ぜんぶ秦恒平文学の話

自作を言う 2020年

 

* 元旦。七時、床の中で「自筆年譜」の一を初校了。感慨あり、
次いで、小説「 資時出家」を初校了。自作の他に例のない書き方で、誰か練達の読み手か俳優に「語って」欲しいなと思う。私の少なくはない創作の中で 「私」の思いの籠もった自愛の一編、いかに私が後白河院と源資時(正佛)を透過して平家物語世界に親炙したかを明かし尽くしている。さながらに私が後進 (如一)に語っているようとさえ思われる。
新年、元旦のいい初仕事になった。
2020 1/1 218

* 一夜を久しぶりわが家で寝た建日子の、目覚めを待ちながら、八時前から、 寝床で長編の「初稿 雲居寺跡」を校正していた。「作家以前」の創作だが、読み替えしても瑞々しい筆致・語りで、心ゆくまでまさに歴史を物語っている、几 帳面に。巻頭に最新作の「花方 異本平家」を置き、次に対照的な処女作の一つ「此の世」を置き、次いでこれも「作家以前」の語りごと「資時出家」ついで此 の思いの溢れたような承久の変前夜を「夢・うつつ」に語りつぐ「初稿 雲居寺跡」を、『選集』32のアタマへ置いてみた。三十歳はじめ頃の真摯な語りと、 八十四歳へむかう老境奔放の語りとのコントラストがくっきり見て取れて作者自身が、ま、ビックリしている。選集に編んで少しもビビる思い、無い。「自分の 道」は、作家以前から「在った」のだと今にして自信をねって云える。校正そのものが楽しめる。
2020 1/2 218

* 七時過ぎから床で「初稿・雲居寺跡」の校正をというより再読を楽しむ。ここは今は高台寺、京のお寺で好きな五本いや三本の指に容れているお寺。現実早 朝の散策からすり抜けるように八百年の昔へ分け入って展開して行く承久の変前夜の京や鎌倉の動静をおさな恋をはかなく交わした芸道世界の少年少女の物語が 若い筆で我ながら瑞々しく美しく続いて行く。「語る」ことの喜びにわかいわたしは嬉々として溺れていた。その下地には平家物語り成立への、梁塵秘抄御口伝 への没頭の愛が働いていたのを思い出す。詳細に構想しながらそのあまりな長編化におそれをなして筆を擱いてしまった昔、まだこつこつとペンで原稿用紙の枡 をうずめては徹底推敲の毎日だった。その原稿が遺っている。平家物語、後白河院、源資時、そして梁塵秘抄が、いかに私を浸蝕していたか、まざまざと思い出 せる。勉強、勉強、自身を叱咤する訓練そのものだった。自分で自分を懸命に激励していたのだった。痛いほど、懐かしい。
2020 1/4 218

* まだ九時半だが、とても睡い。今日の私は、おおかた十三世紀「承久の変」前夜をさまよい歩いていた。不快に気の重いという彷徨ではないが、しんから疲れた。そのうち十二世紀へ、さらには奈良時代から平安初期への道をそぞろぎ歩くことになる。我ながらヘンである。
2020 1/6 218

* 二十八日の「湖の本148」納本までに、病院・医院へ三度通わねばならない。煩多な送り用意のアレコレも 油断無く捗らせながら、『選集32』の初校了・要再校にも達しておきたい。
忙しいとは、ヘバッテるヒマはない、ということ。とはいえ、ぐたっと疲れている。すこし横になり、昔々の若書きの『初稿・雲居寺跡』を読もう。
すくなくも あの五月蠅かった「新潮」が一字一句にも注文を付けなかった『蝶の皿』や太宰治賞選者満票の『清経入水』より、一段と若い早い時期の、ひた すら小説が書きたい書きたいで書いていた未完の「草稿」だけれど、今の目で見ても、なんという瑞々しい清々しい筆致で描写し表現しているかと我ながら呆れ るほどの思いがある。「愛着の作」と自身に言い聞かせられるほど、小説の文章がもう存分に書けていて、読み替えしていて懐かしい。しかも、いかにも私なり の超現実、シュールの時空が彫刻されている。あの時期時代の、そして現在でも、この私の作は、異様に孤立していると評された『清経入水』らの一卵性の兄弟 と見える。身辺の些事を書いての私小説型リアリズム時代だった、あの頃は。まさに私の作風は中村光夫先生の評されていたように、異様なまで孤立していた。 「作家さよなら」と手記して、作家世間に入り交じるのは止そうと思ったのはムリなかった。常態は、ずーっと続いて、私は「群れを嫌い、拘束を嫌い、権威を 嫌」って、あたかもフリーランスの作家になった。必然の成り行きだったなあと、未完成の「初稿・雲居寺跡」は納得させる萌芽を見せている。

* まだ八時前だが、目はもふ潰れている。機械を離れる。
2020 1/10 218

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

71 *2004 10・05    ☆ 完全に女性的に子宮のように受容的にならなくてはならない と。読んだ瞬間に驚きました。バグワンほどの人物も、こういう表現をするのかと、びっくり。
子宮のように受容的という表現に、男の女への思い込みや都合のいい理想化、あるいは性的な力関係の優越性の匂いを感じました。大袈裟ですか? 受容的は よい意味で使われていますが、それでもわざわざ女性と子宮と譬えるのはどこか何かが「ちがうのとちがうやろか」僻みかもしれませんが、差別を受ける側とい うのは重箱の隅をつつきたくなるもの。
本筋で、バグワンが女性を低く見ているとはまったく感じませんし、この本のテーマに影響のあるものでもなく、こだわるつもりはありません。でも、この表 現、無意識の無神経さというか長い間の男性中心文化の厚みの壁なのかと感じました。バグワンの言葉に何度も心安らぐ想いがしているので突然のこの表現に狼 狽したのでしょう。 都内読者
* > 完全に女性的に、子宮のように受容的に
ユダヤ教、キリスト教、回教以外はといえるほど、信仰の深い基盤は「女性性」にあるとは宗教学の常識で、女性的な、時には露骨に女体に譬えたいろんなメ タファー(隠喩) が、いろんな宗教に氾濫しています。一例が、老子は「谷神」と謂い、また「玄牝」と謂っています。受容、帰依、降参、みこころのままに、みなその深い意味 は、底知れぬ豊かな慈悲にあふれた女性・女体的受容でしばしば譬えられて来ました。バグワンの失礼な偏見というのではなく、むしろ女性的なものへの信頼と 敬意に満ちたメタファと考えていいのではないか。バグワンは、どこからどうみても、最も本質的に深遠な世界の基本は、「女性性」だと確言しています、真実 に最も近いメタファとして。
だから、暫く目をつむって、「子宮」という語をメタフアとして容認して欲しいと思います。それに子宮・秘宮という語自体にもともと深い敬意が籠められていることにも気付いて欲しい。膣とは違う。
真の宗教家に男性中心文化の人は少ないのではないか、むしろ本質的な人ほどみな「女性性」に対する世界観上の敬愛を持っています。キリスト教徒でも例外でなく、むろんイエスも。
バグワンは男性本位者では全然なく、彼はここぞという機微では「女性性」に頭を垂れ、それなしに世界は無かったとしています。わたしはそう聴いて読んでいます。
> バグワンの突然のこの表現に狼狽したのでしょう。
これは、この人が、本当に神的なものに帰依し信仰し降参してこなかったことを告白しているのと、同じ。バグワンはここで「子宮」という一語に、愛の根源 を、世界の原型を見ているのですから。信仰とは、それへの信仰でしょうよ、どの宗教であろうとも。「母」と読み替えればいいのです、あたかも「母に受容さ れたい」のが信仰の喜びでありましょうから。
* 子宮事件で作者自身が有名に仕立てた話は、瀬戸内寂聴さん。まだ駆け出しの頃か、小説に「子宮」という言葉をつかったのが非難されて、以後永く仕事 の依頼が無くなったと、何度も書いたり話したりされています。それを聴いたり読んだりしたつど、わたしには現実のことと思えなかった。子宮は、鼻とか口と か胃とか腎臓とかとちがい、神経ともならんで、むしろ尊称にも近いのに。そして世界の生成の秘儀を創造するときに、男性原理などものの役に立たない、根源 は女性的受容にこそ創成の真意は成り立つぐらい、直感的に分かりそうなものです。
老子の、「玄のまた玄、衆妙の門」 と謂い、また 「谷神死なず、是を玄牝と謂う」 というのも、その喝破でしょう。  2004 10・05

* 「女という不思議」に感動を覚えてなかったら、小説は「書け」なかった。「読む」楽しみももてなかったろう。天照女神、木花咲耶媛、少将滋幹の「母」  光源氏の「桐壺、藤壷、紫上、宇治中君」芦刈の「お遊さん」谷間の百合の「モルソーフ夫人」心の「奥さん」たけくらべの「みどり」徒然草のはじめに点綴 される「俤の女」……
笑い話のようだが、小説を書こうと書き始めた最初は、国民学校(小学校)の一、二年生で、武士が武者修行に出かける場面だったが、ものの二行と書けなく て「ヤメ」た。バン・ダン右衛門や岩見重太郎を知っていたのだ、が、彼等は「男」で、何の「不思議」も感じにくい「石」のようなモノだった。ダルシネアや アルドンサを感じ、信じ、愛していない「ラ・マンチャの男 ドン・キホーテ」では、どうしようもない。
2020 1/11 218

* やすませた眼をまた酷使し、ここ十日ほど掛けていた「湖の本149」入稿原稿の用意を、あらまし終えた。これで「148」発送用意に集中できるが、新しい創作・小説の一つに、山・川そして海の道
を構想していて、本腰を入れねば相撲にならない。
2020 1/11 218

* じりじりと「湖の本 148」発送の用意も進めているが、『選集 32』の初稿を思いがけず妙に新鮮にかつ懐かしく楽しんでいる。面白い組み立ての小説集一巻に成っている。へえ、こんなのをこんなふうに書いてたんだ、若いっていいなと思ったりして。
2020 1/14 218

* 『チャイムが鳴って更級日記』なんていう面白い小説も書いていたんだ、これはもう朝日子が中学生の頃の作だが、書きように、処女作時代の「承久前夜」 をのめり込むように物語っていた『初稿・雲居寺跡』とも、時を隔て呼応している。わたしはよほど「歴史・国史」に惹かれるタチなのだ、ちっちゃかった昔か ら。「歴史」にまるまる触れ合ってない自作小説は、とっさに思い出しにくいほど数少ない、今更に気づいてビックリしている。
2020 1/15 218

* 烈しい攻勢や抵抗に耐えることは出来る。作業や仕事の渋滞によく耐えるのは存外に難しいが、或いは人生とは渋滞に耐え歩き続けることか。

* 「秦 恒平・湖の本」が第150巻を迎える。何を書いて充てるか、出来れば、書き残しているモノを新しく書き下ろしたい、容易でないのだが。
2020 1/15 218

* 歌舞伎座夜の最初は「義経腰越状」のうち『五斗兵衛三番叟』を白鸚のなんと初役で。以前に、弟吉右衛門の悠々とした酔狂を観ていた。白鸚、初役などと 想えない律儀にして愛嬌・愛想をにじませた佳い意味で楷書くずれの五斗兵衛を呑みかつ舞ってくれた。二列真中央の絶好席で私も乾杯した。
五斗兵衛とは五斗の酒にも負けぬ意味もあり、しかし、義経の軍営に軍師役として招かれお見えの席でもあるのだ、本姓は「後藤」で、この後藤氏はのちのち に武士の魂と謂われた刀剣の飾り三所物などを明治維新に至るまで一手に引き受けた後藤祐乗らの祖先に当たる。そしてさらにはこの後藤家はこの私の実父方に あたると長編『老いのセクスアリス 或る寓話』で明かしている!
2020 1/16 218

* 中川肇さんという二つ年下の詩人で俳人でいい写真の撮れる方が居られ、一度妻と展覧会へ出向いたこともあった、もうよほど昔だ。
その中川さんから、句集三、写真と文、自叙伝、そして600頁の全詩集『隠沼』と 絵葉書見本集が贈られてきた。懐かしい。

☆ ごぶさたしています。
「隠沼(こもりぬ)」という言葉、先生から教えていただきました。すばらしい御作です。
本当にふりがとうございました。
秦 恒平先生                   中川肇

* 朋 遠方より帰る。 こういうことが、重なりますように。全詩集は、300部限定版で、今年五月五日の刊行と奥付にある。第一詩集「ゆめのかたち」は1964年に編まれていて、同じ年に私は歌集「少年」を編んで第一私家版『畜生塚・此の世』の巻頭におさめている。
2020 1/17 218

* 創作を書き継ぎの仕事をのぞけば、今は、もっぱら『秦 恒平選集 32』の初校を終えねばいけないのだが、慎重に進めたくて時間が掛かっている。幾らかは、読むのを楽しみにしているので。
しかし『選集』予定最終33巻の確かな、佳い編輯にももう手を掛けねばならない、しいて今年の桜桃忌に完結しようなどとは思うまいけれども。
それよりも、二十八日には出来てくる「湖の本 148」発送用意がまだ十全でない。きっちり用意できていないと発送のその場で齟齬や停滞が出て疲れてしまう。
そしてその上で、本気で思案すべきは「秦 恒平・湖の本」第150巻をどう編むかだ。そのためにも第149巻はもう入稿してある。私なりに満足できる一巻にしたいが、まだ思案が付いていない。
八十四歳、ちっともヒマでない。
2020 1/18 218

* 「チャイムが鳴って更級日記」という旧作は、「更級日記」論ないし「菅原孝標女」論として成り立っている私には面白い小説に仕上がっていて、このころ はもう文藝誌に望みをもたぬまま手書き原稿用紙のまま抽斗に蔵われていたのを「湖の本」のために活かした。「初校*雲居寺跡」もそうだった。大化改新から 武蔵武芝や平将門登場までの不思議を現代の女子高校生登場を背後に存分に物語っている現代小説『チャイムが鳴って更級日記』は、まさしく古典と歴史に親炙 の所産となった。「読める」人には縦横無尽、興趣の読み物になっているな、と、納得した。
戸棚の奥からひきずり出したような、「承久前夜」の重苦しい曇り空のもとを史実と幻想とで夢見るようにさまよい歩いて書いた『初稿・雲居寺跡』も、公武暗転の時代にのめり込めばこその意欲の若書きであった。『選集32』 私には、おもしろい一巻に纏まってきた。
『選集33』予定の最終巻がどう編めるか、モノは溢れかえっていて、多くが未収録のママに残される。
2020 1/19 218

* 『当選作・初稿=清経入水』(発表作はこれを徹底推敲し、異なっている。)を読み返し、別世界を翔びめぐる思いがした。まこと、書かるべく書かれた最 初の噴火作だったと思う。井上靖はしみじみ私に教えてくれた、まともな作家には、人生「二度」の噴火があります、必ず二度噴火しますと。
最初の噴火がたまたまに、しかも達識の先達の後押しで起きた。無心に、なにの欲目もなく書いていた作、それも私家版の巻頭に置くほかに人目に触れ得ない孤独な仕事だった。
なつかしい。ヒロイン「紀子」は、一方に『畜生塚』の「町子」や『慈子』と対照の、数多い私のヒロインたちの明瞭な一原型を成した。正確に、「紀子」の ちの「冬子」は、最新作『花方』の「颫由子」へと生き延びた。河上先生が喝破された「現代の怪奇」は彼女らが表現し続けてくれた。
そして、まだ…と彼女らは命長く生まれ変わってくる。そう思う。
2020 1/20 218

* もう然るべき機会も場も無いと諦めているので『選集32』の跋文は思い切って我が「作風」の批判ないし陳述を赦して貰おうと思っている。
2020 1/24 218

* 『選集32』の跋文を書いて電送入稿した。もう余す一巻となり、機会もなくなるので、たまたま今巻収録作にも充てて、私・秦 恒平作物のいわば性格、ま、短所かも知れないところを、八十四年の生涯を顧みつつ、逃げようのないところを不十分ながら書き置いた。此処にも、そのまま挙 げておく。

* 秦 恒平選集 第三十二巻刊行に添えて  (南山 帰去来の印形)

思いのほか、『選集』も末へきて、私自身に存外興のある編輯になった。
私が「小説」を本気で書き始めた「最初」の日付は、昭和三十七年(一九六二)七月三十日、満二十六歳半で、少年いらい念頭を離れなかった白楽天の詩「新豊折臂翁」に背を押されての『或る折臂翁』(選集七所収)だった。東京本郷の医学書院編集者時代であった。
そしてきっちり七年後、三十三歳半の六月十九日桜桃忌に、井伏鱒二、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫六選者の満票を得、「現代の怪奇 小説(河上)」「先ず以て第一等(唐木)「現代に際立って孤立した意欲作(中村・朝日時評)」等と評された『清経入水』で第五回太宰治文学賞をうけ、とも あれ「作家」生活へ歩を運び入れた。二足の草鞋だった。
以来半世紀に余って、いま令和の私は、旧臘元年(二○一九)冬至の日満八十四歳になった。今回この巻の巻頭に収めた長編『花方 異本平家』はその昨秋十月一日に脱稿擱筆の「最新作」で、その直前にも千枚の書下し『老いのセクスアリス 或る寓話』(選集三一)も刊行した。
今回の第三十二巻は、たまたま、そんな当選作『清経入水』より「以前」の、みな「処女作」と呼びたい長・短編作と、世紀を跨いで「最新作」に至るまる五 十年余の作とで編むことになった。当然か、奇妙か、それはそれ一貫して私・秦 恒平作の傾向ないし作風をよほど露わにしている。作の下地が、すべてが謂わば日本の「歴史」「古典」「文化」で出来ている。受賞作に先立つ『此の世』『資 時出家』『初稿・雲居寺跡 承久前夜』は、みな三十歳前後の勉強作。そして最新『花方 異本平家』へ至るちょうど作家生活半ばの『チャイムが鳴って更級日 記』『秋成八景 序の景』は、五十、六十歳時代の作である。
私が古事記・国史や百人一首の和歌に溺れたのはあの戦時、国民学校・小学校時代であった。ついで敗戦後の新制中学時代に平家物語や徒然草に、高校では上田 秋成の物語、また更級日記や源氏物語、八代和歌集等へのめりこんだ。その下地には般若心経や往生要集、浄土経等への私なりの親炙があったし、慈円の愚管 抄、親房の神皇正統記、白石の読史余論、山陽の日本外史も熟読した。まさしく「現代の怪奇」「際立って孤立した意欲」と批評された道筋を歩いて、それらの ほぼ全てから、私自身の「小説」や「物語」を、また論攷やエッセイを創ってきた。それに相異なかった。だが、それ故にも当初より今日まで、ただただ「お前 の作はむずかしい」「読みにくい」と叱られっ放しだった。つまりは私の作が「読める人」「興がって下さる読者」が極端に少なかったのは、余儀ない私自身の 不作であった。
雑に書いていたのではない。「文藝」という「把握と表現」の意義を私ほど執拗に求めてきた作者は、当節、そう多いとはとても思えない、が、平易に平易に 書こうともしてこなかった咎は私自身にある。題材が、多くと謂うより殆どみな「歴史」や「古典」に寄り添っていれば、人の名にも物の名にもルビ(読み仮 名)を添えねば「むずかしい」の苦情は和らげようなく、文字、漢字がただ読めたから小説が、物語が、即、平易になるわけでない。ことに史実や文献に、文物 や事変や身分社会に虚実にわたって微妙に接しながら人事や事件の表裏へ潜って行かねば「事」が運ばない。雄略帝と赤猪子の『三輪山』常陸風土記の『四度の 瀧』壬申の乱の『秘色』恵美押勝・東子の乱の『みごもりの湖』月のむすめ『なよたけのかぐやひめ』道風と大輔との国宝『秋萩帖』具平親王秘話の『夕顔』光 源氏の『或る雲隠れ考』紫式部集の謎『加賀少納言』源氏物語絵巻と待賢門院の美しい『絵巻』俊成・西行の『月の定家』建礼門院寂光平家の『風の奏で』徒然 草一期一会の『慈子』近代開幕の扉を叩いた『新井白石とシドッチ神父』アイヌの北の世界へ最先登の幕吏『最上徳内』与謝蕪村の好色世界『あやつり春風馬堤 曲』子規と浅井忠の『糸瓜と木魚』上村松園の『閨秀』村上華岳と國畫創作協会の『墨牡丹』等々、思い出せる作をこう並べてみても、私小説や身辺所感の直叙 に馴染んだ読者にはとっつきにくそうに、私にも思われる。私は太宰賞を受賞してすぐさま「作家さよなら」と作家生活断念の思いを書き置いた、『清経入水』 を「展望」に晴れて発表の翌九月号「新潮」新人賞作家特集を手にした時だ。私は、耽美の極のような『蝶の皿』を出したが、居並んだ他の先輩格作家らの作は 例外なく日々の「身辺所感」に類していて、私にはそれらがみな「小説」かも知れないが「創作」ではないように思われ、異様な孤立感に襲われた。本気で逃げ 出したかった。幸い私の『蝶の皿』を好評の声が幾つも届いてきて、辛うじて気を取り直した。
今回第三十二巻の「選集」に収めた『資時出家』は後白河院の梁塵秘抄御口伝に秘蔵弟子とあげられ、平家都落ちの危うい間際ただ一人院に扈従し深夜をとも に鞍馬へ奔った歌謡の天才後年の述懐であり、『初稿・雲居寺跡』はまさしく公家と武家、京と東国との政治勢力逆転を招来した「承久の変」前夜を平家語りの 祖と目される如一法師と昭和の語り手との滲み合うような一心同体を夢のように物語っている。『此の世』も含めみな三十前後、『清経入水』以前の習作、勉強 の作である。
また『チャイムが鳴って更級日記』は、上代日本史を介しての「更級日記論」でありまた作者「菅原孝標女」論を成している。『秋成八景』もまた秋成論をはっきり意嚮している。
私は、小説・物語という「創作」を用いて何かしら新たな論策や研覈を願う生来の癖があり、それが如何様に成功したにしても、尋常の現代小説、時代小説を 求めている読者には手強すぎるのであろう、咎は作者の性癖にすでに在るといわざるをえないし、そのぶん、そういう障壁をむしろ快感や美感で跨いでくださる 読者は此の半世紀を超えてなお愛読してくださるのである、とても多人数とは謂いにくいが。
終わりに最新作長編のことも少し話させて下さい。小説『花方』は平家物語に「花方・波方」の唐突な「出」の脈絡を追いながら、没落平家を率いた「宗盛」 という存在の異様さをも数多い「異本平家」の証言を利して見開いて行く。いわば見喪ったおさな恋の「颫由子」と「宗盛」「花方・波方」という「色のちがう 三枚の花びらを持った物語」へ創って行った。その花びら三枚が風ぐるまのように舞いながら、老作家・越智圭介の悔いとも物哀れともいえる「述懐の物語」 を、為しかつ成して行く。「清水坂」を永らく便宜に仮題にして書いていたが、「作世界の真の本拠」は「海」であり「海底」であり「海神達」で。「花方・颫 由子」は瀬戸内の海底をおのが世界として抱いた美しくて優しい怪奇の存在であり、それへ悪しく立ち向かった平家(宗盛・時忠)の無残が対置されている。要 は、こんな解説が必要では失敗作だが、私としては「(清経いらいの)怪奇小説」「(冬祭り)冬子の懐かしい再来」を意図して、深くかつしみじみ楽しんだ 作、自愛作ということになろう。
巻末『自筆年譜(一)』は、何はあれ斯くして私は幼来念願の「小説家・批評家」に成った成れたという赤裸々な告白と謂うに尽きている。どう笑われても仕方ない。
2020 1/26 218

 

* 落ち着いて、過去作の全部を 妻が発起念願の『選集』で、一つ一つ、心穏やかに読み返して楽しめる日々があるだろうか。谷崎潤一郎にそんな願望を聞いた覚えがある、が、その余裕がお有りだったろうか。
2020 1/27 218

* 明朝からの力仕事に備え、早寝しようかと。と、思いつつ、ふと、心惹く新しい仕事にも手をつけたみた。
2020 1/27 218

* 「湖の本 149」の初校が組み上がって届き、放っておく気になれず、校正し始めている。内容が気に嵌って興深いので、あれれという間にはかどるだろ うが、数のキマリの「湖の本 150」をどんな創作で満たすか、これは容易ならぬ難関である。材料がないのでなく、実は幾つも有って気迷いというムダ時間 を心して警戒せねば。
追いかけて、間もなく『選集 32』の再校分もどさっと纏めて飛び込んでくる、これは大量で、時間を要する上に、
ここまで来た以上 予定完結の「第三十三巻」を腰を据え腹を決めて編輯にかからねばならない。相当に骨が折れ、気疲れしそう。体調との闘いにも負けるわけに行かぬ。
なにより、恥ずかしい、ウソ出来のヤッツケ仕事は決してしてはならない。続けて、同題、二種類の
韓国ドラマ「心医 ホ・ジュン」を心して見続けている。すくなくも創作の姿勢としてあのユ・ウィテ先生と弟子ホ・ジュンとの及びも付かぬ精神と医の技術とに敬意を覚えつつ、気分として真摯に「後続」したいと願う。「ニゲ出す」わけに行かない。
2020 1/31 218

* 私・秦 恒平には、ほぼ四枚平均の、独特と思って愛してもいる「掌説」が有る。康成の「掌の小説」とは別のモノであり、しばらく、それを、この「私語の刻 日乗」のアタマに順序なく、毎朝掲載してみよう と思う。
早稲田の文藝科に、頼まれて二年出講したときは、こういう短い作をひたすら「書かせ」ていた。いいものを書いてくる二、三人のなかに、今、活躍してい る角田光代がいて、「作家におなり」と背を押したのを彼女もよく覚えていた。二度三度、頼まれて応援してきた。教室で提出した作は「作家になった」と知れた時 に家の物置から捜し、返却して上げたのを記憶している。
「短く」しかも自立した世界を創作するのは価値あるトライである。勉強である。試みる人があっていいと思う。

☆ 夢
夢であることを知っていた。それどころか、同じこの夢をつづけて何度も見ていた。夢の中では一本筋の山道を上っていた。
道の奥に、門があった。仰々しくない木の門は上ってきた坂道のためにだけあるように、鎮まって左右に開かれていた。
門の中へ入ると、植木も何もない一面の青芝の真中に、一棟の、平屋だけれど床の高い家が建っていた。庭芝があんまりまぶしくて、家のかたちが浮きたつ船のように大きく見えた。
家の内も隈なく明るかった。日の光は襖にも床の間にも、鎮まっていた。
家の中に人影を見なかった。気はいは漂っているのに、闖入を訝しみ咎める姿がなかった。
はじめのうちここで眼ざめ、肌にのこるふしぎな暖かさを惜しいと思った。
夢の数を重ねるにつれ襖の直ぐ向うで、何人かの人声のするのを聴き馴染むようになった。優しい女の声も快活な童子の声も、訳知りらしく落ちついた年寄り の声もあった。顔を寄せ合い、日だまりにいてたのしそうに、しかしいかにも物静かに何か話しているらしい声音を、襖のこちらで聴いた。明るさの底を揺るが す美しい波立ちが色やさしくさも流れるように、憧れ心地で僕はあたりを見まわした。
耐らず声をかけて襖をあけると、そこは、何変わることのないもう一つの明るい空ろな
部屋であった。話し声は一つ向うの襖のかげにすこしも変わらず聴こえていた。かけ寄って襖をひきあけても、声はまた一つ奥から聴こえて人の姿はなかった。
笑いをまじえたたのしそうな声音はいつもすぐそこに聴こえた。あけてもあけても襖の向うは人のいない部屋だった。光が溢れていた。哀しかった。耳の底にたちまようそれは僕の存在も憧れも寂しみも何一つ関わることのならぬ、あけひろげな、談笑の幻でしかなかった。
夢はいつも虚しく佇ちすくんだままで醒めた。

* これだけは、「別もの」である、これは、1969年太宰賞当選受賞作『清経入水』の「序詞」を成していた一編であり、これを書いた体験(こと)が後々に断続の「掌説」への動機となった、それは間違いない。
2020 2/1 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

* 原稿用紙四枚以内、せいぜい五枚以内で、物語世界を整 えた小説を「掌説」と名付けています。私の命名です。昭和三十八年ごろから数多く書き、文藝誌にも「湖の本」にも『秦 恒平選集 九』にも収めています。さまざまな趣向の可能なこの試みを好んでいます。おもむくままに、書き連ねています。なにが、どう飛び出すか作者にも見 当のつかないのが、「泥を吐く」ようで、ちょっと怖い世界です。  (転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  鯛

腕のいい漁師がいた。
或る日、見知らぬ老人が浜で漁師の帰りを待っていた。魚をとるのはやめてくれろ。老人はそう言って或るふしぎを漁師に教えた。漁師は舟をこぼち、網を破った。
岬と岬が真近く向かいあって、その奥に蛤のようにまるい渚の浜はあった。朝日は岬の真中から浜の一番深くまで鮮やかに照らした。
漁師は人の起きぬまに家を出た。
両の岬に足ふんばって水門(みなと)をまたいだ漁師は、外海に向いてぽんと一つ大きく手を拍った。すると忽ちかもめは中ぞらに翅こわばり、風はやみ、波はかたち崩さずぴたりとうねりをとめた。
漁師は海へ下りて、海づらを音もたかく一皮浜の方へ剥いで行った。朝日にきらめく大波小波に岬や山べの景色が浮かび、青空も、白い雲、飛ぶ海鳥の影も漁師の剥いでゆく海づら一枚には染めたように織ったように映し出ていた。
漁師は海づらにのしして美しい模様の布に仕立て、女房に小袖を縫わせた。小袖を着ると潮騒がきこえると町の者は評判した。
老人の約束は十日で布十枚だった。漁師は無事に目もまばゆい十枚の布を手に入れた。 その十日めの朝、漁師を追うように、小袖くれろと言いながら若い女 が表に立った。右の小指に痛々しい包帯した女は、朱い錦に銀色で青海波を描いた着物を着ていた。それは美しい女だった。
女房が出て小袖をみせたが気に入らなかった。漁師は今剥いで来た布をみせた。女は布をしらべて、このままで売ってくれろと言った。
女が金を積むと、漁師はまだまだと言った。さらに金を積むと、女房がまだまだと言った。女は今はこれだけしかないが、あとどれほどかかるのかと聞いた。 それから血のにじんだ小指をみせ、実はけさお前さまにこの生爪を剥がれてしもうてと、涙をこぼして布をゆびさした。そこには姫貝一枚ほどのみごとな桜色が ぴかぴか光って、黄金のようにきらめいた。まわりには透けそうな碧に点々と朱がにじんでいた。
漁師は怪訝な顔をした。爪というのは仮りのことで、自分は実は一尾の鯛なのだが、からだの一番恥ずかしい所の鱗一枚をうっかりお前さまに剥がれてしもうた。それがないとわしは他の魚に顔が合わせられぬと言って、女はしほしほと泣いた。
夜、残りの金をもって浜に来るがいい、布を渡そうと漁師は約束した。
夜になって鯛の女は浜で漁師と逢った。漁師は女に一夜懇ろにしてくれろと言った。女と浜の岩かげで寝たが、布は渡さなかった。
次の夜も、次の夜も漁師は女をだまして女を抱いた。女は胸乳の片方をえぐったように欠いていた。
漁師は、女房に小袖を縫わせ町の遊女に高く売った。鯛の女の爪がちょうど背中にみごとな模様になっていた。遊女が小袖を着ると、男の目には背の真中に ふっくらと椀を伏せたように桜色した乳房が一つ透けてみえた。それは誰のどんな乳より美しく、いたずらな男たちはかけ寄って遊女の背を吸った。遊女はやが て自分の乳房を片方腐らせ死んでしまった。小袖は着るものなく、野に棄てられて朽ちた。
漁師に弄ばれた鯛の女も、空しい生命を漁師の胸の下で息絶えた。
漁師は或る日浜であの老人にまた逢った。老人はもう一度だけ岬に立つがよいと言った。 漁師は次の朝早く岬へ出て、足をひろげて水門をまたぎ、外海に向 いてぽんと一つ手を拍った。忽ち岬は後ずさりして漁師は真逆様に渦巻く波の上へ落ちた。どこからとなく一本の糸が漁師の足をからめ、漁師は宙に吊るされて 頭を海に漬けた。
潮をうならせ無数の鯛が群れて漁師の頭を微塵に砕いた。血しぶきに外海も内海も夕焼け頃のように染まった。
2020 2/2 219

* 選集最終巻には、私・秦 恒平が 何を どんなふうに考え、愛し嫌い重んじ疎んじてきたかを存分「批評」的に書き置き遺しておこうと思っている。

* 学生の昔 やがて妻になった人はわたしに、「小説家に」というと読んだこともなく判らないけど、「批評家」には必ず成れると思うと断言したのを思い出す。妻が何を「批評家」と思い私が「批評」とは何かをどう自意識していたか、判らない。
しかし、その後、多く読み、自身でも書き始めた頃から、「批評」の意義は身内を去らなくなった。くどい理屈から、いつしかに実に簡単に、「批評とは選 択・選別のこと、生きものの中でことに人間は日々夜々にもの・こと・ひとを<選び>とりつつ生きている生きものだ」と思うようになった。飯かパンかも、好 きか嫌いかも、するかしないかも、初手からの「批評」なのだ。そしてその当否や成否や正否や肯定・否定や好・悪の別が厳しく問われ始めて、結句は、それに 長けた「批評家」が出来てくる。
この意味でなら私は「批評家」という基盤の上へ「小説家」という「家」を建ててきた。自身のそんな「批評」の出方を、網羅は出来ないが「歴史に問い・今日を傷む」思いで取り纏めておく意味はあろう、誰の思いへつたわるとも計り知れないのだけれど。
2020 2/2 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  光 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

ああ愉快、愉快ーーと、こんなふうに言ったことがただの記憶のかけらになり切っていた。男の子らしいいたずらをまんまと仕了せた時、また男の子らしい生真面目な仕事を成し遂げた時、すこし胸を張って、こんな言葉を使ったものだった。
男は、久しく愉快を感じたことがなかった。
毎日毎日、男の心には不等記号が愉快より一層多く不愉快の方に開かれ、もはや頑なに生活の下絵をつくっていた。
一、二、三、四ーー、歩けば男は歩数をはかっていた。一段、二段、三段ーー、昇れば階段の数をかぞえていた。
一人、二人ーー、道行く人影を男は意味なく数えていた。そして一日の暮れてゆくのを二時、三時、四時と、呟き呟き見送っていた。
数えられるものばかりが多く、数えても数えても、あまりに虚しくて男はしかとした印象を何事からももたなかった。俺は何をしているのだろうーー、そう考えることもあった。答えは見当たらず、男は自分が無数の数の一つであることだけを朧ろに知った。
数の内かーー。それは救われたような空々しいような気もちだった。
男は眼をつむることを覚えた。
眼をつむってしまうと、たちまち何一つ数えようがなかった。濃い闇の中では凝り堅まって確かな手ざわりで自分が自分に生き返った。静かな秩序が、整然と 歩調をとって男の中で高らかに活躍した。  男は眼をつむって嬉しそうに歩いた。 だが、十歩も行けば不安がはっと捉えてきた。眼をあけてみて、男の胸はときとき鳴った。男はほぼ真直ぐ歩いていた。危なげはなかったのだ。
十五、二十、三十歩とやがて安らかに男は自分の闇を支配して進めるようになった。歩数をかぞえることもやめて、男は大きな充実にとり包まれ、むさぼるように一足一足愉快に歩いた。
走ろうとすれば走れた、だが眼をあけて見る外の世界は、あまりと言えば狭苦し過ぎた。 広い場所、人のいない場所を探ね歩いた。そのような場所があれば ふっと眼をつむって、男は自在に足早に確実に、あたたかい陽ざしへうつつに顔をふりむけ、悠々と愉快に歩きまわって過ごした。眼をあいてくらす暮す世界よ り、眼をつむって確かと手に触れてくる世界の方が男には親しめた。安らかで、美しかった。ただのくらやみだったこの世界にあざやかな光と色彩が満ち溢れて いて、紛れもないものの像を日ごと男の眼の底にかたちづくって行った。
或る日も男がこの新しい領分をのどかに満ち足りて歩いていると、一人の少女に出逢った。遠い以前、男が男の子らしい清々しい声で、ああ愉快、愉快と言っていた頃愛していた、その少女だった。
昔通りの微笑を優しくふりむけ、少女は、あら、あなたもいらしたのと叮嚀に挨拶をした。あたくし、もう二年になりますの。それから、もっと早く来て下さると思ってたわ、と言った。
男は少女の傍を少年のように歩いた。ああ嬉しい、と少女は昔のように可愛く甘えて男を見上げた。
男は黙っていたが、幸福だった。闇にぱっと光が射して、なにもかも明るく、はっきり見えたーー。
崖を踏み外した男の死体は直ぐ見つけられた。
引き取り手のない死顔が愉快そうに微笑っているのを、人は無気味だと思った。

* まだ医学書院で編集者をしていた。編集長の長谷川泉(鴎外記念館館長)は編集者は24時間勤務、なにをしていても宜しいと教えていた。わたしはこの一連の 創作をいわゆる勤務時間内に喫茶店や食堂や取材先で、立ったままでも書いていた、「毎日、つづけて一編ずつ書く」と決めていたので、厳格に行けるところま で行った。どんな泥を自分で吐くのか判らぬママ旨の暗闇を手まさぐっていたのを思い出す。
2020 2/3 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  雪 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

浪人は子どもの顔を単衣の袖で蔽ってやった。子どもは寒さにふるえていた。風が鳴り、雪は大川の川波に鵞毛のように飛んで散乱した。
両国橋を一挺の駕籠がかけ抜けた。人影まばらな、正月の淋しい夕暮れだった。
浪人の腰には脇差の影もなかった。帯さえなかった。細い紐一本に結ばれた単衣も綻びがちに、やせた肌身が透けて見えた。
浪人は子どもを抱きあげた。雪は子どもの乱れた髪に花のように散った。
「所望」「所望」
橋の袖に立ち、浪人は往く人影に声をかけた。誰も耳をかさなかった。馬で駆けて行く武士もいた。流石に浪人はちらと眼を伏せた。馬の脚はなさけなく雪の泥をはねた。
浪人は子どもの顔をのぞいた。子どもは寒さと飢えにおびえていた。顔色は青かった。眼だけが、ひしと父親の眼を見返していた。まだ助かる道があるなら、この眼がそれを見つけて呉れるだろうーー。
浪人は凍えた頬に頬をすり寄せてやった。子どもの手の爪が、抱かれたまま浪人の背をぎゅっと掴んだ。どう抱き合ってみても、もはや互いに温めようのない父と子だった。
「所望」「所望」
浪人の声は高くなった。
「ショモウ」「ショモウ」
肩の上から子どもの声もそれを叫んだ。暗い涙をこぼして父は子どもの背を撫でてやった。
浪人の過去は浪人だけが知っていた。その過去もまた無残だった。妻は貧窮の内に身をやせて死んだ。江戸浅草の見るかげない小屋がけの中で、膝まで水漬くほど長雨の降る梅雨どきであった。
「ショモウ」「ショモウ」
はかない追憶に一瞬心をとられていた浪人は、絞り出すような子どもの声にはっとした。一台の餅焼き屋台が、ちろちろと赤い炭火の色を夕やみに洩らしながら通って行く。
思わず浪人はかけ寄った。
「へい」と答えて餅屋はとまったが、客を待つ顔ではなかった。浪人は辞を低うして、我らは此の所に袖乞いをしているが、昨日の朝から何も口にしていない。 御覧の如くいたいけな子どもがふびんでならぬ。何卒、今は餅一つ二つ恵まれよ、物乞いして餅の代は必ず払おうゆえにーー。
ぺっと唾をはき、「おきやがれ」と餅屋は怒鳴った。「ショモウ」と言いながら子どもは耐え切れず泣きはじめた。「所望じゃ」と浪人も地に手をついて懇願した。雪が容赦なく二人の上に吹きなぐった。
去って行く餅屋を呼びとめたのは、一人の女非人だった。
女は有り合わせの小銭を掴んで餅屋の前に投げ、二つ三つの餅を、走り戻って、泣いている子どもに持たせた。焦げてまるく膨らんだ餅は父と子の涙でじいっと熱くぬれた。
黙って行こうとする女を呼びとめ、浪人は、深く頭をさげた。御厚意には報いとう存ずるがお約束も叶わぬ身の上、せめて今一度この橋を渡らるる時、これな る柳の根方を御覧下さい。往来へ願って必ず銭乞い受けお戻し致したく、と言うなり浪人は子どもを抱いて橋の袖に立ち戻り、瞑れゆく宵やみの中で、物乞いを つづけた。
一刻二刻、ようやく五文ばかりの銭を得た浪人は、単衣の袖を裂き、柳の根方に、五文の銭を包んで置くと、子どもの手をひき両国橋の中ほどまで駆けたかと見るまに一瞬ひしと抱き緊めた我が子を、眼より高く差し挙げてどっと川中へ投げ入れ、我が身も続いて入水して果てた。
舞う雪は大川の波に揉まれ揉まれて、江戸の夜の底を真白に流れた。

* この「雪」だけはまるまる私の創作といってはいけないかも。名高い遠山の金さん著す『耳袋』という書き置きにヒントになった一文の有ったのを記憶している。無残な思いに涙したのも忘れない。
2020 2/4 219

* 今回の「濯鱗清流」は、ま、文字のママに読んで頂いて、先人師友への感化に感謝し素直な敬愛を示した四文字でした。出典の原意で謂うと「よい時勢に会 えば名声を得られる」らしいのだが、私は、そういう思いは一向持っていない。先人往時の精華や達成を「清流」とみて我が拙い鱗を清く強く洗いたいというに 尽きています。

* もう初校を「要再校」で返した次149巻は、題して「流雲吐月 歴史に問い・今日を傷む」 容赦ない叱咤に満ちた「批評」の一巻になる。
これまた「流雲吐華月」とある韋応物の詩的な自然描写から離れて、「流雲」には「自身」を托し 「吐月」には「批評」を意味 させています。三月上旬にもお送りできるかと。
2020 2/4 219

* 昨日から、維新前から大正半ばまでの政局を調べ始めている。敗戦へ直結してくる機運や根底の露わな時代だけに、簡単明瞭にも引きこまれる。ああ、まあ、私の気の多いことよ。
しかし、この目がけた仕事は、私のそれらの中でも稀有なものになる見込みがある。稀有というのは変わり種とも謂え、しかし美味く仕上がれば私らしい物の 珍しい物となろう、ただし量も要して相当な手が掛かる、厳しい批評も必要になる。六月桜桃忌に「湖の本 150」として刊行するのは容易でない。これ一つ に六月まで掛かっているわけに行かない、『選集 32』の再校は、もう目前に迫っていて、これも容易でない仕事、作業になる。ムリしないで、いいミノ実の 熟して落ちてくるのを待つ気になっている、つまり可能な限りを少しずつ、なるべく毎日進めて行くということ。楽しみだ。
しかしながら、では「湖の本 150」には。知恵は無いではないのだけど。
2020 2/4 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  海 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

男は海辺に坐って遠くをながめていた。
海は明るく、まぶしかった。きらきらとどこまでも波が躍っていた。
男は、さて坐ったままで、考えることももたなかった。
膝の下から小さな貝殻を拾い男は足を洗う波の一かけらをすくいあげた。たらたらと掌に受けてみた。
掌の底に刻まれた太い皺に針金のように曲がりくねって海の水がひかった。
男は無造作にシャツで手をふいた。
暫くして、男はまた同じことを繰り返し、そして想った、この一枚の貝殻で海水をすくえば、たしかに海の水はそれだけは減ったのであるかーー。降ろうが晴 れようが、海は大昔から今のままだった。だが今、俺は俺の意志を用いて貝殻一杯の水を海から奪った。俺は俺だ。俺の意志は単に客観的恒常の条件ではない。 海水は確実にそれだけ減らされたはずだーー。
男は黙々と、焦るふうもなく貝殻一杯ずつの水をすくっては背後へすてはじめた。
日当りのいい浜砂に霧のように撒かれた僅かな水はたちまち砂に灼かれて失せた。
男は自信たっぷり同じ仕種を繰り返した。
商人が寄って来た。何をしていなさるーー。
海を干してやろうと思っている。男は真面目に答えた。商人はからかわれたと思い行ってしまった。
漁師たちはそんな真似をされては食いあげじゃと嗤い戯れた。
学者は、仔細らしく男の愚かな誤りを指摘しようとした。
子どもらは暫く真似をして、直ぐ飽きて顧なかった。
思い寄らぬ儲けがあるかとわざわざ問い合わせて来る実業家があり、世の中への痛烈な批判である、非凡の警世家であると持ち上げる者、極まりなき愚者で怠惰人であると怒る者などもあった。
新聞は時の人と呼び、雑誌は写真を撮りに来た。そしてやがてみな呆れて寄りつかなくなった。
男は相変らず黙々と、悠々と、自信たっぷり貝殻の水を浜辺に撒き散らしつづけていた。 一年、十年、五十年経ち、男は営々と海辺に坐ったまま海の水を奪っていた。
海はしかし、来る日来る夜、まんまんとうねっていた。
いつか男の横に一人の女が坐って男を真似はじめた。
生ける彫刻の如く、嵐の朝も雪の夕も休みなく男と女は物静かな振舞を生真面目に繰り返す二つの黒い小さな影法師であった。
男の横に一人、女の横にも一人、可愛い子どもが親の真似をはじめるようになった。
子どもは三人、四人と増え、百年、三百年して海辺には渚のかたちに三十人、五十人、何代もの子々孫々が仲良く行儀よく一列にならび、やはり黙々とみな自信に溢れて海の水を一度また一度、着実に貝殻ですくっていた。
海の水はすこしも減ったようには見えなかった。
だが、男も、男の妻も、その子々孫々たちも、海の水はいつか自分らの手で奪い尽されるに違いないと信じて疑わないのだった。

* 三十前後の頃、多忙を極めていた編集者仕事のあいまに毎日毎日一編ずつを三週間ほどは続けていた。アタマの体操、トレーニングと思っていたのだろう。幼稚なりに「自分」を捜していた。
2020 2/5 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  地蔵 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

地蔵様の前で童らはひねもすすもうをとった。荒縄で土俵をむすび、真白な尾花を束ねて軍配にしていた。地蔵様がちょいちょいと怪我をしそうな童をたすけてやっても、童らは気づかなかった。
童らの得意はその日一番の勝名乗りに地蔵様の首から朱い前垂れをはずして化粧まわしにすることだった。横綱の得意そうな土俵入りに朱い前垂れがひらひらするのを、地蔵様は胸もとすうすう秋風になぶらせながら、見ていた。
童らは帰り際には前垂れを丁寧に地蔵様の首に巻いた。ひょこんと下げてゆく童らの頭を地蔵様は見えない手で優しくなでてやった。
ある日、見なれぬ童が一人仲間に入っていた。小柄なくせになかなか強くて、童らをころころところがした。地蔵様はその童がこの辺りに住んでいる仔狸だと 気がついた。仔狸は真剣な顔で真朱になって童らに組みついていた。その恰好をみていると地蔵様はおかしくて堪らなかった。よほど毎日羨ましそうにどこかか ら眺めていたものらしい。そう思うと童に化けた仔狸を応援してやりたくなった。
地蔵様はそのうち自分もすもうがとりたくなった。童に変化(へんげ)すると地蔵様はわざとおずおず仲間に入れてくれろ、と童らに言った。
地蔵様の童と仔狸の童は最後の取り組みをした。もう夕焼けの山々のふもとの方はくらくなりかけて、野づらの穂すすきに西日がきらきらと光ってなびいてい た。地蔵様も仔狸も我を忘れてうんうんと組み合った。こりゃあ強いやと仔狸は呟いた。負けそうだわいと地蔵様も汗をかいた。地蔵様は汗を拭おうと思って、 さした腕を一本抜いて前垂れをさぐったが、これが失敗で、朱い前垂れはもと通りに土俵わきの石地蔵様の胸にかかっていた。童の仔狸はこの隙にすってんと童 の地蔵様をころがした。
仔狸は喜色満面、恭しそうに地蔵様の朱い前垂れをぶらさげてもらった。ぽんぽんと手数入りをしてみせる童の仔狸の露払いをしてやりながら、童の地蔵様はたのしくて堪らなかった。
ちょうどそこへ、里の犬が童らを迎えにかけてきた。さあどうするかな。地蔵様は横綱の仔狸を見ていると、四股を踏んでいた仔狸の童は脚をふるわせ、あま りの怖さにびしょびしょと地蔵様の朱い前垂れにしっこを流し、一声叫んで仔狸に戻ると一目散に森へかけこんでしまった。
童らが騒いでいるまに童の地蔵様も石地蔵様の中へ隠れた。 童らは口々に、狸だよ、狐もいたんだよ、狸と狐とがすもうをとったんだね言いあった。前垂れはびしょぬれになって土俵の真中に落ちていた。童らはまあいい やとぬれたままの朱い前垂れで地蔵様の胸をはなやかに隠してやった。くさい雫がぽたぽた地蔵様の花立て石に落ちた。
童らの影がなくなって夕星が光りはじめた。地蔵様は冷たくなった前垂れをかけて、静かな野はらを眺めていた。
そこへ仔狸がやって来て、思案顔に地蔵様を見上げはじめた。さっきのことを想い出すと地蔵様はまた笑いたくなった。
仔狸はまじめな顔をして、そっとくさい匂いの朱い前垂れを地蔵様の首からはずした。洗ってくれるのかなと想って見ていると、仔狸は化粧まわしのように腰の前にちょろりとさげた。
地蔵様は声をかけた、お前、前垂れをどうするのじゃ。
仔狸はびっくりしたが、ここが、寒うて。これはなかなか具合がええと言って可愛らしいちんぽこのぶらさがった前を指でさした。
仔狸か行ってからも、地蔵様は夜どおしにこにこ、にこにこしていた。
次の朝、胸もとの寒そうな地蔵様をみると、童らは真新しい朱い前垂れを里からもってきて、結んだ。

* 時 間を掛け苦心惨憺して書くヒマは編集者の勤務時間にはなかった、喫茶店に入り、何が何でも書いて出ると賭け事のように自身に強いて、まさに「やっつける」 一編一編だった、それがスリルで毎日一編ずつという自身への強いと相乗して書き続けられた、せいぜい二十編ほどだったが。それからまたかなり間をあけて思 い立つと奮発励行した。自身の内に、善し悪し、何が隠れ潜んでいるのか、それを余儀なく吐きだしている心地であった。
2020 2/6 219

* 実は今 私の頭と時間を所有しているのは「湖の本」「選集」「病院通い」のほか、幾つかの創作の「芽」を飼うことにまじって、明治の元勲山縣有朋とい うややこしい「人」なので。私のなかへ住まいを得るなど「とんでもない」遠い人物なのであるが、ひょこんと、しかも影濃く跳び込んでこられて動かない。仕 方なく、わたしは「尾張の鳶」さんの京都行きを煩わしてすこしでも情報が得たいと頼んだばかり。
なにやら気ぜわしい老人になっているものです。眼が、もっとすっきり見えると助かるのですが。
2020 2/6 219

☆ 彦根、能登川あたりは雪、
京都は初雪、静かな風花の午後でした。 尾張の鳶

* 頼んでおいた 京都の写真がたくさん届いた。まだ一望しただけだが、その場へ立ったように、懐かしい。感謝します。感謝します。お手間をかけました。ありがとう。いい仕事で酬わせて戴きたい。すこし、先になるが。

* いよいよ『選集 32』再校が出てくるらしく。そうなると一気に今より更に超多忙になる。
2020 2/6 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  壁 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

思わず声をあらげた。涙が流れた。弱々しい笑顔で、女は縋る眼づかいもしてみた。
男は黙っていた。極端な無表情は壁に似ていた。壁は愛想もなく灰色の重い石に似ていた。こぶしを固めて女は叩いた。押してみた。壁はただ壁の顔をしていた。
眼のふちで涙が乾いた。広い喫茶店のどの隅々でも、流れる音楽をよそに楽しそうに話しあう顔と顔が揺れているのに、女の前には、それ自体が侮辱であるよ うな壁だけが動かない。女は肩を落とした。分らなかった。男の心に何が起きたか、分らぬ辛さで女は声をあらげたーー。「この壁」「この壁」と呟き、細い眼 をして女は男の顔を探した。暗い、灰色の壁しか見えなかった。
灰色の壁の上に、女ははびこる蔦を想い描いた。揺れる蔦の葉が、一枚一枚柔らかに肩をまるめ両腕を垂れたかたちに見えた。雨の町を一つの傘に濡れなが ら、優しい眼で、いつか背に手をまわしていた男の匂い。あの日、水玉の朱い傘に隠れ、おずおずと男は女の唇にはじめて触れた。眼をとじる前に、滴る雫の青 い蔦の葉を女は美しく見覚えた。
切なさが壁の上で渦を巻き、渦の底がぽかりと抜けた。くらくらする光線に叩かれて、崩れた壁穴の向うに紺青の海が揺れていた。男はもうパンツ一枚で砂の 上を駆けていた。声をかけて女も跳び出した。かがやく砂のそこここに真夏の花がちいさく血のように飛んだ。日灼けした男の肩から背へ、駆けよりながら女は 熱い砂を掴んで抛げた。拡がる空と海へ大の字に手足を踏んばり、男は跳びあがって見せた。青空がぎらぎらし、波騒に女は胸をはあはあはずませた。急に振り むき、男は大声をあげて水着の上から女の乳首に堅い歯を触れた。腕をしなわせて女は男の頬へ手を振った。二人とも力いっぱい笑っていた。
幸せだったあの夜のやみが藍色ににじんで流れ、女はふと人の声を聴いた。眼の前の壁に、誰彼の嘆賞を誘って、きれいな西洋女の横顔を描いた絵が懸かって いた。繻子という光る青い服を着た絵の女の、ゆったりと窓に倚って遠くを見る眼もとに、朱い秋の日ざしが漂っていた。女は男の手をそっと握った。肩で肩を 押し、男は笑ってちょっといやらしいことを耳に囁いた。一瞬、絵の女への嫉妬に負けて壁の前を離れながら、あの絵もこの絵も急につまらなかった。もっと暗 い、もっとどろどろした幻覚を女は渇くように欲望した。
焦点を喪った女の眼に鋭く動かぬちいさな角(つの)が見えていた。一間きりのアパートの壁に、いま脱ぎすてのコートを懸けたそれはただの粗末な懸釘で あったが、諍ってきたあと味で女の頬はおびえて歪んだ。ノックの音も乱暴に、男は酔って、追ってきた。横柄そうに男は自分のオーバーを釘に吊るした。柔ら かな、すこし汚れた黄色いコートに、抱きつくように、黒い大きなオーバーの蔽いかぶさるさまを女は見ていた。見透かすふうに男の腕が荒々しく女を立たせ た。「いやよ、いいわ、いやよ、いいわ」黒と黄の斑らにめくるめき、唄うようにそうも女は喘いだはずだーー。
工場の裏の、長い長い壁の上に、一つだった二人の影が二つに別れ、男は暗い尾を曳き曳き帰って行く。昼間の雪が凍てついて、乏しい街灯に照らされた重苦 しい灰色の壁が、定まらない虚ろな女ごころを冷たく突き放した。急ぎ足になって、男は振りむいてくれなかった。うずくまってしまいたい寒さだった。うめく ように、「この壁」「この壁」と叫び、夢中で女は両のこぶしをひしひし壁に当てた。がやがやと急にあたりがざわめき、はっと気がつくと、女は喫茶店の中で 棒立ちになって、両腕を振り、喚いていた。
「だめじゃないか、きみ」
男の薄笑う顔がなさけなく女の眼の前で白けていた。

* これは、凄い。喫茶店で、さ、十五分とかけて書いたろうか。
2020 2/7 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  鏃 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

広々とした川原の上は、雲ひとつない蒼空であった。
諸国から自慢の弓の達者が集まって、川原でさまざまに腕くらべをした。
瀬を奔る魚を射たり、川向うの夫婦岩を射抜いて隠れていた小兎を倒したりする者からはじまって、次々と妙手を競っていたが、彼の為すところ我も能くするという次第で、なかなかに傑出する者がない。
うすら笑いながら傍観していた一人がやっと起って、見ろとばかりきりきりと弓を蒼空に引き絞った。
羽ばたいて来る中ぞらの鳥の列(つら)へ、目もとまらぬすごさで、矢つぎばやに三度弦が鳴った。矢はそれぞれに一羽の鳥の双の翼をぴしりと縫い留めた。男はきっと落ち来る三羽を睨むと、殊に細い鏃の一本を抜き取り素早く射た。
き、き、きと硬い響きを残して矢は翼を番(つが)えた三本の矢を一つに射つらね、あたかも一塊となってどうと三羽の大鳥は川中に水しぶきを散らして落ちた。
やんやと人はほめそやしたが、何のとまた一人が出て、飄々ととぼけた様子で皆の者の注目をうながした。男はごつごつした杖のような弓に銀の弦をいと細く 張らせ、矢をつがえる前に、たのしそうにかるく爪弾いてみせた。蕩々と行く水も一瞬流れをとめたほどのすずしい弦鳴りは、人々に言いようもない憧れの想い を」誘った。
男は、白竹に蒲の穂を植えたふしぎな矢をつがえると、事もなげに虚空へ射放った。
矢は、かすかなうなりを残して、蒼く蒼く澄み切って影一つない空高くへと吸いとられて行った。
何のことはない。
やがて矢は落ちて来るだけのことよと、みなは嘲みがちに弓を射た男の顔をみると、とぼけた眼もとがどうにも嬉しそうにゆるんでいる。
見ると、矢はあたかも生きものの如く蒼空いっぱい自在にかけずりまわっているではないか。勢いつのって、矢は白い雲を糸のように巻き起こしているーー。
やがて下界の者は、眩ゆく光る大空に、真白に描き出されたみごとな美女が、一糸まとわずうつ伏せに身をくねらせ微笑むさまを、口あんぐりと仰ぎ見たのである。
風が女をくすぐるのか、やわやわと女の肌はなまめかしく白日の下に身もだえた。
勝負はあった、と誰もが嘆声を惜しまなかった。思わず男たちは息を吐いた。
ところが、まだまだと名乗って、ひげ一本もない満月のような童子が、大人を押し分けて前へ出た。
童子は、背丈に足りない小弓に白羽の矢をぴたりとつがえ、川原の岩に片足踏んばってひょうと女を射た。
矢はみるみる立派な鏑矢と変じて、天地を震わせるほど高鳴りしたまま、身をよじり、のけぞりざまに待つ美女の大事な場所へ、ずぶと、みごとに一揺りくれて突き立った。
あっともだえ、女は輝く肌を日の光にもまれながらみるみる童子の眼の前に落ちた。
童子に肩を抱かれ、はだかの女は、さも嬉しそうに両の腕で肌を隠して、微笑した。
童子は女を連れ帰った。
矢は抜けたのに鏃だけ女のからだに残った。
童子が夜ごと鏃抜こうぞと指をかけると、切ない切ないと鳩の鳴くような声をあげて女は童子に獅噛みついた。

* こういうのが、我が筆先から現れるのかと、作者自身で一驚し、しかし、これもおれと思った。
2020 2/8 219

* 『選集32』作本文の再校が、ドッカーンと出そろった。たいへんな分量、それぞれが歴史の光景を舞台にしていて、なまなかの作でない。初校からの赤字 合わせだけで大変な手入れ、それらを皆確認の上で全編「責了」のためにもう一度読み直さねばならない、しかも此の巻は創作のほかに、私自身の「太宰賞受賞 までの34年間」の詳細な「自筆年譜」が莫大な筆量になっている。文字を小さな7ポイント組みにしてあり、内容量としては他の全創作に匹敵している。「読 み終え」ての責了は容易ならぬ骨折りになる。これだけに掛かっているワケに行かない「『『のだから。
桜桃忌まできっちり四ヶ月か。無事に持ち堪えたい。
2020 2/8 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  電車 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

希望をふりすてた男は暗い中で退屈そうに人の顔をながめていた。
そのトンネルは、抜けるのにかっきり三十八秒かかるはずだった。
男は、これはと思った。三分以上は経っているーー。電車は轟々と暗中を疾走しつづけていた。
乗客はざわざわと席を立った。
窓をあけてもただ真暗で、ポツンポツンと飛び去ってゆく信号灯の赤や緑も今は見えなかった。いたずらに轟音が不安をかきたてた。
男はどこやら似たようなS・Fまがいの事件があったかと覚えていた。
どうなるかーー。
男だけがもうあきらめて、腰をおろしていた。
外の暗さこそ深まったようだが、電車には何の異常もなかった。
右往左往する乗客の異様な金属的な興奮が、しだいに蒼褪めた。起きたことの意味がつかめなかった。
騒がない方がいいんだと男は呟いた。
そうですわと、さっきから男の顔をみていた若い女が、すり寄って来て同意した。
乗客全部が何となく二人に倣った。
席へ戻ると、本を読んでいた者は本を開き直し、編み棒を持っていた者は毛糸の玉をまたとり出した。他に、平静を呼び戻す工夫がなかった。誰もが、精一杯の頑張りかたで黙々と、何かを、待った。
どうなってますの、と低声で若い女は男の耳に囁いた。
知るもんかと男は素気なく答え、若い女の肉づきのいい頬の辺りをちらっとみた。
まあ。
若い女は愛想よく睨んだ。
車掌のアナウンスが声ふるえていた。
線路のない真暗な洞穴を何処へとも分らず電車は走りつづけているらしく、運転手の話によると、電車そのままが奈落へ遮二無二落ちつづけているみたい、ですーー。
乗客は、アナウンスに反応することを頑固に拒む眼つきをしていた。
殷々と遠鳴りする響きが吹き矢のように窓外をかすめ去っていた。
せまい国土だなと男はまた呟いた。
若い女は男の声をきくだけで嬉しそうに、えゝ、と応えた。
これでいいのだと男はかまわず呟き、のっそり席を立った。
男は生まれ変っていた。
せまく、薄暗く、止まることのない巣箱じみた電車の五輌が、男の王国になった。
その気になれば、この窮屈な世界に、自然あり文化あり生産の在ることを、男は信じた。
男の信じたように若い女だけが信じ、他はまだ過去に救われ未来に戻ることばかり願っていた。男と若い女とには、ここが自立した一つの世界と成りえたのに、他の者には因業な電車の中に過ぎなかった。
乗客たちのそんな「希望」の如きものに男はとことんとうに飽いていた。
男は臆することなく若い女のからだに新しい血統を刻印した。
創らるべきものがこの世界にはあまりに多いーー。
男はしかし、全てが創り出されることを信じた。
ここで生きようと男は肚をきめた。遠い記憶の痕跡が蚤のように頭からとび出た。次の駅を永遠に欠いた電車は、轟々と暗中を疾走していた。
「希望」の重さにひしがれた暗い不安な顔、顔を、男は家畜の群のようにながめた。

* 地下鉄丸ノ内線、茗荷谷から後楽園までにトンネルがある。毎日本郷三丁目まで通勤に乗っていて、こんなことも思った。
2020 2/9 219

 

* 『選集』零校の赤字が(主に読み仮名付けだが)莫大に多くて再校ゲラで確認するのに凄いといいたいほど手間が掛かり、昨日終日、今朝も続行して、まだ 相当な頁が残っている。これを遣りきって初めて再校作業になる。信じられないほど嵩高い一巻になるが、ちょっとこれまでのお行儀のいい一巻一巻より型破り な面白みももちそう。とにかくも、これを校了するには全部を丹念に間違いなく読みとおさねば事は終えない。
十二日早朝に一次のカメラ検査を受け、二十四日には通常の前立腺診察、翌二十五日に更に何種かの二次検査を受けたあとに診察・診断がある。つまりは、二十四日までにこの厖大な『選集32』を「責了ま」で持ち込んでおきたい。
たぶん「湖の本 149」の再校出も逼っていて、この通読再校は妻を煩わさざるを得まい。
問題は、なんとか無事に『選集』も「湖の本」も「送り出せる」か、だ。
更には、『選集 33』という最終巻の編輯と入稿という難しい作業がある。「湖の本 150」という切り目の入稿も、見当はもう付けてあるが、原稿が仕上がるか、実はこの原稿づくり作業がほとほと手間がかかる。
妻の、二台も持った私のよりずっと新しい機械が、二台とも「字が書けない」などという故障を起こしていて、それでは、どう手伝って貰いようもない。単純に一太郎でひらかな字が書けなくなる、なんてことが信じられないのだが。

* 「選集 32」のものすごいほどの赤字を、再校ゲラで尽く点検し終えた。一日かかった。あとは常識校正風に読み通せばよい。

* わたしがどう介入してみても慣れぬ妻の機械には、手も足も出なかった。妻に、文字原稿を代筆・筆写して貰う願いは諦め、いわゆる上の常識校正などを頼むことに。
わたしは今、或る和本の和活字本を懸命に筆写しているが、原本を読んで理解しながら正漢字をたくさんたくさん拾わねばならない。内容的にはマ興味津々、 身を寄せて理解しやすくはあるけれど、筆写の手間は大変。A4判で150頁ある。やっと18頁を機械に入れた、これで数日も掛かっている。美本の傷みを歎 きながら機械複写も試みたが、まったく不可能、マックロになる。写本はしかも従の仕事、原稿を創らねばならない。これはかなりアタマを使う要がある。
2020 2/9 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  絵 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

男は山を上っていた。なりわいのために男は毎日この山を越えた。向うには里があって、人が沢山住んでいた。物憂かった。何かしらもっと違ったことを望んでいた。
その朝も相も変らぬ山の頂へ男は上りつめた。と、見ると、一人の少女が向うむきに料紙を伸べ、髪をなびかせて一心に絵を描いていた。
少女の描く絵はほかでもなかった。細く長く、どこまでも一筋にのびている白い道の絵だった。道のわきは濛々と蒼く塗ってあった。黄の色もまじっていた が、またところどころの黒い彩りも鮮やかであった。だが、何としてもそれは一筋につづく真直ぐの遠い遠い、遙かな、ただ道の絵であった。
男は黙って見ていた。
少女も黙って描きつづけた。
道は幾千里となく寂しい白光をただよわせて延びて行った。男の眼に涙の玉がつむつむとふくれては、崩れた。風が鳴った。
少女はやがて、どうじゃ、と言った。
寂しいの、と男は呟いた。
少女は別の絵筆の先に眼もまばゆい紅色を染めて、道の遠い遠い涯ての所に芥子粒より小さな人の影を描いた。すると、万里もの道のりをかすかにも或る輝きが吹雪のように奔った。
少女は男を顧て、あれはわたくし、と言って微笑った。少女の声は山はらを流れるこだまよりも美しかった。だが遠い遙かな楽の音のようにも哀しかった。
わしの事も描いてくれぬか、と男は気弱に呟いた。
少女は返事をしなかった。だが、別の筆先に濃い藍の色を浸して、この道のこなたの端に、小さくくっきりと男のうしろ姿を描いてやった。と、男は見も知ら ぬ山中の道の上に寒げに佇っていた。山中と見たのはあんまり道ばたが青々と奥深ううるんでいたからであったが、山ではなかった。野でもなかった。少女の絵 に紛れ入ったことを、男は知った。足もとの道が白銀のように光っていた。
男は歩きはじめた。この道の向うの涯てから美しい少女がやってくるーー。
だが、本当に少女は来るのだろうか、と、男はふと惑った。頬をまたしても涙が流れた。あの少女は寂しいこの道の涯てをさらに遠く歩み去って行く人なのかもしれないーー。暫くのあいだ、男は両掌で顔を蔽って泣いた。
ーー男は、歩きはじめた。あの少女の美しくなつかしい事だけを考え、考え、歩いた。ただもう歩いて、行った。

* 芥川賞候補となり、瀧井孝作先生、永井龍男先生の推して下さった小説「廬山」に取り入れた。「慈子」を経て「花方颫由子」にいたる少女ということか。
2020 2/10 219

* 明け方、床の中でいろいろと思う。思うことで何も生まれず。為す、そして成すべくあるべし。

* 生まれてまるまる34年間の稠密な自筆年譜の再校分を終日掛けて読み終えた。これこそは人さまのために仕立てた「作」ではない。私自身の人生を、しか と顧み刻み留めたので、今にして思い出で、あそうか、そうだったんだと感慨を得るのは私一人、家族ですら、肉親にすら、これは無用の廃紙。幸い掲載される 私の選集はごく少数の「非売品」であり、何方にも無用のご負担は掛けない。しかも昭和十年から四十四年まで、まるまる五十年以前までの記録でしかない。生 まれ落ちてそして「作家」に成ったまでの年譜でしかなく、しかし私には、並大抵でない建造物であった。それだけに、いろんな思いに苦笑したり肯いたり悔い たり嬉しがったりが遠慮無く出来る。
はからずも確かめられたのは、人生はたった我独りで歩めるものでないということ。家族はもとよりであるが、数え切れない人たちと袖触れ合っていて、可笑 しいほどであるが不要な出会いや別れではなかったと今も思う。むろん今日の若い人たちが謂う「おつきあい」といったものは無い、殆ど全部が「仕事」の上の 必要や、「職場」を共にしていた日々の接触に、時に飲み食いの付く談笑とか歓談とか。わたしは、自分からも人に声を掛けるが、意外なほど向こうからも掛け られていて、そんな中から小説家に成って行く栄養が摂れていたと思う。わたしは小さい頃から友達をつくるのがヘタクソと痛いように自覚していたが、その実は逆に、大いに嫌われもしながら大勢の人の好意や親愛を受け続けてきたのだと気付く。そ して顧みて思い当たるのは、私の育った京都という都市の「女文化」が、どれほどそこに役立っていたかと思い当たる。わたしは少年以来、どうにも科学技術派 でなかった、美と藝と穏和な自然に親しんできた、有りがたかった。そう気付けただけでも有りがたいこと、と今にして思い返している。
2020 2/10 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  蛇 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

蛇を飼う夫婦があった。
蛇はある日急にぐったりして死んだ。夫婦は庭に蛇を埋めて、そこになつめの若木を挿した。
若木は大きくなって青い葉をつけはじめた。すると、どこからかおびただしい虫がきて、さんざんに若葉を食った。食ってしまうと毛虫はぼたぼた土に落ちた。
夫婦は気味わるがって虫を追ったが、むだだった。いっそ木を抜こうとしたが、二人がかりでも抜けなかった。鋸の歯を当てると、かねの鱗のようにきしって歯こぼれした。
翌年になると、また青い葉がなつめの木についた。たちまち虫が来て、庭中を黒くするほどだった。
次の年もおなじだった。
次の年、夫婦の家に若い女が来て、女中にしてくれろと言った。夫婦は女を女中にした。季節が来て、庭のなつめに青い葉がついた。夫婦は憂鬱な顔をした。
毛虫の群はからだをねじり合わせながら若葉に噛みついた。なつめは無残にはだかになった。落ちた毛虫がじゅうたんのようになつめの根もとで揺れ動いた。
若い女は庭へおりて、乾いた紙に火をつけて毛虫を燃しつけた。水のはねるような音がして、虫はくるくるとからだを巻きながら死んだ。火はなつめの木に移って葉のない枝を焼きつくし、焼けぼっくい一本が残った。
焼けぼっくいの先は生木の裂けた肌白さを焦げの下にみせていた。突然、その薄白い中からあぶくが湧き、そして、どろっと赤いものが噴き出して焼け焦げた幹をぬらぬら伝って虫の死屍の方へ流れた。
若い女はじっとみていたが、急に傍へ寄って、片手で幹をつかんでぐいと抜いて捨てた。
その晩、夫婦は夢をみた。飼っていた蛇が寝ている夫婦ののどに巻きついて、鎌首たててこう言った。
虫を退治てくれたのは嬉しいが、焼きたてられては切ない。
そして、かっかっと歯をかみ合わせて夫婦の鼻先で威嚇した。
夫婦は若い女に暇を出した。暇を貰うのはいいが、なつめの木の下を掘らしてくれろと女は言った。夫婦は承知した。女は土を掘って、ながいながい蛇の抜け殻をするすると抜き出した。他になにももたず、抜け殻一つを懐へ入れると、出て行った。
夫婦もどこかへ越して行った。年老った大きな猫が一匹棲みついたそうである。この

* この気味の悪い一編こそ、京都の父がある日、突然として送ってきてくれた最初期の「テーブレコーダー」の嬉しさに、その晩、家族が寝静まった夜中、寝床に腹這いマイクに小声でいきなり吹き込んだ最初も最初の「思いつき」の一編であった。
2020 2/11 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  鬼 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

まだ鬼が人とまじわって暮していた頃、女の鬼にまつわられて迷惑する男がいた。
男の家は峯ちかく、尾根づたいに山や谷へ出て狩り暮していた。鬼がどこから来るか男は知らなかった。だが世話好きな女鬼が家の内外で、日なが何くれと黙りこくって用を足しているのは、人影ささぬ暮しにはいっそ頼もしい事でなくもなかった。
困るのは夕暮れ、山鳥の声も慌ただしく、みるみる外面に夕翳の深まる時分だった。鬼は巨きなからだで戸口にもたれ、見るとなく見ぬとなく家の外を窺い内 を覗き、いっかな立ち去りかねた。栗の実ほどの眼を光らせ、だがよほど初々しくうるんだ表情で、要する所、此宵こそはお傍に呼んでほしいという風情だっ た。いじりもじりと戸を揺すられ、家の奥で男は大いに辟易した。
それでも男はむげに女鬼を拒み、事と次第では、兎を追うように手近な弓矢の厄介にさえなろう程だった。鬼はしおしおと宵やみの中をどこかへ消えて行った。
何であれ男はまさか鬼を抱きしめてみる気にならなかった。組み敷かれ鼻さきをかじられても、よも逃げおおせはせぬと、男は独り寝のまま苦笑いしたが、時 には怪しからぬ想像が下腹の方でもやもや奇妙な絵になりやすかった。暫く里へも出ぬ、明日は山を下りようと考え考え、色赤い鬼の顔は押しのけても真白な里 女のからだを夢見ようと男は願った。
だが、いたずらな里の女は山男をあっさり袖にし、鎮守様の生白い神官殿を引きずりどこかへ消えた。くさくさして男は山へ帰った。鬼は嬉しそうに湯をわかし、小鳥の肉を焙ってくれた。酒を飲み鬼の前でしたたか荒んでから、男は雄大に肌あららけ、日のある内に寝入った。
宵過ぎて、男がふと頭をあげると、帰りもやらで鬼がそこに坐っていた。鬼め何を見ているか。気がついて男は恥ずかしかったが、隠そうとするとそれはむっ くり首をもたげた。鬼が赤い顔を赫くして目ばたいた。男は慌ててしまって、それから先はあられなく逆上せた男が女の鬼に獅噛みついていた。
鬼はぶるぶる震え、男も夢中だった。
ふしぎに男が渾身の勇を絞り出して鬼を押えつけると、どんなにかむくつけき鬼のからだが、餅のような白い愛らしいぬくみで男の肌に吸いついた。顔も細う ちいそう、あえかに喘いで、角どころではない丈なす黒髪は瀧のように一面に流れた。乳房はふくらみ、唇を添えると渦巻く恍惚に男も女も闇の中で、盲いたま まに波立った。
だが、男がどさりと火のない炉ばたに退いてみると、紛れない浅ましい鬼の大女が大慌てで身づくろいし、疾風のように表へ飛び出した。
男は震え上がった。が、夢中で抱きしめたあの女は、里のいたずらめよりよほど情も深う、較べようがなく美しかった。朦朧として、男は惜しいやら怖いやらがまるで分らなかった。かすかにも、明日また来ればよいと思い思い男はまた睡りに落ちた。
鬼は星空の下を一気に飛んで、忽ち都の真中の立派な御殿の屋根から、ひらりと庭さきへ立った。と、鬼はうら若いひとりの貴女となって、静かに泉水の星明りを覗いていた。うしろ姿が寂しげだった。
別の女の声がして、側に仕える者らしく、一体どこに隠れていらしたのです、かぜをひきます梅雨にぬれますとうるさく御殿の中へ入るように勧めた。それで も黙然と池の上をながめていた人は、憂わしげに、侍女の方を振り向いて、お殿さまはと訊いた。お殿さまはまたまたお留守だった。侍女はだが口籠って、それ とは告げえなかった。
此宵ももう少しここにいたい、と呟き、美しい人はまたしても水ぎわに佇み、動かなかった。

* 自分のなかから何が飛び出すかと思うと、面白くも怖くもあった。
2020 2/12 219

* 「清経入水」当選作の再校終え、戦時戦後の丹波暮らしもマザマザ思い出し、ドキドキした。
極めて高等な六選者先生の満票は、正確であったと、「作家」暮らし半世紀余の眼で確信できる。あの昭和四十四年ごろ、文壇の多くは身辺雑記小説に溢れて いた。極めて孤立の異色の意欲、まず以て第一等、現代の怪奇という批評は、あの時代の埃っぽい文壇の空気を吹き払うていのものであったナと思う。今は?  時代に屹立する批評家は。学究からも、研究という名でのコマコマした作品論ばっかりでは。
2020 2/12 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  夢 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

知らない町だった。
男は途方にくれていた。どうして此処にいるのか分らなかった。どの家の窓も寒々と灯を消していた。膝の上まで冷えた。
夜空に風を鳴らす巨きな樹のそばにひときわ黒いかげがあった。何かの記念碑らしかった。基壇にはただ「夢」と刻んである。
壇の高さは胸くらいあった。よほど大きな寝床ほどあった。
事実その上には、五つ六つの児を両方から抱いて男と女が顔を寄せあい眠っていた。ランニングシャツが肌に食いこんだ筋骨たくましい男は、力仕事に耐えて きた太い毛ずねを無造作に妻の寝巻の裾に載せている。髪はすこし乱れているが、温和しく胸もとを合わせた女の手が、子どもの背を抱いたついでに軽く夫の胸 へ指さきを触れている。つぶつぶとまるい子どもの足が空(くう)を蹴っていた。
「夢」か。甘い夢だと男は鼻を鳴らした。どんな顔をしているかと意地悪く寄って、男は立ち竦んだ。
女の寝顔がべったり一面の腫物である。優しそうな表情とまるで無縁に、目をそむけたい無気味なあざであった。そのあざが蠢(うごめ)いているのだ。よく 見ると、その蠢くものは頬といわず、額といわず、愛らしく顎をあげたうなじから衿から、寝巻の上へかけても黴のように微塵にこびりついていた。それ所か、 あどけない子どもにも、夫の露わな肌のどこかしこにも、泡だつように何かが動きひしめいている。
殊に、男の、骨をとがらせた平たく窪んだ頬には目立って目を惹く群があった。それはーー、山坂に喘ぎ疲れて今にも倒れそうに苦しみながら野砲を牽くいて ゆく泥まみれの兵士らであった。銃は折れ帽子は飛び散り血をにじませ、足をひきずり、渇き、飢え、倒れ伏し膝ですすむ、おびただしい兵の姿であった。
寄り添うて寝ている親子のからだは血まみれ泥まみれの幾山河であるらしく、蜿蜒と、惨憺と、死臭の湧き立つ山また山、谷また谷を敗走する兵士たちの喚ぶ声が殷々と響いてきたーー。
乏しい灯に浮かびあがった、空き箱のようなこの町をよく知っていた気がするーー。歩いて行こうと男は思った。

* 私なりにも「戦争」「敗戦」という逃げようのない負担があったということ。
2020 12/13 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  道士 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

道士がいた。
道士は橋の上に坐って水の流れを見ていた。雨の日も風の日も道士はひるみはしなかった。
水の流れは道士にいろんなことを教えた。万物流転、諸行無常、不易流行、意識の流れ、持続する時間、浮薄、移り気、虚無、倦怠ーー。みな、とうに他人の言ったことばかりだった。
道士は何とかしてまだ他人の言わない真理に到達したいと思った。
黙々と道士は橋の上に坐りつづけたが、はかばかしい知恵も湧かなかった。
さすがに心たゆんだ道士は、ある日膝をのばして橋のふちから足をぶらぶらさせ、流れゆく水に爪先を洗わせていた。
やれやれと道士は嘆息した。嘆息はうららかな日の光に吹き払われて、いつしか道士は気らくそうにはな唄をうたい出した。
川岸には翠の柳が糸を垂れ、靉靆たる春風は川の向うの山なみから陽炎のようになびいてきた。
道士がふと足をなぶっているすずしい流れに眼を落とすと、奇怪にも水面には自分とならんで一人の美女が同じように腰かけ、まばゆい白いはぎを露わし、流れと触れて、微笑っている。
道士は仰天してとび退ったが、橋の上には誰もいなかった。おそるおそる元へ戻ってみると、やっぱり女がにこにこ笑って顔を水に浮かべていた。
道士はそろそろと腕を女の肩に巻いた。馥郁たる香気が肌に吹きつけてくる。が、何としても空気を抱くようで頼りなかった。
道士は川中の美女に問うた。
艶然と笑んだ美女は脛を柳の小枝で撫で、黒髪を弄びながら、おおよそはこのように道士に言った。
できるかどうかはお前様しだいだが、もしお前様が、淫欲こそは真実の中の珠玉であるという真理を考え究めたなら、はじめてお前様も賢者の一人だ、と。道士は顔をしかめて黙ってしまった。
女はざんぶと川に入ると、道士の前を身をくねらせて散々に泳ぎ戯れた。
来る日も来る日も道士は、橋の上から美しい女の水遊びを見ていた。道士の眼には流れる水が映らず、あたかも天女が空を舞うように、ただ桜色の女体だけが優しくゆらゆらと動いて見えるようになった。
女はときどきびしゃと川水を道士の顔へはねかけて、馬鹿よと笑った。
道士はまた黙った。思い屈した。
やがて道士は強いて淫欲をあおって女をながめはじめた。女の姿態が光り輝いて見えはじめた。
道士は女に一夜抱いて寝ようと言った。
その夜、道士は柳のかげで女のぬれた肌をひしひしと抱きしめ、脂汗を流した。
曾て知らぬ恍惚は、確実にまた曾て知らぬ虚無に直ぐと結びついた。道士は甘く声を放ってうなじを反らせる女を愛しはじめていたが、恍惚と虚無との隙間のない地つづきには驚いた。
道士は、次の夜もまた次の夜も女を抱いた。
淫欲が真実の珠玉であると究め明かすことは、少しも道士にはできなかった。けれど愛は夜ごとに深まった。
女は身籠って、ついに珠のような男子を産んだ。
道士はなお考えやめてはいなかった。
人はいつか道士が赤ん坊を抱いて橋上に坐すのを見るようになった。
やがてその姿も見られなくなった。

* とにかく「何か」を書いてしまわないと会社仕事をさぼっている喫茶店から出られない(と、決めていた)。で、とにかくは、「男がいた」の「女がいた」のと原稿用紙に(まだパソ コンなど影もない時代でした)書いけた。あとはもう出任せに書いた、が、ビックリするのは、書いている私自身だった。話にビックリしたのでなく、自分にビッ クリした。毎度だった。何を書こうと前もって見当を付けることは一切無かった。是を書いたのは「自分」だというのに毎度ビックリした。一編、十五、二十分で書き上げていた。
2020 2/14 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  鳩 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

笛吹きが笛を吹きやめると、男は物憂げに銭を投げた。わしにもその笛吹かせてくれろと男が言った。
口ふくらせて男が一息ひょろろと笛吹くと、笛の中から鳩が一羽とび出した。銀色の翅をきらめかせ、かがやく春の中ぞらに舞い上がった。青葉の下に立って 男と笛吹きは鳩を見上げた。身もだえしながら鳩が翅すり合わすと、鈴を振る音になって晴れた山々を風がわたった。男は深い息を吐い
て、樹の下に坐りこんだ。
笛はぴったり鳴らなくなった。
庭に出て女が機を織っていた。垣根に菊が咲いて、機打つ音に合わせ秋草がなびいた。女には聞こえぬふうだった。鳩が来て垣根にとまった。女は鳩を抱いた。鳩は女の胸の中で身揺ぎしなかった。
女は鳩を愛した。昼はひねもす傍を放さず夜は床に入れて眠った。鳩は女の唇をつつき、女のふくらんだ乳房をくわえた。鳩は女のからだ中にかたい嘴を当てた。
女は鳩を愛撫しながら、声をたてた。女の親は女の声を聞き咎めた。床を剥ぐと肌を露わにした女の幽所に銀色をした鳩がまるい眼を見開いていた。
枕もとのかんざしをつかんで、親は鳩を刺した。
男は樹の下を動かなかった。笛を失った笛吹きは樹の傍に畑を打って、男の世話をしていた。男は日々に弱っていた。木枯らしが鳴った。男は衿をかき合わせ、腰に挿した笛をしげしげながめた。
夕暮れだった。山の端に黒い葉が散って風に流れた。男はもう死のうと思っていた。黒い葉と見えたのは鳩が力よわく木枯らしにあらがって落ちて来たのだった。
笛、笛だ、と笛吹きは叫んだ。男が眼を閉じて一息ひょろろと笛吹くと、鳩は身をもがいて笛に吸い込まれた。笛の傍には血塗られたかんざしが落ちた。笛吹きが笛を吹きすさむと秋のもみじが山という山はらを真朱に散った。
男は笛吹きと別れた。
ある村まで来て男は浮かれめと一夜寝た。女は飽くことなかった。男は夜が明けると懐からかんざしを出して、女に呉れた。女はかんざしをみると泣いた。男も哀しかった。
女は半ば腐れたからだから一粒の朱い真珠をとり出して男にみせた。男が珠をつまんで指さきでもむと、あの鳩が青空の下で鳴らした鈴のひびきがした。鳩の心臓を流れ出た一滴の血であるらしかった。
男は女をつれて、果てもない旅の夜を重ねて行った。

* 自分のどこかから、突として、こんな物語が生まれ出るふしぎに惘れたのを、昨日のように覚えている。
2020 2/15 219

* 和本、少なくも六十頁は書写したいところ、三十頁に達した。和活字や正字や旧仮名遣いや濁点をつけない習いなどに馴染んでない者では、手に負えないであろう。書写の内容は私にはすこぶる心惹かれるものがある。
2020 2/15 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  賽 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

賽を振る女がいた。
女は所在なげに賽を振っていた。額に髪がかぶって、灰色の眼が重そうに賽の目を追っていた。
賽は一つが出て、二つが出て、順に六つまで出ると、戻ってまた一つ二つと続いた。女の眼がすこし光った。賽は機械のように四つ五つ六つと続くとまた一つ へ戻って、果てしなくなった。女の眼は前よりもいっそう灰色に鈍んで、しまいに賽を振りながら眼は細く閉じてしまっていた。
女は賽を掌に握って、そのまま眠りこんでいった。やがて女は同じ姿勢で我にかえった。賽は掌の中で汗ばんでいた。
女は賽を摘まんでしげしげながめた。指の先で一つの所をこすってみると、賽の中から一人の男がひょいと顔を出して、つき合って呉れますかと言った。いいわと女が答えると男は賽の中へひっこんだ。
二つの所をこすってみると、さっきの男が首を出して、すこし歩きましょうかと言った。女は、いいわねと返事した。男は賽の中へひっこんだ。
三つめへ来ると男は、映画を観ませんかとすすめた。女はそうねと言った。四つめで男は、食事を御一緒して下さいと頼んだ。お腹すいてるわと女は承知した。五つ目になると男は、お茶を飲みながら話しましょうと言う。女ははいと頷いた。
女はあとの一つで男が何と言うか心配になった。女は六つの所をこする前に何かしら肚をきめないとと心焦っていた。熱くなっていた。男は叮嚀で優しくて心 配りも行き届いていた。女はもう叫びたいほどだった。ああ神様、私に勇気を与えて。女は賽をにぎりしめ肌をぬらしながら、病人のように蒼ざめて頭を振って いた。
六つ目、男は、この上もない微笑をうかべると頭をさげて、さようならと挨拶した。あの……と女は失望落胆で狼狽しきって、真朱になって、もうただの六と いう文字でしかない賽の目を睨んでいた。不覚にも涙がぽろぽろこぼれた。侘びしい退屈の霧が厚ぼったい外套のように女のうすい肩を包んできた。女は重そう に灰色の眼を閉じ、じっと身動きしなくなった。
夢から醒めた。賽は女の掌の中にあった。六つのところが上になって……。女は賽を窓の外にすてた。
男の声がして窓から賽が女の前へ投げかえされてきた。寄ってきて、男はにこにこしながら言った。
つきあって呉れますか。

* 賽のなかの男は ピエロの帽子をかぶってる気がした。賽をにぎった睡そうな女は…。好きなタイプと思えなかった。
2020 2/16 219

* 丹波に戦時疎開した国民学校四年生の私は、山一つをまるまる石崖のように登り降りし、隣部落の学校までへとへとになり往き帰りした。『清経入水』にその苦行の日々は役立ってくれた。
山のてっぺんを、土地のだれもが「峠」と謂うていた。峠には山肌を溢れて溜まる小さな「泉」があった。街人間には「峠」「泉」は言葉や文字で知っていても馴染みがない。めずらかな心地と疲労の極の峠の真清水は嬉しかった。
2020 2/16 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  蝶 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

少女は、ちいさなてのひらに夕日のさいごの一しずくを受けた。ものみな、青いやみに沈んだ。
やみの中で少女はてのひらをそっと開いた。かがやく一粒の金無垢が、少女の眼もとをほのかな黄金色(きんいろ)に染めた。
少女は黄金(きん)の粒から一本の縫針をつくった。針は虚空を刺して光った。
少女は黄金の針で刺繍をはじめた。針は生きたように動いた。布地の上に、涯てしなく月夜の海が展がって行った。
あやつる人もない小舟が、どこからか少女の前へ漂い寄った。静かな波にはこばれて、少女と舟は、青い海の上を流れた。どこまでも、どこまでも、海は寂しい月夜の底を流れた。
舟べりに身を寄せ、少女は黄金の針を波間に垂れた。
針が鋭く波を砕くと、波の下から黄金色(きんいろ)の蝶が一匹、夜空にひらひら舞いあがった。
つづいて一匹、また一匹、七色の、無数の蝶が、いたいけに翅をたわめ、波を潜り、あとからあとから風に舞い月に酔って、大空いっぱい眼くるめく虹の大橋を懸け渡した。
羽ばたく蝶の懸け橋を、少女は一足一足登って行った。一足すすむと一足くずれ、蝶は踏みだす足もとから色を喪った。枯れ葉のように落ちて行く夥しい蝶の群が、遥かの海を灰色に変えた。
少女はなおも登りつづけた。月がいよいよ明るく照った。
とうとう、虹の橋がなかぞらに跡絶えた。少女の足もとには、波間を最初にのがれ出た黄金色の蝶がただ一匹、燦めき羽ばたくだけだった。
少女は夢中で最後の蝶の背を踏んだ。黄金(きん)の蝶は少女を乗せ、涯てない空の涯てへ、ゆらりと翔び立った。

* 自身を「蝶」と想いかつ願ったのであろうか。
2020 2/17 219

* 柳北ではない、ひとつ別に懸命に今原稿づくりしているしごとがあり、期限までにはとても全部はまかないきれないが、せめて半分の余まで到達できれば用 向きは達しうると、根をつめている。古活字から正しく原拠のママ字を読み取る仕事は眼に痛いほど堪えるが、こらえている。
昨日観た映画「カルメン故郷に帰る」の故郷浅間の大きなはけやかな自然にふしぎなほど励まされている。批評味にも優れてしかも心優しくもあるすばらしい 劇画であった。創作とは、あのように胸に響いて忘れ得ず、しかもおもしろい、情の篤いモノでありたい。ひとつには大きな、あるいは。ささやかな自然美に根 をおろした感慨や人間の行為で創作はありたいもの。
2020 2/17 219

* 「湖の本 149」に、気を入れて、あとがき「私語の刻」四頁分を書き上げ、電送入稿した。本文はもう今夜か明日にも再校を終えてしまう、三月中には発送出来るだろう、しかも此の「あとがき」には、めったになく、大きな中仕切りとなる次回「第150巻」で、何を書くと予告もした。
前回『濯鱗清流 読み・書き・読書』は、嬉しいことにわりと佳い感じに受け容れて貰えたよう。次回もと、私はかなり力強く期待している。
2020 2/17 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  春 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

若者は縄を投げるのが巧かった。縄を巧く投げたとて誰が褒めるわけでもなかった。若者はしょんぼり樹の下にうずくまった。腹も減っていた。夕闇が葉洩れに若者の上へ静かに落ちた。
春であった。
月影が淡く物憂くひろがって、遠い空はまだ薄紅の夕あかりであった。鳥が啼いて帰って行った。きれいな三日月であった。
腰の縄をまさぐりながら若者は夜空を見上げていた。 人影が去り、杜(もり)かげが沈み、家々には灯がともった。裏山に風が鳴って木を揺すった。侘びしかった。帰るとても独りずまいの火のない藁屋だった。
若者は裏山へ上った。山は真暗だった。えいえいと声を出して上った。
峯の秀(ほ)へよじのぼると、三日月がぐっと大きかった。樹々の梢が獣のように谷底に首をもたげていた。
若者は縄をつかみ、腰をひねって夜空へ飛ばした。
一筋の縄はひゅるるとうなりを生じ、高く高く星影を縫って発止と月を捉えた。三日月の輝く先端に食い入った縄を手繰りつつ、若者は力強く峯を蹴った。みごとな弧を描いて若者のからだは広大な空間に、一点の黒い影と化した。
三日月の真下に吊るされ、若者は縄一筋を頼みに宙を踏んでいた。
広い空。
しかし大地も広かった。若者は、見たことのない土地のすがたを月光を浴びながらはじめて知った。
壮烈に死のうと若者は思っていた。だが、暖かい春の夜空にぴたりと静止した今、何かしら香ぐわしくさえある宇宙のやすらぎに抗って、遥かの大地に我が身を叩き落とすのがふさわしからぬ事に思えた。
ままよと、若者は縄を揺すって上りはじめた。
烈しい渇きのような孤独が来ると、眼を閉じ、掌の感じだけを頼んで上りつづけた。聞こえるのは自分の息づかいばかりであった。高く高く、高く、もっと高くと若者は無二無三に上った。月は遠かった。
若者は幽かに縄の鳴るのを聞いた。
耳を澄ました。まぶしい月かげの中から確かに一つの影が縄づたいに近づいていた。滑るように影は奔ってきた。女だった。ひらひらと裾をひらいた女の姿は若者には一層まぶしかった。眉を寄せ、心もちはにかんで若者は縄の中途で女を待った。
月の世界とて退屈なものよと美しい女は物珍しげに若者の顔をのぞき見て言った、女は下界をゆかしく思うようであった。下まで行けはせぬと若者は眼をそむけて呟いた。
月の女とわかものは天と地の真中で縄によじれて顔を合わせた。何となくおかしく、また気の遠くなる世界の広さであった。
女は若者に戯れた。
若者は身をよじった。
ふくよかな肌が若者の顔や唇に触れた。二人は夢中で絡み合った。
月はいよいよ優しく照っていた。天涯にあまねく星の光が瞬き、地平遙かに春風はかすみとなってただよった。静かに、まどかに、縄一筋が銀色に光ってかすかに揺れた。天もなく、また地もなかった。
女と若者は抱き合ったままどちらからとなく心を協せてゆっくり、ゆっくり縄を揺すった。ゆら、ゆらと、やがて次第に二人のからだは大きく、力強く、烈しく天地の間を火玉の如く奔りはじめた。二人だけの永遠が、風を切って確実に月光の中で時を刻みはじめた。

* 気に入った。好きな世界であった。想像という以上の創意が可笑しくて嬉しかった。
2020 2/18 219

* 校正仕事が「湖の本149」「選集32」とも手もと分では落着したので、『秦 恒平選集 第33巻』の編輯構成と入稿用意に手をつけ、残る作業は作業として、大方の見当がき、用意も半ばは出来た。

* いましも手を掛けつつ思い入れ考えているのは、「秦 恒平・湖(うみ)の本」第150巻のそれなりに心ゆく用意と執筆。腹を括って、毎日用意をしている。

* コロナ感染症に用心し、次のCT検査をクリヤし、気を入れて今年の桜桃忌前後に強い中仕切りを樹てて置きたい、そこでは終わらない気でいる。
それにしても視力の衰弱は日増しに顕著で、長時間に堪えて仕事していると、階下へ降りて大きな画面のテレビにさえ数十センチきでも近付かねば演者、話者の顔がボヤケる。新調の眼鏡がたちまちにダメになり、むしろ裸眼に頼っている。ブルーライトに負けている。やれやれ。
2020 2/18 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  一閑人 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

井戸があった。
井戸は深くて満月のように明るい一枚の鏡を浮かべていた。近在に、こんな美しい井戸は一つとてなかった。
一閑人(いっかんじん)は余念なく井の底をのぞいていた。くっきりと顔が映って、皺一本の揺らぐこともなかった。
一閑人は、自分と同じに井戸をのぞいているもう一人がそこにいるかと思うようになった。
思い屈した或る日、一閑人はつくづくあのよく似た男の傍へ行(い)て語らいたいぞと思った。一閑人は身を乗り出し、逆さに井戸の底へ落ちた。
逢えると思った男の姿がなく、一閑人は空の明るい見知らぬ土地を歩いていた。向うから子どもが二人やって来たが、一閑人をみると慌てて逃げていった。
やがてさっきの子どもをおずおずかばいながら美しい女が一閑人を出迎えて、旦那様お帰りなさいませと丁重にお辞儀した。
一閑人は面食って一礼を返したが、女も子どもも真顔で、慴えたように一閑人を立派な屋敷に連れて戻った。家中のものが一閑人の顔色をみてぴりぴりしてい た。 女は一閑人の妻で、二人の子どもは息子と娘であるらしいが、所詮合点のゆかぬ人違いに一閑人は途方にくれた。人違いとも言い出せなかった。
ところでーー、一閑人は侘びしい田舎道をまごまごと歩いていた。草むらのかげから子どもが二人出て、いやというほど棒切れで一閑人の向うずねと尻を叩きつけた。子どもらは歓声をあげた。
突然の不覚にうずくまった一閑人の首っ玉をつかむと太った女ががみがみ怒鳴って引きずった。一閑人はあばら屋に放りこまれた。女と子どもはしこたま耳も とで悪態をついた。 一閑人は立ちあがると猛烈な腕力でいきなり女と子どもを表の道へ張り倒し、瓶の水を逆さにぶっかけ存分に蹴りつけた。
女も子どももあまりの事に息絶え、泣いて代官所に訴え出た。
気の荒い一閑人は、見ず知らずの女子どもに馬鹿にされて耐ろうかいと代官にかみついた。代官はお前の女房と息子たちではないかと怒った。嬶天下に我慢も尽きたのじゃろと他所の者らは噂したが、一閑人には何やら訳が分らなかった。
一閑人はむげに鞭打たれ、気を失った。坊主が前へ出て一閑人をしげしげみて、これはと言った。
息吹きかえした一閑人に、坊主は、どこから来たぞとたずねた。一閑人は俺に似た男がいきなり俺の頭にとびかかって来た。わっと声をあげた途端に見も知ら ぬ井戸の傍に立っていた。女も知らん子どもも知らん。俺の女房子どもは美しうて温和しいわと歯を噛み合わせて、うなった。
坊主は代官に言って、一閑人を元の井戸へ投げこませた。わっと声がして、寸分違わぬ一閑人がその場に平伏していた。女房と子どもがかけつけ、いきなり一 閑人を怒鳴りつけた。一閑人は青い顔をした。涙を浮かべ、人違いでもよい、美しい女房と可愛い子どもの傍へ戻りたいがのうとこっそり呟いた。
坊主は、男も女も日頃の憤懣と欲望とを抱いて井戸へとびこまれたのでは、結局ろくでもない男女で此の世があふれるわけのものじゃと、代官に井戸を埋めさせてしまった。くそ坊主の生悟りというものではあるまいかと、誰も誰もがそれはわるく言った。

* 茶の湯道具の一つに「蓋置」があり、中節に竹の引切りなどよく遣うが、他にいろんな趣向のものもある中で、男の井筒を覗いている造りのを「一閑人 (いっかんじん)」と呼ん用いている。少年以来茶の湯を稽古していたわたしはこの蓋置「一閑人」の境涯に妙に心惹かれてきた。それが、急遽こんな掌説に なったのである。多くは謂わぬが花であろうよ。
2020 2/19 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  繭 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

電車が動き出すと、満員の乗客はめいめいの物思いに沈んだ。窓の外をかすめて飛ぶ地下の騒音にくらべ、暗を奔る電車の中は無気味に静かだった。
静かさの底から、男の耳に湧き水のように絶えずかすかな音楽が聴こえた。人波でごりごり渦巻く地下鉄の駅に素気なくそらぞらしく流れていたバックグラウ ンド・ミュージックが、居苦しいこの箱の中へ紛れ入ったまま、逃げ場なしにただよい鳴っているのだった。男は首をそらせ、天井を見上げた。白茶けて薄く汚 れたその平たい侘びしさの上を、煙のようにひよわな旋律はただようらしかった。  ちょうど男の顔の上にマンホールの蓋に似た、多分換気扇なのであろうが、用を足していそうにもないそのような蓋があった。ぶざまに平たい天井にはそれな りにこのかさぶためいて貼りついたまるいものが目を惹く景色になっていた。男は飽きもせず見上げていた。
蓋の隙間から一本の糸くずが垂れていた。
ひょいと手をのばして、男は糸の端をつかんだ。するすると糸はのびた。
傍の客たちは誰も気にとめたふうでなかった。
心もち細めの、白い艶のある糸を男は所在なげに指先へくるくると巻いて行った。男の人さし指はすぐに糸の下に隠れてしまった。えへっと男は笑えてきた。
音がして糸が何かにひっかかり、男は片手を天井から吊るされた。糸にすがって、よいしょよいしょと、男はマンホールの蓋を押しあげ外へくぐり抜けた。奇妙な男の仕ぐさにも他の客たちは素知らぬふうであった。
地下鉄であるはずだったのに、電車の屋根の上はさんさんと陽ざしにあふれた澄んだ青空の下であった。電車はまぶしいばかりに明るい広い世界を、風を切って奔っていた。ただもうすばらしい青空の下を五輌の電車が疾走していた。
糸は電車の屋根の小さな金具に絡んでいた。男は丁寧に金具から糸をほぐして、さて所在もなしに手繰ってゆくと、糸はどこまでもどこまでも果てしなく、男 の腕から足からからだまでを巻きとって行った。ひえっと奇妙な歓声をあげて男はどんどん手繰った。からだが、糸渦に隠れてゆくにつれ、五輌の電車が前から 後から、少しずつ形を崩しはじめた。屋根からふり落とされまいと一心に手繰ったので、やがて男は蚕のように真白なまゆの中に自分をとじこめてしまった。そ のとたん、白い半透明なまゆがふわっと宙に浮かんだ。もはや電車という電車は影を失って、だがまゆ一つはたしかに、元のように、きらめく青空の下をどこか へ飛ぶように奔りつづけていた。
男はまゆの中で眼をつぶった。瞼のうらへ、まゆを透けた日の光がうららかなかげを落とし、心地よい睡気に誘われた。
睡るとも醒めるともなくこのまま光の中を飛びつづけるーー、と、その時、あの物憂い音楽が今は生き返ったように美しい永遠のリズムになって、明るいまゆの中を花の香りのように静かに、なつかしく、染めはじめた。

* 勤め人として通勤していたわたしは、脱出したかったのだろう。
2020 2/20 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  長者 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

長者がいた。
贅沢に飽き、土の上で空をみて暮すのをつくづくつまらぬと考えた。酒と女の部屋から庭へ出た長者は、峯雲に巻かれ渓霧に包まれた遙かな大絶壁に、岩を噛 んで根を下した松の大樹が虚空に秀(ほ)を光らせているのを惚れ惚れ眺めた。松は四季に翠を粧い中ぞらに抜きん出て天下を睥睨し、些かも譲る所がなかっ た。清風颯々の境涯を思い、長者の心はただならぬ憧れで波打った。
長者は万金を投じて断崖絶壁の松のてっぺんから縄で家を編んで吊るさせ、独りそこに住み移った。
断崖には花が乱れ咲き、数知れぬ小鳥の巣がかかっていて、鳴く声は、嬌声と歓語に飽いた長者の耳には天の声であった。雲は朝に岫(みね)を出て夕べにひそんだ。日の光はさえぎられることなく、虹は広大な渓と空を夢の世界に変えた。
長者は独り酒を酌み珍を食して、揺られ揺られ窓に倚っていた。天あくまで高く地もまた深い霧の底にあった。小鳥が来て長者の肩で鳴いた。
夜は寂しい。星を仰ぎ風をきくと骨を虚空にさらす気がした。酒をあおって長者は寝ようと心急いだ。
夢の中で長者は人の声をきいた。
せっかく素晴らしい家を造ったのじゃもの、きれいな女の一人も連れて来れば夜の淋しさはまぎれようにとその声は言った。それなら訳なしじゃ。長者は寵愛 していた女を呼び寄せた。女も直ぐに淋しいわとひそひそ泣いた。長者はそこでもっと女を呼び、縄で編んだ家は人の重さにぎしぎしと鳴った。酒が流れ肉が 躍って、放歌の騒ぎに鳥も花も驚き呆れた。
下界で退屈したのとまるで変らいでじゃと長者は狂っている女どもを呆やりみていた。酒も苦かった。その時、松に結わえた縄の結びめが一つほどけた。仰天して女たちは松にしがみついた。出遅れた長者は千切れ落ちる家にきりきり巻かれて奈落へ逆さにとびこんで行った。
長者は夢から醒めた。
ああいやいや、やはり女は呼ぶまい、一人で居ろうわいと呟きながら、白む東雲(しののめ)に見惚れた眼を遙かの下界に転じた。すると昨日は見えなかった 霧の底に、まだ夜の明けを知らぬ里の家々のにぶい灯がみえ、さてよく見るとどの家の中にも、夢心地になまめかしく抱き合うて甘える男と女との姿がさすがこ の世ならぬ優しい絵模様となっていたる所に見えた。ため息が霧の中から絶え絶え洩れて、さもきこえた。
長者は窓に身を乗り出したまま、頭のすみで、わしほどの俗物がまたとあろうものかとちくっと思った。巣をはなれたつがい鳥が長者の肩に乗ってながく静かに鳴き合ってから、羽音を残して朝空高く翔んで行った。
長者は低声で、ここは寒すぎる、と呟いた。

* おもしろいことを想いつくものじゃと思った、アタマを掻きながら。
2020 2/21 219

* 思い立った仕事、というより今は難儀をきわめた書写の仕事なれど、気を入れて立ち向かっている。途方もないとみていたものが、少なくも第一段階への到達もあと二、三日の間近に見えてきた、目は衰えて見えにくいけれども。

* お酒が身をまもるかと、美味しく戴いている。あと、寝入る。それもいいことと思っている。勝手な想いであるが、それもいいことと思い、目覚めれば仕事 をしている。いまは、外出をあえて望まない。酒は今の感染症には良くないというテレビの知恵付けもある。それもそうだろうと思う。が。

* 最低そこまでは初一段と願ったところへ仕事の手が届いた。欲をいえば第四段まであり、しかし手つだってはもらえない、この仕事所詮は私でないと出来な い。私ならその作業の内実を味わいながら煩瑣を極める読み書き・手作業にも堪えられる。そのためにも健康で、何より、目が見えてなくては出来ない。
もう今日も四時になろうとしていて、額に疲れを感じる。すこし休む。「心医 ホ・ジュン」に励まされてこようか。

* 九時前、気張って初一段の書写を終えた。どうあっても漢字の見付けられぬのが、一字だけあった。
思い切って、明日には第二段の作業へ移行すしよう。文字の一字一字、送りがな等々に視力を使い果たして、もう何も今夜はムリ。
2020 2/21 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆ 雲 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

痛みと一緒に裂ける音がした。肉が千切れるかと誰もが声をあげたが、裂けたのは服や着物や肌着だった。あっと思うまに人間は屋根を突き抜いて一人のこらず身の丈二十米に伸びてしまった。横へもがっちり大きくなった。生まれたままの恰好で人々は一瞬呆然と佇った。
驚きと恥ずかしさとで世界中が喚く声は天の雲を吹き払い、さんさんと明るい日光はまる裸の男女の狼狽ぶりを余さず照した。右往左往するうちにどうせ役に 立たない家も建物も蹴散らされ、夫は妻をかばい、恋人同士は抱きあって、互いにぎゃぁぎゃぁと他人を咎めあった。身を横たえるにも狭すぎた。人々は山に隠 れ海に漬って何よりもはだかを恥じた。食物がまるで足りなくなった。器械という器械は玩具と化し、文明は烏有に帰した。
政治家が集まって議論したが名案は一つも出なかった。学問も役に立たなかった。やはり、ます食わねばならない。草食にすすむべきか、水をどうするかという議論も、大地という大地の草の根を掘り、生き物を食いあさって多分一年という結論で寂しくなった。
真水の如きは半年で涸れるだろう。
人数の多少がすべてを決するだろう。
なぜなら乏しい資源を占拠することだけが生きのびる道で、占拠するには侵略しかないのだ。独りの賢者はそう警告した。
世界中の人間が大木を引っこ抜いて武器とし、大石を投げ合って武器とし、散々に闘い合った。文化の遅れていた山国ほど武器に恵まれ、軟弱な平地の人間は 忽ちなぐり倒され、食用に供された。地続きの大陸は凶暴な食肉人の領地となった。食肉人は勢威を張るつど激しい性欲をあおって子どもを生み、子供が増える と他と闘って食肉を手に入れた。水が涸れると海水を飲んだ。獣も草木も絶え果て、風雨が荒れ狂った。
海を渡る船ができなくて、大洋に浮かんだ島国では早くに人間は死んで行った。
食肉人は世界中に分散したが、もはや食うべき相手がなく、餓えが襲ってきた。賢者の予言を待つまでもなく、荒々しい淘汰が食肉人同士にも来るのだ。
食肉人は会議を開いた。
まず二十歳以下の子供と五十歳以上の老人とを食おう。食い終ったなら、男一人に女一人を、女一人に男一人を組み合わして行こう。すると男か女かが何人か 余って残るだろう。組みになった男女は快楽を尽くしあって死んで行こうではないか。残った者には神の御慈悲があるだろう。
会議は厳粛に人間の誇りを守って、そう決めた。
男と女に組み合わしてゆくと、女が三人のこった。他の者は、天地にこだまするほどの歓楽にふけって疲れ切って壮烈に死んだ。死屍累々の世界を見わたした 女たち三人は、やがておびただしい食肉の腐ることを心配しはじめた。しかし、女たちが三方に別れ、孤独に生きはじめると、夜ごと耐えがたく淋しさがつのっ た。思うことは男のことばかりだった。どうかして一人だけでも男を生かしておきたかったと、男恋しさに巨大な女は嵐のような吐息をついた。
ある晴れ上がった朝、女たちは、一人はアルプスに、一人はロッキーに、一人は崑崙に登って声を揃えて言葉にならないもだえを天空にむけて吠えた。する と、太平洋の真中にむくむくと白雲が湧き上がって、あたかもそれは巨大な陽物であった。女たちは歓声を挙げて山をかけおりると夢中で海を泳いだ。
太平洋の真中に緑したたる美しい小島があった。人間が死に絶えようとした頃から、僅かに生きのびた鼠たちが、ここに君臨して、人間の文化を相続していた。女たちの幻にみた雲は鼠たちのある驚くべき実験が打ちあげた物凄い水蒸気であった。
鼠たちは泳ぎ寄ってきた女たちを忽ち捕えて、新しい研究の材料にした。無数の鼠が女たちを見物しながら、女たちの耳には確かにただチュウチュウとばかり鳴いて騒いだ。

* やけくそで書いたが、書き終えてみると、何か妙な実感が残っていて、存外の批評作に思えたのを思い出す。
2020 2/22 219

* 第二段もやがて終え、もうすぐ第三段もかたづいて量の多い第四段へ来る。どこかで歩を休めて、別方角から手を掛けて行くか。駆け抜けて先へ行くか。体調は、はかり難い。成るがままにまっすぐ。それにしても、わたし、浮世離れした仕事に精出している。しかしなかなか味がある。
歩け歩け あーるけ歩けと唄う歌があった。

* なにが本当にはどうなっていて、どうすすみ、どう有効に対処できるのか、だれにもシカと分かっていない危なさに日々を送り迎えている。人の滅ぶとはこういうことか。これは蔓延の感染症のこと。

* 「ほどほど」という都合のいいもの言いがある。「いいかげんにしないか」という叱責も、親切な忠告に類すると見られている。どうも苦手、というより可能なら避けて通って、「目いっぱい」やりたい。遣りたくても出来ない事もあると承知しているけれども。

* 八時半。肩も背も胸もかるい痛みをおびて、さっきは、濃い鼻血をかなり零した。寝るに勝る健康薬はないか。つづけてきたなんぎな書写作業は、もう書き 原稿と併行しつつ追って行けば要が足せると見ている。印刷所の二月三月は予算消化の思惑で仕事が殺到するのが、常。私のしごとのような端物はちょっと遠慮 してしかるべき季節、むしろ幸便に、先々へ目配りも手配りもして置きたい。来週火曜、満員電車で朝早のCT検査通いは鬱陶しいのだが、これは避けて通れな い。
2020 2/22 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆ 風 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

深い谷の底に一条の細い流れが瀬音を沈めていた。瀬音は朝に夕に、里の者の耳にはりんらん、りんらんと鳴って聴こえた。峯をかすめて空を雲が奔る。瀬音は雲にも響いてりんらん、りんらんと鳴った。
夕暮れてゆく谷の里には、木草に絡まれた流れの底から、紺と青との濃い淡い縞目が重なり重なって、漂う瀧縞のように谷から峯を蒼澄ませてゆく。縞目を ぬって夕餉の白いけむりが立ち、やがて深い暗やみの樹々をくぐりけて月が細い流れを銀の色に光らせる。すると、りんらん、りんらん鳴る瀬音を破って、湧い たように静かに冴えた一管の笛の音が流れはじめる。
おののく想いと酔い心地で里の者は息をひそめて笛の音を聴いた。笛は哀韻をたたえ、その時なつかしげな淡い遠いものの匂いが谷中に舞いたつかのようであった。人々は声を喪って、急に襲い寄る肌の寒さに、戸障子たてて家に隠れた。
里の長者は部屋の中から外をうかがった。籬の傍に笛を横たえた少年がちいさくうずくまったまま、己が笛の音色に聴き惚れるふうであった。宵々に、少年が 籬の外に佇みはじめて十日を過ぎていた。少年は眼をとじ、時おりひょうと高らかに吹き澄ます。庭に咲き乱れた晩れ秋の黄菊、白菊、穂すすきまでもあおられ てうちなびき、障子、棚、梁などあざやかに共鳴りして、かすかな塵の光って宙に浮かぶのが見えた。火を、火を運べと長者は叫んだ。寒気が真白な矢束のよう に家の内を吹き抜けて行った。
病の床に身を起こして少女は頬を紅らめするどく父を呼んだ。
「あたくしにも、笛を」
長者は顧みて、拒んだ。
「いいえお父様、どうぞ笛を」
少女は白い病衣の衿をかき合わせ、髪を揺すって父を見た。紅らんだ頬に透き徹った玉のような静かさが戻っていた。「どうぞ笛を」ともう一度少女は叫んだ。家の外でまたしてもひょうと笛の音が高まった。突風のように寒さが戸障子の隙を潜って長者と娘をとり包んだ。
少女は笛に愛らしい唇を添えた。ひいっ、ひいっと二声かん高く息を吹き入れてから、少女は凛と眉を張って戸外の笛に耳を澄ませ、やがて静かに合わせはじ めた。ひいひょろ、や、ひょうひゃら、ひょうひょう、や、ひいひりひろろと響き合う内にも、病み疲れた少女の淡い紅をはいた肌は、一息ごとに青い花びらを 沈めるように眼のまわりにも額にも頬にも、また可憐なうなじから胸もとへまでも切ない苦しみの色をにじませた。それでも少女はかすかな笑みを浮かべてい た。
少年はしずと立った。絹をうかべた光の波となって少女の吹く笛は少年のからだを月かげの中で洗うようであった。遠く近く、りんらん、りんらんと水の音も まじって、樹々も草花もあやしく揺らいでいた。笛を腰に挿し、籬の白菊を手折って少年は無言で庭の内を見入った。颯とかざされた菊の花が虚空に弧を描き、 その時少女は笛をやめて声佳く唱った。
「長安は銀漢の北に、洛陽は滄海の西に、天も地も何の命あらん、妾は東籬の菊を愛す」 少年は少しく笑みを浮かべて菊を天に抛ち、くるくると地を踏んで舞い遊び、再び笛をとって玲瓏と谷いっぱいに響かせた。少女も床の中から切なく和した。
一声ひょうと少年が吹き切った時、少女は笛を床にとり落とし、美しい髪をはらりと前のめりに崩したまま、韻々と風に乗って遠のく音色の荒寒に澄みかつ優 しいのをしみじみ聴くようであった。少女は再び起たなかった。少年の姿はすでになく、りんらん、りんらんと瀬の音のみ鳴って、谷の里は月光に埋もれてい た。
鵬を御して少年と少女は天涯に去ったと里の者は信じているが、峯深く住む風が少女に懸想したとも言われている。

* これも私・秦 恒平の世界。掌の小説とか、ちらほら見知ってきたが、こういう別世界には出逢った事がない。
2020 2/23 219

* 図書館から、私の自著を全部揃えて貰えまいかと頼まれ、やっと腰を上げて妻に手伝ってもらい書庫の棚からおろし始めたが、し終えなかった。「湖の本」「選集」を除いても、なんという著書の多さ、豪華限定本を除いても、創作、論攷、随筆、対談、座談会、講演、歌集、新書、文庫等々、百册を優に抜いて、床にひろげ置いても、もう置き場がないほど。続きは明日にしようよと痛む腰を伸ばしてやめてきた。
むろんこういう著作本は、悉く出版社の請いを受け入れ刊行を私が肯んじ承知したものばかりであり、ここに私家版や選集、湖の本は加えていない。いかに、 疾走する勢いで「本」を出し続けてきたか、受賞後十年と経たない頃、ある店で顔の合った吉行淳之介氏から、呆れ顔でどうするとああも書けるのと声を掛けら れた。べつだんの気持ちはわたしには無かった、ただ心して仕事し続けていだけのことであったが、生涯に一冊の著書が持ちたいと熱望している人、多いんです よと。担当編集者に笑って云われたこともあった。
ま、それだけの本をわたしは、九割九分は自身でも買いおき保管してきたから、今回図書館にかりに二部ずつ寄付しても、一二冊ずつは手もとに残る。幸か不 幸か朝日子にのこしても受け取るまいし、建日子は父親の作物にあまり手を出したり目をむけるタチでない。おいおいに外へ散らばってもも選集もあり湖の本も あって自身で、むかし谷崎先生の書かれていたように老来自著・自作を楽しんで読み返すのに不自由はない。幸せな書き手であったよと素直に感謝し喜んでい る。なによりも今なおいくらでも書けることだ、病気さえしなければ。完全な盲目におちいらなければ。

* 今日も、懸命にこころがけて書写の仕事にも耽っていた。当初はとてもとてもと仕事量に音をあげていたが、手がけて数日、ムリかなあと渇望していた段階 も通り過ぎ、総じての半ばを越えてきた。これ以下は割愛しても差し支えないというところまでは、もう32頁。すてに82頁の難儀な書写を終えている。この 仕事がまことに興味も趣味も豊かで、しかも背後に日本の近代を貼り付けている。「湖の本」記念の第150巻を「ホホーゥ」と受け容れて戴けるように折角努 めたい。
2020 2/23 219

☆ 眼 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

男は妻をだましていた。
だが、妻は知っていた。
年がたち、男は侘びしく老い疲れた。妻ひとり若々しかった。
そして、妻が言った、「わたくし、知ってましたの」
陰気な眼で男は妻の顔を見た。妻はすこし横むきになって薄笑いした。
男は家を出た。
川岸の大きな岩かげにうずくまって、男は早く烈しい流れのさまに眼を据えた。昔、はじめて女とここに隠れた時もこのように烈しく湍ち流れる川を見た。女の暗い涙を吸いながら、瀬音にせめられ、渇くように悔いていたーー。
男は今、ゆっくりと着ものを脱いだ。骨立ったまずしいからだに、夕暮れ過ぎた残りの陽ざしがうつろに絡んだ。
くわっと口をあいて、男はまず右の脚から荒々しく喰い千切った。
右を喰い左を喰い、見るかげない股ぐらを喰い切り、臓物をつかみ出し音たてて啜った。肋らの骨を折りひしぎ、血糊をぼたぼた掌につかんで男は無念無想に吾が身をむさぼり喰いつづけた。
宵やみが寒々と川面をとり包んだ。
両の腕を支える肩と、あとは首から上だけになった男は、岩のかげで陰気に眼をあいていた。瀬音が高くなった。水面を弓なりにかすめ、黒い鳥の影が一散に向うの山はらに隠れた。
男は無表情に、やがて両の腕を真朱な口で噛み砕いたーー。血塗られたただもう一つの生首一つになって、男は物憂そうに川原を見ていた。川は暗の底を無気味に奔った。
鳥が、日々に男をついばんだ。
二つの眼の片方は、乱暴なからすが来てほじくり出した。雨が降り、霜が下り、雪に埋もれて片眼のされこうべはそれでも陰気に川を見ていた。
川風にさらされ石になった男の頭を、野ざらしの朽木ほどにももう小さな獣や鳥たちは、怖れなかった。
千年たち、万年たち、それでも、男は川のすがたを見ていた。
或る夕暮れーー
雨に追われて女が一人岩かげに飛びこんで来た。息を喘がせ、女は濡れた額髪をかきあげていた。妻だった。妻は夫に気づかなかった。顔は真白で、黒い瞳が光っていた。
直ぐあとから、ずぶぬれの若ものが来た。若ものは蒼ざめ、ふるえていた。女は若ものの胸を切なく抱き寄せた。
されこうべは一つ眼を若ものへ瞠いた。女に抱き締められ、若ものは血走った顔を暗い岩はだに寂しそうに向けていた、あの時のされこうべ自身のように。されこうべはかすかに揺らいで、陰気な眼つきにかえった。
やがて若ものが先に帰って行った。
女は濃い息を静かに吐き吐き、じっとそこにかがまっていた。
されこうべの男が呼んだーー。
夕やみに白くうるんだ顔を浮かべ、妻は夫を見た。無気味に、一つの目玉でじろりと生白く見据えたされこうべの男は、漸く重苦しげに呟いた、「ーー俺は、 知らなかったーー」 妻はあの時と同じに横をむいて、にたと薄笑いした。そして、立ったかと見るまにいきなり欠けて窪んだ男の鼻さきを蹴飛ばした。からん からと冴え返った音を流れに響かせ、されこうべは宵やみに紛れて、ざぶと川にはまった。
雨脚が二条三条、斜めにきらきら奔って、暗闇がたちまち濃さを増した。

* 狂気を抱いて生きているのだな、人は…、いや、俺は、と思いながら暗い喫茶店の二階から街の十字路へ出た。会社から百メートルほどの喫茶店だった。二 階は暗いラヴシートで、上司や同僚にサボを見つかる心配がなかった。毎日書くと決めていたから書きたかった。書き続けた、極くの短時間で、毎日。
2020 2/24 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆ 蛇 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

太霖の西、靖安の北に方百里、蘆荻の生える広い澤があり、幽湖と呼ばれた。小舟をあやつり草を刈り営む数少ない人が見渡すかぎりの風波をかきわけここに住んだ。
幽は深さ数尺、大人は立って水を歩む事もできた。酷寒の時は氷にとざされ、氷の上で蘆荻は終日風に鳴った。人は舟をすて風に抗ってこれを刈った。刈り尽さぬうちに氷は溶け、草の茂りは前年にも増して、小舟は為にしばしば水路をさえぎられた。
幽湖の蘆の茎長く強靱な事は周く知られていた。それでも此処に生業を求める人は少なかった。幽湖には蘆荻の数ほど蛇が棲むからであった。蛇は蘆荻の髄を 噛み、時には太い茎に潜む事もあった。風波が方百里に美しい紋様を描き出す時、馴れた者の眼にはかすかに光る水面に蛇の群の奔るのが見えた。
蔡は蛇を怖れぬ若者であった。
靖安の街に生まれ、早く孤となり、人を頼って幽に住む身の上であった。孤独な蔡の心を重くふさぐには幽は余りに広漠と空明るい天地であった。鋭い風が容 赦なく少年の涙を払って涯てしない湿原を吹き募った。蔡はむなしさに馴れた。馴れればいっそ冴え返った境涯であった。来る日も来る日も草と水と、そして蛇 たちを見た。何れもが何れもの美しい絵模様を澄み切った空の下で幾重にも描きつらね、蔡を飽かせなかった。
或る午さがり、蔡は蘆むらの中に舟を泊めて仮睡していた。うつうつとして、そして眼醒めた時、二尺ばかりの小蛇が蔡の膝の下にいた。蛇は首を自分で捲き こみ、形よくとがった尾のさきを軽く蔡の足にもからめて陽だまりを楽しむように睡っていた。肌は鮎のように淡い青を透かせて銀色に輝き、少年のかつて知ら ぬ美しい色をしていた。足にからめた尾のしなやかさは優しい温みをさえ秘め、日光を射返す小さな鱗の一枚一枚が細工物のように翳を生んだ。
蔡は蛇の首をさぐって強い腕にからませて見た。光る細い舌が、怖じて蔡の鼻さきを赤い火花のように動きまわった。瞳は、つのぐむ頃の蘆の新芽より初々しく深くたたえた緑であった。蔡はたちまち蛇を心に想うようになった。
日がかげると、蛇はするする水に下りて行った。水の底が生白く揺らいで、また風が鳴りはじめていた。蔡は心蕩かされたふうに舟のともに佇立した。この日から蔡は小蛇を夢に見た。
日はひねもす、草刈る間もひまなしに、動く水面騒ぐ草の根に心をやった。あの青い瞳に唇を当て、あの美しい尾に肌を触れ、胸にも抱き、首にも捲かせて来 る日来る夜も倶に暮したいと、蔡は蛇に恋い焦がれて日を送った。あの蛇に逢う事はついぞなく、胸轟かす遠くの影も寄ればむなしい浮き木の端でしかなかっ た。それでも少年の寂しい恋は冴えた幽湖の明け暮れの中で孤独な焔をちろちろと燃えたたせていた。
蔡が再び蛇に逢ったのは次の春、太霖に至る幽邃な渓谷の見える辺りであった。
蔡はつくづく心に倦む所があって、呆けたようにゆるゆるとここまで舟をやってきた。僅かに露頭した岩に舟を泊めた蔡はそこで干しきびを掌ににぎって少し く飢えを癒した。食し了ると掌についたきびを舟ばたではたいた。さながら麩を追う鯉の如く、常はこのきびの散る時は蛇も寄るのであったが、この時は影を見 なかった。蔡はそれをしも淋しいと感じた。人の世を忘れて久しい少年に蛇はさも優雅でさえある温和しい友であった。
蔡は去ろうとした。その時、岩かげをめぐってするすると舟ばたをかすめて游ぐ蛇がいた。蔡は、その場にしびれた。夢にも忘れぬあの蛇がただ一尾、一年の 後にも一層美しく青澄んだ銀鱗をまとうて蔡を見ていた。しかし、蛇は蔡の傍まで寄ろうとしなかった。岩にのぼり、尾を捲きからめて首をあげたまま日のさす 方へ朱い舌を吹き矢のように飛ばして見せた。蔡が岩に下りると蛇はするりと水に入った。竿を出せば戯れてからみ、音をさせてはまた水にかえった。さながら 人に対う如く蔡は蛇を呼んだ。聴くかのように蛇は静かに舟のまわりをしなやかに游いだ。
だが、やがて今一匹のたくましい蛇が波を分けて蘆間から姿を見せると、一度は岩にのがれた青い蛇もざぶと游ぎ寄りからみ合って水に潜った。蔡は我を忘れ て蘆刈の穂鎌をこの黒い蛇めがけて抛げた。烈しく騒ぐ波紋を乱して傷ついた蛇は青い女蛇にたすけられたまま蔡の竿も及ばぬ方へのがれて行った。蔡は眼血走 り、空しく竿を振るって幽湖の面を叩いた。
その夜、蔡の舟は眠れる主を舟底に横たえ蘆荻の原をまっしぐらに東へ走った。あたかも人あって誘い後押す如くであった。
蔡は眼醒めて異様の物音を聴いた。
真暗な岩屋の内を、雫するように無数の蛇が群れ、舟はひしめく蛇に支えられ、舌うちの如きするどい息づかいは闇の中で微塵に光る真朱な火花の群となって冷たい洞の空気を揺るがせていた。蔡は忽ち失神した。
次に眼醒めた時、蔡は一人の娘に看とられて床に臥していた。娘はそこが靖安に近い村はずれで、蔡がこの家から幽湖に至る水路の端に倒れていた由を教え た。舟はと訪ねたが知らぬと答え、娘が蔡を見た時、その背に青い可愛らしい蛇が人を待つように居たと言った。蔡は青ざめて黙した。
蔡の背の真中に爪ほどの薄澄んだ青い蛇の鱗が一枚貼ってあった。娘が見つけて剥がそうと指をかけると、蔡はにわかに蛇身と化して床を這った。娘は飛び退って手近の鎌を叩きつけた。胸を剔られて血に染んだ少年の姿を見ても娘はもはや介抱しようとはしなかった。
ようやくこの村をのがれ出た蔡は、疲れ切って故郷の靖安に戻った。
当時大徳の尊者がたまたま靖安路上に蔡少年を見るや寺に伴い帰り、仏の前で南無仏と唱えよと訓えた。蔡が南無仏と念ずると忽ち無量の疼きが背を痛めた。 尊者は声高に更にと促した。南無仏、南無仏と唱え進めば蔡の総身はさながら波を揺する如く震えた。背の鱗はそれでも剥がれなかった。若葉に似た青い鱗が血 に染めるが如くなったと導師は叫んだが、蔡は倒れ伏してひたすら眠りに落ちた。
夢に蔡はあの蛇を見た。蔡の恋は生きていた。夢中、尊者の唱える南無仏の声が響くと蛇は苦しげに身もだえた。蔡は激して念誦を制した。ひらりと蛇は水にかえった。蛇の去ったあとの水絵の美しさはしみじみとたまゆらのうちに消えて行った。夢は醒めた。
蔡は起って仏像を見上げた。少年はかつて仏を知らなかった。だが、仏像の頭上より静かに首を垂れて蔡を呼ぶ青い蛇のうるんだ瞳をうつつに見出した時、そ して、蛇の背の一枚の鱗が無残に剥がれて血ににじむのを見た時、蔡は一心に南無仏と唱えていた。背の鱗がはらりと散り、蛇の傷ついた肌もこの時癒えた。青 い蛇はさしのべた腕へ来て優しく蔡の胸をなめた。蔡の傷もすなわち癒えた。
蛇に頬を寄せ、眼をとじたまま蔡は涙を流して暫く動かなかった。やがて、蛇のからだを静かになでいたわり、庭に下りて水に戻した。蛇は一度見返り、二度顧みざま深く潜って、再び見ることがなかった。
蔡は仏を拝し、何れへとなく、去って行った。

* 掌説と謂うには長編に属して小説として仕上がっており、異様の作でありながら自愛の作であり、この一作があって、「清経入水」の怪奇は甦って新聞連載小説「冬祭り」を迎え、さらに遙かに歩を運んで今度の「花方 異本平家」へ脈絡を繋いだとも謂えようか、
この愛すべき小蛇こそが「花方颫由子」へ生まれ変わったのであろう、わたしは守られていると思いたい、厚かましいが。
2020 2/25 219

* 奔放に過ぎたやんちゃな語り口ではあるが、『花方 異本平家』がわたしは好いていて、いい原稿にしておきたいと思う。この物語には平家物語だけでなく 源氏物語の深層世界ともかげを牽き合うている。海と海の神とを念頭からはずして此の二つの国民的遺寶作を味わうことは出来ない。
2020 2/25 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  盃 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

李白は振りかえった。たしかに誰かが呼んだのに、人の姿がなかった。
李白は眼を惹く店先のひとつのさかづきを買った。わずかに掌にあまる、青みを帯びて美しい荊州の白瓷であった。
家に帰ると李白はすぐ酒がめを引き寄せた。眼を細め、李白はさかづきに酒を注いだ。とくとく、とく、くとく、とく。酒はさかづきに満ち、満ちたかと見る間に美しい琥珀色は汐の乾くようにさかづきの底に沈んでしまった。
とくとく、とく、とくとく、とく。
李白は眼を疑いながら徳利を傾け、燦く酒の艶を急いで唇に受けた。またもや酒は漏れるようにみるみる消え失せ、芳醇の香気がむなしく李白の鼻を打った。
これはひどい。思わず李白は呟いた。すると、答えるようにさかづきの底から酒が湧き溢れた。李白は大慌てで飲み干した。
三度めの酒は穏かにさかづきに波打って光った。李白は幸福そうに、盛りあがった酒の色香に顔を寄せた。白玉のさかづきの底に、李白を見て笑っている一人の男の顔があった。人の良げな男は、揺ら揺る酒の中で笑みくずれ、物言いたげな眼をしていた。
李白が問うと、さかづきの男はこんな事を言った。
自分は昔淅県の参軍まで務めた者だが、酒で官をあやまり市隠のまま一生を終った。好きな酒はやめられなかった。死に際に自分は人を呼んで、かならず我を 陶家の側に埋めて呉れよと頼んだ。願わくは百千歳の後に化して一塊の土となり、幸い採られて酒壺とも成らば、実に実に我が心を獲ん、と。
さて自分はかようなさかづきの底に栖む事を得たけれど、不運にも久しく店頭にさらされて美酒に遇わず、今日貴公の眼にとまったのは千秋の僥倖、はなはだ有難い。毒味までに一杯お先に頂戴したーー。
李白は手を拍ち大笑してこれぞ酒中の仙、莫逆の友と、それからは、先ず李白が一杯、つづいて男が一杯、仲良く代わる代わる飲みかわして夜の更けるのも厭わなかった。
李白が戯れて歌を所望すると、男はかがやき揺れる酒の下から、美声を張って朗々と唄った。
蘭陵の美酒は鬱金の香  玉椀盛り来たる琥珀の光
ただ主人をして能く客を酔はしめば  知らず何れの処か是れ仙郷
夢にも恋しい故郷の酒を   いざなみなみと酌みたまへ
この家の主の客あしらひに   酔うてうたへば花が散る
酒は百川をも吸う勢いでさかづきの底へ引かれて行った。李白は喝采して、そんな窮屈ところに居ないで出て来ないかと誘った。おうと叫んで、忽ち筋骨うるわしい精悍な武人が李白の前にどっかと坐った。
二人は庭上の春色をめでながら、今度は先ず客が一杯、次に主人が一杯、物も言わず泣きみ笑いみ応酬やむ所を知らなかった。
とうとう李白は盛んに酔を発し、ぐるぐると両手を振りまわして唄い出した。
両人対酌山花開く  一盃一盃また一盃
我酔へり眠らんと欲す君しばらく去れ  明朝意有らば琴を抱きて来たれ
花を浮かべて酌むさかづきに   夢も匂へや星あかり
酒がめ枕に寝たまへ倶に   明日も聴きたい君のうた
声の下で李白はそのまま酔い伏してしまった。男はひとり神色端然、しばらく美味そうに酒を口に含んでいたが、やがて皮ごろもを脱いで李白の肩に被せ懸け、かき消す如く春の夜のやみに去った。

* 此の作は、東博の東洋館で出逢うた武人像に魅されて成った。

* 今は自在に酒飲みの私だが、勤務の昔は酒に一切手は出さなかった。しかし「作家」としても世渡りし始めると、当時の風とし て、担当編集者や出版社は盛んに酒の席へ私を連れ歩いてくれた。そして言われた、「秦さんは、幾ら飲ませても酔わない」と。たいてい接待してくれる側が先に酔い潰 れていた。あの頃の出版社は景気よく、編集者はズボンの尻ポケットに札束をねじ込んだままわたしをあの店この店へ連れ回ってくれた。あの時代、あのような私の頃は、「出版」も、「作家」への対応も、ほぼそんなふうに「好景気めく最期の火の手」をあげていた。
しかし、やがて、「売れる本なら何でも」「売れる本を本を」と編集・出版者が私のような作風の者にも一つ覚えのように言うようになった。程度や水準を問 わない「文字本・読み物」を追いかけ、「文学・文藝」の質は問わずむしろ硬質・高程度の作品が「たくさん売れない」理由で敬遠されだし、純文学・高度文藝 の人はだんだん置き去りにされていった。私のように「秦 恒平・湖(うみ)の本」といった形で自作の文藝を数十年に亘り愛読者や各界人へ送り出せる作者は、他に、一人も出なかった。
言うまでもなく「湖の本」は雑誌ではない、装幀は簡素でも、作家・秦 恒平「ひとり」の書籍として150巻も送り出せていて、まだなお「先が有り」うる。「貴誌に広告を載せて」という希望が最近寄せられ驚いたが、「雑誌」で はない、明瞭に単著に類した一巻一巻が「書籍」なのである。

* 亡き鶴見俊輔さんと対談した折、秦さんの「湖の本」に倣いたい作家は大勢いますと言われ、但しそれには、「作品の絶えない提供と高い水準」「相当数の 愛読者・協力者」そして「編集・出版の技術」と「家族の熱心な協力」が「絶対的に不可欠」で、これが他の誰にも充分には出来ないと断言されていた。さすが に正確な見立てだと感じ入ったのを思い出す。
2020 2/26 219

* 国会の審議を聴いていても 安倍晋三とその内閣の誠心誠意を欠いた誤魔化し答弁にほとほと呆れる。なんという國の不幸、国民の不幸か。
わたしは、日本国の権勢人については、当然ながら詳しくはなく、すばらしい権勢人よと遠見にも敬意をささげて眺めた歴史の人を何人とも持たないけれど、佐近の安倍晋三如きは、敗戦後でも最低、かなりちゃらっぽこに威張った維新後の歴代台閣とならべても、あまりにうすっぺらい。なにより、顔にも言葉にも一国を背負う教養も品位も観てとれない。
私は今、「維新の元勲」と呼ばれて、悪名すらも高かった一軍人政治家の生涯を、かなり詳細に、其の風雅と教養の面から眺め確かめ続けている。その政治生 涯の多くは容易くは思想として容認しにくいものの、安倍晋三如きとは天地ほども、月とスッポンほどもかけ離れた世界と体験と見識を持っていた。ああ、めぐ り合わせでこういう仕事もわたしはするのかと感慨深く心容易につとめている。
2020 2/26 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  盧生 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

一炊の夢に人生をあきらめた盧生は、邯鄲の地に住し諸人に夢を売って、空々寂々の日々を過ごしていた。盧生のもとに来て一夜の夢を購う者は、すべて己れ の願望をあからさまに告げ、せめて夢寐(むび)の間(かん)にも所願成就のさまを味わいたいと言った。盧生はつくづく、諸人の心中に巣喰う望みの諸般にわ たって且つ浅間しいくことを知った。色あり金あり、立身、権勢、復讐、冒涜から怪力乱神に至るまで、凡といえば凡、しかし淡くかつ心虚しいさわやかな夢を 望む者の一人とてもなかった。
盧生は一々に百金を投ぜしめ、茅舎(ぼうしゃ)の傍(かた)えに一基の石塚を設けると、千金を得るごとに一階を重ねて行ったので、巨大な塚はやがて蒼天を摩するほどになった。人は「夢塚」と称えて、夢茫々の空しさに思い当ったものの、夢購う者はなお跡を絶たなかった。
ある朝、一人の若者が盧生に請うて、夢とも覚えぬほど平常と変らぬ平常の自身を夢みたいと言った。盧生は大いに首肯く所あって諾と応えた。若者は短褐 (たんかつ)を衣(き)て青駒(せいく)にまたがっていたが、下馬して夢塚の傍らに草に枕して平然と首を俛(ふ)して寝に就いた。
若者はやがて起き直ると長嘯して草をつかみ、千切って空に吹き払うと盧生を顧て、夢平常と異らず、平常もまた夢に異ることがなかったと言って笑った。夢 というものはただ平常時を淫するのみで益する所がまるでない、幸いにしてあなたのおかげで夢を振り切ることが叶ったと語ると、塵を払って青駒を駆り若者は 盧生の前を去った。
盧生は床几に坐して若者のことを考えた。彼の言う所大いに意に適ってはいる。しかし炊一飯中の夢に却って醒めた自分の生に処する態度と、彼が夢また平常に同じと観じてこの後の生に処さんとする覚悟とには太だ径庭がありそうだ。
盧生は巨大な夢塚を汚げに仰ぎ見ながら、曾て道士呂翁の神仙の術によって青磁の枕に俛し、生涯の経歴を夢みた日のことを想い起こした。波瀾万丈の生涯を 夢寐に終って寤めた時、一炊未だ熟してもいなかった。蹶然として盧生は、夫れ寵辱の道、窮達の運、得喪の理、死生の情尽(ことごと)く之を知ると呂翁に謝 して青雲の志を一擲したのだった。
果してあれでよかったのであろうかーー。
盧生は夢中に清河崔氏の女の極めて麗質なるを娶り、それより大いに立身栄達を経て燕国公にも封じられ、五子十孫を獲て年八十を逾えた後に病死している。 夢若し真ならば、尽く之を知ると擲つよりも、大いに勉励してたとえ万中一事たりと夢寐に極めた所をさらに越えんと試みてもよかったかしれない。凡といえば 凡、しかしそれも一の生涯で、また面白かったであろう。
盧生は若者を尋ねたが知る者がなかった。短褐を衣て青駒を御した若者は呂翁に遇った曾ての盧生の姿そのままであった。
盧生は夢売ることをやめ、夢塚を遺した。

* これもまた私をとらえた一閃の作物だった。ふっと目を閉じるとこういう世界が闇の奥から私に駆け寄ってきた。
2020 2/27 219

☆ お元気ですか、みづうみ。
検査結果が良好でとても嬉しく思いました。油断してはいけませんが、どうかこのまま心ゆくお仕事の日々をお元気にお過ごしくださいますようにお祈りいたします。

二月の連載、「夢の夢  秦恒平・掌説の世界」を読んで、毎日視界が青く澄んでいくように感じています。一日一話を読むという読み方が、この作品群にはふさわしいことに気づかされました。

じつは今までみづうみの「掌説」はみづうみの他の作品のようには愛読しないできていました。ごめんなさい。苦手意識があったのです。散文詩として読みたいなと以前から思っていましたが、正直読むのが辛かった。描かれている世界が凄絶で怖かったのです。

今読み直してみてもやはり恐ろしい衝撃です。みづうみの「掌説」に似ているものを探すと、たとえばカフカの凍えるような不条理の短編の数々が思い出されます。黒澤明監督の『夢』という映画も近いかもしれません。こんな夢を見た、と次々に登場する悪夢の映像。

カフ カを尊敬していますし、カフカなしの現代文学はないほどの巨大な作家だと思うのですが、その小説世界は底なしの地獄でありましょう。ただし、詩美の極北の ような言語で表現された地獄です。それがカフカの天才の在り方でした。ああ、でもこのような悪夢を見る人間がしあわせになれるのでしょうか。カフカを思う 時、天才というのは悪夢に生きざるを得ない「呪われた」人間だと思い知るのです。そしてみづうみもそんな「呪われた」文学者のお一人であることが「掌説」 では隠しおおせません。みづうみは「泥を吐く」と表現なさいましたが、カフカを悲しむように、みづうみのことも悲しみます。その言葉の詩美に酔いながら、 自分が、あるいは作者が刺される一瞬の刃物の輝きをみるように「掌説」でわたくしは救われないのです。

わたくしの容量では、一日一話の悪夢にしか耐えられない、だから今までまとめて読めなかったことがよくわかりました。みづうみに他の多くの小説や評論やエッセイのお仕事のあることをわたくしは愛して喜びます。

晴れやかな青空が広がる冬晴れの一日、みづうみの文学仕事を存分にお楽しみくださいますように。  鉢   これはこのあたりの僧や鉢叩   巌谷小波

* 私の「掌説」が、初めて正当に批評された思いに黙然と肯いている。
書いていた私自身にも怕い思いがいまも在る。こんなのがつぎからつぎへ跳びでてくる自身が不可解で始末のつかない怕さ。おそらく他の誰からも生まれてこないだろう孤立した怕さ。それは、それなりの強烈な自負でもあるのだったが。

* 一昨日から或る凄い論著一冊を久々に読み返し始め、今晩、浴槽の中で読み進む間に、また、自身の途方もない底くらい世界へ旅立って行きそうな、つま り、「書けそうな」着想に恵まれかけた。もうすこし押して行くか、諦めた方がいいか。わからない。書けるなら書きたいと突ついてくる私がいる。よせという 私もいる。

* 書きたい、書けるという着想が幾つもかぶってくると、これが狂気というのかと、嬉しくも怕くもなってくる。「雨月」「春雨」の上田秋成は、どうだったのだろう。
いま、寄り道のヒマのない仕事を進めていて、気の多くなるのがいささか難儀だが、着想が向こうから向こうからすり寄ってくるのは、有りがたいことである、大事にしたい。
2020 2/27 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界

☆  孔子 (作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

荒野の涯てに日が沈むさまを、寒風の丘に佇って孔子と童子が眺めていた。二人の影は草あれの斜面を伸び、刻一刻夕やみが野もせを蔽って来た。孔子は端厳 たる自然の法を領略する所あらんと惟っていた。落日と燃ゆる空の色とは、だが、しばしば孔子の頑なな物思いを美しさや寂しさの故にかき乱した。
童子はただまじまじと眼を瞠いていた。やがて率然と孔子の顔を見上げて問うた。日の入る所と洛陽の都とは何れが遠かろうか。童子の心もち冷えた頬に掌を 寄せ、孔子は言下に日の入る涯ての方が遠いと答えた。何という稚い問い、何という答え易い問いであることかーー。孔子は静かに笑ってさえいた。だが童子の 不審は払われなかった。日の入る方は眼に見ゆる、しかし洛陽に聳ゆる高楼の一つとても我が眼には見えぬ。されば、今眼に見ゆる方こそ近うなくては叶わぬ 筈。童子は眉をひそめ、寂寞たる荒野の彼方を見つめながら言い切った。
孔子は黙した。黙せる老翁と不審の童子は丘の上になお暫くは凝然と佇ち尽した。
童子を親のもとへ送ると孔子は家に帰った。弟子たちは孔子の語るを聴き、めいめいに破顔した。童子の為に不審の所由なき事を直ちに説かなかった師こそ奇怪であると戯れる者もあった。
弁舌に巧みな子貢は、空は見ゆるが汝の背は見えまい、空と汝の背と何れが遠いかとでも申されたら宜敷かったのにと言い、子夏は、見ゆると言うなれば、日 が雲に隠れた時は何として見えぬ洛陽との遠近を語る積りであろうかと一笑した。みな試みに童子の不思議を言い鎮むべき論法を順に述べて興がる中で、子路だ けは単に可愛い子であると述懐した。
最後に、子淵が穏やかに居ずまいを正して、天空よりも背の方が近いと本当に言えるものだろうか、子貢は童子の不審に関わりのない事を論じている、また子 夏の説も童子の為には空語に等しい、と語った。重ねて子淵は言った。師はその時黙されただけではあるまい、おそらくは童子を抱いてわれ等が国の美しい歌謡 を唱しつつ家路に就かれたであろう、と。
頷いて、孔子は若き子淵の能く吾を解するを賞美した。
弟子たちが退ると、孔子は例の如く灯を消した。遠きも近きも濃い宵やみにゆらめき沈んだ。眼を瞠くか、閉じるか、一瞬孔子は惑った。
ーー掌説の一 完ーー

* 以上は、昭和四十年代の初めから半ばにかけての作を集成しており、以後、数次にわたり、私家版『斎王譜』星野書店、限定豪華本『春蚓秋蛇』湯川書房、 単行本『閨秀』中央公論社、湖の本第十三巻『春蚓秋蛇』等に収録されています。殆ど全てが本郷界隈の喫茶店で会社勤務時間内に、三回にわたり一日一編ずつ 連続して書かれています。喫茶店に入ると書き上がるまでは出ないと決めていました。何を書くかのアテなしに店に飛び込み原稿用紙を広げるのです。
最初の一行がしばしば決め手になりました。かなりの泥を吐いています。
2020 2/28 219

* 願力ばかりでは、とてもムリかと思いながら突入決行してきた或る「書写」の作業、明日中にも「百十六頁」まで、これでも念願の意図に「充分」という段 階へまで達する。苦渋の作業でなく、ある意味賞嘆の、それ自体すこしも不愉快なただ辛抱仕事というのではなかった、「いい仕事」だった、そしてこの先「い い仕事になって行きそう」な信頼がもてる。
実は、其処まで達し終えて、なお「三十四頁」分の余録がある。私は、その分にも「いい評価」価値と意義があると観ており、明日で満足してしまうまいと考えている。

* 八時半。今日は、夕刻前にかなり疲労し寝入っていた。疲れても仕方ない踏み込みで仕事をしている。「老い」を大事にしながら、負けてはしまうまい、と。
2020 2/28 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界  二(七曜)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆ 木

みたされぬ思いをこらえ、男は来る日も来る日も岡にのぼり東の空へあてどない矢を射た。矢は夕月のしたを高く飛んで、人知れずはるかな野に次々に立っ た。矢はやがて根を生じ、百年、緑苔ゆたかに美しい森と化した。男は老いてなお、黙然とむなしい矢を虚空に放ちつづけていた。
いつか森に若い女がひとり棲んだ。森は日暮れともなると、きまって、かすかな、だが言いようなくなつかしい物音を、一つ、たしかに女の耳に聴かせた。音 は、鋭く刺すようであり、やわらかに蔽うようであり、女は、全身で聴いた。日に日に、全身でそれを待った。雨の日も雪の日も物音はかそけく、すばやく、無 類にやさしく森を顫わせ、女も顫えた。女は日ましに美しくなった。
男の矢数は、ついに尽きた。弓をすて、ただもう重い足をむなしく過ぎ逝きし矢の方角へと歩ませた。額は老いを刻み頬はこけていた。眼だけ光っていた。
森が静まりかえってから、半歳が過ぎた。
「もう半歳待とう」と美しい女はつぶやいた。その半歳もかけ去るように過ぎた。森はひそとも鳴らなかった。女は苔あたたかな岩穴のすまいを沼のほとりへ出て行って、水鏡をのぞいた。
「もう一年待とう」と美しい若い女は自分をはげますようにほほ笑んだ。春だった。紅い草花が森に咲き満ちていた。
夏になると花は白く咲き、秋には青く咲いた。森は鳴りをひそめたままだった。

男はただ歩いていた。はじめて見る山だった。はじめて渡る川だった。歩一歩のあてどない前進だけがあった。
冬が来た。男の道はけわしくなった。女の森には雪が積んだ。男は喘ぎ、女は淋しかった。明日は待ちわびた一年があえなく果てる日だった。
とうとう、男は行くてに森を見た。幾十となく通り抜けてきたどの森とも、その森はちがって見えた。雪を被てなお、豊かに美しい緑の森だった。一歩近づき 二歩近づき、忘れていた遠い物音のように身内を血が動くのを、男は聴いた。あら壁のような頬を涙がつたい、男は拳を握って拭うことも忘れていた。
女は近づく足音を聴いた。顫えながら待った。水にうつした顔はまだ十分美しい。うつむいて、微笑んで、両の掌は胸のまえに組んで、祈るように女は男の足音を、呼び声を、待ち望んだ。
男は、若い美しい女を見た、まるい沼のむこうに。昏い岩穴を背にたたずみ、どんな色の花より女の姿はやさしかった。
女は、老い衰えた男を見た、急に日のかげった沼のむこうに。脚もともおぼつかなく息をきらせ、眼だけ凄いほど光っていた。
「妻を尋ねて……」と、女の問いに老人は気弱に答えた。
「夫を待って……」と、落胆を隠さず若い女も答えた。吐息は徒労を嘆いて濃い霧のように美しい顔を曇らせた。
眼に光を失った男はやがて沼をなかばめぐると、見送る女に背をむけた。
その後姿に、女は待ちこがれた若者の逞しい肩幅と背筋を幻に見た。女は走った。抱いた。
男ははや一樹の老木となり、枝という枝に雪を置いていた。
女は崩折れ、いつまでも泣いていたが、次第に一の白蛇と身を変えてながく樹上に棲んだ。女もまた、男がかつて放った矢の一と筋にちがいなかった。

* 新聞連載小説『冬祭り』のなかで、木曜から水曜の一週間に必要在って「掌説」七編を書き込んだ。連載一日分の字数で書いている。 不思議な「木」から始まった。
2020 2/29 219

 

* 私は、文学幼少年から、勉学・読書そして習作時期を経て、文壇作家として十年余で60册を超す著作を積んで、そのさきで自然に文壇からはなれ、実質に おいて他に例を見ない「フリーランス」作家の「独り道」へ歩んで出た。「秦 恒平・湖の本」がその存在証明となって満34年・150巻を達成してなお継続、更に600頁平均の『秦 恒平選集』33巻の予定も完結を目前にしている。
鷗外・漱石・藤村・直哉・潤一郎・康成・三島等々や大江健三郎その他の道を慕って純文学ないし藝術としての文学作家を真実心がけ願っている人には、私の歩いてきた作家道は、念頭に置かれ自問自答されていい課題になるだろう。これは広言でない、老いの提言なのである。

* 此処までで足りていると思えるまでを書写し終えて、なお、もう一段奥へも踏み込んでいる。
体調、宜しくない。気を入れて書写など続けている間は打ち込んでいるのだが、手をとめるとぐたっと頭が落ちてくる。掌を開くと指の十本の一本ずつに縦に 無数の縦皺が走り、掌全体は音のしそうに痺れている。もう八年、手術と抗癌剤いらい斯うである。それでも見えにくい視線を走らせてキイを押すことは出来て いる。これの可能な打ちは作家しているというわけ。
うろうろしていると、「湖の本」も「選集」も本が出来てくる。明日から三月。用意だけでも容易でない。狼狽えると潰される。一つ一つ一つ、仕憶えてきた作業を積んで行くしかない。疲れてくると、目を閉じつづけては開いて一仕事しまた目を閉じている。
2020 2/29 219

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 二 (七曜)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆ 金

少女は、ちいさなてのひらに夕日のさいごの一しずくを受けた。
ものみな、青いやみに沈んだ。
やみの中で少女はてのひらをそっと開いた。かがやく一粒の金無垢が、少女の眼もとをほのかな黄金色に染めた。
少女は黄金の粒から一本の縫針をつくった。針は虚空を刺して光った。
少女は黄金の針で刺繍をはじめた。針は生きたように動いた。布地の上に、涯てしなく月夜の海が広がって行った。
あやつる人もない小舟が、どこからか少女の前へ漂い寄った。静かな波にはこばれ、少女と舟とは青い海の上を流れた。どこまでも、どこまでも、海は寂しい月夜の底を流れた。
舟べりに身を寄せ、少女は黄金の針を波間に垂れた。
針が鋭く波をくと、波の下から黄金色の蝶が一匹、夜空にひらひら舞いあがった。
つづいて一匹、また一匹、七色の無数の蝶が、いたいけに翅をたわめ、波を潜り、あとからあとから風に舞い月に酔って、大空いっぱい眼くるめく虹の大橋を懸け渡した。
羽ばたく蝶の懸け橋を、少女は一足一足登って行った。一足すすむと一足くずれ、蝶は踏みだす足もとから色を喪った。枯れ葉のように落ちて行く夥しい蝶の群れが、遥かの海を灰色に変えた。
少女はなおも登りつづけた。
月がいよいよ明るく照った。
とうとう、虹の橋がなかぞらに杜絶えた。少女の足もとには、波間を最初にのがれでた黄金色の蝶がただ一匹、燦めき羽ばたくだけだった。
少女は夢中で最後の蝶の背を踏んだ。黄金の蝶は少女をのせ、涯てない空の涯てへ、ゆらりと飛び立った。
黄金の針を心細く抱き、上も下も、左も右も、濛々と湧く雲の峰から峰を縫って、少女と蝶との旅はながかった。
少女は訊いた。
蝶は答えた。
ひときわ高い高い雲の峰からまっかに輝く日の光が射す一瞬、黄金の針を力いっぱい光の渦へめがけて刺すがいい、と。
少女は、また訊いた。
蝶が、また答えた。
わたしは日の神の末の子、怒りに触れ久しく海の底に逐われていたのを、おまえに救われた。おまえが、あやまたず日の神の御手に、その、黄金の針と化した 一しずくの光を無事戻してくれようなら、わたしはゆるされ、おまえはわたしの妻となって、望みの場所で幸せな一生を過ごすことができる、と。
少女は黙した。
蝶も黙した。
奈落を吹きあげる風に巻かれ、蝶と少女は涯てない空をなお空の涯てまで舞いあがりながら、行くてに黄金の針を燦めかせ、ひときわ高いという雲の峰をよもの暗闇にふり仰いだ。
少女は見た。蝶も見た。あまり遥かな高い高い峰は、昏く、大きく、近寄りもならない。少女と蝶は、だが、飛びつづけた。
一刹那、あかい光の矢が少女の眉間を射抜く、と見るまに少女は黄金の針を、炎える焔の芯へ、ちくと刺した。あっと声もろとも少女は、独りの満月のような青年と並んで、なつかしいもとの草野の原に立っていた。
まっかな朝日が、東の空に静かに上った。

* これには下地になる旧作があった。気に入っていたのだろう、補修して新聞連載に用いた。
2020 3/1 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 二 (七曜)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆ 土

男は老いてなお役所勤めの貧書生だった。子はおろか妻もなかったが、酔えばかならず人を扼して妻子の自慢をした。嘲けり憐れみ、みなが酔生子と呼んだ。
酔生子は青春多感の昔、夢に川岸を歩いて、川向うを来る女を見た。青年は歩をとめ、女の視線を熱望した。女は応えてあでやかに笑んだが、川波にせかれ声は届かなかった。夢は卒然と醒めた。
二年後、酔生子はむなしく憧れやまぬ女と、また夢に出逢った。夢中の青年はやや官界に所を得て有能だった。或る時、市中に一箇の壺を購うべく、東西に歩 を散じ、いささか渇きを覚えていた。とある店の土間に立ち、さて宜しき壺をおびただしい鉢や皿の山から撰り分けながら、家人を呼んで湯を所望した。女が出 てにこやかに盆をささげるのを見て、男は声を放ちひしと手をとった。頬を染め、女はそっと頷いた。だが、夢はそこで醒めた。男の現実は、嗤うべきものだっ た。人は木の端を路傍に蹴転がすように遇した。あまんじて、受けた。男は夢に棲んで、かの壺を売る女をすでに妻とし、夢のなかで十分幸せだった。
夢中、男は次第に官長にも重く任じられ、琴瑟和して女は二人の子を産んだ。一姉一弟、すこやかに育った。女の親はかわらず市中に壺や皿を焼き、女が商った。
この家では女が土をもみ、父が轆轤を蹴った。火処(ほと)を守って、七日七夜の火を絶やさず焼くのは母の仕事だった。やがて娘が嗣がねばならぬそれは刻苦の業だった。母はさだめと訓え、女も眉を張って頷いた。人は女をほめて「陶家の玉壺」となぞらえ呼んだ。
酔生子は日々塵労を忘れて幸福な男の役を演じつづけ、上司、同僚、近隣はみな、酔生子の生くるに甲斐ない実人生を嘲りながら、その表情の、年ごとに晴れやかなのをすこぶる奇異に思った。
夢にも生きつづけた酔生子にも、不安はあった。夢を見失うことだった。幸いその夢は年ごとに頻繁におとずれた。時に益体(やくたい)もない酔生子昼寝の夢にも、愛すべき妻や子は敬意を尽くし、夫であり父である男のまえに健気だった。
齢五十、夢中、男が罪なく事に坐して官を捨てた年、娘は良縁をえてはや一女の母であり、息子は大学に学んでいた。だが女は老いた父と母を黄泉路(よみ じ)に送った。女が土をもみ、男が大小の壺に造り、そして夫婦して焼くなりわいの日々が来た。「陶家の宝壺」と人は出来のよさを褒めた。酒はより旨く、籾 はより新しくなった。枝挿せば花咲き、花挿せば実を結んだ。身に抱けば膚に馴れて潤んだ。
酔生子酔余の吹聴は、いっそ人の好んで聴くところとなった。嘘と知れた嘘の面白さをただ嗤うだけの座興だったが、一閃、酔生子の嘘にあてどない己が身の上の不安を照らし出される人も、なかには居た。
酔生子は夢に愛妻とはかって、一の麗しい骨壺を焼きあげた。子を呼びよせて男は姉に、女は弟に清浄の土を一掬いずつ壺に容れよと命じた。
「これが、わたしたちの墓だ」
父は言い置き、母は子らに頷いた。
酔生子の死は俄かに来た。酔って駟(馬四頭の乗り物)の速さを避けえなかった。人は、衰老の男の死顔にふと浮かぶ笑みを見て慄然とした。
もはや醒めることのない最期の夢路を、衰生子は、息子が美しい嫁をえた日の慶びを妻と語らうべく、足取り軽く急いでいた。

* これはよほど私自身の夢をかたちに創っていた。夢は容易には成らないことを知りながら。
交通事故では死にたくないと要心している。
2020 3/2 220

* 念願してはじめた或る「書写」の仕事 百五十頁 すべて書き写した。正字・旧かな。難儀であったがまた頗る有意義に心涼しい楽しめて佳い仕事だった。 日付変わって十分過ぎている。夕食後に、疲れはてて七時から四時間も寝入っていた。し終えてよかった。明日から次の段階へ、そして「湖の本 149」発送 用意の作業へ。ブリンタが働いてくれず 大難儀しそうだがなんとか別途を通っても立ち向かうしかない。「書写」を終え得てよかった。一冊の本をまるまる書 き写すなど、初体験であったよ。
2020 3/2 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 二 (七曜)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  日

男は日と争った。日を罵り嘲った。
日は男を地獄へ蹴落とした。地獄の底を、男は無二無三に走った。走りながら日を憎んだ。
足もとに、いつか一条の光る細い道が闇を裂いて延びていた。道の両側に、数限りなく男を見つめる青白い顔があった。発光体のように、顔は闇からにじみ出ていた。端正で、無表情で、虚空にうかんで、微塵も動かぬマスクの、眼だけが生きて男を見つめていた。
男は走った。前にも後ろにも数えきれない自分の影が飛んでいた。
光る道の奥に、真黒い扉が見えた。扉は押すとも引くとも知れぬ一枚の厚い板にみえた。
扉ではなかった。暗黒のはじまる所だった。男は倒れこむように、頭から闇の底へ底へ落ちて行った。落ちながら、もがいて虚空を蹴った。
逆流する血が脳漿を潜りぬけ、足指の一本一本をぼってり脹れあがらせる。下半身が寒く、顔は生ま温かく、落体の恐ろしい速度に鼻をちぎられ、鼓膜を引き裂かれて、男はやがて落ちる速さを、暗黒のただなかにふと忘れていた。
と、男は硬いよそよそしいものに支えられて、音もなく横たわった。
部屋ーーというのもあたらない厚ぼったい濃い闇が、男を隙間なくとりこめていたが、やがて、身ひとつをきっちり闇間に浮かばせて、物憂い微光が泥のような己れの姿を男の眼にみせた。
男を支えていたのは、無愛想に、冷たく堅苦しく、いっそ、ただの「場所」と呼んだほうがいい、そっけない、気味のわるい場所だった。
物惜しみするように男の身に触れて、まるで皮膚ほどにその場所は「在る」とみえたが、その先は濛々と昏闇に呑まれ、男は己れを泥のようにみたまま、闇黒の重さにひしがれて、ただ横たわっていた。
「暗いなあーー」
男ははじめて口をきいた。
どう追い求めても洩れる微光のふしぎなかたちが探れない。身を揉めばこぼれるようにものかげが揺れ、手をのべてまさぐると、いっとき、ほうっと光の粉をまいたように明るみ、またすぐ闇に沈む。
男はようやく起った。
やたらぐるぐる手を振った。歩きまわった。
すると、男の身に添っていたほの明るさが幾重にも闇ににじみあい、淡い色で流れ、そして、消える。
男はなにも考えず、ただただほんのすこしでも多く、すこしでも時間長く、身のそばに明るみをひきとめたいばかりに、一つ所を、輪を描いて、無二無三に手を振り足を躍らせ、走りはじめた。
息づかいのほか足音すら響かぬ闇黒地獄の底の底で、男は、そこから逃れ出たいとも考え忘れて、ひたすら、無限の円環を有限に返そうとでもするかのように、息を吐き、黙々と、無表情に一つ所をぐるぐると、それでも日の世界の傲慢を憎みながら、走りつづけていた。

* こんな「男」が私の内に居た、か。まだ居るかも。
2020 3/3 220

* 本一冊をまるまる書き写すというかつて経験のない作業を終え、これから、記念ともなる珍しい対象への批評の原稿を書き下ろすことになる。私の趣向が自然な顔で立ち上がってくれるか、新刊の発送用意に追われながらも、心地良い佳い仕事にしたいもの。
2020 3/3 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 二 (七曜)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  月

男は走った。
男を追って、女が走った。
女のうしろを、影も飛んだ。
家は焼かれ、橋は落とされ、鞭が鳴り怒声が渦巻く。
右往し左往し、影はおくれた。
風にさそわれ、影は山のうえにいた。
田あり畑があり、影は呼んだ。
答えはなかった。
また風にあおられ、影は舟のなかにいた。
舟は瀬に、瀬は波にのって、影は海のうえにいた。
岸はなく里もなく、影は動かなかった。
影より濃い闇に繊い月がでた。
「知っているか」
影がきいた。
「知らない」
月はこたえた。
舷を波が打った。
波にきいた。
「知らない」
波もこたえた。
波と月とはひそひそ話し、そして、きいた。
「おまえは、だれか」
影はつぶやいた。
「知らない」
月と波とは、ながいあいだ影のために言い争った。
艫にうずくまり、かたくなに影は黙っていた。
黙って考えていた。
自分は、だれかーー。
どこから来たかーー。
と、舳に男が泳ぎついた。
と、女も泳ぎついた。
舟が揺れた。
波がさわぎ、月がかげった。
むっつり影はきいた。
「どこへ行くか」
「知らない」
男はたよりなく女を見た。
「知らないわ」
女もやるせなく男を見た。
影は、忽然と消えた。
月は隠れ、波も絶えた。
闇の底で男が身じろいだ。
女も身がまえた。
「おまえの子を、生もう」
声は一つに縺れて闇に沈んだ。
舟は、からだった。
からの舟は、あてどない波路の旅をただよい流れて、ある、青い島の、小さな砂浜に打ち上げられた。
浜べの岩に、とうに風にはこばれた影が、満月の光をあびてつくねんと腰かけていた。
「知っているか」
舟と影とは、両方から、同じことをきいた。
「知らない」
そして心細い同じ問いを、寒々と吐きすてるように満月に問いかけながら、舟は、誘う波をおそれ、影は、吹く風に身をすくめた。
月は、うなづき、微笑って、こたえない。
と、波を二つに割って、海のなかから片手に高く火をかかげ、片手に小ぶとりの黒い豚をひいて、男が、浜へ上がってきた。
男のよこには、竹籠や壺をかかえた女もいて、右に、左に、ひきつれた幼な子の、兄はちいさな弓矢を背負い、妹はたわわに稲穂を持っていた。
四人のあとを、美しく毒もつ蛇が、したがった。
男は火を守って家を建て、女は物を納めた。
兄は山に鳥けものを追い、妹は野を拓いて耕した。
影は、形をえた。
舟は、つながれた。
男はハヤト、女はアヅミと名のって、子孫を殖やし、アマ舟は、白銀の月のしずくに身を洗いながら、島から島、浦から浦へ漕ぎ渡った。

* これが、私の、「日本」を問うての「日本神話」だ。
2020 3/4 220

* 新しい批評の原稿を書き進めたい、しみじみと。
そう願って、書き始めた、まず順当に滑り出したように感じる。ここ暫くは校正という仕事が無く、発送用意の作業に併行して新しい仕事、ちょっと様変わりの、しかし気乗りのしている仕事に打ち込める。感染症をなんとか避けて隠居しながら、心静かに書き継ぎたい。
2020 3/4 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 二 (七曜)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  火

女は、事あるごとに男を辱めた。
女は「火」と呼ばれ仕事ができて、男はといえば泥のようにだめな男だった。
火の女が罵りだすと、うすら笑いで肩をすくめ、くるりと背をむけて聞き流した。女は、なかなかの美人だった。
男は夢をよくみた。夢のなかで火の女は水より従順だった。優しかった。男が仮借なく、床のなかで意地を曲げて当たり散らしても、鳩のような目をして女はうつくしい声をあげた。
眼が醒めても男は夢の女のその声を忘れなかった。昼間罵られるのが苦にならなかった。しくじりを重ねては女の燃え熾る怒声を聴こうとした。
ある日も度のすぎた昂った声で女は男の失敗を責めはじめた。はたで聞く耳もしびれ、舌の先がいがらっぽくなった。眉をひそめた。
しかし男は平気だった。ゆっくりふり向いてにっと笑いかけた男は、洒落な調子で言った、やあ、実はゆうべ、君を抱いた夢をみてね、佳かったよーー。みな、くすっと笑った。
泥の男はそれから、意地わるな火の女と顔をあわすつど低声で必ず、前の晩にみたという夢のことを、すばやく囁きかけた。
執拗に、こっそり、狙いを定めて男は女のそばへ寄って行った。人まえでは女と喋らなかった。攻撃してくる時も好きにさせておいた。
しかし、女が廊下へ出ると、追って出て囁いた。部屋の隅で化粧を直していると、なにげなく近づいた。人がいないと、すこし身ぶりまでして、夢でする女のしぐさを、微笑を浮かべ浮かべ、まねた。
男の描写力は妖しいまで、巧緻だった。吐き気とともに女は刺激された。男に寄られると思わず服のうえで胸を隠すようになった。一枚、一枚、着ているものを剥がれてゆくようだった。
それだけではすまなかった。
男の指が、自分のからだに力強くかかるのを、はっきり感じた。
感じ足りないと女は想像で補うようになった。想像のなかでは、男が、見ちがえるほども豪毅だった。剛快だった。
馬鹿、と叫びながら女は夜ごと夢うつつに汗を流した。汗でぬめった肌に男の匂いがかぶさった。
女のほうで、避けるようになった。
男が来ると顔あからめ、あわてて用のない電話をかけたり、忙しそうなふりをした。両の肩がかすかに硬ばって、声もうわずった。
いつか人も、火の女が、消えたように肩をすくめて歩くのをみていた。しかし、だれが女の火を伏せたのかわからなかった。男は、だれの眼にも、あい変わらず泥のような、ぐずな男だった。
男は隙をみつけると、卑屈に背をまるめて女に近づいた。情けなさそうな、さも、詫びるような表情で、うすら笑って女をみた。そして巧みに、じつに巧みに、唾をはきかけるように、ちゅっちゅっと男は囁いた。
負けたわ、と、女はよそから電話をかけてきた、どうにでもして頂戴ーー。
男は口ごもって、それから、はっきり断った。
一瞬戸惑ったような沈黙、のあと、侮辱された女は低声で、鋭く、気違いーーと叫んだ。
気違いにゃ気違いの愉しみようがあるさと、男は笑って電話を切った。男は泥のように眼をとじ、劫火と燃えて罵りつづける女の声を耳の底に聴いていた。

* 会社勤めに口やかましい役付きの女性と、ぐだっとした男性の先輩がいて、デスクにいながら二人を見たり聞いたりしているうちに、妄想したつく り話だったが、読み返しても不愉快がよみがえる。この男女の不愉快より、こういう不愉快な話がアララという間に書けてしまう自身に気が滅入った。
泥泥の自身の暗闇に吐き気がした。今もする。
2020 3/5 220

* 「湖の本 150」入稿の原稿を、着々書き進んでいる。目さえ健康に達者に利いてくれれば、もっとラクなのだが。瞼が厚ぼったい。

* 新しい作の書き出しに手を染め、これが存外に速く纏まるかも知れない。根が外出の少ない日々であったが、コロナ感染症の騒ぎで、日々、真っ向の家の内籠もりが強いられ、仕事は存外に捗ってくれるかも知れない。
2020 3/5 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 二 (七曜)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  水

男はあむけに寝ていた。空はきれいに晴れていた。ちぎったような雲が大波にみえ、刷いたような雲は小波(さざなみ)にみえた。
高いところを速い大きな鳥が翔んで行った。たくさんの鳩も、一度、二度輪を描いて翔んで行った。魚みたいだと男は想った。
雲が波で、鳥が魚でーー、すると、あの真っ蒼な天ははるかな水面なんだ。男は波を乗せてゆっくり流れる水面を、気が遠くなりそうにじっとあおむいたまま見あげていた。
男はまた想った。あのきれいに蒼い遠くが水面なら、自分は深い深い水の底に横たわっているのか。そうだと男は自分で自分に返事した。
男は愉快だった気分に、すこし不安なかげが落ちかかるのを感じた。あの遥かな高いところから、どうしてこう深々と沈んでしまったのか。男はしだいに息苦しかった。起った。地を蹴っては腕をあげ、物狂おしく揺った。天は高く高く、眼にしみる蒼さではればれと照っていた。
女が来た。
女は男の話を聴き、うす笑いを浮かべて、面白いじゃない、と言った。男はすこし青い顔になって女をにらんだ。
女は山へ遊びに行きましょうよと男を誘った。山には鏡のように澄んだ深い池がある。池には魚もいる。泳ぐこともできる。女は上機嫌で、笑談らしく言った、水の底がどんなか、あたし魔法を使って、あんたを小石にしてその池に沈めてあげる。
女と男は、それから、山へ出かけた。鏡のような池は、山ふところに蒼空を浮かべて、ひっそり崖のしたに沈んでいた。あれは空を翔ぶ鳥か、水を泳ぐ魚か と、きらきら光るかすかな影を男は指さして女に問うた。女もうしろから覗きこみ、自分でたしかめて来るといいわと笑い声ともども、男を池につき落とした。 男は黒い一つの石ころとなって池の芯をまっすぐ沈んだ。
池の水はそれは澄んでいた。遠い水面が明るく蒼く輝いていた。雲か波か。魚か鳥か。石になった男はやはり分別をつけかねて、じっと、潤んで光る一枚の鏡を見あげた。その鏡を、女の顔が笑ってのぞいているのを、男は遠い想い出のようにつくづく見た。男は女を愛していた。
突如、白く燃えたかげが宙を飛んで、鏡はこなごなに割れた。だが無数の破片はやがてもとの一枚の鏡にみるみるもどる、と、さながら蒼空を舞う天女のように、裸形の女が悠々と、欣然と游ぐ姿をうつしだした。
身に水垢を生じながら、石になった男は池の底からまじろぎもせず、女のまぶしい姿態に見惚れていた。
水の底も住めば天国でしょう。
女は朗らかに笑った。男は女の声を聞いていなかった。
ああ、なんと美しい乳房の、水にさからいつむつむと盛りあげたあの、まるいはずみ。
大粒の真珠を見え隠れに光らせ、しなやかに屈伸する二本の脚のあわいに一条の翳を沈めて、なだらかにふくらんだ双つの丘。
だがーー美しいその裸形に、へそがない。
男のくらい沈黙に気づくと、女は深く水をくぐって池の底から石の男をすくいあげ、そっと地上へなげ返した。
へそなんか、無くてもいいさ。
男は、池の芯へ大声で叫んだが女の姿ははやかき消え、一枚の、天上とも池底とも知れぬ澄んだ鏡が、刻々とひび割れて行った。                                                                    ーー完ーー

* 以上「七曜」は、湖の本36『修羅』所収。もともと、長編新聞小説『冬祭り』のロシアの旅の中で、或る不思議な体験に誘われて、語り手が、一週間、毎日旅宿で書き次いで行った、作中作の「掌説」です。
2020 3/6 220

 

* 今日は何に打ち込んでいるか。動勢「明治時代」の政情をやや克明に見直している。外へは出ないでいる。階下のテーブルで、虎の子の日本酒の瓶を倒してしまい、参った。蹴躓いて転ぶよりはよかった。

* 書き下ろし予定の、主部についで、書き起こしの初部をざっと書き上げた。のこすは締め括りの三部。少なくも仕上げへの道ならしは出来、思ったよりスムーズに心ゆく脱稿へ持ち込めそう。
2020 3/6 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)
私の「掌説 無明」各編に、競作で「絵」を描いてみようと思う人はいませんか。(平成十年八月十九日)

☆  電話

あ…分かった…。
男のもしもしを聞くときまって、それが女の最初の挨拶だった。二十五年電話をかけてきた。いつも男からかけた。最初三年も間をあけた。だから、あ…分 かったはその以後の科白だが、いつ、どこから突然かけても、女は声ひとつで男を受入れた。前置きはぜんぶ省けて、寄り添うほど温かに女からいつも話しかけ た。
「なにかあったの」
「なにもないけどね。そっちはどう」
「変わりないわよ。きのう膳所へ行ってきました」
「お母さんは達者」
「こっちより元気なの。いっしょに石山寺の紅葉をみてきました。すこぅし冷えましたけど、よかったわ。今日は、どこから。大学…」
「ちがう。出張費をもらって、天の橋立の根っこの…松林に在る宿屋です。すいててね。絶景をひとりじめですよ」
「蕪村なの、また。加悦…。それとも浦島太郎の方かな」
「ま、そっちに近いな。元伊勢の籠宮さんの狛犬に逢いたくてね。それと、国宝の海部氏系図がお宮に里帰りしてて、見せてもらえる段取りができた」
「やれやれね」
「なんだい、やれやれってのは」
「よかったわねということよ。それで…あと、京都に寄るの」
「逢ってくれるならね」
「逢ってあげたいわよ、そりゃ。でも逢うとあなた、命がないわ」
「命は惜しいな、まだ。もうちょっとね。やっぱり、やめとくか」
「電話が無難でいいって、いっつも、おなかン中で思ってるくせに」
「それはちがうよ。もう一度でいいから、いっしょにあそこへ行きたいよ」
「言わないでそんなこと」
女は毎度のこと、ここで、しおれた。男はじっと受話器に耳を押しあて、女がひそめた息のしたで泣いているのを聴いた。どっちからも、さよならとも言わず、男が先に、いたわるように電話を切った。
卒業生名簿に、旧姓なにがしの女名前に添えて「死去」とあることを、男は十年もまえ、東京駅の、新幹線ホームへ向かう改札口ちかくで擦れ違った昔の知り 合いから聞かされた。バカなと言い返しかけ、口を噤んだ。数日まえにも電話で彼女と話してるんだぜなどと、それは誰にも、妻にも、言えたことでなかった。 頬の毛のそそけ立つ恐れと悲しみに負け指定席に沈んだが、やがて立って、車内電話から本誓願寺町の女を呼んだ。あ…分かったと例の科白がすぐ出迎えて、
「なにかあったの」と、驚いたふうもない。いつものように、数日まえ話したことさえ無かったかのように、女は次々に話題を追い、笑いさえした。
とうとう男は絶句した。声を堪え、そして、もう一度でいいから、いっしょにあそこへ行きたいねと口にした。「言わないで」と女が声を放った。男は震える 手で受話器を置き、そのまま肩を縮めていた。目の前のベルがすぐ激しく鳴った。受話器から女の声が、こころもち遠く、しかしはっきり男の名を呼んで、
「またかけてね…」と、こと切れた。

* 今や言うまでもない、この「掌説」一編は、ごく最近に「湖の本 147」にした私昨秋の「最新作」長編小説『花方 異本平家』に、シンボリックな「前詞」として、やや想と筆とを加えて利用した、往年の一作である。東工大の教授時期にほぼ前後している。
『花 方』も、僅かに先だって書き下ろし出版した千枚の長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』(「湖の本 144 145 146」)も、この老耄の体躯にひそんで生きつづけてきた「少年の憧れと怖れ」とを書いた作であり、書かずにすまなくて書いた。
2020 3/7 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  卑怯

「生きている。だから逃げては卑怯…なんだって」と男は言った。
「それ、なによぅ」と女は長靴のかたちした大ジョッキに、もの憂い白い顔を隠して、「あたりまえでしょ…」
「そうかね。あたりまえかねぇ。…これは歌。短歌の上の句なんだ、ほらここに出ている」
雑誌を見せようとするのを無視し、女は苦そうなビールを、のけぞるほど流しこんだ。
「で、下の句はなんなのよぅ」
「(  )(  )を追わぬも、卑怯のひとつ…」
「なによぅ、それ」と、女は不機嫌に男をにらんだ。手はジョッキから放さなかった。漢字で二字のことばが入っているのだが、「当ててみろよ」と男は笑い声 になった。手をのばして雑誌を奪ろうとするのも、軽く男はかわした。ガラスの靴のジョッキには半分以上ビールがのこって、泡が消えていた。食い物の皿はか らだ。
「当ててみろよ。漢字で二字さ。簡単さ」
「ひとを試験したりして、いやなヤツ…。も一遍、読んでみなさいよぅ」
「読むよ、いいか。…生きている、だから逃げては卑怯とぞ、(  )(  )を追わぬも卑怯のひとつ…。はい、当てろ」
「かんたんじゃない。…(未練)よ」
「ウチのカミさんの説とは、ちがうな」
女は酔いがさめたような吊った目でじろっと男を見た。ガチャと男のジョッキにジョッキを突き当てた音に、近くの客が横目をむけてきた。堅い紙を揉むような乾いた音楽がビヤホールの低い天井をこすっている。
「(未練)なんて…つまらんね」と、男は女のジョッキからもぐように自分のを引き取ったが、飲みもせず、女の目をわざとニヤニヤと覗き込んだ。発作的に女 はハンドバツグからボールペンを探しだし、箸紙の裏にせかせかと大きい字を書いた。モンブランのいいペンだ、うつむいた女の髪のまだ真っ黒に照ってかすか に薫うのを男は意識した。
「なんだ、それぁ…」
「(情夫)ですよ。わたくしニゲませんわよ、もう」と女は、切り口上。
男は首をちいさく揺すって唸った、「あんたが、そんなことばつかうとはねぇ」
女はもともと上手に字を書いた。箸紙のうらに斜めに書かれた「情夫」を、二人は見ていた。もう一度ペンをつかい、女は、横に、ルビかのように「アマン」と黙って書き添えた。男はミルクでも飲むようにぬるくなったビールを、ツーッと干した。
「奥さんは、そぃで…なんてったのよぅ」と、酔ったふりの女は、一つ残った皿のからすみを指でつまんだ。さりげない口を利いてみせているなと男はゆっくり 見極め、催促されるまで、からのジョッキを両手に捧げ持っていた。女の顔がガラス越しに捻れて見えた。カシャカシャっと女は箸紙をにぎりつぶし、「ねぇ」 と声をとがらせ催促した。
「(幸福)…だってさ」
女は硬くなった。息もせず、ホールペンをバッグにしまった。表情が汚れた石だった。
「(幸福)だってさ…」作者の原作はね…とは、男は黙っていた。朝、パンの焦げをナイフでかすりながら、妻がクククと笑みを含み口にしたのは、「(二兎)のつもりでしょ。バカね」だった。

* 大学の教室で学生達に答えて貰ったある男性歌人の、いい歌であった。しかしこの一編のはらんだ狂気に似たえぐい苦みに驚く。地獄を覗いて生きていたの か、今もか。身の奥の怖い毒をこうも表して吐瀉していたのか。しかも書き手として、かかる業念の劇に惘れ脅えながらも一編のまとまりをよしと肯いていた覚 えも身内に残っている。
2020 3/8 220

* 九時半、原稿は順調に書き進んでいる。何故に書いているか、なにを言うべきかだけを置き去りにしてはならない。
取って置きの外国映画盤の一枚に「華氏80度」とかいう、息子ブッシュ大統領ののろまなボケざまを辛辣に暴いた一枚があり、ブッシュのいまいましさに観ていられなかった。日本の映画監督もこれくらい塩辛い批評が描けないものかね。
2020 3/8 220

* 十時になる。もう床に伸びたい。若菜上のうしろ近く、明石入道から、都で、東宮妃として男子を出産した孫明石姫君と、娘明石上と老妻とへ手紙が届く。 この手紙、遺書とも謂える内容に、源氏物語と「海」との深い縁が語られていて、とても無視ならず興味深い。これは平家物語の「海」とも脈絡豊かな、読み取 りのカンどころ、それがアタマになくては『花方 異本平家』は書けなかった。そのへんを深く示唆されていた佳い文献をよほど昔むかしに読んでいたのを、探 し出してまた読もうとしている。「若菜上」の明石入道と一統のはなし、好きである。そんなのを、昔の灯りで寝て読みたい。
2020 3/8 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  新年

久しく男は見て来た。毎日、ひまにあかして見て来た。そんな男をこころもち拒みたげに、それでも身をよじるでなく、女は、まっすぐ男のほうへ向いてすわっていた。
花柄のパジャマか、着もせずに若い女ははだかの両腋をつぼめ、むきだしの右腕と拳でおしあげるように乳の上をおおって、ベッドに坐っていた。なんて愛ら しい腋の皺だろう。かるく浮いた右膝と臑のほかは、なげ坐りの下半身を無造作に波打たせてパジャマが隠す。はずかしそうに視線はややはずし、きれいに紅い 唇をして女はちょっと笑んでもいる。かすかに覗いた膝うらが艶に翳をふくんで折れめになっている。あの奥ははだかなんだ…と男は想った。
女の、額も頬も鼻もふっくら若い。肩だけ、ややあげた左も、さげた右も、うすく尖って浅い鎖骨を浮かばせているが、項(うなじ)から肩へは澄んだ清い線 になっている。双の瞳も大きくよく光っている。あの手をのけてほしいな…。よく伸びた柔らかそうな左手が右のももで着物をそっと押さえているのだ。髪は豊 かだ、だが長くない。毛さきがふっさりとさばけて、紙シェイドのライトにうす紅く照っている。尻のうしろでピンク色の枕がすこしねじけていた。背中ははだ かなんだと男は想った。桃尻のほそいわれめを想い描いた。女は黙って頬笑んでいた。こらえられず男は両掌をのばした。乳と乳のあいだへくッとパジャマを押 しあげていた女の拳を、掌で包んだ。包んで、掴んで、そうっと拳を手くびごと引きとった。花柄が肌から浮きあがり、鋭く折れた腕のVの字が肘からゆるむ、 と、まさに双璧の乳房はわらうようにまんまるい二つの花と咲いて、ほの紅いちいさな乳首がこころなしツンとかたく見えた。
男はためらわず、膝坐りのままその紅い乳の芯を口に含み、かるく歯をあてた。唇にふれてまろんで、すこし膨らむ。おしひろげるように男ははずむ乳房をま るまると奥深く、まさぐり吸った。あまい肌…あまい香り…。右から左、左から右。男は夢の中にいた。女は右手を膝におとして、じっと動かなかった。
顔をあげ、男は女にキスをもとめた。顔を傾け、女は男の唇をややながくすこし舌をさしこむように吸った。男は女の肩を気づかうように抱いた。肉うすいは だかの背も抱いた。温かいまるい尻にも片手を滑らせた。男も、とうからはだかだった。女はぱっちり目をあいていた。微笑していた。
ありがとう…。男はそう呼びかけ、女から離れた。それからまた何日も何日もそのまま女を見ていた。女は美しい乳を光らせ、やや視線をはずして男のほうを 向いていた。花柄の布は右膝においた左腕へ垂れて、それより下を二重に隠していた。片膝とわずかな臑だけが見えていた。女の乳房も乳首もかすかにあから み、息づかいをじっとおさえて男は目をはなさなかった。もう一息だ…。何百日になることか、やっと女と男とはここまで来たのだ。女は初めのうち、白いなが い服と白い靴とでゆったりと籐の椅子に腰掛けて、膝に赤い鍔のひろい帽子を置いていた。いい女だった。男は女を愛した。なににもかえて欲しくなった。男の 視線に、女はすこしずつ向きを変え様子を変え、いまは接吻もし、二つの乳を揉むも吸うも、噛みつくのすら、男の望むにまかせてくれた。もう一息だ…。
そして、いそいそと男は年始先から女の部屋へまた帰ってきて、あぁッ…膝で崩れた。
悩ましい女の真実馴染んだ半裸の図が、バカげた富士山のカレンダーに換えてある。
役立たずの、妻の仕業!

* 皮肉だが男の純情の一面であるのかも。男どもにナイショに尋ねてみたい。
2020 3/9 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆   酔生

屈(く)んじて夢を見ていた。だれかに盛んにものを言い返していた。相手は覚えていない。分のわるい口喧嘩の喧嘩の種が何であったやら。それから、急な 坂をとめどもなく駆け下りていた。山坂のようでもあり大きな切り通しのようでもあった。まぶしいほど赤土の照った急勾配の、底がみえない。つんのめって胸 が土にふれそうなまま、ただ倒れまいと駆け下りた。臍がとび出しそうに痛かった。痛くて痛くて目がさめた。横に、はだかの女がいた。うつぶしてよく寝てい た。知らない女だ。夜中だった。
男は起こした半身をまた布団のしたへ横たえた。顔をすこしあげ、女は目もあけずになにか鼻をならした。うす明かりがして天井の高い部屋だ。男は夢のつづ きをみている気がした。手をうごかすと女の腰のへんにふれた。奇妙にまるい角度の誇張された、やわらかいような、こりっと堅いような。こんなモノは部屋の なかになかった…のに。女はかすかに尻をゆすった。自分のものが堅くなり、もちあがる。寝返りをうって男ははだかの女に背をむけた。吸いつくように、手も 脚もみなつかって女が男の背中を抱いてきた。女の毛がしめっていた。うまく手がつかえなくて目がさめた。横に妻がいた。だいじょうぶ、あなたと、半身をお こして男をみおろしていた。いまいましかった。夢をみていたよと男は半分口のなかで返事した。よくみるのね夢を。妻もいまいましそうだった。
台所へいって、ポットの湯で男は即席の焙じ茶をのんだ。テレビをつけると、ガンマンが腰だめに長い銃でだれかを撃ちつづけていた。チャンネルをかえると はだかの女の胸に男が顔を埋めて、女はのけぞって口をあき、とがった高い鼻をふるわしていた。叩くようにテレビを消した。消した。消した。テレビは消えな かった。スクリーンの女と男とは念入りにファックを遂げていき、テレビは消えなかった。リモート・スウィッチをガチャンとテーブルに置くと、男は立って 行って、テレビ画面を拳でなぐりつけた。画面の男ははだかの肩をすくめ背中をまるくして、巨大な尺取虫みたいに女の腹のしたに顔を埋め、呻いていた。女の 両手はそんな男の髪の毛を鷲づかみに、丼のような双の乳を突き上げていた。乳首が親指の尖のようだ。男はキョトキョトと台所中を物色し、なにも見つからず にやにわに椅子をふりあげ、椅子の脚を、体重ごとブラウン管へ突っ込んだ。爆風が椅子を木屑にして吹きとばし、ちぎれた男の首は血みどろに壁に穴をあけて 隣家の小屋根まで飛んだ。
ぎょろりと目をむいて目がさめた。男は湯槽のへりに頬をおしつけ居眠りしていた。脱衣場で、カセットテープの落語がまだ話していた。志ん生の粗忽長屋の 中途だった。浴室に入るとすぐこれで笑い、次に厩火事で笑って、鮑のしの中途でうとうとしだしたんだ、そうそう、知恵をつけられて嫁取りの祝いにまたして も鮑を大家のところへ持ち込み、啖呵を切ろうと、すればするほど與太のヤツのモタついていたのを男は思い出した。志ん生はうまいや…。
浅草の行倒れの死体を引取りに、死体の当人はてめぇだときめつける長屋の粗忽者と、死体はおれかも知れないと思いかけた熊公とが、現場へかけつけた。底 抜けにばからしく、そのため変にぶきみに、名人芸は調子に乗っていた。自分の行倒れの死骸をよっこらと抱き上げた熊公の、抱かれてる死骸と抱いてるおれ と、どっちがおれなんだぁ。……。男は、漬かっていた湯が一瞬に氷水に冷えてはだかの自分を圧し殺すと思った。悲鳴をあげ、男は目がさめた。どこなんだ… ここは。
男は、もう「どこ」にもいなかった。「ここ」は「どこ」でもなかった。

* 自身の現実を見失いそうに不安な心持ちで自分自身に惑っていたか。それでも立ち直ってきたのだと思う。
2020 3/10 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆   星空

寒かった。男はほそい襟を立て首をちぢめていた。行くアテがなかった。叩けば音のしそうな星空だ。月はなかった。家ひとつなかった。
男は妻子を殺してきた。殺す理由はなかったが、刃物が目に入り、手にとった途端に殺意に満たされた。妻は、やっぱりという顔をして薄わらいしながら殺さ れた。白い喉のわきから血飛沫(ちしぶき)が壁を染めた。三つになる男の子は逃げ場をもとめてキョロキョロした。太い一の字を書くように男は力まかせに子 の胸を薙いだ。赤い口をいっぱいあいて、男の子は最期の息をした。ちいさな掌がなにかを掴もうとひくひくした。男は刃物を手から放し、家を出た。なぜだ か、ひどく眠かった。だが眠い以上に寒かった。戸外は、凍った無数のさながら針の束だった。身をもがくように男は天を仰いだ。天はなにも言わなかった。
男は歩いていた。歩いていた。ただ歩いていた。歩いていた。星が瞬(またた)いた。天にも地にも瞬いた。いつからか男は足下に踏むべきなにもかも喪い、ただ歩いた。歩いていた。
妻を愛していた。子煩悩な父親だった。暮らしに痩せ窶れたりもしていなかった。なぜ殺したろう。ようやく男はそれを思っていた。思い当たらなかった。
うしろから男は呼ばれた。妻が走って追ってきた。子供もおぶっていた。父親をよぶ男の子の声が、綺麗なガラスが割れるように朗らかだった。殺してなかっ たんだ、男は歩をゆるめ、それでも前へ前へ出ながら頷いていた。妻も子も殺してはいなかった…。母親の背を離れ、うしろから駆けながら抱きついてきた我が 子を男は掬いあげるように高くさし上げた。子供の胸が、斜めに太い一の字にざっくり裂けていた。しろい細い肋の骨が肉といっしょに砕けていた。ふりむいて 見た妻の喉のわきも、骸骨の目ほど刃物のあとが口をあいていた。妻も子も、だが、そんなことにはお構いなく、いつものように喋ったり黙ったりして男といっ しょに歩いていた。山も野も川もなかった。星ばかりがぴかりぴかりと大きく瞬いていた。
「おとうちゃん。寒いね」と男の子は言い、声はさほど寒げではなかった。「もう大丈夫よ」と母親が答えた。なにが大丈夫なんだろうと男は思った。自分が声と言葉とを喪っていることに男はやっと気がついた。
この前の前の前の世に生まれたとき、男は女だった。子供を二人産み、姉娘はめくらで弟息子はおしだった。娘の父も息子の父も、濃い煙のように女を息苦し くさせ、風に運ばれ消え去った。女はめくらの娘に笛吹くすべを教え、おしの弟に鼓を打たせた。母はいい声で歌をうたった。河原は寒く人はなかなか寄らな かった。三人はつむじ巻く雪風にあおられて高い崖から抱き合うて海に落ちたが、母ひとり死んで、子の二人は笛を握りしめ鼓を抱きしめて助けられた。めくら の目はあき、おしは口が利けるようになっていた。姉は長者の妻になり弟は長者のあととりになった。死んだ母親は馬に生まれ、長者の家で迫めに迫められこき 使われて、前世の子供たちよりさきに死んだ。
ーー男はいつのまにか馬になって、妻と子を乗せ、歩いていた。ひりひりほ、ひりひりほと妻が笛をふきはじめた。男の子はぽんぽんや、ぽんぽんやと鼓を鳴 らす。馬はすこしうなだれ、膝をこっぽり上げては空(くう)を踏んだ。行く手で大きな大きな光の輪がとめどなく膨らんだり縮んだりしていた。
殺したのか殺していないのか。馬になった男はまだ考えていた。ひりひりほ…ぽんぽんやと、大きなまぶしい星にのみこまれても聞こえていた。

* 印象に濃い一編だった。在るとも無いともいう世界が凍てて寒い星空というものになって実在した。夫婦親子とは、こんな寒い世界を「ひりひりほ ひりひ りほ」「ぽんぽんや ぽんぽんや」と囃し囃され、どこにも無い高い空を橋のように渡り続けているのか。寂しいとも嬉しいともなにも思い寄らなずに。印象に濃い一編だった。
2020 3/11 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆   自分

湯につかってテープの落語を聴くのが、男の、じじむさい趣味だった。
いい咄家は、みんな死んじまってよぅ。小さんぐれぇかな。小三治も志ん朝ももひとつだし…サ。今晩は、小さんの「粗忽長屋」でばかばかしく笑っちゃお。 聴いてて寝ちまうかもしんねぇ、そいでもいいけどさ、長い咄じぁねぇんだ、重ね枕ってナぁ、いけねぇナ。小さんのも、掃除したての土間から独り者の熊公が 「このアカっ」と赤犬を追っ払ったのを、一つ長屋の粗忽者が「このカカぁッ」と聞いて仲裁に飛び出す辺で、間がのびてる。前の枕に、カブッちまってる…… 男は、湯を、鼻さきでボチャと爪はじいた。
目玉がかるく痛むほど急に眠くなった。咄はここからなんだ…、が、眠い。で、肩まで沈んだ。小さんの声が湯気をふくんでまるくなり、重くなり、遠のいて…、何だ…。行き倒れをかこんだ人の輪が、もやもやッと目に見えてきた。
何でぃ、何でぃ、みんな死んだおれッちのことを見てやがら、ちぇッ。行き倒れの死骸になって、けれど男は目をあいて、人だかりを睨んだ。留さんとかいう 世話役の男が汗だくで、死人の顔見知りが群れた中に誰かいねぇか、ちぇッ、呼ばわってやがら…。オヤぁ人のまたぐらを潜って、長屋の八兄ぃじゃねぇか、間 抜けな面で輪ンなかへ這い出てきゃがったぜ…やいやい俺だぜ間抜けメ、何グズついてやんでぇ。男は、死んだ目をぎょろりとむいた。凄ぇ凄ぇと、人だかりが また騒いだ。八兄ぃも目をまるくした。
あれれ、てめぇは、熊じゃねえかよ。
やっと分かったのけぇ、ちぇッ、いめいめしぃ愚図だぜ。
男の毒づいたのも聞こえないのか、八っあん、尋ねる留さんにむかって、こいつぁ同じ長屋の熊五郎ってやつでさ、おれッちとは、生まれた時ぁべつべつで も、死ぬ時はべつべつって仲の、でぇの仲良しだぁねと見えを切った。親きょうだいは。「いねぇ。」かみさんや子供は。「いねッ…」そぃじゃ死体の引取り手 は。「いねぇナ」で、留さん弱っちまって、八っあんに引き取ってともちかけた。そうしてくんな…。死んでいる男も、そう八っあんの顔を見て言ったのだが、 なにを勘違いしたか八っあんは、自分がそんな勝手な真似をしてあとあと恨まれちぁかなわねぇ、それよか、「長屋ぃ帰って、当人を連れてこようじぁねぇか。 当人が当人の死体を引き取るッてんなら、文句はあんめぇしさぁ」とバカを本気で言いはじめた。
弱るな、この人ぁ。留さんはあきれ、みんなも笑う。男もイヒヒと笑った。八っあんは、はじけたように飛んでってしまった。
男はいつ自分が行き倒れたか覚えてなかった、が、留さんは昨夜からここにと言い、八っあんは、俺ぁ熊の奴たぁ 今朝も会って話してんだから間違ぇッこねぇと「当人を」連れに長屋へ帰った。弱ってる留さんと男の死骸をかこんで、野次馬はなりゆきに散りもやらず、輪の まま騒いでいた。弱るな、あの人ぁ。留さんはまたぼやき、男は行き倒れの格好で寒くなってきた。俺は左官の熊のはずだが、その熊がなんで八公の長屋に死に もしねぇで生きてるんだ。そぅいや、たしか昨夜は飲んだくれて、この辺まで来てた気もしないじゃねぇが、そのあとで行き倒れたやら夢うつつに長屋ぃ帰った のやら……だけどこう死んで人に取り巻かれてんだから…。嫌だ、嫌だ、よしちッくれ。男は吠えて人を呼んだがだれも気づいてくれず、気味悪そうにただ男を 見ていた。
エイ、のけやぃ、のけやぃ。八兄ぃの盛んな声のうしろから、ヤイヤイヤイ俺めッ、なんてッて俺に黙って行き倒れになんかなりやがんでぃと、てっきり自分の顔が、死んでる自分の顔をぬうッと覗きこんだ。

* これは私の純の創作とは謂えない。一時期、圓生の百番を繰り返し聴き、うまい落語なら繰り返し聴いた、と、言うことは、つまり圓生と志ん生、せいぜい 小さんぐらいにしか耳を傾けなかった。この咄、無気味におもしろく、自分とは何かと考え込んで、東工大では教室でこれを学生君らと聴いたこともある。
2020 3/12 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆   逐電

背がすこし低くなった気がした。なさけないな。男は唇をとがらせた。赤と濃い藍とがまじった胸の白い小鳥が、木にきて羽をならした。鳥になりたいよ。男 はうっとりと小鳥をみあげた。男は雀になった。小団扇ほどある緑色の丸い葉をゆっくり揺らし、鳥のことばで男は、もう一羽の鳥にたずねた。小鳥はこたえて くれた、鳥になりたいなと思ったら小鳥になっていたの。
「なんで、そんなことを思ったんだい」
「地べたばっかし歩いてて、イヤんなったの」
「どこから来た」
「川向こうよ。妹の結婚式だったの。なんだかイヤんなったの」
男はそれ以上聞きたくなかった。女の鳥もそれだけしか言わなかった。きれいだけど、何という鳥なんだろ。自分が雀であることに男は安心し、ちょっと物足 りない気もした。しばらく枝の上と下とで黙っていた。木のしたへ、鶏冠(とさか)の高い鶏が餌をついばみにきた。この鶏も、やっぱり人間の男がなりたいと 思って鶏になっていた。
「なんで翔べる鳥にならなかったんだ」と雀の男がきいた。
「人間よかましだと思ったのさ」と鶏はこたえた。
「この家の人だったんでしょ」 きれいな鳥の女も口をはさむ。
「ああ、そうさ…」あそこで、ホラ、若い女のまえで腰をまげている気の弱そうな作男がいる、三十年もいるんだ、あんなふうにだ、あれがオレだよと鶏はわ らった。鳥に化(な)っても、自分は自分でいままでどおりと知ってしまい、きれいな女の小鳥と雀の男とは頸を垂れた。鶏は行ってしまった。小鳥も翔んで いってしまった。男の雀は、鳥になんかなってみても、どうにもならんと、しかし人の耳にはただチュンチュンと鳴いた。鳴き声に、家から男の児が出てきてパ チンコで雀を狙い撃ちした。羽をかすって礫(こいし)がうなった。男はたまげて翔んだ。
男はこの日、女房とささいな言い合いをして言い負かされた。落語を聴いていたのだ。
ーーけちな旦那の若旦那が気を病んで死にかけ、旦那に頼まれた番頭は、気の病で蜜柑を食いたいというバカな話と分かって、安請け合いした。だが真夏だっ た。旦那は請け合ったからはきっと蜜柑を手に入れてこい、手ぶらで帰って倅が死んだなら、主殺しで「召し連れ訴え」して、磔(はりつけ)にしてもらうと番 頭を脅した。
八百屋という八百屋でコケにされたあげく、知恵をつけられ問屋街を探し歩いて、やっと一軒の店で、在るには在ると思うがこの暑さ、さぁどうだかとものの 奥を探してもらって、たった一個だけ見つかった。値段は、千両と。あのケチな旦那がとこわごわ訊きに帰ると、一人息子の命の値段、安いものだと千両箱を預 けられた。
若旦那はよろこんで、たった一個の蜜柑の皮をむく。皮だけで何両したかと番頭、溜め息が出てしかたがない。蜜柑は十房あって、一房、百両。それを若旦那 は一房一房食っていき、番頭はあぁ五百、あぁ六百両と眺めていた。来年には暖簾分けで店をもつが、三十年汗を流してきて三十両も旦那から出るかどうか。そ う長嘆息の番頭に若旦那は、残った三房の蜜柑を、一つはおばあさん、残る二つは両親にあげておくれと言いつけた。番頭は、三百両の蜜柑をもって逐電し たーー。
夫婦であははと大笑い、だが笑いはすぐ凍りついて、女房は男を罵りだした、あんたって人ぁ、この番頭の生まれ変わりじゃないのさ!

* 題は、「鶏」でもよかったか。あれになりたいと「想ったら」それになれる、なんて怖いこと。
2020 3/13 220

* はやく寝に就いたが左にかすかに頭痛あり、夜中ロキソニンを服し、よく寝て、気付いたら十時半、驚いた。熱はないがアタマ(髪の毛)の違和は残って、胸もかすかに重い。風邪を引きこむまいと用心している風邪のようでもない。

* 頭痛はあるが、『選集 33』最終の辛抱仕事になる「全書誌」追加の仕事へとりついた、創作・エッセイを区別無く追い始めたのが第百一巻の長編小説 『凶器』から。以降少なくも第百五十巻までを詳細に精確に原稿に仕遂げねば。ま、幸いといっておくが、版元をもった刊本はたぶん平凡社新書の『京のわる 口』だけだろう、これは簡単に追加が利く。辛抱仕事は辛抱すれば成って行く。辛抱も、その気で楽しめない物ではない。
2020 3/13 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  当尾

手紙を書きたくなった。誰の顔も、名前も、思い浮かばない。眉をひそめ、男は一度持ったペンを置こうとし、置かなかった。
逢いたいのです。ーーあいさつ抜きに男はそう書き、書いた字に恥じて細い息を吐いた。一瞬目をとじた。
どこへ行けば逢えるのでしょう。逢いたいのです。どこへでも行きます。ーーたてつづけに男は書いた。ひとり住みのがらんどうの壁を、小さい黒い虫が稲妻のように折れ曲がり折れ曲がり這いおりていた。
十年になります、いつか逢える、逢いたいと思ってから。十年、ここで待っていました。待っていても逢えない…。男は書きながら、同じ言葉をつぶやいた。
ーーどこへでも行きます。逢いたいのです。でも…、だれなのですか、わたしが、こんなに逢いたいあなたは。
男は耳をすました。いつもの、失望と孤独とを配達するくるまの音が近づいて、去って行った。いつもとおなじ、では、だが、なかった。郵便屋はいちど停まって行った。
女手らしい墨の宛名が自分のだと、男にはなかなか信じにくかった。自分の名も忘れていた。差し出しの氏名はなかった。遠い西の、なんの馴染みもない町 の、記憶もないまた字名(あざな)があまり奇妙で、男はおもわずふくみ笑いをした。ふりがながしてあった。大字「当尾(とおの)」字「尻枝(しれえ だ)」ーー。封筒の中は、からだった。一枚の紙きれも入っていない。書きかけの手紙といっしょにポケットにおしこみ、男は、腰をあげた。

バスを降りると山の上だった。相客がふたり、口々に下車すべきはもう二つ先だと教えてくれたが、礼を言い男は降りた。足のしたから山風が渦巻いて立ち、 道ばたの葛の葉がめくられたように茎ごと浮いてさわいだ。なんで降りたかったか、分からない。逢いたいのです。どこへでも行きます。枯れ葉の椎に巨大な松 の木がかぶさり、梢の奥で綿の雲がひかっていた。「峠」という文字を、傾いですこし錆びた停留所の札に男は読んだ。膝のうえを軽くはたくと、そのまま男は 葛の葉を踏みしだきバス道からわきへ、繁った山はらへずり落ちて行った。鞭でも振るように、木の闇の底をたぎつ水の音がしていた。
木の室(むろ)になって、崖に棚が出来ていた。狭い岩棚だった。男はころげ込んだ。つるりと一つ平たい岩が頭をだし、赤土が匂った。棚から覗くと、薬研 (やげん)の底のように山水が磧(かわら)をえぐっている。男は山はらを細く巻いて断崖を横伝いに、うつろな眼窩さながらの横穴に誘いこまれた。穴は深げ に、妙にほの白く、奥から風がうごく。からの封筒と書きかけの手紙とを掴み出して男は洞のなかへ力まかせに投げ込んだ。
おいで、ぼうや。
ーー男はためらった。おいで、ぼうや。ーー逢いたかった人の声がまた呼んでいた。いいえ。ここへ出てきて下さい、と、男は、自分でもびっくりするほど静 かな声を出した。ちょっと間があった。それからかすかに地を擦る音がした。背の青いきれいな細い蛇が洞のなかからあらわれて、岩棚のいちばん高い場所に音 もなくゆるい輪になって男をみた。
母は、男をこの洞で生むと、男の父の迎えも待たず、ひとり先に死んだ。父はまだ臍の緒も切れぬわが子を、年うえの女を拒んでゆるさぬ自分の親の家の門外にすて、行方しれずに失せた。容赦なく男も祖父母に棄てられたーー。
ぼうや、お行き。死ぬために生きるのはつまらないよ。
男は頷いた。母の蛇は身をしなわせ、渓あいを矢となって虚空に消えた。

* この一作はいまでも うら哀しくわが胸を打つ。題の「当尾(とうの)」は作者私の父方実家があった、いまもある南山城の地名、石仏が多く、村内に名高い 九体佛の浄瑠璃寺がある。母は父に捨てられ父は私を捨てた。私は一度だけ、事実、バスを峠でひとり降り、歩いて、父が逐電したという大きな祖父の邸を訪れ たことがある。母ははやく死んだ。父も死んだ。父の葬儀で父の親族は私に「弔辞」を強いた。
『生きたかりしに』と、母を長い小説に書いた。いま、父の「敗 戦」を書いてみようと用意している。
2020 3/14 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆   桜子

能一番が見ていられなくて、男はよく眠った。鼾が気になった。それでも負けた。睡魔の誘惑は美しい極みで、舞台のシテがその睡魔人であるかのように、男 は、うっとり性根をとられて行くのである。演能にささげる最上の頌辞かのように男は寝入った。目をあくと、寝入るまえのままにシテは舞いつづけたり佇ちつ くしたりしていた。笛も、鼓も、さながら媚薬のように男を誘い、夢中の人にしてくれた。
その日の能は「櫻川」だった。人買いに奪われた子を慕う母なる狂女が、シテであった。散る桜を川波に網で掬う舞いあそびに、惜春の花の色が匂う。母を 慕って狂う子はいないのに、「隅田川」でも「三井寺」でも、うしなった子をたずねては、母が狂う。狂う母がなんでこんなに美しいのか、男は自分を生んだ見 知らぬ母のことを想像し、おなじ泣けるなら夢のなかでわが母と出会って、いっしょに泣きたかった。だが、これまで、何度「櫻川」をみて眠っても「三井寺」 をみて眠っても、一度も母の夢を見なかった。母の顔を男は覚えていなかった。覚えているのはもっとべつの顔だった。
ほどよく目覚めて、男は、舞台の狂女がわが子と再会の場面を、ぽっちり目尻に涙をためて見届けた。シテの黄色い装束が桜子を抱き寄せて、うつつの夢は羨ましいまで美しかった。三役も退き見所にいい拍手がわいていた。そっと男は眼鏡をとって、目をぬぐった。
しつれいですが、と、隣の女客に名を呼ばれた。
「鼾を、かきましたか」と男は恐縮した。きもちよくおやすみでしたわと、皮肉でなく和服の似合った人に、慰めるように言われたのだ。たまに会報などのは しに解説めく文章など書いている名前と知っての挨拶であった。少々男は恥ずかしかった。能を見ながら眠るのは功徳なんだとわけ分からぬ寝言も書いたことが ある。照れて、逃げようとした、だが逃がしてくれなかった。若い、四十にはまだ幾つも間のある、眉のきれいな女だった。狂言ともう一番の能は失礼するつも りだと言うと、わたくしもと女も椅子席から腰を浮かした。
能楽堂をでると、針をまくような雨だった。「矢来の雨はふりやまず、か」と、男が能楽堂の名前にひっかけ呟くと、女は朱い傘をぱちんと音をさせ開いておいて、タクシーを片手でとめた。袖をぬけた手首が白かった。乗ってしまうしかなかった。
女はだれと名乗るのも忘れていた。忘れたふりをしているのかも知れず、男はどうでもよかった。ひとこと行き先を告げたらしく、それきり女は行儀よく黙っ ていた。男も黙って前を見ていた。雨は勢いを増して、いっとき、どこを車は走っているのかも男は見失っていた。濠端だと思ったが川のようでもあった。「櫻 川」ですかと冗談のつもりで言った。「わたしが、桜子です」と女が名乗った。冗談のようでもなかった。はぐらかしたかった。「サクラコ…さんか…」だと、 お母さんは木花咲耶姫でしょうと愛想を言った。
「そうよ」とすかさず膝でにじり寄られ、そのとき男は色めき、そして悲鳴をあげた。若い女の向こう隣で、むかし棄てた女が、能面のように男を見ていた。年老いもせず、なんと…小蛇を髪の上でとぐろまかせ、満開の花の枝を刃さながら胸のまえに立てていた。
「お父さんは、お母さんのおなかの子を疑ったでしょう。一度の愛で孕むものかと。あなたのお母さんも、同じことを言われ、独りであなたを生んで死んだんだわ、知らないの」
お父さんは卑怯よと桜子は泣いた。いちめんの桜の馬場だった。桜子の母も男の母も花に霞んで姿を隠していた。男はふっと目覚めた。子方の桜子が今しも舞台で母御に抱かれていた。

* 何とも謂えない重石を引き摺り生きてきたかと憮然とする。敢えて言い替えれば「櫻子」のような子に顕れて欲しかったのか、「清経入水」や「冬祭り」このかたおなじような事を書いてきたと気付く。
2020 3/15 220

* 『選集33』を締めくくる「単行本等・湖の本・選集」全書誌の「単行本等」は見落としに注意すれば把握できる。「湖の本」分前回全書誌からの追加分が50巻、これは詳細の作業で、注意しつつ着々進めている。
何を何処へ発表したかという個々の原稿「初出書誌」も大方は把握しているが、ごく近年は原則外へ書いてないだけに、稀少例の精確な把握ができていない。
それよりも、「私語の刻」の「書誌」を正確にしておくべきか、私の最大量(10万枚を越している)の「創作」にも類した「日乗」なので。
なにもかも私一人の手でするしかない仕事、時間的に気を急くことをすまい。
2020 3/15 220

* 「方丈」と、張即之の二字が顕れると、きりっと引き締まる。

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  来客

ちいさなノックの音に、立って、ドアを引いた。色白な、はにかんだ顔が、髪の毛といっしょに傾いて、ほのぐらい廊下を背負っていた。お入り…。すみませ ん… と、小声で入って来た。工学部の「文学」教授室に招じ入れてもらって学生の発する挨拶は、「すみません」と「有り難うございます」と「はい」か「はぁ」か で、「すみません」は、アガッている初めての子か、新入生だ。真新しいすこし裾ながなワンピースに紫のこまかい花柄があるなどは、まちがいなく入学式に出 たばかり、それも地方から一人で出てきた子だ。男が十何倍もいる理系の大学なのだ、十日もせぬうち、ジーンズの上からしろいシャツを垂らしてベルトを巻 き、ズックを履くだろう。
お座り…。玄関番よろしく教授机はドアの近くにある。奥寄りに、こましな塗りの卓をおき、ソファで向き合えるようにしてあるが、学生と向き合うのは避け、いつも机の席から応対している。学生もその方が気楽でいいという。
「藤ちゃん…だね」
「はい。長沢藤子です。はじめまして。母が、よろしくと申しました」
「入学おめでとう。えらかったね、現役だもんね」
右の目尻に、耳のほうへかすかにそばかすのあるのが母親と同じだ。前期試験に出てきた日はその母親も東京へ付き添ってきていたのは知っていたが、朝早か ら試験監督に動員されていたし、受験生の気を散らしてもと、逢わなかった。藤子の生まれるころから逢っていなかったが、縁切れになっていたわけでもなく、 著書はとぎれず送っていた。手紙ももらっていて、娘が建築科志望で、できれば「おじさん」のいる国立に行きたがっていると告げられていた。
木津からなら京大が近いよ、東京へ手放すのはさびしくないですかと型どおりな挨拶はしていたが、藤子を見てみたい気も無くはなかった。ひょっとして…と も思うのである、母親の豊子が一切口をつぐんでいるのだから、ま、それに甘えて無事に来は来たのであるから、結局、何ごとも無かったものとしてこのまま行 くことになるだろう、豊子はそれでもいいとして、藤子はどうか。何か考えているのかしらんと、しかし、それも、藤子に聞いて確かめたいといった胸の高ぶり は無かった。
「建築は人気の高い学科らしいよ、ここへも、何人もはなしに来る先輩がいますよ。あんたも来るかな、これから」
「来ないかもしれませんよ」
思わず笑いかけた。笑ってしまった。木戸豊子の口ぐせがそんなであった。「行かないかもしれないよ」「買わないかもしれませんよ」「そうしないかもしれ ませんよ」などとよく言った。京都での取材や対談の仕事をすますと、気晴らしによく寄る昔なじみの道具屋に手伝いに来ていた親類の娘だった。
親の家は木津の炭屋だった。炭ではもう立ち行かないのと、近隣に開発都市ができるというので商売替えを考えていた。豊子は私立の大学へ通う足 場に京都新聞社にちかい親類の道具屋を借り、そのまま店番に居着いてしまいそうな、そんな頃に初めて口を利いたのだが、豊子には、木津で親たちも気乗りの 縁談があった。相手は家の近くの宮大工に勤める若い衆だといい、その相談にのったのが…、どうも、いけなかった。
嫁ぐ直前にも豊子は東京へ家を抜け出すように出てきて、逢って行った。最後の忍び逢いであった。
ーー藤子は五分あまり座っていた、が、ただ丁寧にお辞儀をして、出て行った。

* こういう夢を夢見ていたのかも。フイと、娘(らしき)がある日訪れ来ないものかなあと。あり得ないから、夢と謂うのだろう。
2020 3/16 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆   恋慕

逢ったことのないあなたが、どこにいたのか気がついたとき、わたしは、飛ぶ車をもたない自分にも気がつきました。なんと遠い…。あんまりにも、遠い遠 い、あなた。逢いたくて、逢いたくて。銀河鉄道の切符を買おうとしたのですが、あなたの所へは停車しないそうで、がっかりしました。
あれから、もう千年経っているんですね。
昼過ぎての雨が夕暮れてやみ、宵の独り酒に、心はしおれていました。下駄をつっかけ、わびしい散歩に、近くの大竹藪をくぐるようにして表通りへ、いま抜 けようという時でした。東の空たかくに、白濁して歪んだ月がふかい霞の奥に、とろりと沈んで見えたのです。月が泣いている…。そう思いました。そして、 はっとした。泣いていたのは、かぐやひめ、あなたでした。天の使いの飛ぶ車で、月の世界へ羽衣を着て去ったあなた、あなただ…と分かった。
わたしは、あなたを、血の涙で泣いて見送った竹取の翁と姥との血縁を、地上に千年伝えて、いましも絶え行く、ただ一人の子孫です。もうもう、だれも、いない。妻も、また、子も、ない。
いま虚空に光るのは、三日の月。あぁ…待っていて、かぐやひめ。今宵私は高い塔の上に立っています、手に縄をもって。この縄を飛ばし、 遙かあなたの月に絡めてみせましょう。力いっぱい塔を蹴り、広い広い中空に私は浮かんで、縄を伝ってあなたに、今こそあなたに、逢いに行きます。縄を伝 い、あなたもわたしを迎えに来る。ふたりで抱き合って、一筋の縄に結ばれ、あぁ堅く結ばれて、天と地の間を、大きく大きく揺れましょう、かぐやひめ…。

また男がひとり死んだ。千年のあいだに、数え切れない男がわたくしの名を呼んで虚空に身を投げ、大地の餌食となって落ちた。やめて…。わたくしは地球の 男に来てもらいたくない。だれも知らないのだ、わたくしが月の世界に帰ると、もうその瞬間から風車のまわるより早く老いて、見るかげなく罪され、牢に繋が れてあることを。「かぐやひめ」という名が、どんなに無残な嘲笑の的となって牢の外に掲げられてあるかを。
牢には窓がひとつ、はるかな青い地球だけが見える。わたくしが月を放逐れたのは、月の男を数かぎりなく誘惑して飽きなかったからだ。地球におろされて も、わたくしの病気はなおらなかった。何人もが命をおとし、何人もが恥じしめられ、わたくしは傲慢にかがやいて生きた。人の愛を貪り、しかも酬いなかっ た。天子をさえ翻弄した。竹取りの夫婦の得た富も、地位も、むなしく壊(く)えて残らぬと、わたくしは、みな知っていたのだ。あまり気の毒さに、夫婦のた めにもう一人の子の生まれ来るだけを、わたくしは、わたくしを迎えにきた月の典獄に懇願して地球をあとにした。
だがその子孫のだれもかも、男と生まれた男のだれもかもが、なぜか、わたくしへの恋慕を天上へ愬えつづけて、そして命を落としつづけた。一人死ぬるごと にわたくしの罪は加わり、老いのおいめは重くのしかかって死ぬることは許されない。あぁ、ばかな、あなた…およしなさい、この月へ、縄を飛ばして上って来 るなんて。迎えになど行けないのだから。あぁ…、でも、ほんとうに来てくれれば、かぐやひめは救われる。来て。来て…。
2020 3/17 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆   天変

みな人は地上一尺の上をすべるように動いていた。地面を踏むものなど一人も無かった。身動きの静かな、うつつなき世界だった。それなのに男の一人が、あ る日、すとんと地におちた。信じられることではなかった。どんな病人にも老人にもそんなことは起きなかった。男は呆然と人より一尺ひくく立ち、まるで棒 だった。きたないものを見るように、みな、男からはなれた。
男の暮らしは変わってしまった。人は、男が手をふり土の上を歩くと言って、わらった。動くと足音がすると噂し、あきれた。男は町をのがれ、野なかの、川のほとりにひとり住みはじめた。引きとめる人はひとりもなかった。
兎が地をはしってきて、男のそばで足を折った。狐も音もなく寄ってきた。蛇は地を這い、男のよこでゆっくり尾を動かした。鳥の影が幾羽も草野を流れ、やがて舞い降りてきた。川では魚たちが跳ねた。
「どうしてこんなことになったろう。知っているものがいるか」と、男は聞いた。
兎も狐も、鳥も魚たちも、だまっていた。蛇だけが、わるいことではないと言った。そうのようだと男もつぶやいた。魚と鳥とは、男がもっと山のちかくへ移ったほうがいいと勧めた。兎も狐も同感だった。もうすぐ天気の変わることを彼らは知っていた。今にも旅立つ気だった。
男も去ろうとしていると、町の方から、降りだした雨に追われるように、大地に足をおろした女が一人駆けてきた。いっしょに行くかと聞くと首を縦にふる。女は灰色の脚のみじかい小犬を連れていた。黒い髪をぬらした若い美しい女だった。
川上は荒れていた。岩をころがす真っ白い波しぶきに、草も木も伏し靡いていた。男と女は山の中へ急いだ。玉の雨が断崖をまろび落ちてきた。寒かった。女も寒いと言って男の手をきつく掴んだ。男は女をひっぱって崖をよじ登った。必死に登った。
崖のうえにやっと立って、振り向くと、地平のかなたへ、身をよじって大地を蛇行する数百もの大小の川が、ましぶきを白い無数の鱗のように逆立てて奔って いた。町もなく野もなく、地の水かさは膨らんで、はや海になった。広い広い海であった。たける生き物のように海は吠えていた。
男と女は肩と肩を抱きあい、なぜ自分たちだけが助かったのか分からなかった。知らなかった。知る必要があろうか。わずかな鳥・獣といっしょに這ってきた蛇の一尾がつぶやき、男と女はうなづいた。
小犬がちいさく、だが元気に吠えた。雲という雲が波打って空を飛び、雲の切れめに青空が光りはじめた。
地上一尺を飛行していた人間たちの姿は消え失せて、生かされた男と女は、なぜ自分たちだけが地に足をつけたのか、分からなかった。知る必要はなかった。 必要なのは足を地につけた二人の子孫を地に満たすことであった。それだけが男と女の運命を語り継ぐに足る理由となる。口にはださなかったが男は女の目に、 女は男の目に、それを読んだ。蛇は地に輪をなして、見るまに、やわらかい二人のための新枕に、かたちを変えた。灰色の小犬が二人のための花をくわえてき た。鳥や獣はみな木の枝や根かたにいて、男と女を、励ました。
天がおおきく裂け、音楽が洩れて来た、時代の変わったのを告げるように。

* 私の「底」から「奥」から、なぜこんなはなしが涌いて出るか分からない。天変を待っているのか。いや、人災をほとほとイヤと思っているのだろう。
2020 3/18 220

* はぐれたようにフイとモノの蔭から手に触れた紙一枚、読んでみて今も同感なので、コピーしてみた。

☆ 無明抄 2       秦 恒平(作家)
漢文を、日本風に「返し読み」して行くのが、高校生時分には知的なスリルで得意技だった。だが、あれは一種のサーカスに過ぎず、下から上へ上へと引っ繰 り返して行くことにばかり意識を消費し、文章の意義は得にくくなる。漢文がのみこめてくると、いっそ白文を「お経読み」にした方が、およそ大意を逸しなく ていいと、いつしか気づいた。
浄土三部経をわたしは岩波文庫で読み始めた。小経(阿弥陀経)だけに「お経読み」のふりがながしてあり、大経、観経にふりがなはない。三部とも下段に訓 みおろした文章があげてあり、べつに原典の現代語訳もついている。くり返しくり返し、大経、観経の白文のほかは、すべて順ぐりに何度も読んだ、それも「音 読」が常であった。毎夜の、死者たちへの「供養」にも再三読んだし、人の安穏を祈ったりわが気持ちを静めたいときも、始終音読した。阿弥陀経はかならず全 部を一度に読み上げた、それもたいていは「お経読み」に誦んだ。
そのうちに「お経読み」のいわば訓み癖というか、慣用読みのようなものが自然に頭に入った。「爾時」とあれば「にじ」と読み、「若有」とあれば「にゃく う」と読む。これに慣れれば、じつは大経も観経も、ふりがな無しにおよそ読めるようになる。仏家の慣例に若干添わぬところもむろんあろうけれど、要するに それで大意のとれないことはない。漢文を「返し読み」などするより、端的に、胸に納まってくれる。
思えばこういうことは、幼い日々、家の「仏壇」に好奇心を放ってしきりと仏界の探索をこころみ、大きい字の総ルビ般若心経に行き当たって盛んに音読して いらいの、ま、稽古--もものを言ったにちがいない。般若心経は、だが、読めようが暗記しようが大人でも大意をすら把握できない。それにくらべれば浄土経 でも法華経でもおおよそ察しながら「お経読み」ができる。むしろ日本文に訓み下ろした文語文よりも、いっそ端的に経意が心にとびこんで來る。
そうは言いつつ、法然上人の選擇本願念佛集ほど「構造」のある「論議」の本になると、「お経続み」ではやはり手に余り、これは、もっぱら和字選擇集で愛読した。大正十五年四月刊の日本古典全集第一回配本の、「非売品」とはあるが古本屋で買った、ハードカバーの「法然上人集』に収まっている。やや幅のある文庫本型で、選擇集の原文もむろん入っている。一枚起請文、二枚起請文は本文にも組まれ、ペつに、知恩院蔵原本の影印も附録に挟んである。
いま、わざ「構造」と「論議」という指摘を強調したのは、まさにそれが我が第一印象なのであった。へんな譬えでいえば、高校生の頃の定期試験のまえになると、わたしは慎重に各課目の「まとめ」を作って暗記していたが、その「まとめ」に、選擇集の構造は似ていて、おそろしいほど上手に「まとめ」たものだと感嘆した。多聞一だか智慧一だか、さすがに源空サンの把握は強烈やなあと感じ入った。

* つい最近にもこの「私語の刻」で似た思いを述べていた。上の原稿はもはや大昔のもの、連載の一回分か。いま、この感覚で意気な明治人、「文豪」とさえ 評判されていた成島甲子丸こと『柳北全集』の漢文・漢語の「雑文」集など楽しんでいる。紅葉。露伴ころまではありえたろう、鴎外、漱石も当然ながら、作家 達が漢文でもの申す習いははやく推移して、そして「文豪」柳北の名ももう憶えている人すら無い。
2020 3/18 220

☆ 夢の夢  秦恒平・掌説の世界 三 (無明)
(作の転載を、著作権法により厳禁します。 恒平)

☆  男女

人に呼ばれている気がする。視野の隅を、わけの分からない黒いしみか糸か、そのようなものが斜めに走り抜ける。指も引っかからない空気のどこかに、男 は、なにか引き戸のようなものの隠れているのを、あわや引っ張りかけた。引き戸みたいだが引出しだったかも知れない、びっくりして手を引き、もう何にも触 れなかった。空気中に、一瞬、二十センチほどの紙を撚ったような筋が、ピカッと光って消えた。そんな気がした。
話を聞いても女は信じなかった。わらった。女はベッドの中のことしか信じなかった。 からだにからだを差し込んだまま、手と手を繋いで女はのけぞり合う体位が好きだった。すべって手が離れると女は男を罵った。罵り罵られながらからだとから だは、窪んだ箇所で痛いほど噛み合っていた。男は、人に呼ばれているような、黒いなにかが身のわきを通り過ぎるような気がしてならなかった。ばかばかばか と女は男をきめつけた。
男は旅に出たかった。女は離れなかった。泊まるとすぐ男をベッドへ誘った。開け放した窓の景色だけが夜ごと変わった。人に呼ばれているような、黒いなに かが身のわきを通り過ぎるような気がした。男は黙っていた。うしろ手をついてのけぞったまま、男はからだの尖端からひゅるひゅると草がはえて暗闇に花を咲 かせている気がした。それも男は言わなかった。わざと手を汗ですべらせ、女を頭からベッドに落としてやったりした。女は罵った。
山のうえの、周囲が一里ほどの、まるくて静かな湖へ来た。宿はおろか家も一軒もなかったが、舟が一艘もやってあった。女はしりごみした。人の呼んでいる 感じがいちだんとした。足もとの湖水の揺れをかすめて黒い何かがしきりに奔る。聞かれもしないのにお魚だわと女は逆らった。山が風に鳴るだけよと叫んで男 を制した。かまわず男は舟の艫に乗って、女を見た。いやよ。やめてよ。それでも渋々乗りこみ、男はもやいを解いた。舳先に女を座らせ、舟はゆっくり湖心の ほうへほうへ流された。櫓をつかう気も術も男は持たなかった。女はじっと男を見つめていた。いやよとも、やめてよとも言わなかった。女もそのうちに、だれ かに呼ばれているみたいだと頷きはじめた。舟のまわりに、波ではなく、波を侵してくろい皺のようなものが無数に集まり、固まり、湖水との見境もなしに舟は 前後左右を黒いメタルのようなものへ乗り上げていた。叩くとカンと鳴った。いまは名指すほど呼ばれている気がしたが、二人とも頭がずきずきするばかりで、 男の声とも女の声とも、ましてだれの声とも聞き分けられなかった。
男は皺だらけの黒いものの上に降りてみた。いやよ。やめてよ。女は降りなかったが、男の足元に、さも蓋をしたような四角い切れ目が見つかり、ちいさな鍵 穴があると聞いて女も見にきた。女の降りた舟はそのまま日差しににじむ影のように消え失せた。湖岸もなく山もなく、男と女に有るのはただ足元の鍵穴の蓋だ けだった。鍵は確実にかかっていた。
きっと鍵はあるさ、あんなに呼んでるんだもの。
でも、どこに。
男はここだと、指を一本まげて何かを虚空の中で引っ掛けた。めくるめく明るい刺激の奥でぱくっと小さな引き戸があき、真っ黒いちいさい鍵が見えた。女がすばやく掴んだ。
鍵をつかって蓋をあけると、梯子段が降りていて、その梯子段はやがて二手に分かれて二つの部屋の中へ降りていた。一方には男がはだかで、のけぞって待っていた。もう一方では女が腰掛けて本を読んでいた。女は男の方へ、男は女の方へ、べつべつに降りた。

* 「空間」という、空気に満たされた広漠としたあちこちに、指をかけてひけば、至る処に抽斗のような戸棚のような部屋のようなものが隠れていると想い思い、その取っ手を見付けたい気分でまだ田圃のあった田舎道を夢うつつに歩いていた時期があった。
2020 3/19 220

☆  春は――と仰せに
「あけぼの」
「しずかに、ものの見えわたるころ」
「ことに山ぎわ」
「ほっと明からんで」
「山はらは紫立って」
「雲も」
「ほっそりたなびいて――。佳いわね」

* 学研版で『現代語訳 日本の古典』が企劃・公表され、「枕草子」をと依頼された気分はフレッシュな好奇心に満ちていた。「源氏物語」は誰がと咄嗟に思い円地文子さんと知れてホ オッと声になった。円地さんは、私が医学書院の編集者のころ、懇意な順天堂大内科教授がわざわざ私のために会わせてくださった生涯初対面の大先輩「作家」 先生であった。谷崎の『少将滋幹の母』や源氏物語や円地さんの『かげろふの日記遺文』を話題に、教授室を借りて小一時間も嬉しい時間に恵まれた。円地さん は教授の患者さんなのであった。二度目は、私の太宰賞授賞式に瀬戸内さんと連れて真っ先に会場へ見え、「おもしろいところでまた会いましたね」と笑って 祝って下さったのを懐かしく忘れない。
円地文子訳「源氏物語」と並ぶのかと、また大いに奮起した。此のシリーズは全二十一巻、陣容は、『古事記=梅原猛 万葉集=山本健吉 古今集・新古今集 =大岡信 竹取物語・伊勢物語=田辺聖子 源氏物語=円地文子 枕草子=秦恒平 土佐日記・更級日記=竹西寛子 今昔物語=尾崎秀樹 山家集=井上靖 平 家物語=水上勉 小倉百人一首=宮柊二 徒然草・方丈記=山崎正和 太平記=永井路子 隅田川・柿山伏=田中千禾夫 奥の細道=富士正晴 好色五人女・西 鶴置土産=吉行淳之介 女殺油地獄=田中澄江 義経千本櫻=村上元三 雨月物語・春雨物語=後藤明生 椿説弓張月=平岩弓枝 東海道中膝栗毛=杉本苑子』 だった。私の『枕草子』はトップバッターかのように早々と世に出た。当時錚々の顔ぶれであったが、四十一年が流れ去って、永くお元気だったのは梅原猛さん ぐらいだったが、去年亡くなられた。無常迅速の思いに迫られる。
枕草子は、しみじみと読めば読むほど、源氏物語とともに平安女文化「大輪の名花」であり「抜群の至宝」と謂える。愛読をお願いしたい。
2020 3/20 220

* 「湖の本 149」 今日の分、送り出した。明日にも、つづく。

* 「湖の本」全書誌を第140巻まで仕上げた。こまかな内容まで可能な限り記録した。二、三巻、本が手近に見当たらずトバしているが、探し出せばすぐ補える。
『全書誌』といえども、所詮収録できるのは選集が第33巻で終結までのもの、むろんそれなりに落ちなく仕遂げておく。コツコツ、コツコツ仕遂げる。

* すぐさま次の『選集 32』の、各界へ献呈分送り出しの用意にかかる。済むと、すぐまた私にはまる51年めの桜桃忌がくる。『選集』終結は急がない が、「湖の本」創刊34年をちょっと様子を異にした一巻で自祝したい。わらうひともあろうが、こういうけじめをキチンキチンと践んで行けばこそ息の長い仕 事が積めて行く。会社勤めの15年半にも、どんな予定や目標も一度として外さなかったのは自分の仕事を把握し切っていたからだ。受賞した時、社の長谷川泉 編集長(森鴎外記念館館長・国文学者)が、ある新聞社からの取材に、「A級の編集者」と評価してくれていたのが、「会社を卒業」時の通知簿のようであっ た。
2020 3/20 220

☆ 「枕草子」を、いま、現代語で楽しもう(秦 恒平・選訳 學研版)

☆  日は 月は

日は、(と仰せに。)
入日。
日の沈み果てた山の端に、光がなお残って茜に見える上を、淡々と、黄ばんだ雲の長うたなびいたのは、とてもすばらしい。                    (第二三四段)

月は、(と仰せに。)
有明月が、東の山ぎわにほっそりと出たころが、とても佳い。    (第二三五段)

* 京恋しさが、この書き抜きを、させている。西東京住まいの、「山」といもののまったく無い、見え無い我が家では、なあ。幸い私には、京の山河がくっきり目にある。これは誰でもない、私を慰めているのだ。
2020 3/21 220

☆ 「枕草子」を、いま、現代語で楽しもう(秦 恒平・選訳 學研版)

☆  日は 月は

日は、(と仰せに。)
入日。
日の沈み果てた山の端に、光がなお残って茜に見える上を、淡々と、黄ばんだ雲の長うたなびいたのは、とてもすばらしい。                    (第二三四段)

月は、(と仰せに。)
有明月が、東の山ぎわにほっそりと出たころが、とても佳い。    (第二三五段)

* 京恋しさが、この書き抜きを、させている。西東京住まいの、「山」といもののまったく無い、見え無い我が家では、なあ。幸い私には、京の山河がくっきり目にある。これは誰でもない、私を慰めているのだ。
2020 3/21 220

☆ 「枕草子」を、いま、現代語で楽しもう(秦 恒平・選訳 學研版)

☆  雲は

雲は、(と仰せに。)
白いの。
紫。
黒いのも、いい。風吹く折の雨雲とか。
夜(よ)が明けはなれるころ、黒雲がようやく散って行くにつれ一面に白みかかる風情もとてもよくて、「朝に去る色」とか、詩にあった、と思う。
月の皓々と照った面(かお)に、淡い雲、あれも趣深い。   (第二三七段)

☆  風は

風は、(と仰せに。)
嵐が、おもしろい。
三月ごろ、夕暮れからゆるゆる吹き出した雨風も。
八、九月時分の雨まじりに吹く風にも、しみじみした感じがある。雨脚が横なぐりに、ざわざわと風の吹き抜けて行く時、夏のあいだ、ときたま夜具にもしてきた綿入れのその辺に懸け
てあったのを、生絹の単衣に重ねて着たのも、移ろう季節が思われておもしろい。
生絹の単衣にしても夏のうちは大袈裟で暑くるしくて、脱ぎ捨ててしまいたかったのに、いつの間にこう涼しくなったかと思うのも、おもしろい。
明け方、格子や妻戸をおしあけたところへ吹く嵐にさっと顔をうたれたのは、なんとも言えず身にしみておもしろい。
九月の末、十月の頃、空うち曇って、にわかに風騒がしく吹きはじめ、黄色い木の葉がほろほろと散り落ちる風情もたいそう身にしむもの、桜の葉や椋の葉はとりわけ早々と散って行く。
十月時分、木立多い家の庭は、色々に落葉がすばらしい。      (第一八七段)

〔古典では当然のことだが、暦が今日の太陽暦と違う。したがって月と四季との照応が今の常識とは、ずれていること例えば七夕は初秋の星祭りだったし、九月九日重陽の佳節が菊薫る昨今の文化の日ごろに当たることなど、適宜に按配して読まないと誤解を生じる。〕

* 早稲田の文藝科を手伝った二年のうち、はっきり作家になれと背を押した只一人の「角田光代」が源氏物語の現代語訳を完成したと報じられたらしい、妻に聴いた。よく頑張った。佳い現代語を書いてくれたろうか。
2020 3/22 220

* いささか途方に暮れていた「湖の本」101巻から150巻までの詳細な「全書誌」作成が、一気の集中で、数日を要せず仕上がった。8ポ 7ポという細 字を用いての作成に目はひどく傷んだが、これを欠いては『選集』が締めくくれない。いわゆる「年譜」は、わたくしがまだ生きて仕事を続けている途中なの で、85年を詳細に言い尽くす意味はなく、仕事の「中身」は此処までの「全書誌」で足る。どんな風に産まれ育ち作家に成ったかは、日録に近いまで、恥ずか しいまで、詳細に年譜化して置いた。ま、恥の掻き捨てと居直っておく。
2020 3/22 220

☆  秦 恒平・*子・建日子
秦*子という人から封書が来た。一瞬ドキッとした。敬愛する作家の奥さまの名と知っていたからだ。何かの通知かと…。
秦さんの典雅な作品に、まるで私小説(或いはエッセイ)のような感じで度々登場してくる優雅な人のお名前。
ちなみに、やはり作品に度々登場するご長男は、ぼくが知った頃はたしか高校生だったはずだが、今や有名な作家、秦建日子。
約40年前ぼくが詩集「嬰児行」をお送りしたとき、父子で読んでくださり、詩集に入っている楽譜(きみに)を見て、ギターを弾きながら歌ってくれたという建日子さんが、いつのまにか、ミステリー作家になっていようとは…。
結局、奥さまの封書は、ポストカードの注文であった。詩のついているものをと。嬉しくなって、言葉がついているものをほとんどすべてお送りした。約100枚。
ぼくの今度の詩集名「隠沼」(こもりぬ)という言葉は秦さんから教わった。同名の短篇がある。奥
さまが実名で最初から最後まで登場。「私」の恋人(いわば不倫相手)の名は龍子。親友の妹である。この兄妹の近親相姦めいた話といかにも魅力的な陶器をからめた名品。
こういう作品を読むと、僕なんかは、まっ先に、奥さまはどんな気持ちでこういう作品を読まれるんだろうと思ってしまう。素人の浅はかさか…。
いただいた「秦恒平選集(29)」から一首。
12・03・23 *子 ステント手術
術半ばかと胸に手を置き妻のため祈るなり
倶に永く生きたし

* 私の、ごくごく稀な私小説のほかの物語には、一貫して妻でない女性が輝やかに姿をあらわす。そのために私は書いている。女性は一貫して一人のようでありぜんぶ別のようでもある。あたりまえである。
添えられた私の歌一首は、私自身が二期胃癌で胃全摘の手術後のまま入院中の作であった。妻がどんな人かは私のここで謂うことでないが、つい最近に古いモ ノをかきまわしていたとき、間違いなく東工大院生だった頃の彼の子だなと思える手紙があり、息子の芝居を見てくれたとき、あとで私達とお茶をのんだのでも あったか。永い手紙のおしまいに、「奥さん」に会えてよかった、「幽霊のような人かとおもってましたが、『人』らしい人でした。」とあって、笑えた。

* 私にはまだ俳句を読むちからはない。芭蕉、蕪村、子規、虚子、孝作らの作を懐かしめるだけである。
2020 4/1 221

☆ 御礼
選集第三十二巻が届きました。誠に有り難く心よりお礼申し上げます。
まず年表(=「作家」となるまでの、自筆年譜)に惹かれました。『四度の 瀧』所載の年表も拝読しましたが、この度は、年表というより{長編の物語(作品)}のようです。
お疲れが早く取れますようにとお祈りしています。  吉備の人

* よかれあしかれ誰も書かない・書けない「息のつまる」ようなウソのない年譜を書いた。「作家」以後の事蹟は最終次巻にはいる「秦 恒平単行本等・湖の本・選集・私語の刻 全書誌」が自ずから語ってくれる。「作家・創作者」は作品を通してのみ自身を語りうる「存在者」で、普通に所謂 「私」は、実在はしているが存在しないのである。
2020 4/2 221

 

* 新刊の「山縣有朋」の初校、とても刺激的で、仕甲斐・読み甲斐もある、が、さ、どう読まれるだろう。送り出すのが心待ちされる。
2020 4/5 221

* 新しい湖の本の校正を楽しんでいる。「日本語」の優しさ美しさむづかしさを、まさしく体感している。
2020 4/6 221

* それにしても、新たな校正仕事の面白いこと。しかし、読者さんらはどうかなあ。

* 十時過ぎた・
2020 4/6 221

* 私の性質には、懐かしむ、懐かしいという感情をだいじに、玉のように抱くきもちが特徴的にある。それも、この世の、およそ「もの、こと、ひと」の全部 に謂えてさらに色濃く「ひと」に対して有る。わたしが小説を書きたいと願い書き始め書き継いできた推力は、「懐かしい人たち」を大勢専有していたいから だった。懐かしくもない人を造形して何の意味がある、ムダではないかと思える。懐かしい人成ればこそ必然の「もの、こと」も起きてくるし懐かしくてならな い「場」が出来る。来迎院のような、東福寺のような祇園のような、黒谷や鞍馬や河原町や御所や、清水・清閑寺のような、大きくいえば「京都」だが、近江も 丹波も、厳島も仙台も四度の瀧も牧場の家も、大同もモスクワも、もっともっともっと、いろいろ、在る。懐かしい「ひと」と懐かしい「場所」とは切り離せ ず、しかも自分の脚では行ったこともない「創られた」場所がまざまざ生き続けている。私は、「オイノ・セクスアリス」に書いた西院も洛南もじつは知らな い。しかし西院は生まれ落ちてたった独りでたてた「原籍」のある場所なのだ。

* あの破天荒な長い小説で、もっとも私が懐かしむ場面は、西院の松院恵遠寺であり、その墓地に実父母が名もなくただ「倶會一処」と刻んで眠った墓であ り、さらに幻の姉と現在の妻と実の妹との夢のような出逢いと歌を詠み合う一期の一會なのである。桂川の西、「姉」の墓のある三慧寺で実に「世自在王佛」と ある床の一軸にみまもられ、「私・吉野東作」氏は、妻と妹と床をならべて寝、夢の中で三人は懐かしい美しい「姉」の手に運ばれて、洛南の歴史的景勝へとは こばれて行く。

* わたくしとは、その三慧寺の一夜を見まもった床の軸に何をと、じつは一瞬に「世自在王佛」の名をもってした。この佛如来の名を知った人とは、坊さんは ともかく、ふつう出逢わない。釈迦如来、弥勒、地蔵、観音勢至等の菩薩、そして阿弥陀如来や大日如来どまりだろう。しかも私はそこで「世自在王如来」の名にことに私は「懐かしい」という気持ちを寄せも籠め もしたのだった。
浄土三部経は岩波文庫で手にはいるが、大部で根本の「大無量壽経」を話題に人から聞いたことが無い、が、いわゆる法蔵菩薩のくちから「本願」が発出され ている最も基本の経なのである。宝蔵菩薩はじつにこの大願を師ともいうべき「世自在王如来」にむけて誓っていて、近いの成就されて西方百万奥土に極楽浄土 が実現したとき、法蔵さんは阿弥陀如来と呼ばれている。そうお釈迦さんは弟子に話されている。なんという「懐かしい」ことであるか、夢でない真実なのだと いうのだ。
ではその「世自在王」先生は、何時頃の如来さんなのか。
釈迦如来を溯ること、宇宙の果ての果ての果てまでを数えるほど大勢の如来さんたちのまだその先の先に居られて、法蔵さんは、その「世自在王如来」に向かい、衆生済度と極楽浄土へ迎える本願を立て、みごとに果たされたと謂うのである。
基督教の聖書でもはじめにアブラハム、イサクを生みから始まってイエスまで延々の系譜が語られ、読み手は音をあげるのだが、お釈迦さんのときから、はる か世自在王如来へいたる過去世の莫大も莫大な永さは、ここで大経に出逢った読者を埃のように吹き散らしてしまうのである。
わが『オイノ・セクスアリス』はそういう懐かしさに底を支えられた「或る寓話」なのである。
2020 4/7 221

* 「湖の本」新刊分のあとがきが書き出せない。アタマにコロナ禍へのこだわりがあって。

* で、どうせ『選集33』の締め括りに絶対欠かせない全単行著書等の書誌に、もう出来てあるモノの複写と校正に取りかかったが、これが猛烈に大変、字は 小さし(8ポ)、細かに型式を定めて関係の事項を漏らさず書き上げて行くのだから、共著は全部除いても、やっと13册めの『みごもりの湖』まででぎっしり 半日かかり、文庫本を含む全単行著書で全102 册分を詳細に記録し遂げねばならない。「湖の本」150巻分はこれと別に詳細にあらあら出来ているが、途方もない大仕事になる。「年譜」に代わる「作家」 としての表仕事だけに省けない。コロナよ、どうぞ因ってきて呉れるな。
2020 4/13 221

☆ 拝啓
ご無沙汰致して居りますが先生にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。
先には『秦 恒平選集』第三十二巻をご恵送賜りました。ありがとうございました。ゆっくりと拝読させていただいておりました。所収の「自筆年譜」の詳細さは驚きでした。上下二段組みがで九十頁に及ぶ分量でありながら、まだ(一)ということにびっくりしていました。
かつて研究室で一緒だった横光利一研究家であった保昌正夫さんが年譜についての思いを、日ごろよく話しておいででした、わけても、「年譜は研究や論文などのための調べる資料でなく、作品と同じくらい読みこむものです」という話しは記憶に強く残っています。
先生の「自筆年譜(一)」を拝読させていただきながら、「エー」とか「ヘー」とかいいながら一行一行進みました、例えば「喫茶店という場所に生まれて初めて入った」という十八歳の記述は、ひどく身近さを感じたりしました。
先生の若い日の姿をあれこれと想像させていただきました。こういう拝読の仕方は失礼かと思いつつも一行一行にひきこまれていきました。
これだけの詳細な年譜の裏には、日々、しっかりした記録を残していらっしゃったはずと思いますと、そのこと自体が驚きでした。
今しばらくは「自筆年譜(一)」から離れられそうもありません、くり返し拝読させていただこうと思っております。(後略)  敬具   相模原  馬渡憲三郎  前・芸術至上主義文芸学会会長

* 何度も書いてきた、仲間というモノを持たなかった私の「文学の教科書」は、京都から上京の以前(角川・昭和文学全集)も以後(講談社・日本近代文学全 集)も、これらの作品と等質・対等に各先達作家達の「年譜」だった。食い入るように年譜を読んでいた。具体的に何が何をということでないが、底知れないエ ネルギーをわたしは作家達の、批評家達の「年譜」から汲み取って一度も飽きなかった。
それと今度の「自筆年譜(一)」との関わりを謂う道も術も持っていないが、これだけは書いておくべきだと思い、虚実を推し測る意味などではなくて、懸命 に生きて「必然」の呻きのようなモノに成ったと思っている。「作家に成ったまで」で留めたし、それ以降の半世紀の「年譜」を同じように書くことは何でもな く用意できているが、私は、「作家以前」はともかく、「作家」として今も生き続けている以上、私を語りうる資料は「作品・文藝」でしかない、あってはなら ぬと想っている。幸か不幸か今世紀に入る少し前からこの機械に書き始めた「日蔵 私語の刻」はすでに十万枚を超している。呆れて嗤ってもらっていいことで ある。
2020 4/13 221

* 午後は、単行著書の書誌づくりもしていたが、二日がかりでやっと四十册分、もう六十册余のオチない記録を細字で作り上げねばならない。大概の人はウン ザリしてしまうだろうが、自分で書いて創って出版された本だし、詳細に亘って記載していると往時のこともありあり思い出せる。よくまあこんなに本にしてく れたなあと今更に感謝。そんな中で、時節という物か、信じられないほど私は数多く限定豪華本を書肆にのぞまれており、単行本が千円未満の頃に単価が万、何 万という立派に美しい少部数本を出して貰い、売れない作家の割にたいそう稼がせて貰っていたと分かる。そしていつか「本が売れない」とどの社も編集者も売 れる物を書いて書いてとやかましかった。決然と私は「秦 恒平・湖の本」時代へ行く手を切り換えたのだった。
2020 4/15 221

* 微細な文字で詳細につくってゆく単行著書の書誌づくりはシンから疲れる作業で、やっと四割五分ほど出来た。幸い「湖の本150」の仕事を「向こうサン」へ渡したので、二、三日気張れば本の書誌は片づくと思う。
この期に本当に手がけて進めたい仕事はむろん小説で、書き進めたい、書き始めたいのが、具体的に二つ有る。どっちも、容易ならぬ暗闇の奥から手づかみでモノを引っ張り出さねば、進まない。
2020 4/16 221

* ぜひまた読みたいと念頭の、鈴木大拙『無心ということ』の門を、この歳になりもう一度叩きたくて身の側に置いた。丹念に読んできた跡が角川文庫本にあ りありと。昭和四十二年二月の改装初版本を買っている。受賞のまえ、もう懸命に孤独をいとわず小説を書きに書いていた頃、建日子が生まれてくる、きた頃。 『選集32』にのその頃の主な創作を収録した。
2020 4/19 221

* 単行屠所のかたちで出版社から出版した平成十八年十月までの101册の書誌を再確認し取り纏めた。その前後からの書籍に準じた新刊内容の本は、「秦 恒平・湖(うみ)の本」150巻のうちに相当数編輯出版している。「湖の本」書誌も纏まれば、『秦 恒平選集』最終33巻の入稿へ近づける。仕遂げ得れば年内には刊行できるだろう。
2020 4/19 221

* 八時半になる。今日は、ボヤーッとしながら機械の中の夥しいフォルダやファイルをせせり歩いては書きさしのいろんなアイデアものを拾い読んでいたりし た。疲れてはいけない、むしろのんびりしていたいと。幸いに尻を叩かれる要件はなく、こんなときこそ放心の世界を漂えばよろしく。二つ、三つ、いやもう幾 つかハリに掛かってくる手応えがあった。ひとつ「ハラスメント」という話題を、美しくも抉るようにも書いてみようかと思ったり。
傍の音楽は、今日は朝から、グレン・グールドのバッハ協奏曲1、2、3番が繰り返し鳴っている。もう一枚べつに協奏曲三つの盤があり、さらにフーガの技法とゴールドベルク協奏曲の盤もある。モノーラルが私にはありがたいのだが、グールドのピアノの冴えには凄みがある。
もう、目があかん。
また明日のためにも、心身やすめねば。
2020 4/20 221

* この「私語」の、この上の行までは、前夜機械を離れる前に、頭の日付と計測値はそのまま、筆頭の「枕草子」は選んだ箇所を即、貼り付けている。明くる朝 に、すぐその朝の新しい気分で新しい筆記へ入れるように。計測値は、その朝の値に書き直せば済む。まさしく「闇に言い置く」「私語」なので、「読者」を先 にアタマに置いては居ない。訪ねよられて読んで下さる方のあるのは嬉しい、が、読者を意識して書いているとは言えない、この想いや思い、どう伝わるか、伝 わってほしいと願うときもあるけれど。時には、賛否のまま「秦 恒平がこんなことを言うていた」とよそへ向け拡げて頂いても構わない、有難いと思っている、が、あくまで「闇に言い置く 私語の刻」であり、自分の都合で 記載している。体調をはかる数値も、医者に命じられているのでなく、何となしキマリをつける気分で勝手に計測したのを、当日最初の儀式のように気ままに構 えている。
2020 4/21 221

* 大事な資料 例えば「全書誌」など、神に印刷したモノをだけ保存していたも即の役に立たない、必ず機械に入れておかないと。「湖の本 全書誌」の前半 98册分が、印刷物で残っていて、機械を探しても見当たらず、細小活字で全部新たに機械で造らねばならない。またまた信じがたい労力とガマンが要る。しか し『選集』結巻に書誌が無くては締まりがつかない。ひたすらガマンして仕遂げるしかなく。
2020 4/21 221

 

* 倍賞千恵子の「かあさんの歌」「遠くへ行きたい」 岸洋子の「希望」 を 聴いていた。
私は生みの母を知らず求めず育ち 知ってからもはねつけ続けた。そのかわり想像(創造)の世界で好きにいとおしい母に向き合えた。わたしは妙なひとで、 「そう」想ったらもう「そう」なれる。去年、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を書いたと時、わたしの化身である吉野東作氏は、自身がさる子爵と祇園の 舞子から生まれたと書いて、その舞子「久鶴」像を手に入れた。
いまもこの仕事場にその「母」は額の中で落ち着いていい顔の舞妓でいつも近くにいて呉れる。部屋に出入り起ち居のつど胸の内で「おかあさん」と呼びか け、それで気がらくになる。なれる。人からみれば、気持ちわるくなんたる酔狂とわらわれようが、わたしは、「そういう人」としてこんな爺にまでなった。そ れでよかった。

* リアルといわれる価値を、リアリティのそれとまったく別物ほどに私は重んじていない。そういうことのようだ。
2020 4/21 221

* やけくそ同然 8ポイント大の細字原書誌を 各頁複写しては逐一校正確認して原稿につくっている。湖の本の創刊から第百巻分。十册分の原稿をやっと確認した。元の資料冊子でやっと一頁分。もう十二頁分仕事が残っていてこの機械へ容れて行く、厳格に校正して行く。
早くてもう一週間かかりそう。ガマンして、ガマンして。頭重たい。

* こめかみの痛みを堪えて堪えて 廿四册分の既刊湖の本の書誌を確定した。こんなふうになる。

22・23・24 『冬祭り』(上・中・下)  (東京・中日・北海 道・西日本・神戸新聞・河北新報その他夕刊連載小説)昭和五十五年五月九日~五十六年二月二十八日 二百四十一回連載  上・ロシアへ、バイカル号で 津 軽の海を ナホトカから ハバロフスク経由 雨のモスクワ 中・ルサールカ 再会 そして一週間 黄金の秋 冬のことぶれ 下・提案 ひまつりの山へ み ごもりの湖へ 愛しい日々 冬祭り  各巻に・作品の後に  各・百八十四頁 上・一九九一年八月十日刊 中・同十月一日 下・同十一月十日刊 各・一九 ○○円

遣って仕舞うのは何かに催されているのかと少し不安だが、投げ出せない。ま、色んな記憶や思い出に励まされもする。関わって下さった沢山の方々に「死なれて」もいる。
2020 4/22 221

*  昨夜おそくの発作的な苦しさは根が深いかも知れず、いまも「靖子ロード」で、やや重めに設定してあるいわゆる脚踏み機械を50回(いつもは100回)踏 んでみて、30回目頃から微かに胸の奥に痛みを感じた。日々を静養すべきなのだろうが、今世紀に入っての二十年だけ見ても、わたしの日常は静養なんて日々 ではなかった。
「作 家ってそんなに忙しいんですかと聞かれる」が、むかし、週刊誌の連載小説を三つも四つも書き飛ばしていた連中などたぶん今は昔語りで、今日「自称作家」の 500人 に450人は、作が売れる、本になる希望はかぼそく、昔なら腹立ち紛れ原稿用紙をクシャにして身のまわりに撒いていたのと大差ない日々を過ごさざるを得て いない。世の中も出版社も編集者もまともな書き手など期待していない、「売れる物書いて」が、少なくもこの40年は決まり文句だったし、まともに日本語も 書けない自称の文士が文藝団体の会員や役員にもぞろぞろいたのを私は「ペン電子文藝館」での具体的な校閲作業を通して呆れるほど知っている。
私の「湖の本」のように、書いた仕事が確実に活字になり、本になり、読者へ届くというのは、これは異様も異様なほど「世界的にも」例外なのだ。「書ける」「技術的 に本が作れる」「受け容れ支えて呉れる愛読者が相当数有る」「出版に協力ないし理解を示してくれる家族」無しには、ゼッタイに「作家」として作品を世に出しつづけるなど不可能。せい ぜい頁数も少ない仲間雑誌に拠る程度になり、これがまた維持できずに壊れて行く。
2020 4/23 221

* 私の「私語の刻」へは、何方でも立ち寄っていただけて、不良な悪戯でない限りだれ一人も拒絶していない。ソシアルネットのように人寄せして数で何か稼 ごうなど考えていない。ただ、人様に合わせてもの言おうともしていない。私の思いを私の言葉でただ呟いたり書いたり思案したりしています。毎日必ず読んで いますという方も少なくないらしいが、声の掛かってこない限りそのまま私はスルーしている。
2020 4/25 221

* コロナ害真相の半分も一般には理解されていないことが、岡田晴恵医師の解説を聴いていると暴露される。
日に日に何人の感染があったなどの棒グラフの高低や推移だけを見て「横這いだ、下方推移だ、緩和されている」など言うが、グラフのベースになるもっと もっと大多数国民や都民の基礎基本の検査値や検査数を知り得ないまま ただ棒グラフの高い低いだけを眺めているのだから、ほとんど無意味な観測にしかなら ない。政府・厚労省や取り巻いているお抱え医師団が、そういう基礎の数値を隠蔽し独占して公開しない意味は何であるか。
ソラおそろしい「感染戦争」や「感染攻撃」を念頭に秘めた戦時戦略的な意図に触れ合っているのかも、と、かつて「公衆衛生」という医学雑誌の編集と刊行 を体験し、また「疫学入門」という単行医書も企画し刊行してきた私には、ぼんやりとながら、思い当たるいろいろの物騒な「過去」世界「未来」世界が漠然と 見える。おそろしい。ヤッカイ極まりないウイルスは、実に我が身も滅ぼしかねない、原水爆にも匹敵の怖ろしい戦闘殺人兵器に、優になりうる。

* 私・秦 恒平の人生が、日本の女文化、和歌や物語や美術や信仰などとばかり組み合わさってきたのでないことに、この頃、ひときわ思い至る。その、他方大量の体験・ 知識・見聞を私は十五年半勤めた本郷台の出版社医学看護学研究の「医学書院」の編集者を精勤しながら得てきた。私はあの会社で、ただ「小説家になりたい」 だけの一青年ではなかった、長期に亘り、だれも信じてくれないほど、二百種を超す単行医書や教科書の自己企画をもち、次々に書籍化してきた。看護関係の雑 誌・図書にはじまり、医学分野でも「胃と腸」「脳と神経」「臨床婦人科産科」「臨床皮膚泌尿器科」「精神医学」そして「公衆衛生」「臨床検査」誌等を管理 職としても担当していた。専門の勝れたあるいは難しい、怖いほどの有力医師達と、全国の医学部や大病院で付き合いがあった。信頼もしてもらったし、いろい ろ耳学問もした。
もう何十年も、病院や医師と付き合わざるを得ない人の九割九分九厘が「病院と検査との不可分」、いや「病院とは検査機関なり」とすら思っている人が多いはず。
しかし私が医学書院に入社した一九五九年、全国の病院に今日風の「臨床検査部門」をもった施設はゼロだった。東大医学部の或るおっかない先生の熱心極ま る提唱から、全国で真っ先東大病院に本格の「臨床検査室」が起ち、それと同時にその先生の怖いほどの指導のもと「月刊」の「臨床検査」という医学雑誌がわ が医学書院で編集刊行され始めたのであり、私はその一等最初からの製作・刊行役の「担当編集者」だった。病院通いで今も検査検査検査の体験をつみながら他 の患者さん達とは相当異なる「感慨」を私が持っているとして何不思議なく、時に無量の思いに襲われる。

* 同様の事は、これは何度か「私語」してきたが、日本中どこの医学部、大病院にも産婦人科と小児科はあり、私の入社二年目頃まで、両科は、生まれる「赤ちゃん」のさながら「争奪戦」を演じていた。小児科は「新生児」と呼び、産科は「新産児」と呼んでいた。
そんなさなか、血小板数が人より寡なかった妻が長女の朝日子を妊娠し、これはぜひにも無事に生んで貰わねばならなかった。わたしはちょうどそのころ「助 産婦雑誌」また「臨床産婦人科」とい月刊の専門誌も担当を重ねていて、取材や原稿の依頼・入手で東大産科の医局や教授室へはしばしば脚を運んでいた、が、 ある日、産婦人科の医局に、産科と小児科との「合同カ」ンファレンスという小さな連絡用の貼り紙をみつけた。オッと思い、即刻、産科医局の芯にいる官川 (ひろかわ)統先生を先生に声をかけ、「小児科と共同」で、「赤ちゃん」の「出生前と後」との最新再校レベルでの医学的追究論攷集を「出版」しましょうと 「持ちかけ」た。
この「企画」自体がじつにもう「産気づいて」いたかのように、あっというまに両科の教授(産科・小林隆先生 小児科・高津忠夫先生)を押し並べて監修者 とし、小児科の馬場和男助教授と先の官川先生を「編集企画」者にし、両科医局中核の研究・臨床医を動員、五十人前後もの詳細な執筆課題を配し、当大学学士 会館会議室をかり、二教授以下総員出席という、医学書院としても嘗て例のない編集会議と会食からことは運んでいった。かくて大著となった東大産科小児科合 同の『新生児研究』なる東寺として最新最高レベルの研究書が成っていった。入社して二年目、編集者としてはペイペイの新人が出した企画は、雷と畏れられて いた金原一郎社長主催の企画会議をどよめかせた。執筆予定の総員医学者で用意ドンの「編集会議」を成功させた以上、あとは先生方のだれ一人も漏れなく原稿 を「書かせる」「早く書かせる」「手に入れる」ガンバリだけになった。
この画期的な『新生児研究』がついに本に成り、「新生児科」という施設が各大学大病院に実現して行く契機とも成って、さらには「日本医学會」の一分科会 として「日本新生児学会」も出来た、私は、仙台でのその第一回学会で「会員に準じて」いろんな先生に握手してもらえたりもした。

* 私の小説や批評等の世界では、未だ、医学書院での編集者体験に根生えた範囲が、ほぼすっぽり手付かずになっている。
それは、ま、それとして、今今のコロナ戦争に対してもつ私の観測には、いくらか往年のそんな、こんな経験や見聞が色添うている、とは云い得るのである。
『新生児研究』のほか、二百册へ手の野届く企画・刊書籍には、いちはやくエイズに触れていた『免疫学叢書』らがあり また「公衆衛生」誌 「胃と腸」誌 「脳と神経」誌 「看護学雑誌」等々、もう往年のと謂うしかない(今日ではもう古い)医学看護学世界をわたくしは歩いてきたのです、そういえば、太宰賞をうけた小説「清経入水」の語り手は、ヒロシマでの医学会へ取材に行く「医書企画の編集者」であったのだ。
思い出は尽きんなあ、キリがないよ。おかげで、しかし、最初の愛児 朝日子は多くに見まもられ無事に生まれた。次女ではない長男の建日子も馬場一雄先生のもとで元気に生まれてくれた。妻もよく頑張って、ま、安産してくれたのだ。

* 「湖の本」全書誌の残っていた前半分の五頁分を、懸命に整えた。あと10頁強残っている。8ポイントという字の小ささは目玉を突き刺すハリのよう。 ま、私にしかできない仕事。それにしても書き置いていわゆる稼ぎ・飯の種にしてきた作物・原稿の量の多さに、われながら息を呑む。よくもこれだけの仕事を 注文してくれた、私も手を抜くことなく書き置いてきた。いまの生活と家とは、この原稿の山の上に手狭ながら安全に建ってくれている。家にあるのは「本」 「本」「本」だけだけれど。
2020 4/26 221

* ジャズというのは、乱暴な限りピアノを叩きまくる喧しい下等な音楽なのだと、つい最近まで、建日子がよいしょ「ハイ、ジャズです」と袋に入れたり函づ めで持参してくれ、で、何枚か聴いてみて、じつにここちよく静かな吹奏楽器の音楽、ピアノ伴奏ももの静かに優しいことに気付いて、いらい、仕事のそばで鳴 らしっぱなしは「ジャズ」に限ると相成った。事実、こんど「湖の本」百五十巻の記念の仕事は、思い立ってから、祖父の遺したくれた本をまる一冊手打ちで機 械へ書き写し、前後へ原稿を書いて我ながら時節柄なかなかの一巻になし得たぞと自信も持てたのは、すっかり惚れ込んで聴き流しに聴けるジャズのお蔭であっ た。歌がなく歌詞のひどさに邪魔されないのが有難く。ありがとう、建日子に、感謝。
2020 4/27 221

* さきに纏めた「歴史に問い、今日を傷む」湖の本で、今世紀のはじめの日付で私は、今後の世界の脅威は「中国」と確言している。それが現実になりかけて きた。まっさきに武漢にコロナ感染の災禍を起こして、これが複雑な変容を経つつ世界に及んだころ、中国は少なくも一時期の「武漢被害」をほぼ克服したとい う。いまや感染猖獗の炎は、「コロナなど風邪程度」と放言していたトランプ・アメリカで燃え盛り、いまや西太平洋に配されてきた航空母艦四隻を「コロナ」 は侵しているという。中国は、久しく太平洋への海路・開路を事実上ふさがれた観があったのを、今ぞ好機と航空母艦を太平洋へ押し出そうとしている。火花こ そ散ってなくとも新たな「太平洋戦争」の兆しとも憂慮される。「日本」は、こんな際に、どう外交し対応すべきか、コロナがある、仕方ないでは済まない。
2020 5/3 222

* 新聞雑誌等を含む初出の「全書誌」は私の場合、途方もない量と作業になる。それで、『選集』を締めくくる「全書誌」は、共著を除く「単行図書全書誌」 と「秦 恒平・湖(うみ)の本150巻全書誌」とを作成した。「湖の本」にも未収録の初出原稿がまだ相当数(略200点は)残っているのは、整理を断念した。実の ある原稿はおいおいに「湖の本」に吸収されるはず。

* それにしても念頭にある『選集33収結巻」は、今のプランのままでは異様に分厚く、製本し難くなりはせぬかと案じている。印刷所に、何百頁まで製本等不安がないか先にたしかめたい。

* 「湖の本 150」の再校を、ことに参考原本の厳密な校正に神経をつかっている。シンドい仕事でなく、読み読み、楽しめて有難い。一両日で要三校として送り返せると総じて要領を得てくる。
仕事のこれからの芯は、『選集33』の編集そして入稿になる。原稿は有り余って手の内に出来ている。どう収束するか。思わず唸っている。
2020 5/4 222

* 寺田様
お変わりないことと想っています。
山縣有朋の「椿山集」をあっかった「湖の本 150」 刊行のめどが立ちました。
このところ 「成島柳北全集」や明治期の「孫子講話」を面白がっています。どっちもすこぶる面白いです。
柳北隠士は、御存じのようにたいそう有能な幕臣から維新後は新聞社主の身で闊達をきわめた雑文や紀行にたいした力量を見せています。面白いんです。
面白いというと、「孫子」というのは面白くて分かりいいですね。老荘孔孟より時にウフウフ笑いながら原文が読めます。
日々のHR「私語の刻」の最初に、私の「枕草子」選訳を抄録して、みなさんに読んで貰っています。
いま、選集の最終巻を締めくくるのに「全書誌」を整備しています。まあ歌集「少年」以来の文学・文筆修行、よくもこんなに色々に様々にという大量に驚い ています。福田恆存先生には及びませんが。福田先生の奥様、ご養生のなかから先日お手紙も添ってお菓子を送ってきて下さいました。「湖の本」など楽しみに 手にしていて下さるとお家の人からも教わりました。嬉しい限りです。福田先生、そして永井龍男先生、懐かしいです。
私ほど多くの勝れた先達に声を掛けて頂き励まして貰えた人はいないのではと感謝しています。
籠居は何の苦にもならず、好きな読書を、いっそ盛大に楽しんでいます。体調は、こういう時ですから妙に微妙にイヤラシイですが、ま、無事なのであろうと厚かましく構えています。
寺田さん 御家族もむろん、 お大事にお過ごし下さい。   秦 恒平  五月三日

☆ 家内中みな元気にしてをります
「湖の本 150」楽しみですね
孫子は様々な人が注釈をかいてゐますが フランス人がフランス語に訳した孫子を日本人が日本語訳したものまであります 一番古い注釈は曹操がつけた「魏武註孫子」ではないでせうか
以前に山形へ御一緒した時 福田先生の奥様の健脚ぶりには驚嘆しましたが さすがに昨今はあまり外にはお出になつてをられないやうです
小生も溜りに溜つた本を読むにはよい機会ですので 励んでをります
疫病退散後にお目にかかれるのを楽しみにしてをります   寺田生

* 山形へ とあり、「おらき蕎麦」を思い出す、生前の福田先生の大勢紹介して下さった「湖の本」各地の読者に、「あらき蕎麦」のご主人の名も有って、い まも継続購読して頂いている。永井龍男先生も大勢の読者をご紹介下さった。福田先生とは三百人劇場ではじめてお目に掛かった。「想っていたようなお人でし たよ」と笑顔が優しかった。永井先生とは、芥川賞に瀧井孝作先生とともに推して頂いた「廬山」が本になった時、鎌倉のお宅へお届けに出向いた。帰りに、近 くの紫陽花寺へぜひ寄っておゆきなさいと。たまたま出会うことがあっても、先生から寄って見えて声をかけて頂いたり。
こういう思い出も、たくさん書いておくといいかも。
2020 5/4 222

 

* おもえば、私の、癌による胃全摘・胆嚢摘除の手術が、2012年の二月だった。以来八年、私は通院検査と受診のほか、ま、歌舞伎座を楽しむていどで、ほ ぼ家居の仕事に終始し、社会生活はゼロに近かった。情報としての世情はなんとかテレビで掴めていても、視力を労り新聞は一切読まなくなった。出歩くという 習いは手術以前とは雲泥の差で減り、無くなったとすら謂えた。なによりも、新幹線に前後十年も乗っていない、つまり京都へ帰っていない。仕事の量は、むしろ そと目には旺盛とすら驚かれている。この老境に私はいま不満か。いや京都を措いていえば、私は性にあった家居の日々をいま前向きに受け容れているのだと思 う。
現在はともかく、未来に多くを頼める状態に「いまの日本」はない。科学技術的の恩恵はもはや受け摂る能を私は持たない。現在未来の藝術に心ときめかす余力も ない。私の残されたわずかな明日を生きて行く滋養と財産とは、あきらかに、精微なまで蓄えた「過去」のもつ力量であるとともに、リアルに拘束されず今も可能な読書が下支えしている「想像・幻想」のリアリティだと謂うしかない。恐れねばならぬのは、ただ一つ、陳腐である。
「自筆年譜(一)」で驚かせた精度といまも鮮 明な記憶と記録とで、私は、概ね二十世紀末までの自身を現在も所持している。今世紀以降はこの厖大な「ホームページ」がある。
つまるところ、私は作家。文筆家として「私」を表現し続けてきた。それがどんなに無意味なまで幼稚で未熟であっても弁明弁解など出来ない。
2020 5/6 222

* 夕餉も過ぎて、一日組み合っていた再・三校の原稿づくりを終えた。どうにか、ほぼ成り、これから始末をつけて、明日にも「湖の本 150」のゲラ返送の用意をしておく。思いの外に手を掛けた。それだけ心ゆく一巻に仕上がってほしいもの。
2020 5/6 222

* いよいよ最終『選集33』の編輯を、はじけない量で、し終えねば。原稿の用意は出来ていて、量を量りながらの目次編成にチエを搾らねば。
2020 5/7 222

☆ 薫風の候 ご清栄を
およろこび申し上げます。
戴きました『秦 恒平選集』 立派な貼函に納められたずしりと手応えのあります布表紙の特製本は、手にいたしますたびに感動をもって開かせて頂いております。すでに三十二巻と巻を重ねていらっしゃいますご偉業を心より尊敬申し上げます。
このたびの巻は、先生の晴れやかな作家としてのスタートとなりました記念すべきお作品「清経入水」の、太宰治文学賞ご受賞の当選原稿を収められ、心躍る 思いで拝読いたしました。選考委員の六名(=井伏鱒二 石川淳 臼井吉見 唐木順三 河上徹太郎 中村光夫)の錚々たる先生方が全員一致で選ばれましたと いうことも、作品の持つゆるぎない良さの証と感じております。
そして先生の戦時疎開でのご経験がこの作品を生み出すマグマとなっていることを熱く感じました。その特異なご体験を、先生の目と感性により見事な虚実ないまぜの不思議世界へと読者を誘う技をすでにこのデビュー作で身につけられていて、驚くばかりです。
先生とお目にかかりましたのは、たしか昭和のおわり頃か平成のはじめ頃かと、今はその年度はおぼろですが、すでに沢山のご著書をお持ちで、旺盛なご執筆 活動やご対談などでご活躍でいらっしゃいましたので、思いもよらぬことでしたが、この「清経入水」は、ご自身で作られました私家版からの出発だったことを 知りました。巻末の詳細極まる年譜は、読物としても興味深く、読み耽ってしまうほどです。その年譜の「清経入水」が太宰治文学賞の候補になり、ご受賞の電 報(時代の証ですね、)をご帰宅後に受け取られます間にも、他の作品を新潮社の小島さんにお渡しなさったり、「源氏物語」の一つの巻を一日で毎日読み進む という課題をお決めになって実行なさっていたり と、様々の動向が記され、圧倒されております。またご受賞後もその名誉に甘んじることなく進んでいかれま したご様子が伺え、ご自身を厳しく律していらっしゃいましたことが現在の先生につながっていますことと敬服致します。
年譜中、池袋の「オードール」で馬場あき子さん他ご会合にお使いになられておいてですが、私も忘れておりましたが、母に連れられて姉と何回か行った記憶がございます、懐かしい気持で拝見致しました。
本巻の味読のものも 引き続き拝読して参る所存でございます。「清経入水」で感じました 五十年以上前のお作品の新しさを、その珠玉のお作品でも感じさせて頂きたいと楽しみに致しております。
有難うございました。
くれぐれもお大切になさって下さい。
一日も早く平穏な日々が戻りますことを祈りつつ、
敬具
五月三日             紅

* 有難く。恐縮です。
「清経入水」を、当選作と受賞「展望」発表作と、両方を『選集』に別々に収め得たのは「心ゆく」有り難さであった。
受賞した五十一年前の文壇では、「清経入水」のような、「反リアリズム」の怪奇に「リアリティ」をもとめた小説は、事実として、ほぼ全く記憶がない。い まではリアリティに欠けた反リアリズム劇が氾濫気味に想われる。イズムはどっちでも構わないが「リアリティ(真実感)」は見失ってはならないと想う。
2020 5/7 222

* 「湖の本 150」のゲラ郵送、無事に届いたと。安堵。選集最終巻の製本上の安全な編輯頁数、820と教わった。限度へは近寄らないよう気を配り、従来より超えて心残りの寡いように編輯し入稿したい。
2020 5/8 222

☆ 鴉に
もうお休みになられたでしょうか。
HPの血痰の記載に驚いています。無理せずお身体休ませて下さいますよう。 尾張の鳶

* 「湖の本 150」を送り終え、『選集』最終33巻の納品をみるまで、たとえ、何かしら病状を呈しても決して入院しない。私にしか成し終え得ない仕事であるから。少なくも其処へは地力と自力とで辿りつく。要心はしながら、
2020 5/9 222

* 今にして、活溌に働いていた私のフェイスブック や ツイッターが使用不可の闇間へ隠されてしまったのが惜しい。
私には、「福島大地震と原発爆発」の昔から、「秦 恒平・湖の本」の何冊もを介して「安倍政権」の立つのを「逼る国民の最大不幸」と予言し憂慮し、また批判し尽くしてきたが、斯くも予言と憂慮は的中するか と、ゾッとしている。記念の中仕切りとなる「湖の本 150」では、また私なりの凝った手法の批判と非難とでもう「辞めよ」とアキレ返っている。
2020 5/12 222

* 京都の華さん、「仙太郎」の最中を送ってきて下さる。甘味、感謝。「仙太郎」の最中は、敗戦後、私の新制中学生ごろすでに有名で、叔母のお茶の稽古日には、言いつかってよく買いに遣られた。小説「花方」世間のまん中に仙太郎の店はあった。
2020 5/12 222

* 『選集 33』を ほぼ編輯し終えたかと思う。従来巻より100頁ほど増頁になるか。何にしても見通しが出来た。最終巻、もの怖じせず、私自身を押し出してみる。
自筆年譜(二 – 四)を昭和五十九年九月一日まで、作家として自立満十年まで加えることにした。
「一」とは異なり、創作記録を主に簡潔にする。
「湖の本 150」の三校ももう届いた。責了へ持ち込む前に発送の用意を遂げ ておかないと、手順が前後してしんどくなる。今回は「寄贈先」をよく考え、適切に有効に送り出したい。秦の祖父のおかげで佳い記念の中仕切りが立てられる。お祖父ちゃんに感謝。
2020 5/16 222

* 『選集 33』の受賞後15年「自筆略年譜」や単行図書・湖の本等の「全書誌」など細字の原稿調整や本文原稿の念入りの編輯で、知らぬまに五時半、肩が石の割れるように痛い道理。参った。

* 『選集』書誌作業が最終巻のためにまだ残っている。ただもうこつこつと下ごしらえはできた。明日にはもっと詳細に細かな仕事になる。細かな仕事は気も目も草臥れるが、投げ出せない。仕事は投げたら、お終い。
「湖の本150」を責了に出すのも、遅くももう数日内には遂げておきたい。
九時半。疲れた。

* 感染病の大きな揺り返しがこの秋にはと聞き、それまでに、少なくも『選集』33巻の完結へ少なくもせめて「初校」ぐらいまでは自力で運んでおきたい。オールド・ブラックジョーのように、生きていたい気力が痩せて来ているのに気付く。
2020 5/17 222

* 午前中 書誌の仕事をしていた。疲れた。だが、生涯かけて積みあげてきた、ことに「創作」の書誌的な点検と回顧は、いろんな意味で身につまされる。と 同時に、井口哲郎大兄の立派な題字を戴いて着実になってきたわが「選集」本の手触りの良さ、適度の重さ、文字の大きさ、余の用はおいてゆっくり読み返した いとついつい思い入れてしまう。谷崎先生が、老後には楽しんで自作を読み返したいと述懐されていた頃、ああ、そんなものかなあと半ば余所に聴いていたが、 いまや七十九で亡くなられた先生より五年生き延びてきたのだ。感慨深い。やはり、書き継いで行きたいと願う。

* 仕事とは「用意」なのである、ことに連年連続して繰り返す仕事ほど、間隔によるが、間隔が短ければ数回分の前途を頭に入れてねば忽ち「用意・準備」の欠陥から仕事は停頓・渋滞し破産しかねない。
比較的間隔のある場合も、一つが終えればもう少なくも「次ぎ」のための「用意・準備」に掛かっておかねば、間際へ来て狼狽し結果渋滞して手数も増え疲労も加わり、仕事にキズのつくことも起きる。

* 私の、ほぼ単行書籍とかわらない「湖の本」が、創刊三十四年・百五十巻をどうにか迎える得るのも、文字通りさまざまな用意に用意を連携させてこれたから。行き当たりバッタリの思いつき仕事とは全然ちがう。
それでも小さな「迂闊」で辟易したことも数え切れない。機械を頼んでの作業・事業であるからは「機械君」の「ご機嫌や食べ物」に不備不十分があると、たちまち此方は「お手上げ」になる。それでは困るのである。
2020 5/19 222

* 『選集・全書誌』は楽勝と想っていたが、始めると容易ならぬ難行で、やっと半分にならぬ十六巻分まで書き上げた。あと十七巻分。他用先行の必要に迫ら れ、暫時棚上げに。「湖の本150」責了そして、その送り出し準備を優先集中。『選集』最終三三巻の入稿はそれらに後続。選集刊行了は、早くて九月中か。 コロナ禍の第二波必至と見られているそのさなかになるか。よくよく要心したい。
2020 5/21 222

* 選集最終巻は、半ばが、私の歩みと仕事との「記録」になります。見ようではバカげているのですが、 年譜も書誌も、だれのでもない「私自身」の表現で、一字一句といえど私以外の誰にも書けない事実なので、それもまた創作と表現に類しています。

* 「選集 書誌」 やっと第二十巻まで、かつがつ仕上げた。まだ三分の一に届かず、全身、ガチガチに疲労。発送封筒へハンコ捺しも半分近くは終えた。  まだ八時半だが 、明朝のアタマヘ枕草子を入れておいて、休息しないとノビる。全身強張る。一日の終わりに清少納言と語り合うてきたのが、佳い憩いにはなった。もう残り少 ないが。
2020 5/22 222

 

* 選集書誌、やっと第二十二巻を終えた、やっと三分の二。あと十一巻分。目がまわりそう。
2020 5/23 222

* 選集の「全書誌」づくりがこんなに大変とは思わなかった。おおまかに造れば役に立たない、しかし、おそろしいほどな原稿量の多さ。いま第二十六巻のい わば「京都」の一巻だけで午後いっぱいを使って、半巻ほどを整理。同じなら「書誌」をみれば内容が具体的にも分かるようにしたい、そういう書誌でなければ 形だけの添え物にしかならない。これが済んでも、もう七巻ある。ウーン。手は抜くまい。空襲にでも遭えばみんな塵・芥になるだけ。それはそれ。それはそ れ。
2020 5/25 222

* 阿部正弘 高杉晋作 小松帯刀 の幕末を語るNHKBSの歴史番組、いま私が関心の山縣有朋前史としても、維新理解としても、面白く聴いた。
火野正平の自転車で尋ねる故郷映像とともに、佳い番組の一つ。

* 正午 選集書誌 第二十九巻まで書き出し終えた。少なくも、既刊のあと三巻分を終えると最終「第三十三巻」入稿の見通しが立つ。亂聲
2020 5/27 222

* もう二日で、「選集」全書誌が仕上がって。最終巻「入稿」のさきが読めてくる。そのうちに「湖の本150」納品の日取りが知れるだろう、発送用意、注 意しつつ進めている。慌てなくて済むように。湖の本発送、選集入稿を通り越せば大きく一息吐いてこの先先を視野に、ものの思案が立てられるだろう。

* 東郷克美さんからお手紙があった。「選集」を出しますといったら一等早く、「全部欲しい」と言ってみえた研究者。読者にもお一人そう言ってみえた人があったなあ。
2020 5/27 222

* ふうふう言いながら、一巻に百近い数の書誌をやっと三分の二終えた。夕方の強う雨風が窓を打つ。仕事しているとまだしも集中しているが、立って階下へ おりるとぐったり力がない。手すりのある階段より廊下や畳部屋でよろつく。転んで足腰骨に故障がでてはならず、慎重にしている。
2020 5/28 222

* 「選集 全書誌」もう一息にまで進み、肩で息。昭和を十年から生き、平成を三十年間生きて、令和に入りつづけざま長編小説を二作『オイノ・セクスアリ ス 或る寓話』『花方 異本平家』を本に出来たこと、両作とも初期作と臍の緒はしかと繋ぎながら、「第一部・ひとこそみえね・ながくもがなと・八重垣つく る・みちこそなけれ・ひとこそしらね・名にしおはば 亂聲 幾夜ねざめぬ 吉野のさとに われならなくに あはでこの世を 松としきかば  第二部・みぢかき蘆の  さしも知らじな しづこころなく いでそよ人を  みを尽くしてや 松もむかしの  第三部・ゆくへね知らぬ みを尽くしても さてもいのちは ぬれにぞ濡れし なほあまりある いまひとたびの むかし はものを おもひ絶えなむと ふりゆくものは 身をばおもはず あまりてなどか たえなば絶えね 「生きたかりしに」」と続。くこの老境でこそ新たに書け た一種の奔放と哀情とを備えてい ると思い知り、感慨深い。
み短篇の「黒谷」もふくめ、書いて、書けて、有難かったし、まだこの先へと励ましてくれる。
先日 どなたであったか、「平成の文学」 として此の『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の名をあげましたと言っておられたが。少なくも生まなかには書けない作であったと、いまも、ときどき、ところどこ ろ読み返している。

* 六月六日に「湖の本」のすこしく変妙の第150巻が出来てくる。どんなふうに受け取って貰えるか、楽しみにしている。ものすごいバッシングが来るかも知れない。
2020 5/29 222

* 寒けというでなくて、激しい嚔みを連発したりする。食進まず、味覚はあるが欲がない。他の何処より顔から疲れる。誘致書くまで二時間ほど寝入ってい た。『選集 三十三』用意した原稿の量が造本力の限界を超えていた。何をどう減らすか。これは神経と体力とをよほど要する難題なので、ぐつたりしている。 少し、おおらかに休息した方がいい。
2020 5/30 222

* 「選集 33」の分量が多くなり過ぎ、許容限界頁数をはるかに超えている。造本・製本がぎりぎり可能なのは820頁と注意されている。今まで最多頁の巻も650頁は超えていないのだから、強硬にに減頁を試みねば。
『秦 恒平選集』としての「最終巻」ではあり、此処は「作品」より「私」を主にしようと思い編輯を進めてきたが、それにも「私像」に即するか、してきた「仕事内 容の記録」に即するかの境があった。「作者・秦 恒平」のことは「仕事」を通して知れれば良いという考え方もある。「仕事」へ読者・利用者・研究者から目や手足の落ちなく届く「道標としての記録」が有用 という考え方もある。
ちょっと今、棒立ちになっている。巻数も頁数も増やすことは出来ない。
ま、所詮はお前の勝手だ、どっちにしろ「遠からず廃物」とわらう私自身の声も聴いている。やれやれ。昔の大人らなら「好きにしぃ」と云うたろう。
2020 5/31 222

* 西隣に入って、必要なモノを捜したがみつからず、そのうち、昔々の講談社文学全集で、まっこと素晴らしい見付けもの、というか「着想」を得た。「選 集」後の先々の「大きな新しい創作」へ、ガチッと繋がりそう、嬉しくて、ほくほく。「湖の本 150」を送り出し、「選集 最終の33」を入稿し終えた ら、新しい大仕事へ、周到に、大胆に用意にかからねば。そのためには、何としても歩かねば。何としても歩きたい。歩いて「調べる仕事」から始めねばならな い。コロナを横目に、奮発、何としても電車に乗らねば。暑い暑い七月からになるか。参考文献をあつめねば。ねばねば、ねばだけで終わるまい。

* じつを謂うと、以前に一作書いた『女坂』という題の作を三、四も色合いを変えて書こうと用意してあるのだが、手先仕事にしたくなく、「女坂」に拘泥し ないでしかとした物語を大事に先ず一つ書きたいとも。前の「女坂」は『選集』にも入れていない。ああいう調子でなく書きたい、むかしまだ初心の
昔、小説集『廬山』に「祇園の子」などを入れた時、永井龍男先生が「こういうのが幾つも書けるなら、たいしたもんです」と励まして下さった、あの思いに立 ち帰って短篇を幾つか書きたいと時機を待っていた。一作一作自立の「女」短篇でありたいと心用意を新ためている。大作の方は、しっかり勉強し、まぎれなく 「男」を書く気。
2020 5/31 222

* 「からだ言葉」「こころ言葉」という言葉で「言葉」を発見したのは、私だった。東工大から江藤淳教授の後任へ迎えられた時、前任の川島至教授から、 この際博士号をとったらどうですか、「からだ言葉・こころ言葉」で充分ですから論文の体にしてみませんかと熱心にすすめられた。教室で漱石をを講義する気 のわたくしに「博士」はねとお断りしたが、川島さんが「からだ言葉・こころ言葉」の発見という発明というか、を評価してくれているのが嬉しかったのを忘れ ない。「なんだあ」というようなもんだが、「なんだあ」という気が付く機微に発明は起きる。「ことば」は生きている宝なのである。
2020 6/1 223

* 選集最終巻の編輯 「湖の本」にして一冊分ほど、分量超過している。
「私」か「記録」か。
「業績記録」としては、「受賞後満十年自筆略年譜」 詳細な「選集全書誌」「単行書籍101册全書誌」「湖の本150巻全書誌」が用意出来ている。文字通りの「記録」に徹している。私個人としては重い記録である。
「私」の開陳としては、「バグワンに聴く」「読み・書き・読書と、<ペン電子文藝館>創立」「歴史に問い、今日を傷む現代批評」「一筆呈上 匿名批評集」「秦教授の自問自答」「平成は穏やかであったか」となり、「受賞後満十年自筆略年譜」は、私的記録は簡略に、「作家」としての活動内容となっている。時代・現代と深く接触している。

* しばらく このまま放置する。
2020 6/1 223

* 「記録=書誌」より、やはり「私=秦 恒平」を語ってはという強い意見に従うことにした、それでも更に量を絞らねばならぬ。
2020 6/2 223

* 「湖の本 150」 「刷りだし」が届いた。医学書院の頃は「一部抜き」と謂うていた。かなり気の張る通過点だった。難儀な刷り替えを要するミスを見付けねばならぬ関所だった。
医学書院時代を書いた仕事は『迷走 三部作』ただ一つか。「清経入水」の主人公は廣島での小児科学會取材の編集者だったし、「風の奏で」の語り手も東北 大の先生への要用出張で先代へ出向いていた。体験は、まことに有難く生きてくれている。「湖の本」を150巻、34年も跡絶えず刊行し続けて成り立ってい ることが、例のないことだった。気をいれた攻めの「体験」は何にでも役立ってくれる。

* たまらず「一部ぬき」で、また読み通した。よし、という感懐。政治家にも送るつもり。

* とにもかくにも、宛名書きを一段落。明後日の納品を待ちながら、一日半、くつろぎたい。
2020 6/4 223

 

* さて、中仕切りは立てたから、新たな一歩へどう踏み出すか。けんとうのついた幾つかが用意できていて、妙なもので意欲のさかんな相手にほど勉強という 下調べや探索が必要になる。そんな必要のない「もとで」はもう身に蓄えてあるのもある。大事なのは、ヘンなもの言いではあるがとにかく「相手」へ「手」を 出す「手」を付けること。あたりまえ、始めねば始まらない。創作や仕事をある種の闘いと見た時、いちばんの御苦労は「此の時」なので、始まってしまえば、 もう、うち克つしかない。

* 午前の十時半 もう目が、視野が霞んでいる。
2020 6/5 223

* 今日、テレビで、わたしの新刊「湖の本」とも呼応の「軍国明治」番組があった。掌をさすようにわたしの今度の「湖の本」では、すでに書きかつ語っていた。

* とほうもなく疲れたのが分かる。いつも、ダンボールの空き箱に荷造り本を55册ずつで一と荷にし、玄関まで運んで積んでおく。この「55册一箱」を持 ち上げるのが、前回も感じたが今回更にひとしお重くなった。同じこの作業を創刊から34年150回繰り返してきたのだ、妻と二人だけで、と思うと我ながら 「ようやるよ」と感じ入る。それにしても今回初日にしてこのひどい疲労にはすこし驚いている。
そう思いながら、「151」巻には、出来るのか出来ぬか途方もないことを遣ってみようかなと、もうウズウズしている。当たり前に思えば、ま、不可能で しょうという難作業、最初の段を登るのに優に一年はかかる、けれど、もしやれたらやり甲斐あって面白いよと、やはりウズウズする。そのためには、少なくも 大きな漢和大字典が必要、幸か不幸か、それは書庫に在る。気合いだけの、いやいてや残年寿命の問題でもあり、怖じ気づかずにやるか、だ。だが私の漢字の素 養は往昔の文学者とはとても比べものにならないと、はや逃げ腰。ただ「読む」ぶんには故障は無いのだ、「読みながら」という手をうまく使えれば。
こんなことを思っているうちは疲れを忘れている。ありがたい。
2020 6/6 223

* 明日には、大方、送り出し終えよう、ガンバリ過ぎたという気もあるが。瀬戸を一つ越えて行けるという安堵も。 疲れた、疲れた。「疲れたビー」と唸る、こんなもの言いどこから生えて出たか。ま、今夜は、もう、やすむだけです。

* ま、送り出した「湖の本 150」の、『山縣有朋の「椿山集」を読む』は、大方の人を驚かして、それなりの訴求力を持ってくれるのでは、と。
2020 6/7 223

* さて何とか今日にも送り出しを終えたいもの。今度の本には写真をとってもせい口絵にしたのが色美しい。ま、百年以上もむかしのもの言いや表現は、いっそ読みときけば承知楽しんで欲しい。
「龍動にて」とあって即、「ロンドンにて」とは分かりにくいだろうが、「日の本にけさたちし春のいちしるくいきりすかけてかすむ雨かな」とあれば、故国 で立春という季候と「かすむ雨」の英国ロンドンの風情はうちかさね感じ取れる。こういう「読み解き」のおもしろさも今や『椿山集』の一魅惑ではある。
「鷗外兄より秋の頃めづらしき内外産の種々の野菜をおこせければ」と前詞して、
七草の花にもまさる匂かな色香も深き畑のなりもの
と詠んでいる。大正七年、功なり名とげていた公爵山縣元帥をふり仰いでいた部下で「文豪」の森鷗外か らの届け物に、謝して「兄」と敬称している。もののたとえに私・秦 恒平の歌集などまことに単に私的で国家・国交・政治・広範囲な交友などかげもないが、山縣有朋の人生は尊皇攘夷の幕末から、西南戦争に勝ち、日清・日露の 戦役に勝ち、第一回帝国議会に総理大臣として臨み、なんともかとも謂いようのない人物なのだが、終生、表現し続けていた詩歌は日本の近代史を背負いつつ も、なんともはや優雅に清純なのである。
しかも私は、八十五歳の今日まで書庫にはおきながら今回この優美な『椿山集』を実に初めて詠んだのであり、何故かなら山縣有朋という「名」ひとつを、も のの譬えに同じ長州出の安倍総理同様にむしろ憎むほど嫌い続けてきたからなのだ。ここに、私にとってもひとつ「ドラマ」が生まれたので、どうかそれを「湖 の本」の読者の皆様に読み取って戴きたいのです。
2020 6/8 223

☆ 御礼
秦様   湖の本150号のご恵投、ありがとうございます。山縣には興味があり、早速拝読し始めております。秦様とは歴史観、政治観を異に致しますが、秦様の直観的な、また経験的な歴史把握にはいつも刺激され、啓蒙されております。今号も実に興味深く拝読しております。
ただ、山縣が明治天皇に信愛されたということはないのではないでしょうか。研究書を読む限り、山縣は明治天皇にも、大正天皇にも疎まれたとあります。こ の反論をご教示願えれば幸いです。また山縣と2.26事件に関する拙文、添付いたします。ご笑覧いただけたら幸いです。  鋼 生

* お便りを有難く。
私は 明言していますように、もともと山縣有朋には反感や厭悪こそあれ、興味ない一人でした。ただ、不思議の経緯で手もとに美しい非売品の「椿山集」原本があり、この度び初めて読んだというだけ、それよりも同じ長州出の総理安倍晋三のほうがアタマにきていました。

山縣に関しての研究書とかは一切読んでいません、ただただ、『椿山集』一冊の詩歌だけは、叮嚀に気を入れて繰り返し読みました。全部「手寫」もしたのです。

明治や大正の天皇さんが彼を疎んじていたかなども関心なく、しか し、多年に亘り数多くの詩歌の実作実感を介して、彼山縣が、天皇や皇室に敬虔なほどの神的敬愛を捧げていたことは、数々の「表現」や「事蹟」からも疑いよ うが無いと思われます、かれが「偽り多き」「虚言の詩歌人」だと説得証明されるならば別ですが、とても、つくりもののうそくさい歌人詩人とは読みとれない と信じます。

また彼のいわゆる栄位栄達の順調な経路にも、疑念や不自然は感じ られませんし、彼の奇兵隊時代からの当然の体験と痛感とが、日本国と日本列島の安寧のためには「主権線・利益線」を意識し続けつつ「軍」への最大の配慮を 謀り続けたらしいのは、政治家としても軍人としても、まこと余儀なく「当を得ていた」ことはみとめざるを得ず、それなしには、とても二本差しのお侍軍団な んかで、清国や朝鮮やロシアと対等以上の抗戦が出来たわけのないのは明々白々でした。よしあしの問題でなく、皇室が、終生彼を元勲・枢密院議長として遇し た「事実」は当然のことで、余人を以て替えがたい「眼」と「策」とを國のために山縣の持ち続けていたことは確か、公の史実としても詩歌の私情表現からも、 まぎれなく読み取れます。

さりとて私は、昭和を生きた一私人としては、山縣有朋とつきあいたい気は全くありません、が、安倍晋三と比すれば、スッポンに対する月、汚泥に対する明雲ではあるなと認めざるを得ません。

山縣の反民主主義や反政党主義はまるで認めませんが、世界の動きと帯同しつつ「眼の利いた人」だなあとは思っています。和歌も詩も、そこそこに純真に感じています。歌と詩とを一つ一つ、よく読んでやって下さいませ。

大正十二年には死去している山縣の、十数年後の二・二六事件との係わりについては、何一つ知識も関心もありません。いまの私は 安倍政権への憂慮と懸念しかありません。

歴史観、政治観を「異にする」とおっしゃっていますが、持田さんのそれをそれと伺ったことがなく、古今の日本史や世界史を通じての「異」なのでしょうか。

いま、私は、山縣有朋は忘れて、次かその次ぎかの目標に、山縣へのそれとは全く異なる視線と関心とから、「幕末と維新」を生きた一人の男と、興味津々付き合っています、呵々。

お元気で。  秦 恒平
2020 6/9 223

☆ 秦様
ご丁寧なご返信ありがとうございました。わたくしも山縣に限らず、日本の近代の政治家は、秦様のおっしゃるように、もっと内在的に、つまり彼らの「生き た時代に即して」理解されなければならないと存じております。戦後の歴史学研究会の連中はマルクス主義史観に立ち、日本の近代を断罪してきましたが、これ はとてつもない誤りだったと存じます。
遠山茂樹はコミンテルンの1932年テーゼに従い、要するに、ソ連の革命戦略に沿って歴史を書くと昭和史論争で明言しております。とんでもない妄言だと考えます。
ただ、山縣が明治天皇、大正天皇に疎まれ、国民にも嫌われたことは事実と存じます。そして、時に政治家は国民に嫌われることも必要だと存じております。 日ロ終戦交渉のポーツマス会議から帰国した小村寿太郎がロシアに譲歩し過ぎたと国民から総スカンを食い、夫人が精神に変調をきたした事実と、松岡洋右が国 連を脱退して帰国したときの国民の大歓迎ぶりを比較すると、このことが明らかだと存じます。
安部首相に対しては、小泉や鳩山に較べれば ずっとましだと存じます。とにかく小泉が竹中を登用し、新自由主義経済学に基づく経済政策を推進したのに比 べれば アベノミクスはずっとましです。コロナ発生までは、わずかながら格差は縮小し、失業率は減り、求人倍率は上がり、自殺者数は減少傾向にありまし た。子供の貧困率も 6人に一人から7人に一人に減りました。犯罪率も世界一低いようです。
外交面でも対中国に慎重な姿勢を取り、尖閣問題を先鋭化させていません。対韓国に関しては韓国の方に問題があると存じます。拉致問題の解決は現行憲法では解決不可能だと存じます。
もちろん、政権批判は大いにすべきで、その批判に安倍が耳をどれだけ傾けているかは不明です。
「政治を軽蔑する国民は軽蔑するに値する政治しか持てない」とトーマス・マンは言ったと言われていますが、私も同意見です。
私の政治に対するスタンスは、ベターよりベストを求めるのではなく、ワーストよりワースを求める、ということです。
安倍と山縣の比較は後世に任せたいと存じております。
問題は憲法改正に関してですが、中国が覇権主義を露わにしつつある現在、尖閣諸島を武装民兵などで占拠した場合、自衛権の行使がどこまで許されるかとい う問題を含んでいると存じます。この問題を議論しているうちに中国は尖閣を事実上、施政権下に置いたと宣告するでしょう。仮に尖閣を中国に譲れば、中国は 沖縄を自国の領土だと言い始めます、中国ではすでにそう言い始めております。
また、憲法の条文と現実との矛盾を、解釈で繕い、そのままにしておいた方がよいのか否かという問題もあります。憲法学者のたしか8割は自衛隊の存在は武 力にあたり、憲法違反だと言っております。憲法機関説との関連についても意見がありますが、これは長くなりすぎるので控えます。
山縣の歌については これからじっくり読もうと存じております。
また秦様がこういうご努力を密かにされていることには 多大の敬意の念を抱いております。 鋼 拝

* 有難う存じます。たくさん、教わりました。ことに、中国との今ないし今後には私は深い懼れをもっています、今世紀に入って以来、絶え間なく。
幸いにして山縣有朋の実像に触れずに生きてこれたと思いつつ、彼ならば 尖閣などの不安にどれほど前からどう対処していたのだろうなと思ったりします。 日米安保とかに安閑と頼って米国追従の姿勢ではたして緊迫の事態がどう乗り切れるのか、政治を頼みとしたいだけに現状を肌寒く思っています。

☆ 秦恒平様
昨日、『湖の本』150をいただきました。いつもながらのご厚意に感謝いたします。本日、武蔵野日赤への通院から帰宅してから、いただいたご本の頁を括りました。
山縣有朋の歌のすべてからではありませんが、彼の歌からは 柔らかな詩情を感じ取ります。しかしそれは、秩父騒動を武力弾圧して、日本の自由な民意形成 ヘの道を閉ざした暴力行使者の苛立ちとも、弾圧される者の痛みとは関わりがありません。山縣の歌には国土の拡張を誇る晴れがましさが感じ取れますが、弾圧 された朝鮮人の悲惨は視野から消される。ただ朋友伊藤の死を悼むのみ。
詩文が人事と政治的な抵抗の手段であったユダヤ的風土と西欧の文明に親しんできた私には、山縣という権力政治家の人間性、人間の尊厳へのアパシーには驚きます。このアパシーが美と暴力を結合させる。 今回の読書は、日本人とは何かの認識に資するところがありました。
アベ政権下での梅雨入りは不快の念を深めますが、そんなこの国の風土にへこたれない精神を培いたいものです。どうぞご自愛下さい。失礼しました。  並木浩一

* 山縣への批判・非難は私の久しく持して離さなかったそれと変わり有りません。と、同時に、ことの善し悪しを措けば、幕末から維新以後の、昭和以前の日 本の近代が、山縣の軍形成と指導と方法なしに西欧列強の威嚇や東洋の先進清韓露等との軍事抗争に堪え得て日本国土と国民とを無事護り得たろうかとは思われ るのです。鎖国可能の時代ではゼッタイにあり得なかったでしょうから。日本の近代史の最も難しい問題点と感じたことでした、政治家山縣が(私自身からも) 幾重にも批判を受けねばならない、にしましても。
2020 6/9 223

* 十一時になった。もう、機械も止める。疲れた。今度の本はそれなりに考えて頂ける刺戟は持てたようで、肯いている。
2020 6/9 223

* 僥倖というか配剤というか、こんなことが有るのだと、昨夜就寝直前の偶然の出会いに思わず天を仰いで驚嘆した。いきなりこへ書くのが惜しい気さえする。

* 秦の祖父鶴吉が市井の一小商人にしてはたいそうな蔵書家であったとは繰り返し語ってきた。現に出版したばかりの「湖の本 150」 山縣有朋の『椿山集』を読んだのも、明治の祖父の旧蔵書一冊に令和の私なりに日の目を見せたのだった。
ところで、それとは全然無関係に寝床のわきほ持ち出していた百何十年の埃の垢のようにこびりついた和装本の大冊、分厚さが七、八センチもの和綴じ和紙・ 和活字・和装の一冊を、特別の関心もなくなく、というより軽い面白半分の気まぐれで寝たまま手にしたのである。和紙の本は、大きさよりも軽いので仰向きに 持ってももてるだった。
何の本か。無残に禿げ禿げのしかし、和装のママシッカリした大冊の表紙題簽には『増補明治作文三千題』とあり「文法詳解」と二行に割った角書きがある。 「ナンジャ、これは」と思うだろう、だれでも。「明治四十四年三月求之」と奥付の上に毛筆、祖父の手跡と見える。本の発行は「明治二十四年三月二十九日出 版」「明治三十年十月増補出版」「同十一月訂正再版」とある。著作者は「伊良子晴州」増補者が「川原梶三郎」発行者は大阪市東区安土町四丁目三十八番屋 敷」の「花井卯助」発売者は大阪市、福岡県、広島県の『積善館本店・支店』とある。東京本ではない。
それにしても、ざっくりした、しかし多彩に多様多用な「編輯」で、そもそも「総目次」がなく、組みようも頁に三段二段 字の大小も、その区分されたそれ ぞれの内容も目が舞うほど色々に異なってある。ちなみに第一頁を見ると、上段に『論文門』と大きく「○学問論」と題した文章が「天地ノ間一モ恃ム可キ無シ 矣」と書き出してある。中間には細い段があり「類語日用文の部」として先ず「○時代の風俗にて無是非候」「○無御遠慮御申附被下度候」などと細字で居並ん でいる。下段はやや丈高くて、「明治作文三千題巻之壱 伊良子晴州編述」と総題らしく、ついで「日用文之部」と掲げ、「◎揮毫を頼む文」と例題し、即、 「粛啓然は拙者故郷の者京都本願寺へ参詣いたし立寄候処先生の御高名承り居今度是非御揮毫度願紹介の義依頼せられ候就而は近頃甚だ願上兼候へども右は需に 応じ被降度即ち料紙為持上候間御領収の上御一揮可被下候先は御願まで筆余は拝跪を期し候頓首再拝」とある。こんなのが延々と、次は「◎烟草の商況を報ずる 文」また「◎雑誌を贈る文」等々と大量に頁を追って行くが、実は大題の項目は他にいろいろあり、先に『論 文門』というのがあったが、類似に何種もあって、いささか様子も表情を変えて二段組みの下段に丈高く『◎文門』とかかげた頁がある。上段には『和歌和文 録』と構えてまず「和歌の部」がはじまり、高崎清風、福羽美静など私でも承知の有名人の作が以下並ぶらしい、で、その下段『文門』の初ッ端をみつけて私、 思わず起きあがった。
西南ノ役征討参軍トナリ総督ヲ輔翼シ参籌戦闘敵ヲ破リ平定ノ効ヲ奏ス
と表題され、次行に、『◎熊本陣中私(ヒソカ)ニ西郷氏ニ贈ル文」とあるではないか。紛れもない山縣有朋が西郷隆盛を案じて私「ひそか」に送った親書が此 処に上がっていると見えた。「おおう」と私は唸った、実は、この二人の間にこういう往来があったのでは、きっとあったとろうと予測しながらとても確かめる 方途がなかった。「湖の本 150}の65頁に、「明治十年西南の役参軍として肥後の国にくだりしとき」以下の三首和歌に私は何度も立ち止まっていた。こ とに
薩摩の國大口に戦ひけるとき
ともすれば仇まもる身のおこたりをいさめかほにもなく郭公
に切ない心地で立ち止まりモノを思った。「仇(あだ=敵)まもる身のおこたり」とは。「まもる」には「見守る」意味に「護る」心地も重なりやすい。「郭公 ほととぎす」は死に近縁を詠われることの多い鳥である。西郷の最期へひしひしと迫る山縣のかなしみがここで歌われているなと、傍証をもたぬまま私はむしろ 山縣の苦衷を察し、または感じていた。
そこへ「明治作文三千題」などいう珍な大冊の中、山縣の、苦境西郷隆盛に送っていた衷心の長書状を目にし手にしたのだ、唸ったのである。そうそうに此処へ書き写すことは出来ない、ほとんど漢文なのである、が、胸に響く。書き写しておく。
こんなのに目をふれたことこれまた「秦のおじいちゃん」の遺徳と感謝し、『椿山集』を今度は「論攷する仕事」にもしなくてはと思い至っている。

* 上に、「征討参軍トナリ総督ヲ輔翼シ参籌戦闘敵ヲ破リ」ちあった。「参軍」とはよく謂う参謀であり、「参 籌」もまた戦闘の謀りごとを能くする意味である。山縣有朋の軍歴ではこの「参謀」「参謀長」「参謀本部長」「参謀総長」という一線が目立ち、いわば智慧す るどい「いくさ上手」であったようだ。軍事にかかわりながら国家の安寧と戦略的外交に能力をそそぎ、そこから國の「主権線」「利益線」を世界地図上に敷い て行くべくこと思い至った太のであろう。事の是非は問わず、そういう方針為しに世界列強との海を航海はならないと山縣はだれよりも恐れかつ備えていたということか。
現下の日本には、戦争戦闘体験者はもう一人も実在しないまま、国防の防衛のと構えているが、真剣で有効な「参籌」 能力は、山縣級の眼からはゼロに近いのではないか。肌寒いほどの現実である。戦争は、シテはいけない。もう一つ、シカケられてもゼッタイにいけない。この 後者の備えが「日米安保」では、限りなく頼りない。トランプ型のアメリカは、すこしの損でもすたこらと日本など棄てて立ち退く、これ、間違いない。
2020 6/10 223

* 西南戦争に至る明治維新の情況が、顧みてじつに問題に富み思索と勉強を迫られる。じっくり勉強したい。どこへ私の杭を打ち込むか。一段と踏み込んで山縣有朋に付き合うか、まったく部途から踏み込むか。
じつは、祖父の蔵書に明治期の本で「明治維新」または「明治時代」と題した二巻本の在るのを私はカバーをして書庫に置いたと記憶しているがひさしくそんな本を目にしたことが無く、明治時代に興味をもった、だから読んだという記憶も実感も無い。処分してしまった気もする。
他方、臼井吉見先生にはたしか谷崎賞の『安曇野』というたいへんな大作があり二度は読んでいる以外に、題は忘れたが明治時代を書かれた、西園寺公望等の 出てくる大作のあったのも記憶にある。これも「安曇野」も手もとに取り出せるはず、ただし今の関心では、新宿の「中村屋」草創を書いた『安曇野』はすこし 関心を逸れている。
ま、歩いて行こう。にわかに気が動いてまるで別の恋愛小説へ筆の走りそうな予感もあるのだが。
2020 6/12 223

* 西南戦争に至る明治維新の情況が、顧みてじつに問題に富み思索と勉強を迫られる。じっくり勉強したい。どこへ私の杭を打ち込むか。一段と踏み込んで山縣有朋に付き合うか、まったく部途から踏み込むか。
じつは、祖父の蔵書に明治期の本で「明治維新」または「明治時代」と題した二巻本の在るのを私はカバーをして書庫に置いたと記憶しているがひさしくそんな本を目にしたことが無く、明治時代に興味をもった、だから読んだという記憶も実感も無い。処分してしまった気もする。
他方、臼井吉見先生にはたしか谷崎賞の『安曇野』というたいへんな大作があり二度は読んでいる以外に、題は忘れたが明治時代を書かれた、西園寺公望等の 出てくる大作のあったのも記憶にある。これも「安曇野」も手もとに取り出せるはず、ただし今の関心では、新宿の「中村屋」草創を書いた『安曇野』はすこし 関心を逸れている。
ま、歩いて行こう。にわかに気が動いてまるで別の恋愛小説へ筆の走りそうな予感もあるのだが。
2020 6/12 223

* 晩、熊本の陣より西郷隆盛へ充てた山縣有朋の声涙くだる長文の書を半ば近くまで苦辛して書き写した。句読点無し、すべて正漢字と片仮名。とても書写は たいへん。勝海舟の「山形は正直一方の男」という評はいろいろに読めなくはないが勝海舟だけに捻った反語とは想われず、何となく何となく「わかる」気がす る。
たまたまテレビでの美空ひばり「悲しい酒」絶唱にも感嘆久しうした、毎度のことではあるが。
ついで、大好きな映画「ロシュフォールの恋人たち」の歌とダンスを半ばまで楽しんだ。朗らかにピュアなのが懐かしいまで快い映画。
機械を仕舞いに二階へ戻ってきた。十時になる。また、ほんを読みに降りて、そのまま寝入る気。
2020 6/12 223

* 細菌の長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』でも、『花方 異本平家』でも、それぞれにちがった「語り口」を試み、楽しんだが、今度もまた、前二作の長編とはまるで別口の「かたり」が試みられないかなあと少しコウフンしている。やってみるか。どうシャベルか。
何をシャベルかは、或る程度の見当をつけている。

* 鷗外先生 の『澀江抽齋』 主人公の「抽齋」が流行したコレラで急逝して、作は、丁度半ばになる。幕末から明治へまで達するのだ、偶然なのか、無意識に意図したのか、この同じ時代がこのところ私を占領している。私が、これから攻め込みたいのでもある。

* 十時を過ぎた。機械はやすめよう。
2020 6/13 223

* 今回の出版は、少しく「趣向の一冊」でこそあったけれど、或いは読者の大勢さんのお好みからかなり逸れるかも、逸れたかなと、気づいている。たんに 「読み煩われる」前に、和歌や漢詩に当節ほぼ「馴染みがない」こと。加えて歴史人として「問題の多い」しかも勲章だらけの明治の元勲の家集では、どう取り ついていいかと惑われたでもあろう、やや秦 恒平の悪趣味が嵩じたというところか。すなおに謝っておきます。が、
実を云うと、ちょっと「このまま」では済ませない、なおこの先へ小説世界と時世とを少し溯ってみたい魂胆でいます。それもあくまで現代や現実を忘じ抛ってという算段ではなく、サカサマの積もりで居るのですが。
ま、やがての八十五楼、建物ごと取りつぶされるハメになっても、命があり古馴染みの機械君が応援してくれる限りは書き置き言い置くとします。
2020 6/14 223

* 劣化して行くような体感を荷のように負いながら、せっかく取り組んだのだからもう少し「山縣有朋」の時代を見返しておこうかと。史書はこの多年のうち に繰り返し読んでいて、人と時代とを大きくは見間違ってはこなかったと思いつつ、そこにまた、多く激筆により指弾され続けている山縣有朋にかかる『椿山 集』や詩歌のあるに触れていた論者には、ついに出会わなかったのである。元勲、元帥、公爵の山縣がほぼ徹しての民権迫害者であり他国への侵略という形での 國の「利益線」拡張も思い詰めていたことも、それを少年来嫌い憎み疎んじてきた自身の思いも知っている。ただ、その間の八十余年というもの、私は秦の祖父 の蔵書に『椿山集』あるを知りつつ、山縣有朋の家集としてただ一度の通読も卆読も果たしていなかった、そして今は、その少なからぬ作をおさめた一巻を尽く 自身の手と機械とで透き写し読み通している。この「新たな視野・展望」を慎重に熟読してみるのは確かに「悪くない一仕事」だと思って「湖の本 150」と いう中仕切りへの到達の記念ともしたのである。少なくも日本の詩歌に久しいよろこびを感じて触れてきた一人として、いまこの一巻の美しい家集を介し山縣有 朋なる史上の人となりをそれなりに読みかえしても必ずしも不当な無駄骨と私は思わない。所詮は「鬼の目になみだ」であれど鬼は鬼という評価はそうは動くま い、私はそれを理解している。私は長州出の山縣を以て同じ長州出の安倍某を揶揄してみたが、日本の近・現代史に徴してみれば、所詮は比較にならぬほど山縣 は巨魁であった、優れて有能な軍人であったが、反民権の鬼でもあった。それに比すれば今日の総理の安座然たる無能など、良くも悪しくもとうてい比べものに ならないのだ。
それでも、私は秦の「お祖父ちゃん」がかかる『椿山集』をまるで私の為かのように遺しおいてくれた恩を喜んでいる。私の眼は、この一巻に惹かれともあれパッと光ったのだから。
2020 6/15 223

* もう、「湖の本150」としての「山縣有朋の『椿山集』を読む」は吹っ切った方がいい、別の新しい仕事のなかで、山縣有朋は再吟味すればいい、何かと 対照になどしつつ。「近代国家」としての「日本」の苦渋や増長とともに、政・軍といわば風雅などとの対照・対峙を直かにテーマ化したほうがいいように思わ れる。予想し想像していたよりも遙かに今日のみなさんに「山縣有朋」的存在の近代史としての課題性が読めていない。むりからぬことか。
それなら、また別の日本人に問いかけた方が適切か、と。
2020 6/17 223

* 明日は桜桃忌。太宰治賞をうけて、満五十一年めになる。湖の本創刊から満34年、150巻を積み重ねてきた。雑誌ではない、総べて定価がついての優に 単行書並みの量、そして秦 恒平個人の創作と文筆とで出来てきた。日本の近代文学に例を見ない。たぶん世界でも稀有と思う。
「コロナ籠居」の日々で、どこへも出かけない。妻と二人で乾杯か。
2020 6/18 223

* 山形の「あらきそば」さん、久しいお付き合いの又三さんがおしくも亡くなられ、娘さんの手で、今日、此の桜桃忌にもどっさりと見事な珠玉桜桃を賜っ た。ほんとに嬉しい。心より御礼申し上げます。お父上に何度も誘われていたのに出向けぬママのお別れとなったのが、残り惜しい。そして「あらきそば」さん を湖の本の読者にとご紹介下さったあの福田恆存先生の温かな御厚意も懐かしく有難く思い起こされる。大勢の方にお力を戴いての半世紀を超す創作と執筆と出 版の日々であった。有難い日々であった。すぐ目の前の谷崎先生御夫妻の写真にも目をむけ、感謝している。
2020 6/19 223

* 今日は他の何もせず、濹上の船宿で遊ぶ予習を楽しんでいた。
2020 6/19 223

* 大きな仕事になりそうな次ぎの仕事を念頭に書き留めていた「想い・思い」を見直すと、優に数十枚にも積まれてある。その一々は作には使わないが、もう、思案よりも「書き始める」時機のように思われる。体調の不快を大事に躱したい。病院へは行かない。
2020 6/21 223

* 私の知る限りの過去に、「山縣有朋」を語って、評して、『椿山集』にもふれていた一例も記憶がない。刊行の際すでに「編輯兼發行者」養嗣子公爵「山縣 伊三郎」の名で「非売品」と奥付に明記された特装美本であれば、心知った、ないし係わりの先々へ遺族からの寄贈品であったろう。たまたまと謂うよりない、 その一冊がいつか市井に溢れ出たのであろう、大正末ないし昭和初にかけていつ頃か「秦の祖父鶴吉」が手に入れていた。祖父の思いは察しもつかないが、上 の、東都の椿山荘に遠からぬ暮らしといわれる「ばあさん」と同じに、私も、この「有朋家集」を読まぬうちと、読んでのちと、「元帥山縣」を観る目と思いに 明らかに添えて加わるものの有ったことは、とても否認・否定できない。
私は現代の文士であり。「日本の言葉」を用い、詩歌をふくめ文藝・創作を衷心受け容れてきた八十四老である。尊皇倒幕と明治維新を経てほぼ大正時代を通 じ表向き「元勲」として生きた一軍人政治家に、かように私的私情の文字と言葉の慎ましい「表現」も在った、在りつづけた事実を、また一面の真実・真情と受 け取るのは、こと「人物」の観察・批評に及ぶかぎり妥当で至当の姿勢と思わずに居れない。「湖の本」の読者に同様の反応や感想のうかがえたのも自然な情意 であり、むしろ「有朋詩歌」には自身触れぬままの「山縣嫌い」だけが吐き出されていたのなら、ま、余儀ないことと、私自身も強く思い合わせて頷くしかある まいが、私は「秦のお祖父ちゃん」のお蔭でこの『椿山集』と出逢えたのを、やっぱり。「よかった…よ」と思っていて、それを羞じない。

* 何とはまだまだ明かせないが「新しい仕事」になる筈の「用意」や「検証」にすでに取り組んでいてる、が、大方参照する本の活字は小さく、古く、ひどく難しく、目の負担で、とてもつづけて長時間は取り組めない。
慌てる必要も、無い。亀のように歩いて行く。
2020 6/23 223

* 『選集 33』の零校が今日には届くらしい。ダンボール箱で送る、重いので気を付けてと。前代未聞、どうなるやら。「休み」が終わるなあという身震いがする。当分は、主に、この「校正」と取り組まねばならない。

* 後付けが入れば800頁を超えそうな最終巻になる。なにより、どう荷造りするのかを思案しなくてはならぬ。
校正を二度終えるには秋も更けるか知れない。冬至の、満八十五歳記念になるのかも。ま、ゆっくり「選集」の行方を楽しもう。
2020 6/24 223

* 倒幕維新の原動力になった「薩長」両藩に、共通して、特徴的な苦い一大体験のあったことは、ともすれば忘れられがちだが、西欧列強の軍艦に、鹿児島 を、下関を、強烈に砲撃され、なに為す術なく屈服した過去があった。どうお侍たちが槍や刀を振り回し弓を引いてもお話しにならず、奇兵隊の隊長山縣狂介も あえなく手ひどい負傷を体験している。軍人山縣有朋にとって此の体験こそは決定的な認識になったろうこと、察し得て余りがある。
外国に、戦争を仕掛けては、いけない。しかし、外国から戦争を仕掛けられては絶対ならず、仕掛けられた以上、国土と国民のためにも絶対に負けられない。が、負けぬ為にはどうあらねばならないか。
山縣有朋の生涯は、この一点を「不動の基に堅い信念」となって築き上げられただろうと思われる。徴兵制、軍人勅諭、強力な陸軍(海軍)の創設と構築と強化、列強に対峙できるだけの不断の軍拡に国家として費用を掛けても「備え」続けること。
これらを、即、山縣有朋の「悪」「欲」と決まり文句に決め付けてばかりで、当たっていたのだろうか。軍艦からの砲撃に縮み上がったまま、相変わらず二本 差しのお侍たちに国防を任せ得たろうか。朝鮮、清国、ロシアとの紛争や戦争に日本がともあれ負けなかった、征服されずに、むしろ勝ったとも謂える優位の講 和が出来たどの場面でも、山縣有朋は外交をも含む終始知謀の参謀であり、事実上の最高指揮にいつも当たっていた。
この点のみに就いて云うなら、「時代」という問題もふくめて、山縣のおそらく真意とよめる辺へ、ただただ無批判な批判を加えるだけで済むのかナと、私は、『椿山集』の詩歌ともしっかり触れ合うて、しばし、立ち止まった。考えてみた。
「戦争はしなくていい」と山縣は、征韓論にも西南戦争にも慎重であった。しかし「外国から戦争を仕掛けられたなら、日本は、決して「敗北」してはなら ぬ、国体と国土と国民を「占領」されてはならぬ、それには日本国の自力で備えねばならぬが、「備える」とは何を謂うのかと、闘い勝てる力とは、軍の統率・規律であるとともに相応に強力な防備と戦闘力の用意・蓄えであったろうとは、常に常に山縣は考えて確信していたろう、そう、私は ぼんやりとでも、今は、山縣有朋という人を少しく想い直すのである、「反民権」等々の、真っ向責めたい、責められて当然な「悪」項目の、他にも幾らも有ることはよくよく承知 し認識しての上で。
2020 6/24 223

* 倒幕維新の原動力になった「薩長」両藩に、共通して、特徴的な苦い一大体験のあったことは、ともすれば忘れられがちだが、西欧列強の軍艦に、鹿児島 を、下関を、強烈に砲撃され、なに為す術なく屈服した過去があった。どうお侍たちが槍や刀を振り回し弓を引いてもお話しにならず、奇兵隊の隊長山縣狂介も あえなく手ひどい負傷を体験している。軍人山縣有朋にとって此の体験こそは決定的な認識になったろうこと、察し得て余りがある。
外国に、戦争を仕掛けては、いけない。しかし、外国から戦争を仕掛けられては絶対ならず、仕掛けられた以上、国土と国民のためにも絶対に負けられない。が、負けぬ為にはどうあらねばならないか。
山縣有朋の生涯は、この一点を「不動の基に堅い信念」となって築き上げられただろうと思われる。徴兵制、軍人勅諭、強力な陸軍(海軍)の創設と構築と強化、列強に対峙できるだけの不断の軍拡に国家として費用を掛けても「備え」続けること。
これらを、即、山縣有朋の「悪」「欲」と決まり文句に決め付けてばかりで、当たっていたのだろうか。軍艦からの砲撃に縮み上がったまま、相変わらず二本 差しのお侍たちに国防を任せ得たろうか。朝鮮、清国、ロシアとの紛争や戦争に日本がともあれ負けなかった、征服されずに、むしろ勝ったとも謂える優位の講 和が出来たどの場面でも、山縣有朋は外交をも含む終始知謀の参謀であり、事実上の最高指揮にいつも当たっていた。
この点のみに就いて云うなら、「時代」という問題もふくめて、山縣のおそらく真意とよめる辺へ、ただただ無批判な批判を加えるだけで済むのかナと、私は、『椿山集』の詩歌ともしっかり触れ合うて、しばし、立ち止まった。考えてみた。
「戦争はしなくていい」と山縣は、征韓論にも西南戦争にも慎重であった。しかし「外国から戦争を仕掛けられたなら、日本は、決して「敗北」してはなら ぬ、国体と国土と国民を「占領」されてはならぬ、それには日本国の自力で備えねばならぬが、「備える」とは何を謂うのかと、闘い勝てる力とは、軍の統率・規律であるとともに相応に強力な防備と戦闘力の用意・蓄えであったろうとは、常に常に山縣は考えて確信していたろう、そう、私は ぼんやりとでも、今は、山縣有朋という人を少しく想い直すのである、「反民権」等々の、真っ向責めたい、責められて当然な「悪」項目の、他にも幾らも有ることはよくよく承知 し認識しての上で。
加えて謂う、どうか思いのある人には思い出して欲しい、大政奉還からのち、伏見の闘いなどあって徳川慶喜は大阪から船で江戸へのがれ、京都では朝敵討つ べしと錦旗をかかげて各道から江戸への大軍を送った。この時であった、幕府は西欧国の支援や介入の申し出を「はっきり謝絶」した、江戸を征討の朝廷政府も また西欧列強の支援を截然と謝絶していた。京都と江戸とに、この点の申し合わせは一切無かったのだ。しかも両者とも明確に手出しを謝絶した。既に不平等条 約を押しつけられていながら、きっぱり無用の介入を断ったのだ、維新以後の日本の歴史を顧みて、後世が真実当時に心から感謝を覚えていいのは、何よりこの 一点であったろう、深く頭を下げたいと思う。
何故であったか。説明が必要か。維新の「元勲」たちは、その人格や経歴を多彩に異にしていて、なお「日本」を「日本人」の手でこそ守らねばと信念を侍し ていた、そう思いたい。それなくて、以降、韓国朝鮮や清国やロシアや、欧米列強との思惑や軋轢や戦争をどう小さな島口日本が対処し得たろうか。戦争はしな いのが良い、しかし戦争を仕掛けられたら負けない対策がなければならぬ。三百年の鎖国を体験してきた日本は、世界の一後進小国に過ぎなかったのだ、幕末 も、維新後も、大正時代になっても、なお。山縣有朋はそんな時代の日本を護るべき地位に、、その中枢に、先頭に位置していた。『椿山集』を読んで、心新た にそんなことへも気づいたといえば、私は迂闊であったとも、ものが見えてないとも謂われよう、か。
2020 6/25 223

* 昭和四十四(一九六九)年の桜桃忌受賞から、まる五年で医学書院を退社自立し、以降十年、あわせて十五年間の、「仕事」中心の略年譜を見ていて、夜に 日をつぐほどの原稿依頼や連載依頼、出版依頼の連続、講演や対談・座談会やテレビ・ラジオ出演また取材の旅などの連続に、われながら、仰天した。単行本は もうすでに六十册の余も出しており、原稿の執筆量は、往年の売れた作家が週刊誌などになぐり書きしていたのとちがい、どれも慎重に叮嚀に書いていて、なお 呆れるほどの分量になっている。あーあ、このおかげで、わたしは今、売りもしない特装美本の選集なども「造れ」て、かつ、老夫婦で日々まずまず「喰え」て いるんだと、夢見ている心地がする。
そういえば思い出す、ある出版界の人に、「わたしは寡作ですから」と呟いた時、言下に、怒るほどに叱られ、書きに書いてるでは無いですかと云われたことがある。あの時でも、わたしはそれが信じられなかった。慎重に慎重に要は「寡作」であると自分では思っていた。
2020 6/26 223

* 「選集 33」は、およそ800頁に近い大冊になる。820頁が製本の限界ですと注意されている、すこしでも頁を削ろうとしながら読んでいる。
最終の口絵写真に投げ首で思案している。
2020 7/1 224

* 私の仕事では、少なくもここ20年、「校正」という作業と、「創作ないし用意」と、「私語の刻(HP運営)」Sの三本脚になっている。{世間付き合い」は、ゼロに同じい。
時折に、「私語」の幾分かを、ひろくソシアルネットに公表せよと奨められる、が、「Fブック」も「ツイッター」もちゃんと設定し稼働していたのにいまは 何故か「雲隠れ」して私自身がそれを機械に見付けられない。抹消した積もりは無いので昔のママのこっているのだろう、「Fブック」「ツイッター」両当局か らも「続けて書いて」と連絡が来るが、機械ボケの今の私には手に負えない、自分の「場」を見直すことすら出来ない。
いっそ新しく場を「起こし」直してはと奨められても、もうその手順すら分からない。一度、昔のままの自分のサイトを見てみたいと思っても、それが分からない。かなり口惜しい。
ま、仕事を増やすことになってしまい、それはどうかという思いもあるが。見失ったままというのは情けない。残っているのかなあ、ホントに。

* 中仕切りを明けて、つぎの「湖の本 151」を一段と興味ある新刊に仕立てたいと書き進めながら、厖大量の『選集 33』校正を三分の一近くすすめた、これだけで「湖の本」二巻分ちかい分量。実質は七巻分量ほどの大冊になっている。なんとか800頁未満に絞りたいが。
2020 7/2 224

☆ 「椿山集」 誠に 誠に
<面白く> 一気に拝読  実家(横山)長州藩士 曾祖父 松下村塾生~松門神社に祀られています。 無隣庵(現東行庵に祖父の顕彰碑 父母の句碑アリ)
絶望的 今日日本の政治の中 <政治家は詩人でアレ>と言った父の語を重ねております。
北九州市小倉    谷   俳人

* ここに謂われてある「詩人」とは、必ずしも詩歌俳句の作者たれという意味ではない、「言葉を、日本語を」 心して、美しく、確かに語れよ、書けよとの 願いであり教えであったろうと思う。私が、敢えて山縣有朋の家集『椿山集』を書き写すという苦労もいとわず敢えて「湖の本」記念の巻におさめた真意は誠に 「其れ」であった。この方とはNHKで俳句を語り合ったこともある。
2020 7/3 224

* あたらしい「仕事」が量的にはまだ少ないが、内容は私のそれとして異様の展開、はなはだ「非小説」の体貌のまま進行しそう。それをむしろ面白がりながら書き進めたい。「仕事」めを遊んでやるという心境は邪まであるかしらん。

* 何が辛いか。目の見えないこと。機械の青地に濃い黒の大きな字はまだなんとか読めるが、参考の文献や年表や辞書の見えないには泣ける。やすむしか手がない。
2020 7/7 224

* 八時を、回っている。機械仕事は、もう眼が拒絶している。階下でやすむか、『選集 33』前半の初校か。そして『戦争と平和』と『源氏物語 夕霧』の 先を追いたくて。もいちど読みたい読みたい読んで読んでと呼ばれる作が山のように。何度も読んだモノほどまた読みたい。『ゲド戦記』 それに目をつむる前 に『みごもりの湖』から少なくも現在最新の『花方』まで、自作の小説をもう一度ずつでも読んでやりたい。ちがう。読みたい。
2020 7/7 224

☆ 御無沙汰致しておりますが、
お障りございませんか。此の度は湖の本「山縣有朋の『椿山集』を読む」を御恵贈賜りまして眞に有難うございました。承れば創刊満三十四年百五十巻に達せられました由 心よりお祝 申し上げますとともに 一層の御活躍をお祈り申し上げております。
山縣有朋の一生と倶に 秦様の御身上の種々を拝読して 感慨を深めております。椿山荘も京都も私には懐かしい土地でございます。何か昔に戻った様な気が致しました。貴重な一冊を頂きまして厚く御礼申し上げます。
コロナ問題も不安がつのりますが、どうぞくれぐれもお大切になさって下さいませ。大変遅くなりましたが 本当に有難うございました。 御礼までに かしこ   小平栄美   歌人

* 小平さんはすぐれて佳い歌人のお一人で、昔にはお宅へもあがったことがあり、我が家へみえたこともあり、懐かしい。作家に成り立ての頃、批評家桶谷秀昭さ んとも一緒に、馬場あき子さんの紹介で識りあった詩人今は亡い村上一郎さんの奥さんである。「佳人」というなら、この人と、早く亡くなった、能の故喜多節 世さんの夫人とが思い出される。
今度、前編輯の克明な「年譜一」に較べると、作品本位に雑駁に編んだ、受賞後まる十五年分の「年譜二」では、文学者世間でのわれながら信じられない多彩 な人との出会いが記録されている。それならそれでもう少し漏れなく拾っておくのだったとすこし悔いが残る。村上一郎さんとの出会いは書けているが、三島由 紀夫を追ったような村上さん壮烈の死の前後が漏れている。村上産は死の前日か前々日にお宅から「歩いてきましたよ」とにこやかに我が家へみえて、ちょうど 三月の雛飾りがしてあって、私が盆立てでお茶を点ててさしあげたのをとても悦んで下さったのを忘れない。お別れに来て下さったのだと、今も、はっきりと思 う。
2020 7/8 224

* 弥栄中學の二年生で同じ組にいた横井千恵子さん、例年のように私の好きな今日の漬け物、それも歯の弱い私にありがたい美味しい各種を送ってきてくれま した。有難う有難う。彼女、祇園の御茶屋の娘で、やはり一年生のとき私と同じ組だった内田豊子さんと近所住まいの大の仲良しだった。二人とも長じて祇園で 感じのいいバアをもち、あまりそういう店へ出入りしない私も、この二人の店へは妻も、友人島尾伸三さんや、甥の北澤恒や猛も連れて行って、好きに仲よく歌 など唱わせていた。私は唱えない人で、ただ飲んでいた「強いねえ」と「チイちゃん」にも「トヨ子ちゃん」にも呆れられながら。
なつかしい二人それぞれのそんな店も、いつしか祇園を出て、内田豊子さんはもう亡くなった。横井さんは私の長編『お父さん、繪を描いてください』巻頭の 「一、拝殿と山路」早々(湖の本では9頁)に、掃除当番のモップの柄で男子のわたしたちを音楽室から追っ払う「淺井多恵子」として、颯爽と登場している。
同い歳。どうか、元気でいてくれますように。このごろ、だれに向いても同じことを呼びかけている、ほとんど、頼んでいる、まるで。

友よきみもまた君も逝ったのか われは月明になにを空嘯(うさぶ)かん

そう呻いたのは二○一一の十月だった。歳あけた正月五日の人間ドックで私は二期胃癌と診断された。あれから十年余の歳月を積んできた。
2020 7/9 224

* 「選集 33」の前半六割分ほどの初校があすには送り返せる。息をととのえ、落ち着いて後半の校正にも取り組みたい。前巻につづく「湖の本 151」も書き継いで継いでつかみ所のある一冊にしあげたい。慌てまいと思う。「選集」最終巻をしっかり創りあげたい。
2020 7/9 224

* 『選集 33』の前半を「要再校」で送った。表紙と扉も副えた。
2020 7/10 224

☆ 「山縣有朋の『椿山集』をよむ」
ありがとうございました。
小生の郷里は栃木県奈須高原ですが、そこに有朋をはじめ乃木ら明治の元勲たちが我先に国有地払い下げて買い込み、英国貴族風に大農園を作っていました。會津ひいきの土地者としては、長州の者たちが、という思いで見ていました。
小生も少年のころからその思い強く、有朋はどうもなじめません。残念です。不一  詠  作家

* ストレイトな感想で、思わず笑えた。ま、わたしも「山縣有朋」と見ると聞くとそんなだった、彼の閲歴のほとんど何も正確には知らなかったままに、である。
上の文面に「乃木ら明治の元勲」とあるが、乃木希典のことなら彼は「元勲」とは呼ばれていない、明治十八年より後に「華族制度」が成り、この折り「新華 族で伯爵」に叙された者らが以降「元勲」と通称されのちのち「元老」と呼ばれていったと覚えている。明治三十七月二月に日本は対ロシア宣戦布告し、翌年一 月に乃木・ステッセル二将軍水市営の「旅順開城約成」るのだが、總参謀の山縣は旅順攻落に苦戦の乃木希典 へ叱咤にちかい歌一首を大本営から届けているし、明治天皇の崩御に夫妻して殉死をとげた「乃木将軍を悼」む歌一首も献じている。どうも乃木希典に那須野の 大農園はあまり想い浮かばないが、この奈須というのは帝国陸軍の大演習地でもあって、明治四十二年、伊藤博文が朝鮮国で撃たれて死去のあと、十一月初めに もすでに侯爵にして元帥の山縣有朋は「那須野原の大演習に供奉したりけるとき」の歌一首も『椿山集』にのこしている。「供奉」とあるからは「大元帥」陛下 に随行していたのである、調べてみないと分からないが「大農園」の分け取り
のようなことがあったとすると、広大な演習地が払い下げられたのか。それと察しられる詩も歌も無く、広壮な奈須別邸の名も見えない。とはいえ、私は山縣有朋の根に「農」を重んじる気持ちのあったろうとは数多い『椿山集』詠歌から観じ続けては得ていた。
また『椿山集』にかぎればその詩歌または柿その詞書に「奈須」の文字も記載もみえないが、詠さんが慨嘆のことは無かったよりあり得たろうと謂うしかない。
2020 7/10 224

* ペン会員の長田渚左さんから、沢山な缶ビールやジュースを頂戴していた。恐れ入ります。
2020 7/11 224

* 朝早に床を出て「マ・ア」と、キッチンに坐り込んでテレビをつけると、びっくり、文化庁がつくった『日本遺産」とい う連作の早朝番組で「奈須野」を解説の途中だった。先日「詠」さんから慨嘆の手紙をもらっていた関連の内容が美しい映像とともに紹介され、女優の斎藤由貴 が訪ねていた。山水と大農園の美しさはたしかに目をうばうものがあり、間違いなく時の総理大臣山縣有朋のおそらく首唱にしたがい、まさしく日本の農村離れ のした整然広大の農園が、みるからに美しい生鮮野菜やみごとな果物を栽培していて、その種類・品質と生産高とは想像を超えていた。しかも「山縣有朋記念 館」には、五代の子孫にあたる山縣有徳氏が来客の斎藤由貴を和やかにもてなしていた。建物のありようはまさしく瀟洒に美麗の西洋風で、まさしく「日本離 れ」がしていた。
那須高原のかかる整然たる開発を、番組では「明治貴族」の発想と尽力で成ったと解説していて、詠さんが名をあげていた乃木希典の、勲章をたくさん胸にし た軍服姿も、係わっていた一人として写されていた。ほかの顔写真まで記憶しきれなかったが、最後に、そんな「明治貴族たち」を束ねる態に、第二次山県内閣 の総理大臣有朋像が大きく映し出されていた。詠さんの書かれていた「事」はいわば「史実」であった。史実をどう読んで評価するかは私の荷にあまるが、一例 が、敗戦後吉田茂のワンマン大磯道路などと比して、那須の「山縣農場」ほかとの行政価値はどう較べられるか、あの奈須高原のみごとに広大で整然ととした大 農園には、比較にならぬ大きな「明治貴族」の特権行使でこそ成し遂げ得た大開発であったのだろう、それはそのまま今日の大規模農業の現実としてひきつがれ ているのだった。「農」に「根」の思いのある人と『椿山集』を読み終え即座に感触していた私の想いとは齟齬はしていないのである、が。
2020 7/12 224

* 二時間ほど午後に寝入っていたが、早起きしたまま、ほぼ十二時間、すこし頸すじの痛むほど「仕事」に集中していた。方角はおおよそ見えているのだが、 腰をしかと構えて書き進むよりない。大きな水車に水が落ちてやがてぐわらッと回る、そんな感じで、単純な運びから意想外へ様子の変転してゆくように書き進 めたく、あるいは、「湖の本 150 151 152」を一括りの大仕事に成ってしまうかもしれない。私の根気が元気でいてくれたなら。焦らない。
2020 7/12 224

* ラコニックな志賀直哉の名文には衷心敬服する、が、私は、直哉とは異なった創作世界を築いてきた。その構築の、もし「手法は」というと、何だろう。
冗談を云うのではない、それは、「と思う」 「と想う」 のである。それを「信じる」のである。
自然でも人でも情況でも、「と想い」「と思い」「信じ て」書く。どのように幻怪異様ななフィクションでも感情や思索でも、人でも自然でも情況でも、「と想い・と思い」それを「信じて」創れないなら、書いてもヤワに脆い、ロクなこと にはならない。
2020 7/13 224

* いま、数月來の事情よりして家集「椿山集」を遺した山縣有朋を見直しているが、私は、その先に今一人「魅力横溢の明治人」登場を用意し、すこぶる期待 し楽しんでいる。早くと気は急くが、深呼吸して、ことの順を、ものの順をうまく踏んで渡りたい。何のためにも彼のためにも何とか「コロナ禍」の早い終熄を 願う、不測の中途に病に躓くのでは残念であるから。
どうにも「コロナ禍」への国家をあげての抵抗と鎮圧の姿勢と策とが窺えない。安倍晋三総理の陣頭に立っての退治の熱意も行為も見えない。内閣はもはや死 に体を自呈しているとしか見えぬ。一日も早く総辞職して意欲新鮮の「内閣」にせめて交替せよ。そもそもかかる時期に「国会を閉じたまま」という非常識な無 責任姿勢には、怒りを超え、侮蔑の思い旺然と湧き立つ。失せよと願う。
2020 7/14 224

* 疲れてしまうわけに行かない。まだまだ「仕事」がある。
2020 7/14 224

* 選集33巻「最終の口絵」を思案している。菱田春草の名畫、文字通りに夫婦『帰樵』の心境にいま在る。うまく活かせて貰えまいかと願いつつ、書架の、 既刊32巻を写真に撮った。コロナにつまづかず、きちんと仕納めたい。最終巻はひときわ大冊になる。初校まだ四割程か。視力が続いて欲しい。
「湖の本 151」は、あるいは「152」にも出迎えて貰うかも知れない、山縣有朋の『椿山集』に誘い込まれて、意想外の別人・別世界とガチンコしそうな気配になっている。真夏へ向いて大汗になりそうな「仕事」をなんとか心涼しく楽しみたいが。
2020 7/15 224

* 「選集」最後の口絵写真に苦慮しつつともあれ入稿した。「初校」も七割がた片づいて、まだ細かな仕事がドサッと有る。根気よく根気よく片づけて行くしかない。コロナ籠居で、時間はある。根気が枯れないように。しかし、食欲の湧かないのに、困る。痩せて行く。
2020 7/17 224

 

* 「湖の本 151」を書き続けて四時になっている。機械の字は霞みに霞んでただ察し察し書き継いできたが限度を超えた。やすまねば。
短い穿きものでむき出しの脛が冷たい。冷えている。
2020 7/18 224

* 今の「仕事」は、私としてもよほどの隘路で険路で、この先では「お前、変節するのか」と罵倒されそうな難儀な議論で更に更にあの「山縣有朋」を追っか け追っかけ、フト気が付くとまるでちがう場面で妙タケレンなべつの日本人と相撲をとらねばならなくなりそう。行けるところまで行きますが。
『選集33』初校後半も、超細字部分だけ50頁ばかりまだ残ってて、目の酷使は、極み。
ブルーライトがキツい。寝室での読書には昔の電球を照明につかって、これだと、読み進むにしたがい文庫本も読める。『戦争と平和』のモスクワが燃えている。
2020 7/18 224

* まことに難儀な、隘路ともいえない難路へ私の「仕事」は首から突くッ込んでいて、しかし避けて通れない。なにも、今今に見る隘路ではなく、決 して変節でもなく私自身の実意・思いであるのだから避けて通れない。前へ進むしかない。この籠居の折から、建日子と議論などしてということも出来ない。 メールでは少しく「ヤバイ」かとも。
2020 7/19 224

 

* なんともかとも疲れている。土用の丑とか、信じにくい陽気だが、用意の鰻蒲焼きを小さく二切れ戴きました。食べると、量は少しでも、腹が張る。
まだ七時半というのに能力はダウンしている。抵抗せず、遠慮もせず、やすもうと思う。
幸いに、大いばりで「籠居」できている。『選集 33』の初校はもう先が見えている。急がれてもいない。「口絵」の試行も、もう写真を送って頼んである。
「湖の本 151」は、今しも入稿原稿の用意に励んでいて、催促の尻を突かれてもいない。

* しかしながら、この「湖の本」の「仕事」 とてつもなく「私」めにきつく突っかかってきて、顔色が変わってしまいそう。思うまま書きすすめば、雨あられ、きつい非難の矢で立ってられなくなるかも。
慌てるな、気を急くな。
こんなときこそ、心知った人と話したい、が。

* 「秋成八景」をと旗をあげ、「序の景」しか書けていないが、ケッサクな着想を今日の夕方、飯前に寝ころんで本を読んでいて、ウオッと思い付いた「新一景」が有る。フックラと、しかし無遠慮も憚り無く書いてみたい。
と、これで、とても「ヒマ」ではないということ。
2020 7/20 224

* 選集最後の「函表紙」「總扉」の初校届く。さすがに残り惜しい。創刊の頃、これは選集でなく全集ですねと云われたりしたが、なかなか。全くの「選集」で、容れ余した作物がまだたくさん残っている。それはそれ。心新たにまた書き積んでゆくだけ。

* 九時。 また明日があると思おう。
2020 7/22 224

* 晩の七時半。
今日も、二時間ほど昼寝したが、他はずっと「仕事」に向かい、たった今まで「書き」次いでいた。意図して、今度の仕事はむしろ「手あらな」感じを避けず事と言葉を運んでいる。
どうにか、場面をがらっと転進させるところまで来た、らしい。三部めいて「湖の本 152」にも膨らむか、それがよいかどうか、見通しはもってない。成るように成らせればと、それをこそ期待している。

* コロナ東京、今日の感染者数、破天荒に増したらしいそれも確かめず「仕事」していた。街なか暮らしの建日子たち、十分用心して無事に乗り切ってくれますよう。
それにしても、この状態で国会も開かず、記者会見すらしないで、小安いマスクに顔を隠して無内容な決まり文句を駆け去るように投げて行くアレ・アキレた 総理安倍晋三。自民党員の質低下は、厚労相。経済再生相、国交相、法相等々、軒なみの落第顔。小泉進次郎も完全に期待はずれのミソっかすに。山縣有朋『椿 山集』に刺戟され、明治維新史をつとめて克明に顧みているが、わるいやつはわるいやつなりに明治の政治家や軍人は、悪徳商人らにしても、懸命に歩んでい た。モリトモやカケや、偽証の佐川や贈賄の法相夫婦や、唾を吐かれたようにかるくて穢い。
2020 7/23 224

* 二時間ほど昼寝の他は、草稿の書継ぎと推敲とに没頭。
7ポイントなどという細字の校正には、なかなか手が出ない、が、ほうって置けない。『選集 33』も、後半の校正が済まぬうちに前半の再校が出て来そう。
2020 7/25 224

* 時季も動くし、写真を取り換えたいとも思うのだが、八坂神社楼門と石段下四條通りの夜色、それに小磯の「D嬢」も「浄瑠璃寺」夜景も、みな、気に入っていて、好きで、取り換えたくない。夜景・夜色が三点あり、私の、根の好みが露出しているのかも。

* 八時。
2020 7/25 224

* 一寸先も闇 と、聞きも読みもしてきたが、さほどの実感を何度ほど持ったろう。二十歳目前のやす香に死なれる時はつらかった。妻がICUで苦しんだ時も怖かった。自分が癌と宣告された時はわれながら冷静だった。
戦争の折は山奥へ遁れ、困窮も度を越していたが、どこの誰を見廻しても同じなので、ごくの少年でもあったし、ふつうだった。
この「コロナ禍」のようなめに実感で出遭った覚えがなく、永く永くなりそうなトンネルの歳月かもと、ゾッとしない。

* それでも休まない。「湖の本 150 151 152」の、なんだコリャという「妙な仕事」を存分に遊ばせて貰う。病気などしてられない。

* もう十時。よく頑張ったよ、「湖の本 151」の追い想ってきた分の半ば過ぎたまで運びきれて、場面がガラッと変わって行く。変わって行く先の景色も もう予期できている。「新型コロナ・ウィルス」にやられず、粘って、書きたい思いを通したい。「152」まで事を運べるのか、「151」で仕遂げるのか。 まだ分からないが、それでよい。
2020 7/27 224

* 『選集 33』 後半部の初校を送り返した。受賞後「満15年」(現在51年)の詳細年譜や、単行著書等全書誌細字の校正に芯が疲れた。それにして も、15年のうちに、我ながら仰天の仕事量を積み重ねていた。出版や原稿依頼も多く、ほかに講演、テレビ・ラジオの放映・放送が記憶新たに数多く、講演・ 対談等枚挙に遑ないありさまだった。超多忙なのに、娘・朝日子のお茶の水女子高PTA会長まで頼まれていた。
中・高・大学・卒業後も、朝日子は、それは数多くいろんな会合や旅にも嬉々として父親と一緒に出ていた。谷崎先生の奥様には就職のお世話もして頂き、さ まざまな頂戴ものなど、それは可愛がって頂いたの、みな、ありありと年譜に見えている。押村高(青山学院大)と結婚後にすら、私の雑誌「ミマン」取材の四 国中国の旅に、望んで母に代わり父や編集者・カメラマンと一緒に楽しい旅をしていた。「朝日子」とは、本人にも両親にもうれしい自慢の名付け・名前であっ たが、それが、いつのまにか改名して、「宙枝」とか。
私達両親が死ぬるより前に、弟建日子もいっしょに、たくさんな幼來の思い出話がせめて一度でも楽しめるといいが。そうそう、亡いやす香の妹、みゆ希とも。みゆ希は、もう「お母さん」になっているのかな、住まいも知れないが。
2020 7/28 224

*  様
前半再校出の頁の読みが確認できないので、適宜に、前を受けて後半の頁付け、お願いします。
また、それゆえに 最終巻としての「あとがき」が、量の配慮上、書き出せていません。あとがきと、アトヅケとの入稿は、様子を見させて下さい。

口絵がうまく行くかなあと 案じています。よろしくお願いします。

散髪に行きたいが、「密」度をおそれています。白髪を左右・うしろ背へ垂れています。暑苦しいです。

みなさん、お大事に。   秦 恒平

☆ 秦先生
いつもお世話になっております。**です。
ご連絡、ありがとうございます。
こちらも、先程 前半分の出校準備ができましたので、明日には手離れをいたします。
後半の出だしは、前半のページに合わせて進行いたします。
あとがきと、アトヅケの入稿は、様子を見させて下さい。
承知いたしました。
訂正紙が戻りましたら、作業を進行いたします。
8月1日から8月6日は、夏季休暇となります。
メールでご連絡をいただければ、ご対応いたします。
こちらもコロナの影響で、今年は実家にはかえれなそうです。
ゆっくり、引きこもってようかと思います。
何卒、よろしくお願いいたします。
2020 7/29 224

 

* テレビ朝日の 信頼のきくコロナ討議 それでも どうにもならず 我々は頑固なほど現況の籠居に徹しているほかない。八十代半ばの夫婦暮らしだからそれも出来るが、毎日出かけるしかない若い人たちの無事を祈る。
せめて私は 心行く「仕事」を推し進めたい。第二幕ヵら舞台が大きく廻る、廻ろうとしている場面へきて第三幕への変わり映えをと願いつつ。
それにしてもコロナがこんなに列島を苦境へ押し込んでいる今にして、国会は開かない、総理の記者会見も対策表明もない、こんなバカげた政府って過去近代日本に、在ったろうかと惘れる。
民主党の野田内閣が痴呆的に政権を安倍に奪われた時、私は即座に、「逼る国民の最大不幸」と予見した。情けない、正確無比に予見どおり。政権に公然追従するばかりの学者を集めていては、より正確で精確ななにも掴めない。

* 機械の負担をへらすことに神経を使っている。遣いすぎて草臥れる。

* 第二幕へ入った。グワラリと様子が変わる、変わって登場の役者、おもしろい、いい人です。
疲れを溜めないように、溜めないように書き進める。
さすがに、長すぎる髪をナントカ切りたい、恰好は構わん、頸筋にさわるのだけでも妻に払ってもらおう。会社を辞めた大昔に、若い人が贈ってくれたのがな んと本格のいい鋏と剪刀だった。刃物とはおもしろい貰い物だなと思ったが、以来半世紀近く、いまも愛用しているが、さあ、髪が切れるかな。
2020 7/29 224

* 「仕事」は、いい工合に第3幕へ舞台が廻った。
2020 7/30 224

* 九時半。「仕事」かなり前進し展開したが、これからが本題。

* 朝のうちに『選集 33』前半の再校分が山のように重く送られてきて、「赤字合わせ」だけは済ませた。読み終えるまでに、後半分の零校ゲラが届けば、 それを先に初校しなくてはならない。からだに事故無く、着実に仕上げて行きたい。口絵は、まったく不出来で、全面の造り替えを求めてある。
2020 8/1 225

* 「湖の本 146」ほぼ、思ったように人物の把握も初稿も進展している。少なくも、私は、付き合っていて我が意をえている、此のもう一人の「明治人」 に。山縣有朋は嫌われても知らぬ人は私の読者ではほとんどいない、が、「この人」はもどうかな。しかし、満足して貰えるのではと期待している。気を入れて いる。
2020 8/2 225

* 九時半。校正にも 書き仕事にも よく励んだ。
晩には、幕末の青年(今なら大学三、四生)が、自身の「側室」のため瀟洒に建てた「舎」自慢の漢文を訓み、書き写していた。この青年すでに妻子があり、時の徳川将軍に和漢の書を読み教え、また数百巻という厖大量の書物など成して賞美されていた。
長州の軽輩武士だった山縣有朋より一歳の年長だった。

* 漢文の読みはともかく、見たこともない漢字がわさわさ出て来るので、書き写すのは、ひどい苦行。
それでも、コロナ、コロナの世間をはるかに跳び越えておれる。
2020 8/3 225

 

* 『選集』最終巻の巻頭には、ためらいなく、「死の間近で」の『バグワンに聴く』を置いた。小説や論攷のほかで、私・秦 恒平とのしみじみ「対話」をと想つて下さる方には、この一編を遺して行きたい。

* 気を入れて書き継いでいるが、なみの文でなく、書くのに気も遣い時間もかけている。次ぎの一冊の半分に達したかどうか。そんなことは宜しく、心して心ゆくように進める。幸いに書きたい内容はむしろ溢れんまで手に入れている。主題へしかと結び合いたい。
2020 8/5 225

* 動きのとれなくなる怪我はしたくない。
妻にも、建日子にも、義妹達にも、どこで何をしているか知れない娘にも孫娘にも、身内と親しむ大勢の読者の皆さんにも知友にも、さらにはわが創作世界にいま生きてある友だちにも、それを願う。

* 今日も、また昨日に次ぎ、そんな、『維新の二人』とつき合い、対話し続けたい。教わりたい。興味津々。胸を掴んで引き寄せてくる話材って、いくらでも在るのだ。
あの店やあの店でうまいものを食べに街へ出たいとも願う、が、この時節、ばかげた無謀を強行の気はつゆほども無い。

* ことの捗る時は幸運も近寄ってきて、とてもムリと諦めながら書庫に入って、ポコンと最適本に手がついた。中村光夫先生に戴いていた、戯曲『雲をたがやす男』、この男を問題にしているのでないか、時代の空気が読めてくるのは助かる。

* 原善君から冊子「文藝空間」を送ってくれたが、あれは8ポならぬ7ポ組みでないかと疑う自の字の小ささに、とても読むに読めない。いろんな論攷も、い かにも小さく、またかと思う重箱の隅せせり、それで済む世間のあるのも承知だがわたしはもう卒業させて欲しい。私の眼識しは谷崎潤一郎の策士またまた堪能 して愛読したいが、谷崎論に類するものは、百册に及んで書架を防いでいたのを一切ダンボールにつめて廃棄処分ときめた。まして、誰それとなく原作原著は珍 重、しかし誰それ「に就いて」書かれたものは、全てもう読む余裕なく「廃棄」と決めている。仕方がない。
心静めて楽しんで、ただ漱石や藤村や鴎外や秋声・鏡花や、直哉、潤一郎、龍之介、康成、由紀夫らの小説作品を読み返したい。作品「に就いて」云々の論著はもう要らない。
私も、この間の『椿山集』のような稀有に珍しいもの以外にはもう新たには書き起こさない。書くなら「読み・書き・読書」の『濯鱗清流」式に日記にだけ書きおく。もう時間が足りない、無い。分かっている。
2020 8/6 225

* 朝九時から、三十分、目をとぢ、ただ機械の前に腰かけて、腕組みもせず、首を垂れて。
元気より疲労が先に来るが、「仕事」へ、駆け込む。

* 夕刻六時にほど無い。午前にも午後にも寝入る時間もあったが、「仕事」は捗らせていた。

* コロナ禍はとめどなく、何の安堵の見通しもなく、政府の無能と悪政も輪を掛けてとめどない。情けない、が、すり抜けすり抜けて行くしかない。
幸い「仕事」は面白く波打っており、浮かれて流されぬよう舵取りながら、私としては「かつて無い感触の作へ仕上げて行きたいと。目算はとかく逸れやすい。浮かれず筆を運ばねば。
2020 8/7 225

 

* 要所へまで、仕事、推して出て来た、要点も頭に入ってきていて、じっくり前へ出て行く。慌てない。怪我せず病気せずにおれば、仕事はきっと成って行 く。わたしの着眼はかなりに的をまっすぐ狙っている。小説のように書こうなど思わず、要所への興趣の視線がえまく差し込めますようにと願っている。慌てな い。
2020 8/8 225

☆ 長崎被爆 75年
昨晩遅くNHKのドキュメント番組を見ました。一枚の写真、長崎被爆の後、死んだ弟を背負って焼き場の炎の前に直立している少年の姿。
この写真は以前にも見ていましたが、それがいつ、どこで撮られたものか、そして少年がどんな状況だったか等を検証していく番組でした。同時に両親を失った孤児たちの過酷な戦後の日々の語りもありました。
戦争の実体験がないわたしですが、泣けて仕方なかった。自分の事では泣くことはないのに泣けて仕方なかった。
今朝の日曜美術館の無言館の戦没絵学生の事も絵も。
ありきたりですが、何とわたしたちは恵まれているのだろうと、コロナも様々な問題も生きる苦しみに満ちていても。
戦争はいけません。     尾張の鳶

* 保谷の鴉は、今日の、長崎市長の被爆75年のあいさつをじいっと、泪に濡れながら聴き入りました。鴉は、ヒロシマ・ナガサキの被爆を、国民学校四年生 なりに、丹波の山奥で知り、新聞も読んでいたのです。戦争に負けるとはこういうことと思い知りました。一日も早く負けた方がいいと思いました。安倍総理の 挨拶に、広島でのあいさつともともども、今日も、失望もまた重ねました。
わたしは、今度の「仕事」で、鳶の「戦争はいけません」の、その「アト」を書いて、書こうと、苦悶しています。
2020 8/9 225

 

* 『選集 33』前半六割分のその六割ほど、再校を終えている。やがて後半の再校ゲラも送られてくるだろう、が、口絵がまだ、そして最終巻を締めくくる「あとがき」を心して書かねばならぬ。
『湖の本 151』は、量的にいえば半分を越えたかという辺まで書けている。先を追い急ぐより、丁寧に読み返し返し、これまでの「湖の本」では異色の読める物に、籠居を利し、納得できるまでに仕上げたい。
2020 8/10 225

☆ 私も
『こしのやまかぜ』という歌集は知っていましたが、この『椿山集』は存じあげていませんでした。
山縣有朋はどちらかというと政治的な黒幕のイメージがありますが、和歌や作庭に通じた人物である点は、伝記などで知りました。
近代政治史を少し勉強したことがあるだけです。出身は九州なので、山口にきて、萩に山縣有朋騎馬銅像があるのを見て驚いたことがありました。
続編も含めて完成されることを期待しております。御自愛ください。  竿

*日についで
山縣有朋の続稿を追い、そしていろんな意味から、対比に興趣も問題も豊かな、もう一人との出逢いを、心して日々追っています。
山縣有朋は 明治の政治世界では、「黒幕」どころでなく、ほぼいつも「表舞台」に存在感を見せていた勲章だらけの軍人であったと観ています。
家集「椿山集」は、私情ゆたかなケレン味のない佳い所産でした。一般に常識化してきた山縣評ないし山縣嫌いには、その一面はほとんど抜けていて、ある浅 さや傾きがあったかも知れません。その辺のわたくしの見解は、いま、もうほぼ書き終えて、「別の今一人」への探訪により、さらに歴史的な新たな見識も視野 も可能になるかなと思案しいしい、書き継いでいます。「秦 恒平・湖(うみ)の本
第151巻」として纏められればと期待しながら。
烈暑の日々、八十五老、籠居に徹しています。
日々お大事になさって下さい。      秦 恒平
2020 8/11 225

* 東近江五個荘の乾徳寺さんご住職から『「近江商人の魂を育てた 寺子屋』一冊を頂戴した。同じ川並の川島民親さんからも以前近江商人を主題の共著本をいただいたことがある。
乾徳寺さんの本に、「寺子屋」の先生に書を教えた勝見主殿(本姓越智)という先生が、私の育った新門前通りの「狸橋」を「住所」とされていたらしい、わたしの朧ろな記憶に「越智さん」「勝見さん」の覚えが絡んでいる、今となっては確信は持てないが。
手先の痺れと不自由でわたしは今、ペンで字が書けない、メールだと何とかなるが。
ひょっとしてこの日記、川島民親さんの目にもしとまれば、本のお礼と上のうろ覚えだけを、お伝え下さるだろう。

* 参考にと「湖の本 43 もらひ子」をめくってみた。憚って多くを仮名で書いていたのが今となっては残念だが、克明にものをよく覚えて記録していて、 なつかしい。この前に「丹波」が、このあとに「早春」が書かれ、三部作で私の幼少から新制中学「入学」頃までがほぼ言いつくせてある。そして長編「罪はわ が前に」へつながる。読み返し始めたら「子供の昔。少年の昔にありありと立ち返れる。気恥ずかしかったが、思い切って書き置いてよかった。
2020 8/11 225

 

* わたしの此の古機械はADSLとかを遣ってきたのだが、そのサービスが中止になるとか郵便が来ている。では、どうするのかが判らない。難儀な新規の設 定を私のいまのアタマとウデとでは到底ムリ。とすると、最悪、HPの転送が出来ず、メールが使えなくなるのかも。とすると、どうするか。
まったく判らないが、「もう潮時だよ」と宣告されているのかも。
この機械で、世間の人様と全部の縁が切れても、「字」は書き続けられるなら、自分自身との「対話」と「創作」「述懐」だけは辛うじて出来るということか。
わたしは電話で話すのは苦手、手書きの郵便はこの痺れ手では久しく書いたこともめったに無い。つまり「外」世間が、最悪機械的には私から消滅するということか。そういう「時機」をいましも老境の生活が迎えるということか。
その覚悟をしておこう。昔昔に帰って、ワープロ機能だけは生き残ってくれるといい。ただし今、プリンターも働いてくれてない。せめてコピーとブリントとは利いていて欲しいが。

* おそらく、よほど遅くても九月中には『秦 恒平選集』33巻は完結して送り出せる。今、書き継いでいる「秦 恒平・湖の本 151」だけは仕上がって送り出せるだろう、あるいは其処で、文字通りに「私達の帰樵」は成るだろう。たとえそれ以降「湖の本」の継続が不 可能になっても、私独りの執筆は続けられる。最小限、それだけでも独りの、ないし二人での老境は「方法」としても可能と思う。
書き置いてさえおけば、いつか建日子が処断してくれるだろう。建日子こそ、健康で怪我なく日々を大切に生きて欲しい。

* 四時半ちかく 激しい雨。ああ生きているなあと雨を聴いている。「聴雨」 そして「雷鳴」。幸いわたしは雷さんを怖がらずに大きくなった。こころよく迎えるほどに聴いてきた。
2020 8/13 225

* 五時前、昨日よりは凌ぎやすかったが、ぐったりは同じく。むしろ暑さ負けでなく、体力が弱っている感じ、仕事に手が出ない。
『選集 33』後半の要再校ゲラが届き、ともあれ、「初校との赤字合わせ」は終えておいた。
いよいよ選集最後の「責了」へ向け、慎重に作業をと。まだ最後の「あとがき」を書くなど、つきものの用意など残っていて、後半分の再校を含む当面の要作業を確認し、落ちなく最終段階へ運ばねば。からだを弱らせてはならないが食欲がまるで無い。
2020 8/18 225

 

* 映画「戦場のピアニスト」 もう何度めかだが、感銘。しみじみと人と藝術とに感謝した。

* つづいて祇園の芸妓、舞子の映像を楽しんだ。京の「祇園」は私には「よそ」ではない。新門前通りの秦家に預けられて東京へ発つまで、祇園とともに暮ら し呼吸してきた。わたしが通った弥栄中学はもともと祇園町が子弟のために肝いりの市立小学校が、戦後新制六三制のもと市立弥栄中学となり、わたしは有済小 学校から進学した第一期の一年生であった。教室には「祇園の子」が男女とも何人もいっしょだった。思い出話をはじめたら大きな本が一冊書けてしまう。
秦の家のあった新門前通りの東の梅本町には祇園甲部でとびぬけた芸妓で、「都をどり」に忠臣蔵がでると決まって「由良之助」役の人のいわば隠れ家があっ た。西の西之町には祇園芸妓舞子たちの藝を総理錬成する井上流家元の八千代はんのお邸が今もある。今の八千代はんは私の少し後輩にあたり、兄上は観世流の 有名なシテでしかも大学で同専攻の先輩だった。今の八千代はんにはわたしの「湖の本」を応援してもらってもいる。
そしてわたしの仲之町ずまいの真隣り、祇園町へ抜けて行く抜け路地に入ったすぐ際には祇園甲部で知られた練達の「男衆(おとこし)」の住まいがあった。

* わたしの文壇へ送り出してもらった出世作は間違いなく異本平家の『清経入水』だが、その後に親密に識者に認められて強い足場になったのは短篇の『祇園 の子』だった。永井龍男先生はこういうのが十も十五も出来れば「たいしたもの」と人に話されていたと聞いた。笠原伸夫さんはとてもありがたい文章で「祇園 の子」を賞讃して下さった。それらはみな祇園乙部の女の子たちを書いていた。祇園町には甲と乙との地域差がわたしのこどみの昔から確然と区別されていて、 しかし同じ中学の同じ教室でいっしょだった。祇園に抜け路地一本で地続きの町に育っていたわたしの「批評」の眼は、そんな教室や校舎や運動場で磨かれ鍛え られた。ただの綺麗事ではけっして済まない世界であった。「小説家になるしかない人だね」と亡き詩人の林富士馬さんとの対談で判決されてしまった思い出も ある。八坂神社の西楼門から夜の繁華の四條大通りの写真を私が懐かしむのは、ただ懐かしいだけの趣味では無いのです。
2020 8/19 225

* 理由もなく気が急いている感じは、仕事の交通整理がいま効いていないからで。「当面作業の調整と確認」という欄をデスクトップにいつも置いているのを、開けなくては。

* 九月十日頃までに われながら凄いとのけぞるあれこれの仕事や作業の有るのを確認した。抜け落ちては困るので、この「確認」でハラがきまり、一つ一つ 順序よく片づけて行くまで。コロナも酷暑もいい訳にならない。願わくは気温に落ち着いて欲しいが、例年を思うと秋彼岸までは無理。無理なことは頼みにしな い。ヨーイドンという気になれた。食べて、元気を創ることか。

* 毎日、連載している『愛の歌』 佳い精神安定剤になってくれる。此の本を書いていたのはもう四十年近くも前。心こめて日々に選び日々に読んで書いて、 そしてとうどう刊行の「あとがき」を書いたその日が、娘朝日子の結婚披露宴当日だった。最良のお祝い・贈り物のつもりであった、が。

* 二時半 機械部屋 23度に冷房していても、茫然とけだるい。創作的な筆は働きにくく、これはと思う資料を機械的にただ書き写すなど。和紙に木版活字 の漢文などは、機械でプリントできない、書き写すしかないが、一字の漢字を探すのに数分以上の手間がかかり、手間をかけてもATOKで見つからないことも 有る。分の中身は面白いのだが、漢文表記の時は正しく訓めているのか心もとない時もある。憂き世離れのした仕事で、我ながら呆れもするが、ま、いいじゃな いですか。
2020 8/20 225

* 『選集 33』の口絵、想いどおりに製版されてきた、いよいよ「責了」へ、「選集の完結」へと向かう。まずは再校を落ちなく進めることだが、大仕事は33巻をしめくくる「あとがき」で。
「湖の本 151」の書き継ぎは、想い想いながら、いそがず落ち着いて進める。  2020 8/21 225

* 旅はおろか、都心はおろか、駅前へも病院へも出ない日々、出任せの歌など副えて、好きな「写真」に見入って憩う。
蓮の花盛りの池は、上野の不忍池だったと思うが、もっと遙かな昔に、むかぁし、京の山科へ、いまも愛している小説『秋萩帖』のために取材散策のおり、勧 修寺(かじゅうぢ)で出会った蓮池への思いがかぶっている。平安學の泰斗で今は亡き「T博士」が電話口で「蓮の花はソーラきれいです。きれいやけど…その きれいな」とおそろしいことを云われた。蓮の盛りのその池は観てはきたが、とても怖くもあったのを、まざまざと忘れない。しかもかすかには懐かしいとすら 感じている。『秋萩帖』を懐かしく読み返してみたくなった。選集第六巻に入れてある。
2020 8/22 225

* もう十時。『選集 33』責了へ、再校をすすめていた。もうあと、細字の年譜や書誌が残っているが、先が見えてきた。これから「あとがき」を。これに肩が凝りそうだ、が。
2020 8/23 225

* あすにも「選集 33」あとがきを書き終えて、本文の責了分とともに入稿したいもの。
2020 8/24 225

* 『選集』漸く 「あとん゛き」の他は全部「責了」用意満了とみていいところまで。あとは念入りに見直すまで。
さて、最終巻「あとがき」には、さすが、例になく緊張している。昼寝の折 喧噪を極めた荒っぽい夢を、静めきってから書き起こしたい。夏はいつもだが、 体表を冒してくる正体の見えぬ虫のたぐいがワルサをしてくる。これが五月蠅くて難儀。難儀なことはとめどなく有る。生きているシルシか。
2020 8/25 225

* 最終巻の「あとがき」を、ほぼ書き終えた。明日中にも責了本紙にツキモノ入稿分を添えて印刷所へ送り返せるか、どうか。一両日を急ぐまいとも。入念な点検こそが。
『選集』として最後、33巻めになる「送り出し」の用意、760頁の大冊。数は少ないが、これが力仕事。荷造り上手の妻も疲れてしまう。
2020 8/26 225

* 疲れきって、仕事、捗らなかった。四時半になっている。ま、それでも、最終巻を締めくくる「あとがき」は電送入稿したので、あとは、本体の校 正紙760頁分を、よく点検の上、宅急便に託すべく荷造りすれば、ほぼ片づいてくれる。そこまで行けば、あとは送り出しのための挨拶や宛名書きなどを間に 合わせればよい。うまくすると九月下旬にも『選集』作業完結へ漕ぎ着けるだろう。「湖の本151」新作の仕上げに掛かれる。新しい、また別の大仕事へ、長 編小説へも取り組みたい。病気に掴まるまい。
ま、要は、夏バテ、日本中が夏バテ。おまけに冷房バテも。
グチってるよりは、寝た方がいい、好きな本の世界へ旅立つのがいい。さまざまな景色がある。
まだ八時半だが。
2020 8/27 225

* こういう時期、思いを励ますまた静めるのは何か。無くはない、いろいろ有る。判っている。

* ともあれ、というしかない、『選集 33』の全校正紙を印刷所へ送り返した。
2020 8/28 225

* ものごと、しごとを一段落とはいえ終える前、落ち着かない。なんとなくオ タオタしている自分を感じ、文字通り迷惑する。まして今度の『選集』の予定通りの無事収束は重い。終えたくないのでなく、無事に終えたい。終えたら少し寂しいで しょうと案じてくれる人もあったが、落ち着いて終えたいと思う。
再校ゲラで大丈夫、校了できますと言ってもらえるか、すこし案じている。それがパスとなれば、送り用意に宛名は手書きしなくては。妻の、近くの病院で定時の受診留守中にその要を足していた。。
2020 9/1 226

* 「選集 33」の「あとがき」を構成し確定した。送り先宛名書きも少し。今日はその程度の仕事で済ませた。読みたい本に掴まると誘惑に勝てない。

* 十時になろうとしている。
2020 9/2 226

* 朝 一番に此の欄をあけて目に入れる 「方丈」二字の美しさ確かさ厳しさに心を洗われる。どう譬えていいか、私は、時として この上ない神意の刀身に向き合う心地がして、引き締まる。
いま、と謂うよりももう久しいことだが、単純に自身のごく狭い範囲に起居して、世間のことは、テレビでの報道や見聞の他なにも知らないし、著作を読んで 下さる方々の他は、人付き合いということもほぼ耐えて無くなっている。有るとすれば、それはいつも外から来るので、自身で動くことは、達磨さんではない が、脚が無いかのように、無い。「方丈」に、ただ安居しているだけ。
ネット世間の如きとは、ごく僅かにメールを授受のほか、そして「私語」や著作を送り出す以外に何一つ無い。私の機械は文字通りの筆記具、そして私用の抽斗に過ぎない。
あの世よりあの世へ帰る「ひとやすみ」の気分が年々に、日々に、実感で実態になっている。このような「私語」も、文字通りに自分で自分に呟いている独り言に過ぎない。 2020 9/6 226

* 私が、作家として著作を世に送り出して、堅くみて51年になり、その最初から読者であって下さり今も、という方はまぎれもなく51年のお歳を加えられ ている。そんな方々の数多いわけがない、わたしもやがて満85歳になる。有難いことにむろん若い方もいて下さるが、ただ私の「書き方」が歳を加えて我が儘 な好き勝手に動乱仕がちでお気の毒に思っている。『選集』予定の完結になる第33巻の後に自身期待している著作は、ますます我が儘勝手になりそうで、おそ らく手綱は手放してしまいそう、それを実は今から楽しみにさえしている。
2020 9/6 226

* このところの私は意識して怠け、というより心身を休ませ憩わせる方へ気遣いしている、つまりは体よく怠けることで平静を維持している。この烈暑はやが ては往くだろうと待っている。「仕事」も急かないで、成り行きでよしと。『選集 33』完結本の仕上がり、そして発送などは早くて今月末になろう。送り出 しのための用意は日々に出来ていつつある。落ち着けと自身に言い聞かせている。
2020 9/8 226

* 昼食後に床で本を読みひと寝みして、暫くぶりに仕掛けの著作の前へ戻ってきた。書けてある「湖の本」にして半册分ほどを、落ち着いて読み返すところか ら再開している。この仕事の、あとへあとへ気の乗っている予約の想が少なくも二つ三っつあり気が急くのだが、それでは仕事の落ち着きを妨げるので強いても 棚に上げている。
2020 9/8 226

* 完結巻の口絵試刷りを一、二面分並べて此の目ぢかい障子前に置いた。
「帰って行く」のだなと 静かに思う。佳い口絵が出来た。
週末ないし来週初に『選集 33』の三校または念校分が届く、それを読み終えて校了に出来れば、五年ちかくを掛けた33巻の「選集」がやがて仕上がって届く。送り終えるのは十月半ばになろうか。
2020 9/8 226

* 『選集 33』は、念入りをはかつて760頁全部の「要三校」ときまっ た。読み直すだけでたいへんな労力だが、きっちりと納得できる最終巻へ、労力も時間も厭うまいと思う。秋、涼しくなって、コロナも下火になってくれない か。英気を養いに一度久々の街へも、また歯抜けの医者へも霞目の医者へも出向きたい、が。まだまだ、要心。
2020 9/9 226

* 疲れて横になれば 手の届く範囲に大小三十册ほどの本が書庫から出してある。わたし自身の近刊もおいてある、そのなかで、もうむかしむかしの力作でな く、ごく近々の書き下ろし長編につい手が出る。『オイノ・セクスアリス 或る寓話』『花方』で、その老いて出放題の語り口に我ながら惹かれて読み返し読み 耽る。そこには、老いてにじみ出る或る懐かしさが表れていて、それにふと溺れそうになる。ともに途方もないフイクションではあるが、しかも露わに吐きだし ている本音が読める、私自身にしてなおかつ。完成度に老いては昔の作には行き届いた格ができていて、それらに較べると近作はむしろ不行儀な語り口を憚りも していない、しかし、それが見に沁みている。今日も「花方」の、「或る寓話」の終わりをフムフムと楽しんだ。
2020 9/9 226

* 『選集 33』の全要三校ゲラが明日にとどくと連絡在り。しかと気を取り直して、760頁を「読み」直す。悔いのない、少ない完結をと印刷所の方でも 気を遣ってくれたのだ、感謝して、頑張ります。目は、疲れる。急かぬ仕事にしよう。送り出しの用意は、先に出来ていて、それは安心ということ。
2020 9/10 226

* ドサッと『選集 33』の三校ゲラが再校朱字分と合わせ大きな二みで届いた。これでよしと読み切ってしまう気ならそうは荷にならないだろう。
2020 9/11 226

* なんとなんと、初めて聞く国文学系の雑誌から「依頼」原稿の手紙が来て、『上田秋成』をと。〆切まで時間に余裕はあるのだが、有りすぎて、雑 誌の刊行は一年後と。これはもう老耄のきわみ、体のほうが請け合いがたい。それに、「書く」なら(秋成と限らず)小説が書きたい。『秋成八景』と予定した 「序の景」は書けている、欲しければ上げてもいいが。
2020 9/11 226

* さあ本格に『選集 33』責了へ、そして手放し、次へ、その次へ向かいたい。少なくも「山縣有朋」をあのままにはしておかない。これは何不思議の介在 もしない現実的な「歴史」もの。しかし、わたしは相変わらず、超現実の不思議を創作的に体験したい気でもいる。そういう世界をいつもまさぐるように引き寄 せようとしている。「現実」はいつも奇態に痩せている。やせこけて乾涸らびている。その痩せや乾涸らびに直面して書き写すのが「文学」と心得ていた人たち の時代があった、よく知っている。そのアトを追いたいとは思わないだけ。
2020 9/12 226

* テニスの大坂なおみ選手が黒人差別・黒人殺しへの非難をこめたパフォーマンスは立派だったし、この立派は彼女によりことあるつど断然続けられるだろう。感謝もし期待もする。
もう三十年も前のはなしだが、わたしは、人に知られず東京新聞の「大波小波」欄に実は何年間もをかけて一筆啓上の匿名批評を寄稿し続けていた。「湖の 本」にして一冊半もの、一回せいぜい一枚足らずの「批評」は書くに値する夜半タクシとしては宜しき文藝であったが、その中で、一度ならず、優れて人気に満 ちあふれたスポーツ選手や俳優たちが、何かの際の挨拶に添えて、時事問題の哀しさや情けなさや「不当」にふれて一言でもいい「批評ないし批判・遺憾」の言 葉を添えてくれたならどんなにいいだろうと歎いていた。
今回の大坂なおみ選集のパフォーマンスや厳命は正しく私の三十年も前からの願いにきっちり嵌るものだった。社会党が勝ってしまえば、もう「プロ野球は出 来なくなるんでしょうか」とインタビューで口走ったバカらしい名選手もいたが、それとくらべると大坂選手のインテリジェンスの見事さは拍手と感謝とに値す る。「ありがとう」と言う。 2020 9/13 226

* まくら元の手の届く小棚へ、上田秋成に 関する研究書や、『秋成遺文』等々の十册足らずを昨夜は夜更けまで次々に読んでいた。当代一の研究者にじかに確かめても「それは、判りません、論文も無い です」と言われてしまう「或る一事」に久しく眷戀の思いでいるのだが、なんとかして暗闇から掴みだしたい。「遺文」を読み尽くすのも大事だが、有名すぎる 雨月や春雨物語でなく、久しく私自身放置していた初期秋成の浮世草子を無心に愛読する中から何か手に触れてくる素地や措辞が見えてこないかと願っている。
2020 9/13 226

* とにかくも、『選集 33』の「責了」へ、視力を駆使し続けている。

* 少しずつ、少しずつ、少しずつ。

* 八時過ぎ。もう、霞んだ目に字が読めない。
2020 9/13 226

*  独りの目で校正していると、回をかさねてもポロリっと誤記誤植を見付けてしまい、降参する。目も神経も頭も疲れる。けれど、これはヤメラレない作業。 ま、察して読み取って下さいと言いたいところだが、それはならない、すくなくも約束事のようにならない。で、まだまだ『選集 33』三校は半途にある。休 めない。
2020 9/14 226

* 760頁の大冊の「三校」は、後半分を先に読み終え、前半へ移動している。手放せない。送りの宛名はほぼ書き終えた。もう少々の前用意も残り無くし終えておいて「全責了」へ運びたい。慌てても仕方ない、本の仕上がりは十月半ばで出来ればよい方か。
今回ばかりは「湖の本 151」創作が丁度半途でお休みしている。慌てまい。
2020 9/15 226

* 映画『女の園』を、かなり感じ入って観た、観るのは、ごく若い学生時代の初上映のころ以来三度めぐらいか、かつてはてんで失笑ものと思っていたと思 う、が、こう老々になって見直して、なかなかのものと見直した。「時代」と、「女子大」や全寮制なるものは確かに捉えられていた。出演の女優達が、女子大 生としてはトウは立っていたが、主演の高峰秀子、高峰三枝子はじめ、久我美子も岸恵子も、みなみな余りに懐かしい顔であった。こういう映画が創られていて 当然で必然であった「時代」の顔もよく見えた。この「女の園」とは、太閤坦にある京都女子大(私はそこの京都幼稚園に通ったし、女子大同窓会百年記念に講 演を頼まれたこともある。)と聞いていて、事実かどうかは知らないが、京都にある女子大らしいとは映画でも理會できた。女子高も女子中もあり、小学校や中 学のの女友達の何人もが入学していたし、かなり身近に実感しやすい学校だった。京都では、同志社か京女かと評判されていた。そういう懐かしさにはたいして 添わない映画であったけれど、女優大勢の表情も声音もみな懐かしかった。
映画という創作の良さも面白さも再認識できた。ああ遠い昔になったなあとも、しみじみ思えた。

* ここらで白状しておいていいかも知れない、長編『ある寓話』の終始の語り手「東作」は、久慈子爵家の庶子であり、異母姉である子爵家の娘・久慈芳江 (はるえ)は、実在の久我侯爵家実子であると聞いていた女優久我美子に「宛て」てある。実名は「はる子」、女優としては「よし子」だったとも聞いていて、 わたしは女優久我美子がむかぁしから好きであった。映画『女の園』では久我美子の役は、もと華族の令嬢でもあった。はじめてこの映画を観たころは、そんな ことは何も識らなかったが。
2020 9/16 226

☆ 阿部(周吉=私の生母方祖父)さんの(=裔の)
(現東近江市=)能登川の家は、20年ほど前に売却されましたので、今は別の建物が立っています。
よくわかりませんが、詳しく知っている方は、(もう)おられないと思います。
少し過ごしやすくなってきましたが、どうぞご自愛ください。  滋賀・大津  芳

* 祖父周吉は、東海道の宿駅「水口」宿の本陣鵜飼に生まれ、能登川の阿部家に養子として入り、三女をなし、私の生母はその第三女であった。長女に養嗣子 が入り、次女伊勢伊賀の方の休暇に嫁ぎ、私の母同じ能登川の隣家に嫁し、長女と三人の男子をなして夫と死別、彦根に移り住んで、彦根高商などの学生を下宿 させるうち、若い學生吉岡恒との間に恋愛が生じて京都市へ奔り、兄恒彦と私恒平とを西院で生んだと戸籍には出ている。その後、京都府視学に任じていたらし い教育畑父方祖父らの強力な介入で実父母は生木を裂かれ、私の戸籍原本は、私の独り名で新立造籍されていて、同父母兄である恒彦とは「全く」切り離されて ある。兄の場合も同じであったろう。
私にはそんなことは何でもなく、どんな意味ももはやないのだが、能登川の阿部家がどう四散して仕舞ったかは時折気にして、今度も母の長女、私には異父姉 の子息である「芳」さんに聞いてみたのだった。近江商人の家であったろう母方の阿部家に入った水口本陣出の祖父周吉側も大きな一族で、幾らもの「ものがた り」があったらしいが、これも追跡のしようもなく湮滅に均しくなっている。

* 祖父周吉は水口宿に成人のころ、文人として知られた藩士巌谷小六に可愛がられ、そばでよく墨擦り役などしたとか、巌谷小六の子息が作家巌谷小波、そのあとが批評家巌谷大四さん、御縁が深い。
私の手もとには、祖父周吉自筆、長軸の詩文が伝わっている。一、二近江商人を語っている文筆ものこっている。この父周吉を熱愛し崇敬した私達の生母ふく は、当時浪々の身のまま水口本陣跡に父の面影を尋ね歩いたり、「阿部鏡」の筆名で放浪記風の歌文集「わが旅 大和路のうた」を、もう死ぬ間際に出版してい る。この母との接触を永く永く頑なに拒みつづけた私にも、「生きたかりしに」と辞世一首とともに、「恒平さん」に「遺書」の色紙に一首
話したき夜は目をつむり呼びたまへ
羽音ゆるく肩によらなむ
と、遺していった。その後に私が作家になり、兄北澤恒彦も文筆の人となり、それぞれの長男が、揃って作家・評論家に、また小説家・劇作演出家・映画作家になっている、そうそう、兄恒彦の長女もいい文章で本も出している、の を知れば、亡き母、どんなに悦んだことかと思う。『生きたかりしに』との母生涯のの呻きは、私の長編作に「表題」として遺した。今朝メールをもらった大津 の「芳」さんの母、私生母の長女、私の姉も、懐かしい歌風でよく歌を詠み、佳い手紙を沢山呉れた。この姉千代が、母の歌一首の立派な歌碑を能登川町内に建 ておいてくれた。
此の路やかの道なりし草笛を吹きて子犬と戯れしみち
書は、母の次姉の筆と聞いている。その歌碑の前で建日子と列んで写真が撮ってある。

* 何故 今朝こんな思い出はなしがしたくなったのか。昔、詩人の林富士馬さんのインタビューをうけたとき、「ああ、小説家になるしかなかった人だね、あなたは」と言われたのを思い出す。
2020 9/18 226

* どうしても校正せずに「責了」にできず、それ無くて別の根気仕事へ組み付けない。あと、150頁は読まねば。
気の入れどころ、シンドイけれども。
2020 9/19 226

* さ、もう一息で「責了」へ手が届く。此処までこらえて来たのだ、慎重に、しかと送り出したい。
2020 9/21 226

* 書庫から、ついに明治三十九年刊の『日用百科寶典』を持ち出してきた。むしろ今では『<明治>百科寶典』と呼んで至当だろう、日露戦争の翌年の刊行 で、「大正」の「た」の字も無縁な「明治」だけのほぼ一切を「一○八一頁」につめこんである。さしさわりというのだろうか、『國體及び皇室』だけは、「各 國の國旗」「各国々旗の解」「各國政体及び帝王大統領」「各國国主権者歳費」まで取り上げてあり、『歴史』という大項目もあるが、各界の人名等は、他部門 の詳細稠密に比して「無い」のが面白い。多般に渉って惘れるほど詳細に項目が上がっていて、実にこの大冊は字を覚え始めた幼稚園まえから丹波へ戦時疎開す る国民学校四年生までの、文字通り何にもねましての私の知識の寶庫だった。久し振りも久し振り、よく遺して置いたなあと思う大冊を書庫から持ち出してき て、手ばなせないほど、フンフン、ハーハーと面白い。
むろんこれも畑の祖父「鶴吉」お祖父さんの誰にでもない私独りへの貴重この上ない「遺産」であった。明治三十七八年に日露戦争、明治二十七八年に日清戦 争があり、戦歴の詳細も読み取れる。かと思うと、生まれて初めて「歩す」を「孺」 七歳を「惇」 十五歳以上を「童」 二十歳を「弱」 三十歳を「壮」  四十歳を「強」 等々と教わると、童子とか弱冠とか壮士とか屈強とかまで分かるようで面白かった。こんな面白がり方で合点し記憶し知識した無数が、この一 冊に満載されていたのだから、いかに私をひきつけてやまなかったか、日本列島の地理知名も、山川の名も、数量の称呼も、「養子縁組届」の書きかたも、男女 のからだの子細もみな此の本で覚えたの。「日用」といわぬまでもまさに『百科寶典』であった、世界事情もかなり教えてくれた。

* この一冊、次なる創作のためには大いに役立つだろうと、書庫の棚をかきさがして見付けてきた。これも「一と仕事」と謂えた。
2020 9/21 226

* 「選集 33」 漸く「責了」へまで運んだ。これて゜「おしまい」とは思っていない。
しかし、昨日の自転車操作の顛倒のような、今々階段での、全身の硬直と不自由のようなことが続くと。不慮の致命も避けられなくなる。
2020 9/22 226

* すーうッと目の裏から潰れそうに、気力も体力も沈んで行く。よほど宜しくない。意気軒昂でありたいのに。後頭部が凝っている。目ははんぶん塞がっている。
それでも、とうとう『選集 33』全責了の荷造りまでした。明日、送り返す。これで最終の送り出し用意と、いよいよ「選集 151」の気を入れた書き下 ろしに掛かれる。作家生活「五十年」の『秦 恒平選集』三十三巻出版という仕事は、きつくこそあったが、持ち堪え成し得られ、無事に仕上がりそうなのは、さらにさらに明日へ繋ぐ意味でもいいことだっ た。
2020 9/22 226

 

* 最終「選集 33」全紙 責了便を托してきた。前例になく長い長い校正道であった。完全無欠という自信は持てないけれども。ま、大きな一息をついた。数は「湖の本」よりはるかに少ないが、760頁の上製の函に入り、発送荷造りの手仕事はラクであるまい。慌て急ぐまい。
それよりもなお半途にある次の「湖の本 151」書き下ろしに気を入れねば。これで、平常の道へ戻れるわけ。『選集』には、創刊から、ほぼ六年半掛けた ことになる。「湖の本」も出し続けながら、よく遣ってこれた。しんどさより、励みと楽しさが先行してくれたのだと思う。仕事量そして体力、気力とも、いい タイミングであったのだろう。
2020 9/23 226

* 「湖の本 151」へ、また手を掛け始めた。かなり思い切った仕事であり趣意なので気は張るが、興は乗っている。
八時前。もう、目がいかれている。やすむ。『選集』がいつごろ仕上がってくるのか、ラクに送れる嵩でない。気に掛けていると息がつまる。
2020 9/24 226

* 機械の向うには心に触れてくる本や便利な和洋の辞典などをすぐ手に取れるように並べて ある。本は和綴じの和本の唐詩選や三体千字文、また柳北全集など置いているが、堅い本では『王朝日記随筆集』そして摂政藤原兼実の厖大な日記『玉葉』と、 前の京博館長興膳宏さんに戴いた、「定本漱石全集」中の第十八巻『漢詩文』一冊を いつも眺め、時に頁を繰っている。漱石本には有難いお手紙も添ってお り、巻頭第一首は漱石二十歳代の作。俳優座で劇化上演した『心 わが愛』で、「先生」と「K」との旅の懐かしい一場面を彷彿させる。

☆ 冠省
いつもご高著の恵賜を辱くし、厚くお礼申し上げます、お返しといえるほどのものではありませんが、お納め下さいますよう。
二○一八・十一月   興膳宏拝
秦 恒平様

☆ 鴻臺二首の其一
鴻臺冒曉訪禅扉 孤磬沈沈斷續微 一叩一推人不答 驚鴉撩亂掠門飛

* 座右になにものをも置かないという境涯もある。なつかしい知友の多くが他界された今は、寂しさを私は座右いろいろの賑わいに慰めている。
2020 9/26 226

* 九時半。難しいところを刃を踏むように渉っている、少しずつすこしずつ先へ、と思いつつまた後戻りもしながら、すこしずつ。目がもう見えない。
2020 9/26 226

* 郵便投票というややこしいほうしきを取り込んでの、十一月に逼った米大統領選挙は、世界史にも黒い禍根となって残りかねない醜い混乱に終始するので は。他国のことながら悪い結果は、汚泥のように我が国をも襲うだろう。トランブだけではないのだ、アメリカという國が発狂していると見えている。
もう、日本の頼みがたい政治経済にも、縺れ合う世界事情の不愉快にも、画然 目を背けて私の晩年を締めくくりたい気がしてならぬ。と、言いつつ私の次回作は久しい私の読者に目を剥かせかねぬ方角へ歩を運んでいる。
2020 9/29 226

* 昨日 書庫からもちだした昔むかしの「文藝春秋」一冊の長い長い「特集」記事を深夜まで克明に読み通し、たいそう有難い収穫で興奮もし、寝そ びれて、かはたれの朝五時にひとり床を出て、猫の「ま・あ」にも気づかれず、二階へ来た。で、すぐ原稿を書き継ぎたいところ、やはりいささかボンヤリして いる。はれならと、もう一冊持ち出しておいた箱入り本から関心の知識を汲んでおこうと読んでいた。これは深夜に熟読してたよりは深妙に難しい資料でなく、 持ち合わせの予備知識でかなりを補い読み進めておれた。命に代えても断然復活は阻止するぞと決めてきた階級的特権族、乃ち明治二年六月十九日新制定の『華 族』を、あらためて追尋・追究・再確認しておきたかった。
明治維新が制度化した「華族」と伝統の歴史が謂う「華族」とは、ちがうといえばハッキリ違う。伝統の「華族」とは公家社会で最高級の「五摂家」に次ぐ「清華家」なる公家の家格をさし示した「別称」であった。
明治政府はそんな久しい慣習など忘れたかのように、旧公家と旧武家藩主層とをひっくるめて「華族」にしてしまい、公爵 侯爵 伯爵 子爵 男爵の五階位 を区別したのだった。孰れにし。ても庶民である「士族」「平民」からは隔絶して上にある「身分」の謂い・称呼がつまり「華族」となって、さらにそこへ、明 治御一新に功績有った士族らにも爵位を与えだした、それが「新華族」という存在であった。さんな身分制度が、昭和の敗戦までつづいて、そして撤廃された。 戦争に負けてよかった最良の華族制廃止であった、二度とそんなものを復活させては成らぬ。

* ゆらゆらふらふら揺れながら、五時起きの身で、「湖の本」次回初稿の中ほどをしかと太らせ得たと思う。もう十時だ。
2020 10/1 227

* 心がけてきた執筆の、半ばは繰り返し読んで、まず納得した。サマ変わりの後半へも相当量を下書きしてきた、気を入れて書き進めたい。
2020 10/2 227

* トランプのコロナ感染。フーンと思うだけ。それよは書きかけて半ばを超えようとしている創作へ沈潜したい、『選集 33』が出来上がってくるのを待ちながら。

☆ いつも
大変お世話になっております。
『シグナレス』新刊をおくらせていただきます。
朝夕 かなり涼しくなってきました。くれぐれも おからだ 御自愛ください。
『シグナレス』 森

* 田中絹代監督の映画などを語って、いろいろと興味ある「シグナレス」新刊に添えて京の佳い和菓子まで戴いた。恐縮、そして感謝。
『オイノ・セクスアリス  或る寓話』のために下鳥羽、桂・鴨合流地点を探訪のいい写真を送って戴いた。これあって、踏み込んでふの長編最期の幻想場面をこころ懐かしく描ききることができた。感謝しきれない。
もうすぐにも 『選集 33』をお届けしましょう。   秦 恒平

* 作の後半へ、手さぐりながら確実に筆は伸びてきている。慌てまい。

* 「選集」最終巻がいつ出来てくるかはまだ連絡がない。奥付の日付をだいぶ遅めにしておいたからか。連絡があるだろうが。
2020 10/3 227

* 仕掛けの「湖の本 151」後半で、難しいが越えねば済まない隘路へ踏み込んでいった。十時を過ぎた行く。階下で、目をやすめながら、読んで確かめ考えたいことが、幾つか。
2020 10/4 227

* 今日は惘れたことに午前午後に二時間ずつ三度も寝入り、晩には『チャタレイ夫人の恋人』完訳版を、たいそうにいえば、こころ籠めて読み耽っていた。わ たしは処女作このかた「性」を大事に考え描写や表現にも心を用い続けてきた。「性」に真向かわない、真向き合えない作家をわたしは信用しない。
2020 10/6 227

* 午後も夕食後も、もう十時過ぎて、随分時も覚えず「濹上隠士」と向き会い続けていた。こころもち冷え冷えもしてきたらしい、風邪をひくまい。瞼はもう、腫れあがった感じ。
2020 10/7 227

* 正午過ぎた。稿を継いで、継いで、意図の表現へじりじり迫ろうと。出来れば『選集』最終巻の送り出し前に収束を見越したい。
2020 10/8 227

* また一人、また一人、肅然 生死の巷に見失った知友があり、どう焦っても手の施しようがない。そんなまた一人に自身も加わって行くのであろう、それま た為すすべ無い。仕事をする、し続けるだけ。この数日は颱風のなか降り次ぐ雨と予報されている。天気は天にゆだね、わたしは機嫌を損ぜず仕事するだけ。
昨夜は、いつになく、愉快に心嬉しい夢を観つづけていた、のに、もう思い出せない。かき消すという、まさに夢はかき消すように失せる。だから、いいので あろう。しつこく記憶に居坐られては叶わない。とはいえ、身に沁みて忘れるのの惜しい夢も、愉快な夢もある。有るには有る。

* 亡き出岡実さんの「持幡童子」の写真を久し振りに持ち出した。展覧会の場で即買い取った気に入りの作だった、胃全摘八時間の手術をして下さった聖路加 病院外科の先生にお礼に差し上げた。出岡さんは同じ保谷に住まわれていて、中日新聞文化部長の林さんに紹介された。『四度の瀧』や中公新書『古典愛読』ほ かいろいろの装幀や挿絵でお世話になった。もうはるばると遠くへ行ってしまわれたが、こうして強い佳い繪に見入っていると、何かしら守られているような励 まされるような力を感じる。好きな繪を三つならべ、「うん」と肯いている。

* 今日も、書きながらの勉強日、勉強しながら書いて行く日だった、勉強とは、調べて読んで書き控える。芯から疲れるが、仕事している間は感じていない、そして、知らぬうち時間が過ぎている。
2020 10/8 227

* とにかくも、じりじりと「書き仕事」を先へ運びたい。運びつづけている。が、もう八時、参考の細字がとても読み取れない。
秋色光る「三四郎の池」に見入って、「方丈」二字には瞑目し、そして今日の機械を、とじる。
2020 10/9 227

* 部屋の明るいブルーライトと機械の同じそれとで眸が灼かれるとは早くから感じながら手立て無かったが、古い昔の電球で造作して、部屋は暗くなっても画 面とキイへじかに届く光線を替えてみた。ま、あたまの芯が疲れていては処置無いかも知れぬが。身辺とっぷりと、深夜かのようそんな中で明治八年の「讒謗 律」「新聞紙条例」に向き合っている。気の重さよ。
2020 10/10 227

* 原稿を幾重にも書いてファイルを分けていると、見通しを付けて一つに纏めるのに、テンヤワンヤする。参る。
2020 10/12 227

 

* 『選集 33』の納品日が決まった、今月下旬には送り終え、「完」と成ろう。創作が二十巻、論攷・批評・エッセイ等で十三巻。一万八千頁ほどか、ま、恰好の総量。しかも「全集」でない、「選集」である。
その前にも半ばを過ぎている「湖の本 151」の書き下ろしに励む。生き残っているのだ、彼や彼女らのためにも生き努めねばと思う。この冬至には満八十五歳。もっともっと長命の人たちも昨今珍しくはないのだもの。
いわゆる「刷りだし(一部抜き)」も届いた。
2020 10/13 227

 

* 書き下ろし「湖の本 151」の前半を或る程度まで堅めた。ここは置いて後半へ専念していいかと。後半の半分ほどは書き進んでいる。書くというのは機 械的な労作でなく、主題や人物との力角力で、いつ、引っかけられるか、肩すかしや足くせを食うか、押し出されるか、油断ならない。だから食いついて行く。 しかも要は「人間」との出逢いである。

☆ 父からは、熟慮の結果一旦決断したことはゆるぎなく守り通すこと。いつ緊張し、いつ緊張を弛めるべきかを経験によって知ること。倦怠もしなければ夢 中になりもせずに友人を持ちつづけること。悲劇的なポーズになしに、細小のことに到るまであらかじめ用意しておくことを学んだ。 マルクス・アウレリアス
2020 10/13 227

* めまいを感じ、MRI検査を受けた。脳、至って健康でしたと、「お忙氏(女性)」のメールあり。
まだまだ 「脱水と熱中」とには、厳重の要心を。「めまい と 軽い頭痛 そして 異様な吐き気」とは顕著な前駆症状。妻も、何度か、「しつこい眩暈」 と「かるい頭痛」を訴え、そのつど、大量のお茶やオレンジジュースで回復してきた。私も、この夏、秋になってからも、一度二度、機械の前で、アレッと思っ た。私は少年來 親も惘れる「茶喰らい」が習いで。それでもあの大きな術後、退院して、「脱水」とは知らず、手洗いで、吐き続けたきつい思い出がある。

* それはそれ。
それより何より、「書き下ろし」中の、前半を括る段階までで、「たいへんなこと」を書いてきたよ、我ながら「ヤバイぞ」と手を揉んでいる。必然、居直る気でいるが。
ま、時間もかけ目も手も費やし、前半にカタチはついた。よほど先までもう書けてある後半の仕事へ、やや早足で、どんどんと云いたいが、それは叶うまい。 のめりこむ相手は、二十歳前からすでに徳川将軍家に和漢の読み書きを職掌として訓えてたような、漢字まみれの「サムライ」なので。けれども好色は無比、つ いて歩くと途方もない遊所へ案内してもくれる。

* 建日子に、すこし気がかりもある 書き下ろし分 前半だけを読んで意見を聴きたかったが。

☆ メール頂きました。
一気に一日で、みたいなスピードでは読めないかと思いますが、メールで送っていただければなるべく早く読みたいと思います。

ので、このアドレスにそのまま送ってください。

なお、一太郎データでは読めないので、テキストかwordデータかPDFでお願いします。 建日子

* 建日子に
ウーン残念 一太郎のほかは  使ったことなく 使い方 分からないので。
仕上がってから読んでください。 ごめん。
トーサンも カーサンも ときおり咳をしてます。熱はありません。
気温のきつい変化に上手についてゆかないと、 と要心しています。 「マ・ア」のおかげで タイクツせず 楽しめています。

日々大事にして下さい。
ときどき いい映画の板をもち出し観ていると コレ、建日子といっしょに観たかったなと思います。

元気で、怪我なく そして 心ゆく仕事を積んでいって下さい。  父
2020 10/14 227

* 父ローマ皇帝からは、神々に対しては迷信を懐かず、人に対しては人気を博そうとせず、きげんをとろうとも媚びようともせず、卑俗に堕さず、新奇をてらいもしなかった ことを学んだ。
大部分の人間が節するには弱すぎ、享楽するには耽溺しすぎることを 父は 節しまた楽しめた。不屈の魂をもった人間のそれは特徴だ。 マルクス・アウレリウス

* かかる往古も往古の聖者が自省の弁んら、いま二千歳数万里を遠のいた日本国の幕末と明治初をわたくしは、オモロイはまことに面白い著述を延々漢文で訓 み解き書き写しているのだから、なんというヒマ仁かとだれより私自身が惘れているが、藪しらず八幡の藪に踏み込んでしまったのだか、することをし終えない と脱出できない。せめてはこの苦心惨憺が酬われてくれるといいのだが。
二編ある一編30頁の6頁ほどを平文にするだけで何日を要したろう、今日も草臥れて倚子のまま機械の前で居眠りしていた。ああ寝てしまってるなと二度ほど気づき掛けたが、そのまま暗闇にいた。
もしそれ全部が読みやすい今日日常の言葉に訳されていたら面白さに手放すまいが、堪えて口訳のの任に誰も就かず本になる時は漢文のままなのは、ま、原著 者の学殖ただならず漢字漢語の多彩に豊沃に過ぎて、大字典が手放せない。しかも、少なくも私は引きつけられた。やれやれ。
2020 10/17 227

* 上野樹里の「朝顔」再放送を久し振り懐かしく観た。実にサッパリとして情もありセリフも佳い、好きな女優さんの、娘に欲しいランクの高い一人である。
今は、デッカイ男らと格闘中だけれど、また、老少となく女人が書きたい。澄んだ水に顔をつけて、わたしの記憶の池を泳ぎ回っているどんな人らに 手をさしのべようか。 2020 10/17 227

* 明朝、結びの『選集 33』が出来てくる。数日は何かとこれに携わるだろう。これを終えると少し体力的に余裕が持てるかも。「湖の本 151」書き下ろし入稿にかなり専一できる。
無事選集の作業をし終え、一息つきたい。
好きな、ミシェル・ファイファーの映画をパスして機械の前へ戻ってきたが。
ジャズの「風のささやき」に、少しく茫ッとしている。

* 四時過ぎ、まずよしという所まで文章が続いた。眼が、もう精一杯なので、明日作業にも備えて、入浴する。

* 九時半になる。懸命に文章の先を追い続けては戻って直しまた進んでは読み直していた。
数日は、760頁もの『選集』中仕舞いの巻、荷造りと送り出しとに取り組む。
2020 10/19 227

* いわば「帰樵」の 『選集 結33巻』 出来て届いた。前巻1.5倍の分厚さになったが、まずは予期の通りに無事仕上がったのを自祝したい。いつも妻を患わす貳作りと郵送作業は、一冊一冊の嵩高さからも従来の二倍の手間と時間がかかるだろうが、急ぐ必要、何もない。
創刊は平成二十六年(二○一四)四月五日だった。六年半で、大冊33巻を(同期間に重ねて「湖の本」も丁度30巻刊行している。)編輯、夫婦ですべて刊行完結したのは、ま、玄人の編集者の思いにも、よう頑張ったなあと思う。すこし、呆れもする。
ま、まだまだ、これからです、と思いたい。

* いま、キイを敲いていて、右頸横が針を刺して捻られたように三秒ほど痛かった。是までにも間隔は明いているが数度経験している。
出来上がりの分厚い本が三冊一包みで届いてくる。玄関に積んだそれを一度に三包み抱いてキッチンへ運び、捺印した本を今度は十册抱きかかえて、茶の間での荷造りのために運ぶ。腕力疲れで痛むのかと。
荷造りは、不器用な私には出来ない。荷造りの方が疲れるだろうなと思う。急がなくていい。無事に、大きな一仕事が済めばよい。わたしは、今、ひと休み中。
2020 10/20 227

* 六時半。前かがみの腰が折れそうに痛い。やすまないと、明日に堪える。疲れて、睡いほど。寝てもいいが、仕事のために、また楽しみのために 読まねば 読みたい本がある。読みながら寝入ってしまうなら、それもヨシと。

* 書き継いできた原稿のある際わから丁寧に読み返し、二時間ほど手を入れていた。機械を離れる。
2020 10/20 227

* 九時。よく寝た。肩の張りがラクになっている。もう今夜は、作業しない。寝入れそうなら、寝たい。明日には、送り作業を終え、新作「書き下ろし」の姿勢に就きたい。力仕事は、もう少し。もう少し。それで『秦 恒平選集』全33巻の仕事は、ともあれ、打ち上げ。残るは、最後の「製作費支払い」だけ。
2020 10/22 227

* 九十五歳の色川大吉先生気概の新大作『不知火海民衆史』上(論説編)下巻(聞き書き編)を頂戴した。読むにしたがい進むにつれて、本の帯に謂う「畢生の大作」「渾身の大著」を裏切らない。畢生どころか、まだまだ井川先生、先があられる。私も一回り若く、気丈に別の道から、ついて行きたい。
私は、根が、山よりも海へ惹かれるタチ、それは「清経入水」「みごもりの湖」等から「四度の瀧」「花方」等へ眺めて歴然としている、が、まだ九州の海へは意識が遠かった。新しい世界が見えてくるかも。
2020 10/25 227

* ちかごろの若い人らの口にしている「ほっこり」とはちがっていそうな気がするが、さすがに大きなコトを終えた実感に京ことばふうに「ほっこり」している。もう一両日できちっと卒業したい。

* けじめに、最終巻に副えた「あとがき」を記録しておく。

* 『秦恒平選集』 全三十三巻の完結に添えて

完結最終巻の口繪に菱田春草の名品『歸樵』の左半を心して拝借した。一日の山仕事を終え、夕焼けに染まって今しも山を下り帰路にある「樵夫婦」の二人連れに生涯の感懐を托した。
筆名菅原万佐で私が「私家版本」最初の一冊に「まえがき」を書いたのはのは「昭和三十九年(一九六四)八月二十日」だった。日々、葱は一筋買い大根は半 分に切ってもらって買う暮らしだったが、妻は一言の否やもなく、繪を描いて、四度に及んだ私の私家本を飾ってくれた。ただ一人の最初の読者であった。作家 になった「秦恒平」の単行著作は、以来百冊を越えている。
フリーランスの思いで『秦恒平・湖(うみ)の本』を「創刊」したのが、「昭和六十一年(一九八六)六月十九日」だった。今年令和二年(二〇二〇)六月、 同じ記念の桜桃忌には、通算して「百五十巻」を出し終えた。毎度毎度の読者や謹呈先へ、妻は、一度も欠かさず荷造りと発送に励んでくれた。
そして今しも予定通りに「完結」する『秦恒平選集』の「創刊」第一巻に「あとがき」を書いたのが平成二十六年(二〇一四)三月十四日、妻と結婚届をして満五十五年目だった。
『選集』の制作を提案し希望したのも妻であった。「湖の本」だけでは作品が惜しいと云ってくれた。久しい知己の井口哲郎さんに立派な題字も戴き、『全三十 三巻』を以て、思いがけないコロナ禍の最中ながら刊行を了える日が近づいた。思い新たに妻・迪子に「ありがとう」と言う。私は「作品」を創り、妻は「作 家・秦恒平」を創った。われらが「歸樵」の降り路は、いま幸い穏和に夕焼けている。つつがなく家に帰れば、また新たな励みの「明日の朝」があるだろう。背 に負うだけの樵荷ではあれ、それはそれ、と口癖のまま二人して老いの坂を往き来の日々を、また、感謝して受け容れようと思う。

さて、先立っての三十二巻分には、殆どを創作や、論攷・批評、随筆、講演・対談等々で満たした。此の最終巻では、取り分けて秦恒平の「私」自身にいろいろに語らせている。
和尚と呼ばれた『バグワン・シュリ・ラジニーシ』との出逢いは、ソクラテスや仏陀や老子やイエスとのそれに同じい、言う言葉もないほどの「運命」であっ た。「死の間近で」ごく素直に述懐すべきを私も述懐している、どう是非されても仕方ない、この出逢いを心より徳として老境の坂道を私は歩んできた。歩んで これた。有難かった。
よほど片寄ってはいるが、少年来、「読み・書き・読書」を私は何より好んで、好みを慈しむほど身に負うたまま八十五年を生きてこれた。「濯鱗清流」の気持ちで、文藝に勤しむ日々を、好むままに満喫してきた。その片端を書き留めておいた。
同じ好みはいわゆる「歴史」へも向き、それは「今日只今」へ.なおざりに出来ない批評や感傷と表裏していた。流雲の月を吐くように自身を問い世間へも問 うてきた、いろんな言葉、かずかずの言葉で。パソコンのホームページの一部に「闇に言い置く 私語の刻」と呼んで日々欠かさない日録を根拠に、もう二十余 年「自と他」の視野・視界を私は「批評」し続けてきた。彪大な書き置きからのそんな一部を抽き出してみた。
生きるとは、日々に暮らすとは、つまりは「批評」し「選別」しているのではと想っていた時期があり、無私無心のバグワンふう禅寂には程遠いと恥じもしな がら、「東京新聞夕刊」で人気の『大波小波』欄に、文字どおり書きに書いていた時期がずいぶん長かった。優れた寄稿者にも富んだろう歴史のあるこの欄に、 私ほど回数多く方面も博く『一筆啓上』し続けた書き手は他に一人もなかったのではと、一気に公開しずいぶん知友からも驚かれた。新刊本をただ生ぬるく評判 して済む『大波小波』じゃあるまいしと、視野を、日々日本や世界の現実に拡げて書いた。便利が売り物の「機械」や「ネット世間」が、幼少年から成人もの精 神環境をあまりにやすやすと汚濁に沈めて行くのを、早くから、むろん今も、私は案じ続けている。
「秦数授(はたサン)の自問自答」はまさしく「自白」であり由来は瞭然、まことに書き難い答え難いサマザマを東工大の学生諸君に強い続けてた昔を、「秦教授(はたサン)」 なりの償いでケリを付けておかねばと。それにしても学部の、院の、千人もの学生諸君、三万枚、なんと気を入れて書いてくれたことか。一人として巫山戯な かった。わたしもよほど真正直に書きました。あえて一間付け加えようか、「文学の秘鍵は?」即答「女」。ご機嫌を損ぜず、嗤ってやって下さい。
締め括りはこれも「問われて」顧みた「平成の三十年」。間違いなく「不安の温存」の三十年だった。いまなお汚泥に似て機能しない政治の「アべノリスク」や「コロナ禍」に明け暮れての「令和」の開幕。夏目漱石が健在なら「アブナイ、アブナイ」と、また叱るだろう。
「作家」としての活動にほぼ限った『自筆年譜』の続きも単行著書の『全書誌』も、五十余年になる「作家生活」の「前三分の一」ほどを、ともあれ心覚えに具体的に証したまで。

* 以上
2020 10/28 227

* ハタと参っている、機械に斯く言葉を写せるが、今がいま読まねばならぬ古書の読み取りが難、書き写すのはほとんど不可能に近くなっている。年齢と不用 心とのしからシムる必然には勝てそうにない。そういう時が、折りよからんと身に迫ってきたということ。おそらく、漢文やカタカナ交じりや難漢字の読み取り は容易でなく不可に成ろうかと。
ま、成るままに成してゆくしかない。認知力も日に日に落ちていくと思われる。ワァイと、遊びに出かけたくなる。敢えて出るなら、西行の新幹線に乗りたいが。
2020 10/29 227

 

* 「羅浮」の二字、初見と思われないのに、手近な大小の辞典、佛教語大辞典にも見当たらない。うすうす感じ取れている気もするのだが明快な解説に出会え ない。でたらめを書く人でない、家代々が徳川将軍家の家庭教師のような、それもこの人は二十歳前からさよう将軍の「侍講・侍讀」をつとめたような此の道の 俊秀なので、識りたいなと。我が家にはなお書庫に秦の祖父が残してくれた大きな故事成語辞典や平凡社の出田興生さんが背負って会社まで運んで呉れた「超」 重い二册上下の「大辞典」がある。何十册の事典を二冊に縮册した凄いものである。
目がいけなくて、事典を読むのもたいへんなこと。どうあっても識れないときは、漢学者の興膳宏さんに手紙で教えて頂く。

* エイヤっと白川静博士の『字統』で「羅」を見た。「羅」そのものは知れたように「うすぎぬ」「あみ」などと分かりよかった、そのうしろに、バッチリ 「羅浮」があり、「南海」の、夢想・幻想の「神山」と。ああそうかと合点ははやかった。初見の二字ではなかったから。今回の出会いでも、なるほどと納得も 想像も利いた。よかった。
言葉は、熟語は、よく識っていたい。だから嵩は高いし重いし場所はとるが、完備した大辞典・大事典、字解の類は仕事の必需品として手放さない。読み物はんりに処分しても、この手の書籍は手放さない。
2020 10/29 227

* 書きさし書き下ろしの新しい一編、目が見えなくなって、動きにくく。思い切った別趣向で吶喊するかと思案している。材料は多彩に豊富なのだが、今日の 読者に生まなまま呈供して味わって頂くにはかなり手強い。そこをどう打ち抜きに走れるか。もう『選集』作業は一切終えているので焦燥なく取り組めばいい。
2020 10/30 227

* もう そろそろ『撰集』のことも、本当の完結となろう。
あとは、からだの勝負、健康第一に要心しつつ ジリジリと書き進む。
2020 10/31 227

* e-OLD勝田貞夫さんが「帰る樵夫婦」を拡大の絵葉書で送って下さった。若々しく仲よくみえて微笑む。勝田さん  感謝。
かくて ほんとうに老境に「帰って」ゆける。証拠かのように機械の扱いなどいろいろ、日々に忘れて行く。戸惑い戸惑い「何方様で」と伺いながら機械君と付き合っている。

* 「湖の本 151」 じりじり 仕上がって行きつつある。難は、視力。感心したことでないと思いつつ、ゴシゴシと掌で目脂をこすり取ると暫く見える。まだ六時前なのに。

* 錐を刺す酔うな痛みが右肩へきたので、一時間あまりやすんでいた。
見たことも読んだ書いたこともない漢字や熟語・成語に溢れた表白と孜々としてつきあっていると、目も肩も胸もただただ痛んでくる。一時間半 がんばったが、九時前、もう、やすまねば。
2020 11/2 228

* 目も肩も背も痛めながら、途方もない「快ないし怪」語の逸品を読みまた書き写している。途方もないことを始めてしまったが。よい邂逅と思っている。なんとか、せめて霜月の内に稿を成したいが。
* 九時。朦朧とした視力を猛烈な難漢字の夥しい行列に曝しながら、一仕切りまで、頑張った。ガンバル自体は苦でない、むしろ体不調も忘れているくらい。アトが疲れるが。
2020 11/3 228

* その意味も必要も心得ていないが、今日、「光」通信とやらに機械運用の設定を替えに人が来る。かなり鬱陶しく、人をこの機械部屋へ入れるのも気兼ねだ が、成るように成るか、わたしの原稿機械書き人生は、長編小説『最上徳内 北の時代』を岩波の「世界」に連載当初に肇まった。東工大で初めてパソコンを買 い入れ、ホームページ『作家*秦 恒平の文学と生活』が幕開きしたのは、東工大教授を定年退任のあと、1998年3月下旬であったと思う。この機械音痴にして、文壇でも著しく早くから肇め て、よく続いてきたモノだが、さぁて、「光通信」とやら、私晩景の日々をより重苦しくするか、少しは明るく嬉しくしてくれるのか。
2020 11/4 228

 

* ADSL とか謂うたのが 光通信に替えてはとニフティより申し越し、今日昼間に 何かしら工事をして行き、夕過ぎてから光通信の設定のためにこの部 屋にまで来ると。なんとか、無事にすんなり分かりよく終えて欲しい。わたしは機械に多くを望んでいない。現状が一日も永く利用し続けられれば有難い。

*光通信とやらが宅まで通ったらしい。しかしそれに応じて機械へ繋ぐのに、ニフテイとの本来契約書によるパイワードとか何とか必要と言われて、そんな記録 は念頭にも記憶にもなく記録も証書もどこに仕舞われているとも知れず、それでは元のまま ADSLとやらのままにしておくしか、そもそも私の機械仕事が成 り立たない、ということで、処置無く、帰ってもらう結果になった。参ったなあ。
疲れましたなあ。
2020 11/4 228

* ニフティから何かメールで言うてきているが、わたしには、ナニの事やら理解できない。分からない。分からないことは、愚かしい政治家なみに、「先送り」し、そのままにしておく。

* 四時半、一つ機械に、同題の原稿を何種か書き次いでいると、どこかで一統の必要が起き、さ、これが実に難儀。こんな時、原稿用紙なら 簡単に 比較し検討し一統できるのだが。疲れた。
とにかくももう『選集』は通り過ぎた。此の苦闘の新しい書き下ろしに気を入れたい。
2020 11/6 228

* 『秦 恒平選集 全三十三巻」 ま、体力を思えば、加えて、豪奢といえる「非売品」をここまで続けた何より資力を思えば、すくなくも一つの「上がり」時機であった。よく続きますねえ、どう算用が成ってるのですかと、不思議そうに、心配して下さる方も何人もあった。
「完」という時機がきたので、つまらぬ憶測で混乱させてはいけないので、ハッキリ記録しておく。
私が、降って湧いたように、今は亡い川島至教授から、慶應へ移られる江藤淳教授の後任として東京工業大学教授として就任してくれないかと一本の電話を受けたのは平成三年であっ た、受けた電話のそばに丁度建日子もいて、私が「そんな、工業なんて大学が あるのかね」と不審顔に応答しているのへ「名門だよ、父さん」と声をあげたの をよく覚えている、それほど意外な申し出でであり、結果的に平成三年十月一日付の「辞令」を受けたのだった。私はこれで、「太宰治賞」を受けてくれるかと いう筑摩書房からの電話と言い、変なことを謂うが「天からふんどし」を大小長短何度か受けている。いま謂う二つは最たるものであった。
私は、江藤さんの推薦とのちに耳にした「東工大教授」としての一切の給与・歳費・賞与の類に一円たりと手を付けないまま定年退官した。その銀行通帳には いわゆる年金も振り込まれている。私は、いつか、この通帳の一切を惜しみなく私の文藝のために費おうと決意していた。考え方としては困窮ないし有用な社会 へ、世界へという考え方もあり得たろうが、私は、「もらひ子」このかた私自身の「生き」と「勉強」と「文藝」を深く愛おしみ大事に思ってきたので、『選 集』という発想と実現のためにあの「東工大」体験のぜんぶを費やそうと決心できたのは、まことに自然であった。そして、事実、それで事は成って完結した。 最期の、760頁にもなった「第三十三巻」の製作請求書が凸版印刷株式会社いからま私の手もとに届いていて、さ、通帳の残高で足るかどうか、「年金」も加 わっていたこと、最終の支払いに当惑することはまず無くて済む。建日子はかねがね母親に囁いて、トーサンの選集、「一億」はかかってるんじゃないかと案じ て呉れていたらしいが、ま、幸い、其処までは行きませんでした。しかしまあ、まことに程よい潮時で完結出来、満足している。「東工大教授」という「お蔭」 を、私は、私なりに、きちんと「頂戴」したのである。感謝。 御心配下さっていた方々にも、ご放念いただきたい。
何処かでは、きちっと打ち明ける気でいた。「尾張の鳶」さんに、代表でお答えし、「続ける」よりも「収める」選択だったとお応えしておく。
「湖の本」は、これはもう、赤字を積みに積んでいるけれど、幼少来 お金は遣えなかったし、結婚してからも、医学書院に在職の十五年半、いわゆるボーナス には一切手を付けない生活をしてきたように、車の、別荘の、海外旅行のといったことには二人とも気がなく、日々の暮らしにほぼ満足して「売れない作家業」 を平然と為しまた成してきた。そして、いましも夕焼けの山を、かすかな「樵」の荷を背に負うて「家」に帰ろうとしている。子供の頃に、ひそかに想い描き期 待していたとおりの人生であったなあと、ほのかに、満たされているのです。
2020 11/7 228

☆ ご無沙汰、選集33巻有難うございました!
秦 恒平さま
ながらくご無沙汰です。
幸いまだ生きています。コロナ騒動で半年ばかり大人しくしていますが、何とか足腰は大丈夫、食べる方も今日現在問題なしです。
年にニ・三度は京都に墓参、弥栄中一組の生存者に声をかけて食事を共にするのを楽しんでおります。
京都には花見小路の「ノーエン」の従妹が唯一の縁者、時々連絡をと取り合いながら無事を確認し合う状況です。
先日、「秦恒平選集第33巻」をお送りいただきました。
いつも忘れず送っていただいて有難う。だいぶ目が弱くなり長時間のものを読む気力が衰えてきましたが、毎回興味をそそる項目を拝見しております。
今回は巻尾の「穏やかにおれなかった平成」、共感をもって読ませてもらいました。
安倍時代はようやく終わり、今 菅実務内閣が稼働開始、少しは積み残した諸問題を片付けてくれることに期待しましょう。
時あたかもトランプの退任も確定の様子、新たな変化を観ることが出来ること念じます。
いつも忘れず心遣い頂き感謝です。
年寄りでも食べられるカステラ少々、お届けしますのでご査収ください。
また、ホームページを拝見しますので、掲載時にはご連絡ください。
一つ、片岡我當くんを気にしていますが、消息ご存知でしたら教えてください。
千葉・浦安         團 彦    元 昭和石油社長

* 弥栄中学の懐かしい友達。彼が一年一組、私が二組の昔から、一等仲よく張り合った仲間。嬉しい便りを呉れた。思い出が 山のようにある。そ の最初が、演劇コンクールで、一年二組が一位、一年一組が二位になり、その日の帰校時一瞬の思い出が「祇園の子」という処女作というて佳い、のちのち「評 判作」「出世作」のように取り上げられた。敗戦後の新制中学、われわれはその最初の一年生だった、活気に溢れていた。宇治にお住まいの佐々木(現在水谷) 葉子先生も、一年五組の担任をされ、理科最初の授業で、初めて「蛋白質と脂肪と炭水化物それにビタミン」と教えて下さった。すっごく新鮮だった。
当時の同期では、日立の重役を務めた西村テルさんや歌舞伎松嶋屋の片岡我當(秀公)クン、原子力関連で実力発揮と聞いている藤江孝夫クンらがいて、そし て選挙「是・非」二票投票制の実現に邁進中の森下辰男クン、懐かしい限りの元京都市政で活躍した冨松賢三クンがいて、ああ、それくらいになって寂しい限り となった。女性では、祇園の御茶屋の橋本嘉寿子さん、浜作女将の森川洋子ちゃん、実業で腕をふるった横井智恵子ちゃんくらいか、わからない。みーんな同い 歳なんだから、しょうがないのかなあと、瞑目。
ダンピコと呼び慣れていた旧友中の旧友、昨夜に受け取ったメールだけれど、今朝一番の、此処へ置く。横井さんから、ダンさん病気してたけど退院してると聞いていた。元気でいてくれて、嬉しい、とても。
脚を痛めて舞台をやや離れている我當(秀太郎、仁左衛門の長兄)をとても心配しているのだが、様子は知れないでいる。
懐かしい佳い思い出というのは、よく効く「ふくらし粉」のよう。幸せというべし。 2020 11/9 228

* 難漢字が拾い出せない。理解力だけでなく私のアタマに衰弱が起きているのでも有ろうが。
しかし漢字を拾えないなら余儀なく今日語に翻訳せざるを得ないが風味は格段に落ちてしまう。急がずに、なんとか待って備えてなんとかしよう。四苦八苦、それも有ること。

* 『秦 恒平選集』第三十三・結巻の、制作費支払いを完了してきた。これで、数年余に及んだ「選集」敢行作業は無事に完結。
また新しい目標へゆっくり歩を運んで行く。
そのためにも機械クンご機嫌を直してほしい。このご機嫌伺いにいまも四苦八苦。
くしゃみを連発。はて、いい手はないのかな。
2020 11/11 228

* 機械の回復以外に如何ともするすべを今の私は持っていない。聖路加の通院を挟んで一昨夜から今日も午後まで、ただもう死にモノ狂いといっても何のアテ も成算もなく、ただもうむやみやたらに機械を触りに触りつづけて、ふっともとへ戻れた。奇跡のようだが、わたしのアタマには、ペンクラブの事務局にホーム ページをつくろうと、当時東大におられた坂村建教授に指導を乞い願って念願を遂げたそんなおつきあいの間に、坂村先生から教わったも機械はそうは破壊され ません、なにしろ世界大の蜘蛛の巣に出来てますから、少々頓挫しても別の道からつながりうるのですと。これを覚えていて私は、こんども触りにさわっている うちにヒョコっと元の道へ行き会うかもという頑固な希望をもっていた。なにをどうしてからうまくいったのか全然分かっていないが、元の道へ立ち戻れたのだ から有り難くて泣けましたよ。
おかげで、難儀な難漢字とカタカナ書きの文献を、今夜飯後に一頁弱書き写せた。喜ばしい限り。しかし、いちまた何に躓いてたちおうじょうするかしれません。

* 先夜、このややこしい書斎へ否応なく光通信とかのために訪れたひとが、私のこの機械をみて、こんな古物がこんなに働いているなんて、信じられない、見 たことも聞いたことも有りませんと呆れていた。こんなきかいがまだ有るんですかねえ、と。ビックリですと。 ところがわたしはこの機械の間近に新しい機械 を二台買い入れてあるのに、それはどう使えばいいのか皆目理解できなくて、もう十年もほったらかしに鎮座している。
願わくは、この超古物機械クンとの信愛がいつまでも続きますように。
2020 11/12 228

* 昨日、病院の行き帰りにロレンス「チャタレイ夫人の恋人」のハナシの乗って行くいいところを読みふけっていた。読みふけりながら、佳いね、悪くないね と惹き込まれながら、しかも、そうかなあ、これでいいのかなあ、なにか違ってやしないかなあとも感じていた。そのちがいを、わたしはわたしでもう書いたと 思っている。佳い性的昂揚と、日常的な時の流れとの間に、不思議な、違和ともいわないが裂け目、分け目といった問題が挟まっていないか。
読み終えてから、また考えてみよう。惑溺というものの性における貴重さと、日常の時間における惑溺なる魅力の弱さ脆さ。その辺に、ロレンスの「性」の思想へ襲うかすかにも険しい道が有りそうに思われる、のだが。

* 有り難いことに、これはと願っていたところを書き抜けた。ありがたい。この勢いで、なんとか書き下ろし書き上げたい。
2020 11/12 228

* じりじりと書き下ろし、続けている。二十日過ぎの聖路加診察、以前の通り処方箋を近くの薬局へ送って頂きたいと速達で頼んだ。コロナ禍にはワルク馴れ てはいけないヶ。籠居を敢えてして、仕事を進めたい。すくなくも私個人には、成して良き仕事と納得している、読者のみなさんはどうか、今はそれを考えな い。「明治の政治小説」を話されていた中村光夫先生の言に、「ただここで読者にのぞみたいのは、表現形式の古さ(あるひは馴染みの薄さ)に辟易せず、現代 小説を読むと同じ気持で(わからないところはとばしてかまはないから)通読してほしいといふことです。そこに、ほかの小説を読むと違つた種類の感銘をもし 感じたら、それが自分が現代にたいして持つ文学的要求と、どうつながるか、あるひはまつたく無縁であるかを考へてほしいといふことです」と。まるで私日々 に苦心の書き下ろしを「解説」「助言して頂いたよう。

* 九時過ぎて行く。
2020 11/13 228

* 遺憾にも、この日記がひろく発信できなくなった。FFFTが効かなくなっている。私に対策できるか、分からない。見当もつかない。
日記を書き続けることは出来そうに思う。広く読んでは貰えない「孤独な日記」本来に戻ると謂うことか。いま、午前 11時。
メールも届かない。送れない。何をしているのか自分でも分からない。
ただ書き下ろし原稿を書き進めること、そして機械の負担を軽くしてやりたい。午後六時半。
2020 11/14 228

* 私の愛する機械クンは、いまや満身創痍の体にあちこちで停頓している。なにより、このホームページが発信できない。メールの受発信も出来ていない。困った。
しかし書き下ろしは気をつけつけ書き進めて行くしかない。光通信への設定変更を待つしかない、まだ出来ていない。

* ただただ、用心しながら、機械改善の時を待つだけ。メールが全く効かない。印刷所との連絡に困惑するが、ただただ辛抱しながら書き下ろして行くだけ。
2020 11/15 228

* ニフティにかかわる機能が全く働かず、転送も受発信も効かない。どう拘泥しても私には直せない。幸い、書字は可能。可能なことを可能の範囲でする一方、機械の量的負担を軽くしてやりたい。機械の外へ貯蓄できる機能が遣えればと思っているが。

* 寒季へ向かいコロナの脅威は倍加。ここで気を緩めることは危険千万。気をひきしめ、対応の万全をこそ当面の要事と思っている。辛労、心労、疲労の日 々。しかもインターネットでの窓が壊れ、事情を伝えも知れもならない。電話は好きでなく、電話するほどのこともなく、歳相応の無沙汰の日々に成ってきた と。
それでいて、打ち込んでいる仕事は、興味深いのだが、書くという手仕事において、簡単にはとても拾えない難漢字、そしてカタカナ書きという機械での手間取り。三重苦、四重苦の実感を堪え堪えて食いついている。腹も痛む。

* 概してこのところ材料を拾い続けていたが、すこし、「読み」に踏み込んで本文としての調和へ推敲を始めた。機械が危なげでも肝の冷える心地も。
2020 11/16 228

* ただ堪えて、書くべきを書き継いでいる。機械クンがそれを大事に抱いて手放さないでいてくれることを願っている。
2020 11/17 228

* ただただ書き進めている。それしか他にすることのない時節、見ようでは気遣い無用のケッコウな日々なのかと。
2020 11/17 228

* ようやく「光」通信とかに切り替わった。だが、安心の成る様子でなく、このホームペイジが「送信出来る」見込み、まだ試みないが、甚だ頼りなし。、ただこうして文章がつづれるだけで有り難い。
2020 11/18 228

* もっと仕事していたいが、視力の衰退、惘れるばかり。疲労はそれで倍加する。負けるが勝ちと、退いて休む。機械くんが働いていてくれる嬉しさよ。
2020 11/18 228

* 朝、床から立とうとして、二度も、透けた絹地のはらと落ちるように頭からくずれた。不快感や痛みなどなく、血が引くとはこんなかなと思った。低血糖か。しかしもっと低い値の経験でも、今朝のようなことは無かった、いや、有ったのかも。
いつもは朝はほとんど食べない、食べられないが、今朝は卵かけの温めた飯を一碗食した。
左うしろ首筋に、かすかに痛みがある。左腕が重い。肩凝りと思う。視力を弱めつつ見たこともなく読めない難漢字をいくつもいくつも機械から拾い出しながら書き続ける仕事で、全身が凝り固まっている。書き下ろしを、し遂げてしまうしか回復への早道は無い、か。
2020 11/19 228

* ADSL を 光通信に切り替えという ニフティの指示と作業とがうまく行かず、通信や電送がまるで出来ない日々が続いていました。
その間にも、 選集最後のお支払いも済ませてきました。お世話になりました。

また 「湖の本 151」の「書きおろし」も、(実に難作業なので、いずれみなさんを嘆かせかねませんが) うんうん唸りながら 八割がた書き進ん でいますので、「入稿」へこぎ着けますまで 今しばらくご猶予下さい。この冬至には八十五歳、老耄一徹の一冊に成りますようにと 自身切望しています。

ボロボロの歯医者へも 三月以来 行かないで、日々籠居に徹し、久しい馴染みの 同じく老耄の機械君とだけ仲良く過ごし、相変わらず食はすすまず、酒の一升瓶を三日ぐらいで空けて励んでいます。

コロナ禍  じつに容易でないですね。
お大事になさって下さい。 みなさん お大事になさって下さい。   秦 恒平

☆ 秦先生  お世話になります。

『選集 33』へご入金ありがとうございました。

コロナが着実に日本を侵していますね。

経済を止める訳にもいかない現状とどう向き合うかは、過去の戦争突入時と同じ状況のように思えます。

と言ってそれじゃあ会社を辞めて家で引き籠るかと言われればそれも出来ない現実もあります。

昨日、国立新美術館に行ったのですが、入館時の検温以外は特に対策がなされていないようでした。その間に東京でのコロナ感染者数記録更新のニュースが入りましたが、普通に混んだ電車で帰宅しました。日展会場、その他の場所でもコロナの話題での会話が聞こえてきましたが。
自分で作り上げたコロナ被害も含め、心の動きを整理する必要を感じます。

からに成って行く一升瓶の並ぶ 初冬のお仕事部屋を想像して楽しくなりました。

コロナ禍、いただいたご心配をありがたく思い、後悔しない守備を心がけます。

ありがとうございました。   凸版印刷株式会社  憲

* 「ニフテイ・メール」はこれからも光通信で「使用可能」と思っている。
それにしても深々となじんできたこの機械クンのえも謂えない懐かしさよ。断末魔にちかい容態と警告はされたけれど、この「私語の刻」につきあってくれる有りがたさ。異身同体、願わくは心中の日まで、どうか辛抱してつきあってくれ給え。

* 数少なくしか作れなかった『選集』、私の手元にも、巻によりバラついてもう余裕がない。叶う限りは欠巻分ご希望の方にお送りしてはいるのだが。
2020 11/19 228

☆ 過日は
「選集第三十三巻」ご恵贈下さいまして、有難うございました。
「私」を編むというご主旨は巻頭の 「歸樵」とご夫妻のお写真から最終ペイジのページ(p176)の「文学の秘鍵は?」 即答「女」。まで見事に(!) 納得いたしました。

* 以下、練馬の宮本さん 便箋の二枚にぎっしりと共感箇所を取り上げて下さり、さすがにと著者もドキッとしつつ感銘を受けた。その全部をここへ写したい が、仕事前の視力も気遣われ、冒頭に取り上げられた一項にのみ、少しく触れる。いや当たり前のことで触れるまでもないかとも思うが、「文学の秘鍵は?」 「男」と即答する作者もあろう、その先が思案の課題になり、私の思いでは、ホメロスの「イリアス」 ソクラテスの「饗宴」 旧訳の「創世記」また「失楽 園」 ゲーテの「フアウスト」 日本なら「浦島」「かぐやひめ」「伊勢」以下、「源氏物語」 「夜の寝覚」 「とりかへばや」 平家物語も謡曲も 西鶴、 近松、また馬琴の「八犬伝」等々もすぐ思い浮かぶ、が、「女」が動力源になっていない「男」にのみ寄りかかって成り立った文学作品は、無くはないが断然数 少ないか、殺伐としやすい、その意味では支那、中国には「三国志」「西遊記」ほかかなり顕著な男世界ものが見える。芭蕉や上田秋成が比較的「男」寄りだ か、蕪村はよほど「女」を鍵にしている。

* こういう鍵を遣って作家や作品を論じた例をあまり、ほとんど、知らないが。女と男としかいない世界なのだ、あまり当たり前と思いこみすぎて、しかしだ いじなものを見落としてきたとは謂えないのだろうか。たとえば、三島由紀夫など、どうなのか。ロレンスの「性」は、女に鍵か、男の方か、『息子と恋人』 「チャタレイ夫人の恋人」を読んで一気に通読して、ふっと立ち止まっている。西鶴も微妙に思案を遂げてみたいと思わせる。
で、私は。上に引き出されてある、私の文学は、女で鍵があき、鍵の奥に女がある。ナニ不思議もない。この一句を咄嗟に付け加えたのが、『選集33巻』の結語となった。宮本さん、よく見て下さった。
2020 11/21 228

* 書き下ろしの仕上げ、もう原稿用紙にして三、四十枚も書けば十分かと見えている。慌てることはない、心ゆくもの、掛けて嬉しいものに書き上がって行くことこそ大事と。
こういう時、絶対に避けたい要心したいのが、怪我。建日子にも怪我するなよと口癖のように云うている。誰にでも云うている。

* 夜中の目覚めとも、うとうとともない時に、さかんに次々の仕事について思いにふける。半ばは夢なのだが、なかばは本気らしい。
2020 11/25 228

 

* 建日子の呉れたジャズバラード八枚の内、三枚を無くてならないもののように毎日、朝一番から夜のおやすみまで、静かに鳴らしかつ聴き続けている。この ところ「風のささやき」と題してあるのをもう一ヶ月の上も、聴きかつ鳴らし続けて、これの無い日々、この仕事部屋は考えられない。こんなに効く精神安定材 は無いなあ。

* さて、今、書き継いでいる仕事に満足のいく引導を呉れてやりたいもの。

* 遺憾、体調はなはだ良からず、視野茫然とかすみ、かすかにも頭痛がつづき、のど元にきつい渇きがある。食欲無く、今日は酒類に手を出していない。そんなまま、仕事の手は止めたくなく。
晩にも機械の前で、必要な古文を書き写すのに、何十度も難漢字を拾って来ねばならない。ああ、しかも、一瞬の手違いから、あやうく全文を消してしまうの は免れたが、せっかくの今晩の文を喪ってしまった。呻くのみ。呻くのみ。諦めて、また取り組まねばならぬ。取り組まねばならぬ。無事に誕辰の朝を迎えたい ものだ。からだのどこがどうなのか分からず、いまは引き連れるようにのどが渇いている。構っていられない。

* こんな今に 何をこころを支える細い柱にしているか。読書、「指輪物語」「史記列傳」。そして映画の映像「ホビット」。
なんともいえない心神身体の不安定。苦しい。熱もない。嗅覚も味覚もシッカリしている。痛いつらいでもないが、どんよりと黒い雲のそらが身内に溜まっている。負けるわけに行かない、まだまだ。

* 執拗に手を掛けかけ、喪った部分を取り返した。九時半。休もう。
2020 11/28 228

* ヘトヘトの寝つぶれから起きて、今夜も懸命に文字漢字を逐い求め、頭中錯綜し 困惑停頓しながら、十時半をまわった。おはなしにならないキツイ毎日夜。誕生日をひかえ、それまで身がもつのかとふっと心配になる。
2020 11/30 228

* 新制弥栄中学ではじめて出会った。以来「てる(明)サン」と呼んできた。粟田小学校からの進学、私は有済小学校からの進学だった。粟田校からの田中勉 君、福盛勉君、弥栄校からの團彦太郎君らと、高校を卒業まで極くの仲間、よく話しあった。よく遊んだ。相撲も取った。社会人になってからも、再々はムリ だったが、連絡はあり、顔を見合う機会もあった。田中君は亡くなった。福盛君は奈良にいる。團君は千葉にいる。テルさんは函南にいて、わたしの本をよく見 てくれている。メールも出来て、私の京恋しさの一片を体してくれている。彼は、日立をやめたあと、沖縄問題などへもアクティヴな関心を寄せ、出向いても往 く。感じ入る。

* 『オイノ・セクスアリス』を「代表作」と観てくれる有り難い読み手である。この作については自分でも改めてしっかりモノを言うておきたい気がある。感謝感謝。
2020 12/1 229

* 十時になろうとしている。目を使い根をつめ 優しいような難しいような しんどい おもしろい仕事ではある、が、疲労困憊する。
師走となり、コロナ禍は収まって行く気配もない。子供たちと一緒に正月が出来ない寂しさ。しかし、ここで気をゆるめて油断は成らぬ。建日子たちの無事と健康とを切に願う。
2020 12/1 229

* 結局、機械の前へ来て、仕事する。仕事の間は、何トナシ気弱も不具合も忘れている。忘れているだけ。
仕掛かり仕事の六割方をこまかに読み返し、その辺までは納得。この先が、本稿の正念場になる。量的にはよほど行っているが。もう数日のうちに念を入れて仕上げたいが。暖房しているのに、ゾクゾクと背中が寒い。熱は、無いと思えるのに。
2020 12/3 229

* ただ一編の往昔文士の感懐を書き写しかつよく聴こうというのに、午後を費やした。もう木活字の本漢字を読み解ける視野ではない。休むしかない。「礟」  「ほう」とか「ひょう」とか訓む、この一字を機械の中で探索するのに時間がかかった。しかも原典の原字通りでない。原字だと、左側の「爻 コウ」が「交」でありたい、が、拾い切れない。意義は、なんだか物騒、凶器になりやすいビール瓶なみの酒器かも知れない。おまえは遊んでおるかと「湖の 本 151」を待ってて下さる読者のみなさんから叱られそう
2020 12/5 229

* じりじり。せめて退るのでなく 前へ出たい。むろん書き下ろしている作のこと。
2020 12/5 229

* 悪年なる哉と、あまり威勢の上がらぬも「明治十八年師走」の文章を読んでいた。人間世界に「悪年」はいつもいつも訪れるらしい。

* ほぼ書くべきの大方を書いてきたよう。落ち着いて「脱稿」へ仕上げたい。

* 夜前 床の中で 夢かうつつか、まだまだ小説に書ける場面も人物も「有るやないか」とコウフンしていた。
わたしのヒロインたちは、何度でも生き変わり蘇って別世界を創れる。もう何度も創ってみせてくれている。
2020 12/8 229

* それはさて書き下ろしを、この三日ほどでともあれ仕上げへ運びたい。

* 一気に初稿仕上げて「湖の本 151」として送稿した。何を云うかときつく敲かれるかもしれないが、思うところは曲げず飾らず書いた。
これで、今度は 小説 へ立ち向かえるか。
2020 12/9 229

* 今度の書き下ろしの、ことに後半は、漢学専攻の老練教授でもないと訓めないか知れない途方もない難漢 字 難読漢字が わんさと出てきて、少なくもルビなしには訓めない。極力正しく訓みがなを初校段階でつけねばならない、その大変さを想い思い、夜中も床の中 でとつおいつ考えて、本文に組んでもらう現場サンへ私なりの「提案」お願いをすべく、早起き。いま、メールを書き送った。
ウーン。なんとかウマイぐあい に事が運びますように。
2020 12/10 229

* 「次へ」私も向かわねば。この機械におりにふれ描き溜めてある二十に近い湧く温泉のブスブスのようなスケッチを調べていて、思わず苦笑。
2020 12/11 229

* 「方丈」二字が墨色あざやかに大きく現れると、シャキッと気持ち洗われる。他人さまのホームページを、建日子のも、観たことがないので何も分からない が、自身のこれの出から本文へ至るまで、わたしは気に入っている。「文学と生活」といい「作家・秦 恒平の生活と意見」といい、名実伴って四半世紀をとぎれず書き置いてきた。たくさんな写真もいれてきた。カメラを持ち歩くような日ごろではないが、機会が あれば撮り溜めてきて、存外写真好き・写真自慢なのである。いろんな写真を送ってきてももらうが、敵わないと思うほどの撮り手、いないんだなあ。呵々。
2020 12/12 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 柩挽く小者な急(せ)きそ秋きよき
烏川原を母の見ますに    吉野 秀雄

☆ こういう葬儀は都会ではもう見られないが、農山村にはなおこのようないわば萬葉調の風俗が生きている地方もあろう。 昭和二二年の『寒蝉集』から引いた。引き締まって空気の澄んだ佳い歌だ。
私には「烏川原」が実在のものか、なにか口調子に、烏のいる風情を描写したものか判じかねるが、どっちにせよ「烏」に他界の使者風の感情移入も利き、 「カ」行音の小刻みな反復がこの歌に限って、透徹した印象をより深めている。「な急きそ」は、どうか急がないでくれの意味。
この歌人は、萬葉の昔から現代までを通じて最もすぐれた挽歌の詠み手だと私はみている。

★ 亡き母の登りゆく背の寂しさや
杖突峠霧にかかりて    阿部 正路
☆ さきの吉野の歌に勝るとも劣らない、柔軟な哀調に富んだ佳い歌だ。母の魂がさながらに霧の「杖突峠」を向うむきに登り去って行くかと、子は眺めている。逝く母も寂しく、見送る子はもっと寂しい。
うば捨て伝説風の背景も想像に加わり、太古へも遡り行く神話的な奥行すらもこの一首、はらんでいる。 昭和五〇年『飛び立つ鳥の季節に』所収。
2020 12/12 229

* 夏このかた私の執筆生活を特徴づけたのは、かなの寡少、漢字の莫大な日々であったこと。難漢字を苦心惨憺検索した数、数え切れない、一覧表をみても、舌のもつれそうに難しい字が溜まっている。もう大方、訓みを忘れてしまっている。
反面、漢文や漢詩を苦にしなくなった、逃げ出さない。
仕事との縁は直には無いが、日々に『史記列伝』の愛読できて面白いのも、漢字に辟易して逃げ腰になることが無いから。われわれの薄っぺらな常識では、中 国の歴史はさかのぼってもせいぜい唐か漢かまで程度。だが『三国史』もふくめて、私の名字「秦」まででも大変な昔。その「秦」という字一字でもふんだに現 れて、老子、荘子、孔子、孟子、韓非子、孫子などの名がぞろぞろ出てくるのが『史記列伝』で。それでいて、ナマな中国が身近に四分五裂のまま活躍する。年 がら年中攻防し戦争している。いまさら勉強という気持ちはなく、ただ面白さに惹かれているだけだが、木の葉や小枝なみの日本史などとくらべると巨木が風に 鳴っているよう、身震いも来るが躍動の興味がある。

* 山縣有朋の家集『椿山集』と触れ合っていご、秦の祖父鶴吉さんの遺したたくさんな蔵書にわたしはまみれ気味にすごしてきたが、まだまだ心惹く中国古典 が私の手つかずにたくさんと謂えるほどあるのに今更に驚いている。じつに有り難い、その中でも明治大正に出来た「大辞典」「大事典」「字書」の類がどんな に有り難いか。手に取ると時間を忘れてしまう。明治人はじつに勉強家だったんだと、恥ずかしくなるほど。

* 手のついた仕事が、きのう調べただけで少なくも10件はあり、的を絞りたくて、今日午後はずって寝入ったまま、それを想いつづけていた。前々からこれ ならと願って気に入りの「作」の思案、下書きが二つ三つ有り、夢うつつに「作』にして行く空気と色あいを目で追っていた。
慌てず、取り付きたい。
2020 12/12 229

* 肌着に肌を締め付けられるように苦しい。そして今日は、終日睡かった。それでも夥しい量の細かな「書き置き」「備忘」の類を機械から拾い取っては読み ふけりながら漠とした思案を重ねていた。まだ七時半だが瞼が痛いほど重たい。なにも焦ることはなく、ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと。
2020 12/12 229

* 「平和」の二字が金科玉条となり、人間の心をひとしなみに「率い」ているかに想われる。
が、果たしてそうか。
「平和」と「戦争」とは有史この方、つねに同次元の一対で、「理想」には相違なかったが、ひとしなみの「世界平和」など実現されたことは、一度も無い。 つねに自国ないし同盟諸国の「平和」のために他の國ないし諸国、諸同盟国と、「戦争」してたんに均衡が揺らめく保ってきただけ。それが人間たちの「世界 史」であり、例外は、事実上「無」であった。
「平和」を願うだれもが、「自国ないし自国なみ同盟諸国の平和」であり、それを死守するためにも他国ないし他の同盟国と争って、烈しい「戦争」も避けなかった、避け得なかった。
「世界平和」が見果てぬ夢なのは明瞭な「人間の史実」であり、かつて「諸王・諸帝」が各地に併存はしたが、「世界王」による「世界平和」など、有史以来一度も無かった。有り得なかった。
この事実ないし現実を絶対的に克服できた「実例」を誰一人として挙げられない以上、「世界平和」はただ「美名」の域にとどまる「空想」なのである。
人類が、人間たちが望んできた「平和」とは、自身ないし自国・友好國の「平和」なのであり、その獲得や保持は、「戦争する」という「意思と力量」とにしか支えられていない。今日二十一世紀世界の世界中を見渡して、此の「私の理解」を否認できる「ただの一例」も無い。
いま、『史記列伝』に読み耽っていて、「伍子胥列伝」まで読み終え、つぎに「孔子」らの記事がはじまる。
中国の歴史時代が、「殷」にはじまり「聖帝」伝説を抱いたまま続く「周(春秋)期」にはもう「戦国」が続く。秦始皇帝の統一までの中原の葛藤ははげし く、「秦統一」時代は短期で「前漢」へ、さらに「新」を経て「後漢」ヘ転じ、以降、どの帝国も「戦争」を介して険しく交替しつつ、今日の「中共中国」に 到っている。「中国」という大国内にして、実は、慨ね途切れなくいつも四分五裂の「戦争と平和と」の闘いなのであった。
私は、「世界平和」という理想を否認しないが、当の「人間」こそが、それを動かしがたく拒絶し続けて例外なかった。「人類の史実」は世界平和を恰も拒絶し続けたと「確認」せざるを得ない。
言い換えれば乃、ち、「平和」とは極まるところ「自国の確かな防備」無しには保持できないという簡明な現実を、否定否認できないということ。前回、今回 も、「湖の本」で山縣有朋を、そして昭和天皇痛嘆の声をも採録した、それが、大きな理由と云うしかない。日本の久しい「鎖国」による平和は極東孤立の賜で あったが、いつの時代にも安穏と自立していたと思うのは錯覚である。強いていえばいつも狙われていた。防備に「海」が幸いしていたに過ぎない、が、もうと うにそれも不幸に転じたことを昭和の敗北は明証した。二十一世紀のあます八十年、「日本人」が平和と安穏を願うなら、「世界平和」とは久しい人類史の寝言 のように破れ続けた夢に過ぎぬと承知して油断なく「國」を護る気概が必要だ覚めた。私の「思い違いだ」と、さっぱりと教訓して下さる方に出会いたい。
* 書き出していると明言には、もう少し、いや、まだまだ試行錯誤のまま自身に向かい私語してゆくが、この「私語」は私自身にももうよっぽど妄想めく別世 界へ入って、出鱈目に幾筋にも心騒ぎ、独りで面白い。「コロナ禍」とも、あの愚かしい「ガス抜き」の必要とも無縁も無縁で、面白い。面白いことがないと此 の窒息じみた逼塞の日々、生き苦しくて。疲れたら、ためらいなく本を読み読み、何時間でも寝入ってしまう。
2020 12/14 229

* 日野正平が、自転車で自、今治市、しまなみの伯方島へ渡っていた。伯方にくっついた隣りに能島があり、能島の海底では『花方』の「颫ぅ」ちゃんの親族たちが、私の生母らもいっしょににぎやかに暮らしている筈。「颫ぅ」ちゃんも帰っているだろうか。いやいや、いまも此の私の部屋でおとなしく本を読んでいるのかもしれぬ、ウカとは呼ばないが。
2020 12/15 229

* 京・向日町の染織家渋谷和子さん、美しいナウ・センスの作品を、何点も、惜しげなく贈ってきて下さった。新潮社刊『みごもりの湖』、筑摩の『繪巻』など以来 何作も本の装幀をして下さった。有り難うございます、お大切に年を越して下さい。

* 小説『花方』の産みの親でも春愛媛今治波方の、もと図書館長さんだと聞いている木村年孝さん、愛媛名産のバレーボールかとおもうほどの大きなお蜜柑を ずっしりと贈ってきて下さった。今や歯のアウトな私にはまことに嬉しい生き生きとした見事に見栄えの果実。感謝感激です。
2020 12/17 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 子を連れて来し夜店にて愕然と
われを愛せし父と思えり    甲山 幸雄

☆ 「愕然と」が、とくによく利いている。これはもう「悟 る」というに近い、「突発的な自覚」なのだ。真実思い当たったのだ。だから下句のナマな物言いにかえって率直な面白い効果がでて来る。まこと、「子をもっ て知る親の心」であったろう。あああの「父」ったら、いつも心のよめないむずかしい顔ばかりしてウンザリだったけれど、あれと同じ顔をいま、俺もしている じゃないか……その俺にして、夜店に連れ出したこの子が内心可愛くてならない、のなら、「父」も…そうだったのか。俺を「愛」してくれていたのだったか。
ちと面映ゆいが 微妙に心嬉しい一瞬にふれ、胸も暖かくなる。短歌は、斯く歌いたい。 昭和四五年『ひたいと耳』所収。

* 35年も昔のわが著書ながら、並ぶものない、「読みの名作」と読者からほめて戴いた嬉しさがいまも熱い。創作のほかで胸にしみいる本をと望まれたら、今も躊躇わずこの一冊を選ぶ。まだまだ先があります。味わって下さい、こんな剣呑な時節なればこそ。
2020 12/18 229

* 85年前、たしかなこと、私はどこでどう生まれたのだろう、京の「西院」と戸籍謄本にはあるが、助産婦の家かのようにも想われる。「西院」という土地 を私は実は何も知らない。『オイノ・セクスアリス ある寓話』では「西院」を大事な地ないし心身の古跡として書いたけれど、知識に類するところは外から、 書き物などで得たのであり、わたくしの実体験には無い。また無いからこそ、上の長編では身にしみて懐かしく恋しいほどに思いを深めて書いている。先日、西 村テルさんは、『オイノ・セクスアリス』がきみの゚代表作と指摘してくれていた。完全なフィクションのなかに「思い」が籠めてある、読み返しはじめて、 あ、この「語り口」は私のかつてない発明だなと思った。フィクションだからこそ私はそこに本音をしみこませている。それは、続いて書いた平家異本の『花 方』にも色濃い。『畜生塚』や『慈子』の境涯からここまで歩いてきたんだと、今、しみじみ思われる。
2020 12/21 229

☆ お元気ですか、みづうみ。
お誕生日おめでとうございます。
今年何より嬉しかったのは、みづうみの選集の完結を読、者として現在進行形で迎えられたことです。こんな大事業を遂げられても、少しのんびりなさる間もなく、みづうみはすでに新作を入稿済み、次作へと、勤勉さを絵に描いたような毎日をお過ごしです。
あちこちお疲れもご不調もおありでしょうし心配していますが、それでもみづうみと同年代の多くの方は 要介護や要支援が当たり前のことですから、みづう みはかなりお元気な八十五歳といえます。どうか新しい一年も、たくさん読んで書いてお幸せな日々をお過ごしくださいますように。
コロナだけでなく転倒にはくれぐれもご注意ください。

>「寝てもの想ふ」という発想法もあり、これまでも何度も援けられてきた。

みづうみならではの名言だと思いました。「もの想ひ」すぎると眠れなくなることもありますが、力が抜けたときに何かがひらめくことはよくあります。さすが!

>(エバ このかた 「文学」にならない「女」はいません、が、「文学」に出来るかどうか 「秘鍵」を持っているのかどうか、が 男ないし作者の問題。 秦)

男の文学者が自分の「女」のイメージを乗せて造形しやすい、表現しやすい女とそうでない女があると思います。たしかに、それは男である作者 の問題ではありますが、作者をその気にさせない「女」はいないも同然の存在でありましょう。作者の想像力と創造力をかきたてない「女」である自分はツマラ ナイ女だと思っている、という意味で書きました。宮本輝さんの小説の登場人物が、騙されやすさというのは女の大変な魅力だと言う場面があり、なるほどなあ と思ったことがありました。

>「文学の秘鍵は」「即、男」と確信して書いてきた女作家を知りません、結局男がらみにいろんな「女」を、リアルに掘り且つ彫り出していたようで。それがよくないということは何も無い。
ただ、リアリズムの外を開拓した ル・グゥインなどはかえって「男」への関心の深さへ突き当たってイデアルな別世界を創りますね。

このご指摘には思わず唸りました。「女の敵は女」とよく言われますが、女は「男」より同性の「女」に強い関心のある生き物かもしれないなあ と気づかされました。あるいは「女」にとって異性の「男」は、「男」にとっての「女」ほど重要なものではないためではないかとも考えられます。「女」の作 家は「男」に愛されるか愛されない「女」に関心があるのではないか。「男」との性より「母」であることのほうが女を変えるというのが私見です。
ル・グゥインの「男」への関心の深さというお言葉も、読みこんでいらした方ならではの鋭い洞察だと思います。
『闇の左手』をすぐに思い出しました。地球の男と両性具有の異星人とのふしぎな愛を描いたあの名作は、地球のLGBTという概念をまったく超越している 独特の魅力がありました。「男」でしか成立しなかったでしょう。あの愛の関係には生臭い「女」的なものは全然感じなくて、だからこそあれほどピュアであれ たと思います。

>中学以来の友人が 突如 はたクンの代表作は『オイノ・セクスアリス』と思うと云うてきて、

『闇の左手』から突然『オイノ・セクスアリス』へ話が飛ぶのですが、『闇の左手』の二人には性関係がなかったことが愛をより清らかに出現させたのに対し て(ルグゥインが女だからかも)、『オイノ・セクスアリス』の二人には性関係がありすぎて、愛の不在がよりむごいかたちに露わになった印象を受けました。
『オイノ・セクスアリス』については一度きちんと感想を書きたいと思っているのですが、わたくしごときが何か書くには作品世界が、深く大きすぎて、途方にくれたままになっています。
わたくしは女の代表というわけではないし、独断と偏見だらけですから、私という、他人から見たら「女」であるひとりの女の読者はという視点で申し上げる のですが、この作品は「性」という業を負った「男」全般の罪深さを描き尽していると思いました。雪繪だって罪深い、女は罪深い。それはたしかなのですが、 『マノン・レスコー』のような「女」の「男」に対しての罪深さは、むしろ男をある種の幸福に至らしめるものであるのに、「女」の性愛を食い尽くす「男」の 罪深さは、愚かな「女」に死さえもたらすのか。もしそれが真実なら、女は適当な時期に「性愛」を見切ったほうがよいだろうと思いました。
『オイノ・セクスアリス』は、私にとってはどうやら「男との性愛」はさよなら、というそんな感想を呼び起こす作品のようなのです。男女は性関係がないほ うが、人間の成し難い愛の頂きに届くのではないかと、そんなふうに妄想したのです。しかし、「男」は性愛だけでは不充分でも、それを介さずに「女」との純 愛にはいたらないでしょう。だから男女の愛の実現には絶望を感じています。
何かの記事で読んだのですが、女のおよそ半分かそれ以上( 記憶が定かではないのですが想定以上の多さ)は、オーガズムを知らない、経験しない、というような内容でした。「性」関係をそれほど良いもの、必要だと思 えない女は世間に多いのではないでしょうか。実際、中年以降性愛がなくても痛痒を感じない女は少なくないでしょう。マレーネ・ディートリッヒですらセック ス嫌いと言われていたようです。『オイノ・セクスアリス』はそういう女へのとどめの一押しをしてしまう。女にとっての「性」は愛にいたる道の障害物で、性 愛は子どもを持つことで完結させるべきものではないか。男女の性愛が恋愛でなく友情へと万が一でも転換できれば僥倖ぐらいに思って生きたほうが少なくとも 「女」は幸福ではないか。
「文学の秘鍵は」「即、男」と確信して書いてきた女作家を知りません、という理由をさらに突き詰めると、結局「性」の問題は男の問題だからではないかと 感じます。(出産が「男」の問題にならないようなものです。)『オイノ・セクスアリス』は「男」の「男」による「男」のための「寓話」として、古今東西の 誰も書かなかった、書けなかった性の境地を描いていると思いました。
この「寓話」にわたくしのようなう「女」の入る余地はありません。この作品を最初に読んだときの憤りに似た感情の一因がそこにあったのか、なかったの か……。日本に恋愛の大作がないと、以前書いていらしたと思いますが、その理由もこの作品から読みとれるのではないかと思っています。
来年にはまた違う感想が湧いてくるかもしれません。色々な読み方、つまり誤読と曲解が出来ることが名作の条件でもありますので、現時点でのわたくしの稚拙な感想をどうかお許しください。

ここ数日急激に寒くなっています。どうかお風邪など召されませんよう、暖かくお過ごしになり、ご家族で楽しくお祝いなさってください。
おめでとうございます。   冬   仏壇の菓子うつくしき冬至かな  子規

* 思案刺激のいいメールだが、さしあたり私の『オイノ・セクスアリス』に触れて謂えば、多くの読者は作中の「雪」という若い女人へ、その性へ引きつけら れてしまうだろう、そのようにも書いているのは確かだが、吉野東作という老境の失楽園そして果てない夢見「倶會一処」透明に捨象された「セクスリス」の対 象は、それとはまるまるの「別」世界にこそ根ざしていて、ひたすらな憧れの故に暗闇の下鳥羽の森や湿地や、大河の出会うおそろしさへと誘われる。その世界 こそが、「雪」「雪繪」が必死に求めていた「まだ行ったことのない京都」という魔でも救いでもある聖地であった。いわば「性」よりも「聖」という生来見失 い奪われていた「魔」への憧れが書かれている。それはいかなる「性」を介しても所詮は到達しづらい別天地、それをこの吉野東作という爺は哀しいほどに知り 得ていた。
ついでながら東作の名は、あの秋成との対だと悟る人は、この物語に別の鍵を探ることだろう。必然「秋成八景」と予告された私のつぎの秋成を追う一景は、用意されてある。『オイノ・セクスアリス』はその大げさな予告とも謂えようか。
東作西成 春作秋成 は同じ意義を抱いている。あるいはあの秋成の秘めた憧れを私はこの「東作」さんの「セクスアリス」に隠したのである。
2020 12/21 229

* 機械クンとは電池切れらしきにヒヤヒヤしながら、頼むよゥと手を合わせるように付き合っている、付き合ってもらっている。コンテンツの全部を未使用同 然のそばの機械へ移転しておこうと思うもののしかとした手順が分からない。成るようになって行く、などと、諦念しているが。しかし、なんてきれいな画面だ ろう、淡翠地に黒の大きめの文字。気に入っている。
2020 12/22 229

* ま、(むかし親たちの物言いをまねれば、)キヤキヤしても始まらない。(ヤキヤキしても、とも謂うていた。)私のためにとご自身で織って戴いた厚手の温かな膝掛けを、つい背へ掛け回し、温まっている。

* 変なことを云うが、いま、この前の行文の「結び」を、
「つい背へ掛け回して温まっている。」  と結ぶか、 「て」音の重ねを避け句点「、」を一つはさむか、しばらく思案していた。この「私語」は、そうい うことで、文のつくり、推敲の実習場に意識して利用している、いつも。いそいで、慌てて粗雑になっている例が多く、独り恥じ入っている。文章の生き、息、 の、良さ悪しさは意味を抱いた語彙よりも、助詞、助動詞の「音」勢が支配してくることが多い。小説を書き始めた頃からそう気づいていた。そしてなかなか、 うまくは行きません。
2020 12/22 229

* 居間の棚、観音像のわきに高麗屋さんに戴いた深紅のポインセチアの鉢、持田晴美さんに戴いた濃紫に華奢なミディ胡蝶蘭、そんな居間からはテラス越しの 書庫真正面の棚には、作家久間十義さんに戴いた清楚に丈高い早翠ともみえる白色胡蝶蘭・茶人吉田宗由さんに戴いた多彩な薔薇の花束が、華やかな盛りの色を 盛り上げている。
我が家の歴史で、いっとう花やいで歳を越してゆく一年になるのたせろう。感謝しなくてはならぬ。
オーと思いつく誰よりも「大事な感謝」を捧げたい「今年の人」は、まちがいなく、明治二年に生まれ、昭和二十二年に亡くなった秦の「鶴吉」祖父だろう、 今にしてなお仰天してしまうほど貴重な漢籍や漢詩集や、日本の古典や巨大に重い事典・辞書などの「蔵書」を、まさしく「私・恒平のために」遺してくれたこ と。
『山縣有朋の「椿山集」を読みて』についで、もういちど山縣有朋の「覚悟」を問う一冊も用意できているし、いましも『史記列伝』に読み耽っている。与謝 野晶子の訳源氏物語よりはるか早く、四つ五つで秦家に入るはるか以前から『源氏物語湖月抄』の帙入和本も、真淵講・秋成訂の『古今和歌集』や、『百人一首 一夕話』だの『神皇正統記』『日本外史』『歌舞伎概説』だのと範囲は広かった。
幸いに私はそういう「本」という形に魅されて頁を繰らずに折れない「幼少」であった。よかったと思う、しみじみと。そして祖父への感謝を新たにする。
このごろは、『柳北全集』の数多紀行の名文や随時に呼吸でもするように挟まれるハツラツの漢詩を、とても面白く楽しんでいる。こんな貴重本、いまどき欲しいと探しても、神田ででも難しいだろう。

* このまま棄てちゃうかと、一山に括った荷を物置から出して、自身の原稿や作の初出誌や初出本だと気づくと、「待てよ」となる。今にして「寶」のようなモノが束ねてある。ウーンと、参ってしまう。
朝日文芸文庫が今も刊行され続いてるか知らない。新刊ピカピカの岡井隆編著『現代百人一首』が混じっていて、まちがいなく私も「百人」に加わり「一首」 を採られて、岡井さんの感想や批評が添っていた、記憶はしていた、本が何処にあるかは忘れ果てていたのだ。読み返してみると、面白く、興深く、なにかしら たしかに「歴史」を成している。
釈迢空の「たゝかひに果てし我が子を かへせとぞ 言ふべき時と なりやしぬらん」を第一首に、斎藤茂吉の「あかがねの色になりたるはげあたまかくの如 くに生きのこりけり」を第百首に、百人百首が読み出せる。第四十首に俵万智がいて、私は第六十首にいる。第八十首に斎藤史がいて第二十首に大橋巨泉がい る。もう亡くなってしまった懐かしい、今も若々しい歌人の名がたくさん採られてあって、これはとても棄てていい一冊ではなかった。

* 「初出」本というのは、当人には{個人史}的に、時に{研究者には論考のベース}になる大事な用の残ったモノであり、一作家一批評家が生涯の「稼ぎ」 の種だったモノ。ことに私のように百冊も単行本の類を出版していても、一冊一冊が地味で「稼ぎ高」に大きく寄与しては呉れないが、出版百冊分のいちいちの 原稿枚数への原稿料積算となると馬鹿にはならない、現に私はこの老境をほぼゆっくりと好きに生活していられる。初出原稿というのは「書き手」にはそれこそ が「稼ぎ」なのである、昔風には原稿用紙一枚の原稿が数千円という具合に。

* 上野千鶴子さんが、岩波で新刊の『近代家族の成立と終焉 新版』に手紙を添えて送ってきて呉れた。江藤淳に触れて書いてあるのを「読んで」と。東工大 教授へわたしを推薦しておいて慶応へ「帰って」行ったといえるのが、江藤淳。上野サンとは思想的に合うという人でなかったが(上野さんがそう云うている) が、批評家としては「戦後批評の正嫡」と尊重していたらしい、そういうことはあり得る。私は、生前の江藤さんには 彼のなにか大きなお祝いゴトのパーティ で、かなり遠い場所から、しかし、丁寧に黙した一礼を送り。すると打ち返すように江藤さんはすてきに穏和な笑顔で返礼された、その一度しか会ったことがな い。東工大の「と」の字にもお互いに触れなかった。その後に、最期ちかくに、二冊、自著を送って下さった。
江藤さんのの亡くなった衝撃のまま、後半季を黙々耐えて、今度は歳末ちかく実兄「北澤恒彦」に同様に自死された。いまも残ってある『湖の本エッセ1イ20 死から死へ』(2000 2 20刊)は、その折りのいいよう無かった痛苦の名残だ。

* この二三日、自分の『オイノ・セクスアリス ある寓話』を読み返していたが、この長編作の前半
をかなりの気負いと勢いとで爆走いや無茶走りが出来たには、察している人が多かろうか上野千鶴子編輯の、ウーマンリブ生き残りたち合巻共著を無礼なほど踏 み台の一つにしていた。上野さんの本は沢山もらっていて、かなり読んでいる、手堅い論考ものなどを、むしろ気を入れて読んできた。ま、私はシンパシィのあ る方の上野読者なので。ま、彼女やそのお仲間たちへ都合良くツケをまわしたりしてわたしはあの新しい「セクスアリス」を、あれこれと引き出しの隠し戸から ひみつの「私自身」を楽しんだのだった。 「近代家族」が「終焉」したのか変容しているのか、その辺は上野新著でまた勉強しましょう。
2020 12/23 229

* そして。いよいよ「湖の本 151」の初校ゲラが届いた。 もう年内に休みは無い。夜前には心弾む不思議に佳い夢も見たこと。頑張りましょう。問題は、眼。機械画面から目を離して席を立つと、視野が蜘蛛の巣のように薄暗い。
2020 12/25 229

* 初校は、まずまず、進んでいる。明治維新の二人を論いつつ、賛否の分かれの「きつーい」一巻になるかなあと。
気を入れて初校したい。歳末まで六日。初校の戻しには幾らか書き増しが加わる。仕事始めは早くて正月六日だろう、今度の巻きにはいつまでにと迫られる期限はない。落ち着いて初校を終えながら、新作を書き進めて行きたい。
昨夜の夢見が佳くてか、酒や肴がよくてか、今日は元気な方であった。早寝して、『指輪物語』『西鶴置土産』『史記列伝講義』「宇治十帖』『上野千鶴子新刊 近代家族の成立と終焉近版』など、それぞれに味読したい。これぐらいバラバラだと、互いに邪魔をしない。
2020 12/25 229

* いま「霏霏」を確認のため明治三十九年十一月に精華堂書店から出た内海以直著『新編熟語字典』(秦の祖父の旧蔵書)の「ヒ部」をみていた。和紙袋綴木版和字。一等最初「眉宇」に始まり「亹々乎(ビビコ)」で終えてある此の「亹々乎(ビビコ)」って、何。「ベンキヤウスルコト」とあります、ウーン。一等初めの「眉宇」には「マユノアイダヲイフ」とあり、さらにこの「眉宇」上の欄外に、ちっちゃな毛筆で「微眇 ビベウ メウ カスカニチヒサシ」とあるのは、祖父書き入れの筆跡。おじいちゃん、「亹々乎(ビビコ)」たるものか。ちなみにこの『字典』も明治期の風にしたがいアイウエオ順でなくイロハ順に見出しが「イ」から「ス」へ並ぶ。「ン」が無い。
昔の本は、それなりに絶妙に興趣をはらんでいて、開くと、飽きない。「ひまジャノウ」と嗤い給うな。かかる「私語の刻」も私には創作、すくなくも作文の時間。

* 目を瞠いているのに、この機械画面に自分で書いているこの大きな「かな漢字文」が「ヒヒらいで(こんなことばるかなあ)」見にくい。「セツセツ(切々)と」迫り来る、「終」マーク。

* 「湖(うみ)の本」151 ただ数頁の初校だけで一日の朝昼を費やした。明治は、二・二・六事件より早い昭和十年生まれの私にはただ「大正の前」でし かなかったが、平成の「三十年」を挟んで令和の今日からは途方もなく昔になり、明治十年西南戦争当時の西郷や将官らの書簡数通をきちんと訓み下す、それだ けで「一日」かかってしまった。
この先へ行くと、漢字に訓みがなをふりつづけるだけでどれほどかかるやらと、空恐ろしい・しかしそれだけの苦行をしてでも意義は起つなら、懸命に読者に伝えねばと思う。
2020 12/27 229

* 事実上の前半を初校した。要領、ほぼ納得した。問題は三分の二量にあたる後半分、しかも猛烈にルビを打たねばならない。新年の三が日には読み通したい。後半には追加補充も必要になろう。ま、打ち込んでし遂げたい。
夕過ぎて、また寝入っていた。八時になる。寝入る前後には史記列伝や指輪物語を読んでいる。このところは『オイノ・セクスアリス』の第一部も読み返し進んでいて、これは書いておくべき強い批評本の一冊に当たっていると自得もしている。かりに他人が書いた本としても、踏み込んで面白く読むだろう。
2020 12/28 229

* 今年は、紛れもなくコロナに逼塞を強いられて竦んでいる一年だった。来年とて感嘆には免れないだろう。
しかし仕事はした。「秦 恒平選集」全33巻完結は、神戸の岡田さんから「大偉業」と祝って戴いたのは気恥ずかしいが作家生涯の一つの山だった、『山縣有朋の「椿山集」を読』んで「秦 恒平・湖(うみ)の本」が150巻に届き、151巻も初校半ばというのも小さからぬ山であった。実に多くを読んだ歳であった。
2020 12/31 229

* わずか一頁20行中、難漢字に訓みガナをふること150字に余る校正を、なお80頁も余している。読めたから意義も通じるとは限らない。モノスゴイと、嫌いな物言いもしたくなる。ま、大嶽大吹雪のトラバースに懸命耐えている具合い。
ま、こういう目にも遭うのである、物書きは。
2020 12/31 229

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