* 八時半。ごく フツーの元日を過ごした。「「湖(うみ)の本」151書き下ろしの仕上げへ、腰を入れる。囿 亹 赧 蠹 閔 戄 礮 礟 囮 纔 靚 等々の、ちょっと視線を走らせただけで、こんな、あんまり見ない漢字を機械の底から探し当てて、その読みも振りかなしなくてはならない。秦の道楽だとただ 叱られるかも知れぬ。
2021 1/1 230
* 駆逐艦「雪風」での生き残った乗員らの、切実を極めたレイテ、沖縄での日本海軍総惨敗をめぐる生死と覚悟の思い出をつくづくと聴いて、泪に溢れながらこもごもモノを思った。切に思った。それは今の私の書き下ろし稿とも深々と交叉してくるのだ。
2021 1/3 230
☆ 秦 先生
温かい励ましのお言葉をありがとうございます。
まだまだですが 私も 生涯ずっと勉強できるよう、精進かつ健康にも気をつけます。
先生もお身体にお気をつけて。 山形大学教授
* 「教授」に「新任」の、東工大卒業生。「湖(うみ)の本」も欠かさず応援してきてくれた人、感謝。まことにまじめに温厚な、かつ「佳い物言い」の男性。満ち足りた旅日記を読ませてくれたことも。書く字も、穏和な表情も覚えていて、懐かしい。
☆ お元気ですか!
「「湖(うみ)の本」 いつもありがとうございます。
マイペースでボチボチ、元気でいて下さいね。 めぐ 東工大卒業生
* 受講中のころも、大学構内での行き帰りに出会うと「ハタさんの匂いがしたぁ」と駆け寄ってくる子だった。「あなたよっぽど臭うのよ」と妻に笑われたことがある。然らむ
2021 1/4 230
* 七時半。手を伸ばしたら、書架のはずれに明治版の本が四冊あった。
以下三冊の偉業館本は頒価は不掲だが、
元・曽先之編次 日本・大谷留男訓點『十八史略(片假名付)』大阪岡本偉業館蔵版 明治二十九年十月發行
梅崖山本憲講述『四書講義』上下巻 大阪偉業館蔵版 明治三十一年四月二十八日再販
梅崖山本憲著『図解説明 文法解剖 全』 大阪文陽堂蔵版 明治二十七年二月十二日第三版 定価二十銭
『四書』とは「大学」「中庸」「論語」(上巻)そして「孟子」(下巻)。なんと有り難い。韓国ドラマをみていても世子や王子らはきちんと習っている。この「八五老」とて奮起あるべし。
『十八史略』は「略」とはいえ、まさしく太古、三皇以来の神話から人史の元朝にもいたる『史略』なのだから、それも片仮名ですべて漢字のよみにルビ付きだから、ま、宝石のような一冊である。
遅いというなら遅すぎたが、早くに呼んでいたからどうという人生行路への影響や支障はなかったろう。籠居の日々に 創作の脚をとられぬ限りで、西洋の小説と共に東洋中国の歴史を原語で読んで楽しみたい。
医学上 人身解剖の例にならった「文法の解剖」となるとちょっと手が出ない、が、前三冊は有り難い。云うまでもないこれらも秦の祖父鶴吉の遺蔵書の一部である。目下愛読中の『史記列伝』上下冊を読み終えたら是非手にしたい。
昨夜であったか、おお感傷的に秦家へ入った初のお正月のことを書いたが、黙ッとして怖そうな祖父の印象自体は祖父が昭和の敗戦後半年で亡くなるまでかわ らなかったが、父でも母でも叔母でもない祖父の堅い教養的旧蔵書がじつに多彩にあることはよくよく認知していて、何構うことなしに幼かったわたしは引っ張 り出して読めるワケのない漢籍・漢詩集などでも日本の古典でも、とにかくも目に触れしめていた。
中には1000頁もの『日用百科寶典』や『文法詳解 増補明治作文三千題』などもあり、幼少恒平クンを様々にコーフンさせたのだった。
「「湖(うみ)の本」前冊の『山縣有朋の「椿山集」を読む』も、次冊も、あの「お祖父ちゃん」の蔵書でこそ書き出せたのだ。感謝感謝感謝。
2021 1/13 230
* 「湖(うみ)の本 151」の「ルビうち初校」に精を出す。目が痺れる。その一方で「マ・ア」のこの部屋を好んで攻撃するヘキに人間たる工夫を種々こ らして対抗もしなくては。サスガ! に上手い工夫で、ドアを明けられぬよう、内からも、外でも、勝算立ったぞ。どうだ !
* 小一時間も寝ていたか、午寝。そして初校を継続一時間、疲労。
2021 1/14 230
* いま、読みやすくやすくと苦心惨憺している漢文の筆者は、二十歳前後から、徳川将軍家に読み書きの侍講・侍讀して五百石を食んでいた和漢学秀逸のひと で、今で謂う大学生の年齢で、わたしが大小の漢語・漢字辞書を持ち出しても足らない難漢字を平然つかいまわして、色町での遊興の機微や裏面を楽しそうに気 らくに書いてくれる。太刀打ちがならなくて、呻く。
2021 1/5 230
* 湯に浸り、レオン・ブルムを読んでいた。『指輪物語』も。そして夕食してから寝入っていた。八時前。寝たいなら寝た方が良い、風邪を引くよりよほど良 い。だらしなくムダには死にたくない。死ぬなら、きちんと、したいだけはして逝きたい。さしあたって、「「湖(うみ)の本 151」をちゃんと取り纏め、 「152」を入稿したい、手を出せば出来るのだから、すぐにも。
とはいえ、いまも「151」のゲラと取っ組んで校正というより、明治も初年の新聞読み物に、当時の銀座の夜店を書いた記事にふりがなしているのだが、ア タマまの鉢が割れそうに超難漢字の羅列、この頃の新聞の読者はかかる面白くも難しすぎる記事がアハハと読めたのだろうかと私はまさに「お手上げ」なのでし て。われから跳び込んだ以上やり抜くしかないが、その価値は優にあるのだが、降参です。
九時半。もう目も頭も モタない。
2021 1/16 230
* 一頁分文章中に、無数の読み仮名を要するのは令和の今日では仕方ないが、幕末・明治の碩学ともなると、とほうもなく 暢やかにとてつもない語彙と口調とが音楽のように鳴り響いてくる。なにの手引きや案内もなく今日の刊行物にするのは不親切が過ぎる、が、ルビを、読みがな を副えれば済むか、済まない例が多い。丈高い草むらへ踏み込むよう。呆れてしまうという「踏み込みよう」もあるとは悔し紛れ。えらいことを始めたもんだ。
2021 1/17 230
* ほとほとしんどい初校をしているけれど、取り上げている明治人の文章のいさぎよい美しさ、面白さには脱帽。はやく読者のお目にかけたいと気はせくが、 なかなか目をまンまるにしての校正、地を這うよう。あせるまい、そして続く「152巻」のこれをという目星ももうつけた、これは、「原稿」にすれば済む。
2021 1/18 230
* なぜか難中の難文のしかも十数行分が欠け抜けていて、補足しつつフリガナするのに四苦八苦した。目を傷めるのも甚だしい。とはいえ、それがまた内容も表現も面白い ので、ガンバッて補った。ちょっと休まねば。
今回のこの校正は、手元にATOKの漢字検索がないと出来ず、機械の傍が離れられない。もう数頁分で通過する一団なのだ が、手をあげ音をあげてあとまわしにしてあるもう十頁ほどと格闘しないと、おさまらない。そして更に本文の「追加」が頭に在る。「「湖(うみ)の本」を始め て、こんなに苦労の一巻はかつて無かった。だけれども、これはし遂げたい意味のある一冊である。
ここで、暫時休息ぎみに「「湖(うみ)の本 152」の段取りにかかる。
2021 1/19 230
* 九時になる。次の「「湖(うみ)の本」の用意に。一冊に入る分量と、すでに用意のある分量との均衡が問題、後者は、前者の少なくも何倍もあるだろう。アタマの痛むほど考えて取りかからないと途中で立ち往生してしまいそう。
用事はイヤになるほど有るのに、仕方なく放置されてある、大方は郵便に類するのだが、今はボストへも局へも行きたくなく、宅急便を預けにも行きたくな い、極力人と顔を合わさず言葉も交わさないようにしている。夫婦二人くらしだと或る程度それが徹底できる。それに退屈と云うことが全然無い。有り難いこと だ。
これで、建日子の顔を見ながら話せるような設備が出来るといいのだが、手が回らない、そんな設えも出来ない。幸いこの書斎は、じつにさまざまに賑やかで心温まる。ときに「マ・ア」が来る。鰹節を用意して、ちょっとずつご機嫌をとる。
2021 1/19 230
* 六頁の難関をなお残してしかし大方を校正した。あと、難関を踏みわたって、そのあと、全一巻を好く整えたい。前後のつきものも作らねば、また口絵をどうするか、付けるか、諦めるか。
とにかく少しく先が見えてきた。つづく「「湖(うみ)の本 152」の原稿づくりにももう手は付け始めている。
2021 1/21 230
* 只一頁に満たない原稿に漢字のヨミをフリガナするのに二時間かかった。なんとする。
2021 1/23 230
* 三時過ぎ。じりじりと仕事のハカを追っている。当面、「湖(うみ)の本 151」の要再校・初校戻しと「152」入稿原稿仕立てと。
2021 1/27 230
* さ、もう少し粘り抜き、せめて一件は仕上げへ先が見えましたというところまで運びたい。五時。
* 十時過ぎ。おう、ついに難中の難作業に当たる仕事を、曲がりなりに終えた。うまくまた再校時に
正したい。
これで「「湖(うみ)の本 152」 の原稿作りと入稿をめざす仕事が前へ出る。そして別口の創作へ姿勢を正対することも。よし。
2021 1/27 230
* 三時半 いくらか検討の余地はのこしたが、追加挿入原稿や 序 など書き、挿入箇所指定を終えれば、初校了 要再校として返送できるまで「「湖(う み)の本 151」 こぎ着けた。まことにご苦労なことであったし、再校段階で、尚お 幾苦労もあろうけれど、遅くも三月半ばには送り出せようか。但しこ れは現場仕事先のコロナ事情でどうなると見通せない。最悪は、桜桃忌の記念という、まる一年目の出版にも成りかねない。それでも、期待に応えるいい一巻に なるようにと手を抜かない。
ま、引き続き分の新規入稿、これは、量は嵩みそうでも、手慣れた作業で進むだろう。
それにしても、何という私の生理的視野の混雑悪化。左眼がひどい。しかし、今は眼科も歯科も、聖路加へも、とうてい動けない。コロナ感染は決して軽視で きない。85老二人の共倒れになる。のは避けねば。建日子も気を遣ってくれて、あえて此処へは帰ってこない。こっちにテレワーク設備があれば顔ぐらいは見 られように。
2021 1/28 230
* 機もよし、次回「湖(うみ)の本 151」のために昨日書いたばかりの「序」を いま、此処へ「予告」として置いてみる。
序 山縣有朋と成島柳北 この二人の明治維新
こと「明治維新」を書いて、語って、「汗牛充棟」はなんら誇張ではない。そこへもう一冊を加えようとは厚顔しいかと遠慮がある。それでもなおと云うには 言い古された陳腐は断然避けねばならない、「元勲・元老」山縣有朋はあまりにも識られた名であり、必ずしも当節なおなお歓迎される名ではない、だが前巻 『山縣有朋の「椿山集」を読む』は、よほど新鮮な感銘を読者に伝え得た。まこと珍らかな家集『椿山集』の、心静かに、なに高ぶらない風趣は、清新な驚きで 受け容れられ、一人として拒絶の読者は出なかった。秦の祖父鶴吉旧蔵の一冊が思いもよらぬ今日に思いもよらず静かに読み返されたのは、山縣有朋になに贔屓 の思いも寄らぬ私にも胸温まることであった。
その、度も過ぎて知名の山縣有朋に衝きあわせるように取り上げる「濹上隠士」成島柳北は、また、今日、忘れられ過ぎた明治「志士」の一人であり、頑なに 民権を忌避の内務卿山縣有朋ら維新の薩長藩閥政権に闘い挑んだ一人の「文豪」であった。有朋に一歳年長の柳北の人生は、あまりに惜しく短かったが、その経 歴は目を瞠る異色に彩られて、しかも江戸から東都へ生き直り稀なほどの風雅の気概に溢れていた。しかも彼自身が受け容れさえすれば、明治の元勲とも新華族 とも晴れやかに肩そびやかすことも出来た、だが成島柳北は幼、來つねに「家國」の安否を慮りながら山縣等の維新政権の「傲」と「妄」とを指弾し続けた。
この一巻は、そんな景況を背に、私なりの大胆な有朋再評価と柳北賛嘆とを、なんとか課題に満ちた対極として略畫したもの、ご批評を願います。
二○二一年 一月 コロナ禍の中で 秦 恒平
* 途方もない本文校正になお相当時間を要しそう、コロナ禍に作業の仕方も制限を受けている印刷所事情もあり、刊行は…、ハキと予定しきれないが、読者の皆さん、お待ち下さい。
2021 1/29 230
* 不調 晩食を欠く。「湖(うみ)の本 151」初校戻し稿への拡充などに明土日曜を利して充実に努める。
八時過ぎ、機械字「最大」を常用しているが、それさえ視野で煙って来る。音楽は変わりなく聴けるのに、見る目の衰弱は甚だしい。「やすめ」と呼ぶ天の声 と聴くしかない。とは言えこの部屋の、また機械のブルーライトを離れて枕もとの昔ながらの電球スタンドを頼みにすると、時間が経つに連れてむしろちいさい 字が綺麗に晴れてくるは何ぞや。それでつい一時頃まで十種をこえ読んでしまう。そして寝てしまう。早起きは考えないことにしている。八五郎の薬餌と思って いる。
それにしても腹に痛みが一日残っている。イヤ。
2021 1/29 230
* 十時半 疲れましたが、久しぶりに 印刷所へ 要用連絡の 一部原稿とメールとを、今、送った。一歩前へ、そして明日明後日へ繋いだ。
もう、眼鏡がほとんど役立たず、邪魔になるほど。やれやれ。
2021 1/30 230
* 今日は、漢文の訓みに時間をとり視力を酷使しつづけた。ほぼ、この段階での為すべきを終えたかなと。
一月が 終わるのか。淡々 坦々と行くのみ、用心はして。
* 九時半になる。今夜はこの辺で。明日は 午前にも仕事したい、「「湖(うみ)の本 151」初校を送り返せるまで。
2021 1/31 230
* とうとう、「「湖(うみ)の本 151」の初校を、様々に手入れ手当てして、添え稿も組み入れ、「要再校」で宅配に委ねた。宅配扱いへも、久しぶりに 出向いたが、余分の用ではずうっと接触を敬遠してきた。まだ、当分それが続く。人との、持ち運びものとの「、接触」に用心している。そのため、不要不急の 送り出しでは、敢えて義理も欠いている、申し訳ないが。
2021 2/1 231
* 「「湖(うみ)の本 152」の入稿原稿が、八割がた仕上がってきた。アコを想い想いのガンバリである。マコが、寂しそうに甘えてくる。マコのためにも、とんでもない私はシクジリしてしまった、謝りようもない。ごめんよ。
2021 2/4 231
* がんばって、「「湖(うみ)の本 152」の入稿原稿をつくりあげた。すがた・かたちを整えればいつでも入稿できる、が、印刷所がわでコロナ感染と いったアクシデントもあり、「湖(うみ)の本 151」が刊行出来るのは、春も過ぎるのではと案じられる。春、そして桜桃忌に、一巻ずつできあがってくれ るといいが。
2021 2/5 231
* 昼食後 機械の前で椅子のまま寝入っていた。「湖(うみ)の本」絡みの「機械仕事」は、印刷所側でのコロナ感染などもあり停頓を余儀なくされ、これ以 上前進の必要も解除されているアンバイ、しかれば今こそ手の広がってある「創作」のどれかへ真直ぐ向き合える。全姿勢を切り替える好機。
2021 2/6 231
* いま手元へ引き寄せて随時に読み進めている他の漢籍は、「大學」に始まる『四書講義』上下巻、元の曽先之編次になる『十八史略』 そして『孫子講 話』。国民学校の頃から秦の家に祖父鶴吉が蓄えていた数多い漢籍や字典や古典や事典や古書を、傘寿もすぎて私は愛読愛玩している。繰り返し返し寡黙に怖そ うだった「お祖父ちゃん」に感謝感謝。「湖(うみ)の本 150」で公にできた山縣有朋の家集『椿山集』もしかり、そして次巻にも、当節とても手に入らぬ 一冊を介してモノが言えます、深々と、感謝。
* 三時半 もう、まるで機械のキイが見えない。休む以外にない。
* 五時半。久しぶりに機械クンと碁を打ち、快勝。とはいえ… 疲れる。
* 六時半。 再開すれど 視野濛々、話にならない。休む。
2021 2/8 231
☆ 随分と長い
ご無沙汰でした。コロナに暮れコロナに明けてしまいました。
そしたら大雪です。それも二波、三波、しかしコロナと違い、雪はすっかりとけて 昨日なんか冬晴れの一日でした。ただこのまま春に向かうとは思うわけではありませんが。
秦さんのご様子は、H.P.で拝見して、お変わりないことと安心しています。私の方は、コロナも大雪も関係なく、相変わらずの閉じこもりめいた毎日で、刻字や篆刻なんかもこのところお留守にしています。これでいいのかと自問することもあります。
身に近い変化といえば、去年の暮れ近く、二歳年下の弟に死なれたことでしょうか。銀行員だった弟は、定年前に脳梗塞で倒れ、三十年近く半身不便の病との 共生でした。晩年は子供たちの住まいの近くにと、横浜に移り、そこでなくなりました。甥から家族葬との案内を受け、いろいろの不都合で、参列できないおわ びを告げたことでした。
このころは遠出するどころか図書館へも本屋へも向うことが少なくなっています。子供たちが車で出掛けることを気遣い過ぎるからです。そこで身の回りにあ る本を無作為に引っ張り出して読んでいます。先日、文庫の棚から取り出したのは、立原正秋著『日本の庭』でした。作者にも、もちろんその内容にも引かれる ところがあったのでしょうが、「解説」の頁にしおりが挟んでありましたので、解説者が気になって買い求めたのだった
のかも知れません。「解説」を読み返して納得、あとはゆっくり本文の頁を繰っています。
この作者が気になったのは、もちろんその作品のせいですが、立原正秋をあつく語るお弟子さんを知ったせいでもありました。宮城谷昌光さんです。文学館に いたころ、宮城谷さんにかかわる小さな展覧会を開いたときお会いしました。ご自分のことより師匠(そう呼んでいらっしゃいました)について語る時間が長 かったようです。こんなお弟子を持った師匠は幸せだなあと思いました。
作品とのかかわりあいは、地元の新聞が「北陸・名作舞台」というシリーズを企画し、私にも何編かの執筆依頼があって、そのなかのひとつが立原正秋の「恋 の巣」だったのです。舞台は「金沢・長町周辺」ということでした。執筆にあたって、他の立原作品にも目を通しましたが、『日本の庭』はその時に手に入れた ものだったかも知れません。
このところ元気ではありますが、去年の秋頃から五十肩?が再発して診てもらったところ、お年だからねと言われました。二週間に一度、注射に通っていま す。もう一つ、眼鏡の調整に行きましたら、眼科検診を勧められ、それに従ったところ、白内障の診断が下され、六月に手術することに
あいなりました。これも「お年」のせいなんでしょう。なにかにつけ、年齢を思い知らされる「今日このごろ」ではあります。
お二人ともお大事にとお祈りしています。
2月8日 井口哲郎 元・石川文学館館長・県立小松高校校長先生
* なんと心温かな佳いお手紙かと、お元気を心より喜びながら 懐かしくて 逢いたいなあと痛嘆する。無事これ好日と お互いに 「お年」と付き合って行 きましょう 奥様ともども 文字通りお平らにと願います。 私からも 井口さんのように 自筆の手紙が書けるといいのだが、痺れる指先でペンが踊ってしま う。昔に、萬という枚数「秦用箋」つまりは原稿用紙を刷ったのに、やがて機械クン登場、原稿紙は200字のも400字のも埃をかぶった。あの升目の大き な、大きな400字原稿用紙へ万年筆で手書きの手紙を、字はいいから、送り出したらどうかと思うこともある。
とはいえ、送り出したい先が、もうよほど寂しくなってきて、心痛む。「湖(うみ)の本」の久しい読者が列島にまだ大勢おられる、そういう方々に「お電 話」で話しては思ったこともあったが、電話で話すのは苦手でもあり、何より先サマにご迷惑かとたじろぐ。老境というのは、よほど自分で囃し立ててやらない と寂しくなる一方。妻は、わたしが何もかも「私語」しすぎて見苦しいと叱るけれど、「私語の刻」ぐらいは好きにさせろよと自分で自分の鼻を摘んでいます。
2021 2/10 231
* 手順で手放せなかった「湖(うみ)の本 153」の予定稿が、まずは出来上がった、多少の増補や削除はこの先のハナシになる。
印刷所も なかなか容易ならぬ状態らしく、「151」の再校も出てこない。この間に書き下ろしの「152」を入念に仕上げながら、新しい小説のアタマにあるプランを展開しておきたい。
2021 2/14 231
* 印刷所から「「湖(うみ)の本 151」初校直し・再校出へ、ワルクすると三月になると報せてきた。すりゃ三月刊はとても有るまい、1986年桜桃忌 に「創刊」し、第150巻を34年経て昨2020年桜桃忌に出している。続く151巻刊行までにマル一年かけた今年桜桃忌には間に合うか、コロナ禍の故障 もあったといえ、それよりも赤字訂正の作業にそれほどかかるほど難儀な仕事になったのだということ、さぞご苦労掛けていると想う。掛けある仕上がりにした いものです。購読のみなさま、お待ちください、手が抜けていたのでなく、手の掛かる原稿であるということです、ご容赦下さい。
2021 2/17 231
* 印刷所との ややこしい 折衝や訂正やお願い それも省くわけに行かなくて。「詠む」「寝入る」どころでなく。もう 九時になった。視野の確保が ますます 乱れがち。困るなあ。
2021 2/17 231
* 機械の奥へ奥へ踏み入って行くと、見当だけ付けて仕置きの発想や着想や書き出しが沢山隠れていて、申し訳なくてアタマを掻く。使い方もよく分からな い、しかし、気の遠くなるほど大量保存の利くらしいモノ(名前も分からないごっつい蓄電池のようなのが在る。うまく遣えると、ありとあるモノが一括して保 存出来るらしい。
なにしろ、「撰集」33巻分、「湖(うみ)の本」152巻分、毎日・毎月・毎年の日乗「私語の刻」が23年280ヶ月分、電子文藝館、何十年もの写真、ものすごい量の来信メール、「歌作、そして数え切れない随想・随筆・試作・書きっぱなしのいろいろ」。
この、草ぼうぼうの大森林にさまよい入れば、すくなくも、私は退屈ということを知らずに彷徨える。
よくもこの古い古い機械くん、それらをみな「飲み込んで」いてくれます、感謝、感謝です。
これらを 傍の、未使用の別機械二台へも「移転」しておこうと思っているが、機械の使い方も、日々に覚束なく、物忘れする。やれやれ。
2021 2/22 231
* この週あけにはいよいよ「湖(うみ)の本 151」の再校ゲラが出来てくる。これがまた初校と変わらぬほどの難儀な校正に成るだろうと覚悟したがよい。ま、籠居に徹している現状を逆に利して、難儀なことを楽しむぐらいに受け容れたい、が。ハテ。
バカをやってしまい、ほとほと気が草臥れた。七時前だが、やすんでしまおう。「マ・ア」がときおりを狙うように鰹節頂戴と寄ってくる。美味そうに、互い の皿をあらそうことなく食べると「アコ」は階下へ、「マコ」は私の近く、ソファにおいた巣舎(とや)で熟睡して行く。この「ふたり」のいることにどんなに 我々老境は慰められていることか。「アコ」がウカと家出の二外泊三日は、われわれ、身に堪えて寂しかった。
2021 2/26 231
* おお やっとこさ 「湖(うみ)の本 151」の再校が出そろった。初校の赤字直しに三ヶ月の余もかかったとは稀有 も稀有、一にかかって途方もない 難読・難訓の漢字に溢れたのだから、直しの方もさぞ苦労されたろうと申し訳ない。これで、刊行へのメドが立ったろうか、 まだ先が難儀か。ともあれやっと通常の「仕事」場へ戻れた、もう怠けて休んではおれない。
2021 3/2 232
* 「湖(うみ)の本」151 再校 前半四割り量ほどは快調に、かなり満足もして読めている。ルビを振り加えている程度。この辺は これで良しという気持ち。後半の六割ほどがどう仕上がっているか、少しは心配で楽しみ。
2021 3/2 232
* 一冊の四割り=前半を読み切った。これで良いと思うが、後半六割との有機的な関わりが動的に活躍してくれること、それは、明日から読む。ルビの打ち直 しなどしているとひとしお視力が疲れる。ところがその問題は後半にこそ在る。難漢字の読みを確かめ確かめとなると、時間も視力も倍で足りまい。しかし読ん で行くのが楽しみ。
* はやめに夕食しておいた。思い切って、目といっしょに、身体ももう休めていいのだが、久しぶりの「校正」という作業に気は弾んだ。これを待っていた、が、疲れもした。
私の食欲のために いろいろ手を掛け工夫して、食べさせてもらっている。今夕はちらし寿司と蛤汁だった。獺祭も戴いている。体重を減らす必要はないので、60キロを回復したいと思っている。
一等太り返ってた頃は、肋骨がどこなあるか分からなかった。今は仰向いて寝ていると、胸に肋骨の下辺がはっきりと深く手に触れる。腹部は肋骨の下へしっかりと沈んでいる。これは、佳い。これは維持したい。
2021 3/2 232
* 「マ・ア」が鰹を頂戴と。いま足元で食べている。わたしも、なんとなし機嫌がいい。
わたしは、人中へまじって付き合って、人にも良く思われて…という意図的な暮らしをしてこなかった。「作家」としても、ある時期、「湖(うみ)の本」創 刊の35年ほど以前から「騒壇餘人」と看板をあげ、独りで親しい読者達とだけ向き合い、老境へ向かい向かいながら膨大といえる執筆や創作を重ねてきた。妻 がそばにいてくれる。 そういう一生で終える気だ、それが良い。
2021 3/3 232
* 六時。夕食して、再校仕事を つづけたい。
* 夕食 うまく口に入らず、疲労、そのまま横になり、本を読み、しばらく仮寝していた。
「湖(うみ)の本」再校がいよいよ難所の漢文域に入り、唸りながら、漢字字典 漢語辞典 和辞典などを左見右見、左調べ右調べ 確かめ確かめ読み進む が、それにも躓いては唸る。時間、かかりそう。それにしても「漢字」なる文化に感嘆しつつも、日本人がカタカナ ひらかなを発明してくれた厚恩を痛感す る。コロナに慌てないように、校正も慌てまい、健康でさえあれば仕事はできる。花がほころび始めたら、人のいない保谷の奥の方を散歩してみようと話してい る。花が喜んでくれると佳いが。
2021 3/3 232
* いま、「柳橋」の船宿で、「米櫃」の異名のまま贅をいとわず妓女を侍らせ酒食と好色の極みに遊んでいる。
「剣客商売」のような比較的まっとうな時代劇でも「不二楼」のような船宿が劇の場を貸しており、梶芽以子演じる女将が秋山小兵衛や息子大次郎を取り持っ ているが、彼らがそこで妓女と酒色に耽っている図は無い。しかし、少なくも江戸時代、ほんものの「柳橋」の船宿が「米櫃」さまと歓迎歓待した客は、女連れ ないし藝妓娼妓を席に迎えて贅をつくしかつ連泊(いつづけ)してゆく客であった。
いま、私は、そうした船宿に嵌りきり、遊んでいる。
2021 3/4 231
* 幸いに再校の難所を苦心しつつ通過した。量は残り多いが、読み進めえよう。
2021 3/5 231
* それにしてもバッハのフーガの美しくも懐かしい静かさ。思わず眼を閉じて聴いている。
そして…まことに難儀は難儀、しかし心入れて「湖(うみ)の本」書き下ろし新稿を校正している。
2021 3/6 231
* 校正は、いまや痛快、乗っている。
2021 3/6 231
* 再校は順調、心ゆく「あとがき」を添えて、もう一校を願わねば成るまい。急ぐ必要は何もない。
今度の書き下ろしは、或る意味で 秦 恒平の老境新生面を放った一冊、前巻と加えて異色の一作となるだろう、名作と誇るのではない、しかし此処へ来たかという感慨はしかと添うて、成るだろう。 老耄の一冊とは思わない。まだ自身に鞭打って励ます余力がある、それを次いで何にむけ鞭打つか、それを思うのも楽しみである。
2021 3/7 231
* 午後の一時か、いま、一通りの「湖(うみ)の本 151」再校を終えた。あとがき と あと付け 表紙を添えて、やはりもう一校を願うとしよう。
私の処女作は、白楽天の長詩「新豊折臂翁」に拠って兵役拒否を主題にした創作だった。
いま、私の新作書き下ろしは、或る意味でこの処女作と真っ向衝突の気味を抱えている。処女作小説に先立つ歌集「少年」を除けば、まる六十余年の創作生活 を経て私は いままた新しい題材と思考とを用いて、是までにない一と仕事を遂げたと思う。一人間の生涯は、それなりに曲直を経てくる。是とも否ともあわて て批判する気もなく、一つには久しい読者の皆さんから受くべきを大事に受け取ろうと思う。「畜生塚」や「慈子」の秦 恒平が 「ここ」へ来たのかと、いくらかは驚かれ るだろう、それはそれ、もう何としても短い残年だけが目前にある。それしか無い。
2021 3/8 231
* 「湖(うみ)の本 151」を 要三校お願いで印刷所へ送った。三校出まで暫時の手明きをうまく利して幾つか仕事を向こうへ押し出したい。
2021 3/12 231
* 「湖(うみ)の本 151」を「発送」の用意にもう掛かっている。体力を労り これまで三日で用意した仕事も、六日七日掛けてよしすとる、そのぶん 早め早めから取り組む。本の出来上がるのは早くて四月下旬か。
2021 3/14 231
☆ 范睢(はんすい)は魏の人也。字(あざな)は叔。諸侯に遊説して。魏の王に事(つか)へんと欲(ほっ)すも。家貧しく。以て自ら資する無く。乃ち先づ魏の中大夫の須買(しゅばい)に事(つか)ふ。須買、魏の昭王の為に齊に使ひす。范睢従ふ。數月留まって。未だ報(使としての効果)を得ず。
ときに齊の襄王、睢(すい)の辯口を聞いて。乃ち人をして睢に金十斤、及び牛酒を賜ふも。睢は辭謝して。敢て受けず。
須買之を知りて。大いに怒り。睢が持てる魏國の陰事を齊の為に告ぐるを以て。此の饋(賜金・賜酒食)を得しと。令睢をして受けし其の牛酒、其の金を還さしむ。
既に歸國の後も。(上使須買は)睢に怒る心あり。以て魏の相に告ぐ。魏相は。魏之諸公子(王族)にして名を魏齊と曰へり。魏齊大いに怒り。使舎人(家来)をして睢を笞撃たしめ。脅(肋骨)を折り摺齒を摺(けず)らしむ。睢、佯(いつは)り死せり。即、(死体を)簀を以て巻き。厠(かわや・便所)の中に置く。(公子魏齊の)賓客飲者ら酔ふて。更に睢に溺(でき=吐き且つ排尿便)せしむ。故(ことさら)に蓚辱(しうぢょく=汚し辱め)して以て懲しめ。此の後に匽言者(=隠し事為す者)無からしめんと。
睢(すい)は簀中より。守者に謂ひてう曰く。公(きみ)能く我を出せ。我必ず厚く公に謝礼せむと。守者乃ち請ふて簀中の「死人」を出して弃(棄て)たいと。(公子)魏齊は酔ひて曰へり。可焉(よし)と。范睢得出るを得たり。後に魏齊悔ひ。復た守者に之(范睢)を求(=探)させた。魏の人鄭安平が之を聞き。乃ち范睢は遂に見失ったとし。伏し匿し。姓名も更えて張祿と曰わせた。
* 二千数百年も昔、春秋戦国の世の中国には、かかる辯口を以て諸侯諸国に遊説して、あわよくは迎えられて「相」や「公」に成り上がっていった大 勢が働き歩いていた。それにしても、命がけであったし、身分高い「公子」と雖も云うこと為すことの激越も何ら稀有のことでは無かった。互いに騙し騙されて いた。
私が、いわゆる外交(交渉・折衝・協定)を指して「悪意の算術」と名付けてきたのは、良しも悪しもなくまことにその通りとしか云えぬ事、二千数百年後の 今日世界の「外交」も、斯く為し行われている。現に現代中国習近平外交は、それに極まっている。はて。今日の日本政府「外交」や如何と危ぶみ問わずにおれ ない。
* 上の「汚穢」漬けから辛うじてのがれた范睢(はんすい)は、以後も、延々とその辯口を以て奔命し続ける。
いや中国は、何もかも「凄い」のだ。
* 私の多年謂うてきた、國の「外交」とは 「悪意の算術」との認識を、前回の「湖(うみ)の本151」でとりあげた山縣有朋は風雅な家集『椿山集』の和歌のなかで、いしくも斯く強かに、冷静に歌っていた。
戦(たたかひ)のことな忘れそ我國は朝日のとけく年のたてとも
天地(あめつち)をくつかへしける戦のとよみはいつの世にか絶ゆべき
ひらけたる國と國とのましはりは空こと多きものとしらずや
友人の欧米に赴きけるに
かはりゆく世のありさまをつはらかに裏おもてより見てかへらなむ 元帥 山縣有朋
* 「喋り語り云う」だけの「平和」はたやすい、が、「護り備える平和」は、叡智の限りを尽くさねば、ただの空語となる。
2021 3/15 231
* 発送用意も 勧めている。立ち止まって遊んではいない。この辺はコロナ籠居を逆に利しています。十時半。床に就いて、今夜も十種ほども本を読む。
相変わらずメールは書いても 飛んで行って呉れない。届いても来ていないのだろうか。
2021 3/16 231
* 「湖(うみ)の本 151」三校出が予告されてきた。と、なると「責了」作業とならんで「発送」用意を洩れなくしておかねば。わたしも妻ももう「力仕 事」に集注できる体力でない。五日で出来たことは十日掛ける気で「気軽る」に向き合うのがいい。若い時は日時を重ねるのを余計だと惜しんだが、いまは日時 を味わい楽しむ気で日々を迎えようとしている。
2021 3/18 231
* ウカと部屋をあけたまま出ての留守に、「マ・ア」のどっちか、既往よりして「アコ」が、書架へ手をかけ、モノを落としていた。幸い大過に至ってない が、貴重の古本に爪のかかるのが困る。宅急便で届いたまま階下で「湖(うみ)の本 151」三校にかかっていた。引用原本をとりに上がってくると、ドアも 襖も開いていた。叱るわけに行かない。
* 寒いわけでなく、それでも妙に背がゾワゾワとしている。体調、宜しとは云えない。校正は、卓のある階下でする。私の書斎は機械部屋で、書架と書類ケースのほかに卓机が無い。置く場所がない。
* 三校ゲラが届いて、それへ向かいながら、どうも体調が変で。しかし妻も右にならへの状態で、妻を寝させ、わたしはキッチンで仕事をゆるゆる、疲れれば テレビを。すると東北へ強い地震と津波。関東でも、永く揺れていた。昨日か一昨日か仙台の遠藤恵子さんへお見舞いのメールをしたばかりだった。 日本列 島、なべてことなきを願う。とりわけて原発の事故を懼れる。
2021 3/20 231
* あああ、目下の仕事は、「湖(うみ)の本」最新巻の三校でした。
* 再校から三校ゲラへの赤字点検は、もう25頁ほど。そのあと、三校ゲラ を166頁まで、あらためて三校しなければならない、そのあとへ、今回はあとがきに代わるやや長い「私語の刻」の初校決定する。どう遅くなっても今月中に は「責了」できるだろう。並行してて「発送」用意、かなり前と間が空いていて、「手落ち」ないよう気をつけねばならない。次々巻になる「湖(うみ)の本 152」はもう入稿してあり「153」原稿も用意できていて、からださえもてば、順調に進むはず。その間に、新たな創作書下ろしを進めたい。
2021 3/21 231
* ま、また仕事へ戻る。
* 「湖(うみ)の本」前半を今日のうちに責了可能なまで読み終えたい。
2021 3/22 231
* 八時を回って行くが、機械の用は ほどよく終えて 床に脚をいれ、責了紙づくりにかかりたい。
2021 3/22 231
* 心覚えに紙切れに無数にメモを走り書いて、そのまま山になっているのを整理した。記録していない短歌なども十ほど救いとれた。メモとはいえ、今にも大事な内容のも遺っていて、背を押される気がした。
今日は、不要不急といえばそれに近いが、片づければそれだけの意味のある用事を、階下でも二階でも機械の前でもしつづけた。新作の「三校」は半ばまで。体違和は午以降やまない。どうしようもない。もう機械から離れるが、疲労感の重さ、気分悪い。
2021 3/23 231
* 漢字の読みとルビの要不要をこころして点検しながら漢文を日本語に訓み下しているうち、ヘンク バン ツィラートのバリトン サキソフォンのためアレンジ されたというバッハのチェロ曲を鳴らしたまま、機械の前でどれほどの時間か熟睡していた。やがて四時半。胸やけで目覚めた、そばに水分無く、ポケットの ヴィックスを一粒口に含んだ。不快を少なくも清めてくれる。
2021 3/24 231
* 八時まえ。三校は、その最難所を通過したので、よほど順調に一両日でメドが立つだろう。「発送」用意に重点を移せる。ずいぶん前と間があいたので用意 の手順を自得するのに慎重を要しそう。それと、妻も私も体力を落としているので荷造りした本を重いまま粗忽に持ち運べば容易でない怪我につながる。二人で 数日掛けていた手間を十日ほどにも延ばす気で作業しないと危ない。慌てまいと思う。わたしはひれで仕事は可及的速やかにと身に覚えてきたので、よほど自身 をなだめなだめゆっくり終えることを覚えないと怪我をする。
2021 3/24 231
☆ ご機嫌 如何
秦様 最近、湖の本が届かないので、何かあったのではないかと心配いたしております。もしお体の具合が悪いようでしたら、くれぐれもお大事になさってください。
一日でも早くまた秦様の御文章を楽しめる日が来ることを祈っております。 鋼 拝 歌人 翻訳家
* 多くの方にご心配懸けていると思うが、「湖(うみ)の本」の刊行に間が開いているのは 一に掛かってその内容、その引用の史料に難漢字、難訓漢字が溢れるように多くて、原稿を創るにも、校正をするにも、呻くほどの手間と時間を要したのが原因 で、ま、このコロナ籠居による体調・体力の衰えもあるにしても、それが理由で時間をかけているのではありません。ご心配頂き、有り難うございます。 もう やがて責了、そして遅くも四月半ばまでにはお送り致します。
2021 3/25 231
* ようやく、「湖(うみ)の本 151」 後半を通読念校すれば「責了」出来る。
2021 3/25 231
* ゲラ校で目が疲れきって。 ヴィクトリア・ムローヴァのバイオリンで、チャイコフスキーの協奏曲二番を聴いている。なぜか好きな曲で。音楽の約束事な ど何の常識すらわたしは持たないが、ワケもなく聴いてて楽しめるのだから、有り難い。だれもがすることか、バカげているのか知れないが、いい気分で音が追 えると両手首をコマコマと、また静かに豊かに動かし、自分が指揮でもするような気分まで楽しめる。ことにこのチャイコフスキー二番は大いにソレが楽しめ る。バカみたいだけれど、ひとりで陶然と酔う。バカみたい。
* 「湖(うみ)の本」創刊第一巻の『清経入水』の奥付にただ一度だけ遣った 「秦」 の大きな丸印を、たまたま大泉辺での用事から、車で、顔だけ見せに来てくれた建日子に遣った。家には入らず、路上で数分の立ったままの対面だったが、顔を見せてくれて嬉しかった。
老々してくると 顔もまともに合わせられないコロナ禍が憎い。
* とにかく疲れる。分かりいいので疲れるとは謂うているが、もっと微妙に複雑な不快感である。感情が カッと爆発しやすい。
* 八時。まだ宵ながら疲れも疲れ ろくに目が見えない。何としても三校を校了したいが、ナミの電灯で、10ポイントの字が読めないとは。ルビはまして見えない。投げ出すわけに行かない。
2021 3/25 231
* けれど…、両の手のひら、十本の指、ジンジンと音もしそうに痺れている。疲れてくるとヒドクなる。からだは、もう休みたいと云うている。わたしも憩みたい、が、「湖(うみ)の本 151」の三校を読み遂げねば。目はもう霞みきっている。
急ぎたいが慌てまいとも。
いま、数えてみると、手近に置いた紙箱に、レンズ入りのまともな眼鏡が十個在り、すると今掛けている一つが十一個め。さらに額へ巻き付ける拡大眼鏡もある。どれも今の視力には、古物、では可哀想だがほぼ役立たない、のに、未練に傍に置いている。
2021 3/26 231
☆ 「今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること」と、二千年前の皇帝マルクス・アウレリウスは云うていた。
* とにかくも「湖(うみ)の本 151」 三校し、かなり紙面に朱は残っているが、印刷所に後事を預け託そうと思う。明日が日曜なので、「責了紙」を宅急便に託せるのは月曜になるか。
記録によると本文を入稿したのは、旧臘十二月九日だったとある。漢文の訓みと、難漢字の難訓とに苦心惨憺したが、苦労のし甲斐の私には興趣の仕事であった。
本の出来るのは 四月中旬かと思われる。ついに「湖(うみ)の本」で秦も音を上げているかとご心配も掛けている、が、印刷所でもかなりの数の「作字」を 要して校閲に苦労されたらしく、本の図体こそいつもと変わりないが、制作費はかなり上増しになるだろう、それは気にしていない。怪我無く、無事送りだせる といいが。発送の用意は、思いの外に多岐にわたるのへ、すぐ取り組みたい。封筒へのハンコ捺しは私がすませ、封筒へ、読者のみなさん、図書館・研究施設・ 大学院・大學・高校への宛名貼りは妻が終えてくれている。残るのは、各界への謹呈先を今回はよく私が選んで、宛名は手書きするしかない。「難しい」「読め ない」という声は 或る程度必然と覚悟して製作した一冊であり、「湖(うみ)の本 150」と緊密に連携独立の一巻になっている。
2021 3/27 231
* さて「仕事」くんの方に、より精出してもらわねば。使用者のボケは日を追って深まりありて。
* 午後一時。ほぼ「湖(うみ)の本 151」を責了の作業を仕収めた。
* 三時前、三校了。 自転車で、責了便を郵送、すこし櫻の満開もみてきた。ごく近まなのに、疲れた。坂がすこしきつくなってきた。二階の靖子ロードに置い た脚踏み機械、すこし重い目に設定はしてあるが、以前は200回踏めたのが、いまは100回が稍やきつい。それでも踏み続けていた方がいい。背筋をも守れ そう。
2021 3/28 231
☆ メールありがとうございました。
この不穏な世の中ですが、私たちの生活スタイルはあまり変わりなく、なんとか元気にしております。
ただ、何かと集まることの多かった姉妹や親類と会えなくなったのが寂しく、つい考えが暗いほうへと行きがちです。
医学書院のことは私たち(夫妻)の間でも最近よく話題に上ります。夫も、医学書院に入社できたことは本当に幸せだった、そうでなければ今の生活はなかったと話しています。
遠藤恵子さんは立派に活躍されているのですね。たった2年のおつきあいでしたが、懐かしいです。
どうかお身体お大事になさってください。
「湖の本 151」楽しみに待っています。 由美
* 夫君も一緒に、いつかまた会って話せると嬉しいが。もう夏にはわたしは退社した、その雛祭りの頃に結婚された。たしか、
ひなの春 われら左大臣右大臣
社内でのお祝い會で、そう祝意を表したように思い出す。
ありがたいこと、ほんとに久しく、「「湖(うみ)の本」を応援してもらっている。遠藤恵子さんにも。
2021 4/2 232
* 美味しく、筍を若布と煮て、また甘皮を鰹と和えて、頂いた。主食には精白の好きな絹漉し豆腐を。酒が旨かった。
今日は「湖(うみ)の本 152」の初校に精出していた。「151」の送り出しがいつ頃になるか、まだ分かっていない。その所要はまだ残っている。
コロナはちょうど去年の今頃にもう火の手をあげていた。安倍内閣は途方に暮れたように末路を辿っていた。
2021 4/4 232
* 七時半になる。初校を一段落させたい。
2021 4/4 232
* 「湖(うみ)の本 152」 初校を終えた。「湖(うみ)の本 151」 責了にはしてあるが、難漢字のヨミなどにふりがななどのアカが多く、難航しているらしい。一つには、コロナ等々の関わりでも業務の停頓などありげに思われる。「湖(うみ)の本 151」 の刊行は、更に遅れが出るかも。
ま、成りゆきに任せるしかない、それでよい。
「湖(うみ)の本 152」には、表題脇にこんな字句を添えた。
我無官守、我無言責。則吾進退、綽綽餘裕。 <孟子>
私自身が病み頽れないこと、それが大事と戒めている。
* 夕刻五時半 「湖(うみ)の本 152」 要再校ゲラを郵送した。
2021 4/5 232
* 「湖(うみ)の本 151」 校正かたから印刷かたへ廻ったようで、一週間もすれば出来本が玄関へ積まれるだろう、八五老には重労働のときが来る。まだ、発送用意が全ては調っていない。小走りに遂げて行かねば。
* 宛名を手書きせねばならぬ先が、六、七十人、宛名を書くより、人を選ぶ方が難儀、それもともあれ終えた。宛先を書き込んで行く。それを終えれば、ま、準備は成る。成れば納品を待つだけ、気はラクになる。
2021 4/8 232
* 発送分への追加分の宛名書きなど、終えた。もう少し もう少し と先へ事を運んでいる。
2021 4/9 232
* 「湖(うみ)の本 153」の入稿前予稿を造った。
☆ たのしみは「したい」仕事の「すべき」よりもほどよく我を誘(いざな)ひ呉れる
* 「湖(うみ)の本」35年 150巻 いつも本が出来てくる間際の息苦しさを堪え続けてきた。届いてしまうと、ほっと開放された。決して泰然剛毅な人では私は無い。
今日、夕方近く、歌集「少年前」の編まれていたノート三冊の最初の方を機械に入れ始めていて、敗戦後の新制中学三年での「修学旅行」をうたって四十首近く。そのうち、明晩には京都駅から東向きにみなで汽車に乗る、そして駅に集合し、いよいよ汽車が出る、そこまでに十首のみんなが、何とも「旅行」に感傷的に気弱でうじうじ気が進んでいない。呆れて、つくづく書き写し「読み返し」ながら、少年前の私の、或る意味呆れるほど本性脆弱な「あかんたれ」が露呈いや暴露されているのだと、その歴然に八五老ガクッと来た。
2021 4/10 232
* 思えば、私の書庫に満ち溢れた本、単行または選集の小説本や詩歌本は、尽くというるほど、著者からの戴き本。手に重たい各方面の研究書も、すべて著者からじかに戴いている。
おう、こんなのがと思う、明治この方の大事典、辞典、和漢稀覯の珍冊はみな秦の祖父鶴吉の遺産。
わたしが自身の必要で買ってきたのは、大冊の歴史年表、『名月記』や「玉葉」のような公家日記、そして新編の大辞典・大事典・大地誌・地図のたぐい。そ れと、いつしかに溜まってきた美術の本とたくさんの大きな重い画集。文藝誌は残さない、雑誌は歴史もの、茶の湯もの、美学会誌だけ。
いま、それらを残すのか処分(廃棄)するのか、考えている。
秦建日子の現在の仕事柄からして、彼が欲しがりそうな本はほとんど無い、が、藤村、漱石、潤一郎、鏡花、柳田国男、折口信夫、辻邦生、加賀乙彦等々の全 集・選集その他、著名作家や批評家の業績本もたくさん戴いて在る。幾らかは建日子も欲しいと思うだろうか。朝日子のことは判断がつかず、考慮しない。
むしろ、両親からの血を事実わけもった、甥で、力有る文学作家の北沢恒が、もし必要で、大いに利用できる、手元に欲しい、という各種広範囲の辞典・事典・年表・地誌・古典・史書・漢籍などあれば、車を傭ってなり受け取りに来てくれるなら、現状、私の仕事に差し支えない限り、譲る。
私自身の著書や初出誌は 全書誌に挙げたように単行本だけで百冊を超えている。大冊の「秦 恒平選集」33巻完結、「湖(うみ)の本」はすでに150巻を超えている。初出誌となれば全部保管はしてあるが、呆れるほど膨大量。
私の本を蓄えて下さっている読者の方で、欠本分などご希望が有れば、どの本もいくらかずつ余裕があり(無いのも少しあるが)可能な限り差し上げたい。
これまでもときどき実行してきたが、東工大卒業生らのお子さんが読書年齢へ来ている。読書好きときけば、和洋の文庫本などを選んで上げてきた。ただし少 年少女の場合は、読書の「向き」をまちがうと無意味に近くなる。どんな向きのを読んでいるか親御さんから耳打ちして下されば、選べる。
私が愛読してきた日本の古典全集は大きな二種あがるが、他に、手も触れていない大きな全集に、「二十世紀世界文学全集」何十巻かがある。誰の何作が入っ ているのかも、覚えぬママ書架を埋めている。カフカが第一巻だったような。せめてリストにしておけば、欲しい方に差し上げられるのだが。これも古典全集 も、みな版元からの寄贈だった。自身の費用で買った書物は、書庫の中の5パーセントもあるかどうか。作家生活半世紀のこれもみなありがたい対価・報酬・親 交の賜なのであった。
いまは図書館も、書架に余裕がなくて「寄贈」を必ずしも歓迎ばかりはしない。ま、同じ事は個々の人によっても云える。私としては、現在から此の先々へ役立ててくれる若い世代や、とにもかくにも「読書人」「愛書家」といった友人読者らに委ね手渡せればと願っている。
2021 4/13 232
* 大阪市はコロナ潰れに陥った。いまや東京都が大阪へ逼迫している。しかし町歩きの市民都民、若い人達の「平然」と謂うに似た街頭でのコメントにはほとんど危険緊迫への実感がない。
しかし、なによりも医療崩壊は各地に歴然、感染者も他の緊急要治療・介護患者らの「生き地獄」がひろがりかけている、この政治行政の無為無策にちかい現状維持では。
もはや明瞭に「緊急事態」であり、「ロックダウン」も「行政命令」も必要というに同じい「大危機」に陥ろう、いや既に陥っている。
誰よりも菅総理自身が、聡明に事態を認識し、率先「つよい手」を打ち続け、自治体の首長らがそれに対応すべき「日本は危機」にある。このままで、どうしてオリンピックなどあり得るのか。
自民党をはじめ各党政治家の率先した危機認識と政府対策を猛請の空気が何故見えないのか、異様なまで訝しい。緊急事態により経済的な打撃を蒙る人、店、 事業には、今こそ躊躇いのない資金ないし生活費の「供与」という援助を、「無駄なないし不急の予算をとり崩し」てでも実践せよ、その気なら十分に出来る財 政余剰の政府ではないかと、私は言う。
幸い私たち八五老は、なんとか健康な意識を抱いたまま「コロナ籠居」をかたく持しつづけ、好ましい夜明けの到来を、意思づよく、待つ。
* とはいえ、「湖(うみ)の本 151」の発送作業は必然目の前へ近づいている。十分注意しつつ宅急便に託さねば。早くと急がぬこと、体力を喪わないこと。無事に凌ぎたい。
今度の本は 興味を覚えて下さる人と 読みづらいと難渋される方に分かれそう、それもまた成るままに覚悟きめているが。なるべく、読める範囲だけでも読まれて欲しいなと。
2021 4/14 232
* この機械では不調のニフティに対し会社「ニフティ」からの改善支援等は打ち切られていると。それほどこの機械は信じられないほど長命している超古老なのである。「奇跡」とまで言われてきた。現実にもうインターネットは使えないにしても、いわばワープロ他の機能は生きている。要するにコンピュータからワープロ、上等のワープロにリタイアしたという諦めでまだまだ付き合いたい愛機だと重ねて謝意を献じておく。
課題は、二台ある別に大小の機械へこの機械のネット機能を移せるかどうか。衰え行くらしい認知度では覚束ない。が、技術者をいま家に呼ぶ気は全然無い。
* 歌集『少年前』の二部を書写しはじめた。
* さてインターネット不能のために生じる不都合先への適切な連絡を。建日子には伝わっている。凸版印刷所に伝えねば。個々の人は、HPが届かないことで察してもらえるだろう。メールが使えないのは確かに不自由なことになる。機械を交替する処置を的確にし遂げないと。あまり自信ないが。
* 井口哲郎さん(原稿用紙ほか) 今西祐一郎さん(古典古手跡)郵送した。
* 機械クン 惨憺たる現状、処方の見当つかず。印刷所には電話で通知、「湖(うみ)の本 151」
は、26日搬入 「152」再校分が明朝届くと。かつてない異様事態。黙々と歩いて行くだけのこと。
* 混乱とはこういう事かと、混乱の極にいる。バカみたい。
2021 4/19 232
* 今朝、少なくもこのHPの「アイサツ」はごく普通に働いてくれる。文字と文章とが「書ける」安堵と嬉しさは底知れない。要するに外の「世間」へ声や言葉や意思・意見は「伝えられなく」なったということ。画面に、気持ちよく自分の書いた言葉が見よく読みよく現れてくれている。感謝感謝。
さ、他の仕事、作業も可能か、臆せず、遣って行く。
* この機械の 可能な限りの他機械へ内容移転を計っている。ほぼどうにかなるだろうが、整理整頓にはものすごいまで手間と時間がかかるだろう。この際、重複分や処分可能なものは捨てる。
* 「湖(うみ)の本 151」は二十六日 月曜に出来てくる。「湖(うみ)の本 152」の再校が出てきた。通読してこれも責了になるだろう。「湖(うみ)の本153」の原稿は用意できていて、読み込んで量的の配慮ができれば入稿できる。時間と体力の余裕を掴んで新創作へ身を傾けたい。
* 「私語の刻」と謂いつつ、やはり「読んで貰える」励みはあり喜びも濃かったのだとしみじみ思い嘆いている。
八時半 もう此処を離れよう。
2021 4/20 232
* 月曜朝には新刊「湖(うみ)の本 151」が出来てくる。そうなれば発送作業一辺倒の数日が続く。この待ち日が落ち着かない、のを、うまく乗り越えたいが。
* 機械クンとの付き合いはひたすら辛抱待ち。諦めないで待っていると画面が落ち着く。消え失せても諦めずに「探し」続けると回復してくれる。おそらく夜など大勢が一斉に機械を使う時間帯は、ひとしお何もかも停滞して時間が掛かる、のだと感じている。辛抱づよくなる、実に実に。
* 今朝は五時半には起きて二階へ、そして機械クンと話し合う。
昼前にセイムスで必要な薬品や「マ・ア」の食べ物など買い物。不足の日本酒とやすい洋酒「カティサーク」も。昼飯どきにチャンポン呑みして不覚に寝つぶれ、六時まで前後不覚。
晩仕事で辛抱しきって、九時半をまわった。
二日後の月曜から久々の「湖(うみ)の本 151」発送の力仕事。二人ともよほど蟄居疲れしている、時間を急いた作業は慎まねば。急ぐまい慌てまい。この土日は、余念なく休息しておきたい。
* 歌集『少年前』は、高校時代の「日々」を日付を追いつつ懐かしく反芻できる。これが「自分」なのかと呆れるほどの文学少年。そして少しずつだが着実に歌集『少年』レベルへ逼っている。書写はしんどいが、この思い出は具体の事実で目の前に証言されていて、納得するしか無い。
2021 4/23 232
* 機械クンの体調はすこぶる混迷。あせらず、辛抱よく付き合い看護しながら目的へちかづく。ヘタをすると忽ちにしていた作業の全部が消えうせる。昨日は歌集『少年前』書写の四十首分ほどがかき消えた。堪えて、繰り返すしかない。
が、明日からは「湖(うみ)の本 151」発送。その間は機械クンに安静養生して貰う。力仕事になる。慌てず急がず、騒ぐまい。
* 「大機」の仕組みに実務的に慣れ馴染み、よく覚えて、そこで「私語の刻」その他の「書き仕事」が流れて行くように心がけたい。
2021 4/25 232
* 七、八割を送り出せた。
2021 4/27 232
* なんとか 読者むけ発送を順調に終えたいもの。
2021 4/28 232
* 三時。発送の作業を、明日にもまわして、機械の前へ戻ってきた。宅配の業者もこの節、人手が足りないだろう、お互いに出来るだけを出来るかぎり為すしかない。
* 「ゆっくり気分で」と自分に言い聞かすように作業している。今日にはと思っていたが、朝から妻の体調よろしからず、明日へ延ばして、中断。
* 発送の家内作業は終えたが宅急便は明後日にしてくれと。そういう時節か。
2021 4/28 232
* 「湖(うみ)の本 152」の再校を終え、「あとがき」を書き終え、妻の機械から、入稿。これの出てきたゲラの校正を終えれば、一気に「責了」へ持って行ける。「湖(うみ)の本 153」の入稿原稿は、用意できていて、もう一度の通読で足る。「湖(うみ)の本 151」の送り出しは、ともあれ一応は終えた。次へ次へ、思いと手とを送って行く。目先は晴れている。
2021 4/29 232
* 軽微の食にも胃があれば「胃もたれ」と謂うたろう不快感に負けて寝入った。八時前、おかげでラクになり二階へ来た。もう、テレビのコロナ談義も「胃もたれ」するだけ。結句、読書へ嵌って行く。「荘子」雑篇 「史記列伝」 「中国史」 そして「失楽園」を深い感動と倶にもう読み上げるが、詳細な註も読む気。帯同して、岩波新書の「キリスト教」古代中世史に興味深く教わっている。
私はいわゆるクリスチャンでは全くないが、西欧世界の歴史を批判的に反芻する上で基督教批判ないし批評はとても欠かせないし、根底にあるつよい「女性蔑視」また失楽園神話絡みに今日にも尾をひいた「蛇」社会史・人間史、女性史からもとうてい眼が反らせないで居る。
トールキンの名作『ホビットの冒険』『指輪物語』も旺盛に読み進んで心惹かれている。
「湖(うみ)の本 151」として送りだしたばかりの『山縣有朋と成島柳北 この二人の明治維新』も著者なりの思いで読み返しておきたい、次へ次へ向かう為にも。
2021 4/30 232
☆ 「湖(うみ)の本」
「中仕切り」後の力強い踏み出しの書き下ろし『山縣有朋と成島柳北』を戴きました。
あの貴重な『椿山集』を差し出されてから十ヶ月、この「國」がさらなる混迷の最中にあるとき、有り難く必読の書と、まづ(つい)巻末の「私語の刻」を拝読して瞋恚の警鐘を聴きながら、そう思いました。
対極ともみえる、<この二人の明治維新>に、秦さん八十五年の結晶を、弱い眼ながらじっくり読み取ります。
まずは拝受の御礼まで。御身お大切になさって下さいませ。
二○二一年四月二十九日 天野 敬子 講談社 元・出版局長 「群像」編集長
秦 恒平 様
* 苦心惨憺が、あたたかに酬われたようで、心底嬉しく。
☆ 有朋と柳北 ありがとうございました。
成島柳北の祖父が成島司直だという記述をみつけ、びっくりしました。司直の書いた『改正三河後風土記』はよく読んでいましたから…。
恐々謹言 小和田哲男 静岡大学名誉教授
☆ 「湖(うみ)の本」 有朋と柳北 拝受
昭和の日 膝を叩いて 昭和の子 奥田杏牛 俳人
ご健筆嬉しく拝見 ご夫妻のご健勝祈っております
* 四月二十九日 は 「昭和天皇の日」であった。今度の本では、だいじなところで昭和天皇の大事な述懐とご発言を拝借して、「書き下ろし」の主題を引き締めた。
☆ 上村淳之さん、河幹夫さん、お茶の水女子大、上智大、文教大など、着到のご挨拶頂いている。メールがまったく使えなくて、ご迷惑を掛けているはず、申し訳ない。
2021 5/1 233
* 正六時半に起きた。妻は寝入っていた。「マ・ア」に多めに「削り鰹」をわけてやった。この地域のある代議士の「読める」ちらしを、海外での烈しい危険な戦争に戦いた「体験」談を 読んだ。
* 戦争のおそろしさ、非人間的苛酷さは、「直接」の戦闘・戦場「体験者だけ」の共有では、ない。女子供たちの「銃後」の生活にもそれは「深刻」だったのだ、まして「敗戦後」の同朋すべてにその「惨禍はおよぶ」、むろん女子供にまで洩れなく及ぶ。
戦争反対の「直接体験者の談」には、時として「私は、われわれは」「あのとき」「あの場所」でという「特定と限局」とが強まる、が、「戦闘・戦争」だけでなく、「いわゆる戦後」の「敗戦国民」という「戦争体験の深刻さ」を棚上げに、「べつ事のように」「そっちのけ」に「忘れて」はならないのを、「日本と日本人」はよくよく知っている筈だ、忘れられかけ、ているが。
国と国との「戦争」は断乎いけない、「戦争をしては」いけない、さらには「仕掛けた・仕掛けられた」戦争に「負けた」「敗れた」苛酷さを「忘れ果てて」いてはいけない。
個々個別の直接戦争体験だけでなく、「国家・国土・国民」として「敗戦」し「他国の支配に絶対服従」の憂き目を「こそ」見てはならない、「戦争反対」とは「それ」でなければ、「個々人の思い出話」の域にとどまってしまいかねない。
* 私は「九歳半」で敗戦国児童となり、少年・青年・成年しつつ、「戦争に負けた」という「さまざま」を覚えた、ごく狭い範囲の一生活者、一人の男としてだが。
ことに敗戦直後の、占領軍に溢れ、兵士達が日本の女性を抱えて街通りにも、町なかにも、くらい路地うちにもイヤほどいたのを、「少年」の目を蔽うようにし日々「目に」していた。「敗戦の弁償」は女のからだと色香が引き受けるのかと子供心に情けなく思い至り、「こんな女にだれがした」の哀歌絶唱がちいさな肉身にしみついた。
「戦争」は、なにより、「してはならない。」
しかし「仕掛けられて負けては」悲惨なことになるとはよくよく心得ての「戦争反対」でなければ、反対の意味は半減ないし無意味に化してしまう。ただ観念での反対に陥ってゆく。
「戦火を浴びた体験、直接体験」を、忘れてはならない。
それとともに、それ以上に、「戦争に負け」て、国土と国民を他国と他国民に「支配される」という「敗戦体験とその意味」をこそしかと下敷きにした「戦争反対」でなければならぬ。上滑りのした「戦争反対」では観念論に流れて行く。
戦争に「勝てばいい」のでは断じて無い。断じて「負けてはならない」のであり、必要で大切なのは「あらゆる意味で」の「負けない備え」でなければならぬ。
少なくも、私の謂う「悪意の算術」たる「聡明で機敏の外交」に、國も国民も精力と決意と頭脳とを日頃傾けねばならぬ。
ああ、あのアレ・アキレた安倍といい、ズズ黒いガスで目づまりしたような菅政府といい、「金勘定という算術」にばかりバカ騒ぎしてきた。
今日只今からの菅政府ないし国会の「外交」が「悪意の算術」にシカと長けて、世界に通用してくれないと、もうほどなく吾が日本國と国民とは、有史來二度目の、一度目よりはるかに苛酷な敗戦国と陥り他国民の支配に地を這わねば済むまい。
* 最新刊「湖(うみ)の本 151」の 『山縣有朋と成島柳北 この二人の明治維新』には、こういう私の思いも添えて書きおろした作である。
2021 5/3 233
* 世間の機械が一斉に働き出すと、わが機械クンの運動力が制約されるのかも。随って早起きして先ずは電源を入れて機械クンを温めるようにし始めた。早寝早起きが役立つかと。
* まるで組み討ちの大喧嘩のように機械クンにいたぶられ続けて、せっかく進んだ仕事分が行方不明となりまるまるやり直すなど、衰えきった視力を絞り出すように疲れたまま、朝七時から、いま、夕方五時になろうとしている。
それでも、いま、苦心惨憺の労は、報われる内容をもっている。だから、根負けせぬように堅く自信をなだめ誡め頑張っている。機械クンも、折角付き合ってくれてまえよ。
* たった一つだが、八時前、激戦区を辛うじて突き抜いた気がする、が、安定の確信ではない。ただただ疲れた。あすでもう連休が終わる、と、次々に新しい「湖(うみ)の本」の刊行へ送りへ用が嵩んでくる。名にとかして新しい機械でインターネット「設定」を実現せねばと思うが、もう私の頭脳では無理に思われる。少しずつ諦めが忍び寄ってきている。
* 早起きが続いている。もう目も手もアタマも限界、八時すぎだが、ともあれ休む。
*稲垣真美さんが、「新・新思潮」を刊行され、巻頭に長編の新作を書かれている。「湖(うみ)の本」へも有り難い佳いお手紙を戴いた。再掲したいが。
頂き物やお便りもあるのに、お礼も申し上げられないでいる。ご免あれ。
2021 5/4 233
* 早起きして、あれこれ朝の決まりをし終えて、機械クンに見参、ここまで進めるともう七時。今日は、何としても苦心惨憺仕掛かり仕事を遂げてしまいたい。連休が今日で終わる、と、かなり何かと追われてくるだろう。「湖(うみ)の本 152」の足は速い。 2021 5/5 233
* この数日、悪戦苦闘した秦 恒平歌集『少年前』を全部「書写」し終えた、と思う。機械クンが受け容れてくれましたなら。
短歌の凄み、それは一首一首の成った日の時・所・状況・景観、そして心境等の全部がそれは鮮やかに手に取るように「想い起こせる」ということ。散文とちがい、表現のママアタマの芯に記憶されている。であるから、書写という作業そのものは少しも苦になるどころか、場面場面が懐かしくてまるまる七十年昔の少年、いや少年前に帰れていた。それにしても、妙な少年であったよ。
機械の不具合ともも取っ組み合った。他の仕事だったら投げ出してたろう、諦めて棄てたろう、が、わが文藝史の冒頭を証言している「証言」の集であり、喪失させたくなかった。もう絶望かとみうしなった原稿を、タマネギの皮を剥ぐように剥ぐようにして機械クンの深い懐へ必死に手を突っ込んで掴みだした、何度も。坂村教授に教わった、世界へひろがり重ねた蜘蛛の巣ですから、通路は底知れぬ数あります、簡単には無くならない仕掛けなんですと。私は教わったそれを信じたかった。
* 心遣いと謂う。昨今のこの心遣いの難しさ切なさ。辛抱という言葉の重みを千鈞万鈞痛感しながら、それでも機械クンに協力してもらえた。ありがとうよ。きみはまだまだ働ける余力を複雑不可思議なほど蓄えもっていると想う。わたしも見習いたい。ありがとうよ。きみの抱えている沢山を外付けの容器に容れさせてもらった。すこしても身軽にさせてげたい。もの凄いと謂うしかない大量を抱え込ませていたからね。済まなかった
* 連休も終わるが、わたしたちの「世の仲」はこの先にも親しみ続けて行けますように。
2021 5/5 233
* 連休明け、かたまって郵便が届いた。とても文面までは記録できない、「湖(うみ)の本 151・山縣有朋と成島柳北の明治維新」へ、みなさんから。有り難く拝見した。手にしたまま順不同でお名前だけを。
高史明・岡百合子ご夫妻(作家) 井口哲郎さん(前・石川近代文学館館長)、岩淵宏子さん(近代文学研究者・城西国際大学大学院教授)、藤森佐貴子さん(島津忠夫先生ご遺族)、相原精次さん(古代学研究家)、池田良則さん(洋画家)、あきとしじゅんさん(詩人)、島田正治さん(墨画家)、市澄子さん(妻の親友)、中川肇さん(詩人)、中野和子さん(山梨県立文学館)、鵜飼早苗さん(妻の親友)、高崎淳子さん(歌人)、そして、亡くなられた明野潔さん(元・文藝春秋)の奥様からも。 加えて、天理大学、東海学園大名古屋、昭和女子大学、大阪芸術大学、神戸松蔭女子学院大学からも受領の来信。
高さん、鵜飼さん、明野さんからは、戴きものの同封まで。恐れ入ります。
2021 5/6 233
* むかし会社にいた、組合の、好感青年の執行委員長竹沢君と結婚した竹沢由美さんの、しっかり健康な大きな字での、若かりし昔のママ簡にして要をえた葉書を嬉しく読んだ。
☆ 御本届きました。
有り難く読ませててただきます。
最近、自分の無知に気づき 近現代史を学習しようと思っているところです。
お体を大切に。 竹沢由美
* 云うからは、やる人だ。応援したくもなる。
* 皇學館大學から受領の来信。
愛知の歌人島田修三さんから、堅固に装幀された歌集二冊を戴いた。
* この「私語の刻」を読み続けて下さってた大勢の方、心配して下さっていよう。「書く」と云うだけなら幸いに、ゆっくりとでも、斯うして書けているが、ネットへ送りだす再度の「手続き」が、働きの鈍ったアタマでは見当もついていない。
も一つ、問題あり。他に二台、使用していない大きなDELLと、ポータブルなソニーのVAIOがある(ふたつとも十年余も昔に買って置いた)のだが、使用法がよく分からず、何の設定も出来ていない。大きいのは画面も大きすぎ映画が視たいほど、小さいのは小さすぎて今の私の視力では文字の読み書きがまともに出来ない。せめてどちらかをネットに繋ぎたいモノだが、この籠居の日々に家へ技術者を傭うことは何としても避けねば。
たださへの「騒壇余人」、もう、「杜門」の文士で綺麗に果てよと導かれているのだろうか。体力と気力さえつづけば私には「湖(うみ)の本」という「かたち」と「実績」とがある。それでも、やはり「ホームページ」という「居城」にはまだミレンがある。「闇に言い置く」私語にも文藝にも「読者」がある。
* 機械クンと相談しいしい、冷や冷やして 書いている。欲張って、一つ間違うと 全滅し兼ねない。「湖(うみ)の本 153」 の入稿原稿は用意できたし、「152」郵送用の封筒も届いた。遅くも三、四日のうちに「責了」するだろう。そして「湖(うみ)の本 153」の目算も。なにもあせっては居ない。成るように成ってことを運んでいるだけ。
* もう八時を過ぎた。今朝も早起きだった。
20212 5/7 233
* 何度も 機械クンの憤死を思わせる故障がつづいて、途方に暮れ望みを絶ちながら、またしてもしぶとく手を回し手を尽くしてもとの画面を広げ得ている。ヘトヘトで、絶望の淵に立っているが、なんとかと願うしぶとさで細くも危うい息を繋いでいる。いよいよ末期は近いのかと覚悟もしながら、まだこの先へ「欲」があるとみえる、この老体に。成るまでは成るものと、挫けぬよう自身を励ましている、機械クンよ、お手柔らかにお願いする。
* いま、「湖(うみ)の本 153」にと心がけて原稿も用意できている、ハズの機械稿が、どうも機械での進行に馴染まなくて機械危機を呼び出すので困惑している。音便に隘路を通り抜けたい。すこし私自身も焦らず、休まねばいけないらしい。
* 京の井上八千代さん、葉山の森詠さん、町田の浦城いくよさん、北海道の山本司さん、高輪の山田さん、それぞれに来信あり、また、「三田文学」 松山大學 早稲田大学 水田記念図書館からも「湖(うみ)の本 151」受領の来信。
今回の『山縣有朋と成島柳北の明治維新』は必ずしも容易な読み物ではないが、片端でもひろく意が伝わってくれると有り難い。「湖(うみ)の本 150」の『山縣有朋の「椿山集」を読む』と揃えて、私・八五老として一の晩年作に成ってくれたように、力になってくれた秦の祖父「鶴吉」蔵書の有り難かったことを、重ねて特に記録しておきたい。
2021 5/8 233
* どう疲れようと着々、多般にわたる、一件雑事のような用事・仕事もとりこぼしなく進めねば。着実、それが一等疲れの少ない、時には疲れを忘れる仕事なのだから。
* とはいえ、機械仕事は数時間も、ただ右往左往して、目的は達せず、沈静も整頓もならぬまま道に迷っている。どうも「スクラップ」原稿とやらに嵌り込んで、まともに開示も保存も利かない。機械クンが狂ったかわたしか狂っているのか。わからん。お手上げで夕食の時刻が来たよ。わしゃ叶わんよ。昔々のアチャコの泣きぜりふ出てきた。一度機械を消してみる。
2021 5/8 233
* 寺田英視さんから電話をもらって、しばらく話した。しかし、何という私の電話へただろう。
昨日、つまが診察を受けに行っている留守に、弥栄中学三年五組の名簿がみつかったのを機縁に、これぞと昔の同級生に電話したが、もうこの電話は使われていませんと局に云われたり、まるで繋がらなかったり、たった二人 男子一人、小原一馬君と北川成子さんとしか話せなかった。小原君の声は、七十年前の「名投手」とは別人のように老い声だった。寂しかった。北川さんは元気に喋ること喋ること、十分余も、ほぼ独りで喋ってくれた。
どう間違いようもない、同級生なのだ電話の向こうも男女の別なく「八五老」。やはり亡くなっている人の名も何人も聞き覚えた。
* 嬉しかったのは、ご主人が亡くなり、自身も病院通いと弱り切っていた人の、永らく通信がハタと途絶えていたのが、「ひとりで寂しいです」と書き添え「湖(うみ)の本」新刊に送金があった。送金が、ではなく、生きていてくれると知れてしみじみ嬉しかった。私より二歳若い。メールを貰ってても、受け取れないのだ、これには困惑。
脚を痛めて舞台を遠のいている片岡我當クン、弥栄中学の同年生、が、やはり送金してくれて、送金がではなく、とにかくも通信という「便り・頼り」があったのだ、胸を撫で下ろした。同級だった団彦太郎が我當を心配して私に聞いてきていた。これだけでも報せてやろう。
* しばらく間があったので「湖(うみ)の本」新刊へのお便りや、大學・高校、研究施設、図書館からの受領来信も、また本代払い込みも足早に多い。感謝。この「私語の刻」にお一人一人のお便りを転載させて頂く体と時間のゆとりのないのが残念。なによりひろく発信できないのが、残念。
* 例年のことだが、転勤の季節で、転居される方が多く、「転居先不明」で送りだした本が帰ってくる数も増えるのが、習いで。宛先を変えて送り直すということも自然多くなる。そのうちに、「湖(うみ)の本 152」責了となって、また「送り」用意に多々手を掛けねば。「八五老」作家で こんなに多彩に毎日忙しい人、どれほどおいでやろ。
2021 5/12 233
* 六時前 手洗いに起き、そしてそのまま二階へ、機械クンの顔色を伺いに来た。
* 八時過ぎ。好みの一仕事を楽しんだ。昨日までの大仕事の、いい殿軍を勤めてくれるだろう。
* 十時 次の発送用意の 住所印を捺し始めた。少しく 朝から冷え冷えとしていて、膝懸けを背に懸けて仕事していた。
* 十二時四十分 仕事続行し、そして簡略の昼食、終えてきた。「マ・ア」が削り鰹を大いに期待して来た。たっぷり遣った。
2021 5/13 233
* 明日には「湖(うみ)の本 152」責了への最終校正ゲラが届く、「湖(うみ)の本 153」はもう入稿してある。「湖(うみ)の本 154」の原稿も、もう、ほぼ完璧に「書き下ろし」の体に用意出来てある。それら進行の間に、新しい創作へ着手して行く。健康でさえあれば、仕事の方で手招きしてくれる。
2021 5/14 233
* 「湖(うみ)の本 152」責了用意できた。土曜日の郵送は避け。月曜日まで待つ。
2021 5/15 233
☆ 「湖(うみ)の本」を 本当にありがとうございました。
創刊35年、第151巻には圧倒されます。既刊一覧を拝見し、これほどのものをいつ書かれるのかと声もありませんでした。
「山縣有朋と成島柳北」 丁寧に拝読させて頂きます。 内舘牧子
2021 5/16 233
* なんとなく、なんとなく過ごして四時半になった。かすかに胸が痛み頭痛も。あす、「湖(うみ)の本 152」を責了すれば、あとはひたすら発送用意から発送へ、それが済むと、すこし目先が明るむだろう。コロナ禍の前途もさよう晴れやかであって欲しいが。五輪もへちまもない、コロナの快転こそ願わしい。
2021 5/16 233
* ポストへ走ったり、「湖(うみ)の本 152」を全部責了紙で送ったりした。奇妙に前後不覚に眠たかったりするので、昼食後、二時間ほど寝入っていた。
送り用意は、郵封筒に宛名印刷文を貼れば、大方、コト足り、追加の宛名分を手書きすれば済む。そのうちに「湖(うみ)の本 153」の初校が来るだろう。追いかけて「湖(うみ)の本 154」に序を書き添え入稿すればよろしく、その間にも、真作の小説を書き進めたい。
* 風が、ガタコトものを鳴らす。
* いま上に掲げた写真すこぶる気に入っている。インターネットが幸いに回復するまで、気の支えにこのまま置く。
いまは新しいカメラが自在に使えなくて写真も撮れない。不如意なことは泡くのように湧いて出る。ままよ、ままよ。
* 夕食後、一時間半も熟睡していた。髪と背と下半身にかすかな寒気がある。風邪薬と強壮剤とを飲んでおいた。十日もすれば次の本が出来てくるだろう、その為には宛名の張り込みと、追加の宛名書きだけは欠かせない。。
2021 5/17 233
* ところが食欲無く 睡く 。何も出来ず、寝入ってしまい、昼食も摂れず、また寝入って一時半ごろから「イ・サン」を観てから二階へ来たが、茫然のまま。
京の、古門前 幼なじみの「おっ師匠はん」から電話、昔話など。縄手の茶漬け鰻や甘泉堂の菓子など送ってくれると云う。謝謝。同い歳だが、声など若くて元気そう、ケッコウ。
* 小泉浩一郎さん、「湖(うみ)の本 150 151」受領の来信があった。
* 九時半。
2021 5/18 233
* 稲垣真美さんの編輯主幹で文藝雑誌「新・新思潮」が発足し、巻頭に、稲垣さんのおもいきり自在な長編の「美の教室界隈」が発表されているのを頂戴した。めったにないこと、わたしは昨夜、三時間の余もかけて一気に読み遂せた。作の批評とは大きく逸れるが、二重の関心から引き込まれた、いや私から作世界へもぐりこんだ。
一つは稲垣さんという、たぶんお目に掛かったこともないだろう方への個人的な関心、それとも重なり合うてくるのだが、作に書かれてあるのが美学藝術学の大學風景で、カントだヘーゲルだ、自然だ藝術だ、美だ、それらの演習だ等々とあっては、それもかなりに的に触れた議論や学習や書籍などが何の衒いもなくごく当たり前に語られ書かれている、それではまるで昔の「私」ではないか、私は京都の同志社大学で文学部文化学科の「美学藝術学」専攻学生だった背し、一年で東京へ奔ったものの大学院でも「演習」の原著を読んでいた。結果的には美と藝術の「學」なるものに飽きたらず私は自身創作の世界へ意欲と意志とで脱走したのだった、同学の妻とともに。
稲垣さん作の現に「美の教室」は東京の旧制高等学校であるらしかったが、ご自身はどうも京都大学の美学藝術学専攻生であったかに読める。「木島先生」なる教授らしきは、どうも、私もならったことのある「井島勉」としか思われない、そして京大と同志社の美学藝術學専攻同士の親睦にも御所の運動場で野球かソフトボールの試合をした覚えもある。作者の稲垣さんはしかし敗戦間際の兵役
にもつかれたようで、少なくも十歳ほどはお歳嵩に想われる、それがまた私の気を惹くのだった。
私の育った秦の家は京都の知恩院下に門前通りにあった。中之町の東ぎわにあり、東へすぐお隣からは梅本町だったが、実はその梅本町に、私の家から五十メートルとない東向かいに「稲垣さん」と、おとなのだれもが「さん」づけで呼んでいるシッカリした一軒があり、そこには京大生のお兄さんがいた、らしいと子供こごろにも覚えていた、ただしラジオ・電器屋の我が家とシッカリしたしもた屋の稲垣家とには何の縁もなかった。
それだけなのだが、稲垣真美さんは本を送るといつも受け取ったと挨拶してくださる。今度の、山縣有朋と成島柳北」へも、鳩居堂製の「稲垣眞美用箋」に、ていねいなお手紙を貰っていて、「三つからは加茂川畔に育ち、粂川光樹の京都一中では先輩、大体二十ぐらいまで京都(深草の聯隊にも入りましたので)、あとの七十五年の大部分は東京ですが」と書かれてあり、ま、かりに新門前であっても「加茂川畔」と私でも、云えば云うだろう。すこし年配だった粂川光樹は亡くなったが、なんと「医学書院」に同年に入社し、きれいな奥さんと結婚して彼は早めに退社、フェリス女学院の先生から明治学院大の教授になったいた。わたくしは在社十年で太宰賞作家に身を変えて仕事の山を積んできた。稲垣さんは粂川君から私について何等か聴いておられたのかも知れない、が、私にはどうも「梅本町」の稲垣さんちの「京大生のお兄さん」が気に掛かっていたし親しみを覚えていた。
そして、雑誌「新・新思潮」創刊の巻頭での「美学・藝術学」ときてカントの「判断力批判」の「ヘーゲル美学」のと現れ出ては面食らった。「ヘーゲル美学」の翻訳という仕事が稲垣さん作の終盤でのっぴきならない話題になっているが、わたしと妻とは大學のころ「ヘーゲル美学」の訳本を輪読討論までしていたし、その本はいまも書庫におさまっている。いまでは笑い話に属するが妻の卒論はなんとカントの「判断力批判」に食いつくシロモノでもあったのだ。
稲垣眞美さんにこんど頂戴したお手紙は、大事に記念したい。
☆ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 151 山縣有朋成島柳北」 全頁拝読致しました。
京にては無鄰庵、東京では足を伸ばせば椿山荘、それに必要あって鷗外全集を繰れば山縣有朋表裏の条一杯出て参ります。
それと荷風の好きそうな成島柳北との取合わせ、ともにお祖父様の蔵書にありましたとのご因縁が由来、そして大逆事件、二・二六の怨念忘れまじとのご真意まで、心深く拝承致しました。有り難うございました。
小生も、八幡に生まれ、三つからは加茂川畔に育ち、粂川光樹の京都一中では先輩、大体二十ぐらいまで京都(深草の聯隊にも入りましたので)、あとの七十五年の大部分は東京ですが、親父は尾張ながら、母方は大板の宇佐と、それに何と長州萩の血まで入っています。 戦争と軍人は大嫌いでしたと胸を張って言えるのですが、山縣有朋、森鷗外しなるともはや何とも言えません。そこの処、西郷隆盛、依田學海、上村松園までからめて、まことに細密によくぞ纏められたと敬服致しました。
たまたま私この度『新 新思潮』を発刊。誤植多く恐縮の限りですが、多年の御礼に同封致します。ご笑覧下され度 匆々
二○二一年五月一日 稲垣真美
* 私よりご年配と感じていたが、敗戦の日に私は国民学校四年生の九歳半、熊谷さんは兵役の早々から脱しておられる。一世代はちがい、九十五六歳か。「新 新思潮」創刊と長篇の巻頭作、ますます御健勝でありますように。まこと久々に「美学藝術学専攻」などということを想い出させてもらいました。
2021 5/19 233
* 韓國ドラマ「い・さん」にしたたか泣かされ、日本ドラマ「ドクターX」の来月からの予告と一部再映、そして照之富士の強い相撲を観たほかは、終日歌集『少年前』前半の入念な「読み」にかかっていた。打ち込めて佳い仕事だった。無事に「湖(うみ)の本 154」へ持って行きたい。或る意味で、この『少年前』と「閇門」とで、八十五年はしめくくり、余生のある限り、新しい小説を書き継ぎたい、成ろうなら、長編小説を。
2021 5/20 233
* 夜、九時前。終日かけて歌集『少年前』を、入念に、原本にしたがひ構成・校訂した。これは、ぜひにもしかと仕上げておかねばならぬ仕事だった。間に合ってよかった。老蠶のすさびに同じい『閇門』の方は ゆっくり取りまとめ、ただ副えれば済む。
* あすからは「湖(うみ)の本 152」の出来本送り出しにそなえて、挨拶のことばを一つ一つにカットしておくこと、謹呈先の追加の封筒に宛先・宛名を書き込んでおく欠かせないない作業をし遂げておく。余は、さほど緊急に追い立てられること、無いはず。急かず慌てず「送り」の用意万端を。
2021 5/21 233
* 京・古門前の「おッ師匠(しょ)はん」 縄手の「お茶漬鰻」と 甘泉堂の甘味「おちょぼ」とを送ってきて呉れた。
「おおきに ありがとさん」
わたしが 妻と東京へ出てきたのが一九五九年で、そのころまでは彼女は茶や花の稽古場へ通ってきていたかも。そしてその後もう六十余年、顔を合わせたことがない。宝塚へ入ったり出たり、日本舞踊に打ち込んで、いつか「おッ師匠(しょ)はん」になってたり、噂は叔母を介して聞こえていたが、いま以て再会していない。が、小説の主人公には優になりうるいつも「噂の子」で、私は『或る雲隠れ考』を書いた。むろんフィクションであるが、書き込み甲斐のある主人公であった。本人は知るはずもない。
そして 数年まえになろうか、突如として手紙を呉れた。以来、ときどき電話で話す。わたしからは何も遣るモノがないが、「おッ師匠(しょ)はん」は、ときどき上のようなご馳走や京らしい甘味を送ってきてくれる。既婚者であった(お相手は亡くなった)が、いまいまで謂う真っ向本気の同性婚だったとは叔母の方から聞いていた。私に親しみを持ち続けてくれていたのは、たぶんに従兄妹ほどの気楽さなのだろう、私もそう思っている。ひとつには、私が秦の「もらひ子」だったように、彼女も今少しフクザツな立ち位置で古門前の名だたる旧家へ、婿入りした実父と一緒に入籍していて、そんな「ややこしさ」を背負いあっているという親近感がどっちにも有ったのだ、いまでも、有る。たいへんな美女だったが、私の「男」などは遠い関心外にあった。
* 小説の種は、おもいのほか無造作に人の世には転がっている。いつ、どう、掴むか、だ。
* 手がけてきた 歌の仕事は もういつ何時でも「入稿可能」までの原稿作りが出来た。「湖(うみ)の本 154」と予定しており、「153」はもう入稿してある。さきざき、すこしからだがラクになってくれるかも。何とかして インターネット を復活したいが 目下は 打つ手がない。
2021 5/22 233
* 八時過ぎ。疲れた。が、階下で、この先のための作業にかかる。
2021 5/22 233
* 「湖(うみ)の本」発送用意最後の、発送前最後の、いちばん苦手な仕事の半分を終えた。あと一日で手が放せて、納品をまつだけ、数日のゆとりが手に入るだろう。
体調は、宜しくない。一つ、睡いほどぐったりし、一つ、食べても口も腹も反応しない。目はかすかに痛むほど見づらい。
2021 5/23 233
* 福田恆存先生の奥様が101歳でお亡くなりになったとお知らせがあった。実の親を知らず、育ての親におとなにしてもらい、そして心の親のようにお思い申し上げてきた。筆紙に尽くせず、背をいつも優しく支えていて下さった。忘れない。
福田先生からはじめてお手紙を戴いたのは、「すばる」巻頭に、華岳らを書いた長篇『墨牡丹』を一挙掲載した直後だった。間をおい、先生の演劇活動の拠点であった三百人劇場ヘ「ハムレット」だったと思う、シェイクスピア劇を演出されていたのへ出向いた時に ホールでご挨拶した。先生最初の一声は、「ああ。想ってたとおりの方だった」と温和に優しいとりなしだった、ビックリした。「湖(うみ)の本」を始めた時、先生はすぐさま各地の20人ばかりの方を「読者」としてご紹介下さった。(同じご親切は、永井龍男先生にも戴いた。)それはそれは有り難く嬉しいことであった。先生の創作劇も何度か楽しんだ。ご子息逸さん作・演出の歌舞伎なども歌舞伎座へ観にいった。
福田先生は亡くなられた。 その後は 奥様がそれは優しくいつもお付き合い下さり「湖(うみ)の本」の購読もおつづけ下さり恐縮もし嬉しくもあった。
永井先生も亡くなられた。福田先生の奥様も百一歳のご長寿だったとはいえ、亡くなられた。寂しくなった。
* 私は、受賞このかた、信じがたいほど多くの大先達の先生方に優しく良く励まされも支えられもしてきた。 福田恒存先生のほかに、順序無く 文壇に限ってただただ懐かしく有り難く想い出すお名前をあげておけば、
小林秀雄、臼井吉見 唐木順三 河上徹太郎、中村光夫、吉田健一、瀧井孝作、永井龍男、角田文衛、目崎徳衛、木下順二、本多秋五、井上靖、山本健吉、中村真一郎、江藤淳、 阿川弘之、佐伯彰一、篠田一士、巌谷大四、杉森久英、大岡信、小田実、和田芳恵、壇一雄、今東光、立原正秋、水上勉、伊藤桂一、舟橋聖一、上村占魚、馬場一雄、大国友彦、谷崎松子、円地文子、福田敦江、田中澄江、梅原猛、斎藤史、大原富枝、竹西寛子、馬場あき子等々、キリがない。
さらには學界の諸先生がたとも、文学、歴史、美術、批評、論攷、まことに大勢お付き合いが出来ていた。有り難かった。
反面、同世代ないし若い作家・批評家たちとは、めったに接触も親交もなかった。いまでも久間十儀さんら極く数少ない。人付き合いが悪いとは決して思ってないが、もともと外へ出て行かない暮らし方のせいもあろうか。あるいは私の作風とでもいうのが若い人たちへの障りになっていたのかも。
* こういう追憶にこころを惹かれるのも、ようやく最晩年の自覚というものか。
陶淵明集を開いてて、こんな詩句に静かに目を置いていた。友人の劉柴桑に酬いた詩の一部を抜き書きしてみる、
窮居して人用 寡く、
時に四運の周るをだも忘る。
空庭 落葉多く、
慨然として已に秋を知る。
今我れ樂みを為さずんば、
來歳の有りや不(いな)やを知らんや。
此のとおりに日々送迎し、まさに これ 私、只今の感慨である。
* 読者、友人、知人、何人もの方が この「私語」が急に聞けなくなったと、案じていて下さるだろう。それが気がかりで申しわけない。いい手がないものか。
2021 5/25 233
* この機械クンの負担をすこしでも軽くしたいと、全ての内容を、別の小さな機械に移植した。その小さな機械でせめてインターネットが使えるようにしたいが、どうしていいやら、アタマはまったくそんな方には働かない。
* 今はどんな時機か。「湖(うみ)の本 152」が出来てくるか、「湖(うみ)の本 153」初校が出てくるか。「湖(うみ)の本 154」はいつでも入稿できる用意が成っている。次の創作へ手を初めたく、そのためにも次の段階が具体化して欲しい。
七時半。無用に疲れるよりは、ここは休息を摂っておいた方がいいだろう。これで、このところ、なにかといろいろ手がけてきたそれも気を入れ根をつめて。
メールが来ない送れないのは、何とも心寂しい。電話はどうあっても苦手、かける元気がない。原稿用紙で走り書きの手紙を書くことにしているが、手さきの痺れがきつく、悪筆の上の悪筆で、失礼を気にしてしまう。
2021 5/26 233
* 凸版印刷の方で、担当者に事故があってか、次の「湖(うみ)の本 152」の納品が六月十日頃になると。べつに急ぎもしないが、気のゆるみは、精出して他の仕事で引き締めねば。
なにより必要なのは、もはや、馴染んだNECの新しい手頃な機械を買ってでもホームページの電送を死守しなければ。出来る人に、家へ来て貰える時節なら、すぐにも頼むのだが。
2021 5/27 233
* 想っていたことではあったが、しかと思い立ち、久々に、じつに久々に、かつて歌集『少年』をすてきな新書版で世に送りだしてくれた不識書院主の中静さんに電話した。唐突だが、この春に手がけて編みあげた歌集『少年前』そして八五老蠶の走り書き『閇門』を、『少年』のご縁に「読んでみてくれませんか」但し、決して本にして出版して欲しいのではない、それは『湖(うみ)の本』にすれば想うままに済むこと、ただただ、あのひろく好評を得た『少年』にはうち捨てて採らなかった小・中・高校生の頃の「わが短歌」習作の数々を、歌集というものを無数に出版してきた編集者中静さんの眼で読んでもらいたかったのだ。
中静さん、ご迷惑だったろうが『少年』歌人の「少年前」というご縁ひとつで承諾してもらえた。
週明けの月曜にお店に届くよう送り届けたい。有り難い。嬉しい。
* コンピュータの故障は依然険しいままだが、久しぶりに印刷機は働いてくれた、じつは『少年前』と『閇門』とを、祈る思いで「刷れて呉れよ」と機械に送り込んだ、A4紙で60余頁がきれいに刷れたのだ、吉日とまでは言えないが大きな半吉事に恵まれ、胸を撫でている。撫でているうち、これを不識書院主に久しぶりに読んで貰おうと思い立って、手早くすぐ電話したのだった。そして我勝手な文字遣いの漢字に小さく朱で「よみ」を振っておいた。数百首あるのだ、よく手早くつぎつぎ頑張った。
九時になって行く。もう休んで佳いだろう。
2021 5/28 233
* 久しく、心より親しかった奈良の歌人東淳子さんの訃報が、大学時代の学生さんであったろうか、「湖(うみ)の本」でも久しいおつきあいの岡田祥子さんから。
がくっと寂しく。あれこれ私語している内、機械の画面がはっと消えた。
今は繰り返さない、が、病床で「たのしみは」と詠われていたのに私も暫く倣って、岡田さんを介して送っておいたのを、読み上げて貰い「にっこり笑っておられました。喜んでおられました。ありがとうございました」と、岡田さん。寂しくなった。
2021 6/2 234
* 「湖(うみ)の本 152」 初校が届いた。すぐ校正し始めた。
* 「湖(うみ)の本 151」 の残本を書庫へ入れ、これはぜひ何方か和歌史研究者に差し上げたい何冊かを家の方へ持ち出した。ついでのようだが、ちょうど今、最関心事の一つに触れた信太周先生の論攷一編を発見し ほくほくと持ち出した。
また森田草平訳の大長篇、ドストエフスキー『悪霊』の「一冊本」という珍冊を見つけ、久々に読みたくなった。トルストイの『戦争と平和』と対峙を意識していたと謂われる代表作であり、本の手に重いのが難ではあるがちょっと身震いがする。
森田草平は夏目漱石の門下生であり、しかも、あの平塚雷鳥との「心中未遂行」で浮名を流したそれを新聞小説にして大いに売った有名なご仁である。
☆ 「湖(うみ)の本 151」
ご送付ありがとうございました 送金がすっかり遅くなってしまい 申し訳ございませんでした。
今、東(淳子)先生が最期を過ごされた部屋の片付けをしています。これが終わると 2年留守にしておられた奈良のマンションを掃除し、2年ぶりに帰宅させて上げようと思っています。
暑くなって來ました お大切におすごしください。 岡田祥子
* かほどこころ麗しいけなげに優しい人に、お弟子さんに、最後の最期まで看取られた東淳子さん、お幸せでしたと胸を熱くしている。
2021 6/3 234
* 「湖(うみ)の本 153」の初校をずんずん進めていたが、晩は、テレビで、録画の「剣客商売」「トンイ」を観ていて、二階仕事をとじるために上がってきた。もう、十時。 やすむ。
* 十日頃には「湖(うみ)の本 152」が納品になる。発送の用意はほぼ出来ており、それまでに仕掛けの初校分を「要再校」で戻しておきたいが。明日からのガンバリ次第。籠居の集注仕事でし終えたい。
2021 6/3 234
* 体調悪しく、寝入りたくも、眠れず、重苦しく疲れている。ヤケを起こしていい時機でなく、文字通りに凝然(ジッ)としてるしかない。さしあたり、初校ゲラを懸命に慎重に「読む」よりない。
2021 6/4 234
* 七時半を過ぎた、機械クンはやすませ、階下で、床で、校正する。
2021 6/4 234
* もう夕刻五時すぎ。「湖(うみ)の本153」の初校を終えた。建頁を読んで、あとがき「私語の刻」と「あとづけ」を用意できれば、「要再校」で返送できる。それが出来れば「「湖(うみ)の本 152」の納品を待って読者へ送り出せる。「「湖(うみ)の本 154」の入稿意も出来ているのだ、うまく繋いで、そして心身を楽にして創作へ「おもひ」を集注したい。
2021 6/5 234
* 「湖(うみ)の本 153」初校終える。一両日で「要再校」で戻したい。
2021 6/5 234
* 「湖(うみ)の本 153」 要再校。表紙・あとがき等 ツキモノ要初校 の用意が出来た。追いかけて、「湖(うみ)の本 152」納品の前に、「湖(うみ)の本 154」入稿の手順を整えてしまうつもり。そこまで出来ると、私の手に、気持ちに、大きな余裕が出来る。
2021 6/6 234
* 明日には、「湖(うみ)の本 153」を「要再校」として印刷所へ送り返せる。よゆうをもって次なる「152の発送」「154の入稿」それ以上に「創作進捗」を日々に心がける。運動不足でからだは確実に日々に衰弱を増して行く。保谷は人出の街ではないのだから、疲れない程度には日々に散歩もと、妻と申し合わせ、実行したいと思う。自転車で脚は比較的年齢より鍛えていて、日々二階への階段上下もわたしは苦にしていないが、妻はしんどいと云う。自転車には転倒や衝突の危険がある。「歩く」ことに気を向けたい。
2021 6/6 234
* 「湖(うみ)の本 153」初校を終え、要再校で印刷所へ送った。「「湖(うみ)の本 152」の納品が何日になるのか正確には知れていない、「十日前後」と云われた記憶だけ。ホンの僅かな待つ間をもうまく生かして仕事を先へ押しておきたい。
* 「湖(うみ)の本 154」を、 2HDの板へ入れて入稿することにした。うまく入ってくれているといいが。
2021 6/7 234
* ワクチンも念頭にあるが、妻にも私にも基礎疾患はしっかりあり、医師も無条件には勧めていない、止めもしていないが。とにかくも 「湖(うみ)の本 152」の発送を終えてからのことと。
2021 6/7 234
* 夜十時、湯上がりで寝入っていて、風邪でも引きかけたか。かすかに頭痛。
明朝、「湖(うみ)の本 152」納品としらせがあり、幸いその前に「「湖(うみ)の本 153」を「要再校」で、「湖(うみ)の本 154」を入稿、済ませておいた。肩の荷を下ろしておいての発送となる。今回より定価販売は一切やめ、すべて「無料 呈上」と切り替えた。「湖(うみ)の本」の歴史を新ためたのである。
もう今夜は、やすむ。
2021 6/8 234
* 納品はいつも朝九時早々だったのが、今日は、午近くにと連絡有り、今、九時まだ前。心急く何もなく、天与の一息と瞑目している。
2021 6/9 234
* 納品が午まえになったので、今日はそれなりの量で発送した。
それはいいのだが、届いた製本部数に誤差があって、迷惑している。申し合わせした日づけやメールが発見できなくて。こういうことも、起きるものだが。ま、腐らないで流して行くことに。
* 本を一冊一冊かための封筒に入れ、部分折りして封をし続けていると、指がひん曲がって攣れて悲鳴をあげる。ま、いろんなことが、老耄につれて起きる。そんなものと、織り込みながら作業は作業、仕事は仕事と、片づけて行くしかない、それが仕事というもの。
* もう三日がほどは、作業の終わるまでに必要か。
2021 6/9 234
* 二日目の、「湖(うみ)の本」送り出しも午前いっぱいで相当数が荷にまとまったので、宅急便に託し、残りは明日へもち越すことに。疲労しないのが、なによりと。
2021 6/10 234
* 二日目の荷も送りだした。あえて急がず、明日に繋ぐことにしている。
* 「湖(うみ)の本 152」 明日には予定分を全部送り出せる。ぐっと仕事に余裕が出来るだろう。
2021 6/10 234
* さ、もう一日ガンバッて、送りだしてしまおう。今回の「湖(うみ)の本152 153」は、話題を選んで揃える従来の「濯鱗清流」や「流雲吐月」らと替えて、令和二年、365日の「私語」を通してみた、見直してみてこれが存外に興趣のいい感じの散展になり、私も、時世も、顧みやすい。抜き刷りを手に気ままに読み返すのが、煙草一服(その宜しさは識らないのだが)ふうの、いい休憩になる。
* 午過ぎ、「湖(うみ)の本 152」を 予定したさきの凡てへ送り終えた。
2021 6/11 234
* 今度出来てきた、「湖(うみ)の本 152 綽綽有裕」 気に入っている。そうか、こんな風に暮らしてきたかと分かりがいい。どのペイジをあけても私の「言葉」が弾んでいる。
2021 6/11 234
* 印刷所へ送ったつもりのメールが機械から飛んで行かぬママ、いまも残っている。
機械不調 メール受発信不安定 秦 恒平
私からの反応が鈍いと思われましたら ケイタイへの電話をつかってください。
ホームページの発信がなぜか不能になり困惑しています。なにもなにも 困惑時節です。
日々お大切に。
* 何とせう。このままでは仕事がしごとに成りにくい。
また、ひとつおもしろい本のはなしがしたかったが、気が殺がれた。今日はこのまま、発送を無事終えて、おやすみとする。かすかすに頭痛がある。冷房を切った。
2021 6/11 234
* 稲垣真美さん、井口哲郎さん、渡部芳紀夫妻、岩淵宏子さん、岩佐なをさん、寺井谷子さん、小林保治さん、芝田道さん、山梨県立文学館、それに、親友の西村テル(男)さんらの「湖(うみ)の本 152」受領のお便りが届いた。
岩佐なをさんに戴いた銅版画「花咲爺」の精微に美しいのに、感嘆。
☆ 「湖(うみ)の本 152」拝受
恒平さんが生きていてよかった!! 「宗遠日乗 私語の刻」が四月十六日をもって突然止って 何だか悪い予感がして伺うこともせず失礼しました。(京都の森下辰男くんへ問い合わせてくれていた、と森下君から聞いた。)お互い85歳となり、何が起こるかわかりません。おまけにコロナで、沖縄にも行けず活動も止っていましたが、昨日ようやくワクチン2回目の接種を終えました。ガンで通院も人並にしていますが お互い残された時間を大切にしていきたいですね。
静岡 函南 西村明男
* 室生寺蔵の文殊菩薩立像が添って、ありがとう、ひときわ嬉しいお便りでした。
* 今回から「湖(うみ)の本」定頒価を廃して、一律皆々さんへ「贈呈」と決心した。北九州市の俳人寺井谷子さん、「お心づかいに感謝申し上げつゝ、御大切の御著書御寄贈いたゞくと身が縮みます。ご放念下さいますよう、切に。」「益々の御清硯をお祈り申し上げます」と、前回までのままご送金がが有った。心底恐れ入ります。本をお送り続けられるだけで命励まされています。
* メールやインターネットのとぎれで、このところ心寂しかったが、久々にお便りに数々接し、喜んでいる。
2021 6/14 234
☆ 瀬戸内寂聴さん 講談社の天野敬子さん 東大の長島弘明さん 仙台の遠藤恵子さん 俳詩人の中川肇さん 元図書館長の木村年孝さん 詩人の有馬敲さん 読者の山田あけみさん 妻の親友の持田晴美さん 都議の石毛しげるさん そして「三田文学」から みなさん 「湖(うみ)の本 152」へ いろいろに有難いお便りを戴いた。火曜日は郵便の寡ないのが普通だが、心賑わった。。
2021 6/15 234
* 四国今治の木村さん、私の著書の中から、署名付きで「清経入水(私家版)」「女文化の終焉」欲しいと。本は、在るものは惜しまずさしあげますが、署名は苦手やなあ。
2021 6/15 234
* 春は転勤・転居のおおい季節なのかも。送った本の戻りが、今回、すこし多い。
2021 6/15 234
☆ 静岡大学の小和田哲男さん 千葉e-OLDの勝田貞夫さん 俳人の奥田義人さん 元岩波「世界」の高本邦彦さん 前橋の読者宮崎弘子さん 神奈川近代文学館 東海学園大名古屋キャンパス図書館 皇學館大學国文学研究室 の有り難い来信を手にした。
京都の羽生清さん 江古田の神戸あおいさん、高輪の山田あけみさんからは恐縮のご喜捨がありました。有り難う存じます。
☆ 「有朋と柳北」
興味深く読ませていただきました。やはり私は、
いつの世もかくぞあるべきうるはしくのぼる朝日の國のひかりは
より
籠の中にすむ鈴蟲も月の夜はさか野の秋に忍音になく
の方が好きです。
時節柄 くれぐれもお身体大切におすごし下さいますように 左京 羽生清
* 破顔・共感。感謝。
2021 6/16 234
* 寿司の和加奈へ、大とろ 中トロ 海老 海栗 に限って、刺身で届けて貰った。歯に触らず、栄養価もありことに好きなモノだけ。酒の「英君」も美味かった。風にそよぐ枯れた藁のような躰が、やや起って目覚めた気がする。
そのまま寝入らず、楽しんで読んだ。『赤と黒』と『悪霊』とが悠然拮抗している。ヘドのモルゴンが竪琴弾きのデスと、船に乗った。永い旅がはじまる。ホビットのビルボ・バギンズとドワーフの御難つづきの旅は、ワインの空樽に助けられて窮地を急流のはてへころげ落ちて行く。
今度の「湖(うみ)の本 綽綽有悠・コロナ禍と悪意の算術」は、文字通りのエッセイ集になってくれた気がする。
そして『新約聖書』の基督教がムズカシい。禅宗や浄土宗の経や般若心経ならなんとか掴まってついてゆけそうに思えるのに、神と神の子イエスに依るパウロの信仰者達への教えの手紙が難しい。
2021 6/16 234
☆ 「古機械クン」が
ストライキをおこしていると。難儀ですね。日々刻みこまれた<作家・秦恒平>の記録は本当に貴重な時代の証言・財産です。猫(アコ・マコでも)の手は無理なら、専門家(エキスパート)の手を借りてぜひ早急に復活させて下さい。まずはお礼とお願いまで。御身くれぐれもお大切に。
IT弱者のローバより 講談社
☆ 杜の都仙台のケヤキの緑も濃く深くなつてまいりました。
「湖(うみ)の本」152 ご恵送いただきありがとうございます。
おもしろいように、あふれるように言葉がほとばしるのですね。
益々のご健筆祈念申し上げております。 元大學学長
☆ インターネットで「私語の刻」を読ませて頂けなくなり、秦様お二人のお身体を心配し乍らも、私の永年のプログでの心のより処を失ったような寂しい気持ちの日々でしたが ご本発刊 ご思索益々のご様子にほっとしています。 妻の親友
2021 6/17 234
☆ 衆議院の辻元清美議員、上越光明寺の黄色瑞華師、石毛直道さん、陶芸家の江口滉さん、元交通公社の安藤典子さん、さらに早稲田大学図書館、都立中央図書館、久留米大御井図書館、大阪芸大文芸学科、山梨県立図書館から受領の挨拶が来ていた。
2021 6/17 234
* 京都の画家池田良則さん、京の四季を絵と文とでスケッチの四冊に添えて宇治の煎茶を贈ってきて下さった。池田遙邨画伯のご子息、私の新聞小説『親指のマリア』に挿絵を゛連載して頂いた。もう久しいことになる、懐かしい知己のお一人である。
* 私は、もともと、小学校の昔から親友といった相手を滅多にもたない、もてないタチだった。友達よりも真の身内に飢えていた。そしてほぼ七十年、わたしは、心許し合えるいい友や知己に豊かに恵まれている。懸命の仕事が近づけ有ってくれた知己である。わたしは、根が非情・薄情には生きて行けないタチであった。挙げろと云われれば四十や五十の大切に思い思い合う人を、すぐさま挙げられる。創作と出版の営みが迎えとってくれた親しい人たちが、いつも身近に感じられる。
* 私には、京都・故山故水という不動の世界があり、それは歴史へ遡り行ける不動の道になっている。豊かな栄養がとめどなくえられる。ただの知識ではない、血の通った人たちとの関わりで真実親しめる世界、それは過去でなく現在なのである、未来ですら有る。この歳である仕方なく身内にも知己にも死なれるが、だから無に帰するなどと云うものでない。生死にも逢う逢わぬにも関係なしに知己は私に生き続けてナニ変わりもない。
☆ 写真家近藤聰さん、東村山の地酒を二種贈って下さった。感謝。
大正大学国文学、大東文化大学日本文学、大阪市立大学文学部、お茶の水女子大学図書館、文教大学国語研究室、天理大学文学部、神戸女子学院大学図書館等、「湖(うみ)の本 152」受領の来信在り。
2021 6/18 234
* 今回「湖(うみ)の本」は『綽綽有裕 コロナ禍と悪意の算術(上)』として去年の元日から六月末まで半年間毎日の「私語の刻」記事をとりまとめた。自然次回は『優游卒歳 コロナ禍と悪意の算術(下)』で去年後半の「私語」だけで纏まる。私が、本来別途の「創作や論述等々」の他に、日々の「読み・書き・読書」をこう続けて途絶えない「暮らし」を「形」で証したのである。こんなことを前世紀末からもう四半世紀、日々、欠かしていない。「毎日毎日 文章が書けるとは、驚いた」人もあったが、「創作的な物書き」を職とも人生ともするなら、当たり前のことと私は思っている。そして、存外にそれが「読め」て、我が身にもおもしろくハネ帰ってくるのに今度自分で気付いた。
「私語の刻」とは我ながら名付けたなと笑える。
* 京都から東京へ出てきて、作家以前に私がどう暮らしていたかは、創作やエッセイに直にはあまり書かれていない、その医学書院編集者時代が、この「私語の刻」で時折り私語されているのが、私自身のためにも有り難い。中身のうんと詰まった十五年だった。金原一郎社長 『鴎外學』の権威、碩学の長谷川泉編集長と出会えたことは、じつにじつに有難かった。いま医学書院の編集長は私の課で、新入社員として指導された七尾清君だと。理事の頃、ペンクラブへ誘って推薦した向山肇夫君も、新入社員で私の部下として絞られていた。遠い遠い昔話になった、医学書院の十五年。
2021 6/18 234
* 国立国会図書館、東京大学大学院文学部、法政大学文学部、立命館大学図書館、鳴門教育大学言語系、上智大学図書館等、「湖(うみ)の本 152」受領の来信。
* 九州大学名誉教授今西祐一郎さん、文藝春秋寺田英視さん、墨畫家島田正治さん、聖教新聞原山祐一さん来信。
2021 6/19 234
* 尻を打つように、「湖(うみ)の本 153」の再校が出てきた。読み始めたが、感傷にせまられるほど古典の歌や句のよみが懐かしい。こんなふうにほぼいつも往時を生きてきたいい「ことば」に振れ続けわたしも生きてきた、来れた。幸せだ。
わたしは感傷という二字を生来うけいれつづけてきた。やがて、生涯の文藝を一と括りにするように歌集『少年前』を刊行するが、「感傷と観照」と副題した。そして老来最近の歌くずをただ拾って束ねて『閇門』と題しておいた。「ともん」とは、門をしめ、とざすのである。
2021 6/19 234
* 無くしてはならないものが見つからないといった不用意が露わになると、げんなりする。執着せずに諦めてしまうというのも心疲労のタネになる。一種の気取りで老耄を自摘するのも耄碌やなあと情けない。仕方がないと受け容れてみても、何の救いにもならぬ。
次の「湖(うみ)の本」発送が遠くない視野に入った。用意している。
☆ 所沢の藤森佐貴子さん(故・島津忠夫先生のお嬢さん)から、先日の水羊羹に次いで狭山のいいお茶とお手紙を戴く。
妻の親友神戸の市川澄子さん、小瀧英史さんがご縁の草加の白蓮寺ご住職、喜多流シテ方友枝昭世さんから、新刊「湖(うみ)の本」へお手紙を戴いた。
2021 6/21 234
* からだ具合が、暑さと冷えとの交替で、どよんと重くなる。風邪を引きたくなく、食もはずまず、酒と薬に手が出る。酒疲れし薬疲れしてくると横になり、気に入りの本を次々へ読み進む。目下、『悪霊』の手放し運転のような野放図な行文の魅力が、『赤と黒』の「お話」を凌いでいる。
『イルス竪琴』は美味いスープを吸うように、いくらでも先へ先へ読めて、やめにくい。
神と信仰を真っ向語って揺れない『新約聖書』、諸子百家、争鳴の『史記列伝も』も胸を開いて読み進んでいる。
自分の再校ゲラも、10頁単位でと心がけて読み進んでいる。『優游卒歳』去年の後半歳を歩み歩み、気に入りの詩歌を日々に味わっていた半年。政策のちぐはぐな誤判断に去年後半コロナ禍は根強く蔓延っていたと分かる。そして今日なお、感染者のかずは下げ止まってまた無気味に増加へ転じかけている。五輪を中止してでも、コロナ禍から一日もはやく脱出したいのが本音だ。
2021 6/21 234
*どうかしてコロナに退散してもらいたい。思うまでもなく、一年猶予の完全な逼塞籠居に甘んじてきた。心身の衰えは無残の体に到っている。幸いに、読み・書き・読書そして「秦恒平選集」「湖(うみ)の本」の刊行という仕事もあったし家で酒も飲めた。食欲は激減した。おまけに外世間との窓である機械のネット機能が墜ちた。この情態はもう永くは耐え得まい。
幸いにお便りやお見舞いはつぎつぎに途絶えず頂いている、有り難いことだ。歌や音楽もいろいろに聴ける。だが、心身の活気は日々によわまり、よほど気を励まし続けねば危ない。ほとんどこれは泣き言である。警戒警報や空襲警報に怯えた頃のわたくしは幼い子供だった。有り難いことに生活に不安はない今の私たちはよほどの高齢で、健康の維持は精一杯、気の衰えにはなにとしても克たねば。来月下旬には一度目のワクチンが打てる。それを待ち、しかし同時に五輪不安の東京都に逼塞していなくてはならぬ。
私は、それでも、ものを作り出せる能をまだいくらか持ちこたえている。歌でよし句でよし文章も好きに書ける。いささかなり別世界へいながら飛翔できる。これを力にしたいと願う。幸か不幸か食欲もなく性欲ももとより無い。しかし想像力はまだあましている。こんなときこそ、また春蚓秋蛇の昔にかえり老境の掌説を書いてはどうか。
* 昨日は横浜の、私と年齢まぢかい相原精次さんが、往年の私家版創作集と、近時独自の古代学への意欲と展望の熱い永いお手紙を送ってみえ、今日は、京山科のあきとし・じゅんさんが、ささやかにも傘壽を記念懸命の歌句集を送ってみえた。お二人とも鬱勃とふくらむ創作への意欲をもたれている。心打たれる。私の読者にはこういう意欲を抱いた方たちが少なくない。
今日は、下関の大庭緑さん、「この一年余、秦さんのご意見をずっと参考にして、日々過ごして来たなと、改めて感謝です」と。四国高松の星合美弥子さんは、「ヤマボウシの白い花がさいています。湖(うみ)の本、お心づかいにより頂戴いたします由、ありがたくうれしく拝読させて頂きます」と。慶應義塾高等 学校国語部会の代表野津将史さんから、同じく慶應義塾大学三田メディアセンターからも丁重なご挨拶があった。
* いまは何としても、機械に「ネット機能を復活」し、みなさんの日々の思いと共鳴し合わねばと思う。「ネット機能をすでに内蔵した機械」は売り出されていないのだろうか。遺憾にも、もう私自身が機械に機能を設定するといった技倆はとうてい期待できない。 2021 6/23 234
* せめてメールでもと。だめ。悪あがきで、よけい機械が狂うかも。波方の木村年孝さん、署名をと、私の本を数冊送ってみえ。もし手元に別の残りが在ればもう三冊欲しいと。西の棟へ探しに行って、みつけた。内の『顔と首』とだけは、もう余分が無くなった。
二冊ずつぐらいは残しておきたいが、余分の本でご希望の読者方には差し上げる気でいる。なにしろ単行の本の形をした本だけで百種もあり、専用の書架も溢れている。別に、特装限定150部本の「秦 恒平選集」全33巻とも、幾らかずつ著者用本が綺麗に残してある。これは、製作原価が一冊あたり随分かかっていて、差し上げるというワケに行かない。よほど大事に保存して下さる方、ないしは佳い図書館や熱心な研究室へ揃えて呈上したいと願っている。
* 「湖(うみ)の本」154巻まで製作進行中、これは、ごく初期の刊本は保証の限りでないが、大方は残部を保管している。20人前後でなさっている熱心な「文学書の読書会」からご希望があれば、在庫本なら献呈しますので、各地からお声を掛けて下さい。
と、こう云うてみても今は、ネット故障で、この記事を読んで頂くことが出来ないわけ。やれやれ。
2021 6/24 234
* 席をはずしてまた戻ってくると、メール来てないかナと調べるのが習いであったのに、それも出来なくなって。外の世界への窓がまったく塞がれた心地は重苦しい。
* 「湖(うみ)の本 153」を「責了」する前に、次の、私期待の「154」初校ゲラが届くだろう。その次には、ぜひ、新創作を用意したい。
しかし、何より機械にネット機能を取り戻したい。
2021 6/26 234
☆ (前略)
御作『少年前』も『閇門』も共にお出来映えよく、 小生 心から感銘致しました。
前者は天才少年のあきれて仕舞うほどの上手さです。ほんとうに驚きました。少年にして早くも抑制のよく利いた言葉のありようは、これはもう天性のものと断じてよいです。清潔感に溢れたことばの根にある「清らか」さ。この感性も亦、まことにいいです。感心しました。
『閇門』はひと言で申したら文人の作、文人の歌です。秦先生のお作を拝見して、小生 愉しかった! 幕末の歌人、国学者、橘曙覧の詠み口調を憶い起こされもした余裕のあるい文人の詠です。 ことばに遊び、歌に遊ぶ。これはもう立派なことばの芸です。
文人たちの歌と言ったら、直ちに、中島敦、壇一雄、井上靖が思い出されます。詩人では立原道造、堀口大学、宮沢賢治などもーー。しかししかし、秦先生のお作はこれらの文人とは似て非なる詠風の歌です。
これを批評家風に説き明かすのは恐らく楽しい作業でしょう。只今は中途半端ですが、いつかこんなことを小生談じて見たいと思っています。
破れかぶれの非道い手紙になりました。書き直すこともて出来ません。悪しからずどうかお読み捨て下さい。 これは小生のヘンなお詫び状です。書きなぐりの可笑しな手紙です。呉々もお許しの程願い上げます。不尽 六月廿五日 **書院主
秦 恒平先生
* 現代歌人の歌集を無数に刊行されてきた人のお手紙である。ひとまず、やれやれと胸に落ちて、有り難い。
☆ 前略
この度 大変貴重な『清経入水」(私家版)ご恵与賜り心より御礼申上げます。
二度目のコロナワクチンを受け帰宅した玄関ポストの封筒を早速開封致し声も出ない驚きでありました。書棚の『みごもりの湖』『蘇我殿幻想』などにこの『清経入水』が加わりますことこの上ない喜びでございます。
(中略)
御礼とともに
先生の御健勝を心より祈念申し上げます。 不一 横浜 上代史家 作家
☆拝受致しました。ありがとうございます。去年の出来事が、改めて立体的に迫ってくる気がします。
神話や「紀元二千六百年」が悪いのではなく、悪用する政治が悪く、斥けねばならないとの記述が、一年経っていっそう身にしみます。 江東区枝川 歌人
* ノートルダム清心女子大学などから 「湖(うみ)の本 152」 受領の来信あり。
2021 6/26 234
* 「湖(うみ)の本 153」を送る用意をよほど進めた。この週明けにも「責了が可能になってくるし、「湖(うみ)の本 154」の初校が届いても来るだろう。出来る用意ははやめはやめにし、躰の負担が固まらぬようにと気をつけている。省ける手は省けるようにと気も配っている。
2021 6/27 234
* 「湖(うみ)の本 152」の制作費・送料を支払い終えた。
2021 6/28 234
* さて週明けの月曜、今週は仕事の場面ががらっと転開する、はず。
まずは「湖(うみ)の本 153」を 「責了」で印刷所へ返送。
入れ替わりにやがて待望の「湖(うみ)の本 154」初校出が届くだろう。新刊分の滞りない発送用意も九割がた出来ていて、そこで次巻新初校の入念な点検と校正。そして新創作進行。
2021 6/29 234
* 明日の「湖(うみ)の本 154」初校出を待つ。どんな一巻に成るか。
2021 7/1 235
* 「湖(うみ)の本 154」の初校が届いた。丁寧な初校に没頭したい。或る意味、私の文藝のほんとうの発端を為しており、それが、わが人生ひとつの懐かしい結び目ともなる。
2021 7/2 235
☆ 過日は
「湖の本 152」を賜りましてありがとうございました。
亡き鶴見(俊輔)氏との対談のところ(p77)が印象的でした。
純文学、高度文藝が置き去りにされていることへのお言葉、つくづくその様に思います。短歌もその傾向です。
滋味ふかいご著書、学ばせて頂きます。
くれぐれもご自愛下さいませ、 かしこ 大阪吹田 郁代 歌人
☆ みづうみ、お元気ですか
まず、せっかくお送りいただきましたUSBを返却させていただくことお許しください。何日も色々試みたのですが、わたくしのパソコンではどうしても開けませんでした。たぷん、みづうみは一太郎バージョンのままお送りくださったのだと思いますが、わたくしのパソコンには残念ながら一太郎がインストールされていなくて……。
みづうみのパソコンにワードが入っていれば(ふつうウインドウズには入っているはずですが)ワードに変換してお送りいただけると大変ありがたいのですが、これまで、編集した私語をこちらのオアシスから一太郎、あるいはワードに変換した文書ファイルにしてお送りしても、みづうみのパソコンで開けませんでしたね。そのためメールに大量の文章を貼りつけていたことをうっかり忘れていました。双方のパソコンに互換性がない? よぅです。USBをお送りいただき、私語の続きを拝読する絶好の機会と喜んでいましたが、まったく不甲斐ないことで申しわけございませんでした。
とにかく困りました。メールに貼りつけるという原始的なやりとりしかないようです。
しかしながら、旧器械でのインターネット接続、メールの復旧はもうご無理ではないかと思います。今までの器械はワープロ機能としてのみ使用していただき、是非新しいパソコンでメールを開通していただけないでしょうか。新しいパソコンを通信手段として、アウトルックなりGmaiTなりを開通していただくのが一番早いと思います。みづうみの機械環境、Wi・Fi状況などがさっばりわかりません。有線LANをお使いか無線LANをお使いか? 私はパソコン音痴で、何をどうすべきか申し上げられなくて本当に情けないことです。器械は必ず壊れるものですから定期的に乗り換えてメール機能も更新していくしかないようです。奥さまが現在もしメールを使えるパソコンをお使いなら、それをそのままみ
つうみのものとして、奥さまに新しい器械を購入なさるという方法もあるのではないでし
ょうか。
現在のコロナ状況では、街中に出ることば厳重に避けるべきと考えていますが、今は各社が自社のパソコン操作の問題を、電話の向こうからオペレーターが操作して解決してくれます。ニフティも電話サポートがあります。(とうとうみづうみの携帯の出番が来たかもしれません。)日進月歩のパソコンですので、昨今は電話で問い合わせるという方法を使用しないで自力解決している人のほうが少数だと思います。
このままみづうみとの通信手段を断念したくありませんし、手紙では細かいことも頻繁なやりとりも出来ず、どうしても日数がかかります。何卒メールの件、早い時期にご対応いただけますよう、伏してお願い申し上げます。とはいえ、みづうみ直筆の貴重なお手紙頂戴できましたのは嬉しい嬉しいことでございました。
一昨日マンション駐車場の巣からツバメのひな五羽が無事に巣立ちました。巣立ちがうまくいかずに巣から落下してしまった最後の一羽を親鳥と兄弟たちが周囲を飛び回って懸命に励まして応援している様子に、通りかがりの人たちも大勢見守りなんとか飛立ってくれたということでほっとしました。
みづうみはワクチン接種はお済みですか? 此の区は十二歳以上の若い世代の接種券が配られるようになりました。わたくしは先日l一回目を済ませています。打った場所が青あざになったのと頭痛の副反応がありましたが、なんとか回復しました。
今年の夏は暑いそうです。オリンピックは、感染は、どうなるのか想像するだけでいやになりますが、以前みづうみにお送りいただいた蕪村の俳句など思い出して、気持ちだけでも涼しく過ごしていきたいと思います。どうかお元気で、益々のご自愛をと念じております。
六月二十八日 高輪
2021 7/2 235
* もっぱら『少年前』初校に気を入れている。
2021 7/3 235
* さて、もう一とガンバリ、強度に視力と神経を費やさねばならぬ難儀な、しかし心惹かれる校正に取り組む。場所をとるので、書庫の中の妻の仕事机を借りている。
* 機械環境の建て直し、さて、ワクチンもまだ一度も打ってない今は、どうするすべもない。ま、諦めるべきは、諦めて。息を永く目の前に出来る仕事をと
2021 7/3 235
* 「湖(うみ)の本 153」 送り先宛名は、ほぼ終えた。
* 家中の 残しおいて詮無い不要物を未練払いのけ処分し、畳みにも棚にも押し入れにも、すこしでも「余地」を創り出さねば。これが当面の要件の一。
* 「湖(うみ)の本 154」の初校を、ほぼ終えた。構成を入念に点検し確認して、「要再校」で送りたい。「歌」集であるのに 歌作品が 詞書等の付記・注記と同じ小さい字で組まれていたのは弱った。直して貰わねばならぬ。
2021 7/4 235
* 「湖(うみ)の本 154」 初校済み全紙を「要再校」として返送し終えた。「湖(うみ)の本 153」送り用意はほぼ仕上がって、納品を待つのみ、納品には少なくもなお一週間はかかると思う。その間は気息を調え待ちながら、新作の方へ新鮮な思いで向かいたい。
2021 7/5 235
* 元平凡社の出田興生さん、「湖(うみ)の本」新刊に一万円贈って下さった。感謝。
* 森詠さん、安井恭一さん、菊池洋子さん、鈴木良明さん、いずれも「湖(うみ)の本」新刊を祝い、私のガンバリに「敬意」を表して下さった。恐れ入ります。
2021 7/8 235
* 幸い緊急を要して向き合わねばならない仕事・作業は無く、それでもこの時節の疲れや無力感や、肩凝りまでも避けがたい。逆らわず休息し、本を読み、そのまま昼寝もして心身の余分な強張りは避けようとしている。極度にも用心はしているが、一回目のワクチンまでに「八五老」の私たちは未だ十日の余も待機の日々がある。ちょうどその頃になってしまうが「湖(うみ)の本 153」の納品がある。五輪開始の日など今はアタマに無いが、いよいよ始まって放映があれば、それなりにアスリートの奮闘を応援しつつ楽しもう、本の発送は慌てずに、と思っている。五輪選手団に、また都内等に新感染者がどうか蔓延しないで欲しい、最悪の事態に誰も誰も陥らず、先ずは五輪を安らかにくぐり抜けたい。
2021 7/9 235
* 幸いに、と思うが今今は急ぎの仕事に追われていない、それで読んでは寝、起きては呑み、テレビなど観ている。二十日前には「湖(うみ)の本 153」が出来てくる、と、荷造りして送るという力仕事になる。日にちを懸けてゆっくり送っていいのだ、ワクチン一回目も受けねばならぬ。一年中でいっとう「しんどい」「うっとおしい」時季であれば、無理は避けること。朱夏の猛暑へ身構える。
2021 7/11 235
* 今日も、機能につづく資料化の作業を熱心につづけた。
* 明日明後日には「湖(うみ)の本 153」が納品予定だったが、一回目コロナ・ワクチン接種をふたりとも二十一日に控えているので、その向こうへ、二十六日へ先送りして貰った。もう「刷料・製本も」も出来ているのだろうが。「刷りだし(一部抜き)」と「湖(うみ)の本 154」の表紙初校とが今日届いていた。
3032 7/27 235
* 腸をかき回すような作業にこのところ時間を掛けている。週明けにはワクチンの一回目の接種、その後へ「湖(うみ)の本 153」発送の力技が来る。それが済めば、しばらく時間を両掌にのせて楽しめるだろうと。力強く乗り切って行かねば。
2021 7/18 235
* ワクチン最初の接種を済ませたので、このまま、書き仕事にも「湖(うみ)の本」仕事にも身を入れて行く。凄いほどの酷暑が続くのは目に見えている、ジタバタしないで家内での仕事を着実に積んで行くだけの日々になる。
2021 7/21 235
* いま恐るべきは、若い世代の、コロナ馴れによる、自堕落な市街・繁華街・観光地等での恣な仕様。感染率は昂まってゆく一方で推移して行きそう。
八月三日の聖路加通院は、ワクチン二回目接種を無事待機すべく診察日延期をお願いの郵便を送った。それまでに「湖(うみ)の本 153」を発送し、「湖(うみ)の本 154」の再校ゲラを抱えることになろう。いまは、要件を少し先へ先へ送ることにより今の手元をくつろげて神経を疲労させないようにと工夫している。五輪の競技もテレビで楽しみ、読書も昼寝もし、次の「創作」へ心用意を具体化して行く。八五老には外出できないという鬱屈は幸い蓄積とまでは無い。出歩かずに済むのはこの熱暑下、幸便と謂うてよい。
立派な葡萄をいろいろと戴いたり、東村山の旨い地酒を各種戴いたり、桃も、涼菓も、ビールも、果汁もいろいろにたくさん戴いている。「湖(うみ)の本」応援のお金まで送って下さる方も相次いでいる。幸せに満たされた八五老夫婦と心より感謝している。
* インターネットがこの機械で私用できず。HPもメールも発信・受発信できないのが逼塞に似てなんとも心寂しくは、ある。コロナ禍である。
2021 7/23 235
* 遠く過ぎし昔の自作小説『隠水の』を読み返した。文藝春秋「文学界」の編集者で後に専務取締役を務められた寺田英視さんとの久しい親交はこの作が仲人を務めてくれた。寺田さんがわざわざ本郷の私勤め先まで褒めにきて下さった。懐かしい。
似たことは、平凡社の出田興生さんとも有った、出田さんは上村松園を書いた『閨秀』を読むと、ほぼ即座に、平凡社刊の縮刷『大辞典』上下巻をお土産に背負うようにして本郷へ出向いて見えた。嬉しかった。寺田サントも出田さんとも今もごく親しくお付き合い、というよりいつも応援して頂いている。
* 五輪競技も 幾らかは 楽しんで応援し 幾らかは 退屈し 特段の思いはない一日だった、八時半、もう睡い。
明後日には、新しい「湖(うみ)の本」が納品される。ゆっくり送り出すとしたい。五輪競技が、作業中の息抜きになってくれようか。
2021 7/24 235
* 明日からは「湖(うみ)の本」新刊 第153巻の発送になる。数日掛けて落ち着いて送りたい。なにもその余に急ぎ仕事が迫っているのでもない。
2021 7/25 235
* はやめに独り起きて、今朝の「湖(うみ)の本 153」納品受け容れ、「湖(うみ)の本 154」再校ゲラ受け容れに備えた。届くのは午前のうちと思うが、早ければ九時には届く。昨晩は、妙に寒気もしたので思い切って早く床に就いた。夜中、しばらくドストエフスキー『悪霊』を、そしてパトリシア・マキリップ『のイルスの竪琴』第二部「海と炎の娘」を読んでいた。アンのレーデデルという王女が登場の一編も私は大好きで、のめりこむように読み進んで、それが惜しいとさえ思うこともある。こういう懐かしい読書の出来る喜び幸せをいつも感謝する。読み飽きていることがない、いつも新鮮に懐かしく共感して読み出すと手放せない嬉しさ。そういう書目を幾つも所持しているのは、えもいわれぬ財産である。
加賀乙彦さんに、昔ぁしに戴いていた新書版『ドストエフスキーを考える』にも今回、たくさんに教わっている。
2021 7/26 235
* 第一便をもう送り出した。すこしも急ぐ気無く、これから早めの入浴で寛ぎ、夜分にまた少しは先へ荷づくり進める気。テレビで、柔道やソフトボールなど五輪競技をちらちらと見聴きしていたので、気分のいい発送作業が出来た。
コロナ禍が沈静してくれること、今はただただ願うは、それ。身動きの自由を奪われているのが、シンドい。
* 息抜きにと思っても、メールも来ず送れず、HPも、ただ書くだけで、送り出せない。わたしにも、以前なら何とか出来たか知れないが、今は、機械となるとハナからお手上げの気で。かえってより悪い深みへはまらないかと手も出ない。ま、すこしは休みなさいと謂う諫めかと受け取っている。
* 過重にならぬ程度に、やすみやすみ、今日の作業を。それでも、疲れている。
2021 7/26 235
* 八割がた本の送りを進めて、休息。疲労して、宵の二時間ばかり、心揺れる浅い夢見て寝入っていたが、機械も止めて、はやく寝てしまいたい。今は、この日ごろの例で、倚子のあしもとで黒い「マコ」が寝ている。この子は、いつも私にひしと親しみ寄ってくる。
2021 7/27 235
* 庭を潰してまでわたしは不相応なほどの長い書庫を持っている。家居として暮らしているこの東棟の内にも大きな作りつけの書架が二階に二つある。西の棟の一階は「湖(うみ)の本」で満杯、二階にも私の自著だけで大きな書棚はぎっしり埋まっている。それさえもこの頃は努めて減らそうとしている。みごとに揃っていた鏡花全集は母港の文学部に献呈した。源氏物語関連のたくさんな書目も或る女子大へ謹呈し、梅原猛全集におなじ梅原著作を副えて西東京市の図書館へ入れた。同じ図書館や各地の、各大学の図書館へも夥しく寄贈し続けてきた。本には、なんとかそれらしい落ち着き先を探してやり嫁入りさせたいと願っている。日本の古典に挑んだ大冊の各種研究書などがずいぶん書架を埋めている。漱石、藤村、潤一郎、直哉、鏡花、福田恒存、森銑三、柳田国男、折口信夫、さらには日本の古典文学全集、日本近代文学全集、二十世紀世界文学全集、古寺巡礼京都全集等々、みな、しかるべく嫁ぎ先を探して上げねばならない。たやすいことでない。
2021 7/27 235
* 「湖(うみ)の本 153」発送のための作業は凡て終えた。宅急便が持ち帰って呉れれば、今回は、もう、上がり。順調の運びであった。そして、次のステップを踏む。
八五老にして、「超」処女作を、わが文学生涯に「初めて」置く。
2021 7/28 235
* 楽しんで「怠け」て過ごしたような気がする。消えうせたようなモルゴンの足跡を追うレーデルル、ライラ、トリスタンの長い旅に同行しながら、かろうじてモルゴンの生きて在ると知り得たまでを読んだり、「湖(うみ)の本 134」の再校ゲラを朱字合わせしたり、五輪競技をテレビで楽しんだりしながら、今日モまたひとしお数多のコロナ新感染者の数に戦いていた
2021 7/29 235
* 平和の祭典と謂われながら五輪は終始闘い争い、「勝ち敗け」の決定を「國」の名において喝采し落胆している。奪い奪われるものの無い「戦・争」である。政治が介入しないことを望む。
* 五輪は、比較的に柔道をたくさん、次いでは水泳を観戦してきた。
陸上へ舞台が動いてきた。五千メートルに同志社の女子学生田中希美の走ったのを観ていた。
* とはいえ、仕事のほかは、寝入っているか、レーデルル、ライラ、アストリンのモルゴンを尋ね行くはるばるな旅に同行していた。
かすかな寒気を背に感じ、終日、体調に落ち着きがない。
神奈川の高城由美子さん、山梨県立文学館長および中野和子さん、そしてお城学の小和田哲男さん、作家・エッセイストの稲垣真美さんのおくったばかりの「湖(うみ)の本 153」への有り難いお便りを戴いた。高城さんからは香りも甘い桃も頂戴した。
* これぞと希望を持った仕事からは手を放していない、楽しんで…と気を励ましながら。
2021 7/30 235
* 「「湖(うみ)の本 154」への追加稿を今日一日で仕上げた。「あとがき」と「後ヅケ」を用意すれば大きく前進するが、前巻を送り出したばかり、そんなに急ぐ必要がない。落ち着いて進める。
2021 7/31 235
* 京、新門前の井上八千代さんから、お手紙に副えて、たくさんな京胡麻と胡麻磨り器というめずらかな贈り物があった。
都の、梅若万三郎家からは、多彩に美味なハム、ソーセージを頂戴した。
石内徹さんからは、前回「湖(うみ)の本」にまたついて、過分のご支援があった。恐縮し感謝申し上げる。
上野千鶴子さんからは、手紙に副えて、相変わらず『在宅ひとり死のススメ』なるお説教本を落手。「すすめ」てもらうことかいなと苦笑も例の如く。
* 石川の井口哲郎さん、京・祇園の橋本嘉寿子さん、千葉・八千代市の竹澤由美さん、作家の森詠さん、新潟・燕の教員渡辺憲さん、千葉・浦安の島野雅子さん、墨画家の島田正治さん、そして二松学舎大學からも 文月のけじめのように、ありがたいお便りをにぎにぎしく頂戴した。
* かくて七月はゆき、八月が来る。ひとも、われも、くにも、せかいも、平穏でありますように。
2021 7/31 235
* そして今、私は八十五老にして、すでに確定したいわゆる「処女作」本になお先立つ「少年前」の一冊に形を与えつつある。それれがただの遊びや自己満足でないことをおおよそ信じつつ、である。
2021 8/1 236
* 「湖(うみ)の本 154」後半へ 40頁ほどの「私語」ないし「私語の弁」を、フロッピイで追加入稿し終えたた。 これで、当面の大きな段取りがつき、何を急ぐこともなく、五輪競技もわきへ措いて、ゆっくり息を継ぎ、もう掛かっている新作を先へ進める。
2021 8/2 236
* 神奈川・鎌ヶ谷の篠崎仁さん、甘い梨をたくさん下さった。感謝。
* 四国土佐に根のある 今は千葉の胡子史子さん、いろいろの和菓子に副えて、コロナ禍にぜひ御用心を、ツテが有ってと「FDA 韓国認証済み」のしっかりしたマスクをたくさん送ってきて下さった。私は、郵便局やポストへももとより、家の中でも夜中でもマスクをはずさない日々。息苦しさというのを特に感じない、暑苦しいとも思わず、むろん、今もマスクしている。感謝。
* 埼玉所沢の藤森佐喜子さん、いつものように選りすぐった涼菓をいろいろ送って下さる。感謝。
* 静岡市の鳥井きよみさん、聖教新聞の原山祐一さん、神戸松蔭女子学院大学からもお便りがあった。みなさんのお便りになにより励まされる。
2021 8/3 236
* 歌集『少年前』を しみじみと校正している、かなづかひに用心しながら。七十年ちかい昔が私に甦る。
2021 8/3 236
* 仙台の遠藤恵子さん、都の中野区宮川木末さん、川越の平山城児さん、都の世田谷の島尾伸三さん、国分寺市の河幹夫さん、早稲田大学図書館、上智大学図書館から「湖(うみ)の本」新刊へお手紙を戴いた。
目黒区佐高信さんの新刊書を受け取った。
高麗屋シアターナインスから、十月、吉田羊、松本紀保ら女性だけで演じる沙翁劇「ジュリアス・シーザー」の案内をもらった。大いに触手うごくが、コロナは収まってはいまい。
懐かしい亡き宮川寅雄先生のお嬢さん木末さんのお手紙が、今巻心して組み入れた多く詩歌の「撰と鑑賞」に触れ、ていねいに共感を寄せて戴いたのを喜んでいる。平山さんからも。
現今多くの作者達はとても大きな手抜きをしながら気が付いていないのだが、詩歌は、自作を創り為すだけが能でない。すぐれた多謝の詩歌作を見いだしてよく味わえるのでなければ、半端なのである。自分は斯くも創っているから当然に歌人だ俳人だ詩人だというのは、片端にすぎない。
* 辞典での仮名遣いの確認などが極く難儀になってきた。それでもわたしは辞典を決して手放さない。いい書き手の、いい読み手のそれは必須のこころがけだから。
2021 8/3 236
* 入念に処女前歌集『少年前』を再校している。
* 京。山科のあきとし・じゅんさん、「たねや」の銘菓を贈って下さる。感謝。
* 生協で配達の人、先日153(下巻)をさしあげたら上巻もどうぞと。喜んで差し上げた。
2021 8/4 236
* 昨日、講談社の天野敬子さん、東京一番町の山本道子さん、京・山科のあきとし・じゅんさん、和歌山・御坊の井領祥夫さん、京・河原町の宇治田脩盂さん、神戸の芝田道さん、茅ヶ崎市の吉川幹男さん、慶應義塾高校の野津将史さん、大阪市の乾醇子さん、また、大阪芸術大学、東海学園大学名古屋キャンパス、松山大學から、『新編・日本女性文学全集』全十二巻編輯者岩淵宏子さんから、「湖(うみ)の本 153」への丁寧なご挨拶を戴いていた。
☆ 炎暑コロナ猖獗の最中に
「湖(うみ)の本 153 優游卒歳」拝受いたしました。このところ体力・視力の衰えから活字と幾分か遠くなっていたのですが、頁を繰ると、昨年後半の「私語の刻」がいままで以上に深く身に沁み、読み止しを許しません。
一日一日の<私語>の中に 作家・鑑賞者としての半生が埋めこまれ、歴史も刻み込まれています。さらに古典から、いま(傍点)の短歌・俳句。詩までを視野に、プロ・アマも問わず、秦さんによって撰ばれ差し出された
<うた>は何よりブレゼントです。目録・自伝・アンソロジーをあわせた贅沢さ。
これまでも「私語の刻」は愛読してきたのですが、今回とりわけ心に響くのはなぜなのかと考えています。
厚く 御礼申しあげます。
総体としての「私語の刻」は、小説・論攷・エッセイとは別に、類例のない文芸作品として日本文学史に残るものと思っています。「古機械クン」が休んでいても 日々更新を続け作品の命を完うさせて下さいますように。そのためにもどうび御身お大切になさって下さい。
二○二一年八月二日 天野敬子 (=講談社編輯・出版局長)
* 次巻154のために、「私語」ないし「私語の刻」なる私の理解と思いを後記し入稿したばかりだった、ひとしお心弾むうれしいお手紙であった。ありがとう存じます。
* 道灌橋村上開進堂の山本道子さん、すてきな美味しい杏のケーキ菓子を、たっぷり下さった。夏場の食事どきにじつに有り難く。まるで取り合わせたように、四国今治の木村念孝さん、名産の蜜柑ジュースを私にでも重いほど大きな箱へぎっしりと送って下さった。感謝感謝。
* 国分寺の、詩も繪も句もの中川肇さん、女学校からの妻の親友、練馬の持田晴美さん、和歌山貴志川の三宅貞雄さん、衆議院議員辻元清美さん、東京小石川の安藤典子さん、妻の従弟濱敏夫さん、大阪茨木石毛研究室の石毛直道さんから「湖(うみ)の本 153」へのお便り、そらには、都立中央図書館、立命館大学、皇學館大學、城西大学水田記念図書館など、受領の来信があった。
* ロサンゼルスの池宮千代子さんから電話があり、京の古門前「おっ師匠はん」貞子ちゃん、料亭「浜作」女将の洋子ちゃんとも、電話で話した。電話をかけるのは、要件が有ればとにかくも、向こうさんの手許も顔も見えないので、気がしんどい。
* 「湖(うみ)の本 154」の本文部分をよく読み校正して、三校を貰うように印刷所へ送った。ぐんと前へ進んだ。
2021 8/5 236
e-OLD勝田貞夫さん、大阪・池田市の工芸家江口滉さん、また、久留米大學、お茶の水女子大学から、「湖(うみ)の本 154」受領の来信。
*四国丸亀市の大成繁さん、思わず唸ったほど美味しい純国産材料での讃岐饂飩を、大きな箱にたくさん下さった。何よりも真っ白な「うどん」そのものの旨いのにビックリした。出汁も素晴しい。ありがたくご馳走になっています。
2021 8/6 236
* もと岩波「世界」で長篇『最上徳内』を連載させて下さった高本邦彦さん、紅書房主菊池洋子さん、山田あけみさん、「湖(うみ)の本 153」への謝状、同じく文教大学、本阿弥書房「歌壇」編集部からも来信。
2021 8/7 236
* コロナ事情は悪化を辿っている。逼塞の籠居に、たしかに「退屈」の不味さを味わっているのだが、幸いに私は「読書」できる。楽しめる。なにを読み返せばときを忘れて打ち込めるかを知っているし、そういう本が読み切れぬほど手許にある。幸せだと思う。感謝している。いまは「書く」のはこんな「私語の刻」に半ば以上委ねたまま、一つ一つ打ちこむように「読み」続けている。そして、やがて、「湖(うみ)の本 154」『歌集「少年前」「閇門(ともん)」そして「私語の刻」』の刊行と発送へ手が届く。これが実に楽しみなのだ。この一巻こそが「文学少年」の最処女出版物となり、「老蚕」秦恒平の呟きと成るもの。その後はもうただただ文学生涯最後の喜怒哀楽と成る。
2021 8/10 236
☆ 拝啓
御健勝大慶に存じます
「優游卒歳」有難く頂戴しました 拝読し乍ら 自分でも好きな歌を輯めたくなりました まづ第一に俊成女の
風かよふ寝覚の袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢
次に
ものおもへば澤の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 和泉式部
不一 寺田英視 前・文藝春秋 専務取締役
* まあ! クラシック!
* 「松子」奥様のおゆるしを得て私が本に仕立てた美装の『谷崎潤一郎家集』が目の前の書架にある、巻頭に置いた「倚松庵十首」からお熱いのを、二、三首 取り出してみようか。
津の國の住吉川のきしべなる松こそやとのかさしなりけれ
住よしの堤の松よ心あらばうき世のちりをよそにへたてよ
けふよりはまつの木影をたゝたのむ身は下草の蓬なりとも
佳い家集であります。
* 前橋市の宮崎弘子さんのお便りに、「近くの稲田の上をアキアカネがとんでいました!」と。
* 国立国会図書館、ノートルダム清心女子大学からも「湖(うみ)の本 153」受領挨拶。
* もう一通、岐阜から、妻の女学校での親友のとても有り難い佳い一通が着いていたが、妻の手許へ行っている。
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* 「湖(うみ)の本 153」に幼少を幸せに愛育された京都市東山区新門前通仲之町の、東遷のため取り払われる直前の、秦の旧家屋写真と、現在八五老の近影を「口絵」にしておきたいと思い至った。
2021 8/11 236
* 稲城市の鈴木良明さん 岩手・下閉伊郡の渡部芳紀さん 神奈川・二宮の高城由美子さんから「湖(うみ)の本 152 153」へ、封書での、懇切に有難いお手紙を頂戴、感謝に堪えない。書き写しておきたいが、疲労に負けている。鳴戸教育大學からも受領の来信あり。
* もとの勤め先で私の部下であり、いまは社の編集を束ねていると謂う男性から、やはり「湖(うみ)の本 153」を受け取ったとハガキで礼状があり、それはそれ。追って、
TVに出演する感染症専門家と称する人達の嘘にも慣れ過ぎて
視聴する事さえ控えている此頃です。
とあるのには戸惑った。彼は、医学者でも医師でもない、医書・医誌の専門家ではない、要するに医書誌の編集・出版者だ。「専門家」との付き合いは多い。
しかし何の注釈もなく、「専門家と称する人達」の「嘘」とは、ほとんど「中傷」と読めてしまう何人の方がテレビで咄されていて、そこに「精粗」の差はあるにせよ「嘘」を咄しにテレビに顔を出されているとは、こと医学書院の編集出版責任者としては出過ぎであり、ことさらの中傷に近いと私は不快に感じた。
私は、日々にそれらのカナリ多くを慎重にテレビで聴いていて、「嘘」といえるような、政治屋的な発言に顔をしかめたことは、絶無ではないにしてもこう斬って捨てる見識が彼に、このハガキの筆者にあると思わない。専門家は専門家なのであり、嘘をついて「タメ」にしている専門家とは観も聴きもせず、ただ「参考にして」いる。政治屋・政治家へはいつも「嘘」を警戒していい、その方がいい。しかしいまテレビへ顔を出し、請われて医学の専門家、治療者として見解や助言を呉れている人達の言を「嘘」の一語で切り落とす資格は、この筆者には無い、由無き「中傷」と聞こえて遺憾であった。
あの国文学の碩学でもあって医学書院時期の私の上司編集長であった長谷川泉さんなら、こういう口は決してきかれなかった。
あえて書きと止める。
2021 8/14 236
☆ 拝啓
このたびは、湖の本153『優游卒歳』のご上梓、誠におめでとうございます。
また、新作を含め湖の本数冊をご恵与くださり、誠にありがとうございました。
大いなるものしづしづと揺れうごきはたと静まりなにごとも無し
橋といふふしぎの界(もの)を風が渡り人影ににて立つか電柱
手にうくるなになけれども日の光
一筋の道などあらず寒の星
虚子の句を噛むほど読んで力とす
『光塵』から。一首目は新世紀元旦の歌。目に見えない「大いなるもの」の変動が静かに起きながらも何事もないように静まり返っている新世紀の怖さ、が感じられます。また二首目は、人工物である「橋」や「電柱」の不可思議さが行き過ぎる風や光を通して映し出されています。一句目の、「なになけれども」と断りが入ることで逆に掌の「日の光」の存在が強く感じられます。また二句目は、「一筋の道などあらず」という人生の感慨が、「寒の星」に続き、宇宙の在りようにまで広がってゆきます。最後の句の「噛むほど読んで力とす」に、食べ物を咀嚼するように、虚子の句を咀嚼、吸収し、血肉化しょうとする意欲の高まりが見事です。
これらの歌句は、写生というよりも、目には見えないものを「体性感覚」によって感じ捉え、広がりのある「心象風景」として詠われています。そのために、読者には実感できるものとして、よく伝わってきます。
『優游卒歳』「コロナ禍と悪意の算術」の中で、「こころ言葉・からだ言葉」として、和歌、俳句、古川柳を挙げて解説してくださった箇所は、大変興味深く学ばせていただきました。
野ざらしを心に風のしむ身かな 松尾芭蕉
身から出た錆は心の吹出物 古川柳
たらちねの抓(つま)までありや雛の鼻 与謝蕪村
汁鍋に手鞠はね込む笑ひかな 夏目成美
ぴいと啼(なく)尻声悲し鹿の声 松尾芭蕉
我息を殺さずいつか寝足る程 古川柳
先人も、このような「からだ言葉」を句に自在にちりばめながら、愉しく詠んでいたのですね。「からだ言葉」は昔も今も通底していて、時代を超えて身近に体感し、理解することのできる優れものだと思いました。小生も、これから短歌を詠む際に、「からだ言葉」や体性感覚による表現をできるだけ心がけたいと思いました。
掌において身の衰への忘らるるマスカットの碧(あを)の房の豊かさ
こころみに齢(よはひ)かぞへて七十九八十の我れらをさなき儘ぞ
死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ
「念々死去・念々新生」のわがいのち安々と生きやすやすと逝かめ
『亂聲(らんぜう)』の中の、「死生観」を詠んだ歌に魅かれました。
一首目は、「マスカツト」の豊かさ瑞々しさを体性感覚で実感している歌です。
二首目は「をさなき」頃の新鮮な感覚・体験が記憶され、日々それをベースに齢を重ねてきて、今なおそれが健在であると、詠まれているように思います。
また、三、四首目の、「いま・ここ」「念々死去・念々新生」は、現代の科学的知見を踏まえた「いのち」の実態であり、それを肯ったうえでの「老いも病ひも華やいであれ」、水の流れのように「安々と生きやすやすと逝かめ」という諦念に、感動いたしました。
最近、東工大の人文社会系の研究拠点「未来の人類研究センター」のメンバーがまとめた『「利他」とは何か』(集英社新書を興味深く読みました。ひとつのテーマをめぐつて政治学者、作家、批評家、哲学者、美学者などの多彩な論考に、大変啓発されました。そのような意味で、本書「湖の本」は、短詩形文学に限らず、他の芸術、政治、経済、社会等の動向を視野に入れながら論考されておられるので、大変読み応えがあり、様々な角度から学ばせていただきました。
誠にありがとうございました。(素人が色々勝手なことをしかもワープロで書いてしまいましたが、ご容赦ください。)
時節柄、くれぐれもお体お大切に、今後ともご指導ご鞭撞のほど、よろしくお願い申し上げます。
敬具
二〇二一年八月十二日 鈴木良明
秦 恒平 様
* 知己のお言葉、感謝申し上げます。
☆ 残暑御見舞申し上げます。
「湖(うみ)の本」152 153『コロナ禍と悪意の算術』 ありがとうございます。私よりずっと先輩の秦さんが、こんなにお元気に活躍なさっているのを拝見、自分も負けずに頑張らなければとはげまされる事です。(上)(下)と体裁は違いますが日記風の記述で様々な問題が提起され 秦さんの総体が自然に浮かび上がってくるの感がして、大変おもしろく拝読しております。
私も 長谷川泉先生(=碩学・近代日本文学研究者、もと医学書院社長・編集長、秦の上司)には大変お世話になり、いや自分の人生で、一番お世話になり、ここだけは秦さんと通じるのだなと恥かしくも思いました。先生のお影で、至文堂の「解釈と鑑賞」の企画編集長を二十七年間もやらせていただき (以下略) 渡部芳紀
* 芹沢光治良家のサロンで「談話」の折に初対面し、日本ペンクラブに入ってもらい、私の委員会にもお力添え願っていた。宮沢賢治や太宰治の研究者でもある。
2021 8/15 236
☆ 秋の虫が聴こえています、季節は確実に移っているのですね。
昨日は 思いがけず版画十牛図(=徳力富吉郎畫)をお贈り下さいまして 誠にありがとうございました。 黒白のコントラストの美しい そしてユーモアと軽妙な動きが 素晴らしく 私も大好きな版画です。 特に 二、見跡 の小さな牛の足跡と 四、得牛の動きの大きさが好きです。 早速 竹遷堂に 軽いガラスのこの十枚の飾れる額を注文しました。 大切に飾ります うれしいです。 略
「湖(うみ)の本 153」の 最初に狭野茅上娘子の
あしひきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
の歌があってれしく思いました。この歌は 私の高校二年の国語教科書に 「君が行く道の長路をくりたたね」と 「帰り来る人来たけりといいしかば…」の三首が出ていて 国語の若い男の先生から この歌の背景 娘子と宅守 を調べて来るようにと宿題が出され (中略) 今 この年になってまだ娘子は 私の心に引っかかって居ます、というより 私の心の中にその片隅に住んでいます。
コロナが まだまだ増えているようです
どうぞ 先生も奥様も充分ご自愛下さいますよう お願いいたします (後略)
神奈川 中郡 高城由美子
* 往昔の史実・挿話に関心の濃い人で、「書いて・創る」ことに意識があり、半端でない。手許に、以前筆名『高城縁・たきゆかり」として送られてきた 「歌舞伎脚本」とある『重条秀珠譚 かさなるいとすじしらたまものがたり』は、構えはしかと優に堂に「入ろう」としていた。もうすこしの肝心要を欲深く入れてみてはと感想を送った気がする。鎌倉武士の守護・地頭時代にひときわの関心をもたれて「見跡」か…なと感じていた。手織りの温かに美しい膝掛けを戴いたこともある。
実はもうひとり 大阪の松尾美恵子さんが送ってきてくれた『東女鏡 ー安達ノ尼君の語り給ひしことー』も、鎌倉初期世界を描いてよく仕上がった「物語」で、このまま本に成るとまで読んでいた。そうも松尾さんに伝えたと思う。
残念ながら私はこういう「騒壇余人」のため、口を利いて上げる出版社との付き合いがいまは皆無で、何の佳い役にもは立って上げられなかった。
2021 8/16 236
* 「湖(うみ)の本 154」の三校が出てきたのを読み返している。私にはこれもまた「記念」に値する一巻になる。よくよく読み尽くし、「責了」にしたい。併行して、もう具体的に発行後の発送用意を落ちなくしておかねば。おちついて、しかと手を尽くし佳い一巻に仕立てて送り出したい。が、つい疲れ休んでいる。
2021 8/17 236
* 京都の羽生清さんからつるやの銘菓もそえてお手紙を貰った。
☆ 「湖(うみ)の本 綽綽有裕・優游卒歳」 ありがとうございました。
「油断なく國を護る覚めた気概」が私にあるだろうかと考えている打ちに、時が経ってしまいました。敗戦から七十六年、今年も戦争に関していろいろ聞いたり読んだりいたしました。
にんには、 満州に進出した日本の根柢にあったのは、一八九○年に、山縣有朋が唱えた「主権線」「利益線」という考え方であったなどという朝日新聞記事もありました。
「世界平和」とは久しい人類史の寝言のように破れ続けた夢であったとしても、カントが語り、先生のお名前に生きている恒久平和に私は憧れます。
これからの戦争は軍備などハードより情報などソフトが要になるように感じます。
相手国の個人情報すべてを集積操作して、政治を思い通りに動かす……そんなことが可能になってきているような気がしてなりません。
それなのに日本のリーダーは情報、言語の意味を理解していないのではないかと心配してしまいます。先生のお言葉「麻生。安倍、菅とならんだ総理の日本語の安っぽい貧しさは、これほど今日の『日本』のなさけなさを象徴するものはない」に同感です。「悪意の算術」以前、者の数え方さえ、あやふやではないでしょうか。
ドイツやニュージーランド。台湾の女性リーダーが使う言葉には 生命が感じられるのですか…。
まぼろしのわが橋として記憶せむ母の産道・よもつひら坂 東淳子
芥川賞台湾作家李琴峰の「彼岸花咲く島」は 女たちが政を行なう話でした。島では 三つの言語「ニホン語」「女語」「ひのもとことば」が存在し、「女語」が歴史を継承するという設定になっておりました。
「日本」の地域状況だけでモノを謂うていても、 背後の複雑怪奇が計り知れない時、「機械禍」「コロナ禍」の今、医学書院での体験に根ざした先生の小説 批評を読んでみとうございます。
なにかと大変な夏、
先生
奥様
どうぞ くれぐれもお身体大切に
おすごし下さいますように 羽生清
* 「政治」は女性達に委ね、男性は「働けば」よいのではと、まえまえから私は家で話している、ただ笑い話ではなく。
* 上の朝日新聞記事とやらは、さきに「湖(うみ)の本 150 151」『山縣有朋の「椿山集」を読む』『山縣有朋と成島柳北』の所見を承けたものかと思う。
2021 8/19 236
* 暑い、のに、うすら肌寒い。「湖(うみ)の本 154」を、責了段階へちか付けて、印刷所へ送った。もう一息。
* 体調はかなり宜しくなく、八時半、もう休む。
2021 8/19 236
* 歯がいくつも落ち 入れ歯がおさまりにくくなった。齢いの衰え、いちじるしい。弱気になってはならぬ、が。
何としても「湖(うみ)の本 154」を送り出したい。『少年』に先立って最旧著作となる『少年前』そして当今懐老の述懐『閇門(トモン)』で編んである。
* とにもかくにも「仕事・要事」を片づけ片づけ先へ送っている。よくよくみると、当面の急用は片づいていて、次へ継ぎへとうごけは良いのだ。
2021 8/20 236
* 美しい墨書のお手紙を戴いた。「抱き柱」は私反省の語彙である。
☆ 教も、宗も、派も、その立場を守れば「抱き柱」と成るのでございましょう
即ち「抱き柱(自己)」を捨つると云うことは、「派」も、「宗」も、「教」さえも捨つると云うことなのでございましょう
かくなりこし尊き真理、生涯大切にいたしてまいります
抱き柱を持たないと云うことは一切の相対界を貫ぬくと云うこと也
☆ 合掌
「湖(うみ)の本 153」 何度か読みかえしながら、静かに心底に頂戴をいたしております。
二十八頁、そして六十三頁から六十四頁にかけて、何度も拝読をいたしております。
毎朝の勤行の砌り心中に想い感ずるものがあります時、なるべく筆記をいたします。
上に同封のものは、開教者としてこの私が 東京という大都市にて布教をいたしますうえで、最も根幹となりこし心構えとなっております。ある日の朝、書き留めこしそのものをば、失礼ながらお届けさせていただき、あわせて感謝を申し上げます。
御著 大切にいたします。
八月十九日 白蓮寺開山恵念
秦 恒平様
2021 8/21 236
重い大きな本は、重いなと思い知った。500頁平均の『秦恒平選集 33巻』重いかなあ。もうすぐにも第154巻めの出来る、装幀の質素に美しい「秦恒平・湖(うみ)の本」版なら一冊一冊が軽くて柔らかくできている。多少に差はあるが「湖(うみ)の本」は全巻在庫あり、ご希望の方には冊数にかかわらず代価無用で差し上げる。
* それにしてもインターネットにどうかして私自力でつなげないかなあ。「私語」が、まったく聴いて呉れ手のない「独語の刻」に終始しているのは心寂しい。
2021 8/22 236
* メールが出来ないだけに郵便を送るべきだが、手書きという習慣をとうに置き去りにしているので、そう思い思いながら何週間も、一通も送り出せない、わたしからは「湖(うみ)の本」が出来たら送りますからと。
2021 8/24 236
★ 秦 恒平歌集 『少年』 より
☆ あらくさ (昭和廿九年 十八歳 京都市立日吉ヶ丘高校生の頃)
わくら葉の朱(あけ)にこぼれて木もれ日に
うつつともなし山の音きく
生き死にのおもひせつなく山かげの
蝶を追ひつつ日なかに出でぬ
* ふと身のそばの岡井隆『現代百人一首』で、私の歌の稿を読み直した。この撰、第一首に釈迢空、第百首に斎藤茂吉が選んであり、岡井さん自身は第九九首目に能舞台の後見役のように置いてある。「意識」的な撰と配列なのは明らかであ面白い。わたくしの一首は第六十首めに置かれてある。各十首で十頁分が目次「見開き」で一覧でき、各十首めには、大西民子、大橋巨泉、平井弘、俵万智、佐々木幸綱、秦恒平、清水房雄、斎藤史、佐伯裕子とつづいて斎藤茂吉で締めくくってある。超級の歌人、堅実な歌人、新人、巨泉や私のようなど素人の変わり種、思わず破顔の利く顔と名前で、こうと決めた岡井さんの鼻息が聞こえそう。秦 恒平を「撰」の一文を感謝して読み返す。
☆ たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは
秦 恒平
今歌をつくろうとすると、手っとり早いところでは新聞の歌壇投稿であろう。新聞歌壇だけでひとり歌作を楽しむひともいるし、そこから進んで短歌結社に加わるひともあろう。後に小説を書くようになった秦恒平は、そのどちらでもなく、ひとりで歌を書いていたらしい。ここに挙げた歌が示Lているように、恒平の歌に一番近いのは、大正期の写実系の短歌だろう。たとえば島木赤彦、あるいはその弟子の土田耕平や高田浪吉など。昭和二十八年、十七歳の時の作品だというが、京都の何処かのお寺か社を思わせる、その静かなたたずまいに、若い性欲が突然色彩を変える。そして少年の眼に、うっすらと涙が溜まる。どうしようもない性的な悶え苦Lみ、そして浄化への願い。『カラマーゾフの兄弟』で言えばアリョーシャ的なものへの憧憬。それが実に素直に出ているではないか。「おもひの果てを」の「を」の使い方なども、見事なものである。こういう歌を読むと、歌に新しい古いなどはないのではないか、と思いたくなる。だがやはり歌に新旧はあるのである。ただ作者にとって新旧などどうでもよい場合がある。かずかずの歌を読み慣れた眼にも、こうした歌が慰めとして存在する場合がある。
わぎもこが髪に綰(た)くるとうばたまの黒きリボンを手にまけるかも
という歌を挙げてもよい。十七歳の時の相聞歌である。リボンという外来語を除けば、まるで万葉の歌の模写に近い。それなのにどこか洒落ていて、初々しい。黒いリボンを手に巻いて、これから髪をこのリボンで縛るのよ、という、この仕種は、やはり近代の女のものなのだろう。言葉は古く、風俗は新しい。秦はこのあと十年ほど、寡作ではあるが歌をつくり、のちに歌集『少年』を編んだ。二十六、七歳ごろの作品に、
逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の桃のはなちる道きはまれり
がある。女に逢わなければ無論辛いのだが、逢えば逢ったでなおのこと辛いのだという、人間男女の性愛の、千古をつらぬくまことの姿が、民謡調に乗せてうたいあげられている。桃の花の散る道は尽きようとし、それは若いふたりの道の行方でもある。思えば十七歳の時から十年のあいだ、ほとんど歌の調べも歌風も変わっていない。それなのに十七歳の時の幼い性欲の嘆きと、この桃の花の道の愛の心とは、どこか違っている。
(撰と文 岡井隆 歌人 一九九六年一月 朝日新聞社刊)
* 一九六九年、三十余歳に小説『清経入水』で太宰治文学賞をうけ「作家」として歩み出すよりよほど若くに私は少年「歌人」であった。その以前に「少年前」があったことを、近日に予定の次巻「湖(うみ)の本 154」が明かす。もう残るは、老耄懸命の文業のみ。
* 岡井さんの感想に、少年の幼い「性的なもだえ」「性愛」「性欲」といった言葉を用いてある、が、わたしにそんな強い性欲も性愛も無い、ただ問題・課題として「性」にはつよい関心があり、国民学校一年生から熱中愛読した『古事記』このかた、およそ生涯をつうじて考え続けてきた、重んじてきたとは謂えるだろう。
2021 8/25 236
* 「湖(うみ)の本 154」三校が出てきた。今回は口絵も入稿してあるが、やがて届くだろう。『少年前」の心稚かった日々へ帰る旅を楽しんでおく。
* 思えば私の八十五年に、あのころが「抜け」ていたナという時期は無い。けっして人づきあいが良い広いなど謂えそうにない私だが、じつは八十五年を通じてびっしりと「人」(先輩・先達・知友・男女とりどり)」への思い・親しみ・馴染みが途切れなく連続している。「女文化」の京都、それも祇園のまぢかで育ったおかげで、心親しんだ女性の名も面影も、びっくりするほど数多い。思い出に空白という時期が無い。
2021 8/28 236
* 「湖(うみ)の本」校正と、読書と、疲労の睡眠とで、三度の食もそこそこに、まるで浮かんで流れるように身を守りもしてなかった。九時。睡いほど疲れを感じる。何も何もコトの定まらないコロナ禍の日々であり、こんな時に国会も開かれない無責任政治に日本の時空間が腐りかけている。
2021 8/29 236
* だがだが 視力の急速な薄れが恐ろしくなっている。脚は歩けるし自転車も軽い。腕力も、荷造りした「湖(うみ)の本」をダンポール函に55冊つめて、持ち上げるのも、キチンから玄関へ運ぶこともできる。目 そしてアタマ。気になっています。
* 次の「発送」用意がまだ万全でないのに、本文「責了」はほぼ目の前で可能になって来ている、私の精神衛生では、発送用意をほぼ万全にしておいてから、玄関への納品を受け容れたい。
2021 8/31 236
* 送り用意をかなり進めたので、もう本紙を「責了」してもいいかナ。
願わくば機械クンの健康がどうかどうか保って呉れますように。
2021 9/1 237
* 「湖(うみ)の本154」を、責了へと前へ押し出した。送り出せるようしかと用意して納品を待機。なにしろ、今はなにもかもガマンし、じりじり進むしかない。アタマはだんだんワルクなっている。体調も停滞している。黙々とやり過ごして行くだけのこと。
正直のところ、いま、どんな段階のどのような仕事にてをつけてしたまま、それぞれの順序が納得できているのかが、よく分かっていない。「湖(うみ)の本 155」に何を、という段取りもついていない。茫然のサマの自身が把握できていない。仕方がない、胸に納まりの良い本を読んで、別世界へ浮遊しているのもいいだろう。『イルスの竪琴』のような夢が和んでなつかしいが、『カラマゾフの兄弟』も『マリイ・アントワネット』も、おまけにカフカも、とても容易くない。スタンダールには、いま一つ乗り切れない。どこかへ少しのんびり遁れたいが。恆存先生訳、ジェイムズ・サーバーの繪入り・「教訓」付き『現代イソップ』などどうかナ、それともオスカー・ワイルド
2021 9/2 237
* 「湖(うみ)の本 154」 責了紙を送った。遅まきにも「155」の用意を。日々のこの「私語」を楽しんで読んで下さっていた方が多いのに、三月十三日以降、機械のネット故障でHP転送が利かない。私も、妙に心淋しい。
2021 9/3 237
* 頭の芯に、物語りはじめている「物語」がいくつか打ち重ね渦巻いていて、糸(意図)の先を心地よく落着いて引きずり出したいのだが、それには、目先、手先に「湖(うみ)の本 154」当今発送の用向きが多すぎる。手前を物静かに寛げ広げておいて取り組みたい。 正午
2021 9/4 237
* オリンピックという行事は過ぎ逝き、菅内閣の命運も事実上果てた。新型コロナ・ウイルス感染症の蔓延は、昨年来、まるまる一年半を経過してなお日々の数字に翻弄されるばかり、歩みを弱めている気配が無い。老躰には覿面コタエている、目も脚も背も、アタマも日々に退屈、弱ってきた。逼塞の日々はさりながら、幸いヒマで困ることは無いが、気組みに力の抜けやすく、全身から活力の洩れ零れるのが宜しくない。
次の「湖(うみ)の本」は、締め括りではなく、そのさかさま、文学生涯『少年前』最初の一歩を刻印した。過ぎし昔をもうとかく思う必要はなくなる、これのやがて仕上がるのを心待ちにしている、その先はみな「これから」の、文字どおり「老蚕作繭」の日々になる。
2021 9/6 237
* なにげなく、旧刊の「湖(うみ)の本 118 歴史・人・日常」を別の場所に置いて、気ままに読み返して行くと、これが我ながら豊かに面白いのにビックリした。こういう編集本のなかに私の人間的エッセンスが端的に表れていると気付くことができた。なにしろ読みやすい。「湖(うみ)の本」読者の皆さんに、数多い巻・巻のなかのこの手の編纂ものへ時折は立ち帰って頂けると嬉しい。
2021 9/9 237