四体 誠に乃(すなは)ち疲る
庶(ねがは)くは異患の干(おか)す無からんことを
盥濯 簷下(えんか)に息(いこ)ひ
斗酒襟顔(きんがん)を散(さん)ず 陶淵明
* 昨日 夢 に触れてものを言った。正覚という到達の此岸に 夢 がある。生あるものの現世は夢であるのに気がつかず人は生きていると教えられてはいて も、容易に夢から覚め得ない、正覚に達しない。往時の知識人達は男女の別なくそれを識ってはいたが、夢から覚めることはめったに出来なかった。出来ない、 出来ないと歎く声は、物語にも、日記にも、ひときわ多く和歌集に見られ、わたしの見るかぎりもっとも本心から歎いていたのは千載和歌集での歌人たちであっ た。この和歌集の真率な魅力は、遺憾にも現世の夢から覚め得ない人たちの肉声を響かせる哀れにある、あるのではないか。わたしの『千載秀歌』選には多くそ ういう歌を拾ったのは、わたし自身の根深い願いの反影であるだろう。
おどろかぬ我心こそ憂かりけれ
はかなき世をば夢と見ながら 登蓮法師
* 「おどろかぬ」は目が覚めぬの意。なさけない、夢うつつに生きたままでは。
夢覚めむそのあか月を待つほどの
闇をも照らせ法のともし火 藤原敦家朝臣
* 現実現世も迷夢に過ぎぬとは、だからその迷いの闇の「夢」から覚めよとは。
人ごとに変るは夢の迷ひにて
覚むればおなじ心なりけり 摂政前右大臣
* 憂き世のことはみな「夢の迷ひ」。正しく覚めたなら等しく仏に成れる。
つくづくと思へば哀しあか月の
寝覚めも夢を見るにぞありける 殷富門院大輔
* 寝覚めも夢。その夢から真に覚めよと。それが本覚、正覚。
だが此の世からの真の寝覚めこそが難しい。哀しい。
* ただ悲観的な自覚でなく、それぞれの立場から、「夢」の浅さを覚悟しているのだと思う。
あの、いろは歌 の結びを「浅き夢みし」でなく、「浅き夢見じ」の強い否定でわたしは読んできた。
ブッダフッドは 「夢」のなかには無い。それでも夢を生きて行く、夢に浮かされずに。
2018 1/2 194
☆ 水鳥を水のうへとやよそに見む
われもうきたる世をすぐしつゝ 紫式部
* 水鳥もわたくしも一緒ですよ、浮いた憂き世を漂っていますよ。
紫式部には、こういう「内省」の和歌がまま見受けられ、そのまえにじっとわたしを佇ませる。
* 階段脇、壁際三分の一には近刊の「湖の本包み」が幾重にも積まれ、上がりきって二階窓際廊下にも文庫本新書本だけでなく雑多に単行本も置かれてある。 目につくところに『マゾヒストMの遺言』と題した沼正三の一冊があり、手にとってきた。沼正三の名も人の記憶に遠くなったか知れないが『家畜人ヤプー』の 作者だった。わたしは作家になってまだまだ駆け出しの頃に、世に鳴り響いたこの謂わば「神話」のごときマゾヒズムの名作の全書版を、著者が「会心」と喜ん でくれた「書評」を書いている。なまじいに昨夜作者に阿るような書評をわたしは書かない、書いたことがない。よく読み込んで、いいものはいい、つまらぬも のはつまらないのである。
手に取った上記本の表見返しには「秦 恒平様 沼正三」と自筆され、さらに便箋一枚に大きく書かれた手紙が挟まっていた。ちなみにこの『マゾヒストMの遺書』は2003年夏に筑摩書房から出 ていて、はや「遺言」とあるように晩年の著、あの『家畜人ヤプー』が初めて出た頃から半世紀近くも経っていた。幸いにわたしも、なお作家生活が出来てい た。見る人によっては貴重、というのも、伝説に彩られ忍者のようにながく正体を秘し隠し、人も探索に走ったほどの「沼正三」自筆の手紙である、掲げてお く。
☆ 秦 恒平様
冠省 いつもながら御高著御送付頂き 遅ればせ乍ら御礼申し上げます。なかなかの労作で敬服致しております。
ただ 何故 御高名な秦様が、私如き怪しき物書きに、かほどまでご興味をお持ちなのか解しかねます。
さて返信代りに、私の自伝兼あの頃の時代史をかねた拙著上・下二巻本 お送りします。御笑覧あらば幸甚に存じます 敬白
* 即ち 沼さんのこの手紙は上記「遺書」本にでなく、「天野哲夫」名儀で書かれた大著『禁じられた青春』上下に添って届いたものだった。「天野哲夫」と いう氏名は新潮社の編集者としての本名?で、久しく作家「沼正三」の「代理人」と称し称されていたが、上の「遺書」本にも証すように同一人格なのであり、 此の『禁じられた青春』は、(誤解されては困る。一の「表現」と受け取って欲しいが、)さながら自爆テロリストが躰に巻いた爆薬のように熾烈な筆致・筆触 で実に多くが書かれてあり、「驚倒」という実感は、あの『家畜人ヤプー』でのそれと同質だった。
* たしかに沼(天野)さんが怪訝に思われたほど、この人(たち)とわたし・秦 恒平とに共通点も所縁も無かった。ある対談の中で天野さんと対談者とが、二人してわたしの名前と小説「蝶の皿」とを挙げながら、「この人(=秦)は真正マ ゾヒストですよ」と言い合っているのを見つけ、大笑いしたことがある。わたしは、マゾヒストでもサディストでもない、ただの平凡人である。ただ、マゾヒス トだサディストだと決め付けて人を謗らず、「表現」が良ければ良いと認承できる、する、だけのこと。あの沼正三『家畜人ヤプー』を大きく「創成神話」とと らえて愛読を重ねてきたのも、「過激な逸脱者の目」と謂われた天野哲夫の「青春」から目を逸らさなかったのも、それであり、それに尽きている。
* 毎日日の階段の上り降りが書かせた一文として、記録しておく。
2018 1/4 194
* フローベールの『紋切型辞典」は、フラッと手を出すに恰好の辞典。
「アメリカ」 世間の不当さを示す好例。 それでも、とにかくアメリカを称賛すべし。特に行ったことが無い場合には。 そして、自治 self-government について長広舌を振るうこと。
とある。 「アメリカン ファースト」と巻き舌で叫ぶあの男の顔が目に浮かぶ。しかし、
「愚か者」 あなたと同じ考えを持たない人のこと。
とある辛辣は、聴くに値する。
2018 1/6 194
* 今日、特記すべきは。筑摩現代文学大系版の最終97巻から作家の一作宛て読もうと発起して。此処で初めて、富岡多恵子(残念なことに、わたしとほぼ同 年で、故人)の長編「壺中庵異聞」に出会い読み終えたこと。一種の、独自で特異なこれは名品であった。一葉この方、少なくも二十、三十人の四、五十篇は読 んで来たろうし印象深く敬意も持ち感嘆もして読み終えた小説もあった、が、この富岡さんの一作の如きには初めて接した。なによりも作を成して行く姿勢と筆 致とが生み出す独特の「生・活」感覚と手法の確かさに敬服した。一つには豆本(雛絵本)という製作・出版行為と密着しての語りであり、わたしには抵抗無く 載っていける話題で世間ではあったが、どちらかというと難しい読者である私を惹きつけて放さない粘着力の精度にわたしは頭を下げた。
いい出会いであったのを、ともあれ、心より喜び、富岡さんがはや亡くなっていると云うことを残念に思う。
比較しては悪いかも知れぬが、わたしはやはり早く若く亡くなっている森瑤子なども時に面白く読んできた読者だが、富岡多恵子の精強で深度のある「文学」 性からすれば、森瑤子の小説は「読み物」の色に染まって哀れ深かった。富岡多恵子の生と死と人間への把握の強度と確かさは、乾いて見えて且つしっとりと哀 悼の念で濡れていた。作品を持して、一種、謂いがたいそれは「死なれた」世界だった。
特記に値する出会いだった。
* 今、津島佑子の「火屋」という作を読み始めている。
2018 1/6 194
* 何ほどのこともせず 二時に。寝たり読んだり。
宇治の「手習」 小野の里に身隠れた浮舟は髪を落としたが。やがて薫大将の知るところとなるだろう。
源氏の「賢木」 父桐壺院は亡くなり、光源氏は六条御息所歩を伊勢へ、朝顔を斎院へうしない、尚侍とし朱雀帝後宮の人とも成った朧月夜との仲は、甚だ危うい。源氏には義母藤壺との間に生まれた東宮の後ろ見という命懸けの大役があり、愛妻紫上は日々に優れて成長している。
* 鏡花の『芍薬の歌』は、誰よりも作者鏡花が有頂天に嬉しく筆を舞わせて奇異の日本語で遊び戯れている。
* 津島佑子の「火屋」は、高橋たか子にも似て、狂気の筆が交錯し、淡々かつ無気味にすさまじい。
* 口説音頭は、昔の定義に従っての歌謡や小説の生地のように、鼻面を引かれるようにどれもこれも一行読み出せば最後まで読まされる。こんなふうに書いてみよかなどと誘われそうで、怖くも成
る。
☆ 陶淵明に聴く 「榮木 抄」
嗟(ああ) 予(わ)れ小子
茲(こ)の 固陋を稟(う)く うまれつき頑固
徂(ゆ)ける年 既に流れ 歳月容赦なし
業は舊に増さず
彼の「舎(や)めざる」ことに志し 荀子は「功は舎めざるに在り」と
此の「日々富む」ものに安んず 日々に富むのは ただ「酒量」と
我れ 之れ 懐(おも)ふ
怛焉として内に疚(やま)し 怛焉(だつえん) 傷つき痛み
* 「舎めざるに在り」と。
2018 1/9 194
* 筑摩の大系版で、最終巻の「竹西寛子 高橋たか子 富岡多恵子 津島佑子」作を、初めて一作ずつ読見終えた。富岡多恵子という人には生前に一度触れ合 うてみたかったと感じた。読んだのは「壺中庵異聞」で。高橋、津島両氏の世界からは思わず身を退いた。高橋さんはわたしの仕事へ親近感を持ってくれてい て、それでロシアへも一緒に旅をと誘われたのだったが。
さて、次回は、男ばかり「古井由吉、黒井千次、李恢成、後藤明生」の巻で、これまた黒井さんの小品一作しか読んだことのない初見参の同時代男性であるよ。ハハハ。
この調子で第一巻の逍遙、四迷、透谷へ到達するには、三百歳位生きてないと。
* とにかくも元気でいないと、なにもかも面白がれない。ふっと『ゲド戦記』が懐かしくなっているが、『家畜人ヤプー』の漫画作をまた見ようかなどとも。落ちつかない鴉である。
2018 1/13 194
* 古井由吉氏の「妻隠(つまごみ)」という粋な題の作を読みはじめた。「八雲立つ出雲八重垣妻隠みに」が初出の古語、いまわたしの書いている長編『ユニ オ・ミスティカ』の初章見出しに「八重垣つくる」を用いていて気を惹かれた。古井作は昭和四十五年(一九七〇)十一月群像に発表とある。わたしは同じ年の 二月「畜生塚(新潮)」三月「秘色」(展望)六月「或る『雲隠』考」(新潮)を発表し五月には単行本『秘色』を筑摩書房から出していた。前年には『清経入 水』で受賞し、翌月には『蝶の皿』(新潮)を発表していた。
斯くも麗々しげに同時期の自作を挙げてみたのは、「ああそうか、<小説>とは、この古井さんの『妻隠』のように書かれた物で、当時のわたしの、いや今日 に到るまでわたしの全ての創作は、「物語」と受け取られてきたんだろうなという、あまりに遅幕な思い当たりを真実笑いたかったからである。
わたしの受賞第一作『蝶の皿』は「新潮」の新人賞特集に並べられたのだが、あのときの絶望的な衝撃は忘れられない、わたしは即座に「作家、さよなら」と 手記を書いて、このような文壇ではやって行けないと諦めたものであった。わたしは小説家には成れない書き手だと刺されるように感じた。
古井さんの「妻隠」を、同じ大系版の二段組み七頁分まで読んできて、上の思い出と只今の感想とで、まさしく笑いだしてしまったのだ、そうか、小説ってこういうふうに書くんだ、と。
ただ、こうは言うておきたい。わたしは、谷崎や鏡花や荷風や川端や三島ばかりを愛読したのではなかった。藤村、漱石、鴎外、露伴、花袋、直哉、秋声、龍之介なども十二分に愛読できた。
けれど、なぜか佐藤春夫の「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」は読み進めずに投げ出したのを想い出す。佐藤の他の作はそうでもなかったのに、著名な上記二作には、文学の「文章」は確かに在り、しかし、いつまでも物語が、いわゆる文学としての筋が、「展開」しなかった。
「作家さよなら」は、結局 わたしを「騒壇」の外へ自ら押し出したことになる、が、その実はその「騒壇」でこそ、わたしの厖大な依頼原稿の山は築かれて いたのだ。要するにわたしは、自分の願のままに創作し構想し出版したかったのだと思い当たる。わるい意味でもいい意味でもわたしは頑固で、たぶん時には頑 迷であったのだろうよ。
2018 1/14 194
* 寝に行くと、寝ないで、脚だけ蒲団に突っ込んで、坐ったまま小出しにしてある校正ゲラに向かってしまう。書けてある文が面白いと二十頁ぐらい直ぐ読める。ついで、本を読む。
古井由吉という作家は、年譜によると結婚後しばらく、わたしたちの今もいる、昔風に謂うと北多摩郡保谷町で暮らしていたらしい。「妻隠」の家は、わたし たちが結婚三年めから暮らしていた社宅の感じにウソのようにそっくりなので、夫婦の在りようが、とおいヨソのものに見えない。わたしたちにはもう朝日子が 生まれていたが、古井作の夫婦にはまだ子供がない。そんな次第で妙に親しくズンズン読み進んで惹きこまれもしている。
併行して、黒井さん、李さん、明生さんの作にも目をふれ始めているが、まだ乗れていない。
源氏の物語、浮舟と薫の物語は、じつに美しく安定してすすみ、ホンの数頁でも惹き込まれてしまう。
鏡花の「芍薬の歌」は、ま、奔放に好き勝手に進んで行く。ついて行きながら、その日本語表現の多彩な気儘さに驚かされ続けている。現代作家達の、と云っ ても、今読んでいる四人はわたしと同年輩ないし少し年長で、亡くなった人もまじる。チャキチャキの現代作家の文章などほとんど触れたこともないので何も云 わないが、鏡花のように書ける人は、彼以降一人もいなかったろう。
* かすかに汗が冷える感じ、熱が出ているのか。九時半。もう、機械の部屋は出よう。階下へ降りよう。ぐっすり眠りたい。
2018 1/18 194
* 次の「湖の本138」の出来が二月九日になったので、ほぼ二十日の余裕が出来たのが有り難い。発送用意はこの一月の内に調えられる。無理のない日々をと 思う。二月初めには京都府文化功労者の新授賞式を含む会合へ招かれているが、またペンクラブ二月例会の誘いも有るが、失礼する。可能ならば山川の見える温 泉へ一泊でも佳い行きたいが、雪にあって動けなくなるのは叶わない。都内で美味い物を喰い、家で源氏物語などを読み継ぐのが、やはり、いちばん、か。
2018 1/20 194
* 友人の「王十八の山に帰るを送り、仙遊寺に寄せ題す」とある白楽天の詩を、なつかしく読んだ。「仙遊寺」は、わたしが高校時代にどっぷり浸って、寺内の来迎院を舞台に処女長編『慈子 斎王譜』を書いた京の御寺(みてら)「泉涌寺」の前名または異名である。
曾て太白峰前に住し
数(しば)しば仙遊寺裏に到り来たる
黒水澄みし時 潭底出で
白雲破るる処 洞門開く
林間に酒を煖めて紅葉を焼き
石上に詩を題して緑苔を掃ふ
惆悵(ちふてふ)す 舊遊 復た到ること無く
菊花の時節 君の迴るを羨む
* なんと、懐かしい。なんと、羨ましい。
たしか高倉天皇は「林間に酒を煖めて紅葉を焼き」の心情から、衛士が帝愛玩の紅葉を焼いたのをゆるされた。
わたしは、ただただ泉涌寺が懐かしい。帰りたいのだ。
「黒水澄みし時 潭底出で 白雲破るる処 洞門開く」と。泉涌 来迎。
どんなに愛したろう、あの清寂を。
2018 1/21 194
* 古井由吉作「妻隠」を読み終えた。なによりも「文学である文章」に敬服した。わたしはこういう小説はまず今後も書くまいが、こういう「小説」が書かれ うる文学の可能性は嬉しく信じたい。解説者の川島至さんは古井文学には「作者」が存在しない、作に作者が干与しない稀有の文学といわれているが、「妻隠」 は、自筆年譜にもいう保谷在住新婚頃の古谷氏を髣髴とあらわしていると読めた。一つには、極くまぢかい同時期に、ほとんど様子も違わない間取りの社宅で、 ま、新婚の頃を暮らしていたから、その類似親近感に引っ張られて読んだせいかも。古井由吉、黒井千次、坂上弘といったわたしと同世代作家達が「内向の世 代」と評されていた作風としての「内向」へはわたしは向かわなかったと思う。わたしがもぐり込んだのは、歴史や他界をふくんだ「時空間」だったと自覚して いる。
* 片づけている内に手に取り、「承久記」と関連資料に読み耽っていた。「初稿・雲居寺跡」が露呈しているようにわたしは源平闘諍の十二世紀にも匹敵して承久の変に関心が深かった。「京都」の歴史的運命を変えてしまった遺憾な「変事」という思いが少年時代からあった。
その一方でというか、同様にというか、わたしは「秘色」や「蘇我殿幻想」や「みごもりの湖」や「風の奏で」でも、上古・古代の「変」事を繰り返し書いて きた。「変」は、新井白石の歴史観の骨格・結節を成している重要な概念で、白石好きなわたしはこれをよほど早くから「意識」し、小説の話材を探索してきた のだ。承久の変こそは古代が中世へ変貌する厳しい契機だった、わたしは、せめて『初稿・雲居寺跡』にそこそこの「結び目」をつけてやりたいのだ、が。
時間が、欲しい。
2018 1/22 194
* このところ羽生清(きよ)さんの著『意匠の楕円』をふたたび愛読し始めている。一種の名著であり古事記からはじまる古典世界の「デザイン詩(史)」としてわたしは行一行を愛玩するように楽しんでいる。
* 相変わらず「口説音頭」も愛読し続けている。どういうものかと、判らぬまま気に掛かる人もあろうか。滋賀県米原町に伝わる「一谷嫩軍記」の(二)のアタマをちょっとだけ書き写してみよう。
ちょいと出ました私が
遠い昔の祖先より
歌い継がれた磯節を
不便ながらもつとめます
老若男女の隔てなく
どしどし踊って下されや
お願い申して皆様へ
早速ながらであるけれど
読み上げまする題目は
摂津にては一の谷
二葉の軍記の末期をば
悪声ながらもつとめます
途中さ中でわからねど
さても熊谷直実が
敦盛卿に打ち向い
これはしたりや御大将
そもそれがしと申するは
ちょうどあなたと同格の
せがれが一人有りつるが
その名を小次郎直家と
今朝東雲の戦いに
一生懸命働きしが
まめな三郎の放つ矢来たり
右のかいなに突き立てば
直ちに陣屋に立ち戻り
父上抜いてとあるゆえに
すでに抜かんとなしけるが
右や左を眺むれば
皆歴々のお方なり
卑怯見せては一大事と
わざと声は張りあげて
あいやいかには小次郎よ
戦の半ばであるけれど
たとえを引くではないけれど
それ鎌倉の権五郎(ごんごろ)は
奥州栗谷川の戦いに
鳥の海の放つ矢来たり
左の眼へ突き立てば
血潮の流るるそのままで
その矢を抜かずに権五郎
七日七夜がその間
敵を追いかけ回してぞ
ついに勝利を得たとあるに
わずかな手傷を苦に病んで
父親抜いてと言うような
畢竟か弱い小次郎は
我が子でないぞや小次郎よ
七生涯の勘当だと
叱りつけるなら小次郎は
父上さらばおさらばと
又も戦場におもむきしが
功名立てしかただし又
討死せいかいかがぞと
三千世界を訪ねても
親の心は皆一つ
経盛様(=敦盛の父)はさぞ今頃は
どこにどうしているじゃろと
お案じなさる必定なり
幸いあたりに人もなく
落ちて恥辱にならぬ場所
いざ落ちたまえや御大将と
鎧の浜砂打ち払い
御大将を駒に乗せ
まびしゃく取れば敦盛は
これはしたりや熊谷や
さすればそなたの情けにて
卑怯のようではあるけれど
塩谷の里へ落ち延びる
熊谷さらばと敦盛が
駒の頭を立て直し
半段ばかりも落ちられる
それはよけれど皆様へ
誰知ろまいとは思いしに
これぞ源氏で名も高い
平山の武者所末重が
大音声は張り上げて
やーや熊谷直実や
捕えし敵の大将を
取り逃がすとは何事ぞ
熊谷次郎直実は
二心に極まりなし
熊谷もろとも召し捕れと
どつとばかりに押し寄せる
ここの収まりどうなりますか
読みたい(=謳いたい)けれども時間なら
又の御縁とお預り
ここらで止め置く次第なり
* 「どしどし踊って下されや」と口説き音頭をとって(うたって)いるのであり、本を「読んで聴かせ」ているのではない。盆踊りのような踊りの輪へ音頭良 くうたい口説いている。いま手にしている大冊の『音頭口説集成』第一巻にだけでももの凄い数のこういう「口説」が集めてあり、こんな歌舞伎の下書きのよう なモノばかりでなく、津々浦々の悲恋や邪恋や伝承や怪談や敵討ちや、また教訓や数え歌の類が満載されている。浪花節の何段階か前の未熟・杜撰も露わである が、まさしく「物語」のタネに溢れていて、それが一種の「歌謡」として音頭をともなって縷々口説かれ、「説経節」にまではまだまだ整備されていないけれ ど、まさしく文学・文藝と芸能との謂わば「未然形」を成している。
ほぼ何もかも言い尽くされたような文豪達のさらに枯れ朽ちた枝葉末節を掘り出しては、「ほぼ無価値に」穿鑿しつづける自称「研究」よりも、こういう未開 未萌の、荒れ地ではあるが萌え出ずる未萌の要素にみちた、荒野にして沃野へも着目して呉れまいモノかと、何の保証もなくて乱暴ながらわたしは好奇心いっぱ い外野で希望している。
2018 1/23 194
* ル・グゥインが亡くなったと聞いた。少し前からしきりに『ゲド戦記』が懐かしく、冷え切った書庫へ取り出しに行きたかったが。するとマキリップも読みた くなる。文庫本の小さい字が目につらくなっていて、残念だ。
2018 1.24 194
* 少年来袖珍愛玩の「白楽天詩集」七言律最初作のまさしく「詩の音楽」に惹かれる。多く、音読のままに読み下すのが快適。
☆ 正月三日閑行
黄鸝巷口 鴬 語らんと欲し
烏鵲河頭 氷 銷せんと欲す
緑浪 東西南北の水
紅欄 三百九十橋
鴛鴦蕩漾 雙雙の翅
楊柳交加 萬萬條
借問す 春風来る早晩ぞ
只 前日より今朝に到る
* 「興到りて筆之に随ふ自由自在の才及び易からず」と選者井土霊山が謂う、誠哉。再読三読、生気を覚える。
2018 1/25 194
* 二十四日深更 小学館本で夢の浮橋の巻まで『源氏物語』を、読了。同時に新岩波文庫版『源氏物語』では「花散る里」の巻を読み進んでいる。もう二十度を幾度か超えていよう。
* 後藤明生氏の「ひと廻り」を読み終えた。一種の文藝ではあるが作品に富んだ文学としての創作とは受けいれ得なかった。
井口さんに教わった古井由吉氏の「雪の下の蟹」が幸い筑摩の大系本に収録されていたので読みはじめた。まだ一頁ほどを読んだだけだが、この人の文学として文章は無用に浪立たずとても静かにしかも流暢、時に美しくすら感じる。おもしろく物語れる作家とは想いにくいが。
李恢成氏の「半ジョッパリ」は、読み進むに難渋はないが文学の文章に胸が波打たれるという気味ではない。想うまま書き進む手記のよう。
黒井千次氏の「時間」には乗って行けず、職場モノから抜け出た作をと物色中。
* この人たちの創作とくらべると泉鏡花の作は飛び抜け飛び離れてまばゆいほどの音楽を通俗も承知で奏でる。作者は酩酊しているわけでないが、読者は酔っぱらいそうになる。
* 優れた作家は、例外なく独自の文体を確保した文章家である。鴎外、漱石、藤村、荷風、鏡花、秋声、直哉、実篤、潤一郎、孝作、康成、由紀夫。こう書き並べて一人として曖昧に他と入り交じらない。斯くありたい。
☆ 和漢朗詠集 立春
池の凍(こほり)の東頭は風度(わた)って解け
窓の梅の北面は雪封じて寒し 藤原(菅)篤茂
* 「立春の所懐 藝閣の諸文友に呈す」とある。こういう慣いを持ち合ってのお務めであった。作者は藤原氏でなく菅原氏ではないかと想われる。それなら篤茂は道真の子である、が。
王朝の男子は、不可欠の能としてこういう文彩を磨いていた。女子には無い慣わしであった。光源氏や薫大将が「学」「文」と謂うときは概ね斯かる勉強の意味であった。
2018 1/26 194
* 色川大吉先生に寝る前の読書、過ぎると眼をますます悪くするよと注意して戴いた。
今、順不同に新岩波文庫版『源氏物語』は「須磨」巻に入る。合わせて亡き島津忠夫さんの『「源氏物語」放談』を。これは強かに痒いところへ手の届いた「放談」めく研究成果本でありがたい。面白い。
ああもう何度、十何度目になるだろう、二十度めちかいパトリシア・マキリップの『星を帯びし者』をまたまた面白く、滑り込むように別世界へ歩を運び始め た。引き続いて三巻の相当な長編だが、一度は原作でも読んでいて、ほぼ隅々まで記憶しているが、愛読書とは、『源氏物語』も同じで、それでも読んで行って 新しい感銘も発見も得られる。
『家畜人ヤプー』の作者今は亡き沼正三の『マゾヒストMの遺書』がずんずん読める。読み終える頃にはぜひ『家畜人ヤプー』をわたしも書評した都市出版版の完成本で、数度目を読み返したい。
羽生清さんのじつに特異に構想構成されて多彩な挿絵意匠にも心惹かれる『楕円の意匠 日本の美意識はどこからくるか』を、再び、第一章「水辺葦 言葉の 霊」から読み進めて終えようとしている。神々の黄泉比良坂そして倭建の吾妻がたり。次の章は、伊勢物語の世界へ踏み込まれるらしい。世の才媛かとおぼしき 方、かかる詩情と洞察の日本論を書かれては如何か。
面白いのは、やはり鏡花の『芍薬の歌』 作風の違いを超え、「文学の文章」として昭和の戦後をあまりに温和しいが呼吸し得ているのは、筑摩大系本で今今読んでいるなかでは、古井由吉、竹西寛子、やや手荒いが富岡多恵子。
もう一冊は『口説音頭集成』です。とにかくも果てなく読みたくなり、わたしが選べばどの本も面白いのだから、処置無し。
* 加えて、私の「選集」の校正ゲラも慎重に読まねばならない。いま、第二十六巻を初校しており。もう明日にも第二十五巻の再校ゲラが飛んで来そう。
* しかし、なによりかより大事に頭も心も費消気味につかって連日呻いているのは、書き懸かりの小説の進行と成熟。そのためにわたしは癇癪玉を百も身に抱いたままでも生きている、毎日。
この日々の「私語」もまた掛け替えない相当量の創作のつもりでいる、ここにはウソは書かないが。
2018 1/27 194
* 宵のうちに、寝床に脚を入れて、校正に励み、李恢成氏の「半ジョッパリ」 鏡花の『芍薬の歌』 羽生清さんの『楕円の意匠』 沼正三の『マゾヒストM の遺書』をいずれも興に乗って読んだ。就寝前には源氏物語本文と島津さんの「放談」を読み、マキリップのフゥンタジーと口説音頭とを読むつもり。機械では 潰れて行く眼が、床の脇の照明だと、なんとかモノが読める。
2018 1/30 194
* 昨就寝前、重い重い大冊の地誌本を床へ運び、拡大眼鏡を上掛けして小さな活字で細々と記述された京の「或る地域」の「地誌」、太古来現代に到る「文献 と伝承の歴史」を読み通し、二時近くになった。いい勉強をした。今さらに知識を求めているのでなく、識らなかったことを識り、識っていたことを識り直し、 とにかく面白くて、楽しんでいる。こういう楽しみは老耄を揺り起こす生気につながる。
2018 1/31 194
* 沼正三の『遺書』はとても読みやすい散文で書かれ、しかも徹した批評で断案に躊躇がない。虚妄に筆を飾る姿勢みじんも無く、書かれてあることの颯爽と 真実にちかいのがただただ信じられて、それがコワイほどである。このまま、「myb」の依頼原稿に替えて回したいと感じるほど平成の「現実」をすら真っ向 撃ちぬいている。厳しく着弾している。
* 夕食後、眠気がさし、床へのいたが寝入る気がしなくて、沢山、校正し、沢山、読書した。床では書けない、が、読める。機械の明かりよりは寝室の電灯の方が眼に少しだけ優しいのである。
2018 2/2 195
* ときどき岩波文庫の『日本唱歌集』を手にする。この音痴のわたしでも七割は唄える。今朝は「文部省唱歌」に限って観ていた。デタデタツキガの「ツキ」 はいしいはいしい の「こうま」 あたまを雲の上に出し の「ふじの山」 とけいはあさから かっちんかっちん の「とけいのうた」 春が来た 春が来 た どこに来た の「春が来た」 あれ松虫が鳴いている の「虫のこえ」 道をはさんで畠一面に の「田舎の四季」 など、詩のいいのもある。
色香も深き、紅梅の とはじまる「三才女」とは誰か、小倉百人一首に親しみ出せば「みすのうちより 宮人の」の二番は小式部内侍、「きさいの宮の仰言」 は伊勢大輔と分かった。一番の、庭木のすばらしい紅梅樹を宮中より請われ、「勅なれば いともかし うぐいすの 問わば如何に」と聞こえ上げた才女はさす がに分かりかねた。教室で先生に教わった記憶もない。この才気、伊勢であったように今、すこし朧ろに覚えているが、それよりなにより「清・紫」でないのが 趣向である。
旅順開城約成りて の「水師営の会見」はまだ心地良く唄えていた、曲にも佳い哀調があった。
大方はむしろ大好きだったのに 「我は海の子白浪の さわぐ磯部の松原に」 声を張ってよく唄ったが、せいぜい三番まで、よくよく譲っても五番までで、ことに七番の歌詞は好まなかった、今も詩の美感において、歌いたくない。
いで大船を乗出して 我は拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国
和歌の世界に吹きかよう自然美や四季の感興、花や風に愛豊かにふれた作詞が好きだった。
岩波文庫の「唱歌集」「童謡集」「民謡集」はいつも手の届くところに在る。
* 昨夜も寝る前に重たい『音頭口説集成』を読んだが、耳に目にかすかにも聞き覚え見覚えてきた凄惨な「心中」口説きがたくさん収録されている。歌舞伎の 舞台、嫋々の新内がきこえる「浦里時次郎」の心中などなど、ごくの田舎で口説かれていて、それらが多くの歌舞伎作者達による舞台が先なのか口説きの方が先 であったか、もっともっと探訪探索してもらえないものかと思う。思わずウウウと唸ってしまうほど切な哀愁が、素朴・稚拙な言句・口説のままに溢れている。 歌舞伎舞台の洗練はその裏返しに凄みさえ覚えさせる。
2018 2/4 195
* 都での難を「須磨」へのがれた謫居の源氏を、父太宰大貳とともに船旅都へ帰って行く娘が、波路はるかに源氏がひく琴の音に居堪まらず文と歌をよこすあたりでは、いつにもなく泣けてきた。
源氏物語を読むのに、読んでいる巻よりあとの巻に関しては、拘泥せず読み耽るのが結局佳いと思うという島津忠夫さん『放談』の見解は、わたしが源氏を繰り返し繰り返し読み重ねてきての、ほぼ最初から定めていた覚悟であった。
しかもなお、そのようにして源氏物語の本筋や命脈は正確に捉まえられたのである。発見するには、素直な視線の働きが要る。
「光」と「匂い」には「色」という縁がある、「光」と「闇」は切れている。「光」源氏の世界を宇治十帖で正確に相続しているのは「匂」宮であると書いたと き、当時慶応の人気教授で大きな存在だった池田弥三郎さんが、即座に手紙を下さり、有り難い初のご指摘でした、初めてでした、と。そういうことが、タダの 愛読者にも在りうるのである。
母桐壺や祖母の遺邸二条院に、まだ少年の光源氏が「おもふやうなる人を据えてすまばや」と呻くように生母に似た義母藤壺に思慕してやまなかった、それこそが光源氏の物語全構想の起点だと指摘した人を、それ以前にわたしは知らない。不動の視点であると思っている。
* 羽生清さんの『意匠の楕円』、今、伊勢物語を、じつにしなやかに且つ周辺の伝承や表現ともうち重ねながら、心優しく読み味わってられる。伊勢物語、また、読みたくなってきた。伊勢物語を語ったエッセイを選集第二十四巻に漏らしたのは惜しかった。
* 『音頭口説」のある一編と沼正三の『遺書』の一編を兼ねて感想があるが、今は措く。
* 李恢成さんの「半チョッパリ」は心線に柔らかく切なく触れてくる佳い作で、読みながら喜んでいる。一度だけ手紙を遣りとりした覚えと作とが和んで重 なってくる印象あり、これで今手にしている筑摩大系の一巻で、古井由吉、李恢成と佳い出会いが出来た。黒井千次の職場モノは乗って行けず、なぜかその後に やや「変わった」短篇を書かれだすのを読むことにした。じつは所収の「キキキが来た」が面白く、「ペン電子文藝館」の館長時代に頼んで収録させてもらっ た。
後藤明生の小説とは、合わなかった。生前盛んに上田秋成を言うていた人だが、もの足りなかった。
* 『千載和歌集』もまたまたどっぷりと楽しんでいる。
2018 2/5 195
* 読書しながら泣くようになった。昔は源氏物語のことに「須磨」の巻で、いよいよ京を逃れる前に光君が父先帝の御陵へお別れにゆく場面へ来ると、決まっ てぐっと来たが、他に強い記憶はない。最近になって嗚咽に近く感動または動揺することが増えてきた。この近日での顕著な例を挙げてみよう、またしても『音 頭口説』からで、題して「越後お女郎口説」。
☆ 越後お女郎口説
越後蒲原ドス蒲原で
雨が三年日照りが四年
出入七年困窮となりて
新発田(しばた)様へは御上納できぬ
田地売ろかや子供を売ろか
田地ゃ小作で手がつけられぬ
姉はじゃんか (不器量) で金にはならぬ
妹売ろうと相談きまる
わたしゃ上州行てくるほどに
さらばさらばよお父ちゃんさらば
さらばさらばよお母ちゃんさらば
またもさらばよ皆さんさらば
新潟女術(ぜげん)にお手々をひかれ
三国峠のあの山の中
雨やしょぼしょぼ鶏るん鳥や噂くし (ママ)
やっとついたが木崎の宿よ
木崎宿にてその名も高き
青木女郎屋というその家に
五年五ヶ月五五二十五両で
長の年期を一枚紙に
封じられたはくやしはないが
知らぬ他国のぺいぺい野郎に
二朱や五百で抱き寝をされて
美濃や尾張の芋掘るように
五尺のからだのまん中ほどに
鍬(くわ)も持たずに掘られた
くやしいなあ
(小山直嗣氏編『新潟県の民謡』)
<参考>
『越後瞽女日記』所収 「蒲原農民くどき」 も、ほぼ同詞章
* 末尾のこの くやしいなあ で声たて泣いてしまった。
斯くも真率悲痛な肉声の「くやしいな」という活字を聴いた・読んだことがない。今も泪で字が見えない。
斯かる悲話はイヤほど知っても読んでも来た。ただ、「くやしいなあ」一語が斯くも自立独立して表現の妙を突出させた例を知らない。
音頭口説は音頭で囃しつつ歌うとも読むとも知れず語って聴かせる。時には聴きながら囃しながら踊るのである。哀調といえば通り一遍だが「哀」の全容を此処は「くやしいなあ」の呻きへ結集させた。文藝の「表現」は、真実、斯くありたい。
* これに併せ、また斯かる「くやしいなあ」の有ったのが、古今東西の戦陣に涌いては消えた慰安婦の慰安所。いまなお韓国と日本とのあいだで往年來の慰安 婦問題が燻り続けているが、慰安婦・慰安所が実在して悲惨を極めたことは絶して否定・否認できない。どんなに凄まじいモノであったかを沼正三の『遺書』は つぶさに聴き取り調べて明瞭に今に伝えている。
☆ 沼正三『マゾヒストMの遺言』 に聴く
軍の慰安所というものがどんな所か、ぼくは会社の労務課長Nから聞いたことがある。(沼さんは青年時、満州へ就職していた。)労務課の主任務は現地人の苦力(クーリー) を多く集めることだった。慢性的に人不足なので、阿片を餌に釣り出すという。現地では、頼りになる家庭薬もなく、薬としては痛みどめの阿片だけ、阿片は労 務者にとっての必需品なのであった。その阿片を求め、Nは僻地から僻地へ、満蒙国境地帯の奥地を渡り歩く。そのNから、慰安所の話は聞いたのである。
軍の駐屯地には、思いもかけぬ奥地でも、必ずといっていいほど慰安所があったという。
慰安所は「前は戸がなく蓆(むしろ)が下がっている。……各分隊毎に蓆の前に列をつくる。一 名平均約五分、共同便所の感あり」(岡村俊彦『榾火 第一〇一師団鮮血の記録』文献社)というセックスのゴミ捨て場のようなあさましい状況だという。Nに いわせると、その入口の蓆に誰が書いたものやら、「突撃一番!」と大書された紙札が貼りつけてあったりするという。女たちは、いったい何千人の突撃一番の 銃剣をその膣に突き入れられれば済むことなのか。
娼婦に強制連行があったかなかったかのむなしい論議が交わされている。花岡鉱山事件に象徴されるように、労務者らも強制連行された。娼婦においても実情は変わりないと判断されるぺきであろう。
地方の貧困者の子女は、物心つく頃から奉公に出された。子守奉公、女中奉公、機織女工などなど、哀話に尽きることはない。
遊廓の女郎はどうなのか。みんな喜んで自ら進んで自発的に女郎となったのであろうか。そんなのは例外中の例外に過ぎない。
ましてや軍の戦塵腥い前線にあっての慰安所に、誰が好んで自発的に志願する者がおろう。
* これが現実だったとはいえ顔を覆いたくなる。韓国の、もと慰安婦だった人たちが日本を責めて賠償させた(賠償は協約され既に実行もされている。)のは当然だった。
但し、わたしは、あの「慰安婦像」を衆人環視のなかへ立てて見せて胸を張ってでもいるようなあの国の人たちの感性にも、痛ましいほどの疑問を持つ。
慰安婦だった人のその苦渋や恥辱にはきりきり胸が痛むが、その人たちが、今、又も、新たに「銅像」として顔を晒される気持ちはどんなであろう。その近 親、知友、同郷のひとらまでが恥しめられる気はしないのだろうか。まるで同国人たちが少数同朋被害者たちを、今度は自分たちの手で「衆人環視の中へ晒し出 し」ているとしか見えない。あの無神経には軽蔑をさえ覚える。彼女らの戸籍謄本に、国家が「元慰安婦」とまで前科のように記載してはいないかと、危ぶみさえ する。
2018 2/6 195
* マキリップの「星をおびし者」に惹き込まれている、もう十度も読んできた長編で、なにもんも覚えているのに、だからこそか、とても一行一頁ずつが新鮮 で懐かしい。モルゴンは海難で言葉も記憶も喪ったままアストリンに救われ「風の平原」にいたが、襲われた。彼の領国ヘドを出たまま帰れず、いよいよモルゴ ンの永い長い苦闘と会心の旅が続くことになる。たんなる不思議の物語ではない、爺のわたしでもそのまま人間形成の願いそのまま「不思議」の底や奥に現実の 自身を問い続けることになる。
この三册三部の長い物語は、訳者の脇明子さんから、たぶん「鏡花」座談会の前後に戴いたのだと思うが、わが生涯にもし三十册の物語を選べといわれれば躊躇わずかなり上位に加えるだろう、まさしく心酔の愛読書なのである。
脇さんとは一面識で擦れ違ってきたが、宛先が分かれば新ためてお礼を申したいほど。
2018 2/8 195
中庭、服玩を矖(さら)し 忽(こつ)として故郷の履(くつ)を見る
昔 我に贈りし者は誰ぞ 東隣の嬋娟子(せんけんし)
因りて思ふ 贈りし時の語 特(た)だ用ひて終始を結ぶ
「永(とは)に願はくは履綦(くつ)の如く 双び行き復た双び止まらんことを」と
吾 江郡に謫(たく)せられて自(よ)り 漂蕩すること三千里
長情の人に感ずるが為に 提携して同(とも)に此(ここ)に到る
今朝 一たび惆悵(ちふてふ)し 反復して看ること未だ已(や)まず
人は隻(せき)なるも履(くつ)は猶ほ双(そう) 何ぞ曾て相ひ似るを得ん
嗟(なげ)く可く復た惜しむ可し 錦の表 繍(ぬひとり)もて裏(うち)と為す
況(いは)んや梅雨を経て來(より) 色黯くして花草死するをや
* ひとはいまいかに生きつつ 山川のおもひのままに老ひたまふらん
2018 2/11 195
* 李恢成作「半チョッパリ」を読み終えた。次いで、黒井千次作「時間」を読み通してみようと思っている。
作風の似た小説家などいうものは、存在しない。そこに創作の孤独と自負と覚悟とが有るのだ。
* 昔は「文学」の不動のジャンルとして「文藝批評」が読んで楽しめまた鞭撻された。
今日、文藝批評の領域に冠たる輝きを見せているのは誰か、よく見えない。わたしが知らないだけか。一人もいないのか。
2018 2/11 195
* 歌集『少年』を何度か改版している間、わたしは俳句へは、気持ち距離を置いていて、蕪村は愛読しても芭蕉にすらやや身を引いていた。子規でも短歌の方に早く親しんだし、虚子よりも左千夫や節へ先に身を寄せた。
しかし徐々に俳句は難しいと歎きつつも芭蕉に胸打たれ、子規や虚子の句に心惹かれ、俳句の「俳味」を思いまた愛する気持ちを受け容れていった。
不幸にして、古今の歌集にくらべことに近代のすぐれた俳句集を多くは所持していない。私的に親しかった数人の句集を戴いて愛玩してはきたが、史的な展望で 近代現代俳句を所有は出来ていない。幸い三省堂の呉れた本に、稲畑汀子編『ホトトギス 虚子と一〇〇人の名句集』一冊があり、座右においてしばしば手をの ばすが、俳句は難しいという思いはなかなかあらたまらない。ひとり、ついつい虚子の境涯にのみ引き寄せられている。これだけの百人が夥しい作で選ばれてい ても、心惹かれ心打たれる句は決して多くない、むしろ少ない。
けれど、わたしは一心に近代俳句を読んで味わっている。そしてそれなりにわたし自身の「理解」も得つつある。
いつか、その「初感」を纏めてみようと思っている。外野、黙れと、またまた怒られるかも。
2018 2/13 195
* 全然順不同、手に触れたのから次々、沼正三の『遺書』 羽生清の『楕円の意匠』 『源氏物語 明石』 泉鏡花『芍薬の歌』 『音頭口説集成』 島津忠夫 『源氏物語放談』 パトリック『星を帯びし者』 黒井千次『時間』 それに自分の『能の平家物語』「京洛探訪」を それぞれに気を入れて読んでいると、ほ んとにこの世にはさまざまな読み物があるのだとびっくりしながら、感心してしまう。どれもみな面白いのだ。時間さえあれば一度に十五册ぐらいは併行して読 んで楽しめる、事実それぐらいを毎晩読んでいた時期もあった。なによりも読書により世界が途方なく拡がってくれる、古今かつ東西南北へ。知らないで居たら わたしはただ一介の東京郊外の一軒家に暮らしている吾一人でしかない。よんでいればこそ、海風の荒れに襲われた光源氏が須磨から明石へかつがつ逃れ行くさ まも目に見、うっそうの架空世界で額になぞめいて光る星三つを刻まれたヘドの青年領主が辺境の地をさすらい歩くことになる経緯も、聡明な現代マゾヒストの 切れ味に富んだ「日本」批評に頷くのなども、とうていしることは出来ない。知らぬが仏なのか、知れて有り難いのか。決め付けて思う必要はないが、わたしは 「読めて」幸せに感じている。
2018 2/14 195
* 自転車でちょっと用足しして帰ってきて、胸が重く、横になって鏡花の『芍薬の歌』を読み終えた。奔放自在の構想と行文の妙にいっそ翻弄される愉快を堪 能した。『風流線』の数倍も出来が良い。ただし、いまも謂うた「翻弄される愉快」を楽しめる読みとりの器量が必要な迷走無尽の名作であること。それに堪え うれば早晩また取り出してこの世界へはまりたくなる。
* 寝ころんで分厚い本を読んでいる内、故右手の親指が捩れ始め、両手の多くの指が捩れ始め、脚の指まで奇態に捩れて痛んで往生した。ときどきこれがある。疲れか。
* 筑摩現代文学大系の末二巻目の四人を読み終えた。黒井千次氏の「時間」にそれなりに静かに頷いたが、「職場」小説のもたずにいない足枷のようなもの は、外れぬママであった。国の財政や経済とも関わるほどの大企業で、帝大の経済学とも臍の緒を繋いでいるような職場のいわば幹部候補生のような作の主人公 のこもごもの思いは、そうは過不足無く小説化できるものでない。経営企画上のグラフの一本の線の具体的な重みの説明など、作の為も意も観念的に運ばれて、疎遠な読者は実感ヵ゛得られない。ムズカシイものだと思いながら、まさに同世代の文学営為に胸を衝かれていた。古井由吉、李恢成、後藤明生各氏の各一作、後藤氏のモノは逸れたが、他の三氏の文学は、それぞれに敬意も親愛すらも持ち得て、いい出会いだった。
* 「作家」生活に入ったとき、筑摩書房の親切な重役さんは、同時代の、ないし今日現代作家の作は「読まなくていい」です、しかし佳い編集者には「キッ キュウジョ」として接して下さいと助言された。わたしは、ほぼ今日までその助言に随い続けてきたのだった。今は知らないが、すばらしい編集者とたくさんで あえてわたしは幸せ者であった。
さて、次は誰と出会うのか。
* 上記四氏、その前の女性作家四氏も含めて、今し方読み終えた泉鏡花の「芍薬の歌」と較べてはどうであったか、ハテ、云わぬが花か。
2018 2/19 195
* 筑摩大系の第95巻は 丸山薫 清岡卓行 阿部昭 金石範の四氏集。阿部さんの「司令の休暇」は読み、また頼まれて阿部さんに就き原稿も書いた。清岡 さんと金さんは大正時代の生まれ、清岡さんとは、井上靖夫妻を団長とする日本作家代表団のひとりとして華主席の時代に中国政府から招かれ同行している。同 行した井上夫妻も、巌谷大四、伊藤桂一、辻邦生、清岡卓行、大岡信氏らもみな亡くなってしまった。そういえば阿部昭氏も。
他の二氏はまったく知らない。清岡さんの小説も一作も読んでいない。
* 泉鏡花は次は『山海評判記』などを読む、名作と云われつつ名にしおう難解難読小説のひとつで、わたしはかつて二度読んでいるが、また正面衝突してみる。昭和現代の四氏の文学を推し測る一つの検査紙のように鏡花を楽しもうと思っている。
* 昨日 東大を名誉教授になって退かれた長島弘明さんの校注、岩波文庫新版の『雨月物語』を戴いた。これも好機、久々に秋成の名品に、巻頭「白峯」から立ち向かう。
作家になってまだ早いつまり若い時代に東大五月祭の講演講師にわたしを誘いに学生代表で見えたのが長島さんだった。それ以来の絶えざる久しい親交で、「湖の本」創刊以来の購読者でもある。有り難いことです。
2018 2/19 195
* 仕事しては寝て休み 起きて仕事してはまた寝て休んでいる。一つには眼を休めるためだが、不可解な疲労感は抜けない。嬉しいこと楽しいことがあると、たと えば佳い映像や劇をテレビなどで見つけると心身の晴れを感じる。庭へ来る小鳥たちを見つけてもホッと嬉しい。黒井マゴがいてくれたら、どんなに楽しくここ ろやすまるだろう。国会の映像や総理の顔や声が目に耳にくるとヘドが出そうになる、リクツは謂えない、ただ不快感に掴まれる。ま、こういうことは、お互い 様であろう。
もう二十年も三十年も昔にした対談や鼎談を機械に入れて校正しいると、懐かしく嬉しくなる。今日は、今西祐一郎さんがまだ九大助教授の時代に、教授の中 野三敏さんと三人で、「日本の古典とエロティシズム」を話しあった初出誌を読み直していて、面白かった。とうじわたしは東工大へも出ていた。話題が高潮し てくると、もう一時間も二時間も時間をくれていたらと、話し足りていない、残り惜しい気がしたほど。
あの鼎談が済むとすぐ、わたしと同い年の中野教授は持参の風呂敷からやおら「上出来」の春画帖を披露してくれた。春画は苦手だが、性の話題には「古典」 とも「歴史」とも「日本人」とも意味深く絡み合う機微が豊富で、いままさに書き継いで仕上がろうとしているわたしの『或る寓話』も、あの鼎談の頃にはひそ やかにわたしの身内に孕まれてたのかなと思ったりする。
2018 2/20 195
* 長島様 美しい 秋成本を
とても嬉しく頂戴 珍重 そしてすぐ読みはじめています。
若い日々の思い出もふつふつと涌き、また 深切な校注のお導きにも頭を下げています。
放送大学のテレビでお話しの機を家内ともども待っています。
お元気に ますますの お導きを。
私は老い そして やがて朽ちましょうが、日々読み書きを楽しんでいます。歩かねば歩かねばと思いつつ、 家に籠もっています。 秦 恒平
☆ メールをわざわざ頂戴しありがとうございました。
私の方は、筆無精もきわまって、秦恒平選集をいつも頂戴しながら、御礼も申さずまことにすみません。
わたしももう1年で東大を定年です。
暖かくなって、外出がおできになるようになり、また本郷に土日月あたりにお越しになれるようなことがあれば、お知らせ下さい。昼食でもご一緒できればうれしいのですが。
放送大学の「上田秋成の文学」は、テレビではなく、ラジオの放送です。私自身は、自分の話が下手なので、聞き返すことはしていませんが、
今、調べましたら、ちょうど集中放送をしているところのようでした。
明日は、第5回目、14時30分から45分間の放送とのことです。
明後日が同じ時間に第6回目、次の日が第7回目で、15回まで続きます。
梅も咲き始めているのに、寒さが緩んだり、きつくなったりいたします。
どうぞ御自愛下さい。 長島弘明 東大教授
2018 2/21 195
* 「明石」巻、雨月物語、鏡花の怪異編、そして「星を帯びし者 スターベアラー」に昨夜も惹きいれられ、そして丸山健二二十三歳の芥川賞作も読み進んでいる。
この、ほぼ同年の作家は、通信関係の専門学校を出てその方の職に就きながら、たぶん応募か、未婚の二十三歳で「文学界新人賞」そして同じ作が即、その期 の芥川賞を得ている。それは有ってナニ不思議もない事例だが、書かれている内容が死刑囚監獄の看守生活で、主人公の語り手は妻子もある大人の生活者。年譜 的にもこの作者に監獄の死刑囚のといった実体験はとても有りそうになくて、しかも堅実に、力みもなく、自然な筆致で地味にコトが進みつつある。そのこと に、いま、わたしは興味を惹かれ読み継いでている。
この作者は、その後も制作的に相当に活躍しながら、しかも東京をふつと離れ、て文壇との縁を遠のいているのもわたしの心を惹く。むろんこの作者に関しても、わたしはかつて何一つ識っては来なかった。
2018 2/22 195
* 午後に市の図書館が車で寄贈本をとりに来てくれる。大きなセット本をはじめ、百册あまりも取り敢えず用意した。書庫の本、受け容れてくれるなら、幾らでも寄贈しようと思っている。何を出し何を残すか。それが問題。力仕事になるのも、ちと、しんどい。
2018 2/22 195
☆ 謹啓
各地を揺るがした豪雪の猛威も漸く緩んでまいった様子、
いかがお過ごしでございましょうか お伺い申し上げます。
平素より何かと御芳情賜り、また御著書お送り戴き有り難うございます。
それにしても大変な著述のエネルギー、つくづく感服致します。
恥ずかしながら,光悦について拙論お送り致します。
二〇一五年から一年余り京都新聞に連載致しました『光悦逍遙』を、此の程漸く淡交社から新たに『光悦考』と題して出版致しました。
新聞掲載から3年、再読すれば誠に稚拙な文章にて結局再度書き直し、文章も倍以上に膨れ上がりました。 光悦は私にとりまして作陶を導く心の友のような存在です。
いま人生の終盤にかかり光悦について我が思いの丈を誌しておきたい思いが以前からございました。 京都新聞からの連載依頼はよき機会でございました。
ただそれは、光悦研究の論考と言うには程遠い「私の光悦」と言うべき心象エッセイ、誠お恥ずかしい限りではございます。
ご笑覧戴ければ幸いに存じます。
厳しい寒さも峠を越した様に思いますが 春に向かい寒暖定まらぬ季節かと存じます。どうぞご自愛下さいますよう、ご健勝をお祈り致します。
如月 謹白 樂吉左衛門 拝
.秦 恒平 様
* 広範囲へのご挨拶状と思ったら、わざわざに此の私へのご挨拶であった。恐れ入ります。気の入った堅固に美しい造本そして写真も入り、私の最も尊崇する藝術家光悦のしかも作陶に吶喊された感想と思われ、頂戴、歓喜に堪えない。
当代の樂さんは、わたしが創設された京都美術文化賞選者の一人に務めはじめて、すぐに強く推薦し受賞してもらっている。さらに四半世紀ちかく務めた選者 を退いたあとを、樂さんが引き受けて下さったと聞いている。当初から「湖の本」も購読して下さり、催しごとに招いて下さり、立派な樂歴代の写真集などもい ろいろと頂戴してきた。
しかし『光悦考』こそは此の樂当代には喫緊かつ必然の目標であったに相違なく。一書の初めて成ったのは、むしろ第二第三、四へ吶喊の初発かと想われる。期待して、ともあれ最初の力作を読ませて戴くのが楽しみである。 2018 2/23 195
* 崩れるような疲労感のまま床に脚を入れて、丸山健二氏二十三歳での芥川賞受賞作「春の流れ」を読み終えた。これには、感心した。
なんら面白いお話しでも面白い筆致でもない。しかし、そのこと自体が特異な文学の文藝の達成になっている。たしかにカミュの「異邦人」を想わせてあれよ りも徹していると読める。作者は、学校時代の友達の親が死刑囚監獄に勤務の話を何度も聞いていて、それでこの小説を思いついたと言っている。しかしそんな 偶発の筆致でも表現でもない。まことに行き届いて読める。
これはそういう務め、絞首刑執行の現場で死刑囚を獄からその場その間際まで連れて行き、頭に袋をかぶせ縄を掛ける役のそんな男の日々の暮らしをおそろし いほど淡々と、ごく普通の日々のように書いて揺らがない。男の奥さんの御腹には三人目の子が宿されていて、しかし奥さんも、元気な可愛い子どもらも、同僚 とのつき合いも、休日の過ごし方も、何一つ波風起たずやすやすとあたりまえに書かれている、いや只一度のちょっとした事件、同じ職務へ新配転されてきた若 い同僚が「辞めて行く」事、のほかには。
筆致はただ淡々としかも練達の域にある。魅力すらある。こんな現代日本の文学・文藝にははじめて出会った。八人の男女作家の作を読んできたが、「読み甲 斐」においてこの淡々たる無気味な平穏、不条理な怖さは超えていた。何一つの「説明」もない文体のみごとさ、と、言っておく。
2018 2/23 195
* 次いで清岡卓行さんの「アカシアの大連」を読みはじめている。尋常な回想で進むのか、まだ判じえないか゜、文章も表現も丸山健二「春の流れ」のおそるべき淡々調よりはギザギザと揺れている。
* 岩波文庫審判の『源氏物語』明石の巻で第二巻を読み終えた。「須磨」「明石」さすがの名篇妙な言い方だがグの音も出ない。第三巻を戴けるのは、三月と。待ち遠しい。
同じく岩波文庫の『雨月物語』巻頭の「白峯」、名品というに恥じず、惹き込まれ音読もしたいほどに読み終えた。
* そして『星を帯びし者』ヘドのモルゴンは深沈と不思議の旅と出逢いを重ねている。わたしはピタリと随いて同行している。訳している脇明子さんの日本語 がまことに自然に美しく、いささかの渋滞もないのが嬉しい。高校生大学生が教室でする「日本語訳」のような只の逐語訳では、罪深い。
2018 2/24 195
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
人間にも事業にもそれを見るのに最良の目の位置がある。正しく判断するために近くで見なければならないものもあるし、遠くへだたってでなければ正当に判断できないものもある。
2018 2/25 195
* 夜中 手洗いに立つつど寝入れなくて。結局、夜中の読書を楽しんだ。沼正三の明晰な「遺書」 島津忠夫の深切明快な「源氏物語放談」 そしてヘドのモルゴン『イルスの竪琴』第一部の深沈たる長旅の底知れぬ不思議と面白さ に嵌っていた。
2018 2/27 195
* 厖大な『太平記校注や「室町こころ」の提唱で゛きが九と聞こえた岡見正雄先生は、幸いなことに一時期日吉ヶ丘高校の先生をされわたしは古典を習った。習ったと謂っても朗々と原典を読んで下さるだけの授業であったが、わたしには最高の授業だった。
その当時中京大教授をされていた岡見先生と京大の佐竹教授とで立派な「標柱 洛中洛外屏風 上杉本」を出版され、それを機に岩波の「文学」で、岡見先生 を囲んで佐竹教授の司会、名古屋工大建築学史の内藤昌教授に、超若輩のわたしまで呼んで頂いて座談会がもたれた。岡見先生が読んで下さったに違いなく、辞 退もせずお話しに加えて頂いた。
いま、それを読み返している。
2018 2/27 195
* わたしのように年がら年じゅう仕事している者には、読み書きの「仕事」は波風のようにどっと押し寄せたりやや引いていてくれたりする。しばらくやや安気に していたが、三月めがけてどっと攻められている。頭の痛い瘤の幾つかも無くはなく、肩や頸筋が凝って痛む。わたしには、これが、生きていると謂うこと。
ああ、自分を甘やかしているなと思うと、ラ・ロシュフコーを読んで頭も顔も張りとばしてもらう。手放せない憎いほどの箴言集であり、おそるべき倶生神である。
* 樂さんから『光悦考』を戴き、昨日は、亡くなって一年、歌人清水房雄さんの遺稿集を戴いた。
2018 3/1 196
* 鏡花の怪異な短篇一つを読んだが、面白くなかった。もう一つ読んでいるが乗ってこない。長篇の『山海評判記』を三度目読みだすが、選集でなく単行の挿 絵などもとのままの組み版本で読もうと思う。清岡卓行「アカシアの大連」、まだ乗って行けない。詩人の散文が意外に手荒く、丸山健二や古井由吉には負けて いる。書き出の延々の感想文に一人の他者も小説世界の人として関わってこないのに退屈している。
秋成の「菊花の約」など、文庫本でたったの十行も読み進むだけで完璧な文学・小説の妙が香り立ってくる。
沼正三の「遺書」 羽生清の「楕円の意匠」 島津忠夫の「源氏物語放談」は、内容は千里も離れているが、著者独自の世界をそれぞれにこうなくては成らぬと云う文体で語りかつ表現しているのがすばらしい。脇明子訳の「イメスの竪琴」も同じく。
2018 3/1 196
* 夜中 目ざめると寝入りにくく、つい灯を入れて本を読む。読んで充分手応えある本が枕元へ何册も来ているので安心して灯を入れてしまう。秋成の「菊花 の約」は初めて読んだ大昔の感銘のママに胸を打つ。太宰治の「走れメロス」には西欧の先駆作があるか識らないが、秋成のこの作に太宰が共感していても不思 議はない。
* 大好きな『星を帯びし者 スター・ベアラー』のなかでも、モルゴンが北境の王ダナンに教わって一樹に姿を変え、必要なら一年二年もそのまま凝っと立っていられる。それに、溜まらなく羨望を覚える。この大作の中でわたしが身震いして羨ましいのは、この一事。
便利を追い便利に埋没し、ウツケたように機械文明や擬薬文明に心身を捧げるような人の世なら、わたしは、丈高い一樹にはやく身を替え、地球と命との清新な生まれ変わりを待ちたいとすら願うのである。
2018 3/3 196
* 岡見、佐竹、中島先生らと岩波の「文学」でした洛中洛外屏風・上杉家本をめぐる長時間の討議録を読み終えた。面白く、またまた教えられた。わたしもよく発言できていた。
今度は、亡くなった杉本秀太郎との「洛中洛外」対談を懐かしく読みはじめている。杉本さんは受賞したわたしの「清経入水」掲載誌に、まっさきに「ジュ スィ 清経」とラヴレターを呉れた読者第一号の京都女子大の先生で、その後、文壇の人になった。
2018 3/3 196
* 歌舞伎が好きだが、能も劇場劇もむろん観る。それ以上に、映画館へは十年に一度とも入らないが、テレビではうるさく選んで、それはそれは、よく観る。録画したのも多い。
記憶力の衰えた今でこそ各三十人が限度だが、かつては海外映画主演級俳優の男女各百二、三十人の名前はソラで思い出せた。名は忘れても顔でなら、今もま だ大勢覚えている。谷崎愛のわたしである、谷崎の愛したようにわたしも映画が大好き。必ずしも海外文学、それも二十世紀文学にはことに深くないが、海外、 日本を問わず映画は充分楽しんできた。
「二十世紀世界文学全集」の、全数十巻を版元の秀英社から貰いつづけ、みな大切に書庫に入れてあるが、そろそろ図書館へか、よほどの人にか、譲らねばなあと思案している。もはや馴染まぬ海外もの全集版の小さな活字は読み切れない、それにしても勿体ない。
2018 3/3 196
* 雨月は「浅茅が宿」に。むかし、平安物語より遅れて秋成にふれたとき、文章が異様に想われたが今はまことに明確に美しい名文と読める、そして長島さんの校 訂もプラスしてたどたどしさ微塵もなく分かりよく読める。秋成の怪異は鏡花のそれらより良き意味で古典の輝きと落ち着きをもっている。鏡花は子供のように 浮かれて小説を書いている例が多い。良く選ばれた選集でもそれを感じる。
岩波文庫の新版『雨月物語』 簡潔かつ流麗の短篇集であり、読む人のぜひ多かれと願う。
* わたしに中公新書の『古典愛読』があるが、羽生清(きよ)さんの『楕円の意匠』は、わたしの本より何倍も美しく精錬されたみごとな「古典愛読」であ る。美学の教授で、国文学の人ではない、が、文学、芸能、意匠を通じてまこと詩的に、知的に、美しく「古典」の魅力を薬籠中で磨き上げておられる。研究書 ではない、語の正しい意味でのみごとな「エッセイ」である。
「研究」の名に悪酔いした程度の自称研究者では こういう独創の所産・創出、なかなかあり得ない。
* 『イルスの竪琴』は、モルゴンのグレート・シャウトで第一部を終え、レーデルル登場の第二部へ。
* 結局、晩もやすみなく、もう十時半をまわるまで、あれこれと。亡き杉本秀太郎との「洛中洛外」対談の行方を楽しみながら、字のうすくうすくなっている 初出のコピーで読み校正を続けていたが、この一本で一週間かかってしまうかも。もう目は、つぶれたような感じ、強い照明でキーを探し探し機械を使ってい た。
* もう、やめ。
2018 3/4 196
☆ ロシュフコーに聴く
洞察力の最大の欠点は、的に達しないことではなく、その先まで行ってしまうことである。
2018 3/6 196
* 雨月物語「浅茅が宿」は粛然とする。映画でも凄みがあった。
『イルスの竪琴』第二部では、世界の無気味な崩壊を予感しながら、もう三年もまったく行方不明の婚約者モルゴンを探してアンの王女レーデルル が縦横に活躍し始める。華やかに見えて無気味におそろしい展開も見せて物語は魅惑する。十度近くは読んできた大長編だが、飽きるどころか引っ張られる。文 字どおり一字一句もぬかさず脇明子のみごとな訳を受け容れている。
脇さんの日本語の丁寧な流暢からみると、芥川賞清岡卓行の小説「アカシアの大連」の日本語は、とても「詩人」のものとも思われない粗雑さで、ガッカリ。もう中ほどだけれど、ちっとも小説として作が働き始めず、雑駁に気儘な日記・感想文のように進んでいる。やれやれ。
* 三月になったので、新文庫版『源氏物語』の第三巻が送られてくるだろう、と、楽しみに待っている。亡き島津忠夫さんの『源氏物語放談』にも親切に手を引いて貰っている。
沼正三のマゾヒストとしての『遺書』も煮えており、はやく大作『家畜人ヤプー』を読み返し始めたいと、ウズウズしている。本文編もあり、マンガ編もあるのだ、どっちからにしようか。
2018 3/6 196
☆ ロシュフコーに聴く
「剛胆とは、大きな危難に直面した時に襲われがちな胸騒ぎ、狼狽、恐怖などを寄せ付けない境地に達した、桁はずれの精神力である。英雄たちがどんなに不測 の恐るべき局面に立たされても己れを平静に持し、理性の自由な働きを保ち続けるのは、この力によるのである。」
* 自身の不安定な小心を知り尽くしているゆえに、上の箴言は鳴り響く。
2018 3/7 196
* 筑摩書房編集者であった持田鋼一郎さん、著書『良寛』を成されたのが届いていた。良寛さんは想像の上を行く多面多角の人で、その一面一角の探究が容易でないのを、持田さん渾身の力作に仕上げられたのはお目出度い。
* 洛中の杉本秀太郎と洛外のわたしとの京都対談はケッサクだった。
追いかけて、歴史学者の脇田晴子さんと、正月の新聞で二日にわたり「利休」を語り合った対談も面白い。
わたし自身の記憶以上に、コレまでに数多い対談、鼎談、座談会をしてきた。受けたインタビュー記事も、大小結構残っているし、講演と放送原稿となると、 手が回らず放り投げてあるのも含め何十回もそれ以上も引き受けていた。アタマの体操としてはかなりいい刺激になったし、話し言葉を介して見つけていったポ イントも有った。
東京へ出て来てもう満五十九年が過ぎている。昭和三十四年(1959)二月末に妻と上京し、そのまま用意の新居(新宿川田町のアパートの六畳一間)へ入 り、すぐ、本郷の医学書院へ採用前の見ない出勤、そして三月十四日に新宿区役所へ結婚届を出したその晩に、妻の母方親類(伯父)の家へ妻の兄妹はじめ親戚 らが集まって披露と対面の機会をつくってもらった。
五十九年は永くも夢のようでもある。もう事を終えたのでもない、終えるということは無いだろう。
2018 3/7 196
☆ ロシュフコーに聴く
「最高の才覚は、事物の価値をよく知ることである。」
2018 3/8 196
* メールが沢山来ても、その全部が「SPAM」つまり開いてはいけない不良メールか、わたしの此の機械では開くに開けなくなっている「ツイッター」 「フェイスブック」からの連絡ばかりというのが、常のことで。わたしは電話を掛けるのも電話に出るのも昔から好きでないので、ま、日々、おハナシに成らな い。話しあうのは、本とばかり、ホンとに。
秋成の「夢応の鯉魚」今回は不思議にこわかった。御
沼正三のマゾヒズムを語る谷崎論を読みはじめた。わたしは谷崎のマゾヒズムよりもサディズムに触れて語った覚えがあるが、マゾヒズムは体質的にも気質的 にもよく分からない。だからこそ典型的なまでのマゾヒスト沼正三にも傑作『家畜人ヤプー』にも好奇心がつよく動くのである。
わたしは羽生清さんの日本という文藝・文化の意匠を美しく時に烈しく読み込んで開展してゆくエッセイが好きである。「茶の本」「陰翳礼賛」などと並べたいほど熱くて静かな息づかいが聴ける。
鏡花の短篇「貝の穴に河童の要る事」も、奇態におもしろく、文辞の破天荒にのけぞりながら読んでいる。
* 一寸した用事で西の棟へ捜し物に要ったついで、二階の蔵書部屋で、面白い本を、基督教のもの、新井白石のもの、いろんな作家達からの今や貴重な戴き本 など、いっぱい見つけた。みんな読んでみたくなった。何十問年も放りっぱなし出気の毒したなと思う。ここにはわたしの全出版本がそれぞれに数多めに揃って いて、西東京市の図書館に全部揃えて欲しいと言われている。揃えるだけで大変な力仕事になる。置いておいても仕方なく、数少ない何点かは別としても、強い 希望が有れば惜しまず人にも上げたいと思っている。
2018 3/8 196
☆ ロシュフコーに聴く
「真の友こそは、あらゆる宝の中で最も大きな宝であり、しかも人がそれを得ようと心がける事の最も少ない宝である。」
「賢者は征服することよりも深入りしないことを得策とする。」
2018 3/9 196
☆ ロシュフコーに聴く
「欲はあらゆる種類の言葉を話し、あらゆる種類の人物の役を演じ、無欲な人物まで演じてみせる。」「欲で目が見えなくなるひとがあり、欲で目を開かれる人がある。」
2018 3/10 196
☆ ロシュフコーに聴く
「われわれは、たとえどれほどの恥辱を自ら招いたとしても、ほとんど必ず自分の力で挽回できるものである。」
* 羽生清さんの『楕円の意匠』での古典文藝・芸能の読みと咀嚼の簡潔で的確な咀嚼そして表現に日々驚嘆している。余りに久しく羽生さんが見えていなかったと恥じ入る。
* マキリップの『イルスの竪琴』にわたしは遙かなる父祖の世界を感じているらしい。一字一句を気を入れて愛読しながら夜前は明け方になった。やめられなかった。
くらべては悪いが、芥川賞作「アカシアの大連」は、不出来な文学青年の雑日記ほどに文章も組み立てもハナシも粗略で単調で、読むのもイヤになっている。
文学は何と云っても文章が個性的に光らねばならない。どんな面白ハナシでも騒がしい、また凡庸な、要するに雑文ではいけない。
2018 3/11 196
☆ ロシュフコーに聴く
「われわれの力(メリット)が低下すると好み(グウ)も低下する。」
2018 3/12 196
☆ ロシュフコーに聴く
「誰のことも好きになれない人は、誰からも好かれない人よりもはるかに不幸である。」
「愛されていると思いこむほど自然なことはなく、またこれほど当てにならないこともない。」
* より正しく読むことの難しさ大事さを分かっていたい。
雨月物語「仏法僧」のなかに、
わすれても汲みやしつらん旅人の高野の奥の玉川の水
という一首をめぐって、物言いがある。
この「玉川」源流には邪毒があり、それを忘れあやまって旅人が川水で渇きをいやしては危ないぞという歌だと謂われているが、それはあるまい。慈悲と万能 の弘法大師が高野山にそんな川水を残して置かれたわけが無く、そんな毒の川が「玉川」などと美しい清い名をもつわけもない。旅人はそれほど「有り難い川水 とも知らずに」どれ程大勢が古来玉川の流れに渇きを癒してきたことか と読むべしと。
わたしも、初読のむかしからこの解をすなおに聴いてきた。
* 沼正三の『マゾヒストMの遺書』に谷崎潤一郎のマゾヒズムを、松子夫人への恋文に照らして端的に論攷した一文があり、教えられた。
わたしには「マゾヒズム」というケは毛筋も無いのだと、新ためて真っ向思い知らされた。
* 歴史学研究会・日本史研究会が東大出版会から出していた「講座 日本歴史」の第12巻『現代 2』を書庫に見つけて、その最初の「世界戦略としての新 安保体制」を佐々木隆爾氏の稿で読みはじめ、ああそうか、やっぱりそうか、フーンと、改めて敗戦後日本の対米関係の険しさ弱さ難しさを目の当たりに確認の 気分に陥っている。ウーム…。
* 『イルスの竪琴』読みやめられなくて、アンの王女レーデルルによる第二部『海と炎の娘』を駆け抜けるように読み終えた。駆けずにおれなかったのだが、 一字一句も疎かにせず読んだ。大作の構想の緻密さをみあやまらないためには、どうドンドン読み進めようが、此の作は一字一句の表現をも読み飛ばせないので ある。『ゲド戦記』『指輪物語』もそうだけれど、この『イルスの竪琴』ではわたしは物語に全身浸り切ってこの世界を呼吸している、いつも。今回は、特に。
第三部は、よほど心して読まないと、底知れずコトが乱れ騒ぎ危うくも烈しくなる。この物語は緻密で危うい抗争と再生の神話なのである。もう何度も読み返さねば、と、もうはやわたしは次回の通読を期待しているが、激越で苦闘の第三部へと、今日から入って行く。
* 衣を構ったことなく、食欲は窶れ、住は混んで貧しい、が、読み書きの意欲は満たされている。有り難い。
2018 3/13 196
* 手術以後 久しく花粉を感じたことがなかったが、旧臘このかた、どうも花粉症らしきが執拗で、眼の痒みは無くて助かるが、視野の滲みには響いているのかも知れない。
* 「湖の本」140編輯の方向を決めて入稿用意に取りかかった。眼の状態はひどいが仕事していると時の経つを忘れている。もう機械からは離れよう。由ありげに怪しげな不良メールが「さ、開け」というふうに数々流れ込むが、一切、即、消す。
2018 3/13 196
☆ ロシュフコーに聴く
「われわれは実際に持っているのと正反対の欠点で自分に箔をつけようとする。気弱であれば、自分は頑固だと自慢するのである。」
2018 3/14 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「虚栄心は、理性よりもいっそう数多くのわれわれの好みに反することを、われわれになさしめる。」
「人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない。」
2018 3/15 196
* いま、この八十すぎた爺をしかととらえ、とかく引き寄せようと力を掛けてくるのは、『イルスの竪琴』の第三部、モルゴンとレーデルルの険しい旅の果てでは世界戦争が沸き立とうとしている。大地、海、魔法。
もうやがて、岩波文庫『源氏物語』の新版、第三巻が戴けるだろうと待っている。
雨月物語では最もおそろしい物語「吉備津の釜」を読みはじめた。この作に惹き込まれなんとか撥ねのけるように「於菊」という短篇を書いたのだった。新雨 月物語をと望まれて、わたしは果たせなかった。根が、怖がりなのだ、じつはそれで今、二つの長い小説に悩まされている。怖いなかへ飛び込まねば。それと、 ぜひ必要な失せものを何としても探し出さねば。
* 重い本を戴いている。
当代楽吉左衛門氏の『光悦考』 一市井の物好き秦 恒平が「光悦」を語るのとは決定的にちがう。書くべくして書かざるを得ない人が書いたのである。むろん、だからこそ完璧であるとは言えない、複雑な気張り もムリも思い入れの歪みやはずれも在るのであろう。それが尊い一歩のこれこそが楽さんの真実「処女作」なのである。じっと、眺めている。
持田鋼一郎氏の『良寛』がまた、然り、気張った気張った力業で良寛という不思議な空気に組み付いている。この相撲は、稀有の喜びと辛さとを著者にたむけたことであろう。
羽生清さんのエッセイ『楕円の意匠』は哀情をそそいで美しい詩のように古典と芸能の世界を旅している。愛情が先立ってか哀情が琴線を張りめぐらしているのか。
2018 3/15 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である。それは自然の技巧とも言うべく、その方式はしくじることがない。それで情熱のある最も朴訥な人が、情熱のない最も雄弁な人よりもよく相手を承服させるのである。」
「情熱には一種の不当さがあって、それが情熱に従うことを危険にし、またたとえこの上なく穏当な情熱に見える時でも、警戒しなければならなくするのである。」
2018 3/16 196
* 無数の「からだ言葉」エッセイを読み返していた。「からだ言葉」「こころ言葉」への手の出し方は、わたしの創意であり思想そのものの原料であった。東 工大教授を定年を迎えかけていたとき、大学院への組織替えに応じ主任の川嶋至さんはわたしに残って欲しかったらしく、盛んにわたしに学位をとりませんかと 奨めてくれたとき、たとえばあの「手の思索」「からだ言葉」「こころ言葉」等の追究をあのまま纏められれば学位は確実ですよと太鼓判を捺してくれていた。
わたしにその気は全然無く、定年退官の日をただ待っていたが、川嶋さんが上記の仕事の独自性や到達を評価してくれていたのは嬉しく、感謝していた。
今回、関連のエッセイをエッセイとして読み返しながら、とにもかくにも日本の言葉を独自・独特の創意と発見とで手づかみにするのを楽しみにしていたのだ と、永い文士生活を顧みて思わず笑ってしまう。「秦 恒平選集」の次巻では私なりの「和歌・物語・能・そして茶の湯」体験を、次の第二十六巻では私の「京都と京ことば」とを、第二十七巻では「日本人のからだ 言葉、こころ言葉」の満開状況をエッセイとして指摘し検討しておきたい。少なくも誰にもそれ以前に見つけられなかった日本の光景を写生しておきたいのだ。
* ああ、それはそれ、今は見失っている失せもの(小さな文献の一点)を早くこの混雑を極めた身辺で掘り当てたいのだが。捨てるわけはないのだが。
* ジェンダー 草分けの一人と観て間違いない E.バダンテールの著名な一冊を、東工大の頃、不要書籍として誰か教授室の外廊下へ山積みに出されてた中から、貰い受けておいた。刺激的だが良いエッセイだった。
生ませた子供を何人もみな他家へ預け、生涯顧みなかったという、あのジャン・ジャック・ルソー(教育論『エミール』の著者)が猛烈攻撃されていた。
教授時代、たくさん研究費をもらっていたが、読む気のない書籍を買うのには使わなかった。事典・辞典の類は買った。
2018 3/16 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「欠点の中には、上手に活かせば美徳そのものよりもっと光るものがある。」
2018 3/17 196
* モルゴンとレーデルルの苦痛の旅路に同行して、半歩も彼らに離れることが出来ない。緊張し、戦いている。読書は斯くありたい。
秋成「雨月物語」は、『吉備津の釜』を読み終えて『蛇性の婬』へ入っている。
鏡花の短篇「貝の穴に河童の」も奇々怪々に面白く読み、久保田淳さん(当代名誉教授)の『鏡花水月抄』へも惹き寄せられている。鏡花作の次は長編『山海評判記』。
羽生清さんの『楕円の意匠』は読み進むにしたがい、著者がいかに日本の「古典」の森に精微に分け入っているかを知らされ、その読みの自在と要所とに痛いほど教えられる。エッセイはかくありたい。
* この歳になり、こう旺盛に読書へ惹き引き込まれていては寿命に響きそう。だが、現代の同世代作家達の心境小説や日常小説には乗って行けなくて困ってい る。それにもいい文章で書かれたのと粗雑なのとがあり、後者にはとても馴染めない。推敲の利いていない小説には「文藝」の妙を覚えようがない。阿部昭、丸 山健二の文章には惹かれ、清岡卓行の粗雑には呆れ、金石範の叩くような文章にはそれなりに耳をとめた、が、小説の面白さに酔うというわけには、いかない。
2018 3/17 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「会話をかわしてみて思慮深くて感じがよいと思われる人が、これほど蓼々たる有様になっているのは、ひとつには、言われたことにきちんと返事することよりも自分の言いたいことばかり考える人が、あまりに多すぎるためである。
最も頭がよく、最も愛想のよい連中ですら、熱心に聞いている顔をして見せるだけで、その時彼らの目つきや頭の中にあるのは、こちらの言うことに対する上の空な気持と、自分の言いたいことに話を早く戻したがっている焦燥、それが、ありありと見てとれる。
そんなふうに自分を喜ばせることばかり求めるのは、他人を喜ばせ、もしくは説得するためには拙策であり、よく聞きよく答えることこそ、人が会話の中に見出し得る最大の妙味の一つであることを考えようとしないのである。」
* 昨晩、まことにまことに久しぶり、書庫の奥から『家畜人ヤプー』上中下本の上巻を持ち出してきた。これはもう、「世界一」「奇蹟のような奇書」「絶妙のおそろしい神話」と謂うておくしかなく、徹底を極めたマゾとサドの表現を読み進めるのに、最大限ほとんど「帰依」の覚悟を要する。
さきに、やはり『イルスの竪琴』三巻を、静かに、思い深く懐かしく読み終えてから、大きく舵を切り換えて『ヤプー』を読みだそうと思う。
雨月物語の「蛇性の婬」も、おそろしく、美しく、哀情ひとしおの傑作、怖いからと逃げだすわけに行かない。
2018 3/18 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「虚栄心は、理性よりもいっそう数多くわれわれの好みに反することを、われわれになさしめる。」
2018 3/19 196
* 沼正三の、「遺書」のエッセイや物語『ヤプー』を読んでいると、つくづくわたしは、マゾヒズムもサディズムも無いなんとも早やまともな健常普通人でしかないことに、いささか落胆しそうになる。
* ま、しかし、『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』がどんな風に纏まるのか、纏めたい仕上げたいのか、自分との問答は、もう暫く根気よく続くらしい。
2018 3/19 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「見たところ滑稽だが、隠れた動機はごく賢明かつ堅実な行動が無数にある。」
「行為から最大限の効果をそっくり引き出そうと思うなら、行為と計画のあいだに一定の釣り合いを持たせるべきである。」
2018 3/20 196
* ここ暫く手の出ないでいた長い創作を今日は読み返していた。わるくはない。
本もいろいろ読んだ。読書の前後に寝入ってたりした。本を発送の用意も九分九厘まで手を掛けた。
2018 3/20 196
* 階下や書庫はべつにし、いまわたしが機械に向きあっている近くの書架その他、狭苦しいなかに見えている事典、辞典に順序無く視線を送ってみる。
平凡社の日本史大事典六巻 角川書店の平安時代史事典本編上下巻と資料索引編 明治書院の和歌大事典 小学館の古語大辞典 新潮 世界美術辞典 東京書籍の佛教語大辞典 朝日新聞社の現代日本朝日人物事典 岩波書店の日本古典文学大辞典六巻 櫻楓者の蕪村事典 岩波佛教辞典 淡交社 の古寺巡礼 京都三十巻 岩波書店の広辞苑 弘文堂の文化人類事典 平凡社の小百科事典 社会思想社の日本を知る事典 美術新聞社の美術名典 平凡社白川静著の字統 岩波書店の日本語語感の辞典 集英社の大歳時記 淡交社の原色茶道大辞典 角川書店の日本地名大辞典の京都府上下巻 平凡社の日本歴史地名大系27京都市 の地名 笠間書院の歌枕歌ことば辞典 中央公論社の新撰墨場必携 その他には 英語やドイツ語の大小の辞典が有る。
身のそばには、いわゆる読み物は置かない、書架には古典や歴史の当面必要な研究書、各種古代の漢籍や間近に必要な雑誌文献類を手の届く範囲に。
他には、福田恆存全集・飜訳全集全十六巻、森銑三著作集全十三巻、そしてわたし自身の選集を現在まで二十四巻が書架に。
以上が、機械前の席から前に左に目に見え、手に取れる。辞書・事典は、とに書くも参考にはしている、依存しきらないけれど。
背の後の、危なげな棚二段には、「湖の本」既刊全巻が揃えてあり、機械にも入れてあり、過去の「仕事」の大方が必要に応じ、みな取り出せる。まだ初出 本・紙誌からプリントのままの原稿もたくさん袋ワケして残っている。ようも、たくさん書いたもの、依頼があったものと、あきれるばかり。
そのほか、やたら仕事中関係の本や地図や文献が足もとにも通路にも散らばり置かれてて、しばしばモノを見失っては呻いている。
* 亡くなった阿部昭の「桃」「人生の一日」を、以前に読んだ「司令の帰還」も思い出しながら、シンミリと読んだ。父、母、時。わたしには無い書かれよう だが、古井由吉、丸山健二らも、黒井千次らもともども「内向の世代」などと謂われていた記憶があり、ああそうかと思い当たったり。そろそろ第九十四巻の柏 原兵三、高井有一、坂上弘、古山高麗雄の巻へ移ろう。早くに亡くなった柏原さんは、わたしの受賞式のあと新宿のバーでの二次会へも加わっていて下さったと 覚えている。坂上さんには一度銀座での独り歩きで出会って、何階かのバーでご馳走になったことがある、誰だった一人お連れがあった。高井さんはどこか新聞 社の人として知っていた。古山さんも袖すり合う程度には面識だけはあった。
2018 3/21 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「自分が間違っているとはどうしても認めようとしない人以上にたびたび間違いを犯す人はいない。」
「馬鹿には善人になるだけの素地がない。」
* なんという…と長嘆息して『イルスの竪琴』の構想と想像力の精微に、奥深いのに、わたしは降参する。一字一語をおろそかにせず読み込んできて、第三部「風の 竪琴弾き」もはや半ば過ぎ、「星を帯びし者=スターベアラー」モルゴンと、アンの王女レーデルルと、老いて盲いた魔法使いイルスとは、鴉になり隼になりな がら世界の運命を賭して、いよいよ謎解き大詰めの場所へ飛翔の旅をつづけている。微妙に複雑な繪に織りなされた物語、歴史の不思議が今回の読みでは、さすがに よほどほぐれて読み取れてきた。
この本に出会ったこと、源氏物語に出会ったのと同じほど、わたしにとっては特別の重みになっている。すべてが、懐かしいのである。
* 待っていた岩波文庫新版『源氏物語』第三巻を頂戴し、「澪標」巻をもう読みはじめた。朱雀帝が退位され冷泉帝が即位、光源氏は内大臣に、致仕の岳父が太 政大臣に。「藤裏葉」巻まで一途に光源氏栄華の時代が来る。朱雀帝退位前の朧月夜尚侍との対話が胸にしむ。
* 雨月はぃましも「蛇性の婬」の真名子が吉野の大滝へ飛び込んだ。凄い物語とは、これよ。しかも行文も表現も簡潔にして清明、みごと。
* 鏡花を語る久保田淳さんの『鏡花水月抄』がしみじみ懐かしく、鏡花世界へひしひしと誘われる。久保田さんも「歌行燈」派と大書されている。一つと挙げるならわたしの鏡花はやはり『歌行燈』であろうかな。
今は『山海評判記』を読みはじめている。
寺田透氏は「山海評判記」を名作と読まれ、久保田さんは「芍薬の歌」を、ことに作中の舟子を愛されている。わたしは「芍薬の歌」を愛読したが、今は心して「山海評判記」をまずは落ち着いて読もうと思う。
鏡花を、痺れるように楽しめる読者は今日の文学好きの、万人に一人いるかどうか。
地方創成の笛太鼓にのって桑名で「クハナ」とかいう映画を監督製作した建日 子も、名作「歌行燈」が何の何やらまったく読めなかったと嘆息していた。「歌行燈」は「高野聖」より読みやすい作品。「芍薬の歌」や「山海評判記」や「由 縁の女」などになったら、いったいどう読めるのやら。
しかし鏡花は 余りに二十一世紀の文学とは「迎え」にくいのは、たしか。まだしも「雨月物語」「好色一代男」「平家物語」「源氏物語」の方が近づきやすいのかも知れない。やんぬるかな。
いっそ鏡花に降参なら、正反対の文豪徳田秋聲や永井荷風や、或いは徹底的に志賀直哉をお読みよと薦めたい。
とにもかくにも近代日本の幾重にも織りなされた文学史と、何の繋がりも得られないまま「作家」でございなどと思っていては、いけなくはなかろうか。
* 『家畜人ヤプー』は、文字どおりに凄く、寒気と鳥肌を身に纏いながら引きずり込まれて行く。気分としては、源氏物語と併読してればこそ読み進められ る、そういう超神話世界であるこの一作だけを読んでいては驚喜へ誘われそう。三島由紀夫らがナニをこの怪作に看取っていたか穿鑿に剰るが、わたしは、自身の読みを観喪わぬつもりで、またまた、全巻読み返せるだろう、と…。
2018 3/22 196
* 今夜中に『イルスの竪琴』全三巻を読了するだろう。当然に、次は『ゲド戦記』全五巻へ向かうのだろうと思う。『指輪物語』のように映画になっ ていれば、読むよりも映画の美しい映像に溶け入ってしまうが、幸いにも、「ケ゜ド」も「モルゴン」も映画の映像には出会えない、幸いと思っている。
2018 3/22 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「他人に理を見出そうと思わなくなる時は、すでに自分にも理はない。」
「人は、欠点を隠すために弄する手段より以上に許しがたい欠点など、めったに持っていないものである。」
* 昨夜、『イルスの竪琴』第三部、最後の百頁余を一気に読了。何度も、息詰まるほど感動していた。そして、嬉しい穏和な気分で読み終えることが出来た、が、そこへ行き着くまでの烈しさはわたしを震撼した。
今回はコレまでより何倍もすばらしい体験だった。本当に一字一句をとばさずに読みつぎ読み切って溢れるほど満たされた。
ヘドのモルゴン、エリアード、トリスタン。イムリスのヒュールー、アストリン。アンのマソム、デュアク、ルード、そして誰よりもレーデルル。ヘルンのエル、ライラ。オスターランドのハール。アイシグのダナン。
数え切れない魅力に溢れた人材とともに、この世界を久しくも久しく運命づけていた偉大な魔法使いのイルス。登場者の造形はすみずみまで見事で、久しい知己知人とも想われ、すぐ身の傍でわたしも呼吸しているようだった。
* こういう深い読書世界へ沈潜しきれる喜びは、ナニにも替えがたい。平成二十六年十一月二十七日払暁に「たぶん第七度め」を読了と奥付の前頁に書き入れている。
今回の「読み」は従来のそれを深々と更に一新したと想っている。ハッキリと「星を帯びし者」の思いと視野とへ幸せに重なって行けた。レーデルルのリアルな魅力に途方もなく親切に手を引かれていた。
この本をわたしに贈ってくれた訳者の脇明子さんとは、ただ一度鏡花の座談会で出会ったきり、その後の脇さんを全く知らないが、連絡できるなら、こころから、お礼を言い直したい。
* 昨日からの書き損じなど、書き直しておいたが。書いている機械の字がギトギト、ギラギラと滲んでいるのです。察しにくいほどひどい誤記になってるところも有った。いけない。
* しかし、ま。『イルスの竪琴』のマキリップや『ゲド戦記』のル・グゥインらの世界に沁み通って行くような読み手でまた書き手であっては、所詮「内向の 世代」の人たちの私・身辺小説めく心境と文章と本位の文学に久しく馴染まなかったのは、ムリもないか。伊勢・源氏・寝覚また能や歌舞伎や雨月・春雨に惹か れて、谷崎や川端へ流れ着いているのではなあ。しょがないか。
* 明石で妃がねと予言されていた 女児が生まれ、源氏はすぐさま乳母仕えの女を送り出す。そんな間際にも女が若々しく気がきいているとちょっと誘いかけもし、女は惹かれながらもかしこく捌いて明石へ向かう。
こういう源氏の女とのやりとりを、不快ととり男を責めるか、どうか。例の中国への旅中、夜汽車の中で先輩作家らがさかんに大事がり頷きあって、男の女性へのギャラクシイだかギャラントリーだかと大声を挙げていたのも、要はこの際の光源氏の態度や行儀をぜひ必要と
認め合っていたのだろう、わたしもそれは感じていた、ただし、この場合も、源氏の眼や思いに女に観るに足りた人柄や聡さがあればこそで、さもない相手を、女なら誰でも良いというのではけっして無かったのだ。そこを観るべしとわたしは源氏物語に教わってきた。
* 「蛇性の婬」はやはり雨月物語中、一等、怕いと感じた。
* 書庫から筑摩の文学大系94巻「柏原兵三 高井有一 坂上弘 古山高麗雄」を持ち出してきた。また鏡花の『山海評判記』は、選集本でなく、田中礼儀さんが編輯刊行された、小村雪岱挿絵もそのまま本文も連載当時のままの特装美麗本で読もうと、書庫から出してきた。
2018 3/23 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「いかに世間が判断を誤りやすいとはいえ、偽の偉さを厚遇する例の多さは、真の偉さを冷遇する場合をさらに上まわるものがある。」
「罪はずいぶん庇い立てされるが、無実のほうはそんな庇護を見出せるどころではない世の中である。」
2018 3/24 196
* 宋の謝畳山が輯し日本の四宮憲章が訓んで註釈している光風楼書房発行『千家詩選』明治四十二年三月十八日訂正四版 定価金五拾銭の袖珍本を手にしている。これも秦の祖父の遺産、程明堂の「春日偶成」に始まって、
雲淡風軽近午天
傍花随柳過前川
時人不識予心楽
将謂偸閑学少年
は、同感惜しまない。はや花を愛し風を迎えた思いである。
「心楽しむ思いを人は分かってくれず、勤しむべきを顧みないで子どものように呆けているなどと。」
2018 3/24 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりもたやすい。」
2018 3/25 196
* 新十代目幸四郎丈の新刊本が送られてきて、妻がさきに、面白がって読みはじめている。清新の気に溢れ、写真をみていても心よい。
俳人奥田杏牛さんの新句集、わちしの一文も差し挟まれている『箇中箇』も紅書房から送られてきた。
待ちかねていた源氏物語の文庫版第三巻も今西祐一郎さんの周到な註釈も楽しみに、「澪標」巻から楽しんでいる。長島弘明さん註釈の雨月物語は「青頭巾」 という怖い一編へ来ている。いくら怖くても純文学である「気稟の清質」最も尊ぶべく、「ほんもの」は「きよら」であるなあと感嘆をひしひしと新たにする。
何度も触れているが読み進んでいましも「四谷怪談」を語っている羽生清さんの古典を語るエッセイ『楕円の意匠』の「読み」の新鮮、かつ感覚深々と美しいことにわたしは舌を巻いている。
小村雪岱の瀟洒な挿絵を、連載初出のままに抱き込んだ鏡花「初稿」の『山海評判記』をとびきり美しい本で読み進む嬉しさにもしみじみ頭を下げている。
* ま、これらに対峙して強硬に孤城を守りぬくていの沼正三『家畜人ヤプー』の文字通りもの凄いマゾヒズムのサディズムに向きあうとき、体力の限りで圧力 に耐えながら、しかも負けじと楽しまねばおれない。今日書庫で劇画本の『家畜人ヤプー』も拾い読みしてきたが、これはもう原作を文字と言葉とで耐え抜いて 読み込まねば、潰されてしまいそう。あえてわたしが用いたくない批評語で謂う、「凄い」と。けっして名作とも秀作とも謂わない、これは一首の奇蹟でありわ たしの書評に拠っていえば「神話」なのである。此の作に触れてはもう此処へ感想は書くまいと思っている。
* 問題は、同時代、同世代の新たに向きあう四作家の作が、どんな刺激と感銘を呉れるか、だ。柏原兵三の昭和四十三年、わたしの太宰賞の前年に芥川賞を受けたと年譜にある作を、読みはじめたところ。
* もう十時前。今日はまだ十一時間しか暮らしていない。選集の納品と発送まえの例の緊張感を抱いている。二十八日には聖路加へ受診に。その翌日から送り 出し。用意は、出来ている。むかしから、そう、中学高校の学期末試験などの昔から、わたしは、「仕事」とは「用意」であると思ってきた。会社勤めで、こと に二足の草鞋で忙しかった極みも、同じこの思いで、誰もが驚くほど正確に大量に仕事を遂げてきた。要するにただただ尋常な男でしかなかった。
2018 3/25 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「大らかさ(ジェネロジテ)と見えるものも、実は小利に目をくれずに大利をねらう、偽装した野心に過ぎないことが多い。」
「大多数の人に見られる忠実さは、信頼を引きつけるための自己愛(アムール・プロプル)の策略に過ぎない。それは自分を他の人びとよりも優位に立たせ、最も大切なものの預かり人にする手段なのである。」
「寛仁大度(マニヤニミテ)は全てを得るためにすべてを黙殺する。」
* 近くを歩いて櫻を見ましょうと妻が誘うのに、腰も上がらない、じーっと目を閉じていたい。髪も髭も乱れ、からだを動かそうと謂う気になれない。寝床へ 両脚を突っ込んで校正し始めたり次々に本を読みはじめたりすると時を忘れている。テレビがついても、花鳥風月、生きものや花や木の美しさにはしみじみ心晴 れるのに、国会討議やニュースを弄ぶような談話や人事や噂など、吐き気がしてくる。
寝入れば、途方もない奇怪な夢に襲われ、ほとほと呆れ疲れてしまう。
少なくも読書は楽しめて此の一つに命預けている感じ、だが視力は衰えて行く。
ああ、こりゃこりゃ…と踊ろうか。
2018 3/26 196
* 美味い食事を美味いと思いながら喰いたいが、からだが拒んでいるようにそれが出来ない。困ったもの。十時四十分、今日もまだ十時間ほどしか生きていない。寝はしなかったが二度床に脚を入れた姿勢で沢山読んでいた。
* 柏原兵三の、陸軍中将まで務めた祖父の日露・日清戦役等を闘い抜いた生涯を、愛情こめた「まさしく私小説」として綴り上げて行く長編には、それなりの 熱がある。だが、わたしには書けない、読ませてもらいます というアタマの下げ方に落ち着くだろう。その限りできっと読後感は悪くないに違いない。当節、 むしろ本屋商売としてはやりのぜひ自費出版本を一冊という意嚮には、こういうモチーフものが多いと思われる。だもがそういう私小説らしきをこのよに遺した い念願はあるのだ。出来れば、独特の香でも匂いでもいい文章で掛け目と良いのにと思う。柏原氏のこの芥川賞長編の文章は小さなジャリ混じりの砂の手触りで 運ばれて行く。
2018 3/26 196
☆ 春日 朱文公(朱子 太師徽國公)
勝日尋芳泗水濱
無邊光景一時新
等閑識得東風面
萬紫千紅總是春
* 『千家詩選』の二である。仙明治日本の漢学者はシャチコ張っていて、「道学大いに明なるの日、これ勝日」と読みとり、理に付会してあたら「春日」の喜びを諷詩かのように読む。明治末期知識人の無用の強張りであり、素直に「是春」の喜びを汲めばよい。 2018 3/27 196
* 朝一番にやっと 散髪できた。頭がもしゃもしゃだと気分が腐ってきて機嫌が直らない。散髪したいしたいと二週間は気が腐っていた。「萬紫千紅總是春」と、明日は朝早くから築地での糖尿病検査へ。
* 源氏物語「澪標」巻で、明石から都へ復帰し自身は内大臣に、かつての舅を太政大臣に請い戻すなど威勢を回復してゆく光源氏は、一方では紫上の機嫌も取 りながら遠く明石に生まれた女児に素早く乳母を送り、五十日の祝いにも都からの手をつくしている。そして花散る里のようないわばワキの女へも労りの身を漸 く運べるようになっている。何といっても光る源氏、世離れ久しくとも女は源氏を前でにしては嬉しさに見も心も膨らむ上に、「例のいづこの御言の葉にかあら む、尽きせずぞ語らひ慰めきこえ給ふ」のである。まさにこの、「例のいづこの御言の葉にかあらむ」にこそ、光源氏の「女」にむきあう性本来の和顔愛語というか、外国語では何と謂うのか、はっきりシンセリティと謂うに当たるものがある。
これを軽薄な虚言と聴くか愛の誠意と受けとるかは、相手のあること、一概には言えない。今日で謂う例の「パワハラ」「セクハラ」になるのか愛の喜びになるのかは、「女」の胸に問われる。
ただ一つ謂える、光源氏は、明らかにいつも相手の女を瞬時に選び見ぬき、彼の目に思いに無意味に値打ちない女に「むだごと」は浪費しなかった。失敗例は唯一、倍も年かさな「源典侍」の挑発に遊んでしまったことか。斎院の「朝顔」からはついに見向かれなかったことも、か。
2018 3/27 196
☆ 春宵 蘇子瞻(蘇軾 東坡)
春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管楼臺声細細
鞦韆院落夜沉沉
* 漢字って、美しいなあ。
2018 3/28 196
* 診察は予約定時には終えており処方箋を満たして、正午。聖路加病院の界隈は花満開、隅田川辺へも出て明るい日射しに咲き匂う櫻を眺めたまでは良かった が、あとは、ゆらゆらと銀座まで歩いて、ところが三軒の店がみな先客で生憎く。松屋の八階食堂までも上がったが気が進まぬまま西銀座をよろよろと三笠会館 まで歩いた。「榛名」のフレンチに腰を据えた、が。体調も食欲もととのわず、店を出たときは極端に疲労、辛うじて丸ノ内線で池袋へは着いたが、雑沓の中で 路上に腰を落とし、ニトロを口に入れ水分を多めにとったものの、西武線に乗るまでがやっとのことだった。保谷でも停まる準急に辛うじて席を見つけたが、保 谷まで昏睡に近く、タクシー乗り場でも坐り込んだ。幸い早めに車に乗れたが、道順を云い損じてすこし遠回りで家の前へ。小銭も札もなかなか見つからず、案 じたらしい妻が迎えに出て来たほど。
床について、かろうじて秋成の「貧福論」だけは読み終えたまま寝入っていたのが、烈しい咳とともに「い辛い」極みの胆汁様の粘液、はては血痰を吐き続けた。
この「て辛い」胆汁様のきつい吐き気は以前から散発していたが、今日の衝撃は夢どころすバネに弾かれたように跳び起き、手洗いへ駆け込むしかなかった。 吐き出す咳と辛い液としまいには薄色の血痰と。参った。いつものように、水分を十分補給しておいて「龍角散」を喉もとへ入れた。
2018 3/28 196
* 高木冨子さん 渾身 いのちの軌跡を、大きな詩集『痕跡』と題し、もう仕上がった草稿段階なのでもあろうが、すべてを メールで送ってきてくれた。
なかほどに。
明日は四月一日
Poisson d`avril
その由来 諸説紛々 いずれもそれらしく
Poison de diable(demon)
悪魔の毒を連想するのは 悪意の故か
魚poissonと毒poison
sが一文字か二文字の違い
魚はイエスキリストを示唆するが
奇妙に執拗に「行く春や鳥啼魚の目は泪」の句が漂ってくる
古代エルサレム ゴルゴダの土に嘗て落ちた泪
その泪も自然に象られる
何故に魚の目に泪か (魚もまた泣くのだよ)
わたしの目にも泪 (わたしもまた泣くのだよ)
* しかと 受け取りました。落ち着いて 精一杯 読ませてもらう。
2018 3/28 196
☆ 城東早春 楊巨源
詩家清景在新春
翠柳纔黄半未匀
若待上林花似錦
出門倶是看花人
2018 3/29 196
☆ 春夜 王介甫 (王安石)
金爐香燼漏聲残
剪剪輕風陣陣寒
春色惱人眠不得
月移花影上闌干
* 徒らに解釈しない。ただ漢字の音楽を聴くのみ。王安石も宋朝を支えまた揺るがした大きな政治家であった。
程明道、朱子、蘇軾。みな大きい名前であった。
2018 3/30 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「粧った実直さは巧緻な瞞着である。」
* 心嬉しい一つを書き留めておく、筑摩の大系で初めて作品に出会った亡き柏原兵三さんの芥川賞受賞作『徳山道助の帰還』に感銘を得たこと、篤実かつ深切 の一作で、紛れもない一人の「男の一生」が、何もかも過剰に陥らぬまま親愛も尊敬も批評もまじえつつ、いささかの脱線も単調もなく高ぶりもせず淡々とかつ 深々と書き切れていて、久しぶりに、鷗外や露伴の人物もの現代版に出会えた気がした。わたくしの常に謂いかつ願う、「作」に「品」が添い、「作品」として 美しいのである。こういう嬉しい思いをさせて貰えて読み上げた現代の作を、わたしは久しく忘れていた。
淡々としていた、しかも面白く読めたのである、面白く読めて作品に富んだ作、それが「文学」の本物であること、謂うまでもない。
この作の面白さは決して波瀾の筋でも玄妙の趣向でもない、そんな両方とも此の作は持たない、まさしき一軍人(陸軍中将 勲一等功三級)の、而も人間的 な、というより独りの男としての生真面目に歪みのない「一生」が語られてあるだけ、しかしそんな表現にシッカリ成功していて読後感も静かに深い。作者は作 者自身の母方祖父のほぼ実像を表現したのであったろうか。
いい出会いに恵まれた。一度、わたしの作家としての出発の日にお祝いに加わってくれた先輩作家の「作品」に、四十九年ぶりに出会えたのである、喜びとしたい。
* 源氏物語「澪標」はいろいろな面から物語の構想・成長上に微妙に大事な巻であるが、それはそれとして、光源氏の「住吉詣」は物語深層の動機をさぐる不 可避の要項、この物語はその全面が深海の竜宮竜王の意思と硬く結ばれていることを読者は心得ていなければならない。その意味ではあの『平家物語』も同じで あり、物語られる語りこそ王朝貴族世界と源平闘諍戦記の差はあれ、支配されてある運命は「海」「海底」に在った。光源氏はその海の神々への畏怖と感謝の思 いに満たされて住吉詣でしているのだが、お定まりの水辺の女たち「あそび 遊女」があらわれ、なみの貴族達はたわいなく戯れ遊ぶのだが、此処でも光源氏は だいじなことを胸に懐っている。
「いでや、をかしきことも物のあはれも人からこそあべけれ、なのめなることをだに、すこしあはき方に寄りぬるは、心とどむるたよりなきものを」と「おぼ す」のである。本を戴いた此の巻の校注者今西祐一郎さんは、男が女らに「興を催すことも心にしみることも、(相手の)人となり次第だろう、ありふれた色恋 沙汰でさえ、多少とも軽薄な気味のある相手は、心惹かれる点もないのに」と。遊女とは限らず、ただ軽薄媚態の女たちを源氏はとても受け容れ得ない。わたし は、はやくにこの「分かれ」を空蝉と軒端の荻という二人への源氏の向き合いように感じ取ってきた。彼にとって、女は女なら良かったのではない、なにかしら 敬意を感じ得られるほどの相手にならば、「例のいづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえ給ふ」のである。
* これは、容易ならぬ視点であろうが、今の世のフェミニズム、ジェンダー読者らは、どう気づいてどう読まれているのだろうか。
2018 3/31 196
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「短所でひき立つ人もいれば、長所で見劣りのする人もいる。」
2018 4/1 197
* 『山海評判記』の日本語、『家畜人ヤプー』の日本語、『源氏物語』の日本語。これぞ、この差異こそ「モノスゴイ!」 と戦くほど。どれが佳いか、断然それは「源氏物語」の筆づかいである。
しかし鏡花語調の特異な溌剌にも、ほとほと感嘆。とはいえ、煙に巻かれるようなメマイを嬉しく受け容れられぬ限り、もはや鏡花世界は今日の読書子に歯が 立たない、どころか 歯が缺けるだろう。今回は私も小村雪岱の挿絵にどれほど救われていることか、同志社の田中教授、此のすてきな特装美本を下さったのに 深く頭を下げている。雪岱といい清方といい鏡花文学の長生きに貢献してくれること、この上もない。
東工大の学生クンが、「鏡花は、ナニガナニヤラ さっぱり判りましぇーん」と教授室まで告白しに来てくれたのが、今にしてクスクス笑えるほど、可笑しい。
2018 4/1 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「心の瑕は体の傷と同じ。癒(なお)そうとどれほど手を尽くしても、傷跡はいつまでも残るし、傷が再び口をあけるおそれは絶えずつきまとう。」
2018 4/2 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「心の健康も、当てにならないことにかけては体の健康と変わらない。だから人は、たとえ情熱から縁遠いように見えても、元気なときに病気になるのと同じに、いつ情熱にとりつかれるかわからない。」
* アクティヴに聴いておきたい。
* 昨夜、重ねて亡き柏原兵三さんの短篇「毛布譚」を読んだ。健康な均衡を保って心温かい。措辞文章淡々の味わい、穏和で家庭的な私小説の極に位置する か。志賀直哉の私小説には時に反世間的な「劇」的展開が読めてハッとさせられるが、柏原さんの私小説には「劇」の影がさり気なく抑制されてある。教養的な と評判されているようだが、平衡を保って心慎ましく家庭的な、と謂いたい善意の世界に読める。わたしには、書けない。
小学館版「昭和文学全集」第三十二巻「中短篇小説集」の中ほどで、柏原兵三作「贈り物」に次いでわたし秦 恒平作「廬山」が収録されている。世界と作風との差異は、目に見えて、著しい。
しかしながら、今回のわが読書企劃でかつて読み知ったことのない柏原文学に出逢ったのは胸に柔らかに灯のともる感覚だった。他にも心ひかれた二、三の同世代作家の作風とも顕著に異なって読めた。わたしはこうは書かない、書けない、という心地もまた確か。
妻にも読んでもらった、予想通りに、肯定・親和・好意的の受容であった。
2018 4/3 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「もしわれわれが情念を抑えることができるとすれば、それはわれわれの強さよりもむしろ情念の弱さによってである。」
「心中得意になることが全くなければ、人にはほとんど何の楽しみもなくなるだろう。」
2018 4/4 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「節制とは健康を愛すること、もしくはたくさん食べる力のないことである。」
「人間の中にある才能はどれも、それぞれの木と同じく、めいめい固有の特性と効用をもっている。」
2018 4/5 197
* 日のある間にゆっくり入浴、源氏物語「蓬生」巻を心嬉しく読んだ。よく出来た短篇として纏まりもいい。光源氏の思いにも作者の思いにもこの常陸宮のむ すめであるこの末摘花は、美貌でもあるいは賢やかでもないが「あて(貴)」な人としてみられている。わたしもそれを感じ取ってきたので、この「蓬生」巻は もともと好みの巻になっている。軽薄で敬愛のもてない女に源氏は男として心寄せない。女なら、何でもありでは決して無く、そこをわたしは光君におしえられ てきたと思っている。
* 湯に漬かったまま、『青春短歌大学』の「父母」の章を読み返していて、わたしが、「父」の歌をしみじみと大切に選んでいることに胸を騒がせた。
独楽は今軸傾けてまはりをり
逆らひてこそ父であること 岡井隆
思ふさま生きしと思ふ父の遺書に
長き苦しみといふ語ありにき 清水房雄
亡き父をこの夜はおもふ話すほどの
ことなけれど酒など共にのみたし 井上正一
女子(をみなご)の身になし難きことありて
悲しきときは父を思ふも 松村あさ子
子を連れて来し夜店にて愕然と
われを愛せし父と思へり 甲山幸雄
* 夕食後に、源氏物語「関屋」巻を読んだ。「空蝉」と呼ばれている女性も、光源氏が愛したようにわたしも忘れたことがない。
源氏が自邸の一画にのちのち空蝉も末摘花も引き取って生涯を看取った事も、わたしは軽からず大事に胸に留めている。
校注者今西祐一郎さんに戴いたこの源氏物語と帯同するかたちで、亡くなった島津忠夫さんの遺著『源氏物語放談』の実は周到で精細な考察を読み続けてい る。これが、すこぶる有益で、楽しくも有り難い。島津さんは「蓬生」「関屋」は、「澪標」から「繪合」巻の間隔を有機的に繋いだ、紫式部身辺他者の作であ ろうかと細かに推察されている。同じ見解を誘導されていた論者もあったらしい。紫式部はむろん全体主柱の著作者に相違ないが、身辺に協力協調した書き手を もったディレクターでも合ったろう推測もされているのは、優にありえただろう。
* 高井有一氏の芥川賞受賞作「北の河」を半ばまで読んできた。寂しみの重く深い作で、「戦時疎開」体験は共有しており、しかし昭和七年生まれの高井氏と 十年末生まれのわたし、雪深い東北の疎開先と丹波の山中へ疎開したわたしとの体験の差は厳しい。わたしは戦時に、養家とはいえ両親も祖父も叔母も喪わな かった。はやく父に死なれ、疎開先で母に自死されている高井氏作中の「私」の心の疵は徹底的なまでに寂しい。重い。つらい。
* 羽生清さんの『楕円の意匠』の古典・芸能の読込みの、得もいいがたい鋭さと深さと優しさとには舌を巻き続けている。感嘆。
* 鏡花と沼正三の破天荒には、ただただ面白がって追随、くっついて行くばかり。
2018 4/5 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「凡人は、概して、自分の能力を超えることをすべて断罪する。」
* 人は生まれながらに「ひとり」であり、老いにつれて人生「おひとりさま」の日々を、ともすると強いられてしまう。それは分かっていても、老後の孤独・ 孤立は成ろう限りは避けたい。厳しい。寂しい。叶わぬ望みであり、帰する所は動かない覚悟せよせよと、山折哲雄・上野千鶴子「対談」はほとんど漫才口調で ある。けっこうなお人らである。
夫人を或いは夫君を病ませて悲しい寂しい厳しい日々に堪えている人たちの多いこと、或る意味どう避けがたい仕儀であろうとも、とてもとてもお笑いの語りぐさになどしてられない。聞くもつらい。
2018 4/6 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「この世はまことに不確実で多様に見えるが、にもかかわらずそこにはある一つの密かなつながりと、常に摂理(プロヴィダンス)に導かれる一つの秩序が認められる。これによってあらゆることはそれぞれの序列をまもって歩み、それぞれの運命の流れに従っているのである。」
* そうなのかも知れない。
* 昨夜、高井有一作、芥川賞受賞の「北の河」を読み終えた。しんしんと寂しさに身も心も千切られそうに寒い作、しかし優れた文学作品であった。
少年「私」は父を喪い母とともに戦禍をさけ父の故郷へ、真冬には雪深い寒い東北へ疎開していた。父方親類の家の隠居所を借りて母子は暮らしていたが、こ の状況は此の私自身が丹波の山奥へ戦時疎開していたときと酷似している。わたしは母と二人、親縁はなかったが人の紹介で或る大きな農家の隠居所を借り、戦 禍を避けていた。
高井作は、そんな疎開生活の中で自分は死ぬと少年に言い聞かせさえして河へ身をなげて死んでしまう母を書いている。生きてはいけるかも知れないが此処に は、少年と二人で口数もなく暮らしている日々には「生活」は無いと言い切って母親は死んで行く。少年は為す術もなく母の自裁を見送る。小さな柩に折りたた まれた母の死骸、傷ついた顔のそばに少年は年寄りが切った髪の毛を置いて、それだけが少年にとって母の葬儀だった。
* 此の私自身の戦時疎開をそのまま比較することは、当を得まい。高井作「北の河」の少年は、当時国民学校四年生だった私より二つ三つ年長で、微妙にものに感じる感覚は鮮鋭で繊細だったろう、此の私自身のそれは太宰治賞を受けた「清経入水」に露わされている。二つはもう比べものにならない「別」世界を描いている。
どう「別」なのか。おそらくはその「別」を究尽することで高井作に何かが加わり見つかるとはわたしは思わない、高井作はすぐれた「私小説」的世界を現じ ながらの表現であり、実のところ日本の近代、現代文学の廣い範囲の表現様式に優に含まれている。このところ歩タクシの読んできた何人もの同世代作家の作の 大方は高井さん基本の作風と齟齬のない同類を成していた。その大方が子であり実の父や母をもって、ドラマを生きたり感じたりしていた。
* わたしは父や母という血縁を最初から喪っていた。そういう人もこの世に少なくはないし、そういう小説家もいたであろう、そんな中で、わたしは自身を芯 にして、人間を親兄弟親類といった見方でなく、「世間」「他人」「身内」と把握して、自分からも同化でき向こうからも同化してくれる、譬えて言い替えれ ば、「自分」一人でしか立てない「島」に一緒に立てる立ってくれる「身内」「真の身内」というものがきっと在り現れ出逢えるのだと考えた、悟った、そして 待った。わたしには、父と自分とか母と自分とか、肉親と自分とかいう「関わり」を根底から欠いていたのをむしろ幸せと、好都合とするほどの
現世理解を幼いうちに探り探り求めていた。高井作の少年と母とのような血縁の凍えた寒さを体験せずに、わたしは「身内」の到来、出現に生きる希望を寄せていた。
わたしの文学世界の特異は、一つには、そう把握されていいのだろう、「島の思想=身内観」であったんだと、新ためて自身思い知ったことである。
一つ、自身で今に指摘しておくべきは、わたしの「身内」願望の多くも深くもが、「女」に向かい働こうとし続けてきたこと、其処にやはり、男の父以上に、女の母への言いしれぬ葛藤が在ったのだと思うしかない。
わたしは今なお、実の父も母もとうてい理解できていない。言い替えれば二人ともが「真の身内」であり得ぬままの「他人」のままなのである。
2018 4/7 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「あまねくすべての人に及ぶ善意と、大いなる世才とを見わけることはまことに難しい。」
2018 4/8 197
* ちょっと捜し物で西棟二階の書庫へ入ったら、もう出られなくて。自身の全著書・全共著が複数册のほかに、署名入りで大勢の作家や筆者から戴いた本が居 並んでいる。関心のあった基督教や新井白石やその他の画全集や海外文学本なども。際限もなく手に執って見入っていると時間を忘れるが、座る場所も腰かけす らも無いので草臥れた。こっちの家の大きな書庫にはとにかくも二十近くある背の高い書架にまだまだ満載に近い書物。図書館で受け容れてくれそうな本を選ん では送っているが、まだ床にも通路にも山になっている。本はわたしの宝ものであった。手にとって、あ、これは要らないなという本が無いので処分が全く進ま ない。しまいに、本に囲まれてただ立っているだけでガックリ疲労してくる。いまも隣から戻ってきて、頭を抱えるほど疲労しているのに苦笑している。
こうして機械の前へ来て、へたな手つきでたどたどしくキイを探している間は、わりとシャンとしている。
2018 4/8 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「つまらぬ原作の滑稽さをはっきり見せる模倣だけがよい模倣である。」
2018 4/9 197
* 湯に漬かって、雨月物語への長島弘明さんの懇切な解説を半ば読んだ。
「青春短歌大学」も面白くまた懐かしく読んでいた。ああ、あの、あの、あのと、東工大学生諸君の記憶が生き生き甦ってきて。佳い記憶ばかりがたくさんあ る。今日も、「湖の本」新刊分へ、はるばる送金かたがた、「先生、お元気にされていますか」と見舞ってくれる男子君の便りを読んだ。
* 今日は冷える。湯冷めせぬまにからだをやすめたい。
2018 4/9 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「重々しさは精神の欠点を隠すために考案された肉体の秘術である。」
2018 4/10 197
* 昨夜、坂上弘氏が昭和四十四年の二月に発表した「野菜売りの声」を読んだ。なんらの感興も得なかった。仔細に見ると文章にも渾然の筆はつかわれてい ず、要するに「母」と「息子」との切り離れのまったく無い私小説(語り手が作者自身では無かろうとも)に終始し、そのなかに文学的な感銘、志賀直哉からな ら得やすかった純度の高い感銘は得られなかった。
この昭和四十四年桜桃忌にわたしは「清経入水」で受賞し、「新潮」八月号の新人賞受賞者特輯では坂上氏の新作その他七八人の作とならび、わたしの「蝶の 皿」も掲載された。「清経入水」や「蝶の皿」が、その時期新人文壇の露わな「私小説・身辺小説」傾向とどれほど懸け離れていたか、わたしは、これが文壇、 これが作家というのなら自分は「作家さよなら」だと即、そんな手記を書いたのを覚えている。しかしわたしは立ち止まった。「清経入水」は当時最高と黙され た選先生の満票当選であったし、「蝶の皿」の反響もよかったのである。受け容れられる余地が全くないのではないと感じられ、で、引き続きわたしは「畜生 塚」「慈子」「或る雲隠れ考」「秘色(ひそく)」などを発表していった。
わたしには絶対に現実に葛藤すべき実父母をもたなかったから、親と子とで紡いでいるような「私小説世界」は持っていなかった。わたしは「他人」「世間」 と関わりつつ「身内」を願う行き方しか生来持たなかったのだ。柏原兵三氏「徳山道助の帰還」「毛布譚」、高井有一氏「寒い河」、坂上弘氏「野菜売りの声」 のような「親子」小説をわたしは書くすべだに持って無かった。わたしは血縁や家族でない「他人」にこそ人生の真を探索していた、少年の胸の内で、いつも。
2018 4/10 197
* 「西洋」はあまりに廣く深く、せいぜい文学作品のほかは、ギリシャ、ローマそして英仏米等の「歴史」「美術史」を翻読してきた程度。
音楽は戴いたモノを有り難く聴く程度だが、ピアノ曲が好き。また戴き物だが「ファド」のような唄も楽しんできた。
生憎にこの機械が老化するに連れて今は音楽の音を出してくれない。映画も昔は見られたのに活動してくれない。西洋ものは結局は、映画を(テレビで)断然多く見ている。
ホメロスの二大悲劇、その他の代表的なギリシャ戯曲少しく、そして旧約・新訳聖書の全部、シェイクスピア大方の戯曲、ゲーテの「ファウスト」 ミルトンの「失楽園」その先はもう常識に類する十八、十九世紀の沢山な古典的名作小説を愛読してきた。
それが、二十世紀に入ってからは、どうも飜訳に身が添わなくて触れず、ただもう アーシュラ・ル・グゥインの『ゲド戦記』 マキリップの『イルスの竪 琴』を繰り返しくり返し読んできた。「ホビット」の長い長い物語もくり返し読んできたが、これは映像抜群の映画の方が美しい。
2018 4/10 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「最初に一つの欲望を消しとめるほうが、それに続くすべての欲望を満足させるよりも、はるかにたやすい。」
2018 4/11 197
☆ 詩解(抄) 白楽天
新扁 日々に成る
是れ声名を愛するにあらず
旧句 時時に改め
無妨(はなは)だ性情を悦ばしむる
祗(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦して 一生を過ごさんと
2018 4/11 197
* 長島弘明さん校訂・校注・解説の岩波文庫『雨月物語』を嬉しく有り難く読了した。今西祐一郎さん校訂・校注。解説の岩波文庫『源氏物語』第三巻もひとしお有り難く、「研究」という名にふさわしい検討の成果を目の当たりに手に触れて教えられる喜びは、いい知れない。
こういう古典研究の精度からすると、近代・現代の日本文学研究というのはいかにも「薄い」。ま、研究に値する選りすぐりの古典とはちがい、対象になる作 も作者も程度低いのだからお話しにならないのも分からなくはないが、第一に必要なのは研究者の「読める」ちから、「選び出せる」ちからなのは歴然としてい る。「読む」「読み取る」ちからであっとこえを挙げさせてくれる「研究」、研究そのものが「文学・文藝」であるほどの「研究」に出会いたいと願っている。
2018 4/11 197
* 古山高麗雄作の五十歳ころの芥川賞受賞作「プレオー8の夜明け」を読みはじめている。敗戦後戦地だった東南アジアの収容所内を書いているらしく、これ は前の三氏柏原兵三、高井有一、坂上弘氏らの一族・家族・親子型の私小説とはよほど様子が違っていて、或る調子に乗って敗残の兵士世界が読み取れるらし い。期待しよう。
そして次巻はいよいよ一つ溯り、私の加わっている吉村昭・金井美恵子・秦 恒平三人の第九十七巻になる。古山作品をよく堪能しておこう、いい出会いを希望している。
* それらしても、雨月物語の短篇集としての完成度の高さはどうだろう、源氏物語行文の美しい品位と安定そして面白さはどうだろう。文藝美の確かさが光を放っている。
鏡花の「山海評判記」は、ま、物語りは異彩を放っているが放恣に過ぎて鼻をつままれたよう。
「家畜人ヤプー」は、苦患の読書、唖然としてただ言葉もない。
島津忠夫さん、羽生清さんの 学術研究のママのやはり美しくかつ間然するところないエッセイのみごとさ、惹き入れられながら読む嬉しさを味わっている。
2018 4/11 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「人は決して今思っているほど不幸でもなく、かつて願っていたほど幸福でもない。」
2018 4/12 197
* 古山高麗雄さんの「プレオー8の夜明け」 面白く読み進んでいる。逆立ちしても是れは私などの手の届かない材料であり人であり、文体も良い意味で其処が綺麗に抜けていて、わたしは好きである。これは出会えてよかった。まだ入り口だけれど。
2018 4/12 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「臆病は、治してやるつもりで叱ることが危険な欠点である。」
2018 4/13 197
* 川端康成の逸文いう、全集未収録 掌大の短篇を送ってくれる人があった。「名月の病」「妻競」二編、べつだん何らの感興も涌かなかった。重箱のすみをつつく類いかと。
代表作の「読み」に、のけぞるような新たな角度や見解が提示されるのなら瞠目するだろうが。
2018 4/13 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「われわれの行為は題韻詩(ブー・リメ)のようなもので、おのおの好き勝手なことにこじつけて辻つまを合わせる。」
2018 4/14 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「誰の助けも借りずに独りでやっていく力が自分にはある、と信じる人は、ひどい思い違いをしている。しかし、自分なしには世の中はやっていけないと信じる人は、なおさらひどい思い違いをしている。」
2018 4/15 197
* 司馬江漢の「西遊日誌」、頂戴した芳賀徹さんの長い解説を興深く面白く有り難く読んでいる。こんなに面白い人であったか司馬江漢はと目をこする思い。
せっかく戴きながら読めていない本が書庫にも書架にも満杯。読めば面白いものが数え切れまいと分かっているが。所蔵本のどう少なく見積もっても半分以上 は著者や版元から贈られた書物や画集の類。新刊を買いに書店へ出向くということは、ここ四十余年、つまり東京では殆ど無かった。京都時代は、少年の昔か ら、本屋・古本屋でしっかり立ち読みを貪らせてもらった。東京でも、ぼろぼろの古書店へしか入らなかった。古くて廉い本、つまりは古典や史書に尽きてい た。十分、それで良かった。
2018 4/15 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「すべての人間のあいだにある類似と相違がどれほど大きいかを理解することは難しい。」
「人間の心をあばいて見せる箴言がこれほど物議をかもすのは、人びとがその中で自分自身があばかれることを恐れるからである。」
* これは、まこと、手厳しく言い得ている。
2018 4/16 197
* 小林保治さん(早大名誉教授)から送られてきた、勉誠出版刊 写真の豊富な『能舞台の世界』を、手に執り ゆっくり見せて貰った。これは小林さんの仕事の中でも一、二の、現代に資した有意義本に属するのではないか。
どれだけの人が日本列島に散開するこれら佳い能楽堂にじかに関われるか興味があるかは別ごとであるが、この「能世界」のためには、初の、そしてかなり完 備した事典性に富む一冊に成っている。私には、ネコに小判であるが、写真に魅されて、こういう堂もあるのか、そうかそうかと感心している。やはり故郷京都 の舞台が懐かしい。
わたしの知友や読者にも、むしろ 茶の湯人以上に 現に能や謡・仕舞のプロもアマも何人もおられて、アレを舞う、コレを謡います、お稽古しています、来て下さいと 便りがある。
体力と視力の衰えで シテ方から能会へのお誘いをいろいろ頂いても、もう久しく、臆病なまま能楽堂へ脚が遠くなり、よほどガンバッて 友枝昭世 梅若万三郎 のお誘いには出かけているが。
ま、小林保治氏の優れた仕事が形を成したのを、同じ仲間だった亡き堀上謙も想い出しながら、喜んでいる。
2018 4/16 197
* 古山高麗雄の「ブレオー8の夜明け」は、とにかくも面白かった。文学として面白いと謂うより、語り手ないし同所に拘禁されている戦犯日本兵達の日々を描き出す語り口が面白く、それは文学的な達成と謂うのだろう。
今度のい巻は、柏原兵三の「徳山道助の帰還」「毛布譚」 高井有一の「寒い川」 それに古山高麗雄の「プレオー8の夜明け」と 佳い出会いが楽しめた。 坂上弘は「野菜売りの声」を読んだが、乗れなかった。次々に、わたしにすれば新鮮な出会いがあって有り難かった。
次へ溯った巻は 私のも含めて、吉村昭さん、金井美恵子さんという、作品的には殆ど出会いの亡かった太宰賞での先行作家二人との三人一巻になる。
自分の掲載作だけ、先に挙げておく。 「清経入水」「蝶の皿」「畜生塚」「廬山」「青井戸」「閨秀」の六作。まちがいなく、わたし自身初期の作品と思っている。よく代表作に挙げられる、長編の「みごもりの湖」「秘色」は温存した。
吉村さん金井さんのどれを読むか。同時代感を確かめたい気もあり、これまでも「清経入水」で受賞した第五回太宰治賞の昭和四十四年前後作を大体選んで読んできたが。
一方 古山さんも清岡さんも大正生まれで作家としての出発の遅い方であった。しかし吉村さんは昭和二年生まれで早くから多作、一方の金井さんは昭和二十 二年生まれだが、わたしより作家としての登場は早い。わたしの生まれはほぼ真ん中の昭和十年生まれ。さ、何年発表の、どれを読むか、二人とも、吉村さんの 第一回太宰賞受賞作作「星への旅」 金井さんの第二回太宰賞次席作「愛の生活」が、この「筑摩大系」第九十三巻には、入っていない。
* 此の調子で、「筑摩現代文学大系」全九十七巻に収録された全部の先輩作をたとえ一作ずつとはいえ第一巻の坪内逍遙・二葉亭四迷・北村透谷にまで到達するのに、こりゃ何年かかるかな。頑張って生き永らえないととても達成できないぞ、えらいことを始めてしまったナ。
* 上京して、新婚早々大奮発して、これだけはと買い始めた講談社「日本文学全集」はさらに多く百十余巻もあった。夢中で買い次ぎ夢中で読み耽った。この 全集ドンジリの巻は新進作家集で、中に大江健三郎さんや吉行淳之介さんが入っていて、保谷の社宅でむさぼり読んだのが懐かしい。今も、紙も函ももう乾き痩 せているが、全巻が揃って家にある。これだけは図書館やブックオフでなく、「文学」に篤志の後輩に譲りたいが、そんな「勉強家」も「愛読者」も 今は、い ないんだろなあ。
2018 4/16 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「自分がしている悪のすべてを知りつくすだけの知恵を持った人間はめったにいない。」
2018 4/17 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「馴れ馴れしさは、社交生活のすべての規則の弛緩に近いもので、気楽な付き合いと呼ばれるものに人を到達させるために、放縦が持ちこんだものである。これ は自己愛の所産の一つであって、すべてをわれわれの弱さに合わせようとして、良俗の強制する奥床しい隷属からわれわれを引き離し、また良俗を気楽なものに する途を求めるあまり悪徳に堕さしめてしまうのである。
女性は生来男性よりも柔弱なために、いっそうこの弛緩に陥りやすく、またそこでより多くを失う。女性の毅然とした品位が保たれず、人が彼女に払うべき敬意が薄れてしまい、貞淑はその権利の大部分を失う、と言うことができる。」
* 馴れ馴れしくするのもされるのも、おそらく大方の人は嫌いだろうと思う。自分からそう接した相手など永い歳月に思い当たらない、独りもなかったと思 う。むしろ男性同士にはときとして馴れ馴れしく出てくるタイプがいたと思うが、あれは男社会の競い心でもあるのだろうし、所詮親しくはならなかった。
茶の湯を介して知った「淡交」とは少年来念願の境地であったけれど、簡単な文字のママの理解ではとてもとても到達どころか近づきもならない、難しい人間関係だとしみじみ思う。少なくも賢さよりも聡さがよほど大事になる。
2018 4/18 197
☆ 羽生清 著 『楕円の意匠』 四 蛇鱗紋 -舞台の奥- より抄・引用
あわや、お組が法界坊に組み伏せられようとしたとき、要助の身元引受人甚三郎は自分の掘った落とし穴に落ちた法界坊から吉田の家宝「鯉魚の一軸」を取り 返す。そして、要助とお組を逃がす。二人が歩き出そうとすると、野分姫の霊が現れ祟りで動けなくなる。「鯉魚の一軸」を開くと威徳に恐れをなして霊は消 え、二人は無事に立ち去る。穴から出てきた法界坊は甚三郎に傘で打ってかかるが逆にやられる。
甚三 思い知ったか。
法界 チエヽ、殺さば殺せ。思いこんだるあのお組、生きかわり死にかわり、恨みを晴らさでおくべきか。
強欲な法界坊に翻弄される二人の美女。野分姫が死に、お組は逃れる。甚三郎はお組と要助を葱売りの姿にして「隅田川」の土手へ逃がす。凄惨な殺戮の場が 一転して桜花咲く隅田川に変わると、これまでの騒々しい喜劇は怨念劇舞踊「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」になる。
名にし負う、月の武蔵に影清く、霞を流す隅田川、
岸を分くれば下総と、昔は言うても今もなお、
よしある人の言問はば、色在原を都鳥、群れ寄る波に
せかれては、伊達な浮世を渡し守。
そこで野分姫ゆかりの袱紗を焼いて回向をすると、お組がもう一人現れる。
松若 ヤアくそなたもお組、こちらもお組、コリヤどうじゃいのう。
お賎 ほんにコリヤ、こちらもお組様、あちらもお組様。
松若 お組が二人になつたわての。
お組と同じ娘姿に潜んだ二つの霊。お組と見まごう振りの奥から、突如、野分姫の怨恨と法界坊の執着が顕れる。殺された娘と殺した僧との霊の合体。異様な のに、舞台の禍々しさを懐かしく想う私がいる。そもそも、私と他者の間が、そんなに明快に分離できるのか。いつも行い澄ました私を生きて疲れてしまった人 間たちが、舞台にとけ込んでいる。自分の殻から出てきた観客の気が一つの波長に揺れて動く。そのとき、人は誰にでも成る。
性別も年齢も国籍も関係ない。人間であることさえも。狐でも蛇でもかまわない。いっとき、そのような時間を持つことで、私は、私であることを許される。 その私がさまざま登場人物と一つになって楽しむ小説や芝居。殆ど、疑問を感じずに読む本や観ている映画、その鑑賞を可能にしている根拠は私の奥にあるさま ざまな私ではないか。
安珍の清廉が清姫の情念を駆り立てる。二人は光と影、一心同体。それを見せる『隅田川続悌(すみだがわごにちのおもかげ)』。(中村=)仲蔵が、初代新 七に望んで、立役でも踊れる鐘入までをつけた葱売りの所作を書いてもらzた曲のため、この芝居は今日まで生き永らえたといわれる。
「道成寺」から生まれた「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」。だから、法界坊は鐘を曳いて登場し、最後は鬼になる。
清姫と安珍は「双面」。清姫の業を引き出したのが安珍なのだから、安珍に無罪は許されない。無意識の偽善は女の側にあるばかりではない。存在自体が罪で あるような良い男、業平も源氏も女たちの潜在意識が要求していた役割、女たちを喜ばせ、悲しませ、生きていることを感じさせる役割を果たしただけかもしれ ない。
安珍と法界坊、口説かれて逃げ回る模範僧と女に目のない破戒僧。どちらが罪深いのか。己の成仏のため娘の命がけの願いも無視する身勝手。それは、「あは れ」を知る雅男(みやびお)の対極にある。女は「この世で男にまとわりつき、あの世で成仏のさまたげになる」などと、己の弱さを他人のせいにし逃げ回るの が名僧か。
娘と見れば、野分姫もお組も諸共に妻にしようとする法界坊は、業平や源氏に近いけれど、雅な「いろごのみ」が嫌らしい「いろきちがい」に変わるのは、い つだろう。引用に次ぐ引用で、古典的な教養なしに芸能は楽しめない。実は現在を楽しむ能力を持っていたら、古典の方は自然に身に付く仕組みになっているの かもしれない。
法界坊は、乞食坊主。高僧でありながら、吉田家の姫に狂う清玄を登場させて、言葉を批評した南北作の『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしよう)』 (文化十四年・一八一七)。
序幕、高僧清玄による剃髪の時を待つ桜姫の前に、かつて一度の契りで子までなした盗人釣鐘権助が現れる。
心づかねば引きしむる、はずみに腕の入れ墨に、
鐘に桜も有明の、灯に一目見たばかり、どんな顔
やら殿御やら、知らず別れたその跡で
盗みのついでに自分を犯した顔も知らない男に思いを募らせ、去り際に男の腕に見た「鐘に桜」の入れ墨を自らの腕に施した桜姫。二度と男に会えまいと得度 しようとした矢先の再会に、二人は人目を忍んで抱き合う。この桜姫は清玄が愛し心中を企て一人死なせてしまった稚児白菊丸の生まれ変わりだったのである。 それを知った清玄は盗人権助の罪を着る。
* 「日 本の美意識はどこから来たか」と問いながら、この著は、美しい構成で、遠く「古事記」では黄泉比良坂や吾妻に「言葉の霊」を問い、伊勢物語と業平の「道中 の景」を問うて愛の深秘に迫り、歩を運んで源氏の六条御息所から四谷怪談へまたぐ愛の計り知れぬ懼れをまさぐった後へ、この日高川と隅田川にくりひろげら れる美意識をさながら自身「体験」してみるかのように、なおなお著述後半へ思索されて行く。この著者の意識の原点は「古事記」にあり、それは日本の古典展 開の揺るぎない大きな原点であることをわたしも共感している。源氏物語や平家物語を語るに当たっても、深い思いは古事記に探らざるを得ない、そんなこと を、どれ程の人が心得ているのだろうか。
神話と物語 怨霊と幽霊 島原と吉原…。合わせ鏡の対比から「日本」の男と女が抉られてゆく羽生清よさん(京都造形藝術大学教授)の洞察と方法、そして述懐の文章には、びっくりさせるほどの独自性がある。「名著」だと敢えていう所以。
* 上に取り上げられた舞踊やお芝居のいずれもをわたしも妻も繰り返し耽美してきた。あの勘三郎が演じた法界坊のごときは、「平成中村座」の「松」の席、われわれの顔がくっつくほどの真近へ宙をとんできて、笑いながら妻のペットボトルからお茶を含んで去っていったものだ。
「櫻姫東文章」は、受賞のすぐ後に某劇団のアングラ公演へ招待されて初めて観た。怖い芝居だったが底光りして美しかった。のちに紀伊国屋劇場で新劇の人た ちの、そしてむろん歌舞伎座でも何度も観てきて、羽生さんの挙げられているこれらはみな、これこそ「もの凄い」しかしまたじつに「美しい」世界なのであ る。
わたしは「四谷怪談」は怖くて遠慮してしまうのだが、この本での羽生さんの「お岩」への愛と共感の深さには教えられた。そしてこの著者は、ここでも私が 観てきたとヽ視線・視点で「四谷怪談」の根を「古事記」に見抜いておられ、敬服した。これは、そうなければならぬ視点なのである。
* 自分の今の仕事に停滞を来しているしんどさも手伝い、いろんな優れた著作にいまわたしは心身を浸し続けてもいる。
2018 4/18 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「新しさの魅力と長い付き合いとは、全く正反対のものであるにもかかわらず、われわれが友達の欠点に気づくのを等しく妨げる。」
* 欠点などというモノが問題にもならないのは長い付き合いの友人であろう。逆に、欠点の見えてこない新しさの魅力には用心すべきだ。
2018 4/19 197
* 源氏物語「松風」の巻は胸に沁みて佳い巻。明石方の姫が紫上に預けられる。明石の母や祖母には哀しい別れにはなるが、姫の生い先、必然の入内を予測す れば、もっとも然るべき一同聡明なはからいとわたしでも思う。わたしはこののちのち中宮となり匂宮らの母となる明石の姫が好きである。この人は根の祈り に、「海」を深く負うている。ダテに「明石」で生まれたのではない。
2018 4/19 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「貴顕の人の打ち明け話にもましてわれわれの自惚れをくすぐるものはない。なぜならわれわは、そうした打ち明け話はほとんどの場合、単に虚栄心からか、も しくは秘密を胸にしまって置けないためにされるにされるに過ぎない、ということは考えないで、これをわれわれ自身の人徳の然らしむるところだと見なすから である。」
* 兼好法師考で、彼が自讃の一条、法聴聞の暗い堂内で貴女にしなだれ寄られたのを、半世紀も昔の論攷ないし創作時に解したのが、上記とまさしく同じわたしの観測であった。
2018 4/20 197
* もう十一時。ウーム。何冊も本を読みに、ベッドへ行くか。
* もう、亡くなった吉村昭さんの「海の柩」を半ば以上は読んできたが、目に付く特徴は行文に漢熟語が濫用というに近く用いられていて、以下にもそれで文 章が勢いいいようではあるが、終始一貫して「説明」文の連続になってしまい文学・文藝の妙味は酌み取れない。説明であるから状況は分かる。だから佳いでは ないかと云ってならないのが「表現」の的確や美観ではあるまいか。例文をひろって説明すれば露わに分かるが、いま手元に本がない。
他の作品もおおかたこの調子なら、状況を判断と受けいれることは出来ても、いい小説を味わっているという喜びはえられない。通俗な読み物へ傾斜して行き 止めどないかも知れない。他の作も読んでみるが、こういう不満は、ここまで読み進んできたいろんな同世代作家では、竹西さんら女性四人も、丸山健二、古井 由吉、李恢成、柏原兵三、古山高麗雄等々の誰にも感じなかった。敢えて云えば清岡卓行さんの文章はやや雑であったが。
ま、遠慮無く批評的に読んで行く。文学は文章だとは真一文字に言い切りはしないが、把握と表現の妙は要するに説明に終始しない文章にあらわれる。一言、確認しておく。 2018 4/20 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「哲人たち、とりわけセネカは、彼らの教訓によって少しも罪悪を除きはしなかった。彼らは傲慢というものを確立するために自分たちの教訓を用いたに過ぎない。」
* わたしは大学で美学・藝術学をまなび、わずか一年間で遁走したが大学院では文学研究科の哲学専攻生であった。美学・藝術学・文学は理解できるが わた しはどーも哲学ないし哲学者ことに後者の実在が信じきれなかった。西欧哲学以前のまだしもソクラテス・プラトンには教わったが、基督教に近縁の宗教哲学者 や近代のめちゃくちゃ難解な哲学には親しめなかった。なによりも哲学に人間の生きる苦悩や喜びを和らげ励ます真率な真理を求めていたから、ほぼ酬われたこ とは一度もなく、むしろ東洋の哲学や高僧達の生き方に刺激されていた。
まして生まれてこの方の日本人で、哲学者を名乗り呼ばれる誰からもこの娑婆世界で通用する卓見によって励まされた体験はほぼ一度も持てなかった。はいごに宏遠な仏教を背負ったバグワン、または溯ってイエスの言葉にこそ頷いてきた。
ま、こんな告白もしておいていい時機かも。
* 毎朝いくらか遊び心地で引いているこのラ・ロシュフコーの「箴言」も全面信頼しているのではない。ただかかる言行には毫も哲人意識がなく、むしろそれへの冷笑が浮かんでいるのを容認しつつ聴いているのである。
2018 4/21 197
* 専修大の新井教授から岩波新書「五日市憲法」が送られてきた。新井さんは色川大吉先生のお弟子さん、ペンの理事時代からなにかにつけ御世話になりご示教願ってきた方。「五日市憲法」には関心を寄せてきた。一勉強出来ます、感謝。
* 一勉強というと、このところ気を入れてきたのが司馬江漢の「西方日誌」で、これはもう芳賀教授の仰有るまでもなく、久しい日本の紀行史を真裏返しに まったく新しい姿勢と文辞で愉快至極に書きつづったみごとな成果なのである。もっと昔に読んでいたら、なにか徳内や白石ふうの仕事へ仕立てられたかもなあ と頭を掻いた。
肝を掴んで揺すられるような面白いモノ・コト・ヒトがまだまだ無数なのだと思うと、ふうっと力が湧いてくる。
2018 4/21 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「自然はわれわれ自身知らない諸々の能力と才覚をわれわれの精神の奥底に隠したらしい。情念だけがそれらを掘り出す権限を持っていて、時どき、人為の及びもつかない確実で完全な見識をわれわれに持たせるのである。」
* 電源を入れて、作業可能になるまでに最低でも十分以上はじっと待たねばならない。その間にロシュフコーを読み後拾遺和歌集などを読む。 勅撰の連歌集 はあったと思うし漢詩集もあったが勅撰発句集は編まれなかった。編まれなくても構わないが、私撰でもいい千句程度の一冊が欲しいものだ。解説も解釈も要ら ない。「武玉川集」も座右に運んできて置きたくなった。
賞味期限の遙かに切れている機械と我慢強く付き合うには、暫時の待ち時間に堪えねばならず、それを逆用出来る興味を身辺に簡単に見つけられるよう、和歌 集や漢詩集や江戸小事典の「砂払」などを手の届く範囲に常備してある。現代ものの詩歌句集は出してないが、上村占魚の「吟行歳時記」は座右便利している。
2018 4/22 197
* とうとう鏡花の「山海評判記」を読み終えた。小村雪岱の挿絵に案内して貰った、物語というかストーリーを一読で把握できる読者は一人もいまい、名うて の読み手ももてあましながら佳い佳いと強弁していたようだ。ただ鏡花の「おしゃべり」は絶品でだれも真似は出来まい。それを心底から楽しんでいると物語世 界が向こうから近づいてくる、わたしが請け合う。
* 吉村昭さんの「海の柩」「休暇」「ハタハタ」を読んだ。このどれ一つにも作家吉村の年譜的背景は関わりなく、すべてが興味ある題材を見つけて追いかけ た調査結果のような小説になっている。作者の生な血液型が関与していない創作なのだ。そうかそういう作者がいるんだと発見した気分。
わたしも、どれかそんな小説を書いたろうか。只の一作も無い。どの作にも私の生身の血が流れ込んでいる。それが佳いのか悪いかは知らない。自分と切れた調べ仕事のような小説読み物で佳いなら、わたし、今でも、幾つでも書けるなあ。
2018 4/22 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「勝利は、勝利を目的とせず、行動する各自の個人的利欲だけを目ざす無数の行為によって産み出される。例えば、軍隊を構成するすべての者が、自分の名誉と自分の栄達に向かって進むことによって、大きな全体の勝利という幸福を獲得する。」
* この公爵は、軍隊を率いた高級軍人であった。上の軍隊の勝利云々は、彼なりの譬えであり、その限りで蓋然性の高い見立てになっている。
彼の箴言性を帯びた「引退」論もなかなか云えていて面白い。少し時間のあるときに吟味したい。
2018 4/23 197
* 金井美恵子さんの短篇「帰還」「腐肉」など読んだ。作風、分からなくはない。しかし趣向の短篇としては切れ味は今一つで、不思議も奇妙も怖さも、今一つもの足りなかった。少し長い作も読んでもようか。
* で、此の巻に収録した自作も読むのか。
ま、それは時間を節約しよう。いま思っても、あ、しまったという作品選択はしていない。
* そうそう。それよりも、こういう全集には「月報」が付いて、収録作者について「語って」貰えている。吉村さんには「早稲田文学」での盟友らしい岩本常雄氏が、金井さんには俳優の殿山泰司さんが書かれている。
わたしを紹介して下さったのは、太宰治賞の選者のお一人でもあり、文学・史学・哲学の碩学として知られた唐木順三先生であった。ふるえるほど嬉しく、また恐縮した。
どんなことを書いていて下さったか、畏れ多いが、本が出た当時どれほどわたしが嬉しかったか、察して頂けようかと。
☆ 秦 恒平の独自性 唐木順三
秦恒平氏の生れ、育つたのは京都の祇園界隈、中学も其処、高校も其処から遠くはない。大学は同志社。少年の時から『源氏物語』に取憑かれ、光源氏、薫大 将、匂宮、その光のかがやきや陰翳、薫りつや匂ひの濃淡や色合を己が感覚世界に移して、よろこびやあはれを共にするといふ早熟さであつた。高校生のときに は同居してゐた叔母に茶の湯を習ひ、習ひに習つてほどなく代稽古をするといふほどの域に達した。『源氏物語』と茶の湯、五十四帖の、時とともに展開し、読 む者の心にさまざまな想念と自由な情景をかもしだす物語と、狭い茶室の中に人と人とが寄合つて、茶を点(た)て、茶を喫するといふ単純な行為の中に主客と もどもの共同空間、共通感情をかもしだす茶会式と。この拡散と集約、自由と規制との二つの方向を、本人の意向に拠るか否かは別として、若い秦恒平が合せ兼 ねたといふことが、後の創作活動にとつての要(かなめ)となつてゐると思はれる。
祇園といふ遊里を含む一帯には伝統につちかはれた芸事(げいごと)、稽古ごとが、なほ生きてゐて、其処に住む人々の行住坐臥にも、ゆきずりの挨拶言葉に もおのづからにそれがあらはれてゐた。観世父子の「稽古は強かれ、情識は勿れ」とか、「能(のう)は若年より老後まで、習ひ徹るべし」といふ一徹さが、謡 ひにも舞ひにも、また市中の茶の湯の稽古にも、さまざまな芸事にもなほ残つてゐたと、秦恒平を通して、否応なく納得させられる。同志社を卒業後、東京に出 て、医学書院といふ全く畑違ひの職場に身を置いて、みやびだの幽玄などとは無縁の年月を過してゐる間に、この作者の脳裡に、京都が、祇園が、またそこでな じんだあれこれのひとびとが、濾過された形であらはれ、それを文字言葉で造型する作業の結実が、読者を誘つて夢ともうつつともつかぬ境へつれこむのかもし れない。例証を挙げる煩をはぶくが、たとへば『月皓く』の一篇だけでも読めば十分に納得が
いくだらう。大晦日の夜、暗く苦しい道へ入つてゆくかもしれぬ女客を迎へ入れての茶席には、「一陽来復」といふ軸が掛けられてゐる。主も客も、その席につ らなつた若い作者も、ひとこともその女客の境遇に触れないながら、一碗の茶を点じ喫するといふ所作のなかに、この女性への思ひやり、心づくしのほどが、炭 火のほのぼのと赤い中にただよつてゐる。一陽来復などといふ平々凡々の言葉が、この折なればこそ生きて働いてゐる。
小学校で「アイウエオ」 の五十音図で仮名を教へるのに不服を言ふのではないが、家庭では親から口うつしで「いろはにほへと」の四十八文字を唄つて教へ てほしいと、さういふことを秦氏は言つてゐる。それが仏語の「諸行無常、是生滅法」に由来することなど、どうでもよいが、「いろはにほへどちりぬるを」と いふ語感、やまとことばの美しい音律と、いろはにほふといふ微妙なことばづかひを、幼いときから口うつしに伝へてほしいといふのである。とにかく秦氏ほど 京言葉を美しく書き誌しうる作家は他にはないだらう。『閏秀』の中に、上村松園の母のいとなむ茶舗の店先での会話が出てくる。母が店先に立つた客に声をか ける。「まあお寄りやしとくれやす」。客がそれに応じて、「さうどすな、ほなちよつと休ませてもらひまひょ」。一見なんでもない対話ながら、この短い応答 のなかに、母の顔、客の顔、その所作までがでてくる。もうひとつ、随筆集『優る花なき』の中の「京ことばの秘密」から引く。東京の秦宅へ、いまは七十五歳 になつた京都の叔母を引取つた。これまで京都の祇園町から一歩もよそへ出なかつたこの老婆の京ことば。お医者さんがかくかく言つたの場合は「お言(い)や した」、御用聞の場合は「言うとつた」、近所の奥さんの場合は「言うたはつた」。かう言はれ、誌されれば、この三様の言葉づかひ、その区別もわからないこ とはない。然しお医者さんだけの
三人だつたとしても、この根つからの京都女性は、相手の年齢や人相や応待の仕方によつて三様の言ひ方をするだらう。そして、それを聞く周辺も、その三様の つかひわけによつて相手の人柄とともに、それをいふ女性の心理をも理解するだらう。それが京言葉の微妙で隠微なところであると同時に、王朝以来の宮廷歌人 また女房日記のみやびの一様相でもあらう。それをそれとして示してゐるところに秦作品の独自性がある。然しまた『茶ノ道廃(すた)ルべシ』といふ近著の示 してゐる、茶道の「家元制度」や職業茶人に対する痛烈卒直な批判、そのしたたかな心ざまもまた秦氏一流のものである。この本は裏千家の機関誌ともいふべき 『淡交』、その肩書に「茶道誌」とつけられてゐる月刊誌に連載されたものの集成である。ここでも秦氏の茶の湯に対する執念と自信のほどを感じる。茶が 「道」などといふ抽象にかたまる以前、点茶、喫茶の所作と心づくしが即ち茶寄合だといふのである。
* 京都(祇園) 言葉(京ことば) 茶の湯 源氏物語 そして 批評。 パチッと観てとって戴いていて、ただ頬を熱くする。1978年5月の月報であ る。唐木先生方に太宰賞とともに背を押して頂いての作家生活、まだ満九年に足りない時機であった。おそらくわたしは此の文学大系に入集、最新参作家であっ たろう。以来、まる四十年。唐木先生も第二回受賞の吉村昭さんも、同じ月報で吉村、金井、秦三人との「出会い」を書いてくれていた第九回受賞の宮尾登美子 さんも、亡くなっている。く地上手な宮尾さんが、月報でわたしに触れて何を云うて呉れてたかも、懐かしいまま、覗いておこう。
☆ 三つの出会い (抄) 宮尾登美子
(前略) 秦さんとの出会いも吉村(昭)さんと同じ日の禅林寺(=太宰治のお墓がある。)で、この時期秦さんはまだ(本郷の医学書院に=)勤めていて課 長の要職にいたはずだった。この日、吉村さんが秦さんと私を吉祥寺の小料理屋でご馳走してくれたが、このときの秦さんの印象はまことに張り充ちて若々し く、私は彼の洋々たる前途を予見する思いがした。加賀乙彦氏によれば、この頃の秦さんは(勤務時間中にも=)喫茶店をハシゴしながら時間を拾っては小説を 書いていたそうで、それにしてはその頃もいまも颯爽として変らず、仮にもこの人は人前に疲れた顔などさらしたことがないように見える。同じ受賞作家(=第 七か八回受賞だったか)の三神真彦氏もそれをいい、そのあと、「彼はほんとにいい!やつでねえ」と !つきで強調するのを忘れないが、これは要するに、秦 さんが人生に対してなみなみならぬ闘志を持ち、男らしく果敢にそれに立ち向っていることの何よりの証し、とはいえないだろうか。先年(井上靖団長ら日本作 家代表団の一人として)中国から帰ってのち秦さんはまた一まわり大きくなり、且つハンサムになりまさったことをもつけ加えておこう。(以下略)
* ハハアっと承ってはおいたが、作家にも、超多忙の中間管理職としても気を張って打ちこんでいたのはその通りだった。三神さんも、はやくに亡くなった。
2018 4/23 197
☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「悪徳は、薬の調合に毒が使われるように、美徳の調合に使われる。思慮がこれを混合し緩和して、人生の苦難によく効くように役立てるのである。」
* 切れ味鋭い。
* また書庫に入り時間を忘れていた。こんなの、読まずに死ぬわけにイカンなと思い思いしていると、嬉しくなってくる。
とうに亡き森銑三先生にわたしは思いの外たくさんな御本を頂戴している。小説『徳内』連載の早々にお手紙で関心を寄せて頂き、小林保治氏と二人で入院さ れていた病院へお目に掛かりに行ったときは、病室がそのまま書斎のようで、談論風発とても楽しかった、お見舞いの意味を成さないほどだった。それ以降、亡 くなられるまでに十余におよぶ新旧のご著書を戴いた。わたしはわたしで中央公論社の「森銑三著作集」全巻を買い求めて座右に置き愛読を重ねてきた。今日は 書庫から『武玉川選釈』一冊を引き抜いて二階へ持ってきた。
「武玉川」は、流れで謂うといわゆる「俳諧・発句」と後年の「川柳」との間に位置した編者紀逸の 人柄の映じたも穏和で洒落た「雑俳」集で、ことに江戸 の洒落ごころを「武」一字に誇らかに粋に示しており、なみの雑俳や川柳が陥りがちなガサツや人の悪さがない。寛延三年に初篇が成って以来、他に類例なく、 安永三年の第十八篇までもひきつづき刊行されて、川柳『柳樽』の初めて成るのを大いに刺激した。発句・川柳は衆知のように五、七、五句であるが、「武玉 川」は七、七句だけでも一句を成していてこれがとても良いと森先生は観て居られた。初篇から選釈されている冒頭初句が、
きんか頭を撫でる若君
とある。
森先生、「撫でられるのは、奥家老などの職にある老人と観てよいであらう。奥女中達に育てられていらつしやる若様が、たまたま奥家老に抱かれて、その膝 に立つと、老人の頭のつるつるに禿げて、光つてゐるのが珍しい。そこでそれをそつと撫でて御覧になつたといふ。ほゝゑましい句である。」
このまま、われわれ世間の小さな男孫とよく禿げたお祖父ちゃんとにまで広げて汲むことも出来る。どこの家でも、ちっちゃな男孫は「若様」なみであるだろうから。森先生の旧仮名遣いでの釈文、いかにもお人なりに穏和で懐かしい。
しばらく読み継ぎながら、ここへも紹介したい。
* もう二つ。
邨田海石書で、見失っていた『真行草 三軆千字文 地』篇を見つけて持ってきた。「天」篇は座右にある。この「千字」を尽く音読みできる自信、無い。し かし、ATOKの文字皿を利用しながら、やってみたい。つまりは「千字」を此の機械へ拾い出してみようと。想像をこえて難儀であるにちがいない。例えば、 上の表題の「三軆」だが、「身」ヘンのほかに「骨」ヘンの漢字もある。そういう細部にも徹して行くのはまさしく「探訪」になる。楽しそうでもあるのだが。
幸い「地」篇末に、二百五十句、全千字文の「訓點」が附してある。機械で「点」は出るが「點」は探さねばならず、まして此処に用いられた同字には下にテンテンが四つの「れっか」を要している。そんな字は、わたしの今のパソコンで探し出せない。漢字と機械との同和はまだまだまだほど遠いのです。
次の持ち出してきた一冊は、本格の茶家のお茶人でもあり、平家物語研究、「湖の本」の有り難い購読者でもある生形貴重教授の監修『マンガ 平家物語』の 初册「清盛篇」を見つけた。次册「鎮魂篇」は見つけ出してあった。画は阿部高明という人が描いている。生形さんが関わってられる以上、たんなる物語の羅列 でなく、独自の「読み」が反映しているらしいとは、頂戴し通読して察知していたのを、もう一度読み返したくなったというワケである。
* 筑摩大系の溯る次巻は、野坂昭如、五木寛之、井上ひさしという直木賞の三人一巻。気質や処世ではかなり遠方に望見していただけの三作家であるが、ペン の会長を務めた井上さんとはペン理事時代にたくさんな交渉があった。わたしより一つ年長、兄の北澤恒彦と同年で、むしろ兄との交際が先行していたらしい。 わたしが恒彦の実弟とはじめて知って、わざわざ傍へ来て「存じませんでした、失礼しておりました」と鄭重に挨拶されたときはビックリした。
* 浴室で、源氏物語「薄雲」巻でさきの太政大臣、光君の舅が亡くなり、藤壺女院も病い篤いまでを読んだ。
戦後日本史で、岸信介らがアメリカの支配的政策とも同調しながら安保条約改定への姿勢を見せている辺を読んだ。
たまたま見つけた昔々といっても1980年代の「新潮」で、丸谷才一、大岡信、進行役で三浦雅士三者の吉田健一さんを語る鼎談を読んだ、おおむね当時文 壇の力絵図のようなことも混じったり、流石に面白く読んだが、吉田さんが新聞の文藝時評ででも、評論や詩は語っても日本の現代小説を全く認めも読みも取り 上げもしなかったと三人ともどね断言談笑しているのはどうかと思った。
吉田さんは、わたしの小説「閨秀」を朝日新聞の文藝時評全面を用いて絶賛して下さっていたのをわたしは忘れない。あれは喜多流家元の次男喜多節世の結婚 披露宴に出て、娼妓の中原名人に次いで祝辞を述べてきた帰宅の途次であった、夕刊を買ったら、文藝時評の全面を用いて吉田健一さんはこの上無しと思う絶賛 の文を寄せられていたのだ。
こういう一事から垣間見ても文壇人の口から出任せは往々あるということで、こうした一つ一つの積み重ねにであいつつわたしは「湖の本」をひっさげつつ「騒壇餘人」として文壇離れを実行していったのだった。
* やはり「新潮」の昭和四四年八月号、これは六月桜桃忌にわたしが太宰賞を受賞した直後であったが、「新人賞特集」に「蝶の皿」をと云われてハイハイと 承知した。その特集には「阿部昭」「佐江衆一」「坂上弘」「渡辺淳一」他三人ほどの新人賞作家が並んでいたのを、今日たまたま書庫で見つけてそれぞれ三頁 ほどずつ読んでみたが、「蝶の皿」はさながらに「異物」のように懸け離れた作であり表現であり文章であった。わたしは、自作に自負してはいたものの、他の 大方。というより全部がこんな索漠とした小説でこれが現代日本文学というのであるなら、こりゃ「作家、さよなら」だよと、その題で、その日のうちに手記を 書いた。書き置いたそれが今も家のどこかに眠っているはず。
2018 4/24 197
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「幸運に耐えるには不運に耐える以上に大きな幾つもの美徳が必要である。」
「われわれの持っている力は意志よりも大きい。だから事を不可能だときめこむのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。」
2018 4/25 197
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「神は、自然の中にいろいろな木を植えたように、人間の中にいろいろな才能を配した。それでひとつひとつの才能は木それぞれと同じに、いずれも独自の特性 と働きを持つようになっている。だから世界一立派な梨の木も、ごくありふれた林檎を実らせることはできないし、最も傑出した才能も、ほかのごくありふれた 才能と同一の結果を産むことはできない。」
* まさしく、言い得ている。
☆ 津浪の町の揃ふ命日 武玉川
* 胸へ来る。ただ「七七」で莫大な情報量を蔵している。江戸時代にも、悲惨な津浪に人は遭うていた。
五七五の雑俳より、いっそ新奇に簡明で至妙。興味津々、こころみたくなるが、難しい。仲間があって心がけるほどでなくては、とても。
* 二階の廊下、外向き窓の下に文庫や新書用の書棚が並んでいて、部屋側の壁一画に、鮨の「きよ田」二台目が送ってきてくれた半畳大沢口靖子の写真がかけ てあり、この廊下を「靖子ロード」と勝手にわたしは呼んで、階下から機械のある仕事部屋へあがってくるつど、ちょっと立ち止まって棚を溢れた本のいろいろ に手を出してみる。
いまも又しても秦の祖父の蔵書であった手帖大の田森素齋・下石梅處共選『頭註和訳 古今詩選』を見つけてきた。大阪文友堂書店蔵版で明治四十二年十二月 二十五日発行「正價五拾銭」八十翁中洲の「思無邪」と題字がある。まさかに本嫌いだった秦の父が十二歳で手にした本とは思われず父が日ごろ「学者や」と畏 怖していた祖父鶴吉の蔵書に相違ない。日本人の作を先行させつつ古来漢詩の名作を蒐めてある。訓みのみ示し敢えて釈一切を省いてあるのが、いっそ有り難 い。
述懐 大友皇子
道徳承天訓 道徳天訓を承け
鹽梅寄眞宰 鹽梅眞宰に寄る
羞無監撫術 羞づ監撫の術無きを
安能臨四海 安(いづくん)ぞ能く四海に臨まん
開巻の第一首、あの壬申の乱に叔父大海女皇子(天武帝)に背かれ敗れた弘文天皇が皇太子時季の述懐であろう、三、四句に接し胸の熱きを覚える。大友妃十 市皇女は大海女の娘であった。鮒鮓の腹に父蹶起をうながす密書を含めて吉野へ送り、父天武は妃(亡き天智帝の娘)とともに起った。夫大友に背いた十市はの ちに神隠しかのように雷爆死した。わたしの小説「秘色(ひそく)」はこの世界を書いた現代小説である。
* ただ五言七言等を問わず また絶句律詩等を問わず、和製の漢詩はむしろ大友皇子ら、せいぜい菅原道真あたりまでを絶頂に、時代を下るにつれ、ことに幕末維新期の甚だしい和臭・稚拙・絶叫は読むに堪えなくなる。いわゆる詩吟という詠詩法のひどい悪影響である。しかも近世の、ないし日本史上でも最高位詩人とあげて良い新井白石の作を只一首も収録していない。
「明治」の本には、詩とかぎらず、往々奇態に捩れた国粋・権道主義が臭う。今日につづく長州閥政権の基本姿勢はまさに反動極みなき「明治」賛美を腹に持っ ていて、警戒を要すること甚だしい。勝海舟 坂本龍馬らの影もささず、水戸の幕末に聞こえた藤田東湖の如きは「夢攻亞米利加」と題して「絶海連檣十萬兵 雄心落々壓胡城」とぶちあげ、目が覚めて冷や汗を流している。
* 実はこの詩集のほかに、当面の創作に刺激を呉れる一冊を見つけて、ホクホクと機械の前へ来ていながら、その前に、ちと落書きに時を移した。
2018 4/26 197
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「正 義とは、自分の所有するものを奪われるのではないかという強い危惧にほかならない。隣人のあらゆる権益に対する配慮と尊重、隣人にいかなる損害もかけまい とする細心の注意はここから生まれるのである。この危惧が人間を、生まれや運によって自分に与えられた富の限界内に踏みとどまらせるのであって、これがな ければ人間はひっきりなしに他人から略奪し続けるようになってしまうだろう。」
☆ 高尾が出来て読売が出る 武玉川
* これは今日人には判じ物とすらいえない評判句。「読売」とは、今日で謂う「号外」。「高尾」とは地名を謂うのでなく、絶世の美容と知性・素養・人格を 一心に湛えて衆庶の敬愛をあつめえた最高級・特定の花魁・太夫・遊女の名乗りであって、高尾太夫は吉野太夫らと並んで絶巓に在った。
この「高尾」は代を嗣ぎ間隔をおいて何人か実在したのであり、その間隔がかなりあって「高尾」不在が惜しまれていたときに、何代目かが名乗って出たのを「読売」を奪うように歓迎したのである。
西鶴の「一代男」にも、身請けされ理想の妻女とたたえられた「吉野」が描かれ、歌舞伎にも、落語にも、ものの本にももて囃されるそういう人間味の尊敬された「遊女」が事実実在したらしい。
江戸時代は、おもしろい世情を湛えていた。
2018 4/27 197
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「気質には頭脳よりも多くの欠陥がある。」
「私欲は諸悪の根源として非難されるが、善行のもととして誉められてよい場合もしばある。」
☆ 拍子に乗つて長崎の嘘 武玉川
* 唯一他国へ開港されていた「長崎」へ行ってきた観てきたといえば、世界の果てまでも観てきたかと人に思われる時代があった。つい、見聞のほかのホラを吹いてまわるヤツもいた。時代を超えて云える指摘。
2018 4/28 197
* 雑記帳に 千字文 を写し始めた。
天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張
寒來暑往 秋収冬藏 閏餘成歳 律呂調陽
雲騰致雨 露結為霜 金生麗水 玉出崑岡
この調子で千字 つまり二五〇句 続く。とても諳誦は出来ないが 読みは邨多海石の『三軆千字文』に習える。気の向いたときに書き足して行けば、いつか 千字写せるが、機械で字が全部出てくれますかどうか。かりにも古来愛玩された千字文のことと多寡をくくっているが。何よりも真行草の三体字をただ見入るだ けで生なかの読書よりはるか深遠に心を遊ばせうるのが嬉しい。少なくも「天地玄黄 宇宙洪荒」の二句だけなら小学生から口にし親しんできた。秦鶴吉祖父に 感謝する。
2018 4/28 197
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人がどんなにわれわれを誉めても、それは何ひとつ新しくわれわれに教えることにはならない。」
* そう心得ている。誉められていやな気はしないが、そこでおしまいにした方が良い。新しいちからは、新しい視野は、自身で創り出すしかない。
☆ 取りつき易い顔へ相談 武玉川より
* 的確に見ている。なにとなく自分にもこういう場面に遭遇しこういう塩梅に人を頼んだような弱いときが有った気がする、無かったわけがない。
こんな明察にならべては直にすぎて妙味ないが、私も、一句。
☆ 覚え無いとはうまい言ひぬけ 有即斎
* なにも高等な財務官僚だけの話でない、身に覚えのないひとは一人もいまい。
2018 4/29 197
* 長編のため、昨日から「探索」をはじめ、ちりちりと、一つ輪を絞って、望外のいい音色が聞こえてきた。辛抱よく、辛抱よく。
* ああ、もう夕方か。寝坊していると生きている時間が減る。つい遅くまでいろんな本を読んで寝ると、明け方に、まるで怪談のひどい夢見で不快なまま寝過ごす。まったく困ったもの。
* 手が痺れるほど重い事典を何冊も繰っていて、字の小さいのにほとほと、閉眼? しかし、面白い。
2018 4/29 197
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「世には運と全くかかわりのない一種の栄達がある。われわれを衆から際立たせ、いかにも偉業を成す器らしく見せる、ある種の風格がそれである。それはわれ われが知らずしらず身につけている価値である。われわれが人びとにいわれのない畏敬を抱かせるのはこの資質によるのであり、家柄や顕職や、さらには実力に も増してわれわれを人の上に立たしめるのは、通常これなのである。」
「栄達を伴わない偉さ(メリット)はあるが、何らかの偉さを伴わない栄達はない。」
* 「人柄」ということを謂うているのだろう。
☆ 入れ歯の工合噛みしめて見る 武玉川
* 入れ歯はよほど厄介なモノで、入れるのも外すのも、それが上も下もとなると情けないほど。殊に入れた当座はヘンにギクギクして不快なのを何とか噛みしめ噛みしめともあれ諦める。ふしぎに時間が経つとちゃんと収まってくれている。
この七七雑俳のこんな時には、貴賎都鄙・善悪・老若男女にかかわらず、全く同じ神妙に「噛みしめる」顔になっている。まさしくその無差別な、笑えない可笑しみを、句は正確に掴んでいる。
2018 4/30 197
* 明け方の夢は、変、大いに変ではあったが、襖も庭先の障子も開け放たれた三十畳ほどな廣い茶座敷にえらそうな武家も紳士も男ばかりの大人達がいならん で、これから台子の茶が点つらしかった。座の世話をしていたのは巌谷大四さんと藤間紀子さんとで、誰が手前とは分からないが正客が、十五代将軍を辞した徳 川慶喜さんだと耳に入った。巌谷さんはわたしを見つけると中へ入れ入れと誘われ、けれど礼儀として前将軍家へ何か一冊自著を奉呈しなさいと云われる。摩訶 不思議にわたしもたちどころに『親指のマリア シドッチ神父と新井白石』一冊を正客の座前へ持ち込んだ。慶喜さんは、「おお白石か」と声をあげて、しば らく白石の進退と詩とについて身を入れて話され、わたしも受け答えしていたが、そのまま、客座の末へさがった。この大人数で「お詰め」は、しんどいなと思 ううち、台子手前に歩を運んで出たのが、誰か分からない、ナントも驚いた洋服の若い人で。巌谷さんと高麗屋夫人とは、相並んで東(とう)、半東役を引き受 けながら、温容と美しい言葉とで座は和み、そのまま溶けるように夢は流れて消えていった。
いつもこんなならラクなのに、いつもは、なんとも凄惨な、狭い暗い町の底を匍うように彷徨うたりするのだ。で、寝たくなく、つい寝床で何冊も何冊も本を 読むのがまた良くないのかも。「家畜人ヤプー」だの、野坂昭如の「エロ」とか「とむらい」とか、やたら蛇の出る鏡花とか。わずかに源氏物語に癒やされる。
これまでで、いっとう役に立った夢は半世紀も昔の、「清経入水」の出だし、かなあ。夢も体験のうちと思うことにし、とにかくも魘されまい。
* 四月が逝く。なにがあったとも覚えない、櫻もろくに観なかった。こうして老いて行くのかと思う。
2018 4/30 197
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「運命は、光が物を浮かび上がらせるように、われわれの美徳悪徳を浮かび上がらせる。」
* これぞ、箴言。これを実感しないですむ人がいようか。よほど鈍感か鉄面皮というしかない。
☆ 親指に折らるゝ人は手柄なり 武玉川
* 判じ物のようだが、良くも悪しくも、謂えている。「手柄なり」とは、武玉川世界の温和な善意の反映で、逆もある。
2018 5/1 198
* おやおや十一時半にも。今度は寝床に脚をつっこんで「湖の本」140責了待ちのゲラを読み、寝入るまで源氏物語「朝顔」巻や、生形教授監修のマンガ「平家物語」鎮魂の巻や「敗戦後日本現代史」や、新井教授ちょ「五日市憲法」などを読み進めながら、いつか寝入ることに。
2018 5/2 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「大部分の人間は植物と同じように各々隠れた特性を持っており、偶然がそれを発見させる。」
☆ 闇のとぎれる饂飩屋の前 武玉川
* 蕎麦屋でなく饂飩屋である。寛延のころはまだ饂飩屋が江戸蕎麦の勢いに席捲せられてなかった証言でもある。なにしろ江戸の町の夜の暗さは今日の想像を 絶していたらしい、森銑三先生は明治のなかごろまでもそうだったと云ってられる。そんな夜の闇の町通りにもうどん屋だけが外提灯を吊って店を明けていると いうのだ。武玉川の寛延期は十八世紀の真まん中ごろである。
2018 5/3 198
* ワヤクとかボヤクとか謂う。口から出任せの言いたい放題とも謂う。野坂昭如の直木賞さく「あめりかヒジキ」の文体、というより口調は、まさしく、秋成 のむかし浪速の「ワヤク」や、何時の代にも在りはした「口から出任せ」の「言いたい放題」を手法としてほとんど意図的にイキッて濫用した、かなり計算高い 濃厚な趣向の所産と読んだ。「エロゴト」や「とむらい」を書いた、また戦禍の悲しみと怒りを書いた「火垂の墓」らの方が、より「文学」の味がする。生きる こと自体をイキッていた才気のヤンチャクチャだった気がする。
五木寛之氏の方は、野坂よりかなり世間へ濃厚に色目を使い、気取って身を売っている小説家という感じ、作は面白ずく書けていても作品と呼べる「品」の重みは無い。
井上ひさしも亡くなった。この人とは、とにかくも実務上の折衝があり敬意も持ち合っていた。小説でも戯曲でもこころを打たれた何作品も記憶している。
2018 5/3 198
* 眼から疲労困憊している。もう今夜は機械とはつきあえないか、などと云いつつずるずると仕事を続けてしまうのが宜しくない、宜しいのかも。ほとほと。
隣の棟で 次の湖の本受け入れの儡地を作ってきた。序でに、「千夜一夜物語」一・二巻とミルトンの「失楽園」上巻を枕元へ持ち来たった。多彩に世界の文学も読みたい。 2018 5/3 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「謙虚とは、往々にして、他人を服従させるために装う見せかけの服従に過ぎない。それは傲慢の手口の一つで、高ぶるためにへりくだるのである。そのうえ、 傲慢は千通りにも変身するとはいえ、この謙虚の外見をまとった時以上にうまく偽装し、まんまと人を騙しおおせることは無い。」
* 辛辣に見抜いて言い得ている。凄い。
☆ 肩へかけると生きる手拭 武玉川
世話狂言でよく見るが、存外に身近な暮らしでも戦前までは見かけたもの。洋服を着てでは始まらない、半ば胸もはだけて浴衣のにいさんや小父さんが下駄を鳴らし、闊歩していた。手拭がバカにならなかった。
2018 5/4 198
* まことに例になく珍しく、今日現在、校正すべきゲラが「選集」にも「湖の本」にも無い。なんとまあ。で、浴室では『五日市憲法』やミルトンの『失楽園』を含む五冊を順繰りに読んでいた。のんびりした。
2018 5/4 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「現在自分が何を欲しているのかもはっきりわからないのに、将来自分が欲するであろうことを、どうして請け合えるだろう?」
* 箴言というほどでも無い。
☆ 葉ほど世間を知らぬ茶の花 武玉川
* 「茶の花じゃなあ」と、意見が出来そう。茶の木は、花よりも葉に出番がある。
2018 5/5 198
* きのうの晩、昔の「工大」院生だった白澤智恵さんの小説「リセット」を読んだ。かなりの枚数をわたしに一気に読ませる筆力はあった、だがもっといい働 きの想像力と徹した推敲があれば、いまどきの文藝誌の新人作を優に超えていただろう、惜しかったなあと、どうやら二十年近くもものの下に眠らせていたらし いわたしの迂闊を、申し訳なく思った。それでも、このままではなあ、と、暫時、読み終えたA4束の原稿を汗ばむほど掌に掴んでいた。
添えられていた手紙、建日子の作・演出「リセット」を観てくれたあと、自分の「リセット」は斯うですと送ってきた、たぶん私小説そのものらしかった。そ して手紙の末に、劇場で初対面だったとみえるわたしの妻(建日子の母親)のことを、「もっと幽霊のような方かと思っていました。とっても<人>という感じ がしました」と書き結んでいて、昨夜、妻と大笑いした。こんな面白い手紙のことも何一つ記憶にないままだったとは、迂闊で気の毒でした。たぶんわたしもバ カ忙しい日々であったのだろう。
* 白澤さんのその後を、わたしは全然知らないでいるが、書きたいと云っていた「エンターテイメント」を書き続けているだろうか。じつに優れたエッセイの書き手だったし、短歌までわたしに習って作っていた人だ。
「工大」卒の同窓さん、誰か、分かる人はと此処で頼んでおく。
ペンネームが欲しい、つけて下さいと頼まれてあれこれ電話で折衝したこともあった。使っているのかなあ、どこかで。ひょっとして母校で専攻の先生をしてるのかも。
満杯の大教室である日の授業あと、つつと教壇へ来て、「河野祐子」と「岡井隆」の歌集が読みたい、貸して下さいと云ってきた、あの「嬉しかった」心地は 忘れていない。短歌などわたしの教室以前には無縁であったろう、河野さんと岡井さんか、いいセンスしてると、この二人の歌人を名指しで惹かれてきたことに 「秦さん」は感激した。
* 猛烈小さな活字を必要あってたくさん読み耽ったため、眼が痛い。九時半。
2018 5/5 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれの敵は、我々について下す判断において、われわれ自身ではとてもそこまでは行けないほど真実に迫る。」
☆ 塩気の抜ける海女のおとろへ 武玉川
* 海女と限らず、老い病まいを見据え、こわいほど掴んでいる。
2018 5/6 198
* 秦の祖父鶴吉がのこしていった大冊の漢和大辞典や漢籍の多くがまだ読めてない中で、ポケットに入れて持ち出せるほどな漢詩集のいろんな編輯本の、ないし五巻本『唐詩選』や二巻本『古文真寶』のおかげでいわゆる「漢詩」を読む嬉しさはしっかり承け継いできた。
そんな中に『作家略傳 評釋國民詩集』も混じっていて、「伯爵芳川顕正閣下題字」「前陸軍教授四宮憲章輯釋」 などと扉がある。東京神田の「光風楼蔵版」「明治四十二年七月発行」 定価は「四拾銭」とある。この一冊の有り難いのはおおむね和臭の濃い詩作よりも「作 家略傳」にある、まさしく略傳ではあるが、二百人もの日本漢詩人の名と作が採られてあり、大いに助かる。赤穂義士の武林唯七や騎兵奉行から後に朝野新聞社 長になった成島柳北の傳も作もある。ちょうど書庫で、やはり祖父の遺籍に相違ない『柳北新誌』なる和綴じ、ほぼ個人全集をみつけたところで、此処の略傳で 早速に横顔を捉え得たのも有り難い。
* いま、興奮すらしつつ手に汗して頁を繰っているのが岩波新書、専大新井教授の『五日市憲法』これは有り難い興深い教えられる一冊である。
☆ 改憲論議以前 山口二郎(法政大教授・北海道大名誉教授)
(2018年(平成30年)5月6(日曜日)東京新聞朝刊 本音のコラム)
安倍首相はしつこく憲法改正ムードを作ろうとしているが、およそルールを守る意欲も能力もな
い政治家に憲法改正を叫ばれると、ふざけるなと言いたくなる。常習犯の泥棒が、汝盗むなかれと
説教するようなものである。
憲法は国家のアクセサリーではない。為政者が日々実践すべき規範である。また、憲法や法律に
明記されていなくても、憲法の前提とも言うべき当然の常識がある。公務員が正確な記録を残すな
どもその例である。
安倍政権の異常さは、この種の常識が破壊され、さらに公務員に常識を守るよう監督する立場
にある首相以下の閣僚もこの種の非行を黙認した点にある。安倍政権には順法精神がないと言わざるを得ない。
加えて、憲法論議をしたいという者は、当然日本語のルールを守らなければならない。野党議員
が自衛隊の日報にあった 「戦闘」の意味を尋ねる質問主意書を出したところ、政府は「国語辞典的
な意味での戦闘」と自衛隊法などで定義する「戦闘行為」とは異なるという答弁を決定した。犬を見て、あれは自分の考える犬ではなく、猫であると言い張るならば、もはや議論は不可能である。
政権の指導者たちは、小学校の国語と道徳から、やり直した方がよい。憲法論議は政治家が言葉を正しく使えるようになるまでお預けにするしかない。
* 二世代の余も若い人だが、いま、わたしの信頼を置いている識者の一人。『民主主義をどうしますか』という著書を戴いている。
信頼の置ける人と一人ずつ一人ずつ出会いたいと思いつつ、この歳まで歩いてきた。 2018 5/6 198
* また書庫へ入っていた。今日もかなり傷みながら珍しい古本を何冊も見つけた中には『椿山集』という和装本があった。いわば歌文集、まさかと思い誰か画 家てではなかっかなどとアテズッポウでみすごしてきたの、その「まさか」であった、ひの「椿山」はあの明治の元勲、公爵山県有朋のことであった、うッ ふェー。わたしは永らく日本を軍国主義、陸軍主導の國に仕立てた根本の犯罪政治家と見切ってきたので、こんな雅な詩歌文集があろうとは信じられず、で、お ぼろには察しつつまさかと見捨ててきた一冊であった。
そう判ってみると読んでみたく、読み終えたらこの手の、というか文藝系の和書類とともに国文学研究資料館にゆだねて処分を任せようと思っている。
* 筑摩の大系を次に溯る一冊は、「森茉莉・津村節子・大庭みな子」集で、津村さんも大庭さんも出会えば口を聞いてきたお人だが、作世界は皆目識らない、 森茉莉は鴎外の娘さんと聞いているが袖も触れ合ってない、ただ金沢市の泉鏡花賞を競り合った人とだけ微かにもれ聞いたことがある。
* 書庫から持ち出した調べごとの一冊が、まことに好適で二時間も霞む目をこすりこすり熱中して読みかつ想像していた。すくなくも、想像を行き渡らせたい 事象や歴史のほぼ大方が掴み出せる地歩を持てた気がして至極今は嬉しいが、さ、その先の苦汁苦辛も当然のように避けようがない。ラクな仕事はしていないな あと嘆息する。
2018 5/6 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれが不信を抱いていれば、相手がわれわれを騙すのは正当なことになる。」
「人間は、もしお互いに騙され合っていなければ、とうてい長い間社会をつくって生き続けられないであろう。」
* 唸る。
☆ しやぼんの玉の門を出て行く 武玉川
* 門の内で、こどもが。けれどその姿は見えず出さず、ただ しゃぼん玉が門の外へふわりふわり。時を喪ったような得も謂われぬ静謐・安楽・幸福感を「表 現」して、至妙。こういう感覚を幸いにもわたしらの世代は記憶している。社宅の門へ帰ってくる、と、姿も声もなくて確かに朝日子と建日子とが、いる。
2018 5/7 198
* 小説は読みたくて読みはじめ、読んで愉快だったり感銘を受けて読み深まり好きになり、生涯の財産になる物。誰がどんなのを書いていたか検査するような本読みはまことに味気ないと思っている。勉強ではあるにしても愉快な小説の読み方ではない。
それでも、いくらか嬉しいような出会いもあった、富岡多恵子、丸山健二、古井由吉、柏原兵三、古山高麗雄など。これからもそれはあるだろう。読ませる作を読み進み、躓くものは諦めて読み辞めることにする。いまは森茉莉を諦める。
* いま、感心しているのは『千夜一夜物語』の開幕、舞台の進めようの渋滞なく面白く、しかも堂々と丈高い語り口。読みやめるのが惜しいほどに引っ張られる。これは超一流の証である。
* 新井勝紘さんの『五日市憲法』の開幕もわくわくいる面白さで、たんなる叙述ではない高邁な物語の始まって行く感動予感に引き込まれる。
* かつて源氏物語を読み「朝顔」という女人に立ち止まる気分はあまり無かったが、今回の(もう二十度は出会っているだろう)出会いでは心騒ぐものがあ る、明らかに朝顔は紫上を深くおびやかして、上へ出てきかねない好奇の存在なのだとシカと見えてきて、けわしいハラハラ感に襲われている。わたしは終始紫 上に思いを寄せているが、光源氏が朝顔に向こうとする男思いの微妙さも分かる。
なにより、どれほどの心まどいを描こうと葛藤にちかづこうと、この物語は堂々と静かに深い。これは最高の達成の証で、また読みだしているミルトン『失楽園』の大きい力もそこから底から沸き立ってきて深く静かなのである。
これらに較べると、天才的奇想に相違ないが『家畜人ヤプー』をすぐれた文学の一種、とすら読めない。
2018 5/7 198
☆ 向ふ木挽(こびき)の揃ふ鼻息 武玉川
* 大きな木を、向こうとこっち二人がかりの大鋸で丸太に引く。気合いが揃わねばどうにもならない、その機微とも必然ともを的確に句にした手柄。揃えようとして揃うと云うより、必然、揃わずにいなくなる意気の通り、生きのはずみに美しさがある。
2018 5/8 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人は他人の心中を忖度するのは好きだが、自分の心中を忖度されるのは好まない。」
☆ 殖えずにしまふ母上の金 武玉川
* 「母上」などという甘え方で母親の懐金を厚かましくアテにするのは、なにも身分ある家のドラ息子・ドラ娘にかぎらない。
わたしを育てた秦の母は、一週、十日ずつの生活費を父からもらうのに日ごろ泣きの涙でいたから、とてもとても「母上、お金頂戴」など云えはしなかった。 老いて老いて我が家の叔母も含む三人の老人はみな九十過ぎまで長命し、わたしたち家族に見送られたが、なかでも九十六まで一等生きた母が「一期の呟き」 は、人間生きの根を左右されるのは、「お金やな」であった。
母は年金も下りるようになり最期にはかなりの金額を仕舞いこんでいた。母を見送ってからわたしははじめて「母上」の「殖やし」ていたお金を謹んで頂戴したのだった。
うちの息子や娘が、妻を「母上」呼ばわりしているかは知らない。娘にも息子にも過分にはあえてしんかったが、いろいろに気配り・金遣いはしてきたつもり でいる、友達からは二人とも「貧乏人」とわらわれていたとも聞いているが。貧乏こそ、人の常というもの、そこで才覚を養う以外に具体的な努力はない。
2018 5/9 198
* 「三軆千字文」をほぼ四分の一 書き写してきた。どう探索してもその字体で探し出せない漢字がある、が、かなり拾い採れるようになった。天地二巻あ り、「地」巻奥付の上方に毛筆で「秦」と書き込まれ祖父鶴吉の愛玩した書籍とその手擦れの状態で分かる。「天」巻末のシロの頁にじつに謹直な筆で
天與正義
神感至誠
の八字が書き出してあるのは祖父の思いを反映していると読める。穿鑿しないで眺めているが、いづれわたしは機械に書き写し終えてどんな成句を心に畳むことか。
「地」巻奥付には、祖父鶴吉の二句にはたぶん倣うまい。
明治十八年三月四日 版権免許
明治十八年五月 刻成納本 とあって
書 者 大阪府平民 邨田浩蔵 東区十二軒町八番地
譲渡人 大阪府平民 花井卯助 東区安土町四丁目十一番地
譲受出版人 大阪府平民 濱本伊三郎 (住所破損)
とあって、両巻の何処にも頒価が無い。和紙の和綴じ本で手触りは柔らかに温和なもの。
* この手の和本に心をやれるのはわたしの有り難い所得で、どんなにその時々が暖かに柔らかいか知れない。小説家というのはかなり人間を泥土や汚穢のなか に眺めがちで、しんどい仕事なのである。想像を絶してわたしが秦の祖父のこういう遺産に教養ないし慰撫されてきたか計り知れない。顧みて此のわたしが朝日 子や建日子らに、まして行方すら知れない血をわけた押村家の孫みゆ希のために何も遺し得ていないのは、身の竦む恥ずかしさである。
やす香に生きていて欲しかったとつくづく悲しい。
大恩ある秦家は、もう秦建日子を最期に絶えてしまう。男の子建日子の生まれたとき秦の両親や叔母が小躍りして慶んだワケは、あまりにもはっきり分かっていた。女の子朝日子が先ずの誕生もさぞ嬉しかったろうが、嫁いでゆく他家へ孫とも覚悟していただろう。
* 明治二年生まれの秦の祖父鶴吉は、うえの「千字文」が刊行のころ十六歳、今で謂う高校生になる頃か。どんな少年だったろう、どんな家庭だったろう、なにも識らないのである、わたしは。
* ウハっ。もう十二時になる。日々のタイムスタディが、崩れかけている。
2018 5/9 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「非凡な美質の何よりの証拠は、それを最も妬んでいる人が、どうしても誉めざるを得なくなる場面が見られることである。」
☆ 赤子拾うて邪魔な物知り 武玉川
* 貰ひ子だか里子だったのか知らなかった、どうも後者であったろうが四つ五つで秦の家に落ち着いた頃、母が銭湯へ連れて行くと、よう、はだかの小母さん らがわたしを見てははだかの母に「お父さんによう似てはる。ええお子や」などとひとしきり空疎なアイサツを呉れていたのをわたしはハッキリ覚えている。 「お父さんに似てはる」ワケのないことを誰もが知っていたはず。父も母も叔母もなんとかかとか辻褄をあわせてはわたしを「秦」の子と落ち着かせていたの だ、思えば「気しんど」なことであったろう。ちっちゃかったわたしは、この家がつまりは「よその云え」と分かっていてそんなことは口にしない出来れば思う まいと思いながら日々育てられていた。そのころわたしは何故か「ヒロカズ(宏一)」と呼ばれていて、京都幼稚園では「秦宏一」と名札をつけていた。妙に怖 かった祖父は「ヒロこ」と云うていた。「ひろコ連れて商売に行く」と老耄後に「譫言」をよく云うたそうだ。このヒロこの「こ」は、島津公だの楠公だのの 「公」の極端におちぶれた蔑称であったろう、京都ではよく耳にした。
昭和十七年、秦の母に手をひかれ国 民学校一年生になるべく連れて行かれた日をわたしは、櫻も咲いて晴れやかに賑わった運動場をありあり覚えているが、この時に受け付けでもらった名札らは 「秦 恒平」と見知らぬ漢字が書かれていた。母は黙然と「それでええのや」という顔をしていたので、わたしは無抵抗に受けいれた。これね「もらひ子」であるゆえ の通過儀礼のように黙過したのだった。「おまえ、もらひ子」と云われようとわたしは黙ってれば済んだが、父や母や叔母はさぞ難儀であったろう。
2018 5/10 198
* 今日の読書は読み継いでいる全册とももう夕方のひと休みのおりに読み終えてあり、寝に行く。
2018 5/10 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれは自分の幸も不幸も自己愛(アムール・プロプル)に見合う分しか感じない。」
* 厳しい、が、かなり的確な指摘である。
☆ 今戸の旭けぶりから出る 武玉川
* 浅草待乳山の奥、東を流れる隅田川に面して今戸焼の集落がたえず窯の煙を上げて旭を迎えていた。景勝と謂うでなくても、穏和な太平楽を感じさせたらしい。
2018 5/11 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「謙遜は、誉め言葉を固辞するように見えるが、実はもっと上手に誉めてもらいたいという欲望に過ぎない。」
* 微妙にそのように見えも感じもすることがある。厳し過ぎとも見てとれるけれど。
☆ 六十四州眠る元日 武玉川
* もうこんな静かなのどかな元日など失せた。なによりうるさいテレビや新聞があり、信心失せの初詣や福袋さわぎなど。わたしの子どもの頃は、まったく武 玉川の通りで、朝はやに雑煮を祝ってしまうと、午前中、家の外へ出てみても人ッ子ひとりの影も戸を開けた家もなく、町通りの東の端から西の端までわたしの 踏む下駄の音が鳴り響くようであった。家の内で大人はみな寝入っていた。「お正月さんがござった」とはそう静かさであった。
2018 5/12 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「ふさわしさ(ビヤンセアンス)は、あらゆる掟の中で最もささやかな、そして最もよく守られている掟である。」
☆ 手代は婿にならむとすらむ 武玉川
* 息子の無い旦那や社長の手代・社員どものとかく見たがる、夢。悲喜劇のタネを「ならむとすらむ」と厳粛な顔を作ってひやかしている。実例を、二、三は見知っている。 2018 5/13 198
* 野坂昭如の芥川賞作だという「アメリカひじき」を読み終えた。文学の作品、おのづからな品位を微塵持たない乱暴なもので、「えろごと師」だったか…よ りもよほど落ちる。エログロを書こうと作家の自由で構わないが、書いて行く書き方に、呼吸にいやしい臭みが出ているのは不覚の手際と謂うしかない。またよ ほど独特の文体かのように見えても、助詞や助動詞を適宜に抜きながら方言をあえて行儀悪く垂れ流せばこういう文章は書ける。書かないだけで、書けと云われ ればわたしでも書ける。
そもそも、エロ・グロ・ナンセンスが野坂の中で成熟しないうわべの便利モノにただ悪用されている。そしてなによりも小説がおもしろく深く成り立っていない。
* 一つ識った、「四畳半襖の下張り」が彼の作だったこと、裁判があったことなど知らなかった。べつに知りたかったわけでないが、風の噂に荷風散人の作かと聞いて、荷風にしても穢いなあと思っていた。
* 今読んでいて、第一章を読み終えて、傑作と思わないまでもその書かれてある行文と展開と、女主人公(作者の津村節子さんとしか思われない)の、また愛 する夫(吉村昭さんとしか思われない)の造形に心底びっくり仰天し感嘆もしている、芥川賞作「さい果て」である。徹した私小説もたくさん読んできてその歴 史は厳粛であるが、津村節子というお人がこういう作家であったなど、わたしは何一つ知らずに来た、ただ同じ太宰賞の先輩作家吉村昭さんの奥さんで、夫婦を 書かれているとだけしか。
この徹した私小説長篇作は、こころしてきっと読み終える。読ませるものがある。しかし、名文でもなく構想が美味いというでもなく、ただただ、よほど「説 明的」に書いてある。熱が伝わり、その熱が花咲こうとしている。私小説の持ち込みはわたしも何度も見てきたが、津村さんの「さい果て」より凝っていても巧 んでいても、この「花」咲いてくる「熱」の淳度や「夢中」の強度に欠けていた。「花がない」と評するしかなかった。
* 作品集のいわゆる「解説」には型が出来ている中で、津村節子を担当していた批評家の「解説」がまた型破りで、ずいぶん識らない「津村節子」を教えられ、有り難かった。この「解説」も私小説が書きたい、小説が書きたい人には潜ってみていい入り口だと思う。
2018 5/13 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「知性(エスプリ)の嗜みは、上等(オネット)で繊細なことどもを考えるところにある。」
「知性(エスプリ)の軽妙洒脱(ギャラントリ)とは、人を喜ばせることどもを感じよく言うことである。」
* 同感し、共感する。
かつて、女文化の世間で「オネット」な男も女も、双方このことを「エスプリ」の嗜みとして心得ていた。
世とともに、男も女も、知性が、そして感性も、「ギャラントリ」を見失ってゆき、いきなり性的な直接行動に、思ったり思わせたり、走ったり走らせたりし、あげく事態の推移を安直に「加害行為(ハラスメント)」と片則飜訳して、何が何でも責任問題に置き換えて行きたがる。
「知性(エスプリ)の軽妙洒脱(ギャラントリ)」になど、もう今日大方の男も女も双方から背を向け、あたまの中には、ただ「性行為」ふうの「つきあい」を「する」「しない」ばかりが腐臭を帯び発酵しているのではないか。
* 前に書いたか知れないが、日本作家代表として、四人組追放直後の中国政府の招待をうけたおり、人民大会堂での会見も終え、北京を一旦離れて、北の大同 へ夜汽車に乗った。清岡卓行、辻邦生、大岡信の三氏とわたしは寝台のある車室を倶にしたが、うえの三氏は、みなパリなどの海外生活を体験されていて、その 上で、三人は声を揃え、いかに男として女にまず接すべきかをそれは熱心に、まるで合唱するかのように語り合い続けてやまなかった。わたしは、終始、先輩作 家達の元気な共感ぶりを眺めていたが、どこへどう彼らは結論を落ち着けたか。それは、文字どおり上のラ・ロシュフコー氏の「箴言」二項と、物言いも正しく そのままであった。三氏は上の箴言を受け売りするように全肯定していたんだなと、今にして思わず笑えてしまう。「ギャラントリ」という言葉が盛んに首唱さ れていたが、「軽妙洒脱」かも知れないが、まさか無礼にはあるまいが「ひたすら慇懃に」とも釈れる。
要するに女と出会えば、何より「ギャラントリ」ですよ、それは「ゼッタイ必要」ですよと三氏はもろ手を挙げんばかり無邪気に嬉しげだった。
* 海外で暮らしたことのないわたしは、団長の井上靖氏に誘われたこの中国訪問が、飛行機に乗った最初だった。
しかし、日本の男たち、女たちの「出逢いや触れあい」がおよそドンナであったかは、日本文学史を通じておよそ察していた。公爵の「箴言」にも上の三氏の 「ギャラントリ」合唱にも異見なく頷けるのである。ただ問題は、この「エスプリ」に満ちた「オネット」な「ギャラントリ」が、今日のいわゆる「セクハラ」 へと、どう変転していったか、だ。
* 一つには、男女の出逢いから交際の、 「エスプリ」に満ちた「オネット」でありえたのが、(黒澤映画「お嬢さんに乾杯」など)そのような穏和な「おつきあい」過程を当節ではいきなり省略し、い つ頃からか、もうよほど前から、「おつきあいしてます」とは「性関係にあります」意味へ直結してきたのが関わっていようと、わたしなどはただ驚いている。
ほんとうの意味で上等な「ギャラントリ」の結果ならそれでいいが、そうはとても思いにくい性急な男女関係が世間に瀰漫してきているのでは。そこに、いろんな意味の力づく「ハラスメント」という故障が割り込むのでは。
☆ 抜いた大根(だいこ)で道を教へる 武玉川
* 即、目に見える。きちっと「人」の表情や声音までが表現されていて、嬉しくなる。
2018 5/14 198
* 体調不快。どうしようもない。仕事するしかない。
* 湯で、「少女」の巻、「聊斎志異」「失楽園」の三大作にそれぞれに思いを馳せ、そして津村節子さんの「さい果て」を読み進んだ。良い本物、良い作に触れていると思いも深まる。
* 選り抜きの藝術性ゆたかな映画の名品に真向かってしまうと、ツマラナイてれびドラマやバラエテイなど「失せおれ」と思ってしまう。国会の委員会も、吐き気がする。
2018 5/14 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれは、悪徳を持つ人のすべてを軽蔑はしないが、いかなる美徳も持ち合わせない人はすべて軽蔑する。」
☆ 裸でよいと伯母がまた来る 武玉川
* 「伯母」が眼目、叔母ではダメ。昔は伯母は親類へ上からものが云えた。世話も焼き小言も云うた。此処は「姪」を嫁にやれやれと、本人より何よりまだ何 かと親が渋っているのに、強い「伯母」御、先方は気に入っている、持参金も道具も要らないと云うているのにと、やいのやいの。
当節「伯母さん」のちからは、どんなものか。
武玉川には上から目線で世話焼きの「伯母」さん、ちょくちょく顔をだす。
☆ 今度も女伯母一人褒め 武玉川
* 『細雪』の蒔岡家が四人姉妹、西洋にも四人姉妹の人気作があった。
2018 5/15 198
* 夕食前に、休息かたがた何冊もの本を順に読んでいった。
源氏「少女」巻では夕霧少年と幼い雲居の雁の幼な恋が始まっていて、背景に父源氏と父藤氏(昔の頭中将)との葛藤がある。わたしはこの辺の少年少女に与 謝野源氏初読の昔から心入れしてきたが、今日原文の情け深くしかもきびきびした行文の中で、「風のおとの竹に待ちとられてうちそよめくに」という「表現」 に気がつき、しみじみ「表現」の美しさにしばしたちどまった。夕霧は従妹への恋を伯父藤氏にも祖母大宮にもたしなめられ、急に、顔を見るにも見られなくなった。侍女達に守られたそんな雲居の雁に襖一重までしのびよっても錠がさされていて逢えなくされており、幼な恋の二人は悲しい。
「いと心ぼそくおぼえて、障子(襖)に寄りかかりてゐ給へるに、女君も目を覚まして、風のおとの竹に待ちとられてうちそよめくに、雁の鳴きわたる声のほのかに聞こゆるに、をさなき心ちにも、とかくおぼし乱るるにや、
雲居の雁も我がごとや
とひとりごち給ふけはひ、若うらうたげなり。」
ひとりごとを云うのは少女のほうで、「霧深き雲居の雁もわがごとや晴れせず物の悲しかるらむ」という古歌をちゃんと心得て呟き歎いている。
わたしの感じ入った表現を、校注者は「風の音が、竹に歓待されてさやさやと音をたてるうえに」と註釈しているが、風を待つ竹という擬人化のうちに白楽天の詩情を汲み上げている。
こういう表現の妙味を無数に鏤めた源氏物語を叶う限り的確に読みとって行く喜びは、容易に他には求め得ない、なにより表現が美しくて適確なのである。
* わたしは今、初めての試みで原点と倶に島津忠夫さんの『源氏物語放談』どのようにして書かれていったのか、ごく学的な追尋をありがたい道案内にしつつ 読み進めているので、源氏読みがいつもよりより詳細に面白い。わたしなりの読み急ぎをせず、校注者の手引きをも素直に受けいれつつ楽しんでいる。
* で、源氏物語をひとしきり読み進めたあと、今日は、即、歴史学研究会・日本史研究会編集に成る『講座 日本歴史 第12巻』のうち「現代2」のを読み 継いだ。このところ、佐々木隆爾担当「世界戦略としての新安保体制」を目を皿に読んできて、今日読み終えた。目から鱗を無数に剥いで貰ったと思う。アメリ カの核覇権主義がいかに強力で支配的であったか、それに照応する極東の従属体制がいかに厳しく、一旦は盛り返しかけながら結局倍加するアメリカの狡知と強 圧に長けた支配意志に屈して行く経緯が、手に執るようにかつ簡潔に追究つれていて、息を呑んだ。わたしが、一国民なりに推測し嫌悪し慨嘆してきた大方は、 まさしく米国支配の実際を介して解ける問題だった。これは日本の敗戦がいまなお厳しい鎖縄のまま締め付けられている実情戦後史なのだと理解している。明日 からは、金子勝氏の担当で「『高度成長』と国民生活」を読み返して行く。
* そして、諦めずに気を起こして今日も又、五木寛之氏の文業を理解したいと鶴見さんの解説や自筆年譜をよみかえしつつ、エッセイであるのか「風に吹かれ て」の抄出集を読んだり、短篇のどれかをと物色していた。長い「さらば モスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」は以前に読んでいた。氏は、自身を「戦中 派」と自認し、敗戦でいのちからがら日本へ逃げ帰っていて、日本が祖国なのかかつての支配国が祖国のような気がしてしまう敗戦体験に身を寄せるように読め るなら読んでみたいと。
津村節子さんの「さい果て」は夫妻して目先も見えない行商の旅にある。真率な、ただそれが文学を支えているいじらしいほどな懸命の生に、胸打たれる。
みんなみんな文学へ命懸けでつっかかって行き、しかも突っかかり方ははっきり違う。
驚くのが迂闊なのだろうが、わたしとても貧しい暮らしは暮らしであったが、京都で生まれ育って京都には「文化」が溢れており、わたしは国民学校の初年か らそれら「京の文化」を浴びるほど心身に浴びておいて東京へ移転したのだった。その豊かさからすれば、大方の作家は冗談でなくたいへんにお気の毒であっ た。竹西寛子さんと丸の内の大きなホールで源氏物語の対談したあと、竹西さんは「秦さんには<京都>がある、わたしたちには大変なハンデキャップよ」と嘆 息されたのを思い出す。「京の昼寝」という言葉がある。地方の人が渾身勉強しなくては住まないことを京都の人は昼寝の内にも見てとれる、と。
むろん、京都の人なら、書き手なら、みなそうとは謂えないが、わたしはそんな言いぐさが有るとも知らず異として意識して京都の文化や歴史にはやくに没頭できた。わたしは真実恵まれていたんだと今にしてしみじみ思い当たる。
2018 5/15 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「悲嘆の中にはさまざまなたぐいの偽善が存在する。ある種の悲嘆では、われわれは親しい人の死を泣くと称してわれとわが身を泣く。自分はせっかく故人によ く思われていたのに、と残念がり、自分の楽しみ、自分の喜び、自分の箔が減ることを泣くのである。かくて死者は、もっぱら生者のために流されているに過ぎ ない涙を、餞(はなむけ)として受けとることになる。私はこれを一種の偽善だと言う。なぜならこのたぐいの悲嘆においては、人は自分で自分を欺くのだか ら。
次に、世の人みんなをまやかすから、最初のほど無邪気でない偽善がある。それは美しくかつ不滅の悲しみという栄光に憧れるある種の人の悲嘆である。すべ てを食いつくす時が、この人たちの実際に抱いていた悲しみを消してしまった後も、この連中は泣き、嘆き、ため息をつくことを、執拗に続けずにはいないの だ。陰気くさい顔を作り、あらゆる所作を通じて、その悲しみは死ぬまで尽きないであろうと人びとに信じこませようとするのである。
こうしたわびしい、人をうんざりさせる虚栄心は、ふつう野心家の女に見出される。女であることが栄光に通じるあらゆる道を閉ざしているために、彼女らは癒やされぬ悲しみをひけらかすことによって有名になろうとするのである。
さらにもうひとつ別種の涙があり、これは小さな水源しか持っていない涙だから、流れてもすぐ涸れてしまう。つまり、心やさしい人だという評判をとるため に泣く、同情されるために泣く、泣いてもらうために泣く、しまいには、泣かずにいると恥ずかしいから泣く、というのがそれである。」
* この公爵がドライに割り切りたい、それのやや過ぎた人だとは分かるが衝くべきを衝いてくるお人ではある。
かんけいするかどうか知らない、が、はじめて源氏物語を読んだ中学(与謝野源氏)・高校生(岩波文庫・島津久基訂)頃から八十二歳の今日まで、この物語の男女、女はともあれとしても、男たちの「泣く」「泣く」「泣く」並みだり量の多さに驚かされてきた。
当節、男があたりはばからず泣いた図は、某市議が経費をごまかしたとバレて記者会見の場で泣き喚いたぐらいしか知らない。
しかしわたしとて実は実によく泣くのである、佳い物をみれば見るほど、こみあげて泣いたり泪をこぼしている。わたしは源氏物語の感嘆の粋としての男どもの泪を、いわば「紳士の実と礼」と受け容れてきたのだろう。フランスの公爵に源氏物語を読んで貰いたかった。
☆ 力があつて下卑た若殿 武玉川
この「力」が腕力・膂力であるのなら、ま、それも生まれつきかと観ていられようが、この「力」が「若殿」ゆえの「権力」「暴力」「圧力」という今日はや りの「パワハラ」の源泉になっては迷惑至極。「若殿」に限らない「姫」でもおなじ事と、いま韓国財閥の「姫」たちが抗議されている、当然の事です。
2018 5/16 198
* さ、また、あしたから気を換えて苦悶をすら羅楽しみに、「仕事」しよう。
あの世よりあの世へ帰るひとやすみ
の今生、あんまりな長ッ尻はいけないよとそろそろ囁かれている。損も得も無い。津村さんは、ただもう「書きたい 書きたい 書きたい 書きたい」と云ってられた。たぶん今も毎日そう思われているだろう。
幸い算盤は捨て果てているが「読み・書き」の勉強は八十年続けてきて飽きはきていない。
* 今の読書で敬意を覚えているのは羽生清さんの『意匠の楕円』。羽生さんはわたしを「先生」「先生」と呼ばれるが、さかさまである、じつに日本の古典と歴史とを精微に読み解いて溶いて説いておられる。
そして新井教授の『五日市憲法』に教わっている。
2018 5/16 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人は自分について何も語らずにいるよりは、むしろ自分で自分の悪口を言うのを好む。」
☆ 雪へおろせば沈む乗物 武玉川
雪がふんわりと積つた上へ駕籠を据えると、その駕籠が、重みで何寸か沈んだといふだけのことであるが、たゞそれだけのことに、いふべからざる趣がある。 その駕籠を舁上げたら、そこには四角な、大きな跡が附いてゐよう。この句を見て、その面白さをすぐに解する人でなくては、武玉川の読者たり得る資格はな い。(森銑三)
* 「沈む」に、表現という「為し技」の機微がある。
2018 5/17 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人は、欠点を隠すために弄する手段より以上に許しがたい欠点など、めったに持っていないものである。」
☆ 女の誉める女すくなし 武玉川
* 「かやうな句は、過去の女の句で、今の私達の句ではないといへるやうであつて貰ひたいものである。 森銑三」
* 二時過ぎまで本を読みに読んでから寝た。夢見も、ま、おだやかで。目があいて、そのまま起きて機械へ来た。東工大卒の新野君がメールを呉れていた。建築の柳博通君に設計してもらった家に暮らしていると。 いいなあ。
* 工大在学中から卒業後にも学生諸君から来た書簡が幾つもの抽斗に溢れている。読み物が無くなったら(は、考えにくいけれど、)これらを読み返すだけで大いに心慰むだろう。手紙、葉書だけで無い。メールも、わたしは軽率には捨てていない。
上京このかたの各種受信類も文字どおり物凄い嵩になっている。捨てて良い類い、仕事上の依頼状とか、業者の案内とか。だが半世紀を超えてのそんなのを選 り分けるのは大変。しかし全部まとめて故紙に出すにはあまりに惜しい、各界人先達先輩の貴重な手紙類が在る。外へ出歩いて人様と付き合うことの極く少ない わたしだが、おどろくほど大勢各方面の知己を多くは文通や著書交換で得てきた。「淡交」の集積が濃密に遺存している。
2018 5/18 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「神は人間の原罪を罰するために、人間が自己愛を己れの神とすることを許して、生涯のあらゆる行為においてそれに苦しめられるようにした。」
☆ 女の誉める女すくなし 武玉川
* 西洋では、「女子と女子との間には、停戦ありて和睦なし」と。森銑三先生は、今はもうこんなで無くあって欲しいと仰有っているが。
2018 5/19 198
* 襲名興行中の新・十代目松本幸四郎君の「市川染五郎時代を総括」という気味の、取材者による一冊が送られてきた。
とにかくも早く舞台が観たい。
2018 5/19 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「我々の涙には、他人を欺いたあとでしばしばわれわれ自身まで欺くのがある。」
☆ 雪の深さの知れる大声 武玉川
* 季節はずれですが、この春はわが家へもご近所へも「大雪」が降った。しぜんと大声も出た声のしんと雪に吸われながら聞こえるクリヤな感覚を、興趣と感じていた。
* 今朝は昨日よりよほど冷える。
2018 5/20 198
* 津村節子「さい果て」はぐいぐい読ませる徹底私小説(としか思われない、二人だけの主役夫婦も、わたしの多少は存じ上げている吉村昭・津村節子さんを 実感豊かに映しているとしか思われない。)で、真摯に書き抜かれてある。この真剣で切なるひょうげんからすると、「新潮」昭和四十四年九月号の新人賞作家 特集に登場の私小説は、敢然とした私小説にも徹しきれないぬるい作ばかりで、これらの中へ反私小説の唯美的幻想作「蝶の皿」を寄せていたわたしが、これが 属すべき文壇という者なら、とてもとてもやってられないと直ちに「作家さよなら」の手記を書いて篋底に秘め置いたのもムリがない、わたしはあの特集を観て 識って、もはや日本の優れた私小説は死んだか、物語は空しく殺されるかだと実感した。幸い、そうとばかりは謂えないのを津村節子さんの「さい果て」や亡き 柏原兵三や古山高麗雄の「プレオー8の夜明け」などが教えてくれた。
2018 5/20 198
* 何十年来のお付き合い、今西祐一郎さん(九大名誉教授・前国文学研究資料館館長)による岩波文庫新版『源氏物語』第三巻校注者としての巻末解説「物語 と歴史の間 不義の子冷泉帝のこと」は、一度は纏めて聴いておきたいと願っていた物語核心の「準拠」問題。「少女」巻を読み終えるに連れ解説も丁寧に読み 取って、のどの閊えもスウーッとした。感謝感謝。
* もう一つまた読みはじめたのは江戸の戯作。そのなかでもわたしの殊に推奨したく教えられもしたのは、江戸戯作の先蹤を成し得た、短篇だけれど卓越の記 念碑昨『跖婦人伝』。作者泥郎子は賀茂真淵門の国学者で幕臣の山岡浚明、二十四歳の作になる。一人の夜鷹(お席)が、吉原の名だたる花魁高尾太夫らを胸の すく、また聴くに堪える弁舌でこてんぱんにやっつける「色談義」で、もとより「跖」のなが示唆しているようにあの孔子や高弟達をこっぴどくやっつけて二の 句も次がせなかったという大盗「盗跖」の故事古傳を踏んだ冴えた脚色であるが、「色説序」「跖婦人傳序」「跖婦人像」と前置きして「跖婦人伝」そして更に泥郎子の「色 説序」に次いで「色説」と「評」で結ばれる。ただただ夜鷹お跖の啖呵が圧倒的で、しかも荒唐無稽の放言ではない。「色説」の「手巧多(てくだ)の章 第 三」「数百の手くだは、床の一悦にしかず。此の一悦に至て、粋もなく家暮(やぼ)もなし。其無(そのなき)によつて無量の極意あり」など、豁然と鳴り響く ようである。
短いもの、もっと読まれ識られていい先駆の炬火と見える。久々に読み直して、すかっとした。
* 「ベトナム戦争」の敬意と評価とにも、強く心惹かれた。外来の無道な勢力(アメリカの南ベトナムへの支配干渉は言語道断で、南を抑えられないとなると 北ベトナムへも悪辣を極めたと言うしかない非人道の攻撃を加え続けた、が、南北ベトナムの國民は徹底抗戦と優れた政略により、結果的にはアメリカを追い 払ったのである、少なくも一旦は。
国民が敢然と闘ってでも抗争しないで、国土と国民を支配しようとはっきり意図して掛かってくる米国の帝国主義は、とうてい払いのけられないだろう。韓国 は北朝鮮や中国やロシアとも、試行錯誤を重ねる姿勢を見せているが、日本の安倍政権は、ひたすらにトランプに服従し、国民の支持を得て頑張るのでなく、国 民を抑え込んで追従政策への追従と奉仕を強いようとのみしている。財界がそれを忖度し服従しようとしているが、その先には、主権国家の頽廃があるだけだ。
2018 5/20 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「真の恋がどんなに稀でも、真の友情よりはまだしも稀ではない。」
* この公爵の「友情」なるものへの呵責ない低評価、といっては間違う、友情の尊さを高く認めながら遺憾にも然様な友情の極めて稀なことへの慨嘆を繰り返 し繰り返し述べていて、これまた遺憾にも、まことその通りと頷くしかないのが肌寒い。わたし自身はこれで友情に恵まれていると感謝している。
☆ 売つた屋敷を編笠で見る 武玉川
* 今の世にもかかる体験者は少なくなかろう。住み慣れた、屋敷などといえない家をうって立ち退くのは心さびしい。わたしにも覚えがある。撮り置きの写真をみるのも身が疼く。
2018 5/21 198
* 亡くなった渡辺淳一さんは、作家である前に医学書院時代の著者だった、一度だけこっちも作家になっていた自分に電話で話した。その渡邊さんの「旅の終 わりの秋」が新潮同人雑誌賞作として昭和四十四年九月「新潮」の新人作家特集に載っていた。感心はしないが、ドクターが中に一人いて、そのドクターに診断 を受けていた癌患者は、死期がまぢかに迫っていると識らず、友人二人は彼との最期の旅としりつつ労っている。その辺は、身につまされた、が、終末は、あり 得なくはないが造りものの薄さでおしいと思った。淡々と書かれてあるようで事実は坦々と平板な叙事になっていた、しかし迫る友の死を他の二人は知っている という事態の重みには自然引かれていた。それだけに、無いとは言いきれないが小説の結構からはあまりにゾンザイに好都合なカタストロフを造り付け読み物に 仕立てた風情は、戴きようがなかった。
* これに比して、さすが、長い候補作の後編に同じ芥川賞の受賞作「玩具」を付け足した津村節子さんの長編『さい果て』は、惹き込むように私小説づくりの親密感を活かして夫婦の生活をジンジン読ませる。読み物とは、段がちがうと感じた。
2018 5/21 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「我々の持っている力は意志よりも大きい。だから事を不可能だときめこむのは、往々にして自分自身にたいする言い逃れなのだ。」
☆ 一人ずつ子の戻る夕暮 武玉川
* もう すっかりこういう光景は見られなくなったが、わたしの幼時もこうであった。久保田万太郎の 「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」もこうだ。路 上、子供達が集って一つの遊びに熱中している図など、もう久しく目にした覚えがない。家にテレビがあり、路上に車の往来がある。索漠。
2018 5/22 198
* 昔の「新潮」新人賞特集に載っていた北原亜以子さんの「青い水晶の村」も、坂上弘氏の「コスモスの咲く町」も、期待を裏切る索漠とした作であった。残るは宮原昭夫さんの「指」だけ。
2018 5/22 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「すぐれた面を持ちながら疎んじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人がいる。」
「他人に支配されないようにするのは、他人を支配するよりも難しい。」
☆ 娘の謎を伯母が来て解く 武玉川
* 払底してこういう「伯母さん」は見なくなった。当節は伯母さん叔母さん母さん世代のほうが、「お肌がどうした」「附け鬘がどうの」「お通じにはどの薬の」とウロウロしてて、娘、息子らは「勝手に育つ赤いトマト」の気で居る。
2018 5/23 198
* 昨夜、長編「さい果て」に、同系の後日篇「玩具」「青いメス」を添えての津村節子作『さい果て』を読み終えた。おもえばここ数年、現代日本の文学を「読 んだ」という実感も覚えもほとんどなかったあとでこれと出会い読み終えたのは、一事件であった、つまり面白く共感し感情移入しつつ読んだ、読めたというこ と。
一つには吉村昭・津村節子というご夫婦作家の少なくもご主人の吉村さんとは、ともあれ同じ「太宰治賞」を受けた同士のご縁があり、かつわたしの印象と作 中の 夫「志郎」サンの印象とはよくうまくカブっているのだ。総じてこれは「志郎モノ」と読んで佳いほどの、妻からの夫への観察・批評、それを下支えて生き生き した夫妻物語になっているのだ、それへ惹き寄せられ、わたしは読み切った。「夫婦ないし夫婦愛」を書いて出色の表現であり、身辺私小説しか書けない「書き た い人」たちの好適な、文句の挟めない佳いお手本になっている。筆が萎縮していない。書くべきはおどろくほど率直に端的に効果的に書かれている。
感じ入りました。
それにしても津村作にせよ柏原兵三作や古山高麗雄作にせよ、「徹した私小説」というつくりで成功し、いわゆる「物語」は少ない。まだ筑摩大系「ウシロから」読み の中で、物語には多くは出会えてない。野坂、五木、井上ひさし氏のなかにはあるだろう、富岡多恵子作にもあったか。
ま、私小説のようにつくりながら実は思い切った物語を 書いてきた私と、同じまたは似た意図で書いてきた人も大勢あるのだろうが、めったに好例に出会えない。
2018 5/23 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「善と同様悪にも英雄がいる。」
「偉人の栄光は、常に、彼らがそれをかち得るために使った手段を秤にして量られねばならない。」
「どれほど華々しい行為でも、偉大な志から出たものでなければ偉大と見なされるべきではない。」
☆ 講中寄って褒める戒名 武玉川
* 秦の親たち三人の戒名が、幸い好もしいとみている。
わたし自身は、お寺さんに戒名をつけて貰いたいとは願っていない。秦 恒平で宜しく、ま、自身で名乗ってきた「有即斎・宗遠」でけっこう。
2018 5/24 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「美徳は、虚栄心が道連れになってくれなければ、それほど遠くまで行けないだろう。」
☆ 生きた娘の代る人参 武玉川
* 「人参」という著効の高価薬が尊ばれた時代、親のため身内のために娘が色街へ身売りして金をつくったような話はイヤほど聞いてきた。昨今でも、「人 参」のためとは言わなくても同様なことがあるのかどうか、戦前戦中にはあった、ありえたろう。敗戦後にもあったと想われる。「生きた娘」の句に深い歎きが 籠もる。
2018 5/25 198
* 昔の「新潮」新人賞特集で読み残していた宮原昭夫氏の「指」は、読みはじめて、即、躓いた。こう書き出されている。
さつきまた打つてもらつた痛み止めが利きだしたらしく、うとうとしている直子を残して、母はそつと病室を抜け出した。
* この行文を読むと、痛み止めを打って貰ったのが 「直子」とも、直子に付き添い看取られている「誰か、直子の病んでいる夫 あるいはきょうだい あるいは 子ども」とも読め、 さらにはこの病室をそっと抜け出す「母」は、直子の「母」、または直子でない、大人とも子どもとも知れぬ病人の「母」とも読めてしまう。
しかも、この書き出しの文章は、客観的な目を持った「作の外の書き手」なのか、「作中人物」として直子ないし母と関わりのある 例えば「私」なのか、あるいは「太郎とか正雄とか」三人称のある誰かなのかが、読者には掴めない。そして改行もなく、こう続く。
昨夜一睡もしなかつたためにずきずき痛むこめかみをひとさし指で押しながら、母は長い廊下をのろのろ歩き、外来患者の待合所にたどりつくと、ソフアの一つに崩れ込むように坐つた。
* 「母」の動作も状況も此の私自身イヤほど体験したので明瞭だが、不明瞭なのは、この「母」がいったい「誰の母」かが、まったくハッキリしない。ここで 「直子の母は」「病人の母は」「だれかそれ以外の者の母は」なのかが読み取れない。しいていえば、うとうとしている直子にも病人にも、こういう「母」の現 状は見えていないはず。すると、この「母」 誰の母なのか。
普通なら引用部分の最初に出る「母は」に、「直子の母は」「(病人)の母は」「だれそれか(自分の)母は」と書いておけば、こんな曖昧は容易に防げる。
さもない場合、ごく普通には、ただ「母は」とあれば「(書き手話し手である)自分の母は」と読み取られやすい。ところがそんな「存在」の影もさしていな い。もし、ただ「母は」でなく、「直子の母は」「病人の母は」「自分の母は」とあれば、行文に何のアイマイも残らない。ところが、作者は、この後もただも う「母は」で押しすすめ、誰の母なのかアイマイなママなので、読み手としてはいささかならず当惑してしまう。「当惑」という二字はわたしの実感に相応し く、こういうフンドシの緩んだ文章を読むのは、苦手である。
なおなお読み進んで気分のいい諒解が手に入れば失礼はむろん即刻深く詫びるが、このままでは読み進める氣が起きなくて困る。
2018 5/25 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「世界の趨勢のみならず、考え方の嗜好まで変えるような全面的な変動が存在する。」
「國の中に奢侈と過度の文明化があるのは亡国の確かな前兆である。なぜならすべての個人が自分自身の利に汲々として、全体の幸福に背を向けるからである。」
* 一九三五(昭和十)年生まれのわたしは、まざまざとそれを体験した。
そしていままさに「文化」を忘れた「過度の文明化」の害毒に日本人は、人間は、焼かれつつある。
☆ 女房の名を附けて売る餅 武玉川
* そういう餅屋や菓子屋がけっこう多くあった。森銑三先生のいわれるように「気分が明るくて、何か景気がいゝ。」昨今、そんな風情には出会わない。
2018 5/26 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「軽蔑すべき人間に限って軽蔑されることを卑屈に恐れる。」
* 地位が上がって、「学長」の「学部長」の「理事」の「監督」のとなれば、なおさらで。
☆ 狸が呼んで名を替える尼 武玉川
* これは今ここへ引くほどの句ではないのだが、幼い記憶にすこし引っかかって妙に懐かしくもあるので。昭和二十年三月、京都市内から、雪の丹波山奥の、 まるで深い薬研の底を小川と村道のくねっているような小さな田舎へ、母と、戦時疎開した。わたしは国民学校三年生をそ匆々に終えてきたばかりの満でいうと 九歳余だった。
その、当時京都府南桑田郡樫田村字杉生は農家が十数軒ともないちっちゃな部落であったが、そんな集落からは街道沿いに一キロほど離れて尼寺があり、とに かくも大人の庵主さんと、も一人、今での遠い印象からすると十代後半か二十歳ほどの若い女性がひっそり暮らしていた。二年近く疎開していた間に、この尼さ ん達をみたのは数度となかったが、やはり村の若い衆は「庵主さん」ではない若い尼さんをなんとか俗名で口にしてはなにやかや言うていた。なにしろ戦時戦後 でほんものの若い衆といっても農学校生かそのちょい上、いまの高校世代しか男のすくない農村だった、そういうお寺の存在は、無縁であればあれ一種別世界め いてわたしは感じたり遠くからお寺の石垣を眺めていた。
上の句、狸だか若い衆か、なにかしら尼さんをからかいかねなかった風情で、森銑三先生はごく穏和に読まれているが、「名を替える」には何ほどか案外なドラマもありそうに読め、通り過ぎてしまえなかった。
2018 5/27 198
* 昨夜遅く読み上げた鏡花の京都編、「笹色紅」。もってまわったおはなしではあるが、場面場面が目に見え手に触れるように私には親しく、大方は芸妓、茶 屋の女たちの「京ことば」が、ようここまで鏡花が聴き取っていると舌を巻くほど、正確とは思われないままにも感じはじつに面白く身ぢか耳ぢかで、それに惹 かれた。それ以上に、縄手、大和橋、竹村橋、西石垣、大嘉、千茂登だの西大谷だの、そしてクライマックスを産み出す疏水の瀧だ、もう新門前のわが家から小 走りに二、三分の近所だった。疏水の瀧(鴨川運河・疏水閘門)へは、よく人が身を投げたし、水死の事故も起きた。お話しはいかにも鏡花の流儀、引き抜いて の大化けなど笑えるが、なにしろ祇園の「芸妓言葉」はしみじみ身に沁みた。編者が解説で不自然としている「「私(あて)がもつはけ」「支度させるはけ」な ども、この界隈で育った秦の叔母のもの言いそのままで、語尾の「はけ」は後年に瀰漫の「さけ」よりもよほど順当であった。鏡花の聴き取りはただならぬ耳と 語感との良さを見せている。その点、京の土を踏まずに書いたと思われる「瓔珞品」の京ことばはよほど不自然に読める。
四条大橋から手の届きそうな辺に竹村橋という、流れては替え流されては替えの仮橋がむかし渡してあったとは縄手育ちの父にも叔母にもよく聞いた。芸妓舞 子が自殺する場としても知られたのを鏡花は舞台に用いている。後にはそんな流れの速い深い疏水上に「かき春」という舟料理や浮かんで、一度両親や叔母にご 馳走した。それも今は無くなった。
今一箇所、一対作である「楊柳歌」にも<この「笹色紅」にもあらわれる、これまた花街の女が心中や自殺によく走ったおそろしい魔所があった。一人歩きまわる少年のわたしも、其処へは近寄らなかった。
* 鏡花の書き遺してくれた「楊柳歌」「笹色紅」は、京都が感謝していい「故山を飾る」逸品である。
2018 5/27 198
* ゆっくり湯につかってきた。「五日市憲法」の充実と卓見に教えられ、身震いがするほど。シンの民主・民権思想が結晶している。せめて幾分かでも明治の欽定憲法に反映させたかった。今日の平和・民主憲法の護持と充実のためになんとか活かせないものか。 2018 5/27 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「率直とはこころを開くことである。これはごく少数の人にしか見出せない。ふつう見られる率直は、他人の信頼をひきつけるための巧妙な隠れ蓑に過ぎない。」
☆ 奇麗にしなび給ふ上人 武玉川
* 持戒正しくもろ人の帰依を受けてきたお上人がお年をめされてきたが…という。お目に掛かりたい。
2018 5/28 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「大きな存在、大きな人物になるためには、自分の運を余す所なく利用する術を知らねばならない。」
☆ 買つた屋敷を愛宕から見る 武玉川
* 「売つた屋敷を編笠で見る」の正反対、愛宕山へわざわざ登って買った屋敷を嬉しがる。編み笠で見たことはあれ、高いところからわが家を眺めるなと。とてもとても。
2018 5/29 198
* モリ、カケ、アベのウソクサイどころかウソそのものの悪政に日大アメフトのウソ・ハラ騒ぎ、吐き気がする。
* わたしは世離れてはいるけれど、ミルトンの壮大な『失楽園』 また『アラビアンナイト』に心酔し、また近代現代の日本史を学んでいる。
五木寛之の「ソフィアの秋」はイコンという美術と、グルジア方面の牧歌的なロマンスに惹かれて読み進み読み終えたが、やはり、何処かで「なげやり」な読 み物の域を出なかったのは残念。今は井上ひさしの「手鎖心中」に期待している。大庭みな子作は何を読むか選びあぐんでいる。
なんといっても『失楽園』『千夜一夜物語』で心を洗われている。
岩波文庫新版の第四巻の出を、待望している。
* 『手鎖心中』も面白くは読み進められるが、それは描かれている世間をわたしも知識として持っているからで、小説としては要は時代もの。わたしはまった く同時期の最上徳内を描いたが時代物にはしなかった、その気がなかった。わたしは「徳内さん」と二人で田沼の昔の、そして昭和の現代の蝦夷地・北海道を 「旅」してまわった。歴史を今に活かすように構想した。時代小説はつまらない。わたしはいろいろ歴史の人を描いてきたが時代劇にしたことなど有ったろう か。
2018 5/29 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれに感嘆する人びとを、われわれは必ず愛する。そしてわれわれが感嘆する人びとを、われわれは必ずしも愛さない。」
「少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う人を愛することも、それに劣らず難しい。」
「われわれは己れの欲するところを知りつくすには程遠い。」
☆ 緑子(みどりご)の欠(あく)びの口の美しき 武玉川
☆ 腹の立つとき大針に縫ふ 武玉川
* 前の句を受け取れない人はいまい。
さて、アトの句を実感できる女性が、おいでか、な。
2018 5/30 198
* このところ連日入浴し、湯の中で校正の読みを30頁ほど、そして本を二、三種少しずつ読む。今晩は、ミルトンの『失楽園』と、『聊斎志異』の一話を。対照も、すこぶる、妙。
岩波文庫上下で900頁を超す大作『失楽園』は原文は、散文でなく壮大な「詩」。まだ人間の世界も生まれていない遙かな太古、宇宙に、唯一最高神の君臨 に反旗をひるがえし簒奪を願って天使や悪魔の大軍が闘いを挑み、惨敗して無数の反乱者は宇宙の底の底の業火と闇に鎖された世界へ禁獄されている。その敗者 達が、首領であるサタンに率いられて今一度の天国への帰還を策謀しているところから、この壮大無比の詩巻は繰り広げられる。その反闘の足場に彼らは、至高 神によって予定されている「人間世界」に狙いを定めようとしている。
とにもかくにも「読まされて」行くそれ自体がすこぶる好奇な感触なのである。
* 『聊 斎志異』 読みやすい面白い楽しめる怪異の短篇集があろうかと思うほど。これも岩波文庫で上下巻900頁ほどあり、ふしぎに懐かしいのである。人と化け物 とが普段づきあいしているような世界で、まったくと強調できるほど難しくなくて読んで面白い。いま、浴室へは持ち込めないが『千夜一夜物語』も角川文庫の 二十何冊かをまたも読み切ろうと楽しみつつある。この物語を読んでいくとあきらかに西欧の白人達より、この、中東人たちに親愛を覚えて行く、その中へ入っ て行って住む記にはならないけれど。
* 読書は、わたしには、おおかたよく効く妙薬である。
2018 5/30 198
☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「物事をよく知るためには細部を知らねばならない。そして細部はほとんど無限だから、われわれの知識は常に皮相で不完全なのである。」
「ある事が、さんざん思いをこらしても考え及ばないほど完璧な形で、ひとりでに頭に浮かぶことがある。」
* いま、しみじみとそう思い、そう願っている、小説家として。
* 公爵ラ・ロシュフコーにかなり永くお付き合いを願ってきたが、ひとまずは、これまでとして、感謝と敬意とを十七世紀へ送る。
☆ 隠居へ孫を運ぶ雨の日 武玉川
* 些少の都会生活者に「隠居」は思い寄らないにしても、年寄りには年寄りの部屋があろう。孫の世話を押しつけ気味に頼むとも、雨ゆえの無聊なればこそ慰めにかわいい孫を預けるとも読める。武玉川の境涯なら、後者と、わたしは読みたい。
* 昨夜も二時過ぎまで次から次へ本を読んでいて、ま、そこそこに睡れてポコッと早めに目ざめた。いま、九時。このぶんでは昼間に睡くなりそう。ま、いい。あるがまま。けれど暢気にはしていられない仕事の混みようで、なるままにとは捨て置けない。
おいおいと老いをはげまし老いらくの
老いのあまえの日々を追ひ行く 遠
2018 5/31 198
* 機械の前へ来て、ラ・ロシュフコーが「箴言」の最後に、「死の蔑視の思想・言論への批判」をしている文庫本での四頁ほどをプリントし、繰り返し読んだ。
「死の蔑視」とは、はやくいえば「死ぬことなど怖くない」という主観を謂うているのだと思う。「異教徒」のよく説きよく謂うとしているので、佛教なども また武士道なども念頭にあるのだろう、それとは離れて、わたしも「死」と向き合いそうになるつど、同じ論点で物思うことがいわば幼來あったように自覚して いる。老いてますます、この論題は意味を大きくしつつある。
2018 6/1 199
☆ 鳶といはれて酒を買ふ母 武玉川
* 子を褒められるのが、母はわがことより嬉しい。鳶が鷹を生んだねなどと客にいわれると、ほくほく愛想の酒を買いに走る母親。あたたかな武玉川の、表現。
☆ 親の闇ほかの踊は目に附かず とも有る。盆踊りに家の少娘もまじっているのだ。
親の、母や父の、子にしてやれる心からの励ましは、これに尽きる。世間には「拝み倒しにまだ懲りぬ母」もいようが、そういう「モノ・カネ」で出来合うのは土間親にも可能と思われず、そもそもそれでは親は心淋しい。
☆ 親の闇たゞ友達が友達が と、子の「わるさ」を友達のセイにしてしまう親であっても心淋しい。
2018 6/2 199
☆ 詠懐 白楽天
尽日松下坐 有時池畔行 尽日松下に坐し 時有つて池畔に行く
行立與坐臥 中懐澹無営 行立と坐臥と 中懐は澹(たん)として営む無し
不覚流年過 亦任白髪生 覚えず流年過ぎ また白髪の生ずるに任す
不為世所薄 安得遂閑情 世を薄(かろ)んずる無くば 安(いづく)んぞ閑情遂ぐを得ん
☆ わが幼名で捨子育てる 武玉川
* そういうことも有ったんだ…と、想う。
2018 6/3 199
☆ 親の昔を他人から聞く 武玉川
* 同様に 己が昔を他人からいろいろ聞かされたことであった。
2018 6/4 199
* 午前中、目いっぱい力仕事ふくむ要事を片づけた。機械の前、冷房していても暑い。瞼はいつも半ば垂れて、睡い。
昨夜、式亭三馬の「浮世床」読みはじめた。おもえば、妙なモノばかり読んでいる。「聊斎志異」「千夜一夜物語」「手鎖心中」「失楽園」「家畜人ヤプー」等々。
羽生さんの「意匠の楕円」、新井教授の「五日市憲法」、歴研の敗戦後「日本史」など、まともな本。
とにかくも 無事是好日でありたい。
2018 6/4 199
* 井上ひさしの直木賞と聞いている「手鎖心中」半分胃序も読み進みつつ、意外なダサイ行文と構想とにシラケている。氏の短篇や劇作では一段の感銘作にも出会っていただけに情けない。想も粗いが文章も雑で、意外な損を覚えた。これなら式亭三馬や山東京傳ら、ことにも戯作の先頭を切った「跖女傳」や情緒纏綿の「春色梅暦」などを読んでいる方が、はるかに感銘も覚えて独自の「文学」と謂うに近い。
2018 6/4 199
☆ 虚空裏に向つて釘橛(ていけつ)し去るべからず。
「虚空に釘を打つような真似はするな。」 臨済
* 問うては擬議し惟うては擬議し応えても擬議している。臨済和尚はそんな横面を張る。張られてばかりいる。それでも、うじついていず、たとえ天下の嶮であれわたしは、今も、小説を書いている。ピシャピシャと自分で頬を打ちながら書いている。
2018 6/14 199
☆ どんな抱き柱(万巻の経典など)を抱こうと「荒草曾て鋤かず そのような道具では無明の荒草は鋤き返されはせぬ」と臨済和尚は、軽薄な教養に頼る識 者の弁を蹴散らす。「你(なんじ)が信不及なるが為に、所以に今日葛藤す 所詮おまえたちは信念不足なままの無用の議論に落ちこんでいるにすぎない」 と。「少信根の人、遂に了日無けん 信念の欠けた者はいつまでたっても埒のあく日はない」と。
* 信 とは、信じない ことか。信じたとき惑うのではないか。
2018 6/15 199
* 体調に考慮し、このところ、ほぼ毎日薬湯に入浴し、相変わらず校正もするし本も読んでいる。今日はもう校正が無く、「千夜一夜物語」「五日市憲法」敗 戦後の「日本史」をどれも面白く興味深く、教わり教わりゆっくり読んでいた。いい照明のほか水分だけはたっぷり手近に用意している。
2018 6/17 199
☆ 「擬議 もたもたする」 臨済録
* 咄嗟のおりに一瞬 反応・応答できない。もたつく、その瞬時に一喝され棒を喰う。禅問答など及びも附かないが、「擬議す もたつく、もたもたして」痛 棒を食っている例をしばしばみるつど、慥かに自身の日常にもかかる「擬議」のざまを幾十度露呈しているかと痛いほど自覚する。自縄自縛なのだ、咄嗟に 「打ってくれる」師ももたないのだ。
何に、何故「擬議し」もたつくのだろう。もっともらしく思慮分別しようとし「もたつく」のだ、分かる・分からないの間でもたつくのだ、擬議するのだ。
臨済和尚は喝する、「乱りに斟酌する莫(なか)れ。会(え・わかる)と不会(ふえ・わからぬ)と、都來(すべ)て 是れ 錯(しゃく)}と。
* ただただ擬議の歳月を積んできただけかと、歎くも居直るも擬議、もたつき。嗚呼と呻くのも擬議、もたつき。
2018 6/18 199
☆ 「虚空裏に向かって釘橛し去るべからず (虚空に釘を打つような真似はするな)」 臨済
* 概して、さように空語を弄して胸を張っているのだ。分からずにではなく、分かって乍らやめないのだ。情けない。
2018 6/19 199
* 朝、不快。
* ただ、臨済に会う。 2018 6/21 199
☆ 「用ひんと要せば便(すなは)ち用ひよ。 病は不自信の処に在り。你(なんぢ) 若し自信不及ならば、即便(すなは)ち忙忙地に一切の境に徇(したが)つて転じ、他の万境に回換(えかん)せられて、自由を得ず。你(なんぢ)若し能く念々馳求の心を歇得せば、便ち祖仏と別ならず。」 臨済
2018 6/23 199
* 三日ぶりにゆっくり入浴、読んでおきたかった本の要所を丁寧に読み耽った。
2018 6/23 199
* テレビは、なにもかもツマラナクて、気休めにもならない。寝入ってややこしい夢でも見ていたほうが、マシ。
* 読んでいる本は、みな、抜群に好い。
ミルトンの『失楽園』の宇宙大、壮麗の世界詩。ゲーテの『フアウスト』をはるかに超えた宇宙大の叙事詩の美しさ。
『千夜一夜物語』の野放図に華麗なミマ語りの面白さ。
『聊斎志異』の化け物世界の懐かしさ。
新井勝紘さんの『五日市憲法』のなにもかも諳記してしまいたいほど名「研究」行為の面白さで紡ぎ出される明治私民らの立憲行為の火傷しそうなほどの尊い熱さ。
そして、いまさらに チクショーそうであったかと呻くほど身に痛くも親しくもあり、気づききれなかった数々の「敗戦後日本史」の真相。
2018 6/24 199
* 笠間書院の重光徹さんから、京大名誉教授川端善明さんの新刊『影と花 説話の徑を』を送ってきて戴いた。広い視野から選び取られた優れた説話の懇切な紹 介で、大いに楽しめること、目下再読しつつある中国の『聊斎志異』に似てまた幾味もことなった読み物と思われ、早速毎晩読書の書目に加わってもらう。
* いろんな社や団体から新刊・雑誌をふくむ印刷物が送られてくる。中で、保存の気ももち最も愛読してきた小雑誌に、日本史専門書の吉川弘文館の「本郷」 がある。読み捨てには惜しい記事がしばしば単発ないし連載で出てくる。今日とどいたNO.136も、表紙の目次だけで「読まなきゃ」と思う記事がいくつも 在る。森暢平さんの「女性皇族の公と私」や若松英輔さんの「茨木のり子」は即座に読んだ。
もう新刊本など買っては手狭に窮する暮らしで居ながらこの社の新刊、それも大部の新刊にはしばしば辛いほど誘惑される。困る、困る。
しかし、お話しにもならない同人雑誌もたくさん届く。せいぜい目に附いたのを読もうとしても十行とは読めない。口の奥へ「がんばってください」を呑み込んで、故紙へまわす。わたしに時間も根気も無くなろうとしている。
2018 6/27 199
☆ 前文、ごめん下さいませ。
梅雨も明け、猛烈な暑さですが、先生、お障りなくお過ごしでいらつしやいますか、お伺い申し上げます。
先日は、『湖の本 140 有楽帖(二) 一筆呈上(続)』 をご恵与くださいまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
(中略)
同封の 『【新編】 日本女性文学全集 (=岩淵宏子・長谷川啓監修)』 は、当初刊行していた菁柿堂が閉社され、新しく六花出版から刊行を再開するこ とになりました。第五巻は、私の担当巻ですので、献本させていただきます。お暇な折に、ご笑覧いただければ幸いでございます。
まずは拝受の御礼まで申し上げました。
今夏は、とりわけ暑さが厳しいようですので、くれぐれもご自愛くださいますよう、お祈り申し上げます。どうぞお元気で。 かしこ 岩淵宏子 日本女子大名誉教授
* 戴いた全集第五巻は 野上弥生子 長谷川時雨 宮本百合子のほかに吉屋信子 鷹野つぎ 野溝七生子を揃えて、代表作の長編も惜しげなく収録の佳いもの で、有難い。全十二巻の五巻までが出来ていて、しっかりした編輯である。あ、あの作家が抜けていると思うのも稀に在りはするが、ま、わたしの頭にある女性 作家の名は ほぼ大方網羅されているようだ、重量感に満ちている。「真知子」や「風知草」など、また読んでみたくなった。
(中略)のところで岩淵さん、御苦労の様子など書かれていて、気に掛けている。この前は「フゥミニズム文学論集」を戴いている。
* 京都の服部正実さん、かなり以前に服部さん多年撮影の瓦鍾馗について「美術京都」誌に招いて対談したが、今日、『私は瓦鍾馗』なるお見事な写真と文章 との佳い一冊を送ってきて下さった。 京の町家の軒に場をしめ厄難を祓って下さる瓦の鍾馗さんの造形には子供の頃から眼を留めてきた。服部さんは夥しい数 の、しかも選り抜きの逸材を撮影し続けてこられた。佳い本になってよかた。
* 横浜の小泉浩一郎さん、著書へ、鄭重なお便りを頂戴した。上智大学からも。
* 集英社版の四巻特大の『大歳時記』は持つも重い重い網羅的な大冊で、第四巻「句歌花実」の広範囲なエッセイ篇にわたしも六七編の執筆依頼を受け寄稿し ていた。あまりに本が大きく重いので書いた文をコピし保存しておくのも難儀、ながらく放ってあったが、本自体が場所塞ぎになってきたので今朝から苦辛して 機械でコピーを取り始めたが、やっと三編だけ。「極楽」「地獄」「身体」に関連して書いたもの、気張って書いているのに、少し照れる。
初出の書籍から依頼執筆分をとにかくコピーしておかねばならないのが、まだ身のそばに、押し入れに、二階にも階下にも「凄い」量が残っていて、いちいち 機械に入れて保存するのにひどい手間と時間が掛かる。いくら掛かろうと放っておくワケに行かない。健康さえゆるしてくれるなら、「湖の本」の200巻な ど、何でもない。よう書いていたものだ。本は「むずかしく」てたくさん売れなくても、原稿には原稿料が必ず支払われていた。おかげで「選集」が豪華な非売 限定本でも、「湖の本」が赤字を出していても構わずやって行ける。地道に暮らしても行けている。次から次へと、もう依頼原稿は書きませんのでと断るまで、 たくさんたくさん書かせてくれたたくさんな版元を、今も、有り難いと思っている。
* 十時半を過ぎた、もう視野が不安定に滲んでいる。機械から離れる刻限。幸いと、明日も出かけねばならぬ何用もない、落ち着いて仕事が出来る。床についても少し早く電灯を消した方が良い、昨日も二時過ぎまで裸眼で本を、すこしずつ、読み耽っていた。
2018 7/3 200
* 気象学の岡田武松をめぐる検討・評価の座談を観聴きし首肯いていた。機械の前へ来て、機械の温まるあいだに『浮生六記』に心惹かれ拾い読みしながらいろいろと教わっていた。
最近の戴き本で川端善明さんの『影と花 説話の径を』は研究者のいたり着かれた談話の妙に溢れ、佳い読み物である。たくさんな示唆が得られるだろう。いま八十五歳の京大名誉教授の談、聴き入りたい。
* 多年大きくて重い『大歳時記』第四巻に間近を場塞ぎされていたが、収録のわたしの原稿六篇を無事コピーして然るべき機械中に収容できた。
これでこの『大歳時記』そのものをしかるべく日々に愛読翻読できることになった。厖大に精選された歌と句とが満載ゆえ、歳時記としての感賞が楽しめる。 よしよし。先立つ三巻分とやっと一つ所に揃えてあげられる。すぐれた我が国の詩歌を身近間近にいつも置いて手が出せるのは大きな幸せ。ただもう厖大に作が 羅列されている『国歌大観』よりも、感賞しつつ楽しめるのが有難い。
* この腰掛けの足もとにいま一つ大きな袋におよそ三十册ほども「初出記録」を書き出しただけで機械に本文の収容されていないのが狭い場所をもう何年も塞 いでいる。これらも片づけて落ち着くべき場所に落ち着かせてやりたいが。一頁一頁ずつ機械へコピーして行くのは、「時間」がなあ…と嘆かわしい。、ま、泣 いているヒマに仕事をするしかないのです。「外歩き」は出来ないなあ。
* 「選集 第二十八巻」の編輯作業を、腹を決めて、始めた。「読む」という眼の仕事、「選集 第二十七巻」の責了も 「湖の本 141巻」の初校も 眼の仕事。
創作と編輯と私語などは機械での眼の仕事、校正はたいてい横になってからだ安めながらの眼の仕事。そしてたくさんな読書がまったく眼でのどれもみな甲乙のない、まったく眼での楽しみ。
いま嬉しくてならないのは『ゲド戦記』世界へ帰ってきたこと。『千夜一夜物語』も『聊斎志異』これに類してまことに面白く、『失楽園』は崇高な詩的世 界。一字一句ものがさず読み耽る。いましも楽園にしのびこんだ堕地獄のサタンがあらわれてイヴを誘惑しつつある。そして『浮生六記』のなんという雅にして 美しい生活感覚。
『家畜人ヤプー』は、これらのみごとな優秀作の前では奇怪に過ぎている。
筑摩の大系では、真継伸彦さんの代表作長編『鮫』を、再読中。
新井教授の『五日市憲法』にはホトホト感銘、この起草者「千葉卓三郎」の生涯を優れた映像ででも観たいと願う。この本を読んでいると、現政権への厭悪と嫌忌の思いがますます激しく募る。
前世紀の六十年代から、わたしは、東京で、敗戦後現代における米国帝国主義の軍事と経済での悪辣と、米国の言いなりに日本の保守政権が国民の「脱政治 化」をさまざまに画策しつづけて成功してきた道筋を実地に体感してきた。そのことを歴研の「敗戦後現代史」は悔しいほど鮮やかに実証して見せてくれる。読 まずにおれない。
ジェンダー、フェミニズムに関わる文献も何冊かの本を引き寄せて批評的にではあるが興味も感じつつ読んでいる。
「源氏物語」岩波文庫新版の四巻が届くのを待ち望んでいる。それまでは川端善明さんに「説話の径を」案内して戴く。これらの本を、おおかた全部、一日の 内に、なんどかに分けて、読みたいだけ読んでいる。好きに本の読める日々。少年の昔にしんから憧れた日々。あの頃は、ひとに借りるかよその家へ上がり込ん で読ませてもらうしか読書は出来なかった。ただ、ありがたいことに、読書を「極道」と叱った秦の父の父親は難しい本の蔵書家であった。なかでも沢山な種類 の漢詩集や漢籍を溜めて遺していってくれたのは、途方もない恩恵だった。感謝に堪えない。
2018 7/5 200
* 十時。さ、コンヤはもう階下へ移動しよう。ゲラを読み、何冊も本も読んで、せめて一時には寝入りたいが。
2018 7/6 200
* 夕食前に、今日届いた「三田文学」で、坂本忠雄(元・新潮編集長)さんが石原慎太郎氏への聞き役を勤められた長い対談を読んだ。次号にも続くらしい。
石原氏の例の両手足をふりまわして一人舞台のような言いたい放題は、ほとんどわたしには縁がないなりに、二人での話題に登場の、小林秀雄、永井龍男、大 久保房男等々多数の今は亡き文壇人の名前には、私なりの懐かしい交渉や接点があって、そんな思い出にも手伝われてついつい読んでいった。
小林秀雄という人があつて私の「清経入水」選者満票の招待受賞はあり得た。わたしは私家版を小林さんにおそるおそる謹呈はしていたらしいが、筑摩書房の 「展望」も「太宰治文学賞」の存在も全く知らなかった、それほど「遠い外」にいて一気に文壇へ招いて貰った。あの大冊「本居宣長」を人を介して当時の勤め 先へ贈り届けても下さった。中村光夫さんから、「あんたのような人がもっといなくてはいけないんだが」と文壇へ慨嘆の言を聴き、また吉田健一さんに小説 「閨秀」を朝日時評の全紙を用いて絶賛されたときにも、わたしは小林秀雄という人の存在を見えない電波のように感じていた。
ただ、わたしは、石原氏がまさしく文壇での賑やかな先輩同輩後輩との付き合いようを謳歌されているのとは逆に、めったなことで人に文壇人には顔を合わさ なかった。本のやりとりに限ろうとして、会わなかった。それでも、作品『廬山』を芥川賞に推して下さった瀧井孝作さんにはお宅へ何度も呼ばれ、また同じく 永井龍男さんのお宅へも、一度だけ「帯」を戴いた単行本『廬山』を持参し鎌倉まで出向いた。瀧井さんにも「本」の帯を戴いたことがあるが、本の題を「糸瓜 と木魚」にしたかつたのに版元のきつい註文で「月皓く」に換えられていたのを瀧井先生は無視され、帯では「糸瓜と木魚」を大きく取り上げて下さつて、とて も嬉しかったのを忘れない。
永井龍男さんはコワイひとだったと対談の二人とも話されてたが、わたしにはいつも親切に優しい方であった。わたしが甚だ反文壇的な「湖 の本」を始めると、永井先生はすぐさま、十数人もの購読者を紹介して下さり、実に有難く励まされた。おなじ事は福田恆存さんも、あッという間に御親切にご 配慮下さった。嬉しかった上に、ビックリした。劇場で、初めてご挨拶したとき、「アア、想ってたような人ですね」と、それは優しい笑顔だったのにもビック リした。
井上靖さんに中国まで連れて行って戴いたのも、ある日突然に御電話で誘って下さったのであり、むろん同行した他の作家・詩人らとも、その折が初対面だった。
「群像」の鬼といわれた編集長大久保房男さんとの接触がいつであったか、俳人の上村占魚さんが紹介して下さったのだろう、「群像」との作のヤリトリは一 度も無かったのに、亡くなるまでそれは親しくして戴いた。その余恵のように、今も、「鬼」の弟子と自称の徳島高義さんや天野敬子さんのご親切を毎度得られ ている。しかし、このお二人とたとえ道ですれちがっても、わたしは見わけられまい、さほどまでわたしは、概して文壇の人たちと は「淡交」に徹しながら作家生活を六十年近くも続けてこれたのだ。
* ただ、淡交の親交者は、文壇を遠くはみ出て、文化界のひろくに、我ながら驚くほど知己を得てきた。わたしは孤立して生きてきたのでは、全く無い、ただ残念なことに多くはもう先だって逝ってしまわれているのだが。
2018 7/7 200
* 浴槽で 再校ゲラを四十頁読み、現代日本史を数頁読み、『ゲド戦記』にしばらく没頭していた。湯の中で 腰の痛みを忘れていた。
* 日曜の夜、七夕の夜。壮大で壮麗なミルトン『失楽園』と小一時間 向きあっていた。
もう十時半。 今日は小説とも 辛抱よく向きあっていた。じりじりとまるで匍匐前進です。
2018 7/8 200
* 機械の煮えるまでを辛抱よく本を手にして待つ。山中共古の江戸小百科『砂払』(岩波文庫)は、恰好の、しかもわたしの識らなかったことばかりが満載されている。
◎ あんまり馬鹿らしいことばかりいゝなんすから、みんなが釘の寸だと申しいす。
釘の寸とは足らねへといふことなり。
わたしなど 「釘の寸」もいいとこか。
◎ 襖ひとへを幾仕切、モンシモンシ町人さんよんなんし。侍さん、三ツ引さん、きつこうさん。コウたつてづんづんと上(あが)んなヨ。アレサモシモシと呼れる、揚る、出る、はいる。貴賎のへだて中長屋、神田長屋をそゝり来る。
局見世の様子かくある、今の浅草六区の如くなりけん。
* 局見世とは細い細い小路の両側に幾仕切りもがならんで女が客を引くのであろう、ご親切に下巻の後方には「遊里方角図」についで深川の「大新地」「小新 地」「櫓下」「深川仲町」「おたび」「綱打場」「佃のあひる」等のこまかな地図絵図が出ていて、更に根津、根津門前町、常盤町、弁天、芝新地、本所四軒、 音羽街遊里、市ヶ谷縮谷(ぢく谷)、城西内藤新宿、品川遊里全図、小塚原、大千住、浅草堂前、赤坂田町、麻布市兵衛町、麻布藪下、鮫ケ橋、根津の茶屋町、 板橋宿等々の細緻なな地理地図があげてあり、更に加えて岡場所遊廓の追加に「男色の部」まで網羅してある。なるほどこうかと、文字言葉で解説されるより幾 仕切りの小家・部屋部屋の小路をなかに居並ぶサマは一目瞭然。荷風の「濹東綺譚」の作や映画を味わうのに手引きになる。
編著の山中共古については何も識らないが、むかしはこういう筆マメな人が少なからず、いまにして、面白く今日かく教わっている。
2018 7/13 200
* 夜前は無事、しかし両脚の攣る痛みで、六時前には起きてしまい、台所でマコとアコの相手をしてやりながら一時間余ボンヤリ、それから機械を温めに此処 へ来た。右のこめかみに軽い痛み。もう少し睡った方が良いが、横になると『ゲド戦記』第一巻に掴まってしまう。真継さんの『鮫』 ミルトンの壮麗にして荘 厳な『失楽園』 そして『千夜一夜物語』は角川文庫の二巻目に入っていて、あと二十册もある。
愛らしく懐いて懐いてくるふたりの仔猫たちの「命」「生気」に労られている気がする。
2018 7/15 200
* ツウィッターが今朝から二度も安倍晋三のつぶやき有りと私に伝えて来ている。私の機械はソシアルネットの受発信は不可能、そしてそんなものは見たくも ない。一国の宰相が「つぶやき」を以て国事を国民に告げるなど、その姿勢も行儀もヤクザに過ぎていて、そんなことまでトランプの「ワン」でいたいかと嗤え る。
* 今を去るちょうど四半世紀、沼正三の三巻版『家畜人ヤプー』第二巻の帯に、はからずも中沢新一氏のこんな一文を読み得た。ほ=
☆ 『家畜人ヤプー』は十数年前に折り紙つきの過激であった以上に、今(=1993)もまだ極めつきの過激である。かつてヤプーであることは日本人 にとってはアイロニーだった。だが国際化された日本人は、今後自分がヤプーであることのうちに、唯一の可能性をみいだし、ノーという前にお尻を差し出して しまう、恐るべき民族となっていくことだろう。 中沢新一
* これは滅法 恐ろしいしかし正確の度を増し、 宰相以下の日本人が 作中「イース帝國」以上に過激で過酷な支配欲に今や酔いしれているトランプ米国に 尻をさらけ呈している見苦しい現状を 射抜くように予言していた と読まざるをえない。
2018 7/16 200
* さ、テレビよりも断然、ル・グウインの『ゲド戦記』に嵌りたい。心臓を深々と掴まれている。
丸山真男という人の本を初めて読んでいる、『日本の思想』。難しく書かれているが興味をもって読み進められる。兄恒彦などは親しんでいたのだろうか。
2018 7/16 200
* (沢口)靖子ロード、つまりは階段を上がった窓ぎわを機械のある書斎までの短い廊下に、文庫本ばかり入る書棚が並んでいて暫時窓の外へ向き立ち止まる ならいの、今朝、表紙に補修のある本文に滲みもある『無名草子』一冊を見つけた。いわば平安女文化・文藝への物語ふうに創った初の「文藝批評集」なのであ る、「一 いとぐち」の書き出しから心優しくももの静かな、しかしはきはきもした女語りの「ことば・文章」が佳い。奥付では昭和十九年、つまりわたしが八 歳二ヶ月になる二月十五日の「第二刷」岩波文庫であり、定価四十銭 特別行為税相当額二銭 合計四十二銭ではあれ、む ろんわたしに買えたわけなく、秦の祖父の蔵書に一冊の岩波文庫も無かったし、この当時は祖父と母とわたしとは 丹波の山奥に戦時疎開中であった。恐らくは 上京結婚就職後に御茶ノ水駅ちかくの古本屋で安く買っておいたに相違ない、わたしは日本の古典の岩波文庫古本なら何でも買える限り買っていた。まことに廉 価であった。「梁塵秘抄」も「西洋紀聞」もそうして手にし愛読した。京都このかたわたしが所持の岩波文庫は「平家物語」上下「徒然草」そして島津久基校訂 の「源氏物語」六册本ぐらいだった。
『無名草子』の著者は、藤原俊成説 俊成女押小路女房説などあるが、昭和十九年本の校訂者富倉徳次郎は憶説と退けて、単に
一 建久・建仁の頃に在世の人
二 物語・歌集等について廣い知識と批判力とを持つてゐる人
三 女性であること
四 隆信・定家と親しき人(本文の中に「隆信の作りたるとてうきなみとかやこそ云々」「定家少将の作りたるとて」とか見えて隆信・定家に對して敬称を用ひてゐない所からの推定)
の四条件に當る一女性であり、その人については不明であるといふを穏當と考へる」と解説されている。
* 此処まで書いて、一女性への幾つかの思案も名も想い浮かんでいながら、今日は妻の通院診察の留守に「選集28巻」の編輯と読みとにたっぷり時間と視力 を費やした。それでも疲れて階下へ行くと、アコとマコとが、兄弟で半ば睡りながら熱愛の態で互いに抱きかかえて毛づくろいしたりしていて。じつに見ていて 気分よく心和む。同時に生まれた実の兄弟なればこそ、われわれの姿がなければないであくことなく互いに親愛している。嬉しくなり、羨ましくもなる。
励まされて、難儀な仕事へも根気よく挑み続け、先への道もほぼ見当たった気がしている。
* それにしても此の親愛する古機を、根気よくなだめなだめ画面を作り続けるわたしの粘りもなかなかです。 とても追っつかないけれど、昔ならもう『無名草子』の女作者を小説に仕掛かっていただろう。「慈子」「雲居寺跡・初恋」「加賀少納言」「秋萩帖」「あやつ り春風馬堤曲」「月の定家」「夕顔」「三輪山」「秘色」「絵巻」そして「みごもりの湖」も「清経入水」「最上徳内」「親指のマリア」も、みなチカッとした 思いつきから生まれた子供達だ。
そのような子供をまだわたしは生めれば生む気になれる。からだは老いているが、作品を願う生気は、精気も、剰っているらしい。怪我などしたくない。病気もしたくない。
しかし「食事」めく食欲は払底し、ただのどへ通りいい水気や柔らかいものばかり口にしている。何を食べても堅くて歯が痛い。医者は顔を見ると歯を抜くと云う。抜きたくない。
* 「無名草子」いとぐちの語り口の物静かに懐かしい味わい、ただものでない。隆信や定家に近くて親しい、しかも文彩の才気をたっぷり持った女性は、すくなくも二人すぐ思い当たる。
安倍だのトランプだのカジノだのカケイだの…、もうイヤだ。
ジョーカーか魔かトランプの塔が建ち崩れはやまる世界の平和
吹くからにアベノリスクのうそくさい屁よりも軽い自画自賛かな
* この重病体に等しい酷暑炎夏の気象が、今年だけとだれが謂えようか、死者は毎日出ている。しかもどんな報道も、「オリンピックは安全・万全か」という 当然の危惧をチラとも口にしない。聴いていない。観客ばかりでなく、鍛え抜いたからだの参加選手へも熱暑の危害を案じて対策すべきは当然だろうに。
2018 7/17 200
* 「ゲド戦記」第一部 影との闘い を、巻 おく能わず一気に昨夜読み終えた。今日は第二部のアチュアンのテナーを読み始めている。
丸山真男の「日本の思想」も、興味と関心とで読み進んでいる。
他のどんな読書にもまさって優れたミルトン『失楽園』は第六部へすすみ、いままさに神のみいくさとサタンの大軍との激突が始まろうとし、その詩句展開の壮麗に引き込まれている。
2018 7/19 200
* 四国の榛原六郎さん、同人誌「滴」を「謹呈の辞にかえて」 「薔薇の夢」と題したお祖父さんをしのぶ小品が送られてきたのを、今、読み終えた。五月に は六十九歳になったとある。老文学青年の筆致には骨が通っていて、しっかりもし骨ばる気味もあるが、志賀直哉に深く学んだ人のまだ成熟して行く筆つきで頼 もしい。まだまだ、書けると思う。
* それより更に驚いて、いわば「奇遇」を賛嘆したくなったのが、彼榛原氏の「滴」巻頭「短歌八首」と題したこれも思い出の小品。
短歌八首がまず並んでいて、高校生のときの宿題作だとある。ま、その出来ばえには触れない、驚いたのは宿題を出した先生というのが玉井清弘さんだとい う。おおーっと声が出た。玉井さんは、わたしが朝日新聞だったかの短い短歌時評を四度ほど連載した一度にとりあげて称賛した歌人であった。そして玉井さん は今もわたしの「湖(うみ)の本」の久しい購読者でいて下さる。いい先生に習ってたんだ、榛原クンは。
驚きは、まだ有る。「歌人の東淳子さん」がこれまた埴原六郎高校一年時代の「国語の担当教師」だとあるのだ、びっくりポンである。東さんは、初めて歌集 を戴いて以降多年にわたりもっとも優れた歌人の一人として、早く亡くなった河野裕子らとよく一緒に名前を出し、戴く歌集もつぎつぎ愛読してきたひとなので ある、東さんも創刊当初來、今も「湖の本」を購読して下さり、「選集」の刊行をさえ手厚く支援して戴いている。
玉井さんは四国にお住まいでなるほどと思うが、東淳子さんは知り合った頃から奈良に住まわれているので、ひょっとして同姓同名のとも危ぶむが、わたしの 識るかぎり気稟の清質に満ちた歌人の東淳子さんは、一人だけ。榛原産の父君は「コスモス」同人だったとこのエッセイに出ていて、「ジュン子さん」はお父さ んらの歌仲間で「アイドル的な存在だった」とか。びっくりポン、である。
* 「滴」には読者であり、「選集」をしっかと支援して下さっている星合美弥子さんが「丸帯」という短篇を掲載されていて、今、読み終え、ほーおっと息をついている。
豪華を極めた丸帯はお母さんのお嫁入りに締められた品だった。この目くるめくように美しい生地の厚い帯を、お母さんは鋏で切り刻んで、四歳の星合さんの ためのリュックサックにつくりかえ、そのようにして占領ソ連兵らに追われるように無蓋車で旧満州から苦労に耐えて耐えて日本の九州へ帰り着いたとある。
胸のつまる、しかしデッサンの利いた短篇といえば謂える作になっていた。このままでは惜しいがナアという気持ちは榛原さんの「短歌八首」以上にあった。彼はそれと自覚されつつ「薔薇の夢」を書き足し送ってくれたのかも。よく書けていた。
* 同人雑誌は降るように来るが、今度の「滴」のように、作を「読ませる」ものは稀有。おおかたは創作「ゴッコ」に近く、文学の文章文体とはあまりに程遠い。
2018 7/20 200
* 妻は平気な冷房が今晩はイヤにからだに堪え、左脚の攣れがしつこく困惑。書斎のも階下のも冷房がからだの左からあたるための違和かとも思うが、しんどい。
幸い「湖の本」141発送用意は順調に進んでいるので、今夜はまだ十時前だが安眠を求めてはやく床に就こう。
読みたい本、読み継いでいる本を枕元に十册ほど積んでいるが、「ゲド戦記」第二部を、英語と日本語訳とを併行でたのしみ始めている。「鮫」や「家畜人ヤ プー」など陰気なのはしばらく敬遠している。ミルトン「失楽園」、「千夜一夜物語」それに丸山真男の「日本の思想」歴研の「日本の現代史」は手放せない。 読書はどんな時もいくらかわたしにはお薬のような効用がある。
2018 7/21 200
☆ 白楽天に聴く 「任老 老ゆるに任す」
愁へず 陌上に春光の尽くるとも
亦た任す庭前に日影斜めなるも
面は黒く 眼は昏く 頭は雪白
老ははや更に増す無かるべし
2018 7/22 200
* アレが在ったはずとアテにしていたものが見つからないと、落ち着きの悪いこと甚だしい。その辺の記憶を妻と確かめ合おうにもツーカーとは通じないこと が多くなった。しょがないですねえ。しかし仕舞ったつもりのものが貴重なモノなのにしまい場所を忘れると、とてつもなく迷惑する。「老ははや更に増す無か るべし」には相違ないが、困惑にも相違ないのであります。
2018 7/22 200
☆ 白楽天に聴く 「病眼花 眼花を病む」
頭風(とうふう) 目眩(もくげん) 衰老に乗じ
柢(た)だ増加する有り 豈(あ)に瘳(い)ゆる有らんや
(傳=春秋左氏傳に云ふ、加ふる有りてありて瘳(い)ゆる無し、と ) 以下略
* 「花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り 目にかすみが生じただけでも心配」と白居易は歎いていて、まさに同病相い憐れむところだが、ま、それより も、「眼花」とは目がかすむこと、わたしの偏愛する「花」の一字は「ぼんやりする」の意味で、「頭風」の「風」もまた同じ、と詩集に釈字してある。
オー、古代と中世を目して論じたわが心入れの一書『花と風』の二字は、ともに……ウム。呵々。
「花」はわが眼をぼやけさせ、「風」はわが頭をぼやけさせているわけか。やれやれ 2018 7/23 200
* 京都で「シグナレス」というバラエティ同人誌をやっている若い森野公之さんから便りを貰った。いわゆる文藝同人誌ではなく、わたしには名称は分からな いが一種のタウン誌か。最新刊の特集は「さよなら昭和」とあり、去年の一月には「カッコわるい人」というおもしろい特集を編んで、「宇野浩二」「葛西善 蔵」「近松秋江」「田山花袋」「岩野泡鳴」「獅子文六」「尾崎方哉」等々の取り上げかたが面白い。
2018 7/24 200
* 後拾遺で哀傷の和歌を前詞ともたくさん読む。どの和歌集でも心打たれることの多いのは「哀傷」歌、歌合の出詠歌などのようにツクリものはめったに無いからだ。実情に打たれる。「死なれて 死なせて」の実感に満たされている。
子におくれて侍りける頃、夢にみてよ侍りける 藤原実方朝臣
うたゝねのこのよの夢のはかなきにさめぬやがての命ともがな
* 孫のやす香を肉腫に死なせて、はや十二年。
平成十八年七月二十七日。
われわれの娘・朝日子(やす香母)の誕生日だった。
朝日子誕生(昭和三十五年七月二十七日)
「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)のよろこびぞこれ風のすずしさ
* ふしぎに、どの勅撰和歌集の部立に、自身の死んでゆく「辞世の自覚や自哀」歌が纏まっていない。ま、当然かも知れないが。「哀傷」歌以上に読みたい気がする。
2018 7/25 200
* それでもこの一両日の感銘は、『ゲド戦記』第二巻、アチュアンの闇世界でのアルハ(テナー)とゲドとの出会い。一気に読んでしまった。
2018 7/26 200
* 丸山真男の『日本の思想』 歴研編の『日本現代史』に、呻くほど胸痛くも悔しくも多く多くを今時分「復習」している。一九五九年二月末に上京しその日から妻と暮らし初め、六〇年七月の今日朝日子が生まれた。六〇年代、七〇年代、八〇年代の昭和を経て、九〇年代から平成へ入った。代々の保守政権とよぎない付き合いを続けてきたのだが、「付き合い」の性根の意味を、まことに朧にしか察し切れていなかったと舌を噛む心地がする。池 田勇人の「所得倍増」という看板を貧しかったわたしも歓迎気味に眺めながらの日々があった。おもえば政治に国民の経済が真面に係わりだした初めだった、ア レまでの日本は、政治は天皇制と統治のためにあった。所得倍増という「経済」政策へ國の保守政治が舵を切ったのを甘く受けいれたときから大企業と政権の公 然たる癒着は濃厚となり、「国民の」経済という観点は棚上げされ、対米追従の貿易経済が日本の政治、国民支配の原則となってしまった。経済、経済、経済が 国民の首をしめ政治的な権利も基本的人権も窒息を強いられ続けてきた。わたしの大人としての生涯は、そんな「所得倍増」の掛け声に踊らされたままだった。 分かってきてはいた、わたしとても。しかし判り方があまりに足らず甘かった。
2018 7/27 200
* 東工大の「文学」で一緒だった井口時男さん(現在は東工大を出、独立の文藝批評家で、俳人とも)と最近連絡がとれていて、昨日も「鹿首」という一風あ る雑誌に、「いつも『湖の本』をいただきありがとうございます。ことに古典詩歌論から学ばせていただいています。ひょんなことから俳句を始め、けっこう楽 しくのめりこんでいます。 この酷暑、どうぞお元気で。2018.7.26」と書き添えて送ってもらった。句集『をどり手』も先頃戴いて教わるモノがあり 感じ入っていた。もうはや堅固な俳境を歩まれている。凡百の同人俳誌に見られない強硬な表現が読み取れる。
* 「鹿首」という、同人誌らしき雑誌の題に驚いたが、「詩・歌・句・美」という提唱らしい。諏訪市の研生英午(みがき・えいご)氏が「編集人」と奥付に 出ている。内部参加人(同人か)と外部参加人(寄稿者か)のかなりの人数で、短歌俳句川柳詩評論美術作がいろいろに詰まっている。なるほど…と思いながら 頁を繰った。
「同人商売」といった感の、しかも綴り方なみ小説同人誌の氾濫ぎみにヘキエキしていたが、「鹿首」はそんな域は跳び越えているよう。ま、特集題の「イメージの血層」などは、鈍なわたしの理解を超えているが、若くて元気と謂うことか。
2018 7/28 200
* 颱風が近づいているらしい。異例の東海から関西、中国への進路が予測されているが、先頃大きな怪我のあった方面ゆえ、事なきをただ願う。
☆ 異常気候らしく
思いがけない進路をとっている台風12号、東京の今の空模様はいかがでしょうか。
こちらは曇りですが まだ明るい空です。数日前までかなり暑い日が続いたので、昨日の34度でいっそホッとしたくらいでした。
昨日本を送りました。北沢恒彦氏の本を読んだことがないと書かれているのを読んだことがあります。偶然北沢氏の『隠された地図』見つけたので、思わず買い求めました。
本の後ろの黒川氏(=創 実兄故恒彦の長男)が書かれた年譜だけを読んだのですが、胸が詰まりました。鴉ご自身と重なる多くの事柄が映されています。
ちょうど昨日のHPに丸山真男氏の『日本の思想』からの感想が述べられており、『隠された地図』の中の丸山理論に関しての著述に、鴉の関心が重なるかと思いました。
もしこの本が既にお手元にあるとしたら・・差し出がましい事とも思いますがご容赦ください。
今日は午後あたりから台風の影響が強まりますでしょうか、くれぐれも大切に、用心して過ごされますように。 尾張の鳶
* 尾張の鳶の好意、配慮、まことに有り難く。有難う。
むろん、甥に当たる黒川創(北澤恒)が亡父北澤恒彦の年譜を詳細末尾ににあげているこの一冊、その署名はオロカ存在をすらわたしは今日まで知らなかった、知らされても送られてもいなかった。
兄の「自死」したのは、江藤淳が七月二十二日に「自死」 を報じられたと同じ一九九九年(平成十一年)の十一月二十二日であった、らしい。二十三日朝六時半頃、恒彦次男の北澤猛の電話で告げられた。やがては「二 た昔もまえ」のことになる。わたしは京都での葬儀にも、思い出の会といった催しにも出掛けなかった。兄の年譜に尽くされていると思う謂わば「北澤恒彦の公 生涯、表生涯」に実弟のわたしは徹底して無縁によそで育って指一本も触れる折がなかった。生まれ落ちて以後に初めて再会したのが、もはやお互い壮年時で、 その後もわたしは「兄の表世間」とはまったく触れなかった。兄とのことで、鶴見俊輔はよく心得ていたらしいが、わざとは触れて話すことが無く、兄について わたしに片言でも話しかけてくれた人は、筑摩の編集長だった原田奈翁雄や作家の真継伸彦、井上ひさし、小田実らだった、われわれの間柄にまったく気がつい てなかったと云い、井上さんは「失礼しました」と、真継さんは「えらい男だよ」と囁いてくれたし、小田さんとは亡くなるまで親しく、「敬愛の気持を込め て」とまで献辞を添え『随論 日本人の精神』を贈ってくれたりした。
兄とは、亡くなる暫く前間で、頻繁に交信したり、時に会って食事したり一緒に人と会ったり忙しく立ち話で別れたり、「往復書簡」をもちかけて京都の話をしたりはしつづけながら、それでも、わたしは
兄の表世間へも兄の知友らの間へも一切意識して顔を出さなかった、唯一の例外は茶房「ほんやら洞」主人の甲斐扶佐義氏ひとりであろう、彼とはわたしの編輯 していた「美術京都」で対談もし写真家として京都美術文化賞を受けてもらってもいる。しかしひの甲斐氏からも兄の遺著のことは何一つ聞き出す機械すら無 かった。
* 兄のことを死以来忘れていたときは無い。つい先頃の「選集」第二十一巻には往復書簡を容れて反響があった。しかし北澤家からはなにも聞けなかった。そういう二人の生まれつきなのだと思うことにしてきた。
* 黒川創のあんだ北澤恒彦年譜にも、わたくしの名前が出てかすかに実親らと戸籍上の関係だけは記録されてある、わたしは恒彦の表社会とは全く無縁に等し かった以上、それが自然なのであろう、記憶の限り、一度だけ兄らの何かの会合で「作品」として「秦 恒平への手紙」というのを読んで発表したと有りびっくりした。その年次をいま覚えていないが、或いは兄弟往復書簡「京・あす・あさって」の実現した昭和五 十四年(一九七九)九月-十月より後日のことであったろう、推量に過ぎない。
* 兄がわたしを「弟」とみた上で手紙を寄越したのは、実は大昔のことで、東京で暮らし始めてからも何度か来信が、時に電話もあって「会わないか」とあっ たが、わたしはその全てを受けいれなかった。芥川賞候補になり瀧井孝作、永井龍男両先生に推された「廬山」を筑摩の「展望」に出したときにも、その作にも 触れながら兄が「家の別れ」というエッセイを「思想の科学」に出して送ってきてくれた。それは読んでいる。が、それでもわたしから兄の京都の勤め先を顔を 出し、ものの十分足らずも立ち話の初対面を実現したのは、ずーうっと後年であった。
わたしはそれを悔いているだろうか。悔いていない。そして出会って以降もわたしは兄と弟とだけの「付き合い」に終始して満足していた。その結果として、 兄はもう死んでいて、わたしの全く知らない兄の知友らの顔を見、声を聴くだけの葬儀にも思い出会にも、とても堪え得なかった。行かなかった。行かなくても 兄恒彦は弟わたくしの内にいつでも入ってくる。今もそう信頼している。
* 兄は筆まめでもあり親切でもありいろんなモノを、仕事の上の書類やレポートなどもたくさん送ってきた。メールになる以前の私信も、長年月に相当量届い ていて、復刻とまでいかなくても書き写して電子化データにはしておけるだろう、もうそんな残年がわたしに許されていそうにないのも慥からしいが。
* 年譜のことにばかり触れていたが、まだ『隠された地図』本文は、一行もまだ読んでいない。北澤恒彦の著書のうち五条坂の陶芸にふれたような一冊が記憶にある。『家の別れ』と総題した一冊がうちにあるのかどうか確認できていない。
ま、兄のそのような本や雑誌へのもの言いは、それこそ北澤恒彦の世界・世間のモノと思っている。「深田(阿部)ふく」と「吉岡恒」との仲にいしくも生ま れ落ちた兄と弟との世界・世間は、「北澤」とも「秦」とも縁の切れた別の「身内」なのである。それがわたしの向こうまで持って行く覚悟である。
* 「湖の本 エッセイ20 死から死へ 闇に言い置く」の末尾で、兄の死を思い新たに悼んだ。
* 兄の『隠された地図』本文の三編は、いずれも私の理解や関心の外にあった。もののみごとに私たちの知的理解や関心の範囲はズレていて、接点は、やはり、往復書簡で交叉し語り合えた「京都」であった。
2018 7/28 200
* 湯には長く漬かっているなとテレビなど口を揃えるが、わたしは一時間は浴室にいたい。きれい好きなのでなく、ゆっくり寛いで本が読めるのを昔から歓迎 している。今日はミルトンの『失楽園』をたっぷり愛読し、『ゲド戦記』第三部をたっぷり楽しんだ。ともに指を「十」折るうちに入れたい愛読の名品である。
神のひとり子の率いる大軍とサタンの率いる大軍との真っ向衝突からサタンらが地獄の底へ陥落いってゆくサマなど、壮大にして壮麗、息もつかせぬミルトンの詩句の冴えに惹き込まれる。
多島海世界の魔法を統べているゲド(ハイタカ)と彼を慕う青年アレンとの、世界の底知れぬ病害をあらためようという辛苦の旅に覚える畏怖の感嘆。ル・グゥインのこの名作は、わたしには「寶」である。
そして今晩は和泉式部の和歌と陶淵明の詩とを「白璧」を磨く心地で堪能していた。 2018 7/29 200
* 夜中しばらく灯りをつけ、しばらく『ゲド戦記』と『失楽園』を愛読し、リーゼ一錠を服してまた寝入った。格別の夢見もなかった。
2018 7/30 200
☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の一 五十歳頃の作か
人生は根蔕(こんてい)無く 飄(へう)として陌上の塵の如し
分散し風を逐つて転じ 此れ已(すで)に常の身にあらず
地に落ちて兄弟(けいてい)と為る 何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならんや
歓を得ては當(まさ)に楽しみを作(な)すべし 斗酒 比隣を聚めよ
盛年 重ねて来らず 一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し
時に及んで當(まさ)に勉励すべし 歳月は人を待たず
* この「勉励」はいわゆる学業ではない、「楽しめるときには、せいぜい楽しもう」ということと解釈されていて、それでよいと思う。何度読んでもわたしは痛く打擲されるように切ない。
2018 7/31 200
☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の五 五十歳頃の作か
憶(あも)ふ 我れ少壮の時 楽しみ無きも自ら欣豫(たのし)めり
猛志 四海に逸(は)せ 翩(つばさ)を騫(あ)げて遠く翥(と)ばんと思へり
荏苒(じんぜん)として歳月頽(くづ)れ 此の心 稍や已(すで)に去れり
歓に値(あ)ふも復た娯しみ無く 毎毎(つねづね)憂慮多し
気力 漸く衰損し 転(うた)た覚ゆ 日々に如(し)かざるを
壑舟(がくしふ) 須臾(しゅゆ)無く 我れを引きて往(とど)まるを得ざらしむ
前途 當(まさ)に幾許(いくばく)ぞ 未(いま)だ止泊する処を知らず
古人は寸陰を惜しめり 此れを念(おも)へば人をして懼(おそ)れしむ
* 実感に近い、が、せめて心は頽廃(くづ)すまい。
* 仕事部屋でもキッチンでも熱中症をやりそう、十分冷房している気でいても。つい、涼しい寝室へ逃げ込んでしまう。
八月九月、よほど気を付けないと。
明るい浴室で、足湯のまま好きな本を読み耽ってるときが、安楽。公然と裸でいられるし。
いまは、ゲドとミルトンとに夢中です。どうしてこんな世界が書けるのだろう。
2018 8/1 201
* 『ゲド戦記』第三部「さいはての島へ」 深夜感銘深く愛読し終える。このアレン青年と大賢人ゲドとの世界の芯への不退転の旅は、映画「マトリックス」 最終編のラストへも受け継がれている、と思う。ゲドはアースシー世界をの異様な衰弱を救うべくアレンの助力を得て魔術の全てを用い尽くしてもはや「魔法使 いではなくなった」と象徴である「魔術の杖」を捨てている。感動の結晶するところ。
かえりみていまわれわれの「世界」は、せいじはもとより、より深く広く大きく天象の崩れをすら痛感しつつあるが、アレン王子や大賢人ゲドが登場の、真に救世主登場のけはいも無い。嗚呼。
☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の六の抄 五十歳頃の作か
我が盛年の歓を求むること 一毫も復(ま)た意無し
去り去りて転(うた)た遠くならんと欲す 此の生 豈(あ)に再び値(あ)はんや
家を傾けて持(もつ)て楽しみを作(な)し 此の歳月の駛(は)するを竟(お)へん
子あるも金を留めず 何ぞ用ひん 身後の置(はから)ひを
* 往昔詩人の五十歳はいま私の八十余歳に同じいであろう、「時が過ぎてこうも遠くなりかかると、ああ、もうこの人生は二度とかえってこないのだなあと、しみじみ思」って「駆け去って行く残りの歳月を楽しみを尽くしてすごすことにしよう」という陶淵明の詩句に、ごく素直に共感している。日ごろをそのように過ごしているつもりでいる。
五柳先生陶淵明は雑詩其の七で、こう思いを述べている。
家は逆旅(げきりよ)の舎なれば 我れは當(まさ)に去るべき客の如し
去り去りて何(いづ)くにか之かんと欲する 南山に旧宅有り
* この詩人にはかの「廬山」のふもとに生家陶家の墓地をもっていた。彼には帰って行ける死後の家があった。
此の私には、だが、無い。
わたしは実父吉岡家の、生母阿部家の墓地の在り処も知らない、父や母の墓参をしたことがない、出来ない。所詮何れもわたしは無縁である。
わたしを育ててくれた秦家の墓は京都にあり、いまは、菩提寺との接触や墓地の世話もみな息子の秦建日子に委ねてある。わたしも妻も、出向くに出向けない からでもあるが、妻子を持たない建日子の代で「秦家」の名跡を絶やしてしまう申し訳の立たない「不孝」を思えば、とても秦の両親らと同じ墓地に眠れる気に なれない。
我に「南山」無し。
妻にも建日子にも、わたしの墓は「無用」と言い置いてあるが、はて、建日子はともあれ、妻の行き先はと、これに正直、苦慮している。
2018 8/2 201
* 恒彦兄の奥さんから便りがあった。「兄弟往復書簡」の入った選集を送っておいた簡単な礼であった。兄の死から二十年、その永さをどう生きてきたかという嘆息のような短文であった。
* 遺著『隠された地図』は甥の編んだ「北澤恒彦年譜」をざあっと一度読んだだけで、本文の三編は、「ミシュレの日記から」も「書評・丸山真男<反動の概念>」も「セブンティーンの<武装>」もとても手早くは読めそうにないので、そのままになっている。
年譜を卆読して、一つ感想があった。
わたしは自身の生涯でじぶんから他広い世間の他者を頼んで働きかけた覚えがほぼ無い、有るなら三册の小説私家版をつくったのを、やみくもに巨きな名前へ へ宛て、なにのアテもなく送付しただけがほぼ唯一例で、谷崎潤一郎、志賀直哉、小林秀雄といった或る意味で世間知らずな無謀な送本だったが、他は、太宰賞 の受賞も、文芸家協会やペンくらぶ入会も、作家代表としての訪中・訪ソも、東工大教授も、日本ペンクラブ理事も、京都美術文化賞の選者も、京都府文化功労 賞も、尽く、むこうから舞い込んだだけで、わたし自身その為に指一本動かしたということがない。これは別段自讃でも自慢でもなく、要するにわたしは高校へ 入学して以降、上京結婚就職り後も、ずーうっと、ほぼ一度として自分から動いて世間に「仕事」「創作」以外の地位や名前を求めなかったし、社交的な交際も まったく求めなかったとイウこと。実に大勢の多彩な知己知友はみなわたしの「仕事」「著作」を介してのみの親愛だった、だから何十年にわたって親しい人と も出会ったことの一度もない人のほうが断然多い。
これに較べると、た兄恒彦の生涯は活気に満ちて自発的な都邑との出会いや交渉に、舌をまくほど積極的で、著名な学者、作家、文化人、活動家たち、飛び抜 けて年かさな人とも若い人たちとも、めまぐるしく交際交渉しながら「火炎瓶闘争」の高校時代から「ベ平連」も「家の会」も市民活動・政治活動もじつにアク ティヴ、あまり使わないことばではあるが「すごいナ」という実感をしかと持った。
われわれ二人の中でも、わたしから働きかけて実現したのは「往復書簡」の一度だけ、しかし兄は高校生の昔に始まって結婚後にも頻々と会おうと伝えてきた、わたしは断り続けていたのだった。
* 実の兄弟でも、性質は、行動性は「ちがう」のだという実感、それが今度手にした遺著一冊の大きい感想になった。なんで本の題を「隠された地図」というのか、少なくも年譜からは読み取れなかった。兄ならこう付けるナという実感が無い。
2018 8/2 201
* 『ゲド戦記』第四部の「帰還」にはかつて何度も読んだ記憶を超えた危殆と面白さとがてきてきと最初から書けている。ちからづく止めたくなるほどの勢いで読み進みたいのにびっくり。
* 川端善明さんの『影と花』はわかりいい題ではないが、無数にのこされた説話の妙味と読みようがことこまかに適確に書かれていてムチャクチャ面白く、これにもとっ掴まってしまっている。読書がこんなに縦横にたのしめるなんて、なんとわたしは得なやつか。
* 「NCIS」の再放映を面白く観てから、このところ気に入っている「グッド・ドクター」にも観入ってきた。
もう十一時過ぎている。 今日も長く書いている小説を前進させた。足を停めず、書き進みたい。
もう機械を離れよう、幸い明日も明後日も、今月は、月末まで病院通いもない。炎暑の日々、出ないのが予防の最有力。怠けるなどとビビらず、せいぜい涼し くからだをやすめながら「読み・書き」そして「観て」過ごしたい。老いてとはいえ、ありがたい日々である。美味いお酒も戴いている。
2018 8/2 201
* アースシーは此の世の世界ではない、その半分でも一部でもなく、ゴントに生まれたゲドやアチュアンに生まれたテナーらの住む異世界であり、わたしは、い ま、ほとんどその世界の空気を吸っていて、此の、日本やアメリカや中国の在る地球世界の現実とも歴史とも無縁にありたいとほとほと願っている。同じように わたしはあのヘドのモルゴンやアンのレーデルルらの世界、現実の地球世界と無縁な異世界を旅し続けたいと願っている。それはわたしの或いは致命的な弱さか も知れず、或いは決定的な批評であるのかもしれない。
安倍晋三やトランプ。習近平、プーチンをはじめとする統治支配の意識しか持てない政治家ども、その亞型のようなスポーツマンシップの雫もない監督や理事 長や会長どもの顔を日々見せつけられるイヤラシさ。ゲドのような魔法使いがいて欲しいと此の八十三にもなろうという爺いが本気で願いつつ日々反吐を吐いて いる。
* 残日乏しく、わたしにはもうゲドやテナーを、モルゴンやレーデルルを、かれらの住む世界のような別世界を書き表すことはとてもできまいが、わたしは本 音のところ源氏物語や細雪や夜明け前よりも「アースシー」のような世界が書きたかったのだと、思い当たっている。やれやれ。なさけないはなしだ。
2018 8/3 201
* 『ゲド戦記』第四部「帰還」を、魅されつつ胸を戦かせつつ夜前一気に読了、各巻ともすさまじい迫力と魅力に富んでいるが、この巻のそれには、フェミニズム の思いも適宜に述べられながら、いわば全巻のヒロインといえるアチュアン出の「テナー」の活写で迫ってくる。
現実逃避と云われるのは心外でもあり辛くもあるが、事実、わたしは今「地球世界の現実・現象」の何一つにもと云いたいほど、魅されていない。あえて限定 すれば政治家や経済人や権力者やマスコミのハナクソたちの関わっている事象・事物・事件には憎しみさえ感じていて、その反射だとは軽薄に言わず云うべきで ないが、『ゲド戦記』や『失楽園』や、ないし美しくてすぐれた藝術作品に思いも心も託したがっている。あえて云うが今日の宗教にも宗教者にも、また今日の 哲学にも哲学者と自称している誰にも心服できないでいる。
『ゲド戦記』は嬉しいことに最期のもう一巻があり、そこへ早く身を委ねて沈潜したいと願っている。書庫へ入りさえすればそれが在る。
2018 8/5 201
* 長島弘明さんの『秋成研究』で、「天皇」に関連して宣長と秋成のちがいを示唆的に教わった。もとよりわたしの思いは秋成のそれに副っている。
☆ 「荘子」内篇に聴く
澤雉(たくち)は(やっと=)十歩に一啄し、百歩に一飲するも、樊中(はんちう=鳥籠)に畜(やしな)は(=れラクに飲食す)るを蔪(もと)めず。神(しん=気力)は王(さか)んなりと雖(いへど)も、善(たの)しからざればなり。 (養生主篇第三)
2018 8/5 201
☆ 酷暑お見舞い申し上げます。
なかなかメールが届いてくれないので、また大学のものからお出しします。
もっと暑苦しくなりそうなもので恐縮ながら、生きているし、書いてはいることをお見せしたく……。
ご自愛ください。 原善
* 相変わらずの「川端屋」さんらしい論題が添付されていた。よく見ると、別にもう一つ有った。
わたしはもう、自身の最終段階に、日々、気を入 れて向きあうしかないので。よくよく考えもし感じもして書きたいことがまだ涌くように有る。気を散らさずよく選びながら、楽しんで書きたい。読むのは、と びきりの名品、名作、名著にかぎらねば、衰えて行く気力への栄養にならない。荘子には笑われようが。
☆ 「荘子」内篇に聴く
天から受けたものを十分に全うして、それ以上を得ようと思うな。要は己れを虚しくするに尽きるのだ。(亦虚而已) 至人の心のはたらきは、さながら鏡の ようで、去る者は去るにまかせ、来る者は来るにまかせ、(不将不迎) 対応しながら跡をとどめない。(應而不蔵) (応帝王篇第七)
* バグワンにも「鏡」と聴いてきた、忘れたことはない。云うは易いのだ。
2018 8/6 201
* 手の届くところにバグワンの講話本が九巻もある。一番手近な『般若心経』はもう藺篇もうことごとく絶ち頽れてかろうじて表紙でくるんであるだけ、手荒に繙いたわけでなく繰り返し読み耽った結果であるが、むろん捨て去れはしない。
わたしはバグワンの呼びかけに向きあうとき、かれは本のうえでは「あなたは」と語るが、わたしは「おまえは」と聴くことにしている。
☆ バグワンに聴く
おまえは、ねむりこけている。おまえは自分が誰かを知らない。おまえはそれに気づいていない、夢に見たこともないかもしれない、自分がひとりのブッダで あるなどとは。誰ひとりとしてほかの何ものでもあり得ないなどとは。ブッダフッドこそまさに自分の実存の本質的中核であるなどとは。それは源であり、そし て目的地でもある。ところが、おまえは眠りこけている。お前は自分が誰かを知らない。覚めなさい。
* バグワン一人の示唆ではない。久しい日本史の多くの男女知識人たちは自分が夢に生きて夢から覚めたいのに覚められないのを歎いている。和歌にうたわれる「夢」の文字には歴然とその苦い嘆きが籠められる。
わたしも、その一人のまま、迂闊な顔で歳を喰ってきた。
2018 8/7 201
* ただただ『ゲド戦記』第五部に魅されて、その世界へ駆け込んでしまう。
2018 8/7 201
* もりとも・かけい・安倍総理夫妻、自民党代議士、日大監督・理事長、ボクシング会長・理事会、東京醫大。
ウンザリ報道の尽きぬ連鎖。ウンザリしながら目も耳も背けておれぬ情けなさ。
* 目も耳もただ洗いたくて異世界文学に全身で親しむ。
☆ バグワンに聴く
人間は芽生えつつあるブッダなのだ。芽はちゃんとあり、いつ何どきにでも花咲き得る。すでにそこにある。<寶>はそこに在る。もう少しの目覚めが必要なだけ。
2018 8/8 201
* 九時半、『ゲド戦記』第五部「アースシーの風」完結編を深い静かな感動で読み終えた。いま、あらゆる読書体験の中で選ぶとしても、一に、この、ル・ グゥインの名作を指さすだろう、この作品には帰依していると謂うていいあのバグワンの教えが、澄み切った風のように流れて生きていると感じる。この一ヶ月 ちかく、わたしはこのゲドやテナーやレバンネンやテハヌーやハイタカのおかげで幸福だった。陶淵明の詩にも通いあう幸福感であった。
2018 8/9 201
* 湯に漬かり、『失楽園』第九巻を読み始めた、サタンが蛇の体内に忍び入り、イヴを誘惑にかかる最も劇的な場面へすすむ。
清教徒革命に身を挺し、王政復古のなかでかろうじて死刑を免れながらも失明隠退し、そのなかでこの壮麗極まりない大叙事詩は書かれた。わたしはクリス チャンでなく、西欧文化に心酔してもいない東洋の一日本人だが、ミルトンによるこの大叙事詩が世界史、世界の文学史の燦然として至宝であることを疑わな い。原文でなく訳文でしか読めないが、しかも魅了され繰り返し惹き込まれ、その迫力は或いはあの『ファウスト』をも凌いで、『イリアス』『オデュッセイ』 ないしトルストイの『戦争と平和』にならぶ気がする。
日本文学史には、世界にも冠たる『「源氏物語』がある。
東洋では、この『失楽園』に並ぶのは、思い切って謂えば、創作された叙事詩としての『浄土三部経』や『妙法蓮華経』ではあるまいか。
日本の「近代現代」文学にはこれらに匹敵する壮志に満ち満ちた創作は見当たらない。現代語訳しようとは試みるばかりで源氏物語に匹敵する文学藝術作品と しての叙事詩性を帯びた大作は、わずかに島崎藤村の『夜明け前』のほか見当たらない。臼井吉見にも『安曇野』のような大きな試みはみられたが、純熟の「作 品」は得られていない。
2018 8/12 201
* 無性に、我がのもふくめ今日の日本語の文が殺風景に感じられ、逃げ込むように温和な古文に懐こうとしてしまう。そんなとき何を読むか、もっと も悦ばしいのが、誰の筆とも確定できていない多分十二世紀末から次の初期へかけて出来ていたか、物語批評書『無名草子』の穏やかな女ことば。鴨長明のカタ カタした名文よりもよほど心が静まり安まる。詳細かつ盛んに賛嘆されているのが『源氏物語』なのは当然のことだが、次いで『よはの寝覚』に最も多くを述べ て称賛しているのにも、まったく同感。追うて『狭衣』や『とりかへばや』に及んでいるのも的確。定家の『松浦宮物語』はまるで「万葉集」だとひやかしぎみ に冷笑しているのも面白い。日本の文藝批評史の劈頭に立つこの一冊が、女文化の神妙を表現して優しい和文の見本のようなのをわたしは歓迎している。いらい らと気の腐りそうなときの頓服の名薬である。
2018 8/13 201
* 機械に電源を入れて、今この画面へ辿り着くのに、三十分近く待つ。そういう悠長な機械に今やなっており、わたしもその気で慌てず騒がず付き合っている。
稼働し始めるのを待つ間には、どうしても読み物が欲しくて身のそばにいろいろ置くのだが、この日ごろは、平安物語への批評、日本文藝批評嚆矢の一册とみ られる『無名草子』と、実像の識られていない沈復という人の『浮生六記』を、もっぱら愛読している。まこと心静まる温和で優雅で清閑の気に富んだ好著なの です。
2018 8/17 201
* 夜中、今朝の目覚の体調のわるさが、昨日とくらべ、データに露出している。機械の始動もオイオイオイと歎くほど永くかかった。白楽天を読んでいた。
☆ 白楽天 慵不能 慵(ものう)くして能(あた)はず
架上非無書 架上 書無きに非ざるも
眼慵不能看 眼慵く 看る能はず
匣中亦有琴 匣中 亦た琴有るも
手慵不能弾 手慵く 弾く能はず
腰慵不能帯 腰慵くして帯(たい)する能はず
頭慵不能冠 頭慵くして冠(かん)する能はず
午後恣情寝 午後 情を恣まに寝ね
午時随事餐 午時 事に随ひて餐す
一餐終日飽 一餐すれば終日飽く
一寝至夜安 一寝すれば夜に至るまで安し
飢寒亦閑事 飢寒も亦た 閑事
況乃不飢寒 況(いは)んや乃ち飢寒ならざるをや
2018 8/18 201
☆ 白楽天 偶 眠
放杯書案上 杯を放つ 書案の上
枕臂火爐前 臂に枕す 火炉の前
老愛尋思事 老いては尋思の事を愛し (とかくあれこれし)
慵多取次眠 慵(ものう)くして取次(しゅじ)の眠り多し (ふっと居眠り)
妻教卸烏帽 妻は烏帽を卸(おろ)さしめ
婢與展青氈 婢は與(ため)に青氈を展(の)ぶ
便是屏風様 便(すなは)ち是れ屏風の様(さま) (まるで屏風絵)
何勞畫古賢 何ぞ古賢を畫くを勞せん
* 優しい奥さん。
「老いては尋思の事を愛し 慵くして取次の眠り多し」は、まさに只今の私。慨嘆無いでないが、半ば受けいれている。あらがっても、しょうがない。狭い家なのに目当ての望みのモノが容易に見つからないなど、結局 咎はわたしに在る。帽子をアタマにしたまま眠りにくいのは、ワケは分からないが実感なので、どんな帽子やら「烏帽」を脱がせてくれる奥さんは、わかってるんだなあと。
2018 8/19 201
* 陶淵明も白楽天もお酒大好きの詩人であった、あの李白も。
白楽天に「卯時(ぼうじ 午前六時頃)の酒」を讃歎、さけのまわりよくご機嫌にオダを上げている詩がある。佛法や仙方の功徳より博大な朝酒の神速にして功力倍するを謂うのである。
一杯 掌上に置き 三嚥 腹内に入る
煦(あたた)かなること春の腸を貫く如く
暄(あたた)かなること日の背を炙る如し
豈(あ)に独り支体暢(の)びやかなるのみならんや
仍(な)ほ志気の大なるを加ふ
當時 形骸を遺(わす)れ 竟日(きょうじつ) 冠帯を忘る
華胥(かしょ)の國(=夢中の楽園)に遊ぶに似て
混元(=宇宙始原)の代に反(かへ)るかと疑ふ
と、以下、盛大に気炎を吐き、
五十年来の心 未だ今日の泰きに如(し)かず
況(いはん)や茲(こ)の杯中の物あるをや
行坐 長(とこしへ)に相ひ對さん
と、結んでいる。
* 朝起きて食卓に着き、やおら卓の下にひそめた一升瓶から愛杯に酒をつぐと、たちまちに妻の叱声が飛んでくるが、白楽天のように呷りもしないし慷慨も壮語もしない、ただ此の一杯の美味が、分からんのやなあ。結びの三行 思いにちかいんやが。
2018 8/20 201
* 『失楽園』の第十部はイヴの堕落から不幸で不穏な展開にとても静穏でおれない。
* 眼が見えないが。
* 十一時半、疲れた。
2018 8/20 201
☆ 委 順 (なるにまかせて) 白楽天
山城雖荒蕪 山城 荒蕪すと雖(いへど)も
竹樹有嘉色 竹樹 嘉色有り
郡俸誠不多 郡俸 誠に多からざるも
亦足充衣食 亦た 衣食を充たすに足る
外累由心起 外累は心由(よ)り起こる
心寧累自息 心寧(やす)ければ累自(おのづか)ら息(や)む
尚欲忘家郷 尚ほ家郷を忘れんと欲す
誰能算官職 誰か能く官職を算(かぞ)へむ
宜懐齊遠近 懐(おも)ひに宜しくして遠近を齊(ひと)しくし
委順随南北 順に委ねて南北に随ふ
歸去誠可憐 歸去するは誠に憐れむ可きも
天涯住亦得 天涯に住するも亦た得たり
疎遠の町は荒れてはいても、竹や木々には好ましい姿がある。
役所の扶持は実に少ないが、それでも食っていけるだけはある。
世俗の煩いは自分の心から生まれるもの。心安らかならば煩いも自然に消える。
まして故郷さえ忘れようとしているところ、官位を云々するなどありえない。
気持ちが充ち足りれば遠いも近いも同じ、自然にまかせれば南でも北でもよい。
帰郷に心惹かれはするが、天の果てでも住むことはできる。
「帰去」は故郷に帰る。陶淵明に「帰去来の辞」がある。「可憐」は日本語より幅広い意味をもつという。対象につよく心惹かれるのであり、わたしが日々に「京都」へ帰りたいと願うのも、それ。未熟なこと、まだ「天涯に住するも亦た得たり」とは行かんなあ。
2018 8/21 201
* 『失楽園』で、イブはアダムにあさはかに反抗しまこと浅はかに蛇にもぐりこんだサタンの甘言に惑わされて堅く禁断されていた知識の木の実をむさぼり食い、あまつさえ夫のアダムにまで喰わせた。アダムは絶望的にイヴのあとを追い敢えて禁断の実を食ってしまった。
* 男と女とのかほど険しい危機そのものの対向は、他に例があるまい、ユダヤ教やキリスト教に流れた執拗なほどの女性蔑視の根源をこのエデンの園でのイブ の高慢と浅薄にみるのだろうかと、「失楽園」の詩句に肌に粟する心地で読み耽った。わたしが謂う「男はキライ女バカ」はご愛嬌なみの感想だけれど、エデン の園での「女」イヴの「ばか」はどう言い繕えばわたしのなかで温和に落ち着くのだろうか。わたしは一頃、異様に熱心に「マリア」を勉強したが、「イヴ」へ 溯るのが怖いほどに気重だった。しかし今は『失楽園』また「創世記」に拠りながら、またわたしなりの元に女を書いている創作行為のなかで、ますます「女」 が分かりにくくなってきた。「女バカ」という根深い感想の新ためようがダンダン望み薄くなって行く。フェミニズムにはあまり気乗りしていないがジェンダー という視野・視点はいま「オイノセクスアリス」に苦悶しながらも落とせないようだ。
2018 8/21 201
☆ 感月悲逝者 月に感じて逝きし者を悲しむ 白楽天
存亡感月一潸然 存亡 月に感じて一たび潸然たり
月色今宵似往年 月色 今宵 往年に似たり
何處曾經同望月 何れの處か曾經(かつ)て同(とも)に月を望める
櫻桃樹下後堂前 櫻桃の樹下 後堂の前
* 今年 此の前半にも何人にも逝かれた。詩的な知友に限ってもわが点鬼簿には数十人が已に数えられている。一人として忘れ得ず、声音も表情も若々しいままに想い出せる。悲しみも寂しさも尽きないままこれもまた佳い意味の「幸」と謂うべきだろう。
白楽天は この詩で、おそらく一人の人を想い潸然たるものがあるのだろう、「櫻桃の樹下 後堂の前」は的確に言い得て、美しい詩になっている。
2018 8/22 201
* 此処で 一つ 私どもとしては 「思い切って重大な提示・広告」を致します。「ご遠慮無くご利用」下さい。
今日現在も 「秦 恒平・湖(うみ)の本」の「全巻継続購読者」(ほぼ全員が 創刊以来の全巻購読者)の皆さんに「限らせて頂きます」が、三十余年にわたる「湖の本既刊本」(現在141巻 今後も継続)の、「小説・エッセイを問わず、どの巻であれ、何册であれ、在庫の限り」を、ご希望次第で、例外なく「無料で呈上」します。
「文学」の作として、お仲間なり、ご子弟・ご知友なりと、宜しいように自由にご利用くだされば、作者・著者として幸いです。
ただ、「巻」によっては、すでに在庫のもう払底、ないし払底しかけているのもあります。しかし斟酌なく、むしろ秦を助けると思って、「何巻を何冊」と、ご遠慮なくご要望下されば、可能な限り、すべて無料で、荷造りして送り出します、何の御斟酌にも及びません、喜んで差し上げます。
私ども夫婦の「残年寡き」を思えば、「一つの潮時」と、たった今、ハッキリ思い立ちました。発送にいささか年寄りのモタモタのありがちなのは、ご容赦下さい。
一つには、没後に在庫を残しても、事実上私の本意を践んで残部を活用できる者は無く、故紙同然に廃棄されるのは必至だからです。いっそ秦を援けてやると思われ、ご遠慮なくお申し越し下さい。
* 今日も予定した仕事はきっちり済ませた。「選集27」の出来に慌てることは無く、体力を大事に温存していたい。もっぱら創作へ心を用いつつ、「選集28」の初校は遅滞なく進めてある。
「湖の本142」を興味をもって貰えるように、工夫しながらほぼ腹案に沿って半ば以上組み立ってきている。
十時半をまわってきた。就寝前の読書を楽しみに階下へ下りる。「失楽園」らうちこんでモノを思い続けている。昔々の新潮社版世界文学全集の古本を三冊、 飛びつく思いで買ったのはまだ新制中学の頃、二冊は『モンテクリスト伯」上下で、もう一冊は「ボヴァリー夫人・女の一生」だったのが今も西の棟の振るい書 架に残っていた。無性にまた、『モンテクリスト伯』を此の古い上下巻本で読みたくなった。まだ読まれていない佳い本が数えきれず書庫にも、二棟の幾つもの 書架にもあり、死ぬ前に読んでおきたいなあとつくづく思う。みれんがのこるとかると、面白い佳い本を読みあましたまま逝くことかなあと思う。
2018 8/22 201
* 機械の温まる? のを待つ間に、珍しく中世説話の『今物語』巻頭一話を、三木紀人さんの解説で勉強した。「源氏の下襲の尻は短かるべきかは」と、「大 納言」が所持の扇繪をめぐる傍輩たちの誤解を見抜いて囁き去っていった女房に大納言が心奪われてしまう。扇の繪、弁という官職、その特徴ある下襲、源氏物 語の場面への読みや推察、その間違いの指摘など、わずか文庫本12行の説話が生きもののように揺らぐ面白さ。教えられた。
三木さんは朝日子が御茶ノ水に在学の頃の教授であられただけでなく、わたしが医学書院に就職して間なく、母校の紀要に論文が送りたくて、仕事の間をぬす んで会社から目の前の東大国文学科を訪れ、書庫へ入れてもらえないか本が読みたいと頼みこんだとき、応対して許容してくれたのが三木さんであった。わたし は毎日のように書庫へ通って学生、院生らの勉強にまじり、けんめいに「徒然草」関連の文献を読みかつノートしつづけた。徒然草の執筆時期を追った論文は二 回にわたり母校専攻の紀要に載ったが、それより何よりこのときの勉強が、最初期作の一つの仕上げになった長編『慈子(初題は『齋王譜』)のなかへ濃厚に生 かされた。いまも胸の鳴るような思い出である。
講談社学術文庫『今物語』も三木紀人さんに戴いた。
* 上の三木さんとのように、わたしは、作家としてスタート以降、幸いに、信じがたいほど優れた国文学・日本史学の学者・研究者に仕事を識っていただけ て、永く長くいろいろに教えても応援してももらえた。とてもお名前を列挙などできないほど大勢、それも目を剥くような森銑三、下村寅太郎、角田文衛、岡見 正雄といった大先生から「ファンレター」も貰っていた。文壇という世界へは我からこまごま近寄ることはしなかった代わり、他分野の碩学や優れた藝術家に は、敬愛しつつ親しんで、多くの示教に恵まれつづけた。残念、しかし当然にも、もう九割の余も亡くなられたが、今も、梅原猛さん、久保田淳さん、興膳宏さ ん、井口哲郎さん、信太周さん、高田衛さん、今西祐一郎さん、長島弘明さん、黄色瑞華さん等からそれぞれに多く深くを、つい先頃までは島津忠夫さんに源氏 物語の読みの詳細を感嘆しつつ教わっていた。
* ご縁というものを、わたしは大事にしている。大先輩にも、若い後生らにも。
2018 8/23 201
* 久々に『風姿花伝』を読み始め、序にあたる文の末尾に、
「一、好色、博奕、大酒、三重戒、これ古人の掟なり。」は常識に類していて不思議はない。むしろ「好色」などはいくらか藝のうえで滋養なのではないのかとさえ感じる、が、もう一条、
「一、稽古は強かれ、諍識はなかれとなり。」とある前半は当然として、後段の、「諍識」を、「情識」の当て字などと読み捨てていいか、とても気になる。
「諍識」とある文字遣いにこそ、藝も生も損ねやすい「自分勝手な慢心から生ずる争い心」は正確に読み取れる。わたしは、嗤われるだろうが、この、「諍識」二字に陥っていそうな自身を平生「用心」しているつもりなのだが。
2018 8/23 201
☆ 「今物語」の二 忠度と扇
薩摩守忠度(さつまのかみただのり)といふ人ありき。ある宮ばらの女房に物申さんとて、局(つぼね)の上ざまにてためらひけるが、事のほかに夜ふけにければ、扇をはらはらと使ひ鳴らして聞き知
らせければ、この局の心しりの女房、「野もせにすだく虫の音や」とながめけるを聞きて、扇を使ひやみにける。人しづまりて出であひたりけるに、この女房、 「扇をばなどや使ひ給はざりつるぞ」と言ひければ、「いさ、かしかましとかや聞こえつれば」と言ひたりける、やさしかりけり。
かしかまし野もせにすだく虫の音や我だに物は言はでこそ思へ
(現代語訳〉
薩摩守忠度という人がいた。ある宮様に仕える女房に物を言い掛けようと、女の部屋のあたりでためらっていたが、思いのほか夜が更けてきたので扇を使って 音を立て、合図で自分のきているのを知らせたところ、その部屋にいた事情通の女房が、「野もせにすだく虫の音や」と誦(ずん)じたのを聞き、扇を使うのを やめた。
人が寝静まってから女房と会った時にこの女房が、「扇をなぜお使いにならなかったのですか」と聞くので、「さてねえ。うるさく聞こえたらしいので」と言ったとか。優美なことであった。
かしかまし……(うるさいことよ、野原で所狭しと鳴く虫の声よ。こんなにあなたのことを恋い焦がれている私でさえだまって耐えているのに)
* 薩摩守忠度は平家一門でも剛勇で知られた武将で、また優雅な歌人としてもただならぬ存在であった。わたしはこの忠度説話がことに好き。「女文化」を肌 身に理会していた平家の公達に比し、源氏の大将らは義経ですら不行儀にざらついていた。「アカ勝て シロ勝て」でやかましかった子供の頃は太平洋戦争への 前夜、わたしは幼稚園前から国民学校へ上がろうとしていた。源平闘諍のいきさつはあらかたもう心得ていて、わたしは終始「アカ」旗の平家贔屓だった。「女 文化」ないし「女文化の終焉」という歴史観はそのころから自身で紡いでいた。「徒然草」とともに新制中学で真っ先に岩波文庫『平家物語』上下巻をお年玉で 買い入れ愛読したのも(秦の父のだったろうか)通信教育用の教科書「日本国史」や人に借りた絵本などの感化であった。「女文化」へ身を添えながら大人に なって行く「男」をわたしは教養の如くに自身に律していたかと思われる。
2018 8/25 201
* 機械の煮えるのをただ待ちながら、今朝も『今物語』の三「雪の朧月夜」 四「蛍火」を、身にしみじみと嘆賞していた。
まさしくそれらは、「女文化」の粋とみえて教養も配慮も優情もこころよく非のうちどころなく表現され、美しい場面、場面を成している。よく話柄を選んで あり、あの『枕草子』のような筆記のエッセイでなく、むしろ、よく磨き上げた小説の場面、場面のように「語り」が的確で簡潔なのである。
時間があり手間を厭わねば此処に掲示したいみな魅力編ではあるが、講談社学術文庫『今物語』全訳注・三木紀人の一冊をお薦めしておく。
これはいわゆる説話集の域をこえ、丁寧に編纂された「女文化」の文藝名場面集に成っていると謂いたい。挙げられる詩歌も吾がもののように記憶して優に懐かしい作ばかり、それへも惹かれる。語釈も精緻にひろく検索検討されていて信頼に足るだけでなく、知恵も授かる無。
* このところ朝に辛抱よく機械に動き始めてもらうと、ついつい、いわゆる日記ふうの叙事でなくエッセイめく感想を述べてしまっている。そういう方へ方へ気が向くのだろう。
* 今朝も『風姿花伝』をはらはらめくっていて、「物学(ものまね)條々」に目をとめ、もう久しい自身の思い理解に触れてくる「科」という一字に出会っ た。ああ是へ立ち止まるとながくなってしまうなあと躊躇ったが、日頃も気になり気にしている一字だけに、通過しかねるのである。
☆ 風姿花伝第二 物学條々
物まねの品々、筆に尽し難し。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにもいかにも嗜むべし。およそ、何事をも、残さず、よく似せんが本意なり。しかれども、また、事によりて、濃き、淡きを知るべし。
先づ、国王・大臣より始め奉りて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は、及ぶべき所にあらざれば、十分ならん事難し。さりながら、よくよく、言葉を尋ね、科を求めて、見所の御意見を待つべきか。
* こと細かには立ち止まらない、ここに謂う「言葉を尋ね、科を求め」とは、何かということ。
* いま、舞台で謂う「せりふ」を漢字に書くに「台詞」とする人の方が多い。台本にある詞とい理解か。しかし、もう一つに、昔から「科白」という表記があるが、どういう意味か、今日では大方の舞台・演劇人が忘れ果てているように歎かれる。
「科」とは何、「白」とは何。
「白」には、表白、自白、告白、白状などの熟語があり、何らか「言葉」で言い表す状況が察しられる。
一方の「科」には、「シナ」をつくるなど謂うようにな、肉体・身体による表現行為が察しられる。「言葉を尋ね、科を求め」という言句には「セリフ」が本 来持ちかつ表すべきものが謂われている。それの分かっていない俳優は、喋っているときは「躰」での科よき表現が置いてきぼり、躰を使っているときは「言葉 (表白)」での表現が置いてきぼりになる。ちゃちな初心の演劇を舞台で見るとこの「科」と「白」との有機的な美しい調和が成ってない。セリフといえば「台 詞」としか考えていない不勉強がバカバカしいほど露呈してくる。
建日子のごく初期の作演出舞台にも、口を酢くしてよく「科・白」の注文を付けたのを思い出す。
もう久しく、こっちのからだが言うこと聞かず、建日子の作・演出芝居も観ていない。
2018 8/26 201
* ところで、このところ、クソまじめなほどに思い耽っているのは、ミルトンの『失楽園』を耽読のなかで頭を擡げてきた世界史の、とまでは謂いたくない が、キリスト教世界が根の根から抱え込んでいる「イヴ 女」の問題、そこから、旧約・新約・ローマ教会を経、決定的に、悪辣なまでに構築されてきた苛烈な 「女性蔑視」の問題。今日も、革新的なキリスト教神学書の「女性蔑視」の章を熟読していた。
上野千鶴子に「女嫌い(ミソジニー)」の一冊がある。貰って、読んで、特には立ち止まらずに、自分の小説世界を考えていた。
わたしは「女文化」という文化史の発見提唱者であり、ま、信者であって、「男はきらい、女ばか」とは思いながら、「ミソジニー(女嫌い)」とは感じていない、が、「要検討」なのか。
イブは、とても「女ばか」だけでは済まされていない、が、……
旧約の「創世記」ではまだ掴みにくい「堕罪のイブ」が、『失楽園」では過酷なまでに、アダムや神や天使たちと対立した気味に把握されていて、この問題 は、このままにしておけんなあと、また改めて(じつは、おなじ事は過去にも何度も感じながら、イヴではなく、マリアの方へ視線を送り続けていたのだが) キリスト教の世界と歴史とがウンザリとアタマにのしかかってきた。重い。
* これ、セカセカとはとても扱えない。尾張の鳶には、たくさん教わりたいことが有る。
2018 8/26 201
* その夏バテ危険の今日にも、昼過ぎのバスで駅へ向かい、聖路加病院へ診察を受けに行く、といってもものの五分のいしとの対話・歓談で服薬の処方箋を 貰ってくるダケなのである。ま、「お出掛け」のチャンスとして極端な運動不足をすこしでも解こうというワケ。校正ゲラをたくさん持ち、さらには、リュー サー女史の「解放神学」で、(おもに米国の)キリスト教女性蔑視がいかがなものかも勉強してくる。知的に気を張っているとたしかに自覚的な疲労は少ない、 軽いと感じられる、錯覚なのかも知れないが。
* いまも『今物語』で、また『風姿花伝』で、或るかねての思いを肥やす、ヒントのようなものが得られ、どう生かそうかなあと楽しみに思っている。
2018 8/27 201
* 十一時になった。ガンバリ過ぎたか。
今日は、校正のほかに、キリスト教神学の本三冊ばかり、目次を拾って覗く程度ではあったが、確かめたいことのある気持ちで調べてもいた。一般にアメリカでのと限って「解放神学」といわれるものにも、大きな裂け目があることなど、確かめられた。
さ、機械から離れる。
2018 8/27 201
* 昨日は炎天下を聖路加から三笠会館まで歩き、食事の後また銀座一丁目まで歩いた。帰宅して遅い夕食もした。寝る前にシカかリノ校正の纏まりをつけ、「選集28」初校了の目先が見えてきた。
リーゼを服して、読書後、ミルトン叙事詩の大作『失楽園』上下巻を、数年ぶりに「再読」了。初めて読んだときより更に更に心惹かれてほぼ一字一句も疎か にせず熟読した。わが飜訳読書史中の一白眉とも謂えようか。今回はことに「イヴ堕罪」をめぐって胸の痛いような問題意識を多感に強いられた。
キリスト教史の各時代の教会また教父たちの執拗を極めた「女性」に対する「蔑視」「排除」の烈しさにも他の参考文献で再確認してゆきながら、奇妙にいた たまれない違和感にいっそ苛まれる心地がしている。この問題は、ま、目下『オイノセクスアリス』創作中のわたくしには、擦れちがって通り抜けられる問題で は無い。
一時前に寝入って、幸いに、よく寝た。この頃は妙に律儀な夢をみて、幸い疲れない。有り難い。
* 機械の煮えてくる迄に、『今物語』『風姿花伝』を愛読、このところ朝・一の楽しみ。
夕刻に、自覚的には何の用もない、しかし歯科通いが控えている。マゴ・アコのいる家にいて、仕事をしていたい。もう仔猫とはとても謂えず、一日に数十回も大笑いしたり歎いたり惘れたりしながら仲よく共生しています。ネコもノコも黒いマゴも喜んでいてくれる、信じている。
それに比して安倍、自民、トランプ等々という何という苦々しい不快感だろう、吐き出す心地。
* 歯医者の帰り、久々「中華家族」でマオタイを楽しんだ。海老とトマトの煮和えたのも口にあった。店の前のブックオフで、「宗長日記」「山上宗二記」「三浦梅園」三册を岩波文庫で買ってきた。
2018 8/28 201
* 機械の起ってくれるまで、今朝は「風姿花伝 物学條々」の「老人」を読んでいた。
能では、「老人の物まね、この道の奥義」「第一の大事」とある。
「花なくば、面白き所あるまじ。」「老人の立ち振舞、老いぬればとて、腰・膝屈め、身を詰むれば、花失せて、古様に見ゆる」「ただ、大方、いかにもいか にも、そぞろかで(はしたなくならず)、しとやかに立ち振舞ふべし。」「花はありて年寄と見ゆる 習ふべし。」「ただ、老木に花の咲かんが如し」と。
* 高校二年、三年で茶道部に稽古をつけていた昔から、『風姿花伝』のこの年齢を追うての「物学條々」の教えには舌を巻いていた。今でもまことに新鮮に、ゆるぎなく信頼できる。
2018 8/29 201
* 岩波文庫「源氏物語」の第四巻到来を待望している。
* 谷崎先生が、昔も昔お若い頃、年寄ったら自作をゆっくり読み直すのが楽しみと述懐されていて、谷崎文学ならさもあらんと羨ましいほどに感じていた。企 んだわけでないが、選集を決意して、はからずも自作の大方を克明に読み返すことになった。予定の三十三巻へ、もう残り五巻、溢れて剰るモノも相当出来てし まうが、それはそれ。むかし、むしろ実感のまま「わたしは寡作で」と書いていたのを読んで人に怒られたことがあった。たしかに創作とエッセイと、両翼・両 輪に、「寡作」では無かったとかなりにビックリしている。問題は、それほどの「作」に「作品」が添っているかで、これは読者が判定されること。
断っておくが、現在のわたしの視力、それでもわたし独りで校正しており人に頼んでいない。言い訳になるが見えにくい為のイージイ・ミス、誤植、は出てい る。その大方は、読者に察しのつく程度であってくれるようにと願っている。「は・ぱ・ば」にはとくに見損じがあるようだ。もし時間と体力がのこれば、読み 返して正誤表を造っておきたいが、出来るかなあ。
* 気になっていることのために、フランチェスコ・ペトラルカの「わが秘密」を持ち出してきた。フランチェスコのさまざまな問いに、最大の教父ともいわれるアウグスチヌスが徹底して応え、時に激しく討議がつづくが、主眼のアウク゛スチヌスの教えにある。
いま、わたしはその偉大な教父のキリスト教神学の問い返さざるを得ない疑念を持ちはじめている。ことに性ないし情欲・情念にかかわる見解をよく確かめたいのだ。
2018 8/29 201
* 書庫に入っていたが、暑さに参った。昼間に換気扇をまわすべきだ、夜分はご近所へ音が障る。
もとより気に入りで敬愛に値する以外の本はないのだからムリないが、処分して棚を空けたいとねがっても。もはや眼を閉じて手当たり次第という乱暴のほか に選びようがない。読みたい。ぜひ読んでおきたい。も一度読んでおかねば、などと一々手を引っ込めていては、三十糎の明きもできない。それだけ、つまりわ たしは自分の書庫を愛して誇りにしている。埃もかなり積んでいるけれど。
2018 8/30 201
* 「唱歌集」の歌詞はわたしの「文学・表現」への手引きだったと、つくづく納得する。好きな歌詞、嫌いな歌詞、なぜ好きでなぜ嫌いか、子供ごころに執拗に多年にわたり詮議してきたと思う。
「螢の光」の一番二番にはしみじみと賛同したが、三番四番の「教訓臭」は爪はじいて忌避した。
「あおげば尊し」は全身で共感し愛唱したが、「すめらみくにの、もののふは」だの「皇御國の、おのこらは」などいう「皇御國」なんてのはイヤだった。それより「四季の月」の四首の和歌仕立てであるのなど、美しいと思った。
一 さきにおう、やまのさくらの、花のうえに、
霞みていでし、はるのよの月。
二 雨すぎし、庭の草葉の、つゆのうえに、
しばしは やどる、夏の夜の月。
三 みるひとの、こころごころに、まかせおきて、
高嶺にすめる、あきのよの月。
四 水鳥の、声も身にしむ、いけの面に、
さながら こおる、冬のよの月。
こういう感触がたしかに日本のとは言い過ぎまいが岩、京や古典世界には実感として在った。唱歌や歌謡曲には四季を寓した佳作が多く、概してわたしは好き である。上の和歌の表現でわたしに自然に教訓してくれたのは、「花のうえに」「「つゆのうえに」「まかせおきて」「いけの面(おも)に」等、上三句の「字 余り」の美しさや確かさであった。四首いずれの三句裾の「に」や「て」音を落としたときの堅苦しさは歌の内在律には致命的になる。時に「六音の妙」 そう いうこともわたしは唱歌の歌詞にいつとなく学んでいた。
* 昨日おそく、ふと目に入った歌詞があり、「残暑お見舞い」に尾張の鳶へ送った。
* 『日本唱歌集』をめくっていたら、「とんび」という歌(葛原しげる作詩)に出会ったよ。知らなかった歌でなく、歌える歌でもあるので、二番まで歌ったよ。
とべ とべ とんび、空高く、
なけ なけ とんび、青空に。
ピンヨロー、ピンヨロー、
ピンヨロー、ピンヨロー、
たのしげに、輪をかいて。
とぶ とぶ とんび、空高く、
なく なく とんび、青空に。
ピンヨロー、ピンヨロー、
ピンヨロー、ピンヨロー、
たのしげに、輪をかいて。
いろいろ(=老々介護や創作や) シンドクもあるでしょう、察している。
が、
ま、時に 「とんび」にも なりなされよ。 保谷のからす
☆ からす、ありがとう、ありがとう。
歌詞の一行目だけメロディ知ってます。
空高く飛びたいですね。
元気に! とんび
2018 8/31 201
* 何の目論見もなくただ読みたくて直哉全集の手に触れた一巻をもちだし、この機械の煮えてくる間にと、巻頭の「祖母の為に」を読んだ。観るから聴くから 男性的に簡潔、ラコニック(スパルタ式)な文体と表現の妙にひっぱり込まれる。直哉にこの祖母はことに大切な長上であり家族であり第一創作集の題にはこの 祖母の実名『留女』を以てしている。わたしはこの「祖母の為に」と、つづく「母の死と新しい母」とを、数多い直哉短篇のなかでも最も敬愛していると云いた いほどで、読めば、きっと心地良くも厳しくも冷水摩擦したような感銘を受ける。それはもう谷崎でも鏡花でも川端でもない。やはりどこかで漱石の文体へ通い あうものを感じる。
直哉を研究するのなら、こういう方面へ視野を深め広めて頑強に食いつくべきだろう。どうも昨今の自称研究者達、微妙に難しい「文体」論を避けて通る気味 が濃い。もの足りない。文学は、歴史学、国語学、民俗学、心理学、美学、地誌学等々の薫陶をえて作をゆたかな作品へ築かねばならない藝術だと承知している のだろうかと、外野は肌寒い気で眺めている。
2018 9/1 202
* 直哉の「母の死と新しい母」を、またまたまた、読んだ。清い冷たい水で顔を洗ったように清々しく嬉しい作品。作には品の有ると無いの大きな落差のあること をわたしは直哉の文章・文体から学んだのである。「母の死と新しい母」から真っ先にそれを教わった。「母の死」はいたましく恐ろしく胸に沁みた。「新しい 母」への直哉少年の慕情は、美しいほどに淳で、羨ましかった。わたしは「実の母」を受けいれなかった。「育ての母」には、懐きたいのにどこかいつも怕かっ た。
2018 9/2 202
* 政府とか政治とか國とかいう感覚が腐れ気味に、イヤなものになっている。「私の私」を侵掠してくるくる一方の「公」がイヤになるのは不健康な迷惑だ が、日増しにそうなる。極端に「公」に尻を向けていたくなると、たとえば「私」の象徴のような志賀直哉の明晰でラコニックな文章が清々しい薬のように嬉し く親しくなる。古典もそう、漢詩もそう、いい映画もそう、そして自身の創作世界も。そういう世界をもてているのを嬉しい思う。所詮悟り澄ませるわたしでは ない。この辺で、日々を生きているよりあるまい。
2018 9/3 202
* アウグスティヌスとペトラルカの対話を読みながら機械の起ってくるのを待っていた。
「たくさんの人がきの先をゆくのに気づいたなら、どれほど多くの人があとについているかを思いたまえ。神に感謝し、きみの人生にも感謝したいなら、じれ ほど多くの人を追いこしてきたかを思いたまえ。」「限度をきめておきたまえ。越えたくても越えてはいけない限度をね」と、セネカの詩句はうたっていた。西 欧の賢者らしい落ち着きように思われる。
東洋の禅人なら、一喝しそうだ。
* 昨夜、寝入る前に、キリスト教(者)とユダヤ教(ユダヤ人)との苛烈な信仰上の、歴史上のかわりを読んだ。キリスト教(者)の女性蔑視の徹底して過酷な侮蔑に満ちていた歴史も、このところ学んできた。「教会」「法皇」「教父」といわれるものらの神の名において為し続けた歴史的な驕慢と独善に驚かされ続けた。
* 機械がえんえんと起動を躊躇う間に、直哉の「憶ひ出した事」もさらりと読んだ。善し悪し好き嫌いなどべつにしても、ああ此処に「人」がいると確かに感じられる嬉しさ、澄明感。
2018 9/4 202
* 直哉「憶ひ出した事」に次いで、今朝も機械の稼働待ちで「或る一夜」を読んだ。癇性というのか、こういう人と平静に仲よく付き合い続けるのはさぞ難し いことであったろう。後年谷崎潤一郎との親交が終始互いの敬意・信愛に終始したのを、「文学の師」としてともに真実尊敬しているわたしは嬉しい。
四国の榛原六郎は、もう、むかし、しっかりした直哉論を読ませてくれたが、その後も思索しいろいろ書き継いでいるだろうか。病気に負けかけていた時期があったと電話で聞いたが、文学が妙薬だと信じて書き継いでほしい。
2018 9/5 202
☆ 陶淵明 を適当に抄出
窮居して人用寡く 時に四運の周るをだも忘る
空庭落葉多く 慨然として已(すで)に秋を知る
今 我れ楽しみを為さずんば
來歳の有りや不(いな)やを知らんや
2018 9/6 202
☆ 陶淵明に気儘な聴く
人生 根帯無く 飄として陌上の塵の如し
盛年 重ねて来らず 一日 再び晨(あした)なり難し
時に及びて當(まさ)に勉勵すべし 歳月 人を待たず
* 一日 再び晨(あした)なり難く 八十三歳になろうという日々はあるが 歳月人を待たずと云う覚悟でいる。要するに 無為の至難に屈して 小為へ逃げ込んでいるのだ、よく分かっている。
* 志賀直哉も、「廿代一面」などという間に合わせやっつけ仕事はバカらしくておはなしにもならない。こういう廿代青年らの病的なまで自堕落な消費生活にわたしは聊かも共感しない、軽蔑する。いい気なものだ。
* 「湖の本」142の初校をし終えた。ここ暫く余力を持てる。目の疲れはひどいが、この一巻も、いかにも「わたくしの批評と述懐」らしき二十編に編輯できたと思う。
十日の「選集」27出来待ちへ、明日、明後日の二日間。夏バテに備えたい。
十月中旬まで気の張る外出もなく、散髪はサボって真っ白い蓬髪もよしとしよう。白い鬚を蓄える趣味はない。
九時半だが、睡い。やすめということだ。やすむといっても、床に就けば十册もの読み継いでいる本がまくらもとに積まれてある。昔も昔の新潮社世界文学全 集版の「モンテクリスト伯」は全編を上下二巻に収めてあり、古本屋で買いそれは愛読したモノ。今回は文庫版でなくその懐かしい重い本で読み始めている。読 み物としては、世界一の傑作と思っている。現代史、解放神学、筑摩の大系本、直哉全集等々、けれど、つとめて寝てしまうようにしている。寝て休むのがいろ いろに最良と思えるので。ゆーっくりの入浴も。
* ふと。直哉の二巻で、つまらない「廿代一面」をトバすとつぎに、珍しいと云わざるを得ない「クローディアスの日記」が来る。
福田恆存の創作には「ホレイショーの日記」があった。ともに戯曲「ハムレット」の人物であり、ともに論攷でなく小説として書かれてる。すくなくも大学生の卒論の対象にしても面白いような読み甲斐のある作品論になるだろう、ハムレットを含む三作総合の。
そんなことを思いついて。すこし熱くなった。ま、「読む」だけでいい楽しみ試してみよう。いやいや、気が多いなあ。惘れるよ。
2018 9/7 202
* 陶淵明に、気儘に聴く
衰榮は定まりて在ることなく
彼此(ひし)更(かはるがは)る之を共にす
寒暑に代謝有り 人道も毎(つね)に茲(かく)の如し
達人はその會(え)を解し 逝いて将(は)た復(ま)た疑はわず
忽ち一觴の酒と與(とも)にして 日夕 歓んで相(あひ)持す
2018 9/8 202
* 陶淵明に、気儘に聴く
廬を結んで人境に在り
而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
菊を東籬(とうり)の下(もと)に採り
悠然として南山を見る
* 陶淵明には故郷「南山」は帰るべき墳墓の地であった。
2018 9/9 202
* 夕食後、機械の前へ来て、機械の前で寝入っていた。階下へおり、床で寝ようとしたが、川端善明さんの、読み継いでいる『影と花 説話の径を』の最初の 一章「あやかしの影の風景」を読み通した。怖い霊や鬼の説話をとても巧みに編成しつつ案内してあり、津々の興趣に引き込まれる。
次いで、もう久しく、十年にも成るか、建日子がたぶん河出の小野寺さんにもらったのだろう、わたしがル・グゥィンの愛読者と知っていて呉れた、『なつか しく謎めいて』を、初めて手に執り、思いの外に読みよく面白くて序章と一章とを読み通した。「次元間移動法」によってさまざまな異次元世界を訪れる話し で、お伽噺のようなしかしサイエンスフィクション。飜訳者の日本語が平易で惹きこまれていった。
さらにまた枕元から手の届く書架へ出しておいた珍本、芥川龍之介が全六册に編んだ『近代日本文藝讀本』の第二集を引き抜いて、倉田百三作の戯曲「布施太 子の入山」第一幕を面白く読みだした。読み切るのが惜しくて先の楽しみにし、しかしいろんな他の歌人詩人俳人らのむろん芥川が選んだ短歌や詩や俳句の頁を 拾い読みした。思えば頗る贅沢な本であり、この第二集だけでも三十人もの著名作者の作が居並んでいる。これが六册もそろっているのだから、芥川なりの謂わ ば近代日本文藝史なのである。こんなのがあるかと昔に買っておいた。腐らないいろんなご馳走がつまっている。
まだやめずに、次は直哉異色の試作「クローディヤスの日記」を通読した。直哉はこれで「フアウスト」という作は面貌を一新したはずとさえ自負していた。 苦労して書いたと直哉は告白し、その気持ちが伝わってくる珍しい作物である。志賀直哉という人は、まこと特異なお人である。ある外人文学者が直哉作の如き は「綴り方」だと言い捨てたことがあるが、それは英語などに「翻訳不能」の、宝石のような日本語なんだとわたしは思っている。
そして、このところ耽読翻読を重ねているローズマリー・リューサーの『人間解放の神学』へまた取りついて赤と黒のボールペンの線で、本をみるかげもなく(妻や子にひどく嫌われているが)またまた染めていた。
* 眠る気でカラダを横にしても、ついつい、いつもこうして読書へ嵌り込んで行く。真夜中にでも嵌ってしまう。強度の雑食性読書魔になっている、ただし通俗な読み物は身近に置かない。
2018 9/9 202
* 陶淵明に、気儘に聴く
道 喪はれて千載に向(なんなん)とし
人人 其の情を惜しむ (相変らず思いを率直に出し惜しんでいる)
酒有るも肯(あえ)て飲まず 但だ世間の名を顧る
我が身を貴ぶ所以(ゆえん)は 豈(あ)に一生に在らずや
一生 復(ま)た能く幾(いくば)くぞ
倐(すみや)かなること流電の驚かすが如し
鼎鼎(ていてい)たり 百年の内 (一生をただぐずついて)
此れを持して何をか成さんと欲(ねが)ふぞ
* 生涯の所業は死の瞬時に無に帰するのみ。だから、酒や人を愛するようにいま楽しんでいる。
2018 9/10 202
* 秋場所が始まっているが、わたしのスモウ熱はすこし退いているか。
喰う楽しみが激減(なにしろ半人前の面の半分で苦しいほど満腹してしまう)で、楽しみは読書と映画(映画館へ行くなど論外、猛烈に採り溜めてある録画であるが)と、ふたりのマコとアコ。この兄弟、麗しい限りに仲が良い。われわれにも懐き切っている。
西棟から、新井白石著の名高い語源辞典『東雅』を機械の側へ持ってきた。白石先生はかなり強引でもあり、また物に即して過ぎたる嫌いあるけれど、断然乎として面白い読みをなさるので、せいぜい受け売りを楽しもうと。残念ながら、「心」には触れていない。
2018 9/10 202
* 心神とかく静穏ならず、情けない。
こんなとき、なにが私を静まらせるのか、定かでない。なにか素晴らしい人・物・事に出逢って感嘆するのが佳いようにおもう。
人で思い至るの は、例えば大坂の醤油屋に生まれ、三十代初めに若死にした、富永仲基。明治以前のすべての日本人のなかで、最も優れた「学者・研究者」は富永仲基(一七一 五-四六)だといえば、百人の九十九人以上が目をむいて疑うだろう、知らないからだ。本居宣長、法然、恵心、空海。いやいや、比べものにならない。
仲基は、佛教経典の歴史的根底を科学的な思考で徹底検討し、独特で卓抜な論証により世界史的にも類例の少ない理路と理解とを「経・律・論」三蔵の生起・ 成立につき、名著『出定後語(しゅつじょうこうご)』に鮮やかに示し遺してくれた。近代日本の仏教学も、先駆した富永仲基不動の論理に指一本の変更とて加 え得ていない。仲基の論拠とする理論は「異部加上」の説にあるが、この明快を極めて微塵否認のならない科学的思考の卓越には驚嘆しかないが、しかも今この 機械で「かじょう」と求めても「加上」という二字が出てこない。三十過ぎ、大坂の醤油屋の若僧に何が出来るかと今以て日本の知性立ちは承知していないので ある。しかしながら佛教の生い立ちから、小乗、大乗へと羽を広げた歴史のいわば生理を論証し得た明晰には、驚嘆せざるを得ない。
日本の十八世紀は多くの天災は忘れた頃にやってくるを輩出した不可思議に驚くべき時代であったが、そのなかでも論理・論攷の世界で近代・現代を優に凌駕し得たのは富永仲基しかいない。すくなくもその「異部加上」説からは多くを素直に学びたいものだと思う。
2018 9/11 202
* 十時半。幸いにも校正すべき一頁分いまは手になく、ゆっくり本をいろいろ楽しんでから眠ろう。昔々の新潮社版『モンテクリスト伯」は、エドモンが投獄 されるまでがむかむかするほど嫌いで、なにもかも刻印したほどよく記憶しているので、あえてシャトーディフの地下牢で絶望死を願いだしたエドモン・ダンテ スがかすかな物音を壁のおくに聴き止める、まさに彼が死から生へ生き返る場面から読み始めた。好きだった、これからファリア法師と牢と牢の間で出逢うとこ ろが嬉しくて、好きだった。
* 小説世界で出逢って他の誰よりも嫌いで嫌い、大嫌いなヤツが『モンテクリスト伯』のなかのダングラール。彼が好漢ダンテスを不幸のどん底へ陥れる引見 を極めた企みが不快で、初めの方を読むのが辛くなる、で、今回は物語好転への場面から読み耽ることにした。もう読み耽っている。
* 千夜一夜物語の最初のものがたりははでな長編で、やがて通り過ぎる。なぜかしらん。わたしはこの長大な千夜一夜の物語がみな気に入っている。その好みは、京大の川端善明さんによる日本の諸説話世界への克明で深切な案内に引きいれられているのと、波長が合っている。
* そして、ル・グゥインの不思議世界。 わたしは、リアルな現実に立ち向かうのがよほどイヤないしは不快であるらしい。
2018 9/11 202
☆ 陶淵明に気儘に聴く
我れは実(こ)れ幽居の士 復(ま)た東西の縁無し
物は新 人は惟(こ)れ旧 (物は新しいが宜しく 人は旧知が良い と)
弱毫 宣ぶる所多し (拙い筆でも きみに云いたいことはいっぱい)
情は万里の外に通ず 形跡は江山に滞(とど)まるとも
君 其(そ)れ体素を愛せよ (では おからだをお大事に)
來會は何(いづ)れの年にか在らん (いつ また 会えるのだろう)
2018 9/12 202
* 今朝はひとしお機械の煮えたちに時間が掛かった。ひたすら、辛抱辛抱。その間に、王朝勅撰の和歌をたくさん拾い読みし、また『風姿花伝』と『今物語』とを拾い読みして楽しんだ。
* 和歌は、今日の雑言不粋、表現への能にも理解にも欠けた短歌に、のどの奥までザラつくのに比し、むろん千年余の時代差は否めなくても、日本語の表現美 と洗練された詩情に心惹かれる。心安まる。いかがなリクツを並べられても今日の短歌の多くは、あまりに多くは詩歌の真実を大きく逸れている。
すむとても幾夜もあらじ世の中にくもりがちなる秋の夜の月 公任
おきあかし見つつながむる萩の上の露吹きみだる秋の夜の風 伊勢大輔
やすらはでねなまし物をさ夜更けてかたぶくまでの月をみし哉 赤染衛門
今はたゞ思ひたえなんとばかりを人づてならでいふよしもがな 道雅
黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部
* 花伝書の問答條條の最初は、能の「場」と演能の始めにかかわってまことに微妙に的確な教えが語られていて、唸るほど頷かされるが、しかもなお、さも姿 勢を正し行を替え言葉も慎んで、「さりながら、申楽は、貴人の御出(おんいで=来会、その刻限の不同)を本(ほん)とすれば」とあるのに、胸を衝かれる。 観阿弥、世阿弥父子らにとって「貴人=当時の将軍足利義満や有力大名佐々木道誉ら、また高位の公家がた」の贔屓と扶持とにひたすら縋りながら「藝」を研き かつ社会的に存在を容認・支持されねば浮かばれなかった事実が、ありありと証言されているのだ。
* 今物語の説話はただ味わうに耐えて面白いというだけでなく、王朝の洗練され尽くした女文化が、わたしのはやくに指摘した終焉期の十二世紀を経て、十三 世紀へすすむにつれ、ものの風情、素養、行儀、理解等が滑稽なまで劣化し沈下して行く流れを象徴的なまで説話の一つ一つに証言させている、それに驚かさ れ、教えられる。三木紀人さんの釈も解説もまことに行き届いている。
2018 9/13 202
* アウグスティヌスがフランチェスコ・ペトラルカに話している、(=という構えで、ペトラルカは自著『わが秘密』を成しているのだが。)「情欲」に増し て「致命的な魂の悪疫(ペスト)」は、(対話している両人にとっての)近代では、「鬱病」だ、(語り手からしての=)古代人は同じ苦痛を「煩悶」と呼んで いたと。「この憂鬱においては、すべてがにがく、みじめで、おそろしく、そして道はつねに絶望へ、不幸な魂を破滅に追いやるものへと開かれている」と。
孤独と鬱とは、いままさしくわれわれ二十、二十一世紀「近代」の悪疫とわたしは感じてきたが、それは違っている。人間の群れて生きて在るかぎりどの時代にも「鬱病」は「情欲」にもまさる死への病魔であるのだろう。
いま、悪政への憤りにまさる鬱の誘いはない。腰が退けてはならぬと自身に言い聞かせ続けてきたが、荷風散人のあとを追う時機に来ているか…。エドモン・ダンテスが地下牢の深く深くで奇蹟のように同じ囚人ファリア法師と出逢えた幸福を真実羨みながらこの歳になった。
『モンテクリスト伯』の熾烈な展開を前にしては、直哉の『大津順吉』など、吹けば飛ぶ「ちり紙」同然の自己満足。やれやれ。『夜明け前』『家』や、『痴 人の愛』『武州公秘話』『細雪』『夢の浮橋』や、『吾輩は猫である』『彼岸過ぎ迄』『文学評論』などが読みたくなる。露伴、荷風、秋声らが、読みたくな る。書庫には、まだ一巻も繙いていない二十世紀世界文学全集が書架にびっしり並んでいる。
まだまだ このよに然様ならばと別れの手をふるわけに行かぬ。
2018 9/14 202
* いろんな用と仕事とを次々に仕込んで行くうち、ガクッと疲れる。疲れると横になり、ゲラを読む。ついで『モンテクリスト伯』を夢中で読み、ル・グゥイ ンを読み、仏教とキリスト教の論著を交互に読み進んで疲れの癒えるのを感じると、また機械の前へ戻ってくる。眼か弱っているので、ときどき、日本料理や酒・割烹の写真の綺麗な大判ムックなどを観て休憩している。。
2018 9/15 202
* 東工大でお隣の部屋においでだった橋爪大三郎さんに頂戴した本から多大に学んでいる。すばらしく「勉強になる」。ほんものの学者、研究者で、しかも人 間学らにつうじた方のお仕事からは学びやすい。上野千鶴子さんの本格の研究もいつもわたしの目の鱗を剥がしてもらえる。山折哲雄サントのとの対談は「漫 才」なみであったけれど。
2018 9/16 202
* 終日疲れも眠気もひきずりながら、あれやこれやしていた。入浴もし、紙も洗った。
いつしれず 九時前。ひきずるように生きるという感じに実意が添う。昨日今日の仕事のメインは読書だった、ユダヤキリスト教からパウロらのヘレニストキ リスト教そしてさまざまな異端を整理して「霊肉二元」の正統キリスト教(カトリック)と強力な教会が、教父や教皇の感化や威光のもとに、われわれ非キリス ト教徒には奇矯としか思われない結婚・出産観や性生活を、古代から中世、中世から近世、近世から今代・現代へと、積み上げしかも積み崩しつつ、無惨なまで 教義の自己破産へ破裂してきた基督教会史を、繰り返し繰り返し読んで、正直なところ、実は惘れていた。
彼らの歴史で、十二使徒やパウロよりあと、最も重く尊敬されてきた教父の一人はアウグスチヌスだろうが、 いやいや、惘れて、モノをいう元気も無い。
* もう、寝てしまおう今日は。いやいや、いよいよ、ファリヤ法師に死なれた地下獄のエドモン・ダンテスが決死の脱獄へ身を投じるところをワクワクして読 もうと思う。この物語は本当にすみずみまでこの後の展開を覚えている。そしてこの物語に限ってはだからこそワクワクと弾んで先々が楽しめるのだ。少年の昔 へすぐ帰ってしまえる。幾分恥ずかしいほどわたしは、やがて八十三という自分の歳に不相応に、浮き浮きと子供っぽく暮らしている、ようだ。ありがたいこと に、わたしにはいわゆる定年も定年後も無い。したい事、したい仕事で、衰えたカラダではあるがハチきれそう。
2018 9/17 202
* 家事馴れない家の中は、まことに、むずかしい。生協へなにを註文して佳いのやら。一覧表の字が小さくて、読めない。
マコとアコとが、淋しそうに静かにしている、あんなに家中をふたりで疾走していたのに。
* もう機械はやすませる。
「モンテクリスト伯」に勇気を貰いながらマゴたちと寝よう。
妻よ、眠りやすかれ
2018 9/18 202
* 気の励みは、いましもエドモン・ダンテス、モンテクリスト島で、ファリア法師から譲られた、信じがたい財宝をついに掘り当てて目にしたこと。此処からモンテクリスト伯の第二の人生、復讐と報恩と愛の人生がはじまるのだ、気を励まされたい。
源氏物語は、「玉鬘」十帖に進んで行く。
読書に励まされたい。ただ眼が疲れ切って行くのがしんどい。
2018 9/20 202
* 五時半には目がさめて、直哉の「正義派」を読んだ。ラコニックな文体の煮つめ、男性的に屹立している。
2018 9/21 202
☆ 花傳第七 別紙口伝 に聴く
一、この口傳に、花を知る事、先づ、仮令(けんりやう)、花の咲くを見て、萬に花と喩(たと)へ始めし理(ことわり)を辨(わきま)ふべし。
そもそも、花と云ふに、萬木千草において、四季(折節)に咲く物なれば、その時を得て珍しき故に、翫(もてあそ)ぶなり。申樂も、人の心に珍しきと知る 所、即ち面白き心なり。花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比(ころ)あれば、珍しき なり。能も住する所なきを、先づ、花と知るべし。住せずして、余の風体に移れば、珍しきなり。 ′
ただし、様あり。珍しきといへばとて、世になき風体をL出だすにてはぁるべからず。
* 「風姿花伝」にはじめて接したころ、此処に胸打たれ首肯いたのを嬉しく覚えていて、気持ちを正すためにも書き抜いた。
2018 9/23 202
* 無事に生ゴミも出した。わたし、すこし、寒気と発汗気味。
夜中目ざめて、『モンテクリスト伯』のなかでもダンテスには恩義深きモレル一家の惨状を救う全巻中の報恩感動編を読み上げた。ここからは、ダンテスも宣言している復讐篇へ突入して行く。まずは舞台はローマへ展開する。
また寝入ってから、ふと気付いた、枕の向こうでマコとアコが兄弟抱き合うようにしたまま、ごく低いミミ、ミミといったごく低声でとめどなく、内緒バナシのように話しあっているのを聴いた。こんなのは初めてのこと。
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
一 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修業者(比丘=男僧)は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 学究からももっとも古くかつブッダ(釈迦)の「ことば」と信じられる経典「スッタニバータ」の巻頭第一は「蛇の章」と題されている。以下十七節それぞれの末尾は「――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」と教えられている。
* かつて日本ペンが主催したアジア太平洋ペン会議大会の差別と文学分科会で「蛇と世界」ち題して演説し、「蛇・龍」の認識に世界的な環をと提唱した。エ デの園にもまず蛇が出る。そんな例は世界を見わたして数多いに相違ない。ブッダでも斯くまっさきに「蛇の章」を掲げて教えている。日本の神話にも八岐大蛇 はじめ龍も現れる。ただのお咄と読み流すことはとても出来ない、ペンの「差別と文学」分科会と聞いて、躊躇なく「演説」のためのレジメを提出したことで あった。司会をし、また原稿の英訳を引き受けられた水田宗子さん(水田記念大学学長)が趣旨に感服してくれたのを思い出す。
2018 9/24 202
* 建日子の新しい文庫本『マイ・フーリッシュ・ハート』を昨日読み始めて、彼の才能はムダのない、どことなくラコニック(スパルタ式)にきびきびと脚の 速い文体にあるのを再確認した、が、「事件」性にべたべたと依拠して「人間劇」にはとても高まっていきそうにないのが、残念だった。
譬えるのはまことに気がひけるけれど、文章文体の建日子型簡潔なラコニックは、「いい人間劇」にぶつかれば優れた「文学」へ接近しうるものがある。
志賀直哉に深く学んで、ストーリイを造り立てて面白がっているより、大胆に私小説母胎のフィクションを構築してはどうか。「母の死と新しい母」「和解」 「暗夜行路」などを、または藤村の「家」「嵐」などを徹底して読み深めつつ、自身の内奥に根の降りた、いっそ私小説ふうの「創作人間劇」を得意な文体の妙 で読ませて欲しいと願っている。
わたしの文体と建日子のそれは全く異なっているが、建日子は自分の文体に自信も誇りさえも持って佳い、深く自覚し、さらにさらに勉強もして、美しくラコニックに磨いて欲しい。そう「言い置い」て励ましておく。
お話は、しょせん古びる。が、「文体の音楽」は、奏でつづける。
学ぶ(まねぶ)なら、潤一郎でも鏡花でも荷風でもない、直哉ではないか、あるいは藤村も。誰のどんな名作でも「機械でいつでも読める」などと寝言を言うていないで、しかとした書物で謙遜に読みかつ読み深めて欲しい。
* 愚な口出しと承知しているが。
2018 9/24 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 二 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 蛇は南アジアの代表的に多い動物、同様に蓮華も。
わたしは、もう久しくも久しく愛欲の行為などとは無縁になりきっているが、未練であるのか、奇妙なガンバリであるのか、愛欲を断ち捨てたいなどとはじつ は思っていない。「ぐっとくる」という生気は、すくなくも未だ見捨てたくはないらしいのである。すくなくも「オイノ・セクスアリス」を懸命に書いている間 は。ハハハ。
* 数日前には戴いていた香川・高松の歌人玉井清弘さんの新歌集『谿泉』は、いい歌集で、心慌ただしい間にもわたしは何度も頁を繰り、相当数の短歌を読み 味わって清冽の思いに恵まれていた。むかしむかし朝日新聞に外野の小説家の身でかんたんな短歌時評を書いていたとき、玉井さんの歌をここちよく称賛した覚 えがあり、今度の歌集も、むろん少々の瑕瑾が混じるのは避けられぬとして、わたしを心静かに喜ばせた。大きな結社誌巻頭あたりの「蕪雑」としか云いようの ない独り合点の書き殴り短歌ばかりに出逢っていると、玉井谿泉境には心洗われる。感謝。
手紙でお礼を書いていられない。玉井さんの教え子で、この「私語」の読めるはずの作家榛原六郎にそれとなく伝声をお願いしておきたい。よろしく。
2018 9/25 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 三 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 「スッタニパータ ブッダのことば」の初章は、(おおかたどの章もだが)短い全十七節を通読してしまうような読みようでは、とうてい「よくよく聴い た」とはならない。一節一節に少なくも静かに心して立ち止まりよく瞑想したい、どう難しかろうとも。一気の「通読」など、まるで、読んだとも受け容れたと も感じたとも、無縁。
わたしは、このもう八十三にもなろうというこのわたしは、「怒りが起こったのを制する」ことが出来ないし、「奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことない」境地になど、日々、ほど遠い。ブッダのことばを聴く、狩野なら謙虚に聴きいれたい気持ちはあるけれど。
2018 9/26 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 四 激流が弱々しい葦の橋を壊すように、すっかり驕慢を滅し尽した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 怒り、愛欲、妄執、驕慢。おお、なんとお馴染みのものか。
2018 9/27 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 五 無花果の樹の林の中に花を探し求めても得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見出さない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* うかつに聴くと サカサマになる。堅固なもののあるのに気付けよなどというのでは、ない。そんなものは何もない、虚妄にしがみつこうとしてはならぬと。すべては無常と。
ぢっと、聴く。おののきながら、しかし 深く感じ入って、聴く。「わたし」は到れず、わたしの「からだ」はそれと確信している気がする。
* 今日は晴れ、明日からはまたも猛烈な台風が列島を縦断かと。平穏であれ。
2018 9/28 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 六 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 私自身の栄枯も盛衰もナニモノでもないが、日本の「文化」は愛おしい、文明ではなく。
2018 9/29 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 七 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 「想念」とは思慮分別、バグワンのいう「マインド」のこと。あれこれ想念に囚われていると、なにかにつけ「擬義=もたもた」することになる。
2018 9/30 202
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 八 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり超えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 努力精励しすぎることもなく、また怠けることもなく、要は「中道」を説くか。ま、そのつもりではいるのだが、人には、やり過ぎるやり過ぎる自愛せよと 叱られている。これで、かり怠けているとも思っているのだが。ただ、何度か自覚して書いている、わたしのは「仕事禅」と。とてもそんなではないけれど、 願っているのは、それ。
2018 10/1 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 九 走っも疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 「虚妄」とは、即、「うそくさい」のである。二葉亭四迷は「クタバッテシメエ」と吐き捨てたかと云われる。わたしは、現世の様のあまりにも大方が「ウソクサイ」と嫌気し、遺憾にも自身をも例外となし得ぬママ「有即斎」を称しているしまつ。
2018 10/2 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 十 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 「貪り」とは、わたしにとり何であるか。思い放っている気でもまだ何をどう貪っているか。視線を闇に投じて見つめてみる。
2018 10/3 203
* 『モンテクリスト伯』という大長編は、いわばひとまとまりずつの長編小説を繋ぎながら地響きたて進んで行く。 「投獄と脱獄」「ファラオン丸」「モン テクリスト島」「サンチョ・パンザ」「ローマの謝肉祭」までを読んだ。もう少なくも七度八度と読んできたのに、今度もとても途中でやめられない。日本の現 代作家の作も読んでいるが、薄味な体験記といったものばかりで、落胆する。源氏物語のいま「玉鬘」の巻を読んでいるが、断然この方が大デュマの大読み物に 対向して文学の質の高さをハッキリ伝えている。源氏物語の方は亡き島津忠夫さんの遺著『源氏物語放談』の深切な道案内をも楽しんでいる。
久しぶり再読の『陸軍と海軍』がそれなりらすこぶる面白く、読まされている。戦闘の噺ではない、詳細に調査し検討され尽くした「人事」の話題である。記憶にものこっている陸軍大将や海軍大将の
名前が、学校時代の成績ももろとも、わんさと溢れ出てくる。空軍というのはついに無いままの敗戦だったと分かる。
* 九時。おやすみ。
2018 10/3 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 十一 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 愛欲は、虚妄か。
2018 10/4 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 十二 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 憎悪は我が身を苦しめるばかりである。
2018 10/5 203
☆ 臨済和尚に聴く 入谷義高訳
当今の修行者が駄目なのは、言葉の解釈で済ませてしまうからだ。大判のノートに老いぼれ坊主の言葉を書きとめ、四重五重と丁寧に袱紗に包み、人にも見せ ず、これこそ玄妙な奥義だと言って後生大事にする。大間違いだ。愚かな盲ども! お前たちは干からびた骨からどんな汁を吸い取ろうというのか。
世間にはもののけじめもつかぬやからがいて、経典の文句についていろいろひねくりまわし、一通りの解釈をでっちあげている。まるで糞の塊を自分の口に含んでから、別の人に吐き与えるようなもの。
* 聴く、のみ。
2018 10/5 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十三 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 貪り・愛欲 憎悪 迷妄(愚癡) のいわゆる三毒(貪とん・瞋じん・癡ち)を誡めていて、いずれもわたしは心して心してこころがけてはいるが、みな落第である。「いま・ここ」に「あるがままに」などと都合のいいいいわけをして日々に流されている。困りようも分からない。
2018 10/6 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十四 悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 「悪い習性」とは「潜在的に潜んでいる性向」と解説されているが、分かりづらい。「悪の根」も分かりにくい。悪の根は蔓延っていて悪い習性に まみれて日々暮らしているような実感こそあれ、それらとは無縁でござるとは、あまりに厚顔でよう云わん。さてこそ「南無阿弥陀仏」でいいという法然や一遍 の凄みさえある到達に思わず知らずすり寄っている。
2018 10/7 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十五 この世に還り来る縁となる 煩悩から生ずるもの をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 死後の煩悩ではない、生きている今に思い悩み思い過ごしてしまう煩悩を謂うのであろう。物欲はいっそ離れやすい。死なれ・死なせたかと思い悩み悲しみ生きて残るものらへの思い過ごしが、「死への転帰」を、険しくもことごとしくしてしまう。
2018 10/8 203
* 『モンテクリスト伯』を読んでいて、ふと立ち止まった。「物好き」という語彙に「アマチュア」と、ルビ。膝を打った。わたしはこの理解を肯定的に積極的に自覚的に受け容れる。
2018 10/8 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十六 ひとを生存に縛りつける原因となる妄執から生ずるものをいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 「もの好き」とは訳して「アマチュア」だと大デュマの本で示唆された。わたしは源氏物語の徒であるから、昔から玄人より素人のちからや好みを 貴んできたし、願わくはわたし自身もそうありたい、あろうと律してきた。「繪合」の巻など読んでそう刺激されてきたのを自覚する。そしてそのような「素 人」の藝や好みを「もの好き」と解釈されて、なるほどそれだと却って意をまた新たにも強くもした。
もとよりブッダの教えには「物好き」などは「妄執」であろうけれど、わたしは自分の物好きが「生存に縛り付ける原因」とはなるまいようにいささか自身を 誡めている。自身の成してきた「仕事」も死の転帰とともに一巻の終わりでよろしく、生きている間はおおいに励みも楽しみもしようと、ひとさまから観ればバ カげたほどの金遣いも平気でしている。必要に用いる金もまさしく必要にせよ、物好きに使える金はまた格別と思っている。使い切ればよろしいと思っている。 いずれ寿命の方も息切れになる。
2018 10/9 203
☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十七 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を超え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
* 「五蓋」とは、貪欲、いかり、心の沈むこと、心のそわそわすること、疑い を云うと解釈されている。まこと、これらに恰も心身を乗っ取られたような日々を送ってきた、送り続けていると惘れる。
* 「第一 蛇の章」の「蛇」の項は、此処まで。全部で十二節もある。三、に「犀の角」の一節がある。「犀角」という熟語が使われてきたとして、どう理解 していたろう、とびきり堅くて貴重・希少のものと思っていたろう。此処では、独りを確立した堅固な修行者・求道者を謂うているらしい。他からの毀誉褒貶に 煩わされず、ただ一人でも自分の確信にしたがって暮らせ、「犀の角のようにただ独り歩め」と。犀の角は一本しか無い。
その「一」は、こうある。
「あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のように独り歩め」と。
* わたしは、逸れている。
2018 10/10 203
* 横になっても、すぐ寝入るでなく、手のとどく所に大小二十三十の本へつぎつぎに手を出している。読書だけは字が見えている限り何よりの楽しみであるら しいのに我ながら惘れる。芥川の編んだ読本から森田草平の「輪廻」を読んだが、はなはだ不出来だった。加賀乙彦の「遭難」を読み終えようとしているが、短 篇なのに何度にも読み継いでいるのは惹き込まれていないということ。「モンテクリスト伯」は手にすると読みやめられなくて時に困惑する。源氏物語の「初 音」巻もしみじみと堪能してしまう。「千夜一夜物語」角川文庫の第二冊を読んでいるが、読みだすと惹きこまれる、活字の劣化に悩まされながら。
口承文藝の論文集、平安物語の論文集も、手に執ると読み耽ってしまう。
分厚い500頁余のしかも岩波文庫上下巻、プラトンの『国家』をみると、まさかと想ったのに二巻の全部に巻末までいっぱい朱線が引いてある。胃全摘後の 病室で読み耽っていたのだ、あの時はベッドで、医師も看護師も惘れるほどよく、本も、し掛かりの「湖の本」校正ゲラも読んだ。
よし、この前はミルトンの上下の大冊『失楽園』再読を果たしたのだから、今度はプラトンの『国家』も読み直そうと、さきほど決心した。
日本の現代、平成の文学はほとんど知らない。昭和末期の文学も容易にはワクワクさせてくれない。いま懐かしいのはもやっぱり藤村、漱石、荷風、潤一郎、あるいは手だれの文藝批評・評論。上京直後から一巻一巻買い溜め読み上げていった講談社版の全集が懐かしい。
そして岩波文庫新版の「源氏物語」を追いかけて「夜の寝覚」「狭衣」「住吉」などをまた読み返したいと舌なめずりしている。「書く」ちからや精気も生気も優れた読書からまだまだ吸い取りたい。不愉快で穏やかならぬ平成末期の政治やマスコミの醜悪から身をよけていたい。
* 十時だが、今まで昏睡のように寝入っていた。もう何もせず今夜はやすむ。
2018 10/12 203
* プラトンの『国家』がとても面白い。前回の、病院での読みより余裕を持って斟酌し思案もしいしい読めて楽しめる。
『モンテクリスト伯』の、沸き立つようにストーリーが盛り上がってくる筆力にも、心底、感嘆。
この二册を寝入る前に読み、真夜中に読み、六時前起き抜けに読んでいた。「選集」28巻の再校もやがて終えられそう。
2018 10/14 203
* 機械を煮立たせながら、キャロル・クライストとジュディス・プラスカウ共編の『女性解放とキリスト教』のなかの、P.トリブルの論考「イヴとアダム 創世記二、三章再読」を読んでいた。
今にして自身驚くが、この手の論著を何冊もわたしは手に入れていた。あけてみると、どの本も真っ赤に傍線が引かれている。何がわたしを催していたのか。 いま書きかけの、もう七割がた纏まろうとしている長編小説の背後にこれらの知見を置こうとしていたのだろう。想えばこの小説に手をかけて以来もう十年にな ろうか覚えていないほど遠い以前のこと。何が書きたかったのか。いまだにわたしは薬研を膝に抱いてごしごしとヤッテいる。
2018 10/15 203
* 終日、小説二作に取り組んでいた。
その間に、機械の負担を軽くすべく内容の重複などを整理もしていた。夕食後、一時間ほど夢を見ながら仮睡。寝入る前に『国家』『源氏物語』などを読み進んでもいた。
2018 10/18 203
* 蔵書を整理のうちに、加賀乙彦さんから献辞と署名入りで戴いていた中公新書『ドストエフスキイ』を見つけた。わたしは、どっちかというとトル ストイ派で、ドストエフスキイは、主要作はみな読んで嘆賞もしてきたが、その先へ、現に加賀さんが「文豪の創造と狂気の関係を作家、精神医の立場から鋭く 解明(本の帯句)」とあるような所へは、動かなかった。動けもしなかった。
ところが、此の新書本を、すこし懐かしくぱらぱら捲るうち、あちこちに、もう薄れた鉛筆での傍線が幾つも見つかった。わたしは本に無数に傍線を入れてし まう読み手で家人にいつもイヤがられるのだが、この『ドストエフスキイ』への線の引きようは、わたしのと全然違い、いわばギザギザと蛇行気味に行脇に引い てある。引かれた箇所もわたしの読書とちがいそうは多くなくて、ああ朝日子の読書だとすぐ分かった。御茶ノ水の卒論に手がけた「ムンク」との関わりが、欄 外に、鉛筆で書き込まれていたりしていて紛れもない。すこし懐かしくなり、本の初めから頁を繰ってゆきギザギザの傍線
や欄外の書き入れを見つけては其処の「本文」を読んでみたりした。
昭和四十八年(一九七三)十月の初版本で、出て直ぐ戴いているに相違ないから、朝日子は未だ中学生時分、関心ないし必要があってわたしの書架から持ち出 し、傍線など引いたのはたぶん相違なく大学のはやくて三年生頃か、評判の「ムンク展」を観に行きえらく共鳴し、ついには卒論にもとりあげようとしていた頃 であろう。ムンク展を奨めたのはわたしであろう、当時は展覧会の招待券がたくさん来ていた、が、わたしは名高い「叫ぶ」などもふくめムンクはやや苦手で、 展覧会へ出向いたか記憶がない。しかし大きなポスターが家の何処かにいまも残っていたのは見つけた記憶がある。
父親としてというより小説家の興味からも、あの当時の娘・秦朝日子が、加賀さん「解明」の『ドストエフスキイ』のいかなる行文に立ち止まって傍線した り、欄外にメモしていたのか読み直しまた小説からしき感想も得たくはある、が、ま、「闇に言い置く」にしても、今・此処がその場所ではあるまい。
* 亡くなられた島津忠夫さんとは、亡くなる数年も前からことに親しく本の往来などあった。いまもご遺族と変わりないお付き合いがあり、わたしの選集は島 津さんゆかりの柿衛文庫に所蔵して頂いている。その島津さんに亡くなる前、亡くなって後に頂戴した二册を座右から放したことなく、一冊は階下の床わきに、 一冊は二階の機械ちかくに置いている。いまも『老いのくりごと 八十以後国文学談義」の村上春樹に触れられた文章を読んだばかり。階下の本は源氏物語への 精緻で放胆な案内所で、いましも二十度は超している源氏再読とぴたり併行していろいろと教わっている。まことに読みやすい平談かつ簡潔に鋭い指摘に満ちて いる。優れた研究者との親昵がいかに有り難いものかをわたしはほぼ作家生涯をかけて実感し感謝し続けてきた。書庫には、とても財布をはたいて買えるもので ない貴重で高価な大冊の研究書が満ち満ちている。わたしは自費で本を買うということをほとんどせずに多年を過ごしてきたのだと、しみじみ思い当たる。最近 は歯医者の帰りに江古田の「ブックオフ」で好みの「古本岩波文庫」を、ときどき買って帰る程度。
2018 10/19 203
* 少年のむかしの歌集をよみ始めた。
2018 10/19 203
* {出来たら少し遠出して」とも思っていたのが雨予報で出なかった、が、なんだかいい天気ではなかったか。
明日は好天、秋晴れと予報していた。久しぶりに根岸の「香美屋」へなどと思うが、ひどく「遠い」と思えてしまうのは情けない。
博物館の本館は広すぎる、東洋館をゆっくり観て歩くなども。
西洋美術館はなにを観せているのかしらん。しかしこの眼の弱さでうすぐらい展観にはガッカリした覚えがある、出光での墨画展だったな。
日曜の繁華街は人混みが過ぎるだろう。自転車で静かな紅葉を探ねてまわるのが、気がきいているかも。久々に電動車を使ってみてもいい。「マ・ア」を前に乗せてもいい、危ないか。
安全なのは、校正のゲラをもち、空いた電車で都心の逆へ遠乗りしてみるのも。秩父には温泉もあるらしい、が、日曜ではやはり人出がねえ。
もうすぐ、『モンテクリスト伯』の上巻を読み終える。かつてのエドモン・ダンテス、今は検事総長ヴィルフォールと辛辣に向き合っていた。
プラトンの『国家』 フェミニストたちの神学的な厳しい論文集、源氏物語、そして秦 恒平が語っている「秦テルヲ」講演などなど、やはり「読む」のが一等の休息にも刺激にもなる、眼を労りながらでも。
2018 10/20 203
* 岩波文庫に『王朝秀歌選」一冊のあるのを二階廊下でみつけた。公任選と思われる「前十五番歌合」「後十五番歌合」を読み、わたしなりに勝・負また持を判じ てみた。佳い歌もむろん在ったがやはり先年の時代差でいっこう感心できない歌も幾つもあった。番われた双方を佳いとみた番だけを拾っておく。
前十五番の内
六番
人の親の心は闇にあらねども
子を思ふ道にまどひぬるかな 堤中納言藤原兼輔
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし 土御門中納言藤原朝忠
十一番
琴の音に峰の松風通ふらし
いづれのをより調べ初めけむ 斎宮女御徽子女王
岩橋の夜の契りも絶えぬべし
明くる侘しき葛城の神 小大君
十二番
嘆きつつ独り寝(ぬ)る夜の明くる間は
いかに久しきものとかは知る 傅殿母上(藤原道綱母)
忘れじの行末までは難(かた)ければ
今日をかぎりの命ともがな 帥殿母上(高階貴子)
十五番
ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島隠れ行く舟をしぞ思ふ 人丸
和歌の浦に潮満ちくれば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る 赤人
後十五番の内
三番
世の中にあらましかばと思ふ人
亡きが多くもなりにけるかな 藤原為頼朝臣
夢ならで又も見るべき君ならば
寝られぬ寝(い)をも嘆かざらまし 相如
* 時代を超えて選ばれてある前十五番から秀歌と見えるのを。
春立つと言ふばかりにやみ吉野の
山も霞みて今朝は見ゆらむ 壬生忠岑
色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける 小野小町
み吉野の山の白雪積もるらし
古里寒くなりまさるなり 是則
有明の月の光を待つ程に
我がよのいたく更けにけるかな 仲文
* 後十五番にはいわば当時当代の秀歌が採られている。
限りあれば今日脱ぎ捨てつ藤衣
果てなきものは涙なりけり 道信中将 (藤衣は喪服)
暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照らせ山の端の月 和泉式部
行末のしるしばかりに残るべき
松さへいたく老いにけるかな 藤原道済
我妹子が來まさぬ宵の秋風は
來ぬ人よりも恨めしきかな 曾根好忠
いにしへの奈良の都の八重櫻
今日九重に匂ひぬるかな 中宮大輔(伊勢大輔)
あしひきの山時鳥里馴れて
たそがれ時に名乗りすらしも 輔親
さばへなす荒らぶる神もおしなべて
今日はなごしの祓(はらへ)なりけり 長能
八重葎茂れる宿の寂しきに
人こそ見えね秋は來にけり 恵慶法師
世に経れば物思ふとしもなけれども
月に幾度び眺めしつらむ 中務卿具平親王
* みな、三船の才を謳われた和漢朗詠集の選者藤原公任が選んでいる。
先人の選にとらわれずに自分でも五十番百番の選を試みてみたいものだが、ヒマが無いなあ。
2018 10/22 203
* 昨日届いていた 岩手・一関の読者千葉万美子さんの郵便の中に随筆集第5号として「万華鏡」と表題のA4版小冊子が含まれていた。今朝早起きの第一番に収 録七編の随筆「根雪」「一畳台の宇宙」「さらばよ留まる」「邯鄲の宿」「夢の国 夢の時間」「蘇える者 蘇えらぬ者」「降る雪に」を、みな読んだ。しっか りした達意の文章で一編一編に云いたい思い行いが書き切れてあり、まず、めったにはなく感じ入った。
同封されていたお手紙も此処へ添えさせてもらう。
☆ 秦 恒平先生 2018.10.20
一筆申し上げます。秋色の候、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
先月9月30日、昨年から準備を進めて参りました「喜多流能楽祭」が無事終わりました。その中で私自身も二度目の演能、今回は「龍田」を半能で勤めさせていただきましたが、そちらもまずは舞い切った感があり、今は充足感でいっぱいになっております。
今回はチラシやポスター、番組の作成、祝賀会の準備まで先頭に立って行う立場になっての能楽祭でした。それだけに全体がイメージ通りに仕上がったのは嬉しいことでした。
遠方でご案内はいたしませんでしたが、頑張ってやっています、とお伝ぇしたく、番組(プログラム)と個人随筆集をお送りさせていただきました。
当日は、台風の影響で祝賀会を早めに閉じることとなり、会場では私の感謝の挨拶を割愛してしまいました。その際に出席の皆様にお話ししようと思っていたことを、代わりに手紙でお話しさせていただいております。
昨年の1月か2月、たまたまテレビを見ていたら、私と同じ年頃、出身地も新潟と近い女性の冒険家が、今は早稲田の留学生センターの先生となって出ていま した。その人は大学生の煩から、留学や、アラスカの山、凍った北極海などの冒険など、誘われると二つ返事で挑戦してきた人でした。では、私はどうして冒険 をしなかったかな、と思いました。それは常に私の支えを必要とする家族がいたからだ、と答えに思い当たりましたが、すぐに、いや、違う、違う、私の冒険は 謡と仕舞だった、と思い直しました。当初は他の皆と同様に舞囃子という面も装束も付けない形式で参加するつもりでおりましたが、それが私の冒険ならば、能 楽祭では高い山に登ろうと、能をさせていただこうと志願したのでした。
今回龍田川を渡りました。今後も山があれば登り、川があれば渡るつもりです。
次は10年後100周年記念の能楽祭です。自分の内側に根拠のある曲を舞いたいと思っております。
能楽の方が一段落いたしまして、いよいよ、書くことに力を注いでいかなければ、と思っているところです。
最後になりましたが、先生の一層のご自愛をお祈り申し上げます。
失礼いたします。 千葉万美子
* 千葉さんとの出会いは、小説「畜生塚」 そのなかで触れていた謡曲「羽衣」への共感であったと思う。今度の冊子表紙にも「邯鄲」の写真が大きく掲げて あるように、この人は喜多流を汲んで自身も舞台でシテを勤めるほどの能世界の住人なのであるが、初めてご縁のできた頃は小説を書いて送って見えた。ちょっ と佳い感じの藝道ものだったように思う、激励の感想など返事していたが、いつしかに小説よりは能樂のほうへ大きな力がかかり、わたしは時折り、「文章」も 書かれるといいと奨めていた。こういうことを奨めるのは稀なことで、それだけ推敲の効いた文才を、そして見え隠れの自信自負をも惜しむ気持ちがあった。そ のまま「湖の本」の欠かさぬ読者として三十余年をわたしの方が励ましてもらってきた。
「万華鏡」五号とあるが、創刊からの分も送って欲しいと思う。
随筆というのは何を書いてもいいようで、なまじ小説のまねごとより遙かに難しいのである、文章の斡旋にゆるみが出れば雑文ないし記録に過ぎなくなる。
わたしは能謡曲の実演には縁遠い部外の者だが、中学高校から親しんできた。東京へ出てからは縁あり馬場あき子さんの手引きで喜多流、亡くなられた喜多 実、後藤得三、喜多長世、喜多節世さんらとも物静かなお付き合いが出来ていたし、今でも喜多流を一身に支える友枝昭世の能は心して見続けている。十一月四 日には、国立能楽堂での「卒塔婆小町」に招かれている。この人も「湖の本」をつづけて手にしてくれている。
まさしく千葉さんとは喜多流を介してもご縁があったわけで、ほっと胸あたたまる。折角、随筆集も永くこころよく書き続けて頂きたい。もう娘さん達も成人されているようだ、目黒の喜多能楽堂まで新幹線でこられることもあるとか。佳い日々をと願います。
2018 10/23 203
* 王朝秀歌選の次は、やはり公任選のあまりに名高い「三十六人撰」 これは楽しめる。それにつけても公任の紀貫之贔屓を凹ませて柿本人麻呂の抜群を公任 の眼に明かしてみせた具平親王の存在が、この時代に大きかった。紫式部は親王の親戚筋にあたり父親達は親王家に親昵近侍していたし式部もその千種殿へ幼來 親しく出入りしていた。あの物語の「夕顔」のモデルは親王の愛していた「大顔」という美女であったとも云われ、わたしの小説では所謂「T博士」こと角田文 衛さんにそれを教わった。「大顔」もまた「夕顔」のように神隠しに亡くなったのであり、親王との間に男子があった、夕顔に一子「玉鬘」が遺されたように。
* 三十六人に女は、伊勢、小町、斎宮女御、小大君、中務の五人しか入っていない。一人で十首とられているのは六人だけ、その中に女は伊勢、中務の二人。 男は、人麻呂、貫之、躬恒、兼盛の四人。他の三十人は各三首と差が付けてある。これらの人選には亡くなって間もなかった具平親王の意向も加わっていたかど うか。わたしは公任の『和漢朗詠集』も観ていて、彼の秀歌撰には一抹の不安不満をもっている、さすがに俊成、定家らの秀歌選は今少し厳しくまた目配りが深 い気がしている。
これから「三十六人撰」をゆっくり吟味してみる。
2018 10/24 203
* もの思うこと多く(多くは創作や選集の行方)眠り浅くて四時半頃から本を読み始めた。「源氏物語」の春秋をきおう春の巻の花やぎには少年の昔からひとしお心惹かれてきた。
『国家』再読の興深さと読みやすさにあらためて驚嘆しつつ、ソクラテスが神話の読み書き批判とともに詩や文藝へもゴリゴリと圧してくる弁論の厳しさに、思わず身構えている。
山上宗二のかずかずの「茶壺」名器の伝来に、ひとつひとつ具体的に触れた記録には独特の妙趣と的確な知識とが酌み取れ、有り難くも興味深かった。
さて取り分けて、エリザベス・バダンテールの『母性という神話』第一部第一章のなかの「キリスト教神学」を読み返して、あらためて正統キリスト教のパウ ロやアウグスティヌスに帰因した、ほぼ四世紀から少なくも十七世紀にいたる「女性蔑視・差別」のひどさを再確認した。この本は、東工大時代に手に入れてお いた、ジェンダー議論の起爆的意義を帯びた一書、その以後、関聨した女性解放神学論の類いを何冊か手に入れてたくさん朱線を引いてきた。
で、六時には床を離れてきた。
機械を煮立たせながら、此処では「俊成三十六人歌合」をつぶさに自身でも判をしながら読み終え、さらに定家の『八代集秀逸』を興深く一首一首ずつ堪能し判をしているところ。
しかし、もう階下へおり朝食して、また今日の発送作業に取り組まねば。
2018 10/26 203
* 「俊成三十六人歌合」をつぶさに鑑賞後、今度は定家撰の「八代集秀逸」をことごとくわたしなりに判じてみた。今度は後鳥羽院による「時代不同じ歌合」 これは以前にも丹念に読んで楽しんでいるが、新しい好みでいちいち判別してみる。「古今・後撰・拾遺等」の作者で「左方」を、「後拾遺・金葉・詞花・千 載・新古今等」の作者で「右方」としてある。歌人は百人、百五十番、二百首。こういうカタチで選び抜いた「秀歌」に出逢う楽しさと、それにも自分なりの合 点・納得も不承もあり、自分でも撰んでみたいと思いこんだりするのが楽しい。時間さえあれば、二十一世紀の感覚で選び直してみたいものだ、定家の「百人一 首」には敬意を払いつつ敢えて歌の重複は、むしろ厳格に避けて。
これって、すばらしい楽しみなんだがナア、ヒマが無いなあ。ただし、八代集を文庫本で携帯してさえいれば病院の外来ででも喫茶店や電車の中ででも出来る こと。ただ、八代集のワクをはずして撰ぶ対象を各家集や国歌大観へまで広げるのは事実上もう時間のないわたしには不可能。
それにしても、楽しめることは、いくらでもあるもの。美空ひばりの好きな佳い歌を十撰んで十編の短篇が書けないかと思っていたのだが。
2018 10/27 203
* 手洗いに立ったあと、寝そびれる思いがしたので枕元の「湖の本」対談ゲラを読み、そのまま床をはなれてきた。ラジオは宝生流の謡曲を聴かせている、ワキか たを謡っているのは東川光夫さん、久しい「湖の本」の読者である。この早朝に謡曲は懐かしい。聴きながら後鳥羽院の「時代不同歌合」の一番一番をわたしの 思いで判じている。百五十番のやっと二十五番まで。
「持=勝ち負け無し」としたのは、
四番 あすからは若菜摘まむと占めし野に
きのふもけふも雪は降りつつ 山部赤人
ささなみや國の御神のうらさびて
古き都に月独りすむ 法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)
六番 和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る 山部赤人
わたの原漕ぎ出でて見れば久方の
雲居にまがふ沖つ白波 藤原忠通
十五番 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の
千代の古道跡はありけり 中納言行平
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成
二十番 色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける 小野小町
松の戸を押し明け方の山風に
雲も懸からぬ月を見るかな 正三位家隆
* 謡曲「通盛」がちょうど終えた。通盛に死なれた小宰相の悲しみ。静かに静かに清々として楽屋の囃子が聞こえている。 七時になる。
2018 10/28 203
* 五十番まで併せて「持」としたのは、ひとつ、
三十一番
花の色は昔ながらに見し人の
心のみこそ移ろひにけれ 元良親王
さむしろや待つ夜の秋の風更けて
月を片敷く宇治の橋姫 権中納言定家
* 挙げたのがとくに優秀歌というのでなく、ただこの限りにおいて拮抗しているとみただけ。「勝ち」とみた和歌は数々あり、心に優秀歌はこれら全部から厳選を要する。
2018 10/28 203
* 手洗いに立ったあとが寝入れず、校正したり源氏物語を読み進んだり、床に入ってくる「マア」を撫でて遣ったり、結局六時前には床を出た。「時代不同歌合」 は百五十番三百首もあり克明に読み耽って勝ち負けを判じている、それほどの間を懸けないと機械は働き始めない。根気はよくなる。そばではバッハのピアノ曲 が鳴り続いている。
2018 10/30 203
* 後鳥羽院の『時代不同歌合』百人、百五十番、三百首のすべてをわたしなりに判じ終えた。三首ともに「勝ち」ないし秀歌と採ったのは、中納言行平、小野小 町、元良親王、蝉丸、右大将道綱母、和泉式部の六人。もとよりその十八首が三百首中の最優秀歌というのではない、その判別はまた別種の鑑賞によらねばなら ない。ともあれ三百首のうち百十七首を秀歌とわたしは撰んでおり、そこからかりに十首を撰するとなるとよほど思いを注いで読み分けねばならない。なんとも 心嬉しい楽しみではあるのだが容易でない。後鳥羽院、よく撰んでおいて下さったと感謝する。
2018 10/31 203
* 京都の 当(十五)代・樂吉左衛門さんから、さきの文字通りの力作『光悦考』についで、『吉左衛門 X WOLS』が贈られてきた。シュールなWOLS絵画と剛毅な吉左衛門茶碗のいわば「激突」版である。感謝感謝。
2018 10/31 203
* 佐怒賀正美句集『無二』戴く。
2018 10/31 203
* 王朝秀歌選、堪能した。
思い切って、芭蕉百句 蕪村百句を 楽しんで自選してみようか。容易でないが。百句に絞るのは容易でない、先ずは三百も撰んで土台を得てからか。そんなヒマは無いだろうな。
なら、またも王朝物語の粋を、宇津保、落窪から中世物語まで「読んで楽しむ」にとどめるか。わたしの古典体験の薄い部分はあきらかに「西鶴」 一代男 一代女 五人女ぐらいしか読んでいない。気が進まないできた。まだしも「近松」へは舞台や人形を介して縁があったし、所詮は舞台によって読み取るのが本筋 だろう。
2018 11/1 204
* ドイツでメルケル首相が職を退くか知れず、アメリカでは幼稚で非常識な権力と儲け主義の大統領がワルサのし放題のもと中間選挙を控えている。民主党からの勢力逆転に期待したい。
* プラトンの『国家』では、わたしの読み進むところ、今やより良き国家像、良き国家の指導者像をもとめ、精緻な議論が進行している。
まるでどこかの國の誰かを指さすように、こんなことがいわれている、
「國のあり方そのものが悪いのに、国民たちには国政(國制)全体を動かすことを禁圧し、反抗する者は険しく罰しようとし、他方、そのような悪しき体制の もとに欲するがまま自分に最も快い仕方で忖度し奉仕してくれる者、自分に諂い自分のいろいろな我慢な欲望を察知することでご機嫌をとってくれる者、それら 悪しき望みを充たしてくれることに有能な部下や官僚こそが、すぐれて有能な人材であり、國の重大事に関して指導者本位に知恵の働くものらであり、当然のよ うに指導者と國とにより名誉を授けられるであろうと、公然嗾しているような、そんな国家と指導者・支配者の存在こそは国民の不幸そのものである」 と。
* 安倍・麻生らの政権が上のようでないと、云えるか云えないか、国民は眼を見ひらいて観るべきであろう。
2018 11/4 204
* 気の沈んだまま、志ん生の咄を聴いている、まず「おかめ団子」、あとへ「天狗裁き」。 湯に漬かりに降りようか。校正するゲラもなく、『モンテクリスト伯」をユックリ湯に漬かって楽しむか。気宇を大きく持つために久々にトルストイを読みだそうと手近へ運んでおいた。『復活』からか、やはり『戦争と平和』からか。
2018 11/5 204
* 四時半ころから寝そびれ、「源氏物語」の『螢』の巻、プラトンの『國家』、『山上宗二記』、川端善明さんの綿密な「説話」案内、そして『モンテクリスト伯』と、それぞれ興にかられるまま読み進み、結局、六時頃には床を出た。
2018 11/7 204
* 興膳宏さんから、岩波書店新版の『漱石全集』第十八巻「漢詩文」一巻を頂戴した。
☆ 鴻臺 二の一
鴻臺冒暁訪禅扉 鴻臺 暁を冒して禅扉を訪ふ
孤磬沈沈断続微 孤磬 沈沈 断続して微かなり
一叩一推人不答 一叩 一推 人答へず
驚鴉撩乱掠門飛 驚鴉 撩乱 門を掠めて飛ぶ
二十歳以前のさくではあるが、後年の小説『門』と関わってくるだろう。門に拒まれて内に入りがたい境地を告白しているか。
漱石が漢詩を作りはじめた最初の作。
後年ではあるが「午後の日課として漢詩を作ります」と人に告げている漱石であった。
2018 11/7 204
☆ 無題 大正五年八月 漱石
文章を作らず 経を論ぜず
漫りに東西に走りて 泛萍に似たり
故国 花無くして 竹径を思ひ
他郷 酒有りて 旗亭に上る
愁中の片月 三更に白く
夢裏の連山 半夜に青し
到る処 緡銭 石を買ふに堪ふるも
誰を傭ひて 大字もて 碑銘を撰せしめん
* 日本語人の感じの選び方で、直に判りいい。
愁中の片月 三更に白く
夢裏の連山 半夜に青し
など真似てみたいほど、鮮明に日本の詩。
「到処」とは「死」であろう、「碑」は墓碑にほかならない。「志」が「詩」のなかで走っている。
2018 11/8 204
☆ 閑居偶成 大正五年春 漱石
幽居 人到らず
独り坐して 衣の寛なるを覚ゆ
偶たま解す 春風の意
来たりて竹と蘭とを吹くを
* 四君子で知られる菊、梅 そして竹と蘭。佳い選びといつもこころよく想う。
2018 11/9 204
* 昨夜、夕食のあと、フイと床に就いたままなんと真夜中三時半まで寝入っていた。
茶をのみにキチンに入ったが、そのまま、歌集『老蚕』前半の「光塵」をゆっくり校正し終えた。いかに歴史的仮名遣いの確認に手がかかるか自信がないのかに愕ろいてしまう。綺 麗に歌を組みつけた貰え、しんみりとわが述懐の一首一句を詠みかえして行けた。二時間ほどで床へもどりそのまま源氏「螢」巻、『国家』そして『山上宗二 記』をそれぞれ面白く読みつぎ、さらに『モンテクリスト伯』を読んだ。大デュマのいわば息の長さには感嘆し、時にはその克明に徹しているのに嘆息もするの だが、なかでもマクシミリヤンとワ゛ランティーヌの広い庭の垣を隔てた逢い引きの対話は文字どおりに綿々また綿々で驚かされる。大デュマがこの大長編より 以前に一世に冠たるフランスの戯曲家であった史実を思い出すべきだろう。
* 読書のまま、七時まえには「マ・ア」くんに熱心に起こされ、床を出た。二階の機械は消してなかった。
☆ 無題 三首の一 大正五年十月二十一日 漱石
元と是れ 一城の主
城を焚き 広衢を行く
行き行きて 長物尽き
何処にか 吾が愚を捨てん
2018 11/10 204
☆ 無題 大正五年十月六日 漱石
耶に非ず 仏に非ず 又た儒に非ず
窮巷に文を売りて 聊か自ら娯しむ
何の香を採擷して 藝苑を過ぎ
幾碧に徘徊して 詩蕪に在り
焚書灰裏 書は活くるを知り
無法界中 法は蘇るを解す
神人を打殺して 影亡き処
虚空歴歴として 賢愚を現ず
* 漱石の参禅虚しかった体験は小説『門』に見えているが、漱石は終生英文学以上に漢籍と禅に心を寄せて終始禅人らしき口癖と姿勢と好尚を持し続けたこと は、よく見えている。またそれだけに漢詩での自己表白は、死期にま近いほど切実を増すと観ていい。若い時期ほど学習と実験の痕跡が露わなのも自然の趨であ ろう。
とはいえ、陶淵明を知り 白楽天を知り また李杜の詩境の自在から観れば、漢字の駆使という荷を負うたぶん漱石詩にはどうしても敢えて謂うの気味を免れないのが読んでいて切ない。そしてますます漱石に親しむ気も熱く加わってくる。
2018 11/11 204
☆ 戯画竹加賛 漱石
二十年来 碧林を愛す
山人 須(かなら)ず解(よ)く虚心を友とせよ
長毫 墨に漬(ひた)して 時に雨の如く
写さんと欲す 鏗鏘戞玉の音
* 繪ごころのあった漱石が最も多く自ら好んで描いたのは、清少納言の謂うたあの「此の君」である「竹」であったらしい。「竹と蘭」は四君子のうち「梅と牡丹」よりも漱石に似合う気がしている。わたしは、「竹と牡丹」が好き。
2018 11/13 204
☆ 無題 二 明治二十八年五月
東風に辜負して 故関を出づ
鳥啼き花謝して 幾時か還る
離愁 夢に似て 迢迢として淡く
幽思 雲と与に 澹澹として間(しづ)かなり
才子群中 只だ拙を守り
小人囲裏 独り頑を持す
寸心 虚しく托す 一杯の酒
剣気 霜の如く 酔眼を照す
* なにかしら、京を離れ来た大昔の思いに重なる。
2018 11/14 204
☆ 無題 漱石
夜色 幽扉の外
僧に辞して 竹林を出づ
浮雲 首を回せば尽き
名月 おのずから天心
* 藤村 潤一郎とならんで深く敬愛してきた漱石の詩心とともに日々在るのを喜んでいる。
* 興あることに吾が潤一郎先生は、藤村、漱石のともに批判を秘め持たれていたとは、松子奥さんにわたし自身で伺ったことがある。
2018 11/15 204
* 早起きしていると、まだ昼前の十時半にならない。このところなるべく早寝して(と云っても、床で沢山本を読むが。)早く起きてしまう。ときには真夜中にも読んでいて、そのまま起きてしまう。
2018 11/15 204
* 昨日 西宮の井上美地さんから届いた新歌集『残照』は最近になく胸によく落ちた佳い歌集だった。大声でギャアギャアと騒ぐばかりの「都市詠」とやらの 雑駁とはしかと一線を画して私史の玉をよく歌史の玉へと近づけていた。「私」へのよく透徹した省察を生かした文藝こそが短歌をよきものにする。
2018 11/15 204
* 昨日、美しい新著『村上開新堂 Ⅱ』を、筆者・著者である五代目主人山本道子さんのお手紙も添って、頂戴した。
『Ⅰ』も、以前に頂戴した。
京都から、東京の麹町へ。知れ渡った洋菓子老舗中の老舗。毎々頂戴しているクッキーの缶、美味しさは云うまでなく、加えて、その缶への詰め方は、心篭もる「名人藝」というしかなく、多彩かつ一分の隙もない心入れの豊富さに、毎々、真実感嘆する。
季節の杏菓子の、香り柔らかにふくらむ美味しさにも、紅茶党の妻はいつも大喜び。
このお店は、文字どおりに、伝統と工夫開発との前向きに前向きに沸騰して行く進取の姿勢に貫かれている、その成果(成菓)が、文字どおり「文化」そのま まに美味しく体現されかつ成功し続けてきた。それも「伝統」のままに、各代女主人の優美かつ敢闘と発明の姿勢に多くを負うてきたし、いずれ六代目も、娘さ んが華麗にあとを襲われるであろう。
戴いた新刊の本は、そんな母と娘との「生気のリレー」を羨ましいまで実感させる「佳い読み物」であり、綽々達意の文がみちびく謙虚な「意志表明」になっている。
昨夜、おそくまで読みふけった。
山本さんの、心静かに読ませる「語り」の妙にも、名菓の匂いがしみていた。
拍手 そして感謝。
* 九時。わたし、めずらしく今、空腹を覚えている。朝食に降りる。
2018 11/17 204
* 井上美地の歌集がよかったので、わたしとしてはメツタにないこと、版元の不識書院中静さんに電話で感謝し賞めておいた。
その礼状を添えて、今日は吉村睦人の『蝋梅の花』が送られてきた。
この吉村本はあまりにヒドすぎる。こういう歌を厳選もせず七百首もつめこんで、これで「アララギ」選者とは、世も末。
アララギをいつか受け継げと言ひましき
五味先生吉田先生思ひつつ新アララギ編集す
本の帯にあげてある六首中の筆頭歌が、これ。これって、うた? 短歌? 戯れるにしても本気にしても もちょっと「藝」は無いのか。アララギも五味も吉 田も新アララギもなんにも識らず、それでも短歌を読みまた詠んで愛している日本人がいっぱいいる。この「選者」先生、何、考えている の。
2018 11/17 204
* 今日は、なんとなく ぼんやりと やすんでいる。九時にもならないのに、ヘトヘトに疲れている。ためらわず、もうやすもう。わたしがやすむとは、階下へ降り、床に坐って校正し、横になって本を読む、という意味で。
このところ感じ入っている岩波文庫は、わずか十九歳の高橋貞樹の驚異の労作『被差別部落一千年史』のうち、「徳川時代における穢多・非人の制度(上・ 下)」で。その執筆の気概の正しさ、行文と把握の精緻に驚嘆する。多くの類著には接してきたが、モチベーションの熾烈にして健常なことは、まこと推讃に値 する。なんたる非道の歴史ぞ、心底恥じざるをえない。
* 昨日だかの東京新聞「大波小波」に三田誠広が、源氏物語を反体制の作と言っていると称賛気味の論旨であったが、そんなことは、何十年も前にわたしは、 源氏物語が、藤原氏の摂関専権に暗に否認姿勢の「源氏」物語であり「院政」を予兆するものと読み切っている。おそろしく古くさい証文を持ち出されて感じ 入っているなど、著者・筆者らの不勉強を露呈したに過ぎない。
全体に、コンに田の批評傾向には、歴史的な勉強と体得とが甚だ欠けていて、薄くてウソクサイと言うしかない。そもそも源氏物語は一度や二度の読みで云々するにはもじどおりに凄い闇をはらんでいるのだ、古典は舐めてかかってはいけない。
* 「モンテクリスト伯」は、いましも伯爵の示唆とちゅういのもと、ギリシャの王女エデが父王や母妃の非業の詩を、青年アルベールに精微なまで語って聴か せたところ。この呵責ないむごいほどのエデの物語は、大長編の一つの厳しい山場。詠んでいて溜まらず気の鬱ぐ場面であった。
* 「山上宗二記」をはたしてわたとし読むだろうかと案じていたが、すこぶる興味深く、茶の湯各種のの諸道具の所在や所持・伝来・特色・価値などを、余分な説明抜きに端的に羅列して行くのが、かえって実感に伝わってきて興趣津々の面白さ。岩波文庫を買って置いて良かった。
* 今日、西の棟の書庫から、ああこれを読みたいと、辻邦生の大冊上下「春の戴冠」と、木下順二さんに戴いたシェイクスピア歴史劇を大きく再構成した戯曲 「薔薇戦争」の木下訳本をこっちへ持ち込んできた。戯曲の方は再読になるが、沙翁その人のいくつもの原作も、福田恆存訳で愛読している。それでも、また読 んでみたくなった。けっして好きな國ではないのに、連続ドラマでも「フォイル」などひきこまれたし、古典的な英国の名作はよく読んできたと自覚している。
「春の戴冠」は実は本だけ手に入れていて(中央公論の編集者に貰っていた)、未読だった。『背教社ユリアヌス』の方を先に読んだ。
とにかく、読んでおきたい、モッタイナイなどと思ってしまうから、二百歳までも生きねばならないだろう。
2018 11/17 204
* 十時過ぎた。マリア・ジョアオ・ピレシュのピアノ曲を鳴らしながら、二た色の「魔」界をかきまぜていたが。生涯かけて拘ってきた、戸惑い迷ってきた何 かが否応なく此処へ来て目に見えてきたようで、ひどく息苦しい。もう、やすもう。大笑いできるような本が読みたい。小説を読んで腹が痛むほど笑い転げたの は一作だけ、漱石末席の弟子であったさの作家の名もど忘れし、題はまったく覚えていないが、あの笑いは蘇らせたいもの。
2018 11/18 204
* 八時。漱石の漢詩を読み読み、まともな機械始動に一時間ちかくかかった。朝一番の、やれやれ。ピレシュの静かなピアノを聴きながら。
インシュリン、三単位注射。 朝食。 ういろうを一枚、柿、ちいさなパン一枚、生姜の紅茶。ビタミン二種をはじめ、ゆるい緩下剤二錠も含め、いつものクスリを、計18錠。
2018 11/19 204
☆ お元気ですか、みづうみ。
みづうみにメールを書いていたところでした。体調不安定であっちこっち不具合で、今も熱はあるわ咳はでるわ……。深刻なものではないのですが体力のある丈夫なひとが羨ましくてなりません。
みづうみに読んでいただくことだけを目標に毎日書いていて、ついついメールはご無沙汰してしまいました。でも、毎日みづうみの文章に触れていることはいつもご一緒に生きていることだと勝手に思っております。
最近のニュースがあまりに不愉快というより、日々世界が壊れていくようで 最近ほんとうに鬱をやわらげ手なづけるのに苦労していますが、みづうみを見習って自分の仕事に励み、猫と音楽でなんとか気分を持ち直しています。
みづうみには、以前にわたくしが送ったCDも聴いていただいているようで とても嬉しいことです。
私語で久しぶりにエリザベート・シュワルツコップの名前を読み、ほんとうに懐かしく感無量でした。
シュワルツコップはヨーロッパが一番輝いていた時代の、ヨーロッパ文化の精華のような芸術家、理想的な女性で、音楽の最も洗練された名花、二十世紀最高 のソプラノの一人でした。うっとりするような容姿に美しい歌声、舞台では衣裳から香水にいたるまで完璧だったそうです。彼女と同世代の日本の批評家は誰も 彼もぞっこんでした。私は時代が間に合わず、マリア・カラスと同じように全盛期の実際の舞台を観る機会には恵まれませんでしたが、映像や録音でたくさん聴 きました。
魔性も秘めつつ、勤勉で理知的で、マリア・カラスのような破滅的な恋はせず、夫と二人三脚で栄光の頂点に立ち、引き際も見事で、九十歳の天寿を全うしました。
彼女の歌唱で『最後の四つの歌』を聴くと、いつもヨーロッパの黄金に輝く秋を思い出します。日本の真っ赤な紅葉ではなく 黄金の底光りの秋です。秋ほど ヨーロッパが美しい姿をみせてくれることはありません。滅びていく前の最後の芳醇で絢爛たる絶景を前にすると、死に抱かれていることの恍惚さえ感じてしま います。
シュワルツコップのような芸術家が一身に尊敬をあつめた場所は、もうヨーロッパにはありません。世界のどこにもないでしょう。さびしいことです。わたくしの世代は辛うじて彼女の体現していた黄金の秋の残滓を味わうことが出来るのがせめてもの幸い。
ふりかえって祖国日本、未来の日本文壇に文豪が現われ、生きる場所があるという幻想はもう持ちません。これから芸術としての文学はどうなるのでしょうか。
シュワルツコップの言葉に 「リート(歌曲)を 聴く前と聴いた後では、その人の人生は変わっていなくてはなりません」がありますが、すべての芸術はそういうものでなければ偽物だと思います。誰かの人生 を変えるような作品を生み出すのが芸術家の悲願でしょう。みづうみの作品を読んだあとに、わたくしの人生は変わりましたし、それこそが幸福でした。
間に合ったことを感謝しながら、みづうみが、どうか一日でも長く書いてくださいますよう祈る毎日です。
やっぱり鬱傾向のメールになってしまったでしょうか。ごめんなさい。
今日もお元気で。 菊 しらぎくの夕影ふくみそめしかな 久保田万太郎
* ま、「鬱むき」が今日の正常でしょうよ、こんなウソクサイ毎日にはしゃいで暮らせるのは文字どおり行き止まりの「鈍つき」と思う。わたしはリアリストでないので、こんな際にも別世界を迎えとってウソクサイでなく「真正のウソ世界」の住人になれる。
わたしのそれとはそもそも無縁なのであるけれど、それにつけふと思い出すのは、もうよほど以前になるが珍しく、おそらく是までに只一度だけ息子が、秦建日子が「おとうさん」に新刊の本をもたらし呉れた、「ル・グウイン 好きでしょ」と。
名品『ゲド戦記』の作者によるその本の題は、『なつかしく謎めいて』で、まこと自然に、微塵不自然にでなく、不自然のすこしも実在しないあちこち沢山な 「うそ世界」へと「旅」のできる人の物語なのであった。版元をみれば建日子の読み物をたくさん売ってくれる出版社で、グゥイン好きな父親のため貰ってきて くれたのだろう。おもしろく創られた世界と世界観が楽しめた。
2018 11/19 204
* 俵万智さんから新歌集ならぬ若山牧水を語った新著に、いい手紙が添って届いた。一等最初の『サラダ記念日』をいの一番に貰っており、テレビでそれを若い人向き、鶴瓶司会番組に呼び出されたときに推讃したこともあった。
既製の自称大歌人たちの手ひどい歌集が目に附くつど、俵さんのそもそもの初めから内在律を生かして歌い得ていた成績を、現代短歌自省のためにありがたいとすらわたしは想うようになっていた。
2018 11/19 204
☆ 無題 明治四十三年九月二十五日 漱石
風流 人 未だ死せず
病裡 清閑を領す
日々 山中のこと
朝朝 碧山を見る
* この「碧山」はただ目に見えてある緑翠の山であるを超え、かの陶淵明のつねに憶い願っていた「南山」 すなわち終には帰り行く「青山」の気味であろう、が、漱石は大正五年までなお余生を抱いて優れた仕事をつぎつぎに成していった。
2018 11/20 204
* 五時 冷え込むので暖房し そのまま六時まで、床の中で『モンテクリスト伯』一番目の復讐に立ち会った。次々に復讐の達成へ手はもう打たれていて、彼とエデとのパリ暮らしは、あともう一ヶ月と予告された。相撲でいえば「怒濤の寄り」が相次ぐ。
一時間、床にいて、七時に起きた。寒いと感じた。九時過ぎには黒い「マコ」を迎えに行く。今日からの一週間は、選集の出来てくる前いつもの例で、むやみ と緊張の日々になる。うまく宥めなだめながら無事に万全に送り出しの用意をせねば。この「万全に」にわたしの弱味もあるのだが、今度の送りは郵便局の仕向 けで、なにかと以前とは手配や手順が変わっている。
2018 11/21 204
* 岩淵宏子さんより 女性文学全集の第六巻を戴く。平林たい子、林芙美子、尾崎翠、佐多稲子、壺井栄、中里恒子の集で、前にも第五巻、野上弥生子、長谷 川時雨、吉屋信子、鷹野つぎ、宮本百合子、野溝七生子の集を戴いている。わくわくする大きな名前が並んでいて、本そのものも柔らかな表紙で読みやすいのが 嬉しい。
全十二巻もある。
既刊の第四巻には平塚らいてう、与謝野晶子、田村俊子らが入っており、次回第七巻には、岡本かの子、網野菊、太田洋子、宇野千代らが並んでいる。なかな かの重量感。最終の第十二巻になると、山田詠美、荻野アンナ、松本侑子、小川洋子、村田喜代子、多和田葉子、河上弘美、鷺沢萌え、角田光代、江國香織、桐 野夏生の名が並んでいて、みな、名前しか聞いたことがない。角田光代は早稲田文芸科でわたしの実作教室にいて、作家におなりと背を押したのを覚えている。
2018 11/21 204
* 岩淵宏子さんより 女性文学全集の第六巻を戴く。平林たい子、林芙美子、尾崎翠、佐多稲子、壺井栄、中里恒子の集で、前にも第五巻、野上弥生子、長谷 川時雨、吉屋信子、鷹野つぎ、宮本百合子、野溝七生子の集を戴いている。わくわくする大きな名前が並んでいて、本そのものも柔らかな表紙で読みやすいのが 嬉しい。
全十二巻もある。
既刊の第四巻には平塚らいてう、与謝野晶子、田村俊子らが入っており、次回第七巻には、岡本かの子、網野菊、太田洋子、宇野千代らが並んでいる。なかな かの重量感。最終の第十二巻になると、山田詠美、荻野アンナ、松本侑子、小川洋子、村田喜代子、多和田葉子、河上弘美、鷺沢萌え、角田光代、江國香織、桐 野夏生の名が並んでいて、みな、名前しか聞いたことがない。角田光代は早稲田文芸科でわたしの実作教室にいて、作家におなりと背を押したのを覚えている。
2018 11/22 204
* 五島美術館から、阪急の小林一三、東急の五島慶太という『東西数寄者の審美眼』なる豪奢な図録一冊が送られてきた。逸翁美術館、五島美術館が選りすぐりの名品集、なんとも嬉しい超絶の眼福である。
今夜、ゆっくり、美しい写真を楽しもう。東工大へ出ていた頃は学生も連れてよく上野毛の五島美術館へ出向いた。もう今はあんまりも遠くなったが。懐かしい。
2018 11/21 204
* 落ちぶれ果てたカドルッスの落命に次いで、『モンテクリスト伯』二番目の復讐が凄絶なまで美しいエデの告発によりフェルナン・モンデゴの上に果たされた。
なんという緊密で劇的に烈しい物語の運びか、万力で締め上げるような綿密。
もう久しい以前だが、この大デュマの名作を読了後、トルストイの『復活』を読み、いかにトルストイの筆が「文学」としてみごとかを、エドモン・ダンテス復讐劇との自然な比較を通し感じ入ったのをよく覚えている。
それでもなお、わたしは『モンテクリスト伯』を、なおこの歳になって心底愛読している現実を喜び受けいれている。
ヴィルフォール(検事総長) ダングラール(銀行家・男爵) モルセール(陸軍中将・伯爵・貴族院議員) このような手合いでじつに今日の日本も溢れて いるではないか。少年の昔から、「嫌いなヤツ」の見本のようにわたしはこの三人を心底忌み嫌ってきた。わたしの否定的な一面の人間観はこの物語でこそ植え 付けられ、今もその憎悪のような実感は失せていない。なんという、わたしの執拗よ。
2018 11/21 204
* 鈴木牧之の『北越雪譜』を拾い読みし始めた。拾い読みがいい、この本は。一種の事典のように楽しめる。
2018 11/22 204
* 冬至へ、わが誕生日へ、日一日 日が短くなりゆく。六時に起きても外は小昏い。
起きるとすぐ手洗いし、体重を、血糖値を、血圧を計り、インシュリンを注射し、食後のために20錠ちかい各種の錠剤を小皿に用意しておいて、二階へ。機 械に電源を入れ、温めはじめる。正確な起動までの機械との気の合った「おつきあい」がだいじで、一つ間違うと、えんえんとやり直さねばならない。辛抱とい うことをしみじみ憶える。イラつかないために、拾い読み可能な文庫本や袖珍本に気儘に手を出し、粘る機械と賢く妥協の姿勢を取る、「慌てないよ」という意 思表示。そのために「読む」のは避けて「拾い読める」手取り本ばかりがそばに用意してある。和歌集、漢詩集、明治版和紙装の古語や漢字の辞典、箴言や世話 咄の本、等々。新聞は覗きもしない、愉快な報知のまったく無いのに惘れるのが関の山だし、なにより字が小さくて視力に堪えない。情けないことに「見出し」 の拙なこと、しばしば真反対に意味の取りにくい例が多い。世を挙げて日本語の素養が、記者にも編集者にも、自然読者にも落ちているということ。なさけなく なる。
「読む」より「聴く」のがラク、また楽しくて嬉しいという一面がある。いまも、軽妙に、仲よしの四つの楽器が「朝のおしゃべり」とでもいうほどの軽音楽を聴かせてくれてる。ライヴらしく時折り拍手も聞こえる。けっこう、けっこう。
2018 11/24 204
* 歌人の松平盟子さんから、エッセイ集と主宰歌誌二册を戴いたが、なかみ、あまりに薄く軽く、これはいかんなあと、拍子抜けした。
小説の幾つも載った同人誌も別に届いて、気は入って感じられたが、どれも読み進めなかった、何より各編とも、小説の文章にホンモノのちからが感じられなかった。
辻邦生の、ま、超大作というる『春の戴冠』、実は今回初めて読みかけ、まさかこうはと驚くほど雑に足早にせわしない文章なのに白けている。読みつげるかしらんと心もとない。
是に較べれば木下順二訳になる雄大な歴史劇『薔薇戦争』は、手綱を引き締めたいほどずんずん面白く惹き込まれて手放せない。戯曲だから、か。
『北越雪譜』『山上宗二記』『定本漱石全集 漢詩文』等々、それに『源氏物語』 それぞれに心根に響くように触れてくる、むろん『モンテクリスト伯』も。本があり目が見えている限り、けっして退屈しない。
2018 11/24 204
* ベートーベンの比較的にじみなピアノソナタを、グレン・グールドで聴いている、朝、七時半。手にしている本は、京都新聞社が編んだ『京都・町並散歩』 京へ帰っている気分で。
2018 11/25 204
* ベートーベンの比較的にじみなピアノソナタを、グレン・グールドで聴いている、朝、七時半。手にしている本は、京都新聞社が編んだ『京都・町並散歩』 京へ帰っている気分で。
2018 11/26 204
* プラトンの「国家」では、国家と国民の基本の素養を明白に「音楽」「文藝」「体育」の三つに極めを附けていて、十二分に共感できる。
ただ、日々にソクラテスの対話による深甚の講釈を聴いていて、さてわが日本と日本人はと顧みるらつけ、音楽のことは云う資格がないが、体育はわが世の春 めいている、但しソクラテスが良き国家のために云う「体育」は 國の支配者も、技術者も、奉仕者も みなが挙って「体育」し「音楽」し「文藝」に愛着せよ と云うている。一部の選手の卓越した成績に喝采を送っているだけでは、実は何にも成っていない。
それにしても、わが日本の現実でいうと、為政の徒が率先いまや「国語」「文藝」「文化」に冷淡を極めており、それのみならず「文藝」者の沈滞と浮薄つまりは軽量化と没技倆、没魅力の態は、われながら情けなく寒心に堪えぬものがある。
よき「音楽」よき「文藝」健全健康な「体育」こそが最良の国家への基盤に生きねばならぬと云われているのに。
2018 11/30 204
* 鈴木牧之の『北越雪譜』を気儘に拾い読みで楽しんでいる。今日は「雪中の幽霊」「夜光玉」を面白く読んだ。前者など秋成と似通ってしかも筆致の悠長かつ的確なよろしさに感心した。恰好の座右書となりそう。
* 京都の「私設圖書館」主の田中厚生さん、開設四十五年を記念の著書を頂戴したのを読み始め、その息(生き)づかいの大きく静かに的確なのを楽しませてもらっている。感服。
2018 11/30 204
* 『北越雪譜』の「垂氷(つらら)」を朝一番に読んだ。牧之昵懇の山東京山が散策の間に嘱目の美しい垂氷を話題に嘆賞の念ただならず、「余寒の暁に雨のみじかくやみたる気運の機工(からくり)を得てかかる奇景を見たるなり」と詩を創ったとまで褒めたてたのを、北越の客人は「我国の垂氷に比ふれば水虎(カッパ)の一屁(いっぴ)なりと心にをかしとおもひし」と書いていて可笑しかった。牧之の家の冬季の氷柱のごときは言語を絶して大きく太く長く堅く、大の男も処置に困るのだとある。さもあらんと、また可笑しかった。
それにつけて思い出す、何度か日記には書いているか知れないが、むかし「助産婦雑誌」の編集に当たっていた頃 日赤産院のやや年上らしき「筆者」でもあ る助産婦さんを接待して時に酒食の席にも同行したが、ある日、ある晩かな、酒の席で京都の往きの風情を話題に褒め立てたとたんに、不興げに一喝された。そ の先生、富山の産であって「雪」のことなんか話さないでと。わたしは、瞬時に教わったのである、「わが仏貴し」はいつ何処で誰にでも通用するものではない と。
あの「先生」おたっしゃであろうか。
2018 12/1 205
* 昨日の晩は、ほとんど睡っていて目ざめたときは日付が変わっていた。機械の電源を切ったり夜のインシュリンを注射したり服薬したりして、床の 中で残り少なくなってきた『モンテクリスト伯』を胸塞がるものを感じながら、エドモン・ダンテス「復讐」の凄さ、それを一度は悔いつつ、今一度「復讐」に 徹すべき天命の自覚にもど凄さに、かすかに戦きさえしていた。大デュマは、まさに瀧の落ちて迸るように「言葉」を発射する。舞台で云えば慎治が当麻での長 科白さながらに語らせまた語りついでやまない。圧倒される。
メルセデスとの別れ、モレルの家族との別れ、マクシミリヤンを伴ったマルセイユ。胸にしみて重々しい人生の悲哀、立ち向かう生気。
明らかに読者自身の生涯へも決定的に感化力をもってせまる再校のエンターテイメント、是に比すれば大概の読み物は、その場限りで忘れられる薄い軽い紙の ようである。馬琴の八犬伝からも吉川英治の宮本武蔵からもわたしは人生と人間への深いあわれもおしえも得られていない。しかし『モンテクリスト伯」の、エ ドモン・ダンテス、ファリア法師、メルセデス、フェルナン(モルセール伯爵)、ダングラール(銀行家・男爵と妻、ヴィルフォール(検事総長)と妻、カド ルッス、ルイジ・バンパ(山賊)、アルベール子爵、モレルまたマクシミリアン・モレルとジュリーら一家、ノワルティエと孫娘ワ゛ランティーヌ、アンドレ ア・カバルカンティ、ボーシャン、シャトー・ルノー、ドブレーら、ベルツェッチオやアリーら伯爵の部下達 これらの全員からじしにありありとした人間存在 のいわば地獄絵図が見て取れるとともに小説を読みこむ溜まらない面白さも豊かに酌み取れる。
* わたしはそんなふうにこの『モンテクリスト伯』という大長編と生涯付き合ってきた。これを上越す世界の長編小説はわたしの場合『源氏物語』というに尽 きよう。ちなみにわたしが今手にして読み終えようとしている新潮社版『モンテクリスト伯』上下巻の刊行は上巻が昭和二年、下巻が翌三年、わたしは昭和十年 に生まれ、この古びた古本を高校生時分に極くの廉価で手に入れていた。
2018 12/2 205
* 『北越雪譜』で「寺の雪頽(なだれ)」を読んだ。心籠めて写経していた坊様が、軒の氷柱ゆえ手暗がりなので外へでて木鋤で氷柱を叩き折った途端に大屋 根の積雪が雪崩れ落ち、坊様は氷結していた大池をさえ跳び越え飛ばされて雪に埋もれたのを助け出された。身に一つのけがもなく掛けていた眼鏡さえ無事だっ た。写経の徳と坊様は笑い「神仏を信ずる心のうちより悪心はいでぬものなり、悪心の无きが災難をのがるる第一なり」と。牧之は云う「人智を尽してのちはか らざる大難にあふは因果のしからしむる処ならんか。人にははかりしりがたし」と。
鎌倉時代の高徳の僧が草屋での難にあったとき咄嗟に観音の名を呼んで難なきを得たあとで、浮かぬ顔をし、「現世利益の観音にすがるより 阿弥陀如来を頼んで往生すればよかった」と。このはなしに初めは納得したが、のちのち何だかツマラナク覚えたのを忘れていない。
2018 12/2 205
* 夕食前の一時間ばかり 横になって 『モンテクリスト伯』を読み遂げ た。久々に、ほんと久々に「本」を読んで、最終章「十月五日」を読んで、泣いた。物語の成行きも結末も百も承知していて、それでも泣いた。感傷の涙でなく 感動の涙であった。マクシミリアンとワ゛ランティーヌに書き遺してエデとの恋・愛をしかと抱いて去っていったかつてのエドモン・ダンテスは決然と言ってい た、「この世の中には不幸も幸福もなく、ただあるのは、或る状態と或る状態の比較だけである」と。こんなに厳しいこんなに正確な箴言に接したことがない。 この厖大で深刻な物語をつらぬく棒のような「時間」を斯く確乎として謂ってのけた大デュマの「結語」を、わたしはしかと聴いた。
* また再びこの物語を読み返せる時間がもてるのかどうか、分からない。読めて、よかった。
* 奈良の五條市の永栄啓伸さんに、かねて書いていますと聞いていた「『罪はわが前に』論 聖域をめぐる物語」が送られてきた。感謝。
「天」を仰ぐのみの思いを分かち持ったあのメルセデスとモンテクリスト伯 かつてのエドモン・ダンテスとの永別を、つい昨夜から今し方へかけわたしは読んでいた。
思えば いつ知れずのうちに 死なれ・死なせるという重い重いかなしみを、わたしも此の人生で幾度も重ねてきた。
永栄さんが、何を、どう、どのように此処で論攷されたにせよ、いま、拝見する元気をわたしは持たない。
2018 12/2 205
* 氷柱や雪にふれて富山出の助産婦先生にむかい京洛雪の風情をほめた途端に一喝を喰った思い出を書いた。『北越雪譜』の「初雪」なる一章を読み、まったく同じ「相異」に手厳しく触れてあり思わず手を拍ち頭を掻いた。
江戸の人らの「初雪」を賞翫すること甚だしき、「雪見の船に歌妓を携へ、雪の茶の湯に賓客を招き、青楼は雪を居続けの媒となし、酒亭は雪を来客の嘉瑞と なす」「雪を賞するの甚だしきは繁花のしからしむる所なり」と見抜いている。弁解じみるが京の人の雪を美賞するのはいますこし風情の嬉しさに寄り添ってい るが、しかし何にしろ牧之の縷々述べる如く「北越」の地形関東や京洛と真反対に異なって初雪から落雪積雪のまさしく「害」の重篤なるはとても江戸や京のそ れと比較を絶している。牧之は「羨ましい」というもの言いをしてはいるが、それは社交辞令、その『雪害」に難渋を極める年々歳々の苦悶のいかにきついかを 語っている。さもあろうと理解するに連れて、かの助産婦先生の厭悪の大喝が耳に蘇って、なんとも恐縮する。
* 久しく『北越雪譜』なる名高い著述の存在を識り一冊を買い求めてありながら、今日まで読まずに過ごしてきた、そこにもやはり京・江戸のものの安閑とし た敬遠が働いていたかと思う。しかし読み始めて即、理解できた、これは文字どおりの名著、しかもまことに読みよくて興味津々の名著だということ。永らく、 まことに失礼致しました。
2018 12/3 205
☆ 餅花 「北越雪譜」に聴く
餅花や夜は鼠がよし野山(一にねずみが目にはとあり)とは其角がれいのはずみなり。
江戸などの餅花は十二月餅搗の時もちばなを作り、歳徳の神棚へさゝぐるよL俳諧の季には冬とす。
我国(=北越)の餅花は春なり。正月十四日までを大正月といひ、廿日までを小正月といふ、是我里俗の習(ならは)せなり。さて正月十三日十四日のうちに 門松しめかざりを取り払ひ、(我國長岡あたりにては正月七日にかざりをとり けずりかけを十四日までかくる) 餅花を作り、大神宮歳徳の神 夷(えびす)おのおの餅花一枝づゝ神棚へさゝぐ。
その作りやうはみづ木といふ木、あるひは川楊(かはやなぎ)の枝をとり、これに餅を三角又は梅櫻の花形に切たるをかの枝にさし、あるひは団子をもまじ ふ、これを蠶玉(まゆたま)といふ。稲穂又は紙にて作りたる金銭、縮(ちぢみ)あきびとなどはちゞみのひな形を紙にて作り、農家にては木をけづりて鍬鋤の たぐひ農具を小さく作りてもちばなの枝にかくる。すべておのれおのれが家業にあづかるものゝひなかたを掛る、これその業の福をいのるの祝事なり。
もちばなを作るはおほかたわかきものゝ手業なり。祝ひとて男女ともうちまじりて声よく田植歌をうたふ、此のこゑをきけば夏がこひしく 家の上こす雪のはやくきえよかしとおもふも雪国の人情なり。
此餅花は俳諧の古き季寄(まよせ)にもいでたれば二百年来諸國にもあるは勿論なり。
ちかごろ江戸には季によらず 小児の手遊に作りあきなふときゝつ。
* 『北越雪譜』はかくのごとくに、さまざまの話題をあげて簡潔適確のいい文体で語られている。「夏がこひしく 家の上こす雪のはやくきえよかしとおもふも雪国の人情」を察しも得せず、兼好法師らの風雅にのみ聴いて誇っていた昔を、喰った一喝の耳によみがえるのを、苦笑する。
2018 12/4 205
* 六時過ぎに静かに床をはなれた。「マ・ア」が大喜びで足もとでついて回る。諸計測やインシュリン注射を済ませ、「やまと櫻」を数勺味わってから機械へ きた。美しかった壁紙は消え失せたが、尋常に始動してくれている。『北越雪譜』を拾い読みつつ、グレン・グールドのバッハ「ゴールドベルク変奏曲」を聴き つつ、ひたすら温和しく機械と付き合っている。
メールが、尋常に働いてくれるか、これは、わたしの仕事では生命線に当たっている。
2018 12/5 205
* 辻邦生の『春の戴冠』は、この作家のヘキで、何から何まで、ガチガチに握りしめた握り飯のように書き詰めてあり、その調子で無用に近い前置きの長広舌 に辟易していたが、やっと本舞台へ入って、ああこれなら読んで行けそうと安堵し掛けているところ。それにしても風通しのない暑苦しい饒舌の「妙」ではあ る。大長編である、「花の都フィオレンツア」と画家との魅力にひたらせて欲しい、辻さんの懐かしい顔や声音を思い出しながら。さと
* 戯曲の『薔薇戦争』はすいすいと楽しめて怖くて面白い。訳しているのが「劇的」の劇作家なので、ひとしお弾んで読みやすい。
* もう一冊、エドモン・ダンテスのあとは、カチューシャの『復活』と、前もその順に変化を楽しんだ。
* 源氏物語「玉鬘」十帖を芯に、上の三冊、そしてプラトンの『国家』を主に読み進んでいる。『山上宗二記』『北越雪譜」は拾い読むのを楽しみに。枕もとに積んだ本は廿冊ほど。手当たり次第に、気が向けば次から次へ読んでいる。三浦梅園の経済哲学もなかなか読ませる。
眠気が兆している、機械から逃げだそう。今日は、美酒「やまと櫻」に惹かれて、一本、残り少ない、妻が目をむくだろう。
2018 12/5 205
* 寒いからか機械が温まらないとテコでも動いてくれぬ。少なくも七時半に電源を入れて、いま、九時。やっと「私語」が出来ている。
* 「北越雪譜」で、「鮭」という魚の漢字表記は、少なくも平安初期、本来「鮏」で「鮭」は伝写のあやまりかと、僧昌住の「新撰字鏡」 源順の「和名類聚抄」、さらに五百年後の、さらに以降の「下学集」「節用集」「書言字考・合類節用集」などをあげて詳細に説いている。「書言字考」は、鱖、石桂魚、水豚、鮭と出しながら、本字は「鮏」としている。唐土の字書には「鮏」は「鮏」は「鯹」の本字で魚臭い意味と。「鮏」の鮮鱗(とりたて)はこしさらに生臭いからとも言うている。ま、鮏の字は普くは通じがたかろう、鮭でいいだろうと説いている。
* こんな勉強をあれこれしているうちに、やっと機械が動いてくれる、らしい。
2018 12/6 205
* 送られてきた或る短歌誌主宰者の 誌上初出歌を読んでみた。
川べりの草ことごとく薙ぐ音す台風の橋ようやく渡り
列島を北上しゆく「台」の文字みんなの注視になお押し上がる
窓ガラスの向こうとこちら別々の秩序があって 悪くない向こうも
懸命に台風も荒れているのだろう電線ひゅんひゅん共鳴したり
これって「詩歌」ですか。外形美も内在律も無く、粗雑な日本語の雑駁なもの言いに終始している。現代短歌界でひとを集めて雑誌を主宰する能も見識も語感も、無いとしか思われない。ひとりよがりの増長と見える。「小山」の大将の見苦しさ。
2018 12/8 205
* 昨日書庫で長谷川泉全集十二巻の一巻「論攷 ヰタ・セクスアリス」を手にし床のそばへ持ってきた。500頁に余り、詳細を究めてある、感嘆。 鴎外原作の二、三十倍量を成している。わが医学書院編集長の凄いほどの研究意欲にうたれる。まこと、この人があっての私であり得たと思う。
* 秦の祖父が遺してくれた漢籍の類から『史記列伝講義』上巻をやはり床のそばへ運んだ。楽しみに読んで行く。
* 筑摩大系の加賀・真継篇ながく放置してあったのを書架へ戻し、一つ前の「小田実・柴田翔」巻を床のそばへ運んだ。小田さんの大阪を書き込んだ長編は、読めそう。小田実の「小説」に接するのは初めて。
2018 12/9 205
* ソクラテス(プラトン)の「国家」は、支配(主宰)者、技能者、奉仕者に、三分構成されている、と、見える。男女の差別はむしろ否認されている。理解しにくいのは、支配者層では妻女や子弟は「共有」されるべしと説いているらしい点。
* 戯曲『薔薇戦争』の面白いこと、グイグイ惹きこまれる。
2018 12/9 205
* 明治刊「史記列伝」講義本、返り点を叮嚀にうたれてあり、原文のまま楽しめている。上下二巻、読みあげたい。
シェイクスピア原作の「ヘンリ六世」一、二、三と「リチャード三世」とを台本化した『薔薇戦争』(木下順二訳)のあくどいまでの面白さに睡眠をもがれるほど逼られている。「秦 恒平様」と木下順二さん署名の「謹呈」本という贅沢さ。
こういう贅沢な署名謹呈本が今も書庫に多く溢れていて、(だいたい、わたしは自身であまり本を買う人ではなかったのです。)それら頂戴本は決して軽率に扱えない。よほど本と、その原著者とを大切に想って下さる方へ、追い追い差し上げるようにしたい。
「小林秀雄」の名刺に「秦 恒平様」と自署して添えられ、担当編集者を介して贈られてきた大冊の『本居宣長』は、めったなことに人の入らない書庫へお入れした来客が、ぜひにと持ち帰られたということがある。大事にして下さってるだろうか。
いま、ほんの手近へ持ち出してある署名來呈本の三册、俵万智謹呈署名『サラダ記念日』 拝呈秦 恒平様河野裕子自署歌集『燦』 秦 恒平様沼正三署名『マゾヒストMの遺言』は、ちょっと愛ずらかにいつも手に取れる「お宝本」のように愛している。
「本」は、戴くもののような感覚が、半世紀の作家生活で出来てしまってたのは、ホメタ話でないのだが。高価な研究書や専門書や事典・辞典また画集等や豪華特装本等は、そのつどつど、しみじみ有り難かったし大いに役にも立ってもらえた。
☆ 河野裕子 第一歌集『森のやうに獣のやうに』巻頭「十八歳」 冒頭八首
逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた
一度きりのあの夏のこと
落日に額髪あかく輝かせ童顔のさとこさんが
歩み来るなり
振り向けば喪ひしものばかりなり茜おもたく
空みたしゆく
ひたひ髪しづかにかきあげもの言へる汝が肺
中葉の翳を想はむ
ナザレ村に青年となりしイエスのこと様ざま
に想ひてマタイ伝閉づ
君の持つ得体の知れぬかなしきものパンを食
ぶる時君は推し
光ある教室の隅の木の椅子に柔らかくもの言
ふ君が坐りをり
汝が為に病みしなどとは思ふまじコップに白
き錠剤溶かしつつ
休学と決まりし午後にぽつつりとヨプ記を読
めと主治医が言へり
* 内在の律を制御して表現に稚拙も渋滞もない若い感覚。河野裕子をわたしは斎藤史をつぐ現代歌人の第一走者であろうかと褒めていた。わたしよりほぼ十年半余も若い人だったが、惜しくも早く亡くなった。
この十八歳の素朴な述懐一連に比し、その三倍も五倍も生きてきた昨今歌誌主宰の女性歌人らの新歌集冒頭の「ひどさ」「がさつさ」の思い上がりは、目をお おうばかり、「うた」としての「うったえ」は無残な自己満足に干上がりひび割れ、ただ雑音としか聞こえない。小山の大将、恥ずかしさを知らない。情けなく なる。
2018 12/12 205
* 疲れて階下へ降りるとバカ騒ぎの俳句教室とやら、参加者の駄句ぞろいは不思議でなくもともと俳句読み味わって覚えたというより、いくつかのきまり常識のまま苦心してひねるのだから、佳句のでる余地はよほどの偶然以上にあり難い。それはそれで仕方ない。
困るのは女先生の、はなはだ低次元な添削指導が世にみちびく俳句誤解の懼れである。俳句はたかが五七五三句で、短歌和歌よりやさしい創作と想わせかねない、しかし俳句は短歌よりも自由詩よりも遙かにはるかに表現難儀の「おそるべき詩」なのである。
せめて番組のなかで、出題に相応の真実名句と思いうる例を一句はかならず参加者にも視聴者にも読ませて欲しい、その名句をどう女先生が取り上げてみせうるか、わたしはそこが知りたい。
* こんなことを言うと怒る人もあろうが、すぐ手元に稲畑汀子編著の『ホトトギス虚子と一○○人の名句集』がある。「ホトトギス」は近代俳句の久しく王城であった。
しかし、わたしが歳月掛けて一人一人の一句一句を繰り返し読んで行って、「名句」と思しきは極めて稀れ、一人四十句、人により倍の句が並んでいて、名だ たる俳人たちにして、十句にも爪印のつく人は極めて稀れ、名の通った人にしても数句に足りないということが多いのであり、それほども俳句の表現と世界は険 しいのである。しかし、それを理解して行かないと「芭蕉」も「蕪村」も「子規」も「虚子」も自身の宝にならないのである。
「俳句の大衆化」というつもりだろうが、俳句は根が大衆の表現であった、ただ、テレビ番組のような軽薄な仕方でではなく、よほど厳しい自覚や適切な指導のもとに理解を深め表現を磨いて、俳句世界の和歌や短歌とはまるで異なる妙趣を画いていけたのである。
桑原武夫は「第二藝術」と批判したのは、俳句が安易な理解と表現で独自の「詩」境のあるのを見損なっている俳壇を嗤ったのであり、わたしだって嗤う。
虚子の句を噛むほど読んで力とす
これはわたしの俳句ではない、わたしの虚子愛なのである。
人病むやひたと来て鳴く壁の蝉
遠山に日の当りたる枯野かな
桐一葉日当りながら落ちにけり
春風や闘志いだきて丘に立つ
白(はく)牡丹といふといへども紅(こう)ほのか
夕かげは流るる藻にも濃かりけり
一面に月の江口の舞台かな
手毬唄かなしきことをうつくしく
大寒の埃の如く人死ぬる
大根を水くしやくしやにして洗ふ
深秋(しんしう)といふことのあり人も亦
虚子一人銀河と共に西へ行く
去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの 高濱虚子の句
2018 12/13 205
* 『薔薇戦争』 これぞわたしの好きでない「凄い」というもの言いでこそ驚嘆してしまう{惨劇}であるが、読ませる引力の強さよ。シェイクスピアがえらいのか、白薔薇、紅薔薇の英国貴族らが「凄い」のか。
2018 12/15 205
* 機械が煮え立たないので『北越雪譜』を拾い読んでいた。「雪吹に焼飯を売」「雪中の葬式」等々、まことに牧之の筆は読ませる。
2018 12/19 205
* 寺田英視さん、お心入れの新著『国風(くにぶり)』を頂戴し、読み始めている。
自著の用意読みも進めていて、眼にきつい。「華」さんに戴いた「桃の滴」の半ばも呑んで楽しんだ。
今日の食事では、井口哲郎さんお心入れの「山芋」。これがとびきり美味かった。大ぶりの木の変わり椀に盛って、すこし海苔をふって。美味かった。
2018 12/22 205
* 昨夜、木下順二さんに「謹呈」されていた、凄惨を極めた沙翁戯曲『薔薇戦争』全部を、肌に粟立つ心地で読み終えた。原作は、福田恆存訳ですべて既に読 んではいたが、巧みな一編としての戯曲化がよく異様世界を集約していた、「凄い」という言葉を用いての批評は、これにこそと思う。
あまりの痛烈に思い屈して、あと、しばらくプラトンの『国家』でソクラテスの声を聴き、しかもリーゼを一錠服してやっと寝に就いた。妻も「マ・ア」たちもよく寝入っていた。
2018 12/27 205