ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2012年

 

 

* 新年から、千載和歌集に打ち込んでいる。読む、読む、読み込む。

2012 1/1 124

 

 

* 克明に千載和歌集を読み進んでいる、「読む」という行為が自身の創意や感性からする創作意義を持ってくる。万葉集このかた多くの時代に多くの撰集が編まれた、詞華集が編まれた、今の世にでもそれはある。わたし自身、歌謡の「梁塵秘抄」「閑吟集」から精選し観照してきたし「愛、はるかに照せ」も「青春短歌大学」も撰集になっている。

私なりにというとおこがましいが、平安八代集を私の思いにかなう秀歌だけで選び取り選び直したいという思いを持ってきた、その第一番に、好きな「千載和歌集」を選んだのである。「選ぶ」という批評行為に徹し、不要なその上のお節介は省きたい。さりとて平安和歌の面白さを読んであっさり受け取れる人はすくない。多少の親切は必要だろう。

暮れから、元日、昨日、今日三が日も休まなかった。打ち込んでいる。

2012 1・3 124

 

 

* 和歌撰の仕事に熱中しながらも、明日の人間ドックのための心用意なども。主治医が一日で充分と言ったので、一日だけ。どんな検査が出来るのか。朝早くに聖路加へ着かねば。明け方五時半にすこしの水で服薬を済ましておかねば。

「撰」は恋歌五巻を終え、雑部に移る。万葉集でもそうだが勅撰和歌集の「雑」部には読みがいある歌がならぶ。

2012 1・4 124

* 胃の腑を掻き回されてきたので、さすがに気疲れしている。今夜もはやくやすむ。建日子の文庫本『インシデント』を今日は待ち時間になど読んでいた。出だしは快調であったが、半ばからごちゃごちゃとテンポが乱れ始めた。この作に限っては先にテレビドラマでみた方がはるかに完璧な仕上げで、明快に緊迫したなデッサンが見てとれた。小説の編集者は、仕上がりの確かさよりも促成栽培の売り上げが望みなのだろうか。こんな浅い粗い息づかいでは、本格の小説がついに書けなくなる。作者自身が用心して欲しい。

2012 1・5 124

 

 

* 以前に、勝海舟の父たしか小六の「御番入」から始まるような芝居を見た。吉右衛門が演じていて、御番入という旗本世間の悪習を目の当たりにし驚いた。小六はこれをいい加減に蹴飛ばしていたのだが。

旗本のだれもかもが役についていたわけでない。無番無役で逼塞している連中が沢山居て、たまたま番役に推挙されたときに「御番入」と謂い、世話役や同役・関係者を酒食の席に接待する風があった。辻善之助が大正四年十月に巻頭の「例言」を書いた口授速記の名著『田沼時代』によると、これはもう新参へ先達たちの徹底した「いやがらせ」であり、それにかけた「御番入」諸経費はじつにこの大正四年当時に換算して「千円」もかかったという。今の千円ではない。大正四年よりもっと後年でさえ「五百円」あればそこそこの家一軒が建ったことは、別な方面でもわたしは事実として読んだ覚えがある。これが貧乏で無役の旗本、むかしふうに謂えば「無足御家人」の「就職」のための費えであった。かかる「御番入」の以前にも以後にもこういうばかげた費えはかかっていただろう。海舟勝安房の男っぽい父、あの小六の闘いは、まずまずは「御番入」から始まっていたのだった。「御番入」の愚かつ暴挙はすでに田沼時代にも禁令されていた。しかしこういう悪習なかなか直るものでない。小六の幕末でもなお同じようであった。

 

* 読めば読むほど辻さんの『田沼時代』は面白い。名著。テレビにあらわれる時代物の下に隠れた下層武士達の実情に思い当たりたければ、こんなに恰好の、実録としての読み物は無いだろう。確たる証跡や記録のない面白づくは一切書いていないと著者は明言されている。時代もの作者たちが必需のタネ本にしている形跡も読み取れ、それもまた面白い。

ふいとこういう本に出会うのが読書子の幸福。

 

* しまお まほの私小説風の随筆集『ガールフレンド』も言いしれぬ魅力で読ませる。現代の若い若い無垢の感性の奏でる弾き語りの静かな音楽である。しかも奔放、作り立てた行儀ではない。

 

* 『源氏物語』は「竹河」巻、初めて身にしみて読み進む。玉鬘のもとへ、夕霧も、薫も親族親戚としてなごやかに訪れる。誰の胸にも亡き光る源氏や紫の上へのしめつけるような懐かしさ恋しさがあり、それが読者の胸も暖かにかつ息苦しいほどの懐かしさを誘うのだ。此の物語をよんでいると、「本来の家」と謂いなれてきた「家」へ帰っている安堵と真の休息を覚える。

 

* ジャン・クリストフは大群衆のデモの渦のなかで、あやまって人を傷つけ死なせ、さらに、分身という以上の、魂の恋人にも他ならない親友オリヴィエに、見失ったまま無残や死なれたまま、ひとり国境を越えて逃亡したところ。

オリヴィエを喪ってクリストフは生きて行けるのか。彼の気持ちに感情移入してしまうと、わたしも動顛する。

 

* 『栄花』という絢爛たる物語のなかでも、次から次から次から人は死んで行く。なんの容赦もない。

 

* そしてチェーホフの『かもめ』で、ニーナは恋人トレーポフ創る劇の、息苦しいほど切な絶望と希望とを縫いとったような長科白を歌いあげている。ああ、チォーホフ。

 

* 秦建日子の小説『インシデント 悪女たちのメス』は医療過誤の小説、いや医療をめぐる女達の、男どもの、野心と憎悪と冷淡なエゴイズムの噴き出た凄惨なドラマである。「さやか」という、「望」という無垢の少女と少年とがあわれに死んで行く。

作者秦建日子は、「さやか」の病と死とを介して、どんなメッセージを、誰へ向けて痛烈に送っていたか。

 

* そして、わたしはバグワンに聴く。じっと聴く。

 

☆ バグワンに聴く  『存在の詩』より

スワミ・プレム・プラブッダさんの日本語訳に拠りながら。

 

あらゆる瞬間

おまえが何をしようと

おまえはその外にい続ける

どんな行為もおまえの「傷」になどならない

なり得ない

 

一度リラックスしてこれを見抜いたら

もうおまえは何をするか

あるいは何をしないかなどに思い悩むことはない

ものごとに、それなりの進路を取らせてやるだけだ

おまえはただ白雲のように漂う

どこへ行くでもなく

ただただその動きを楽しんでーー

さまようというそのこと自体がビューティフルだ

 

ティゥロバは歌う

誰もそを妨げ汚すこと能はず

不出生の境涯にありて

すべてのあらはれはダルマタへと溶解し

 

ダルマタというのは

ふらゆるものがそれ自身の根源的本性を持つという意味だ

ダルマタとはすべてのものの初源の本性のことだ

あらゆるものがそれ自身の「すみか」へと還る

おまえがおまえの「すみか」に還る

そうしたら、あらゆるものがそれ自身の「すみか」に還る

何ひとつ混乱はない

 

世の中にはふたつの生き方とふたつの死に方がある

 

ひとつは誰もがやっているように生きることだ

あらゆるものとごっちゃに混ざり

内なる空など完全に忘れ去ってーー

 

それからもう一つ

内側にやすらいで

初源要素のの力がそれ自身の道を取るのを許す生き方がある

そのとき

おまえはただ見守る

なにもかもをただ静かにただ面白く楽しく見守り続けて行く

そうだよ

おまえはもう「行為」の主人公じゃない

たとえ何をいっしんにしていても

おまえはすでに「やりて・して doer」じゃない

 

おまえがもし内側にとどまっていれば

おまえは

あらゆることがひとりでに起こるのをただ見守っているだろう

これが真実わかったなら

おまえはもう「達成され得ざるもの」を達成している

 

生がそれ自身の道筋に従ってひとりでに成就し

死と休息とに成って行くとき

「わたしが……」などというおまえは何者なんだ?

そのとき

高慢

自己

自己意志ーー

みんな溶解している

おまえは、何といってやることは、もう何もない

意志することもない

おまえはただおまえの内奥無比の実存の内に坐している

そして,草はひとりでに生える、

あらゆることがひとりでに起こる

 

これを真に受け取るというのは、おまえには難しい。容易でない。

 

おまえは何かやらなければ、やってなければ、気が済まない。

やり手でいて

たえず気張り

動ききわり

闘わなければいけない

というふうに育てられ教え込まれてきたのだから

おまえは,自分の生存のためには戦わなければいげなかった

さもなければ負けだ

さもなければ何も成し遂げられないだろうという

そんな雰囲気の中で育てられてきた

おまえは〈野心〉という毒を盛られ育てられてきたのだ

社会や教育から

そして自分自身でも。

ただの幻想だ

夢だ。

ものごとはひとりでに起こる

それがものごとの本性だ

 

ゆったりと自然でいるというのはこういうことだ

ものごとは起こる

おまえはやり手じゃない

受け容れも拒絶もせずーー

自己意志は溶け去る

意志カというまさにその概念自体

空しく無力なものとなる

高慢は無の中に消え去る

 

明けた(enlightened )人間を理解するのは難しい

どんな観念も役に立たないからな

 

自然な人間というのは

ただ内側に坐り

ものごとの起こるのを許している

彼は、するということをしない

ティロパは言う

「そして、はじめて

マハムドラーはあらわれる」と。

 

マハムドラーとは最終的な

存在との全く最終的なオーガズムだ

そうしたら

おまえはもう別々じゃない

そうしたら

おまえの内なる空は外なる空とひとつになっている

ふたつの別の空があるんじゃないよ

「一つ」の空、だけだ。         enough for today?

 

 

* 『生がそれ自身の道筋に従ってひとりでに成就し 死と休息とに成って行くとき 「わたしが……」などというわたしは何者なんだ?』

まことや。

 

* そしてバグワンは、 明日からも話してくれる、「大いなる海ーーー終わりなき旅の終わり」を。

2012 1・6 124

 

 

* 『千載秀歌』を心ゆくまで撰しおえたと思う。嬉しき一仕事に、花を添えたい。

2012 1・6 124

 

 

* 七時に起き、ひとり一服の茶を喫す。菓子は無し。二階の機械の前へ。今日も千載秀歌撰をつづける。

* ロスの池宮さんから電話で、新年の挨拶とお見舞いと。

 

* 千載秀歌撰の一首一首に綿密に最小限度の解を添えている。「雑歌」中の半ばまで。可能なら今夜中に「雑」歌の上中下を終えたい。そうすれば、残るは「釈教」「神祇」巻だけ。いわば古代・古代末の和歌の精粋美味を堪能している。一条朝から十五代高倉天皇の時代までと後白河・藤原俊成は狙いを定めている。いわば、清少納言、紫式部、和泉式部、赤染衛門ら、また藤原公任、具平親王らの王朝盛期と、源俊頼らの金葉集時代に始まり、崇徳院をはじめ西行円位や待賢門院堀川や定家や道因法師や頼政や、 とにかくも撰者俊成の時代の俊英を網羅して、清艶を競わせている。

わたしは古今集以後の和歌のエッセンスは千載和歌集にほぼ極まっていると思い愛してきた。

現在只今のわが心境にも切に触れて感慨に迫られる述懐歌も満載されている。わが「晩年」の初仕事として、創作はさておき、これほど身に沁みるものはない。

2012 1・7 124

 

 

* 千載和歌集の全一二八八首から、およそ四百首前後を撰歌し、その大方に適切に寸註を書き加えた。繰り返し繰り返し読んで味解に努めた。予期よりもずっと深入りし、この仕事は自分にとって運命的な物というほど実感を得た。わが七十六年を決算するある種の卒論を試みたほどの実感も得た。それほど千載和歌集は佳い勅撰和歌集であり、古代の花と中世の風とを要約し得た俊成畢生の撰だとも実感した。師走も押し詰まった二十九日に「思い立って」秀歌撰に手を出したと日記に書いているが、撰は、以前に半ば成していた。しかし今回、抜本的に読み直し読み深め、大晦日も元日もなく草稿を決定していった。

はからずも五日の人間ドックの、暫定的ではあれ医師に告げられた「癌病変あり」との診断も、撰の後半の読みに、解に、註に、つよく影響したと思う。

おそらく、いつかこの『千載秀歌・撰註』を読んで下さる方は、これが秦恒平生涯をものがたる必至のいわば創作で、見解( けんげ) で、境涯であったかと、繰り返し味わって下さるだろう。先立った『バグワンと私』上下巻も、それなりに必然であったのだとも。 2012 1・8 124

 

 

* からだや視力への負担を分散のため、就寝前の読書を適宜半分にし、半分は朝の起床後に読んでいる。

『田沼時代』が断然おもしろく、親友というもおろかな真実身内のオリヴィエに死なれた『ジャン・クリストフ』も、愛妃にあいつぎ死なれた小一条院の『栄花物語』も、切ない。

『存在の詩』でのバグワンのみちびきがわたしを深層で静まらせる。感謝のみ。

 

* 冷え込んでいる。

2012 1・9 124

 

 

* 今朝ももう六七冊の本をおもしろく寝床で読んできた。源氏物語の「竹河」巻を面白く見なおした。玉鬘物語の後日談。わたしはもともと玉鬘贔屓なので感情移入するのだ。

チェーホフの戯曲「かもめ」が面白い。いそいで筋を読むのでなく、一人一人の科白を熟読することで作者に近づける。

建日子の『ダーティ・ママ ハリウッドへ行く』も、テレビドラマの出だしに引きずられて、面白く読み進んでいる。

そして辻善之助の明和九年をはさんだ日本列島の天災譚が凄い。

* バグワンに、いまのわたしがどれほど救われ力づけられているか、筆紙につくせない。暫く黙読してきたが、あらためて音読したいと願っているのだが。

2012 1・13 124

 

 

* 「竹河」が、こんなに面白い巻であったとは。二十度はラクに源氏物語を読んでいながら、音読もしていながら、雲隠れから宇治十帖までの繋ぎ意識で軽く読み飛ばしてきたのだと、恥じ入る。

この巻の主人公は夫鬚黒太政大臣にはやく死なれた未亡人の玉鬘と光源氏の名目次男の薫ということか。しかし玉鬘への尽きぬ思いを抱いている降り居の冷泉帝も、夕霧・雲居の雁夫妻も、その子息も、また玉鬘の二人の娘たちも、みなおろそかでなく、いろんな役どころで作中人物として働いている。たいへん巧みに書かれた中編の面白さ。玉鬘は源氏の娘かのように育てられたが、実はむかしの頭中将藤原氏の娘、また薫も源氏の次男として成人していながら、実は頭中将の子息柏木藤原氏の秘密の子という、微妙すぎる運命を共有している。それゆえに言わず語らず玉鬘は薫を愛おしみ弟のように愛している。玉鬘は二人の娘の姉をわが身替わりのように冷泉上皇に嫁がせ、妹娘もやはり身替わりに宮廷の高級女官として送り込み帝の寵愛を受けているが、なかなか玉鬘は難儀な後ろ見に悩んでいる。こんなことなら薫を婿にしておきたかったと。そういうあれこれの葛藤が、いかにもふっくらとして賢い玉鬘と、また薫のしめやかなキャラクターとで、面白くも妙に懐かしくもよく書かれてある。短編小説を心がける人の佳いお手本とすら云える。

 

* 島尾まほの『ガールフレンド』を、先を惜しむほど愛読している。飼っていた愛猫に死なれる一章にはわたしも嗚咽してしまった。ひとの随筆本をこんなに丹念に愛読することは珍しい。「随筆で書いた私」の「私小説」に自然に成りきっているからだと思う。こういう手のあることを、自然と追試する人があっていいと思うが、わるく狙っては臭い物になる。

 

* チェーホフの戯曲「かもめ」に魅されている。演劇の台本だからと読み進むことをせず、このように書かれてある小説として登場人物の出入りとともに科白の一言一句を味わうように読んでいる。大女優アルカージナと息子トレーポレフ、相当な作家であるらしい老トリゴーリンと若い、女優にも作家にも憧れているニーナ。息苦しいほどに進行して行く悲劇への喜劇的な足どり。佳い。

* ル・グゥインの『ゲド戦記』第二巻、闇に食われし少女テナー=アルハの物語を読み始めている。英語の原書もそばにあり、ときどき併せ読みしている。死の床にいた孫のやす香に力になって欲しく第一巻「影との戦い」を病室へ運んだ、あれから五年半が経った。今はわたしが癌を身に抱いて手術の日を待っている。日はまだ決まらないが。

2012 1・15 124

 

 

* 気持ちを打ち込んで、新しい「 湖(うみ)の本」 のためにたくさんたくさん読んでいる。過ぎし日のわが感想や論攷に多く頷いて読み返せるのを幸せに感じる。ついに文学で「蔵」は建たなかったわたしだけれど、敢えて言う、物凄い量を書いていたものだ、どう汲んでも「湖」の水はまだ尽きない。なんとか今、気儘に暮らせているのは、百余冊の印税からではない、一枚一枚に骨身を削った原稿料などのお蔭である。原稿をあんなにも猛烈に依頼し続けてくれた各誌の編集者に遅ればせお礼を言います。

2012 1・15 124

 

 

* 目覚めの床の中で、六冊の本を少しずつ、みな、とても興深く楽しんだ。

源氏の「竹河」巻を読み終え、これから宇治十帖に入る。「栄花物語」では尚侍嬉子が出産してのち亡くなった。

『田沼時代』では民衆の蜂起暴動をことこまかに具体的に読んだ。資料や記録に正確に基づいて、推測だけではモノを言わない語り口に好感と信頼がもてる。じつに読みやすい。

島尾まほの随筆私小説、しみじみと、しかもつよい筆力の魅力に、安心して、惹き込まれている。同じ事はより痛切にチェーホフの「かもめ」にも。傷心の『ジャン・クリストフ』の立ち直って行く毅さにも。

そしてル・グゥイン「アチュアン」の聡明な麗筆にも胸の奥底から癒やされる。

この渾然とした書物取り合わせの美味。「読書の快と実」とはこういう読み方で合算倍加する。世界が複合して分厚く立体になる。 2012 1・16 124

 

 

* 静かなところで好い所でゆっくり出来る所といえば、最適なのは東博の本館と東洋館だろう。美しい、 懐かしい旧知に溢れている。仏画と仏像とにいつも心惹かれる。

* 西武の八階、今日は伊勢定で鰻重の「梅」に「鰻ざく」と「肝焼き」 久保田の「紅壽」と生ビールで、思案の要る「 目次」編成に智慧を使ってきた。電車では、一つは「光塵」一つは「田沼時代」。

2012 1・18 124

 

 

* 夢は見ていたがさほどイヤな印象はなく、朝、床の中で本を読んだ。

息子の新刊『ダーティママ』のシリーズ2を読み始めたのと、テレビドラマ化した放映開始を見始めたのとが重なり、なかなか永作刑事と香李奈刑事とが面白くて、読まずにいたシリーズ1を読み始めたら、ドラマの展開と丁度重なっていた。バカゲタ展開ならなおさら、この程度までシャアシャアとやれば成功する。成功しているようだ。

2012 1・20 124

 

 

* 湯に漬かってくる。湯の中で睡くならなければ、五六冊の本を順繰りに読む。

 

* 隣室で妻のピアノが鳴っている。いつまでも、そうで在らせたい。在りたい。

2012 1・21 124

 

 

* 七時前から例の「順読」を始めていた。

源氏物語でも栄花物語でも「ジャン・クリストフ」でも、みな、そうだ、物語や歴史や小説が伝えて確実なことは、ずんずん、ずんずん雪の積むように「人は死んで行く」という逃れがたい真理だ。死んで行き方にも、ほんとうに、いろいろある。

 

* 今朝印象に残ったのは、栄花物語の、道長娘、東宮敦良親王妃嬉子藤原氏の最期。この人、目出度い皇子出産も安らかに済ませ、恵まれた運命の盛りと見えたところで、あ、あ、というまに急の病で亡くなってしまう。「おもしろき櫻の咲きととのほりたるが、にはかに風に残りなく散りぬるにぞ、いとよく似させたまへる」と本文にある。なんという、美しさのはかなさか。

道長の姉、冷泉院の女御超子の、正月の庚申に、「鶏なくまでおはしまして、暁に御脇息におしかからせたまひて、やがてうせさせたまひにけり」と、対照的な静かな死もいわれており、むろん、病みに病み続けてどうしよう無く亡くなった道長娘、小一条院女御寛子の、だれもが落胆も納得もした死も思い出されている。

源氏物語の「橋姫」では、宇治八宮の家庭へ薫中将がひきよせられている。

八宮は光源氏の弟、冷泉院の兄、過去の政変の煽りで逼塞し、仏門に深く入りながら二人の娘ゆえに出家もできないでいる。寂しい世界だ。わたしの脳裏には、光源氏も紫上も藤壺中宮も頭中将も明石入道も葵上も六条御息所も夕顔も、みーんな、生き残っていても、この物語現世には、もういない。

わたしの書いた恵遠法師は、父や母にはじめて説法した日、「この世のことはみな夢まぼろしとおぼせよ」と語っている。千載和歌集の世界にわたしの認めてきた認識も、バグワンに手をひかれてきた足どりも、同じ。「この世のことはみな夢まぼろし」だ。

 

* 思わず失笑し、すぐ吹き出してしまう言葉もある、『ファウスト』だ。頼りない学僕ヴァーグネルに向かって痛烈だ、わたし自身が言われていると聴くと、笑いも凍り付くが。若い創作者たちにも聴いてもらおうか。

 

☆ ファウスト博士に聴く   ゲーテ著

佐藤通次さんの訳に拠って

 

いつまでそうやって坐りこんで、膠で接ぎ合わせ、

人のご馳走の寄せ集めでごった煮を拵え、

君自身の灰を掻き寄せた中から

心細い火を吹き起こしていることには、

せいぜい子供や猿を感心させるだけだろう、

それがお好みとあれば致し方ないがーーー

しかし、君の肺腑から出るのでなければ、

人の肺腑に徹することはできないね。

 

正々堂々の成功を求めたまえ!

鈴ふり鳴らす莫迦者のまねは止すがよい!

もの分かりと、まっとうな気持とさえあれば、

技巧を弄せないでも成功はするねのだ。

真剣に言おうとする何かがあるなら、

なんで言葉を追いまわす要がある?

まったく、君たちの演説ときたら、紙を縮らした

見てくれの造花も同然で、ピカピカと光ってはいるが、

秋に枯葉の間をざわめきわたる

湿った風のように、気持ちがわるいものだ!

 

* 「真剣に言おうとする何かがあるなら、なんで言葉を追いまわす要がある?」と。

呼応して、ロマン・ロランも、クリストフにかりて「言葉」を痛撃している。

「すべての社会生活は、言語がその原因である大きな誤解の上に立っているような気がした……お前の思想が他のいろいろな思想と理解し合えるとお前は信じているのか? 関係はただ言語だけの関係にすぎないのだ。お前はことばを言い、お前はことばを聴く。ただの一語さえも二人の別々の口から出るとき同じ意味をもっていない。どんなことばも、ただ一つのことばも、人生の中で全く何の意味をも持っていない。ほんとうに体験されたリアリティーから、ことばはずれてしまう。

愛と憎しみ、とお前は言う……愛も、憎しみも、友らも、敵たちも、信念も、情熱も、善も、悪も、ただことばとして在るだけなのだ。在るのはただ、数世紀も前に死滅している星たちから降ってくる冷たい余光だけなのだ……」

* 一瞬も経ず、わたしは感得しなければならないのだーー。

 

* ああだが、「仕事」を続けよう、「ことば」に幾らかの「信」を寄せて生きるしかないわたしの「いま・ここ」を。

2012 1・22 124

 

 

* 七時前から読書、九時前から機械の前に来ている。スキャン原稿の校正は今日の昼すぎには終える。すぐ引き続いて別途の編輯作業に入る。

2012 1・23 124

 

 

* 南山城の父方従弟から見舞いの珈琲豆、珍しい紅茶、そしてお守りなどが届いた。お守りの将棋の駒には「馬」ヘンに「龍」の一字が象嵌してある。成り飛車と成り角の一体か。ありがとう。

詩情豊かな風景写真家井上隆雄さんの、随筆の添った写真集も頂戴した。恐れ入ります。

また奈良県の永榮啓伸氏が同人誌を、東京の小佐野敦氏が新刊の読み物を送って見えた。感謝。

2012 1・26 124

 

 

* バグワンの『存在の詩』を永くかけて夜前読み終えた。一九九八年十一月に初めて読み上げ、二◯◯六年六月に、「何度目か」をまた読み始めた記録がある。「さらに又何度目か」を読了したのである。また『般若心経』を読もう。

2012 1・28 124

 

 

☆ バグワンに聴く  『般若心経』 より

スワミ・プレム・プラブッダさんの訳に拠って

 

おまえの内なるブッダに、ごあいさつします。

 

おまえはそれに気づいていないかもしれない

おまえはそんなことを夢に見たこともないかもしれない

自分がひとりのブッダであるなどとは。

誰ひとりとして、ブッダのほかの何ものでもあり得ないなどとは。

ブッダフッドこそまさに自分の実存の本質的中核であるなどとは。

それが何か未来に起こることではなく

もうすでに起こってしまっているなどとは──

 

ブッダフッドこそは、おまえが「いま・ここ」へやって来た、まさにその源なのだ。

それは根源であり

目的地でもある。

われわれの動きだした根源がブッダフヅドからであれば

われわれの動いてゆく先もブッダフッドだ。

‘‘ブッダフヅド”というこの一語が一切を含む、

アルファからオメガまで

完結した生のひとめぐり──

 

ところが,おまえときたら、眠りこけている。

おまえは自分が誰かを知らない。

 

おまえがブッダにならなくてはいけないというのじゃないよ。

ただ、おまえはそれを認識しなければいけないだけだ。

そして、自分自身の源に戻らなければ、行き着かねば、いけないだけだ。

おまえ自身の内を、眞に覚め、て覗き込まなければいけない。

それだけなのだ。

 

* バグワンの語る『般若心経』の開巻一頁に、聴いた。

2012 1・28 124

 

 

* 漢詩を好む習いは短くないが、いまほど親炙し読んで情味を美食することは、まだまだ乏しかった。今はしみじみと読む。文はまだ読みづらいが、詩は長篇でも古詩でも楽しめる。けさも古文真寶の頁をくっていて、思いがけず時を喪っていた。喪っていた時を微塵惜しいと思わない。

 

☆ 友人会宿 李白

滌蕩千古愁  たまつた疲れは洗い流し

留連百壺飲  いすわり並べる徳利の林

良宵宜且談  談じて笑つて楽しい今宵

皓月未能寝  眠気どころか月明るくて

酔來臥空山  酔えば気儘にころりと寝

天地即衾枕  天地を寝床に夢みごろ

優れた詩人ほど難儀を極める字句を濫用しない。それで陶潛も李白・杜甫も白居易も愛されるのだろう。

奇怪とも当然とも思うのは、現代中国政権の行業には、悪意の算術に長けた政治のみ露わで、文化・詞藻の美しさのまるで感じ取れぬこと。

それにしても今日は、明日の自己血採血にそなえて、禁酒を命じられています。

2012 1・29 124

 

 

* しばらく陶淵明を読んでいた。この岩波文庫が手放せない。背の高い、昭和十三年十二月十日の第十一刷。訳註の漆山又四郎の検印がある。本文は200頁余。どこで手に入れたか古本屋の値段は50_。文庫定価は四拾銭。いまのわたしなら、古書店で5000円でも欲しいと思う。 日本の国もわたしも、ずいぶん歩いてきた。

2012 1・30 124

 

 

* 今暁、去年の秋以降なんども悩まされた腹痛に苦しんだ。六時には床上に座り込んで腹をおさえながら本を何冊も継いで読んだ。『ネシャン・サーガ』上巻を読み終え、三巻『栄花物語』の第二巻を読み終えた。

痛みは治まらず、起床、キッチンで温湯を飲んだりしながら堪えこらえ、録画していた「平清盛」を観てから、二階の機械の前で今回上巻「跋」を書き上げ入稿し終えた。どうやら、ほぼ痛みが退いてくれていた。

外科医の診断ではわたしの腹痛は胆嚢の胆砂のセイであろうよと。それで胆嚢検査もしておいて、手術当日胆嚢もとってしまうということらしい。

とにかく今朝は相当痛かった、永い時間。やれやれ。

* この先は、子供が泣くように術創の痛みに相当苦しむのではないかと思う。そんなときも、必要な「仕事」があって出来るなら紛れるかしらんなどと思っている。

2012 2・5 125

 

 

* バグワンは言う、「人間は芽生えてあるブッダなのだ」と。「芽はちゃんとお前の内にある、いつ何時でも花咲き得るのだ」「すでにそこに在るのだ」と。

「自分は現に芽生てあブッダだ、ただ、それに気付く覚醒が必要なのだ、宝はそこにあるのだ」「悟ろうなどという努力は愚かしい、おまえは現にそれなのだ、だが気がついていない。」

 

☆ バグワンに「般若心経」を聴く

スワミ・プレム・プラブッダさんの訳に拠って

 

よく聴くがいい、“自分”とブッダフッドとは共存できないものだ

ひとたび夢から覚めてお前自身の内なるブッダフッドが明かされたなら

“自分”というのは ちょうど明りを持ち込むと暗闇が消えるように消え失せる 当然にも。

これがよく理解されねばならぬ

 

経文にはいる前に,ちょっとした下ごしらえ

ちょっとした骨組みをしておくと理解の役に立つだろう

 

古い仏教経典は七つの寺院について語っている

ちょうどスーフィ教が七つの谷のことを語り

ヒソドゥー教が七つのチャクラについて語るのと同じように

仏教は七つの寺院(=階段) について語る

 

第一の寺院は肉体(physical)の寺院だ

第二の寺院は精神身体(psycho-somatic)の寺院

第三の寺院は心理(psychological )の

第四の寺院は精神霊性(psycho・spiritual )の

第五の寺院は霊性(spiritual )の

第六の寺院は霊性超越(Spiritual ・transcendental)の

そして第七の,そして究極の寺院

寺院の中の寺院は超越(transcendental)の寺院だ

 

『般若心経』の経文は上の第七に属する

誰か第七の寺院 超越的な,絶対的なところにはいり込んだ者の「宜言」なのだ

それがサンスクリット語のプラジュニャーパーラミター 般若波羅蜜多(prajina-paramita)の意味するものだ

 

彼方の

彼方からの

彼方における知恵

高いものも低いものも

この世的なものもあの世的なものも

あらゆる種類の自己同化(identification)をすべて超越したときにはじめて来るところの知恵

ありとあらゆる自己同化を超越し

まったく何ものにも同化されず

ただ覚醒の純粋な炎だけが煙も立てずに残されたときに来るもの一ー

仏教徒たちがこの小さな

掌におさまるような経典を崇拝するのはそのためだ

そして,彼らはそれを“心経(The Heart Sutra )”と呼んできた

まさに宗教のハートそのもの

まさにその核心一

 

第一の肉体の寺院は

ヒンドゥー教の図解で言うムラダーラ・チャクラに相当する

第二の精神身体の寺院は,スワディスクーナ・チャクラに

第三の心理の寺院はマニビュラに

第四の精神霊性の寺院はアナハタ

第五,霊性の寺院はヴイシュダ

第六,霊性超越の寺院はアジュナ

そして第七の超越の寺院はサハスラーラに相当する

“サハスラーラ’というのは

一千枚の花弁を持ったハスの花を意味する

それは究極の開花のシソボルなのだ

何ひとつ隠されてはいない

一切が露わになっている

顕現している

一千枚の花びらを持ったハスの花が開いた

空全体がその芳香で

その美しさで

その祝福で一杯だ

 

* 経典としては、もし仏壇のある家なら、何宗の家であろうと、「般若心経」は、いの一番に備わっている。わたしは、幼時にすでに仏壇のこの経典に手を伸ばして、フリガナに頼りながら大声で読誦する「遊び」を楽しんですらいた。だから暗誦もできた。

何種もの般若心経講義や解説を読んできたが、およそ講義として読み解説として読んでみても、「知識をみたす」ことにしか成らない。わたしは、こと宗教や信仰に関する経典も本も、講義や解説や論攷として書かれたすべては、自身の悩みや死生観のための何のタシにもならないと識って来た。読むだけ時間の無駄だと思った。

「いま・ここ」の日々の迷いや惑いや不安や歎きにひしと応えてこないその手の本はじつにつまらない。

わたしがバグワンに傾倒し帰依の思いすらもつのは、彼の話だけが、ビンビンと私の困惑や迷惑に容赦なく突き刺さってきて、示唆をくれるから、だ。

2012 2・5 125

 

 

* 今日特筆すべきは、久しい友であり読者である高木富子さんの処女詩集『優しい濾過』( 砂子屋書房) が美しく仕上がって刊行されたことである。

この人の詩の美しさ優しさ深さは、多年におよんでよく識っている。すでに相当量の詩作をもち、しかもいつでも創作できる内的な欲求と詞藻にも溢れている人であり、どうかせめても一冊に仕上がって欲しいと願いまた奨めてきた。

しかし、作の内部に踏み込んでの口出しも、また支援もなに一つして上げずじまいに、作の選択や配列であれ、本の形であれ、出版社であれ、詩人独りの決断で自身の世界として構築するようにと、距離を置いてきた。帯の文もと望まれたが、そんなものは先へ行って邪魔になるものですと承けなかった。ただ待っていた。

その日が来たのだ。

よかった。心の底から、おめでとうと言います。よくやったね。

親しくしてきた詩人が何人もいる。その人達にも、ぜひ寄贈するといい、宛先リストを上げたいと思うが、さ、入院までに私に残された残り少ない日で、 咄嗟に間に合うかなあ。

 

「あとがき」の後半だけを紹介しておく。

 

☆ 高木冨子詩集『優しい濾過』 あとがき後半

 

優しい濾過とはわたしの生きる実感でしょうか。

「ろか」とはスペイン語で愚か者という意味と友人が言いました。

優しい愚か者とはわたしのことと納得もしました。

リッキー・マーチンがロカ、ロカとクレイジーな人生を歌っていたのを思い出しました。

辞書には、loca気が狂った、途方もない、素晴らしい、とあります。

ろか繋がりで roca は岩、確固不動のものと。

loca  roca  そのように詩の世界に、言葉に、表しがたいものに、一歩でも近づけたらと願いつつ。

詩集を編むこと 思いもよらず、多くの人の心遣いをいただきました。

ありがとう、感謝に堪えません。ありがとう。

 

* 最晩年の荻原井泉水さんにお目にかかったとき、「起一」という言葉を語られて、その場で「生二」と揮毫して下さった。

「一」を起こせば、「二」の生まれることも期待できる。一の儘でもよく、二を生んでもよい。一期一会、一作一会。渾身の一会であるならば。

2012 2・6 125

 

 

* 『指輪物語』にくらべると相当幼稚なものを二、三種読んでいたが、みな物足りなくて、それで『ゲド戦記』二巻の「アチュアン」のアルハを読み始めたが、真っ暗闇の地下の大迷宮を表現しながら、燦然と光っている。いい作品というのはこれだなと思う。ル・グゥインならば源氏物語と一緒に読んでいても魅力に置いてヒケをとらない。宇治十帖がはや渦巻いてきた。

後宮女文化の歴史物語が『栄花物語』だが、御堂関白の御堂造りはまこと豪華を極めて飛び離れた栄華のシンボルと見えた。その一方でまあ人の死ぬこと死ぬこと、作中悲歎の涙に溺れそうになる。「人の世」を「歴史」として書くと結局こうなるのだなと嘆息してしまうほど。

2012 2・6 125

 

 

* 留守に届いていた手紙や、昨日今日のメールを読んでいた。またドラマの「平清盛」なども楽しんだ。

病院へわたしは源氏物語宇治の「総角」巻、ゲーテの「フアウスト」「ゲド戦記」の第二巻を持ち込み、最良の選択であったが、ほかに自作の幾つかも持ち込んで、ていねいに読んできた。なかの、「絵巻」は、われながら美しいと思えた。ありとある待賢門院を書いた読み物を高く藝術的に超えていると、胸を張って嬉しかった。史実を認識しながら全く想像力を遊ばせてフィクションの美を組み立てている。文字で書いた「絵巻」として完璧であった。そういう思いにもなれた病室暮らしだった。

2012 3・4 126

 

 

* 昨日、わたしの待賢門院璋子と源氏物語絵巻の成立を書いた小説「絵巻」に触れて、思い切った自負の言葉を吐いた。これほどの文学的完成度で、現代、誰がこれを書けるかという気概であった。まさしく創作であり作品を湛えもっていた。

ことのついでに、この際、言わせてもらいたい、わたしは瀧井孝作、永井龍男という「リアリズムの二大家」により芥川賞に推された「廬山」も病室に運んでいて、落ち着いて読み返した。リアリズムどころか幻想や想像力の仕事であったが、これまた完璧の「作品」を得た作と思えた。やはり、これほどの文学的完成度で、現代、誰がこれをこれほど美しく書けるかという気概をもった。永井先生は「美しい作品である」の一語で賞賛して下さった。

もう二作、「畜生塚」「初恋」も持って行き、若き日の想像力、それに作を丁寧に一字一句もゆるがせにせず書いて書ききっていることに、誇らかな興奮を覚えた。いろんな同

時代作家に伍して小説というものをいろいろに書いてきたつもりでいたが、「小説家」として生きていたのを、今こそ誇らしく感じる。むかし筑摩の辰巳さんという編集者に、同時代の私小説ふう他作家とよっぽど調子が違うのを、かすかに嘆いたとき、言下に彼は、「秦さんは、ブリリアントです。迷うことも嘆くことも要らない」と言ってくれた。

「ブリリアント――」

他の人でも簡単に書けるような小説は書くまい。それがわたしの何より深い願いだったと思い出す。「蝶の皿」「清経入水」「慈子」「閨秀」「みごもりの湖」「隠水の」「風の奏で」「冬祭り」「最上徳内」「親指のマリア」「四度の瀧」など。

多作はしなかったが、それでよかったと、改めて若い「小説家」として立っていた往時に自信が持てる。井上靖先生に「まじめな仕事をされていますね」と励まされ、中村光夫先生や臼井吉見先生に「あんたのような人が文学のために大事なんだがなあ」と嘆息させたこともあった。

 

* 肩肘張らず、さ、「晩年」をどんな文学者として生きて行けるか、行くか。

 

* 病室へまず以て「源氏物語」と「フアウスト」を携えて行ったのは大成功だった。いずれも過去に実に繰り返し読んできたのだ、おもしろづくに筋書きを追う読書でなく、名作の妙味をしぼるように吸う読書だった、こんなにふさわしい二冊はないと確信して、源氏はもはや宇治の物語の「総角」巻をじりじり読みすすみ、ゲーテの詩劇は、正しく詩劇として堪能するように読み進んだ。これまで第一部を筋書きとして軽く読み流してきたのが、今回は、舞台の転変と詩の演劇言語を堪能するように読み、その結果、第一部の終幕時には

寒気だつほども感動した。おそろしい藝術に圧倒的に襲われたという実感だった。

「 源氏物語」からも、わたしは身をゆるがすほどの教唆をうけた。

わたしの人間関係における基本の喜びは、幼來、何であったろうか。それは「なつかしい」という思慕や愛情に他ならなかったと、「総角」を読みながら津波に襲われるほどの実感を持った。

どうしてそういう感情がわたしを支配したか。わたしは実の親をしらず、育ての親にもそれほどの思慕や愛情で纏わった子ではない。よく思えば、新制中学の半ばまえに与謝野晶子の源氏物語を繰り返し耽読し、高校からは原文にしたがって、「若紫」「紫上」をこよないなつかしい人と思慕し愛した体験に、じつにふとい根があったのだ。源氏物語の女達を語れと求められた昔、わたしは躊躇無く「宇治の中君」をと選んだ。紫のなつかしさと匹敵して恋しいほどに思えるのは、わたしには、宇治の中君が最深最良なのであることを、いまさらに改めて「総角」そして「早蕨」とつづく宇治の物語の中で、痛切に再確認したのだった、手術の痛みに堪え、体調の甚だしい違和に悩みながらも、まこと貴重しかもフレツシュなな読書体験であった。

 

* 三週間ちかい病室の暮らしでわたしを苦痛から誘い出してくれたのは、「 湖(うみ)の本」 110 111の校正の作業・進行だった。『千載和歌集と平安女文化』の前半上巻200頁は病室で責了にした。後半下巻200頁の全紙揃えての三校を請求したのも病室からだった。妻が、印刷所との仲立ちをしてくれた。この仕事への興味が、どんなに病苦の日夜を紛らわせてくれたか、言い尽くせない。

そして、明日朝に、上巻の出来本が届く。どうして発送ができるのか、ゆーっくり、やるしかない。

2012 3・5 126

 

 

* 六時過ぎまで安眠した。電氣をつけて、「ファウスト」第二部、「源氏物語」宇治十帖、辻善之助「田沼時代」翻訳物の「風の影」を読んでから身を起こした。相当好調な排便があった。術創の痛みは平穏で、激しい咳込みもこたえないのが助かる。

2012 3・7 126

 

 

* 再入院と決した日のわたしの鞄には、プラトンの『国家』岩波文庫上巻が入っていた。わたし自身の病気や入院とかかわって実は強い問題意識をプラトン(ソクラテス)の対話編に持っていた。それを書いてくることが出来たのは収穫であった。

源氏物語は宇治十帖を「東屋」まで読み進んできた。中の宮が匂宮の男子を産んで「幸い人」としての存在感を確かにして行く流れへ、異母妹の浮舟があらわれ、薫大将と匂兵部卿とに葛藤が生じてくる。わたしの愛は、ひたすら中の宮に向かっているのだが。

『ゲド戦記』の第三巻そして元へ戻って第一巻をも、強く惹かれ惹かれ、病室から去るまぎわまで、わくわくと読み継いでいて、まだ先の楽しみがのこっている。

個室にはテレビも電話もシャワーもあった。日曜の平清盛、陽炎の辻、トンイ、イサンの他は見る気もなかった。家や息子との連絡以外には電話も全くつかわなかった。

2012 3・26 126

 

 

* 独り郵便局で用を足し、バス道を歩いて帰ってきた。脚力から強めて行きたい。幸い水分摂取に嫌悪感が失せ、プレーンな水や「おーいお茶」などが美味くさえ感じられるのは有り難い。脱水はほんとうに辛かった。

妻もわたしも、せいぜい歩くようにと双方医師の指導は一致している。

行きたいのは散髪、そしてメガネの新しい調製。四つあるメガネのどれもこれもシャキッとしない。病室での校正や読書でよほど目を痛めたかも知れぬ。

 

* 『ゲド戦記』一、二、三巻を読み終えた。『指輪物語』壮麗な物語の傑作だが、ル・グゥインの『ゲド戦記』は明らかにバグワン・シュリ・ラジニーシの境地に膚接したenlightenment の創造世界であり、さなからに自身の死生観を問われ続けて読む名作・名品である。続いて四があり五がある。

 

* チェーホフの戯曲を連続して読み継いできたが、『ワーニャ伯父さん』が、間然するところないこれまた名作・名品で息がつまるほど感動。舞台も何度もみて何度観ても感動してきたが、活字で読んでいても、うち震えてくる。

 

* 宇治十帖のヒロインといえば誰もが浮舟というだろうが、わたしは源氏物語の数多い女性達の中で浮舟を好いたことがない。人間が軽い。わきの女であろうと朧月夜や玉鬘には濃い魅力があった。何と言っても紫上と宇治の中の宮こそが全人的に愛しく懐かしくわたしには思える。

 

* 辻善之助『田沼時代』の魅力は、惜しげなく生の史料を素のかたちで読ませてくれることにもある。少々長くなろうと例えば松平定信の田沼憎しの建白書なども「全文」を読ませてくれる。この贅沢が、達意の大人の文章、碩学の語りの文章で生き生き味わえる。巻をおく能わずとはこれぞ。

2012 3・30 126

 

 

* 君津市の「新井白石記念館の設立を応援する会」代表の坂井昭氏から『新井白石の人と魅力』という魅力的な編纂物の大冊が贈られてきた。『親指のマリア』のご縁である。

立教大名誉教授平山城児さんからは「『細雪』を読み直す」という論文を戴いた。

2012 3・31 126

 

 

* 高校生の時、『更級日記と夢』というのを学校の新聞に書いた。大学に入ってすぐ紀要に「宇治十帖」について投稿し掲載された。その「宇治十帖」のいま『浮舟』を読み進んでいるが、なにとなく自分がこの源氏物語末尾の十帖を心楽しんでは読んでいないと、読んでこなかったと、あらためて気付いている。

この独自にみごとに纏まっている十帖に、宇治中の宮が在ればこそわたしは愛し懐かしむのであるが、大君といい薫大将といい匂兵部卿といい、まして浮舟といい、わたしをとくべつ魅了する存在ではない。もののあはれを覚えないのである。アンドレ・ジッド『狭き門』のアリサといい、中川与一『天の夕顔』のヒロインといい、また宇治の大君といい、わたしが男だからかもしれないが、みな一抹心ごわい味気なさに膚接して思われる。わたしは中君や、『夜の寝覚』の中君のような、愛さずにおれない心懐かしい人たちに魅される。

 

* チェーホフの『三人姉妹』に魅されている。

ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を我慢強く読み継いでいて、いましもブラウン夫人アンナとクリストフとの危機に当面している。

それにしても、超、長い小説やなあ。

おなじ長くてもわが『栄花物語』にわたしはもののあはれを感じ取って、かなり厳粛になっている。大納言公任の長谷への出家を読んでいて、胸の湿るのを覚えている。千載和歌集はこのあたりを丁寧にとりあげている。

 

* 猛烈なほど世界的にヒットしたといわれる『風の影』というスペインの小説が、なかなか読み進められない。相性がわるいのか。 2012 4・5 127

 

 

* 医学書院以来の年長の友、明大名誉教授の粂川光樹さんから手紙とエッセイ二編とを貰った。八十になったんだと。ウーン。

2012 4・5 127

 

 

* つぎの「仕事」へ向きを定めている。わたしが「仕事」と言うときは、志賀直哉の明言にならい、私流「文学・文藝・創作・執筆・勉強」の意味である。

むかし、わたしは罫線のある用紙に工夫して、月単位に日々の依頼仕事を、抜けたり忘れたりしないよう書き入れ、毎日の進行を記録していた。何年も何年もの間、原稿依頼や講演や出演が月に十数もあった。目が回るほど原稿を書き、講演で遠くへも出向いていた。若気の至りであったものの、だから今の生活が成ったのは確か。

生活のためでなく、今度は病気との闘いのために、「仕事」を組み立てたい。

気がかりな気がかりな小説の仕事が二つ有る。

「湖の本」は一年に少なくも四冊ずつ四半世紀余も、送り出してきた。三ヶ月に一冊は、少しも気の抜けない間隔であり、打ち込みたい。

超級の面白い長編小説を読み返そうと思う。『源氏物語』はもう少しで夢の浮橋をわたってしまう。『ゲド戦記』四巻も今月中に読み終えてしまう。

『戦争と平和』『南総里見八犬伝』『水滸伝』『指輪物語』『イルスの竪琴』『モンテクリスト伯』『平家物語』『罪と罰』『従妹ベット・従兄ポンス』『夜明け前』そして、自作なら『みごもりの湖』を久々に読んでみたい。これらを順々にかつ併読して行けば一年が経つだろう、そうそう『千夜一夜物語』もまたまた楽しみたい。

旅行は、わが家ではとてもむりだが、月々の観劇は体力しだいで、大きな楽しみになる。楽しみにも力づけられたい。       2012 4・14 127

 

 

* 辻善之助の『田沼時代』をほぼ読み終えた。こんなに我が意をえた読書はめずらしい。

著者は、徹して同時代の史料や文献や口碑の上に具体的に立ち、しかも自身の見識・見解を公正に無私に展開し、是は是と評価し非は非と指弾して、その全容から「田沼意次」という政治家を丸彫りに批評している。田沼時代の開明的な先進性と、施策の独自性・先見性をまちがいなく汲み取りつつ、その失政や失敗の根底をも指さして憚らない。

読み心地、爽快。しかも学問に成っている。評論とは、批評とは、かく在りたい。

 

* わたしは、世界史的にも「長篇」といわれる読書を嫌わない・逃げない方だが、それにも好き好きはからむ。ほとんど意地になって読み継いでいるがロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の長さには、正直辟易してきた。それでも読んでいるのだから、むろん世界的な作の一つだとは思うし、受けようによっては面白くも勝れているとも評価に吝かではない。たしかに「人間」は実にしっかり書いてあるが、「近代」という時勢と幾つもの國・国民にかかわる「文明批評」の斟酌無い怒濤の流入が「小説を読んでいる」という感覚を蹂躙してくれる、それに参る。人間も文明も平均して喜んで読めばいいのだが、なかなか。

長ければ雄大とか荘重とか真実により近づくとか、簡単には思えない。トーマス・マンの『魔の山』その他の大長編もわたしは概して辟易する。

 

* 浮舟はいまにも宇治川に我が身を流そうとしている。薫ではない、匂宮のとろけるほどな愛の蜜に彼女は魅された。愛の受容としては浮舟の本能はいじらしいほど正解していた。概してわたしは薫は好きなれぬ。

 

* バグワンの『般若心経』を通してわたしは「マインド」という分別心の毒を繰り返し教わってきた。いまも毎日教わっている。

 

* 今日いちばんの読書の感動は、チェーホフの戯曲『三人姉妹』。独特の「靜劇」でありながら鳴り渡るものがある。オーリガ、マーシャ、イリーナ。

彼方へ生きて飛ぼうとガラスにつきあたりつきあたり跳び続けるカミュ「不条理の蝿」のように、美しい寂しい絶望の三姉妹が誇りたかく胸をはってなお「生きたい」と明日を見る。彼女たちは二十世紀の不条理を知らなかった。希望が持てると願っていた。    2012 4・21 127

 

 

* 辻善之助『田沼時代』は、毅然とした名著であった。

わたしが『最上徳内 北の時代』を「世界」に連載し、のちに筑摩書房から出版したとき、まだ辻さんの此の名著を読んでいなかった。しかしわたしは、最上徳内というすばらしい日本人の背後に終始田沼意次を想い描き、批評し、ときに称讃していた。徳のうすい政治家であったが、認識も判断も実行力も、多くの政治家に比べ遜色ないどころか、むしろ抜群と感じていた。工藤兵助の建白を容れ、地獄ほどもおそれられまた霧と闇の世界であった蝦夷地(北海道・千島・樺太)探険と開拓とにゴーサインを出し得た、他にどんな政治家があったろう、わずかに新井白石が世界地理的な観点から北地に関心を寄せていた。

この新井白石と田沼意次( 最上徳内ら) との間に、わたしは、実線でつなぎうる近世の政治力を感じていた。だから白石とシドッチの一生の奇会を『親指のマリア』として書き、『北の時代 最上徳内』との連繋を究案したのだった。

読み物の世界では、暴れん坊将軍などと八代将軍吉宗に人気があり、これがのちに田沼憎しと逐い落とした松平定信の改革政治に結ばれる。新井白石は吉宗に逐われ、田沼意次は定信に逐われた。しかし政治の可能性や文明の視点からいえば、享保の改革とうたわれた吉宗政治は、器量がちいさかった。好人物で行儀はよかったが、政治は小さく窮屈に固まっていた。時代は、のびやかな呼吸をおさえられ、明るくはじけなかった。辻善之助の吉宗批評も、これに尽きている。まして定信の寛政の改革は輪をかけて小さく窮屈ですぐに破綻した。

白石の政治は此処では措くとして、田沼意次の政治は或る意味大胆に行き当たりばったりで、やぶれかぶれでもあったが、失政ばかりではなかった。何よりも問題の「田沼時代」にこそ、日本の文化文明は、じつに多くの天才大才たちの爆発的活躍を実現していた。わたしの謂う「十八世紀後半の五十年」に、どれほどの目映いほどの才能が、豊かに明るく先進的に藝術も学術も思想も推し広げていたか、年譜をくってみれば忽ち諒解できる。田沼が手を引いて育てたのでなくても、そういう「時代の気分」としてのお膳立ては田沼意次という老中が可能にしていた。着手と実行、開明、前進。そういう時代は田沼より昔にはめったになかった。

田沼の蝦夷地一件は定信の手で押しつぶされ、功労者はみな失脚埋没した中で、最低の竿取り奴だった最上徳内ひとりが、卓越した冒険力と算学や測量技術や博物学への貢献により幕府内に永く生き延びて、後進、間宮林蔵らへの道を切り開いていた。択捉島の北端に「大日本択捉島」の標木を世界に先駆け立ててきたのも徳内だった。間宮にはるか先駆けて樺太が島であるらしいと実地の探査により推測したのも徳内であった。こういう人物の出現を可能にしたのが「田沼時代」であった。

2012 4・24 127

 

 

* 夜中一度眠れずに『ゲド戦記』四巻を読み継いでいた。

夢など見ると、朝の血圧がやや高い。血糖値はこのところずうっと、二度目の退院以来良好で、ほぼいつも、90台。

 

* 隣の書斎から、取り敢えず『南総里見八犬伝』と『水滸伝』それにゲーテの『イタリア紀行』三巻を、此方へ運んできた。

五月に三島由紀夫脚本の『椿説弓張月』を染五郎の為朝で観るが、原作の全巻に触れる機会がなかった。学研版の抄録本を読んだとき、これは全巻読んでみたい、ぜひと思いつつ、まだ手に入れていない。

2012 4・25 127

 

 

* ゲーテの『イタリア紀行』が、いやゲーテの藝術家生涯にとって「イタリア」が、どれほど貴重な本質的体験であったかは、半ば常識として知っていたけれど、買い置いた三巻の岩波文庫はまだ手にしないで来た。手を出したきっかけは、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』が漸く終巻佳境にはいってきた中で、彼クリストフがこれまで歯牙にもかけてこなかった「イタリア」の文明・文化・藝術に急速に惹かれて行くのが印象深く、「イタリア」を再認識いや初めて、あ、そうなのと認識させてくれたから。

以前に、誰であったかの初期の『ローマ史』をいたく面白く読み、関連して辻邦生さんの『背教者ユリアヌス』も面白く読み、それ以外イタリアやローマのことは断片的な物語や映画からしか知らず、知ろうとしないで来た。『モンテクリスト伯』のお祭り騒ぎの場面などを面白く記憶に残していたが、じつは『神曲』も読めていない。それでいて、もしもう一度海外へ出掛けられるなら、フィレンツェが観たいと思い、ローマにも想いがとび、シシリー島へも渡ってみたいなど、夢のように思うだけであった。

『親指のマリア』で、新井白石と対峙するシドッチ神父はシシリーの出。二人を京都新聞朝刊小説として一年も連載していたときから、亡くなった彫刻家清水九兵衛さんは、わたしの描いているシシリーが「好き」で、「ほんとにあの感じでね」とよく話された。行ったことないんですと言うと、目を丸くされていたのが懐かしい。そんなシシリーも観たいと思うが、もう百に九十五は諦めている。

いまもゲーテの『フアウスト』第二部の第四幕半ばを読んでおり、その前に久々に『ヴェルテル』を読みまた『ヘルマンとドロテア』を読み、そしてよく出来た評伝も読んだし、その前にはエッケルマンの『ゲーテとの対話』全巻も読んでいた。ゲーテは巨大な山巓で、これしきでは余りに片端だけれど、『イタリア紀行』から豊かな刺戟が得たいと願っている。

 

* こういう読書からすると、娯楽読み物というのは、( タマにわたしの手元へも届いてくるが) じつに詰まらない、くだらない。魂に、なにひとつももたらしては来ない。以前、ペンの理事会で阿刀田高さんに「エンターテイメントではいけませんか」と反問されたとき、『モンテクリスト伯』や『南総里見八犬伝』ならばと答えたのを覚えている。愛読して今もやまない『モンテクリスト伯』ですら、トルストイの『復活』と同時進行で併読していたとき、いかに『復活』の表現や描写が藝術文学として優れているか、それにくらべると『モンテクリスト伯』ですら叙事は筋追いに説明的で、大作ではあるか薄いと実感した。ましてや末輩の読み物・エンターテイメントなど屑のようだと思うしかなかった。

 

* いま、ほんとうに美味い清水だ、全身で漬かっていたいとまで懐かしい文学は、作品ゆたかな藝術はチェーホフの戯曲だと感じている。「イワーノフ」「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」と読み進んできて。底知れず寂しいのに不思議に温かくて世界がリアルに深い。

「得」の内だと自覚しているが、わたしは戯曲を読むのが、苦になるどころか、とても好き。高校の頃、古本屋でイプセンの戯曲集を、あれは新潮社の世界文学全集の一冊だったろうか安く買って愛読したが、それ以前に、谷崎潤一郎の大正の頃の戯曲をおもしろく読んでいた。『無明と愛染』など演出してみたいとノートし始めたことさえあった。

戯曲集と題した古本には手が出る。新潮文庫の一冊に福田恆存その他の代表作が六、七編纏まっていたのも古本で買い、愛読した。福田先生の戯曲はもっぱら「読んで」満喫してきた。沙翁劇もむろんのこと。観劇好きの素地である。能、浄瑠璃、歌舞伎、俳優座・昴らの新劇も商業演劇も。

息子の秦建日子は、小説、劇作・演出、テレビ脚本と多彩に活躍しているが、安いノベライズ本の多産よりも、自身心ゆく「戯曲集」を自分の力で思うままの一冊二冊にしてくれないかと内心願っている。それが後々に残る可能性が有る。そう思う。

2012 4・26 127

 

 

* ゲド戦記の第四巻『帰還』を読了、第五巻『アースシーの風』を手にしている。巻をおく能わざるファンタジー魅惑の名著、わたしの籤とらずの愛読書。ことに第五巻はひときわ構成も物語も面白い。

四月末現在、就寝前読書は体力も考慮し、計十冊に減らしているが、すぐ増えてくる。

源氏物語は宇治の「蜻蛉」巻。「栄花物語」は御堂・藤原道長の晩年に近づいている。

ゲーテの「フアウスト」第二部と「イタリア紀行」第一巻。チェーホフ五大戯曲の五作目「桜の園」。ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」は終幕へ向かっている。そしてアーシュラ・ル・グゥインの「ゲド戦記」。バルセロナが舞台の、なかなか乗って行けないカルロス・ルイス・サフォンの長篇ミステリーロマン「風の影」。

日本の現代小説は、久しぶりに辻邦生「夏の砦」を開きはじめた、さ、往年の感激が蘇るかどうか。

そして、当然にバグワンの、もう何度めだろう、『般若心経』を味読中。

 

* 一冊を読み終えたなら、べつの一冊を加える。しばらくぶりの「南総里見八犬伝」か「水滸伝」を、またル・グゥインにならぶ愛読書マキリップの「イルスの竪琴」 も、手近に用意してある。この際に読もうと願っている面白い本ならいっぱいある。やがて源氏物語が「夢の浮橋」を渡ってしまったら、手近にある「古今著聞集」上下巻か「宇治拾遺物語」上下巻にとも。

 

* 上は就寝前のと決めてある。そのほかに、二階のこの機械前、仕事部屋でもいろんな本に、休息や待機や好奇心から手を出す。唐詩選や白楽天詩鈔や漢語日暦など。詞華集など。新刊の高木冨子詩集「優しい濾過」はじめ、清水房雄さんや馬場あき子さんの歌集など。そしてときどき自分の旧著など。

外出の鞄に入れて行く、なるべく重くない嵩張らない面白くて佳い本も、ぜひ必要。文庫本を日ごろから物色していないと。

 

* 明日から、いよいよ腫瘍内科の指導のもと、制癌剤「ts1」を日に二度ずつ連用しなくてはならない。「仕事」と「読書」の楽しみを高めて喧伝されている「副作用苦」を和らげたい。

ま、どんな卦が出るのか分からないのだが。専門医である「信」先生は自分は制癌剤を服さなかったと明言されている。

ではわたしもと、そうするだけのわたしには何の確たる立場もない。立場はないが、生活はあり生命もある。自身の気概で生活と生命とを支ええられるのなら、ま、聖路加の方針を受け容れようとわたしは決めている。どんな卦が出るのかは分からない

2012 4・30 127

 

 

* 専修大の歴史学科長新井教授からお手紙に添え、「週刊金曜日」が送られてきた。「民権」研究の権威である新井さんが、「民衆憲法の普遍性」を纏めて、千葉卓三郎起草の「五日市憲法」や有名な植木織田盛起草の「東洋大日本國々憲案」や岩手県の久慈で発見された「憲法草稿評林」等々を紹介も解説もしてくださっているのが有り難い。

日本ペンクラブの「 電子文藝館」 二代目の館長を務めていたころ、「主権在民」室を設けて、こうした明治期民衆・ 民間の憲法草案などを収録展示していくに際し、その方面の著名な先生にお願いし、新井さんをご紹介願った、それ以来の久しいお付き合いである。御配慮に感謝します。「 湖(うみ)の本」 にまでお手紙の冒頭に触れて頂き恐れ入ります。

 

* 歌集『四万十の赤き蝦』を頂戴したのは、日比野幸子さん。初の歌集であるが壮絶な癌転移とのこごしき闘いを基底に、ふりしぼる力で「歌われ」ているのが、これぞ感動的に「すごい」。初めて知る「かりん」系の歌人と受け取っていたが、あとがきで驚いた、旧知の詩人で「 湖(うみ)の本」 の久しい読者である日原正彦さんの夫人であったとは。ひとしお、胸に惻々せまりくる歌の数々にたった今もかすかに身の震えを覚えている。ご平安といっそうの創作を願います。

 

* 「男」でござるの名編集長大久保房男さんの新刊『戦前の文士と戦後の文士』を頂戴した。「男」でござるとは、同音の翻訳家大久保房雄さんとの違いを諧謔されたもの。また、襟を正してたくさん叱られようと、今夜からの読書に加えます。

2012 5・2 128

 

 

* やっぱり大久保さんの新刊は、巻おく能はざる迫力で。すべて「三田文学」で順々に読んでいるのだが。それでも。

言われる通り関西には「言いたいこと言い」という批評語があるほめた物言いでは、ま、ない。しかし戦前文士の真骨頂はまさに「言いたいこと言い」であり、「言いたいこと」を遠慮無く言うべく生き、「言いたい」ことが言えぬようではグズであったと。そして彼らが言いたいように言う批評とは、すなわち容赦ない悪口であったと。わたしは悪口は言わないが、こと「文学」に関しては悪口と聞こえるほど遠慮無く「言いたいこと言い」でいたいし、そのように生きてきた。そのために、孤立というにひとしいほどの自立と独立の道を自ら選んで、文壇を出た。出たというと正確ではないか、拘泥しなくなった。自由になった。或る意味では、わたしは古い時代の古い文士気質に薫染されて作家になり批評家になった。新しい時代と新しい時代の書き物に、容易に優れた価値をいまだ見出せないのである。

2012 5・3 128

 

 

* チェーホフの「櫻の園」を万感せまる思いで読了。ル・グゥインのゲド五巻め『アースシーの風』にも、真実魅了されている。

そして、バグワンの「自殺」について語ってくれる、言葉。

 

* 読みたくなり、法然上人の、示寂前々日にみずから署名されている、わたしはそれを信じている、「一枚起請文」を此処に書き写す。世界的な宗教家の最良の信仰と慈悲とをわたしは思う。

 

☆ 一枚起請文   源空法然

もろこし我朝(わがてう)にもろもろの智者たちのさた(沙汰)し申さるる観念の念にもあらず。また学問をして念の心をさとりて申す念仏にもあらず。ただ往生ごくらく(ごくらく)のためには南無阿弥陀仏と申してうたがひなく往生するぞとおもひとりて申す外には別のしさい(仔細)候はず。ただし三心四修と申す事の候(さふらふ)はみな決定(けつぢやう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞとおもふうちにこも(籠)り候なり。このほかにおくふか}(奥深)き事を存ぜば二尊(=阿弥陀仏・釈迦仏)のあはれみにはづれ本願にも(漏)れ候べし。念仏を信ぜん人はたとひ一代の法をよくよく学すとも一文不知(いちもんふち)の愚鈍の身になして尼入道の無智のともがらに同(おなじう)して智者のふるまひをせずしてただ一向(いつかう)に念仏すべし。

為証以両手印 (証の為に両手印を以てす)

浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存このほかに全く別義を存ぜず。滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢(をは)んぬ。

建暦二年正月二十三日      源空

2012 5・4 128

 

 

十時半。もう、やすもうと思う。テレビは、少しも観たいと思わない。作品豊かな優れた文章に出逢えているほど幸せなことはない。 2012 5・5 128

 

 

* 五時。おもいきって入浴し「ゲド」を楽しんでから、夕食にしよう。六時の『平清盛』を観よう。

2012 5・6 128

 

 

* 電車に乗るといつも座席を譲って貰える。よほど五体に生気を欠いているのか。

マキリップの『イルスの竪琴』上巻へ、すうっと入って行く。「ゲド」の多島海やゴント島ももそうだが、「ヘドのモルゴン」の世界もわたしには故郷のように思える。

もう一冊、昭和三年の初版で、十一年に五刷の岩波文庫、ツィンメル著『カントとゲーテ』も持って出て、読み始めた。翻訳した谷川徹三の日本語がギクシャクしていて決して読みやすくない。

2012 5・7 128

 

 

* 『ジャン・クリストフ』を投げ出さず読み進んできたのは、堅苦しい文明論等の演説はともあれ、具体的な人間関係の機微を書く見事さと、翻訳の確かな筆致に魅されるからで。開巻このかた多くの出逢いと別れがクリストフにあった、その一つ一つに一期一会の重みが精微に書き取られている巧さに感嘆して読んできたのである。

辻邦生さんの『夏の砦』に乗りかねている。作者にはネイティヴな日本語で書かれていながら、佶屈とした翻訳調であり、それが必要以上の過度感のまま気障になる。辻さんの後年晩年の作に感じ始めていた不満が、あんなに感動して読んだ初期の代表作に実はもう露骨に現れていたのかと胸を衝かれている。それは「読者」としての私の未熟でもあったのだ。しかし感動したのだった「夏の砦」にも「廻廊にて」にも。後者も読み直してみよう。

ゲーテの『イタリア紀行』の出だしの瑞々しい高揚。翻訳とは思われない。チェーホフの『森の主』も。定評を得ている翻訳の達人の物は、ときに日本人の書いている日本語作品よりも瑞々しい。

2012 5・8 128

 

 

* 昨日、亡き三原誠さんの一冊を鞄に入れて出た。三原さんの小説はわたしの「e-文藝館・湖」に『ぎしねらみ』『白い鯉』『たたかい』の三秀作を掲載しているが、もう一つでも二つでもと思う恋ほどの愛着で遺著を拝借したまま歳月を経ている。そのうちの『愛は光うすく』という長篇を電車や外来の待合いで読んでいた。

そろそろ本を奥さんにお返ししなくてはと思い思い、つい未練にまた読みたい、もう一度読んでみたいと手元にお預かりしている。そういう気持ちになる物故作家として、三原誠と、『風呂場の話』『赤いたい』『狐火』『誕生日小景』などの門脇照男とが忘れがたい。日本列島は、こういう堅実な書き手を埋蔵していたのだ。今も、と思いたい。

2012 5・9 128

 

 

* ゲーテの『イタリア紀行』相良守峯訳にも魅されて、小説でも自伝でもない「旅日記」というあまり触れてこなかった分野の文藝美を嬉しく味読している。そして『フアウスト』も。

今は、海外文学に惹きこまれている。ゲーテ、チェーホフ、ロマン・ロラン、ル・グゥイン、マキリップ。比べては気の毒かも知れないが辻邦生、三原誠両氏の小説は、たまたま今読んでいる作にもよるのだが、物足りない。大久保房男さんの文壇談話も新味は薄い。『源氏物語』手習の巻、そして『栄花物語』はいよいよというか、御堂関白藤原道長逝去の章に。これはもう。流石と言うしかない。

そして、バグワン。正月以来のあれこれでバグワンに触れてもの言うことも遠のいていたが、家にいれば毎日毎夜欠かさず耳を傾けている。

2012 5・11 128

 

 

* 五時に目覚めてしまった。そのまま本を読み始めて、七時。『フアウスト』を三度め、読了。大久保房男さんの『戦前の文士と戦後の文士』も読了。亡き三原誠さんの『愛は光うすく』も読了。九十五歳歌集、 清水房雄さんの『汲々不及吟』も読了。

もうほどなく、チェーホフ六大戯曲も、源氏物語五十四帖も読み終える。次々にまた別の作品をえらんで楽しむ。柳暗花明という気持ちである。

南宋、陸游の詩「山西の村に遊ぶ」に、こう、ある、「山重水復 路無きかと疑ひ 柳暗花明 又た一村」と。

2012 5・15 128

 

 

* 「図書」「波」「本」「春秋」「ちくま」など出版社の宣伝誌がある。出版社でない丸善の「学鐙」は最古のそれである。「春秋」には二年、「学鐙」には三年も連載して、『花と風』『一文字日本史』が出来た。企業宣伝誌は、カラフルな大判が多い。みな苦心の編輯で、読むヒマさえあればなかなか面白いだけでなく、資料的に有益な記事にもしばしば出会える。そういう出版物がこれほど世間から遠のいているわたしのもとへ今も途切れず送られてくる。使いようでは宝の山である。

いまも吉川弘文館の「本郷」最近の一冊を手にしたら、藤井穣治氏の「参内しなかった信長」にいきなり出会った。この場合の「参内」は天皇と対面し三献の儀を伴う正式を謂うのだが、将軍儀昭も、秀吉も、家康も生涯に繰り返し参内しているのに、右大臣右大将にまでなった織田信長には一度も参内を証する史料がない。なぜか。

天皇が会わなかったか。信長にその気がなかったか。どうも後者のようであるというのが藤田氏一文の主旨になっている。実質的に天皇より上位に信長は身も意識も置いていた形跡がつよく、そこに彼の独自の「政権構想」が推測できるようだと。そこまでで藤田氏の短文は終えている。

ところで日本人は久しく閉塞された史観に支配されていた。政治的には天皇制があらゆる出世の頭を打ち、思想的には末法末世の到来という行き詰まりがあり、経済的には土地・領地・私有地に依存しながら海に囲まれて寸土の増加も期待できない。上昇史観の生まれる余地がなかった。

信長は、その行き止まり史観を突き破り、はじめて西欧を含む「世界」に希望をもち、耶蘇天主教に目をひらいて仏教の末法意識を克服し、おそらくは秀吉に引き継がれた海外の土地占領と領土拡大へも展望を持ったに相違ないと思う。

そういう史観革新を意図していた信長からすれば、ルイス・フロイスらに高言・広言していたように、「予が国王であり、内裏(天皇)である」という思いがあったのだろう。参内を敢えてしなかった真意は藤井氏の推測が当たっているとわたしも思う。

2012 5・20 128

 

 

* 機械の前でする「仕事」が、幸い一つ二つではない。一つをやすみたくなれば、もう一つへ気持ちを振り向けてそれをする。次へ次へ。そして元へまた戻る。「読書」も同じように出来る。薬の影響からわたしをかすかにも救い出せるのは「仕事」「読書」と予想していた、その通りになって行く。飲食がアテにならず、気の晴れる芝居は、だが好きなときいつでもとは行かない。最寄りのターミナル池袋へ出て映画館に入るのはどうだろうかな。

家には、もう古いビデオテープの録画映画が、テープのままのも板にしたのも含めて三百作ほども在る。それほどわたしは映画も好き。それらを「全部」観るという気晴らしもあるのに気が付いた。そのために古いシステムのままテレビが一台茶の間に残してある。名案では無かろうか。

2012 5・21 128

 

 

* 夕食も進まなかった。それでも食べねばならぬ。朝とともに夕食後にも三カプセルの抗癌剤はかならず飲まねばならない。食べておかねばならない。

服薬、すぐ二階へ、仕掛かりの仕事に。

これから入浴、五冊ほどの本を持ち込む。濡れても障りの少ない本をいつも用意している。湯に漬かっているときは、なにとなく腹部もふくめ全身が、ラクな気がする。

 

* 浴室を明るくして、本を読み、出てきた。

2012 5・21 128

 

 

* チェーホフ六大劇の一冊を読み通した。「イワーノフ」「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「櫻の園」「森の主」。中の四つは舞台も観てきた、繰り返して。二十数冊ある全集の一冊ではあるが、チェーホフの偉さと魅力とを凝縮して余りある。すばらしい寶もののようなご馳走をしみじみ戴いた。ありがたい。

 

* 少し先だってゲーテの『フアウスト』三度目を読み終え、いまもなお反芻しつづけている。悲壮詩劇であることをしっかり念頭に、舞台を観るように各場面を読み進んだ。そのために前二度の読書から、格段に場面場面具体的に観賞を深め得た気がする。大津波にのまれたような被圧倒感を味解したかのような、 興奮。

それだけでなく、胸に食い入ってくる生きた言葉・科白の迫力、それが無数に働いている。「名言集」が独自に編まれるのが、当たり前だと思われる。

まだ「開幕前」の「劇場での前戯」からして津々の興味と刺戟に溢れている。劇場の「座主」と、作者をしめしている「詩人」と、俳優達を代表したような「道化役」との、いわば本音の討論だ、これが、敢えて謂う、「凄い」バトルトークなのだ。この部分だけは森 外の訳で「 e-文藝館= 湖(umi)」に掲載している、「秦組」 座長で作・ 演出家でもある秦建日子など、必読の場面である。たとえば、彼らはこんなことを喋っている。(佐藤通次訳)

○ 連中(= 客)は、べつに最上の物を見慣れているわけではない、だが恐ろしくたくさん読んで(知って= )いるのですな。〔座長〕

○ 上光りするものは、ただ瞬間のために生まれ、真正のものだけが、後の世まで残るのです。〔詩人〕

○ 大勢をこなすには、嵩でゆくほかはない、そうすれは(客は= )銘々が、けっきょく何かしらを捜し出します。〔座長〕

○ 数を多く出してやれは、(客は= )選り取り見取りというわけです。〔座長〕

○ すでに完成した人間には、何をしても気に入らないが、生成の途上にある人間は、いつも有り難がってくれるものです。〔道化役〕

○ 言葉のやりとりはもうたくさんだ、この上は実行を見せてもらいましょう!〔座長〕

○ 今日やらぬ事は明日だってできはしない。〔座長〕

 

* ゲーテが、主役である「フアウスト」や悪魔の「メフィストーフェレス」あるいは「主である神」らを通してさまざまに深い洞察や警告や認識には、読みかつ聴きながら胸を連打される。ごくごく始めの方の、悪魔と神との対話が凄い。

○ (人間共は= )どの掃溜にもすぐと鼻を突っ込むのですよ。〔メフィスト〕

○ 人間は努力するかぎりは迷うものだ。〔主〕

○ 善い人間は、よしや暗い衝動に促されても、正しい道をしかと心得ているものだ。〔主〕

 

* ゲーテの大きさが、浸透し発露した言葉だ。

こういう共感や心服のときのわたしは、まるで少年、青年のよう。嗤う人もあろうが、わたしは今も少年でありたく青年でありたい。

2012 5・22 128

 

 

* 『ゲド戦記』第五巻を読了。終幕ちかく、二度ほど、ぐっとこみあげるものがあった。この巻はまともに生死を主題に、命あるモノたちの根深い尊厳をみつめている。つねのファンタジイとは、よほどちがう。次回「湖の本」112とも親密に交叉する、あるいは噛み合ってくる。

2012 5・23 128

 

 

* 折口信夫全集から第十七巻をぬいて枕元の本棚に移した。二日前から巻頭の「日本藝能史序説」を読み始めた。この巻、五百三十頁ほど。六十ちかい論攷が収めてある。すべて「藝能」考。読み通すのに、さ、一年かかるかも知れない。それは、 この際むしろ心強い。興味津々、のめり込むのは目に見えているので、もう少し早く読み終えて次巻に進むかも。

大道藝能としての松拍( まつばやし) から、いま舞台藝能としての猿楽能へ進んでいる。

 

* カルロス・ルイス・サフォンの『風の影』が文庫本の下巻に入ってから俄然おもしろくなってきた。読み終えたらもう一度上巻からしっかり読み返したい。

少年のむかし、『嵐が丘』に三度も五度もはねかえされた。読みづらかった。だが読み通してみて真実感動した。いまでも西欧の小説の十作のうちに入れたいかも知れない。そういうことがあるので、読書は、一つには辛抱づよく向かわねば。熱狂的と評判されたわたしの或る読者は、たしか『風の奏で』であったか、あまりにむずかしく、癪にさわって「壁に投げつけた」と聞いた。それが、読み通してみて今度は痲薬のようにとりつかれたと。繰り返し同じ作を読んでいると、自然に印象も動く。好い方へ方へ動くのも、案外に以前の感銘から褪めてしまうのも、ある。今、わたしは辻邦生の『夏の砦』の案外なのに白けた気分で居る。異なる何人かの「語り」が、文体的にみないっしょくたで、男だか女だか、誰が語っているのか分からなくなったりする。観念が先行しすぎているのか。

 

* 『フアウスト』には、読了後にさらに百頁を越す附録が付いていて、それも、克明に読んでいる。いわば魂の栄養のような名作を、より美味しく賞味したいから。「活用せぬ物は、ただの重荷にすぎない」とフアウスト博士は言う。

 

* 歌集句集詩集、あいかわらずよく贈られてくる。できるだけ読んでいる。

2012 5・25 128

 

 

* 夕食、進んでは食べられなかった。

土佐の出の原知佐子が土佐の「文旦」を送ってきてくれた。いま、柑橘類を食べやすく妻が皮を剥いてくれたのが、口に入りやすい。大きな西瓜も入りやすい。冷えて水分に富んだ果実が、ジュースのように口に馴染んで潔い。肉や焼き魚などが馴染まない。濃厚なスープなどを受けつけない。かと思うと久しぶりのカレーを一昨日は一皿なんでもなく食べられた。これだから、要するに、分からない。

 

* 入浴は、いい。水圧で腹を圧してくれるのか。本を読むのがいいのか。

いよいよ『南総里見八犬伝』の再読に入ることにし、その前に高田衛さんに戴いた『八犬伝の世界』という大冊を道案内に読み始めた。前回は、さ、何年前か、ただもう物語の面白さに惹かれてずんずん読み進んだが、すこしは大作の世界地図を心得ながら楽しみ楽しみ読もうと思う。ほどよい時期になって『水滸伝』も併行して楽しむ気で用意してある。

2012 5・25 128

 

☆ HPから

御様子を推察する日々です。( 抗癌剤の=)副作用による苦しさは、幸いなことにあまり顕著ではないのでしょうか。

仰向けになった時、胃のあった辺りが凹んでいると書かれていました。そうだろうと自然に納得しつつ、その状況がやはり大変なことなのだなあとため息しています。とにかく負担なく吸収できる栄養のあるものを摂取して元気になってください。

今日の「生老病死」に関する記述に、淡々として、同時に深いものを感じました。

こちらの日々はあまり変わりなく過ぎていきます。手指の痺れ痛みは治りません。医者にも行きましたが原因は分かりませんと。めげず日常の仕事をこなし、日本画の教室にも通い始めました。

サフォンの『風の影』面白くなってきたと書かれてあったのを読み、ひそかに嬉しい、です。

わたしは今マルグリット・ユルスナールの自伝的三部作のうちの『北の古文書』という本を読み進めています。彼女の『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』などは以前興味深く読んだので、図書館で三部作を見つけて借りてきました。ここの図書館は、以前の小さな町の図書館ほど充実していないのが残念ですが、当面は所蔵の本だけでも足りて既に読み切れていない状況ですから、あまり文句も言えません。

娘の就職の件もほぼ決まりそうです。

これからは夏らしくなり、ややもすればお体に負担がかかります。くれぐれもご自愛くださるよう。  鳶

 

* 「鳶」からは、数えきれぬほど本をもらっている。近くは『指輪物語』などたくさんなファンタジーを。その中に『風の影』もあった。読み進むに連れ、あ、これは鳶が好きそうな作だ、わたしにも読ませたかったんだと察しがついた。詩集を仕上げ、繪を描き、西欧へも東洋へも盛んに独りで旅を重ねてきた人だ。以前には『南総里見八犬伝』も『水滸伝』も、『メリー・スチュアート』や『ドン・キホーテ』や『本朝水滸伝』なども、みな、わたしが興味を示すと、探し出して送ってきてくれた。厚意に、すべて甘えている。わたしからは、何一つ、してあげていない。

打てば響くように、今日書いた日乗にも言葉を添えてくれている。

2012 5・26 128

 

 

* 近年ときどき気づいては手をかけているのが、辞典や愛読書の表紙の傷み。バグワンなど頁までグサグサになってきた。高校頃にかった角川文庫の『般若心経講義』など全面がバラバラになり、活字の劣化もひどい。それでも手近なガムテープで体裁かまわず貼りボテにしてやはり愛用し愛読している。

本の整理をいくら考えても、進まない。進むわけが無く、愛おしいほどの本ばかりが残っているのだ。それが書庫の床にまで積み上がり、各部屋にあふれ出し、階段にも廊下にも。で、整理しなくてはと手に取れば、つい立ったままで読んでいる。結論はいつも「置いとく」である。階段を上がって機械部屋への廊下窓側に、文庫本新書版専用の書棚が三つならんでいるが、通りがかりに習慣的にいくら立ち読みしても処分したいただの一冊も容易にみつからない。もう、家中のこういう有様そのものが「わたし」なんだと思える。大事にしてきた本を処分する謂うことじたい、吾が指の爪を剥ぐようなものだと思える。整頓すら出来なくて乱雑をきわめているのが謂わばわが体温や体臭や脈拍のような物なんだと愛情を感じられるようになってきた。この機械部屋のものの錯綜した乱雑さが、こころもち安穏感にすらなっている。こういうところまで歩んできたんだと思えるようになっている。

2012 5・28 128

 

 

* はやめの夕食の後、第一回最終の「ts1」服用を終え、しばらく横になり、十冊ほどの本を少しずつ読んだ。

源氏物語「手習」巻では浮舟が妹尼の不在のうちに比叡山をおりてきた兄僧都にせがんで尼になった。僧都の妹尼は亡き娘のよみがえりのように浮舟を愛おしんでいたが、娘の夫であった中将が浮舟をみそめて求愛してきていた。僧都以外のだれもが望ましい縁と思っていた。浮舟は切羽詰まっていた。僧都のモデルは恵心ともいわれているが、推測の域を出ていない。この僧都を介してまずは明石中宮が浮舟の存命を察して、薫大将に耳打ちするのである。

栄花物語は、全盛の御堂関白道長が亡くなり、ちょうど光源氏雲隠れのあとだれしもの虚脱感にちかいさまが語られている。

折口博士の藝能史概論は、大道の藝、庭の藝についで住まいの上での藝「饗宴・うたげ」を説いて間然するところがない。

藤原定家の後鳥羽院熊野詣で随行記は、まことに、御苦労さんなことである。

バグワンの『般若心経』は、エゴを幾重にも深く説き明かし、迫るように胸のけぞらせる。

ゲーテの『イタリア紀行』は、さながら著者と倶にいましも北イタリア、パノヴァの地に滞在し、彼ゲーテの生き生きとした感想に聴き入りながら楽しみを増しつつある。

ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』は、ああ、あ、理想的な心妻のグラチアに死なれてしまった。クリストフ、水を打ったように静かに坐して動かない。超大な長篇小説が輝いてうねるはるかな道のりとなって胸を打つ。

パトリシア・マキリップのこれも長篇『イルスの竪琴』のすばらしさ、面白さには言う言葉がない。何度目だろう、もう十度も読みまた読んできたと思う。わたしには故郷ほど最良の他界である。

辻邦生の『夏の砦』には意外にもまだ乗って行けない。こんなにも文章が硬直していたとは。

 

* さて入浴して、サフォンの『風の影』と高田衛さんの『八犬伝の世界』を堪能してきたい。

2012 5・29 128

 

 

* 『フアウスト』劇の主なる神は言われる。

人間の活動はともすれば弛みがちになる、

人は得てして無制限に休息したがるものだ。   と。

2012 6・1 129

 

 

* フアウスト博士の嘆き

かつては空想が、大胆な飛翔で、

希望ゆたかに永遠をめざして拡がったのに、

幸運が一つ一つ「時」の渦巻の中で挫折すると、

狭い空間にせぐくまるようになる。

その時すぐと胸の奥に「憂い」が巣くい、

そこにひそやかな痛みの種を蒔きながら、

不安げに身をもがいて、悦楽と安静とを妨げる。

「憂い」は絶えず仮面を改めて現われる、

 

お前は到来もせぬものを恐れておののき、

失いもせぬものを惜しんで泣かねばならぬ。

 

* 佐藤通次氏の訳は読みよい。が、ゲーテは全てを「詩」として書いている。その詩たるすばらしい表現にこそ『フアウスト』の文学として思想としての魅力が慕われてきた。それを忘れてはならぬ。

2012 6・2 129

 

 

* フアウスト博士の嘆き

ああ、精神の翼に、たやすくは

肉体の翼が伴わぬとは!

しかし、吾々の頭上高く、紺碧の空間に没しながら

雲雀がさえずり歌うとき、

そびえ立つ樅の梢の上空に

鷲が翼をひろげて舞うとき、

また平原や湖水の上を

鶴が故里を慕って翔るとき、

人の感情が、上へ、前へと迫るのは、

だれにも生まれついた本性なのだ。

 

おれの胸には、ああ、二つの魂が住んでいて、

その一つが他の一つから離れたがっている。

一つは、たくましい愛欲のうちに、搦みつく

器官でこの世にしがみついている。

他の一つは、無理にもこの塵界を去って

気高い先人の霊域に昇ろうとする。

 

* 「二つの魂」は『フアウスト』劇の重要思想の一つとみられる。

よくよく思えばわれわれにも、わたしにも、同じ嘆きが在る、明白に。

ゲーテはワイマール公国のいわば宰相でもあったが、突如としてイタリアへの永い旅に事実上失踪する。

イタリア それがそのときゲーテには「上へ、前へ」の衝動であり「無理にもこの塵界を去って 気高い先人の霊域に昇ろうとする」気魄であったろう。『イタリア紀行』はいまようやくヴェニスに着いたところ。生き生きとはずむゲーテの魂のことばが躍動している。わたしはそのゲーテの肩にのせてもらっている。

 

* その一方ではテレビで、各党の党首が混迷して何も決められない脆弱な政治を語っている。混沌。混迷。吐き気がする。

2012 6・3 129

 

 

* 一時半予約の感染症内科へ、二時間前に病院入りし、血液と尿の検査後、二時前まで辛抱よく外来で『風の影』上巻を読んでいた。疲れると、神坂次郎さんにもらった文庫本『藤原定家の熊野御幸』で気を換えて。

古川先生、文学にお気持ちのある先生で、このまえ謹呈した『死なれて・死なせて』に「感動」したと。今日は湖の本創刊の定本『清経入水』を謹呈。

二時過ぎて聖路加を出て、気も定まらず丸ノ内線で池袋へもどってしまい、パルコの上へあがって、さほど乗り気でもなく「三笠会館」レストラン」に入り、ビールで鶏の唐揚げ三つ、そして180 グラムのハンバーグを注文。食べるには食べたが快食とはとても行かなかった。病院を出るまでは手術以降かつてなく心身軽快だったが、食事で、全身どんよりとしてしまい、レストランを出たときは目の前が白いほど貧血ぎみ。わけが分からない。

逃げるように保谷まで。ぐたりと車内で睡かった。いつものようにタクシーで家にたどり着いた。

 

* サフォン『風の影』は十分に面白い。上巻へぐいぐい惹き込まれている。これだから、「佳い本ほど読書は二回目からが始め」だと思う。

 

吾々の見慣れたことだが、とかく人間は、

自分の理解せぬことを嘲り。

自分にとって煩わしいとなると、

善や美に対してぶつぶつ言うものだ。

 

「太初にコトバありき!」

ここで、もうおれはつかえる!

おれはコトバをそう高く評価することができない。  フアウスト博士

 

* 懸命に書いて語っている者なら、「コトバをそう高く評価すること」に深い躊躇いがある。だからこそ表現しようとする。

2012 6・4 129

 

 

* 高田衛さんの『八犬伝の世界』に先導してもらいながら原作『南総里見八犬伝』を、再び、読み進むおもしろさ、こたえられぬ。

マキリップの『イルスの竪琴』は読み進むのが惜しいほど。すみずみまで読み馴染んでいながら、新鮮な深い呼吸を楽しむようにヘドの領主モルゴンの旅にわたしも同伴している。

トールキンの永い永い『指輪物語』ホビットらの旅にも同行しはじめた。

同じ旅でも後鳥羽院熊野御幸に随伴の藤原定家の旅は、気の毒なほどの重労働。著者神坂さんの筆致にいまいち深みがない。

それに比べゲーテの『イタリア紀行』の充実して悦ばしい旅日記の豊かさは、はかり知れない。いまヴェニスに滞在しゲーテの自由な精神と視聴覚の健康な働きに、わたしまで浮き浮きする。浮薄な観光でなく、全人的な歓びに批評が加わって、旅人ゲーテの大いさそれ自体が輝いている。

紀行というのは、たいがいの場合、書き手の狭い硬い薄い垣内に自己満足だけが囲い込まれているものだが。さすがゲーテ。

* もうやがて、『源氏物語』と『ジャン・クリストフ』とを読み上げる。前者はもう二十度ほども往来した、故家への愛着。後者は初めて見参した小説世界。じいっと堪えたまま読み通してきた永い永い旅路であったが、いま、感銘を受け共感を深めて、愛しみ惜しむように終幕へ近づいている。

栄花物語は、道長逝去後のなんともなく気落ちした後一条時代を眺めている。辻邦生さんの『夏の砦』にはまだ乗って行けないで居る。

 

* 折口信夫の日本藝能の史的考察の、豊饒かつ精微なおもしろさは、限りない。これから「狂言」にふれた論攷へ入って行く。

そしてバグワンの『般若心経』の類のない読みのつよさ、深さ。韋編三度び絶つと謂うが、もう手に持って読んでゆくのが難儀なほど本がぐさぐさに潰れている。それでも手放せない。

2012 6・5 129

 

 

* 好天のもと歯医者を無事に終え、どこへも寄らず、強い日ざしに疲れながら帰宅。遅い昼食が、食べられこそしたが、腹にもたれて、疲労を加重。しばらく横になり、「八犬伝」を少し読み、『源氏物語』夢の浮橋をとうどう渡り終えた。ほぼ二十度めの読了である。

その以後は、「 湖(うみ)の本」 112の発送作業に。シルベスタ・スタローンの「ロッキー・ザ・ラスト」と、スチーヴン・シュピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」とともに。前者は「ロッキー」シリーズの最良作と思っている。後者は、おそろしい。人間は、傲慢にも造ってはならないものを、時に造り出して人間自身を破滅の恐怖へ誘い込む。原水爆もそうなら、原発もそうだ。「ジュラシック・パーク」には明瞭にその警告がある。

2012 6・8 129

 

 

* 昨八日、サフォンの『風の影』上下巻を読了した。バルセロナという都市はこんなかと想像しながら、そこで暮らしてもう久しい卒業生のことをよく想い出した。とくべつ文学的な感銘作というのでなく、しかし終盤まで巧緻に組み立てた、なかなかの労作。

もうやがて超大作の『ジャン・クリストフ』も読み終える。視力がとみに落ちこみ仕事半ばに目先が霞むこともある。新しい本を次々枕元へ積むのは控えようと思っている。

2012 6・10 129

 

 

* 久しくバグワンに、日乗、触れてこなかった。バグワンに見参しない日など一日も無かったのだが、なにしろ二度の入院の前後に、無理をして杜撰なことは避けたかった。

暮れ以来ずうっと読んでいたのは、『般若心経』で。なまやさしい相手でない。万巻の仏典の「芯=心」を成す根本経の筆頭格である。バグワンは透徹している。

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

”麗しく,また聖なる

知恵の完成者に礼したてまつる”

”聖なる観自在菩薩は彼方に至る知恵を究めつつあったとき、彼が高みから見おろすと、目にはいるのは五つの蘊まりばかりであり、それらも実態は空であることを看破した。”

 

Homage to the  Perfection of Wisdom,

the Lovely,the Holy!

Avalokita ,the Holy Lord and Bodhisattva ,

was moving in the deep course of the Wisdom

Which has gone beyond .

He looked down from on high ,

He beheld but five heaps,

and He saw that in their own-being

they were empty.

上より′サンスクリット語(ローマ字表記)日本語、英語訳

 

おまえの内なるブッダにごあいさつします

 

おまえはそれに気づいていないかもしれない

おまえはそんなことを夢に見たこともないかもしれない

自分がひとりのブッダであるなどとは

誰ひとりとしてほかの何ものでもあり得ないなどとは

ブッダフッドこそまさに自分の実存の本質的中核であるなどとは

それは何か未来に起こることではなく

もうすでに起こってしまっているなどとは――

 

それはおまえがやって来たまさにその源なのだ

それは源であり

そして目的地でもある

われわれが動きだしたのがブッダフッドからであれば

われわれが動いてゆく先もブッダフッドだ

”ブッダフヅド”というこの一語が一切を含む

アルファからオメガまで

完結した生のひとめぐり――

 

ところが,おまえは眠りこけている

おまえは自分が誰かを知らない

おまえがブッダにならなくてはいけないというのじゃない

おまえはただそれを認識しなければいけないだけだ

自分自身の源に戻らなければいけないだけ

おまえ自身の内をのぞき込まなければいけないだけなのだ

自分自身との直面が

おまえのブッダフッドを明かすだろう

 

<自分>が悟ったなどということはない

人が悟る前に、その<自分=私>は落とされねばならない。

 

人間は芽生えつつあるブッダ(仏陀)なのだ

芽はち」ゃんとそこにある

それはいつ何どきでも花咲き得る

それはすでにそこに、お前の内にあるのだ!

これは仏教のメッセージのまさにハートそのものなのだ。

 

おまえのハートの中に

自分はブッダであるということをしっかりと据えなさい

おまえはそれを全面的には信じきれない

それは自然なことだ

それでも、それをそこに置いておきなさい

もう少しの覚醒が必要なだけ

もう少しの意識が必要なだけで、<寶>は其処に在る――

 

悟ろう悟ろうとするおまえたちの一切の努力は愚かしい

おまえはすでにブッダなのだ!

これが正しい出発点だ

 

* 駄弁を付け加える何も、 無い。二十一世紀平成の私の、心より頷くように、たとえば十二世紀千載和歌集の歌人達も、朧にであれ身に沁みてこういう教えを常に聴いていた。しかもなお彼らも私も、其処からまともに半歩一歩も踏み出せなくて立ちすくんでいる。 2012 6・11 129

 

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

露のしずくが大海に消え失せたとき

分離をなくしたとき

もうおまえがそれ以上<全体>と争うのをやめたとき

自分を明け渡し、<全体>と一緒になり

もうそれ以上それに対立しなくなったとき

おまえは、ひとりのブッダとなる

 

自然と一緒になりなさい

けっしてそれに対峙しないこと

けっしてそれに打ち勝とうとしないこと

けっしてそれを征服しようとしないこと

けっしてそれを負かそうとしないこと

 

部分が全体を負かすことはできないのだから

ひとつの波が大きな海をのみこむことはありえない、それは逆様だ

なのに、おまえたちはそれほどの無謀を可能かのように夢見る

それだから、みな、ひどい欲求不満になるのだ

 

もしおまえが、よろこんで折れることができたなら

それは<明け渡し surrender >になる

それはもう負けではない

ひとつの勝利だ

おまえという一つの波は海と一つになって、はじめて勝利できる

海と対立してはできない

覚えておきなさい

海は、全体は、自然は、神は、おまえを負かそうなどとしてはいない

おまえが負けるのは、おまえが海、全体、自然、神と無用に闘うからにほかならない

負けたいなら闘うがいい

勝ちたかったら、明け渡しなさい

これはパラドックスだ

折れる用意のできた者が勝者になる

敗者だけが真の勝者になる

 

おまえが大海や大自然や神など<全体 whole >と一つになれれば

おまえはそれと一緒に脈打つ

おまえはそれと一緒に踊る

おまえはそれと一緒に歌う

聖なるものの無意志

2012 6・13 129

 

 

* 夜前、ついに超大作のロマン・ロラン作『ジャン・クリストフ』を読み終えた。いつ読み始めたか知れない、毎日読んでいて、二年もかけたのではないか。一人の、「じつに人間的な藝術的・音楽的人間」の生涯を、独仏伊の文明批評と多彩な人間関係とともに豊饒な、ほとんど饒舌にも間近な健筆で描ききっていた。

彼クリストフをかくも意志的に豊かに生かし得た根底は、母や父や叔父や、またかけがえない友や、堪らない敵や、さらには何人も何人もの女性達との悲喜こもごもの愛の出逢いであった。読み終え、印象に残って揺るぎないのは、それである。そして最期の、かつて書かれたことのないような臨終の美しい静かに昂ぶる音楽的な昇華。

ジャン・クリストフこそは不屈の「藝術家」であり、それ以上に圧倒的な「人間」であった。それを書いて顕したロマン・ロランも大きな藝術家であった。胸に刻んだたくさんな好い言葉が、優れた表現が、無数に在る。わたしは、鞭打たれる心地でそういう生きて光った言葉を聴き続けてきた。

それにしても長い長い長い大長編であった。トルストイの『戦争と平和』など長さなど嘆じたことがない、悦ばしい気持ちのまま読み始めていつしかに読み終えた。『源氏物語』もそうだ。だが『ジャン・クリストフ』は、あまりに長かった。

 

* どういうクリストフに、わたしは共感していたか。

 

☆ 「魂の孤独にたえながら藝術の、政治の、宗教のどの党派にも全く加わらず、どの人間的グループからも独立して生きていられる」クリストフ。

これはわたし自身が七十六年かけて「理想」とし「実現」してきた姿勢だ、まだ不十分にしても。

彼クリストフは言い続ける、「君らは一つの秩序を欲しがっている。そのくせそれを自力で作り出すことができない」「自分の足だけで前に向って歩きたまえ!」「君の根を大地の中におろすがいい。君の緒法則を発見したまえ。君自身の内面を探求したまえ」「君は自分の前進のためには、君の肩に家畜に対してするように番号のしるしを附ける一人の主人をもつことがどうしても必要なのかね?」  ほとんど、わたしの願いや思いを代弁してくれている。自律した藝術家には、これがほんものの生き方なのだ。

 

☆ 「自分のほんとうの考え方とは別な考え方を装って隣人に似ているように見せかけたり、隣人に遠慮してみたりしたところでそれが何の役に立つか? それは誰にも役に立たずにしかも自分を破壊するだけのことだ。第一の義務は、ありのままの自分自身であることだ。『これはいい。これはよくない』と言えるだけの勇気をもつことだ。弱い人々に見ならって弱くなることによってよりも、人間は自分が強くあることによって、弱い人々に対していっそう多くいいことをする結果になる。既になされた弱点に対してはできるだけ寛大であるがいい。しかしまだなされてはいず、そして、それがなされることは弱点(=悪・政治暴力)にほかならぬようなことについては常にきびしくあれ!」

 

☆ 「アラビアのあのことばをもう一度思い出そうではないか――<実を結ばない樹々を人は苦しめもしない。梢が金いろの果実を冠のようにかぶっている樹々だけが石を投げつけられる――>」

「老人どもは若者らのところへ学びに行くべきだ! 若者らはわれわれから学んでわれわれを利用した。そして彼らは恩を知らない。これは正当な順序なのだ! ……しかし彼らは、われわれがしてきた努力の成果に養われてわれわれよりも更に先へ進み、そしてわれわれにおいては試みであったことを彼らが実現する。

われわれの腕によって開拓された勝利の道をわれわれの息子たちが前進して行く。」

 

* 息子は、聴いているかしら。

 

☆ 恋にも友愛にも性愛にも当たるこんな美しいことも、クリストフ=ロマン・ロランは言っている。

「愛し合う二つの精神の玄妙な融合。両方が、それぞれのもっている最も善いものを相手から奪い取り、しかし奪ったそのものを、結局は愛情を添えて相手に返し与える」と。

「二つ」が「一つ」になりうる核心を謂うている。

2012 6・14 129

 

 

* 『ジャン・クリストフ』を読みおえたところで、就寝まえの読書冊を自然に減らそうと思っていたのに、すぐさまチェーホフ全集から二冊ある書簡集のⅠを引き抜いてきた。このチェーホフ書簡は、妻に宛てた夥しい手紙が赤裸々に微笑ましくあけひろげで楽しいのである。チェーホフという藝術家は、ただただ、人としても懐かしい。

2012 6・14 129

 

 

* 心親しい詩人の布川鴇さんが、詩誌「午前」を創刊したと知らせてみえた。創刊の辞になみなみならぬ決意も覚悟もうかがわれる。布川さんの「編集後記」を紹介しておく。

 

☆ 編集後記

いよいよ 「午前」 は出発する。

創刊にあたり、昭和十三年当時、立原道造から直接同人として誘われたお二人、杉山平一氏と山崎剛太郎氏からお言葉と詩作品が寄せられたことは、大変有り難く、なおご健在で文学に向っていらっしゃることを知ってうれしい。

「午前」 という名称の由来により、また、編集人である私の個人的な関わりにより、創刊の辞を、立原道造の名から始めることになったが、「午前」 は立原に始まって、立原を語ることで終ろうとする意志はない。立原は未見の夢を残してこの世から去った。その夢には未来への架橋となる期待があったはずである。死後七十三手経ち、大きな戦争をくぐり披け、彼にとっての未来だったその時代を私たちは生きている。過去に出合ったことを重ねながら、遙か前方をみつめなけれはならない。

昨年の東日本大震災以降、言葉の意味が激しく問われているが、どんな時代にもそうであったように、私たちは私たちの意思を言語として、詩を書き続けなけれはならない。意識の深部でどのように回想と絶望と希望とが巡ろうとも、広くこの世界の現実を背景としての自己の存在をみつめてゆかなければならないことは必然である。

私たちは出発するのみである。  (布川 鴇)

 

「午前」 創刊号

発行日 2012年6 月5 日

発行人 布川 鴇

発行所 午前社

〒330 -0844

埼玉県さいたま市大宮区下町3 -7 -1  S601 譚詩舎方

Tel ・Fax O50 -5814-8703

e -mail:gozensha@gmail.com

 

* 志を大いによしとする。だが、問題は「詩」の如何にある。

2012 6・15 129

 

 

* 歌人の大島史洋氏の新刊『遠く離れて』を頂戴した。清水房雄さんの『汲々不及吟』を十分楽しんだ。大島さんの短歌を楽しもう。いきなり「病む人」と題されて、

積まれいし書類がいつしかなくなりぬ癌を病みいる同僚の机

生きている者のおごりは世の常の離反のごとく病む人を見る

役職のかわりしたびにもらいたる友の名刺よすでに亡きかも

などと歌が並んでくる。のけぞる。

2012 6・16 129

 

 

* こうして、機械に向かい文を書いているだけで、体調の不快な違和も遠のいている。

 

☆ 「自分はどんなときにも決して孤独ではなかった、……たとい最も孤独だったときでさえ決して孤独ではなかった、と自分の一生の終りに、こう言えるのは何といいことだ! 私の人生の途上で遭遇した人々よーー一瞬間だけでも私に友情の握手を与えた同胞たちよ。 ー 私の精神から花咲き出て今も生きている、もしくはもう生きていない、玄妙な霊たちよ。ーーおお、私が愛したことのあるすべてのものよ、私が創造したすペてのものよ! 君たちは君たちのあたたかい抱擁によって私をつつんでいる。君たちが私を見まもってくれている。君たちの声々が作り出している音楽(=まごころの愛の声)が私に聞える。君たちを私に与えてくれた運命に祝福あれ! 私はこんなに富んでいる。私はこんなに豊かだ……私の心は充たされている! ……」

彼(末期に見舞われたジャン・クリストフ=)は窓を見つめた……昔のバルザックが美しい盲目の女にたとえたような、そんな淡曇りの美しい日だった……

2012 6・16 129

 

 

* 昼食に疲れ、自転車走よりもからだを横にしたく、寝てしまうのもイヤで、夜ふけて就寝時に読む本を昼下がりの寝床で読んでいた。順不同に、「栄花物語」「古今著聞集」「藤原定家の熊野御幸」「八犬伝の世界」「南総里見八犬伝」「折口信夫全集藝能編一」「イタリア紀行」「チェーホフ書簡集」「バグワンの般若心経」、夜に残したのが「指輪物語」「イルスの竪琴」「夏の砦」。今は、とにかくも面白い本を、興を惹かれて読みやにくいものを側に置いている。栄花物語はそういう類でないが、まえからの読み続きで、もう当分少しずつ読み継いで行く。辻さんの「夏の砦」にもなかなか乗れないでいるのが、いっそ不思議だが。次ぎに加えて行きたい候補には百巻本「水滸伝」が居間にまで持ってきてある。

二階の機械まえでは、歌集や詩集や歳時記の類が何冊も、のばす手の先にある。

本を読んでしまう場所がもう一個所ある。二階の道路向きに開いた四つの窓の下に、小説や随筆をのぞく古典その他の文庫・新書専用の書架が並んでいて、ここで、外光の明るい窓辺に凭れ、立ったまま手に触る本を気儘に読む。さっきまで山折哲雄さんの新書「教行信証を読む」を読み始めていた。もとより今は知識を求めて本に向かうことは殆ど無い。ただ読むのが楽しく嬉しくて気に入った本を読む。読んでいるうちは身体の厳しい辛さもほぼ忘れていられる。

2012 6・17 129

 

 

* 二階廊下の窓辺で立ち読みし始めた山折哲雄さんの『「 教行信証」を読む』に、すうっと入り込んでいる。親鸞の主著というに当たる『教行信証』は、難読の大冊で、久しく敬遠していたが、山折さんの水先案内を頼みに船出したような心地。

 

 

* とはいえ、わたしは仏教の何に、何処に信頼の拠点を置いているかというと、やはりバグワン、そして禅、であるように感じる。

萬巻の仏典は壮大で華麗なファンタジイ、幻想の文学作とわたしは見切っている。釈迦と同じ次元で、阿弥陀や観音を認知も信仰もしていない。はたしてそれでよいかわるいか。強いて見極めをつけたいのではないが、萬巻の仏典が釈迦逝去の後数世紀にわたって創作されていた意義は意義として理会が不可能なのではない。要するにそれらは無数に用意された吾々衆生のための「抱き柱」である。「抱き柱は抱かない」と心に決めたようなわたしには、ファンタジイはファンダジイとして存在する。おそらくわれわれ凡夫の「抱き柱」として最も勝れて有り難いのは、法然さんの「一枚起請文」である、ただ一声の「南無阿弥陀仏」であるという気持ちに揺らぎはない。同時に法然も親鸞も日本の国で誕生したファンタジイ作家であり、「日本仏教」と謂うが適切なのである。

わたしは、バグワンや老子を介して、二千数百年前に実在した釈迦仏の胸にこそ、じかに手も心も添えたいと思う。

知識として萬巻の仏典に触れたければ触れればよいが、わたしには所詮無理で無用。ファウストは明言している、「いっさいの知識には疾うから嘔吐を催している」と。「物を知りたいという欲から癒やされたこの胸は、今後どのような苦痛に対しても鎖されない」と。

バグワンも明言している、仏教とかぎらず多くの経典は、悟りを得た人にはじつにリアルで理解もたやすく底まで行き渡るが、「enlightenment=悟り・目覚め」を得ていない者には難儀で難解な所詮役立て得ない知識の物語に過ぎないと。

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

人間梯子の第二段は、精神身体。

フロイト流の精神分析がここで働く。

が、彼は夢より先は一歩も出ない。出られないのだ。

だがおまえは、他人から分析可能な夢なんかじゃない。

毎晩のように夢を見て

昼間は精神分析医に夢を分析してもらいに行くような人は

いつしかあまりにも性的なものにとり憑かれてしまう

精神身体的なリアリテイの領域はセックスだからだ

何もかもセックスという観点から解釈しだす

フメイト派の彼らは泥の中に生きている

彼らは蓮花を信じない

ただの泥だという

「それは汚い泥から出てきたんじゃないのかい?

もし汚い泥から出てきたとしたら

それは汚い泥にきまってる」

あらゆる詩はセックスに還元されてしまう

あらゆる美しいものはみな

セックスと倒錯と抑圧に還元されてしまう

藝術はすべて何らかの性活動に還元されずに済まない

彼らの言い分はこうだ

ミケランジェロにしろゲーテにしろパイロンにしろ

何百万という人々に大変なよろこびをもたらす彼らの偉大な作品のすべては

抑圧されたセックス以外の何ものでもない,と

馬鹿げている

フロイトはトイレの世界のマスターだ

彼はそこに住んでいる

それが彼の寺院なのだ

藝術は病気にさせられる

詩は病気にさせられる

何から何まで倒錯ということにさせられてしまう

こうして,最も偉大なものが最低のものに還元されてしまう

仏陀はフロイトによれは病気だ

気をつけなさい

仏陀は病気じゃない

病気なのはフロイとだ

仏陀の静寂

仏陀のよろこび

仏陀の祝い一

それは病気じゃない

それは健康の完全な開花なのだ

 

凡庸な心=マインドというのは

偉大なものはすべて引きずりおろそうとする

凡庸な心=マインドというのは

何か自分より大きなものの在るということが受け容れられない

フロイトが何もかもセックスに還元するのと同様に

 

そして人間梯子の三段目は、心理。

アドラーはすべてを劣等感に還元してしまう

これらは全くの間違いだ

2012 6・18 129

 

 

* 入浴して高田衛さんの「八犬伝の世界」を興味津々の先導としつつ「南総里見八犬伝」を頗る面白い読書と親しんでいる。いましも霊獣八房とともに人跡未踏の安房の国富山に隠れた伏姫を、安房侯である父里見義実が僅かに家臣一人をともない尋ね求めて富山の奥へ分け入ったところまで読んだ。一つの早くのクライマックスがやがて現出するはず。

だれであったか、世界で真実面白い名作は「源氏物語」と「南総里見八犬伝」と断言していた。それほどの作なのである。

 

* 入浴しながら本を読むと知ると厳しく叱責して下さる読者がある。が、やめられない。ことに現在は湯に漬かっていると少しでも腹部が軽い、柔らかい、少し落ち着いてくれる。

建日子が、七月の初めに二三日でも蓼科へ行かないかと誘ってくれたけれど、この重苦しい腹具合のまま蓼科までの車での往来はいかにもシンドイからと、折角の親切を断った。京都という誘いもしてくれたが、京都は京都なればこその気難しいしがらみもある。せっかくだから菩提寺へなどと真っ先に思ってしまう。

もっと近場の温泉があれば、湯に漬かりたいなと言うと、熱海か箱根かと問われている。四度の瀧の大は子などと言うと、妻は放射能でダメよと。東北へはどうしても足が竦む。地震もおさまっていない。

2012 6・18 129

 

 

* 大島史洋氏の歌集『遠く離れて』を通読。こういう歌もあるかとおもいながら。

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

人間梯子の第四段目は、ユングらの説く、精神霊性。

彼らは、パヴロフ、フロイトまたアドラーよりは大きな可能性を開く

彼らは非合理の世界、無意識の世界を受け容れる

自分たちを理性に閉じこめはしない

その点、彼らは少しは理性的な人たちだ

現代心理学の終点だ

梯子の全体から見ればちょうど中間だ

現代心理学はまだ完全な科学とは言い難い

何ひとつ確かではない

経験的というよりは仮説的だ

実現の途中であがいている

 

第五段めは、霊性

イスラム教、ヒンドゥ教、キリスト教

大組織宗教はこの五段めで引っかかったままだ

あらゆる組織宗教は、教会は、そこで立ち往生してしまう

 

第六段めは、霊性超越

世界中で、時代から時代へと

教会組織とは毛色の違った、教義的ではない

より経験的なメソッドが開発されてきた

おまえは自分自身の中に一定のハーモニーをつくり出し

そのハーモニーに乗って

おまえのあたり前の現実(リアリティ)からはるか遠くまで行けるようにしなくてはいけない

ヨーガはそのすべてを判官し得る

それが第六段めだ

 

そして第七段めは、超越

タントラ、道(TAO )、禅

仏陀の姿勢は第七段にある

プラジューニャーバーラミター(般若波羅蜜多)

超越的な智慧

さまざまな身体がすべて超えられ

おまえたちがただの純粋な覚醒

ただの観照者

純粋な主観性になったときにはじめて来る智慧を意味する

この超越に到達しない限り

人間は、おまえは、いろいろな玩具やあめん棒を与えられずには済まない

虚構の意味を与えられずには済まない

 

* バグワンはこの七段の人間梯子を大事な入り口と考えていて、『般若心経』を語りながらもう一度この七段梯子について繰り返している。蒙昧で幻想にすぎない無明長夜の夢から覚めなさいと。さめたとき、お前は梯子の七段目へ来ていると。

 

夢覚めむそのあか月を待つほどの闇をも照らせ法のともし火  藤原敦家朝臣

 

人ごとに変るは夢の迷ひにて覚むればおなじ心なりけれ  摂政前右大臣

 

見るほどは夢も夢とも知られねばうつゝも今はうつゝと思はじ  藤原資隆朝臣

 

おどろかぬ我心こそ憂かりけれはかなき世をば夢と見ながら  登蓮法師

2012 6・19 129

 

 

* 手近な萬葉集の一冊本、澤潟久孝・佐伯梅友共著の『新校萬葉集』を好むままに拾い読んでいると、当然かもしれない、偶然であろうけれど、呼び交わすような歌が近い歌番号でみつかる。

2533    面忘れいかなる人のするものぞわれはしかねつ継ぎてし想へば

2553    夢のみに見てすらここだ恋ふる吾(わ)は寤(うつ)つに見てば益していかに有らむ

原本はいわゆる萬葉仮名で書かれてあるが、読み下せばよく解る、歌は相聞でなく巻第十一「正述心緒」。二首めの「ここだ」はかぞえきれぬほど、たくさん、の意。「33」は男の、「53」は女の歌に想われてくる。

こういう自在な読み楽しみを萬葉集は呉れる。

この本は、大学時代に教科書として買った。本の背こそ傷んで補修してあるが、座右愛読・愛蔵の一冊。

 

* 和漢のすぐれた詩歌本に、意図してこの「機械」の前では取り囲まれている。歌集・句集・漢詩集。手をのばせば、たちまちに「機械」の毒気から美しい佳き世界へ思いを解き放つことができる。

こんなとき、ふと、身体の不快な重苦しさもうすれ忘れている。 2012 6・20 129

 

 

* 笠間書院の重光さんから、故佐伯梅友、故村上治、そして小松登美さん共著『和泉式部集全釈・正集篇』1000頁19000円が贈られてきた。嬉しい。有り難い。かねてわたしは好きな歌人として、男なら西行、女なら和泉式部と言い切ってきた。「千載和歌集秀歌撰」に次いで、山家集か和泉式部集の秀歌撰を試みようかとも想っていた目の前に、この大著を頂戴した。

2012 6・20 129

 

 

* 笠間書院の重光さんから、故佐伯梅友、故村上治、そして小松登美さん共著『和泉式部集全釈・正集篇』1000頁19000円が贈られてきた。嬉しい。有り難い。かねてわたしは好きな歌人として、男なら西行、女なら和泉式部と言い切ってきた。「千載和歌集秀歌撰」に次いで、山家集か和泉式部集の秀歌撰を試みようかとも想っていた目の前に、この大著を頂戴した。

 

☆ 『湖の本112 対談・元気に老い、 自然に死ぬ・他』

ありがとうございます。

同封の書籍『和泉式部集全釈』は数十年かけて刊行なった、小生としても思い入れの深いものです。千頁近くあり、ご闘病中の先生にご高覧をお願いするのもかえってご迷惑かと存じましたが、劇薬副作用緩和の一助になればと、あえて献呈申し上げる次第です。

笠間書院 重光徹

 

* 身体を横にして、気に入って選び抜いた十数冊を少しずつ読む、それは確かに抗癌剤副作用の重苦しい不快感を和らげ、ともすると忘れさせてくれる。重光さんのご厚意、有り難い。

重い本であるが、和泉式部の和歌を、この際、早速に毎日読んでゆこうと決めた。日本の古典は、これで枕べに、栄花物語、和泉式部集、古今著聞集、南総里見八犬伝そして折口信夫の日本藝能篇、神坂次郎さんの『藤原定家の熊野御幸』高田衛さんの『八犬伝の世界』と七冊。副作用に負けないための良薬である。

ちなみに、他にゲーテ『イタリア紀行』チエーホフ『妻への書簡集』そしてトールキン『指輪物語』マキリップの『イルスの竪琴』ほかに辻邦生さんの『夏の砦』そしてバグワン『般若心経』を読んでいる。数頁ずつ全冊一気に読む、少しもこんがらかる懼れはない。

2012 6・20 129

 

 

* なんともいえず気分がわるい、これが今やありのままの我が容態で、ほとんど逃げ道がない。気をまぎらわせ、まぎらわせ、やり過ごしている、映画見たり、本を読んだり。

岩波文庫の清水文雄校訂『和泉式部歌集』は正集、続集、宸瀚本、松井本が網羅してあるが、やたらに詰め込んであり一首ずつしみじみ鑑賞出来る本ではない。記録本とでも謂うよりない。学者はしらず、市井の愛読者には優しくない。

その点、正集だけに千頁を費やした笠間書院版は有り難い。

2012 6・20 129

 

 

☆ グラチアより、ジャン・クリストフへ

一人の女が私のような年齢になれば、どんなけなげな男の人だってときどき弱さに負けてしまうものだってことを必ず知っているのです。〔それをご存じないのですか〕お気の毒なクリストフ! 弱いところが判っていればこそ、それだけますますその人を愛するのです。あなたは過去にあなたがなさったことをもうお考えなさいますな。

後悔につかまるのは後戻りすることです。良かれ悪しかれ、いつでも前に向って進まなければなりません。

私の望みは、あなたが立派な音楽(=藝術品)をお作りになること、それらの作品が成功すること、またあなたが強くおありになることによって新しい若いクリストフたちに助力なさることです。

あなたの先輩たちがあなたのためにした以上にあなたはそれらの年少の人々のために良くしておあげになるがいい! ーーそして最後に、あなたが強く生きていられると私が知っていたいために、あなたが強く生きていてくださることが私の願いなのです。それを私が知っていることで私自身どれほど力づけられるかは、あなたには御想像もできないほどです。

* やがてローマに住んだグラチアは亡くなり、パリに住んだクリストフも。

グラチアは貧しい、しかし音楽の天才を身に抱いた少年クリストフが初めて恋した少女だった。クリストフは短からぬ人生に、その後も旺盛な健全な多彩な創作活動と帯同するかのように、幾人もの女性と出逢ってきた、が、ついに一度も結婚には至らなかった。グラチアとクリストフと二人はそれぞれの人生晩年に再び出逢ったのだが、じつはグラチアは久しく永くクリストフ苦闘の人生をじつは離れたところから見守っていた。クリストフは結婚を望んだがグラチアは受けなかった。結婚する以上の愛を与えていた。クリストフもグラチアの愛ある決意にしたがい、ローマとパリとに別れ住んでいた。キスを超えたからだの関係も無かった。

上の手紙は、藝術家として、男として受け取れた、最良の恋文であり恋人の遺書であった。

2012 6・21 129

 

 

* 読む本を減らしたいと思いながら、たまたま用があって書庫に入り込むと、愕然とするほど、「読んで下さい」と本たちが無数に叫んでいるでないか。

みんなの希望を一時に聞いて上げることは出来ない。

で、東洋文庫の『捜神録』『唐代伝奇集』ほか同手の本を四冊抜き出し、枕元に二冊と、二階廊下の窓辺と、機械の傍とに一冊ずつわけて置いた。なにを目論見求めているかはまだまだ語れない。

2012 6・21 129

 

 

* 書庫から持ち出した東洋文庫、いずれも頗るおもしろい。訳もよく、読みやすい。

翻訳が佳いと海外文藝が身に添って胸の内へ流れ込んでくれる。

 

* 歯医者通いに持って出た『唐代伝奇集』2が、あまり面白くて、妻が横にいなければ江古田で下車し忘れたろう。いずれも現代感覚からすれば荒唐無稽の古びた咄でありながら、書き置いている筆致の落ち着きがありありと読ませてくれる、玄妙な不思議咄を。

当分、手放せない愛読書になってしまいそう、家でも出先でも。 2012 6・22 129

 

 

* すこしマシな体調なので逆方向に池袋に出て、西武百貨店の上の、京料理「熊はん」へ行ってみた。まずまず食べられたけれど、妻の口には頗る美味しい料理が、わたしには義理にも美味い美味いとは進まず、デザートの冷たいくず餅がいちばん美味かった。食べれば食べ進むほどシンドくなって行き、もうどこへも寄らずに帰ってきた。

「食べられない」のには閉口だ。

車中、『唐代伝奇集』を読んでいる間は不快を忘れていた。

2012 6・22 129

 

 

* 東大名誉教授、日本中世文学、和歌文学専攻の久保田淳さんからは、岩波現代文庫の最新刊『四季の歌 花のもの言う』を頂戴した。

いきなり、「せり 芹」の話である。これは、なかなか厳しい。能で言えば「恋重荷」「綾鼓」などをそのまま聯想させる説話に「芹」は彩られている。上の能のように高貴の女が下々の男を虐めることのないのは助かるが、要するに似ている。

簾の風に巻き上げられたとき庭掃きの男は、芹を美味そうに食べている后をみてしまい、恋いこがれて、望み叶うはずもなく死んでしまう。嵯峨の后であった。後年にこのことを男の娘から聴き得た后は、こう詠ったと。

芹摘みし昔の人もわがごとや心にものはかなはざりけむ

実話と言うよりも、歌の味わいからは説話の風味をわたしは覚えている。

ともあれ「花、鳥、魚、霞、霰……四季折々の風物を詠った古歌から自然のささやきを味わう」一冊、この機械の座右に置いて、日々に楽しませて頂く。わたしにピタリの愛読書となるだろう

2012 6・22 129

 

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

誰も知りはしない、この

自分は自分が誰かを知らないということを知ることで

真の「旅」ははじまる

 

知恵は知識じゃない

知識は心=マインドを通して来る

知識は外側から来る

知識はけっしてオリジナルじゃない

 

知恵とはおまえの独自なヴィジョンを謂う

それは外側から来るものじゃない

おまえの中で育つものだ

英語では、知識(knowledge )とは経験なしのものを謂う

知恵(wisdom)は

生に入っていって、経験を集める意味だ

若者は「物識り」にはなれても

容易に賢く(wise)はなれない

知恵は時を必要とするからだ

知恵とは

その人自身の経験・ 体験を通じて集められた知識のこと

だが、なおかつそれは外側からのものでしかない

プラジュニャー(般若・智慧)とは

普通理解されるような意味合いでは

知識でも知恵でもない

それは 内なる開花だ

ただただ内部の全き静寂の中にはいって行って

そこに隠されているものが炸裂するのを許せ

 

自分の、わたしのという所有の気持ちは捨てなさい

おまえが「全体 whole」と別々に存在しなくなったとき

そこに、プラジュニャーパーラミター(般若波羅蜜多)が現れる

完全なる智慧

彼方からの智慧

神聖であるのは、おまえが「全体」とひとつになるからであり

麗しいのは

おまえの生にあらゆる種類の醜さをつくり出している自我( エゴ) がもう無いからだ

それが真実の何たるかだ

智慧の完成ーー

麗しきもの  美しいもの

聖なるもの  善なるものーー

2012 6・23 129

 

 

* はっきり言って、からだは、実に不快でシンドい。自転車で走ってこよう。風に吹かれ、視界がひらけ、花や樹木に目をあてて来よう。 長時間は禁物。ま、一時間か。

 

* 東大泉から東へ北へ初めて通る田舎道をゆっくり走って、出会った埼玉県新座市内の木蔭の深い公園に入り、ベンチで、東洋文庫を読み、また持ち出してきた小説の書きかけを頭から再検討し始めた。頸に架けた小さい録音機を初めて利用してみた。

自転車で家から離れてくる間際のからだの不快はひどかったが、初めての景色に出会う走りや、静かな木蔭でのささやかな「仕事」の最中は、よほど不快も忘れておれる。

一時間半の外出で帰宅した。そのあとの何とも謂いようのないシンドさ、不快感。横になる以外にかわせない。

どれほど寝入っていたか、あ、寝ていたんだと思い、目覚めてからそのままね栄花物語、和泉式部歌集、古今著聞集、日本藝能論、東洋文庫を二冊、そしてゲーテの『イタリア紀行』を読み進んでいるうち、ラクになっているなと感じられた。

だが、六時過ぎ、夕食の膳に向かおうとすると、堪らない拒絶感とシンドさが湧き起こる。しかし抗癌剤はのまねばならず、やはりよく食べて食後にのむ方がいいにきまっている。堪えて、食べ物を飲み物を口にするのが辛い。だが、今夕もとにかくきまった量の薬は服した。

逃げるようにこの機械の前へ来て、キイを敲いたり本を読んだりしているうち、少し和らいでくる。

やはり湯に漬かろうか。

映画はいまジャック・レモンとシャアリー・マクレーンとの「アパートの鍵貸します」を途中まで。佳い作とは思っているが、今の体調には、当然のようにもの悲しく、愉快でもなくて。大の贔屓の二人の顔をやすやすとみていられない。

今晩は九時から松本清張作の「波の塔」の映画化公開がある。ビート・タケシの主演した「点と線」が圧倒的だった。「波の塔」も待っていた。

* 68.7キロ。浴槽のそばへスタンドを置き(これは用心が大事)、「八犬伝の世界」「南総里見八犬伝」犬塚番作の初登場を夢中で。辻邦生さんの「夏の砦」を数頁、『指輪物語』ではガンダルフと若きホビット統領の魔法の指輪をめぐる真剣な対話を、読んでいた。そのあいだは、からだも思いも、ラク。

さ、今度はテレビ映画を楽しみたい。楽しませてくれるように。

 

* 「波の塔」は、単なる意外な駄作であった。

2012 6・23 129

 

 

*「第一印象というものは、たとい必ずしも真実ではないにしても、それはそれとして貴重な価値のあるもの」と、ゲーテは言う。

第一印象を徐々に改めていった経験は少なくないが、その際にも第一印象の鮮鋭であったという事実がブラスに働きつつ、見方や考え方が錬磨されて視界を新たにしてゆく。

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

人生をよろこびに満ちて受け取ること

人生を気楽に受け取ること

人生をリラックスして受け取ること

不必要な問題をつくり出さないことーー

99パーセントの問題が

生を深刻に受け取るおまえによってつくり出されるものだ

深刻さがさまざまな問題の根本原因なのだ

遊び心をもちなさい

そのことでおまえは何ひとつのがしはしない

なぜならば生が神なのだから!

神のことなど忘れるがいい!

ただ生き生きとしているのだ

あり余るほど生き生きとしているのだ

一瞬一瞬を、それが最後の瞬間であるかのように生きなさい

 

この瞬間を可能な限りトータルに生きなさい

あまりまっとうになりすぎないこと

過剰な正気というのは狂気につながるものだからーー

おまえの中にちょっぴりクレージーさも存在させなさい

それが生に風味を与えてくれる

それが生を水気のあるものにしてくれる

つねにちょっぴり不合理を残しておくがいい

 

次回など待たないこと

次回などけっして来やしないからだ

この瞬間をひっとらえるのだ!

これが存在する唯一の時だ

ほかの時など一切ない

おまえが85歳でろうと50歳であろうと

そんなことは問題じゃない

この瞬間をつかまえなさい それを生きなさい

 

本が好きなのはいい、だが本で本当のものにはなれっこない

人々はバイブルを愛してもいっこうイエスにはならない、なろうともしない

そして般若心経を愛しても……

けっして誰かを、何かを模倣しようなどとしないこと

それは自殺だ

そんなことをしたらおまえはけっして楽しむことなどできずに

いつもおまえはカーボンコピーでしかない

オリジナルではない

 

神は鈍感でも間抜けでもない

神はけっして

誰かほかの人を繰り返すことなど許さない

キリストはただ一度

釈迦もただ一度

そしておまえもまた然り!

ただの一度だ

おまえはひとりきりなのだ

ほかにおまえのような人は誰もいない

おまえだけがおまえなのだ

これをわたしは生への崇敬と呼ぶ

これこそ本当の自己尊重だ

 

* わたし自身がどれほどバグワンの謂う本道を逸れ、よけいなことをして暮らしているかが、遺憾千万、よくわかる。それでもわたしはわたしの「いま・ここ」を、なんとか楽しみ味わい、生きている。

2012 6・24 129

 

 

* 東洋文庫の四冊に引きずり込まれている。「中国古代寓話集」では「荘子」「韓非子」「列子」らの寓話が纏められていてたいへん有り難い。「唐代伝奇集」1-2も「捜神記」も不思議な寓話説話を満載している。なにかに突き当たりそうな期待がある。

2012 6・25 129

 

 

* 聖路加病院までの往路は心身さわやか、 軽やかであった。採血・採尿の検査のあと、内分泌科の診察まで間が空いたので食堂へ。天麩羅蕎麦の天麩羅はまあ食べたが、蕎麦は半分がやっと。珍しい名前のジュースも注文しておいたのが、ストローでの一吸いでアトが続かなかった。妙にいろんなものの混ぜ合いのものは、まるで口も入らない。そしてすっかり気分が悪くなった。

午后一時半予約の診察が三時過ぎになり、二時予約の眼科へ大幅に遅れた。看護師から入院へのいろんな指示と聴取とがあり、心電図、胸部レントゲンの検査を受けてから、来月二十二日十時という入院手続きを終えたときは四時二十分。夕食後の抗癌剤も持ってきていないので、どこへも寄らず帰ってきた。保谷駅でパンやサンドウィッチを買って帰ったが、どれもろくろく食べられず、妻が用意の夕飯も、飯一膳が二箸と進まなかった。それでも極まりの薬は飲んだ。何がどうというヒドサは無いのだが、ドヨンと腹が重く全身がだるく面白くない。

とはいえ、病院へ携えた「唐代伝奇集」の面白かったこと。往きも帰りも、外来での待ち時間でも、大いに助けられた。「日本霊異記」は背景に仏教があるが、中国古代では仏教以上に神仙や変異変化の不思議に彩られた話が多く、しかも人間くさい。

2012 6・25 129

 

 

* 「燕雀いずくんぞ大鵬の志をしらんや」とは、びっくりするほど早く、子供の時に耳にも、 目にも、していた。

秦の祖父の蔵書に博文館の『荘子新釈』三巻の和綴本があり、これは沢庵禅師の『老子講話』より遙かに子供にも接しやすく、沢山の寓話部分を拾い読むだけでも子供心なりに、背丈が伸びるような心地がした。

自分が蝶を夢見たのか、自分を蝶が夢見ているのかという寓話など、おそろしいほどわたしを突き動かし、生涯の「夢」観を子供の頃に朧に持ってしまっていた。かがやく希望を「夢」の一字一語に託して将来の目標視することを、わたしは概してしてこなかった。生きていること、それが夢に過ぎないという方向へわたしは人生観を定めがちであった。定めたなどと威張った口はまだまだ利けないのであるが。

 

* 高校へはいると躊躇なく「漢文」を選択した。すべてに返り点のしてある原文を読むのに、何不自由もしなかった。日本文を読むのと同じほどすらすら読めた。そんな中で、やはり「荘子」からとられた「朝三暮四」の寓話も忘れがたい。いま『中国古代寓話集』の解説を拝借すれば、それは、「根本の道よりすればそれが結局おなじもの」という道理を導いている。おのずからな均衡の世界に安住する、いわば「天鈞」を受け容れる姿勢、是と非とふたつながら行われて、それでも些かの障碍もない、いわば「両行」の道理を受け容れる世界。猿回しの親方が猿に朝三つ、夕方には四つずつの餌を与えて、猿が不服を唱えると、それなら朝四つ、夕方三つに改めると猿は喜んだという寓話だが、高校の教室で、はじめて深刻に感銘したのを覚えている。「根本の道よりすればそれが結局おなじもの」が此の「天鈞・両行」の此の世には在ると。それを心得ないで一理窟つけた気で喜怒哀楽するのでは、バグワンの謂う「マインドの分別」に陥っているのだ。

「いわゆる知というものが実は不知であるかも知れんし、いわゆる不知が知であるかもしれん」じゃないかと、荘子は謂う。「仁義だの是非だのということにしたって、その限界や区別はごたごたと入りまじっている。なんでそう簡単にそのけじめがつけられようか」と彼の「斉物論篇」に説いている。

わたしは孔子の『論語』にも感嘆はしたが、どちらかといえば老・荘の曰くに柔軟で自由なものを覚えていた。それが素地となりバグワンとの出会いが成りやすかったのかと、頷く。

 

* 「人間が生を悦ぶことは浅はかな迷いであるかもしれず、死を憎むことは若いころ故郷を離れて他国に住みついた者が帰ることを忘れているようなものであるかもしれぬ」と荘子は語っていた。

「夢を見ているあいだは、それが夢であるとは気がつかず、夢の中でまたその夢の吉凶を卜って楽しんだり悲しんだりしている」が、「ほんとうにしかと悟りに徹してこそ、この人生もひとつの大きな夢にすぎないことがわかるであろう。おろかな人たちは浅はかな迷いのうちにありながらけっこう目が覚めているつもりで、こざかしげに利口顔して、貴賤尊卑のわけへだてをつけたりするが、くだらないことだ」と荘子は言い切る。

現実とは、いい夢かわるい夢か。甲乙をつけてみてもそれが要は夢見心地であるに過ぎぬ。そう分かっていながら、日本の昨日今日の政治をわたしは情けなく思う。

 

* からだは、しんどい。帰って行く「本来の家」を、こういうとき、無性に懐かしむ。

2012 6・26 129

 

 

* 「点鬼簿」という作が芥川龍之介にある。

小説にはしていないが、どれほどの人に死なれてきたかと、わたしの七十六年を顧みた備忘は書き留めてある。漏れ落ちはたくさんあるだろうけれど。いずれはわたしも誰かの点鬼簿に記名されるのだろう。

「虚無の大道をおのがからだの首とし、生をば背とし、死をば尻とし、死生存亡の一体無二なることを悟りきわめている人はだれかしらん。あれば喜んで友だちになりたいものだ」と互いに語り合い、互いににっこり笑って肯き合ったような昔人たちがいた。

そんな一人が見るも無惨な病気にかかって死んで行くときにも、彼はこう平然と語っていた。

「いったい人間がこの世に生まれるのは、その時節が来たからのことであり、死んでいくのは、その順番が来たからのことだ。時節に安んじ順番に従っていれば、生の楽しみも死の哀しみも心につけこむすきはない 人間にせよ事物にせよ、しょせん天道の自然にうち勝てようはずはない。とすればおれだって、病気を恨むことなんかあるもんか」と。

この寓話も『荘子』の「大宗師篇」に在る。旧訳の『ヨブ記』とも違っている。やはりバグワンに繋がっている。

2012 6・26 129

 

 

* 昨日、江戸時代女流文学研究をリードしてきた門玲子さんから、二つの活字原稿が送られてきた。できれば一つを「 e-文藝館= 湖(umi)」に載せて欲しいと、お手紙も添っていた。「あごら東海発」に掲載されていた壮絶な「私の高齢期」を戴くと決めた。今回の「 湖の本」を見た上での寄稿かと思われる。感謝。

平和と平等を追求する「あごら」という雑誌をはじめてみたが、この331号には門さんらの寄稿のなかでも、「証言 1枚の写真ーー隠されていた放射能の恐ろしさ」という小田美智子さんの記事が、肌に粟立つほど凄い。これも欲しいと願うが、肝腎の一枚の写真が載せられるか、わたしにそれだけの勇気が出るだろうか。

 

* 消費税増税どころでない、原発は人類の命運を損なう危険極まるもの。それを、たかが電力企業の寡占慾に便乗して阿諛と欺瞞との「知らぬ顔」政治をわれわれは放置してよいワケがない。

ヒロシマはあれだけ言われたが、いま、緑の木々につつまれて何事もないではないかという声も、わたしは聞いた。途方もない短絡であり、どれだけの人が死に、篤く病み苦しんだか。そして今ヒロシマの災害にふれた被害」 の声が減っているのは、あれから七十年近く、ほとんどが既に亡くなっているからに過ぎない。

緑の木々や草は、見た目にまさに「舒榮」の美しさをわれわれの目に見せている。これは日本列島の自然の恵みであること、少なくも一万年来変わりないのである。放射能は、火や水や毒のようには山川草木を見た目で損なわない。しかし、農作物や魚類にすでに抱え込まれ、それらをわれわれは食することが出来ない。思うに放射能は、最も多くしかも目に見えず日本の国土を覆っている植物と土壌とに隠れ潜んで長生きをするのではないか。結果として土壌や地下水に危害は拡散するであろう。目に見えないから安全とは言えない。

それどころか、いずれは目に見えて放射線・放射能の悪影響があらわれるだろう、五年、十年、二十年。

恐ろしいのは胎児が損なわれ、新生児が成育の中で損なわれて行くかも知れぬ恐怖である。うえに触れた「一枚の写真」のもの凄さはそれを証言している。

山川草木の見た目の美しさ優しさに日本人は久しく久しく見守られきたし、見て愛してきた。しかしその山川草木に、そして大地に、在ってはならなかった放射線が、放射能が蓄積されて行く懼れに適切に気づかねば、それよりも大事な何事があると言うのか。

2012 6・27 129

 

 

☆ ジャン・クリストフに聴く  片山敏彦氏の翻訳に拠りながら

「どうにもできない制限の中で自分の努力を引き締めることは、藝術のためには善い鍛錬である。この意味において、みじめな生活状態は、単に思想の師であるだけでなく、また藝術的在り方(スチール)の師でもある。それは肉体および精神に節制を教える。時間が制約されており、無益なことをしゃべってはいられないのだから、余計なことを少しも言わず、また本質的なことしか考えないように習慣づけられる。こんなにして、人は生活のための時間を少なく持つことによって却って二倍の生き方をする。

 

クリストフは貴重な数分間をも、むだな行為や言葉のために浪費しなかった。

できる限り少時間にできる限り多くを表現しなければならない義務的制約の中にその修正を見出した。クリストフの藝術的な、また道徳的な成長にとってこれ以上善い感化を与えたものは何もないーー

 

* 医学書院に勤めておそろしく多忙な編集者・書籍企画者でありながら、寸暇をぬすんで必死に書いて書いて創作にも打ち込んでいた頃のわたしが、結果的に見て、このクリストフの場合に近似していた。いまのわたしは、あの当時の十倍の時間を自由に使いながら、成績を挙げていない。病気だからと言う言い訳はきかないと恥じている。

2012 6・27 129

 

 

* 湖の本読者門玲子さんの原稿を妻にスキャンしてメールテキストでこっちへ転送してもらい、校正かたがた読み進んでいる。

門さんはわたしより年長の八十歳。六十、七十代での夫の介護、老母の看取り、自身の執筆や取材。息詰まるような連日連年の果てに、手がけてきた著書「わが真葛物語」も刊行されたが、母も、夫も見送らねばならなかった。

門さんは只の主婦ではない、『江戸女流文学の発見』は毎日出版文化賞を受けている。文字通り普通の主婦生活から、思い立って孜々として独学、文学としてもみごとな作品『江馬細香』を世に問うて、はなばなしい脚光を浴びた。今では注目の江戸女流の文学研究家なのである。その執筆と研究生活をいわば重い重い負担の「介護」生活の「心の支え」として、その両方を立派に気丈にし遂げていった。この人の仕事は日々の片手間の趣味的なものではなかった、いつしかに渾身の追究となっていた。送られてきた「わが高齢期」は、その報告文なのである。

これほどのことは、そうそう誰にもできないこと。それでも介護と老齢と生きる意欲をもっている人たちに、ぜひ読んで貰いたいと思う、もう少しで校正が済む。わたしの「 e-文藝館= 湖(umi)」に、貴重な「自分史のスケッチ」として掲載・発信するつもり。そこにはもう一本の門原稿が入っている

 

☆ 今日やらぬ事は明日だってできはしない。  歓びなどは問題でない。  「フアウスト」

 

* 門玲子さんの「私の高齢期」を校正し終えた。途中何度か身にもつまされ衝き上げられる感動に、身を硬くし泪を堪えた。

「 e-文藝館= 湖(umi)」への掲載の作業は、落ち着いて明日にしようと思う。門さんの場合は「介護と仕事」、私の場合は「病気と仕事」それぞれに「仕事」を励みにも救いにもしている。生易しい日々ではない。

妻や息子に、大きな負担をかけたくないと、しみじみ思う。わたし自身が妻や息子の元気に生きる力になってやらねばならない。  2012 6・27 129

 

 

* 伯楽は馬を仕込む名人として自他共に知られ、陶工は土をいじるのが上手く大工は木材の扱いが上手とほめそやされる。だが荘子は賛成しない、「これらの連中は、 仁義禮楽で人間の本性を矯め正して天下を治めることの上手とうぬぼれている明君賢士とご同様の過ちをおかしている」と。人も馬も粘土や木も、そんな形に嵌められたいとは願っていない、と。

「聖人の道というものは、世の中を利することが少なく、害することの方が多い」と。

2012 6・28 129

 

 

* 夕食は西瓜が主食になり、ほかは、なかなか食べられなかった。食べ物をむりに口に運ぶにつれシンドクなる。それでもクスリは飲んだ。

そのあと、二階の機械の前か、横になるか、と階段の下で思案し、負けたように横になりに行った。横になっていると、ラク。寝入ることもあるが、さもなければ読書を楽しむ。減らすはずの本がいまや十六七冊に増えている。片端から読んでゆく。

ところが、堯が、関所役人に軽蔑されたように、斉の桓公が車大工に、手ひどくやられている。バカにされている。

桓公は御殿で余念無く本を読んでいたのだ。縁先に車大工が車輪削りのしごとをしていたが、彼は王様に読んでいなさる本には何が書いてあるかと聞く。王様は「もう亡くなっている聖人(= 偉い人)の言葉が書いてある」と答えたので、すぐさま車大工は「つまり昔の人の糟粕( かす) を嘗めているわけですね」と嘲笑した。

王は怒ったが、大工は平然とこう話したと荘子の天道編は謂うのである。後藤基巳さんの翻訳で聴こう。

「いや、あっしはじぶんの仕事の上で申しあげますがね。木を削って輪を仕組むのに、あまりゆっくりやりすぎると、甘くなってガタガタですし、急いでやりすぎると、堅くなってうまくはまりこみません。ゆっくりすぎもせず急ぎすぎもせぬようにするのは、手でやりながら

勘をはたらかせるんで、口じゃぁなかなか言い表わせません。そこんところのコツときちゃぁ、あっしが伜(せがれ)に教えてやることも、伜があっしから受けつぐこともできゃしませんやね。だからこそ、あっしはもう七十になるおいぼれですが、いまだにこうやってじぶんで木を削ってまさぁ。してみりゃ、昔の聖人っていうかたも、死んでしまえばその心の術が伝わろうはずがねえ。だから殿様の読んでござらっしゃるご本なんてえものは、昔の人の心術の糟粕( かす) にすぎなかろうと申しあげたんでさぁ」

 

* 読書を楽しみ、時に先人の書き置いた言葉や思想の注目したいものをわたしは、このところ、ひとしお、つとめて此処に書き写している。じつは書き写しながらも、この「車大工」の弁を内心に気にしていないではない。上に書き写した荘子の寓話も、まさにそれに当たるが、果たして「糟粕を嘗めて」いるに過ぎぬのか、そうとは言い切れぬのか。忸怩たる実感もないでなく、しかし、それは結局は読み手の覚悟や読み方、感銘という働きに左右されるものと感じている。

2012 6・28 129

 

 

* 今日のわたしは元気とは言えなかった。三時頃には横になり、本を読み、五時半頃まで寝て、難渋して夕食を摂り抗癌剤をきまりのまま飲んだ。

入浴して『指輪物語』『南総里見八犬伝』そして『八犬伝の世界』を、湯あたりしない程度の長湯のまま、とても楽しんだ。湯の中にいると、腹部の重苦しさが和らいでいる。

ファンタジイは数多いが、わたしは上の二作、また『ゲド戦記』『イルスの竪琴』の四つに極めを打っている。ル・グゥインには他にも勝れた作がある。ファンタジイではないが八犬伝を稗史と呼ぶならそのヒントを成したともいえる『百巻本水滸伝』も好きで、『三国志』に優る。似たような作というなら『モンテクリスト伯』も少年のむかしから気に入っている。

これらが有る限り、抗癌剤の負担を軽くしてくれるのに、或いは今年いっぱい役だってくれるだろう。いずれも、わたしは毒にも薬にもならぬ読み物とは思っていない。文学作品として買っている。

読み物も、似而非文学でないはなからのミステリー・推理小説も、ダンボールに満杯ほど、東工大教授時代の電車通勤のために買い溜めて、読んだ。『女王陛下のユリシーズ号』『北壁の死闘』など数冊は繰り返し愛読して飽きていない。こういうのも抗癌剤へ対抗に繰り出すことが出来る。

しかし面白いにも、いろいろある。今も読んでいる折口信夫の『日本藝能論集』も、上の高田衛さんの『八犬伝の世界』も、神坂次郎さんの『藤原定家の熊野御幸』も、ゲーテの『イタリア紀行』も、チェーホフの『妻への書簡集』も、上の小説や稗史・説話を凌ぐほど面白い。

今回のこの闘病は、本を貪り読む歓びを恵んでくれている。どうかどうか聖路加国際病院の「黄斑変性症」を診落としていた眼科さん、七月の黄斑前膜と白内障の手術、上手に成功させて下さいよ。 2012 6・29 129

 

 

☆ 人生の最も貴重な特徴ーー年を老っても決して変らず、来る日来る日の朝ごとによみがえる好奇心の新鮮さ。ジャン・クリストフのこの天分は才能のある多くの人々から羨しがられて然るべきものだった! 大多数の人々は二十歳または三十歳で既に死んだのと同然である。

彼らの人生の残りは、彼らが存在した時期に、言ったり、したり、考えたりしたことどもを、日ごとにますます機械的でいびつな形での繰り返しによって反復し模倣することで過ごされる。   ロマン・ロラン

 

* この厳しい指摘を聴かねばならぬ、 創作者は。誰でも。そう、 誰でも。

2012 6・30 129

 

 

* 神坂次郎さんにもらった『藤原定家の熊野御幸』を読み終えた。「熊野」という不思議世界を定家がまだ権少将という下積みのころ後鳥羽院の熊野御幸に供奉した手記を下敷きに、和歌山県に根拠を据えた神坂さん自身の熊野体験や探索や史料を点綴してゆくルボルタージュ風の簡潔な筆致が、成功している。

わたしも

、学生の昔、熊野の那智滝や新宮などを訪れているが、ほとんど頭に入ってなかった「熊野」の幽邃な不思議を此の本で判りよく楽しませてもらった。もうあそこまでわたしは行くまいが、初の一人旅でプロペラ船の轟音に閉口しながら熊野川を遡ったりした昔が思い出される。

2012 6・30 129

 

 

* わたしは、バグワンに出逢うよりずっと昔から、いわゆる「マインド」とされる「心」に、全幅の信を措いてこなかった。「マインド」はくるくる変わる、揺れる、定まらない。わたしは「ドンマイ」を良しとするようになったが、その実のわたしは、容易にそうは成れなかった。

断っておく、ハートを拒絶しているのではない。分別という理知、知識や小理窟に動かされやすい「マインド」への警戒ないし嫌忌。これは、まだまだ、なかなか、人に判ってもらえない。「真実って何ですか,バグワソ?」と彼のアシュラムで質問した人に、バグワンは応えている。すこし纏めてバグワンに聴いてみよう。

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

「真実って何ですか」,それは誰しもの心に浮かんでくる疑問の中で,最も重要なものだ

だが,それには答えがない

最も重要な問い

究極の問いは回答を持ち得ない

だからこそ,それが究極の問いなのだ

ポンティウス・ピラトゥスが,イエスに真実とは何かと尋ねたとき

イエスは沈黙したままだった

それだけじゃない

物語が伝えるところによれば

真実とほ何かというその質問をしたとき

ポンティウス・ピラトゥスは回答を待つことさえもしなかったという

彼は部星を出て立ち去ってしまった

答えなどあり得ないと思ったのだ

イエスが沈黙を守ったのも

それは答えられないと考えたからだ

 

しかし,この二つの理解は同じものではない

正反対だ

ポンティウス・ピラトゥスは

それが答えられないのは,真実などないからだと考える

「どうしてそんなことに答えられる?」ーー

それが論理的な心だ

ローマ人の心= マインドだ

イエスが沈黙を守ったのは,真実というものがないからじゃない

真実というものが巨大すぎるからだ

定義不能なのだ

言葉になど収まり得るものではない

言語には還元され得ない

それはそこにある

人はそれで在ることはできる

だが,それを言うことはできないのだ

イエスが沈黙を守ったのは

彼が真実を知っており

そしてまたそれが言われ得ないということを知っていたからだ

 

「真実って何ですか」

これより高度な質問は何もないと言ってもいい

なぜならば,真実よりも高度な宗教などないのだからーー

これは理解されねばならない

私はそれに答えるつもりはない

答えることなどできないのだ

誰ひとりとして,それに答えられはしない

だが

われわれはこの質問の中に深くはいり込んでゆくことはできる

深くはいり込んでゆくことによってこの質問は消え失せはじめるだろう

質問が消え失せたとき

おまえは,おまえのハートのまさに核心に回答を見出す

おまえが真実なのだ

 

真実というのは,ひとつの仮説ではない

真実というのは,ひとつのドグマではない

真実はヒンドゥー教でもないし

キリスト教でも回教でもない

真実というのは私のものでもなければ,おまえのものでもない

真実は誰にも属さない

が,誰もが真実に属する

真実とは在るそのもの(that which is )という意味だ

それがその言葉の正確な意味なのだ

それは ウェラ(vera)’というラテン語源から釆ている

ウェラとは在るそのものという意味だ

英語のwas ,were-それらはウェラから来ている

ドイツ語のwar

それもウェラから来ている

ウェラとは在るそのもの,解釈されざるものを意味する

いったん解釈がはいって来ると

そのときには,おまえが知るのは,〈現実リアリテイー〉であって〈真実〉ではない

現実とは真実の解釈されたものなのだ

だから,おまえが「真実とは何か?」に答えたその瞬間

それは現実= リアリテイーになってしまう

真実じゃない

解釈がはいり込んでしまっている

心= マインドがそれに色づけしてしまっている

現実は、心= マインドがあるのと同じだけたくさんある

真実は、 心= マインドがそこに無くなったときはじめて知られる

おまえを私から分離させ、他人から分離させ

存在から分離させているのは心= マインドなのだ

もし心= マインドを通して見たら

心= マインドはおまえに真実の映像を与えてくれはする

しかし、それは一つの映像

在るそのものの写真でしかない

 

‘‘リアリティー(reality )”というのも

理解されてしかるべきビューティフルな言葉だ

それは レス(res )”というラテン語源から来ている

物,あるいは物事という意味だ

真実は物じゃない

ところが,いったん解釈されてしまうと

いったん心= マインドがそれをつかんでしまうと

定義してしまうと,限定してしまうと

ひとつの物になってしまう

 

おまえがひとりの女性と恋に落ちるとき

そこにはある真実がある

もしおまえがまったく知らずに落ちたとしたら

突然、 、おまえがその女性を見,彼女の目をのぞき込み

彼女がやまえの目をのぞき込み

そして,何かがカチリと通じ合うーー

おまえはそのやり手(doer)じゃない

おまえの自我= エゴは関わっていない

少なくとも,ごくごくはじめのうち

まだ愛が純潔= ヴァージンのとき

その臍間.そこには真実がある

そこに解釈は何もない

愛がつねに定義不能なままなのはそのためだ

 

やがて心= マインドがはいり込んでくる

物事を処理しはじめ,おまえを支配しはじめる

おまえはその女の子を自分のガールフレンドだと考えはじめる

どうやって結婚しようかと考えはじめる

その女性を自分の妻として考えはじめる

さあ,そういうのは“物”だ

真実はもうそこにない

退却してしまっている

いまや物の方が大切になっている

定義可能なものはより安全だ

定義不能なものは危なっかしい

おまえは真実の息の根を止め

それを毒しはじめてしまっている

ハネムーソは過ぎた

ハネムーンは.真実が現実= リアリテイーになる

愛がひとつのく関係〉になる、まさにその瞬間に終わるのだ

ハネムーソはとても短い

不幸なことにーー

ただし,私が言っているのは

おまえたちが遠くまで出かけて行くハネムーン゜新婚旅行“のことじゃないよ

たぶんほんの一瞬、真のハネムーンはそこにあったかもしれない

だが.その純粋性

その水晶のような純粋性

その神々しさ

その超越性……

それはく永遠〉から来ている

それはく時〉のものではない

それはこの俗世の一部ではない

それは暗い穴に差し込んでくる一条の光線のようなものだ

それはく超越〉からやって来る

それを愛と、神と呼ぶのはまったくふさわしい

なぜならば.愛は真実だからだ

あたりまえの人生で

おまえが最も「真実」に近づくのは愛なのだ

 

「真実って何ですか」,

聞くということ自体が消え失せなければならない

そうしてはじめておまえは知る

 

覚えておきなさい

おおよそのものなど何もあり得ない

真実はあるか,あるいはそうでないかのどちらかなのだ

もしそれがおおよそだと言ったら

言葉の上ではそれは大丈夫(all right )に見える

が,それは正しく(right )ない

おおよそというのは,そこに何か嘘がある

そこに何か偽りがあるということだ

さもなければ,どうしてそれは100 パーセソト真実ではないのか?

それが99パーセソトだとしたら

そのときには何かそこi こ真実でないものがあるのだ

真実と非真実とは共存できない

闇と光が共存できないようにーー

闇とはく不在〉以外の何ものでもないからだ

(不在〉と〈現存〉とは共存できない

真実と非真実は共存できない

 

「真実って何ですか」,

回答は何ひとつ不可能だ

だから,イエスは沈黙を守ったのだ

静寂が回答なのだ

イエスは言っている

「静かでいなさい

私が静かであるようにーー

そうすればあなたは知るであろう」と

言葉で言っているのじゃない

それはひとつの仕草だ

ごくごく禅的だ

彼が沈黙を守ったその瞬間において

イエスは禅のアプローチ

仏教のアプローチに非常に近づいている

彼は,その瞬間においてはひとりのブッダなのだ

仏陀はこの質問にけっして答えなかった

 

根本的な質問

本当に重要な質問ーー

そのほかのことなら何でも聞いていい

仏陀もいつでも答える用意があった

ところが,根本的なことは答えなかった

なぜなら,根本的なことは体験するしかないからだ

そして,「真実」とは最も根本的なものだ

存在のまさに本体ーー

それが真実の何たるかだ

 

「真実とは何か?」

質問の中にはいって行ってごらん

そこに大いなる集中を湧き起こらせなさい

それを生死を賭けた一大事にするのだ

しかも、それに答えようとしないこと

なぜならおまえは答えなど知らないのだからーー

 

ところが、答えが来るかもしれない

心= マインドというのは、つねにおまえたちに答えを提供しようとするものだ

しかし,自分が知らないという事実を見てごらん

だから,おまえは尋ねているのだ

だとしたら,どうしておまえの心= マインドがおまえに回答を提供することなんかできる?

 

心= マインドは知りやしない

だからi  心= マインドには「静かにしていろ」と言って聞かせなさい

心= マインドのもち出すおもちゃに騙されないこと

心= マインドはいろんなおもちゃを提供する

心= マインドは言う

「見ろよ! 聖書にこう書いてある

見ろよ! ウパニシャッドにこう書いてある

これが答えだ

見ろよ! 老子がこう書いている

これが回答だ」ーー

心= マインドはあらゆる種類の経典類をあなたに放ってよこすことができる

心= マインドは引用もできる

心= マインドr は記憶からいろいろなものを引き出してくることができる

おまえはいままでにたくさんのことを聞いている

たくさん読んでいる

心= マインドはそういう記憶のすべてをたずさえているのだ

それを心= マインドは機械的にくり出すことができる

だが,この現象を見つめてごらん

心= マインドは知ってはいない

心= マインドのくり返してくることのすべては、借りものにすぎない

そして,借りものは役に立たない

 

心= マインドに気をつけなさい

心= マインドというのは引用ばかりしたがるものだ

心= マインドとうのは全然知りもしないですべてを知っている

この現象をよく見てごらん

〈洞察insight 〉するのだ

それは考えるというような問題じゃない

もしそれについて考えたりしたら

それはまたしても心= マインド

おまえは深く深く見抜いてゆかなくてはならない

心= マインドの機能を,心= マインドがどのように働くかを深く見つめなければならない

心= マインはあちこちからいろいろなものを借りてくる

そして貯め込み続けてゆく

心= マインドこそ貯蓄家だ

知識の貯蓄家だ

しかもいざおまえが本当に大切な質問をするときには

心= マインドはまったくいいかげんな回答をしてくれる

空しい,浅薄な,ゴミくずだ

 

心= マインドと悪魔だ

ほかに悪魔など何もいやしない

そして,それはおまえ自身の心= マインドなのだ

 

深く深く見通してゆくという洞察力が磨かれねばならない

鋭いひと太刀で心= マインドを真っ二つに切り裂きなさい

その刀が覚醒だ

心= マインドを真っ二つにして,それを通り抜けなさい

乗り越えるのだl

もしおまえが心= マインドを乗り越えられたなら

心= マインドを通り抜けられたなら

ノーマイソド

おまえの中に無心= ノーマインドの湧き上がる瞬間が来る

そこにく回答〉があるのだ

口先の回答じゃない

経典の引用でもない

真実おまえのもの

ひとつの体験だ

真実とはひとつの実存的体験なのだ

 

ちょっと湖に行ってごらん

岸に立って,水に映った自分の影を見おろすのだ

もしそこに波が立っていたら

風が吹いて湖面にさざ波があったなら

おまえの影は安定しない

どこが鼻だかどこが目だか?-

湖が静かで,風もなく

水面に波ひとつ立っていないときには

突如としてそこにおまえがいる

おまえの姿が映っている

湖が一枚の鏡になるのだ

 

いつであれ

おまえの意識の中を思考がよぎるとき

必ずそれは歪曲作用をする

そして,思考や分別の数には限りがない

何百万という思考や分別が,絶え間なくひしめき合っている

いつもラッシュアワーだ

交通は途絶えることなく,いくらでも続いてゆく

そして,ひとつひとつの思考や分別には

また何千というほかの思考や分別がつながっている

それらはみな手を取り合ってつながり合い互いに組み合わさっている

そして

その群衆全体がおまえのまわりにひしめき合っているのだ

それでどうして真実が何かなどわかる?

 

この群衆から脱け出しなさい

それが瞑想の何たるかだ

それが瞑想のすべてなのだ

心= マインド抜きの意識

思考・分別のない意識

ゆらめきのない意識

揺るがざる意識ーー

群衆から脱け出したとき

それらは一切の美と天恵のもとに具現している

く真実〉がそこにある

それを神と呼んでもいい,ニルヴァーナ(涅槃)と呼んでもいい

何とでも好きなように呼ぶがいい

それはそこにある

それも,それはひとつの体験としてそこにあるのだ

おまえはその中にあり

それがおまえの中にある

 

「真実って何ですか」

この質問を使いなさい

それをもっと透徹したものにするのだ

それに賭けて、心= マインドがあなたを騙すことができなくなるぐらい

それを透徹したものにするのだ

ひとたび心= マインドが消え失せたなら

ひとたび心= マインドがそれ以上古いトリックをしかけなくなったなら

おまえは真実とは何かを知るだろう

おまえはそれを静寂の中で知るだろう

おまえはそれを無思考の覚醒の中で知るだろう

 

* わたしは読んでいるのでなく、「聴いて」いる。いたく恥じ入り忸怩とした思いにも苛まれながら、聴いているのだ、毎日。

2012 7・2 130

 

 

* 槇佐知子さんが丹波康頼撰全三十巻全三十三冊、国宝で世界的文化財『医心方』の「全訳精解」を筑摩書房から出版されたと案内を戴いた。この人は、あの『江馬細香』の著者である門玲子さんと好一対の研究者・ 作家である。

この偉業までに多年を費やし続けてこられた。お手紙にもあるが、亡き瀧井孝作先生がある日殿ケ谷戸庭園へ行こうと誘って下さり、妻や建日子まで出掛けていった。ハケを観た。その足で落合の牡丹寺へ牡丹の盛りを観に行った。一行は十数人も。その中に槇さんもおられ、それが初対面だった。

『医心方』は鍼博士の丹波康頼が、宋以前の医書・仙書・仏典・哲学・文学などの文献を網羅して、九八四年に編纂した医学全書。千年にわたり全貌を知る人のなかった大著。医家の大いに秘かに頼りにした本であるとともに、「房内篇」巻二八にひっかけ性愛の書としてももてはやされた。日本漢方医学の根底の参考書であり、 他方では仏道の癒やしにも深く関わっている。人によって、世界最高レベルの医学業績と称え、世界中に伝えるべき成果として槇さんの此の仕事は絶賛されてきた。

 

* 他に、二冊、新著をもらっている。一冊は早稲田の教授になっていた千葉俊二君の谷崎にも触れた一冊。もう一冊は大阪の眉村卓さんのSF『眉村卓コレクション異世界篇 Ⅰ』で。眉村SFには全く予備知識がない。

ぽん、と肩を叩かれたので、ぼくはびっくりして、振り返った。

「やあやあ。こら奇遇やなあ」

相手は叫び、おまけに、ぼくの手を握りしめ、振りまわした。

と、書きだしてある。ル・グゥインやパトリシア・マキリップやトールキンの感触とはずいぶん違う。サイエンス・フィクションなのか、サイエンス・ファンタジイなのか。

2012 7・5 130

 

 

☆ 『ジャン・クリストフ』のなかで、作家ロマン・ロランは言う。

愛とは、信仰を絶えず新しくする行為である。神が存在しているにせよ、いないにせよ、それはあまり問題にならない。人は信仰を持つゆえに信仰を持つ。愛するゆえに愛する。そのための理由は不要である……

 

春に花咲く樹のように生と愛との重さを持たず、自己の豊饒を感じない魂は不幸だ! そんな魂に、たとえ世の中が名声と幸福とを山ほど与えるとしても、そのばあい世の中は、一個の死骸の頭に冠をかぶせているのだ。

 

それぞれの民族、それぞれの藝術がそれぞれの偽善を持っている。世界は、僅かの真理と多くの虚偽とで養われている。

 

敢えて不正当な態度を取るだけの勇気をもたなければならないような、そして、あらゆる讃美の心や、教え込まれたあらゆる崇拝心を振り捨てることを敢えてし、自分みずからほんとうだと思えないことの一切合財をーー虚偽をも真理をもーー敢えて否定しなければならないような、そんな一時期が人生にはある。

一人の健全な人間であることを欲する青年の義務は、一切を吐き出してしまうことである。

 

人は悟性(= マインド・・理知・分別心)によって創造するのではない。人は必然性によって創造する。

2012 7・6 130

 

 

☆  慵を詠ず  白楽天

官あれども慵(ものう)くして選ばれず

田あれども慵(ものう)くして農せず

屋穿(うが)てるも慵(ものう)くして葺かず

衣裂くるも慵(ものう)くして縫はず

酒あれども慵(ものう)くして酌まざれば

樽は常に空しきに異なる無し

琴あれども慵(ものう)くして弾(たん)ぜざれば

亦絃無きと同じ

家人飯(はん)の尽るを告げ

炊(かしが)んと欲すれども慵(ものう)くして舂(うすつ)かず

親朋書を寄せて至り

読まんと欲すれども封を開くに慵し

嘗て聞く 叔夜(=けいしゅくや という人は)

一生慵中(ようちゅう)に在れども

琴を弾き復鐵を鍛ふ

我に比すれば未だ慵しと為さず

 

* こんな境涯へのあこがれが、いつも永い人生にありわたしを或る意味で脅かしていた。

2012 7・6 130

 

 

☆ 『ジャン・クリストフ』のなかで、作家ロマン・ロランは言う。

生きることだ! 過剰にまで生きることだ! ……自分の衷にこんな力の酔い心地を、こんな生の歓呼をーー少しも感じない人は藝術家ではない。藝術家であるかないかの試金石はこれであ。まことの偉大さは、喜びと苦悩との中で歓呼し得るその力において認められる。

 

男たちは自惚れと抱負とに媚びられるとやすやすと心を昏まされる。そして藝術家は想像力がつよいだけに人一倍、その点で迷わされやすい。

 

美しいものを引きずりおとしてだいなしにすることを私は承認できない。

 

「諸君はみずから好むままの者であるがいい。だが何でもいいからとにかく真実であれ! たとえそのために藝術家たちと藝術とが悩まされることになろうとも、真実であれ! もしも藝術と真実とが共に生きることができないなら、藝術の方が消えうせるがいい! 真実は生であり、虚偽は死である」  クリストフ

 

クリストフは自分では気づかずにゲーテの偉大な言葉を注釈していたのだが、しかしクリストフはゲーテの高い清澄さ(セレニテ)にまだ到達していなかったーー

「民衆は崇高なものをおもちゃにする。もしも民衆が崇高なものの真相を見るとしたら、民衆は、崇高なものの有様を見るに耐えるだけの力をもたないだろう」  ゲーテ

 

* わたしはこれらの言葉を七十六歳の一人としてと同時に、一人の少年の心で受け容れる。わたしは今も少年であれることを悦ぶ。 2012 7・7 130

 

 

* とても睡い。血圧が下がっているのか。記録によると、だいたい130-140あった血圧がこの三週間ほどは平均して110台ときには102などという低いときもある。それで、こう目の前が白っぽく揺れるようであるのか。素人判断はできないが、五体が一日中睡けに取り巻かれている。だからこそ一日中断続して面白い本を読んでいる。日にかならず読むと決めている本は、階下で15冊、機械の前で3冊在る。

録画した映画も楽しんでいる。昨日今日は「大統領を作る男たち」前後編、期待通りに楽しんだ。この映画、夫婦して何度繰り返し観てきたことか。

役の名でいうと、FBI 捜査官のマンクーソ(ロバート・ロッギア)と、性的異常者で教師だった世界制覇野

心の副大統領候補男ファロン(ハリー・ハムリン)を「政治的英雄」に仕立てて反米活動に向かわせようとする底意と策謀を抱いた美女サリー(リンダ・コズロウスキー)が、フルに活躍する。二線級の俳優達をリアルに生かして四時間を超す大作に些かのブレがなく、ストーリー自体が緊迫して面白く、十分楽しませてくれた。

 

* 入浴してからだをやすめ、低血圧を案じながら八犬伝や指輪物語を楽しむ気。その間に、今夜は機械部屋を防虫燻蒸する。

2012 7・7 130

 

 

☆ 山寺   和漢朗詠集

更に俗物(しょくぶつ)の人の眼(まなこ)に当れる無し

但だ泉声(せんせい)の我が心を洗ふ有るのみ    白楽天

 

* いい気持ちで熟睡したいもの。それでも今日もう全部読み終えた本の中から、「八犬伝」「指輪物語」「イルスの竪琴」のどれかをさらに読み継いで寝たい。どれへ手が出るか。

2012 7・8 130

 

 

* 『元気に老い、自然に死ぬ』を、わたし自身も毎日少しずつ読み返している。

老いの死のということは、もっと先の先のことと先々へ追いやって生きていた時代が当然あった。じつは、この正月早々に胃癌と診断されるまで、老いも死もじつのところまだ先のことと思っていたのだろう、わたしは。したがって十二年も昔の山折さんとの対談は、たぶん山折さんも、むろんわたしも、まだ先々を遠望しながらの老いと死との予行演習に過ぎなかった。またそれだけに、問題や視野をひろげて総ざらえに論じ合っていたと思う。抜けた大きな問題にも気づいているのだが、ともあれかなり論点は網羅的に並べ立てていた。老いにも死にも、無関心ではこれだけさらけ出すことはやはりムリだったろう。

いまもう一度対談すれば、すくなくもわたしは、死にふれて深刻に話さざるをえまいが、そんなわたしの背を支えてバグワンの言葉が力になっているに相違ない。

2012 7・9 130

 

 

* 夜前、マキリップの三巻本の第一巻『星を帯びし者』を読了、すぐ第二巻に移行。此の、マキリップの『イルスの竪琴』が、わたしは、よほど気に入っている。泉鏡花研究者でもあった脇明子さんの翻訳もいいし、原著者の精緻な構成力にぐいぐいと惹かれて常に新鮮、常に誘惑される。

何度読み返してきたろう。十度は軽い。英語版でも一度通読していて、できればまた、と願っている。ますます面白くなる第二巻、第三巻を、右眼手術の入院時にも病室にもちこみたい。『八犬伝』は精微に馬琴独特のルビが本文一面に振られていて、視力に制限のある間は、ムリしない。トールキンの『指輪物語』も連れて行きたい。

 

* 今日は放心に近いまま午前を過ごし、昼食も摂れず、睡くて眠くて、本の数冊しか読めぬうちに寝入ってしまった。夕食も、まるで入らない。抗癌剤服薬第二期四週間は明日で終わり、二週間休止となる。すこしラクになりたい。

 

* バグワンは「明け渡し surrender 」ということを、よく話してくれる。他のバグワンの話を十分繰り返し聴いているので、「明け渡し  surrender」の理解や納得には近づいて、憧れているわたしがいる。同時に容易に「明け渡せない」わたしもいる。当然にも自我=エゴへの拘りは捨てねばならない。言うは簡単だがこれこそが容易でないのは、「明け渡そう」と願っている誰もが知っている。

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

明け渡しというのは、何かおまえがやれるようなことじゃない

もしおまえがそれをやったら、それは「明け渡し  surrender」じゃない。

なぜなら、やり手(doer)がそこにいるからだ

明け渡しとは

「自分はいない」という一つの大事な「理解」なのだ

明け渡しとは

自我=エゴというものは存在しない

自分は世界・全体=total と別々ではない、という一つの洞察なのだ

明け渡しとは、「行為」ではなく「理解」なのだ。

一瞬たりといえども

おまえは宇宙と別々に存在することなどできない

 

自我=エゴというものについて最初に理解されねばならないのは

それが存在しないということだ

仏陀やイエスと同じに私はそれを知っている

おまえはそれを知らない

違いはただの理解の差だけだ

 

明け渡す主体が見付からないその瞬間に、明け渡しがあるのだ

おまえがニセ物である以上

おまえが何をやろうとそれはニセ物だ

そして根本的な偽りは

自我=エゴ、つまりは「俺は俺だという観念なのだ

 

おまえは、「私の明け渡しは目標志向です」 と言う

自我=エゴはつねに目標志向だ

それは、いつも、もっと、もっと、もっとと追い求める

自我=エゴは、絶え間なく腹を空かせているのだ

それは未来に生き、過去に生きている

貯蓄屋としてだ。

 

目標とは何だろう?

ひとつの欲望ーー

自分はそこに達しなければいけない

自分はそうならなくてはいけない

自分は成し遂げなくてはいけない……

自我は現在には生きていない

生きられないのだ

なぜならば,現在というのは本物だから!

そして自我=エゴというのはニセ物だ

その二つはけっして出会わない

過去というのはニセ物だ

それはもうありはしない

自我=エゴというのは墓場なのだ

 

一方でF,それは未来に生きる

またしても,未来というのはまだ来ていないものだ

それはイマジネーションであり、幻想であり,夢だ

自我=エゴはそれと一緒に生きることもできる

いとも簡単だ

ニセ物どうしというのはとてもウマが合う

 

「現在」にいる,いまここにいることを強調するのだ

まさにこの瞬間ーー

もしおまえに冴えた知性があったら

私の言っていることを考える必要など何もない

おまえはただただそれをまさにこの瞬間に見て取ることができる

自我=エゴなどどこにある?

そこには静寂がある

そして,そこには何の過去もなく

そこには何の未来もない

この瞬間ーー

おまえはいない

この瞬間をあらしめてごらん

おまえはいない

そして.そこには途方もない静寂がある

そこには深い静寂がある

内も外もーー

そうしたら,明け渡す必要など何もない

なぜならば

おまえは自分がいないということを知っているからだ

自分がいないということを知ることこそが「明け渡し」なのだ

 

それは私に明け渡すという問題じゃない

それは神に明け渡すというような問題でもない

それは全然明け渡すなどという問題じゃないのだ!

明け渡しとは

自分がいないということのひとつの「洞察」

ひとつの「理解」なのだ

自分がいないということ

自分が無であるということ

空であるということを見ることによって

明け渡しが育ってゆく

明け渡しの花はく空〉という樹に育つものだ

それは目標志向などではあり得ない

が,自我=エゴは目標志向だ

自我=エゴというのは未来をあこがれてばかりいる

2012 7・9 130

 

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

リラックスしてごらん

ただそこにいるのだ

おまえがただただそこにいる

何をするでもなく坐っているーー

と,その意識の中で

春が訪れ,草はひとりでに生える

 

それがそっくり仏教のアプローチの全体だ

何であれおまえがやることはやり手(doer)をつくり出し

それを強めてしまう

見張ることもそう

考えることもそう

明け渡すこともそうだ

何であれおまえがやることは必ず罠をつくる

おまえの側でやる必要のあることなど何もない

ただ‘‘いる(be)”のだ!

そして,物事の起こるのにまかす

やりくりしようとしないこと

操作しようとしないこと

 

やるなんておまえは何者か?

おまえはこの大海の中のひとつの波にすぎないのだ

ある日,おまえはいても

また別なある日,おまえは消え失せてしまう

海は続く

なんでおまえがそんなに気をもまなくちゃいけない?

おまえはやって来る

おまえは消える

その合い間の,この小さな幕合いに

おまえはあきれるぐらい気をもみ,緊張し

重荷という重荷を全部自分の肩にしょい込む

全然何の理由もなしに,自分のハートに重石(おもし)をする

 

おまえは絶えず言う

「それはそうですよ,バグワン

でもちょっと,どうしたら悟った人間になることができるのか教えてください」ーー

そのなること

その達成癖

その欲望は

目にはいってくる対象のことごとくに跳びかかってゆく

あるときそれはお金だし,あるときそれは神だ

あるときそれは権力だし,あるときそれは瞑想だ

とにかくどんな対象でもいい

おまえはそれにつかみかかってゆく

つかまないことこそ

本当の生を,真実の生を生きる生き方だ

無取得,無所有ー-

物事を起こらせなさい

生をひとつのハプニングにするのだ

 

ただやり手(doer)にならないこと

2012 7・11 130

 

 

* いまきまっての読書の中で、折口信夫全集のなかの「藝能篇」を面白く読んでいる。或る程度多年の下地もあり、復習するように独特の論攷に馴染んでいる。古代藝能の萌芽が成熟して祝言藝に成って行く経緯など、肯きながら面白く納得して行く。

「古今著聞集」の方はまだ「釈教」篇でそうそう面白くはないが、やがて世俗に触れて行くのでどんどんおもしろい説話が読めるはず。これまでもたくさん拾い読みしてきたので素性は知れている。退屈していない。

「栄花物語」は道長時代を盛期として主として後宮の変遷を描いているのだが、大きな流れは、人が生まれ、縁づき、死んで行く、まさしく大勢の人がただただ「死んで行く栄花」の物語なのである。その特色に、したたかにアテられている。

2012 7・12 130

 

 

* いま次の愛読書に狙ってるのは、「荘子」。「老子」よりよほど読みやすいから。秦の祖父の残してくれた和綴じ三冊本、いつでも手元へ移せるよう用意してある。東洋文庫の『中国古代寓話集』には、荘子篇、列子篇、戦国策篇、韓非子篇、呂子春秋篇などが収めてあるその全部が祖父蔵書として残されてある。なんという有り難い家にわたしは「もらひ子」されていたことか。

荘子はこうも言うている。

 

会えば離され、成れば壊され、廉}(かど)だてば挫かれ、 出世すれば批評され、事を行なえばけちをつけられ、賢なれば謀られ、愚なれば欺かれる。 人の世の累いをまぬかれて安らかにあり得るのは、ただ道(タオ)の世界に遊ぶことのほかにはないのだよ」と。

道(タオ)を説いた老子と一心同体と公言してきたバグワンもそれを言う。わたしもつくづくとそれを思う。おもしろい世間でもあったが、イヤな世間でもあった。

ただ、どんなにイヤな世間でも其処を通ってこなくては、道(タオ)は、分からないのではないか。バグワンへの信頼と帰依は深まる。

 

* 唐代伝奇集の二冊も、面白い。

2012 7・13 130

 

 

☆ (音楽家ジャン・クリストフは言う=)ほんの少数の、良い人々から愛され理解されることの方が、無数の白痴に作品を聴いてもらって、あら探しをされたりお世辞を言われたりしているよりも遙かに良く、遙かに楽しいではないか? ……栄誉を求め名声を誇る悪い根性には僕はもうつかまれない。

音楽の領域と文学の領域とは互いに無縁な、そして密かに敵意を持ち合っている二つの「国家」であるらしいが、僕には、シェイクスピアは、ベートーヴェンと同じく無尽蔵の生の源泉だ。

僕は、藝術上の離れ業を嫌う、自然を歪めるすべてを憎む。女は女であり、男は男であるのを僕は好む。

 

* 文学は音楽を根にし、絵画の花を咲かせる。

2012 7・13 130

 

 

☆ 陶淵明集より

栖栖失羣鳥   栖栖たり羣を失へるの鳥、

日暮猶独飛   日暮れて猶ほ独り飛ぶ。

徘徊無定止   徘徊して定止する無く、

夜夜聲轉悲   夜夜 聲 うたた悲し。

響思清晨    響 清晨を思ひ、     響は高い鳴き声

遠去求何依   遠く去りて何に依るかを求む。

自値孤生松   自づから孤生の松にあうて、

斂 遙來歸    (つばさ)を斂(をさ)めて遙に來歸す。

勁風無榮木   風勁く榮木無けれども、

此蔭獨不衰   此の蔭獨り衰へず。

託身已得所   身を託するに已に所を得たり、

千載不相違   千載 相ひ違(さ)らざらん。

 

* 「飲酒」一連の第四首だが、詩人陶潜の経歴と帰去来の安心とが諷喩されているとわたしは読んでいる。「自づから孤生の松にあうて、 (つばさ)を斂(をさ)めて遙に來歸す。風勁く榮木無けれども、此の蔭獨り衰へず。身を託するに已に所を得たり、千載 相ひ違(さ)らざらん。」とは、至らずとも、吾が思いも其処にある。

2012 7・13 130

 

 

*  バグワンはいわゆる聖人や宗教教団に名をはせた宗教者・聖職者には厳しく当たるが、仏陀はもとよりイエスやソクラテスや老子らとは篤い一体感、称讃の純粋な共感を何度も何度も語っていて、それにもわたしは信頼を寄せ同感している。ひととおり旧約も新約も聖書は全通読してきたが、聖書を、また仏典などを「読む」という行為自体には、バグワンの言うとおり、たいした意味は感じていない。むしろ囚われてはならぬと思っている。奇跡にも、まして奇跡という「言葉」にも囚われていない。関わる気がない。奇跡は有っても無くてもわたしの手も思いも及びはしない。それどころか、へたをするととんでもなくエゴをこねまわすことになる。

 

☆ ロマン・ロランが言う

悪意をふくんでいる批評に対する最良の返答は、決して返答せずにどしどし自分自身の創造的な仕事をつづけることである。藝術上の不当な攻撃をいちいち相手にして必ずそれに返答するという悪い習慣に染まってはならぬ。

 

☆ ジャン・クリストフが言う

私はあなた(=大公)の奴隷ではありません。私は言いたいことを言うでしょう。書きたいことを書くでしょう。

 

* 息子の秦建日子にも甥の黒川創にも、これを伝えたい。

2012 7・15 130

 

 

* 昨日河出書房から新刊の文庫本、秦建日子『サマーレスキュー 天空の診療所』が届いていた。

救える命は救いたいという著者の思いは、日曜夜九時に放映されているドラマからも確かに伝わってくる。姪のやす香に死なれた体験や、今度の父親の胃癌や母親の心臓の手術などに立ち会ってくれた体験が生きているのだろう。

子供の頃にはそうは言わなかった、「死んだら死んでしまいだ、死なんか考えないよ」と。そうは言いながら、漱石の『こころ』を読んでやると、途中で泣き出した。どうしたか聞くと、自殺した「K」が「可哀想」と泣いていた。体験を積み重ねながら、確かに生きて行く。確かに生きているようだと眺めている。

2012 7・16 130

 

 

* 唐代伝奇集など東洋文庫の四冊を愛読。二十冊ほどを階下と二階とで日々愛読、それがクスリの副作用に負けない絶好の緩和剤となっている。「書く」習いと「読む」習いを強制や干渉なく植え付けてくれた時代と恩師の大勢に感謝」 している。

2012 7・16 130

 

 

* 自分の関わった対談『元気に老い、自然に死ぬ』を、時間をかけて読み返し読み終えた。お元気な山折哲雄さんへも、亡くなった松永伍一さんへも、敬意を新たにしたことが、よかった。

2012 7・17 130

 

 

* 送られてきた大阪の松尾さんの和泉式部の内側へ潜り込んだようなエッセイは、面白く書かれていた。早い内に「e-文藝館= 湖(umi)」の「古典を味わう」室に展示させてもらう。技術的な展示方法をしっかりまたも頭に入れないといけない。技術や方法は、ちょいと怠けていると、すぐ忘れてしまう。

毎晩の読書に、岩波文庫の『和泉式部集』があり、 克明に撰歌の楽しみを続けている。撰歌のあと、笠間書院に贈られた佐伯梅友さんらの浩瀚な『和泉式部集全釈』を楽しんで読みながら、より厳格な撰歌を更に試みてみたいと願っている。

実はそれだけでなく、 『和泉式部日記』を今日の眼で解剖してみたいとも、久しく、思っているのです。

したいことは、幾らでも有るモンだなあ。

 

* 「 e-文藝館= 湖(umi)」に作を入れる入れ方が頭の中でアイマイになってしまっている。明日、落ち着いて調べよう。

2012 7・18 130

 

 

* 書庫へ入る。28度、湿度70%もある。それでも、なかなか出られない。書庫は、わたしの宝庫。

2012 7・19 130

 

 

☆ 汲々不及吟十首  清水房男歌集より

 

齢だからと言ひつつ遣り処なき思ひ吾より若き友の逝きたり

 

祖母も叔父も長き生(よ)終へし九十四か其の九十四に吾もなりたり

 

如何にすれば救はるるかといふ嘆き神も仏も有り無しのまま

 

今にして吾が力には片付かぬ事のくさぐさ更にまた一つ

 

老年性被害妄想の故かとも纏はりやまぬ此の不快感

 

何がどうといふ事もなき思ひにて寒き昼すぎ家出でて来ぬ

 

あの男のいやな笑顔の記憶ありたぶん昭和期末年のころ

 

何なりしか九十余年の吾の生ねがひて叶ひし事とても無く

 

虚し虚しと独り呟きゐたりけり何虚しきか取りとめも無く

 

もう長く生きゆく事もあるまいと思ふ時すら希々にして

 

* この老歌人のまだ壮年の頃の歌であったろう一首に、衝撃を受けたのを忘れない。

 

思ふさま生きしと思ふ父の遺書に長き苦しみといふ語ありにき   清水房雄

 

この一首の「長き」という尋常な一語に籠もる「父」の思いにわたしは泣いた。どのように其の子からでさえ「思ふさま生きしと思」はれようと、そんなものではない。「父」は生涯「長き(さまざまな)苦しみ」を背負っている。

2012 7・19 130

 

 

☆ 汲々不及吟十首  清水房男歌集より

 

寒き雨降りつぐ一日家ごもる老に避け難き事の何くれ

 

さびしがり居りても今は仕方なし遙かになりぬ人も記憶も

 

肌シャツを脱ぎ換ふる時うら淋し告ぐべくもなき心の疲れ

 

九十六歳とあれば当然の如くして森繁久弥死去の報道

 

老のうた詠みつぐ吾を批判する君し老いなば何詠むらむか

 

暮れやらぬ空にしろじろ寒の月黐の木末を去らむともせず

 

さまざまに花のあはれを歌ふ人遠く及ばぬ人とさびしむ

 

思ふこと思ふがままに詠まむなど面倒なこと人の告げ来ぬ

 

唯しぶとく生きてゐる事よと言ふ声もひそかに聞きてほくそ笑みゐつ

 

救ひ無きこころ歌ひて何になるか寂しさや独り尽きぬ寂しさ

 

* 何を食べてもそのもの固有の味わいが全然賞味できず、なにもかもが苦い。舌の味蕾がすべてザラザラに荒廃しているらしい。美味いと思いたいはやまやまなれども、体力を落とさないためにはとにかく食べるよりないと自覚している。

今日浴後の体重66.1kg。朝にはかったときはものを着ていたが、66.5kgあった。あやうくもう66キロ台を踏み割りそう。

明日からの入院がなにか気分の転換を生んでくれるといいが。

 

☆ 效陶潜體  白楽天

嘗(かつ)て彭澤の令と為り。官に在る纔かに八旬。

愀然として忽ち楽しまず。印を挂(か)けて公門に著け。

口に帰去来を吟じ。頭(かしら)に漉酒の巾(きん)を戴き。

人吏留むれども得ず。直(ただち)に故山の雲に入り。

五柳の下に歸来し。還(また)酒を以て眞を養ふ。

人間の榮と利と。擺落(はいらく)して泥塵の如し。

先生去りて已に久し。紙墨遺文あり。

篇々我に飲むことを勸め。此外云ふ所無し。

我老大より來(このかた)。竊(ひそか)に其人となりを慕ふ。

其他及ぶべからず。且(しばら)く效(なら)ふ醉ふて昏々たるに。

 

* 只今の吾が述懐として、遠く及ばざれども。

2012 7・21 130

 

 

* 午后三時、九日ぶりに聖路加眼科病棟を退院して家に帰ってきた。右眼の黄斑前膜および白内障の手術は無事成功し、診察するどの医師達も「キレイになっています」と。命ほど大事な眼であり、ほっとした。ずうっと病室では眼帯をつけ、日に六度の点眼も実行しながら、左の片目で新しい湖の本の一冊分を初校しおえ、トールキン「指輪物語」の第二巻一冊を読了、マキリップ「イルスの竪琴」 第二巻を読了、東洋文庫の「中國古代寓話集」を三分の二も読み進んだ、病室へ此の三冊を選んでいったのは大成功で、トールキンとマキリップのファンタジーは繰り返し読んでも滴る魅力にひきこまれ続け、一字一句も逃さず楽しんで楽しんで読んできた。寓話集は荘子、列子、戦国策、韓非子そして呂子春秋からの精選されたおはなしをたっぷり楽しんで胸に畳んできた。

 

* テレビでは折りからオリンピックだったが、「金メダル確実」の「金メダルしか頭にない」のと聞かされ続けると、挙げてメダルの奴隷のように思われ、選手達が哀れだった。柔道の福見選手などわたしは試合まえから可哀想でならなかったが、銅メダルにも届かなかった。届かせなかったのは、マスコミや多血質の応援者の過剰な間違った応援にあった。百平泳ぎの北島も然り。

勝つの負けるのに拘泥しすぎて負けてしまう。そこへ行くと、一度一度を懸命にれいせいに闘っていたアーチェリー三人で勝ち取った銅メダル、女子重量挙げの三宅選手の銀メダルは光っていた。積み上げた努力が光ったのであり、勝とう勝とうでは躓いてしまう。 わたしは、ぎすぎすしたメダル・オリンピックより何層倍も、吾々の此の世からはしっかり離れた精緻な巧緻な文藝として輝ききった世界的なファンタジーや寓話の方が面白いと、夢中になれた。

2012 7・30 130

 

 

* 七月尽。ひとつの危機至り、幸いに免れるを得た。

 

身を観ずれば岸の額に根を離(か)れたる草

命を論ずれば江の頭(ほとり)に繋がざる舟    羅維

2012 7・31 130

 

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

デンマークの哲学者キェルケコ゜ールは、「無」は恐怖を生むと答えている。

無というのは事実上の体験なのだ

おまえはそれを深い瞑想の中で

さもなければ死が訪れるときに体験することができる

死と瞑想とがそれを体験する二つの可能性だ

そう

ときには愛の中でもまたそれを体験することができる

もしおまえが,深い愛の中で誰かの中に溶け去ったなら

おまえ一種の無を体験することができる

人々が性愛をこわがるのはそのためだ

彼らはほどほどのところまでしか行こうとしない

そこまで行くとパニックが起こる

そこまで行くと彼らは怯えてしまうのだ

ずっとオーガズム的な状態にいられる人がほんのひと握りしかいないのはそのためだ

なぜならば

オーガズムというのはおまえに無の体験を与えてくれるからだ

おまえはその中で消え失せる

おまえは何か自分でもわからないものの中に溶けてゆく

おまえは定義され得ざるもの中にはいってゆく

おまえは社会的なものを乗り越え

分離というものが効力を持たない,自我(エゴ)というものが存在しない

ある〈統一〉の中にはいってゆく

そして,それは恐ろしいものだ

なぜならば,それは死のようなものなのだから-

 

だから,ひとつには愛‥‥‥

しかし、人々はそれを避けることを学んでしまった

数えきれないほどの人たちが愛にあこがれながら

しかも,無の恐怖のために

そのあらゆる可能性をぶち壊してばかりいる

 

ひたすら愛し、そして瞑想した人間だけが

意識的に死ねるだろう

そして一度意識的に死んだら

もうおまおは帰ってくる必要がない

それが涅槃(ニルヴァーナ)だ

 

* バグワンの説くなかで、ときどきにこの愛と死とがあらわれ、わたしは、これを体験として理解している。わたしが死を予感的に体験したのは、病気などではなかった、真実の性愛において、若い頃にそれを悟り信じた。怖くはなかった。それはよくわたしの言う「一瞬の好機」にほかならない感覚の絶頂が感じられた。

2012 8・1 131

 

 

* 就寝前の十七冊の読書は、何度か横になるつど次々に読み進んでいる。機械の前でも何冊か読み継いでいる。

今月は、月半ばに松本幸四郎と松本紀保、松たか子父子が演じる「ラ・マンチャの男」を観る。日生劇場や帝劇で繰り返し観てきた。どんな演出の舞台になるか、楽しみ。

月末には二日続きで舞踊の「松鸚会」へわたし独りで楽しみにゆく。

 

* 病み痩せて腕(かいな)に寄する小皺波幾重と果てで肩に漂ふ  湖

2012 8・2 131

 

 

* 朝七時には点眼と決まっているので、熱帯夜を夜更かししないよう、十数冊の読書を昼寝時に半分分けている。

「栄花物語」は後朱雀天皇の御宇。平安朝の高潮期は一条帝の頃と後朱雀帝のころとにラクだの瘤のように盛り上がり華咲いた。

「和泉式部集」の撰歌、じりじりと下巻に進んでいる。

「古今著聞集」はまだ公事を語っていて、面白くなるのはこのあと。

「折口藝能学」は説経や浄瑠璃や祭文などの成り立ってきた歴史の奥を覗き見ながら、説得力ゆたかに要点をみごと述べて行く。

「丹後と天橋立」は旅する心地で。むかしむかし思い立って独り橋立へ旅し、文殊荘という老舗旅館を独り占めするほどせいせいと宿泊した。橋立より、この宿りがのびやかに嬉しかった。蕪村の取材で加悦へも出かけた。もういちど橋立まで行きたい行きたいと願っているのだが。

東洋文庫の四冊は、それぞれに途方もなく面白い。「唐代伝奇集」一、二「捜神記」「中国古代寓話集」読みふけっている。

チェーホフの「妻への書簡集」ほど心温まるおもしろい読書は珍しい。

ゲーテの「イタリア紀行」も旅に同行しているように惹き込まれる。

とっておき楽しいのはファンタジイ。高田衛さんの「八犬伝の世界」に導かれながら克明に読む「南総里見八犬伝」、浩瀚しかもホビットはじめいろんな人種の共存した波瀾万丈が面白いトールキンの「親指物語」、マキリップの精緻な構成力が別次元の他界の不思議と懐かしさを生き生きと読ませてくれる「イルスの竪琴」。

息子の河出文庫「サマーレスキュウ 天空の診療所」も面白く、ときに小さく感心しながら読んでいる。

辻邦生の「夏の砦」が意外に進まない。

そして、むろん「バグワン」。

2012 8・5 131

 

 

* 老子に、「心を虚しくし、腹を実たせ」とある。「いまの人は心を実たすばかりだ」と裴航という仙骨の者が語っていた、「藍橋物語」という唐代伝奇のなかで。

航は言葉を継いでいる、「心が実ちれば妄念がおこり、腹が漏れれば精気があふれ出てしまう」と。「心が実ちれば」とは、さまざまな思念・思考・分別により心の乱れはち切れそうなことを直視している。荀子が、心は一点集中も八方関心も可能だが「静」かな心こそと教えていた。この教えは仏陀も老子も同じ。

 

* 午後読書あと二時間ほど寝た。食すべきは。味より量と心得、せいぜい食べようとしている。体調は維持していると思うが、歯痛はやむなくロキソニンで抑えている。

2012 8・6 131

 

 

* 病院で建日子の新作小説『サマーレスキュウ』を読了。清潔さと優しさ。それが持ち味のママ、あっさりと、しかし涙ももよおす感動編に成っていて、今までのドレよりも抵抗少なく読めた。

2012 8・8 131

 

 

* 唐という時代は永かったが、遣唐使問題で発言していた菅原道真の頃も唐の時代、前の隋の時代は聖徳太子の頃であった。唐の次の宋とは清盛台頭の時分に通商や交流があった。

その『唐代伝奇集』を読んでいると、まるで普通のことのように、忍術ならぬ仙術真っ盛りで、人がしばしば「神」とも「天人」とも「お化け」ともなり、世俗世界で大活躍している。書き手もいっこう不審をもたず、不思議は不思議なりに現実に神仙の変化が入り組んで、ばかばかしいと思うほどさまざまな吉凶を平然当然に書いて説得している。

日本には、久米仙人や役の行者程度で、日本霊異記にも今昔物語の説話などにも神仙の活躍はめったにみられない。神仙文化でなく仏教の影響下で日本の古代文化は成っていた。

東洋文庫の目次に、面白いという心地で赤丸がたくさん付いた。まだまだ楽しめる。わたしは魔法や魔術に遠い憧れをもっている。 2012 8・9 131

 

 

* 加賀乙彦さんの大作『雲の都』第四部第五部をかわりなく頂戴した。完結を待つ。

ペン副会長眉村卓さんの新著『傾いた地平線 眉村卓コレクション異世界編Ⅱ』も戴いた。

もと朝日記者重金敦之さんの『愚者の説法 賢者のぼやき』も戴いた。

朝松健さんの時代物文庫本も贈られてきた。

なかなか読めないが、いつか。

2012 8・11 131

 

 

* 『古今著聞集』は巻第四「文学」になって俄然面白い。「序」の文学の起源と効用の事」は、書経などに拠り、こう在る。

 

伏羲氏(神話的三皇帝の一人)の天下に王としてはじめて書契( 文字) をつくりて、縄をむすびし政(まつりごと)にかへ給ひしより、文籍(書物)なれり。孔丘(孔子)の仁義礼智信をひろめしより、この道(文学)さかりなり。書に曰く、「玉琢(みが)かざれば、器に成らず。人学ばざれば、道を知らず」と。また云はく、「風(ふう)を弘め俗を導くに、文より尚(たふと)きは莫(な)く、教へを敷き民を訓ふるに、学より善きは莫し」と。文学の用たる、蓋(けだ)しかくのごとし。

縄の結び方を公示することによって指示・通告などし、天下の政治を行っていた時代があったのだ。

古めかしいようでも、現代がはるかに忘れ去っている貴重な願いがよく言い表されている。遙かに恥じ入らねばならぬのは、今日の政治であり文学である。

この文学篇は、「百済からの漢籍の伝来に始まり、平安末鎌倉始めの治承文治の頃にいたるまでの、王朝貴族文化の精粋と言うべき漢詩漢文にかかわる説話三十五話を収め」ているのが魅力で、和漢朗詠集ともさながら気息を合しているかに楽しめる。

例えば、高徳の 念上人は入唐のおり、本来橘直幹の秀句であった

 

蒼波路遠雲千里

白霧山深鳥一声

 

を「霞千里」「虫一声」と変改して自作として披露した。唐の人は聴いて読んで称賛のうえで、「佳句」なれど「おそらくは雲千里、鳥一声と侍らば、よかりなまし」と批評した。「さしもの上人の、いかにそらごとをばせられけるにか」と訝しんでいる。説話ははからずも多くを伝えてくれて面白い。好きである。いい漢詩や秀句を貪るように此処でも読める。

 

* もう一冊の妙趣を『チェーホフ書簡集』一冊、妻の、舞台女優としても名をはせたオリガ・クニッペルに送り続けた莫大手紙で受けとっている、巻を置かせない。深刻な文学観や演劇論が書かれているわけでない。チェーホフは小説や劇作の中でほとんど己を露出させない作者であった。その隠れていた分が、この、妻への書簡集にめったにこうは出会わない大人の「恋文」となり、愛溢れる言葉で満たされている。手紙を欲しい欲しいと書き続けている。クニッペルはモスクワの藝術座でチェーホフ劇の成功、大成功に貢献し続けており、チェーホフは病弱の身にモスクワの寒さを避け、遠く保養地のヤルタに別れ住む歳月が永かった。

二段組みの四百二十頁の、試みにどこを開いてもいい、「僕の可愛いひと、素晴らしいひと、りっぱなお嬢さん、驚くべきひと」「可愛い僕の小犬さん」「可愛い女優さん」「僕の天使」などという呼びかけが不動の基調となり、結びは、「いずれにしろ僕は君を固くキスし、激しく抱き締めて、もう一度お便りに感謝して、君を祝福します、僕の喜びさん。便りを下さい、便りを。お願い!! 九等官にして騎士である 君のトト」などと。

もっともっとバラエテイあり、気持ちはすべて上のような人恋しさに溢れている。わたしは日録風、見聞や交際風の記事よりも、この愛ある「呼びかけ」と「むすび」とをひたすら無邪気に楽しみ読んで、いよいよチェーホフが好きになっている。

もう程なく、また俳優座稽古場公演の「かもめ」を観るのだ。

2012 8・12 131

 

 

* いま、スキャナもプリンタも使えなくなっていて難渋だが。だから大きな引用はムリだが、バグワン『般若心経』を読んでいる内、こういうのに、また出会った。

 

ほかの何かに依存する心・マインドはまがいものの自己だ

自我・エゴーー

自我・エゴというのはつっかい棒なしでは存在できない

それはつっかい棒を欲しがる

何かがそれを支えなければならない

一度あらゆるつっかい棒が取り除かれてしまったら

自我・エゴは地面に崩れ落ちて消え失せる

そして、自我・エゴが地面に崩れ落ちたときはじめて

おまえの中に、永遠であり

時を超えた

不死の意識が湧き上がる

 

そこで仏陀は言う

「隠れみのなどというものは何もない、シャーリプトラよ

惑いの治療法などというものは何もない、シャーリプトラよ

何ひとつありはしないし、どこにも行くべきところなどない

おまえはもうすでに其処にいるのだ」、と。

 

* 先日再刊した山折哲雄さんとの長い長い対談、湖の本112『元気に生き 自然に死ぬ』のわたしのあとがきは、「抱き柱はいらない」と題されている。この対談は二〇〇〇年(平成十二年)八月、九月、十一月に成ったものだが、「抱き柱(=つっかい棒)はいらない」というわたしの思いに、どれほどバグワンが感化していたかは分からない。

バグワンを知る以前から、わたしは、人間がいかに雑多な「抱き柱」にしがみついて不自由に生きているかに気づいていた。有難い法然一枚起請文の「南無阿弥陀仏」一念すらも、与えられたみごとな「抱き柱」の一本と見定めていた。

「抱き柱はいらない」という無謀なほどの発語がどれほど私に確立しているかは覚束ないが、「おまえはもうすでに其処にいるのだ」という仏陀の言葉が、大きな慈悲でまた公案でなくて、何であるか。

2012 8・13 131

 

 

* 機械に向いていると、からだの重さを感じない。かすかな違和はいつも感じているけれど、「仕事」「読書」「機械」のときはわりときれいに忘れている。

2012 8・14 131

 

 

* 建日子が面白いよと置いていったSF、ジェームズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』を、就寝時読書の仲間入りさせた。併読している本はこれで19冊になっていて、読み終えた一冊一冊のあとを当分は増やすまいと。

わたしはファンタジーをサイエンス・フィクションより好んでいる。映画の「マトリックス」のように哲学の感じられるものは大歓迎だが。建日子の置いていった本がどう展開するのかまだ知らない。いい出逢いだといいが。

 

* 『栄花物語』で驚嘆するのは、例えば歌合の際のしつらえの美麗で巧緻なこと。ことに女歌合での衣裳の華麗は言い尽くせない。また御堂関白といわれた道長の御堂造営の経過と達成の豪奢で緻密なこと。貴族社会の濃密な親族関係。この物語ではことに後宮の人事や位取り確認が主たる叙述の目的にされており、まさに「女文化の歴史」が、思いの外乾いた筆致で書かれて行く。道長薨去の以降になり、わたしは改めてこの歴史物語に魅されている。

2012 8・15 131

 

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

人間が不死を信じるのは恐怖から来ている

人間が神を信じるのは恐怖から来ている

それはおののきから来ているのだ

斯く言うゼーレソ・キェルケゴールは、あたり前の心=マインドについてなら正しい

 

もうひとりの実存主義哲学者ジャソ・ポール・サルトルは言う

「人間は自由の刑に処せられている」

 

普通の心=マインドにとってはその通り

なぜならば,自由は危険を意味するからだ

自由とほ,何ものにも依存することができない

おまえは自分自身に依って立たなければならないという意味だ

自由とは一切のつっかい棒=抱き柱が取り去られてしまう

一切の支えが消え失せてしまうという意味なのだ

自由とは根本的には< 無> を意味する

おまえはおまえが< 無> であるときはじめて自由なのだ

 

それは不安だ

おおかた誰も自由になんかなりたくない

人々が何を言い張っているかにかかわらずだ

誰一人自由になりたくなんかない!

人々はむしろ奴隷になりたがる

なぜならば、隷属状態にいれば

誰かほかの人に責任をなすりつけられるからだ

 

自由になるとあなたは恐ろしい

責任が出てくる

ひとつの行為におまえはひとつひとつ責任を感じる

だがそうなるとすべて選択はおまえがする、選択はおまえのものだ

そして選択はおののきをつくり出す

だから、サルトルは普通の心=マインドについては正解だ

「自由は不安を生む」

 

彼サルトルは言う

「人間は自由の刑に処せられている。なぜならば,自由は恐怖を生むからだ。自由は恐ろしい。私が自由であるのなら,何ひとつ

として私自身の行為を正当化してくれるものはないからだ。私をかばってくれるような何の価値も与えられていはしない。そうした価値は自分自身でつくり出すほかはない。私が自分自身と自分の宇宙の意味を決定する。ただひとりで,正当化することも弁解することもなしに。私は,ヴェールを脱ぎつつあるひとつの自由であり,あなたはまた別な自由なのだ。すなわち,私の自由は私の在存の絶えざる露呈であり,あなたの自由もまたしかり。われわれが一個の独立した存在であるということは,われわれのひとりひとりが自分なりの方法でこれをやるという事実によって支えられている。」

l

ところが、それを仏陀は

おまえ方にこの自由の中へ

この< 無> の中へと入って行くことを求めている

当然,おまえはそのための用意がなければならない

 

 

般若心経の受け手のシャーリブトラはいまや用意ができている

それゆえに,おおシャーリプトラよ,菩薩が知恵の完成に依って思考の被覆なしに住するのは,彼の無達成のたまものである。思考=マインドの被覆不在のもとで,彼は何をも恐れず,心を転倒させるものを克服しており,そして最後にはニルヴァーナ=涅槃に至る。’’                .

 

心を転倒させるものを克服しており……

そして

彼にはこのく無)に入って行くのに何のおののきもないのだ

 

それは普通の心=マインドにとってはほとんど不可能にすら見える

自分が消え失せようというときに

どうしておののかずにいられよう?

自分が<未知>の中へ溶けてゆこうとしている時に

どうして震えないでいられる?

どうして逃げ出さずに踏みとどまっていられる?

とうして,さまざまなまなつっかい棒や抱き柱の支えを見つけて

またしても自我=エゴという

自己という感覚をつくり出す愚をくり返さないでいられる?

 

仏陀は生涯に時をかえ人をかえて、じにいろいろに説いた。

矛盾をとがるのは易しいかも知れぬ

 

これを心にとめておくがいい

私の所説も矛盾をはらんでいる

なぜなら,それらは、その時その場所で異なった人々に向けられているから

異なった意識に向けられているからだ

おまえが成長すれば成長するほど

それだけ私は前と違ったことを語るだろう

 

〈無〉は自由をもたらす

自己からの自由こそは究極の自由だ

それより高次の自由は何もない

〈無〉は自由であり

そして,それはJ .P .サルトルが言うような不安でもなく

キェルケゴールが言うようなおののきでもない

それは祝福だ

それは究極の至福なのだ

それはおののきじゃない

なぜならば,そこには誰もおののく者がいないのだから-

 

* わたしはしばしば「自由は寒い、けれど自由だ」と語ってきた。

「抱き柱は抱かない」という思いは、わたしの内からも生まれ、わたしの外の世界からもあまりに当然に生まれた。

2012 8・15 131

 

 

* 『イタリア紀行』のゲーテの精神の健康と豊穣な感性には、讃嘆をすら忘れて共感する。なんというみごとな「人間」か。

だいたい人の{紀行}をわたしは好んでは読まない。書く気もあまり無かった。だいたい手前みそに安易に感情的に書かれているし、自分も書きかねないからだ。

『イタリア』紀行にはそんな浮薄は全然ない。書かれているイタリアもすばらしいが、それよりもなによりも、此処に「巨人」がいると唸らされる。

2012 8・18 131

 

 

* 体重65.9kgに落ち込む 朝の血圧 107-59(76)   血糖値96  寝ているのか目覚めているのか判然とせぬ一夜だった 三時頃起きて十冊ほど本を読んだ

 

* 折口信夫『「八島」語りの研究』に多くを教えられ、興趣尽きぬものあり、次いで「巫女と遊女と」という、わたしには関心も興趣も尽きない論考に立ち入った。久しく柳田国男全集の多くを垂涎の思いで愛読してきた。折口信夫の独特のひねた物言いに躓いて永くとびとびにしか読んでこなかったのが、今や惜しい。

「( 江戸時代の=)昔の人は都会と郊外とを区別して、郊外に住む人は『江戸の町』に対して『江戸』といつた」というような微妙・微細なところへまで折口は言及してゆく。吉原などへ「大尽(=大神) と言はれる男が伴れてくるお伴をえどがみといひ、その土地で大尽を取り巻くものをぢがみと言ってゐる」といった言及は、日本の神と人との関わりの歴史を、遥かな昔にまでさかのぼって示唆している。たまらなく面白い。

 

* 「内裏にて作文の折、高倉院御秀句の事」とある『古今著聞集』の一事に、その秀句「あに忘れんや一字の金に勝れる徳を」とあるのを、文士として大事に感銘した。

また『丹後の宮津』という思いがけず愛読しつづけている本に、「弓の木城址」の由来を述べながら、足利時代二百四十年間の丹後守護としての一色氏の最期が略述されているのが興ふかく嬉しく、加えて「野田川」がかつての「倉梯川」であること、川の南に「倉梯山」のあったことを、古事記にさかのぼり哀惜されているのにも心惹かれた。此処には古代の悲恋物語の一場面が刻印されていたのである。

昔ならたちまちに「小説に」と勇んだろう、今はそんな娑婆っ気はない。「想像して楽しむ」という「独り道」が在る。捨てがたい好い道である。

 

☆ ゲーテ『イタリア紀行」より

一七八七年一月二日

文書や口頭による伝達に対していかに有利な弁護がなされようとも、結局それはごく少数の場合のほかは大てい不完全なものである。何かあるものの真の本質を伝達しようというのはそもそもできない相談であり、精神的な事柄においてさえそうである。しかし人がひとたびしっかりと実物を見ておきさえすれば、読書をしても、また人から話を聞いても奥が深い。それは活きた印象と結びつくからであって、そこで初めてわれわれは思考したり判断したりすることができる。

私が鉱物や植物や動物をある確固たる見地から特別の愛著をもって観察していたとき、諸君はよく私を嘲笑し、それから私の手を引かせようとした。しかし、今や私は(=ローマに在り) 私の注意を建築師、彫刻家、画家に向けて、そしてここにおいてもまた自己を発見することを学ぼうと思っている。

 

* 「一字」に「金」に勝る徳を見ながら、しかも言葉の、書字の、不安定をわたしは感じ続けてきた。ゲーテの剛強で精緻な「人間」に心惹かれてやまないことを、わたしのためにいつも嬉しく思う。

 

* そしてヤルタのチェーホフの、モスクワの藝術座女優で妻オリガ・クニッペルに送っている、送り続けている愛すべき同情するに足る、書簡。

「いくら君に手紙を出しても、僕はぜんぜん満足できない。僕らが一緒に体験したことのあとでは、手紙じゃ足りない、もっと一緒に暮さないなんて、僕たちは罪ふかいことだ !      僕は君を祝福しますよ、僕のドイツちゃん、僕は君が楽しくしていてくれるのを喜んでいます。固く、固く君をキスします。 君のAntonio 」

 

* わたしは、今日日本の政情等々に苦痛を覚えながら、「優れた世界」に限りなく愛されている。「ラ・マンチチャの男」も出光美術館で観てきた「東洋の白磁」たちも、わたしが愛してきた以上に、じつはわたしが愛されてきたのである。

2012 8・19 131

 

 

* 谷崎潤一郎は、中国の文人に同感して、また吉川幸次郎の説にも共感して、文学の粋は「随筆」としている。谷崎の随筆は創作にも並んでじつに素晴らしいと、若くより、活字からうま味を吸うように愛読してきた。たまたま「雪」など繙き、ついでに全集のその巻を読み始めれば、どうしようもなく呼び込まれ、遁れがたい。

佳いものは、佳いのだ、ジャンルによらないのである。

2012 8・21 131

 

 

* 「知性が悟りへの扉になることはできますか? それとも悟りは明け渡しを通してしか達せられないのでしょうか?」という質問にバグワンは答えていた。

 

☆ 般若心経をバグワンに聴く。  スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。

 

悟りはつねに明け渡しを通してある

だが、明け渡しは知性を通して達せられるものだ

明け渡せないのは間抜けだけだ

明け渡すには大いなる知性がいる

明け渡しというポイソトを見抜くことは洞察のクライマックスなのだ

自分が存在と別々ではないというポイソトを見抜くことは

知性がおまえに与え得る最高のものなのだ

 

知性と明け渡しとの間には何の衝突もない

明け渡しは知性を通じてある

ただしあなたが明け渡したときには

知姓もまた明け渡されている

明け渡しを通じて知性はあたかも自殺を犯す

それ自身の空しさを見抜いて

それ自身の馬鹿馬鹿しさを見抜いて

それがつくりだす苦悩を見抜いて

それは消え失せる

だが,それは知性を通じて起こるのだ

そして,とくに仏陀に関して言えば

その道は知性の道だ

”ブッダ(buddha) というまさにその言葉からして

”目覚めた知性 を意味する

 

般若心経の中で使われている言葉の四分の一は”知性”を意味する

 

ブッダ(buddha)=目覚めた

ボーディ(bodhi )= 目覚め

サンボーディ(sambodhi)= 完全に目覚めた者

アビ・サムブッダ(abi sambuddha )= 完全に目覚めた者

ボーディサットヴァ(bodhisattva )= 完全に目覚める用意のできた者-ー

すべて”知性”を意味する

”ブッドゥ(budh)”という語源に帰着する ブッディー(buddi )”=知性という言葉も

また同じところから来ている

 

”ブッドゥ(budh)”という言葉の中には少なくとも五つの意味がある

 

第一は目を覚ますこと

自分自身を起こすこと

そしてほかの人たちの目を覚ますこと

目覚めていること-ー

その意味では、悟りに至る者が夢から覚めるように覚めるところの

迷いのまどろみの中に眠りこけていることとは対照をなしている

それが知性=ブッドゥ(budh)の第一の意味なのだ

おまえの中に目覚めをつくり出すことーー

普通、人間は眠りこけている

自分が目覚めていると思っている間でさえ

おまえは目覚めてなんかいない

仏陀の視界(ヴィジョン)から見たら

おまえは眠りこけている

なぜならば千と一つの夢や思考が

おまえの内側で騒ぎ立てているからだ

おまえの内なる光はほとても曇っている

それは一種の眠りだ

 

”ブッドゥ(budh)”の二番目の意味は

認識する、つまり、気づく、通じる、注目する、心にとめる、というようなことだ

真実を知りたいと思ったら

おまえは幻覚の中に生き続けるわけにはいかない

おまえは偏見の中に生き続けるわけにはいかない

偽りは偽りとして認識されねばならない

偽りは偽りと、非真実を見極める気づきーー

 

語源”ブッドゥ(budh)”の三番目の意味は

知るということ、理解するということだ

仏陀は在るそのもの(that which is )を知る

彼は在るそのものを理解する

彼の本当の真正な興味は知ることにある

知識じゃない

 

そして四番目の意味は悟ること(be enlightend )

そして悟らせる(enlighten )だ

人間はかなり奇妙だ

彼らはヒマラヤ探検ばかりしている

月や火星に手を伸ばしてばかりいる

ただひとつだけ彼らがけっして試みようとしないことがある

彼の内なる実存を求め尋ねることだ。

 

そして、”ブッドゥ(budh)”の五番目の意味は

”推し測る”ということだ

こうも言える

”貫く”ことだ

あらゆる邪魔物を落として

おまえの実存のまさに核心

そのハートを貫くこと

この経典が、ザ・ハート・スートラ

般若波羅蜜多心経(Prajna paramita-hrdayam Sutra )と呼ばれているのはそのためだ

”貫くこと”ーー

 

* 深みが謂われてあると、感じる。

2012 8・22 131

 

 

* 読み終えた『唐代伝奇集』二冊は、「太平広記」「文苑英華」「説郛」「顧氏文房小説」「唐宋伝奇集」「唐人小説」等を下地に参照して周到に編まれていた。前野貞彬氏の編訳で、達意の文である。巧みに和語化された詩に、原文があれば有難かったが。

中国の、ことに古代では小説は詩や随筆に比して遙かに対等でも物の数でもなく軽蔑され貶められていた。

この「伝奇集」はそんな小説というジャンルの中で、不可解・不思議な物語や断片が選録されていて、化け物や仙人や神々や霊魂が無数に現われて人間に接してくる。ふるいつきたい美女も数限りなく男の前に現れ出て、玄妙な経緯を生み出す。人間のためにはある種の教訓や警戒すべき機微が表されている。長編もあり断片に近いものもある。奇妙な不思議は人の世のためには善悪ともに前兆であり警告であり、運不運の予告である。

そんな話柄の、ものの数百もをわたしは楽しんで読んだ。

中国人は、こういう不思議に様々に感化された歴史を歩んできて、浪漫主義ではない、独自に頑固な現実主義を、現世の福禄寿思想を、意地づよく築き固めてきた。

尖閣諸島の領有争いにも見受けられる、ああいう頑固さ、不作法さは、さんざんにお化けや奇怪な神々や妖しい獣たちのお話により獲得してきた人間欲の堅さ、頑なしさが表に出たのである。彼らは現実に都合の良いことにだけ化け物でも信仰するのだ、信じもせずに。

日本の怪談や化け物や怨霊など、あまりに人間に憑き過ぎて、ばかばかしいほどの途方も無さをもっていない。中国の伝奇や怪談やロマンスには、桁違いな世界の広さがある。

2012 8・25 131

 

 

☆ 池上   白楽天

山僧対 坐   山僧 に対して坐し          碁

局上竹陰清   局上竹陰清し

映竹無人見   竹に映じて人の見ることなし

時聞下子声   時に子を下す声を聞く      子(し) 碁石

 

* 清風来る思いで愛唱。

2012 8・30 131

 

 

* 栄花物語が「後三條天皇」の世にさしかかっていて、この異色の天子の異色ぶりをすこしは当惑ぎみに叙しているのが面白い。この天皇は平安王朝には珍しく藤原摂関家との外戚関係がなく、つまりは血縁遠く、摂関家等の露骨な干渉を受けなくて済んだ。顕著な一例が、摂関家とかかわりのない地位において低い公家の娘をみつけ、かの桐壺にも似て寵愛し皇子を産ませ、手厚い祝福の行事を何はばからず行っている。東宮には子があった。産まれた皇子はさながらに光君にも擬せられよう。その後が楽しめる。

この天皇は、荘園にも管理の手をそめて改革意図の濃い人であった。わたしは昔から注目していた。

神武に始まり百二十五代の平成天皇まで、わたしはものの三分間ほどで歴代を暗誦できる。退屈すると、たとえば待たされているときとか、歯医者でがりがり治療されているときとかに、指折り数えて時を稼ぐ。以前は海外の男女優の名や、赤穂浪士の名など数えて時間稼ぎしていたが今はまるでダメ。歴代天皇と百人一首の名や歌を数える程度。

天皇歴代では、ちょうど十ないし十一にあたる天皇に注目している。神武、崇神、雄略、敏達、天武、持統、桓武、醍醐、後三條、後鳥羽、亀山、後小松などである。むろんこの回り合わせに当たらない後白河のような天皇もあり一概に言えないが、事跡を検討すると一種の日本史記述が出来上がるだろう。

 

* 古今著聞集は「和歌」に移っている。和歌や漢詩のなんと面白いことだろう。

そして折口藝能論は本が傍線で真っ赤になってしまうほど興味津々で、なかなか読みを休めない。

 

* 谷崎の「東京をおもふ」の興味深いことはどうだろう。叙事と内容との渾然として停滞せず頁ごとに意表をつかれる。全集のこの一巻の大冊、読み終えるのに年を越すかも。

 

* 年のことでいま思い出した、今年は暮れの誕生日がくると喜寿七十七歳になるのだった。病気つづきでそんな祝い事は念頭を落ちこぼれていた。古希の時は歌集文庫「少年」が折りよい記念になったが、今度は何のアテもない。平凡社文庫がいつ頃の刊行か、知らない。

 

* 読んでいるホーガン作「 星を継ぐもの」はまだ半ばだが、徹頭徹尾「科学の追究」で、物語らしい筋書きは全然無い。それがサイエンスフィクションの神髄めいておもしろい。何が話題にされているか言うてしまいたいが、それではこれから読む人の邪魔になる。 2012 8・31 131

 

 

* 眠れないからと妻が朝五時半に起きてしまったので、つられて、そのまま読書十三冊。

折口博士の舞と踊り、歌舞伎踊りなどの論の面白さ。

谷崎が関東大震災後に関西へ移住した心境など、「東京をおもふ」の谷崎証言は貴重。おおよそは読み得ていたけれどもっと慎重に読んで胸に納めていてよかったと、少し悔いが残る。

平安の公家達が、いかに「作法」という生活枠に習熟しつつ変化や機転の妙にも対応していたことが「古今著聞集」でよく知れる。

 

* チェーホフが余儀ない夫婦別居を強いられていたのはオリガ・クニッペルがモスクワ藝術座に不可欠な才能豊かな人気女優であり、チェーホフには時に血を吐くほどの病をヤルタの温暖を頼んで癒さねばならなかったから。チェーホフの妻への手紙は同居の成らない寂しさやいらだちを懸命におさえての切ない「恋文」が、さも愉快げに書かれていて、胸を打つ。

一方、憧れのローマに滞在しているゲーテの日ごとの藝術観想や自覚の表現の健康なことに圧倒され、頷いている。

 

* 亡き辻邦生さんの「夏の砦」は、作者の、ディテールにも潤沢におよぶ想像力と表現へのまさに陶酔感に感嘆する。小説の筋など無視しているかのように感じてしまうほど、ヒロインの男性的な口調でしかも繊細に深刻に彫り刻まれてゆく描写力。

辻さんが、とても懐かしい。長谷川泉さんは著書に、辻さんとわたしとを、タイトルに「反リアリズム」と括っていた。そうかも知れない、それているのかも知れない。

 

* マキリップの「イルスの竪琴」は終巻なかば、迫力とふしぎに充ち満ちて、読み進むのが惜しい。

馬琴の「南総里見八犬伝」は、高田衛さんの「八犬伝の世界」に導いて貰いながら、無条件に面白い。巻をまた新ためた。

「指輪物語」にも熱中し、巻を新ためた。

この三冊、日々読書の楽しみの、芯に成ってくれる。

 

* 東洋文庫の「中国古代寓話集」も「捜神記」も、フムフムと楽しい。

 

* 読書に没頭できる「幸福」を、老いてなお切実に実感する。

2012 9・1 132

 

 

☆ 花に別る   白楽天

花林好住莫     花林好住して  (せうすゐ)すること莫(なか)れ

春至但知依舊春   春至らば但(ただ)知る舊に依りて春なるを

楼上明年新太守   楼上明年新太守     (=新しい佳い人が登場する筈)

不妨還是愛花人   妨げず還(また)是れ花を愛する人

2012 9・1 132

 

* 大島史洋氏から新刊の「アララギの人々」を戴いた。「幸福を追わぬも一つの卑怯」とうたってわたしの東工大生活を学生と共に豊かにしてくれた歌人。表紙にとりあげたアララギ歌人の名が列挙してある。これだけで一つの「歴史」が読み取れて有難い。

正岡子規、伊藤左千夫、長塚節、古泉千樫、中村憲吉、島木赤彦、斎藤茂吉、平福百穂、土屋文明、土田耕平、松倉米吉、高田浪吉、築地藤子、佐藤佐太郎、小暮政次、宮地伸一。一人二人よく知らない名前も混じっているが。

大上段の論考でなく、エッセイの集成のようにも思われ、楽しんで読みたい。 感謝。

 

* わたしの人生に和歌、短歌がもし無かったら、どんなに味気なかったろう。母子がとおく離れて生きそして死に別れたが、生母は歌集一冊を遺して逝った。亡き兄恒彦が、「きみが歌をやっていてくれて、ほんとうによかった」と言ってくれたのを忘れない。茶の湯だけでなく和歌というものの歴史的に在ることを寝物語におさないわたしに初めて教えてくれた、秦の叔母つるにも感謝は深い。

そして今、わたしは俳句にも、漢詩にも、ほんとうに嬉しく日々に心惹かれている。幸せなことだ。

 

☆ 白楽天「水村に客を送る」詩句  和漢朗詠集より

帆開いて青草湖中に去る           「青草湖」は洞庭湖南端

衣湿(うるほ)うて黄梅雨裏に行く     「黄梅」は梅雨を謂う

 

水駅の路は児店の月を穿つ  「児店」は蘇州の景勝地 友の旅立ちを送っている

花船の棹は女湖の春に入る  「女湖」も蘇州の景勝

 

櫨の実のしづかに枯れてをりにけり   日野草城

万巻の書のひそかなり震災忌      中村草田男

 

* 大判の二冊、完備した「歳時記」が隣棟にあるのを、場所をとられるが身近へ運びたくなっている。

 

* 九十半ばの老歌人清水房雄さんの歌集「汲々不及吟」をおもしろく通読して爪印をつけ、さらに読み直して丸印をつけ、また更に読み直して二重丸をつけた。書き出して作者に送り、「e-文藝館・湖」に招待したいのだが、書き出す時間がないのに閉口している。同じような閉口が多すぎてなさけない。

和泉式部集にもそのような撰歌をはじめて、まだ半ば。爪印にしたがって、やがて「和泉式部集全釈」の解を読み合わせられる日を楽しみに待望している。これらもみなわたしの「仕事」である。したい「仕事」がいっぱい。わたしの最も早い時代の「仕事」に『花と風』が在った。中頃には『蘇我殿幻想』が在った。いま満を持してあれらに類する「随筆」を悠々書き継ぎたい思いに襲われている。

2012 9・2 132

 

 

* 夜前、東洋文庫『中国古代寓話集』完読した。荘子、列子ら道家の寓言と、儒家の寓言の性質のちがいが興味津々読み取れてありがたかった。前者は「事実」にとらわれず「事実らしく」人と世との「真実」に深く触れようとする。後者は世の「事実」や「実在の先人」に拠りつつ教訓する。寓言・重言としては前者が優るという編者の言にわたしも同調する。

2012 9・2 132

 

 

* 『丹後の宮津』という案内本を読み継いでいる。要領の良い親切な本で、少しずつ丹念に読んでいる。曽遊の地である懐かしさもあるが、与謝蕪村への関心がのいていない。加悦に古跡を尋ね、宮津の見性寺や実性寺など訪ね歩いた。天橋立よりそっちが主眼のふらり独り旅だった、まだ会社勤めのころだ。蕪村のことは『あやつり春風馬堤曲』という奇妙な小説を「湖の本35」として書き下ろし出版している。そのままの続編に山椒大夫を書き、第三部で浦島太郎を書くと「予告」しておきながら、とりまぎれている。忘れたことはない。書けるだろうか。わからない。「丹後」という地へのふしぎな夢がある。

『なよたけのかぐやひめ』(湖の本47)も「丹後」に触れあう一つ。

たとえ書けなくてもそういう夢のような世界は、わたしの内側で光るように生き続けている。冥利というべし。

2012 9・3 132

 

 

☆ 微雨夜行  白楽天

 

漠漠秋雲起   漠漠として秋雲起り

稍稍夜寒生   稍稍(せうせう) 夜寒生ず

自覚衣裳湿   自から覚ふ衣裳の湿ほふを

無点又無声   点無く 又 声無し

2012 9・3 132

 

 

* プリンターの本機への接続が間違っていると見え、繋ぐと、何の指示もしないのに勝手に作動してやたらものを刷りだしてくるのに、閉口。それとADSLがまるで働かず、機械の始動が遅い遅い。待つことには慣れているので辛抱して、その間にもちらちらと本を読んでいる。

 

* 仕掛かりの創作がいろんなメモで錯雑としているので、少しずつ整理した。いつでもどの選択肢からも取り組めるように。

 

* 「神楽」というのを久しく何と理会していたろう。天の岩戸舞や祭礼の折りに舞われる舞とか。

「かぐら」とは実は「かみくら 神座」とは思いよらなかったが、移動する神人たちが神体を容れる箱、入れ物がもともとの「かぐら」であり、神体として多く獅子頭などを容れて移動したことが、地方の方言としても、事実としても多く遺されてある。

そういうことを、ごく、アッサリと折口信夫博士は告げ語って、眼の鱗を落としてくれる。

 

* 和歌をわたしはもう昔から、倭歌という以上に「和する歌」と受けとって理会してきた。そういう意見はあまり聞かない、今日では。しかし『古今著聞集』の「和歌」巻第五は多くの「和する歌」で編まれていて、その神妙・玄妙に拍手なされている。古今集に継いで編まれた「後撰和歌集」 を今日も二階廊下の窓に凭りかかり拾い読みしていたが、特徴的に和する歌を主に編まれてあると従来の感想を改めて新たにした。さきごろ千載和歌集を撰歌して読者に届けたが、前々から気に懸けてきた今度は後撰和歌集を撰歌し鑑賞してみたくなってきた。

後撰集世界は小説『秋萩帖』(湖の本25 26 )に書いている。生やさしい作でないが、平安博物館の館長であられた生前の角田文衛先生が、京都からわざわざ電話をくださり「よく調べられましたね」と褒めてくださった。後撰和歌集に、伊勢についで多く歌を採られていた或る女人、大輔の誤り伝えられてきた出自を、小野道風との恋とともに追いかけた「現代」恋愛小説だった。そのときから後撰集はおもしろいなと思っていた。「著聞集」を毎日読み継いでいてむかしの興味をふと蘇らせた。

2012 9・4 132

 

 

* 午後、気づかずにいたロシア映画「戦争と平和」第二部の途中から観て、第一部から観られなかったのをくやしがりながら、あまりの画面の美しさに感嘆しながら、ナターシャの初々しくも危うい恋の美しさとあはれとに魅入られていた。アンドレイに惹かれて求婚を受けながらアンドレイは一年の猶予を請い、その一年はナターシャは「自由であり婚約にとらわれないで欲しい」と告げられる。背景にアンドレイ公爵家の家の事情も伏在していたがそれを知らぬうら若い処女ナターシャには過酷な要請であった。そして、無頼の武官に恋をしてしまい誘拐されそうになったのを、辛うじて阻んだのはナターシャからもアンドレイからも信頼厚いインテリのペーチャだった。ナターシャの中途の恋を伝え聞いたアンドレイは冷たく婚約の解消をペーチャに言い、ナターシャのロストフ伯爵家に伝えてくれと頼む。

オードリー・ヘプバーンの「戦争と平和」も好んで観たが、さすがロシア映画は、美しさと感性の豊かに清潔で静粛でかつ絢爛たる演出において擢んでていた。明日の第三部は必ず観る。トルストイの『戦争と平和』ほど好きなロシア文学は無い。

このトルストイとチェーホフとは、ことに親しかったと『妻への書簡集』に繰り返される記事で知られる。心嬉しくなる事実。

それにしてもチェーホフの結婚生活のいかにもの哀れであることか。チェーホフは貧しい下層の出で、トルストイ伯爵家とはちがう。しかも彼は家庭と一族とを支え、母と妹の存在に気兼ねして婚期を大きく逃し続けていた。女優オリガ・クニッペルとの結婚式の挙げ方も異様であった。宴会に知友を招いておいて二人でぬけだし、教会でふたりだけで夫妻の誓いをし、その足で遠く旅立っていった。結婚の前にチェーホフはオリガに、挙式前に誰一人にも結婚を告げないと誓って欲しい、そうしたら結婚しようと頼んでいた。母と妹への気兼ねであったと伝記は伝えている。

トルストイの晩年の家庭生活も必ずしも幸福では無かったと、よく知られている。二人の文豪はしたしく何を語り合っていたのだろう。

 

* 『イタリア紀行』のゲーテは聳え立っている。

 

最もすぐれているものは二度も三度も眺めているが、そうすると、いくらか順序がついてくる。主要なものがそれぞれ適当な場所に座を占めると、より価値の少ないものはそれらの間に(ほどほどに=)収まってしまう。 私(=ゲーテ)の心は落ち着きのある興味を感じつつ、より偉大なもの、最も純真なものへと惹かれてゆく。

よいもの、よりよいものを明らかに見て知ることができるということは、まったく特別の作用である。ところがわれわれがそれを自分のものにしようとすると、それはいわば掌の中で消え失せてしまう。それでわれわれは正しい(善い=)ものを掴まないで、捕え慣れているもの(ばかり=)を掴むということになる。

物事を立派に仕上げるためには、一生を通じての練習が必要である。われわれは自らを、他と比較すべきでなくして、むしろ独自の方法によって行動すべきである。

 

* 「主要なものがそれぞれ適当な場所に座を占めると、より価値の少ないものはそれらの間に(ほどほどに=)収まってしまう」という言葉はあまりに厳しいと、創作者ならだれしも心に歎くだろう。だが歎くことではなにも変わらない。「その通りだ、だが、時間の力の前で、そうは簡単に収まりはせぬ」と、わたしも、常に、「私の心は落ち着きのある興味を感じつつ、より偉大なもの、最も純真なものへと惹かれてゆく。よいもの、よりよいものを明らかに見て知ることができるということは、まったく特別の作用である」からだ。「自らを、他と比較すべきでなくして、むしろ独自の方法によって行動すべきである」と信じているからだ。

2012 9・4 132

 

 

* 東洋文庫の「捜神録」には、実に多彩に怪力乱神が語られている。孔子等が「君子は怪力乱神を語らず」と謂っていたのは、正反対のことが世に行われていたからだと編者は言い、信じられないほどの奇怪な現象や人事や騒動が、いかにも面白げに書き留められている。これがいわゆる「志怪小説」そのものであり、われわれのいわゆる「小説」のもはや疎んじてばかりいられない、出発点となった。

そんな文学史はこの際の要点ではなく、この頃の日本の社会に、大学生が幼い女の子を鞄に押し込め性犯罪目的で誘拐拉致しようとしたり、そのたぐいの異様な殺傷行為もまさしく氾濫気味に日々報道されている。「捜神録」に倣って謂うなら、どこかでこういう乱暴や陰険や犯罪や騒乱の種になる政治や経済の奇怪現象や事故が起きていることの反映なのだと謂うことになる。大地震も大津波も原発の爆発も、政治の不誠実な停頓や混乱や欺瞞も、東電など儲け主義者たちの悪辣も、それらが拠って以て人心の制御不能の暴発などを招いているのだと謂うしかない。

中国では、幼い子が自動車に轢かれままた再び轢かれて路上に倒れていても、平然と、見向きだもせず真側を人が、親子連れも、大人も、車も、通り過ぎて誰一人も倒れて瀕死の女の子を助けようとしない「ニュース映像」を目の当たりに見せられた。肌に粟立ち、よそながら恥ずかしい極みであった。

何故こんなことが。中国の政策がしからしめたのであり、国民は二人と子をなしてはならない、産めば一人は殺処分も勧められていた。死にかけた余分な者は死んでしまえばよいという政策に、国民は同調せざるをえない。かくて上のような凄惨な酷薄な光景が実現していた。「捜神録」の昔の紳士たちなら、国の滅びる前兆だと理会し書記して世に警告していただろう。

日本でもそういう事態にさしかかっていること、凶暴で無差別な事件多発が指さしている。

2012 9・8 132

 

 

* 二時過ぎに家を出た。空気も燃えたようなギラギラの熱暑。それでもバス停がわずかに木陰になっていた。江古田からまたバスに乗る。江古田二丁目から歯科医院まで、日陰を辛うじて縫うように。左下の歯から神経をぬく治療、事前にレントゲンを三枚。かすかに左奥の上下がしみる程度なのだが、虫歯もぐらぐらもいくらも有るらしい。お任せしますと。

四十年余も、同じ歯科の父・娘先生に診てもらっている。

帰路、江古田ですこしだけ遠回りしてブックオフへ。なぜだか前回立ち寄って「椿説弓張月」が無いかと聞きに立ち寄ったときから、岩波文庫が買いたくて堪らなかった。「易経」上下巻、「後撰和歌集」「拾遺和歌集」「後拾遺和歌集」プーシキンの「大尉の娘」ツルゲーネフの「猟人日記」上下巻、都合八冊も買ってきた。溜まりに溜まった本の整理に苦心しているのに新しい本が買いたくて読みたくて堪らないとは、これも病気か。呵々。気をつけないとまた眼を患いかねない、一時に読む冊数を自制し抑制しないといけない。しかし買って帰った八冊はすぐにも読みふけりたく誘惑されている。後撰和歌集とロシアに文学を勃興させたプーシキン晩年の最高傑作とされる「大尉の娘」に、もう、ウズウズしている。

ついでにブックオフ近くの和菓子店で棒羊羹いろいろを買い、江古田駅前のマクドナルドで、食べられないかなと希望的観測のもとに、油で揚げたジャガイモのスティックLサイズを買い、さらに保谷駅でタネ無しピオーネ葡萄の房を買って帰った。

医院の待合でも、行き帰りの西武線でも、平凡社のゲラをずんずん読んでいた。昨日の帰りほどでは無くても、グダグダにからだは暑さに参っていた。夕食は、やっとこさ冷や飯半膳にチリメン山椒をふりかけただけ。期待のポテトスティックも苦くて食べられなかった。食べる食べ物のどれもこれもが苦くて苦くて堪らぬとは、ほんと、情けない。

2012 9・10 132

 

 

* 昨夜はつぶれるように寝入った。

 

* 体重65.4kg 血圧107-59(64) 血糖値 91   体重65.4kg  朝、バナナ半本 巨峰三粒 ポテトスティック数本 小羊羹一つ 中華風握り飯半分 服薬 心気体感ともに尋常。午前、横になって読書十五冊、さらに平凡社文庫本の校正。昼、何を食べたとも。とにかく苦くて。午後も仕事、平凡社文庫本を責了に出来るまで読み切った。「後撰和歌集」の解説を読み、概略を頭に入れた。晩は、卵かけの飯を半膳、巨峰四粒、他は覚えぬまま、服薬。ズーンと体の芯が溶けたように気怠い。両腕は肘上の関節まで色素沈着で黒ずんでいる。晩、イラクとのサッカー試合など観て体感の重さをまぎらわす。

 

* 湯に浸かり、八犬伝、指輪物語、星を継ぐものを楽しんだ。湯の温度がからだの懈さを忘れさせてくれる。

2012 9・11 132

 

 

* 大久保房男さんが「三田文学」に連載されている「戦前の文士と戦後の文士」をずっと読んでいる。今年の夏期号の、ごく頭に、

「他人からの干渉を出来得る限り排除し、自分の生きたいように生きようとしたのが日本の文士だと私は思っている。」「書きたくないことは書かぬばかりか、書きたいことはどんな障碍があっても書こうとしたのが昔(=近代の戦前)の文士だったのだ。」と書かれている。

大久保さんの口や筆から、繰り返し聴いてきた。わたしが、これに共感しないわけがない、大久保さんに聴く以前から多くの戦前作家達の仕事ぶりを通して全く同じ事を察知し共感し、自分もと憧れるほど願っていた。

不十分かも知れないが、私の現在は大久保さんの書かれている通りを、かなり厳格に為しているつもりだ。異様なことをしている気は無い、あたりまえのことと思っている。

 

* ところで、大久保さんの今回夏期号の表題は「書く文章・打つ文章・口述の文章」とある。何が言いたいか、題だけであらまし分かる。戦前の文士達にワープロもパソコンも無かった。彼らの前にもしそれが登場していたら、経済がゆるすならけっこう当時の人も機械で打ち出した文章で傑作も書いたろうと想っている。無かっ

た物を念頭に、昔の作家達は手書きしていたと頑張るのは、少し滑稽である。明治になり、鉛筆や万年筆が出てきたとき、毛筆に拘泥した作家は、わたしは多くなかったと想像している。漱石をはじめ海外体験のあった人と必ずしも限らず、ペンや万年筆を愛用して書いていた人は多く有り、タイプライターに興味を寄せた人もあった。もし時勢の必然として文章の書ける機械が現れていたなら、好奇心から、興味から、便利からとびついた人は、われわれの時代が実現していったと少しも変わらず気も手も働かした文士は必ずいたと考える。作家達の誰ならば手を出していたろうと推測してみるのもなかなか面白い。多作の可能であった人、多作と速成を余儀なく求められた人たち、腱鞘炎などの人は、いやでも気が動いたに違いない、なにも戦前人間と戦後人間に生理的・心理的決定差は無いのであり、状況が自然に促せば、昔の人も今の人も同じ事である。違いを証明することの方が難しい。

ばかばかしいと思うのは、もうよほど前になるが、「書家で、文芸家ではないけれど、石川九楊氏がワープロで書いた小説は認めない」と言っていたなど、小説書きの何がわかって言うかと滑稽だった。大久保さんはこう引用している、「石川氏は筆触ではなく、筆蝕という独自の言葉を使っているのだが、思念が筆蝕へと変り、筆蝕から点画ができ、点画から部首ができ、部首が集って文字ができ、文字から文学ができるのだが、ワープロは筆蝕から部首までのプロセスを無意味としたと言っている。」

こんなfoolish な説は世にふたつとあるまい。わたしは、東芝製のワープロ第一号機を買い、ほとんど即日実用し始めて岩波の「世界」に連載中の『最上徳内』を途中からワープロ書きに換えたのだが、石川氏はこの小説のどの箇所までは手書き、どの箇所からワープロ書きと見分けられるか、試みて欲しい。当時も今までも、誰一人からもそれを指摘されたことは無い。「文体」という固有の指紋のようなものを持った作家なら、手であろうが機械であろうが、藝術性を損なうような差異は出さない。石川氏が、我田引水の珍説で畑違いの小説論をはじめたとき、ほぼ即座にわたしは反論しておいた。大久保さんも石川氏の「この説は漢字文化圏のもので、表音文字で書く文章には関係ない」ものとされている。

「書く文章と打つ文章」に差を出してしまうのは「文体」を持たない・持てない物書きにはあるやもしれないが、まともな作家には、意図して差を創作してみたい場合以外には、ありえない。

「口述の文章」には経験が無いので触れないが、文学といえども根は口承に始まっている。それを併せ思って欲しい。大久保さんの恩師である折口信夫の文学論は根に、口承やそれ以前の原初の藝能論を置いている。「口述の文章」は意外に興趣ある文学論を生み出すだろう。

2012 9・12 132

 

 

* 一路保谷へ帰った。どの電車でもほぼ必ずのように座席を譲って下さる。ご親切まことに有難い。が、よほど幽霊のような顔をしているのだろうと情けない。

就寝前、例の十五冊をおもしろく読む。

2012 9・12 132

 

 

* 隣棟から、箱入り大冊の歳時記を三巻分こっちへ、寝床の側へ運んできた。

歳時記は、日本の四季と自然にしたしむ宝庫。おりおりに楽しむ。

2012 9・14 132

 

 

* プーシキンの『大尉の娘』は、歴史眼と家庭を見据えた、不思議な渾然一体に妙味ある秀作。

プーシキンが在ってロシア語のロシア文学は偉大な出発を遂げた。ペテルスブルグ、当時はレニングラードのホテルの前の公園にプーシキンの銅像が丈高く立っていた。彼の原作をバレーにしたのも劇場で観てきた。作家同盟の招待の旅だった。グルジアのトビリシまで飛行機で飛んだ。モスクワにも何泊かした。

ロシアの旅は、なんとなく楽しかった。窮屈で無かった。旅みやげともなった、新聞連載小説の『冬祭り』も書けた。

 

* 谷崎潤一郎の「東京をおもふ」は、徹底した近代東京への批判の底に故郷への愛もひそんでいて、批評家で作家で随筆家の本領がみごとに現れていた。しきりに肯き頷き愛読した。

次いで「春琴抄後語」を読み始めて、ここでもすぐさまとても大事なことを聴いた。

「どう云ふものかわれわれ日本の創作家は年を取るとだんだん會話を書くことが億劫になるらしく、小説よりは物語風の形式を擇ぶやうになり、しまひには地の文さへも簡略にして、場面を描き出す面倒を厭ひ、物語風から一層枯淡な随筆風の書き方をさへ好むやうになる」と。

これこそ、いま、小説を創りながらいちばんひっかかっている課題であり選択なのである、わたしの。谷崎先生の云われる通りの道を行き悩んでいる。枯淡かどうかは別にして、「随筆風」に、つい心を牽かれるが、まだ物語風を惜しむきもちもある。この選択は、生やさしいものでは無いのだ。

2012 9・18 132

 

 

* 体重65.7kg 血圧107-58(63) 血糖値 91   朝、体重65.7kg  朝、桃ひとつ 振り掛け飯一膳 服薬 強い雨 十一時過ぎの歯科治療に  江古田へ戻り菓子とブックオフで岩波文庫三冊買い、保谷駅で鮓買って帰る 昼は、葡萄七粒 鮓 機械の前へ  はやめに果物と強飯の夕食 服薬 六時半、保谷支庁のこもれびホールで亡き井上ひさし作・坂東三津五郎の独演「芭蕉通夜舟」を観てきた。便が一昨日から昨日から今日も結していて、不快。

 

* 買ってきた岩波文庫は、ゲーテの小説「親和力」、フローベールの「紋切型辞典」そしてプレハーノフの「歴史における個人の役割」の三冊。どれも欲しかった。

2012 9・19 132

 

 

* 国の情けなさに不快をかみ殺したくなると、藝術や文学を思う。

 

* ちょっと引用が長いが、深切に身にこたえて響くので、心して聴いておきたい。

わたしがここへいろいろ引用する「文学」関連のことばは、一つには、今しもわたしの視野のもとで小説を書いている若い書き手にも心して読んでいてほしいのである。

もっとも下記の谷崎の言説には、若い人は拘泥してはならない。一つの流れの必然が云われていると記憶だけしておけばよい。

 

☆ 谷崎潤一郎「春琴抄後語」より

 

私は最早現在ではそんな幼稚な馬鹿らしい考を捨てゝしまつたけれども、而も猶「今日はから始まつて左様ならまで書く書き方」に一種のあこがれを持ってゐることは否み難く、たまたまさう云ふ作品の傑れたものに接すると、(近松=)秋江氏と同じやうな羨望の念を覚えることもあり、自分も書いてみたいと云ふ野心が急にムラムラと湧くこともある。又、久しくさう云ふ作品を書かずにゐることに不安を感じ、自分はいつかさう云ふものが書けなくなつてゐるのではないか、自分が書かないのは書けないのでなく、それに適した題材が浮かばないからであるが、しかし浮かばないと云ふのが年齢のせゐではないか、などゝ云ふ疑念が起つて凍て、矢張何としても淋しいのである

作家も年の若い時分には、會話のイキだとか、心理の解剖だとか、場面の描寫だとかに巧緻を競ひ、さう云ふことに夢中になつてゐるけれども、それでも折々、「一體己はこんな事をしてゐていゝのか、これが何の足しになるのか、これが藝術と云ふものなのか」と云ふやうな疑念が、ふと執筆の最中に脳裡をかすめることがある。私は往年芥川龍之介に此れを語り、「君はさう云ふ経験がないか」と尋ねたことがあつたが、芥川は「いや、大いにある」と言下に答へた。そして、「シエンキウイツチも失張それを云つてゐるが、さう云ふ疑念が萌した時は悪魔に取り憑かれたと思つて、勿々に沸ひ除けるやうに警めてゐるね」と云ふのであつた。事實、大概の作家が、そんな場合には慌てゝ左様な忌むべき不安を追つ祓う払ふやうに努め、ひたすらそれに眼を閉じてしまふのであるが、現在の私は、それを「悪魔と思へ」といふシエンキウイツチの説には賛成し難くなつてゐる。私は一方に於いて、「年を取ると、短い詩形程好もしくなる、三十一字の和歌の形式でもまだ長過ぎると思ふやうになる」と云つた北原白秋の言葉を想起する。これとシエンキウイツチの言と、必ずしも矛盾してはゐないであらうが、何にしてもわれわれ日本人の作家の多くは、老齢に及ぶに従つて本格的な書き方を面倒臭がるやうになり、場面の描寫や會話の遣り取りなどに苦心するのを、無駄な仕事のやうに感じ出すのである。さうしてそれが、一時の疑念や不安でなく、われわれの體質の深い所に根を据ゑてゐるらしいので、さう簡単には迫追つ払ふ譯に行かなくなる。此のことは、讀者の側に廻つてみてもさうであつて、若いうちこそ小説的な作品でないと物足りないが、老人になると、さつぱりさう云ふ書き方に興味がなくなる。どんなに巧く書いてあつても、巧さの底が知れてゐる、讀まないぅちから分つてゐると云ふ氣がして來る。現に私なぞがめつたに雜誌の創作欄に眼を通さないのも、叙事文にすれば半枚か一枚で済むところを、事も細かな段取りを踏んでゐるのが、たどたどしい、煩はしいものに見えるからである

一體、讀者に實感を起させる點から云へぼ、素朴な叙事的記載程その目的に添ふ譯で、小説の形式を用ひたのでは、巧ければ巧いほどウソらしくなる。私ほ永井荷風氏の「榎物語」を正宗(=白鳥)氏が推称する程には買つてゐないが、しかしあの作品が正宗氏を感動させたのは、主としてあの中に含まれてゐる實感のせゐであらうと思ふ。さうしてそれは、一にあの簡略な、荒筋だけを述べてゐる書き方に由来するのである。

 

* 若い書き手にこれを拳々服膺せよなどとわたしは云わない。これは若い人でなく、いまわたしの年齢の者こそが真剣に向き合って自身で乗り越えねばならない難所なのである。

芭蕉俳諧における大成後のとも謂える「軽み」の境涯は、同伴者たちにも大きな誤解を与えた。それと谷崎の晩年老成の文学とは一つことに入れ混ぜて読んでは成らないけれど、問題のむつかしさにおいて、なかなかの重さである。わたしは、正直、それに悩んでいる。

2012 9・19 132

 

 

* 栄花物語は、ドラマ「平清盛」の冒頭に君臨した怪物法皇の白河天皇時代に入り、さしもの御堂関白道長の子女も頼通、教通、彰子らほとんど全部が死去した。この希有なる後宮史物語は、無数の貴族社会の誕生と死去を不動の縦軸にしていて、人間の自然死ないしあまりにもひ弱い無力死の実情を証言してあまりある。病めばあっというまに死んで行く。もう医心方などの文献も輸入されていたろうにあまりに医師は無力で、呪術や読経しか働いていない。光り輝くようであった平安王朝の無残な不健康と評さねばならぬ。

 

* 和歌はおもしろい。古今著聞集の「和歌」巻も愛読に堪えるが、和泉式部集はさらに一段も二段も上を行く面白さ。

和歌のない彼女の生活はありえない。そしてほぼ赤裸々に彼女の恋多き日常を縷々かつ平然と告白しつづけている。生身の女の切実な実感が赫いて個性的であり、なまぐさくもある。岩波文庫と、「和泉式部集全釈」とを、併行して読み進めながら、その実伝への関心にとらわれようとしている、喜寿にちかいわたしが。

 

* 折口さんの藝能談の細緻に深彫りされてあることにも感嘆している。わたしなどが十センチ彫り下げてみても、折口信夫は一メートルも彫りこんでいる。ただもう「聴いて」「聴いて」そして面白がっている、わたしは。

 

* 読書とはなんと楽しいことか。一冊ずつを読み切ってから次の他へ移る読書では、古今東西世界の偉大な相対性は実感しづらいが、一日に同時に洋の東西を超えて一気に十五冊を読んで行く読書には、地球儀をすら超えた時間の、時代差の、魅惑に酔える嬉しさがある。

2012 9・20 132

 

 

* マルクス主義を質的に確立したとされるプレハーノフの「歴史における個人の役割」は、彼の最も優れた業績の一つとして評価が高い。なんだか季節外れの読書のようではあるが、歴史には関心を持ち続けたい。読み出すのを楽しみにしている。

こんな調子では、すこしも就寝前読書の冊数が減らない、出待ちの本がむしろ増えている。なかでもゲーテの「親和力」も早く読みたくて堪らぬ。

2012 9・20 132

 

 

* 寝る前読書に、強引に、ブックオフで買ってきたばかりのプーシキン、フローベール、ブレハーノフの三冊を加えてしまった。

2012 9・22 132

 

 

* フローベールの『紋切型辞典』の「過ち」に、「それは罪よりも悪い」と断じたタレーランの言葉を添えている。

「アルビオン」というイギリスの古名には、「常に『白い、不実なる、実際的な』といった形容詞がつく」とある。イギリスという国は、フローベールの頃にもすでに難儀な存在であった。

「胃」には「あらゆる病気は胃に原因がある」と。そうなのかも知れない、胃をすっかり切除してしまった私に異存は申しがたい。みなさん、「胃」をぜひとも大事にして下さい。

 

* さて明日は、聖路加の二つの内科へ行く。早めにやすもう。睡眠はまことに良薬だ。

2012 9・23 132

 

 

* 病院でえんえんと待つあいだにプーシキンの『大尉の娘』をだいぶ読み進んだ。とはいえ、眼鏡の不調で永くは読んでいられない、やすみやすみ何度も頁を繰った。なんともいえず文学が明るく澄んでいる。「花」やいでいる。しかも物語はあのプカ゜チョーフの乱のまっただ中で、主人公達はさんざんなめに遭い、しかしそれをすり抜けて行く道筋が、なんともなんとも明るく澄んでいる。独特のプーシキンの「花」と謂おう。

 

* 疲れたなあ、今日は。しかし、どっちかというと、薬には責められておらず、体調はともかくとしても。気合いはわるくない。こうして機械の前にいると、しんどさも忘れるぐらい文章にうちこめるのが嬉しい。

2012 9・24 132

 

 

* 体重65.2kg 血圧127-57(68) 血糖値 89   目覚め後の体調快適 排便  朝、巨峰四つ くず餅 高野豆腐と椎茸の煮付け 朝の服薬 午前、仕事 昼は飯を半膳程度茶漬けで喉へ押し流した。 継続読者への発送を全部終え、さらに寄贈者に、見失った宛名を書かねばならぬ。今週中かかるか。午後も仕事。 夕方、処方された薬を薬局で受けとる。 夕食は、船橋屋のくず餅だけをしっかり食べた。 入浴後、晩も仕事。 自転車で郵便局や薬局に通ったあとは、げっそり疲れるが、やがて夜十時、仕事しているとつい体は忘れている。浴後の体重は、 65.7kg 数冊の読書をしながらの入浴、また良薬 心身軽快。今夜もはやめに休む。

機械から起ち離れるときよろめいて倒れる 物沢山なごく狭い所で物の上に尻餅をついた恰好 踵を強打 立ち上がるのに一苦労したが大過なく。

2012 9・25 132

 

 

* 夜前の読書で、とうとう『イルスの竪琴』全三巻を、またまた読み終えてしまった。残り惜しくて最後の盛り上がりのあたり一字一行を愛しむように読んだ。三巻の最後巻を今回はほんとうに入念に愛読した。訳者の脇明子さんに貰ってから、何度も何度も愛読した。さすが泉鏡花の研究者でもある脇さんの訳は美しい。この原作の複雑で精微な表現を日本語に置き換えるのは大変だったろう。 日本文学は別として、もし愛読書はと聞かれれば、躊躇無くマキリップの『イルスの竪琴』とル・グゥインの『ゲド戦記』と答えたい。この二作は、なぜかわたしの「故国」のように想われる。この地球世界とは完全な他界であることを懐かしく愛しているのだ。『イルスの竪琴』は、尾張の「鳶」さんに貰った英語本三巻も、まがりなりに通読している。また英語でも読みたくなっている。

さて今度は代わりにゲーテの『親和力』を初めて読んでみようと枕元の書架へ新たに入れた。ゲーテは『ファウスト』を耽読の後、いまは『イタリア紀行』の第二巻を楽しんでいる。ゲーテ、プーシキン、チェーホフ、トールキンと、精選されている。ホーガンのSF『星を継ぐもの』も楽しんでいる。

2012 9・25 132

 

 

* 尚歯會というのが昔あった。高齢者だけの詩会で、例外的に和歌の会もあった。承安二年(一一七二)に藤原清輔が宝荘厳院で主催したのが珍しくも和歌の尚歯会だった。七人の高齢者でわたしより年寄ったのは散位敦頼の八十四歳だけ。しかし十二世紀の昔の八十四は現在日本人の優に百歳を超えた風貌であったろう。

七人の中の六十九歳に、右京の権の大夫頼政朝臣が加わっている。治承四年(一一八〇)平家追討の魁をなしたあの源三位頼政に他ならない。

尚歯会で頼政はこう詠じていた。

むそぢあまり過ぎぬる春の花ゆゑになほ惜しまるる我が命かな

掛け値無く、秀歌である。和歌はもう公家の占有文化では無かった。武家にも勅撰集に採られる歌人が続出し始めていた。頼政はこの点でも優れた魁であった。かの尚歯会の主催、頼政と同年だった公家の清輔朝臣は、

散る花は後の春ともまたれけりまたも来まじきわがさかりはも

と。花にはまた来年の映えがあるが、自分にはもう一花も咲かせ得ることはないのだと。これから見れば源頼政は、あはれ美しい末期の花を咲かせたのである。

 

* こんな面白い話もある、院の庁に勤務した身分の低い官吏が、「われより高き女房を思ひかけて」懸想文を使いも立てず自身で持っていって、こんな歌をその身分高い女に詠み掛けた。

人づてはちりもやすると思ふまにわれが使にわれは來つるぞ

懸想の艶書が途中で散逸するようなことがあったのだろう、時代はくだるが閑吟集に、

久我のどことやらで 落といたとなう あら何ともなの 文の使ひや

平安末期の梁塵秘抄にも、

吹く風に 消息をだに托(つ)けばやと思へども よしなき野べに落ちもこそすれ

それにしても男の、弁解ともつかぬ歌はおもしろく、「女、愛でてしたがひけり」 求愛を受け入れたと、古今著聞集にある。この男河内より住の江にゆきて夜ごと夜をあかしたと。「いみじきすき者にてぞありける」と。

こういう話、わたしは好きである。

2012 9・26 132

 

 

* 留守中、かつて建日子が在学当時、早稲田中・高校で教頭をされていた橋本喜典さんから、九冊目の歌集『な、忘れそ』を戴いていた。感謝。

2012 9・26 132

 

 

* 昼前に歯医者に行く。帰路、江古田のブックオフで岩波文庫のプーシキン、トルストイ、ロマン・ロラン三冊を買ってきた。少年の昔の本が買いたい気持ちが先祖返りしているのか。足をやや伸ばし、妻の勧めていた蕎麦の「甲子」に入った。二段の蒸籠、純米吟醸の甲子で始めて、なんとか食べも飲みも出来たので、酒の余りに煮奴と板ワサをもらい、昼の客の一人もいなくなってからもゆっくり食べて飲んできた。とにもかくにも食べられるということが、有難い。

狐の嫁入りのような小雨にもしばし遭ったけれど、なんなく保谷駅からはタクシーで帰れた。

 

* 梅原猛さんから「謹呈 秦恒平様」などと献辞ももらって署名入りの『世阿弥の恋』を頂戴していた。書庫には頂いた全集をはじめ梅原さんの単行書が夥しく並んでいる。ちょうど『墨牡丹』を「すばる」に一気に発表したとき、喜んでもらえた。京都に帰ったときまだ七条にあった市立京都藝大の学長室にとびこんだら、ちょうど静かに部屋におられて暫く話したのが初対面。その後も、京都美術文化賞の選者を二十数年もつとめ、その間に氏の推薦で日本ペンクラブの理事も十二年務めた。選者や理事を辞職してからも梅原さんはことのついでに何度か「元気にしているか、心配しています」と激励して下さる。

2012 9・28 132

 

 

* 橋本喜典さんの新歌集『な、忘れそ』は、一読、とても佳い歌を揃えられてあり、これからの再読が楽しみ。そしてまた清水房雄さんからも重ねて新歌集を頂戴したばかり。

すぐれた短歌に出会うのは、むかしからのわたしの貴重な喜びなのである。わたしを「外野」扱いしないで下さる歌人がたくさんいて下さるのが心強い。

 

音信の絶えて無きひと想像をこゆる悩みにすごしてゐるか  橋本喜典

 

この歌が佳いとは思わないが、そういう音信の絶えている人がわたしにも在る。数えれば何人もある。「想像をこゆる悩み」など無かれと願っている。

 

* じつはわたしは、本音をいえば講談社刊の浩瀚な、浩瀚に過ぎた『昭和萬葉集』の、いま一段の秀歌撰がしてみたい。一冊では無理。しかし三巻でおさめられれば大勢の愛読がえられるだろう。現在のあの何十さつもの『昭和萬葉集』では、せっかくだが「貴重な記録」でこそあれ、手にとって読む人は少なかろうと思う。

2012 9・28 132

 

 

* 体重65.9kg 血圧124-66(63) 血糖値 95 朝、六時起き 処方されていたシロップで含嗽 昨日から少し飲む 飲んだ方が良い食道にも効くと薬局で奨められた 口腔たしかにやや明るい感じ 朝食、強飯三分二 ほか殆ど食べられず 散髪 空腹時が楽 仕事 昼食は、蒲鉾五六切れ コンソメスープ二杯 飯は食べられず 仕事 晩はシチュウ飯半分 蜆汁一椀 入浴読書三冊 八犬伝 指輪物語に、トルストイの「イワン・イリッチの死」を加える 仕事 明晩は五反田まで妻の叔母の通夜に加わる予定

 

* 夜前『大尉の娘』読了。ブーシキンの文学にふれると、いつもわたしは「物語の出で来の祖(おや)」といわれた竹取物語を感じる。プーシキンこそ、ロシア文学の「出で来の祖」であった。作風もざっくりと明るい。論者には或いはマイナスに見るかも知れないが、王朝へのあの大きな叛乱の首魁プガチョーフが主人公らに絡んで生彩にあふれて見えるのをわたしは珍重する。女帝エカテリーナの登場の仕方にもわたしは竹取物語ふう大らかに意表に出た表現の面白さが楽しめた。両作ともに独特の時代にさきがけた「花」が感じられる。

 

* フローベールの『紋切型辞典』は筆者その人のものというより、筆者その人の時代と紋切型な偏見や硬直への揶揄であり批判である。そう読むと、今にも当てはまる奇警なしかし正統な評価がふんだんに楽しめて、ときどき声を放って笑える。

 

医学   健康なときは愚弄すべし。

怒り   血行をよくする。したがって、ときどき怒りを覚えることは体によい。

医者   信頼されているうちは名医だが、仲違いすればたちまち藪医者にすぎなくなる。

イタリア かなり失望させられる。ひとが言うほど美しい国ではない。

田舎   田舎ではすべてが許される。

犬     主人の命を救うために、特別に創られた動物。「人間の友」として理想的。

猫     客間の虎と呼ぶべし(しゃれている)  ひとを裏切る。

日本    この国ではすべてが瀬戸物でできている。

 

遅い機械の合間合間に拾い読む。必要な「怒り」を忘れ果てているのが今日の「日本」と思える。

 

* 谷崎の『文章讀本』を愛読中。いろんな人の文章講座を読んできたが、谷崎のものがさすがに鷹揚にかつ緻密に精彩に富み、谷崎の筆力の最も充実していた時期の執筆と頷ける。

読み返していて、いかに私が此の谷崎の導きに懸命に忠実であったかが、涙ぐましいまで実感でき、今も膝を折り襟を正して読みたいほどだが、寝床の中の横寝で重い全集本を読み継いでいる。

どういうところがと紹介したいが、本一冊の多くを書き写さねば用をなさないだろう。文学は音楽であると同時に用いる漢字・かなの配合から見栄えのする文字づかいも大事と。久しく肝に銘じている。

2012 9・29 132

 

 

* 九十七歳清水房雄さん、八十四歳橋本喜典さんの歌集、わたしより九つ若い大島史洋さんの『アララギの人々』が、この日頃機械のそばでの愛読書になっている。

 

親子とて他人のうちといふ記述さうかさうよと頷き合ひぬ

労らるるやうになつてはお仕舞と聞けばこれ位が程々なるか  清水房雄

 

来し方に起死回生のごときありしかと思ひありしとおもふ

橋本喜典はこのわれなるにこのわれがわれを証明できぬ窓口

 

珍しき草花もがと茶博士の左千夫がくれしチンノレヤの花   正岡子規

 

冬こもり病のひまに伏しながら繪にかきませりふゆふかみくさ  伊藤左千夫

2012 9・30 132

 

 

 

* 梅原猛さんの『能の恋』を興深く読み始めて、最初の「井筒」に関する論考を読んだところで、一つ、典拠とされてきた伊勢物語についての梅原さんの理会に、疑問がある。

伊勢物語は、在原業平を書いているという理会は昔から伝わっているが、厳密に言われてきたとは思わない。そのようにも思わせてあるこれは本来、事實物語ではなく、明らかなフィクションなのである。同時代の大和物語が厳密を問わない限り実名もあげての事実物語であるのと比べ読めばすぐ分かる。

事実物語でなくフィクションである事実にこそ目をとめ、その意識をもてば、後世の人が盛んにいろんな説をたてて怪異なほど荒唐無稽の、または優れた想像と創作とを加味した「別次元のはなし」を組み立てることは、事実世阿弥が「井筒」を書き上げていたように、評論であれ創作であれ、それ自体はなんら異とするに足りない。世阿弥に限っていえば「井筒」の本説は伊勢物語が主格でありはすれ、彼が伊勢物語を事実物語と受け入れていたとは思われない。事実物語では無ければこそ、自身の創作に人間の真実を打ち立てることが可能と世阿弥は考えていたろうし、こと創作に真剣に立ち向かう誰しもがそう考えるとわたしは思う。

梅原さんがもし伊勢物語を業平の「事実」次元で意識しながら「井筒」を批評し鑑賞され論考され、また後生の評論・論攷などを批判されているのであれば、それはどうかと思う。伊勢物語は、在原業平という実在を意識下にあえて秘めたまま架空の物語も段々に満載した根の性格はフィクションなのである。そうと理会すれば、「井筒」の問題は、世阿弥の想像力、理会力、創作力の評価と鑑賞とに尽きる。他の寄り道はむしろ事をことごとしくしてみせるに終わるのである。

2012 10・1 133

 

 

* 浴中にはファンタジーや稗史を楽しみ、浴後、寝る前は、ごろりとなっていわゆる「文学」を読む。いま階下ではつごう十八冊を次々に数頁ずつ楽しむ。

 

* 和泉式部の歌集には、互いに少しずつは重複しているが「和泉式部集」「和泉式部續集」「宸翰本和泉式部集「松井本和泉式部集」があり、岩波文庫には全部入っている。いま、「續集」の半ばを、とにかくも気を惹かれた歌に鉛筆で爪印をつけながら読み進んでいる。

和泉式部の生活では、歌の詞書からみてまことに交際の頻繁な恋多き人であること、和歌の応答の莫大に多いこと、ほとんど、呼吸同然に和歌が式部ののどからあふれ出していること、自然無造作な歌も多いけれど、それらの実に多くが私の気を惹いてやまないことを特筆しなければならぬ。

 

わすれにける人のふみのあるをみて

かはらねばふみこそみるにあはれなれ

人の心はあとはかもなし

 

まこと人の心は、情けなく「あとはかもな」い。古人は多くつくづくとこれを歌っている。歌謡になるともっと露わにひとはひとの「心」の頼みがたいのを唄っている。上の場合、式部だけが忘れられたのではないだろう、双方で「忘れにける」なのであろう。式部の恋多い日々が歌集の全容をはではでしく華やがせているとは謂えない、いかにも寂しいのである。

2012 10・3 133

 

 

* フローベールによると、印刷術は「すばらしい発明」でありながら「貢献よりも害毒のほうが大きい」と。

また隠喩は「文体に悪影響をもたらす」と。

ともに考えるに値する。

疑いは「否定よりも有害」と。

運動は「健康維持に役立つ。おおいに運動すべし 病気から守ってくれる」と紋切型。

同じく、衛生は「常に『当を得て』いなければならない。 病気の原因にならない場合は、病気から守ってくれる」と、あやまった衛生観念や知識にも、またかすかに医原性疾患が予感されている。

栄光は「うたかたにすぎない」とバッサリ。

『紋切型辞典』 いろんなことを新ためて思わせる。

 

* 夜前、歴史物語の大作『栄花物語』をとうどう読み上げた。小学館の大判の古典全集で三巻、読み始めたのはもう何時と思い出せない、去年であろう。

後宮を軸にした十世紀初めの醍醐天皇の昔から、十二世紀の白河院・堀河天皇の頃まで、悠々永きにわたり、ピークは言うまでも無く御堂関白藤原道長の全盛期。皇室と藤原摂関家との複雑な縁戚関係による大勢の后妃女院や斎宮・斎院や親王・内親王や女房達の動静を絢爛と時代の流れに載せて叙事・証言を専らにしている。万々正確とは言い切れない、そもそも誰が書いたと、一人なのか複数の筆者交代があったのか、所詮は後者であろう、とすると人の特定は難しくさだかでない。固有名詞としては赤染衛門の名がかなり有力と認められているが、それとて全部を書いたとは思われぬ。

人が人と縁を結び、子をなし、子が成人して行くと親世代は死んで行く。

この当たり前な推移にことさらに目をむけて誕生、結婚、出産、栄花と死との滔々たるこれは大河である。そこに読む者の感慨が凝ってゆく。わたしはそうであった。

この浩瀚な物語と謂っても源氏物語や寝覚めのようなフィクションではない事実物語を全編読んでいる一般読者は、ごく数少ないのではないか。だが、読み通してみて、それに値する大業であると今しも感嘆している。漢文で書かれた正史などのとうてい筆の及ばない世間を、活写というではないが、いろいろに記録し証言してくれている。貴重なものだ。

2012 10・4 133

 

 

* 太宰賞の正賞は「オメガ」の時計だった。「アルファとオメガ」とは「最初と最後 根本原理」を意味した成句であったとフローベールは言っている。

「愚か者」とは、「あなたと同じ考えを持たぬ人のこと」と。これは紋切型という以上の批評であろう。

「外交官」は「立派な職業だが、さまざまな障害に満ちている。 彼らが何をするのか、本当のところよく分からない」というのは、素直な観察である。

「怪物」とは「無秩序」で、「解剖」は「死の尊厳にたいする侮辱」。

「快楽」は「楽しみの母。たしかしその『娘』については語るべからず」と。快楽の娘とは「娼婦」を意味した。

「會話」では「政治と宗教は話題にしないこと」とある。フローベール当時のフランスではこれは一触即発の危険もはらんでいたであろう。

『紋切型辞典』座右に放さず、機械休みの合間の恰好のたのしみに読んでいる。

 

* いま、堅めの本は別に、小説は、ゲーテ「親和力」、トルストイ「イワン・イリッチの死」、トールキン「指輪物語」、ホーガン「星を継ぐもの」、馬琴「南総里見八犬伝」、辻邦生「夏の砦」を毎晩読んでいる。とてもいい按配で、敬意も充分に、楽しめる。

堅めの本は、ゲーテ「イタリア紀行」、チェーホフ「妻への書簡集」、プレハーノフ「歴史における個人の役割」 「和泉式部集」「和泉式部集全釈」、「古今著聞集」、谷崎潤一郎「文章読本」、折口信夫「藝能論集」 「丹後の宮津」 そして「バグワン」。

これらまた、それぞれに面白く興趣に溢れている。

すべて「病苦をやわらげてくれる妙薬」になっている。

 

* もう一つの妙薬は、観劇。今日は新橋演舞場に全身をゆだねて楽しんでくる。

2012 10・6 133

 

 

* トルストイの『イワン・イリッチの死』は作者がたしか『アンナ・カレーニナ』を発表後およそ十年間なにも書かなかった、その後にまた筆を執って書いた最初作がこの『イワン・イリッチの死』で、長編でこそないが、凄みの利いた名品で読みながら感嘆しきり。ことに私も病後、そして先のことは不透明で落命の危機も在りうるだけに、むずかしい家庭生活に苦労しつづけたまま死んで行くイワンの表現は神技に迫っていると読める。たいした作、名作と呼んで憚らない。

 

* ゲーテの『親和力』はまだ四分一しか読んでないが、面白い。そのなかで、今夜、印象的な箴言を聴いた。

「エメラルドがそのすばらしい色で、視覚を楽しませるとすれば、いや、この高等な感覚に、いくらかの浄化力を及ぼすとすれば、人間の美しさというものは、さらにはるかに大きな力を、官能と精神に及ぼす」と。

この場合の人間の美しさをゲーテが外形や容貌の美に限っていたか、そうではあるまいと思う。わたしもまた彼の謂う「人間の美しさ」に常に出逢いたいと焦がれている。いないとは思わない、ゲーテ的に美しい人はいる、何人にも逢ってきたと思っている。それは魂の栄養であり財産である。わたしの屡々いう真の「身内」は、そういう人に近い、いや同じであると思っている。た

やすく「身内崩れ」しない美しい「身内」に逢いたいものと、今でもわたしは願っている。

2012 10・8 133

 

 

* フローベールの『紋切型辞典」の「會話」には「政治と宗教は話題にしないこと」とあるが、フランス革命などあった当時のフランスはともかく、今の日本では誤魔化しと嘘にまぶされた「政治」を語り合って追及に奮い立ち、一方で死に体も同然の宗教家の起つべき時が来ているぞと大いに論わねばならぬ。

人間愛と真実への献身を志す政治家、宗教家、出でよ。

「顔」にはフローベール、「『魂を映し出す鏡』だとすると、ずいぶん醜い魂のひとたちがいるものだ」と慨嘆している。

「学問」には、「<宗教>との関連で言えば、『いくらか学問をかじったひとは宗教から離れ、学問をきわめたひとは宗教に戻る』」と言っている。聴くべき理会である。大切な真実を指さすかに聴ける。いま、原子力の研究者達や起業家達、心ある政治家達にこれを知らせたい。

「仮説」は「しばしば『危険』であり、常に『大胆』だ」とあるが、「大胆」には誤魔化しや虚偽や悪しき成心が混じりやすいのが何より「危険」ということを、我々は原子力屋たちの「安全神話」の虚しさに、知った。

2012 10・9 133

 

 

* 季刊図書館批評誌「談論風発」が送られてきた。もとは前の名のりが誌のメインネームで「談論風発」がサブタイトルだったが、入れ替えた方が良いと言い送ったら、受け入れられていた。図書館問題を深くまじめに掘り下げる姿勢鮮明で、気持ちの良い編輯である。

2012 10・9 133

 

 

* 「死という地点において知識は破綻する。そして、おまえは存在に開くのだ。」「それはあらゆる時代を通じて仏教の根本体験であり続けてきた」とバグワンは直言する。「知識が破綻するとき 心(マインド)が破綻する。心(マインド)が破綻するとき そのとき<真実>がおまえを貫く可能性が在る」とも。「だが、おまえはそれがわからない」とも。

わたしは今、知性以上に豊かな感性が欲しい。おどろいたり、たのしんだり、真も善も美も自由に素直にうけいれられるような。

2012 10・9 133

 

 

* ブックオフでの買い取りとは「新刊本五冊で130円」という按配、初体験した。買ってきた岩波文庫『臨済録』一冊が300円。図書館に寄付しつづけてきたが、図書館の収容力にも限度がある。

それはそれ、買ってきた新版の『臨済録』は手持ちの昔本とちがい訳注が付いている。昔本を買ったのはそれこそ昔々で、しかも愛読し鞭撻された。今度は訳注にも導かれて読み直すのが楽しみ。

2012 10・10 133

 

 

* 機械のそばに『臨済録』を持ってきて、序と上堂のはじめを読み、なにか凜々とした気迫に心地が晴れた。わたしは禅の本では、この『臨済録』と『道元禅師語録』に触れてきた。禅はまたバグワンに最も近いのである。

仏典の多くはファンタジイであるが、禅は人間の実存とリアルに根を生やしている。念仏から仏教に入って行ったわたしが、六十年して、むしろ禅にこころを預けている。

2012 10・10 133

 

 

* 「もし神が存在しなければ、発明しなければなるまい」とヴォルテールは言ったそうだ、フローベールの『紋切型辞典』によれば。その必要は無いとわたしは言っておく。

「考える」のは「つらいこと。それを強いるような事柄は、ふつうなおざりにされる」と。「考える」だけで事がおさまると考える人は「マインド」に引きすられている。「ハート」が働いていない。

「簡潔 laconisme 」とは、「もはや現代では見られない文体」と。この「現代」はフローベールの生きた十九世紀のこと。「laconisme 」とは口数の少なかった「スパルタ人のような話し方」の意味。われわれの時代では志賀直哉のラコニスムがよく知られている。

「感謝」は「言葉で表現する必要はない」と。どう表現するかはその人人の知性や感性や人間の問題に帰する。

 

* 一僧が臨済慧照禅師に問うた、「師は誰が家(たがや)の曲をか唱え、宗風阿誰(たれ)にか嗣ぐ」と。「師云く、我黄檗(=黄檗禅師)の処に在って、三度(たび)問いを発して三度打たる」と聞いて、「僧擬儀す」 この師のその師に三度答えて三度とも打たれたと知り、なにか気の利いた思案を加え、ひとこと云おうと仕掛けたが、その途端、「師便(すなわ)ち喝して、後(しりえ)に随って打って云く、虚空裏に向って釘 (ていけつ)し去るべからず」と。「虚空に釘を打つような真似はするな」と大喝一棒を食らわせたのだ。当然だ。

これに比して、この師の上堂(しょうどう=法堂に上り師の座についた、陞座)最初に、「那(なん)ぞ綱宗(こうじゅう)を隠さん。還(は)た作家(さっけ)の戦将の直下(じきげ)に陣を展べ旗を開くもの有りや、衆(しゅ)に対して証拠し看よ」と大衆の発語を求めたに直ぐ応じ一僧が出て問うた、「如何なるか是れ仏法の大意」と。「師便ち喝す。僧礼拝す。」これに就いて「師云く、這箇(しゃこ)の師僧、却って持論するに堪(た)えたり」と。

無用の言葉にたいする徹底した姿勢に禅は賛同している。

わたしなど、遙か遙かの圏外をうろちょろしているだけ。

2012 10・11 133

 

 

* お茶の水女子大の教授をされていた三木紀人さんから「日本人のこころの言葉」シリーズに入った創元社刊の『鴨長明』を戴いた。三木さんは、昔も昔はお名前など確かめられなかった。なにしろわたしは東大と何の縁も無かった。文学部の書庫入りを可能にしたのは、仕事でご一緒した当時小児科助教授、のちには日大医学部長、学術会議会員になられた馬場一雄先生で、人物保証の紹介状を書いてくださったのである。の書庫で親切にして下さったのが、わたしと同年の三木さんだった。娘がお茶の水に入学して教授の三木さんを知り。三木さんの口から昔の出会いを告げ知らされたのだ。

御陰で論文も書けたし、後の長編『斎王譜 改題して 慈子』が生まれたのだった。

人は一人で生きてはいないのだ。

 

* その三木さん、当然ながら一番最初に「方丈記」の書き出しを「こころの言葉」に挙げておられる。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と。

記事の表題には「川の流れに無常を感じると。

いまのわたしは、これに「無常」よりも、より深く「常」を覚えている。

また「子を思う心のあわれさよ」と表題して、

「そむくべき憂き世にまどふ心かな子を思ふ道はあはれなりけり」という長明の歌が出してある。「子を思ふ道はあはれ」と解ってもいるが、わたしの場合六十に近い娘や五十になろうという大人も大人のわが子秦建日子を思って「あはれ」という時季は過ぎている。彼女も彼も、胸に恥なき歳月を追うて行くしか無い、わたしの務めは妻の健康と元気を見守るだけだ。

なんとなく、わたしは鴨長明に無用の感傷癖をおぼえるときがある。「方丈記」は名作であるが。

2012 10・11 133

 

 

* 機械を開きながら(頗る開きが遅く 三分ほどかかる 拾い読み読書にあてる)「紋切型辞典」を楽しむ。

「笑いによって風俗を矯正する」のが「喜劇」で、「高級喜劇は尊重すべし」と。

「技師」は「このうえもなく立派な肩書で、羨望の的になる」「青年がめざすべき第一の職業。あらゆる仕事について『技師』がいる。」「技師はあらゆる科学を知悉している」と、ベタ褒め。十九世紀はそういう時代であったと云うこと。

「月並みな考えや紋切型の意見に同調しない者を」「奇人」と呼ぶべきであると。しかし「そういう者をあざ笑うことは、いつでも卓越した精神の証拠になる」とも。「奇人」など無用とわたし秦は思っている。

「キス」は「やさしい盗み」と。「キスを『してもいい』のは、「若い女性の額 母親の頬 美人の手 子供の首筋 恋人の唇」だと。

「基盤」とは即ち「<社会>の基盤ーー所有権、家族、宗教、<権威>にたいする敬意の念。これらのものが攻撃されたら、怒りをこめて語るべし」と。わたしに云わせれば問題なのは、「権威」だ。「国民という名の権威」なら認めるが。

「他人はあなたにたいして義務を負うが、あなたは他人にたいして義務を負わない」とは、「義務」なるものの現状への皮肉であろうか。

 

* 昨夜は一時までかけて十八冊の本を次々に読んでいって感じた、はじめて実感したのは、それが「音楽」「シンフオニイ」のような読後感を呉れることだった。いまドイツ、ロシア、フランス、中国、日本の文学、エッセイ、哲学、稗史、伝奇、ファンタジイ、SF、論攷、地誌、紀行などを、洋の東西、今昔を超えて読んでいるのだが、よく選んでいるので、それらが或る合奏効果から快い「シンフォニイ」のように後味になって残る。病気を忘れている。眼が正常につかえればもっともっと心地よいだろうに。

2012 10・12 133

 

 

* 此処、機械の前席では、時に胸を開いて『臨済録』を熟読する。

ある人がいわば仏典の全部を挙げて「すべて仏性をときあかしているのではないか」と問うた。臨済は言下に「荒草曾て鋤かず」つまりそんな「道具立て」で無明の荒草は鋤き返されはせぬ、と。しかし相手は「仏様は人を騙さないでしょう、仏典は仏説ではありませんか」と食い下がる。臨済はおまえの謂う「仏」とは何だ、何処にいると迫り、相手は「擬儀」した。「わしを瞞着すべく出てきたのか、退れ退がれ」と師は追い払い、他にものを云う者在れば速やかに云え、「しかしおまえ達が口を開いたとたんに、もうそれとは無縁だ。釈尊も『仏法』は文字を離る。因にも縁にも在らざるが故なりと説いていた。おまえたちは『信不及』の故にこうして無用な論議に落ち込むのだ」と、「少信根人、終無了日」とさっさと出て行った。

バグワンもまた同じに言い切って「仏典」「経典」にとらわれるな、悟ってから読めば解るが、いまのおまえには無駄な論議に陥るだけだと云っている。以来わたしは「お経という名のファンタジイ」には遠ざかっている、禅家と教家とを同じには見ないのである。 2012 10・12 133

 

 

* 「銀行家」は「みんな金持ち。アラブ人 オオヤマネコ」だとフローベールは云う。彼の世紀において「アラブ人」は貪欲な人をさす侮蔑語、「オオヤマネコ」は投機で儲ける人を謂う俗語だった。

「禁欲主義 ストイシズム」 「そんなものは実行できない、言うべし」と。不自然な気味は避けがたい。

「ジャーナリスト」はみんな「空論家」だと。「みんな」とは言わぬが、謂えている。

「鎖を解く 感情を爆発させる」のはたいてい「よからぬ情熱」だと。これも謂えている。

「苦痛」は「いつでも良い結果をもたらす」と。この「苦痛」は病的な苦痛ではない。煩悶や懊悩をともなう精神的な真剣な苦痛のことだろう。

「靴屋よ、靴以外ののことに口出しするな」とプリニウスは言った。「自分の能力を超えることに口を挟もうとするひとにたいする戒め」だと。社会が「枠」として人を拘束する一例としてあまり賛同できない。

「群衆」の直観は「常に正しい」と。少なくも民主主義の国家では「民意」を正当に尊重すべし。

「勲章」を「もらったときはかならず『欲しいと思ったわけじゃない』と言うべし」と。いろんな人の顔を思い浮かべて笑ってしまった。

『紋切型辞典』、面白い。

2012 10・13 133

 

 

☆ ご迷惑を顧みず、

また、最近書き上げましたものをお送りします。お読み下されば幸いです。今回は、四月締め切りの約束をニヶ月も延引してやっと間に合いました。そのようなことで編集も遅れたのだと思いますが、いつものことで、今回も思うようなものが書けず、苦心惨憺、一入悩み続けましたが、今ふと読めば、細かい一行一行に、不思議に愛着を感じます。飽き足らず、自分を説得できず、何を書こうとするのか自問自答し続け、書いては消し、消しては書いたことがそう思わせるのかどうか。

今振り返ってみますと、一番最初に書いた論文らしいものは、一九九七年の『巌本』(巌本研究会・年誌 第三号)に載せた「巌本善治・女学雑誌とシェイクスピア」というものでした。この論文で、『女学雑誌』のシェイクスピア観をたどりながら、最後に行き着いたの

はそれとは別の明治廿四年十月未の濃尾大震災でした。巌本や周辺の人たちの東奔西走を読み取りながら、自分の中で、常識的な『女学雑誌』観が崩れていくのを知りました。そして藤村もその周辺にいたはずですので、私はその論の最後のところに、「藤村自身の事歴のなかには、おそらく騒然としていただろう女学雑誌編集部や、この濃尾大地煮のかげはほとんど見えてはこない。透谷にしても同じであり、我々もまたこの事実を深く意識したこともない」と書いたものでした。

次に書いた「『女学雑誌』時代の藤村・その一考察 一大須賀亮一と作品「故人」の事」は、その発展で、濃尾震災と大須賀や『女学雑誌』の運動を藤村に引き付けながら細かに追ってみたものでした。私は『女学雑誌』から出発したようなものでした。それから十五年が経ち、今度また『女学雑誌』に帰ってきました。できるだけの努力はいたしましたが、至らぬところも多いのです。どのようにお読みくださるでしょうか。

最初はこんなふうになるはずではなかったのです。「藤村とシェイクスピア」などというテーマで思い立った昔、藤村のシェイクスピア受容を追っていたのですが、「夏草」と「ヴィーナスとアドニス」もその中の一つでした。当時のメモにこんなものが残っていました。

「夏草」第一回分 沙翁の原詩二〇連(一二〇行)→藤村の訳文九三行(二七字許)

同  第二回分      同 三四連(二〇四行)→同      一二八行(同)  ←一五八行必要

同  第三回分      同 八二連(四九二行)→同      一六九行(同)  ←三八一行必要

同  第四回分      同 六三連(三七八行)→同         九一行(同)  ←二九二行必要

解説しますと、原詩の「ヴィーナスとアドニス」は一連六行、全一九九連・一一九四行の長編詩です。普通に訳していきますと原詩と訳文の行数は比例的に増減します。そこで第一回藤村の訳文九三行を基準にしますと、比例的に第二回は一五八行、第三回は三八一行、第四回は二九二行になるはずなのに、実際は一二八行(約81%)、一六九行(約44%)、九一行(約31%)しかなく、藤村の訳は段々と省略割愛が進み、特に第三回、第四回は原詩の大半が省略割愛されていくのでした。「あらあらの大意をよろしく伝えたという程度」という島田謹二先生の言葉を妙に納得しながら、私は藤村は何を殺ぎ、何を生かそうとしたのかと、一々考えようとしたのでした。結局、浄瑠璃という調べの影響もあって、堂々とした地母神のようなヴィーナスはすべて消え去りました。

こんなこともありました。「夏草」には「花」という修飾・形容が大変多いことでした。「花の腕」とか「その花の不死の手」「心に一枚の花起請、……頬のほとりはぬれまさりぬれては積る花の借銭」、或は「花の「キッス」の催促に」「花キッス」「花の雫」「花の風情の」等々、取上げるときりがありませんが、原詩のどういう語彙が「花」と訳されたのかも問題でした。それは rose-cheeked であり、her fair immrtal hand   pretty dimple  crystal tear などでもありますが、藤村はことさらに「花」という形容で男や女を飾り、肉体も飾り、涌き出る汗も涙も「花」で染めていくようでした。また、「恋」や「恋人」の多用も同じでした。loveや lust  lustful などの言葉も、(アドニスが声高く反駁する場面を除いて)、それほど区別して訳されているわけではありません。「欲望」を指す  desire が「恋」や「恋の」などと訳され、男のheや女のshe 、そのほかの人称もそのまま「恋」や「恋人」と訳され、prettilyなどの副詞も「恋の」になるなど、欧文を訳す日本語がまだ成熟していない時代とはいえ、作者はこの世界を「花」や「恋」という皮膜で包み、真っ暗な「闇」の世界も加えて、ときめくような思慕を表しているのではないかなど、考えたりもしていました。それも楽しいことでしたが、いつか「軽韻卑調」などと見下した当時の浄瑠璃の論や、『女学雑誌』の小説世界に夢中になっていました。それが的確に書けたわけではありませんが、それでも最後のところだけは少しだけ、テーヌなどを引用しながら、昔から考えていたことで飾りました。

 

どうぞご笑覧ご叱正くださいますように。欠くるところがあっても、次の世代の方たちに何がしか参考になる部分があれば幸いです。

急に涼しくなってまいりました。どうぞお気を付けてお過ごしください。

いつものようにご無沙汰を謝し、ご挨拶に代えて。

十月九日          宮下 襄

秦恒平様  お元気でありますように。

 

* 雑誌「島崎藤村研究」第40号が添えられ、「小説『夏草』の周辺 ーー『女学雑誌』での位置づけーー」掲載されている。宮下さんの発表論攷は是までも何編もあり、畢生のお仕事の観がある。編集者の境涯からいつしか研究生活に入られた。わたしは、この人の仕事にとり「島崎藤村研究」はまさに恰好の舞台となるはずと紹介したに過ぎないのだが、いつも注目して論攷を読んでいる。

宮下さんには、ほかに、「e-文藝館・湖umi 」に、「テーヌ」を論じた長編大作を寄稿して下さっている。どこかが本にしてくれると嬉しいのだが。

2012 10・13 133

 

 

* 「あまりに健康すぎると、かえって病気になる」とフローベールは「健康」の前に立ち止まる。何が言いたいのか。

「現行犯」は「姦通の場合についてのみ使われる」と。

「献身」という点では「われわれ人間は犬よりずっと劣る」と。謂えていよう。

「建築家」は「みんな愚か者。かならず家に階段をつけるのを忘れる」とは、私憤でもあったか。但し日本の「原発屋たち」は原発だけ作って「便所 有害廃物等の最終処理場」を何一つ用意しなかった。

「原理」は「常に議論の余地なし」とあるが、いいかげんに「原理」におしつけた「ご都合主義の偽原理」に注意しなくては。フローベールのように「それがどんな性質のものなのか、そしていくつあるのかは分からないが、とにかく神聖なもの」というのには賛成しがたい。

「興行主」とは「座長」を意味する藝術家仲間の言葉」で常に「抜け目のない」と形容されるそうだ、が、どう抜け目なく頑張っても成功できない「興行屋」もいる。

「交接・性交」はさけるべき言葉で、「彼らは関係を持った……と言うべし」と。昨今なら「彼らはつきあっている」となるらしい。うっかり「つきあう」「おつきあいしてます」という言葉は使えなくなった。かなり不便。

「公明正大」は「とくに司法官の属性」だと。とんでもない。属性でなく「至高の義務」と言い直さねば。

2012 10・14 133

 

 

* 「禅」とは、原義「天をまつり、(ついでに)地をまつる」ことで天子一世一代の盛儀であった。堯が舜に、舜が禹に天子の位を譲ったのが「禅譲」で、理想的な帝位継承であった。世がくだるにつれ理想的な禅譲は成らず、武力による「革命」が常のようになった。大義名分のために「革命」にも「天意」を読んで格好をつけた。今日の日本の政局でもときに報道される「禅譲」にはロクなものはなく、悪例ばかり。

わたしの心を預けたい「禅」の意義が中国であらわれたのは、仏教が伝来し、ことに達磨が中国に来て、ようやく「瞑想」を意味したサンスクリットのディヤーナまたはジャンの音訳語としてである。「禅」の原義とはかけはなれて無縁の「禅」「禅定」が生まれたと謂える。「座禅」がその修養・徳目となった。

漱石の「吾輩は猫である」でもかの猫は「座禅」を的確に語っている。漱石はしかし「禅」の落第生であった。

今日の世界的な「禅」は禅僧の只管打坐とはうってかわり、ただ「穏和」「温厚」の意義でむしろ大衆化されている。

及第・落第は別として、私の場合「禅」の語に触れて心を動かしたのは、日吉ヶ丘高校生の昔、ひとつには漱石作「門」や、鈴木大拙の岩波新書「禅と日本文化」ないし熱愛した高神覚昇の「般若心経講義」であった。その頃には、今一方に浄土教、法然や親鸞を書いた小説や戯曲に惹かれてもいて、むしろ七十七年になるわたしの人生のかなり長期間を「念仏の魅力」にわたしは抑えられていた。それでもその途中に「臨済録」や「道元語録」に胸を圧されていた。

そしてそのうちに、あの有難い法然の「一枚起請文」ですら一種の「抱き柱」ではないのかと気づいた。般若心経などを除いて多くの仏典はつまりは「ファンタジイ」なのだと悟り、「禅」の意義に思いを寄せ直してきた。前世紀末の禅にも道にも深いバグワンとの出逢いは実に実にわたしには言語に絶してありがたかった。

 

* 江古田のブックオフへ比較的新刊の単行本六冊、小一万ほどのものをもっていった。いくらで買ったとおもいますか。しめて「231円」一冊がではない六冊全部で。やはり図書館に寄付する方が気持ちが良い。ブックオフでは「買う」にとどめる。

 

* 疲れた。

 

☆ 鶴   白楽天

人各有所好   人 各々好むところ有り

物固無常宜   物もとより常に宜しきは無し

誰謂爾能舞   誰か謂ふなんぢ能く舞ふと

不如閑立時   閑立の時に如(し)かず

 

* ただ鶴の立ち姿を褒めたのだろうか。人の鞠躬如として齷齪と立ち回るのをにくみ、端然自立して在るのを好むと述べたのではなかろうか。

2011 10・15 133

 

 

* 筑波大名誉教授、言語学者で日本の古典解読にめざましい仕事を重ねてこられた小松英雄さんから、また、新刊『古典和歌解読』を頂戴した。千載和歌集を読み、いままた和泉式部集を克明に読み続けているわたしには、恰好の手引き書になる。感謝。

2012 10・18 133

 

 

☆ 和漢朗詠集より、述懐にかえて

老いの眠りは早く覚めて常に夜を残す       老眠早覚 常残夜

病の力は先づ衰えて年を待たず          病力先衰 不待年  白楽天

 

紅栄黄落す 一樹の春の色秋の声         紅栄黄落 一樹之春色秋声

綬を結び簪を抽づ 一身の壮なる心老の思    結綬抽簪 一身之壮心老思  菅原文時

2012 10・19 133

 

 

* 古来「臨済の四料揀」といわれる難解な発語に続いての、臨済の曰わくには、胸を押される剛力がある。

 

☆ 臨済に聴く 「臨済録 示衆」より  訳読に拠って摘録する

 

なによりも先ず正しい見地をつかむことが肝要である。もし正しい見地をつかんだならば、生死につけこまれることもなく、死ぬも生きるも自在である。至高の境地を得ようとしなくても、それは向こうからやって来る。

いまわしがおまえたちに言い含めたいことは、ただ他人の言葉に惑わされるなということだけだ。自力でやろうと思ったら、すぐやることだ。決してためらうな。 おまえたちの駄目な病因は自らを信じきれぬ点にあるのだ。もし自らを信じきれぬと、あたふたとあらゆる現象についてまわり、すべての外的条件に翻弄されて自由になれない。もしおまえたちが外に向って求めまわる心を断ち切ることができたなら、そのまま祖仏と同じである。

外に向って求める。しかし何かを求め得たとしても、それはどれも言葉の上の響きのよさだけで、生きた祖仏(=即ちおまえたち自身・実存)の心は絶対つかめぬ。取り違えてはならぬぞ、おまえたち。今・此処で仕留めなかったら、永遠に迷いの世界に輪廻し、好ましい条件の引き廻すままになって、驢馬や牛の腹に宿ることになるだろう。

おまえたち、わしの見地からすれば、この自己は釈迦と別ではない。現在のこのさまざまなはたらきに何の欠けているものがあろう。この六根(=眼・耳。鼻・舌・身・意)から働き出る輝きは、かつてとぎれたことはない。もし、このように見て取ることができれば、これこそ一生大安楽の人である。

 

* バグワンがいかに同じ意義を滾々と語り聴かせてくれていたかを、ありがたく思う。外は外。内なる自身を刮目して見極め真の自由を得たい。ためらっている場合では無い。

2012 10・21 133

 

 

* ゲーテの『親和力』、トルストイの『イワン・イリッチの死』に、惹きき込まれ、両文豪の作風の違いにもそれぞれ魅了されている。

またプレハーノフの論攷『歴史における個人の役割』にも、思いがけず惹き込まれている。いま、バグワンを含め十八冊を寝床で耽読し愛読しているが、すべて気に入って興味津々面白い作なので、何の混乱も遺憾も無い。幸せである。

二階の仕事場にも読みたい本がたくさん身近に置いてあり、『臨済録』も『紋切型辞典』も『和漢朗詠集』も陶潜や白居易の詩集やいくつもの歌集など、この部屋で読みやすいものばかり。

一日も早く、涙や洟みずに邪魔されず、クリヤに読書満喫の秋を満たされて過ごしたい。

2012 10・21 133

 

 

* 今朝も「臨済録」に鞭打されていた。

「死という殺人鬼は、一刻の絶え間もなく貴賤老幼を選ばず、その生命を奪いつつあるのだ。おまえたちが祖仏と同じでありたいならば、決して外に向けて求めてはならぬ。」「おまえたちの生ま身の肉体は説法も聴法もできない。おまえたちの五臓六腑は説法も聴法もできない。また虚空も、説法も聴法もできない。では、いったい何が説法聴法できるのか。今わしの面前にはっきりと在り、肉身の形体なしに独自の輝きを発しているおまえたちそのもの、それこそが説法聴法できるのだ。」 「ただ想念が起こると智慧は遠ざかり、思念が変移すれば本体は様がわりするから、迷いの世界に輪廻して、さまざまの苦を受けることになる。」

 

* まさしくバグワンに聴いていたことだ。「決して外に向けて求めてはならぬ。」「想念が起こると智慧は遠ざかり、思念が変移すれば本体は様がわりするから、迷いの世界に輪廻して、さまざまの苦を受けることになる。」とバグワンに聴いてわたしは承服してきた、実践はなかなか出来ないが。

「なんぢが一念心上の清浄光は、是れなんぢが屋裏の法身仏なり。なんぢが一念心上の無分別光は、是れなんぢが屋裏の報身仏なり。なんぢが一念心上の無差別光は、是れなんぢが屋裏の化身仏なり。」とある。「清浄」「無分別」「無差別」の三光に照らされたいと思ってきた、願ってきた。「無分別」と謂うと今世では思慮のない意味、不徳と思われがちだが、臨済が説きバグワンが謂うこれは、例えばごみを出すときの「分別(ぶんべつ)」を事としてはならない、あれかこれかと選択に心を弄してはいけない意味である。

2012 10・22 133

 

 

* 水戸市の高橋禮子という歌人から歌集が送って来られている。題して『シェイクスピアのロマン』と。「おひま(?)なおりにごらんいただけましたら 光栄です。」と謹呈の付箋に書かれてある。毛筆で名宛ての署名もある、歌は目がぱっちりしてから読む。じつは今ももう目は霞んであてずっぽうで書いています。もう限度。やすみます。

2012 10・22 133

 

 

* 「分別有る人々」ほど「誇張」すると、フローベールは『紋切型辞典』で笑っている。この読解は案外難しい。

周囲にひとがいるときは「子供」にたいして「叙情的な愛情を示すべし」とは、紋切型の大人への皮肉であろう。ことに幼い子達への露わな親愛を人中でほど振りまく大人は、よく見かける。但しわたしは愛らしい幼子を見るのは、堪らなく好きであるが。

「ごまかす」のは「機転が利いて、政治的に自立しているという証拠である」と。野田総理が喜びそうな。「ごまかす= 悪意の算術(秦の造語)」に長けることこそ「外交」なのであろう。アメリカも中国も盛んにやっている。日本の外交は「ごまかしも利かない」幼児性に低迷している。

「どんなニュース」にも「根拠」がない、と。「ニュース」には往々にして「ごまかし」がある。誰が誤魔化しているのかが問題だ。

「建立」とは「記念建造物についてのみ使われる語」と言っているが、この「erecti0n」という語には「勃起」という意味もあり、「その意味にとれば、この項目の記述にはいくらか淫猥さがともなう」と訳者小倉孝誠氏は注釈していて、おもしろい。

2012 10・23 133

 

 

* 中国文学者であられた興膳宏さに、送本のついでに失礼ながら、私の「恒平」名二字になにか典拠が有りましょうかとお尋ねした。二度ばかり読書の中でそれらしい何かに行き当たりながら書き留めなかったので忘れ果てていた。興膳さんは、特に見当たらないが、「ただ、清の康煕年間の宮廷雅楽に、「恒平」の曲の存したことが、「清史稿」に見えます。恒久平和の意と思われます」と。これは興膳さんからの謂わば「喜壽」を違和つて下さったものと思い慶んでいる。

なかなか恒久平和とは生きてこれなかった。憤ろしいことも悲しいこともあった。だが嬉しい、晴れやかな、励まされることも多かった、その方が多かった、と顧みて思えるのが有難い。

振り向くな、過去を顧みるなとバグワンに叱られてばかりいるが、心弱るとついそういう気味に陥る。

2012 10・26 133

 

 

* 夜前、浴槽のなかで、トルストイの「イワン・イリッチの死」とホーガンの「星を継ぐもの」を、読了。

前者は文句なく名作、後者は優れて個性的なSFの力作。ともに大満足した。

トルストイの作は平々凡々の一人の男の前半生とふとした怪我から起きた病苦のなかで切実極まる死の恐怖を、さながらの臨死体験としてあくまで追及しつつ、瀕死の精神に訪れたある解決を、みごとな筆致で書き尽くしている。大作「アンナ・カレーニナ」を書いて優に十年もの間トルストイは創作の筆を絶っていた。大きな精神と信仰との問題を彼なりに乗り越えて書いた「イワン・イリツチの死」は第一作であった。これは奨められる名品である。

ホーガンのSFは、内容を明かすわけに行かない。みごとな、世界と人類との「新解釈」が蕪雑な物語に陥らず徹底した科学的解明の議論で達成されて行き、じつに心憎いまでの結晶化を遂げている。建日子の、推奨とともにもたらした一作だが、彼はどう読んだだろう。ともあれ「不思議」を愛する人には恰好の読み応えが此処に在る。

2012 10・27 133

 

☆ 臨済に聴く  『臨済録』(入矢義高訳注)に拠って

「心というものは形がなくて、しかも十方世界を貫いている。」そんな「心が無であると徹底したならば、いかなる境界にあっても、そのまま解脱だ。」「わしがこのように説く目的」は、「おまえがあれこれ求めまわる心を止めることができずに、古人のつまらぬ仕掛けに取り付いているからだ。」「おまえが、、無限の時間を空じきるまでに達観できておらぬから、そんなつまらぬものにひっかかるのだ。ほんものの修行者なら」「ただその時その時の在りようのままに宿業を消してゆき、なりゆきのままに着物を着て、歩きたければ歩く、坐りたければ坐る。修行の効果への期待はさらさらない。」「あれこれ計らいをして、成仏しようなどしたならば、そういう仏、そういう行業こそは生死輪廻のでっかい悪しい引き金、生死の大悪兆だ。」

 

* バグワンに再三再四聴いてきたのと、完璧なほど、同じいのに力を得る。

2012 10・28 133

 

 

* フローベールは言う、「才気」「ある人々はおのずと考えが一致する」と。考えさせられる。良い方へだけとは限らないから。政党の「野合」といった悪例がわれわれの目の前にある。年がら年中見せつけられている。

「財産(運)」は「大胆なる者に味方する」と、ウェルギリウスの詩句を引いている。これも単純に言葉通りにはとれない。「有徳人」の「徳」すなわち財産にはロクな筋道も企みも無い、昔も今も。だからかフローベールは付け足している、誰かが大きな財産をもっているという話になったら、「でも、本当に確かな(=まともな)財産ですかね」と「かならず言うこと」と。

「策略」は「立身出世するための唯一の手段」と。すこしも著者は推奨していない。しかし外交などでのわたしのよく言う「悪意の算術=策略」に長けた国はたしかに褒めたものでない「財産」をさまざまに弱者からもぎ取っている。

「ざりがに」は「反動家」をそう呼んでいいように「後ろ向きに歩く」という観察も凄い。いまの政治家はみなそういう「悪しき保守」の涎を誰ながら「策略」に明け暮れている。

 

* こういうふうに落ち着いて批評的に読めばただの「紋切型辞典」と見えて、なかなかの奥が読み取れる。いい本です、わずかな時間を縫い取るように読んで行ける。

2012 10・29 133

 

 

* 色川大吉さんより随筆集『追憶のひとびと』戴く。「同時代を生きた友とわたし」と副題されている。

2012 10・30 133

 

 

* ある歌誌の巻頭に主宰がエッセイを書いていて、「私たちは言葉を覚えたり使ったりするとき、状況から判断して理解していく、辞書に頼るのではなく。」とあるのは略々承認できるとして、結論のように「生きた言葉は口伝しかないのかもしれない」とあるのが、分かりにくい。「口伝」は、いまでは古語に類して主として文献資料となっている。この人は「口伝え」の意味で用いているのか。それでも「生きた言葉」との関連は曖昧である。「生きた言葉は、慎重な『耳』を通じて覚えるがいい、書かれた文字言葉に過剰に頼むべきでは無い」と、わたしなら言う。

同じ歌誌の巻頭第一首が、

あなたが何かわからないのにこちらでは人間になれて受話器を置きます  佐藤信弘

というのは、あまりに粗放、「うた」たる内在律の美感が微塵も響いてこず、歌いたい、ないし言いたい何かも曖昧に過ぎる。「うた」って何かをまともに思案してもらいたい。

もう一誌届いていた歌誌の最初のうたは次のとおり。

夏が終わった半透明な浅葱色の花は亡母が見せてくれたのか  井口文子

これも、やはり内在律の美感をもたない、粗忽な作としか読めないが。わたしの間違いか。

2012 10・30 133

 

 

* 就寝前の読書書目にプーシキンの史劇『ボリス・ゴドゥノフ』 同じくロマン・ロランの史劇といえる『愛と死の戯れ』を、追加した。

今、読んでいる本のうち最も堅い本は、プレハーノフ『歴史における個人の役割』だろうと思う。

彼はそういう「個人」の果たした役割・功績。成果・達成等をそれとして必然絶対のものとは認めない。背後ないし基盤に「社会構造からする社会的要請や大勢」をほぼ絶対視する。たとえナポレオンがいなかった、早死したとしても、社会組織が、大勢が欲している限り、大きな変化無く、同じことが達成されるとしている。

多くの事例に鑑みて思えば、プレハーノフの論旨は肯定できる。一人の卓越した個人の周辺、同時代には、それなりに同志。同能力の者が必ず存在して代替して歴史を動かして行く、と言う。ラファエロ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチがたとえ志半ばに不在しても、その背後や周辺に歴史と社会の意思が働いている限り、大きくは違わない成り行きが成果なり方向を生み出して行くものだと。

わたしは、この論攷を肯定する。程度や成績に、価値に、いくらかの不足が伴おうとも。フロイドもマルクスも進化論を説いた彼にしても、大なり小なり彼らが不在ないし挫折していても他の個人たちが大方を同様に推進しまた説いていただろうと思われる。

ただ、一人一つだけプレハーノフ説に気がかりな「例外」となる個人がいたかも知れぬと、畏敬を隠せないのは、相対性理論のアインシュタインで。

彼のあの理論的発見は、彼の同時代が待望しその達成に機構的に思想的に動的に地盤を、推力を用意していたと言い切れるのだろうか。わたしには分からない、が、どんなものだろう。

プレハーノフ説にも例外的な「個人」がいて、人々の予想だにしなかった「歴史的役割」を確立することが在るのかも知れぬ。

誰か意見のある人に聴きたい。

2012 10・31 133

 

 

* 上野千鶴子さんから『みんな「おひとりさま」』と題した本を貰った。

 

☆ 秦恒平様

「京のわる口」拝受。パタリと開いた頁に、「ほっちっち 構(かも)てなや…」の童唄が。その昔祇園祭で聞いていらい忘れがたい、子供にしてはこましゃくれた都らしい唄です。京都にご縁が深くなり、改めて京のQOL の高さを実感しています。

新刊一冊お納め下さい。 10/21   東大名誉教授 上野千鶴子

 

* もう東京で作家生活に入っていた頃か、京都の平安女学院であったか上野千鶴子という若い女先生が「えらい勢いで暴れたはる」という噂を聞いた。京都のような街で「暴れたはる女学者」は頼もしいと思っていた。

上野さんが東大へ出てきてからの新刊を、十冊できかないほど貰って、けっこう熱心に読んできた。

2012 10・31 133

 

 

* 昨夜は夕食後から十一時まで寝てしまい、一時間ほど機械の前などに来て一日の始末はつけたが、日付が変わったところで上野千鶴子さんにもらった新刊の一部をとても興深く読んでから、すぐ寝入り、八時過ぎまで寝ていた。通して、十三時間寝ていた。寝過ぎかもしれないが、その間は平和である。

上野さんの実調査や証言を踏んだ言説には驚くほどの意外さと説得の力がある。眼からウロコを何枚も剥がされて行く。

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

フローベールによれば「散文」は「韻文よりも作るのが簡単」と。紋切型である。それに対し「詩」は「まったく無用のもの」「その流行は廃れた」と言い切っているのは、世界史的な「散文」作家の強烈な「詩の無用」批評であろう。「韻」を踏みやすい西欧の言語専門作家である人のこの突っ放しは、「韻」のとらえがたい日本の「現代詩」では一層の「無用」 感を強いてくる。いろんな詩誌が送られてくるが、詩作の多くは独り合点の独りよがりに近いと評されよう。

「日本人の詩作」には、確乎たる方法論が見当たらない、おのがじし好き勝手をしていて、文学的効果は低調なのである。

フローベールに言わせれば、なんと、「詩人」とは「夢想家、馬鹿者の同義語」だとある。ゲーテやハイネやヴォードレールらの名と作とが厳粛なほどにわたしには蘇ってくるのだが。

さて、「字」が「きれいだと何でも成功する。」「読めないような字を書くのは、学があるというしるし」とはどうだろう。後者の例では、亡き中村光夫先生、健在の梅原猛さんの書字がわたしの触れた限り、飛び抜けて「読めない」。

「時間」は「永遠の話題」であるとともに、「いつでもどこでも病気を引き起こす原因」だというのは、何ともいえぬ凄然の示唆であり、頷ける怖さがある。

「事故」は「常に『嘆かわしい』、あるいは『遺憾な』もの」とは自然当然で、わたしも常に「事故」や「怪我」を我にも家族にも人の上にも無かれと切に願っている。

「仕事」は「何よりも優先される」「人生においていちばん重要なもの」だが、「女性は仕事の話をしてはならない」と。原語の「affaires」には「月経」の意味があると訳者は注してくれている。

「自殺」は「卑怯だという証拠」というのには多くの反論が在ろう。東工大の学生達に訊いたとき、「自殺は基本的人権の一つ」「文化」と答えた学生が二、三にとどまらなかった。キリスト教社会と日本人の感覚がちがってもくるのだろう。自殺者はあまりに多い。

 

☆ 臨済録に聴く

「おまえたち、時のたつのは惜しい。それだのに、おまえはわき道にそれてせかせかと、それ禅だそれ仏道だと、記号や言葉目当てにし、仏を求め祖師を求め、〔いわゆる〕善知識を求めて臆測を加えようとする。間違ってはいけないぞ、おまえ。」「このうえ何を求あようというのだ。自らの光を外へ照らし向けてみよ。古人はここを、『演若達多は自分の頭を失って探し廻ったが、探す心が止まったら無事安泰』と言っている。おまえよ。まあ当たり前でやっていくことだ。あれこれと格好をつけてはならぬ。世間にはもののけじめもつかぬ悪僧の手合いがいて、何かといえば神がかりをやらかし、右へ左へとくるくる向きを変え、『やあいい日和だ、やあいいお湿りだ』と御託を並べる。こんな輩は、みんな閻魔王の前で焼けた鉄丸を呑んで借りを返させられる日が来るだろう。ところが、しゃんとした生まれのはずの修行者たちが、こんな狐狸の手合いに化かされて、さっそくうろんまことをやらかす。愚か者め。閻魔王に飯代を請求される日がきっと来るぞ。」

 

演若達多 鏡にうつる自身の美貌を楽しんでいたが、ある日直に顔を見ようとして見られず、顔を失ったと町中を走り回った男。自己を見失った愚かさの喩え。

核心は「要平常、莫作模様 当たり前でやっていくことだ。あれこれと格好をつけてはならぬ。」

生皮を剥がれる心地がする。知識人ほどこれが出来ぬ。

2012 11・2 134

 

 

☆ 閑坐  白楽天

暖擁紅爐火    暖は紅爐の火を擁し

閑掻白髪頭    閑、白髪の頭を掻く

百年慵裏過    百年、慵裏に過ぎ

萬事酔中休    萬事、酔中に休す

有室同摩詰    伴侶有るは摩詰に同じく

無児比 攸    愛児無きは 攸に比せり

莫論身在日    論ずるなかれ身に在りし栄枯特質を

身後亦無憂    来世を恃まず亦些かの憂いもあらず

 

わたしはこのように読んで、慕う。

2012 11・2 134

 

 

* 昨日江古田の書店で、幻冬舎刊『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』という菅直人前総理の著書を買ってきた。この表題の「総理大臣として」の表白が重い。わたしは菅直人叩きの声を聴くつど、この点が看取られていないことに発言者の軽薄を感じてきた。読み進んで落ち着いた筆致のなかに、「総理」という立場にガンとして起たずばあるまじき気概とともに、今となって事実

を糊塗しようとする卑しい言表も気息もわたしは感じなかった。大事な歴史的証言に臨んだ「当時総理大臣」としての実感としての驚怖、責任感がよく表現され、いやしい言い逃れは感じ取れなかった。

そう読んだ上で彼・菅直人が何を述懐し証言していたかを重く具体的に見極めねばならない。願わくは大勢が自身の読み取りをして欲しい。

2012 11・3 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「時代」とは「われらの時代即ち現代」のこと。「現代」に対しては常に「はげしく非難すること」「移行期、頽廃の時代と呼ぶべし!」「詩的な時代でないと嘆くべし」とフローベールの作中人物は叫ぶ。「現代」を謳歌するなど今の日本人にもまるで許されない。日本の「現代」は腐れている。

「実践」は「理論にまさる」と。

「写真」は「いずれ絵画にとって代わるだろう」と。ひところまでは一世を風靡した画家が同時代にいた。今はかなり心許ない、その原因の大きな一つに、画家が写真機を利用して撮影した写真から繪を描いているからだ、繪が弱く弱くなって行く。「写真画家」を絶対に容認してはならない。絵画と写真とは絶対にちがう。写真を繪にしている画家は、画家では無い。

「ああ自由よ、汝の名においてどれほど多くの罪が犯されることか!」とは、フランス革命でギロチン刑を受ける直前にロラン夫人が口にした。だが革命の自由をのろった人士も生前は「自由」の名で多々罪を犯していた。フローベールの言うように「われわれには必要な自由がすべてある」と仮にしても、必ずしもご同慶とは言いがたい。わたしは「自由」を願うが、非難したい我が儘勝手な自由もある。ごちゃ混ぜにはしない。

「醜悪」なことを「やってもいいが、口にしてはならない」と。人の行為のおおかたは良きにつけ悪しきにつけ「醜悪」に隣接し直接している。「口にしない」でやり過ごしているだけ。しかし政治や特権企業の醜悪は、はっきり口にして咎めるべし。

2012 11・4 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「猥褻な表現に出くわしたら、『なんと醜悪な!』と 叫ぶべし」とフローベ゛ールは言うが、「猥褻」と「猥褻でない」との「行為」としての差異は何処に、誰に、在るのか。暗に謂われてあるらしき「猥褻」行為は、病的な病人は除くとして、貧民も庶民も貴顕も全く同じではないのか。なぜ同じなのかをよく思惟すれば、性行為は普遍妥当な人間の、そう、普通の営みであろう。病的でない一般社会で「猥褻」という言葉は、いたずらに穢く使われていないか。使わなくていい言葉ではないのか。「ギリシア語やラテン語から派生した科学用語にはすべて、何か猥褻なことが含まれている」とフローベールは付け足している。

2012 11・5 134

 

 

* 菅直人の「総理大臣として考え」尽くした「福島原発にかんする述懐と証言」はじつに真摯なもので、しかも背筋の冷えるおそろしい事実やシミュレーションや恐怖に、圧倒される。これは脱原発、反原発を願う人だけでなく、この問題で菅総理に罵声を投げかけ不信や不審を覚えていた人たちに、「ぜひ読んで下さい、その上でもう一度原発について考えてみて下さい」と強く強く推奨する。

2012 11・6 133

 

 

☆ 「仏法は用功の処無し、ただ是れ平常無事。」「古人云く、外に向って工夫を作(な)すは、総べて是れ痴頑の漢なり、と。なんぢしばらく、随処に主と作(な)れば、立処皆真なり。」と、臨済は喝する。

「平常無事」かつ「随処作主」 なかなか、なかなか。

2012 11・7 134

 

 

* 昨日、名大名誉教授山下宏明さんから新著『「平家物語」入門』を頂戴した。「琵琶法師の『平家』を読む」と副題されていて、大著『琵琶法師と「平家物語」と能』も以前に戴いている。わたしの『能の平家物語』が少し先行していたが、さすが専攻の研究者の追究は興趣に溢れていた。今度の本はもうすこし早く出ていたら大河ドラマの観客たちのたいへん好適なお奨めの入門書(笠間書院)となったろう。いまからでも遅くない、わたしもこの新刊を便利にも頼みとし座右に置きたい。

今日は、大阪の作家眉村卓さんの新刊「異世界シリーズ」の第三冊を頂戴した。

上野千鶴子さんの『みんな「おひとりさま」』は少し貪欲に利用させてもらう。

菅直人前総理の『福島原発 総理大臣として考えたこと』も是が非でも通読する。

2012 11・7 134

 

 

* 入浴すると、からだはらく。腹もやわらかになる。ゆっくり文庫本を読むのがいい。今晩も、ゲーテの小説「親和力」 ブーシキンの史劇「ボリス・ゴドノフ」 ロマン・ロランのやはり史劇「愛と死の戯れ」 トールキンのファンタジー「指輪物語」 滝沢馬琴の稗史「南総里見八犬伝」 辻邦生の小説「夏の砦」を、納得できるほどを十分愛読した。

眼が霞んできた。やすみます。

2012 11・8 134

 

 

* 菅前総理の著書、読み進むに随いその思想・志操・執筆姿勢の正しさ、執筆内容の表現・訴求力の強さ、信頼度の篤さ、すべてに感服。少なくも福島原発の爆発と対応にかかわる菅さんへの疑念など持っている全ての人は、これを読んで、その上で批判すべきはするようにと願いたい。

2012 11・10 134

 

 

* 今読んでいるゲーテの「親和力」は劇作や翻案には恰好の小説。またプーシキンの「ボリス・ゴドゥノフ」もロマン・ロランの「愛と死との戯れ」も、短篇の史劇ながら、激しかったロシア皇室の交代劇、また凄惨なギロティンが働いたフランス革命のさなかを、一つは僭帝の苦悶、ひとつは革命に翻弄されていまなお苦痛に息をひそめた人たちの、まさに「劇」作を成している。

劇作家で演出家でもある秦建日子が、巧みに翻案してこれらを日本や中国に持ってきても素適に生きる、感動的に生きる作だと思う。いずれもすばらしい傑作である。読んでごらん。

2012 11・11 134

 

 

☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。

当今の学者たちは、まったく法とは無縁だ。(今時学者、總不識法) まるで鼻づらを物にぶっつけたがる羊みたいに、何に出会ってもすぐロに入れてしまう。( 逢著物安在口裏)  だから奴隷と主人の区別もつかず、主と客の見分けもつかない。こんな連中は、初めから不純な目的で学ぼうとしたやから(如是之流、邪心入道)で、にぎやかな場所にはすぐ首をつっこむ。これでは真の学者とは言えぬ。まさに根っからの俗人(真俗家人)だ。

いやしくも真に学道の出家とあれば、ふだんのままな正しい見地をものにして、仏を見分け魔を見分け、真を見分け偽を見分け、凡を見分け聖を見分けねばならぬ。こうした力があってこそ、真の学者と言える。魔と仏との見分けもつかぬようなら、それこそ一つの家を出てまた別の家に入ったも同然で、そんなのを<地獄の業を造る衆生>という。とても真の学者・出家者とは呼べぬ。

たとえばここに仏と魔が一体不分の姿で出てきて、水と乳とが混ぜ合わさったようだとする。そのとき真偽・邪正を見分ける気の能力者は乳だけを飲む。しかし真の眼力を具えた学者・修行者なら、魔と仏とをひとまとめに片付ける。(魔仏倶打)

おまえがもし聖を愛し凡を憎むようなことなら、生死の苦海に浮き沈みすることになろう、(生死海裏浮沈) 今のおまえが、それだ。

 

* すこしく、わたし個人の気持ちを入れて聴いている。末尾の一句はわたくし、現下の自覚。

とても難しいところが、きちっと謂われている。

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「習慣」は「第二の天性である」と必ず言い添えるべし。「慣れればパガニーニのようにヴァイオリンを演奏できるようになる」とは、かすかにジョークかも知れないが、最近のテレビが広告している聴く一方の英会話の学習法などそれに同じいか。

「住居」は常に「不可侵」。

「宗教」は「社会の基盤のひとつ。」「ただし、あまりに狂信的なのは困る。」現にわたしらはイスラエルとイスラムとのただただ過激な狂信的乱闘を苦々しいほどに遠見にも呆れている。

「銃殺」は「ギロチン刑に処するよりも上品」「この特典をあたえられた者は喜ぶ」と。フランス革命では王や王妃をギロチンに懸けた者が次に同じ目に遭い、また次の者が同じ目に遭い、引き波も激しい津波のように繰り返しギロチンが働いた。ロランの史劇『愛と死との戯れ』はまさにその渦中をえぐり取っている。

「十字軍」は「ヴェネチアの商業に役立っただけ」と。炯眼のように想われ、ただ皮肉のようにも。

「羞恥心」とは「女性にとってもっとも美しい装飾品」とは、猛烈な罵倒にすらなっているのかも。今日日本の女性のもっとも誇らしい徳性が「羞恥心」だという人有れば首をかしげる。高笑いするかも知れぬ。

「趣味」については、「質素な身なりですみません」と謝る女性にたいしては「質素こそいつでも趣味の良さを示すものです」と「かならず言ってあげること」とフローベールは言う。なるほど。たしかに。

それにしても今日ほど女性の身なりの、少女から中年までめちゃくちゃにバラバラなこんな時代が過去にあったろうか。「趣味」の自由化とも壊滅とも感じている。

2012 11・13 134

 

 

☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。

問い、「仏と魔とはどんなものですか」

師は言った、「お前に一念の疑いが起これば、それが魔である。(一念も生死を計れば、即ち魔道に落つ。) もしお前が一切のものは生起することなく、(万法唯心、心もまた不可得 存在として心は把得できぬ) 心も幻のように空であり、(一切の諸法は幻化の相) この世界には塵ひとかけらのものもなく、どこもかしこも清浄であると悟ったなら、それが仏である。

ところで仏と魔とは、純と不純の相対関係に過ぎぬ。わしの見地からすれば、仏もなければ衆生もなく、古人もなければ今人もない。得たものはもともと得ていたのであり、(理法は求めて新たに得るのではなく、本来自己に具わっていることの体認・目覚め・気づきこそ肝要) 時を重ねての所得ではない。もはや修得の要も証明の要もない。(道の修すべきなく、法の証すべきなし。)

 

* バグワンも常にこう語っていた。「分別心 マインド」が障礙だと。修行苦行して得るもので無い、すでに備え持った仏性に気づいて目覚めよと。まことに、まことに然かあるべし。

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

おそろしいことをこの大小説家は言い切る。

「小説」は「大衆を堕落させる」と。もともと「小説」とは字義の示しているように古代中国では蔑称であり、世に出始めはマカ不可思議の怪力乱神などを介し、大小の寓話や面白づくを「読み物」として世にまき散らしていた。その意味では今日の通俗読み物はその類いを引きずっている。フローベールには「小説 読み物」と「文学作品」とを峻別していたのだろう、か。

「単行本で出版されるより新聞に連載されるほうが、道徳的な害が小さい」とも言うている。小説など本の形で永く座右に置くのは弊害だと謂うのか。

「『歴史』小説だけは許容されてもよい、歴史を教えてくれるから。例として、たとえば『三銃士』」とは、一つには現代の生活を堕落させる度合いが小さいと。二つには、毒にも薬にもならない読み物が多いと。そういう皮肉か。

「メスの先端で書かれたような小説がある。たとえば(フローベール自作の)『ボヴァリー夫人』」とも。

訳者の傍注によれば、サント・ブーヴのこの作を論じた結語への「言及」であると。「すぐれた医師を父と兄に持つギュスターヴ・フローベール氏は、他のひとたちがメスを手にするように、ペンを手にする。解剖学者と生理学者よ、私(サント・ブーヴ)はあなたがたをいたるところに見いだす!」と。フローベールは「メス」で書いたのか「ペン」で書いたのか。「ペン」を「メス」のように駆使して「人間」を解き明かしていった自覚の、これは自負と限界の自覚であったか。「針の先端にかろうじて乗っているような小説もある」と彼は書いている。なかなか「紋切型」と読み捨てがたい。フローベールがあたかも身構えていると感じる。

2012 11・14 134

 

 

☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。

おまえに言う、大丈夫たる者は、今こそ自らが「本来無事の人」であると知るはずだ。残念ながらおまえはそれを信じきれないために、外に向ってせかせかと求めまわり、(念々馳求) 頭を見失って更に頭を探すという「愚」をやめることができない。円頓を達成した菩薩でさえ、あらゆる世界に自由に身を現すことはできても、浄土の中では、凡を嫌い聖を希求(厭凡忻聖)する。こういった手合いはまだ「取捨の念」を払いきれず、「浄・不浄の分別」が残っている。

禅の見地はさようの迷惑とは違っている。ずばり「現在そのまま」だ。なんの手間ひまもかからぬ。(直是現今、更無時節)

わしの説法は、皆その時その時の病に応じた薬で、実体的な法などはない。

もし、このように見究め得たならば、それこそ真実の探求者・出家者で、(俗塵に塗れず無心に=)日に万両の黄金を使いきることもできる。

おまえ。おいそれと諸方の師家からお墨付きをもらって、おれは禅が分かった、通が分かったなどと言ってはならぬぞ。その弁舌が滝のように滔々たるものでも、全く地獄行きの業作り(皆是造地獄業)だ。真実の求道者であれば、世人のあやまちなどには目もくれず(不求世間過)、 ひたむきに正しい見地を求めようとする。もし、正しい見地に目覚め得て月のように輝いた(圓明) なら、初めて正覚は成就したことになる。(方始了畢 まさに初めて了畢せん。)

 

* 知解はしている、それが「いけない」。いけない、いけない。知解で満足してしまうのが、知識人の地獄なのだ。

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「肖像画」で「むずかしいのは、微笑みを表現することだ」と。謂えている。

「娼婦」について、「独身の男がいるかぎり、娼婦はわれわれの娘や姉妹を保護してくれる」と。また「娼婦はいつでも、ブルジョワ男に誘惑された民衆の娘である」と。後者は、句読点の添え方で意義が、ほぼ同義ながら、動揺する。「民衆の娘」なのか。「ブルジョワ男に誘惑された民衆」の「娘」なのか。

「譲歩」は「絶対にしてはならない。譲歩したせいでルイ十六世は破滅した」と言う。「ルイ十六世」の例は無視したい。

「女性の衣裳」は「想像力を刺激する」と。「男の想像力」と付け加えるべきか。当節日本の若い女性はもはや「衣裳」などという言葉も念頭にないのだろう。「男の想像力を」もはやなんら刺激しない。わたしが置いたからか。否!

「書物」は「どんな書物であれ、常に長すぎる!」とは、参りました。しかし『戦争と平和』も『モンテクリスト伯』も『ジャン・クリストフ』も『指輪物語』も『源氏物語』」も『南総里見八犬伝』も長さを魅惑の根にしている。半端に無意味に長い小説や評論は自戒しないと。むろんわたしも。

「新聞」は「現代社会できわめて重要なもの」だが、「新聞に書いてあることを信じる一方で、常に新聞を弾劾すべきである」とフローベールは適切である。今日の日本でも、有力新聞の大方は「弾劾」に値して措信に値しないし、インターネットの蔓延で力衰えつつある。

「進歩」は「いつも誤解されているし、あまりに拙速だ」と。人間が「進歩」で儲けながら「悪しき進歩」を抑制も操縦も解雇もできない現状は、「滑稽」を通り越して「もの哀れ」に過ぎる。

2012 11・15 134

 

 

* 昨日、プレハーノフの『歴史における個人の役割』とフローベールの『紋切り型辞典』を読了した。ともに量のある解説がついていで、それもぜひ読んでおきたい。「辞典」はともあれ、プレハーノフの「論攷」がいまの頭の老いたわたしに読めるだろうかと思っていたが、本を朱で真っ赤にしながら、とてもとても興味深く読み込めた。いい論文であった。

また「八犬伝」も一冊読み終え、次巻にうつる。

2012 11・16 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「進歩」は「いつも誤解されているし、余りに拙速だ」と。

「衰弱」は「常に『早すぎる』」と。

「正義」は「けっして気にかけるべからず」とも。 これは聴くに足る。「正義」の名において成されてきた「不正」の多さは「正義」に立ち勝っている。

「聖職」に関しては「藝術はひとつの聖職である」「一般にあらゆる職業が聖職である」と。

「正書法」など、「自分なりの文体があるときは、知らなくてよい」と。 これは文章読本の常識である。

「青鞜」とは、「藝術上のことがらに関心を抱く女性を形容するときの侮蔑語」だと。

「折衷主義」とは、「自分の評判を落としたくないひとが支持する主義」であると。 確かに。

「摂理」が「なかったら、われわれはいったいどうなることだろう?」

 

* しかしながらフローベールは生涯の永い期間かなりに熱中し執着した『紋切型辞典』のなかに、「自身の言葉は意図してまったく入れなかった」と「解説」されている事実を頭に入れておく必要がある。何故か。それはもう少し先である程度まで理解できるかも知れない。

2012 11・17 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「想像力」は「警戒すべきである」とともに、「想像力さえあれば、誰でも小説を書ける」と。

フローベール自身の説や言葉と受けとらないこと、彼は徹底して他書の引用や聞いての体験でこの「辞典」を書いている。絶筆となった大作の小説『ブヴァールとぺキシェ』のこの作中人物二人が熱中して小説の中で編纂している。材料は二人の厖大な読書体験に埋蔵されていた、が、それすらも作者フローベールの意図が構造化されてあることは否定できない。辞典として書き込まれてある言葉をフローベールに直に結びつけては間違う。そのように創られてあるというのが解説者小倉孝誠氏に教わったことである。

「挿入」は「卑猥な言葉」であると。わたしには少し違った思いがある。

「損害賠償」は「常に要求すべし」と。

「体液」が「出たら常に喜び、体にこれほど多量の液体が含まれていることに驚くべし」と。血液の意味ではあるまい。こういう語を採り上げる小説の作中人物たちないし作者の思いが汲まれる。

「代議士」は「みんなお喋り」で「何もしない。」「議会を激しく非難すべし」と。この通りの今の日本の代議士達。

人はみな「ある種の」「体質」を「持っている(好色だとい意味)。」

「対比」するのなら「次の両者で行うべきである。』即ち

カエサルとポンベイウス。

ヴォルテールとルソー。

ナポレオンとシャルルマーニュ。

バヤールとマク=マホン。

ゲーテとシラー

ホラチウスとウェルギリウス

「ダゲレオタイプ(銀板写真)」は「やがて絵画に取って代わるだろう」と。 日本の昨今の若い画家もベテラン画家ですらも自ら「写真」に身売りして、デッサンをおろかに、「写真」の輪郭をなぞり描きして新思潮だとでも思っているらしいが、無能・無策の非藝術家に陥っているのだ。

2012 11・18 134

 

 

☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。

凡常の修行者たちは、いつも名前や言葉に執われるため、凡とか聖とかの名前にひっかかり、その心眼をくらまされて、ぴたりと見て取ることができない。

例の「経典」というものも看板の文句にすぎぬ。修行者たちは、それと知らずに、看板の文句についてあれこれ解釈を加える。それはすべてもたれかかった理解にすぎず、(皆是依倚) 因果のしがらみに落ちこんで、生死輪廻から抜け出ることはできぬ。  追いかければ追いかけるほど遠ざかり、求めれば求めるほど逸れていく。ここが摩詞不思議というものだ。

おまえに言う、おまえの幻のような連れを実在と思ってはならぬ。そんなものは遅かれ早かれするりと死んでしまうのだ。おまえはこの世で一体何を求めて解脱としようとするのか。

ずるずると五欲の楽しみを追っていてはならぬ。光陰は過ぎ易い。一念一念の間も死への一寸刻みだ。(光陰可惜、念念無常) 大にしてはこの身を作る地水火風〔の変調〕に、小にしては一瞬一瞬が生住異滅の転変に追い立てられているのだ。

おまえ、おまえは即今ただいま、これら四種の変化が相(かたち)なき世界であると見て取って、外境に振りまわされぬようにせねばならぬ。

 

* このおしえを、バグワンにも教わって知解はしているが、これと、「反原発」のいわば闘いとはどういう関わりになるのか。「生住異滅の転変に追い立てられている」だけなのか。

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「種馬」は「いつでも『頑強』 (そうでなければ、種馬として養っておく必要がない)」「女性は、種馬と普通の馬の違いを知らないほうがよい。」「少女にとっては、種馬というのは他よりも大きい馬のこと。」と。

小説『ブヴァールとベキシュ』のこの二人の作中人物、即ちまた作者フローベールは、このての、存外に「性」と関わった暗喩にひとしい「辞典」見出し語を、かすかに意図して多用し、そこにこれら人物のある種の底意を表しているのではないか。それがこの「辞典」へ存外に読者を誘うのではないか。現にわたしも、誘われている、或るべつの意図をもちながら。

「卵」は、「生物の起源をめぐる科学的な議論の出発点」と。

およそこの人物達の読書渉猟の、そして何かしら実務のための探索範囲は、まことおそるべきもので、「農学、化学、生理学、医学、天文学、地質学、考古学、歴史学、文学、美学、政治学、社会学、哲学、倫理学、宗教そして教育学」と追究され、それはまたブヴァールとベキシュだけでなく、原作者フローベールの心性を反映している。『紋切型辞典』とはたんなる余興の諧謔どころか、途方もない探求と性癖に根ざしている。

「騙されやすいひと」に触れては、「騙されるよりは騙す側になったほうがいい」とある。作中人物と作者とのともに担った社会や時代への怨念のようなものが滲み出ているのではないか。

「タレーラン」という、著名なフランスの政治家・外交官。革命時代からナポレオン帝政を経て王政復古期にいたるまで、あらゆる体制をくぐり抜けて活躍した政治家で、権謀術数を体現したような人物を見だし語にとりあげ、彼らは、「憤慨すべし」とだけ断言している。たんなる「紋切り型」だろうか。

同様にフランス革命期の一七九二年、国境に迫った敵軍と戦う市民を鼓舞すべく議会で下記のように演説した「ダントン」については、「勇気を持て、常に勇気を持て」とのみ記載している。「辞典」に関わった作中の二人、また作者自身の自身への鼓舞が願われている気がする。

 

* いまわたしの読んでいるロマン・ロランのフランス革命史劇『愛と死との戯れ』は、身のこわばるほどの感銘作であり、上の『辞典』はこの名作の或る意味のベースとさえなっている気がする。

2012 11・19 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「ため息」は「女性の近くにいるときつくべし」と。

「男色」は「すべての男性がある程度の年齢になるとかかる病気」と。作中人物のブヴァールとぺキシェにも重いか軽いかこの「病気」が有ったのかも知れぬとわたしは推察する。

常に「ヘラクレスのような」のが「力」だと彼らは認めている。強い男性へのかそけき憧れを二人は分け持っていたのだ。そして「力は法にまさる」というビスマルクの言葉が引用される。

自然の「地平線」は「いつも美しく、政治の地平線はいつも暗いと思うべし」とは、あまりに思いやすい、時代を超えて。

「妻を寝取られた男(cocu)」には、「女性はみんな夫を裏切って間男すべし」と、とても紋切型とは思いにくい断言をあえてしている。

「強い」には、「トルコ人のように」強い、「雄牛のように」強い、「馬のように」強い、「ヘラクレスのように」強いなどと列挙し、「あの男は強い人間にちがいない。全身これ活力という感じだ」と書いている。「力」「強い」 男へのコンプレックスが少なくもブヴァールとぺキシェについてまわっているようだ。

 

* なにをやっても挫折したブヴァールとぺキシェは、ついにはヴィクトールとヴィクトリーヌという若い二人に自分らの後継たりうるように「教育」しようと試みるが、これまた無残に失敗する。彼らはまたもや二人で、ありとある項目を書き抜き書き取り書き置いて行く。なという不思議で奇怪で恐ろしいようなリアルでイデアールな寓話的なフローベールの「小説」だろう、『ブヴァールとぺキシェ』とは。

2012 11・20 134

 

 

☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。

わしの見地からすれば、すべてのものに嫌うべきものはない。おまえが、もし(凡を嫌って)聖なるものを愛したとしても、聖とは聖という名にすぎない。修行者たちの中には五台山に文殊を志向する連中がいるが、すでに誤っている。五台山に文殊はいない。おまえは、文殊に会いたいと思うか。今わしの面前で躍動しており、終始一貫して、一切処にためらうことのないなら、おまえ自身、それこそが活きた文殊なのだ。おまえの一念の、差別の世界を超えた光こそが、一切処にあって普賢である。おまえの一念が、もともと自らを解放し得ていて、いたる処で解脱を全うしていること、それが観音の三昧境だ。(この三つのはたらきは)〕互に主となり従となって、その発現は同時であり、一がすなわち三、三がすなわち一である。

ここが会得できれば、はじめて経典を読んでよろしい。

 

* とてもわたしは今、経典に向かおうと願わない。今の私には経典がただのファンタジーとしか読めない。いろんな世事に思いを向けて他念なくそれに打ち込む、いわば作務禅に無心に打ち込んでいたい。悟りを待つ気もない。

2012 11・21 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「手」「美しい手をしている」と言えば「字がきれいという意味である」と。これは驚いた、日本でも「手」は書の技や道を第一義に謂った。次いで音楽演奏の手も、武藝の手も、碁将棋や相撲・柔道の手も、そして手下・手勢といった勢力の手や、策略・謀議・戦略の手もあった、日本では。

「デオゲネス」は言った、「私は真の人間を探している」と。訪れたアレクサンダー大王には「私の太陽を遮らないでくれ」とも。

「哲学」は「あざ笑うべし。」

「デッサン(術)」は「三つの要素から成る。」「描線、塗り、ほかし。さらに力強さも必要。」「しかし、力強さを表現できるのは巨匠だけだ」と、フランスの画家ジョゼフ・クリストフの言葉を引用している。

もしナポレオンが「鉄道」を「手にしていたら、無敵であったろう」と。

「手の込んだ筋書き」は、「あらゆる戯曲の根底にあるもの」と。

「天才」とは「一種の神経症にほかならない! と叫ぶこと。もっとも、この一句には何の意味もないが」と。

「問い」を「発することは、すなわちそれを解決するに等しい」と。

 

* 相変わらず、入浴して六冊の文庫本を読んでいる。ゲーテ「親和力」 プーシキン「ボリス・ゴドゥノフ」 ロマン・ロラン「愛と死との戯れ」  トールキン「指輪物語」 瀧澤馬琴「南総里見八犬伝」 辻邦生「夏の砦」。よく選べている。他の十二冊は浴室には持ち込めない。

2012 11・21 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「動物」には「人間より賢いのもいる」「ああ! もし動物が口をきけたら!」と。動物の方が平和ボケにあなたまかせな若者達より蹶起するのではなかろうか。「猿の惑星」はただの寓話ではないと想いたい。

「動物磁気」は「ご婦人がたといっしょのときは絶好の話題ーーしかも女性を誘惑するのに役立つ」と。動物磁気治療法はドイツの医師メスマーにより流行したというが。この治療法を用いる者のなかには「催眠術女性患者を眠らせて、意のままにするという噂」もあった。谷崎潤一郎ら日本の作家達にこの前世紀の流行情報が入っていたか。そういう作もいくらか残されている。

「独身者」は「利己的で、放蕩者で、女中と寝る。」「彼らを激しく非難すること。課税すべきであろう。」「なんと寂しい人生が彼らを待っていることか!」と。独身者は今日の日本では「シングル」「おひとりさま」と呼ばれ、上野千鶴子の新刊は『みんな「おひとりさま」』と題されていて、びっくりする内容の社会学的調査などをもとに刺激的に論調を展開している。「独身者」は男だけでない、女にもいるのはが当然だが、「なんと寂しい人生」を余儀なくされているのは40代男性で「性的弱者」と呼ばれている。「パートナーを得るスキルが不足」な男達と呼ばれている。この男性世代が日本国の政治的活力を湿らせているとも謂えようか。起て「40代男性」よ。

「独占」はぜひ「糾弾すべし。」 今の日本では、むろん、東電をはじめとした電力企業の独占が叩かれねば。また政治当局の「伏魔殿」的な独占も叩きつぶしたい。

「都市の役人」は「いったい何を考えているのだ?」殊に、「道の舗装をめぐって、彼らを激しく非難すべし」と。わかるなあ。

「富」の「威力はすごい。「あらゆるものの代わりをする。信用の代わりさえも」とは、異論を述べがたい。

「トリュフ」は「妻の体調がよくないときは、夫は食べるのを控えること」と。わたしには「トリュフ」そのものに知識がないが、フローベールらの当時「トリュフは催淫効果を持つと見なされていた。」

 

* 小倉孝誠さんの『紋切型辞典』解説は、単独の論攷としても興味津々。感謝。

2012 11・22 134

 

 

* プレハーノフの『歴史における個人の役割』にも訳者木原正雄さんの懇切な注と解説があり、とても効果的で感謝したい。食らいつくように本文を読んできた。わたしは生涯にわたってマルクシズムとは一切無縁で来たが、敬意は感じていた。労働者を奴隷か動物並みに責めさいなんできた資本主義も経済至上主義にもわたしは与したくない。

2012 11・22 134

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「日曜日」には奇妙なことが謂われている、「雄牛は日曜日の習慣を止められなかった」と。日曜日が基督教の安息日であり人は教会に多く赴くという事実を前提にするとこの「雄牛」とは、敬虔ならざる性欲のつよい夫を暗示し、その酬われがたかったのを謂うのではあるまいか。この「辞典」での「雄牛」はそんなふうな存在かのように現れる。

「日本」は「すべてが瀬戸物でできている」そうだ。黄金でできているとヨウロッパ人を刺激した時期もあったが。

「にんにく」は「腸内の寄生虫を殺し、催淫剤ともなる。」「アンリ四世が生まれたとき、彼の唇をにんにくで擦ったという」と。アンリ四世は多情な女好きとして有名だったらしい。

「熱」については、「プラム、メロン、四月の太陽などはすべて熱の原因となる」とあり、「精力がある証拠です」と。

「農業」は「国家の乳房のひとつ(「国家」は男性名詞だが、支障はない)」と。

「農民」には、「彼らがいなければ、われわれはいったいどうなることだろう?」と。たしかに、その通り。

2012 11・23 134

 

 

* この時代の宗教家、日本でなら主として仏教家達は国民の苦悩などについてどう考えているのかと、時折、深刻に想像した。ことに他力本願で自力を忌避してみえる浄土系の僧たちは、例えば原発危害のため故郷や肉親知友を失い亡くした人たちをどう眺めているのだろうと。

わたしのところには親鸞仏教センターから「通信」や定期刊行の本格の雑誌類が送られてくる。今し方届いた「通信」43号の巻頭に研究員という肩書きの花園一実氏が「真宗と他者」というエッセイを掲載されていて、すぐ読んだ。信者にだけでなく大事な観点をもった一文であり、お断りも省かせてもらい、早速そのまま此処へ転載させて頂く。

 

☆ 真宗と他者  親鸞仏教センター研究員  花園一実

最近、ある宗教学の先生が、浄土真宗の公共性について問題提起されている文章を拝見した。東日本大震災を受けて、多くの仏教者が現地において支援活動を行った。そのことの意義を大いに認めつつ、一方で仏教には、ボランティア活動などの公共的役割を果たすうえでの教理的な位置づけが未だ不明瞭ではないのか。特に浄土真宗では、他力念仏の教理を強調するとき、どうしてもそのような公共的活動が自力として退けられてしまう一面があるのではないかと、このような問題提起であった。

この間題に対して、「いや、それは真宗の何たるかを理解していない発言だ」と耳を塞ぎ、真宗とはあくまで「個の自覚の宗教である」と言い張ることはたやすい。蓮如は「往生は一人一人のしのぎなり」と言っているし、『歎異抄』には「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉もある。もちろん他者への関わりを蔑(ないがし)ろにするわけではないが、肝心な問題は一人ひとりが教えに出遇うということにあるのだと。しかし、そう言ってしまえば、この間題はそれで「おしまい」である。他所ではどうなっているかわからないけれど、とりあえず、私たちの宗派ではそのようになっている。だからこれ以上、議論の余地はない。

実を言えば、これは何より私自身がそのように考えていたのである。宗教はどこまでも「個」の問題、すなわち「自己の苦悩」という現実問題を離れて語られることは許されない。このことは今でも変わらない思いとしてあるが、ではその時、「他者」とは一体どこにいるのか。「個の自覚」こそが重要だと言われるその瞬間、「他者」の存在はどこかに流れて消えてしまっているのだろうか。逆に言えば「他者」が問題にならないところに、はたして本当に仏教とは成立するものなのだろうか。このことが、震災を経た今、大きな問題として自分のなかに生まれている。

かつて親鸞は、飢饉に苦しむ民衆を利益するため、自ら三部経を千部読誦することを試みたという。しかし、その行為に拭い切れない「自力の執心」を垣間見た親鸞は、苦悩のすえ読誦を中断し、他力をたのむ名号一つに専念した。後世を生きる私たちは、親鸞が「自力ではなく他力だ」と言ったその結論だけを切り出して、さもそれが親鸞思想の極致であるかのように鼓吹しがちであるが、それは大きな誤りであると思う。自ら民衆を強く思い、たとえ自力であろうが行動せずにはおれなかった、それこそが偽りない本当の親鸞の姿ではなかっただろうか。決して自力は無意味だと、離れた場所で念仏や書き物をしていたのではない。何より他者を考え、その他者との関わりのなかから、どうしても間に合わない人間の現実というものを、念仏の教えのなかに聞き取っていったその人こそが親鸞なのである。

だからこそ、私たちは凝り固まった机上の論理に埋没してはならない。「親鸞の思想にはこうある」ではなく、「親鸞ならどうするか」という、最もシンプルな問いに立ち返るべきではないだろうか。はたして真宗の教えは他者を救いえるのか。否、他者へのまなざしを忘れたところに、決して「一人」の自覚はありえないのである。

 

* ややたどたどしいが、趣旨には賛成できる。ただし花園氏一人の当座の思いだけでなく、親鸞の徒僧たちがみな同じ観想なのだろうか、むしろそうではないかに読める文脈がある。信仰が「一人」のものなら、「布教」に専念した祖師達は信仰の本義を逸脱していたか、そんなことはあるまい。信仰が人を救うという。この「人」とは僧という善知識にも信者らにとっても「他人・他者」である。阿弥陀や菩薩からみても「他者」を信仰へ誘うことが「他者救済」であった。大経の本願も、人が「皆」、斯く斯く満たされない限り自分は正覚を得ないと言うている。自身の極楽安住など問題にもなっていない。それは、この「通信」の次頁に掲げられた本多弘之所長の講話が「往相の回向と還相の回向」とだいされているのに、本質論として関わるのではないか。

「他力本願」とはどういう事なのかの本質的な問い返しが出来ていないなという、傍観者なりの観察が久しくわたくしに有った。はしなくも目にした花園氏の一文に、だから、目を惹かれたのである。

 

* 入浴して今晩も六冊の文庫本を堪能した。浴後の体重は64.7kg。また減ってきた。

2012 11・24 134

 

 

* 小谷野敦さんの中公新書『日本恋愛思想史』を受けとった。いまの私からはもう遙かに遠い関心事であるが。

たとえば中途で脇のメンシェビキへ逸れたマルクシストのプレハーノフによる『歴史における個人の役割』のような、古典に値する言説などに、いまの私は読書の興奮を覚える。プーシキンの史劇『ボリス・ゴドゥノフ』 ロマン・ロランの同じく史劇『愛と死との戯れ』にも魂を揺すられる。一途に真実な著者・創作者達の動機の強さに打たれつつ、ここに生動している息吹が、たんなる知識や史実の小手先の羅列ではないのが信じられる、それが嬉しくて堪らない。

上野千鶴子の『みんな「おひとりさま」』も世を画する現代への佳い証言である。

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「売却」  「売ったり買ったり、それが人生の目的だ」と。

「梅毒」には「多かれ少なかれ、みんなが患っている」と。十九世紀後半に蔓延して多くの犠牲者を出した。世界的に強い不安に怯えさせた。

「敗北」は「喫するものではなく、『被る』もの」と。なかなか。

「博覧会」は、「十九世紀における熱狂の種」と。日本の名人藝も多大にヨーロッパを突き動かしたのである。

「禿げ」は「常に『若禿げ』」「精力過多のせいで、あるいは壮大な思索に耽ったせいで起こる」と。幸い、わたしは禿げそうにない。不幸であるのかも知れぬかな。

「化け物」には「もうお目にかかれない」とは結構だが、ありのまま「化け物」の犯罪者も財界人もいる。昨今の政治家は「化け物」にもなれない、モノが小さくて。

「場末」は「革命のときは恐ろしい」という。そんな「 場末」が今の日本には時に欲しくさえあるのだが。

「八十歳のひと」「老人はすべてこれ」とは、時代がちがうなあ。今の日本では少なくも「九十歳」ではあるまいか、その歳をこえても現役の人もいる。

「発明家」は「みんな施療院で死ぬーーそして別のひとが彼らの発明で得をする。これは不公平だ」と。よく観ているではないか。

「早起きの」ひとは「品行方正の証拠。朝の四時に寝て八時に起きる者は怠け者だが、夜の九時にベッドに入って翌朝の五時に起きる者は活動的ということになる」と。仕事の出来る時間がすこぶる長くなり、たしかに活動的な人に得がある、まれまれの実感からも。

「反キリスト」とは「ヴォルテール。ルナン」と。詩人と神学者。

「汎神論者」は「糾弾すべし。馬鹿げている」と。そうかなあ。

「反乱」は「もっとも神聖な務め」とフランスの革命家ブランキの言をあげている。概して、わたしもそういう思想と態度とをむしろ尊重しているのだが。

2012 11・25 134

 

 

☆ 臨済に聴く  「臨済録」入矢義高さんの訳に拠って。

上のような気持ちの時に『臨済録』を開くと、「論説閑話して日を過ごす莫れ」と叱られる。

せめて、「論説」で「閑話」でもないんですと言い訳の利く仕事でありたい。

「但有(あらゆ)る声明文句(しょうみょうもんく)は、皆な是れ夢幻なり。」「仏境は自ら我は是れ仏境なりと称する能わず。」「境は即ち万般差別すれども、人は即ち別ならず。所以(ゆえ)に物に応じて形を現じ、水中の月の如し」と臨済は語る。

「物に応じて形を現じ、水中の月の如し」とあるような仕事に取り組みたい。

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「火」は「すべてを浄化する」と。

「日」には「鬚の日、診察の日など『だんな様』の日がある。」「『奥様』の日もあり、これは毎月ある時期に『体調が悪くなる日』と呼ばれる」と。『奥様』の日に対置して『だんな様』の日を深読みすると夫婦生活の場面が透けて見えてくる。そんな気がしている。

「鼻孔」が「上向きなのは淫乱な証拠」と。まず目がうるみついで鼻を鳴らすと女の性を古書は説いている。

「ルーヴル美術館。若い娘さんたちは行かないほうがよい」というのは、わたしには判じようがない。

「ヒステリー」の「女は、堕落した男たちの理想である」というのも読めない。「色情狂と同一視すべし」と関わる理解なのだろう。

広くて禿げあがった「額」は「才能のしるし、あるいは冷静だというしるし」も、そういう人との接触も交際もなく、理解できない。

2012 11・26 134

 

 

* 『参考源平盛衰記』数十巻は、「東京府華族 徳川昭武」が「著者相続人 兼出版人」 「発兌人」は「東京府平民 近藤瓶城」と奥付にある。明治十五年三月三十日に「版権免許」 同十六年七月廿一日「出版」。徳川昭武は、世界博覧会に初めて日本を代表する工藝・美術家たちを勇んで引き連れていった人では無かったか。それは記憶違いもありそうだが、『参考源平盛衰記』をわたしにも閲読可能にしてくれたのは、有難い。都合で「三十四」巻から読み始めた。前にも読んだ。目当てがあって「読む」のはただの通読よりはるかに面白くて有難い。諸本の異聞・異文も割注で漏れなく出ており、読み慣れた語り本の記述とは大いにちがっている。ゆっくりゆっくり読まねばならないが、深い楽しみが一つ増えた。楽しむだけで無く、創作前進への栄養が欲しい。

 

* 「おやじ」である実の父の草稿や日誌は、おおかた以前に一度目を通したが、平静に読めないことが多く、もともとの風呂敷包みにして蔭に置いていたのを、覚悟も決め、また機械の傍へ持ち出した。へんに身構えずに、わたしの散文が書きたいもの。゛

2012 11・27 134

 

 

* ロマン・ロランの史劇『愛と死との戯れ』を作者の入念な「序」、訳者片山敏彦の懇切な「解説」もともに、感動して読み終えた。立派な立派な褒め称えたい名品であった。舞台でもぜひ出逢いたい。感想はまた追々に書く。

2012 11・28 134

 

 

* ロマン・ロランの言葉 『愛と死との戯れ』から  片山敏彦の訳に拠って

「藝術創作の仕事をした体験のある人は誰でも、それがまだ実らないうちに青い果実の皮を剥いではならないことを知っている。」その通り、知っている。

「『愛と死との戯れ』は私の『フランス革命劇連作』の一つである。」

「フランス革命議会の人々のあの情熱ーーわれわれの心の中では鎮静したところの情熱は他の人々の心の中でいっそう烈しく燃えている。ベルリンとモスクワはそれを味わった。」「個人の良心と国家の利益との間の確執の問題ーー『一般的福祉』と『永遠の福祉』との対立の問題ーーこの常に繰り返して起こる悲劇的な問題を目覚ました。」

「私のもっとも真実な友でありもっとも善き助言者である「善き全欧主義者」シュテファン・ツヴァイクは、作家としての私の最初の義務の一つが、「フランス革命」という血に染んだ山嶽の石を切り出す石截工夫の仕事であることを絶えず思い出させてくれた。」「そこから切り採った第一の石塊がこれ(史劇『愛と死との戯れ』)である。  (つづける)

2012 11・28 134

 

 

* 寝に就く前に、プーシキンの史劇『ボリス・ゴドゥノフ』を読み終えた。詳しい注も、訳した佐々木彰氏の解説も、みな貪り読んだ。ロシアの歴史の烈しく恐ろしい場面を通じて民衆の思いの那辺に形成・結集されて行くかに思わず身をひきしめた。

今度の選挙に日本の現下の「民衆・私民」の思いが、どこへ結集するか、「卒・脱・反原発」に列島と日本人の健康な安寧を願う気持ちが票として生きて欲しいと願っている、わたしは。

 

* もと筑摩書房にいた持田鋼一郎さんから翻訳されたデビッド・コソフ作『マサダの声』を頂戴した。ローマ対ユダヤの壮大な歴史ドラマ、「しかし、マサダは忘れられることはない!」烈しい反乱が書かれてある筈。この前にはやはり持田さんの翻訳でウディ・レヴィ作『ナバテア文明』を戴いている。ユダヤ王国に隣接し、砂漠に壮麗な神殿を残して消えた謎の文明であり、基督教との、また当時のギリシァ・ローマまたインドとの関わりなど、不思議を湛えた「ペトラの遺跡」の初の本格紹介だった。

2012 11・30 134

 

 

* 以下の引用・紹介は、その神髄までがわたし自身の中にもあると信じたい。信じて生きよう、もっと先まで。

 

☆ ロマン・ロラン作『愛と死との戯れ』より 片山俊彦訳

ソフィー(夫ジェローム・ド・クールヴォアジエへ。ロベスピエールら革命保安委員会の捕吏の今にもかけつけるのを感じながら)  ーーそうです、もちろん人間というものは平凡で、下劣で、残酷で、信用のおけないものですわ。……ああ、悲しいことに、私たち自身の中にどんなにたくさんの怪物がかくれているか、とても口には言えないような、私たちを低く卑しくするような、どんなにたくさんの恥知らずな考えがあるかを私よく知り過ぎておりますわ。

……けれど私たちはそれを知ったからこそ、人々を自由にし人々を高めるためにこの(フランス)革命を始めたのですわ。私たちはその困難と危険とを知らなくはなかったのです。おそらくあんまり早く勝利を得られるように信じたことが私たちの誤りだったのでしょう。けれどこの解放運動の最初の頃、フランスのあらゆる魂が互いに抱き合ったことは善いことでした。それを残念に思う理由があるでしょうか? それは永く続くことはできませんでした。けれど、私たちが実際に味わったこの幸福を誰か羨ましく思わないでいられる者があるでしょうか? 未来の世界から振り返るときでも、誰かそれを羨まない人があるでしょうか? この幸福の花を摘んだのは私たちなのです。もうその花は枯れました。それ以来私たちはあの幸福の一瞬間の値を払っています。それは苦しい仕事です。けれど仕方のないことですわ。

あなたはあなたの科学のお仕事の中で自然の法則の苛酷なことと、それを受け入れることとを知るようになりなさった。この場合に、今更懐疑的になったり諦めたりなさるわけはございませんわ。山々を越えた向うの土地と、うねり流れる河とをーー「人間精神の進歩」を、大きい想像力の中に抱きしめることができるには十分なだけ高い場所に登る力をあなたは持っていらっしゃる。その進展の道筋をたどるためには二年三年の月日で十分だなどとあなたは一度だってお信じになったことはないではございませんか。いくつもの障害やいくつもの後もどりをするいく世紀の姿を、あなたは前もって見通していらっしゃる。いいえ、いいえ、私たちは「約束された國」を自分の目で見ることはありますまい。けれど、どこにその国があるかということを知り、そこへ行く道を示すだけで十分ではございませんか?

他の人たちが来るでしょう。もっと若い、もっと強い人たちが来るでしょう。その人たちは、中絶された道を、新しい力をもって歩きつづけて行くでしょう。私たちはこの現在につながれています。やがて来る人々のことを考えて心を慰めましょう! あなたを圧しつける恐ろしい出来事に対して、ジェローム、あなたはご自分の中にたくさんの保護者を持っていらっしやるのですわ。あなたご自身のお仕事、あなたの研究とあなたの発見ーー人間の愚かさも悪意もそこへは届かない「学問の国」を、あなたは持っていらっしゃるのですわ。その学問は、人々が望もうと望むまいと、ついにいつかは人々に解放を与えることでしょう?

 

(そして最期の最後に、迫りくる跫音を聞きながら)

ソフィー  (心に苦悩をたたえて) ほんとうにせめて一人の子供でも残してあれば! ……いったいなんのために、なんのために、人生が私たちに与えられたのでしょう?

ジェローム  (確固として) それにうち克つために。

 

* われわれ日本人は、こういう深い「幸福」を、一度もまだ持てていない。そして今の日本の多くはないが一部の原子科学者は、今が今の目先の利権や利得のあさましい奴隷になってきた。

2012 12・3 135

 

 

* 就寝前読書に、ツルゲーネフ『猟人日記』上下巻と、デヴィッド・コソフ作『マサダの声』を新たに加えた。

『猟人日記』は、これを読んだロシアの皇太子のちのアレクサンドル二世はすぐ、農奴解放令を発布の決心をしたという逸話で有名な作だが、逸話自体はもう風化している。それよりも「ホーリーとカリーヌイチ」にはじまる原作の多くの短篇があまりにも素晴らしい。読み始めてわたしは心地よい乗り物に大地を運ばれて行くような快感に、たちまちに魅了されていた。

『マサダの声』はローマ対ユダヤの歴史劇。「マサダで生き残ったのはわずか七人だった。エレアザルの親類で思慮と教育の点ではほかのどの女性よりも優れていた女性一人と、年老いた婦人一人と、五人の子供」と、ヨセフスの『ユダヤ戦記』が書き残していた。わたしには先入観真っ白の未踏の世界かもしれない。筑摩以来の友人で歌人の持田鋼一郎君の翻訳である。

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「秘密資金」とは「大臣たちがひとを買収するために用いる多額の金。」「憤慨すべし」と。いまの日本では内閣官房にも外務省ほかにも秘密の「埋蔵金」が溢れているという。不思議に内閣がつぶれると、官房の機密費金庫はカラっぽに持ちさせれるとか。憤慨すべきである。

「比喩」は「詩にはいつでも多すぎる」と。謂えている。

「描写」も「小説にはいつでも多すぎる」と。表現でなくてはと、わたしも思うが。

「病人」を元気づけるには「その病気を笑い飛ばし、苦しくなんかないだろうと言うこと」と。あんまりだとも思うが、わたしも鬱の人の鬱をまったく知らんふりして「普通に、普通に」付き合うことにしている。それがいいと感じてきたから。

「フェンシング」は「秘密の突きを学ぶのに役立つ」と。「秘密の突き」って、何?

「フォルナリーナ」は「美人だった。それ以上のことは知る必要なし」と。彼女は画家ラファエロのモデルで愛人でもあった。

「あのご婦人方は客間にいます」とは「絶対に言わないこと」と。「ご婦人(dame)には俗語で売春婦の意味があり、「客間(salon )」には娼家という意味があるから。

「不道徳」という「この語をはっきりと発音すれば、言った人の評判を高める」とは。はやいもの勝ちのような。

「分」 「一分がどんなに長いものか、ひとは気づいていない」と。

「文学」は「閑人のすること」と。やれやれ。

「ペテン師」は「みんな上流社会の人間」と。そうのようでもあるな「一家の父親の象徴」と。よくぞ言うて下さる。

 

* まだ早稲田にいるのか、定年を迎えたか千葉俊二君から寺田寅彦がらみの新著が贈られてきた。ちょっと前にも「松子神話」がどうしたとか謂う谷崎論の本が贈られてきたが読めていない。谷崎は、全集をみなもう一度楽しみ読んでから死にたいと願っているのだが。

『炎の接吻(エル・チョクロ)』という中島利三郎という人から小説が贈られてきている。こういう短篇集が、ぽつぽつと届く。なかなか気をそそる松澤茂雄という画家の裸婦で表紙が飾ってあり、この繪ほど小説も気をそそるかなあと思って、渚に臥したヌード表紙を眺めている。作者は川口市の人らしい。

読んでみると、冗漫ではない筆つきだが、作の空気は乾ききっていて、必然の動機からでなく、手習いのように次から次へ書いている。花の魅惑はない。こういうカサカサの習作を以てして「小説を書く」ことと心得た書き手が多すぎる。小説塾のような雑誌育ちの書き手は、命がけで書く動機も主題も持っていないようだ。危ない危ない。

メールアドレスが奥付に書いてあれば、こん感想も書き送ってあけられるのに。

もっともっと名作を読んで読んで何かを悟らなくては。日本の物でなくていい。現代の物でなくてもいい。わたしは名作でなくてはもう楽しんでいる残り時間がない。

2012 12・4 135

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「弁護士」は「法廷で弁護や抗弁をしつけているので、判断力が歪んでいる」と。謂えていると思う。

「便秘」には「文学者みんなが悩んでいる」し政治関係物らの場合「政治的信条に影響を及ぼす」と。ウーン。

「棒」は「剣より恐ろしい」と。どんな「棒」なのかなあ。

「封建制」は「それが何だかはっきり分からないが、とにかく糾弾すべし」と。われわれの敗戦後にもそんなふうに「糾弾」した世相があった。

「放縦」は「大都市にしか見られない」と。かなり鋭い。

「放蕩」とは「独身者がわずらうあらゆる病気の原因」だと。なるほどね。

「方法」は「なんの役にも立たない」と。たしかに実践のない「方法」ではね。

「法律」なんて「何だか分からない」とは、大抵の場合まったくその通り。法律なんてうさんくさいものの代表かも知れないまま、われわれは法治国家の民だと威張っている。かなり滑稽。

「ナポレオンがそうであったように」誰しも「自分の運命の」「星」を持っていると。分からない。

「没頭」 「何かに深く心を奪われ、じっとしていると、それだけいっそう没頭の度合いは『強く』なる」と。 性の秘技かのように語っているのでは。

「ポピリウスの円」とは「誰かをのっぴきならない状態に追い込むという意味になった。」ポピリウスは古代ローマの政治家。紀元前、エジプトに侵攻したしたシリア王に、すぐ撤退するようにとローマ元老院の命を伝えるため派遣された。彼はシリア王アンティオコスのまわりに円を描き、その円から出る前に返答せよと迫り、命に従わせた。 非道な紛争の火種となっている今のシリア大統領にも、まわりに円を描きたいものだ。

「ホメロス」は「じつは存在しなかった人間である」と。そうかも知れぬ。

「埋葬」するのが「早すぎるという危険性がある。「死体を掘り起こしてみたら、飢えを満たすためにみずからの体をむさぼり食っていた!」と。

「マキアヴェリのことは「たとえ読んだことがなくても、極悪人と見なすべし」と。

「マキアヴェリスム」は「強烈で恐ろしい言葉だから、口にするときはかならず身震いすること」と。

「幕間」は「いつも長すぎる」と。ククク。

「枕」は「けっして使ってはならない。猫背になる」とか。考えたこともなかった。

「魔術」は「馬鹿にすべし。」

「マスターベーション」のことは「アカデミー辞典に」「自然の要請にそむき、一般にきわめて悪い結果をもたらす冒涜行為」と「定義されている」という。 最近読んだ現代の女性社会学者たちは、性の「スキル」を覚えて「面白い楽しいセックス」のためにも「マスターベーションョン」を大声で慫慂していた。まっさかさま。

「摩滅した」には、「古いものはすべて摩滅しているし、摩滅しているものはすべて古い」と。深い意味があるのだろうか。「骨董品を買うときに銘記すべし」とも添えてあるが。

「丸いふくらみ」とは「女性の乳房を指すために用いられる慎みぶかい言葉。『あなたのすてきな丸いふくらみに接吻させてください』」などと。アカデミー会員たちが使用した俗語だと謂う。

「丸屋根」は「建築上の偉業。どのようにして支えられているのだろうか?」と。 何か含意のありそうな。

パリの「水」を「飲むと下痢になる。」「パリの水は臭い」そうだ。

2012 12・5 135

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「婿」には、「婿殿! すべて終わりです」と言うべしと。

「無実」については「平然としていれば、無実だという証拠になる」と。政治家も経営者も剽窃する学者も、役者そこのけだ。

「無神論者」の「国民は生き永らえることができない」と。まさか。

「夢想」 「自分に理解できない高尚な思想は『夢想』と呼ぶのがふさわしい」とは、下からの強がって皮肉な姿勢かも。

「無能さ」 「常に『周知の』と形容される。」「無能なひとほど、野心だけは大いに持つべきである」と。

「名誉」 「名誉の話になったら、次の詩句を引用すべし。」「名誉とは、崖が切り立って近づきがたい島のようなもの ひとたび離れたら、もはやそこには戻れない。」(これは女性の名誉<貞操>について謂っている。) また「自分の名誉には常に心を配るべきだが、他人の名誉には配慮するにおよばない」とも。フッフッフ。

「メロドラマ」は「一般の芝居ほど不道徳ではない」と。 ?

「免状」は「学があるというしるし」だが「しかし何の証明にもならない」と。 謂えている。

「猛獣使い」は「卑猥な方法を用いる」とは? この「猛獣」って女性のこと?

「モザイク」 「その奥義は失われた」と。

『物乞い」は「ほんとうは禁止するべきだが、けっして禁止されない」と。 大企業からの献金を「物乞い」して政治悪で挨拶している今日日本の悪弊こそ思い起こして「禁止」へ持ち込みたい、が。

2012 12・8 135

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「野心」は「常に『途方もない』あるいは『高貴な』と形容される」と。「高貴な野心」って、何?

地方では「評判になる男はみんな」「野心家」と呼ばれる、と。謂えている。また「私は野心家じゃありませんよ!」と言えば「利己的あるいは無能」という「意味だ」とも。 なるほど。

「唯心論」は「唯一の哲学体系」ですと。 これに対し、

「唯物論」という「言葉口にするときは、一音節ずつ強調しながら嫌悪の情を示すべし」と。 フーン。

「有名人」には「彼らの私生活上の欠点を指摘して、とにかくけなすべし」と。例えば「ミュッセはいつも泥酔した。バルザックは借金だらけだった。ユーゴーは吝嗇漢だった、なとなど」と。その

『レミゼラブル』の「ユーゴー」は「偉大な詩人だが、政治に係わったのは残念なことだ!」ですと。

「輸入」は「<国内取引>を蝕む害虫」だと。「自由貿易」への「抗議」とか。

「指」について、「神の指はいたるところに潜り込む」とはねえ。「男神」にちがいない。

「感じのいい」「容貌」は、「最も確かな通行証である」と。 うまいことを言う。

「予算」は「けっして収支の釣り合いが取れない」そうです。 確かに。

 

* 上の引用は、むろん全部でなく、わたしの「読み」「批評感」に手強く触れてきたものに限ってある。全部を読もうという方は、ぜひ「岩波文庫」でお読み下さい、訳者小倉さんの「解説」もたいへん読みごたえがします。

 

* 湯に浸かりながら馬琴の「南総里見八犬伝」ツルゲーネフの「猟人日記」ゲーテの「親和力」トールキンの「指輪物語」を堪能した。浴室での本読みは当分四冊に絞ることに。湯気でいくらか眼はらくでも、それでも霞んでくる。

2012 12・12 135

 

 

☆ フローベールに聴く  「紋切型辞典」小倉孝誠さんの訳に拠って。

「楽天家」は「愚か者と同じこと」と。

「利己主義」の場合、「他人の利己主義には不平をかこち、自分の利己主義には気づかない」と。

「理想」は「まったく無用なもの」と。

「例外」は「『原則を裏づける』と言うべし。どうしてそうなのか、あえて説明しないこと」と。

「憐憫」は「絶対に抱かないこと」と。

「労働者」は「暴動を起こすときを除けば、常に実直」と。

「猥褻」に関連し、「ギリシ語やラテン語から派生した科学用語にはすべて、何か猥褻なことが含まれている」と。わたしには分からないが。

「綿」は「とりわけ耳に詰めると有益。」

「笑い」は「常に『ホメロス的』」 つまり高笑い、哄笑。

「ワルツ」には「憤慨すべし。「淫乱でみだらなダンスであり、年老いた女性だけが踊るべきである。」

「パリの腕白小僧はとても機転が利く。「陽気なときは、あたし腕白小僧の真似をしたくなるの」と「けっして妻に言わせてはならない。」 「腕白小僧の真似をする」という表現には、隠語で女が淫行に耽るという意味があった。

 

* フローベールの『紋切型辞典』のおもしろいと思えた見出し語を、何度にも分けてかなりの数を紹介した。よほど面白く感じていたのであるが。みなさんは、如何。

2012 12・14 135

 

 

* もっとも敬愛している編集者の原田奈翁雄さんから、いつものように雑誌が届き、添えられた一紙に編集長金住典子さん、バックアップの原田さんの文が載っていた。スキャンしてぜひ、紹介したい。

 

☆ 遅くなりましたが、「ひとりから」52号をお届け致します。

今号には、「放射能の中で生きる」をお書きくださった佐藤幸子さんが理事長をつとめておられる福島診療所建設委員会NPO 法人)が、住民の立場にたつ診療所建設をめざして建設基金を募集するチラシと振替用紙を同封させていただきました。ご支援をよろしくお願いいたします。

福島にお住まいの阿部一子さんから、『いま 子どもがあぶない 福島原発事故から子どもを守る「集団疎開裁判」』(本の泉社 本年一〇月一日刊・五七一円税抜き)をお送りいただきました。

チェルノブイリ原発事故により九五万人の死亡者が出た原因やその後の子どもたちの放射線被害を研究してきた良心的な科学者や医師の知見は、空間線量が年間一ミリシーベルトを超える地域からは子どもたちを疎開させなければならないという基準だそうです。

メルトダウン後の福島では、この基準を大きく上回る放射能を子どもたちが浴び続けているそうです。

集団疎開裁判は、昨年六月に、安全な環境で教育を受ける権利の保障を定めた憲法二六条を梃子に、危険な環境で教育活動をしてはならないとの仮処分命令を求めて申立てられました。

野田政権が、安全基準を年間二〇ミリシーベルトに引き上げた後、原発事故の嘘の収束宣言をした同じ日に、申立を却下する一審判決が出され、目下、仙台高等裁判所で、即時抗告審の審尋中です(申立書・判決等の情報は、福島集団疎開裁判のプログで見ることができます)。

今年の九月、福島県の子どもたちの三回目の甲状腺検査の決果の発表では、六~一五歳女子の約五五%、男女合わせて約四三%に異常が見つかったそうです。

この裁判にも、佐藤幸子さんが代表をつとめている「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が積極的にかかわっています。

広島で被爆された医師の肥田舜太郎さんは、原子炉から一六〇キロ圏内では、日々放射される放射能によりみな被爆する。日本中をぐるりと取り囲んでいる五四基の原子炉の放射能から逃れられる者はいない (沖縄県は除外されるようです)と言っておられます(『アヒンサー13号』問い合わせ先 〇四二ニ・五一・七六〇二)。

間もなく衆議院議員選挙です。今度の選挙では政党や政治家の思想が明確に現われています。脱原発と憲法九条の改悪阻止とは、国民のいのちを優先する民主的な政治・社会を求める視点からは深く結びあっていると思います。

主権者にそれを見分ける力があるか、主権者が試される選挙だと思います。  金住典子

 

☆ 総選挙が告示されて二日目の十二月六日、朝日朝刊は、

一面トップで、「自民、単独過半数の勢い」と報じました。

まさか! 私は目を疑わずにはいられませんでした。日本の有権者は、そこまでほんとに愚かなのだろうか。

自民兜は、何よりも改憲して戦争のできる国にすること訴えています。原発も動かしつづけるというのです。石原、橋下の維新と足並みを揃えて。

原発事故は、戦後日本の歩んで来た道に、決定的な警告を発しているのです。

大日本帝国の敗北は、アジア諸国への侵略戦争を導いた、天皇制軍国主義に対して下された、全世界の決定的審判でした。

原爆・沖縄……数知れぬ戦死者、戦争被害者の悲しみ・苦しみは世代を超えて引きつがれています。

十六万もの福島県民が、いま現在、先祖伝来の家を奪われ、土地を追われています。

十六日の投票結果が、果たして朝日の予測通りにでもなったら、私はどうしたらいいのか、いたたまれぬ思いです。

ここで一挙に光明を引き出す方策があるのだがと、私は祈る思いでいます。

大部分の選挙区で候補を立てている共産党が、彼らの一貫した主張である反原発、反改憲を貫くために、日本未来の党、社民党候補の立っている選挙区で、当選には及ばないこと明らかな候補を辞退させて、両党の応援に回る。万一共産党がそんな画期的な英断をしてくれるなら、朝日が言うような風向きを一挙に変えるほどの効果を生むはずだ。まさに歴史的なサプライズになること疑いない。共産党も生き生きと生まれ変わり、多くの主権者の信望を得られるはずです。

ご同感くださるならば、地域の、中央の共産党に、あなたの声を早急に伝えていただけませんか。

心からのお願いです。    原田奈翁雄    二〇一二年一二月一O 日

 

* 共産党の政策を是認の一方で、党の根底にある鈍感で独善なエゴイズム一辺倒の共産党を、わたしが非難し拒絶してきたことは、この十数年の日録中にいくどとなく繰り返し吐露されてある。劇的な変化はたとえ得られなくても原田さんの提言には理がある。

2012 12・15 135

 

 

* 機械のそばには、「臨済録」「参考源平盛衰記」「白楽天詩集」菅直人の「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」(幻冬舎新書)らを、いつでも読むため置いてある。書きさしの小説の参考にちょっと名をあげられぬ面白い文献も置いてある。

寝室には、堅い本として「和泉式部集評釈 正集編」岩波文庫「和泉式部集」谷崎潤一郎「文章読本」折口信夫「日本藝能論攷」「古今著聞集」猛さん「能の恋」衛さん「八犬伝の世界」ゲーテ「イタリア紀行」チェーホフ「妻クニッペルへの書簡集」「丹後の旅」そしてバグワン、

小説は、「南総里見八犬伝」「ゲーテ「親和力」ツルゲーネフ「猟人日記」トールキン「指輪物語」辻邦生「夏の砦」、

いずれもことさら大部の作を好んで、日かずもかけて、無心無欲に楽しんでいる。苦労して読むのでなく、好きだから楽しんで読める。有難い。

2012 12・16 135

 

 

* プレハーノフのマルキストとしての最良論攷と声価の高い『歴史における個人の役割』の、訳者木原正雄氏の解説は、一編の論文を読むように明確で達筆で、すこし間をおいてもう一度も二度も本編を読み返したい気持ちを、力強く誘ってくれた。フレハーノフはマルキストに徹しきれず、亡命を余儀なくされて故国の事情から距離が空いたに連れメンシェヴィキに変節していった人である。木原さんによれば、つまり彼プレハーノフは、「レーニンとおなじく、ロシアの資本主義の発展をみとめ、革命運動における労働者階級の役割を評価しながらも、きたるべき革命の同盟者は、ブルジョアジーだと考えた」のである。

日本での「転向」へ雪崩をうった主義者や、戦後の学生運動で「造反有理」を叫んでいた多くも、結局は「ブルジョアジー」という「経済信奉者」へと概ね変節していった。そして彼らは共産党の政権に完全に道を閉ざし、労働者に力点を置いていた「旧社会党」を徹底して政界から排除に努めた。なれのはてが今の「民社党」である。彼らは労働者には係わらずにただ「護憲」だけを旗印にしているが、護憲は絶対的に必要でありながら、それだけでは社民党に投票する気にだれも成らない。そもそも「社民党」の名のりはブルジョアジー経済偏重の「自民党」同様に、無策・無意味に滑稽である。

 

* 読み上げたフローベール著の『紋切型辞典』の訳者小倉孝誠氏の「解説」も、嘆賞の極み、じつに条理も情理も尽くした面白い大論文で、本書を座右に置かずにおれない示教と示唆とを満喫した。

その委細を尽くした感の小倉氏解説に、畏れながらも、異見をさしはさんでみたい「読み」があり、それが、今書いている小説にも波及しているのを告白しておく。

いやもう、興味津々の『紋切型辞典」であったのを、心より喜んでいる。プレハーノフの古典と成ってみごとな『歴史における個人の役割』にも、目を瞠らいて読んだ感謝を惜しまない。小倉さんの解説はいま少しして読み上げる。

 

* さすがに視力も駆使して、いまは十時過ぎ、ぐたりと疲れています。今夜はもう休みます。

2012 12・20 135

 

 

* 大島史洋氏の処女歌集の復刻された文庫本『藍を走るべし』を貰った。ほぼ一世代若い人、この歌集は氏の十六歳から二十五歳までの作を載せていて、わたしの『少年』がやはり十五、六歳から二十三四歳までの作を収めたのと、重なり合うよう。この歌人は、わたしがアマチュアなら、そして歌誌の世界へ加わるのをさけていたのと逆に、十六歳で「未来」に入会、この処女歌集を刊行した昭和四十五年には二十六歳ではやくも「未来」奇数号の編輯を担当していた早熟のプロであった。

なによりこの歌人とわたしとの、わたしからの勝手に結んだ縁は、著書『東工大「作家」教授の幸福』の表題を成した氏の一首「生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ」に有る。氏のこの歌が、東工大での教室や教授室での学生諸君との交友の基底に鳴っていたいわば主題歌であった。

で、『少年』と『藍を走るべし』との巻頭二首、巻末二首を記念に並べておきたい。

 

窓によりて書(ふみ)読む君がまんざしのふとわれに来てうるみがちなる

國ふたつへだててゆきし人をおもひ西へながるる雲に眼をやる   「少年」巻頭 昭和二十六年

 

山塞のみどりはつなつ越え来たる隊商の売る太き角笛

うたるるは吾かもしれず木の骨の刀をかざす群のなかにて      「藍を走るべし」巻頭 昭和四十二年

 

枝がちに天(そら)さす木(こ)ぬれ風冴えて光ながらに散らふわくらば

葉さやぎはきくさへかなし散りながらむなしく待ちし人恋ひしさに   「少年」巻末 昭和三十五年

 

まなこのみ死なざりしかば花笠に喜々たる群を見あげていたる

はてしなき野はくれそめてたましいのひとつひとつの顔の顕つころ  「藍を走るべし」巻末 昭和四十四年

 

氏の巻末この年に、わたしは小説『清経入水』に第五回太宰治賞を受けていた。歌読みとはとうに離れていたのだが。

じつは近年になり、うまくはないが、ぼこぼこと泡のように妖しくも短歌らしきが湧きだし、夜なかなど、寝そびれて困ってしまう。それでいて書き留めないからすぐ忘れる。書き留めていれば百や二百はあまりにも簡単にできて行く。このまえ出した第二私家集老境の『光塵』はさもその前兆であったようだ

2012 12・23 135

 

 

* フローベールの『紋切型辞典』 懇切な解説(小倉孝誠氏)まで悉く、読了。こんなに面白い、まさに面白い本、適切な解説に出逢えたのは幸運であった。定価740円の岩波文庫本をブックオフで450円で手に入れた。

最近に手に入れたトルストイ『イワン・イリィチの死』、ロマン・ロラン『愛と死との戯れ』やブレハーノフ『歴史における個人の役割』など幸運の出逢いを大いに楽しんだ全てはブックオフの岩波文庫を買ってきたものばかり。今読んでいる『臨済録』もツルゲーネフ『猟人日記』もトルストイ『親和力』も然り、少年の昔からの岩波文庫敬愛がまざまざと蘇ってきている。読み始めていない予備本も十冊ほど傍に積んである。

何の欲も野心もなしに読書が楽しめるなんて、なんて豊かな贅沢だろう。

2012 12・24 135

 

 

* 湯のなかで五冊の文庫本を読んできた。ツルケーネフの『猟人日記』の人間把握と文章・表現の強さ・妙味にはほとほと感嘆する。建日子に読んで欲しい。

浴後の体重64.3KGは、眼科退院以降、最低かもしれぬ。

2012 12・26 135

 

 

* ゲーテへの敬愛は深い。普遍の「言葉」で普遍の真実や心理を結晶させる。『フアウスト』がそうであったし、今読んでいる小説『親和力』でも『イタリア紀行』でもそうである。いわば家庭小説の秀作『親和力』に聴いてみよう。この願いもまた、ひたすら利権と私欲のまえに狂乱して見える低俗政治屋や経済屋への厭悪に発している。そう読まれて構わない。

 

☆ ゲーテ『親和力』に聴く  抄録 実吉捷郎氏の訳に拠って。

「エメラルドがそのすばらしい色で、視覚を楽しませるとすれば、いや、この高等な感覚に、いくらかの浄化力を及ぼすとすれば、人間の美しさというものは、さらにはるかに大きな力を、官能と精神に及ぼすからである。」

ミットレル曰く、「良心というものとも、やはり結婚してはいませんかな。良心からのがれたいと思うことが、よくありますね。それはね、良心のほうが、われわれにとって、夫なり妻なりがうるさいよりも、もっとうるさく感じられるからなのですよ。」

シャルロッテ曰く、「わたくしたちは(真に優れた)多才な人と会っても、話をかわすこともなく、(真に優れた)学者と会っても、ものを教わることもなく、(真に優れて)円熟した人に会っても、啓発されるところもなく、(真に優れて)心のやさしい人に会っても、親切をつくすこともないのですからね。」「なぜ世間の人が、死んだ者のことは、率直にほめるのに、生きている者のことは、いつでも用心しながら(利己的に)云うのか、という疑問をわたくし聞いたことがありますの。その答えは、死者からは何をされるという心配はないが、生きている者には、またどこでめぐりあうかわからないから、というのでした。他人を思い出すときの心づかいは、それほど不純なものですのよ。それはたいがい自己中心のたわむれに過ぎませんわーーそれと反対に、生き残っている人たちの関係を、いつも生きて動くものにしておくのが(真に優れて)、神々しい真剣な仕事だとしましたらね。」

オッティリエ曰く、「自分の一身を死後までも保とうとむする人間の心づかいが、いかにむなしいか。しかもわれわれはじつに矛盾だらけだ。」「いったいわれわれのすることは、すべて永遠を考慮しながらなされているのだろうか。われわれは朝きものをきたと思うと、晩にはまたぬいでしまうではないか。」「人間に対すると同様、記念碑に対しても、時は、権力をふるいつづけるのだ。」

「はたけちがいの仕事に身を入れるのは、いかにも気持ちのいいものだから、しろうとが、とうていものにならないような藝術にたずさわるのを、何びとも責めてはいけないし、藝術家が自分の藝術の境界をのりこえて、となりの分野に低徊するのを、とがめてはいけないであろう。」

オッティリエ曰く、「いくら世間から引っこんでくらしていようとも、人は知らないうちに、債務者かまたは債権者になってしまう。」「自分の心を告げるのは、自然のいきおいである。告げられたものを、ありのままに受けいれるは、教養である。」「反ばくと追従は、両方ともまずい会話のもとである。」「中庸の道というものは、われわれの愛する者たちに対する信頼と沈黙の場合ほど、ねがわしいことはないであろう。」「畏敬のかわりに親しみを示すのは、常にこけいである。」「礼節の表面的なしるしには、かならずふかい道義的な根拠がある。真の教育とは、このしるしとこの根拠を同時に伝える教育である。「行状とは、各人が自分の姿をうつしてみせる鏡である。」「心の礼節というものがある。これは愛と同質のものだ。この中から、外形的な行状のもっとも快適な礼節が生じてくる。」「おろか者とりこう者は、同様に無害である。ただ半ばかと半りこう、これこそはもっとも危険な人間なのだ。」「世の中をのがれるのは、藝術によるのがもっともたしかであるし、世の中と結びつくのも、藝術によるのがもっともたしかである。最高の幸福と最高の苦難との瞬間においてさえ、われわれは藝術家を必要とする。」「(真に優れた)藝術は困難でかつ優良なものを仕事の対象とする。」「むずかしさというものは、われわれが目的に近づけば近づくほど、つのってくる。たねをまくのは、とりいれをするほどには骨が折れない。」

 

* 以上、『親和力』第五章までから、引いてみた。ゲーテは偉大な中庸の人。抵抗を覚える人がいても自然であるが、抵抗のはてに自身が何者であり得ているのかを思うとき、思いぞ屈することが多い。要するに、叱られていると思えばよい。わたしは、バグワンによっても、ゲーテその他の優れた人の言説には、ひたすらいつも「叱られている」と思いもし感じもして、そのなかで鍛錬を享ける。 2012 12・27 135

 

 

* 亡くなった湘子さんの昔からいつも寄贈をうけてきた俳誌「鷹」の早や正月号巻頭に日野草城が「現代俳人列伝」を飾る人として取り上げられていたのは嬉しかった。選句されているのも意に満ちて有難く。書き写さずにおれない。

 

春暁や人こそ知らね樹々の雨

けふよりの妻と来て泊つる宵の春

枕辺の春の灯(ともし)は妻が消しぬ

をみなとはかかるものかも春の闇

失ひしものを憶へり花ぐもり

春の夜の自動拳銃(コルト)を愛す夫人の手

物種を握れば生命ひしめける

ところてん煙の如く沈みをり

水晶の念珠つめたき大暑かな

こひびとを待ちあぐむらし闘魚の辺

見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く

高熱の鶴青空に漂へり

 

新婚の「ミヤコホテル」一連には賛否が湧いたが、甘いエロスをただよわせている、が、この俳人の「ホトトギス」との関わりも、破門や復帰などありフクザツであった。わたしの好きなひとりではある。わたしの詞華集『愛、はるかに照せ』にも、此の草城の冒頭句、第三句を採っている。

秦の母と同年明治三十四年に生まれ、昭和二十六年には右眼の明を失し、昭和三十一年一月に逝去。

2012 12・27 135

 

 

* 昨日、亡くなった小沢昭一さんの事実上の遺著となった、生前に岩波書店で進行していたとみられる『俳句で綴る 変哲半生記』を頂戴した。ご遺族のおはからいであったろう。小沢さんとは著書の交換が驚くほど永く多く続いてきた。民俗藝能の歴史的で実地見聞・解説的な主著など愛読し珍重してきた。俳句の本も何冊ももらってきたが、今回の本は装幀も汲み体裁も立派な函入り本で、有終の美を盛んにしている。変哲俳句は、プロ俳人のしかつめらしさが当然のようになく、それゆえにまた俳味に冨み微妙の深層や真相を巧みに汲み上げている。優れた一代の変哲俳句を悉く冴え冴えとかつ温かく網羅してあり、たいへん貴重な一冊をわたしのためにも遺し置いて戴いたと、敬礼している。変哲は、小沢さんの父君が往年名乗っておられた。いい話である。

 

湯の中のわが手わが足春を待つ    には、癌による胃全摘のわたしの思いもよく代弁してもらっている。

 

遙かなる次の巳年や初み空       には、泣かされる。「次の巳年」目前に小沢さんその人がわれわれから「遙かな」人となってしまった。歌舞伎の勘三郎とは、ことなる世間を生きてきたようで根深くに、彼もまたすぐれたカブキ藝の役者であった。

 

寒月やさて行く末の丁と半        いずれであれ、さても変哲さん、あの世で大笑いであろうよ。

2012 12・28 135

 

 

* ふと気が動いて、鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を書庫から出してきた。

 

* これもふと心惹かれて、「和漢朗詠集」を開く。

 

☆ 山寺

千株の松の下に双峯の寺

一葉の舟の中には万里の身      白楽天

 

更に俗物の人の眼に当れる無し

但だ泉声の我が心を洗ふあるのみ  白楽天

 

* 和漢朗詠集には独特の「読み」があるが、拘泥しないで読み下している。

2012 12・29 135

 

 

☆ 歳暮

寒流月を帯びて澄めること鏡のごとし

夕吹霜に和して利(と)きこと刀に似たり    白楽天  「吹」は、風。

 

風雲は人の前に暮れ易し

歳月は老の底より還り難し            維良春道

2012 12・31 135

上部へスクロール