* 有元さんに戴いた一升瓶が一本、空いていた。いろんなことを、いろいろに話していたのだ。
* その間にも機械へ来ては、読むへきを読んでいた。
2015 1/1 159
* 『冬祭り』が三度四度目の最終章「冬祭り」になってきた。胸がつまってくる。
2015 1・9 159
* 中央公論社より、新資料での『谷崎潤一郎の恋文』が贈られてきた。松子夫人からその保存や将来の公開について、直接よく伺っていた。谷崎論としてぜひ必要な限りはすでに公表されていて、こちさら新たな問題が起きるとは思っていないが、好奇心は煽ることだろう。
2015 1・10 159
*「選集」第五巻長編『冬祭り』を夜前一時に再校読了した。わが「身内」の物語。
もう責了可能だけれど、この十六日には出来てくる第四巻との間隔をあまり詰めて窮屈になるのを防ぎたく、今月中をかけて再校ゲラを、もう一度丁寧に読み直してみたい。本当は、小説の方へ時間が掛けたく、誰かに頼めないものかなあと思案している。
2015 1・11 159
* やっぱり浴槽で読んだ、まずは「吉備」の歴史、これには昔から濃い興味を持ち続けていて、遑無く手が出せなかった。「吉備」は備前、備中、備後、美作の旧四カ国の広域であり、瀬戸内海の島々へも広がっていた。わたしの感心の契機は、神武東征神話の途中で吉備に数年もの足止めないしは停頓を余儀なくされていたことと、日本海側出雲文化圏との連携ないし葛藤に在る。べつだん今更になにを目論むのでもない興の趣くままにである。一つには今書き継いでいる新しいいわば「清水坂」小説を「瀬戸内」にまで想を拡げうるならばと願っているので。
ヒルデイ『眠られぬ夜のために』の第二巻、『南総里見八犬伝』第九巻、ともに残り少なく、しっかり読み上げたいと思っている。
そして「後撰和歌集」「拾遺和歌集」の撰歌と称しつつ一首一首をもう幾たびも繰り返し繰り返し読んで楽しんでいる。
* いい海外小説に出会えない。マルケスもフォークナーもジョイスも、グレアム・グリーンの「事件の核心」でも、翻訳の日本語が大いに物足りない。
手を出してみた大江健三郎も吉村昭もこれは本作の日本語が物足りない。大江さんの作など、おそらく海外語に翻訳されることで、原作日本語の窮屈やさ混雑さがかき消されて生きているのではなかろうか。日本語の文学としては優れた文章とはとても言いがたい。
* おやおや日付がもう変わっている。
2015 1・12 159
* 25年ぶりに処女作①の「少女」を読み返した。書いたのは1962年十一月だった。これより早く書き始めて歳末に仕上げたのが処女作②の「或る折臂翁」だった。半世紀の余も大昔だ。いま白楽天の長志井和夫読み返すとき、まざまざと安倍政権の好戦姿勢への疑念と厭悪の思いをもつ。
多くの読者は知らない、わたしの処女作ははげしい反戦反征の小説であったことを。
2015 1・13 159
* 井上さんには、京都美術文化賞で選考、受賞してもらった。今回、京都学問所紀要創刊号「鴨長明方丈記完成八百年」も戴いた。
写真家島尾伸三さんからも、賀状を添えて新写真集を頂戴した。
2015 1・14 159
* とはいえ処女作②の「或る折臂翁」の中頃も読んでみた。短篇の「少女」とともに処女作としてこうい中篇をもっていたのを嬉しく思う。字句をすこし新ためながら、選集⑦の巻頭に置きたい。
2015 1・17 159
* 『冬祭り』をもう一度通読しようと思う。この不自由な視力のなかで、一字でも誤記を無くしたい。
2015 1・17 159
* 東大名誉教授国文学の久保田淳さんから、ルイドレールブリエット プレミエ(シャンペーン)で選集出版と京都での受賞とをお祝い戴いた。有難う存じます。久保田さんにはよくご本も戴いていて、西行全歌集や富士山の文学その他、いつも座右に繰り返し愛読している。
2015 1・30 159
* 猪瀬直樹氏、新著『救出 3.11気仙沼公民館に取り残された446人』を來贈。これで良い、彼はこう有って欲しい。あの高価についた道草の味わいも図太く噛みしめ消化して、彼ならではの旺盛な成果を積み上げて欲しい。良かった。
2015 1・31 159
* 日曜日だった。出掛けなくて済む日は寛ぎながら仕事のハカがいく。
明日は歯科へ。行き帰りにも「冬祭り」読み終えるだろう。入稿の前から五度も読み返してきたか。いとも「愛(かな)しい日々」を覚えた作。生まれながら身の程のしれなかったわたし自身のために、生まれおちての詳細な身の程をわたしはこの作の中で創り堅めた。此の身の程の系図をわたしは抱きかかえ、「このよよりあのよへ帰るひとやすみ」を今しも生きている。そう思っている。
2015 2・1 160
* 中華家族でマオタイ、ダブルで二杯、酢豚。「冬祭り」ラストを読んでいて泣けてきた。帰りの西武線の中で読み終えた。涙があふれた。この作ばかりは、どうにも堪え性がない。自作というより、特製の聖書でも読むように魂を突き刺してくる。久しく願ってきた此処に「身内」がいるのだ。もうわたしには小説でも物語でも絵空事でも、無い。
2015 2・2 160
* 中央公論社からの「谷崎潤一郎の恋文」は中央公論社から贈られてきた。その表紙カバーの松子夫人の美しいこと、心底感嘆する。ろうたけたとは、まさしく、この写真。懐かしくて泣けてくる。水上勉さんが秦さんは松子さんの隠し子かと一時本気で疑わせていたのが、最高の勲章のように懐かしく嬉しく想われる。谷崎先生の恋に心底同意する。
2015 2・6 160
* 「あやつり春風馬堤曲」がおもしろくて、ずんずん読める。蕪村に{化(な)っているような気分。この小説を、筑摩書房倒産の煽りでなんとなくその辺へ放りっぱなしにしておいたのは惜しかった。湖の本創刊十年記念に初めて活字にしたのだったが。先頃どなたかがこの作がじつは大好きでしたと言ってくれていた。或る大学のこの方面の専門家の先生が、この作を機縁に以降湖の本をずっと購読して下さっている。捨てた物ではなかったのだ。「あやつり」の四文字が想ったよりおもしろく適確に働いている。なにしろ騒壇余人、われぼめもしたい放題とおさまっている。
2015 2・12 160
* 「罪はわが前に」起承転転の最後十章の「転」の凄まじさ……、往時を想い出し、頬に毛がそそけだつほど、参った。あのころ、わたしはまだ会社をやめてなかった、若かった。「選集第四巻」のいくつもの作をあの頃に書いていた。会社を辞めて、独り立ちして、いろんなことが有った。だが、迷い惑うということはなかった。九十すぎた秦の父も母も叔母も我が家に引き取り、最期を見送った。それだけでも、済まなかった。凶事はさらにさらに襲ってきた。
2015 2・12 160
* 「罪はわが前に」起承転転の十章はさながら地獄であった。「書く」者の酷薄なエゴイズムかと心底畏れながら読み切った。 この作ないしそれ以前にわたって、林富士馬さん、笠原伸夫さんとの「対談」二つが記録されてある。或る意味では読み取りのきわめて難しくなりかねないひの書き下ろし小説に関連して、希有の意義づけをお二人の批評家は期せずして双方から成し遂げて下さっているのも、読み終えた。出版社刊行の選集でなら無いことだが、そこは文字どおり私撰の「選集」、作のため、わたくしのためにも、お二方先達のご厚意を心より感謝して第七巻に取り入れたい。読者のためにもお役に立てるであろうと願って疑わない。
* 二つの対談を、とても有り難く丁寧に読み返した。それにしても何と「「みごもりの湖」ですでに秦の集大成と謂われていて、「罪はわが前に」はさらなる転進への新たな集大成とも謂われている。昭和五十年(一九七五)の作であり、「清経入水」で受賞してから足かけ六年しか経っていない。選集四巻までのほぼ全作を書いてしまっていた。五巻に来る「冬祭り」がまた「畜生塚」以降物語系の集大成といわれ、懐かしい野呂芳男さんは新聞の書評であえて「名作」と書いておられた。いつかこのヒロインたちがまた蘇ってくるのを待望するとも。わたし自身の気持ちでは、「日本」の人と自然と歴史とを懸命に追っていたのだと思い出す。
さて、相次いで「丹波」を読み始めた。自分自身の「身の程」を問うことからまた歩み始めようとしていた。
2015 2・13 160
* 京の音戸山の河浪春香さん、京都民報に連載、丹精の京風味、おもしろそうな新刊を送って下さった。
2015 2・13 160
* 「丹波」を、グイグイ読んでいる。もうホームページを活用して盛んに書いていた時期の、趣旨は「こんな私でした」という、小児期へ克明な記憶の記録だった。「もらひ子」そして「丹波」への戦時疎開、さらに敗戦後の小学校から中学入学までを三部に書き置いたが、他の何よりも「丹波」はわたしの作家生涯に芽をふく重要な土壌を成していた。処女作の「或る折臂翁」も、私家版の第一册になったシナリオ「懸想猿」二篇も、さらには顕著に太宰賞「清経入水」も、この「丹波」体験なくては全く成しがたかったこと、余りに明瞭すぎる。三部のうち「丹波」を真っ先に書いた。此の作は、ど忘れしているが或る社の文学選集に気前よく全編採られている。監修・編集者にとにかくも評価されていたのだろう、読み返していて明瞭に適切にエッセイの味わいのままムダのない私小説一作になっている。人や土地の固有名詞だけは替えたが、叙事は実感に溢れて記憶の限り正確であり、なによりも後々の作家生活、社会生活の機軸をなすほどの思想的な芽生えが出ている。
そして、この「丹波」体験に大きく命を継ぐように、筑摩で書下ろし、戦後新制中学の日々から「真の身内」を問いつめて行く長編「罪はわが前に」が必然、出来たのだった。 2015 2・14 160
* 昨日 河浪春香さんから届いた新刊『今しかおへん 篆刻の家「鮟鱇屈」』が、いい素材で、趣味面白く書かれている。
* あらら。もう十一時半。
2015 2・14 160
* 昨日用事あって西の棟で本を探したついでに、薄い、昔風にいえばみな☆一つの岩波文庫を三册こっちへ持って戻った。寝床に入ってから、それぞれ数頁ずつ読んだ。ま、なんという嬉しい再会であったろう。一冊は、生まれて初めて自分のお金で買った岩波文庫、シュトルムの「みずうみ」。☆一つの値段にひかれたとはいえ、それは最良の出逢いであった。しみじみと心を洗われる一冊。つぎの一冊はゲーテの「美しき魂の告白」です、有名な長編のなかで自立してある名品であり、懐かしい極みの奥から魂というものの真の意義が匂うように立ち上ってくる。そしてもう一冊は、ホフマン最良の名作「黄金宝壺」。「冬祭り」での再会場面に一部を演じ用いてて、ふるえるほど懐かしくて読み返してみたかった。いうまでもない殉情の青年アンゼルムスと美しいセルペンチナ(蛇)との恋物語。
なんとよく似たなつかしい作ばかり選んできたことか。ま、ナニとしてもこの辺に私の「根」がおりているということか。
2015 2・16 160
* 「あやつり春風馬堤曲」を読みながら蕪村老の境涯に身をなし変えて楽しんでいる。明日にも読み終えるだろう、病院へはつづく「秋萩帖」の一の帖も持って行く。えんえん待たされればそのぶん仕事がはかどる、目も神経もつかって疲れるけれど。時間が惜しいし欲しい。そのためにも病院へは通わねばならぬ。
2015 2・16 160
* 小雪、粉雨。有楽町の「レバンテ」に寄ってみたが、目当ての生牡蠣は今シーズンは出せないと。保健所がらみと。昨日の「魚力」もこうだった。検査結果が悪いのかも。
がっかりした。
持って出た校正ゲラは、「あやつり春風馬堤曲」を読み終え、「秋萩帖」の量が少な過ぎた、あいた時間が惜しかった。小雨の下、保谷駅からうまくタクシーに乗れて傘はまるで使わずに済んだ。往きは寒かったが、帰りは手袋が要らなかった。疲れた。
2015 2・17 160
* 気持ちを静かにするには、特効薬のようなシュトルム「みずうみ」ゲーテ「美しき魂の告白」そしてホフマン「黄金宝壺」がある。この健常ムヒのリリシズムに、少年時代も青年時代も子の親になってもわたしは魅されつづけていた。
2015 2・17 160
* 『最上徳内』一章の一と二とを快調に読んだ。いま大きな盆栽「蝦夷土産 モガミ」の逸聞を早稲田大学図書館に勤めていた「E」さんから聴き終えた。ずいぶん本の探索では援けてもらった。藤平教授に紹介されたのだった、が、話している内に「E」さんの奥さんは、中学高校でわたしの一年下の後輩だと知れて仰天した。なつかしい。気の毒に、「E」さん、一昨年ごろに亡くなったと聞いた。初めて図書館であったころ既に意の手術などしていたと聞いていた。忘れていたが小説に書かれている。
岩波の「世界」にいきなり「最上徳内」を連載することになった機縁は、今思えば不思議すぎた。まあ、よく書かせてくれるもんだと愕いたほど、知った編集者にちらと徳内を書いてみたいと漏らしただけで、即座に「連載」が決まった。あんまり即座に決まってわたしの方がノケぞった。長い連載になった。その頃の編集者と、いまもお付き合いがある。
この連載の最中にわたしは「東芝トスワード」という東芝初のワープロをたしか70万円も支払って買い、即日機会で原稿を創りだした。妻の清書のたいへんな労苦はその日から無くなったのだ。
ワープロで文学の文章が書けるものかと云った迷論珍説が一時流行ったが、「徳内」連載中のどこから機会打ちになったか言い当てられる読者や論者はただ一人もいなかった文体をもった作家なら、筆だろうがペンだろうが鉛筆だろうが、機械だろうが、さんなことに文章や表現が揺れるわけが無い。文体に筋金が入ってなければ、何で書こうが、ばらばらの迷文が出来てしまうだけの話。
2015 2・20 160
* 『最上徳内』は快調に読み進んでいる。わたしが四十六歳、その頃頻りに、「部屋」で膝つき合わせて逢っていた「徳内先生」が四十六歳、そして思い合わせれば息子の秦建日子もちょうどそんな年頃の筈だ、彼は、なんだか初めての「ミュージカル」とかの製作に熱中しているらしい、心ゆく仕事になるといい。
* 「世界」連載の『徳内』さんの滑り出しでは、早稲田大学図書館の遠藤さんに、ずいぶん決定的なお世話になっている。徳内さんの直接の上司でありともに生死のきわにも陥ったことのある幕府普請役青島俊蔵の著「紫奥畧談」を見つけて貰ったり、何より、徳内資料を莫大に所蔵していた山形大学を紹介してもらい、山形まで数日も泊まり込みで資料のコピーや読みに専念できたことなど。あらためて感謝限りない。遠藤さんのご冥福を祈る。
この連載では、連載途中、わたしとしては異例中の異例、見も知らない北海道へ長い旅をし、すくなくも岩手県から津軽海峡越えに函館へ、その先は襟裳岬きはもとより北海道の南岸を正確に縫い取るように根室・ノサップ岬まで、北岸は根室から野付のさきまで進んで、中標津経由釧路港へ戻って、さらに船で、東京まで戻ってきた。独り旅ではなかった、終始一貫して「徳内さん」と二人での道中だった。楽しかった。楽しいことはいろいろ有った。
『冬祭り』では、同時代の日本の作家二人と訪ソ、ソ連では懐かしい通訳エレーナさんの案内で終始楽しい旅が出来た。残念ながら、今日に生きて在るのは、私ただ独りなのである。今度の「選集⑤」は、お三人への追悼本でもある。
『北の時代』では、天明の徳内さんと昭和のわたしとの「ふしぎな連れ旅」だった。得も謂われぬ嬉しさがあった。
2015 2・22 160
* 『秋萩帖』読み終えて深い息を吐いた。よくもあしくも、これがわたしの追究であり表現であり、ついて嬉しいウソそのもの。ゾッコンと云うてくれる読者が10人あれば、大満足。この世の今しか生きてない人には、ムリやなあ。
2015 2・23 160
* ラ・ロシュフコーの『箴言集』付録までみな読み終えた。フローベールの『辞典』と対にできる、考えさせられる好文献。よほど気の合う人と個々の箴言や辞解を肴に議論しながら酒でも飲みたいと空想する。
2015 2・28 160
* 小谷野敦さん、『江藤淳と大江健三郎』と題した筑摩版大冊を送ってきてくれた。
2015 2・28 160
* 江藤さんは、東工大での先任教授で、慶應へ移られたあとへわたしが教授就任した。江藤さんの最期は、兄の最期とも前後してつらかった。『死から死へ』一冊を「湖の本エッセイに加えたのを思い出す。一九九年七月二二日に江藤さん自死の報を聞いた。きっちり四ヶ月後、十一月二十三日早朝に兄恒彦の死を知らされた。自死だと聞いた。
江藤さんとは思想傾向において異なってはいたが、会うと、とても気持ちよく穏やかであった。なくなる暫く前から何度か著書も貰っていた。亡くなったと聞き衝撃はなみなみでなかった。そのまま四ヶ月、兄の死へ繋がってしまった。江藤さんは、漱石の「こころ」を最も愛読したと云われていた。愛妻家だった。
大江さんは年齢的に江藤さんとよりもう一段近かった。「死者の奢り」を愛読した。書庫に戴いた本の何冊かを架蔵しているが、読めていない。一度、大江産の名指しということで、ソ連からの来客を歓迎の意味で、岩波書店の緑川社長等も一緒に会食の卓についたことがある。
また、わたしの五十歳の記念に美しい装幀の『四度の瀧』を出して贈ったとき、打ち返すように熱い手紙が大江さんから真っ先に来たのに驚いた。みごとに平和と人権尊重の護憲活動を展開し続けられている。いつも健勝を願っている。
2015 2・28 160
☆ 弥生
桃の節句の今日、似た人を駅で見かけて、「どなたかとお間違えではないですか」と声を掛けられるまで見詰めてしまいました。恥ずかしいことです。
箴言276 、いかがですか。
この春、ゆっくり花など眺めに出掛けられたらなぁと思います。
慌ただしく、睡眠不足の日が続きましたが、やっと一息つけそうです。
お疲れを溜め込んでしまわれぬよう、どうぞお元気でいて下さい。 春
* ロシュフコーの「箴言」であるなら、「不在は並みの情熱を冷まし、大いなる情熱をつのらせる。ちょうど風が蝋燭を吹き消し、火事をあおり立てるように。」とある。
わたしはこの箴言集の箴言の共感し得そうなのへ朱の○を印し、なんとなく分かった項目にはチェックを入れている。上の276は無ジルシに通過している。
それよりも一つ前の、「人間の善き本性は、こんなに情け深いぞと威張っているものの、往々にして、ほんの些細な利害によって圧しつぶされてしまうのである。」とある275には目を留め、その後の、「とかく女は恋していないのに恋していると信じこむ。恋のかけひきの思い入れ、甘い言葉にさわぐ胸のときめき、愛される喜びに自然に傾いてゆく心、愛を拒む辛さ、こうしたものが、媚(コケットリー)しか持たない女にも、自分は恋をしていると信じさせてしまうのである。」とある277に、同感に近い朱い○印をつけている。
2015 3・3 160
* ゲーテにとって、母の友人でもあった年長のズザンナ・フォン・クレッテンベルク嬢は、終生敬愛し思慕した人であり、この人を念頭に長編小説『ウィルヘルム・マイステルの修業時代』の第六巻にほぼ独立したかたちで書いたのが『美しき魂の告白』であった。「美しき魂 シェーネ・ゼーレ」はゲーテの盟友シラーのことに特筆した同時代の気高いまでの理想である、ゲーテは美しき魂に到達し得ていたクレッテンペルク嬢への愛ふかき讃嘆の表現をみごとに結晶させた。さりげない一節ではあるが及びがたい気持ちで昨夜に読んだところを書き抜いてみる。
姿のいい人を見るのは気持ちのいいものですが、それと同じように、分別のある都的な人柄の現前が感じられる施設万端(=家屋と家庭)ほ見るのも快いものです。小ざっぱりとした家に入るだけで、たといほかの点では建て方や飾りつけが無趣味であっても、それだけでもう一つの喜びです。それは少くとも教養ある人の一面のあらわれを示すものだからです。ましてや或る人間の住いから、ただ官能的な方面だけにせよ、より高い文化の精神がわたしたちに話しかけてくる場合には、二倍も快いものです。」
家屋の大小や広い狭いの問題ではないことむろんであり、とても及ばない恥ずかしさを覚えた。
2015 3・4 160
* 「人生の幸福な時期というのは、要するに、仕事に没頭しているときである」とヒルテイが言うのは、彼のやや偏狭な思いこみで賛同を控えるが、「最後の息をひきとるまで活動的であることが、現世の生活の意義であり、モットーである」とも彼は言う。「精神的・意志的に活動的」とでも言い替えるなら、あの正岡子規への共感と敬愛を念頭に、わたしもまたモットーにしてもいい。ヒルテイは概して彼なりのキリスト教を尊崇のあまり過剰に言いきろうとするが、それでも「ひとはだれでも、いろいろためしてみて、自分の一番良い仕事のやり方を見つけるといい」と和らげて言われるとわたしもそう思う。「なくてはならない」とヒルテイはやや言い過ぎる。自分も装でないかをときどき気に掛けているが。
ヒルテイは、彼なりの真正なキリスト教を尊重の余り他を認めずに断言する。とはいえ、「どんな哲学的人生観も、また、(真正なキリ
スト教以外の)どんな宗教も、すべての人のために真の幸福をもたらすだけの力を実際に示したものは一つもない」と言いきるとき、わたしもまた(どんなキリスト教も例外ではなく、)その通りと思わずにおれない。宗教、宗教者の方はまだしも優れた例外をわたしは受け容れているが、ヒルテイが過剰なまで否認する「哲学」「哲学者」については、わたしもほぼ同感である。
それよりも注目しているのはヒルテイがしばしば言表している、例えば「予想されるものごとはとかく困難に見えるが、現実の事柄はそれ自体のうちに困難を克服する力をふくんでいて、かえって容易なものだという、しばしばなされる経験の力もかりて、そのような悲観・不安・絶望を乗り切らねばならない」という健康な楽観。たしかにそのような経験・体験をわたしも持って実感してきたけれど、それでもなお、ヒルテイははるかに安定した世界観をもちえたのだと思わずにおれない。今日只今の日本国のていたらく、世界中の不幸で殺伐として利己益にのみ執着して衆庶を無慈悲に顧みない政治経済の傾向に日々触れていると、とてもヒルテイのあまりに健康すぎる楽観が、ふと疎ましくなる。
同時にいまここで触れておきたいが、ゲーテが『美しき魂の告白』のなかで(実在した=)ヒロインに言い切らせているこんな言葉にも立ち止まっておきたい、即ち、 「わたしは、自由というものの測るべからざる幸福は、われわれがしたいと思うことを事情がゆるすなら何でもやるということにあるのではなくて、自分が正しいと思い、適当であると考えることを、なんの妨げも顧慮もなく、まっすぐに為し得るということにあるのだということがわかりました」と。むろん前半の自由と後半に言われている自由の較差は理解できる。
しかもなお、例えば安倍晋三は前半の自由を暴虐なまで駆使しようと実行しながら、くるりと後ろ向きになり、自分が行使している価値ある自由は、まさにこの後半のそれなので「ごじぇえます」と平然とウソの皮に用いていると思われて、わたしは憮然とするのだ。
2015 3・11 160
* 「あやつり春風馬堤曲」を読み、「丹波」を読み、「最上徳内」を読んでいる。本では「八犬伝」「後撰和歌集」「眠られぬ夜のために」「黄金寶壺」を読んでいて、昨夜はおそくまで一昨日買ってきた新版の「歌舞伎手帖」を全部通読した。
この頃は黒いマゴの輸液を晩にしている。輸液が効いているのか、黒いマゴが老いて行きつつも元気にしている。我が家は二人と一匹の老老介護家庭になっている。
2015 3・15 160
* このごろも寝床に入ってから校正と読書をほぼ欠かさない。それでも躰を横にしている方がやすまる。明るい照明と裸眼とで、字を読んでいる。機械では眼が乾上がってしまうのがすぐ分かる。
2015 3・19 160
* 黒いマゴの輸液から、映画「抱擁」を見始めていた。原作も読んでいる。わたしが最も読みたかったと望む傾向の秀作の一つである。まるでわたしの書きよう追いかけように似ている。
* 昨夜はひょんなことで機械のなかみに深く手をかけてしまって、あげく、夜半まで眠れなかった。今夜は、はやく床に就きたい。「秋萩帖」を丁寧に読み上げたい、早めに。 2015 3・26 160
* 映画「抱擁」を見終えた。何度目か、で、今回はひとしお心に沁みた。原作を読み直したくなった。わたしの読みたい本、読みたい作品である。こういうふうに書いてみたく、こういうふうにわたしも書いてきた。「秋萩帖」を読み終えて、ひとしお胸に沁みた。
すぐれた創作世界に触れると、うそくさい安倍晋三時代など臭い煙になって失せる。
2015 3・30 160
* 二時まで、床の上で校正し、読書した。朝も小一時間、校正した。
2015 3・31 160
☆ 今日の朝刊に
谷崎(潤一郎)の創作ノートの複写発見とありました。
「春琴抄」の構想メモもあるそうで、どのように書かれているのか興味深いです。
昨夜、(春休みの帰省先から)無事帰宅。今は通勤の電車です。
、ご体調が整いますように。 渋谷 晴
* いまは谷崎文学を「穿鑿」する気は失せている。好きな作を選んで ゆっくり読みたいだけ。何をどう穿鑿し論じてみても谷崎先生は亡くなっていて、作の上に指一本動かせない。生きてて下さればこそ、誤記・誤植の一つも直してもらえる。新刊の「谷崎潤一郎の恋文」も、目の前に美しい懐かしい松子夫人の写真こそ、「六代目」と持参されていた先生の写真とならべて一日中接しているけれど、ただもう「読む、読んで愉しむ」谷崎愛を、と願うのみ。
2015 4・3 161
* 青山へ出かける前に、尾張の「鳶」さんから選ばれた海外文学が十册あまり贈られてきた。一気には読めないが、バイアットの『抱擁』やサフォンの『風の影』や、はたまた『指輪物語』のような名作が選ばれてあるかも知れない。鳶の目を信頼していて、ながく愉しみたい。ありがとう。そして、御元気で。
2015 4・4 161
* 娘のフーちゃん、初対面の時はまだ小さかったが、今では阪大大学院のドクター。頼もしい。
精微に華麗、富士に櫻満開の大きな切絵も、棚に飾って観てくださいと贈られてきた。ハイカラな飲み物もいろいろ。思わず声が出た。ありがとう。論文と劇評、読みます。みなさん、御元気で。
2015 4・4 161
* 外出のせいか、目を使う校正過剰のせいか、がったり疲れている。機械から離れて、上のフーちゃんの論文を読んだり、送られてきたどれもおもしろそうな海外作の本を読むなどし、疲れ寝にでも寝たいと思う。この疲れ、所詮は眼から来ているのか、からだの奥深くで異常があるのか、ごく当たり前な老境なのか、判らない。なんとなく実感として、という物言いは齟齬しているけれど、ようやくに、死にながら生きている、生きながら死んでいるという併行併存状態に入ってきたのかも。『冬祭り』のはじめの方で「冬子」や「順」や「吉男」らと心幼いままに生きる死塗るについて話し合っていたのを、妙にしんみりと思い出す。
2015 4・4 161
* 岡田蕗子さんの「手話演劇」と劇作家「岸田理生(りお)」を論じた研究も、新聞に寄稿の劇評も興味深かった。中学に入ったばかりだった大阪の少女が、いま、阪大博士後期のもう三年生に。死なせた孫やす香よりすこしだけ、ふ-ちゃんはお姉ちゃんだった。意欲にあふれ、簡単に入れる早稲田や青山を見切って、敢えて法政大の国際社会へ飛びこんでいった、やす香。しっかりと現代で働かせてやりたかった。
2015 4・8 161
* 永くかけてヒルテイの「眠られぬ夜のために」上下巻を読み終えた。そのまま座右に置いて、読み返し返しものを想いたい。
2015 4・17 161
* 気疲れはする、仕事もしている。
あす、聖路加の循環器外科でり妻の検査と診察に同行する。手術の日程なども決まるだろう。外来で、かなりの待機時間があるだろう、校正ゲラを三種類鞄、に入れて行く。
今夜ははやくやすむ、と云いながら寝床に躰起こして、昨日も二時頃まで校正していた。気分転換にはいま「後撰和歌集」の撰歌の四回目。五回選んでみる気。この勅撰集には贈答歌が多くも自然詞書の量も多くて、短篇小説の場面に触れている心地もする。しかし撰歌は結局は歌だけで自立し自律しているものを好んで選び残すつもり。べつにそれで何をする気もないが。「後撰・拾遺・後拾遺」三和歌集の秀歌を自分なりに選んでおいて楽しもうと、それだけ。撰歌は、どんな短時間にも、どんな場所・場合にでも、好きに楽しめて退屈しのぎには最適。
2015 4・19 161
* 「原稿・雲居寺跡」へ「僕と君と」の物語は懐かしく静かに「兵衛と茅野どの」の物語へ、二十世紀から十三世紀へ、つぎめもなく溶け入っていった。こういうわたしの「ものがたり」の、これが一等最初だったのだ、相当な意欲と意気込みをもっていたらしいと、感じる。どうなってゆくのか、読み続けてみる。
2015 4・25 161
* 母親が書店に注文したらしい、秦建日子著作の文春文庫『冤罪初心者』を手にした。この著者、劇作でト書きを書き慣れていて、文章は簡潔に、ま、的確に波打って書いている。ただし、書き出し第二段落最初の主語「緋村数記と桐野真衣は」を受けて、つづく長文末尾の述語「の後ろに隠れていた」へ繋いであるなどは、簡潔でも的確でもなく、その前でやたら説明的に長い一文に、ふと読み迷う読者もあるか知れない。
それにしても、ここは本当に日本かとヒロインが呆れているほど、「マシンガンの弾丸」が「大量に飛び交う」「南箱根の山の中」といった設定の方にわたしなどは、たじろぐ。以下の展開をぼんやり想像しつつ「冤罪初心者」という題を顧みるとき、ま、凝然とただ佇む。女性「民間科学捜査員」が「謎の殺人事件に挑む」「科学捜査ミステリー」だと帯は売っている。わたしからもお奨めするまえに読んでみるか。
2015 4・29 161
* この慣用、愛用の古機械はいまや電源を入れてから希望のこの画面に落ち着くまでに、時には十分もかかる。いらついて無用にキーを敲いたりすればぜんぶやり直しになる。で、その待ち時間をわたしき辛抱の妙薬とし、そのあいだに「陶淵明全集」「白楽天詩集」「日本唱歌集」や「後拾遺和歌集」「茶道問答集」ないし「ラ・ロシュフコーの箴言集」「眠られぬ夜のために」などを機械のすぐそばに置いて気儘に手に取り、いっときの静謐を求めたり脳の廻転を促したりしている。いまは「中世の非人と遊女」のような文献も置いてある。わずかな時間ではあれ、生き生きとした佳いチャンスとして大事につかっている。
ロシュフコーは云う、「われわれの力(メリット)が低下すると好み(グウ)も低下する」と。わたしも、これには気をつけている。「洞察力の最大の欠点は、的に達しないことではなく、その先まで行ってしまうことである」というのも、痛いほど。先までいってしまってから迷論を叫んでしまうエライ人の多さよ、自戒が、だいじ。
2015 5・1 162
* 写真家井上隆雄さんの、下鴨社を包む糺の森を縦横無尽に写されたすばらしい大冊『光と游ぶ』が贈られてきた。あ、と声が出たきり息を呑む美しい樹々や空の、また花やせせらぎの、何百とあろう写真に見とれて動けなかった。嬉しい。
2015 5・1 162
* ロシュフコー(今後は、ロ公爵と謂う)は云う、
「166 世間は偉さそのものよりも偉さの見掛けに酬いることが多い」と。悪臭にも似てその例、政界・官界・学界・あらゆる騒壇に幾らでも見られる。また、
「266 野心や恋のような激しい情念でなければ他の情念を征服できない、と信じるのは間違いである。怠惰はまったく柔弱ではあるが、にもかかわらず、しばしば他の情念の支配者にならずにはいない。それは人の生涯のあらゆる意図、あらゆる行動を浸蝕し、知らぬまに情念も美徳もつき崩し、消尽するのである」と。
2015 5・2 162
* 他方で今日もたくさん校正ゲラを読んだほかに、例の「原稿・雲居寺跡」も読んだ。物語は鎌倉が京を制圧したあの承久の乱のころへ動いていて、二代つづいた藤原公家将軍が唐突に都へ還され、皇子将軍が新たに樹ったりした頃へ大きく動いている。書いたわたしがビックリするような語りと想像をこえた聴き手が出来ている。語り物の平家、琵琶平家の担い手がどうやら高貴な、うら若いほどの公卿に夜をこめて長物語を請われて話している、らしい。まだ、作者のわたしにもこの先の展開が思い出せないが、原稿はまだまだ書き継がれてある、ようだ。むかしふうに謂うならなかなか「きょうとい」つまりおもしろいわたしの日々ではある。なにが夢でなにがうつつなのやら。
2015 5・2 162
* ロシュフコー(今後は、ロ公爵と謂う)は云う、
「47他人に対して抱く信頼の大部分は、己れの内に抱く自信から生まれる」と。また、
「392 運も健康と同じように管理する必要がある。好調なときは充分に楽しみ、不調な時は気長にかまえ、そしてよくよくの場合でない限り決して荒療治はしないことである」と。
前者は謂い得ている。後者には他の判断もあり得ようか。
わたしの過去にあって、それは好調の不調のという判断でなく、生涯の行く手を決する意欲と覚悟の問題だったが、
① 大学院を見捨て、そこでしか生きられないと人にも謂われていた「京都」という基盤を一気に抛擲して妻と「東京」へ出、就職し結婚したこと。
② 貧の底の暮らしの中で、敢えて高価な支出に絶えて私家版で小説や歌集などを四册もだし、ワケも意味も分からぬママ、志賀直哉や谷崎潤一郎や小林秀雄らに送るという行為に出たこと。
③ 六十余の著書をすでにもちながら、騒壇に背を向け読者と相向かうような「湖の本」創刊に踏み出したこと。
少なくもこの三条は「ロ公」の誡めている「荒療治」に類していたのだとは考えていない。しかも明瞭に成功した。①で良い家庭を得、②で念願の作家の道へ太宰賞という大きなおまけつきでさながらに「招待」された。そして③は独特の文学活動としてもう三十年、百三十巻に及ぶ実績を維持継続し、「騒壇余人」として生き長らえ、「選集」刊行にまで到っている。
自慢でも自賛でもない、決然と行わねばならぬことが「ある」という、それに尽きている。
2015 5・3 162
* 久しい付き合いの宮下襄さんが、「元気な間の、日々、片見分けのつもりで、こんな本にしました。ご笑納下さい。どうぞお元気で。奥様もお大切に。もう少しの間、がんばってみます 秦様」と便りがついて、見事に美しく出来た佳い研究単著が送られてきた。
むかし、学研でわたしの担当『泉鏡花』一冊を編集担当してもらった。その後退職されてから、おりにふれ藤村研究と宮下さんの詩篇とが次々送られてきて、わたしは藤村学会にお入りになると推薦したように覚えている。藤村生涯の生彩に富んだ発見や探求を緒論文にされてきたなかで、この大作『テーヌ管見 私の「英国文学史」 藤村研究のためのノート』はじつにみごとな、眼を現れるような秀作で、わたしも読者のいろんな創作や評論を読んできた中で、傑出した成果を生み出されている。この論考は以前に、旧稿のまま読ませてもらっているが、手が入ってはるかに充実を成している。こころより刊行をお祝いする。「テーヌ」の名ももうなかなか人の口に上らなくなっているが、振り仰ぐような大きな名の文学史家であった。
2015 5・3 162
* もう大分むかし、大阪の松尾美恵子さんが平家物語の延慶本研究を一冊にされた仕事にもすこぶる教えられた。
小説では、早稲田の文藝科で「行けよ」と背中を押してきた角田光代が、我が家で小説をこそ書けよ書けよと励ました甥の黒川創ががんばっている。息子の秦建日子も、いろんな読み物を書いては、しっかり稼いでいるようだ。読み物小説よりは、時代の水準をするどく突き抜いた劇作に期待したいが。
もう一人でも二人でも、わたしの近くから創作や批評の真摯な実力で世に出て欲しいなと願っている、のだが。
こう云ってはワルイかもしれぬが、映画「夕陽が丘三丁目」だったかの中の作家志望ないし売り出しようは、信じにくい。あのような苦心惨憺のウリは、逆にうそくさく見える。髪の毛をかきむしって地団駄踏んでみても、作家になるにはいろんな才能と開発とが不可欠。その見極めがどうなっているのか、だ。ことに「龍之介」を慕う純然の文学に花咲かせるためには。
* 「原稿・雲居寺跡」を読み続ける。おもむろに物語は近江の佐々木を芯にしながら鎌倉と京との葛藤が目立ってきている。フーン、そう云えばわたしは高校の頃から承久の乱に関心つよく、慈円の「愚管抄」をその方面の問題意識から読んでいた。思い出してきた。なぜか近江源氏の「佐々木」一党に身も心も寄せ始めていたのも、能登川という母の生国に膚接した佐々木の本貫であったからか、あきらかに後年の『みごもりの湖』胚胎の偽らぬ徴証であった。
2015 5・3 162
* 晩がた、渡部泰明さんの古典和歌の講話、それも今晩は和泉式部の名歌を数々引き合いに、男、女、子、神までふくめ生の悲しみにも死の重みにも幾重にも触れて聴き応えのする話されようだった、ふと涙ぐむほどだった。
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな
暗きより暗きみちにぞ入りぬべしはるかに照らせ山の端の月
まことや…と胸にとどく。男なら西行でもよい、女なら和歌は和泉式部に極まると久しく思ってきた。拾遺、後拾遺また千載集の和歌を繰り返し返し読んでひたすら愛でて飽きないには、和泉式部への愛がある。
2015 5・4 162
* 「生きたかりしに」は中巻を責了可能なところまで運んだ。オクリが複雑に出たりし、頁数の精確な読みに夜前は三時頃まで唸った。アタマが悪くなっているので、せめて本の仕事は、イライラしないで時間かけ手間もかけて間違わぬようにしたい。
徳内さんとの蝦夷地の旅へ懐かしい「楊子」が現れ出てきた。校正が、嬉しくなる。
2015 5・4 162
* 後撰和歌集、六撰も繰り返したろうか。この和歌集はひときわ贈答、相聞歌や詞書の多い集で、たんに短歌を読むと云うより、まさに「和する歌」である和歌を読み楽しむ集になっている。わたしのように、自立し得た短歌としての秀歌を選びたい者にはいささか難儀であり、しかし「読む」面白さには多く恵まれた和歌集だと謂える。贈答や相聞は、当然に男女間に多く、詞書の伝える事情も男女間の消息をより色濃く伝えている。そこに物語めく状況が浮かんでいて、短歌一首の妙を鑑賞するという気味にはむしろ総じてやや離れている。その点を心得て読めば、時代史の感情的基盤すら観て取れる。
一人の男が、また一人の女が、幾重にも女たちと、また男たちと関わり合っていて、関わり方は淡泊というより多彩に恋愛や性交渉を露わにしている。寝たり、寝取ったり寝取られたり、飽きたり飽かれたり、またくっついたりしている。そんなのにまともに付き合っていると歌よたんに状況に奉仕してしまう。詞書の示す状況をかき消しても良しと読み取れる和歌の一首一首をわたしは選びたい。状況はすこぶる興味深くても歌は不充分なのは最終的には見捨てるのである。数は、少なくなるが。
☆ 後撰和歌集 春上中下より (秦恒平撰)
春霞たなびきにけりひさかた月の桂も花や咲くらむ 紀貫之
かきくらし雪は降りつつしかすがにわが家の園に鴬ぞ鳴く よみ人しらず
春くれば木がくれおほきゆふづく夜おぼつかなしも花かげにして よみ人しらず
大空におほふばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ よみ人しらず
ねられぬをしひてわがぬる春の夜の夢をうつゝになすよしもがな よみ人しらず
うちはへて春はさばかりのどけきを花の心やなにいそぐらん 清原深養父
あたら夜の月と花とをおなじくはあはれしれらん人にみせばや 源信明
しのびかねなきて蛙の惜むをもしらずうつろふ山吹の花 よみ人しらず
折りつればたぶさにけがるたてながら三世の佛に花たてまつる 僧正遍昭
みなぞこの色さへ深き松が枝に千年をかねて咲ける藤波 よみ人しらず
散ることのうさも忘れてあはれてふことを櫻にやどしつるかな みなもとの中朝臣
暮れて又あすとだになき春の日を花のかげにて今日はくらさん みつね(凡河内躬恒)
三月つくる日、久しうまうでこぬ由いひて侍る文の奥にかきつけ侍りける
またもこん時ぞと思へどたのまれぬわが身にしあれば惜しき春哉 つらゆき(紀貫之)
かくてその年の秋、つらゆき身まかりにけり
* 次の拾遺和歌集へくると、和歌がずんと和らいで美しく一人立ってくる。拾遺和歌集の撰もほぼ終えている。後拾遺和歌集の撰も終えている。とても愉しいこころみで、寸暇を繋いでは活かしながら和歌世界に遊べる。ありがたいことだ。
2015 5・10 162
* 花巻の医師、照井良彦さんから、「父・照井壮助とその遺作をめぐって ー『天明蝦夷探検始末記』ー」が送られてきた。
☆ 秦恒平様
ご機嫌いかがでしょうか。知・情・意・体力をあまりにも存分に発挿してきたご経歴ゆえに、少し休憩なさった方がよいのかもしれません。現今の対がん療法のレベルは目にみえて向上しつつありますので。
さて、昨秋、地元・花巻の歴史好きの集まり「花巻史談会」から、なにを考えたのか昔の亡父の著作について一文を寄せてくれと依頼されました。当方の賛助会員加入が本当の目的だったようですが、四十年ものあいだ、父の遺作について一文もなしてこなかったことを自省する気持もあって、やや意気込んで書いてみました。
失礼をおそれず恥をしのんで「別刷」を足下に呈しますので、ご叱正くだされば幸甚に存じます。
ところで、当方はこの六月に、五たびめ入院して再々化学療法を受ける予定となっております。主治医団はこちらの現況をどうみたのか、さいわい宿主と鬼っ子癌腫との共存をはかってくれているようで助かります。
といいますのは、目下、西郷隆盛に打ちこんで稿を起こしているところです。
岩倉具視は麿人、大久保利通は役人、西郷は本当の意味での政治家、すなわち創作的行動家であると考えているところです。なにか飛びつきたくなるようなご教唆をいただければ嬉しいのですが……。影書房からは夫の催促です。
貴重なお時間を奪ってしまいました。r ご健勝を祈念しながら結びます。
2015年5 月8 日 照井良彦 花巻市
* 今しも「選集⑧」として初校進行中の『最上徳内=北の時代』を、岩波の「世界」に連載のおり、照井壮助さんの労著にはたいへん教えられること多かった。ご子息、と云うても私より年輩のかたであるが、久しく照井良彦さんにも「湖の本」にお力添えを戴いてきた。「花巻史談」記念特集の抜き刷り、心して拝見する。
2015 5・11 162
* 山梨県立文学館から、「資料と研究」第二十輯が贈られてきた。こまごましい紀要の域を抜群に抜け出て、歌人としての村岡花子資料も豊富なら、とりわけて中村章彦氏による芥川俊清「日記」翻刻と解題(一)は瞠目に値する。「俊清」は芥川龍之介母方の祖父である。刮目して読み進んでいる。裏表紙に、
甲斐の家 はたちの母がえんがはに手まりつきては涙せし家
て詠草の写真を出している。いま「生きたかりしに」三巻をほぼ責了へまで持ち込んだわたしには、身にせまる一首である。
2015 5・12 162
☆ 後撰和歌集 夏より (秦恒平撰)
時わかずふれる雪かとみるまでに垣根もたわに咲ける卯の花 よみ人しらず
みじか夜の更けゆくまゝに高砂の峯の松風吹くかとぞ聞く 兼輔朝臣
夢よりもはかなき物は夏の夜のあか月がたのわかれなりけり 壬生忠岑
よそながら思ひしよりも夏の夜のみはてぬゆめぞはかなかりける よみ人しらず
逢ふとみし夢に習ひて夏の日の暮れがたきをもなげきつるかな 藤原安國
五月雨にながめくらせる月なればさやかにもみず雲隠れつゝ あるじの女(坂上なむまつが女)
ふたばよりわがしめゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな よみ人しらず
うちはえて音を鳴き暮す空蝉のむなしき恋もわれはするかな よみ人しらず
つねもなき夏の草葉に置く露を命とたのむ蝉のはかなさ よみ人しらず
人しれずわがしめし野の常夏は花さきぬべき時ぞきにける よみ人しらず
つゝめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれるおもひなりけり よみ人しらず 2015 5・14 162
☆ 後撰和歌集 秋 上中下より (秦恒平撰)
ひぐらしの声きくからに松虫の名にのみ人をおもふころかな よみ人しらず
わがごとく物やかなしききりぎりす草のやどりに声たえずなく よみ人しらず
来むといひし程や過ぎぬる秋の野にたれ松虫ぞ声のかなしき よみ人しらず
穂には出でぬ如何にかせまし花すゝき身を秋風にすてやはてゝん 小野道風朝臣
浦ちかく立つ秋霧は藻塩焼く煙とのみぞ見え渡りける 紀貫之
秋の田かりいほの宿のにほふまで咲ける秋萩みれどあかぬかも よみ人しらず
秋萩の色づく秋をいたづらにあまたかぞへて老いぞしにける 紀貫之
秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつゝ あめのみかどの御製・天智天皇
白露を風の吹き敷く秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける 文屋朝康
月かげは同じひかりの秋の夜をわきてみゆるは心なりけり よみ人しらず
秋風にいとゞ更け行く月かげを立ちなかくしそ天の河霧 藤原清正
白妙の衣かたしき女郎花さける野べにぞこよひねにける 紀貫之
女郎花にほふさかりをみる時ぞわが老いらくはくやしかりける よみ人しらず
花すゝきそよともすれば秋風の吹くかとぞ聞くひとりぬる夜は 在原棟梁
秋風にさそはれわたる雁がねは雲のはるかにいまぞきこゆる よみ人しらず
誰聞けと声高砂にさを鹿のながながし夜をひとり鳴くらむ よみ人しらず
秋の夜に雨ときこえて降りつるは風にみだるゝ紅葉なりけり よみ人知らず
わたつうみの神にたむくる山姫のぬさをぞ人は紅葉といひける よみ人知らず
おほかたの秋の空だにわびしきにもの思ひそふるきみにもあるかな 右近少将季縄女
わがごとくもの思ひけらし白露の夜をいたづらにおきあかしつゝ よみ人知らず 2015 5・15 162
☆ 後撰和歌集 冬 より (秦恒平撰)
初時雨ふれば山辺ぞおもほゆるいづれのかたかまづもみづらん よみ人しらず
吹く風は色も見えねど冬くればひとりぬる夜の身にぞしみける よみ人しらず
神無月時雨許(ばか)りを身にそへてしらぬ山路に入るぞかなしき 増基法師
神無月時雨ふるにも暮るゝ日をきみ待つほどはながしとぞ思ふ 人の女の八つになりける
けさの嵐寒くもあるかなあしびきのおまかきくもり雪ぞふるらし よみ人しらず
白山に雪ふりぬればあと絶えていまはこしぢに人も通はず (式部卿親王絶え絶えのおもひ人)
年ふれど色もかはらぬ松が枝にかゝれる雪を花とこそみれ よみ人しらず
故里の雪は花とぞふり積もるながむるわれも思ひ消えつゝ よみ人しらず
冬の池の水に流るゝあし鴨の浮ねながらにいく夜へぬらむ よみ人しらず
物思ふと過ぐる月日もしらぬまに今年は今日にはてぬとかきく (藤原)敦忠朝臣
2015 5・17 162
* 「月の定家」(しゆんぜい さいぎやう さだいへ)を読み終えた。わたしの和歌観である。わたし自身に気概の在った頃の作だと思われた。
ついで短編集の「修羅」を読み直す、初めて読むほどの感慨がある。
2015 5・23 162
* 趣向の短編集『修羅』の十二篇を読み始めた。何が出るやらホイと美術品を見せられた印象と刺激を能楽の題にからめて現代ものの短篇小説をという依頼だった、身を乗り出して、楽しんで書いた。書きながら泥も吐いていた。いま、読み直していて、ほかの人は知らない、わたしはホクホクと面白く懐かしく、はやく選集⑨のゲラで校正したいなとそぞろ気が急いてすらいる。
妻はいつも言う、あなたって幸せな人ねと。わたしは一つの覚悟としても、まだまだ、まだまだ足りない、努力も勉強も技も足りないなんて気張ったことは言わない。思わない。ウソクサイ。出来たモノは出来たモノなりに精一杯に身贔屓もし喜んでもやり愉しませてもらう。そもそも書き殴ってやっ付けた仕事など一つとしてしていないと思っている、それこそがわたしの義務・責任・働きだと思っているからだ。
2015 5・24 162
* 奥田杏牛さんから、「素(そ)の俳句 瀧井孝作先生名句鑑賞」「生(き)の俳句 句集釈迦東漸自注」という小冊子二冊を一つ函にいれたのを送ってこられた。瀧井先生の随筆「素のまま生のまま」から分けて題されたもの、瀧井先生の「名句」はさすが際だって「素のまま」胸に届く。「俳句ハ物体ヲ示ス」と。懐かしさに胸が熱くなる。巻頭巻末から引いてみる。
やはらかい春の夕日の伊目の山
夏姿真向(まむき)に甍急なりけり
短夜の鐘のねいろに目覚めけり
浮寝鳥別別になるうねりかな
春淋し居るべき人がもう居ない
硝子戸の中の句会や漱石忌
もう一冊奥田さんの集も、同様に。
霧の 橋車のわれは渡りゆく
李白哭詩晁衡碑惨菊花かな
雙塔や華厳寺草の枯るる丘
少陵原苅田の道を興教寺
鵲の遊ぶ華厳の寺の庭
がまずみの実や純白の佛坐す
相変わらず漢字過多で句境まっつ黒く重たい。俳諧の軽みおかしみの妙味にあまりに乏しい。文字を弄くり用いて胸を張っているとみえる。すくなくもわたしの愛する俳句の妙は、こうではない。残念。とても「生(き)」のままとは見えない、漢字に靠れて造り立ててある。
もう一度瀧井先生の方を観て行くと、
鮎の川西日になり手賑へる
白牡丹花びらのかげほの紅み
しぐれ行く山が墓石のすぐうしろ
かなかなや川原にひとり釣りのこる
落葉焚く煙の中のきのふけふ
これが俳句だ。
漢字一字の字義に頼んで、五七五になんでもかでもやたら押し籠もうというのは無粋な邪道であり、当節の俳人たちのやたら落ち込んでいる見当違い、「俳」知らずの堕落である。
「鷹」巻頭、小川軽舟の「利休忌や刃短き花鋏」も、短剣に自ら伏した利休ではあれ、「刃短き」が俳句の妙にとどかず武骨に寸足らずで、「花鋏」への詩的な繋ぎに欠ける。
俳句は難しい。さればこそ佳句名句に出逢う嬉しさ、曰く言いがたい。上の瀧井先生の句、みごとではないか。
* 「修羅」十二篇の五篇を読んだ。濃厚な短編小説だ。うまくすれば、明日にも十二篇を通り過ぎるかも。
2015 5・24 162
* 『修羅』一日かけて半分六篇を読んだ。「神歌」「三輪」「八島」「小督」「海人」そしていま読み終えた「山姥」が凄かった。いやいや、みな、わたしの滅多に使わない批評語の「凄い」「怕い」淵の深みを美しく書いている。「選集」第九巻 楽しみになってきた。
2015 5・24 162
* 危うく歯科約束の時間に遅れかけた。まだ当分歯医者通いから解放されない、終わるかなあと思っていると、歯が欠けたり抜けたりする。あらゆる医療機関のなかで、通っている歯科との縁がダントツに永く久しく、数十年。
* 帰路、中世フランスのコント集『結婚十五の歓び』 ポール・ヴアレリーの『ムッシュー・テスト』 そして或る日本史の論著を、みな岩波文庫で買ってきた。車中では『後拾遺和歌集』の何度目かの撰を愉しんだ。校正するゲラがめずらしく手元になかったから。
29015 5・25 162
* 昨日『修羅』の十二篇を読みおえて、「鷺」へ。これがもうわたし以外の誰が書こうか、愉しむだろうかという濃艶な幻想境で、鏡花にもこの小説が抱き込んだ背景はとても手に入っていない。ぞおっとする凄みに美しいフラグメントがきらきらしていて、堪能した。まこと自分で書いて自分で愉しんだ物書きではあったと思わざるを得ない。誰にでも書けるようなものを書いていて何が楽しかろう。
今朝は「孫次郎」を読み始め、次いでは「於菊」へ。身辺雑記風の私小説が純文学めいて流行っていた頃、わたしはそんなサラリーマン小説など書きたくなかった。「蝶の皿」であり「清経入水」であり「秘色」だった。
2015 5・27 162
* 正午予約で、診察室から声のかかったのが午后二時。めずらしく校正ゲラが無く、「生きたかりしに」上巻を読み返してきた。生母の短歌を多く点綴して、わたしの歌もところどころに置いたのが、唱和ではないけれど呼び合っていて、ときどき胸を熱くした。また後半の七十頁に及ぶ大和路、近江路の旅を建日子と倶にしていたのも、子と父とのかけがえない懐かしい記録になっていて、この小説がただもう一途の探索で終わっていない余裕も見せていると、喜ばしい気がした。
幸い、検査データ、肝臓ほか全てに問題なく。次の診察は九月。
何一つ道草食わず、帰宅。暑さに草臥れるが、少し元気にもなっているか、と。
とはいえ、頸のまうしろから肩が重く痛む。やはり疲労と思う。すこし休む。
2015 5・27 162
* ふと手を掛けた資料棚で手に触れたペーパーが、川端康成の掌小説の一編「心中」だった。妻も居たので、声に出して読んでみた。
川端といえば掌の小説は有名な一つの畑で、「心中」は、なかでも「絶頂の秀作」だという評判もあるらしいが、正直、全然感心できなかった。なにより文章がいけない、「だ」「のだ」と聞き苦しい押しつけが雑音のように繰り返されて効果なく、話そのものも、私の思いからはナニの発明も感興も刺激も呼び起こさない、頭でっかちに下手な計算づくでムリにつくったモノだった。ウソならウソにもっと見事に感動的に徹すればいい。あまりに、半端で、結果、ウソクサイだけ。こんなのが「絶頂」では他はどうなのと寒々しい。
2015 5・29 162
* 『親指のマリア』が、まろやかにスムーズに読みすすめられることにホッとしている。この京都新聞朝刊小説は、わたしの作の中ではむしろマットウな書き方に属しており、いわゆる著者・作者ないし準じた語り手が作中へ割り込んでいるいる形跡を持たない、つまり客観叙述に終始している。「小説」とはふつうこうであって、「或る折臂翁」「蝶の皿」「廬山」「閨秀」「墨牡丹」「マウドガリヤーヤナの旅」「華厳」なども私小説ふうの語り口からはっきり離れている。紫式部集に取材した『加賀少納言』、俊成・西行・定家を通して勅撰和歌・晴れの和歌を説いた『月の定家』また上田秋成の晩年を怪談にした『於菊』などもそうで、ま、手堅い書き方に属している。
語り口に「趣向」をもちこんでいっそ方法的な実験をわたしはもともと好んでおり、「清経入水」「秘色」「みごもりの湖」「風の奏で」「雲居寺跡」「冬祭り」その他多くは、たとえ人物や歴史や伝奇にふれても、手が込んでいる。「最上徳内」のような歴史の日本人を検証し顕彰て行く創作でも、わたし自身類を見ない実験を叙述にも表現にも展開にも推し進めている。
白石と徳内とはわたくしの近世理解・近代観測の太い軸芯を成しているつもりだが、その書き方は、はっきり意図して、客観叙述と主観趣向とを際だたせてみたのだった。しかもともに主題の核心部には人間性への合理的な愛と人間・弱者差別への憎しみとが置いてある。書いた順序は先後したが、白石のシドッチ審問こそは日本の近代への幕開きを告げており、徳内の蝦夷地での活躍や成果は近代へ向かう歴史のつよい推進力であった、二人とも、海の道を認識し世界の広さへ揺るがぬ視線を向けていたのである。
2015 5・30 162
* 「原稿・雲居寺跡」を、よほど読みすすめた。
途中、地震が来た。噴火あり、地震あり。悪政あり。
2015 5・30 162
* 『最上徳内』『親指のマリア』という、わたしにとって方法を全く異にした二大長編を思いこめて読み返している。まさしく私自身が心より読みたかった作を、自分自身で書き上げていたの。そういう機会を与えられた岩波書店「世界」と京都新聞社に感謝する。
そして、昭和四一年(一九六六)十一月十一日、それは「清経入水」で太宰賞受賞よりも、作家として文壇に迎え入れられたよりも二年半も以前に起稿し、原稿用紙百五十四枚で断念中絶の『< 原稿> 雲居寺跡』も読み返しているが、かえすがえすも惜しい中絶だった、希望をもち根気よく想像力とともに書き継いでいたなら、少なくも「何か」に、後の『風の奏で』とは異なる長編小説に成っていた。成らずじまいにしておいて良かったのだという納得も実は深いが、この苦悶と残念とがあってこそ、『清経入水』もその後も在りえたには万々相違ない。
この未発表中断作、ぜひ公表して欲しいと馬渡憲三郎さん(藝術至上主義文藝学会会長)に奨めて戴いている。すでに『清経入水』や『風の奏で』を懇切に論じてくれている原善君にもこの原資料である<原稿>を呈上してもいいと思っている。もとより「作家以前」の懸命の、しかも思い入れも過ぎたる試作ではあるけれど、出る「芽」は出始めていたのではないか。
* と胸をつかれるほど『原稿・雲居寺跡』は奇っ怪にものがたりを奥の暗闇へまで進めていた、わたしは皆目記憶していなかった。しかし、いかにもわたしの書き起こしそうな場所へ場所へとはなしは運ばれていた。
心底、いま、驚いている。まだもう少しくは費やした用紙原稿の残りが在る。久しいわたしの読者は、喜んでくださるかも知れない。
* 予期していたよりも踏み込んだところまで「原稿・雲居寺跡」は書けていた。湖の本にいれて中編、優に七十頁ほどはある。あまりにもしどけない中断ではなく、その先が朧にも読み取れなくはない、が、だから書き継ぐということも、作の「気合い」からして自然ではないだろう。あえて謂うなら、總緒の纏まりすらかんじとれるところまで書けていた。なぜアトが継げなかったか、当時の私には荷が重くなったのであろう。
妻が読みにくい原稿から、昔むかしのようにとにかくも電子化してくれて、まことに有り難かった。それなりにこれは大事な一記念作に相違なく、「生きたかりしに」に次いで、大きな儲けものになった。
* こういう仕事が、実を言うと、まだ幾つも、それも作として嵩のある書き置きものがまだ幾つも見つかっている。しかし、原稿用紙へ手書きの儘では、またノートブックへ書き置いた儘ではニッチもサッチも行かない。
* さて。これからは、徳内サンと白石先生・シドッチ神父とのお付き合いが当分続く。ありがたい、間違いのない「身内」である。
2015 5・31 162
* 飲まず食わず帰ってきた。もっていた「徳内」再校ゲラ、全部読んできた。「後拾遺和歌集」の最後の撰も終えてきた。
2015 6・1 163
* 神奈川近代文学館より、没後五十年「谷崎潤一郎展 絢爛たる物語世界」の一冊を贈られた。写真が多いので、喜ばしく楽しんで見られる。松子夫人に戴いた蒔絵の御文も、遠くからのわが協賛と思っていただきたい。例の「恋文」一冊のカバーを飾っている松子夫人のお美しさ、日本女性の理想像とわたしには見えている。谷崎先生がご自慢だったご自身のお写真も、今日届いた一冊の中でひときわ立派に見える。
2015 6・1 163
* 東大名誉教授上野千鶴子さんから、『思想をかたちにする』と難しい題の「対談集」が届いた。
「いつも『湖の本』ありがとうございます。たゆまぬお仕事ぶりに感嘆しております。拙著一冊お納め下さい。三浦(=佑之。立正大教授)さんとの対談(「古事記はなぜ生きのこったか」)だけでもごらんいただけると幸いです。」と。
ま、エネルギッシュな上の三に感嘆してもらうなんて、えらいこっちゃ。
2015 6・2 163
* 名張の囀り雀さんから、長大な三本のメールが届いた。本居宣長は上田秋成をダシにして言いたいことを言い、小林秀雄は本居宣長をダシにして言いたいことを書いた、という、新潮社の池田雅延氏の講演などに触れてある。ま、メールがあまりにも長く、けっこう多岐に亘っている。
池田さんは、わたしの『みごもりの湖』の編集担当者だった。のちに小林秀雄を担当されていたとき、この池田さんを介して、小林さんから「謹呈 秦恒平様」と自署された名刺附きの大著『本居宣長』を頂戴している。めったになく私の書庫へなかば力づく割り込んだ読者がその大きな本を見つけ、殆どちからづく持って帰ってしまった。惜しいと思うが、あの大部の「本居宣長」は、大半宣長と論敵上田秋成との「対抗」に費やされてあった。だが、わたしがあの大冊をこつこつと全部読み得たかどうかは、曖昧なままである。小林先生も池田氏も、わたしが上田秋成に関心深かったのはご存知であった。小林秀雄をかなり捻って論じていたこともご存じだったろう。
そもそも、私と新潮社ないし「新潮」とにご縁が出来たのは、私家版をおめずおくせず小林秀雄という批評の神様に送り、それを新潮社の或る有名な役員の手へ小林先生が手渡して下さっていたからだった、そして「新潮」当時の酒井編集長から一度来社されたいと呼び出しの手紙が来たのだった。勤め先があった本郷の道が歩一歩ごとに浮き沈みするような高揚感があったのを覚えている。
2015 6・17 163
* 憲法九条の会 呼びかけ人の一人、ノンフィクション作家の澤地久枝さんから、集英社新書「14歳(フォーティーン) 満州開拓村からの帰還」を頂戴した。戦争の悲惨、つぶさに体験されている。私よりもずっと高齢の、瀬戸内寂聴さんといい、澤地さんといい、命懸けで「平和の尊さ」「戦争の惨さ」「I am NOT ABE」を訴えられる意気の深さ。頭が下がる。
2015 6・20 163
* 野呂芳信さんに戴いた十一人同人の結集「近代文学資料研究・1」 良い仕事がならんで読みごたえがある。川端康成ふうの物言いでいうと「こたえる」ものがある。
おなじ事は、毎々頂いている東海大日本文学会編集の紀要「湘南文学」49 50号にも言えた。教授の小林千草さん、退職と。初めて「千草子」さんという名で手紙をもらったころは若い人に想えたが。ま、多年、モノの見事に多彩な研究を発表し続けた力量抜群の人だった。
2015 6・27 163
*六時過ぎから寝床のまま「徳内」そして短編集の校正をし、また本を読んでいた。朝、目覚めたときは、ものの縦線もまっすぐ見え、この一ッ時だけがクリアに快調なので、その時に少しでも仕事もしよう本も読もうと。
いま最も惹かれて勉強しているのは韓国のまだ伝説伝承に彩色されていた上古史。著者に信用のおける適確な叙述・斡旋に導かれて「韓」の由来までたいそう興味深く読み進んでいる。不勉強な無関心のまま久しく来て、わたしは「朝鮮」という名が「日向」「日本」「日立」などとすっぽりかぶってくる陽明・陽光の清潔を意味するとすら推量もしないできた。なにしろ「朝鮮」という言葉を口にするのすら差別的な感覚が先行し遠慮してきた。韓国というようになって、喉のつかえが外れたような便宜をさえ感じてきたのだ、何ということだ。彼の國の太古にあって「熊」が「神」に等しいつよい大きい意味をもっていたことも、初めて識った。中国大陸を背負い、日本列島を目前にした三面を生みに包まれた半島とは地図で諒解していて、高麗・新羅・百済また任那などに分かれていた程度は知識していても、とてもその先へは自発的に入ってみようと出来ないままだった。
その反省が、主にはアイヌのことを書いた「最上徳内=北の時代」に、伊藤楊子ならぬ「イ・ヤンジァ」という可憐なヒロインを呼び出すことに繋がった。それでもその後も、近年までわたしは朝鮮にほとんど知識も関心も深め得ていなかった。「い・さん」「トンイ」「ホジュン」「馬医」のような向こうの歴史ドラマをつとめて観るようにし、独特な朝鮮文字発明の物語劇にも心惹かれて、まともに韓国史を勉強してみようと思って、三十年も前に買っておいた上下巻の専門書に向かい始めたのである。おもしろい。もっと早くにこの最近国のせめて歴史は知っておくべきだった。
* 胃癌の手術入院時に二度目を読み始めた「南総里見八犬伝」が、三年を経過してやっとあと岩波文庫で一巻まで来た。馬琴先生の病的なしつこい稗史癖には閉口してしまう、一度目は物珍しかったが。同じ巻数でも「水滸伝」や「指輪物語」や「戦争と平和」など感銘しきりにグイグイ読んで楽しめるのに。馬琴のくどいくどい筆致は病的なまでしつこい。それでも、夜来読んできたなかに「兵は凶器である」と喝破した箇所があり、深く肯いた。安倍総理に思い当たって貰いたい。
2015 6・29 163
* 「親指のマリア」審問の章を読み終えた。これで半分。六章あるが、一章一章がしっかり長い。
2015 6・29 163
* 「親指のマリア」を読み継ぎ、昼食して。
2015 7・5 164
* 一心に「親指のマリア」、白石新井勘解由と長崎の通詞三人との対話を読み続けてきた。浴室では、天明の蝦夷地探検が田沼意次失脚で潰えて行く一種悲愴な成り行きをゲラで読んでいた。
2015 7・5 164
* 長崎総合科学大学の横手一彦教授から、従来に引き続き、「長崎(浦上)原爆体験の記録」第二集が送られてきた。敬意をこめて、紹介する。
☆ 拝啓
時下、ますますご清栄のことと、お喜びを申し上げます。
突然に、このような荷をお届けする失礼をお許し下さい。
この度、『長崎(浦上)原爆体験の記録 - 石田寿「原爆物語」など』を制作しました。私家版の第二集にあたるものです。
あの日、一九四五年八月九日の日のことを証言する録音テープから、許しを得て、文字起こしをおこないました。また、関連する資料などを、これらも許しを得て、収載しました。
これらの資料は、記録し、あるいは再録に値すると考えます。石田寿「原爆物語」は、おそらく、長崎(浦上)原爆の体験を、音声として記録した初めてのものです。被ばくの証言としても、最も早い時期に位置するものです。そして、貴重な内容を含んでいます。
あの日に、現在から立ち返ろうとする時、石田寿「原爆物語」や関連資料のなかに、一つの定点のようなものが形成されていると考えます。
加えて、石田穣一の同時代記録に驚きます。偶然のことであったとはいえ、戦時末期の特異な時空間のなかに、それは東京と長崎との距離を経ながらも、これを超えて、一つの家族が、互いが互いを気遣いながら生きていたのだ、と改めて感じさせます。このような情況は、時と場と個別性の違いはあるとしても、皆、等しい心持ちを持っていたに違いありません。皆、互いが互いを支え合うことで、戦時末期の苦しみに耐え、生きていたのだと思います。
長崎(浦上)原爆の基点は、長崎市内浦上地域への原爆投下にあるのではなく、この地域に生き、生活し、あるいはこの地域の工場などで働いていた人びとが、突然に、被ばくしたことにあります。原爆による死者、被ばく者、その後の病苦や生活苦から自殺した人たち。誰一人として、原爆投下を予見していた人はいません。事前の対処も、一切、為すことが出来ませんでした。よって、原爆投下ではなく、被ばくに基点がある、と考えます。
このことを基点として、ここから被ばく直後と被ばく後の起点が設定され、七〇年を経た現在へと連続します。基点を明確にし、これらの起点から、人類史的な悲惨を記録する努力は、これからも継続されると考えます。
文学を研究する側から、被ばくということを、このような形で問い直しました。小集が果たし得ることは少なく、小集は非力であると知ります。一読して頂けるのであれば、これを制作者の喜びとします。
この小集の制作に関して、多くの方々の理解と助力を得ました。このことに、改めて、感謝を申し上げます。
有り難う御座いました。 敬具
付記 多忙の毎日をお過ごしのことと推察します。着荷を伝える返信などは、ご放念下さいますようお願い申し上げます。
851-0193 長崎市網場町五三六番地 長崎総合科学大学共通教育部門 横手一彦
* 文学研究の分野で、こういう横手さんらのようなセンスで、政治的にも国際的にも危うい現代・未来と切り結んで視野をひろげる同志のあまりに少ないのが物足りない。
* 平凡社から、浩瀚かつ丁寧な「平凡社100年史」二册が贈られてきた。想えば平凡社には、大冊『中世と中世人』や雑誌「太陽」への執筆の数々など、太宰賞の母港である筑摩書房より以上とすら謂える温かい親切をいただき、お世話になってきた。おそらく、社風とわたしの作風とにも親近感が生まれていたのだと思う。一時は経営的にハラハラもしたが立ち直られた。ますますの発展と良心に溢れた出版活動を期待する。
2015 7・10 164
* 『親指のマリア』三分の二を読み進んだ。
2015 7・10 164
* 『親指のマリア』を読み進んでいると、気持ちが澄んでくる。シドッチも長助もはるも、白石も、間部越前も、わたしは愛情や敬意を惜しまずに書いていた。長崎の通詞たちにもそうだった。その心持ちが蘇ってきて、ウソクサイ今日のいろいろを洗ってくれる。、
2015 7・11 164
* 早朝から『親指のマリア』五章をヨワン・シローテ(ジョヴァンニ・シドッチ)の目と思いとで読み進む。
2015 7・12 164
* 「加賀少納言」「夕顔」を初校終え、「親指のマリア」洗礼の章のクライマックスを読みすすめた。かけがえのない、わたしの時間。
2015 7・12 164
* 切支丹牢に、「身内」の日々が生まれている。嬉しい。
2015 7・13 164
* 感動に声を呑み泪をこぼしたまま『親指のマリア 五 洗礼の章』を読み終えた。書いていた当時よりもさらに深く切支丹牢の明け暮れに感動した。シドッチと、長助・はるの兄妹、魂を触れあい重ねた三者「真の身内」の愛と信仰。嬉しかった。
さ、もう一章を読みすすめる。 新井白石と近代日本への歩み。
2015 7/17 164
* やはり「親指のマリア」や趣向の短篇世界「修羅」を読んで行って心満ち足りた。「生きたかりしに」下巻も校正しながら、ほどなく読み終える。
* 安倍悪政と自民・公明のなさけなさに、気が腐るばかり。そんなとき、「自分の世界が、ある」のが、そこへ没入できるのが、譬えようなく嬉しい。自分で 読みたくて堪らない自分の作をはなから書いてきた、書き続けてきた。この昂然とした自己満足をわたしは胸を張って恥じない。この気概が新たな今日を創り明 日を創る。所詮は一切みな消え失せて行く世界と心底疑わず、しかも満たされている。それが、いい。こういう「幸福」を追わぬことが「卑怯」の一つなのだ。
2015 7・18 164
* 仰向けにねたまま短編集「修羅」十二篇の初校を終えた。
ま、これこそは自分で読みたくて堪らないように自分のために自分で書いて書いて積み重ねた「趣向」の短篇集。わくわく、うきうき、乗って乗って「おはな し」を書いている。しかも書いている私自身と根の切れた糸の切れた凧をあげているのではない。どの一編の物語でも、、あ、この語り手は秦 恒平だと思われるだろう、だが、読めばみな秦 恒平ではなく、さまざまな境涯に人となっている男なのである。それでも、やはり作者としっかり臍の緒をつないだ語り手たちばかりだ。とほうもない創りばな しでも作者は自身を軽率には手放していない。どんなにリアルな筆致であろうと作者の命綱が作中へのびていなければ、リアルどころかウソクサクなる。途方も ないお話しであっても作者が命の緒をしかと掴んでいれば、ウソはウソのまま本当に面白くなる。淡弁償説は然様に書かれねば存在価値も理由も喪ってしまう。
* おそい晩飯のアトは機械に向かい、「或る雲隠れ考」の原稿読みに励んだ。それはもうわたしには懐かしい作であり、苦心と玄人に明け暮れながら書いては 直し書いては直した小説である。それでも、今と隔たる五十年の重みは険しく、読み読み読みながら、微細なところで気配りの手を入れていた。「文学の文章」 とは「音のない音楽」だとつくづく思う。音の濁りやはずれを丁寧に直して行く。作家として表へ立って以降の作では、いま読んでもほとんど直しを要していな いのに。だが、その推敲作業じたいがとても嬉しく楽しいのである。そうか、こうか、やっぱり…などと呟かんばかりに、キイを使ってはことばの流れや走りを 正して行く。
* 十時半。さ、もう、今夜は、少し音楽を聴いて、そうだ松たか子の「みんなひとりぼっち」でも聴いてから、からだをゆっくりやすめよう。猛烈な暑さだった、戸外は。バス停から西日へ向いて家まで歩いた五分ほど。よろよろしていた。
明後日は、またそんな夕方に歯医者へ通わねばならない。次の水曜には聖路加の眼科へ通う。ほどよく雨が降って欲しい、嵐はイヤですけど。
2015 7/22 164
* 今日は「鷺」を読み、「孫次郎」を読む。
室町末期、名高い松屋三種というと、徐熈の描いた「鷺」、大名物茶入の「松屋肩衝」、そして「存星寶尽四方盆」と極まっている。とほうもない、名品中の名品であった。
「孫次郎」とは、金剛流に伝わる能面のすこぶる著名な名昨である。
こういう美術工藝の名品名作を在に得てわたしが小説を創り出すのは、簡明に謂って、それらにまつわる美しさや由緒来歴や伝説を私が好むから、古典や能や歌舞伎や古美術や民俗に、趣味ないしそれ以上の愛好を自覚しているから、である。
自分が読みたくて堪らない小説を、人は容易には書いてくれないので自分で書いてきた、という意味の大半は、いまいうような世界への趣味・愛好が、いつも 私自身を刺激し誘惑していたからだと謂える。いまどきの小説家で、そういう古典的趣味を生活の下地からしっかり身に帯びている人は、めったにいない。ほと んどが知らない、ないし趣味を持ち合わせていない。当然にも、だから私が読みたい世界を小説に書いて読ませて貰えるわけがなく、そんなに読みたいなら、自 分で書く、創る、しかない。
「選集第九巻」の私の短編小説の世界は、文字どおりに、そういう「日本の古典的文化世界」なのである。「竹取翁なごりの茶会記」「加賀少納言」「夕顔」 「月の定家」さらに「鷺」「孫次郎」「於菊」など、その通りであり、更に加えて、「修羅」十二篇の短編小説は、みな、古美術と能と現代とのコラボレーショ ン小説になっている。私にすれば、書いても読んでも、面白く楽しく嬉しくて堪らない。
だが、当然ながら、こんな半面も露骨にあらわれる。即ち、そんな美しい趣味世界とは無縁無知識の人には、小説自体が「むずかしい」「分からない」「読み取れない」ということになる。蔵が建つほどの多数読者には、はなから、恵まれるわけがない。
いまごろそれに気づいたのではない、初めからそれと承知で、しかしわたしは、あくまで自分が読んで楽しくて嬉しくて面白い、しんみりと没頭できる界をこ そ「小説」としてに書き続けたかった。「騒壇余人」と名乗り、「湖の本」を創刊して三十年も本を出し続け、しまいには非売品の「秦 恒平選集」まで創っているのは、私家版の昔から今日に到るまで、迷いがないからである。
文学の創作には、こういう依怙地に頑固なところが在って当たり前なのだと思ってきた。
2015 7/23 164
* 「或る雲隠れ考」を読み終えた。わたしはかねて、「凄い」という語の誤用に五月蠅いのは知られているが、しかもこの自作の小説
は秦 恒平創作の中で最も「もの凄い」小説だと新ためて自覚した。「清経入水」で太宰賞スタートをするよりずっと以前に、半世紀も以前にわたしはこんな「凄い」 小説を書いていた。自賛しているのでも自慢しているのでもない、わたしは、処女作の「或る折臂翁」「少女」の頃から、いわばハッピーな極楽や天国ではな く、もの凄い地獄絵図を美しく書こうとしていたのだと、ありあり思い出せる。その極めを打っているのがこの源氏物語に取材した「或る雲隠れ考」であった。 読み返しながらわたしは何度も身震いした。もとよりフィクションではあるが、リアルに動かしようのない「家」を書いていたのである。
おそるべきは、この物語を語っている「私」であり、ひいてはその「私」を書いている作者の私自身である。なんという凄い男が書けてしまっていることか。
「蝶の皿」や「畜生塚」で秦 恒平は女性読者に見込まれ、次の「慈子」で男性読者に支持されたとは多くの編集者に私自身いわれたことだが、「或る雲隠れ考」は男女とも読者をたじろがせ た。しかもベテランの編集者はこの作の「どろどろ」が秦 恒平の世界だと指さし、むしろ認めてくれた。
もしこの作が優秀な映画作品になれば、(十分成り得るが)川端康成:原作の映画「千羽鶴」などはお遊戯並みに見えてしまうだろう。この小説、選集第十一巻巻頭に用意している。
* つづいて短篇「底冷え」を読む。「選集第九巻」は、もう「於菊」「露の世」を初校し終えれば、全編再校待ちの段階になる。
2015 7・25 164
* 京大名誉教授、元の京都博物館長の興膳宏さんから、吉川幸次郎著・興膳宏編の『杜甫詩注』第九册を頂戴した。九、十册は杜甫の「成都」時代、もっとも完成された杜甫詩の盛期である。有難う存じます。
大邑焼瓷軽且堅 大邑焼の瓷器は軽くて堅い
扣如哀玉錦城伝 扣けば哀切な玉の響きと当地の評判
君家白盌勝霜雪 君の家のお盌は霜や雪より白い
急送茅斎也可憐 急ぎ拙宅にお送り下さい 珍重します
2015 7・28 164
* 「選集⑪」に用意している創作は、かなり明瞭に私の「戦中・戦後」に焦点を結んできた。ことに、まだ前半で、思い切った物語の「或る雲隠れ考」「義子(原題・喪心)」そして「余霞楼」三編に凄みがあり、まさしく「京」の女文化の肉身を「戦後」のどす黒い深い傷が抉る。読んでいって怖くさえあった。
2015 7・28 164
* 澤地久枝さんに頂いていた『14歳(フォーティーン) 満州開拓村からの帰還』(集英社新書)を読み終えた。澤地さん よりわたしは五歳の弟にあたり、わたしの敗戦は丹波の山なかで迎え、澤地さんの辛苦艱苦はわたしの体験とは天地ほどもちがって痛切だった。ロシア兵や中国 人からの身の危険に迫られることも日常の怯えの中で、澤地さんは軍国日本(満州)に生きた十四歳の記憶を記憶の限りに付け加えも差し引きもしないで明瞭に 書ききっておられる。淡々とことさら乾いた筆致で書かれていながら、読み進むのが苦しいほど胸騒ぐ。
スマホでキス写真を配信して記念になる嬉しいなどと言う連中にはもう詮無いのだろうが、まともな感性と知性で現実や歴史から学び取る気のある十四歳から三十歳、母になるような世代にまで、読んで欲しいと思う。
2015 7・30 164
* たいした何事もせず、気持ちは休息していた。思い立って目の前の書架から福田恆存飜訳全集の一巻を抜いて、シェイクスピアの「リチャード三世」を読み 始めた。重い本でもった手が草臥れるが、劇ははげしく進行する。わたしは英国王家の激しい葛藤が英国流の民主主義を導いたと思っていて、その道筋の理解に はいわゆる通史を読むよりもシェイクスピアの戯曲を読むのが早かろうと見当をつけてきた。沙翁はかなりの数の英王室に取材した戯曲を遺しているが、「リ チャード三世」はことに悪辣残忍な劇のはこびで知られている。新劇の舞台ではハムレットなど四悲劇やベニスの商人や十二夜や真夏の夜の夢などが多く演じら れるけれど、「リチャード三世」だけは二度舞台を見てきた。一度は蜷川演出の舞台を遠く大宮まで妻と足を運んで観た。とても面白かった、陰惨でありなが ら。英国王室の根深い葛藤と相克の歴史にこそ英国流の近代帝国主義の猛烈さ、えげつなさの源泉があったとわたしは観じてきた。
幸い浩瀚かつ稠密な福田飜訳全集八巻の半ばはシェイクスピアを主として戯曲の飜訳であり、余みたい読みたいといつも願ってきた。小説の翻訳はかなり多く読 んできたが戯曲はまだ二、三。それに、今日はふっと手を付けた。シェイクスピア原作戯曲はみなずいぶんの長編である。踏み込んで読み抜かねば棒折れがして しまう。
2015 7・31 164
* 秦建日子が河出書房から『アンフェアな国 刑事雪平夏見』の最新篇を出版した。河出書房と作者とが送ってきてくれた。このシリーズは建日子のいわば代 表作、今度の題名にどんな批評をこめているかも含め、これは落ち着いて読んでみる。建日子は、もう四十七歳、作家としては働き盛り、存在価値の容赦なく問 われる壮年である。父が、作家代表団に加わり訪中訪ソの旅を経てから初の新聞小説「冬祭り」を連載し終えたのが昭和五十五年、四十五歳だった。働き盛りと いう実感が蘇る。創作のタチのちがいはともあれ、心ゆく本格の仕事へいまこそ集中して欲しい、小説、劇作、テレビ脚本、どれをとは言わないが、あまり分散 しないで、大きな高い山へ登攀の気概を見失わないで欲しい。正直の処、ここ数年の文庫本小説には目が行かなかった。この長編新作、単行本の重みをわたしな りに味わいたい。
* じつのところ、今、わたしをとらえている読書の最たる二つは、シェイクスピア、そして朝鮮有数の歴史学者に導かれている朝鮮上古史。相変わり無い英国 への関心、なにひとつ知らないで過ごしてきた一衣帯水隣国の歴史。歴史を大切に思うのは今日をすこしでも間違いなく生きたいからである。
そして、その余でいえば、自作の世界。そこへ息子が長編をかかえて飛びこんできた。衰えきった視力だが、読書に打ちこみたい。楽しみたい。
* 金澤の松田章一さん、夏負けを追い払う美味い「金つば」を沢山下さった。能の梅若万三郎さんからも涼しげな甘味を沢山頂戴した。感謝。一心に仕事をつづけているのを励ましてくださる頂き物と身に沁みてこういう日々の賑わいに力を得ています。感謝。
* 眉村卓さんの文庫版『短話 ガチャンポン』を頂戴した。「短話」とはわたしの用いている「掌説」に類していよう、この、わたしより一歳上の大阪の作家 は、ほぼ終始して「常識的非常識」の深淵に棲む魔物を書いておられる。徹しておられる。ペンの理事のなかでも気心の分かり合える得がたい存在であった。三 好徹さん、堀武昭さんら、お元気だろうか。
* 九十老の色川大吉さんから、「謹呈 色川大吉」と自署の新著 『戦後七十年史』を戴いた。七十年とはわれわれ夫婦の物心確かになってのほぼ実人生に相当し無数の記憶と喜怒哀楽を鏤めている。
色川さんは、保つとも敬愛する知己のお一人であり、老境に入って以降に接してきた大きな思想家、ごまかしのない思想家である。亡くなった小田実さんが、 そういう存在であった。日頃は離れた場所にいても、なにごとかの折りには親愛と理解のことばが飛んできた。宮川寅雄先生もそうだった。鳴り響くようなえら い人達にわたしは励まされてきた。それを重うと身内が熱くなる。
* 九十一歳の高田芳夫さんからは短歌集と俳句集とを一緒に頂戴した。毛筆の美しいお手紙も。
☆ いつも
御本を御送り頂き申しわけありません。
私は、先生の著、「死なれて死なせて」の中で、ひとりっ子というのと「貰い子」といわれてという境遇と同じ身ですゆえ、ひどく感動して読んだ思い出があります。
どうか先生が長命であられること お祈り申しあげます。
私の家集「いのちあふれて」 句集泊牡丹」など お読み頂くものではありませんが、丁度この二册でき上りましたのでお送り申しあげます。 七月三十一日 高田芳夫 2015 8・1 165
* 気持ちが妙にザワついている。夢見が荒かったのか。「リチャード三世」を読み、建日子の「アンフェア」を読み色川さんの「戦後七十年史」を読み、玉音放送の映画を観て……心悲しむばかりだった。
よろこばしく励まされる、うれしく身に沁む、そんな美しさに触れたい。
いまこの機械に向かっている席からなら、谷崎松子夫人の、女優澤口靖子の、そして数点の絵の品の佳い美しさに見入って気持ち落ち着く。
* 秦建日子の長編「アンフェアな国」を読み終えた。とにかくも読ませた、ほぼ一気に。ところどころで一目五行八行に走ってしまう箇所もあったけれど、簡 明な早口で風のようにお話が飛んで流れて行く。作者の身内に根をおろしたお話とは思いにくい、徹底して作り話だが、「アンフェアな国」を叱ってはいて、最 後のその辺の述懐に作者の同期も批評もあるのは頷ける。「アンフェア」シリーズでは一等気を入れてスピーディに読み上げた作かも知れない。
それにしても、この作、スピーディな文体と作風とはもう手慣れたこの作者の作に相違ないが、小説自体、作者は「秦建日子でなくてはならない」どんな思いや歎きや怒りや主張から生まれているのだろう。「雪平」のチームは情も実も書けている、が、他の登場人物はおきまりの駒か記号かのように薄い。面白そうなただ読み物の域で作があまりに軽く呼吸していないかと気になる。
* 「リチャード三世」の迫力は、これぞ、凄いと謂いたい。沙翁の人間把握の怖いほどの確かさ、激しい葛藤、そして福田恆存さん飜訳の日本語の完璧、美しさ確かさ。身震いがする。まぎれもない「文学的真実」の発光に胸が震える。
2015 8・2 165
* 『生きたかりしに』の上巻「名柄の里」「近江路」を、丁寧に読み直した。
2015 8・4 165
* 少しラクだった間に、「リチャード三世」を読み上げ、秦建日子の「アンフェアな国」も読み通せた。文章という音のない音楽のみことさ、楽しさを味わった。
上古朝鮮史は、日本の上古史の百倍もフクザツである。西、北、東、南に外国をもち、朝鮮半島じたいが、フクザツに別れていて、文字づかいも言葉づかい も、微妙に影響もし影響されもしている。たいへんな勉強である。ヴァレリーの「ムッシュウ・テスト」をいまどれ程の人が読んでいるだろう。「八犬伝」も大 団円に近付いてきた。色川大吉さんの「戦後七十年史」も岩橋さんの「フォーティーン」も今の時局でこそと思っている。日本の古典を和歌集だけでなく、久々 に物語が読みたくなっている。目が使える内に読まねばと思っている。
2015 8・5 165
* 山中共古の篇著になる「砂払」という岩波文庫上下本を、いつも拾い読みしている。この書題の分かる人は少ないだろう。その一点にもこの本の妙味がある。索漠として喪失しきった日本の語彙の多くを江戸の香りとともに掬いとれる嬉しさ。
2015 8・6 165
* 目さえ見えれば、本は幾らでも読みたい。今日は、滑稽本の式亭三馬「浮世床」人情本為永春水の「春告鳥」を読み始めた。田中共古の『砂払』に押し出されたのだ、「春告鳥」は以前に読んで、うっとりさせてもらっている。
しかし視力は、やはり一に創作用に大事にせねば。なにもかも機械のデイスプレイを睨んでの疲れる一方の目使いなのだから。しかし小説を書いていると、苦心もあるが深々と意気の動くのが観じられる。此の路を歩いて行くしかないなあと思う。
2015 8・7 165
* これまで手を出さなかった江戸の「洒落本」も読み始めた。ことに庶幾の秀作と目されている「跖婦人伝」を気を入れて読みたい。目を大事に大事に。
2015 8/9 165
* すこし続けて洒落本を読んでいる。劈頭の「跖婦人伝」、短篇ながら一傑作。理会を得た。
2015 8/10 165
* 井上靖「風濤」を読み始めた。元と高麗との激しい抗争、それは、わが元寇への前哨戦でもあった。ドラマでみていた「貴皇后」がこの前後にあたっているか、違うかは読んでみないと分からないが「風濤」は以前に読んで感銘を受けている。
井上靖の全集は、岩波版の「短篇集」全巻も「歴史小説集」全巻も紀行集全巻もみな戴いている。単行本や詩集もたくさん戴いている。書評や解説も何度も引 き受けてきた。出会いに恵まれた先達であった、だが、物足りなかったところへも、きっちりものは言った。いい詩人でもあったが、あらゆる意味で井上靖は 「小説家」だった。
2015 8/11 165
* 昨夜は眠りにくく、井上靖「風濤」を読んでいた。元の暴圧に屈し苦しむ高麗の惨たる国情を史料をはさみつつ歴史年表をひもとく風に書き継がれていて 「小説」には成っていない。漢文調の文章をとくにくにしなかったので初読みのときは史実の流れの過酷さに感銘したのだったが、今回、これを「小説」として 読むと、やや年表の上を滑っているようで物足りないが、それにしても元寇にいたる高麗と元との関係の惨状は目に余って胸をつく。
中国との関係は、一つまちがうと日本に対しても、こういう事になる。元寇は、北条時宗と西国・鎌倉武士たちの奮励、なによりも季節の颱風のおかげで惨禍 を免れたが、思うだにゾッとするし、けっして二度と起こらぬなどという問題ではないのだ。元は水軍に慣れていなかったが、現代の中国は元の百倍もの戦力と 覇権欲をもっている。鎌倉時代型の交戦対応では絶対に追いつかず、高度の世界平和外交に徹する以外にはない。安倍総理の時代錯誤、浅薄な認識、こどもじみ た独裁への陶酔。いけない。
2015 8/12 165
* 吉備の人「御前酒」二升嬉しく頂戴した。有難う存じます。盃をあげ、夏を乗り切ります。
* 御前酒の美味に陶然と酔っている。幸いに猛暑はやや和らいでいる。この気分で南畝や京伝の洒落本を読んでいると、現世の憂さをふと忘れる。忘れきってはならないが。 2015 8/12 165
* 三田誠広氏から新著「聖徳太子」を戴いた。
2015 8/12 165
* 井上靖『波濤』を今朝五時にめざめて、床の中で読み終えた。敢えて数少ない、元と高麗との基本史料に忠実に則って、書ききられている。謂うまでもな く、日本では元寇といった、その視点は全く取り外して、あくまでも元との関わりに苦汁を嘗め続けた高麗王二代の生き喘ぐと謂いたい歳月がほとんど年譜の読 み下ろしのように表現されている。あえて物語の体はとらず、史実を生きた王と臣と兵と国民の悲劇的な歳月が淡々と叙されてあった。その限りに於いて、初読 の昔の感銘と同じ感銘を得た、いや、加えて、恐怖に近く苦しいほどの思いにも苛まれた。往古の元は失せたが、覇権意志を露骨にし世界支配、世界帝国を企図 していると想像に難くない中国共産党国家の暴走気味は、いまや著くも著い。もう「神風」という名の奇跡はまったく無力。
「波濤」を書かれた親中国作家の第一人者だった井上さんの胸中に、中国への懼れというものは無かったのだろうか。無くて「波濤」は書かれたのだろうか。
2015 8/21 165
* 洒落本、滑稽本、人情本などを覗いてまわり文学史的なアタマの整理もしたついでに、赤本、青本、黄表紙、合巻、などへも立ち戻ってアタマの整理をした。所 詮戯作のたぐい、だが、江戸の「物言い」「通言」などのおもしろさはよく知れる。読本ものは、実の作に比較的接してきている。
わたしは概して江戸時代のツクリ文藝がにがてで、竹取、伊勢、源氏や平家や徒然草よりも読みづらく、敬愛にたえないのは秋成の雨月物語や春雨物語、馬 琴、一九は大作をよんでおり、西鶴も一代男、一代女、五人女などは読んでいるが、多くを棚に上げている。口調も表現も取っつきにくい。それが、かえって妙 なひけめになっている。近松なども舞台では数多く重ね重ね観ていて、近松ものはそれで宜しいと決めてしまっている。芭蕉、蕪村、一茶らの俳諧や川柳、狂歌 には敬意も親近感も寄せ続けてきた。、が、どうも国学系の物言いは読みづらくて、余程でないと宣長も読んでいない。白石の自伝や論考等には親しんできたけ れど。
だがだが、江戸時代はにがてなどと逃げ腰では成らず、ことに日本の「天才」期としては、一條-後一條朝とならんで遙かに多彩な十八世紀後半期という絢爛の「天才」輩出期を抱きかかえている江戸時代。
目は離せないと、見守っている。機会ごとに近付こうとはし続けてきた。
2015 8/22 165
* グレゴリー・ペックがエイハブ船長を演じた映画「白鯨」を観た。この名作の名を恣にした作をわたしはまだ読み得ていない。いつか機を得て読みたいと願ってきた。この映画に誘われてとうとう読めるかも知れない、書庫に原光さんの訳本があるはずだ。、
2015 8/28 165
* もう干支をひとめぐりした昔に、井上宗雄さんの『百人一首を楽しく読む』一冊を著者か版元かから戴いて、これこそ座囲一尺を離したことのない必需愛読 書として、なにか有れば、無くても、手にとっている。目次がいたって便利、解説の多彩な史料性も抜群で、版が大きく字も大きくてじつに助けられる。用など もうほとんど無くて、ただ百首を目に入れるだけになっているが、一首をまるまるね読みもしない。たいがいは、どこかの七音句をふっと目に留めくちにするだ けで満足できる。つまりは引き歌のように一句を立てて現在の心境や好みに添わせるだけ。妙薬ほどに効く。ありがたい本である。
2015 9/4 166
* 階段を二階へ上がってくると道路側に小さい窓を幾つか開いた短い廊下が、妻の部屋とわたしの今いる機械部屋へ導いている。その廊下の窓の下に、文庫・ 新書本用の書架が三つ四つならんでいる。通るつど、書架の上へも溢れ、窓枠へも溢れた本をつい手にしてしまう。北向きの窓が明るくて、目を惹く懐かしい本 につい掴まってしまうのだ。今も、ごく早い時期の角川文庫「般若心経講義」をつい手にした。高校のはじめに熱愛した一冊で、ちぎれた表紙が何度もガムテー プで抑えてある。宗教また哲学に接した初度体験本とも謂えて、平易な講義よりも詳細な注記に目を皿にした覚えも懐かしい。あのころ我が家は剣呑に大揺れし ていた、『罪はわが前に』にも触れている。「空」とか「無」という文字に目を剥いていた。
もう一冊、近藤稲子さんの訳された英語での漱石作「こころ」本にも手が出て、拾い読みしていた。『こころ』は中学二年末いらい日々にわたしの「バイブ ル」であった。こんな英訳本をいつ買っただろう。はるか後年には奇しくも俳優座のために戯曲『心 わが愛』を書き、加藤剛の主演で何次もの公演はいつも階 段に小座布団が出るほど満員だった。その戯曲は「湖の本」を創刊して第二巻に入った。いまは第百二十七巻の初校を終えている。往時は渺茫とはるかに遠い。
2015 9/11 166
* 今日はもっぱら草稿「資時出家」を検討して過ごした。読む方では「更級日記」と著者関連の文献を何種類も読み直した。すこしでもわたしの物語を効果的に推し進めてみたい。
あいかわらず「韓国上代史」も上下巻交々に読み進んでいる。
校正は「親指のマリア」前巻の半ばを過ぎて、いま新井白石の二章を楽しんでいる。わたしの長編小説のなかで、一番の大作、渾身の作になっている。つまり はシドッチにも白石にもわたしは惚れきっているのだと思う。もっともそれはどの作の主人公達も同じで、いやいや書いた相手はいない。 2015 9/15 166
* 韓国の古代史は、いま五、六、七世紀頃を興味を覚えつつ読んでいる。中国の郡支配を受けていた時代から、かろうじてはねのけて高句麗が起ち、分かれる ように南西に百済が起ち、後れて南東に新羅が起ち、高句麗の北からの圧迫を済・羅同盟で凌ぎつつ、いつか新羅が強盛に転じて百済を押さえ高句麗領を南から 押し上げて行く。日本もこの三韓事情に海を越えて関与している。いまは概略を汲もうとだけ思っている。
* 明治の内田魯庵による八犬伝と馬琴への長編の批評も面白く読んだ。
いまは細字としか言いようのない文庫本はよほどでないと読めなくなった、字が見えないので。最も困惑するのは必要あってひらく辞典が読めないこと。参る。少しずつ物忘れが増していて、漢字が書けなくなっている。読む方はまだ大丈夫だが。やれやれ。
2015 9/20 166
☆ メールありがとうございます!
嬉しく拝見しました。
お寺の事、私でお役にたつことでしたら、何なりとお申し付けください。
また東京へ行けそうでしたら、ご連絡します。
ご体調、お眼ともにつつがなくお過ごしになれますようお祈りしています。
それでは、また…
ありがとうございました。 みち 秦方従妹
* 情けない私語を聞かせてしまった。
もはや癌細胞の有無よりも、眼の効力と仕事との熾烈な競走状態になってきた。しかも青山の保谷眼鏡が遠くて億劫におもわれ、それより少しも早く仕事を進 めて行きたいのが先立っている。静かな心で日々を待ち日々を送りたい。バグワンを読みたいと思うが、どの本も活字のインクが淡くて。それでも出来る読書は しつづけたい。韓国古代史のような気の遠くなる遠方の論考であっても、ときどきテレビの韓国歴史劇などに、あ、これこれと思い当たって嬉しくなることもあ る。ドラマで「花郎(ファラオ)」という呼び方に目も気も止めていたのが、ちゃんと解説されていて、しかも観たことのあるドラマの場面ともきっちり符合し ていたりして、嬉しくなる。これまで、大方の韓国歴史劇がいったい何時の頃の事件事態か読み取りにくかったが、この「花郎」なる選り抜きのハンサムたちが 六七世紀、日本でなら聖徳太子や大化改新の昔に相当していたかと知れて、小さく手を拍ったりしている。
2015 9/22 166
* 夜前、「或る雲隠れ考」初校終え、「湖の本127」再校をし始め、「韓国古代史」の隋による、また唐による執拗な高句麗攻撃、また新羅の唐へ救援を求めての接近等々を読み進んで、消灯二時半に及んだ。
すこし瞼が重い。
2015 9/26 166
* 終日疲れ気味に横になっている時間長く、そんな時も寝入っているより校正したり韓国古代史を読んでいたりした。
いま、頸のうしろ付け根のへんが、とても痛む。何度アタックしても隘路を突き抜けない気分で頸から肩が痛む。
2015 10/9 167
* 機械を開けながら (起動までに十分はかかるので)手をのばして「後撰和歌集」をひらくと、目にとびこんできた。
うたたねの夢ばかりなるあふことを
秋の夜すがら思ひつるかな よみ人しらず
昔の人は、美しいことばづかいで「おもひ」という「ひ」を燃すことが出来たんだ。文庫本でたった一行。それでいて一冊のほんを耽読したほどの佳い感傷を胸へとどけてくれる。
* いま「韓国古代史」と同時にフランスのコント本「結婚十五の歓び」という痛烈な本を読んでいる。徹しての結婚否定・批判、女性否定・批判を通して男性 の、夫という名にあこがれてみすみす魚梁(やな)へとびこんでニッチもサッチもいかない愚かな男共の愚劣を嗤い尽くしている。久しい思想史のなかに置いて 読んで行くと、西欧という複雑な世界の性根の傷のようなモノがありありと読み取れてきて、なかなかしたたかな文明批評とも読める。
2015 10/15 167
* 午前中、ずうっとピアノ曲を聴きながら、秋成をなつかしむ人達の円居を書いた自作の小説を読んでいた。
この一年半二年というもの「選集」のために自作の小説を読み返しては入稿しまた初校し再校とときに三校もしてきたから、いつもいつも京都にいま自分がいるような気分に馴染みきってきた。京都恋しさをそのように慰めてきたんだなと思う。
* 新聞、テレビが伝える国会や官邸周辺のニュースの不快さに吐き気すら催すとき、情けないがさながらに逃げこむように自作世界へ心身を没している現実。
* 上下巻で八百頁にあまる『韓国古代史』を、愛読と謂うておかしくないほど熱心に読んできて、もう残り少ない。固有名詞にふりがながしてあったらもっと 深く親しめたろう、韓国の名辞は字もいかにも世離れて馴染みが無く、訓めない。フリガナと索引がついていたら遙かに貴重な読書また蔵書となったろうに。そ れでも、まことに興味深く多くを教えられている。隣国とはいえ実地を践むことは無い、それだけに、韓国史の大綱はだいじに識っていたい。わたしのもってい た常識など、万の一にも当たらなかった。朝鮮、高句麗、百済、新羅の国としての、国民としての性格などもよく教わってきたし、渤海国にも興味をそそられて いる。日本は渤海との縁が濃いと日本史の側から万全と感じていたが、事実であった。
それにしても中国の詩には随分親しみ、小説も読んできたのに、韓国の詩歌も小説もまるで知らない。知りもしないで軽視してきたのだ。
韓国製の歴史ドラマをこの二三年つとめて観るようにしてきたなかで、あの独特の韓国文字の発明をめぐるもの、あれをもう一度観たいし、あの文字の実質と 利便とを頭に入れてみたい気がしている。苦手にし無意味に遠ざけてきた朝鮮なのだが、そんな無意味な狭量は恥じねばならない。
2015 10/21 167
* 三部作の一部「亀裂」を読み終え二部「凍結」へ入って、なんだか、往年の医学書院へ舞い戻ったような気分で、バカに懐かしい。こういう世界で十五年半 ほどモーレツ編集者として働いていたのだ、それはわたしの書いてきた多くの小説、物語とは、全く全く大違いのリアルな労使社会であった。今の事情を知らな いけれど、あの頃の世間の、とりわけて我が社の労使闘争は本郷台に知らぬもの無しの長期激戦が毎年何度ものことだった。わたしはそんな会社で編集職に重ね て中間管理職だった。その上にやがては太宰賞作家にも成って社外での創作、執筆、講演やテレビ・ラジオでの出演や放送まですることになった。それをそのま ま書いては小説が分散してしまうので、この三部作ではどうアレンジしたか忘れているが、読み進んで行くのが楽しみだ。
2015 10/21 167
* 出版物も変わりなくいろいろ来る。
今日は、大宮の布川鴇さんから新詩集「沈む永遠 始まりにむかって」、そして亡き能村登四郎さん創刊の俳誌「沖」の創刊45周年記念号が目立っている。 来信やこういう出版物の到来も几帳面に記録していたが、選集をはじめてからは、その手の「記録」をほとんど廃してしまっている。
布川さんの詩集、装丁、凝っている。
巻頭の詩が、
心の在りかを証すために
どんな文字があっただろう
何年も何十年も空を見上げ
海の匂いを辿っても
たしかな道標を見つけられないまま
固い石の地面にうつむいて
かすれた文字を書こうとする……
ひと拭きで消えてしまうだろう文字を
と最初の小節を書き出してある。おもわず、にこっとした。
この詩人と、むかしペンの懇親会の席で言い合ったのを思いだした。
人間にとって「心」ほど大事なものはない、と、詩人は繰り返し、ひねくれた小説家のわたしは、心ほど頼りないものはないと揶揄った。生真面目な詩人を揶 揄ったのだ、わるかったが、いま語り合えば詩人は何というかなあ。ペンの会合ではそういう機会もあったが、もう一昔にも二昔にもなる。
それにしても詩なるうたの、ムズカシサよ。
* 「沖」の記念号、巻頭に登四郎句をたくさん読みたがった。虚子以降、俳句で唸らせてくれた極めて数少ない真の俳人は登四郎さんだった。金子兜太さんが 「ありき」と題して「能村登四郎ありき向日葵畑ゆく」と。これに極まる。後継研三の記念作「孤高なる飛鷹の空は高貴なり」なんてのは勘弁願いたい。いかに 挨拶句とはいえ、鷹羽狩行の「冬耕のをちの一人は研三か」では、めでたくもない。俳句はじつにじつにムズカシイ。
* もう一冊、宗内敦さんの雑誌「琅」を開くとわたし宛の私信が挟まっていて、「加齢するほど怒り易くなって、つくづくわが身にあきれます。くれぐれもご自愛下さい」と。この誌の眼目は敦さんの「二言、三言、世迷い言」。いつのまにか29号になっている。
稲瀬という人の小説が一編、書き出しが、「夏の酷暑が尻切れに萎み、寒ささえ感じられる八月末の夕暮れだった。」と。はじめの一区切りだけで、アトを読 む気になれない。歌誌「熾」の沖ななもの巻頭言「モイスチャーな日本語」には趣旨、うなづけたが、わざわざの「モイスチャーな」は、語るに落ちたか、敢え てしたか。
2015 10/28 167
* 誰かに「源氏物語の恋文」という本があり、著者に貰っている。近藤富枝さんだったと思う。本に何が書いてあったかに関係なく、源氏物語の恋文で失態を 冒しのは源氏の正妻女三宮に宛てた柏木のもので、もらった方の女三宮にも、ほかならぬ夫の源氏に読まれてしまうという決定的な失態を演じている。見れば紛 れもない柏木のものと源氏には分かってしまい、源氏はこんな恋文の書き方に柏木の浅々しい心根をみて、怒りもしながら軽蔑するのだった。人に読まれて露わ な恋文と分かるような書き方をしてはいけないというのだ。
それと関わりがあるかどうかはともかく、現代のメールにも当然の作法は働いているに違いない。
聡明と浅はかとの差はあるだろうと想う。
2015 10/28 167
* 「お父さん、繪を描いてください」が、バカにおもしろい、わたし自身には。これも典型的に、わたしが読みたくてたまらない小説をわたしのために書いたよう な長編だ。スピーディな筆致でためらいなく押して行っている。「迷走 課長たちの大春闘」といいこの作といい、秦 恒平にはこんな小説もあるのだと宣言したようなアンバイで、わたしにすれば当たり前だと言いたい。しかし初期作に慣れていた読者は目を白黒もされたであろ う。
2015 10/29 167
* 「利があれば理はなくていい。理があっても利がないなら、影法師。人は理でなく利で動くもの。」
明け方の夢の中でこう決め付けてくる声に、苦しいほど懸命に抗っていた。こういう夢は疲れる。
むりに起きてしまい、「早春」という旧作を読み直していた。はずかしいことを素直に書いて誤魔化していなかった。「もらひ子」(「丹波」)「早春」(「罪はわが前に」)は、総じて『客愁』とでも題していい自伝になっている。ウソ(仮構)を書いていない。 2015 10/30 167
* 文藝賞佳作で出、三島由紀夫賞も獲てポストモダン文学の旗手といわれた久間十義さんの新著「デス・エンジェル」(新潮社)が贈られてきた。医療ものらし く、建日子の作と通う範囲でもあり、作風は当然にもよほど違っているが、久間さんの仕事には昔からわたしは関心を持っている。緻密に追究されて行き、「現 代」批評の視線はいつも深い。ペンの委員会で出逢ったなかで最も貴重な心親しい一人と目してきた。新刊を待っていた。
湖の本新刊の送り出しまでに楽しんで読みたい。
2015 10/30 167
* 高麗屋の市川染五郎君から、新刊の、写真美しく文章もおもしろい新著を贈ってきてくれた。「姉と妹」そして亡き「勘三郎お兄さん」のはなしが良かった。中村屋の、きみの「目が溶けている」という褒めた批評の意味深さに、立ち止まる。
もう、吉例顔見世の幕があがる。父幸四郎の弁慶に富樫で立ち向かう染五郎。期待し楽しみにしている。
2015 10/31 167
* 終日 「お父さん、繪を描いてください」を読んでいた。藝術の創作とは、を問い、ある天才を秘めていた画家とその一家の運命を徹底的に書いて いて、わたしの数ある創作(フィクション)中もっとも凄みで光っている。行文は少しも難しくなく、「創作」を真剣に考え志している人には、冷え冷えと熱く つよく迫るだろう。目が霞むので再々読み已めているが、どんどん読める。読み続けたくなる。昔、友人に、この画家に逢わせてと頼まれて往生した。
* 休息時はからだを横にして、久間さんの「デス・エンジェル」を読み進んでいる。
フランのコント「結婚15の歓び」は苦笑しながら読み終えた。徹底した女性否定の下絵に徹底した男性愚弄が書かれている。いっしゅの訓話文藝というべきか。
2015 11/3 168
* 今日も「山名武史」の苦悩に密着して過ごした。
「湖の本127」発送の宛名貼りも。「湖の本128」に有効の用意も。
2015 11/4 168
* 久間十義作「デス・エンジェル」に恐怖を覚えた。間口広く多彩に場面や事件をばらまくことなく、桶狭間へ突っ込むようにコトを運んでいて恐怖感がジカに来 た。成功していた。作の性格上、コトを運んでゆくので、ことばの表現では部分的にゆるんだり、はしったりしているけれど、ま、瑕疵に類した程度としよう。 大きな問題を孕んで、本題じたい、あなたやわたしと決して疎遠でないどころか身に迫ってくる。
2015 11/6 168
* 東大名誉教授久保田淳さんから、「源平盛衰記」(七)を戴いた。「参考源平盛衰記」数十巻をもってときどき読んでいるが、久保田さんらの校注本は深切 に出来ていて、しかも戴いたこの巻は、目下わたしの呻吟している新作小説世界と時代・事件とも膚接していてひときわ有り難い。
わたしの書庫を多く占めている貴重な研究書はおおかたこのように研究者自身で贈ってくださったもの。どんなに多くをそれらに享けてきたかはかり知れない。感謝、尽きない。
2015 11/6 168
* 一休みする床の枕近くには、古典を楽しむのに恰好の研究所が能く選んで十册ほど書架に置いてある。それを気儘に抜いては、心惹かれるままにいろいろ読 む。東大久保田名誉教授に戴いた「源平盛衰記」 名大山下名誉教授に戴いた「平家物語入門」 九大石田名誉教授に戴いた「古典籍研究の手引き」 京大興膳 名誉教授に戴いた「杜甫私注」等々。
「韓国古代史」上下巻、もう少しで読み終わる。知識が欲しいのではない、生きている嬉しさが獲られる。中公の「世界の歴史」を二十巻ほど、また読み返してみたいなと思いかけているが、ざんねんなことに文庫本は字が小さくて眼がつらい。
* 何の用でか建日子が学研版でわたしの編著になる「泉鏡花」の『歌行燈』を読んでみたが、まるで分からなかったと。歯が立たなかったと。
鏡花の名作で「歌行燈」はむしろ読みやすい傑作なのに。たしかに、鏡花の叙事と文体は、漱石や直哉を読むようなワケには行かないが、それにしても…コマルなあ。
2015 11/8 168
* 久保田さんの下さった本は、中世の文学版『源平盛衰記』の第七篇、頭注ほか、よく行き届いて
写植本であり至極読みやすい。
わたしの永く所蔵の本は史籍集覧版『参考源平盛衰記』で五十巻ほどある。異本の多いことは平家物語の大きな特徴で源平盛衰記事態が大変な異本の一種だ が、わたしの所持本は「参考」の題の示すとおり平家物語の数多異本の異なる記事・本文を関係各所に挿入のていで満載してあり、専門家には垂涎の参考書なの である。「観奕堂蔵」本であり、いまでは容易に手にも取れない、全編「木刻字」本になっている。誤記誤植のおそれも無くはないが、厖大な噂・風聞・推量と ともに平家物語の細部をクリティク抜きにかき集めてあるのだから、面白いことは限りない。一級の記事から憶測ものの三文記事まで平等に取り込んであるのだ から、噂大好きの清少納言もビックリの珍書。
ゆっくり気分で、たっぷり、そんな「参考源平盛衰記」を、熱心に楽しんでいた。
機械のスクリーンを観ているとたちまち眸が灼けてくるが、木活字本は眼にもやや軟らかくて、字も大きくて(挿入文は小さくなるが)読みやすい。程度の良い講釈を聴いているようで、しかも要点がよく押さえられているのは流石である。
2015 11/9 168
* 金丙燾著「韓国古代史」上下巻を通読した。精読とは行かない字義のままの通読だが多くを教わった。願わくは三韓が新羅に統一され、統一新羅が潰えてま た三韓から今度は高麗が大きく起ちながらそれも潰えた以降の中世、近世の朝鮮半島史も読んでみたい。おかげで韓流の歴史ドラマにより親しい興味が持てるよ うになった。
同時に、中国でも朝鮮半島でもない、渤海や契丹などの歴史、日本海の北対岸の歴史も知りたくなった。
2015 11/12 168
* ペンの委員会で永く席を並べていた権田萬治さんから新著『謎と恐怖の楽園で ミステリー批評55年』を頂戴した。立派な本だ。この方面にはごくわたし は疎いけれど、ミステリー批評の世界で大きな仕事を重ねてこられたとは聞いている。一読して、ミステリー作家の秦建日子へ送ってやりたい。ミステリー批評 の大先達権田さんはわたしより一歳若い知己、医学書院後輩でハードボイルド研究の大家小鷹信光君も同年の知己。この二人、当然どこかで繋がっているので は。
2015 11/14 168
* 久間十義さんの「禁断のスカルケル」が本舞台へ入ってきた。意欲有る医学・手術ものとして展開して行くのだろう、何といっても医学・医療・診断・手術 の世界には命と関わってひきつける根源の力とおそれとがある。「スカルケル」とは「メスを執る」こと。なにが禁断であり敢えてされるのかはこの先の展開だ が、緊迫感は迫ってきた。
2015 11/21 168
* 久間さんの新刊、「禁断のスカルペル」決して愉快な導入でも展開でもなく、なおさらに重苦しい事態へ突入しているが、緊迫感は増し問題も大きく深いと ころへ突っ込んできた。興味深く読み進んでいる。医学書院の編集者だった、問題の重みをわかるぐらいは分かるし、引き込まれる。取り上げられている問題は たんに架空のことでなく、類似の「スカルペル」にジャーナリズムも関わっていたのを覚えている。さきに貰って読んだ「デス・エンジェル」を越す問題に迫力 を覚える。
十時半をまわった。機械から離れて、校正や読書へ、階下に降りよう。
2015 11/22 168
* 押し入れの隅から、そんな場所に在るべきでない二册を見つけた。国漢文叢書第四、五編、あの北村季吟による『和漢朗詠集 註』上下巻で、自分で買って手にした本でなく、明らかに秦の祖父鶴吉の旧蔵書。明治四十三年六月七日の初版本であり、表紙の傷みをともあれ手当てしたのは わたし、記憶がある。袖珍本で手にし易く、平安時代原著の和漢の詩歌の版組が大きく、(註は細字だが、ま、読めねば読めなくても差し支えなく、)ありがた い。楽しみたいのは採られた詩歌であり、原著者藤原公任の秀才を堪能するには、重くて大きい古典文学全集を手にするよりはるかに有り難い、ま、文庫本をや や幅広にした、しかも上下二册本であって、ポケットにも入れて歩ける。
季吟の本では帙二つに十巻余の源氏物語註釈、名高い『湖月抄』もあって少年のころから名前一つでいたく尊崇していたが、木活字変体仮名で源氏の原文は及 びもつかぬ私蔵というより死蔵していたのを、近年、国文学研究資料館へ寄付した。幸い今度の本は読むに苦労のない本で、また拾いモノをした気持ちで朝か ら、頁をしきりに繰っている。
季吟の漢文自著の冒頭に「朗詠」の語義というより意義に端的に触れてある。
朗詠者厥風起於催馬楽風俗之後、而我邦中世以降。上自朝廷。下達於郷党。歌謡之者也。
「朗詠」とは、詩歌を読んで鑑賞するのてなく、催馬楽や風俗など歌謡・郢曲の史的流れを承けて、しかも貴賎都鄙のべつなく謳歌したものだと。この意味を汲 めば、あやまりなく「朗詠」のアトへ来るのは「今様」であり、今様謡いの大衆味をくみながら平家語りの「平曲」も生まれてきたに違いない、其処の処へわた しは足場をおいて梁塵秘抄や平家物型を、後白河院や、正佛資時や、慈円や行長らを想像し創作してきたのだった。
今日われわれに朗詠集和漢の詩歌を謳歌歌謡するすべなく、ついつい「読む」本にしてしまっていて余儀なくはあるが、詩歌という文学の畑の花である前に、歌謡という藝の花であったことは忘れない方がよい。
春 立春
遂吹潜開不待芳菲之候。
迎春乍変将希雨露之恩。 紀淑望
年のうちに春は來にけり一年を
こぞとや云はん今年とやいはん 在原元方
漢詩も和歌も、まさしく声を発してこれを謡った。読んだのではない。むろん漢詩の方は先ず日本語に読みほどいておいてそれを謡ったので、読替えの、つま り飜訳の、その機微に面白みがあって、物語りの多くもそれを引いて興趣を盛り上げていた。公任の飜訳はそれとして、自分ならどう読み替えてせめて朗唱する かと思案するのも楽しいのである。
2015 11/24 168
* 夜前、まさかと思えた残り頁、久間十義さんの『禁断のスカルペル』を強い集散の思いで読み終えてしまった。作品をにじませた力作で秀作であった、久間 さんの本は何冊も戴いて読んできたが、最新の最高作とすら謂いたいほど、巧みにつよく物語りを盛り上げ、わたしを引きずり込んだ。離さなかった。あえてス トーリーには触れないでおくが、建日子にも医療モノの仕事があるのだ、こんな作をこそ渾身のドラマ化させてもらっては、などと思ってしまう。
2015 11/25 168
* 久しぶりに「マウドガリヤーヤナの旅」を読み返した。自愛の一作であり、「廬山」「華厳」とならぶ仏教の信仰に取材した作だが、或いは「親指のマリ ア」の基督教とも底知れぬまま連携している。わたしの願いや祈りのようなものの自然と溢れた作で、「露の世」や未発表のごく早期、処女作以前の「朝日子と 夕日子」などとも通い合うものをもっている。「あるとき」という雑誌が創刊された創刊号の巻頭に載ったのではなかったか。
2015 11/27 168
* 黒いマゴが外へ出たがったので出してやり、そのまま起きて。親鸞仏教センターがいつも送ってきてくれる刊行物三種のうち分厚い「現代の親鸞研究」を拾い読 みしていた、というより目次で目をとめた一つの講演録に気を牽かれ読みはじめていた。「交衆と遁世」や「官度、私度、自度」などの対概念の史的な検討から 中世の遁世の意義や展開が語られていて、この際アタマの整理がつきそうな気がした。長い講演で、まだ入り口にいるが、こういう論考が向こうから舞い込んで きてくれるのは有り難い。何のキッカケからだったかこの親鸞センターとのご縁ももう久しい。
* 昨夜から、しばらくぶりにバグワン語る「一休道歌」上巻をまた読み返し始めた。たまたま五島美術館が堂々として内容豊富な「一休展」の図録を送ってき て呉れていた。なら、たくさんな一休の書や書物や関連の詳細な解説なり伝記なりを参照しながら、バグワンの言葉に耳をすまそうと思い立った。事多い昨今自 身の気持ちをおだやかに静かにしたいとも願ってである。
* わたしは、かねて、「しない、禅」であるよりも、「する、禅」「しながらの、禅」を願ってきた。その思いを理由づけて謂うような分別心はさらに持たな いが、わたしの心は「しない」静まりより「する」「しながら」の静かに添いやすい自覚が、思い込みにちかいモノをもっている気がしている。ま、そんなこと はどうでもいい、いまのままの毎日からどこかへ遁れ出るのでなく、いま・ここのありのままに「して」居ながら在りたいというのだ、それならそうすればいい だろう。いずれ「あのよ(生前)よりあのよ(死後)へかえるひとやすみ」の「いま・ここ(今生)」あるのみ。
2015 12/4 169
* 思い立ってというのではないが、かねて尤も読みたい本の一つと目して、しかもたじろいで来た「ヨブ記」を慎重に読みはじめている。
この、すさまじい物語は、なによりも神への「幸福主義」を痛烈に窘める。神頼みという言葉があるように、神を思う人間のほぼ一人残らずが、神からの御利 益や保護や愛をもとめて「神様」を愛している信じていると言っている。つまりは神様を自己の幸福や満足の保証人にしてしまっている。「ヨブ記」は、そんな 幸福主義の神観に対する徹底的な否定、拒絶の物語と思われる。吾が為の神など絶対に存在しない。だから神なのである。神はただ絶対に存在するのであり、人 の幸福のためになど存在しない。それでもよい、それでも神を信じ愛するというのでなければ。「ヨブ」は想像を絶する苦難・受難のなかで幸福主義を完璧に脱 ぎ捨てることて、神の愛を自覚する。
* テレビに、観光寺社の神官や坊さんがしきりに出て来て、うそくさい話をとくとくとしている。おおっと心線を鳴り響かせてくれる言葉をかれらから聴けた ことがない。お経はわざわざ長ーく長ーく言葉を延ばして読むことで仏様に近づけるのだなどと、実演してみせる坊主がまことに滑稽だった。幸福主義を脱した 信仰を説く、説ける宗教人に会えない。ま、会う必要などないのだ。
2015 12/9 169
* バグワンの講話を毎晩静かに聴いている、「一休」さんを通じて。
「ヨブ記」を読み、「八犬伝」の大団円ちかくを歩み続けている。
2015 12/13 169
* ぐったり疲れている。眼も疲れている。
そんな中で、バグワンの「一休」に聴いて聴いて、落ち着いている。心底、傾倒できる。また少しずつバグワンの声をここへ写したい。
2015 12/14 169
☆ バグワンから今しもわたしは聴いている。
理性(マインド)はちっぽけな人間現象だ。人は心(マインド)を超えることで、初めて何が在るかを理解し始める。
宗教は、寓話や詩や隠喩(メタファー)や神話で語ることを余儀なくされる。詩にはものごとをほのめかす間接的な道がある。詩の言語が今日自称詩人からで さえ消滅したために、人間は非常に貧しくなった。マインドはとても貧しい。現代の精神は、科学を目的として訓練されてきたために、宗教はほとんど時代遅れ のもの、過去のもの、または暴力をともなう狂信になってしまった。
科学は人間性を破壊する危機にすでに踏み入っている。科学は召使いとしては本当に役に立つが主人にはなれない。科学が主人になったふりをすると、危険だ。命取りになる。すでにそうなりかけている。
神が死んだのではない、あなたのほうが神に向かって死んでいるだけだ。神に向かって生きるとは、詩のなかへ入って行くこと、行けること、だ。それが、真 実への開口部、扉、入り口だ。この扉は、心(マインド)の世界と無心(ネーマインド)の世界とのあいだにある入り口だ。そして、心の世界を無心へと橋渡し するのは愛だ。愛を通してのみ生のオーガズミックな神秘を知るに至る。
* バグワンは根源から語ってくれる。縷々、そして端的に、詩的に、的確に聴かせてくれる。
2015 12/15 169
* ことばで説明するように筋を追って行く小説と 文章で人や事情を表現しつつ筋を運んで行く小説と。この歴然とした差異に少しも気付か ず、前者をおもしろいと、後者をむずかしい、おもしろくないと、仕分けてしまって一歩も前へ出られない読者が圧倒的に多い。そういう読者には、鴎外漱石 も、露伴も、藤村も、鏡花秋声も、直哉潤一郎も、康成由紀夫も、生涯無縁の作家である。
前者と後者の差異は、文章ひとつの精度に歴然と表れている。
そんな中でも漱石、龍之介、太宰はいくらかひろく今でも読まれていると思う。太宰治の小説をわたしは特には好まないが、一つはっきり感心しているのは、生涯に程度の悪い通俗読み物は書かなかったしむしろ書けなかったと思われる点である。
漱石も龍之介も太宰も、終生その文学的所業をとおして「こんな私でした」と懸命に真摯に言い続けていた作家に思われる。藤村も鏡花も直哉も潤一郎もそうだった。瀧井孝作先生もそうだった。
* わたしも永い読書人生で、通俗読み物にあえて手を出していたことがある。あえてとは特別の場合にという意味で、例えば汽車に乗るときはきまって源氏鶏 太のものを手に入れては退屈をしのいでいた。吉川英治のものも、そうだった。人気もあり著名でもあるが吉川英治の「宮本武蔵」でも「新平家物語」でも「親 鸞」でも、丁寧は丁寧なりにやはり「ことばで説明的に筋が追われ」ていた。文学の文藝を嬉しく楽しめたことはなかった。むしろわたしの「電子文藝館」や 「ペン電子文藝館」に選んで多く載せた今では忘れられている作家たちの埋もれた秀作や名作が懐かしい。江戸川乱歩のような読み物の代表作家にも初期には目 をみはる文学作品がいくつか遺っていた。
「文章」で文学は表現されている。「ことば」で読み物は説明されている。見分けるのは、簡単だ。終生の糧となる読書体験は後者からは得られない、それを 得たいならむしろいい飜訳者に恵まれた海外の読み物に向かえば良い。「モンテクリスト伯」「椿姫」「風とともに去りぬ」また「女王陛下のユリシーズ号」 「北壁の死闘」などなど。なまじ雑な日本語で説明されていないだけ、物語に豊かに、鋭くとけ込める。
日本語の表現ではつまらなく物足りなくても、外国語に飜訳されるとくさみや不十分が溶解されてかえって海外の人に筋だけで歓迎されるような日本文学も現に有るのではないか。
2015 12/20 169
☆ バグワンから今しもわたしは聴いている。
宗教的な人間は風変わりになるものだ、彼は多くの人とは違う現実の中に生き、しかもこの世界から逃げ出さない。彼は日常世界のなかを、非日常的に生きている。一休は、典型だ。彼は風変わりに自己を実現ししかもその自己を無に帰している。
生まれる前にあなたは自分の顔を持ってなかった。マインドという精神作用を持っていなかった。あなたは何にも同化していないまさに無私だった。今日只今 のあなたはどえか。うじゃうじゃと無数のあれこれに同化した怪物のように暮らしている。幾重にも襤褸を着込んで暮らしている。
あなたが身体でも心でもなかった生前の本来を思いだし自覚すること、それこそがあらゆる瞑想の、禅の、めざすところだ。回帰せよ、源へ。われわれは短い 此の人生で日々にボロを着重ねながら「ひとやすみ」「たちどまり、たちまよい」している。回帰せよ、源へ。「ことやすみ」は一瞬だ。死後にも終わりのない 時があなたのあとを引き継ぐ。
すべては去って行く。ひとりでに去って行く。何であろうと過ぎて行く、河の流れのように。
ほんらいもなきいにしへの我なれば
死にゆくかたも何もかもなし 一休
2015 12/21 169
* 「清経入水」の受賞原作を読んでいた。ほとんど誰もがこの作を知らない。受賞が決定した原作に、一夜かけて徹底的に推敲した作が「展望」八月号に「受 賞作」として出たのである。推敲は、編集部が、「しますか」「するなら、明日までに」と言われた。「します」と言った。「した」のである。
一世一代の「推敲」だった、それは改作というに等しい徹底した推敲だったのである。作は、断然良くなったとわたしも思い、選者の先生方も肯定してくだ さった。選考会議で選者満票で受賞した作は、私家版に入っていた原作だった。推敲前の原作だった。くらべて読まれれば、その歴然とした推敲前後作の違い に、読者は驚かれるだろう。「推敲」こそが「ちから」とわたしが言う根拠をわたしはあの「一夜」で得た。
2015 12/21 169
☆ バグワンから今しもわたしは聴いている。
生まれる前、私たちは非存在だった。そして死の後にもふたたびそうなる。仏陀はこの、無自己という観念、自己が無い、という洞察ににより宗教者として徹 底的に偉大だ。「私はいない」と知ることは、何をする必要も、何を所有する必要も、何を達せてする必要も無いと知ることだ。自己が無ければ欲や野心は障っ てこない。
自己が有れば野心が頭をもたげる。ブッダの仏教を除く他の宗教がすべて罠に落ちたのはこのためだ。その「罠」とは、この世のものを望まないように努力は するものの、あの世の、次の世のものを当然香のように望み始めるのだ。欲しがる対象が問題なのではない。後世への「神頼み」という信仰姿勢の「幸福主義」 が、あたりまえのように信仰者を捕らえ捉える。精神的な人をほど捉える。精神的な(スピリチュアル)人たちというのは欲が深いのだ。聖戦などと言い死後の 栄耀栄華を信じて闘う幸福主義、精神の物質主義は幻想がさせる欲望に過ぎないと仏陀は洞察している。生前に自己がなかったように死後にも自己など存在しな い。無惨にも仏教徒の大多数も死後の幸福欲に溺れている。
仏陀は見極めていた。「私は(生前)存在しなかったし、これから(死後)も存在することはない。そうだとしたら、その二つの無のあいだ(今生)に、いかに私(自己)が在りえよう。」
仏陀は言う、「ものを捨てるのではなく、自分の自己・自我を捨てなさい、そうすれば物への欲は自然に離れて行くし死後を煩うこともないと。
他の宗教は、「所有物」を放棄せよと言ってきた。仏陀は、「所有者」という自己を放棄せよと言う。「物」は所詮捨てられない、捨てても捨てても捨てて も、欲を捨て続けても、いつも在る。どう遁世しようとヒマラヤの奥へ逃亡しようと「物」はついてまわる。捨てうるのは物と生きている「我・自己」だけなの だ。現世に生きて自己を捨てよ、世間を捨てることはない、所有物よりも所有者を捨てるのだ、世間をではない、我執の我・自己を捨てるのだと。根を断てよ と。
本来もなきいにしへの我なれば
死にゆくかたも何もんも無し 一休
2015 12/22 169
☆ バグワンから今しもわたしは聴いている。
nothing とは no thing at all という意味だ。「無」とは nothing のことだ。仏陀は言う、おまえは、自分が人間だという夢を見ている、が、おまえの内側には誰もいない―― そこにあるのは純粋な静寂だ。この静寂がサマーディ・三昧だ。この静寂を垣間見始めたらおまえの生は変い「わり始める、死がおまえを脅かすことはない。禅 定とはそういう境地に在ることだ。禅は聖も俗も信じない、無い。何も無い。鏡だ。純粋な状態にある者は、完全な鏡なのだ。来るものは映し去るものは去らせ る。問われたら答え、腹が減れば喰い、疲れれば眠る。心の内には何もない、ニルヴァーナ・涅槃。光明を得た人・鏡になりきった人には既製の答えは無い。固 定観念がない。鏡のように待つだけだ、そこへお前は着て、自分の顔を見る。鏡は無数に変わるが、まったく変わらない。すべての観念を消しなさい。光明(悟 り)という観念も。時々刻々に持ち歩いている「解答」をすべて落としなさい。沈黙。すると静寂・無の奥から答えが聞こえてくる。
他の宗教はその「無」を 「神」と呼ぶ。一度神ということばを使うと人はそれに愛着し執着し、ただただ幸福の授与を神に求め始める。神が観念に化しはじめ。人間に似ているなどと言い出す。名を付けて呼びだす。そして神と神とを闘わせ始める。
仏陀は「無」を洞察する。「無が神」だと見抜いている。
2015 12/23 169
* 黒いマゴの輸液もし終えた。今日は、原作「清経入水」を三分のにまで読み、これから床に就いて湖の本128を責了へと追い読みしてゆく。バグワンも読 み、八犬伝も読み、「ヨブ記」も読む。小倉ざれ歌百首も詠み、送られてきた興味津々の秦 恒平論も熟読して行く。落ち着いた良い歳末を過ごしている。今日も一日、かお吏さんにもらったのをショールに用いて心温かかった。
2015 12/23 169
☆ 漢書に曰ふ
百里奚ハ食ヲ道路ニ乞ヒシカドモ、
穆公 之ニ委ヌルニ政ヲ以テス。
寗戚子ハ牛ヲ車ノ下ニ飼ヒシカドモ、
桓公 之ニ任スルニ國ヲ以テス。
* 百里奚(ひゃくりけい)も寗戚子(ねいせきし)も賢人。ともに見出されて国政を委任された。寗戚子が外出する桓公の門外に停泊していて邪魔にされたおりに「南山燦々 白石爛々」等々歌い掛けた歌もおもしろい。
よき人が見出され、よき人を見出す眼がある幸せを、いま、我が国は所有しているか。「和漢朗詠集」をふと開いて上の詩句に出逢った。こういう嬉しさに、この本は満ちあふれている。
2015 12/24 169
☆ バグワンに聴く。
心には、「ふたつ」在ると思うが良い。ひとつは、大きな、宇宙的な、全体そのもの存在そのものに満ちわたっている意識。ブッダが「無」といい、また澄み 渡って動じない鏡のような「空(くう)」とよんでいる「永遠」がそれだ、「大きな心」だ。「神」と名付けてもかまわない。
もう一つの心は、人がつねに囚われ惑わされ引き摺られながらも頼みがちな「分別=mind」だ。
あれとこれとそれと、どれがいいかと分別し選択しながら随従してしまっている日常的な「小さな心」だ、人はもっぱらこれを指針として、しばしば惑乱し混乱してしまう。
われわれの小さな心は、大いなる永遠の無・空・意識の「かげ」に過ぎない。鏡のような満月を地上にある無数の湖は、海も河も池も水たまりも、それを映 す。月(大きな心)は一つ、かげ(小さなマインド・分別)は無数にある。人の小さな心には始まりも終わりもある。大きな心に始まりも終わりもない。
はじめなくをはりもなきにわがこころ
うまれ死するも空の空なり 一休
* 和漢朗詠集から拾った詩句
烟 門外に消えて青山近く
露 窓前に重くして緑竹低し
唐人の詩、「晴」と題されてある。京都に暮らした風雅の人たちには身に沁みて愛唱されたろう。
風雲は人の前に向ひて暮れ易く
歳月は老いの底より還り難し
和人の詩、「歳暮」と題されている。
おもひかねいもがりゆけば冬の夜の
河風寒みちどり鳴くなり 紀貫之
古今和歌集の中でも一二に好きな歌。鴨川の京都がぱあっと目に浮かび肌に迫ってくる。
もうどうにも分別つかずに愛する人のもとへ歩みを運ぶ
「冬の夜」
河風のあまりな冷たさ寒さに千鳥たちも鳴いているよ、と。
* そこに和尚バグワンの声が聴け、ここに古人の詩歌によせた思いが酌める。幸せであり豊かである。世情政情の現況は、健康をはなはだ損じ、その顔は醜く歪んでいる。末世。
* 独和辞書の表紙がポロボロに剥がれてきたのをガムテープで補修した。英和辞典も新潮国語辞典も補修してあり、今朝も手にした國漢文叢書第四輯「和漢朗 詠集註」上下巻の背にもガムテープが張ってある。それだけ、何十年も愛玩し使用してきたわけ。無数にそんな本が多く目に付く家のあちこちで。
* 高木冨子の詩集『優しい濾過』は身近に置いて、いつも、とめどなく愛唱に堪える美しい詩編の精選である。わたしは、それを、秘めた珠のように、此処へも書いたことがない。ちからづよく踏み込んだ新しい第二詩集が心待ちに待たれる。
☆ 今年も間もなく終わります。
いつものようにお忙しくなさっていますか。どうぞご健康にご留意ください。私も「お医者詣で」などと洒落のめしつつ、眼科、整形外科、内科、泌尿器科、歯科など、さすがに運ぶ脚は重くなりました。この年末、右往左往からやっと一時的に解放されたところです。
ところで、今年も甲州の枯露柿を楽しんでいただこうと思いましたのに、いつもお願いしている方へお願いを致しましたところ、今年は思いがけぬことに、熟成途中で全部廃棄しなければならなくなったとのことでした。
高温、過湿、例年にない気候の所為だと思います。家族で皮を剥いた折角のもの、全部残らず穴を掘って埋めたとのこと。こんな悲しいことがあるかと、家族 同然の牛を埋める酪農家の事も思いました。そのような訳で今年はお送り出来なくなりました。私の方こそ楽しみにしていたのです。お詫びします。
先月の二十八日に藤村学会の関東地区例会(年二回開いています)があって、今度の本について語れというので、書いた時の気持ちだけでもとお話して来ました。それだけの事ですのに、用意をするだけで疲れました。それでも責任は果たせました。
若い方から、「テーヌにとって近代とはどういうものなのか」とか、「テーヌのほかのフランスの人はシェイクスピアをどう思ったのだろうか」などの質問 や、比較文学をやっている若い女性から、「十九世紀では心理学は魂の学問と言われていた。テーヌもそうなのではないか」などの感想も頂き、テーヌ学者では ない私には十分答えることはできませんでしたが、いくらかはお役に立ったかと思いました。
来年の学会は小諸で行われるようです。
何度も尋ねた土地でもあり、途中の磯部も、大手拓次の故郷をもう一度訪ねてみたいのですが、残念ながら無理になるでしょう。佐藤春夫の「佐久の草笛抄」 の一節が浮かんだりします。甲州の峠から眼下に広がった五月の佐久、まだ馬を曳く農家の人が歩いていた古い佐久往還、小諸そして八ヶ岳山麓の佐久は私が一 人の旅を始めたところです。野辺山や清里辺り、ほとんど人に会わない、寂しい光景が浮かびます。
寒くなつてまいります。
おからだを大切に、よい御年をお迎えください。
日吉の慶応大学校舎の銀杏もすっかり葉を落としました。近隣にある何本もの欅の落葉も終わりました。風に翻り、降り注ぎ流れ落ちる葉の光景は見事なもの でした。近辺では今年は地蔵尊や神社の古木の手入れで職人が何十メートルものクレーンを使って枝をはらっていました。それもまた見
惚れるような光景です。
これから気を張つて最後の仕事を敦します。
どうぞ奥様にもよろしくお伝えください。
十二月二十六日 横浜 宮下 襄 藤村研究家
* こういうお便りにわたしは美術の逸品を眺めるのとおなじ嬉しさを覚える。『テーヌ』は力のこもったとても誠実な力作だった。
宮下さんには、どうか詩ももっともっと読ませて頂きたい。お元気でありますように、老境を一緒に頑張りましょう。
2015 12/27 169
* グノーの歌劇「フアウスト」三幕を聴きながら、村上華岳を語った講演録を読み返していた。歌劇の言葉は分からないが繰り返し原作は読んできたので察し は十分利いて聴いていて受け容れに困難はない。その一方で、華岳の画境がなぜ私を魅惑し牽引し続けたのか、その答えは今にして比較的簡明に現れて出るのに 頷いている。かれもた「母」を探ねていた。
2015 12/28 169
* 就寝前に、「平宗盛」の生涯を、みっちり、詳細に復習した。疲れて、眼、もうまったく見えず。
2015 12/28 169
☆ バグワンに聴く。
善をなすにつけ、悪をなすにつけ、おまえは行為者かの幻想で彷徨うている。何も善でないし何も悪でない。非凡な宗教は、行為者である根の思いを無に成せ と教える。行為者という我執の根も思いも無にせよと。人の行為は夢に過ぎない。目覚めると、悟ると、ただもう笑ってしまう。善人も悪人もみな夢を見ている のだ。と、分かると、例外なく人は笑い出す。笑っちゃう。目が覚めること。ゆめから覚めること。みんな夢だったと笑ってしまい笑いが止まらない、それが悟 りだ、光明だ。そう指さすのが宗教だ。
2015 12/29 169
☆ バグワンに聴く。
善をなすにつけ、悪をなすにつけ、おまえは行為者かの幻想で彷徨うている。何も善でないし何も悪でない。非凡な宗教は、行為者である根の思いを無に成せ と教える。行為者という我執の根も思いも無にせよと。人の行為は夢に過ぎない。目覚めると、悟ると、ただもう笑ってしまう。善人も悪人もみな夢を見ている のだ。と、分かると、例外なく人は笑い出す。笑っちゃう。目が覚めること。ゆめから覚めること。みんな夢だったと笑ってしまい笑いが止まらない、それが悟 りだ、光明だ。そう指さすのが宗教だ。
2015 12/29 169
* 「ヨブ記」を神による弁論まで聴いて来て、三人の友や、ヨブ自身や、エリフの弁論のなにもかもを圧倒的に押し流してしまう「ちから=威」に、思わず全身を堅くした。こりゃ敵わんと思った。
もっとも、わたしはかかる全能の「人格神」を実感は出来ない。在りとしても神は能力威力ではあるまい。弁論はしないけれど。
2015 12/29 169
* 最高の義人であったヨブは神のはからいで、信じられぬもの凄い「苦痛」「逆境」に息絶え絶えに喘ぎながら、神に向き合おうと、ついには反抗的な非難を すら投げかえす。三人の友がいてそれぞれにヨブに語りかけ、ヨブは承伏しない。三人の友をも批判しヨブをも批判してわかいエリフも語りかつ非難する。ヨブ は諾かず、なお自身の神に向かう義しさを主張し神への不満を神さながらに口にし続ける。
神が、語り始め、ヨブも答える。神の弁論は長いが、
☆ ヤハウェ(神)は暴風の中からヨブに答えて言われた。
この無知の言葉をもって
経綸(はかりごと)を暗くする者は誰か。
君は男らしく腰に帯せよ、
わたしが君にきくから、わたしに答えよ。
地の基いをわたしがすえたとき君は何処にいたか。
語れ、もし君がそんなに利巧なら。
誰が地の量り方をきめたのか、――君が知っているのなら。
誰が地の上に量りなわをはったのか。
何の上に地の土台がすえられ、
誰がその隅の首(おや)石を置いたのか、
朝(あした)の星がともに喜び歌い
神の子たちがみな喜びよばわったとき。
海がその胎からほとばしり出たとき
誰が扉をもってそれを閉じこめたか、
わたLが雲をその衣とし
暗闇をその襁褓(むつき)とLたとき。
わたしがその上に境をもうけ
門と扉とを打ち破ったとき
「ここまではお前は来てもよい、それ以上は駄目、
お前の波の高ぶりはここで砕かれる」とわたしは言った。
君は生まれてからこの方朝に命じ
曙にその場所を知らせたことがあるか、
地のへりをとらえ
罪人をそこから振り落とすために。
地は封印の粘土のように変わり、
衣のように色に染まる。
悪人からその光は奪われ
高くあげられた腕は折られる。
君は海の源に入ったことがあるか、
深淵の深き所を歩いたことがあるか。
死の門は君に開かれたか、
暗き門を見たことがあるか。
地のひろがりを君は見きわめたか、
その広さを知っているならば告げよ。
* こんなふうに神は延々と語る。読みながら聴きながら、わたしは「フェー」っと呻いていた、これはヨブといえども、ドモナラン。全知全能の造物主として 森羅万象の根源から「君は知っているのか」「見たか」「いたか」と問われていかに神にも同じい義に生きてきたと主張するヨブの神へのすり寄りは完膚無きま で砕かれる。
ともあれ、聖書世界は、あえて想像すれば旧約聖書世界は、「このような神」の君臨を全肯定して信仰している、乃至はしなければならないのだろう。
わたしはまだ神の弁論の一回目しか知らない。まだかなり長く神は語り続ける。
* 先日「炭」さんの長いメールの中に、こうもあった、「 元々カトリックは男女間の陶酔的な性を尊重しない傾向のある宗教と私は感じてきました。浅い理解ですが、神の望む愛に生きるためには俗世的な人間の幸福な どあり得ない、必要もないという宗教ではないかと。
「ヨブ記」のハッピーエンドは後世に書き換えられているものだそうで、原典ではヨブが神に見棄てられた まま野たれ死ぬことになっているそうです。この原典は現在の「ヨブ記」よりさらに素晴らしいカトリック的信仰の告白に思えます」と。わたしには関連の知識が無い、あまりに乏しい。
ただこういう感じは持っている、なべて宗派的な信仰には、奇妙に凝り固まった「立場」「建前」が豪奢に強ばった衣裳のように纏わり付いていて、それは信 仰のための逃げ場(アジール)になっているようだと。カトリックの性への姿勢にもそれが立場、建前という隠れ場・秘所となっていて、最後にはそこへ逃げ込 むけれど、そのぶん、偽善や虚偽の逆に肯定や是認とも安易にくっつきやすいと。どこかに無理と不自然とは無いのだろうかと。プロテスタントはそこに生まれ たのではないのかと。
わたしには分からない、強弁の資格はない。
ただ、こんな唖然とした思いに落ちた記憶がある。或るカトリック信者の作家と話し合ったときに信仰上の微妙に触れたときもその人が「われわれカトリック の立場では」と口にされ、思わずわたしは、あなたは「立場」で信仰されているのですねと確かめた。宗旨・宗派・宗門をわたしが遠ざけて寄らないのは、立 場・建前でするような信仰の不明な混濁を厭わしいと感じてきたからだ。「ヨブ記」はまだ読み得ていない。
それにつけても、このわたしが、懐かしく慕わしいほどに文藝・藝術としてまた読みたいと思い出しているのが、あの世界史的な詩の大作で名作である『失楽園』だということ。
☆ そして、バグワンに聴く。バグワンには宗門・宗派の偏りがない。だからイエスも愛されており、老子も、ブッダも、達磨も一休も、般若心経も 十牛図も真摯に敬愛され深く彫り込んでその根底から語られ説かれている。バグワンにしがみつく必要は少しもない、聴いてわたしがさらに受け容れさせに実感 すればよい。教えられ、示唆されてきた真実は深遠である。
2015 12/31 169
* 長い長い時間を掛けて丹念に読み継いできた高田衛さんの『八犬伝の世界』(ちくま文庫)を今日、ついに読み上げた。読みにくかったのではない、八犬伝 十巻の再読にこそ時間が掛かり、その進行に添うように高田さんの論考や案内に身を委ねていたので、本編の読了にはもうひとつきほど掛かるかも知れない。有 益な読書を楽しみ、高田本は紅い傍線で燃え上がりそうである。
* も一つ、選集第十三巻に予定して既に再校ゲラを読んでいるもアタマの作『迷走 課長たちの第春闘・三部作』をきっちり、今日大晦日に読み上げた。往年 の体験をつぶさにありのままに思い起こして、まことに複雑な感慨に心身が揺れた。いまでも企業には労使があり向き合って交渉を持っているだろうが、この作 が三部に繰り広げた激越な闘争は、もはや跡を絶っているのかも知れない、が、いつかまた繰り返すのか、もう根絶されてしまうか、今日と未来とへ呈するのと てつもない記録がここに成り立っている。おもしろいといえば、「現代」を証言してこんなおもしろい記録はそうそう無いだろうと思っている。まぎれもなく私 自身の身を置いて心身をすりへらした世界が、生々しいまで露わに冷酷に書きとめられている。作家・秦 恒平は『みごもりの湖』や『慈子』の世界にだけ住んではいられなかったのである。
2015 12/31 169