ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2020年

 

☆ 日本の「古典の、からだ言葉 と こころ言葉」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平


「心・身」 野ざらしを心に風のしむ身かな  芭蕉

「身・心」 身から出た錆は心の吹出物    古川柳

昔の詩歌に「からだ」という語彙を見いだすのは至難で、記憶にも無いほど。繰り返して云うが、ほとんど全部が「身」と用いて、「心」に対置されている。
芭蕉の「野ざらし紀行」巻頭をかざる句は、紫式部や、ことに西行いらいの風興にしたがい、しかも悲壮ないし風狂の味わいがあえて強調されている。季節の 「あはれ」「もののあはれ」を身内にしみじみと覚えて、もの冷まじき境涯に心身一統の己れを自覚している。メタフィジカル(形而上的)で、つまり、読者は 容易には至り難い。
そこへ行くと川柳は、フィジカルに心身相関のメカニズムを、ずばりと、つかんでいる。遅疑逡巡がなく、まるで精神身体医学の標語である。患者自身の病識とも、納得ともいえる。この納得、心身のせめぎ合いに「身悶え」た古人の日々より、かなりラクであるかも。
2020 7/1 224

☆ 日本の「古典の、からだ言葉 と こころ言葉」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平


「心を開く」  ひさかたの月夜を清み梅の花
心開けて我が念ほゆる君    紀小鹿女郎

「心に持つ」 あしひきの山路越えむとする君を
心に持ちて安けくもなし   狭野茅上娘子

澄みわたる月夜に馥郁の梅ヶ香。胸いっぱいに念じて待てば、恋しいあの人の影が、そのそこに立って見える。もう心の内に宿っている。「心を開く」とは閉 ざしていないのである。受け入れるのである。受け入れの用意が調っているのである。明け渡して「心待ち」に待つのである、何かの到来を。「心行く」嬉しさ に溢れている。恋は苦しいものと自覚していた万葉女人にはむしろ珍しい紀小鹿女郎の歌声である。
狭野茅上娘子の歌は、開け放ち得ずに、むしろしかと「心に抱き・持ち・保っ」て、いっそ堪えるように恋しい人の途上・路上の安全を祈っている。無事に来て 欲しいのか、無事に帰って欲しいのか、いましも山路を越えてゆくであろうその人の無量の重みを「心に持」ち、愛ゆえに女は「心ふるへ」ている。「気がおけ ない。」「心を開」いて安心しておれないほど好きな人と一体なのだ。
2020 7/2 224

* 十時になる。両瞼をシンシ針で張り拡げるほど指を目に遣うとで、いっとき、やや、字が鮮明に見える。外すと、字はボーフラのようにくねくねと霞む。も うやすもう。と、云うても機械を離れるだけ、階下で、床で、胡座に枕をのせ、ゲラをひろげて校正する。気が済んだら、『戦争と平和』等々を睡くなるまで読 む。
2020 7/2 224

☆ 日本の「古典の、からだ言葉 と こころ言葉」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平


「我背子」  我ガせこが夜着ほす弥生丗日哉   伊藤 信徳

「お身」   殿様にお身といはれし我がいもと   古川柳

古来なぜか、夫は、愛する男は、「我背子」と書かれる。「我背子が来べき宵なり」「我背子に吾が恋ひをれば」「吾背子が朝明の形よく見ずて今日の間を恋ひくらすかも」などと。大昔は通い婚が背景。
近世信徳の句は、あす四月一日の衣更(ころもがへ)に備えた妻の思い。吾妹子(ぎもこ)と対(つい)で「妹背」とも書く。
夫とは、恋しい男とは、背から大きくおおうように庇い護ってくれる存在、性的存在なのか。それとも大きな、まだ背に負ってやりたい我が子なみなのか、呵々。
川柳の方は、落語「妾馬(めかうま)」の世界。「腰元」奉公に出た妹が寵愛されて御側室に、そしてお世取りでも孕むとなれば、殿様からももう名前の呼びつけではない。「お身」と呼ばれ、家中(かちう)からも「お身お大切に」てなことになる。
「身」は、重宝な「からだ言葉」の筆頭格。「身が身なら心のままにあらうもの」の嘆息とは逆の、ほろ苦い「目出度」さ。
2020 7/3 224

☆ 日本の「古典の、からだ言葉 と こころ言葉」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「浅き心」  安積香山影さへ見ゆる山の井の
浅き心を吾が思はなくに   作者不詳

「心の闇」  かきくらす心の闇にまどひにき
夢うつつとは世人さだめよ  在原業平

こんなに「深い心」で愛しているのに、と。あさか山も山の井も、「吾が思はなくに」も、歌一首すべて「浅き(恋)心」を否定のために、美しく配置されている。心が、浅いとか深いとか、あたかも湛えた水のように彷彿とされている。
水は自然に流れ、逝き、また走り、また淀む。古人はそのように自然のたたずまいからも心の「かたち・すがた・いとなみ」を類推しながら 「自身」を律していたのである。
だが、律しきれない「心の闇」に「心を秘め」「心を隠し」て、韜晦の「生き」にさすらう業平のような恋の逢瀬をも、人は、時に、さまよう。伊勢の斎宮と の禁断の愛欲を「世ひと」の裁きにすべて委ねたと見える、このしたたかな業平の「心根」に 伊勢物語の魅力はかがやく。「心底」を露わすようでいて、どう してどうして、行方も知らぬ恋の道である。
2020 7/4 224

* 夕食も、しかとは、身を入れては食せなかった。
床で、何頁か校正し、疲れてから仰向きに寐て、レマルクの「グレーバーとエリザベート」に胸締められ、トルストイの、父に死なれたマリアに胸ふさがれ、柏木未亡人に恋を言ひよる堅物「夕霧」の好色に、ほおっとした。
「戦争と平和」のナターシャもいいが、アンドレイ公爵の妹マリアも私は、好き。「アンナ・カレーニナ」はにがてだが、キチイはすてきな女性だった。トルストイの把握と叙事の凄みにわたしは驚嘆する。
2020 7/4 224

☆ 日本の「古典の、からだ言葉 と こころ言葉」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「神の顔」   猶見たし花に明行(あけゆく)神の顔   松尾芭蕉

「手のうへ」  手のうへにかなしく消ゆる蛍かな     向井去来

「仏はつねにいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬあかつきに ほのかに夢に見えたまふ」と。
だが芭蕉の見たい神は、葛城の神様。醜貌を恥じて夜の間だけ仕事をなさる。花は春のあけぼのに、しかし一言主の神様は入れ替わるように姿を隠されるのだ、ひょっとして「花の顔ばせ」ではあるまいか、一度でも佳いお目もじがしたい。
句の背後には ひと夜をあつくなじんだ初花の女神が隠れているのかも。
去来の句は、ただ手の上ではない、目のあたりに今しも我が手からこぼれるように見喪う、愛しい者の、人の、はかない命がある。
「手にする」「手につかむ」「手に入れる」のは、いかにも確かさの保証のようで、ところが、その「手からもれ」「手の届かない」ところへ「手もなく」失せてゆくものが、ある。すべてはそうと、人は生きることで、識らされているのだ。
2020 7/5 224

* 投票して帰ってから、今日はもっぱら『選集 33』前半部の初校にはげみ、疲れると『戦争と平和』を読んでいた。
夕食後も、同じく。寺田さんの『國風』もえらんで拾い読みしていた。
2020 7/5 224

☆ 日本の「古典の、からだ言葉 と こころ言葉」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心の花」     色見えでうつろふものは世の中の
人の心の花にぞありける   小野小町

「心にかなふ」  とことはにあはれあはれは尽くすとも
心にかなふものか命は     和泉式部

人の心は色佳く咲く自然の花のようには目に見えないが、その花の衰えて散りゆくように、男と女の「心に咲く花」も、いつ知れずうつろい色さめる。それば かりか、咲く花はひとたび散ってもまた咲く春のおとずれが待たれるのに、「心の花」は一度失せれば二度とは咲かずにあたらあだ花となり、よその花になって しまう。
それもよし、うつろう可能が、「心を解き放ち」「心を遊ばせる」とも謂える。
「和泉式部の花心」と謡曲に謡われたように和泉は、大方の「浅き心」の男の「口舌」にくらべれば、「あはれあはれ」を尽くし「命かけ」て色を好んだ、色佳い大輪の花であった。
「心にかなふ」ほどの恋には、あまりに人の命は短い。式部の嘆きには「和泉式部日記」のいとおしい二人の恋人、兄弟皇子の姿が「あはれあはれ」に刻印されているのだろう。
「心にかなはぬ」のが世の常なのだ。
2020 7/6 224

* モスクワまで乱入したナポレオンの大軍は、ロシアの「冬将軍」に惨敗して末路を転げ落ちる。
今年の日本の秋から冬は、「コロナ王」が率いて襲いかかるかも。経済か命かという「破壊的な選択」に迫られ、サイエンスで備えねば、惨敗があるだろう。最期になりかねない私の『選集 33』「湖の本 151」にこころ籠めたい。
2020 7/6 224

 

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「雛の鼻」   たらちねの抓までありや雛の鼻  与謝蕪村

「手鞠」     汁鍋に手鞠はね込む笑ひかな   夏目成美

雛の鼻がひくいと。母親は高くなれよと、つまんではやらなかったのかと。それだけのことではない。雛の鼻が低いのではない。それだけでは「からだ言葉」 ではない。「身の傍」の「目の前」の少女を、いとおしく、からかっているのだ、蕪村は少女大好きのじいさまであった。雛のように無垢な時節の少女のちいさ な鼻を、ちょと摘みたいのが、蕪村老。
「抓む」という身動きと字遣いに色気がある。
成美の句にも少女がいる。少女のまだあどけない「手」が見える。いたずら少年だと「投げ込む」になるが「はね込む」という粗相に少女の咄嗟の可愛い泣き顔も見えてくる。あまり可愛くて大人達はむしろ祝福の「笑ひ」を少女のために献じている。
「まあ、ご馳走さま」とでも両親は声をあげただろう。「手鞠」の手を想像力を尽くして透視したい。
2020 7/7 224

 

* 八時を、回っている。機械仕事は、もう眼が拒絶している。階下でやすむか、『選集 33』前半の初校か。そして『戦争と平和』と『源氏物語 夕霧』の 先を追いたくて。もいちど読みたい読みたい読んで読んでと呼ばれる作が山のように。何度も読んだモノほどまた読みたい。『ゲド戦記』 それに目をつむる前 に『みごもりの湖』から少なくも現在最新の『花方』まで、自作の小説をもう一度ずつでも読んでやりたい。ちがう。読みたい。
2020 7/7 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心沈む」   奥山のいはがき沼に木の葉落ちて
沈める心人知るらめや      源実朝

「心強い」   憂き人よわれにもさらば教へなむ
あはれも知らぬこころづよさを  藤原為子

鎌倉の将軍であるゆえに、奥山の磐垣沼の底深く人知れず木の葉の沈むように、「心沈む」ことはあったろう。人は容易に分かってくれない。
歌はすべて「沈む」にかかる譬え話であり、しかし「心沈む」先は、「心の底」や「心の闇」や「心の襞」であるのだろう。沈んで来る心と受け入れる心と、 木の葉や小石かのような「物」の感じの心と、奥山の人も通わぬ古沼のような「場」の感じの心とが、ともに把握されていたのである。
為子の方は当たり散らしている。冷淡で薄情な男に、それほどわたしを悲しがらせて平気な、「あはれ」も知らない鈍感で過酷な「こころづよさ」に、どうす ればわたしもなれるの、教えて頂戴と。「心強い」は「心丈夫」な頼もしい意味によく用いるが、このブチ切れた女歌のような「こころづよさ」の用例は珍し い。
心は強くも弱くも在る不思議さ。
2020 7/8 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「尻声」     びいと啼尻声悲し鹿の声     松尾芭蕉

「息を殺す」  我息を殺さずいつか寝足る程  古川柳

日光の奥山に妻と泊まった日の、夕過ぎてゆくころに近くの牧場を散歩していて、芭蕉の句のままの思いを実感したことがある。「尻声」は珍しい例の「から だ言葉」で、むろん屁のことではない。すこし後引くまま、かすかに尻をはねて打ち切れてしまう。鹿は雄も雌もそう啼くのかどうか知らないが、「声きくとき ぞ秋はかなしき」と古来歌われた鹿の声は、ふつう妻を求めた雄鹿のものと相場が決まっている。
山のしじまから打ち出すように遠く近く響く「尻声」の「びい」「びい」が耳にある。
そんな広らかな山野でなく、江戸市民の長屋は板一枚の隔てで、夜の睦言も、隣家や隣室をはばかり「息を殺し」「声を殺し」て、ままならない。
「寝足るほど」の一句に、「寝もやらず」何憚らず、一夜の愛欲に声を放って耽溺したい切望が、ため息になって籠められている。
2020 7/9 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心痛し」   今朝の旦開(あさけ)雁が音(ね)聞きつ春日山
黄葉(もみぢ)にけらしわが心痛し   穂積皇子

「心もしぬに」 暮月夜(ゆふづくよ)心もしぬに白露の
置くこの庭に蟋蟀(こほろぎ)鳴くも   湯原王

明けそめるころに雁の鳴き渡るのを聴いた。春日山も色づいたらしい。言い淀むようで叙景は印象鮮明。それへ、パチッと物の響くように「わが心痛し」が、 適切に、愛する人・しばらく逢わぬ人に訴える。季の深まりとともに燃え、「雁が音」によそえても届けたい思い。愛。逢いたい愛。
「心(は)痛む」ものと、どんな他の「こころ言葉」よりよく知っていたのが万葉の昔人であった。
その「心」はまた季節のうつろいにも、「しほれ」また「しぬ」ものと繊細を極めて痛感していたのも万葉人。
「淡海(あふみ)の海夕浪千鳥汝(な)が鳴けば」と人麿は大きな景色に「心もしぬに」と歌い、湯原王は月下の白露と蟋蟀の命に「心萎える」寂しみを歌う。
「しぬに」はしおれ、しなび、しぬる語感を受けている。「月皓(しろ)く死ぬべき虫の命哉」と、遠い昔、「心もしぬに」「心痛い」日々の心を、私も抱いていた。
2020 7/10 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「手を組む」  人に似て猿も手を組む秋の風  松尾芭蕉

「目が行く」  はつ鴈(かり)や夜は目の行物の隅   炭太祇

「腕組み」はそのままでは「からだ言葉」ではないが、「手を組む」は協働し連帯する意味をもつ。芭蕉の句は「手短か」に解釈すれば、秋風に吹かれた孤猿・老猿の「腕組み」風情がおもしろい。
だが一転して想えば、昔も今も猿の世間は人も「顔負け」に「手を組む」社会である。動物園の猿山はなくても、芭蕉属目(しょくもく)には群れた猿たちも あり、秋風に頬をなぶられ、ウーンと慨嘆する場面もあったかも。「猿も腕組む」でない表現の隙間からちょっと「心を遊ばせ」てみた。
太祇の句は、もう理屈抜き。この「夜は」はむろん寂びた秋夜であり、べつに何かを見つけたのでも探しているのでもない、ただただ翳り濃い物の隅、物の隈へ「目が行く」のである、理屈抜きにそこに底知れぬ季節感の、繊細で、尖鋭で、的確な把握がある。
俳諧の妙とはこれであろう。電灯の暮らしではなかった。
2020 7/11 224

* 一日中寝入っていたような気がする、それでいて、心身は重く疲れて頸筋など痛んでいる。校正もたくさん、しは、したのであり、本も、ことに『戦争と平 和』ではアンドレイが戦負傷し、軍医の手当を受け、気が付くとトナリの床に、許婚のナターシャを誘惑し、破約に追い込んだ男もまた負傷していたり、トルストイ自 身が延々と「ナポレオン」や「戦争」を論じて倦まない辺りを面白く読んでいたのも間違いない。それでも、夕食直後から十一時まで少なくも五時間を寝入っていたと は、驚く。
2020 7/11 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心にかなふ」  とどまらむ事は心にかなへ共
いかにかせまし秋のさそふを  藤原実方

「心の秋」     人の心の秋の初風 告げ顔の
軒端の荻も怨めし       室町小歌

都にいたい。心はそう望んでいても、あんなに秋が誘うものを、どうすればいいのか。そう言い置いて実方は遠く陸奥へ旅立つ。実は勅勘をうけ、朝廷から追いやられるのである。
心に「かなう」とは、釦のホックがパチッと適うのに似ている。心と状況とがうまい具合に適合することは恒に望ましいが、現実は多く齟齬して「心にかなわない」。余儀なくいろんな言い訳も強がりも必要になる、「秋のさそふを」などと。
「秋」は、往々「飽き」に言寄せられ、実方卿、都の日々になんか飽いたよと力んでいる。
恋しい人に「心の秋(飽き)風」が吹きそめたのかしら、「告げ顔」に軒端の荻のそよと揺れて、今宵もあの人は来てくれないの、と、室町の女は男心を「飽き」へ誘うらしき風のたよりが怨めしい。
「心の秋」は、好き逢うふたりには、いつも脅威で難敵なのである。
2020 7/12 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「身にしむ」   身にしみて大根からし秋の風  松尾芭蕉

「鳥肌」      鳥肌は比翼のまくら詞なり    古川柳

ただ大根が「身にしみて」からいという句ではない。痛いほどなにか「身にしむ」感慨が五体を疼かせている。大根のからさまでがそれを無性に触発し増幅し、いよよ「身にしみ」る。
だからイヤだと嘆いているのでもない。受け入れているとも謂える。身をまかせて通り抜け吹き抜けて行くのを許しているとも謂える。
芭蕉が「秋の風」と口にするときはそう いう境涯の寒さに「身を曝し」ていることが多い。光源氏の須磨の秋風以来、「身にしみる」のは、風雅の資格と人は受け入れてきた。
川柳の方はそんな風狂の寒さではない。寒くなくても「おお寒む」「ほら見て、鳥肌よ」は、今しも湯上がりのまま一つの寝床に滑り込んで、比翼の鳥と化し愛欲の夢中に身をからませようという、いわばお熱い前置きの、つまり合図の、「枕ことば」だそうで。
うまいねえ。佳いねえ。
2020 7/13 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心にあまる」   思ふこと誰に残して眺めおかむ
心にあまる春のあけぼの  藤原定家

「心にうかぶ」   何となく過ぎ来し方のながめまで
心にうかぶ夕ぐれの空    後鳥羽院

定家の歌は、清少納言このかたの「春曙」のよろしさ・美しさを褒めそやしているが、じつは「身に添え」て、或る理想の女人の面影や感触を、まぢかに想い 描いているのだ。「あまる」とは溢れる意味でもあり、また「手にあまる」のと同じ、或るじれったい身もだえも伴っている。
定家は、いま春の曙を、もろともにここで眺め合い褒め合いたいと願うその人を、どうしようもなく、欠いている。「心にあまる」にはその不足感が読める。
後鳥羽院の御歌はなだらかで、実感に素直なところ、巧緻な定家よりは自然な西行がご贔屓の院の風情満点。「心にうかぶ」その心が、広大な海かのように広く大きく、つまり大洋のようにひろがる「夕ぐれの空」そのものに化している。
遠い過去からの次から次への記憶が、「ながめ」という一語に、具体的な映像になって甦り「うかび」来る。
2020 7/14 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「目には青葉」  目には青葉山郭公はつ鰹    山口素堂

「目に立てる」  白菊の目に立て見る塵もなし  松尾芭蕉

人口に膾炙する、と、それは人みなの共通の記憶と化して生きて行く。「目には」の字余りの「は」がこの一句を、不動の箴(しん)にした。「春 は曙」と同じである。山郭公とはつ鰹のことは忘れても、もうだれも「目には青葉」という季節の嬉しさを忘れることが出来ない。
「青葉」以外でありえない。
「目に立てる」は意思であり、「目立つ」は受け入れである。似た「からだ言葉」だが、働きはちがう。親愛した園女の亭に招かれての挨拶の句。「白菊の」「塵もなし」に、凛然と名句のすがたがある。句に現れない一枚の鏡を想像したい。鏡は女人の魂、面影の宿りである。
「曇りなき鏡の上にゐる塵を目に立ててみる世と思はばや」と歌った西行を念頭に、芭蕉は、属目の白菊に塵をおかぬ無垢の面輪を見定めた。「目に立てて」見たのだ。
2020 7/15 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心まどはす」 聞きつとも聞かずともなく郭公
こころまどはすさ夜のひと声   伊勢大輔

「我が心」   うらやましや 我が心 夜ひる 君に離れぬ 室町小歌

心の内がハンドル不能の混雑状態になることは、日頃よく自覚している。乱れたり迷ったり千々に砕けたり。だが、心は自ずから「まどう」こともあり、他に よって「まどはされる」こともある。高嶺に咲いた美人や、目先の物慾・名誉心に撹乱されることもあれば、あ、聴いたのかな、空耳だったかなと、郭公の小夜 の一声に「心悩ませる」風雅もある。
心ほど「こころごころ」なものはない。
そんななかで、「我が心」のことは俺はよく分かっていると嘯く人がいる。それがいちばん分からないと嘆く「心知る」人もいる。好きな人にどうしても逢え ないが、「我が心」はひたっとあの人に寄り添って。あぁあ、羨ましいヤツ、と。「我が心」がじつは自分の所有とは謂いえぬ機微をとらえて、ずばり「こころ 言葉」に。
「寄辺なみ身をこそ遠く隔てつれ心は君が影となりにき」と古歌にも。
2020 7/16 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「眼にひかる」     石も木も眼にひかるあつさかな  向井去来

「目につく・鼻につく」 目に附きて鼻に付く事遠からず  古川柳

暑い寒いの表現が自ずから詩になる機微は、季節の風情を知る知らぬの機微でもある。涼しさを呼び込んで暑さをみせる句や歌が多い。暑さそのものをまざま ざと感じさせる作は、むしろ少ない。去来の句は珍しく、そして傑作である。暑い夏のいぶきを喉もやけそうに呼吸した者には、覚えがある。「まなこに光る」 という絶妙の把握に驚く。真実「石も木も」光る暑さ。不快なのではない。まさに炎える夏の容赦なさは、「心よい」とすら謂える。
正確に「からだ言葉」か、は微妙だが。そこへ行くと川柳の方は、びしゃり「からだ言葉」ですが、句意は皮肉なもの。オッと、気をそそる女に出逢いました、 「目につい」て、ねんごろに。こうなると、古茶(こちゃ)の方がやがて「鼻につく」こと、案に違わずという観測。
もてない連中のやっかみ半分の観測だが、「からだ言葉」の隠語めいた活用見事。
2020 7/17 224

* 十時半。たのしみの読書へ、もう機械から離れる。「戦争と平和」 戦地で負傷し重篤のままモスクワまで帰ってきたアンドレイ公爵とナポレオンの占領を避けてモスクワを遁れようとしているナターシャとが、今にも再会する。一つの佳い山場。
そして、明治維新史をも丹念に復習している。
2020 7/17 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「人の心」   人ごころ移りはてぬる花の色に
昔ながらの山の名も憂し      後鳥羽院

「人の心」   よしや頼まじ
行く水の 早くも変はる人の心   室町小歌

隠岐に流された院は、都人から歌を送らせては、歌を合わせ、判を書いておられた。「昔ながら」とはとても行かない、院にはひとしお時勢も人もうってか わった世の中と成りはてていた。送られた歌の中に、花の名所近江の「長等山」を詠じた作があったのであろう。小町の「花の色は」の古歌も念頭に、天武天皇 に敗れた弘文天皇悲劇の長等山のことも思われ、「人の心」は移り変わり頼みにならぬとの嘆息も久しい。
一方の室町小歌は端的で簡潔、そしてたった一句の「行く水の」が利いて、じつに美しくすらある。「早くも変はる人の心」よ、「頼むものか」と。
「心は頼れるか」とは、この十五年、わたしが思案に思案してきた主題の一つであるが、「こころ言葉」の多彩に驚けば驚くほど、否定に傾いてゆく。
ドント マインド。ドンマイ。「気儘」「心まかせ」は、危うい。
2020 7/18 224

* 今の「仕事」は、私としてもよほどの隘路で険路で、この先では「お前、変節するのか」と罵倒されそうな難儀な議論で更に更にあの「山縣有朋」を追っか け追っかけ、フト気が付くとまるでちがう場面で妙タケレンなべつの日本人と相撲をとらねばならなくなりそう。行けるところまで行きますが。
『選集33』初校後半も、超細字部分だけ50頁ばかりまだ残ってて、目の酷使は、極み。
ブルーライトがキツい。寝室での読書には昔の電球を照明につかって、これだと、読み進むにしたがい文庫本も読める。『戦争と平和』のモスクワが燃えている。
2020 7/18 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「口上」     文もなく口上もなし粽五把     服部嵐雪

「骨が折れ」  女房からあやまらぬので骨が折れ  古川柳

この「口上」は前口上と同義の「口頭」でのアイサツである。歌舞伎役者襲名披露の「口上」はその大がかりなもので、そっちの方はアイサツの中味も「藝」のうち、大向こうはなみの演目よりも大いに喜び迎えて、いわば「祝言」でもある。
「切り口上」というのもある。「腹に一物」あってツケツケやる。借金を頼みこむ「口上」も、断るための「口上」もある。かなり「口実」に近くなる。
そういうご大層ななにもなしに一握りのうまい粽をくれた有り難み、嵐雪の句、イキである。
川柳の方は難儀に夫婦喧嘩の後がこじれている。はじめは男が剣幕であったのに、風向きが変わって、挙げた手を一つに合わせて亭主は謝ってもいい気だが、せめて女房から先にと待って焦れている。ところが女房、あやまらない。
いやもう「骨の折れる」こと。
2020 7/19 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心がへ」 心がへするものにもが片恋は
くるしきものと人に知らせむ  読人知らず

「乱れ心」 柳の絲の乱れ心 いつ忘れうぞ
寝乱れ髪の面影            室町小歌

肩こりの辛いとき、部分交換がきけばいいのにと思う。どんな患部にも取替えが出来たらどんなにいいだろう。古今集の昔人は片恋に呻いて、「心換へ」できる ならしたいと、あの憎い恋しい「人」にくるしさを吐きかけている。珍しい、まぎれもない「こころ言葉」だ。
「するものにもが」というもたついた物言いに、「ええい、できるものなら、してやりたいわ」という「身もだえ」が受け取れる。
小歌は、この前に、「花の錦の下紐は 解けてなかなかよしなや」とある。身をまかせた女の嬉しい恥ずかしい悩ましさ。掲出の後半は、男の、逢うて見た恋 の手放しのよろこびようと愛欲。「柳の絲の乱れ心」は、男女で唱和するところ。前後を恋のデュエットと聴くと、ひとしお官能的でうつくしい。
乱れることの嬉しさ、心と髪と、面影。けっこう。
2020 7/20 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「腰ぬけ」   腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな  与謝蕪村

「舌を出す」 睦言を聞て盗人舌を出し      古川柳

蕪村の句を、この妻は起居不自由の障害者だと解説する学者ばかりだが、アホくさい。蕪村はカタリの名手、写実を超えて創作した詩人。たいしたスケベイで もあった。この「腰ぬけ」が、官能と愛欲の極致から、今しもほっと蘇った、それゆえにひとしお「うつくしい(=美しい、愛しい)」よろめきの風情なのは言 うまでもない、だから寄り伏す「炬燵」が利く。濡れ場が目に見える。
「腰が抜ける」のは臆病や卑怯からだけではない。
川柳の方は、むろん、覗き盗人。おかげで盗みもやすやす、思わず「舌を出す」 目や耳法楽にもあずかっている。たまったものでないが、「睦言」であるのが救いとも。修羅場や痴話げんかでは、その隙に盗み稼ぎは出来たにしても、「舌」 は半分がところしか「出」せまい。この舌は確実に涎も零している。
世の中の「世」とは、もともと「色好む男女の仲」の意味。西鶴の一代男は、「世」之介。

* はからずも書庫に永く死蔵の、明治本『文法詳解 増補明治作文三千題』を、やっと書架より救い執って、こは、それなりのすぐれ「本」 一種異色便利な 「事典」であるなと見直した。和紙・和装・和字の分厚な大冊を繙きかつは拾い読んでみると、じつに「明治時代」を驚き教わるいろいろに満ち充ちている。
表題に見える「文法」という二字には、あの敗戦直後の新制中学に進んで、真っ先「口語文法」の教科書に好奇の目を光らせ、主語・述語の、名詞、形容詞の と習って、大好きで得手で「文語文法」も得々と手に入れたが、此の手に執った「明治本」にいう表題「文法」の、また巻中「諸学科大意」篇冒頭に堂々たる 「文法學」は、よほど意気盛んにむしろ「文学」「文藝」を語って本格であるのに驚いた。令和の今日、疲弊かつ余計モノかのように政治経済から嫌われ者の 「文」「文学」と真っ向の真逆なのである。
この明治本は、さらに追って「修辞学及論理学」の解説も詳しく、次いでは「地理学」次いでは「歴史」、さらに「動物学」「植物学」「金石學」そして「化 学」と続き、「地質学」「星學」「生理学」「数学」に次いで、おお、私苦手な「簿記学」まで延々定義し解説されてある、そして、やっとこさ、「政治学」が 呼び出され、ビリっ尻を、「経済学」で結んである。「時代の容貌」がまこと露わにみえて、今日只今との差違に驚嘆する、が、ハテ、「明治は遠くなりにけ り」もう昔ばなしと「忘じ去って」本当に「済む」のかどうか。
2020 7/21 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「たぎつ心」   あしびきの山下水の木隠れて
たぎつ心を堰きぞかねつる  読人知らず

「さても心や」  あら何ともなの さても心や    室町小歌

心は静かではなかなかいない。奔騰する。奔走する。防ぎようなく、堰きとめられない。ひとつには「内心」「本心」を、外に自在に出せない、知って欲しい 人に分かってもらえない、からだ。「堰」くから「たぎつ」のである。そういう「心」は、お定まり、「世心」つまり恋の悩みなのである。
昔の人は「恋」をして、結果として愛欲相許す「逢う恋」に至った。悩ましいが風情があった。
「付き合う」という殺風景な言葉ひとつで恋を省略してセックスへ直行の昨今の「世」の仲らい、「情けない」とは、これか。「あら何ともなの さても心 や」と爪弾きしたくなるが、この室町小歌は、この前に「恋の中川 うつかと渡るとて 袖を濡らいた」という、いわば「ひと目惚れ」の嬉し恥ずかしい嬌声を 聴かせている。
この「何ともなや」とは心配ない意味ではない。どうしようもない、のである。
2020 7/22 224

 

* 朝から「仕事」時間と、関連の「読み調べ」時間と、楽しみの「読書」時間とで、八時過ぎた。もう少しと思うが、肩に痛いしこりがある。目へ来ると感じる。
「戦争と平和」は、伯爵ピエールがモスクワ放火を疑われてフランス軍に囚われ、重傷の兄アンドレイ公爵は婚約破談になっていたナターシャに懸命に看護さ れて幸福、アンドレイの妹マリアはナターシァの兄ロストフと思い合っている。戦争のつづく大長編のうちでは心なごむ流れ。
そして源氏物語は「御法」「幻」を越えて光源氏も紫上もいない世界へ物寂しくもそれなりら華やかに動いている。
レマルク「愛する時と死する時」は、グレーバの激戦地からの賜暇帰国の日限ももう迫って、エリザベートとの「結婚」はたして実現するのか。下巻「に入って、この小説の先々はとても、辛いだろう。
2020 7/22 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「女は髪」   蚊屋くぐる女は髪に罪深し   炭太祇

「身の垢」   身の垢は七十五日世に残り  古川柳

茶髪や短髪ではない、緑なす黒髪の魅力である、その黒髪を、蚊帳にはいるとて今しもはらりと長く解いてみせた。
「今結うた髪が はらりと解けた いかさま 心も誰(た)そに解けた」という室町小歌もある。
こういう女の美しい風情に、代々男は魂を奪われ続けてきたのだと、わけしりの炭太祇が、「罪深し」とまで、らしくもなく判決しているのが面白い。
「女は顔」とも「女は脚」とも「女は肌」ともいわない、「女は髪」の選択に決定的な美学が生きる。かくて男と女の世の中を生きた生きたと夢うつつに、人はそのうち死んで行く。
いい噂もわるい噂も七十五日。娑婆の暮らしに「骨身にしみた」垢も匂いも、善悪とりまぜていずれ綺麗さっぱりと七十五日もすれば、失せてしまう。
七十五日までは、いろいろ有るさ。

* 唸りますね。
2020 7/23 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心一つ」  伊勢の海に釣する海人の泛子(うき)なれや
心ひとつを定めかねつる     読人知らず

「通ふ心」  文は遣りたし 詮方な
通ふ心の 物を言へかし     室町小歌

心は一つどころか千々にも砕ける。だが、往々にして「心ひとつ」の「我が心」と御している気でいる。わたしの「心一つ」ですよなどと、気儘に自在に分かり切った気で「安心」し豪語もする。
ところが、どうして。あの水に浮かぶ泛子のように、ふらふらと、いつ知れず「人」の思うままにあやつられている。我が物のはずの「心ひとつ」が、とんと、自分で決められない。
「心」とはこういうもの。なのに二言目には免罪符か万能薬のように「心」を口にするうさんくさい識者たち。
昔の人は、こうもいろいろに、さまざまに「頼りない心」を見つめて、人間とは、世の中とはと思案にくれていた。それが哲学というもの。好きな好きなあの人に手紙も出せない、なさけない。「通ふ心」よ、告げて来ておくれ。「心は通ふ」との信頼の背後には、いろんな人生が。
今では、ケータイとメールが。名高いスマホとやら、見たこともないが。
2020 7/24 224

* 大相撲の途中、贔屓の遠藤がドジな負けをくったところで湯に漬かって、トルストイ、レマルク、スタンダールを読み、あと、そのまま、機械の前で寝入っ てしまい、九時になろうとしている。それでいいと思う。いまは無理強いにからだとあたまとを遣いすぎないのが無事な気がする。身を躱すように、コロナ禍を 避けたい。寝入ってしまえる、それを今の、ちからとしたい。急がない。
2020 7/24 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「肌へつく」    しみじみと子は肌へつくみぞれ哉  秋色

「耳をねぶる」  約束で耳をねぶるがきつい智恵   古川柳

寒くなる、くらくなる、霙が降る。降り籠められて家の中も「胸の内」も重い。そういう日は、もののあやめも見定めぬ幼い者が、ちいさな不安を抱きしめたまま、とかく母親の胸に抱かれたがる。ひしと抱きついてくる。しがみつき顔を胸に埋めて離れない。
母と子との理屈抜きの一体感を季節の底でひたととらえた秀句。「肌へつく」体感に母と子の本能的に身を守る自覚が生きている。
褒美はいらない、そのかわり好きなときにお耳に口を、と。そして曽呂利は、ここぞというと、そろり君公の「耳をねぶる」。「告げ口」されているかと重臣ども気が気でなく、よしなにと、袖の下から、届け物の山ができたとさ。
智恵とはいうが、「手」というもの。「手を使い」「手に入れる」「手だれ」の知恵者。ごますりの「やり手」は、どこにもいる。
2020 7/25 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「色なき心」   色もなき心を人に染めしより
移ろはむとは思ほえなくに  紀貫之

「花心」      散らであれかし桜花
散れかし口と花心       室町小歌

純白純真だったわが心に、あの人の面影がいつか色濃く染みついて、もう生涯この色は抜けまいものをと、むしろ願ってさえいた。それなのに、またいつ知れ ず情熱は冷め、花心の色も香も移ろいはてて褪めている。「我が心」ながら、なんとはかない。そんな日が来るとは思われなかった。
心とは、色に染むもの、また褪めるもの。多情にして多恨、これ即ち無常か。
美しい桜にああ散らないでと願っても、小夜の嵐に余りに潔(いさぎよ)く散ってしまう。散って去って消え失せて欲しいのは、憎いアン畜生のあだな「花心」であり実(じつ)の無い「口車」の軽薄さなのだが、そっちは、「尻の重さ」でだだらに居座って、恥ずかしげも無い。
うまくいかない。ほんとうに、うまくいかない。
2020 7/26 224

 

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「へらず口」  あつき夜や江戸の小隅のへらず口  小林一茶

「知つた顔」  よびかけて知つた顔する茶屋女   古川柳

江戸も東京都も、無数の「小隅」が群集して成っている。一つ一つの小隅に人が群れ、「へらず口」の「口車」が空(から)景気よくまわる。人のうわさと 「かげ口」ほど楽しいことはない、やめられないと宣いしは、清少納言。床几が出たり出なくても、老若男女、暑い夏は戸外に涼を求めるしかなかった。
「口べらし」はきつい、が、「へらず口」を叩く分には天下は太平だい。クーラーもテレビも家の中になかった。
川柳の方は、季節を問わない客引き・達引(たてひ)きの商売女。「手もなく」客を乗せねばならぬ。で、さも以前から「知った顔」かのように「あら、ちょいと」などと声がかかる。女の愛嬌にひっかかる客もいる。
どの世間でも小隅でも、「顔」は世渡りの信用状。「いい顔」で「顔を利かせる」「顔役」がのさばる以上、「顔つなぎ」にと奔走するヤツの多いも、ムリないか。
2020 7/27 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「心澄む」   行方なく月に心の澄みすみて
果てはいかにかならむとすらむ  西行法師

「情あれ」   ただ人は情(こころ)あれ 槿(あさがほ)の
花の上なる露の世に        室町小歌
心は濁りやすいが澄みに澄む境地もある。とらわれの思いが無くなる。かがやく月に胸の底まで照らされて、自然の深みにむかい瞑目しているような時、そう いう気分になれる。だが、心のどこかに、吾が魂(たま)の緒を、思いの糸を、やはり一筋現世の何かに安心に繋いでおきたい、ふっと吾にもない未練の心細さ が襲う。
「果て」の果てまで身を委ね、澄み澄みておれるものだろうか、と、こわくなる。
西行ほどの人だから、それが分かるのだろう、深いとまどいに尊いものが感じられる。
心は、有るが常か、無心が到達なのか。あさがおの花の上の露ほど命をはかなく思えばこそ、「ただ人は情あれ」とお互いに願う。情の字を「こころ」と読んだ例は万葉集の昔から。「三輪山をしかも隠すか雲だにも 情あらなも隠さふべしや」などと。
人よ 情あれよ。
2020 7/28 224

* 八時半。レマルク『愛する時と死する時』 胸に沁みて。まこと、戦争はシテはならない。シカケられたら? その問いに答えるのを、今、日本人は棚上げして忘れたフリをしている。
トルストイの『戦争と平和』 かほどまで一定して手厳しいナポレオン批評に驚嘆する。
愛するナターシャと妹マリアに看取られたアンドレイ公爵戦傷の「死」は、深い深い深い谿を覗くようだった。こんな圧倒の表現で「死」に直面した読書の凄み、凝然。
2020 7/28 224

☆ 日本の「古典の、からだ と こころ」 を
楽しんでみませんか。   秦 恒平

「胸涼し」   胸涼しきえをまつ期(ご)の水の淡(あは)  石田未得

「美しひ顔」 美しひ顔より嘘が見事也    古川柳

「未得」の名に似ず、ちと悟り得た句である。そこが、へんに怖ろしい。仏来迎(ぶつらいごう)を前に「消え(帰依)を待つ(末)期の水の淡(泡)」と、こう縁の語彙を巧みに重ねられると、妙にギクリと来る。
だが作者は、まぢかい臨終のときを迎えて「胸涼し」と言い切っている。いいな、よかったなと見送りたい。草創期の江戸の俳人で、芭蕉登場にすこし間がある。
「風ならで誰かあぐべき柳髪」などと伊勢物語を軽妙に叙景にとりこむ俳味など、遠い昔のものになった。
川柳の「美しひ」というかなづかいも懐かしい。「美しひ顔して」といえば、ただ美貌を褒めてはいない。辛辣な「からだ言葉」である。「美しい顔」だか ら、よけいお返しが辛辣になる。美人は薄命かどうか、しかし美貌が人徳を保証はしない。あたら美人のゆえに「もの凄い」悍婦が現れる。
「美しひ顔より嘘が見事也」とは、凄みに見切ったものだ。

* ハイ。この連載は、今日で、お終い。
2020 7/29 224

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ この巻では「恋」を除いた「愛」の詩歌を読むのが建前 で、いきなり「夫婦の愛」などから始めてもいいわけだが、それを承知で、「男女の愛」の歌にもまず触れておきたい理由はもう繰返さない。本篇のまえにやや 長い序篇が置かれていると位に受け取って欲しい。いわば番外の序篇であるから、解説や鑑賞より、むしろ、次から次へなるべく作品を多く口遊(くちずさ)ん で行くうち、いつしか「愛の詩歌」のリズムに馴染んで、本篇へ、スムーズに読者も筆者も入って行きたい。
さて、日本の詩歌の歴史を、便宜に「和歌時代」と「短歌時代」とに私は分けており、もっと分りよく「明治以前」「明治以後」とはわざと呼ばないでいる。 ほぼ同じことを指しているが、「和歌」と「短歌」とでは、韻律や発想や声調にまぎれない差異が見え、それが俳句にも詩にも微妙に及んでいると思う。当然の ように、現代の我々の心に響く訴及力の差にもそれがなっている。
いかに技巧的に勝れた往時の名歌名句といえども、微妙なところで現代の心にもう十分は届きかねる昏さ疎さというものを、往昔の作品は余儀なく蔵してい る。『小倉百人一首』の歌はたしかに佳いが、さりとて百首が百首とも現代の詩心を直かに代弁できるとも言いかねるのである。

★ 夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば   大伴 家持

相手が生者でも死者と読んでもいい、「おどろきて」は、「目が覚めて」の意味である。むしろ『萬葉集』のこういう歌には、率直ゆえに、身近に響いて心を騒がせる共感もたしかにある、が。

 

* (二〇二〇)七月三十日 木

* 起床 8:00 血圧 132-59 (55)  血糖値 86 体重 60.15kg

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
よく選んで読んだつもりです。   秦 恒平

『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』

亡き孫・やす香に贈る

やすかれとやす香恋ひつつ泣くまじと
われは泣き伏す生きのいのちを
つまもわれもおのもおのもに魂の緒の
やす香抱きしめ生きねばならぬ  祖父

原題・書下し『愛と友情の歌 詩歌日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊

☆ 愛のこと  この巻を編むにあたって

「旅の歌」「四季の歌」「恋の歌」という選びかたは必ずしも無理でないが、それらと別に「愛の歌」と限るとなると、容易でない。旅や四季自然もおのずと 「愛」の対象に相違なく、まして「恋愛」という言葉もある。そもそも詩歌とは、ひろい意味の「愛」に湧き出で「愛」よりほとばしり出るもの、の謂であろ う。これを人に対する愛と限定し、さらには恋愛を除いたにしても、なお実にさまざまな「愛」のすがたかたちが有る。この巻の表題にあげてある「友情」も、 そうした「愛」のありようの一つと考える。
私は思案して敢えて「愛」を、窮屈に限って考えないことにした。恋愛も、また死者への愛も、この巻が自然に必要とする限りにおいて、他の巻との重複をお それず、大切に扱うと決めた。自愛ももとより 他の生命への愛、さらに人生や時代や理想や思想への愛も、愛と切り離せない深い痛みとしての孤独も、怨憎の 思いすらも、避けては通るまいと考えた。
もともと詩歌にせよ何にせよ、秀でたものであるほどなまじいの限定を大きくはみ出て行くつよい勢いをはらんでいる。そういう作品が、一見「愛」らしくな いだけの理由で採られないのは、残念だが、残念をすこしでも払える工夫は試みたい。すくなくもこのシリーズで拾い採れると限らぬりっぱな詩や歌が、他にも 実に沢山あるという事を、私は読者に知っていて欲しいと思う。
この撰を依頼されてから三年余になる。その間に、記紀歌謡から最現代の詩歌まで我ながら驚くほどの多くを読んだ。わずか数百の作品を選び出すのには、そ のような作業はむしろ苛酷に過ぎた。しかもなお私は、今、それを「出会い」と呼ぶしかない。「出会い」をえずに通り過ぎた作品の量は、他にはかり知れない のである。その事実に私は謙虚でありたいと思うし、読者にも、きちんと断わっておきたい。
歌謡があり和歌があり発句がある。連歌連句もある。狂歌川柳も都々逸もある。むろん漢詩もあり、能や浄瑠璃の歌詞もある。近代になれば短歌、俳句、詩がある。歌謡曲や浪花節その他の歌詞もある。散文詩というのもあり、翻訳詩も時に無視できない。
努めて見渡しながら、私は、落着くところ近代以後のもの、現代の我々が親しみかつ記憶に値するものに重点をおこう。具体的には短歌を軸に、これに俳句、和歌、歌謡を配し、近代以後の詩をごくわずかに添えるにとどめる。
結果として私の力がそれ以上に及ばなかったのであり、しかし、紙数とのかねあいとも言える。さらには所謂「和歌時代」の詩歌、近代以前の詩歌で「愛」と いえば概ねは「恋愛」に属しており、しかも、このシリーズでは別に一巻が『恋愛の詩歌』のために用意されてある。敢えて近代以後の作に重きを置こうとする 理由は、そこにも有る。
さてまた、作品か作者かという重点のおきかたも問題になる。なるべく多くの人のものをという配慮の方が、この種のいわば詞華集・秀歌撰の類では優先され るのかも知れない。が、私は敢えて文字どおりに「作品」本位でありたいと態度を決めている。その結果同じ作者から数重ねてえらぶという事もある。けっして 安易にするのではない。
同じ意味から作者や典拠についても、作品に対する以上に筆を用いることはしない。詩歌本来の無名性に立ち帰ろうというほどの頑張りではないが、かりに「作者」の名は忘れても「作品」が記憶され、「作品」に心惹かれる体験の方が、遙かに大切とは思うからである。
作者を知名度に応じてえらぶという事も私は避けたい。「うた」は「うったえ」でもある。表現の技においてプロフェショナルがアマチュアに勝るのは当然だ が、技ゆえに「うったえ」の本来を心なく犠牲にしてしまうのも、プロフェショナルの陥りやすい弊に相違ない。しかも「うた」は人世を映す鏡であり、鏡に映 る「うた」の世界は、到底一握りのプロフェショナルの作品だけで尽くされはしない。必ずしも十分の表現をえていないのかも知れない作品に、思いがけぬ真実 の感動や興趣を覚えることは多く、それも「うた」の「うったえ」であるならば、むしろこういう際に「専門」と称する人らに反省を促そう。
いわゆる詞書に頼らないで済む作品をとも心がけたい。この姿勢は、一歩進めて作品の鑑賞や理解に幅を生じる際、敢えて、作者の意図や作の成る特殊な事情、また時代的な制約から、ある程度自由に読む、読んでいいという、いわば「読者本位」の立場を私にとらせる。
また、古典に属する作品とはいえ、これに現代語訳を付することはしない。むろん、つとめて意は伝えねばならぬ。が、従来も、「詩歌の現代語訳」には、私 はけっして与(くみ)してはこなかった。物語や随筆ならば知らず、そういう賢しらはしなくても済むのが、すくなくも「同じ日本語で」味わえる詩歌の魅力で はなかろうか。「うた」の「うったえ」は、繰返し、よく舌にのせて、かつ深く聴きとるのが正しい。私も余分の解説に筆を用い過ぎず、必要に応じ一読者の鑑 賞例として、私自身の読みをただ参考に供するまで。
とにかく自分の声と言葉と心とで「読む」のを臆病に避けて、謙虚という以上に姑息に、誰か他人の読みにしたがおうとする人が多いが、繰返し敢えていうならば、詩歌に、「読み方」という「規則」は、ないのである。選ばれた詩歌そのものを味読していただきたい。
他巻との重複は、いぶかしむより、むしろ楽しんでいただくように。  (一九八四年 秦 恒平)

* 前置きの長かったの、勘弁して下さい。明日からは読みよく続きます。
2020 7/30 224

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ この巻では「恋」を除いた「愛」の詩歌を読むのが建前 で、いきなり「夫婦の愛」などから始めてもいいわけだが、それを承知で、「男女の愛」の歌にもまず触れておきたい理由はもう繰返さない。本篇のまえにやや 長い序篇が置かれていると位に受け取って欲しい。いわば番外の序篇であるから、解説や鑑賞より、むしろ、次から次へなるべく作品を多く口遊(くちずさ)ん で行くうち、いつしか「愛の詩歌」のリズムに馴染んで、本篇へ、スムーズに読者も筆者も入って行きたい。
さて、日本の詩歌の歴史を、便宜に「和歌時代」と「短歌時代」とに私は分けており、もっと分りよく「明治以前」「明治以後」とはわざと呼ばないでいる。 ほぼ同じことを指しているが、「和歌」と「短歌」とでは、韻律や発想や声調にまぎれない差異が見え、それが俳句にも詩にも微妙に及んでいると思う。当然の ように、現代の我々の心に響く訴及力の差にもそれがなっている。
いかに技巧的に勝れた往時の名歌名句といえども、微妙なところで現代の心にもう十分は届きかねる昏さ疎さというものを、往昔の作品は余儀なく蔵してい る。『小倉百人一首』の歌はたしかに佳いが、さりとて百首が百首とも現代の詩心を直かに代弁できるとも言いかねるのである。

☆ 夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば   大伴 家持

相手が生者でも死者と読んでもいい、「おどろきて」は、「目が覚めて」の意味である。むしろ『萬葉集』のこういう歌には、率直ゆえに、身近に響いて心を騒がせる共感もたしかにある、が。
2020 7/31 224

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 吉野川岩波高く行く水の
早くぞ人を思ひ初めてし      紀 貫之

★ かりそめに伏見の野べの草枕
つゆかかりきと人に語るな    『新古今集』読人しらず

★ 逢ふことも今はなき寝の夢ならで
いつかは君をまたは見るべき  上東門院

『古今集』撰者の、また『新古今集』に採られた貴族男女たちのこういう歌になると、もう萬葉の五七調から離れ、近代にまで目に耳に馴染んだすっかり七五 詞でありながら、どことなくまぎれなく古代そのものの遠い疎い印象を、禁じえない。旨いし、優しいし、よく分かるし、一首の姿も声も美しい。それなのに、 疎く遠く感じる。そこに詩歌のもつ微妙な時代性がうかがえ、そこには恋の歌であれ旅の歌であれ、「近代短歌」とは別の 「和歌」として受け止めざるをえ ぬ、何かがある。何かが、我々との間を隔てている。
まさしくその何かに対する認識として、「近代」の詩歌制作者たちの覚悟も生まれた。
むろん話にはいつも例外がある。幸せな例外もある。私はこの巻を進めるに当たり、そういう幸せな例外にも出会いたく、しかし根ははっきり「短歌時代」に 据えたいと考えている。過去の遺産を主に拾うより、現代に十分通用する、ないしは現代の文化としての、詩的感動を求めたいから。
2020 8/1 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ さねさし 相武(さがむ)の小野(をぬ)に 燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも   弟橘媛(おとたちばなひめ)

倭建命を慕って歌われたという、『古事記』に名高いこういう歌を私は好む。また『萬菓集』はもとより、和泉式部、西行らをはじめ久しい「和歌」の表現と 歴史をも私自身は余念なく今も愛しているが、さてそこから「愛」の歌をとなればおおかたは「恋愛」の歌であり、しかも恋の秀歌撰はすでに数多いため、いき おい見覚えのものに出会いがちになる。
それよりも私は、いっそ「和歌」ならぬ「歌謡」の分野に、まだまだ多くは人に知られぬ、しかも現代の心に十分訴えうる佳い歌詞の多いことをここで強調し紹介しておきたい。もっともそれにも限界はある。
すこし割切り過ぎのきらいはあっても、ことさらここでは十二世紀以前の古代末期歌謡をあつめた『梁塵秘抄』および、十六世紀以前の主として室町小歌や小 謡をあつめた『閑吟集』の歌詞で、次には代表させておく。それ以前は遠く疎く、それ以後のものはあまりに俗化が過ぎるからだが、少なくもこの二冊の歌謡の 集に限っては、和歌の萬葉、古今、新古今集にもけっして劣らない、現代に通うという意味ではむしろそれらに勝る、住い内容と面白さとを持ち合わせている。
ことに『閑吟集』からは、愛や恋に関心のある若い読者なら、なまじな現代詩集などよりよほど新鮮鮮烈な詩的興奮を、たっぷりと、かつ容易に面白く味わえよう。

★ 葛城山(かつらぎやま)に咲く花候(そろ)よ あれをよと よそに想うた念ばかり

★ いたづらものや 面影は 身に添ひながら 独り寝

★ 思へど思はぬふりをしてなう 思ひ痩せに痩せ候(そろ)

* 明日に、つづく。
2020 8/2 225

* なにかしら体調に歪みがある。腹である。むかし老境の秦の父が、下履きのゴムがきつくてとよく歎いていたのが、同じ。
それと、極度の眼精疲労。
ま、ガマンしてガマンして「仕事」をクスリにしよう。
「書き」仕事 「読み」仕事 「調べ」仕事 が、いま、轡を並べている。

* それでも時折り横になっている。
源氏物語は「匂兵部卿」を読み終えた。
トルストイの露仏戦争論、ナポレオン論の 手厳しくリキが入っていること、なるほどこの大長編、ロシアの貴族社会物語というより、はるかに強硬に「戦争 と平和」論なのだ、ナポレオン「敗走」論なのだ。そして、アンドレイ公爵の戦傷死、若いペーチャの戦激死。ナターシャ、マリアの歎き。
レマルクの「愛する時と死する時」 わずかな賜暇休暇のあいだの兵隊グレーバーとエリザベートとの出逢いと愛と結婚、せまる別れ、胸が軋むように痛い。

* それでも私は読書を楽しむ。
2020 8/2 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 身は浮草の 根(寝)も定まらぬ人を待つ 正体なやなう 寝うやれ 月の傾く

★ 来ぬも可なり 夢のあひだの露の身の 逢ふとも宵の稲妻

★ 独り寝はするとも 嘘な人は嫌(いや)よ
心は尽くいて詮なやなう 世の中の嘘が去ねかし 嘘が

★ 後影を見んとすれば 霧がなう 朝霧が

★ あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ

★ うらやましや我が心 よるひる君に離れぬ

★ お堰(せ)き候(そろ)とも堰かれ候(そろ)まじや
淀川の 浅き瀬にこそ 柵(しがらみ)もあれ

★ 泣くは我 涙の主(ぬし)はそなたぞ

★ 籠がな籠がな 浮名もらさぬ籠がななう

★ とりたてて佳いものだけを引いたのでなく、解説の紙数を惜しんで、分りいいのをここでは選んでみた。
それでも、『閑吟集』歌謡の孤心を秘めた愛恋無限の魅力の一端は、察して貰えよう。
2020 8/3 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 『閑吟集』を遡って 『梁塵秘抄』からも胸に響くいくらかを挙げてみる。

★ 思ひは陸奥(みちのく)に 恋は駿河に通ふなり
見初(みそ)めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし

★ 吾主(わぬし)は情なや 妾(わらは)が在らじとも棲まじとも言はばこそ憎からめ
父や母の離(さ)けたまふ仲なれば 切るとも刻むとも世にあらじ

★ 聖(ひじり)を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや
年の若き折 戯(たわ)れせん

★ 恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢はいかが見る
さしさしきしと抱くとこそ見れ

★ 東(吾妻)屋の つま(妻)とも終(つひ)にならざりけるもの故に
なにとてむね(棟=胸)を合はせ初(そ)めけむ

★ 水(見)馴れ木の水馴れ磯〈衣〉馴れて別れなば
恋しからんずらむものを や 睦(むつ)れ馴らひて

★ いざ寝なむ夜も明け方になりにけり 鐘も打つ
宵より寝たるだにも飽かぬ心を や 如何(いか)にせむ

★ 恋しとよ君恋しとよゆかしとよ 逢はばや見ばや 見ばや見えばや

これら大らかにも赤裸々な愛欲の歌声には、思わず人を感動させる真実があらわれている。しかも『梁塵秘抄』を全部通して読めば、こうした感情がただ人間的な真実だけでなく、信仰の心とも分厚く表裏した、いわば時代的な真実にもうらうちされていた事が、よく理解できる。
ともあれこの勝れて面白い古代と中世の二冊の歌謡集については、別に、NHXブックスに収めてあるそれぞれ『梁塵秘抄』と『閑吟集』とで、とくと楽しんでいただければ幸い。
2020 8/4 225

* 夕方にも寝入っていた。読めない難漢字を目を見ひらいてATOKで検索するのだが見つからない字が次々に。言葉も、岩波の広辞苑でも新潮社辞典でも見 つからないのにぶつかる。階下の、むかし出田興生さんに戴いた、超大冊の二巻本の平凡社大辞典や、秦の祖父遺産の大漢和辞典を書庫から運んで来ねばならな い。
それにしても、昔の人は、むろん人によろうが、桁外れに勉強家がいた。機械で検索、その程度のチエで足りているらしい今日日の若者等は、別種族の生きものか。
2020 8/4 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆  いわゆる「和歌時代」には別れを告げ、近代現代の詩歌を主に読んで行こう。もっとも、此の「男女の愛」の章では、先例にならい、紹介を主にしておく。
近代の歌声となれば 明治三〇年の 『若菜集』を抜きには語れまい。その中でも 「初恋」の歌は有名に過ぎるとはいえ、永遠に初々しい魅力がいささかも古びない。

★ まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は()()ゅょ
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ     島崎 藤村

★ 「あげ初めし前髪」「こひ初めしはじめ」「踏みそめしかたみ」と、いかにもものの初めの初々しさに、詩一篇が処女の胸さながらに美しくふるえている。この詩人を小説「家」や「新生」や「夜明け前」の作者とばかり思い込んではならない。

吾胸の底のここには
言ひがたき秘密(ひめごと)住めり
身をあげて活ける牲(にえ)とは
君ならで誰かしらまし

★ とも歌ったこの詩人の呻きは、近代日本人の 覚め行く魂の自覚にほかならなかった。その自覚が、かくも抒情味に富んで優美に表現されながらあしき感傷をまぬがれ、しかももう「和歌時代」の和歌的な発 想でもリズムでもなかった事にこそ驚いていい。恋を歌った近代詩は、藤村以後の方が、佐藤春夫にせよ北原白秋にせよ室生犀星にせよ、むしろ過剰な感傷と修 辞に酔い気味であったのかも知れぬ。国民的に愛誦されてきた恋の名詩をその後ほとんど持たない詩史…に、日本と日本語との不幸があるといえば、詩人たちは 何と応えるのだろう。
ま、へんに絡んでみても仕方がない。
2020 8/5 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 男から眺めた女ということで、ひとつ、山村暮鳥没後の詩集、大正十三年『雲』から挙げてみよう。

★  野良道
こちらむけ
娘遠
野良道はいいなあ
花かんざしもいいなあ
麦の穂がでそろつた
ひよいと
ふりむかれたら
まぶしいだらう
大(でっ)かい蕗つ葉をかぶつて
なんともいへずいいなあ     山村 暮鳥

☆ ナイーヴといえば言えるし、素朴な味わいが「いいなあ」と思うが、こんなでいいのかなあと思わぬでもない。
2020 8/6 225

* ことの捗る時は幸運も近寄ってきて、とてもムリと諦めながら書庫に入って、ポコンと最適本に手がついた。中村光夫先生に戴いていた、戯曲『雲をたがやす男』、この男を問題にしているのでないか、時代の空気が読めてくるのは助かる。

* 原善君から冊子「文藝空間」を送ってくれたが、あれは8ポならぬ7ポ組みでないかと疑う自の字の小ささに、とても読むに読めない。いろんな論攷も、い かにも小さく、またかと思う重箱の隅せせり、それで済む世間のあるのも承知だがわたしはもう卒業させて欲しい。私の眼識しは谷崎潤一郎の策士またまた堪能 して愛読したいが、谷崎論に類するものは、百册に及んで書架を防いでいたのを一切ダンボールにつめて廃棄処分ときめた。まして、誰それとなく原作原著は珍 重、しかし誰それ「に就いて」書かれたものは、全てもう読む余裕なく「廃棄」と決めている。仕方がない。
心静めて楽しんで、ただ漱石や藤村や鴎外や秋声・鏡花や、直哉、潤一郎、龍之介、康成、由紀夫らの小説作品を読み返したい。作品「に就いて」云々の論著はもう要らない。
私も、この間の『椿山集』のような稀有に珍しいもの以外にはもう新たには書き起こさない。書くなら「読み・書き・読書」の『濯鱗清流」式に日記にだけ書きおく。もう時間が足りない、無い。分かっている。
2020 8/6 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆  昭和元年に出た伊藤整の『雪明りの路』は青春の気に富んで、しかも、しっとりと深い色彩をたたえた、佳い詩集だった。「青葉の朝に」をここに挙げる。

★ 青葉となつて雨の降る朝
おまへは硝子戸のかげで
そつと黒いまつ毛の涙を拭いてゐる。

それほどの思ひがあつたのなら
何時かのあの月のよい
さう僕が十九の秋の一夜
不思議な情緒にとりつかれて海辺の丘をさまよつた夜更けに
なぜ素足で出てきて
身体も白く透き通つたまま
僕といつしよに海で死んでしまつて呉れなかつたの。     伊藤 整

☆ 日本の近代詩は、外在律から自由になったその時から、むしろ詩の表現としては窮屈になり、妙にしどけなくもなり、短歌や俳句の厳しい表現を容易には 超ええなくなった趣がある。その一方で、流行歌の作詞表現がけっこう若者らに浸透して、詩的満足がもっぱらそこで購われている。
「詩」の市民性が稀薄になっていないか。それでもいいのか。
それにしても詩を紹介するのは、紙数に恵まれない時は難儀な仕事になる。私は原則として、詩にせよ絵画にせよトリミングは、「批評」や「研究」ででもない限り、許されていい事とは考えていない。自然、この巻では詩の紹介は数限ることになろう。
2020 8/7 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ ひたぶるに人を恋ほしみ日の夕べ
萩ひとむらに火を放ちゆく   岡野 弘彦

★  何ともいえない気分になる。やすらかなような、胸をかきむしられるような気になる。涙ぐましくて、激しくて、歌は美しい。五つの「ヒ」を陪昔に、「萩」「放ち」の二つの「ハ」音が輪郭正しく浮かびあがる「うた」の効果。しかも「詩化」を遂げた一語一語。
詩も歌も「うた」にほかならず、音楽の美を見捨てて言葉の藝術が成るはずがない。ただに音の美を言うのではない。言葉の一つ一つが十分な「詩化」を遂げ ているかどうか、そういう基本の語感が歌でも詩でも俳句でも大切なのは言うまでもない。のに、それがなかなか実作者らにも分かっていない。
以下の読み、実情と或はかけ離れているかも知れぬが、出会いの昔の感銘にしたがいたい。
「萩」は一夜豊産の「風土記」伝説このかた不思議になまめかしいものを身に負うた花で、「火」もまたこれの根をより強く肥やすために「放つ」のである が、この歌では「火を放つ」という行為により、「人を恋」うる魂鎮めも魂ふりもが願われていそうな気がする。「ひたぶる」といったつい言い過ぎになりがち な言葉が、これくらい適切に美しく用いられた例は少ない。現代の、恋の名歌と言い切っていい。昭和四二年『冬の家族』の巻頭歌。
2020 8/8 225

* 七時半か ら三十分、必読とかたく信頼している歴史学者の「日本国」論に教えられ、頷き、首肯き読み、納得して、床から起った。土曜の朝は読売テレビがアクのつよ い、ド強度の自負自慢で引き回す司会者番組。停頓しないテキパキは歓迎するが、マスコミで司会進行を勤めるとはこういう頑強専横でないと長くは席が保てな いんだろうなあと、うたた気の毒にも、ウトましくもなる。
それにしても、総理、政府、大臣、都府県知事、市区長、そして医療の専門家、周辺識者らの、真っ向微塵のドサクサ、支離滅裂。コロナもさぞ嗤っているだろう。
最大限の「籠居」に徹し、自身の別世界に夢見を楽しむほどの打ち込みで、暮らしつづけてられれば、有難い。
幸い、「別世界」は、幾重にも私有し、好きに展開できる。
2020 8/8 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ さて、現代の若々しい「恋」の表現を、説明も鑑賞も抜きに並べたい。それぞれに様式への意欲も新鮮な表現ももち、なにより(少ぅし、もはや以前っぽい=)現代の「恋」の感覚に溢れている。

★ 双腕に若やぐ鹿を追ひつめて
撃ちたき意志を華と呼ぶべし   勝部 祐子『解体』

★ 海を見にゆかなとひとの言ひしかば
それよりぞわが裡に鳴る波   池戸 愛子『未知』

★ 梢たかく辛夷(こぶし)の花芽ひかり放ち
まだ見ぬ乳房われは恋ふるも   小野 興二郎『天の辛夷』

★ 海風は君がからだに吹き入りぬ
この夜抱かばいかに涼しき 吉井 勇『酒ほがひ』

★ 草原を駈けくるきみの胸が揺れ
ただそれのみの思慕かもしれぬ   下村 光男『少年伝』

★ あの胸が岬のように遠かった。
畜生! いつまでおれの少年   永田 和宏『メビウスの地平』

★ 動こうとしないおまえの
ずぶ濡れの髪ずぶ凍れの肩 いじっぱり!  永田 和宏『メビウスの地平』

★ たとへば君ガサッと落葉すくふやうに
私をさらつて行つてはくれぬか   河野 裕子『あかねさす』

★ 抱かれてなおも哀しき夕ぐれに
水甕のみずあふるるばかり   佐藤 よしみ「国学院短歌」昭和四九年第七〇号

★ 音たかく夜空に花火うち開き
われは隈なく奪はれてゐる   中城 ふみ子『乳房喪失』

★ ましぐらな矢に真二つ裂かれたる
リンゴの肉の散るやうな逢ひ   東 淳子『生への挽歌』

★ 月光に見えざる君を頌むるより
まづ簡潔に歯を磨くかな   柏木 茂『功子』

★ 雲は夏あつけらかんとして空に浮いて
悔いなく君を愛してしまへり   柏木 茂『功子』

★ 手を垂れてキスを待ち居し表情の
幼きを恋ひ別れ来たりぬ   近藤 芳美『早春歌』

★ 逢ふことが「栄養」となり夏こえて
うつすらと肉をおびゆくからだ   松平 盟子『帆を張る父のやうに』

★ あの夏の数かぎりなくそしてまた
たつた一つの表情をせよ   小野 茂樹「地中海」昭和三九年三月号

★ 泣くおまえ抱(いだ)けば髪に降る雪の
こんこんとわが腕に眠れ   佐佐木 幸網『真の鏡』

★ 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと
雪よ林檎の香のごとくふれ   北原白秋『桐の花』

★ 今宵ひと夜あづけてよしといひたれば
君の片手を持ち帰るなり   篠塚 純子『線描の魚』

★ いつまでも美しくあれといはれけり
日を経て思へばむごき言葉ぞ   篠塚 純子『線描の魚』

★ わかれがたきおもひを断つはいつも君
今日はわたしがさよならをいふ  正古 誠子『あけぼのすぎ』

★ 色刷りの小鳥の切手はがされて
郵便箱に君の愛濡れている   河野 深雪『短歌年鑑』一九八○

★ パッと目をひらくと好きなひとがいる   森中 恵美子『番傘』

★ 弁当を忘れし彼女毛絲編む   茂木 蓮葉子『稲含』

☆ 思い切って並べてみた。佳いから並べたとも言え、好きだ からと応えてもいい。人によっては判じもののようにしか受け取れない作品も交じっていよう。判じものならそれを解いてみせるのが私の役なのだが、強いて加 えた「恋愛」の歌のこと、ここは紙数を惜しんでおく。どれも口遊んでいて、自然に魅力は胸に残るはずの歌ばかり…の、つもり。
2020 8/9 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平

* 令和(二〇二〇)八月十日 月

* 起床 7:30 血圧 133-58 (55)  血糖値 86 体重 60.8kg

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 昨日は、私の好みのようなものが、先ずはサンプルとして出たという位にして、もう一首。

★ 割烹着の裾よりスカート少し見えいよいよ君をいとしと思ふ   吉村 睦人

☆ 発見の歌であり、しかも誰もが分かる納得できる意味では共感の歌であり、思いの底にあったものが、いみじくも代弁された喜びをもつ。「割烹着」だ けでは、気がつかない。ふだん見ている「スカート」だけの姿でも気づかない。いつもは見なれない働き者の「裾」からいつも見なれて心をひかれてきた「ス カート」がちらと見えた。好きな少女の思いがけない好もしい一面が瞬時に結晶した。
好きになって行く時は何を見てもこうなのではあるがと、スタンダールの『恋愛論』は教えている。昭和五八年『吹雪く尾根』所収。青春の恋をうたって心晴れやかな歌集である。
2020 8/10 225

 

* 冷房のセイか、体調か、身の冷える不快を感じ、ゆっくり入浴し、『戦争と平和』も掉尾の、ピエール、ナターシャ夫妻と子供達、ニコラス、マリア夫妻と 子供達、マリアの兄の亡きアンドレイ遺子ニコーレンカらの賑やかに理想的な共住の家庭生活を心和んで読んだ。わたしの大好きな日々の営み、夫婦愛も家族愛 がためらいなく美しいまで独特に書かれてある。
戦争と平和であるからトルストイは二度の大きな戦争場面を縷々書き継ぎ語り尽くしているが、それを見事に縫い散るように、アンドレイ・ナターシャ・ピ エール・マリア・ニコラスらの愛ある心境を美しく書ききってくれる。露仏の戦争、佛帝ナポレオンと露将クトゥゾフを対比の批評などじつに独特に精緻、しか しナターシャという正真正銘の佳いヒロインを描いてアンドレイ、ピエールという二人の優れた男性を配した人生に気は、トルストイその人の懐いていた理想が 確立されているかと想われ、じつに懐かしい。

* レマルクの『愛する時と死する時』はただだ胸に逼り、むかし習ったことばだが「感情移入」の悲喜交々に打ちに打たれる。結婚した兵士グレーバと幼なじ みのエリザヘート。夫の賜暇休暇はもう一両日で果て、激しい前線へ戻って行けば明日も知れない瀬戸際の塹壕生活になる。妻はひとり爆撃に喪った住み処を残 骸の街中にさすらい探しつつ生きて行かねばならない。まこと、「戦争はしてはならない」。

* 源氏物語「竹河」は、しみじみ懐かしく美しい一片の完成作で、筆致の妙の底知れぬ確かさに、いつも感嘆する。光源氏のあうれる花やぎではないが、玉鬘 といい夕霧といい薫といい、懐かしい実と妙ほもちあわせ、行文に惹きき込まれる嬉しさ、さきへさきへ自然と行を追う。嬉しくなる。
ただし、湯に漬かって読んでいますとは、作中の皆さんには知られたくない、御免あれ。
2020 8/10 225

* なんと! という間投詞、大嫌いなのだが。
『谷崎潤一郎 性慾と文学』と題した谷崎論者の著書を貰った。
2020 8/10 225

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 次には発想と表現の質において、やや年かさな印象の作品も挙げてみます。

★ 脣(くち)に指押しあてて聴く春千鳥   上村 占魚

☆ 事実は知らず私は愛の営みのまさしく、さなかと読む。それでこそ面白い。「花龍に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な」という『閑吟集』屈指の名吟を思いだす。昭和五九年『かのえさる』所収。

★ 白椿われに冥加の痣ひとつ   藤田 湘子

☆ これも濃厚な愛が恵んだきぬぎぬの発見と読んでこそ面白い。昭和五七年『朴下集』所収。

★ ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜   桂 信子

★ 七夕や髪濡れしまま人に逢ふ   橋本 多佳子

★ 乱れたる団扇かさねて泊りけり   長谷川 かな女

☆ 前の二つは『月光抄』(昭和二四年)『信濃』〈昭和二二年)から採り、かな女の作は記憶から採った。こう三つ重ねると、佳い短編を読んだような後味がある。
2020 8/11 225

* 東近江五個荘の乾徳寺さんご住職から『「近江商人の魂を育てた 寺子屋』一冊を頂戴した。同じ川並の川島民親さんからも以前近江商人を主題の共著本をいただいたことがある。
乾徳寺さんの本に、「寺子屋」の先生に書を教えた勝見主殿(本姓越智)という先生が、私の育った新門前通りの「狸橋」を「住所」とされていたらしい、わたしの朧ろな記憶に「越智さん」「勝見さん」の覚えが絡んでいる、今となっては確信は持てないが。
手先の痺れと不自由でわたしは今、ペンで字が書けない、メールだと何とかなるが。
ひょっとしてこの日記、川島民親さんの目にもしとまれば、本のお礼と上のうろ覚えだけを、お伝え下さるだろう。

* 参考にと「湖の本 43 もらひ子」をめくってみた。憚って多くを仮名で書いていたのが今となっては残念だが、克明にものをよく覚えて記録していて、 なつかしい。この前に「丹波」が、このあとに「早春」が書かれ、三部作で私の幼少から新制中学「入学」頃までがほぼ言いつくせてある。そして長編「罪はわ が前に」へつながる。読み返し始めたら「子供の昔。少年の昔にありありと立ち返れる。気恥ずかしかったが、思い切って書き置いてよかった。

* 『戦争と平和』(最後のトルストイその人の論文は、暫時措いて)読み上げた。戦傷死したアンドレイ、妹のマリア、アンドレイの許嫁であったが、アンド レイの最も親しかったピエールの理想的な妻となったナターシャ。作者はこの四人に真の意味で敬愛に足る「人間」のドラマを書いてくれている。
トルストイの詞藻と思想の豊かさ深さ自在さは、他に類を見ない活気を行文に溢れさせている。驚嘆と羨望のほかない。
2020 8/11 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

☆ 発想と表現の質において、やや年かさな印象の作品も挙げてみます。

★ かまつかの静かに朱けの深みゆく
夕べゆふべの君の恋しさ   馬場 あき子『早笛』

★ 抱くとき髪に湿りののこりいて
美しかりし野の雨を言う  岡井 隆『斉唱』

★ なつごろも透きてかなしく逢いしかば
戦のごと抱きたまいき   中野 照子『しかれども藍』

★ 床の辺にあかき羽織をたたみゐつ
母に秘めたるこの一夜はや   喜田 聿衛「多摩」

★ うかびくる面影胸に愛しければ
人には告げずほのぼのと抱く   大山 芙美「白珠」

★ 花八つ手日昏れはしろく眸(め)にたちて
ひと待ちがたき刻過ぎてをり   金津 於菟「水甕」

★ 見つめ給へば顔よせたりしたまゆらが
一生の思出となりにき泣かゆ   両角 千代子

☆ 両角の作はおそらく「師」または「夫」との別れを歌ったものなのであろうが、歌の情緒には深い恋情が生きているとみてここに置いた。「アララギ」昭和四七年二月号から採った。

* 起き抜けに、そのまま、必要な本を必要のママに興深く読み耽っていた。論著でも創作でもない、いわば「雑文」に属するのだが、文藻の豊かさと叡智に感じ入る。人間と教養とが玉成されているのだ、今代、どんな人がこんな文章を日々に書いているのだろう、知りたい。
2020 8/12 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 音信不通になってから七年になるが、実はその間に一度、
私は汽車にゆられ、船にのり、その人を訪ねて行った。が、
その人は学校の父兄会に出掛けて不在だった。私は黙っ
て気付かれぬようにしてまた帰ってきた。
神の打った終止符を、私はいつも、悲しみというよりむしろ
讃歎の念をもって思い出す。不在というそのささやかな運命
の断層に、近代的神話の香気を放ったのは誰の仕業であろ
うか。
実際、私の不定貪婪(たんらん)な視線を受ける代りに、その
人は、窓越しに青葉の茂りの見える放課後の静かな教室で、
躾けと教育についてこの世で女の持つ最も清純な会話を持っ
ていたのだ。              井上 靖

☆ 昭和五四年刊の『井上靖全詩集』から、「不在」と題され た散文詩を採った。このような愛と別れとが、また、ある。男と女とには、ある。この「不在」を「神」の叡智として受け容れている「私」は、「その人」に対 し愛うすき者であったろうか。逆である。これほどの愛を知らぬまに受けていた人の幸せを、私は思う。愛は、肉の領分にだけあるのではない。
2020 8/13 225

☆ 「ざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 男女の愛

★ 少女のわれが合せかねたる貝合(かいあはせ)
会はざればいよようつくしかりき     斎藤 史

☆ 「短歌」昭和五九年七月号の誌上で出逢ったこの歌には、感動した。「貝合」は一対の、もともとは一つの貝殻と貝殻とを多くの中から捜して合わせる、優美 な古代からの姉様遊び(ゲーム)であるが、いわば男と女との運命の出会いを祈る思いを併せ寓意していること、勿論だろう。「合せかねたる」には、ハキとは 言わないその辺の根の深い嘆きの声が聞こえる。
だが、この近・現代を通じて稀にみる優れた詩人は、優れていればこその資質として、この嘆きをあしき感傷には流してしまわない。下句の毅さには、目をみ はっていい。「会はざればいよよ」とは、運命を乗り超える気迫なくては出て来ない詩句である。同時に、虚実の魔法である「詩」の本来の境涯をも暗示しえて いる。
愛と美の意味を兼ねた「うつくしかりき」という過去への物言いに籠めて、事実ならぬ、「会はざ」りし真実在を一層大きく、美しくも愛しくも把握できてい るそういう「現在」の生きが肯定されている。あつかましい肯定ではない。しみじみと寂しい静かな肯定である。そういう寂しさや静かさによく耐えられる毅さ が、この、よく永く生きていまも健在な詩人の、人間としても女としても、優れた美質であろう。 (斎藤史さん、もう亡くなられている。)
人生、「会ふ」ばかりが男と女との愛とは限らない。そうも思いつつ、世の恋人や夫婦たちは「会ひ」えた喜びを、さらにさらによく培うべきなのである。
2020 8/14 225

* 気分キッパリしないので、湯に漬かった。レマルクの『愛する時と死する時』 とうどう、結婚したばかりの兵士グレーバーは、「あなたの子が欲しい」と真実願う新妻エリザベートを瓦礫の戦災街にのこして、三週間の賜暇休暇から激戦の最前線へ戻っていった。
胸の疼く、若い二人の愛のせつない奔騰がいとおしい、読むのがつらいほどの別れの一夜であった。若い命の空しい費消が何ももたらさない戦争、そんな戦 争、決してしてはいけないと思う。こんな若さのまぢかな背後には、高笑いに人の命を踏み消してもてあそぶ、ゲシュタポ、ヒトラーの親衛隊。

* かろうじて源氏物語「竹河」の巻に思いをなぐさめ静めて湯からでた。おう、何たる読書よ。
2020 8/14 225

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

☆  男女の愛があって、結婚し、夫婦になる。そして子が生まれる。子を持って知る親心。あまりに尋常なようではあるが、このサイクル、当分変わるまい。
では、ものの初めに、「求婚の広告」という詩から読んでみょう。山之口獏の『思弁の苑』(昭和十三年刊)から引く。佐藤春夫が序詩に、獏の詩を、「枝に 鳴る風見たいに自然だ しみじみと生活の季節を示し 単純で深味のあるものと思ふ 誰か女房になつてやる奴はゐないか」と書いているのも、この詩を受けて のものだろう。

★ 一日もはやく私は結婚したいのです
結婚さへすれば
私は人一倍生きてゐたくなるでせう
かやうに私は面白い男であると私もおもふのです
面白い男と面白く暮したくなつて
私ををつとにしたくなつて
せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか
さつさと来て呉れませんか女よ
見えもしない風を見でゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです 山之口 獏

☆ 「若しも女を掴んだら」というケッサクな詩もこの詩人にはあり、表現の軽みの底にたゆたう時代の重い嘆きは昏いのだが、獏の詩は持ち前の「正直で愛するに足る青年」(春夫)の詩情で読ませる。独特の「考えかたのおもしろさ」(金子光晴)に、詩がある。
2020 8/15 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり   土岐 善暦

☆ 「男女の愛」があり、そして成る成らぬの別はいくらかあれ、「夫婦の愛」がいつか期待され、実現して行く。
「ひとりの名」とは 何という初々しい佳い表現だろう。「春の夜」であり「ともしび」があって、「母」もまぢかに一日の果てを寝入ろうとしている、そう いう時に、決意と愛とを秘めて静かに結婚の意思とともに、「ひとりの名」は「告げ」られる。仰々しくはなく、しかも場面は適切に描き尽くされ、リアリティ は確保されている。
昭和二六年『遠隣集』所収。
2020 8/16 225

 

* スタンダールの『パルムの僧院』になかなか乗れない。バルザックが褒めながら厳しい註文をつけた作だが、なによりカキップリが重い。おなじことは、むかし代表作の『赤と黒』とにも感じたが。
やっぱり、この時代ではバルザックが頭抜けている。
ロレンスを今度は読もうと思っている。
2020 8/16 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 襟カバー替えて布団を敷き終る
佗しいのも君が来る迄の二月  加藤 光一

☆ 「君が(嫁いで)来る迄」と読んで自然だろう。「二月」 を「にがつ」と読むか「ふたつき」と読むか。私は「布団を敷き終」った今、現在――の表現として「にがつ」と読む方が春待つ季節感もあらわされ、音調、声 韻ともに優れると思う。あと「ふたつき」の意味はその言外に汲んでいい。
歌の懐はそう深くないが、人生の春をことぶれして心地よい。 「未来」昭和三一年三月号から採った。

★ 木に花咲き君わが妻とならむ日の
四月なかなか遠くもあるかな   前田 夕暮

☆ これは極め付けの秀歌として知られる。前の加藤の歌にく らべ、一段と歌としての整理が利いている。だから一見して一首が澄んで明るい。音も文字も整っている。表記という事も詩人はもっともっと考慮に入れるべき だろう、と、この夕暮の歌を見るつど思う。お手本のようにきりっと佳い姿だ。
それにしても男の純真な抒情、ここに極まれりの観がある。「木に花咲き」とは、「君わが妻と」なる「四月」の桜であるとともに、待ちわびる今、の梅も、重ね言われていようかと私は読んでいる。
「木の花」は古くは梅、のちに桜と思われて来た花の謂だろうから。 明治四三年『収穫』所収。

* 昨日はまことに危なかった、夫婦して屋内熱中症で斃 れていかねなかった。もう毎朝のコロナ番組にじっと付き合うのもつらくなりだし、自身の生活に万々注意して、うかと用心からはみ出ないようにと思う。読書 していると数限りない東西和漢の異世界が目の前にひらける。幸いにそこにコロナは見られない。上に毎朝揃えている「愛の歌」にせよ、自身口を衝いて出る歌 のしらべにせよ、明治人の漢文口調にせよ源氏物語男女の詞や思いや暮らしにせよ、アラビアンナイトの荒唐無稽の大らかさやトルストイの生真面目な戦争と平 和論にせよ、わたしの現実を縦横に豊かにしてくれる。
このごろ、夜中手洗いに立ったあとの寝入りばなには自在に歌ことばをつむいでいる、書き留めもせず夢路へ入ったゆくだけ。
2020 8/17 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 暗がりに汝(な)が呼ぶみれば唯一人
ミシンを負ひて嫁ぎ来にけり    遠藤 貞巳

☆ おぅと声が出た。そして破顔一笑。快い笑みに祝福の思い が湧く。「呼ぶ」のがいい、声が聞こえるようだ。いじけた声ではない、貧しくとも心豊かに健康に、若い生活を倶に支え合って行こうという、気迫に溢れた 「汝」の声だ。女の、「ミシン」ひとつの愛と活気と決意とを受けて、迎える青年にも思わず一歩を力強く踏み出す気概が湧いたであろう。
「暗がり」を、人目を恥じてとは読むまい。決意して即刻に今夜から、と私は読む。そこに、「夫婦」の出発点がある。宵から朝へ。原始の暦はそのように数えられていた。 「国民文学」昭和二六年四月号から採った。

★ いまよりは妻といふべし手を執れば
眉引(まよびき)ふせてすがるかなしさ    長谷川 通彦

☆ 「眉」を「引き伏せて」ではない。「まよ(ゆ)びき」で 一つの意味があり、眉墨で引いたその眉とここでは取った方がいい。たんに眉を美しく表現したと取ってもいい。それで「ふせて」が音としても意味としても姿 としてもさらに美しく情深く感じ取れる。初夜の床の情景、「すがるかなしさ」が利いて来る。むろん「愛しさ」の意味である。
「日本」の夫婦だなぁという気もする。それも、やや古い昔の「日本」だろうか。そうでもないのだろうか。床ならぬベッドでは、こういう感じにはなるまいなぁ…などと思い入れが濃やかになる。 「アララギ」昭和十五年七月号から採った。
2020 8/18 225

* 源氏物語は、纏まりのいい中編「竹河」を読み終え、いよいよ「宇治十帖」に入る。
「竹河」の芯の人は何人もの母になってなお好もしい佳い性格の玉鬘尚侍、故髯黒大殿の未亡人、冷泉上皇はいまなお玉鬘に執心しつつ、その長女を容れて愛 している。次女は母の辞意をうけつぎ尚侍になっている。尚侍は、全女官を率いる地位でありながら帝の寵愛をも受ける。受けられる。髯黒大臣という権威を 失った玉鬘一家の懸命な生き方が玉鬘のさっくりと賢い人柄とともに描かれて、わたしの好きな一帖一巻であった。

* ロレンスの長編『息子と恋人』は亡き吉田健一さんの訳。吉田さんには、太宰賞受賞のパーティの晩から亡くなるまで、よくして頂いた。なによりも展望に 上村松園を書いた『閨秀』一作を、朝日新聞の文藝時評全頁を用いて絶賛して頂いた嬉しさは忘れられない。受賞式後のパーティで、選者のお一人であった河上 徹太郎先生と吉田さんとか歓談されている側へ行き、お礼申し上げた。
河上先生が「で、これから、どうするんだね」と尋ねられた、わたしは出版社務めの会社員だったが、畏まって、「私なりに私の世界を」といったような事を 申し上げるや、言下に「そんなの、あるのかい」と謂われ、わたしは棒立ちになり、まさにハタと悟った。吉田健一さんはビールの盃をかかげて会場にひびくほ ど愉快そうに高笑いされた。優しい笑いであった。
「そんなおまえの世界がもう在るのなら、賞なんぞやらないよ」と謂われたのだ。即、直観した。
そしていつしか吉田先生は『閨秀』を絶賛して下さり、河上先生も『雲居寺跡 初恋』を書いた時に編集者を介して、「あれでいいんだ」と伝えて下さった。 小林秀雄先生は大著『本居宣長』に秦 恒平様と自署して勤め先へ届けて下さり、選者だった中村光夫先生はある会合での席で、「あんたのような人がいなくちゃいけないんだ」と呟かれ、やはり選者 の唐木順三先生は「秦 恒平の独自性」という一文を筑摩の文学大系のために寄せて下さった。やはり選者の臼井吉見先生も、あるところでの篠田一士さんとの対談中に「秦 恒平のような存在が大事なんだ」と話しあわれていたと、編集者が伝えてくれた。
わたしは、五十年、こういう方々の、いやもっと数多くの諸先達の言葉や声にいつもどこかで励まされ包まれていた。なににもまさる力でであり励ましであった。
2020 8/18 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 夕汽笛一すじ寒しいざ妹(いも)へ   中村 草田男

☆ 広漠とした宇宙大の想念から、糸をひくように「夕汽笛」 に誘われて「一すじ」に、つまりは一途に「いざ妹へ」と、思わず肌を寄せて行く、愛。「寒し」を、ただに気温の低さと取り、だから温かな妻の側へとのみ 取っては浅くなる。それでは「寒し」が負価だけを負う。どう読んでもこの「寒し」には一句を生かしている霊的な「詩」の効果が感じ取れるはず。それは、お そらくは想念にも愛にも湛えられている凛々と清冽なものを言い当てているのだ。負の語が醇乎として詩化され、「夕汽笛」が、大空から「妹」の懐袍へ名人が 射た矢のように射抜いて行くのだ、
詩の魔術だ。  昭和十四年『火の島』所収。

★ 細雪妻に言葉を待たれをり   石田 波郷

☆ むろん「ささめゆき」と読む。どんな雪かは、人それぞれの想像で読み込めばいい。優しい濃やかな夫婦の沈黙を、その魅力を、かく雄弁に言いおおせた句は賛嘆に値する。夫婦の心寄る波がしらが今しも崩れ合おうとする瞬時の、愛。
同じ作者の次の句とともに、昭和二三年『雨覆』所収。ほし

★ 牡丹雪その夜の妻のにほふかな   石田 波郷

☆くこういう魔力に溢れた秀句をつづけざま読んでいると、ほとほと俳句に惹かれる。十七音の俳句の方が、三十一昔の短歌以上になお春秋に富んでいる気が してしまう。近代短歌の第一・二世代の歌人の作品にさえ、裾の方が、つまりは下七七が寒い弱い、無くもがなのような歌が、拾い出せばずいぶん有る。「現代 短歌」よ、第三藝術とまでわらわれるなかれと言いたい。 さてもこの句の、夫婦ふしどのまどかに優しいことよ。安らかに「夫婦の愛」を極めた溢美の一句と 言える。
2020 8/19 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 枕辺の春の灯(ともし)は妻が消しぬ   日野 草城

☆ 「灯(ともし)」と読みたい。これまた口舌(くぜつ)を 無に帰するすばらしい一句。どの一語一語も抒情万倍、描写万倍の効果を挙げている。私がいつも強調する、語の「詩化」とはこのことで、「枕辺」も「春」も 「灯」も「妻が」も「消す」も、みな何でもないいわばその辺りの尋常そのものの言葉に過ぎない、のに、この句のなかでは、挙げて夫婦祝祭の甘美へ向けて、 さながらに花咲いて見える。ことに「灯は妻が」の、「は」と「が」との助詞の効果はまことに的確、「消しぬ」の言い決めを万全に支持しえている。「妻が」 の含みの面白さ、脱帽。 昭和十年『昨日の花』所収。
2020 8/20 225

 

* ロレンスの長編『息子と恋人』は初讀、グイグイ惹き込まれる。文庫本で三册だがあっというに読んでしまいそう。吉田健一さんの訳のよろしさにも手を牽かれる。

* 何度も何度も何度も読んできたのに、宇治十帖に惹き込まれる。じつに心にくい名篇で、ことに宇治中君にわたしは紫上にと同じほどの慕わしい愛を今回も また感じるだろう。宇治十帖での匂宮も薫もわたしはどうにも共感がならない。浮舟も好きになれない。それでも惹き込まれて行く、高校生の昔から変わりな い。
2020 8/20 225

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ はばからず仰伏す妻に面(かほ)を寄す
恋愛は何か何か稚し       千代 国一

☆ 選り抜きの俳句を三、四読んで来て、短歌に転じると、い わゆる短歌的抒情といわれるものの長短が際立って目に見えてくる。よくも悪しくも下句七七にそれが出る。この歌も、恐れげなく言い切れば、「はばからず仰 伏す妻に面を寄す」だけで佳い一句に成っている。むろん季題のこともあり直ちに俳句とは言わなくても、片歌としてこれで一首と押さえて差支えなげに見受け る。
「恋愛は何か何か稚し」と読むのはどこか気恥ずかしい。だが、この下句があっての一首と無くての片歌とでは、微妙なところで歌われている内容が別に読め る。そういう岐れが生ずる。そこに作者の意図が現れ出て、やはりここがものを言う。気恥ずかしいと感じさせたまさにそこの所へ作者は一首の「世界」を形 作っていて、下句は必然なのだ。同時に、俳句ならばこの必然を拒絶ないし止揚してしまうのかも知れぬとは思う。あるいは、「恋愛は何か何か稚し抱きしめ る」というぐあいに、最初からナマにぶつけて行く道を取るのかもしれない。そうすることで作の「私性」をむしろぬぐい取る。
さてこの歌の歌い起こしの魅力源は、「はばからず」の率直さだろう。率直でいて、しかも含みがある。「はばからず仰伏す」と読んで妻の姿態を想い、「は ばからず面を寄す」と読んで夫の動作を想わせる。但し作者の技巧がそこにあったとはわたしは見ていない。作者から作品が離れて立った時に生じた含蓄だろ う。 昭和二七年『鳥の棲む影』所収。
2020 8/21 225

* 新しく読みかけたロレンスの『息子と恋人』 きれいな三册文庫本、初讀らしい、じつに佳い、惹き込まれている。スタンダールの『パルムの僧院』には、やや失望。
べつに、夢中で読み進んでいる和書が三冊、一は源氏物語「宇治十帖」 一は明治の新聞人縦横の随筆 一は現代歴史学の飛び抜けて魅惑の「日本論」。
読書ができれば、私に「退屈」という言葉は、無縁。ありがたい。事典でも辞典でさえも面白く惹き込まれるのだから、ありがたい。藤村、漱石。潤一郎の全集をもう一度全巻読み返したいと折りを待ちかねているが、壽命がなあと、つい想うのは宜しくない。
2020 8/21 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 新樹(しんじゅ)揺る荒れも好もし妻籠めに   篠塚 しげる

☆ 「荒れも好もし」がやや息短く説明的なのは気になる。 が、初句と結句とのイメージや文字面の照応は美しく、家の内外の対照からかえつて「荒れ」に含みが出てくる。まして「新樹」に清潔なつよい男の性が表現さ れていると読めば、なおさらに「好もし」までも閨房の愛を想わせ、みじかい息づかいが生きて来る。 昭和三三年『曼陀羅』所収。

★ あさ皃(かほ)や少しの間にて美しき   椎本 才麿

☆ 朝顔の花が、ほんの少しの間に美しく咲きそめたという句 であるのかも知れぬ。美しいのはすこしの間だけと嘆いているのかも知れない。それならここに採るのは見当外れになる。だが私は「花のような妻」が歌われて いると読んだ。「すこしの間にて」も、そこにまだ暁けがた夫婦相愛の無垢の寸時があって、そして夫は、妻を「美しき」と愛でているのだと読んだ。作者は江 戸時代中期の人。 『続の原』所収。
2020 8/22 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 幾度(いくたび)か口ごもりゐしが一息に
受胎を告げで窓に立ち行く    吉田 よしほ

☆ 文字どおり感激のあまりの反射的な振舞いに女らしさも見て取れる、といった歌なのだろう。緊張した男女の葛藤も読めなくない歌い口だが…、悪しき深読みに過ぎよう。
うぶに心熱い喜びが爆発した、そして母となる日へのもうひそかな決意も秘めた「窓に立ち行く」だろう。夫婦の道が一段の前進を遂げたには相違なく、誰しもが共有しやすい歌である。 「国民文学」昭和二六年十月号から採った
2020 8/23 225

 

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ ふくよかなパンの包みを押しあてて
妻はその胸もちて戻れる    石本 隆一

☆ 私はこの歌を見た瞬間に聖なる母の映像を持った、目の底に。小市民生活を場にした素朴で健康な「夫婦」の姿とその感想とは矛盾しないものだったし、エロスをアガペに置き換えて行く手順が言葉の魔術で果たされている気さえした。
「ふくよかなパン」とおそらくは若い妻の「胸」とに映像の重ねを読むのは容易い。が、それを聖い印象に満たした表現が、「押しあてて」という実に何でもない物言いに尽くされていたと気づくことは、大きな鑑賞上のポイントだろうと思う。
さりげない言葉の駆使により新鮮な表現効果を挙げたこういう歌を、私は好む。自然に「愛」が流露している。 昭和四五年『星気流』所収。

★ 洗濯物とりこみてゐる妻の胸
みるみる白きものに溢れつ   橋本 喜典

☆ この歌も「妻の胸」に愛を覚えている。「洗濯物」の 「白」で聖化を遂げている。そしてこの歌でも、「みるみる」という一見安易な表現に一首の効果を、挙げて預けている。私にはそう読める。初句、三句と体言 による渋滞がいささか気になるが、存外それある故に下句の速度感が、清々しいものになったとも言える。 昭和五二年『黎樹』所収。
2020 8/24 225

* 十時半になる。もう、やすむ。読書の中に、またまた「ヘドのモルゴン 星を帯びし者」を加えた。
2020 8/24 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 内職の終り待ちゐし夜の床に
寒い寒いと妻が入りくる      吉川 禎祐

☆ 「寒い寒い」は事実寒いのだし、夫の待つ床の中は温かい のだし、なにを夫が「待つ」のかちゃんと妻は承知なのだし、同じ思いで余儀ない内職」を頑張って終えて来たのだし、だが、そうは顔にも素振りにも出したく ないから……「寒い寒い」と夫の胸のなかへ飛び込んで行く。ちょっと照れくさい夫も おかげで受け入れ易い。
まっとうな、じっくりよく馴染んだ夫婦の共演が、そつなく描かれた。 「多磨」昭和二四年三月号から採った。

★ 湯上りの匂ひさせつつ売り残りの
饅頭を持ちて妻が寝に来る   荒武 直文

☆ これも同想の一首。微笑ましい。しかも十分に短歌たりえている。どのような思想歌や観念歌よりも的確に、市民が身を賭して守らねばならぬ愛と自由とはここに歌い切られている。それが、説明抜きに伝わってくる。 「アララギ」昭和二八年八月号から採った。

★ しまひ湯をながくたのしみゐし妻が
湯槽(ゆぶね)に蓋を置く音がする   前田 米造

☆ これも同想。夫はもう床にいて「しまひ湯をながくたのしみゐ」る妻のことを想っている。早く来いと待っている。だが妻の「たのしみ」をもまた夫はたのしんでいる。あぁ…もう湯からあがったな…。
佳い所を正確に写し取っていて、下句(しもく)が十分にものを言っている。暮しのなかでの、夫と妻との隙間ないコンビネーションが表現された。  『昭和萬葉集』巻十五から採った。

★ 胸深く吾が掌を抱きゆく
妻の表情の夜は美し   藤村 利男

☆ ほとんど夫婦の秘事にふれる心地がする。いささかの軽薄も醜悪もない。こうしか表現できなかったと受け取らせる力を持っている。 「アララギ」昭和二六年八月号から採った。
2020 8/25 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 手花火に妹がかひなの照さるる   山口 誓子

☆ 「妹(いも)」は若い花妻と取った。手花火は線香花火と想像して佳いだろう。すっと浴衣から伸びた白い妻の腕。
いまはかなり遠退いてしまったかともなつかしまれる、佳い夏の情景。 昭和七年『凍港』所収。

★ 蛍火や夫婦に乱れ龍一つ   市川 恵子

☆ 「蛍火」は、夏の宵の、細い灯ぐらいに見ておいても佳い。なかなか蛍も見られなくなっているだけに、実の蛍についた想像をするより、風情に、思い入れてみたい。
夫婦なればこそ「一つ」に「乱れ」てよろしく、「一つ」で済ませてすむ二人の「乱れ龍」とは、情緒満点、憎い句だ。 「鷹」昭和五九年九月号から採った。

★ 燃立て皃(かほ)はづかしき蚊やり哉   与謝 蕪村

☆ 「燃立」ったのは「蚊やり」だけでは、なかった。だからそんな「蚊やり」の細い火に顔を照らされても「はづかし」い。夫婦とは限らないが、夫婦と取った方が句の色気、濃やかに健やかであろう。

★ 腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな    与謝蕪村

☆ 「上さに人の打ち被(かず)く 練貫酒(ねりぬきざけ)の仕業かや あちよろり こちよろよろよろ 腰の立たぬは あの人の故よなう」と 『閑吟集』にもある。
蕪村の官能が美の極敦を描く。「うつくし」はむろん美しく愛(うつく)しいの意である。
2020 8/26 225

* 鏡花論の著者でもあった脇明子さんにもらったヘドのモルゴンとアンのレーデルルの物語『星を帯びし者』をまたしても、というのはもう二十度も読んだか しれない作を、またまた読みだし、吸い込まれるように幻想世界へ入りこんでいる。文庫本の三册、一度手にするとなかなか置けなくて困るほど。
これと天と地をさかさまにしたようなロレンスの『息子と恋人』これがまた佳い、とても佳い、これも読みだすと手放せなくなる。前者と後者とは、描かれよ うは微塵も重ならない別天地だが、読書の嬉しさは色も味もちがえ身にしみて優れている。そしてやはり源氏物語の『宇治十帖』の美しさ懐かしさ。
今一冊、ものすごい勢いで惹き込まれてきた論著が、歴史学網野善彦の最良の遺著となった『「日本」という國』で、頁を開いてこのかた、鷲づかみに遭うほ どに多くを新鮮に教えられまた共感している。「日本」という國に関し、いかに多年の思い込みに惑ってきたかと、のけぞるほど。
2020 8/26 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ うつくしい女房を呵(しか)るのが自慢にて   『武玉川』

☆ 慶紀逸の編著になる、『武玉川』の第十篇から採った。ああそうですか、そうですか…。

★ 俯けば言訳よりも美しき   『武玉川』

☆ よく分かる。むろん男ではない、女…それも娘というより、結婚して間もない新妻の風情と眺めて、ひとしお佳い。誰の作だか、ともあれ川柳の批評性こまやかに、情に富んだ一句。

★ 稲は刈取る穂に穂が咲いて、どこに寝さしよぞ親二人   『山家鳥虫歌』

☆ 近世の民謡。親孝行の歌ではない。若い二人のはばかりない愛の営みに、ちと親二人が目障りなのである。
おおらかな自然の愛が 人の暮しにも実りあれと誘っている。

* 読まれているといいがなあ、いいでしょ、ね、と呟いてます。
2020 8/27 225

* 昼に、イングリット・バーグマンのとびきり綺麗な「追想 アナスタシア」のもうラスト、あたまツルッツルのグレン・グールドと、ちまたへ消え失せるまでを観た。バーグマンは、中学生の昔から大好き。
晩には例の「剣客商売」を。わるくなかった。
映像は楽しめる。がたがたと騒がしいのも、余りに陳腐な出来合わせもイヤだが。当節出来合わせ今今の日本製テレビ現在ドラマは、九割がたが陳腐。「剣客商売」や「鬼平犯科帖」の方がまだしも上等。デーモン未知子の手術がまた観たい。
機械の前では、気を静め機を待ちたいときは書架から白川静博士の浩瀚な『字統』を引き抜いて読む。すばらしく教えられる。
2020 8/27 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 家計簿もつけますだから今すこし
影も曳ます青春すこし    田中 あつ子

☆ 結社誌のなかで表彰されていた若い歌人の、面白い作品。 「家計簿もつけます」という前に、若い夫婦の間にいささかの応酬があったものか。その挙句の協定事項らしいが、だが…という感じに「だから」とスッと出て いる。その切返す気味の盛んな口調に、たしかに「すこし」「青春」が「影」をまだ「曳」いている。若い妻はその「影」を愛している。捨ててしまいたくない と思っている。なるほど「家計簿」は「青春」との対向地点にあるらしい。
反抗の声なのではない。若い妻が若さを愛惜してなにがわるい。たとえそれがなお世間的には未熟の証であろうと、妻として一歩未だしと言われようと、すす んで振り捨てていい「青春」は持たなかったわという意気が、この一首から私には感じとれて、思わず微笑に包まれた。けっこうだと思う。歌も、精いっぱい新 鮮で佳いい。 「かりん」昭和五九年十月号から採った。
2020 8/28 225

* 右に、軽い偏頭痛がある。想った以上に『選集』を無事に終えるのが、肩に重い。送り挨拶文を下書きした。 九時半になった。 床へ降りて、「イルスの 竪琴」のあまりにあまりに懐かしい幻妙世界へ沈み入りたい。ロレンス「息子と恋人」にもぐいぐい惹かれている。源氏物語は宇治の「橋姫」の巻を読み終え た。ゆっくりゆっくり、染まるように読んでいる。
2020 8/28 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 幾たりの人に背きて得し妻か
雪ふれば雪の日のことおもふ    久保田 登

☆ 人は生涯にどれほどの選択を重ねながら生きるものか。とりわけて結婚は大きな選択であり、それ故に、母の胎内を通過して来た以上に重い自覚で選び取らねば済まない。
世に、やすやすと結婚して来れた人は数すくない。さながらの闘争としてようやく夫を得、妻を得て来た人の方が多いだろう。夫婦はそのような意味では陣営を一にして相戦い助けあう戦士・戦友であり、厳しい思い出を多く頒ち持って生きている。
この一首の感慨はさぞ多くの人の、夫婦の、胸に共鳴を誘うだろう。  昭和五〇年の合同歌集『序章』所収。

* 永く眠れたが手洗いに起きたアト、またすーうッとは寝入れず、126代を一気に諳誦するとか百人一首の50首をとか30人をとか、それが睡眠を誘うより妨げるのではないかとイヤになる。
冷房をはじめた機械の前で、わたしとしとは珍しく汗ばんでいる。大病後、汗をかかなくなっていた。いつも脱水気味なのかと要心している。今も引き込まれるような睡魔のおとずれを感触している。
2020 8/29 225

* 私自身はなんとも健康といいにくい日々をこのところ重ねている。端的にはとにかく睡い。横になっていたい。横になると『イルスの竪琴』に手を だし、ついで『息子と恋人』へも。対照ともいえず懸け離れた世界であり表現であるが、ぐいぐい引き込まれる。満足して、そして寝入る。
2020 8/29 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 妊るを昨夜は母に告げたれば
縄なふ汝(なれ)のしきりに唄ふ     中島 権之助

☆ 若い妻が初の子を妊娠しましたと、その妻み ずからが、と私は読みたいのだが、夫の母に告げた。それが「昨夜」のことだった。一夜あけて、あんなにもこれまでは家のなかで遠慮や気おじの過ぎた妻が、 はればれと歌う唇をもち、元気に「縄」を綯っている。夫の家で夫の子をみごもり、やがては母になる。その自信が歌わせている。夫はそう聞き、姑(はは)た ちもそう聞いているのだろう。
デッサンの利いた、とにかくも面白い一首に成しえている。ぐっと押し込んだ「告げたれば」も「しきりに」も、微妙なところへよく届いた表現になっている。  「アララギ」昭和三一年二月号から採った。

★ 吾妻(あづま)かの三日月ほどの吾子(あこ)胎(やど)すか   中村 草田男

☆ 「かの三日月」には愛を籠めた思い出が、熱い記憶の一夜 が生きている。そうも読んでなお、胎児のみごもりの姿態へも「三日月」の繊(しろ)さ細さを重ね想うが佳いだろう。「吾子」を待つ愛が目前の「吾妻」への いとしみを何倍にも促している。「吾」という所有形が、この句でほどみごとに生かされた例はすくない。  昭和十四年『火の島』所収。
2020 8/30 225

* 私を生き返らせるのは、「星を帯びし者 スターベアラー」 ヘドを出たモルゴン、もうはやヴェスタと身を化し、遙かに遙かなダナン・アイシグの山国へ まで来た。この物語は十度できかぬ回数を読み返し読み返しし、英文でも読み通している。ゆくたてはこまかな表現(脇明子さんの訳)まで覚えていて、それが 十数讀めに邪魔にならない、懐かしい道を歩くように歩み入って行く。相当な長編の三巻三册構成の長編、総題は『イルスの竪琴』 マキリップという私より少 し年若な女性の、少なくも私には胸にしみる名作である。今夜の内か明日にも第一巻を読んでしまいそうで、ゆっくり楽しめよとも独りの私が制している。
2020 8/30 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 森閑と冥き葉月をみごもりし
妻には聞こえいるという蝉よ   永田 和宏

☆ 八月をあえて「葉月(はづき)」と置いたのが厚みを生み、四句までさながら、全体によく統一のとれた自律した「歌」の世界に成った。「蝉」は、生きとし生けるもの の象徴であり、真夏の象徴であり、母なる妻の胎内にひそんで今しも生き続けるものの象徴であろう。
現代の「気鋭」と呼ぶにふさわしいこの作者の知性が、し みじみ佳い感性化をも遂げている一首ではなかろうか。 昭和五〇年『メビウスの地平』所収。

★ 妊れる妻さはやかに髪切りて
項(うなじ)のあをし愛しかりけり   横山 岩男

☆ 季節的にも長い髪がうっとおしかったのか。それとも妊娠期に独特な気の詰りを果断に突破したものか。あんなに長い美しい髪をいとおしんでいた妻の思い切 りに、夫は、あるがままを幾分超えた感動を誘われている。それが「愛しかりけり」といった、やはり思い切った表現に繋がった。 昭和五〇年『弓弦 葉』所収。
2020 8/31 225

* 今日も無為というちかいほど休んでいた。気の励むような世間でなく、世界でもない。第一巻の「星を帯びし者」を読み終えて、第二巻「海と炎の娘 レー デルル」へ入る。脇明子さん訳の日本語と表現とがじつにいいのである。三巻を戴いた脇さんに重ね重ね礼を言いたいと多年思いつつ、連絡先が判らずにいる。
2020 8/31 225

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平假
☆ 夫婦の愛

★ 三月の産屋(うぶや)障子を継貼りす   石田 波郷

☆ 夫が妻のために「継貼りす」る句と取りたい。春は近く、風はなお寒い。簡明に言いおおせて気の澄んだ秀句である。  昭和二三年『雨覆』所収。

★ 妻の肌乳張つてゐる冴返る   瀧井 孝作

☆ 昭和十一年三月の句。まだ寒気に冴え返った春という季節の恵みが、みごもっている妻の肌の照りに満ち溢れ、力ある愛を感じさせる。 昭和五○年刊の『山桜』所収。

★ 人間のひとついのちを生み出だし
妻が面(おもて)にあはれ紅斑   来嶋 靖生

☆ いまひとつしっくり言い尽くさぬうらみは、ある。「あは れ」などの効果に実感と表現との微妙なずれがあったかも知れず、時が経つにつれ、そうなのかも知れぬ。だが、こう「うた」いだすしかない感動を作者は瞬時 に一首に捉えた。その意気の探さ確かさが「うた」を成立たせる。
この「紅斑」、人みなが感動をもって共有出来る一期の一会なのである。 昭和五一年『月』所収。
2020 9/1 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ ジャンケンに勝負の意味を子に教へ
仮借(かしゃく)なき世を妻は生きをり    島田 修二

☆ この「子」がかりに病弱な子だとしよう。そう読めばその 子に、たとえ「ジャンケン」ほどの事にも「勝負の意味」を教えねばならぬ母は、母自身の「勝負の意味」にも挑んでいる、のだ。愛する「子」に「世」は「仮 借なき世」であるだろう、それならば、まちがいなく母にとっても「仮借」があろうわけがない。そして同じ思いをひしと頒ち持つ目で「子」の父はそんな 「妻」を見ている。肯定している。肯定し続けねばならないのだ。 昭和三八年『花火の星』所収。

★ 妻の手は軽く握りて門を出づ
常の日一日(ひとひ)加はらむとす    畔上 知時

☆ 「軽く握り」と「常の日一日」という表現で、中年を過ぎた年配のサラリーマン朝戸出のさまが目に浮かぶ。地の塩のような働き手。よく己れが見えよく暮しが見えていて高ぶらない。
しかもこの初々しい夫婦の身ぶりには、いたずらには老いさらばえない愛が匂っている。秀歌とさだめて躊躇わない。「常の日一日加はらむとす」は教えられる一句であった。
なかなか「常」とは守り切れない日々のあえぎに、多くはあくせくしている日ごろだ。 昭和五八年『われ山にむかひて』所収。
2020 9/2 226

* 此の機械の蓋を向こうへ開いてキイで字を呼び出しているが、蓋をすると、機械を仕舞うと、後ろの小棚に主には、各種の辞書を並べてあるが、手前の畾地(らいち)に掌に載るほどの小型な古本の辞書が二冊重ねてある。
ともに、秦の祖父の遺産であり、一冊は和装糸綴じ、木版字の頁は袋とじで424頁の表紙題箋は『新編熟語字典』 明治三十九年十一月十日、大阪の又間精 華堂で発行され、編纂著作者は内海以直、価格表示が見当たらない。これはもう、ありとらゆる難しーい二字、四字の熟語が「イロハ」順に大量に溢れていて、 その字義はカタカナの超細字でそれぞれの下に簡明に示してある。一例「陰鷙 インシ  ・ココロ子(ね)ガワルクタケシイ」とある。「依違顧避 イヰコヒ   ・イヅレニモツカズシテニゲル」とある。右往左往の自民総裁・総理争いの解説のような二語ではありませんか。持つも重い大判の『故事熟語大事典』も遺 してくれて書庫に仕舞ってあるが、この重さ150グラムと無い軽い小型熟語字典の有難いこと、只読みだけでも時を忘れて面白い。
もう一冊はやはり掌に載る小型だが和本ではない、しかし木版活字の『日本辭林』第拾五版 大宮宗司編纂 東京博文館蔵版 明治三十五年三月廿五日発行 とある。
此の本は単純な辞典でない。辞典部分はむ550頁、加えて「冠字(いわゆる枕言葉)一覧」83頁付随しているが、それら全部の前に、180頁も、「文典 大意 附・假名づかひ」なる文章・文法・語法教義が先行している。「辞林」部分はもっぱら古典的な和語辞典で、「おほぢ  ・祖父 父の父にて、曾祖父の 子なり」「かごと  ・託言 事に寄せて言立てにすることなり」などと簡明に教えてくれる。「冠字(まくらことば)」も、「あかぎぬの  赤帛 ひとうち 衣、にかけていへり」などと端的である。此の本は、上製本の表紙が前後とも傷んできているが、補修が効くので、いつまでも愛用できる。

* 秦の祖父鶴吉は 口数の少ないコワイ感じをわたしは持っていたが、この祖父に叱られた、折檻された記憶は全く無い。私の本好きをむしろ悦んで容認・黙 認して呉れていたらしいと今にして思われる。八十すぎて今、心より感謝し、町なかのお餅屋さんだったという祖父への敬意を深めている。東京へ出る時、秦家 ごと移るとき、私は祖父の遺した本の殆どを棄てなかった。
それにしても、しっかりした和紙和装袋綴じ木版本の手に柔らかな軽さはどうだろう。惚れてしまう。唐詩選五冊、千字文二冊も此の機械の向こうに立っている。すぐ目の上の書架には『初昔 きのふけふ 谷崎潤一郎』と先生自署大判の背表紙箱装本もそうだ。 2020 9/2 226

* 「選集 33」の「あとがき」を構成し確定した。送り先宛名書きも少し。今日はその程度の仕事で済ませた。読みたい本に掴まると誘惑に勝てない。

* 十時になろうとしている。
2020 9/2 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 潮干狩夫人はだしになり拾ふ    日野 草城

☆ 「夫人」は「奥さん」と呼びかけるほどの用いかただろうし、それも人の「奥さん」ではない我が女房殿をわざと「夫人」呼ばわりしているのだと読みたい。事実は知らない、そう読めばこそ洒落て面白い俳句世界が目の前に在る。
「夫人はだしになり給ふ」の句には、たとえば『裸足の伯爵夫人』のような西洋映画の題も読み込めるだろう、かすかにエロスの匂いも楽しめる。妻を見て、 感じて、微妙に濃やかな感覚を表現してきた此の作者の、軽妙なこれは批評の句でもあるのだろうか。 昭和二年『花氷』所収。
2020 9/3 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 夏影の房(つまや)の下に衣(きぬ)裁つ吾妹(わぎも)
裏まけてわがため裁たばやや大(おほ)に裁て   柿本人麻呂歌集

☆ 涼しげな小部屋で裁縫しているのは、妻か。このごろすこし太ったよ、服はこれまでより少し大きめに作っておくれ…。
ここで「うらまけて」の読みが気になる。こっそりと私のためにも作っておくれならば…と読みたい語感があり、それだと「吾妹」は公に裁縫の職に任じてい る女性なのかも知れぬ。いかにも古代的な、民謡風の味わいにも富んだ旋頭歌だ。だが「うらまけて」はまた心籠めてとも読めそうだ。その方が素直だろうか。
人麻呂その人の歌とは思えない。採集された、むしろ歌謡的なもののように思われ、心かけた女への親しい呼びかけの歌、と取って置きたい。 『萬葉集』にある。
2020 9/4 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 長き脚のべてまどろむ髪ちかく
つぶやき言えり雪止みしこと    中野 照子

☆ こういう歌は、微妙に評価にまどう。「長き脚」かと見て 行くと「髪ちかく」と急に視線が逆へ向く。「脚」の方から「まどろむ」表情へ、そして「髪」へと視線は自然に移動しているのだとも取れるが、「雪」の季 節、まさか身一つで「長」々と寝そべってもいまいに先に「脚」へ目が届くのだろうか…などと、いろんな事を考えこませる。そこで、「長き脚のべてまどろ む」のが作者自身であり、「雪止みしこと」を「髪ちかくつぶやき言」いかけているのは、夫なのだろうと読み直すことが可能になる。しかしそれも女の寝姿に 「長き脚のべて」は当たるまい。女が男の「髪ちかく」へ口を寄せているのであろう、早い話が女も男の身に添うて一つふしどに今まで「まどろ」んでいたのだ ろう。
ふと気がついて、「雪…やんだらしいわ、あなた…」とまだ半ば夢心地にささやきかけている。遡って思えば、「雪」ふりしきるなかこの男女は「愛」に燃え たって、そのあとの「まどろ」みに、いつしか時を経ていたのだろう。「雪」に愛欲熾盛(しじょう)をすべて清められ見守られ、二人は一つ夢をまどかに頒ち 持って来た、だから私は夫婦の「愛」の歌と取った。
事実は知らぬ。こう読んで私には面白く納得が行ったということ。 昭和五〇年『しかれども藍』所収。

★ 風の音とも雨の音ともうたたねの
夢深々と夫(つま)に入りゆく   山本 佳芽子

☆ 「うたたね」ではあるが、この「うたた」には初、二句を うけて、なにかしら作者の心境に深く揺れ動くものをも感じ取りたい気がする。事柄は知れないが、なにかしら頻りに募る情緒の誘いがあるのだ。はたして 「夢」に「夫」との逢いが成就し、一首はなまめかしいほどにエロスの色を匂わせる。「夢深々と夫に入りゆく」はおそらくは願望にも彩られた倒叙でもあろ う。「夫」の方からも「深々と」妻に「入り」来る「夢」でなければならぬ。
「風」「雨」ともに深部の性感に触れてくるシンボルと読める。 昭和四四年合同歌集『澪標』から採った
2020 9/5 226

* 夜前ははやく床に就き、一時半までに、本を、『イルスの竪琴』第二部「海と炎の娘」(レーデデル)を一気に読み遂げた。やめられかった。この作では、 いつも、こうだ。海外の作であえて生涯の出逢いとまでいえるのは、アーシュラ・ル・グゥインの『ゲド戦記』と此のマキリップの世界。一つ加えれば、やはり 大デュマの『モンテクリスト伯』になる。
深甚の敬意で繰り返し最期まで手を出すのは、ミルトンの『失楽園』、トルストイの『アンナ・カレーニナ』 になろうか。モーバッサンの『短篇集』、ツルゲーネフの『猟人日記』にも。
なににしても、結局は優れた文学の創りだした世界の深さと美しさとに心底共感し合体する。人生をシンに構築する意味では、音楽も美術も、いつかは精神の芯からは抜け薄れて行く。
2020 9/5 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 春昼や男の眼もて妻を見る   藤田 湘子

☆ やや観念的な句で、類句もありげに想像されはするが、一つの風情として、健康な夫婦生活になら、むしろ有って自然な句に相違ないからと、採った。 昭和五七年『朴下集』所収。

★ 探しても妻の居らざる昼寝ざめ   日野 草城

☆ 『人生の午后』に収められている。取りようではふと寂しく挽歌めきもするが、そうは読まない。ふっと空をつかむような寂しさにも、しかし「妻」の存在を疑わない思いのようなものが、逆に句に深い安堵を保証しえていると私は読む。
そばに居るはずのものが居ない、しかしそれさえも「人生の午后」のごく当たり前と「昼寝」からさめて苦笑いしている間にも、なに変わりなく近くで「妻」の声がし、「あら…おめざめ」などと顔も見せる。そういう夫婦の静かな愛が見える。

★ 夕涼しちらりと妻のまるはだか   日野 草城

☆ 行水をつかうのであろうか。だが、すべて夫の幻想であっても面白い句だ。
「夕涼し」の嬉しさを、ニンフのように幻想の「妻のまるはだか」がかすめて通る。それも佳い。
そういう夫婦も佳い。『銀』所収。

★ 秋団扇とてもねむいわまた明日   岡田 史乃

☆ 昭和五八年の句集『浮いてこい』から採ったが、これは川柳ふうに読んでこそ面白い。「秋」に「飽き」の気味を重ねながら、団扇であおるように閨の夫を追いたてている妻。倦怠期か。
ま、これで済む程度の仲のよさと読みたい。「また明日」どころではなかったかも知れないのだ。
2020 9/6 226

* 『イルスの竪琴』は第三巻に入って、此の巻では、末世も終わりそうに「激しい闘い」で世界が荒れる。もう、途中でやめることなど出来ない。
そんなところへ嵌り込みながら、すうっとまた惜しみてあまりある亡き歴史学者・網野善彦の手厚い案内で、『「日本」の國』とは何か、モノを掴み取るように、読んで行く。
2020 9/6 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 茄子もみて染みし布巾をさらしをり
妻ならざれば離(さか)り住みゐて    青木 ゆかり

☆ 「妻ならざれば」は重い表現であり、「夫婦の愛」の歌に、かかる負の表現も加えて見なくては片手落ちだろう。
上句と下句とに隙間を読む向きもあるや知れないが、私は上句がただの描写だと思っていない。明らかに「妻ならざれば」の心境が譬喩的に託されている。一 言にしてそれは十分心行かぬ、満たされぬ、それゆえに激しい「性」への固着した意識のように読める。 そういう難しいところ言いえて、この歌は感動を内に 守り切った。 昭和五三年『冬木』所収。

★ 離婚せしわれはいささか不幸なる女として子の心に住めり   篠塚 純子

☆ 「子」の推量に負けているのではない。余裕をもって逆に 「子の心」を覗き見ながら、「離婚せしわれ」をさえ距離を置いて観察している。「いささか不幸」なのか、たいへん「不幸」なのか、それとも「離婚」ごとき に幸、不幸を左右されない生活力のある「われ」なのかは、想像の限りでない。
こういう風にあっさり乾いて、しかも韻律を守ったた歌が、従来の歌壇に見られなかった事だけは言えよう。 昭和五八年『線描の魚』所収。

* よく、美しく、確かな表現で「詩」であり「うた」でありたい短歌が。思いつきだけの「がらくた語」で書き綴られている最近の歌誌大方の作のデタラメには惘れてモノもいえない、それも一誌の主宰顔の作にまで醜いまで露わときては。
2020 9/7 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 向うから女房もつかふ硯箱   『武玉川』第八篇

☆ 気のおけない同士の夫婦でなら、昔は、ザラに見られた図なのであろう。
商人でよし、風流人でよし、武家の夫婦でも佳い。

★ トクホンに赤くなりたる妻の肩
医学博士吾がひたすらに揉む   小国 孝徳

☆ 上句などなげやりな位に技巧のない歌いざまだし、「トク ホン」という商品名も本当に一首のなかで適切かどうか気になるが、だがそれは「医学博士」という権威との、対照の効果を見ているのだろう。「赤くなりた る」「ひたすらに」にもそういう軽い味の諧謔趣味がうかがわれる。
「なげき」の歌でなくてこれぞ「のろけ」の歌。「吾が」は、「われが」と音を余して読みたい。むしろ「われが」と、意識して表記して欲しかった。 「アララギ」昭和四八年六月号から採った。
2020 9/8 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 口紅が落ちますと拒み働きに妻行きし日の雨を見てゐる   山田 一穂

☆ 結びの句、やや形にはまってゆるい気がせぬではない。夫 は病気か、失業中か。家で仕事をしている人か。妻は、余儀ない「働き」に出るのか、働く事に心を惹かれ押して家を出て行くのか。「口紅が落ちますと拒み」 はきわどい表現であり、「愛」も読め、しかし「愛」の冷めた状態かとも読める。
だが一首の魅力を汲もうならば、妻は「働き」のない夫に代わって「雨」の日にも余儀なく出て行くのであり、夫はそんな妻に感謝もし愛しているのだろうと取りたい。たとえ自身のふがいなさを嘆く思いと表裏していようとも。 「アララギ」昭和二八年九月号から採った。

★ 葱買ひに行く我が夫よ
拇指(おやゆび)の足袋の破れに墨塗りて行け   平林 たい子

☆ 「小説家の歌」にはそれとしての一つの特徴が抜き出せるものかどうか、試みた人があるかないかも知らないが、そんな詮議と関係なくこのズカリと踏み込んだ歌いくちは、この作家の男まさりな魅力をよく表現している。夫は「おっと」でよく、「つま」とは気取りたくない。
こういう夫婦こういう暮しもあって、そこに境涯が生まれる。覚悟も出来る。ふしぎに大きなゆとりが感じとれて面白い。 『平林たい子全集』第三巻から採った。
2020 9/9 226

* 故網野善彦氏の『「日本」の國』を熱心を極めて読み終えようとしていて、満腔の敬意を惜しまないのだが、もう巻末まできて、一つ、重大な不審を抱き込 んでいる。あらためて、せめて一通の手紙にしてでも歴史学者の誰かに「問うてみよう」と思う。これは大きな論点であり、しかも網野さんの論攷にはっ きり欠け落ちている問題かと思われる。だれに問いかけていいのか、それに迷う。

* 疲れて横になれば 手の届く範囲に大小三十册ほどの本が書庫から出してある。わたし自身の近刊もおいてある、そのなかで、もうむかしむかしの力作でな く、ごく近々の書き下ろし長編につい手が出る。『オイノ・セクスアリス 或る寓話』『花方』で、その老いて出放題の語り口に我ながら惹かれて読み返し読み 耽る。そこには、老いてにじみ出る或る懐かしさが表れていて、それにふと溺れそうになる。ともに途方もないフイクションではあるが、しかも露わに吐きだし ている本音が読める、私自身にしてなおかつ。完成度に老いては昔の作には行き届いた格ができていて、それらに較べると近作はむしろ不行儀な語り口を憚りも していない、しかし、それが見に沁みている。今日も「花方」の、「或る寓話」の終わりをフムフムと楽しんだ。

* 上田秋成というと「雨月」「春雨」に尽きたようにいわれるが、それらよりはやくに書かれている戯作風の短篇集が能く纏まって二册は在り、それは西鶴等 このかたの戯作ブシでかならずしも今日の日本語感覚で読みやすくはないがなかなかに面白い小説集なのである。これもときどきまくら元から引き抜いて楽しん で読んでいる。『秋成八景』と題しながら「序の景」しか書けていない、その続きを書くには雨月、春雨は仕上がっていて手が付けられないが、これはモノにな る見込みがある。そうはいうが江戸時代の戯作は西鶴にしても、源氏物語よりも日本語がややこしい。つい江戸ものは敬遠してきた、何十年も。西鶴も『好色一 代男』『好色一代女』『好色五人女』しか読んでいない。時代を下っても、弥次喜多、八犬伝、人情本の一つ二つしか読んでいない、平安物語はほとんど残り無 く愛読してきたのに。
2020 9/9 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 明日よりは恋ひつつあらむ今夕(こよひ)だに
速く初夜(よひ)より紐解け我妹(わぎも)    読人しらず

☆ 防人(さきもり)に召されて行くのか。再会を期しがたいほどの永の旅立ちを明日に控えた、切ない夫婦の歌。遠い昔に限ったことではない、今は幸いにそんな事も忘れているが、この前の大戦争でも、これと同じ思いに泣きに泣いた無数の夫婦や恋人たちがいた。
「紐解」くのは、床をともに肌を合わす意味、それでこそ夫婦。だが、明日からは恋いこがれながら満たされない。 『萬葉集』巻十二の所収。

★ 防人(さきもり)に行くは誰(た)が夫(せ)と問ふ人を
見るがともしさ物思ひもせず     防人歌 武蔵国の人

☆ これは行く夫の歌ではなく、夫を遠くへ送る妻のやりきれない歌。よりによって当のその妻に、ね…今度防人に行くのはどなたのご主人…などと問いかけて来たものだ、つまりは自分の夫は幸い選に漏れていたのだ、だから物思いなげに気の利かないことを口にした。
うらやましい…腹立たしい…。「ともし」いとは、羨ましい意味。この歌のあわれさは、ひとつ、こう気の利かないことを口走った女の夫とて、いつ召しにあうか知れないのにと思わせる含みにもある。
サラリーマンの転勤と単身赴任を思い合わせてもいい。 『萬葉集』巻二十の所収。

★ 神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に   碁檀越妻

☆ これも『萬葉集』から採った。どういう人のどういう妻だ かは知らない。夫は旅に出ていて、伊勢の方かと歌の言葉から察しはつく。「伊勢の浜荻」は後の時代には決り文句の一つになったほどお定まりの名物だったら しいが、この歌などでは、まだ新鮮な叙景として訴ええたことと思う。
「折り伏せて」に、「荒き」「伊勢の神風」に「浜荻」のなびく感じと、手ずから旅人が仮寝の宿りにそれを折り敷いているさまとが、うまく重ねられている。どこにも情に直かにうったえた言葉づかいは無いのに、読むにつれて深い情愛の受け取れる佳い歌である。
2020 9/10 226

* 機械の前へ腰かけ、暫くはすーッと気の遠くなったままに思われた。幸か不幸か前夜に冷房を消し忘れていたので二階のこの部屋は、部屋の外より涼しく、むしろそれ故にそんな調子に沈み込んだのかも。戸外は眩しいほどの照り。
昨夜床に就いたのは十時より前だった。たくさん読んだ、夜中かなと思ったらやっと零時半にもなってなかった。リーゼを服して寝入ったが、二度 手洗いに起きた。この二三日幸いと難儀な夢魔には見舞われてない。

* 昨夜、故網野善彦氏の「日本」を論攷した名著に、ただ一点の不審を覚えたと「私語」しておいた。昨夜の内に最後近くまで読み進み、私の不審とするとこ ろへ「言葉」という二字に托して氏の見解が書かれており、不審の一半は解消した、が、氏の見解の最後にまで、「日本語」という観点、視点から「日本國」の 超長期にわたる把捉の無い(とみえる)点への意識は残った。
日本が「日本國」という名称と共に自覚的に成立したのは網野さんのいわれるように「七世紀」頃に相違ない。もしそれ以前に仮に「原日本」と認識して当然 の長大な「人間の時間」があり、そういう「人間」たちが聾唖であったワケが無く、地域と時間との差違や重複をかさねつつしかし「言語」を持たなかったワケ がない。その言語のさまざまな変遷が如何にあろうともそれは「日本語」に糾合・集合・複合されていった「原日本人」らのそれぞれに「原日本語」であった、 さもなくて具体的な生活や行動が成り立つわけがない。それは「ことば」の域を超えた「言語」の問題として、七世紀より以前、もし永く観れば数万年にも溯っ て「原日本」は否定しにくい。
網野本の索引に「言葉」はあるが「言語」のないことから、私は上の観点を意識した。
ま、歴史学には素人の、しかし「言語」とは縁の切れない文士からの、ふっと思い浮かんだ視点と書き留めておくに過ぎない。
2020 9/10 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 夕霞棚引く頃は
佐保姫の姿をかりて訪はましものを   谷崎 松子

☆ 「昭和八年 京都高雄山の地蔵院に在りて春琴抄完成近き頃に贈る」とある。昭和五十四年『十八公子家集』の巻頭を飾る思い出の一首。集の題が作者「松子」の字に因っていること言うまでもなく、大谷崎をして真に文豪たらしめた夫人であることも知られている。
この歌の頃はまだ結婚まえながら、事実上の夫妻として愛し認め合っていた。谷崎潤一郎は名作『春琴抄』の仕上げに余念なく取組むために地蔵院に詰めていたのであり、古代の女物語にでも出て来そうな、これぞ生粋の恋の和歌である。妻が夫を恋うる歌である。
近代短歌の表現意欲から、かく艶やかに身をかわして伝統和歌もまた生きつづけて来た。潤一郎にも昭和五二年刊『谷崎潤一郎家集』があり、「けふよりはま つの木影をたヾ頼む身は下草の蓬なりけり」といった「松」子賛歌を多く残している。余裕に満ちた歌ごころである。それとても日本の歌ごころなのである。
2020 9/11 226

* 隣棟から、いつでも永い旅が出来るようにと、『指輪物語』の三部を全巻、そして『ゲテとの対話』三巻、マルクス・アウレリウスの『自省録』を、此棟 (こっち)の本棚へ運んだ。いつも手もとにある鈴木大拙『無心ということ』とともに、折り毎に心静かにありたい。と、殊勝げなれどまた手近には秋成の浮世 草子があって、今もひと休みに寝ころび一読楽しんだのが、『世間妾形気』の第一話。
これはもう学究深切の頭注や解説に頼らねば味読はおろか読み下せない西 鶴ばりの時代もの。だが語りぐさの面白さは逸品といえて笑えて首肯いてしまう。堂上公家がお気に入りの腰元妾と曾呂利なみの追従者が物蔭でしっぽり出来 て、あげく駆け落ち、それも無一文で東海道も粟田口に茶店を出して女は愛嬌、男は「ども又」なみの土産の大津繪など売って、めでたしと。
なかなかニクい一編で「あとあじ」面白く、同じ秋成の雨月・春雨とは月とスッポンほど味覚がちがう。どの編も短篇ほどの読み切りで、難波ぶり若い秋成の いちびった才筆が魅惑で、さきざきが楽しめる。久しく手出しもせずこりゃ難儀と押しやっていた本だが、読み切るのも早そう。もう一冊 『諸道聴耳世間猿』もある、当分楽しめる。
2020 9/11 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 庭のそとを白き犬ゆけり。
ふりむきて、
犬を飼はむと妻にはかれる。   石川 啄木

☆ 遺歌集『悲しき玩具』(明治四五年刊)の最末尾の歌であ るのが胸に残る。何ともない只事歌にみえて、これは不思議に劇的に思われる。「庭のそとを白き犬」がとことこと歩いて通り過ぎた…のは、あきれるほど平凡 な光景としか思われないのに、作者がそれを眺めていた姿勢や視線や気分に自分のそれを乗せて行くと、「白き犬」の「ゆけ」る「事実」が途方もない「運命の 影」のように想像されてくる。
だが家のなかにいる「妻」にはその重大さが分からない。目にも入っていない。作者はだからはっきり「ふりむいて」そして、「犬を飼」おうよと提案するのだ。
現実には犬を飼うはおろか人間の食うにも窮していた作者夫婦の、それは「死」という「運命」を感じながらの、最期の象徴的な対話であったろう。「白き 犬」は、幸運や力や、また死など、一切の不思議を託されたシンボルとして作者の視野を通り過ぎて行ったのだと、私は読みたい。またその理解のまま、敢え て、「庭のそとを白き犬ゆけりふりむきて」という片歌の形でも読みたい。つまり「犬」が「ふりむき」「ふりむき」通って行く。作者は見送ってしまう。「妻 にはか」った時にはもう「犬」はいなかった…と。
啄木短歌のかなしみが、この歌ではひとしお象徴的に出ている。
2020 9/12 226

* 午後四時前、最良最深の感動とともに三部作の『イルスの竪琴』を、泪も流しながら読み終えた。
平成二十六年十一月に、これが「たぶん第七度め」の感銘と、文庫本の末に書き添え、次いで「平成三十年三月二十二日の果てる時刻、一字一句あまさず深い 感動となつかしさに満たされ読了」と記している。不思議なことだが、これが此の「世界」と私との出逢い様であり、こんな体験は他に例がない。不思議としか 謂いようのない喜びである。
日本人には、こういう「愛と不思議との広大な世界」は書けない。精確に、精緻に、しかも愛を込めて美しく描かれた「こんな世界」の例を、知らない。
2020 9/12 226

* 今日は幸いにすこし気温的に過ごしやすかった、日盛りの窓際で書架から本を引き抜いて立ち読みすることも出来、初めて、というわけでもないが、その程 度のことから久々に王充の『論衡』を手にした。漢の大昔の、さ、何というか、ちょっとやそっとではマネも出来ない、しかし極めて「普通に異様な人」の極め て「異様に優れた」著書の巻頭「自記篇(作者の自伝)」を、半ばちかくも読んだ。これは何としても読み進みたい、「累害篇(中傷について)」「超奇篇 (もっともすぐれた文章とは何か)」「自然篇(自然には意志があるのか」) 「論死篇(霊魂の行方について)」「実知篇(超経験知と経験知について)」な ど読みたい。王充は西紀27年生まれ、日本列島ではまだどんな日本人の日本語も記録されていない大昔の「異端的思想家」とされているが、異端かどうか思想 家かどうかは自分で読んでみて決めうること、だが、「自記篇」を読み進む限り、異端というよりもトテツもない出来た、または出来損なった変わり者のように 「期待」できる。本を当分、機械の間近に置いておく。昨日だったか持ち出してきたマルクス・アウレリウスの名高い『自省録』は、西紀121年生まれの著者 の手になる。王充はおよそ100年も先の生まれ。おのずと断然たる「比較」が生まれてこよう。あるいは、思いの外に似ているのかも。
その気になれば コロナでもトランプでもスマホでもない興味津々のモンダイは幾らでも見つかる。
2020 9/12 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平*
☆ 夫婦の愛

★ 海みゆる窓べを吾にゆづりつつ
旅の日も言葉すくなし夫は   岩上 とわ子

☆ 「夫」を「つま」と読んでみたが、「おっと」でも差支え ない。こういう「夫」はかなわんという人もあろうが、この「妻」はこの「夫」にたしかな愛を覚えていよう。「言葉すくな」くてもいい愛の品質を、作者は永 の歳月をかけて身にも心にもしかと磨き込んだのに相違ない。
「日本」の夫婦の原型のようなものを感じさせてくれる。 昭和五二年『冬の潮』所収。

★ いつの時もこの夫ありて耐へて来つ
優しき言葉いはれしことなく   松木 ふじ子

☆ 「この夫ありて」に尽くされている。
「耐へて来つ」を間違って取ってはならない。「夫」の存在を堪えてきたのでなく、「夫」ゆえにいかなる苦難にも耐えて来られたと、この「妻」は自覚して いる。歌はお世辞にもうまくないが、「優しき言葉」を言わぬ夫でも佳い夫があるように、巧みな言葉は用いえなくとも、はっきり共感をあがないうるいい短歌 はある。処置に困るのは、共感しようもなく、しかも当の作者ひとりが巧いとご自慢「ゴロタ石」出来のガラクタ詩歌だ。 昭和四一年『土に刻む』所収。
2020 9/13 226

* まくら元の手の届く小棚へ、上田秋成に 関する研究書や、『秋成遺文』等々の十册足らずを昨夜は夜更けまで次々に読んでいた。当代一の研究者にじかに確かめても「それは、判りません、論文も無い です」と言われてしまう「或る一事」に久しく眷戀の思いでいるのだが、なんとかして暗闇から掴みだしたい。「遺文」を読み尽くすのも大事だが、有名すぎる 雨月や春雨物語でなく、久しく私自身放置していた初期秋成の浮世草子を無心に愛読する中から何か手に触れてくる素地や措辞が見えてこないかと願っている。
2020 9/13 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

☆ 次に尾崎喜八の『田舎のモーツァルト』(昭和四一年一月刊)から「妻に」を挙げる。内面的知性的な人道詩人として、また自然詩人としていい仕事を残した人である。

★ 晩い午後のひとときを私がなおも机にむかって
ペンを手に一篇の文章と闘っている時、
お前は音もなくこの部屋へ入って来て
静かに憩いと慰めの茶を置いて去る。

四十幾年の生活を倦みもせずにいそしんで
お前が常に私のかたわらに在ったということ、
遠く人生の大河を共にくだった私たちの小舟で
お前がいつも賢い楫取りであったということ、

それはお前が私にとっての守護の天使、
この家と家族にとっての守護の霊だということだ。
そしてそのお前への深い信頼の中心に
私は安んじて生の錘を下ろしてきた。

人々への善意と、自分自身へのきびしさと、
撓むことのない忍耐力とはお前にあっての三つの徳。
私のたまたまの我執の闇を明るく優しく照らすために
お前は静かに愛と警告の灯を置いて去る。       尾崎 喜八

☆ 重厚な、誠実な、けれん味の微塵もない真正面からの賛歌に、「詩」が生きている。
2020 9/14 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 飛ぶ蜂のつばさきらめく朝の庭
たまゆら妻のはればれしけれ   古泉 千樫

☆ 蜂そのものに直かにかかわって「はればれし」いのではな い。蜂の羽音のいかにも澄んできららかな「朝の庭」の朝そのものの心地よさが、「妻」と「夫」の心持ちを引き立てている。「たまゆら」の一句はその双方 の、理づめでない、もっとも不思議に感覚的な瞬時の契合を言い当てている。
この「妻」の身に、あるいは作者自身の身に、日ごろ「いたづき」でも有って…と、取ってみるのも佳い。 大正十四年『川のほとり』所収。

★ めづらしきけさの朝けや
うつそ身のすこやかにして妻の恋しき   古泉 千樫

☆ これも気分のいい朝を歌いながら、気分のよさが「妻」の上へ反映反照してゆく心根が、しみじみ出ている。
「夫」である作者は「すこやか」な朝の目覚めの心地よさに惹かれて、「妻」への愛を、「妻」との夫婦としての愛をふと自覚した。願望した。そういう事は 「うつそ身のすこやか」ならぬ作者のこの日ごろとしては「珍し」いのだ。だから「けさの朝け」が、いと「愛づらし」いのだ。「妻」もいといと「愛づらし」 いのだ。 大正十四年『川のほとり』所収。
2020 9/15 226

* 手近な秋成本に惹かれてあれを読みこれを読みしながら、或る思案に牽きだしの糸が掴めないかなあと。
マキリップを読んだので、ロレンスの『息子と恋人』三册の上を読み終えて中へ、次男ポールの淡い恋の進展を慮っている。
2020 9/15 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ かりそめの妻が病と思ひ寝て
何ぞも胸のかくは騒げる    泊 良彦

☆ ぶこつな歌いかただが真情のきわまれること、おみごと! な一首。
言うまでもなく「かりそめの」は、「妻」にでなく「妻が(=の)病」にかかっている。めったにない、ちょっとした発病だった、だが、ギクッと夫の胸にはなにかコタえた。何でもない…何でもない…と思いつつ寝にくい一夜をひとり不安にもてあましている夫の気持ち。
とても巧いなどと褒められた歌ではないが、こういう思いを事実繰返してきた私には、なんというか、ああと頷けて、有難い歌ではある。 「国民文学」昭和五年一月号から採った。
2020 9/16 226

* 少しずつ少しずつ要事を片づけては、そのたび、疲れて寝る。寝付きの早いこと。
夕刻五時。王充『論衡』の「超奇篇」を読んでいた。蒼古とした印象に、光る玉のような端的な語句が読み取れた。
2020 9/16 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 隣室にひとたびたちしもの音を
ある夜に妻の嗚咽(おえつ)と思ひき   上田 三四二

☆ この優れた作者の短歌としては、必ずしも言葉の斡旋に十 分でないところは有る。「ひとたびたちし」などは判りいいとは言えぬし、「ある夜に」も、かなりな察しを読者に強いている。それにもかかわらず、またそれ が事実「嗚咽」であったかどうかにかかわらずこの歌一首は、世の夫たるもののかように「妻」の一挙一動に心を寄せ、かすかな物音ひとつに心を配ってもいる ことを、とにかく証している。
「ある夜…」あ、そうだったのか…とこの夫は思い当たった。そこに妻への思いの深さも、また浅さもいやおうなく表現されてしまう。歌のこわさを感じさせる。
この一首は昭和三〇年刊の『黙契』に収められていたが、「人」昭和五九年一月号でも同じ上田三四二の、
ある夜半にこころ冷えつつわが思ふいつにても献身を妻に強ひにき
という一首を読むことが出来た。「こころ冷えつつ」には作者の身をせめる厳しい生きかたが反映しているのだろう、これもしみじみと夫婦の愛の在りどを偲ばせる述懐歌である。

★ 夜半に咳きて起き上りし妻が表情の
かく寂しきを吾知らざりき   吉田 隆雄

☆ いつもは気もつかず寝ていた夫が、たまたま妻のいつにない咳きこみようにおどろいて、ふとその妻の「表情」に胸をつかれた。
夫婦といえども容易に相手の内面までは見えていない。だから思いやりも浅かったり見当はずれだったり、つい、しがち。
「吾知らざりき」は直かな物言いだが、瞬時に沸いたつよい愛をとらええて、感動させる。 「日本短歌」昭和二六年九月号から採った。
2020 9/17 226

* 中世和歌に殊にくわしい東大名誉教授の久保田淳さんから、新著『「うたのことば」に耳をすます』を頂戴した。「万葉から現代まで、歌に通底するものと はなにか」と帯に。この「現代」が子規以降、長塚節や斎藤茂吉でとまっていて、まさしく「こんにち現代」の歌風と「ことば」への批評が無いのに落胆してい る。この本の表題こそこんにち多くの歌誌に集まる指揮者や仲間の人たちに真剣に「考えて」「考え直して」欲しいのだが。
私自身は 万葉から子規、節、茂吉までの「うたのことば」をいま新ためて問い直しているもう「いのち」の余裕もなき、さほど新たな問題意識ももたずにお れる、が、今日短歌誌の多くと短歌作のまるで穢い「がらくた」を捲き散らし積みあげたような歌風(数少ない例外もむろん在るけれど)は、大嫌いである。 「文藝」としての美も真実感も藝も、受け取れないから。
2020 9/17 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 平凡に長生きせよと亡き母が
我に願ひしを妻もまた言ふ   池田 勝亮

☆ 次第送りとか順送りとかいう。嫁いびりのような事では有難くないが、こういう事なら穏当でもあり、誰にでも納得が行く。「平凡に長生き」するのがそんなにいい事かなどと理屈を言いかけるがものはあるまい。
べつに事々しく申し送ったでもないのに、自然と昔に母が口ぐせにしていた言葉を、今は妻が口にする、その暗合を「愛」と受けとって歌が成っている。  「あさひね」昭和二五年三月号から採った。
2020 9/18 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 浮いたり沈んだりしながら
夫婦のかいつぶりが泳いでくる
そのあとから一羽だけのが泳いでくる
かれはひとりものだ 顔をみればわかる
かれもやっばり沈んだり浮いたりする
そうして浮きあがるたびに
どういうわけかきまってうしろを振り向く
うしろには 彼のほかだれもいないのに    伊藤 桂一

☆ 昭和五〇年刊の『伊藤桂一詩集』から「土浦にて。」と付記のある、「かいつぶり 1」を採った。
未婚の「ひとりもの」か。伴侶を失った「ひとりもの」か。それも「顔をみればわかる」らしい。おかしく、あたたかく、そして寂しい…。
「うしろには 彼のほかだれもいない」ひろい海を「夫婦」ものの「うしろ」になって泳いで来る、寂しそうな、物足りなさそうな独身「かいつぶり」よ、いじけるなよまだ若いのだから…と、声をかけてやりたくなる。

★ かいつぶりは
ときに水の上を
水中翼船のように
飛沫をあげて颯爽と駈ける

一羽が駈けると
もう一羽が追って
あとは並ぶ

ゆらゆら揺れる
ヒガイ釣りの小舟のほとりを
かいつぶりの夫婦は澄まして通る

かれらはちやんと籍のある夫婦のようだ
波の上の ゆらゆらしながらの
そのなんともいえない満ち足りた泳ぎぶり    伊藤 桂一

☆ 「かいつぶり 2」である。「3」もあるのだが、紙数ゆえに割愛した。十分に擬人化もされていて、というより感情移入が利いていて、作者の眼のおだやかに行き届いているのが心嬉しく楽しめる。
2020 9/19 226

* 漢のむかしの王充は、自著『論衡』の題意を論の平(はかりで重さをはかること)と謂うている。口を開けば、その任務はことばをハッキリさせることにあり、筆を執れば、その任務は文を明瞭に書くことであると。
私の名のり、「恒平」の「平」について教えられた、が、白川静博士の名著『字統』では、「平」は「たいらか、やすらか、ひとしい」意義と先ずあげ、手斧 の形である「于(う)」と、その「手斧で削った破片が左右に散るかたち」つまり、「平らかに削る」意を示すとされている。「平らかに舒(の)ぶる」のだと も。
今は昔になるが当時京博の艦長をされてた興膳宏さんに「恒平」は「恒久平和」ですよと教わった。
ついでに『字統』で「恒」を教わっておく、と、「亘・亙(こう)」は上下二線の間に弦月の形を加えたもの、「月の亙(ゆみはる)が如き」を原義としている、と。「月中の女神を恒娥」と謂う。「恒」は「常」であり、「恒久」ともしてある。
「恒平」は、平常に恒久と読んでいいのかも、私の場合、名は体をよく表せてはいないなと恥じいる、呵々。
2020 9/19 226

* 宇治十帖「椎本」巻を過ぎて「総角」巻へ。
薫が妹の中君を匂宮に譲り、しかし姉の大君に拒み通されあげく死なれ(死なせ)てしまうのは、わたしがどうしても薫を許せない、好きになれない愚かさで。で、わたしは光源氏の続き物語である「宇治十帖」の主人公はやはり「匂宮」なのだと昔から思ってきた。
なぜか。
匂いは光りがあって目にも見えるような香気、薫りは光りを要せず闇にもひろがる香気。
現に、薫は表向きは光源氏の子ではあるが実は柏木藤原氏と源氏の妻女三宮との闇間の子。匂宮は光源氏と明石上に生まれた明石中宮の皇子であることを、私は早く若い頃に書いていて、当時慶応の人気教授だった池田弥三郎さんを驚かせ、着眼を褒めてもらっていた。
どうも薫君はしんきくさい。匂君は親譲りで手が早い。
いまの歌舞伎役者で謂うと、薫は、女役も出来る幸四郎、匂は助六ばり横紙破りな海老蔵という感じか。
2020 9/19 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 買物に出で来し妻と道に逢ふ
可笑しきまでに心寄りたり    国見 純生

☆ 腰折れの気味あり、例えば昭和十五年『颱風眼』に収めた加藤楸邨の句に、
はたとわが妻とゆき逢ふ秋の暮
のあるのと、この歌の上句とは、要は似た一句ではないか、句とみて成り立っていないかなどとふと思ってしまう。なかなか、加藤の句の方は「秋」という季節 を深読みさせて人生不思議の寂かな空気を射当てているが、国見の上句だけではただの描写に過ぎず、季節感も出ていない。どうしても、無器用な表現だが下句 の支えを必要としている。
あたりまえの日々をあたりまえに常は過ごしている夫婦が、路上で思いがけず出会ったとたん、あたりまえを裏切って心が互いに走り寄った。その自覚が「可 笑しきまでに」とあるのは、ほとんど「嬉しきまでに」と同義だろう。それを「可笑し」と軽くかわしえたところに、夫婦の年輪も余裕も出ていると見ておく。  昭和二九年『化石のごとく』所収。
よく似た歌で『昭和萬葉集』巻十に、今村寛の
何気なく経て来し如き妻と吾と街に相逢ひ手を挙げて寄る
というのもあった。「相逢ひ」だから、あるいは時と所を約束しての夫婦のデートであったかも知れない。やや何も彼も言い過ぎてしまっていて、かえって初・二句がぼんやりとなった。
ともあれ、こういう「夫婦の愛」もあるわけだ。
2020 9/20 226

* 何というか分からない、喉もとを襲う猛烈な苦みの白い粘液でとび起きた。胆汁とでも謂うのか分からな いが、この夏から再々これに襲われる。今朝はかなりしつこく吐き続けた。水分と野菜ジュースの二種とで収めたが、いまも喉に苦みがうすく貼り付いている。 目をとじるとそのまますーうっと寝入りそう、。目はとじているほうが自然でラクですが、そうも行かない。
自省録(マルクス・アウレリウス)に少し聴き、鈴木大拙に「無心ということ」を少し聴く。からだからリキ(ちから)というモノが脱落し、眠けに引かれる。すべてまかせておけばラクなのであろうが、そうも行かない。
もう十一時半。無かったような午前を見送って、午後を迎える。すこしは食べておかねば。
2020 9/20 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 赫らんだ落葉緑の上に散り、
かゞやく金の隙間洩るひかりに
小箱の中の鳥ら黙す
風落ち
窓から見る遠方の町のうへに
黄の塵埃がわづかに舞つてゐる。

ふかくも秋は
私たちの生活のゆふべを彩る、
見交される無為のなかの二人の瞳、
あらゆる情熱も、望みも、
かなた遙かな過ぎ去つた季節のうちに失はれ、
たゞ声なき憂愁のみ
たちのぼる香のごとく残る……

妻よ灯を点ぜよ、
一点の血のくれなゐをわれらが中に置けよ、
輝きいづる妍々の夜光の下
もし新しき相貌のわれらがなかに生れきたるならば、
生れきたるならば……               古田宗治

☆ あるいはこれは「愛」の萎えた夫婦の状況とも取れよう。が、この詩の深い気息に私はなお「愛」の命の燃え立とうとする力を感じる。美しく感じる。美しい詩が、ある。 2020 9/21 226

* 書庫から、ついに明治三十九年刊の『日用百科寶典』を持ち出してきた。むしろ今では『<明治>百科寶典』と呼んで至当だろう、日露戦争の翌年の刊行 で、「大正」の「た」の字も無縁な「明治」だけのほぼ一切を「一○八一頁」につめこんである。さしさわりというのだろうか、『國體及び皇室』だけは、「各 國の國旗」「各国々旗の解」「各國政体及び帝王大統領」「各國国主権者歳費」まで取り上げてあり、『歴史』という大項目もあるが、各界の人名等は、他部門 の詳細稠密に比して「無い」のが面白い。多般に渉って惘れるほど詳細に項目が上がっていて、実にこの大冊は字を覚え始めた幼稚園まえから丹波へ戦時疎開す る国民学校四年生までの、文字通り何にもねましての私の知識の寶庫だった。久し振りも久し振り、よく遺して置いたなあと思う大冊を書庫から持ち出してき て、手ばなせないほど、フンフン、ハーハーと面白い。
むろんこれも畑の祖父「鶴吉」お祖父さんの誰にでもない私独りへの貴重この上ない「遺産」であった。明治三十七八年に日露戦争、明治二十七八年に日清戦 争があり、戦歴の詳細も読み取れる。かと思うと、生まれて初めて「歩す」を「孺」 七歳を「惇」 十五歳以上を「童」 二十歳を「弱」 三十歳を「壮」  四十歳を「強」 等々と教わると、童子とか弱冠とか壮士とか屈強とかまで分かるようで面白かった。こんな面白がり方で合点し記憶し知識した無数が、この一 冊に満載されていたのだから、いかに私をひきつけてやまなかったか、日本列島の地理知名も、山川の名も、数量の称呼も、「養子縁組届」の書きかたも、男女 のからだの子細もみな此の本で覚えたの。「日用」といわぬまでもまさに『百科寶典』であった、世界事情もかなり教えてくれた。

* この一冊、次なる創作のためには大いに役立つだろうと、書庫の棚をかきさがして見付けてきた。これも「一と仕事」と謂えた。
2020 9/21 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平

★ 湯豆腐やひよんの弾みの夫婦にて   大井戸 辿

☆ 蕪村の、「御手討の夫婦なりしを更衣(ころもかへ)」を ふと思い合わせた。類句ともいうまいが、蕪村風には読める。「ひよんの弾みの夫婦」ということは、たしかに在りうる。それへ「湯豆腐」を添えることで、 「弾み」も何も、しっくり静かに馴染み合った夫婦の、枯れた温かい落着きを句にしている。「琅 」昭和五八年十月号から採った。

★ 夜なべせる老妻糸を切る歯あり   皆吉 爽雨

☆ わが身の衰えと辛く見比べてはいても、また、「老妻」の堅固健勝をよろこび願う心持ちはよく出ている。俳味にもすぐれて、調子確かな佳い句だ。昭和三十一年の句である。
2020 9/22 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 子を連れて小綬鶏庭に這入り来(く)と
声ひそませて我を呼ぶ妻   吉田 雄司

☆ 孫たちを連れて娘が(息子が)、庭さきからふと訪れ来て 欲しいといった老夫婦の願望が重なっていないか。あるいはこの老夫婦にはそういう不時の訪れで心をなぐさめられる子や孫の、無い境遇でもあるか。なににせ よ「子を連れて」という歌い出しから「小綬鶏庭に這入り来」とまで読み進むにつれ、もう老境の夫婦のときめきが聞こえてくる歌である。それだけに下句がや や説明的に追加されたという感じも、かすかに残る。今の私なら、上句(かみく)だけで句として読みたい。昭和五〇年『老 の歌』所収。

★ 買物籠さげていでゆく老妻に
気をつけて行きなさいといふ 何となけれど   前田 夕暮

☆ 「気をつけて」という呼びかけを、この私も、家族の誰彼 ということなしに贈れる最低限の愛情ではないかと、うるさがられながらも励行している。たった一つのそんな言葉が、もし事故や怪我から身を避けうるよすが ともなるなら…と、つい思う。まさに「何となけれど…」なのではあるが、つまらぬ事とは思えない。 昭和二六年『前田夕暮遺歌集』に収められている。
2020 9/23 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 紅梅を未生の子やと見惚れゐる
老の愚かを妻のあはれむ   川浪 磐根

☆ 子のない夫婦の、年老いての寂しみに美しい表現でふれた 秀歌。ことに上句の艶(えん)に美しい幻想は、「梅」の花にふさわしい清い印象で、また、ここまでですでに言い尽くせてもいる。「紅梅を未生の子やと見惚 れゐる」は、優にすぐれて俳句的である。俳句だとすら言ってしまいたい。しかもなお…一抹、その抒情の質に短歌的発想が息づいている。この辺りの微妙さ を、短歌の、あるいは俳句の独自の表現のためにもよく説き明かし道しるべして欲しいものだ。
この同じ作者に、「身のために費えをなしし事なしとためらひつつも言ふか老妻」という一首もある。
こういう妻がかつては多かった。こういう妻にいたわられ、また「あはれ」まれて世の夫は老いて行った。 昭和四五年『梅花集』所収。

★ 落葉焚く焔囲みて妻と佇つ
此の家に老いて残りし二人   和田 政夫

☆ 夫婦が健康に歳月を送れば、余儀なくいつか「老」が忍び 寄る。「残りし二人」は寂しいが、「二人」在るのは、せめてもの幸と言わねばならぬ。私なども久しく親たちにそういう思いをさせている。しかもその私たち 夫婦にして、この歌の夫婦のように「残りし二人」となる日がもはや遠くはない。(現に、来ている。)人生次第送りの意味が身につまされ分かって来るにつ れ、こういう歌に目がとまる。 「地上」昭和五〇年六月号から採った。
2020 9/24 226

 

* 寝床では、このところ、小説は、宇治十帖とともに、ロレンスの第一作だったという『息子と恋人』の中ほどを主に読み進んでいる。秋成の「かたぎ」ものも楽しんでいるが、七八册もの、いろいろの秋成論や『秋成遺文』も楽しんでいる。
2020 9/24 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ たすからぬ病と知りしひと夜経て
われよりも妻の十年老いたり
そひ臥してはぐくむごとくゐる妻の
さめざめ涕(な)けば吾(あ)は生きたしよ   上田 三四二

☆ 昭和四一年五月の作、昭和五〇年に成った歌集『湧井』中のもっとも印象強烈な歌だった、私には。
「何もしらぬ子が甘へよるいひがたくそのやはらかき髪もてあそぶ」という歌もあった。「たすからぬ病」と歌われている「病」が何かとは、あえて書くま い。そんな「病」の一日も早く無くなってしまう事を医学の進歩にむけて祈るばかりだ。幸い作者は病に克ってこの後を大活躍されて来た。それを心から喜びつ つも、しかしこの歌に費やされた生死の格闘を、その莫大なエネルギーを、割引いて想う気にはならぬ。
一度は死に臨んだ人の、死をおそれての「生きたしよ」ではない。かけがえなく愛する者に今しも「死なれる」か知れぬ「妻」「子」への愛が、この歌をはげ しく感動させている。「死なれる」というもっとも苦しい受身を、作者は、愛する妻子に強いねば済まぬかと、おそれ、かなしみ、耐えている。
有りそうで、こういう優れたこの種の歌は、むしろ近代に入って以後は、無いにひとしい。作者の心根に、深く底流れて和歌世界の人の優しい愛や涙も汲みと れる。光源氏も平家の公達も、かく悲しみかく愛していた。いやいやすべての人がすべての時代にかく愛しかく望んで来た。まさに「あ、はれ」とうめき出た 「うた=うったえ」である。
感傷とおとしめ、かるく遠くに読み過ぎるようでは、なるまい。
2020 9/25 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 病む人をぬぐふと絞る手拭に
夫の臭ひのして哀しけれ   脇 須美

☆ 「夫婦」はまさに生涯の付合い。新婚の昔から思えば、こ うして「歌」の上でみてもはるばる来たと思う。子は去り、老い、そして病が来る。のがれがたい人の道というものか。拭うた手拭いに「夫の臭ひ」がしている のではない。いまから「拭ふ」べく「絞」った手拭いに、すでに「夫の臭ひ」は染みついている。同じ営みが繰返されてきたのだ。永煩いなのだ。
下句はほとんどため息に聞こえ、上句の拙をしみじみと救い上げている。 昭和五九年『散りてまた咲く』所収。 木保修らと「形成」創刊にも携わった老練の歌人だったが、この歌集の出た年にはかなくなった。子や孫が編んだ佳い遺歌集も有る。

★ 死ぬるまで抱かるるなき君ながら
吾の選びし服著給へり   土田 豊子

☆ この歌をここで取り上げて正解なのかどうか、やや心もと ない。幾重にも取れるのだ。夫である「君」は病の床にあって、すでに夫として妻と相抱くこともならぬ病状かと、ふと読める。最初私はそう読んだ。が、妻が 床にあり、夫は妻がかつて選んだ服を着て病室を訪れていると取るのも自然だろう。
いや、もっとちがう歌と読む余地もある。たとえば抑圧された愛を秘め合ったまま、さりげなく友達のように付合ってきた男女の愛の歌のように取れなくもない。
だが…、やはり私はこれを、みずから重い病の床にある悲しい妻の歌と読んでおく。言葉の上では上句の方が悲しいはずなのに、表現としては、下句に感銘が深い。具体的であることの「うったえ」の方が胸をよく打つのだ。
それにくらべ「死ぬるまで」は、一読具体的にみえてその実はややあいまいな表現でしかない。その辺りからすでに病む人は作者か「君」かと惑わせる罪が生じている。
「服」という言いかたに、病衣らしくない普通の服を感じるので、それならば健康な夫(男)が病む妻(女)を見舞っていると取れる。一首の表現としては惑わせるが、女の気持ちに共感は惜しまない。 「日本短歌」昭和二六年七月号から採った。
2020 9/26 226

* 機械の向うには心に触れてくる本や便利な和洋の辞典などをすぐ手に取れるように並べて ある。本は和綴じの和本の唐詩選や三体千字文、また柳北全集など置いているが、堅い本では『王朝日記随筆集』そして摂政藤原兼実の厖大な日記『玉葉』と、 前の京博館長興膳宏さんに戴いた、「定本漱石全集」中の第十八巻『漢詩文』一冊を いつも眺め、時に頁を繰っている。漱石本には有難いお手紙も添ってお り、巻頭第一首は漱石二十歳代の作。俳優座で劇化上演した『心 わが愛』で、「先生」と「K」との旅の懐かしい一場面を彷彿させる。

☆ 冠省
いつもご高著の恵賜を辱くし、厚くお礼申し上げます、お返しといえるほどのものではありませんが、お納め下さいますよう。
二○一八・十一月   興膳宏拝
秦 恒平様

☆ 鴻臺二首の其一
鴻臺冒曉訪禅扉 孤磬沈沈斷續微 一叩一推人不答 驚鴉撩亂掠門飛

* 座右になにものをも置かないという境涯もある。なつかしい知友の多くが他界された今は、寂しさを私は座右いろいろの賑わいに慰めている。
2020 9/26 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 逢ふたびに抱く力の失せし君
涙うかべて吾が手を咬みぬ   武内 弘子

☆ 名歌秀歌を選んでいるという気持ちでは、ない。短歌とし て表現されている「愛」の諸相を、気づく限り拾っているというのが、当たっている。これも、上三句で状況が呈示されて、下句で「うったえ」ている。どんな にナマな物言いであろうと、「涙うかべて吾が手を咬みぬ」は容易に言えも書けもしない「人間」についての、「愛」についての「証言」に相違ない。 「アラ ラギ」昭和二七年六月号から採った。

★ 血をはきてまことに死ぬとおもひし夜
汝が陰(ほと)に触れ安けくゐたりき   斎藤 金吾

☆ 肌で「触れ」たというより、かつがつ「手で触れ」た意味 ととる方がせっばつまって歌が生きるだろう。夫婦愛の極限を告げられたような思いがする。但し事過ぎて後の歌であるだけに、いささかの誇張はないかという 不安はある。歌としては、むしろどう「安けくゐたりき」なのかの表現こそ、欲しいところ。
答はきいているが、だが歌の面白さは、式をどう立てたかの面白さでありたい。 「アララギ」昭和三一年三月号から採った。
2020 9/27 226

* 戦艦の排水の重さは「頓」と数える。では、「節」とは何を数えるか。わたしは知らなかった。手近な辞書を二三引いても、艦船の縁でそんな字句は擧がっ てなかった。しかし、岩波の大きな「広辞苑」では、航行の速度を示す単位、「ノット」に相当と出ていた。知らないでいることは幾らでも有る。
2020 9/27 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平
☆ 夫婦の愛

★ 八月の西日除(よ)けむと丸窗(まるまど)に
板戸を閉(とざ)して汝(なれ)を病ましむ   吉野 秀雄

☆ 子を先立たせた親の悲しみは言うまでもないが、夫婦の死 別また、極まりない悲しみに相違ない。子のあとを追い親のあとを追うた例はめったに有る事ではないが、夫に死なれた妻は、妻に死なれた夫は、すくなくも一 度は生きながら死ぬのである。それほどに心を破られるのである。それほどであればこそ真実夫婦なのでもある。
人とし生まれてもっとも不思議な選択と決意とを示した人間的な行為は、結婚である。その結婚を決定的に破壊する死別のむごさを歌った詩歌はさすがにすく なくはない。が、私はそれを広く拾うより、この歌を筆頭に、昭和二二年『寒蝉集』所収の吉野秀雄の一連の作で思い切って代表させたい。労を惜しむのではな い、吉野の歌の極めて優れているのを信じるからだ。

★ 病室の隅に雙膝(もろひざ)抱くわれを
汝(な)は怪しまめすべもすべなき   吉野 秀雄

☆ 妻は病状を十分自覚していない。夫は万感を下に秘め隠しつつ何ひとつみずから打つ手をもたぬ。「すべもすべなき」に極まる、悲しみ。

★ 服ますべき薬も竭(つ)きて買ひにけり
官許危篤救助延命一心丸   吉野 秀雄

☆ 「官許」などということを夢にも信じないこの豪毅な詩人の心に、薬という以上に薬の「名」のもつ力を頼むほどの「あはれ」が深まっている、それに胸を打たれる。

★ 病む妻の足頸にぎり昼寝する
末の子をみれば死なしめがたし   吉野 秀雄

☆ 本筋を逸れた議論で恐縮だが、この歌では「末の子をみれ ば」の「を」の字余りに妙味がある。「足頚(を)にぎり昼寝(を)する」とすでに二つ寸を詰めてある。定形にこだわる人だともう一つ「未の子みれば」と やってしまいかねない。だがそう口遊(くちずさ)んでみれば分かる、歌は息を詰めてしまっている。たった一つの字余りで歌が生きて来る。定形も大切だが、 定形の底を走る命としていわば内在律が生きている、それを言葉で彫り起こすのが、歌だろうと思う。「末の子を」と正しく言い当ててこそこの歌に芯が生まれ る。
「うったえ」は、この「末の子を」「みれば」に重ねて妻を、子の母を、「死なしめがたし」にあるのだ。デッサンが正確というのは、こうした点をきっちり生かすという事。

★ をさな子の服のほころびを汝(な)は縫へり
幾日(いくひ)か後に死ぬとふものを
をさな児の兄は弟をはげまして
臨終(しまは)の母の脛(はぎ)さすりつつ   吉野 秀雄

☆ 感情を露出した言葉を一語も用いていない。この一事だけ でも、「表現」の二字とともに多くの歌人は考え直してみる必要があろう。この瀬戸際へ来てこの夫が、子らの父がどう泣き叫んで「悲しい」「辛い」とかりに 言ったとて、誰もそれをとがめはすまい。しかし歌の上では、そう叫んで人を痛ましく動かすか、そうは叫ばず、その故にひとしお人の胸を打つか、これは「表 現」の藝としては勝負どころになる。
一つ一つの言葉の粒々が、よく詩化されていれば、かならずしも「悲しい」と言われなくとも万倍する「悲しみ」は伝わる、その代表のような秀歌を、この作者は、妻の死という貴重な損失の底からはげしく手づかみにしている。

* 此の吉野の歌はなお続いて数あるのだが。あまりに胸痛く、今朝は此処まで とする。
2020 9/28 226

 

* いまも有るかどうか、角川文庫に鈴木大拙の『無心ということ』という佳い講話が有った。高神覚昇の『般若心経講義』に、少年のおりまず惹かれて繰り返し返し愛読し、成人後に上の「無心」講話に辿り着いた。いまなお、今朝も、手にしている。
2020 9/28 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ち
せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾味
真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを
敢てゆだねしわぎも子あはれ    吉野 秀雄

☆ 「せよと迫りし」を奥歯にものをはさんで読んでは、この 夫婦の愛に失礼である。かくも美しく激しく「せよ」「する」という言葉が詩歌の言葉として「詩化」された例を古今に知らない。性交を暗示して、「する」と いう時のこの言葉にまつわりついた隠語ふうの陰湿さが、この歌の「せよ」という「真命(まいのち)」を賭しての妻の「炎(ほむら)立」つ求愛には、微塵も みえない。「ししむら」とはまさに臨終(いまは)の妻が糸一筋にこの世にとどめた赤裸々(せきらら)自体である。それを「敢てゆだね」て夫に抱かせて今し も逝く妻の、愛。
生きの命の証(あかし)として、夫婦として無比に生きた愛の証として、「性」の交わりが一期(いちご)の最期に燃えあがる。こんな美しい真実の歌こそ、我々は「文化」と呼び「詩」と呼んで記憶したい。
あとへも吉野の詠歌は数つづくけれど、悲哀にたえずこころして割愛する。
2020 9/29 226

* 映画に比してロレンスの『息子と恋人』は胸のつまる精微な哀しみのまま収束あるいは消散して行きそうで、読むのが辛いほど。たいへんな長編でありなが ら書き起こしから一糸乱れない心理作で、かほど執拗に「読ませ」て的確な愛憎作を、数多い世界文学で他に思い出せない。なによりも母親モレル夫人の造形と 表現のみごとさ哀しさ、これはもう「誤解をおそれず謂う」なら、息子ポオルのミリアムやクララとの恋より、彼と母との恋愛のように読めて、痛いほど胸を打 つ。もう二章ほどを読み残しているが、ロレンスという作家の表現のちからに身震いしている。
2020 9/29 226

* 書庫から、さしあたり雑誌・図録の類いをすべて処分し、すこしでも書棚を空ようとだいぶ検討した。研究書の類いは大切にしたい、が、満ちあふれたそれ らを私が「読む」時間の余裕は、もう無いと諦めている。図書館も、研究書の類いはあまりよろこんでは受け取ってくれない。ああ彼なら彼女なら役に立つだろ うがなと想ってはみても、それだけは判断がつきかねる。
2020 9/29 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 思ほえず我れに行き逢ひ立ち止り
面紅めて我れ見し人はも
美しく来む世は生まれ君が妻と
ならめ復(また)もと云ひし人はも
眠らせてあるに堪へなく児が顔を
つつきたりきと云ひし人はも    窪田 空穂

☆ 昨日までの吉野秀雄とは趣かわって、また極めて佳い。こ の三首、おそらくは妻との出逢いの不思議から、妻となり愛しあい、母となりなお美しく優しく、そして今は惜しくもこの世にないかけがえのない人を、愛情ゆ たかに偲び想うている。「云ひし人はも」いう回想の真情がそれを証している。まさに太古の人が「吾妻はや」と絶句したそのままの、あつい心根で歌われてい る。
今よりもっと美しい人に生まれてきて、もう一度あなたの妻になりたい…と。
眠っているわが子の可愛らしさに、辛抱がならず頼ッペたをつついちゃったの…と。
運命の紅い糸に導かれたように、はッと出逢い、はッと一切を受け止めて妻たるべくこの自分を「見」た、あの人…。たかぶる悲しみによく堪えて、歌はしみ じみと、生き生きと、よく歌い抜かれ、措辞も調べも微塵も浅くは流されていない。 大正七年『土を眺めて』所収の感動作である。

★ 門川(かどかわ)の汀の草に居る蛍
子にとらせけり帯とらへつつ
其子等に捕へられむと母が魂(たま)
蛍と成りて夜を来たるらし    窪田 空穂

☆ 「門川」は、家の前を流れている川くらいの意味で、情景 は生きる。むろん二首めの歌へ、初めの「帯とらへつつ」の歌も吸収される。「蛍」は、古来人の思いの凝って身から浮かび出るもの、憧れ出るもの、魂そのも の、のように想像されて来た。その伝統にしっかり触れながら、「門川」の蛍を、亡妻の魂がわざと「子等」に取られようと憧れ出たかと、たぐえ想っているの だ。もとよりはかない生者の願望と大人の「父」は承知している。しかし子の帯をしかと掴みながら、心底から妻の思いの蛍であれよと誰より強く願っているの は、この作者である残された夫なのだ。
「夜」の闇にまぎれてその目に涙が光るのを、「蛍」だけは見ていただろう。同じく『土を眺めて』所収。
2020 9/30 226

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く
枕頭のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く

朝風は人のやうに私の五体をめざまし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい

私は白いシイツをはねて腕をのばし
夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる

今日が何であるかをあなたはささやく
権威あるもののやうにあなたは立つ

私はあなたの子供となり
あなたは私のうら若い母となる

あなたはまだゐる其処にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ    高村 光太郎

☆ 昭和十六年刊行の『智恵子抄』から、詩人の妻智恵子没直後の「亡き人に」を採った。巻末の「梅酒」という詩も好きだが、表現のしなやかさ、悲しみのなかにも愛の自然がうるわしいこの詩で、名高いこの愛の詩集を代表してもらおうと思った。付け加える何ももたない。
2020 10/1 227

* 昨日 書庫からもちだした昔むかしの「文藝春秋」一冊の長い長い「特集」記事を深夜まで克明に読み通し、たいそう有難い収穫で興奮もし、寝そ びれて、かはたれの朝五時にひとり床を出て、猫の「ま・あ」にも気づかれず、二階へ来た。で、すぐ原稿を書き継ぎたいところ、やはりいささかボンヤリして いる。はれならと、もう一冊持ち出しておいた箱入り本から関心の知識を汲んでおこうと読んでいた。これは深夜に熟読してたよりは深妙に難しい資料でなく、 持ち合わせの予備知識でかなりを補い読み進めておれた。命に代えても断然復活は阻止するぞと決めてきた階級的特権族、乃ち明治二年六月十九日新制定の『華 族』を、あらためて追尋・追究・再確認しておきたかった。
明治維新が制度化した「華族」と伝統の歴史が謂う「華族」とは、ちがうといえばハッキリ違う。伝統の「華族」とは公家社会で最高級の「五摂家」に次ぐ「清華家」なる公家の家格をさし示した「別称」であった。
明治政府はそんな久しい慣習など忘れたかのように、旧公家と旧武家藩主層とをひっくるめて「華族」にしてしまい、公爵 侯爵 伯爵 子爵 男爵の五階位 を区別したのだった。孰れにし。ても庶民である「士族」「平民」からは隔絶して上にある「身分」の謂い・称呼がつまり「華族」となって、さらにそこへ、明 治御一新に功績有った士族らにも爵位を与えだした、それが「新華族」という存在であった。さんな身分制度が、昭和の敗戦までつづいて、そして撤廃された。 戦争に負けてよかった最良の華族制廃止であった、二度とそんなものを復活させては成らぬ。
2020 10/1 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 身にしむや亡妻の櫛を閨(ねや)に踏(ふむ)   与謝 蕪村

☆ 蕪村一流の想像句だろうと大概の人がいう。蕪村の句が、 難解になると「想像の句」だとして片付けたがる。なるほど知られている彼の妻は彼よりも長生きした。その妻は江戸から関西に帰って、蕪村四十代も半ば過ぎ てから得た妻である。人は、それを不自然にも初婚かのように言って疑わない。
蕪村が関東ですでに妻をもち子ももち、その双方に死なれての悲しみのまま関西へ帰って来たかも知れぬ自然さを、もっとよく考え直すべきだろう。多くの句 のなかからそれは十分に察しられる。この句も、好き好きしいただ想像の句と読むには、句が練れ、しかも情の流れに自然の深さがある。

★ 南無女房乳をのませに化けて来い   『誹風柳多留』

☆ 付け加える何ものもない。とは言え、誤解があってはなるまい。ただ「子ゆえ」に「化けて来い」なのではない。本音は、「化けて」でも「来」てほしいのだと、子の父が、亡き妻を、恋しがっている。
2020 10/2 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 筆硯煙草を子等は棺に入(い)る
名のりがたかり我れを愛(め)できと   与謝野 晶子

☆ 「入(い)る」は、気になる。ここはものを「入れる」意 味で「入る」意味ではないのだから。読み損じはしないけれど、敢えて文法を侵してでも、より正しく「人るる」と律の内的必然にしたがうたうべきである。字 余りになっても確実にその方が一首の訴及力は強いし、美しい。この作者の歌には往々こういう点でのなげやりが見える。
そうはいえこの歌は佳い。そんな品物を「お父さん」は愛していたんじゃない、この「わたし」を一等一緒にあの世へ連れて行きたいはずなの…よ。
だがそれを心の内の叫びとして、「名のりがたかり」と抑えているのは作者の「母」としての愛でもある。それ故に先立った「夫」への愛と悲しみとはいっそう深くせつないものになっている。みごとというしかない。
同じ昭和十七年『白桜集』所収の悲しみの歌に、
山々を若葉包めり世にあらば君が初夏われの初夏
いつとても帰り来給ふ用意ある心を抱(いだ)き老いて死ぬらん
なども印象にあるが、やや甘い、か。

* 夜前も二時近くまで、半ば調べ仕事に人の作(史劇)を一冊読み上げた。自作の視野をひろげて補強できるかと。漠とはせよかなり多くを納得し推察も添え 得たと思う。深夜に本一冊を一気に読むのはしんどいが悪い気分ではない。ついでに、というのは変だが。持ち出しておいたロレンスの完訳版『チャタレイ夫人 の恋人』久し振りの再読をはじめ、これはもう短時日に一気に読めてしまうだろう。ロレンスの「性」の思想に私は同感できるのである。
2020 10/3 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ 思ひきり生きてみよとぞ聴く哀し
春の墓辺のきみは風にて    長谷 えみ子

☆ 妻は死なれた。今は風となった夫の声が、はげますように 「思ひきり生きてみよ」と聴こえる、かなしさ。歌としても、ことに下句はすぐれて美しい。「風」は、この作者の夫だった志操の文人村上一郎がみずからのた めにえらんでいた墓碑銘ではあるが、そんな事実を超えて、みごとに「詩化」を遂げている。 昭和六〇年『風に伝へむ』所収。

★ たまかぎる夢にみえつつ魂匣(たまはこ)を
ゆりゐるわれをあはれみたまへ    山中 智恵子

☆ 夫の死を悼んで、ただひたすらに莫大な数の挽歌を崇高なまでに歌いつづけた作者。その昭和五九年『星醒記』所収の一首であり、それも「あはれみたまへ」という大きな嘆きのその行方に心を惹かれて採った。
「死ぬ」の状態は「萎ぬ」に同じく、その時にある活気を与えるとよみがえるという信仰は、久しい起源を持っている。夢のなかででも、恋しい人の「魂匣」 を揺り動かしその名を呼ばわって、よみがえりをひたすら祈る妻…。死んで逝く夫へ、そして神へ、大いなる宇宙のはからいへ、ただもう「あはれみたまへ」と 訴えるしかない「死なれたもの」の悲痛を、この歌は、掴み切れたともなく掴もうと必死に手をのばしていて、胸に迫る。

* いまも何種も歌誌が送られてきて。夥しい歌らしきが満載されているが、私がこのシリーズに選び取っているような胸を打ち心に逼る表現ゆたかに美しい作 歌に出会うのは、極めて極めて稀も稀。堪らないという気持ちを「砂を噛む」とよく謂うが、最近の歌誌の歌は、主宰と称する人の作からして、ゴミまじりの瓦 礫を噛むほど汚いのが多い。時代を率いるほどの歌人がいないということか。
2020 10/4 227

* 起こるべくして起きた米大統領選のオクト・サプライズ、トランプのコロナ感染・入院。女性顧問との「濃厚接触」とはね。
昨夜まで『モサド』という飜訳本を読んでいたが、私には得るところの何一つない本とわかり断念した。
「モサド」には、かつて人気のアメリカ・ドラマのヒロイン格で活躍した、強烈に武闘に強い美女、モサド首脳の娘という設定という好感度の美女がいて、これは欠かさず観ていたのだが。
この本ではエジプトとイスラエルとの絶え間ない武力抗争のなかで、ナセル元エジプト大統領の女婿が自国の最高機密をイスラエル側に売るスパイになって、 ついには暗殺された「史実めく事実」を書いた本なのだが、なんら自前に感触しうる美点もない書き物と分かり、読み継ぐのを断念。わたしは人気の映画でも 「007」シリーズはあまり好まない。
2020 10/4 227

* 俵万智さんが、新しい歌集を送ってきてくれた。もう若くない、が、言葉は吟味できていながら創作としては「お子様ランチ」の味とすがたのようであっ た。二千年の歌史のこの辺が「終点」ということなのだろうか。日本語の内的な発火力はもうこの辺で「停止」するのだろうか。
2020 10/4 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 夫婦の愛

★ わが夫(つま)は吾(あ)を遺しては死にまさじと
思ひてをりき謂(いは)れなけれど     稲富 歌子

☆ まったく「謂れ」ない安心であった。そんなことは百も二百も承知で、しかしそう信じて来て、信じたとおりではなかったこの…「死なれた者」の辛さ。「死にまさじと」という敬語が痛切に利いている。そこにこの作者夫婦の愛の姿までが読める。
心にしみる歌。 「コスモス」昭和四九年五月号から採った。

★ 我も覚め夫も目覚めて暗闇に
言葉交しし夜もありにき    川村 千代

☆ 身も世もなく崩折れた辛い死を見送ってから、いつしかに 歳月は流れた。やっと、昔、夫と枕を並べていた夜のことどもがこんなふうに静かに思い出せるようになった。とは言え、年老い静かに、夜半も過ぎて眠りがた い独り寝の床でのこと…と、言い知れぬ寂しみに歌一首がしんみりと優しい。
作者は、だが、たしかに今また、「暗闇」でといわずいつ何時といわず、夫と、自在に「言葉交し」えているのだろう。
この作者、父親のちがう、母親がおなじ、私の姉。とうに死なれてしまった。生前に一度だけ顔を合わせ、たくさんたくさん文通した。 昭和五七年の合同歌集『箱舟』所収。

* 「夫婦の愛」の章を、終える。
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* 書庫から大きな重たい日本史年表の幕末近代編を二册もちだし、見にくい眼を駆使・苦使して詳細に読み耽っていた。おおかた頭に入っているのを確認しつつ、新たな知見があるかと。
疲れた。ほとほと疲れた。五時になる。休息、休息。
正確を期して編まれた大小の歴史年表は、絶対の必需品。そして愛読書にも部類される。私が自前のお金をかけて手に入れる本の最右翼が、これら。そして、大小の辞書・辞典・また事典。
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* このところの床についてからの長時間「渉猟」気味の読書ヘキには自身いささかヘキエキしている。読む読書に加わってぜひ必要な調べて確かめる読書がこのところ輻輳、やむをえないのだが。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 子への愛

★ 十五年待つにもあらず恋ひをりき
今吾に来てみごもる命よ      長崎 津矢子

☆ この慶び、いかばかりか。「十五年」がものを言う。しかも感情をよく抑えて一首の表現は誇らしいまで端正に、かつ活躍している。
「子」への愛は、何といってもこの「みごもる」ところから始まる。しかも身龍りの歓喜には、それに与(あずか)って力あった夫ないし男への愛も重なる。
この作者の場合、ほとほと諦めにちかい「待つにもあらず」であったかも知れず、それゆえの「恋ひをりき」は、ギりギリの表白として力がある。ことに下句 の一気に言い放った感動の深さには自然な「大いさ」さえ感じとれる。「命よ」の「よ」までしっかり働いている。 昭和四○年『三春柳』所収。

★ 花びらにくちびる触れてねむりいん
子のこと未生(みしょう)の仄明き闇    永田 和宏

☆ 現代短歌の若い旗手の一人。「ねむりいん」と、切れては いないのに切れた感じの三句に物足りなさはのこるが、愛するものが胚胎した不思議の「みごもり」を、「花びらにくちびるよせて」などとほのかに母子のエロ スの甘美も漂わせながら、いわば一の絶対他界かのように幻視した「視線のリズム」は美しい。
作者の意図にそこまで含まれていたかどうか判じかねるが、もし、「未生」の二字に、「子」ばかりでなく、「父母未生以前」も深々と覗き込まれているのな ら、第五句の魅力は神話的なシンフォニィを秘めている。私は、そう読んで愛誦してきた。 昭和五〇年『メビウスの地平』所収。
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* ローマのマルクス・アウレリウスは言う、祖父からは「清廉と温和」を、父からは「つつましさと雄々しさ」を、母からは「神を畏れ」「惜しみなく与え」「簡素な生活」を、家庭教師からは「労苦に耐え」「寡欲であり」「中傷に耳をかさぬ」ことを。
また心ある人らは云うている、「暴君の嫉妬と狡知と虚偽」がどんなものか、観よ」と。「私には暇がないと云うな」「自分の先生たちに関して心から善いことを云うこと」とも。
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* 今日は惘れたことに午前午後に二時間ずつ三度も寝入り、晩には『チャタレイ夫人の恋人』完訳版を、たいそうにいえば、こころ籠めて読み耽っていた。わ たしは処女作このかた「性」を大事に考え描写や表現にも心を用い続けてきた。「性」に真向かわない、真向き合えない作家をわたしは信用しない。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 子への愛

★ 芋の秋初孫ふぐり忘れずに    西島 麦南

☆ 男の子が生まれた。「芋」の連想で「ふぐり」が見えてく るおかしみ、が、めでたい。十七音が微塵の揺れなく「詩化」されている。この「詩化」の分からない歌人の多いのにグッタリくる。尋常な平明な言葉の一つ一 つが、朝日の光を浴びたように、新鮮に凛と立っている。「うひまご」が正しいだろうが、「はつまご」と読む人もあろう。その方が語感的に共鳴できるという のなら、この音楽、けっしてワルくない。 昭和五八年『西島麦南全句集』所収。

★ 万の朝万の目覚めのふしぎより
われの赤子の今朝在る不思議    池田 季実子

☆ 「万」の字は「まん」と思う。それとも「よろづ」と読ま せるのか、表記にもうすこし美学があってもいい。が、歌一首は率直を極めて、むしろ言い尽くし過ぎているくらい。だが言いたい気持ちはよく通じて、思わず 「そうでしょうとも」と声援したくなる。作者の過去に幾波乱が読み込めるほどの表現でも加わってあれば、この「不思議」にさらに感動が添うだろう。
言い尽くすことの微妙なマイナスも秘めながら、それでも 「今朝在る」の一句には惹く力がある。 「かりん」昭和五四年十月号から採った。
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☆ おはようございます。
(東工大同窓会=)蔵前工業会関西支部が毎月第一火曜日に開催している午餐会に行ってきました。お昼ごはんを食べて講演会を聞くスタイルの会です。卒業生の紹介があれば、どなたも参加できます。実際、今回お二人のご夫人が参加しておりました。
コロナの終息が見えませんが、母校の近況も知りたく、また先輩方のお顔も拝見したく思いまして、行きました。10年ぶりくらいになります。
今回は昭和40年卒業の菊池光治氏の「近江漫遊…Part Ⅲ」…滋賀の(祭り)・歴史・文学散歩がテーマの講演でした。菊池さんには「近江漫遊」という著書もあります。
源氏物語と近江、紫式部と石山寺、米原・山津照神社などについて、スライドを用いて講演されました。
私にとって、源氏物語と近江が少し近くなったかなという感じです。
概要をブログに書きました。
https://ameblo.jp/msibata/entry-12629925114.html
以上、近況でした。   e-old神戸

* 『近江漫遊』私の書庫にもありそう。育った京都と生母の故国である近江の本は、こころして手もとに置いてきたから。

* 近江漫遊なら、むしろ湖西、はるか溯って天智・天武・弘文天皇らが葛藤の「近江大津京」、さらには愛された女帝孝謙天皇から「恵美押勝」の名をもらっ て権勢をふるいながら、同じ重祚した称徳天皇に逐われ、琵琶湖畔で無残に斬殺された権臣藤原仲麻呂などの「湖西」の史実に凄みも哀れもあるのだが。
ないし、「瀬田の大橋」一つに限って、係わった多くの史実や伝説を集中的に語られると、興趣澎湃たるものがある。
源氏物語はまさしく世界に冠たる名作だけれど、紫式部と石山寺とには確たる物証も傍証もとらえにくく、後人付会の気味もあるとされている。石山寺が上流の婦女子のことに愛した小旅行の先であったのは明らかだけれども。

* 午後も夕食後も、もう十時過ぎて、随分時も覚えず「濹上隠士」と向き会い続けていた。こころもち冷え冷えもしてきたらしい、風邪をひくまい。瞼はもう、腫れあがった感じ。
2020 10/7 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 子への愛

★ 産みしより一時間ののち対面せる
わが子はもすでに一人の他人    篠塚 純子

☆ 措辞は乾いていっそ不器用に粗いが、「わが子はも・すで に一人の他人」とある表現に、いわば文明なり時代なりに対する批評を読むことが出来る。「他人」とは何で、他人でないなら、ではその相手は自身にとって真 実何なのかを問う思考の体系と、「親子」を不動の軸に人間関係を組立てる思考の体系とは、この日本でも鋭く一度衝突していい時期に今はある。
親子を、この作のように「他人」同士からの「愛ある出発」と考える歌は、かつて無かったかも知れない。 昭和五八年『線描の魚』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 緑子(みどりご)の欠(あく)びの口の美しき    『武玉川』第八篇

☆ 「あくび」の口、である。句そのものが、美しい。思わず口をついて出た、こういう物言いで「みどりご」を眺めていた視線も美しい。
何となく、と言うよりもたぶん間違いなく男の視線なのだろうと想うと、ひとしお句が面白い。江戸狂句の澄んだ佳い味わいである。

★ 水中に冷やせる桃のほのあかく
この涼しさをみどりご眠る    高野 公彦

☆ ほのあかい「水中の桃」の膚(はだ)が、「みどりご」のいとしい肌に重なり想われるのはむろんである。間然するところ無い、美しい短歌表現に、愛が匂う。 昭和五九年『水木』の巻末を飾った秀歌である。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 乳のますしぐさの何ぞけものめき
かなしかりけり子といふものは    斎藤 史

☆ 「何ぞけものめき」といったアクセントの利いた盛り上げ かたに、歌一首の内懐をぐっと深くする内在律の魅力がある。ここは認識といい表現といい、まるで、らくだの背のこぶのように歌に景色をつくっている。一字 一音といえども無駄に働いていない。しかも、なまじな人間味のうすっペらな感傷を超えて、互いに「けものめ」くことで初めて真実繋ぎ合わされた「子」への 共感を、母親は「かな(愛)しかりけり」と肯定している。斎藤史は「昭和」最高の歌人であった。 昭和十五年『魚歌』所収。

★ 乳房吸ふにそれぞれの持つ癖のあり
母のみが知る五人のわが子    塚越 つね

☆ 「子への愛」となると、勢いこういう捉えかたのものが多くなる。うなづくのにやぶさかではないが、必ずしも上出来の歌にはなっていない。いわばこれだけの事で、それ以上の表現は何か堅いものに浅くコツンと突き当たって、果てている。
さきの斎藤史の歌の、「何ぞけものめき」といった鋭い屈折がない。多くの母の思いを代弁しえていようが、「うったえ」の力は意外に弱い。多く、一般の歌はこの辺で力がとまりがちであるとの感想もふくめて、敢えて挙げておく。 『昭和萬葉集』巻二〇所収。
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* 午前しごとに疲れ、しばらく横になっていた。起きるとやや肌寒く、上着を、建日子の送ってくれた大きめ臙脂色のに替えた。似合うと妻か云う、小さい渋茶色のは妻に譲った、似合って見えた。
そこへ布川鴇さん編輯刊行、清雅な大判詩誌「午前」第十八号が送られて来た。知名の詩人たちが毎号に詩作とエッセイを寄せていて布川さんの清潔に美しい 日本語がしかと束ねている。「午前」はかの立原道造が生前に意図して果たさずに逝った詩誌の名と布川さんに聴いている。もう十八号かといろいろに歎声も漏 らしてしまう。
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* 部屋の明るいブルーライトと機械の同じそれとで眸が灼かれるとは早くから感じながら手立て無かったが、古い昔の電球で造作して、部屋は暗くなっても画 面とキイへじかに届く光線を替えてみた。ま、あたまの芯が疲れていては処置無いかも知れぬが。身辺とっぷりと、深夜かのようそんな中で明治八年の「讒謗 律」「新聞紙条例」に向き合っている。気の重さよ。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 万緑の中や吾子の歯生えそむる   中村 草田男

さんさんと木々の緑を洩れてふりやまぬ日の光のこまやかな恵みを、句の魅力そのものとして感じたい。「歯」一字に緑したたる木々の「葉」の光るちいささも重ねて読みたい。草田男俳句のすこやかに毅い一面が大きく「うた」われた。昭和十四年『火の島』所収。

★ 真白なる大根の根の肥ゆる頃
うまれて
やがて死にし児のあり     石川 啄木

☆ 「ましろ」でなく「まっしろなる」と読みたい。ぜひ同じ作者の次の二首とともに読みたい。

おそ秋の空気を
三尺四方ばかり
吸ひてわが児の死にゆきしかな

底知れぬ謎にむかひてあるごとし
死児のひたひに
またも手をやる

☆ ものみなの実りの秋である。
第一首一行めのイメージは豊かに象徴的だし「秋の空気」は明るく澄んでいる。その生きの命の健やかさに背くようにして、いとけない「わが子」がひとり死 んで行く。人と生まれ親となって最も悲痛な一瞬が歌われる。生も死も無力な親の目のまえで「底知れぬ謎」と化している。ただもう、死んでしまった子の額に うつけたように繰返し「手」を当てている。はかない「手当て」である。
この作者には「手」をうたった歌がひときわ多い。無神論者啄木でも 何か不思議な力が信じたい、こういう切羽つまった時こそは殊にそうだったろう。
啄木はそういう時「ぢつと手を見る」人だった。「死児のひたひにまたも手をやる」手当てびとだった。くやしい、せつない愛の「手」だった。
「手」を信じ「手」に失望した詩人。  明治四三年『一握の砂』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 若ければ道行き知らじ賂(まひ)はせむ
したへの使ひ負ひて通らせ    読人しらず

☆ 「古日」という名のいとけない男の子をなくした親の、長歌につづく反歌の一首で、二度と帰らぬ他界へ去って行く子を恋い思いわずらい、袖の下は使うから、どうか旅路の道案内の者らよ、幼い子を負うて行ってやってくれと歌う。切実。 『萬葉集』巻五所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ たらちねの抓(つま)までありや雛の鼻    与謝 蕪村

☆ 雛の鼻が低いのをからかっている。いやいや実は雛祭りを して祝ってやる子の鼻を、母親に抓んで貰わなかったのかとからかっている。本当はそう低いわけでない。それどころか年おさなくもない女を、わざと「抓まで ありや」と笑ったのなら、それも可笑しい。美しい句にエロスが匂う。

★ 既に寝し吾子(あこ)の小さき掌に
触るれば軽く指をにぎりぬ    小林 渓泉

☆ 正直、歌としては物足りない。あたまから順に直叙の散文にただ書き直せてしまう。歌の外形をなぞってみただけのこと、とも言える。
それなのに旋律が乏しいのではない。ごく自然に物を言ったのが、そのまま歌や句になったという例は、けっして古来すくなくない。これなどは普通の物言い とは明らかにちがうけれど、普通の物言いからの短歌的翻訳に過ぎぬとも言える。それならばかなり音感も語感もいい翻訳だ。
一等佳いのはここぞと思う瞬間を柔和に優しく把握したこと、そこの感動を逃さず歌ったことだ。親なら誰もこの嬉しい瞬間はよく記憶している。わが子の掌が夢に花ひらき花びらをとじるように、寝入ったまま指をそっと握って来た感触。 「歩道」昭和二九年三月号から採った。

★ 春のめだか雛の足あと山椒の実
それらのものの一つかわが子    中城 ふみ子

☆ 「なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」と書いた枕草子「うつくしきもの」の感覚を襲うていよう。強いてとれば、いま少し積極的な「生命賛歌」を読みたくもあるが、無理読みの必要はない。枕草子は佳いなと今さら見直す。
昭和二九年刊の著名な歌集『乳房喪失』の一冊で現代女流短歌のさきがけを成した歌人の、むしろ可憐に初々しい一首。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ ぢいちやんかといふ声幼く聞え来て
受話器の中をのぞきたくなる    神田 朴勝

☆ 昭和四八年四月二九日「毎日新聞」から採った。絵に描い たような素人の歌、投稿歌である。直接話法あり文語と口語との混じりもあり、ほとんど散文そのまま並べ換えもせずにチョッとはさみを入れた程度だ。が、だ から詩でないか歌でないかというと、すばらしい詩だ佳い歌だとはよう言わないが、「ぢいちやん」の耳と目に、その反応や動きに、共感を惜しむ気はしない。 一緒に耳を澄まし、一緒に「受話器の中をのぞきたくなる」。
事柄に共感するのと、詩歌の効果に共感するのとは違うと異を唱える人があっても私は反対するものでない、が、さて、この歌の場合がどうなのか。六・四・ 四・五音で組み立てた上句に意外にいわば鼓動する律がある。「受話器の中」という、いわば意味を詰め込んだ音の塊から「のぞきたくなる」という率直簡明な 和語が流れ出てくるのにも、巧まぬ誘いがある。藝能の方の言葉に「へたうま」というのがあるそうだが、無意識に出た巧みがこの作品にはある。
「ぢいちやん」の心の旋律と「孫」の心の旋律とが相乗効果を素直に生んだのなら、これはやはり詩のよろこびに相違ない。

★ 花びらの如き手袋忘れゆき
しばらくは来ぬわが幼な孫    出浦 やす子

☆ 「しばらくは」の一句に「おばあちやん」の待ちかねた・ いくらかはスネタみたいな可愛らしい「平気顔」が透けて見えて面白い。それだけに「来ぬ」が「きぬ」でなく「こぬ」である否定の表記に一工夫欲しかった。 そこでの一瞬の判断を読者としては嫌うからだ。歌の効果としても嫌うからだ。
初二句は、必ずしもオリジナルな表現かどうか分からないが、なおこの一首の中では佳い歌声になりえている。 昭和四三年『紫蘇の実』所収。
2020 10/14 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ ふといでしをさなのおならちひさくて
拾へと言へば拾ふ真似する    吉井 千秋

☆ これも枕草子の「うつくしきもの」の段に、いとけない子が這い歩きながら、小さい指さきにふと塵をつまみあげるのが愛らしいと眺めていた、あの系統の視線に支えられている。ひょっとして直接の示唆をえていたかも知れぬ。いないかも知れぬ。
「平和」も「愛」も、こういう場面を見落とさぬ視線や態度から鍛えられて行くのだろう。情に訴えるナマな表現はひとつもなく、しかも情に溢れている。 「ことたま」昭和二八年十二月号から採った。

★ 混み合へる人なかにして木耳(きくらげ)の
如く湿れる子の手を引けり    長谷川 竹夫

☆ 「木耳の如く湿れる子の手」に私は感心した。幼稚園まえ の手は確かにこうだ。「湿れる」といいつつ湿っている事よりも、柔かい事にことに父親は愛を感じている。まして混み合っている「人なか」なればこそ紛れな い我が子の「手」である事に、心動く。離してはならぬと思う。その気持ちが伝わるのか「子の手」にもふと力が龍もる。
群衆に揉まれ父も子も寂しくて、だから、愛が在る。「引けり」という力に意味が出る。 「歩道」昭和二二年三・四月合併号から採った。

★ 一家みな襤褸(らんる)なれどもをさな児は
紅(こう)を刷きたる耳朶(みみたぶ)をもつ    草野 比佐男

☆ 「まされる宝子にしかめやも」以来の心意気か。「耳朶」 は「みみたぶ」と読みたい。「じだをもつ」と五音で引締めて読むのも可能だが、ムリをせずともよい。「一家」「襤褸」「紅(こう)を刷く」といった締まっ た音に「をさな児」「みみたぶ」が対照の妙を得ているのだから。
小児の清潔感を、かほど澄んだ空気か梅の花かのように描いた詩句を知らない。「襤褸なれども」とは、言うまでもない物質的には貧しいけれどもの意であり、心までは貧相でないとの気概を、愛が支持している。 昭和三二年『現代襤褸派』所収。

* 短歌は 詩 であり うた である。それが根元の約束だと思う。この三首のうたの 美しく 心やさしく 言葉の清いことはどうだろう。最近に送られて くる結社歌誌にこんなみごとな「うた」はめったに見当たらず、瓦礫や汚泥を踏むようなのが悲しい限り。しかも主宰の作の、逃げ隠れたように、探さねばみつ けにくいのも数ある、ヘン じゃないですか。
2020 10/15 227

* 入浴、湯の中で「チャタレイ夫人」を読み、「誤解だらけの佛教」論にも惹き込まれ、これはこれで私には佳い時間なのです。
2020 10/15 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 吾と臥す肉薄き孫の背を撫でつ
此の子を召さむいくさあらすな    吉岡 季美

☆ 上句はいかにも練れていないが、「いくさあらすな」の願いにも、この表現にも、心ひかれる。
最愛の夫に死なれた作者の歌集『捧ぐる花』(昭和五六年)に収められていた。短歌にせよ俳句にせよ、しみじみ日本人の暮しと心とに根をおろしていることを思う。この根、大切にしたい。

★ あはれ子の夜寒の床の引けば寄る    中村 汀女

☆ 寒夜、親は子の、子は親の肌のぬくもりに思わず「引き」もし「引かれ」もするのだが、それとても親は暖めてやりたさが先立ち、子は嬉しさで待っていたようにすばやく寄り添って来る。「あはれ」は母の愛の、だが母が自愛の声でもある。 『汀女句集』所収。
もっともこの句、汀女の句、当然母の子を吟じた句と知らずに読めば、男が女を「引けば寄る」とも読めて、それはまたなかなかの佳句になる。「子」という物言いにその情趣、用例として矛盾しないからだ。
いわばこの句の魅力には、言い知れないエロスのそれが下に隠れているのである。

★ 物言ひてもえぎの蚊帳をくぐり来る
我児は清しうら寒きほど    与謝野 鉄幹

☆ 煩わしいが、「モノいいてモえギのカヤをクグりクるわガ コはキヨしうらさむキほど」とこう書いてみて、カタカナの音鎖が、一首のなかで、うるさくなくハーモナイズしているのに気がつかれるだろう。「モノ」 「モ・ノ」の調子のいい繰返し、「カ」行音の清く寒き反復をやわらげている「ヤ」行音の暖かい効果。
意図して出来ることでなく、やはり天性の語感がさせる言葉の斡旋。但し斡旋もやや過ぎたかこの歌は、それでも必ずしも十全の成功作と私には見えていな い。息づかいが浅く短く、「我児は清し」もセッカチに露骨なのだ。だが「うら寒きほど」の表現力で持ち堪えた。「うら」は「心」 しいて謂えば「心裏」です。 大正四年『鵜と雨』所収。 2020 10/16 227

* 孜々として読むに足り読まねば済まない面白い漢文を、返り点にたすけられ、読んでいる。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ わが顔を描(ゑが)きゐし子が唐突に
頬ずりをせりかなしきかなや     岡野 弘彦

☆ 「かなしきかなや」に音楽がある。「かなしからずや」で は一首がもろともに平凡に落着いてしまう。子への「愛」と、それをいわば「煩悩」とも感じ微妙な「かなしきかなや」の葛藤が読める。「唐突に」は、子のふ るまいの突然以上に、それに反応している親自身の、のどもとへこみ上げてきた突き刺すような「かなし=愛し」へと繋がる効果がある。
子も生きもの、親も生きものだ。底ぐらい生きものだ。  昭和四二年『冬の家族』所収。

★ おどおどと世に処す父に頬を寄す
子は三年を生きしばかりに     島田 修二

☆ 生きがたく生きてようやく三歳になった可憐な子、その頬ずりに力づけられている父。
世に生きるキツさをこう歌ったのが、胸を打つ。 昭和三八年『花火の星』所収。

★ 立人(たつと)君また政子君幼な子の
抽象ならぬ友なれば愛し     島田 修二

☆ 同じ『花火の星』所収の歌。 たぐい稀に面白い歌の一つだ。子の世界を傍観しつつ大人の世界により太く苦い根が下りている。「抽象ならぬ友」ほどの心憎い表現にお目にかかることは、三年五年のうちにも稀だ。
まこと 大人が「友」と抽象的にただ呼んでいる日常世間の、ほこりッぽく心苦いこと。
この歌には「愛しい」子らもやがてそうなる日々への、余儀ない恐れや哀れみが籠もっていると読みたいが、それほどの余裕すらなく、作者は、自身の現在を、苦く胸底に見つめているようだ。先の歌とともに、作者の悲しみは深い。
2020 10/17 227

* 父ローマ皇帝からは、神々に対しては迷信を懐かず、人に対しては人気を博そうとせず、きげんをとろうとも媚びようともせず、卑俗に堕さず、新奇をてらいもしなかった ことを学んだ。
大部分の人間が節するには弱すぎ、享楽するには耽溺しすぎることを 父は 節しまた楽しめた。不屈の魂をもった人間のそれは特徴だ。 マルクス・アウレリウス

* かかる往古も往古の聖者が自省の弁んら、いま二千歳数万里を遠のいた日本国の幕末と明治初をわたくしは、オモロイはまことに面白い著述を延々漢文で訓 み解き書き写しているのだから、なんというヒマ仁かとだれより私自身が惘れているが、藪しらず八幡の藪に踏み込んでしまったのだか、することをし終えない と脱出できない。せめてはこの苦心惨憺が酬われてくれるといいのだが。
二編ある一編30頁の6頁ほどを平文にするだけで何日を要したろう、今日も草臥れて倚子のまま機械の前で居眠りしていた。ああ寝てしまってるなと二度ほど気づき掛けたが、そのまま暗闇にいた。
もしそれ全部が読みやすい今日日常の言葉に訳されていたら面白さに手放すまいが、堪えて口訳のの任に誰も就かず本になる時は漢文のままなのは、ま、原著 者の学殖ただならず漢字漢語の多彩に豊沃に過ぎて、大字典が手放せない。しかも、少なくも私は引きつけられた。やれやれ。
2020 10/17 227

* 早めの夕食後、床に坐って。「チャタレイ夫人の恋人」「宇治十帖 總角」「誤解されている佛教」「ホメロスの イーリアス」を読んでいた、どれもそれそれに強く惹きつけてくれる。
2020 10/17 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

このあたりで、娘と息子とを歌った詩二篇を挙げよう。

★ 神は自分に一人の女を与へた。
女は娘といふ形で
おれとともに生活をし出した。
おれは剣をさげ
この城の番人になり
神をもまだ軽蔑しないでゐる。     室生 犀星

☆ 昭和三年の詩集『鶴』から「愚者の剣」を採った。
この作家の詩として 特に優れたものとは言えまい。「子」を歌って陥りやすい甘さに、やはりまみれている。最後の一行がやや面白い。
次は佐藤惣之助の『季節の馬車』(大正十一年)から、「女の幼き息子に」を採った。

★ 幼き息子よ
その清らかな眼つきの水平線に
私はいつも真白な帆のやうに現はれよう
おまへのための南風のやうな若い母を
どんなに私が愛すればとて
その小さい視神経を明るくして
六月の山脈を見るやうに
はればれとこの私を感じておくれ
私はおまへの生の燈台である母とならんで
おまへのまつ毛にもつとも楽しい灯をつけてあげられるやうに
私の心霊を海へ放つて清めて来ようから。          佐藤 惣之助

☆ すぐれた詩人だった。ことにこの『季節の馬車』は佳い詩集であり、もっと広く愛されていい。
この詩には、死の後にさえも久しく愛児を見守ろうという親の愛と覚悟とともに、子の母への純潔な愛も籠められている。
言葉の選択や響きも美しく、愛誦に堪える。
2020 10/18 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

このあたりで、娘と息子とを歌った詩二篇を挙げよう。

★ 神は自分に一人の女を与へた。
女は娘といふ形で
おれとともに生活をし出した。
おれは剣をさげ
この城の番人になり
神をもまだ軽蔑しないでゐる。     室生 犀星

☆ 昭和三年の詩集『鶴』から「愚者の剣」を採った。
この作家の詩として 特に優れたものとは言えまい。「子」を歌って陥りやすい甘さに、やはりまみれている。最後の一行がやや面白い。
次は佐藤惣之助の『季節の馬車』(大正十一年)から、「女の幼き息子に」を採った。

★ 幼き息子よ
その清らかな眼つきの水平線に
私はいつも真白な帆のやうに現はれよう
おまへのための南風のやうな若い母を
どんなに私が愛すればとて
その小さい視神経を明るくして
六月の山脈を見るやうに
はればれとこの私を感じておくれ
私はおまへの生の燈台である母とならんで
おまへのまつ毛にもつとも楽しい灯をつけてあげられるやうに
私の心霊を海へ放つて清めて来ようから。          佐藤 惣之助

☆ すぐれた詩人だった。ことにこの『季節の馬車』は佳い詩集であり、もっと広く愛されていい。
この詩には、死の後にさえも久しく愛児を見守ろうという親の愛と覚悟とともに、子の母への純潔な愛も籠められている。
言葉の選択や響きも美しく、愛誦に堪える。
2020 10/19 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 送り火や音なくそよぎゐる草木   上村 占魚

☆ 昭和四〇年に作の、『萩山』所収句。 作者の実情をはなれても、悲しみにたえた挽歌として、如何ようにも深く読めよう。「送り火」をちいさな門火とみてよく、京の山焼き大文字かのようにみてもいい。
死なれた悲しみに 草木の「そよぎ」が無量の言葉で語りかけるのだ。まして先立ったのが、我が子ならば。

★ 此秋は膝に子のない月見かな    上島 鬼貫

☆ 「ことし正月のけふ子にをくれて」とある。
膝のうつろに籠もるように月明りが皓い。「月」世界に去った子と詠嘆しているのである、かぐや姫のように可愛い女の子であったか。
「月見かな」にのせられ、ただ風流にこの「月」を見てはならぬ。作者は江戸時代前期の人。

★ 色紙にカアサマとある小(ち)さい竹    真苦呂

☆ むろん七夕、星祭り。笹の葉さらさら揺れる軒端の色紙や短冊に見つけた悲しい、カタカナ。
「いろがみ」と読みたい。「カアサマ」に似合う。「小さい竹」なのが哀れ深く、いまも貰い泣きをしながら書いている。
母への愛だが、幼な子の悲しみに優しく目をそそぐ大人の愛をよしと見て、ここへ採った。 昭和五八年刊の林富士馬著『川柳のたのしみ』から採った。
2020 10/20 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 養家にも吾家にも容れられがたき子よ
家庭裁判所の廊下を駈け来る     古谷 浩章

☆ 判事か調停委員か。行き悩んだややこしい事情の事件を手がけているのだろうか。その焦点にある当の少年が、屈託があってか無くてか廊下をむやみに駈けて来る。
可哀そうにというよりも、一首の口調に、幸せになれよというほどの愛と励ましが感じられる。 昭和五二年『実存』所収。

★ 病める子よきみが名附くるごろさんの
しきり啼く夜ぞゴロスケホウッホウ
梟(ふくろう)は梅雨竹群(たかむら)に啼きてをり
病む子の寝汗拭きてやるとき     宮 柊二

☆ 昭和二八年『日本挽歌』所収の好もしい歌として記憶して 来た。「ごろさん」は「梟」の、地方によって通称である筈。啼き声からきた愛称なのだろう、それがこの歌では実に心暖かに利いている。「梅雨竹群」が「つ ゆたかむら」なのか「つゆたけむら」なのかルビはないが私は「たかむら」と読んだ。この四字に季節と夜との空気が濃縮している。
ここは「梟」でなくては絶対いけないなどと余計な事まで思う。父と「梟」とで「病む子」を祈り励ましているのだ、少なくも父親はそう願い「梟」に援軍を 依頼してさえいるのだろう。この二首には「世界」があり、深い「交感」が生きている。「きみが」といった呼びかけが甘くなく、またそこに父親の励ましも、 祈願もが表現し尽されている。
2020 10/21 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 子を打てばあまりに淡く細きゆゑ
花打つごときかなしみ走る     新井 貞子

☆ 気持ちはたいそうよく分かる。歌一首に代弁された思いの、殊に母親は多かろう。言うまでもない走る「かなしみ」には「愛」と「哀」とが入り混じる。
歌に即していえばいくらか気になる点もある。キイの一つは「子を打てば」「花打つ」だろう。照応して妙か「打」ち重なりか。また、「あまりに」「細く」 そして「かなしみ」と、みな直に過ぎた感じ。ひとかどの歌人と思うだけに表現への根気が望まれる。 昭和五五年『霊歌祭』所収。

★ かなしきは、
(われもしかりき)
叱れども、打てども泣かぬ児の心なる。

児を叱れば、
泣いて、寝入りぬ。
口すこしあけし寐顔にさはりてみるかな。   石川 啄木

☆ 子を叱る歌のオリジナルであろうか。「叱れども、打てども」泣くに泣けぬ心で親は叱り打っている。暮しの不如意が親を叱らせ子を泣かせない。せめてひとなみに泣いて欲しい、自分の代りに泣いて欲しいと、親は空しく悲しい。
(われも然りき)は、単純に性質の事だけが言われていない。交替という事のない貧しさへの憤りもある。結局泣かせて寝入らせて、親はますますやり切れない。
「死児のひたひにまたも」置いたと変わりない祈願の「手」が、ここでも愛児の頬へ動いている。 明治四五年没後の第二歌集『悲しき玩具』所収。
2020 10/22 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ おとうさまと書き添へて肖像画貼られあり
何といふ吾が鼻のひらたさ     宮 柊二

☆ この手の歌はいくらもいくらもある。一度は親はこういう 嬉しい苦笑いで、幸福を味わう。さすがに作者は尋常な歌材をそつなく纏め切っている。初句の一字字余りがかえって一首の息を整えているのに気づいて欲し い。こうでないと二句の十音は保てない上に「貼られあり」が軽い技だ。ここの句切りが「何といふ」という弾んだ物言いを「うた」にしている。おかしい。く すんと笑ってしまう。
作者の鼻は事実平たいのかしらん、それとも平たくなんぞないのかしらんと想像し、そのどっちでももう一度くすんと来るに違いないところが楽しい。  『日本挽歌』所収。

★ ビイ玉を透かし見る子へ夕焼ける     奥田 杏牛

☆ 佳いところを見るものだ。
むろん子は夕焼けの方へ敢えてビイ王を挙げて「透かし見」ている。その子にもビイ玉にも、もろともに惜しみなく夕焼けている大自然の恵み、私にも覚えがある。
が、そんなふうにあたかも自分の心を1覗き見」ていた少年の寂しみに、こう的確に目をとめていてくれた大人が、あの時にもいたのだろうかと懐かしい。
都会でよし、田舎でもいい佳い句だ。  昭和五二年『初心』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 下校せし児らそれぞれの性(さが)見せて
少しづつ向きの異なれる椅子    白土 のぶ

☆ 極めて具体的のようで、かなり観念的な処理の利いた歌か、とも私は思う。1それぞれの性」は「少しづつ向きの異なれ椅子」で、「見」えるとも、そうは行くまいとも言えるから。
だが発見に富んだ教師ならではの生活短歌なのかも知れぬ。前出の、「乳房吸ふにそれぞれの持つ癖のあり」という「母のみが知る」歌と、同巧異類か。 昭和五九年『川傍の町』所収。
同じ作者の 「古今」昭和五九年九月号 「わが痛む手を気づかひて跳びあがり跳び上がり板書(ばんしょ)消してくれし児」は、惜しいことに初二句が作者のことか生徒のことかどっちにも取れる難がある。なにより、発表前に自身の作をまず批評できることが大切。
2020 10/24 227

* これも秦の祖父が遺してくれた旧蔵書の一部だが、東京博文館蔵版明治四十一年一月十五日發行の「支那文学全書」第廿四編、城井壽章講述の『史記列傳講義」上下巻があり、上巻を「伯夷列伝第一」から読み進んでいる。
古来篤学の者は、學者・讀者みな信を六藝に、すなわち書経・詩経・易経・春秋・礼記・樂記に置いていたが残欠もあり、しかおなお虞夏の文に信倚してきた。それらを見るに、堯から舜へまた禹へ禅譲と謙遜との史実が深く尊崇されてある。
王位といい丞相の位といい、後世はひたすら手にした権柄にしがみつき、権位をただ私して手放さない。その見苦しさ汚さ。
昔には、天下の位を譲ろうと云われると、恥じて逃げ隠れして容易には受けなかった。史記列伝の第一に伯夷叔齋の兄弟が云われてあるのも、同じその類で あった。父孤竹君が我が子の弟叔齋に地位を譲る気で死し、兄伯夷有る弟は恥じて身を遁れ、弟の兄も父の遺志に添わぬ事と、やはり身をのがれた。余儀なく間 の子が継いだ。
伯夷叔齋ともに優れた人で、他国の主君に仕えて偉才を発揮したといわれる。
このような事を史記列伝第一の「伯夷」は簡潔に感動的に伝えてくれる。

* 永く地位にしがみついたのを在位新記録更新などと誇るも騒ぐもいかに見苦しく汚い心根か。堯も舜も禹も、真っ逆さまな「譲る」行いにより、最良の国 政・民生を実現したのだった。習近平に限らず、安倍も見苦しかった、トランブは下愚の骨頂をとくとくと演じている。恥無き者らよ。
2020 10/24 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 竹馬の伏目のまヽに通り過ぐ    福永 耕二

☆ むろん「伏目」が眼目だろう。緊張して足もとをしっかり見て見て通り過ぎて行く、それもあろう。
が、それだけでは「伏」せた「目」という効果が取りにくい。どうだい竹馬だぜ、見てよ、乗れるんだよという意気ごみと、微妙な照れと。そこに少年の心をすかさず見抜いた作者の、大人心。
きっと作者にも覚えが、あるのだ。気になる女の子の家の前かも。  『鳥語』所収。

★ こんにちわさよならを美しくいう少女    岸本 吟一

☆ 虚をつかれたような所がある。川柳の武器だ。こういう少女にこそいつも逢いたい。
それ以上はいっそ付け加えまい。 昭和五八年の林富士馬著『川柳のたのしみ』から採った。

★ うさぎ当番に行きていつまで帰り来ぬ
子は遊べるか兎とともに    篠塚 純子

☆ 「うさぎ当番」は分かる。これは一見、只事歌の見本のように読める。が、「子は遊べるか兎とともに」は考えさせる。「当番」の義務にかかずらわっているという風には見ない。「子」は「兎とともに」に没頭して別世界を築き、母との世界を忘れているのである。
「子」とは、そういうものと認識しつつ母の空虚は大きい。「子」は男の子と読める。そしてやがて「うさぎ当番」はひろい社会と取れて来る。「兎」は、学問とも仕事とも恋人とも取れて来る。
「子」は行ったら行った先に母の知らぬ「世界」をつくり「いつまで」も帰って来ない。そういう「子」を喜び励ましてもやらねばならぬ「母」かと、この作者は考えたかどうか。 深読みの利く歌になっている。 昭和五八年『線描の魚』所収。

★ 汗くさくおでこでクラス一番で    篠塚 しげる

☆ 俳誌「大桜」を指導している、虚子門の作者が、たぶん高 校はじめ位なわが娘を一筆でクロッキーした句か。「クラス一番」を学業成績と取るより、たとえば運動会の徒競走などと読む方が息づかいまで聞こえて、「お 父さん、やったでしょ」と観客席の父へ手を振るさままで目に見えて、面白いのだが。
だがその方が尋常過ぎて、やはり、日常なにげなく父と娘がパッと廊下ででも擦れ違う瞬間の「父」の自愛であっていい。 昭和三三年『曼陀羅』所収。
2020 10/25 227

* 九十五歳の色川大吉先生気概の新大作『不知火海民衆史』上(論説編)下巻(聞き書き編)を頂戴した。読むにしたがい進むにつれて、本の帯に謂う「畢生の大作」「渾身の大著」を裏切らない。畢生どころか、まだまだ井川先生、先があられる。私も一回り若く、気丈に別の道から、ついて行きたい。
私は、根が、山よりも海へ惹かれるタチ、それは「清経入水」「みごもりの湖」等から「四度の瀧」「花方」等へ眺めて歴然としている、が、まだ九州の海へは意識が遠かった。新しい世界が見えてくるかも。
2020 10/25 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 自閉症の子にやりたきをやらせをり
米をとぎ一粒の米も零(こぼ)さず    真行寺 四郎

☆ 愛と、憤りとが感じとれて胸に残る。作者の事情は知らないから、これをあるいは指導する教師の歌かとも読めるが、私は、親の歌と読んでいる。「親だなぁ」と思った。愛だけでない、せつないような憤りの口調にもそれを感じた。 昭和五一年『風葉』所収。

★ 強くなれ強くなれと子をわれは
右より大きく上手投げうつ    福田 栄一

☆ 「組みつきし子の手も足もあたたかしこの子の父かわれの貧しさ」とも、同じ作者にある。ともにやや感傷に流れていないでもないが、相撲の歌など、父親ならば、男の子をもてば(女の子でさえ)きっと同じ思いも同じふるまいもして来たはず。
一つの型が出来ているようで、しかも「右より大きく」には具体的の面白さが躍如としている。 昭和十八年『時間』所収。
2020 10/26 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 光の中を駈けぬけて吾子母の日に
花弁のごとき生理もちくる     嵯峨 美津江

☆ 初句にひと工夫欲しいが、歌はおそらく事実以以上に創作 された顔もしていて、それなりに新鮮に読めるし、微笑もさせる。「吾子」の置きかたはむりで、むしろ「吾子(あこ)は」とか、率直に「洋子は」とか「みど りは」とか実名で一字字余りくらいに訴えてみるのも手だったろう。
「花弁のごとき生理もちくる」は、母の心象と読みたい。「母の日」に当てて事実どおりでは、妙に作為じみ、ナマナマしくもある、か。 昭和四九年『鶴の序章』所収。

★ 生々(いきいき)となりしわが声か将棋さして
少年のお前に追ひつめられながら    森岡 貞香

☆ 間のびはいなめない末句だが、それを敢えてして何とか勝負に遁げあしの長きを計っている感じが面白い。
「少年のお前に追ひつめられ」ると自分の声が思わず「生々と」してくる、この発見に「母」の凄みがある。いっそ神の造化の不思議のようなものを想像させるほど、力がある。「少年」に、絶対の表現がある。さながらのキュピッドである。 昭和三一年『未知』所収。

★ 人間は死ぬべきものと知りし子の
「わざと死ぬな」とこのごろ言へる     篠塚 純子

☆ 「口の辺に髭ほのかなる子がわれに保護者のやうなものいひなせる」と同じ作者がうたった時には、もう「子」は大人に近づいていた。ここに出した歌では「子」はまだ、あどけない顔ともの言いをしていたかと想像される。
これは「子」から「母」への愛の歌といった方がいいのかも知れぬ。が、さらに言うなら、愛以上の本能的な予感が「子」を催している。作者は予感を肯定も否定もせぬことで、むしろ「子」の愛からかすかに身を守っている。
癒着型の「子」への愛の歌が多くなりやすいなかで、沈着に自立した「母」の「このごろ」が浮かび出る。「子」も懸命になにかを見つめている。「父」ない し「夫」の姿が欠け落ちているのが歌の「含み」になっている。巧者な詠み口ではまるでないが、きれいに乾燥した知性を感じさせる。 昭和五八年『線描の 魚』所収。

* 朝の、いの一に佳い詩句にふれる宜しさをわたくしは日々満喫している。
2020 10/27 227

* 元「週間朝日」におられ、私に京都と京ことばについて書き続けるキッカケを頂いた、実はたいそう食通の重金敦之さん、『落語の行間 日本語の了見』なる新著を下さった。「なぜ八っつあんと熊さんの会話は面白いのか」と帯にある。読まざらめやも。

* 新・フェミニズム批評の会がまとめられた『昭和後期女性文学論』を、共著者35人の一人、岩淵宏子(日本女子大名誉教授)さんが送って下さった。「昭和後期」とは敗戦後ということになる。
わたしは何人かの研究者に早くから男女となく『戦後日本文学史』が必要で欲しいと望み続けてきたが、もう在るのかまだ無いのか、この大仕事に単独で挑め る剛力かつ博覧の批評家がいないのかねと思い続けている。東工大教授を定年で六十歳定年で引いた時が一つのチャンスだったろうが、私の思いはやはり創作と 「湖の本」出版に寄っていた。当然であった。「時代」を「読む」のは大事で興味深い仕事。覗き読んでみよう。
2020 10/27 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 海に向き思ひ切り叫ぶ少年の
総身直なる筒となりゆく     青井 史

★ くれなゐの椿の花を掃きてをる
少年のうなじ鞘なきかなしみ     前 登志夫

☆ 前者は昭和五八年『花の未来説』から、後者は『前登志夫歌集』から採った。ともに佳い歌だと思う。ともに、読者から歌の表現へ身を寄せ踏み込んで読む必要があると思う。
例えば「筒」に、例えば「鞘」に。
思い切り声あげて叫ぶ時、全身にみなぎる力と意気とが一瞬みごとな芯になって「少年」の姿態をかがやかせる。説明的な凹凸の一切を燃焼させて存在そのものになる。声という名の「命」をふき上げる一管の笛になる。それが母には「男」ともまた見えたに相違ない。
青井の母の歌に対し、前の歌では、成熟した男が少年を見ている。清潔そのものの「うなじ」を持った少年に目をとめ、そのような少年では早やない作者の 「かなしみ」が移入される。上三句の美しさに、青春の残酷を意識もしていない「少年」の無心が描かれ、それを知るゆえに作者の目には、ひとしお「うなじ」 の伸びの露出された清さがあやういとまで映る。
その剣のように清くて危険な美しいものを収めとれる、鞘。優しい鞘。豊かな鞘。そんな鞘があるとも無いとも気づかぬらしい「少年」を愛し、しかも自身 「うなじ」の清さも失い、佳い「鞘」ともなりようがない男性作者は、いわば少年のやがて鞘を望んで容易には出会えまい「かなしみ」を先取りしてやってい る。
2020 10/28 227

* 昨夜も、また『史記列傳講義』の「伯夷列傳第一」を読み返していた。
上古の中国では、堯は舜に、舜は禹にと譲りつづけて聖代と頌えられ、その「譲國」ひいて譲権の習いこそが、一に尊敬の思いと共にひろく人間世間にもひろ がった。司馬遷が「史記列伝」の冒頭に「伯夷列伝」を据えたのも、最もそれが自然にして当然の高徳とみたからであろう。伯夷と叔齋とは諸侯の一人に生まれ た兄弟であった。父が末子叔齋に家督をと慮い謂いながら死去すると、叔齋は長兄の伯夷こそ継ぐべしと譲り、兄は父の遺志に背かんやと家督を恥じて他郷へ逃 げ去り、叔齋もまた恥じて遁れた。しかたなく臣民は強いて仲子に諸侯の地位を継がせた。伯夷と叔齋とは他国の王に仕えて善政著しい仲にも、それぞれの真価 を発揮しつつも権威を恥じて地位を「譲る」こと怠らなかった。卓越の史家司馬遷は絶世の大著『史記』の「列伝第一」をこの伯夷叔齋を以て書き起こしてい る。

* 見よ。いま中国主席は自身の権勢と地位とを任期・互選の制を蹴って退け、自分の死まで、死後は遺族が継ぐべくあからさまに画策しているという。
中国は、「恥づる人格」を蹴転がしに蹂躙して恥無き國に陥ろうとしている、すでにむざんに陥っている。
近くは、かの安倍晋三「総理」を廻っては、「譲る」どころか在位の長きに失するを以て誇りまた周囲も褒めそやしていた。「恥」を知らない連中は、堯舜禹や伯夷叔齋や司馬遷の故事と教訓にまこと無縁の屑の如きであったと見える。

* 秦の祖父が遺してくれた蔵書の山には、この『史記列傳講義』にならぶ各書が揃っていて、明治期の学者達が、それぞれに実に丁寧に私に読ませてくれる。感謝に堪えない。
2020 10/28 227

* 猪瀬直樹君、「作家生活40年の集大成」とうたった『公 日本国・意思決定のマネージメントを問う』一冊を送ってくれた。大脱線の「都知事落第」とい う失着を考慮に入れれば、こんな「コラム記事なみ」手前味噌の仕事で、「事、終えた」かと謂うような按配は、かなり考えが甘い。もっともっと「作家」らし き本格の仕事をし遂げて、あの「都知事ブザマ」の尻ぬぐいを、しかとしてもらいたいと、友人として切に励ましたい。世の中を甘くちっちゃく嘗めていてはい けない。「作家」とはあつかましく、「評論家」までで安く足踏みしている感じ。惜しいと思うから、云う。久しく会わない。会いたい。
2020 10/28 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 子の未来語りあふ夜を風立ちて
父わが胸に鳴る虎落笛    来嶋 靖生

☆ 「父わが」の読みに、我なる父の意味とすでに亡いわが父 とを重ねたい。それでこそ「子」を思いつつ、そのように自分を思ってくれたわが父と生死の「境」を異にしつつ呼び交わすことが出来る。「虎落笛(もがりぶ え)」とは荒い垣根を鳴らして吹く風の音。そこまで「父」が来て、ともに思い悩み考えてくれているのだ。人生の風あらきさまをも想わせて、粛とする。 昭 和五九年『笛』所収。

★ もの言はず抗ふさまに居りし子が
部屋に竹刀を振り始めたり     大島 静子

☆ 「部屋」は、「子」の自室なのか現に母らのいる部屋なのかで、歌の表現は変わってくる。自室へ黙ってついと帰って行った子が、やがて素振りをはじめたらしいと母は察している歌だろう。親を威嚇しているのではない、子は子なりに堪えている。それを母は知っている。
親にも子にも覚えのある場面だ。 「アララギ」昭和四九年八月号から採った。
2020 10/29 227

* 「羅浮」の二字、初見と思われないのに、手近な大小の辞典、佛教語大辞典にも見当たらない。うすうす感じ取れている気もするのだが明快な解説に出会え ない。でたらめを書く人でない、家代々が徳川将軍家の家庭教師のような、それもこの人は二十歳前からさよう将軍の「侍講・侍讀」をつとめたような此の道の 俊秀なので、識りたいなと。我が家にはなお書庫に秦の祖父が残してくれた大きな故事成語辞典や平凡社の出田興生さんが背負って会社まで運んで呉れた「超」 重い二册上下の「大辞典」がある。何十册の事典を二冊に縮册した凄いものである。
目がいけなくて、事典を読むのもたいへんなこと。どうあっても識れないときは、漢学者の興膳宏さんに手紙で教えて頂く。

* エイヤっと白川静博士の『字統』で「羅」を見た。「羅」そのものは知れたように「うすぎぬ」「あみ」などと分かりよかった、そのうしろに、バッチリ 「羅浮」があり、「南海」の、夢想・幻想の「神山」と。ああそうかと合点ははやかった。初見の二字ではなかったから。今回の出会いでも、なるほどと納得も 想像も利いた。よかった。
言葉は、熟語は、よく識っていたい。だから嵩は高いし重いし場所はとるが、完備した大辞典・大事典、字解の類は仕事の必需品として手放さない。読み物はんりに処分しても、この手の書籍は手放さない。
2020 10/29 227

* ジーン・ハックマンの「フレンチ・コネクション 2」を、面白く見通した。この複雑味の男優を私はけっこう高く買っている。
十時前。もう、やすむ。床では、全訳版の『チャタレイ夫人の恋人』に魅されている。『史記列伝講義』も読む。目は疲れ方は張っているけれど。
2020 10/29 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 安んじて父われを責める子を見詰む
何故に生みしとやはり言ふのか     前田 芳彦

☆ 「安んじて」にやや問題を感じないでもない。1安んじ て……責める」のか「見詰」めるのか。いっそ両方にかけて対抗的に読むのが面白いかと私はみた。それにしてもこの表現は適切なのか甘いのか疑問が残る。自 信をもっての意味が本来なのに、ふと、安易に軽んじての意味を読みたくなる。
一首の魅力を私は「やはり言うのか」の結びから受けた。この父子の背後に、読者のあずかり知りようのない複雑な家の歴史を勘ぐり読む必要はない。「子」 が「親」に一度は言う台詞、この父もかつては自分の父や母に言ったに相違ない台詞。その台詞が今とび出したのだ。いわば文脈として「やはり」「安んじて」 を受けているのだ。こんな決り文句を「安んじて」出してくる子を、父は「安んじて」「見詰」めているのだ。
愛がなければ「見詰」めもすまい。 昭和五〇年『像たち』所収。
2020 10/30 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 花菜漬しくしくと娘(こ)に泣かれたる     清水 素人

☆ 軽い句だが、こういう場面にも「父」に独特の表情は見えてくる。ま、たいした事件ではあるまいが、それならそれで娘の「しくしく」は父親には苦手だ。母がいないのか。娘が用意してくれたせっかく「花菜漬」での晩酌が冷めてくる。
「泣かれ」と、受身なのがタジタジとよく利いている。 昭和五五年の合同句集『大綿』から採った。

★ 親の闇只友達が友達が     『武玉川』

☆ のらものを子にもった親の、口癖。だが、大概は本気でこう言いたがる。
それにしても日本の「友達」は値が安い。西洋のフレンドシップはついに日本では育たないのか。「親の闇」ゆえ「友達」は軽くされたと思える。
この愛、愛に相違なくとも癒着が過ぎる。
2020 10/31 227

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ さからはず家業の大工となりし子に
行儀作法を強ひるな妻よ     前田 米造

☆ どういう作者か、出典すら知れない。私は『昭和萬葉集』 巻十六から採っている。大方の短歌作者や批評家は、私がこういう作まで採るのを顔をしかめて見るやも知れぬ。「火の用心お千泣かかすな馬肥やせ」ほどの表 現もなく一種合い口の域をこえていない。短歌藝術にほど遠い、と。
だが和歌や短歌がこの国で、すくなくも表面すたれずに繁盛しえている根のところには、こういう述懐の風流が生きつづけてきたのも忘れてはなるまい。私の 九十ちかい父は文藝と無縁な職人あがりのラジオ屋だったが、それでも元日の祝い雑煮のあとなどに、きまって妙な歌や句らしきものを箸紙に書きつけ家族に披 露したりする。型としての風流心。
口にして喋ればこの大工さんの物言いも、夫婦喧嘩の一幕でおわる難儀かつ日常的な応酬で済んだろう。そこをこう短歌の形に「する」「してみる」と、まるで動作が所作に転じたような余裕と感慨に彩られる。口やかましい「妻」も聞く耳をもつだろう。
これも日本の「うた」だ。なまじな「藝術」の独善に勝るユーモアとも読める。
2020 11/1 228

* このところ ホビット映画(先代・版)を二本見ていた。映像の素晴らしさ、物語のふしぎさ。好きなのである。まさしく別世界に居れる。こういう嬉しさを貢いでくれるのはこの『指輪物語』 ル・グゥインの『ゲド戦記』 そしてマキリップの『風の竪琴弾き』
しかしロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』にも、源氏物語の「總角」巻にもいま魅されている。
更に新たに読みすすんで興趣を覚えるのが『史記列伝講義』 耳馴れた熟語や箴言にしばしば出会う。これはもっともっと早くに読みたかった。
2020 11/1 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ わりきりて父を批判す子の手紙
破りすつるにしかじ暑き日     高田 浪吉

☆ 「父を批判す」と五七調に句切れる寸づまりは気になるが、だから出来れば、「子の手紙は」とでも息を伸ばして欲しかったが、そしてそうなれば末句「暑き日」の体言どめに効果が更に加わったろうが、それでもなおサッパリと胸のつかえのおりる歌だ。
さよう「破りすつるに」しくはない程度の「批判」で、イキがるんじゃないよ「子」よ。
これも風流、父は、上手に心に立つ波を和らげた。  「アララギ」昭和三一年十月号から採った。
2020 11/2 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 難波江にあしからんとは思へども
いづこの浦もかりぞつくせる     谷崎 潤一郎

☆ 歌という伝統によせた風流心が、たとえばこういう大作家を刺激すると、遊びの彩りがひとしお添うて来る。
「娘より送金の催促ありければよみて遣しける」と 『谷崎潤一郎家集』(昭和五二年刊 松子夫人のお許しを得て、私が編纂した。)には詞書がある。無くても察しはつく。
「あしからん」は、他人に「銭(あし)借らん」の意味と 娘にさぞ都合が「悪しからん」と察する意味とを兼ねている。「あし」「かり」には「借金」にかけて、難波を舞台の名曲『蘆刈』の趣も作者その人の同じ題の小説も思い出させる。
あちこち借金しつくしてこれ以上借りてやれる所がない。言いわけにしては余裕のある歌、だが、事実この昭和七、八年頃の谷崎先生は金策に困ってられた。
「近代短歌」の代表作をえらぶのなら、私はこれを採らない。が、『日本の抒情』となれば、こういう表白和歌の伝統の内懐、裾野の探さ広さは嘆賞の思いと共に無視できない。「現代短歌」が不勉強に喪失し尽くしていい伝統とも思わない。
2020 11/3 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 我が子は二十に成りぬらん
博打してこそ歩くなれ 国々の博党に さすがに子なれば憎か無し
負かいたまふな 王子の住吉西の宮             『梁塵秘抄』

☆ 「さすがに子なれば憎か無し」という ほとほと本音が、「国々の博党に」と「負かいたまふな」の間にひょこんとはさまっている。日常の話し言葉そのままで、その辺りの息づかいが この歌謡の妙味になっている。
境内か河原か、信仰と愛欲とを担った漂泊の藝能者たちが、たまたま寄り合うた場所で乏しい火を囲みながら、銘々と子の噂をし合う。
そして明日にもまた別れ別れに散って行く。 古代末最下層庶民の哀調豊かな歌声が聞こえる。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 藪入の吾がなさぬ子をいたはりぬ   会津 八一

☆ 歌人八一の句と思うと、愛づらかな気がする。
実は生涯に相当な句作があり、上村占魚に、『会津八一俳句私解』という親切な本も出来ている。
年に一度か二度、わずかな休みを得て親の家に帰るいとけない労働者たち。「薮入」だ。
「俳句」などと思わせもしない、作者の真実が 即座に「うた」と化している。有難いと思う。 「北人」明治三七年二月号から採った。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ ながながと毛臑(けずね)あらはに昼寝する
吾の生みたる眩しきものよ     水谷 三枝

☆ 思わず苦笑させる表現になった。「子」とは、かく野放図な存在でもあることを教えてくれる。「母」はそれすら呆れつつも愛してしまう。ほかの誰一人とて、そんなむさくるしい「毛臑」など「眩し」いとは眺めない。
下句での勝負に、佳い勝ちをおさめた一首。  「詩歌」昭和四八年八月号から採った。
2020 11/6 228

* 六時。アタマ働かず。思案鈍く。休息に如かず。今晩はもう何もできない。へとへと。鬱陶しいテレビよりも、床に就き、可能なら『チャタレイ夫人の恋人』のつづき、『史記外伝』のつづき、『柳北全集』の漢文か狂詩をて゜も読んで読み疲れて寝入りたい。

☆ 「今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること」とマルクス・アウレリウスは言う、そこまでしいて自身をとりかためるまでは無い。自然とそうなる。
2020 11/6 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 外国に留学したき娘(こ)の願ひ
抑へおさへてわがふがひなし    松坂 弘

☆ なぜ「ふがひな」いのか。経済的なことも有ろうが、むしろ「娘のねがひ」であることが父には先ず不安に耐えず、無性に反対してしまっているのではないか。
ふとそこへ気づいた意識の覚めに、日頃の言説や信念にもとるナニかが我ながらほの見えて、しかもなお到底賛成はしてやれそうにもなくて…、そのジレンマが「ふがひな」いのであろう。
こう読んで、結句から一首へと溢れ行く味わいが頷ける。 昭和五七年『春の雷鳴』所収。

★ 人の世のこちたきことら娘(こ)にいひて
娘(こ)が去りゆけばひとり涙す    村上 一郎

☆ 人の世の生きがたいことを一般論として娘に父が諭した…という歌ではあるまい。
「人の世」には、たぶん男女のこと、たぶん娘の恋愛のことが意味されていよう。娘には耳に入りにくい「言痛(こちた)き言」葉を父は言い募っていたのであろう。父とは、ことに 「娘」の父とはそういう生きものである。
言うて詮ないと承知で言わずにおれぬ。下句の直情に泣かされる。「娘が去りゆけば」は、私にも実感である、それがどんなに良縁であろうと。 昭和四六年『撃攘』所収。 2020 11/7 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 花嫁の初々しさを打ち見つつ
身近く吾娘(あこ)といふも今日のみ     山下 清

☆ この種の歌は他にもっと上出来の作が数あるはず、だ。ご縁があったという事にしておこう。
もっとも、目をとめ書きとめたのに理由はある。我が家に適齢期の娘がいた。「朝日子」と名付けたその娘を、親はちいさくから「あ子」と呼んできた。佳い 縁が欲しいと心から願っていたら恵まれた。その嬉しい思いが、この歌の「吾娘」とあるルビに結ばれた。半ば同情し半ばよろこばしく、この歌を採った。聴 (ゆる)されよ。 昭和二八年『水ゑくぼ』所収。

* じつに辛い哀しい後日談ができてしまい、もう年久しく 私達両親は 嫁いだ娘・朝日子とも 孫娘のみゆ希とも、逢うはおろか、話すこともならない。上 に毎日掲載している詩歌の「原著」は、実に娘朝日子と押村高氏との「結婚披露」の日に、「あとがき」を書いて祝福したのだった、が。
娘は、嫁がせれば、もう「吾娘(あこ)」とは呼べないものなのか。
2020 11/8 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 娘よ、汝は五月に生れた。五月山の濃い憂悶の緑の中か
ら生れた。刺客が縦横に走っている五月闇の中から生れ
た。河童という河童が溺れ流れる五月雨の中から生れた。
ああ、娘よ、汝は無数の鯉が体を水平にして泳ぐ五月晴
の中から生れた。汝は汝の父と同じように五月に生れた。    井上 靖

☆ 『井上靖全詩集』(昭和五四年刊)から、 ―とつぐ娘に― と副題のある「五月」を採った。父と「とつぐ娘」との一体感を、幸せに高揚させた、こんなにみごとな歌声を私は知らない。緊迫した声調に、この機会ならではの愛が龍もる。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 旅人の宿りせむ野に霜降らば
我子羽含(はぐく)め天(あめ)の鶴群(たづむら)   遣唐使随員の母

☆ 『萬菓集』巻九から採った。この「はぐくむ」は暖かな羽に抱きとって寒さを防ぐ意味。天翔る鶴のむれは北をさしていたのだ。
「唐」がどんな国かさえ想いも及ばない母の、絶唱。
2020 11/10 228

* 今日は、聖路加へ、四ヶ月ぶり受診に外出する。

* 十一時に徒歩で駅へ。新富町まで直通を待って、無難に病院着。地下鉄、空いていてくれた。
生理検査受け手て、別館五階の内分泌科へ。検査結果の出るには一時間はかかる。診察の順番などもう「待つ」気分など捨てて、『チャタレイ夫人の恋人』を読んでいた。
「診察」といつても検査結果をみるだけ、そして処方箋がでる。
検査結果は、ま、上々、予想通り。このところ自身の感覚で、身体状態は健康、心神状態の疲労困憊が問題と感じていた。今朝も駅までバスはパスして歩行、何の問題もなく、新富町の駅から聖路加病院までも歩行に疲労無く。ただ、気分は疲れ、ときどきイライラする。
2020 11/10 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 子への愛

★ 生涯にたつた一つのよき事を
わがせしと思ふ子を生みしこと    沼波美代子

☆ 昭和二二年『山彦』所収。 よくもあしくも、「子」を歌 う「母」ないし「親」のスタイルを情緒的によく示している。「たつた一つのよき事」なのか…、真実。 人と生まれて生きて沢山の「よき事」はあったが、や はり「子」を生み育てたのは「最高」という位が、私など妥協できる限界だけれど、そこは「子を生みし」当の「母」の実感を尊重しておく。日本のことに「母 と子」とは、なかなか、まだ人間としてへその緒の切れた、いわば「他人」からの出発にはほど遠い。「我が子」と、いつも所有形で我が子を安易に言い過ぎて いる気がせぬではない。

結びに大正十四年『秋の瞳』から、「赤ん坊が わらふ」という詩をあげておこう。

★ 赤んぼが わらふ
あかんぼが わらふ
わたしだつて わらふ
あかんぼが わらふ      八木 重吉
2020 11/11 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 父母よこのうつし身をたまひたる
それのみにして死にたまひしか    岡本 かの子

☆ 残念きわまりないことだが、ほとほと「子を持って知る親の恩」であり、「孝行をしたい時には親はなし」と嘆くのが人の常であるらしい。
親への愛憎――と敢えていうが――の深まりこそ、その人その人の人生を浮き彫りする。
夫婦愛の表現では、どこか一途なところが魅力にも限界にもなる。子への愛にもそれがより感傷的に出てくる。
だが、みずからも親になり(また親になれずして)親を思った詩歌には、ともすれば人間としての悔いがからみ、愛が屈折して不思議な光を放つ。この歌など、すぐれた作家であったかの子の生涯を特に重ねて読む必要のない、それだけに普遍的な「子」の感動がうめき出ている。
「この」の特定、「のみ」の限定、「しか」の喪失感。いずれもふつう短歌的表現としてはナマになりがちなところへ深切な心を籠めている。だから「たま ひ」という優しい敬語の重ねが情をたたえて、深い「うた(うったえ)」の意味をもちえた。まさに大方の「父母」は子に「現し身」を与えただけかのように、 さしたる事も成し遂げず、地の塩となりこの世を去って行く。人の世はそれだけ険しい。はかない。だが「それのみ」という認識を、卑小と限っで読むばかりで は済まない。
それどころか「それ」以上のことは、人類の歴史始まって以来いかなる1父母」も成しえたわけではなかった──と、作者は感謝の愛を今捧げている。 「短歌研究」昭和十三年一月号所収。
2020 11/12 228

* 昨日、病院の行き帰りにロレンス「チャタレイ夫人の恋人」のハナシの乗って行くいいところを読みふけっていた。読みふけりながら、佳いね、悪くないね と惹き込まれながら、しかも、そうかなあ、これでいいのかなあ、なにか違ってやしないかなあとも感じていた。そのちがいを、わたしはわたしでもう書いたと 思っている。佳い性的昂揚と、日常的な時の流れとの間に、不思議な、違和ともいわないが裂け目、分け目といった問題が挟まっていないか。
読み終えてから、また考えてみよう。惑溺というものの性における貴重さと、日常の時間における惑溺なる魅力の弱さ脆さ。その辺に、ロレンスの「性」の思想へ襲うかすかにも険しい道が有りそうに思われる、のだが。
2020 11/12 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 独楽は今軸かたむけてまはりをり
逆らひてこそ父であること     岡井 隆

☆ 現代の歌人を代表するすぐれた一人。時に含蓄に富んだ歌が、ずかりと出る。この歌も作歌の状況を越え幾重の読みにも耐えながら、父なるものと子なるものとの不易の相を想わせる。
「こま」遊びのさまをまず思い出す。こまとこまとを弾かせ合っても遊んだ。鞭打ち叩くように回したこともある。地面でも掌でも紐の上でも回したことがある。
父と子とでいま「こま」を闘わせているとも読める。父がなかなか子に負けてやらないでいるさまも見える。だが「独楽」の文字づかいから、子が独り遊びし、父は眺めながら、父としての現在と子としての過去を心中に想っているのかも知れぬ。
「軸かたむけて」は美しい表現だ。力づよくも力衰えても読める。どっちにせよ懸命に回っている。父は子とともに、子よりも切なく回っている。「逆らひてこそ父」と感じつつ心も身も子より早く萎えて行くさきざきのことも想っている。
「こま」はもはや心象であり、象徴として父の心に回るのみとも読める。だが、気楽にくるくる回る「独楽」同然の子の世代に対し、なお父として鞭もあてた い、弾き合いたい、それでこそ「父」だという思いの底に、過ぎし日のわが父の顔や声や落胆の吐息がよみがえっても来ていよう。
子への愛に父への愛が重なり、人生の重みに思わずよろけながら耐える。 昭和五七年『禁忌と好色』所収。

* 「逆らひてこそ、父」ち題した長編を私は書き下ろしている。
2020 11/13 228

* 末広鐵腸の履歴をたしかめ、政治小説『雪中梅』を読もうかと。
2020 11/13 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ まぼろしのわが橋として記憶せむ
母の産道・よもつひら坂
闘ひに死ぬるは獣も雄ならむ
父へのあこがれといふほどのもの     東 淳子

☆ すぐれた構想力で成長を遂げつつある歌人。 昭和五七年『玄鏡』と五三年『生への挽歌』から採った。
人の生きの底昏さと力づよさとを 父母未生以前の根の深みから歌い抜く姿勢がある。しかもからい断念と喪失感にむしろ支えられ、父も母もこの歌のなかで実在の重量をえている。作者はこの重みを負うて生きているのだろう。
ことに「母」の歌は、日本神話の世界を畳み込み、「橋」一字にとこしえの「他界」を実感させながら「産道」といった言葉に緊密な詩化を遂げている。
「よもつひら坂」という「橋」を余儀なく渡って来たことの幸不幸を超えて人間は、生まれ―死なれ、生きて―死ぬ。父を負い母を負い、闘って、死ぬ。闘いのさなかほとばしり出たこの、親への「愛」を 私は心して聴いた。

* 東 淳子さんはいましも久しい病床にあり、渾身の手跡で手紙を下さった。先人のひそみにならい、「たのしみは」と歌い出すのを楽しみとしていますとも。私も倣おうと思っている、たとえば、

たのしみは 難しい字を宛て訓んでその通りだと辞書で知ること

いまはそんな私の毎日。

たのしみは居眠りの池をうかび出で夢に泳いで飽かざりしこと
2020 11/14 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ かくれんぼいつの日も鬼にされてゐる
母はせつなきとことはの鬼    稲葉 京子

☆ 巧みにオリジナルな表現を遂げつつ、途方もない深い所へ ズーンと自覚が届いている。「されてゐる」で軽く浮いて1せつなき」で危うく受けて、表現の妙に耐えて二つの「鬼」がみごとに一首に生きている。「隠= 鬼」説など持ち出すまでもなく、なべて角なき「鬼」の「役」が負わねばならなかった、辛抱と負担の根の哀しみ。
「とことは(永遠)の」の語が、このすぐれた現代の短歌一首に、時空の旅のはてない不思議の魅力を添えている。己れの胸の底を探る視線が、生みのわが母の胸の底にまでよく届けばこそ歌いえた、「母」なるものの調べ豊かな悲歌である。
人は、母の目をふさいで生きて来た。母とは妻でも女でも、ある。 昭和五〇年『柊の門』所収。
なお、昭和五八年、有本倶子は『モンキートレインに乗って』に、「子らの遊びにいつも出てくる母われはおかへりなさいと待つ役ばかり」と歌っていたのも私の記憶にあるが、やや認識と表現との相乗効果が軽い。「役」一字にもっと叩きつけるような批評が出れば面白かった。
2020 11/15 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ (父島)と云ふ島ありて遠ざかることも
近づくこともなかりき      中山 明

☆ 人生という海を青年は航(ゆ)く。ただ漂うのではない。距離を計り行方を望みながら、しかし心細く、(父島)の存在から目を逸らしてしまうことは出来ない。こんな風に私は読んでみた。
太平洋に事実在るという「父島」や「母島」のことは私には分からない。 昭和六〇年の間奏歌集『猫、拾遺』所収。

★ 雲青嶺母あるかぎりわが故郷    福永 耕二

☆ 「くもあをね」と私は読んだ。故郷の山なみが、見えてい てもいい。見えていない山なみが雲のはたてに幻に見えるのでもいい。「青嶺」はまた「青山」(墓所)であり、人生至る処に在る。だが「母あるかぎり」は、 あの「母」の生きて住む場所が自身の根であり真実故郷だと思うのである。母の生きの命が一句に籠っている。いつか母を見送り天涯に孤りとなる日のことも覚 悟されている。
だが、「故郷」とは、ただ生れ故郷ではないようだ。「よもつひら坂」のかなたに「母」なる偉大な故郷が横たわり待っている。いずれそこへ帰って行く。 「母あるかぎり」とは、現世に限らない「とことは」への子の願いなのである。 「俳句とエッセイ」昭和五八年六月号から採った。
2020 11/16 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 回帰するのに
入口はひとつしかない
ははよあなたの眠りに溶けると
それが果たせるというの?
老いは敵それは恐怖 だから少年
でも戻れない大きさ
胎児になる夢を買おう
つるりと滑って
水脈をわけてゆけるのかしらん
小さい塊り
その絶対の孤独とやらの
栄光
それをどうしてははに言える?    松永 伍一

☆ 昭和五二年に刊行の詩集『少年』から、「子 宮へ」を採った。「少年」の心を抱いた男の、母胎への永遠の愛がうたわれている、などと鹿爪らしく喋っていると「つるりと滑って」しまいそう…、だから私 は力なく黙って、それでいてこっそり…「オモシロイョ、コレ…」とつぶやこう。
2020 11/17 228

* 安心しきってぬるめの長湯など、寒気もし、しにくくなってきた。晩秋、夜寒む。
機械のせいもあり、人さんとの折衝も対話もない。
読書の中で はるかな世界へ遊びたい。いま真っ直ぐ想ったのは、『失楽園』か、鴎外訳の『フアウスト』 中国ものは読み継いでいる『史記列伝講義』で十分、日本のものでは『宇治十帖』がよろしく、そして漢文の『柳橋新誌』がいい。
音楽は聴き続けているジャズバラードで十分、毎日、そして終日、同じ盤に親しんでいる。わたしは音楽奥手で、大学を出るまで、美空ひばりにしか反応でき なかった。大叔父にあたる大学の吉岡義睦教授に、音楽にも親しみなさいと、たった一度、河原町三条のあたりでご馳走になりながら、聴いた。
賀を
2020 11/17 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ あヽ麗はしい距離
常に遠のいてゆく風景……

悲しみの彼方、母への
捜り打つ夜半(よは)の最弱音。    吉田 一穂

☆ 吉田一穂の『海の聖母』大正一五年刊)から、「母」を引く。
いかなる「最弱音」といえど、しかし「母」へは常に伝わるのである、正確に。子の、それが信仰である。
2020 11/18 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 母の胸には 無数の血さへにぢむ爪の跡!
あるひは赤き打撲の傷の跡!
投石された傷の跡! 歯に噛まれたる傷の跡!
あヽそれら痛々しい赤き傷は
みな愛児達の生存のための傷である!

忘れられぬ乳房はもはや吸ふべきものでない
転居の後の如くすたれ
あヽ 愛はすでに終了されたのだ!

さるを今 ふたヽび母の胸を蹴る!
新しき世紀の恋人のため!
新しき世界に青年たるため!
あヽ われ等は古き父の遺跡を
見事に破壊するを主義とする!     萩原 恭次郎

☆ こういう「古き父の遺跡」たる母の像もまた否応なく子は胸に抱く。萩原恭次郎の『死刑宣告』(大正一四年刊)から、「愛は終了され」を引く。
社会と政治とに働きかけて敢然と立つ青年のまえに、或いは押しはだかる「母」もいる。そういう「母」なら乗り超えられねばならない、その向うに古き全ての管理者である「父」の存在が見えている限りは、なおさらに。
「あヽ 愛はすでに終了されたのだ!」という嘆きの奥で、しかし「母」は子の愛を享けつづける。
2020 11/19 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 雪女郎おそろし父の恋恐ろし    中村 草田男

☆ 草田男という大俳人をはなれて、句のおそろしさに打たれ たい。「父の恋」のかげには泣き憤る母がいる。だから恐ろしい。父の恐れと母の恐れとを底知れぬ影のように子はくらぐらと打ち重ねて胸に抱く。黙然とかき 抱く。美しい、しかしぶきみな雪女郎。因果なことに子はそんな父の恋人にかすかに自分も恋していることさえあるのだ。
見たこともない、母。見たこともない、恐ろしい父。のめりこんだ父。真剣な父。ヤケクソの父。そういう「父」にいつか自分もなりそうな恐ろしさ……。肯定とは言わぬが、けっして否定否認の句ではない。いわば、悲しいまでに藝術が美しい。 昭和十四年『火の島』所収。

★ 十六夜の長湯の母を覗きけり    津崎 宗親

☆ 作者の実情をはなれて自在にいろいろに読める。「いざよひの」以下の調べも面白い。 岸田稚魚門下の昭和五五年合同句集『大綿』から採った。
老母の長湯を心配して覗きに行つたのかもしれない。「いざよふ」に「長」いへの語感の繋ぎも見えなくはない。が、この句にはまぎれない「母」へのかそけ きエロスの感触がある。「十六夜」のなお豊かな月かげにまだまだ若い母の裸形が湯気をふくんで光っている。「長湯」には、ある満たされた安らぎや心足りた 自愛の含みも取れる。母は湯のなかで女にかえっているのだろう。
どうしたかなと案じて覗いたには相違なくても、一瞬、母なる「女」に目をふれた息子もまた、その時、男になり、父にすら化(な)っていたのだろう。浴室 の明りよりもほのあかるい月明を身にまとうて、実は母はこちらへ背を向けていたのでなく、目ざとくもわが子と視線をまじえさえしたかも知れない。神話的瞬 間である。原初の愛が空に舞ったろう。「十六夜」に民俗の背景を探るのも面白く、「覗きけり」の露骨さが句を大柄にしている。

* 午後二時半。昼食後、機械へ来て、いつしれず寝入っていた。眠りたいなら眠ればいい、 幸いにいま何の約束も差し支えもない。思えば稀有の日々へ歩み入っている。どこへも出られないコロナ禍が憎いか。いや、そうでも無い。引っ張り込んでくれ る小説本を選びだそう、完訳本の『チャタレイ夫人の恋人」は終幕へ少しく呆気なかった。

* トールキンの『指輪物語』を選んだ。「ホビット」映画はほぼ全部撮れていて、なにかというと観ている。活字本でも大長編繰り返し読んできたが、よくよ くの好きで、繰り返して飽きない。しかつめらしく堅く論じたていの社会派小説は、疲れるのでほとんど読まない。小説というと「別世界」に心惹かれる。

* 九時をまわるか。もう資料が読めない。
2020 11/20 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著
☆ 親への愛

★ 進学をあきらめさせた父無口

☆ 林富士馬著『川柳のたのしみ』(昭和五八年刊)から採ったが、作者は知れない。
「無口」は含みのいい「からだ言葉」だ、ここへ万感が龍められている。言いたかろう、言いわけもしたかろう、いつまでもグズグズ言わんでくれと、叫びたくもあろう。
せつない親の愛だが、そういう父の横顔をじっと黙って見つめている視線にも、愛が籠もる。この愛が行動に転じて時代を変革させるエネルギーにならねば……と、思う。
同じ本に、「父に似る性質父に叱られる 一夫」というのもあった。
2020 11/22 228

* 城井壽章講述の『史記列傳講義』 伯夷列傳第一 から、管晏列伝第二 を読み終えて 老荘申韓列伝第三 に居る。秦の祖父鶴吉にこんなに読みいい佳い遺本があったのに、読んでこなかったと、この歳になって悔いている。
それにしても、明治の人はよほど勉強家が多かったのだ、いまどき『史記列傳』など読む読書家はどれだけいるだろう、こんないい参考書や講話本も今日とても手に入るまい。

* がまんし、しんぼうし、目を被い、意味のない唸りをもらして、ただ時間を追いかつ費やしている。 繰り返すだけだが、

たのしみは難しい字を宛て訓みしその通りだと字書で識ること

今のアタマゆえ忽ちに忘れるのだが、夥しい難しい漢字を見て訓みをならった。漢字制限がなされたのは正しい時勢の判断であった、そうは思いつつ、はり古 人の書き置かれた文章も読みたい。宛て訓みが逸れるとかなり悔しいが、もともと識らなかった漢字がどれもこれも正しく(と辞書は云う)訓めなくても仕方な い。おおそうか、そう読むのかと識る、これがこの歳になって、けっこう嬉しくて飽きないのき、私が変物なのか。楽しみがまだまだ残って居るぞという実感で あり、生きの力にもなる。

たとえば   赧   赮

ともに「赤い」のだとは分かる、が、
前者は 赤らむ 赤くする 読みは  たん
後者は 赤 読みは  か    という区別は教わって覚えた。
いま、こんなことを、一日に何十字と目をこすりながら楽しんでもいる。『選集』が全面で終了し、今は「湖の本」に取り組んでいるので、サボっているので なく、しかも仕事は当面「これ」だけで、外出の用もないのだから、コロナ禍を案じはしても、ま、満たされている。疲れれば、電灯を取り替えて、またも『指 輪物語』という大長編を楽しみ始めた。ビルボ・バギンズの大冒険は映画で繰り返し楽しんでいる。甥で養子ッ子の方の大冒険が『指輪物語』。何度目かを読み 終えるのは、来春 ではまだか。桜に間に合うか。 ビルボ・バギンズの本も有るなら、手に入れたいなと願っている。
2020 11/21 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 幼子のわれのケープを落し来て
母が忘れぬ瀋陽の駅      佐波 洋子

☆ とりたてて勝れた歌とは思わないが、この時代なればこそ なお記憶にあり、同時にとかく記憶を遠ざかりがちな、だが大事な場面が歌われているので、同時代の「母」の悲しみの歌として採った。おそらく、子にもよく 伝ええない苦い敗戦・敗走体験がこのさりげない表現の背後に、今も傷口を開いているだろう。 「かりん」昭和五七年一月号から採った。
2020 11/22 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 抱かれて少しずつかわりゆくわたくしを
見ている風は父かもしれず      伊藤 靖子

☆ 思い切った五・十・五音の上句に、手粗いが素朴に新しいリズムも生まれている。「わたくし」を「われ」として強いて五・七・五に音数を揃えなかった感覚に、誠実な若さが感じとれる。「わたくし」と「父」との対応に、おそらく一首の真実は隠されているのだから。
作者の意図をあるいは超えて読めば、恋する男の愛の手に「抱かれて」「少しずつかわりゆく」うら若い女の状況は、まさにさまざまに「風」のなかにある。 その喜怒哀楽のそれぞれの場面で、「わたくし」は、男でもある「父」の目と存在とを体温のように、体重のように同時に感じ取っている。
おそれ、愛、怒り、不安、希望。父と娘とだけの余人のはかり知られぬ交感を率直に歌いえている。忘れがたい一首。  「未来」昭和四六年十一月号から採った。
2020 11/23 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ あなかそか父と母とは目のさめて
何か宣(の)らせり雪の夜明を     北原 白秋

☆ 大正十年『雀の卵』に収められ「父と母」と題されたこの歌は、ぜひ次の二首とならべてしみじみと読みたい。

あなかそか父と母とは朝の雪ながめてぞおはす茶を湧かしつつ

あなしづか父と母とは一言のかそけきことも昼は宣(の)らさね

日本の父と母との、すくなくも戦前までのこれは「悠久」を思わせる典型的な姿であり、愛され尊敬された姿であり、この静謐に、美も倫理も覚悟の深さも意気の毅さすらも秘められていた。
「日本」は好むと好まぬにかかわらずこういう父母の国であった。子もこういう父母にまた成ろうとした。すくなくもそういう時代が長かった。
むろん現代の読者は、せめてここに青い畳と白い障子との暮し、火鉢と縁側と庭先との暮し、寒くて静かで寡黙な社会の、しかも自負をたたえた厳しい空気も察して読まねばならない。
作者はこの「父と母と」を現実の父母を超えてシンボリックに歌っていよう。慈愛の深さをただしく汲みとって、歌の「格」というものが備わっている。愛誦に耐えて心温かい。なつかしい。
2020 11/24 228

 

* いま、といってももう読み終えたところだが、読んでほしいと頼まれていた戯曲台本があり、これが、じつに一カ所の注文もつけいる緩みのない、まさしく 堂に入った台詞の歌舞伎場面になっていて、驚嘆。全体の弛み無さ確かさは、女性二人での共作とあるが、処女作と思えぬ雰囲気と情感にリアリティがあり、実 はとてもこんな作を読めるとは予測もしていなかった、歌舞伎の舞台によほど馴染まれた目と言葉との縫い上げであった。
ただし、欲をというよりもハッキリと批評すれば、幾幕・場もある全体が、穏和にまことに行儀良くしつらえ描かれた舞台背景かのようで、舞台や花道の前面 ないし全面に躍動する「劇」がまだ書かれていないといった感想をもった。
おもしろい、佳い 「日本語の」作を読ませて頂けた、こういう有り難い出合いはそうは無いのである。
2020 11/24 228

☆ 親への愛

★ 草まくら旅にしあれば母の日を
火鉢ながらに香(かう)たきて居り     土田 耕平

☆ 島木赤彦門下の著名な歌人。上二句は常套に過ぎるが、しかも「火鉢ながらに」など下句の飾りけないわびたふるまいの美が、「旅」中なのでということわりに面白い真実感を与えて、母おもいの情深い一首が成った。
「香」をたくという行いに、「母の日」がそのすでに命日であることを思わせる。つまり昨今のいわゆる母の日とはちがう。が、もしそのいわゆる「母の日」 にたまたま旅にいた子が、故郷にいます、あるいは泉土にいます母のためにカーネーションならぬ火鉢に香をくべ、はるかに愛のメッセージを贈ったのだと読む 人がいても、私は、嗤わない。それもその読者の境涯で、なるほど作者の意とは離れようが、歌の真実を決してそこなうものではない。  大正十一年『青杉』 所収。

★ いねがたき我に気付きて声かくる
父にいらへ(返事)してさびしきものを    相坂 一郎

☆ 「ねむれないのか……」
襖ごしにでもあろう、父は子を気づかってくれる夜ふけ。多少のいらだちも抑えて、「えぇ」と答えたのか「いいえ」と返事したか。ここまではごく分りよく、そして「さびしきものを」に無限の情が龍もる。
この父は自身衰老の坂をはや下りつつあるのやも知れぬ。
この子は、たとえばせつない恋を失った直後であるのやも知れぬ。失意とも不安ともつかぬ日々の夜の底で、言葉にもならない声を父と子とはかけ合い答え合いながら、縁のきづなを手さぐりして、しかもそのように生きつぐ寂しさに「生きの命の重さ」をおし量っているのだろう。
子は父の健康を、父は子の幸福を。しかも父であり子であることの測り知れぬどんよりとした、くらさ。
秀歌と思う。  昭和七年『地下の河』所収。
2020 11/25 228

* 毎朝、選んだ愛の歌を日記の頭に出していて、これが私をしみじみとした優しい気持ちにしてくれる。えり抜きの作歌を心して読み味わっているつもり。毎朝、これだけでも読んで下さる方の多いのを願う、こういうややこしい時節には殊に。
2020 11/25 228

* 女性二人で書かれた歌舞伎台本への感想を手紙にした。快く読ませてもらいました。ただ、手の痺れつよく、手紙を手書き出来ないので、機械書きし、妻に印刷を依頼。
わたしの印刷機がもうずうっと何故か働いて呉れない。実に実に不便。何故傷んでいるのか分からない。どこか接続が不十分なのかも。それももうアタマが働かない。年相応にか過度にか、私のボケは日に日に濃厚。モノやヒトの名前が出てこない。
2020 11/25 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 父の髪母の髪みな白み来ぬ
子はまた遠く旅をおもへる    若山 牧水

☆ 明治四三年『別離』所収。 これだけの歌とつい取ってしまいそうだが、作者の現実や性癖がいかにあれ、ここにも親と子との永遠の、しかも余儀ない係わりかたが象徴的に露出していて、思わず知らずに読者は感銘を強いられてきたのだと言える。
親は老いゆき、子は際限もなき「旅」立ちの試行錯誤に己が可能性を夢見つづけている。
言うまでもないこの「旅」一字に、どれほど多くを深く読み込んでもいい。しかも旅は、子にして「遠く」なくてはならず、だが、髪白き親の身にも心にも、 真実「遠く」価値ある旅の難(かた)さは知り尽くせている。その微妙を極めた親と子の齟齬にも、「人生」という名の「旅」の寂しみはにじみ出る。一首の哀 情は、「子はまた」の「また」に凝っている。
2020 11/26 228

* 「老荘申韓列傳第三」 なるほどねと読んだ。秦の祖父は、老子も荘子も講義書を遺してくれ、韓非子の如きは惚れ惚れするほど特製の大著を遺してくれて いて、小さい頃から「韓非子」なる名だけは覚えていた。ルネサンスの頃のマキャベリズムないしは孫子の兵法などと脈絡ありげな本といつしれず見当をつけて いた。申子のことは何も知りはしなかった。中国への敬意を忘れ去らぬようにと中国史からは眼を背けることなくこの歳になったけれど、とてもとても及びもつ かない凄い國であって、しかも今日の習近平中国はどうかというと。これほど放埒な例を過去に顧みるよしもない。恥多き今日の中国と爪はじくしかない深いな 懼れを私は抱いている。

* 午後はやめに「セイムス」へ買い物に行った。風邪薬や咳・痛みの薬などは予防的にも備えていたいので。この店には生の食べ物などはない。その分、人出も少なく、自転車だとものの一分間だとかからず行けて、ありがたい。
それでも妙に、あと、疲れた。たいして今日はなにもしないまま、横になって「指輪物語」第一巻を読み終えたりした。想像を絶してみごとな大自然の映像の 楽しめる映画作品とともにトールキンの名作が楽しめている。今ひとつ、いわゆるサイエンス・フィクションも読み始めているのだが、トールキンの『指輪物 語』とくらべると、マコトっぽく書かれてある分、月面の洞窟の奥に、宇宙装備のしかも五万年前と確定できる遺体が見つかるなど、ビルボやフロドや魔法使い などの物語よりも馴染みにくいウソくささに見えて、乗ってゆけない。
七時過ぎ。どんよりと疲労している。視力の弱さのせいと思うが、目まわりが腫れぼったい。
今日は、もう、ズルズルとでも、早く寝てしまおうと思う。
2020 11/26 228

* 昔の人の畏まった文の書き出しに、「維時=これとき」とあるのを見かける。次いで「明治二十七年十二月二十一日第一師団長陸軍中将山地元治うんぬん」と日付・名乗りが来る。「拝啓」などというより実地の感が濃い。
文の結びに「敬具」はいまも遣われるが、「尚饗」とあるのに何度か出会った。正確には何をどう云おうというのだろう。
「維時」も「尚饗」も、広辞苑にも出ていない。平凡社の超・大辞典でみてみよう。
2020 11/26 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 薬のむことを忘れて、
ひさしぶりに、
母に叱られしをうれしと思へる。    石川 啄木

☆ 明治四五年の第二歌集『悲しき玩具』から採った。似た歌が第一歌集『一握の砂』にある。

よく怒る人にありしわが父の
日ごろ怒らず
怒れと思ふ

この作者のことに秀でた歌として引いたのではないが、しかも心に残る率直の表現に無垢の詩と真実が鳴り響いている。
啄木短歌の魅力は、歌われている事実以上に「ことば」が「詩化」を遂げていて、しかもそれすら忘れさせるほど最短距離に事の真相へ言葉が、日本語が、肉薄している点にもある。
ただこういう歌にふれた時、ただに一方的に子から見た父や母が歌われでいるとのみ、読み過ごしてはならない。「うれしと思」い「怒れと思ふ」子である作者の日々の苦闘、人世を生き抜く格闘の、けわしさ、はげしさがあって、だから親を、親と頼みたいのだ。
2020 11/27 228

 

* 今日未来型の宇宙舞台サイエンスフィクションにはどうしても乗れない、評判だった作であっても。
ミルトンの『失楽園』にまさるものは無く、旧約の『創世記』なども。ゲーテの 『ファウスト』などが少しややこしく難しいほど、前二者には説得される。まったくお手上げで、どうしても乗れないのが、いまのところ、ダンテの『神曲』 こ れへ入ってゆける教養的素地がわたくしに無い。
別世界フィクショクとしては、ル・グゥインが優れ。マキリップに引き込まれ。何度読んでも惹き込まれ、まことに嬉しく有り難い。トールキンの『指輪物 語』には、すばらしい映像美の手引きがあり、飽きない。ビルボ編とヒロド編、映画では前者に惹かれ、物語では後者に惹かれる。心豊かな財産に思 える。
日本のフィクションとしては圧倒的に源氏物語を筆頭に平安物語が藝術として完成度もすばらしく世界に優に誇れる。「竹取」「伊勢」「うつほ」「落窪」等々を手始めに、優に十作は国宝級のフィクションがある。
中国のノンフィクションは「西遊記」にしても手荒で雑駁か。読んで面白く愉快でもある本は、あるけれど。
日本でも、馬琴など、しつこさと手荒さとで、再読三讀とは望めない、むしろ平家物語や、雨月・春雨の秋成筆をやはり私は慕う。
昔、長谷川泉さんが文学史ふう著書のなかで、辻邦生さんとならべて私を「反リアリズム」と囲っておられた。圧倒的に数多く私は「清経入水」「蝶の皿」 「秘色」「慈子」「みごもりの湖」「雲居寺跡」「風の奏で」「冬祭り」「秋萩帖」「四度の瀧」等々から「オイノ・セクスアリス」「花方」に至るまで「反リア リズム」に徹してきたと自覚している。それら一切の分母となって、「もらひ子」という幼い日々の境涯があった。厭わしかったというのではない、特殊な世界像が出来 やすかったということ。
私の文学世界は一作ごとの作品論では解きにくいと思う、執拗な粘度を生来の運のように多くの作が連携してもっている。男のリアリティをそもそも棄てて「女文化」としての世界に 浸ってきた。私の文学にもし「秘鍵」があるなら「即、女」と書いたのは、かなりに正確だと思う。「男・アダム」は、何と無う奥行き浅くてつまらない。いま「世 界」をつまらなく、わるくしているのは、そんな、「男」のつまらなさであろうよ、政治屋たちを見ていて、そう思う。

* 史記列伝 伯夷叔斎は、思い及ばない。管仲と鮑叔には、教わる。晏平は佳い意味凄くて深い。老子は隠君子、手が届かない。荘子は空語のよろしき人、心してお話を聴く。申子は真に優等、韓非は勝つべく戦って、負けぬ人、もっと識りたい。
2020 11/27 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ わが父と老女のあひだ桜餅     藤田 湘子

☆ 一日十句を三年の余も今なお続けている、旺盛な現代俳人の句集『一個』(昭和五九年刊)から採った。
清潔な和風の客間を想像している。「わが父」と「老女」とはきれいな仲なのだろう。おだやかに会話がつづく。年配ゆえの落着いた雰囲気に、卓の「桜餅」 がはのかに匂う。わが父の客ながら、そして「老女」とはいいながら美しい色香が匂う。やわらかに美しい餅の桜葉が、ほんのり餅肌の桜色をも匂わせながら、 だが、しんと二人の「あひだ」を占めている。
何事が起きるのでもない。季節と時のめぐりの静かな深まり──だけが、心優しく感じられる。
2020 11/28 228

* 遺憾、体調はなはだ良からず、視野茫然とかすみ、かすかにも頭痛がつづき、のど元にきつい渇きがある。食欲無く、今日は酒類に手を出していない。そんなまま、仕事の手は止めたくなく。
晩にも機械の前で、必要な古文を書き写すのに、何十度も難漢字を拾って来ねばならない。ああ、しかも、一瞬の手違いから、あやうく全文を消してしまうの は免れたが、せっかくの今晩の文を喪ってしまった。呻くのみ。呻くのみ。諦めて、また取り組まねばならぬ。取り組まねばならぬ。無事に誕辰の朝を迎えたい ものだ。からだのどこがどうなのか分からず、いまは引き連れるようにのどが渇いている。構っていられない。

* こんな今に 何をこころを支える細い柱にしているか。読書、「指輪物語」「史記列傳」。そして映画の映像「ホビット」。
なんともいえない心神身体の不安定。苦しい。熱もない。嗅覚も味覚もシッカリしている。痛いつらいでもないが、どんよりと黒い雲のそらが身内に溜まっている。負けるわけに行かない、まだまだ。
2020 11/28 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 寝よ寝よと宣(の)らす母ゆゑ目はとぢて
雨聴きてをり畳の産屋に      田中 民子

☆ この「母」は、いわゆる姑かもしれない。「宣らす母ゆ ゑ」という敬った表現を私はそう読んでみた。「寝よ寝よと」いたわる母にもそれを敢えて受ける嫁にも「愛「がある。しかもなお微妙な「建前」もある。母は 家事にいそしむ再びのハリを得ている。嫁は生まれ来るものへの予感に励まされながら、今は母の親切に身をまかせ目はとじて、じっと雨を聴いている。ありと あらゆる価値のあるものを身に浴びているような暖かい思いなのかも知れない。すこしは煩わしい姑の声すらやがて微笑に溶かして聞き流せるのだろう。
母もよろこぶ健康ないい子を、まちがいなく生まねば……。「寝」ていよう…と思いつつ静かな興奮に包まれてもいる。 「多磨」昭和十六年十一月号から採った。

★ 女子(をみなご)の身になし難きことありて
悲しき時は父を思ふも     松村 あさ子

☆ プロを自称するような歌人は、こうはかえって歌えまい。 こう真率に「悲しき時は」と一見露骨には歌えまい。しかしこの歌では「悲しき時は」以外の表白はあり難いだろう、ここに「女子」の「をみなご」ゆえの一切 が託され、男の私にもその重みは察しられる。まだまだというより、いつまでもなお女ゆえ「身になし難きこと」は増えても、減りそうには思われない。
母ではない「父を思ふ」と歌われているのは、けっして母が無みされている意味ではないが、どうしてもここは「父」であらねばならぬぶん、娘の今が今「女子」として生きる苦しさや険しさも、痛いまで想像がついて来る。
息子は母を慕い娘は父を慕うといった「通りいっぺん」の解説とは、かけ離れて厳しい人の世渡りが目に見える。「父」には、なにかしら「娘」の思い及ばない不思議の「力」でもあるのか。
悲しいことに在るわけもないそんな力が、あると想像できてそれがいざという時に娘の力になるのなら、片思いにそう思いつづけていて貰うしかない。いとお しい娘の父でもある私は、そう願う。この歌のようには娘に自分を思い出させたくないな…と、祈る思いでもある。 「国民文学」昭和十一年三月号から採っ た。
2020 11/29 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 先づ吾に洗礼をさづけ給ひたり
中年にて牧師となりしわが父    杉田 えい子

☆ いわゆる、じょうずな歌とはとても思いにくいが、感慨深 い人間の歴史が下に透けて見える。「中年」に至って牧師となったという、そんな「父」の歴史を正しく読みとるのは容易ではない。が、そこに魂の葛藤や苦闘 があり、勉強と努力があり、なにより人間への愛があったであろう。
そういう父を、娘である作者は深い共感と敬意とで見つめている。しかもその中年牧師の父は、愛を傾けて最初の洗礼を「先づ」わが娘にさずけたという。
「父」一字には文字どおりの父親と、さらに父なる神の姿もかぶっていよう。莫大な背後の人生を思わせて 拙いなりにも感動を誘う、それも「詩歌の本領」 であって、言葉いじりの技巧をいくらうわべに誇ってみても、「うったえ」の意味の「歌」には届かない。歌壇を占めて時めく、「専門歌人」とか「プロ歌人」 とか一部自称のおごりは、嗤われよう。 この歌は「多磨」昭和二六年六月号から採った。
2020 11/30 228

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ <ありがとう> 深々と頭を下ぐる母
おかしくわびしくやがて悲しき     中田 文

☆ 歌の技巧としては拙というしかない。上句にはナマな感情 表現が相次ぎ、「やがて悲しき」には芭蕉鵜舟の句の記憶もからむ。腰折れでもある。どこを褒めることも難儀な歌ではあるのに、歌の内にまぎれもない「母」 の姿がある。「おかしくわびしくやがて悲し」い母の姿が確かにある。娘の悲しみはやがて己れにかえって行く嘆息でもあり、しかも直接話法で強調された「あ りがとう」は作者その人の真率の声と化し、一首の歌のなかでしみじみ共鳴しはじめる。 「かりん」昭和五六年十二月号から採った。

★ 背負ひ籠が歩めるごとき後姿を
母とみとめて声をかけ得ず     平塚 すが

☆ 「しょひ龍」と読みたいが。 娘はもう都会での暮しが長いのだろうか。だが、この歌はそうした風俗のちがいにたじろいだといった類の作とは思われない。
たわむれに母を背負ってあまりの軽さに三歩も歩むことが出来なかったという 名高い啄木の歌の系譜を踏んでいる。
娘の帰郷を心に待ちわびながら母は山畑からの戻り道を黙々と歩んでいたのだろうか。その姿をいちはやく認めながら、「おかあさん」と声をかけためらう娘の胸には、一人の「女」の寡黙でかつ苛酷な人生への 言いがたいいたわりとおそれとが一瞬葛藤する。
娘もまた場所こそちがえ懸命に生きて来たという実感に満たされている。「母」のちいささに、娘は万感を一瞬に籠めてたたずむ。心に泣く。
歌が、生きた「時」をとらえたのである。 「形成」昭和四九年六月号から採った。 2020 12/1 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 眠られぬ母のため吾が誦む童話
母の寝入りしのち王子死す    岡井 隆

☆ 「アララギ」昭和二六年一月号から採ったなんとも心惹かれる一首である。が、理にあてた解釈や解説を深々と拒んでいるような、ふしぎな哀調に魅力が秘められていて、なまじの物言いをおそれたくなる。
「誦む」「童話」「寝入りしのち」「王子死す」などの尋常な言葉のひとつひとつがよく「詩」化して、不思議の光を静かに放っている。夢の飛行機が音もな くいつか大地を離れて行くような、また、かぐや姫を天上へ見送った人間の悲しみにも似た印象が残る。「詩」だなと思う。かすかに挑戦的な「詩」でもある。 読者の深読みをさまざまに誘っている。作者から離れ、自分の所有としてまだこの先も抱き込んでいたい歌の一つである、私には。

★ とろとろと鰈(かれい)が煮ゆる
ちちははの食(は)むものなべて淡雪のやう   青井 史

☆ すぐれた語感に貫かれた美しい歌である。どの音を聴いて も微塵の無理もない調べを奏でている。「鰈」も「淡雪」も「とろとろ」も「食む」も「煮ゆる」も、これくらい優しい音楽となりおおせれば この歌のすべて が、さながらの象徴性を帯びる。その芯に「ちちはは」が生きる。
これほどこの尋常な言葉が美しく優しく定着した例は珍しい。「詩語」という特別の言葉が在るのではない。すぐれた語感と文脈のなかで、ナミの言葉がみご と詩語に「化るか化らないか」に過ぎぬ。珍奇な言葉づかい、文字づかいを競い合うのは滑稽だ。  昭和五八年『花の未来説』所収。
2020 12/2 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ どっと笑いしがわれには病める母ありけり     栗林 一石路

☆ はっと一瞬涙を誘われた。それ以上を言う必要など、あるまい。 昭和三〇年『栗林一石路句集』所収。

★ 卯月浪父の老いざま見ておくぞ   藤田 湘子

☆ ひねもす波が大きく寄せて、その波に身も心も清まわりながら久しい祖霊の加護を蒙る、そういう日がこの島国には一年に何日かある。四月八日もその一日に当たってきた。
悠久の時をこえて人が人の不思議の血脈にひしと思い当たる日でもある。繰返し繰返す波のように、命の糸は紡ぎ続けられてきた。作者の覚悟のほどを横から説明できるものではないが、手強い表現に籠められた「生きる」姿勢に心地よい響きがある。
「父」は「老いざま」をもってしても子の境涯を正すのである。正されようと子は願うのである。 昭和五七年『朴下集』所収。
2020 12/3 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 挫折とは多く苦しきおとこ道
父見えて小さき魚釣りている    馬場 あき子

☆ この歌人としては舌を噛みそうな出来の歌だが、「小さき魚」の一句が父と、その父の挫折多かりし人生の実りのさまとをともに言い尽くしていて、父の場所と、その場所の「見えて」いる娘の場所とを、一筋に繋いで見せる。
「おとこ」でありつづけねばならなかった「父」への視線に、作者の苦く乾いた涙がにじむ。 昭和四六年『飛花抄』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 夜半を揺る烈しき地震(なゐ)に母を抱く
やせし胸乳に触るるさびしさ     野地 千鶴

☆ 短歌的には腰折れ歌のうらみがのこる。上句で実は言い尽 くせている。思わず母を抱かせた地震のはげしさと、下句の「さびしさ」とには一瞬のズレがあるはずで、この歌ではその時間差のもつ意味は大きい。へたをす ると下句にウソが出る。そういう不満をもたせつつも、おのずと母の老いを知らしめて 子の嘆きと不安とをかきたてた一首の身震いには、「地震」なみの衝撃 がある。
「烈しき」といわずはげしく、「さびしさ」といわずさびしければ、歌はもっともっと読者の胸に向かって物を言うのだろうが。それにしてもこの「さびしさ」は「烈しい」。 「短歌人」昭和五〇年十一月号から採った。

★ 病む母の生きの証(あかし)ときさらぎの
夜半(よは)をかそかに尿(ゆまり)し給ふ    綴 敏子

☆ 秀歌である。年中でもっとも寒い二月の夜半を、ことさら「きさらぎの」とかそけく美しい音で調べて「ゆまり」の音を静かに聞かせた手腕。
病む母はひとりで用は足せないのではないか。かたわらに作者がいて、そしてそのような母に手を貸し身を添わせながら、母がなお生きていてくれる嬉しさと底知れぬ不安とに耐えている。
「給ふ」という敬語が実に利いている。 昭和四六年『暁の雨』所収。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ ぬばたまの黒羽蜻蛉(くろはあきつ)は水の上
母に見えねば告ぐることなし     斎藤 史

☆ 水の上をおはぐろが飛ぶ。私は子供の頃すでにこの景色だけで他界の存在を想像した。そういう感受性で「水」を思い「黒羽蜻蛉(おはぐろとんぼ)」を眺めていた。
「母に見えねば告ぐることなし」は、なまなかに出て来ない詩句である。「母」は目が不自由なのだ。見えにくいものをことさら口にのぼせて母の意識を乱す のをはばかるのだ。が、それだけなら上句の景色に必然性はない。日一日母が近づきつつある他界の景色が、この卓越した詩人には見えていて、敢えてそれを口 にしないで、じっと老母を見守っている。この歌は、一連の次のような歌とともに感銘深く読み込むべきだろう。

老はいかにさびしきものぞ 抽出のもの整理されておほかたは空
小抽出のものを破きて母が居る昏れがたの部屋に立入りがたき

どう老いようとも「母」には母の領分が厳然と在る。それを認めてなお「母」を見守らねばならない子の視線もある。「老」は親だけが負う重荷でなく、子も すでに負うている。「親」への深いため息のような愛は、すでに自身への苦しい吐息でもあらねばならない、それほど「子」として生きるのもまた寂しいつとめ なのだ。 昭和四二年『風に燃す』所収。
同じ歌人の同じ『風に燃す』所収、次の歌も参考までに挙げておく。

他界への門の扉は見ゆるほどの視力残れよ老母(おいはは)の眼に

やや物言いが直接に過ぎるかとは思うが。

* この旧著をこう端切りに連載しながら、私は、ともすると目頭を熱くする。詩といい歌というなら、さほどの表現で二つと無い詩句がよくよく「詩化」されていてこそ当然なのだ。それでこそ歌人・詩人と名乗れる。身に恥じ入って思いつつそう思う。
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* この一週間の余もトールキンの『指輪物語』にひかれ、文庫本で、また映像で楽しんできたが、映像のほう、ビルボ・バギンズの前篇についで、ヒロドとサ ムらとの後編もすべて丁寧に見直した。感動感銘もふかく、映像美はきわだっており、歴史物語の大きな構想美と丁寧な登場者らの劇構成にもなんども泣かされ る佳い場面があった。この上こそ構想と映像と物語の巧緻と美と雄大は、他に思い出せない、つまりは映画史の絶頂に位置した一作として、何度見てきても印象 深い。
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☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

☆ この辺で小説家・文藝批評家である伊藤整の、詩人としても注目すべき昭和十二年の第二詩集『冬夜』から、「病む父」と題したやや長めの詩を挙げておく。
「弟よ父には黙ってゐるのだ。」以下のフレーズに私は感銘を受けた。

★ 雪が軒まで積り
日本海を渡つて来る吹雪が夜毎その上を狂ひまはる。
そこに埋れた家の暗い座敷で
父は衰へた鶏のやうに 切なく咳をする。
父よりも大きくなつた私と弟は
真赤なストオヴを囲んで
奥の父に耳を澄ましてゐる。
妹はそこに居て 父の足を揉んでゐるのだ。
寒い冬がいけないと 日向の春がいいと
私も弟も思つてゐる。
山歩きが好きで
小さな私と弟をつれて歩いた父
よく酔つて帰つては玄関で寝込んだ父
叱られたとき母のかげから見た父
父は何でも知り
何でも我意をとほす筈だつたではないか。
身体ばかりは伸びても 心の幼い兄弟が
人の中に出てする仕事を立派だと安心してゐたり
私たちの言ふ薬は
なぜすぐ飲んで見たりするやうになつたのだらう。

弟よ父には黙つてゐるのだ。
心細かつたり 寂しかつたりしたら
みんな私に言へ。
これからは手さぐりで進まねばならないのだ。
水岸に佇む葦のやうに
二人の心は まだ幼くて頼りないのだと
弟よ 病んでゐる父に知られてはいけない。   伊藤 整

☆ なにを余分に言うことがあろう。伊藤整の詩魂は近代詩人に卓越していた。昭和元年の処女詩集『雪明りの路』もすばらしい青春の拝情味にあふれている。もっともっと若い人に読まれて欲しい。
2020 12/7 229

*フェイスブックが、鷲津君の誕生日をしらせてきた。変わりなくハツラツ と想う。東工大も卒業生も遠くなった。自然なことと思う。
このところの一つの楽しみは、『史記列伝』のおもしろいこと。昔から耳慣れ口にもし慣れてきた熟語と沢山、まさしく旧知のように出会う。明らかに日本人 の処世や発想とは異なる価値観が歴々の古典の重みで伝わってくる。何度もはじき返されてきたが老子、そして韓非子を気を入れて読んでみたくなっている。
「総角」の巻で宇治の大君が薫中納言のまえで息をひきとった。薫という人をいちまつ許し難い男のように思い続けているここが原点。それだけ、物語のつよい効果がここで露われる。たいへんな力量で物語られていると怖いほども納得させられる。
『指輪物語』は、フロドとサムらの大長編。世界的には先だってビルボ・バギンズが大活躍の前長編が有るが、それは映画でしか受け取れてない。本になっているかどうか、知らない。
評判作であったらしいホーーガンとかいう人の『星を継ぐ者』とか、サイエンス・フィクションにはなかなか乗り切れない。わたしは、あまりにも「サイエンス」に疎い。

* 断然心惹かれ、日夜読みかつ思いつめて向き合うているのは、『柳北全集』。末期の江戸幕閣に重きをなし、維新後は市井に隠れ、やがて別の顔で活躍する。講談社百巻の「日本現代文学全集」第一巻の巻頭をかざった、二葉亭四迷らよりはるか先達の文豪である。
2020 12/7 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 膝にごはんをこぼすと言つて叱つた母が
今では老いて自分がぼろぼろごはんをこぼす

母のしつけで決してごはんをこぼさない私も
やがて老いてぼろぼろとこぼすやうになるのだらう

そのときは母はゐないだらう
そのとき私を哀れがる子供が私にはゐない

老いた母は母のしつけを私が伝へねばならぬ子供のゐないため
私の子供の代りにぼろぼろとごはんをこぼす      高見 順

☆ さて伊藤整に劣らぬ詩人に、やはり小説家の高見順がいる。昭和二五年刊のひときわ勝れた詩集『樹木派』に収められた、こんな「無題」という題の詩を読んで欲しい。 高見順には、文字どおりかけがえのない愛しい母であった。子のない子よ。こ のさりげない詩句に、私小説風に籠められた母と子の寂しみの、なんと深いか。
2020 12/8 229

* 悪年なる哉と、あまり威勢の上がらぬも「明治十八年師走」の文章を読んでいた。人間世界に「悪年」はいつもいつも訪れるらしい。
2020 12/8 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 死に近き母に添寝のしんしんと
遠田のかはづ天に聞ゆる    斎藤 茂吉

☆ 大正二年『赤光』所収の「死にたまふ母」からは、この歌を筆頭に、次のような一連を挙げずにはおれぬ。
近代短歌の原質がここに凝集している。ただただ反復愛誦したい。

はるばると薬をもちて来しわれを
目守(まも)りたまへりわれは子なれば

寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ
何か言ひたまふわれは子なれば

我が母よ死にたまひゆく我が母よ
我を生まし乳足(ちた)らひし母よ

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
足乳根(たらちたね)の母は死にたまふなり

☆ 臨終の母をかくも壮大に歌いあげた歌人の、詩と「うたご え」の力づよさに私はおどろく。短歌の感動はここに極まっている。言葉の斡旋だけを歌と心得て得意顔の歌人は恥じよ。茂吉の歌は、さながらの大噴火であ る。あかい炎に岩も灰も混じって、それすらも噴火(歌)ならではの魅力となる。
2020 12/9 229

* それにしても『史記列伝講義』がかくもおもしろい読み物とは心得てなかった。個々の人物もそうだが、往古の中国人の気性の激しさや時には険しさなど、声も出そうに迫られる。
2020 12/9 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 今絶ゆる母のいのちを見守りて
「お関」と父は呼びたまひけり 谷崎 潤一郎

今死にし母をゆすりて春の地震(なゐ)    岸田 稚魚

☆ 「なゐ(地震)」と読みたい。好一対の短歌と俳句、ともに日本語の達人である。
昭和五二年『谷崎潤一郎家集』にみえる文豪谷崎の、やすやすとしかも端的に母と父と自身との場所を見定めたゆとりのある視線。ずばり「お関」が利いている。生と死との関の別れをさえ含みにしえていて、母の名がそのまま歌になってしまう。おおらかな名歌だと思う。
「琅玕」主宰の稚魚の句はこまやかな詩情をたたえ、匂うように、悲しみのうちにも仏果をえた安堵のごときものが漂う。岸田の句は記憶から採った。
母への溢れる愛が、歌をも句をも大きなものにしている。
2020 12/10 229

* 岩波文庫新版の『源氏物語』宇治十帖の「浮舟」などへ入って行く。校訂のお一人今西祐一郎さんの新刊解説がとても適切に教えられた、全面的に賛同できた。
ホーガンの『星を継ぐもの』のサイエンスはちっとも理解できないのに、だんだんに面白く乗ってきた。
すでに手持ちのいろんな本に次々手を出して、みな面白い。本がおもしろく読めるとはなんと有り難いことだろう。もし読書ということが全然無いに同じだったらどんなに人生寂しいことだったろう。
さらに美術も音楽も歌舞伎や能や茶の湯や歴史なども。スポーツはみんな出来ないまま、相撲のほかは観もしてこなかったが。旅も、きわめて少なかった。な にわり文章が書けて自分の著作や本が山のように出来た。ありがたいことだった。生みの親たちに、それ以上に秦の、育ての親たちにしみじみと感謝の思いでい る。そして、妻や子にも。
2020 12/10 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 父をわがつまづきとしていくそたび
のろひしならむ今ぞうしなふ    岡井 隆

☆ 「逆らひてこそ父であること」と歌った歌人の、「父」をうしなったまさに悲痛の一点鐘。
父ほど、ある意味で邪魔な存在はない。くそッと思わせることで、父ほど「幾十度」憎らしかったものはない。その「父」を死なしめるのが、実は自分自身で はないのかと、「子」は「今ぞ」思い当たる。その時には、だが、確実に「父」はいなくて、自分がその「のろひ」の的の「父」親にすら成ってしまっている。  昭和五七年『禁忌と好色』所収。

★ 思ふさま生きしと思ふ父の遺書に
長き苦しみといふ語ありにき    清水 房雄

☆ 拙い歌だが、だが、父と子の身にしみて合点の利く係わりがよく捉えられている。
子の目に、往々 「父」という存在は思うまま好き勝手にしか生きていない生きものとして、映じるものではある。
「長き」「苦しみ」の文字を、まだ必ずしも全面的に受け入れているわけではない作者だろうが、それでも、そうだったのか、やっぱり……と子の胸にふと突 き当たってくる実感がある。子もまた、それだけの人生を歩んできたということか。そんな自分を、今はすこし離れた場所からわが子が、お父さんは何でも好き 勝手にして…と眺めていないでもないのだ。
死んだ父が、そういう時、涙ぐましいまで懐かしい。 「アララギ」昭和三一年八月号から採った。
2020 12/11 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 柩挽く小者な急(せ)きそ秋きよき
烏川原を母の見ますに    吉野 秀雄

☆ こういう葬儀は都会ではもう見られないが、農山村にはなおこのようないわば萬葉調の風俗が生きている地方もあろう。 昭和二二年の『寒蝉集』から引いた。引き締まって空気の澄んだ佳い歌だ。
私には「烏川原」が実在のものか、なにか口調子に、烏のいる風情を描写したものか判じかねるが、どっちにせよ「烏」に他界の使者風の感情移入も利き、 「カ」行音の小刻みな反復がこの歌に限って、透徹した印象をより深めている。「な急きそ」は、どうか急がないでくれの意味。
この歌人は、萬葉の昔から現代までを通じて最もすぐれた挽歌の詠み手だと私はみている。

★ 亡き母の登りゆく背の寂しさや
杖突峠霧にかかりて    阿部 正路
☆ さきの吉野の歌に勝るとも劣らない、柔軟な哀調に富んだ佳い歌だ。母の魂がさながらに霧の「杖突峠」を向うむきに登り去って行くかと、子は眺めている。逝く母も寂しく、見送る子はもっと寂しい。
うば捨て伝説風の背景も想像に加わり、太古へも遡り行く神話的な奥行すらもこの一首、はらんでいる。 昭和五〇年『飛び立つ鳥の季節に』所収。
2020 12/12 229

* 夏このかた私の執筆生活を特徴づけたのは、かなの寡少、漢字の莫大な日々であったこと。難漢字を苦心惨憺検索した数、数え切れない、一覧表をみても、舌のもつれそうに難しい字が溜まっている。もう大方、訓みを忘れてしまっている。
反面、漢文や漢詩を苦にしなくなった、逃げ出さない。
仕事との縁は直には無いが、日々に『史記列伝』の愛読できて面白いのも、漢字に辟易して逃げ腰になることが無いから。われわれの薄っぺらな常識では、中 国の歴史はさかのぼってもせいぜい唐か漢かまで程度。だが『三国史』もふくめて、私の名字「秦」まででも大変な昔。その「秦」という字一字でもふんだに現 れて、老子、荘子、孔子、孟子、韓非子、孫子などの名がぞろぞろ出てくるのが『史記列伝』で。それでいて、ナマな中国が身近に四分五裂のまま活躍する。年 がら年中攻防し戦争している。いまさら勉強という気持ちはなく、ただ面白さに惹かれているだけだが、木の葉や小枝なみの日本史などとくらべると巨木が風に 鳴っているよう、身震いも来るが躍動の興味がある。

* 山縣有朋の家集『椿山集』と触れ合っていご、秦の祖父鶴吉さんの遺したたくさんな蔵書にわたしはまみれ気味にすごしてきたが、まだまだ心惹く中国古典 が私の手つかずにたくさんと謂えるほどあるのに今更に驚いている。じつに有り難い、その中でも明治大正に出来た「大辞典」「大事典」「字書」の類がどんな に有り難いか。手に取ると時間を忘れてしまう。明治人はじつに勉強家だったんだと、恥ずかしくなるほど。
2020 12/12 229

* 「チャタレイ夫人の恋人」を、読んでいる間だからもう首をかしげていた。読み終えてはっきり これでは「性」「性行為」は把握できてへんなあ、アトアトで感想ばっか言い合うて、ロマンチックやけどウソくさくなり行いたのが意外だった。
2020 12/12 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 山茶花の白をいざなふ風さむし
母は彼岸に着き拾ひしか    佐佐木 由幾

☆ 下句は、人に死なれた者ならばきっと、一度ならず口をつ いて言わぬ人はいない、それだけ共感をごく自然に誘う表現になっている。この歌ではその下句の自然さを平凡におとしめない上句の美しさに、意外につよい表 現力がある。花の白が風に徐々に寒空へうつろい匂うような、そんな寂しみを身に負うて、悲しみもあらたに亡き母の行方をひとり思いやる娘。明日からはひと りで生きて行く娘。
死なれた者は堪らない…のである。 「心の花」昭和五〇年一月号から採った。

★ 命惜しみ四十路(よそぢ)の坂に踏みなづむ
今日より吾は親なしにして     安江 茂

☆ 「踏みなづむ」とは、生き難い人の世を一所懸命に苦しみ生きているという意味に繋がろう。それでこそ「今日より吾は親なしにして」という思わずも洩れた真情の声が、ひよわな甘えとして響かずに済む。
親のまだ元気な人には分からない。五十になり六十になっても、まだ「親」が生きていてくれるのは無類に嬉しく頼もしいものだ。海山を越えて生きて来た豪の者でさえも、いざ「親」に死なれてみるとすぽっと頭の上が寒く心細くなる。
「四十路の坂」ではまだ人生は定まっていない。下句の「うったえ」は覚悟のほども響かせてよく胸に届く。 「人」昭和五八年十一月号から採った。
2020 12/13 229

* 『論衡』を遺した漢の昔の王充は、端的に、「良い言葉と文章を用い得なかった國」は、人もろとも脆く頽れると、適切に例を挙げて語っている。
「昭和敗戦」後まではまだしも、「平成」以降の日本には、「良い言葉と文章」とは頽れ去り、久しい日本史をベースに認めて時代を代表する文学と作家とが まったく「國」の生活に姿を見せ得なかった。明治には、数え切れない優れた作家と作品があった。漱石、鴎外、藤村、露伴、紅葉、一様等々、「明治」に比べ 時期は短かった「大正」にも優れた作家と作品とが時代を印象づけた。鏡花、秋声、直哉、竜之介等々、「昭和」は長かった、そして大きな文藝の遺産は孜々と して績み紡ぎ続けられた。潤一郎、康成、太宰、三島らは先立つ誰とにもおとらない巨星たちだった。「平成」以降の日本語力の沈滞は、露骨に政権担当者等の 日本語に露わになり、総理大臣の安価に醜いでたらめ日本語が時代の顔を腐らせ出した。麻生、安部、菅とならんだ総理の日本語の安っぽい貧しさは、これほど 今日の「日本」のなさけなさを象徴するものはない、国民の前へ政権政策を語りに出て「カースー(菅)です」などと喋り出した総理大臣の時代にどんな日本語 が耀くかと哀しくなる、なればこそ、いま、文化・文学・文藝は渾身の実力で花咲いてこなくてはいけないのだ。政権や財界は、官僚は、日本の「文」の首を絞 めようと躍起になっていて、文学・文藝の側からの渾身の反抗と奮起の兆しもなく、文藝団体は偉大なリーダをもてずに、うろうろとさえも出来しいない。昔の 出版人なら絶対に奮起し先頭で頑張ったろうに、突出して発言し行為している出版社も見あたらない。
王充は『論衡』の「超奇篇」 もっともすぐれた文章とは何か のなかで、「儒生」「通人」「文人」「鴻儒」などと語っているが、現代、「鴻儒」に値して 日本の「文」「文藝・文章」を先導してくれている文学者は、どなたであるか。総理大臣でも文部大臣でも、ない、のはあきらか。
あれだけ嫌われてきた軍人政治家山縣有朋にも、清雅な家集『椿山集』が在った。

* 信じられない咄だが という想いが私にいつも動いていて、それを嫌っていない。今日も幾つかのそれらを舌にのせて味わっていた。
その一方で、疲れが重みになり五体を押してくるので、怠けるなどと思わずに横になれる時は横になり、睡ければ寝入り、さもなければさしあたり床から手の届く四冊を仰向きに両手でもって読み耽っていた。
ホーガンの『星を継ぐもの』はとても面白くなってきて読み進むになにの苦もないが、その実、なにが書かれているのか、どう読んでいいのか、全然理解でき ない。火星だか小惑星だかから砂を拾って無事帰還した「偉業」にでさえ途方に暮れるのに、隅から隅まで超弩級のサイエンスと宇宙人や宇宙国家を書いている 話は、隅から隅まで理解が届かない。それが面白いと思えてこまかに読み追えているのだから、こういうサイエンス・フィクションがまったく私とは別モノゴト だと分かる。それで居て、読み進める、面白がって。何なの、コレ?
トールキンの『指輪物語』とくればホーガンのそれとは別の途方もないフィクションだが、これは隅から隅までほとんど信仰して楽しみ読み進んでいる、それももう何度目かを。
何度目といえば『宇治十帖』など十度でもきかないのに、じつにしみじみと染められるほどの自覚と心酔とで読み進める。これは私だといえるほどの我がモノとしての世界の美しさに惹かれている。
そして今日は『史記列伝』は孔子周辺の人たちをかたりはじめるらしい、その直前の苛烈なほどの「伝」記を原文で、そして訓讀で、楽しんだ。
この世に「本」があって良かった有り難かったなあと、しみじみ感謝する。『柳北全集』も繰り返し各編耽読し、必要なのは書き写した。
合間合間には王充の『論衡』やアウレリウスの『自省録』を拾い読む。機械クンはなにかにつけ「待たせ」て暮れるその待ち時間の「拾い読み」に恰好なのである。
2020 12/13 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 斑雪(はだれゆき)山に残りて葬りし
母に雪解(ゆきげ)の水は浸み行く    武川 忠一

☆ 現代では著名な歌人の一人だが、この歌、意外に含蓄には乏しい。そのかわり言葉で表されている限りはくっきり出ている。死なれた者には共感はあつい。しかし詩としてはもう一段の追究があっていい。 『氷湖』所収。

★ 暮れてなほ氷雨降りしむ楉(しもと)はら
吾を呼ぶ黄泉(よみ)の母の声する    岡野 弘彦

☆ 折口信夫(しのぶ)の志をもっともよく享けついで、師に 優るとも劣らないすぐれた現代歌人の一人である。とくに言葉の読み込みと音楽性に佳い味わいがあり、砧でうったような語感はきめこまやかに腰がつよい。 「楉」とは、文字どおり枝の茂った若い木立ち、木の細い枝々を謂う。
四句の「吾を」の字余りと「呼ぶ 黄泉」と「よ」の音の重ね効果が、一首の速度感に適切なあやを成しえてうわ滑りしない。結句もそれで座りのよさを保っ ている。わびしい哀しい光景ではあるが、表現の妙で陰気をまぬかれている。一読して忘れがたい。 昭和五三年『海のまほろば』所収。

* こういう 真率にして美しい「音の楽」を「自称短歌」世界から、なかなか聴き取れなくなっている淋しさを、嘆く。

* 「平和」の二字が金科玉条となり、人間の心をひとしなみに「率い」ているかに想われる。
が、果たしてそうか。
「平和」と「戦争」とは有史この方、つねに同次元の一対で、「理想」には相違なかったが、ひとしなみの「世界平和」など実現されたことは、一度も無い。 つねに自国ないし同盟諸国の「平和」のために他の國ないし諸国、諸同盟国と、「戦争」してたんに均衡が揺らめく保ってきただけ。それが人間たちの「世界 史」であり、例外は、事実上「無」であった。
「平和」を願うだれもが、「自国ないし自国なみ同盟諸国の平和」であり、それを死守するためにも他国ないし他の同盟国と争って、烈しい「戦争」も避けなかった、避け得なかった。
「世界平和」が見果てぬ夢なのは明瞭な「人間の史実」であり、かつて「諸王・諸帝」が各地に併存はしたが、「世界王」による「世界平和」など、有史以来一度も無かった。有り得なかった。
この事実ないし現実を絶対的に克服できた「実例」を誰一人として挙げられない以上、「世界平和」はただ「美名」の域にとどまる「空想」なのである。
人類が、人間たちが望んできた「平和」とは、自身ないし自国・友好國の「平和」なのであり、その獲得や保持は、「戦争する」という「意思と力量」とにしか支えられていない。今日二十一世紀世界の世界中を見渡して、此の「私の理解」を否認できる「ただの一例」も無い。
いま、『史記列伝』に読み耽っていて、「伍子胥列伝」まで読み終え、つぎに「孔子」らの記事がはじまる。
中国の歴史時代が、「殷」にはじまり「聖帝」伝説を抱いたまま続く「周(春秋)期」にはもう「戦国」が続く。秦始皇帝の統一までの中原の葛藤ははげし く、「秦統一」時代は短期で「前漢」へ、さらに「新」を経て「後漢」ヘ転じ、以降、どの帝国も「戦争」を介して険しく交替しつつ、今日の「中共中国」に 到っている。「中国」という大国内にして、実は、慨ね途切れなくいつも四分五裂の「戦争と平和と」の闘いなのであった。
私は、「世界平和」という理想を否認しないが、当の「人間」こそが、それを動かしがたく拒絶し続けて例外なかった。「人類の史実」は世界平和を恰も拒絶し続けたと「確認」せざるを得ない。
言い換えれば乃、ち、「平和」とは極まるところ「自国の確かな防備」無しには保持できないという簡明な現実を、否定否認できないということ。前回、今回 も、「湖の本」で山縣有朋を、そして昭和天皇痛嘆の声をも採録した、それが、大きな理由と云うしかない。日本の久しい「鎖国」による平和は極東孤立の賜で あったが、いつの時代にも安穏と自立していたと思うのは錯覚である。強いていえばいつも狙われていた。防備に「海」が幸いしていたに過ぎない、が、もうと うにそれも不幸に転じたことを昭和の敗北は明証した。二十一世紀のあます八十年、「日本人」が平和と安穏を願うなら、「世界平和」とは久しい人類史の寝言 のように破れ続けた夢に過ぎぬと承知して油断なく「國」を護る気概が必要だ覚めた。私の「思い違いだ」と、さっぱりと教訓して下さる方に出会いたい。
* 書き出していると明言には、もう少し、いや、まだまだ試行錯誤のまま自身に向かい私語してゆくが、この「私語」は私自身にももうよっぽど妄想めく別世 界へ入って、出鱈目に幾筋にも心騒ぎ、独りで面白い。「コロナ禍」とも、あの愚かしい「ガス抜き」の必要とも無縁も無縁で、面白い。面白いことがないと此 の窒息じみた逼塞の日々、生き苦しくて。疲れたら、ためらいなく本を読み読み、何時間でも寝入ってしまう。
2020 12/14 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 凍(し)み蒼き田の面(も)に降りてみじろがぬ
雪客鳥(さぎ)の一つは父の霊かも    大滝 貞一

☆ こういう思いをするものである。死なれてなお愛し慕い畏 れてやまぬ子の思いである。しかし末句はややナマに物足りない。また、これだけルビに頼って歌うならば、微妙な「降り」にも「霊」にも欲しい。「おり」 「れい」と読んだが、わざわざ「雪」客鳥としてあるのだから、敢えて「ふり」とも読みたいし、「たま」とも時には「みたま」とも読みたくなる。
短歌表現とルビの問題は、もっと検討されてよい。 昭和五九年『白花幽』所収。

★ 病む祖母が寝ぐさき息にささやきし
草葉のかげといふは何処(いづこ)ぞ    岡野 弘彦

☆ 一首の歌が、言葉の上で歌いえている、なおその上の い わゆる「突っ込み」があるかないかで、歌の魅力は大きく変わる。この歌も、末一句「いふは何処ぞ」の問一問(もんいちもん)で尋常の域を突き出た。病みか つ死んだ祖母、というよりもおよそ「死者」なるものと不思議の問答をかくて作者は交わすことになった。
四句に至るゆるみのない具体的描写でこの間いを、観念の遊戯に陥し入れることなく、作者はわが心の内にも「死の世界」の所在を問う。問いつつ、生きてなお人のわざの重く貴い現在を感じている。
ここに沈潜した愛は始原のものだ。 昭和四七年『滄浪歌』所収。
2020 12/15 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 玉棚の奥なつかしや親の顔    向井 去来

☆ 神棚くらいに「玉(魂)棚」は取っていいだろう。神棚のわきに正月に限って新しく設ける玉棚もあるけれど、意味は神棚にほぼ同じい。日本の神は、ほとんど先祖神の意味にも同じいのだから。
「追悼」の意はこの句から容易に汲みとれる。近代の歌ほど深刻の表現ではないが、おそらくこの「追悼」には、なにか事あらたまってのハレの感情も加わっているのかも知れない。日本人が「おめでたい」とものを思うような日に起きがちな「なつかしや」の気持ちでもある。
死ぬことをおめでたくなると言う土地もある。亡き「親」は、もう神に近い存在になっている。作者は言うまでもない松尾芭蕉の高弟。

★ いくそたび母をかなしみ雪の夜
雛の座敷に灯をつけにゆく    飯田 明子

☆ 「かなしみ」には、愛しみと哀しみとの重ねを読みたい。どこにも「母」がもう故人であるとは無いが、母が遺愛の雛を座敷に飾っている人自身が、もう娘をもった母なのだと読める。私はそう読む。
母がなつかしく、だから愛しく、かなしく、日のあるうちから繰返し思い出されてならなかった。そして雛祭りの夜も更け、幼い娘たちはもう床に入って座敷 に灯は消えていたのだが、やはり母のことが思われてならぬままに作者は、ひとり「母」と声なき会話をかわしたくて、座敷へそっと「灯をつけにゆく」のだろ う。
事実は知らぬ。説明がましいことをつい言いたくなるほど優しい、しつとりと流れる調べの、いい歌だ。 昭和五〇年『唖狂言』所収。

★ 庭戸の錆濡れてありけり世にあらぬ
父の家にして父の肉われ    河野 愛子

☆ 昭和四七年『魚文光』所収の、渋い味わいに言いがたい魅力のある歌。
雨のあとでもあったろう、「庭戸の錆」が「濡れてあ」る亡き父の家へ、その家に今は住んでいない作者が、しばらくぶりにでも訪れ寄ったか。こういうとこ ろは、読者も、歌の状況へ想像の視線をこまやかに走らせて欲しい。この作者の視線は敏感に、かつ個性的にモノをとらえている。「世にあらぬ父の家」では、 もう、あのよく行き届いた父の目ははたらくべくもなく、ふとしたところに父非在の現実が致しかたなく目につく。「父の肉」であると痛感できるような娘なれ ばこそ目につく。それを誰に訴えもならぬまま作者は、今ぞ身にしみて「父の肉われ」と胸の底から歌わずにおれない。
せつない死者との共感であり、身に痛い喪失感に思わずたじろぎそうな追慕である。「われ」という異例の歌いおさめがよく利いている。

* 歌をよみながら、ほろと、熱く涙した。しかし、此の俳人も歌人らも、父を慕い母を恋い「しあわせや」としみじみ想う。
わたくしたちの行方も安否もしれない娘は、今、どこでなにを想い、どうしているのだろう。
2020 12/16 229

* 心重いまま、甥の恒がつくって置いてくれた実兄、北沢恒彦遺著の『隠された地図』巻末の「年譜」を通して読んだ。何をあらためて云うことはないのだ が、心しおれた。母ふくも、父恒も、兄恒彦も、大きく大きく「生き残し」たまま、自死かそれに斉しく、世を去っている。病で、とばかりは言い終え得ない死 に方をしている。とはいえ、双親が、恒彦と恒平とを世に遺したのは(敢えて云うが)手柄であった。残念なことに思想家で活動家で社会人として北沢恒彦が闘 いつづけた願いは、いま、日本の國では気息奄々として気配ほども感じにくくなったのが、痛恨の思い。
兄は 母や父に似て、ロマンチックなリアリストのまま栄養失調に近く生きて死んだようだ。
生まれながら親とも兄とも触れることなく生きた私は、「秦」という家に育てられた幸いをひたすら我流に造形できた。京都、日本そして歴史と言葉と、更に 云えば愛を、私は贅沢なほど貪食してこれた。それが本当に幸福で良かったかどうかなどは、自身で言うことでも言えることでもない。
ただ ただ いま 切に切に兄に会いたい。兄は ただただ「いつも」励ましてくれる人だった。わたしは、いまもまだあの兄に「はげまされたい」「はげましてほしい」のである。
2020 12/16 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ お父様 ほんとは一番愛されたと
姉妹はそれぞれ思っています    利根川 洋子

☆ この一首に出あったとき、私は、女学校のしずかな校舎でふとつつましやかな合唱の声を聞いたような心地よい微笑に誘われた。なまじな説明を一切要しない、しかもこれも「うた」には相違ない。佳い歌だと思う。
「お父様」で、一字分あけた表記も利いている。感傷に堕していない短歌表現の妙味を汲む。 「かりん」昭和五八年五月号から採った。

★ 亡き父をこの夜はおもふ
話すほどのことなけれど酒など共にのみたし    井上 正一

☆ 十分の出来ではない。だが「うったえ」は強い。第三、四 句の大きな字余りに難があるのではない、ここは、うち口説く感じがそれなりに調子づいて出ている。私が不十分と読むのはむしろ「おもふ」三字の含蓄の薄さ だ。ここはもっともっと切実な心の嘆きや寂しさが的確に表現されて欲しいところ。こういうことを作者が「おもふ」のは、よくよく生き苦しく辛く寂しい事件 がこの日にあったのだ、Tが、男の世界ではそれをどこへ訴えることも成らぬ場合が多い。
あんなに邪魔に思い煙たく感じていたおやじの顔が、そんな「夜」はふッと目の底をはしる。酒がのみたいなあ一緒に。「父」なればこそ、何をことさら話し 合う必要もなく励まされも慰められもするだろうと、作者は、やっとやっと「父」を全身に感じている。 昭和五三年『冬の稜線』所収。

* この井上正一の歌には、泣かされた。どう取り返しようもない悲しさに泣かされた。 2020 12/17 229

* 川本三郎さんから谷崎先生の『細雪』に触れた一冊本を頂戴した、感謝。谷崎文学も読み返して楽しみたいなあと思っていた。戦後も早い時期の新制中学時 代に、一冊本の『細雪』を小遣いで買って(オオッ!!)、一つ歳下の梶川の妹と分け合い愛読した昔を懐かしく思いだす。七十年ほども逢っていない、が、私 よりも達者に長生きして欲しい。三人姉妹の下の妹ははやくに、姉はつい近年に亡くなりましたと、何必館のしらせがあった。
2020 12/17 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 子を連れて来し夜店にて愕然と
われを愛せし父と思えり    甲山 幸雄

☆ 「愕然と」が、とくによく利いている。これはもう「悟 る」というに近い、「突発的な自覚」なのだ。真実思い当たったのだ。だから下句のナマな物言いにかえって率直な面白い効果がでて来る。まこと、「子をもっ て知る親の心」であったろう。あああの「父」ったら、いつも心のよめないむずかしい顔ばかりしてウンザリだったけれど、あれと同じ顔をいま、俺もしている じゃないか……その俺にして、夜店に連れ出したこの子が内心可愛くてならない、のなら、「父」も…そうだったのか。俺を「愛」してくれていたのだったか。
ちと面映ゆいが 微妙に心嬉しい一瞬にふれ、胸も暖かくなる。短歌は、斯く歌いたい。 昭和四五年『ひたいと耳』所収。

* 35年も昔のわが著書ながら、並ぶものない、「読みの名作」と読者からほめて戴いた嬉しさがいまも熱い。創作のほかで胸にしみいる本をと望まれたら、今も躊躇わずこの一冊を選ぶ。まだまだ先があります。味わって下さい、こんな剣呑な時節なればこそ。
2020 12/18 229

* 衰弱ということばが忍び寄る。活気が沈滞している。
気忙しくならず、骨休めの時季と思えばいいのだ。没入できる本を、もう幾作か選んで枕元へ置こうと思うが、気づいてみると、少年の昔没頭できた十九・二十世紀泰西文学へ心誘われていない、不思議なほど。
藤村、漱石、潤一郎などへ帰ろうか。
わたし自身の小説作を選集本で読み直そうか。なんだか、お別れするみたいで景気が悪いが。
いっそ新しい「湖の本」の難儀な校正刷りが届いたら、イヤもオウもなく没頭できるかも。
2020 12/18 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ これひとつ生母(はは)のかたみと赤き珊瑚
わが持ちつゞく印形(いん)には彫りて    給田 みどり

☆ 昭和三九年『むらさき草』所収。 「生母」は「はは」と 読んであるが、「せいぼ」と字余りに読んでかえって「赤き珊瑚」の句座りに旋律感が匂う気味もある。生みの母をよくは知らない、ないし覚えないで成人した 作者のかなしみ。満たされざりし愛が愛を呼んで、ひとつの印形(いんぎょう)に凝った。母から貰い受けたものは珊瑚「だけ」でなかったのだ、女らしい優し い「名」もあったのを、作者はいとおしむ思いで言外に歌い籠めている。
給田先生は 私を母かのように愛して下さった京都の新制中学時代の先生。短歌づくりも教わった。読書も教わった。夏休み中のある日に、ふっと家のまえに 立たれ、私を、奈良の薬師寺と唐招提寺へ連れて下さった、お寺にも仏像にも、解説めく何ひとつも無しに。しかしあの日のそれは多くを私は覚えている。あの 日にも幾つも私は歌を創った。

★ この鍬(くわ)に一生(ひとよ)を生きし亡き父の
掌(て)の跡かなし握りしめつつ    佐竹 忠雄

☆ さきの歌の「印形」と同じ象徴的な意味が、この歌では 「掌」の一字に凝っている。「手」から「手」へ、人の営みの意味も実績もが伝え継がれて行く。必ずしも父の農業を子も継ぐとは限らず、もうすこし内面的な 受け渡しが「手」や「掌」を経て成される。だからこそ、思わず「握りしめ」るのだ。 「多磨」昭和二一年二月号から採った。

★ 明珍(めうちん)よ よき音(ね)を聞けと火箸さげ
父の鳴らしき老いてわが鳴らす    藤村 省三

☆ 初句は、「この火箸はモノがいいんだよ、明珍の作なんだ よ」という直接話法。「明珍」は具足鍛冶師で、他に火箸や鐶や鈴(りん)など茶道具の名品も多く製した作者の家名。金の含量が多めで、チーンチーンととて も佳い音色がする。今は亡い父の自慢の品で自慢のしぐさだったのを、いつとなく年老いて自分も、そっくり踏襲しているのだ、苦笑いの内にも、感慨深いもの がある。
作者のまぢかで自慢の「しぐさ」に小首をかしげているのは、はたして子か、孫か。
私も子供の頃、叔母の茶室で実はよく鳴らして遊んだもの。 「国民文学」昭和五〇年八月号から採った。

* いい思い出が、じつに無尽蔵にある。そういう一つ一つは、言い換えれば私が多く愛されていたということ、それを、今にしてしみじみ思い当たるのでは、疎いなあ。
2020 12/19 229

* ホーガンの『星を継ぐもの』を ゾクゾクしながらまことに興深く読み終えた。私むきで ない高度に科学的な(=らしい)見解と討論と研究を基調に成り立っている作であったが、一行といえど読み飛ばさずに中へ加わり入ってゆくことで私なりに関 心をつなぐ内、ゾクゾクし始めた。地球 月 現地球人(ホモサピエンス)と、その以前に何故か絶え果てたネアンデルタール。
真夜中、読み終えて、ボーゼンとしていた。それはいい読書の恩恵である。
しかしまあ、私が高校時代、もともと、もっとも苦手で結果的には逃げ出した教科は、理科であり地学であり数学だった。こういう手の本には手を出さないタチだから、古本屋の店頭でよほど安価に拾ってこれたのだろう。読み始めてすぐ投げかけていた、が、投げなくてよかった。
『指輪物語』とも『源氏物語』とも『史記列伝』とも大違いの、しかし間違いなくゾクゾクした、出来た読書であった。

* 夜前は早めに床について、上の四冊のほかに、はなはだ珍しく、一茶の『父の終焉日記』と、西鶴の短編集『置土産』の巻頭作とを読んだ。
いや一茶の方は、荻原井泉水さんの巻頭言や後記だけを読んだ、この作は一茶が哀れで気の毒で、呵責苛酷をきわめた継母や異母弟が嫌いで、むかしに一読して不快に絶えかねていたので、今回も、本文は読み止めた。

* 高浜虚子に並ぶ俳人荻原井泉水さんには、私、作家に成り立て早々雑誌「春秋」に書いていた『花 風』連載の途中で、突如として「ファンレター」を戴 き、追いかけて、「秦 恒平雅兄一餐」とそえられた「花 風」大字をまで贈って戴いた。井泉水さんといえば正岡子規門のすでに歴史的な方であったから、太宰賞ほやほやの若僧には それはまぶしい名前だった。「ファンレター」も揮毫も、嬉しい以上に仰天した。どんなに励まされたことか。大字二字の揮毫はいい表具をして額装し、今もこ の機械席の右上間近な高みに掛け、肌身にふれるほどにいつも振り仰いでいる。

* 私は、同世代ないし若い世代の文壇人とはほとんど付き合いが、無いと言えるほど数少なく過ごしてきたが、選集の「年譜」で、驚かれる人もあった、二、 三世代も上の大先輩との、私から求めて近づいたことは滅多にないのに、ご縁は多かった。太宰賞候補に推薦されていたことすら当選の通知以後まで知らぬほど だった、応募していなかったのたから。「懐かしい」ということばの意義をあらためて思いながら懐かしいそういう先生方のお名前を自身びっくりするほど思い 出せる。幸福と謂うしかない、が、同世代の人らとの付き合いに励まなかったのは、しぜん「騒壇餘人」へ身をひいてゆくことにも成った。

* さて西鶴であるが、江戸時代作者らはもともと私は苦手の食わず嫌いで、西鶴の名作『一代男』『一代女』『五人女』らこそ引き込まれて愛読したいつも念 頭にあるものの、他の数多くの短編集からは逃げ続けてきた。昨夜読んだ一編、筋も表現も面白くは読み取れたが、独特の西鶴調で、ま、「付き合いました」と いうほどの事だった。

* 様子のまるで異なる本を寝入る前につぎつぎ読むからか、ややこしい夢見に、「声」も出そうに惑わされた。
それでも、「読書」という習いを自前に持ち続けられている幸せを、この八十五歳直前にして、豊かなと喜ぶ気持ちでいる。
2020 12/19 229

* 蔽ってくるような疲労感に逆らわず、ほぼ一日、横になり寝入っていた。九時半をまわった。夜のインシュリンも注射してきた。強いてもう起きていることもなく。あれこれ読みながら、夢路へむかう。穏和にいい夢だと佳いが。
2020 12/19 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 春の日に人はゆらりと土橋(どばし)すぎ
父の在処に雲雀はうたう    村松 静子

☆ 作の事実には背くのかも知れないが、敢えて想うまま読み たい。「在処」は「ざいしょ」でもよく、しかし私は「ありど」と読んだ。雲雀うたうのどかな現実の村里に、父は生きて今も健在なのではなく、父の魂ははや 昇天して、現実にはその父の葬列が奥津城(おくつき)へゆっくり向かっているのだ。晴れた春の日だ。
「土橋」は、死んだ者と死なれた者との「在処」を分かつ境界。「ゆらりと」に、人手に運ばれ境の橋を渡されて行く死者の柩の重さが、みごとに表現されて いる。絵か夢かを見るようなこの暖かい描写に、父の死後を祈る愛がにじみ出ている。 「かりん」昭和五八年五月号から採った。
2020 12/20 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 夏は来ぬ昔伽耶山の眉の月知らざれば遠き母のまぼろし   馬場 あき子

☆ 正直のところこの歌がいい歌なのかどうか、私に自信のも てる判断はない。歌われていることも、的確に分かっているわけでない。しかもこの歌、「母」を知らぬ私には、忘れがたくいつも口をついて出る。唐突な「夏 は来ぬ」の、一首にしめる必然はつかみおおせない。「夏は夜、月のころはさらなり」か。そこに遠く喪失した「母」初原のイメージが結ばれて行くのは、私自 身の実感でもある。実感に添うて感慨をつよく喚び起こす歌。
理についた解釈ばかりが大事なのではあるまい。琴線に触れる。それでいいと思う。この歌人の作で心惹かれるのは、いつも、こうした「母」の歌である、私には。出会いであろう。 昭和五四年『雪鬼華麗』所収。今ひとつ挙げたい。

★ 母を知らねば母がくにやま見にゆかん
ほのけき痣(あざ)も身にうかぶまで   馬場 あき子

☆ 魅力は下句の「ほのけき痣も身にうかぶまで」に尽くされている。愛以上のほとんどこれは「恋」である。他の言葉に置きかえての翻訳や説明を拒絶した、絶対にちかい表現になっている。それでも分かる。私は「詩」とはそうしたものでありたいと思う。
機械的に言葉の解説力に頼った詩歌の拙い翻訳や現代語訳を、だから、私は嫌う以上に憎みさえする。それは「詩」の、「言葉」の暴力による扼殺である、本歌取りの創作ならばまだしも。 昭和五二年『桜花伝承』所収。
2020 12/21 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 墓石の裏も洗って気がねなく
今夜の酒をいただいておる    山崎 方代

☆ 親の墓なのだろうか。「いただいておる」という表現にそう読みたい気分がある。しかし実は吉野秀雄の挽歌だった。「短歌」昭和四二年十月号から採った。
いわば師父の慈愛でありいわば弟子の敬愛である。生死の境を超えた対話があって面白い。このまま、ここに置く。

★ たふとむもあはれむも皆人として
片思ひすることにあらずやも

今にして知りて悲しむ父母が
われにしまししその片おもひ    窪田 空穂

☆ 昭和二六年『冬木原』所収のこの歌をはじめて知ったと き、私は、横びんたを張られた思いをした。「片思ひ」三字に見抜かれた、おそるべき真実。愛というも恋というも、尊敬といい思慕というも、本質においてど こか「片思ひすること」ではないのかという認識。その認識の上に立って第二首めを読むとき、私は重い首を垂れるしかない。
わが親の、子へ、まぎれないこの自分へ傾けてくれた愛は、みんな親から子への「片思ひ」だったか。いや、子の我の心なさで、力ずくその海山の愛を「片思ひ」と同じ結果に終わらせたのではなかったか。
作者は親として、父として、今、その「片思ひ」をしていればこそ、痛切に亡き親たちの心が分かるのだ。世にありとある親はそう思い、世にありとある子も、いつかきっとそれに気がつく。
人間のすることは、いつも、なにかから、一歩も二歩も遅れている。

* 空穂(うつほ)の歌に泣けないような人間でいたくない。
2020 12/22 229

* 建日子が、書き継いでいる長編の原稿を「送ります」と伝えてきた。もう何作(何冊)めの本になるのだろう。愛読者に支えられ、しかも甘えないで、シャッと建つ、しっかりした表現と達意とを期待している。

* 読みはじめた。わたくしのとても手も触れ得そうにない、異星界へいきなり到達したようだ。独特の端正で簡潔な行文に粗忽は無く、先日読んだホーガンの 『星を継ぐもの』などと類した物語が展開するのか、かならずしもサイエンス・フィクションてはないのかも。題はあえて書かない、独特のなにかしら示唆的な 異星人たちの生活や事件が繰り広げられるのか、まだ私は十行ほどを読み下したまで。私のいかなる幻想世界とも異なる不思議な自然さをもった世界らしい。
生来といえるほど簡潔にむだの少ない日本語を読ませる作家である。それはそれなりに、何か感じたことをうまく伝えられるように読み進めたい。
2020 12/22 229

* 体調優れず、午後も、夕方へかけ寝入っていた。「孔子門弟列伝」を原文で読み進み、行き詰まると講釈に助けられながら、いつか、つぶれるように寝入っ ていた。起きても、夕食がまるで進まず、妻の心づくしに申し訳ない日々がつづく。今すぐにでも、また寝たいほどからだが懈い。
新しく「湖の本」次巻「初校出」までの今を、天与の休息時間と遠慮無う休んだ方がいいのだろうと思う。物忘れというほどでなく、語彙、モノの名忘れが日々に露骨になってきている、少しずつだけれど、そしておおかたは数分内にも思い出せるのだが。
2020 12/22 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 親への愛

★ 百石(ももさか)ニ八十石(やそさか)ソヘテ給ヒテシ、
乳房ノ報(むく)ヒ今日ゾワガスルヤ、
今日ゾワガスルヤ、
今日セデハ、何(いつ)カハスべキ、
年モ経ヌべシ、サ代(よ)モ経ヌベシ。

☆ 「親への愛」 この項の最後に、いわゆる「和讃」のなかから、比叡山所伝の「百石讃歎(ももさかさんだん)」をえらんでみた。
文字どおりの、深い歎きである。気がついていて 為すあたわない嘆きである。
なんという、なんという愚かな私だろう……。
生みの父母には顔も知らず死なれてしまった。
(一九八○年代後半の現在=)八十路を超えて生きにあえぐ育ての老父母たちは、遠く故郷(京都)にうち捨てて顧みていない。 胸の内に、すでに地獄が在る。
2020 12/23 229

 

* 居間の棚、観音像のわきに高麗屋さんに戴いた深紅のポインセチアの鉢、持田晴美さんに戴いた濃紫に華奢なミディ胡蝶蘭、そんな居間からはテラス越しの 書庫真正面の棚には、作家久間十義さんに戴いた清楚に丈高い早翠ともみえる白色胡蝶蘭・茶人吉田宗由さんに戴いた多彩な薔薇の花束が、華やかな盛りの色を 盛り上げている。
我が家の歴史で、いっとう花やいで歳を越してゆく一年になるのたせろう。感謝しなくてはならぬ。
オーと思いつく誰よりも「大事な感謝」を捧げたい「今年の人」は、まちがいなく、明治二年に生まれ、昭和二十二年に亡くなった秦の「鶴吉」祖父だろう、 今にしてなお仰天してしまうほど貴重な漢籍や漢詩集や、日本の古典や巨大に重い事典・辞書などの「蔵書」を、まさしく「私・恒平のために」遺してくれたこ と。
『山縣有朋の「椿山集」を読みて』についで、もういちど山縣有朋の「覚悟」を問う一冊も用意できているし、いましも『史記列伝』に読み耽っている。与謝 野晶子の訳源氏物語よりはるか早く、四つ五つで秦家に入るはるか以前から『源氏物語湖月抄』の帙入和本も、真淵講・秋成訂の『古今和歌集』や、『百人一首 一夕話』だの『神皇正統記』『日本外史』『歌舞伎概説』だのと範囲は広かった。
幸いに私はそういう「本」という形に魅されて頁を繰らずに折れない「幼少」であった。よかったと思う、しみじみと。そして祖父への感謝を新たにする。
このごろは、『柳北全集』の数多紀行の名文や随時に呼吸でもするように挟まれるハツラツの漢詩を、とても面白く楽しんでいる。こんな貴重本、いまどき欲しいと探しても、神田ででも難しいだろう。

* このまま棄てちゃうかと、一山に括った荷を物置から出して、自身の原稿や作の初出誌や初出本だと気づくと、「待てよ」となる。今にして「寶」のようなモノが束ねてある。ウーンと、参ってしまう。
朝日文芸文庫が今も刊行され続いてるか知らない。新刊ピカピカの岡井隆編著『現代百人一首』が混じっていて、まちがいなく私も「百人」に加わり「一首」 を採られて、岡井さんの感想や批評が添っていた、記憶はしていた、本が何処にあるかは忘れ果てていたのだ。読み返してみると、面白く、興深く、なにかしら たしかに「歴史」を成している。
釈迢空の「たゝかひに果てし我が子を かへせとぞ 言ふべき時と なりやしぬらん」を第一首に、斎藤茂吉の「あかがねの色になりたるはげあたまかくの如 くに生きのこりけり」を第百首に、百人百首が読み出せる。第四十首に俵万智がいて、私は第六十首にいる。第八十首に斎藤史がいて第二十首に大橋巨泉がい る。もう亡くなってしまった懐かしい、今も若々しい歌人の名がたくさん採られてあって、これはとても棄てていい一冊ではなかった。

* 「初出」本というのは、当人には{個人史}的に、時に{研究者には論考のベース}になる大事な用の残ったモノであり、一作家一批評家が生涯の「稼ぎ」 の種だったモノ。ことに私のように百冊も単行本の類を出版していても、一冊一冊が地味で「稼ぎ高」に大きく寄与しては呉れないが、出版百冊分のいちいちの 原稿枚数への原稿料積算となると馬鹿にはならない、現に私はこの老境をほぼゆっくりと好きに生活していられる。初出原稿というのは「書き手」にはそれこそ が「稼ぎ」なのである、昔風には原稿用紙一枚の原稿が数千円という具合に。

* 上野千鶴子さんが、岩波で新刊の『近代家族の成立と終焉 新版』に手紙を添えて送ってきて呉れた。江藤淳に触れて書いてあるのを「読んで」と。東工大 教授へわたしを推薦しておいて慶応へ「帰って」行ったといえるのが、江藤淳。上野サンとは思想的に合うという人でなかったが(上野さんがそう云うている) が、批評家としては「戦後批評の正嫡」と尊重していたらしい、そういうことはあり得る。私は、生前の江藤さんには 彼のなにか大きなお祝いゴトのパーティ で、かなり遠い場所から、しかし、丁寧に黙した一礼を送り。すると打ち返すように江藤さんはすてきに穏和な笑顔で返礼された、その一度しか会ったことがな い。東工大の「と」の字にもお互いに触れなかった。その後に、最期ちかくに、二冊、自著を送って下さった。
江藤さんのの亡くなった衝撃のまま、後半季を黙々耐えて、今度は歳末ちかく実兄「北澤恒彦」に同様に自死された。いまも残ってある『湖の本エッセ1イ20 死から死へ』(2000 2 20刊)は、その折りのいいよう無かった痛苦の名残だ。

* この二三日、自分の『オイノ・セクスアリス ある寓話』を読み返していたが、この長編作の前半
をかなりの気負いと勢いとで爆走いや無茶走りが出来たには、察している人が多かろうか上野千鶴子編輯の、ウーマンリブ生き残りたち合巻共著を無礼なほど踏 み台の一つにしていた。上野さんの本は沢山もらっていて、かなり読んでいる、手堅い論考ものなどを、むしろ気を入れて読んできた。ま、私はシンパシィのあ る方の上野読者なので。ま、彼女やそのお仲間たちへ都合良くツケをまわしたりしてわたしはあの新しい「セクスアリス」を、あれこれと引き出しの隠し戸から ひみつの「私自身」を楽しんだのだった。 「近代家族」が「終焉」したのか変容しているのか、その辺は上野新著でまた勉強しましょう。

☆ 秦 恒平様
お礼が遅くなりました。コロナ疎開で都内を長く離れておりましたので。秦 恒平選集 全33巻最終巻 たしかに受けとりました 光栄です。色川(大吉)さんの『不知火海民衆史』の自費出版のお手伝いをしましたので 本作りの大へんさは身に沁みております。
江藤淳さんの(東工大教授=)後任だったとは。江藤さんの推挙があったのでしょう、東工大はユナークに文学者の採れるポストをもっているのですね。
同封の著書(『近代家族の成立と終焉』)で、昨年神奈川近代美術館で講演した江藤淳論を収録しました。お目汚しですが ご興味がおありでしたらごらん下さい。
コロナ禍のもと、どうぞご無事でおすごし下さいますよう  よいお年を。
12/21・2020    上野千鶴子  東大名誉教授 社会学

* お大事に。お元気で、よい春を迎えて下さい。
江藤淳さんといい、色川大吉さんといい 、ご縁ということは有るものだ。堅苦しいこと抜きに気軽に懐かしい思い出でこの六十年の東京時代に出会った抜群 の先生、先達、先輩、後輩方の思い出を、ちょくちょくと、しかも含蓄の、「一言や場合いを」書き置くだけでも結構心嬉しい大冊になるだろうなと思う。
2020 12/23 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 捨てかぬる人をも身をもえにしだの
茂み地に伏しなほ花咲くに     斎藤 史

☆ 「え にしだ」に「金雀枝(えにしだ)」と「縁(えにし)」の重ねを読み、しかもここは地縁や職業の縁であるより、重い血縁の思わず地に伏すほどの「茂み=しが らみ」と読んだ。一首の高揚は、むろん、それでも「なほ花咲くに」の感慨に在ろう。ここにこの詩人の不屈の人間愛がある。「捨てかぬる」のである、重い思 いには遁れようもなく相違ないのだが。
姿、調べ、思い、滞ることなき「表現」の美と質感である。 昭和五一年『ひたくれなゐ』所収。

★ 傘を振り雫はらえば家の奥に
父祖たちか低き「おかえり」の声    佐佐木 幸綱

☆ 私らが子供の頃から遠く仰ぎ見て、海山の学恩も被った佐 佐木信綱。そのような欝然たる大家を祖父にもった人の作とは、敢えて考えないでこの一首を読む道もある。「父祖たち」というほど、切実にいつも大きくは考 えていないにせよ、大なり小なりこれは「子孫」が共有してきた「家」の威圧であり、安堵であるからだ。
「家の奥」が、つよいイメージを持ちえている。
「おかえり」にも象徴的に重く強いる響きがある。こわいと思い、うとましくさえ感じ、しかもいつの間にか「おかえり」と家の奥でつぶやいている、自分。 自分はそうはならぬと言うは易く、だが逃れられない呪縛に安住もし服従もする日がやがて来る、そのおそろしさへ 早や断念すら兆している。「傘」「雫」 「振り」「はらう」も、ある日の作者の状況というだけでない、しとっと重く湿った余儀ない心象への「縁語」と読むべきだろう。 「短歌現代」昭和五七年三 月号から採った。
2020 12/24 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ こころ濡れて親族は垣つくれども
われはさぶしゑ父に価(あた)はねば     岡井 隆

☆ 単に「父と子」との関係が孤立して在るのではない。まま、親族に囲まれてそれは在る。葬儀や法事の際にはそういう垣根が堅固に目に見える。捨てかねる「えにし」の輪だ。
いやおうなくその輪の中で、垣の内で、子は父との「相い対」を強親族や知人らから強いられる。容赦ない比較の視線を浴びる。浴びなくとも浴びる気がする。
人の世を「親族」として羽翼を張ろうとする隠れた意向は、まだ、個人の行動や思想をすら制限している。この歌の「こころ濡れて」では、おそらくは垣内ら が挙って「父」をいたむ情緒がいわれているのだろうが、「親族」なるものの濡れた、ウェットな結ばれようもこの一語で批評されていよう。
それにしても「われはさぶしゑ」には、賛成しない。あつあつの飯に冷や飯が混じったような白けがのこる。いっそ「俺はさびしいぞ」とぐらいに率直に歌って欲しい。また上句、「垣を」と一字送って欲しい。 『人生の祝える場所』所収。
付け加える、「価はねば」には、人、男同士としての値うちばかりが謂われているのではなかろう、「子」として父に対しふさわしい懐かしい自分であり得たろうかという慚愧の念にも傷むことであろう。私は、実の父の死に顔をほとんど生まれて初めてみたのだった。
2020 12/25 229

* 初校は、まずまず、進んでいる。明治維新の二人を論いつつ、賛否の分かれの「きつーい」一巻になるかなあと。
気を入れて初校したい。歳末まで六日。初校の戻しには幾らか書き増しが加わる。仕事始めは早くて正月六日だろう、今度の巻きにはいつまでにと迫られる期限はない。落ち着いて初校を終えながら、新作を書き進めて行きたい。
昨夜の夢見が佳くてか、酒や肴がよくてか、今日は元気な方であった。早寝して、『指輪物語』『西鶴置土産』『史記列伝講義』「宇治十帖』『上野千鶴子新刊 近代家族の成立と終焉近版』など、それぞれに味読したい。これぐらいバラバラだと、互いに邪魔をしない。
2020 12/25 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 家族とも言えど異なる部屋に居て
人はひとりで生きているなり    冬道 麻子

☆ すぐれた歌だと思う。何の説明の要もなく、大きなことを しっかり口にだして教えられた気がする。事実はこの歌のようでないという感慨も私にはある。その感慨に立ってこの歌を読めば、一首は毅然と人間の自立を勧 め、癒着しがちな「家族」なる関係過剰を本質から批評しているようにも読める。銘々に「ひとり生きている」現実を、力づよく肯定していると読める。
だがまったく逆に、分裂し分散した「家族」の現実を批判しているとも取れる。あるいは表面は癒着しながら、実情はみなバラバラに「異なる部屋」を心に持ち、「ひとり」に閉じ龍もつていると批判、または批評しているのかも知れぬ。
「家族」について日本では、まだ一般には思索も反省もはとんど行き届いていない。「現代」がそこまで成熟しないまま「風俗」ばかりが疾走して行く。
まだ年若いといえる作者は、想像を越えた重病の床から、そういう「日本」を澄んだ目で見つめている。どう読むかは、読者が問われている、のである。 昭和五九年『遠きはばたき』所収。

★ 家族とふ毒を煮つめて吾ら居れば
赤の他人来て清く呼ぶ声    佐々木 靖子

☆ 「家族」をうたった詩歌は、例えば「子」への愛を歌ったそれとは、様子がだいぶ異なる。「親」を歌った詩歌にも愛憎の思いは交錯するが、そこには他人に成りようがない宿命とあらがう感情が濃い。
これが「家族」という単位に拡大されると、ここに「他人」の要素が利害からんで毒の味を生み出す。「夫婦」ももとは他人なら、「兄弟」は他人の始まりという警句もある。しかも「赤の他人」というほどに割り切れた道は望めない。親族が加わればもっと毒の味も濃くなる。
「家族」の愛は清いものと限らず、修羅と相剋の渦に毒気を煮つめている場合、少なくない。そういう渦のさなかへ何げない「赤の他人」が舞いこんできた時の銘々の反応やいかに。
この歌が実際にどんな状況を具体的に歌っているのか私は知らない。知らないから自由に想像しても読める。読者である私の、それは権利である。
この「家族」に例えばお嫁さんが加わって、ほがらかに甘い調子で新婚の夫を呼んでいるのではないか。「家族」の歴史も癖も利害も良いも悪いも、およそ何 ンにも知らないで来た新参の「他人」の、無責任とさえ取れる屈託ない「声」に、一同バカらしいハラ立たしい、だがいちまつホッと心和む思いで、すばやい目 まぜが交錯する。
凄い、が、そういうものかも知れぬ。 「人」昭和五八年十一月号から採った。
2020 12/26 229

* 雑誌類で表紙目次をみる私一の楽しみ本は、汲古書院の古典研究会編『汲古』の目次。眺めるだけで慕わしい別世界へ顔を寄せる気がする。今日は第78号が届いた。目次の、第一行が、
伝後鳥羽天皇筆 古今集切の出現   岡田直矢       以下少しく
「倉庫堅完破」条の運用と量定基準 熊本藩「刑法草書」の分析を通じて  安高啓明
李鼎祚『周易集解』の流伝   藤田衛
ほかにも気を惹かれるのが三、四。心惹かれじつに興味深い探求や考察に引き入れられる。
「汲古」とはじつに懐かしい一語。しかし此処へ論題だけここへ引くにも、漢字がどうしても見つけられないのがあり、こういう世間がいつも私の「興味」という尻尾にブラ下がっていて、時には佳い安静薬になってくれる。
文藝家協会やペンクラブは、どうもこういうわけに行かない、タチが違う。
2020 12/26 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌(て)よ
ざんざんばらんと髪とき眠る     河野 裕子

☆ もっとも豊かな感性で現代の女歌をリードしている若手の 旗手。『森のやうに獣のやうに』で注目を浴びて以来の活躍はめざましい。一瞬に金無垢の炎と燃えあがれる語感の魔を秘めている。歌のなかで火の玉になって しまうような歌人はそういない。この歌など、他に余分な何を言うこともない。 惜しんであまりにあまりある足早な生涯であった。 昭和五七年『あかねさす』所収。

★ 起き出でて夜の便器を洗ふなり
水冷えて人の恥を流せよ   斎藤 史

☆ 友らに、父に、母に、夫に。多くの最期をすべて目をそむけることなく見据えて来た、毅い詩人の愛の歌。「水冷えて」の一句に籠もる清冽の詩魂を汲み たい。「冷え」はふつう心理的には負の印象に結ばれ易いのだが、ここでは「便器を洗ふ」「恥を流」すという意図に応じて、極まりなく清く、清まわる印象を 喚起し、ほとんど呪術的効果を挙げている。結びの句の祈願に愛がほとばしる。何の奇矯な字句も技巧も用いずに、心から溢れ出る「うったえ」を果たしてい る。
蕪雑に言語と文字とをあたかも玩弄して得意顔の無感動現代短歌の数々は恥じよ。
言葉を生かして、詩化して、深く感動して歌わねば 「うた」には成らぬ。 「短歌」昭和五九年七月号に引かれていた歌を採った。

* 与謝野晶子はともかくとして、わが近代短歌史の女性歌人として、斎藤史と河野裕子とは 忘れてはならぬ。
2020 12/27 229

* 「やすこ・ロード」(二階の廊下 北道路がわ窓下に文庫・新書本用の書架が並べてあり、廊の壁に半畳台の若い日の沢口靖子の顔写真が架かっている。) で何気なく引き抜いてきて、それはブァンデ・ベルデの本と思いこんでいた、が、いま手にしたら、往年の仏社会党を率いて大きな政治家でもあった思想家レオ ン・ブルムの『結婚について』だった。昭和三十四年十二月三十日初版発行の「角川文庫」だ、二月末に上京就職結婚した年に、乏しい小遣いで買っている。こ の当時は、私たちのまだ大学在学の頃のボーボーワールの『第二の性』以降同傾向の話題本が次々に出て、若い男女の関心を呼んでいた。ヴァンデ・ベルデの本 も、もと昔へさかのぼればスタンダールの『結婚について』などへも手の出る時機だった。いまも自身読み直している私の作『オイノ・セクスアリス ある寓 話』の第一部に相当するあたりヘンな爺さんの饒舌は、そんな昔をはるかに顧みたとも謂える。それにしても、レオン・ブルムが、ついにはフランス左派の指導 的な政治家になっていたとは、すっかり忘れ果てていて、ビックリ。
2020 12/27 229

* いま「霏霏」を確認のため明治三十九年十一月に精華堂書店から出た内海以直著『新編熟語字典』(秦の祖父の旧蔵書)の「ヒ部」をみていた。和紙袋綴木版和字。一等最初「眉宇」に始まり「亹々乎(ビビコ)」で終えてある此の「亹々乎(ビビコ)」って、何。「ベンキヤウスルコト」とあります、ウーン。一等初めの「眉宇」には「マユノアイダヲイフ」とあり、さらにこの「眉宇」上の欄外に、ちっちゃな毛筆で「微眇 ビベウ メウ カスカニチヒサシ」とあるのは、祖父書き入れの筆跡。おじいちゃん、「亹々乎(ビビコ)」たるものか。ちなみにこの『字典』も明治期の風にしたがいアイウエオ順でなくイロハ順に見出しが「イ」から「ス」へ並ぶ。「ン」が無い。
昔の本は、それなりに絶妙に興趣をはらんでいて、開くと、飽きない。「ひまジャノウ」と嗤い給うな。かかる「私語の刻」も私には創作、すくなくも作文の時間。
2020 12/27 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 夜半にさめ涙ながれぬ夫(つま)や子と
生きたき希(ねが)ひせつなくなりて    前山 潤

☆ 直ちにこの表現ひとつで佳い歌とは思いにくい。読者は言外を汲んで想像力を用いるしかない。たとえば作者は重い病気で、生命の危機に今あるのだと。危機感を共有することが深ければこの一首に同情を寄せるのはたやすい。
「夫や子と生きた」いとひしと願われる思いには、自身の悲しみを越えて妻を死なせ母を死なせる夫や子の悲しみが、先取りされている。そこを見落としては甘くなる。
表現は稚拙だが、「うったえ」る力はある。どう技巧的にうまくても、この「うったえ」の力ない歌は心に残らない。 昭和十六年『前山潤歌集』所収。
2020 12/28 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 夜半にさめ涙ながれぬ夫(つま)や子と
生きたき希(ねが)ひせつなくなりて    前山 潤

☆ 直ちにこの表現ひとつで佳い歌とは思いにくい。読者は言外を汲んで想像力を用いるしかない。たとえば作者は重い病気で、生命の危機に今あるのだと。危機感を共有することが深ければこの一首に同情を寄せるのはたやすい。
「夫や子と生きた」いとひしと願われる思いには、自身の悲しみを越えて妻を死なせ母を死なせる夫や子の悲しみが、先取りされている。そこを見落としては甘くなる。
表現は稚拙だが、「うったえ」る力はある。どう技巧的にうまくても、この「うったえ」の力ない歌は心に残らない。 昭和十六年『前山潤歌集』所収。

* 金庫番だけが自慢の二階の旦那
愚の字愚の字の莞爾の鼾
うすらバカづら吠えづら晒し
鼻息あらくもアダ夢の間も
かかえた梯子が二階の命
だれか外せとヘボ番頭ら
くやしまぎれで自棄にも酒が
只で呑みたい二階の旦那
仰せは何でもハイ御もっとも
自由も民主も気ままのお肴
世間のヤツらはただ出汁昆布
二階座敷で梯子の只酒
それこそ旦那のお振舞ひ
寝ちゃ食ひ食ちゃ寝て会食つづき
これこそ政治よ心得おれと
二階の旦那はテンから金持ち
ハハァ ヘヘェ と 梯子の神代へ
柏わ手うつうつ 打たぬは居らぬ
大番頭もガースーと 鼾も真似てのお諂ひ

令和は三年 誰もが惨念 成らぬ忘年 怖(お)ぞや来年

☆ ひるかへす心のおくの苦しさは人にかたらむ言の葉もなし 大正十年  山縣有朋

* 私まで 愚痴の垂れ流しに。情けないです。有朋家集『椿山集』は、読み返すつど、清々。
2020 12/28 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 石斑魚(ゴリ)鳴いて母と娘の浴(ゆあみ)哉    池西 言水

☆ こういう光景は一生に一度も見られない世の中になって来た。佳いものだろうなと想像され、心懐かしさに採った。「石斑魚」はいわゆる「かじか」のこと。だから鳴く。清い山川の瀬音も響いて来る。江戸時代前期の俳人の作。 『遠眼鏡』所収。

★ 我にあまる罪や妻子を蚊の喰らふ    吉分 大魯

☆ 与謝蕪村の弟子。「妻児が漂泊ことに悲し」と詞書があ る。数奇の後半生を送った人で、家族にも重い負担を強いねばならなかった。真実味のある句で、しかも余裕がある。いや余裕と取るのはやはり酷なので、作者 のまごころには、妻や子を蚊が喰うすら己が大罪に感じられるのだ。「我にあまる罪」とは、背負い切れない罪であり、どうにもしてやれぬという無力感と大罪 責とを共に言い籠めている。 『蘆陰句選』所収。

★ 諸共に住めばかしまし
諸共にすまねば寂しうたて妻子(めこ)ども    大隈 言道

☆ 江戸時代末期の歌人。「妻子」と題がついている。「うたて」は、「あーあ、どう仕様もない」慨嘆。述懐歌、まぁ、率直なだけが取柄。近代短歌のはしりとも言えよう。 2020 12/29 229

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 霧立てる秋の夜なり弟よ
いにしえびとは〈わが背子〉と呼びき    日吉 那緒

☆ 萬葉集のいくつかの歌、たとえば大和へ帰す大津皇子見送った姉大伯皇女の「わが背子を大和へやると小夜ふけてあかとき露にわが立ちぬれし」といった歌を作者は十分念頭に置いて、「弟よ」と呼んでいる。大津皇子の時はまさに死地にやるのであったから、いたましい。
この歌にそこまで読んでいいか、いとも平和な 「かりん」昭和五八年二月号の発表歌だから、そうまで読み切れない。そのかわりいろいろに場面は想像が利 く。十代の姉弟、二十代、三十代の姉弟で情感も大いに異なってこよう。が、古典趣味の優しい諧謔に、溢れる愛情を託したと取ることは出来よう。
むろん内心に呼びかけているので、「弟」へ、こう言葉を直かに用いているとは思わない。弟がどこかへ旅立つ間際の歌と本歌からして取るべきならば、たんなる夜発ちの若者らしい現代の旅行とも、戦地へとも、いやいや取り返しつかぬ挽歌とすらも十分読める。
作者を離れ一首の歌をいろいろに読み込むことは許される、節度と自由ある読者には。愛する「弟」をもった「姉」たちは、この歌をさまざまな状況に応じて共有していい。

★ 陽をあびて畳にねむるおとうとよ
青年となりよき恋をせよ    正古 誠子

☆ ふっと口をつぐませる歌だ。なにか言いかければ、この歌 の佳い余韻を殺してしまいそうだ。深読みせず、この言葉どおりに、それもつとめて生直(きす)ぐに健康に私は読みたい。上句の「おとうと」の姿態を、「青 年」以前のけがれなさ健康さで作者とともに受け入れたいからだ。
力のある歌いかただ。 昭利五七年『あけぼのすぎ』所収。
2020 12/30 229

* レオン・ブルム『結婚について』を数十余年も経て新しい視覚で、(もう何の用にも立たないだろうに)面白う、考え考え読み返している。いまごろ、ナルホドなどと合点したり。
『北壁の死闘』や『女王陛下のユリシーズ号』と同じ、東工大へ出勤の頃の電車で愛読していた『鷲は舞い降りた』を読み始めている。これらはもうトールキンの『指輪物語』などとは大違いの読み物。もう二三冊は同類が「ヤスコ・ロード」に残っている。
2020 12/30 229

八十(やそ)四枚五枚かさねて歳の葉の
彩(いろ)映えばえと散り初めにける    南山宗遠

☆ 「さまざまな 愛の詩歌」 を 楽しまれませんか。
『愛、はるかに照せ  愛の歌 日本の抒情』
一九八五年九月 講談社刊    秦 恒平著

☆ 血縁の愛

★ 初めてのわが口紅に気づきしか
口あけしまま見入る弟    中島 輝子

☆ この歌も、言葉に表れているかぎりでは説明も解釈もな い、簡明な作だ。ただの写生的な歌だ。だが「姉」が「初めて」「口紅」をひくという事は、そんな姉を呆然と見る「弟」とは、それが即ちもう人生の劇であ る。かりにこの弟がもういくつか年若ければ「口あけしまま見入」ったどころか、姉の「口紅」になど気もつかずじまいだったろう。もう少し年が行っていて も、こうは驚くまい、ひやかす位が関の山だったろう。
この歌で「姉」と「弟」とは、微妙に出会い しかも離れ始めたのである。「口紅」をひいた「姉」は、もはや「弟」だけの姉ではなくなっている。そう弟も姉も気づき始めた歌。
この歌が只事歌と見えながら心を惹くのは、その微妙なドラマのためだ。作者の意識より「歌」の方が先へ行って大きくなっているのかも知れぬ。 「ぬはり」昭和二六年八月号から採った。

★ 窓によりて夕となれば笛を吹く
妻の弟をさびしがりける    前田 夕暮

☆ この前の、中島輝子の歌の「姉」が人妻となってしまったあと、あの「弟」が「笛を吹く」のだと読んでみても、佳い。そういう「弟」でかつてこの歌の作者もあったか、すくなくも「妻の弟」の憂鬱が理解できる作者だった。
「笛を吹く」青年は何かを待ち、満たされぬ期待を胸のうつろに抱いている。メランコリックな青春の放心。一人の姉を人の妻にしてしまった弟の、そんな無意識の喪失感を当の姉の夫が察している。いたわり深い、内懐も深い一首。
この歌、「窓によりて夕となれば笛を吹く」だけでもまた別趣の、あえて俳句とは言わぬが、十分独立した詩句になる。 作者の著名な処女歌集明治四三年『収穫』所収。

★ 煙草ひと箱くれてやりしが何時までも
燈が点りゐる弟の部屋    佐藤 博

☆ 作者の言いたいすべてが、残りなく歌い切れているのでは ないか。そう思うほどこの際の「兄貴」と「弟」との、佳い歌になった。この際がどういう中身の「際」かはいろいろ想像してよいが、歌の芯は場面が変わって も揺らぐことはない。励まして「煙草ひと箱くれてや」ったのか、恵んだか、そそのかしたか、いずれ青年同士の兄と弟。「部屋」で、弟が今ほんとは何をして いるのか分からない。「何時までも燈が」ともつている、それだけを「兄」は知っていて、それだけで他人のうかがい知れぬ多くを「弟」の上に察している。満 足もし安心もしている。
ものがよく見えているためか、歌に律動する快感がある。 「国民文学」昭和二九年八月号から採った。
2020 12/31 229

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