私にありがたい美味しい各種を送ってきてくれま した。有難う有難う。彼女、祇園の御茶屋の娘で、やはり一年生のとき私と同じ組だった内田豊子さんと近所住まいの大の仲良しだった。二人とも長じて祇園で 感じのいいバアをもち、あまりそういう店へ出入りしない私も、この二人の店へは妻も、友人島尾伸三さんや、甥の北澤恒や猛も連れて行って、好きに仲よく歌 など唱わせていた。私は唱えない人で、ただ飲んでいた「強いねえ」と「チイちゃん」にも「トヨ子ちゃん」にも呆れられながら。
なつかしい二人それぞれのそんな店も、いつしか祇園を出て、内田豊子さんはもう亡くなった。横井さんは私の長編『お父さん、繪を描いてください』巻頭の 「一、拝殿と山路」早々(湖の本では9頁)に、掃除当番のモップの柄で男子のわたしたちを音楽室から追っ払う「淺井多恵子」として、颯爽と登場している。
同い歳。どうか、元気でいてくれますように。このごろ、だれに向いても同じことを呼びかけている、ほとんど、頼んでいる、まるで。

友よきみもまた君も逝ったのか われは月明になにを空嘯(うさぶ)かん

そう呻いたのは二○一一の十月だった。歳あけた正月五日の人間ドックで私は二期胃癌と診断された。あれから十年余の歳月を積んできた。
2020 7/9 224

* 「選集 33」の前半六割分ほどの初校があすには送り返せる。息をととのえ、落ち着いて後半の校正にも取り組みたい。前巻につづく「湖の本 151」も書き継いで継いでつかみ所のある一冊にしあげたい。慌てまいと思う。「選集」最終巻をしっかり創りあげたい。
2020 7/9 224

☆ 「山縣有朋の『椿山集』をよむ」
ありがとうございました。
小生の郷里は栃木県奈須高原ですが、そこに有朋をはじめ乃木ら明治の元勲たちが我先に国有地払い下げて買い込み、英国貴族風に大農園を作っていました。會津ひいきの土地者としては、長州の者たちが、という思いで見ていました。
小生も少年のころからその思い強く、有朋はどうもなじめません。残念です。不一  詠  作家

* ストレイトな感想で、思わず笑えた。ま、わたしも「山縣有朋」と見ると聞くとそんなだった、彼の閲歴のほとんど何も正確には知らなかったままに、である。
上の文面に「乃木ら明治の元勲」とあるが、乃木希典のことなら彼は「元勲」とは呼ばれていない、明治十八年より後に「華族制度」が成り、この折り「新華 族で伯爵」に叙された者らが以降「元勲」と通称されのちのち「元老」と呼ばれていったと覚えている。明治三十七月二月に日本は対ロシア宣戦布告し、翌年一 月に乃木・ステッセル二将軍水市営の「旅順開城約成」るのだが、總参謀の山縣は旅順攻落に苦戦の乃木希典 へ叱咤にちかい歌一首を大本営から届けているし、明治天皇の崩御に夫妻して殉死をとげた「乃木将軍を悼」む歌一首も献じている。どうも乃木希典に那須野の 大農園はあまり想い浮かばないが、この奈須というのは帝国陸軍の大演習地でもあって、明治四十二年、伊藤博文が朝鮮国で撃たれて死去のあと、十一月初めに もすでに侯爵にして元帥の山縣有朋は「那須野原の大演習に供奉したりけるとき」の歌一首も『椿山集』にのこしている。「供奉」とあるからは「大元帥」陛下 に随行していたのである、調べてみないと分からないが「大農園」の分け取り
のようなことがあったとすると、広大な演習地が払い下げられたのか。それと察しられる詩も歌も無く、広壮な奈須別邸の名も見えない。とはいえ、私は山縣有朋の根に「農」を重んじる気持ちのあったろうとは数多い『椿山集』詠歌から観じ続けては得ていた。
また『椿山集』にかぎればその詩歌または柿その詞書に「奈須」の文字も記載もみえないが、詠さんが慨嘆のことは無かったよりあり得たろうと謂うしかない。
2020 7/10 224

* 二時間ほど午後に寝入っていたが、早起きしたまま、ほぼ十二時間、すこし頸すじの痛むほど「仕事」に集中していた。方角はおおよそ見えているのだが、 腰をしかと構えて書き進むよりない。大きな水車に水が落ちてやがてぐわらッと回る、そんな感じで、単純な運びから意想外へ様子の変転してゆくように書き進 めたく、あるいは、「湖の本 150 151 152」を一括りの大仕事に成ってしまうかもしれない。私の根気が元気でいてくれたなら。焦らない。
2020 7/12 224

* 選集33巻「最終の口絵」を思案している。菱田春草の名畫、文字通りに夫婦『帰樵』の心境にいま在る。うまく活かせて貰えまいかと願いつつ、書架の、 既刊32巻を写真に撮った。コロナにつまづかず、きちんと仕納めたい。最終巻はひときわ大冊になる。初校まだ四割程か。視力が続いて欲しい。
「湖の本 151」は、あるいは「152」にも出迎えて貰うかも知れない、山縣有朋の『椿山集』に誘い込まれて、意想外の別人・別世界とガチンコしそうな気配になっている。真夏へ向いて大汗になりそうな「仕事」をなんとか心涼しく楽しみたいが。
2020 7/15 224

 

* 「湖の本 151」を書き続けて四時になっている。機械の字は霞みに霞んでただ察し察し書き継いできたが限度を超えた。やすまねば。
短い穿きものでむき出しの脛が冷たい。冷えている。
2020 7/18 224

 

* なんともかとも疲れている。土用の丑とか、信じにくい陽気だが、用意の鰻蒲焼きを小さく二切れ戴きました。食べると、量は少しでも、腹が張る。
まだ七時半というのに能力はダウンしている。抵抗せず、遠慮もせず、やすもうと思う。
幸いに、大いばりで「籠居」できている。『選集 33』の初校はもう先が見えている。急がれてもいない。「口絵」の試行も、もう写真を送って頼んである。
「湖の本 151」は、今しも入稿原稿の用意に励んでいて、催促の尻を突かれてもいない。

* しかしながら、この「湖の本」の「仕事」 とてつもなく「私」めにきつく突っかかってきて、顔色が変わってしまいそう。思うまま書きすすめば、雨あられ、きつい非難の矢で立ってられなくなるかも。
慌てるな、気を急くな。
こんなときこそ、心知った人と話したい、が。

* 「秋成八景」をと旗をあげ、「序の景」しか書けていないが、ケッサクな着想を今日の夕方、飯前に寝ころんで本を読んでいて、ウオッと思い付いた「新一景」が有る。フックラと、しかし無遠慮も憚り無く書いてみたい。
と、これで、とても「ヒマ」ではないということ。
2020 7/20 224

☆ 梅雨明けも
そろそろでしょうか。
過日は『湖の本』をありがとうございました。記念の第百五十巻、圧倒されつつ、感慨深く拝見しました。
「鎮山集」に井上通泰の名をみつけ少し驚きました。じつは兄嫁の祖父(岩野誠一)が学生時代にずっと通泰に和歌を学んでいたと聞いていましたので。
家が近く、その祖父のこと憶えています。ご本から当時のことがいくらか見えて来ました、うれしい一冊となりました、心より御礼申し上げます。
どうか御自愛下さいませ。   大阪・吹田  郁   歌人
2020 7/21 224

* 晩の七時半。
今日も、二時間ほど昼寝したが、他はずっと「仕事」に向かい、たった今まで「書き」次いでいた。意図して、今度の仕事はむしろ「手あらな」感じを避けず事と言葉を運んでいる。
どうにか、場面をがらっと転進させるところまで来た、らしい。三部めいて「湖の本 152」にも膨らむか、それがよいかどうか、見通しはもってない。成るように成らせればと、それをこそ期待している。

* コロナ東京、今日の感染者数、破天荒に増したらしいそれも確かめず「仕事」していた。街なか暮らしの建日子たち、十分用心して無事に乗り切ってくれますよう。
それにしても、この状態で国会も開かず、記者会見すらしないで、小安いマスクに顔を隠して無内容な決まり文句を駆け去るように投げて行くアレ・アキレた 総理安倍晋三。自民党員の質低下は、厚労相。経済再生相、国交相、法相等々、軒なみの落第顔。小泉進次郎も完全に期待はずれのミソっかすに。山縣有朋『椿 山集』に刺戟され、明治維新史をつとめて克明に顧みているが、わるいやつはわるいやつなりに明治の政治家や軍人は、悪徳商人らにしても、懸命に歩んでい た。モリトモやカケや、偽証の佐川や贈賄の法相夫婦や、唾を吐かれたようにかるくて穢い。
2020 7/23 224

* 山口県の未知の人から、「山形有朋の『椿山集』を読む」を譲って欲しいと、メールが来ていた。
2020 7/24 224

☆ 国益強化のため
軍事にすべてを収斂させた人として記憶に残る山縣有朋の歌は敬遠したい気分でしたが、歌詠みの歌にはない言葉の力を感じることになりました。
山にすみ海邊にゐても世のうさのはなれかねたる身をいかにせむ    京  羽生

* さすがに。
明治四十三年の、山縣有朋一首をひかれている。歌人は頷き、感謝し瞑目していることと思う。
2020 7/26 224

* 一寸先も闇 と、聞きも読みもしてきたが、さほどの実感を何度ほど持ったろう。二十歳目前のやす香に死なれる時はつらかった。妻がICUで苦しんだ時も怖かった。自分が癌と宣告された時はわれながら冷静だった。
戦争の折は山奥へ遁れ、困窮も度を越していたが、どこの誰を見廻しても同じなので、ごくの少年でもあったし、ふつうだった。
この「コロナ禍」のようなめに実感で出遭った覚えがなく、永く永くなりそうなトンネルの歳月かもと、ゾッとしない。

* それでも休まない。「湖の本 150 151 152」の、なんだコリャという「妙な仕事」を存分に遊ばせて貰う。病気などしてられない。

* もう十時。よく頑張ったよ、「湖の本 151」の追い想ってきた分の半ば過ぎたまで運びきれて、場面がガラッと変わって行く。変わって行く先の景色も もう予期できている。「新型コロナ・ウィルス」にやられず、粘って、書きたい思いを通したい。「152」まで事を運べるのか、「151」で仕遂げるのか。 まだ分からないが、それでよい。
2020 7/27 224

* 「湖の本 146」ほぼ、思ったように人物の把握も初稿も進展している。少なくも、私は、付き合っていて我が意をえている、此のもう一人の「明治人」 に。山縣有朋は嫌われても知らぬ人は私の読者ではほとんどいない、が、「この人」はもどうかな。しかし、満足して貰えるのではと期待している。気を入れて いる。
2020 8/2 225

* 『選集 33』前半六割分のその六割ほど、再校を終えている。やがて後半の再校ゲラも送られてくるだろう、が、口絵がまだ、そして最終巻を締めくくる「あとがき」を心して書かねばならぬ。
『湖の本 151』は、量的にいえば半分を越えたかという辺まで書けている。先を追い急ぐより、丁寧に読み返し返し、これまでの「湖の本」では異色の読める物に、籠居を利し、納得できるまでに仕上げたい。
2020 8/10 225

☆ 私も
『こしのやまかぜ』という歌集は知っていましたが、この『椿山集』は存じあげていませんでした。
山縣有朋はどちらかというと政治的な黒幕のイメージがありますが、和歌や作庭に通じた人物である点は、伝記などで知りました。
近代政治史を少し勉強したことがあるだけです。出身は九州なので、山口にきて、萩に山縣有朋騎馬銅像があるのを見て驚いたことがありました。
続編も含めて完成されることを期待しております。御自愛ください。  竿

*日についで
山縣有朋の続稿を追い、そしていろんな意味から、対比に興趣も問題も豊かな、もう一人との出逢いを、心して日々追っています。
山縣有朋は 明治の政治世界では、「黒幕」どころでなく、ほぼいつも「表舞台」に存在感を見せていた勲章だらけの軍人であったと観ています。
家集「椿山集」は、私情ゆたかなケレン味のない佳い所産でした。一般に常識化してきた山縣評ないし山縣嫌いには、その一面はほとんど抜けていて、ある浅 さや傾きがあったかも知れません。その辺のわたくしの見解は、いま、もうほぼ書き終えて、「別の今一人」への探訪により、さらに歴史的な新たな見識も視野 も可能になるかなと思案しいしい、書き継いでいます。「秦 恒平・湖(うみ)の本
第151巻」として纏められればと期待しながら。
烈暑の日々、八十五老、籠居に徹しています。
日々お大事になさって下さい。      秦 恒平
2020 8/11 225

* 東近江五個荘の乾徳寺さんご住職から『「近江商人の魂を育てた 寺子屋』一冊を頂戴した。同じ川並の川島民親さんからも以前近江商人を主題の共著本をいただいたことがある。
乾徳寺さんの本に、「寺子屋」の先生に書を教えた勝見主殿(本姓越智)という先生が、私の育った新門前通りの「狸橋」を「住所」とされていたらしい、わたしの朧ろな記憶に「越智さん」「勝見さん」の覚えが絡んでいる、今となっては確信は持てないが。
手先の痺れと不自由でわたしは今、ペンで字が書けない、メールだと何とかなるが。
ひょっとしてこの日記、川島民親さんの目にもしとまれば、本のお礼と上のうろ覚えだけを、お伝え下さるだろう。

* 参考にと「湖の本 43 もらひ子」をめくってみた。憚って多くを仮名で書いていたのが今となっては残念だが、克明にものをよく覚えて記録していて、 なつかしい。この前に「丹波」が、このあとに「早春」が書かれ、三部作で私の幼少から新制中学「入学」頃までがほぼ言いつくせてある。そして長編「罪はわ が前に」へつながる。読み返し始めたら「子供の昔。少年の昔にありありと立ち返れる。気恥ずかしかったが、思い切って書き置いてよかった。
2020 8/11 225

* わたしの此の古機械はADSLとかを遣ってきたのだが、そのサービスが中止になるとか郵便が来ている。では、どうするのかが判らない。難儀な新規の設 定を私のいまのアタマとウデとでは到底ムリ。とすると、最悪、HPの転送が出来ず、メールが使えなくなるのかも。とすると、どうするか。
まったく判らないが、「もう潮時だよ」と宣告されているのかも。
この機械で、世間の人様と全部の縁が切れても、「字」は書き続けられるなら、自分自身との「対話」と「創作」「述懐」だけは辛うじて出来るということか。
わたしは電話で話すのは苦手、手書きの郵便はこの痺れ手では久しく書いたこともめったに無い。つまり「外」世間が、最悪機械的には私から消滅するということか。そういう「時機」をいましも老境の生活が迎えるということか。
その覚悟をしておこう。昔昔に帰って、ワープロ機能だけは生き残ってくれるといい。ただし今、プリンターも働いてくれてない。せめてコピーとブリントとは利いていて欲しいが。

* おそらく、よほど遅くても九月中には『秦 恒平選集』33巻は完結して送り出せる。今、書き継いでいる「秦 恒平・湖の本 151」だけは仕上がって送り出せるだろう、あるいは其処で、文字通りに「私達の帰樵」は成るだろう。たとえそれ以降「湖の本」の継続が不 可能になっても、私独りの執筆は続けられる。最小限、それだけでも独りの、ないし二人での老境は「方法」としても可能と思う。
書き置いてさえおけば、いつか建日子が処断してくれるだろう。建日子こそ、健康で怪我なく日々を大切に生きて欲しい。

* 四時半ちかく 激しい雨。ああ生きているなあと雨を聴いている。「聴雨」 そして「雷鳴」。幸いわたしは雷さんを怖がらずに大きくなった。こころよく迎えるほどに聴いてきた。
2020 8/13 225

 

* 映画「戦場のピアニスト」 もう何度めかだが、感銘。しみじみと人と藝術とに感謝した。

* つづいて祇園の芸妓、舞子の映像を楽しんだ。京の「祇園」は私には「よそ」ではない。新門前通りの秦家に預けられて東京へ発つまで、祇園とともに暮ら し呼吸してきた。わたしが通った弥栄中学はもともと祇園町が子弟のために肝いりの市立小学校が、戦後新制六三制のもと市立弥栄中学となり、わたしは有済小 学校から進学した第一期の一年生であった。教室には「祇園の子」が男女とも何人もいっしょだった。思い出話をはじめたら大きな本が一冊書けてしまう。
秦の家のあった新門前通りの東の梅本町には祇園甲部でとびぬけた芸妓で、「都をどり」に忠臣蔵がでると決まって「由良之助」役の人のいわば隠れ家があっ た。西の西之町には祇園芸妓舞子たちの藝を総理錬成する井上流家元の八千代はんのお邸が今もある。今の八千代はんは私の少し後輩にあたり、兄上は観世流の 有名なシテでしかも大学で同専攻の先輩だった。今の八千代はんにはわたしの「湖の本」を応援してもらってもいる。
そしてわたしの仲之町ずまいの真隣り、祇園町へ抜けて行く抜け路地に入ったすぐ際には祇園甲部で知られた練達の「男衆(おとこし)」の住まいがあった。

* わたしの文壇へ送り出してもらった出世作は間違いなく異本平家の『清経入水』だが、その後に親密に識者に認められて強い足場になったのは短篇の『祇園 の子』だった。永井龍男先生はこういうのが十も十五も出来れば「たいしたもの」と人に話されていたと聞いた。笠原伸夫さんはとてもありがたい文章で「祇園 の子」を賞讃して下さった。それらはみな祇園乙部の女の子たちを書いていた。祇園町には甲と乙との地域差がわたしのこどみの昔から確然と区別されていて、 しかし同じ中学の同じ教室でいっしょだった。祇園に抜け路地一本で地続きの町に育っていたわたしの「批評」の眼は、そんな教室や校舎や運動場で磨かれ鍛え られた。ただの綺麗事ではけっして済まない世界であった。「小説家になるしかない人だね」と亡き詩人の林富士馬さんとの対談で判決されてしまった思い出も ある。八坂神社の西楼門から夜の繁華の四條大通りの写真を私が懐かしむのは、ただ懐かしいだけの趣味では無いのです。
2020 8/19 225

* 『選集 33』の口絵、想いどおりに製版されてきた、いよいよ「責了」へ、「選集の完結」へと向かう。まずは再校を落ちなく進めることだが、大仕事は33巻をしめくくる「あとがき」で。
「湖の本 151」の書き継ぎは、想い想いながら、いそがず落ち着いて進める。  2020 8/21 225

* 疲れきって、仕事、捗らなかった。四時半になっている。ま、それでも、最終巻を締めくくる「あとがき」は電送入稿したので、あとは、本体の校 正紙760頁分を、よく点検の上、宅急便に託すべく荷造りすれば、ほぼ片づいてくれる。そこまで行けば、あとは送り出しのための挨拶や宛名書きなどを間に 合わせればよい。うまくすると九月下旬にも『選集』作業完結へ漕ぎ着けるだろう。「湖の本151」新作の仕上げに掛かれる。新しい、また別の大仕事へ、長 編小説へも取り組みたい。病気に掴まるまい。
ま、要は、夏バテ、日本中が夏バテ。おまけに冷房バテも。
グチってるよりは、寝た方がいい、好きな本の世界へ旅立つのがいい。さまざまな景色がある。
まだ八時半だが。
2020 8/27 225

* 昼食後に床で本を読みひと寝みして、暫くぶりに仕掛けの著作の前へ戻ってきた。書けてある「湖の本」にして半册分ほどを、落ち着いて読み返すところか ら再開している。この仕事の、あとへあとへ気の乗っている予約の想が少なくも二つ三っつあり気が急くのだが、それでは仕事の落ち着きを妨げるので強いても 棚に上げている。
2020 9/8 226

☆ 前略
「湖の本」の新しい読者を紹介させて頂きたくお便りいたします。
千葉県 *****
私自身は「湖の本」刊行当初からの愛読者なのですが どなたかを紹介するという経験はした事がなく、どんなかたちで良いのか迷った末、このようにお手紙しました。笑ってお見過ごし下さい。尚、お支払い等にかんする御懸念は一切ない方ですとも申し添えさせて頂きます。
亡夫の作品を自宅で公開するという小さな小さな美術館も十年目に入りました。
継続する事の大変さと大切さを身に沁みて感じています。
「湖の本」と秦先生御夫妻は私にとって心の支えになっています。
御健勝をお祈りいたします。   和泉春美

* 深く申し上げ、こころよりますますお大切に日々をと願います。昔に頂いたご主人のお作は、いまも家内のデスクの間近に架け、いつも見入っています。

* ありがたいこと、うれしいお励ましである。34年余の「湖の本」継続はこういうお力添えがあって成ってきた。

☆ 厳しい残暑が続きます。
お元気でいらっしゃいますでしょうか。
コロナ禍が続きますが、お元気でいらっしゃることを願っております。  倉敷 時博

* 懐かしい東工大院卒生の一人、はるばる「湖の本」の新刊へ送金があった。江藤淳の後任にと東工大教授の辞令を手にしたのが一九九一年十月だった。翌年 四月に新入生との初対面があり、今も何人もと「湖の本」等も介して連絡があるが、以来三十年ちかい。さすがに遠い日々となった、こういう心よい便りに、し みじみする。
2020 9/10 226

 

☆ 秦 恒平様
コロナの収束の見えないまま 残暑の厳しい日が続いておりますが いかが お過ごしでいらっしゃいますか
店(=村上開進堂)の仕事は 不ル回転ではありませんが 何とか無事に続けることができてります 私のやる仕事が(=しっかり後継ぎが出来)減ったお蔭で 仕事の見直しをしております 次の世代に少しでも残せるものがあればと念じております
(間が=)あいてしまいましたが(クッキー詰めの缶=)送らせていただきます
どうぞ 御身 御大切にお過ごし下さい    (=村上開進堂・社主 菓子・料理研究家)

* ありがとう存じます。  「湖の本」創刊このかたの、懐かしい有難いお付き合いを戴いている。
2020 9/11 226

* さあ本格に『選集 33』責了へ、そして手放し、次へ、その次へ向かいたい。少なくも「山縣有朋」をあのままにはしておかない。これは何不思議の介在 もしない現実的な「歴史」もの。しかし、わたしは相変わらず、超現実の不思議を創作的に体験したい気でもいる。そういう世界をいつもまさぐるように引き寄 せようとしている。「現実」はいつも奇態に痩せている。やせこけて乾涸らびている。その痩せや乾涸らびに直面して書き写すのが「文学」と心得ていた人たち の時代があった、よく知っている。そのアトを追いたいとは思わないだけ。
2020 9/12 226

* テニスの大坂なおみ選手が黒人差別・黒人殺しへの非難をこめたパフォーマンスは立派だったし、この立派は彼女によりことあるつど断然続けられるだろう。感謝もし期待もする。
もう三十年も前のはなしだが、わたしは、人に知られず東京新聞の「大波小波」欄に実は何年間もをかけて一筆啓上の匿名批評を寄稿し続けていた。「湖の 本」にして一冊半もの、一回せいぜい一枚足らずの「批評」は書くに値する夜半タクシとしては宜しき文藝であったが、その中で、一度ならず、優れて人気に満 ちあふれたスポーツ選手や俳優たちが、何かの際の挨拶に添えて、時事問題の哀しさや情けなさや「不当」にふれて一言でもいい「批評ないし批判・遺憾」の言 葉を添えてくれたならどんなにいいだろうと歎いていた。
今回の大坂なおみ選集のパフォーマンスや厳命は正しく私の三十年も前からの願いにきっちり嵌るものだった。社会党が勝ってしまえば、もう「プロ野球は出 来なくなるんでしょうか」とインタビューで口走ったバカらしい名選手もいたが、それとくらべると大坂選手のインテリジェンスの見事さは拍手と感謝とに値す る。「ありがとう」と言う。 2020 9/13 226

* 760頁の大冊の「三校」は、後半分を先に読み終え、前半へ移動している。手放せない。送りの宛名はほぼ書き終えた。もう少々の前用意も残り無くし終えておいて「全責了」へ運びたい。慌てても仕方ない、本の仕上がりは十月半ばで出来ればよい方か。
今回ばかりは「湖の本 151」創作が丁度半途でお休みしている。慌てまい。
2020 9/15 226

* 朝いちばんに私の好きな「杏のお菓子」を頂戴した。やわくてボロボロな私の歯にもごく優しい。有難い。

☆秦 恒平様
今月の末で杏のお菓子が終わりますので その前にお送り致したく存じました 勝手にはからいまして恐縮です
厳しい残暑も時に途切れるようになり 少しは過ごしやすい日が ふえてくることを願っております
どうぞ 御身 御大事になさって下さい    村上開新堂社主  道

* 実を言うと 「湖の本」を始めたこの35年近くも昔に、私はこの方にただ一度、それも私は昼食の出来るお店「ドーカン」の客席に、向こうは、ちいさな 覗き窓向こうの調理場で白いキャップで仕事中の横顔だけをちらと看た、それだけ。まともに言葉一つかわしたこと無く、今日まで、ほんものの「こころ」御縁 を頂き続けてこれた。有難いことだ。
2020 9/17 226

 

* 最終「選集 33」全紙 責了便を托してきた。前例になく長い長い校正道であった。完全無欠という自信は持てないけれども。ま、大きな一息をついた。数は「湖の本」よりはるかに少ないが、760頁の上製の函に入り、発送荷造りの手仕事はラクであるまい。慌て急ぐまい。
それよりもなお半途にある次の「湖の本 151」書き下ろしに気を入れねば。これで、平常の道へ戻れるわけ。『選集』には、創刊から、ほぼ六年半掛けた ことになる。「湖の本」も出し続けながら、よく遣ってこれた。しんどさより、励みと楽しさが先行してくれたのだと思う。仕事量そして体力、気力とも、いい タイミングであったのだろう。
2020 9/23 226

 

☆  「湖の本150」御礼(近江大津・澤敏夫)
秦恒平先生 過日は、「湖の本150」の【山縣有朋の『椿山集』を読む】を賜り、ありがとうございます。御礼が遅くなりまして、申し訳ございません。
「山縣有朋」とは、私の中で、司馬遼太郎や松本清張の評論・対談の中で語られる悪のイメージでしかありませんでした。陸軍閥を形成、この国を日中戦争、太平洋戦争へ導いていった悪の根源です。
松陰門下では、早逝した高杉晋作、久坂玄瑞、逸話の多い桂小五郎に比べ、血気盛んな若手武闘派「狂介」として働き、同輩の伊藤博文(俊輔)は旧憲法と議会発足で功績が明らかですが、山縣は隠然たる悪の巨魁としてイメージしていたのでした。
秦先生が、手写復刻・出版された『椿山集』を拝読しますと、「山縣有朋」への印象が、少し変わりました。彼が、このような歌集をもつ文人の側面をもっていたことに驚きます。
彼の短歌は上手でこなれたものですが、歌の前の序詞と一体になって、訴えるように思います。オペラのレチタティーヴォ(前語り)とアリア(詠唱)の関係に似ています。
「高杉東行(當時變名谷潛藏)の櫻山のかくれがにゆきて酒くみかはして世のことなどかたりあひて
つま木こり小貝ひろひて磯山のあそひもゆかし谷の下庵」(p.35)
いつ頃の場面・歌かと思い、調べました。功山寺挙兵(1864年12月)の翌年(1865)1月、晋作は廃嫡され、9月に藩命で「谷潛藏」と改名させられます。
「つま木こり」の有朋の歌の直後には
年のくれ 何事もなすことなしにおこたりの身にもおとろく年のくれかな(p.35)
があり、山縣は1866年6月の第二次長州征討で奇兵隊を指導、高杉の海兵部隊と協力して活躍します。「つま木こり」の歌は1865年9月から12月までの或る日の場面と推測しました。
「つま木こり」「何事も」の歌のあとは、慶應3年(1867)に入り、
「四月のなかば高杉の身まかりけるとき
なき人の魂のゆくへをつけかほにをちかへりてもなくほとゝきす」(p.36)
があります。
『風雲集』は、幕末、戊辰戦争の歴史を調べながら読む歌集だと思いました。
秦先生が山縣有朋『椿山集』を出版されたのは、同じ「長州」の出である長期政権の首相への「謹呈」を込められたとのことです。先日、新首相が決まりました。
文人が政治家になることは無理ですが、せめては、この国の指導者に読書や作文の素養があれば、虎皮借りる姑息な狐狸の跳梁する官邸を統御する術はあったと思います。
山縣有朋のような隠然たる巨魁は困りますが、自分の心と言葉をもって思考し、情報の収集・精査能力があり、説得力のあるスピーチができ、政策で実現できる人物が首相になるべきと思いました。
近江大津  澤敏夫

追伸 近江の生酒を2本、お送りいたしました。「不老泉(ふろうせん)」(滋賀県高島市新旭・上原酒造)「唯々(ただただ)」(滋賀県湖南市石部・竹内酒造)でございます。

* お酒も嬉しいが、山縣有朋の『椿山集』にありがたいお便りのあったこと、何とも何とも、嬉しい。これで、次なる「湖の本 151」への意欲と意気がしっかりしてくる。山縣有朋をさらに大きい視野で考案し品隲しつつ、また、別に一人の維新のサムライに立ち向かっても行ける。
『選集 33』の校了にかなり足止めを食っていたが、ぜんぶ印刷所に渡し終えた今日、このお便りは何にも増しての励まし。真実、有難う存じます。
2020 9/23 226

* 「湖の本 151」へ、また手を掛け始めた。かなり思い切った仕事であり趣意なので気は張るが、興は乗っている。
八時前。もう、目がいかれている。やすむ。『選集』がいつごろ仕上がってくるのか、ラクに送れる嵩でない。気に掛けていると息がつまる。
2020 9/24 226

* 昨日 書庫からもちだした昔むかしの「文藝春秋」一冊の長い長い「特集」記事を深夜まで克明に読み通し、たいそう有難い収穫で興奮もし、寝そ びれて、かはたれの朝五時にひとり床を出て、猫の「ま・あ」にも気づかれず、二階へ来た。で、すぐ原稿を書き継ぎたいところ、やはりいささかボンヤリして いる。はれならと、もう一冊持ち出しておいた箱入り本から関心の知識を汲んでおこうと読んでいた。これは深夜に熟読してたよりは深妙に難しい資料でなく、 持ち合わせの予備知識でかなりを補い読み進めておれた。命に代えても断然復活は阻止するぞと決めてきた階級的特権族、乃ち明治二年六月十九日新制定の『華 族』を、あらためて追尋・追究・再確認しておきたかった。
明治維新が制度化した「華族」と伝統の歴史が謂う「華族」とは、ちがうといえばハッキリ違う。伝統の「華族」とは公家社会で最高級の「五摂家」に次ぐ「清華家」なる公家の家格をさし示した「別称」であった。
明治政府はそんな久しい慣習など忘れたかのように、旧公家と旧武家藩主層とをひっくるめて「華族」にしてしまい、公爵 侯爵 伯爵 子爵 男爵の五階位 を区別したのだった。孰れにし。ても庶民である「士族」「平民」からは隔絶して上にある「身分」の謂い・称呼がつまり「華族」となって、さらにそこへ、明 治御一新に功績有った士族らにも爵位を与えだした、それが「新華族」という存在であった。さんな身分制度が、昭和の敗戦までつづいて、そして撤廃された。 戦争に負けてよかった最良の華族制廃止であった、二度とそんなものを復活させては成らぬ。

* ゆらゆらふらふら揺れながら、五時起きの身で、「湖の本」次回初稿の中ほどをしかと太らせ得たと思う。もう十時だ。
2020 10/1 227

☆ 迪子様
ご丁寧なおたより ありがとうございました。
この夏は熱中症や脱水症で苦しまれた由、本当に大変でいらっしゃいましたね。
おたよりは いつもリズミカルで どこかユーモアも含まれていて詩のようで、おたよりをいただくために (仙台の=)かまぼこなどをお送りしているような気がしております。
ようやく涼しくなってまいりましたが どうか油断なさらず お大切にお過し下さい。
仙台は朝夕は肌寒いほどです。   恵子

* 仙台で大学教授をされ、短大の学長をも勤め上げた、久しい「湖の本」の読者で、遙か以前には私の勤め先の後輩さん。建日子が生まれる直前まで、社宅 で、茶の湯の手前を私が教えていた。そのころお歳暮に戴いたまことに美しい和風卵手の湯呑みで私達はいまも毎年正月の大福茶を頂いている。
読者の方から御好意のお便りなど戴くと、妻にハガキでのご挨拶をみな頼んでおり、絵葉書での返礼をさしあげた方の人数はもう数え切れないだろう。脚を運 んで人さまと出会う話すはまったく無い暮らしゆえ、妻にもこれは好い窓口になっていよう。手さきが痺れて字の書けない私は助かってもいるが。
2020 10/2 227

* 仕掛けの「湖の本 151」後半で、難しいが越えねば済まない隘路へ踏み込んでいった。十時を過ぎた行く。階下で、目をやすめながら、読んで確かめ考えたいことが、幾つか。
2020 10/4 227

 

* 『選集 33』の納品日が決まった、今月下旬には送り終え、「完」と成ろう。創作が二十巻、論攷・批評・エッセイ等で十三巻。一万八千頁ほどか、ま、恰好の総量。しかも「全集」でない、「選集」である。
その前にも半ばを過ぎている「湖の本 151」の書き下ろしに励む。生き残っているのだ、彼や彼女らのためにも生き努めねばと思う。この冬至には満八十五歳。もっともっと長命の人たちも昨今珍しくはないのだもの。
いわゆる「刷りだし(一部抜き)」も届いた。
2020 10/13 227

 

* 書き下ろし「湖の本 151」の前半を或る程度まで堅めた。ここは置いて後半へ専念していいかと。後半の半分ほどは書き進んでいる。書くというのは機 械的な労作でなく、主題や人物との力角力で、いつ、引っかけられるか、肩すかしや足くせを食うか、押し出されるか、油断ならない。だから食いついて行く。 しかも要は「人間」との出逢いである。

☆ 父からは、熟慮の結果一旦決断したことはゆるぎなく守り通すこと。いつ緊張し、いつ緊張を弛めるべきかを経験によって知ること。倦怠もしなければ夢 中になりもせずに友人を持ちつづけること。悲劇的なポーズになしに、細小のことに到るまであらかじめ用意しておくことを学んだ。 マルクス・アウレリアス
2020 10/13 227

* 明朝、結びの『選集 33』が出来てくる。数日は何かとこれに携わるだろう。これを終えると少し体力的に余裕が持てるかも。「湖の本 151」書き下ろし入稿にかなり専一できる。
無事選集の作業をし終え、一息つきたい。
好きな、ミシェル・ファイファーの映画をパスして機械の前へ戻ってきたが。
ジャズの「風のささやき」に、少しく茫ッとしている。
2020 10/19 227

* いわば「帰樵」の 『選集 結33巻』 出来て届いた。前巻1.5倍の分厚さになったが、まずは予期の通りに無事仕上がったのを自祝したい。いつも妻を患わす貳作りと郵送作業は、一冊一冊の嵩高さからも従来の二倍の手間と時間がかかるだろうが、急ぐ必要、何もない。
創刊は平成二十六年(二○一四)四月五日だった。六年半で、大冊33巻を(同期間に重ねて「湖の本」も丁度30巻刊行している。)編輯、夫婦ですべて刊行完結したのは、ま、玄人の編集者の思いにも、よう頑張ったなあと思う。すこし、呆れもする。
ま、まだまだ、これからです、と思いたい。
2020 10/20 227

* 新・フェミニズム批評の会がまとめられた『昭和後期女性文学論』を、共著者35人の一人、岩淵宏子(日本女子大名誉教授)さんが送って下さった。「昭和後期」とは敗戦後ということになる。
わたしは何人かの研究者に早くから男女となく『戦後日本文学史』が必要で欲しいと望み続けてきたが、もう在るのかまだ無いのか、この大仕事に単独で挑め る剛力かつ博覧の批評家がいないのかねと思い続けている。東工大教授を定年で六十歳定年で引いた時が一つのチャンスだったろうが、私の思いはやはり創作と 「湖の本」出版に寄っていた。当然であった。「時代」を「読む」のは大事で興味深い仕事。覗き読んでみよう。
2020 10/27 227

* このところ、はやく床に就き、本を読み読み寝入って行く。朝は、八時をメドに床を起つ。
「湖の本」に重ねて「選集」33巻と付き合ってきた六年半は、いま顧みて、惘れるほどたいへんな労作と実動だった。『選集』の用が、第33巻の支払い請 求を待つだけになり、身の浮かぶような今の気楽に今更にビックリしている。とても大きなボーナスを貰ったような「気楽・気軽」、ビックリしている。コロナ 禍で外出を自身に禁じているのが惜しい、杖をひいて隅田川べりを歩いてみたいのにと思う。
2020 10/28 227

* 「湖の本 151」 じりじり 仕上がって行きつつある。難は、視力。感心したことでないと思いつつ、ゴシゴシと掌で目脂をこすり取ると暫く見える。まだ六時前なのに。

* 錐を刺す酔うな痛みが右肩へきたので、一時間あまりやすんでいた。
見たことも読んだ書いたこともない漢字や熟語・成語に溢れた表白と孜々としてつきあっていると、目も肩も胸もただただ痛んでくる。一時間半 がんばったが、九時前、もう、やすまねば。
2020 11/2 228

☆ 前略ごめん下さい
先日は御本が届きました。いつも何かと気に留めて頂き有難うございます。
私もやっと七十六才、姉龍子は八十才で、ますます母ミツ子はんに似てきました。弟正治郎は七十三才で 皆それなりに元気にしております。
本日は少し荒れていますが無(舞)楽装束の断片を送りました。江戸初期のものです。
どこかにでもぶら提げて下さればうれしいです。
コロナ禍の折 お体に気をつけられまして おきばり下さいます様に……
十一月二日   凱    京・縄手 珍裂「今昔」西村主人

* これは、もう 嬉しい…。
私の「京都」といえば いまも現在感覚と馴染みとで生きてあるほぼ唯一の懐かしいつき合いは戸の「今昔」西村家しかない。母親の「ミツ子はん」をはじめ として一家とも、叔母秦宗陽の茶の湯の社中 秦玉月の生け花の社中、龍ちゃんは、かけがいもなく愛していた私には一の妹弟子であった。稽古場に通って来始 めたのは、まだ同志社女子中時代であったか。お父さんともお母さんとも同じ小学校区内で十分に親しかった。そして凱(ときお)ちゃんは、いまもなお「湖の 本」の久しい購読者でいてくれる。頂戴した裂も美しく素晴らしい珍品の額装だが、この一家との思い出は何にも優る懐かしいものなので。とても嬉しい。
2020 11/4 228

* 狭いテラスに暖季には妻がお気に入りのナニ変哲もない大鉢植のベンジャミンが出してあり、寒季には狭い茶の間へ強いてもいれてやるのが我が家の年中行 事、むわたしには力仕事の一つ。それを今朝は敢行した。何十年してきたのだからいつまでも出来るとは、錯覚ないし誤解で、もう、春にまたテラスへ運び出す のは、出来ない懼れもある。
この間の「選集」最終巻の受け容れ、送り出し、片付けなど、170頁余の箱入り大冊本を、多い時は十册かかえて玄関からキッチンへ部屋へ、またキッチンへそして玄関へと運んでいた。
「湖の本」発送の時は、荷造りした分55册入りのダンボール箱を持ち上げつづけて、腕車で玄関へ運ぶ。玄関からキッチンへ運ぶ。ケッコウな「力持ち」で 永年、三十数年、やってはきたが、いつまでも出来ると過信しても、過信されても、危険は目前にある。もう出来なくなる。なって、ナニ不思議ない八十五歳が 目前、来月に逼った。ま、それでも、工夫しては、やるし、やれる。やれるうちは、やる。我ながらガンコ者だと思うが、呆れ果ててはいない。だが…

☆ 一つ一つの行動を一生の最後のもののごとくおこなえ。 マルクス・アウレリウス

* ニフティから何かメールで言うてきているが、わたしには、ナニの事やら理解できない。分からない。分からないことは、愚かしい政治家なみに、「先送り」し、そのままにしておく。

* 四時半、一つ機械に、同題の原稿を何種か書き次いでいると、どこかで一統の必要が起き、さ、これが実に難儀。こんな時、原稿用紙なら 簡単に 比較し検討し一統できるのだが。疲れた。
とにかくももう『選集』は通り過ぎた。此の苦闘の新しい書き下ろしに気を入れたい。
2020 11/6 228

* もう一人、日中文化交流協会の理事長などしてくださっていた宮川寅男先生のお嬢さんから、生前の先生がご趣味の手慰みで刻しておられた印形のなかから、大きな「恒」一字の刻作を見つけ出されて贈ってきてくださった。

☆ 拝復
この度は選集第三十三巻をご恵投下さいまして深く御礼申し上げます。 最終巻とのこと 心よりお慶び申し上げます。
濯鱗清流を拝読いたしますと、かつて私も読んだあれこれ、好きな方 気になる方が次々で、再び読み返してみたり、秦先生のご指摘に教えて頂くこと多々で ございます。 そのなかに意外な方のお名前を見つけてびっくりいたしました、画家の橋本博英氏、ずい文以前になりますが、銀座の和光の雑誌な長く携わって おり、和光の画廊で展覧会をなさる画家や工芸家の先生方からお話を承って 案内記事を書くことがございました。そのようなご縁で橋本先生には幾度もおめに かかり、秦先生がわずか一度のご同席で橋本先生に特別の印象をお持ちになられたのに我が意を得た思いがいたしました。
これからまた時間をかけてご本未読させて頂ききす。
なお、同封の陶印ですが、父の印の箪笥の奥から見つけたものです。 父は晩年 唐津や所々の窯で焼物をいたしまして陶印もよく作りました。基一(佐々木 氏)、心平(草野氏)といった印もあり、好きな方のを勝手に作ってあそんでいたようです。 この印は一字(=恒)ですが、父の周辺にこの一字名前の方はな く、秦先生のように思われます。ただ先生は優れた落款を多くお持ちと存じますし、このような釉もかけておらず 下手くそな素人のものを、ご迷惑かとも思い ましたが、お手許にお捨て置き下さいましたら幸いでございます。 またご本のなかで、お名前についてのこと拝読し、さらに恐縮ではございますが…

窮屈な世上は先も見えませんが、先生にはどうかくれぐれもお障りなくご自愛下さいませ。
ご温情にあらためて御礼申し上げます。
二○に○年十一月七日       宮川木末

* まさしく豪快な、しかも威張っていない大きな「恒」一字の印で、宮川先生の優しかった笑顔が瞼へ熱いほど甦る。嬉しい。
実は宮川先生には、それはもういろいろ頂戴してきた、お宅から、ねだってモギとってきたようなのも大事にしている。なにより先生には恩師の会津八一筆の「学規」の額はわが書斎の寶もの。焼き物も絵もいろいろ頂いてきて。みな座右に親しい。
木末さんとはお目にかかったという確たる記憶はないのだが、井上靖夫妻らと一緒に中国へ行ったとき日中文化交流協会から秘書として同行された佐藤純子さんから三人で会いませんかと誘われたこともあった。体調の整わないときで遠慮したが。またそんな機もあろうかも。
画家の橋本博英さんの名も。これまた痺れそうなほど、懐かしい知友であった。ぜひにも長命してほしかった。いまは奥さんが、そのまま「湖の本」を支持し続けて下さっている。
2020 11/10 228

* ADSL を 光通信に切り替えという ニフティの指示と作業とがうまく行かず、通信や電送がまるで出来ない日々が続いていました。
その間にも、 選集最後のお支払いも済ませてきました。お世話になりました。

また 「湖の本 151」の「書きおろし」も、(実に難作業なので、いずれみなさんを嘆かせかねませんが) うんうん唸りながら 八割がた書き進ん でいますので、「入稿」へこぎ着けますまで 今しばらくご猶予下さい。この冬至には八十五歳、老耄一徹の一冊に成りますようにと 自身切望しています。

ボロボロの歯医者へも 三月以来 行かないで、日々籠居に徹し、久しい馴染みの 同じく老耄の機械君とだけ仲良く過ごし、相変わらず食はすすまず、酒の一升瓶を三日ぐらいで空けて励んでいます。

コロナ禍  じつに容易でないですね。
お大事になさって下さい。 みなさん お大事になさって下さい。   秦 恒平

☆ 秦先生  お世話になります。

『選集 33』へご入金ありがとうございました。

コロナが着実に日本を侵していますね。

経済を止める訳にもいかない現状とどう向き合うかは、過去の戦争突入時と同じ状況のように思えます。

と言ってそれじゃあ会社を辞めて家で引き籠るかと言われればそれも出来ない現実もあります。

昨日、国立新美術館に行ったのですが、入館時の検温以外は特に対策がなされていないようでした。その間に東京でのコロナ感染者数記録更新のニュースが入りましたが、普通に混んだ電車で帰宅しました。日展会場、その他の場所でもコロナの話題での会話が聞こえてきましたが。
自分で作り上げたコロナ被害も含め、心の動きを整理する必要を感じます。

からに成って行く一升瓶の並ぶ 初冬のお仕事部屋を想像して楽しくなりました。

コロナ禍、いただいたご心配をありがたく思い、後悔しない守備を心がけます。

ありがとうございました。   凸版印刷株式会社  憲

* 「ニフテイ・メール」はこれからも光通信で「使用可能」と思っている。
それにしても深々となじんできたこの機械クンのえも謂えない懐かしさよ。断末魔にちかい容態と警告はされたけれど、この「私語の刻」につきあってくれる有りがたさ。異身同体、願わくは心中の日まで、どうか辛抱してつきあってくれ給え。
2020 11/19 228

* がまんし、しんぼうし、目を被い、意味のない唸りをもらして、ただ時間を追いかつ費やしている。 繰り返すだけだが、

たのしみは難しい字を宛て訓みしその通りだと字書で識ること

今のアタマゆえ忽ちに忘れるのだが、夥しい難しい漢字を見て訓みをならった。漢字制限がなされたのは正しい時勢の判断であった、そうは思いつつ、はり古 人の書き置かれた文章も読みたい。宛て訓みが逸れるとかなり悔しいが、もともと識らなかった漢字がどれもこれも正しく(と辞書は云う)訓めなくても仕方な い。おおそうか、そう読むのかと識る、これがこの歳になって、けっこう嬉しくて飽きないのき、私が変物なのか。楽しみがまだまだ残って居るぞという実感で あり、生きの力にもなる。

たとえば   赧   赮

ともに「赤い」のだとは分かる、が、
前者は 赤らむ 赤くする 読みは  たん
後者は 赤 読みは  か    という区別は教わって覚えた。
いま、こんなことを、一日に何十字と目をこすりながら楽しんでもいる。『選集』が全面で終了し、今は「湖の本」に取り組んでいるので、サボっているので なく、しかも仕事は当面「これ」だけで、外出の用もないのだから、コロナ禍を案じはしても、ま、満たされている。疲れれば、電灯を取り替えて、またも『指 輪物語』という大長編を楽しみ始めた。ビルボ・バギンズの大冒険は映画で繰り返し楽しんでいる。甥で養子ッ子の方の大冒険が『指輪物語』。何度目かを読み 終えるのは、来春 ではまだか。桜に間に合うか。 ビルボ・バギンズの本も有るなら、手に入れたいなと願っている。
2020 11/21 228

* またお一人 訃報が。八十一歳とはじめて知った。作家であり、久しい私の読者として本を送る都度厚い便りをいつも下さった。お目にかかったこと、ないのである。

* 全国の読者と、当然ながらお目にかかったという機会は全然に稀で。ときどきお話ししたくなるが私は電話がとても苦手。編集者時代はそばの同僚が感心してくれたほど電話上手だったけれど、それは「仕事」が介在していたから。
いまも鳴るように手が痺れていて、いま手紙も郵便もろくに書けず大方というより全部妻に頼っている。しかし、メールなら書ける。私のメールアドレスは「湖の本」奥付下の方に入れてあります、なにかお話が可能な時は、遠慮無くメールで話しかけて下さると嬉しいです。
2020 11/25 228

* それはさて書き下ろしを、この三日ほどでともあれ仕上げへ運びたい。

* 一気に初稿仕上げて「湖の本 151」として送稿した。何を云うかときつく敲かれるかもしれないが、思うところは曲げず飾らず書いた。
これで、今度は 小説 へ立ち向かえるか。
2020 12/9 229

* 今度の書き下ろしの、ことに後半は、漢学専攻の老練教授でもないと訓めないか知れない途方もない難漢 字 難読漢字が わんさと出てきて、少なくもルビなしには訓めない。極力正しく訓みがなを初校段階でつけねばならない、その大変さを想い思い、夜中も床の中 でとつおいつ考えて、本文に組んでもらう現場サンへ私なりの「提案」お願いをすべく、早起き。いま、メールを書き送った。
ウーン。なんとかウマイぐあい に事が運びますように。
2020 12/10 229

* 衰弱ということばが忍び寄る。活気が沈滞している。
気忙しくならず、骨休めの時季と思えばいいのだ。没入できる本を、もう幾作か選んで枕元へ置こうと思うが、気づいてみると、少年の昔没頭できた十九・二十世紀泰西文学へ心誘われていない、不思議なほど。
藤村、漱石、潤一郎などへ帰ろうか。
わたし自身の小説作を選集本で読み直そうか。なんだか、お別れするみたいで景気が悪いが。
いっそ新しい「湖の本」の難儀な校正刷りが届いたら、イヤもオウもなく没頭できるかも。

* 印象畫『澄秋』と題された「木守り」の「一つ柿」が静かに美しい。
2020 12/18 229

* 『奥丹波』という「うま酒」の名を識ったのは、頂戴したからで、芝田道さんからであったろう、 06 02 26の日付で こんな戯作が家集『亂聲』(湖の本 134)に遺っている。

雨降り冷え冷え ひなあられ 白酒いやいや 奥丹波 辛口ひたひた 富士夫作 刻銘「花」とよ ぐいと呑め つち色くろぐろ うまざけの さかなはなになに 菜種あえ 雛にもそれそれ めし上がれ 蛤汁(はまつゆ)あつあつ 弥生を待つ待つ
2020 12/21 229

* 体調優れず、午後も、夕方へかけ寝入っていた。「孔子門弟列伝」を原文で読み進み、行き詰まると講釈に助けられながら、いつか、つぶれるように寝入っ ていた。起きても、夕食がまるで進まず、妻の心づくしに申し訳ない日々がつづく。今すぐにでも、また寝たいほどからだが懈い。
新しく「湖の本」次巻「初校出」までの今を、天与の休息時間と遠慮無う休んだ方がいいのだろうと思う。物忘れというほどでなく、語彙、モノの名忘れが日々に露骨になってきている、少しずつだけれど、そしておおかたは数分内にも思い出せるのだが。
2020 12/22 229

* いよいよ 待ったなし、「湖の本 151」初校出の連絡が来た、もう休みもなにも無い、しっかり気を入れて働くまでのこと。元気か。決して元気ではないのだが。昨夜は床の中でも「冷え」のきつさに迫られて困惑した。
コロナ禍は危険さをむしろ強めて広がり続けている。かれらの味方は寒気だという、とすると、二月いっぱいまでは少なくも耐えぬかねば。これも容易でない。容易でない日々を決心して突き進むしかない。
戦争の昔は幼かった。山の奥へ疎開し、そばにいつも大人もいた。山にも京の街にも爆撃は無かった。
コロナ禍は思えば生涯にかつてなかった難儀である。ほんとうに賢く聡く立ち向かわねば負かされる。
2020 12/23 229

* 居間の棚、観音像のわきに高麗屋さんに戴いた深紅のポインセチアの鉢、持田晴美さんに戴いた濃紫に華奢なミディ胡蝶蘭、そんな居間からはテラス越しの 書庫真正面の棚には、作家久間十義さんに戴いた清楚に丈高い早翠ともみえる白色胡蝶蘭・茶人吉田宗由さんに戴いた多彩な薔薇の花束が、華やかな盛りの色を 盛り上げている。
我が家の歴史で、いっとう花やいで歳を越してゆく一年になるのたせろう。感謝しなくてはならぬ。
オーと思いつく誰よりも「大事な感謝」を捧げたい「今年の人」は、まちがいなく、明治二年に生まれ、昭和二十二年に亡くなった秦の「鶴吉」祖父だろう、 今にしてなお仰天してしまうほど貴重な漢籍や漢詩集や、日本の古典や巨大に重い事典・辞書などの「蔵書」を、まさしく「私・恒平のために」遺してくれたこ と。
『山縣有朋の「椿山集」を読みて』についで、もういちど山縣有朋の「覚悟」を問う一冊も用意できているし、いましも『史記列伝』に読み耽っている。与謝 野晶子の訳源氏物語よりはるか早く、四つ五つで秦家に入るはるか以前から『源氏物語湖月抄』の帙入和本も、真淵講・秋成訂の『古今和歌集』や、『百人一首 一夕話』だの『神皇正統記』『日本外史』『歌舞伎概説』だのと範囲は広かった。
幸いに私はそういう「本」という形に魅されて頁を繰らずに折れない「幼少」であった。よかったと思う、しみじみと。そして祖父への感謝を新たにする。
このごろは、『柳北全集』の数多紀行の名文や随時に呼吸でもするように挟まれるハツラツの漢詩を、とても面白く楽しんでいる。こんな貴重本、いまどき欲しいと探しても、神田ででも難しいだろう。
2020 12/23 229

* 「湖(うみ)の本」151の初校出、明日と通知あり。落ち着いて読み返し、適宜に補足して意を尽くしたい。体力が無いならむりにも気力に頼みたい。わたしはまだ、あの、空から呼ばれるオールド・ブラック・ジョーでは無い。
2020 12/24 229

☆ 秦 恒平様
ご無沙汰いたしました
お元気でお過ごしでいらっしゃいますか
私どもも
無事に元気で暮れを迎えることができ ほっとしております 先々の注文をお受けしながら コロナなどで仕事が続けられないことになれば お約束が果せなくなります 大晦日までのあと数日を支障なく過ごせればと願っております

先生 奥様どうか御身ご大切になさって穏やかな年(これは希望ですが)をお迎えになられますよう願っております
何を書きましても ことば足らずで お気持を損じましたら お許し下さい
この一年の感謝を籠めて
令和二年十二月二十五日 村上開新堂  道

* 心の籠もったクッキーの缶を戴いた。お店には「菓子」コーナーと「レストラン」とがある。この方は開新堂を率いてられるだけでなく、いわば日々の「食 事」の開発と工夫の料理家でもある。もう35年近くもの、真正面で顔を合わせたことの無い「親友」と謂えよう。「湖(うみ)の本」その他が私にもたらした 恵みは遠くも近くもただ読者だけではなかった。有り難い。
2020 12/27 229

* いま「霏霏」を確認のため明治三十九年十一月に精華堂書店から出た内海以直著『新編熟語字典』(秦の祖父の旧蔵書)の「ヒ部」をみていた。和紙袋綴木版和字。一等最初「眉宇」に始まり「亹々乎(ビビコ)」で終えてある此の「亹々乎(ビビコ)」って、何。「ベンキヤウスルコト」とあります、ウーン。一等初めの「眉宇」には「マユノアイダヲイフ」とあり、さらにこの「眉宇」上の欄外に、ちっちゃな毛筆で「微眇 ビベウ メウ カスカニチヒサシ」とあるのは、祖父書き入れの筆跡。おじいちゃん、「亹々乎(ビビコ)」たるものか。ちなみにこの『字典』も明治期の風にしたがいアイウエオ順でなくイロハ順に見出しが「イ」から「ス」へ並ぶ。「ン」が無い。
昔の本は、それなりに絶妙に興趣をはらんでいて、開くと、飽きない。「ひまジャノウ」と嗤い給うな。かかる「私語の刻」も私には創作、すくなくも作文の時間。

* 目を瞠いているのに、この機械画面に自分で書いているこの大きな「かな漢字文」が「ヒヒらいで(こんなことばるかなあ)」見にくい。「セツセツ(切々)と」迫り来る、「終」マーク。

* 「湖(うみ)の本」151 ただ数頁の初校だけで一日の朝昼を費やした。明治は、二・二・六事件より早い昭和十年生まれの私にはただ「大正の前」でし かなかったが、平成の「三十年」を挟んで令和の今日からは途方もなく昔になり、明治十年西南戦争当時の西郷や将官らの書簡数通をきちんと訓み下す、それだ けで「一日」かかってしまった。
この先へ行くと、漢字に訓みがなをふりつづけるだけでどれほどかかるやらと、空恐ろしい・しかしそれだけの苦行をしてでも意義は起つなら、懸命に読者に伝えねばと思う。
2020 12/27 229

* 事実上の前半を初校した。要領、ほぼ納得した。問題は三分の二量にあたる後半分、しかも猛烈にルビを打たねばならない。新年の三が日には読み通したい。後半には追加補充も必要になろう。ま、打ち込んでし遂げたい。
夕過ぎて、また寝入っていた。八時になる。寝入る前後には史記列伝や指輪物語を読んでいる。このところは『オイノ・セクスアリス』の第一部も読み返し進んでいて、これは書いておくべき強い批評本の一冊に当たっていると自得もしている。かりに他人が書いた本としても、踏み込んで面白く読むだろう。
2020 12/28 229

* 「湖(うみ)の本」の初校は、後半へ。前半の十倍も校正が難しい。焦るまい。
2020 12/29 229

☆ ご懇篤な
お便りに恐縮いたしました。
「柿渋は新型コロナウィルスを不活性化する」という研究の報道があって以来、柿園はてんやわんやのようで、今年の干し柿の出来に不安を感じていました。及第点をいただけて安堵いたしました。

ここ一年程急に視力が衰え、読書もままならなくてへたっていたのですが、ご不調をおしての「「湖(うみ)の本 151」へのお取り組みや、心に蔵された”湖”から無尽に汲み出される題材のことを汁と、元気を出さないとバチがあたるという気になりました。

どうぞ用心には用心を重ねられ
新しい年を鮮やかにお迎え下さい。
二○二○年十二月二十八日   天   講談社役員

* 気負わず、之を次いで之をと生気のまま書き継ぎたい。愚痴に沈む齢ではない。
2020 12/30 229

* 「湖(うみ)の本」の校正、懼れていたとおりに難渋。ルビを正しくふらねばならない。ルビで読めれば意義が汲み読めるわけでもない翻訳し今日語になおせば文の格は死に失せる。覚悟しつつ、もう八・九十頁は油断無く付き合わねばならぬ。
2020 12/30 229

* 今年は、紛れもなくコロナに逼塞を強いられて竦んでいる一年だった。来年とて感嘆には免れないだろう。
しかし仕事はした。「秦 恒平選集」全33巻完結は、神戸の岡田さんから「大偉業」と祝って戴いたのは気恥ずかしいが作家生涯の一つの山だった、『山縣有朋の「椿山集」を読』んで「秦 恒平・湖(うみ)の本」が150巻に届き、151巻も初校半ばというのも小さからぬ山であった。実に多くを読んだ歳であった。
2020 12/31 229

* 昨日。野沢利江さん 例年のように鴨鍋一式のご馳走を送ってきて下さった。年越しに、有り難く温かく戴きます。
今日は小松の   さん、すばらしい昆布を山のように送って下さる。有り難く、新年のお雑煮の用に頂戴する。感謝感謝。
東工大を三年から院へ、そして東大へ、いちはやく大学の先生へと、みごとに駆け抜けていった為我井さんから、変わりなく「湖(うみ)の本」へ支援の送金 があった。感謝します。やはり同じ道を進んでいき、同じように応援してくれる川口さんもある。早く家庭に入って幸せいっぱいっばいの和田さんも。みな、生 直ぐに和やかで聡明な女子学生だった。ますますお元気出と願う。
男性の方は、みな、あまりに今や忙しそう。
2020 12/31 229

* わずか一頁20行中、難漢字に訓みガナをふること150字に余る校正を、なお80頁も余している。読めたから意義も通じるとは限らない。モノスゴイと、嫌いな物言いもしたくなる。ま、大嶽大吹雪のトラバースに懸命耐えている具合い。
ま、こういう目にも遭うのである、物書きは。
2020 12/31 229

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