ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2017年

 

*  さ、十時。機械から離れて、今度は、選集のための「口絵」つきものの用意や、楽しみの読書へ。「リチャード三世」源氏物語「藤袴」巻、そして配流の大島 をのがれ、四国讃岐の崇徳院の奥津城からついにまた九州へ赴かんとする鎮西八郎為朝の物語。面白いです。
2017 1/3 182

* 小倉遊亀のりっぱな梅の繪(凸版印刷恵与の大カレンダーの表紙)でこの部屋を飾った。
小倉遊亀との触れあいは久しい。「画家」という存在にはっきり意識して向きあった最初の画家であって、わたしが中学生の頃、毎日新聞朝刊連載の谷崎潤一 郎作『少将滋幹の母』の挿絵を担当していた。わたしが谷崎に出逢った最初の感動作であり、毎朝に新聞を見て、読んで、うんと頷いてから学校へ向かってい た。小説も挿絵も、好きであった。岩波文庫☆一つの『吉野葛 蘆刈』に感動し、さらに『細雪』を一冊本ではじめて読んだのは、そのあとであったろう。その 頃にはもう与謝野晶子訳の『源氏物語』を伯母の社中から借り続け耽読していた。
2017 1/4 182

* 気が付くと、妻のほか人間と話していない。それも妻がおおかた独りで喋っている。わたしはおおかた聞いている。
かわりに、墓のネコたちや、手洗いのライオン太郎、次郎、小次郎や、犬のヘンリー、猫のモーリーや、また横綱白鵬と日馬富士の写真たちへ、ひっきりなし無邪気なほど優しく朗らかに話しかけている。囃し舞ってくれるお獅子人形と一緒になって玄関でわたしも舞ってやると、「秦 恒平さん江」とサイン入りの「靖子」の澄ました顔写真が笑ってくれる。
書斎には谷崎先生夫妻の写真がある。仰いて頭を下げる。部屋中のいろんな繪や写真たちへ話しかけている。
リアルな暮らしに疲れ、とかく、絵空事の世界へ独り這入って行く。支那の或る古代人のように、そういう「部屋」をわたしは持っている。書籍もまたそう「部屋」に類している。しかし作によってはよけい気鬱になる。「リチャード三世」も「椿説弓張月」も、重い。
光源氏は玉鬘を髭黒大将にうばわれ、紫上を息子の夕霧に見られ…。「螢」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」藤袴」そしていましも少女「真木柱」が泣いている。源氏物語世界に音もなくものの影が降りてくる。

* 自殺した兄恒彦に、生きていて欲しかったなとしみじみ思う。
2017 1/6 182

☆ 無門慧開(1183-1260)『無門關』の自序に聴く
仏たちの説く清浄な心こそを要とし、入るべき門の無いのを法門とするのである。
さて、入るべき門がないとすれは、そこをいかにして透過すべきであるか。
「門を通って入ってきたようなものは家の宝とはいえないし、縁によって出来たものは始めと終りがあって、成ったり壊れたりする」というではないか。
私がここに集めた仏祖の話にしても、風も無いのに波を起こしたり、綺麗な肌にわざわざ瘡を抉るようなもの、まして言葉尻に乗って何かを会得しようとする ことなど、もってのほか。棒を振り回して空の月を打とうとしたり、靴の上から痒みを掻くようなことで、どうして真実なるものと交わることができよう。
もし本気で禅と取り組もうと決意した者ならば、身命を惜しむことなく、ずばりこの門に飛び込んでくることであろう。その時は三面八臂の那吒のような大力鬼王でさえ彼を遮ることはできまい。インド二十八代の仏祖や中国六代の禅宗祖師でさえ、その勢いにかかっては命乞いをするばかりだ。しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇するならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きの
あいだに真実はすれ違い去ってしまうであろう。

* 無門法門の透過、わたしは、しない。
2017 1/6 182

* 今日の夕刻、沙翁大作の英国劇「リチャード三世」を読み終えた。ローマ劇「タイタス・アンドロニカス」に次いで、「凄い」と謂うしかなく、腹にこたえ た。「じゃじゃ馬ならし」「夏の夜の夢」「お気に召すまま」などを棚に上げ、福田恆存訳で歴史劇「ヘンリー四世」や「リチャード二世」を追っかけ読み継ぎ たい。楽しみ。戯曲がこう面白く読めるとは。福田さんの有り難い遺産である。
2017 1/7 182

* 若い人たちが大勢で書いた『谷崎潤一郎読本』が送られてきている。大方、息子か、中には孫世代かと思うほど若い筆者も。「研究者」という人たちだ。彼らの仕事は「オリジナリティ」の開華であって欲しい、先人の涎を嘗めているばかりでは「研究」も侘びしすぎる。
「オリジナリティ」の目星は、大きく、その論攷・論文の執筆され発表された「年次」にある。おなじ事を述べていても「初発・初出」の論攷より「後出し」で は「オリジナル」とは謂えない。研究者・学者らの学問研究がなまぬるい祖述・追随にばかり止まらないのを、わたしは願う。
2017 1/8 182

* 気が付くとシャツの袖をたくし上げている。それでいてかぜ気味にぐずついている。熱があるのか。
源氏物語の「真木柱」は髭黒大将のうろうろが面白い。どうして彼はめざす玉鬘を手に入れてしまったのか、わたしも、妙に「やられた」なという気がしてい る。帝、光源氏、内大臣(玉鬘の父)、兵部卿宮、そして式部卿宮(髭黒正室の父宮、紫上の父宮)らの思惑がからみあい、願わぬ髭黒の妻になってしまった玉 鬘は、帝にも源氏にも螢兵部卿宮にもいまさらに心惹かれて心行かぬ日々を迎える。源氏と帝は実は父子の間柄にあり、内大臣と髭黒大将とは手を組んで行きた い藤原氏である。ここにも、源・藤意趣の競合がみえているのだ。源氏物語は、光源氏と頭中将(内大臣)との久しい親愛と葛藤の歴史を子孫の代まで執拗に 追って行く物語でもある。
2017 1/10 182

* 仕事のはかどる一日一日が続いてくれて有り難い。
それにしても、こうもよろけやすいのは何故か。自転車には脚力のほかは運転に何の不安も師匠もないが、杖無しで家の中を上へ下へ上がり降りの間にも、とかく、よろっとする。老いらくのよろめきか、シャレにもならん。
十一時、もう階下へ。沙翁劇「リチャード二世」を読み終えたい。「椿説弓張月」は岩波文庫の組も刷りもお粗末で読みづらい。そして例の馬琴のペダンチッ クが度を過ぎに過ぎると、堪らなく渋滞する。せっかく興趣に富んで面白い話材をなんでこうするかと腹が立つ、が、しこしこと読んでいる。惹かれるに足る何 かがある。
そこへ行くと源氏物語は、おみごと。「梅枝」の巻を愉しんでいる。もうすぐ「藤の裏葉」へ来ると、夕霧・雲居の雁の幼な恋が実を結ぶ。夕霧くんは好き、 薫の父親になる柏木君は好きでない。今度の読みでしかと気づいたが、柏木にむかい語り手達はことあるつどまゆを顰めていたのがよく読み取れた。かわいそう な夭折にも相応の不徳は纏わり付いていたのだ。それとなくしかも確かによく書かれてあって、感嘆する。
2017 1/14 182

* 湯に入れと言われている。湯につかるとラクになるという以上にたいがい疲れる。長湯して読んだりするからだが、読むのはイヤでない。湯気と温度とに負 けない、負けてもいい本を持ち込む。わたしを読んで下さいと出を待っている本があまりに多すぎる。二階窓際わ靖子ロードの文庫用書架三つに親書も含め何百 冊もあり、もう処分しようと手にとって数十に一冊も捨てられはしない。機会さえうればまた読みたいのだ、歴史も古典も宗教も科学も世界も、事典さえも。処 分なんて! と、ワケ分からず喚きたくなる。高校生の秀才君で、誰でもいい、貰ってくれないかなあ。
2017 1/15 182

* 夜前、沙翁の「リチャード二世」を読み終えた。愚かしくも夢見るように人の善い国王が従弟の次なる王ヘンリー四世に殺されていた。次いで「ヘンリー四世」を読みはじめている。悪い夢のような英国王室の欲深くもおろかな葛藤劇である。
2017 1/17 182

* 本の山のしたから一冊『日本人の心情 美と酬の感受性』を見つけた。芸術生活社の本じゃないかオヤオヤと、目次をも見 るといきなりの一等先に「消えたかタケル」秦 恒平と出ていて驚いた。「”建”を喪った日本民族の底に連綿と脈打つ負の心情」と編集部が添えている。十九人の文章を並べていて目次最初の頁だけ見ても、 筆頭のわたしに続いて、奈良本辰也、吉田知子、笠原伸夫、松永伍一、谷川健一と続いている。奈良本先生を随えていたとは畏れ多い。そういえば、祇園「梅 鉢」の止まり木にならんでよくお話しを聴いたなあと懐かしい。
上の「消えたかタケル」は太宰賞受賞直後に雑誌「芸術生活」の依頼で書いた作家ほやほやの時期の一文だが、文中に「日本俗情史」こそ必要なものと強調し ていたのを覚えているし、「芸術生活社」もヤケに共感してくれて「書け書け」とすすめられたが、新米作家がそんな方面へ脱線はおろか小説を書けと筑摩にも 新潮にも絞られていた。わたしが書きそうにないので、芸術生活社は上のような編輯本を企画したらしい、しかも新米作家の一文を巻頭に置いてくれていた。今 させに首をすくめる心地である。
とはいえ、「消えたかタケル」という問題提起は大事であって、わたしのその後の厖大な批評や論攷の仕事のさな゛ら原点を実は成していたと思う。「湖の本 エッセイ」のごく早い巻に入れていたと思う。ちなみにこの本最後の締めくくりは尾崎一雄さんが書かれていて、ホオッと畏れ多いのである。大方の先達が、も う亡くなられていて感慨深い。戸井田道三、楠本憲吉、山本健吉、高橋義孝、暉峻康隆、武智鉄二、三宅藤九郎、山本太郎、秦秀雄、坂東三津五郎、壇一雄と並 べば、わが駆け出しの頃のすべて著名人。なら、これはまさしく露払い役をそせてもらっていたということ。ほっと肩の荷がおりた。
芸術生活社からは立派な造本で『廬山』を出して貰ったが、あの会社は今もあるのかなあ。
2017 1/17 182

* 湯に漬かってわたしの「夢の浮橋」論を読み返し、また源氏物語「梅枝」巻を読み上げた。『源氏物語』だけは、世界文学のどの時代へもっていっても、どんな名作と並べても、ビクともヒケをとらない。読み物としてでなく、文学表現としての底力なのだ。
2017 1/19 182

* まったく手も足も出ないのが、『無門關』です、そのこと自体が胸に落ちて、可笑しく面白くて「四十八則」をひとまずただ通読している。思案に及ばない。ハ ハハと笑って思案などしなくていい気もしている。しかしこの本、手の届くいちばん近いところに置いておきたい。生意気に反っくり返りかけたら此の『無門 關』の上に手を置きたい。
2017 1/23 182

* 入浴して校正は避け、温まりながら源氏物語「藤の裏葉」巻、幼くより久しい夕霧・雲居の雁のもろ恋が晴れて少女の父内大臣(むかしの頭中将)の許しを 得て満たされる。物語前半の心嬉しく忘れがたい一帖である。正直ところ「藤の裏葉」あたりが物語の光り輝く頂上で、つぎの「若菜」上下巻からはうらさびし い影が物語り世界に落ち始める。それぞれに生母をうしない、お互いの祖母をもうしなった従兄妹士の夕霧で雲居の雁である。わたしは昔からこの二人を贔屓し てきた。
源氏物語のあと、『椿説弓張月』まさしく強弓鎮西八郎の物語を読み継いだ。「文学」の香気と美しさにおいて馬琴は紫式部よりははなはだ下品にみえてしま う講釈師まがいであるが、おはなしを作り出すうえでは大きな才能である、が、物識りの横道がむやみと煩雑で、面白いと読んでいると渋滞してくる。馬琴の品 のないわるいクセである。

* あすは一番の寒さとか。雪にならないように願う。
2017 1/23 182

* 明石の姫君が東宮妃に入り、うしろ見の体に生母明石上がつくことになった。久しくかけ離れて過ごしてきた実の母子の再会である。この場面も懐かしい。
「弓張月」の琉球王宮の大混乱もようやくカタが付いて行きそうな按配だが、文庫で三冊のまだ二冊めの後半を読んでいる。馬琴調も大車輪だが、ただ喧しくて小五月 蠅い叙事が続いた。
もう先日来、笠間書院が呉れた中世物語の一篇『小笠原物語』を読み進んでいる。平安物語の手法や場面に遠慮無く学びまた模しながら、どうやらあの玉鬘の 生い立ちを想わせた姫君の物語になりそうである、まだしかとは分からないが。読みやすい行文であるが妙趣には遠い。概して説明的な叙述である。
沙翁の『ヘンリー四世』にはフォルスタッフという異色の登場がある。題になっている国王は体、先に読んだ「リチャード二世」の王位を奪った人物。その王 子がさきのフォルスタッフらと活躍しそうだがまだそこまで届いていない。英国王家の血なまぐさくて陰謀や叛逆のはてしないい複雑怪奇は驚くばかり。
2017 1/25 182

* 夜前就寝前に珈琲を二杯喫んだ上に。床についてから「藤の裏葉」巻、「ヘンリー四世」、「蘆刈」論、「弓張月」、「小笠原物語」、「和泉式部日記」を二冊 読み、新しい小説の構図を考え考えていてまったく眠れなくなり、眠れずじまいに朝になった。朝一番に「蘆刈」論を読み終えた。
2017 1/27 182

* 沙翁劇「ヘンリー四世」を面白く読み終えた。次は、「ジュリアス・シーザー」そして「アントニーとクレオパトラ」を読み、さらに「ハムレット」などの四大悲劇を読もうと目がけている。

* 白人君臨主義のトランプと領袖また支持者達の勝手な咆吼を聴くにつけ、「白人」というのはもともと残忍な人種であったのだと、沙翁の歴史劇からも理解できて、複雑な迷惑感を覚えてしまう。
日本の百二十五代の天皇で、はっきり「殺された」と云いきれるのは、海歿した安徳幼帝を強いて含めて、他に身内に殺された只一人しかいない。島流しに 遭って死んだのが四人、都を平城や吉野へ離れて死んだ天皇、薬殺されたかと疑われた天皇もいはいるが、皇位を争い何かというと倫敦塔へ投げ込んでは陰惨に 殺していた英国皇室史のような乱暴は、少なくも日本には無い、ないし極めて少ない。臣下として皇位をなみしたような蘇我氏や僧道鏡でも、源平北条足利また 織田豊臣徳川でも、皇室には露わには手をかけなかった。天皇同士で戦をしたのは保元の乱の崇徳・後白河だけで、南北朝の頃でも天皇同士が戦陣で戦闘したの ではなかった。
ま、中国でも朝鮮半島でも革命思想を負うた王位王権の熾烈で凄惨な抗争はあったけれど、白人世界史での王権争奪戦は、神の名においてはるかに欲深く陰険で血なまぐさかった。
トランプは、おそらくヒットラーの支配を暗に継ぎたいのではと猜されるが、それにしては知恵も人格も気品にも欠けた行儀の悪い、完成でも知性でも劣りすぎた大統領をアメリカ人は選択してしまったなと。わがこととしても甚だ憂わしい。
2017 1/27 182

* 沙翁の『ジュリアス・シーザー』が凄みの戯曲で、ぐいぐい惹き込まれる。シーザー自身の著作である題がふと出てこないが探検探訪かつ戦闘的な本をかつ て読んでいる。ローマの歴史や神話にも興味があり、マルクス・アウレリウスの箴言集も読み、辻さんの『背教者ユリアヌス』も読んでいるのに、幸四郎が演じ たシーザーも観ているのに、しかも沙翁劇のシーザーは知らなかった。ぐいぐいと核心へ踏み込んで行く。ブルータスやキャシアスらが主役なのだ、開幕から。 福田恆存さん訳の全集の重いこと、手がしびれ、字の小ささに目もくらむのだが、読まされている。毎夜読み継ぐのが楽しみだ。

* 源氏物語は「若菜上」巻、世を寂びしみ出家した先帝朱雀院から、光源氏は院が心残りの愛姫女三宮の後ろ見を強いられる。つまりは源氏の正妻として降嫁 する、紫上がある六条の院へ。ここから源氏の晩年へくらい陰が落ちてくる。わたしは、だいたい、「藤の裏葉」で夕霧・雲居の雁がおさない昔からの恋を満た すまでで源氏物語は楽しみ尽くしてしまうのだ。あとは、うら悲しいのだ、「御法」「雲隠」を経て宇治十帖「夢の浮橋」までが胸を痛ませるのだ。しかもそれ ら物語後半をふくめて稀有の傑作名作であり、やめられない。

* 源氏に比べると中世の『石清水物語』は、物語の運びがたどたどしい。たどたどしいなりに物語はさすがに平安期の物語とは異なった展開をみせるのが嬉しいが、胸を打ってくるちからはない。溯って源氏物語に継ぐあの『夜の寝覚』などが懐かしくなる。

* 『椿説弓張月』 馬琴の{為朝」物語は、もう、出任せにつくりたて放題の低俗な稗史にすぎない。
近世ではやはり秋成、溯ってやはり西鶴の『好色一代男』「好色一代女』などが圧倒的に優れている。

* どうにもこうにもならないが、『無門關』を、恭しく四十八則いまはただただ通読している。手放さない。バグワンも読んでいる。
2017 2/1 183

* 朝から、もう三時近くまで、たぶん百五十枚まででおさまりそうな小説(仕掛かりの長編とは別作
)に取っ掛かっていて、面白くなってきた。いちばん機嫌のいい折りである。しかし何より眼精疲労は甚だしく目薬をつかい、濡れた綿をつかい、眼鏡をうるさいほど取り換えて、とどのつまり機械の前でお手上げになり休息する。
休息にはそのへんの本へ無差別に手を出すのだから、やはり目はつかってしまう。音楽がいちばんいいのだが。
で、さっきから寺に触れ手に取っていたのが、金版捺し表紙の字も絵もくすんだ漢詩集で。なになに、越山芳川伯爵題詩 清国公使胡大臣題詩の志士必誦 袖珍版「宋 謝畳山 輯」の『千家詩選』で、「日本 四宮憲章 訓」とある。秦の祖父旧蔵の遺品だ。
ちなみに奥付をみると明治四十一年十二月二十五日に東京神田の光風楼書房から初版出版、翌年三月十八日には訂正四版が出て、「定価金五拾銭」百五十頁にやや満たない。
こういう本は、表紙をめくってから目次へ辿り着くまでに盛んに偉い人たちの題詩や揮毫や緒言が十人近く居並ぶ。清国との友好だか交流だか親善の高まって いた時期とみえ、日清一如のていを成していて、しかし、ありがたいことに宋の謝畳山輯に背かず精選編輯された詩はすべて漢詩、和製漢詩は含んでいない。 「志士必誦」の志士に拘泥しなくていいようだ。
巻頭に宋の程明堂「春日偶成」と風雅の作である。

雲淡風軽近午天   雲淡ク風軽シ近午ノ天
傍花随柳過前川   花ニ傍ヒ柳ニ過随ヒ前川ヲ過グ
時人不識予心楽   時人ハ識ラズ予ガ心ノ楽シキヲ
將謂倫閑学少年   マサニ謂ハントス 閑をヌスミテ少年ヲマネブト

一読、なかなか、単なる風雅ではない。むしろ「程子オモヘラク」時節時好を楽しみ思っているものを、時人の蒙、知己ならざるを慨嘆するの気味が濃い。「閑学少年」とは、少年の遊蕩に堕していると。「明堂先生」は宋河南の人である。朱子とともに程朱とならび称された。

* よろしき休憩であったけれど、目は休まらなかった。
秦の祖父鶴吉の遺してくれたこうした漢籍の類が、はるかに立派な大冊までいまもたくさん家に在る。とりわけて『韓非子』を読んで、盗用のマキァベリズムを識ってみたいのだが、時間がねえ。
2017 2/2 183

* 「高潔の士」と市民に認められていたキャシアス、ブルータスらに刺され、ジュリアス・シーザーは殺された。「自由な市民の國 ローマ」に独裁の「王」 は在ってはならぬという理由だった。ブルータスの演説に市民は歓呼した。代わってマーク・アントニーのシーザーを哀悼の演説を聴くと市民はブルータスや キャシアスを殺せと激昂する。迫力に満ち満ちてよく知られた場面を、夜前床ら就いて読んだ。深々と胸が鳴った。
「市民らの自由な國」「君臨する王」「右顧左眄して謬る市民」「市民を嗾す雄弁」「人の高潔と狡猾」「ローマの蹉跌と変貌」
あまりに多く重くを思わせた。いま民主主義の國アメリカを動かす動力は、君臨しようとしたシーザーか、ひきとめたブルータスやキャシアスか、市民を煽動反転させたアントニーか、右顧左眄しつつ理想を見失いがちな市民か。

* 「若菜上」で心和ませしみじみとするのは玉鬘による養父光源氏の「四十賀」の場面。玉鬘はあの源氏の腕の中で命絶えた夕顔(と、頭中将と)の遺児で、 実父にも知られず源氏の養女として六条院に育った美しい姫であり、父と称する源氏に幾度も微妙に言い寄られていたが、はからずも黒髭の大将にいわばぬすみ 去られていた。玉鬘はしみじみと懐かしい感謝と愛とで光源氏の「四十歳」を賀し祝い、源氏はせまる老いを意識しつつも人妻ともひ人の親ともなっている「玉 鬘」への情愛に嘆息もする。
わたしは、源氏物語の女たちでは、断然 桐壺、藤壺、紫上、宇治中君」という「紫のゆかり」を愛して病まないが、その他では「玉鬘」に、光源氏という存在にふかく思いいたって行くいわば成長の美女に、心を惹かれている。

* 『石清水物語』の語りはたどたどしくもあるが、末は皇妃ともなってゆく木幡の姫と、その養父母の男子である武士の「伊予介」との恋を主筋に持った、平 安物語では考えられない恋物語になっている、らしい。いましも伊予介がはじめて母のてもとに育てられ傅かれている義妹姫の美しさを覗き見して恋に落ちた場 面を昨夜は読んだ。
この物語の行文はとても読み易い。源氏の「若菜」の賀の辺も読みやすい。和歌に馴染んでもいるので、これら物語の行文の優美はほぼ骨身にまで沁みている。
それからすると馬琴の「為朝外伝」のがさつな「読み本」語は騒がしくて穢くて叶わない。

* このところずうっと『和泉式部日記』を楽しんでいて、これはもうさながらに相聞贈答の和歌物語というに尽きている。和泉式部の自作か誰かの他作かに議 論はあるが、和語の物語としてやや源氏物語より若いかなあというと読み易さを感じてはいる。しかし和歌はまちがいなく和泉式部の、また帥宮のもの、その応 酬の呼吸がじつに懐かしくも美しい。「日記」というよりも伊勢や大和を受けて流れる歌物語、相聞物語と読んでうれしい一編である。
2017 2/3 183

* 「かたる」のはラクなようで「文学」として達成するのは容易でない。いまも「源氏物語」「和泉式部(日記)物語」「石清水物語」「椿説弓張月」と、平 安盛期、或いは鎌倉初期かも、そして中世室町時代、近世江戸時代の四つの物語を読んでいて、しみじみとその「文学達成度」の差異を思わずにおれない。確実 に時代を降るにつれて不味くなる。しかもいまわたしは現代平成の「物語」そのものを書き表しつつあるのだず、忸怩たるを免れなくて、恥じ入っている。困 る、困る。
2017 2/4 183

* 十一時半。 今日もかなり頑張ったよ。

* また床の上で何冊も本をひろげる。そして熟睡したい。
2017 2/5 183

* 昨夜「ジュリアス・シーザー」を一気に読み終えた。「おまえもか」とシーザーを最期に呻かせて指した高潔の士ブルータスの最期もたしかに見届けた。 シーザーの身内オクタヴィアスや狡猾なほどのシーザー哀悼のアジ演説で市民を動かしたマーク・アントニーの未来は、「アントニーとクレオパトラ」で、そし てローマもので沙翁悲劇最期の作「コリオレイナス」まで、何としても歴史悲劇を精一杯嚥み込みたい。「ハムレット」など、また「じゃじゃ馬ならし」など は、そのあとで読みたい。
福田恆存は、古典の極にあるギリシア悲劇ですら沙翁悲劇偉大の前で行儀良く辻褄が合わせてあると見抜いていた。それも確かめ確かめ偉大な作品をこそ味わいたい。自分のしている仕事の傘の低さに腐ってしまうだろうけれど。
2017 2/6 183

* 九時半。もうムリが利かない。きのう戴いたいい酒の、瓶にもう少し残ったのを湑みに、階下へ降りたようかと誘惑されてもいる。
昨夜も寝床でたくさん本を読み灯を消したのは、二時半だった。目も胸も躯も休ませないとと思う。起きて何かしている時だけが生きている時間ではない。分かっている。やれやれと首も振っている。
みの数日打ちこんでいる小説、よほど奇妙に怖くなってきた。こういうモノは他に書いたことなかったと思う。夢に見そうだ。
2017 2/6 183

* 少なくもブルータス独りに関わっては、彼がローマ国を愛しローマ市民の自由平等を信じて疑わず、「王」という独裁支配を厭悪し敢えて信愛してきたシー ザーを暗殺にまで及んだ思想的高潔をわたしは懐かしむ。聖王、善王の瑕瑾なき善政が真実徹底した聖代の望ましいとは私も受け入れい好いが、そういう聖善の 王はたとえ奇跡のように現れても必ず絶えて悪政の蔓延ることは絶対に避けられない。それならば、ブルータスが理想とした自由で平等で正義の民政、人権と平 和とを根底から確立してやまない民主政治国家が「より望ましい」とわたしも願う。政権を私する政府は否認拒絶し、国民に奉仕して謙遜な政府だけを容認し政 権を預けたいと思う。その意味では少なくも日本の安倍政権は民主主義の基本を踏みにじっていて、その専横は、悪王暴慢に近い。なおその上位でトランプのキ ングに乱暴に「君臨」などされては堪らない。

* 『無門關』四十八則をただ通読した。とかし文字としてただ読んだだけ、一条の理会・会得も無い。全然会い得ていない。けれど抛ってしまう気はない。今度は、いや今度も、解ろうなどと身構えたりせず、しかも静かに読み続けてみよう。

* もうよほど前から金久与市という著者の『古代海部氏の系図』という本も読みつづけてきた。
太古からの「海・水」の民を想う思いは私の大方の小説世界に浸透している。ことを日本という世界に囲ったうえでいえば、国宝に指定されてある「祝部氏系 図」はほとんど「神代」とも連袂した幽邃の歴史を、他の、類似のいかなる文献資料よりも遠く古くから微妙に証言しており、古事記や日本書紀世界を謂わば分 数式の分子とみるならこれは不動の分母に位置している、と、それがわたしの理解であって、そのためにも上に挙げた金久氏の著は、身震いがするほど興味深く 多くを教われる。

* 上の『無門關』また『古代海部(あまべ)氏の系図』らはこの後も「私語の刻」へ何度も登場して貰うだろう。
2017 2/7 183

* 十時、浴室でしっかり校正し、源氏も和泉式部も為朝も読んできた。
2017 2/7 183

* 「百尺竿頭、一歩を進む」とはよく聞きもまた云いもする。行くところまで行ってさらにその先へどう進むか進んでいるのかと自問したり他を批評したていていりしている。
しかしこの一句の出と把握とはそんな自問や批評を絶対的に超えていて、その真意を聴くだけでも容易でない。『無門關』第四十六則「竿頭進歩」には、こう有る。

石霜和尚云(いは)く、「百尺竿頭、如何(いかん)が歩を進めん」。又た古徳云く、「百尺竿頭に坐する底(てい)の人、得入(とくにう)すと雖然(いへど)も未だ真と為さず。百尺竿頭、須(すべか)らく歩を進めて十方世界に全身を現ずべし」。
無門曰く、
「歩を進め得、身を翻(ひるがへ)し得ば、更に
何れの処を嫌つてか尊と称せざる。
是の如くなりと然雖(いへど)も、且(しばら)く道(い)へ、
百尺竿頭、如何(いかん)が歩を進めん。嗄(さ)」。
頌(じゅ)に曰く
頂門の眼(まなこ)を瞎却(かっきゃく)して、
錯つて定盤星(じょうばんじょう)を認む。
身を拌(す)て能く命を捨て、一盲衆盲を引く。

文字列を読んで行くのが精一杯と、降参する。
訳注の西村恵信師はこう読まれている。

☆ 石霜和尚が言われた、「百尺の竿頭に在るとき、どのようにしてさらに一歩を奨めるか。」
また古徳が言われた、「百尺竿頭に坐り込んでいるような人は、一応そこまでは行けたとしても、まだそれが真実というわけではない。百尺竿頭らそらに歩を進めて、あらゆる世界において自己の全体を発露しなくてはならない」と。
無門は言う、
「一歩を進めることができ、世界のただ中に身を現じることができたならば、
ここは場所がよくないから、尊しとはいえないなどという処がどうしてあり得よう。
そうはいうものの、一体どのようにして百尺竿頭から歩を進めるのか、
言ってみるがいい。さッ」
頌(うた)って言う、
頂門の眼を失えば、
無用のものに眼がくらむ。
身を投げ命を捨ててこそ、
衆生を導く人ならん。

* 「定盤星」は、天秤の竿の起点にある星印で、モノの軽重に関わらないムダ目を云う。

* こんな手引きに手を預けて終えていては、しかし何事ともならぬまま、言葉にのみ躓いてしまう。わたしはそう感じている、目下は。そしてたとえ「百尺竿頭」にいま在ろうとも、在ること自体が大きな躓きであると、も。
2017 2/8 183

 

* 百尺竿頭と、昨日私語したが、顧みればまだどれほど先のことやら、想うだに可笑しい。ましてその先へ「一歩」踏み出す・出せるなど臆病で力無い者は夢にも見ようがない。
2017 2/9 183

* 十時半、もう限界。字も、強い照明を当てながらただもう手探りでキイを探している。もうダメ。しかし今日はよく頑張った。諦めずに、粘った。初稿でこ そあれ、初稿からも書き殴りはしない。句読点の位置にも繰りかえし神経をつかい、目で読み、口でも読み、目を閉じてでさえ読む。日記とはちがうが、日記で も深切にと気は遣っている。

* びっしりと水に浸かったほどに疲れた。こんなでは、病院ででもないと、着替えて家の外へなど半歩も出られない。着替えるのがむかしから面倒な人である、わたしは。
疲れました。階下へ行ってや すみます。朝寝も、出来るとき休まるときは、強いて起き急がない。けど、寝る前の読書はムリにも読みたい。読まねば惜しい本があまりに家中に満ちてあるの だ、角川の「新修日本絵巻物全集」の充実した月報32巻を束ねて持ち出した。「日本の中世風景」を四人の研究者が衆議検討している中公新書上下巻にもまた 惹かれて持ち出した。読めるうちだ。読めるうちだ。読めるうちだ。
2017 2/9 183

* まるで眠れなかった。夜中二度も灯りをつけ、校正し、「為朝」を読んだ。灯を消すと書きかけの小説のことが目の奥で渦巻いた。
2017 2/10 183

 

* 重苦しい世界を顔ごと漬けるように覗き続けて京も一日過ぎてゆく。まだ十時だがへとへとに疲れた。少し酒をふくんで、テレビなど見ないで寝床へ行き、 「若菜上」巻、「和泉式部」の歌物語、武士と后妃との近親愛や武士と公卿との同性愛などを臆せず書き込んで行く「石清水物語」や、摩訶不思議に霊魂と人身 とが被さり合うて生きて働く「為朝・白縫王女」の講釈など、それに加え三人の妻という橋を生涯渡っていった「谷崎潤一郎」の物語を照明をあかくして読んで から寝よう。とても軽やかに明るい夢は見られそうにないが。
2017 2/11 183

* ワインをのむと、とろりんと酔いが早く睡くなる。そんなとき校正ゲラをもって床へ行き、坐ったまま校正し始めるとすぐシャンとする。『昭和初年の谷崎 潤一郎』のおもしろいこと、こけを通読しているとこの時期の「痴人の愛」「蓼喰ふ虫」「乱菊物語」「吉野葛」「盲目物語」「武州公秘話」「蘆刈」「春琴 抄」から「猫と庄造と二人のをんな」のまで全部を同時に読んでいるくらいに面白い。

* しばらく少し気楽にさせて貰えたが、もう明日からはそうは行かぬ。仕事の大波が次々に寄せてくる。むろん搦め手の雑用があるが、雑用こそが促進剤であり意外に大事でぜったいに省けないのだ。
2017 2/14 183

* 「和泉式部日記」を興趣に魅されて読み終えた。和する歌「和歌」相聞贈答のおもしろさのなかで、愛にむ満たされた女の「つれづれ」に逆らいまた靡いて実存的な侘びの深みに静かに身も心も沈めてゆく。その雅びのせつなさ、また強さに惹きこまれた。
2017 2/17 183

* 映画『指輪物語 リング オブ ワールド』の第二巻に感嘆している。いい映画はまこと数多い中で、すくなくも或る領域での傑出した最高峰である。映画 「ゲド戦記」は残念ながらこうは行かなかった。「里見八犬伝」でもとてもとてもこんなに官べきな藝術からすれば下の下の通俗映画だった。西欧映画にはいい 神話ものもあるが、百パーセントの創作・創画作でかほどみごとな大いさと面白さを満々と湛えた大自然神話は無い。もう何度も観、また原作も読んでいるが、 いささかも飽きない。
そしてまた『ゲド戦記』も読みたくなってきた。

* 今朝、起きがけに源氏物語「若菜上」の明石女御出産のところを読んで嬉しかった。紫上と明石上とが心許し合って行くなど、このお産の前後はわたしの殊 に好きな場面。あるいは、いちばん好きな場面であるかも。光源氏も紫上も明石上もその母尼も、明石の父入道も、むろん皇子を産んだ明石女御も、異母兄夕霧 も、みなが最高に嬉しい場面、物語の初めに語られていた預言が全うされて行く場面、なのだ、わたしとて何とも言えず嬉しい気持ちになれる。
2017 2/18 183

* 江戸時代「人間・人物」研究で精到いたらざる無き大学者は森銑三先生に真っ先にだれもが指を折る。その「森銑三著作集」全十三巻はわたしのもっも愛読してきた大森林にも似た宝庫で、いまこの機械から立つだけで手の届く書架に並んでいる。
昨日から、その著作集の充実した月報を一纏めに括りだしたのを、読み出した。大勢の人が森先生に触れてさまざまに語られており、それはそれでかけがえ無く貴重な読み物を成している。
森銑三先生とは、わたしが「世界」に『最上徳内』を連載し始めたら、早速にお手紙を下さり励まして下さった。どんなに力を得たか、森銑三を識った程の人 なら、それが大変な後押しであったと直ぐ判って下さるだろう。その頃森先生は入院されていて、早稲田で講義を聴いていたという小林保治教授とお見舞いに上 がり、病室で、元気なお声でのお話しを多々お聴きできたのを思い出す。その後も、ご著書をどんどんと送って下さった。「徳内」を書いて良かったなあとしみ じみ今も思う。
似た思いをわたしは幸せなことに、『花と風』で荻原井泉水さん、『谷崎論』で野村尚吾さん、『日本を読む』で下村寅太郎先生等々、数え切れないほど大勢 の大先達から声を掛けてきて頂いた。まさにみな大先達であったことが、わたしの名誉であり、しかしつぎつぎに亡くなられていってわたしは寂しい思いに耐え ねばならなかった。
できれば、きちんと書き残しおきたいと、願っている。
2017 2/19 183

* あまりに疲れていたので、リーゼを一服し「アントニーとクレオパトラ」を少しだけ読み進んで、そのまま電氣も消さず寝入ったようだ、七時に目ざめ、黒いマゴたちと、もう庭へ来ていた鵯とに声を掛けておいて又寝してしまい、十一時前まで。眼の休息には寝るのがなにより効くので気持ち許している。
2017 2/20 183

* この多忙と疲労と弱い視力とで、ダラシないほど多彩に読書しているとときに呆れてくる人もいるが。
読みはじめた「森銑三著作集」月報の①で、随筆家相磯凌霜氏が「荷風先生と森さん」の題で書かれている中に、森先生が尊敬されていた永井荷風の言葉として、こう挙げておられる。
「相磯君、無駄な本を読まなくては、いけないよ、必要な時だけに読む本は後に何も残らないからね」と。仰天し卒倒してしまうこれぞ金言・至言で、わたし が久しい人生で胸に蓄えていながら卓的に言いきれなかった「実感・核心」そのものであった。これの分かってないような人の仕事は薄くて浅い。荷風はこうも 言ったそうだ、「今の大学の先生なんか、案外無学の人が多い様だね。其処へ比べると、森(銑三)さんの様な人が本当の学者と言ふんだよ」と。森先生は、荷 風の偏奇館時代からしばしば荷風を其の研究の成果で「嬉ばせ」ておられた、とも。
「無駄な本を読まなくては、いけないよ、必要な時だけに読む本は後に何も残らないからね」
いわゆる「研究」と自称しているらしき学者のやたらバラ撒かれてある「試論」の薄さは、荷風の言によって性根の安直と不勉強を衝かれている。なによりもそういうシロモノには即ち「文藝」の魅力・滋味・筆力が欠けている。必要しか必要としない薄味はすぐに乾いて行く。
2017 2/20 183

 

* わたしより四つ年上で同じ大学の経済を出ていた人の「詩集」をもらった。「ほんやら洞」とも縁があったらしい。「フォークソングの歌詞から生活語詩の 提唱へ」と帯に書かれてある。「歌詞」ではあるだろうが、「詩」は汲みにくい。世間にはあまりに自称「作家」も多いが、「詩人」「歌人」「俳人」という安 い名乗りも多過ぎるなあ。「学者」もなあ。「政治家」も。「大統領」も、壊れておるよ。
2017 2/21 183

* 夜中の痛烈な胸焼けは避けたい。寝る前に水分をしっかり摂り、インシュリンは励行注射し、整腸薬は必ず服し、時に、龍角散でのどを守っておく。
「椿説弓張月」をそろそろ読了する。一度は読んでおきたく、読んで置いてよかったと思う。
沙翁劇「アントニーとクレオパトラ」ももう最期の場面へ間近い。ふしぎと、もののあはれにとらわれる。
これは冒険だし、そもそも角川文庫版の日本語がやや気に入らないのだけれど、またしても『千夜一夜物語」二十数巻を再読しようかなと思いかけている。文 庫本は字が小さくて眼につらいのが難だが。何より良い日本語に出会いたいもの。詩や歌がわんさと出てくるので、興を殺がずうまく訳していて欲しい。角川版 は、しかし、補注が充実していて興趣を加えてくれる利点がある。
ひとつには中東から世界が壊れて行きそうな不幸な現代から、底抜けに気の好い「千夜一夜物語」に気分をなだめられたいのである、が。一年、かかるだろう か、読み終えるのに。
2017 2/22 183

* 「アントニーとクレオパトラ」が死んだ。
2017 2/23 183

* オクティビアス・シーザーもマーク・アントニーもわたしには帝王とも英雄とも思われなかった、こういうモノにわたしはなりたくない。クレオパトラの死 は、一の不思議と読めた。アントニーは愛されていた。クレオパトラは女王としても妻としても死んでいった、と沙翁は演出して見せた、という芝居である。た いへんな長編。洋々とした演劇言語の面白さで読まされる。
ついで、やはりローマ劇である「コリオレイナス」を読む。

* 『椿説弓張月』を読み終えた。一度は読んでおきたい力作である。もう一度読みたくなるかどうか、これは徹底して実の史伝をはみ出た、ほぼ百パーセント の「つくりばなし」である。その限りにおいて趣向を凝らした力作で興趣の盛り上げも力強いが、あくまでウソクサイ読み物である。フィクションのリアリティ はかなぐり捨てている。その意味で書きたい言いたい放題に徹していて、それを承知でなら読み物として一級に近い面白さを満載していた。馬琴のあまりにくど い悪癖が臆面もなく発揮されているのを敢えて面白がるという読みも出来る。
2017 2/24 183

* 「水甕」という大きな短歌結社が臨時増刊で「五十年史」を出したのは、昭和三十八年(一九六三)五月だった。わたしはもう東京で、勤めながら独りで小説を書き始めていた。
その四百数十頁もの分厚い雑誌に、386人の「水甕人自選歌」も掲載されていて、作者五十音順と思われる一等最初に、「給田みどり」の名のあるのには、 これまでも何度も目をとめてきた。五十音のトップであるからは、「きゅうた・みどり」ではない、姓は「あいた」と読まれているのだ。
わたしの中学時代の、また、亡くなられるまでもわたしの懐かしい恩師であった「きゅうた・みどり」先生は、たしかに歌を詠まれ、当然にもわたしの短歌に つよい後押しをして下さった。尾上柴舟門の「水甕」に加わっておられたかは知らないのだ、が、いかにもという印象はある。
で、今回は掲載十首を丁寧に読み返し、まちがいないあの「きゅうた」先生だと確信した。
もともと「あいた」と苗字を読むのが本来で、しかし戦後の新制の栄中学では、だれにも分かりよく「きゅうた・みどり」先生で通されていたのだろう、他の先生方も例外なく「きゅうた先生」と呼んでおられた。生徒にも慕われて、ほんとうに優しいいい先生だった。
2017 2/26 183

 

* 「若菜上」巻を読み終えて下巻に移っている。言辞の正妃女三宮と藤原氏の柏木との恋のまぎれが起きて源氏物語がようやく悲劇へ転じて行く。だんだん読み苦しくなって行く。

* 沙翁のローマ劇「コリオレイナス」の史的背景は、シーザーやクレオパトラ、また英王国史劇とちがい、予備知識がない。それだけに面白そうに引き込まれようとしている。

* 「石清水物語」は皇妃となる人と従兄にあたる瀟洒な美男武士伊予守との近親愛悲劇に、さらにヒロインの母ちがいの高貴の兄と伊予守との同性愛が絡んでくる、大胆な構図を分かりやすい中世古文で綴っている。下巻に入っている。

* 森銑三先生の著作集の各月報記事がとてもオモシロイ。誰もがその研究業績の徹底した成果と多彩を讃歎されている森先生の、ことに独自の論及と達成は、 西鶴の真作は「好色一代男」一作のみという驚愕の論旨にあらわれている。学会は容易に認めない乍らに、じりじりと先生の論壇の精確さが証明されつつあるの が今日の成り行き、まことに「好色一代男」は信に名作の名に背かないのをわたしは読んで知っている。もう一度作も森先生の論攷も読み返したく、ウズウズし てきた。
このような森先生からのお手紙にはげまされてわたしは『最上徳内』を書いたのである。書庫へはいると先生に戴いた本が何冊もある。嬉しくなる。
2017 2/26 183

* maokaton
茶道古典全集と 椿説弓張月 を謹呈致します。
前者は 流儀を超えた斯道の古典、南方録やや槐記など 興深いものあり、あなたなら受け入れて下さるかと。

「弓張月」は、沖縄こそわが埋木舎 とあったあなたの述懐に呼応しました。たいした馬琴懸命の快作です。事実、史実などとは思われず、稗史小説の渾身の藝をおもしろがってください、とにかくも琉球王朝を描いて力作です。地名や島の名などの実否はよくおわかりと思います。
いまさっき病院の診察から帰宅し、ご連絡をしてなかったのに気づいて慌てました。
お二人とも、どうぞお元気で。 hatak

☆ hatakさん
文献、椿説弓張月到着を楽しみにしております。
今日明日は会議室にカンヅメで、150人分の業績評価をする予定です。
二月つもごり、日射しはすこし春めいてきました。  maokat

* いい本のいいお嫁入りが出来てよかった。書庫の本を、本当に喜んでくださる方になら、惜しまず差し上げる気でいる。「この手の本はありませんか」と具 体的に方角をさだめて要望してくだされば、今今野わたしの創作や仕事に関わっていない限り、大きく纏めてでも差し上げますので、どうぞお申し越し下さい。 わたしら老夫婦で荷造り可能なら送り出します。maokatonへもかなりの荷嵩だったが好い具合に空き箱を利用できた。
2017 2/28 183

* ま、ウソクサイこの世のこと、猿の尻笑いかと苦笑もされるが、湯に漬かって、源氏物語「若菜下」巻をゆっくり読んでこよう。

*  これが書きたさに先ず作家の名を望んだという、最初の「谷崎潤一郎論」を読み返し始めた。三十四歳頃か、とにかく「谷崎論」の次元を置き換えたほどの仕事 として、以降「谷崎論者」としての強い発言権を文壇で確保した仕事だった。谷崎伝記の著者として知られていた野村尚吾氏がいちはやく、かつて無かった谷崎 論の画期的に大きな新生面と受けとめて、盛んに紹介してくださった。『神と玩具との間』を貴重な資料を大量に遺託し書かせて下さったのも野村氏だった。論 の中でむしろ異を唱えて批判した中村光夫先生や篠田一士さんも力強く称讃して下さった。おかげで、わたしは小説の創作と評論、エッセイとの両翼を最初から 拡げて大量の原稿を書かせてもらえたし、ほぼ十年で六十冊を越す著書も持てた。
そして、半世紀近く、今なおわたしは書いているし、読んでいるし、思惟思索を重ね続けている。
2017 3/1 184

* 沙翁劇も数々あるなかで「ハムレット」など「悲劇」と呼ばれるものの最後の作は、いま読んでいる『コリオレイナス』で、ローマ古代に於けるいわば帝政と民主主義との正面衝突を書いていると思われる、まだ半ばにも達していないので明言はしないが。
プラトンの「国家」論このかた、国家の政体にはいろいろあって、優れた哲学と仁智で率いる独裁政が望ましいとしても、とうてい持続し得ないと云っていて、第二義ながら民主主義をみとめている議論が多い。
身近な例で日本をいうなら、私個人はいまの安倍や自民を朱とした保守反動政権より、現平成天皇ないし皇太子の帝政の方が望ましく思われる、けれどその後 ともなれば何ら安定した公義の帝政が期待できるワケでなく、それならばゼッタイに良き民主主義を国民の叡智と決断で維持し続けたいと願わずにおれない。
国民をただ経済のためにのみ国民を戦争へ押しやることも辞さない安倍型独裁教権政治は否認し続けねばならない。そう思う。
2017 3/5 184

* 十一時過ぎた。もう機械からは離れよう。
「コリオレイナス」「源氏物語」「石清水物語」「森銑三月報」を読む。校正も少し進める。読みでが、有る。この「で」はどう説明するのか。
2017 3/5 184

* hatakさん
茶道古典全集全十二巻、椿説弓張月上中下巻、ご恵贈ありがとうございました。受け取った重さに、荷造りがさぞ大変だったのではと、気づきました。大切に読ませて頂きます。
全集第一巻の筆頭は陸羽の茶経で、「茶は南方の嘉木である」ぐらいは知っていましたが、原本を見るのはこれが初めてでした。直弼の「茶湯一會集」は第十巻に収まっていました。
今でも沖縄には「運天港」「今帰仁」「牧港」など、為朝伝説ゆかりの地名が残っています。弓張月の後半がどのような展開になるのか、先々の楽しみとしています。
三月に入り、周囲に異動の話も出て、あわただしくなって来ました。月末に東京の桜を見て、春の先取りをしようと楽しみにしています。
花粉も厳しい頃、奥様共々ご自愛下さい。御礼まで。   maokat

*  良い先へ、いい本が嫁入りしてくれて、ほっとしている。有名な「南方録」や「槐記」それに「松屋会記」「天王寺屋会記」などの黎明期の茶会記録が、その 記で読み込んでいると、ふと溶け入っていく気分に成れたのを思い出す。なかなか、今では揃えにくい十二巻になっている。MAOKATON、お疲れのときに など拾い読んで下さい。
2017 3/6 184

* 源氏物語「若菜下」巻、女楽に夕霧も加わっての合奏のさまや、光と夕霧父子で語らう音楽・演奏の論議など、この辺が華やかの盛り、やがて光源氏の正妃 女三宮を藤原氏の柏木が犯し、物語世界に悲劇の暮色が逼る。鴎外は源氏物語を「悪文」とそしったが、谷崎は真っ向それを退けて日本語表現本然の本来であり 「色っぽく」懐かしい名文と読んでいる。むろんわたしも谷崎先生の趣味判断に随う。
『石清水物語』にも、いましも母の子と母の姪との悲劇の出逢いが待ち受けている。子は貴族よりも貴族らしい武士であり、従妹はいまにも皇宮入内の日がせまっている。
沙翁の『コリオレイナス』は、ひょっとして映画になっていはしないか、戯曲を読み進むに随いそのような記憶の繪が目先に浮かぶ。それにしても一武人劇情の悲愴、胸に強く迫ってくる。
2017 3/9 184

* 沙翁悲劇「コリオレイナス」を読了。映画で観たなと思う。
2017 3/10 184

* 意気をあげたく、森銑三著作集第十巻巻頭の「西鶴と西鶴本」をあらためて読みはじめた。すでに丁寧に熟読したあとが朱線や墨線で見えているが、森先生 の論著として最も決定的・徹底的で革新的な論攷なのである。私は全面、先生の立証に敬服しているが、学会はひさしくこれを顧みなかった。それでも、徐々に 森銑三説は浸透し承伏し帰依している学者も増えていると聞いている。
どう革命的なのか。小学館の古典文学全集のなかで源氏物語は最多の六巻を占めているが、個人名では井原西鶴の巻が四册で最多である。しかし、森先生は西 鶴の真の著作は「好色一代男」の惟一作のみ、他は、「西鶴関与作品」ないし無関係作であって、「関与」とは如何、西鶴は作者である以上に書肆に勤務従業し ていた優秀な編輯者として、個々の作者から持ち込まれた、または書肆が注文して書かせた作に、縦横に補正推敲添削ないし拡充や改作を加えていたとされるの で、その立証は克明で明確、目を見張るに足るのである。

* 森論攷のみごとさに惹かれながら、久しぶりに小学館本の『好色一代男』を読んで行くのがまた加わった一つの大きな楽しみである。
2017 3/11 184

* 昨夜から、沙翁劇最期の作といわれる『あらし』 西鶴唯一の真作とされる『一代男』を就寝前の読書に加え、今一作『サイティーン』という宇宙ステーション世界の未来図を長大に語るらしい第一巻も、昨日の散髪待ち時間から読みはじめた。
この『サイティーン』はいつかどこかで面白そうとこの第一巻だけの古本を買っておいたのだが、何年も何年も読みかけてははね返されて最初の十頁ほどの序 章が容易に頭に入らなくて業を煮やしていた。今回は何とか序章をこえて本編に入ったモノの、超級のサイエンス未来フィクションなので、叙述の速度もとても 速いので、よほど難渋するかも知れないし、この文庫本一巻を読み終えたらどこかで続く巻、巻を見つけて買ってこなくてはならない。ブックオフにでも無けれ ばお手上げかも。ま、頭の体操のように読み進めたい。なにしろ地球人類に由来の超高速船が宇宙を蜘蛛の巣のようにステーションへと駆けめぐっているような ことで、しかも戦争も起きているらしいから、わたしの単純なアタマで事態を呑み込むのはタイヘン。しかしおもしろそうという予覚は失せていないので、アタ マの体操と思って読んで行く。
読み進めつつある源氏物語は「若菜下」巻をゆっくり進んでいて、もう一冊の中世の「石清水物語」そして森銑三先生の「西鶴と西鶴本」という論攷も併行し て読んで行く。「読める」アタマをだいじにしてやりたい。わたしの読書には、常に、日本の古典がごく当たり前に加わってくる。これは容易にできることで は、ない。好きでなければ、そして読めなければできない意味では外国語を読むのとおなじ事。
寝入る前には、これら読書に先立って、いつも、わたし自身の原稿を「校正」することにしている。いまは「選集」の21巻と「湖の本」134巻を読んでいる。
2017 3/13 184

* ニュースで、稲田防衛大臣の愚かしい虚偽答弁がバレての謝罪など見せられ、うんざり。
メールなど、郵便も、無し。
源氏物語、石清水物語、好色一代男と、古典を読み、宇宙戦争劇のような「サイティーン」をすこしだけ流し読みして、寝入った。
2017 3/14 184

* 源氏物語では「若菜下」巻で藤原氏の長子柏木衛門督が光源氏正妻の女三宮に忍んで犯し、はっきり謂えばレイプし、「石清水物語」では、天子の妻として 入内目前の「木幡の君」を光源氏にも見まがう継兄でしかも武士でしかない伊予守が、ひれも手引きに助けられ忍び入って犯した、まちがいなしのレイプであ る。かなり事細かに描写されていてしかも表現はいっそ美しいまでに優しくて、そこが読み甲斐といえば言えるから、こわい。
源氏物語には、こうい場面が何度も何度も出てくる。毅然として突き放していたのはかぐやひめだけとさえ言える。
柏木と伊予守との犯しを昨夜たまたま同時に読んだ。わたしはどっちかというと、伊予守の方に愛を認め、柏木には同感できない。物語の作者も、じつは前 もっての色んな場面で貴公子柏木がいささか出来ていない軽い男であるとことを予告しているのに、今回の通読でなんどか納得した。

* いわゆる日本の古典物語で、皇族貴族の男達は、たいてい女を「レイプ」しているのだと、この言葉によって喝破されたのは九大教授だった今井源衛さんだった。今井さんにも随分親しくして頂き教えられた。
2017 3/17 184

* 光源氏の正妃女三宮を犯した柏木の密通は露顕した。源氏の目をおそれて宮が粗忽に隠したのが見つかったのだ。「こうもあらわに書くのか、愚かな」と源氏は、柏木の文と判じ、軽蔑している。恋文にも書きようがあるのだ。
いまどき、メールでそういうのの交換は不作法な限りに行儀悪くなっているのではないか、メールなんて、無縁な他者の目からも、郵便ハガキなみに露出に近い物。恋文を書くのはいいが、それにも配慮や作法や行儀があるだろう。

* 源氏物語にも枕草子にも、ほんと、魅了される。時代という大量の時間に選別され濾過されてのこってきた古典のすばらしさ。そういう濾過や選別を経ていない 現代の芸術や文学の運命は、頼りない。森銑三は断定している、古典の二大散文作品は「源氏物語」と西鶴の「一代男」と。その「好色一代男」も、森先生の西 鶴論攷とともに毎夜読み進んでいる。
2017 3/20 184

* 清くて旨い水を呑んでいるように『枕草子』がおもしろい。
2017 3/21 184

 

* 興味深く「枕草子」を読み進んでいる。女文化の精粋という認識にあやまりを覚えない。女たちの肉声が聞こえてくる。
2017 3/22 184

* 疲れ切っている。

* 枕草子で、気分を持ち直した。源氏物語「若菜下」巻は女三宮と柏木の取り返しのつかぬ悲劇が始まっている。「石清水物語」の木幡の姫と伊予守との悲劇ももう取り返しがつかない。ひとり「一代男」の世之介は少年の身でとほうもない好色道を闊歩して行く。
古典は、美しい。とかく渇きがちな現代の老人を深く静かに慰めてくれる。
2017 3/23 184

* 枕草子の読みが、清涼剤の役をしてくれる。賢しい女房達の肉声が聞こえてくる。笑ってしまうこともある。

鳥は、(と、仰せに。)
異国のものだけれど、鸚鵡に心惹かれる。人の言葉をそのまま真似るというではないか。
郭公
水鶏。
鴫。
都鳥。
鶸。
ひたき。
山鳥。友を恋しがり、鏡を見せるとよろこぶそうだが、いじらしくて、とても心惹かれる。雌雄が、夜は谷を隔てて寝るという話もかわいそうだ。
鶴は、えらく仰々しい恰好だが、鳴く声が天にとどくとは、すばらしい。
頭の赤い雀。
斑鳩の雄鳥。
巧婦鳥。
鷺は、見た目がわるい。目つきなど、ともかく親しみにくいが、「ゆるぎの森に独りでは寝ない、と妻を争う」というのが、おもしろい。
水鳥では、鴛鴦に心惹かれる。寒夜、夫婦して場所をかわり合っては、「羽の上の霜を払う」というのなど、とても佳い。
千鳥も風情がいい。
鶯は、詩にもすばらしい鳥と書かれ、声をはじめ姿かたちもあれほど上品でかわいいというのに、宮中に来て鳴かぬ、とは感心できない。誰かが、「宮中では 鳴かないのよ」と言ったのを、まさかとは思ったが、十年もお仕えして気をつけていたけれど本当に、一度として声を聞かなかった。嘘でない。呉竹に近く紅梅 の木もあって、鴬が来て鳴くにはじつにうってつけの場所と思うのに。宮中から退って聞いていると、みすぼらしい民家の、貧相な梅の木などではうるさいくら い鳴いている。
鶯はまた夜鳴かないのも寝坊の感じでいやだけれど、今さら、どうしようもない。
夏すぎて、秋の終り頃まで年寄りくさい声で鳴いていて、そんな時季には「虫喰い」と下々の者が名をつけ替えて呼んでいるのが鶯のために残念だと、奇異な気がする。
それも、雀みたいにいつも居る鳥ならそう気にしまい。春に鳴けばこそ「あらたまの年立ちかえる」元旦からもう待たれるのは鶯の声だと、歌にも詩にも作ら れるのだろうに、やはり春のあいただけ鳴く鳥であったらどんなによかったろう。人のことにしても落ちぶれて、世間の評判もわるくなりかけたような人を、わ ざわざ非難はしない。鳶や烏といった手合いにそう目をつけ耳を立てる者も居はしない。
だから言うのだ、鶯は「すばらしかるべきもの」と思うにつけて老い声を嗤われたりするのが、納得できない、と。
それでも賀茂祭の帰りを見ようと雲林院や知足院の前に牛車をとめて行列を待っていると、郭公ももう待ちきれないでか鳴き出す、と、鶯がとても上手に真似て木高い茂みから声をそろえて鳴き立てるのには、さすがに聞き耳を立ててしまう。
郭公については、今さら言うこともない。いつしか鳴き声も得意げに、卯の花や花橘にいつも来てとまっては見え隠れしているのがじつに心にくいまでの、風情の佳訃さ。
五月雨の短夜に目ざめして、どうかして人の先に初音を聞こうと心待ちのあげく、夜の闇のかなたで鳴吝はしめた声のなんとも巧者に、魅力あふれた佳さというものは、まあ、心も空の思いでどうにもならない。
それが六月になるとけはいさえなくなってしまう、もう、何から何まで、言うもおろかというもの。
夜鳴くものは、郭公にかぎらない、みなすばらしい。
もっとも赤ん坊だけが、そうは言えない。                (第三八段)

虫は、(と仰せに。)
鈴虫がすてき。
茅蜩。
蝶。
松虫。
蟋蟀。
促織。
われから。
蜏。
螢もいい。
蓑虫はことにあわれを誘う。鬼が産んだというから親に似て恐ろしい心があろうと当の親が粗末なものを引き着せて、「もうすぐ秋風の吹く時分にはね、迎え に来るから。待っておいで」と言い含めて逃げてしまったとも知らず、風の音を聞き知っては、八月、秋半ばともなれば「ちちよ、ちちよ」と、心細げに鳴くの が、あんまりかわいそう。
額ずき虫。これがまた殊勝な虫で。そんなちいさな虫は虫なりに、道心を発してあちこちと拝んで歩きまわるとは。思いがけぬ暗い所などをほとほと音を立てて歩いているのがおもしろい。
蝿ときいては「憎いもの」に数え入れたいくらい、これほどかわいげのないものはない。人並みに目の仇にするほどの大きさではないけれど、秋になってもむやみに何にでもとまり、人の顔に湿れたような足でとまるなど、もう……。
人の名前に蝿の字がついたのも、ほんとに気味がわるい。
夏虫はちょっと愛嬌もあってかわいい。燈火を近づけて物語など読んでいると、本の上を飛びまわるのが、おもしろい。
蟻は、いやらしいと思うけれど、身軽いことはなかなかで、水の上などをどんどん歩きまわるのがおもしろい。                            (第四〇段)

* 憂き世ばなれがする。
2017 3/24 184

* 歯医者、治療の後、若い女先生と歌舞伎座「助六」などで話がはずんだ。
帰路、久しぶりに新江古田の「リオン」へ寄った。五時半開店の十五分前に入れてもらい、待ちながら、わたしは長谷川泉さん司会の谷崎鼎談を読み、妻は織田一磨論を読んでいた。
ワインをたっぷり、旨い海老の前菜、パン、白い泡を高く立てた熱いエンドウ豆のスーブ、豚のヒレ肉、苺のアイスクリーム、珈琲。満腹。
この店では、簡略にしても前後二時間ちかくはかけての食事になる。この店では、自然といつも夫婦数十年、いやもっと長い歳月の思い出にいろんな花が咲く。人に死なれた話題が増えてきて寂しい。
江古田駅前で、妻は黒いマゴたちのためにチューリップの鉢を買った。電車にも座れて、保谷駅からはタクシーで帰宅。

* テレビも鬱陶しく、すこし部屋は冷えていたが暖房もせず「枕草子」を読み進んでいた。枕草子は本来、清少納言単独の著作などではなく、定子皇后のサロ ンを構成していた才長けた女房達が、后の宮のいわば主宰のもと、各種の話題に花を咲かせたのを書記役の清少納言が簡潔にとりまとめつつ、ごく自然に彼女の 類想、感想、回想ないし創作に近い話題にまで筆をのばしていったもの、というのが私の根底の理解なのである。その理解に沿って読んでいると、いましも、そ のそこに女たちの声・言葉が花咲くように交錯している息づかいまでが感じ取れる。じつに雅やかに面白く、しかも「女じゃなあ」と笑えてしまうほど露骨な本 音も平気で飛び出してくる。こういう面白さは源氏物語ほどであっても、物語からはナマには聞こえてこない。枕草子のきわだった効果である。
ここ数日来、快い薬効のように楽しんでいる。が、冷えてきたので、機械の前を退散する。
2017 3/24 184

 

* 気に入りの篠原涼子の「アンフェア」最終篇とかも低調なカメラワークで新鮮な躍動感に乏しく、逃げだして、枕草子の無類の鮮度を楽しんでいた。枕草子 に匹敵するのは源氏物語しか無い。その源氏物語でも、枕草子に取材したなと想える場面が幾つもある。紫式部はしっかりと清少納言を読んでいた。
2017 3/27 184

* 「枕草子」は定子皇后の光るような知性感性を光源とみて読みすすんでいる。その背後に、摂政兼家の三子、道隆・道兼・道長らの権力交替のすさまじい歴史変 動がある。たいへんな女文化期の動乱に根生えて「枕草子」も「源氏物語」も「後拾遺和歌集」も大輪の花に咲いた。
2017 3/28 184

* 「枕草子」を読んでいると、清少納言にであるよりはるかに率直な憧れ心をもって皇后「定子」に魅了される。わずか二十五歳ほどて亡くなったと憶えてい るが、女性として、いやその上を行く人柄の完成されたほどの気稟の清質もっとも尚むべきを覚える。白い紙を拝領したり上出来の畳を頂いたりして少納言が嬉 しがる気持ち、よく分かる。
清少納言の筆には「思わせぶり」がときに臭みになるが、皇后定子のことばや振る舞いにはそれがない。

* さ、もう機械は休もう、十一時だ。
2017 3/29 184

* 『枕草子」「いはでおもふぞ」と清少納言に与えた中宮の一言には、読むたび胸が熱くなる。

* どうしてこう不快なニュース種にばかり付き合わねばならないか。
どう考えても、寸詰まりに器量のちいさな宰相と取り巻きばかりの日本、情けない。いい読書で清いまはるしか無いとはね。情けない。
2017 3/30 184

* 「枕草子」を「雪山の賭け」「此の君」などまで読み通してきた。もう数編でおさめがつく。「雪山の賭け」は大事な一編。何度呼んでも胸がつまる。清少納言を女としてさして好きとは思わず久しく来たが、此度ばかりは、しみじみ身のそばの人のようにあわれに観じた。
紫式部はなかなか斯うは正体を見せてくれない。
2017 4/2 185

* 谷崎先生の三回忌であったと、松子夫人は豪華に美しい『谷崎潤一郎の書』一巻を自編され、私にも下さった。私は、松子夫人から何もかも頂戴する一方であった。
松子夫人はさらにそれは美しい『十八公子家集』を自ら編まれて、この一巻も頂戴した。選集第二十一巻の口絵にカラーでと今し方製版を依頼し入稿した。
2017 4/4 185

* 上野千鶴子さん、昨日、ごく勇ましそうな一書を送ってきてくれた。

* わたしは源氏物語長大で重々しい「若菜上」「若菜下」を読み終えて女三宮の落飾のくだりを「柏木」で読んだところ。枕草子の仕事もなつかしみながらし 終えた。中世の石清水物語もしみじみと面白く読み進んでいる。そしてこれだけは確実に西鶴真作と森銑三先生お墨付きの「一代男」を一段ずつ読み進んでい る。和歌集も歳時記もつねに手にしているから、気がつけば日本の古典ばかり。
いやいや、 沙翁劇最期の作「あらし」を読み、いま「十二夜」を楽しんでいる。
こういう読書世界で、今日日本の悪汁をやっと緩和し堪えている。
2017 4/5 185

* 石川県の井口哲郎さんからお手紙を戴いた。
いつものように心温かないいお手紙であった上に、四十五年ほども昔、金沢泉丘高校の「先生」時分に学校新聞へ書かれた、『二つの死』というエッセイ、い いや、志賀直哉の作などでいえば秀逸の小説と読んですこしもおかしくない一文を、コピーで同封してくださっていた。わたしは、お手紙の先にその方を読み、 胸のうちをしみじみと洗われた。お祖母さんの、また奥さんのお母さんの死を書かれているのだから言葉を慎み選ばねばならないのに、すぐれた「文学」の「作 品」にふれた嬉しさをまっすぐ感じた。読み終えてしばらく、ほおっとしていた。志賀直哉の「母の死と新しい母」という名作をはじめて読んだ昔の嬉しさと同 じものを感じたのだ。
残念ながら昔の新聞からのコピーで、そのままリコピーしても、小さなかすれた文字をたやすく再現できないのが、惜しい。出来れば此処へも、わたしの「e -文庫・湖(umi)」にも戴けるのに。そう思いながら、わたしは、もう一度初めから読み直した。優しい心持ちになれましたのを有り難く感謝申します。
2017 4/5 185

* 春風や闘志いだきて丘に立つ   という虚子の句にひしと背を打たれる。

* 風雅とはおおきな言葉老の春   という同じ高濱虚子の句も胸に抱く。

* 遠山に日の当りたる枯野かな   というやはり虚子の句を忘れたことがない。

* 虚子とは何の縁もない。子規の弟子で俳誌「ホトトギス」を興して近代俳句を領導した巨匠で漱石に名のない猫の物語を書かせたひとといった史的事実しか知らないが、その句の大きくも堅牢で風雅な味わいにいつも魅了される。

虚子の句を噛むほど読んで力とす

と、八年前の一月に述懐したのが『光塵』に容れてある。

* 昨日、しばらくぶりに建日子と食事して、一つ、珍しい、ま、「収穫」があった。何要が有ってのことか「源氏物語」を読んだ、いや、読みかけたがマッタク何が何やら、エロだかグロだか、とても読めなかったと。与謝野晶子の訳で読みかけたのだが、と。
建日子からもちだす話題に源氏物語とは豹変もいちじるしくて嬉しかったが、さて、彼も母も父のわたしもそのままに捨て置きたくはない。
わたしのように中学生だったら意訳と省略もある晶子訳からでもいいが、もう五十歳の作家には向かない。さりとて原文でなど逆立ちしても今は、ムリ。とに書くもなんとかしよう、しなくてはと、話は半分笑い話に終えてきたが、「湖の本」で何か読めないかと。

* 源氏物語に触れてわたしの理解を書いた文章は、エッセイ、小説ともに少なくないが、真っ先に書いたのは小説「或る雲隠れ考」で、質的にも主題的にも 「畜生塚」「慈子(斎王譜)」とで大きくわたしの処女作世界を成している、が、源氏物語に取材した自愛の小説ではあるが物語の絵解きでも解説でもない。小 説としては他に短編「加賀少納言」「夕顔」があるが、これは物語を手引きするものではない。
源氏物語に触れて論じた最も早いエッセイは、三十四歳、1970年に「ちくま」に書いた「桐壺の巻」で、これを読んだ京大卒の、後々も今も名だたる碩学 が「嫉妬した」と告白されたものだった。この一文を基盤に以後のわたしの源氏物語観は構築されていて、「源氏物語の本筋」「講演・桐壺と宇治中君 源氏物 語の美しい命脈」や「古典独歩」中の源氏物語諸エッセイ等にほぼ尽くされているが、今一つ興味深く接して貰えるのが「谷崎潤一郎の<源氏物語>体験 夢の 浮橋」という論攷がこの世界史的に稀有の名作物語の心の臓を強烈に腑分けし得ていると思う。「夢の浮橋」とは源氏物語五十四帖の最終巻の題である。

* これぐらいを前置きしておいて、関連の本を建日子へ送ってやろうと思う。所詮元文は読めないのだから、谷崎松子夫人から朝日子へ署名入りで贈られた見 るも美しい「潤一郎訳 源氏物語」新書版一箱を添えて送ってやろうと。荷造りが難しいので受け取りに来てくれると助かるが。
松子夫人に戴いた「谷崎源氏」を朝日子は、持って行かずに嫁いでいった。建日子にひとまず譲り伝え、大切に、機会があらば朝日子次女のみゆ希へ遣って欲しい。

* 目先の仕事へチョイと役立てたいだけの源氏物語への関心らしいが、それはそれ、源氏物語への継続した関心が興味となり大きな敬愛へ、そして息の大きな 糧とまでなりますようにと願う。源氏物語はそれほどの文学の至宝だとわたしは思っているし、そう思ってきた人が古来夥しいことに静かな敬意を深めて欲し い。それはこの語へのたいへんな財産になると思われる。わたしに源氏物語無しの人生は思い及べなかったほどだ。

* 亡き島津忠夫教授長女の佐貴子さんから島津さん追悼誌はじめ、ゆかりの「郡上」資料などいただく。
2017 4/6 185

*  十時過ぎ、目が、夕方からもうタメで、機械仕事、ほとんど手探りでしていた。電灯が暗くては見えず、明るいと眩しくて見えない。もう、やめて、階下へ。 それでも、源氏物語り柏木の末期を読み終えて、世界は寂しみを増してきた。石清水物語も大きく変転。一代男は放埒な好色を堪能しながら成人して行く。何が 難儀といって西鶴を初めとする近世日本語ほどムズカシイのは無い。
2017 4/8 185

* 昨夜、『石清水物語』をまことに興深くおもしろく読み終えた。この一巻の中世物語の背景へひろがっている「実」話世界はまた確実にわたしの仕掛けの小 説世界へ繋がってきて呉れるかもと、希望ももてた。なかなかの、心にくい情緒と姿勢とで組み興された物語で、ただのツクリ話でない堅い手応えがある。出会 えてよかった。このような平安擬古の物語に「武士」が主役で登場するとは、その武士に実の源氏武士の影が見えているとは。 おもしろいし、少なくも当分は 座右から手放せない。

* 今一つ、多年の念願を心新たにまた呼び起こせた、仕様によってはこれまた花やいでしかも重たげな恐怖へも繋がって行く小説世界への意欲を、鬱蒼とした中世の風景から昨夜の或る読書で甦らせることが出来た。欲しいのは、時間、時間、時間。時間と健康。 2017 4/10 185

* 家中の書籍をそうは減らせないが、毎日のように妻は重い大きな荷づくりをしては、図書館等へ寄贈しつづけている。惜し観て余りある珍しい戴き本も多い のだが、秦建日子に皆目似た方面の読書・蔵書の習いが無いので、受け入れてくれる図書館へあずけて処置を任せるしかない。ある若い書き手の胸をたたいてみ たことがあるが、自分は当面の仕事に用のある本だけ手に入れ、仕事が済んだらみな捨てていますと。
わたしは、永井荷風の教えのように、目的の仕事に必要な 本を調べるだけでなく、無縁と思われる洋の東西古今の文献や創作をいっぱいとりこんで「栄養食」にしながら仕事してきた。絶えず、あ、これも、あ、これも読ん どきたいという書物や資料や事典に取り囲まれている。機械の辞書検索で用が足るような仕事はしたくない。機械では、目的の文字や事項の「前や後ろ」が調べられない。
しかし、もう残年余命は限られている。今日は、「植物」の事典数冊、重さにして20キロにもなりそうな荷を図書館へ寄付した。
信じられないほどな大先生、大先輩からの戴き物や戴き本が、ある。無神経には施設へ送れない。すこしずつでも心通った人たちに遺して行きたいが、そうい うものの好きそうな人が少なくなっている。街へ出れば、魂をぬかれたような「スマホ亡者」の群れにイヤほど出会えるけれど。
2017 4/15 185

* ラ・ロシュフコーの「箴言集」(二宮フサ訳)にあれこれ同感しながら拾い読みしていた。

われわれの情熱がどれだけ長続きするかは、われわれの寿命の長さと同じく、自分の力ではどうにもならない。

情熱はしばしば最高の利口者を愚か者に変え、またしばしば最低の馬鹿を利口者にする。

情熱には一種の不当さと独善があって、それが情熱に従うことを危険にし、またたとえこの上なく穏当な情熱に見える時でも、警戒しなければならなくするのである。

* にもかかわらず情熱が身も心も熱くしているとき、わたしは躍動する。少年の昔にそうであった。老年の今もそのようだ。利口だからではない。どう愚かし い自分であっても愛しているのだ。ロシュフコーは言っている、「自己愛(アムール・プロンプル)こそはあらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである」けれ ど、「自己愛は天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である」とも。自己愛は何の自慢にもならない命だが、どう恥ずかしくても命のあるうちは生き続けるしか無い。
2017 4/16 185

☆ 秦 恒平先生
拝啓 陽春の候、先生にはいかがお過ごしでしょうか。
平素より 「湖の本」 のみならず、豪華限定版『撰集』のご恵投にあずかり、感謝いたしております。
私事ながら、小生 八年間の国文学研究資料館の任期をこの三月末で終え、再び福岡に戻ります。研究者にはふさわしからぬ管理職を長年勤め、『源氏物語』をゆつくり読む生活からも遠ざかっていたことに忸怩たる思いです。
東京での八年は、その間、妻に先立たれたり、猫が死んだりと、必ずしも平坦ではありませんでしたが、古書店の豊かな東京で、充実した生活を享受することが出来ました。
同封の冊子、世の先輩方にお送りするのは烏滸がましい限りの内容ですが、館の古典籍プロジェクトの一環として、手元に集まった本を眺めながら綴ったものです。お笑い捨てください。
どうか佳き春をお過ごしください。 敬具  今西祐一郎  前・国文学研究資料館館長

* 『死を想え 「九想詩」と「一休骸骨」』と題された一書を頂戴した。
御縁は、わたしの源氏物語の読み、「桐壺の巻」にあったと伺っている。衝撃を受け嫉妬さえして、しばらく秦さんの文学から遠のいていたものですと笑い話も聞いた。
新鮮な源氏物語の読みを聞かせて頂ける折りの早かれと願っています。

* ところで上の一冊だが、平安時代の物語では源氏物語以前にはリアルな死が語られなかったと書き起こされている。平安時代以前には「物語」といえる著作 は無いといえるから、源氏物語は死なれた事実へのもっとも早い文学ということになる。しかして「九想詩」すなわち屍体の腐敗を九段階にわかって見据える、 谷崎『少将滋幹の母』にみられる「不浄観」などが語られるのだが、死屍の相の凄まじい廃亡について謂うなら、見遁してならない大きな先例が古事記にすでに 的歴として表されている、すなわち妻イザナミの死をかなしみ夫イザナギが黄泉の国へ追っていったけれど、すでに「ヨモツヘグヒ(死の世界の食事)を済ませ ていたイザナミの死屍はみるも無惨に「蛆たかりととろぎて」目も当てられなかったと、ある。不浄観どころかイザナギはたちまちに黄泉の国から走って逃げて いる。
わたしが日本の「死ないし死屍」に関してもっとも早く最も凄い表現に接したのは、源氏物語よりよほど早くに古事記からであった。わたしが古事記に接した のは、国民学校一年生を終えて二年生に進む前の春休みに、なぜか秦の父につれられて木津川ぞいにお宅のあった担任の吉村女先生を訪ねた日、帰り際に先生が 私に手渡して下さった時である。四六判の、古事記と題された現代語訳の一冊だった。わたしの生涯最初の猛烈な愛読書がこの『古事記』であった。この本をほ とんど丸暗記してしまったわたしは、意気地のない弱虫から生まれ変わったように自信に満ちて教室で過ごせるようになった。わたしは先生が指名されればどん なときでも教壇にあがって、日本の神話をいくらでも同級生相手に話して聞かせることができた。
2017 4/17 185

 

* 夜中に目が覚め、そのまま電灯をつけ、源氏物語「横笛」「夕霧」「鈴虫」の巻を読み、好色一代男を丹念に読み、沙翁の「十二夜」を読み進め、最後には日本と西欧との「中世」論を熱を入れて読み耽った。いずれも特級の面白さで、しみじみ教わった。
余の物はともかく西鶴の一代男から何を教わると嗤う人もあるか。いやいや、そうではない。
わたしは、べつだんの趣味など無いけれど長編「ユニオ・ミスティカ」をよほどの昔から年老いてからはと志してきた流れで、男女の性行為・性交のスキルに 関わる文献や書画や描写・表現には気を入れて触れてきた。その点、一代男はまこと仰天の好色行動の連鎖小説なのであるが、一方森銑三先生ほどの碩学が、源 氏物語とならび称されるほどの傑作であり、小学館版の詳細な頭注などからも莫大に教わるものがある。体験はできないが、リアルに的確な知識と生来の想像力 とを綜合すればかなりの「表現」は得られる。読者はちかいうちにされを納得されるだろう。
2017 4/19 185

* あれをしよう、これをしようとしても、目も疲れ、集中力を欠き、残念だが機械から離れてできる仕事(たくさん有る)をしようと。いちばん気を惹かれる のは、やはり「読む」こと。「中世」研究書が面白く読める。なにかしら力も得られる。いま欠いている小説への刺戟もある。
源氏物語は「夕霧」の巻を読み終えたら、「御法」「幻」はとばして、いっそ「竹河」へ飛んでおいて、宇治十帖へ進みたい。島津さんの「放談」も読みた い。島津さんは源氏物語専門の学者ではないが、数十年の読みの特異さに自負もおありであった。わたしは、源氏物語というと亡くなった今井源衛さんにいろい ろ教わった。島津さんも今井さんと親しかったと聞いていたが、今度の本をまさしく置き土産に亡くなった。所沢か保谷かでいちどは私と話したかったと言われ ていた、と

* 思えば、数えきれぬほど大勢の人文・文学の碩学・研究者に親しくして戴いた。名前など挙げはじめたら懐かしくてかえって悄げてしまうほど、殆どの方々に死なれてしまったが御恩の嬉しさは忘れていない。
2017 4/21 185

* 戦災へのわたしの、およそここ一年以内での暴発予感が杞憂に終わるなら、本当にケッコウなことだ、が、北朝鮮に対し、国連、国際間で「核保有 国承認」がされない(されてはならない)限り、あの國からの暴発、または米朝衝突等による戦闘状況はいつ突発しても(過去の世界史的な開戦事情等に照らし ても)可笑しくない。
それに備え、國家と、国民・国土と文化を「安全に守ろう」という施策が、とうから、具体的に多数用意されていなければならなかった。しきりに「有事」を 口にしていたわりに、用途や意図不明の軍事・軍備に向けられていたほどの政策や対策が、上に謂う「安全」のためには殆ど全くみられない。せいぜい緊急の 「椿事」ぐらいにしか思い及ばぬままでの、「地下鉄へもぐれ」の「堅い建物へ急いで入れ」の等の唐突な指示には、基盤も確信も感じ取れない。市街へ出てい る多数の群衆にそもそもどう「緊急事態」が知れるのか、ごく短時間内に報せ得るのか、もはや昔の市街戦や爆撃とははるかに程度を異にした致命的襲撃がたや すく可能になっているのに即応した「常日頃の有事対策」が国民に助言すらされていない。
現況は、北朝鮮も米国も韓国も中国も、ことに日本も、いわば「すくみ合って」の無事を保っているに過ぎない。「すくみ姿勢」はしかし長持はしないもの だ、なにとしても「対話」による緩和へと歩を運び合うしかないのだが、北朝鮮はたぶん「核保有と核兵器生産」に世界的・国際的な公認をつよく要求してやま ないだろう。中国、韓国がもしこれに妥協したなら、日本と米国とはどうするのか。少なくも日本にはどうする外交力も政治力もとても発揮できそうになく、ず るずると米国に頼って吠えるにとどまるだろうが、米国第一トランプ政権が、いやいやアメリカ国民が「日本のために」戦争の危険を冒しつづけるそもそもどう りが無い。日米韓の協力と安倍総理は口癖なみに軽々と言い続けてきたが、どこにそんな「協和・協力」が成り立っているか。「竹島」「慰安婦像」での日韓対 立すら緩和もできていない。すこしの被害は与え得ても北朝鮮にアメリカ本土がつぶせるワケがなく、両国が真っ向争えば北朝鮮に勝ち目は無いだろう、が、自 暴自棄にちかいトバッチリ核被害や化学兵器被害は真っ向日本を襲うだろう。アメリカに日本を助けるという方途は無く、有るのは北朝鮮本国を徹底的に潰す攻 撃だけだろう。所詮、日本は日本の智慧と力とで国土と国民とを護らねばならない、軍力・兵力など、このさい殆ど役に立たないだろう。

* ま、今はこのように考えながら、わたしは、いつ何が起きても不思議で無いどころでない緊迫感を持っていると、此処に言い置く。無事平穏を願いつつ。手を拱いていられるのかとは憂慮もしつつ。

* フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコーに聴く。
「年とった気違いは若い気違い以上に気違いだ」と。わたしのことかも。
「頭のいい馬鹿ほどはた迷惑な馬鹿はいない」と。これもそうかな。頭はよくないけど。
「弱さは悪徳にも増して美徳に相反する」とも。
「大事に当たっては、好機を生じさせようとするよりも、到来する好機に乗ずることを第一に心がけるべきである。」 永い人生に近い思いで踏ん張った実感は何度も。静かな勇気が要る。
「いかに世間が判断を誤りやすいとはいえ、偽の偉さを厚遇する例の多さは、真の偉さを冷遇する場合をさらに上まわる」とも。嗤ってしまう。
「人生には時として、少々狂気にならなければ切り抜けられない事態が起こる。」 分かる。
「弱い人間は率直になれない。」
「われわれの力(メリット)が低下すると、好み(グウ)も低下する。」 然り。
2017 4/23 185

* もう機械へ向かい続ける視力が散ってしまっている。

* だれか、妻以外の人と言葉を交わしただろうかと、歯医者のお嬢と口をきいて、帰りに時計の電池を眼鏡屋で替えてもらって、思い出せるかぎり、ずーっ と、それだけ。電話は嫌いで掛けることも、掛かってくることもない。掛かってきても妻に任せてめったに受話器をもたない。人間を半分がた廃業しているみた いだが読書はその分をよほとしっかり補ってくれる。例のわたしの「部屋」へは、このところ夕霧だの世之介だのおっそろしい一休骸骨などが呼べば襖の向こう から顔を出してくれる。骸骨さんは凄いよ。
2017 4/23 185

* 関わってあえて謂うワケではないが、谷崎を論じた長編の『神と玩具との間』を脱稿の「おわりに」に添えて当時「谷崎全集」に未収録であった短文を今しみじも読み返して、わたしはいまさらにホクホクとして心地で嬉しくなる。

☆ 趣味と娯楽   谷崎潤一郎

文学上の労作は私に取つては職業である。しかしながら、何がいちばん楽しいか、いちばん好きかと云はれれば、やはり思ふやうに筆が動いて、自信を以て仕 事をしつつある時である。さう云ふ時、全く此の道ばかりはいくつになつても止められないと云ふ気がする。年をとればとる程、小説を書くのが楽しくなる。と 云ふのは、すつかり手に入つてラクになつたと云ふ意味でない。なかなかムヅカシイものであることが分つて来るにつれ、一層精魂を打ち込むかひがあるのを感 じる。私はその点で故二葉亭とは反対に考へる。文学は男子一生の仕事として有り余るほどに思つてゐる。もし私にして生活に追はれる心配がなければ、書き上 げることよりも書くあひだの道程を、もつとゆつくりと楽しむであらう。食ひしんぼうが一と箸づつ物を味はふやうに、今日は一行、明日は一行と云ふ風に、書 いては眺め書いては眺めして行くであらう。そして倦んだら釜の湯を汲んで、こころしづかにお茶のうまいのをすすりたい。多少でもそんな工合にして何物にも 妨げられずに暮れて行く一日が、私には最も愉快である。趣味も娯楽もおのづからその中にある。実に晴れ晴れとした気持ちになれる。外にも道楽はないことも ないが、そんなものは第二次、第三次である。

(『神と玩具との間 昭和初年の谷崎潤一郎と三人の妻たち』の=)最初の校正を今終え、明年には谷崎潤一郎十三回忌および(谷崎の伝記作者=)野村尚吾三周忌を迎える。重ねて、感無量というしかない。  秦 恒平  一九七六年大晦日

* 心底から、今、わたしは、上の谷崎先生の感想に共感し同感出来るのを幸せに感じている。谷崎先生は老いれば何を楽しむかも時分の旧作をゆっくり読んで 楽しむと謂っておられた。いましも日々に関わっている『秦 恒平選集』の仕事は先生の言葉を早くはやくに読み知っていて、いつかわたしもと思い願っていたそれなのである。
2017 4/26 185

* 十一時半  やっぱり、がんばった。明日、昼前には発送作業を終えられる。仕事に打ち込める。大きな連休らしい。旅の出来る人も多かろう。羨ましくもあるが、このままも、いい。書庫に買っておいていつか読もうととって置いた『説経』の本を急に読みたくなってきた。
新聞やも雑誌の類はもう字が見えない、うす色のコピーや会報のたぐいまったく見えない。字の大きな本は本体も大きくて重たいのが難だが。わたしの選集、重いかなあ。
あ、日付がやがて変わる。寝床でもう少し校正してから本を何冊か読むのが、このごろの常。灯を消すのは二時。朝は、気儘に。
2017 4/29 185

* 中央公論社の「森銑三著作集」の月報は興趣ゆたかな佳い読み物だった。今度は角川書店「絵巻全集」の月報「絵巻」を二十数巻分、通してよんでみようと 思う、これは大いに裨益されるだろう。そのあとで「柳田国男全集」数十巻の全月報、同じく「折口信夫全集」数十巻の全月報も読み通したい。関連周辺の雑報 式の読み物ではあるが、読みやすく面白い断片の情報が満載されているのが月報の功徳。難は、みな字が小さい、長は、一編ずつが短くて筆者の気分はどれも 乗っている。いろんな著書を何冊も聞きかじったような徳がある。

* 四月が逝く。はやいはやい。
穏やかな五月であって欲しいが。わたしの大将人形と馬とは、どこに仕舞われているんだろう。
2017 4/30 185

* 角川版「絵巻」はたしか三十巻きに別巻二巻。都合三十二に及ぶ「月報」だけで束ねると八、九糎もある。一巻には、玉上琢弥 円地文子 徳川喜宣 梅津 次郎 長谷章久氏らが書き、さらに秋山光和・竹西寛子の対談もある。それぞれの立場からとっておきの話題で知見が述べられているのだから、それぞれに短文 であっても贅沢なほど中味がつまっている。玉上さんは「国宝『源氏物語絵巻』と『源氏物語』」の題で、目の覚めるような見解を簡潔的確に示されて、物語と 絵との切っても切れない関係が語られ、屏風絵・屏風歌なる慣習に移って、唐絵には漢詩、大和絵には和歌が添えられるがそれ自体が仮作(フィクション)の始 原のようなものと明快に。屏風は多くが六曲一双、つまり十二扇あるので自然と四季十二月月次の絵や詩歌が創られて行く。描かれている風景が歌枕として意識 されて行く。
こういう屏風の絵や詩歌を、絵解きし解説する大人やむ物識りや文人らがいて女子供に話してやる、それが自ずからな「歌物語」に成って行く。
屏風絵は大きくて部屋に場を占めているがいが、紙繪はそうはいかない、しぜん、専有的に物語を聞いたり挿し絵を見たりできる人数は少ない。絵と物語とが 一つの絵巻物に仕立てられるなどよくよくの趣向でごく少数物の専有秘蔵に属する。物語が読まれるには書写・写本によるしかなくそれらには絵はつかないし写 本の数はすくない。物語が多数の読者に読まれ出すのは「版」という仕方が技術として可能になってからのことと思うしかない、と。
源氏物語絵巻が何本も出来ていたのではないし、絵巻の形で読まれるなどは稀で、女子供は大人や物識りに読んで聴かせて貰うのだった。

* こんなことが一冊の著書の要点ほどの内容が、たった一頁半に、きちっと語られてある。玉上さんは傑出した源氏物語学者だった。

* 国宝「源氏物語絵巻」を所蔵されている名古屋徳川美術館の徳川さんは、いきなり大名家所蔵のの「表道具」「奥道具」がどのような区別であるのかを具体的に語り出されていて、思わず聴き耳を立てるほどに乗り出して読んで行く。
みなさんが、その人ならではの内容豊かな短文を競うように提出されているのだから、この「月報」というもの、まことにきちょうでしかも興味津々に面白い 文献集なのである、わたしは早くから選りすぐりの全集本での月報を珍重してきた。「ああ、月報は捨てちゃう」などという阿呆名な人もいる。但し単独作家の でなく集合の「文学作品」全集の月報は、あんまり役には立たない。専門書として編成された全集の月報が価値高い。
『絵巻』三十二巻の月報を今年中かけて堪能するほど読みたい。森銑三著作集の月報も大いに楽しんだ。
2017 5/1 186

* 朝一番に金沢の松田章一さんからお便りと本二冊、もう久しい「左葉子通信」など戴いた。わたしと一歳下のもう久しく久しい友人で読者であり、同じほど の昭和の生き残りなんだなあと懐かしい。金沢大教育学部附属高校を記念する愛溢れた一冊、また金沢の偉人鈴木大拙思い出の一冊。
前者の高校へは松田さんに誘われて「私の私」と題して講演した思い出がある。超大講堂で奥の壁からわたしの声が反響してきたのを憶えている。生徒諸君とのあとの一問一答もこころよかった。
鈴木大拙の名は高校に入った頃岩波新書で禅の著書に触れたのは大きな出発点になった。角川文庫の『般若心経講義』をむさぼるように愛読していた頃に重なる。歌集『少年』の成るのに背後の空気のようにわたしを包んでくれていた。
2017 5/4 186

* 疲れ果てた。下へおりて、機械の字でない字の本を読んで寝よう。ついにわたしの連休も終わる。この二三日一の楽しみの読書は、昔に井口哲郎さんに戴い ていた、石川近代文学館編の大きな『近代戯曲集』巻頭の鏡花作「天守物語」。せりふや場面の端々隅々まで何度もの観劇、ことに玉三郎演出の舞台を楽しみ尽 くしてきたので、活字から舞台が立ち上がるように甦るのだ、それが途方もなく面白く、いまでは鏡花の代表作は戯曲の「天守物語」し「海神別荘」と極めが着 いてしまっている。小説をあげろと言われても突出して一つ二つがでてこない、ま、学研版のために私の選んだ『高野聖』『歌行燈』に、現代語訳もした『龍潭 譚』か。
わたしにはことに「天守物語」「海神別荘」は魂の故郷のように懐かしいのである、怖いクセして。わたしの初期作の多くがその同じ懐かしさをひしと抱いている。
2017 5/7 186

* ものの十数分も近所を自転車でゆっくり走っていただけで両頸の横が詰まるように痛み、こわくなって立ち戻った。横になって、枕草子を読んで、やすんだ。
体調の調わぬことに気が陰る。

* 久しい読者でもあってくれる正古誠子さんの第三歌集『卯月の庭』は、堅実に鋭角的な措辞の妙の光った写意・写実、近来「短歌」集の収穫かと思われる。願わくは、豊か味が添いたい。
2017 5/8 186

* 枕草子の類聚篇わたしのように現代語訳するとすてきに嬉しく恰好の石清水のように胸ら落ちる。
源氏物語の「夕霧」が柄にない恋を野暮なほどぎりぎりと、柏木に死なれた女二宮へ向けて行く。源氏の正妃女三宮に横恋慕し現在の妻を「落葉の宮」などと 疎んじ続けた情け薄き柏木よりも、根は実直な夕霧の方がこの未亡人を結果は優しくすくい上げて行く。この恋の沙汰がおさまるともう光源氏の世界は夕闇へ沈 んで行くのだ。わたしは「御法」「幻」の二巻は近年はパスして「雲隠」あとの繋ぎ三帖「匂宮」「紅梅」「竹河」へ跳ぶ。

* 百二十五歴代はとぎれなく憶えきっているのに、わたし、源氏物語五十四帖の巻の名を正確に順には憶えてこなかった。
きりつぼ ははきぎ うつせみ ゆうがほ わかむらさき すえつむはな もみぢのが はなのえん あふひ さかき はなちるさと すま あかし みをつ くし 辺までは堅いと思うが。順を追わなくてよければ大方出てくるが、順が大事なので。ふじのうらば で夕霧は幼な恋を遂げ わかな上 わかな下から源氏 の物語はかげって行く。
みのり まぼろし くもがくれ にほふのみや こうばい たけかわ そして宇治十帖になる、巻の名はおおかた出てくるが、はしひめ から てならひ ゆめのうきはし まで、まだ正確を欠く。やどりき、あげまき、さわらび、あづまや、うきふね、てならひ、かげろふ、などがある。一つ足りない。
当分は、これを記憶して遊ぶことに。物語をアタマに納めるのにいい遊びになる。
数は五十四より少ないのに忠臣蔵の四十七人の姓名がよういに憶えられないのが癪の種である。
2017 5/8 186

* テラスにデッキチェアを出し、 あしもとに白米をすこし撒いておいて、里見弴の短編「父親」を読んでいた。会話が徹底した大阪弁なのに感じ入る、ああ そうかそうかと、もの言いやモノの名や仕きたり・振るまいの一つ一つに懐かしく納得しながら読まされてしまう。この作家の徹した作風が露わで、もう花のつ く世間からおりたもと母芸妓と売り出しの娘芸妓げいこの裏町の小家へ母のもと半年ほども深い仲だった男が訪れて深酒が荒ればんで行く。世話の描写に徹して 理想っ気など滴もない描写は感嘆の細密藝、だが、それっきりで、小説としての落としどころは、不逞にけちくさい好色なそんな男が、あるいは娘芸妓の「父 親」だったかも、そうならどうなるのやという、因縁。うまいものだが、それだけ。そのそれだけを楽しめる読者だけが里見弴の世間へ入って行ける。わたしは少年の昔からわりと入って行けた。大昔の第ヒットだった全集本の古本の一冊「里見弴 佐藤春夫集」を買っていた。そして春夫の名作の誉れ高い『田園の憂鬱』などには入って行けず、里見の「多情多恨」などという遊蕩小説はおもしろく読み上げていたのだ。
そんな古本を書庫で見つけて持ち出してきた。この里見が白樺派の一員だったのは理解できるけれど、志賀直哉と喧嘩したなどもっともな気がした昔を想い出す。この里見の晩年の作が一つ二つと小津安二郎映画になっているのも忘れていない。

* チェアの足もとへ撒いた白い米を、つがいの雉鳩が二羽、舞い降りてきて嬉しそうに食べていった。
2017 5/9 186

* 起きあがろうとしてふと改造社の全集の「里見・佐藤」本を手にし、二人の自筆年譜を面白く読んだ。この全集は、白い紙を売らない姿勢に徹していて ちょっとのシロも埋め草で詰めてあるのも面白く、ことに佐藤春夫のには殉情詩集の詩で多くうずめてあり、むかしこれらを拾って愛読したのを想い出した。ず いぶん甘い詩で、子供心にもひゃあとかふーんとかいう気分で読んでいた。春夫のさくでは「星」という作を嘆賞しこういう書き方があるのか、こんなふうに書 いてみたいと思ったものだ。ほかは「田園の憂鬱」も「都会の憂鬱」も「西班牙犬の家」も読まなかった。妙に退屈で読めなかった。
それでいて二千枚もの里見の遊蕩ただならぬ「多情仏心」を読み通していたのだから笑えてしまう。掌編「椿」も短編「父親」も読んでいる。里見弴の年譜も、今更にへええと思える妙味あり、佐藤春夫のも、ふたりともけっこう文学青年のはりきりが窺えて微笑ましい。里見遊蕩の情緒、佐藤空想の抒情ということか。しかし文学への見識はともに堅い。
弴 は、巻頭に自筆で、「私は触れて来る心を物を正しく観、はっきり感じ、遂にその真髄にまで突き入り解らうと思ふ。私は一生を「解る」ことに捧げ尽してゐる 者だ。従て小説を書く動機もそれで、解りたい為に書き、解りつゝあると思へるから書き、解り終せたと信じられゝばこそ筆を執ることになるのだ。 昭和二年 初夏 里見弴」と書いている。彼の「解る」はいわば「人情」と「関係」に尽きていてそこへ徹している。高邁な哲学の要請ではない。ほぼ四十歳余の述懐である。
春夫も自筆で、「僕は彷徨者であるらしい。僕の道は逶迤としてゐる。時に南に向ひ時に北を指し、又東又西。人々は僕の鼻の向いたところが常に違ふのを怪 しむかも知れぬ。しかし僕の道は一路である。さうして僕は歩きながら花をつんだ。雞犬の聲あるところでは知られざる犬を呼んで口笛を吹いた。人々は行くて のない散歩者だとも僕を思つ居るらしい。 佐藤春夫しるす」と書いている。里見より佐藤は四歳若い。彼が若き日々の年譜はかなり荒れた彷徨者(ロマンチス ト)の抒情味を示唆している。里見の方は遊蕩の情緒世界に浸ったと見えつつ、恋妻とともに堅い家庭とよき子女を得ていた。
古本屋でこの三段組み560頁、昭和二年刊の大冊を、いつ頃のことか、80円で買っていた。昭和二十六、七年、高校生の頃か。いい買い物だった。とにかく古本屋に入り浸っていた。
2017 5/10 186

* 月報集「絵巻」はズーンと内容が重い。短文の一篇一篇にしたたかに教えられる。二冊目は『一遍聖繪』という最初の『源氏物語絵巻』に劣らない名品。一 遍には弟で弟子、絵巻の書き手でもある「聖戒」について、また歓喜光寺という時宗寺院に関してもいろいろ教わり終えて、ひょいと次頁をあけてビックリ、わ たしの名と写真があらわれて望月信成先生と「対談」しているではないか、すーっかり忘れていた。源氏物語絵巻では竹西寛子さんが美術史学の秋山光和さんと 対談されていて懐かしいなと思っていたらも一遍聖繪の対談にはわたしが使われていたとは、恐縮した。望月先生はわたしが高校生ごろに既に京都では聞こえた 大学者でいられた。何十年も経って私も八十一だが文字どおりに恐縮した。明日、おそるおそる読み返してみます。
2017 5/10 186

* 安倍や、忖度役人らのウソつき放題を国会で見せられるのは、正直に言って、心身の全部を汚されるようで堪らない。
漸くに自民党や内閣からも、岸田外務、麻生財務、また石破、伊吹等々が憲法九条を替える必要無しと声を上げてきた。歓迎する。
夫妻して「ずぶずぶ」に籠池・森友と深い「関係」にありながら、「関係があると判れば直ちに総理大臣をやめる、国会議員も辞する」と国会で公言した国民 への約束を今だに守ろうとしない「ウソつき安倍総理」こそ、國と国民とを謬る病原といわねばならぬ。退陣を求める、強く強く。

* けっして安倍と比較してなどという気はなく純然とした敬愛からいうのだが、小学館が出してくれた、文・矢部宏治 写真・須田慎太郎の『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』 心より廣く読まれたいと願う一冊である。心よりそう思う。
2017 5/12 186

* 法然と親鸞の出会いを読み、義満と世阿弥の出会いへ転じた。

* 一つ、こころを決めた。押し入れの奥までをぎっしり占めていた東工大学生諸君の三万枚に及ぶ挨拶の文などを全部処分して東工大をわたしも卒業すると。 関係の書類や資料もびっくりするほどノコしていたが、もうそれらに目を触れる残りの余裕は無い。それよりも身のそばを少しでも寛げないと、先日のような棚 崩れした本の下敷きで大怪我をしかねない。
棄てることを憶えねば。
なにしろ湖の本の関連もの、本自体はおくとも、校正刷りなど唸るほど関連残滓のあるのを棄てはじめている。山のように原稿の初出雑誌や初出本が保管して あるのも、「四度の瀧」年譜所載分までは目をつむって棄てようかと思いかけている。わたし自身の著書だけは単行本や共著本や限定本や湖の本は置いておく が、それも三册ずつ程度に絞って他は欲しい人にあげるなり図書館や古本屋に引き取って貰うことにしたい。
狭い家を言語道断に狭くして暮らしている。愚かしいのかも。
2017 5/12 186

* 「湖の本135」の再校が出た。「選集二十一巻」の再校、終盤へ来ている。「選集二十二巻」の入稿前再読、辛抱強く続けている。「湖の本136}の初 校も届いている。選集の一巻はだいたい湖の本四巻ないし五巻分に相当している。平均して常時少なくも「湖の本規模の十巻分」に作業の手を触れ生活してお り、さらに先行して、新作の創作数種と多種多様の読書生活がある。
読書はその場その場、窓辺に立ったままでも庭へ出ても書庫でも書架の前でも。
今朝は二階の廊下で立ったまま、「大乗非佛説論」にかかわっての仏教史に読み耽った。『出定後語』を著していた十八世紀富永仲基の、辛辣でかつ正確な 「異部加上」説に基づく議論・追求のすばらしさ、息を呑んだ。書庫にあるだろう『出定後語』原典にもぜひ向きあってみたい。
基督教は聖書一冊で足りかつ足らせているが、仏説は、小乗・大乗の大蔵経夥しくて、釈迦自身の言葉は不確実にかつ極めて乏しい。『仏のことば』とまとめ られた本を一、二読んでみたが、他方で阿弥陀三経や法華経や般若心経や木蓮経等々の大乗経を読んでも、謂わばさしわたしの長さ広さは途方もない。法然遺言 の「一枚起請文」でいいじゃないかと、途方もない結論を持ちたくなってしまう。ないし不立言語の禅へと気持ちは向かう。
で、やはり現代の和尚バグワン・シュリ・ラジニーシに聴きたくなるのだ。

* 昨日、笠間書院から、中世王朝物語全集の新刊、第四巻になる大冊『いはでしのぶ』を戴いた。このまえの『石清水物語』は新味も含んだ中世物語だったが、この『いはでしのぶ』は王朝物語をかなり深く意識しての創作と思われる。楽しみに直ぐ読みはじめる。
昨夜源氏物語は「夕霧」巻をしかと読み終えた。父源氏の正妻で内親王である女三宮を犯して薫を生ませ、懼れのままに死んでいった藤原氏の惣領柏木の親友 夕霧(父源氏と岳父藤氏が親友だったように)が、夫に死なれた妻の落葉の宮(内親王女二宮で女三宮の異母姉)に迫りに迫って情交を遂げ夫婦になってしまう 物語り。この時代の貴族男女の情交は、その大方が優雅を装いながら紛れないレイプなのである。異様な情緒である。中世の『いはでしのぶ』はどうかな。皇后 定子が清少納言に示した「いはでおもふぞ」の一語も偲ばれるが。
2017 5/13 186

* 物語「いはでしのぶ」 なかなかフクザツにおもしろそうで、少し胸とどろく。

☆ 整理・処分をお考えになっている由、初出本や、国会図書館に欠けている虞のありそうな初出誌等纏めて戴けたらと思います。
つい先日、桑原武夫の遺族が京都市に寄贈した1万余りの蔵書が無断で廃棄されていたというニュースが流れましたが、散逸するのも、大学・公共図書館の閉架書庫や個人宅で死蔵されるのも、惜しく、悔しく。
より広く、深く読み継がれますことを希望しています。
微かになってきた雨音を聞いています。   神奈川  研究者

* 京都市の一件には胸が冷えた。広く、深く、そして永く読み継がれたいものと。「京都」がなあ。図書館長は中西進さんだと思っていたが。そう思って選集も送っていたのだが。「京都市」という意味は。とても気になっている。
2017 5/13 186

* 妹尾徤太郎夫妻の元へ昭和初年に集中していた、谷崎潤一郎と三人の妻達、佐藤春夫、谷崎鮎子、谷崎終平、谷崎すえらの二百通ちかい親書(多くは毛筆・ 但し写真とコピー)とを、一括して谷崎研究家の永栄啓伸さんに譲り渡した。わたしの書き下ろし論攷にすべて紹介はしたものだが、大冊をくり返し校正してい る間にも、論及仕残された「かなり大事な問題や課題」の幾らも残っているのに気がついた。もうわたしには追いかける余命乏しく、思い切って永栄さんに託し た。この人には谷崎論攷にすぐれた著作も論文もあると同時に私の作品を論策されたお仕事も粘り強く続けて戴いている。譲り渡した資料はどのように使われて も処置されても差し支えないので、せっかくの活用があれば有り難い。
谷崎の原著書で初版の原形をのこした何冊かも手元にあり、おいおいに委ねていきたい。谷崎に関する大勢の論者の著書も、このさき、谷崎論。谷崎学に向かおうとされる若いすぐれた学究にとり纏め差し上げたく、佳い出会いを願っている。

* もう、機械目が限界。階下で裸眼で校正、そして読んで、眠る。
2017 5/14 186

* バグワンの語る「老子」は、いろんな意味で徹底している。バグワンは言う。
老子は狂気のロジック(論理)を持っている。不条理のロジック、逆説のロジック、狂人のロジックだ。隠された生命の、微妙な生命のロジックなのだ。老子 の言うことは何から何まで、うわべは馬鹿げている。奥深いところには実に大いなる一貫性が宿っている。東は西であり西は東であると老子は言う。それは一緒 だ、ひとつだ。老子は反対のものの「ユニティ(統一)」に信を置く、そしてそれが生のありようだと。
老子の精神性を見るのは難しい。彼は実にあたり前だ。仏陀がかたわらを通り過ぎる と お前はたちまちそれを認めるだろうとバグワンは言う。仏陀を見遁すのは難しく、ほとんど不可能だ。だが老子は ただのおまえのお隣さんでしかないかも。老子は桁外れにあたりまえだ。
あたりまえでなくなるのは易しい。ただ努力が、洗練が、錬磨が必要なだけで、それは深い内的な「訓練」にすぎない。しかし、あたりまえであるということは、本当は最もあたりまえでないことだ。何の努力も役立たない。何の稽古も役立たない。無方法。ただ理解するだけ。
老子になるには、思惟も瞑想も無用の長物、ただ理解すること、ただ生をそのありのままに理解すること、そしてそれを勇気を持って生きること、逃げ出さない、隠れない、それに直面すること、それが何であれ。「老子」とは、ありのままあたりまえの老いぼれであるということ。

* 『老子』という書物にただ出会っただけをいうなら、ビックリするほど大昔だ、わたしは小学生のしかも下級生だった。秦の祖父の蔵書だった。老子は、バ グワンがこう言うているまことそのままであった。孔子にはぶつかれた、仏陀にもキリストにもぶつかれたけれど、老子にはぶつかるという気も、起こらなかっ たのではない、起こせなかった。バグワンのいうように理解する、鵜呑みするほどに理解するしかないなあと嘆きつつ、まだまだ理解のよほど遠くから見てい る。いくらみていても、それは仏陀でもキリストでもなくて、ふつうの爺さんなのだ。やれやれ。

* またバグワンに手をひいてもらいます。
2017 5/15 186

* へんに寒い日で、わたしもしきりにくしゃみする。下半身が寒い。この辺で、と云っても十一時過ぎたこと、階下へ降りて蒲団へ脚だけつっこんで本を読も う。かつてのひところに帰って、枕元に大小の本がる十册余も積まれてある。ゲラもある。妻の容子も看ながら睡くなるまで読みたいだけ読む。機械の画面字は 見にくい限りだが、裸眼での本はむしろ慣れてくると読める。
わたしもからだのアチコチが硬く、いささかボーとしている。

☆ 京都には
現在も市立図書館は設立されておらず、名誉市民でもあった桑原さんの蔵書は三度の移動の後、右京中央図書館副館長が処分を決定、万葉学者の中西進さんは京都市中央図書館と右京中央図書館館長を兼任されています。  読者より

* なんともいえないが、不愉快極まりない。
2017 5/15 186

* 京都の図書館での桑原武夫寄託一万冊廃棄の件、日本ペンクラブとしては事情調査ないしペンとしての検討を願うむね、世界ペンの副会長である堀武昭さんを頼んで、申し入れをしておいた。
2017 5/16 186

* お見舞いのメール頂いているが、そのままで失礼している。 さ、また病室へ向かい、夕方まで話し相手をしながら、枕草子や「女の噂(一)」の校正などしてくる。校正仕事は停滞がない。
読書は、源氏物語が中継ぎ三帖のあたまの「匂宮」に入り、ほかに討論『中世の風景』また「絵巻」月報三、一遍聖繪につづいて、平治物語繪詞。沙翁劇は悲 劇中の悲劇の名作「リア王」 そして中世の『いはでしのぶ」 を読み進んで気持ちの平穏がえられるまで。そしてリーゼ一錠で昨夜は寝入った。
2017 5/18 186

* 重苦しい疲労の底で、湖の本のために小説「黒谷」また「女坂」に次いで小説ではない「女の噂(一)」の校正が楽しいし、枕草子の読みも楽しい。助かる。
2017 5/18 186

* しんから疲れていると感じるが、仕事は先へ先へ追って行かねばと心に決めている。立ち止まったら倒れてしまう。歯も、がくがく。九時前だが、機械からは離れる。今日。久間十義さんにもらった本を読みながら寝よう。
2017 5/25 186

* 昨夜はこころもち早めに床に就き、討論『中世の風景』下巻、中世物語『いはでしのぶ』 『源氏物語』「竹河」巻、 沙翁悲劇『リア王』 バグワン『老子  道』 西鶴『一代男』 を少しずつ読み、夜中手洗いに立った後ねむれず、また同じだけ読んで、寝入った。七時に目がさめ「もうすこし」と又寝して寝坊し た。しかし寝ればカラダも眼も休まる。ただし夢は見る。明け方の夢では、例によって独りでたわいなく議論していた、自問自答。
生きるには「食べねば」と。食べてどうなる、「生きられる」と。何しに生きる。さかんに答えていたが忘れている。安眠、熟睡の出来ないヤツである。
2017 5/30 186

* 疲れれば横になり、すぐには寝入れないので本を読む。この午後は、中公新書『法華経』後半の、近世近代の日蓮の影響を熱中して興味深く読んだ。中世の 法華(商人)と念仏(農民)との激烈な一揆の戦闘から法華の敗退と、近世に入ってのはげしい「不受不施」の抵抗とキリシタン弾圧にいささかも劣らぬ法華弾 圧の歴史も胸を打って強烈だったが、明治以降の近代日蓮思想の「国家観」をめぐる展開を、北一耀や井上日召らの思想言動を介して、大筋を読みおおせ、興奮 すら覚えた。大方はかつても読んで知っていたことながら、こういう時勢になると、いろんな物思いを強いられるのだ。戦後の創価学会にまでは筆の及んでいな い本なので、そこか残念。公明党は何を考えているのだろうとこのごろ訝しくて成らないだけに。

* そして、ほんの少し、寝入っていた。
2017 5/31 186

 

* 印刷所から、製本時に事故があり、「選集⑳巻」の五日納品を七日にさせてと。それはいいが、製本は完璧に願いたいと、希望。

* なにもかもがスムーズにとはいかないモンだなあ。
ISをかかえクルドをかかえ、米ロが構え、トルコも我を張る「中東」事情を解説されながら、暗澹とした絶望感にとらわれる。
こんなとき、わたしを清しく洗ってくれるのは「老子」を語る、和尚バグワン。バグワンは、どの優れた宗教者よりも老子を身にしみじみと共感豊かに語り聴かせてくれる。涙が出そうに、ありがたい。老子にもバグワンにも毛筋ほども狂信がない。

* 老子はロジックを用いない、アナロジーで語っている。わたしの最も惹かれるのがそこだ。わたしは論攷や評論や研究めく仕事を、「花と風」でも「女文 化」でも「趣向と自然」でも「谷崎論」でも、詞藻をつくしてのアナロジーとして、極端にいえば「詩」かのように書いてきた。バグワンに融け込めるのは彼も またロジックに毒されていない、毒されるな毒されるなと手を引いてくれるからだ。
2017 6/1 187

* ひどく疲れている。こんなことではいけない。明日、もういちど西武線に乗ってみるほどの気になれるといいが。
テレビもつまらなく。円本で里見弴のばかばかしく長い長い二千枚もの「多情仏心」読み直そうか。ちょっとシャクだが、これが読ませてしまうのだ不思議に、引き込むのだ。それにしても円本、三段組みの二千枚は目にきびしい。ぐっすり寝たい。
2017 6/1 187

* 日本史と西欧史の中世学者四人の討論、中公新書上下巻『中世の風景』を再び熟読し終えた。あいつぎ網野良彦の『無縁・公界・楽』の気を入れた再読にかかっている。「中世」はわたしの思想上の活力に溢れた源泉であったとしみじみ思う。
2017 6/4 187

 

* 妙な二つに取り付いている。一つは何十年めの再読『多情仏心』里見弴の代表第長編。も一つは韓流ドラマ「王女の男」。
「多情仏心」はなんら血沸き肉躍る雄編ではない、終始一貫いわば「遊蕩紳士(=多情仏心)」の生き方を、仔細に、在るままに描写し尽くして飽かせない情 緒的なおはなしで、特段の感動もないのにずらりずらりと読ませる、まさしく「弴語り」。まだ二十台もはじめのわたしがこんな二千枚を読み切って決して投げ 出さなかったとは不思議で、何らか、却って私自身を解説する気味の愛読であったし、おなじ事を今またくり返しかけている。
韓流の方はあきらかに沙翁劇『ロミオとジュリエット』のご当地改竄もの、ただただどう創って行くかと先々を面白く推し測るだけ、だが、純愛の交錯劇の面白くないわけはない。
2017 6/6 187

* 選集二十二巻の校正もずんずん進んでいる。疲れれば横になり、『多情仏心』へ惹き込まれたり、「絵巻」月報を面白く読んだり。酒もワインも。しかし晩の九時以降は飲まないと決めている。
明日もはやく起きて出掛ける。
2017 6/7 187

* 昨日 押し入れの天袋へ手をつっこんでいて、数册を引き寄せた。「宋黄山谷書墨竹賦等五種」「柳體楷書間架結構習字帖」「顔眞卿麻姑仙壇記大字帖」 「蘇東坡大楷字帖」「鄧石如隷書字帖」の五冊、無筆のわたしには文字どおり持ち腐れの寶で、心ある人ならこれで気を入れて習字されるだろうに。なんでこん なお宝が家にあるのか、思うにお隣の柴田さん(故人。もと中国通の産経記者)の家を買い取ったとき、打ち捨てられて残っていたのを拾い集め仕舞っておいた のだろう、色んな物が残っていた。
書は、わたしの愛する美術で、また最も苦手とする藝。こういう冊子は、みているだけで、佳い画集に向かうのと同じく惚れ惚れする。絵の印刷は色校正次第 で、とてもムラの有る物だが、墨書にはそういうムラが、ま、無いとさえ言える。印刷であってもおよそは眞に近く、心安んじて見入れる。佳い書は、繪の名品 にも上まわって精神を励まし静める。王羲之でこそないが、ここにみる名前は名声ひときわの達人ばかり。眺めているだけで、ウジとした気分はとび失せる。
気のある人に差し上げたくても、テンと同好の知人に思い当たらないのが、残念。

* バグワンに「老子」を聴いている。彼の老子は、老子そのもの、老子はバグワンその人のように想われて読み進む気持ちに深い安心がある。彼らは、高ぶら ない、「いま・ここ」のありのままを語ってくれる。おしつけがましい教育・教訓など言わないで、しみじみと「まこと」に触れ合わせてくれる。
2017 6/12 187

* 朝目ざめて、いちばんに蘇東坡の「大楷帖」を手に取り、楷書の気品の深さ大いさにあまりに清々しく圧倒されて、嬉しくてならなかった。「書」の魅力の深さは、造形美術の最良のものに匹敵する。

* 冷えるので、湯に漬かり、ゆっくり『枕草子』と『中世論』のゲラを読み、さらに源氏物語「竹河」巻を読み終え、「絵巻」月報4で『伴大納言繪詞』がらみに応天門炎上のもった意味を教わり、バグワンには『老子』のことを頷きながら聴いた。
2017 6/13 187

* 金沢大学 法・経・文 同窓会創立50周年記念誌に書かれた井口さんの「金沢大学らくだの会創設譚」という一文を読ませて頂いた。いかにも井口さんの「青春」一断面が穏和な筆致で的確に描き出されていて、羨ましく読んだ。
わたしの大学時代など、教室では懸命にノートをとり、済めば構内から足早に京の街や郊外の寺社へひとりで歩きまわっていた。のちには、妻になる人と二人 で、ただただ歩きまわっていた。歩いているかぎり費用は要らない。貧しい学生だったが、たっぷり「京都」に学んでいた。
2017 6/14 187

* 十一時に床について次々に本を読みはじめ、気づいたら三時。手洗いに立ち、寝入ったはずがふとまた気づいて四時。また本を読み「枕草子」の校正もして、六 時に灯を消したが七時に目ざめた。そのまま起きて、ひとり、美味い昆布や田麩で残っていた半勺ほどのしたみ酒を干した。体重は覿面に減り、血圧は高かっ た。血糖値はほどよく。

* なぜ睡れなかったか。悩んだのではない、どの本も本もすこぶる面白かった、いや心惹く物をもっていて、ついつい読み進んでいたのだ。
源氏物語は、宇治十帖「橋姫」の巻が、平易でしかも静かに息の籠もった佳い文章で、宇治八宮の境涯へわたしを誘い込んだ。高徳の山僧や、冷泉院、中将薫らの心優しい登場も嬉しく、まだ幼いほどの姫姉妹、大君、中君の姿にももののあはれはひとしお増した。
わたしが、日本の古典ものがたりに触れて文を綴った最初は高校の新聞に寄稿した「更級日記の夢」そして大学へ入学早々創刊された紀要にまだまだ心幼い 「宇治十帖と人間形成」なるモノを掲載して貰った。三度目が、会社勤めの合間を盗むように東大国文科の「書庫」ゑとくべつに入れてもらい、小説『斎王譜= 慈子』を生み出す下地のような「徒然草の執筆動機について」であった、コレも母校の紀要に送り二回に分載された。もうあの頃は何としても、きっと谷崎潤一 郎論をと願っていた。谷崎へとわたしを導いたのは、むろん源氏物語であった、母と「母」とへの生得の関心であった。一冊の文庫本「吉野葛・蘆刈」がわたし のなかで源氏物語と化合していったのだ。

* このところ「絵巻」月報を次から次へ興味深く教わりおそわり読み進んでいて、「源氏物語絵巻」「一遍聖繪」「鳥獣戯画」「平治物語絵巻」「伴大納言繪 詞」「信貴山縁起絵巻」と孰れ劣らぬ名作について、作家のエッセイ、専門家二三氏の考察や解説、珍しい写真そして美術史家と作家との長めの対談を、大方興 味深く読んでいる。月報の全部を一揆に通読して行けば、関連の知識だけでなく絵巻という不思議な美術への敬愛をしっかり持てるだろう。
但し、読めば読むほど初読でなく、克明にわたしの入れた朱線が「お先に」とわたしを招いている。今度は黒いペンでさらに要点や要所を確認しながら読んで いてまことに興味深い。こんな一連の、すっかり忘れていたが、わたし自身が早々の二番バッターとして「一遍聖繪」をえらい先生と対談していた、きれいに忘 れていた。辻邦生さんや木下順二さんのエッセイも読み返せて懐かしかった、まだもう六、七倍も月報「絵巻」は続く。楽しみなことだ。
これを終えたら、森銑三著作集の月報に次いで、柳田国男全集の全月報、折口信夫全集の全月報もまとめてシコシコと楽しみたい、読みたいと思っている。

* バグワンの『老子 道』は、ま、何度目を読んでいるのか、しかし初読みの新たな感触と納得とで、心嬉しく、やはり先行した朱線に黒いペンで線を載せて行きつつ、しみじみと心打たれまた励まされて、読みはじめると永くなる。
ゆうべは第三章を耽読。「弓をぎりぎりまで引き絞れば ほどほどのところでやめておくべきだったと思うだろう。 持而盈之、不如其已」「仕事を終えたら 身を引く、それが天の道である。 功遂身退、天之道」と『老子』は上篇第九章に語っている。彼老子は、そしてバグワンは、徹して生のトータリティを大切 に、それを為し成すには「バランス」が大事と切に語り続ける。
昨日今日の我が国の昏迷にもしかと触れ、「生はつねにバランスをつくり出す。なぜなら、アンバランスというのは一種病的な事態にほかならないからだ。も しひとつの国で、政治家たちがあまりにもエゴイスティックになり、過剰に歪んだ政策や服従・忖度を国民に強いたりすれば、やがて痛烈な軽蔑に見舞われる。 政治家たちは、過剰な権力に任せた不当な欲望や追従など強いるべきではない。とかく、どんな政治家も自分が権力の座につこうなら、お山のはだか大将にな る。自分の限界を破ってしまうのだ。所詮、彼は引きずりおろされる。生はけっして不公平ではない、ということをつねに心にとめておきなさいと老子は説きバ グワンは語っている。
限界をわきまえること、つねに真ん中にとどまり、つねに満足して「もっと」を渇望することはない。

* そして里見弴の『多情仏心』 ほんとうに彼が言うように二千枚の作かどうかはともかく、続篇をのこして前編を読み終え、なお続篇の最初章も読んだ。主 人公藤代信之は、作の表題から勝手に飜訳して「遊蕩紳士」と観ているが、となもかくにもこれは奇妙に俗をはらんだ長編文学であり、その本性を前編において 作者は「三つ」漏らしている、一つはこの遊蕩紳士、「人の真心」をひたすら大切にする。二つに、その、まごころ籠めこの人生で彼が為すべく成したい「信之 の一生の仕事」はなにか、唖然、
それは、云ふまでもなく(資格ある)弁護士の職を指すわけでなかった。
女に惚れることだった。本気で惚れ、女にも本気で惚れさせることだった……。
そして三つに、彼、遊蕩紳士が「真心」から実践してきたのは、惚れあった中の最も最たる何人かの女に「金鵄勲章」を最高の情愛のしるしとして贈ることにしていた。
ーー仮令自分たちの恋の末はどう終らうとも、自分としては一生あなたに好意をもち続けずにはゐられない。あなたにも、その気持ちだけは同じく永く続い て行くだらうと信じられる。何年かの未来に、自分たちがどれほど変った境遇のもとに置かれてゐようとも、どっちかの一人が、萬一にも瀕死の床に就くやうな 場合には、必ず報知の電報をうつこと、またそれをうけとったものは、萬難を排しても急行して、お互いにとり交した心の誠を悦び合ひ、感謝し合はう、ーー
これが、「これまでに信之が、女に与へた約束の言葉のうちで、最も尊いものとして、自ら<金鵄勲章>と称へ、易くは許さないことにしてゐるもの」だとこの小説作者は本文中に書いている。
ま、わたしも随分数多く小説を読んできたが、かくも奇天烈な主人公による表白は聴いたことが無かった。しかし、里見弴は真っ向こう書いてこの三箇条に徹到した「藤代信之」をほぼ自画像にちかくすら書き表している。
そんなことは、昔々に始めて円本の古本を買って読みはじめた時から、読み取っていた。そして「妙な小説や」と思いつつ渋滞無く完読して印象にはしかと留 めていた。今回も又、夜更けても読みつづけているのだ。藤代信之は人格者の「色魔」とも作中に噂されている。実に女に惚れられる。惚れる。しかし「まごこ ろ」は崩さない。家庭には大事に思う妻り三人の愛児もある。幸か不幸か親の十二分な遺産をただ費消している。弁護士は名前だけに近い。

* 里見弴は「白樺」同人であり、産まれながらの上流資産家に育って、悠々の経済に恵まれ、奔放に結婚し堅実な家庭を営み、それでも「多情仏心」の放蕩紳 士でも有り得ていた。妙な作家である。兄に有島武郎、画家の有島生馬がいた。志賀直哉や武者小路実篤の年少の友だった。白樺のなかで、どう位置づけてよい 作家か分かりにくい。ディテールにまで神経質なほど尖鋭に目のとどく文章家であり、脱線も多い。通俗とは云うまいが風俗作家である。
わたしは、あまり敬も愛も貢いではいない。
しかし、御蔭で昨夜は二時間半も寝ていない。
2017 6/16 187

* 六時に枕もとの灯をつけ、島津忠夫さんの最後の最期の遺著となった『源氏物語放談』の「橋姫」の稿を深い喜びもともども熟読し、しっかり教えられた。この著書は、わたくしのくり返し必携必読の書となる。
それにしても、源氏雲隠れのあと「匂兵部卿」「紅梅」「竹河」三帖をはさんで第三部宇治十帖がはじまる「橋姫」巻の叙事叙述の堂々とかつしみじみ美しい ことには胸つかれるほども驚いていた、それで島津放談にもとびついて教えを請うたのだ。「若菜上下」巻をはさんだ源氏物語一、二部があっての宇治十帖の綿 密に丁寧な構想とはよくよく納得してきたが、それでもなお宇治十帖が完成された美事な一長編小説であることにも疑いは持てない、それほどよく書けていると くり返しくりかえ氏くり返し感嘆してきた、昔から。真実のヒロイン、匂宮正妃の中君は、光源氏の愛妻紫上とともにこの世界一の古典世界をみごとに飾る中味 の濃いみごとな女性で、浮舟などは問題にならない。他の物語では、ほぼ唯一、「夜の寝覚」の中君こそが紫上、宇治中君に次ぐすぐれた女主人公であるとわた しは愛している。

* 寝床の上で朝の一時間を「橋姫」「放談」そして、バグワンの「老子」を読んで満たされていた。七時にひとり床を起ち、体重、血圧、血糖値を計り、イン シュリンを四単位注射してから、ごくごく簡素で少量の朝食を摂った。TBS日曜きまりのわりとまともな、それだけに型にもはまってすこし物足りなさもいつ も残る関口宏司会の番組を前半だけ観て聴いていた。発言の顔ぶれには何の不満もなく、賢い発言にもみな同感してはいるが、お顔ぶれが割り当てを順に穏やか に「話して下さる」感じ、激しく打ってくる訴え求めてくる訴求力に弱い。
ただこの番組、締めくくりに、昨今のジャーナリストのなかで最も信頼に足るすぐれたコメンテーターがいて、番組の全容をきりっとし纏めてくれる。この彼 への信頼でわたしたちはこの番組と日曜の朝ごとに向きあってきた。TBS夜のニュース23をこの人と膳場貴子アナとが担当していたときは短時間ながら気魄 の批評が電波を戦がせていた。あしき政治的介入で潰されたらしく、代わった連中にはジャーナリスチックな根性が弱くて甚だもの足りない。口先での言葉だけ の批評ではダメ。気概と気魄とが感じられる発言でなければ。
2017 6/18 187

 

☆ バグワンに、そして老子に聴いている。
弓をぎりぎりまで引き絞れば ほとほどのところでやめておくべきだったと思うだろう……。生は何ひとつ完璧を望まない。完璧とともに停止してしまうから だ。ぎりぎりというのは、つねに死を意味する。完成は死だ。不完全こそ生だ。老子やバグワンにとって、ゴールは完成にではなく、トータリティにある。完璧 でなくてもトータルであることはできる。完璧というのは、もうおまえが凍り付いている、流れていないという意味だ。真に偉大な人間達はけっして完璧でな かった、トータルだった。自分のなかにあらゆるものをもっているという意味だ。算術的にではない、藝術的にトータルだった。詩(文学・藝術)というのは、 その中にある言葉全部「より以上のモノ」だ。そうあって当然、さもなければそれはただ単に言葉でしかない。

* 詩についてこんなに厳しく的確に語られたのを知らない。
2017 6/18 187

* 陶潜に聴く
人も亦た言へる有り、
「心に称(かな)へば足り易し」と。
此の一觴(いっしょう)を揮(ふる)ひ、
陶然として自ら楽しむ。

* 陶淵明はこのとき、ひろびろとした野中の渡し場で、口を漱ぎ、足を洗い、遠くにひろがる風景に心ほぐれて盃をかたむけながら飽かず眺めていた。
はて、わたしはどうか。自然の風景には恵まれていない、出向いて行かないのだから。
いま、わたしは蘇東坡の「大楷字帖」を開いている。
「豊樂亭記 宋廬陵歐陽脩撰 眉山蘇軾書」 と書き始めてある一字一字の清明にして堅固な世界。陶然とは謂うまい、凛然か。
2017 6/19 187

* 亡き大岡信さんから「詩の試論」集を、京の田村由美子さんから自身編著の出版物を受け取った。
2017 6/19 187

* 時代があまりにややこしく物騒に推移しているためか、へたくそなドラマに気をとられることなくさまざまな「時事解説」を否応なく耳に目にしている。へ んに物識りになってしまう。韓国の新大統領は冬季オリンピックを北朝鮮と一緒にやるなどと言いだすし、シランプ大統領の弾劾までに要するいろんな段階をこ とこまかに習ったり、アメリカの右派基督教とはいかなるものぞと教わったり。
成ろうなら、先日見せて貰った春日社の神事だの、心静かに引き込まれる優れた文化文物の話題に接したい。
読書も、つとめて古典に触れていたい。
2017 6/25 187

* 妻が定時の診察を受けに行った留守に、用事を怠け、里見弴二千枚と称してある『多情仏心』を読み終えた。感慨深いものがあった。たいして重きをおいた ことのない大先輩だが、しかもこの長編一作は最初の出会い、たぶん医学書院の編集者時代で小説を書く前か書き出す頃、まだ河田町のみすず莊にいたか保谷の 社宅に移ったころに古本の円本を80円で買った。まあ、なんという価値ある買い物だったろう里見弴と佐藤春夫の代表作がぎっしり詰まった三段組み。だが佐藤作はほぼ一編も読めなかった、いや「星」という短編だけを面白く読んだ。里見弴のは、おそろしく長い「多情仏心」一作を惹き込まれて読み切っており、しかも異様なほどの感触を胸に刻んで忘れなかった。
妙な題なのに「多情仏心」の四文字にしっかり立ち止まっていた。今し方読み終えたもう最終にちかいところで「不俗是仙骨 多情乃仏心」の聯を持ち出して若 い文学者が主人公藤代信之を評判している。この一聯をどうフリガナして読むか。二人は、「それはそれ これはこれ」そして「ふじしろ のぶゆき」ととも読 むべしと会釈し、高く笑い合っていた。
前にも紹介しておいたが、藤代の、何を措いても我が身我が思いに尊重し信貴し一生をそれに殉じようとしていたのは、「人の真心」であった。「まごころ」  それ自体は、なに不思議も不審もない賞められて佳い徳目ではある、が、この藤代の場合その「まごころ」の働きが、ま、普通でなかった、とても変わってい た。
彼は「まごころ」から何を自身「一生の仕事」と心得ていたか、「女に惚れることだった。本気で惚れ、女にも本気で惚れさせること」だった。彼は、永から ぬ不摂生の一生に、妻はむろん、他にも数知れず女に同時に惚れ何人もの女からも同時に惚れられつづけて、友人知己を騒がせ呆れさせれ僻ませつづけていた。 いくらなんでも同時進行はあんまりだろうと批判されても藤代は、いつも物静かに、「それはそれ これはこれ」と応じて微動もしない、しかも彼のそんな奇態な「まごころ」いわば「多情仏心」ぶりが、誰からも、優れて潔い所為・人柄と観られ、常に人として男として愛され敬服され慕われていた。
この小説は、作者里見弴に独特な人間哲学、「まごころ哲学」の表明され表現された作として、とにもかくにも文壇や読書子に永く受け入れられてきた、らしい。若かりし日のわたしにそんな予備知識は切れ端もなかったけれど。
かかる哲学はしかし小説としてはどう書けて行くのか。それはちゃんと伏線も芽も用意されていた。藤代信之は多くの女に惚れ惚れられながら、とりわけ数少 ない何人かには何と「金鵄勲章」を与えていた。こうだ。どっちであろうと末期の死に際には何としても互いに報せ合って臨終を見届けようと。かんたんに出来 ることでない、しかもそれが出来る、出来た、と結句はそういう小説、そういう物語へ運ばれて行くのだ。
ここで藤代信之が重篤に過ぎた癌症凄惨な最期の病室へ馳せきた友人や女らに語っていることばが、何より作者として言いたい核心なのである。ほとんどナマ な物言いながら、しかも吐血のくり返しで虫の息ながらも彼信之が熱心に語るところは、それなりに「聴かせるもの」を持っていた。
彼はこんなことを言う。

いいこととか、わるいこととかと云ふのは、謂はば事実の通称だ。人の精神的内容は、なかなか善悪とか正邪とかで、さう一言のもとに片づけて了ふことは出 来ない。権助、八兵衛の別は兎もあれ、その人間としての動きを、第一に考へ究める必要が起こつて来る。普段から、通称主義の道徳なんぞはどうでもいゝ、精 神的内容主義でものを観てゐたい。
通称なんぞには少しも目もくれずに、自分のしたいことをして、そしてそのしたことが、何に対してもちつとも負担を感じない、──つまり行為に権威あらし める、これが一番立派な生活だとあたしは思つてゐる。殊に藝術に心を潜めてゐる方々などは、真つ先にさう云ふ心境に入つてゐてほしいと思ふ。

* そして最期に愛妻の名を呼んで、手を求め手を握り合わせて、言う。

「お前には、いろいろ苦労をかけたね。だが、あたしの心が一番よく解つてゐてくれるのは、なんと云つてもお前だ、 だから、あたしは今更なんにも云ふこ とはないんだが、たゞ、子供たちを大事にしておくれ──それだけだ、それだけは、云はないたつて大丈夫なことだけれど、云はしておくれ。
何しろ、これから先、永い間子供たちを看て貰はなければならないんだが、構はないから、(子供たちには=)自分のしたいと思ふことをさせておくれ。
あたしは一生それでやつて来たのだ。誰にも逆らゐないものだ。はなかつたけれど、誰の云ふことも聴きはしなかつた。たゞ、一番むづかしいのは、自分のし たいことが、なんであるか、それをはつきり知ることだ。人間は、決して自分のしたいと思ふことを、そのまゝにはしてゐないものだ。
自分のしたいことが、はつきり解る、つまり心からしたがる、それが何よりむづかしい。むづかしいがさうしてやつて行くのなら、何をしたつていゝ。お前だ つてさうだが、なんでもしたいことをするがいゝ。たゞ、したいことの本體を、しつかり握つてからしたがる習慣をつけないといけない。心からしたいことをす る分には、したつていゝのだ、ほんとに、どんなことだっていゝのだ。
まごゝろから何かしたがること、──これが、あたしの一生かゝつて貯めた財産の全部だ。これよりほかに遺産はないんだ。

* 藤代信之「多情仏心」の一生、作家里見弴の「まごころの哲学」 聴いて嗤う人の方が多かろう、か。背景に「白樺派」の世界があり、なによりもこの作家 のように生涯を悠々に過ごすに足る資産が主人公藤代の人生を先行している。そしてこの作と作者を産んで育てた「大正」という時代の、明治でも昭和でもない 或るゆるやかさ、自己満足。
だが、この多情仏心、不俗仙骨の主人公が都心紀尾井町の自宅で妻子や愛した女たちや友人に看取られて息を引き取り一夜明けた朝には壊滅の関東大震災が襲いかかるのである。

* ほんとうにしたいことを、まよいなく、して、して、しつづけることは、ほんとうに難しい、が、ほんとうに望ましいとは、少なくもそれは信じ切っている、わたしは。多情でもなく仏心ももてず、不俗是仙骨にもほど遠いけれども。

* もう、ふたたびこの古びて痛んだ「里見・佐藤』集を二度と手にすることはないだろう。里見とは出会ったが佐藤春夫の小説とはしかとは触れあえなかった。
2017 6/27 187

* 昨日、「自分史」名付け親の色川大吉さん『自分史の裏街道』を送って下さった。
2017 7/1 188

* 古典は、「宇治十帖」「枕草子」室町時代の「いはでしのぶ」を読んでいるが、そのほかに「絵巻」数十巻の全「月報」がすこぶる面白い。
だれか独りでの解説や鑑賞の文ではない、各回、何人もの研究者や技術者や各界知識人の要領を得て短い原稿が五、六人ずつ蘊蓄を披露し、かつ毎回最後を、 「絵巻」研究の専門家と門外の作家や詩人・歌人や学者らとの長めの対談で括ってある。わたしも第二回の月報で「一遍聖繪」を対談しているが、まこと毎回そ れぞれに書き手・話し手のそれぞれ体臭ほどの特徴が出ていて、そのバラエテイが実に面白い。単行本何十册のエッセンスを掬って嘗めている味わい、これは、 一冊の月報だけをたまたま拾い読むのとは全然ちがう刺激的な読み手のある読み物になっている。嬉しくなる。

* 里見弴「多情仏心」のあと、いま、現代の小説・物語のたぐいに手を触れていない。また読みたいと想っているのは荷風、か。
断然、心身を傾けて「聴いている」のは、まちがいなく、毎日のバグワン、ひしひしと日夜「叱られ」ている。
2017 7/2 188

* 西鶴「唯一確実な真作」ともいわれる『好色一代男』の主人公は「世之介」 この世は男女の仲の古義を体しているのは云うまでもない。ただしわたしの感 触では、世之介の現実離れした好色人生以上に、遊女らのいろいろな風俗、それをも超えて、高尾大夫ほか一流の大夫、花魁ら抜群の「とりなし」「ふるまい」 「ふぜい」「ちえ」「なさけ」「ものいい」の美しさ品高さ、まさしくは「気稟の清質最も尊ぶべき」ところに、この作から受ける最良の感銘がある。その一つ 一つの世之介体験の例示こそこの作が心深く期していた真意の一つでなかったか、と、ことに後半の一話、一話を楽しんでわたしは読んでいる。

* それにしても西鶴の日本語は「難解の見本」のよう。背後に近世浮き世の慣わしやしきたりや忘れ去られた常識が、読者当然の忖度を期してちりばめられているので、研究者の頭注を頼らねば判らぬこと、いっぱい。
総じて江戸時代の庶民文藝は、黄表紙、人情本、洒落本等々、上に同じで、いわば徹底した同時代文藝であって、研究者の註釈・語釈に頼むか、わたしの座右 をはなさない『砂払』ふうの手引きや解説なしにはすらすらなどとても読めない。名作の雨月物語、春雨物語のたぐい読み本の類なら、ま、静かに読み味わうこ とはできるのだが。
2017 7/4 188

* ペン会員の歴史研究家相原精次さんから、図版と口語訳による『解析「日本書紀」』という大著が贈られてきた。古事記とともに日本書紀の名を知らない大 人はいまいが、片端でも読んだ人も極めて少なく、通読した現代日本人は、専攻の学者はべつにすると限りなくゼロに近かろう、わたしはとにかくも一度は通読 しておいたけれど、古事記の読みやすさとは極度に対照的に難読の大著なのである。相原さんはこれを極めて明快に解剖・解析されて、書記の全貌・全容を「七 層次」に整備・整頓・表覧にもされて、実に読みやすいまでの道しるべを建設・配備されたのである。余人のよく企て及ばぬ快挙と云える。有り難い。
2017 7/6 188

* かなり以前から右手の指が五本ビンとまっすぐ延ばせない。握りもならない。ことに中指は骨が途中でナマって曲げても伸ばしてもペキッと音がしそうに痛む。
昨日今日たてつづけに湖の本を封筒に入れ封をする手作業の途中から掌ぜんたいが攣縮し拗くれてくるのに参った。激痛ではないが、掌も指も攣れて捩れてくるのは気味が悪い。左手はさほどの不便はなく、やはり右手の使い過ぎなのだろう。

* そんなでありながら、頭の中では仕たいしごと、仕掛けたいしごと、もう半ば思いついて呼ばれている新しいしごとが、渦まくようにわたしをかき混ぜてくる。調べたり、したい仕事のためにこのところは読書していない、面白そうに感じたさまざまに実に浮気に手を出している、もっとも通俗な読み物はむろん、あのり小説を読もうとしていない。古典か専門書か図録などを脈絡なく拾い読んでいる。そんな中から刺戟が来る。オとかオオっとか立ち止まって同じ箇所を何度も読んだりして興がっていると「書けよ」「書けるんじゃないか」と内心に促される。これって、かなり落ち着かないことでもある。

* なによりも濫読していて、突き刺されるように関心を持たされてしまうことが、たとえ断片でも、しょっちゅう胸の中へ跳び込んできて、それは痛み、ま、快い痛みに類する。興味をすぐ覚えてしまうのだ。わるいことではないが、必ずしもいいこととは言いにくい。

* そんな中からいまきつい痛みのように突き刺されている「地名」があり、その向こうにまだ書き出しもしていない物語がもやもや動きかけている。おれは今あまりに忙しいんだよとニゲを打っているが許してくれないかも知れぬ。わたしはモノやヒトの名に惹かれるタチらしい。「折臂翁」「清経」「秘色」「蝶の皿」「三輪山」「廬山」「秋萩帖」「加賀少納言」いましも送り出している「黒谷」もそうだし書きつづけているのも「清水坂」にひそんだある「名」だ。
信じられない話だが…」という大きな表題で、掌説よりは長い興味も趣味もある短編を幾つも書いてみたいなと催しかけている。気はある。時間と体力とが欲しい。
2017 7/8 188

* 伊勢は、百人一首中最優秀の名歌を記録されて、紀貫之とあい対峙した古今・後撰和歌集の閨秀、その伝記を、ふと読みはじめ引き込まれた。大学の先生の書かれた本では退屈し抛っていたが、べつの女性の著を手にしたら、ずんずんこころよく読まされて、このぶんでは数日で読み終えるだろう。
伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしか
ひとはかほどのまことをしらず

* むかしは小説に惹き込まれると藤村のあの長い「新生」でも夜通しで読み切った。そういうことは幾度も繰り返し、さまざまに教えられた。講談社版の「日本文学全集」百余巻はまことかけがえない教科書であり感動や感嘆の宝庫であったが、この近年、新しい文学でふるえ得た体験が全然無い。なんとももの足りなくて、自然、古典や和歌や漢詩の世界へもぐりこんでしまう。
2017 7/11 188

* ラ・ロシュフコーは云う、「われわれの情熱がどれだけ長続きするかは、われわれの寿命の長さと同じく、自分の力ではどうにもならない」が、「情熱はしばしば最高の利口者を愚か者に変え、またしばしば最低の馬鹿を利口者にする。」「情熱には、一種の不当さと独善があって、それが情熱に従うことを危険にし、またたとえこの上なく穏当な情熱に見える時でも、警戒しなければならなくするのである」と。とはいえ、「情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である。それは自然の技巧とも言うべく、その方式はしくじることがない。情熱のある最も朴訥な人が、情熱のない最も雄弁な人よりもよく相手を承服させるのである」とも。
2017 7/13 188

* 同志社大の田中教授から、春陽堂版「鏡花全集」十五巻を引き取りますと連絡有り、目の前の書架の一一郭をきっちり占めていた大冊の十五巻を研究室へ寄贈できることになった。目の真ん前の書架にぽっかりアキが出来た。わたし自身の「選集」ののこる十三巻がそこへ入る。
春陽堂版の鏡花全集は鏡花の文学生涯の前半の全作を網羅していて、しかも天金の美麗特装版。むろんのこり惜しくはあるが、鏡花作品の主なモノはべつに所蔵本で十分読める。鏡花研究で今日の学会をリードしている田中励儀三の研究室へ収まるなら、願ってもない。
作家でもある秦建日子が、いっこうにほんものの文学の読者でなく、わたしの蔵書にいっこう気がない。しかたなく図書館等への寄贈を考えているが、あまりに惜しい。柳田全集、折口全集、谷崎全集、藤村全集、二十世紀世界文学全集、日本古典文学全集、日本歴史大事典集、講談社版日本現代文学全集、筑摩版現代日本文学全集、そのた尚二十種にあまる全集・選集類を、命のある間に適切な施設ないし人さまに譲り渡したい。
ともあれ価値ある春陽堂版「鏡花全集」大冊揃いの十五巻が同志社へ贈れることになり、嬉しく、ほっとしている。
単行本の小説等々で数十年のあいだに莫大に著者から寄贈されている。署名本も多い。いちはやく著者謹呈署名入りで贈られてきた俵万智の歌集『サラダ記念日』など、今も座右に愛蔵しているが、建日子には猫に小判に類する。愛蔵してくれる人に譲ることになる。そんな本が書庫に溢れている。佳い本であればあるほど、よくひとを選んで譲りたい。
井上靖の「短篇集」五巻、「世界紀行集」四巻も、できれば小説が詠みたい少年・青年にあげたいと、東工大学生君達の子女を目がけているのだが、これは乗り気の相手でないと勿体ないことになる。
2017 7/14 188

* 寝ぎわのコーヒーも効いたろうが、断片ながらさまざまに想うこと多さに睡れず、校正や読書後起床までの五時間弱の間に二時間以上目ざめて、また本を読んでいた。
戴いた本に相違ないが著者に覚えが無い、しかしその『伊勢』一冊、優れて面白く、深く頷かせる評伝で、この人として女として魅力に富んだ歌人の生きかた、生きた時代の人渦を、手に取るように物語ってくれている。研究者・学者と自称する人たちも、シチむずかしい論文のほかにも、こういう味わい深く適確な表現力で「歴史の人」を生き生きと甦らせてほしいもの。
昨日も読んでいた「絵巻」月報の何巻目かの冒頭、井上靖を聞き手に専門家の田中一松さんが、「石橋を叩きながら石橋をも渡れないようなていたらくなんですよ、学者たちは」し笑ってかるく自嘲されていたが、「学者」というモノの窮屈に片端なありよう、たしかにお気の毒とも思う、が、文学研究者の場合、培い蓄えた学殖を「文藝としても活かす才能」をせめて求めては、われわれ読書子は贅沢すぎるのだろうか。
歴史上の人と限らない、近代の文学者にも、汗牛充棟のせこせこした試論だの序論だのの研究論文ばっかりでなく、上の『伊勢』に類する「文藝の味わいもある親切かつ深切な」一冊一冊をせめて第一級の文豪や詩歌人のため書き置いてもらえぬものか。文学の読者がますます激減して行くなかで、虫眼鏡とピンセットで読まねばならない「読者離れ」のした論文の山が、ほんとうに生きた学問を形成しているのだろうか、と、あやぶむ。
こんなこと言うと、ますます嫌われるのだが。

* 宇治十帖は、まこと、しみじみと胸深くまで潤してくれる名作、感嘆を新たにしつつ「椎本」巻を読み進んでいる。わたしは源氏物語の女性では桐壺藤壺を一体の別格とながめつつ、圧倒的に紫上、宇治中君を愛してきて、またまた今回の通読でも変わらない。男の方は云わない、が、薫大将という煮え切らない男には票を投じない、まだしも好色の匂宮のほうにかすかにでも身を寄せる。
しかし、なんと源氏物語は、こう繰り返し繰り返し読んでも面白いのか。いかに「谷崎愛」のわたしでも、源氏物語に出会えていない文豪谷崎潤一郎が、想像できない。
2017 7/15 188

* このところ、というより、もう久しくわたしのために一等身近に欲しい読み物は、じつは一冊一冊が重い重い何巻もの「日本史大事典」だと思い当たり、同志社の田中研究室へ送り届ける春陽堂版『鏡花全集』十五巻を目の前の書架から抜いたあとへ平凡社版六巻を移し入れた。吉川弘文館のこれより何倍もある「日本歴史大事典」はとても入り切らず階下の小書斎に架蔵している。古典そして歴史、その面白さが身に沁みているので「現代」への強い関心も生まれる。そう信じてきた。
とにかくも他の本はともかく、事典・辞典は少なくも大小五十種以上、大切にしている。

* ちくま少年図書館におさめた少年らに語りかける『日本史との出会い 中世に学ぼう』をまた初校し終えた。生涯の一代表作ともなれと熱と愛をこめ語りかけたもの、「ちくま少年図書館」はたしかサンケイ出版文化賞を受け、わたしへも記念品が贈られてきたのを覚えている。本読みでは名うてのうるさ方だった安田武が、わざわざわたしを掴まえに来て「こういう教科書で日本史を習いたかったよ」と大まじめだったのを懐かしく思い出す。『選集第二十三巻』では他の何よりもこの一作を今の大人の人たちにも読まれたい、今のような情けない日本なればこそ、と願っている。今年中には刊行できるはず。
2017 7/15 188

* 昨夜はほとんど睡れていなかった。今日は終日、気怠いままだった。それでも書架の整理などすこし進展。
十時過ぎだが、機械から離れて、安眠の算段をしよう。
2017 7/15 188

* 東大名誉教授久保田淳さんに戴いていた「源平盛衰記」の第七巻に久しい関心事への言及のあるのをいまごろ見付け出し、呆れ、また喜んでいる。仕事を押してくれる。
2017 7/16 188

* 作者が過去に日記などで喋ったり書いてたりを足がかり手がかりにする小説の「読み」は、しばしば作者にだまされバカされる結果になる。谷崎読みで徹底的にわたしは覚えた。
作の全ては現に書かれ只今読んだ「現作の表現」に尽きていて、それを眼光紙背に徹して如何なる行間からも読み取らねば、ただ賢そうな「知ったかぶりの読み違いや読み落とし」に陥る。
過去の古証文にばかりとりついて、眼前の本文から心眼を逸らした「研究と称する軽い読み」が、とかく、はやりがち。作者たちはたいがいそう思っているだろう、作者が万能で神の如き者とは決して言わない、とても言えない、けれど。
2017 7/17 188

* 午過ぎて、牛になるなあと思いつつ横になって、校正もほどほど、「絵巻」月報で「繪因果経」について教わりながら寝入ったらしく、あ、もう朝だカーサンは起きているなとやっと身を起こして、観音像にも位牌にも例の「おはようございます、おはようございます」の二度礼を送り、テラスのネコ、ノコ、マゴたちへも、ウワッ暑いねえ、おはよう、良いお天気だね、今日もサンニン仲よく元気に元気に遊びなさい、トーサンもカーサンも家にいるよと決まりの声をかけてからキッチンへ。え、朝からテレビは相撲の話題かいとまだ気がつかなかったが、時計をみたら四時半。ウヘッと絶句。暑い朝でなく蒸し暑い夕方前だった。
ま、いい、眼はやすまったものとリクツを言うて妻に笑われてきた。寝て起きてまだ生きていたんだなと思う。
2017 7/17 188

* 午前、午後に潰れるように寝入った。激しかったという雨や雷も知らなかった。奇妙な夢ばかり見ていたようだが覚えていない。
夕刻、思い切って入浴、「絵巻」月報や『伊勢』や宇治十帖の「椎本」八の宮薨去までを、それぞれに面白くもしみじみとも楽しみ読んだ。
二十頁に足りないほどの「絵巻」月報には七八人の筆者や対談者が持てる本領をエッセンスのように書いたり話したりしているので、本の何冊もを読み楽しんだような嬉しい重みがある。、
『伊勢』は著者の和歌や状況の「読み」の適切さが随所に光って、時平と伊勢の、また平中と伊勢の関わりなど尽きぬ興趣を簡潔に書き留めてあり、読み物としても評論としても出色。
そして宇治八宮の最期をかたって源氏物語の筆はまことしめやかに美しい。物語のまなかへ引き込まれて行く。
2017 7/18 188

* 夜前、床に就いてからものを「読み」に読んで、おまけに夜中に、録画してあった「NCIS」を一時間観て、さらに横になってから『絵巻』月報や中世王朝物語全集の『いはでしのぶ』の超入り組んだ関係系図を検討したり、京都市内地図に見入ったりして、四時頃、リーゼの助けを借りて寝入った。寝過ぎたかと思ったが八時過ぎに目ざめた。
国内外をとわずいま現代小説にまったく手が出ない。宇治十帖のみごとな文体にふれたり、和歌や秀句を読んだり、絵巻の世界や史実の闇をまさぐったりしていると、とてもかったるい現世ものへ気が向かない。あきらかにわたしが異常なのであろうが、しようがない。宇治十帖「椎本」巻では八宮が薨じ、のこされた二人の姫に薫や匂がからみついてくる。もののあはれしみじみと行文の確かさ美しさ、これはもう現代では稀有というより絶望的に出会えまい。
文学という藝術は溌剌とした生きの命である文体と表現の個性で自立する。独自の文体を持てなくては作家などと謂えない。いま世間にばらまかれている、私の所へも送られてくる安い同人誌の作のほぼ全部は、ただの自伝風か回顧録ふうに止まっていて、文体なく表現なく雑な「説明」に終始している。情けない。
歌わない音楽、独特な息づかいが刻む「間」の流れの飛沫くほどの確かさ美しさ、ちからづよさ。
むかし、亡くなった杉森久英さん巌谷大四さんと銀座を歩いていたとき、ある中年過ぎた作家志望の女性が熱心にあとを追ってきて、しきりに杉森さんからの助言を求め続けていた。しまいに、何が一番大事でしょうと訊ね、するとそれまで黙って応えなかった杉森さんは一言、「文体」とだけ言われてそれだけだった。
そのあと、わたしは巌谷さん杉森さんに「はちまき岡田」でご馳走になった。わたしは店が自慢の美味しい料理以上に、作家でもあったし名編集者でもあった杉森久英さんの、端的に「文体」といわれた一語を公案のように胸にとりこんだ。一緒に中国へ旅した巌谷さんも名編集者だった。後に、亡くなる日まで丁寧にお付き合い下さった、大久保房男さんも、いまもことあるつど励まされている新潮社の坂本忠雄さん、講談社の徳島高義さん、天野敬子さん、文春の寺田英視さんらもみな勝れた名編集者だった。もっともっと早くには、太宰賞に満票で選んで下さった選者先生もとびぬれた名編集者でもあられた。おそらく、どのお一人も違うことなく「文学は」とお尋ねすれば「文体」と言われたに相違ない。

* 「季節風」という百巻を超えて続いた同人誌があり、三原弘といういい作家がいた。在野というのもへんだが、そういう風に書き続けて最も立派な仕事をしていた、三原弘は、もうひとり四国の  と並んで光る双璧であった。「季節風」は手慣れた書き手達の同人誌で、いつも送ってこられる作を読んでいたが、三浦さんが亡くなってからは、雑誌がただ届くだけになっていた。たまたま片づけごとをしていて「季節風」百一号が出て来た。懐かしくて同人の一人に電話したら病気だった。別の一人にかけたら娘さんで、お父さんは三年も前になくなり、じつは同人の只一人市尾卓さんだけが健在と教わった。声を呑んだが、聞けば皆さんわたしより一世代上であった。
2017 7/20 188

* 湖の本の久しい読者でもある表千家茶人で金蘭千里大名誉教授の生形貴重さんから、「利休」研究のずっしり重い本を頂戴した。秀吉と利休を介してわたしの「中世」を読み直したばかり、有り難い。生形さんには茶の湯に関わる本を何冊ももらってきた。変わり種では、研究成果を踏まえられた「平家物語」のマンガ本ももらっている。
と、追いかけて裏千家茶人、淡交社社長まで勤められた昔なじみの服部友彦さんから、入魂の句集『華胥枕』を戴いた。
「華胥・かしょ」とは、シナ太古の黄帝が、昼寝して夢に見た華胥氏の住む理想郷のこと。転じて「昼寝」のことにもなっている。いい「枕」である。
わたしの昼寝にはそんな佳い夢、あらわれない。雑念や妄念があたまに蔓延っているのだ。
2017 7/21 188

☆ 秦 恒平先生
暑中お見舞申し上げます。
東京は九州にも勝る暑さとのこと、お変りございませんでしょうか、
このたび、昔の「新日本古典文学大成」(=岩波書店)をもとにした文庫版で『源氏』を出すことになりました。分担の(校訂=)作業ゆえ、第一巻には小生は関わっていませんが、昭和・平成の「大源氏読み」の秦先生にお目通しいただきたく、全九册を追ってお送りさせていたゞきます。
暑中くれぐれも御自愛下さいませ。 敬具 七月廿日  今西祐一郎

* 嬉しいこと、九大名誉教授、つい先頃まで国文学研究資料館の館長を勤められていた今西祐一郎さんから、新しくなる岩波文庫版で校訂を分担されている『源氏物語』全九巻の、先ず第一巻「桐壺ー末摘花」が送られてきた。
すばらしい。
明るい頁づらで、原文と対応して詳細な校注がついている。
高校時代に島津久基校訂の岩波文庫『源氏物語』全巻を買った。この本を通読するのはそれはたいへんな苦労だった。
次いで玉井幸助校訂の新版の岩波文庫『源氏物語』を手に入れ、これは読みやすく、数え切れないほど読んだ。
さらに小学館から日本古典文学全集本を全巻戴いたなかから、この大判の『源氏物語』も繰り返し愛読してきた。小学館は普及版の古典全集も出していて、これも全巻贈られていて、四六判で軽いので、持ち歩いて読むときはこの方を愛読してきた。今しもこの版で宇治十帖「椎本」巻をしみじみ読みすすんでいるところだが、それはそれで「夢の浮橋」巻まで滞りなく読み終える一方、今度今西さんに戴いて、お手紙に「全九巻」とも下さるとある「新岩波文庫版」でもまた心新たに五十四帖を楽しんで読み通そうと決心した。
これまで、全巻を「音読」もしたし、何か人生の大ごとを抱え込んだときなど、それに屈したり惑乱しないため、とにかくも『源氏物語』全巻を読みはじめて読み終えるまでは他事に頓着しないと決心しつつ読み果たしたことも二、三度はある。太宰治賞の最終選考に『清経入水』をさしこみますので諒承してと筑摩書房から電話があった日からもとに書くも一日一帖を必ず読破と決めたのを思い出す。そしてあの長い「若菜」巻を、勤務や管理職会議のかたわらで速読し続けた日に「当選」通知が留守宅へ届いていた。そういう大事な大事な「源氏物語体験」を、与謝野晶子訳と出会って以来、もう六十五、六年も経てきた。
今西さんとの久しい御縁も、「源氏物語」の「読み」から、であった。嬉しくも幸せ限りないことだ。

* 元平凡社の駒井正敏さん、元講談社の徳島高義さん、奈良五条市永栄啓伸さんからお手紙。からだ具合の不調を聞くことが多くなる。みな相応の高齢なのだ。
2017 7/22 188

* 宇治十帖はひとしお練達の叙事と展開でまさしく懐かしいが、しかも終始うす曇って晴れやぐことがない。物語を牽引する薫と、ヒロインの一人浮舟との、たゆたい揺らいで心定まらない性格が影響している。
この二人、わたしは好きでない。好きになれない。姉の宇治大君を哀しみ死なせ、妹中君を心浅くライバル匂宮に押しつけておいて悔い続ける薫の、煮えきらなさ。実父藤原氏柏木の自制心に欠けた愚かしさをモロに受け継いでいる。生母女三宮の不注意な粗忽さにも似通っている。
聡い光源氏の顔を思わず歪ませたほど愚かしくも露わな柏木の恋文の書きザマ、それを秘め隠しも得せず夫光源氏に見られてしまう心幼い女三宮の足りなさ。いまいまの表現で謂えば、ネット社会での醜聞「炎上」にちかい失態だった。
先生が女学生とのみそかごとをネットで「炎上」暴露されてクビになるハナシが、ときどき新聞にも報じられるが、昔の学校とはちがい、今今の生徒たち、尊敬できない先生をネットで火祭りにするぐらい、オモシロヅクでやってしまう。報じられる先生方の不祥事は、たいていそんなふうに世間へバレているらしい。
もっと大人の世の中でも、なんとかいう名の有る細君がなんとかいう名の有る亭主をネット社会で罵倒し尽くす「炎上」沙汰が醜聞となり、これまたよほどヒマなテレビ局がバカバカシク電波を浪費して火の手を煽り続けている。大人とは思われぬ愚挙の共演。お粗末の極み。
ラ・ロシュフコーの曰く「思慮に欠けた弱さは悪徳にも増して美徳に相反する。」
2017 7/23 188

* 服部友彦さんに頂戴した初の句集、昼寝こと『華胥枕』全編、佳句と読んだのにしるしつけながら一気に読み通し二度読み通した。
漢字、ことに漢語の多用と体言止めの多いのは現代俳句のアタマの硬い通弊で、「俳句」という「俳」味をさかしらに殺しがちになるのは、受け取りにくい。まして一句に二語三語も漢語を並べて調子取った句は、何方の句集でもたいてい苦笑一読のままに通り過ぎる。
全三百七十七句とある中から二十句ほどに爪印をつけたろうか。
服部さんの「自選十句」が本の帯に出ていたなかで、重なったのは次の二句。
蛤となりし雀の出来心
着茣蓙吊る幻住庵に誰かゐる
なぜこれが作者とわたしの両方で、と、訝しむ人多かろうけれど。
ほかのもあげてみる。
唐黍や「陳」とひとこと虚子の評
ネクタイの蝶跳びはねて入園す
二人してかなかなに黙(もだ)分かちあふ
夏はじめ赤味噌を足す合せ味噌
宗匠の茅の輪をくぐる裾さばき
蟻穴を出てひそひそと国憂ふ
葛城(かつらぎ)の山駆け上る昼の雷(らい)
父といふ絶滅危惧種障子貼る
無患子を熊野土産に拾ひたる
葉桜や安否の知れぬ人のこと
掻揚げの新玉葱の薄ごろも
落石のあとの谺や青葉谷
コスモスの家ポストへの行き帰り
冬菊や死後ある如き弔辞聞く
ぼんやりと目をあづけゐる薄氷
逃げ水の逃げゆく先の昭和かな
小春日やままごとの座の正座の子
縄跳びの祇園甲部の少女かな
茶人で文化人で編集者で読書家の服部さんらしい、あまりにらしい趣味の句は、知解を誘われるぶんつい遠慮し、ほぼ通り過ぎた。

* しかし、わたしに俳句はたいへんムズカシイ、よく分からないというのが正直なところ。「光塵」の句らしきも、「亂聲」の句らしきも、気の低いお笑いぐさを脱していないと苦笑のみ。
深く敬愛する俳人は、芭蕉、蕪村、子規、虚子、そして登四郎、かナ。
何としても、わたしには、上代和歌が断然身にも心にも親しい。
2017 7/23 188

* 今日は、「融通念仏」という日本仏教史の従来抱き込んできた通念、良忍による鎌倉仏教のいちはやき「融通念仏宗」立宗の間違いを、「絵巻」月報での五来貴さんに正して貰えたのが有り難かった。

* 「竹取物語」の三連続講演録を読み返し始めた。「枕草子」訳も半ば近くまで再校した。
重く重くなってしまっている古物なみの愛機を少しでも軽くしようと機械が呑み込んでいる厖大なコンテンツの用心のためのダブリ分を思い切って削除している。優に1500ファイルほども棄てた。
おなじ事を、上京六十年このかたの郵便物にもぜひ敢行しなくては。極端に謂えば一通あまさず年度ごとに残っている、狭い家中のどこかに。メールは一瞬でみな消去出来るが、大小の紙の郵便物を点検の気力も体力も場所も、無い。

やかましいこの世の日照り目をつむる  遠
2017 7/23 188

* 今日は、夜遅くまで『竹取物語』世界に没頭していた。
新版岩波文庫の『源氏物語』桐壺巻も、しみじみと愛読した。『枕草子』も数十頁校正した。
あしたも、同じような一日になるだろうが、明日は明日。
2017 7/24 188

* 故紙回収の朝仕事。睡くて、重くて、腰痛む。で、村田海石書の真行草「三軆千字文」の和綴じ本「天」の一冊に見入って、目とからだとを休める。
いつどこで手に入れた冊子か覚えなく、やはり秦の祖父の遺産かも知れない、つづく「地」「人」の二冊もあったろうが、やはりわたしが古書肆の店先から端本のまま拾ってきたのかも。
天地玄黄 宇宙洪荒 とはじまる千字を真行草の三軆で書いたと表紙裏にあり、しかし第一頁冒頭には「三體千字文」と表題されている。「身」扁と「骨」扁がある。この二字、よく戸惑う。
それにしても書かれた真行草三体の字の美しさ静かさに、文字どおり敬服する。裏表紙の内側に、ハテ本文と同筆なのか本の持ち主の感想なのか、みごとな筆で「天與正義 神感至誠」と二行に、謹直に書いてある。心地良い。たまたま開いた「性静情逸 心動神疲 守眞志満 逐物意移 堅持雅操」せの三体字の美しさに深い息を吐く。そして嬉しくなる。
2017 7/26 188

* 岩波文庫新版の「源氏物語」の読みやすさに驚嘆し敬服している。ありがたい。
2017 7/26 188

* 福縁善慶 尺璧非寶  と、千字文のなかに。まことや。
2017 7/27 188

* こんなときは何が気の休めになるか、結局は横になって新しい岩波『源氏』を読み、小説のように、いやへたな小説よりよっぽど面白い山下道代の『伊勢』を読んだり、京都の地誌調べに没頭したり、機械の前で自分の『光塵』や『亂聲』を拾い読みながら機械の中の音楽を聴いたりしている。
2017 7/27 188

* 今日一日、泉鏡花の名作一編を、しみじみと、ほれぼれと読み耽った。
2017 8/2 189

☆ 若者は血気に逸って好みを変え、老人は惰性で好みを墨守する。  ラ・ロシュフコー

* 自戒している。
2017 8/3 189

* 笠原伸夫さんの司会で、篠田一士さん、脇明子さんとの座談会「鏡花文学をめぐって」(解釈と鑑賞)に加わったのは、もう大昔になるが、懐かしい。
笠原さんは早くにわたしの「祇園の子」を力籠めて推奨して戴いて以来、御縁が濃かった。何度も出会い何度も話しあった。
篠田一士さんは、この一度しかお目に掛からなかったが、何方かとの対談で、「秦 恒平は、この先々まで文学的に大事な存在」と発言しておられたのを、人の送ってくれた雑誌で知り、恐縮した。まったく同様のことを別のやはり対談か座談会 かで臼井吉見先生が発言されていたのを、筑摩書房の編集者が教えてくれたのと合わせ、否応なく有り難く印象に刻まれている。いっこう奮発も爆発もしないで 老いて、申し訳ありません。
脇明子さんには、飜訳されたマキリップ三部作『星を帯びし者 海と炎の娘 風の竪琴弾き』を戴いたことで、わが読書しに痛切な足跡がのこせた。愛読とい う意味ではかほどに心惹かれた体験は、ル・グゥイン作の『ゲド戦記』にならぶ。今も心から感謝し、どうされているかなあとよく思い出す。
上記の「鏡花」座談会では、臆することなく鏡花論へわたし自身の切り口をつけて発言している。やがて、「湖の本」でわたしの鏡花世界をはらりと繰り広げてみたい。
2017 8/5 189

* 明けの五時過ぎ、妻が目を覚ましてしまったらしいので、わたしも起きてしまった。テレビで、ちょうどロンドン世界陸上100メートル決勝がは じまるところだった、結果は常勝を誇ってきたジャマイカのボルトが、今回限りの引退を表明していたボルトが三位で終え、十二年ぶりに三十過ぎているアメリ カのガトリンが勝った。
それでいいのだと思った、ボルトは不世出の名選手だったが懸命に最後のレースを終えて悪びれなかった。ガトリンはよくやった。これでいいと思った。ガトリンとは想えてななかったが、ボルトの金はおそらく無いと予想していた。これでいいのだ、歴史はそういうふうに動く。

* スポーツに過剰な思い入れは持たない。勝ち負けできまる人間の行為はどこかにキズを負うている。
努力の結果という称讃の道もあり励まされる思いも持つが、「今日、スポーツはもはや肉体の健康のためのものでもなければ、身体を強壮にするためのもので もなくなってしまった。観衆にとっても、好奇心の満足を意味するだけのものにすぎない」という亡き福田恆存の曰くに頷いてしまう。彼は語をつぎ、「スポー ツばかりではない。現代文明は呪われたる好奇心のために、進歩と速度との幻影に憑かれ、人間の生理的限界を無視してまで、呼吸と脈搏とを早めようと狂気の ごとく努力している」と。見るがいい、ゴールを駆け抜けた勝者は「息もたえだえに、その場に倒れ」てしまい「くりかえし」が利かないと。
作家志賀直哉は、過剰に前進へ狂奔する例えば「速度」への人間ないし科学の意嚮こそが、いずれ人類の安全と平和を決定的に損なうであろうと預言していた。いま北朝鮮の狂気じみた核武装推進に出遭っていたら亡き直哉は「言わんことじゃない」と髯を撫するであろう。

* わたしはすぐ背後の手置き二段の本棚上段に「湖の本」創作とならべ、二册の書を心して置いている。一冊が、亡き福田恆存の語録『日本への遺言』であ り、奥様から頂戴した。福田さんは生前わたしを再々励まして下さり、手づから「湖の本」継続の読者を十数人も送り先まで書き添え紹介して下さるなど御恩を 蒙った。奥様ご自身はいまも「湖の本」に毎回御送金下さっている。中村保男・矢田貝常夫編になる福田恆存語録、まこと脳味噌を揺すられる『日本への遺言』 一冊を、なにかといえば探訪し唸ったり恥じたり叱られたりしている。
その隣にもう一冊並んでいるのが、やはり今は亡き小田実が生前の著『随論 日本人の精神』である。いかな日本人は生きて来たか。これからどう生きるか。表紙見返しには小田さんの自筆で、

秦 恒平様
敬愛の気持を込めて──
小 田 実 2004・ 10・ 24  西宮にて
とある。これはわたしには一入嬉しい心の勲章である。福田恆存の批評と小田実の批評は明らかに異なっているが、しかもわたしは敬意をもって、この二人の二册になにかにつけ手を伸ばして一喝も三喝もを食らう。そしてまた立ち上がる。
2017 8/6 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
野心や恋のような激しい情念でなければ他の情念を征服できんい、と信じているのは間違いである。怠惰はまったく柔弱ではあるが、にもかかわらず、しばし ば他の情念の支配者にならずにはいない。怠惰は人の生涯のあらゆる意図、あらゆる行動を浸蝕し、知らぬまに情念も美徳もつき崩し、消尽する。
2017 8/8 189

* 二時間も湯に漬かったまま、たくさん読みたくさん校正した。「絵巻」を勉強し、源氏ものがたり「総角」の巻で大君に同情しつつ中君に心惹かれていた。

* もう十二時ちかい。よく眠りたい。
2017 8/8 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
声の調子や目や表情には、言葉の選び方に劣らぬ奥深い雄弁がある。

* しかも明らかに良いと悪いの例がある。
良い適例は、天皇さん、皇后さん、皇太子さんに観ている。
悪い例は、恥無き現総理や、退任を余儀なくされた恥無き大臣や、悪しき忖度の限りを尽くして国税局長官に大出世したあの財務官僚に顕著に雄弁に観てとれる。
2017 8/9 189

* 笠間書院編集長の橋本孝さんから、栄養満点、蜂巣蜂蜜や蜂蜜かりんとうなどを頂戴した。畏れ入ります。笠間書院からは、中世物語全集を刊行ごとに頂戴している。
このところわたしは専らのように古典ないし周辺の歴史ばかり読んでいるが、厖大な日本古典文学全集百余巻、四六判古典全集数十巻、いずれも全巻揃えて小 學館の寄贈を受けている。この恩恵は底知れず測り知れない。場合に応じ両方を読み分けながら座右に引き抜いて来ていない時がない。

* 最近に「これは! 名著!」と声の出た本を二冊戴いている。一冊は亡き島津忠夫さんの遺著「源氏物語放談」で、新しいもう一冊は茶人で歴史学者である千里金襴大名誉教授生形貴重さんの
「千利休と伊達政宗」。
前者は卓見に富んで「放談」という語り口を緻密に活かした聴き応え満点の源氏物語腑分けの探検。
後者は綿密に文献資料を先立てながら間髪を入れない事跡の追及と確認操作を莫大に具体的に積み上げ積み上げ大きな歴史を把握し開顕してゆく、その手続き手際がまことに明るいのである。

* もう此処まで来るとわたしには「読みたくて読める本」が貴重で、もう読まないな読めないなと良い本は、型の伝わりやすい良い施設や良い読者に手渡した く、てわたし始めている。私の著作も、多くの送り先で同様の判断に出逢うだろう、願わくは新たな人や施設へ手渡ることをこいねがう。

* 読書は、限られた範囲を精読するだけでは何かしらが欠けて身に付かない。片々とした小冊子や雑誌・新聞記事もふくめ方面を限定しない好奇心からの濫読 が存外に世界を味わいよく深くしてくれる。永井荷風の人を誡めて奨めたこの読み方をわたしは長く実践してきた、が、余命をおもいつつ好みを優先させつつあ る。
2017 8/9 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れとで死に耐える。そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである。

* 抗弁しかねる。
2017 8/10 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「狂気なしに生きる者は、自分で思うほど賢者ではない。」「人生には時として、少々狂気にならなければ切り抜けられない事態が起こる。」「運も健康と同じ ように管理する必要がある。好調なときは充分に楽しみ、不調なときは気長にかまえ、そしてよくよくの場合でない限り決して荒療治はしないことである。」
2017 8/11 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
他人のよい忠告を身のこやしにするのは、時として正しく自戒するのにも劣らぬ怜悧さがあってこそできることである。
2017 8/12 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「われわれの気分が穏やかであるか荒れるかは、生涯の重大事によってよりも、むしろ毎日起きるこまごましたことの運びが、思わしく行くか行かないかによって左右される。」
「われわれはあまりにも他人の目に自分を偽装することに慣れきって、ついには自分自身にも自分を偽装するに至るのである。」
2017 8/13 189

* このところ、浴槽はわたしの校正と読書室になっている。永いときは二時間ちかく読んでいる。ハカが行く。眼を洗い洗い読めるので機械仕事よりラクなのである。機械の前では「仕事」をしなくてはならない。

* 十一時になった、今日もおおかた古典世界に浸って仕事をすすめた。古典の中に、「絵巻」の勉強が入っている。この一二ヶ月でビックリするほど「絵巻」月報で勉強した。こんなに贅沢に何百編も肝要を極めて多彩な読みやすい教科書はない。
絵巻では『一遍聖繪』の大冊を、また全集本では「鳥獣戯画」「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵詞」さらには「紫式部日記絵詞」「葉月物語絵巻。枕草子絵詞。隆房卿艶詞絵巻」が眼の届くところに在り、余暇を得て勉強を活かし観て読んで楽しみたい。

* わたしは子供の頃から古本屋へ入ってもっぱら「立ち読み」しては書店の人にケンツクを喰っていた。もともと本の買えるお金などまったくもっていない し、秦の父は祖父とは大違いで本を読みたがるのは「道楽」だと貶す人だった。つまり本を買ってくれることは、ま、金輪際なかった。しかし祖父の溜め込んで いた漢籍や漢詩集や日本の古典や辞典は想像を超えて多く、大半はわたしが東京へ持ってきた。大きくなってからも書店は立ち読みの場所で、本を自前で買うの はよくよくの場合、書庫の蔵書の少なくも半分ほどは、みな出版社や著者からの戴き物である。執筆の参考にと原稿依頼に添えて出版社がどんどん貴重な本を呉 れる時代にわたしは作家生活していた。さきの絵巻などもみなそんな貰い物なのだから、有り難かった。それだけに死蔵せず、惜しまず人様にも施設にも差し上 げておきたいといつも思う。
2017 8/13 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人間の心をあばいて見せる箴言がしばしば物議をかもすのは、人びとがその中で自分自身があばかれることを恐れるからである。」「賢者を幸福 にするにはほとんど何も要らないが、愚者を満足させることは何を以てしてもできない。ほとんどすべての人間がみじめなのはそのためである。」

* ラ・ロシュフコーの「箴言集」のまえで、わたしはクソミソに類している。それを恥じこそすれ、言い訳などなにひとつ、出来ない。
2017 8/14 189

* 源氏物語と取っ組んでいる。
2017 8/14 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
誰の助けも借りずに独りでやっていく力が自分にはある、と信じる人は、ひどい思い違いをしている。しかし、自分なしには世の中はやっていけない、と信じている人は、なおさらひどい思い違いをしている。

* まずは足もとに、また洋の東西に、ひどい権力者がいるなあ。

* 「嘘はわれわれの生活に深くからみついているので、たいていの人は嘘をいうことがなんの目的もきき目もないような、独り言や祈りのなかでさえ、やはりひと知れずいつわりがちである」と信心深いヒルティでさえ、言う。

* なぜか、この忙しいときに、ミルトンの「失楽園」が読みたくなっている。あの世界をおおきな白い翅をうって遊弋したいと空想してしまう。
2017 8/15 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「才気は時にわれわれに手を貸して敢然と愚行を犯させる。」「年をとるほどさかんになる血気などというものは、狂気から隔たること遠くない。」

* うむ。
2017 8/16 189

* 十一時をまわった。機械をしめ、寝る前の読書、たくさん楽しむ。源氏物語を全集では宇治十帖「総角」を、別の岩波文庫では「空蝉」へ入って行く。「一 代男」読み終えた。「絵巻」月報では「天狗」を学んでいます。西の棟から、ふっと、「出エジプト記」を持ってきた。映画「十戒」をふと思い出したのだ、け れど、モーゼと王とを演じた男優は明瞭に覚えているのに、二人とも名が出てこない。
読みには全く不自由ないが、ときどき当然書けるはずの漢字が書けなくてギョッとする。 2017 8/16 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「嫉妬の心(うら)には愛(アムール)よりもさらに多くの自己愛(アムール・プロプル)がある。」「嫉みは憎しみより解き難い。」
2017 8/17 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
一つの問題に幾つもの打開策を見つけるのは、創意工夫に富むからというより、むしろ明知を欠くために、頭に思い浮かぶことのすべてにこだわって、即座に最善の策を見きわめることができないためである。

* しかり而して、小説に行き詰まると「幾つもの打開策」ばかりが跳梁する。やれやれ。
2017 8/18 189

* 望郷のおもいに惹かれ、歌集『少年』を読み返してみた。岡井隆さんの自選二種の「昭和百人一首」で、二度とも、名だたる専門歌人にまじって各一首採ってもらった。歌詠み小説家への嬉しい勲章であった。

* 霞み目を励ましながら今日も十一時過ぎた。階下で小憩、そして就寝前に、今夜は源氏物語のあと、「しまなみ海道」の島々の地誌を調べる。最後に「出エヂプト記」を。再読ではあるのだが、これが、まこと途方もなく面白い。
2017 8/18 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「精神(エスプリ)は怠惰と慣れから、自分に楽なこと、もしくは自分の気に入ることにしがみつく。この習性が常にわれわれの知識と対応を一定の限界に閉じこめてしまう。」
「大多数の若者は、単にぶしつけで粗野であるに過ぎないのに、自分を普通に自然だと思いこんでいる。」

* 夜中に起きて 京都の地誌を探索していた。すこし寝が足りないか。就寝前に調べていた瀬戸内「しまなみ海道」の地誌もアタマのそこでゴソゴソ鳴っていた。
『出エジプト記』での、パロ(王)を相手のモーセとアロンの激しい抵抗、その背後にはたらくイスラエルの神ヤハウェの猛烈な意志と力。無用の描写なく端的に事が語りつがれて劇的なこと、この面白さ力強さは物を書いて暮らすものとして的確な鞭撻である。
2017 8/19 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人の趣味が変わるのを見ることはごく普通なのにひきかえ、人の性分が変わるのを見ることはごく異例である。
精神の狭小は頑迷をもたらす。そしてわれわれは自分の理解を超えることを容易に信じない。
2017 8/20 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「自然に見えたいという欲求ほど自然になるのを妨げるものはない。」
「時として人は、他人と自分が別人であるのと同じくらいに自分自身と別人になる。」
2017 8/21 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「われわれは自分が直そうと思わない欠点を、ことさらに自慢の種にしようとする。」
「最も激しい情念でさえ時にはわれわれに一息つかせてくれるが、虚栄心だけは絶えずわれわれをかき立ててやまない。」
2017 8/22 189

* 関根正雄訳『出エジプト記』に引きずり込まれてもいる。実の父が遺してくれた『新約・旧約聖書』全一冊で長期間かけて全部を通読したときより、さすが に岩波文庫一冊でしかも平易な現代語になっているので、すくなくも前半は神話というより物語を読む感じ。加えてチャールトン・ヘストンがモーセを演じた映 画『十戒』の記憶がありありとある。それが、いくらかは邪魔でもあり助けにもなっている。
『創世記』も同じ岩波文庫に成っていて、『ヨブ記』とともに買ってある。
岩波文庫の新版『源氏物語』をアタマから読み進んでいて、小学館版の全集本で「宇治十帖」をゆっくり夢の浮橋」へ近づいている。「絵巻」月報は全三十六册ほどのちょうど半分を楽しんで、当分続く。
いま「湖の本」の校正からは手が離れているが、「選集」第二十三巻の最終稿を毎日読んでまだ四分の一ほど。新しい巻の編成で、入稿前原稿を仔細に検討もしていて、根気が要り、芯が疲れる。
食べて楽しもうという欲が失せ、自然 酒を生なりで飲んでいる、いろんな酒を。最近では岡山の「喜平」が近江の「鮒鮓」を肴に数日堪能した。いま、貴重品の「粒雲丹」を戴いているので、生協から酒の配給を待っている。
ほんとうは、京都へ行きたい。宿が取れないなら、晴れた日に富士山を眺めに行くか、温泉へ行きたい。
2017 8/22 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
模倣はきまって惨めなものである。およそ偽造されたものはすべて、本然のままである時には人を魅了するその同じものによって人を不愉快にする。
2017 8/23 189

* 西鶴の唯一というに近い真作が保証されている『一代男(通称・好色一代男)』を感銘すら覚えながら読み終えた。まえにも書いたが、世之介が、罰俸で片 鬢剃られたりしていたころはカッタルイが後半になり優秀な太夫や花魁がいかにもりっぱに振る舞ってくれる段、段へ進み、世之介の遊びにも途方もないまでの 風格が感じ始められるに連れ、面白くも鷹揚にも好色の境涯に感銘深まってきた。満足した。以前に一度通読したときもにた感想を得ていた。
しかしまあ西鶴の文章は日本一ムズカシイという感想も変わらない。源氏物語とて筆者・作者は同時代読み手たちの日常感覚や知識や風習・隠語など抱き合う ように「すき間たくさん」には書いていない。戯作はしていない。江戸時代の作者達は、同時代読者を、挑発したり、描写や表現を超簡略にしたりしてお互いに 「通」じ合おうとしてくる。時代を遠く隔たったわれわれのような読者には、どうしても沢山な註が必要になる。で、わたしは概して江戸の小説・物語には秋成 を別格に、馬琴や一句ぐらいにしか近づこうとしないできた。
「一代男」「一代女」とは、妻(夫)も子もない男(女)独りが跡ものこさぬ好色生涯を「意味」しているが、では「二代男」には子があって、父と息子とで競って好色人生の花を咲かせるのか。いやはや。
しかし、西鶴と註してくれた現代の西鶴学者のおかげで、わたし、たくさんな江戸時代人の感覚や言葉やモノ・コトを聞き覚え見覚えた。すぐ忘れるだろう が、なかなかタメにもなる。「忘八」という言葉がいわゆる茶屋など色をあきなう家や場所の主人・親方らを謂うとは知っていたが、なにを「忘」れるのか。 「仁義礼智信忠孝悌」の八つをきれいに棚上げしてオッサンは女をつかい色男をカモにするのですと。まるほど。

* わたしは京の祇園町へ抜け路地一本で通える背中合わせの知恩院門前通りで育った。祇園は甲部も乙部もよく知っていた、両方の銭湯にかよったし、国民学 校三年生まを終えるまでは、つまり丹波へ戦火を避けて疎開するまでは、秦の母に手をひっぱられ、女湯でからだ中を洗われていた。敗戦後の新制中学は祇園町 のま真ん中、八坂神社石段下にあり、「祇園の子」は大勢が同級で、同窓生だった。なつかしい。
そんな次第で、わたしはいわゆる色里へ客として遊びたいという欲求は一滴ももたずに大人になり、そういう世界へ近寄ったこと、ただの一度も無い。女を買 うという感覚はこの身の上でも皆無だった。一代男の世之介を羨む気持ちは滴ももたないのである。しかしもう本卦還りの世之介は、と同好の友を語らい、豪奢 に渡海の大船をつくって、ありとある性具や強精・催淫の薬や食物、衣裳を満載し、はるか海の彼方の「女護が島」へ旅だって行く。ウーン、すこしは羨ましい のかなあ。
ちなみにこの世之介が僅かな期間ではあれ祝言して理想的に美しくも聡い妻女にしたのが、名高い高尾太夫だった。しかし永くは専有しなかった。
いま一つちなみに書いておく、「世之介」の「世」とは、世の中とは男女の仲の意味で、これは平安の大昔から日本人の誰もが心得ていて、近代現代人がただ 忘れているだけなのである。わたしが、閑吟集の小歌、「世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり」を評釈したとき、専門の学者からそうは読まな かった、学者は窮屈で」と謝られたのを思い出す。わたしの『閑吟集』をまた御覧下さい。
2017 8/23 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
生まれつきのままでは欠点になりさがる長所があり、また、あとから身につけたのでは決して完璧になりえない長所がある。たとえば富や信頼の使い方について賢くなるには理性によらねばならないし、反対に善良さや勇気は生まれつき与えられなければならない。 2017 8/24 189

* 東 大名誉教授の久保田淳さんから、ちくま文庫特大の上下巻で『藤原定家全歌集』を頂戴した。以前には『西行全歌集』や『無名抄』その他、富士山の本や隅田川 の本や泉鏡花を廃ったエッセイ集も戴いて、いずれも愛読し、愛読し続けている。久保田さんは私より二歳の長者で、お目に掛かったことは無いのである。有り 難いことである。
元来が出掛けて行くタチでないわたし、碩学や先達と面識が出来て知り合った例は少ない。と謂うか、面識無くおつきあいの深まった先生・先輩の方が大勢お られて、著作の交換も数え切れない。とても自前では買えなかったろう大冊の研究書が書庫にずらと居並んでいる。そしてそれらを、ただ並べては置かなかっ た。数々書いてきた著作にそれら戴き本の養分が、しみ通っている筈である。感謝しきれない。

*  今朝、朝寝坊し、午後にも二時間ちかく寝ていた。宇治十帖「総角」の巻を読みなずんでいた、どうも薫中納言の大君への、また中君への仕向けが愉快でな い。そして匂宮に妹中君をやすやす盗ませておいて自分はしつこく姉大君にまつわりつきながら受け入れられない。わたしの薫嫌いはこの辺で一つ極まってい る。不快なまま寝入ったらしい。
2017 8/24 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
狂気なしに生きる者は、自分で思うほど賢者ではない。

* 薫に謀られ妹中君は匂宮に犯され、薫は姉大君に拒まれた。五十四帖でもっとも読みわずらうのは不思議に「帚木」巻であり、もっとも胸痛んで不快なのが宇治の「総角」巻。

* 夜前「総角」のあとで、久保田淳さんに戴いた『藤原定家全歌集』の四十頁余の「解説」を一気に通読、久々に定家卿の生涯を要領よく復習できた。幾つも新たに教わった。定家と限らず「侍従」という官職名の意味は「おとしものを拾う」ことと。侍従の唐名は「拾遺」と聞くと、あ、なるほどと。わたしも歌集を編んで『光塵』のあたまには前歌集『少年』拾遺を、『亂聲』のあたまには『光塵』拾遺を置いていた。
朝廷での「侍従」とは、では何を。要するに「あれこれ」か。定家はわずか五歳で正五位下に叙せられ侍従となって以来延々とじじゅうであったことに不満だった。中断して以降よほどの大人になって官位をあげてからもまた「侍従」だったことがある。一種なんでもやの無任所官なのか、定家は熱心に「蔵人頭」を願ったけれど叶わなかった。蔵人所というのは令外官で、天皇に直属して諸事に応じる。「侍従」は、ま、朝廷内の「あれこれ」に随時に応じていたのだろう。定家一代の自選歌集の総題は『拾遺愚草』である。拾いに拾い取ってある。

* 今朝は、食後二階へ上がろうとして、堪らず心身重苦しくそのまま寝室にからだ横たえて、『絵巻』月報の十九を、これはもう目から鱗の何枚も落っことしたほど面白く二、三大先達が蘊蓄を煮つめて語った短文を食い入るように耽読した。ただの単語的な知識ではない、大きな時代を深く読み取って興味津々の吐露に出会えたのである。ありがたく、すぐにも役だってもらえそう。

* ちいさく狭く凝り固まって執着するだけなく、いわば出会い頭にハッとくるような濫読体験の面白さ有り難さを思わずにおれない。

* わたしは生来いわゆる「研究」という方法に従ってこなかった。大学の卒論にも一行の参考文献も副えなかった。作家生活に入って以降も、小説と両翼をなして数多い論著を出し原稿も書いたが、それら著作に「註」はつけても「参考文献」をそえたほとんど一点も有るまい。わたしは「研究」という穿鑿の「方法」には従わず、谷崎にも学び「エッセイ」として『花と風』や『手さぐり日本』や『女文化の終焉』や『趣向と自然』等々を書き下ろした。「エッセイ」は、旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって「言葉の藝術」になる。正しく正しくと追って行く「研究」を文藝と呼んでは、エッセイにも研究にも失礼に当たるだろう。

谷崎潤一郎の『藝談』『陰翳礼賛』などが優れたエッセイとしての論攷であるのに、わたしは迷いなく従った。すべて最も言葉の真意にしたがって「エッセイ」として批評し論攷したのであ。とても世にはびこれなかったわたしを、突如として「国立東京工業大学」の教授に指名し推薦してくれた人たちは、そのようなわたしの、研究ならぬ「エッセイ」をもって「文学教授」にふさわしいと鑑識してくれたとしか思われない。そう鑑て貰えたらしいことこそが、今にしてわたしを喜ばせる。
「エッセイ」は、繰り返すが、旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって言葉の「藝術」になる。正しく正しくと追って行く「研究」は、しばしば言葉が蕪雑に騒がしい。それをしも文藝と呼んではエッセイにも研究にも失礼に当たる。
2017 8/25 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「粧った実直さは巧緻な瞞着である。」
「大度(マニャニミテ=ラテン語のマグナ・アニマ大きな魂に同じ。)とは、読んで字の如く、それだけで充分な定義になっている。だが、こんなふうに言うこともできるのではないか、大度とは自負心の良識(ボン・サンス)であり、人々の称讃を受けるための最も高貴な道である、と。」
2017 8/26 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「大部分の人は羽振りや地位によってしか人間を判断しない。」
「あらゆる立場でどの人も、みんなにこう思われたいと思う通りに自分を見せようとして、顔や外見を粧っている。だから社会は見かけだけでしか成り立っていない、と言える。」

* あとの方の箴言にそって「見られる」なら、我が日常の「顔や外見」は、見よいどころか、あまりに見かねるもので、そもそもわざとそうなのでなく、自分の顔恰好をまるで平時は忘れ果てているのだ。よそへ出掛ける前にしか鏡を見ない。顔もろくに洗ってない。だから、白い髯が草むらじみてぼうぼう生え、白い薄い髪が八方へ逆立ち怪物のようなのに、鏡を見るその時までまるで気付いていない。暑いから、うすい下着を夜も昼も脱ぎ着もしないで、そのままゴミ出しや故紙出しも平気で手伝っているし、隣棟へ道路づたいの出入りもしていて、ご近所さんに見られてはと思い至ることもない。要するに常は自分の外見に全然「気がない。妻も、一緒に外出のときや、わたし独りで通院などの折り以外は、ひとこともわたしの見かけに苦情を挟まないので、たまに鏡を見てわれながら惘れた時は、この顔恰好と一緒に妻は毎日食事したりテレビを見たりしているのかと、びっくりする。
ま、それでも世間という「社会」へ外出して行くときは尋常に「見かけ」を整えて出て行くのだから、やはりロシュフコーの弁は逸れていないのだろう。
2017 8/27 189

* 晩、からだを横にして、今治の木村さんに戴いた瀬戸内の地誌をむさぼり読み、また源氏物語「空蝉」の巻を新しい岩波版で懐かしく一気に読み終えた。わたしは空蝉という女人が昔から好きである。空蝉のはかない仲で果てず、後年には尼のまま六条院の一隅に光源氏の庇護を受け、懐かしやかに過ごしている、二人のためにも不思議なほど嬉しく懐かしいのである。男と女との、えもいわれぬ清(すずし)い身の幸、愛の幸せを感じるのだ。
2017 8/27 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
一人一人の心の中に生まれつき自然に存在するこれほど多くのいろいろな矛盾は、人間の想像力ではとうてい考え出すことができないであろう。

* 小説家とは、この箴言にむかって何としても想像力を働かせるしかない難儀な商人である。
2017 8/28 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人が知性(エスプリ)と判断力(ジュジュマン)を別々のものと思ったのは間違いだった。判断力とは知性の光の大きさでしかない。この光は事物の奥底まで貫いて、そこで見るべきものをすべて見、見えないと思われるものも見てとる。だから、判断力の効能とされていることは、ことごとく、知性の光の広大さのもたらすものだ、と、認めなければいけないのである。」
「知(エスプリ)」は「情(クール)」にいつもしてやられる。」
「頭(エスプリ)」には「心(クール)」の役はとうてい長く演じ続けられまい。」
「精神(エスプリ)」の欠点は顔の欠点と同じで年をとるほどひどくなる。」
2017 8/29 189

* からだが溶けているような疲労を覚えている。なにかがわたしを暗い穴へ引っ張っていそうなきがする。朱明の炎夏は過酷だ。白蔵の新秋をつい心弱く待ってしまう。冷房はきいてきたのに、今日の仕事へなかなか踏みこめず、呆ッと、重い目をつむっている。

* 横になればからだは休まる、休まれば寝入るよりはと横になったままでも中世論の「校正」に励んだ。三十頁ちかく読んだところで、校正ゲラは置いて、『出エジプト記』、イスラエルの民に対するヤハウェの、誡めというよりも厳しい細かい「制戒」のいろいろをトバさず読んでいった。ちらちらと、「アラー」にささげているらしき現代イスラムの人らの神へ絶対の帰伏も想いやっていた。
それから「絵巻」月報で、「天子列影繪」の意義を五来博士に聴いた。とっても興味津々の的確な指摘や言及があったと思う。おなじことは、浄土系教派に置ける「名字繪」にも謂えると聞いて、大きく頷けた。日に日にいろんな面白いこと、大事なことを「絵巻」月報に教わり続けている、もはやわたしの場合何に役立つというのではないのに、知る、また識ることの強い刺戟には「生かされる」感謝をもつ。
『法華経』という新書本を開いたところに「空・無相・無為」こそが仏教へ入る「三門」とあった。無限定、無形象、無作為か。知恩院の大きな「三門」を振り仰いで飽きずにあのまえを自転車で往復していた少年の昔を想った。とてもとても、三門のあしもとへも寄れていない爺ぃであるわいとかなり情けないけれども。
源氏物語は、一方ではまだ「総角」を読み煩い、もう一方では「夕顔」を懐かしいほどにしみじみと読んでいる。
この「夕顔」の墓というのを、民家が、自宅の庭にひさしく祀り続けているのを、見せて貰いに行ったことがある。しかし、「夕顔」の墓から遠くは離れず、やはり源氏物語の一女人である「朝顔」の墓というのをやはり民家が自宅の庭に祀っているとは知らなかった。ただし、この方は、実は平宗盛の侍女「朝顔」の墓かとものの本にあって、これが面白いことになる。
2017 8/29 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「毅いところのある人だけが真の優しさを持つことができる。優しそうに見える人は、たいてい弱さしか持たず、その弱さは容易にとげとげしさに変じてしまうのである。」
「真の善良さにも増して稀なものはない。善良だと自分で思っている人でさえ、ふつう、愛想のよさ
か弱さしか持っていないのである。」
2017 8/30 189

* 光源氏が空蝉に惹かれ夕顔に惹かれるのが、文章までが、ふしぎに懐かしい。
2017 8/30 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
弱い人間は素直になれない。
2017 8/31 189

* 「九月十四日のこと」という平静かつ毅然と観察行き届き感想健康を極めた一文を、厳粛、かつ感嘆して読んだ。初読ではない。この四、五日後に子規は亡くなった、辞世の糸瓜三句を遺して。
見事な文学である。身動きはおろか首も動かせない、脚は大腫れに腫れ上がって微動も叶わないなかで、ガラス戸ごしに庭を眺めて高濱虚子に口授して書き取らせた最後の子規文藝に衿を正した。
2017 9/1 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「一種類の才気しか持っていないと、人を長く楽しませることはできない。」
2017 9/2 190

* 座右に詩歌の集をおかずにおれない。和歌集では後撰、拾遺、後拾遺三集を手放せず、日々に文字どおり愛翫している。なかでも後拾遺へ手が出る。

女の許より帰りてつかはしける     少将藤原義孝
君がためをしからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

男の、頼めてこざりけるつとめて    赤染衛門
やすらはで寝なまし物をさ夜ふけてかたぶくまでの月をみし哉

幼小来 感嘆してやまない歌が同じ和歌集の見開きに出ている。
月々に数多送られてくる現代歌誌のどの頁にも、なにを歌おうが、かほどの表現と真情に出逢うことは ぜったい と云いきれるほど無い。そもそも「うた」の「うったえ」も「うたう美しさ・みごとさ」も現代短歌は棄て果てている。屑の多産に過ぎない。
昨日触れた正岡子規最期の「九月十四日の朝」一文が湛えていた、あの美しい詩人の眼の真率を識らず、ただムリムリに造作されている今日の「歌」の汚さは目にあまる。
古代の人など、ただ遊んでいただけなどと思っていては恥ずかしい。
2017 9/2 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「ありのままの自分を見せるほうが、ありもしないものに自分を見せかけようとするよりも、ほんとうは得になるはずだ。」
「われわれの素質はすべて善とも悪とも不確かで当てにならず、ほとんど全部がきっかけ次第でどうにでもなる。」

☆ 陶淵明に聴く。

靄靄たる停雲
濛濛たる時雨
八表 同じく昏く
平路 これ阻まる
静かに東軒に寄り
春醪 独り撫す
良き朋は悠邈たり
首を掻きて延佇す

停雲は、親友を思ふなり。罇(たる)には新醪(しんろう)を湛へ、園には初栄列なる。願へども言(ここ)に従はれず、歎息、襟(むね)に弥(み)つ。

* 逢いたい友はみな遠くにある。はや界(よ)を異にしてもいる。

* 泉鏡花にかかわって過ぎ越し日々の感懐をしみじみと確かめている。鏡花を語る感懐は潤一郎を語ってきたそれらより、はるかにわたし自身の根に絡んでい る。わたしの鏡花観は、わたしの谷崎愛よりもなおなおわたし自身を露わにしているといえようか。谷崎を直に思わせるわたしの小説は一点も無いだろうが、鏡 花へ響きあう小説は、わたし自身ビックリするほど数多い。そこを抑えてわたしを論じてくれた論攷も、残念だが少ない。
2017 9/3 190

* 今夜は、はからずも京都の田村由美子さんが、よほど昔に書いて寄越していた未完成長編の原稿へふと手が出て、なんと長時間をいとわず読み終えた、しっ かり読まされた。とくに前半の運びと仕上げには感心させられた。惜しいことにかなり欲張ってしまい、何もかも、書ける限りは書いてしまおうという後半の盛 り込みになり、質的な未完成は免れていないし推敲も雑になっていた。
しかし、話題も時代も青春も変転の人生も、人間も、薄くはなく踏み込んで把握されていて、ああ、このままでもし放り出したのなら惜しかったと思った。
思いがけぬ夜更かしになった。しかし、よさそうな可能性に触れ合うのはわるくない楽しさだった。
ほっとしてメールを開いたら幸四郎夫人のたよりが届いて、にっこり。
2017 9/3 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
世間は偉さそのものよりも偉さの見掛けに報いることが多い。

☆ 陶淵明に聴く。

晨曦の夕(く)れ易きを悲しみ、
人生の長き勤(くる)しみなるを感ず。
同じく一(み)な百年に尽き
何ぞ歓び寡くして愁ひ殷(おほ)きや。

人はみなわずか百年の寿命で終るというのに、なにゆえこのように歓びは寡く、愁いのみ多いのであろうか。
2017 9/4 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
真の雄弁は、言うべきことをすべて言い、かつ言うべきことしか言わないところにある。

☆ 陶淵明に聴く。

儻(も)し行き行きて覿(み)ること有らば、
欣びと懼れと中襟に交々(こもごも)ならん。
竟(つひ)に寂寞として見(まみ)ゆること無く、
独り悁想して以て空しく尋ねん。

もし、こうして歩いているうちに、あなたにお逢いできたら、
欣びと懼れが、わたしの心にこもごも湧きたつでしょう。
けれど結局は心寂しいままに終わり、逢うことはなく、
ひとり哀しい思いを抱いてむなしく尋ね歩くばかりでしょう。
2017 9/5 190

* 今日はたくさん、読んだ。「十六世紀の美術  趣向と自然」を、そして泉鏡花の小説「龍潭譚」を、そして源氏物語の「若紫」を、また「総角」を、そして「出エジプト記」を、さらに、後白河院肝いりの 「年中行事絵巻」についていろいろ教わった。小説も書き進めた。テレビで「鑑定団」と「NCIS」も観た。
十一時半。またあすのために、休む。
2017 9/5 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「善いことの終わりは悪で、悪いことの終わりは善である。」
「他人がわれわれに真実を隠すと怒ってはいるが、そもそもわれわれは自分自身にも斯くもたびたび真実を隠しているではないか。」

☆ 陶淵明に聴く。

在世無所須
惟酒與長年

世に在って須(もと)むる所無し
惟(た)だ酒と長年のみ。
2017 9/6 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
自分がどこまで怖がりかを常によく知っている臆病者はめったにいない。

* アメリカの大統領はどうだろう。北朝鮮の首領も日本の総理も、自分の臆病に日々脅えているように見受けるが。

* 疲れては、崩れるように横になり、すると、校正しはじめることが出来、今日もたくさん読めた。

* ついでに「若紫」を楽しむ。五十四帖のなかでも最も好きで晴れやかで懐かしい、ことに北山での邂逅のくだりなど、心清(すず)しくなる。光源氏がもっとも若く輝かしく光って見える。

* 「絵巻」月報では年中行事絵巻の記事からたくさん教わった。
2017 9/7 190

* データ保存の間は機械が使いにくい。機械から離れるわけにも行かない。で、後撰、拾遺、後拾遺和歌集に詳細にいろんな爪印のつけてあるのをさらに点検しつつとびぬけた秀歌を選んでいた。
また手の届くところへ出してある史籍集覧『参考源平盛衰記』のたまたま四に手を触れ、ぱらっと開いて「実定卿厳島詣」の各種記事を逐一読めたのが、いま も思案中の仕事のためにも勿怪の幸いだった。この本は、なみの平家物語では手に入らないおはなしもフンダンに集めていて、わたしのような小説家には、お宝 なのである。
2017 9/7 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
最も微妙な狂気は最も微妙な叡智より成る。

* モンテーニュの「エセー」にも殆どこの通りの言表がある。叡智と謂うは憚るが、優れた創作は、微妙な、最も微妙な狂気に導かれる。万、相違ない。

☆ 陶淵明に聴く。

人も亦(ま)た言へるあり。
「心に称(かな)へば足り易し」と。
2017 9/8 190

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
賞める非難があり、くさす讃辞がある。
自分をあざむく讃辞よりも自分のためになる非難を喜ぶほど賢明な人は、めったにいない。
人から与えられる讃辞にふさわしくありたいと願う気持は、われわれの徳性を強める。
2017 9/9 190

* 九時。今日の作業を終えた。疲れた。ねむくなった。
宇治十帖のながい「総角」巻を読み終えよう。姉の大君は薫を拒み抜いたまま火の消えるように亡くなった。妹中君は匂宮と情を交わしたが、都と宇治とに隔てられ宮の夜がれが続いている。
もう一冊の岩波文庫「源氏物語」では光源氏が藤壺の姪、まだいわけない少女の若紫をら情の自邸にひきとりたいと願っているが、まだまだ機は熟していない。
『出エジプト記』は読み終えた。
ああ、疲れた。仰向きにからだを、腰をのばしてきたい。
2017 9/9 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
希望はもっぱら人をたぶらかすものだが、それでも、人生の終着点まで楽しい道を通ってわれわれを行き着かせることにおいて少なくも役に立つ。

☆ 白楽天に聴く
蝸牛角上 何事を争ふ
石花光中に此身を寄す
富に随ひ貧に随ひ且つ歓楽せん
口を開きて笑はざるは 是れ癡人
2017 9/10 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人間の盲目は人間の傲慢の最も危険な所産である。傲慢は盲目を助長し強めて、われわれの悲惨を和らげ欠点を治してくれるかもしれない薬を知る術を奪ってしまう。

☆ 後拾遺和歌集を読む

にごりなく千世をかぞへてすむ水に
光をそふる秋の夜の月         平兼盛
ふる里は浅茅が原とあれはてゝ
夜すがら虫の音(ね)をのみぞなく   道命法師

ほのかにもしらせてしがな春霞
かすみのうちにおもふ心を       後朱雀院御製
かくとだにえやは伊吹のさしも草
さしもしらじなもゆる思ひを       藤原実方朝臣
2017 9/11 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
充分に検討せずに悪ときめつける性急さは、傲慢と怠惰のあらわれである。人は悪人を見つけようと欲して、罪状を検討する労を厭うのである。

* よく謂えている。が、「検討」以上に「直観」が見抜くちからも人は養い得ている場がある。ことが悪政や秕政に繋がる場合は逡巡はむしろ危険である。

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

小倉山たちどもみえぬ夕ぎりに
妻まどはせるしかぞなくなる     江侍従
のこりなき命ををしと思ふ哉
宿の秋萩散りはつるまで       天台座主源心
独(ひとり)してながむる宿のつまに生ふる
忍ぶとだにもしらせてし哉       藤原通頼
わぎも子が袖ふりかけし移り香の
今朝は身にしむ物をこそおもへ   源兼澄
2017 9/12 190

* 長かった宇治の「総角」をしみじみ読了、またこれもながい「若紫」巻も、強引に私邸「二条院」へ若紫を連れかえったところで読み終えた。宇治では中君 が、紫上から孫の匂宮へ譲られたの私邸「二条院」へ引き取られるだろう。若かりし光源氏は「末摘花」の家に立ち寄るだろう。

* できるだけ、意識してでも日本の古典を常に身近に置きたい。
現代小説は、多年のうちにたくさん頂戴してきた同時代作家や批評家の仕事を書庫からポツポツ持ち出そうかとも。その時間があるかどうか。
それよりも恩師岡見一雄先生の大著「室町ごころ」や、買い溜めてある「説経」本や「御伽草子」を、原文で読み通しておきたい。読み書きが老耄を微かにも支えてくれるか追い立てられるか、ほかりませんが。

* じつはこの瘋癲不良老人に、まつたく新たな、文学史にも同様主題はなかったのではと思う新着想があり、そんなのが成り立つだろうかと、ナイショで人に 意見を求めていたりする。まだ欲があるのでここへそれは書かないが。成るとも 成りそうとも とてもムリでしょうとも まだ意見は聞こえてこないが、 ひょっとして若い作家ででも可能とならば乗り出して試みる人もあるかもしれない。早稲田の教室から背中を押して文壇を志させた角田光代なら、ただ面白いだ けでない現代文学の問題作を送り出せそうな気がしている。

* 亡きつかこうへいに強く背を押して貰って世に出た秦建日子に、まだ「蒲田行進曲」の真実感に肉薄した切実な現代の「人間」「個性」大作小説が書けていない。売りものづくりに精魂を風化させられていないか、案じている。
2017 9/12 190

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
生まれつきのままでは欠点になりさがる長所があり、また、あとから身につけたのでは決して完璧になりえない長所がある。

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

秋風にしたばや寒くなりぬらむ
こはぎが原に鶉なくなり       藤原通宗朝臣
寂しさに宿を立チ出デてながむれば
いづくもおなじ秋の夕暮       良暹法師
逢フまでとせめて命のをしければ
恋こそ人のいのちなりけれ     堀河右大臣
さりともと思ふ心にひかされて
今まで世にもふるわが身哉     西宮前左大臣
こひこひてあふとも夢にみつる夜は
いとゞ寝覚ぞわびしかりける    大中臣能宣朝臣
2017 9/13 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
われわれは肉体よりも精神の中にいっそう大きな怠惰をかかえている。
われわれが自分のすべての欠点の中で最もあっさりト認めるのは怠惰である。

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

白菊のうつろひ行クぞ哀なる
かくしつゝこそ人もかれしか     良暹法師
紅葉ばの雨とふるなる木の間より
あやなく月の影ぞもりくる       御製
けふよりはとく呉竹の節ごとに
夜はながゝれと思ひけるかな    源定季
君がためをしからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな      少将藤原義孝
2017 9/14 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「運と気質が世を支配する。」
「弱さは悪徳にも増して美徳に相反する。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

やすらはでねなまし物をさ夜更ケて
かたぶくまでの月をみし哉      赤染衛門
もろともにいつかとくべきあふ事の
かた結びなる夜半の下紐       さがみ

年ふればあれのみまさる宿のうちに
心ながくもすめる月かな       善滋為政朝臣
かくばかり隈なき月をおなじくは
心のはれて見るよしもがな     賀茂成助

* 昨日 淡路島の田島征彦画伯より新作の絵本を頂戴した。ほろっと泣けた。

* 今朝 猪瀬直樹から、さる女性との「対談」新書版「国民国家のリアリズム」が送られてきた。
いま、わたしはこの手の本に期待を寄せない。寄せようがないのだ。対談相手の女性が趣意を開陳の「あとがき」をきちんと通読したが、女性本人がいったい 何を考え何を信じて何を云いたいのか、日本語の叙述表現として筋道も混雑し、なにも明晰には弁えられていない。ただ賢こがって蕪雑に息せききった悪文でし かなかった。

* 今はずばり、トランプとではない、「日本は北朝鮮とどう向きあうべきか」を真摯に日本人として考えたい。
今朝、北朝鮮はまた襟裳岬越え2700キロへミサイルをとばし、広範囲にアラームが鳴ったという。発射から数分内には日本本土に飛来する飛行体への用心を時を問わずどう国民にものいう気か、政府のアタマは痺れているのではないか。
顔をひきつらせてただ抗弁し、いっそうの制裁や圧力の強化を世界にもとめている総理の空疎な談話に、政治力の欠如をまざまざと感じる。アメリカへの追従 一辺倒政治のツケをさらにさらに無用な武器購入で増やし続けて実効の得られないこの「核危機」に、国土と国民はただ曝されかけている。
アメリカが核の傘で守ってくれる? お笑いぐさではないか。独自外交に、踏ん張ってシカと起つべき機であろう。どう話しあうにしても、トランプよりよほど出来の良い政治家が他に何人か居るではないか。嗤われているのに気が付かないのか。
2017 9/15 190

* 今日は食事のつど、あと、疲労というよりも腹部不穏になやみ、そのつど横になり、横になると幾種もの「校正」がはかどり、また読書もできる。宇治十帖 は「早蕨」を、岩波文庫本では「末摘花」を読み進んでいる。「絵巻」月報は残り少なくなり、いまは「華厳絵巻」などの巻に触れたいろんな知見や感想に教え られている。
実は、和綴じ木版本の「参考源平盛衰記」まで三十五六巻以降を枕元へ持ち出し、調べ始めていて、すこぶるというかムチャクチャに面白い。
今一冊、はじめて知った女性筆者の「京都魔界案内」のような文庫本を参看している。太秦にうまれ秦氏にすこぶる関心も知見ももった人のようで、すなおに愛読している。 2017 9/15 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
われわれは、自分は完全無欠で敵には長所が全くない、と全面的に言いきる勇気は持ち合わせないが、しかし部分的にはそう思いこんでいる節がなくもない。

* この十七世紀フランスの公爵は、「人間(=斯く聴いているわたくし・秦 恒平も含めて)の、見せかけの美徳の中に見出される無数の欠点」について語っている。「神が格別の恩寵をもってそれ(=上記の欠点)からお護りくださって いる方がたには全く関係がない」とも嗤っている。そんな「方がた」がいたら顔が見たいというのであろう、わたしは何かしら思い上がる気(け)を自覚するつ どこの容赦ない「箴言」の前へ張ってもらいにアタマを差し出す。差し出しながら自分がまだちっとも正直になれない不出来モノだと思わざるをえない。懺悔の 思いで「聴いて」いるのでなく、よほど「自虐」的に自分に惘れているのである。
もう当分、毎朝いちばんに「聴き」つづけます。

* もう一つ身のそばに置いた一冊がある、フローベール著の岩波文庫『紋切型辞典』。こういう単行の本が在るのではない、これは、この作家の晩年作のなか で、登場人物、老境の二人の男が編んでいる辞典なのであるが、どうしてどうして、紋切り型どころか型破りの「きめつけ」に富んで、面白い。

アメリカ
世間の不当さを示す好例。発見したのはコロンブスだが、アメリカという名称はアメリゴ・ヴェスプッチに由来する。
アメリカが発見されていなければ、梅毒やネアブラムシ(ブドウに寄生する害虫)は蔓延しなかっただろう。
それでも、とにかくアメリカを称讃すべし。特に行ったことがない場合には。
「自治(self-government)」について長広舌を振るうこと。

アルビオン(=イギリスの古名)
常に「白い(=ラテン語のalbus白いに由来)、不実なる、実際的な」といった形容詞がつく。
ナポレオンはもう少しでアルビオンを征服できるところだった。
称賛するときは、「自由の国イギリス」と言うべし。

日本(Japon)
この国ではすべてが瀬戸物でできている。

フランス学士院
愚弄すべし。

* 亡き阪大名誉教授島津忠夫さんの遺著『老のくりごと 八十以後国文学談義』をご遺族(藤森佐貴子さん)から頂戴した。まさに「珠玉のエッセイ集」であ る。嬉しい事に「秦 恒平氏の『京都びとと京ことばの凄み』を読む」一編まで含まれていて頭が下がった。京ことばは国文学古典の読みにもことに大切な関門であり、よく書いて置 いた、よく読み置いて下さったと感慨深い。
滋味掬すべく、「エッセイ」の本義を体した魅力の一冊である。読み進むのが楽しみ。

* 久しい読者の山瀬ひとみさんが書き下ろし長編小説『消えた弔電』をリアル・ミステリとうたって幻戯書房から刊行された。
「e-文庫・湖(umi)」に、同題でつとに掲載されていた作を「かなり書き直し」たと手紙が添ってきた。幾らか書き足されたのかとも思われる、読み返 してみたい。美しく装われ清明な印象の一冊に成っている。帯も、簡明なことばでよく意を尽くしている。推敲の力量をさらに更に加えつつ、臆せずに、次作へ も踏み込まれていいと思う。
2017 9/16 190

* 十時半になった。眼がうるうるして視野が滲むので、機械から退散する。今日も沢山仕事した。西の棟では、堆積した古資料からたくさん放棄処分として分別した。まだまだ、まだまだ。棄てるに惜しいモノの多さに胸痛むが仕方ない。
浴室でも、校正と読書と。宇治中君が京の匂宮二条院へ引き取られた。大君に死なれた薫中納言が寂しそう。
善哉童子の旅を追うてみたい、書庫に大部の「華厳経」が揃っている、その最後のほうを持ち出して来たい。ついでに岡見正雄先生の「室町ごころ」も。中世の「説経」も折角揃えてある、読みたい。読みたい読みたいに尻を打たれているが。ま、できることから。
さ、階下へ。寝床の上でもう一仕事も読書もするつもり。
2017 9/16 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
美徳の虚偽性を証明する箴言を、われわれがとかく正しく判断できないのは、われわれがあまりにも安易に自分の中の美徳はほんものだと信じているからである。

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

黒髪のみだれてしらずうちふせば
まづかきやりし人ぞ恋しき       和泉式部
中たゆるかづらき山の岩ばしは
ふみゝる事もかたくぞ有ける      さがみ
あらざらむこの世のほかのおもひでに
今一度の逢フ事もがな         和泉式部

曇る夜の月とわが身の行末と
おぼつかなきはいづれまされり   大納言道綱母
夜をこめて鳥の空音ははかるとも
よに逢坂の關はゆるさじ       清少納言
2017 9/18 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「すべての感情にはそれぞれ固有の声音と身ぶりと表情がある。そしてその間の釣り合いがよいか悪いか、快いか不愉快かが、その人物を他人に喜ばれるようにも嫌がられるようにもするのである。」
「よい趣味は知性(エスブリ)よりも判断力(ジュジュマン)からくる。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

契りきなかたみに袖をしぼりつゝ
すゑの松山浪こさじとは        清原元輔
恋しさを忍びもあへずうつせみの
うつし心もなく成にけり         大和宣旨

いつしかとまちしかひなく秋風に
そよとばかりもをぎの音せぬ     源道済
まつ事のあるとや人の思ふらん
心にもあらでながらふる身を     藤原兼綱朝臣

* 昨夜は四時まで起きて、『消えた弔電』という本を読み終えた。
途中、源氏物語早々の「末摘花」を読み終え宇治十帖の「宿木」で読む息づかいを静め和らげた。
すさまじい作物であった。

* 下記は、いま結婚してスペインのハズバンドと暮らしている東工大卒生が、むかしむかし小説らしきを書き起こして送って来たのへ感想を送り返そ うとして送らぬままにしたのが機械の中で眠っていたので、この一両日にメールの往来があった際に、それも遅ればせに送って置いたのだった。

☆ 受信 創作の書き出しに
恒平さん
昨夜は、気持ちが高揚してなかなか寝付けませんでした。
恒平さんからメールを頂いて、「書く」という、葬ったはずの願望が再び首を擡げたからです。大学時代の灰色の思い出も、たくさん頭を過りました。
私への一文、とても嬉しく読みました。客観的に捕らえる難しさは、メールを書いていても感じます。また、余計な説明を省きたいと思うばかり、つい必要な ものまで削りがちで、その見極めがうまくできていません。感情移入しながら客観的、とは、ずい分難題に思えますが、把握の強さこそが、それを可能にするの だろうと想像します。最近Colm Toibinの「Nora Webster」や「Brooklyn」を(残念ながら英語ではなく)スペイン語訳で読みましたが、とてもよい一例に思われました。

恒平さんは、私が書き始める前から既に、私が陥るだろう罠をよくよくご存じで、一瞬、もう自分は何か書いて既に恒平さんに送っていたのではないか、という錯覚を起こしたくらいです。恒平さんのお言葉、本当にありがたく、繰り返し読んでいます。

実は最近、自分の日本語の衰えを感じています。もっと適切な動詞が、表現が、あったはずなのに、思い出せない。自分の日本語の使い方が正しいかどうかす ら、自問する機会が増えてきました。辞書はすぐ見ますが、辞書では解決できないことの方が多く。恒平さんへのメールがなかなか出せない要因の一つでもあり ます。言い訳の一つでもあります。  バルセロナ  京

* 「余計な説明を省きたいと思うばかり、つい必要なものまで削りがちで、その見極めがうまくできていません。感情移入しながら客観的、とは、ずい分難題に思えますが、把握の強さこそが、それを可能にするのだろうと想像します」は、しっかり謂えている。
山瀬ひとみさんの今度の本は、逆に、書ける限り気負って限度まで書き込んである。勢いすさまじい、が、小説が演説へ変身しかねない。簡潔(スリム)に絞れば絞るほどいい意味の凄みは生きるだろう。すさまじいと、いい意味の凄みとは、異質である。

* 山瀬さんからも、しかと踏み込んだ良い述懐ないし反省も届いている。うしろへ退くことはない、前進されれば良い。「作」が静かな美しい「作品」を得て創意が実ること。実らせかたは人さまざまで良い。
2017 9/19 190

* 浴室で三種類のゲラを読み、薫中納言は帝の二宮降嫁を受け容れ、匂宮は二条院に妊娠の宇治中君をいたわれ愛しつつも夕霧の六君との結婚を拒むことが出来ない、そんな「宿木」巻を読み進んだ。岩波文庫版の第二巻が送られてくるのをもう待望している。

* おおけないことだが、わたしに、いまから「宇治十帖」現代語訳の仕事は出来ないものだろうか。大学へ入り、その年に創刊された「同志社美学」創刊号に、新入生の分際で寄稿し掲載されたのが「宇治十帖」にかかわる幼稚な感想文であった。
わたしの源氏物語読みの「命脈」は、「桐壺更衣と宇治中君」とをストレートに結ぶもの。桐壺、藤壺、紫上そして宇治中君。その裏とも表とも、桐壺帝、光源氏、冷泉帝、明石中宮、匂兵部卿宮。他はこの世界を洩れ零れている。
2017 9/19 190

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「運命の恩恵を受けない人から見たときほど運命がひどく盲目に見えることはない。」
「書物より人間を研究することがいっそう必要である。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

恨み侘びほさぬ袖だにある物を
恋にくちなん名こそ惜しけれ      相模
人の身も恋にはかへつ夏虫の
あらはにもゆとみえぬばかりぞ     いづみしきぶ

ものをのみ思ひしほどにはかなくて
浅茅が末によは成にけり        和泉式部
消エもあへず儚きほどの露ばかり
有やなしやと人のとへかし        赤染衛門
2017 9/20 190

 

* 横になって休息かたがた手当たり次第に書架の本や雑誌に手を出し、読み耽る。小林秀雄、中村光夫、福田恆存という懐かしい限りの大先達の鼎談も。山本 健吉さんというこれまた懐かしい人のエッセイも。小林先生から中村先生へ、太宰賞へ推薦の道が付いていた。福田先生は今なお奥さんを通して変わりなく「湖 の本」を応援していて下さる。山本先生とは一緒に講演に出かけたり、歌手の淡谷のり子と鼎談して美空ひばり嫌いな淡谷さんを困らせたり、懐かしい思い出が いっぱい。
「新潮」の、もう大昔の特別記念号を枕べに持ってきてあり、近代百年の記念作がずらずら並んでいたりする。手を出すと、やめられない。
こんな気分で書庫へ踏み込もうなら一日中嵌り込んで出てこれない。読みたくて堪らない本がまだ無数に有るなど、ナニという幸せなことか。
建日子など、ものは「手持ちの機械」で読むという。だからわたしの蔵書は要らないと。機械読みで満足などという、その真似はわたしには出来ない。やはり 頁をめくりめくり読みたい。書庫の蔵書たち、わたしの死後にはどんなに情けないめに遭うのだろう。歴史と古典と美術の専門書、いい図書館で引き受けてくれ ますように。雑誌は処分するしかない。
所詮日本に心豊かに平和な未来はのぞめまい、命あるうちに可能な限り読書を楽しみにしたい。そのためには、視力です。
2017 9/20 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人はしばしば弱さから強かになり、臆病から向こう見ずになる。」
「どれほど念入りに敬虔や貞淑の外見で包み隠しても、情念は必ずその覆い布を通してありありと見えるものである。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  旅の歌と雑の歌と

わたのべや大江のきしにやどりして
雲居に見ゆる生駒山哉         良暹法師
風ふけばもしほの煙打チなびき
我も思はぬかたにこそゆけ       大貳高遠
いそぎつゝ舟出でしつる年の内に
花のみやこの春にあふべく       式部大輔資業

世中を何にたとへん秋の田を
ほのかにてらすよひのいなづま    源順
恋しくば夢にも人をみるべきに
窓うつ雨にめをさましつゝ        大貳高遠
しかすがにかなしきものは世中を
うきたつほどの心なりけり        馬内侍
2017 9/21 190

* 愕然とするが今日、故大岡信の「うたげと孤心」が岩波文庫になったのを「謹呈著者」として戴いたが、活字というか印字のうすさ、淡さと八ポかと想われ る字の小ささとで(とてもらくには)読めないと知れ、参った。湖の本本へも眼が見えなくなったので購読休止をという声が少しずつ出始めている。いまは10 ポイント字を使っているのだが、視力によっては朝読めても晩は読めないということも体験として有りうる。
2017 9/21 190

* 「墨彩」という古書画ま写真誌が送られてきた。べつに珍しいことではないが、送ってきた「わたなべ」という店が、京都市東山区新門前中之町の花見小路 西南角と略地図までついていて驚いた。この現在「わたなべ」のある同じ場所、わたとの育った同じ中之町の町内に、わたしが京都を離れるまで近藤さんという やはり古美術や版画系の店があり、幾つか上の兄上級生と妹同級生と、もっと小さい弟がいた。縁があるかないかは知るよしないが懐かしかった。ちょいとメー ルで、「懐かしく」とも書いて送った。新門前通りがふわあっと眼に浮かぶ。

* 今晩は入浴「校正」はせず、湯につかったまま源氏物語宇治十帖の「宿木」をずんずん読み進んだ。
匂宮は伯父夕霧の娘六の君と結婚し、二条院に住む妻の中君を悲しませる。三條院の薫中納言は、亡き宇治大君を懐かしみつつ妹中の君を匂宮に譲ってしまったのを悔い、中君への今さらな恋心を募らせて行く。
舞台は今は京の都にあるが、やがてまた宇治をも舞台に引き戻し、亡き大君に似たなさぬ仲の末の妹浮舟が登場してくるだろう。
現代のけちくさい小説とくらべようのない本格の人間劇が、千年余も昔の物語で進行してゆく。
2017 9/21 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「弱い人間は率直になれない。」
「人は愛している限り赦す。」

* 昨夜 寝る前になって書庫へ入り鏡花選集の一冊を抜いてきて短篇「清心庵」を楽しんだ。話し言葉の面白さに話の不思議が綺麗に加上される。
怪異篇と称して十ほどが編まれているが、長広舌の寺田透の「解説」は無用である。
作者の言葉ならまだしも有り難いが、一介の他者が作品集にそえて読者に読みを誘導ないし強要するにひとしい真似は、僭上の沙汰。論は論として別の場ですべし。

* もう一冊持ってきたのが「口説音頭集成」上巻。古来盆踊りで音頭として延々口説きうたわれた歌詞の集で、冒頭には「会津の小鐵」ついで「赤垣徳利の別れ」。七五調なみに延々と語りつぐ。まことに面白い。
わたしは、もうむかし、戦時疎開で丹波の山の中へ逃げ込んでいたとき、部落の祭に「友さん」という小父さんが聴いたこともない名調子で延々と八木節とや らを謳うのを小さな神社の拝殿に腰かけて聴いたことがある。意味のある言葉は何一つ覚えないが、「よいとよいやまっか どっこいさぁのせぇ」と何度も挟ま れる囃したては耳に残って忘れない。もう一つ、この祭の時、たまたま秦の父も京都から来ていてわたしの横にいたが、友さんの口説きか音頭かとにかくも紅潮 に達していたときに父は、突如として「友さん、ばっかりィ…」と大声を投げた。そんな父もかつて知らなかったし、その叫びが声援に類するらしいとは察した が、かつて知らず意味不明に奇妙だった。あのとき拝殿前の猫の額ほどせまいところで女の大人や子供がせいぜい六七人でへんに侘びしげに影のように踊ってい た気もするが夢のよう。

* 奈良県宇陀郡菟田野町で採録された「会津の小鐵」は長い長い口説きだが、

人に親分親分と
立てられますが悲しさに
引くに引かれぬ男の意地
剣の刃渡り数知れず
浪花で生れ江戸育ち
今ぢゃ京都の会津部屋
本名向坂仙吉じゃけれど
差した刀が長曽根小鐵
部屋と刀が仇名と成って
会津小鐵と人が呼ぶ
梅の浪花の皆の衆が
唄ひ出したるそのまた唄が
此の赤万膏薬でも
会津の小鐵がソテツでも
難波の福さんお多福でも
薬缶藤平が鉄瓶でも
馬屋のつぼ竹が竿竹でも
衿に大瓢箪背中に兵の字揚げりゃ
年期が増すばかり
あれが小林兵吉さんと
唄われました名物男
会津小鐵の売出しを
これ持ちましてよ
弁賊姫事 実明らかな
説明も成らないけれど
学びましたるお粗末だけを
悪声ながらも伺ひませう
京都北野天満宮の
東門に宅構へたる
男前なる文治と言ふて
やくざとせいの一匹鴉
ひょんな事から間違い起し
けんかの相手と役人と
間違いまして一刀の元に
斬殺したるそのために
軽くて打首重ねて磔
どちらにしても命のない所
小鐵の子分の小太郎が
親分小鐵に話しして

以下、延々延々延々と音頭の口説きが続いて行く。それに乗って盆踊りが続いているのかどうかわたしには見えないが、どうもそうらしい。敗戦後の京都でも 爆発的に流行った「盆踊り」の唄とはめちゃくちゃに異なっている。わたしらはあの頃、「瑞穂音頭」「京都音頭」「東京音頭」「炭鉱節」「真室川音頭」など で踊り狂っていて、「会津小鐵」や「赤垣源蔵」や「赤木谷悲恋心中口説」等々のごときは夢にも知らなかったが、田舎田舎には独特の音頭口説が遺っていてちゃんと唄い語りえた役の人がいたのにちがいない。書庫から持ち出した二大册には二百に及びそうな「音頭口説」が書き取られてあり、堪らなく刺激的に面白そうである。こういうのをわたしも、よく買って置いたと感心する。
じつは「説経」が読みたかったのだ、「山椒大夫」などのような。説経節と音頭口説とは筋が違っているような気がする、よく知らないので何とも謂えない が、「音頭口説」出来れば全部読みたい。もう四半世紀早くに読んでいたらわたしは不思議な小説を何編か書けていた気がして、もったいないロスをしたとやや 悔いている。わたしの身内にひそんだ「根の哀しみ」にかならず何かが触れて来るに相違ない。

*とにかくも「音頭口説」の多方面に多彩なのにおどろく。伝説や説話への、伝説や説話からの、双方向での浸潤のほどを察して、日本の文学文藝の理解から取り外してはなるまい。
2017 9/22 190

* 枕草子や宇治十帖を、さらには泉鏡花など耽読の一方で、日本の各地に伝承され語られ唄われ囃され踊られてきた「音頭口説」にも読み耽ると、いきらか身 を二つに引きちぎられるような感興へ落ちこんで行く。音頭・口説きはまさしく通俗の最の最たる表現だが、大方、七七七五音で唄われ語られ、七七音で結ばれ て行き、日本語の性質・素質からにじみ出るように湧いた表現でもあって、とても顔をそむけられない。極端なことをいえば、上の泉鏡花のみごとな魔術的な日 本語にしても、じつは、源氏物語や枕草子よりも、音頭口説を根に抱いているのだと読みたくなる、そう掴んだ方が正確だというほどの感触に痺れてくる。日本 文学の研究や批評に関わる人たちに、大きく廣く欠損している視野が有りはせぬかと気がかりである。

* それにしても読みはじめた鏡花の「高野聖」の出だし、痺れそうに懐かしい。「清心庵」の女と千太郎との対話の旋律もそれはもう面白いのナンノ。文学・文藝の底の深さの嬉しさよ。
2017 9/22 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人間は今あるようなものとして創造されたのではない。その動かぬ証拠に、人間は理をよくわきまえるほどますます自分の感情や性向の無軌道、卑しさ、退廃に赤面するようになる。
2017 9/23 190

* 鏡花の「高野聖」を読み進み、薫中納言と宇治中君とのフクザツな仲らいをともに歎くほどに読み進み、音頭口説が語りつ唄いつ「明石の殿さん」の極悪非 道に呆れ果て、枕草子を語り、足利義満と世阿弥とを語り、はては「酒が好き花が好き」を拾い読んでも今日一日を過ごした。世界も日本も政治はあまりに醜 く、見向くのも辛い。
山科の詩人あきとし・じゅんさんに、焼いた山女魚を戴いたのを、教わったとおりさらに焼き温めて竹筒に入れ、熱燗の酒を一合もそそいで、香ばしく飲み干した。美味い茶を淹れて甘い小粒な京菓子を楽しんだ。佳い一日であったのだ。
早稲田の文芸科を二年間手伝ったときの学生、小説を書かせて読んで、「作家になれる、なりなさい」と背を押した角田光代が「源氏物語」を現代語訳し始めたとも、今日知った。しっかり完成するように。

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

ありしこそ限なりけれあふ事を
などのちのよと契らざりけむ     源兼長
立チのぼるけぶりにつけておもふ哉
いつ又我を人のかく見ん       いづみしきぶ

思ひしる人もありけり世中を
いつをいつとてすぐすなるらん    前大納言公任
水草ゐしおぼろの清水底すみて
心に月の影はうかぶや        素意法師
程へてや月もうかばん大原や
おぼろの清水すむなばかりに    良暹法師
2017 9/23 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
うんざりすることのしにくい人を相手にしていると、ほとんどきまってうんざりする。
2017 9/24 190

* 夕食途中から「からえづき」して苦しくなり、床へのがれ、しかし、読みにくい木版本の「参考源平盛衰記」巻四十から巻四十三を懸命に読み進んで、興を 覚えること、多々。この「参考」版六十巻ほどは幕末に編まれ、平家物語の異本・異文を極力とり集めていて、アタマはこんぐらがるが、それだけにとんでもな く面白くもあり、ついつい読み耽ってしまう。読んでいるうちに体調も戻った。

* 源氏物語や枕草子の人たちなら、無数の同時代和歌や歌謡をよく覚えていて、片言の「引き歌」でちゃんと意思疎通ができたが、同じ真似を現代人同士、大昔の和歌や歌謡の一部を引いてものを言い交わそうなどは、よほどの場合以外はお話にならずヘンなイヤミに陥ってしまう。
名古屋の河文の若女将とわたしが閑吟集のうたで言い交わしたことがあるのは、相応の下地が双方に出来ていたから可能で面白かったが、ワケ分からず突っかけられたら、キョトンどころかアタマに来るだろうと思う。
秦の母や父はサイコロ・ゲーム半ば賽の目のひとつにも、面白い地口をよく口にしたが、誰もがワケ分かっていたのだから面白かった。平安時代の女同士男同士ないし男女の仲でも、相手が分かるワケのない引き歌で困らせたりはしなかった。
2017 9/24 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「もしわわれ自身が思いあがっていなければ、他人の追従がわれわれを毒することはありえないだろう。」
「追従はわれわれの虚栄心に俟たなければ通用しない贋金である。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と
などてかく雲がくるらんかくばかり
のどかにすめる月もあるよに      命婦乳母
むらさきの雲のかけても思ひきや
春の霞になしてみんとは         左大将朝光

思ひやれとふ人もなき山里の
かけひの水のこゝろぼそさを      上東門院中将
わかれ行ク舟は綱手にまかすれど
心は君がかたにこそひけ        藤原孝善

* 今日出かけなくて済んだのは、ほっこりと有り難い。なにとなく、いま、わたしはなかぞらに浮游の気味で頼りない。
しかし『参考源平盛衰記』第四十ないし四十六巻から多くの欲しかった知見が得られた。昔の袖珍版和綴じ和紙本はなんと軽くて柔らかいか、老人が寝ころがって読み進むのにほんとうに助かった。
『音頭口説集成』は大判で堅牢な製本で重い。しかしなかを読むのは至極く面白い。松園さんに「少女深雪」と題したそれは美しい繪があり、「朝顔日記」ヒ ロインとは知っていたけれどそんな芝居もしらねばそんな本も読んだことがなかったのに、「口説き」にはちゃんと載っていて、ゆっと話の筋が読み取れたのも 有り難かった。なにしろ七七七五調で口説いて行くからどう長かろうとどんどん読まされる。大冊の二册、みな読んでしまいそうだ。参勤交代の道中で三人は斬 り捨て御免を公儀にねだって聴許されていたと謂う「明石の殿さん」というのはひどいヤツであった、あちこちで怨嗟の音頭口説きにされている。
十巻選集版の泉鏡花本は四六版情勢ながら軽く造られていて、いまは『高野聖』を楽しんでいる。深い山道をゆく聖のしもとをしきりに蛇が出て悩ますのが叶わないが。やがては山蛭が雪のように笠へ降り次ぐであろう。
宇治十帖はやがて浮舟登場の「東屋」巻へ到着する。新岩波文庫版の第二巻到来が待ち遠しい。
2017 9/25 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「弱さこそ、ただ一つ、どうしても直しようのない欠点である。」
「自然が麗質を作り、運命がそれを活かす。」
「運命は理性の力では直せない数々の欠点を改めさせる。」

* 深く聴くに堪える。

☆ 鯨呑蛟闘波血と成るも 深澗遊魚は楽しみて知らず    白楽天

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

いかばかりさびしかるらん木枯の
吹キにし宿の秋のゆふぐれ      右大臣北方
うたゝねのこのよの夢のはかなきに
さめぬやがての命ともがな       藤原実方朝臣

を鹿ふすしげみにはへる葛の葉の
うらさびしげにみゆる山里      大中臣能宣朝臣
七重八重花はさけども山吹の
みの一つだになきぞかなしき    中務卿兼明親王
2017 9/26 190

* ものの端っこだけ聞きかじっていて、じつはよく知らないこと、沢山ある。「朝顔日記」の少女深雪のことなど全く知らなかった。「音頭口説」に教えられ た。阿波の少女おつるのものあわれな巡礼のはなしはホンの端っこは何度も聞きかじってきたが何も知らぬと同じだったのを、やはり「音頭口説」の「阿波の鳴 門」をつぶさに聴いて、思わほろりとず泪した。
「音頭口説」は読みはじめると投げ出せない、そこに七七七五調、七七調の魔力が働いて引き摺られて行く、それも快調 に。
いま鏡花の名作 『高野聖』をずんずん読んでいるが、むろんもう何度目の通読か知れないのに、今度はふと真新しい感想をもった。これは「音頭口説」の目を瞠るみご とな芸術化のように読めば読める。聖の「語り」の美事さは、「口説」の野卑にして未熟なと天地ほど大違いであるけれども、根は日本の民衆の「音頭や口説 き」を好んだ生地の、美事な仕上げの感がある。『龍潭譚』でもそうだったと今にして気が付く。「物語り」というも「小説」というも、根に、歌って語る「音 頭口説」と「囃 し」の楽しい風習が下敷きを成している。「あ、そうかあ」と目からウロコを落としたように、思う。
「エンヤ、エンヤマッカ、ドッコイサノセェ」と聞いた戦時中 丹波の山奥の、篝火もわびしいささやかな宮前の八木節囃し声と盆踊り、もろ肩脱いでえんえんと口説き続けた「友さん」の名調子。ああ、よく体験しておいたと、ふ と目尻に泪を溜める。
2017 9/26 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
優れた素質を持つだけでは充分でない。それを活かす術が必要である。

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と
とゞめおきて誰を哀とおもふらん
こはまさるらんこはまさりけり      いづみしきぶ
見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし
心もしらぬ撫子の花            上東門院
見んといひし人ははかなくきえにしを
獨露けき秋の花かな           藤原実方朝臣

男に忘られて侍りける頃
物思へば澤の螢もわが身より
あくがれ出ヅる玉かとぞみる      和泉式部
貴布禰の神 御返し
奥山にたぎりて落ツる瀧つ瀬の
玉ちるばかりものな思ひそ

☆ 晩桃花  白楽天
一樹の紅桃 亞(た)れて池を払ふ
竹遮り松蔭(おほ)うて晩くに開く時
斜日に因るに非ざれば見るに由無く
是閑人ならざれば豈に知るを得んや
寒地材を生ずるも遺(わす)られ易く
貧家に女を養ふも嫁ぐこと常に遅し
春深う落んと欲するも誰か憐惜せん
偶々白侍郎(楽天)来て一枝を折る
2017 9/27 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「才気は時にわれわれに手を貸して敢然と愚行を犯させる。」
「年をとるほどさかんになる血気などというものは、狂気から隔たること遠くない。」
「老人たる術を心得ている人はめったにいない。」

* 首肯かざるを得ない。ハテ、どうする。
2017 9/28 190

* どこか、綿のように疲れている。心因によるのか。気候か。利き腕で頸の後ろを掴むと電氣が走るように痛む。

☆ 舊房   白楽天
壁を遶(めぐ)る秋聲 蟲絲を絡(まと)ふ
簷(えん)に入る新影 月眉を低(た)る
牀帷半ば故(ふ)りて 簾旌(=簾)は斷え
仍(なほ)是れ初寒 夜ならんと欲する時

* ま、こんなふうに暮らしている。
2017 9/28 190

* 鏡花の「高野聖」 はやあしに遁げ走るように終えていったのが、怕さになっている。心が白くなる「怕」という一字、心して胸に抱く。この作には「一字」のむだも不足も無く、言葉が生きている。話しかけてくる。
次は、同じ鏡花の「註文帳」を読む。これは怖いぞ。
怕くても怖くても「作品」に富んだ秀作は美しい。
2017 9/28 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
極度の吝嗇はほとんど常に勘違いする。これほどしばしば目的から遠ざかる情念はなく、これほど現在に強く支配されて将来を犠牲にする情念もない。
2017 9/29 190

* 明朝は、九時から選集第二十二巻を送り出しの作業に入る。重い本の荷造りになる、疲労を重ねないよう要心して取り組む。夜前は二時半まで、選集の初校 分、再校分の校正に続いて、宇治の「宿木」巻、「音頭口説」の何編も、「絵巻」華厳篇の月報、鏡花「註文帳」、さらに「京の魔界」もを読み耽って、七時過 ぎには起きていた。京は昼寝もなく、池袋の雑踏を五千歩以上も歩いてきている、睡眠がすこし足りていないので早く寝る。
2017 9/29 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
愛の喜びは愛することにある。そして人は、相手に抱かせる情熱によってよりも、自分の抱く情熱によって幸福になるのである。

* 愛されるのが愛の喜びと大方が思いこんで人生を設計しようとしがち。大きな見当違い。
2017 9/30 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人の偉さにも果物と同じように旬(しゅん)がある。」
「伝染病のように感染(うつ)る狂気がある。」
2017 10/1 191

* もう永らく角川版絵巻物全集の月報「絵巻」を全編愛読しているが、刊行ののっけに「対談」に呼び出されていて今さらにびっくりしたことは前に書いた が、ずんずん読み進んでもう二十何冊めになる、突如「月報」の筆頭に自分の名が出ているのをみつけ、仰天した。前の「一遍聖繪」対談はさすがに記憶してい たが、こんなところで巻頭エッセイを求められていたとは記憶からまったく洩れていた。「千秋楽」という題で書いていた。何十年も昔だ。
こんな調子で、四方八方からの依頼原稿を律儀に、手を抜かず無数に下記に書いていたまさにその「御蔭で」いまの私の生活は「稼ぎ無し」でも幸い成ってい る。誰の眼にも豪華な「選集本」も、極少部数ながら誰にも、妻子にも一円の迷惑をかけず、創り出せている。本はむずかしくてか売れたとは義理にも謂えない が、書く原稿は結果的にはベラボーに「売れていた」と今さらに幸い自得するしかない。
もう、余命は少ない。日本は、ますます危うい。未練は無い。
2017 10/1 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
ちゃんとわかる人にとっては、わけのわからない人たちにわからせようとするよりも、彼らに負けておくほうが骨が折れない。
2017 10/2 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「老いは若い時のあらゆる楽しみを死刑で脅して禁じる暴君である。」
「人は敵に騙され味方に欺かれれば口惜しくてたまらない。そのくせしばしば自分自身に騙され欺かれて悦に入っている。」

☆ 夜雨 微雨夜行  白楽天

早蛩(こおろぎ)啼きて復た歇(や)み
残燈滅(き)えんとして又 明らかなり
窓を隔てゝ夜雨を知る
芭蕉 先づ 聲あり

漠々 秋雲起り
稍々 夜寒生ず
自づと覚ふ裳の湿ふを
點(燈火)なく 聲もなし

* わが昔人らが白楽天の詩をことに慕い愛したきもちが分かる。
いまわたしはこれらを少年の昔から秦の祖父の蔵書に見出し愛玩してきた、国分青厓閲・井土靈山選、文庫本よりなお幅の狭い『選註 白樂天詩集』(明治四 十三年五月初版)で毎日読んでいる。この本には、忘れがたい反戦・厭戦の七言古詩「新豊折臂翁」が入っていて、国民学校三年生を終え丹波の山奥へ秦の祖父 や母と戦時疎開するより以前から愛読していた、「兵隊には行きとない」と思いながら。その久しい思いから作家以前の処女作「或る折臂翁」(選集⑦巻所収) を書いたのだった。秦の祖父は、夥しい数のこういう漢籍や古典を所蔵していた、ただし読んでいるのを観たことは無かった、長持の底や箪笥の戸袋などから発 見していったそれらすべては少年・秦 恒平のまつしく所有に帰し、その大方を京都から東京へ移していた。祖父はちいさい「もらひ子」のわたしにはこわい人であったが莫大な恩を受けている。「古 典」という詞藻と表現の結晶をさながらに「思想(エッセイ)」としてわたしは敬愛し親愛できた。これが無かったらわたしは作家に成れていなかったろう。
だが、これらの古典籍も、やがては廃棄されてしまう。「精神」としてこれらを引き受け得る子孫をわたしは持てていない。やんぬるかな。
2017 10/3 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
美しさとは別個の、感じのよさなるものについて語るとすれば、それはわれわれの知らない法則にかなったある調和である。顔立ち全体の、そして顔立ちと色つ や、さらにはその人の風情とのあいだにある、ひとつのえも知れぬ釣り合いである、と言うことができるであろう。

☆ 秋房の夜  白楽天

雲は青天を露はして 月 光を漏らす
中庭 立つ久しうし 却つて房に帰る
水窓 席冷やかに 未だ臥す能はず
残燈をかかげ尽くして 秋の夜は長し
2017 10/4 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
節度は野心と闘ってこれを抑えつけることができるほど大したものではない。そもそもこの二つは決してあいまみえることがない。節度が魂の無気力であるのに対して、野心は魂の活力であり熱気だからである。

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

敦道親王におくれてよみ侍りける      和泉式部
今はたゞそよその事と思ひ出デて
忘るばかりのうき事もがな
すてはてんと思ふさへこそ悲しけれ
君になれにし我身と思へば
なき人のくるよときけど君もなし
わがすむ宿やたまなきの里

道とほみ中空にてやかへらまし
思へばかりの宿ぞうれしき   康資王母
津の國の難波のことか法ならぬ
遊びたはぶれまてとこそきけ  遊女宮木
2017 10/5 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「自分の欲することについて完全な知識があったら、われわれはめったに何かを熱望したりしないだろう。」
「大部分の女が友情にほとんど心を動かされないわけは、恋を知ったあとでは友情は味気ないからである。」
「友情においても恋においても、人は往々にして知っているいろいろなことによってよりも、知らないでいることのおかげで幸福になる。」

* したたかな箴言である。
2017 10/6 191

* 四国・今治市の木村年孝さん、ここ数年心がけ書き継いできた小説へ応援の地誌資料をたくさん送ってきて下さった。有難う存じます。行きたい、が、とても行けそうにない、どうしようと思い歎きつつ辛うじて近縁のテレビ番組などで辛うじて想像していたが。
読まねばならない。いまわたしは「読む」という好意に生活の大半を捧げているが、じつのところ視力はサンザンで小さな活字は見えない、読めない、インクが薄くても読めない。ひどいときは、源に今もそうなんだが、いろんな眼鏡を「三つ」も重ねている。
それでも読まねばならない、読みたい意欲はむしろ旺盛で、だから家中の到るところに積み重ねた本の幾分かでも処分したくても出来ない。手に取ると、あ、 も一度読んでからなどと思ってしまう。読書に趣味のない息子にでも命じて、おれの留守に一斉に始末しといてくれとでも頼まねばならない。
本の誘惑というのは、きつい。目下は徳に関心も用もない本なのに、手にとり題を見てしまうと、あ、これはまた読みたいと思ってしまう。まだしも「お寶」というに値する書画骨董茶道具を人様に差し上げてしまう方がし易い。ほんを貰って喜んでくれる人はあまりに少ない。

* 愚痴っているより、送って戴いたのを今晩は読もう。幸い妻にも手伝って貰い、「湖の本137」発送の用意はもう七、八割がたできている。『ユニオ・ミスティカ』最期の仕上げも近づいている、手を掛ければ際限ないけれど。

* ナニの勢いでだか、美術の世界にひたひた浸りながら機械に向かいづめの一晩であった、十一時、もえ目玉が灼けている。
2017 10/6 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人は理性でしか望まないものは、決して熱烈には望まない。
2017 10/7 191

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
会話をかわしてみて思慮深くて感じがよいと思われる人が、これほど寥々たる有様になっているのは、ひとつには、言われたことにきちんと返事をすることよ りも、自分の言いたいことばかり考えている人が多いためである。最も頭がよく、最も愛想のよい連中でも、熱心に聞いている顔をして見せるだけで事足れりと するのだが、その時彼らの目つきや頭の中にある、こちらの言うことに対する上の空な気持と、自分の言いたいことに話を早く戻したがっている焦燥が、ありあ りと見てとれる。そんなふうに自分を喜ばせることばかり求めるのは、他人を喜ばせ、もしくは説得するためには拙策であり、よく聞きよく答えることこそ人が 会話の中に見出し得る最大の妙味の一つであることを、彼らは考えようとしないのである。

* 大概な「会議」風景は上の如くである。

* いま、電灯を「白い色」から「暖かい色」に替えてみた。部屋の空気が淡い橙色になり、機械画面もぎらぎら目に刺さるようではなくなった。こり部屋も寝 室もおなじ照明に替えて「白い色」だとすこぶる明るいのだが目にきつい。これを消して従前の電気スタンドにすると読書しやすく、読み進むに連れて視力と明 るさとが調和し、時間が経ってもずんずん読めると気付いていた。
光線の種類で眼への刺戟や負担が増すのである、らしい。
光刺戟ではラクになったが、キーボードが暗くなった。手探りで敲いている。
2017 10/8 191

* 昨日戴いた東淳子さんの新歌集『とはに戦後』を、就寝前に、最終章から読みはじめ、「衝撃」的な、歌われてある内容にも歌われてある措辞と表現とにも、感銘と共感を得た。
東さんは今日の短歌界で屈指の、真の詩人とわたしは久しく敬愛してきたが、こんどの集でこの(わたしとそう年齢・年功の違わない)歌人は、凛然と、ズレ もクルイもない日本語で、「戦後」を歎き怒り、「現在日本」に憮然たる不承の思いを、ただ観念ででなく、事相の凝視と批評とで「歌い」抜いており、聊かの 蕪雑や雑駁を峻拒して美しい、きりっとした「日本語」を創作し得ている。
びっくりするほど、感じ入った一首一首のゆえに、こころみに、短歌表現になど何の関わりも持たない妻に、おなじ最後の章から読ませてみたら、好餌に食いついた魚のようにみごと歌集に掴み込まれてしまったのは、愉快であった。
短歌の行儀をたしかに備え、措辞のおろそかの少しも無いままに「現実日本」を一首一首が突き刺している。
この歌人は、人間の時間は、洋の東西も古今もなく 「戦後」 を抱いて生きる時間・歳月と見切っている。仇疎かに生きていない、生きられない人なのである。

わが歌に身丈のありてそこよりは
遠くへ翔びたちゆけぬ言葉ら

と結ばれてはいるが、立派な歌集に恵まれたと思う。
2017 10/8 191

* 夜前 鏡花の「註文帳」読み終えた。前半で作者がすくなからず独り合点にはしゃいでしまい、折角の後半への自然な流れが阻害されていたのは惜しかっ た。まったくの、これも、鏡花語りに徹した廣く大きくみれば音頭こそないが「口説き」ものだと、いまのわたしには読み取れる。馬琴の江戸のと云いすぎる前 に、「音頭口説」を研究者は識っておいた方が良い、識っておくべきだろう。
長ぁい「常右衛門高尾」という口説きを聴いた(読んだ)。唸った。歌舞伎や浄瑠璃や読み本や浪花節になるまえに盆踊りの音戸をともなった「口説き」とい う語りがつづうらうらに楽しまれ記憶されていた事実の大きさ。文学研究がおおかた見落とし目こぼしし見捨てたままになっていた庶民の芸能であった。説経 どっちが早い遅いはわたしには云いきれないが、大きな混合のありえたことは察しだけはつく。
2017 10/8 191

* 今治の木村さんに送って戴いた地誌も興味津々読みかけている。
鏡花は次は何かな。源氏物語は「東屋」の巻を進んでいる。「音頭口説」大冊の一冊目をほとせなく読み上げてしまう。京都の地誌もこれまた興味深く読みあさっている。
ダンボール箱から、医学書院の原稿用紙をつかってなんだかアタックしていた五十枚ほどの原稿用紙があらわれた。棄てるのか、読み返すのか、なやましいこと。

* 明日もまだ休日だと。ヘンなの。
2017 10/8 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「若者は血気に逸って好みを変え、老人は惰性で好みを墨守する。」
「他人に対して賢明であることは、自分自身に対して賢明であるよりもたやすい。」 2017 10/9 191

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「われわれは理性の力では慰められない不幸を、しばしば弱さで紛らわしている。」
「ふとしたはずみがわれわれを他人に、またそれ以上にわれわれ自身に、わからせる。」
2017 10/10 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「気質には頭脳よりも多くの欠陥がある。」
「人の気質についても、多くの建物について云うように、それにはいろいろな立面(ファサード)があって、ある立面(ファサード)は感じがよく、他の立面(ファサード)は感じが悪い、ということが有る。
2017 10/11 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人は色々な種類の怒りを少しも区別しない。ところが怒りには、熱しやすい質(たち)からくる軽い、ほとんど罪のないものがある一方で、正確には自負心の狂態とも謂うべき非常に罪深い怒りがあるのだ。

* 公爵ラ・ロシュフコーの箴言集は 一応三部に別れていて、生前に削除されていた74項目、また歿後に刊行の箴言61項目がある。正篇と目すべき箴言は504項目も有る。わたしは、区別無くどの部からも、得心したものをその日の気分にもそわせて読み取っている。
正篇というか本篇というか、その最終No504は他と較べてたいそう長文であり、その趣意は「死の蔑視の虚偽性」にある。心して読みたいと思っている。 廣い世には、「死ぬ」など何でもないと謂うに近い、等しい覚悟を述べたり広言する人もある。日本では往時の武士のおおかたがそのように言いもし振る舞って いた、かも知れない。普通の人にも同様に言い放つ人がいる。ラ・ロシュフコーはそれらを虚偽性の名において批判しているらしいが、まだわたしは読んでいない。
2017 10/12 191

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷と雑の歌

恋しさにぬる夜なけれどよの中の
はかなき時は夢とこそみれ     大貳高遠
別レにしその日ばかりは巡りきて
いきもかへらぬ人ぞ恋しき      伊勢大輔
きえにける衛士のたく火の跡をみて
煙となりし君ぞかなしき       赤染衛門
年ごとにむかしは遠くなりゆけど
うかりし秋は又もきにけり      源重之

入道摂政かれがれにてさすがに通ひ侍りける頃、
帳の柱に小弓の矢を結びつけたりけるを、ほかにて
とりにおこせて侍りければ、つかはすとてよめる
思ひいづる事も有じとみえつれど
やといふにこそ驚かれぬれ       大納言道綱母

* 後拾遺和歌集の、おおよそ前詞を割愛しても 歌ひとつで秀歌と味わえるものを書き抜き終えた。女文化の粋である、和歌。和泉式部 赤染衛門 伊勢大輔 道綱母ら、女流の傑出していたことが実感できる。
2017 10/13 191

* 「箴言」の岩波文庫がかき消えたように身辺に見つからない。ま、この混雑の限りの部屋では、失せたとなると当分見つからない。代わりに何かが見つかるかも。
2017 10/13 191

* 今治の木村年孝さんからどっさり頂戴した、私「目当て」の瀬戸内地誌には、歴史も地理も写真も豊富で、眼を凝らして読みかつ見入っています。木村さん、有り難う存じます。
2017 10/14 191

* 鏡花は、「龍潭譚」「清心庵」「高野聖」「註文帳」「女仙前記」「きぬぎぬ川」を読み終えて、いま「春昼」を読みはじめて「春昼後刻」へ向かっている。「女仙前記」から「きぬぎぬ川」半ば過ぎまでは縹渺とした懐かしさが「龍潭譚」九つ谺の女や「高野聖」の女をも重ね想わせて宜しかった。鏡花という日との俗世へ向かう強烈な厭悪にわたしはつい心惹かれる。
そして美意識の、奔流ににた浪費がきららかな修辞の美になり読者をまさに幻惑する面白さ、叶わなさ。座談会のとき、他の出席者は鏡花の文章、読めば分か る分かる何でもないと繰り返していたけれど、わたしは、やはりそうは謂いきれぬ。東工大の優秀生の何人もが「何が何だかわかりません」と教授室へボヤイて 歎いてきたのを可笑しいほどに思い出す。彼らの方が、やはり普通であろう。鏡花の修辞が平気ですらすらとよく読解できるなどと言い張る方が、異様なのでは ないか、そう敬意を示しておいておちついて読み進めたい。

* 匂宮の男子をなした宇治中君を頼って、異母妹の浮舟がいよいよ登場してきた。物語は「東屋」巻から「浮舟」「蜻蛉」巻へややこしくなってくる。終始一 貫してわたしは中君が大の贔屓。浮舟のように波に漂うて危ういのりもの(女)には安心がならない。更級日記の著者はかなり賢い人と想っているが、なんであ あも浮舟に焦がれられたのだろう。
わたしは、やはり桐壺から宇治中君へまっすぐ引かれて行く豊饒な線が眩い。
2017 10/14 191

☆ 陶淵明

廬を結んで人境に在り、
而も車馬の喧しき無し。
君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると、
心遠く 地自(おのづ)から偏なり。
菊を採る 東籬の下(もと)、
悠然として 南山を見る。
山気 日に夕に佳し、
飛鳥 相与(あひとも)に還る。
此の中に真意有り、
弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。

* 「欲辯忘言」 弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。
真意を存じてしかも斯く在りたいもの。忸怩たるあり。

* 仕事にかからず、『古文真寶』をめくり続けていて、ふと目に入った陳師道の「妾薄命二首」が胸に沁みた。「妾薄命」は古来の楽府題で、姫妾の薄命(不 運・不幸)にしてその福を全うできないのを詠うのだが、この師道はまさしくその境涯を切々と表現しながら実は、多年恩顧学問の師に先立たれた悲しみと、節 を枉げていまさらに他に赴くを厭い、師の墓辺に残年を生きたいと謂うのである。
ことに第二首の声涙きわまって詩句の美しいのにおどろくが、顧みて想えば「不思議」を蔵した詩境ではある。小説にしたいほどの劇情が窺える。
たまたま見つけた詩篇であったが、『古文眞寶』には、かようにも獲がたい寶が溢れている。幸い前後集・私蔵本は久保天随の「釈義」が懇切で優れ、御蔭でおおかた私にも読めて、有り難い。
かかる優れた漢籍にいろいろ親しんでいると、あの「中国」という国が、極み無く膨脹しつつ古・今一体なのか別モノなのかが「混乱」してくるのが可笑しい。
古の中国にはもっぱらその高い深い「文化」で接しており、今日の中国とは容認しがたい「政治や、けったいな行俗や迷惑な事件」でしか伝わってこないのだから。現代の中国の文明ではない「文化」
の知見を持ててないということである。わたしの僅かに識っているのはときどき戴いている中国現代の戯曲集のそれなりの面白さだけで。今日現代の詩も小説も美術も音楽も陶芸も、識らないのである。
2017 10/15 191

* まったく思いも寄らないよほど離れた場所から、ひょこっと、見失っていた『箴言集』が現れた。どえなってますのや。

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「それ自体不可能なことはあまりない。ただわれわれには、ぜひとも成しとげようという熱意が、そのための手段以上に欠けているのである。」
「人は命を失うことは望まないし、栄誉は得たい。だからこそ真の勇者ほど、死を避けるために、訴訟狂いの守銭奴が自分の財産を守るために発揮する以上の手腕と知恵とを発揮するのである。」
2017 10/15 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「大人物とは凡人よりも情念が少なくて美徳の多い人ではなく、単に凡人よりも大きな志を持つ人である。」
「生まれつきの残忍性は、自己愛が作るほど多くの残忍な人間は作らない。」

* ラ・ロシュフコーが「箴言集」中、もっとも多く、きつく、深くえぐり出すのは「自己愛(アムール・プロブル)」と「嫉妬、嫉み」と想われる。人間の、とひろげて謂うては卑怯になる、わたし自身も、と身を抓って箴言の糾弾に堪えねばならない。わたしは、ラ・ロシュフコーの前を逃げ回っているのです。
2017 10/16 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
むやみに細かいのは偽の緻密で、真の緻密は空疎でない細かさである。

* ある種の鏡花作品の表現に「むやみに細か」く畳み込み過ぎた緻密に作者だけが酔っぱらっているような欠陥が見られる、名人藝にも近いのだけれど。

* いま読み進んでいる鏡花選集は幻怪な物語の一巻になっているが、そのいずれにも陰に陽に蛇が、必ずといえるほど現れてくる。この事実に着目なく鏡花文学をどう語ろうと偏頗なよそごとになる。いま「春昼」の語りを読み進んでいる。

* 鏡花ほどの作品に触れていても、一度「宇治十帖」へ視野を替えるとその文学の香気と静謐・優雅は、くらべようもなく秀でて、珠玉ほどに懐かしい。浮舟は、はや匂宮に襲われた、薫大将に会う前に。

* どうやら「音頭口説き」の最評判は「石童丸」らしく、同様の筋書きは当然としても口説き方の違いは如実に各地方痴呆に歴然と記録されていて、その違い 様がまたおもしろい。子供の頃に講談社の絵本様の本で知っておそろしさに泣いた「石童丸」とはすこしずつ各地で話の持って行きようが変わっている。
まさに庶民の聴いて楽しめる聴く文藝であったのだ。

* ええいとばかり、二階の窓下にならべた書棚から、半ば目をとじて先ずたくさんな新書本を、どこへでも遣ってと妻に託した。時間さえあればまた読みたいものばかり、そういうのしか置いては居ないのだから、残り惜しくはあったが、とてももう読む時間がない。
この調子で、字の小さい本から処分して行く。選りすぐりの夥しい文庫本小説、愛読してくれる少年・少女がいたら、喜んで差し上げるのだが。
2017 10/17 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人間の善き本性は、こんなに情け深いぞと威張っているものの、往々にして、ほんの些細な利害によって圧しつぶされてしまう。」
「われわれにこれほど妬み心を吹き込む自負心は、またしばしば妬み心を和らげる役も果たす。」
2017 10/18 191

 

☆ 陶淵明に聴く

萬化は相い尋繹す   尋繹=推移交替
人生 豈(あ)に労せざらんや
古より皆没する有り
之れを念へば中心焦がる
2017 10/18 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
偉大な才能を作る下らない素質がある。

* アマデウスに潰されたサリエリの本音のように聞こえる。
2017 10/19 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
頭のいい馬鹿ほどほどはた迷惑な馬鹿はいない。
2017 10/20 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「単に無知だから利口者に騙されずにすむ、ということも間々ある。」
「ほんとうの騙され方とは、自分が他の誰よりも一枚上わ手だと思いこむことである。」
2017 10/21 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「自分は人に好感を与える、という地震は、えてして人を不愉快にする決め手になる。」
「他人に対して抱く信頼の大部分は、己の内に抱く自信から生まれる。」
2017 10/22 191

* 昨夜、縹渺としてそらおそろしい海の怪異というべきか、鏡花の「春昼」「春昼後刻」を読み終えた。さながらに奇蹟のような日本語表現の奇妙・神妙に魅されまた戦いた。
引き続いて久しぶりに大作「風流線」を読みはじめた。強化策としては巨大な通俗作かもしれない、印象を改め得られるかもしれない。
鏡花は、どこをどう押しても体制派では全くない、市井は柔らかいが強硬なといえるほどの反体制文学者である。川端や三島のように政治風土に晩節を汚した 作家ではない。鏡花は「漱石さん」をかなり敬愛していた。ふたりの余に拗ねた拗ね方は、わたしには懐かしい。荷風はもとより、潤一郎も体制に媚びるナニモ ノも持たなかった。晩年の荷風こそは、わたしの
いわゆる騒壇餘人の最たる作家であった。いま荷風こそが真実懐かしい。
2017 10/22 191

 

* 明日の無事を祈って、今夜は、目の利くだけ仕事もし本もよんでぐっかり寝入りたい。
特に窓や戸を敲く風や雨もいまは聞こえない。近藤さんに今日戴いたお酒で、鼻歌でも歌いながらもうすこし階下で校正ゲラを手直しするか、まだ十時だ。
2017 10/22 191

* 九時半、雨なく強風のなかを病院へ走る。十時前、エコー検査。
検査ばかりしているが、執拗な腹痛と便秘は改善されず、ベッドの上で気儘な身動きもならず、軽熱あり、気力を欠いている。
鏡花の「風流線」を音読してやる間は聴いている。妻も鏡花が好き。
建日子が昼頃来てくれたので、病状等を伝え。医師が来たらしかとした改善を要望せよと言い置いて、いったん帰宅。建日子持参のパンを食べ、(朝も似たよ うなパンを病院売店で買って食べ、)洗濯物の処置や、故紙や、瓶缶や、生ごみや紙屑の処理などに右往左往してたいして片づかぬまま二階へ来た。
2017 10/23 191

* 鏡花の「風流線」に引きこまれて行きそう。
2017 10/23 191

* 昨夜は深い気落ちと不安とに落ちこまぬよう、せっせと仕事し、夜更けまで鏡花を読み源氏物語「東屋」巻も読み終えた。薫は浮舟を手に入れ、宇治へ隠そ うとするが、これが新たな葛藤の悲劇を呼ぶ。「浮舟」「蜻蛉」「手習」そして「夢の浮橋」へ、最期の一冊になる。ゆっくり楽しんで読む読み方をしている。

* いま、六時。一呼吸入れたまま、食欲よりも躰を横にして寝入りたい。
「こんな時だからこそ、まずあなたが倒れてはいけない、クリアな頭で的確な判断をなされなければならないと思います」などというアッタリマエなことは、云われるまでなく、それでしか乗り切れないと覚悟し、身も心もフルに動かせている。仕事の手も抜いていない。「洗濯ものが、黴びれば捨てればよろしい。二人で出来ていたことを、ひとりでしょうと、決して思わないで」といった血の通った激励に「人」のぬくみを嬉しく感じる。
妻の帰る日まで酒は呑まないと決めた。喰う楽しみはいま極めて淡い。結局は、仕事して読んでよく寝るだけ、か。次の月曜にはまたわたしの方の病院へ通う。もう集中治療室を出てられると有り難いが。
2017 10/25 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人は年をとるにつれて、いっそう物狂おしくなり、またいっそう賢明になる。
2017 10/26 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
一度も身を危険にさらしたことがなければ、自分の勇気を保証することは出来ない。
2017 10/27 191

* 陶淵明に聴く

翼翼たる帰鳥  載(すなわ)ち翔り載ち飛ぶ
遊を懐(おも)はずと雖も  林を見れば情は依る
雲に遇へば頡頏(きっこう)し  相鳴きて帰る
遐路 誠に悠かなるも  性愛 遺(わす)るる無し

「翔」はまわりまわり飛ぶ。
「頡頏」は上へ下へ避けて飛ぶ。
「遐路」は遠い道。天空。
「性愛」は古巣への忘れられぬ情愛。

* 迪子 元気に帰ってくるのを 待っているよ。
2017 10/29 191

 

* 十二章ある一編の読み原稿、その一章を心して読むのにきっちり一時間の集中が要る。あと十時間は要する。疲れるけれど、心足る喜びもある。満三十歳で一年連載している。心ゆく筆をつかっている。書くべく、かつ書ける内容を間違いなくしい゛しんの文章で書き込んでいる。

* さ、階下へおりて、床について鏡花と浮舟を読もう。
2017 10/30 191

☆ 陶淵明に聴く
静かに念(おも)ふ 園林の好(よ)きを
人間(じんかん) 良(まこと)に辞すべし
当年 何ぞ幾ばくも有らんや
心を縦(ほしいまま)にして復(j)た何をか疑はん
2017 10/31 191

 

* 久しぶりに湯につかり、「浮舟」巻を読み、「音頭口説」の仇討ちものを(読んで)聴いたり、いわゆる物語絵巻物における「女繪」鑑賞や理解の微妙なむずかしさをサイデンストッカーから指摘されたり、西東京市の広報を勉強したりした。
もう十一時近いので、湯上がりのまま風邪を引かぬよう機械仕事は今夜はもうやめて、階下ですこし寛いでから就寝前の読書、鏡花の大作「風流線」を読み進めながら寝入ろう。
それにしても鏡花が読めた、読んだ、楽しんできた読者の少ないのに、今更に改めて感じ入る。鏡花には確実に五百人の愛読者がいると、自然主義作家達が羨 望し妬んだというハナシを昔昔にわたしは知っていて、ああ、それで良いではないかと思ったりしたのはハテ、どうだったのだろう。
2017 10/31 191

☆ 陶淵明に聴く

丈夫 志有りと雖も
固(もと)より児女の為に憂ふ
2017 11/1 192

☆ 福田恆存に聴く  民主主義過信
「民主主義とは為政者の側が最も大事なことを隠すために詰らぬことを隠さぬやうにする政治制度である。」
「私は民主主義を否定してゐるのではない、民主主義だけでは駄目だと言つてゐるのである。今日、私達の政治体制として民主主義以外のものは考へられな い。とすれば、政治や政治理念だけで、今日の政治的混乱を処理する事は不可能だといふ事になる。恐しいのは利己心と怠惰と破壊と、そしてそれらを動機附け し理由附けする観念の横行である。考へるとは今ではさういふ観念を巧みに操る事を意味する様になつてしまつた。さういふ世の中で本当に物を考へ、物を育て て行く事がどんなに難しい事か。」

* 尊敬する福田さんの語録「日本への遺書」は聴くに足るもの。しかも、そのなかにはわたしの得心、同心しがたいものも、むろん混じっていて、それはナニ不思議もなく、そうと承知でわたしは、福田さんが亡くなられてのちしばしばこの本を手にしている。
2017 11/2 192

* 気が付いてみるとわたしは晩飯を摂ってないのだ。しばらく階下でひと休みし、明日の見舞いまでの段取りをしてから、心身が働けば一仕事したい。とかと、とても睡い。睡眠不足はなにかにつけて危険信号。気を付けたい。

*  沢口靖子の声は聴きながら、明日の家事段取りや病院へ持参すべきものの用意をし、ついでドクターX大門未知子を楽しみながら、カステラ一切れと柿を二 つ、冷えたお茶をたくさん呑み、「たねや」の葛湯についていた和三盆をすこし嘗めて夜食にした。まだ十時過ぎだが、これから眼をつかって細かな機械仕事を する生気が無い。いっそからだを横にし、あかるい電灯で「浮舟」と鏡花と月報「絵巻」を読めるだけ読んで寝入りたい。
2017 11/2 192

☆ 福田恆存の遺言に聴く   便利 抄
損だけを捨て、得だけを貰ふといふわけにはゆかない。
昔はあつたのに今は無くなつたものは落着きであり、昔は無かつたが今はあるものは便利である。昔はあつたのに今は無くなつたものは幸福であり、昔は無か つたが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落着きのことであり、快楽とは便利のことであつて、快楽が増大すればするほど幸福は失はれ、便利が増大す ればするほど落着きが失はれる。
人は暇をこしらへて落着きたいと切望し、そのために便利を求めながら、その便利のお
かげでやつと暇が生じたときには、必ずその暇を奪ひ埋めるものが抱合せに発明されてゐる。
便利は暇を生むと同時に、その暇を食潰すものをも生むのである。

* 街へ出れば、ありありと見える。落ち着き無くウソクサイ便利に狂奔するような現代日本よ。
2017 11/3 192

 

☆ 福田恆存の遺言に聴く   生死 抄
生の終りに死を位置づけえぬいかなる思想も、人間に幸福をもたらしえぬであらう。死において生の完結を考へぬ思想は、所詮、浅薄な個人主義に終る。

* 此処に聴く限りの故人の謂いは、私の同感しているものと示しておく。
2017 11/4 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   猥褻 抄
チャタレイ裁判のときにも問題になりましたが、猥嚢といふことと性的刺戟といふこと
とはちがひます。前者は好もしくないが、後者は好もしいことであります。
私たちは大義名分とかかはりなく、性的刺戟をそれだけで快く受けいれるべきなのです。壮年には壮年の、老年には老年の、そして幼少年には幼少年の性的刺 戟がある。もしそれを悪しきもの、有害ものと見なす観念が私たちを支配しだすと、そのときにこそ猥褻な心裡が動きだすのです。
2017 11/5 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   いい文章 抄
いい文章を書くといふことが、いい政治をするといふことと同様に、あるいはそれ以上に、人間の未来にとつていかに大切なことであるかを、あなたがたは知らないのです。
政治が悪ければ国が滅ぶとは考へても、一国の文学が亡びれば、また国が亡ぶとは考へない。
政治家も啓蒙家も、もうすこし文章といふものに想ひをひそめていただきたい。
よく考へてみてください。文学者の政治的な無智と、政治家、あるいは啓蒙家たちの文学的な無知とどちらがひどいか。
が、世人は文学者の政治にたいする無知は世を誤るもののやうにおもひながら、政治家の文学にたいする無理解は大したことではないと考へてゐる。それは現 代日本の文学者にろくな作品がないからといふのではなく、文学そのものの人生における効用を知らないからです。そのはうが由々しき問題です。
ぼくはむしろさういふ世間にたいして、文学の効用を説くことこそ、文学者の社会的な責
任のひとつだと考へてをります。
もちろん世間を文学からそつぽむかせたのは、文学者の責任です。文学者が文学の効用を信じてゐないからこそ、問題は文学者の政治的責任といふ形であらはれてくるのであり、ますます混乱をはげしくするのです。

* 終始一貫してわたしもまったく福田さんと同じく思い、考え、実践しようと生きてきた。東工大で若い指導的な科学者たちが東工大に「文学」は要らないと云っているときも、このようにわたしは語り続けた、実践した。

* 優れた文学は知識ではない、思想であり、読む人に、豊かに美しい詞藻を植え育てる。ただの読み物は文学ではない。売文に過ぎない。

* 金正恩とトランプは極東を人の住めない荒野に変える懼れを日々に増してきた。
わたしも妻も幸いに八十余年を生き生きと生きてきた。思うまま生きてきた。もういっしょに死んで佳いと今度のことでは何度も考えた。わたしはその気でいる。核の業火に灼かれて死ぬよりも。妻もそう思っていると想う。
若くて生きる意欲に未だ溢れ、相応の道の掴める人たちは、本気でその逃げ道へ走れるようしかと用意して欲しい。

* どこか愚かしい人間には、そういう瀬戸際までもう自ら歩いてきてしまっているという見きわめが成されてある。大いなる自然の罰は人間にこそ下される。そう想っている。
2017 11/6 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   少数派 抄遙かに
真の意味の少数派は、自分が少数派か多数派かといふ勘定を、さうは気にしないはずであります。
かれにとつて最大の問題は、自分の行動に論理の筋を通すといふことにあるのです。その結果、敗けても勝つても、しかたはない。万一のまちがひはまちがひなりに、自分の行動に筋が通ってゐれば、さう考へてゐるはずです。
それでは救ひがないといふ人が出てきませう。が、当人は、救つてくれるにせよ、罰するにせよ、かれは神に信頼してゐるでせう。

* わたしは生まれついて、どこにいても暮らしても「少数派」で生きてきた。(敗戦直後の小学校で誰もが初体験の「生徒会長」投票選挙に、また新制中学で も同様に当選したのは、例外というより他者の意志からそう成っただけである。)そして概ね福田さんの仰有っているようにそれが「筋」とも気張った気持ちで はなく、そうしか生きられない己れと思ってきた。ま、「神」かどうか、「運」まかせといった良い意味で「あきらめ(明きらめ)」た気分で通してきたが、そ の割には、見ようではさまざまに晴の場面にも恵まれてきて、努力の結果とも思い、「運」とも思う。
ま、まことに論外の「少数」体験として、学歴豊かな婿と実の娘とから、意味不明の「名誉棄損」を法廷に言い立てられ、「父」として「損害賠償」なるお金を強いられたワケのわからぬバカらしさには、今もただただ理解に苦しむ世にも珍しいことであった。
ちなみにこの「賠償金」は、妻が、つまり実の娘の母親が進んで私金を投じてくれた。
2017 11/7 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   言語 Ⅰ 抄
言葉は手段であると同時に目的そのものである。自分の外にある物事を約束にしたがつ
て意味する客観的な記号であると同時に、自分の内にある心の動きを無意識に反射する生
き物なのである。一語一語がさういふ両面の働きをもつてゐる。
ある人がある時に「あわてる」ではなく「狼狽する」を選んだことには、適否は別として、意味とは別の世界に、その人、その時の必要があるはずで、彼が言葉を選ぶのではなく、言葉のはうがその時の彼に近づいて来て、彼を選ぶのである。

* 同じ感想を、少なくも小説を書き始めて以来久しく、わたし自身も持ち続けてきた。たった今、こんな「私語」を綴るにも、同じ。
2017 11/8 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   話合ひ Ⅱ 抄
今日、民主主義は「話合ひ」の政治だと言ひ、暴力の防波堤だと言ふ。しかし、ディア
レクティック(問答法)とレトリック(弁論術)を欠いた言論は暴力であり、暴力を誘発する。私は力と力との衝突を目的と目的との衝突と解するから、それを否定しない。だから、
それを論争といふ代償行為に流しこめと言ふのだ。
民主主義といふのは論争の政治である。
それを「話合ひ」の政治などと微温化するところに、日本人の人の好さ、事なかれ主義、
生ぬるさ、そして偽善がある。和としての「話合ひ」ではない、勝負としての論争が必要なのである。たがひに自分の方が真になることを証明しあひ、時には相手をごまかしてやるがよい。ごまかされた方が悪いのだ。ごまかしは悪であり、そのための雄弁は悪であるといふ偽善国に、民主主義が発達したためしはない。
ソフィストを生んだのは、民主主義の元祖である古代ギリシアではなかつたか。

* 難しいところと感じる、が、論争抜きの話し合いが穏和なようでかえってコトを腐らせて行く実例にはイヤほど出会ってきた。むろんこの「論争」とは言葉の暴力を投げ合う意味でない、実意と実理と実効を誠心誠意はらんだ議論の意味。
2017 11/9 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「世代の断絶」 抄
言葉が現実を離れた流行語となつて世間に横行し、親子、師弟の間に決定的な溝を作り、
両者の関係を荒廃せしめる危険が、今、まさに、ある。
なぜなら、親も子も別の時代なら、といふのは「世代の断絶」といふ言葉が発明されてゐない時代であつたら、殆ど気附かずに済んだであらう同じ様な思想感 情の食違ひを、この「世代の断絶」といふ拡大鏡を用ゐて、どうしやうも無い決定的なものに育て上げてしまふ過ちを犯してゐるからです。
2017 11/10 192

* 十時半。なぜか、しきりにさみしい。淋しいでも寂しいでもなく「さみしい」と書きたいような孤独感である。わたしも、もう疲労の限界へきているのだろ う、わたしを救っているのは「仕事がある」という否応もない日常である。竹取物語を深く広く読み続け、ついで枕草子を誰も言わなかったような独自の視野か ら読み深め、そしてまた源氏物語の命脈をしみじみと辿っていて、だからわたしは救われている。つかんでブラ下がれる世界があるのでやっと保てているような 自分がかぼそい息を吐いている。さみしいと思っている。守りきれない物を抱きしめているのだ、それは何だ。

* 妻の母は病いに死に、父は妻を追って死んだ。わたしの生みの母は「生きたかりしに」と歎きながら死んだ。実の父も、孤独に死んでいた。実の兄も自ら死んでいった。この人達の分もわたしは生きねば成らんと久しく思い続けてこの歳まで来た。…なんというさみしさか。
2017 11/10 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「太宰治」 抄
太宰治は恥でないものを恥と仮説した。悪でもなんでもないことを悪とおもひこんだ。
それゆゑ、彼の十字架や神は、はなはだ低い位相に出現する。あたか自然主義の作家たちが情欲を醜悪と見なすことによつて、低級な精神主義を発想せしめたのと似てゐる。

* 太宰治にはじめて触れたのは彼が心中水死して一年もあとだったか、「人間失格」や「グッドバイ」とかいった作をお向かい二階の歳いったお姉さんだか小 母さんだかに借りて読んだ。次に角川の昭和文学全集の一巻で主な物を読んでいた。高校から大学への時期だった、太宰治一人で一巻を占めていてビックリし た。
福田さんの「太宰治」観は、私自身が触れ始めた最初からの印象にほぼ正確に重なっている。太宰では「津軽」「富嶽百景」のような健康なものを好んだ。太宰治に敬意を惜しまないのは終生一編と雖も通俗読み物は書いていないことだ。
日本の自然主義はごったまぜで一概に云えないが田山花袋の「田舎教師」など、わたしは敬服する。ただ明らかに情欲は醜悪なんかであるワケがない。


雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケ
ヌ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋ラズ/イ
ツモシズカニワラツテヰル/…………
一日ニ憲法前文ト/九条卜少シノ条文ヲ読ミ/崇高ナル
リネンヲ/ジブンカッテニカイシャクセズ/ヨクギロン
シ迷ワズ/ソシテ改憲ヲユルサズ/
ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオ
ロアルキ/ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセ
ズ/クニモセズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ
二〇一七 春    あきとし じゅん

* 決シテ瞋ラズ/イツモシズカニワラツテヰル/………… という境地にはとてもわたしは到れないようだ。
2017 11/12 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「告白」 抄
世間を怖れる弱気が告白することもあれば、世間を怖れぬ強気が隠蔽することもある。告白にはかならずしも勇気を要しない。文学は告白であっても、人生は告白ではない。日本の私小説はそれを混同した。

* 昨夜ははやめに床に就き、宇治十帖「浮舟」の匂宮耽溺の場面に質感確かなリアリズムで惹き入れられ、継いで鏡花の(必ずしも彼の代表作の一つとも見な い)長編『風流線』へ転じたが、鏡花に気の毒だが月とスッポンという実感をもった。「浮舟」の方こそ現代文学の確かな優秀作とも覚え、「風流線」は華奢に 正体不明な紙風船のように感じた。源氏物語が世界にも冠たる古典といえる確かさに頭を垂れた。
2017 11/12 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「優情 芥川龍之介」 抄
芥川龍之介の小説ではたしかに主題は理智的に処理されています。が、ひとの心をうつのは作者の情感なのです。ぼくのいふ日本的な優情なのであります。 『将軍』などそのいゝ例です。乃木将軍を皮肉な眼で見てゐるのは作者の理智──いや、それは現代人の概念的な理智にすぎない。そしてそれが主題を形成す る。が、読者はそれに感心してもならず反撥してもいけないのです。われわれの心を打つのは最後の父子の対話であります。──もつとはつきりいへば、両者の最後の妥協的な対話であります。

「雨ですね。お父さん。」
「雨?」少将は足を伸ばした儘、嬉しさうに話頭を転換した。
「又マルメロ(=原作では漢字)が落ちなければ好いが、……」

ぼくはこゝに芥川龍之介のほとんどすべての作品の末尾に読者の注意をうながしたいとおもひます。……要するに、作者の情感はときに恥しさうに照れなが ら、ときには子供つぽいほどみづみづしく、それまで書きつゞつてきた内容にたいして、結末にいたつてそつと自分の愛情をもらすのであります。ぼくはこの瞬 間に作者の理智が刻んだ主題などいつぺんにどこかへ吹きとんでしまふのを感じます。

* かつて、わたしは、福田さんがこう言われていた趣意にまったく寄り添うように「芥川龍之介」を語って「哀情」と題していたのを思い出す。わたしの芥川はこの「哀情」という表題に漲って尽くされている。
2017 11/13 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「日本一の名文」 抄
文学が宗教だといふのは、人々がめいめい勝手なまじなひを唱へて救はれるといふこと
でせう。それを宗教といふのはをかしい。が、それは宗教ではないにしても、とにかく日
本人は、そのまじなひを唱へる「気分的信仰」によつて救はれてきたことは事実でありま
す。その好例を次に示しませう。

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹きこゆるといひけむ浦波、夜々はげにいとちかう聞えて、またな く、あはれなるものは、かかる所の秋なりけり。御前にいと人ずくなにて、うちやすみわたれるに、ひとりめをさまして、枕をそばだてて、よもの嵐をきき給ふ に、波ただここもとに立ちくる心ちして、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。  -源氏物語『須磨』

日本一の名文であります。これは声明(しやうみやう) とつながるものだ。これを唱へてゐると、現代の私たちでさへ、さめざめとした気持で、孤独感を味はひ、そこから救はれるやうな気になる。文学のさういふ在 りかたは、たとへそれが今日、どんな見すぼらしいものとなりはてようと、依然として私たちのうちに生きつづけてゐる。それはお経にも謡曲にも通じるし、新 内にも浪花節にも通じてゐます。

* まさしく私の多くの読書体験を通じて、この「須磨には、いとど心づくしの秋風」に出会ってもらした深い嘆声は、福田さんの曰くに真実折り重なっている。
あえて、次にも福田さんの思いを聴きたい、これまたわたしの理解と共感にほぼ全面に一致している。

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「源氏物語」 抄
自己内部における個人と社会との対立、自我と他我との対立。それを可能ならしめたの
が、クリスト教の愛の観念にほかならぬ。
「源氏物語」にこのやうな倫理的主題を求めてもむだであらう。
「源氏物語」における男女の情事は、ただ男女の情事として存在を主張してゐる。それはなにか他の普遍的な主題に仕へてゐない。むしろ逆に人生のあらゆる位 相が情事のために仕へるといふ形をとる。なるほど「もののあはれ」といふ仏教的観念がそこにはあるが、じつはそれとても男女の情事を感覚的に濃密化し美化 するために用ゐられてゐるにすぎない。政治も社会も、情事のまへにはまつたく非力なものと化しさる。といふよりは、情事の装飾(アクセサリー)として、その縁飾として存在するにすぎない。
「源氏物語」において、女が男を、ときには男のはうで女を、拒絶することがあるにして
も、それは貞潔の倫理からではない。かれらが気にしてゐるのは、相手の求愛のしかたで
あり、それにたいする自分の受けいれかたである。つまり、かれらはぶざまな情事をした
くないのだ。へたな口説きかたをする男は、いい恋し手でない。へたな歌を贈つてよこす
男も、いい愛し手ではない。

* これは口軽い感想ではない、源氏物語の本質へ迫ったシンの批評であり、私も、初読このかた全くと言っていい同じ思いを、読み重ねるつど層一層と確かな感想・感銘として加えてきた。斯くありたしとすら同感してきた。
2017 11/13 192

* ジリジリとにじり寄るように長編の終盤を固めている。 十時半。
妻も幸いに安定感をましつつ日常の家事に気を向け手がだせるようになってきた。ありがたし。
もう今夜もやすもう。鏡花の『風流線』が面白くなりだし、「浮舟」はいわば苦しい佳境へハナシが煮詰まって行く。
「絵巻」月報三十二冊ももうそろそろ終えそう、想像を遙かに超えて勉強してしまった。小説『絵巻』はもう書いたし、もう強いてこの楽しかった勉強を何か 形にしようと謂う気は無い。「月報」バカにならないという感謝の思いを大事に持っている。「絵巻」について、こんなに多彩に広く詳しく勉強したとはね、オ ドロキました。
2017 11/14 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「理想と現実」 抄
日本人には、理想は理想、現実は現実といふ複眼的なものの見方がなかなか身について
ゐない。
自分ははつきりした理想を持つてゐるといふ意識、それと同時に、現実には、しかし理想はそのまま生かしにくく、それで、かういふ立場をとるといふ現実主 義的態度、つまり態度は現実的であり、本質は理想主義であり、明らかに理想を持つてゐるといふのが、人間の本当の生き方の筈です。個人と国家を問はず、同 じ筈なのです。
これをもつと日本人は身につけるべきだと私は思つてゐます。

* 理想をもてない現実主義者の鼻持ちならぬ付き合いにくさ・阿呆さかげん、現実に足場を置けない理想主義者の鼻持ちならぬつき合いにくさ、阿呆さかげん、を想うべし。堪った物でない。
2017 11/15 192

* 入浴し、いままさに美しくも可憐な「浮舟」が死を覚悟のところへ読み進んだ。可哀想に。
2017 11/15 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「平凡と変化」 抄
人間は生きることの平凡さに疲れきつてゐる──だから、幸福ではなく、ただ変化を、それのみの理由によつて、求めたがる。むりもないことだ。しかし自分が 求めてゐるのがたんに変化だけだといふ事実は忘れたくないものだ。それを幸福だとおもひちがふところに、さまざまな不祥事が出来する。はなはだしきは、万人の幸福が自分の目的だとおもつたりする──ぼくが真に憎しみの感情を実感できるのはこの種のひとびとにたいするばあひだけだ。
2017 11/16 192

☆ 白楽天に聴く

往時は渺茫としすべて夢に似
旧遊は零落して半ば泉に帰す

* それでも 歩んで行く。
2017 11/17 192

☆ 白楽天に聴く  「晩秋閑居」

地は僻にして門深う送迎少く
衣を披いて閑坐し幽情を養ふ
秋庭は掃はず藤杖をたづさへ
閑に梧桐の黄葉を蹋んで行く
2017 11/18 192

* 亡き大岡信さんの遺著『日本の詩歌』(コレージュ・ド・フランス講義録)を遺志により頂戴した。前に、『自選・大岡信詩集』『うたげと孤心』も戴いて いる。井上靖さんにさそわれ、大岡さんとも御一緒に中国を訪ねた旅はおもしろかった。四人組が追放された直後で、われわれ一行は人民大会堂で当時国会議長相当職の周 恩来夫人と会談した。「秦先生はお里帰りですか」とトウ・エイチョウ夫人に笑顔を向けられたのを忘れない。わたしの名は中国読みなら「チン・ハンピン」 と、断然まともな中国名なのだ。井上靖団長なら「チンシャン・チン」で、山本健吉さんなら「シェンポン・ゲンジー」だった。山本さんに、秦さんの名はいい なあと羨ましがられたのも、懐かしくも面白く。山本さんももうおられない。
あの旅に同行した井上靖夫妻、巌谷大四、伊藤桂一、清 岡卓行、辻邦生、大岡信また日中文化交流協会白戸秘書長も、みな亡くなっている。同年の筈の秘書佐藤純子さんと私とだけが生き残っている。まさしく「生き 残る」という実感だ。昭和五十一年(一九七六)十二月二週間の旅だった。私は満四十一に成ろうという若さ、いまの、眞半分の若さだった。
大岡信さんは、生来の文運に豊かに恵まれた優れた文化文藝の「批評家」だった。著書の交換も頻繁であった。二、三歳も年長であったろうか。点鬼簿中の大事な名の一人である。
2017 11/18 192

☆ 白楽天に聴く  「菊花」

一夜新霜は瓦に著きて軽く
芭蕉新たに折れて敗荷傾く      敗荷 は 枯れて行く蓮
寒に耐えては唯東籬の菊あり
金粟の花開きて暁は更に清し
2017 11/19 192

 

☆ 白楽天に聴く  「聞蟲」

暗蟲喞々として夜は綿々たり
況んや是れ秋陰雨ふらんと欲するの天
猶ほ恐る 愁人の暫く睡りを得んことを
聲々移りて臥床の前に近づく

雨をもたらす寂しい秋夜 人は蟲の音を聞きつつも睡りを得たく 蟲は人の寝静まるを厭うて臥所に近づく、と。
白楽天の全詩集、岩波文庫などに無いだろうか。書店と謂うところへついぞ行かないので分からないが。たしかに白詩は琴線に想い親しく響いてくる。日本人 の詩歌というと和歌、俳句、近代詩と論いやすいがむろんそんなことはないと大岡信さんの著『日本の詩歌』は真っ先に注意し、次いで挙げているのが「漢詩」 なのがおもしろい。歌謡や川柳などに先んじて日本人の、創作も含めた「漢詩」愛好を挙げるのは、重要で適切である。その篤い下地になったのが「白詩の感 化」であった。中国にまで名を響かせた菅原道真、新井白石、頼山陽らも輩出している。
中国という国には、現今の政体への不信や不快からも馴染みにくいのだが、その久しい「文化」には敬愛を禁じ得ない。なかでも陶淵明、白楽天の詩に李杜をも超えて最も魅される。陶詩の境涯、白詩の抒情。
2017 11/20 192

* 九大名誉教授、先日まで東京の国文学研究資料館の館長をされていた今西祐一郎さんから、待ちかねていた岩波文庫新版の『源氏物語』第二巻を送って戴い た。前巻が「桐壺」「掃木」「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」だった、とても読みいい新刊で、校注陣のお一人今西さんに戴いて、すぐ読み終え、次巻を待 ちかねていた。「紅葉賀」「花宴」「葵」「賢木」「花散里」そして「須磨」「明石」までの第二巻。ビッグなうねりである。
そのうちに小学館本の宇治「蜻蛉」「手習」を読み通して「夢浮橋」をゆっくり渡り終えるだろう。
『源氏物語』の文学としての舌を巻くみごとさに、飽くことなく新鮮に出逢い続けて終点がない。

* 思想家、東京経済大名誉教授、九十二歳「行動する歴史家」色川大吉さんからも、岩波書店の新刊『わたしの世界辺境周遊記』を、今日署名付きで頂戴し た。「フーテン老人世界遊び歩記」「ふたたび」の巻である。語の本来にまかせて謂うと、これは「凄いまで面白そうな」一冊である。わたしには三遍生まれ直 してきても出来そうにない「世界歩記」のようである。ルーマニア中央部ブラショフという街から便りをくれていた「鳶」なら嗤って読めるのだろうな。
2017 11/20 192

☆ 白楽天に聴く  「清明の夜」

好風朧月清明の夜
碧砌紅軒刺史の家       刺史は、知事に相応
獨り廻廊を巡り行きつ復た歇(やすら)ひ
遙かに弦管を聴きつ暗に花を看る

白居易は杭州の刺史であったかと記憶している。
井上靖らと杭州に旅した日の晴れやかな湖色が目によみがえる。
2017 11/21 192

 

☆ 白楽天に聴く  「舊詩巻に感ず」

夜深けて吟罷め一長吁す    一長吁(う) ホーッと溜息をつく
老涙燈前に白鬚を濕ほす
二十年前の舊詩巻
十人酬和九人無し

* 中国に招かれ作家代表団として同行した諸氏十人の九人は、故人となられた。「現代語訳・日本の古典」や「現代語訳・明治の古典」で名を連ねた先輩諸氏の大方も故人となられた。いまや文字どおりに「先生」と申し上げるお人は広い世間に十指に満たない、か。じつに一長吁、老涙白鬚(はくしゅ)を濕ほす心地。
2017 11/22 192

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す」

巧拙も賢愚も相ひ是非す
何如ぞ一酔尽く機を忘る
君知るや天地中の寛窄を
鵰鶚も鸞皇も各自に飛ぶ

日馬富士事件の各社報道に触れていると、もはや是非をただかき混ぜて高見の見物を気儘にしているよう。鵰鶚(貴乃岩)も鸞皇(横綱)も各自に飛んだのだろう。一酔の機をしらぬ人らの是非にまた終わるか。
2017 11/23 192

* 木曜の晩は「ドクターX」を楽しみ、今は「大忠臣蔵」も。浴槽で小一時間校正刷りを読み、このところは早めに床に就いて源氏物語を別の二册の本で読み進み、鏡花を読み、もうすぐ「絵巻」月報集も読み終える。なによりも熟睡の一夜を望むのだが少なくも夜中二度は起きる。
突如として咳き込むのと視力の甚だしい不安とが気になる。

* 十一時。機械から離れる
2017 11/23 192

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す 二」

蝸牛角上 何ごとを争ふ       せせこましい世の中で
石花光中 此の身を寄す       火花ほども短い今生に
富に随ひ貧に随ひ 且つ歓楽せん
口を開きて笑はざるは 是れ癡人

早く逝った愛しい孫のやす香は、「笑う」「笑っている」のを、ほとんど身の哲学と心得た少女であった。その人生は、だが 悲しいかな石火光のようにあまりに短く果てた。いま、やす香はわたしの身のそばで写真と化って笑ってくれている。

薔薇と象と鶴と仏様と、笑っているやす香
2017 11/24 192

* 源氏物語「紅葉賀」の巻は、藤壺出産の胸疼くほど懐かしい美しい巻である、源典侍のような頓狂の出番も用意されていながらも。
これに較べると宇治「蜻蛉」の巻の浮舟の哀れ、匂宮、薫君の悲歎、重いうちに底光りのする筆致に驚かされる。
2017 11/24 192

☆ 白楽天に聴く  「村夜」

霜草蒼々 蟲は切々
村南村北 行人絶ゆ舊
獨り前門を出でて野田を望めば
月は明らかに蕎麥の花雪の如し

蒼々は、青白う物凄い意、青々となると春草の形容。。「さうさう さうさう 蟲は切々」 詞藻、身に沁む。わたしの暮らしている西東京にも、少し歩けばかかる風情を共感できる。
2017 11/25 192

* 十時。階下での「読む」仕事へ移動する。明後日の今自分は、新しい選集の送り出し荷造りで草臥れているだろう、急ぐ必要は無いのだからゆっくり進めたいが。
2017 11/25 192

☆ 白楽天に聴く  「舊房」

壁を繞る秋聲 蟲絲を絡ふ
簷に入る新影 月眉を低る
牀帷半ば故(ふ)りて簾旌斷え
仍是初寒夜ならんと欲する時

我が家も、年々に故り行く。
2017 11/26 192

☆ 白楽天に聴く  「閑坐」

暖には紅爐の火を擁し
閑にして白髪の頭を掻く
百年慵裏に過ぎ
萬事酔中に休す
論ずる莫れ身在るの日
身の後も亦た憂ひ無し
2017 11/27 192

* 吉川幸次郎、小川環樹が編集・校閲した『白居易』上下巻(岩波書店)を送ってもらった。文字の小さいのが残念、作は辛うじて読めそうだが註はあまりに細字で、視力は届かない。しかし、詩は読める。
毎朝読んでいる「選註 白楽天詩集」は国分青厓・閲 井土霊山選、明治四十三年八月第四版、定価金六十五銭の袖珍版で、文庫本より小さめだが幸い字は大 きい。絶句、律、古詩に分類してあり、かなりの厳選で、戴いた岩波版ほどは網羅されていない。この愛読してきた明治の本に出会ったのは国民学校の三年生以 前、そしていつしか「新豊折臂翁」を識って、小説という物が書きたくなった。根気よく胸に抱きしめ、会社勤めの第一次安保闘争時に刺戟され、とうどう書き 始めたのが処女作『或る折臂翁』だった。わたしの白楽天は、平安古典からの照り返しでなく、秦の祖父が蓄えていた数多い漢籍中のちいさな一冊『白楽天詩 集』に直かに衝突していたのだった。
残年は幾ばくとも知れないが、白楽天の詩、陶淵明の詩からは終生多くを恵まれ続けるだろう。
高木正一注の上記『白居易』上下を送ってきて下さった「尾張の鳶」に、感謝感謝。初見の作にたくさん出会いたい。ことに白詩の極めつけ自選の「新楽府」全五十詩が上巻に揃っている。公任や少納言の気分で読み続けたい。
2017 11/27 192

☆ 白楽天に聴く  「酔中紅葉に対す」

風に臨む 杪秋の樹    杪は、木末より転じ、ものの末 晩秋
酒に対す 長年の人
酔ふ貌は霜葉の如く
紅と雖も是れ春ならず

ま、私もこんな所です。
2017 11/28 192

* 選集二十三巻送り出しの作業は終えた。
これで、師走・年内の発送作業は予定無く、心おきなく毎日の仕事に打ち込める。
歌舞伎見物も、この師走は予約しなかった。
およそ此の三十年来、顧みて例にないひっそりと静かな十二月になり、わたしは、冬至二十一日で満八十二歳になる。
同じこの十二月には、今を去る一九五七年、大学生の妻に求婚以来、満六十年めも迎える。よく二人して生き延びて来れた。それだけで、祝祭に足る。
2017 11/28 192

* 起床8:10 血圧131-62(63) 血糖値86 体重65.0kg

☆ 白楽天に聴く  「不睡」

焔短く寒缸盡き           缸は燈皿
聲長く曉漏遅し           曉漏は水時計
年衰へては自づと睡る無く
是れ三尸を守るためならず   庚申の風を謂うている

年衰え、夜半に仕方なく目ざめて本を読んでいたりする、わたしも。ムリにも醒めずムリにも睡ろうとしない。枕べには、読み物は置かない、やはり源氏や枕が恰好と。
2017 11/29 192

☆ 白楽天に聴く  「閑吟」

苦(ねんごろ)に空門の法を学びしより
銷し尽くす 平生種種の心
ただ詩魔のみ有って降すこと未だ得ず
風月に逢ふつど一閑吟す

憎らしいほどの境涯 とうてい静かな心のもてない私であるが、せめては斯く、創作をつづけたい。
2017 11/30 192

☆ 白楽天に聴く  「暮に立つ」

黄昏独り立つ仏堂の前
満地の槐花 満樹の蝉
大抵 四時 心総て苦しきも
就中 腸の断つは是れ秋天

しみじみ、身に痛いまで。
2017 12/1 193

☆ 白楽天に聴く  「遺愛寺」

日を弄し渓に臨んで坐し
花を尋ね寺を繞りて行く
時々鳥語を聞き
處々是れ 泉聲

泉涌寺来迎院が懐かしい。「慈子」はどうしているだろう。
2017 12/2 193

☆ 空港で
シンガポールへの搭乗口にいます。
先月ルーマニアに行く時は成田からでした。
お互い、生きているのですから、生かされているのですから。感謝します。
お元気にお過ごしください。  尾張の鳶

* 藤森佐貴子さん(島津忠夫さん遺族)からご馳走を戴く。
すさみ市の妻の従弟からも、海の幸を戴く。
中学高校同窓の横井千恵子さん、京の漬け物をいろいろ戴く。

* 予想した以上に、「尾張の鳶」にもらった『白居易』上下巻が、嬉しい。漢詩集というと律詩とか絶句とかに分類されているが、編輯校閲された吉川幸次 郎、小川環樹両碩学は、上巻に、詩人自負自選の「諷喩詩」百二十首余から、我が平安朝の詩歌を多大に感化した「新楽府」五十首を置き、下巻には諷喩詩中の 「秦中吟」三種を冒頭に抜き、次いで「閑適詩」「感傷詩」を並べ選し、ついで「律詩」の多くを選抜して、最後に年譜を添えられてある。
胸の内を清みやかに洗われるほどの感興を誘われ、幸福感に打たれる。有り難し。まことに有り難し。
漢詩と聞くだけで閉口する人があまりに多く、正直の所、漢詩が好きで座右から手放せないなどと云った人に出会ったことがないのだが、清冽これに過ぎるも のを多くは知らない。和歌、俳句、歌謡、そして漢詩は、わたしの日々のよろこびを成し呉れて歳久しい。有り難いと謂うに尽きる。

☆ 鏡に感ず 白楽天

美人 我れと別れしとき
鏡を留めて匣中に在り
花顔去りてより
秋水に芙蓉無し
年経て匣を開かざりしに
紅き埃りの青銅を覆へる
今朝 一たび払ひ拭ひて
自づから顦顇の容を照す
照し罷わり重ねて惆悵す
背に双つの蟠れる龍有り

「双蟠龍」の艶めかしさ、春愁遙かに、老愁はひとしお。
2017 12/2 193

 

☆ 白楽天に聴く  「自ら戯るる三絶句 心、身に問ふ」

心 身に問ふて云ふ 何ぞ泰然たる
厳冬暖被 日高(た)けて眠る        暖被 暖かく着込んで
君をして快活なら放(し)むる恩を知るや否や
早朝せざるより来(こ)のかた十一年    早朝 朝早い出勤

身 心に報ふ

心は是れ身の王 身は是れ宮
君 今 居りて我が宮中に在り
是れ君が家舎は君須(すべか)らく愛すべし
何事ぞ恩を論じて自ら功を説くとは

心重ねて身に答ふ

我の粗慵 休罷早きに因り
君に安楽を遺るの歳事多し
世間老苦の人 何ぞ限りあらん
君を閑なら放めざるも奈何せん

難儀な憂き世の偓促・奔走から、心である我が幸い早く引退してやったればこそ、身であるそなたは斯く永く安楽ができているのだ、と。
わたしはまだ心身に性懲り無く拍車をかけているの、かも。ウム。
2017 12/3 193

* 猪瀬直樹君が、日本史「語り」で顔を売っている若い歴史家との、明治維新を語るらしきPHP対談本を、例の達筆で署名し、送ってきた。猪瀬君へ、選集今回の「中世」巻を送っていなかった。失敬した。

* 夜前、鏡花の大作『風流線』前後二巻読了。作者の「金澤」という故郷への強いアンビバレントな思いの凝っているのは興味深いが、総じての話の運びなど、わたしは、高くは買わない。
次も長編を読む。
併せて、筑摩書房刊九十七巻、私も加わっている文学全集を、一作者の最低一作ずつを、巻尾から順に読み登って行こうと思い立った。第97巻は「竹西寛 子・高橋たか子・富岡多恵子・津島佑子」四人巻になっている。竹西さんの他は一作も読んだことがなく、その意味では出会いが楽しみ。ただし、竹西寛子さん のほかは三人ともはや亡くなっている。太宰治のお嬢さんだった津島佑子さんはわたしより若くはなかったか。
とにかくも第一巻『坪内逍遙・二葉亭四迷・北村透谷』に達するまでに三百人余の作家と出会うのである、大方はすでに出会っているが、読めていない作も多 かろう、楽しみである、と同時に全97巻の一作読破、達成できるかどうか。元気でいなくては無理な大旅行になる。「津島佑子」さんへの見参から始める。可 能ならば、簡単にでも読後感を記録したいが。ついでに、年譜も読んでおきたい。もうはや私にとっては何の「仕事」にもならない「お楽しみ」でありますが、 たとえ一作ずつとはいえ皆さんの「作品」如何を、遠慮無く、しかと見きわめたい。

* ぅわッ…。えらいことを思い立ってしまった。何年かかるやら。
ちなみに、わたし自身は第九十三巻で、「吉村昭・金井美恵子」と並んでいる。「清経入水・蝶の皿・畜生塚・廬山・青井戸・閨秀」の六作が収録されてある。
2017 12/3 193

 

☆ 白楽天に聴く  「閑詠」

月に歩して清景を憐み
松に眠りて緑陰を愛す
早年詩思苦み
晩歳道情深し
夜は禅に学び坐する多く
秋は興を牽きて暫く吟ず
悠然 両つの事の外
更に心留むる處無し

ちょっとカッコ良すぎるナア、しかし心惹かれてやまない。「早年詩思苦み」は実感、「晩歳道情深し」か…。「悠然 (書いて 読んで)更に心留むる處無し」こそ切に願わしい。
2017 12/4 193

☆ 白楽天に聴く  「詠懐」

委順は浮沈に任せてより
漸く覚ゆ多年功用深きを
面上 憂喜の色を減除し
胸中 是非の心を消盡す
妻児は問はず唯酒に耽り
冠盖は皆慵く只だ琴を抱く
長く笑ふ 靈均の命を知らず
江蘺叢畔 苦らに悲吟せしを

楚の屈原(靈均)が天命に安んじ得ず 澤畔に行吟し「泪羅(べきら)の鬼」となったのを、白居易は笑っている。白詩には先人の胸懐を斯く批評し去った例が、まま見受けられる。
「面上憂喜の色を減除し  胸中是非の心を消盡す」とは、我れ八十二愚傁 とても及ばず、「琴詩酒」に親しむもなお屈原の悲憤を偲ぶことが多い。やれやれ。
2017 12/5 193

☆ 白楽天に聴く  「自題酒庫」

野鶴 一たび籠を辞して
虚舟 長しへに風に任す
愁ひを送りて閙處に還し
老ひを移して閑中に入る
身 更に何事を求めんや
天 将に此の翁を富ましむ
此の翁 何れの處にか富む
酒庫 曾て空しからざること

斯くありたいが、なかなか。「愁ひを送りて閙處(とうしょ)に還して」しまえない。
2017 12/6 193

* 横になって疲労をやすめ、岩波文庫新版の『源氏物語』「花宴」巻を楽しみ、次いで筑摩の全集から真っ先に竹西寛子さんの処女小説というに近い「儀式」を読みはじめた。
秦建日子の『雪平夏見 アンフェア』の類をよろこぶ読者には、竹西さんの被爆体験をしみじみと追った『儀式』はとても読めまいと思う。『儀式』の方に深 く惹かれ胸打たれる読者には、『雪平夏見』はあまりに軽い読み物過ぎるだろう。むろん読者の数は、遙かに遙かに『アンフェア』に多かろう。
ここに露わになる、文学・文藝の「表現」「追求」の問題は、あまりに難しい。しかも避けては通れない。
白詩は愛誦するが室町小歌は読まない、などというわたしでは、ない。だが……。
2017 12/6 193

* 島尾伸三さんから、尊父島尾敏雄さんの『琉球文学論』を戴いた。多摩美大での講義録に島尾さん自身で半ばまで校閲されていたのを、以降仔細に検討して刊行に至ったという。
2017 12/6 193

☆ 白楽天に聴く  「感有り」

往時は追思する勿れ 追思すれば悲愴多し
来事は相迎ふる勿れ 相迎ふれば已に惆悵
兀然として坐するに如かず 塌然として臥すに如かず
食来れば即ち口を開き 睡来れば即ち眼を合す
二事最も身に關す
安寝餐飯を加へ 忘懐行止に任せ
命を委して脩短に随ひ
更に若し興来るあれば
狂歌酒一盞

* 眼科の診察には失望落胆するばかり。視野の清明は目ざめて小一時間もなく、以降は水の底を歩いているにひとしく、夜になればもう機械の字は九分がた推察して読むだけ。なによりも視野がすっきりと清んで見えない。
困りますといえば、疲労ですねと。疲労を和らげるお薬はと問えば、ま、ありますけどねと。そして緑内障の点眼薬「たぶろす」が一ヶ月後の再診までに十五 本。「たぶろす」点眼は日に一回、左右に一滴ずつ。点眼の瞬間だけ、視野が明るくなるが、五秒ともたない。視力は、1.2と。視力があっても、視野は暗く 滲んだまま。 どうにか、ならないの。「兀然として坐するに如かず 塌然として臥すに如かず」のみか。「狂歌酒一盞」か。

* 病院のアト、松屋裏で、京風の懐石で一盞また一盞してきた。帰路は「保谷行き」を幸い、「塌然」寝入っていた。
2017 12/7 193

☆ 白楽天に聴く  「独り在る」

飲徒 歌伴 今何くにか在る
雨と散り雲と飛び尽く廻らず
此れより香山風月の夜
ただ応に是れ一身の来

* いろんなものを読む、小説も以外も。そして気が付くと他の何よりもわたしは源氏物語の豊かな丈高い「面白さ」に心酔し感嘆している、心酔も感嘆もごく 自然当然に出来ることに驚きと感謝の思いを禁じ得ない。岩波文庫では「花宴」巻を読み終え、小学館版では「蜻蛉」巻を読み終えて、何のガンバリもなしにた だ自然にその文藝の偉さに頭を下げまたホクホクと嬉しかった。

* もとより平安の物語と限らず、日本の古典がおおきな偏頗をも抱え込んで日本の歴史と文化とを反映していることは重々認識し、そのうえでわたしは、わた しのオリジナルな提言として「女文化」という提唱をし続けてきた。『女文化の終焉』と題して十二世紀美術を書き下ろし論策したのは一九七三年、昭和四十八 年五月刊本でだった。以後、わたしは、間をおくことなく、必要に応じて随時、日本文化を「女文化」の称呼において語り続けてきた。「女」の文化を語ったの ではない、日本文化を「女文化」と捉えて日本の男女を念頭にしたのである。それも小説という日宇作の実践と帯同して認識し続けたのである。
だれもが触れても確かめてもこなかったが、日本で「フェミニズム批評」が日本近代文学会ではじめてとり上げられたのは一九八六年秋季大会「日本的近代と女性」という小特集が「最初」であったはず。
しかもそれは、またその以降も、フェミニズム批評やジェンダー論は、概ね、ほぼ例外抜きに「近代」でもって語られつづけ、しかもそれを「日本文化」の論として安易に置き換えてきた嫌いがある。
しかしそれらは、概して、「日本」を意識し冠しつつ。しかも「日本の古典」からの深い検討は欠いていたのではないか。日本の近代文学研究者には、日本の 古典を識らないだけでなく読めない人も少なくないという。さもあろう、と、わたしの見聞でも察しられるし、論攷を読んでみてもわりと容易く察しられる。
「日本文化と歴史」とへの、基底に達した論策が無い、ないし著しく乏しいないし不足のままで成されてきた「フェミニズム批評」や「ジェンダー」論議の分 厚さはとは、いかがなものか。例えば少なくもわたしの「女文化」という提議に誰が触れてものを思案してきたかを問いたいと思っている。
どうも「文化」という二字が安直な記号のように観られたままの議論展開ではないのか、とても気になっている。
上野千鶴子さんらの社会学的な仕事は、上野さんさんにたくさん本を戴いてかなり熱心にわたしも読んできた。が、文学・文藝研究の面では、上野さんを含む 「三女士」の勇ましい男子「文豪」退治を知ってはいるが、一面的で、こと「日本文化」と関わる「ジェンダー論」としては幅も深みも乏しすぎた。少なくも古 事記、万葉集、竹取物語、古今和歌集、伊勢物語、枕草子、源氏物語、夜の寝覚、和歌・歌謡集以降を含む日本古典文学をも「日本文化」の名において認識し得 たほどの議論は殆ど見聞に入ってこない。前提としても、結語としても、「日本文化」のそもそも「把握」が目に見えず耳に聞こえてこないまま、西鶴も近松も 抜きのママ躍起に「近代」ばかりが語られている。それでは、多くは学べず、出てくる議論も切れ味に欠けているのではないか。

* 九大教授だった今は亡き今井源衛さんが、たとえば源氏物語等での男女の性関係はほとんどが「レイプ」だと明言されたとき、なに不思議も感じなかった と同時に、そういう視野から見わたして何がどう論策されねばならないかなど、いっこうに発展の気配希薄なのをわたしなどは奇妙に思っていた。
わたしは「女文化」といい「平安女文化」といってきたが、近代日本にわたっても例えば一葉、たとえば松園、たとえば湘烟らを「近代女文化の旗手」とも掲 げてきた。こう掲げられた女の心身を介してジェンダー問題が語られているかどうかに好奇心ももってきた。概して、好奇心を豊かに面白く満たされたような記 憶がないのである。

* いま書き続けている長編『ユニオ・ミスティカ ある寓話』が、上のような視点観点のためにかなり刺激的な材料になるかどうか、「女文化」論者として一応気に掛けている。わたしにはわたしの反省というのも変か、視点と感想とは有るのである。

* 「尾張の鳶」さん、中国詩人選の『白居易』上下巻に次いで、岩波文庫版、川合康三訳注『白楽天詩選』上下巻を送ってきて下さった。字も大きめで読みやすい。感謝、感謝。
祖父譲りの『選註 白楽天詩集』もあり、これでほぼ完璧に白楽天世界に親しめる。
岩波文庫で、さきには松枝茂夫・和田武司訳注の『陶淵明全集』上下巻も「尾張の鳶」に戴いており、祖父が遺してくれた古本『唐詩選』も『古文眞寶』も手近にそろっているので、漢詩世界は十二分に楽しめる。漢詩が、平安和歌と並んで、ますます心親しく思われる。
2017 12/8 193

☆ 筑摩現代文学大系 最終巻の巻頭作、竹西寛子さんの「儀式」を読み終えた。最終部分に間近い文章を読み返したい。

☆  わたしは「、あの日を葬らずに生きたい。わが祖先はエジプトの奴隷であった……過越の祭に、自由を求めるイスラエルの民が、醒めて、暗い記録を読 みつづけるように。彼らはその時、恐らくこう思っているだろう。さりげなく、自分の歴史を葬ってしまうものは、やがてひきつがれる歴史の、すぐれた主人公 にはなりえないと。

美しかったあの土地が、紛れもないわたしのあの土地であるなら、何物かによって変貌させられてしまったあの土地も、同じょうにわたしのあの土地だと言うべ きであろう。どちらが本当かという問いに、正しく答えられる自信は、今はない。仮相と言うならばどちらもそうであり、どちらかが実相だと誰か言えば、い や、どちらもそうだと言いたい気持もある。しかし恐らく、変らないものというのは、かえるべき根源というのは、それらの相のいずれかではなく、いずれをも 斥けず、しかもいずれをも超えるところの、より豊かなものであるにちがいない。さまざまの相として現われながら、なお乱れることのない秩序に、しかと支え られているものであるにちがいない。わたしはこれからもあの土地へ行くだろう。けれど、わたしはかえるのではない。視野から失われてしまった物の、羽毛の ような頼りな
さが、そしてまた、日々目の前に在るはずの物の不確かさが、わたしにそう思わせる。残念なことに、その秩序は、ま だ、自分の予感の世界にしか思うことができない。わたしはそれを知りたい。ひらめきのようにでもよい、それを知らされれば、その時わたしはもう、身を締め 上げるような静かさに立ち竦みはしないだろう。光を遮られた空間にひき込まれ、一気に落ちてゆくような不安に怯えることもなくなるだろう。わたしは知りた い。

徐々に白い物が流し込まれ、静かに溶けてゆくような空の下で、樹木が、建物が、ようやくその形を目立たせはじめている。   (擱筆までにもう少し続く)

* この作には、「あの日」「あの土地」とはあっても、作中ただの一箇所で「原爆」とも「広島」とも書かれていない、が、そこにも作者の、また語り手の深い真意と歎きとが籠もっていて、読者はそれに躓きはしない。
明らかに「文学」の文章、「作品」のちからを感受できる、少なくもわたしには。

* 今日戴いた本に、大阪の、「巨匠」と謳われてそれに相違ない練達の眉村卓さん最新刊双葉文庫の短篇集『夕焼けのかなた」が、手元の此処にある。
巻頭作「喨々たるらっぱ」は、こう書き出されている。

☆ すぐに息が切れるのであった。大きな手術を受けてから二週間。三日前に退院したばかりなのである。入院中にリハビリテーションで歩く訓練を受け、日 常生活は大丈夫だろうと言われたが、こうして外出して地下鉄に乗り、買い物などすると、やはりきついのであった。そういうことなのであろう。八〇歳を超え た体が、そうやすやすと回復するわけもない。というより、回復ということ自体、期待すべきではないのかもしれぬ。
地下鉄の改札口を抜けていくつかの店の前を過ぎた朝岡は、上りの階段に来た。階段を登るとバスの乗り場なのである。バスの乗り場へは、エスカレーターに乗るコースもあるけれども、そちらは大回りになるのであった。こちらの階段を登るぐらいはできるだろうと判断したのだ。
階段にさしかかった。
慣れたコースなので、段数も覚えている。一七段の後踊り場になって、また一七段。 (以下略)

* 竹西さんの表現と、眉村さんの表現。本に、面白くて判りいい筋や物語を求める読者なら、恐らくは十中の九分九厘が「喨々たるらっぱ」を手に取るのでは ないか。また、文学の作品と表現、生きて行く切実な問題に触れたい読者ならば、さきと同率で、「儀式」の方へ立ち向かうのではないか。ただ「率」は同じと しても読者の「実数」では、「儀式」は、「夕焼けのかなた」に遙かにはるかに及ぶまい(残念ながらと敢えて言い添えておくが。)と思う。ここに文学・文藝 の難しさがある。わたしが「騒壇餘人」として生きよう、文学に「作品」の表現をこそと「湖の本」を思い立った気持ちは、此処にある。

* 次は同じ巻の高橋たか子さんを読む。竹西さんはわたしが『みごもりの湖』を出したときに対談して下さり、以降、久しく親しくおつきあい出来てきた方。 高橋さんとは新聞小説『冬祭り』に書いたソ連への旅に誘われ、終始ご一緒した。亡くなられた。作品は多分一作も読んでいない。何が読めるかな。
2017 12/8 193

☆ 白楽天に聴く  「独り在る」

泰山は毫末を欺くを要せず
顔子は老彭を羨む心無れ
松樹は千年なるも終に是れ朽ち
槿花は一日なるも自ら榮と為す
何ぞ須ひん世を恋ひ常に死を憂ふること
亦た身を嫌ひ漫りに生を厭ふこと莫かれ
生去 死來 都べて是れ幻
幻人の哀楽 何の情にか繋けん

* 白居易の最も自負自愛したのは自身名付けての、「諷喩詩」であった。彼自選自負の詩集『新楽府』に収めた大方の作がそれであった。
彼には、他に、「閑適詩」また「感傷詩」さらに数多の「律詩」があり、わたしが毎朝此処に引いて愛誦しているのは、大方が先の「諷喩詩」以外の詩句であ り、かの平安朝男女ら以降後世にまで、日本人の「白詩」愛好はもっぱらそれら「閑適・感傷」の詩、美しい情感に溢れた「律詩」へ集中し、時世・事変への烈 しい諷諫や批判をこめた「諷喩詩」から感化や影響を受けた例がほとんど見られなかった。その事実は、碩学吉川幸次郎、小川環樹両師が編輯校閲の『白居易』 下巻解説が明記している、即ち「国情の相違によるのか、それともまた、これを受けいれた人人の、文学にたいする心がまえの違いによるものであったのか、」 「いずれにしても注目すべき現象」であると。

* わたしは実のところ白居易の詩のを包括的な予備知識など、此の最近ですらほとんど持たなかった。大人になってからもそのような知識はほとんど望まず、国民学校の少年以来ただただ、秦の祖父の遺してくれていた明治版『白楽天詩集』にとりつき、好き勝手に読み耽ってきた、それだけだった。
ただ、こういう事実がハッキリしたのである、即ち上の吉川・小川先生らの「指摘」を受け、新ためて顧みれば、わたしはその袖珍版『白楽天詩集』の中から、他の多く「閑適・感傷」の律詩によりも遙か強い思いで、文字どおり終始一貫「新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)」という反戦詩に強い関心や共感をもち、いつしかに、その詩から小説の創作を願いつつ、ついに昭和三十七年(一九六二)満二十七歳の誕生日に、処女作『或る折臂翁』を脱稿したのだった。その日その地点から、わたしは事実上「小説家人生」へ踏み出したのだった。
知るよしもなかったが此の、白楽天原作「新 豊折臂翁」こそは、彼が最も自負した詩集『新楽府』「諷喩詩」群の最たる一作であったのだ、そんなことを、わたしは、「尾張の鳶」から最近に戴いた上記の 本で初めて承知したのである。日本の文学史で、白楽天の「諷喩詩」に影響された例の無きに等しかったと聴くにいたって、また一つ私自身を証言しうる一項が 確認できたとは、望外のことと云わずにおれぬ。
こういう詩であった。


新豊(しんほう)の老翁八十八、頭鬢髭眉(とうびんしゆび)は皆雪に似たり。玄孫扶(たす)けて店前に向うて行く。左臂(さひ)は肩に憑(よ)り、右臂(ゆうひ)は折る。
翁に問ふ、「臂を折りしより幾年ぞ。」兼ねて問ふ、「折ることを致すは何の因縁ぞ。」
翁云ふ、「貫属は新豊県。生れて聖代に逢ひ征戦なし。聴くに慣る黎園歌管の声、識らず旗槍(きそう)と弓箭(きゆうせん)とを。
何(いくば)くもなく天宝大いに兵を徴(め)し、戸(こ)に三丁(てい)あれば一丁を点ず。点じ得て駆り将(もつ)て何処にか去る。
五月万里雲南(うんなん)に行く。聞説(きくならく)、雲南に濾水(ろすい)あり。椒花(しようか)落つる時、瘴煙(しようえん)起る。大軍徒渉(としよう)すれば水湯の如し。未だ十人過ぎずして二三は死すと。
村南村北哭声(こくせい)哀し。児(じ)は爺嬢(やじよう)に別れ、夫は妻に別る。皆云ふ、前後蛮を征する者千万人、行きて一も廻(かえ)る無しと。
是時(このとき)、翁の年二十四、兵部牒中(へいぶちようじゆう)に名字(みようじ)あり。夜深(ふ)けて敢て人をして知らしめず、大石(たいせき)を偸(ぬす)み将(もつ)て槌(つい)して骨を折る。弓を張り旗を簸(ふ)る倶に堪ず。茲(ここ)より始めて雲南を征することを免る。骨砕け筋傷む、苦しからざるに非ず。且つ図(はか)る、揀退(かんたい)郷土に帰らんことを。
此の骨折り来たる六十年、一肢廃すと雖もー身全し。今に至りて風雨陰寒の夜、天明に到るまで痛みて眠らず。痛みて眠らざるも終に悔いず、且つ喜ぶ、老身今独り或るを。然らずんば当時濾水(ろすい)の頭(ほとり)、身死し魂(こん)孤にして骨収められず、応(まさ)に雲南望郷の鬼と作(な)り、万人冢上(ちょうじょう)に哭すること呦々(ゆうゆう)たるべし。」
老人の言、君聴取せよ。君聞かずや、開元の宰相宋開府。辺功を賞せず、黷武(とくぶ)を防ぐ。又聞かずや、天宝の宰相楊国忠(ようこくちゆう)。恩幸を求めんと欲して辺功を立つ。辺功未だ立たずして人怨(じんえん)を生ず。
請ふ、問へ新豊の折骨翁に。

* 読み下しは全てにルビがあった。読めれば「折臂翁」の曰く、ほぼ完全に国民学校の三年生は理解した。すでに当時、兵役を科されての出征を見送る町内外 の儀式は頻々として有り、わたしはそれを勇ましい儀式だなどと夢にも思わず、自分なら、イヤと内心に拒んでいた。白楽天という詩人のこれこそ胸を打つ作品 と全身で受容し続けていた。
白居易のこれが「諷喩詩」である。毎朝にひいている閑適・感傷の律詩とははっきり異なっている。わたしの文学は、此処に樹ったのである、本来は。今も、逸れてなどいない。
2017 12/9 193

☆ 白楽天に聴く  「夜雪」

已に訝る衾枕の冷やかなるを
復た見る窓戸の明らかなるを
夜更て雪重きを知り
時に折竹の聲を聞く

* 川合康三訳注 岩波文庫『白楽天詩選』上下巻の「解説」を読みはじめ、七十年にして初めて白楽天(白居易)の詩につき、多くを教わった。かかる知識はんつて自ら求めてもこなかった。ただもう久しくも久しく詩作にのみ接してきた。それはそれ、と思っている。
とにかくも三種類の白詩本を文字どおり身近に置くことが出来、岩波文庫『陶淵明全集』上下巻も間近にあって、とても嬉しい。

* 昨夜、筑摩の大系本で高橋たか子作の短篇「白夜」を読んだ。高橋さんを「初めて」少し知ったと実感した。異様に迫られた。高橋さんの方からわたしへ関 心を寄せられてきた、そして一緒に当時のソ連へも永い遠い旅をした、かすかなワケが見えた気がした。わたしは高橋世界を全く知らなかったし、旅のアトにも サキにも何冊も本を戴いていたのを読んでいなかった。むしろ娘の朝日子が読みかけていたようなボンヤリした記憶がある。
文章の表現ではわたしは竹西寛子さんのそれに指一本ふれたい気がしなかった、整斉として完成に近いと感じた。高橋さんの文章には、わたしなら推敲する、 この軸は省くと何度も感じた、が、その文章世界の異様に魅力さえある感覚には驚愕した。はやく亡くなった夫君高橋和己さんも奥さんも遠くからわたしの作へ 声を掛けて下さっていたワケのようなものが、ほの見えた。

* 次は、富岡多恵子を読む。この人の文章も、かつて一行も読んだ記憶がない。

* 今朝、目ざめた床の上で島尾敏雄さんの集中講義録『琉球文学論』をひろげ、オモロの伝承や編纂などについて面白く教わっていた。この本も読みたい。色川大吉さんのフーテン老世界辺境の旅行記も。
なんとわたしはこう「いろいろ」なんだろう。
2017 12/10 193

* いちどその気になってしまうと、手放せない本が目の前に立ち現れる。島尾さんの遺著「琉球文学論」も島津忠夫さんの遺著「老のくりごと 八十以後国文 学談儀」も、手にしてしまうと教えられる多さに負け、つい読み耽ってしまう。老いて草臥れたこのからだにまだ好奇心をかりたてる吸収力が残っているのに、 途方にくれさえする。生きる力はまだまだ「書く」ために大事に温存しなくては、あまり「読む」ために浪費は謹まねばと思うが、読むと書くとは表裏していて 切り離せない。「読み書きソロバン」と謂うたものだが幸いソロバンは気に掛けなくて済むのは有り難い。
2017 12/10 193

☆ 白楽天に聴く  「閑臥」

盡日 前軒に臥し
神閑 境また空し
山あり枕上に當り
事心中に到る無し
簾は巻く 牀を侵すの日
屏は遮る 座に入るの風
春を望み春未だ到らず
應に海門の東に在らん
2017 12/11 193

☆ 白楽天に聴く  「陶公の旧宅を訪ふ 抄」
「余 夙に陶淵明の人と為りを慕ふ」等の序があるのは割愛する。

我は君の後に生まれ 相ひ去ること五百年
五柳の傳を読む毎に 日に思ひ心拳拳たり
昔 嘗て遺風を詠じ 著はして十六篇と成す
今来りて故宅を訪ふに 森(おごそ)かにも君は前に在す若し
樽に酒有るを慕はず 琴に絃無きを慕はず
慕ふは 君が榮利を遺(わす)れて 此の丘園に老死せしこと

* 陶潜に白居易があり 白楽天に陶淵明があり、さればこそわたしは二人を心に慕うのである。

* 人の世は軽薄に騒がしい。世常のむしろそれが平穏という意味でもあるのを否みはしないが、忍び寄る日本列島「最期」の危機は跫音を日々に強めている。 日増しにそれをわたしは感じる。受くべき送葬の儀式を置き去りに熱い火の粉とかき消えた無数の日本人原爆被害者たちを、安倍総理は覚えてもいないようだ、 トランプ米国のまえへ、日本列島をあの真珠湾なみに「謹呈」する気でいるのか。なにより、米と朝とを心して誘導し調整する高邁な「外交力=悪意の算術」こ そ今は望まれるのに。
いま日本人に「帰去来」可能な、いかなる美しき田園も北朝鮮の弾道下に見下されている。
日本も核を持てば好かったなどと決して思わない。
貪欲に利益文明へ狂奔し、豊かなるべき人文・文化を足蹴にし続けた、「文質彬彬」の真価を知らない蒙昧政治を憎む。それをまさしく選挙しつづけた国民多くの錯覚をも悲しむ。
2017 12/12 193

* いま一つには、一念発起で読みはじめての手始め、同時代女作家、竹西寛子、高橋たか子、富岡多恵子、津島佑子さんらの各小説の憂鬱さに閉口したのだと も思う。とはいえ、竹西さんの、広島被爆体験を作の地盤に鎮めた「儀式」にはつよく心動かされ、行文の確かさ美しさにも敬服した。
だが高橋さんの「白夜」 富岡さんの「壺中軒異聞」の 文学表現の異様さ、ガサガサと乱雑な日本語、しかもそれなりに小説世界が蠢いて生きている奇妙さ は、わたしの神経を戦がせることで度外れていた。小説のおもしろさが有るというなら、この二作には竹西さんの「儀式」よりも在るのだ、が、それ自体が堪ら ない気味悪さを誘うのだ。なにか狂ったり、度外れたりしている。
これから読む津島さんの作に何が現れるかは分からない。
が、よくよく往時を顧みて、此のわたしは、あの樋口一葉以降どんな日本の女作家の作を知ってきたろう。野上弥生子、宮本百合子、円地文子、林芙美子、岡 本かの子、佐多稲子、その辺で止まっていたのかも。以降は、読んで感心した出会いが無く、つまり見捨ててきたとでもいうしかない。一方上記の諸氏には「文 学」の面白さと感銘をそれぞれの持ち味と文章とで有り難く得ていた。違和感はなにも無かった。いやいやこまかに顧みれば、もっと何人もの忘れられたような 女作家の優秀作にも何度か出会っていて、「ペン電子文藝館」の招待席へ取り込んでいた。
まして竹西さんの著書はたくさんいただき、「みごもりの湖」では推挽の対談を付き合って頂いたし、歌集「少年」に有り難い一文も寄せて頂いた。朝日ホー ルで源氏物語を話題に舞台の上で対談もしている。つまり竹西寛子さんの文学世界の多くへは、じつは古典世界を介してわたしからも多く廣く重なっていた。認 めあえてきた。

* 高橋さん的、富岡さん的な世界を否定したり否認したりは決してしない。が、ああ、こういうのも在るなだと合点は行く。今は、そこでほぼ棒立ちで、二作めを読むか。分からない。
むしろ今の感想では、ずうっと同時に読んできた泉鏡花の長編「風流線」また「芍薬の歌」も、はっきりいえば駄作だということが言いきれる。
もう一つ、「源氏物語」は、途方もない世界史有数の「名作」だと、断乎またまた言い切れること。文章も、表現も、構想も、作の品格も、そして小説・物語 としての大きな豊かな面白さも。外国語については言えないので言わないが、日本の文学で、古典・近代・現代を通じて源氏物語に匹敵する只一作も無いと、悔 しさも嬉しさも半々、言うておく。
2017 12/12 193

☆ 白楽天に聴く  「杪秋の獨夜」

限り無き少年は我が伴に非ず
憐む可き清夜も誰と同うせん
歓娯は牢落して 中心少く
親故は凋零して 四面空し
紅葉の樹は飄る 風起こるの後
白髪の人は立つ 月明かなる中
前頭 更に蕭条の物有り
老菊 衰蘭 三両叢

* 老境は斯くの如く、だが、幸いにわたしはまだまだ少年の友にも心静かな夜にも恵まれ、楽しみもあり達者な知友も少なくはない。
しかし、白詩の謂うところの寂寞も足もとまで着々せまっている。目も心も背けて居れない。
2017 12/13 193

☆ 白楽天に聴く  「老いに任す」

愁へず 陌上に春光尽くるを    陌 は街路
亦た任す 庭前に日影斜くを
面は黒く 眼は昏く 頭は雪白
老まさに更に増加無かるべし

* ま、こんなところですか。

* 米・北朝の剣呑極まりない切迫をテレビは報じてやまないが、日本政府は思案に暮れているのだろう、音もたてない。戦端ひらかれれば北朝鮮の攻撃地は、 たちまちに米本土でなく滞日米軍基地に定まり、その多くは首都東京の郊外住宅地に接近して在る。一瞬にして数十万国民の悲惨な死が予測されているという。
しかし日本政府は、総理も、防衛相も外相も、官房長官も、ただ唖者のごとく緘黙のままおずおずと米国のダメな大統領の方へ尻尾を振っている、らしい。「老まさに更に増加無かるべ」きわれわれはまだしも覚悟出来るが、若い国民と国土とはどうなるのか。
明けて新年の二月が危ないとの観測をさまざまにテレビは伝えてくれるが、報道の何が真意なのか。ミサイルが東京と近郊とに雨降りかねない懼れと、例えば 一貴乃花の神懸かり「角道」とやらに振り回されている相撲協会の話題とが、等価値、等間隔でただ平然報じられてくる現実。一億一心の昔を懐かしみなどしな いが、あまりに日本国と日本国民の現実意識、あたかも砂塵のただ吹き巻くごとくではないか。

* 白楽天の詩に、ただ心静かにふれ且つ読んで思って日一日を追っている、わたし。愚か賢かを問わない。
2017 12/14 193

 

* 『能の平家物語』という本を出しているが、論攷というでなく、しかし感想・随筆というのでもない。能という不思議の演戯・文藝と遊び合うて、どうやら 自身の小説世界をいろいろに網掛けるように好きに感覚してたらしい。小説にもう成ったのもあり、成ろうとしたのもあり、成る可能を孕んでいる文章もある。 読み返してえらく楽しいから可笑しい。
2017 12/14 193

☆ 白楽天に聴く  「自喜」

身慵く 勉強し難し
性拙く 遅迴し易し
布被 辰時に起き
柴門 午後に開く
忙は能者を駆り去り
閑は鈍人を逐ひ来る
自ら喜ぶ 誰かよく会せん
才の無きは 才有るに勝る

* 将棋の若き渡辺竜王とコンピュータ棋王ボナンザの決闘に引き込まれた。此処には悪しき政治、悪しき経済の入り込む隙がない。その透明さに心許せる快味 を覚えた。ボナンザが押していると見えていたのが、ただ一手で竜王の強烈な逆転決勝があった。将棋には疎い疎い、少年時代からの苦手な競技であるが、それ でも終盤の攻め合いには息を呑んだ。将棋の面白さへもかすかに行為と好奇心をもった。
妻と囲碁を楽しむにはちょっと落差が大きいと思うが、将 棋なら、追っつ辛っつ、早晩わたしの方が負かされてしまいそうな予感がある。わたしのアタマはとても将棋的に働いていないのでは、囲碁の方へ親しいので は、と久しく思ってきた。妻は、逆のように思える。わりに佳い将棋盤と駒とがあるのだ、引っ張り出してこようか、などと思うほど渡辺竜王の勝ち将棋に朝か ら刺激された。「閑は鈍人を逐ひ来る」のか。
2017 12/15 193

* 九時過ぎ。妻はかぜ気味、わたしも疲れてもう視野は滲んだように霞んでいる。機械からは離れねば。
幸い、富岡多恵子の『壺中庵異聞』が手荒いなりに固有の文体を働かせ、面白い、というより興味有る展開になって来て、長編だがこのまま先が追える。「豆 本」というのを是非にと頼まれ、一冊造らせたことがある。豆本といった好奇の探究にわたはむしろ冷淡だが、富岡さんの長編、少なくも読んできた前半は「豆 本」の版元と刷士とその妻(わたし)との奇態な関わりがまるで投げ出すような口調で、しかもこと細かに語られている他。製本や製版・印刷、出版の仕事は、 わたしの人生そのものであったとも云えるだけに、作の「わたし」り細かしい技術的な説明も、作者の体験かしらと想えるほどよく分かる。いくらかウンザリも するが、関わってくる三人が執拗なほど元気に書けていて面白くなってきた。少なくもこの長編は高橋たか子作「白夜」のようには狂っていない。そのぶん、 ひょっと手このまま平凡な長談義で終わるのかなあと案じないでもない。

* やはり宇治十帖「手習」巻や、源氏本篇の「葵」巻の方が、作品際立って美しくも深くも、それ故の怖さもある。

* ああ、もう階下へおりる。いい写真の戒光寺お釈迦様に、ご挨拶して行く。
2017 12/15 193

* 九時過ぎ。妻はかぜ気味、わたしも疲れてもう視野は滲んだように霞んでいる。機械からは離れねば。
幸い、富岡多恵子の『壺中庵異聞』が手荒いなりに固有の文体を働かせ、面白い、というより興味有る展開になって来て、長編だがこのまま先が追える。「豆 本」というのを是非にと頼まれ、一冊造らせたことがある。豆本といった好奇の探究にわたはむしろ冷淡だが、富岡さんの長編、少なくも読んできた前半は「豆 本」の版元と刷士とその妻(わたし)との奇態な関わりがまるで投げ出すような口調で、しかもこと細かに語られている他。製本や製版・印刷、出版の仕事は、 わたしの人生そのものであったとも云えるだけに、作の「わたし」り細かしい技術的な説明も、作者の体験かしらと想えるほどよく分かる。いくらかウンザリも するが、関わってくる三人が執拗なほど元気に書けていて面白くなってきた。少なくもこの長編は高橋たか子作「白夜」のようには狂っていない。そのぶん、 ひょっと手このまま平凡な長談義で終わるのかなあと案じないでもない。

* やはり宇治十帖「手習」巻や、源氏本篇の「葵」巻の方が、作品際立って美しくも深くも、それ故の怖さもある。

* ああ、もう階下へおりる。いい写真の戒光寺お釈迦様に、ご挨拶して行く。
2017 12/15 193

☆ 白楽天に聴く  「中隠 抄」

人生まれて一世に處(お)り
其の道両つながら全うし難し
賤は即ち凍餒に苦しみ
貴は則ち憂患多し
唯だ此の中隠の士のみ
身を致すこと 吉且つ安
窮通と豊約との
正に四者の間に在り

* 人、貴賎のみならず老若の別を歩まねばならない。
老いて悩ましいのは、病い。家人が病むと、自分が病むより心安くおれない。
2017 12/16 193

☆ 白楽天に聴く  「微之を夢む」

晨起き風に臨み一たび惆悵す
通川 湓水 相聞を断つ
知らず 我を憶ふは何事にか因る
昨夜三迴 夢に君を見る

「微之」は生涯の親友、詩人元稹。時に二人は通州と江州に遠く別れ消息を欠いていた。
一夜の夢に三度も友と相見て。「惆悵」という白楽天頻用の哀情が身に沁みてつたわる。
2017 12/17 193

* 十時半を過ぎている、結局。
また、階下で「壺中庵異聞」など読んで、寝ます。今夜は、亡くなった人たちと黙って話しているような按配だった。亡くなった人たち、わたしからして、死 なれた人、死なせたような人は、現世にも作の中にもずいぶん大勢いたんだと呆れる心地で、ぼーんやりしていたらしい。そんな誰も、こっちへ來いとは言いも 誘いもしない、が、手が届きそうにすぐ傍にいる感じがする。妻が先の入院中、だれかれとなしに懸命に救いを求めていた。願いを聞いて貰えたと感じている。
2017 12/17 193

☆ 白楽天に聴く  「劉十九と同宿す」

紅旗破賊は吾が事に非ず
黄紙除書に吾が名は無し
唯だ嵩陽の劉處士と共に
棋を囲み酒を賭け天明に到らん

「黄紙除書」は軍功による昇官を通達の任命書。定家卿の「紅旗征戎は吾が事に非ず」の原典。
今日終局の戦争では 紅旗も歓呼も吶喊も死闘もなく、核爆弾でカタが付いてしまう。「棋を囲み酒を賭け天明に到」って倶に果てるか。
2017 12/18 193

* 我が家も揃って風邪ひき風邪ぎみ、ついつい横になってからだを温めている。尾張の鳶には、洋の東西と古今と無くこの数十年にどれほど「本」を恵まれた か知れない。世界中をトビ回ってきた鳶だ、ときどきおっそろしい難しい西欧の小説ももらって音を上げるが、出逢えてよかった嬉しいと感謝したいろんな本 が、指折り数えられない。ありがとう。
とにかくも、風邪をなおしましょう。
男孫が二人かァ。羨ましい。
2017 12/18 193

☆ 白楽天に聴く  「香鑪峰の下 石上に題す」

日高く睡り足るも猶ほ起くるに慵し
小閤 衾を重ねて寒さを怕れず
遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香鑪峰の雪は簾を撥ねて看る
匡廬は便ち是れ名を逃るる地
司馬は仍ち老いを送る官為り
心泰らかに身寧きは是れ帰處
故郷は独り長安に在る可けんや

匡廬とは、私も小説に書いた「廬山」の呼び名。司馬とは、政治犯に与えられている官職で、待遇はあるが職務は無い。けっこうなこと。
わざわざ故郷へ帰ろう帰ろうというでなく、「心泰らかに身寧きは是れ帰處」なにも「長安(京都)」だけが故郷ではあるまい、と。この東京には遺愛寺も香鑪峰も無く、核爆弾の懼れは杞憂とは見過ごせない難儀な都であるが、幸い目下の所「日高く睡り足るも猶ほ起くるに慵く 小閤 衾を重ねて寒さを怕れず」に居れるのは幸せなこと。
2017 12/19 193

 

☆ 白楽天に聴く  「江南謫居  抄」

澤畔 長き愁の地
天邊 老いんの身
蕭條 残活の計
冷落 舊交の親
草合して門に径無く
煙消えて甑に塵あり
憂へて方しく酒の聖なるを知り
貧して始めて銭の神なるを覚ゆ
虎尾は足を容れ難く
羊腸は輪を覆し易し
公蔵と通塞と       行蔵 は 出仕退隠 通塞 は 運不運
一切 陶鈞に任す    陶鈞 は製陶の轆轤 転じて 造物主を謂う

「一切任陶鈞」とは、まこと願わしく到りがたい境涯。斯く在りたい。
2017 12/20 193

☆ 白楽天に聴く  「食後」

食 罷りて一覚の睡り
起き来たりて両甌の茶
頭を挙げ日影を見るに
已に復た西南に斜めす
楽しき人は日の促(はや)きを惜み
憂ふる人は年の賖(なが)きを厭ふ
憂ひ無く楽みも無き者は
長きも短きも生涯に任す
2017 12/21 193

* 京都府立京都学・歴彩館資料課、神戸松蔭女子学院大学図書館、日本近代文学館からも、選集第二十三巻受領の挨拶が来ている。
西東京市の中央図書館、明けて二月には、寄贈本を受け取りに来ると。゛セット本など、もう何惜しげもなく受け取ってくれる本はみな寄贈する。
もしわたしが、親や祖父からそんなことょ聞かされたら、けんか腰でやめてくれ、本は棄てないでと懇願しただろう。
しかし、本は役立ててくれる人の手元へ収まるのが何より。
2017 12/21 193

☆ 白楽天に聴く  「冬至の夜 家を思ふ」

邯鄲客裏 冬至に逢ひ
膝を抱き燈前影身に伴ふ
想ひ得たり家中夜深けて坐し
還た應に遠行の人を説着すべし

* 久しくかかる「旅客」となっていない。わたしがもし旅にあらば、留守の妻は独り、話し相手も無い。
2017 12/22 193

 

* じつは昨夜は殆ど眠ったという実感無く、夢かも知れないが現の夢の連続のようで疲れ切った。真夜中には仕方なく源氏本を二種類読み、泉鏡花を読み、富岡多恵子を読んだ。それぞれに打ちこんで読んでいた。
「手習」で浮舟の境涯に儚い寂しみを覚え、「葵」では夕霧を遺して逝った葵の寂しさに打たれながら、いつしかに若紫との新枕に転じて行人生無常を感じつつ、孰れにも小説の品質と妙味とを満喫し得ていた。
鏡花の「芍薬の歌」は頽廃の深川世界を唄うように活写して行く筆の綾にしかと驚かされ浮かされながら、こういう日本ご一同「創始」し得た人の天才を驚嘆した。
富岡多恵子の長編では。まことに独特な「人間」把握と表現の「迷い無き無縫」の堅実さを実感できた。
真夜中の読書は、心身に重いけれども、かえがたい満足もあった。しかし、とても疲れたとは云うしかない。
2017 12/22 193

☆ 白楽天に聴く  「晏坐閑吟」

昔は京洛聲華の客為(た)りしも
今は江湖潦東の翁と作(な)る
意気銷磨す 群動の裏(うち)
形骸変化す 百年の中(うち)
霜は残鬢を侵して多くの黒無く
酒は衰顔に伴ひて只だ暫く紅し
頼(さいは)ひに禅門の非想定を学び
千愁 萬念 一時に空し
2017 12/23 193

☆ 白楽天に聴く  「眼花を病む」

頭風 目眩 衰老に乗じ
秖(た)だ増加する有り 豈に瘳(い)ゆる有らんや
<春秋左氏傳に云ふ 加ふる有りて瘳ゆる無し、と>
花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り    花 霞み目
柳 肘上に生ずるは亦た須く休すべし    柳 瘤
大窠の羅綺は看て纔かに弁じ    大柄で綺麗な模様は見わけられても
小字の文書は見て便ち愁ふ
必ず若し黒白を分かつ能はざれば
却て應に悔無く復た尤め無からむ

いささかヤケクソだが、いまのわたしの頼りない霞み眼に、そのまま。ああ。
2017 12/24 193

* 機器作動のためのマニュアルが、字が小さくて読めない。「小字の文書は見て便ち愁ふ」である、参る。別機械へ移転したくても、慣れない機械は、とてもまともに使えない。メールが使えて一太郎のワープロ機能が使えれば、そして過去に保存保管の文書・写真が機に応じて援用できれば済むのだが。
今は、ふつうの読書の方が、機械での読み書きより遙かにラクになっている。
2017 12/24 193

 

☆ 白楽天に聴く  「四雖を吟ず 抄」

酒 酣の後
歌 歇む時
君に請ふ 一酌を添へつつ
聴け 我の四雖を吟ずるを
年 老ふと雖も
命 薄きと雖も
眼 病むと雖も
家 貧しと雖も
躬を省み分を審らかにすれば何ぞ僥倖
酒に値(あた)り歌に逢ひ且つは歓喜す
榮を忘れ足るを知つて天和に委ね
亦た應に生生の理を尽すを得べし

* 年越えの借財なく、穏やかに新年を待つのみ、とはいえ、まだ雑煮の白味噌が買えていない。

* 年越えの借財なく、穏やかに新年を待つのみ、とはいえ、まだ雑煮の白味噌が買えていない。

* 出かけて、クラブで夕食をと思っていたが、気が揃わず、やめて寝床で「能の平家物語」を読み、富岡多恵子の『壺中庵異聞』を面白く読み進み、夕食後は テレビで、テレサ・ライトの映画を観た。そういえば昼間にはジョン・ウエインの「捜索者」を後半観て、これは納得も行き面白かった。
しかし、終日、心身不調だった。アタマが回転しない。
2017 12/25 193

☆ 白楽天に聴く  「遇吟」

人生は変改して故(もと)より窮まる無し
昔は是れ朝官 今は野翁
久しく形を朱紫の内に寄せ        朱紫は身分高い官僚の衣
漸く身を抽き蕙荷の中に入る       蕙は香り草の帯 荷は蓮華の衣
情無き水は方円の器に任せ
繋がぬ舟は去住の風に随ふ
猶ほ鱸魚(ろぎょ)蓴菜(じゅんさい)の興有り
来春は 或ひは江東に往かんと擬(ほっ)す

* 白楽天に向きあっているだけで、ほかに何を云う必要も無く思えてくる。
不愉快とも、向きあわねばならぬ例はある。が、そんな必要の全然無い不愉快とも顔をつきあわさねばすまない「現実」がある。
いま、新聞は、眼の弱さもありほぼ全く観ていない。何の不自由も無い。この上に、テレビ番組の九割がたを見え無くし
、観たい番組だけは予約録画できたら、暮らし気分、よほどスッキリする。それほど不快、不出来な喧しい、下品に低俗なドラマや阿呆な喋くりばっかりが多すぎる。
2017 12/26 193

☆ 白楽天に聴く  「任老」

愁へず 陌上に春光尽くるも
亦た庭前日影ただ斜めなるも
面は黒く眼は昏く頭は雪白
老い應に更に増し加ふ無し
2017 12/27 193

☆ 白楽天に聴く  「冬日に負ふ」

杲杲として冬日出で       杲杲 日の出の明るさ
我が屋の南隅を照す      古詩には 我が秦氏の楼を照らす と。
喧を負ひ目を閉ぢて坐せば
和気 肌膚に生ず
初めは醇醪を飲むに似て
又 蟄する者の蘇るごとし
外は融けて百骸暢び      骨という骨がほぐれ
中は適ひ一念も無し       安らかで雑念も無い
曠然在る所を忘れ
心は虚空と倶たり

* 斯く在りたいが。あまりに、私、愚劣。
2017 12/28 193

 

☆ 白楽天に聴く  「履道の居 其の一」

嫌ふ莫かれ 地窄く林亭小さきを
厭ふ莫かれ 貧家 活計微なるを
大いに高門有るも寛宅を鎖し
主人老いに到るも曾て帰らず
2017 12/29 193

☆ 白楽天に聴く  「北窓の三友  抄」

今日 北窓の下
自ら問ふ 何の為す所ぞ
欣然 得たり三友
三友 誰とか為す
琴罷めば輒ち酒を挙げ
酒罷めば輒ち詩を吟ず
三友 逓ひに相引き
循環して已む時無し

詩を嗜むは淵明あり
琴を嗜むは啓期有り
酒を嗜むは伯倫有り
三人は 皆な我が師

三師 去て已に遠く
高風 追ふべからず
三友 游 甚だ熟し
日として相随はざる無し
2017 12/30 193

☆ 白楽天に聴く  「洛陽に愚叟有り  抄」

洛陽に愚叟有り
白黒 分別無し
浪跡 狂に似たりと雖も
身を謀る 亦た拙ならず
盤中の飯を点検すれば
精に非ず亦た糲に非ず
身上の衣を点検すれば
余り無く亦た闕くる無し
天の時 方に所を得て
寒からず復た熱からず
体氣は 正しく調和し
飢えず なほ渇せず
眼を放ちて青山を看
頭は白髪生ふに任す
知らず天地の内にし
更に幾年活くを得ん
此れ従り身を終ふに到る迄
尽(みな) 閑日月と為さん

* 好縁を得てしばらくの間、白楽天に聴き続けてきた。
境涯遠く及ばないが、歳末、ただ懐かしく「洛陽の愚叟」を懐うて、新年を迎えたい。
2017 12/31 193

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