ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2006年

* 歌壇も混迷を深めているようです。 歌人 山形市

* 電話して、この高橋光義さんの『哀草果秀歌二百首』を「ペン電子文藝館」にもらう。いま校正しているが、館でもピカ一級の選歌である。
2006 1・3 52

* 哀草果短歌の校正が楽しい。とくに前半の歌のよろしいこと、嘆賞嘆賞。
2006 1・3 52

* 四人でなにくれと少ししみじみ話もしてみたかったが、建日子は急ぎの仕事を抱えてきており、顔が合うと、さて、あらたまった話にもなりにくい。
ま、結局そういうことは諦めて、二日目の晩もわたしは校正の能率をがんがんあげ、そして持参の『八犬伝』をどんどん読み、四人でわけて呑んだ売店のワインにすこし酔ったまま寝入った。
2006 1・6 52

* さ、今日も日付が変わった。本を読んで、寝よう。このごろ夢に「八犬伝」の文体がうねって出て来る。ああも長大に七五調の美文を読むのであるから、つまりは音楽を聴き続けているようなもの、しぜんメロディーになり耳の底に残る。ま、まだ半分にも到らない第五巻(岩波文庫版)の前半を読み進んでいる。正直、おもしろいです。
2006 1・11 52

*「解釈と鑑賞」へも送稿して受け取られたし、産経新聞への送稿も、校正も順調。これで京都美術文化賞に授賞した三人の「美術展」テープカットへも、心おきなく行ってこれる。せっかくの受賞者展であり、選者の一人としてなるべく観ておきたいが、去年は欠席した。幸い、往き帰りの列車で校正という集中の要る仕事が進む。家では、静かに校正できる机も場所も無くなっていて、ついつい遅れる。タイムリーな列車の旅は有難い。
二日の旅のうちに「八犬伝」も間違いなく第五巻を読了するだろう。あまり急いで読んでしまうのは勿体ないのだが、ついつい誘い込まれる。
何度も言うが、七五調の「きこえ」のよろしさに魅惑されるので。夢にまで文章の感じがうねりにうねる。優れた文体の伝染力であり、源氏・平家や、雨月や、また鴎外・露伴や潤一郎の文章は、読めばその晩に夢にあらわれる。高価で高貴な幽霊の魔力だ。
2006 1・16 52

* 今日の委員会で、同僚委員から、なんと昭和十三年一月三十日日曜日の「京都日日新聞」を頂戴した、これにはビックリし感激した。
「鴈治郎追慕興行」が大きな記事になっていて「期待される菊五郎の船弁慶と暗闇の丑」がトピックスになっている。「関西側に菊五郎一座を迎へ二月開演する」とありその「狂言手引」の記事に仕立ててあるらしい、まだ記事は読んでいないが、というのも、総ルビの活字はちいさく、新聞紙は赤茶色く色変わりしているからだが、酸性紙でないとみえ紙の劣化は幸い感じられない。
開いて読むのが勿体なくてたまらない。わたしの生まれた昭和十年十二月二十一日から数えると、二歳四十日の新聞なである。正直の所、当時わたしが何処でどうして誰の手に育てられていたのやら、識らないのである。まだ秦の家に預けられてもいなかったのは確かだが。
この新聞の四頁(三から六頁、一と折)、わたしには、文字通り「お宝」である。舐めるように、細かに、昔風の惜しんだ云い方で言うなら、「たまいたまい」読んでみる。惜しいことに、一、二面そしてたぶん七、八面が欠けているので、その日のメインのニュースなどは読み取れない。
森さん、ありがとう御座います。これも、貴重なお祝いを戴いたわけで。感謝。
2006 1・16 52

* 「新しい書き手」の小説が舞い込んできた。一挙に三作。一番長いのは、三、四百枚ほどあるだろうか、それを読み始めている。
ユニークで、筆はよくこなれている。「のようというのだ」などに気配りして推敲すれば俄然佳い作品に纏まるだろう。コンピュータを作中にとりこんで、リアルである以上にシュールな構想と味わいに才能を感じる。くどい書き方でなく、行間に不思議な風が流れている。不思議な異界へ爽快に流されてゆく感じの、「e-文庫・湖(umi)」には、かつて例のない、あるとすれば昔、娘朝日子の書いた文章の感じに似ている。読み進めるのが楽しみ。
2006 1・17 52

* どこへ行く気もなくすぐホテルに帰り、いきなり地下の「アンカー」というバーへ入って、例の「ブラントン」をダブル、そして度数六十度近い名前を忘れたが「ミロなんとか」いったやはりバーボンをダブルでゆっくり楽しんだ。いつ来ても音楽もない静かな静かなバーで、行儀の佳い若い女性のバーテンが言ずくなに付き合ってくれる。わたしはほとんど此処でも口は利かない、ただ酒を呑んでいる。
出ると目の前に「桃李」という地下の中華料理店があり、なにとはなしラーメンが食べたくなり、入って、また一合紹興酒を呑んだ。
部屋に帰ると、服を脱ぎ散らし、浴槽で「八犬伝」をのんびり読み、(これをやると怒る読者がいる。)すぐベッドに乗ってまた続きを読んでいるうち、寝入ってしまった。眼が覚めたら一時頃だった。そのまま七時半まで寝たが、部屋が乾燥し口があまり渇くので夜中に一度洗面所でうがいをした。水も呑んだ。この水が美味かった。
2006 1・18 52

* 夜前、「イギリス史」と、中国の「随」の破天荒な治世とを読んだあと、『南総里見八犬伝』岩波文庫の五巻を読み終えた。ついに八犬士が出揃ってきた。今朝起きて、床の中で第六巻冒頭、犬江親兵衛仁が神女伏姫に愛育され、いましも姫の父里見義実の危急を救ったくだりを、面白く読んだ。続きが読みたい読みたいとなり、しかも音読に堪える筆の巧み。西欧の『モンテクリスト伯』に匹敵する巧緻の構想、加えて神変不思議。
物知りの標本のような馬琴ゆえ、うそかまことか面白いことを瑣事ながらいろいろ教わるし、舞台がいまの主に東京都中心の関東一円で、地名がいまに通っていて、それも珍しく興を惹く。まだ当分のあいだ楽しめるのがありがたい。
2006 1・20 52

* 今日は家内と俳優座の芝居をみてきました。昨日まで京都に二日いました。京都はちらちら小雪が舞いましたが、むしろ風情でした。
ボランティアですか。この言葉、広範囲に使われるようになり、見当がつきませんが、何をなさいますか。
わたしは、もうもう、自分のしたいことをするだけです。自分のしたくないことはもうしなくていいだろうと見捨てています。分別はなるべく用いず、喜怒哀楽にすなおになろうとしています。政治にも藝術にも人間にも、分別というマインドトリップに陥らず、感情を解き放とう放とうとしています。それがラクだからでもありますが。
正月早々この二十日間はあれこれしていましたが、明日から十日ほどは出歩く予定なく、ラクチンです。本が読めます。いま、日本書紀とバグワンの「ボーディダルマ」を音読し、他に旧約聖書、千夜一夜物語、英国史、世界の歴史、そして南総里見八犬伝と鏡花全集とを必ず寝る前に読んで、その外にもいろいろ読んでいます。どれもみな面白く。テレビの映画もいいのがあると観ています。今夜は「ペリカン文書」をもう何度目になるでしょうかね、それでも楽しんでいました、昼間の芝居よりずっと立派で。
糖尿病は良くなりはしません、インシュリンを朝昼晩夜と注射しながら、摂生もせず、好きに喰って呑んでいます。ま、元気にしているほうだと思っています。超音波で上腹部を検査したら「脂肪肝」だそうで。運動しないのだから当然でしょうと思っています。
井口さんが自在にインターネットがつかえて、いろいろ話し合えるようになるのを楽しみに待っています。 お元気で。  湖
2006 1・20 52

* いま一番感じ入っているのは、送られてきている小説の一作で、まだ読み通していないけれども、不思議な手応えがある。
一読して、あ、これは買い手が付く、少なくも本にしてイイと思う先が現れると思ったのは、先日本になって届いた松尾美恵子さんの『北条政子女の決断』で、題材に惹かれる惹かれないにかかわりなく、送られてきた文章の運びのほぼ間然するところない筆致に確かさがあり、読ませる「勢い」があった。
今度のそれは全く作風がちがうし、少なくももう一度二度は適切な助言のもとにディテールを推敲した方がいいけれど、もはやそれ自体はあまり問題ですらなく、物語の運びに、さ、これはわたしが不慣れで確信できないモノの、よほど独特の材料で、思い切った書き方で、淡々とかつ意表をついており、若い適当な編集者に読んでもらえれば「乗る」人がきっといる気がする。いて欲しいなとわたし自身希望し期待する、が、まだ一作品の三分の一も読んでいない。それでいてそう思わせる力が、作品のなかみと、作者の無欲の筆致・筆力に隠れている。
2006 1・21 52

* 同志社の田中励儀教授から、岩波版の新編「泉鏡花集」完結に伴う別巻二巻が贈られてきた。完備している。この版は鏡花作品の舞台(府県・地方)別に新編成された斬新な企画で、田中さんのような気鋭の研究者たちがすばらしい探索と理解の軌跡をみせた佳い全集であった。
田中さんの担当した巻々をわたしはみな頂戴してきた。装幀も造本も編集も改題も立派に出来ていて「岩波書店」として誇っていい仕事になっている。
この完璧で斬新大胆な企画からすると、谷崎学者達の非力と志の低さも手伝うのか、『谷崎潤一郎全集』はいっこうに完全無欠に近い全集が出来ない。これは版元も、学究も、関係者達は恥じていい。(ひそかに大々的に進んでいるなら前言撤回するが、噂にも聞いていない。)谷崎の研究者達が大きな志で協働してゆかない、小さくあちこちに割拠して、目に見えない無意味な力競いをしているのかもしれない。指導的な学者・研究者をもたない谷崎潤一郎の不幸である。藤村にも鏡花にもある研究雑誌すら出せないでいる。いったい、いま、谷崎学を真実大きな仕事でリードしている「身の盛り」の研究者はいるのか。いないのか。
2006 1・25 52

* 国際ペンの前理事であり、日本ペンの同僚理事である堀武昭さんに、新著『「アメリカ抜き」で世界を考える』を頂戴した。
「反米」を叫ぶだけの時代は終わった。より大事な世界の潮流に、「非米」が、しっかり強まっている。「非米」という「もう一つの世界」は可能か。アメリカ中心の覇権主義を批判的に検証し、新たなパラダイムを目指し連帯を始めた世界の「非覇権主義」の動きを、ダイナミックかつ堀さんならではの冷静な視野と視線からレポートされていて、ひろく読まれたい強い大きい提言になっている。克明に目次の項目の一つ一つにたちどまり想像力を働かせるだけでも、このマニフェストは今日に価値あるものとわたしは感じた。早急に読み進み読み終えておきたい。

* 小松の井口哲郎さんの作、昭和三十六年また三十九年に放送されていたラジオドラマの脚本二作「能登の火祭り」と「ホトケの後裔(すえ)」を戴いて、おもしろく読んだ。
能登島の火祭りに、もう亡くなった、井口館長の前の新保千代子館長(石川近代文学館)に、わたしはわざわざ連れて行ってもらったことがあり、ドラマの、声と言葉と音響で表現されている場面が、なつかしく浮かび上がった。昭和三十六年八月の放送なら、わたしたちは娘朝日子を育てながら、新宿区市谷河田町の「みすず荘」から北多摩郡保谷町の医学書院社宅に移ったころであろうか、わたしが処女短編「少女」や中編「或る折臂翁」を書きだすまでに、もう一年ほど間があった。
三十九年の「ホトケの後裔」は好評作であったらしく、ムベなるかなと想う取材と表現である。平家物語に名高い「仏御前」は加賀の出だといわれ、謡曲にも謡われている。井口さんは「ホトケ」にまつわる地元の伝承や記憶に足場をかためながら、現代の男女を介して人間の「こころもとなさ」をさらりと批評されていた。さらりと、は、井口さんのお人柄であり持ち味であり、だがそれだけで井口さんを語り終えてしまうのも軽率であるだろう。

* 井口さんの脚本から、またお手紙から、耳にとまった二つを書いておく。一つは火祭りの能登島の人たちが、対岸の北陸本土を「大陸」と呼んでいて、ビックリした。多くのことを想像させられた。
もう一つは、学校の先生であったろう井口さんは、その当時気が進むと懸賞のラジオ劇を書いたそうだが、懸賞稼ぎの書き手がいつもいて懸賞をさらっていった、それはたいてい「井上やすし」か「藤本義一」だったとお手紙に打ち明けておられる。井上靖が、小説であれドラマであれ「懸賞」をかせぎまくった猛者だったことは知られていて、その動かぬ一証言を聞いたことになる。藤本さんもそうだったのかと、興ふかく聴いた。
井口さんは秦さんに読ませるだけだといわれるが、日本ペンクラブの会員であり、「ペン電子文藝館」にどちらかをちゃんと保存保管しておきたい。

* 井口さんとは、もう何十年になるか、もっともお付き合いの永い読者であり知己である。どれほどお世話になってきたか知れない。そしていま退隠のときを迎え、インターネットにやっと眼を向けられて。
わが有力なE-OLD党がまた一人増えたと言っていい。わたしより幾つかの長者である。
2006 1・26 52

* 仕事のあいまに「長い小説」に読みふける。わたしの夢に在ったような小説だ。注意深く読み返せば、文章としての推敲はさほど難作業には成らないだろう、壮大な構想のディテールにおける補強や修訂は、この作者の力なら出来るだろう。まだ全一編を読み通すのに数日かかりそうだが、物語世界に惹きこまれている。
むろんこの手の作品は、今日の若い書き手世間にはむしろ数多いのかも知れない。わたしが、「精経入水」や「冬祭り」や「北の時代」を書いた頃の文壇には、こんな異界・他界と交通自在な小説は、ほぼ絶無だった。幻想という名にかけ、美と倫理ということをいわれるのが常のようなわたしの文学であったが、美と倫理はともかく、幻想性は昨今の映像作品を通してでも、むしろ普通にちかく普及しているのではないか。あとは独自性というところに勝負があるのだろう、その点でもわたしのいま読んでいる新人の長編は、題材においてユニークな、類のない創意工夫を示している。
作品が重苦しくない、世界がはんなりと透明に明るくて、読み通すのが楽しみ、毎日それがアタマにある。二十代では書けないだろう、もう少し、いやかなり知の蓄えがありそうな世代にあるらしい。
2006 1・26 52

* 読み上げた小説は、ほぼ四百枚あった。大きな破綻なく書き継がれていた。ナミの作品ではなかった。『ゲド戦記』を引き合いに出すのはル・グゥインに失礼だが、サン・テグジュペリの、評判ほどに思わない『星の王子様』より、わたしにはストーリイの運びや題材が面白かった。
率直にいえば、遠心力のほうが求心力より以上に働いているため、運ばれるストーリイがやや拡散して強力に引きこまれるということが、やや乏しい。エンディングにも今一段の壮大な盛り上がりが期待される。人物関係をたえず頭の中で組み立てまた組み立て直しながら読んでいた。
ちょっと類のない題材からの物語化で、まだ雑炊に似たバラツキもあるにはあるが、巧みに更に火をとおせば、渾然とした佳い味の粥かスープかが出来るだろう、意欲はよく生きて働いている。
一種の創世記ふう・神話ふうな史譚とも謂える。なにをメッセージしたいか、その辺が求心的に芯になってほしい。
さ、これを、どうしたものか。とりあえず、もう一つの短編か中編か、を読み始めている。
2006 1・27 52

* 送られてきた小説のうち百三十枚程度の小説を読んだ。この作者の美徳は、はんなりとしたファシネーションの軽やかさと透明感とを、作品に自然に表すことの出来ること、そしてディテールに至るまできちんと表現できて、ところどころにはっとする美しいイメージを象嵌できること。ムリ書きや渋滞感を感じさせない。
いわゆるリアリズムではない。美しいガラスに映った向こうの世界かのように書いている、情景も、人物も。それがリアルな世界にない謂うに言われない哀情とも優情ともなって読者に柔らかにせまる。
この短編ないし中編の完成度はかなり高い。そしてそのロマンチズムの底を脅かすほどの思想性または批評の昏さが、重い碇になっている。この作品を、わたしは無意識に以前から読みたかった。
2006 1・27 52

* 堀武昭様
『「アメリカ抜き」で世界を考える』を賜りました。時宜に必中の佳い御本だなあと、その日の私のサイトで紹介し、そして読み始めて、かなりブルブル興奮しながら読み終えました。いつもながら、たくさん教わりましたし、受け売りでも人にぜひ吹聴したい誘惑にかられます、おゆるし下さい。
七十になり、また新たに思いましたのは、「逃げ腰では、とても」ということでした。この地球上、いまや逃げ込める場所もなく、逃げ込んでどうなることかと、どんなにイヤなことがあろうとそれとも向き合って生きようとまた思い返しました。母の亡くなりました年齢までですと、私はもう二十六年生きねばならず、三十歳から五十六歳のようにはムリと知れていても、「逃げ腰では、とても」やってゆけるワケがありません。ことに、この現代です。これからの未来です。それだけにいい人や、美しい楽しいモノ・ゴトと、ひとしおよく付き合って行きたいと。
そういうときに指針の一つとなる、示唆にあふれた御本の、平静で透徹した論旨と筆致とに、感心いたしました。ありがとう御座いました。
お大切にお過ごし下さい。   秦 恒平

* 田中励義様
(岩波版)新編・鏡花集 完結を心から頌えます。すばらしいことです。私は、おもわず「谷崎全集」はどうなってるんだぁと歎いてしまいました。私流の最大の称讃と羨望だと受け入れて下さいまし。
別巻二冊頂戴し、特製特大の佳いピリオドが打てたなあと、美しい仕立て本を、箱から出しては入れ出しては入れして、頂戴した日からさわりまくり、手当たり次第に読みふけっています。紅葉先生に関わる鏡花と風葉とのインタビューなど、嬉しくてなりません。そして新出の作品群もその気で観ていますと気付くことなどあり、有難い。
なにより年譜、これは作家研究・作品研究の到達点を示すものと思い、また言ってきましたが、その思いを新たにしました。有難いことです、これあってその上に個別研究が生気を得るのですから。ありがとう御座いました。
心より御礼申し上げます。そして、ますますご活躍なさいますように。
私は、春陽堂版の全集を第三巻まで読み進めました。
夜、仕事を終えますと、まずバグワン・シュリ・ラジニーシの本(今は「達磨」)と、「日本書記」(今は「欽明紀」)とを音読し、寝床にもぐってからは、「旧約聖書」(今は「申命記」)と「世界の歴史」(今は「唐」)と「英国史」(今は「獅子心王リチャード」の没)と「アラビアンナイト」(今は全体の四分の一ほど)と「南総里見八犬伝」(今は半ばを少し超えて)を、それから鏡花全集(今は「三枚続」)とを、必ず、少しずつ読み進めまして、そのほかに読みたいものを読んで、そして、寝ます。そういうことの心おきなくできるのが古稀の功徳なんでしょうね。呵々  秦生
2006 1・28 52

* 我よりも長く生きなむこの樹よと幹に触れつつたのしみで居り   斎藤 史

* 仮に「幹」とでも作者を呼んでおくが、「幹」から送られてきた三編の小説の最初に書かれたという八十枚ほどの小説を最後に読んだ。連載中のブログに、一回分を二つ行き方を変えて書いたりなど、いかにも習作であるが、厳しい勝負世界の内容を、不思議にシュールに、しかも生活そのもののなかで表現している。作中単身赴任の寂しい「男」を「父」として面倒をみにくる「娘」の活気には、不思議に目に見えない「はたらき」がある。たわいなげなオハナシのようで居て、凄みのきいた背後の闇をかかえ、そこから人生を厳しいとも温かいとも読み取らせる「複眼の照り」も有る。四百枚の長編とも百数十枚の中編とも異なった、しかも双方の基盤になっていそうな体験が描かれているようで、「幹」がやがてまた新たに書くと予告しているブログ小説を、わたしは楽しみにしている。
2006 1・28 52

* あけがた四時まで『八犬伝』を読んでいた。何冊もの読書の最後にこれを読むのは、読めるだけ読んで楽しもうというハラだから、夜前も、もう寝ようと手水に立ち、床に戻ると、尿意も退治したことゆえ、もう少し読もうと、また先へ進んで、四時になった。いや四時に手洗いに立ち、灯を消したのは六時であったかもしれない。

* そして、ゆっくり寝た。夢に、なんだか背丈ほどある機械物を、うかとしたことからこまごまと解体してしまい、途方に暮れながら、ウーンと唸りながら、また間違いなく組み立てていた。奇蹟だと思いながら、ハラハラした。
何の夢だか知らないが、たわいない。そんな夢のあいだに、宅急便が校了紙を玄関まで取りに来てくれたのも知っていた。安心して寝ていた。
2006 1・29 52

* いま、わたしのアタマを占めているのは、「幹」さんの、読み終えた三編の小説。どうするのが、いいか。
好機は、逸してはならない。作者と話せれば。
いま、妻が熱心に読んでいる。
2006 1・29 52

* もう会期の切れる当代の「楽茶碗」を、もう一度観に行きたかったが、美ヶ原への留守二晩のあいだに黒いマゴが額や耳を傷めていたらしく、改善しないので獣医に診せに行った。完治にはしばらくかかるらしく、五日に一度ほど投薬を受けに運ばねばならない。
発送の用意もまだ半途、じりじりと手を付け、前進を怠けることはできない。六日の木挽町までに用意をほぼ終えておきたい。
めずらしくもう十日以上都内へ出ていない。おかげで心おきなく夜更かしして、いろんな本読みを楽しんでいる。
2006 1・30 52

* 十数年両親とは離れている娘朝日子が、自分のブログで「小説」を書き始めたことを、弟の建日子に報せてきて、それを建日子は誰のサイトとも言わず、わたしに報せてきた。
誰のとも分からないあやしげなブログになど触ってみる気はないと返辞すると、まあ、そう言わず覗いてくれと強って言われ、建日子自身の「隠れ書斎」なのかと思い、あまりお遊びに手を広げていないで、当面の大事に一心に集中したらと返辞した。電話がすぐ来て、「朝日子が書きだしたんだよ」と言う、わたしは、びっくり仰天した。作品の出来がどんなであれ、嬉しかった。
読みにくいブログ原稿を、長い時間と手間をかけ、読みやすく一太郎に転記して読んでみた感想は、この「私語」に、つづけざま、たくさん書いた。何度も書いた。しかし朝日子の作品だとは言わなかった。言えなかった。弟が父親に伝えることを、姉は、朝日子は、「厳重に禁じている」からだと建日子は言う。それでも建日子は伝えてきたのである。
朝日子は、それを予想しなかったろうか。わたしに伝わることを期待していなかったろうか。朝日子は、以前からわたしのホームページは見ているのである、それは分かっていた。わたしが、今度の朝日子三作品を珍しくたいそう褒めている、評価していることも知っている。そう思う以外にない、直接に確認出来ないが。そしてその事に関して、姉が弟のところへ「なぜ親に伝えたか」と、怒ったり、苦情を言ってきたりしていないことは、妻から息子に確認して、分かっている。
朝日子は問題にしていなかったようだ、が、建日子は、姉弟の関係がわるくなるので、おやじたちはあくまで知らないことにしておいて欲しいと繰り返した。親心として、なかなか理解しにくいことだった。

* 一月二十八日、朝日子の二つの仕上がり作品を読み終えた時点で、わたしは、嬉しい気持ち、驚きの気持ちを建日子にメールした。全文を挙げる。

* 建日子へ  父
この間は、朝日子のメールもともに、朝日子の「創作」を読む好機を贈ってくれて、心より礼を言います。
朝日子が碁の仲間との、チャットか掲示板かに「ちょこちょこ書いている」という情報は、彼女の碁友という男性から、ちょうど去年の今頃に報せてきていました。
わたしは、そのとき、書いている「そのもの」を一部でも読みたいと頼んだのでしたが、朝日子を憚って、何処に書いているとも、此のようなものとも、見せてはもらえなかった。わたしは失望のあまり、朝日子には細切れの空気抜きのような文章は書いてほしくないのです、しっかりしたものの書ける力があるのだからと、やや八つ当たり気味の返辞をしたものです。
今度、四百枚前後の長編『こすものハイニ氏』(わたしの付けた仮題です。原題は「こすも」)と、百三十枚ほどの『ニコルが来るというので僕は』を、多大の興味をもって通読し、正直、感嘆しました。
この二作とも、初稿のままでしょうが、水準をしっかり超えた、慎重に手を入れれば独り立ち可能な、売り物にもなろうと思う作品でした。
両作とも朝日子の仮名・無署名のブログに、一日も欠かさず書き継いでおり、前者は十ヶ月も連載し、構想的に大混乱させることなく綺麗に書き切っています。文章も、せいぜい一度二度の推敲でぐんと良くなるほど、朝日子本来の文章センスが生きていました。一種独特の魅力を、ファシネーションを、はんなりと発揮していました。まがうかたない才能の所産でした。
後者の中編は、今年の建日子誕生日に脱稿されていました、贈り物として上等なもので。文学賞に佳作入賞してもおかしくない、ピンとした、ロマンティツクでもあるが不思議な批評性を根に秘めた一編の物語、かなり独特なものでした。父は感心しました。
朝日子と逢えなくなって十三年ほどですが、じつに嬉しい「再会」でした。
十数年、わたしには、朝日子にも書いて欲しい、書けるのだから、という信頼が強く根づいていました。弟が活躍すればするほど、へんな雑念はもたず無心に「書き表す」嬉しさを朝日子にも味わって欲しいと、それこそいつもいつも思い、母さんとも話し合ってきました。
朝日子は、その願いを、大晦日も正月もなく少しずつ書き続けるという、父さんの思い通りの仕方で、無欲に無心に新世界を紡いでいたた、書きつづけていた。完成度のかなり高い、ユニークな文学世界を。
あの悲劇的な醜悪な事件このかた、こんなに嬉しいことは初めてです。自発的に「書いた」「書き続けた」「よい作品になった」のですから、父は、言うことなしの満足で、感謝です。
作品の感想は、父だからという身贔屓なしに、一人のきつい「読み手」としての平静な批評です、称讃です。ウソは言わない。
こんな喜びを、建日子の配慮から得られたことに、もう一度お礼を言います。おまえからも、さらに励ましてやってほしい。
これらの作品は、好機を得て、よく出来る親切な編集者に読んで貰いたい気持ちです。
方面の全く異なった「創作」で互いに屹立出来るかも知れない 秦建日子と秦朝日子。 おまえはヘキエキかも知れないが、父さんと母さんの夢が一つまた出来ました。しかしそんな世俗のことはともかくも、朝日子が期待通りの力を発揮していたこと、それも肩に力の入らない清明な纏まりのいいものを、なにより自発的に書いていてくれた事、で、わたしは大満足です。嬉しい。
もういちどこの弟と姉とに、感謝します。
建日子。さしつかえなければ、このメール、朝日子に転送してやって下さい。  父
朝日子。あわてなくてもいい、書きたいこと、書かずにおれないことを、しみじみと、心行くまで書きなさい。苦しみをも楽しんで。  父

* 建日子は、だが、朝日子にこのメールは伝えない方がいいと言ってきた。よく理解できなかったが、作品への称讃やわたしたちの喜びは、ホームページを通して伝わるのだからと諦めた。
母親は、妻は、朝日子は父親のホームページを見ているのだから、それを通して話しかけてやってと提案し、わたしもそうしようと思った。このメール時代に、なぜ朝日子とわたしとの間に「個と個」との対話や交感が不可能なのか、建日子にずっと以前から頼んできた「朝日子のメルアド」をなぜ教えては呉れないのか、ほとほと理解できなかった。もし親と姉娘とを引き離しておく必要が有るのなら、朝日子の小説ブログをわたしに強いても教える建日子のはからいは、真意が汲みにくかった。

* そのうち予告通り、二月一日から朝日子の新作がはじまった。だが、(起こる頃だと)心配していた「運び脚の重さ」や行文のちいさな「杜撰」が重なり見えたので、早く注意して、より良く書いた方がイイと思い、妻も賛成していたので、「私語」として、作品書き出しの一部に、すぐ気の付くダメ出しを、具体的に書いた。むろん朝日子の作に、とは、ひと言も触れなかった。
だが建日子は折り返し咎めてきた。自分は、弟は、即座に姉に対し、父にサイトを報せた「信義違反」を「詫びました」と言ってきた。咄嗟に、この際もっと大事なことがあるのにと思った。大事なのは姉弟の関係というより、これを好機に、朝日子と親たちの多年「喪ってきたもの」が回復出来ないか、みなで深切に情意を尽くすことではないかと感じた。もともと、吾々一家と朝日子との間に、何一つ喧嘩の種など無かったことは、経緯に照らして明瞭なのだから。朝日子は「状況」に対し殉じたのであり、わたしは理解していたから、それでよいとして、朝日子に向かい久しく一指も動かさなかった。古稀に辺り歌集『少年』を妻から送っただけである。
ところが、わたしがホームページに、すべて、ああいうことは書かない方がよかったと建日子は断定する。父親の「独善」だと。朝日子は、「少なくとも父である秦恒平からだけはアドバイスされたくないと思っているのは明白です」、と。
現に朝日子は書きかけていたブログを閉めている。
父への、みごとな一刺しであった。

* そうなのか……。わたしは、建日子のメールを読んで、瞬時に積年の鬱を散じた。すべて忘れること、少しも不可能ではない。こういうことも有ろうかと、自分の胸にも問うていた三句が、幸か不幸かムダでなかった。

冬の水一枝の影も欺かず   草田男

一筋の道などあらず寒の星    湖

己が闇どうやら二人の我棲めり  遠

呵々。  (朝日子の作品に関連して私語したすべて、愛情も称讃も懸念もウソ・イツワリなく、そのまま機械に保存しておく。)

* 建日子がどんなことを思っていたか、書いているので読んでやれと妻は言う。わたしに宛てられたものではなく、建日子の外向きの「私語」である。わたしの「私語」と同じで、その手のモノは、読みたければ読み、気がなければ触れることもない。わたしに直に宛てて別に、今朝も建日子のメールが届いていた。それは読んだのだ。それとブログの物言いとに齟齬あっては可笑しいわけだ。建日子はわたしに宛てて言っている。
朝日子の作品にふれて褒めるにせよ貶すにせよ、ホームページに、すべてああいうことは、書かない方がよかった、と。父親の「独善」だと。朝日子は、「少なくとも父である秦恒平からだけはアドバイスされたくないと思っているのは明白です」、と。
それで足りている。
嬉しさの余り、ことが「小説・創作」でもあることから、わたしが出過ぎた、と。そういう咎めである。「独善」だと。
分かった。
わたしはそういう「独善」が好きだ。自分の熱いいい性格だと、独善的に肯定している。朝日子も建日子もそういう「独善」に愛されてきた。育ってきた。よかったではないか。これまでもそうだったように、この先も、その場その場で「おやじのせい」に出来る。親は「壁」という、それがその悪い方の意味である。良い方の意味があるのかないのかは、銘々に考えたらいい。

* 二月は、ただただ寒い。
2006 2・7 53

* さ、早めにからだを休めよう。「アラビアンナイト」が面白いし「八犬伝」も面白い。旧約聖書も読み良くなっている。鏡花の「三枚続」はかなりごちゃごちゃしている。それよりアンドレ・モロワの「英国史」が興趣に満ち、記述も簡潔、要領が良い。イギリスという国の特異性がこう巧に記述されているのには、再読ながら感心している。そして「大唐国の繁栄」ぶり。少し胃に凭れるほど。
いま一番熱心に読んでいる一つは、堀武昭さんの『「アメリカ抜き」の世界を考える』洞察の本。素人なりに漠然と、しかしきつく実感してきたいろんな私の思いを、信じがたいほど広範囲にこの本は裏書きし、支持してくれる。つまり私の思いを相当に代弁してもらえている。熱心に二度目を読んでいる。
2006 2・8 53

* 元名古屋大学の山下宏明さんから、大著『琵琶法師の平家物語と能』を頂戴した。わたしの『能の平家物語』は文士のエッセイだが、これは研究者の労作。拝読をたのしみに、今夜からベッドサイドブックスに加える。山下教授に招かれてNHKラジオで平家物語を話し合ったことがある。お目に掛かったのはその一度きりだが、湖の本の欠かさぬ講読者の一人でいてくださる。
わたしの心づよさは、国文学、歴史学、現代文学の錚々たる学究と、大勢知り合っていること。いちいち会いはしないが、とても身近に感じられる頼りになる方を、多年のうちにずいぶん多く存じ上げている。わたしの書庫にはそういう知友から戴いた貴重な著書が数知れず増えている。だいたいわたしは本を買わない方なのに、書庫は満杯で通路にも歩けないほど積まれてある。まあ、よく読んできたものだと我ながら呆れるほど。
2006 2・12 53

* いま『千夜一夜物語』が好調に面白い。素地から浮き上がる図形だけを見つめているような読み方で、背景の「アッラー神」世界についてはおよそ何も知らないわたしだが、物語られている、気の遠くなりそうに美しいといわれる王子王女らの数奇の恋の幾変化が、奇妙とも深甚とも哲理ともよめる数々の詩とともに、極彩色に装飾されていて、それでいて胸にもたれないのが有難い。
アラビア人の名前がうまく覚えられないが、一人のお姫様にして他国の王女を娶って男装の王となり、災難に遭って流浪の夫王子と宮廷で邂逅し、夫に男装の気付かれない儘、当の恋しい夫王子にわざと男同士の性愛を強いて困惑させる割るふざけのあたり、詩篇も盛りだくさんに、露骨で、滑稽で、軽妙に面白かった。その王女で男装王で元妻の名が、たしかヴドゥル姫であったか。
旧約聖書の『申命記』を読み進んでいて、エホバ(わたしの新旧約聖書文語の一冊本では、そう在る。)の徹底支配世界が、「アッラー」神への徹頭徹尾の帰依とみえるアラビア世界と、わたしの頭の中で無責任に重なってしまう。

* 『八犬伝』もいま八犬士が勢揃いして、さ、やがていよいよ安房の里見侯に初見参するのではないか。

* 堀武昭さんの本の、徹して正鵠を射たアメリカ・イスラエル批判に頷き頷き、赤鉛筆片手の深夜の読書も、目を冴えさせる誘引力。
2006 2・13 53

* 必要あって、冷える書庫へ今日は二度入る。用事のほかに、ああこんな本がある、こんなのをじっくり読んでみたいなあと思うのを何冊も見つけ、誘惑された。
分厚い滋賀県の『神崎郡誌』上下、これも分厚い山城の『加茂町誌』。腰をすえて読み出せば、身内の血が煮えてくるかも知れぬ。
2006 2・14 53

* 世界史が、今夜から『イスラムと中央アジア』に入る。『アラビアンナイト』のお蔭で、イスラム世界が妙に親しい。その上、いま堀武昭さんの本を熟読中で、どうしてもアメリカ・イスラエルよりも、西欧よりも、気持ちがイスラムやアフリカの方へ寄って行く。『八犬伝』もやがて第八巻に入る。八犬士の全員が安房の里見家中に顔を揃えた。これからは文字通り南総の里見家幾変転の物語になるのだろう。
『旧約申命記』で、イスラエルの民にのしかかる神エホバの、すさまじい個性! に驚き続けている。
2006 2・17 53

* ある高名な小説家の遺児が、父親の文学や生活を書かれて、わたしも戴いて読んだ。かなり時日をへだてて、あの本の中の一部を「ペン電子文藝館」に欲しいと頼んだら、あの本は読み返すたびに自己嫌悪で死にたくなるほど、とても「書けていなかった」「恥ずかしくて」と、断られた。燈台もと暗し。身近な人なら書けるという保証はなく、参考にはできても正鵠を得ていない、むしろとんでもなく見間違えている例は、その手の近親の著作にはまま見受ける。
2006 2・18 53

* わたしの「孤室」に訪れた人たちがもう二十人あまり、その中で、息子を見つけた。平凡でへんな「ニックネーム」だが「ブルー」などとしていなくて宜しい。
ところでその秦建日子の小説第二作が、講談社から出て、題して『チェケラッチョ!!』なんのことだか? 第一章が「父の押し入れ」だって。
読んでみるとベラボーな速度感で、完全無欠のタメグチ小説。語り手は女の子。姉がいる。英語の話せない二十歳の姉が日本語の話せない四十歳の米兵とアッケラカンと結婚式をあげ、父親は押し入れに籠もって結婚式に出なかった…。舞台は沖縄であるらしい。
これは、わたしの読者も読みたいかもしれない。才能は、いやこんな物言いは渋谷や歌舞伎町や原宿でウンザリするほど拾えるだろうから才能の尊称はもったいないが、それを駆使に駆使して速い速い。その文体が珍しいのか珍しくないのかわたしは知らない、むろん逆立ちしても私には書けない。書けても書かない。
だが、本気で読み出せば機械仕事の途中の今にも、まるまる一冊簡単に読んでしまえる程度の、厚紙に刷ったいまいまのお安い本である。「読ませる」という力と勢いとは十分有る。
作品そのもののことは、第一章だけ読んでなにも言えないが、時間つぶしがイヤで、一応本はそばへ置き、父親からの「紹介文」をさきに書いておいてやるとした。なんだか、この夏にも映画化されるとか。マスコミの鼻くそみたいなものになりませんように。

* 小説では、作中の父親はしばしば一升瓶を手に「押し入れ」に隠れるとある。「押し入れ」を、『北の時代最上徳内』の冒頭から繰り返し書いている「部屋」と同じと観ることはできるが、建日子は読んでいないだろう。だが、感じてはいたのだろうか、むろん小説と我が家とは別物だが。

* 我が家の姉娘の結婚式は、先方父君が逝去直後だった。当時帝国ホテル支配人であったわたしの読者にたすけられ、式場もきまったし、来賓の多くもわたしからお願いした。
それより以前に、年齢からするとわたしたち夫婦へずっと近い熱烈候補者を娘が連れてきて、ああ、それは避けたい(理由は有った。)と、私も妻も心を痛め、たまたま早大の小林保治氏に紹介された教育学部の助手君と会わせてみたら、あっさり娘は若い美男子に乗り換えてしまったのである、それが娘の結婚への経緯だった。
結婚後に生じた不祥事は、尾をひいて今に至っているが、分かりよく謂えば「学者の妻の実家は、娘の夫を経済(家と生活費)支援するのが常識」という、わたしから謂えばバカげた要請を当然「断った」ため、「妻の親」はひどい暴言を浴びせられ「絶縁」を言い渡されたというワケ。
わたしたちは、親子よりも夫婦の横軸を大切にする思想なので、娘が離縁されて戻されるより、娘を諦める(引っ張らずに手を放す)道を選んだ。「親に勘当された」と娘がいまも言うらしいのは、そのためである。
わたしが、娘に望んでいるのは、一つ、健康でいて欲しい、もう一つは才能を活かし心行く人生を送って欲しい、その二条に極まっている。
娘は、何が有ろうと私たちの娘で、建日子の姉である。みんな、心から愛している。夫の存在は、きれいに脳裡から削除されている。
息子には息子の思いがあるだろう、その思いがいくらか今度の戯作に反映しているとしたら、わたしも好奇心をむけて読んでみよう。文体も推敲も利いている。推敲の苦労を避けるために一文が極端に短い、これまた建日子の得意な「ト書き」小説風を貫いているようで、『推理小説』と行き方はかなり異なっている。新鮮。みなさん、読んでやって下さい。
2006 2・19 53

* 山下宏明さんの大冊『琵琶法師の平家物語と能』も、堀武昭さんの『「アメリカ抜き」の世界』も、赤ペンを手に、最初から克明に読んでいるので、同様にしている世界史の『西域とイスラム』アンドレ・モロワの『英国史』上巻との四冊は、どの頁も赤くにぎやかになる。自然読むのに時間をかける。
いまは『アラビアンナイト』が快調。『旧約聖書』もおもわず歎息したり噴いたりするほど、面白い。
鏡花の『三枚続』は読み取りにくく、粘り読みしている。だが岩波版『鏡花集』補巻におさめられた、例えば師紅葉を語る鼎談やインタビューでの鏡花証言は、すこぶる貴重、興趣も満点。
『日本書紀』は推古紀に入り、聖徳太子や蘇我馬子らの時代になる。仲哀天皇や神功皇后の伝承時代に始まる我が国と朝鮮半島との交渉の、繁雑このうえない推移に、眼をむいている。この間の日本史とは、半島との軋轢・葛藤・戦闘・外交の経緯でほぼ埋め尽くされている。それも初期の任那経営からジリジリとした後退し撤退してゆく経緯あらわ、これが天智天皇のときに決定的な敗北と撤退に到るわけだ。
『八犬伝』は、そろそろ高田衛さんに戴いた大冊『八犬伝の世界』と併読に入る。原作を読まずに研究書ではシンドイので、友人にプレゼントされた原作文庫十巻をやがて七巻の終わるところまで一気に読んできた。そろそろ高田さんの講義を聴きながら原作を読み上げてゆきたい。
とどめは、やはりバグワン。『ボーディ・ダルマ』に推服している。

* そして昨日は秦建日子の『チェケラッチョ!!』も一冊読み終えた。
推理小説に次いで今度は幼少読み物。詳しい感想はじかに作者に伝えた。
手短かに言うなら、終始タメグチできびきびと面白くよく書けており、「読ませる」藝とちからに感心したが、筋書きはやすいテレビドラマなみの、イマドキ演歌。息子の作でなければ読まない。わたしの読まないようなモノほど、間違いなくよく売れる現代日本だ、大成功してほしい。
2006 2・20 53

* 久しい読者のお一人の田中荘介さんとの出逢いは、ふとしたことであったが、詩とエッセイとを書く人と知ったからで、それに惹かれたからであった。最近、日本ペンクラブにも入ってもらった。
この二月に古稀。二・二六事件の三日前というから、明日、誕生日。田中荘介詩集『少年の日々』を出版し自祝されている。「ありがとう」「しあわせ」にはじまり「そふ」「そぼ」「ちち」「し」「ふうけい」で結ばれる二十二編の詩がならぶ。佳い。

* ゆれる   田中荘介

少女は
廊下の窓の敷居の
上にのっかって
ひざをくんで
スカートがすこし
めくれあがって
白い下着が
わずかに見えて
こっちを見ていた

教室の中から
見える
少女の表情は
逆光のため
さだかでなかった
背景の
櫻の木の枝が
かすかに
ゆれていた

* わたしの古稀自祝の歌集『少年』巻頭歌が、
窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる
高校に入学したばかりだった。「うるみがちなる」はわたしの過剰な視覚だったろうが、けぶるような視線だった。松園の「娘深雪」を観たとき思いだした。田中さんの少女もスカートをはいているから戦時の国民学校時代ではあるまい。敗戦し、時を置いて京都の母校へ復帰したとき、もんぺでないスカートの少女 (まだ数少なかった)がどんなに眩しかったことか。

* そぼ    田中荘介

早く目がさめると
離れのへやの
祖母の
寝ている布団に
もぐりこんだ

祖母がしてくれた
むかし話は
起伏にとみ
ひきこまれた

くり返し聞く
石童丸の話は
父に会いにいくところで
いつも泣いた

ときには
やわらかくぬくい
おちちに
さわった

* 田中さんは人も知る「播磨国風土記」研究の人でもあり、著書もある。おばあさんに聞いたむかし話にもまじっていたのだろうか。最後の四行が、肌に粟するほどはずかしい。嫌悪ではない、深い憧れで。わたしは今でもそうだが、「おちち」という言葉がはずかしくて、口に出来なかった。「おちちにさわ」りたかった。残念なことに生母の「おちち」は全く知らない。さらに残念なことに養母にはほとんど「おちち」が無かった。祖母はいなかった。
2006 2・22 53

* MIXIに、八日にわたって連日「心」論を書き続けている。漱石の『心』論ではない。まさしく「心」を、まっしぐらに論じようとしている、少なくも語ろうとしている。場所も場所、場違いすぎて、反応は全く期待していない。立ち往生する怖れも大いにあり、とは言え、いまぶん順調に書き進んでいる。少しずつでも、三十枚をもう越したかも知れない。短く毎日区切れることで、いい働きができるかも知れない。
MIXIの中に、作品は読めないが小説を書いている人、かなり熱くなって書いている人もいるようだ。読んでみないと分からないが、いい若い書き手に出会いたい。すぐれた読み手にも出会いたい。そう思うようになった。
いまのところわたしより年寄りには出会わないが、年輩の人もいる。二三日前のわたしの「静かな心」のためににコメントして、伊勢物語第一段の「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず」という和歌を書き込んだ人など、いい年のようであるが、どういうことか。
「返歌さほどならず」とわざわざ書き添えてあったのは、例の「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに」に当たるが、「さほどならず」というのは、べつの返歌を要求されたのか。即座に一首。
みちのくのしのぶもぢづり誰ならで色染む花としるや知らずや
2006 2・22 53

* 娘朝日子のブログ連載小説を、こつこつとダウンロードしては読み、また同様に読み継いでいたあれでどれぐらいな期間であったか、幸せだった喜びが、いまもともすると甦ってくる。
毎日、ブログをひらくのが楽しみだった。どこかで会って飯を喰おうが話をしようが、そんなのとは比較を絶した、小説を介した娘との日々の対面だった。十数年見ない顔が行間に行文にありあり見え、声まで聞こえるようであった。
ま、わたしが出過ぎたのであろう、亀が頚をすくめるように、新しいブログ作品そのものが中途で消え失せ、行方知れない。どうか、わたしを気に掛けないで心行く創作を続けていてくれるよう、心から願っている。
弟の活躍ぶりに立ち向かう必要など少しも無い。書いて生きればいい。
いったい誰が朝日子の小説を読んでくれるのか、いい読者にも恵まれて欲しい。そして、心身ともに、健康に。

* 一時半ごろに床に入り、それからの読書がはかどりすぎ、眠れなくて、また真夜中から明け方へ読み継いでいた。『八犬伝』は文庫本第八巻に入り、鏡花『三枚続』も読み終えた。何が何して何とやらといった小説で、戸惑いつづけていたが、終幕で意外に情緒を揺すられた。
だが感動を新たにしたのは、たまたま持ち出した『伊勢物語』で、ぱらんと開いた半ば辺から読み始めたが、和歌のいいこと、何度も何度も読んでいる伊勢だが、しみいるように和歌の美しさ面白さ、また雅びな優しさに、目は冴え冴え、そして五時半に黒いマゴを外へ出してやり、六時前には起きてしまった。
2006 2・23 53

* きのう、秦建日子の「処女作」の機械にファイルされていた小説らしきものを、読み直してみた。こういう調子、こういう表現から、彼は彼の表現手法を獲得しつつ磨いているんだと、(ぜんぜん巧くなかったけれど)興味深いモニュメントであった。わたし自身でいうと処女作『或る折臂翁』に当たっていた。
2006 2・24 53

* 昨夜おそく読んだMIXIの二十歳前の女の子の、いちびった露悪ぶりに、魘された。そう思っている、知っている、している、だからそれを公然人前に書き表したとて、何がわるい、という理窟でもあるのか。
早稲田の文藝科ゼミで学生達に小説を書かせては読んでいたとき、「男は坊や、女は獣」とたくさんなへたくそな作品から実感していた。よほどましなのに、今活躍している角田光代がまじっていた。
伊勢物語の冒頭に、そのころ、ちょっと気の利いた女たちは機会あれば「いちはやきみやび」をしたとある。女からの「ナンパ」である。いまどき二十歳前後のさかしら女は、意識して露悪を演戯しているらしい。漱石は『三四郎』の美禰子のような無意識の露悪をやる「猛獣」も書いたが、無意識どころでないから、吐きけがする。
「獣」そだちかと見えたような三十代セクシーの表現など、いまも作品一つ読んでいるが飾らずに、だが美しく書こうとしていて、カタルシスもある。
2006 2・27 53

* 届いていた小説の、決して短くはない一作を、読んだ。書くことを重ねていくと、うまくなる、まちがいなく。気になることは幾つあっても、全体の動きで「読ませ」る。運びに、ギクシャクした渋滞が出なくなっている。おはなしはかなり驚かせもするが、私小説ふうの筆触に仮構の体温もかなりよくリアルに保たれ、三十そこそこか独身女性の性的な内面生活や「つきあい」の機微や情意が、しっかり書き込まれている。露骨でもなく、わるく隠してもいない表情の平静には、つよいものが感じられる。しかも意表に出て、性的な恋愛の主な相手が初老の男に書いてあり、若いいくつかの「つきあい」も、併走するようにワキを締めている。「書けて」きたなという気がした。
ただし、まだ、少し遠心的にちらばるところが残り、語りの絞られて行く、いい意味の速度をあえて停滞させている。その気味がある。身動きや気合いや温度差などディテールに、さらに精確に微妙な想像力が届いてくれると、推敲での磨きは、まだ十分かけられる。まだ作品の肌に小刻みなザラつきがのこっている。
しかし、腰のすわった、風変わりともみえる恋愛感情は、ほぼ読み手に伝え得ていて、わるくない読書であった。もっと良くすることが出来る。
2006 2・27 53

* バートン版全訳『千夜一夜物語』は本文の破天荒に面白いのはもとより、各巻末に豊富に付された「原注」が、また途方もない佳い読み物なのである。そこまで舐めるように読み尽くさねば意味がうすれる。
例えばヒンズー教徒によると、恋患いには十段階あるそうな。
一 見惚れ  二 心を惹かれること  三 情欲が生ずること  四 不眠  五 痩せること  六 感覚の対象に対する無感動  七 恥辱心の喪失  八 思考の乱れ  九 意識喪失  十 死 と。
十番目は論外として、フフフと思い当たる人は多いだろうし、なんだ今更と思う人もあろう。
今日の実情は知らないが、アラビアの男は三度離婚して、三度、離別した女を取り戻し妻に出来たという。最初の二度の離婚では男は無条件で女を復縁させることが、権利として認められていた。三度目だけはちょっと難儀だった。離別した女が誰でも別の男と再婚し、その上で新しい夫がその妻をまた離別した場合に限って、前の夫は権利としてその離別された女をまた妻とし引き取ることが出来たという。前の二度の離婚を、後の三度目の離婚を、どっちであったか大離婚、小離婚とよんだという。
丁度今、そのややこしい離婚制度にからまれた数奇の物語を、大いに楽しんでいる最中。今文庫本の七冊目を読んでいるのだが、全体のまだ三分の一に達していない。物知りになろうという気はなく、尻から忘れて行くが、すっかりアラビアンに親和的になっているから可笑しい。これもアメリカのブッシュ嫌いの裏返しか。「アッラー」の世界のおもしろ可笑しいのに対して、旧約聖書「申命記」の神の、焼き尽くす烈しい怒り、妬み、支配の掟はどうだろう。絶え間なく、二言目には、エジプトでの重い軛を解きはなってイスラエルの地に導いてやったことが言われる。徹頭徹尾選民意識の確認確認また確認の上に微細なまでの掟が与えられ、違背の罪責はまことに苛酷。
フゥッと大きな息をハキハキ読み進んでいる。

* さ、やすもう。明日は早めに出る。
2006 3・2 54

* 春陽堂版の鏡花全集第四巻では『湯島詣』『高野聖』の代表作のほか『海の鳴る時』『葛飾砂子』『政談十二社』『風流後妻打』そして佳作『註文帳』『三枚続』についで、『女仙前記』『きぬぎぬ川」』の前後編を読んでいる。これも好きな作に指折れる。
第五巻には『薬草取』それに大作『風流線』『続風流線』などが待ち受けている。なるべく初めて読む作品に佳いのが有って欲しい。

* さすがに眠い。日付の変わる少し前。もう機械から離れる。
2006 3・3 54

* 高田衛さん(都立大名誉教授)に大冊『八犬伝の世界』を戴いてなかったら、『南総里見八犬伝』は読まずじまいだったかも知れない。折角の研究書を、原作を読まずに読むのはムリだと思い、さきに原作をと思い立った。
だが、わたしは、書店へ出かけない人。古典全集によっては入ったのもあるか知れないが、全集本は手に重いしなあ、文庫本はあるのかしらんと躊躇していたら、岩波文庫十冊の新本をポンと揃えて贈って下さる方があった。感謝にたえない。
すぐ読み始め、ゆうべで九冊目に入った。高田さんには、いよいよ「御本を読みにかかれます」と、おそおその礼状を出した。
原作は漢体文で総ルビ。ものしり馬琴の真骨頂を、物語の興趣を壊さない程度に発揮し、克明な叙事。一つには発端から完結までに数十年をかけて逐次発刊しており、巻をかえるつど、必要なくり返しも決して辞さないから、はなしが分からなくなることはない。馬琴は、そういう叙事の徹底反復にかけて「神経質なほど大胆」なのである。
独特のねじ込んでくるような筆致は、夢にも現れる。時代も手伝っているが、やはり馬琴の粘液質がよきにつけあしきにつけ猛然と作用している。全体にこれぞ「説明」につぐ「説明」の堆積、はなしが説明的に進むから、分かりはいい。しかも、ところどころ、やや和文というより、江戸の音曲の歌詞にちかいとびきりサビの利いた「美文」が飛び出し、うっとりさせてくれる。暗誦したくなる。谷崎潤一郎もそんなことを言い、例を挙げていた気がするが、『太平記』の文体や叙事も馬琴に感化しているか、どうか。
もう一つ、この文庫版にも、たくさんの原作挿絵が入っていて、これが悉く、傑作。頁を繰りつつ繪の出て来るのが楽しみで、次の挿絵のところまで読もうなどと読んで行くと、読みははかどるはかどる。そして睡眠不足になる。
同じ興趣を、『千夜一夜物語』でも毎晩楽しんでいる。こちらはまだ半分にも達しない。
だがその何倍も何倍もの大長編は『旧約聖書』だ、こりゃスゴい! やがて「ヨシュア記」に入り、旧約の歴史が動いて行くだろう。『新約聖書』のおしまいまで読み通すのに古稀になったわたしは喜寿を迎えるかもしれない、米寿にもなるかしれない。

* むかしは、あたりまえのこと、猛然たる知識欲で読書した。その甲斐はあったでもあろうし、ときに有りすぎた気味もあった。
今は、知識を得たくて読書することは全くない。「今・此処」でのわがレスポンスを自身に確かめるように楽しんでいるだけ。ああ昔なら、この知識をさっそく活かして何か書いたろうなあと思いつつも、もうそんなメンドクサイことはしない。おもしろいなあと思うだけ。覚えていればそれもよく、読むしりから忘れてもちっとも構わない。ただ斜め十行にトバし読みはしない。紅いペンをいつもそばに、本によっては真っ赤になるほど傍線を入れたり書き込んだり。それとても、楽しむための補助線。
名大名誉教授の山下宏明さんに戴いている『琵琶法師の平家物語と能』など、碩学が心行くまで書きこまれた完くの研究書だが、じつに面白い。こういうのに当たると、とてもその辺のやすものの小説など読んでいられないから堪らない。そうかそうか、そうだったかと初めて手に入れる知識も満載の大著であるが、知識を今更創作用に役立てようという気はない。出会った嬉しさを満喫し、楽しむだけ。わたしが「生きている」嬉しさを感じ得られれば足りている。
この間、いちばん年若な友人が、メールの最後に書いてくれていた。「以前は少しでも長く続けてほしい、書き下ろしなど出してほしいと思っていました。今は秦さんのつくりたいものを、思うまま、ご健康の許すまま、つくっていいただければいちばんと思います。秦さんの作品が手元にある、いつでも読める。それが何よりの幸せです。」と。
甘えるのではないが、わたしの心境は、彼の言葉にほぼ随っている。いまのわたしは、何でも好きに出来る。ありがたこと。
2006 3・8 54

* 八犬伝に読みふけって、寝そびれた。ずいぶん読んだ。そのまま起きて、「静かな心のために」の二十四日めを書いて送っておいた。朝から、MIXIに若い女の子のいちびった記事が出ていて、気色が悪かった。
2006 3・10 54

* 花粉か風邪か、大きな嚔を連発する。ゆっくり湯につかり、「八犬伝」を貪り読もう。そういえば、このごろ映画も観ていない。今夜はアンジェリーナ・ジョリイの「トゥームレイダー」がある。録画を頼んでおこう。
2006 3・12 54

* 存じ上げない年輩と思しき男性から、「e-文庫・湖(umi)」に掲載願えまいかと小説が届いた。喜んで読ませて貰おう。
2006 3・12 54

* 「八犬伝」が文庫本十冊の十冊めに入った。好きなおやつの残り少なさを歎いた子供の頃の気分。

* 堀武昭さんの『「アメリカ抜き」で世界を考える』(新潮選書)が、書き込みと傍線とでまっかになった。だいじなことを沢山教わった。もともと、アメリカだけでなく、歴史的に覇権をふるった世界大国の国際善意などという妄想にふけったことのない、わたし。ことにこの四半世紀のアメリカの横暴・暴虐に、また卑屈なまで追随している日本の政権には、ヘドが出そうであった。わたしひとりの偏見ではなかったことを、論理的にも実証的にも、とてもきちんと教えてくれる好著であったのを感謝する。

* 昨日の結婚記念日に、あだかも祝儀のように、伊原昭さんの『色彩学事典』の大著が贈られてきた。このご婦人の老碩学とも、一度もお目に掛かった記憶がない。ま、わたしは大体、どなたともお目に掛かったことのないのが普通なのだが、伊原さんの「色」をめぐる克明な研究書は、過去にも何冊か頂戴している。どれもみな辞典ないし事典として利用可能なきちんとした調査や究明の本で、活用度が優れて高い。高価な本であり、嬉しいは当然、さらにさらに恐縮。
2006 3・15 54

* 榛原六郎作『石火のごとく』を「e-文庫・湖(umi)」の「書き下ろし長編」に掲載した。歌人であられた亡きお父上への「供花」としてきっちり、きっぱりと書ききった、優れた純文学。まさしく一の mourning work である。
2006 3・15 54

* 鏡花集の第四巻を通過し、第五巻の巻頭「起請文」を読み始めている。此の時期の鏡花には、ものに憑かれて書きまくっている嫌いもある。うまくあたれば突出して面白く、ひとつ間違うと何が何だか分からず、ただもう超近視眼的にその場にくっついた書きザマに飆風が舞う。いまの「起請文」もそういうもの。此の巻では、久しぶり「風流線」「続風流線」という鏡花随一かも知れぬ長編に再挑戦する。

* がくっと首を前へ折るように眠くなった。明日を考慮してはやめに寝よう。
2006 3・17 54

* 東京の今朝は好天。ペン理事米原万里さんから歌集「少年」へ手紙をもらった。東大教授上野千鶴子さんから新しい著書を戴いた。
2006 3・18 54

* 久しぶりに桶谷秀昭さんの新著を戴いた。

* 『南総里見八犬伝』ももう残り少なくなっている。惜しい気分だが一気に読み切って行こうと思う。日付変わってもう一時。やすもう。
2006 3・18 54

* 六時に起き、日本書紀とバグワンを音読し、MIXIに記事を送り、一つ感想を書き、朝食して洗顔など済ませ、荷物を点検。
もうすぐ京都へ向かう。明日、仕事を済ませて、無事、明日のうちに帰る。

*『南総里見八犬伝』を読み終えた旅であった。岩波文庫の第十巻ののこり少ないのを持って出た。新幹線で読み、河原町の鮓の「ひさご」で読み、烏丸の「寒梅館」で読み、ホテルの部屋で読み、二日目の、青蓮院まえのレストランで読み、帰りの新幹線で、ことごとく読み終えた。
作者の詳細な跋も、幸田露伴らの附録の感想も読んだ。いろいろ謂えば言えるだろうが、日本の稗史小説の最高傑作であること、疑う余地がない。これまで読んでなかったのが、ちょっと悔しい。有難いおもしろい大作を読んだ。完全・敢然主義の馬琴先生に、いくらかヘキエキもするが、その「徹底」の誠意に深い敬意を覚える。文学的感動ではない、創作力への、オドロキという敬意である。
2006 3・23 54

* 二時間ほど寝て眼が覚め、鏡花の「起請文」を読みきり、続きになるか「舞の袖」へうつり、また並行して「風流線」も読み始めた。「続風流線」もあり大作。筆致も腰が据わっている。
また灯を消して寝入ったものの、六時過ぎにはとうどう起きてしまい、機械の前で仕事をはじめた。いまひとつ明るまない天気で気も晴れていない。
2006 3・26 54

* 六時半に起き、いろいろと事を前へ運ぶ。

* 旧約聖書は「ヨシュア記」に入っている。神エホバの熾烈で酷薄なほどの先導と支援のもと、ヨシュア率いるイスラエルの民たちが、諸国に侵攻し王から国民の子女に至るまで徹底的に殺戮してゆくのを読んでいる。「神」とは、また「信仰」とはこういうことであり得るのか。文字通り「凄い」。雫ほどの共感も読んでいてもてない。一歩退いても、理解できない。

* 昨日、門玲子さんの新著『私の真葛物語』を戴いた。只野真葛は、江間細香にならぶ江戸時代の女流文人であり、思想家の一面ももった人だ、門さんならではの迫り方で説きほぐして行く一冊とみた。彼女の『江間細香』は名著であったが、今度の本は筆致にもさらに磨きあり余裕あり、優れた労作に思われる。
この、私よりもわずか年嵩な人は、主婦として夫の転勤についていった先で、ふとした共感と興味とから、馴染みも何も、また漢文や古文書の素養も何もないところから、頼山陽と親しい江間細香の伝記研究に取り組み始め、未開拓の江戸女流文学史の扉を、みごと開いていった。精緻で清冽な文章家で、その著は優れて文学の香気を帯び、大きく顕彰もされてきた。
主婦から初めて大きな分野を切り開いた女性を、門さんのほかに、例えば一方流平曲の演奏技術を習得し後進に伝え、現に精力的な公演活動で気を吐く橋本敏江さんも識っている。二人とも「湖の本」の久しい読者であるが、それ以上に気迫と品位にあふれた藝術家であり研究者である。二人とも、夫の転勤先でたまたま目的に出会い、しかも本格的に大成していった。尊敬している。打ち込むと謂うことのすばらしさを、もののみごとに結実させた。ひゃらひゃらした遊び半分の趣味ではなかった。苦心苦労も並大抵ではなかったのである。
志ある若い人たちには、すばらしい先達である。
2006 3・29 54

* 就寝前読書は、『八犬伝』と堀武昭さんの『アメリカ抜きの世界を考える』を終え、いま、音読のバグワンと日本書紀「舒明紀」。寝床では、相変わり無く、旧約聖書「ヨシュア記」 モロワの『英国史』 世界史は「西域とイスラム」 『千夜一夜物語』 山下宏明著『琵琶法師の平家物語と能』 そして鏡花集第五巻のなかの「舞の袖」。
予備軍に高田衛著『八犬伝の世界』 上野千鶴子著『生き延びるための思想』 門玲子著『私の真葛物語』 渡部芳紀著『太宰治』 が置いてある。
2006 4・2 55

* 堪え難い眠さこらえきれず、昨夜は九時頃にかつがつ『日本書紀』と「バグワン」だけ音読し納得して、就寝。十一時に、一時半に、四時前に目覚め、一時間ちかく寝腹這ったまま鏡花の「薬草取」を読み終えて感嘆、山下宏明さんの琵琶法師の平家物語研究を、モロワの『英国史』ヘンリー七世を、「世界史」の突厥等を、すさまじい征服史の「ヨシュア記」を、そしてべらぼうに面白い『千夜一夜物語』を次々に興の尽きぬまま読み継いでから、また眠った。
七時半に起床、血糖値は108、正常。多少掌にジンジン感。
2006 4・10 55

* 秦建日子が、引き続いて講談社から小説『SOKKKI!』とやらを出したらしい。二月に『チェケラッチョ!!』を出したから、順調に出版が続いている。
十年ほども、年四冊ないし六冊ずつ出版しつづけた父親に迫れそうか。まだ新刊は手にしていないが、この息子が早稲田で「速記」部に属していた頃の<目も当てられない体験が、私小説風に活かされたか、フィクションとしてハジけたか、なにしろ「速研」という各大学横並びの組織活動は、我が家にも影響深刻だった。連日連夜・深夜の「アッシーくん」出動であったし、女の子たちの長くて頻繁で、死ぬの生きるのという電話の四六時中絶えなかったのが「速記」の時であった。建日子が「ばかかッ、お前」と、売れない物書きのおやじに怒鳴られつづけていたのが、あの頃だったなあと、懐かしいやら可笑しいやら。
その速記研究会が新刊の応援に大きな紹介記事を書いてくれて、「すごく嬉しい」「すごく嬉しい」とホームページに作者は書いている。さもあろう。
但し作家たるもの、「すごく」「すごく」はどうかねえ。漢字で書けば「凄く」だが、これは凄惨を意味する鳥肌立つ漢字。お岩さんに抱きつかれたではあるまいし、街中のギャルと同じ物言いは、日本語を正し豊かにして行くのが役割の「物書き」先生としては、オソマツだよ。

* 今日の郵便物で秦建日子作『SOKKI!ソッキ』が著者謹呈で届いていた。いま、113頁まで読んだ。息子の本でなければ読まないか、この辺で失礼する、が、やはり読んでみたい。『坊ちゃん』だってこんなふうに書いてあると、言えば言えるのかも知れないが、建日子くんのは、漱石先生と比較するには推敲が足りない。気になるよけいな文字や措辞がたくさん続出する、が、フイクションの進め方は明快で明朗で、ところどころこの作者の長所であるおもしろい物言いが表現効果をもち、全編が時には軽率に、時には軽快に、時には軽妙に弾んでいる。どうみても「軽」の字ぬきには語りにくいから、これは「ライト・ノベル」か。
語り手の大学一年生男子と、ヒロインであり語り手を速記部に勧誘した先輩女子は、軽いけれど、それなりに造形されている。この女子が、また女子への後輩の好意が、恋が、最後までうまく表現できていれば、ま、成功…と思い思い、ここまで読んできた。まだ半分来ていないから「楽しみ」ということにしよう。
この文章とお話の運びは、やはり若いプロの物書きのそれであり、推敲がきちっと出来て磨けていれば、文藝の魅力ももっと期待できるのだが、まだ純文学の藝術品にはほど遠い。だが把握と表現との均衡と、「読ませる」テクとは、ちゃんと出来ている。頼もしい。
私小説の匂いはあまりしていない。それは、よかった。この作者、私小説ムキではない、創作した方が力が出るのではないか。
小休みして階下におり、ふっと進行中のテレビドラマなど目に耳に入ってくると、やに「感じ」がちかいので、ああ、やっぱりそうかと、秦建日子の読者としては気が腐る。テレビドラマのノベライズみたいな軽さではないと思いたいが、それでは、困る。やはり漱石先生の『坊っちゃん』は名作なのである。何が。どこが。それは秦建日子氏が自分で見極めた方が良い。

* MIXIで知り合った人の「ライト・ノベル」本を二冊、送ってもらった。若い読者ムキのためか、目が痛いほど二段組みの文字が小さい。それはそれは小さい。裸眼で読むにも眼鏡で読むにもあまりに小さい。特製の鉢巻き眼鏡で読むしかない。
ああこういう本を盛大に売り買いの市場もあるんだなと感じ入っている。こういう市場での書き手デビューの方を夢みている人の方が、圧倒的に数多そうだと実感する。こういう中からも本当にチャーミングな名作が幾つか出れば、ガーンとレベルは高くなり、IT時代の新文学・新文藝に定着しないでもないだろう。要するに「名作」が出て来れば引っ張られる。期待はソレだ。ともあれ、何とかして読んでみようと思うている。
2006 4・10 55

* 200頁めで力尽きて、また休息している、『SOKKI!』読みは。いくらか斜めに流したいところもあった。佳境は、まだこの先にありうる。読み継ぐ気は、むろん、持している。
何というか、現代の若いリアルをとらえるセンスは、「溌剌」という表現を以てしていいほどだ、が、その一方その現代はあくまで「流行現代」であるから、不易に長持ちの保証はない。数年、十年、十数年も経ず、全体におそろしく古びてしまうだろう、分からなくなってしまうであろう物言いや譬えが、平然とあちこちに使われている。
作品は使い捨ての読み捨てで構わないという、消耗を前提に容認した鮮度の出し方、日に日に刻々に古びて行くのは承知の助という書き方、になっている。わたしなどの、せいぜい留意し注意し避けた点であるが、この作者は大胆に消費的で、今通用すればそれでいいという行き方だ。裏返せば、どうすれば今々の若い読者に売れるかを心得ている。売れればいいという書きザマに徹している。
それと、映像化される際の効果を勘定に入れてあちこちの場面がつくられている。わたしなど、映像化できるならしてみろと思いつつ言葉で表現していたところが、映像化しやすいようにように場面が描かれている。それが今様のフツーの在りようであるらしい。

* 十一時前。『SOKKI!』読了。若い人達の恋愛小説として、感情や言葉の入れこみ様も破綻はなく、描写の粗い手抜きは二度三度感じたものの、それもメリハリのうちぐらいな感じで、わりと気持ちよく読み終えられた。
最後の甘いところも、作者の持ち前であり、本人は哲学だと思っているだろう。それなら、それでいいでしょう。さすがに「ドラマ」を書き慣れていて、落とすところへ話を落として、意外にソフトランディングした。ソツがなくて、少し拍子も抜けたけれど纏まりは良い。額縁はすこし薄い細い感じで必ずしも上等に美的ではないが、ま、この辺が分というものか。いい意味でのセンチメントをいやみなくうっすら涙のように溜めて、一篇の小説になった。
三十八歳か、作者は。もう少しも若くない、が、気は若い。その若さに半分羨望し、半分呆れた。こういう小説は、わたしにはとても書けなかった。仕方がない。新しいのか普通なのか分からないが、漱石が『三四郎』を書いた新しさも、その当時としてはこんな風に同時代人に受けたのだろうか。
三十八、この作者と丁度同い歳で、わたしは、『みごもりの湖』と『墨牡丹』を、同時に世に問うた。もっと書ける、という気持ちが静かに湧いてくる。息子と「同時代人」として「作家」になっているのを、幸せに感じる。結局建日子は、素直に生きてきたんだなあと思われて、それも良い気持ちだ。
ちょっと悔しいのは、もっと丁寧に推敲していれば、(そんなに難しいことではないのに。)陳腐な決まり文句やうたい文句の幾らかは省けて、更にスッキリ作品世界が統御できたろうにと、惜しい。まだまだ「のようというのだ」の無神経な頻出もあり、例えば「忠告する」でいいものを、「忠告をする」式の安易な弛みなども。
一度気が付けば二度と犯すワケのない推敲のポイントに気づけないまま、無神経にあちこちに放置されている。クリアされていれば、もっと律動感の内在したシッカリした文章になっていたろうと惜しい。
2006 4・10 55

* 夜前も、くらくらしてしまい、早く寝た。寝ながら、読み終えた秦建日子作『SOKKI!』を反芻していた。
じつは前の『チェケラッチョ!!』は、もう粗筋すら忘れているが、この小説はそんなことはないだろう、若者達のむら気な付き合いでなく一応「恋」が書かれていて、筋が通っている。一抹もののあはれも書き留められてあり、なによりヒロインがある種の玉の輝きを帯びて存在している。女が、というより、作者が語り手にのせて「感じ」ている一人の女が、ちゃんと伝わるように書けている。語り手も、一つの個性として、印象的に明瞭であるし、周囲の「友人」たちの書き分けも、疎かにもアイマイにもされていない。「人」を比較的よく観て掴んでいる。そういう長所を支えているのが、またそういう長所により支えられているのが、叙事の溌剌感になって、作品が、上等かナミかは別にしても、とにかく生き生きと生きている。「読ませる」勢いが、そこから湧いている。
三島賞作家でわたしが好意を持って読んできた作家がいる。名前を瞬間度忘れしてしまった(久間十義)が、その『海で三番目に強いもの』という、題からは想像しにくいがデパートで万引きする少年たちの物語を、筆致にも惹かれわたしは一冊まるごと「ペン電子文藝館」に貰ったことがある。
秦建日子の作品は、前作も今度のもむろん全然異なった作柄ながら、不思議と気持ちで通っているものがあり、それは少年や青年達の呼吸を、リアリティを失わずにしかもイデアールに把握しているということだろう。少なくもそれが創作の姿勢として歪んでいないということだ。大事なことである。
2006 4・11 55

* 珍しく七時間つづけて寝て、六時に起きた。バグワンを読み、日本書紀を読んだ。聖徳太子の子、山背大兄王の一族が蘇我入鹿の圧迫に、抗することなく、自決した。
2006 4・13 55

* 理事会散会の脚でまっすぐクラブへ行き、シャンペンをサービスされたあと、ブランデーをダブルで四盃、つまりボトルに残っていた分を綺麗に飲み干してきた。目の前でサーモンを切ってもらったのがやはり美味く、主食がわりに、子供みたいだと思ったけれど、料理長おすすめ、スフールのパンケーキを、階下のレストランから取り寄せて食べた。先日妻と来たとき、通りすがりに店頭で「写真」をみて、今度来たらアレを食べようと思っていたのであるが、クリームがつき、アイスクリームもつき、蜜の苺もついていて、甘い甘い食い物であった。平らげたけれど。
高田衛さんの『八犬伝の世界』がすこぶる面白く、読みふけってきた。そして一路帰宅。いやいや池袋の「さくらや」で道草を食い、帰宅は八時半。
2006 4・17 55

* 猪瀬直樹氏 新刊を三冊揃えて贈ってきてくれた。闘いの日々かのようである。孤独な闘いと言っているが、そうではあるまい。言論表現委員会でもねばりづよく闘って欲しい。できるかぎりわたしも手伝う。――
2006 4・21 55

* いま電子文藝館へ「ユダヤ」に触れた会員原稿が来ていて、事務局から目を通してと、送られてきている。論旨にもその展開にも妙なところがあり、いい作品(評論またはエッセイ)とは思わない。しかし、言論表現の自由を尊重しつつ読めば、この程度の、この範囲の論説を、編集室が掲載しない理由はない。不出来と言うことからすれば、会員原稿が皆上出来なわけではない。しかし電子文藝館の建前では、出稿意思のある会員の作品は、個人を誹謗中傷するものでないかぎり審査しないことになっている。一つを審査して掲載せず、一つを審査して掲載する、その尺度を、会員の権利として追究されたときに、提示できる理由は「校正杜撰」か「個人の誹謗中傷」意外にありえない。審査の権能を会員が同じ会員に対して誰も持ち得ないからである。
わたしはそういう理由で、質的な意味では感銘をえられないけれども「出稿したい」という会員の権利を否認することは出来ない。
2006 4・22 55

* 榛原六郎氏の、志賀直哉の小説に厳しく触れた論説を読んだ。「読者の庭」への寄稿として好適。「ペン電子文藝館」委員会で検討してもらおうと思う。
2006 4・28 55

* 四月が逝く。北国にはまだ櫻のたよりがあるが、東京は藤か。

* 船堀で近代文学の学会がある。鏡花の「草迷宮」について「ペン電子文藝館」同僚委員の真有澄香さんが発表する。名古屋へ助教授赴任して初の研究発表かも知れないので顔をだそうと思っている。それならあと一時間ほどで出かけないと。

* 「草迷宮」はひときわややこしい小説で、しかも長い。統括的に筋を立て通して読みきるのは、容易でない。鏡花文学は「喩」であり。明確に言い切らないまま、多彩に能弁なのである。
真有さんの発表は、作中にあらわれる「わらべうた(童謡=わざうたと読んだ方がいいとわたしは思う)」の「ウタ」に即して作品を読み解こうという提唱であった。
それも一つの選択肢であるが、むろんそれで「草迷宮」がすっきり把握でき切るわけはない。「三浦の大破壊(おおなだれ) は魔処である」という第一行におおきな示唆があり、それを読み解くには、いわば基盤に多くの神話と民俗とが仕掛けられてある。「ウタ」はそれを読み解くための「喩」として活用されている。「喩」のとどく遠さや広さは計り知れぬものがあり、わたしなどは、水を介し海を介して深い海底世界からごっそりと大きく読み取ろうとする。古事記のヤマサチ神話や謡曲の海士の伝説や、鏡花自身の作品群にも類似相似の発想作品はいっぱいあり、男女の主人公やワキ役達にも、とうてい「草迷宮」だけで完結しようのない溢出した世界が「鏡花」その人に属している。それを追究するのは、とても一時間程度の研究発表ではムリなはなしで、結論的に大きな時計の一つ二つ三つ程度のゼンマイを外してその性質や働きを述べるに止まるのは致し方がない。
文学研究者の読みと、わたしのような愛読者の読みとは、かなり違ってくるということは、学会発表を何度か聴いて心得ている。わたしは、自身の「愛読」自体を自分でかなり無責任に楽しめるが、研究者は方法を立て、的を絞ったり方面を限定したりして、細かに追究する。分解に急であるが、分解したものをもう一度組み立てることで「作品」がどう新しく読めるようになったかを、トータルにもう一度さし示せなくても仕方ないとしてある。研究発表は概してそんなものである。わたしらのようには、自由自在に「想像」の翼もひろげ多方面に飛翔することは、むしろ、あまりゆるされない。たいへんだなあと同情するし、意外に豊沃な収穫にはならないのである。それで、わたしは、あまり学界へは出かけなかった、過去にも。
ま、質疑の時間に、わたしも、折角参加したことではあり、いろいろと「念仏」をとなえて、みなさんをヘキエキさせたと思う。
二次会にも加わり、ビールに酔っぱらって、そこでもロクでもないことを喋ってきた気がする。
しかし、楽しい半日であった。

* 都営新宿線の船堀駅というのはかなり遠かった。
2006 4・30 55

* 馬場あき子さん『歌説話の世界』、島田修三氏『「おんな歌」論序説』、米田律子さん歌集『滴壺』、宗内敦氏の著書二冊、雑誌「サン(舟ヘンに、山) 板」の新刊、わたしの文章の掲載された「解釈と鑑賞」、また「淡交」や「茶道之研究」、「ぎをん」それにペンの会報等々、連日の郵便物もどっと。ふうと息を吐く。
松嶋屋からは、七月上村吉弥が歌舞伎座に出勤という通知も。これで七月も歌舞伎が観られるし、八月には例の納涼歌舞伎の案内があるだろう。
ほかに劇団昴の福田恆存作「億万長者夫人」に招かれているし、俳優座の招待もある。ガップリ四つ、お互いにいい新劇を見せてほしい。このところ俳優座は通俗読み物なみの芝居が多く、老舗の筑摩書房がマンガで躓いていった頃をふと想わせて心配だ。昴のこのまえの「チャリングクロス街84番地」はすばらしかった。
2006 5・2 56

* 八重桜  高尾の桜保存林(山)を歩いてきました。いろいろな桜250種1700本もが静かに咲き誇っているのです。もうあらかた葉桜になっていましたけれど、八重の幾種類かは咲き残っていて、ひたすら風に散っていました。
いやはてに鬱金ざくらのかなしみの
ちりそめぬれば五月はきたる   (北原白秋)
今晩はバイブルを読んでいて、夜更かししてしまいました。 ゆめ

* このバイブルは「旧約」のことだと思う。わたしは二三日前に「ヨシュア記」を終えた。モーセからヨシュアへ。それはイスラエルの民達の、エホバに叱咤され激励され威嚇され憤怒されながらの、あくなき「産業」拡大の、侵寇また攻略の展開史であった。わたしの読んでいる聖書は文語文であり、ことにこのモーセからヨシュアへ展開するところではエホバの「予約」による「産業」の二字に大特色が観られる。今日の産業革命以降の産業ではない、それは生活と生産とを基盤化する国土と人為との全体を意味している。その「産業」確保のために、エホバはイスラエルの各部族を叱咤激励し庇護支援して他信仰の種族部族の国をほろぼし、烈しく殺戮し殲滅し続けて行く。
そのようなことは、九州から東征した天孫族たちもまた同じであった、規模も気迫もまるでちがうけれど。古事記の中巻というのは、おおかたが征服の歴史である。ただし、国を挙げ人を挙げてではない。また旧約のようには日本の古事記に信仰は語られていない。ヤマトタケルに典型的に観られるように、個人としての英雄の手にすべては委ねられていたのである。モーセやヨシュアをヤマトタケルと同じには観られない。

* 昨夜、高田衛さんの定本『八犬伝の世界』を読了した。鳶に岩波文庫『南総里見八犬伝』全十冊の新刊本を贈られて、すぐ読み始め、読み終えて、高田さんの本にとりついた。この本を先に頂戴し、しかし原作を読んでなくてこの本を読んでも順序が逆だと思い、原作を手にしたいと此処へ書いたとたんに岩波文庫を贈られた、どんなに感謝したろう。
手広く古典は読んでいる方で、馬琴も『近世美少年説』全巻、また『椿説弓張月』もおおかた読んでいたのに、八犬伝には縁がなかった。これは残念で、少しばかり恥ずかしい思いでいた。全十冊は充実した読書体験であったけれど、初読である、ほんとうの読書とはまだ言えない。高田さんの周到に緻密な解釈と鑑賞にもつくづく感謝、おかげで全巻が水のしみこむように体内に流れ込み、美味と化したのである。三度四度作品だけを通読しても、いまのような旨い思いは出来なかったに違いない。それは、源氏物語を二十度は通読してきた者の体験からも言える。源氏の面白さも、多くの研究論文との併読がものを言って身に付き、また自身の読みも創られていった。
鳶には、鴎外訳ほか二種類の『フアウスト』も貰った。これもたいへんな恩恵だった。香さんには岩波文庫の『モンテクリスト伯』全巻を戴いた。そういえば小学館版の二期にわたる百冊の『日本古典文学全集』も、もう少し小型版の「古典文学撰集」も、みな版元の厚意で全巻貰っている。とても自力では買えなかった。前の会長に感謝して言ったことがある、わたしのお礼は、これをみな「読む」ことですと。
2006 5・4 56

* 『千夜一夜物語』の角川文庫版第八巻を読了、註までも面白く読んだ。まだ三分の一。
2006 5・8 56

* 午前、郵便局へ自転車で。山下宏明さんの大著『琵琶法師と「平家物語」の能』をじりじりと朱筆片手に読み進めて「俊寛」まで読みすすんだが、あまりにお礼が遅れるので謝状を書いた。
山下さんは琵琶の「語り」の演奏技法や語りの綿密な理解を書かれて、かつて読んだことのない実地の文藝論になっている。それに惹かれて読んできた。この本をもっと早く読ませて頂いていたら、わたしのコレまでに書いた、能や、平家物語についての観察も、もうすこし深みを増し得たかも知れない。
また高田衛さんにも『八犬伝の世界』に今一度感謝の気持ちを書いた。
その葉書を二通出してから、市内に出来ている新道をどこへ延びているのだろうと、おおかた北の新座市の奧を予想して自転車を走らせたところ、案に相違して西のひばりヶ丘駅北側へ達したのにはビックリした。少年の昔に、京の三条大橋から北山を眺め、疎開していた「丹波」は「山城」の北だからあの山の向こうの方かと想っていたら、なんと地図では真西の方角にあたっていて驚いたのに似ている。
西武線に沿いつ離れつ東久留米駅との真ん中あたりで線路を南へ越え、「南沢」とか「竹林公園」とかの地名を目に入れながら、迂回しつつ、ひばりヶ丘「学園町」から馴染みの「ビストロ・ティファニー」の近くまで経巡っていった。家まで戻って、ほぼ四十五分ほどの小さな旅で、かなりの起伏の道も自転車を乗りすてずに頑張れた。
午後には歩いて市内での用事を幾つか済ませてきた。
機械の前に戻ったとき、酒を飲んだわけでもないのに、座ったまま睡魔に負け寝入ってしまった。

* 島尾伸三さんから新刊をもらったのが、相当な問題作のようで、気を入れて読もうと思う。(親子に介在する)「愛は悪」であると言い切っている。子の親への「憎しみ」を語るのは不当にタブーであったのを「敢えて語ります」というふうに始まっている。読んでなるべく正しく批評したいが、とにかくも問題作のようである。
島尾さんは、人も知る作家島尾敏雄の子息で、母上もものを書かれた。伸三さんも写真家であり作家である。奥さんも写真家で、お嬢さんも作家で造型家である。わたしよりだいぶ若いひとだが、優れた個性。長い付き合いであり、敬愛している。
2006 5・9 56

* なんとなく天気同様に気が晴れない。『千夜一夜物語』がおもしろい、そのぐらいしか気が晴れない。

* 男に、絵に描いたようなふるいつきたい美しい奴隷女が、六人。肌の白いのと黒いのと鳶色のと黄色いのと、そして豊満なのと細身なのと。めいめいが美しやかな詩句で、主人の男を心からよろこばせる。
アラビアンナイトでは、我が平安朝の和歌に巧みな男女の比でなく、時と場合に応じ縷々みごとに具体的な、あるいは観念的な、警句のような譬喩のような、さまざまな詩を口にする。
即興で創作している場合も、記憶した詩人の作の吟唱もあるが、これが何より『千夜一夜物語』の一つの大特色。そして「満月」のように美しい女も男も、歌ったり聴いたりしながら、忽ちたわいなく失神し、卒倒する。当然、男女の恋や愛が纏綿している。
で、六人の女達のそういう詩の吟唱や創作の才は、妙なる身のこなし・くねらしも相まち色気むんむんで、読者も酔わせるが、あげく美女達は、ご主人様による「品定め」を望む。
ところが主人は、なんと意地の悪い、互いに、対照的な一組ずつの女達に、自身を最大級誇って褒め称え、同時に相手方を完膚なきまで「こきおろせ」と命じるのである。これには「読者」という無責任なワキの者も、手に汗して期待を隠せないのは、読者のわたしもまた男だからにきまっているが、ナニナニと乗り出すおもしろさ。
あげく、白いのは黒いのを、黒いのは白いのを、肥ったのは痩せたのを、痩せたのは肥ったのを、黄色いのは鳶色のを、鳶色のは黄色いのを、遠慮会釈もなしに苛酷にこきおろしつつ、いかに自分は美しく魅力的かを高らかに艶やかにもの凄くも歌いあげて、やまない。
これには、眼を剥いていろいろと教えられた。なるほど、なるほど。
だが、結局は主人の男が仲を取り持ち、みな仲良くさせておいて、終夜遊びに遊び痴れるのである。チクショー。

* それで終わらない。本のうしろの細字の註の中には、アラビアふうの「美女」の批評と定義とが縷々解説してあり、付け加えて美女たるものに必要な「黒いもの四つ」「白いもの四つ」「赤いもの四つ」「長いもの四つ」「広いもの四つ」「圓いもの四つ」などと延々と説いてある。何だか当ててごらんなさい、いやはや的確なもので、感動する。

* こういうのを読んでいる時は、鬱気味に沈みかけているのを、ふと忘れる。わたしは少年の頃から、鬱っぽい初期には食べたがった。それで直らないと何かを観て面白がりたかった。それでもダメなときは面白い本を夢中で読んだ。いまは、どの手もあまり効かないが、なにかと「一つ」になっている気分が、いちばん力になるようだ。だが、何かと一体化することにはいつも危険もともなう。自身を傍観し観察し突き放して知らん顔をしてしまう方がいいようである。
2006 5・10 56

* 寝苦しかった。島尾伸三著にむやみと煽られたからかも。
2006 5・11 56

* 高麗屋にもらった文春文庫『弁慶のカーテンコール』は、ほんとうに短い、二三頁ずつの役者幸四郎ひとりごとで、ざっと見にたわいなげであるが、なかなか。書き込んだエッセイや議論に役者の真価がよくにじみ出ていて、読み進むにつれ、淡い色をしっかり塗り重ねると澄んだ濃い色になるように、感銘が深まる。キザでない真面目さを、おめずおくせずキッチリ言い切っている。体験の度合いと拡がりとがすばらしいのだから、当然だろう。そこが短所だと言う人もあろうが、それはへんなないものねだりに過ぎない。この幸四郎の真価を、あえて口を歪めて物申すことはないだろう。
2006 5・14 56

* 会議が延び帰りが遅くなったが、行き帰りに、松本幸四郎丈にもらった光文社智恵の森文庫「カーテンコールの弁慶」一冊を読み終え、つくづく感心した。
見た目は片々たる短文の集積ではあるけれど、一編ずつ読み進んで行くにつれ、この著者が第一級の歌舞伎役者・俳優であるだけでなく、優れた一人の人間であり藝術家であることがよく納得でき、胸を打たれ続けたのである。
なにより、立場上もこの人は、或る何か大事なモノを「伝えられ」「承け継いで」「鍛え磨き」さらに「伝えて」行く姿勢をもっている。あたりまえのことだ、歌舞伎役者なら誰でも同じさとは軽く言わせない、独自の力強さで、幸四郎はそのことを語っている。
独自さとは、何か。かれが歌舞伎以外のジャンルでも活躍しているからとか、藝が佳い工夫が深いからとか、その程度のことを押し越え、幸四郎がすべて「本気」なこと、其処がじつはあまりに当たり前で、だからいちばん素晴らしいのである。
両祖父七代目松本幸四郎、初代中村吉右衛門への、また両親八代目松本幸四郎と正子夫人への、なみなみならぬ尊敬と愛情との敦さ。彼は繰り返し繰り返し又繰り返し語ってやまない。また夫人藤間紀子さんへの感謝と愛情の深さ。それらがまた子息市川染五郎や娘二人への期待と慈愛に深く熱く反転して行くその誠実さ。それはただの身贔屓などというちゃちなものでは全くない。たんなる家族愛でもない。それらを打って一丸とした歌舞伎ないし演劇ないし藝術的な人間への自覚と責任が、彼の語る日本語を飾り気なく素朴に適切に引き締めている。
ひとつ読み違えれば、ただの藝自慢とも身内自慢ともあるいは高慢とも傲慢とも、それこそ軽薄に読み違えるムキも有るかも知れない、が、それは間違いである。間違える人の至らない間違い、恥ずかしいような間違いである。
これはただの藝談でも世間話でもない、自問自答の体裁をかりた、真の意味でのエッセイなのである。
貰った初めは、わたしはすこし軽くうけとり、歌舞伎役者の隠し藝かのように気楽に読もうと思っていた。なにしろ好きな芝居の世間であるのだから。
ところが、そんな軽率な読み始めが、前にも書いたが、淡い佳い色の塗り重ねられて行くやさしさやおもしろさで、わたしは、意外な言葉の真実に触れていったのである。嬉しい体験であった。
わたしは、この文庫本に、私自身の署名でわたしの息子秦建日子に贈り伝えたい気がした。彼が、これを謙遜な真っ白い気持で読んでくれるなら「嬉しいな」というほどの気持を抱いて、あらけた言論表現委員会から我が家に帰ってきたのである。
2006 5・18 56

* 一度も会ったことも、だから口を利いたことも、文通すら無いのに著書での交感のもう久しい一人に、俳優の小沢昭一氏がある。この人には沢山な文庫本や音楽のCD-Rがあり、わたしはずいぶん頂戴し、読んだり聴いたりしている。なかでも『わが河原乞食考』は快著であり、端倪すべからざる世間を、目の当たりに拡げて見せてくれる。じつに面白い敬愛に値する労作。
いま、わたしはそれをかなり「批評」的に眼を光らせて読んでいる。小沢さんの藝能論の淵源に、一つ大事な大事な視点の抜けているのではないかという穿鑿をしようというのである。まんまと確認できたら、初めての手紙を書いてみよう。書かずに済めば、やはり書いてみようと思っている。
2006 5・19 56

* 一人一人が自身の微力を疑って抛棄すること、これが、いちばんおそろしい道をえらぶことに繋がると、人間の歴史は教えているように思います。メールを嬉しく拝見しました。どうぞ、日々お元気にお大切にといつも願い居ります。
ぶしつけな原稿を書きましたが、お叱り無く、ほっとしています。
『人間の運命』は、自身の蔵書で読むということが出来ませんでした。あの原稿を書き、新しい気持で心してまた読んでみたいと思っておりました。
わたくしは、毎日、なるべく長大な作を何種類も読みつぐようにしています。それを読んでいる内は生きつづけたいと願いまして。何十巻の日本史や世界史や、旧約・新約聖書や、千夜一夜物語や、日本書紀や。戦争と平和も、源氏物語も、フアウストも、南総里見八犬伝も、モンテクリスト伯なども、その様にして読み上げてきました。『人間の運命』も、いつも念頭に願っておりました。
ひどい雨と聞いていましたのに、今朝はうって変わった五月晴れ、なんとなくほっとしています。
いつもいつも、有り難うございます。
こころより御礼申し上げご平安を祈ります。  秦 恒平
2006 5・20 56

* この夜中の体調には、すくなからず驚いた。読書と関係したろうか。
昨日だった、今年定年退職して名誉教授になり悠々自適の日々に入ったった高校時代の友人が、いや夫人が、手紙に添え、琵琶湖近江のご馳走二た種といっしょに或る資料をいろいろ送ってきた。友人の姉の一人の嫁ぎ先家系の、或る一面で岡倉天心研究に資するたぐいのものであった。姉上夫君の父親にあたる人を中心にした系譜ともいえたし、中にはその一代を語る一冊の本も入っていて、わたしはそれを、おそく床に入ってから読みはじめた。その前に日本書紀の斉明紀とバグワンの語るボーディー・ダルマ批判を音読してきた。
そして床に行き、その『三郎』と題された本(私家版)を読み始めたのだったが。それはまあ、なんとも息くるしいばかりにわたしの生い立った昔の、子供ごころに切なかった思いをそっくりかき立てる中身であった。わたしはほとんど息を喘がせたのである。
それで中断して、例の何種類もの本へ、次々に目を移していった。女王エリザベスの時代、イスラムのカリフの昔の東奔西走の軍事、旧約「士師記」の血腥い侵攻伝承などなど。
そのころから妙な違和感を覚えていた。いろんな本で血が騒いで心も揺らいでいるのだろうと思い、眠くなっているのだとも思い、そのまま眠ってへんに夢見の悪いのもイヤだと思って、妻が息子の置き去りの荷物の中から拾ってきていた小説、ペリイ・メイスンとデラ・ストリートの、ハヤカワミステリー本を、また手にとった。そしておきまりの法廷場面ちかくまで読んでいって、なんだかからだのゆらゆらする感じと、異様な空腹感に襲われた。手洗いに立ち、もう寝ようと思った。
廊下に出ると、ゆらゆらと自分が揺れて手先に及ぶ気がした。血糖値が低そうだと思い、咄嗟にキッチンで計ってみると、限度は越していなかったが、就寝前の数値から見るとまさに半減の急降下を示していた。からだが甘味を欲しているらしい。わたしは四国から戴いた紙袋の菓子を一袋戸棚から出して、あけた。
前々日の外出時に鞄に入れて出掛けたのと同じ菓子と思ったら、またまるで違う顔をした、やはり昔のカンパン系の菓子味であったが、人が、うまくないねと言ったアレよりはずっと旨い味で、おやおやとわたしは嬉しがった。それを食べながら、茶も飲みながら、わたしはもうしばらくペリイ・メイスンを読んでから、眠さに身を明け渡した。

* ま、それだけの話であるが、ヘンな違和感は忘れていない。ああいうことがあると、記憶した。
2006 5・21 56

* 劇場を出ると大雨。かろうじて地下鉄で表参道から有楽町へ。「きく川」で鰻をおいしく食べて保谷へ帰った。土砂降りの中で、かつがつ幸運にタクシーに乗れた。
家に帰ると、松たか子と幸四郎の親子書簡。今月は高麗屋が娘の書簡に応えている「オール読物」が贈られてきていた。お父さんの文章はいっぱい読んでいるので大なり小なり耳に入っている。お父さんの方が少し緊張気味で、すこし勝手わるそうにぎごちないか。その点、先月号の娘の方が、ドーンと遠慮無くつよいおやじさんにぶつかっていっていた。
2006 5・24 56

* 夜前、アンドレ・モロワ最良の代表作といわれる『英国史』上巻(新潮文庫)を、とうどう読み上げた。ちょうどエリザベス朝の終焉で大きな一区切りがついた。
イギリスという島国が、ヨーロッパで、いかに異色に富んで風変わりな弱小強国であったかが、かなりよく飲み込めた。人類の近代・現代の創造に、イギリス風個性がつとめた役割は、政治・経済(資本主義・覇権主義)にも、またいわゆる主権在民思想にも立憲君主制にも議会制度にも、途方もなく大きい。そしてシェイクスピアに代表される人間理解の厳しさ。
下巻が楽しみ。そしてむろん彼の「フランス史」「アメリカ史」が待っている。みな昔に通ってきた道だが、新しい思いで通り直したい。
憲法や共謀法等で感想や異見をわたしがもつのは、現代法の専門家に準じた知識からであるわけがない。わたしの認識や判断や意見の下敷きには、人類の歴史への思いがあり、それによって得てきた、鍛えてきた「人間」への思いがある。条文の実際など、また運営の如何など、を知識として知る知らないは、存外に問題としては軽い。「人間の運命」や「人間の幸福」についてどう身を寄せ心を用いているかが、はるかに大事な理解や直観や警戒心を生む。うすっぺらな紙切れ同然の目先の知識や勉強だけでは、足りるわけがない。そこが真に「現代人」として生きるか、今をときめく「現在人」として知性を失うかの分かれ道である。
現在人は掃いて捨てるほどマスコミをうごめいているが、現代人は少ない。「今・此処」に生きるとは軽薄な現在をアプアプ呼吸する意味ではない。運命としての現代を、歴史的に実存在として生きるのである。
2006 5・26 56

* 「群像」の鬼編集長といわれた大久保房男さんから、『終戦後文壇見聞記』を頂戴した。俳人で亡くなった上村占魚さんと大久保さんは仲良しであった。三人で鮨を食いに歩いたりし、もう久しいおつき合いである。湖の本を送ると必ずご挨拶がある。「新潮」の元編集長坂本忠雄さんも、小島喜久江さんも、「文藝春秋」出版部長だった寺田英視さんも、「講談社」出版部長だった天野敬子さんも、「岩波書店」の野口敏雄さんも、一流の編集者ほど、じつにこういう際のご挨拶はみなさんみごとなものである。「河出書房」の小野寺優さんもきちんと手紙をくださる。
大久保さんには御本もよく戴いているが、小説はさておき、『文士と文壇』『文藝編集者はかく考える』「理想の文壇を」『文士とは』等々、主張や意見に異見なくはないが、一貫してすばらしい意気が、どの頁にも漲っている。願わくはこれがもう「過去完了」さなどと言われたくないものであるが。若い出版人・編集者たちに今少し真摯に拳々服膺してもらいたいものであるが。それならば、わたしは「湖の本」など刊行していなかったろうに。
2006 5・30 56

* 昔の「群像」編集長大久保房男さんの新刊『終戦後文壇見聞記』(紅書房)を貰いました。当然のように氏は「私小説」支持者で、私小説と私小説作家について編集者の立場から生き生きと思うさま述べています。図書館にはそう早くは入らないかも知れないし、すぐ入るかも知れませんが、必読本かと思います。索引も付いていて便利です。
鬼といわれた名編集長でした。この十五年ほど親しくしています。
「終戦後」とは、氏の定義では終戦から十五六年、その間の日本文学を氏は最も高く評価しています。一徹です。異見や異論ありますけれど、真摯な文学愛に貫かれた編集長でした。今はこういう人はいないなあ。彼の時代は本当に「過去完了」したかどうか、読み取って下さい。いい参考書です。
2006 5・31 56

* ペン理事会、総会には出たが、そのあとの立食の懇親会は失礼した。とても立ったままうろうろと飲み食いする気がしなかった。

* 空腹を感じていたので、一直線に銀座四丁目のフランス料理「レカン」に入った。
この店はとにかく行儀がいい。一人一人がプロなので、ワインといっても「料理にあわせて」とだけ頼めば済む。
食前にドライシェリーをストレートで。そしてあとは赤ワインにして、オードヴルからデザート・コーヒーまで、フルコースをゆっくり食べた。今日は涼しい感じのダブルでネクタイもきちんと。うまいものを、ゆったりと。そんな時はこの店が、いちばん、しっくりする。
開店して三十年ほど。せいぜい五度ほどしか来ていないが、最近にも一度、一人で本を読みに入っている。今日もフルコースかけて、大久保房男さんの新刊に読みふけってきた。いやもう、おもしろくて。
終戦後の作家達、文壇人達は、ほんとうに貧しかった。だがわたしはもっと貧しかった。
「レカン」とはと、書中に、どしどし現れる戦後の有名作家達には、小僧、生意気に贅沢なと怒られそうだが、なんの、たかが食い物ではないか。出来なければしないし、出来れば何のこれしきが贅沢なものか。
わたしもまた、今日という時代に痛切に個性的に思うまま生き、誰にも媚びない物書き文士の、まぎれない一人であると思っている。口だけ達者なとは言わせない。最低の貧しさから、自分の脚力と筆力とだけでゆっくり歩んできて、どんな先輩作家達にも出版社にも、媚びも諂いもしなかった。わたしはわたしだ、その自覚を喪っていない。けちくさい勘定はしない。ばかげた遊びもしない。
2006 5・31 56

* 早起きして早めに出掛けたが、路線の事故でおくれ、予約の九時半にあわや駆け込むあんばいであった。
視野検査をしてくれたのが感じのいい人で、検査自体は疲れるけれど気分はゆったりした。人間は感情的なんだなと思う。感じのいい人だとラクで、そうでないと気が草臥れる。
そのあとドクターの診察に随分待たされた。読みたい本をもっていたのでガマンできたが。視力はだいたい前回検査と同じく、眼圧も問題なく、やはり糖尿病の方のナントカの値が高いための影響は出ているが、緑内障・白内障とも悪化はしていないし、糖尿病ゆえの症候は眼科的には認められないと。ま、よう分からんが。半年後にまた様子をみましょうと、緑・白ともに前回同様の点眼薬が出された。
瞳孔を開いたので、病院の外へ出ると、真夏日の照りつけに視野は白くまぶしく、どう移動する気にもなれず、それでも銀座で下車、フレンチの「モルチェ」二階で、130g のステーキ・ランチ。オードヴル、スープ、そしてデザート、コーヒーまで、適量。赤のワインをグラスで一杯。
この店で大久保房男さんの本を読み終えた。
ま、昭和四十一年まで、文字通り二十年「群像」編集者としての見聞記で、きわめて主観的な主観で貫かれ、一刻ではあるだけに、こ本人もいわれるとおり「一面」的なのはやむをえない。あくまで群像・講談社また慶應・三田また同時代・同世代への身贔屓の濃厚な叙述になっている。関係者や同事態の作家や評論家達に異論のある人もさぞ多いことだろう。
幸か不幸か、わたしが太宰賞をもらって文壇にデビューしたのは、大久保さんが退かれて三年後の昭和四十四年であったから、この本の内容とはかすりもしていない。しかし書かれていることは、よく分かる。何といってもわたしの少年・青年時代から、結婚して、ようやく、孤独に、どんな師も仲間もなく小説を書き始めたころにあたっていて、相応にいろいろ「勉強」熱心だったから、出てくる作家達の名前や作柄に分からないという人も作も無かった。
そしてその後知り合った各出版社の編集者たちのことも思い出され、わたしは当初講談社とはあまり縁がなかったけれど、デビューの頃の各社の各文藝誌の「風」ともいろいろ思い合わせて、ひとしお面白く読み終えた。
ただ、いま小説に志を持っている人達に、にわかに読んで貰ってもたいして役には立たないかも知れぬという気もした。第一次の戦後派作家から次世代の戦後派作家までが書かれていて、いまも健在なのは阿川さん安岡さん三浦朱門さんぐらいではないか。その後の世代には一指も染められていないのであるから、今の人達には馴染みがう無さ過ぎるだろう。奨める気であったが、ムリには奨めない。

* 食事の跡、たまたま銀座でニュースキャスターの轡田氏と立ち話を少し。その脚で保谷へ帰ってきた。暑いことであった。
2006 6・1 57

* 芹沢光治良さんのご遺族から記念碑的大著『人間の運命』を全巻、大きな箱におさめて頂戴した。すぐ、読みに入る。
「ペン電子文藝館」や「電子メディア」委員会の同僚、高橋茅香子さんには、新訳の、チャンネ・リー作『空高く』と題した大冊を頂戴している。これには先行するもう一冊があり、以前に頂戴し拝見している。つづきの気持で読ませて戴く。
甲斐扶佐義氏からは写真集「京の美女たち」が届いていた。美女はホンモノの方が佳いにきまっている。
2006 6・3 57

* ソファで一時間ほどまどろんでいた。機械に音楽をインポートしてあり、夢の伴奏をしてくれる。自転車で走ってくるように言われていたが、また出掛けてもいい催しもあったが、疲れも少し溜まっていたようだ。メールで寄せられた、すくなからず刺戟のある長い小説を読んでいたのも響いたかしれない。
2006 6・6 57

* この頃の読書で、顕著に心惹く一冊は、やはり、小沢昭一『わが河原乞食・考』で、えもいわれず共感する。いわば最底辺、どん底の藝をつぶさに見極め、具体的な「対話」と「見分」によって眼前に髣髴とさせてくれる。歴史的な直観では、ひょっとしてわたしの方が遠くへ視線を送っているかも知れないが、むろん、わたしの場合は書斎にいながらの幻視や推察が主になる。しかし小沢さんの取材は、現場に足を運んで、現にその人やあの人と話しあい言葉を交わしながらの証言や考察になる。わたしには現場や同時代の証言を絶対視しない用心があるけれども、概してそれら証言は当然ながらじつに強いものを帯びている。それにもわたしは素直に聴く。小沢さんも素直に聞こう尋ねようとされている。貴重な仕事である。
2006 6・11 57

* 昨日、一つの良い原稿が送られてきた。一般のクレバーな「いい読者」ならきっとここへ行き着く筈という読書の感想が、気張らずに、過不足なく書けていた。「ペン電子文藝館」の委員会に送った。
むろん論題に対して網羅的な目配りはできるわけもなく、関心の焦点をけれんみなく絞って、その限りで論旨はほぼ尽くしていたし、しかも一刀両断のような断案に偏しないで、問題の両面に適切に評価をしてあるのが気持ちよかった。題して「私小説という小説」。
2006 6・16 57

* 河出朋久氏の「白葉集第三」や、若い作家朝松健氏の小説を、戴いた。栃木の佳いメロンを五つも戴いて、一つ賞味、とてもうまかった。
2006 6・16 57

* 小沢昭一氏の『わが河原乞食・考』が抜群に面白い。朝松健作『暁けの蛍』も読んでいる。
2006 6・20 57

* 夜前、おそくまでかけて、半ばまで読み進んでいた朝松健氏の『暁けの蛍』を、満足感、敬意もともども、たいそう興深く読み上げた。この一作しか知らない作者であるが、この一作、堅実な才能の開華を想わせる。感想はあらためて書ければ書こう。
「MIXI」で知り合った若い作家。デッサンの確かな、構想力のある人。予期していたより遙かに真面目な追究の所産であり、幸い世阿弥にも一休にもこの時代にも、わたしの思いは浅くない。ほぼ嘗め尽くすように作意のすみずみまで賞味させてもらえた。
2006 6・29 57

* 「世界の歴史」の『西域とイスラム』を読み終えて、『宋と元』へ。中央アジアの歴史はきわめて繁雑に紛糾し、とても一度読みでは頭で「繪」にならない。責任筆者の歴史叙述にも少し工夫がなかった。
それに較べると、アンドレ・モロワの『英国史』は示唆豊かに要点をおさえ、また厳しく批評していて、筆致も展開もすこぶる滋味と興趣に富む。イギリスという難しい面白い国の個性を、こんなに暴き得ている他田にどんな著述かあるのか知ってみたい。
日本書紀は「天武紀」の下巻を進んでいる。壬辰の乱も平定され、都は近江からまた飛鳥に転じている。いま吉野へ行幸、天皇・皇后が六人の異腹の男子を懐に抱いて行く末の協調を誓わせているが、そういうことを心配してかからねばならないのが心配の根であり、この誓い、いずれ無残に破綻して行く。つづく持統天皇紀で『日本書紀』三十余巻のすべて「音読」が終わる。もう少し。

* 京都への往復にどの本を持って行こうか思案している。通算の米壽をかぞえる「湖の本」の本文は責了にして行こうと思っている。
三好閏三氏(祇園梅の井主人)との対談は異色のものになろう。
2006 7・3 58

* 乗車時間を十時過ぎという早い時間にムリに決めて、眠れずにべらぼうに早起きまでしていたのが、万事につまづいた。新幹線では、茫然と眠っていた。
目ざめた時はマーガレット・ケネディの『永遠の処女』を読んでいた。この角川文庫本は昔から手元にあるのに何度読み始めても読み進められなかった。旅に持ち出すには不味いかなあと案じていたが、意外や、すらすらと今回は興に乗って面白く読み進んだ。旅の連れにして成功した。
こういう経験はやはり角川文庫の『嵐が丘』で昔味わった。何度読みだしても入れなかったが、数度目にすうっと入って行き、そしてわが愛読ベストテンの上位にランク出来る名作になった。『永遠の処女』は二十世紀に熱狂的に読まれた一作で、作者がまだ若かりし頃の二作目か三作目ではなかったか。まだ半分に行かないが、これを読みたいばかりに旅中退屈するということがなかった。
2006 7・4 58

* 帰宅してみると、作家の近藤富枝さんや読者の岡部洋子さんたちにご馳走を頂戴していた。郷土出版社からは京都の文学の一セットが寄贈されてきていたし、讀賣新聞大阪から原稿依頼も来ていた。
あす一日は休養する。疲れというのは溜まるモノのようである。
2006 7・5 58

* 光文社智恵の森文庫の『古美術読本』二「書蹟」の巻の編著が出来てきた。井上靖在世の頃、先生の推薦で随分いろいろ私は仕事をさせてもらった。枕草子や泉鏡花も編纂したし、淡交社の『古寺巡礼』にも書いた。そういえば、「建仁寺」の巻も智恵の森文庫に入っている。「書蹟」には、岡倉天心、幸田露伴、青木正児、小林太市郎、三条西公正、小松茂美、安田靫彦、武者小路実篤、高村光太郎、村上華岳、会津八一、北大路魯山人、亀井勝一郎、吉川英治、宮川寅雄、山本健吉、井上靖、大岡信という豪華な顔ぶれで編んだ。わたしは本のお添え物の「序」を書いただけである。なつかしい。
2006 7・5 58

* 先に早く検査を済ませておいた御陰もあろうか、一時の予約だが、十二時半には名を呼ばれて一時には会計も終えていた。検査結果は、なんと、格別の改善ぶり。アクトスのせいもあり体重は少し増え気味でもむしろ当然、前回い「八台」といたく叱られた値(ヘモグロビン?)が、「七」ちょうどにめざましく下降改善されていて、ドクターはご満悦であった。アクトスでむくんでも腎臓への影響は心配しなくてもいいと。それでもアクトスは一応おやめとなる。体重の増え気味に嫌気がさしていたが、この季節とこの薬剤投与からすれば自然増で問題はないと。よしよし。自転車運動は卓効を奏したようであるが、運動過多で疲労したり、その結果事故死したりしないでくれと、命の心配をしてもらい、恐縮した。わたしとしては、あれぐらい野放図に飲み食いしていたのに状態改善というのは、バカされたような気分だが、儲けもの。

* 銀座ニュートーキョーで生春巻で乾杯。ケネディーの『永遠の処女』がおもしろく、寸刻の退屈もなし。池袋のさくらやで「ランケーブル」を買い、ついでに豪華版のロースカツ弁当を二つ買って、帰宅。
2006 7・7 58

* マーガレット・ケネディの『永遠の処女』は、小説を読むという嬉しさをたっぷり感じさせてくれるしファシネーションに溢れている。まだ年おさない娘の作品としては才知に溢れて、生き生きとした会話を書いている。彼女の戯曲的な才のなせるところと解説されている。
ルイス・ドッドとフローレンス・チャーチルの対話の中で、天才的な作曲家のルイスは二十歳前にサーカスの楽隊でコルネットを吹いたりサーカスのための曲も作っていた経歴を、令嬢フローレンスに打ち明け、「僕の様式はいまだにその名残を止めている」と言うと、フローレンスは即座に、「ジャーナリズムと同じようなもの」ですねと応じ、「どんなにその人が文学的でも、ジャーナリスト上りの作品にはそれがでてますわ」とルイスをたじたじとさせる。なかなかの批評家。
新聞記者や記事を書いていた雑誌記者あがりの作者は少なくないが、このフローレンスの言うようなところを、わたしも感じてきた。それがわるい、よいの問題ではないが、筆致にそれが出てくる。読みやすいが味は浅いのである。
2006 7・7 58

* 昨日京都の星野画廊が送ってきた図録、「忘れられた画家シリーズ30」『没後78年増原宗一遺作展』「夭折したまぼろしの大正美人画家」は、正真正銘のすばらしい発掘で、眼を吸い取るほどの画境。岡本神草や甲斐莊楠音らを凌ぐ凄みを描いて、なまなかの美人画とはとても謂い得ない天才を輝かせている。秦テルオともどこかで魂の色を通わせているが、恥ずかしながら是ほどの画家の名前も作品もまったく知らなかった。鏑木清方門の師も一目置いたであろう画人で、ひと言で言えば、最も佳い意味で「凄い」し、人によれば「怕い」であろう。「春宵」「舞妓」「藤娘」「手鏡」「五月雨」「七夕」「夏の宵」「夕涼」「浴後」「両国のほとり」「落葉」「鷺娘」などとならぶと、尋常な美人画の題目であるが、一作一作はもっともすごみのある、鏡花や潤一郎の大正の作に通底する悪魔性も隠している。
「夏の宵」という二曲の屏風が凄い。この一冊しかない『宗一画集』のなかに黒白の図録として遺された「舞」「三の糸」「悪夢」ことに蛇をからませて立つ「伊賀の方」の二図や「誇」はその美しい凄さに肌に粟立つ心地でいながら、深い官能美は、やはり鏡花にも潤一郎にも共鳴する。こんな画家に出会うとは、ただもう、驚嘆。
こういう極めて貴重な掘り出しの仕事を、夫妻でつぎつぎにやって行く星野画廊の業績は、文化勲章ものである。これを京都で見てこなかったとは、痛嘆。

* この天才画家増原宗一の発掘に較べれば、偶々手に入れた「オール読物」五月号の「発掘! 藤沢周平幻の短篇」なんてものは、「無用の隠密」も「残照十五里ヶ原」もただの通俗読み物を半歩もでていない。手慣れた措辞に渋滞のないところは、他にも満載されているくだらない通俗小説のヘタなのに較べれば、三段も五段も優れているのだけれど、こと文藝としてみれば講釈の達者という以外のなにものでもない。これでも比較的藤沢周平は何作か見る機会があった方だが、おはなしの上手以上の感銘など雫も得られなかった。藤沢にしてしかり、「力作短編小説特集」など、どこが力作なのやら、まことにくだらない。「オール読物」に載っている作品は「つまらない」と言うのですかと、このまえ、自称エンターテイメントの、大家らしき人に顔色を変えて迫られたが、この号で見る限り、優れた作は優れた作ですよとすらも、ただ一作として言いがたかりしは、如何に。

*『初恋』から読み始めました。
先生、素敵なご本をありがとうございました。
谷中いせ辰の和紙(水色の鹿の子)でカバーを付けて読んでます。
清冽な文章! 本当にもう、凄いです♪ 引き込まれます。気づけば、両の眼を大きく見開いて読んでいて、目がぱりぱりに乾いてしまいました。
電車で読んでたら危うく乗り過ごしそうになり、買い物でも、直しに出していた洋服を忘れるところでした。日常生活の全てを道端にバラバラと落として歩く・・・。本を開いたとたん、人生を小説に持って行かれちゃう・・・。そんな感じです。  百合

* こういう思いをわたしも潤一郎作でひしひし味わった。こういうレターを書きはしなかったが、谷崎潤一郎論を思う存分に書きたいばかりに小説家に先に成りたいと本気で考えた。『吉野葛』『芦刈』「春琴抄」『少将滋幹の母』『武州公秘話』『細雪』『猫と庄造と二人のをんな』などだけでなく、初期の短篇や、大正時代のあれこれでさえも、わたしは活字に唇を添えてうまい味をのみほしたかったのである。そういう思いをさせてくれない軽薄な読み物など、どうでもいいのである、わたしは。時間つぶしに過ぎない。熱狂して読んだ作品を列挙したらたいへんな量になるが、むろん読み物もたくさん読んできた末に断言できるのは、そういう感銘作の中に読み物は一つも入っていない。それらから何か魂の糧をえられたという覚えは全くない、ということ。
2006 7・7 58

* 歯医者のあと、「リヨン」でうまい昼食。ワインは赤。
ケネディの小説を読むのが嬉しくて仕方ない。こんな不思議な気持になるのは久しぶりだ。二十世紀といえどもわたしの生まれるより前だろう。イギリスにまだ「イスラエル」の自覚と理想の揺曳していたのが分かる。
小説とは無関係であるが、英国はあれで、ローマ公教会、イングランド国教会、清教会などが組んずほぐれつの闘争を繰り返した国で、トーリ党、ウイッグ党の軋轢も甚だしかったが、理想の清き「イスラエル」を本気でイングランドに建設しようという熱烈な信仰が、政治的にも渦巻いた時期がある。おもしろい国である。
なにしろ王様が純然のイングランド人ではない時代が永い永い。王様の信仰と国民の信仰とが真っ向ぶつかりあうこともしばしばで、しかもイギリス国民の「議会」主義は根強い。王様に強力な常備軍のあったことが少なく、君臨すれども、議会を招集し解散する権力はあれども、議会の決議無くして好き勝手に王は金も使えなかった。フランス国王から小遣いを貰っていた王もいたのである。
そういう国の貴族社会も、根を辿れば複雑な出自である。騎士も領主も農民出も商人出も、僧侶もいるから難しい。
オースティンの『高慢と偏見』も優秀な藝術であるが、この国のゼントルマンやレディたちのうごめく小説を通して見て取れる「英国像」はいかにも懐が、深いと謂うよりも、ややこしい。だから面白い。
2006 7・8 58

* マーガレット・ケネディの『永遠の処女』を夜ふけて読了した。ひとかどの名作であった。若い女性の才気の作らしいある堅さや鋭さがきららかに光っていて、手づよいモティーフが十字架のように交錯している。サンガーの世界とチャーチルの世界との真剣勝負とも読める。そこから、簡単に割り切ってもなるまい重いテーマが露頭する。ベースに優れた「音楽=藝術」がズシリと岩盤をなして横たわる。好く書けている。
長い作品が優れた音楽効果をあげ、四章に分かれたシンフォニイになっている。さらにさらに大きく深く盛り上げ描ききるもう少しの力が作者には、さぞ欲しかったであろうが、好く書けている。すくなくもわたしは、とてもとても楽しんで読んだ。こころ惹かれて読んだ。
大勢の人物を描きながら類型の描写に堕していない。読み進むにつれて人物の一人一人への共感が深く目覚めて行くのは、優れた作の特質というものであろう。
ひさしぶりにやすらかにかつ興奮して嬉しい読書を楽しめた。批評と言うことを忘れさせてくれる読書。長い永い旅に心身をひたしてきた喜び。
2006 7・11 58

* アンドレ・モロワの『英国史』は、大陸の絶対王政とはみごとに相貌を異にし、王の権威と権力をも議会が左右できる政治体制へ、それが「国民の権利」として堅まった時期を、敬意と羨望とを痛いほど覚えつつ、読み進めている。
「世界の歴史」は、ちょうど宋の太祖が、中国史上最後の禅譲・革命で天子・皇帝におされ、めざましい王権の拡充を智恵を絞って実現している辺りを読み進めている。唐末から宋初をつないだ五代十国の歴史など、つい目をそむけてきたが、今度はつぶさに読んでみて、そこにも歴史の必然の働いていた面白さ厳しさを納得した。
芹沢光治良の『人間の運命』は第一巻の半ばを過ぎ、主人公「森次郎」少年と生家や環境との、ことに父の、また協力した母の、天理教信心と実践によって、一家一族が大きな波瀾と没落にあう運命を、読み進んでいる。
小沢昭一氏にもらった新しいエッセイ集も、ほぼ読み終えて、高橋茅香子さんの翻訳の大作、久間十義氏のルポふうの小説も面白く併読している。
『アラビアンナイト』は、短章がつづくと少し意欲が落ちてくる。荒唐無稽なほどの長篇がおもしろい。
鏡花全集は、本の重いこともあり、寝床では読みにくいけれど、じりじりと。
旧約聖書は、文語での翻訳に句読点がずいぶん節約してあって、読み取ってゆくのに苦労しつつ、これまたじりじりと頁を進んでいる。何といっても、今日のイスラエルの、ほとんど暴虐としかいいようない攻撃的な聖戦思想との関連で、ズーンと重い気分になりながら読む。
「聖書」と受け容れるのは、少なくも、現在進行中のあたりでは、とても難しい。
日本書紀は、天武天皇によるまさしく「現代史=現代政治」そのものを音読している。いまは「八色の姓」の整えられた辺を読んでいる。
バグワンは、最初に戻って『存在の詩』を音読し続けている。やす香 やすかれ、静かに在れという思いをこめて読んでいる。やす香の耳に届いていると信じたさに。

* 国際政治や国内政治やいろんな事件への目配りも欠かしていないが、さすがに、ウンザリもしている。ながい電車に乗って遠くへ走りたい気の萌すのも、じっとしているとそのまま全身が石のようにかたまりそうに感じるから。
いまこそ、静かな心でいたいし、そうしているつもり。つもりは、つもり。
2006 7・18 58

* いま、戴いた本が文字通り山と積まれている。
読みは、文学は鏡花全集と芹沢さんの『人間の運命』と『千夜一夜物語』を、読み物は久間十義氏の『聖ジェームズ病院』を、芯にしている。エッセイはモロワの『英国史』、そして叢書世界史の『宋と元』、日本書紀の『持統天皇紀』と旧約聖書の『サムエル前記』。バグワンだけは、繰り返し繰り返し籤取らずの別格。その他に、この三倍は出を待っている。
読むだけでなく、書いている。からだは、めっきり衰えて今日も気息奄々に近いけれど、頭は働いている。
2006 8・2 59

* 久間十義さんの『聖ジェームズ病院』を読了、力作で面白かった。
人間の把握や造型は、またほのかな色模様など読み物風にやや型どおりであるが、ストーリーの組み立てや彫り込みはリアルを損じることなく、なによりも大柄に堂々と書き込まれていて、いわば作品の姿勢や根性に対する信頼のもてるところがとても良かった。信頼し安心して物語の展開に踏み込んでつきあうことが出来た。
医学書院の大冊『治療指針』『薬物指針』など、わたしにも大いに懐かしい出版物が参考文献の頭に挙げてあり、ああいう記載のこなし方としては、おみごとと手を拍つ心地。「病院」「医師」「ナース」「関連企業」「癒着」「接待」等々、みーんな編集者時代に大なり小なり深くも浅くも見聞してきた。その忘れる事なき体験も大いに手伝ったから、わたしだけの深読みの楽しみも加わっていたと言えば言える。
力の大きな書き手で、わたしは、なぜかこの人の本は「読みたい」と思い、何冊もねだるようにして貰ってきた。姿勢がおやすくないのと、最初に読んだ文学作品の印象がよかったのである。
犯罪がらみのルポルタージュふう読み物であるけれど、とにかく堂々と、しかも細部の手が抜けずに佳い意味で説明的にも確かなため、これほどの大作でも筋が混乱しない。そしてこの作家は、根に珍重すべき「優しさ」をいつも謙遜に蔵していると見え、好もしい。浮かれ調子に堕さない。
2006 8・4 59

* そんな中でも、鳶さんの配慮で手にした、念願の(上巻だけは読んでいたが)ツヴァイク『メリー・スチュアート』に夜遅く没頭している。ツヴァィクの評伝はマリー・アントワネットもフーシェも面白くて繰り返し読んできたが、メリー・スチュアートというスコットランド女王の生涯は、堪らなく刺激的で胸に食い込む。モロワの『英国史』という下地も出来ていて、イングランドのエリザベス女王とのかかわりの奇々怪々にも目は釘付けになる。

* 妻も、わたしのよく使った手にならい、ながいながい面白い本に没頭して読み終えるまではイヤなことを忘れ去るのがイイと思う。『モンテクリスト伯』など、ぜひ奨めたい。
2006 8・7 59

* 天野哲夫さんの大部の二巻本を頂戴した。早速、まえがきから読み始めている。読み終えるまでは、他に心労するのはやめ、成り行きのまま、信頼できる人達の助言にしたがいながら、事態を、むしろよそごとに「観察」し、ときに「批評」し、ひとつの笑劇のように観ていたいが。
2006 8・9 59

* 日本近代政治史家で「震災」「空襲」の研究家として著名な、横浜市大名誉教授の今井清一さんから、『大空襲5月29日 第二次大戦と横浜』そして「日本の歴史23」『大正デモクラシー』新版を戴いた。嬉しいお手紙がついている。有り難く披露させていただきます。

* 暫くの酷暑が台風の余波で飛んで行き、ほっとしております。もう一年余り前になりますが、ご高著「日本を読む」上下と「わが無明抄」を頂戴し、ありがとうございました。
ちょうど「横浜から見た関東大震災」の仕事に追われていて、ぽつりぽつりと拝見しましたが、個々に見ても、また連ねて見ても面白く、またそこから自分なりの考え方を展開させたくなる点でも、読み甲斐がありました。
ただ、どうお礼を申し上げようかととまどい、今日にいたり、失礼いたしました。
先にご覧くださいました小著『大正デモクラシー』の、活字を大きくし解説を付した改版がちょうど出来ました。
私は震災と空襲を研究しており、毎年七月末に開かれる空襲戦災を記録する会全国連絡会議への出席を楽しみにしていて、今年は今治に行って来ました。
ご本のお礼を遅ればせに申し上げると共に、この改版と横浜大空襲に関する『大空襲五月二九日』をご覧に供します。
暑中ご自愛をお祈りします。  8月8日   今井 清一

* 「ペン電子文藝館」の「主権在民史料室」を新設したとき、幾つかの企画をもち実現した中に、大きな「柱」にわたしは、「憲法」論議と、日本の近代史の、大づかみでいいから「通観」できる歴史記述を切望していた。それで、全巻通読し感銘を受けていた、学んでいた、中公文庫版「日本の歴史」の26巻の、それぞれ責任執筆者の異なる末7巻から、各一章をひきぬいて、全七章分の略式「日本近代史の流れ」を、大切に史料室におさめ、インターネットで発信した。わたしの秘かな志であり、自慢のしごとになった。その時今井清一先生からは、もちろん『関東大震災』の章を頂戴したのだった。

* 中公版の『日本の歴史」が、版を新たにしたとは嬉しい。
わたしは若い人にほど、超古代からもいいけれど、この日本の「現代」がむごく歪められ、かち得た人権を着着奪われつつある今日、真っ先に『明治維新』から『近代国家の出発』『大日本帝国の試練』『大正デモクラシー』『ファシズムへの道』『太平洋戦争』『よみがえる日本』の七冊をぜひ「読破」しておいて欲しいと切望する。
このシリーズの執筆姿勢と魅力は、学問的であると同時に、権力機構への迎合がほぼ全く見られない、新鮮な視角と見識にある。字の大きくなった「新版」で、もういちど通読し直したくなった。

* この略式「日本近代史」の思いつきを助けて頂いたのが、『近代国家の出発』を責任執筆されていた東京経済大学名誉教授の色川大吉さんであった。この巻にもわたしは感動した。
「主権在民史料室」を「ペン電子文藝館」に建てようとすぐ思いついた。実現した。そこには、明治の憲法論議も多く取り込んである。
色川先生からは『廃墟に立つ』と題した『昭和自分史』の一九四五ー四九年の大冊を戴いた。変な物言いであるが、ドッカーンと胸に響く歴史記述であった。

* 天野哲夫・沼正三代理人さんに戴いた『禁じられた青春』上下も「はじめから」して身震いの来る興奮の第一波が感じられる。『家畜人ヤプー』の著者・代理人さんたる人が、手紙に添えて「何故御高名な秦様が、私如き怪しき物書きに、かほどまでご興味をお持ちなのか解しかねます」などと言われては恐縮する。わたしは最も早い時期のあの本に、著者もよろこばれた一風変わった角度からの「書評」を書いて、あの本のブームにかすかに一役買っていたし、「私如き怪しき物書き」というみごとな自負に惹かれるのである。
およそ考えられる限りの世間の美徳と真っ逆さまの、現代の天才が沼正三だが、そのまま天野哲夫さんに通じていると、わたしは読んできた。
この本も読み進めるのが大なる楽しみ。
2006 8・10 59

* 今井清一 先生   秦 恒平
雷鳴とどろいて、「夕立」ということばを、久方ぶりに思い出しました。落雷などの障りはございませんでしたか。

このたびは、御著二冊「大正デモクラシー」「大空襲5月29日」を戴き、ご鄭重なお手紙までも賜りまして、ありがとうございました。

中公文庫版の「日本の歴史」が、新版になっているのですね。これは私、何度もものにも書いて希望してきたことで、欣快至極です。
いろんな日本通史を読んできまして、わたしはこの、全26巻本を、最も姿勢といい内容といい信頼し愛読してきました。若い、これからの日本に当面しなければならない心ある人達に、ぜひ読まれたいと希望します。
全巻を一頁もとばさず、朱筆片手に順に読み通した私のような読者は、数あるまいと想います。ことに、明治維新以降の日本近代史の七巻に、私はそれはたくさん教えられました。
恥ずかしいことに平安時代や鎌倉時代や、とにかく昔の歴史にばかりうちこんでいた私が、日本近代史をしっかり読みたいと思ったのは、いわば「手遅れ」の「遅蒔き」でしたけれど、多大の感銘を得ました。読みながら、毎日毎日唸っていました。
日本ペンクラブで責任者を務めております「ペン電子文藝館」に、すぐさま「主権在民史料室」を特設し、色川大吉先生のお口添えを得たりして、いわば「略・日本近代史」をシリーズから再構成させていただいのが、電子文藝館に展示中の、最も心行く仕事となりました。あらためて、深く御礼申し上げます。

「日本を読む」のような戯文にお目とめ下さいまして、嬉しい、有り難いことでございます。図に乗りまして、甘えて、もう二冊お送りさせて頂きとう存じます。
日本人の「からだ」と「こころ」とに関わる躍動するセンスを、暮らしを流れる血潮のような具体的な「ことば」を介して把捉しようと試みました。お笑い下さい。

京都で育ち、少年時代じかに大空襲に遭わずに終戦を迎えましたが、私の通った市内の幼稚園運動場に一発爆弾が落ちました。
あの時代は遠くなったか、とんでもなく。またまたイヤな空気です。
日本ペンクラブですら、政府の資金援助をアテにして事業をしようというアンバイで、憮然とすることの日々に多いのには閉口です。

お大切にお過ごし下さいませ。  06..08.12
2006 8・12 59

* こんな日頃であったけれど、妻は、永田仁志氏から贈られてきた中西進さんの文庫本『日本語の力』にはまりこんで、心やりに一度読みまた二度目を読んでいる。面白いという。万葉学の大家中西さんのいわば研究余話であり、上出来の美酒の滴りのようなもの、面白くてあたりまえ。そういう気にはまる本に出会う、それが幸せということの一つである。妻は、もう一冊、友だちに贈られたらしい、草の花、木の花をめぐる、写真も入ったエッセイ本を読んでいて、いつも枕元にある。我が家のつねの風俗で、行儀がいいかわるいかは別にして、変わることがない。
新刊本がぞくぞくと贈られてくる。研究書も評論もエッセイも小説の大作も絵本や写真集もある。詩歌句集も雑誌も常のように届く。目を通さないということがない。返礼を失念することもあるが、その点メールの可能な方は、御礼も、ちょっとした感想も言いやすい。
一冊読んだら次の一冊という読み方を、わたしはしていない。いつも八冊ぐらいを併行して少しずつ前進するが、混乱しないし感興を殺ぐこともない。おのずと興をひかれれば、就寝前だけでなく外出時に持ち出す。読み物はそれで通過して行く。文庫本が軽くていいが、時に久間十義作のような大冊も持ち歩く。

* books をなぜ「本」と呼んできたか。ま、「本当の本物」を示唆し得て、人の思いの芯の所で太く大きくそそり立ちうるものだからだろう。そうでないものも「本」あつかいされるから混乱しているが、そんな混乱の中から確かな「本」を見つけ出せるかどうかは、人それぞれの「本」の思想に依る。
いまも興味津々読んでいるアンドレ・モロワの『英国史』など、りっぱな「本」の太さを発揮している。
2006 8・14 59

* 「千夜一夜物語」の「黒檀の馬」が、おもしろく展開している。
2006 8・21 59

* 小沢昭一さんから岩波文庫の『放浪芸』を贈ってもらう。小沢さんの本を、もう十指できかぬほど戴いていて、どれも興趣に富んでいる。思いもよらなかったいい出逢いを、これで、何年ものあいだ喜んでいる。
2006 8・24 59

* 暫くぶりに夕方から新有楽町ビルの故清水九兵衛追悼展に出掛け、奥さん、ご子息八代目六兵衛さんにご挨拶してきた。京都でのご葬儀に弔辞を求められていたが、ちょうどやす香の永逝と時をともにしていたので失礼させて頂いた。ついこのあいだ、京都美術文化賞の授賞式や晩の嵯峨吉兆での理事会でもご一緒してあれこれお喋りを楽しみ合ってきたのに……、はかないお別れとなった。
会場は、さすがに文学系の人は一人も見かけなかった、そのまま失礼して久しぶりにクラブに行き、66年もののすこぶるうまいブランデーを、サーモンを切って貰って、たっぶり呑み、そのあとクラブの特製だという鰻重を頼んで食事にしながら、九大の今西教授にわざわざ送って頂いた、或る古典の、ながい研究論文を半分近く読んできた。
アイスクリームとコーヒーをゆっくりと。クラブは客が多かった。ホステスを二人も連れ込んでいる社用族もいた。

* 一回のアーケードで、妻に腕輪にもなる時計を土産に買って帰る。この夏は旅もならず、さぞ気もくさくさしたであろう、元気を回復して貰わねばならぬ。

* 車中は、文庫本の、アラビアンナイト。どんな雑踏も満員も忘れてしまえる。
2006 8・25 59

* 久しぶりに荷風の短篇『勲章』をスキャンし、校正している。荷風など読んでいると、心持ちが落ち着く。会員から預かっている作品もあり、とりこんでいてつい棚上げしていたが、きちんと処置したい。
今まで繁雑・混雑の極みであった機械部屋の右ワキが、わたしの工夫からとても明るくすっきりして必要な本へも手が出やすくなった。もっともそれは椅子から振り向かない限りの話で、いちど振り向くと、まだ、かなりひどい有様。だが、片づくであろう希望は見えている。
2006 8・26 59

* 芹沢光治良のご遺族に戴いた『人間の運命』は近代日本文学の一二の大作で、わたしは、ぎっしりつまった六冊本のようやく第二冊めに入っている。一冊目は第一、二巻を収めていて主人公森次郎の少年時代を、生家と天理教に奔った父母との、また母の縁家石田家等との、入り組んだ漁村での暮らしを書いていた。富士山麓、沼津に近い海浜の貧しい漁家と信仰との問題点が具体的に執拗に説明的に縷々書き綴られて行く。
そして第二冊目では次郎は貧窮に追われる好学真面目な一高生であり、大学も目前に、時代の動乱にも恋にも文学にも、そして経済生活にも奔命の日々を過ごしている。悠揚せまらざる、しかしこれも私小説であるが、印象は西欧の教養小説に近い。
2006 8・26 59

* もう過ぎた多くは忘れ、次の仕事へ取り組んで行く。

* 正岡子規に「死後」というエッセイがある。死を主観的に考えると、ことに彼のように重篤の病につねに苦しんで臥していれば、堪らない不愉快と恐怖とが輻輳して煩悶する。客観的に死を考えるのは容易でないがも不可能でもない。主観から客観へかろうしで転じて行くことで、子規は、死ぬことと、死後の処置されよう、葬られようについてあれこれ弁舌し文筆する。面白いとも謂え、つらい読み物でもある。
死に間近にいての文筆家の日録では、よく、わたしは、子規と中江兆民と女性である中島湘烟を対比的に思い出す。湘烟の微動だにしない死への足取りに最も畏敬の念をおぼえたものである。兆民も子規も、比してのはなし、やや騒がしく、しかしそこが懐かしくもある。湘烟女史の達観は人間離れしている。
2006 8・29 59

* 昨日、とうどう『日本書紀』三十巻を全巻音読し通した。これは黙読していては途中で投げるオソレ有りと、最初から音読した。読み終えてみて、ウン、よく読んだという満足感がある。
日本国が、大昔から朝鮮半島ないし中国と、善縁も悪縁もいかに深いかを、しみじみ知った。決して粟散のむ辺土として東海に孤立していたのではない。ひしひしと外交関係に揺れに揺れていた。戦闘含みのきつい駆け引き・位取り。淡泊に互いに遠慮して付き合ってきたとはとても謂えない。しぶとい、あくどい、かなりこんぐらかっただましだましの付き合い方をしながら、体面を気に掛け気に掛け、実力行使もしたし、脅したりすかしたりされ合い、し合っていた。神話の時代からすでにそれが始まっていた。
そんな中で国の律令体制と本格の都づくりへ、半歩一歩ずつ近寄って、日本書紀の「最現代の政治」が日々実践されて行く。想像以上に福祉にも気を配っている。秩序というものを位階や冠位や服装で創り上げて行く努力。
その一方では瑞兆を重んじ、風雨の神などへの祈祷も欠かさない。そして徹底した紀年経時の歴史記述のスタイル。
読んで良かった。古事記はその前に読んだ。
さ、今度の古典は何を読むか。長い長い『太平記』を読もうか。
2006 9・2 60

* 『日本書紀』に次いで、バグワンとともに日々の「音読」本に『太平記』を選んだ、昨夜から。
書紀は同じ古典全集で三巻だった。『太平記』は四巻有る。今年中に読めるだろうか。「太平記読み」は「平家読み」なみに中世に流行した。その気なら音読は大いに楽しめる。
昨夜、『千夜一夜物語』文庫版をまた一冊読み上げた、次は第九冊めかな。これは二十数冊ある、まだまだ楽しめる。ゆうべ読み終えた長編の説話は、純然の恋愛もので、二頁にもわたる長い抒情詩が続々々とあらわれた。この「詩」を喜んで味わう気でいないとアラビアンナイトはトータルに享楽できない。惜しむらくは、その翻訳があまりにあまりにヘタなこと。詩だけは、一流の詩人に翻訳して欲しいなあとつくづく惜しむ。
恋情も悲嘆も歓喜も愛欲も善悪も闘志も、その表現や耽溺も、アラビアンナイトは徹底している。それが嬉しい。
2006 9・3 60

* 藤間さん  オール読み物 (松本幸四郎・松たか子父娘往復書簡) 戴いて、その日に読みました。感謝。
さてなにを書こうかと思い泥むとき、自然に手探りめいて、とりとめない中身をあれからそれへと繋いでゆくことは、物書きなら、誰も、何度も何度も思い当たる「ハメ」を知っています。
しかし、そういう文章が中身散漫で味ないか、不味いかというと、意外にそうでない場合があります。そんなときに限って、書いている当人の気づかない、これまで知らなかった或る「波」に運ばれていて、あとで自分で驚くほど新鮮な表現や思いを、創ったり吐露したりしている場合があるものです。とても、いつもいつもというワケには行きませんが、(松)たか子さんの今回の書簡は、それに当たるような満足を、ご本人も後で自覚されたのではないでしょうか。
この体験は、いわば、かつて知らなかった、一度も気づいてなかった「曲がり角」を余儀なく曲がるハメになって、思いがけない視野を得たのと似ています。ものを書きながら、「世界を拡げた」というかすかな実感をもちうるのは、存外に、そういう時なんだと思います。
今回のような息づかいは、書き手への、思いのほかの親愛感を読者によびおこします。レールの上を走っていないからですね。私は筆者の「思い」の「流れよう」を、面白く感じながら読みました。
あの新感線ヘビメタの舞台「メタル・マクベス」も、微笑ましく思い出しました。
秀山祭、楽しみにしています。 お大切に。
うまく予定が折り合えば、染五郎丈の舞踊の会にも、私一人で出掛けたいなと思っています。私は舞踊が好きなんです、若い頃から。  秦生
2006 9・3 60

* 三好閏三君との「美術京都」対談の速記稿が届いていて、これの「手入れ」だけは、とても家では出来ない。昔から速記原稿への手入れはイヤに気の重い仕事で、それも速記そのものも頼りないが、人が適当に順序を付けて纏めてくれている原稿の場合は、ラクなようで、気のシンドイこともおびただしい。固有名詞などが聴き取れてなかったり、とほうもないアテ推量がしてあったり、何を自分が喋ってたのか見当がつかないこともある。
ま、今回は、案じたよりも筋が通っていて、半日外で暮らして、およそケリがついた。まず、出掛けた甲斐があった。
国文学の、ある物語を、トホウもなく精細に論議し論証した大論文も、熱心に読んで大いに煽られた。なまじな小説を読んでいるよりもツボにはまって精到隈なき論文というのはすこぶる読んでいて、快感。しまいに、チクショー此処まで読みますか、脱帽ということになる。
評論は面白くて正しければよく、論文は正しくて面白いのが最高。

* すてきにカラッとした上天気で、暑くはあったが、湿度は低く、助かった。
2006 9・5 60

* 重陽。こんな言葉を覚えたのは幾つぐらいであったろう。紫式部日記の初めの方で菊の花の露を話題に道長と紫式部とにやりとりがあった、あの辺を初めて読んだ頃が懐かしい。日吉ヶ丘高校の教室で、時間外に二三人で読み合っていた。更級日記を先ず読み、紫式部日記に移ったように覚えている。
あの高校には、岡見正雄先生がおられた。京極裏寺町のお寺の住職で「ぼうず」と皆が呼んでいたが、太平記などの精到隈なき研究で知られた「室町ごころ」の大学者であることなど、当時、誰も知らなかった。この先生の、古典を朗々と読みあげられるだけの授業に傾倒していたのは、学校中でわたし一人であったと思う。「古典」とはあのように読むものとわたしは会得して継承した。
2006 9・9 60

* ながく気に掛けていた四国香川県の会員薄井八代子さんの力作『お止橋 金毘羅物語』をスキャンは、長い作だけれど丁寧に二度校正して、入稿できた。香川菊池寛賞の受賞作とある。
推敲し文体もはこびも本格に書き直し書き上げれば、鴎外作品の或るもののように、凄みの歴史小説に成ったろう。材料に頼って読み物に終始したのがとても惜しまれる。それでもなお二度読みを苦にさせない面白さがあった。
2006 9・10 60

* ニューヨークの超高層ビルの二つを、吶喊した航空機が瞬く間に崩壊させたのは、何年か前の今日ではなかったか。以来、世界は病んで崩れつつある。日本も病み頽れつつある。いま譬えていうなら、世界は操縦機能をみうしなった航空機のようにあてどなく彷徨飛行している。われこそ操縦士と操縦桿にしがみつくアメリカの、濃い色眼鏡の視野狭窄は、危ない限り。しかし、アルカイダも何のアテにもならない。
墜落するならすればいいと自暴自棄の声なき声がもう上がっているとも懼れる。「危ない、危ない」。漱石が、三四郎君の先生が、近代日本の行く手をそう警告したときとは、比較にならない大危機がとうから来ていて、危機慣れさえしかけている。「危ない、危ない」。
そういうとき、じぶんではもう何も出来ないのではないか、それならいっそ黙って目撃しながら、世界が爆発する前に死にたいものだ、などと情けないところへ頭を隠そうとする自分に気づいて、それが情けない。見るほどのことはみな見終えたと嘯いて平家の勇将知盛は海の藻屑と沈み果てたけれど、何ほどのことを見たといえるだろう。
あれから八百何十年、人間の賢いような愚かなような歴史は、知盛の想像を絶した世界を演出しつづけてきた。気の遠くなる永遠を人は当たり前のように期待しながら諸変化を受け容れてきたけれど、もうもうドンヅマリへ来ているのではないかと懼れている人は、たぶんまだ少数であろう。人はもっとノンキに創られている。それが幸か不幸かは分からない。
ああ、イヤになったと、しんそこ思うことが、数増えてきただけは真実である。
宗教は働いていない。哲学は生まれても来ない。政治は権力と利益をとりあうゲームになっている。そして隠微に増える暴力的な犯罪。

* いま宋の大政治家「王安石」の事蹟を学んでいるが、思えば中国の歴史に、少なくも理想の働いた唐末までとさまがわりし、いわば資本主義が勃興して中国的思考を大きく変転させたのが「北宋」であった。儒や老や佛がまがりなりに政治の内側に働き得た時代は、宋により覆され、しかも宋は、北から南へ、そしてモンゴルの強力に潰えた。そんな中で渾身の政治力を発揮しようとした世界史的な大政治家であった、王安石は。
しかも彼は中国の歴史の中で、政治家としてはおろか、人間としても最低の者として後世までそれ以上は無いほど悪く悪く否認され続けた。
彼は中国人の九割以上を占める農民の声を聴き、僅か一割に満たない数で勝手な世論を構成していた士大夫(知識人=官吏・地主・大商人・名族ら)の既得権を抑えようと、数々の「新法」を発揮し励行して、いくらかの成果をあげた。しかし士大夫階級の抵抗は強かった。そして新旧両法党の混乱が「宋」という王朝を毀してしまった。
王安石の改革を指示した宋の神宗は、英邁な帝王であった。だが、士大夫の最たる一人は皇帝を責め、「政治」というのは「士大夫の利と安穏のためにこそなさるべきです」と諫言していた。そういう発想の政治が、世界的に、宋代以降にうまれて、今のアメリカも日本も、「ひとにぎりの利権の持ち主のための政治」がなされている。只一人の王安石もあらわれない。
いちばんひどいのは、知識階層が、政治におもねっていること。
2006 9・11 60

* いま、東京都以外の大きな街は、ふつう「市」と呼ばれている。大阪市、神戸市、名古屋市、横浜市、西東京市などと。この「市」のことを特に顧みて穿鑿することはまず無い。
宋の頃まで都街は、主として「坊」に区分されて、その広い一画は高い塀で囲われ、門はごく僅か、晩になると閉じられて坊の者は出入りを堅く制限されるのが普通だった。
そんな坊から成った都城のなかに、商業専一の区画がありそこが「市」であったけれど、重農・農本の国から商業資本に重く大きく傾いていった宋の頃から、坊の門戸が開かれがちに、いつか坊の壁もとりはらわれた。都城そのものが「市」的繁昌に包まれて行く時代へ変わっていた。吾々今日のナニナニ市にも、そういう史的推移の定着のあとが疑われもせず残っているわけで、人間万事が「金」の世の中に変わってきたのは、決して今今のことではなかった。

* 神ならぬ、これだけは人間の創作といえる最大の便利な難物が「金銭」だが、漱石をして、どんな善人だっていざとなると悪人になりますと言わしめたのが、「金」であった。なんだつまらないと言った青年に対して、漱石はそういう平凡の中の厳重な真実に気が付かなくてはいけないと窘めていた。

* 音読しはじめた「太平記」は、どんどん読める。読誦事態に適した文藝に出来上がっていて、なんとも快く朗読が利く。少々の字義になんぞ立ち止まっていない、はんなりした気分にも近く、どんどん楽しんで読んで行ける。夜中の三時四時になっても太平記とバグワンとは必ず音読している。
2006 9・14 60

* 四国の薄井八代子さん会員出稿の『お止橋』では、序の口で蜂須賀支配と土佐の土豪たち、ことに祖谷(いや)の平家落人勢とが衝突し、本編では讃岐金毘羅での僧徒と社人たちとの神仏衝突が、隠微に繰り返されて、果ては惨劇に到るが、その背後でも、武家藩支配と公家文化との怨憎の確執も歴史的に根深い。
不倫は文化だと、バカげた顔付きで奇妙の名言を吐いたタレントがいたが、人と人との衝突にも同じ意味合いはあるだろう。船が前進するのにローリングがぜひ必要なように、人は人と衝突しながら伸びる側が伸びて、脱落する側はそれに気づかず只もう消耗してしまう。消耗するぐらいなら衝突してはいけないし、衝突に勝とう勝とうというのも聡明ではない。衝突しているその事件の奧から、まるでまた別のエネルギーを聡く汲み取って、ローリングするように別の側へ伸び上がって行く意志が大切。そのためには、自身の立場もふくめ、事態をなるべく広い視野で眺めている落ち着きが大切だと思う。
『お止橋』という悲劇的な小説は、だがそこに権勢の衝突という、小さな人間の個々のちからではどうしようもないモノが根底に居座っているときの、絶望的な状況をも指摘し得ている。作者には失礼だが、森鴎外にこの材料で書いてもらいたかった。『阿部一族』に匹敵する名作が期待できた。そういえば、映画『山椒大夫』の原作も森鴎外だった。柳田国男の同題の民俗学的追究が加味されていたのかどうかは、にわかに判断しかねるが、「日本」を書こう思うほどの若い人は、柳田民俗学をどうかしっかり通過してこられるといいと薦めたい。取捨は、その人人の才能しだいでいい。
2006 9・15 60

* フランス語の詩の朗読に敬意を表そうかとも思ったが、がっかり気疲れしていたので、親睦の例会は失礼し、日比谷の「福助」で久々鮨を堪能してきた。二合の酒の上にクラブへはよくあるまいと、お利口に地下鉄に乗り帰ってきた。宋の南渡、世界史上最も悲惨な皇室の悲劇といわれた「靖康の変」前後、そして南宋杭州の「行在」史を面白く読み返しながら。
2006 9・15 60

* 太平記が面白く、サムエル前記も面白くなってきた。これから元の歴史に踏み込んで行く。そして英国史は近代の佳境に入っている。芹沢さんの『人間の運命』もじりじり進んでいるが、同じなら『ジャン・クリストフ』と併行して読んでみたくなっている。
2006 9・16 60

* 家の近くからまっすぐ南下四十分、三鷹駅ちかい玉川上水に行き着く。今日はそこから西へ西へ西へ上水に沿って自転車で走り、小金井公園の西まで走ったところで、公園内を北行。幾らか試行錯誤しながら北へ東へ向かう内、田無の街区を北へ通り抜けて、新青梅街道を北原から保谷新道へ出て、難なく帰ってきた。二時間あまり。疲れもせず、悠々と。
妻もいっしょなら大喜びしそうな武蔵野の緑蔭がいたるところにある。知らぬうちに自転車の上で鼻歌が出ている。しかし今日は強い颱風が日本海を北上していて突風つよく、二度ほど自転車ごと揺らいで危険だった。その気で堪えていたので持ちこたえたが。また「かりん糖」を買って帰った。

* 用意してあった湯につかり、「金」の滅亡、チンギス・ハーンの勃興を読む。元寇は成功しなかったが、いま日本の大相撲は、横綱朝青龍を筆頭に、かなり海外からの力士達に圧倒されている。一時はハワイ勢が強かったが、いまはモンゴルやブルガリヤやロシアなど。その傾向、わたしはいささかも忌避しない。強い力士が来てくれて相撲がオモシロイ。日本の力士がさらに強くなればそれで済むことだ。
2006 9・18 60

* また浴室でチンギス・ハーンの没後、中国に「元」王朝の成ってゆくまでを読んでいた。西トルキスタンに出来ていた世界の大十字路のことは、前巻『西域とイスラム』で読んだ。
2006 9・19 60

* 高麗屋の奥さんから、今月も松たか子との父娘往復書簡の載った「オール読物」が贈られてきた。今月は父松本幸四郎の手紙の番。すぐ読んだ。
幸四郎の文章はかなりの量を読んでいるが、今月の感懐は、舞台と、舞台外ないし劇場外との、微妙な「合間」の時間の不思議や奥行きについて語り、先月の娘松たか子の書簡になかなか見事に呼応した、佳いものだった。初めて語られる話題にもいくつも恵まれ、読みでのある文章で感心した。

通用門出でて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるい 岡井 隆

この歌にもどこか気の通う、仕事こそ違え、歌舞伎役者・演劇俳優の秘めもつ「合間」のおもしろさ、確かさ。
八月は、こういう大物役者が、京都で集中して映画やドラマの撮影にも組み合う暑い時季だが、その間の、ご夫婦でのこころよい銷夏や、不思議の出逢いや、黙想や、うまそうな味覚にも、じつに手配り美しく触れられていた。手だれのペンである。
その高麗屋から、昨日は、十月歌舞伎の通し座席券がわれわれ夫婦分、届いていた。幸四郎は熊谷、そして初役という髪結新三。団十郎も仁左衛門も。芝翫も。楽しみ。

* 小田実さんに新刊の『玉砕』を戴いた。戦争の真の苦痛を人間の誠の問題としてガンガン掘り下げている。イギリスでティナ・テプラーらが劇化し、ラジオ放送した音盤も、以前に貰っている。関連の英文のエッセイは「ペン電子文藝館」にも掲載した。
今度の新刊には、巻頭に、「私の『玉砕』へのかかわり、思い」という長い文章が作者により新たに書き足された分がまた読ませる。ドナルド・キーン、ティナ・テプラーの文章も寄せられて三人が共著という造りになっているが、小田さんの一筋が太く貫通している。岩波書店刊。
わたしは、小田実が、日本ペンクラブを引っ張ってくれないかと、本気で期待しているのだが。
2006 9・23 60

* アンドレ・モロワの『英国史』、おもしろい。いま「第六篇君主制と寡頭制」の「結論」に近づこうとしている。イギリスはいろんな革命を実験し実見してきたが、宗教も政治も議会も産業も経済も、みな革命し、またそれらを綜合した独特の「感情革命」をも遂げていた。「第五篇議会の勝利」を経てきて、とうどう「第七篇貴族政治から民主制へ」手が届いた。
イギリスの歴史を嘗めまた噛み砕くように読み継いできて、日本の民主制の未熟な退潮反動傾向を観ていると、ああまだ時間が、実験も体験も、あまりに足りんわと頭を掻いてしまう。
しかし歴史というのは、なにも五百年掛けた先駆を五百年掛けねば後輩は学べないという情けないモノでもない。だが、現実はあまりに情けない。
2006 9・24 60

* 秦建日子の新刊『アンフェアな月』(河出書房)が、著者と版元から贈られてきた。『推理小説』の続編であり、「刑事雪平夏見」と副題がしてある。大売れ篠原涼子の拳銃を向けた写真が「応援」の弁を、帯に述べてくれている。
お世辞にも心静かでなどいられない派手な表紙絵。だが相談されたとき、わたしはこれに票を投じた。単行本の表紙は、つまり題と作者の名がくっきり見えていること。その狙いによく合っている。背表紙も明瞭、これで良い。なかを読むのはこれから。
建日子は今三十八歳と九ヶ月。わたしが医学書院を退社して草鞋の一足を捨てた年齢と、ぴったり重なる。あのときわたしは新潮社新鋭書き下ろしシリーズの『みごもりの湖』を出版し、同時に当時大判の純文藝雑誌「すばる」巻頭に長編『墨牡丹』を発表。いよいよの独立に、気を引き締めていた。そしてその先を一心に歩んでいった。そういう歳なのだ。建日子のますます真剣な健脚と勉強とを、心から願い、この上梓を心底喜んで祝う。
2006 9・26 60

* 手塚美佐さんの句集『猫釣町』を戴く。帯ウラの自選十二句の大半に傾倒した、拝見が楽しみ。永井龍男先生にも師事されていて、永井先生のご縁で「湖の本」を最初から、ご兄妹で応援して頂いている。岸田稚魚さんの主宰されていた俳誌を嗣いで主宰されている境涯たしかな方である。
この表題の「猫釣町」が分かる人は少ないのか、意外に多いのかどうだろう。「むかし巴里のセーヌ川ほとりにあったという難民(政治亡命者)の吹き溜まりに由来しています。巴里の人々はそこに住む難民のことを、「釣をする猫」と蔑みました。釣をする猫たちが棲む町、すなわち猫釣町です。私の住む町も人で不足の農家や工場をあてにして異国の人がたくさん移り住むようになり、いつしか猫釣町になりました。漂流する者として私もまた猫釣町の十人の一人にほかなりません」と、作者。
萩供養残る燠とてなかりけり
冬蝶となりて遊びをもう少し   美佐
2006 9・26 60

* 日本文化資料センターという出版社は、かなり稀覯の珍本も出してくれるところだが、昨日きた、前にも来ていたと思うが、宣伝広告物に『雅親卿恋の繪詞』が入っていた。巻子本・桐箱入、原色複製だが六割縮尺しているほど丈が高い。室町時代の枕繪で、繪もまず上出来だがその時代の口語が男女咄嗟の詞としてかなり豊富に出ていて面白い物になっている。よくもあしくも男女の行き着く姿がむかしといまとで大違いとは言えないまでも、やはり資料的には貴重な絵巻、それも原本に忠実に複製しているという。一本買っておくかなとふと電話で残部を問い合わせたりした。玉のさかづきの底抜けなんてのは、七十すぎても疎ましいではないか、呵々。
2006 9・26 60

* 太平記の音読は毎夜楽しんでいる。ちいさきときからお馴染みの人の名や場面が次々に現れるが、ゆうべはちょうど阿新丸(くまわかまる)が佐渡の父日野資朝卿配所へはるばる訪ねゆく件り。昔講談社の絵本で小さい心臓が飛び出そうにどきどきさせた少年だ。
そういえば、「ペン電子文藝館」にとうどう佐々木邦の小説が招待された。創設の企画説明をしたときに、鴎外や漱石も入るが佐々木邦も入りますと言ったら、当時の梅原会長に佐々木邦なんてと軽蔑発言されてしまった。
いやいや佐々木邦はそんな作家ではない。それほどの作家ではないかも知れないけれど、わたしは、少年の頃古本屋での立ち読みには佐々木邦をねらい打ちに読みふけっていた。立ち読みには恰好の読み物だったし、記憶にも残っている。
山中峯太郎も震えながらよく読んだ。『見えない飛行機』というのが何故か震えるほど怖くて心惹かれたのを忘れない。佐藤紅緑なんて、みな忘れたが。

* 中国の歴代帝国のなかでも「宋」は、けったいに不出来な帝国であったけれど、歴史を大きく変えた文化国家でかつ重商資本主義型の帝国として、また前半の北宋から南渡領国を半減して南宋を成し、その間に世界史上帝室の悲劇としては最悪無惨な靖康の異変も体験した。北地から遼に金にそして元に攻め立てられて、最後にフビライの「大元」に完膚無きまで攻略され滅亡した。その滅亡は平家が壇ノ浦で潰滅したのとそっくりよく似ている。そしてその悲惨さへの挽歌が、例えば「正気の歌」などが、なんと我が幕末の攘夷思想に巧みに取り入れられて、明治維新への足取りを刺戟していたことなど、歴史はいろいろに老いた私をまだまだ新たに刺戟してやまない。面白い。

* ミケランジェロであったか、石礫をにぎった美しくも力有るダビデ像があった。あのダビテに相違ない、いま、旧約聖書の「サムエル前記」はダビデの、執拗に王に憎まれ懼れられて殺されんとする姿を読んでいる。

* 『雅親卿恋絵詞』を二万八千円、買うことにした。わたしの蔵書の中に一点ぐらい優れた筆致の古典枕繪巻があっても、自然。届いて、そのいかさまにガッカリするか、リアリティに感嘆するか、楽しみだ。
2006 9・27 60

* 建日子の『アンフェアな月』も含め何冊もの読書のあと、二時半頃電気を消したが、一時間ほどで、急激な低血糖症状があらわれ、経験がもう二三度はあり、急いで計ってみると過去最低の「56」とは、危険そのもの、ショックを起こしかける数値。すぐさま砂糖を補い、いただき物の葡萄を十粒ほど口にした。すこぶるイヤなイヤな違和感が長く残り、血糖値はもち直してからも気分わるかった。
だが、朝が来て生活していると、午前中にすっかりリバウンドし、昼前に「202」まで上がっていた。
北海道の方から、大きな毛蟹三バイを頂戴した。感謝。
午後、二時五十分から四時四十五分まで、自転車で石神井台を大回りしてから、井草、善法寺公園を一周し、千川上水を西向きに遡行、武蔵野大学前までうんと走ってから、柳沢方面へ戻っていった。相当な走行距離ではないかと思う。今日は少し疲れた。ボトルの水分を一本必要とした。いつもは口も付けないのだが。江古田の百円ショップで手に入れた方位磁石が役に立つ。
帰って血糖値を計ると「85」は上等だが、一気に下がりすぎている感じも。
入浴して、「大元」帝国論を読む。
2006 9・28 60

* こんな話よりわたしの心を呼び寄せてやまないのは、こういう時だから余計そうなんだが、バグワン。
それから好きな歌人や俳人の歌集、句集。
『井伊直弼修養としての茶の湯』という研究書を手に取ってみる。するとすぐ世外の人となり、なぜか亡き白鸚や松緑の顔が思い浮かぶ。歌舞伎舞台の『井伊大老』やテレビドラマの『花の生涯』を思い出すのか。されば連想は歌右衛門にゆき、あれは淡島千景であったか、に、行く。
人にも逢いたい、芝居の日もはやく、と。しかし難儀な糖尿診察が待っていて、不快なだけの「調停」や「審訊」もある。難儀で不快なことほど、踏み込んで受け取らねばならない。

* わたしにしても強い人間ではない、が、弱さに甘えたり逃げこんだりはしていられない時がある。ほんとうに弱いとほんとうに逃げこんで頭をかかえてしまうが、頭を上げていなくてはならないときはちゃんと頭をあげて当面するしかない。しかない、のでなく、おそらくそれが当然の精神衛生というものだ。楽しいことしか楽しめないのでは楽しみの味は単純だ。時には苦みや鹹みも楽しみとしたい。
2006 9・28 60

* 昨夜おそく、建日子がきて暫く歓談、また戻っていった。床に就いたのは二時半。それから何冊も本を読んだ。
太平記では資朝卿についで俊基朝臣も鎌倉の手で斬られた。源平盛衰と南北朝の物語は少年の昔から網羅的に頭に入っている。
音読しやすいのもあたりまえ、「太平記読み」は「平家読み」についで室町時代以降盛行した。ほんとはもっと声を張って読みたいのだが真夜中のこと、憚る。
漢文、唐詩、宋詞、元曲と謂う。元という帝国は極端に尻すぼまりに衰えた国だが、ジンギスカンの子孫の帝王達には、歴代酒色にすさむという悪癖とも宿痾ともいえる遺伝があった。ああいうモンゴル第一主義の北方民族も、手もなく中国化してしまう中国の懐深さに感嘆する。
宋というのはダメ帝国でもあったけれど、どうしてどうして、とても無視できない「文化」と勝れた官僚政治があった。「科挙」という制度のよろしさを宋ほど仕上げた帝国はなかったし、人物も多彩に豊かだった。
2006 10・1 61

* 昨夜電灯を消したのは三時半。宋史、遼史、金史、元史「四史」の研究史など面白く読んでいた。
旧約聖書と千夜一夜物語の対照感覚も、相変わらず刺激的。
太平記は後醍醐の笠置蒙塵。幼稚園前だったか、町内会の遠足で笠置の岩屋までのぼったが、菊人形で歴史の語られていたのが怖くて、泣き出したのを覚えている。あの日は母と一緒だった。母が紫地にの縦縞の着物を着ていたのも懐かしく思い出せる。
そしてバグワン。

* もし人が自由であれば、その人は自然である。道徳的であろうなどと考えたりしない。道徳とは、いいかえれば掟としての法の意味にちかい。自由な人は法に従えなどと人にも自分にも言わない。自然であろうとすら言わずに自然にふるまう。
法的・道徳的人間は、自然じゃない。そうはなり得ない。もし怒りを感じても彼は自然に怒ることができない。法にすがり道徳をふりかざす。もし愛を感じても彼は自然に愛することができない。法に触れないか、道徳に障らないかと逡巡する。道徳や法にしたがってものごとを律したい人の、自然でありえたためしはない。
人が自身の自然にしたがってでなく、道徳や法のパターンに従って動こうとするとき、その人はとうてい自然であることの最も高い境地には至れない…と、バグワンは、そう言っている。
わたしはバグワンに日々ひたすら聴いている。
我が家にバグワンをもちこんだのは大学時代の夕日子だった。仲間と瞑想・瞑想とさわいでいたが、本をちらと開いてみて、これは彼女や彼等にはとうてい手に負えないと感じた。あっというまにみな抛たれて、パグワンの本は物置に投げ込まれたまま夕日子は結婚した。
娘の結婚後に、それも夕日子のいわくの「暴発」のあとに、わたしは物置からバグワンを救出し、以来今日まで正月と言わず盆と言わず、ときには旅先でも、欠かさず三冊五冊七八冊に増えたバグワンを、毎晩毎晩音読してきた。学ぼうとしてではない。わたしの思いでは世界史的な優れた人だと感じているので、ただただその言葉を聴いている。バグワンによって何かを得ようなどとちっとも願わない。ただただ読むのが嬉しくて読みに読み次いでいる。
2006 10・3 61

* 芹沢光治良の『死者との対話』は、あの戦争に駆り出された学徒、また敗戦後の悩み深い学徒たちの、「哲学」というものに対する深刻な「不信」を、一つの、主要な話題にした問題作であった。
京都で学生だったわたしは、大学院で哲学研究科に籍をおいたが、あっさり見棄ててきた。少しの悔いもない。恩師は、きみは教授になれる人だから院に残りなさいと何度も言われたけれど、頭をさげて、妻になる人と二人で東京へ出てくる方を選んだ。そして小説家になった。
哲学は、美学は、わたしの「魂」に何の役にも立たない。わたしは広い意味での「詩」人になりたかった。そしてただ「待つ」人、「一瞬の好機=死生命」を待つ人になろうとしてきた。

* 繰り返し書いてきたけれど、二十世紀最大の哲学者といわれた或る哲人は、ヴィトゲンシュタインは、哲学の最大有益の効用・効果を喝破し、「哲学が何の役にも立たないという<真実>をついに確認したこと」こそ人間に対する大きな「哲学の貢献」だと言っている。含蓄がある。哲学の否定ではない、哲学の「先」への示唆だ。
その通りだと双手をあげてわたしは賛成する。
あれが「月=真如」だと指さす「指」は、なんら「月」ではない。哲学はその「指」にやっとこさ成れはしても、そんな指や手で「月」は捉えられない。そんな哲学で、人をほんとうに深く高く救いあげた事例は、世界史上ただの一例もないのではないか。「南無阿弥陀仏」の一言の方が、まだしも無数の人を安心させた。しかし「念仏」というつまり「抱き柱」を人に与えただけであり、一種の催眠術的な宗教効果であったに過ぎない。むろん、それでも、なみの哲学より遙かに優れて人を安心させはした。ありがたいと思う。
2006 10・4 61

* 申し込んでおいた『雅親卿恋絵詞』が届いた。フフフ…。幸か不幸かもうわたしの役には立たぬ。
以前、或る国立の大学教授お二人と小学館版の「日本古典文学全集」にかかわって、鼎談したことがある。そのときに一人の先生が、用の済んだ後の歓談のために、それは見事にやわらかに描かれた枕絵巻を持参して見せてくださった。あれにはだいぶ負けるし、なにより原本のかなり精巧なしかし複製に過ぎないのだから仕方ないが、巻物で繪と詞とを我が物で読むのは初体験。妻には見せないが、いずれ息子にやってしまう。息子は見ないかも知れないが。
2006 10・4 61

* ようやく秦建日子の新刊『アンフェアな月』を読み上げた。十日もかけたか。
これだけ読むのに時間をかけさせた、それが、今回の本の顕著なマイナス点であろうか。それはわたしがいろいろに忙しかったからか。
端的に言えば、前作同様、前作よりももっと、映像用の大胆なコンテ、一篇の物語の動的なシノプシスに類していた。作者の得手を存分発揮した、要領のいい「ト書き小説」であるところは、前作『推理小説』よりも徹している。時間に追われてやっつけてしまうには、この作者にこの手法は効果的に向いている。
「ト書き」は、簡潔に動的に映像・画像や演劇の舞台が目に見えるように把握する、まさしく「文藝」の一種であり、この著者は、多彩に経験的にその「藝」にたけている。
文体の動的な統一をこの方法は、一見とりやすそうで、実は実に難しい。いいかげんにやったなら、収拾のつかない「説明羅列」に陥る。
それにしても作者は、その「演劇」手法の得意技で「小説」を終始するトクをとったけれど、また、それにより喪うソンの方も犠牲にしたのではないか。その「思い切り」のよさで、作品が自律し自立したけれど、文学を読む喜びとしては半端な印象も否めない。
この作者は、前作『推理小説』で、初めて「ト書き小説」といういわば文藝の新ジャンルを開拓して見せた。それは事実として動かない。だが、在来の文藝、優れた文藝がかかえもった、「読む喜び」「読ませる魅力見」の味わいをも、此の手法で発揮するには、まだ「文藝」そのものが足りていない。当然、はなはだ「読む喜び」は希薄になっている。走り書きの「あらすじ」を走り読みさせられるような錯覚に陥る。
とはいえ、字句や章句のなかには、ずいぶん面白い、耳目を惹く「表現」が意気盛んに、しかも落ち着いて散らばっていて、決して索然としたただの「ト書き」ではない。新味も深切味も文章として決して味わえないわけではない。大げさに認めて言うなら、「新しい文体への、これも試み」かなり「有効な試み」であるのだろう。大事な意欲の表れと解釈することで応援しておく。
だが、ちぎれちぎれにしか読ませなかった散漫な弱点はやはり覆えない。譬えて謂うと、投げ出された一つかみの、くしゃくしゃの紙切れ、それがこの推理小説の原体。その紙の皺を興味を持ってのばしのばし、作者と読者とで前へ前へ歩いて行くのだが、最後に、すうっと最後の皺をみーんなのばしきって見せて、あれれ、たいした紙ではなかったんだ、と少し拍子抜けする。結果として、面白い珍しいお話を堪能したという程の思いは、させてもらえなかったのである。秦建日子の作だからわたしは読んだけれど、人の本なら読まないか、途中で厭きていたかも知れない。
今度の作では、前回とちがい、作者の「述懐」がときどきややペダンチックにでも露出していて、それを面白い、興有りと受け容れるか、深みもなくちっとも面白くないと見棄てるか、どっちに読者がつくかは、わたしには一概に言えない。わたしという読者はそこへ行くと、やはり特別の読者であり、おお建日子はこんなことを言うか、思うかと、次元を異にした興味にもひきずられる。
さて女刑事・雪平夏見が、前作でよりも一段と魅力的であったか、というと、難しい。すこし水気をふくんで、あの硬質に乾いた、敲けばカンと鳴るような魅力はややうすれ、普通に近づいたのではないか。この作者が昔に田中美佐子という女優を使って書いていたテレビドラマの女刑事程度へ、気分、退行していたかなあとも思うが、映像ではどうなるのやら。
それにしても、こういう風に、実験的に文藝・文学を作って行く意欲は、凡百の推理小説氾濫の中では、すぐれて良質に満たされているのは間違いなく、孤独では有ろうがその意欲は金無垢にたいせつなものと、わたしは声援を惜しまない。
しかしまた、この作品のように、はなから安直に映像化期待に隷従した文藝・文学は、わたしには、本質、頽廃現象であるという基本の評価をくつがえすことは出来ない。息子と同じ年に『みごもりの湖』を書いていたとき、「映像化」など、できるものならしてみろ、できるもんか、とわたしは思っていた。新潮社の担当編集者が映画化権がどうのこうのと話していたときも、腹の中でわらっていたのを思い出す。
秦建日子のさらなる新作をわたしは、だが、楽しみに待っている。そして旧作ばかりでなくわたしの新作も読ませてやりたいと心掛けている。

* 建日子には、わたしがいま「MIXI」で連載している「講演集」の、ことに文学・文藝に触れたものには目を向けていて欲しいと願っている。夕日子にも同じである。同行の我が読者にもむろん同じ気持ちでいる。
2006 10・6 61

* 入浴、「宋学」「朱子学」を読む。すこぶる興味深し。宋以前、中国には体系をもった哲学は存在しなかった。佛教の体系に比して、儒も道も思想の構造としては散漫だった。北宋にいたってやっと周学が成り朱子学が成った。十三世紀の思想体系としては宋学は世界に冠たる重量を誇っていた。禅宗とは想像を超えた親縁関係にあるが、朱子学は、禅とちがい絶対の境地よりも、時間・空間・運動などをトータルに相対化した把握に長けて実践的である。理を謂い礼を謂い、生活に理想の規範を与える。あくまでも儒で、禅とは質的に異なっているが、通うモノをもっている。
禅の達磨だと、瞬間から瞬間を内発的に生きるというところを、宋儒なら、無極から太極へ、太極から無極へ動き静まり、それが生活だと謂うだろう。中庸、そして礼と理と。想像したよりも宋学の境地は現実に足場をおいて難解ではない。達磨なら「あなたこそ真理だ、どこへ動いて行く必要もない、行ってはならないのだ、真理は我が家にあるのだから」と言うが、宋学は「運動」に世界の働きを、また人の働きを観ている。
2006 10・7 61

* 快晴と強風のなか多摩川をめざして三鷹駅から南へ調布市内を走ったが、なかなか川に出逢えず、また回れ右して、武蔵境駅の南の方から延々北行、二時間四十五分ほど走って帰宅。入浴して、「宋」の時代の文化を復習。

* 茶碗があるのだから中国人も茶をのんできたことでは、大の先駆者であった。いろんな茶の製し方も飲み方も識っていた。古典には『茶経』もある。
ただ飲茶のふうに、日本の茶の湯のように「作法」を創り上げたかどうかははっきりしない。中国はある時期には他を圧して佛教の勢力がつよかった。しかし結局生き延びたのは禅宗だけであったと謂えるかもしれない。
禅院には学僧たちの日常を律する「清規(しんぎ)」がつくられ、これが宋儒のとくに大切にした中庸の礼または理にちかい規範であった。宋の大学等では学生達の生活の規範として、清規に類した「学規」を用意した。
学規といえば、我が家の玄関には、会津八一がかつて自宅にかかげて寄宿の学生達を律した、八一自筆の「学規」(複製)が掲げてある。
禅宗の坊さん達は座禅の睡魔をはらう卓効の飲料として茶を愛好したから、清規においてやや飲茶、喫茶の作法めくきまりが無いわけではない。日本の茶の湯の、作法としての濫觴はその辺に求められていいのかもしれない。
八一の書いた「学規」を、わたしに下さったのは、もと日中文化交流協会の理事長を務められた宮川寅雄先生であった。わたしは両三度先生のお宅を訪ねているが、そのつど、いろんなものを頂戴した。南洋の土で唐津の作家の焼き締めた渋い湯呑みは逸品である。先生が自作の、天山ふうに焼いた筆架も洒落ているし、ドンキホーテのような乗馬の仙人像もとぼけている。画もなさり、「杜ら」と署名の何枚かを頂戴している。非合法時代の強烈な闘士でもあられた先生は、温厚そのものの文人で美術史家でもあられ、先生の晩年、可愛がっていただいた。わたしも甘えて何でも申し上げた。
宮川先生や井上靖先生の頃の日中文化協会は、存在自体に貫禄があった。白土吾夫さんが専務理事でどっしり要を締めていた。みな亡くなってしまった。
今日、文藝家協会の会報ではじめて知る迂闊さであったが、巌谷大四さんが、もう一月も前に九十歳で亡くなっていた。嗚呼なんということ。井上先生夫妻といっしょに中国へ旅したお仲間の、長老であった。井上先生、白土さん、巌谷さん、清岡卓行さん、辻邦生さんと、あの一行の半数が亡くなってしまい、井上先生夫人、伊藤桂一さん、大岡信さん、私、そして協会から秘書として同行の佐藤純子さんがのこされた。
あのとき訪れたのは、北京と大同、そして杭州、紹興、蘇州、上海。思えば遼や金の、また南渡した宋の故地であったのだ。あの旅のことは昨日のことのように覚えている。
二十年目に訪れた中国では、西安が珍しかった。秦の兵馬俑もまぢかに見てきた。院展の松尾敏男さん、バイオリンの千住真理子さんらと一緒だった。

* 茶のはなしにもどるが、茶の功徳として上げられる、一は覚醒効果、二に消化薬の効果、三に性欲などを抑える効果。そんな茶を飲んでいる坊さんに、上の功徳をきかされ茶をすすめられた牛飼いは、ヘキエキして断ったそうな。一日中働きづめ、夜眠れないのでは地獄。貧しくて僅かしか食えないのに食い物が腹の中で消え失せても地獄。まして性欲がなくなればほかに何の楽しみ、女房にも逃げられてしまう。ハハハ。
2006 10・8 61

* 『太平記』の音読に快く惹かれている。いまは巻第三、東国勢がいよいよ赤坂城の楠木正成に当面する。子供の頃にどんなにか惹き入れられたか。少し思い上がって言うのであったけれど、二十年前にわたしが「秦恒平・湖の本」を旗揚げしたときから、この「出版への叛旗・謀叛」と叩かれた実践を、「わが赤坂城」と自覚し名付けてその旗を今も降ろしていない。二十年、八十八巻まで来てまだ落城していない。まだ千早城は健在に温存されているのだから、我ながら健闘してきた。六波羅の両探題と目していた東版・日版の今がどんなであるかわたしは知らないけれども、わたしは、湖の本の実に山中の小城にもおよばないささやかな闘いを通して、単に事業としてでなく、一人の男として自由自在に生きられる喜びも得てきたと思う。

* 湊川の戦に果てた正成をわたしは「あかんやっちゃなあ」と嘆いたこともあるが、正成は、昔から今まで好きである。身近である。しかしながら太平記の称賛する正成とは異なるべつの正成像、実像のあることをも、わたしは積極的に受け容れている。
太平記は憚ってそうは描かないけれども、楠木が鎌倉の被官であったこと、根は鎌倉方に在ったこと、鎌倉に背いて後醍醐天皇との間に連繋が出来ていったこと、それはそれで少しも可笑しいとも、卑怯だとも思わない。この時代降参と反逆とは少しも珍しくない当然の処世であり、そういうことをしていない有力武士の方が少ないぐらい。
それに正成が「悪党」と呼ばれる悪党の意味は少しも悪人の意味ではなく、この時代を特色に満ちて生きた一部土豪や下層武士たちのじつに興味有る処世を謂うたまで。
わたしには、なにより正成たちが、観阿弥世阿弥など猿楽の徒とも血縁というにちかい連絡を保っていたらしいことも、すこぶる面白い。彼の武略・知謀の根底には、根生い地生えの民衆の支持もあったことを推定しなければ理解が拡がらない。
「あかんやっちゃ」とわたしの嘆くヤツが、この南北朝・太平記の時代にはいっぱいいて、尊氏も義貞も北畠もみんな例外ではないけれど、正成のそれは、共感に値するモノも最後まで持ち得ていた。生き疲れたんやなあと思っていた、子供の頃から。湊川にたつ途中、「わが子正行」を「青葉しげれる」櫻井の駅で故郷に帰した「訣別」の真意にこそわたしは感じ入って、その後の南朝の善戦に固唾を呑んだ。
幼稚園国民学校のはじめごろ、近所の子供達の競って唄ったのが「青葉茂れる櫻井の里のわたりの夕まぐれ」であった。源平合戦と南北朝。やはり時代の覆いかけていたネットからは、遁れ得なかった。それでもわたしは、軍国少年とはほど遠い心根を抱いていた。同じ頃にひそかに読んで胸の奥に畳み込んでいたのは、白楽天詩集の厭戦・反戦の長詩『新豊折臂翁』でもあった。「京都」育ちのわたしを、文学へすすませた原動力は、「平家」と「折臂翁」とであった。
2006 10・9 61

* なんとかして多摩川へ到達してみたいと思い、二時五十分に家を出て西へ南へとひたすら走って、小平霊園を南へ抜け、一橋学園駅から国分寺市へ南行したもののどうも多摩川の気配は遠すぎる感じで、またも断念し、国分寺市から三鷹線を東へ向かい、少しずつ北へ東へと帰って行った、新小金井街道を北へ、また小金井街道を北へ、花小金井四丁目から新青梅街道を田無方面へ戻って行ったが、またしても左へ折れ込んでいったのが失敗、道に化かされてまた新青梅街道に逆戻り、仕方なく礼の保谷新道をかけぬけて元の保谷市役所前を通り帰宅。二時間四十分を越えていた。血糖値を前後で計ったところ、運動後は半分以下に減っていた。
入浴して、世界の歴史を読む。
2006 10・9 61

* 昨日芝居への行き帰りに読んでいたのは、今井清一さんの『大空襲5月29日 第二次世界大戦と横浜』だった。巻頭の「第二次世界大戦と戦略爆撃」のつぶさな世界的実態にふれ、慄然とした。「ペン電子文藝館」の「反戦反核特別室」に戴きたい。

* 宮崎市定さんの責任編輯された「世界の歴史」の『宋と元』を再読して、また新たに多く眼の鱗を払った。面白かった。ゆっくり時間を掛けて読み終えたが『宋』という帝国の世界史的意義にとことん触れ得て大満足。夕日子に下書きさせた「徽宗」ほど物哀れな末期を遂げた帝王はすくないが、宋というと彼の帝王としてのイメージの不出来が印象をかげらせがちなのだが、一方、彼ほどの優れた帝王画家は古今に類が無く、わたしは少年の昔から彼の筆と伝えられる「桃鳩図」や「猫図」にイカレていた。お見事と言うしか無く「国宝」ありがたしという気になる。
宋の絵画はたとえ議論が在ろうが、北のも南のもわたしは敬愛し親愛する。精到くまなき白磁や赤繪や青磁などの陶磁のすばらしさ、書風の個性的な大展開、宋詞から元曲へ展開する白話文藝の絶頂。そういった文化的なことには多年に仕入れた知識があったけれど、優れた「科挙の実施」による中央集権の官僚政治体制の独自さ、製鉄の飛躍的な発展を基盤にした商工業の画期的な拡充、そして印刷に置いても羅針盤試行においても、火薬の使用においても、宋は、ヨーロッパ近代の漸くの追随を尻目に数百年も先んじていた。
そして朱子学という思想体系。それらはいろいろの批判や批評を浴びながらも、現代の吾々の今日只今にも具体的な看過や影響を与えていて死に絶えて乾燥した博物館型の文化でも文明でもなかった。
そういうことを、またしみじみと感じ得たのは、別に今更にわたしの日常を変えるような何ものでもないけれど、頭の中が少し新鮮に帰った気さえする。

* さ、歯医者に出掛ける時間になった。
2006 10・11 61

* 久しい付き合いの元阪大教授中村生雄さんの編纂された『思想の身体 死の巻』をいただいた。孫の死をめぐる「MIXI」状況などを思い合わせ、感慨あり。「死」の環境がインターネット時代にはいって激変して行く状況に初めて言及されている。昭和天皇の崩御にいたる電波による報道とは、また大きくサマ変わりして行くことを、わたしは、孫やす香の「MIXI」日記、やす香と親とによる病名公開と、死への経緯の「MIXI」での公開、知人とだけに限定されない国内外からのコメントやメッセージによる参加、また祖父であるわたしのホームページ「闇に言い置く私語」公開など、きわめて顕著な新現象として「死」の時代の大きな烈しい変換に一頁を開いたことになる。多くの批評や検討や推移がこの先にあるわけだが。

* 珍奇絶倫『小沢大写真館』昭和の「色」の世界をいただいた。小沢昭一氏のこの関連の著書は何冊も戴いてみな読んできた。「日本俗情史」という分野が拓かれねばならないと、わたしは一九六九年文壇に顔を出して直ぐ、「芸術生活」に『消えたかタケル』を書いて、提唱した。小沢さんの一連の仕事はまさにそれで、単なる芸能史を広く深く越えている。

* 「たとえ十二部経を暗誦できようと、そのような者は生死の輪廻を免れえない。解放の望みなきままに三界に苦しみを受ける。」達磨
「教師(ティチャー)」たちの誇るどれほど多くの知識も、それは頭脳(マインド)を多くの言葉で満たすが、彼等の「存在」は空っぽで虚ろなままだ。大博識の学者というのはたんに知識のある愚か者でしかないと、ほんとうの「師(マスター)」はその存在そのもので分からせる。ブッダもイエスも。達磨も。老子も。

* 芹沢光治良『人間の運命』をじりじり読み進めている。いわば証言としての関東大震災で「人間」がひきおこす「恐怖からの凶暴」が、じつに無反省に無自覚に世の中を大混乱の不幸へ導くさまに、戦慄する。地震災害以上に「人間」が悪意とともに意図してもちだし、「大衆」があらゆる知性と判断を見失って付和雷同し追随して拡大させる人間性の凶暴化。おそろしい。

* そういう「人間の悪」に文学でふれ現実に生々しくふれていると、生の希望は、糸のようにやせ細る。いかに苦い味も楽しもうという姿勢でいても、イヤになる。生きていることが恥ずかしくなる。そういう「悪」が、ほかならぬ私自身の身の奧からも生まれ出ているのであるから、自己嫌悪は痛切。自分の血をすべて絞り出しどぶに流したいほど。
2006 10・17 61

* 幼い日の娘の写真を見ている間は、老いた父と母はひととき心癒されている。なんという皮肉なことか。

* だが必ずしもそれだけではない、『千夜一夜物語』を文庫本で読み始めると、わたしはあっというまに他界に翔んでゆける。午前・午後、葬儀からの帰りの電車で本をポケットから出すとたちまち、わたしはシェヘラザーデのお噺に溶け込んでしまい、気が付くとクツクツ笑っていたりする。四百十九夜「男女の優劣についてある男が女の学者と議論した話」には吹きだした。わたしの妻にもどうか、こういう何かしら別世界をもって溶け込み、何の意義もない不愉快を押しやり押し払って日々過ごして欲しいと思う。

* ブッダは無益な修業をしないと、こんなことは、達磨だから言える。獅子吼とはこういう言明をいう。

* 無心の本性は根源的に空であり、清浄でも不浄でもない。心(マインド)のレベルであれこれしている限り、だから当然、無心にはなれない。心はいつも思考で溢れて在る。心とは思考の容器にひとしい。そしてそんな心の働いている過程は、清いか汚いか、なにしろ容易に空ッぽに成れないのが心(マインド)である以上、それは清浄か不浄かのどちらか。心はけっして二元対立を超えることはできない。いつも賛成か反対かであり、いつも分割・分別されていて、分裂症の状態にしかない。けっして全一(トータル)にはならない。なれない。二元対立を免れうるのは「無心」という静かな、心ではない心だけだ。それは曇りなき大空のようなもの、トルストイの『戦争と平和』でアンドレイ公爵が戦場で斃されて見上げていた無限の青空がそれだった。

* いまわたしのマインド(心)の世間は黒雲が渦巻いておはなしにならない不浄な世間だけれど、わたしはそれがそういう世間だと知っていて、無明の闇にいる自分を感じているが、そこから抜け出せるときを持っていないのではない。雲に目をむければひどいものだが、雲と雲のかすかな隙間を通して広大無辺の澄んだ大空を垣間見ることもそれに気づくことも出来る。そのとき★★●も★★夕日子もない、何の価値もないただの雲屑とすらも意識しないでいられる。
それなら大空になればいいではないかという催しがあるにしても、まだそれが理であり言葉であるあいだは、わたしは慌てて覚り澄ますフリなどしたくない。まだマインドで分別してなんとかしようなどと思う自分を完全に否認し得ていない間は、ま、現世風に闘わねばならず、苦しまねばならない。
2006 10・18 61

* 黒いマゴの夜中の出入りに、二度睡眠を中断され、六時半には起床。前夜は日付が変わってやがて床に就いていたので問題はない、いつもどおりバグワンも太平記も英国史も『人間の運命』も、そして「ルネサンス」もみな読んだ。この「ルネサンス」という文明現象ほど或る意味で怪奇にフクザツなものはない。イタリアという当時の半島文明の政治的・藝術的異様の対照を眺めるだけでも、思いあまるややこしさがある。悪の権化のような、しかも勝れて有能な君主や商人達の、底知れないキャラクターを評価し得ないまま「ルネサンス」を安易な決まり文句で分かった気になる危険さこそ、思うべし。
小沢昭一さんの怪著にもクツクツ笑わせられながら、黒いマゴが電気スタンドの上に寝ていて消せないそのまま、例の夢路に滑り込んでいった。

* ブッダは戒めを守らない。彼はどんな戒律にも従わない。彼は最大限の「気づき」をもって生きているから。ただ静かに眺め、自らの全存在がすべてに応答するのをゆるしている。彼はまるで鏡のようだ。ただ映し出すだけで、ほかにはなにもしないとバグワンは正しく語る。「なにもしない」ということを言い換えると、「なにをしてもしないと同じ」だということ。
わたしは座禅したまま暮らせる状況にいない。それなのに強いて座禅をしてみてもそれだけでエゴの業に陥る。すべきと感じたことを為すべく為して「なにもしていないと同じ」一面の鏡のように生きて在ることが、不可能とはわたしは考えていない。そこに偽善的な世間のリクツを持ち込まない方がよほどいい。
2006 10・19 61

* 「夏の夜の夢」はおもしろくつくられたシェイクスピア人気の舞台だけれど、原作のふまえた「夏至」前夜の民俗などに、日本人は没交渉であり、その一点からも原作の妙味を汲むことは容易でない。粗筋を追うばかりになり、またそれでは日本の今日只今を利発に刺戟する何ものも殆ど無い。これはもうハナから覚悟して掛かるしかなく、その覚悟で観る分にはけっこう面白い筋書きを孕んでいる。
演出の妙味と福田先生の訳とにすっかりよりかかって観てきた。十二月には名作「八月の鯨」を再演してくれるらしい。わたしの七十一の誕生日ぐらいに観られればいいが。

* 巣鴨へもどるつもりが逆向きに三田線に乗ったので日比谷でおり、「きく川」で鰻を食ってきた。ツヴァイクの『メリー・スチュアート』と小沢昭一さんの珍奇絶倫『小沢大写真館』を、仲良く半分ずつ読みながら行き、読みながら帰ってきた。どっちもおもしろい。
2006 10・25 61

* 日本でいちばん長続きしている雑誌。それは、丸善の「学鐙」で。鴎外も漱石も書いていた。日本の知識人ならここへ一度は「足あと」をつけたいところだ。その歴代編集長のなかで名声のひときわ高かった北川一男さんを偲ぶ会に、わたしは裁判の煽りでどうしても出られなかった。今日奥さんの編まれた『塔の旅』という遺稿集が贈られてきた。エッセイを書く人のお手本にしたい多彩で且つ端正な名文家の精髄。しかし何よりも最後に病床で原稿用紙に自筆された奥さんへの「金婚」を祝い感謝されている乱れ文字の美しさ。感動。
この北川編集長にわたしは、『一文字日本史=日本を読む』をまる三年間にわたって、また谷崎論を三連載、その他にも東工大を退いたときなど、計四十回以上も書かせて貰っている。大きな恩人のお一人であった。偲ぶ会への不参、まことに心苦しいことであった。

* もう一冊の特筆ものは、元「群像」の鬼といわれた名編集長大久保房男さんの新刊『日本語への文士の心構え すぐれた文章を書くために』である。お説の相当量はくりかえし教えられてきて心身にすりこまれているが、なおかつ堪らなく面白くタメになるからつい笑ってしまう。妻はわたしより先に一晩で読み上げてフフフフと笑っていた。わたしはいま笑っているが、けっして軽く見て笑っているのではない。身を縮めてじつに心して照れ笑いをしているようなもの。そこが門外漢の妻とは違い、臑の傷が痛んでこないかとハラハラしているのである。
ひとかどの作家が平気で書いていると、そこは実例に事欠かない大久保さん、出す出す、 「馬脚を出す」「札片を撒く」「溜飲を晴らす」「古式豊かに」「自前を切る」等々等々、笑ってしまう。いつどこで笑われているかと思うべきであるが、あまりのことにガハハと笑う。
この本、読み終えたら人にあげよう。
2006 10・30 61

* いま二階では徳田秋声を読み、階下では岩野泡鳴を読んでいる。沢山な併読の一つずつに加えて楽しんでいる。秋声の大作はたいがい感心して、昔に読んだ。「足迹」「あらくれ」「黴」「爛」また「仮装人物」「縮図」など。いずれも、或る意味でもの凄い。「凄い」はわたしは佳い意味でふつう用いないが、この場合はつよい褒め言葉でもある。で、今は短篇を楽しんでいる。「風呂桶」「或売笑婦の話」「和解」とか。
あの川端康成が「現代日本の文学者のうち、作家として、私の最も敬ふ人はと問はれたならば、秋声と答へるだらう。現代で小説の名人はと問はれたならば、これこそ躊躇なく、私は秋声と答へる。――この答へは、昭和八九年の頃からいつも変りなく、私のうちにあつた」と『仮装人物』を語りながら書いている。一流の文学者である、安いご挨拶ではありえない。川端康成のこれもまた良い意味の凄みである。わたしは「最も」と強調は控えるにしても秋声の小説を尊敬している。郷土のライバルであった、私が贔屓の泉鏡花より、下位に秋声を置くようなことはしない。
岩野泡鳴は、日本の近代文学の爆発物である。これもまた強い強い意味で「凄い」人で作で、この人の乱暴を極めた長編を太い鎖をひきずるように五連作も読もうものなら、たいがいな破滅型無頼派の書き物など甘いやわいものだと笑いたくなる。

* いま、しかし、いちばん面白く読んでいるのは中公版「世界の歴史」の『ルネサンス』だ、ことに会田雄二さんが執筆担当している冒頭の百頁ほどのおもしろさには肯かされる。再読三読で文庫本には黒のボールペンで一杯傍線。その上に新しく赤いボールペンで線を引き、入浴しながら夢中で読む。高校で必修の世界史を教えないまま卒業させようとした学校が数多くバレてきて大問題になっているが、高校生には日本の近代史を必修にして欲しいし、世界史はギリシァ・ローマの歴史とルネサンスとを必修にして欲しい。一年間で世界史を教えるなど無理なことだ。同じことは日本史にも言えるが、日本史は明治維新から敗戦後のオリンピック辺りまでを誠実に大きく歪めないで若い人達に伝えて欲しい。そのためには本当に優れた本が欲しい。

* 今日はもうとことん不愉快な事や不愉快な、いや可哀想なヤツのことは棚に上げている。眠くなったら早く寝床に行き『人間の運命』や『千夜一夜』や『英国史』や『旧約聖書』を読みたい。その前にバクワンと『太平記』は音読。その前にもう一本よく冷えたビールがのみたい。
十一月は次の歌舞伎座まで十日ほどカレンダーが白い。贅沢にお金をもって、数日、一人旅して来れたらいいのだが。

* 今日観てきた野川のなんとか公園、夢にもう一度観てみたい。
2006 11・1 62

* 岡山からお志の、すばらしい桜鯛を戴いていた。落ち着いて、明日、ご馳走になる。家にいま生憎酒が無いんだから。最良の酒を買ってきて、何よりも好きな魚の鯛を、心行くまでご馳走になりたい。
馬場あき子さんからも新しい歌集を戴いていた。
2006 11・2 62

* 字を書く根気なく、湖の本の発送用意に一日取りくんでいた。バグワンと太平記を読んで、床につくことに。『太平記』は呉王越王の闘いを語っている。児島高徳が隠岐へ流される後醍醐天皇行在所の庭の桜樹に、有名な詩を書いた話の、いわゆる「付(つけたり)」だが、短編小説ほど長い。太平記はこういう「付」に面白いお話が多く、社会教育の効果をあげていたと想われる。
いまは「世界の歴史」も近代へ歩をすすめつつあり、面白い。芹沢さんの『人間の運命』もじりじりと読み進めている。もう機械から本の方へ移動しよう。
2006 11・11 62

* 呉王夫差 越王勾踐 字が合ってたかな。会稽の恥を雪(すす)ぐ話は、太平記で読むのが俗耳に入りやすい。美妃西施の苛酷な運命。双方の王に侍する真の忠臣たちの苛酷な明暗。わたしの音読の原則は最低、見開きの頁を次ぎへめくるまでは必ず読むのだが、ここは興に惹かれて長く読む。それでもまだ半ば。中国の話に触れて書こうとすると、漢字再現に行きつまる。時にハンレイ無きにしもあらず、ではしまらないなあ。
2006 11・13 62

* 愛読書のなかでも『ゲド戦記』に並んで熱愛する作に、パトリシア・マキリップの三部作『星を帯びし者』他がある。鏡花研究で力あった脇明子さんの訳を頂戴して以来、何度も読み返してきた。播磨の高木冨子さんから英語の原本三冊も贈られている。この機械、いつきちんと直るのかわたしには分からないが、それまで、この好きな本を、英語と日本語訳とで出来るところまで読み進めてみようと思い、隣の家から持ってきた。
初巻は「THE RIDDLE-MASTER OF HED=星を帯びし者」 ハンディな英語辞書が身のそばに欲しいが。
2006 11・14 62

* 『星を帯びし者』を英語本と日本語訳本を手に重ね持って、ヘッドルーペをつけ、(さもないと小さい字がもう読めないから。)一気にと言いたいが二度にわけて八頁読み進んだ。マキリップの文体とまでえらそうに言えないけれど、英語のクセに少し慣れないといけない。だがとても新鮮にディテールまで読み込めるのが有り難い。修飾語のふんだんに使われる英語で、いちいち辞書を当たっていると興ざめするので、そこは翻訳本の理解を借用してしまう。ハヤカワの文庫本で三巻九百頁ほどある大作、これを読んでいると、わたしは確実に現世から「おさらば」して不思議の国に生まれ変わり「ヘドのモルゴン」といっしょに果てしない「旅」をつづける。逃避のようでわたしにはそうでない。より確かに自分と向き合える世界へ踏み込んで行く、少年のように。此処にもまた「すこしちがったゲド」がいる。マキリップもまた『ゲド戦記』のアーシュラ・ル・グゥインに傾倒している。
煩わしくて英語を読むなんて事は久しくわたしの読書から失せていたが、願ってもないことに英語本のペーパーバックスを三冊揃えて貰っていたのだし、読み上げるには相当な日数を要するだろうから、通過し得た頃には今少しわたしたちの置かれた状況も、よかれあしかれ、動いているにちがいない。バグワンふうにいえば、これはリアクションとして欲したのではない、内心の望みにレスポンスしているという気持ち。

* このところ芹沢さんの『人間の運命』が進んでいる。感想は読み終えてにしたいが、主人公森次郎は初恋の女性に背かれ、べつの節子と結婚式はあげたがまだ夫婦になっていないまま、二人してやがてパリに遊学する。次郎はとびぬけたエリート官僚の地位を休職して振り捨てて行くのである。変わった小説であり、変わった主人公であり、まだ半ばに達していない。
わたしは『ファウスト』ならつづけて三度も通読するけれど、どうしても、何度試みても読み通せない西欧の長編をもっている。ロマン・ロランふうの教養小説というか、真面目そうな伝記的な作品である。芹沢さんの『人間の運命』も、もし図書館で借り出していたら深入りできないで離れていたかも知れない、が、読み終えてみなければ確かな感想は言いにくい。
しかし、乗ってきた。
次郎は有島武郎に若い頃に傾倒しているが、有島の文体にある西欧文学の匂いに、時としてヘキエキするのと少し似かようものがこの大長編にある。「唖者の娘」にも通じる物言いでなければと『死者との対話』で主張していた芹沢光治良について書いた論説で、わたしは、最後に、それでもなお、「文学」の問題にはそう単純化しきれないものもあり、それはまた別に論じねばならないと書き添えた。
2006 11・15 62

* 『人間の運命』全七冊本の四冊目に入った。頭脳明晰な本だと感じる。はなはだガンコに変わった個性の主人公だと思う。
血の熱いような冷えたような、その見極めがつきにくい。『死者との対話』でも感じていた。自身の感情や理性や概念にビクともブレない目盛りが確定していて、それで他を測ることは、かなり厳しい。文体も生活も個性も対蹠的に異なるけれど、或るガンコさにおいて志賀直哉とも共通する、志賀さんのそれよりは、やや西欧の体臭をともなったグヲンとした唯我独尊も感じられる。その辺に共感の手づるも見えている。
芹沢さんの主人公、感情移入という同情や同感や共鳴が他へ向かうこと、比較的微弱。自律の精神で他も律して行く。きわめて真面目、それが堅い物差しになる。それで敬愛されまた顰蹙もされている。理想と思い、しかし拒まれて失恋したマドンナがいて胸を離れないでる。そんな初恋の「加寿子」との交際も、恋愛と呼ぶには文字とことばとが優先して、それしかない。敬愛はあろうが文通でしか育てられていない概念的な恋心は、読んでいても胸ときめかない。時めいてリアルなのはそんな擬似の恋が破局に陥って行く時であったり、妻が地金を露わに、ブルジョアの令嬢のエゴイズムから感情や言葉を爆発させるときである。少なくもこの作ではまだ女性が親身に身に添ってこない。
典型的なブルジョワの世界に抱え込まれるように身を置きながら、自身は極貧に育った漁村の秀才という根を抱き、「森次郎」のコンプレックスは鞏固に残存している。中学、高等学校、帝大とすばらしい秀才で終始し、在学中から文官としての試験も通過し、官庁に入ってもいちはやく高等官に任官しているが、理想を持してゆるがず、官職を抛つように結婚してパリへ旅立つ。ブルジョアの「丸抱え」といえば繪に描いたようにその通りで、その代償のように妻も得ているが、妻を愛しているかといえば、否認するしかないような微温的な伴侶感覚。価値観の物差しを日本よりもパリにおいたような、日本のインテリにときどきある「奇妙な世界人」志向がつよい。
そして何よりも顕著なのが、数え上げても何人も何人もの「男の大人」に此の主人公は愛されてきた。そういう「少年」の素質を、ぬきがたい「個性」の一つに「森次郎」という主人公は抱え持っている。

* 『ブルジョア』は芹沢さんの出世作で「改造社」の懸賞当選作だった、いちはやく「ペン電子文藝館」にも戴いている。しっかりした骨組みの確かな、生きて優れた小説であった。もっと昔に『パリに死す』を読んだ記憶がある。日本人の作家でノーベル賞の候補に噂されたりその推薦委員を務めたりしたほど、むしろ日本でよりも国際的な作家だった芹沢さんであるが、その日本語は、堅い主張にも支持され、平易で説明的で読みやすいが、ディレッタントのものという批評も受けてきた。文章を読んでいる嬉しさは希薄。
『人間の運命』では、パリを中心にした芹沢氏の西欧世界とそこでの学びや暮らしを読みたかった。だが、意図的に其処はすべて割愛されて、「日本」国内での「運命」に的を絞った旨が、第四冊目の冒頭に書かれている。すくなからずガッカリした。五年の在仏、そして肺結核との闘病と夫婦違和。それが日本へ帰って行く船の中でこじんまりと説明的に回想されていて、ああと目を覆う夫婦の、いやブルジョア妻の夫に対する批判や無理解が書かれている。ああこうなるのかと、五年の空白部に想像がはたらく、が、そこはフィクション小説『ブルジョア』でかなり補いがつく。『ブルジョア』を読んでいて良かった。
名古屋の鉄道社長の娘を妻にし、妻の実家にさながら取り込まれたような「森次郎」は、まさしくブルジョアの蜘蛛の巣にからめとられた悩ましい小虫のよう。その辺を、昨夜遅くまで読んでいた
2006 11・17 62

* 『人間の運命』では愕かされることが少なくない。ことに仰天したのが、「小説を書く」ということへの、妻を始めとする舅や義父らの強烈で容赦のない軽蔑・侮蔑の念で。
極めつけの秀才主人公「森次郎」が、名古屋の電鉄経営者の娘と結婚し、農林省の高等文官の職を棄ててパリへ留学、ソルボンヌ大学で経済学を学びつつパリ在住の文化人たちと親交を重ねる内に、その卓越した文才により友人達の信頼や敬愛もえて、演劇や小説創作に気分的に馴染んで行くのだが、不幸にも重い結核にかかりスイスの高山療養所へ入る。
この時の妻の、罹患した夫を責め立てる激昂にも驚愕したが、才能豊かな友人達から、共著で文学活動をしよう、小説を書けと熱心に奨められていると妻に告げるや否やの、狂人を見たような恐れ軽蔑と必死の拒絶ぶりは、ゾッとするほど凄かった。
かろうじて日本へ帰れば、ナニ不自由ない妻の実家での「抱きかかえた」ような生活であったが、自立を願う次郎はふとした契機にうながされ、改造社の懸賞小説に『ブルジョア』を応募し、一等当選してしまう。だが家庭内の風当たりのきつさは凄まじく、そんな「恥さらし」な真似をされるより「ぶらぶら遊んでいてくれる方がよほどマシ」だと袋叩きにされている。また嘱望されて講義に出ていた中央大学経済学部からも、朝日新聞に小説を連載するなどトンデモない大学の恥辱とばかり、バッサリ馘首されてしまう。
むろん、理解を示し応援し高く評価して、世界へ出て創作を続けよという人達もいる。が、彼の人柄と能力に魅せられたように応援する義父一家も妻の親族も、ことに後者は容易に容易にそんな「ふしだらな真似」を聟殿に許そうとはしないのである。

* 鴎外漱石から直哉や潤一郎や川端や三島や大江健三郎にいたる文学史を心得ている人達には、思いも寄らないことのようであろうけれど、わたしの読者で小説を書きたい書いている人の中にも、ガンとして本名でそんなものを世に出すことなんか出来ません、親類が何というかと、それが当然のように息巻く人も現にいるぐらいだから、芹沢さんの例ほど露骨であるかどうかは別にしても、そういう傾向はまだ残存しているに相違ない。
末は大臣か、大将か、博士か。そういう「時代」がたしかに有って、それがそうでなくなってきている現実への憂慮から、もういちどそういう価値観世間へ戻したい強い意向。強い念願。それが現今の政治屋どもの深層心理を刺戟しているのではないか。日本はそういう国のように想われる。

* いま、とにもかくにも『人間の運命』に読みふけっている。全七冊の第四冊目を足かけ三日で読み通してしまいそうだ、長くかけていた頃は一冊に三週間も要したのに。
2006 11・19 62

* この機械部屋のすぐ近くへ、等身大に夕日子が来て立っている夢を見た。三十台の半ばに見えた。声をかけて、夢は醒めた。それから暫く『人間の運命』を読み継いで、また寝た。
芹沢さんの『ブルジョア』が懸賞小説一等当選作であったことは知られている。「懸賞小説」でデビューしたことを、作家としての「汚点」になったと、芹沢さんに女の愛情を臆せず表現していたらしい林芙美子は、露骨に惜しんでいる。もっと文壇人と付き合わないと「孤立」して、書く場所が無くなると芹沢さんに助言し、書き手の集まる銀座の「おでんや」へも誘ってもいる。芹沢さんは重い肺結核の予後を養う日々であったこともあり、常にそういう誘惑から身をのがれ断っているが、文壇からはブルジョアの坊ちゃん作家と眺められ、家庭では、謂うもおぞましい小説家風情を、妻からも舅からも嫌悪・侮蔑され続けている。
芹沢さんの暮らしている「家」は、林芙美子などの眼でみれば、絵に描いたような宮殿のような邸宅であり、舅は浜口雄幸の旧友、名古屋を中心とする私鉄の大社長で、一時期民政党代議士でもあったし、芹沢さん自身も余儀ない成り行きで総理令嬢のフランス語の個人教師もしていた。
ややこしいことに、その芹沢さん本人は、沼津我入道(がにゅうどう)の貧漁村のもと網元の育ちで、それも両親が天理教へ家産のすべてを抛ち零落しきっていたから、貧の極を味わい尽くしていた。ただ人並み優れた秀才故に他人の情けに幸運にあずかりつづけ、貧苦に喘ぎながら目をみはる最高学歴をかちえていったものの、そのコンプレックスから容易に抜け出られない人であった。しかも真面目、しかも或る意味で頑固な人柄に出来ていて、融通が利かないことでも超級の堅物。終生思いは世界にありパリにあり、藝術そして人間精神の自由にあって、核心に文学への底知れぬ自負と愛とがある。
芹沢さんの作品を読めば察しがつく、彼はあたかもフランス語で下書きして日本語に置き換えるような「文体」を身につけ、文学的な日本語の伝統から謂えば、明るくて軽いハイカラな文章感覚を抜きがたく持っていた。読みやすいが、「晦渋の妙味」はうすい。日本語文学の文章として、こくがない、ためがない。さらさらと行ってしまう。それは希少価値的な珍しさと同時に、文壇は一つの異物感を投げ込まれたように不快ガル人もいたのである。

* 芹沢さんの社会観、政治観、ヒューマニズムにも、「日本」という足場からすれば批評されていいある種の「色」が頑固についていて、百パーセント賛同しかねる個人的な限界もある。いみじくも彼が謂うように、パリのセーヌ川は、川をへだててブルジョア世界とプロレタリア世界に截然と分かたれているというが、芹沢さんは明らかに自身をブルジョアの側に自覚し生活してきた。しかしそれを可能にしていた財力は、小説家(藝術家)芹沢光治良を「家の恥辱」としか考えない妻の実家、舅の手から恩恵されていた。彼を真実息子として愛した義父にしても、初めは小説家「森次郎」を容認しなかった。ブルジョアとしては逸脱も甚だしい嘆かわしい仕事へ落ちこんだものと観られていた。
「ブルジョア」という言葉は、決して貴族的な由来にはない。マニュファクチュアを階層化して行けるほどに実力をつけた「商工業」由来の財産家・富豪の意義を根にもっている。芹沢さんを貧の底から拾い上げて養い続けた篤志の人達は、すべてそういう意味合いのブルジョアたちで、例えば白樺の人達のような華族的背景とは少し、いや全然ちがっている。白樺の人達は華族・貴族世間に間近く、人も彼らをブルジョアとは呼ばない。
芹沢さん自身は、ブルジョアの上澄みの恩恵をたっぷり吸い込んでいるけれど、なんら本来の意味のブルジョア生活は結婚以前には体験してこなかった、そこへ取り込まれただけである。優秀な学歴と能力を、ブルジョア達に惚れ込まれ取り込まれた寄生者なのであるが、それが芹沢さんの意識にあり、またともするとそれも意識から薄れかけもし、実にややこしい立場に立っている。

* 間違いなくしかし「森次郎」という主人公は、大人の男性に好かれる。嫌った人は一人しかいない、それは初恋の令嬢の父親だった、徹底して嫌われた。そして恋人もまた父の側について、彼を背き棄てた。令嬢の父は「森次郎」を事実無根の「社会主義者」ゆえに認めなかったが、事実は、その貧しい「育ち」ゆえに排除し差別したのだろう。「育ち」には天理教がらみの、しかもそれだけではない数奇の背景や遠景が纏わりついていた。そのコンプレックスは根強く彼を苦しめ続け、そういう思いに苦しむとき、「森次郎」はおのれを、「すでに死んだ者として」生かしめようと努めざるをえない。それが「日本人」森次郎の生き方だった。
フランスでなら、世界でなら、そうでなく生きられると信じ憧れながら、日本で日本人に混じって生き苦しく生きたのである。

* 芹沢さんは、「自分」の他は「他人」だと明瞭に意識している。親も親族も、である。そして少なくも今までの処、かれが心底から「身内」を欲したり探したりしているようではない、あるとすれば「親友」であるが、親友にも容易に心をゆるせず絶えず動揺し、価値判断の堅い目盛りから少しでも逸れると、絶交、これまで、最後だ、と思う。バグワン流に謂えばまさに「分別と思考」の徹した「マインド人間」なのである。家庭のなかでも「死んだ者として生きている」から、冷ややかで概念的で、愛情といった感情の熱度ははなはだ低い。『使者との対話』でわたしがかすかに感じていた或る違和感は、『人間の運命』を読んで行くにしたがい、みごとに説明されて行く。一例を挙げれば、ほぼ一冊で千枚あるであろう全七冊の『人間の運命』第五冊の半ばを過ぎて、ただ一度も「我が子」のことが書かれていない。結婚して早くにフランスで第一子をえており、帰国後にも少なくももう一人は生まれているらしいのに、この父親である森次郎という小説家から、我が子との関わりも、我が子への思いも、まだ、ただの一度も親密に書かれていないのは、そうと気が付けば一種冷や水をかぶったような異様な感じだ。欠落。非在。そう謂うしかないほど徹底している。
かつて日本人、日本文学では見たことも聞いたこともない一つの「存在」としての主人公、小説家、人間がこの「大河」というにふさわしい教養小説のなかに実在していて、おどろかされる。
おおざっぱに味わいの濃くない教養伝記ものにみえて、実は巧緻なまでに組み立ての利いた大建築物の小説になり、はじめのうち一冊読むのに二十日も一月もそれ以上もかけジリジリと読み進めていたものが、第四冊にかかってからは、二三日で読み上げていることでも、牽引力が分かる。「大河」という云い方でかつ藝術的達成感もしっかり備えた、これは、近代日本でも初の「大河小説」の名にふさわしい。だが、まだ二冊半ものこしている。読まされてしまうだろう、加速度もついて。トルストイやロマン・ロランの名があがっているように、明らかにその方の同類小説である。
決して決して『モンテクリスト伯』のようなものではないが、佳い意味でも少し抵抗のある意味でも、「ブルジョア」という言葉は作家芹沢光治良には運命的だ。日本の近代作家のとても持てなかった可能性を豊かに持つとともに、どこか日本の近代文学の佳い意味の魅力から逸れたタチの日本文学だとも謂わねばならない。

* 英語と日本語訳とを二つの手にもちながら読んでいるマキリップの『THE RIDDELEMASTER OF HED 星を帯びし者』は原本で二十三頁、訳本で三十六頁め、第二章にすすんでいる。架空の創造世界のなかへいよいよ旅だって行く「ヘドのモルゴン」。どんなに深遠な苛酷な世界が荒々しくも魅力的に伸縮し深呼吸するかを、わたしはもうよく識っているのだが、それでも新鮮に魅され惹かれ、あらがえない。ピュアな文学の感動が在る。ル・グゥインの『ゲド戦記』に対し、わたしがマキリップのこの魅惑の小説を『ヘド戦記』と読んでも、けっして間違っていない。慌てず、焦らず、じいっと堪えたように静かにヘドのモルゴンとの「旅」を重ねよう。それにしても形容詞の多い英文だ。辞書を引いていると滞るので、脇明子の達意の訳を参照しながら、先へ先へ追ってゆく。
2006 11・20 62

* 委員会はこれということも無く。
帰りに日比谷の「福助」で鮨をつまみながら『人間の運命』を読んで、読みながら帰ってきた。雨に降られたが親切なご夫婦に傘を貸して頂けた。明日、親戚といわれる本屋さんへお返しに上がる。
映画「デイ・アフター・トゥモロー」を観る。ありうることとして観た。
2006 11・20 62

* 『人間の運命』第六冊目に入ったが、時代は昭和十年代。わたしの生まれて最初の、敗戦に至る十年間だ、何から何までほとほとイヤな時代。
生まれる一月前、昭和十年十一月に日本ペンクラブが発足し、島崎藤村が初代会長、芹沢光治良は「会計」役の理事を頼まれている。引き受けるとすぐに、林芙美子がやってきて、そんな役を引き受けたのは宜しくないという。「藤村」派だと思われてしまうのは文壇渡世のために不味い、ペンには菊池寛が入っていないが、彼の文藝春秋に睨まれては作家として損だからと窘めている。
やがて菊池寛肝煎りの日本文藝家協会でもやはり会計を頼まれ、芹沢さんはいったん断る。ところがまた林芙美子が来て、菊池寛には楯突かない方がいい、ぜひ引き受けるようにと本気で助言している。芹沢さんも林芙美子の「処世」の真剣さにほだされ、引き受けている。
そんなことばっかり気にしながら文壇文士たちはモノを書いていたかと思うと、笑止で、時代もわるいが、これは時代の問題でなく、物書き達のいじましさの問題であるから、読んでいてもうんざりするのだ。
しかし当時のペン例会には、必ず特高が参加し監視したと知ると、これは「時代」のおぞましさ。
日本には、民衆のために本当に良いい時代なんて「時代や時期」は無かったんだと、いつも思う。そして今また一段と「日に日にひどいじゃないか」と情けなくなる。
破産した夕張市の市民達はどう生きて行くのか。文科省の、社会保険庁の、労働や雇傭の現場の、だれの、かれのと眼がまわりそうに責任を問いながら、政治・行政の各場面を見回して行くと、ほとほと、生きながらえて行くことに、希望どころか、暗澹としてしまう。
わたしには芹沢さんの体験が無い。だから確信して謂えることではないけれども、芹沢さんのようにはフランスを中心としたヨーロッパ各国のすばらしさを、簡単には認められない。だがそれでも、そういうヨーロッパを一方の念頭にしかと置いてなされる「森次郎」や、彼の優れた学友達からの、「ひどい日本」への批判や批評に対し、あまりに正当で到底反対し得ない気がしている。適切な指摘にイヤでも頷かされてしまう。
わたしはけっして芹沢さんの「理性」に全部賛成ではない。その理性があまりに概念的に棒立ちしていると、この人は繪に描いたような「マインド人間」だなあと、多少滑稽に感じたりもする。それにも関わらず、十に八つは芹沢さんの日本と日本人批判に頷くし、その一方それだけ非難するなら、非難を貫く実践があってもいいのにと思ったりする。それほど彼の「在日世界人」としての日常はには、情けないほど日本人的な妥協もたっぷり読み取れる。金持ち喧嘩せず。そういうところが物足りない。
2006 11・22 62

* マキリップの英文を、五十頁まで読んで、これが翻訳で読むのと同じほど、楽しみ。いや翻訳なら読み飛ばすところを叮嚀に読んで行くので、ちがう楽しみがある。この大好きな長編小説を原文で最後まで読み通せたら、どんなに心行くだろう。よほど時間を掛けてもいい、読み進みたい。
2006 11・23 62

* 芹沢さんの畢生の大作といえば間違いなく『人間の運命』であり、近代日本文学が生んだ最大の長編小説の一つ。ご遺族から全巻をお贈り頂いたのを好機に読み始め読み進んできて、感想は読み終えてからと思っていたのに、その日その日に書き置かずにおれなくなり、気儘に「闇に言い置く 私語の刻」に日記してきた。
あまりバラバラになるのもどうかと、まだ途中、とはいえ、全七冊本の第六冊半ばへ来ているので、途中ながら最近分まで「MIXI」日記へも持ち出しておく気になった。

* 芹沢さんは、日本で最初にノーベル文学賞の候補になったり、その推薦委員になったり、フランスの最高文化勲章を受けたり、日本ペンクラブ会長を務めたりした世界人であるが、日本の文壇ではかならずしも適切な待遇を得ずにおわった、大きなエクリバン(作家)であった。ロマンシェ(小説家)ではないと自覚していた。ロマン・ロランらに繋がり理性と自由とを生き抜いて、世界の視野から「時代」ことに「日本」と「日本人」とを痛切に批評しえた稀有の人であった。『人間の運命』はただならぬ大作であり、その批評が今日只今の日本と日本人とを切実に衝いている意味でも貴重な大仕事であった。
島崎藤村の『夜明け前』『東方の門』を事実上受け継いだ日本の近代史とすら言いうるが、晦渋ではない、芹沢さん独特の明るい平明な叙述で「日本の運命」を優れた視野に書きおさめている。
わたくしは必ずしも芹沢さんの理性や自由の理解に全面与(くみ)するモノでなく、文学・文体にも容易に陶酔しはしないが、じつに「立派な姿勢の文学者」であったことには惜しみない敬愛いや尊敬を捧げている。
いま、この大作に日本人が心して触れることは、一芹沢光治良の問題でなく、現下の日本・日本人ないし「わたくし・あなたがた」の問題だと信じている。こういう文学が日本の近代・現代に置かれていたということを、改めてよく考えてみたい。
2006 11・24 62

* 筑波大学名誉教授小松英雄さんから『古典再入門』を頂戴した。「『土左日記』を入りぐちにして」と副題してあるのが、実は思うところあり、ひとしお嬉しい。「教室で習った古文 教えた古文をリセット」と、帯にある。小松さんの本ならこれに掛け値のないこと、太鼓判。この人の古今集の読み直しはすばらしい衝撃であった。「目からウロコの連続」をいまどき保証できる国文学者はこの人ぐらいなもの。すぐ読み始める。(と思ったらさっさと妻が持って行き、いたく愛読。今は亡き目崎徳衛さんの『紀貫之』と併読で盛んに面白がっている。)

* 医学書院で、主任を務めていた頃のデスクに、中島信也という早稲田を出て来たほんの少し若い部下がいた。学生の頃からハードボイルドの翻訳などしていて、わたしの京都の中学で一つ上の、秀才山下諭一らと仲間であるらしかった。山下ユウちゃんも中島君の先輩格、ハードボイルドの畑でもう名を売っていた。わたしの最初の私家版を「いい道楽だね」と評したのも山下先輩であった。
中島君から「秦さんも書いてみませんか」と誘われても、あまりに行き方の違う方面で、仲間に加われるとも加わりたいとも思わなかった。それよりも彼に頼まれ、担当していた親しい産科医を奥さんに紹介し、その甲斐あってか子供が出来たと聞いたような記憶がある。
おなじデスクに小高光夫君がいて、中島君は自分の名前と小高君の名前を混ぜ合わせ、小鷹信光という筆名でたくさんな翻訳本をハヤカワなどで出していた。日本ペンクラブにも在籍していたような退会したような、記憶はアイマイだが、何かの折りに本を贈ったかして、細い縁の糸は繋がっていた。
そして昨日、五百頁も越す早川書店刊『私のハードボイルド』という「固茹で玉子の戦後史」資料と回想とを贈ってきてくれた。昔の同僚のために乾杯した。
あまりに畑が違いハードボイルドの消息には疎いわたしであるが、帯をよんでみると「固茹で玉子野郎=ハードボイルド・エッグ」とはもともと「ケチん坊」の意味であったとか、戦前に初めて「ハードボイルド」を日本に輸入したのは『丹下左膳』の原作者だったとか書いてある。村上春樹とレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』の関係は? などともあるから、秦建日子の方が読みたがるかもしれない、いやいやわたしもチャンドラーなら、東工大時代に通勤電車で何冊も読んでいた。
中島君が退社したのとわたしが太宰治賞をもらったのと、どっちが早かったか、忘れている。彼の方が一足早く独立したのではなかったか。

* 医学書院ではわたしの太宰賞と同年か次の年だったかに雑誌「宝石」でミステリーか何かの賞をとった人がいた。いまどうしているか知らない。またやはり一時期わたしの課にいた中川史郎君が「群像」に作品をだして芥川賞候補になったことがあるが、その後そのまま棒を折ったようである。ずうっと遅れて、ずうっと後輩の樋口君が出て、今も「三田文学」などで評論家をやっている。われわれの編集長長谷川泉は、森鴎外研究の泰斗であった。
2006 11・25 62

* とにかく、なにもかも、じりじり進む。そういうときは、そんなもの。じりじりに、焦れてはいけない。気をつけたい大事なことは、じりじり進むのが「習慣」に従うのではないということ。
昔は、習慣を重んじて日々に予定を立てては予定をこなしていった。悪いことではない、したい仕事を意欲のままに進めている場合は、ことに。
だが、ただ単に習慣づけた予定は、自在で自由な「今・此処」の在りようを空洞にし無意味にしてしまう毒をもちやすい。習慣に従い予定をただこなして満足していると、とんでもない空疎の前に、心身を、餌食に差しだしているのに気付く。
習慣で、予定したこととして「本を読んだり」しない。読みたいものを、読みたいから読む。きまりだから読むのではない。英語に手こずっても読みたいから「ヘドのモルゴン」を楽しんで読む。バグワンも『太平記』もみな同じ。

* 勝田さんが、また「マウドガリヤーヤナ」なんか読み返したいと言われていた。わたしもふと読み返したくなり「MIXI」に連載することにした。「マウドガリヤーヤナ」の分かる人には興味を惹くだろう。読みやすい利きやすい語り口で語っている。
2006 11・26 62

* 文藝家協会から来ていた事務局伊藤女史と、没後著作権「七十年」問題で、宴会場でそうとう熱い議論をした。折り合えなかった。
福引ではやばや湯布院や別府のラーメンが当たってしまい、すぐ会場からおさらばし、東京會舘からタクシーで帝国ホテルに移動、クラブでうまいコニャック、また痛烈なウイスキーを呑む、マスターにサーモンをきってもらい、そしてエスカルゴ。酒好し魚好し。千夜一夜物語を文庫本で読み進めた。今夜は客が大勢、わたしのように一人でゆっくり食事している人はいない、みな数人連れの懇談会で。
バニラのアイスクリームとコーヒーとで仕上げ、やはり『千夜一夜物語』を読みながら帰った。
2006 11・27 62

* 異例の五時半からの電子メディア委員会には、日本総研の大谷和子氏を招いて、「プロバイダ規制法」周辺の問題をレクチュアしてもらった。わたしはわたしに起きた問題を持ち出し、理解と今後の適切な対応対策を強く求めた。

* 食欲が無く、木村屋でパンを買い、銀座一丁目から千夜一夜物語の長編「巨蛇の女王」を読みふけりながら帰宅。
2006 11・29 62

* 日付が変わってからもう一仕事し、バグワンと『太平記』とを興深く音読、そのあと、寝床で『人間の運命』全七冊の第六冊(第十一・十二巻)を読みきった。
この一冊(二巻)は、単独で読んでも感動するにちがいない。作者の芹沢さんが、多年の結核罹患から意志的についに脱却し、決然、日中戦争の「戦野」に自らの決意で立つところから始まっている。いわゆる「従軍作家」としてではない。中国の「本質」を現地で感じたい、不幸な戦争状態がどう早期に健康に停止する可能性があるか、あるならその実現に働きかけたい目的であった。この人は従軍記者として軍のために動くのを、海軍に対しても陸軍に対しても拒みぬいている。
そして、太平洋戦争の末期までが書かれている。

* これまでの各巻から、目立ってこの一冊は、質的にも飛翔を遂げている。「作家の生」の意欲が、何というか、従前とは異質と思われるまで高揚・昇華され、「此処」へ来て芹沢光治良の「真価」がすばらしく魅力的に光放ちはじめる。苛酷な「准戦時体制」ないし「戦時下」での文学者また文化人・知識人の理想的なありようを、これほど「人格」としても「行為者」としても貫きえた、幸せな、強靱な、日本の作家をわたしは芹沢さんのほかに多くは知らない。別の意味で別の場面で、熾烈に苦闘した軍国日本の犠牲者たちはいた。勝ち抜いた人も斃された人もいた。
そういう人達を観る目からは、あるいは芹沢さんは「一種の特権階級」かのように見えるかも知れないが、そういう見方は、じつは、全く彼には当てはまると思われない。運命に誘われて身を置いたブルジョア世間の中で、綺麗なことをあえていえば芹沢光治良は泥中一輪の蓮花のように、個性と信念とを一度も曲げなかったのは確かである。いささか滑稽なほどに思われるぐらい、芹沢光治良という針はやすやすとはブレなかった。「エクリバン」に徹して西欧の人文主義の伝統を日本人として立派に身につけていた。
なにより心に鳴り響くのは、真摯な学徒・学生達が、芹沢邸に「生死のオアシス」をもとめてさながら蝟集し、芹沢さんはそういう若者達にすべて逢うこと、若者達の苦悩をすべてひたすら聴いて対応すること、心から能う限り不安に戦き惑う若者達を聴き手として、語り手として、また所蔵の音楽や美術の藝術の魅力で常に馥郁ともてなしていること、だ。
背景には若者達の死命を制する戦場と戦闘との現実が、刻々、空谷の跫音のごとく迫っている。まさしく「命がけ」の日々の中で若い学徒は悩み悶え覚悟をさだめ、またさだめきれず、学校から追い立てられて戦陣へ応召して行く。制度をすら超え、まさしく彼らは「徴兵」の現実に当面し、あまりに確度高く「死」を免れ得ない前途へ追いやられて行く。
そういう若い魂を実に誠実に人間的にしかも微動もせず時代に媚びずに、この作家は常に個と個との直面で成しうる総てを努め、また与えつづける。
あの記念碑的な問題作である『死者との対話』へ確実につながる日々が、生き生きと書かれ、わたしは、何度も目頭を熱くし、また襟を正した。

* 芹沢さんがこの大作で用いている記述の方法は、わりと「手の内」まで読みとりやすい。『死者との対話』は敗戦後直ぐの実感一気の秀作だが、この畢生の超大作『人間の運命』は、まさしく作家晩年の力作であり、その意味で過ぎ来し「時代」は一応「過去完了」し、莫大に用意されたであろう資料や体験や記憶が、ジクソーパズルのピースを埋めこむように適宜適切に「配置」され「運用」されている。速筆のためでもあろう、その手際はしばしば透けて見える。まちがいなく大きな文学作品でありながら、そのぶん、またルポルタージュ風の報告性も濃厚になり、受け容れる感動はむろん優れて人格的で精神的であるが、文学としての純熟とはすこし離れた味わいでもあって、わたしは、それを無視しても看過してもいない。
しかし、そんな追尋が無用に忘れてしまえるほど、この一冊二巻の響かせる「人間」また「作家」のありようは、総て瑕疵・瑕瑾を大きく覆い包んで、なお高らかなのである。すばらしい。

* こういう作家でこそありたいと、私の内にも冀(こいねが)う疼きがある。あの昭和の戦前・戦時はあまりに不幸に展開していたが、芹沢さんと学徒・学生達との「魂の饗宴」には、至福といいたい「身内」の愛があった。それはただ読者、ただフアンと謂ったレベルではない。互いの運命を共有しあい祝福しあいたい「渇望」然として現存する「身内」愛であった。
若い人達には死んで行く戦きとともに、「今・此処」に師とともに「生きるすべてを噛みしめたい」ものが疼いていた。一方芹沢さんには、そのような若い魂・肉体に「死なれ」また「死なせ」るかも知れない辛さ、悔しさ、憤り、祈りがある。
時まさに「戦争」なのである、人間をかくも脅かし、またかくも輝かせていたのは。
もう一度言うが、芹沢さんのように戦時を誠実に生きた強い作家(エクリバン)は、あの当時他に誰一人いなかったであろうと、控えめながら、ぜひ書き添えたい。

* 勢いで、やっと海相ウインストン・チャーチルの名の出て来たアンドレ・モロワ『英国史』の最終章を読み進み、また巨人エラスムスを、いわば分母に据えたような近代の人文主義から、ルターの宗教改革へ進んで行く欧州の沸騰をも、興味津々読み進めていて、低血糖症状の違和感に陥り、あわてて寝床から起きて血糖値をはかり急いで少し食べ、そして寝入った。三時過ぎていたが、七時半には起きた。夜中に食べたぶん、血糖値は少し高かった。

* 昼飯までに今日の用事をかたづけ、恵比寿へ出掛けるまで、出来ることをしておきたい。
2006 11・30 62

* 芹沢光治良は、自身を「ロマンシェ(小説家)」ではなく、『人間の運命』を書いたことによりフランスで謂う「エクリバン(作家)になった」と「自ら信じる」と書いている。フランス語に疎いわたしに正確な語感はつかめない。文藝評論家林寛仁氏は、「生きること」=「書くこと」であるような人生を真剣に生き、文学がただ娯楽の暇潰しに終わるべきでない、読者をしてその魂を揺り動かし、目覚めさせ、生きる喜びを感じさせるものでなければならない、という「確信」が芹沢さんの表明からうかがい知れると解説していて、『人間の運命』全七冊の第六冊など、その気迫がたしかに感動を誘う。
が、では「ロマンシェ 小説家」とはどう違うのか分からぬ限り、「エクリバン 作家」の上の定義的解説は受け取りにくい。
日本語での「作家」二字ほど、いまや安い「自称」はなく、それもジャンル広大、美術家も漫画家も染織工藝家も猫も杓子もみな「作家」と自他ともに呼んでいる。「自称」作家がむやみにいる。どうしようもなければ「作家」としておけばいいというほど、安直で意義不確かな「肩書き」なのである。
わたしも必要な時と場合とで「小説家」「作家」を併用してきた。ものにより「評論家」「研究者」とよそから肩書きをくわえられもしてきた。フランス語の「ロマンシェ」も口はばったくわかっているとは言えない。
しかし芹沢さんの謂われる意味でなら、「エクリバン」の意気に強く呼応したい気がある。名乗り方、呼ばれ方はいかにもあれ、「生きること」=「書くこと」であるような、人生を真剣に生き、文学が、ただ娯楽の暇潰しに終わるべきでない、読者をしてその魂を揺り動かし、目覚めさせ、生きる喜びを感じさせるものでなければならないという確信を、わたしは頑ななほど持してきた気でいる。「そうでなければ書かない」というぐらいにも。
そんな頑ななほどの気持ちは、わたし自身をかえって縛っていることもよく知っている。もっと気儘に気楽に「書くこと」を「遊べば」いいじゃないかと自分で自分を窘めたり賺そうとしたりもしているけれど、文学がただ娯楽の暇潰しに終わるのは御免蒙るという気はやはり強い。書かない言い訳に過ぎないと嗤われても、気にならない。
2006 12・11 63

* 凛々師走。朝、かなり冷える。血糖値、108。良好。本郷方面へ出掛ける。

* 三好徹さんの新刊『政・財腐蝕の100年 大正編』が目近に在る。明治編も前にいただいた。厳然たる事実、だから堪らないこの百年。
2006 12・12 63

* 高麗屋の奥さんから、松たか子の「みんなひとり」という歌盤の、まだ市場に出ていないらしいのを貰った。竹内まりやの作詞そして作曲。
詞から、よく気持ちが伝わってきて。嬉しく頂戴した。感謝にたえない。
松たか子自身の作詞作曲も二つ。しなやかに心優しい詞句で、文章を読んでもハッキリしているが、この若い女優さんの才能は、舞台の上だけでなく、文藝でも突き抜けたものを持っている。思いが一段と正しく深まれば、落ち着いた気品が文章にしっかり添うだろう。父幸四郎丈との二年予定の往復書簡も気が入っていて、とても興味深い。お父さんも娘に胸を貸し、とても気張っている。娘は本格的に真っ向語りかけてたるみも騒がしさもない。とても佳い。幸せな父と娘の取り組みをわきで見ていると、おもわず涙ぐみそうになる。
あんまり親子でまともに視線を合わせすぎると、「観客=読者」が、話題から、いい親子の芝居から、往復書簡という空気の外へ置いてゆかれかねないのだけは、斟酌されたい。わたしたち読者もその中に楽しくゆったりと入っていたいから。
2006 12・14 63

* マキリップの英語読み、進んでいる。急いで進みたいとは思わぬ。荒筋は十分知っているのだから、原文の英語の味を(口はばったいが)一語一語胸に納めたい。
2006 12・14 63

* 夜前おそく、アンドレ・モロワの名著『英国史』上下二巻を読了した。本はわたしの書き入れと傍線とで真っ赤になった。以前にも二度読んでいるが、今度はゆっくり時間を掛けた。しかも休みなく興味津々いろいろ納得して読んだから、すっかりイギリスの歴史が好きになった。
英・独・仏・伊。みな中世以来のヨーロッパでは偉大な文化的行跡をのこしてきたが、いま日本国の政治のていたらくを情けなく嘆くばかりの毎日に、英国をストレートに礼讃する気もしないけれど、歴史的に「絶対王政」をゆるさず、王よりも議会がつよく、しかも概して帝国としての安泰をゆるがすことなく、国民の利益や自由をほぼ尊重し優先さえして政治体制をつねにそれに合わせ、バランスよく融通させてきた英知に感嘆する。羨ましい。
明治政府が、ドイツよりもイギリスの政治と制度と歴史を学んで近代日本の道を付けていてくれたらと、つくづく残念に思う。
ローマ法王とも背き、つねに距離をおき、英国独自の「国教」をもちながら、新教徒を育みまた追い出し、世界の植民地と英帝国との政治的な関係もじつに「うまいこと」やってのけて、国運を傾ける大波乱にはついに巻き込まれなかった英国。
わたしは法王・司教らの腐敗した公同大教会も嫌い、絶対王政も嫌い。イギリス人のことはむろんよく知らないが、歴史では英国はすばらしく多くを教えてくれる。
イギリス留学から帰ってきた上尾敬彦君にいろんな話が聴きたくなっている。

* 年内に確実に『人間の運命』も読み上げる。

* 小松英雄さんに頂いた「土左(土佐は流布名)日記」を素材の『古典<再>入門』はいわば「日本語読み」の論攷・論著で、妻がわたしより先に持っていって読み通し、ついでに目崎徳衛先生の『紀貫之』も読み上げたらしい。引き続き、わたしも読む、ただし伝記はもういい、その本もわたしの赤鉛筆書き入れで真っ赤になっている。
楽しみにしているのが、昨日戴いた小田実さんの『終らない旅』真新しい書下ろしの長編小説。短編集や論説本は何冊もらってきたが、長編小説は『玉砕』に次ぐ。京都の河野仁昭さんからは『京都の明治文学』を貰った。この人は着眼のうまい書き手で、題で感心させる。大正も昭和も平成も書ける。
もう一冊、ほほうと声の出た来贈本が桃山晴衣さんの『梁塵秘抄うたの旅』だ。わたしがテレビで中西進さんや馬場あき子さんと「梁塵秘抄」を話し合い、それからラジオ講座で九時間ほども話して「NHKブックス」で『梁塵秘抄 信仰と愛欲の歌』を出版した、その頃だった、まだうら若いほどの桃山さんが家に尋ねてきて、梁塵秘抄を、音楽と歌唱として復元したいという熱心を、元気にしかし謙遜に話して行った。
この本は、あれ以来の桃山晴衣の足取り本なのであろう、すこし落ち着いて読みたい。こうして一途に歩いてきた篤志の人がいる、後白河さんも本望に思われていよう。
2006 12・16 63

* クライヴ・カッスラーの作三種その他を含めて、鳶さんからセルバンテスの『ドン・キホーテ』などを戴く。カッスラーは東工大に通っていた頃愛読した作者の一人で、届いた本は新刊か、みな目新しいのが有り難い。久々にこういうのも読んで鬱散しなさいという御厚意であろう、感謝。
2006 12・20 63

* 『人間の運命』は、いま、戦後の疲弊と学徒達の復員などが書かれている。芹沢光治良という日本人作家の、不思議で或る意味異色・異風のセンスに度々驚かされてもいる。何の躊躇もなく日本の木造家屋でなく、一日も早く西洋風のコンクリートで出来た家に住みたいと、一ミリのブレもなく本気で語っている。一例だが、これに類する好みや意見や思想が平然と自然に出てくる。わたしを驚かす場合も、つよく賛同させる場合もある。論じるに足る、論じやすくも思われる大長編だ。
『千夜一夜物語』は余りにも空想的で、しかしその空想の度はズレテ婬した語り口、破天荒な展開に、十分驚かされる。長編「巨蛇の女王」を読み終えて、次は例の「船乗りシンドバッド」に入る。
2006 12・20 63

* 画家ドガの名高いダンスデッサンなどを、これも優れた詩人ポール・ヴァレリーが美しく語りついで、清水徹さんが訳された本がある。『ドガダンスデッサン』、訳者に頂戴した。
昨日は金澤の「お父さん」画家が述懐の長い手紙を読んで、ほろりとし、また亡くなった石久保豊・白寿媼の遺していた病床日記も読みかけ、わたしの名前も出ていて、ほろりほろりした。
2006 12・21 63

* 秋山駿さんに『私小説という人生』を戴いた。『かくのごとき、死』にまた一つの新たな時代の新たな私小説の芽を読み取られのかも知れない。
花袋の『蒲団』『生』も藤村の『家』『新生』『嵐』も直哉の『和解』『母の死と新しい母』も瀧井孝作の『無限抱擁』「結婚まで」もみな私小説であり、それらを論じた優れた論攷から多くを学び取って文学の道に歩んだ後輩は多い。
しかしそれらの全部に共通して言えるのは、どの作家もどの批評も、例えば「MIXI」のようなメディアを知らず、ケイタイもパソコンも事実上知らなかった。そこに書かれ語られた「私」と、今日インターネットを場にして双方向・多方向のウエブ世界を場とも方便とも用いられる私小説の「私」とでは、よほど性格が変わってくる。或いは少しも変わってなどいないのか。そういう論議が「文学論」として成り立ってくる。『かくのごとき、死』はそれを予見させる一つの「報告書」に仕上げてある。
2006 12・22 63

* 芹沢光治良作『人間の運命』全巻を、夜前、読み遂げた。
わたしは昭和十年に、日本ペンクラブの誕生とほぼ同じ頃に生まれた。作品は戦後のサンフランシスコ講和条約調印の少しあとまで書かれている。やはり私自身が生活してきたこの十数年、うしろの二冊四巻分に、最も心動かされた。ただ最後の巻は収束を急ぐためか筆があらく早くなり、天理教の「教祖様」といった執筆に打ち込んで行く作者に違和感ももった。父の子「森次郎」という主人公には必然の仕事といえるけれど、エクリバン「芹沢光治良」にはどうであったろう。ぞくぞくと戦地から帰ってきた彼を深く敬愛した学生たち、死んでいった学生達は、天理教教祖論から、なにが得られたのであろうか、それを読んでいないわたしには何とも言えないが。
読み終えて、じつに「男」たちを捉え得た作者だと思う。真の父ともなり、真の兄貴ともなった「田部」氏や「黒井」閣下、また最後まで文学を軽蔑した俗な企業人で好色無惨な舅、天理教に尽瘁し心酔した子だくさんの極貧の実父、政治に野心も持ちながら民間信仰にものめりこんで右往左往の兄、パリの優れた友「大塚」など、枚挙にいとま無く「男」たちの影はみごとに濃い。女では、小説を書く夫を一族の恥辱としか考えない妻の「節子」以外は、少し類型的。林芙美子らしき女作家がわずかに皮肉に印象にのこった。
この作家は女への情感がほとんど働かない。よかれあしかれ「男」に向かう。
思想的な分析や、むしろ「好み」「クセ」に類する異色への感想は、慎重に考慮しなければならないだろう、手短かに片づけてしまうことは出来ない。

* これだけの大作を読ませて下さったご遺族のご配慮に、わたしは深く深く感謝する。わたしは、この作を知らぬままに過ごさなくて、ほんとうに良かったと感銘を受けている。この感銘は無類で、弧りそびえ立つ。谷崎や川端や鏡花や、また鴎外、藤村、漱石、志賀直哉らから受けてきた文学の感銘とは、明らかにかなり異質の感銘である。前者の大勢からは文学的な、芹沢さんからは文学者的な感銘を得たのだと、今は仮に書き置くことにする。「エクリバン」をわたしは「作家」というべきでない、「文学者」と呼びかえて至当に思う。
2006 12・23 63

* 一頁大のドレのエッチングと見開きに、長編『ドンキホーテ』の粗筋を詩的にあざやかに抄約した文庫本は、見るからに読むからに精緻に藝術的意図の発揮された一冊で、大判であればさらにみごとであったろうが、文庫本で持ち歩けるのが、繪がすばらしいだけに楽しい有り難い鳶の贈物だった。まずこれを存分に楽しみ、そして原作を読むことにした。

* 高麗屋父娘の往復書簡、「オール読物」の今月は、松たか子が肩の力をぬいて、こころもち甘えるように「幸四郎の娘」であることを父に語りかけている。その演戯力は柔らかにつつましく、この筆者の聡い美点がよく行文に表れている。さすが父娘とも優れた演技者たちで、「具体」のもつ説得力や魅力をよく知り、観念の遊戯には落ちこまない。ツボということばがあるが、ツボを無意識にもおさえられるのは、行文にもおのずと働く演技力なのであろう。
2006 12・24 63

* 「The Riddle-Master of Hed」を少しずつ、己の名も言葉も喪ったモルゴンの旅の速度にあわせるように読み進めている。いまモルゴンはアストリンと二人で旅立った途中、二人の商人に襲われて傷つきながら、かすかに自身の名の隠された存在を身内深く感触している。
辞書をひきながら読むべきだろうが、感興のそがれるのを懼れ(言い訳っぽいが)脇さんの訳本と原作とを重ねて両手にもちながら、楽しんでいる。むろん英文の読みを主にしている。
2005 12・24 63

* 秋山駿さんにもらった『私小説という人生』の冒頭は、田山花袋の『蒲団』で、出だしからたいへんこの作が褒めてある。裏返しにすると、花袋の『蒲団』を藤村の『破戒』と並べ論じて、日本の近代文学の大きなマイナスの線路切り替えを語られた中村光夫さんの『蒲団』評価への「アンチテーゼ」のようであるが、これはもっと先へ読み進めないと軽率に言えない。
とにかく花袋は、一時ないしかなり長い期間、軽蔑にちかい扱われ方をしていたのだが、わたしの評価はちがっていた。なにより初期の『田舎教師』『時はすぎゆく』や晩年の『夜の靴』に感嘆していたし、『蒲団』にも、そうは嗤われていいどころか、或るたまらない佳い感じの巧まざるおかしみもあり、フランス文学やろしあ文学の勉強の仕甲斐が巧みに表されていて、決してバカになんかしてられない作物だと考えていた。だから「ペン電子文藝館」にも、煩をいとわず、私自身の手で全編スキャンし、校正もして、掲載した。いい作品じゃないか、忘れちゃいけないよという気があり、それが秋山さんの感想と呼応していたらしいので、ちょっと嬉しくなった。
2006 12・25 63

* 「MIXI」に『好き嫌い百人一首』を連載し終えた今、小松英雄さんの『古典再入門』を読み進めていて、ちと、立ち止まったところがある。叮嚀に読まなくてはいけないので即断しないけれども、小松さんは、すくなくも徒然草の時代に「法師」と謂うのは、蔑視したクソ坊主ふうの呼び方であり、敬意あるべきは「僧」とか「僧正」のたぐいで呼んだと切論されている。鉾先は多くの学者の理解や、古語辞典にも及んでいる。
すると徒然草の筆者を「兼好法師」と呼ぶのはとんでもない失礼に当たるわけだ。時代がまちまちで兼好よりはみな古いにせよ『小倉百人一首』には、坊主めくりが出来るほど僧籍の作者少なからず、遍昭、行尊、慈円のほかは、例外なく「西行法師」「寂蓮法師」「俊恵法師」など「法師」と呼ばれている。蝉丸は、あれは猿丸大夫とともに埒外の例外的な存在。
で、定家卿にしても子の為家にしても、まさか西行や寂連や俊恵をクソ坊主よばわりするわけがない。小松さんの説が或る「時代を限定」していたものと理解した方がいいのだろう。或る限られた時代にならば、「法師」とあるだけで読者はすでにクソ坊主、不出来な坊主と予見できたはずと小松さんは書かれているのだろう。「時代」とはそういうものでもある。
よく似たことに、「竹取の翁」や『竹取物語』がある。今の我々は竹を取るのをなりわいにする翁とだけ理解してこの呼び名を迎えている、が、書かれた最初の頃には、この呼び名や物語の題を見聞きしただけで、その時代の読者は、そこに竹取ゆえの「賤視」を働かせていたはずと、たしか柳田国男は書いている。柳田の説は当たっていたとわたしはこの『竹取物語』を読んできた。こういう機微は、時代の推移とともに希薄になる。それを重く咎めることはしにくい、機微とはその謂いのつもりである。
* 「ペン電子文藝館」に、文学作品としてはたいした秀作と称賛を惜しまぬまま、ついに「掲載」を委員長判断でとめてしまった明治期、小栗風葉の『寝白粉』という小説がある。わたしのように、その辺の問題に、世情や伝習に、幼来くわしいものには、とてもその露骨な差別描写を自身の手で公開に堪えなかった。だが、おどろいたことに、委員会の委員・会員のかなり多くが、そのなまなしい差別描写を差別描写としては読み取らなかった。もう時代の勢いに吹かれて、幸か不幸か風化していたのである。
ま、それでもわたしは、それを電子文藝館に掲載しなかった、自分で読み自分でスキャンし、自分で繰り返し校正していながら、やはり載せ難いと判定したのである。
2006 12・25 63

* 金澤の松田章一さんから泉鏡花記念館が主催した一般観客による感想文集成『鏡花を観る』が贈られてきた。七月の歌舞伎座、あの鏡花の四戯曲を観ての感想文を選考されたものだ。好企画だ。実のところわたしは、やす香の悲しみがあのとき無かったら、自分で書いてみたかったのが、この四戯曲論であった。
選者のなかの松田さんも田中励儀さんも「湖の本」の久しい読者で、劇作家としても文学研究者としても親しくお付き合いしてきた。読者でも友人でもある。田中さんは大学の後輩でもある。松田さんは私に『私の私』という講演の機会をつくってくれた人である。
で、まだ感想文はほとんど読んでいないけれども、かなり多数の関心が「山吹」に集まっているようで、「山吹」の部だけ別立てになっている。ただ、かなりの数の「佳作」中に、『山吹』を題名に含めた感想は二つしかない。このことに総じてわたしの興味も関心もある。
「夜叉が池」も現代劇であるが、関心が「山吹」に集まっているのは何故だろう。そして深く厳しく舞台を観ているだろうか。一つだけオシマイの所に出ていて読んだ「山吹」感想の一編は、わたしから見ると見当がまるで外れていた。ほかのはどうか。
すでにかなり堅い見方を「私語」しているわたしは、ことが鏡花論である、厳しく興味深く読んでみたい。「海神別荘」論のいいのがあれば、「ペン電子文藝館」に欲しい。
2006 12・29 63

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