* 『みごもりの湖』の初校を進めた。
そして、やはり元日だからこその思いから、下記を心して書き写しておく。
☆ ゆりはじめ『太宰治』より 2004の著
5 国粋主義の横行
社会的潮流というものがある。一九三〇年代後半、昭和十年代は大正リベラリズムの退潮が完成し、さらにはっきりしたファシズムの道を歩みだした時期である。ムソリーニのイタリア、ナチス・ドイツと組んで自ら戦禍の元凶となり、世界の民主主義国家の指弾を
浴びた日本は、国粋主義の横行で政治の主導権は暴力的軍隊の容喙する脆弱な為政者の集団に任された。
当然ながら、強権をもちいて知識人、文化人の思想的な自由を奪い去っていた。太宰治の転向も、そしてその後の小説の世界も退潮した世界の反映である。さらにいえば、その時代のあらゆる小説作品は何らかの形で、また何らかの重圧を受けているといえるだろう。
一般に、文学史家の当時の記録を読み込んでいくと、アナとボルとの対立などが平野謙あたりによって精細に解かれているが、そのような[傾向]の帰結などが重要なのではない。問題はたとえば、もっとも戦中を文学的に切り抜けたといわれる太宰治の作品に、次のようなものがあることをどのように考えればいいのか。
私は、このごろ、どうしてだか、紋服を着て歩きたくて仕様がない。
けさ、花を買つて帰る途中、三鷹駅前の広場に、古風な馬車が客を待つてゐるのを見た。明治、鹿鳴館のにほひがあつた。私は、あまりの懐かしさに、馭者に尋ねた。
「この馬車は、どこへ行くのですか。」
「さあ、どこへでも。」老いた馭者は、あいそよく答へた。「タキシイだよ。」
「銀座へ行つてくれますか。」
「銀座は遠いよ。」笑ひ出した。「電車で行けよ。」
私は此の馬車に乗つて銀座八丁を練りあるいてみたかつたのだ。鶴の丸(私の家の紋は、鶴の丸だ)紋服を着て、仙台平の袴をはいて、白足袋、そんな姿でこの馬車にゆつたり乗つて銀座八丁を練りあるきたい。ああ、このごろ私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きてゐる。 (昭和十六年十二月八日之を脱稿す。この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。) 「新郎」
(「新郎レ)
この作品は太宰の作品のなかでも次に紹介する「十二月八日」とともにかなり異色の作品である。私という主人公は、時節柄家族のことを考えて食事に贅沢をしないことを誓っている。要するに我慢をしているのだ。このモノローグは 「一日一日を、たつぷりと生き
て行くより他は無い。明日のことを思ひ煩ふな。明日は明日みづから思ひ煩はん。けふ一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい」という心情にある。
さらに隣室の子供の泣き声に「不器用に抱き上げて軽くゆすぶつたりなどする事がある。子供の寝顔を、忘れないやうに、こつそり見つめてゐる夜もある。見納め、まさか、でも、それに似た気持もあるやうだ。……外へ出ても、なるべく早く帰つて、晩ごはんは家でたべる事にしてゐる。食卓の上には、何も無い。私には、それが楽しみだ。何も無いのが、楽しみなのだ」という日常の生活の細部が描かれる。この主人公は学生の客などが多く訪れることから、太宰の自画像を暗に示している。
後書きであえて強調している十二月八日はいわずと知れた一九四一(昭和十六)年のそれである。太宰はこのような両義性のある作品をものしている。食卓の上に何も無いことが、何ゆえに楽しいのか。それを考えると、迷路にぶつかる。開戦に高揚した心理の裏に、現実を見つめる冷静な目を沈めている。
我慢するんだ。なんでもないぢやないか。米と野菜さへあれば、人間は結構生きていけるものだ。日本は、これからよくなるんだ。どんどんよくなるんだ。いま、僕たちがじつと我慢して居りさへすれば、日本は必ず成功するのだ。僕は信じてゐるのだ。新聞に出てゐる大臣たちの言葉を、そのまま全部、そつくり信じてゐるのだ。思ふ存分にやつてもらはうぢやないか。いまが大事な時なんださうだ。我慢するんだ。 (「同」)
という妻との会話のなかに込められた、自虐的に思われるまでの食料の不足を何とか肯定しようという思いは繰り返し反響している。
「我慢せよ」というスローガンを太宰は信じ込んでいたのであろうか。なぜならば、わざわざ再び後書きでこの文章を書いた日にちを強調している彼の姿勢には何か軽薄に浮き上がっているものがあると思わざるをえない。家紋の[鶴の丸]を付けた紋服で銀座を歩きたいという心情はすでに現在では噴飯ものとしか言いようがないが。
長い視点をもって冷静に考えれば、太宰はかってのマルクス主義の洗礼を受けた自分自身を、すでに完全に放棄していたのではないか。それを生活のためというならば、彼のこれまで描いてきた放蕩無頼と、反権力の観念はいったい誰のため、何のためにそれを行なったのか。それが自覚的なものでなかったならば、彼の自律的な思想とは成り得ていなかったということができよう。
歴史の大渦はこうして太宰に十二月八日に関する風変わりな二つの作品をもたらした。
けふの日記は特別に、ていねいに書いて置きませう。昭和十六年の十二月八日には日本のまづしい家庭の主婦は、どんな一日を送つたか、ちよつと書いて置きませう。
もう百年ほど経つて日本が紀元二千七百年の美しいお祝ひをしてゐる頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしてゐたといふ事がわかつたら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。 (「十二月八日」)
これもまた、太宰の脳裏をかすめた一瞬の感動というようなものであったのだろうか。注釈を加えておくならば、この中にある紀元二千六百年とは、一九四〇(昭和十五)年のことで、この年は神武天皇が大和の橿原宮に即位してから二千六百年に当るとして盛大な祝賀行事が行なわれた。
教育の現場を重視していた文部省は学校にも手を広げ、当時の児童たちは次のような歌を唱わされた。
金鶉輝く日本の
栄えある光り身に受けて
今こそ祝えこの朝(あした)
紀元は二千六百年
ああ、一億の胸はわく (鳴る? 秦)
明治五年に時の政府は維新統一の後に、天皇制を強固にするためにわざわざ皇紀という呼称でその連続性を誇示した。その流れのなかでいわば頂点ともいうべき時期が一九四〇(昭和十五)年という年であった。
翌年が太平洋戦争の開始である。太宰の作品がこの二千六百年と真殊湾攻撃の二つを克明に記憶するために、そして百年後の土蔵の中で発見されるのを半ば期待して日記を書くという設定は、その戦時の妻の日記という形態を借りながらまさに太宰の内部の真実を書きとめたということにまずは間違いがない。この浮き上がったような心理を書き残したことはありのままを映したということにおいて、むしろ太宰の栄光であろう。浮き上がった心情は何も太宰だけが感じたものではなかった。
「十二月八日」の当日はどうか。文学者たちは、太宰治の範疇をはるかに越えた激動に捉えられていた。一般社会人もまた、当然ながら資源確保のための領土を獲得する侵略を唱い上げるジャーナリズム(そこには強い軍部の指導があったのだが)に翻弄された。要するに、客観的に国際情勢を判断する情報を断ったまま、為政者に都合のよい一方的な操作をして報道するというナチスばりの方法を取った。
それでなくても、閉ざされた言語の日本語をもって作品を書く宿命にある日本の文学者が示す反応に、先祖返りの古代への願望があったとしても不思議ではなかった。
[轟沈] 斎藤茂吉
クワンタン沖に神集ふまたたくま
わが空軍はとどろきわたる
罪深くおどおどとして北上せる
敵機と闘艦はたちまち空し
[洪濤] 会津八一
すめろぎのみことかしこみみなわにぞ
あだのくろがねかくろひにけり
ますらおのひとたびたてばイギリスの
しこのくろがねみずきはてつも
[戦争と平和] 小林秀雄
戦史に燦たり、米太平洋艦隊の撃滅、という大きな活字は躍り上がるような姿で眼を射るのであるが、肝腎の写真の方は、冷然と静まり返ってゐる様に見えた。模型軍艦の様なのが七隻、行儀よくならんで、チョッビリと白い煙の塊りを上げたり、烏賊の墨のやうなものを吹き出したりしている。
そして今彼が眺めてゐる美しい海に、漁船が水脈を曳いて行く。
さうだ、漁船の代わりに魚雷が走れば、あれは雷跡だ……
[呼びかける] 堀口大学
亜細亜九億の同胞よ
いま東洋の夜は明ける
それはあまりに素晴らしく
それはあまりに美しく
君らが夢にもみなかつた
大きな夢を実現し
見事に明ける朝明けだ
[大東亜戦争短歌抄] 北原白秋
天皇の戦宣らす時おかず
奮ひ飛び立つ荒鷲が伴
国いまぞ挙げて戦ふ必定は
筆に死にせむ奮へ我がどち
[マニラ陥落] 中村草田男
南進の二の丸抜きし初便り
松の内赤子(せきし)は勝てり椰子の下
[戦勝の祝詩] 高村光太郎
あのざつざつといふ音は何だ
あの轟々たるとどろきは何だ
あの堂々として整然たるひびきは何だ
シンガポールだ
皇軍シンガポール入城を耳が想ふのだ
堂々そして整然たるあのひびきの中に
一切の決意と栄光がある
これらも十二月八日を書いた文学者の実態である。
6 暴力国家″下の文士たち
太宰治の開戟日の作品に「浮き上がった感覚」を感得するのは私だけではないであろう。むろん表現は制限的なものを多分に示してはいるが、突然に起きた太平洋戟争に鋭く反応する市民の状況が太宰の作品にも現れている。
戦後文学作品では加賀乙彦著『錨のない船』のなかに、時の特命全権大使栗栖三郎が緊迫の日米関係という十字架を背負って同役の野村吉三郎と和平に努力する姿が描かれている。しかし、まるで最近の秘教集団のように、すでに天皇を前にした御前会議で
最近、私は 『日本海軍の驕り症候群』(千早正隆著)という本を興味深く読んだ。筆者は連合艦隊の参謀であった人だが、この種の回顧談のなかでは、抑制の効いた文章である。驚くことに戟艦大和の建造にかかわるほどの士官であった彼でさえ、真珠湾の攻撃は寝耳に水の事件であったという。
彼の論調は海軍内部に棲みついた [驕慢]が判断を狂わせてゆき、巨大組織の崩壊を招いたというもので組織の内部にいたものでなければ知りえない事情も交えたものである。このように、交渉の当の大使にも知らせず、また内部の軍人にも知らせずに事を運ぶ秘密主義が横行していたことを立証している。
開戦の朝の市民たちの愕然とした反応は当然のことであろう。当時の国民学校三年であった私の場合でさえも、朝七時に日本放送協会の臨時ニュースで、軍艦マーチに乗ったアメリカ太平洋艦隊撃滅の報を聞いたのち、学校に行く道すがらもそして教室でも友人、
教師との話題は対米開戦と真珠湾の奇襲成功であった。攻撃をかけた米国戟艦オクラホマ、ネヴァダなどの名と形態を覚えたりするのも、侵略したアジア各国の地図を児童が赤く彩色するのとともに地図にかこまれた洗脳教室の恐るべき日常であったわけだ。
この時流に、はつきりノンを唱えていたのはわずかに永井荷風ぐらいのもので、文学者の大勢は戟争への坂道を転がるように参加、協力の道を辿った。
二月十一日(一九三二・昭和七年…:注ゆり)
雪もよひの空暗く風寒し。早朝より花火響き聞こえラヂオの唱歌騒然たるは紀元節なればなるべし。去秋満州事変起こりてより世間の風潮再び軍国主義の臭味を帯ぶる こと益々甚しくなれるごとし。
……陸軍省にては大にこれを悪み全国在郷軍人に命じて『朝日新聞』の購読を禁止しまた資本家と相謀り暗に同社の財源をおびやかしたり。これがため同社は陸軍部内の有力者を星ケ丘の旗亭に招飲して謝罪をなし出征軍人義捐金として金拾万円を寄付 翌日より記事を一変して軍閥謳歌をなすに至りし事ありしといふ。ここ事もし真なりとせば言論の自由は存在せざるなり。かつまた陸軍省の行動は正に脅嚇取材の罪を犯すものといふべし。 (永井荷風「断腸亭日乗」)
ジャーナリズムに対する軍の脅迫。まさに容易ならざる事態の瞬間を荷風は情報として把握していたのであろう。評論家中村光夫によれば「狂気の文学者‥水井荷風」(『百年を単位として』)という酷評だが、本物のヨーロッパ帰り永井荷風は真実を看過しなかった。それからほぼ十年。太平洋戦争の[市電の中で演説する男]を冷笑する荷風はいよいよ孤立の道を歩むほかはなかった。
一九四二(昭和十七)年には名高い日本文学報告会の発足である。これは社団法人組織で当時の情報局の直接のお声がかりである。それは五月二十六日の設立総会の経緯に注目すれば明らかであろう。情報局次長の奥村某が役員指名をした。常任理事・久米正雄、理事・長与善郎、柳田国男、吉川英治、菊池寛、上司小剣、川路柳紅、山本有三、自柳秀湖、佐藤春夫、窪田空穂、水原秋桜子、折口信夫、辰野隆、などが指名された。
中島健蔵の「昭和時代」を読むと、文学者のなかにも情報局のスパイのような人物がいて、文学者の一覧表を作成しその名前の上に、印をつけて提出したらしい。その区分は左翼、自由主義、革新というものである。「……ある文学者が、文士のブラック・リストを情
報局へ提出したというのである。その本物を、こつそり情報局の机の引出しから盗み出して写した人間がいる。……その上に白丸と半黒丸、黒丸とがついている。」
実行したとされるのは怪奇な行動をするので定評のあった小説家であったが、要するに完全な文人仲間への裏切り行為である。こうなると、文人の世界も情報局という市場をめぐつて醜悪の極みの様相を呈してきた。
六月十八日の発会式には徳富蘇峰が会長に指名され、来賓の東条英機が挨拶、彼の資格は内閣総理大臣・大政翼賛会総裁である。さらに情報局総裁谷正之、文部大臣橋田邦彦が続く。文学者側は吉川英治が「文学者報道班員に対する感謝決議」を朗読した。
吉川英治がした[感謝]がのちに文学者が実際に体験するた報道班員としての実体験とどう照応するか、これはもういうまでもない。
マレー方面
神保光太郎、中村地平、寺崎浩、井伏鱒二、中島健蔵、小栗虫太郎、大林清、北川冬彦、海音寺潮五郎など。
ジャワ・ボルネオ方面
大宅壮一、阿部知二、浅野晃、北原武夫、寒川光太郎など。
ビルマ方面
山本和夫、岩崎栄、清水幾多郎、北林透馬、豊田三郎、高見順など。
フィリピン方面
石坂洋次郎、尾崎士郎、今日出梅、火野葦平、上田広、三木清など。
海軍関係
石川達三、海野十三、丹羽文雄、村上元三、
これらの文人が戦地にばらまかれた。メンバーの組み合わせはまことに種々雑多で、しかも陸軍と海軍とでは遇するに違いがあり、陸軍の扱い方はもう非国民扱いの最たるものであったようだ。陸軍と海軍の待遇の違いはそのまま、文化に村するメンタリティの相違を物語る。
エピソードを紹介すれば井伏鱒二はシンガポール攻撃に付き合わされたが、司令官の山下奉文大将にその行動を見とがめられて大声で叱責されるという不快を味わっている。また今日出梅が書き残した実態を語る文章がある。
呉の港で汚い輸送船の日の目も見ぬ船倉に積み込まれ、毛布一つない藁の上に胡座をかいてみると、流石にがっかりして「こいつァ非道い扱いだ」と嘆息を漏らした。
我々は暗い船倉で歯の根も合わず、お互いに身体を擦り寄せて、体温で暖をとり、新聞記者の差し出すウイスキーで元気をつけていた。石渡(石坂洋次郎氏)は酒は一杯も飲まぬので、見るからに手持無沙汰そうなだけではなく、実際痩躯を石炭のカマスに包んで震えている様はおコモ様そっくりで哀れを催したものである。これでは全く流罪地に送られる処刑囚の姿である。 (今日出海「人間研究」
* ああ、元日にこれをこう永く引用した気持ちを汲む人は汲んで欲しい。迫る、国民の最大不幸は、ガンとして願い下げにはねのけたい、そのためには一人一人に何が大事か。考え合い力を協せねば。
2014 1/1 147
* いまわたしは、専ら「文庫本を」という原則を逸れて、今井清一さんからの『浜口雄幸伝』とゆりはじめさんからの『太宰治』という分厚い単行本をも併行して読み進んでいる。前者は全二巻の大著、後者は一冊のやはり大著であるが、なによりも内容が大いに異なる。
ゆりさんは文学者であり、太宰治の人と時代とを堀立て彫り起こすように多極的に書かれている。太宰その人がまさに「文学」そのものでありしかも「時代」と激突しさながら玉砕して行くことは、太宰治への礼としても敬意からも批評的に多くを読んで識っている。
今井さんは歴史学の人である。浜口雄幸という政治家のいわば最期だけは知っているけれど、その人と経歴についてわたしは甚だ疎い。じつは今井さんの関連の文献や資料を編み上げながら浜口の人と信念とを書き上げて行く内容に、(まだ上巻半ばながら)深く驚かされている。昔風に云うまさしく生真面目な「大秀才」、わたしの子供の頃までは代の大人達はこぞって師弟に斯く在れ、斯く育てよ励めよと教えていた絵に描いたような信念と思慮に満ちあふれた「人格」なのである。太宰治は、ある意味で鼻持ちならぬ「人間」を背負い込んだ小説家で、かつ「死にたがり」であった。最期の情死までに少なくも数度の自殺を試み、一度は若い女だけを死なせていた。十分褒めた気で云えば壮絶な無頼の人格破産者だった。浜口雄幸については伝記的な経歴を、総理大臣そして暴徒に襲われたとしか知らない。読んでいる限り、いま浜口はたしか若槻礼次郎だか加藤高明だか大臣のもとで逓信次官にまで達している。結論的な感想を言うには早すぎる。
* ゆりさんの『太宰治 生と死』は、太宰治を読み切ることを通し、文字どおり「歴史を読み込んだ」秀作である。作家であり文壇人であり一人の人ないし男として太宰を語った何冊もを知っている。ゆりさんの著は異色なのではない、述作としても論攷としても実に正統の正格を践んでいる。敬服する。歴史を書く以上に「歴史を深くより正しく、読む」ことが大切と、この間に新刊の『歴史・人・日常』でわたしは書いた。
2014 1・4 147
* 読み終えたたくさんな文庫本を隣の二階へ仕舞いに行き、かわりに十册ほど選んで来た。カミユの『ペスト』『カミユの手帖』 レマルクの『凱旋門』 グレアム・グリーンの『愛の終り』それにトマス・ハリスの読み物『ブラック・サンデー』など。そうそう、ゆりはじめ『太宰治の生と死』読了の勢いで、よく駈けていたと記憶している猪瀬直樹の『ビカレスク 太宰治伝』も読み返してみようと。こっちの家の書庫には、何十年に亘って戴き続けた大勢の作家の単行本が眠っている。小説も評論も随筆も詩歌も、研究書や資料も。ブックオフで文庫本を買って来るの、もうよそう。書庫の通路にもやまづみの本をどう片づけるか、こんなときは…いや、よそう。
2014 1・7 147
* 昨夜からカミユ「ペスト」 レマルク「凱旋門」をまたまた読み始め、「優れた小説」という文学作品を「読む」「読んで行く」嬉しさに
浸った。マカ不思議というより無い。小説なら何でも良いというのではない。「優れた作」そして海外文学の場合は「優れた訳の日本語」が絶対条件になる。拙い訳の日本語に出会ってしまうのは毒を飲んだほどの損である。宮崎嶺雄氏の「ペスト」も、レマルクいつもの山西英一氏訳「凱旋門」も、ともに見事な幕開きである。
「ペスト」は高校生の時に奮発して買った、文庫でなく選集の体で買った記念の作。そのころカミユの「異邦人」「シジフォスの神話」は魅惑の魔のように少年に近寄ってきた。そして「ペスト」にも出会った。「異邦人」以上とわたしは受け容れた。
* 「露伴随筆集」の言語編では、いま「俳諧字義」を興味深く勉強している。昔の勅撰和歌集にも「誹諧歌」とあり、「誹」と「俳」は意味がちがうのにと不審に感じていた。露伴は快刀乱麻をたつ勢いで納得させてくれる。感謝。そしていよいよ「俳句」の真意に信頼が持て、「俳」に乏しい昨今の冷やっとする俳句なるものの多くへの不審や疑義を再確認した。「俳優」ということばもよく考えていて佳い。
* 胃全摘いらいやがて二年、まだ「南総里見八犬伝」を読み継いでいる。その興味・関心のひとつに馬琴の用語用字と読み意味との奇抜さがあり、ヒマさえあらば用例集を作ってみたくすらある。ばっと開いた頁に、例えば「浩処 かかるところ」「 公 ふなおさ」「 昏 ゆふぐれ」「乾児乾弟 こぼんこかた」「甲夜 よひ」「悄地 ひそか」等々、およそ馬琴は終始この手の表現にみずから快哉を叫ぶかのごとくである。おもしろいです。
2014 1・8 147
* トッパンでの「選集」打ち合わせを無事終えてきた。未体験に属する造本・装幀については希望を述べ伝えて、任せてきた。原稿そして校正校了に専念したい。
江戸川橋から飯田橋まで大曲経由歩いてきた。荒くれた美観の微塵ものこらない街になっていて唖然とした。
雨もよい、どこへも寄らずに帰ってきた。少し必要有って「お父さん、繪を描いてください」を持って出て、往き帰りに読んできた。初期とは文体も軽みに枯れながら面白く端的に話を運んでいる筆致に、意外な満足を繪ながら帰ってきた。これでいいのだと思った。これは収穫だった。
2014 1・8 147
* まだ床に就いてから本を読み始める。カミユ『ペスト』 レマルクの『凱旋門』 グリーンの『愛の終わり』の、まあなんという魅力だろう。それにミルトンの『失楽園』の奥深いことよ。
猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治』は、読ませるが、上の名品に比し甚だ文品に劣る。さすがに野上弥生子訳の『ギリシア・ローマ神話』の文章に落ち着いた上品を感じる。またしても枕べに積んだ本は二十册にちかい。みなは読まない、五冊ほどと思いつつ十册より少なくて消灯することはない。
2014 1・11 147
☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』に聴く。
「愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする。 われわれは、あの事この事について、なにが最も賢い処置であるかを問うかわりに、なにが最も愛の深い仕方であるかを問う方が、たいていの場合、たしかに良策である。 なにが愛の深い仕方であるかについては、才分の乏しい者でも、自分を欺こうとしないかぎり、そうたやすく錯覚に陥ることはない。」
「人間はしばしば他人を助けることができないし、またそれを欲しないことが多い。しかもほとんどつねに、人を助けることに多少とも恐れか、嫌悪を覚えるものである。」
「『魂の底にふれることなく、ただ良心をなだめるためにのみ存在する、外面的な、わざとらしい宗教を持つよりも、全く宗教など持たない方が、おそらくましであろう。』 これはフランス革命時代の言葉であるが、これと同じ意味のことを、すでにキリストがこの上なく痛烈な言葉で語っている。(マタイによる福音書二一の三一、三二。) 単に外面的な信仰だけを抱いてすっかり自己満足をしている人たちは、今日でも、不信者よりもキリスト教の大きな障害である。実際、不信者のなかには、真理を渇望している人がきわめて多い。彼らはただ、かつて歴史的にこの(キリスト教の)真理がたしかに盛られていたその容器(教会的形式)とか、その担い手たちを恐れて、これに近づきえないのである。」
「実際には、社会全体がすぐさま改革されるわけではなく、各個人が、その時代に一般に認められている真理よりもすぐれた真理を、まず自分の内に明らかに感じとり、それから、これを教えと実践とで個人的に表明することによって、つねに全体の改革が推進されるのである。
これらの個人は、キリストの言葉によれば『三斗の粉の中に混ぜられたパン種』であり、あるいはルターの表現をかりれば、『神が彼らを通じて世界を支配し給う英雄であり、偉人』なのである。」
「全体として善い生活をすごしてきた場合でも、それが陥る最も危険な時期は、ときとして、生活がいくぶん退屈になりはじめる頃である。」
「われわれが苦しみをただできるだけ早くとり除こうとしたり、あるいは全く受身に、ストア主義的にできるだけ無感覚な態度で、これを堪え忍ぼうとしたりするのは、いずれにせよ、正しい態度ではない。むしろ苦悩を、種まきの時期として利用しなければならない。」
* ヒルテイに聴きたく、また聴きづらいのは、「キリスト教」との折り合いを強いられるからで、「説教」くさい点である。ひとえに「愛」と聴かされる場合、それが聖的な愛(アガペー)にまず限定されていて、性的な愛(エロス)は当たり前のように除外されるか言及されない。しかし多くの人が根底から触れて悩ましくまた望ましくまた険しいのは後者の「愛」である場合が多い。
バグワンであれば、愛が仏教の教義的には迷妄とされることを踏まえたまま、男女の性愛の極限に静止の秘跡のあり得ることを放擲せず語り聴かせてくれる。
ヒルテイは実に優れた思索者であり助言者であるけれど、しかも聴く耳になにらかの聡いものが無くてはなるまいなあと、思わせられる。
2014 1・14 147
* ゆりはじめさんの『太宰治の生と死』を感じ入って読了後、これまで幾つも読んだ太宰治論のなかでは気に入っていた猪瀬直樹『ピカレスク太宰治伝』を読み返し始めた。方法といい主眼といい大きく異なっている。ゆりさんは、太宰の人と文学を時代の動乱と掛け合わせながら「読み込んで」いる。時代・歴史を「読む」ことが太宰を「読む」ことであり、またその逆も成ってくる。いまの私の関心からすればたいそう有難くも興深くも刺激的でもある。
猪瀬作は、「太宰治の伝」を、読み物または小説風に仔細に組み立てようとしている。そうする視角に猪瀬君らしい綿密な取材力が表れてくるが、この著者にはあらためて太宰が生きた「時代・歴史」を暴露し批判するような態度は無いないし希薄。それをやれば彼著者は著者自身の体制内的な生き方に自己批評を強いられるのだ。あくまで「太宰治って、こんな人だったのか!」を書こうとしている。それはそれで成功しているか、ゆりはじめ著が太宰の「生と死」に膚接したあの日本の戦前・戦時・戦後を厳しく鋭く「読み容れて」いる方法からすると、やはり猪瀬著は「読み物」に落ち着いている。
* このところの読書の中で異彩を放って手から離れないのは、椎名麟三の『美しい女』だ。出世作の『深夜の酒宴』は悪文で投げ出さずにおれなかったのに、この作は、名文に変じたわけでないのに、捉えて放さない、捉えられて放れられないマカ不思議な平々凡々の筆力の底知れ無さに、読み始めるとちょっと読みやめて一休みという機を見失うほど惹きつける。その世界は、あの「細雪」や「山の音」や「銀の匙」や「歌行燈」などに比べれば、あまりに貧相で薄っぺらで雑然を極めた戦時中の下層労働者たちの世間をぶっきらぼうに描いていて、趣味豊かな何ひとつもなく、かといって明らかに先行していた私小説の行き方ともちがっていて、なんでこれを読み出したかなと惘れつつも、読まされて読まされて眼が離れない。話の筋がおもしろいか、いいえいいえ。
だがこの作は、まったく作の流れも語り手の立ち位置や姿勢や言動がガンとして揺れずブレず、ま、はなはだまとも。自然と敬意すら覚えて読まされているのだから、こんな読書体験は初と告白せざるを得ない。美しい女とは、貧しくて弱くて融通の利かない、ひたすら電車運転手という仕事が好きで離れられず、お上に殉じたような奇態で剣呑な強妻とも離れたがらない主人公の胸の奥に幻のようにもシンボルのようにも隠された架空のマドンナの別名であるらしい、まだ読み切っていないが。
こういう作品世界が在る、と、わたしは喜んでいる。椎名の他の作は知らない。
* 底知れず果て知れない尊敬と驚異の念で興深く深く読み続けているのは、断然ミルトンの『失楽園』。神の厳しい禁断をイーヴが先ず犯し、アダムもイーヴへの愛ゆえにあえて追随して禁を破って以降の二人の歎き、おそれ、述懐、悔悟の縷々として続くあたりの実感に溢れて胸震うよう詩句の勢いに、心より敬服する。容易には云いがたいことだが、もしも私で人生の読書百選するなら、この『失楽園』はきっと加えるだろう。
☆ ヒルテイ『眠られぬ夜のために』に聴く
「人間生活において、ひとをひどく疲れさせ、多くの人たちに人生を解きがたい謎と思わせるものは、われわれがつねにその渦中立っている、なにかの悪とのたえざる戦いである。われわれはほんの一時の休息か享楽を自分に許してみるがよい、をうすればすぐさま悪がなにかの形で勢いを盛りかえし、その古くからの(悪の考えによればまだ時効にかかっていない)彼の権利を主張してくるのだ。なんといっでも悪は、まさに「この世の君」であり、退位させられたとしても、いぜんとして支配権を主張しようとたくらんでいる。ただ、悪が支配権を握るには、それに対する、人間の自由意志による同意がなくてはならぬ。」
2014 1・15 147
☆ ① 「軽薄と退屈以外のことなら何であらうと我慢出来る。併しながら大多数の人々にとつては何れか一方に陥ることなくして他方を避けることは全く不可能である。」
② 「幸福とは高い精神力が低い精神力に依つて煩されることのない境地であり、気楽とは低い精神力が高い精神力に依つて煩されることのない境地を言ふ。」 ジンメル『断想』清水幾太郎訳より。
* 目の覚めるような指摘で、日常に徴して省みれば瞭然である。②は指摘でありそのまま了解できる。①は、はなはだ難儀。しかし突貫しなければならぬ。
☆ 「あなたはいわゆる社会政策とか、平和運動とか、これに類する事柄にあまり身を入れすぎないようにしなさい。それらはすべて、たしかに興味ある、またたいてい称讃すべき努力ではあるが、しかしそれによって社会問題も、その他のどんな問題も、解決されるわけではない。この世に存在する、あらゆる種類の、おびただしい量の悲惨事は、それによってほとんどなにほども減らないだろう。
結局、人類はただより多くの愛によってのみ、しかも、だれでもみな直接にその「隣人」から始めねばならぬあの個人的な、本当に強い愛によってのみ、助けられるのである。この愛の精神こそは、また真のキリスト教の精神でもあるが、これが世を救うのであって、その他のすべてはこれと反対に、やたらに声のみ高い無用事にすぎないことが多い。世間の人たちは、これ以上、誤った理想を追わなくてすむために、このことをもうすこし明らかに覚らねばならない。」 ヒルテイ「眠られぬ夜のために」第二部より
* 言われている意味は理解できる。と同時にヒルテイの生きてきた時代と我々今日の状況を省みるとき、尊い隣人愛のみを起爆力に支配や弾圧の凶暴から人間の尊厳や安全がどう守れるかを思慮し具体的に出来る行動をとらずには済まない。
2014 1・17 147
* 就寝前から妻に猛烈な腹痛と嘔吐が続いて朝に及んだ。車を呼んで日曜ながら地元病院で緊急治療を頼んだ。当番医が若い脳神経外科医だったが。スキャンにまわしてくれ、胆石が認められた。わたしも胆嚢に満杯の胆石をもっていてしばしば同様の苦痛を訴えたが、胃全摘と同時に胆嚢も摘除、以来そのての痛みは起こさなくなった。妻の苦痛の表現には覚えがあり、しかし夜を徹して朝にもまだ治まらないというほどの体験はなかった。
スキャンの結果、転籍の少量が確認された以外には、目立った故障は発見されず、痛み止めを含む点滴を受けて痛みもおさまり、正午過ぎに歩いて家まで帰れた。まずまず有難かったが、今後に供えることも必要になろう。
長時間の点滴の間、点滴はきっとあろうと量も多めの「校正仕事」を持っていたので、『みごもりの湖』の初校を終え得た。それでも余った時間、椎名麟三の「美しい女」を面白く読んで治療室から解放されてきた妻をむかえて家までを歩いた。風はあるが明るい好天なのが有難かった。
2014 1・19 147
* 本を読むのに、傍線引きや書き込みのためのペンはわたしの場合、むかしからの必要で、往々にして本は傍線などで赤くなる。時に黒くなる。わたしの読んだアトの本を昔から家族は、それ故に、イヤがった。二度目からの読みや必要に応じて再度探索するのに便利だからしていたので、だから小説以外の参考書籍や学習書籍に多かった。もう何年も十何年も参考の学習のという必要とは縁切れになっているが、それでもペンは放せない。それどころか、近年は小説などでも感じ入ると線を引いている。ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の頃からか、小説を読むのにもペンをひきつけておいて読んできた。
たとえばレマルクの『凱旋門』ではこんなところに傍線を引いていた。ナチスからの逃亡医師ラヴィックが、パリの手術室で、手の施しよう無く若い女性患者を死なせた後刻の苦汁を飲む述懐だ。
「忘れることがなくて、どうして生きていかれる? だが、十分に忘れてしまうなんて、だれにできるというのか? ひとの心を引き裂く記憶の残滓、もはや生きるあてがなくなってしまったとき、はじめて人は自由になるのだ。」
「自由」の二字への幾重にも重ねた絶望的な批評。しかも絶望などしていられない、生きて行かねばならない。何人も何人にも死なれてきた。そして間違いなくほどなく自身も死ぬるまでに、さらにまだどれだけの死に遭うことか。
わたしは今、いい作品に出会いたいと願っている若い人たちに、レマルクの小説を薦めたい。処女作の「西部戦線異状なし」や、連作ともいえる「汝の隣人を愛せ」「凱旋門」などを。じつに優れて今日の日本人の自覚にせまってくるものを孕んでいる、レマルクは。
* 椎名麟三の『美しい女』でもこんなところに朱線を引いていた。語り手は、まこと凡常の労働者で、しかもブレない精神を確保した健康でごく普通の電車運転手であり、そうであることが彼をとりまく世間ではへんに「変わり者」でもあるのだ。
「たしかに権力というものは、自由に誤解することが出来るという自由さのなかに真の姿をあらわすものらしい。」
ああなんと「自由に誤解することが出来るという自由さ」を我らの国の、政治でも企業でも学問の世間ですらも、「権力」というやつは謳歌してくれていることか。ちょっと時は隔たっての述懐だが、運転手氏はこうも言う。
「私が、いまでも責任をもって確信することの出来るのは、この世のなかには、唯一絶対の、だからほんとうのものなんかありはしないということである。そして私は、はなはだ無邪気で申訳がないが、そのことをこの世の中やさしさとして喜ぶことが出来るのである。とにかくその事実は、私にゆるやかな息をさせてくれる。」
この、なんとも頼りない一輛きりの電車の義務としての運転が好きで好きで堪らない労働者は、昭和十八、九年へさしかかる戦争真っ最中を生きている、それは時代こそちがえあの『凱旋門』の医師ラヴィックの生きようを脅かす、大きくは違わない「時世と権力」に当面している。なんでもなげなこの述懐、どれほどのモノたちのまえで彼は「ゆるやかな息を」大切な秘密のようにしているか、無邪気など装い顔に。
彼には、「天皇みたいなもんがいるから、日本の国はあかんのや、と放言」する同僚がいて、むろん「かげ」でのはなし、表沙汰になったら只ですまない。しかも彼は言う、「私は、その船越の説に同感だった。私には、天皇が、殺したいとは思わなかったが、絶対主義の親玉のようにみえていたから」だ。この「美しい女」は昭和三十年に中央公論に連載されていた。敗戦から十年後、わたしは大学二年だったか。椎名麟三は文字どおり第一次戦後派作家の尤たる一人だった。
さらにもう一言この運転手氏の弁を引き出して、それを、レマルクから引いた「死」の把握や実感や思想と、比してみて欲しいと思う。椎名の語り手は言う。
「全く私は、骨の髄から死はきらいである。いつかは、お前は死ぬだろう、そしてそれは避けることは出来ないだろう、といわれても、私は、死を自分の人生の勘定のなかに入れてやらないつもりである。それを入れさせようとするあらゆる事柄に対しては、私は方法をつくして逃げたいのだ。こんな私は、滑稽な臆病者であるかも知れない。だが、この臆病こそ、私は世のなかのどんな美徳にかえても、愛したいところのものなのだ。」
比してみてとわたしは書いたが、実は、ちがう。レマルクと椎名とで痛いほどに重なり合う「死」「逃げる(逃亡・亡命)」「臆病」といった姿勢の厳しさ険しさ怖ろしさを、今まさに「迫る、国民の最大不幸」のときに悟りたいと思う。レマルクを今読んで欲しいとわたしが願う真意はこの点にある。それはもう漠然とした空想でも妄想でも、ない。けっして、ない。
2014 1・20 147
* わたしの歯は、またとてもマグネットを装置しての入れ歯の拡大になるらしく、十万円かかると。一割治療とすると十倍の医療費、それを短期間に何度も繰り返さねばならなかったし、まだまだグラグラの歯があって、「ネバーエンディング トリートメント」だなあとドクターも嘆息。参る。
帰路、暫くぶりに「リオン」に寄り、赤ワイン二杯でひとコース食べてきた。食べながら、持参の選集作「三輪山」初校を終えてきた。
またしてもブックオフに立ち寄り、エドガー・アラン・ポーの代表作集と、中国で久しく禁書にされていた『結婚狂奏曲』上下を買ってきたが、はたして如何に。
2014 1・21 147
* 椎名麟三の「美しい女」講談社文庫を読了したことは書き付けておきたい。これは、読書好きで読み手を自負している人に、ぜひ読んで欲しいと願う。たしかな人間把握と実存の重みそしておかしみを堪能されるだろう。但し上記の作のこと。「深夜の酒宴」は読まなかった。読めなかった。
2014 1・22 147
* 『凱旋門』のラヴィック医師はガチガチの信心看護婦に言うている、
「もう何一つ神聖なものがなくなってしまうと、こんどはまたあらゆるものが、もっと人間的に、神聖なものになってくるんだよ。みみずの中にさえ脈搏っていて、ときどき光をもとめて地上に出てこそせる生命の火花を尊敬するんだ。」 「信仰は容易にひとを狂信的にするよ。だから、あらゆる宗教はあんなにたくさん血を流しているんだ。」
旅券も査証もなくナチスから逃亡している彼はパリですらアパートを借りもまともなホテルに入るも成らない。ひどい安宿にひそんでいるが、それでも「天国だよ、ドイツの強制収容所とくらべたらね」とも。すべてはただ彼が「ナチでないというためだけ」なのだ。
椎名麟三の小説でも、「アカ」の嫌疑でとらわれた若い女性が、恥部に棒をつきたてつきたてされながら取り調べられたと嘆いていた。同様の証言はべつの人のべつの本でも読んでいる。戦時日本の特高や憲兵が、国中を「ドイツの強制収容所」なみにしていたことを忘れてはならない。しかも島国日本の場合は、ラヴィックらのようにヨーロッパの国境という国境を越えて逃亡する道は無いのだ。 2014 1・23 147
* 眠れなかった夜中は、結局本を読んでしまう。いまは、文庫本だけで枕元に二十册あまり置いており、だいたい十册以上ずつは読んでいる。以下のようにバラエテイに頗る富み、楽しめる。
「ギリシア・ローマ神話」、「失楽園」下巻、「眠られぬ夜のために」上下巻、「黄金虫ほか」、「凱旋門」上巻、「愛の終わり」、「ペスト」、「ブラック・サンデー」、「結婚狂詩曲」上巻、「荘子」外篇・雑篇、「拾遺和歌集」、「西行全歌集」、「南総里見八犬伝」第六巻、「八犬伝の世界」、「露伴随筆集」、「深夜の酒宴」、「ピカレスク 太宰治伝」、「オブローモフという男」、「アイルランド」、「カントとゲーテ」、「断想」、「カミユ手記」等。
神話、失楽園、凱旋門、愛の終わり、ペスト、ブラックサンデー、ピカレスクなどが、不思議と渾然の世界を成してくれるから嬉しい。
* 一つ加えていえば、「選集第一巻」に選んで、実に久しぶりに校正かたがた読み返している自作「みごもりの湖」「秘色」「三輪山にも感慨、深い。
2014 1・23 147
* 「信仰は容易にひとを狂信的にするよ。だから、あらゆる宗教はあんなにたくさん血を流しているんだ」と、レマルク『凱旋門』の医師ラヴィックは話していた。昨日、此処へも引いて置いた。この述懐は、知性をもった誰しもの広範囲に共有している嘆かわしい実感であろう。その限りにおいてとくに新奇に耳を欹てるほどの表白ではない。『眠られぬ夜のために』のヒルテイなら、言下にそれは他の宗教が宜しくないからで、キリスト教の神こそがすばらしいと断じるだろう。そんな彼でも同じキリスト教徒いいながらも烈しく血を流しあった史実の数々を否定も否認もできないのである。神をあいだにはさんで信仰と狂信との癒されぬ齟齬の痛みはあまりに今日でも酷く酷すぎる。そしてそれら悲劇の奥に在りとされている神は、姿かたちにしてたいてい人格神、人間神である。そういう神を真実信仰し帰依するのは、それじたい容易なわざでない。たとえば日本の能にあらわれる「翁」の方がわかりよくそして神々しい。イエスまでは分かる。イエスの「父なる神」になるとなかなか分かりにくい。
わたしがミルトンの『失楽園』に讃嘆の思いを隠さないのは、うえに謂う神、人格神・人間神のわかりにくさをかなり分かりよくしてくれているからである。創造主、造物主そして宇宙の支配者である神を、こんなに具象化しえた例は他に無いだろう。アダムとイーヴとが死を課して厳しく命じた禁忌を冒すにいたるまでの人間の創造、楽園の創造、そらにそれ以前に成されていた神へのサタンらの叛逆と惰地獄。それも見事にわたしを魅了したが、アダムとイーヴとがついに楽園を追放されるまぎわに、神と御子とに代わって天使ミカエルが二人に、正しくはイーブは眠っていてアダム一人に縷々語りかつ詳細に眼に見えて預言し予告する地球と人間との未来像の厳粛さに、わたしは固唾をのんで惹きこまれた。
詩人ミルトンは清教徒として革命に加わり重きを成し、敗れて辛うじて命たすかり、失明し逼塞した。そのなかで『失楽園』という壮大な叙事詩が口述で成し遂げられた。旧約を全巻読み、新約聖書をも全巻読んだ。『失楽園』はそれら聖書通読に匹敵する衝撃をいまもわたしに与え続けている。ヒルテイの篤信の言説も、これには及ばない、敬意は惜しまないが。
☆ ヒルテイに聴く。
「現代のすっかり倒錯した宗教教育は、神を愛することを全然教えず、せいぜい神を恐れることしか教えない。その裏には、実は神への恐れから解放されえたなら、その方がありがたいという考えがひそんでいるのである。」「霊のこもらない説教や、ただ形式的に教会へ所属することは、他のどんな仕方にもまして、人びとを真理に対して無感覚にするものである。こういうことが、民衆をキリスト教から背かせてしまった。」
ヒルテイにはこの歎きがつきまとっている。
もしわれわれが時代精神全体と相容れず対立するとしたならば、われわれの人格を犠牲にしてまで、それに従うほどの値打があるものはめったにない。むしろ逆に、個人が時代精神に以前と違った方向を与えたという事実は、これまで少なくない。」
この前段は、わたし自身の信条という近い。わたしは斯く在りたいと生きてきたつもりだ。
「人間の最もよい性質は、ただゆっくりと、しかも多くの忍耐によって初めて、伸びて行くものであり、また悪や利己心はなかなか急には退散しないものである。」
そう思う。思っている。
2014 1・24 147
* 小説の創作は容易ではない。「正しい手がかりを拾いあげる前に、無数の些末な材料を集めることの大切さ だがこの拾いあげが、いかにむずかしいことか--真の主題を露わにすることが。 余計な事実が多すぎるのだ。」 グレアム・グリーンが言う通りの苦労をいまもわたしは実感している。堪えねばならぬ。
グリーンはこうも作中の語り手を介して告白している、「美しい女は、それも美しいだけでなく聡明でもあればなおのこと、何か深い劣等感をわたしのうちに呼びおこす」と。「とにかく精神的にか肉体的にか、何らかの優越感なしには性的欲望を感じることが困難なことを、わたしはつねに発見して来た」と。この薄暗い感じで関連したような男の述懐には、賛同も反発もしないで、さしあたり興味を覚えている。いましも暗闇を引き裂くように進んで行きたい一つの小説の主題とこのグリーンの言葉はとても難儀に厄介に蜘蛛の巣のように絡まっている。
* 「ゴシック小説」は、ポーにも代表される十八世紀末から十九世紀初めへかけて流行った、中世趣味による神秘的、幻想的な小説で、ゴシック・ロマンスとも呼ばれ、その後ゴシック・ホラーなどのジャンルも含んで行く。今日のSFやホラーの源流のようにも観られていて、一つの特徴のように、ある「予言」が前提となりその「成就」してゆく過程を「物語」の体部にしている。
それはそれで、よろしい。その上で上の「定義」様のことを日本の「物語む」でいえば、幻想でもなくホラーでもない写実味の濃い『源氏物語』など、重々しい「予言」がはやばやと二つも三つも持ち出されて、その成就の過程がおおきな世界を実現している。わたしは夙くからその点を「源氏」読みの最要点のように指摘し嘆賞し鑑賞してきた。
ポオの処女短篇『メッツェンガーシュタイン』を少し肌に粟立つように読んだあとで、ポオに源氏物語を読ませていたらなどと想った。また上田秋成にポオを読む機会があったらどうだったかとも興味をもって想った。「小さな定義」にとらわれ過ぎず地理的にも時間的にも広範囲な読書が楽しめるようでありたいと思いもした。これから、『黄金虫』『アッシャー家の崩壊』などを何十年ぶりかで読み直す。
* ヒルテイは怖いことも平気で突きつけてくる。
「悪人が落ちる地獄とは、いつか彼らがそこへ行って見ると、ただ彼らと同じ悪い仲間ばかりしかいないということであろう。これは、さすがの悪人たちも苦痛なしには耐えきれまい。」
ヒルテイは、間違っても自身は悪人なんかでないと確信しているようだが、そういう自信、とても持てない。
* 昭和十八、九、二十年はあの大戦の行方が暗雲とともに大きく酷く傾いていた時期であるが、幸田露伴随筆集を読んで行くと、「言語」の問題に絞っただけでも、「香談」「俳諧字義」についで、おそろしいほど精緻な大作『音幻論』が、孜々として書き継がれている。『音幻論』の細目を見てみよう、「序」「声音を記する符」「韵」「音の各論」「シとチ」「近似音」「本具音」「ン」「連音」「累音」「対音」「省音」「添音」「倒音」「擬音」と続いて昭和二十年十一月に脱稿されている。この年の夏にヒロシマ、ナガサキは原爆を浴び、八月十五日には日本政府は無条件降伏していた。わたしは国民学校から小学校にまた改まった四年生だった、丹波の山奥へ秦の母と京都から疎開していた。
露伴の「音」「韵」の追究と観察・洞察は少なくも中国と日本との遠く上代より現代にわたって精微を極めている。なにといっても言葉と声と文字との話であって、身を寄せて読んで行くけば必ずしも難解なのではないから興味深くて面白い。露伴はなにもこの時節悠揚迫らず生きておれた人でなかったのは、娘の幸田文さんや孫娘の玉青さんらの著書にくわしく、住まいの蝸牛庵も戦火を浴び、露伴その人も空襲にさらされ逃げ延びていた。そして、戦後もはやばやと亡くなった。その死には国会も弔辞をおくり、葬儀は国民的な哀悼に包まれていたように子ども心に覚えている。
* よほど疲れている、眼から疲労が心身に及んでくる。負けてしまうと起てなくなる。
入浴。馬琴、猪瀬直樹、ミルトン、ポオ、それと中国人の「結婚狂詩曲」読む。沈復の「浮生六記」夫婦純愛の、趣味も人間もじつに豊かに好もしい本だったが、これは西洋かぶれのかなりの狂騒曲のようだ。
2014 1・29 147
* 「憎しみは愛と同じ肉体の腺に作用するらしい、同じ活動をさえしょうじさせる」とグレアム・グリーンは『愛の終り』で書いている。この「愛」は、ヒルテイのしばしば持ち出す「愛」とは次元を異にしていようか。グリーンは反教会的な作家であったろうと記憶するが、「基督を愛したのは嫉みぶかいユダであったか、それとも卑怯なペテロであったか」とグリーンは先の一文のあとへ続けている。険しい指摘に想われる。
* ミルトンの『失楽園』は最後の第十二巻に入っている。この本をこんなに熱心に面白く興深く考えさせられて読むとは、正直、思ってなかった。
* トマス・ハリスは、映画が良かった『羊たちの沈黙』の原作者だが、それは読んでいない。いま彼の『ブラック・サンデー』を戦慄すら覚えながら読んでいる。八万人の観衆をひとり残さず爆殺するという緻密なテロ計画を書いている。この手の読み物の最秀作としてわたしは『女王陛下のユリシーズ』ほか五作を選んで愛蔵しているが、これはその内の一作。
たまたま昨日から、デンゼル・ワシントン、アネット・ベニング、ブルース・ウイリスというとびきり好きな俳優達が描き出す『族長』という録画映画を観ていて、重なり合う凄さに胸を圧されていた。アラブ、イスラエル、アメリカの三つ巴の激越な暗闘。なにが、それをさせるのか、そして日本は無縁の争闘といえるのかと、したたか胸苦しかった。
同じ苦しくてもレマルクの『凱旋門』のラヴイック医師とジョアン・マヅーの出逢いと愛のふれあいは、懐かしさにも満ちていて、有難い。
* 猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治伝』再読もなかなか新鮮で追究の凄みが楽しめる。このところ、ゆりはじめさんの『太宰治の生と死』にも猪瀬君の太宰追究にも、たくさん教わっている。
* いま、とりわけて身の側の「本」が充実していて、反動でも有ろう、稗史小説である「八犬伝」のわるくはないが、えずい程の泥臭さにアテられる気持ちもある。、
2014 1・30 147
* 椎名麟三作『美しい女』の語り手は、こう言うている、 「この私が、反動とまではいわれなくても、保守的だといわれているとすれば、私に、五年先か、たかだか十年先しか見えないからだろう。そして事実、私は、それ以上のことを考えることをお断り申上げるのだ。ひとが、一生不幸だとか、いつまでも不幸だなどというとき、私は情なくなって、当惑してしまう」と。
作家としての椎名も、この運転手であることの大好きな働き手の彼も、あの大戦の渦中に生き、「五年先か、たかだか十年先」で敗戦という戦後を迎えている。椎名は、あの戦中、いわゆる「転向」した作家である。彼らのここに謂う「不幸」とはどんな「不幸」なのだろう。狂った国の強権のもとで、国民は、私民はじつは「情なく」「当惑」の度を越しどうあがいてもじつは「転向」などさせても貰えない。ゆるされない。
いまのわたしは、その思いから遁れ得ていない。
2014 2・2 148
* 昨日の晩、京都宇治の伊藤隆信さんから電話をもらった。京都へ帰ってきたら、というお誘いだった。伊藤さんは何十年も前からそう誘ってくれる。
今日は、伊原昭(あき)さん(梅光学院大名誉教授)から大著『源氏物語の色』を頂戴した。日本の色彩に関する第一人者。精緻な色彩大事典をはじめ大冊の研究をどれだけ頂き続けてきたことか。お目にかかったことは一度もないのに、久しくご好意を戴いている。
2014 2・6 148
* ミルトン『失楽園』上下巻本文を今日、二○一四年・平成二十六年二月十日早暁四時半に読了した。
キリスト教にいつも歴史的な関心は寄せ続けていたが、宗教としての根源の世界構造が見えにくかった。見えても素直には見にくかった。ミルトンは、それを統一感と美しい表現とでまさに詩的に展開して観せてくれた。ヒルテイのいささか強要してくるキリスト教よりも、対象化し構図化したまま具体的な「神」話として納得させてくれた。説教され帰依をもとめられたのではない、ここに一つの世界宗教の神話が在ると納得できたのである。
詳細な訳注が貴重で、本文は読み終えたが訳注にもきっちり目を通したい。
☆ ヒルテイはまた言う、
「勇気を失わず、勇敢な人でありなさい。そうすれば、慰めは必要な時にあなたに与えられよう。勇気は、あらゆる純人間的な性質のなかで最も有用なものである」とも。「およそどんなことがあっても勇気をすててはならない」とも。
「たしかにわれわれは、正しい思いをいつも持ちつづけることはできない。それはしばしば、風に吹き払われるように、消え去ることがある。 しかし、勇気は、つねにいくらか努力すればしばらく持ちつづけられる一種の気分であり、やがてそのうちに助けも与えられ、事情が好転する」と言いきる。
* わたしは小さいころ弱虫で泣き虫だった。いまも変わっていないだろう、涙もろいことなど我ながら情けなく感じるくらいだ、が、成人するに随い、必要とあれば勇気をもって立ち向かえるようになっていた。仕事にも、圧力や不当な権威や無道にも、また疑義や不審にも、そして癌宣告や手術にも、勇気を持し動じないで立ち向かえるようになっていた。弱虫で泣き虫でごく正常に臆病でもあるけれど、勇敢と勇気は「つねにいくらか努力すればしばらく持ちつづけられる一種の気分であり、やがてそのうちに助けも与えられ、事情が好転する」ことを信頼してきた。 自身の不徳や悪徳をかなりに自覚しているわたしは、まだまだ、まだまだ何とも真実にむかい間隔をおいたまま都合をつけつけ生きているのを情けなく思っているけれど、だからこそだから勇気は大事だと思わずにおれない。無理矢理と勇気とは違う。勇気は結局は自己批評の傷みに堪えて正すことのようだ。
* 露伴随筆集下巻の『言語編』は、もの凄いという嘆声で迎えるしかない「字とことばと音」へのおそるべき探求で、興深くて面白いことも無類の「穿鑿」である。こんな追究を最晩年の空襲下や敗戦直後の窮迫のなかで完成させていた幸田露伴という巨人の尊い好奇心にわたしは最敬礼する。ここに露伴原文を筆写すればたちまちにその興趣は観てとれるのだが、あまりに微細でかなり時間をとられることに恐れをなす。アイウエオ」の「イ」の関連のごくの一端だけ引いてみるが、スキャン出来るかどうか。
☆露伴翁の言語説
元来、気息といふ古邦語がイで、それは尖状に外へ衝くといふやうな気味のある音の質からおのづからさうなつたものであらうが、たとへばイブキは気噴(イブキ)であり、鼾(イビキ)は気響(イヒビキ)の約、言フは気経(イフ)である。生キは人の気を存するので、気絶ゆれば生絶ゆるのであり、命はすなはち気ノ内(イノチ)なのであるから、気息はイキともいふやうになつてゐる。癒ユは気延(イキハ)ユの約、憩フは気生(イキハ)フである。気のイまたはイキの義は一転して人の精神情意とその威焔光彩の義となる。萎頓困敝のイキツクほ気尽(イキツ)クで、奮闘努力せんとするのイキゴムは気籠(イキゴ)ムである。人の気の盛んに騰(あが)るをイキルといひ、物の気の騰るをも (イキ)ルといふ。イキリ立ツはすなはち人の意気壮烈なるので、イキマクはすなはち人の気の風動火燃せんとするをいひ、イキザシは心の向ひ指す所を心ざしといふと同じく人の意気の向ふところあるをいふ。イキホヒは気暢(イキハヒ)もしくは気栄(イキハエ)の義、イカルは気上(イハアガ)ルの義であつて、古書の『挙痛論』に、怒るときはすなはち気上るとあるに吻合し、憂悒の義のイブセシは気噴狭(イブキセマ)シの意で、憂ふる者の気噴は暢達寛大なる能はざるの実に副ひ、これも『挙痛論』に、悲む時はすなはち心系急に、肺布き葉挙つて上焦通ぜずと説けるに応じてゐる。イキドホリは怒りて発する能はず気の屯塞して徘徊(モトホ)りて己まざるイキモトホリの約ででもあらう。厳(イカ)シ・厳ツシ・厳メシ・啀(イガ)ムの類の語も深く本づくところを考ふれは、皆気息に関してゐるかも知れぬ。これらの語は気のイキの義なることを表はすと同時に、気息に係けて人身状態を表はしてゐるので、実に気息は人の心裡や身状と離れぬ関係があるからである。気有るはすなはち生(キ)あるので、気を失へばすなはち死すといふことは韓嬰の伝を待たずしておのづから明らかなことである。で、人の心身にかかる或意味を表はすことにおいて、漢字の気の字も邦語のイキといふ語も気息の義より一転再転三転して、甚だ包含量の多い字となり語となるに至つてゐる。色酒財気と連ねて言ふときは、気一字でも気息の義ではなく、威張つたり怒つたりすることの方になつてゐる。イキノ荒イといふときは気息の荒いといふよりは威焔の烈しいといふことになつてゐる。酔うて兇暴になるを古い語にサカガリといふのも酒気騰(サカイキアガリ)の約である。オキナガの術は道家から出たものか日本古伝であるかは明かでないが、オキは気息(イキ)で、イ・オ内遷の例にも挙げられようけれど、いはゆるオキナガは単に気息長(イキナガ)とのみしては面白みは幾分かは失ふ。またイのウに変る語例では、魚(ウオ)は古言イヲである。茨はイパラ・ウパラ二様に訓むしまたムバラとも訓み、『万葉集』巻二十東歌、「道のべの宇万良(ウマラ)の末(うれ)にはほ豆のからまる君を離(はか)れか行かむ」とウマラとも訓んでゐる。魚の名のウグヒはイグヒでもある。美( ウツク)
シはイツクシともなり、周章の義のウススクはイススクでもあり、缺唇(イクチ)は兎口(ウクチ)の義、抱(イダ)クはウダクである。 一
ウがイと内遷し易いのは今述べた通りであるが、動(うご)クはイゴクともオゴクともなるのでイ・ウ・オ相遷るごとく、ウとオとも遷り易いのである。
* この辺にしておこう、文庫の二頁分ほど書き出したが、この調子で言語篇三百六十余頁もある。露伴先生に敬礼。
* 歯科へ。帰り、江古田のブックオフで、『陶淵明詩集』二巻、ショーペンハウエル『自殺について など』、ジャン・ジャック・ルソーの『夢想』を買い、その足で近くの中華料理の店に舞い込み、マオタイで、八宝菜を食べてきた。大好きなマオタイ酒が有ってよかったが、八宝菜の味わいはさほどでなかった。保谷駅で食パンなど買って帰った。黒いマゴに輸液のあとはいろんな校正に精を出した。校正漬けの毎日です。気も急くし、慌ててもいけないし。
2014 2・10 148
* 秦恒平 後拾遺和歌集秀歌撰 夏
(とくに六首には、作者名を付す。)
白浪の音せでたつとみえつるはうの花さける垣根なりけり
きゝつともきかずともなく郭公心まどはすさよの一こゑ 伊勢大輔
またぬ夜もまつ夜もきゝつ子規花たちばなの匂ふあたりは 大貳三位
ねてのみや人はまつらん子規物思ふやどはきかぬ夜ぞなき
御田屋守けふはさ月に成にけりいそげや早苗おひもこそすれ 曾禰好忠
徒然と音たえせぬは五月雨の軒のあやめの雫なりけり 橘俊綱朝臣
さみだれの空なつかしく匂ふかな花たちばなに風や吹クらん
おともせで思ひにもゆる螢こそ鳴ク虫よりも哀なりけれ 源重之
澤水に空なるほしのうつるかとみゆるは夜はのほたる也けれ
夏の夜もすゞしかりけり月影は庭しろたへの霜とみえつゝ 民部卿長家
きてみよと妹が家路につげやらんわれ獨ぬるとこ夏のはな
夏山のならのはそよぐ夕暮はことしも秋の心ちこそすれ
* 詞書にまれには捨てがたい物もあるが、拘泥しない。あくまで、歌一首としてうったえるものだけを撰している。無案内な作者の名すら、今日われわれの鑑賞には詞書以上に無くて可なのであるが、おのづと記憶されていいとも謂える。
和歌という材料は無限なほど豊富であり、さりとて皆がみな趣味にかなうとも謂えない。撰するといういわば知的でも美的でもある営みを和歌は惜しみなく誘い出してくれる。千載でも拾遺・後拾遺でも今はただ撰んでいるが、もっと主題めく好奇の思いにも応えてくれる。そんな趣味趣向もみうちに動いているのだが、相手の数があまりに夥しく多くて、簡単には手が出せない。しかし、やってみたいと願っている。撰歌は、じつにこころよい喜びを惜しみなく呉れる。どんな雑踏の中でも、懐から佳い和歌集をもちだすだけで、たちまち別世界に入れる。逃避ではないのである。
2014 2・11 148
* 詩作の個々にとりつくまえに、訳注者である松枝茂夫さん和田武司さんの「陶淵明」案内をそれは興味深く面白く読んだ。これまでは幸田露伴校閲、漆山又四郎訳注の旧本だけを愛読してきた。陶淵明と言えばたしかに「帰去来辞」や「悠然見南山」が根であった。文字どおりの先入見に素直だった。詩人の伝にも実像にも関連した知識をほとんど持っていなかった、むしろ必要無かろうとすら思っていた。買ってきた新しい二巻本の『陶淵明全集』はパッチリと必備の視野をまず開いてくれた。感謝にたえない。
「素より貴を簡(えら)び、上官に私事せず」とある。「仕」と「隠」との間を揺れ動いたとある。躬耕の日々に世変への視野を喪っていたわけでなかった。無類に酒を好んだが酒を詩っていたわけでなく、述懐の詩世界は深く、かつ狭くはなかった。淡泊でもありしかも放埒なまで濃厚ですらあった。
中国の詩人といえば、籤とらずに真っ先にわたしは陶淵明(ないし陶潜)であり、李杜を尊重し白居易に親しんだことも、陶淵明と次元を一にならべて謂いも思いもしたのではなかった。
陶淵明の作は必ずしも量的に多くなく、確認される限りはこの文庫本全集上下巻で網羅されていると。座右一二の書となるであろうと心より喜んでいる。
* 「自殺」には少年の頃から関心があった。読み物では武士の切腹があたりまえのように頻出した。同級で自殺した友人もいた。身近にも自殺した人は何人かいた。江藤淳がなくなり半年後にはわたしの実兄が同様に自殺した。『死から死へ』と題して本にもした。
文学では、ウェルテルの自殺に、また『こころ』のKや先生の自殺に衝撃を受けた。ロミオとジュリエットのそれには埋葬問題もかかわっていた。キリスト教が自殺を厳禁し、教会が自殺者に過酷なことは、そのまま常識のように憶えた。だが、なんで? とわたしは少年の頃も青年・成年のころも、老境に入ってからも不可解だった。それで、どんな時機であったか確かにわたしはショーペンハウエルの「自殺について」という文庫本を古本屋で買った記憶があり、しかも理由もなく読みそびれて忘れていた。一昨日、同じショーペンハウエルの岩波文庫をわたしは買ったのだ。自殺への関心もキリスト教の自殺者拒絶という常識」への不審も昔のママにわたしは抱き込んでいた。
そして読み始めた。
☆ 「自殺について」 ショーペンハウエル 斎藤信治さんの訳に拠って
私の知っている限り、自殺を犯罪と考えているのは、一神教の即ちユダヤ系の宗教の信者達だけである。ところが旧約聖書にも新約聖書にも、自殺に関する何らの禁令も、否それを決定的に非認するような何らの言葉さえも見出されえないのであるから、いよいよもってこれは奇怪である。そこで神学者達は自殺の非認せらるべきゆえんを彼ら自身の哲学的論議の上に基礎づけねばならぬことになるわけであるが、その論議たるや甚だもって怪しげなものなのであるから、彼らは議論に迫力の欠けているところは自殺に対する憎悪の表現を強めることによって、即ち自殺を罵倒することによって補おうと努力しているのである。だからして我々は、自殺にまさる卑怯な行為はないとか、自殺は精神錯乱の状態においてのみ可能であるとか、いうような愚にもつかないことをきかされることになる。そうかと思うと、自殺は「不正 ウンレヒト」である、などという全くのナンセンスな文句まできかされる。一体誰にしても自分自身の身体と生命に関してほど争う余地のない権利(レヒト)をもっているものはこの世にほかに何もないということは明白ではないか。いま言ったように、自殺は犯罪の一種にさえ数えられている。だからして、殊にも賤民的な頑信の英国においては、自殺者の埋葬は恥ずかしめられその遺産は没収されることになっている、--そこで陪審裁判所は殆ど大抵の場合精神錯乱の判決をくだすのである。自殺が果して犯罪であるかどうか、この点に関しては何よりもまず倫理的感情に訴えて判定をくだされたらいいと私は思う。試みに、知人が或る種の犯罪、たとえば殺人とか暴行とか詐欺とか窃盗とかの犯罪を犯したという報道に接した場合に我々のうける印象と、知人が自発的な死を遂げたという報道に接した場合のそれとを比較してみられるがいい。前の場合にはなまなましい憤激やこの上もない腹立たしさを覚え、処罰や復讐の念に駆られたりするのであるが、後の場合に呼び覚まされてくるものは哀愁と同情とである。そしておそらくはそれに、悪行にともなうところの倫理的非認というよりはむしろ、彼の行為に対する一種嘆賞の念がかえってしばしばいりまじることであろう。自発的にこの世から去っていったような知人や友人や親戚をもっていない人がいるだろうか、--そしてこれらの人達を一体誰もが犯罪者に対するような憎悪の念をもって回想しているとでもいうのであろうか。否、断じて否! むしろ私は、僧侶どもが一体如何なる権能によって、--何らの聖書の典拠も提示しうることなく、否、何らか確かな哲学的論拠すらもちあわしていることなしに--教壇や著作を通じて、我々の敬愛する多くの人達がなした行為に対して犯罪の刻印をおしたり、また自発的にこの世を去っていく人達に対して名誉ある埋葬を拒んだりするのであるか、この点に関して何としても僧侶どもに弁明を要求すべきである、という意見を有している。但しこの場合はっきり断わっておきたいことは、我々の要求しているのは論拠なのであって、その代りに空虚なたわごとや罵倒の言葉を頂戴することは御免蒙りたいということだ。--さて刑法は罰則によって自殺を禁じているのであるが、これは教会で通用しているのとは違った理由によるものである。それにまたこれは徹頭徹尾滑稽である。一体死をのぞんでいる者を、脅かして思いとどまらせるに足るような刑罰などありうるであろうか。--もしもひとびとが自殺未遂を罰するとしたら、彼らは自殺者が自殺に失敗したその不手際を罰しているのだということになろう。
* 〔異文〕 むしろ私は、僧侶どもは一体如何なる理由によって(そのような場合)我々の友人や親戚に犯罪者の刻印をおし、この人達に名誉ある埋葬を拒むのであるか、その根拠を提示するように何としても僧侶どもに要求すべきだ、という意見を有している。聖書には典拠は見出されえない。哲学的な根拠もたしかではない、それにまたこれは教会には通用しない。してみると一体、何によるのか。何によるのか。何によるのか。返事をし給え! 死は我々には余りにも必要な最後の避難所なのであって、これは坊主どものただの命令などで我々からとり去らるべきものなのではないのだ。
* この優れた哲学者のこの冒頭の表明に賛同ないし共感する人はかなり数多いのでは無かろうか。
ヒルテイの『眠られぬ夜のために』上下巻で、まだわたしは彼の「自殺」に触れた思いを聴いていない。聴きたいと思っている。
* もう一冊買ってきたルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、あの長大な『告白』に感じ続けたと同様な、ないしもっと露骨な不快感を持つかも知れない。ルソーがフランス革命前夜に果たしていた歴史的な意義を割り引く気はないが、どうもルソーという男は、気色が悪い。
2012 2・12 148
* 猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治伝』にはもう一人の「ピカレスク 悪人」が書かれている。第三章「山椒魚の受難」でもっぱら取り上げられ登場する井伏鱒二で、太宰が情死直前に、終生の尊敬する先輩であり師でもあった人を名指しで「井伏さんは悪人です」と書き遺したセンセーションを根から掘り起こしているのだ、猪瀬の探索と追究はナミでない。
いま太宰治とともに、都知事職を棒に振った猪瀬直樹にも関心のある人は、さしあたりこの『ビカレスク』を読んで、著者の探索と追究との興味深さに、その方面の彼の強い才能に触れられるといい。このまま埋もれさせるには惜しい才能なのである、ただし文学の香気を高望みはできない、その点では最近戴いて熱心に愛読したゆりはじめさんの『太宰治 その生と死』の方が文学としても批評としても出来ている。
なににしても、だが、太宰治も井伏鱒二も、名を冠した文学賞とその選者の一人としてわたしを文壇に誘い入れた二人であり、かりにも井伏先生の「悪人」呼ばわりは茂樹が過ぎるのだが、しかも猪瀬直樹の追究はダテではない。なにしろ面白い。故人の二人はともあれ完結している。未完の才能をわたしは惜しみつつ猪瀬君の著書をいままた楽しんでいる。
2014 2・14 148
☆ 停雲 一 陶淵明
松枝・竹田氏の訳によって
靄靄停雲、
濛濛時雨
八表同昏
平路伊阻
静寄東軒
春醪獨撫
良朋悠
掻首延佇
(一) もやもやと立ちこめる雲、もうもうと煙る春雨。
八方いずこも暗く、平らな道も往き来できない。
静かに東の窓の下に身をよせて、
春に熟したどぶろくをひとりわびしく飲んでいる。
親友のいる所ははるかに遠い。
わたしはいらいらして頭をかきかき、じっと立ちつくしている。
* 良朋悠 。まことや。
2014 2・16 148
☆ 『凱旋門』のラヴィック医師が云うている、
「どうすることもできないからといって、気が狂ったりしてはならぬ」と。戯談めいて聴く人もあろうが、決然として本気の信念になっている。そうなる根底が在った。すこし長くなるがわたしは改めてそれに耳を傾けたい。
われわれは「死ぬ」存在であるまえに「死なれる」存在であり「死なせる」存在である。しかも自身が死ぬまでは「生き」ねばならぬ存在である。もしわたし自身が自身の文学に「主題」を謂うなら、まさしくこれ此のことに永く関わってきたし、いい読者はみな知ってくれている。いましも『選集』第一巻の巻頭におこうと読み返している『みごもりの湖』は、じつに此の主題にこそ取り組んでいた。書いた頃のわたしはまだ若かった。
ラヴィック医師の若き日の不運に酷い戦場体験の回想には、とほうもない年輪が加わり、むろんわたしの作とはあらゆる意味で条件も環境も人も異なっている、だからこそまたわたしは、此所にも強く感じ立ち止まって、読み返すのだ。
☆ レマルク『凱旋門』 ラヴィック医師の回想 山西英一さんの訳によって
それは、一九一六年の八月、イープルの近くだった。中隊は、その前日、前線からかえってきたのだ。それは彼らが戦場におくりだされてからはじめて配属された、平穏な塹壕だった。何も起らなかった。そしていま彼らは、温い八月の太陽の光を浴びながら、小さな焚火のまわりに寝ころがって、畠で見つけてきたじゃが薯を焼いていた。それが、一分後にはあとかたもなくなった。突如、砲撃が開始された--砲弾が焚火の真中に落下した--我にかえって見ると、自分は無事で、擦り傷一つ負わなかったが、戦友がふたり死んでいた--そして、向うには友だちのメッスマン--よちよち歩きはじめたころから知っており、いっしょに遊び、つれだって学校へ行き、切っても切れぬ友だちとなっていたメッスマンが、腹を引き裂かれて倒れていた。腸が出かかっていた--。
彼らは彼をテントの布でつくった担架にのせ、一ばん近道の、小麦畠の斜面をのぼって、野戦病院へ運んで行った。四隅をひとりずつもって、四人で運んだ。メッスマンは茶色のテント布の担架によこたわっていた。両手で白い、脂切った、血だらけの腸をおさえ、口を開け、眼は据って何も見えずに--。
二時間後、死んだ。その中の一時間は、喚きつづけた。
彼は、自分たちがもどってきたときの様子を思いだした。ぐったりと力もぬけ、気も顛倒しながら、兵舎の中に坐っていた。あんな光景を見たのは、生れてはじめてだった。そこへ、国では靴屋をしていた分隊長のカチンスキーがやってきた。「いっしょにこいよ」と、カテンスキーは言った。「今日はバイエルン酒保にビールとブランデーがある。ソーセージだってあるぞ。」ラヴィックは、彼をまじまじと見つめた。そんな粗野な無神経を理解することができなかった。カチンスキーは、しばらくの間彼を見まもっていた。それから、こう言った。「貴様、おれといっしょに来るんだぞ。ぶんなぐってでも連れていく。今日は貴様、食って、飲んで、それから淫売屋へ押しかけるんだ。」彼は返事をしなかった。カチンスキーは彼のわきにすわりこんだ。「貴様の気持はわかってるよ。いま貴様がおれを何と思っているかもわかっている。だがな、おれはここへきて二年になるが、貴様は二週間にしかならない。まあ、聴け! いったいメッスマンのためにまだ何かやってやることができるというのか?--できゃしないんだ--あいつの生命を救ってやる見こみがちょっとでもあったら、おれたちはどんなことだってやってのけるってことは、貴様わかってるだろうが?」彼は顔をあげた。そうだ。それはわかっている。カチンスキーならそうするということはわかっている。「よろしい、と。ところで、あいつは死んじまったんだ。もうどうにもなりゃしない。ところが、二日すると、おれたちゃここを発って、戦線に向わなくちゃならん。こんどの戦線は、あんな平穏なものじゃないぞ。いまここで坐りこんで、メッスマンのことばかり考えこんでいたら、すっかり気が腐ってしまうだけだ。神経が壊れてしまう。神経過敏になってしまう。おかげで、前線へ出かけて、こんど砲撃をくらったとき、敏捷に動けなくなる。ほんの半秒おくれる。すると、ちょうどメッスマソを運んで来たように、こんどは貴様を運んで来なくちょならん。いったいそれがだれのためになるっていうんだ? メッスマンのか? なりゃしない。ほかのだれかのためになるのか? なりゃしない。貴様が薙ぎ仆されるだけだ。それだけの話だ。こんどはわかったか?」--「わかった。だが、僕にはできない。」--「黙れ、できないも糞もあるか! ほかのものはできたんだ。何も貴様がはじめてじゃない。」
その晩から、よくなった。彼はいっしょに出かけて、最初の教訓を学んだ。できるときにはやってやれ--そのときゃ、何でもしてやれ--だが、どうすることもできなくなったら、忘れちまえ! そうして、廻れ右するんだ! 元気をだすんだ、同情なんてものは、平穏無事な時代のものだ。命がどうなるかという瀬戸際のものじゃない、死んだものは埋めちまって、生を満喫しろ! 生はまだきっと必要になる。死を悲しむのと事実とは、別のことだ。事実を見、それをうけいれたからって、死を悲しむ情が足りないわけじゃない。そうでもしなかったら、生きのびることなんかできゃしない。
* 「どうすることもできないからといって、気が狂ったりしてはならぬ」 むごい、哀しい、堪えられぬ「死」の事実に生きている者は出会わざるをえない。生きているとは「死なれ・死なせる」ことなのだ。その厳粛ないわば罪責を、罪障を言を左右してなんとか免れようとアモラルな愚行にはしる者たちも確かに実在するが、堪えて、起ち、生きて悼み謹み自身を励ますことの出来る人がいる、そうあらねばならぬ。原則はそうだ。
しかし、自殺という行為の選択へはしる人もいる。いた。それはまた別問題として受け取るしかない。
「どうすることもできないからといって、気が狂ったりしてはならぬ」
これは、重い確かな「覚悟」というものである。気が狂うとは、ただもうオロオロ、ただもうメソメソ、ただもうガチガチ、ただもうナゲダシと謂うに近いか。たいていはそこへ逃げ込むのだろう。わたし。わたしだって若き日のラヴィックとそう違うまい。
2014 2・18 148
* 「生きている」のと「生きる」とは、露伴翁にあらためて問うまでなく、「生きている」とは「息をしている」から「生きている」のであり、性別、年齢、意志や賢愚の差なくみな同じ、いわば生物が息をして生きている、それだけのこと。しかも覚者、至人、仏陀は、むしろこのように生きている。
ところで、「生きる」は「生きている」と、はっきり、ちがう。まさに「イキル」「イキリ立つ」すなわち活躍し、興奮し断乎として意志を以いて立ち向かい踏み出すのである。ただ静かに、ただ深く、またはただ無意味に「息をしている」だけでなく、息づかいが励んでいる。仕事や行為に活気がある、ただし覚者、至人、仏陀の呼吸ではない。
静かにただ座し「息をしている」だけで不足のない日々が願わしい、しかし、すくなくも今のわたしにはとてもムリ。
あなたは。
* グレアム・グリーンの『愛の終り』 レマルクの『凱旋門』 は小説として占めている場にすこぶる懸隔があるが、「愛」の表現に得も云いがたい魅力があり、ついつい毎夜手を出して読み継がずにおれない。
たいてい、チャーミングな小説の主題は「愛と死」とキマリがついているようだが、わたしは早くからその今一つ奥にこもった「身内」感覚、必然の「一体・一致」の共有こそが、性別と年齢とをとわず、人間至高の憧憬であり願望であると観てきた。それはもう恋や愛を超えていると観てきた。性愛が添ってくれば一体・一致の喜びはさらに深まるだろう。『愛の終り』のベンドリックスは知っている、「その瞬間が来たとき あの不思議な寂しい、怒ったような、身も世も抛げ棄てた叫び声」を。声は、抱かれたサラアだけの声でない、抱き締められたベンドリックス自身の声でもあると。「一つ」という「身内」の実感。それは日常の時空にあって性行為と無縁な同性の知己や師友やまた血縁に対しても決して不可能でない。
とはいえ、性の神秘にはおそろしいほどの真実がやどる。ことにすばらしい女のすばらしい自己放棄には。「サラアーは疑いを持たなかった。その瞬間だけが問題であった。永遠とは時間の延長ではなくして、時間の欠如であるといわれるが、わたし(ベンドリックス)に彼女の自己放棄はあの不思議な数学上の点、広さを持たず、空間を占めない点のもつ無限性に触れているように思われることもある。時間にいったい何の意味があろう--」
これは男が女に捧げ得た最高の感嘆ともいえるが、男と女とで性の神秘に捧げ得た最高の感謝であるというのが正しくはないか。
* 『凱旋門』の医師ラヴィックはジョアン・マヅーを愛し始めている。「女は、愛はなくとも、魅力と誘惑そのものである。男の性欲が先行しているようでも、女の魅力と誘惑とは彼の意識を置き換えて行く。この「女は何をやるにも、それにすっかり打ちこんでしまう。これはこの女の非常な魅力でもあるが、危険でもある。 こういう女は、酒を飲むときには酒が一切、恋するときには恋が一切、絶望するときには絶望が一切、そして忘れるときには完全に忘れてしまう。」
そしてラヴィックはマヅーへの愛をこんな言葉に置き換える、「僕は何にも知ってやしない。ただ口で言うだけだ。人間て、何一つ知らないものだよ。あらゆるものは、いつでも違うんだ。 いまだってそうだ。二日目の晩というものは、けっしてありゃしない。いつだって最初の夜だ。二日目の晩というのは最後のことだよ」と。彼も彼女もパリの陋巷に身をひそめあいながら帰るに足る故国や故人を喪いきっている。
* 日本の近代・現代の藝術味ゆたかな作の中で、上のような愛のきびしさや美しさや懐かしさを欠いて感動させてくれたどれほどがあったろう。日本の作者達は観念を咀嚼して魂の栄養に変える言葉の魔法に乏しい。信仰や戦争や故国喪失の地獄を深くは持ち得なかったのでは。漱石にも藤村にも潤一郎にも真に恋愛小説といえる名作は無い。作り物の恋は描かれ得ても。清張にもない。直哉にも武者小路にも川端にも三島にもない。むしろ荷風の『 東綺譚』などが純であるか。
2014 2・23 148
* 第一巻のためには責了すべき『秘色』『三輪山』を最後に丁寧に読まねばならぬ。この巻は『みごもりの湖』を巻頭にも大和・奈良時代の物語が纏まり、第二巻には平家物語の時代が濃やかに語られる。わたしの作は、どんな歴史や物語に触れていようとみな現代の愛の物語になっている。
わたしは、楽しんでいる。谷崎が、年を取ったら自作をしみじみ読み返して過ごしたいとも言うていたのをよく憶えている。谷崎は、亡くなるときまで創作し執筆していた。わたしも、ぜひ、そうしたい。そうしている。
2014 2・23 148
☆ 人生は寄のごとく、 (しょうすい)すること時あり。
静かにここに孔(はなは)だ念い、中心 悵而たり。
人の一生も、旅の一夜のように束の間にすぎ、やつれはてるときがくるのだ。
心を静めてそのことを思いつづけると、悲しみに胸ふさがれるのである。 (陶淵明 榮木一後半)
* 「静かにここに孔(はなは)だ念い、中心 悵而たり」というほどの何も実感無く、ただ疲労している。
この陶淵明一連の四言詩には「榮木」と題されわたしもとても好きな「木槿」のこと。「(以下の=)榮木(=の詩)は、将に老いんとするを念ふなり。日月推し遷り、已に復た九夏(=夏九十日)。総角(あげまき=十二三歳の髪形)にして道を聞くも、白首にして成る無し」と序がある。いまはまだ寒い底で木槿咲く夏でなし、そもそも「道を聞く」ような殊勝な子ではなかった。老いてかくべつ学成らなかったのを悔いる実感はない。ただ疲労にはつい負けている。
2014 2・24 148
* 軽薄な人は動揺しやすい、つまり心が静かでなく簡単に気が変わる。
* いま、『陶淵明全集』が最も身近にあり、つい機械の前から手が出る。四言詩の魅力は陶淵明に尽きて他に例を見ない。
「貞脆由人 禍福無門」
まことその通り、思わず省みて嘆く。
☆ 榮木 三
嗟予小子 嗟(ああ) 予(わ)れ小子、
稟茲固陋 茲(こ)の固陋を稟(う)く。
徂年既流 徂(ゆ)ける年 既に流れ、
業不増舊 業は舊に増さず。
志彼不舎 (少年には=)彼(か)の「舎(や)めざる」ことに志し、
安此日富 (( いま老境=)此の「日(ひび)に富む」ものに安んず。
我之懐矣 我れ之れ懐(おも)ふ、
怛焉内疚 怛焉(だつえん)として内に疚(やま)し。
小子 つまらぬヤツ 固陋 頑固もの 不舎 功はやめざるにありと説いた荀子により、普段の努力を謂う 日富 詩経によって自制心のない酒を謂う 懐 自省し 怛焉 傷つき痛む
* 嗟(ああ) 予(わ)れ小子。
2014 2・25 148
* 夜中すこし寝そびれていた。六時半から灯をいれ、本を何冊か読んでから、起きた。いまわたしの読書は幸せに満ちている。『凱旋門』『愛の終り』『ペスト』『ブラックサンデー』そして『ギリシア・ローマ神話』を読み、『八犬伝』も。ちり紙のような小説も世にはびこっている中で、大作ではないが選り抜きの小説、胸に迫って花の香をたたえた作品に心満たされる嬉しさは類い無い。
そして機械の前に来ると陶淵明が待ってくれている。
☆ 陶淵明 に答ふ 四言詩
衡門の下 琴(きん)有り 書有り。
載(すなは)ち弾(たん)じ 載ち詠じ 爰(ここ)に我が娯しみを得たり。
豈(あ)に他の好(よ)きもの無からんや 是の幽居を楽しむ。
朝には園に潅(そそ)ぐことを為し、夕には蓬廬に偃(ふ)す。
衡門 横木一本の粗略な門 蓬廬 雑草の茂る陋屋 偃 ねむる
人の宝とする所 尚ほ或ひは未だ珍(ちん)とせず。
同好有らずんば 云胡(いかん)ぞ以て親しまん。
我れ良友を求めて 実(まこと)に懐(おも)ふ人に覯(あ)へたり。
懽心 孔(はなは)だ洽(かな)ひ 棟宇 惟(こ)れ隣(となり)す。
覯 偶然の出逢い 懽心 嬉しさ 棟宇 軒をつらね
伊(こ)れ余(わ)が懐(おも)ふ人 徳を欣ぶこと孜々(しし)たり。
我れに旨酒有れば 汝と之れを楽しむ。
乃(すなは)ち好言を陳べ 乃ち新詩を著(あらは)す。
一日(いちじつ) 見(あ)はざれば 如何(いかん)ぞ思はざらん。
孜々 日々に励んで怠らない。
嘉遊 未だあかざるに 誓々(ゆくゆく)まさに離分せんとす。
爾(なんぢ)を路に送り 觴(さかづき)を銜(ふく)みて欣ぶこと無し。
依依たる旧楚 (ばくばく)たる西雲。
之の子(ひと) 遠きに之(ゆ)く 良話 曷(なん)ぞ聞かん。
(一節を割愛する)
惨惨たる寒日 粛粛たる其の風。
翩(へん)たる彼(か)の方舟 江中に容裔(ようえい)す。
晟(つと)めよや 征人 始に在りて終りを思ひ、
茲(こ)の良辰を敬(つつし)みて 以て爾(なんぢ)の躬(み)を保んぜよ。
* 屈指の名作と思う。
* 読んできた小説についても書きたかったが、もう眼が霞んできた。
2014 2・26 148
* 「不幸のない幸福とはどんなものか。それを想」うと、ふと思った。『凱旋門』のラヴィックは云う、「幸福 いったいそれはどこではじまって、どこでおわるのかね?」と。「愛というのはね、いっしょに年をとりたいと思うひとのことだよ」とも。
ジョアン・マヅーは答えている、「愛は、そのひとがいなかったら、生きておれないひとのことよ。それならわかるわ」と。
すこし前でラヴィックは云うている、「何かしたいと思ったら、結果なんか聞いちゃいけない。そんなこと考えたら、何もできゃしないよ」と。マヅーは彼を見て応えている、「こまかいことでは聞くのがいいのよ。大きなことではけっして聞いてはいけないけど」と。
さらにその前の方でラヴッイックは云うていた、親しい友でもあり、絶望的な彼の患者であるケート・ヘグシュトレームにむかい、「世界は一生懸命になって、自殺の準備をしているよ。そうしながら、一方では自分でそれをごまかしてるんだ」「みんな戦争がおこると思っているよ。まだわかっていないのは、何時おこるかということだ」と。「いつかそんなことがおころかもしれないなんて、いかにもありえないように思える。みんながそんなことはありえないと考えていて、自分たちを護る手だてを講じないからだ」と。ケートのつぶやくような言葉は、こうだ、「昔風に正式に結婚して、子供を持って、静かに神さまをたたえ、生活を愛していきたいわ」と。
* これら彼や彼女たちのことばの背後には時代と悪しき権力政治の暴風が荒れていること、そして、わたしらの今の日本と日本人にとって無縁な批評だとはとてもとても思われないことに肌の冷えるのを思う。
なにもかも冷えてはいけないのだ、優しく温(ぬく)くなくては危険なのだ。ラヴィックは、さらに少し前で呟いている、「妙なものだ、人間の体に関係のあるものが、温味がぬけると、まるで死んだようになってしまう ぞっとするほど厭なものになる」と。着の身着のままで逃亡を強いられた消しがたく冷え切った記憶のママ彼はいまも生きることに努めねばならない。「人間は独立していなくちゃならん。何でも、もとはほんのちょっと安易に頼んでしまうことからはじまるんだ。はじめはそれに気がつかない。気がついてみると、もう惰性という綱にがんじがらみにからまってしまっているのだ。惰性--どんなことにも馴れてしまっちゃ危ない。」彼はあたりを見まわす。安くて曖昧な宿の「部屋、スーツケースが二つ三つ、若干の持物、散々読み古した本が四五冊--人間なんて、生きるのにわずかの物しかいらない。生活が危なくて安心できないときには、たくさんの持物に慣れない方がいい。そんなものはしょっちゅう棄ててしまわねばならなかったり、奪られてしまったりする。いざとなったら、いつでもすぐ飛びだせる用意をしていなくちゃならん。身を縛られるようなものは持っていてはならん。心を掻き立てたりするようなものは、絶対にもってはならん。」
ラヴィックのような人にも、ふと温いもののように肌をかこってくれるのは、やはり「愛」なのだ。
* わたしはこの小説を過去の遠い異国の物とは読んでいない、読めない。そうなのだ彼にも彼女らにも安全や安定を保証するどんな「抱き柱」も無いのだ。「抱き柱」に抱きついたような「自由」「幸福」などはじつは幻影なのだ。
2014 2・26 148
* 少し前に手に入れて上巻を読み続けているのが、銭鍾書、字は黙存、号を槐聚の作になる『囲城=結婚狂詩曲』。原題は「結婚」を意味しているが分かりにくいので邦訳(荒井健・中島長文・中島みどり)はラプソディに改められている。一九四六年(日本の敗戦翌年昭和二十一年)中国で刊行され、ながく禁書同然、むしろ国外で翻訳されていた。作者は昭和十年生まれのわたしより四半世紀分の年長、ということは、日中のさまざまな戦変期に成人した西欧への留学インテリであり、今日の中共中国建国の前年に此の作は世に出ていたのである。さまざまな意味で古き(良き?)文化中国には遅れ、共産党支配中国には先立つという、繪に描いたほどの過渡期中国での、よくも悪しくも軽薄に西洋かぶれのした若い男女の社交や恋や結婚がいっそコミカルに語られている。ウヘェ、これって中国人イメージそのままやと思ってしまう。我々日本人がかなり長期に亘りバカにしていた近現代支那人のしつこいほどの印象が裏打ちされている、かと読めてしまう。
やや以前に愛読した沈復の『浮生六記』には、古き佳き敬愛にあたいする中華民国以前の中国の人と心と美意識や生活感が溢れていたが、『囲城』にはそれが無い。しかもわたしが中共政府に招かれて四人組追放直後、またその十数年後に訪れたときの中国人の印象とはかなり近似している。なんともオモロイ作である。そのオモシロサは作者銭氏のきわめて意図的に巧妙に創出されたもののようにわたしには思われる。漱石の「猫」に比して謂う評家もあるのは幾らか頷ける。
* 「囲城」とはフランスの諺、包囲された城砦を以て、つまり未婚の人が入りたがり既婚の人が出たがる即ち「結婚」を風諭しているらしい。まだ全編を読み切らないが、読み終えれば存外にものを思わせるかも知れない。なににしても、この作は『結婚狂詩曲』にほかならず、『凱旋門』『愛の終り』『ペスト』『ブラックサンデー』などとは全然毛色のちがう小説で、「中国人」案内を介して東洋思想のおかしみにもかなしみにも触れうる可能性を持っている。こんなものも岩波文庫はだしてくれている。
2014 2・27 148
* 『囲城』がようやく佳境へ。琴線がこころよくふるえ鳴るのでなく、知性を装ったおもしろい議論や言説が、埃のように舞い上がってくる。フンフンと面白い。西洋料理と中国料理の差異を、一語、前者は「調 あじつけ」後者は「烹 ひとおし(火通し)」で云い分けているなど、調理・割烹に縁のないわたしにも、はあとかへえとか思わせる機微に触れていそう。西洋料理に鶏やあひるの「砂胆なんてあったためしがない」というのも、そんなものかと思い当たる。「烹」の利かない「向こう(西洋)の汁物は特に味が物足らん。鶏を煮て、一度煮立ったら、汁を捨てちまって、肉だけ食うなんて、ほんとお笑い草」と嘲笑っている意味はわたしにも分かる。
「それでもまだ丸損じゃないさ。お茶の葉が初めて外国(西洋)へ出されたころ、連中はいつもお茶一ポンドまるまる水を張った鍋に入れて、沸騰したらお湯を捨て、塩胡椒して、お茶の葉だけ食ったんだ」には、わたしだってグツグツわらったが、一方で「コーヒー」を一缶もらった中国のえらい先生は「かぎタバコ」と思いせっせと吸い込んで鼻の穴をムチャクチャにしたというのも、ま、お互い猿の尻笑いめくが、はっきり見えるのは、西洋との対等ないし優越感であり、西洋に学びだした頃の日本人は、よほど頭も腰も低めていた。
* も一つ、(わたしも始終云うてきたが、)自称「哲学者」に、「哲学(: 研究)学(者)」と「哲学(者)」とのちがいが分かってない自称哲学者の多いことが厳しく追及されてある。哲学していると云いながら、ふつう、「一人一人の哲学者を単位にして、その人達の著作を読んでいる。」それではまるで哲学者研究、せいぜい哲学史研究で、哲学の研究でも哲学しているのでもない。「目いっぱいのところで、哲学の教授になれるばかり、哲学者にはなれません。 いま哲学者と称する人間は多いが、ほんとに哲学しているのでなく、哲学関係の人物やら文献やらをけんきゅうしてるだけ。厳密にはそんな人を哲学者と呼ぶべきでなく、哲学者学者・哲学学者と呼ぶべし」と。
これはまあ、洋の東西をとわず当たっている。
2014 2・28 148
* 校正また校正 そして小説をじりりじりりと進める。
めずらしく原稿依頼をうけた。「気になることば」について八枚ほど書けと。依頼原稿は書かないと断り続けてきた。ひさしぶりに紛れ込んできた。
正直なところ、書きたいことしか書かないで来た。「箚記(とうき・さっき)」という筆述のすきなところは「私語」の「雑纂」がそのまま感想や批評や着想の保管になり、そのままバラバラと読み継いでも、窓外の景色が移り変わるほどの気楽な楽しさがある。原稿料を稼ぐという気が失せている限り、機嫌や枚数を限られた依頼原稿は、もうイヤほど書いて書いて、現にその保管や保存に往生している。
佳い書き手の愉快な面白い教えられる「箚記(とうき・さっき)」が読みたい。少年の頃愛読した長与善郎の「竹澤先生といふ人」など、あれも「箚記」だったろうか。倉田百三の「愛と認識の出発」は少し堅苦しかった。阿部能成だったかの「三太郎の日記」も堅苦しかった。日本語がギクシャクしていた。同じなら正岡子規の「墨汁一滴」「病牀六尺」の方が興趣に富んでいた。荷風の「日乗」はあれはやはり日記の限界内にある。
2014 3・1 149
* 山本健吉さんの選ばれた詞華集は例外なくすばらしい。いまは小学館の「日本の古典」別館1を気が向くと手にしているが、手堅い撰の佳さにため息をついてしまう。それでもその中にまたわたしの好きずきがある。当分は、もし気がついたら「花と風」の歌を拾っておこう。
窓のうちにときどき花のかをり来て
庭の梢に風すさむなり 藤原良経
風かよふ寝ざめの袖の花の香に
かをる枕のはるの夜の夢 藤原俊成女
櫻花散りぬる風の余波(なごり)には
水なき空に波ぞ立ちける 紀貫之
春風の花を散らすと見る夢は
覚めても胸のさわぐなりけり 西行
みよし野の高嶺のさくら散りにけり
嵐もしろき春のあけぼの 後鳥羽院
2014 3・3 149
* 放射能は見えず嗅げず触れない。しかも許容値を超えたときの怖ろしさ、猛毒のように生体を蝕んで殺す。福島原発はその放射能をいまなお常時に空気に、植生や土壌や用水に、地下水や海水に注ぎ込んでいる。見えず嗅げず触れないので、無いもののように思いこみまた思いこませる悪宣伝が、かつての安全神話同然にまたもや瀰漫しつつある。東電がいかに悪辣にこれを隠蔽しまた偽悪を捏造し続けてきたか、現にそうしているか、それを政権が容認しむしろ後援さえしている悪しき現実に、ハッキリ目覚めていなければ、シッカリ闘わなければ、ならない。福島原発近隣に限定されたことのように思いこむことの怖さを、少なくも東京都民はわがこととして認識しているべきだ。空気も水も植生も鳥獣も人間も、放射能を運び続けている事実から眼を背けていては危険きわまりない。許容値は月日を追っていまにも閾値を超して行く。経済と利得優先の自民政権がくにと国民の命を日々脅かしている現実。これぞ国民の最大不幸なのだ。
* そう思いかつ歎きながら、もっとしみじみと、もっとふかぶかと、人と人との世の情けを想い慕わずにもおれない。こう年老いて、人の情けなど云うのはお笑いぐさかも知れないが、やっぱり、それこそが大切と日々の読書や感想がわたしを突き動かす。
* 『凱旋門』のラヴィック医師はジョアン・マヅーに云っている、「われわれはいっしょにいる--長つづきするかどうか、そんなことはだれにだってわかりゃしない。われわれはいっしょにいる、それで十分だ。それにレッテルなんかはる必要がどこにある?」と。安住の国も故郷も家族も失っている彼や彼女に、「いま・ここ」で「いっしょにいる・いられる」ことより他に何があろう。それでもひとは、そういう関係に「レッテル」をはって「特別」化したがる。
* ひとは弱く、弱いがためになおさら他者にむかい「理解」を求めて縋る。理解という名の「抱き柱」に抱きつく。ラヴィックの云うように「それこそ世界中の一切の誤解のもと」なのに。かれは思う、「現にいまも、どこかでは発砲され、ひとびとは狩りたてられ、投獄され、拷問され、虐殺されているのだろう。平和な世界のどこかの一隅は、蹂躙されているのだ。ひとはそれを目撃し、それを知っていながら、どうすることもできない。」どうかすることの義務でもある権力者が、情けなくも決して「どうすることも」しないのだ。百年昔のことではないのだ、われわれの現在・現実がまさに「そう」なのだ。
ああ、そんな「いま・ここ」であればこそ、きみが、あなたが、いま、「ここにいてくれるなんて」、それ以上に「すばらしい」何がありえよう。わたしは、政治や営利の無道を嘆くよりも今はこの「すばらしさ」をこそ思い続けたい。
2014 3・4 149
* 建日子の新刊河出文庫『ダーティ・ママ、ハリウッド行く!』を真夜中に読みながら、ふと気がついて日下三蔵氏の「解説」を読んだ。なるほど、刑事ものの読み物にもこういう「分類」や「係累」があるのかと教わった。建日子のこの作は、コメディタッチとしてあるが、わたしの感想では「軽口」の妙味で読ませているように思える。わたしなど逆さまになっても出てこない軽口をとても上手に使ってズンズン読ませる。「軽口」は易しい業でも軽薄な業でもなく、例えば、ムダ口を叩いてしまえば軽口の妙は殺される。そういう意味ではストイックな文藝であり、お調子に乗ってやればたちまち愚な只のお巫山戯に流れてしまう。建日子の軽口は、無駄なく決めて簡潔のリズム、わたしの云う文藝としての音楽をけっこうテキパキ奏でている。才能というものだろう、わたしには真似もできない。
* いま、ド迫力で、まよなかであれ読まされてしまうのはトマス・ハリスの『ブラック・サンデー』で、まだ半ばにも届かないが手に汗するテロル意志の凄み。つくり話とは読めない、今日只今なればこそ、まさに今しもこういう凶悪で国際的な復讐・怨念計画が進行していないと誰にも云えない。あのニューヨークの二つの高層ビルがテロ飛行機の体当たりで脆くも全壊した事件と映像の凄みを、忘れ切れていない。
* カミュの『ペスト』のなかで、ペスト蔓延と、都市封鎖のくらしのなかで、或る喘息病みの爺さんがこんなふうに述懐していた。
彼の曰く、「宗教の説くところによれば、独りの人間の前半生は上昇、後半生は下降であり、下降期においてはその人間の一日一日はもはや彼のものではなく、いつなんどき奪い去られるかもしれないものであって、したがって彼はそれをどうすることもできず、そしていちばんいいのはまさにそれをどうもしないことなのだ」と。
わたしも自身の老境を、「もとの平ら」へ静かに降りて行くものと観じている。ゆるやかな滑り台をゆるやかにすべり降りつつあるとも。それ自体をどうこうしようなどする気はない。出来るわけがない。だが、というか、しかもと云うか、そもそも滑り台の滑り降りる先が定かには見えていない、見たくても見えないまま下降しているのだ。
では何もしないで滑り降りるに心身を任せてればいいか。わたしは、そんな間にも楽しめる展望も仕事も遊びもある、或いは闘いすらもあるという見方でいる。
2014 3・5 149
* 秦建日子作の文庫本「ダーティ・ママ ハリウッドへ行く」を帰りの電車で読み終えて、散髪屋のお兄ちゃんに上げてきた。前巻の「ダーティ・ママ」は連続テレビ劇各回のノベライズ本だったが、今回は一冊での長編一話。主役永作博美と香李奈との印象がくっきり残っていて、わたしはこの連続テレビ劇は建日子の物ではよく観ていた。こういうのを楽しませてもらえるとは夢にも思ってなかった、父親にない何かを蓄えていたのだった。
* 「凱旋門」のラヴィック医師は、またまた、こう云うている。「われわれは缶詰」だと。報道のことを念頭に、彼の頃には無かったテレビ報道も加えて想像して欲しい。「われわれはもう何一つ考える必要がない。万事が万事、まえもって(情報により=)考えられ、まえもって咀嚼され、まえもって感じられている。(=だれも異存がない。まるで)缶詰だよ、ただそれを開けさえすりゃ済むんだ。毎日三度三度、うちまて配達されてくる。自分で栽培したり、成長させたり、質問と疑惑と願望の火にかけて煮たりするものは、一つもありゃしない。缶詰だ」と。「われわれは、さように、ただ安っぽく生きてるだけだ」と。
これに対してとも応じてとも、彼の友人は「われわれは贋金づくりとして生きてるんだ」と、新聞を高く持ち上げて云う。「見たまえ。やつらは兵器工場を建てる、そして平和を欲するがゆえに、とくるんだ。強制収容所をつくる、真理を愛するからだ、と、ぬかす。正義はあらゆる党派的気狂い沙汰の仮面となっている。政治的暴君が、まるで救世主を気取っている。自由はあらゆる権力欲の旗じるしになってしまった。贋金だ。精神の贋金だ。宣伝の嘘だ」と。そして新聞をくしゃくしゃにして投げ捨て、ラヴィックは、「おそらくわれわれは、部屋の中であまりにも多くの新聞を読みすぎ(テレビを見すぎ)ているんだ」と苦笑いする。
かれは、こうも云うていたのだ、「われわれはあんまり部屋の中で暮らしすぎる。゛部屋のなかで考え過ぎる。部屋の中で恋をしすぎる。部屋の中で絶望しすぎる。 われわれはまるで家具の一つになってしまってる」と。
* こわいほど、だいじなことが云われている。
* 「みづうみ、お元気ですか。みづうみは『ソーネチカ』という現代ロシアの女流作家リュドミラ・ウリツカヤの作品をお読みになったことはあるでしょうか。彼女の出世作でもあるこの作品は、みづうみにお奨めする本ではありませんが、女が読むと他人事ではない痛い話の一つです。」
それだけのメールをもらったが、この作を、わたしは知らない。新刊の本をめったに買わないわたしには、探し当てる手だてもないが。今日江古田り眼鏡屋へ行った脚でいつものブックオフに立ち寄ったが、欲しい本はなかった、よほどフランスの『百科全書宣言と重要項目』をまとめた岩波文庫を買おうかと佇んでいたが、やめて帰ってきた。読みたい本は、手元に数限りなく積んである。
新しい眼鏡は、一つは次の日曜に、もう一つは、その先の木曜に出来る。機械用の眼鏡を新調のため預けてきたので、いまは機械には合わない眼鏡でキイを叩き、画面を見ている。すでに画面はギラギラと光ったまま文字は霞んでいる。仕事にならない。
2014 3・6 149
* 上半身を起こし、着布団をはねるまえに、手の届く左に林立した抽斗棚の一つをあけ、一掴み一見紙屑を取り出し、あんまり面白いいろんな心覚えや書き付けや資料片がいっぱいなのに驚嘆した。
何十年も昔に、飯田健一郎さんがわたしのため幾つもの印を刻して下さっていた「印影」が見つかったり、仲良しだった歌人の篠塚純子さん第二歌集『音楽』からの純子自選85首が出てきたり。元気にいまも忙しがっているだろうか、忙しいのがお好きなこの人の短歌がわたしは好きだった。「e-文庫・湖(umi )」の「詞華集」室に、二冊の歌集から懇切に選ばれてある。懐かしく読み返した。
もっと妙な記録も残っていた。
* 「文藝家協会ニュース特集号」が「続 書籍・雑誌の流通について」の問い合わせに答えた何人もの手記もみつかった。本が売れない。出せない、手に入りにくいと作家や書き手たちが、もう堪らないといっせいに悲鳴をあげはじめた記録で、平成七年(一九九五)九月のもの。曾野綾子「本の復活」 粕屋一希「出版市民大学を」 槌田満文「小出版社はどうなる」 大林清「再版問題と印税」 伊藤桂一「私の考え方」 石田貞一「オーイ、店員さん」 森まゆみ「手配りで売る」 松田昭三「贅沢な願いかも知れないが」 長部日出雄「売れない本は無価値か」 北川あつ子「悲鳴をあげたい」 菅野昭正「本が買いにくい」 竹西寛子「漠然とした疑問」 長谷川泉「荒縄くくり返品の解決」 と、なまなましい。
参考までに、わたしの、つまり作者から読者へ手渡し出版『秦恒平・湖の本』の創刊は昭和六十一年(一九八六)六月で、すでに九年前に上のような泣き言を吹っ切って、一九九五年には創作篇31巻、エッセイ篇11巻を悠々「売り」続けていた。いまは通算してその五倍ちかくまでも出し続けている、出血はもう避けがたいけれど。
ともあれ出版事情は、地味な藝術文学の書き手にも、そのいい読み手にも、つまりは真面目な出し手にとっても、極端に反文化的悪化の到来は必然とわたしは明瞭に察し、「作者から読者へ」しかも「作者の書きたい本を」出し続けることへ、文壇人たちが慌て出すより一と世代も早くに踏み切っていたのだ。ものが見えているようで見えていない者たちのいわば暢気そうなお立ち台であった、文壇とは。
2014 3・8 149
* 終日何をしていたやら。現実今日の政治その他への耐え難い疎ましさを堪えて、堪え通すためには、夢路をたどって他界へ心身を隠したくなる。
美しい物が観たい。手近に出逢える物は詩や和歌やすぐれた小説作品が汚れた鱗を洗い流してくれる。美術も、写真ではやはり物足りない。かといって街へ出れば一級の美術に簡単に出逢えるわけでない、どうしても博物館や一流の美術館に脚を運ばないと。
久しく上野の博物館にも根津や出光にも行けてない。
家の古美術を箱から出して手に取りたいと思うが、あまりに家の中が殺風景で遠慮してしまう。
2014 3・9 149
* 起床8:30 血圧145-68(55) 血糖値78 体重67.1kg 夜中寝そびれ暫くトマス・ハリスの『ブラックサンデー』に惹かれ読み、リーゼ一錠を服してよく寝た。
* トマス・ハリスの『ブラックサンデー』は力量に富んで凄みで迫ってくる。最上乗の読み物が文学に迫って作品をさえ成している。アラヴ、イスラエル、アメリカの凄惨なテロリズム闘争があまりにもリアルに組み討ちしながら読み手を惹きつけ捉えて放さない。
* このところ細切れでながら大好きで面白くて感動をさそう映画「レディ ホーク」を観てきた。今朝一気にラストまで。泪がにじむほど惹かれた。ミシェル・ファイファーが大好き、此の作の騎士ルドガー・ハイファーも佳い。総毛だつほど好かない大司教(マシュー・ブロデリックが演じているか)と、彼が君臨する豪壮なカトリック大聖堂。この大司教邪恋の呪いに遭い、ルドガーとミシェルとは日の出を限りに交互に狼に鷹に姿を変えられ、愛し合う男と女として時を共有出来無くされている。呪いを解く至純の愛と闘いとの映画であり、ひとつには異様な権力と邪法による支配の大司教への敢然たる抗争の物語になっている。事実はどうか分からないが、わたしには、これがアイルランドの歴史に地生えしたレジェンドではないかと思われてならない。アイルランドのカトリック支配の強権強圧については今も読み継いでいる『アイルランド』に精しいのである。
それにしても、わたしは、よくよく、生来、こういう幻想のレジェンドが好きなのだ、『ゲド戦記』『イルスの竪琴』『指輪物語』『黄金寶壺』また竹取や住吉や狭衣等々の平安物語から秋成の「雨月」「春雨」に至るまで。
近代に入ると、鏡花のいくつかをおいて、さしたる名品に出逢わない。
わたし自身は、『清経入水』『秘色』『三輪山』『みごもりの湖』『風の奏で』『初恋』『冬祭り』『北の時代 最上徳内』『秋萩帖』『四度の瀧』等々、作の半ばが、絵空事の不壊の値をもとめた幻想のリアリズム小説になっている。「レディホーク」のような映画に心底魅される素質を抱いて生まれたらしい、妻も、それに頷く。そう観えると云う。
* 鳴り響くような豪壮華麗な大聖堂、大寺院、そこに君臨する猊下などと呼ばれる手合いが、とことん、わたしは好かない。憎しみすら覚える。宗教も信仰もそこから腐蝕している。イエスもブッダも、孤り、起って生きて死んで、あんなにすばらしかったのに。
2014 3・11 149
* 起床8:00 血圧145-67(55) 血糖値81 体重67.1kg 夜中寝そびれ暫くトマス・ハリスの『ブラックサンデー』に惹かれ読み、リーゼ一錠を服してよく寝た。
2014 3・12 149
* 疲れた合間には撰の出来てある後拾遺和歌集のいたるところを拾い読みしてビタミン代わりに。八代集のなかの「恋」歌のいいのはこの集によく集まっている。
* 読んでいる本からの感想など「箚記」らしくいろいろ書きたいが、いまは控えて所要のために時間も視力もまわしたい。
階下で今日半分の25頁分を校正し、二階の機械の前で「選集②」のために長編『風の奏で』の原稿を読み込んでいった。ああ、これも、文字どおりに私自身が読みたくて堪らなくて書き上げた小説だったと真実思い当たる。平家物語研究の先生方には此の作のために座談会で議論されたほど、ま、好評だったが、或る読者には本を壁に投げつけたという笑い話が遺った。だがその人は静かにじっくりと読み返して、その後も熱烈な愛読者を通してくれた。読み飛ばして味わえるような雑な書き方はしていない。『みごもりの湖』もそうだが、登場することに女性への愛と敬意とはなみでないのだ、文章が奏でる静かな音楽に耳を澄まして目で読んで下さる人がわたしの「いい読者」なのである。そんな読者の何人もからわたしは作中の女性たちへの嫉妬をさえ何度も聴いた覚えがある。そういう読者がありがたい読者なのだ、わたしには。
* 上のようなわたしの思いは、かけ離れたようでいて、これまでこの「私語」にしごしてきた『凱旋門』からの引用に密着している。
いま開いている頁では、政治的人種的な逃亡者である老練のラヴィック医師は同じ運命のジョアン・マヅーに、こう、云うている、「僕たちは死にかけている時代に生きているんだよ。僕たちは、あらゆるものから引き裂かれてしまっている。僕たちには、もう僕たちの心(愛)しかのこっていないのだ。僕はあらぬ月世界のようなところへ行っていた、そしていま帰ってきたんだ。すると、君がちゃんといてくれた。君は生命だ」と。わたしが小説を書くとはそういう「生命」との出逢いと愛とを抱き締めるように書くと云うこと。
「人間がたがいに愛しあうということ、これが一切だ。奇蹟であって、同時にこの世で一ばん自明なことだ。愛がなかったら、人間は暇をとった死人にすぎない。二つ三つの約束の日付けと、偶然の名まえ一つしか書いてない、紙切れ同然だ。そんなことなら、いっそのこと、シンだ方がましだ」と落ち着いたラヴィックがやや言葉を励まして言う。「わたしたちは死にはしないわ」とマヅーはラヴィックの腕の中で囁くのだ。
2014 3・12 149
☆ ヒルテイに聴く。
知覚される世界の背後には必ず一つの叡智的存在がなくてはならぬ--それは、あらゆる人間の創作の背後にもそのような存在があるのと同じである。われわれはこの叡智的存在を、まさに神と呼ぶ。
すべての宗教は、本来言い表わしえないものをいくらかでも表現し、それによって、一般にそのことを互いに話し合えるようにする試みにほかならない。
福音書を注意深く読むなら、すぐ気づくことだが、実にキリストみずからは神の「本性」や「属性」について、今日すべての子供たちが宗教の授業時間に教わるよりも、少なくしか語っていないのである。 (一 六月三十日)
* まさに「神」と呼ぶ呼ばぬはべつにしても、ヒルテイのこの言及には賛同する。わたし自身の体験や自覚や気づきの各場面で、そいうふうに感じてきた。この限りにおいて「宗教」の願いを汲むことは難しくない、その通りだと認めている。
2014 3・13 149
* 今日、戦国歴史家の小和田哲男教授から二册新著を戴いた。二册ともとても興味深い、ことに戦国武将大名達の「読書」を仔細に追及し検討されている一冊は、すこぶる人生上の示唆に富む。優れた書物には、それと出逢う、それに惹かれる、それに励まされるという生気が籠もっている。だれが何を好きで食っていた、呑んでいたなどという型どおりの寄せ集めものなど、冷え冷えした屍体解剖や、そうかこんなのが洩れて忘れられていたかという落ち穂拾いのような「仕事」も世間にはいろいろ見えるが、読む人の生命感を底からまたまた掘り起こす生き生きした価値ある本が、論文が、読みたいといつも願う。ゆりはじめさんの『太宰治の生と死』がそんな本だった。
2014 3・15 149
* 午前いっぱい、幾つもの仕事。起床前にしばらく、『凱旋門』『愛の終り』そして『ブラックサンデー』を読んでいた。『ペスト』も加えて、いまこの四册の海外小説に魅されている。日本の現代モノは自作を読むだけ、あとは古典それも和歌。そして中国の詩。
☆ 『愛の終り』のグレアム・グリーンは、教会から睨まれていた作家だが、こんなことを、作の語り手に言わせている、「世間の人々が、人格的な神という途方もなく有りそうにないことを鵜呑みにできるくせに、人格的な悪魔を認めることをためらう理由がわたしにはわからぬ」と。但しトルストイ晩年の民話にも、ゲーテの例のメフィストテレスも、ま、人間めく悪魔のていではある。グリーンが言おうとするのは「愛」にかかわる神と悪魔との位置どりのようで、彼には悪魔は「愛の敵なのであって、もともと悪魔というものはそういうふうに考えられているのではないか?」と。わたしは人格的な神も悪魔も信じていないのでなんとも言いようがない。グリーンは言う、「もし愛する神なるものが存在するとすれば、悪魔はその愛の最も弱い、最も誤った模造品をさえも破壊するために駆使される」と。「悪魔は愛の習性が成長することを怖れているのではあるまいか、そして彼はわれわれ総ての人間が裏切者となるように、彼らを助けて愛の火を消し去るように、罠に掛けたいのではあるまいか」とも。なるほど、愛の「邪魔」というヤツ、相当に働いていると思えなくない。
☆ 『凱旋門』のラヴィック医師はいつも深々と、しみじみと、胸の底から語る。わたし自身もことに愛し求めてよく用いる「静か」には、日本語での美の意義も汲んでいるが、それはともかくとして、この聡明で有能な毅い医師は、「静かなのは、人間が自分でも静かになっているときでなくちゃ、いいものじゃないよ」と言うている。簡明なひとことだが底知れぬ重みと真実感に満ちている。心浅くさわいだきもちで静かなところがいいとか好きとか言うているのは、情けないものだ。
このラヴィックにして、佳い女性の問いにただ答えて、「愉しむことだ。 愉しむのには、ほかの人間はいらないよ」と言ってしまい、言下に、「いいえ、愉しむのには、いつでもほかの人が必要よ」と寄り切られている。この問答にもそら恐ろしい含蓄がある。たしかにラヴィックのいうように、「何も期待しない人間は、けっして失望しない」けれど、それは失望すら出来ない人間の貧寒とも膚接している。
2014 3・16 149
* 『ギリシア・ローマ神話』『眠られぬ夜のために』『アイルランド』『囲城 結婚狂詩曲』『南総里見八犬伝』を浴室で読んだ。中国の近代読み物はいまいち楽しめない。他は、それぞれに興味津々。
うってかわってチンドンチンドンと囃したてていたキムタクの「宮本武蔵」後編のつまらなさ。剣の道、剣の道などというが、所詮は「仕官」を考えている。これは、あの優れた繪を遺した宮本武蔵の問題でなく、武蔵を書いた読み物作者の気宇の問題ということ。この程度ならまだしも藤田まことらの演じた「剣客商売」の境涯の方がまだしも清々しい。
2014 3・16 149
☆ ヒルテイは繰り返しこれを言うている、「健康は疑いもなく大きな贈り物ではあるが、それをあまり重く見過ぎてはいけない。むしろ、それを損ったり失ったりした場合でも、立派にそれに堪えることを学ばねばならない。なぜなら、健康はまだまだ最高の、なくてはならぬ善ではないからである」と。健康無比の悪人、珍しくない。ヒルテイはさらに言う、
「病的な状態は、あまりひどく気にしんいでいると、ひとりでに消え去ることがよくある」とも。神経質に気に病んでいたりするとき、暗雲通過してこれを体験することは、たしかに有る。だが無用心でいいとも言えまい。ヒルテイは病気・病者にやや過剰に精神論で求めるところがある。それでも、「とりわけ健康に役立つのは、多くの場合、正しい、真実の愛である」という言い方にはちからがある。「しかしこの不思議な(愛という)薬は、どこの街でも売ってはいないし、また、だれでも自分で用いることができるわけでもない。(まして)それの下らぬ真似ごとで満足している者には、解くに扱いにくい薬である」とは、謂い得ている。
☆ ヒルテイの批評は現代の「哲学」にも厳しく、わたしも共感できる。「現代では、哲学はだいたい数学と同じような思考の訓練であって、精神を思惟活動に馴れさせるという以上に、人生にとって何らの目的も効果も持たない。 哲学は、ある一人の思想家の思想圏内において形成せられた一般的世界観の樹立というにすぎないものだ。 各個人の人生行路にについてそれを明瞭にしてやり、彼の性格を改善し、善に向う力を高め、またその人の幸福を増進するという目的には、これらの哲学体系は一般にほとんど役に立たないか、或いは間接的にしか役立たない。」
さらにヒルテイの批判は「心理学」にも及んでいる、「およそ心理学はそれ自身になんの力をも持たないものであり、かつて、不幸に陥った人を元気づけたことのない、一つの学問体系にすぎない」と。さっこんでは「犯罪心理学」が応用の度を高めているかも知れないが、まだまだ聴いていても聞くところでも、確度のひくい推量法にちかいと、わたしにも、想われる。
☆ ヒルテイは、こんなことをこんなふうにも言う。
「世の多くの人びとは、自分が何を欲するかを、よく知らない。また、それをよく考えることもほとんどしない。反対に、少数の人びとのなかのある者は、できもしないことを欲して、いたずらに力を消耗している。また、そうでない者も、その意欲が堪えず動揺して、そのために何ごとをもなし遂げえない。」「しかし、可能なこと、つまり、自分の力と現実の世界秩序とに相応したことを、確固として辛抱づよく欲する人びとは、つねにその目的を達成してきた」と。
革新、革命の進化をこの常識に徹した基督者は信じていない。その限りに置いてヒルテイの言うところは的を射ている。
☆ こんなヒルテイにも、たちどころに共感もし、しかし「醜いもの」「卑俗なもの」を吟味し批評して、それらにも汲むに足る人の世の真相のあることを感知したい。
「われわれが自己を改善しようと努力する場合に、あらゆる悪を避けようとするよりも、すべて醜いものや卑俗なものを避けようと決心する方が、直ちに、もっと効果があがることが多い。われわれの力にかなうからである。」
ヒルテイが思い、わたしもぜひ退けたい「醜い」「卑俗」とは、民俗や大衆性につきまとう生の側面などではなく、人間の根性を毒している気の低さである。阿り、またおごり高ぶる者たちの卑しさを嫌うのである。そういう醜さや卑しさをまちがいなく自分自身が持ち合わせ捨て得ていないと思えばこそ、しみじみと思うのだ。
☆ ヒルテイはこう言い切り、わたしも強く首肯く。
「真に美しいものに慣れ親しむこと、それも生活の欲求として、または自分の性格上の特質としてそうすることは、若い人を人生に出発させるにあたって持たせてやることのできるこの上ない護身用の武器である。」
2014 3・17 149
☆ ショーペンハウエルは博大な人気を誇ってきた哲学者であるが、日本の哲学者で彼を専門に追究した人は少なすぎるほど少ない。若くして『意志と表象の世界』という基幹の大著を著し、その後この基幹一冊の無数の註釈・補填の論考を生涯書いて終えた実に特異な哲学者だった。「我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて」書く、といった具合。
彼は言う、「君が死んだ後には、君が生れる前に君があったところのものに、君はなる」と。「だからもし(死が)怖ろしいということがあるとすれば、せいぜいのところ移りゆき(=死への転帰)の瞬間だけなのだ。」「理性的に考えさえすれば、(死は=)なにも我々をおびやかすほどのこともない」と。そういうことは、子供の頃を通り過ぎて行くにつれ何度も想いまた考えた。
2014 3・17 149
☆ 「凱旋門」で医師ラヴィックが、愛している若いジョアン・マヅーに言うている、「年とったことがもうわからないときに、はじめてひとは年をとっているんだよ」と。尋常な感想であるが、マヅーは打ち返すように答えている、「そうじゃないわ。もう恋をしなくなったときよ」と。マヅーの見解の方が、わたしにすら新鮮である。
しかし老境をとりまく日本の環境は、政治的にも医学的にも人間的にもあまりに貧しい。我が儘に貧しい。なさけない。
2014 3・20 149
* トマス・ハリスの「ブラックサンデー」を今夜にも読み終えそう。すこし怖ろしいほどに話が進んでいる。力作の名に羞じない。 2014 3・22 149
* トマス・ハリスの『ブラックサンデー』を読了。何度目か。それでも読み応えがした。『女王陛下のユリシーズ号』に優に匹敵する。
『北壁の死闘』「針の目』「鷲は舞い降りた」とあわせ五作を大事に抱えてきた。文学作品というに迫る力作である。
2014 3・23 149
* 中国古典学の京大名誉教授興膳宏さんから、今回は『杜甫のユーモア・ずっこけ孔子』と題した軽妙のエッセイ集を頂戴した。興膳さんには『荘子』内外雑全編をいただき、『仏教漢語』や『漢語日暦』や『中国名文選』その他どっさり著書を戴いており、館長をされていた京都博物館の貴重な図録など頂戴してきた。みなわたしの大好き範囲内の本ばかりで、『荘子』三巻もみな津々の興味と緊張とで読了して間がない。感謝に堪えない。
2014 3・27 149
* 『陶淵明全集』上下巻、この機械の真側に置いて、とても手放せない。訳註の親切を頼みにし、ただただ詩懐がなつかしい。のがれがたく身の程を羞じる思いもある。
北京の人民大会堂で周恩来夫人に会ったとき、「秦先生はお里帰りですか」と諧謔の声をかけられたほど、「秦恒平 チン ハンピン」は中国読みして中国名としても立派に通じる。同行した井上靖でも辻邦生でも大岡信でもそうは行かなかった。ただしわたしの生い立ちに中国人とのなんらの縁も無い。無いけれども、それは秦の祖父鶴吉からの多くの漢籍を介しての感化であろう、小さい頃から中国の文化に強い敬意は持ち続けてきた。皮肉なことだが、わたしが現代中国をむしろ厭悪し始めたのは、あの「お里帰りですか」という親愛の挨拶を受けてより以降のことになる。敢えて「覇権は願わず」と表明していたせいぜい華國鉾頃までの近代中国はまだしも、「覇権」まる出しの今日の中国は好かない上に要心が肝腎と思っている。しかし近代以前の中国文化への敬愛は少しも減らない、むしろ深まり広がっている。悩ましいほどである。
2014 3・28 149
* 近藤富枝さん、興膳宏さんの編・著を頂戴したのに次いで、今日は、世界記憶遺産に登録され三好徹さんの代表作と謂うてよい文春文庫『チェ・ゲバラ伝』を頂戴した。初版時に戴いて愛読し感激したのを忘れていない。精神をチェ・ゲバラに寄り添うてある三好さんの剛毅をも尊いと思う。まだ若い小谷野敦氏からも『馬琴綺伝』と題した一冊が贈られてきた。
* 湯につかって、カミュ『ペスト』 『ギリシア・ローマ神話』 ヒルテイ『眠られぬ夜のために』 銭『囲城 結婚狂詩曲』 『南総里見八犬伝』を読んだ。銭と馬琴とに「作品」が無い。前者は才走った殴り書きだし、馬琴は、いかに奇想と博識と構想力とをもった天才ではあれ、稗史小説のくどい臭みで売って行く。優れた文藝とは、品位の高い作とは、とても言えない。同じなら百巻ものの『水滸伝』の方に迫ってくる感銘がある。二年以上も読み継いできて「八犬伝」まだ十巻の七巻めという事実が作の重苦しさを示している。世界の優れた文藝・文学と比較するのは酷なようだが、当然比較されて仕方なく、比較の芯は、即ち「作の品」であることを免れがたい。
いま、小説ではほかにレマルクを読みグレアム・グリーンを読んでいる。馬琴が売り物の天才や超大作を彼らもカミユにしても持ってはいないが、読み手の胸奥の芯をふるわせてくる文学としての「作品」を間違いなくもっている。その差異は千里万里ある。
* 『荘子のユーモア ずっこけ孔子』 読み出すとやめられない。
2014 3・28 149
* 若干の不審や反発も覚えながら、ヒルテイに「聴く」ことは多い。
「やむをえぬ理由から、古い友人や親戚の者と交わりを絶たねばならないならば、何もいわずにそうするがよい。その前に議論などかわせば、必ず問題のにがにがしさや醜さを増すか、あるいは別れるよりもなおわるい、中途半端な、いつわりの和解に終ることになる」と。娘夫婦との場合、こういうふうにはわたしは出来なかった、しなかった。無道に対し「逆らひてこそ、父」に徹し、「書く者」の務めとして何冊も本を書いた。『逆らひてこそ、父』『華燭』そして『かくのごとき,死』さらに長編『凶器』を書いた。どんなに堪え、そして起って書いた。生きる証として書いた。いつわりのわかいなど拒絶した。ヒルテイの謂う意味は痛いほど分かっている。それでも、と、あえてこう書き記しておく。
* ヒルテイはまた言う、「たんなる動物的な仕合せなどは少しも価値がないばかりか、一つのごまかしにすぎない」と。「これに反して、神に仕えるのがすべてだ」と。「動物的な仕合せ」はいろいろに取れるとして、端的にはセックス、性的な人間愛、恋を謂うているはずだ。いま、読んでいるグレアム・グリーンの「愛の終り The End Of The Affair」は、分かりよく謂えばこのヒルテイの批評への全的な否認と反発かと読める。同じ意味に於いてわたしはグリーンの表現に同感している。ヒルテイは、「信仰とは、神へ向ってひたすら努力することではなく、神に己れをゆだねること」と謂っている。気持ちとして、よく分かる。ただ、「己れをゆだねる」という言葉にも行為にもむしろ人間の都合のいい「我」が露われてはいないか。荘子の至人はこうは謂いも行いもしないだろう。
『愛の終り』のヒロイン、「サラア・マイルズ」はあらゆる作品のヒロインたちのなかでも魅力に富んだ女である。小説の語り手のモーリス・ベンドリクスは小説家である。グリーンの作は、アクロバティックな構図で切実に推移してゆくが、サラアが日記ふうな直接話法で述懐をはじめるなかで、「ときどき、幾度も恋を語った日のあと、私はいったい性愛に終りの来ることがあるものかないものかと考えることがある」と書いている。このさくでは「恋を語る」とはひとつに交わる行為を意味している。サラアはモーリスへの恋・愛をそういう性愛で神を愛するとかわらぬ純度でひたすら感受している。男の方も同じでありながら、終始嫉妬心をもやしていらだつ。「彼は、過去、現在、未来をかまわず嫉妬する。彼の恋は、まるで中世の貞操帯のようだ。彼は私とともに、私の内部(うち)に、いるときのほか、決して安心しないのだ」とサラアは観ていて、モーリス自身ももっと歌劇にこの嫉妬する自分を見つめている。
サラアは神を愛したいと望み、そのようにモーリスを愛している、愛し続けたいと全身全霊で願っている。だが男は嫉妬しては焦れて当たる。『愛の終り』は神という途方もないモノ影を背負ったままの性愛の作品である。わたし自身が書きたい、書いているものは、もっと人間に接した性愛の作、の積もりなのだが。まだまだ、だ。
* それよりも<こんなヒルテイの世知に頷いている、わたしは。即ち、「他の人びとが欲するままに任せておいてよいことが、世には限りなく多い。結局、それはどうでもよいことだからだ。そうすれば、自他ともに生活が楽になる」と。その通りだ。が、但し絶対に例外に対し、すなわち安倍「違憲」内閣や政治家や強慾企業らの「欲するまま」に対しては、毅然と対峙し対抗し克服せねばならぬ。
* 昨日についで、今日また元日本ペンクラブ専務理事であった三好徹さんの最新著『大正ロマンの真実』を頂戴した。「大正時代」の十五年間は明治と昭和にはさまれて短かったが、えも謂われぬ性質を抱いて日本の近代史に不思議に光っている。三好さんの着眼はすぐれて今日的で批評的であり、しかもここからまたも産出されていい生命力の胞子を抱き込んでいる。示唆に富んでいる。
上古の中国をあざやかに「読んで」ゆく興膳宏さんの著といい、大正ロマンを介して日本近代の明暗を読み解いて行く三好さんの著といい、手に重い単行本だからととても敬遠していられない。興膳さんの本は妻がもう持ち去っている。わたしは三好さんの「大正読み」に取り付こう。
2014 3・29 149
* 機械の前にいて、朝に寝起きのままの格好で、暑いと感じている。気候がはや逆転してきた。
☆ 陶淵明の詩句より。
世短意常多 世短く意は常に多し 「九日閑居」より。 九日は重陽九月九日を意味しているが、今は拘泥しない。
人生は短く 悩みは常に尽きない
「意」一字に人の世の憂いが意味されている。気を病む、気が揉める、心痛めるのである、人の「意」とは。まさしく然り。
斂襟獨 謡 襟を斂(おさ)めて獨り (しづ)かに謡へば
緬焉起深情 緬焉(めんえん)として深情起こる 緬焉 はるかに思ひやる
棲遅固多娯 棲遅(せいち) 固(もと)より娯しみ多く 棲遅 隠棲
淹留豈無成 淹留(えんりゅう) 豈(あに)成す無からんや 淹留 同処に滞留する
「豈(あに)成す無からんや」 ま、なんとか成るまいでも無かろうよ というのが陶淵明「棲遅」の境地であろう。ヒルテイの境涯よりわたしは陶潜の閑居に憧れる、但し凡常煩悩尽きず、「豈(あに)成す無からんや」とまで思い切れない。悪政の身に迫るのは独りわたくしにだけでは無いのだ。
2014 3・29 149
* グレアム・グリーンの『愛の終り』は第三部でヘンリの妻であるサラアがサラアの言葉で「愛」を語り始めると、俄然生彩を増してくる。田中西二郎さんの訳にも惹かれているのだが、「いい女性」の「いい魂」が率直な「いい言葉」と化して読者を魅する。
☆ 「今日は終日、モオリスは私に親切にしてくれた。彼はほかの女をこれほど愛したことはないとよく私に言う。 私がそれを信じるのは、そっくり同じように私も彼を愛しているからだ。愛することをやめたら、愛を信じることもなくなるだろう。もし私が神を愛したら、そのとき私は神の私に対する愛を信じられるだろう。愛を欲しがるだけでは不充分なのだ。私と神とはまず愛しあわねばならない、それなのに私はどのように愛すべきかを知らないのだ。でも私はそれを求める、どんなに私は求めているだろう」
西欧の近代が「神」を見失いはじめたなかでの、神にせまるもっとも痛切な愛のむずかしさをサラアは叫んでいる。
「神とはまず愛しあわねばならない」という意味には、モオリスもサラアも明瞭に一致しているように深い性愛が希望されている。
神との性愛、それは人と神との歴史を書き換えるほどのモノだ。サラアは神を愛したいと求めつつ夫ではないモーリスとの愛、性愛を心底愛している。モーリスがサラアに、「ほかの女をこれほど愛したことはない」と言うのも、まさしく二人が一つに愛の行為に燃焼しているさなかの言葉だ、だからサラアも同じく思いかつ深く信じるのだ。しかしサラアは、そういう愛に「終り」の来るかも知れぬことを信じがたく死ぬるほど怖れてもいる。愛し合っている「今」が、「今日」がずっとずっと続いて欲しい、「昨日」のことにしたくないとサラアは書いている。二人は愛し合い、しかもサラアは信じて求め、モーリスは絶え間なく嫉妬しつつ求める。「まるで私たちは二人で同じ一つの彫刻を、相手の不幸のなかから刻み出そうとしているかのようだ」とサラアは呻く。呻きながら、日を新たに書いている、「昨日、私は彼の家へ一緒に行って、いつものことをした。そのことを書き記すだけの強い神経を持たないけれど、私は持ちたいと思う。なぜならこれを書いている今はもう明日だし、私は昨日(という今日が)終りになるのが怖ろしいからだ。こうして書き続けている限り、昨日はいつまでも今日で、私たちはまだ一緒にいられる」と。
サラアはさらに呟いている、「二人の人間が互いに(性行為で=)愛しあっているとき、キスに愛情が欠けているのをごまかすことはできない」と。そういうキスこそ、「キス」なのだ。そしてサラアは「神」にむかい呼びかける、「人間はお互いに顔を見ないでも愛することができますわね、人々は一生涯、あなたを見ずにあなたを愛しています」と。辛辣なまでの神へのかなわぬ愛を謂いながら、サラアはモーリスとの「終り」に震えている。
* グリーンのこの作を、作品を、わたしは少なくも三、四十年に五回の余も繰り返し読んできた。そしていまかつてなく新たな視線を送り込んで何かを受け取っている。書き次いでいる小説の反映があるのかも。
2014 3・30 149
* 高田芳夫さんに頂戴した『文芸へのいざない ー人生にロマンをー』は、本題にふさわしい名筆。第一部の古典もさりながら、現代文学と作家詩人達多数への、感想と紹介の手際の美しさに驚嘆、時に泣かされもした。まさしく好乎かつ豊富な「文藝へのいざない」になっている。
☆ 民俗の心 -折口信夫- 高田芳夫「文芸へのいざない」より
民俗を歌うということは、日本人の心を歌うということです。釈迢空とは、そのような歌人でした。民俗学者として、柳田国男に継ぐ人で、折口信夫ともいい、まさに学匠詩人でした。その歌は、精密な学殖の糸車の静かな回転の中から生まれたものといえるでしょう。
さて、民俗探訪の旅の中から、つぎの歌は生まれました。
人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどのかそけさ
峠で見る旅に死んだ人たちの墓、馬頭観音の石塔婆、思えば悠久の昔から人も馬も生き、そして滅んでいったという、生死流転の姿こそ、この世の真実そのものです。
人間、生きるということは、みな旅寝の夢を見ているようなもの。この、いのちのあわれさが、「かそけさ」です。「幽けさ」、光や音がうすれ消えていく、かすかな深い感動、迢空はこのことばを好んで使いました。日本語のもつ深い地下水脈から生まれてきたような微妙な深い感情の流れ、日本人ならだれでも共感できるのは、素直に日本人の心が反響しているからです。
一つの宗教のように、日本人の心を洗う歌です。
ゆきつきて道にたふるゝ生き物のかそけき墓は草つゝみたり
業病の姿を隠して、死ぬまでの旅に出なければならなかった悲しい運命の人もいたでしょう。思えば、人生とは生々流転の長い旅です。生きつくし、行きつくし、やがて「かそけき墓」となって草場の陰に眠るのです。
北原白秋が、迢空を「黒衣の詩人」といった気持ちもよくわかるではありませんか。
歳深き山の
かそけさ。
人をりて、まれにもの言ふ
声きこえつゝ
細かい感覚の連鎖、そして静かさと気品に満ちています。
歌に切れ目があり、句読法も一般の歌と異なっているのは、作者の心に内在しているリズムを示しているのでしょう。だから「思い」の休止するところで、「。」を打っています。作者自身もこう言っています。
《「わかれば、句読点はいらない」などと考えているのは、国語表示法は素より、自己表現の為に悲しまねばならぬ。》と。
なお、迢空六十七年間(昭和二八年没)の人生の中で、もっとも悲しかったことは、硫黄島に玉砕した養子、藤井春洋のことでした。死の床でも、春洋、春洋とその名を呼び続けたのです。
もっとも苦しき たゝかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父 信夫
と、深い歎きと悼みの心が、墓に刻まれています。
* とりあげられた古典も数多いが、現代の名だたる作家詩人達の人数も半端でなく、しかも短く印象的に観想されている。
そのなかで釈迢空・折口信夫を引かせてもらったのは、歌の表記にふれての「句読点」への見解を自分なりに又なっとくしたかったから。最近ある場所で、わたしの文章の句読点について尋ねられたことがあり、迢空の認識とほぼ同じいことで返事したことがある。和歌短歌俳句だけが詩であるのではない、散文にも明瞭に音楽のよさが必要である。句読点は文学にとって貴重な譜を生んでくれる。そう思っている。
2014 3・30 149
☆ イスラエルの箴言の作者は言っている、「人はその働きによって楽しむに越した事はない。」と。ヒルテイは「この言葉は、その昔と同じように、今日もまったく真実である」と肯定している。おおよそそれに相違ないけれども、今日、世界的に、働きたくても働く職の得られないわかものが世に溢れてきている現実を如何せん。
2014 3・30 149
* 「読む」ということの多い重い日々だと自覚する。からだをまだ自信を持って動かせる、動かそうという気持ちになってない裏返しかも知れない。動かす機会はなるべく活かそうと願ってはいるのだが。今朝のように溢れる日の光をみていると、生気が身内に湧いてくる。嬉しくなる。
ゆきやなぎかがやく白の濤うちて
あはれ久方のひかりあふるる
2014 3・31 149
* 源氏物語五十四帖の題を性格に順にいえれば、ほとんど物語を読み返したのと同じほどの興趣に浴しうる。与謝野・谷崎の現代語訳をふくめ、わたしは少年このかたこの物語をおよそ二十度の余は読んでいて、叙述や情景や人物の言葉や涙まで記憶しているが、桐壺から夢の浮橋まで巻の名を順に唱えれば絵巻のように物語そのものが脳裏に再現・再映される。おなじ事は平家物語の流布本についても言える。
2014 4・1 150
* 四月一日、べつにウソも楽しまなかった。
☆ 『愛の終り』の人妻サラアは自分を「淫婦姦婦」と呼んでいる。けれどもモーリス・ベンドリックスを心から愛して「妻」にもなりたいほどだったし、今も真実愛している。しかし二人がその日愛をかわしていた最中、ドイツからのロケット砲V1号空襲に遭い、モーリスが重い扉の下敷きになって死んだとサラアはかけつけて、思った。「私は裸かでした、そう私は(神様に)言いたかった、だってモオリスと私とは、一晩じゅう一緒に寝ていたんですもの。」そしてサラアは神様との間である「約束」をしてしまう。モオリスを生かしてほしい、生きててくれれば、彼をあきらめますと。すると、モオリスは死んでいなかった。サラアは絶望した。ほんとうにこれが神の「愛」なのか。いっそ死んでいてくれたら彼への愛をあきらめずに生きられた。
サラアは政府の高官である夫ヘンリをも彼女なりに夫なりに愛していた。「ヘンリと私とはお墓のなかの死骸のように毎晩まっすぐに並んで寝る」とサラアは書いている、そういう愛でおっとと妻とはつながれているだけだ。サラアはモオリスといたい。「だって二人が一緒にいれば砂漠ではないのもの。」彼女は神を憎む、「あなたは私に愛を追放させておいて、さてお前にはもう肉欲もないぞとおっしゃるのです。では神様、いまあなたは私に何を期待なさるのですか?」「モオリスは自分では憎んでいると思っていながら、いつもいつも愛して、愛してばかりいるひとです。自分の敵(=例えばヘンリ)さえも愛する人です、けれど、この私、淫婦、姦婦のうちに、どこにあなたは愛すべきものをお認めになるのでしょう? それを教えて下さい、神様、そうすれば私はそのものを永久にあなたから奪う仕事に取りかかりましょう。」「私は自分が楽しみ、同時にあなたを傷つけるようなことを何かしたいのです。そうでなければそれは難行苦行のほかの何物でもなく、それでは信仰の表現みたいになりますもの。ですから神様、私をお信じ下さい、私はまだあなたを信じません、私はまだあなたを信じません。」
そしてサラアは呻き続ける、「私がモオリスを愛していたあいだは、夫ヘンリを愛した、それなのに(=神との約束でモオリスを喪失した)いま、この(淫婦姦婦の)私は世間から善い女と呼ばれる女になって、誰をもまったく(肉体を交わしあって)愛していない。そして(最も愛したいのはモオリスであり)最も愛さないのは神様、あなたです。」
基督教はサラアの「愛」を容認も承認もしないだろう。サラアは街なかに立って神を認めないと説き続けている男のもとを尋ねていく。男の考えをではなく自分の深い不審と不信の根をさぐたいばかりに。
小説はまだ半ば。サラアが去ったと憎みながら愛し続けているモオリスと、モオリスを離れて愛し続けているサラアと。
2014 4・1 150
* 「作」と「作品」とはまったくべつもの、作品の備わった作は尠い。私自身それをくちにするとき忸怩の思いに恥じ入るが、一般論としていえば、面白づく面白い話題をここを先途と書き殴って見せた書物が決してすくなくない。ザラザラ、ガサガサと、よくわたしは言うのだがまるで年譜の上を滑り台で滑るように記事をかいつまみつまみ手荒に弁舌して行く歴史物が多い。「読んでいる」「読まされてしまう」文章のよろしさやたしかさが味わえない。
* 猪瀬直樹前都知事が新刊の署名本を送ってきてくれた。まだ本格の仕事ではない、五輪招致に立ち向かった『勝ち抜く力』だから或る意味古証文ではあるが、とにかくも挫けてしまわず敢然野党精神に立ち返って、敢闘の追究・探求・批評に勇往邁進して欲しいと応援する。
2014 4・2 150
* 『凱旋門』も『愛の終り』も佳境にあり、三好さんの『大正ロマン』も一章を読み終えた。銭鍾書の『結婚狂詩曲』はあまりバカらしくて上巻半ばだが読み捨てることにしようかな。
* 明日はまた暫くぶりに聖路加通院。他科診察に比し簡単に済むと期待しているが、分からない。雨が降るらしい、濡れたくはないが春雨のこと、厭うまでもないだろう。湖の本と選集①との重苦しいトンネル続きから抜け、幸い校正刷りを持って外出しなくて済む。書きかけのもののプリントにどこかで落ち着いて目を通せるかも知れない。食べたいという欲が無い。コーヒーの類もからだに合わない。近くなら出光美術館も佳い、博物館本館をゆっくり蟹歩きするのも佳いかも。しかし上野は花で雑踏しているだろう。e-OLD の勝田さん玉井さんと行った向島の百花園など隅田川寄りにも心惹かれる。ま、こう想っているうちが花かも。そういえば、桜餅を食べたなあ。言問まで行けば、浅草の肉の「米久」鮓の「高勢」、柳町まで戻れば洋食の「香美屋」あり支那料理もあり豆腐の「笹の雪」蕎麦の「公望荘」もある。西洋美術館で洋画を観て「すいれん」の庭をみてワインとステーキもいい。いっそ精養軒の見晴らしの席でコニャックかシェリーで大きな海老を食べてもいいが。困るのはこんなにわざわざ書いていても腹具合はよろしくなく、食欲などすこしも出てこない。やれやれ。結局は、花を愛でたいということか。
なにとはなし、後拾遺和歌集をひらいて、好きと選んだ歌の四、五十ほどを夢中で読んでいた。明日のことは明日きめればよい。
* 湯に漬かり、『結婚狂詩曲』『里見八犬伝』そして『大正ロマン』をゆっくり読んできた。
とくだん、何の連絡もメールもなく、リーゼで神経を休めて、はやめにゆっくり寝入りたい。明日は十二時前に病院へ家を出る。
2014 4・2 150
* 新聞やテレビをみてしまうと、不愉快になる話ばかり。重金敦之さんの『ほろ酔い文学事典』など拾い読みながら機械をうごかす。ビールこそ酒づくりの到達点という考えようがあると教えられた。わたしはマオタイとかズブロッカなど強い酒が美味い。
2014 4・3 150
* 国文学研究資料館の今西祐一郎館長からおたよりに添えて、勉誠社創刊の「書物学」① 「DHjp」① を頂戴した。前者には、「版本『九相詩』前夜」を、後者には日本古典籍総合目録データベースなどに触れながら「画像の効用」について書かれており、どちらも興味津々。おりにふれて館の刊行物や記念品などをよく送ってきて下さる。久しい歳月にたった二度しか会っていない今西さんだが親戚のような気がするほど心親しい。ま、だいたいわたしは自然とそのように人と出会い交際している。難しい、やりにくいヤツと思われている向きもあるかしれないが、百パーセント近くそれは誤解である。
2014 4・4 150
* 頂戴してきた各氏単行本に、今、持ちやすい文庫本以上に心惹かれて愛読している。順不同にいえば、
一歳とし若い興膳宏さんの『杜甫のユーモア 孔子のずっこけ』 エッセイ集としての表題は軽いが内容は簡明にかつ至れり尽くせりの研究余録であり、話題の範囲も広い。今朝、起き抜けに床で読んだ「荷風という雅号」や「孔子をののしる」など、一日の初の読書にふさわしい雅な名文だった。
また小和田哲男さんの『戦国大名と読書』も氏の研究成果の全容を基盤に据えて表題が示す主題を明確な徴証をそなえて語り尽くされていて、じつに興趣に富んで教えられる。
興膳さんも小和田さんも簡潔で緊密ないい文章を書かれている。
小和田さんにはもう一冊『戦国史を歩んだ道』という自伝も頂戴していて、しみじみとして読める。小和田さんはわたしより九つ若い歴史学者だが、ま、ほぼ同時代をともに生きてきた気息と見聞とをわかち持っていて、しかもわたしは大の日本史好きなもので、著者の心境にとても寄り添いやすい。読んでいて、思い安らぐのである。
わたしより十も年上の色川大吉さんに戴いている『追憶のひとびと 同時代を生きた友とわたし』も、いいかえればおのずと色川先生の「自伝と時代」を成していて胸にしみてくる。冒頭から、今は亡き懐かしい歌人の玉城徹さん、ペン会長の井上ひさしさん、また松本清張さん、辻邦生さん、またつかこうへいさんらの名が上がってくる。みな、わたしとも相当なご縁を得ていた人たちであり、つづく何十人の大半にわたしも心親しんできた。その意味では実感にちかく裏打ちされた同時代史と読めて懐かしい。そのうえに色川大吉という活躍した学者の面目もありあり窺える。こういう著者ともいつしかに著書の応酬があるという、そんな人生であるかと心地温かい。
四つ年上三好徹さんの『大正ロマンの真実』また、人と事件とを荒々しいまでちからづよく鷲掴みにとらえたまさしく「大正時代論」であり、ただならぬ「日本人論」である。読まされる。
高田芳夫さんの『文芸へのいざない』のことは前に書いた。人生にロマンをと副題があって、高田さんはわたしより十一歳上の長者である。
亡くなって三回忌の記念に奥様より頂戴した西山松之助先生畢生の精華『茶杓探訪』は眼をみはる豪奢な集成で、頁をひらくだけですばらしい「寶」のような人と茶杓とがあらわれ、精緻に鑑賞されてある。おのづとりっぱな茶道史に成っている。平伏したくなる。西山先生はわたしよりほぼ干支で二回りもお年上の懐かしい懐かしいお一人であり、仲良しの下村寅太郎先生もご一緒に鼎談に呼び出された嬉しい思い出がある。どうも、わたしは、お年寄りの先生方にウケがよかった。感謝している。
* こうしてみると、発想の真摯と才能や学識にみちびかれて読み手の人生をもふかぶかと資する著作は書きうるものなのだ。お人柄と視野のひろさ視線の深さ、そして筆力。ものすごいとまで畏れるほど大きな基盤のうえにこれらの著書一冊が生まれている。いささかの痩せも涸れも不備もなくて、しかも読ませられ、自然豊かな滋味に心養われている。
本を書くならこういう風に書かねばと思う。地味が痩せて偏して蕪雑なままではコケの一念も佳い実りを挙げるわけに行かない。
ものごとを小さく狭くしかも絶対化し抱きつくように囚われていては、想念も識見もふっくらと美味しくは発酵しない。勉強は豊かに豊かに豊穣に。その中から芽生える命に独自性をあたえてやらねば。
* 元九州大学の、現在は国文眼資料館館長の今西さんに頂いた「書物学」誌創刊号に書かれている、「版本『九相詩』前夜」は題名からして引き寄せられる。「九相詩」とは「人の死をその直後から時を経て亡骸が腐敗し骨となって霧散するまでの九段階を七権律詩に作った書」で、今西さんは新たに出た「奈良繪九相詩」に拠って、広く流布した版本「九相詩」成立の「前段階」を紹介し考察されている。目が不自由で繪が鮮明に観られないのがもっけの幸いめくが、これこそ「凄い」繪が紹介されていて、谷崎の『少将滋幹の母』にあらわれる「不浄観」のことなども思い出す。この論攷、繪はともかくとして「e-文藝館・湖(umi )に戴きたい。
とにもかくにも興味深い面白い物も事もいくらでも有るものだ。
* 幸福感はいろんな物事人からえられるが、いま、わたしは書きかけの自身の小説を読み返すのが面白く、書き上げてある昔の小説を読み返しながらルビ打ちするのも面白く、その上にいろんな単行本や文庫本を読み耽るのも面白くて、とても幸福感に包まれている。ありがたいこと。
2014 4・6 150
* グレアム・グリーンの『愛の終り』モオリスへの、ひいては神様へのサラアの愛の吐露。吸い込まれるように耽読している。
レマルクの『凱旋門』では、いましもラヴィックがパリで、ゲシュタポの凶悪ハーケに向き合っている。医師はハーケを殺したく、ハーケの方は自身この拷問や虐殺で不幸の底へ突き落としたかつてのジューの一人を忘れている。緊迫。そして、先はどう動転するか。
いま、この二作にバランスしてわたしを異境へ誘いうるのはマキリップの『イルスの竪琴』三巻かと想っていたが、建日子が読みたいからと持って行った。彼はいまル・グゥインの『ゲド戦記』を原語でよんでいると言う。
2014 4・7 150
* 浴室でゆっくり読書。いま、嬉しくなるほど佳い本を手元に沢山置いていて、読み始めるとやめられない。浴室での読書は危険ですと、よく叱られている、読者からも。やめられない。妻の親友が小和田さんの学殖に惹かれているとのこと、嬉しいことだ。小和田さんも私も、中公新書を出している。担当編集者の青田吉正さんに感謝しようと、同じような著者の十数人で「青田会」を持った。そのときに小和田さんと始めて会った。それ以来著書の贈答が続いてきた。
こんど貰った自伝も戦国大名の読書体験もすてきに佳い著書である。
* 三好徹さんの大正時代批評は、「情死」三例からはじまり、次いで「労働運動」の実況と時代の激動とを読み継いでいる。作家としても見過ごせない大事なところだ。
* そして興膳宏さんには、中国の哲学や詩文の、人と境涯とを、興趣に富んだしみじみとした観察や紹介や解説で楽しませて貰っている。いっぱい此処へも紹介したいのだが、もう眼がつぶれかけている。
2014 4・7 150
* 『風の奏で』を下巻前まで読み返した。このような小説は、断言していい、わたし以外の誰にも書けない。読み切れる読者も多くは亡かろう、文藝春秋がよく出してくれたと感謝する。橋田二朗先生に描いてもらった装幀もわたしは大好き。
2014 4・8 150
* 聖路加感染症内科の受診。血液・尿の検査に異常なく、貧血も改善され、肝臓も綺麗ですと。ここで貰う三種のビタミンは信頼して愛用している、妻も。安定剤のリーゼも出して貰った。今日は見通しよく、一時半予約が二時半には解放された。それなのに、遅い昼食の店えらびに失敗し、結局、ニュートーキョーのビヤホールでビールとピザ゜という鈍な選択と相成った。
なんでビヤホールへ入ったか。或る本で、酒の最後の到達点はビールと自他ともに許すらしい酒博士が言っていて、缶ビールの徒には分からないとあった。なるほど家では缶ビールだと反省して、ビールの巧さをじ旨さを実感してみたくなった。べつだん、なんとも感じなかった。仕方なく、ピザを囓りながら、「清経入水」の原稿にルビ打ちをして過ごし、電車ではレマルクの『凱旋門』を読みながら帰った。保谷駅でタクシーを延々待った。歩く元気がなかった。
2014 4・9 150
☆ レマルク『凱旋門』より
本というものは、不思議なものだーー自分にとってだんだん大切になってくる。本はあらゆるものの代りになるというわけにはいかないが、しかしほかのものでは到達することのできないところへ到達する。 (或る時期、ラヴッイク医師=)彼は本には手を触れなかった。実際に(=政治的・世界的・外的に)起ったことにくらべたら、本など生命のないものであった。それが(弾圧され、逃亡を余儀なくされている=)いまでは一つの壁となっていてくれるーーたとえ保護してはくれないとしても、すくなくともそれに寄りかかることはできる。大した助けにはならない。が、暗黒にむかってまっしぐらに逆行している時代に、最後の絶望から護っていてくれる。それで十分だ。
* まったく同じ実感をわたしは、今まさに、抱いている。だから、読み、だから読んでもらおうと書いている。わたしは、ラヴィック医師の生きた時代と質的に変わりない劣悪で危険な日本に生きている実感のまま毎日を「堪え・起ち・生きている」つもりだ。
* 春うららか。庭に降りて、咲いたいろんな花に目をちかづけ、カメラにも。海棠、しゃが、木瓜、木蓮その他名も知らないいろんな花。花が好き。酒より好きかも。
2014 4・10 150
* レマルクの『凱旋門』が映画になっていたか確信はないが、シャルル・ボワイエがラヴィック医師を、イングリット・バーグマンがジョアン・マヅーを演じていた気がしている。暗にわたしがそう望んで配役しているだけなのかも。
二人の恋はむずかしい隘路をすり抜け行き当たっている。マヅーはラヴィックに、こんなふうにも叫んでいる。
わたしは夢中にならないではおれないの! わたしは、自分に気違いのようになってくれるひとが必要なんです! わたしがなくては生きられないひとが必要なんです! あなたは、わたしがなくっても生きることができるわ! あなたは、いつだってそうでした! あなたは、わたしなんかいなくってもよかったんです! あなたは冷たいのよ! 空っぽなのよ! あなたって方は、恋というものがどんなものか、ちっともわかってないんです!」
ラヴィックはジョアンの気持ちがわかっている。彼にもおなじ思いがある。だが、同調を表には出さない、出せない。彼には、復讐心に燃え危険を冒してもつけねらっている冷酷で残虐なゲシュタポ高官がいて、接触もまぢかに現実化している。
「真実というものは、しばしば嘘のように思われるもの」だと彼は考えている。涙をいっぱい流しているジョアンに向かい、彼は微笑して、「恋って、あまり楽しいもんじゃないんだねーーときとすると?」と言い、マヅーは彼を見つめたまま「そうよ」と言葉を継いでいる、「わたしたち、どうしてこうなんでしょうねえ。ラヴィック?」と。
* 「恋って、あまり楽しいもんじゃない」だけでなく難しいものでもある。グレアム・グリーン『愛の終り』第二部の冒頭で、語り手の作家ベンドリックスは、「不幸感は幸福感よりも遙かに語り易い」と言っている、「失恋に陥って、われわれは自己の実存を自覚するらしいのである、たといそれが厭うべき利己主義の形においてであっても」と。彼は自分だけが不幸感に溺れていると思ってサラアを憎もうとすらしていたが、サラアは彼よりも心から彼を愛して、傷つき不幸だった。二人の愛は、ことばでは購えずことばでは誤魔化せない。サラアはひそかに書いている、「ーー私がヘンリ(=夫)にも他の誰にもしなかったような触れかたで彼(=モオリス・ベンドリックス)に触れなかったらーー私はあなた(=神様)に触れられた(=信じ得た)のでしょうか? あんな風に触れたので、彼は私を愛し、他のどんな女にもしなかったような触れかたで触れたのでした」と。サラアは叫ぶように手記している、「私は(神様あなたなど気にもかけなかった=)昔の私のように、ただもう彼が欲しくてなりません。 モオリスが欲しゅうございます。あり来りの堕落した人間の愛が欲しゅうございます」と。サラアにもモオリスにも、この上ない互いへの敬愛をともなって、俗悪で自涜的な世上の「猥褻」は一切「無意義」なのだとわたしは此の愛し合う「ふたり」を読んでおり、その読みを肯定しつつ、今も、仮称ながら、小説『ある寓話 ないし猥褻という無意味』を書き継いでいる。わたしの筆は多くの普通の読者を驚愕させ作者を憎ませさえするであろう、が、書き上げずに済まない、たとえ生前に公開はできなくても。
「私はモオリスが欲しゅうございます。あり来りの堕落した人間の愛が欲しゅうございます」
これほどの誠のことばはよほどの文学作品ででもなかなか聴けない。モオリスは敢然とした語気で言いきっている、「男と女が愛しあえば、二人は一緒に寝るのだ。これは人類の経験によって実験され証明された数学的公式だ」と。むろん「愛」がかほどの確信にふさわしいならば、である。
ベンドリックスは言う、「ぼくは疲れているし、きみなしで暮らすことが死ぬほど厭になっているんだよ、サラア」
「あたしもよ」
ベンドリックスは確信する、「これは、わたしたちの結びつきのすべてを通じて鳴りわたっていた合図の口笛の節のようなものだった。『あたしもよ』ーーさびしさにつけ、悲しさにつけ、失望、悦楽、悲観、あらゆるものを共有しようとする要求がこれだった。」
恋をするなら、こうであろう。
2014 4・12 150
* レマルク『凱旋門』を初めて読んだのが何十年前のいつごろと記憶しないが、一つだけ忘れがたく覚えていたことがある。作のどの辺でだったかも分からない、ただ、あるナチスドイツからの避難民が、秘蔵の繪、ゴッホやゴーギャンやセザンヌやルノワールの繪を巻いたかたちで命より大事に持って逃げ隠して逃げながら、一枚ずつ身を切る思いで金にかえ生き延びねばならない。逃げて行けるさきも査証や旅券や証明書の問題でじつに難しく限られてくる。
ハイチ、ホンジュラス、サン・サルヴァドール、「それから多分ニュージーランドもね」
「ニュージーランド? そいつはえらく遠いじゃありませんか?」と、ラヴィック医師が口にした。と、打ち返すように、
「遠い?」と、ローゼンフェルトは言って、悲しそうに微笑した。「どこから?}
この「どこから遠い」のかという即座の反問と絶望の深さにわたしは、慄然とし茫然として彼の絶望を共有した、そう電気に打たれたように感じた。
遠い近い。それは定住し安住し得ている者にだけ謂える、特権に同じい。ナチのゲシュタポに追われてヨーロッパ中を逃亡し避難し潜伏し生き延びている者には、遠い近いをいう原点が喪われている。現在、西東京ずまいのわたしと故郷京都の距離は一定しているね。近くも遠ざかりもしない。しかし、もしローゼンフェルトやラヴィックのような逃亡や潜伏の境遇に追い込まれたなら、ある時は北海道に、ある時は佐渡島や沖縄や足摺岬などに隠れ住んで、明日の行方も覚束ないだろう、どこからどこへが遠いか近いかなどお話にもならない。
こういう境遇がいつ無辜の人たちを襲うか知れない。『凱旋門』を初めて読んだ頃のわたしが日本に絶望しかけていたとは思い出せない、むしろ希望を持って自身の小説世界を培おうとしていたに違いない。
しかし今はどうか。安倍「違憲・好戦・国民支配・利権追究」総理や内閣や自民政治のもと、いつ日本はアメリカにすげなく見捨てられ、いつ中国やロシアや朝鮮半島からの国土分け取りの結果を招くだろうような愚かな紛争・戦争に及ばないとは言い切れぬ危うさに在る。なんども言うが、日本は地続きのヨーロッパや大陸とはちがい、海という壁が絶望の深さをきわ立たせることが案じられる。
軍隊と軍備とを増強した覇権志向国家に日本はわずかに海を隔てているだけで、事実上包囲されている。おそろしい事態が跫音たかく国民の最大不幸という重荷をさげて迫りつつあるという自覚、それ無しに生きてあるとは、ああ、なんということか。
2014 4・13 150
* テレビや新聞の「政治がらみの報道」を嫌って避けがちになっているのが情けないのだが、あの不愉快には限度がない。『凱旋門』のラヴィック医師が言っていたように、まこと、本が、優れた本が、魂のための壁に成ってくれているのを感じる。
2014 4・13 150
* 昨夜眠りそびれて夜中に多く本を読んでいた。その眼疲れもあってか、永い一日の何度か眼をふさがれ、とても疲れた。仕事にも根をつめた。十一時。黒いマゴの輸液をしたら、やすむ。
2014 4・14 150
* 大昔といっても中世頃からの学習や勉強に勤しんだ子弟は何を習っていたか、教室で教わったこともある。外来の典籍はべつにすれば、『庭訓往来』の名をよく聴かされ、さらには『実語教』『童子教』といった名も聞いていた。時には北条泰時らが編纂した『貞永式目』も子弟の教科書になった、ただし前三書にくらべて武士社会の特殊性を帯びた法度集なので、「読み」「書き」つまり文字を覚える目的が大きかったろう。前三書でもむろん文字の読み書きを大事にしていた上に、やはり書かれてある内容が指導性を持っていた。『実語教』四九条、第一条に「山高故不貴 以有樹為貴」と読めば、どんな教育かはおよそ察しうる。今日のわれわれにも如何にそれらの教訓が良かれ悪しかれ浸透しているかは実感できる。「童子教」は一六四条もあり、例えば「口是禍之門 舌是禍之根」だの「人而有陰徳 必有陽報矣」だの、身に染みついたような文句が並ぶ。狙いはよく分かる。いまも愛読している『十訓抄』などもこれらのいわば上級書と謂えようか。
『庭訓往来』は、ことに広範囲に実用も読み書き勉強も兼ねて用いられていた。「庭訓」とはいわば先人からの「教え」であり、「往来」はこの場合「往復書簡」をおよそ意味している。明治になっても、私の手元にいまも有る「通俗書簡文範」などもその流れであり、よく見ていると一葉女史も書いていたりする。手紙を書くというのは、商売や交際や処世上だれしもの必要であった。要件を書くとともに季節への挨拶や趣味の滲み出ることも大事であったなら、なすなすこれこそが素養として重んじられたにちがいない。
一転して今日、もはや手紙を書く人は「趣味人」か「高尚なお人」で、大方の人が「メール」という機械文を愛用している。しかもその「往来」に「庭訓」ふうの指導は無いも同然なのだから、今日そういう方面の「庭訓」も「教」も地を払って不必要になっている。文字を覚える必要もない、機械が出してくれる。繪文字のはんらんが、感情の表現を便宜に画一化してくれる。
こういう視点からの批評や論攷がまだ本格に出てきていない気がするが。有るのか。不要なのか。
2014 4・15 150
* そんなことより何よりも今日のビッグニュースは、元の細川総理と小泉総理とが、都知事選の第二幕として「脱原発 国民運動」を立ち上げるという。精しいことはまだ知れないが、大見出しだけでも異議無く共鳴し、可能ならば応援も声援も惜しまないと言っておく。小泉お得意のサプライズを利かせつつ、かけ声だけに終わらない実質的な運動体を組織して欲しい。やるなら勝てる運動をと切望する。今日、これに勝る政治運動は無い。「安倍を倒せ」の声が津津浦浦に渦巻き起こるように希望を持つ。
* と、言いつつ、いままた陶淵明代表作の一である「帰園田居」を一気に読んで、深奥に開ける清閑の境涯を願いかつ憧れていた。私のこれは、矛盾撞着であるのかと惑う、否と内に答えつつ。
* 黒いマゴの輸液は、わたしの膝に載せて、妻が針を皮膚と肉とのあわいへ入れる。はやくても十数分、点滴の点が短いと二十数分もかる。そのあいだ、わたしはマゴのからだを抱えてやりながら録画の映画を観る。この二日ほどアンソニー・クインが力演の「バラバ」を観ている。慣例に従いイエスかバラバかと問われたユダヤの民は、イエスの磔刑をと叫んだ。ならず者のバラバは命助かり、不思議の運命をたどってローマで剣闘士として勝ち残り、自由民になる。そして、いま、そのローマが燃えている。
基督教が、どのようにして、ギリシアやオリエントの文化を下敷きにしたローマで、ついには国教たり得たのか、わたしは、その関連の歴史映画を見逃さないようにしている。辻邦生さんの超大作『背教者ユリアヌス(皇帝)』も興味津々読んだ。
基督教の魂にはすぐれた光輝を見ないわけに行かない。しかし基督教という専制君主で巨大領主でもある組織宗教にはとてもついてなど行けない。基督教からほんとうに高貴なものを得たいとは願っている、それは荘子や老子やブッダに願うのとまったく同じなのである、わたしにすれば。佳いものは佳い。宗教も文学藝術も、変わりない。囚われてはいけない、汲み取るのだ。
2014 4・15 150
* 小和田哲男さんの『戦国大名と読書』『戦国史を歩んだ道』、興膳宏さんの『杜甫のユーモア ずっこけ孔子』 色川大吉さんの『追憶のひとびと』 三好徹さんの『大正ロマンの真実』五冊を、ただいま愛読している。みな単行本。手には重いけれどどれもが惹きつけ読ませる。
2014 4・16 150
* これがわたしの「部屋」かと、見まわしている。みまわすなど適切な物言いではない、六畳の狭い上に狭苦しい小部屋だが、幸いいま向かっている機械の左かた壁面に作りつけて、頑丈で大きな木製書架が相当数の大判書籍を収納してくれている。右手には白い障紙窓が戸外の光を入れている。
部屋の中が「コ」の字に机で囲われ、その狭い真ん中の廻転倚子一つで、三面に一つずつの機械を使っている。まともに歩ける通路はなく、立っての移動はみな蟹歩きするしかない。そして沢山な本、本、の行列。湖の本もみな手の届く近くに。プリンタ、スキャナなどの機器類に覆い被さってわけのわからなくなりそうなメモや紙や小道具や筆記具が散乱している。
それでも、此処はなんとも温かい。家も庭もボロの山にして世間の顰蹙を買う人がときどき報道されるが、当人にはたまらなくその世界が温かで住み心地がいいのだろうとわたしは想ったりする、はたの人には迷惑に相違なかろうが。
わたしがやがて死んだなら、この部屋はどうなるかしらんと、しみじみ眺め回していたりする。タバコを吸わないわたしの、それが休息なのである。誰一人の役にも立たない本やモノばかりで充ち溢れているのだ。無一物の境涯に憧れながら堕落を重ねてきたんだなと苦笑いが湧く。
こんのゴモクをどうしようと悩ませまいためにも、成ろうなら自分の手でシマツをつけておきたいが、どの本もどの資料や道具もわたしの「身内」ではあるのだ。
悩ましい。そんなとき、陶淵明全集を手に取る。開いた頁の詩を黙々と読む。
2014 4・19 150
* レマルクの『凱旋門』では、いまやドイツの攻勢をおそれ、パリも灯火管制の闇に沈み、避難民やユダヤ人はアメリカや南米等へ遁れたくても遁れにくいアイデンティティの不安に暗澹としている。「ドイツ軍はポーランドをとるでしょう、それからアルザス・ローレンスをよこせっていうでしょう、そのつぎは植民地。そのつぎは何かほかのものをよこせとくるでしょう、しまいにはみんな投げだしてしまうか、戦争しなくてはならなくなるまで、いつまでも、もっとよこせ、よこせですよ」と、避難民達を非合法に入れている安ホテルの女主人はラヴィック医師に話している。またある男はこう彼に話している、「親爺はこのまえの戦争で殺られました。祖父さんは一八七○年に殺られました。わたしも明日行きます。いつまでたってもおんなじこってすよ。こんなことをもう二百年もやってきたが、どうにもなりません。また行かなくちゃならんのです」と。
いまクリミヤのロシア占拠につぐ東ウクライナ状勢を念頭に想えば、上の「二百年」は、かるく「三百年も」と推移しているに同じい。そしてこれが「よそごと」ではない、日本列島に実は同様の憂慮・脅威が迫り続けて、われわれはすでに日本領空の自由」を、「首都上空の自由」をすら米軍にガツンと抑えられているし、極東の隣国もまた虎視眈々と日本領土の蚕食を考え続けている。
おそろしい。だから、どう在るべきか。安倍「違憲」内閣は、交戦権と軍備を第一義に、核兵器志向をすらもはや露わに仕掛けている、が、それが本当に聡明で確実性のある政策であるか、いまのところ、わたしには大いに疑わしい。日本の外交下手は歴史の証するようにほぼ絶対的に否めない。そもそももはや鎖国で逃げられる世界事情ではない。経済で勝ち抜けるとももはや思われない。労働力も、かりに兵力を算定しても、とても他国に対抗できる現実味がない。
なにが誇れる日本であるか。政治でも経済でも軍備でもない。文物と技術と自然と歴史が築いてきた、またこの先も築いて行ける文化力を願うのが、ひ弱そうでも本格の本道のように思われて成らない。
2014 4・20 150
* 『凱旋門』ではとうどうラヴィック医師が、パリに遊んでいたゲシュタポの怨敵ハーケを徹底的に殺した。いま、貴婦人ケート・ヘグシュトレームは骨と皮になりながら医師に見送られてアメリカへ帰っていった。そしてジョアン・マヅーは今、男に撃たれ、医師は懸命の手術を施したけれど死にかけている。作中を嵐が吹きまくっている。
レマルクは処女作『西部戦線に異状なし』以降『凱旋門』を含めて、たったの七作しか書いていない。しかも世界に鳴り響くほどの大作家であり超級のベストセラーであり、その主題への迫り方、表現の緻密さ、優に文豪と称していい。なんども言うが、若い読者達にぜひ触れ合ってもらいたい。
2014 4・20 150
* 『凱旋門』新潮文庫上下巻を読了。佳い読書だった。人物のだれもかも生きていたこと、無類の感銘。ラヴィック、ジョアン・マヅー、ケート・ヘグシュトレーム、モロゾフ、ローランド、淫売宿の女主人、安ホテルの女主人、みな忘れられない。
作の題に登場人物の名が出ていれば、それは覚える。オデュッセイ、シェイクスピアの四悲劇、若きヴェルテル、フアウスト、アンナ・カレーニナ、モンテクリスト泊、ゲド、ボヴァリー夫人、アイヴォンホー、チャタレイ夫人等々。そうでない作で作の人物名をあたりまえに覚えていることはそう多くない。『凱旋門』のラヴィックは出逢った昔からなぜか特別の人物だった。
今度の読みには、つらいほど「日本の悪現状」がうち重なってきた。ただヒットラーの昔ごととは思われなかった。胸をしめつけられた。しかもそこに生きる人たちの智慧と善良と気品。
2014 4・21 150
* 『風の奏で』を夢中で読んでいた。場面は仙台へ–動いている。眼が、だが、ギトギトしてきた。
2014 4・22 150
* 書庫へ入って、本の点検を始めたが、仕事にならない。もともと不要と思うような本は置いてない。棚を一段アケルにさえ辛い思いをする。一つには、どうするのか、がある。①捨てるとという処分、②図書館や施設へ寄贈するという処分、③適切な人に差し上げたいという処分。 どれも選別が難しい。いろんな人を書庫へ招いてお好きな本は差し上げますと言いたい気持ち。そんなことは出来そうで出来ない。なによりわたしの愛着が一冊一冊に濃い。だが、強引にでも書棚を空けねば遺したい本が収容できない。この試み、何十遍繰り返してもまるで進行しない。
まだ書庫は冷えている。長い時間いると、息ぐるしく胸も痛んでくる。それでいて手にした本をついつい読んでしまう。わたしの関心からまるで逸れたような本は一冊も置いてないはずなのだ、仕様がない。
2014 4・23 150
* 昨日、われながら驚くほど腕も脚も働かせた、今朝も故紙回収の手伝いで重い束を幾つも運んだ。それから書庫に入り、とにもかくにも沢山な本に触れては積んだり崩したり読んだり思案したりし続けて、その間に胸が痛み始めた。筋肉疲労だけならいいのだが。
なにとなしダルい。目もよく見えない。書くのはさほどでないがたくさん機械の文章を読んでいた。眼精疲労もやむをえない。
休息がわりに黒いマゴの輸液を手伝いながらゲリー・クーパーの西部劇をたわいなく観ていた。観終えると、すぐぐれごりー・ペックの「アラバマ物語」が映りはじめた。それは後日の楽しみに電源を落としたが、もう仕事らしい仕事ができそうにない。
* 機械の文章は文字を大きくして読むようにしている。本も、文庫の字は小さいのが難で、辛いときは単行本の字の大きめのを読む。いま手にして愛読し続けている田能村竹田の画論『山中人饒舌』が読みやすく、読みやすければ自然惹きこまれる。
西山松之助先生の三回忌記念に奥さんから頂戴した『茶杓探訪』も読みやすく、かつ興趣に富んだ鑑賞と批評でもあって、手元に置いていてはもったいない気がするが、茶杓を自分で削るほどの人にあげたい、そんな人はめったにいない。札幌の真岡さんに削らないかと嗾しているが、返事がない。今日書庫に入っていて、やはり西山先生茶杓の図説ものがみつかり、懐かしかった。
漫然と図書館に入れるより、愛読もし愛蔵もしてくれる人それぞれに上げたい本が無数にあるが、問い合わすことも難しい。図書館学をすこし囓っていた朝日子がいれば、蔵書目録をつくってもらって、それを公開して希望者を捜せるといいのだが。
日本の古典、日本の文学史、近代文学、文学研究、作家論、作品論、伝記等々。そんなふうに歴史、美術、詞華集、それと事典、辞書が多種類。広範囲にいつのまにか揃っている。辞書は生涯大事に生かしてきたが、それでもまだ間違う。(フルメトロン点眼)。 2014 4・23 150
* 三好徹さんの『大正ロマンの真実』は荒削りにぶっつけの叙述だが、シベリア出兵と尼港事件の惨劇、血の復讐がすさまじく、また、朴烈・金子文子の天皇・皇太子への暗殺計画をめぐる知見に驚かされた。愛しあっていた二人の徹底した反体制姿勢の迫力に眼をみはった。政界の汚れや、総理や元老や華族たちの女をめぐるあれこれなどは、ただ気色悪いだけである。労働運動の勃興や権勢への徹底した批判のなかに、むしろ時代のロマンをわたしは感じた。
2014 4・25 150
* つまらんなあと思いながら、電車ではずうっと銭鍾書の『結婚狂詩曲』下巻を摘み読みしていた。書いている当人は得意で、訳している日本人も大いに共鳴しているらしいが、作に「品」がない。漱石の「我が輩は猫である」になぞらえ読むなど、おけやいと思う。
2014 4・26 150
* 朝、仕事にかかる前に陶淵明の一、二を読む。及ばずながら清爽の気に満たされる。失意の詩でも高揚の詩でも。生涯陶淵明集は手放せないだろう。唐詩選は和綴じ大判の五冊評釈本を愛してきたが、文庫本を手に入れたい。手近に置ける文庫本は文字は小さいが便利でいい。
2014 4・27 150
* 歯医者の帰り、江古田のブックオフで面白い小説の岩波文庫をと立ち寄ったが、気に入った物が見当たらず、岩波ではないキワモノの「京の魔界」探訪とか案内とかいう女性の書き物に手を出してしまったが、とんでもない雑駁至極の書き殴り本で、ま、予期していた物の呆れかえった。ブックオフ向かいの「中華華族」で、マオタイをダブルグラスに二杯呑んできた。
* 疲れた。晩はたいしたことも出来ず、「イ・サン」のシリーズでも最も劇的な展開の一時間を観てから、入浴。「八犬伝」とヒルテイと「結婚狂詩曲」という珍な取り合わせを少しずつ読み継いでいた。
2014 4・28 150
* 色川大吉さんに頂戴した『追憶のひとびと 同時代を生きた友とわたし』 を読み終えた。他人様の知人等の話を読み通せる物だろうかと思っていたが、色川さん造語である「自分史」という視座の確かさにひかれ、加えてわたし自身にも心親しい人たちの名前も散見されて、不思議に懐かしく全部読み終えた。『六十年代の主役は若者だった』というやはり色川さんの本を、わたしがその六十年代の若者の一人だった自覚もあり面白く励まされて読んだ記憶があり、それとの自然な推移と接合の感覚がもてた。
歌人の玉城徹さん、作家の井上ひさしさん、同じく松本清張さん、辻邦生さん、木下順二さん、つかこうへいさん、など、皆さん、大なり小なり接触や校章や敬愛がわたしにも合った。同時代人と感じていた。
高峯秀子、淡島千景、北林谷栄、千田是也らも、まるまるの他者ではありえなかった。
小田実、三島由紀夫、宮田登、奈良本辰也、網野義彦といった人たちにもわたしなりに強烈に接してきた。
なるほどなあ、人は人とふれあい、はじきあい、はなしあい、泣き笑いしながら一生をいきるのだ、そして「死なれる」「死なせる」のだ。それでも、いや、だからこそなお生きて行く。
☆ 「ベンジャミン・フランクリンは実にズバリとこう言っている、「余暇とは、何か有益なことをするための時間である」と。これを特筆しているのは、例の、ヒルテイである。
老子も荘子も、そうは言わない。あるいはその「有益」の意味も重みもはっきり異なるであろう。
2014 5・1 151
* 護憲派は大バカものなどとNHKの評議員とかで作家とやら百田という男がウツケた気炎をあげていると朝刊でみた。このごろの政治環境のウソ臭さというよりウソそのものが直に露わで、情けなく恥ずかしい。かりにも公僕たるもの、國の憲法への忠誠を誓わずに職に就いているそれ自体がおかしな間違いの基である。
こういう不快事を目に耳にして一日が始まるのが情けない。
* おおむらさき 紅い小椿 房やかに岩南天白う咲き垂れてをり 遠
心身を濯ぎ洗いたくて陶淵明の「移居」の第二節を挙げて、読み味わいたい。
陶潜は四十四歳で災厄にあい、かねて念願の南村に居を移した。第一節はおおよそこのように詩われている。「むかし、南村に住みたいと願ったのは、方角を占ってそう思ったわけではない。そこには素朴な心の人が多いと聞き、その人たちと朝夕顔を合わせたいと願ったからである。そうした考えを抱いてからかなりの年を経たが、今日、ようやく引っ越すことができた。わたしの住む家だ、何もそう広い必要はない。寝るところと坐るところがあれば、それで十分だ。近所の人々がよくたずねてきて、そのたびに昔ばなしに声がはずむ。また、おもしろい文章があれば、ともに鑑賞し、疑問があれば、一緒に研究し合っている」と。なんと清々しい境涯か。
そして第二節がつづく。
☆ 陶淵明 「移居」其の二
春秋多佳日 春秋には佳日多し、
登高賦新詩 高きに登つて新詩を賦す。
過門更相呼 門を過ぐれば更々(こもごも)相呼び、
有酒斟酌之 酒有らば之れを斟酌す。
農務各自帰 農務には各自帰り、
閑暇輒相思 閑暇には輒(すなは)ち相思ふ。
相思則披衣 相思へば則ち衣(い)を披(ひら)き、
言笑無厭時 言笑して厭(あ)く時無し。
此理将不勝 此の理 将(は)た勝らざらんや、
無為忽去 忽(おろそ)かに (ここ)より去るを為す無かれ。
衣食當須紀 衣食 當(まさ)に須(すべから)く紀(おさ)むべし、
力耕不吾欺 力耕 吾れを欺かず。
春と秋は晴れた日が多く、小高い丘に登って詩を作り合う。
門前を通りかかれば、たがいに声をかけ合い、酒があればともに酌みかわす。
野良仕事のときはそれぞれ家に帰るが、ひまになるとすぐ思い出す。
そしてさっそく着物をひっかけて訪れ、談笑して厭(あ)くことがない。
こうして暮らす道理こそ何よりもまさっているのではなかろうか。軽がるしくこの土地を捨ててよそに移るべきではない。
衣食はよろしくみずからの手で作り出すべきもの、懸命に耕作にはげめば、裏切られることはないはずだ。
* 真に恒久平和の意味を思いたい。
陶淵明等のような在るべき境涯は、この「南村」にのみかぎってはいない。東西南北、村にも町にも都会にも在って当たり前の「無事」であり「生活の楽しみ・励み」である。悪政の人たちは、こういう平和の創設と維持とに公僕として尽くすべき義務を忘れ果てて権力行使の支配欲に取り憑かれている。「安倍」の名が、マスコミなどで「幸福破壊。不幸実現の代名詞」と化して来かけているが、「迫る、国民の最大不幸!」とは、安倍「違憲」内閣の発足と同時にわたしが掲げておいた予言であった。不幸にして予言は日々に露わに過ぎつつある。
」をまた読み終えた。原題の「愛」はLoveではなく「Affair=情事」であり、しかもサラアもベンドリックスも真実深く深く命を賭して愛しあっていた。いわば引き裂くのは「神」であり「カトリック」なのである。サラアはドイツの空爆に目の前で死んだ(と)思ったベンドリックスの復活を一瞬神に願い、願いが聴かれれば彼との愛をあきらめ、神を愛し信じますと誓ってしまうのだ、斃れていたベンドリックスは起ち上がるのである。ふたりは爆撃の直前にもまはだかで性愛の情事にひたむきに交わっていた。サラアにとって性愛という彼との情事を喪うのは死に優る辛さ悲しさであり、そしてサラアは打ち捨てるかのように死んで行く。ベンドリックスは神を憎み神を畏れつつ生きねばならぬ。
グリーンのカトリシズムにわたしは特には惹かれず関心もうすいが、サラアに生きベンドリックスに生きていた「Affair」と謂う性愛の肯定の強烈さには打たれる。それは晩年を生きるわたしの文学の一つの主題であるだろう。
2014 5・4 151
* ときどき京都の飴を含んでいる。血糖値を気にしながらも、あまいモノはうまい。十時半、そろそろ休みたいが、もう少し眼が見えるあいだ、「雲居寺跡」を読みたい。
* 粟田で玉丼を食べ、山ふところ尊勝院の日だまりで初めて「雪子」とキスした場面を懐かしく読んだ。
2014 5・5 151
* 森鴎外作、深作監督の映画「阿部一族」を久しぶりにテレビで観る機会を得て、したたかに哀哭、胸を絞られた。わたしは十数年以前であろう初めてテレビで観て感動し、録画で繰り返し観て、もし只一つテレビ映画で日本の名作をと問われれば、まして歴史映画の突出した傑作はと問われれば、なに迷いなく此の「阿部一族」を挙げると言い続けてきた。それで間違いなかろうかと久しぶりに観て、その確信を新たにした。堪えがたく声を放つほど哭いた。
言うまでもない、鴎外は希有の大作家であり文豪であるが、その第一等の名品はと問われれば、これまた躊躇なく昔から『阿部一族』と見極めてきた。揺るぎもない。六林夫の「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」の名句を知って以後、ますますその思いを強くした。六林夫の句は、無季題ながら優れた戦争文学と大岡信さんは書いていた。然り、その通り。敗戦の季節と重ねれば「遺品あり」が強い季題になっている。
わたしの、政治というよりも、権勢・権力、支配・被支配、武士の忠義忠君などに対する憎しみに近い拒絶の思想を培ったものは、真っ先第一にこの鴎外作『阿部一族』であり、さらに確乎として憎しみを加えしめたのが深作映画の「阿部一族」であった。今も確実にそうである。湖の本で三巻の「ペンと政治」を編んだのは最近のことだが、政治悪、支配悪、権勢悪を心底憎む気持ちは、もうすでに高校時代に読んだ「阿部一族」に思想的に決されていた。
いま、心新たに、それを確認しておく。
山崎、蟹江、佐藤、真田、また一族の妻子らを演じ隣家の妻女を演じた女優子役らのだれもかもに、この映画での演技こそ一世一代の名品であったよと賞賛したい。
何度でも何度でも大事に録画してあるした此の映画を見直し見直して憎悪の念を手放すまいと思う。
* 批判すべきを批判し、怒るべきを怒り、起つべきに起つのは、自然でもあり必要でもある。看過し黙認し関わることを避けて大様がり超然がる人をわたしは敬愛しない。それだけに、批判も怒りも、また決起も、深切であらねば。情意において、態度において、、行為において慎み有るべきは当然である。
2014 5・9 151
☆ ヒルテイに聴く 「眠られぬ夜のために」より
* キングスレイの大へん美しい言葉に、「人のこころを見て慈悲を持て。行いだけを見て責めるな」と。これは神の教えにもひとしい。どこの法廷にも掲げておくべきであろう。その逆に、正しい心情から出たものでない行為を高く評価するな、ということもまた真実である。これは歴史の教室に書いておくべきであろう。
* 宗教上の事柄においては、ただ限りない誠意と真実のみがたいせつである。なんら精神のこもらぬあらゆる形式主義、たとえば、うわのそらでの祈り、かたちばかりの教会通いや礼拝・参拝などは、信仰・真実に益すると゜゛ころか、有害である。
* 人との交わりにおいて、最も有害なのは虚栄心である。虚栄心はつねに見すかされる。虚栄心は決してその目的を達しえないのだから、悪徳のなかでも一番ばかばかしいものである。
* もしあなたが憂鬱であったり、フアンであったり、そのほか不機嫌なときには、すぐ真面目な仕事にとりかかりなさい。普通みんながするように、なにか享楽や気晴しでもって、陰気な霊を追い払おうとするよりもはるかに有効である。
2014 5・10 151
* ラ・ロシュフコーの『箴言集』と、ブルフィンチの『中世騎士物語』を買ってきた。またまた新しい視野がひらけるだろう。
2014 5・16 151
* 南山城の従弟が送ってくれた京都博物館での「南山城古寺巡礼展」の大きな図録を楽しんでいる。わたしの父方実家吉岡家は、現在木津川市加茂町当尾に屋敷があり、一帯の大庄屋を務め、廃仏希釈の頃には浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂を身を以て守ったと洩れ聞かされている。当尾地区には、平安時代の浄瑠璃寺、奈良時代の岩船寺、さらに上古來の石仏群が現存し、加茂町にまでひろげれば海住山寺等々の古刹。古京が含まれている。図録は、貴重な建築、仏像、美術、文書資料等々を克明にみせて呉れる。
若ければ、乗り出して書き表してみたい「物語」がいくつも浮かび上がる。何をするにも、もう残り時間が切迫している。
2014 5・18 151
* ラ・ロシュフコーの『箴言集』 まずは通読しようと。ほんものの箴言とは天然玉成の叡智の言葉であるが、人間の歴史の可笑しさで、そう在るはずの箴言に似せた思索や直観の産物を競うように人造していた時代がある。ラ・ロシュフコーのそれなどそういう作りもの箴言の最右翼で。なかなか辛辣に的を射た感じの断案が数多い。まずは、素直に順に読んで楽しもうと思う。
「42われわれはあくまで理性に従うほどの力は持っていない。」 2014 5・19 151
☆ ヒルテイに聴く
本物の謙遜は、自分のものでない力が与えられているという不思議な気持ちである。 これだけが無害な力の実感である。 このような謙遜はただきびしい苦難の時期を堪えて初めて人の心に生じるものである。
2014 5・19 151
* ラ・ロシュフコー『箴言集』の核を成している多義そのものの一語に、「自己愛」(アムール・プロプル)がある。我、我執、利己心、自負、自惚れ、と並べば、わたしなど真っ先に槍玉にあがる。加えてエゴイスム、エゴチスム、ナルシシスム。この三語はラ・ロシュフコーの頃のフランス語には存在しなかったが、やはり「自己愛」と切り離せまい。例えばルソーもサルトルも、もっともっと大勢の泊め胃の人たちが、かかるラ・ロシュフコー『箴言集』に猛然と反発し嫌悪感を露わにしてきたといわれるが、耳に痛いことも、ことさらネジコム感じに言いつのられたラ・ロシュフコーの「箴言集」なのである。だからこそ聴くべきも含まれている。その強烈なシニシズムもまた彼自身の誰よりも強烈な「自己愛」なのであり、彼はそれを十分自覚し承知の上であげつらっている。わたしはそう読みつつある。
巻頭のエビグラフと第一頁を挙げてみる。
☆ ラ・ロシュフコー 「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。」
1 われわれが美徳と思いこんでいるものは、往々にして、さまざまな行為とさまざまな欲=アンテレの寄せ集めに過ぎない。それを運命とか人間の才覚とかがうまく按配してみせるのである。だから男が豪胆であったり、女が貞淑であったりするのは、かならずしも豪胆や貞淑のせいではないのである。
2 自己愛=アムール・プロプルこそは あらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである。
4 自己愛は天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である。
* きつい手傷を覚悟しつつ、当分ラ・ロシュフコーの創作した「箴言」たちと向き合ってみよう。
2014 5・20 151
* 夜中三時頃、淋しそうにしている黒いマゴのそばへ行ってやり、少し酒を飲んだ。床へ戻ってから本を読んだ。鍾銭重の『結婚狂詩曲』下巻を読み上げた。上巻では少し投げたくなっていたが、下巻でなんとも頼りない婚約から結婚が成り立ってからり夫婦のひっきりなしの鍔競り合いに引かれて読み通した。「中国人」てこうなんだと何だかヤケにリアルに分かったような気がしてしまうところが味噌だった。かなりのど根性批評であったが、読み返すことはないだろう。しかし、夫婦・結婚にはこういう面があるのだなあと、いささか忸怩とした気分も味わった。
『中世騎士道物語』が関心のアーサー王まで来て、その伝奇的な面白さへズブズフし入ってみたい気がしている。
2014 5・24 151
* やっと入浴。ブルフィンチの「神話」「騎士物語」「八犬伝」「ペスト」そして「箴言集」と「眠られぬ夜のために」をゆっくり読んだ。
2014 5・27 151
* 永栄啓伸さん平成二十年の『秦恒平「初恋」論 連鎖する面影のなかで』を、浴室で、全編読了。感謝。「初恋」論は原善くんのを昔に読んでいる。永栄さんの注記によれば、桶谷秀昭、進藤純孝、笠原伸夫、上田三四二さんらが当時論じて下さっていたらしい。有難い。「初恋」は今回選集②のために読み直してひとしお懐かしくまた必然の作、自分自身こういう小説をこそ読んでみたくて、誰も書いてはくれないから、自分で書いたのだなあと思い知った。どんな作も、そうなのだ。そういう作を幾つも持っていることをわたしは今にして新ためて幸せに感じる。「清経入水」「雲居寺跡 初恋」「風の奏で」もそうなら、「秘色」「みごもりの湖」もそう、「或る雲隠れ考」「慈子」もそう。それら全部の原点に処女作といえるほどの「畜生塚」が、ヒロイン町子が在る。おもしろい人生であった。そして今しも締めくくりになるであろう三通りほどの新作を書き進めて投げ出していない。楽しんで苦しんでいる。
2014 6・1 152
* ブルフィンチの「中世騎士物語」を、同じ著者の「ギリシア・ローマ神話」以上にといえるほど面白く読んでいる、教えられている。アーサー王、騎士ランスロット、騎士トリストラムなど、また王妃グィネビアや王妃イゾルデなど、わたしが好んでみる西欧の歴史映画劇でちぎれちぎれながら懐かしく昔から観てきた。こういう本を読まなかったかわりにその方面の映画は神話も騎士道ものも勉強でもする気持ちで見逃さないで来た。いま、そんな小刻みな知識や映画体験を整頓して貰っているわけだ、ブルフィンチの二册に。
* 露伴随筆の驚異的に精微な大作「音幻論」の面白さも、途方なく日本語の素質を微に入り細をうがって説きやまぬ「理解」の妙に在る。こういう真似は、文豪は何人もいたにしても他の文豪には思い及ばなかった、匹敵する仕事を他の方面と命題とで成し遂げていたのはやはり、森 外か。
* 後拾遺についで「拾遺和歌集」の撰歌も「恋二」まで進めているが、「後撰和歌集」からも選び始めた。長編小説「秋萩帖」を書いたときから「後撰集」に惹かれていた。だがこの集は相聞や贈答や状況歌が多く、自然詞書が豊富になり、説明抜きの和歌だけ一首の自立を重んじてきたわたしの撰歌には馴染みにくいとその作業は避けていた。しかし、裏返せばそれだけの分は物語的に面白いのである。楽しんで、後撰・拾遺を読みに読んで秀歌を選んでいる。だからどうする、といった欲はない。文庫本とペンさえ持っていれば、どのような雑踏の中ででもたちまち十、十一世紀の京都に、日本に心を遊ばせることが出来る。醜い現実の日本や世界からただ逃げていると嗤う人は嗤うだろうが、措かんかいとわたしも笑う。
* ラ・ロシュフコーの「箴言集」は、今は通読して、共感できるモノ、そうかもしれんモノ、理解できないモノに単に分別していっている。そのあと、一つずつ吟味して自身に対しても反問したい。
そしてヒルテイの「眠られぬ夜のために」一部も二部も素直な心地で読み込んでいる。こういう真摯な本は半端に抵抗しながら読んだりすれば、傷つくのは自分である。聴くに値すれば敬服して聴き続けている。この本も通読し終えたあと、静かに反芻するように読み返したい。
* 「八犬伝」の二度目読みは、新兵衛仁が京の管領政元屋敷に軟禁されている。まだ先は長い。おそらく此の作はこれでもう読み上げにするだろう、しっかり最後まで再読を遂げる。
カミュの「ペスト」が意外に捗らない。おそろしく緻密に目のつんだ文学である。慌てずに十行また二十行と読み進んでいる。
もう一つ停頓しがちなのが、エドガー・アラン・ポー。意図的に創り立てた「不幸」「悪徳」「悲惨」等々が、せっかくの幻想美を陰気・陰惨にしている。
2014 6・2 152
* 編著・人生をひもとく「日本の古典」四『たたかう』(岩波書店)、佐伯さんの著『建礼門院という悲劇』(角川書店)を頂戴した。さっそく読みたい。
そうさくという名での著書が、専攻の研究者からも顧みてもらえる、そういうことにもわたしの喜びはある。ことに「風の奏で」は、もし一点に絞って謂うなら「わたしの建礼門院徳子」を産んだことに、意義も喜悦もある。「清経入水」では「わたしの清経」を、「雲居寺跡」では「わたしの源資時」を、「絵巻」では「わたしの待賢門院」をまさしく産んだ。小説家として新たに産んだ。創作とはそんな仕事だ。
2014 6・3 152
* 雨の歯医者通い。気重いが。眼が疲れて、視野が滲む。そんな眼で、もういちど「隠沼こもりぬ」を読み返している。
* 歯医者への道中には、濡れては困る「湖の本120」のゲラでなく、文庫本の「拾遺和歌集」とブルフィンチの「中世騎士物語」を
持って出た。アーサー王、騎士ラーンスロット、ガウェイン、その他多数の騎士と貴婦人達とのロマンそのものの説話の面白さに出先も雨も忘れがちだった、わが朝十一世紀の恋の和歌もしみじみと。いやな現代から次元を超えて遊ぶことは、身に付いた得手である。絵空事の不壊の値を現じ体しきれなくて、何が文学だろう、藝術だろう。 2014 6・6 152
* 起床8:30 血圧134-69(55) 血糖値87 体重68.6kg
* なぜこう睡いのだろう。夜中三時から四時まで目を覚まし灯をつけて本を読んだからか。家に黙然と帰ってきている朝日子と碁を囲んだり、朝日子が一円の金も持っていないのに気がついて、自由になるある程度の金額を与えようとしたり迷ったり、気の重い夢を見続けるのがキツかった。「中世騎士物語」の前半「アーサー王とその騎士たち」を読み終えた。幼い頃、武士の「武者修行」という潔癖な克己の行為に好意をもっていた。自分も一つそれを書いてみようと思い立って忽ち挫折した体験は何度か告白してきた。騎士達の行状にはもっと華麗な装飾がついてまわる。高潔な勇気と武術だけでない、王への中世と貴婦人への拝跪の愛。さらには円卓、聖杯、聖剣。そして史実とも架空の伝説とも蒙昧として判断しきれない不思議さ。まさしくロマンスであり、わたしには許容できる傾向がある。
それは、ま、いい。アーサー王と王妃ギニヴィア、騎士ラーンスロット、騎士トリストラムと王妃イゾーデ、騎士ガウェイン等々の闘志や殉情、誠実そして信仰。それは、十分それでいい。映画・映像・文藝からの断片ながら素地も持ち合わせていた。
これから気になるのは、このブルフィンチ著の後半で、「マビノジョン」と掲題されていて、全然予備知識がない、が、イングランド、スコットランド、アイルランドなどの古代・中世に孤独に根をはっていた物語世界なのであろうか、それならば、読み進めているオフェイロン著「アイルランド 歴史と風土」の叙述とかなり併行し並走する物語世界であるのか。それならば大歓迎、その世界をわたしは観てみたい、識りたい。「マビノジョン」 ことばとしても聞いた覚えがない。そういうものとまだ出会えるのだ。
* 二度めになるが、また一つたいへんな事を始めた。またまた読みたかったパトリシア。A。マキリップ三巻の大作「イルスの竪琴」を、原書で読んでみようというのだ。訳された文それを庫本で1000頁ほど。かなり緻密で奔放な文章であり、英語で追いかけるのはかなり難儀な険路だが、日本語の方はほとんど頭に入っているのでされを頼みながら英語に取りつこうというのだ、以前に一度難路を踏破した経験がある。楽しもうじゃないかという気分、ゆっくり進みたい。読み続けている間は生きているということ。
2014 6・8 152
* 浴槽で「ギリシア・ローマ神話」「中世騎士物語」「南総里見八犬伝」ラ・ロシュフコーの「箴言集」「拾遺和歌集」そしてカミユの「ペスト」を読んだ。「ペスト」がじりじりと、そして果然クライマックスへ突き行っていく。建日子には「異邦人」を渡して奨めておいたが、読んだろうか。何かを感じたろうか。わたしは「異邦人論争」を読み返したくなっている。
* あすは期待の劇団「昴」公演「リア王」。雨がひどくなければよいが。往きのバス停までさえ穏やかなら、あとは電車で劇場の下へまで行ける。福田恆存さんの全集、翻訳全集で、戯曲の巻を戴いていた。シェイクスピアをみな読み直してみたくなった。明日、その思いを力づけられてきたい。
* 「隠水の」を早瀬のはしるように読み進んでいる。懐かしい。咲くの世界はフィクションでも、書こうとした情味にすこしもウソがない。うちかさねて、いま一つの小説が書かれてもいい気がする、が。
2014 6・11 152
* 「隠水の」を読了。すぐ続いて、「月皓く」を読み返し始める。年とったら自作をゆっくり読み直したいと谷崎潤一郎は書いていた。そういう境地を時分も楽しみたいと久しく願っていた。
2014 6・15 152
* 「信仰は退化しがちで、単なる教団感情となり、しばしば盲人が足萎の手をひくことになる。」というヒルテイの認識にわたしは若くから同調してきた。「真実を語るということは、とくに真実に対して熱心な多くの『道学者』が考えるほど、さように容易ではない」のも然り。
更に更に大事な言及がヒルテイ『眠られぬ夜のために』一の十月八日に在る。「人間を支配することの合法性は、支配者がもはや自分のことはすこしも念頭になく、もっぱらすべての人のしもべ(僕)となることにある。これ以外の合法性はことごとく誤りである。すべての支配者は、これにしたがって批判されねばならない」と。
われらの安倍「違憲」総理は自分のことしか念頭になく、すべての人、国民を下僕かのように支配している。最悪の支配者、国民を最大不幸へ蹴散らしている我利我利の支配者である。
* ラ・ロシュフコー「箴言」の、剃刀の刃のように怖い危ない切れ味を、二、三、見ておこう。「269 自分がしている悪のすべてを知りつくすだけの知恵を持った人間はめったにいない。」「272 大きな称賛をすでにかち得ている人が、その上なおも自分の偉さを、つまらぬことによって、認めさせようと懸命になるとは、まさにこれ以上の恥さらしはあるまい。」「289 粧った実直さは巧緻な瞞着である。」{
291 人の偉さにも果物と同じように旬がある。」
なにもかも自分に向かって言われていると受けとめねば、こういうのを読む意義がない。
* ブルフィンチの大冊、野上弥生子訳「ギリシア・ローマ神話」全編を愛読し終えた。同じく「中世騎士物語」も愛読している。かえすがえす、もっと年若い内によんでいたらよかったと惜しまれる。
2014 6・16 152
* はやく目覚めた。起きて機械の前へ。陶淵明の詩句をしばらく拾い読んでいた。「贈羊長吏」より。
千載の上を知るを得るには 正に古人の書に頼(よ)るのみ。
精爽 今は如何。 (変わりなくお元気ですか?)
駟馬は患(うれひ)を貰(まぬか)るること無く 貧賤は娯しみに交(か)へること有り。
清謡 心曲に結ぶ。 (愛した清々しい歌の数々は いつも深く胸の奥にしまってある。)
* あなたに問います、「精爽 今は如何」と。
* 原発の「中間廃棄物処理施設」は要するに金次第で決まる、と、あのたわけた石原環境大臣は泥を吐いた。あれが、原発推進主義者らの本音なのだ。本音を漏らそうと隠そうと、おまえたちのあざとい根性は知れてある。「患(うれひ)を貰(まぬか)るること無」いであろう。
2014 6・18 152
* 「月皓く」を、除夜釜を終え埋み火にしながら鐘を聴いている辺まで読んだ。しんみりした。
2014 6・19 152
* 「月皓く」を読み終えた。叔母宗陽をこう書きとめておけたのが有難い。元朝の祇園、清水もなつかしい。こんなにわたしは故郷を愛していたんだと、今更に気恥ずかしく申しわけすらなく想い出す。
2014 6・19 152
* 少量でも酒が入ればウソのように寝入ってしまう。(外で量を飲んでもそんなことは無い。)仕事が停滞さえしないなら、寝入るのは身体にも眼にも、むしろいいこと。
浴室で「ペスト」「八犬伝」「騎士物語」「眠られぬ夜のために(二)」を読み、そして、後撰和歌集、拾遺和歌集の撰をしていた。どれもみな、興味深く面白かった。「ペスト」ではパヌルー神父が亡くなり、「八犬伝」では犬江新兵衛仁が、管領政元御前試合の悉くに勝ち抜いた。
2014 6・19 152
* 「選集③」をしめくくる「誘惑」を読み始めた。
ついで「原稿・雲居寺跡」の電子化をまた前へ進めた。かなり大きな歴史の動向を小説に組み入れようとしていたのが窺えてきた。だが「わたくし」と言い「兵衛」と呼ばれている青年が何者なのかまだ分からない。「師の御房」を「お祖父様」と呼んでいる「茅野」という娘が登場していて、頃は建保五年より以降、京にはもう鎌倉との差し迫った音沙汰が流れているらしい。
2014 6・20 152
☆ 本日は
『湖の本』120 櫻の時代 お送りいただき有難うございました。
(東工大生を書いた)「青春有情」のところから読ませていただいています。 恐々謹言 静岡大教授 歴史学 和
* 久保田淳さんには、いつも新刊のご著書を頂戴していて、あれもあれもと数え切れないほど。「無名抄」や「西行全歌集」についで、いま「富士山の文学」を興味深く楽しんで耽読している。
また、このところ、へええと驚きながら、かつて耳にも目にもしたことのなかった「マビノジョン」というのを、吃驚しながら、面白く読まされている。ブルフィンチ(野上弥生子訳)『中世騎士物語』の前半は「アーサー王とその騎士たち」であり、ともあれ「アーサー王」の名や王妃グネヴィアだの騎士ランスロットだのの名によって、ま、お馴染みではあるが、この本のちょうど後半分を成している「まびのじョン」という言葉も意味も、恥ずかしいというか当然ともいうか、まったく未知であった。これは「ものがたり」という言葉の複数形というか集合名詞とでも謂うものらしい。日本語でなら「お伽噺」だの「昔話」だのの類で、やはり「アーサー王」の名や彼の騎士達の名も頻出するものの史実を踏んだものとはまるで思われない。アラビアンナイトの「ウエールズ版」みたいなものか、それらがけっこう面白いのである。わたしは、この手の物語や語り口をやすやすと受け容れる素地を性格的に持っている。「マビノジョン」なるものの存在が知れてよかったと思っている。
2014 7・1 153
* 元都立墨東病院で脳神経外科医長をされていた藤原さんから、わたしの旧作『迷走』三部作の内最初の「亀裂」にもこまかにふれたエッセイの「薬事日報」に載ったのを送ってきて下さった。医学論文のオリジナリティに関わるある不正事件をも書かれている。「医師像を紡ぐもの 脳神経外科医・木下和夫先生を偲んで」とあり、木下先生は不正の被害を受けられた。往時とはいえ、今更に感慨を覚えた。
2014 7・2 153
* 「ラ・ロシュフコーの箴言集」は、とても一時に多くは読めない、じいっと吟味し復唱し納得できるか出来ないかを考えたうえで、一つ一つに爪じるしをつけている。一度に、十ほどしか読めない。おそらく何度も何度も今後も一つずつ読み直すだろう、親切にか、大量の著者による「考察」も付いている。まだまだそこまで行かない。一通り読み終えたら「考察」を聴き、さらに箴言の一つ一つを反復読んで受け容れたり拒絶したりしてみる。和歌集から秀歌を幾次も重ねて選んで行くのと似ていて、読み応えのする読書である。
たまたま今から読もうとしていたラ・ロシュフコーの箴言なるものを少し列挙してみる。特に選んだというものではない。
☆ 「ラ・ロシュフコーの箴言集」(二宮フサさん訳)より
440 大部分の女が友情にほとんど心を動かされないわけは、恋を知ったあとでは友情は味気ないからである。 (そうとも想われる。友情をたのんでいるのは恋の情け・性の秘境をまだ知らないからと謂えようから。同性愛の魅力を知った同士なら、友情が恋に重なるであろうが。男の場合、異性への恋と男同士の友情は難なく両立する。 有即斎)
441 友情においても恋においても、人は往々にして知っているいろいろなことによってよりも、知らないでいることのおかげで幸福になる。 (シニカルだが、謂えている。)
442 われわれは自分が直そうと思わない欠点を、ことさらに自慢の種にしようとする。 (痛いところが確実に謂えている。)
443 最も激しい情念でさえ時にはわれわれに一息つかせてくれるが、虚栄心だけは絶えずわれわれをかき立ててやまない。 (前段はその通り。問題は後段で、これを拒否するには、紳士淑女ですらよほど鉄面皮を要する。)
444 年とった気違いは若い気違い以上に気違いだ。 (参ったな。たしかに謂えている。但し言われているのは、まこと放埒な老人のこと。聡明な「翁」の智慧を拒んだものではない。)
445 弱さは悪徳にも増して美徳に相反する。 (「弱さ」の代わりに「強さ」と置いてみた場合、やはり「弱さ」の方にこれが謂える。「強さ」には種々相があるが、「弱さ」には弱さしかない。但し、女子供といった弱さの意味ではない、此処は精神や根性や人格の弱さを謂うているはず。)
446 屈辱と嫉妬の苦痛はなぜこれほど激しいかと言えば、この場合は虚栄心が苦痛に耐えるための援けになり得ないからである。 (言い得ている。)
447 ふさわしさ(ビヤンセアンス)は、あらゆる掟の中で最もささやかな、そして最もよく守られている掟である。(よくも悪しくもそのように思える。斯くあって秩序が保たれ斯くあって社会は腐敗する。)
448 ちゃんとわかる人にとっては、わけのわからない人たちにわからせようとするよりも、彼らに負けておくほうが骨が折れない。(「わけのわからない人たち」が弱小の場合と強大の場合ではまるで事態が変わってしまう。前者になら「負けておく」意味の生きる事が多い。しかし後者の場合は長いものには巻かれろと同じく、権勢のまえにただ平伏・屈服・阿諛追従の卑屈となってしまい、人としての行為が死滅する。わたしは、これには応じたくない。わかる人には言わんでもわかる、わからん人はなんぼ言うてもわからへん、のは真実に近いが、だから手を拱くわけではない。人は時には闘わねばならない。)
* これだけで岩波文庫の見開き二頁分。この調子で一つ一つ吟味し批評しながら読んで行くのだから、読み終えるのはなかなか。だが、こういう読書は一面たいへん効率の高い、おもしろいものではある。秀歌撰にも似た効率の高さがあり、いつも鞄に本が入っている。退屈することが無い。
* いま、またわたしを捉えているのは、もう何度目になるか十数回めにはなるだろう、格別の愛読書マキリップの「イルスの竪琴」。第一巻「星を帯びし者」を読み始め読み深めている。これはわたしの謂わば「帰郷」に相当している。旅は永い。
2014 7・4 153
* 鎌倉の粂川光樹さん(明治学院大名誉教授・上代学 昔、医学書院で同年同僚)が、「『明暗』を継ぐ」と題したおもしろいエッセイを送ってこられた。すでに彼は漱石絶筆「明暗」のその後を書いた創作がある。それへ到るこもごもの情熱的実践を整理的に追懐されている。「いつも『湖の本』お送りいただき、ありがとうございます。120巻、ほんとに驚異の達成です。ますますのご健筆をお祈りします。」とも。感謝。
* 立教大名誉教授の平山城児さんからも、興味深い論攷「『陰翳礼讃』の陰翳」「『細雪』を読み直す」を戴いた。地道に追究して下さる。こうした踏み込んで力ある、かつ肩肘を張らずに真率な谷崎論が、ないし創作であれ学術論文であれ、望ましい。
2014 7・4 153
☆ メール、
ありがとう。感謝、です。気づかっていただくだけで感謝です。
差し迫って悪いことは起きていません。
姑の衰え、新しい施設への不満、夫の黄斑変性症、娘のヘルペス、などなど続いていますが、わたし自身は時折鬱になる以外は元気です。
暮らしは工夫してやりくりし、それはどこの家庭でも同じことでしょう・・。
一日三食、自分でもよく作っているなあと、これは苦い思いも含めて。ただし不味いものは誰だって食べたくないですね。
家事のために他のことに集中するのが困難になる場合も確かにあり、用事を済ませる間にいろいろなものが消失します。消えていくものは消えていくに任せるしかありません。勿論懸命に「追跡」することも忘れてはいません。
それにしても無力に近いわたしの状況です。
湖の本、届いてすぐに読みました。
選集の方も着実に進んでいる御様子、納得いく形で、愛着ある作品を纏められるのは鴉本人の渾身の力あってのことです。
同時に大変な負担かもしれませんが、現在進行形の小説が健やかに形整えられることを切に願っています。
HPでは志村ふくみさんのテレビ番組に触れていらっしゃいました。彼女は何冊も味わい深い随筆集を出版されています。わたしが傾倒するリルケについても、彼の書簡集から感じ取ったものを『晩祷:リルケを読む』という本に纏めています。リルケの膨大な書簡は否応なく彼の生きたリアルを炙り出しており、彼の生きる術なさ、不如意に苦しむ足掻き、時に悲哀も感じとらずにはいられません。
今週の世の中の動きは実に嗟嘆の極みです。閣議決定の後いくつもの法案がむくむくと頭を擡げてくるでしょう。恐ろしいことです。
安倍総理の顔も、兵庫県議員の顔も見たくありません。嘆かわしいことばかり!
来週は姑の世話、下旬には再びシンガポールに行くことになるかもしれません。
取り急ぎ書きました。
どうぞ元気にお過ごしください。
・・体重70キロを超えたのは糖尿病にとって良くないのでしょうか? とにかく大事に、大切に。 尾張の鳶
* じつはもう以前から、リルケを読みたいと思っていた。隣棟の書架に、昔々の新潮社版リルケ一巻がほぼ買ったときのままになっている。同時に買った同じ編輯でのカミュ「異邦人・ペスト」は大事に読んだのに、リルケは詩の一部だけを読んだ。「マルテの手記」などにはとりつけなかった。
それでも読んだ詩からは確実な影響を受けている、それは万物が絶え間なく限りなく落下して行くのを、受けとめる「手」があると歌って胃いた詩だ。わたしの「手の思索」は具体的には茶の湯の点前作法や盆踊りなど舞踊の手や相撲の手などからも具体的な刺激を受けていたが、リルケのその詩は、もっと深いところからわたしの思いを受けとめてくれた。
そもそもその当時としては洒落た装幀の新潮社の文学全集を、わたしはいつ買ったか。高校時代ではなかったか。カミュの大いに騒がれていた頃だ。では、リルケは何故。たぶんに「リルケ」という名に惹かれ、彼が「詩」人であることに惹かれたに違いない。
隣から持ち出してこよう。偶然ながら今わたしはカミユの「ペスト」をじっくり熟読している最中なのだ。
2014 7・4 153
* 朝一番に、機械が煮えるのを待ちながら(じつにじつに立ち上がりが悠長なのである。そんなことは構わない、待てばいいのだから。目覚めてくれれば、夜終えるまで明けておくだけ。)「ラ・ロシュフコーの箴言集」正篇の結びにもあたる長文(多項に比べれば)を読んだ、これはなかなかのもので、落ち着いて再読も三毒もしてみる価値が有りげである。「こんなにたくさんな(と、503もの箴言を云うている。)「見かけ倒しの美徳の虚偽性について語ってきた以上、死の蔑視の虚偽性についても一言あって然るべきだろう」とラ・ロシュフコーはその「504」を書きだしている。機械が目を覚ますのを待ちながらざあっと一度通読しただけだが、強い印象を覚えた。
いますぐは気ぜわしいが、この長めの一文は紹介しともに思案し考察するに堪えていそうな重みを感じさせる。「死」について何らかの思いを日頃抱いている人なら、この「箴言」でないなら「言及」には関心を寄せていいだろう。
2014 7・8 153
☆ 陶淵明詩より抄
静念園林好 静かに念(おも)ふ 園林の好きを
人間良可辞 人間( じんかん) 良(まこと)に辞すべし
當年 有幾 當年 (なん)ぞ幾ばくも有らんや
縦心復何疑 こころを縦(ほしいまま)にして復(ま)た何をか疑はん
☆ 思案に値する、『ラ・ロシュフコーの箴言集』正篇の結び
(二宮フサさんの訳に拠って) 死の蔑視ということ
503 嫉妬はあらゆる不幸の中で最も辛く、しかもその元凶である人に最も気の毒がられない不幸である。
「箴言集」正篇は、こう一応終えていて、以下が結語かの重みでこうつづく。
504 こんなにたくさんの見かけ倒しの美徳の虚偽性について語ってきた以上、死の蔑視の虚偽性についても一言あって然るべきだろう。私(ラ・ロシュフコー)が語ろうと思うのは、異教徒たちが、よりよき来世の希望もなしに、自分自身の力の中から引き出して見せると自慢する、あの死の蔑視のことである。
毅然として死に耐えることと死を蔑視することの間には相違がある。前者はかなり普通である。しかし後者は決して本心ではない、と私は思う。にもかかわらず、死は不幸でないと信じさせる決め手になりそうなあらゆることが書かれてきたし、英雄だけでなくごく弱い人びとまでが、この説を裏付けるような千百の名だたる例を示してきた。それでも私は、良識のある人が一度たりともそれを信じたことがあるだろうか、と疑う。それに、他人や自分にそう思いこませようとして人びとが四苦八苦しているのを見れば、この企てが容易なものでないことが、かなりよくわかる。
生きているのが厭になる理由はいろいろあり得るが、しかし死を蔑視する根拠は断じてないのである。進んでわれとわが身に死を与える人びとでさえ、死をそれほど些細なこととは考えていない。だから彼らにしても、自ら選んだ道とは違う道を通って死がやってくれば、ほかの人びとと同じく、怖気(おぞけ)をふるってこれを斥(しりぞ)けるのである。数限りない勇者の勇気に認められる差異は、死が彼らの想像力にそれぞれ違うふうに立ち現われ、またある時には他の時よりもすぐそこにあるように見えることからくる。だから、彼らが自分にわからないものを蔑視していたあとで、わかってみればやっぱり怖い、ということも起こるのである。
死があらゆる不幸の中でも最大の不幸であることを信じたくないのなら、死をそのすべての状況とともに凝視することを避けねばな
らない。最も利口で勇敢な人とは、最も立派な口実を設けて死を見つめないようにする人である。しかし、死をありのままに見ることのできる人は誰でも、死は実に恐ろしいものだと思っている。
死は不可避である、ということは、哲人たちの不動心のすべてを成していた。彼らは、どうしても行かざるを得ないところへは欣然として赴くべきだと信じていた。そして、命を永遠のものにすることができないの切で、何がなんでも自分の名を永遠に残そうとして、所詮難破を免れ得ないものを難破から救うために、万策をつくしたのである。
われわれは、せいぜい晴れやかな顔を保つために、死について考えるすべてのことを自分自身に言いきかせるのはやめる、というだけで満足しよう。そして、われわれも平然として死に近づけるなどとわれわれに信じさせようとするあの脆弱な論法よりも、自分の気質に期待しょう。毅然として死ぬ栄光、人びとに惜しまれることへの期待、立派な名を残したい欲求、生の悲惨から解放され、もう運命の気まぐれに支配されずにすむのだという安堵、それらは無下に斥けてはならない薬である。しかしまた、絶対に効く薬だとも思ってはならない。それらがわれわれに自信を持たせるためにできることは、戦場で敵の弾がくる場所に近づかねばならない兵士がしばしば頼みにする、貧弱な垣根と同じ程度のことである。遠くから見ると安全に守ってくれそうな気がするが、そばに寄るとあまり助けにならないことがわかる。
死は近くで見ても遠くで考えていたのと同じはずだとか、弱さそのものでしかない自分の了見を、あらゆる試煉の中で最も苛酷な試煉にも疵(きず)つかないほどしっかり焼きが入っているとか思うのは、気休めである。また、自己愛を必然的に滅亡させるはずのものを蔑視するのに自己愛が助けになる、と考えるのは、自己愛の働きを取り違えているのである。
さらにまた、人があれほど多くの拠り所を見出せると思っている理性も、この場合は、われわれが欲することをわれわれに納得させるにはあまりにも弱い。それどころか逆に、この理性こそわれわれを最もしばしば裏切るものであり、死の蔑視をわれわれに吹きこむかわりに、死のおぞましさ、恐ろしさを、われわれに見せつける役をつとめるのである。理性がわれわれのためにできることといえば、せいぜい、死から目をそむけて他のことどもを見続けるようにすすめることだけである。
小カトーとブルトゥスは、中でも華々しいことを選んだ。一人の従僕は、洗頃、自分がこれから車裂きの刑に処せられる処刑台の上
で踊るだけにとどめた。
このように、動機はいろいろでも生じる結果は同じである。それで実際に、偉人と凡人ではとうてい比べものにならないにもかかわ
らず、いずれも同じ顔で死を迎えるところが千度も見られたわけである。といってもやはり違うところは、偉人が死に対して示す蔑視においては、彼らの目から死を隠すのは名誉心であり、凡人の場合は洞察力の不足がおのれの不幸の大きさを知ることを妨げて、他のことを考える自由を残すのである。
* いまわたしはすぐさまこの長々しい「箴言」に論及はしない。できそうにもない。できても直ちに自信をもてる気がしない。ただこの前を無関心に通過し歩み去るのは、どうかな、と立ち止まる。
今朝は五時に起きた。いま七時過ぎ。もう二時間すれば聖路加へでかける。診察を受けに行くのでもあり、待ち時間にたくさん校正できるといいがと思っている。雨に降られないといいとも願っている。
2014 7・9 153
☆ 暑中お見舞い申し上げます。
過日は 「湖の本」 120 「櫻の時代」 の御恵投にあずかり、ありがとうございました。
幾つもの新聞御連載は、ほとんど拝読しておりませず、楽しみです。
「私語の刻」を拝読しますと、観世能楽堂や国技館などへお越しになつておられるよし、ご健康大慶に存じます。
先頃、館蔵の古い狂言絵を影印本として刊行いたしましたので、お送り申し上げます。能狂言には暗い私ですが、専門家の言によると、貴重な資料のようです。楽しみいただければ幸いです。
暑くかつ不規則な気候の時節、何とぞご自愛ください。
御礼かたがた一言申し上げます。 敬具
七月十日
秦恒平先生 国文学研究資料館(館長) 今西祐一郎
* 館の影印叢書、これまでもいつも頂戴してきた。今回はその「6」にあたり、函入り大判『狂言繪 彩色やまと繪』と題されてある。
今西さんの序を読むと、この館の二代館長が小山弘志さん、三代目が佐竹昭広さんだったと思い出せる。小山さんとは能楽堂での顔なじみで『湖の本』を購読もして下さっていた。偉い先生だが「仲良し」というほどの親しさでいつもお目にかかっていた。初対面は館の招待で講演に出向いたあとの会食だった。そのときお呼び戴いた初代館長さんは、たしか同じ保谷の泉町にお住まいだった碩学小西先生であった。佐竹さんとは岩波書店の「文学」で、亡き恩師岡見正雄先生と三人で「洛中洛外図」をめぐる鼎談でお目にかかっている。そして今西さんとは、おもえば久しい、九大助教授教授時代を通しての有り難い先生であり読者でもあって頂いた。今西さんに戴いてきた貴重な研究書や論攷は数え切れない。あらためて、こころより御礼申し上げます。
で、その影印本ですが。いやもう、涎の垂れるような貴重な繪と解説とデータに満たされていて、頁を繰りながら唸っている。近所で狂言の稽古をし舞台にも立つ趣味人堀上謙さんが観れば嘆声を漏らすだろう。勉誠出版が制作している。
2014 7・11 153
* 就寝前の読書も、怠りなくよく多く読んでいる。このところわたしを魅了し、また惹きつけて放さないのは、ひとつは『ラ・ロシュフコーの箴言集』そしてラ・ロシュフコーなるその人の人生・年譜。そのことは、また書く。黒いマゴの輸液に呼ばれている。
もう一冊は、やはりやはりマキリップの『イルスの竪琴』で、もう遁れられない、吸い込まれている。われわれ現実の地球世界とは百パーセント異質な異境を旅して行く不思議な懐かしさ怖さ。
2014 7・11 153
*「中世騎士物語」を読み終えた。「ギリシア・ローマ神話」より、ひとしお珍しく面白かった。
* 『ラ・ロシュフコーの箴言集』の殊に鍵になる言葉の一つは「アムール・プロプル=自己愛」であり、どうあってもそれはわたしにも避けて通れない。自己愛のカタマリのようなわたくしであるとは、どう自身否認しようが人様は笑われるだろう。よほど広げてもの申して自己愛の旺盛でない少なくも信の藝術家はいないのである。
昨夜もよほど遅くまで十四世紀に生きて死んだラ・ロシュフコー公爵のやや詳しい年譜を小説を読むように面白く読んで認識を新たにした。この、今日のパリにもなお豪奢な血脈をのこしている人物は、ルイ十三世の頃に生まれ、絶対王政をしいたルイ十四世の時代を生きており、西欧近代小説家の濫觴とすらいわれるラファイエット夫人らとことに親しかった。根が武人の家で武士として育てられ、人生半ばに文に転じて優れた才能と才気とで高貴の社交界に大きな存在として人気を得ていた。貴族としての地位をいうなら、日本でなら五摂家の近衛や九条に相当し、ひらたく云って最高位の家格を誇った、しかもよほど個性的な大いなる存在であった。
その人が編んだ、と云うより創作した『箴言集』はスエーデン女王クリスチーネや著名な詩人ら愛読者・批評家に恵まれて、五版まで書き改められ出版され愛読された。あまりの峻厳ないし皮肉なため、後生の才人たちから憎まれることも少なくなかった。もっとも抵抗したのがあのジャン・ジャック・ルソーでありまたサルトルもそうであったと云う。
わたしは、いま正篇を一通り通読し終えたに過ぎない。「箴言集」には、著者が存生のうちに「削除」された箴言もあり、また没後に追加編輯された箴言もある。わたしは、今から「削除された箴言」を読んで行くのだが、その冒頭の異例に長大な一文、「アムール・プロブル 自己愛」を語った一項だけはもう読んだ。読んで、大いに感じるところがあった。
ともあれ、その一文をわたしは、二宮フサさんの翻訳のまま、書き留めておかずにおれない。感想はアトのことにしよう。ここで断っておくのが適切かどうか分からないが、 『ラ・ロシュフコーの箴言集』に接してのち、このところ久しく読み継いできたヒルテイの『眠られぬ夜のために』一部二部二巻の印象というか評価が、かなり低まってしまっていると云うことを云っておきたい。ヒルテイの基督教に腰掛けた説教は、よほど重苦しく、偏頗に生真面目である。ラ・ロシュフコー公爵は、よほど言いたい放題だが辛辣に難儀を極めたしょうのない「人間」をひたすらに見詰めている。あのサド侯爵の見詰めかたも極めてユニークだが毒々しくもえげつない気味がある。 『ラ・ロシュフコーの箴言集』は、けっして人間に優しくはないが、故意にねじまげてモノを言うてはいない。わたしはそう読んでいる。
☆ 『ラ・ロシュフコーの箴言集』 削除された箴言の筆頭記事 「自己愛の肖像」
MS1 自己愛(アムール・プロブル)とは、己れ自身を愛し、あらゆるものを己れのために愛する愛である。それは人間をして自己を偶像のごとく崇拝せしめる。またそれは、もし運命がその手段を与えるならば、人間を他人に対する暴君たらしめるであろう。自己愛は己れの外では決して落ちつくことがなく、自分以外のことがらには、あたかも蜜蜂が花にとまるように、自分に都合のよいものを引き出すためにしか心をとめない。自己愛の欲望ほど抗(あらが)いがたいものはなく、自己愛の意図ほど秘められたものはなく、自己愛の行動ほど巧妙なものはない。その柔軟さは筆舌に尽くし難く、その変貌ぶりは変身の玄妙を凌ぎ、その精緻は化学を凌ぐ。人は自己愛の深淵の深さを測ることも、その深い闇を見通すこともできない。そこでは自己愛はどんなに鋭い目からも安全に守られている。自己愛はそこで誰にも感知できない千古の変転曲折を展開する。そこでは自己愛はしばしば自j 分自身にも見えなくなり、知らぬ間にあまたの愛情や憎悪を孕み、養い、育てる。しかも実に醜怪きわまる愛や憎しみを作るから、産み落とした時にわが子とわからず、もしくはわが子と認める決心がつかない。自己愛を包み隠すこの夜陰から、自己愛が己れ自身について抱く滑稽な思い込みが生まれる。己れに関する過誤、無知、粗野、愚昧がそこから出てくる。だからこそ自己愛は、己れの感情が眠っているに過ぎないのに、その感情は死んだと思い、立ちどまるや否や自分はもう走りたくないのだと思い、自分で満足させた嗜好噂好を、自分はすっかり失ったのだと思うのである。しかしこの深い闇は、自己愛を己れ自身から包み隠しながらも、それが己れの外にあるものを完全によく見ることを妨げない。この点自己愛はわれわれの目に似ている。われわれの目は何でも見えるが、目そのものを見ることはできないからである。事実自己愛は、己れの大きな利害にかかわることや自分にとっての重大事に臨んで、激しいでまよう願望が注意力を総動員する時は、すべてを見、感じ、聞き、想像し、疑い、洞察し、看破する。それでわれわれは、自己愛の諸々の情念にはそれぞれ固有の魔力のようなものが具わっている、と思いたくなってしまうのである。自己愛の執着ほど内に根ざした強いものはなく、そのために差し迫る危難を見ても、どうしてもこれを断ち切ることができない。それでいて自己愛は、時どき、長年最善を尽くしてもできなかったことを、またたく間に、何の苦もなくやってのける。
こうしたことからわれわれは、どうやら結論として、自己愛の欲望に火をつけるのは対象の美や真価より自己愛自身である、自己愛の嗜好こそが対象を上等に思わせる値段であり対象を美化する化粧である、つまり自己愛は自分自身を追いかけているのであって、自分に好ましいものを追求している時も、自分の好みそのものを追求しているのだ、と言うことができよう。自己愛はあらゆる正反対のものである。尊大にして恭順、誠実にして陰険、慈悲深くして残忍、小心にして剛胆なのだ。自己愛は体質の相違に従ってさまざまな傾向を持ち、それらの傾向が自己愛を時には名誉、時には富、時には快楽へと駆り立て、奉仕させる。自己愛はわれわれの年齢、地位、経験の変化に従って傾向を変える。しかし、幾つもの傾向があるか、一つしかないかは、自己愛にとって問題にならない。なぜなら自2 愛は必要とあらばいつでも、また好むままに、自分を幾つもの傾向に分散したり、一つに集中したりするからである。自己愛は移り気である。しかも外的な理由から生じる心変わりのほかに、自分の中から、自分自身の資質から生まれる無数の心変わりがある。自己愛は移り気ゆえに移り気、軽薄さゆえに、愛ゆえに、目新しさゆえに、倦きゆえに、また厭気ゆえに、移り気なのである。自己愛は気まぐれで、時には少しも自分の得にならない、むしろ有害でさえあるものを得ようとして、極度の熱心さで、信じられないほど骨身惜しまず働くが、しかし自己愛は、それが欲しいから追い求めるだけなのである。自己愛は変わり者で、しばしば最も下らないことに全力を注ぐ。最も味気ないことに喜びのすべてを見出し、最もいやしむべきことの中で己れの誇りのすべてを保ち続ける。自己愛は人生のあらゆる状態、あらゆる状況にいる。どこででも生き、すべてで生き、無で生きる。物があることにも無いことにも順応する。敵対する人びとの側について、彼らと志を共にすることまでする。そして感嘆すべきことには、彼らとともに己れ自身を憎み、己れの失墜を計り、己れの破滅に尽力さえするのである。
要するに自己愛は、存在することしか念頭になく、たとえ己れの敵としてでも、とにかく存在さえしていればけっこうなのである。従って自己愛が時として、この上なく厳しい禁欲と結びついて、己れを滅ぼすことに敢然と協力しても、驚くには当たらない。なぜなら自己愛は、一方で身を滅ぼすと同時に別のところで立ち直るからである。自己愛が己れの快楽を捨てたとわれわれが思う時でも、自己愛は単に快楽を中休みしているか、取りかえたに過ぎない。自己愛が敗北し、われわれが自己愛から解放されたと思う時でさえ、われわれは己れの敗北そのものに勝ち誇る自己愛を再び見出すのである。
以上が自己愛の肖像であり、全人生はその大きな長い動揺にほかならない。海は自己愛の生きた絵姿であり、自己愛は絶え間なく寄せては返す海の波の中に、そのさまざまな思いの入り乱れた継起と、止むことのない動きの、忠実な表現を見出すのである。(563 )
* この感想はおいおいに書けるとして、いま謂えるのは、まこと穏和な筆致で描かれた、けっして放埒でも過酷でも優柔でもない、深みを湛えた洞察の言だと、わたしは背を向けては読まなかったということ。ヒルテイより豊かに率直に甘やかすこともなくモノを言うている。自己愛にもいろいろの面目があり気質の差があり、じつに多面的に豊富な噴泉に似ている。きめつけてモノをいえば、もう何かが変わってしまうのである。
2014 7・11 153
☆ 陶淵明の詩句より
詩書敦宿好 詩書 宿好を敦くし、
林園無世情 林園 世情無し。
商歌非吾事 商歌は吾が事に非ず、
依依在 耕 依依たるは 耕に在り。
投冠旋舊墟 冠を投じて舊墟に旋(かえ)り、
不為好爵 好爵の為に (つな)がれざらん。
2014 7・12 153
* 夜前床に就いてから「繪巻」を半ば再校し、引き続いて、久保田淳さんに戴いた「富士山の文学」をおもしろく読み次ぎ、さらに「八犬伝」 カミユの「ペスト」 そしてダンテ「神曲」地獄篇の第二曲までを読んだ。山川丙三郎訳は文語だが難儀なく読んで行けそう、楽しみだ。隣棟の書架にリルケが見つからなかった、誰かに上げたのだろうか、その代わりに「神曲」三巻を経巡ってみようと思い立った。
それから、 ラ・ロシュフコーの箴言を読んだ。ことに次の二条に心して目をとめた。
☆ ラ・ロシュフコーの箴言集より
MS52 国の中に奢侈と過度の文明化があるのは亡国の確かな前兆である。なぜならすべての個人が自分自身の利に汲々として、全体の幸福に背を向けるからである。 (まさしく今日の日本ないし世界の陥っているのが、これだ。 秦)
MS54 すべての情念の中で、われわれ自身に最も知られていないのが怠惰である。その激しさは感じ取れず、それがもたらす害はごくわかりにくいにもかかわらず、怠惰はどんな情念よりも熾烈で有害な情念である。怠惰の威力をよく考えて見れば、それがあらゆる場合にわれわれの判断、関心、快楽を支配してしまうことがわかるだろう。怠惰は最も大きな船をも停める小判鮫(レモラ)である。最も重大な問題にとって、暗礁よりも、どんな大時化よりも危険な凪である。怠惰の安息は魂の秘密の魔力であって、最も熱烈な追求も、最も断固たる決意も、突如として中止させてしまう。 (その通りだとわ、たしも体験的に何度も悔いてきた。)
そのあと、とっておきの「イルスの竪琴」を。モルゴンが、ライラの導きでヘルンのモルゴルの宮廷に入った。
折口信夫全集第十七巻を475頁まで読んできて、今夜は「雛祭りのおこり」に興味深く深く教わった。感嘆した。
* 灯を消したのが一時半。リーゼは服していたが、四時半に目が覚めてしまった。なまじ逆らわず電灯をつけ、また「繪巻」を相当量読み進んでから、思い立って、佐伯真一さんに頂いていた「建礼門院という悲劇」( 平成二十一年六月 門川学芸出版) 第一章「建礼門院の生涯」だけを読み通した。建礼門院についてはうんと早くに角田文衛先生の書かれたものがあり、多くを教えられた。その角田論攷を読んでいた頃に併行してわたしは平家物語ないし前後に関連して幾つも小説を書き、殊に、「風の奏で=寂光平家」(昭和五十四年「歴史と文学」夏・秋号)という長編小説ではわたしの「建礼門院像」を気を入れて彫琢していた。佐伯さんも御存じであった。
いままたわたしは「風の奏で」などの復刊と併行して、同じ々方面の新作に現に力を入れている。佐伯さんの上の新刊からも新たな何か示唆や刺戟が得られればと、明けの七時前まで熱心に、面白く記憶や認識等の整理を楽しんだ。
あれもしたい、これもしたいと手が何本も欲しいが、創作だけは自分の手と頭と性根とでしか成らない。
2014 7・20 153
* 陶淵明の詩句に聴く
總髪抱孤介 総髪より孤介を抱き、
奄出四十年 奄(たちま)ち四十年を出づ。
形迹憑化往 形迹は化に憑(よ)りて往くも、
霊府長独閑 霊府は長く独り閑(しづ)かなり
貞剛自有質 貞剛 自(おのづか)ら質有り、
玉石乃非堅 玉石も乃(な)ほ堅きに非ず。
少年時代からわたしは、かたくなに自分を守ったまま、
たちまち四十年(=七十年)が過ぎてしまった。
からだは自然の推移につれて衰えてしまったが、
心はいつも(=なんとか)平静でいられた。
わたしのこの妥協しない性格は天性であろうか、
これに比べれば玉石といえども堅いとは言えまい。(=とまで豪語はしないが。)
2014 7・20 153
* 浴室で「富士山の文学」「建礼門院の悲劇」を読んだ。「拾遺和歌集」の一撰を終えた。「後撰和歌集」の一撰もすすんでいる。和歌は気持ちを静かに落ち着かせる。
2014 7・21 153
* 創刊五十年記念の俳誌「鷹」から堂々とした「季語別鷹俳句集」に加えて、創刊された亡き「藤田湘子の百句」また「飯島晴子の百句」を頂戴した。「鷹」はわたしが頼まれて原稿を書いた一等早かった俳誌で、日大小児科の同人先生から声をかけられた。利休のことを書いたと覚えている。まだ作家でもなかった。医学書院の編集者だった。湘子とはのちのち、お目に掛かりこそしないがいろいろに親しくものを書き交わしたりした。わたしは俳句は難しいと手も出さなかったのに、「鷹」「みそさざい」ほか何誌ともお付き合いがあり、有名な何人もの主宰さんらとお付き合いがあった。だから俳句は短歌に劣らず読むのはよく読んできた。すべてわたしは完全な門外漢の小説家で通したが、それゆえに心親しくしてもいただき懐かしく感じてきた。これで、わたしはけっこうお付き合いは下手でない。井口哲郎さんにそれを褒めて貰ったこともある。
2014 7・22 153
* 俳句の「鷹」から送られた亡き主宰湘子の百句、これは、久しい馴染みがあって多年を経ての変容・変貌また達成もなんとなく懐かしいほど分かる。もう一冊の飯島晴子が「鷹」の猛将とは知っていたけれど句には馴染んでいなかった。なんとなく触れ合ってこなかった。こんど奥坂まやさんの紹介で「百句」を拾い読みし、なんじゃこれはと思いつつ奥坂さんの手引きでその底知れぬ大きさや新しさや説得力に心惹かれている。これはこの年になっての嬉しい出逢いのようである。
* 物覚えがわるくなったというより、記憶のきれきれの喪失に困惑している。思いのほか俳人とのおつきあいも歌人に劣らず多かったのだが名前をぶじ列挙できる自信がない。滝井孝作先生も永井龍男先生もそのお一人だが、占魚、稚魚、八束、兜太、登四郎、杏牛、湘子、羊村、杏子さんら、やっと思い出せる。そんな中へ、飯島晴子の名が加わればいいが。ただし晴子はすでに八十にして自死されている。
泉の底に一本の匙夏了る
人の身にかつと日当る葛の花
西国は大なめくぢに晴れており
猫鳴いてお多福風邪が奥にゐる
わが闇のいづくに据えむ鏡餅
大雪にぽつかりと吾れ八十歳 晴子
2014 7・24 153
* 「風の奏で」十二巻平家語りの十巻まで再校、今夜寝るまでにもう一巻読みたい。気持ちの最も盛り上がる仙台の「琵琶の巻」になる。
* 『ラ・ロシュフコーの箴言集』 箴言はみな一読を終えた。今夜から、「考察」の各章を熟読し頭に入れてから、また箴言を再読して思索を加えたい。こんやは「1 ほんものについて」を読んだ。納得できた。明日、もう一度読んで吟味したい。
* 「原稿・雲居寺跡」を書き写して行くと、これはもうほとんど十三世紀の公武の闘いといった大筋に絡まりながら、わたしのいわゆる「風の奏で」の藝能史が浮き上がってくるのかと想われる、それとて宛て推量で、まだ書き写していて「語り手」がその素性・本性をあらわすのにもう暫くかかりそうで、その先にもたっぷりとした原稿量がある。いまでは、書いたはずの私が、独りの読者の場にいて興味津々先を追っている。
これと同種の書き差し原稿が他にも何作も現れてきている。惘れたというのが実感。この年になって、こんな体験をするとは。
2014 7・27 153
* すこしずつ「原稿・雲居寺跡」の向かっている方角が察しられてきた。いま物語は、歌舞伎の「近江源氏先陣館」の舞台とやや呼び合っている。和田義盛とすでに物語の語り手は関わりを持っているが、あの歌舞伎でも大事な存在は和田義盛であった。
ただしこの物語に手を染めていた頃にはまだ、この芝居こそ南座でいちど観ていたかすかな記憶はあるが、むろんそのときは自分が小説をほんとうに書くような者になるとも思えてなかった。また芝居を観ながらもとくべつ近江の佐々木に関心をもつ理由もなかった。だが、後年、「みごもりの湖」を書いた頃にはあきらかに近江佐々木の上代でのありように関心を強めていた。この「原稿・雲居寺跡」は「みごもりの湖」はおろか、「清経入水」もまだ書かず、作家以前のまだ習作期の仕事だった。
行けるところまで行こうという書き方に思われる。ゆけるところまで此の旧作を追いかけてみる。或る意味では開花とも噴出もいえる何かしらエネルギーをこうしてわたしは蓄えていたのだろう。
* 石牟礼道子さんから詩集「祖さまの草の邑」を戴く。けさ、山中以都子さんの詩集「水奏」を読み返しまた布川鴇さんが編輯している詩誌「午前」をも読んでいた。高木冨子さんの「優しい濾過」も目の真ん前にある。紫圭子さんからも詩誌をよく戴く。
2014 7・28 153
* ことばを斡旋するという意味では詩歌は小説の何倍もこころづかいが有ろう。むろん小説でもそれは当然。だが当然などとまるで思ってないだらけたおしゃべり小説が多すぎる。最近亡くなった同世代の人気作者の新潮社から出ていた小説、著者から贈られていたか隣家の書架にあったのをいささか敬意を表したいと持ってきた、そして読み始めたが、とても二頁も読めない。だらしない文章、とても文学の表現でも志気でもない。作が作品ならば、作に品があるならばたとえ淫猥も好色も不倫もすぐれた表現となる。文学の歴史はだいなり小なり淫猥も好色も不倫もを書き表してきたのだ、四角四面のモラルの教科書として書かれたわけではない。しかし淫猥と好色と不倫とを売るだけで名高く、その作は幼稚なほどだらしない説明のお喋りでは、あまりに情けなかった。特大の人気とは、ベストセラーとはこんなふうに書かれているのが普通だとしたら、なんと恥ずかしいことだろう。そんなものを流行させる責任はいったいだけに有るのか。
作者? 読者? 批評家? 編集者? 出版者? まさか政治? それとも、機械?
責任は、わたし自身にある。わたしの非力にある。
わたしとは何者か。
* こころに触れてくる詩集を大切に思うようになっている。それもほんとうにいろいろである。いい音楽を奏でて自身の魂の歎きや嬉しさや渇きを、静かに、佳いことばに「預け」てくれている詩歌に出逢うと感動する。
☆ 陶淵明の詩句に聴く
萬化は相ひ尋繹す 万物はつぎつぎと推移交替していく
人生 豈()あに労せざらんや 人生もどうして苦労しないですまされよう
古(いにしへ)より皆没する有り 昔から生るものは必ず死ぬ定めにある
之れを念へば中心焦がる これを思うと心中に焦りを観じざるをえない
何を以てか我が情に称(かな)へん わが心をどう慰めたらよいのか
濁酒 しばらく自ら陶(たの)しまん ともあれ濁り酒など飲んでみずから楽しむとしよう
千載は知る所に非ず 千年先のことはわかるはずもないし
聊(いささ)か以て今朝を永うせん とりあえず今日という日をゆったりと過ごそう
* 「選集②」を全部責了、送り返した。
* 同志社の田中励儀教授から、編著である国書刊行会刊のみごとな美麗豪華本泉鏡花作『初稿・山海評判記』を頂戴した。感謝に堪えず、ああっと声のもれたほど函も造本も美しい。いかにも鏡花晩年人気の代表作、その初出新聞連載原稿に小村雪岱の挿絵三百枚を全部入れて、他に小冊子で十二分の解説や文献がついている。田中さんらしく万端を尽くして遺憾の無い立派な刊行である。
いま渡しの目の真ん前の書架には、春陽堂刊行の豪快なほどの天金美装『鏡花全集』十五巻が揃っているが、鏡花が人生半ばでの全集であり、『山海評判記』などまだ収録されていない。
田中さんからはこれまでも鏡花全集編輯に携わった巻をそのつと頂戴しているが、今回の刊行は例外的な豪華本である。部数限定でなく愛読者はいまも多いはずだが、それでも頒価は税別で一四八○○円とある。それだけの内容を優に持している。あらあらこういうホンの復帰してきた時代なのだろうかと思ったりするが、なかなか、書店の店頭はいかにも軽薄に軽薄な本作りで氾濫している。 2014 7・29 153
* 医心方の研究者、全訳者としていまや世界的に知られた槇佐知子さんから関連のエッセイ集を頂戴した。パラと開いた頁に、滝井孝作先生のお名とともにわたくしたち夫婦の名まで出ていて恐縮した。あれは、どこかのハケを見に行き、また落合の方の牡丹寺へ牡丹を観に行ったのだった。
『医心方』という大部上代の中国文献に深々と着目し門外から踏み込み一途に取り組んだ槇さんの見識と頑張りはすばらしく、同様に、一主婦の勉強心と関心とから江戸時代の閨秀詩人江間細香に取り組んで優れた文才による大著を成し遂げ、いつしかに江戸時代女流文学史の一権威として名を成していった門玲子さん、また夫の転任先で志を起こして平曲の演奏にとりくみ、一方流の流れをたくましく再興して全句演奏を完成させた橋本敏江さん、この三人のわが同世代をわたしは尊敬している。一つには、着眼。一つには熱誠。そして大きな到達である。そういう人は、なにもお三人には限らないのだが。石牟礼道子さんも、そんなお一人と眺めている。
2014 7・29 153
☆ ラ・ロシュフコーによる箴言集への「考察」1 ほんものについて
ほんものである、ということは、それがいかなる人や物の中のほんものでも、他のほんものとの比較によって影が薄くなることはない。二つの主体がたとえどれほど違うものでも、一方における真正さは他方の真正さを少しも消しはしない。両者のあいだには、広汎であるかないか、華々しいかそうでないかの相違はあり得るとしても、ほんものだということにおいて両者は常に等しく、そもそも真正さが最大のものにおいては最小のものにおける以上に真正だということはないのである。
スキピオとハンニバル、ファビウス・マクシムスとマルケルスのように、同じ分野の二人の人物が、互いに異なっていたり、それどころか正反対だということはあり得る。しかし彼らのすぐれた資質はほんものだから、両者は並び立ち、比較によっていささかも見劣りしない。
ある人が幾つもの真正さを持ち、別の人は一つしか持たないこともある。幾つもの真正さを持つ方は、より大きな値打ちがあり、相手が光らない面で光ることができる。しかしそれぞれほんもののところでは、どちらも同じ光輝を放つ。
一羽の小烏の目をつぶしたために執政官によって死刑にされた子供の残忍さは、自分の息子を死に至らしめたフェリーペニ世の残忍さにくらべれば小さなものだし、他の悪 もそれほど混っていなかったかもしれない。しかし一羽の小さな生き物に加えられた残忍さの度も、最も残忍な君主たちの残忍さと同列であることに変わりはない。程度は違うがどちらの残忍性も等しくほんものだからである。
それぞれふさわしい美しさを持っている二つの館は、大きさがどんなに違っても、互いに少しも損なうことがない。だからシャンティイの城館は、リアンクールの城館よりもはるかに多種多様な美をそなえながら、リアンクールの価値を減ずることは全くないし、またリアンクールがシャンティイの価値を減ずることもない。
とはいえわれわれは、華やかではあっても端正ではない美しさを持つ女が、もっとほんとうに美しい女の影を薄れさせるのを見る。しかしこれは、好みという容易に先入観にとらわれるものが美の判定者になっているし、また最高の美女の美しさも必ずしも一定していないから、たとえ美しくない女が他の女を目立たなくさせるとしても、ほんのしばらくの間だけであろう。
* 「ほんもの」という評価を人は想像以上に重んじ憧れている。「お宝鑑定」もそれに類しているとはいえあれは浅い見解での真贋判定や家格判定に過ぎない。あの手の鑑定ではときにほんものと評価されたもの以上にほんものではないかもしれないがより美しく素晴らしいものにも出会えるのである。美術骨董の場合には、浅い基準の真贋の問題と真実魂に触れてくる「ほんもの」のよさとはべつものであり得る。ある画家の真作と認められたからすぐれた「ほんもの」と決まったわけでない。大作者の平凡作や駄作はまま無くはない。
ラ・ロシュフコーが自身の箴言集にかかわって第一に考察対象にした「ほんもの」の意義を説き直す必要は微塵もなく、多くの平凡人でもよく識り憧れている。見分ける力に優劣はどうしてもあるだろうが。わたしが、作と作品とはちがうもの、べつものだと説くときの「作」に備わった品位・気品。それこそが「ほんもの」に極めて近く同義とすらわたしは観じている。その観点からすれば、ラ・ロシュフコーの「ほんもの」観は不動の確信であるとわたしは全面的に信頼する。
あなたは、いかが。
2014 7・30 153
* 田中励儀さんに戴いた鏡花代表作の一つ「山海評判記」新聞初出原稿に雪岱挿絵を満載の豪華本、汚さぬ酔えに気遣いながら毎夜読み進んで楽しんでいる。カミユの「ペスト」がいよいよ終える。「イルスの竪琴」「里見八犬伝」「富士山の文学」「ラ・ロシュフコーの箴言集」「眠られぬ夜のために」など、相変わらず夜の読書もいろいろ。加えて機会の前では歌集、詩集。句集それに陶淵明を手放さない。どんな安定剤よりも深く楽しく効いてくれる。
2014 8・2 154
* カミュの『ペスト』をじっくり時間かけて読み終えた。一気に読破するという小説ではない、じっくり読み進めたい目のつんだ大作である。『異邦人』を読むのとは向かい方がすこし変わってくる。『シジフォスの神話』を対のようにして読みたい、あらためて感化をうけたあの「神話」にも取り組みたい。
2014 8・4 154
* 一日で一キロ体重増に驚いた。けれども酒は美味い。
☆ 陶淵明に聴く
何を以てか我が情に称(かな)へん、
濁酒 且(しばら)く自ら陶(たの)しまん。
千載は知る所に非ず、
聊か以て今朝(こんてう)を永うせん。
* 陶淵明の「飲酒」二十首は、酔後の気儘な述思で、酒をうたう以上に酒に寄せて心事を述べている。序の詞も佳い。
余閑居寡歓、兼此複已長。
偶有名酒、無夕不飲。
顧影獨尽、忽焉複酔。
既酔之後、輒題数句自娯。
紙墨遂多、辞無詮次。
聊命故人書之、以為歓笑爾。
余(わ)れ閑居して歓び寡く、兼ねて此(このごろ)、夜己に長し。
偶(たまたま)名酒有り、夕べとして飲まざる無し。
影を顧みて独り尽くし、忽焉(こつえん)として復た酔ふ。
既に酔ふの後は、輒(すなは)ち数句を題して自ら娯しむ。
紙墨遂に多く、辞に詮次無し。
聊か故人に命じて之れを書せしめ、以て歓笑と為さん爾(のみ)。
(序) わたしはひっそり暮らして楽しみも少なく、しかもこの頃は夜が長くなった。たまたま名酒が手に入ったので飲まぬ夜とてない。影法師を相手に独り飲みほして、飲むとたちまち酔うてしまう。酔うたあとには、二、三の詩句を書き写してひとり楽しむのが常で、いつしか書き散らしたものがふえてしまった。字句は前後の脈絡に欠けるが、ともかく友人に書き写してもらった。お笑い草にでもと思って。
* 一読 なにも言うことがない。
☆ ヒルテイに聴く。「眠れぬ夜のために」
あまり進み方が早すぎたものは二度も三度もやり返さねばならず、結局、一番長くかかることになる。 人間だけがいつもせかせかと急ぐ。
本物の冠は、高位のものに至るまですべて、荊棘(いばら)の冠である。
それ以外の冠は、選ばれた者自身にも、また、その人に支配され指導される者たちにも、よい効果を与えない。
たえまなく人と交際していれば、だれでも精神的な害を受けずにはすまない。
つねに人々にとり囲まれて煩わされることの多い聖職者、教師、施設の所長たちの場合も、まもなく彼らの力の衰えがはっきり感じられる。
こうしてついに、多くの人々が、湧き出る力を全く失い、「味のぬけた塩」になってしまう。
孤独癖も健康とはいえない。
孤独癖は人間をわがままにし、世間にうとくし、善を行う気力を失わせる。
聖なる隠者などを信じない。このような聖性はあまりにも手軽に得られるものだから。
☆ ラ・ロシュフコー『箴言集』の考察「交際について」に聴く。
友情には交際よりも崇高で尊いところがあり、交際の最大の取り柄は友情に似ていることである。
交際を長続きさせる方法を講じる人はほとんどない。 常に自分自身のほうを大切にし、しかもほとんど必ずこの身勝手を相手にさとらせてしまう。 あいての自己愛(アムール・プロプル)に配慮して、決してそれを傷つけないようにしなければなるまい。 これほどたいへんな事をなしとげるには才気が大きな役割を演じる。
交際を楽しくするためには、互いが自由を保っていることが必要である。 相手を立てることは必要だが、 行き過ぎれば隷従になってしまう。
(紳士がた淑女がたの)交際には、才気とともに、一種の洗練、 ある種の信頼なしには長続きしない。 才気には多様さが必要である。一種類の才気しかない人は、長く人を楽しませることができない。 また交際の楽しさのためには、少なくとも利害が相反しないことが大切になる。
物を見るためには距離を置かねばならないと同じに、交際においても距離を保つ必要がある。どんな人にも、自分をこう見て欲しいと思う角度がある。 あらゆることにおいてありのままの自分を見て欲しいと思う人など、ほとんど一人もいないのである。
* むかしは「交際」ということばや行為を意味して「つきあい」「つきあう」と謂うていた。「あちらさんとはおつきあいはおへん」とか「何代もまえからのおつきあいどす」とか。「ほん、けっこうにおつきあいさせてもうてます」などと、明らかに健常で普通の大人の物言いとして「つきあい」「つきあう」という交際の意味が生きていた。
ところが、すでに前世紀後葉からは、若者ことばないしは男女関係をのみ謂うことばと限定されはじめ、しかもその関係が、既成事実化している「性」関係を露わに意味しはじめた。今日、うっかり男性が特定の女性を、女性が特定の男性を指さすように「付き合っている」となどと口にすれば、それはそのまま互いに性的関わりが、すでにある、今にもあろうとしている、あっていい仲であると認めたに同じい意味になっている。危なくて、うかとモノが言いにくい。これは今代の大きな心身環境の特徴事象と目して記憶し記録されていいことでは無いか。
☆ 炎暑の日が続きます。
いつも「湖の本」を御恵送下さいまして また今春は「秦恒平選集第一巻」を賜りましてありがとうございます。
昨年の秋以後訪れていない今日の町を思い浮かべながら「みごもりの湖」拝読しております。
「湖の本」109の149ページで「春曙」「春の曙」ということば・句についてお書きになっていらっしゃるので うれしくなりました。「あけぼの」ということばの和歌での詠まれ方らついては若い頃からずっと関心を抱いていました。今年の秋の和歌文学会で何か話すことを求められ、「『あけぼの』の系譜」という題だけを届けて中身を今考えているところです。
一昨年はじめて一寸大がかりな(本人にとっては)手術を受けてから 時折体調を崩したりしますが、年を考えれば当然のことなのでしょう できるところまでやるだけのことと居直って まだまだ残っている宿題をぼつぼつ進めています。その仲には源平盛衰記の註釈というやっかいなものもありまして、一谷や屋島の合戦場面 そして平家の公達の死に立ち会わざるをえません。
そんなことに追われて失礼を重ねておりますことお許し下さい。
天候不安定のこととて、くれぐれも御自愛下さいますようお祈り申し上げます。 久保田淳 東大名誉教授
* 久保田さんはわたしより二歳年長の碩学。びっくりするほど沢山ご本を頂戴している。今日もお手紙とともに、「古典講読 徒然草」「人生をひもとく日本の古典 第二はたらく」を頂戴した。「西行全歌集」も「富士山の文学」もいままさに愛読している。ただの一度もお目にかかったことなく、じつは久保田さんが「淳」というお名前一字からして男性とも女性ともわたしはしかと知らない。そういうことは特別わたしには大事でなく、お仕事にのみ心惹かれてもう久しく著書の贈答が続いてきた。まさしく淡交の理想をなしてきたと喜んでいる。これがわたしのむかしむかしからの「淡交」というもの。
2014 8・6 154
* 「慈子」 水をくむように気持ちよく読める。やや長編だが、グーンと読み切れるだろう。
2014 8・6 154
* 田中励儀さんに戴いた鏡花の『山海評判記』をずうっと読み進んでいて、なおかつ福永武彦、種村季弘の解釈原稿も読んだ。この、ま、晩年の長編小説は、新聞に挿絵入りで連載されて以降、単行本としては一度も刊行されなかったという実に変わり種で、それは何故かと鏡花に熱い共感の持ち主、いま謂う福永にしても種村にしても明快にはものを謂えていない。はっきり謂ってしまえば、この長編をいわゆる読書の範疇に入れてああ読んだ読んだ面白かったと分かり切るのは、よほどでなければムリというものだろう。いろいろに持ち上げて鑑賞することは不可能ではないが、総じて読者の想像力に荷を預けすぎた無理筋の作なのである。その点では「風流線」「続風流線」のような、また「由縁の女」とはよほど出来が、いい・わるいを敢えては言わないが、違っている。戯曲での「天守物語」や「海神別荘」などの不思議の迫力とは違っていて、鏡花の酔いが作の味わいを超えた分かり良さには到達し得ていない。鏡花だからという甘い遠慮をしながら傑作といって賞賛することはできるにしても、わたしは、あえてそれをしない。
だからこそ小村雪岱のみごとな挿絵をふんだんに入れたまま新聞での連載原稿がじつに美しい本、豪華本としてまとまったことを、愛読者としてとても嬉しいと言い切るし、作者鏡花のためにも喜びたいのである。
2014 8・9 154
* 久保田淳さんに戴いた「富士山の文学」をかるい気分でひもとき始めたのが、いまや愛読している。万葉の昔から、いまは子規や漱石をすぎて鏡花に手が届いている。
「南総里見八犬伝」は、いよいよ新兵衛仁の、絵を抜け出た猛き霊虎との都での出会いになり、もう関東では両管領軍と里見軍との大会戦が始まろうとする。ゆっくりゆっくりを厭わず読んでいる。最初の入院からだもの、優に二年半。この二年半に「指輪物語」は二度読んでおり、「ゲド戦記」も「イルスの竪琴」も、「国家」も「ファウスト」も「戦争と平和」「アンナカレーニナ」「復活」も、そのた百册もを楽しんで読み通してきた。いままた「イルスの竪琴」でモルゴンは狼王ハールとの出会いをとげて極北の荒原をヴェスタに身をかえ彷徨している。
「陶淵明全集」フローベールの「紋切り型辞典」ミルトンの「失楽園」そして「源氏物語」や何冊もの勅撰和歌集。
こういう読書世界が在ればこそ「ペンと政治」三巻も本に出来た。「湖の本」は、手術いらい十一巻出し続け、いましも五百頁の「秦恒平選集」を第二巻まで仕遂げた。まだまだ、まだまだと思いつ願いつ、歩一歩、問一問を進められれば幸いとしたい。人として不徳ではあるが孤独ではないのを感謝している。
2014 8・11 154
☆ 陶淵明の詩に聴く 飲酒(其の一)
衰栄無定在 衰栄は定在すること無く、
彼此更共之 彼れと此れと更々(こもごも)之れを共にす。
邵生瓜田中 邵生 瓜田の中、
寧似東陵時 寧(な)んぞ東陵の時に似んや。
寒暑有代謝 寒暑に代謝有り、
人道毎如 人道も毎(つね)に (か)くの如し。
達人解其會 達人は其の會を解し、
逝将不復疑 逝々(ゆくゆく)将(まさ)に復た疑はざらんとす。
忽與一樽酒 忽ち一樽の酒と與(とも)に、
日夕歓相持 日夕 歓びて相ひ持せん。
人の栄枯盛衰は淀まった所にあるわけではなく、両lj者は互いに結びついている。
秦代の邵平を見るがよい。畑の中で瓜作りにとりくんでいる姿は、かつて東陵侯たりし時のそれとは似ても似つかぬ。
自然界に寒暑の交替があるように、人の道も同じこと。
達人ともなればその道理を会得しているから、めぐり来た機会を、恐らく疑うようなまねはしまい。
思いがけずありついたこの樽酒を相手に、夕方ともなれば酌みかわして楽しむとしよう。
* 朝いちばんにこういう詩にしみじみ頷ける嬉しさ。
「衰栄は定在すること無く、彼此(ひし)更々(こもごも)共にす。」「寒暑に代謝有り、人道も (か)くの如し。」「一樽の酒あれば、歓びて相持せん。」
2014 8・13 154
* 西の書斎をやはりクーラーで冷やしておかないと熱気で蒸れてしまう。昼間にクーラーをつけに行き、夜分にはとめに行く。少しずつ馴染めば、西の書斎で機械仕事も出来はじめるだろう。書斎のつづき部屋には、作りつけの広い本棚に、ほぼ一点も洩れず単行本自著や共著の蓄えがある。新井白石全集や基督教文献なども置いてある。東芝トスワード第一号機もしまってある。書斎には谷崎文献が揃えてあり、文庫本専用の書棚ふたつから大量にあふれ出ている。
このところ、「ペスト」を読み終えてから、現代小説を読みたく、今晩、すこし文庫本をこっちへ、東の母屋へ運んできた。
ジョイス「ダブリン市民」 フォークナー「アブサロム、アブサロム」 グレアム・グリーン「事件の核心」 ガルシア・マルケス「族長の秋」それとこれは正体不明だが、サラ・ウォーターズの「半身」 以上五冊。二十世紀文学の幕を開けたジョイス。ノーベル賞作家のフォークナー、マルケス。国際的なスパイでもあったグレアム・グリーンの「事件の核心」は、あの「情事の終わり」とは異なる世界。いや似ているとも言えるか。
この超多忙の中で、現に十数册を読み続けていて、かなり重い小説が加わる。読めるかな。読みたいと思っている。
書斎に秦の叔母玉月宗陽の遺品の大きな函があって、そこから淡々齋校閲、井口海仙著の「茶道問答集」もこっちへ持ってきた。茶の湯は身に沁みたわたしの素養の最たる一つ。懐かしみながら、こぼれ落ちて行く知識の記憶をすこしずつ拾ってみたくなった。昭和二十三年九月の本で、真っ赤に紙が劣化してきている。わたしは新制の弥栄中学一年生だった。もう茶の湯の稽古はだいぶ進んでいた。この、問答というよりはなはだ具体的で箇条の質疑集は、読み始めると興味深くてやめられなくなる。さすがに茶の湯、いかにも平生の暮らしと密接に触れ合っていて、智慧として生かしやすい。わたしの小説では、「畜生塚」「ある雲隠れ考」「慈子」「蝶の皿」「みごもりの湖」「「青井戸」など、茶の湯世界とすら謂えば言えるもの。茶の湯と能。このふたつをわたしは秦の叔母から、秦の父から学んできた。陶淵明や白楽天などまた日本の古典や歴史などへのつよい興味は秦の祖父の蔵書から学んできた。感謝している。
* 夕暮れ前、あおむけに体を伸ばして湖の本を再校し、「慈子」を初校し、何冊も本を読んだ。「書く」仕事もした。「書き起こす」仕事もした。妻につきあい、Dfileの映画も観た。わたしはわたしの録画から「プライドと偏見」についでデカプリオの「ロミオとジュリエット」を機械に入れてある。黒いマゴに輸液の時、マゴを膝に載せたまま15分か20分、好きに映画を観ることにしている。
今夜は、新しく運んできたどれかから読みだそう。もう眼は水に浮いているが。
2014 8・13 154
* 故郷への感懐は、ひととおりでない。
「ふるさとは遠きにありておもふもの そして」とうたった詩人の歎きを共にする人も多かろうが、故郷を満喫して日頃の心労を癒せるひとたちも多い。昨日今日、盆やすみの帰省客はピークだと。
信じられないほど遠くまで、夫婦で車の運転を交替しつつ帰省するひともいた。
わたしはついに車を一度も体験せずに終わる。なんの、そんなことは他にも山のようにある、それが当たり前。スキー場で出会って結婚したカップルを二組知っている。スキーにもわたしは縁無く終える。いくら蛸のように脚をひろげようと、手足の届かないことのほうが天文学的に多い。読書こそはその補いだ。
ああねそれにしてもこんなに長く京都へ帰っていないとは。それもあってか、いま自作の小説・エッセイの校正や読み返しにいろんな思いがキツイほど揺れる。
* この機械のOSはいまやサポートされない全くの古物。そのうえ、光通信も使っていない。附設器具の故障で電話・ファックスも此処では使えない。なによりも起動の遅いこと。ホームページの「私語」が無事使えるようになるまで延々と時間がかかり、メールが読めたり使えたりするのにも延々と待つ。いまわたしは、その「待ち」時間を、むしろ楽しんでいる。陶淵明ほかの漢詩や、17世紀フランス製「箴言集」や日本の勅撰和歌集や歳時記やヒルテイの忠告など。待ち時間にちょうどフィットする。
もう一冊、今朝からは「茶道問答集」が加わって、これがまことに有益かつ興深い。有り難い。
問 茶庭に用ふる門戸の種類は、どれ程あるのですか。
答 猿戸、あじろ戸、角戸、四ッ目戸、へぎ戸、枝折戸、簀戸、鳴戸などあります。尚此外にもありますが普通は右に記した位です。
これが全一冊冒頭「茶室及び露地」の章の第一問。この章だけで数十問14頁ある。さらに「花」「花入」「薄板」「釜」「風炉」「敷板」「水指」「棗」「蓋置」「建水」「棚」「薄茶平点前」「濃茶」「炭点前」「茶箱」「七事式」「特殊点前」「茶事」「懐石菓子」そして「雑問」の章がある。馴染みのない人には「何のこっちゃ」ろうが、人の、日本人の「暮らし」の行儀作法知識用意にこまやかに膚接している。
上のような一問一答なので、ま、わたしにはと断るべきか知れないが、生き生きと身内に甦ってくる感覚が有る。
そういえばこれは大きな辞典で重いのだが、ふんだんに写真の載った『原色茶道大辞典』も左手を斜めにおろしたすぐ手先にいつも置いていて、これを手辺り次第にひろげ、茶道具等もろもろの原色写真と記事とを読むのも、それは楽しい慰みになっている。なにかをぼんやり「待つ」のも悪くはないが、このような「待つ」楽しみには豊かな励ましや慰安がある。
2014 8・14 154
* 茶庭につかう「垣」にもいろいろ在る。柴垣、宗左垣、建仁寺垣、大裏垣、打合せ板垣、大津垣(朝鮮矢来とも)、利休垣、鴬垣(黒もじの垣)、立合垣、枝折垣、重ね垣、真背垣、連子垣など。金閣寺や光悦寺にも風変わりな垣がある。名は名なりに懐かしい。 2014 8・17 154
* 鏡花の「山海評判記」を小村雪岱の瀟洒に上出来の挿絵と共に、文字どおり新聞連載のままを楽しんで愛読している。なにしろ日本語がすてきに美味にできており、いきな母娘の会話など、ああだれか、玉三郎のような読み手の肉声で聴きたいなあと惚れ込んでしまっている。
その一方で、ガルシア・マルケスの「族長の秋」の激越で超現実の悪政世界にも、のみこまれそうになる。フォークナーの「アブサロム・アブサロム」 ジョイスの「ダブリン市民」グリーンの「事件の核心」など名だたる世界文学の凄み。
同時に、しみじみと魔法世界を旅し続けるヘドの領主モルゴン・スターベアラーの神秘のものがたりに、もうとうに十度を越したろう陶酔の愛読中でもある。
久保田淳さんの「富士山の文学」を読み終えて、「なるほど」こういう日本文学の味わい方もある、あると喜んだ。
2014 8・19 154
* 「生きたかりしに」を読み始めるとやめられない。秋成への関心もわが身の程への関心も、書いていた当時から見て衰えていない。読み始めるとどんどん時間をとられる、が、いまは、これに時間を費やしていい時ではない。
2014 8・20 154
* 起床8:00 血圧123-62(62) 血糖値79 体重68.1kg
* 作業に入る。夜中少しめが醒め、拾遺和歌集の二撰をすすめたりヒルテイやマキリップやグリーンを読み、わたしの「隠水の」を校正読みしたり。すこし酒をのみ少しウイスキー「富士山麓」を含み、リーゼを一錠服して寝た。八時に目覚めた。、
2014 8・21 154
* しかし今朝は、タブロス点眼のあと、フォークナーの「アブサロム、アブサロム」をまたアタマから読み始めた。巻頭の人脈系図をまっさきに暗記するほど丹念に頭に入れておいて読み始めた。導入の設定がよほど明瞭にアタマに入り「おッ と、よしよし」。
それから訳者が篠田一士さんと気付いてそれはそれはと「解説」頁をあけた。作品の解説の前に篠田さんならではのじつに適確な近代の世界文学小史というか骨組みが説かれていて、じつに興深く面白く教えられた。「二十世紀世界文学の第一人者は誰でしょう」とよく聞かれるのへ篠田さんは踏み込んで大づかみに、前世紀までの全面ヨーロッパ文学だけで二十世紀はつかめなくなった、なによりの傾向として、詩と詩人は衰弱し、圧倒的に小説が全面を蔽った、その中でも「失われた世代」のフォークナー、ヘミングウエイ、フィッツジェラルドなどがアメリカ文学という前世紀ヨーロッパ小説と大きく異なる文学を起ち上げた。その英語はイギリスの英語と臍の緒が切れたと思えるほど別の魅力と迫力と破壊力をもっていて、、ことにフォークナーは、おいおいにチリのホセ・ドノソ、コロンビアのマルシァ・マルケス、ペルーのバルガス・ジョッサら二十世紀世界文学の雄たちを奮い立たせてきた。明らかにもはやヨーロッパ語の詩と小説時代はアメリカ・新大陸英語や言語の破壊的魅力に塗り直されて行った、と、篠田さんは言われる。あるいは常識なのかも知れないが、わたしはアメリカ文学には馴染みが薄かった。それでも「失われた世代」の作は読んできて、以前のヨーロッパ小説との違いは怖いほど鮮明に見せつけられていた。そして今、フォークナーの「アブサロム、アブサロム」と、マルケスの「族長の秋」とが手近に来ている。ともに良い意味を持たせて「凄い」表現に満ちあふれている。
さ、はたして読み込んでたしかな感動を汲み取りうるか、わたしに。楽しみだ。
2014 8・23 154
* 遅々としているが、もう二日もすれば根気仕事の山を越えるだろう。今晩は骨休め半分、ブルース・ウィルスの映画、少なからず陰惨な「スリーリヴァーズ」を観終えた。Dlifeの人気番組らしい「NCIS」も観ていた。新しいコーヒーカップで珈琲をのみながら。
もう十一時半になろうとしている、かなり睡くなっている。
それでも、ラ・ロシュフコーによる「箴言集」への彼自身の「考察」を、ことに「恋と人生について」を面白く読んだ。すこし考えの違うのを感じるけれど、これも一つの明快な観察で考察だと思われた。公爵で歴戦の武人で皇帝や后妃やリシュリューらとも関わり深い宮廷貴族で、相当に辛辣でも如才なく社交的でもある人物の「考察」である。スエーデンのクリスチナ女王はこの「箴言集」の愛読かつ容赦ない批評家であった。『クレーヴの奥方』で名高いラファイエット夫人ともしたしかった。 ちょっと「恋と人生」考察の全文を引き出してみたいが、もう眼がもたない。
2014 8・25 154
* 終日働いた。「氷の微笑」のシャロン・ストーンを観たかったが、なぜかみんなが同時に英語と日本語を喋るのに辟易した。
「誘惑」を読み上げて、「選集③」の初校を終えたい。建頁を確認して跋と奥付など、また前ヅケの總扉や写真を。
それでいて、フォークナーの「アブサロム、アブサロム」 マルケスの「族長の秋」 グリーンの「事件の核心」に引っ張られている。マキリップの「イルスの竪琴」はわたしには美酒に同じい、陶酔する。「里見八犬伝」は文字どおりの通俗な稗史の超大作、ゆっくりで良い。ジョイスの「ダブリン市民」は、「アイルランド」への興味と帯同する。佐伯真一さんに戴いた「建礼門院の悲劇」も、面白すぎるほど。ラ・ロシュフコー、陶淵明、後撰・拾遺和歌集、そして「茶道問答集」も、機械の側から放せないで、一服がわりに読んでいる。目は、ちっとも休まらない。ひっきりなしに目薬をさし、眼鏡を取り換えている。
2014 8・26 154
☆ 陶淵明「飲酒」其五六より
廬を結んで人境にあり
而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
菊を採る 東籬の下
悠然として南山を見る
山気 日夕に佳し
飛鳥 相与(あひとも)に還る
此の中(うち)に真意有り
弁べんぜんと欲して已(すで)に言を忘る。
行止は千万端
誰か非と是とを知らんや
是非 苟(みだ)りに相形(あひくら)べ
雷同して共に誉め毀(そし)る
咄咄(とつとつ) 俗中の愚
達士のみ爾(しか)らざるに似たり
2014 8・27 154
* 機械が尋常に作動し稼働するまでに辛抱よく待って、十分ほど。その間にもっとも心惹かれるのは、陶淵明。
☆ 陶淵明 飲酒 其七 (岩波文庫に拠る)
秋菊有佳色 秋菊 佳色有り、
露 其英 露を (まと)うて其の英(はな)を (と)る。
汎此忘憂物 此の忘憂の物に汎(う)かべて、
遠我遺世情 我が世を遣(わす)るるの情を遠くす。
一觴雖獨進 一觴 独り進むと雖も、
杯尽壺自傾 杯尽きて壷自から傾く。
日入羣動息 日入りて群動息(や)み、
歸鳥趨林鳴 帰島 林に趨(おもむ)いて鳴く。
嘯傲東軒下 嘯傲(しゅうごう)す 東軒の下
聊復得此生 聊(いささ)か復(ま)た此の生を得たり。
秋の菊がみごとな色に咲いた。
露にぬれたその花びらをつんで、「憂さ払い」(酒)に浮かべると、
世俗から遠く離れたわたしの思いがいっそう深まるようだ。
独酌でちびりちびりやっているが、
杯が空になると、知らぬまに手が動いて、徳利を傾け杯を満たしている。
日が暮れて、もろもろの動きもやみ、鳥たちも林の中のねぐらに鳴きながら帰って行く。
わたしも東の軒下で心のびやかに放吟する。
まずはこの人生の真骨頂(自由)を取りもどしたか。
今日もまずまず無事に過ごせたのだ。
( ) に同じ。うるおう。( )摘むこと。菊の花は不老長寿の薬とされている。(英)花。
(忘憂物)酒のこと。(遠)決める。(遺世情)世俗から遠く離れた感情。(群動)昼間のもろもろの動き。
(嘯傲)口笛、またうそぶくこと、傲は自由で物事にしばられないこと。
2014 8・28 154
* 濃いお茶にのまれたか目が冴え、電気をつけて本を読んで早朝を迎えた。「選集③」の「誘惑」を初稿し終えて、要再校で戻すことが出来る。かなり綺麗なゲラなので早くに再校が出るだろう。その間に前・後ろのツキモノを入稿してしまう。追っかけて「湖の本122」
が出来てくるはず。
読書は、マキリップに心酔している。鏡花の触るのさえ惜しいほど美しい造本の「山海評判記」では耽溺の嬉しさを満喫。フォークナー、マルケス、ジョイス、グリーンに乗っている。八犬伝も気の向くままに。
七時に独りテレビの前でシャロン・ストーンのセクシーな魅力をたのしみ、見終わってからはブルース・ウイリスの風変わりな「キッド」を機械にセットしておいた。
昨日の晩、武井咲で注目しているつづきものの「真実の瞬間」をまずまず面白く観た。来週には完結。ま、佳い方のみものだった。これが終わるとまたもや米倉涼子の「わたし失敗しません」の外科もの。川の映えしてますます佳い写真を見せて貰いたい。
2014 8・29 154
* 昨日歯科の待合いで週刊朝日をみていて読者から投稿の、「クロサワ・アキラ」のどこがいいのか、じつにくだらない、「七人の侍」など黒白で汚いだけではないかと、識者に訊いていた。わたしも驚いたが、回答者がカンカンに怒っていたのが可笑しかった。
今朝、機械が始動するまでの短時間にラ・ロシュフコーの「箴言集」で「趣味(グウ)について」考察した一文を読んで大いに共感し感心した。すぐにも此処へ引き合いに出したくて堪らないが早や眼が茫漠と滲んでつらいので諦める。こんな時はとにかくも機械から離れるしかない。
2014 9・2 155
* ラ・ロシュフコー「箴言集」中の「考察」はとくに注目したい内容をもつ。先日来、気に掛けてきた三項を、あえて岩波文庫(二宮フサさん訳)により此処であらため読み返してみたい。
☆ Ⅷ 妖妬の不確かさについて
人が目分の嫉妬をロにすればするほど、気に障ったいろんなことが、ますますさまざまに違う面から見えてくるものだ。それらはほんのちょっとしたはずみで変わり、必ず何か新しいことを発見させる。その新しい発見は、自分がすでに充分に見、充分に検討したと信じていたことを、別の様相のもとで見直させる。一つの見方にしがみつこうとしながら、何にもしがみつけない。およそ正反対で、最も気にならなかったことが、いっぺんに顔を出す。憎んでやりたいし、愛したい。しかし憎んでもまだ愛しているのだし、愛してもまだ憎いのである。人はすべてを信じ、すべてを疑う。信じたこと、疑ったことを恥じ、いまいましく思う。自分の見方をひとつところにとどめようと絶えず悶々としながら、決してそれを固定した一点に導いて行かない。.
詩人ならこの思いをシシュフォスの苦役に比較するに違いない。なぜなら人はシシュフォスと同様に空しく、険しい危険な山道で岩を転がし続けるのだから。山頂は見えているし、そこへ着こうと懸命になって、時には着けそうに思えるが、しかし決して到達しない。自分が願っているとおりだと敢えて信じるほど幸福ではなく、のみならず、自分が最も恐れていることについて確かめられるだけ幸福でさえもない。永遠に不確かな状態に縛りつけられ、目の前に次から次へ幸福と不幸をつきつけられながら、いつも取り逃がしているのである。
☆ Ⅸ 恋と人生について
恋は人生の縮図である。どちら否応なしに同じ転変、同じ変化を辿る。恋も人生も若い時は喜びと希望に溢れている。人は若いから幸福であり、恋をしているから幸福なのだ。このまことに楽しい状態から人はさらにほかの幸福を求めるようになり、もっと実質的な幸福を欲する。ただ暮らしているだけでは満足せず、進歩発展したいと思い、出世して地位を築くための手段に熱中する。大臣たちの庇護を求め、彼らの利益に奉仕する。自分が狙っているものを誰かが狙うことが許せない。この角逐の行く手には種々様々な煩わしいことや苦労が横たわっているが、そうしたことも、いったん立派な地位について見れば、その喜びでかき消されてしまう。こうしてあらゆる情熱は満たされ、自分が幸福でなくなることがあり得るなどとは思いもよらない。
ところがこの至福はめったに長続きせず、目新しさの魅力を久しく保つことができない。われわれは望んだものを手に入れたからといって、さらに何かを望まなくなるわけではないのである。われわれは自分に属するすべてのものに慣れてしまう。同じ幸福が同じ価値を保ち続けず、同じように好ましいとは思えなくなる。われわれは自分の変化に気づかずに知らずしらず変わる。われわれの得たものはわれわれ自身の一部になる。それを失えば辛くてたまらないだろうが、それを持ち続けている楽しさはもはや感じられない。喜びはもはや色あせ、人はあれほど望んでいたものの中にではなく、それ以外のところに喜びを求める。この不本意な浮気は時のなせる業であり、時はわれわれにはおかまいなしに、われわれの恋も人生も等しく磨り減らすのである。時は知らぬまに若さと陽気さのある種の感じを日一日と消して、その最も真正な魅力を破壊してしまう。人は前よりも重々しい様子を身につけ、恋の情熱に実務を加える。恋はそれ自体ではもはや存続できず、外からの助けを借りる。恋のこの段階は、人生の下り坂にさしかかって、自分のどこが命取りになるかがわかり始める年齢を象徴している。しかし人には自ら進んで決着をつける力はなく、人生の下り坂においても恋の下り坂においても、これから味わうべく残されている疎ましいことどもに先手を打つ決心は、誰一人つかないのである。人はなおも苦しみのためには生きるが、もはや喜びのためには生きない。嫉妬、不信、飽きられる恐れ、棄てられる恐れ、それらは長すぎた人生に病気がつきまとうように、恋の老境につきまとう苦しみである。人はもはや自分は病気だと感じるから生きていると感じるに過ぎない。同じように、自分は恋をしていると感じるのは、恋のあらゆる苦しみを感じるからでしかない。長すぎた恋着の無気力から脱するにも、相変わらず恋々としている自分に対する忌々しさと腹立ちによるほかはない有様である。結局あらゆる老衰の中でも恋の老衰は最も耐えがたいものである。
* もう一つ「趣味(グウ)について」も拾いたかったが、目が見えなくなってきたので、やめる。
「嫉妬」と「恋」をこの著者は辛辣に、しかしかなり妥当に必然に見て取っていてにくい。 2014 9・2 155
* 昨日、文藝春秋の総務局長をされていた寺田英視さんの電話を受けた。元気そうでなによりだった。刊行にお世話になった『風の奏で』のことなど話し合った。これからは少し年少の親しい友人として仲よくおつきあい願いたい。
先頃、建日子も入って三人で食事したとき話題になっていた息子さんの著書のこと、昨日の電話で読んで欲しいと、今朝、三册の単行本が届いた。筆名 藤野眞功(みさを)さん。毎日新聞での「初の小説」紹介の大きい記事切り抜きも入っていた。寺田さんによく肖て、しかし髭面。ノンフィクションライターから小説ないしフィクションへ転じての小説本「犠牲にあらず」「憂国始末」(いずれも新潮社)短編集「アムステルダムの笛吹き」(中央公論社)の三册、「秦さんに読んでほしい」とのことだった。
予備知識はなにもなく、成心なく読んでみたい。おそらくはこれらはむしろ秦建日子への大きな刺戟になるのではと思う。切磋琢磨というほどの組み合いを介して秦建日子の小説世界に力が加わるようにと願う。
小説の単行本は戴いても書庫へ先ず入ってしまうのが多いが、今回は気を入れて読みます。
* とりわけて下記の「趣味(グウ)について」は、驚嘆に値する洞察によって、読む者の「趣味・感性(グウ)」をあやしくも騒がせる。凄みの魅力を著者は平然と発揮している。そんなことはさておいても、自分は「趣味・感性(グウ)」をもっている、望んでいる、望んでいない、めいめいが自問自答のための試験紙の役をしてくれるだろう。世の中には優れた知性はむしろ希有だが、優れた「趣味・感性(グウ)」の人だと自任している人はむやみと、つまりかなり無責任に多いように想われる。わたしもそんな頼りないひとりであると自覚しつつこの「考察」を何度も読んでみた。昨日挙げておいた「嫉妬」だの「恋」だのについてよりも、この「趣味・感性(グウ)」のことは日々の暮らしともきつく差し合ってくる。そう感じている。
すこし読みやすく、改行を入れてみた。
☆ Ⅹ 趣味(グウ)について ラ・ロシュフコー『箴言集』の「考察」より (岩波文庫に拠り)
世には感性(グウ)よりも知性(エスプリ)のほうが豊かな人があり、また、知性よりも感性の豊かな人がある。感性には知性にも増して多様性と気まぐれがある。
この、趣味(グウ)、という言葉にはさまざまな意味があって、取り違えやすい。
われわれを物に向かわせる好み(グウ)と、われわれに物の良し悪しをわからせ、法則に即して識別させる感性(グウ)の間には、相違がある。
人は芝居について正しく判断できるだけの繊細で微妙な感性を持たなくても芝居を好きになれるし、芝居について充分に正しく判断できる良い感性を持ちながら、芝居を好まないこともある。
目の前に現われるものに知らずしらずわれわれを引き寄せる好み(グウ)もあれば、その迫力もしくは持続によってわれわれを引きずりこむ好み(グウ)もある。
すべてにおいて的はずれな趣味を持っている人があり、ある種のことにおいてのみ的はずれで、能力の及ぶ範囲のことにかけては正鵠を射る趣味の持ち主がある。
一風変わった趣味を持つ人もいて、彼らは悪趣味と知りながらもそれに従うことをやめない。
趣味のあやふやな人もいる。偶然が彼らの趣味を決めるのだ。彼らは騒々しく変わり、友達の言うなりに楽しんだりつまらながったりする。
一方、常に始めからきめこんで変えない人がいる。彼らは自分のすべての趣味の奴隷であり、あらゆることにおいてそれを金科玉条とする。
良いものに敏感で、良くないものには腹が立つという人もいる。こういう人の見方ははっきりしていて正しく、しかも彼らは自己の知性と判断力の中にその趣味の根拠を見出す。
中には、自分でも理由のわからない一種の本能によって、目の前に現われるものに判定を下し、しかも常に正しく判断する人がいる。こういう人たちは、自己愛や気質が生まれつきの勘を少しも押さえこまないから、知性以上に豊かな感性(グウ)を発揮する。彼らにあっては、すべてが協調して働き、すべてが一貫している。この調和が彼らに対象を健全に判断させ、対象について真正の概念を形成させるのである。
しかし、全般的に言えば、はっきりと定まった、他人の趣味に左右されない趣味を持つ人はめったにいない。人びとは先例や慣習に従い、自分の持つ趣味のほとんどすべてをそこから借りるのである。
ここまで趣味のいろいろな違いを示してきたが、その中で、物それぞれに正しい評価を与えることができ、その価値を知りつくし、さらにすべてにあまねく及ぶような、そんなたぐいの「良い趣味(ボン・グウ)」にめぐりあうことは極めて稀で、ほとんど不可能である。
われわれの知識はあまりにも限られているし、人を目利きにする諸々の資質のそうした公正な構えも、ふつう、もっぱら自分自身に直接かかわりのないことに関してしか保たれない。
ひとたび自分自身のこととなると、われわれの趣味は、あれほど必要なこの適正さを持たなくなり、先入主に乱されて、自分に関係のあるすべてのことが別の相の下に見えてくるのである。
自分にかかわることと、自分にかかわりのないことを、同じ目で見る者は一人としていない。そこでわれわれの趣味は、自己愛と気質の坂道に引きこまれて、新しい視界を次々に提示され、数限りない変化と不確かさを経験させられる。われわれの趣味はもはや自分のものではなくなり、われわれの自由にならず、われわれの同意もなしに変わってしまう。そうして同じものがあまりにも多くの違う面を見せるので、しまいには、われわれは自分が見、自分が感じたことを、それと見分けられなくなってしまうのである。
* まことに。
2014 9・3 155
* 起床いちばんに、床の上に座ったまま藤野真功氏の第三册短編集の巻頭作を読んだ。面白く読ませて表現も的確、箇条にはみ出した叙述もなく、爽快な完結感のうちに異国の旅体験がしっかりと重みをもって描き切れていた。感心した。大人の、しかも若々しい覇気も哀歓も滲み出た一篇で、前々年に出た処女小説長編の過剰な混雑とは別人のような進境と拍手が出た。
この作者は、たぶんソーシャルネットなどで駄弁を吐瀉したりするヒマなく一途に創作にルポに、「人間把握と表現」との旅を日々重ねていることだろう。他の短編も読み進めてみる。
2014 9・5 155
* うま酒に酔っている。陶然。暑いが、秋。
「咄咄 俗中の愚」
「吾が生 夢幻の間 何事ぞ 塵覊に紲(つな)がる。」
「一觴 独り進むと雖も 杯尽きて壺おのづから傾く。」 陶淵明
2014 9・5 155
* 昨日から、上村松園を書いた「閨秀」の校正読みに読み耽ってきた。まだ半ば。読めば読むほど、深い興奮に見舞われる。こんなにも能く書いていたかと、ほとんど客観的になれるほど行文にも表現にも満足できる。まさしく自己満足であるが、納得できる。總毛だってくるほどだ。呆れてしまうほどだ。
吉田健一さんほどの読み手が、朝日新聞の文藝時評全面を用いて好む一作を絶賛して下さった。なるほど、と、客観的に肯いてしまう。
松園の名を、わたしは小さい頃に秦の母の口から聞いて覚えていた。父親の知れない子を産んだえらい美人画家と。それに心惹かれた。わたし自信がその「子」であってもいいというほどの感激をもった。その余韻を胸に抱いたまま書いた小説、フィクションだったのだ。しかし浮ついた筆は用いなかった。完璧な「文学」の「作品」を熱望して書ききった。それでもあれほどに絶賛されるとは思ってなかった。読んで、分かってくださる具眼の人はあるのだという喜びが深かった。
2014 9・7 155
* 藤野眞功作の小説処女作を半ば以上読んできて、いろんな思いを味わっている。裏切った女を殴って殺し、刑期を終えて出てきた息子と、その息子と同居する、妻のない父親。そんな親子を物語りの芯に、おそろしげな「此の世」が汚くもむきつけに蠢く。まだ小説の行く末は見えないが、所詮カタルシスなど望めそうになく、もの凄いまま小説は雪崩れ落ちて行くだろう。
この父子を、べつの方角から悪意の食い物にしようと迫ってくるブローカーや、いやらしい週刊誌記者らがさし迫っている。
週刊誌というものの悪辣には、わたしも覚えがある。わたしは断乎として週刊誌記者のインタビューなど受けなかったが、受けた相手側は、なんらかの条件と甘言を容れながら不快で気の毒な見返りを、金銭すら支払って手にしたのかもしれない。週刊誌の、編集者ではない「契約記者」が悪辣な思惑や打算を胸に秘めていやすいことを、藤野氏の小説は今しもはげしく暴露しつつ、父も息子も脅されている。背後の雑誌出版者や編集者は、記者のその手の暗躍に責任は取らない。あるいは上手を行く商売にはしる。「真実」のレポートといった甘いものでなく、思惑と利害意識が優先して働く世間のようだ。
2014 9・7 155
* 藤野眞功小説第一作『犠牲(いけにえ)にあらず』を読み終えた。なまじいに会釈無く、ほぼ無心に読み進んで読み終えた。
つづいて第二作の長編にうつるが、明日からは「湖の本121」発送が始まる。そのあとへ持ち越さざるを得ない。
* 「閨秀」二の半ばへきて、老い病んだ母の床に共寝の松園をわたしは書いていた。おもわずクッと噎んだ。
自分のうみの母を恋しがって書いたのではなかった、松園女史の母親がこのわたしの「母」で、また松園さんその人がわたしの「母」なのであった。そういうふうにわたしは美しく心豊かな昔々の女人たちをわたしは好き勝手にこの人こそが「母」と思ったし、そんな気持ちで小説を書いていた。松園さんはちいさいころから「姉様あそび」のなかで「清純理想の女」を描き描き描いてきた。松園さんの遊びにまぢかい気持ちを生みの母をまったく憶えも知りもしなかったわたしは持っていたし、たぶん今ももっているのだろう。
2014 9・8 155
* あすからを考えてもう目も躯もやすめよう。それでも、もう半時間ほども「閨秀」を読みたい。松園さんは、やがて嗣子松篁を産む。
2014 9・8 155
* 「閨秀」を、読み終えた。「見事…絵と言葉の秘儀 ーー「閨秀」を読むーー」と題して吉田健一さんは文藝時評の全面を用いて賞賛して下さった。
2014 9・13 155
* 「閨秀」を読み終えたので、ためらいなく長編「墨牡丹」を読み始めた。この作に導かれて、福田恆存、梅原猛、立原正秋といった人達からこえを掛けられ、好意を戴いた。一九七四年八月末でわたしは医学書院を退社し、九月早々には新潮社から新鋭書き下ろしシリーズに「みごもりの湖」が出版され、同時に集英社の大判季刊誌「すばる」がこの「墨牡丹」を一挙掲載してくれた。二足のわらじを五年履いていたのをいよいよ独り立ちした忘れがたい祝砲のような二つの長編小説だった。まだ四十歳前であった。
2014 9・14 155
* ヘレン・ミレンが夫人を演じてトルストイの最期を描く映画を一両日まえに作業しながら見聴きしていた。トルストイの死は胸つかれて、劇的だ。
いまわたしは、フォークナーの「アブサロム アブサロム」 マルシア・ガルケスの「族長の秋」など二十世紀アメリカ文学を翻訳で読んでいて驚きが大きいが、顧みて、トルストイの大いさをより強く豊かに感じ直している。どう理屈を付けてみても、トルストイの三大作を凌駕し得ている、二十世紀、二十一世紀文学を認め得ていない。わたしの古さであるとしてもいいが、どんな新しさなら、フォークナーやマルケスの方がトルストイより優れていると認めうるのか、教わりたい。
2014 9・14 155
* 快調に、妻に贈った長編『墨牡丹』を読み進んでいる。こんなのが読みたいと思ったとおりに書けている。自己満足というとひとは嗤うが、わたしは、自分が嬉しいほど満足できるように出来るようにと小説を書いてきた。他人様のためにためにと書いていたのではない。そのとおりに書けていて何十年昔に書いた作が今でも自分に嬉しく書けていることに満たされている。幸せ者ではないか。
2014 9・15 155
* 「閨秀」一気に二章読んだ。ひとの作へ踏み込んで読まされているほど面白い。
2014 9・15 155
* 日照りでも、焦げ付くあつさではもう無かった。
二階生理検査室のまえで順番を待つうち、衝き上げるものを感じた。続いて聖路加病院の建物が唸るように横揺れ。
幸い被害はなく、震度は五弱。
検査を早い時間に済ませて内分泌・代謝の診察室へ早く乗り込み、二時半からの診察を一時半には済ませてもらえた。諸検査、のープロブレム。薬局で処方薬受け取りにゆっくり腰を据えて、「畜生塚」を読み上げ、帰路に「隠沼(こもりぬ)」も大半読み進めた。再校ゲラがよめさえすれば家にいても外にいても、おなじこと、つまり仕事は捗る。築地の宮川本廛で久しぶりに鰻をと思ったが時間外。せっかく小手指へ直通が来たのに鰻へ気が走って有楽町で途中下車。ところがめざす「きく川」が休業中。しかたなく有楽町線ホームへおりると目の前へ「保谷」直通では致し方なく、空腹の儘ゲラを読み読み帰ってきた。幸い永く待たずにタクシーに乗れた。
歯医者の診察台にいた妻も医師たちもほとんど地震に驚いていなかった。
2014 9・16 155
* 「隠沼(こもりぬ)」読み終えた。短篇だが、「太陽」に発表した短篇はどれも好きで、自信をもっていた。此の作も、何度読み直しても間然するものを認めない。
今日は「隠水(こもりづ)の」と「月皓く」を持って出る。
* 十一時半には検査を終えていた、が、診察室に呼び込まれたのは四時半。支払いを終えたのは五時前。ヘトヘトに疲れた。その間に病因の近在をゆるゆる歩き、待合いに入ってからは「隠水の」「月皓く」の全部を克明に読み終えた。もうあとは、テレビの大相撲を見るしかないと思った時に呼ばれた。ヘトヘに疲れた。
検査結果には幸いなんらの問題もなかった。次回は師走に。
タクシーで銀座七丁目まで走り「やす幸」へ。しかし疲れすぎていてか、空腹に熱燗二合のせいか、食べ物が喉を通りにくく、気分わるく店を出て灯ともし頃の銀座をよろよろ、喫茶室の「花椿」に上がってひとやすみした。幸い「京のひる寝」一冊をもっていたので少し読み返しながら、珈琲。味も分からず。またよろよろと結局銀座一丁目まで歩いて有楽町線に乗った。幸い席を譲ってくれる男性がいて息をついた。
いやもう、ヘトヘトに疲れて、如何ともなしがたく、録画の「NCIS」をぼんやり観ていた。せっかく戴いていたすてきな「めおと」の塗盃で乾杯も出来なかった。たくさんな郵便に、やっと目を通しただけ。
2014 9・17 155
* 世阿弥の論著を読んでいると、しばしば「立ち会ひ」「勝ち」「負け」という刺激的なことばが出てくる。一日に能が五番あるとして他と遜色なくむしろ立ち優ってよく舞うにはどうあるべきか、それを、頻りに世阿弥は自覚もし指導もしている。演能がすなわち「他との勝負」であるとはっきり自覚している。美の理念や理想の、上にか根にかはともあれ、そういう「闘うしかない現実との直面」を言いきっている。
昨日、中村義裕という人の『九代目 松本幸四郎』という本が三月書房から贈られてきた。昨日は診察日でヘトヘトに疲れて帰って、なに為すすべもなく休んだが、この本の目次だけはざっと眺め、ほんのわずか気になった箇所を走り読みした。その程度だから検討を失するかも知れないが。
この本の趣意が幸四郎丈にささげるオマージュ(頌意)であるなら、それはそれで宜しい、が、幾らかでも「藝ないし人」への余人に語り得ない「論攷・批評」を意図していたのなら、かなり飽き足りない物足りない思いがした。
例えば第三章の「幸四郎をめぐる人びと」など、これはこれとしても、別にもっと第一義的に厳粛な顔ぶれで「幸四郎と先代」「幸四郎と弟吉右衛門」また「藤十郎」「菊五郎」「勘三郎」「玉三郎」「仁左衛門」「三津五郎」「福助」「時蔵」等々の名がにげ隠れなく対向され、互いの藝風とのぬきさしならない立ち会い上の幸四郎論、藝論があってこそ、歌舞伎好きで幸四郎大好きの読者は、手に汗して教えられたはず。世阿弥の能が「立ち会い」なら、今日の歌舞伎役者たち日頃の「立ち会い」はさらにフクザツで刺激的だ。そのフクザツと刺戟をとおして「幸四郎」の冠たる魅力と実力が説かれなくては表題が泣く。言い添えるなら、「幸四郎と松たか子」という「立ち会い」のがっぷり四つを近未来をも含め正確に説いておくことは、この父娘の「大才」のためにも不可欠なのに、その目次が見当たらなかったのは惜しい。
一読者、一フアンであるにすぎないわたしだが、幸四郎の舞台だけでなく、経歴や趣味についてもいろんな自著を介しかなり多くを知っていて、時と場合にはそれすらも「幸四郎の藝」に直面するときは邪魔になるときがある。ましこの本で、それが平板に繰り返されていれば、単著としての味わいは淡くなる。
おおっ、それを書くか、それを問うか、そこを衝くかと思わせて欲しい、藝術や藝や藝人を論ずるときは。その意味では「幸四郎ダイジェスト」にとどまらず、むかし小宮豊隆が初世吉右衛門の藝を四苦八苦論じていたように、血しぶきのとぶような「藝論」に徹してもらいたかった。「幸四郎と早稲田大学」もいいが「幸四郎と松竹」がぎろっと目を剥いてもよかったろう。
2014 9・18 155
* 第四巻のために、「墨牡丹」を読み進んでいる。第三巻は、「慈子」と「誘惑」とを再校し終えれば責了に出来る。この巻の写真頁に何をと迷っていた。橋田二朗先生が豪華本「慈子」のために描いて下さった挿絵の一葉をと入稿したが、思い直して敢えて別の写真に替えた。これがどうなるか、いま、気に掛けている。
* 明日は、俳優座稽古場公演。いま、楽しみは、「仕事」「観劇」そして「読書」かなあ。そして「酒・肴」かなあ。食欲が出てきて欲しい。昨日の診察では、データ的に何の問題も現れていないと。からだのあちこちを圧されても打たれてもナンでもなかった。ただ、やはり疲れる。そして目もひどく疲れる。
2014 9・18 155
* 「墨牡丹」を半ばまで読んだ。華岳を介してかなり自身を描こうとしていたことに、あらためて、気付く。思うさまのびのび書いてムダは無い。小説、それも長編を書ききるには、若い気力と体力と想像力とが要ったのだと、つくづく思う。書いて置いて良かった、ほんとに良かった。
2014 9・20 155
轡(たづな)を紆(ま)ぐるは誠に学ぶべきも、
己に違ふは (なん)ぞ迷ひに非ざらんや。
且(しばら)く共に此の飲を歓ばん、
吾が駕は回(めぐ)らす可からず。
方向転換のすべを真似できぬとは思わない、が、
自分の本領を曲げる、これは自分を棄ててしまうことにならないか。
ま、今日のところは酒を酌みかわし歓談するとして。
それでもわが行く先をわたしはやすやす変えたりはしない。
身を傾けて一飽(いっぽう)を営(もと)めなば、
少許にして便(すなは)ち余り有らん。
此れ名計に非ざるを恐れ、
駕を息(や)めて閑居に帰れり。
あのとき、全精力を傾けて飽食の栄を追い求めていたら、
必ずや酬われて余りあり得ただろう。だが、
わたしは、それが賢明な道でないと気付いて、
他に追い使われる暮らしはすて、自由の世に帰ったのである。
死し去りては何の知る所ぞ、
心に称(かな)ふを固(もと)より好しと為す。
千金の躯(からだ)を客養するも、
化に臨んでは其の宝を消す。
裸葬 何ぞ必ずしも悪しからん、
人 まさに意表を解すべし。
死んでしまえば何もわからない、だからこそ
生きてある間の充足感を人は大事にしたい。
だが、御身大切とばかり過剰に贅沢に過ごそうとも、
さて、死んでしまえばその身とて消えて果てるだけ。
裸一貫埋葬されるのもいいではないか、
自然に帰る真意を人は解すべきである。
* しょせん陶淵明の境地に及ぶべくもない凡夫のわたしだと、心しつつ書き写しながら、いつもいささかならず心を洗われる。
2014 9・21 155
* こんなに自作の小説を自身で「読む」日々が来るとは、正直、まったく思わなかった。もう「湖の本」で通過してきたことと。
ところが「選集」という時機がきた。わたしは内心に「夢」かのように想っていたけれど、口に出したことは無かった、それを妻が口にしてくれた。ちょうど一年ちかく前か。「お」と思い、「いいのかい」と思った。
それからは早かった。すでに第一第二巻を創り出し、第三第四巻が進行しつつある。今年中に三巻、来年もまだ真冬のうちに第四巻まで、すべて「代表作」として責任もって刊行できる。来年のことを言うと鬼がわらうそうたが、ま、わたしは嗤われることには慣れている。とにかくも納得の行く作をならべ続けて、心ある人たちにそれらの作に「作品」の有無や是非を率直に問いたい。
第三巻は、昨夜から長編「慈子」再校を読み始め、第四巻では長編「墨牡丹」の原稿読みを続けている。
はっきり言って「慈子」の愛読者が作家秦恒平の「いい読者層」を形成したとは、何人もの編集者からも読者からもよく言われてきた。「畜生塚」「慈子」がわたくしの文学・思想の「原点」だった。そして「閨秀」「墨牡丹」が、ことに後者が、わたくしの「藝術・創作・美・文学」への「思い」ないし「方法」の追求だった。渇くほどの追求だった。
わたくしは、文学的には一度も誰とも「群れて」歩かなかった。優れた先達への敬愛が唯一の羅針盤だった。孤独を自身に科してきた、が、決して孤独ではなかった。優れた先達や読み手の大勢に親切に手を引いてもらえた。その最初の象徴的なあらわれが、天から舞い込んできたような「清経入水」への太宰治文学賞だった。石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫。この選者先生方が満票で、手をとって引き上げるように全く無名で独りぼっちの私家版の書き手を見つけ出して下さった。いらい無数の知己を各界に得てきた、そして、「いい読者たち」をも。
売りたくて書いた作をわたしは持っていない。書きたい、あるいは書けた、という仕事で生きてきた。
だがそれらを自身で克明に読み返し読み直す日の到来は流石に思い描きにくかった、が、いまそれが、いやそれも、「仕事」として毎日取り組んでいる。そればかりか新作の創作も、思いの外に今日のわたしの日々を賑わしている。
わたくしの「レータースタイル(晩年の作風)」がどう開花するのか、じつは誰よりもわたくし自身がたのしみにしている。
2014 9・21 155
* 「墨牡丹」六章の四章まで読み進んだ。
わたくしは、よく、作中人物に「化(な)る」と書いてきた。この長編でわたくしは必至に自らが村上華岳に化ろうとし、村上華岳のなかへ、わるいことばでいえば巣食うように食い込んで書いていた。数十年、いま、それがありあり分かる。雑誌「すばる」そして集英社本では五章で脱稿したが、のちに六章百枚を書き足した。その願いの意味が、きっともっとわたしにはよく分かるだろう。
なんとしてもこの第四巻までは最少限、選集の体で遺したい。
* 「慈子」第一章を再校し終え、第二章に入った。一日にもう四十頁ずつ読めれば、「選集③」は責了へもって行ける。「選集④」は「墨牡丹」を読み終えてももう一作「華厳」を、場合によっては、さらに一作「鷺」を読まねばならないかも。③はいわば恋愛小説集、④は美術・藝術家小説小説集になる。
もう「読む」には、目が見えない。テレビにも惹かれない。音楽を聴きながら放心していよう。
2014 9・21 155
* 「墨牡丹」五章半分まで読んだ。ああこれは華岳を頼みつつ此の自分を書こうともしていたんだと、しみじみ想う。珍しく「妻に」と献辞を添えた気持ちもこころよく分かる。読み上げるのにほぼ今週中かかるだろう、けっこう長編だ。
思いの外に長編小説を書き残してきたと思う。
新聞三社に連載した「冬祭り」 雑誌「世界」に連載した「最上徳内=北の時代」京都新聞に連載した「親指のマリア=白石トシドッチ」がほぼ同じ九百枚ほど、ともに書き下ろし新潮社の「みごもりの湖」筑摩書房の「罪はわが前に」が六百枚余、それに「墨牡丹」「慈子」「秋萩帖」「秘色」また三部作の「迷走」二部作の「逆らひてこそ、父」それに書き下ろしの「お父さん、繪を描いてください」も「あやつり春風馬堤曲」も長いし「凶器」はとくに長い。むしろこれらと比較して、短篇・中編の数が少ない方なのかもしれない。
この先、読み直し読み返して、しみじみ心ゆくかどうか、楽しみであり恐くもある。願うことは、それを思い知るためにも元気でありたいこと。
2014 9・22 155
* 「墨牡丹」第五章も読み終えた。ここまでを昭和七十四年九月季刊大判の「すばる」巻頭に一挙公表した。もう一章をのちに書き足した。明日はそれを読む。すこし量があるが、推敲しながら、二日で読めるだろう。
2014 9・22 155
* 「墨牡丹」六章に入っている。もしかして秦恒平の人と藝術とを思ってくれる人があれば、他のどの作よりも「墨牡丹」を読んでくれればいいとさえ思う。遙かに高く及びもつかぬ村上華岳であるが、成ろうなら斯く在りたいと念じながら書いて書き上げた一作だと、謙虚に思う。藝術への、時代への、人間への批評を華岳のせかいを借りながら真実吐露している。いま、隣の棟にもこっちの書庫にも何冊も蓄えた大小の「村上華岳画集」がしきりと恋しい。
2014 9・23 155
☆ 陶淵明にまた聴く
去り去りて当(まさ)に奚(なに)をか道(い)ふべけん、
世俗は久しく相欺(あひあざむ)けり。
悠悠の談を擺(はら)ひ落とし、
請ふ 余(わ)が之(ゆ)く所に従はん。
さっさと棄て去るだけのこと、何ためらうことがあろう。
世間のだましあいは今に始まったことでない。
世の中のいいかげんな取りざたなど払い棄てて
黙然 思う道を歩み行けばよい。
規規たるは一(いつ)に何ぞ愚かなる、
兀傲(ごつごう)なるは差々(やや)頴(まさ)れるが若(ごと)し。
小心翼々であることの何とばからしいことか。
それに比べれば傲然と酔いつぶれているほうがまだしも賢い。
* 棒ほど願って針であろうとも。
2014 9・23 155
☆ 陶淵明にまた聴く
去り去りて当(まさ)に奚(なに)をか道(い)ふべけん、
世俗は久しく相欺(あひあざむ)けり。
悠悠の談を擺(はら)ひ落とし、
請ふ 余(わ)が之(ゆ)く所に従はん。
さっさと棄て去るだけのこと、何ためらうことがあろう。
世間のだましあいは今に始まったことでない。
世の中のいいかげんな取りざたなど払い棄てて
黙然 思う道を歩み行けばよい。
規規たるは一(いつ)に何ぞ愚かなる、
兀傲(ごつごう)なるは差々(やや)頴(まさ)れるが若(ごと)し。
小心翼々であることの何とばからしいことか。
それに比べれば傲然と酔いつぶれているほうがまだしも賢い。
* 棒ほど願って針であろうとも。
2014 9・23 155
* 「墨牡丹」六章で土田麦僊が亡くなった。くっと、こみあげた。軍も文部省も絵画制作を国策に沿わせようと割り込んでいた。麦僊は心労の腐蝕性に潰えたのだ。村上華岳にも、いよいよ仏から山を経て墨牡丹の最晩年がせまる。
2014 9・24 155
* 「墨牡丹」 もう八、九頁で読み終える。
わたしは、こと文学・藝術・創作に関わっての遺書を書く必要がない。「妻に」デティケートしたこの「墨牡丹」こそ作家秦恒平の遺書に相当することを此処に明記しておく。後の人は、成ろうならわたしの作品を読みまた村上華岳のいい画集を手にして彼の作品を敬愛して欲しい。
2014 9・26 155
* 「墨牡丹」を読み終えた。これは作家である私の「所信」であり「遺言」であり、また最良の藝術家小説であり、かつ愛妻小説で恋愛小説である。たとえ私小説を以てしても、こうはわたくしは私を表明・表現出来ないだろう。
次いで「華厳」を読み始める。井上靖先生等と中国政府に招かれて初めて行ったとき、朔北雲崗を訪れた。そこで観た上華厳寺大雄寶殿の大壁画を、帰国後すぐに小説にしたのだった。あの旅では、作家代表団長井上先生のほかに伊藤桂一、清岡卓行、辻邦生氏らが小説家だったが、帰国後すぐに小説を発表したのは私独りだった。手練れの読み手であった人が何人もこれこそが文学小説というものです、好きですと言われた。伊藤桂一さんには、ボクらだとこの小説一作から三つ四つの作をつくります、もったいないほど中身が濃いと言われた。批判とも賞讃ともきこえて面白かったのを忘れていない。日本の作家が純然の「創作」としてこういう書き方をされた先人の例をわたしは知らない。
* 「華厳」半ば近くまで読み進めた。烈しい戦乱悲劇の舞台であり、そこに生きる美の世界を書いている。清に圧倒された明の遺臣の物語とも謂えるが、主人公の世界を包むのは美、美術。
2014 9・27 155
* 『冬祭り』 もう第一章「ロシアへ」を読んでしまった。第二章「バイカル号で」に入る。校正読みの文字をぐっと大きくしたので、読みやすい。全十二章、存外はやく読めるかも知れぬ。気持ち、むかしむかしの育った家に帰っているような心地。現前の世間・世情などアタマに入ってこなくなる。
* 新しい仕事の原稿づくりの手伝いを妻に頼んでいて、出来てきた。丁寧に手を入れて行けば、また興味ある一巻が出来上がるだろう。
2014 10・1 156
* 旧約の「ヨブ記」を読み始めている。以前に旧約聖書を悉く音読したときに一度は読んで通ってきたが、頭には入らなかった。今度は岩波文庫版で、根気よく体当たりするように読みたいのである。もうそろそろヒルテイの「眠れない夜のために」上巻を読み終える。ヒルテイより「ヨブ記」ははるかに嶮しい。
森鴎外の「ヰタセクスアリス」もまた読み返しているが、これには徳に学ぶ何もないと思う。
2014 10・2 156
* 今日は「冬祭り」を読み、エッセイ集を読み、本を読んだ。明日はまた歯医者似通う。
2014 10・2 156
* 「冬祭り」第三章半ばへ来ている。ロシアへのバイカル号はいましも津軽海峡での不思議を迎えている。全十二章。旅はまだまだ先がある。
2014 10・3 156
* 夕刻、歯医者へ出向く。 二人で治療に二時間かかる。わたしはいくら待たされても本がある限り平気。今日は佐伯真一さんの「建礼門院の悲劇」を持っていて、たくさん読めてよかった。
妻の抜歯は、出血に大事を取って、医科歯科大に依頼。
帰路中華家族で晩飯にする。わたしは例の、マオタイ。食は、酢豚ととりの唐揚げ。
2014 10・3 156
* 『冬祭り』第三章を読み終えて、バイカル号の船旅はナホトカへ入港しようとしている。舟の旅の間を利して、 くさんなことをわたしは書いていた。おやおやここまで書いていたかと思い出し出し懐かしかった。『清経入水』や『雲居寺跡=初恋』を通ってきたことがはっきり伺い取れる。
2014 10・4 156
* 『冬祭り』第三章を読み終えて、バイカル号の船旅はナホトカへ入港しようとしている。舟の旅の間を利して、 くさんなことをわたしは書いていた。おやおやここまで書いていたかと思い出し出し懐かしかった。『清経入水』や『雲居寺跡=初恋』を通ってきたことがはっきり伺い取れる。
2014 10・4 156
* 『冬祭り』は、やがてナホトカ発、ハバロフスクへ向かう列車の旅に変わる。小説であるから、小説なのであり、それでもロシアへの旅路は実際の旅をかなり律儀に践んでいる。同行の先輩作家お二人も、ご迷惑にならぬ程度は守りつつ「造って」はいない。団長のK氏も女性のTさんも、もう亡くなった。読み返していて頻りに懐かしまれる。生き残りというかつて想ったことのないような実感に迫られる。では旅をなぞり書くのが目的だったかというと、大きく異なっていて、少なくも一つの大きな側面では、あくまで「日本」を批評したかった。実感や民俗をフル活動させながら。そして、愛。その愛が、覚める夢か、とこしえの真実か。それは、読者にゆだねる判断。
2014 10・5 156
*起床9:00 血圧136-64(63) 血糖値90 体重68.3kg 夜中降雨甚大 書庫の書斎部分に甚だしい雨漏り、対応に奮迅、疲労切、防禦と対応、およそ成らず。嗚呼。
* 建日子 SOS保谷
次の機会に、雨を防ぐに足る材質のなるべく幅広く長いものを見つけてきてくれないか。書庫書斎が床上漏・浸水状態で、終夜悪戦苦闘したが、実効を得ず。戸外の上で覆うしかないか。
とにかく知恵がなくて困惑。キャンブ経験などで、いい知恵がないか。母さんからの希望も聴いてやって下さい。
今夕過ぎまで、ヒドイ状態になりそうです。 父
☆ 颱風
台風の影響で書斎の雨漏り被害の記述を読みました。鴉の最も大事な場所。速やかな回復を心より願います。同時にお身体無理なさらぬよう。
わたしは現在再びシンガポールに滞在しています。とり急ぎ 鳶
* 海外からのお見舞い、忝なし。
2014 10・6 156
* 『冬祭り』は、第五章「ハバロフスク経由」モスクワ空港へ着陸した。われながら不思議なほど、「冬祭り」の人達は生まれる以前からのほんとうの身内・きょうだいのように(わたし自身には)リアルに感じられる。この感覚は中学時代に覚えた。いまも忘れない。読み進めるのが嬉しい。やはり、現代の怪奇小説と言われただろうが、その通りと胸を張ろう。
2014 10・7 156
* 「冬祭り」第六章「雨のモスクワ」を読み終えた。あの旅は予期した不安よりも遙かに楽しめた。楽しんだ感じが叙事・叙景にすなおに出ていて芋でも愉しい。ついで第七章「ルサールカ」に入り、ロシアの民俗や土着の信仰などに触れて行くのだろう、もうヒロインとは電話で声を交わしている。
だが、「冬祭り」にばかり時間を使っていられない、「選集④」の初校を、さしあたり「蝶の皿」「廬山」など読んで行かなくては。さらに明日には「選集③」の刷りだしが、造本、装幀部分も含めて届くことになっている。十七日の出来本搬入までにまたもやってくる猛烈な颱風が通り過ぎててくれますように。
いつもになく、「湖の本122」を決めかねている。いま三通りの案を持って用意しているので、べらぼうに忙しくなっている。ここでも、心当てにしていた初出のブリントが見当たらなくて焦れている。ものを棄てることをもっと効率よく、欲を棄てて捨て去ることを覚えないと。
2014 10・8 156
* いよいよ『冬祭り』は第八章「再会」まで来た。前章の大教会ザゴルスクへの往復の旅程はとても愉しかった。有益だった。小説でのような話ばかりしていたわけではないけれど。
この分ではどうしても機械の前で、読んだり、原稿を作ったり、「私語」したりで、選集④の初校が進まないので、明日は、妻がひとりで歯医者に行くのと同じに街へ出掛けて、どこでもいい明るい落ち着ける場所で校正に励んできたい、気がしている、が、明日の予定は明日にならないと決まらない。妻の留守に家のキッチンで校正というのもありうる。
日曜は、もう雨颱風がおおわらわに襲ってくるのでは。直前の好天が望めるなら日曜に出るのもいいが。なによりも視力がどれほど働いてくれるかで。
2014 10・10 156
* モスクワのジェルジンスキー公園で、「冬子」と再会。『冬祭り』ずんずん乗って読んでいる。
* 選集④の「蝶の皿」「廬山」初校。清朝の精磁、虎渓三笑や来迎図、朝鮮の青井戸、上村松園、村上華岳、そして明の遺臣による大同華厳寺の大壁画など、みな忘れがたい渾身の作。丁寧にかつ楽しんで校正したい。
しかし情けない眼のわるさ、「湖の本121」にも誤植の見落としがたくさん有るのでは。魯魚の誤りだけでなく、ひらかなの濁音、半濁音、促音、拗音などの誤りが見苦しくはないかと気がかり。
ことに「選集」には、一つでもそういう誤りを無くしたいのだが。
この「私語」「箚記」にも、数え切れないほどの誤記がある。妻の指摘してくれた分は努めて直すようにしているが、もう、なかば気に掛けずにただ「書く」に徹している、言い訳めくが。
* 「湖の本122」の原稿づくりは眼にきつかった。入稿できて、一息つけた。創作の方へ時間をより多く掛けたい、少しも慌ててはいないけれども。
* 『冬祭り』を読み進んで、もう眼がダメ。やがて日付が変わる。
2014 10・12 156
* 『冬祭り』の冬子とモスクワの美しい公園で、二日続けて冬子の心入れ「再会」の朝食をし、満ち足りた。
てにふれて あきのすずかぜ ながれゆく
彼方(あなた)へこひの おもひおくれよ
2014 10・13 156
* 今日、聖路加での諸検査異常なく、早く終えた。検査データの出るのに一時間はかかる。それからまだ待って待って診察になる。その待ち時間を利して、「選集④」の「廬山」「青井戸」を初校し終え、さらに「閨秀」へも読み進めた。機械に向かうよりはゲラを読む方が眼は、ラクです。
それでもいつもより早めに診察を終えた。処方薬も築地の薬局で手に入れ、たいした雨でもなかったので、銀座西五番街での当代楽吉左衛門子息の石材による造形展を見てきた。新婚の夫人とも初対面。いろいろと創作上のことなど教わってきた。
近くの三笠会館で遅い昼食。食べ物は極度に少なくし、美味い紹興酒を二合。これは、しかし、効き過ぎた。銀座から池袋へ地下鉄に乗ったが、はっと目が覚めると「銀座駅」、ただし方角が逆様の新宿中野行き。いささか胸をしめつける感じが苦しかった。
幸い、地下鉄でも西武でも、いつでも、席を譲ってくださる方が十度に八度はあり有り難い。しかし、よほどひ弱に見えるのだろう、宜しくないことだ。幸いに小雨ながらタクシーが早く来てくれて無事帰宅した。
2014 10・15 156
* 『冬祭り』第十一章「冬のことぶれ」を読み終えた。
2014 10・16 156
* 『冬祭り』十二章「提案」を読み終えた。終幕へ向け息づまってきた。完全にわたし自見が作の世界に生きて息をしている。
2014 10・18 156
* 八百枚の長編『生きたかりしに』を、今日は、読んでいた。やすらかな筆致で進んでいて、こころよくずんずん読めて行くにしたがい、胸も圧されてくる。「生きたかりしに」とは、生母の、いわば辞世歌の末句なのである。
2014 10・24 156
* 全五章の「生きたかりしに」原稿を、懸命に読み進んだ。もうほどなく第二章を終えるだろう。読める。その確信の持ててきたのを喜んでいる。
2014 10・29 156
* 十時半だが、もう何も出来ない眼になって。床についての読書も極度に控えて、いまはマキリップの『イルスの竪琴』第三巻を楽しんでいる。これもまた長い長い旅の物語ではある。
2014 10・29 156
* 十時半だが、もう何も出来ない眼になって。床についての読書も極度に控えて、いまはマキリップの『イルスの竪琴』第三巻を楽しんでいる。これもまた長い長い旅の物語ではある。
2014 10・29 156
* 「生きたかりしに」の第二章を読み終えた。
まざまざと昔の「旅」を、建日子をつれての、大和へ河内へ京へ近江への長い旅を思い出した。ああ、よく書いて置いたなと有りがたかった。
2014 10・30 156
* 奈良菖蒲池の中野美術館が所蔵品選集を戴いた。鐵斎、栖鳳、麦僊、竹喬、とりわけ華岳、波光をよく多く揃えているほか、洋画にも、版画にも、彫刻にもよく行き届いていて、気品溢れる美術館である。前の館長が専攻の先輩で「対談」したことがある。今の館長はご子息。一度、妻と訪れたことがある。近くに松伯美術館ほか佳い美術館や古寺がある。また行きたいもの。
2014 10・30 156
* 十時からもう日付が変わるまで、夢中で「生きたかりしに」を三章半ばまで読み耽っていた。これは、良い仕事に成るだろう。大量の手書き原稿はよく推敲できていた。この大部の長編を妻が電子化してくれなかったら、あたら埋もれてしまっていたかもしれない。
2014 10・30 156
* 色川大吉時評論集『新世紀なれど光は見えず』を戴いた。わたしの湖の本「ペンと政治」「作・作品・批評」「歴史・人・日常」「堪え・起ち・生きる」などの箚記ともちかいが、短文・断想が思い切り選定整理されている。思いは非情に近く、思想的に身内感が持てる。
* ペン会員の北村隆志氏からも共著の『闇があるから光がある 新時代を拓く 小林多喜二』を貰った。多喜二を巡り素材にもした数人のいろんな方角からの「記録集」である。
京都の星野画廊からは「久保田米僊遺作展」図録をもらった。
2014 10・31 156
* 島尾敏雄子息伸三さんからは、父君の深く関わられていた同人雑誌「タクラマカン」52号が。
2014 11・5 157
* 帰ったら、猪瀬直樹から、あれ以来初の新刊『さようならと言ってなかった』が届いていた。最近もらった新刊では、色川大吉さんの一冊が読みやすくしかも内容に重みがある。数人からの便りもあったが、明日のことにする。
2014 11・10 157
☆ 秦恒平様
謹啓 平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
この度、『村上開新堂Ⅰ』(山本道子・山本馨里著 謙談社刊)を上梓いたしました。
四代目村上寿美子が語った店の歴史の聞き書きをもとに、店に残る写真や資料などと合わせて一冊の本といたしました。初代村上光保が、明治天皇とともに東京に遷った明治のはじめより、創業の地・麹町から現在の千代田区一番町に店舗を移した昭和四十年頃までの約百年の店の歩みが、村上家四代の歩みとともに綴られております。
ご高覧いただければ幸いに存じます。 謹白
平成二十六年十一月音日
村上開新堂
山本道子
山本馨里
いつも御本を頂戴するばかりですが この度 百年かかって一冊の本を作りました 殆どの資料が焼失 母の聞き書きが残っていたのが幸でした。 道子
* みごとな出来栄え、心のこもった誇りに充ちた精緻な物語になっている社史で、山本さん母子の文筆が冴えている。
2014 11・12 157
* 妻とは六本木で別れ、銀座へ出て、地下廊下の喫茶コーナーで「冬祭り」を校正して時間を用い、クラブへ先着してやはり校正しながら来客を待った。主人役として、先日チャージしておいたすてきに美味いコニャックとエスカルゴを差し上げながら、六時半から二時間余を用談かつ歓談。京みやげに大好きな末富のせんべいを一缶頂く。最終の新幹線へ送り出しておいて、わたしは居残って遅い晩食。その間にも「冬祭り」校正、丸ノ内線、西武線でもやはり校正。「冬祭り」を読むほどわたしにとって精神衛生のいい時間はない。帰宅は十一時。
* もう零時半。
2014 11・13 157
* 高田衛さんから大著『秋成 小説史の研究』を頂戴。わたしより高田さんは五歳の先達、「いつも御本をありがたく頂いています。当方はすっかり老いくちて なかなか思うようにはいきません。ご清栄を祈り上げつつ 高田衛」とお便りを添えて頂いた。なかなか。たいへん重い新著である。わたしは高田さんに、また高田さんの後輩てある長島弘明さんに負うた「秋成を書きます」という重い宿題を背負い続けて半世紀に近いのである。高田さんのお元気なお目にかけられる「秦恒平の上田秋成的世界」を一日も早くお見せしたいと今しも日ごと勉めている。書き下ろしとしては一等先にゴールインするかも知れない。お待ち下さい、お元気で。
2014 11・15 157
* まるまる一冊を一日掛けて読み通したで、さすがに眼が腫れたように感じる。それでも二つの肩に同時に二つの重荷では潰れるとと思い、他の何を措いてもと、片方の荷を一気に片付けた。仕事の上の視野がさすがに明るんだ。気も楽になった、すこしだけ。
2014 11・16 157
* この時代遅れになった機械を、半ば事故を起こしているADSLで起動するのに十分ちかくかかる。癇癪を起こして弄ると機械はますます狂ってしまい、最初からまたやり直さねばならない。で、慌てず焦れず、その間に「陶淵明全集」今は下巻を楽しんで読む。気に嵌ってくる佳い詩句に行き会うと鉛筆でしるしを入れ、二度三度読んでみる、時に声を出して。
2014 11・16 157
* 「陶淵明全集」下巻が面白く、「後拾遺和歌集」の五選めを楽しんでいる。
* よほど昼間がつらくても必ず、マキリップ「イルスの竪琴」世界に沈潜することは欠かさない。もう幾度読んだか知れない絶対的な愛読書だが、それでも発見があり新たな感銘がある。いま第三巻を読んでいる。
* 色川大吉さんの「新世紀なれど光見えず」を、わたし自身の「九年前の安倍政権と私」と比べ読むように、頷き頷き読んでいる。
色川さんの本にくらべると猪瀬直樹くんの辞任後第一作は物足りない。気持ちは重々分かるけれど、彼の得てしまい失ってしまった地位・立場からすれば、都民と国民へのもっと切実で的確な謝罪とともに、もっともっと突っ込んだ現在の国政や都政や政治家たちへの沸騰するほどの胸懐こそが求められていたと思う。それが先ではなかったか。
或いは、太宰や三島を書いたような方向での探索的な文学論とか。亡き夫人への思慕と哀切とはむしろもっと深切な佳い小説のかたちで吐露された方が愛深い紙碑と成り得たろう。
2014 11・18 157
* 今日、白楽天の弟、白行簡の著に擬された希有に得難い一書を購い得た。あらましを先ず読んで深く感じた。精読する。眼のかすみが情けないが、読書はあたう限り続ける。
2014 11・21 157
* 鴎外歴史其儘の「栗山大膳」を一気に読んでから、エッセイ「歴史其儘と歴史離れ」そして「空車(むなぐるま)」を、やや襟を正す心地で興味深く読んだ。
* 手に入れた白行簡の書の大半は白文。白文を正確に訓み下すのは容易でない、が、そういう場合わたしは「便法」として経文読みに棒状に読み下すことにしている。「夫性命者人之本」とあれば、「夫れ性命は人の本なり」などと強いては読まないで、「フセイメイシャニンシホン」と読んでしまう。日本語に拘泥せず、「漢字」をすべて音読する。漢字の意味が汲める限りはそれで足ることを、例えば般若心経を誦することなどから経験的にほぼ承知し、それに準じて阿弥陀経や観経、大経なども誦読してきたから、いわば用言に相当の漢字などをどう音で読めばいいか適当に承知している。読んで意義の知れない難漢字が続出しては閉口だが、およそ何が言われようとしているかは此の「お経読み」で半ば以上は楽に足るのである。存外、編修者の読み下しに従うより、凡その分かりならこっちの方が早い。
で、その本、まことに興味深い。
2014 11・22 157
* ひたすら自作を初校し再校しまた推敲し書き継いでいる。読書もしている。その余のことが、もう出来なくなっている。出来るだけのことをして行くしか無い。
2014 11・25 157
* dell機故障が気になり、眠りにつき難く、寝床で校正ゲラを読み、最もの安静剤としてマキリップ『イルスの竪琴』第三巻ののこり四分の一ほどを払暁までかけて読了した。
この本は少なくも七度ほどは繰り返し繰り返し愛読してきたが飽きるどころか、読見返すつど、新たな発見と納得と不思議さに驚かされる。第一巻、第二巻は物語の展開であり、それでも、各所の表現にああそうだったかと驚かされるのだが、第三巻は緊密にいわば目のつんだ集中的な謎解きが巨大に進行し深化して行くので、よく心入れて注意していないと秘跡の見落としをしてしまい兼ねない、現に此度はよくよく静かに深くゆっくり読み進めていって、ああそうかという驚きに何カ所でも出会った。興味津々のうちに、普通の文庫本の百数十頁をも目を皿にして読み切った。
『ゲド戦記』のフィロソフイーとはやや異なるが『イルスの竪琴』という綿密な構成で仕上がった大長編も強い訴求力のフィロソフィを孕んで物語が怒濤のように、疾風のように進んで行く。哲学に味わいと強みがある。
これらに比べるとはるかな長編の『指輪物語』はただ壮大なファンタジーでこそあれ、フィロソフィで厳粛にさせる小説ではなかった。 マキリップの想像力は緻密で柄が大きく、世界の深層へもおおきくまた細密に及んでいる。構想に乱れが無いのに驚かされる。
今一つ、訳者の脇さんの日本語がおちついて周到な想像力を働かせている。脇さんは泉鏡花の研究者であって、このマキリップ本は脇さんから直に贈られたわたしの愛蔵本である。脇さんの最近を知らないが、元気かなあ。もう大昔、泉鏡花を語り合う座談会で会ってこのかた消息がない。幾重にもお礼が言いたいお一人である。
2014 11・27 157
* 折口学の石内徹さん、大著『釈迢空「古代感愛集」註釈 全』を下さる。
2014 11・28 157
* 額に、鉢巻きの拡大鏡を巻いて小説「糸瓜と木魚」をおもしろく読んでいる。「糸瓜」とは正岡子規、木魚とは洋画家浅井忠。二人の伝記的関心からはじめた小説ともいえない、やはり一人の鶴子というヒロインを愛しながら、伊藤左千夫や夏目漱石の世界などをも覗き込もうとしている。根岸の子規庵を訪れたこともある。
「廬山」に永井龍男先生が本の帯に賛辞を下さったように、「糸瓜と木魚」には瀧井孝作先生がやはり帯に賛辞を下さった。お二人の評語の芯に立って共通しているのは「美しい」の一語だった。頭を垂れた。
*自作を読んでいて思い出せる、大学では土居次義先生に日本美術史をならっていた。恩賜京都博物館の館長もされた。この先生は京都市内の古刹名刹を現に飾っている障壁画の真ん前へ学生を連れ出して講義された。それがどんなに有りがたいことか、誰にでも分かるだろう。
わたしは土居先生の大著も買って愛読した。いま上にいう「糸瓜と木魚」もまた上村松園や祇園井特を書いた「閨秀」も、土居先生の著書の中から契機を得て書き上げたのであり、土居先生もとても喜んで下さった。御恩返しが出来たのである。その「閨秀」は吉田健一先生の時評で文字どおり絶賛された。「清経入水」は小林秀雄先生そして中村光夫先生に推しだしていただいた。「墨牡丹」では立原正秋さんや梅原猛さんとのご縁が出来た。
けっして我一人のちからだけで作は生まれはしない。しかし、その作に豊かに美しい「作品」を生み得るかどうかは、これは作者しだいで、人の力を借りることは不可能。
* 体調をくずしている妻が、奮ばって長編「生きたかりしに」最終章の二節分電子化原稿を階下から電送してくれた。感謝、感謝。すぐ、読み始めた。あと、三節が残っている。新春の一月中にと頑張ってくれている。感謝。
新作の小説は、長編の二作が仕上がろうとしている。とても難しい、とても気を惹かれている一作をも、ぐいぐい押して行きたい。 2014 11・30 157
* 「生きたかりしに」を読み進んだ。「糸瓜と木魚」も。「華厳」も。
明日には「湖の本122」が刷り上がってくるし、「選集④」の装幀用意が届いていくる。
2014 12・1 158
*おもしろく「糸瓜と木魚」を読んでいる。子規と浅井忠を表に立てながら伊藤左千夫の縁辺を、そして女友達とのあわいを思うままに書いている。
わたしは、ながいあいだ自分を筆の重い寡作の書き手だと思い、脂の乗った時期を持てなかった書き手だと思ってきた。事実が添う手背有るかも知れない。しかしこのところ「選集」の第一から五巻へかけ二十篇を繰り返し読み込み、いま第六巻のための「祇園の子」や「糸瓜と木魚」を読んできて、それら殆どの作が、作家と編集者二足の草鞋を脱ぐかまだ脱がぬうちに書かれていて、脂はしっかり乗っていたのだと初めて自覚した。自覚はやがて八十という老境の眼と思いとが支えている。要するに文壇には馴染まなかっただけのこと、敬愛する先輩たちの道はしっかりいつも見詰めて、文学を軽々しくはすまいとのみ思い締めてきたのだと今にして思う。
2014 12・3 158
* 「糸瓜と木魚」を読みなから「明治」という時代を遠くから眺め返している。明治初年の画家たちが思い出される。おもしろい。
しかし、もう機械の字が読めず、機械に字が書けない。十一時過ぎ。
明日には「湖の本」新刊が出来てきて、もう試薬も「選集⑤ 冬祭り」再校ゲラが届いてくる。
もう建日子が渾身の劇作・演出の舞台も開幕している。
2014 12・4 158
☆ 疲れのせいか
電車でもお風呂でも、寝入ってしまいそうになります。
明日は今年最後の満月、満月の夜はお酒の回りも早いと聞きました。
飲み過ぎぬように、発送作業のお疲れがでませんようにと願っています。 世田谷 朝
* お疲れを労って、大事に 勉めて心温かにお過ごしあれ。無欲に夢中になれる読書もいいものです。
つらいときや、くるしいとき、長大なモノを読み始めて、その間は煩わしいことを苦にしないようにし、かずかずの難所を通り抜けて来ました。
むかは源氏物語を読みましたが、今なら、ファンタジーを愛読します。「ゲド戦記」、「イルスの竪琴」、「指輪物語」など。深く深く潜水する心地で入り込みます。
さもなければ「戦争と平和」あるいは「モンテクリスト伯」。引き込まれる世界があると、救われます。
日本の現代小説で、そういう役に立ってくれるのはわたしの場合藤村の「夜明け前」です。読み物なら、「女王陛下のユリシーズ号」「北壁の死闘」を奨めます。
疲れの大方は気疲れでしょう。気を散じることが有効です。
発送は明日から初めて十日前には終えたいと願っています。いま家にはお酒払底。岡山のすばらしい冬葡萄の大房を戴きました。j満月にまず捧げましょう。
今月は珍しく歌舞伎も観ません。病院へは通います。
お元気でと願います。ではでは。
2014 12・5 158
* 今日も午後の遅くまで発送の作業、予定していた全部を送り出した。体調を崩しかねないほど疲れ切った。
二階の機械の前へきても、居眠りし、はっと目覚め、しかし次に気付いたときはまた居眠りしていた。それが三度も続いて、仕方なく機械の前を退散した。
夕食も食欲無く、ほとんど食べられなかった。床について寝ようとしたが今度は眠れず、仰臥の姿勢で「墨牡丹」を何十頁か再校した。「糸瓜と木魚」も読み進めた。
2014 12・8 158
* 明日には「糸瓜と木魚」を満足裡に読了できそう。論文でなく小説にして成功したなという手応えを覚えている。
2014 12・8 158
* 『糸瓜と木魚』を読み終えた。作家であろうという初々しい感動を正岡子規と浅井忠という優れた藝術家を通して再確認した。講談社の松本さんと車に同乗の折り、優れた「藝術家小説」がまた出来ましたと謂われ、藝術家を書いた「藝術家小説」という文学表現のジャンルのあることを迂闊にも初めて覚えた。これより早く上村松園を書いた『閨秀』も、村上華岳らを書いた『墨牡丹』もそうたったのかと新ためて気付いたような按配だった。
選集⑥でつづくこれは書き下ろしの長編『あやつり春風馬堤曲』も、すると与謝蕪村を書いた「藝術家小説」といえるし、あいつぐ『秋萩帖』は緒の国宝とともに閨秀歌人大輔や三筆の一人と湛えられた小野道風を書き取った藝術家小説に相違ない。
この巻巻頭の短篇『祇園の子』はさておいて、つづく長編三編はわたし自身の思いでは『閨秀』『墨牡丹』もともども、いわば「藝術家発見』の論攷味が濃く勝った創作ということになり、わたくし自信の文学作風の核心にはこの「論攷味」が顕著に働くと謂わねばならない。それがためにある読者はつまづかれある読者は深く入り込んで満足された。この後者がたんに数に置いては前者より少ないのは致し方ないと思っている。
* 体調ととのわず、かなり重い疲労感と無力感に、食事も摂る気がしない。酒も入らない。睡るしかないか。
* と、謂いながら、書下ろし長編『あやつり春風馬堤曲』に取り付いて読み返し始めると、これはもえベラボーな「あやつり」物語が与謝蕪村の老境と絡み合いながら進行し、なんとも、やめられない、止まらない、よほどケシカラナイ妖艶の誘惑物語がしあがって行く。蕪村攷としては、でたらめな追及ではないが、「容姿嬋娟」「癡情可憐」の女子大生がからまってきて途方もなく宏遠なものがたり世界へにじり寄って行くようだ。この話なども、読める人と読み悩む人との差違はちいさくない。そして、これはわたしの創作の流れによほど早くに忍び入り、今日の新作へも流れ込んでいる、といわねばならない。
2014 12・9 158
* 笠間書院の重光さんから、室町時代の絵巻世界『新蔵人』という珍書を戴いた。この絵巻、科白のいわば吹き出しが主要人物に付いていて、マンガの嚆矢でもある。男装して宮中にあがり、帝の愛をめぐって姉と争う少女の物語絵巻である、女性の男装・男性の女装物語こそ必ずしも希有ではないが、「室町時代のマンガ」となると珍しくも面白く、興味津々。阿部泰郎氏監修で、三人の若い女性研究者が編んだ、まこと文字どおり有り難い佳い本をいただいた。感謝。
併せて渡部泰明氏の編になる『和歌のルール』一冊も重光さんを介し笠間書院から戴いた。感謝、感謝。
* 一日、午後から晩にかけて疲れと腹部の不快は深まる。「あやつり春風馬堤曲」がわれながら(あたりまえだが)面白く読めるのには気をよくしているが、不可解な曇り日のようなからだの不快は気持ち悪い。じつは二月にはぜひにも京都へという誘いを受けてきたが、お断りと決めた。今日は酒も飲めない。
そのかわり、ドラマ「ドクターX」には満足した。共感が過ぎるほどで、少しく苦しくさえあった。次回で今回のシリーズを閉じるようだが、一日も早く新シリーズを見せて欲しい。このドラマに先行した、Dfileの「クローザー」もシンドイ思いを強いるスリルに溢れていた。西欧のカソリック教会がらみの映像では、久しい各時代の歴史にからみついた聖職者たちのとてもガマンならない悪行がよく話題にされる。不快を覚えることが多い。
* もう十時半。もう一晩、はやめにゆっくり熟睡に入りたい、と言いつつ、昨夜も校正ゲラをはじめ、『眠れぬ夜のために』『箴言集』『アブサロム、アブサロム』『族長の秋』『南総里見八犬伝』『ダブリン物語』などに読み耽ってしまった。白行簡の興味深い漢文も面白く楽しんでいる。泉鏡花の『山海評判記』も読み切りたいと手放していない。
今夜はやはり『新蔵人』に手を出さずにはおれないだろう。
2014 12・11 158
* 夜前はやはり「新蔵人」を本文も絵巻も読み終え見終えた。六位蔵人級の中級貴族一家が帝とも関わって行く趣向の物語で難解でもなく高級でもない、平安・鎌倉期の物語や絵巻とはちがう。親しめて面白いと謂えば言える。
2014 12・12 158
* この師走はめったになく歌舞伎を観なかった。明けて正月も、どうやら席が難しいらしい、わたしの今の視力では好席とされる「とちり」席ですら視線が届かないので、予約した十五日をキャンセルし、成り行きに任せることにした。
じつは、いまも機械の画面はあまりに薄霞んで、とても疲れる。疲れはするが、ずうっと「あやつり春風馬堤曲」のおもしろさに惹かれて読み続けていた。此の作は雑誌にも載せず、書き下ろしの単行本にもせぬまま、創刊十年を記念の「湖の本」35巻にして読者へ贈った。その意味からもこれは読んだ方の人数はすくない。やがたの選集⑥で「糸瓜と木魚」「秋萩帖」と並んで、明治期、えどの天明期そして平安初期を書いた藝術家小説の競演になるのは、とても嬉しい。
2014 12・12 158
* 「あやつり春風馬堤曲」にこんなに興深く面白く心惹かれて読み返せるとはまるで思ってなかった。秦さんは推理小説が書けますよとむかし編集者に言われていたが、その当時「推理小説」なるものの概念すら想ったことがなく、概して世上のそれらは薄汚れたような読み物としか思えず尊重したことがなかった。今でもそれはそのままで、たとえ読んでも時間つぶしとしか思っていない。それなのに、なんでそんなこと言われるのかなと思っていた。
おそらくはわたしの小説の多くが構造的にフクザツで、問題点の追究の仕方に仕掛けや考察や歴史がかなり豊富に絡まっているのを、そして思いも寄らない水面へポカッと浮かび上がるからかと、ようやく合点していった。むかし、ある読み物作家のベテランが、秦さんの小説はもったいないほど幾つもの筋道が構造的に交錯している、ぼくらなら秦産の小説一作から三つも四つもべつの作を書くと言われたことがある。貶されたのか褒められたのかどういう意味かよく合点出来なかった。
この今読んでいる小説も推理と構造と想像のおもしろみを持っている。作の力に作者の方が引っ張られて世界をいつしかに大きくしつつある。語りの姿を、「春情まなびえたる」一女学生の日記並みの手紙で一貫しているのが複雑さをヤヤコシサにはしていない。そしてこの女性が「ことば」で肉薄してくる魅惑や誘惑もモノを言っている。
この作もこの作だけですまず、いましも書いているヰたセクスアリスものへ生気を、精気をも、流し込んできているのに作者としても一驚している。
* こうして打ち込める世界をもてていることに、真実、救われている。わたしにとり大事なのは、「この創作世界」なのであり、アベノミクスなんかでは無いということ。
22014 12・15 158
* 「秋萩帖」を読み始めた。正直の所、どんな風に話を追っていったか詳細は覚えていない。が、あああの頃か、あの時かと、物語の背景はしっかり蘇ってくる。たかだか二百年前の蕪村の「人」を追うのも、たいへんだった。さらに千百年ほども昔の一人の女歌詠みの実像や出自を小説として追うのは容易でない、しかも学者の世界でも成し遂げられていない。その難題を、まことに危険な見切り発車の雑誌連載でおっ始めたのがこの古筆第一号国宝の「秋萩帖」の世界だった。その途方もない暴走に今にして驚く。
* 明日の診察、なんとなく物憂い。午後の予約だが、校正をたくさん持って朝早くから出かける。聖路加病院には、明るい食堂があり、静かな礼拝堂が二つもある。落ち着いた談話ないし休憩の部屋もあり、外来でも十分明るい。自作を静かにゲラのまま読み返しているときが、このところ一等気持ちも落ち着く。「墨牡丹」と「冬祭り」を持って行く。病院へ、診察を受けに行くというより、校正しに行く気分。解放されるのが午後何時になるか、見当が付かない。十時。今夜は、もう休息する。
2014 12・16 158
* クラブではコニャックとシャンペン、ガーリック・ソーセージとエスカルゴ、そしてアイスクリーム。一日中の明き時間を「校正」にあて、「墨牡丹」読了、これで選集③を下旬の内に「責了」へ持って行ける。「冬祭り」も、もうナホトカ港へ入るまで。外出すれば、否応なく校正は進行する。時間が有効に活きてくれるし、機械でない分、目もすこしはラクである。
2014 12・17 158
* 案じていたわたしの小説「秋萩帖」を読み始めた。この小説の出だしというより国宝「秋萩帖」をめぐる解剖所見など、大方の読書人には荷が勝ちすぎるだろう、草仮名という、また綾地裂という、三蹟の一人小野道風という、書蹟をめぐる話題ではじまっている。これもまたわたしが読みたくて堪らず、しかし誰も書いてはくれないから自分で書き起こし置き上げた面白い小説なのである。これを書こうとしたときは古筆學の小松茂美さんが健在だった。京都のT博士こと角田文衛先生もお元気だった。見切り発車で連載を開始し、ついに到達点へいたったとき、角田先生は京都から電話をかけてみえ、「よくやりましたねえ」と言って下さった。小説家の不埒にはまことに厳しい博士であったのに。
わたしは、美術品のなかで何が好きと問われると、一に「書」と答えていたときがある。わたしには不運にして文庫本の著は数少ないのに、講談社から『書蹟』と題した一冊を編輯している。監修は井上靖先生だった。この役は井上さんの推挙に相違ないだろう。
と、まあ、そんな次第でわたしは「秋萩帖」という、自分で書いて読みたい小説を書き、小野道風邪の恋人でもあり宮廷社会にも名を響かせていた閨秀歌人「大輔」 後撰和歌集の女流で伊勢に次いで数多く和歌をとられている女の、しかも出自のまことに曖昧に知られぬ儘であったのを追究し、結論へまでこぎ着けた。それも平安時代の話題とともに今日現代の恋物語といわば二人三脚のように走り抜いたのだ。
こういう小説が書きたかったのだ、処女作の昔からだ。
いま「秋萩帖」が楽しい。
2014 12・18 158
* 重苦しい体調、時刻の推移につれて加わる疲労感につきあいながら、「秋萩帖」を読み継ぎ、新たな書き下ろし長編「生きたかりしに」を書き継いでいた。口に入れて快いのは、いま、キリンん゛売り出した「別格」の飲料、ことに「鉄観音」をひえたままで飲むこと。腹具合が静かに治まる。
* もう宵ぐちから殆どまともな視力がない。ここへあれこれ書き入れるちからがない。少しでも少しでも先へ先へ「間に合う」ように、したい「仕事」に心身を投じたい。それだけだ。そういえば、東工大で井上靖の詩で「間に合う」ことについて学生諸君に考えて貰ったのを思い出す。
* 床に就いてから、裸眼を励まし励まし「冬祭り」の再校ゲラを読む。ハバロウスカから雨のモスクワへやがて飛びたつだろう。「冬祭り」を読んでいるとは、それ以前の殆どの、またそれ以後の幾つもの自作をまるで「食し」ているようだ。
「冬祭り」のゲラを置くと、次は鏡花の豪華限定本で、小村雪岱全挿絵の入った新聞連載初稿の「山海評判記」を嘗めるように読む。ま、すべての読者が支離滅裂、口から出任せの語り本と惘れるだろう。わたしもかなり惘れながらまるで譫言のような鏡花の凄みの日本語を堪能している。
そのあとは、はやく読み終えようと「八犬伝」馬琴のあくどいほど饒舌をときにウンザリしながら読み進んでいる。分厚い岩波文庫で十巻は長すぎる。達者の筆で五巻、せめて六巻に添削・推敲しうれば「最良の読み物」の一つになるだろう。
ついでジョイスのやかましい「意識の流れ」ものの『若い藝術家の肖像』とそれに事実上先行していた短編集『ブブリン市民』を退屈しながら読んでいる。「意識の流れ」と称されてきた、だらだらと、こまごまとした叙事叙景の垂れ流しをわたしは今のとわころ賞讃できない。二十世紀を打ち鳴らすように登場したと今にして言えるのは、ジョイスよりもはるかにカフカだと思われる。
このところ不幸にして、カミュほども魂にしみいる世界文学に出会えない。ひとつには翻訳の日本語が文学藝術に成れていないのでは。尾張の「鳶」はときどき佳い本をこれまでも奨めてくれた。また教えて貰おうか。
2014 12・19 158
* 七十八年の汗を入浴で流した。心身を温めながら、「後撰和歌集」「拾遺和歌集」の撰歌を推し進めた。後撰和歌集はまだ一撰めで、佳作をあまく拾っている。拾遺和歌集は三撰め、かなり絞れてきている。が、後撰集の方がおもしろい。拾遺よりは「後拾遺和歌集」の方がずっとおもしろい。
ヒルテイの「眠れぬ夜のために」後編の、十二月十日から二十一日までも、ゆっくり読んだ。
わたしはクリスチャンでなく、信仰のあるなしに関わらず必ずしもヒルテイの言に全面信をよせてはいないが、敬服している。聴くべきは慎み喜んで丁寧に耳を澄ましている。
☆ ヒルテイに聴く。
「世間の名誉にひどく敏感な者は、いつもその時どきの世論の奴隷にならずにはいられない。(十日)」(ドクターXの名科白「いたしません」でいいのだ。世俗の名誉は求めて取るものでない。来るものは来る。)
「キリスト者だからといって、必ずしもよい実例を示すとはかぎらない。(十一日)」
「われわれのいちじるしい内的発達や進歩は、すべてそれに先立つ多かれ少なかれきびしい試煉の最終の結果である。ひとは元来、試煉をよろこぶべきであり、少なくとも、試煉のさなかでも、たましいの静かな一点を失ってはならない。試煉は、将来われわれの上に咲き出ようとする、新しいまことの幸福の前ぶれである。艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。(十四日)」(静かな心、静かになれる姿勢がどんなにたいせつなものか、わたしは体験して覚えている。)
「生涯の仕事の大部分は、過去のひろびろとした大洋のなかに一見跡形もなく消えてしまうものだ。(十六日)」(だから「仕事」を残すのは無意味か。「仕事」は、したくてすればいい、無意味でも有意味でもないのだ。)
「人生の特性を決定するのは、日常の小さな事柄であって、偉大な行動ではない。」「『不機嫌』は、もしまだそれがあなたにこびりついているのなら、すっかりきれいに脱ぎすてねばならない欠点である。(十八日)」(言うべきは言い、怒るべきは怒り、称うべきは称え、三匹の「猿」もかしこく育てて、不機嫌には落ち込まぬが良い、ほんとうに良いと思う。)
「われわれは、人間の性格におよぼす藝術の影響について、いくぶん懐疑的にならざるをえない。イエスが当時の壮大な建造物などにほとんど関心をしめさなかった所以も理解できる。 もちろん美の感覚は、とくに若い人びとには絶対に欠くことのできない、人間に必須の教養の一つにちがいないが。 それでも決して美を善と混同してはならない。それは二つの、まったく違ったものであり、互いに区別さるべきものである。(十九日)」(ヒルテイに、またあのイエスに、わたしは頷いている。美は真価であり優れた藝術は尊いが、謙虚に敬虔に受け容れたい。芸術至上という主義は成り立たないと思っている。)
「ひとは自分にできることをしなければならないが、次には、他人からの感謝をあきらめることができなくてはならぬ。でなければ、そういう行いや仕事も一種の他に求める享楽欲におちいる。」「自分がよくなしうる以上のことをしようとせず、また、このような仕事のなかに自分の幸福を求め、かつ見出す人こそ、最も立派に世を渡る者である。(十二月二十一日)」(もうこの日付が迫ってきて、そしてわたしは満七十九歳の誕生日を迎える。ヒルテイのこの日付けで書き置いてくれた言葉は、わたしの日々の思いにしっかり重なっている。七十九年前にわたしを生んだ母の生涯、生きたかりしにと歎いて逝った生涯を、今しもわたしは渾身、書き留めておこうとしている。)
2014 12・20 158
* 「秋萩帖」が面白く運べている。おやおやこんなヒロインたちが現れるのか、懐かしいなと文字の見えない目尻をさげながら読んでいる。今日は郵便もこない。出向くのも重たい、「和加奈」からすこし美味そうに刺身の大皿でも取り寄せて酒を飲もう。睡くなったら寝よう。寝られなければ鏡花の美装本を読み上げよう、そうそう今晩は澤口靖子主演の特別番組があるはず。
2014 12・21 158
* 特別ななにごとも無いふだんよりもふだんのまま今日を過ごした。酔えば居眠りし、覚めれば「秋萩帖」を楽しんだ。そうそう泉鏡花会心の怪作『初稿・山海評判記』も読み通した。これは鏡花でなければ書けず鏡花読者でなければ読み通せない物語で。堪能もしたし、ほとほと驚かされもした。それにしても雪岱挿画ももろとも同志社大田中励儀さん渾身の復刻であり、感謝したい。この作は、鏡花作としても例外的に岩波の全集以前に単行本になるはずなのに実現しなかった。瀟洒な挿絵の名品とともにつくづく楽しめる美麗の造本、本読みのすきな愛読者には堪えられない。あらためて田中さんにも感謝、感謝。
2014 12・21 158
* かなりきわどい夢うつつの隘路を抜けて、「秋萩帖」は九の帖の七の帖へ読み進んだ。読者をつんづ迷わせる作者のわたしだが、最たる一つが「秋萩帖」かも。
2014 12・26 158
* このところ読まずにおれない興趣二富んだ本に、高田衛さんに頂戴した『秋成 小説史の研究』がある。なにより筆致が精妙軽快で読みやすく、その叙述がために秋成の生涯・境涯にわたって驚くほど精微であっても、少なくも私には、負担にならずに興味津々の妙境が愉しめる。「研究」書とは思われぬ誘惑に手を引かれ思いを惹かれて、読み出せば一気にどんどん読んで行ける。高田さんり文章も追究もついに仙骨を得られてきたと感嘆してしまう。
* もう一冊、身を投じそうに惹かれているのが、ダンテ『神曲』の「地獄」で、岩波文庫ではとても読みづらい古典が、原光氏の訳で感謝と讃嘆にたえぬほどしみじみと、やすやすと「入って」行けるのだ。岩波のあえて詩曲であることに拘泥した晦渋の訳より万倍も自然になだらかな日本語へ散文化されている。原さんから随分以前に「函入り本」を戴いていたのに、函と本の相性があまりに窮屈でつい手が出せなかった、本が取り出せなかったのだが、岩波文庫の訳に音を上げ、おおそれそれと思い出して手にした原さんの『地獄』編、まことに心優しく親密に訳されていて、史上名だたる最高古典の一冊をとうとう読み取れそうだと喜んでいる。ヶ
* 『南総里見八犬伝』文庫版の第八巻、ずいぶん時間を掛けたが今朝起き抜けに読み上げた。残る二巻はいよいよ大戦闘記に成って行く。里見と八犬士との昇華である。昇華して寂しく読み終えることでは、馬琴が念頭に置いていた『水滸伝』の最期に深く通い合ってくる。もう二巻、丁寧に耽読したい。
2014 12・27 158
* 暗い目を使いながら、『秋萩帖』を好調に「八の帖」まで読み進んだ。こんな懐かしい場面を創っていたんだと、ほろっとした。
2014 12・27 158