* 韓国の連續ドラマらしい『華政』とやら、不快。
ロバート・デニーロの『マイ・インターン』は心よく観ていられる、まだ途中までだが。戴いていた「白」の好い美味いワインを飲みかわしながら、国際情勢の宜しくない荒れ模様を妻と案じたり、小説を書き継ぎつつ、収束を大事に綺麗にと逸ったり。
「読む」のは、やはり源氏物語、今は『明石』巻、そして『参考源平盛衰記』で、皇子誕生の祈祷の功に報いられないのを恨む僧都頼豪が、朝廷相手に悶着を起こしかけ暴れかけている。
それ以上に、今日、なにより心惹かれたのはドストエフスキー『カラマゾフの兄弟』の「序」の深切。それにも増し、長老ゾシマの信者らへの教諭や激励や説教の「うつくしい」ほど感銘深かったこと。
2023 1/2
〇 ”詩は、分からない。 絵は、観るに難儀。”と。
詩、書き手自身どこまで分かっているか、現代詩の大いなる病いではないでしょうか。
絵は鴉の視力さえ良ければと、これは哀しく残念。
あの「浄瑠璃寺」の絵を今日送りました。実物に接したら弱点も含め容易に見抜く鴉を思うと、これはもう恐縮、文字通り恐れ恐く縮んでいます。絵の良し悪しはお許しあれ。
ニーチェの本は手元にあったもの。処世訓のようにも読めます。ニーチェを現時点では異なる見方も可能かもしれません。
さまざまに多忙だった一か月半、今は些か気落ちして、休養しています。コンピュータ
ーが不調ですので携帯の画面で書いています。
どうぞお身体大切に、大切に。まだまだ寒い日もあろうかと、風邪、インフルエンザ、
オミクロン全て撃退してください。 尾張の鳶
* ご健勝を願います。
永く此の日乗の巻頭を、写真で飾らせてもらったあの鳶の繪の『浄瑠璃寺』を戴けると謂うのか。あな、嬉し。有難し。
ツアラトゥストラ これぞ「詩」を味わうように、少しずつ日々に気を静め気ままに書き写しています。不思議と心に親しい「詩の表情」が懐かしいのです。訳本に頼みながら気ままに字句の端々は思うに任せながら。
2023 1/5
* ジンメルの著『ショオペンハウエルとニーチェ』岩波文庫に手が出た。昭和十七年五月定価八十錢の本。国民学校一年生の春早々だ。古本を、何歳頃に買ったろう、大學の頃に違いない。文庫本書架には、こういう傾向の古本がずいぶん数多い。哲学青年に相違無かったが、読んでいたのは谷崎や日本の古典だったろう。いま、ニイチェに惹かれて「ツアラトゥストラ」に聴き続けている。
大學からもう六十年は経っている。往時茫々。
2023 1/9
* ニーチエのこの壮大な「寓話」ないし「詩作」には、大きなキーワードが幾つか現れる。
「永遠回帰」はその「核」に同じいと謂われる。
「超人」はあたかもニーチエの代名詞かに注目される。
「神が死んだ」という強烈な認識がある。「超人」が痛切に要請される。神の天国は失せたからは,超人の「大地」が世界である。
「超人」の否定的対峙として「おしまいの人間たち」が戯画的に眺められて、「畜群」「余りにも多数なもの」「余計な者」「市場の蠅」「賤民」つまりは「大衆社会」が対峙的に意識される。「社会への嫌悪」がツアラトゥストラの心底にある。「孤独」をなみする社会の集団化・平等化への烈しい嫌悪がある。そのような人間の限界を突き破る存在として「超人」が意識される。人間は所詮は「克服さるべき者」に過ぎない。
しかもなお「超人」は自己目的で無く、「没落」し「破滅」することで救済される。ツアラトゥストラはそういう道を歩んで「亡び」を生きる。
戦慄と狂気の書が此処に厳存するとツアラトゥストラは「序説」している。そして以下に、綿密で、具体的な象徴性に溢れたツアラトゥストラの「教説」が展開される。それらを此処でかかる簡略な仕方での「紹介」は、過ちを避ける意味でも、難しい。2023/01/10
2023 1/10
* 『参考源平盛衰記』巻七から十への鬼界島流しから俊寛僧都の悲惨を極めた最期と有王看取りの一連は、いわゆる『平家物語』の一大核心を為す大きな大きな場景、なにかしら編者や時の人たち無残の「思い」が籠もって読み取れた。無残に凄かった「俊寛」孤絶の悲惨は、これぞ、一「清盛の凶暴」と謂わずにおれない。これに比すれば源平の戦闘場面等々は「おはなし」に過ぎなく想われるほど。以下、巻之十一(史籍収攬本では巻十二)へ入る。巻之四十八まで在る。
2023 1/14
* 『ツアラトゥストラ』 読み継いでいる。「惹かれ、入ってゆけるかも」とすこし安堵している。
誰かがわたしを「旗楽人」と呼んでいた。
2023 1/14
* 『参考源平盛衰記』は 清盛嗣子内大臣重盛死を入念に語っていた。平家の傾く最初歩。ルソー『人間不平等起源論』で、ヴォルテールとルソーの慇懃を極めた刺戟の文通を脇見した。『水滸伝』胸を開いて斟酌無くずんずん読行。『源氏物語』は極言すれば、ただ二行三行を読んで全編を通じた風趣を吸うように体感できる。量を読み積もうなど、もう必要無く眞実楽しめる。有難し。
2023 1/17
* 『参考源平盛衰記』は 清盛嗣子内大臣重盛死を入念に語っていた。平家の傾く最初歩。ルソー『人間不平等起源論』で、ヴォルテールとルソーの慇懃を極めた刺戟の文通を脇見した。『水滸伝』胸を開いて斟酌無くずんずん読行。『源氏物語』は極言すれば、ただ二行三行を読んで全編を通じた風趣を吸うように体感できる。量を読み積もうなど、もう必要無く眞実楽しめる。有難し。
2023 1/18
* 尾張の鳶より、お願いした ウンベルト・エーコの大作 大長編咋『薔薇の名前』上下巻が早速に送り届けられた。薬の日本語がこなれていてとても読みやすく、やすやすと中へ入って行ける。映画は此の超大作から為ればよほど小さくつまみ出された場面と映像と思われる。大きな楽しみが一つまた、目の前に。感謝、感謝、感謝。
2023 1/24
晩の七時になる。もう今夜は何もせず床に就いて、気に入りの本を読み読み、そのまま明日の朝まで寝入ってしまいたいほど、心身、ぐたっとしている。何をあわて急いでするほどのことは無いのだ。無事を、ただ願うばかり。
2023 1/24
* 京都のことで新ためてビックリは『参考源平盛衰記』で出会った「将軍塚鳴動」のこと。将軍塚へは数え切れないほど東山を登っていて、「塚」の上まで挙がったりしていた。一人のことも友だちとのことも、時には中学の教室から、先生も一緒にみんなでワイワイと登って清水寺の方まで散策したり。で「将軍塚鳴動」なんてことは、祭神田村麻呂へささげ゛た「お世辞」ぐらいに感じていた何も調べなかった。相前後してのものすごい大地震が日本列島を奔走したように読み途中の参考『盛衰記』に教わった。識らないで来た「れきし」はまだまだ山ほど在るのだ。
2023 1/25
* ルソーの著『人間不平等起源論』を頷いて、読了。代表作の多い人だが、鋭角に斬り込んだ論述自体にも魅する力があった。
2023 1/25
* 肩こりの痛みが食い入るよう。目は霞んでいる。したい、つづけたい、せねばならぬ仕事は目前に積んで,有れど。なぜか、両の掌が痛い。変に胸苦しい。機械前を離れ、階下で初校なり、床に就き、『薔薇の名前』や『参考源平盛衰記』『水滸伝』を読んで楽しむか。寝入る。最期案が一等望ましいが。
2023 1/30
〇 山瀬ひとみさん、新刊の自著『読者の仕事』を下さる。これは、私としても「読まずにおれない」一冊らしい。毅然とした文体で書き起こされ ためらいなく論旨が展開されていそう。小説も書ける人、だが。
2023 2/1
* 山瀬ひとみさん堂々の『読者の仕事』に驚嘆、その、わが初期作『慈子(あつこ)』評価にまさに驚嘆し感謝し、こうまで「読み」解かれて行くかと肌に粟立つものがある。「いい読者」はありがたく、また怕くもある。着物を一枚ずつ剥がれる心地。かつて原善クンや永栄啓伸さんらいろいろの読者が、批評家として読み解いてくれたが、山瀬さんのは、批評の評論の読解のと謂うレベルになく、「身内」からの同化と異化とからの痛いほどの「ラブレター」に思われる。ついに、こういう「秦恒平」の読み手が現れたかと、のけぞった。
2023 2/2
〇 お元気ですか、みづうみ。
悩みに悩んだ題名『読者の仕事』に合格点をいただけるのなら、これほど光栄なことはありません。それだけでも書いた甲斐がありました。肝心の本文が、読むに値する内容に少しでも近づいていることを祈るのみです。お励ましいただいて本当にありがとうございます 今日も寒い一日でした。冷えると血圧も高くなりがちです。がんがん暖房のきいた部屋で、猫ちゃんズと楽しくお疲れを少しでも癒してお過ごしください。冬は、つとめて
* 寒く、身も、とかく心も冷えて元気でない。『薔薇の名前』『読者の仕事』『水滸伝』『源氏物語』『参考源平盛衰記』に心身を引っ張って貰っている。
2023 2/3
* 読者の一人が。幻戯書房とかいうところから『読者の仕事』と題した部厚い論考本を出版された。この『読者の仕事』という表題は、「思索者」の名乗りと倶に、在来、創作/編集/出版/批評・鑑賞等の「文学論」に於いて大きく一つ欠け落ちていた分野・課題、是に挑んで(仕上がりの評価は是非されるとしても)実現された、文章力もきびきびした、「思索」の力作になっている。謂わばどくしゃが作者へ送るラブレターの一冊で在り、作者への揺さぶりでもあるか。
作者と読者との文學なのに、「読者の存在・論」まさしく「読者の仕事・論」の在来世に欠けていたのを、久しく私は訝しく感じてきた。それなりに手厳しい反響ないし無反響に迎えられるであろうけれど、山瀬ひとみさんの新著『読者の仕事』 私心無く、勇気ある思索の力作と見た。
2023 2/5
◎ 戴いたエーコ『薔薇の名前』愛読しています、大長編の「五日間」のようですが、「一日」「一日」が長編で。映画とも見合わせながら。
文学・文芸を廻って「作者の仕事」や「研究者の仕事」や「批評家の仕事」とならんで『読者の仕事』があり、これが意図・意識されていないのは欠落と感じてきました。谷崎や漱石の『こころ』や『源氏物語」『平家物語』『徒然草』『枕草子』等々を廻ってした仕事、あれらが、ただの感想や鑑賞でない、私自身をも表現の『読者の仕事』でした。
* 横になって、手の出るのはやはり手に軽いもの。と、和紙、和活字、和綴じ、掌大の、「常陽水戸府」で校訂・重校「全四十八冊」の『参考源平盛衰記』が最適最高、豊富に興味津々の未知の記事や多彩な異本・異聞にも溢れて、幸い仰向きに寝て高く持ち上げて読んでも、腕や肩にきつい負荷は無い。現代語訳が、大勢の平家物語愛読者にも役立つと想うけれど、もう私の現状では無理。しかし部分的にも、とか創作の下敷きにもなど、いまも欲深い希望は棄てがたい。
大学生だった「コヘちゃん」に、専用の雅な木筺に揃ったまま、ポンと呉れたご近所の小父さんの好意、まッこと「有難う御座いました。」
* 明けて、零時時。寝室へ降りる。
2023 2/9
* 東大名誉教授久保田淳さん、新著『藤原俊成』吉川弘文館の人物叢書を頂戴した。帯にあるとおり「定家ら新古今歌人を育てた中世和歌の先導者!」そのもの、私も、子息定家や西行以上に親しみも関心ももってきた。感謝。
2023 2/21
* 内外の報道、陰々滅々を強いられ、それだけでも、ぐったり。今晩は、といってももう八時半だが、緊急の要事はともあれ終えているので、床に就いて『薔薇の名前』『参考校源平盛衰記』そして『水滸伝』で寝入ってしまいたい。
2023 2/23
* 就眠前に処方の利尿剤を服さなかった。のど元へ来る不快をあらかじめ抑え、『薔薇の名前』『参考源平盛衰記』『水滸伝』を読んで、前夜も早い内にリーゼ一錠とともに寝入ったろうか。
夜中の尿意に起こされることなく、安眠のうち、四時半に目覚め、そのまま起きてきた。繰り返し排尿してない分体重減は無いが利尿剤と浮腫止めを併用すれば三十分余ごとに尿意で起たねばならぬ。,眠りを寸断されないのが助かる。利尿剤は、朝飯後に服することにする。いま、五時半にも藻ならない早曉、強い空腹感がある。朝食は、八時、「マ・ア」ズと一緒。
2023 2/25
* 入浴のママ、文庫十巻本の『水滸伝』を、おもしろく読み継いでいた。
2023 3/5
* 私の、なにかにつけ呟くような口グセは、「ナンマミダブ」。久しぶりに阿弥陀如来の前身サマにお会いしたくなり、『浄土三部經』を書架から抜いてきた。お目にかかれるハズである。「イリアス」「源氏物語」「参考源平盛衰記」「水滸伝」「カラマゾフの兄弟」「薔薇の名前」「ホビットの冒険」に、「浄土三部經」が加わる。毎朝の日記のために「三浦梅園集」も読み進めていて、豪華な顔ぶれ、しかもみな、飛び抜けて面白い。これが私の,『読み・書き・読書と創作』とかかげた日課の表札。アタマの「読み・書き」はいわゆる「下調べ・下読み」に当たっている
2023 3/5
* 『参考源平盛衰記』が、全四八冊の第十三巻へ来た。小説『花方』で触れて書いた、新院高倉の厳島参詣の辺を妙に懐かしく通り越して行く。
この参詣の背後には、平清盛入道による後白河法皇に対する事実上力づくの「籠居強制」という史上曾て無かった異例が強行されていた。新院の、平家が篤信肝入りの厳島神社へはるばるの参詣には、清盛入道の意を宥めて、父法皇を救出したいという、さらに曾て無い念慮が働いていた。
『参考』盛衰記は、流布本の『平家物語』雉の何倍もの取材や表現でかり詳細に、「この時代」を参観させてくれる。まだ、頼朝の起つまでにも、以仁王や頼政蹶起へすらも、さまざまな世相や権勢の動揺がつづく。日本史でも一、二の危うい史実が区々読み取れる。
「読書」は疲弊の私心身へ、類無い滋養になって、救けてくれている。危うい「綱渡り」を支えてくれる平衡・平均のための「長い竿」なのだ、読書は、私にとって。視力の日増しの衰えが、怕い。衰えがけわしくなると、はるかな「もーいいかい」の呼び声に、あやうく「もーいいよ」と答えそうになる。いかに「執着が醜く」とも、もう暫く、もう暫くは、「まあだだよ」と、かぼそくなった手を横に振るしか無い。きのう買ってきた朝鮮古典の一傑作といわれる『春香伝』も、読みたい。この読書の背景には、妻とも永らくたのしみつづけた連續ドラマ「イ、サン」「トンイ」「オクニョ」などの映像が、歴史的に広がっている筈。
2023 3/8
* 今、外出時の鞄に入れているホンは、何よりも軽量、そして木版の和字は大きく、内容はなにしろ『参考源平盛衰記』で、退屈の仕様がないどころか、あまりのおもしろさに、現代語訳の本が創りたいなあとしみじみ想わせられている。全巻四十八冊のいま十三冊目、「厳島神社と平家と」の深い厚い関わりが縷々、様々に語られ終えて、いよいよ高倉宮以仁王と源三位頼政が蹶起へ、時勢がガーンと烈しく動いて行く。先々へはまだまだ長い永い道のりがある。
2023 3/14
* 「読書量が減ってないか」と気遣ってもらっていた、が、「書いて」「書きながらの」必要な「調べ読み」は寡少でなく、いわゆる爲樂の読書は、芯に大長編の『源氏物語』『参考源平盛衰記』がズシンと居座り、加えて『薔薇の名前』がこれはもう尋常でない稠密な叙事叙述イを極めてそれが基督教の修道士や古來の修道院内での煩瑣を極めた論議や紛議に充ち満ちていて、読み進むに容易でないどころで無い困難をきわめながら、それがまた魅惑でもある。その上にこのところ「湖の本」の再々の校正読みも重なって、書いている次巻も多く、ま、満杯状態。疲れは底からも来ているのは、慥か。メールを私から送ることも、減っている。
2023 4/4
* 寒け、咳こみ、くしゃみ。風邪気味宜しく無い。仕方なし。寝入ろうと思いつつ、つい、ソクラテスの弁証法に付き合う。
2023 4/15
* 久々にスッキリ、散髪してきた。
浴室で「源氏物語」をしみじみと懐かしく楽しむという贅沢も。
2023 4/20
* 二度、疲れ寝。読書は相変わらず「源氏物語・絵合」「五十巻本・参考源平盛衰記・巻十三」「十巻本水滸伝・第八巻」ウンペルト・エーコ「薔薇の名前・下巻」トルーキン「ホビットの冒険」を、それぞれに、惹き込まれて読み進んでいる。
* 進行しつつあるかと想う物忘れや認知欠損を自覚している。「読み・書き・読書」に現状不足は無い。あえて気にしないで成るまま為すままに生活している。
2023 4/23
* 奈良五條市の永栄啓伸さん、まことに立派な大冊『秦恒平 愛と怨念の幻想』(和泉書院)上梓、早速、送って来て下さる。感謝に堪えない。即、御礼申し上げた。
原善氏の『秦恒平の文學 夢のまた夢』 山瀬ひとみ『読者の仕事』につぐ三冊目の「秦恒平論」である。
2023 4/25
* それにしても、そんな朝から、いま夜の九時、形ばかりに昼食も夕飯もしたし、連續の韓国もの『チャングム』観た気はしているが、実感としてはずうっと床に就いていた、エーコ『薔薇の名前』『源氏物語」の「松風」へ、そして『参考源平盛衰記』の以仁王蹶起と宮侍信連の獅子奮迅、また源三位頼政子息中津なの愛馬「木下」をめぐる平家二子定盛の横暴や長子重盛の「蛇」を懐中しての沈着とうとう、読むはたしかに読んでいたけれど、そのつど深く寝入り続けもしていた。目下に必要な仕事は、進むに進まない。
2023 4/28
* 元東京大学綜合図書館司書をひさしくつとめられた浦また野都志子さん、連綿と研究を続けてこられた『黒河春村傳』の、古典研究会編誌「汲古」所載、「再考 その典拠資料」また同じく「『歴代残闕日記』について」さらには「書状研究会」機関誌所載の『伴信友宛黒河春村書状について』の精緻な論攷を頂戴した。さらにそれに副えて浦野さん、なんと九種の諸国名産のお菓子を多彩に頂戴した。東京三原堂の「最中」と「チョコレート」 北海道の「黒糖・くるみ・きな粉」 長野県の「市田柿・みすず氷飴」 富山県の「干菓子 薄氷」 京都の「丹波のそば」 島根県の「金ごまいわし」 静岡県の「釜揚しらす 御茶」 大阪の「にしん昆布」 と、もじどおり目を丸くして感謝、感謝。
コワイほどな硬球と、柔らかなゴムまりとを投げて戴いた感じ。
2023 5/7
* 今もって、心身に寸暇有れば長大な『薔薇の名前』下巻の半ばを読み進んでいる。
2023 5/16
* 「読む」に、「薔薇の名前」「源氏物語」「参考源平盛衰記」「水滸伝」は、それぞれに佳く心に添う。
2023 5/18
* 大冊『秦恒平 愛と怨念の幻想』の著者、永栄啓伸さん、地元五條の名品、名店「たなかの 柿の葉寿司 鯛/・鰹・鯖」をみっしり詰め合わせた一樽を贈ってくださった、じつに美味い、そして満腹。感謝感謝。
2023 5/20
* 「湖の本 164」初校すすめながら、晩の遅くに速くから心惹かれてきた映画、トム・ハンクスらが演じた『ダ・ビンチコード』にも見入った。イエス・キリストとマグダラのマリア「夫妻」との「血脈の子孫」を描き出していた。在りえたことだろう。キーになる言葉の「ローズ 薔薇」に惹かれる。いまもよほど真剣に読み進んでいるウンベルト・エーコの大長編『薔薇の名前』との関連を興味津々想い描きながら。
その一方、湖の本のために初校している吾が処女作二編『少女』そして長編『或る折臂翁』へよほど強烈に惹き戻されてもいる、「よく書いたなあ」と感謝しながら。
2023 6/22
* 妻も「マ・ア」ズも寝静まるまで、『源氏物語 薄雲』 『薔薇の名前』六日目、『参考源平盛衰記』高倉宮南都落ちなどを「愛読」していた。
コンピュータ「新機」は、まだまだとても「使う」「使える」状態に到らず、やみくもにその内包世界を映像と倶に散策して珍しがっているだけ。
2023 5/24
* 荒井千佐代という道の人の俳句集『黒鍵』送られてきた。俳句は古都に難しくて私は門外漢ながら、この一冊は出色のチカラに溢れていると読めた。句集では珍しい出会い。
* 共産党京都の穀田恵二国会議員のたよりがあり、副えて、夫人の「こくたせいこ」さんによる家業の『染色夜話』なる出色のエッセイ集も戴いた。楽しませて戴く。合わせて、『京都府(共産)?一〇〇年のあゆみ』も。京都は府も市も、私の少年時代から共産党が健闘して議員を国会へよく送りだしてきた。高校での担任だった先生もそうであったかに、かすかに覚えているが、穀田さんに確かめ訊ねてみようか。ちょっと懐かしい。この察しに名が出てくるかも。ま、選挙権前から私は保守与党に心寄せたことは一度も無い。
2023 5/25
* われながらナニの爲に呼吸しているかと惑うほどボーゼンとしている。心神ともに活きていない。なにか途方も無いことを始めようか、例えば『参考源平盛衰記』のおもしろい處を現代語訳してみるとか。バカな、そんな有り余るヒマなど、わたしにもう残って居ないのに。こうも書き放しているなにもかもが、もはや我が「或る往生傳」であることを自覚している。
* 夕食後も、床に就き、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』をよほど読み進んだまま、八時半も過ぎるまで寝入っていた。
2023 5/31
* 『参考源平盛衰記』 高倉宮以仁王の平家討つべしの蹶起から、源三位頼政が起っての宇治平等院大和路での凄絶な一党死闘の始終、胸に痛く響いてひとしおに哀れな最期を読み遂げた、涙を催し耐えがたかった。
2023 6/3
* 長編小説ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を一読了、裳打ち度読んで納得したいと願うほどにフクザツに晦冥。いまのところ「参考源平盛衰記」のほうが身にも心にもひしひし感動で。逼ってくる
2023 6/4
* 書庫へ入ってみた。……、かなしくなった。コレだけの蔵書、コレ程の蔵書が、私がいなくなれば、妻も建日子も、紙くず同然に処分するのだろうか、物語や小説はむしろ少なくも、価値ある、しかし読み手のチカラを本の方から逆に問うてくる書籍が総じて多い。甥の恒(黒川創)になら或いは読めて役立ちそうな本は多いが、建日子では向きがちがって手も出さない、出せない、だろう。この近年、公私立の図書館も、容易には受け容れもらっては呉れない。文學文藝の、前途ある若い学究や熱愛者と今は附き合いが無い。蔵書の少なさに泣いていそうな短大や地方大学は在りそうに想うのだが、見つけ合うツテがない。
* 午前の十一時五十分 希有の大著、ウンベルト・エーコ著作の前後巻『薔薇の名前』を熟読・耽読・読了した。初読みの大著として、この20年来希有の出会いであった。途中で故障・消失しているショーン・コネリー主演、ジャン・ジャック・アノー監督映画『薔薇の名前』をテレビで観た、残り惜しかったと告げると即座に「尾張の鳶」 東京創元社刊の上下二冊を贈ってきてくれた、なんという幸せか、読み終えて感謝感激に堪えない。わたしはこういう「幸せ」をどんなに沢山の友から戴いてきたことか。
残年の足りまいのを惜しみながらも、此の作、近いうちに繰り返して読むに違いない。
2023 6/5
* 全盛を傲る平家の前に率先起った後白河第二王子の以仁(もちひと)王、連れて起った源三位(げんさんみ)頼政の一党、ともにすこしく時期を早きに失して、凄絶の闘いの末に全滅して行く、その記事の、『参考源平盛衰記』にみる凄惨な奮闘と敗北とには思わず泪してしまう。私所持の此の本は、和紙和綴じ和字の四十八冊本、感銘の儘に一部を採り上げ現代語訳してみたい願いに駆られている、が。今は何もかもが気ぜわしく忙しく動いている、私ひとりが疲労しきったまま。
2023 6/5
* 晩になって、暑い。鉄筋の細長ぁい「書庫」の中まで暑かった。
『薔薇の名前』に次いで心新たに読もうと持ち出したのは、何ぞ。生まれて初めて高校一年で奮発買い求めた『嶋崎藤村集』と、後に古本屋で見つけてとびついた『徳田秋聲集』。潤一郎でも漱石でも無かったが、一種「先祖返りする」心地。青春、青年の昔に帰ってみようと。本は大判で手に重いが。なかみも重いよ。
2023 6/5
* 書庫から、懐かしいほど古い本を二冊持ち出した一冊が『徳田秋聲集』もう一冊が『島崎藤村集』で、秋聲集から「あらくれ」を、藤村集から「新生」を読み始めている。何を読み採っているか。「文章」の妙味である。もう一冊文庫本の棚から中国古代の説話集『聊斎志異』を抜いてきた。和本四十八巻の『参考源平盛衰記』と合わせ、枕もとのいわば文庫本はこれで、「源氏物語」「水滸伝」と「聊斎志異」との四冊に成った。じつにとりどりにみな、すこぶる面白いのである、が、西欧本がすっかり失せてしまっている。『カラマゾフの兄弟』を読み継いで行きたいと思っているが。。
2023 6/7
* 『参考源平盛衰記』前三分一の悲惨また凄惨は、さきに「俊寛」 そして 「高倉宮以仁王・源三位頼政の挙兵惨敗。「もの凄い」。時間さえあらば書き写したくてしょうが無い。
2023 6/13
* 「谷崎潤一郎にかかわる著作や文献」を大きな箱で三箱、母港の国文科へ贈った。処置してくれるだろう。
2023 6/14
* 私が京都の弥栄中二年の三学期以前に小遣いを奮発して買った岩波文庫『平家物語』上下巻の開巻筆頭は例の「祇園精舎の鐘の声」だった。そしてすぐに「祇王妓女と佛御前」の噺だった。
今、読み続けている『参考源平盛衰記』全四八巻の第十八巻へきてやっと「祇王妓女と佛御前」の嵯峨の隠れと母子・佛四人の往生譚が読めた。ことのほかに異本の多い『平家物語』の「編集」ぶりは千差万別。その事実にこそ吾らが「十二世紀」の「妙趣」を感じ取らねばならない。私が、百冊に余る著作の「論著最初」に『十二世紀美術論』を書き下ろした動機もソレへ触れている。
2023 6/15
* ぐだぐだに疲労が身にしみ、床に就いては、読んだり寝入ったりを繰り返し、ロクに食べてもいない。徳田秋聲という、いまどきどれほど読まれているか判らないまでも、凄いほどに見事な日本語の文章作家に、ま、私は昔すらそうなのだが、崇拝の念をすらまた新たに長編『あらくれ』を読み進んでいる。
秋聲に劣らぬ、知名度や人気ではそれ以上の島崎藤村『新生』も懐かしい、が、藤村の日本語には少しく独自の「思い入れ」が苦味のように混じっている。
そしてまたまた、しみじみと感じ入るのが、結句は『源氏物語』いま「薄雲」巻を読み通してきたが、数行、十数行も読むよむだけで日本語での「ものがたり」の醍醐味、眞実感に呆れるまで惹き込まれる。
近世の水戸で編まれたという『参考源平盛衰記』は、いわば数多異本異伝異文それぞれの妙味を惜しげなく編纂してくれている。あの源氏と平家の時代を論策し批評する「虎の巻」の觀にしたたかに惹かれる。
2023 6/16
* 寝汗もかいて何度か寝入っていた。あわいに、昨日も觀終えた感動の名画チャールトン・ヘストンが主演の『ベン・ハー』についで、今日も大作オードリー・ヘプバーンとヘンリー・フォンダの『戦争と平和』を観終えた。信仰が導く深い深い感動は前作が勝っていたが、モスクワやロシア国土へ作家の高橋さんらと旅した想い出も蘇って、『戦争と平和』の大いさは、さすがにトルストイと懐かしく頷かせた。
もとよりまるでサマは異にしながら『参考源平盛衰記』の、『源氏物語』の、さらに秋聲『あらくれ』のせいみつと謂うしか無いリアルな筆触の味わいにも魅されていた。
本が読める幸せは、私の人生を底から喜ばしくそ支えてくれる。その喜びと感謝のためにも窶れゆく視力を大切に保たねば。
2023 6/18
* 機械、ただならず難調子。対応してのアタマ容易に働かない。
床に就いて,世みたいモノをただ読み耽る。秋聲の筆致と表現に感嘆。藤村は、同居して妻の伊自良の面倒を見てくれる姪節子から、「妊娠」を告げられる。『新生』最初に胸の凍る場面。秋聲が精緻にしかも何一つ野無駄も饒舌も無く語る人となら、藤村は胸に秘めつつ「こころ見ている」人。
「源氏物語」は『朝顔』に居て、段落段落の「かたりの妙」を賞嘆、五行十行、それだけで「文藝の冴え」というしかない表現力。
『参考源平盛衰記』はいよいよ「頼朝起つ」の多彩な証言。流さずに多く多彩に語り聴かせて呉れる妙に惹かれつづける。
『水滸伝』『聊齊志異』の講釋・落語にかよう軽妙の「場面」の積み上げ。
2023 6/20
* どういうことか、昨日は、病院から帰って昼食し、夕食もした筈だが、その余は、要は、今朝六時半の「起き」まで、本、おもには『参考源平盛衰記』の「文覚=遠藤武者盛遠」の記事を読み継ぎ読み継ぐだけ寝入りに寝入っていた、いや、夜中の一時頃、キチンで独り小一時間テレビを観ていただけで、つい今し方まで寝続けていた、らしい。
明け方は、例の、童謡を歌い続けていた,夢で。
あんたがた 何処さ 肥後さ
肥後 どこさ 熊本さ
熊本 どこさ センバさ センバ山には狸が居ってさ それを猟師が
テッポで撃ってさ
観てさ 喰ってさ お茶の子サイサイ
たしかにこんな唄で、女の子等が 地ベタに輪に坐り込んで何かしら歌いながら手遊びしていたようであった。手遊びらしい何かは覚えていない。似たような、半分口から出任せのような唄は、ほかに一つ二つ覚えていて、みな面白い。
イチリットラ ラットリトセ スガ ホケキョーノ 高千穂峰ノ 忠霊塔
ワケは判らないが、聞き覚えの唄の文句は、この通りだった。
一かけ二かけて三かけて 四かけて五かけて橋をかけ 橋の欄干 手を懸けて
はーるか向こう眺むれば 十七八のねえさんが 片手に線香 花をもち
ねえさんねえさん どこ行くの
わたしは九州鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治十年三月十日 切腹なされた父上の
おー墓参りをいたします お墓の前では手合わせ ナンマイダブツと拝みます
と、もうこの辺からはアイマイ模糊 記憶も模糊としているが、みな、女の児らが地べたに輪に坐り込んでの「おじゃみ唄」のようであった、男の児は地ベタ遊びでも指をひろげ回しての「陣とり」のようなことをしていた。
妙に、「古釘」を用いても遊んでいた。「小石」を遣った遊びがあり、男女ともに賑やかにケンケンしたり投げ当てたりしていた。
2023 6/27
* いま、読んで物思う手身に迫るのは何十年ぶり化の藤村『新生』、子供達の世話に同居の姪「節子」を身籠もらせてしまう「岸本」こと島崎藤村。高校生だった私が思い切って小遣いをはたいた或る文学全集の中からの『島崎藤村集』には「若菜集」「破戒」「家」等々、最期の超大作『夜明け前』だけを覗く代表作の殆どが採られてあり、その中で私は買って帰ったその日、その夜の内に『新生』を選んで一気にゼナ部をよみとおしたのだった、新門前通り「ハタラジオ店」の二階、道路沿い、昔ふうに、大屋根にそい天井のひくい当時私の寝室で盆京部屋であったところで、わきめもふらずほぼ夜通しで読み切った。深い深い感銘を得た。太宰賞を受けた記者会見場で好きな作家はと聴かれ瞬時もおかず「藤村、漱石、潤一郎」と何迷い無く言い切ってどよめかせた俊寛にも、藤村作なら『新生』とおもっていた。序でに謂えば漱石なら『こころ』 潤一郎なら『細雪』に極めていた。暑い読者であった。
* 一冊本の『島崎藤村集』なみにこれは古本屋での収穫だったがいわゆる「円本」の『徳田秋聲集』一冊を買ったのも、大きな嬉しい収穫だった。代表作のほぼ全作が収録されていていわゆる古本ながら「宝物」のように今も深く深く愛して、現に藤村の『新生』と対に秋聲集からは『あらくれ』を愛読している。ともにだんぜんの名作でありながら、両文豪の境地は歴然と性質を異にしていてそれが溜まらなく私を惹きつけている、むろんそんなことはとうの昔から骨身に沁みるように理解しているのだが。秋聲と藤村ならむしろ似ているとかんじているような読者もあろう、が、読みようでは秋聲筆致の確かさは文藝の極致と謂いきる人が居ても不思議で無い。しかも彼秋聲の場合は「同じ金澤」の出、「同じ紅葉門」泉鏡花との対比にあまりに刺激的なほどの「差異を読む」おもしろみが在る。乏しかったこづかいからしては踏ん張ったかいものながら、「島崎藤村集」「徳田秋聲集」の各一冊は私の書庫独特の「光輝」と敬愛している。
* あその書庫に読みたくて未だ読めぬまま蓄えたどんなに莫大な蔵書が「欠伸」していることか。残念。
2023 7/5
* 二日間に三度、倚子から転げ落ちた。右の腰裏がいまも痛む。あちこちギクギク痛む。昨日は「熱中症」で潰れた。痺れて両掌が延々と、ジンジンと、鳴り続けたまま、それでも『参考源平盛衰記』で頼朝蹶起と苦戦の「石橋山」を、源氏物語「朝顔」から「少女」を、秋聲『あらくれ』藤村『新生』対照の名文が身に沁み面白く懐かしく、遅くに寝入った
* ペンクラブの委員会や理事会で出合うていた菱沼彬晁さん多年の御労苦からついに完譯されて、中国、陳彦の超大作、「文革」の頃をまこと刺激的に思いおこさせもする『主演女優』が掌に重い三巻に成り、函に入って贈られてきた。 おめでとうと「敬意・感謝」を送る。
2023 7/8
〇 マルコ・カルミナーティ『ラファエロ アテネの学堂』(西村書店、2015)
夙に有名なラファエロの傑作「アテネの学堂」一枚だけについて書かれた かなりマニアックな本です。
美術的な解説もさることながら、画面中央のプラトン、アリストテレスを囲む「56人」の「同定」がミステリックでもあり楽しい。多くの美術全集にも必ずこの言及は有りますが、本書のその探索のレヴェルは、類書には見られません。 篠崎 仁
* お手許に2冊ご所持の一冊を送って下さった。すばらしいラファエル超大作の興味深さは文字どおり巨大な深淵を覗く心地、ゆーうっくり楽しませて戴く、有難う御座います。
2023 7/8
* 「寝て読み場」に最近の「戴き本」が数冊積まれている。
順に構わず手に採ると。
① 日本画家、大和飛鳥にお住まい烏頭尾精さんの随想録『飛ぶ鳥ものがたり』が、筆者自身の魅力の墨画ふうの幻想作と、大きな活字でおおらかな「飛鳥」風土記を成している。受賞して戴いた京都美術文化賞で、私が選者時期からのもう久しいおつきあいである。京都市の美大卒、私より三歳の長者。私の入学した京都市立日吉ヶ丘高校はその「美大」術構内に同居していた、私自身は美術家志望では無い普通科生徒であったが、現代・上代の美術骨董の店の多かった東山区新門前通りの真ん中で育っていてす、幼来それらのウインドウを鼻の脂でよごすほど観て歩いていた。大學も美学藝術科を選んでいた。
② 「名画の秘密」シリーズ、マルコ・カルミナーティ著『ラファエロ アテネの学堂』すてきに美しくも興味深い、ま、「絵解き」の大冊で、ルネサンス三大美術家の中でも好きな画家ラファエロの超大作、すこぶる大きいだけで無く、あのソクラテス、プラトン、アリストテレスの頃の学堂数十人をおそるべく巧緻かつ互いに挑戦的な群像として描ききっている。なんともハヤ、珍しくも興味津々の「研覈」が成されている。いまも熱心にギリシァ語を学んでおられる、「湖のほん」でもお馴染み、やはり私同年配の篠崎仁さんに頂戴し、ほくほく,喜んでいる。
③ これはもう数々お馴染み、京都での時期からも活躍を眺めてきた上野千鶴子さんもうシリーズ何冊目にも成る最新の『おひとりさま の 逆襲』(小島美里さんとの対談)。上野さんの「おひとりさま」談議には数々屡々脅かされているが着眼はまことに的確で。
④ そして今朝がた頂戴の重い荷をひらいた中国陳彦著の超大作小説『主演女優』全三巻、そうそうはお目にかからない中国産の現代小説で、多年書けて日本ペンクラブ理事としておつきあいのあった菱沼彬晁さんご苦心の翻訳。もう読み始めています、感謝。
* ふと何十年を顧みて私のすこしは自慢な書庫の本の、ほとんど九割余も戴き本で。自身で買った書籍は滅多に無い、買った覚えはもう手に入りにくい岩波文庫の古典本など、ま、文庫本は新古ともにかなりのサッ卯を買っているが、書籍の形した大冊は研究書が多く文学本も大方頂戴している。今しも無熱心極めて感動しつつ読んでいる「島崎藤村集」「徳田秋聲集」は希有とも謂えて古書店で買い求めた「たから」ものであるが。
2023 7/8
* 篠崎仁さんに頂戴した、「名画の秘密」シリーズ『ラファエロ アテネの學堂』マルコ・カルミナーティ著。まことに佳い 興味深い「名画の秘密」であった。遺憾にして もう私がバチカンのラフアエロ超大名作の前に立つことは有り得ない。じつに生けるが如き「アテネの學堂」に群集した「哲学」の徒らの息づかいや声音や感動までを天才ラファエロは眞実觀に充ち充ちて描ききっている。そんな仲に、わたくしもまた紛れ入っているかのように胸が躍っている。
* とは云え、この暑さと我れの疲弊は、これは何んたること。昏倒しかねない。
2023 7/11
* 視力の衰微進んで、身にも胸にも堪えている。合間合間に床に横になり、暫くは本を読み、寝入っている。それが必要と思う。
読めるかなあとビックリしていた中国産の大長編現代小説『主演女優』、惹き込まれている。読める。
藤村の『新生』秋聲『あらくれ』も超大で、しかも熱く競うような秀逸の作、しかもそれぞれに文藝の特徴をもち惹き込む。秋聲は、惚れ惚れと見上げるような彫琢・自然な見事な客観の叙述、なら、藤村は、深い体熱に怺えながら静かな態度でとにもかくにも事態と成り行きとを「見る」「見つづけて懐う」主観そのものの叙述。
時代はトビはなれるが、「源氏物語」はもう超越の別格として、これまた和本和綴じ和紙木版よんじゅうはちさつもの『参考源平盛衰記』ちょうど言辞の頼朝が平家討つべしと蹶起かつ険しい連戦で石橋山に戦う辺りの感じ韓文厚生の「日本語」の刺戟はしたたかなもので。ずんずん読み進んでいる、やがては義経が兄の麾下へと馳せ参じてこよう。
その上というか外というか、支那の講談・幻怪満載の大冊『水滸伝』『聊齊志異』をズンズンと楽しみ読んでいる。おまけに,時折四書のうち『孟子』を心しつつ拾い読みしている。
テレビとは質も段も違った、「読書」は何の苦もなく分け入れる私の「別世界」、其の爲にも視力を崩し頽さぬようにと要心はするのだがなあ…。
2023 7/11
* 陳彦著の『主演女優』開巻すぐのあたりのビビッドな描写や表現は、即、亡き毛沢東の夫人江青ら文革四人組の追放直後、北京市街騒然の情景と空気そのまま、井上靖先生を団長に日本作家代表団六氏とともに招待され訪中し,日々目の辺りにしていたのと、時機を同じくしている。
毛沢東に次いで周恩来も逝き、その夫人彤が副首相として人民大会堂で我々を迎え、即、「チン・ハンピン(秦恒平)先生はお里帰りですね」と破顔諧謔の声を掛けられた。私の姓名はそのまま立派な中国名で通じたのだ。長編『主演女優』の出、しごく親しんで読める。われわれは謂うなら北京の俳優座にも行き、舞踊や歌謡や劇場での演藝演劇もたっぷり觀せてもらった。長編小説『主演女優』の状況へは、親しみ深くやすやす入り込んで行ける。
2023 7/12
* やすみやすみという物言いがある、が、なにもかも休みながらしか科出来ないほど。ならば、と腹をくくって映画「ホビットの冒険」を長々と観、また中国現代を小説『主演女優』をのびのび読み進んだ。寝入って仕舞うとキリなく眠りこけそうなので、気を入れて読んでいた。此の部屋も,下階も冷房しているが道路向きに小窓が四つの二階廊下の暑さ、まるで火傷しそうほど熱中している。
2023 7/16
◎ 私・秦 恒平 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『古事記』 次田潤 現代語訳
昭和十八年初春、京都市立有済国民学校の二年生へ進級前の春休みに、一年時担任・吉村玉野先生を木津川畔のご自宅にはるばる訪れての帰りぎわ、「お土産」に戴く。ことに國産みに肇まり神武天皇の東征と即位にいたる「神話」期全文を「暗誦」したほど読みに読み、読み尽くし、教室で、「前(教壇)に出てお話の出来る人」と先生に需められるつど、率先、日本の「神々が活躍」の幾場面をも「お話し」していた。
幼稚園での「キンダーブック」などモノの數でなく、「文学」へ歩み始めた第一歩の「愛読」「愛読書」だった。今も手もとに在る。
2023 7/17
* 「口癖」のように自身の日々を「読み(調べ読み)・書き(私語の刻)・讀書と創作」と謂うている。ほぼ言い尽くせている。娯楽や慰安は、ま、テレビで映画(「ホビットの冒険」や「剣客商売」など)、そして(在れば「酒」とか)。「讀書」なくては、生きた心地がしまい、これはもう幼少來の姑癖に
当たる。枕元には日々に読み継いで手放せない本が何冊も並び、積まれている。「積ん讀」では無い。今ぶん…
日本文学 「源氏物語 少女」 「参考源平盛衰記 巻二十一」 藤村「新生」 秋聲「あらくれ」「新世帯」 坪谷善四郎「明治歴史 下巻」越
中国文学 「四書講義下巻 孟子」 「聊齊志異」 「水滸伝」 「遊仙窟」 文彦「主演女優」 西欧文学 ホメロスの神話 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」 トールキン「ホビットの冒険」ま、穏健な楽しみようであろう。勉強に類するのは「孟子」と「名詞維新 下巻」くらい。
* 午後三時。本を読んでは寝入り、また読んで。是を休息の休憩のと謂うのは当たらない。心神に活気の無いままヘバって居るだけのこと。情けない。それても手に執るどの一冊とてみな選り抜きで、魅される満足には不足は無い。秦の父長治郎は、本というモノを手に読んでいたことが無い。一度も観た覚えが無い。あ、それは謂いすぎで、この父は能舞台の観世流地謡にかりださるほどに謡曲がたくさん謡えた、私にも一時期教えようとしてくれた。
叔母つる(茶名宗陽 華名玉月)父の妹は、師匠という仕事がら茶道誌「淡交」は講読していたし、若い頃は婦人雑誌もみていたようだが、所詮は読書に気が無かった。
秦の母たかは、手近に,小説本が在りさえすれば喜んで読んだが、そんな本のまるで無い家で、わたしは少年の頃から「本」は買う物でなく他家他人に借りて読むモノと思っていた。自前で本を買い始めたのは、中学を終える頃に「徒然草」「平家物語」がはやく、谷崎本へひろげた。『細雪』一冊本を奮発したときは、秦の母は喜んで読んで「ええなあ」と共感を示してくれた。嬉しかった。
* ところが秦の祖父鶴吉は途方も無く蔵書家、それも大方が漢籍、史書、古典、事典・辭典か、私もお世話になった山縣有朋の『椿山集』や成島柳北の『柳北全集』あるいは「神皇正統記」や「史記列伝」や「唐詩選」や「十八史略」や「四書講義」や「老子」「莊子」「孟子」や「唐詩選」「白楽天詩集」等々信じがたい名著が押し入れの奥の長持ちや、たんすに犇めき遺されていた。私は、全面的に是等書物の「文化」に薫染されて黙々と成人した、いや念願の小説家・作家に成れた。小説の処女作は『或る折臂翁』それは白楽天の長詩『新豊折臂翁』に想をを得ていた。
不思議なモノだ、「人生」は。
2023 7/17
◎ 私・秦 恒平 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『百人一首歌留多』 秦家所蔵
〇『百人一首一夕話』 祖父秦鶴吉蔵書
私(戸籍名吉岡恒平・昭和十年冬至に生まれ)が、京都市東山区新門前通仲之町の秦家(ハタラジオ店)へ貰われ、ないしは預けられた三、四歳の当時から、上に謂う「歌留多」は、購読家庭へ新聞社が配った「景品」であったらしい、家の、中三畳間押入れに「筺」入りで置いてあった。秦の祖父、両親、父の妹ら大人は誰一人見向きもしてなかった。「(和歌一首と歌人名の)読み札、(和歌下句の)取り札」とも、漢字かな入り交って流麗の行書で書かれ、「読み札」の「歌人たち百人」は、男女僧俗ともまこと気ままな衣服・姿勢・情景で、「人柄」までも特色豊かな肖像として「彩画」されていた。国民学校一。二年生の頃から気ままに一枚一枚手にして見飽かず、年がら年中私は好き勝手に愛玩し、疊に撒いては独りで読み上げ独りで「はい」と採って、「うた」も「ひとの名」も、行書の漢字・変態のかな文字も、自然とまるのみに「覚え」て行った。昭和の大戦も始まっていた、そんな国民学校一、二年生ごろから、毎晩「強いられる早寝」に添い寝してくれた叔母「つる(茶名裏千家宗陽・華名遠州流玉月)」から、「日本の國」には古來「和歌・五七五七七」「俳句・五七五」という述懐の道があって、「誰にかて創れるのえ」と教えられた。私には途方もなく大きな示唆と教育とであった、いま「やそしち」の爺になるまで生涯の、私への實に立派な「知の宝」となったのである。ちなみに読み札に描かれた歌人らの「絵像」では、大火鉢を胡座に独り抱きこんで歌を思案らしい「皇太后宮大夫俊成」や、素晴らしい黒髪を疊に這わせて長け高う起った待賢門院堀河の美貌を贔屓した。色美しい軽妙な雅致の故に「百人」の「歌」も「名乗り」もしっかり覚えた。
〇 謂うまでもない、祖父秦鶴吉がしまい込んでいた『百人一首一夕話』が、歌や人の逸話などをたくさん識って覚えるにつれ、私には「平安の歴史」も「百人」とりどりの逸話や奇癖などまで「記憶」されていった。日本の「歴史」「文化」への親愛がそのまま、「学ぶ」と謂うより「息を吸う」かのように私の「文学愛」を美しくしてくれた。
祖父鶴吉のタンスや長持に詰め込まれ、もはや放置されていた各種の「蔵書」には源氏物語を説いた『湖月抄』全三巻も賀茂真淵講義の『古今和歌集』も、老荘韓非子も『唐詩選』も漢・和・英の大事典や通俗生活宝典も、『神皇正統記』や『日本外史』や浩瀚な坪谷善四郎著『明治歴史』上下や、さらには「通信教育の各種教本」もあり、汽車を利用の『日本全国旅行案内』なども、なにもかも目まぐるしいまで多く遺されていた、だが、いわゆる「小説」本は、只の一冊も無かったし、それらの本を手にしている大人は、当の祖父もふくめ、父も母も叔母も、少なくも幼い私の目には、手も触れていなかった。わたくしがそれらの「本」にしがみつくように夢中でも大人は誰も、関心すら持たなかった、父が「目をわるくする」とだけ注意してくれた。たしかに、私の眼鏡の最初は国民學校二年生に上がるとき。あんまり可哀想と大人の方ではずして呉れたが、五六年生からまた眼鏡に成り、今日に到っている。
2023 7/18
◎ 私・秦 恒平 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『阿若丸・萬壽姫』 講談社絵本 借用)
講談社絵本というのは、わが幼少、大方は幼稚園から国民学校一年生までの「圧倒的な存在」で、大判各ページの繪に、何にでも恐がりな私は、掌で眼を蔽いながら指の隙間から繪をこわごわ点検のあとで、字の方を読んだ。「字や文を読むには、幼稚園以来母や叔母の「婦人倶楽部」ていどなら何の苦労もなかったが、こわい「おはなし」には文字どおり辟易し、萎縮した。どんな話材に縮かんだか、「子が親に別れてしまう」噺が一等こわかった。「囚われ」の父をもとめ、丈高い竹によじ登ってその撓いに頼んで父のもとへ密かに尋ね行く「阿若丸(くまわかまる)」や、やはり土牢に囚われたたしか母の唐糸を尋ねて偲び忍び近づく「萬壽姫」のおはなしに戦いたり、つまりは「怖い、怖ろしい、悲しい」ことの大方をわたしは、何より早く、先ず「講談社絵本」で体感し実感したのだった。
わたしは幼年來、いわゆる「漫画」を軽蔑し、めったに受け容れなかったが、「ノラクロ」と、すこしおそくに「長靴三銃士」だけは受け容れて,機会あれば何度でも読んだ。前者はユーモラスに軽妙な繪に、後者は「怕いような繪とおはなし」に惹かれたのだろう。こま漫画の「フクちゃん」にも軽く軽くいつも共感できたが、しかし要するに「漫画」「つまらん」と自身諒解していた。「猿蟹合戦」や「桃太郎」などの絵本は一瞥払いのけていた。
2023 7/19
◎ 私・秦 恒平 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『日本國史』 通信教育教科書 秦家架蔵
単行書籍ではなかった、印刷の書き物を一冊にきちんと束ね 質素な紙表紙で和綴じし、題字に「日本国史」とだけ。部厚かった。他にも二三冊、算数や理科っぽいのもあったが、幼い私、国民学校の二、三年生には断乎として『日本国史』でなければならなかった。
「通信教育」というレベルを読み取れるチカラは幼少には無く、とにかくも「日本国史が、オチなく神代から明治まで読めた」のだから断然惹きつけられ、戦中・戦後も六年生まで、まさしく「緯編三度びも五度びも絶つ」ほど重宝して愛読を重ね、しかとする「日
本史」覚え、記憶した。他に小説本など、欲しくも秦家には一冊も無かった。「通信教育」という制度について私は殆ど知識が無い、家にこんな「本」が在る、在った、それだけのこと、祖父か、父か、まさか叔母であるまいが、そんな詮索には無関心、ただもう私の手に「日本歴史」と題された掌に重いほど堂々の(当時幼少の私から見れば)、大人の爲の「教科書」が存在して、どう捲ろうが読もうが脇から抑えるような大人は、コソともヒソともいなかった。有難く嬉しく、こんなに面白い本は、例の一年生を終えて担任の女先生に戴いた例の口語訳『古事記』だけ。まさしく此の通信教育『日本国史』は『古事記』の尻へ密接に継続していたのだった。
論著でなく、誰の選定ともしれない「教科書」なのが「良かったなあ」と、いまも思う。
さすがに、此の假綴じなみの教科書「日本國史」、机辺にもう残存しない。
2023 7/20
◎ 私・秦 恒平 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『日用百科寶典』 文学士 玉木崑山・閲 小林鶯里・編
東京 尚榮堂藏 明治三九年八月 編纂者 小林鶯里自序
凡例 巻中を類別して左の二十類とす
國體及皇室 教育 宗教 文學 國文及國語 英文法 歴史 地理 法制 經濟 社會 科學 数學 商業交通 農工藝 軍事 生理衛生 家政 音楽遊戯 雑
日用百科寶典索引 (秦註 今日で謂う「目次」の極く詳細な「一覧」で全冊の 内容が、一覧できる。 )
〇 明治二年生まれの秦の祖父鶴吉は 少なくも人生半ばには「餅つき」を業に京風に謂うと「かき餅」「煎餅」等を波座のような劇場や寄席などに卸していたときいたが、その方面のことはまったく私は知らない、ただ、驚嘆に値して大事典,大辭典、英和辞典、大部の古典に類する漢籍を愕くほど多彩多数所蔵して、欠か此の私への事実上の遺産にしてくれた。知る限り祖父には男子長治郎、女子つるがあり、長治郎に妻たか(福田氏)を娶れて、「もらひ子」の私恒平の養父母であったが、知るかぎり指一本触れずメモ呉れていなかった。祖父は幼い私が蔵書に興味や関心をもち手当たり次第に疊へ持ち出すのをむしろ黙認して一度も𠮟らなかった、私も幼稚園を出る頃露から持つも重いほどの祖父の本で「城」を創るようにし頁も繰っていた、「読めない」のに。そしてだんだんに「読めそうなモノ」を見つけては「私有」意識で障りつづけた。
『白楽天』の漢詩集や『日本国史』『百人一首一夕話』に早くとりついた。『神皇正統記』に魅され、『啓蒙日本外史』を大声で読み出した。「歴史と詩歌」から私は書物の世界へ潜り込んだ。白楽天を知らねば文学の処女作に『或る折臂翁』の生まれ出るよすがは無かったのだ。
だが、祖父の本には通俗の『日本旅行案内』や『日用百科寶典』などがあり、ことに此の後者は吾が雑学の「宝典」となって呉れた。「一〇八四」頁もの大冊に、「此の世の、ありとある雑知識」が整然と犇めき集うていた。上にその収録範囲を凡例という目次概要で示した。昭和十年末(一九三五)に生まれ素だった幼少の私にはしびれるほどの世界知識の宝庫まさに雑学の「寶典」であった。「国軆及皇室」についで四番目に他の大奥に先立ち『文学』という大きな見出しが来る、その物言わぬ鼓舞と共感が無くてわたくしが、漢字やかなや和歌や古典や小説や能や歌舞伎に早々にも興味を持ち得たろうか、あり得ない。
次いでは「歴史」にそして「地理」に惹き込まれた。「九」州「四国」とは何故か、越「前」「中」「後」とは何故か。京都はなぜ「山背」で大阪はなぜ「浪速・浪花・難波」なのか。退屈な゛してられなかった。
想い出す、春夏の野球大会を識る歳になって、出場する中学や商工業校のなのっている「地域名」を昔の地理地図に即してひろびろと覚えていった。
それはたんに知識で無い,それ以上に「面白うて堪らん」かったのだ、山の名、川の名、海棠の名等々、もう今では何割とも憶えず忘れているが。「尚榮堂」とかの『日用百科寶典』に私は幼少を培い鍛えられたのだ。
2023 7/21
* 中国人作家の『主演女優』という長大作、現代の、と云っても毛沢東や周恩来が亡くくなり、四人組が打倒された頃の「北京の劇団」と付属の「俳優養成所」が場面を成していて、まだ少女ほどの幼い新人「女優」候補生の目と思いとで日々受ける「厳しい修練」などが描き出されている。
早々ににびっくりしたのが、必須も必須の最初の訓練が、「開脚 股割り」と。その暴虐なまでに苛烈な、こと。事実、実行されていると判る、こと。仰天。悲鳴が聞こえた。しかし、なるほど最高度の演技力へと鍛えるのに必須の関門とも、理解し納得できる。
と,同時に、わが日本国のはなやかげな若い俳優諸兄諸嬢も、みな同じレベルの訓練を経てきたのだろうか、俳優座の諸君や、歌舞伎役者や舞踊家はと、首を傾げた、それのみ、書き置く。
2023 7/21
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『選註・白楽天詩集』 國分青厓閲 井土霊山選 秦の祖父鶴吉旧蔵
崇文館 明治四十三年八月廿五日 四版 定価六五錢
よく校閲された「漢詩集」は漢字に惹かれる少年なら、難なく惹き込まれ繰り返し親しめる。この詩集は戦時戦後暫く、一緒に疎開していた丹波の山中へも秦の祖父鶴吉が手放してなかったのを、昭和二十一年二月末祖父の死去以降私が愛翫の一冊となった、版型は袖珍と謂うのか、いわゆる文庫本より一回り以上も小ぶり、三三八頁もある。私も古典的な日本人の血をけているということか、平安時代にはいわば第一等の教養として、紫式部や清少納言のような女流にも日々に愛読されていた「白楽天」の名声に惹かれていた、それにつれ、やはり祖父蔵書の『唐詩選』酢冊などもしばしば手にしていた,味わえずとも空は少年にも「読めた」本であった。
ことに此の青厓閲、靈山選の一冊中いち早く深く感化され繰り替えし読んだ作は「七言古詩」と分類されていた反戦詩「新豊折臂翁」で、この詩こそが後年の「作家・秦恒平」処女作『或る説臂翁』を惹き出してくれた。いろいろに繰り返しこの反戦詩や白楽天に触れてはかたってきたので、繰り返さない。「漢文」は容易に読めなくても「漢詩」には小学校の少年でもよほど難なく親しめ、むろん良き「選」と「閲」あればこそだが。
2023 7/22
〇 鴉に 何やらよく分からないような梅雨明けでしたが、夏本番でしょうか。今年は京都にも行けないまま、あまり外出もしないで日々が過ぎていきます。
夜十分にお休みになれないご様子、とても気に懸かります。お二人の暮らしに是非とも公共の介助が必要かと。それが実現できないのでしょうか。以前問い合わせをなさったか、定かでないのですが、改めて再度相談・申請をされた方が良いと思います。或いは民間のサポート体制を探すことも考えられます。どうぞどうぞ速やかに解決されますよう。
藤村の『新生』一部を読み終えました。これから「岸本」が日本に帰国する二部になります。鴉は『新生』に「しみじみと魅されてます。」と書かれていました。女のわたしはやはりどうしても岸本、つまり「藤村」を肯定できませんでした。「書く」ことの重さをどんなに考えても。節子はさぞや大変な生涯だったろうと思います。そのことと文学としての価値はまた別ですが、様々な面から考えることは必要です。今日的な問題でもあるはずですから。
繰り返し、眠れる時間にゆっくり身体を休めてください。眠れなくても横になっていることで幾らか休めます。眠ること、食べること、とてもとても大事です。
「近年では際立って長い小説をまだ書き継いで・・」とあり、「日々が滅入るほどシンドイ」とも。それでも「鴉は書く、それは生きている証」です。遠くからエールを送ります。 尾張の鳶
* 藤村への「しみじみ」は、かなりきつい批判をも籠めています。
藤村には「見る」「して見る」「見て見る」「聴いて見る」「書いて見る」等々の、よほど「くさみ」の表情や語調や態度が、「述懐」として臆面なく頻出することに、「やめてよ」とボヤキたくなる。
谷崎潤一郎が藤村「嫌い」を公言にちかく漏らし、、松子夫人と飲食の愉しみを交わした二度三度にも、谷崎先生の藤村に触れたソレへ、私は同感しつつ聴きも言い添えもして、同じ非難の感触を云い合い、同感し合ったのを覚えています。
私自身は、しかし、藤村の本領ににケチをつけるどころか、太宰賞受賞時の記者会見で「敬愛の作家は」と聴かれた際も言下に「藤村・漱石・潤一郎」と答えてどよめかせた本人です。
こと『新生』の姪「節子」に関わる藤村が「分がわるい」どころでないのは当然ですが、節子との事件そのことよりも、作品『新生』について謂うなら、藤村の「語り口」、それにくっついての述懐や文章表現の「くさみ」が、より厭わしいのです。が、しかし「コレ」は別の機会に云いましょう。
「若菜集」「破戒」「家」等々から、超大作「夜明け前」に到達した島崎藤村は、やはり果然として、大きい。文壇へ登場の先後もありますが、わたしが、漱石、潤一郎の上に,先に、「藤村」と挙げている気持には、やはり大きな尊敬が働いています。
藤村への「しみじみ」は、かなりきつい批判を籠めています。藤村には「見る」「して見る」「見て見る」「聴いて見る」「書いて見る」等々のよほどくさみの表情や語調や態度が臆面なく頻出することに、「やめてよ」とボヤキたくなる。谷崎潤一郎が藤村「嫌い」を公言にちかく漏らし、私の、松子夫人と飲食の愉しみを交わした二度三度にも、谷崎先生の藤村に触れたソレを聴いたし、奥さんも私も同じ感触を云い合い、同感し合ったのを覚えている。
私自身は藤村の本領ににケチをつけるどころか、受賞時の記者会見で「敬愛の作家は」と聴かれ言下に「藤村・漱石・潤一郎」と答えどよめかせた本人です。
こと『新生』に関しての藤村のはいわゆる「分がわるい」のは当然だが、わたしは節子事件そのものよりも、作品昨『新生』について謂うなら、藤村の「語り口」、それにくっついての述懐や文章表現の「くさみ」が、より厭わしい。が、コレは別の機会に云おう。「若菜集」「破戒」「家」等々から超大作「夜明け前」に到達した島崎藤村は、大きい。文壇への登場の先後もあるが、わたしが漱石、潤一郎の上に,先に藤村と挙げている気持には、やはり大きな尊敬が働いている。
2023 7/22
* 『参考源平盛衰記』頼朝蹶起の頃の東国一円での平家方、頼朝方の戰闘、理愛組み討ち等々の実戰描写がまことに生き生きと珍しく。こういう描写や表現の生々しい美しさ、面白さ、初めて読む。生き生きと現代語訳がしたいなあと願うのではある、が。残年がなあ…。
* 陳彦作の中国文学『主演女優』へも惹かれて、ついつい部厚い本に手が出る。三巻も在る。ウーン。藤村も秋聲も、むろん源氏物語も、水滸伝も。聊齊志異も。ウーン。なのに原文のまま四書の一冊『孟子』にもぐいと惹かれて放っておけない。遊びに外出など出来ぬ感染現況にかえって好都合に尻を背を押されているワケか。泥のように疲れているのに。
2023 7/22
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『歌舞伎と近代演劇論』 伊藤鶴松著
株式会社 文献書院 大正十三年十二月十五日發行 貳圓八拾錢
私が此の本の家に,京市市内の養家秦家に「在る」と手にもし現認したのは戰時末国民学校四年生で丹波の山中へ疎開するより以前であったけれど、「手」にし内容に「小年の私」なりにれまた拾い読みつつ、我が国に「歌舞伎」という芝居が江戸時代早くから在ったと、近松門左衛門の名や『国性爺合戦』などという芝居が観客を集めたなどとかすかに知った、認知したのは敗戦後も一年余してやっと京都の我が家へ帰還しての後であった、小学校、六年生になったかその寸前かの頃だったのは間違いない、祖父鶴吉は新門前の家で亡くなり間もなかったが、その事実は私を一入熱中して祖父蔵書の様々へアクティヴに手も目も触れていったノへ繋がる。此の装幀堅固に400頁に及ぶ「大人の本」へ「我がもの顔」に手を出した、背を押されたその動機は、結句、書中ふんだんに活字は小さくしながら選抜紹介されていた「歌舞伎という芝居」のいわば「粗筋や長科白や、作者や役者の名」に、面白く、興深く、好き放題に拾い読みが出来たからだ。小一年とせぬまに小学校六年生は、弁慶・富樫の「勧進帳」も小岩さんの「四谷怪談」もお軽勘平の「仮名手本忠臣蔵」も「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」も「五大力戀緘(ごだいりきこひのふうじめ)」も「與話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」のお冨与三郎も、さらに数々もの粗筋・名科白(めいぜりふ)等々、純不同に片端から声高に読み囓り続けた。團菊左や歌右衛門、梅玉、勘三郎、芝翫など役者たちの名も多数「聞き囓」った。どんな小説本よりもこの「歌舞伎概説」のお堅い本がおもしろかった。それが主の「論」に類する文章は失敬し、ましてまた沙翁のイプセンのといった西洋の演劇概論は、ハナから敬遠・無視・割愛した。本文の大きい活字でな亡く、小さな字に落としてくりひろげてある歌舞伎芝居の粗筋や名科白だけが狙い目で繰り返し読んでいた。や
このお堅そうな一冊から「小学六年の私」がいかに短期間に多彩な「別世界日本」といえる文化の「ご馳走」にありついていたか、もう贅言は弄すまい。
2023 7/23
* 今日、わたしは、何をしてたろう。今日の「祇園会 山鉾」の放映を懐かしんでいた。中国小説『主演女優』の面白さと、蹶起の前兵衛佐源頼朝をめぐる源平双方の東国武士たちの烈しい武闘の「叙事」に惹かれていたのは覚えているが。いま、夜の九時四五分。そうそう、妻が贔屓の関脇豊昇龍が「優勝」していた。そのほかは。おぼえてない、ああ、素晴らしい、大きな葡萄の房を三つも四つも頂戴していた。感謝。
ラファエル
2023 7/23
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『源氏物語 与謝野晶子現代語訳』 函入り豪華二巻 繰返し「拝借」
版元等の記憶が無い。後年、ナミの箱入一冊本が中央公論社から出たのは、 自身で買って、今も所持。
〇 私の育てられた京都市東山区新門前通りと同じ有済小学区に、藏が建ち「根生いの分限者」と子供心に想っていた「林家」の本家、そして分家三軒ほどが古門前通りに居並んでいた。同じ小学校に通った先輩女子が二人、同年女子が一人猪、固より顔見知り、そして時期こそ少しずつズレていたが三人倶に秦の叔母(茶の裏千家宗陽、花の遠州流玉月)の稽古場へ稽古日ごとに通ってきて、私も小学校六年になるならずから、三人のそれぞれと親しく顔を合わせていたが、いっとう年嵩な、つまりは小学校の「先輩」に当たる本家の人が、或る日、「お藏」から出たような豪華な箱入り、豪華な装幀造本の『与謝野晶子現代語譯』を稽古場へ持ち運んでくれて,私に、「お読みやす」と。
私の「文學」生涯で『源氏物語』が占めてきた重みは、云うまでも無いあらゆる他の和漢洋の文学作品を高く越えた「上」に在る。その贅沢に創られた豪華本をいかに繰り返し熱烈に愛読したか、そんな容態はむろんフィクションながら私の小説『或る雲隠れ考』の冒頭に、熱っぽく書かれてある。「与謝野晶子」の名も業績も、前にも謂う『小倉百人一首』で育った私は、すでに敬意と関心とで覚えていたから、この『現代語譯 源氏物語』がいかにみりょくであったか、謂うまでもない。年齢で謂うと、新聞に丁度谷崎潤一郎の『少將滋幹の母』連載の初め頃、戦後の新制中学に進学前後であったろう。私は言辞もの゛足り世界につながり合うようにして『谷崎潤一郎』世界へも俄然熱到していった。「源氏物語世界」を識らないままいたなら、私の青春もその後の文学上の感性もまったく大違いであったろうと、懐かしい叔母の稽古場、懐かしい林家の先輩、懐かしいあの豪華二冊の与謝野譯「源氏」を、今八十八歳へと歩んでいる私は感謝とともに思い出す。
2023 7/24
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『谷間の百合』 バルザック 岩波文庫 梶川芳江に借覧
八坂神社石段下四条通りの南側、戦後新制の京都市立弥栄中学二年生二学期の早くに、一年上級、眞實心から「身内」の想いの「姉さん」と「恋い慕った梶川芳江」が、「読んでみよし」と奨めてくれた。西欧近代の一流作家代表作の翻訳小説に、「初めて」出逢えた。生涯の、まこと忘れがたい人と本との「出逢い」だった。
それまでにも日本の古典や史書や漢詩などに接していたもののに、本格の 「西欧文学の翻訳本」とは出逢えてなかった、魅惑のモルソーフ夫人登場の『谷間の百合』には心底魅了された、一つには「読みなさい」と奨めてくれた人への熱い深い敬慕がはたらいた。このあとへ、ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』が続いたのも忘れない。私の敬愛と思慕とに溢れたまさしく「初戀」は、間を置かぬ余儀ない芳江の「卒業」や「家庭の事情」で遠い永い別れへ押し流されたものの、そのまま近代現代の「文學・文藝」への「吾が戀」とも成長していった。死んでも,忘れまい。
2023 7/25
* 執拗な疲労に崩れそう。熱いピアノ曲を聴いて宥めている。この熱暑に膚のさせわざわした寒さを厭うている。晩七時半。床で本を読んで寝入るか。陳彦の『主演女優』 そして『聊齊志異』『参考源平盛衰記』が躰の不快を宥めて呉れようか。
2023 7/25
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『モンテクリスト伯』上下巻 アレクサンドル・デュマ 山内義雄譯
新潮社世界文学全集15 16 弥栄中学二年秋に 三年梶川芳江に借覧
世の中に斯くも「おもしろい小説」が在るのかと興奮冷めやらず、続けざまに繰り返し読んだ。膨大冊の各場面をそれはもうくりやにみな覚えてしまい、それでも「姉さん」に本を返すのも惜しむほど愛着した。「純」とか「通俗」とかの文学談議などまだ識るよしもない中学二年生。しかし、のちのちも、今にも、『モンテクリスト伯』はあらゆる諸他に絶し、私の「読書史」に断乎他に聳立し王者然と場を占めてきた。モンテクリスト伯ことエドモン・ダンテス、永遠の恋人メルセデス、悪役モルセール、ダングラール等々、そして時代背景にナポレオンの興亡。マルセイユもシャトー・ディフもとりわけてモンテクリスト島も、ローマもパリも、そして誰も彼もが生き生きと少年私の胸を敲いた。
もとより私はのちのち沙翁もゲーテもトルストイもドストエフスキーねモーパッサンとも出逢って感激した。それでも『モンテクリスト伯』は「別格」でありつづけた。「姉さん」と恋い慕った上級生「梶川芳江」の呉れたまさしく文学・文藝の「徳」であった。「ねえさん」はおそくこの『モンテクリスト泊』も、自身のモチモノではなく借りていたのだろうと、あの頃にも私は察していたが、そんなことはまったく問題外、そこはたらいた「姉さん芳江」ノ私への愛情に眞実感謝したことだ。
往時渺茫。しかし、けっして忘れない。
2023 7/26
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『若きウエルテルの悩み』 ゲーテ 岩波文庫 梶川芳江より借覧
こういう人間関係や哀しみのあるということを、骨身に痛いほど痛感して、中学生は清酒なの炎の中へ移行して行くのが、怖かった。ゲーテ世界と思考との出逢いだった。『モンテクリスト伯』も「本」 「これも本」 はいと文庫本を手渡してくれた「姉さん」の、一言だった。確かに。誰よりも誰よりも慕わしくもまた聡い人であった「梶川芳江」は、三年生を卒業すると、ほぼそのまま少年の想いも及ばない「遠くはるかな別人生へ」と天女のように去って行ったのだ。
* 疲れ気味でも暑さ負けのようでもあり、例の、源平盛衰記 陳彦『主援女優』を読み読み、寝入った。が、
2023 7/27
* それでも特筆しておきたい、陳彦作、中国今日の最新作らしい、翻訳者から頂戴本の超大作『主演女優』は、實にじつに久々に出逢えた優れて面白くも興趣ゆたかな現代小説。おもえばもう何十年元思ってしまうほど胸を敲いてくる小説作品と出逢えていなかった。全三巻のまだ1巻目の半ば過ぎた変を着々と娯しんんでいる。
2023 7/27
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『平家物語』上下巻 岩波文庫
弥栄中学三年生三学期 『徒然草』とほぼ前後して 自分小遣いて、河原町オーム社打ったか駸々堂であったか、延々と思案して、買った‥初めて書店で「岩波文庫」に手を出したのは、是より少し先、シュトルム『みづうみ』があった、岩波文庫につきものの「*」一つが十円の時期だったが、この翻訳小説には特別の印象を得なかった。
そして半年も後れてたか、明らかに「古文の原典」を意識しつつ「*」の『徒然草』を買った。正直に言うとこれは中學二年生には荷が重かった。それで、決心して『平家物語』上下巻買った。お年玉を役立てた。すでに通信教育本『日本国史』を緯編幾たびも絶って愛読していた中学生には『平家物語』世界は、根底に於いてもう「手に入って」いた。「和漢混淆文」というのがらくらく「読みやす」かった。
この『平者物語』体験が私を大いに裨益したことは、作家としての出世作が第五回太宰治文学賞を「知らぬ間に」に牽き寄せた小説『淸經入水』やのちの『風の奏で』上下巻が証ししている。
それのみか『平家物語』2巻本の愛読は大いに古典原典への「懼れ」を解消してくれて、もう中学生の私は、今度はなんとか『源氏物語』をと決心していた。高校へ入ってほどなく岩波文庫『源氏物語』を躊躇わず手に入れたのが懐かしく思い出せる。
2023 7/28
* 入浴し、15歳「主演女優」のかがやかしいでびゅーへの多くの努力協力を感銘と感興とで読む。この熱暑広野日々を(?_?)死んでたすけるのは、感銘と感興を心して見つけ産み出すこと。
2023 7/28
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『少将滋幹の母』 谷崎潤一郎 毎日新聞 昭和二十五年朝刊連載
谷崎潤一郎の「最秀作」というのでは、ないが。少年の一等初めに出逢って、子供心に(当時、新制中学の二年生に成る成らずの春であったか。)こんな所説もあるのかと、挿絵にも牽かれながら毎日の新聞をややおしんびた想い出待望し堪能した。滋幹の母、滋幹両親の運命を踏みにじって行く藤原時平という貴顕の無茶モノを私はスカ干せ道真を筑紫に追いやったヤツと、すでに「歴史」として識っていたし、時代の表情も見えていたので、理解にまどうことは何も無く毎日読み進んだ。我が家の大人たちは、新聞小説なども触れていなかった。新聞小説体験区最初は石川達三の「風にそよぐ葦」であっ、覚えているが、「少将滋幹ノ母」と前後していたか。なににしても少年の保タクシの「新聞はょ迂拙」初体験として自身記念してきた。そして「谷崎潤一郎」の人と文學への、また後年松子夫人との「であい」となった意味でも『少将滋幹の母』の意義は私に重い。
* 夕方五時。目ざめて寄り、ずうと寝入っていたような按配、ときどきは横になったまま『主演女優』『参考源平盛衰記』を読んではいたけれど。まともに生きてあるとは云いがたい。
大鼓の望月太左衛さんから頂き物など。元気の結晶のような名人藝の女人。感嘆。 私は目もろくろく明かないほど正気すれ茫然としている。寝入っていたいと思うだけ。
* 終日、不調。殆どを横になり仮眠・睡眠と極少量の讀書で過ごしていた。生きた心地せず、末期(まつご)ノ誘い斯くやとも。なにをするにも思うにも「実意」が働かない頼りなさ。
じゅうじすぎ。ま、眠るが自然か。
2023 7/29
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『こころ』 夏目漱石 春陽堂文庫
京都市立弥栄中学を自身「卒業」の日の姉さん「梶川芳江」が、二年生の私へ「献辞署名」を添え生涯の記念にと遺し贈ってくれた一冊。
「思慕しひたすら最愛した姉さん」から心して私のために選んでくれていた、これぞ、少年私の、いや青年になり社会人になり、夫また父親となっても、尚、「不動の聖なる一冊」であって、いや、老境の今も、漱石の『こころ』は私・秦恒平の不動の「こころ」なのである。成年し社会人となりまた小説家・批評家となってなお、けっして忘れない一冊が漱石の、それ以上に梶川芳江の『こころ』として吾が手に在る。
そして、遂にはそれと知るワケの無い「劇団俳優座」と大看板の俳優「加藤剛」とは、私に『こころ わが愛』なる脚色を熱心に懇望してきた。なんという不思議の成り行きであったことか、そしてその『舞台』は俳優座劇場と加藤剛ら著名の俳優女優らにより公演を繰り返し新聞にも大きく採り上げられ賞讃されていた。付随して、私は脚本『こころ』の出版に加え人の「こころ」を多様に論じ語っての何冊かの著書をも世に送った。加藤剛らの舞台は、放映もされた、録画もした。私は関連して何度も講演にさえ呼び出された。
だが、だが、残念至極にも「姉さん 梶川芳江」は、それらより早くに亡くなっていた。いちばん舞台やテレビも觀て聴いて批評してほしかった「姉さん」であったのに。
おそらく、小説『こころ』は、漱石文学中でも一二に大勢の読者を獲得してきただろう、今も多分と聞いている。
ああ、こういう人生でもあったのだと、私は、しみじみと「出逢い」の神妙に今も感謝をささげ、また胸打たれている。「生まれてきて」よかった。
2023 7/30
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『若山牧水歌集』 岩波文庫 梶川芳江より借覧
〇 和歌への親愛から幼少の私は「文學・文藝」へ心神を預け傾けていった。戦時の国民学校四年生の秋には、丹波の山奥の疎開先で、京都へ帰って行ける日を願待ち焦がれながら山合いの狭い高空を渡る雁の群れを、生まれて初めて短歌一首に創った。いらい、中学高校の頃を高潮時に、八十七歳の今日までに私は『少年前』『少年』『光塵』『亂聲』そして『と門』と、五冊もの私歌集を本にして持っている。
そんな私が少年の昔に、中学二年生の私に、ほんものの「近代短歌」なる魅惑の「創作と述懐の妙」を教えてくれた最初が、心底「姉さん」と慕った三年生梶川芳江の、「読んでみよし」と手渡してくれた岩波文庫『若山牧水歌集』であった、歌人の名は、教科書でか、もう識ってはいた。
「姉さん」が自身歌を詠んだ作ったという事実は、無い。この歌集も、むしろ姉さんが「誰か」から強いて借りて、そして私に「意図して回してくれた」ものと、何と無く、当時既に察してすらいた、「姉さん」はそうもして下級生「恒ちゃん」に配慮してくれていた、らしい。有難かった、嬉しかった。さもなくて、秦の家の大人たち、文學の「本」など全然目も手も触れる人たちではなかった。私は、俄然、幼稚は幼稚ながらに短歌の自作に目を見ひらいていった。中学の先生も読んで下さった。高校へ進むと『ポトナム』同人の先生が大いにわが短歌制作を推して下さり、京都府による高校生対象の「文藝コンクール」では最優秀賞を取った。その頃の作は、岡井隆選『現代百人一首』にも採られていて、そんな「歌人」としての人生へのいっぽを刺戟して背を押してくれたのが、「姉さん 梶川芳江」が「読んでみたら」とわざわざ手渡し貸して奨めてくれた『若山牧水短歌集』だったのだ、のちのち深く敬愛した斎藤茂吉短歌よりも「これ」が先であった、ありがたい道しるべとなって呉れた。「幾山川」の歌も、「白鳥はかなしからずや」の歌も、茂吉歌より先に覚えていたのだ。
2023 7/31
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『北原白秋詩歌』 岩波文庫 梶川芳江より借覧
日本の詩人による「詩 ないし 詩集」からの文学的感銘・吸収は、 私、恥ずかしいほど貧相で、告白にも耐えない。藤村の『若菜集』 そして白秋、朔太郎、後れて井上靖、その余はもう「つまみ食い」の程度と白状する。「歌集」は和歌また子規また茂吉らに始まり近代の歌史をほぼ通し読みながら、詩集はなんでとも謂いようが無い。それでも北原白秋の名と詩作とにはこころ寄せていた。名も作も、すっきり清く受け容れていた。
白秋詩集を「読んでみよし」と私に奨めた「姉さん」梶川芳江自身も、「読む」人ではアレ、「蔵書家」とは思われなかった。この「姉さん」に「本を貸す人」が有り、「それを私へ」回してくれている、と、そう想われる事情等を私は「察し」ていた。「姉さん」の貸してくれた本を私が持っているのを見つけて、怪訝な顔をした別の上級生を、私、一度か二度は感触していた。「姉さん」のなにか「はからい」が働いていると感じていた。
私が「梶川芳江」という美しい存在を一つ上の学年に見つけたのは、運動場での全校集会、朝会などのおりだった、遠目にも身の周りが耀いて見えた。私の新制中学二年生、夏休みへ向かう一学期の六月ころであったろう、其の人はどうも他校からの転校生であるらしく、よけいに新鮮な風情だった。
どんなきっかけから「二人」の時空間に親しみはじめたか、学年のちがいを越え「ふたり」の「ひとくみ」が出来るのは、「学年差」の厳然としがちな学校社会」では滅多に例の無いこと。しかし、永い夏休みを隔てながらも二学期には、それはもう親しみ敬愛深く「ふたり」の空気がもう完成していた。よほども私から寄り添うて、「本の貸し借り」が双方から縁をふかめ、ひたすら私は借り「ねえさん」は貸してくれた。「北原白秋」とその「詩集」とは早い時期での「結ぶ」の神のようであった。「詩」も暗誦にすら足りた。貸して貰えてこそこの詩人と出会えた。
2023 8/1
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『天の夕顔』 中川与一 借読か。買ったか。「妹」梶川道子と耽読
懐かしい。この作が、「恋愛小説」という意識と受容で「耽読」した最初であった、「姉さん」と慕った上級生「梶川芳江」ははや卒業後何処と知れぬ天涯に去っていて、その妹、私しより一年歳下、弥栄中学二年生の「梶川道子」を私は「妹」という意識で「戀」した。指導できる部の先生のいない、というより不必要な、弥栄中学「茶道部」を主宰しはじめた私は、校内・校庭内に備わった本格に佳い「茶室・茶庭」を{校長先生・職員室の容認放任の儘まこと気ままに使って、部員に「茶の湯初級の作法」を難なく教えていた。私は「叔母宗陽」のもとで小学五年生から茶の湯を「猛烈な勢い」で稽古し学習し「裏千家の許状」も得ていて、中学生三年にもなればもう疾うに「叔母の代稽古」もちゃんと勤めていた。
まして佳い茶室の本格に遣える弥栄中學で、三年生生徒会長として新しい「茶道部」を起こし、参加の部員に点前作法を教えるなど誰の不審も受けず、先生方もまるまる信頼して私に「部の運営・指導」を任されていた。
あの慕いに慕った「姉さん・芳江」の妹たち、二年生「梶川道子」一年生「梶川貞子」は、真っ先の「新入」茶道部員でもあったのだ、もとより二人を、古都に「梶川道子」を「妹である恋人」のように私は熱愛した、精確に「距離」も保ちつつ、私は高校生になってからも「弥栄中学茶道部」の指導に通い続けた。歌集『少年』昭和二八年私十七歳での短歌集「夕雲」二十首は顕著な記念作になり得ている。
朱らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人戀ひにけり
窓によればもの戀ほしきにむらさきの帛紗のきみが茶を点てにけり
柿の葉の秀の上にあけの夕雲の愛(うつく)しきかもきみとわかれては
『天の夕顔』は、そんな二人して憧れ読み合うていたが、手と手を触れあうことも、ついに、無かった。「道っちゃん」は、いま、どこか療養施設のベッドにいて、気丈にしていると「梶川」三姉妹の弟夫人からかすかに伝わっている。
2023 8/2
* 懶惰と謂うことばを見聞きして覚えてきた。いまの私に当てはまりそう。
体調で無く、心身が瓦解してゆく要だ、らょううでの皮膚に痛々しい弱みが露呈していたり。心神の汚れが身体を痛めている。 気丈という頼みが弱まり生きたまま寝入って行こうとするようだ。
* 心身不快。致しよう無く。『主演女優」全三巻の一巻をほぼ読み込んできた。『参考源平盛衰記』は、富士川両岸に、西は平家軍、東に源頼朝勢が、まさしく対峙。その余に『聊齊志異』の各編をおもしろく読み進んでいるが。心身が何かしら不快に燃えているよう。を
2023 8/2
〇 『蘆刈・春琴抄』 谷崎潤一郎 岩波文庫 「*」一つ 購読
これぞ、吾が「谷崎愛」の原典・原点を成した、自身で選んで買い求めた岩波文庫であった。何十度も繰り返し読んだろう。「小説」とは斯くも美しくおもしろく素朴な創意の結晶なのかと、嬉しくて雀躍りするほどの感激だった、この一冊、いまも書架で静かに七十余年の歳月を呼吸している。岩波文庫を自分の財布からおかねを支払って買う「興奮」もみじみと懐かしい。
で、今、書き留めておきたい一つは、この二作の、私は断然『蘆刈』を熱愛し耽読したという事実。何よりも此の一冊がのちのちまでの「谷崎論」を刺戟したのであった、他に添えて言うなに必要も無い。しゅとして『秦恒平選集』第二十、二十一巻に私の谷崎論は「結晶」している。
* 寝苦しい心身不快のまま深夜も三時半、灯をともし、寝床のまま陳彦作『主演女優』上巻の推移に、おやおや涙ぐむまで感動して起きてしまい、二階へ来た。
「湖の本 165」編成・入稿用意など含め、緊要の幾つか要件が在る。体調宜しく無く気がかりだが、ボヤッとしていると、困惑に変じてしまう。「八十七歳半」疲れるのに慣れている。用事を片付けて行くのが何よりの「クスリ(薬利)」よ。いま、早朝五時四十五分。
2023 8/3
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『徒然草』 岩波文庫 「*」一つ(15円)で 購読
高校一年生の国語(古文)教科書で出逢い、『平家物語』よりは読みづらいと自覚しながら、その「フィロソフィ」に牽引され、乏しい財布とも折り合えたので河原町の書店で、少しく勇躍気味に買い求めた。通読は容易でも、意讀・味読・愛読へは「時」を要し、後年、田辺爵著の大冊『徒然草諸註集成』を東京御茶ノ水駅そばの古書店で買い、大いに助けられた。私の初期小説では多く喜んでもらえた長編『慈子(あつこ)』で、私は『徒然草』への久しい深い「謝意」を小説の躰で表現できた。兼好という著者へのかなり手厳しい批評も私は「育て」て行った。古典講読のごく最初期に『徒然草』を選んだのが、たんに「*」一つ(15円)」ゆえでなかった、かなりの勇気と関心の濃さであったのを、「やそしち爺」のいまも、懐かしく思い出せる。
* 朝一番、私は今・此処で、中国作家陳彦作の現代小説『主演女優』全三冊の第一冊を読みあげる。譯された菱沼彬晁さん(元・日本ペンクラブでの同僚委員)に頂戴していた。今今の、聞いたことのない中国作家の作でしかも文庫本にすれば大変な冊数になろう超長編、すこ怯んだが「読み始め」てすぐに頃満たされていった。正直に、ノーベル文学賞にも値しそうな充実津した表現と展開で、十二、三歳で登場のまさに「主演」のヒロイン「易青娥=い・ちんおー=憶秦娥」をはじめとする一地方劇団「寧州県劇団」社会が数々実現して行く(歌舞伎や能・狂言にも先行した)中国古典演劇「秦腔=チンチアン」そのものや、その登場人物や神怪・妖霊をあらわす、その稽古や実技の凄さや魅惑が、多彩な日常が、さながらに「活写・表現」されてゆく興深さ・面白さは、嬉しくも意外も意外、賞嘆を禁じ得ない優秀作なのであった、それも未だ頂戴の「二冊分」が「読者の私」を待ち構えている。
正直に言う、もう何十年も私は親しみ馴染んだ近代日本の秀作や古典文学や漢詩・史籍のほかに、湯気の立つような「現役日本文学」にほとんど出逢えてこなかった。その苦いほどの思いが現代中国作家の現代小説で満たされつつあるのだ、わが晩年の喜ばしい一大事と謂うに値している。作者にも、日本語訳役者として私に贈って下さった「菱沼彬晁さん」にも衷心感謝する。
* 斯かる「出逢い」の、こころから喜べる八十七歳、私、老い衰えても朽ちてはいない。
2023 8/4
* 心身とも沈滞し疲弊している。「気」ばかりで生きながらそれが「生気」とは承知できない。「読み」は陳彦『主演女優』中巻 『参考源平盛衰記』巻廿二、藤村『新生』に絞ったまま、「湖の本 165」を入稿すべく。「書き」は、『私語の刻」に。「創作」は長めの新作の収束を心がけている。欠けているのは「遊ぶ楽しみ」、出られるなら街へ出、大いに「買って、喰って、人と話したい」が。かえってコロナ六度目のワクチン接種を奨められている。やれやれ。
2023 8/4
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『朝の蛍』 斎藤茂吉自選歌集 古本 京・東山線白川脇の古書店で購読
中学いや小学校のうちから、わが「立ち読み」の宝庫のような「古本屋」であった。平場には敗戦後「いまいま」のけばけばしい表紙の男雑誌も女雑誌も並んでいた、「ロマンス」とか「スタイル」とか。男の「はだか」も女の「はだか」も、手に、目に、「盗み見・盗み読み」ながらふんだんに見知っていた。
もとよりいわゆる各種の古書に手を出して「読む」場所であった、實に大勢の作者・著者、また題材にされた人の名を覚えた。わたくしの「ものしり」と財源と謂うべき「恩誼」有難い古書店だった。盗み見に手を出し繰り返し愛読した読み物は、著作者は。沢山有ってもう思い出せないが、なんとこの本屋で小遣いを出し「買った二冊」の一冊が 『朝の蛍』 斎藤茂吉自選歌集 あった。私は国民学校四年生の頃から短歌を自作し始めていた、そして「与謝野晶子」のこてこての歌風は好かず、あきらかに正岡子規系の歌人を崇敬した、斎藤茂吉はその一の人で、『朝の蛍』を「買う」ことに躊躇無かった。
もう一冊部厚い本を買ったのが、『明治大帝』で。明治天皇に親愛など覚えてなかったが、この大冊の「売り」は、いわゆる明治の元勲や各界著名士らの大きな顔写真付きの「紹介」であった、少年私はそれら大勢の明治の元勲や偉人や名士らの人と生涯に興味を覚え、その本を抱きかかえて買い、繰り返し熟読してアタマに容れた。つまりは「明治」を「人」から納得しよう努めたので、この「物識り」れは大きな財産になった。「時代の理解」を「人の事蹟と官位官職」から覚えたのだ。
斎藤茂吉自選歌集 と 明治大帝
とにかくも、ひたすら私は「買わない・立ち読み少年」に徹し、またそれしか手は無く、帳場の「おばはん」は私の日参を大概黙認してくれたが、一度は、「ボン、もうお帰り」と追い出された。懐かしいなあ。
2023 8/5
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『細雪』 谷崎潤一郎 中央公論社一冊本 購読 梶川道子と耽読
谷崎先生の『細雪』ほど、「中央公論」に初出そして初版本以降、世に鳴り響いた「本」は数少ない。後続して太宰治や川端康成や三島由紀夫があったが、谷崎作『細雪』は如何にも横綱の土俵入りのように立ち現れた。私はまだせいぜいしょうがっこうから戦後の六三新制生中学へ、やがて高校へ、「文学」との出逢いを力強く導いてくれた小説家が「谷崎潤一郎」そして名作『細雪』登場であつた。「文豪」ということばを眞実初めて実感し「谷崎愛」という私製の造語を「旗」とかかげて私はほんものの文学少年へと闊歩し始めた。愛読者から、いつしか「研究者」とまで謂われるほどに愛読した。谷崎先生の無くなった比、たまたま京都へ帰っていた私は、生前に用意された法然院のお墓へと、夕暮れの東山辺を小走りにかけつけ、立ち尽くしながく黙祷した。私も作家にと、あの墓前で私は決心した。のちのちには松子夫人と親しく知り合った。新聞で読んだ『少将滋幹の母』 そして 「妹」と愛した梶川道子と、一冊の部厚い『細雪』を往ったり来たり親しく分かち読みした想い出も懐かしい。請われ感想を書き連ねた映画『細雪』の想い出も懐かしい。
2023 8/5
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『谷崎潤一郎選集』全六巻 創元社 高校一年生時 講読
完全に、高校生の私は 谷崎潤一郎世界の「虜」と化した。その堅い殻を内内から罅割って他の世界へも浸み出ようとする「何年か」が始まろうとしていた。憧れ、気張って、貧しい自前で買い入れ忽ちに読み尽くし、そしてその谷崎世界からも私は脱出して行くところは、もうかすかにも想い・思い・考えていた。世界文学へはまだ手がシカとは届かない、しかし同じ日本の近代文学にも「いろいろ」があると気付き、意識しかけていた。高校生の私は、文字どおり「日本の文学・文藝の世界」へ「きょろきょろ」と目配りを初めかけた「谷崎選集」六巻は、その次ぎへ進級の「手形」の役をしてくれた。「次」は「何」であったか。
2023 8/7
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『島崎藤村集(若菜集 破戒 新生 ある女の生涯 嵐 山陰土産)』筑摩書房「現代日本文学全集8」昭和二十八年(1953)八月二十五日發行く文学全集の一巻 発売即といえるほど早く感奮して書店へ買いに走ったのを覚えている。奥付に頒価が示されてないので小遣いをどれほど支払ったたか判らない、「島崎」と丸い朱印の筑摩印税紙が、だれの粗忽でサカサマに貼られているのも、今観ても、懐かしい。私、十八歳に四ヶ月余足りない高校せいぜい二年生。興奮の極であったろう。
敬愛の近代作家はと問われれば、ためらいなく、順序を謂うではなくて、「」明治に登場」順に、藤村、漱石、潤一郎と答えて、今も変わりない。付け加えるなら、直哉、鏡花、秋聲ないしは横光、川端と云うだろう。
藤村という作家は惚れ惚れと惹かれる人ではない、時には疎ましくさえ在るが、詩の『若菜集』にはじまり、小説は『破戒』から『家』『新生』を渡って『夜明け前』に到る、大森林にも長河にも似て「地響き」しそうな力作、問題作、秀作の山積にアタマを下げざるを得ない。
それほどの藤村に出逢って手にした最初が、筑摩書房の売り出した文学全集の一巻『島崎藤村集』奮発して直ぐに買い、その晩の内にも夜を徹して読み上げたのが『新生』であった。興奮を忘れない。詩よりも小説だとしみじみ思った、「好きな人」とは謂えない云わないが底チカラの強いエライ大作家だと疑わなかった。漱石とも潤一郎とも異なった視線で高く見上げて沈黙していた。
2023 8/8
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『般若心経講義』高神覺昇 角川文庫 昭和27 11 3再版 七拾圓 講読
角川文庫發刊は昭和二四(一九四九)年の憲法記念日、私は十三歳半の新制京都市立弥栄中学一年生、『般若心経講義』高神覺昇を自前で選んで買ったのは高校一年生、その頃、『出家とその弟子』などに感動し、「仏教の世界観」に心惹かれ「岩波新書」の類書へも手を出していたが、何よりも「我が家の仏壇」にいつも在って、小学生の頃から『般若心経』は声高に音読するのが私の常だった‥生まれ育った「京都」は神社より数多く「仏閣・お寺」の街。浄土宗総本山「知恩院」の門前通りで育った「秦家」から近在には、建仁寺、青蓮院、南禅寺、清水寺、六波羅密寺、智積院、三十三間堂、更に日吉ヶ丘高校の上には泉涌寺、下には東福寺、かの校舎から望めば東寺へも東西本願寺へも手の届きそうな近まに在った。仏教には底知れない「世界観」が在るとは子供なりに察して、信心よりも知的好奇心の「仏教」が、他のなにより近まの「誘い」であった。「色即是空」「空」「因縁」「正見」「執着」「恐怖」「般若」「仏陀」「眞実不虚」等々、みな高校一年生を刺激的に誘う言葉たちで、この文庫本一冊の『般若心経講義』は美味絶好の誘い、それも講話されている本文以上に精微な巻末の『註』を目を剥いて読んだ。
このお蔭で私は文庫本の「仏經・仏典」は浄土三部經も法華経も禅の本にも手を出しに出しつづけた。「読んだのか」。読んだ。「阿弥陀如来」のはるかに遠い「前世」がいつも懐かしく慕わしい私で、今も、在る。
2023 8/9
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『出家とその弟子』 倉田百三 借讀
高校一年生の国語の教室にみの図化に美しい女生徒が居て、いつも静かに読書していた。歌集『少年』の巻頭に、
窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる
とある其の人で、名前はしかと覚えないが、このひとから、私は『出家とその弟子』ばかりか、堀辰雄の『風たちぬ』等々静穏な私小説系の何冊もを借りて読んだ。近代も後期の純文学へ道を拓いてくれた人だが、一年生の内に転居・転校してゆき、そして「亡くなっている」という噂も後年に聞いた。はかない出逢いで在ったが、貴重な想い出を『出家とその弟子』を介して私に刻印していった。明らかに『般若心経講義』を自前で買った時機と前後していた。
『出家とその弟子』は、小説でなく戯曲だった、例のごとく私は家の中で、一心に声につくって「出家」と「弟子」とを語りわけ、』家の大人等を辟易させた。倉田百三の『三太郎の日記』なども此の頃、社会科の先生が教壇で熱心に話され、手を出したモノの歯が立たず失礼したのも覚えている。
2023 8/10
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『源氏物語』全五冊 島津久基釈註 岩波文庫 購読 苦戦苦闘しつつ。
とうとう来た。「夢の浮橋」を渡り終えての尻に、
「1963 12 17 」読了し、「 1967 6 22」再読を了え、「遠」と書き置いている。二度目に、ほぼ三年半の「苦闘」の歳月を懸けている。高校二年生に岩波の五冊を買い求め、大学も出、東京へ出て結婚し親に成って以後も『源氏物語』は生涯と敢えて謂う、身辺を離れなかった。「遠」と書き添えたのは私、裏千家茶名「宗遠」を謂うているが、遙かなりし「遠路の嘆息」とも。
源氏物語への「親炙」なくて私の読書歴は成り立たない。これは「古典」という区別はしていなかった、藤村、漱石、潤一郎を愛読するように源氏物語、平家物語、徒然草等々を同じく「名作」と敬愛した、今も同じ。幸せと謂うしかない。
2023 8/11
* 本を二冊、床の手もとへ加えた。子規年長の高足内藤『鳴雪俳話』そして漢代の異端的思想家、王充の著『論衡』を。ともに再読、三讀になるが、心惹かれ、心おちつくので。
2023 8/11
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『更級日記』 岩波文庫 講読
京都市立日吉ヶ丘高校の二年時、友人二人と放課後の教室で「輪」読。
古典には『土左日記』以降「日記」というジャンルが出来ていて、かな書きの『紫式部日記』や『讃岐典侍日記』などかずかず読める、それらへのいわば「入門」気分で最初に『更級日記』を選んだのだ、親しみやすいと感じていた。独りでも、繰り返し、大人になってからも和かな古典の「日記」を読みつづけ、のちのちには『チャイムが鳴って更級日記』という妙に凝った小説も書いた。『更科日記』では、冒頭、父の任地から都へ帰る途次、富士足柄あたりでの深夜、何処からとなく現れて歌を唱って聴かせて、また去って行く女たちの出現に、もののあはれ、あこがれ ほどの共感を書き綴っていた箇所が、胸を打った。
「夢」をたくさん書いているのも此の日記、此の筆者の特色で、日吉ヶ丘高の校内新聞に『更級日記』を高校生なりに論じて投稿したのが、ま、作家・秦恒平、初の「論攷めく」一文になったのも想い出。
『更科日記』の筆者は、或いは紫式部のきびすに接して「物語の大作など」を書き遺している。その文藝も人ももっと論じられ、見極められて好い「超級の女流」であった。わたくしは、そう、今も思っている。
2023 8/12
*『参考源平盛衰記』は、巻二十三へ読み進み、もう武衛と呼ばれている前兵衛佐源頼朝が、ひそかに平家討つべしの「院宣」も得て、流罪されていた東国一円に大勢力を貼って、今や富士川に対峙の平家軍を京都へ追い払っている。すでに欧州から弟の義経も馳せ参じ、木曾義仲も立ち、いよいよ「西国を戰場」の源平決戦になろうとしている。
2023 8/12
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『旅愁』 横光利一 角川昭和文学全集 第一回配本 駈けつけ講読。
高校時代は他面・多方向への可能性で光っている、中核とも大學とも明らかに違っていた。踏み出す脚に、好奇心と自己肯定が、いまから思えば、ほとんど喚いていた。「手を出す」のが嬉しくて特異でためらいが無かった。この初めて触れる「横光利一」というな全一巻に一作の、西欧への旅立ちを表題が示唆していた、間にしては笑い出すしか無いが私はの一巻を買いに河原町のょんへ書けた得意満面の虚運河、張りなつかしい。これは、秦の父が設えてくれた二階三疊の私のための勉強部屋、しかも何段もの壁に作り付け不細工だが真新しい本棚に第一等に収まるピカピカの新刊本なのだった。「横光・川端」と何美賞された「新感覚派」一棒の頭領の大長編だ、じつは読者等の大方が横光よりも川端康成の「雨降りお月さん」のようなお話しぶりを贔屓らいのに片手オチを感じていたのだった。川端の情緒めくしんかんかくでな、年と社会と世界の「新感覚」を横光利一に期待したのだった。
で、『旅愁』は。鷗外や漱石や荷風等の「西欧」とは異なって感じ等屢「旅」がよれる、という讀中・讀後、、ま、満足があった、とておこ、實はもう、みな忘れているのである。しかも私はほぼ教皇に日本現代文学に「横光利一」の大きい存在、まさしく「あたらしい感覚」が濃い油のように流れこんだという感想を持った。川端康成の「千羽鶴」などは私には遣い慣れた、幾らか遣い飽きた「茶道具」のようだった。
2023 8/13
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『谷崎潤一郎集』 角川昭和文学全集 購読
三畳の二階勉強部屋に、父が大工を雇って作り付けてくれた武骨な木の本棚に、着々並ぶ本が増えていた。まだその大半は、秦の祖父が旧藏の大漢和辞典や大事典や、唐詩選六巻や、老子莊子韓非子や袖珍の漢詩集、或いは日用の便利本や日本旅行案内、『歌舞伎概説』などで占められていた。ソレらを徐々に追いだして私の手に入れた新刊本に置き換える それも一つ「目標」だった。気に入りの「角川昭和文学全集」にあこがれの『谷崎潤一郎集週』の桑わっの葉、いわば『花と風』などの「谷崎論」を自身書くことで「作家」へ道を切り開き始めの第一歩と成った狭い。勉強部屋の空気が泡立ち始めていた。
2023 8/14
* 九時過ぎ。湯冷めもし嚔もし、心地悪しい。 寝た方がいい。『鳴雪俳話』がすこぶる佳い。俳句は作れないが、佳い句、好きな句は、しかと受け取れる。やはり芭蕉と蕪村に嬉しく圧倒される。ソレを読む鳴雪翁の感傷が声挙げて拍手したいほど、佳いのだ。翁明治維新元年には京都に遊学、二十年には文部書記官を征服にサーベル提げて奉職していた。正岡子規より少し年上ながら子規門下の筆頭として子規俳壇牽引に盡力した。
蓬莱に聞かばや伊勢の初便り 芭蕉
春風のつま返したり春曙抄 蕪村
2023 8/14
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『国民文学論 これからの文學は誰がつくりあげるか』
民主主義科学者協会・藝術部會編 厚文社
昭和二十九年(一九五四五月三十日発行)新刊 購読 大學一年頃か
文学部文化学科美学藝術學専攻の「大學一年生」という意識で買い入れたが、「国民文学」という思考か・志向が、当節のはやりとして左傾スー田した宣伝になるのでは内科と警戒し、警戒は当たっていた。そのような「国民文学」の認知はゆきすぎた主義かを伴う葉必然で、避けねば友想っていた。渡具にも自信の豫想や判断の狂ってなかったという認識きから、私は此の本を「捨てた」のである。大学院を去って東京に出、家庭をもってから創作者への覚悟を固めたときも、「国民文学へ」という意思も姿勢ももたなかった、その意味でもこの本との「意識的な出逢い」は、有意義であったと今も感じる。「私」小説にも引っ張られず、「国民」文學へも向かわなかった。私はただ「文學」「文藝」を、稚拙なまでに「創作・表現」したかった。しかし今も書庫に「此の本」がきちっと保存されていたのも、至当のことであったと、「堅い小型の本」に眺め入っている。読み返す気は無い。
2023 8/15
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『日本美術の特質 第二版』 『図録』 矢代幸雄 岩波書店
昭和四十年(一九六五)八五月十四日 第二版発行) 新刊 購読
自費で私の買った本では、最高価な「本物」「大判」の「研究書」であった。本巻だけで優に「八百頁、別巻に二百三十頁もの豪華な『図録』が附く」としても、平成の今からほぼ六十年以前に「定価七千五百円」は、もう医学書院勤務で給料を得ていても、いわば不要不急贅沢なと見られる買いものだった、そんなことは謂われなかったけれど。なにより、関心も興味も濃く、方面違いの「医学書院」社員ではあれ、「日本美術研究」無縁ではなく、渇望して躊躇わず買った本、それに、もう小説や評論を書き始めてもいた、わたくしが刊行の評論の一冊は『十二世紀美術論』であり、小説では、上村松園を書いた『閨秀』が朝日新聞文藝批評の「全面」を用いて賞讃されていたし、虎渓三笑図に触れて書いた『盧山』は芥川賞候補に挙がって「美しいかぎりの小説」と推された。謂うまでもない学界の「泰斗」と識られた矢代幸雄著の『日本美術の特質』を勇んで手に入れたのは、少年來美術が好きの行き着いたほくほくの買いもの。強いて胸を張れば、ダテに「美学美術史學」を専攻勉強してきたのでは無かった、「医学」書院勤務の方が寄り道、じつはいろいろに有難い寄り道であった。
寧楽法華寺の平安『阿弥陀三尊』のうち観音勢至の原色に始まり、明治の黒田清輝の『湖畔』 昭和の梅原龍三郎『雲中天壇』 平櫛田中の華麗と清潔をきわめた『鏡獅子』像にいたる210作もの『図録』大判の豪華には、嬉しさ、舞い上がりそうだった。眺めに眺め、ほくほくして書架に藏めた。貫禄、他を圧した。
2023 8/16
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『夢の浮橋』 谷崎潤一郎 中央公論 昭和三十四年 購読
新宿区川田町のアパートみすず荘に新婚と就職の日々を向かえた年の初秋か、新聞広告でしり、矢も立てもたまらず書店へ走って芝翫の雑誌『中央公論」を會、夢中で、心身を没入して読んだ。読み返し読み返し耽読した。入れ込んだのである、根からの谷崎大好きに部厚く輪をかけた、何も何という大作で亡かった、せいぜい書き下ろしの中編、としかし、舞台も人も話も期待の儘谷崎好きのわたくしをさらに魅了した、「新刊の雑誌から新作を読む」というほとんど経験のなかった耀くような新鮮さ。谷崎文学の上に真新しさを見つけて耽溺した新味を得て良かったと謂うより、こんな風に自分も話材を選べて書けたらどんなにいいだろう、嬉しいだろうと謂う羨望の濃さと深さとに負けて心身を委ねたのだった。「出会い頭」の、それはそれは胸に食い入る儲けものに思われた。そういう出逢いが、有る、という「身に覚え」が「身に沁みた」のだった。
2023 8/17
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『平家物語』 山田孝雄著 寶文館 古本 購読
昭和八年(一九三三))六月二十八日發行 定価金三圓八十錢
巻頭図版 例言 平氏系図 平家物語諸本一覧(20頁)平家物語概説(108頁) 目次(13頁) 本文(526頁) 類纂(読物 故事 出典 諺・類するもの 詩・謡詠 和歌 連歌 今様 朗詠 偈𩝐) 索引(年號 地名 官職・位階・人名 一般事項・主なる言語 290頁) 全900頁を越す無比の大研究書。
あらゆる方面から「索引」「参照」の利く希有に重宝の、読みこたえの「研究書」であり、「平家物語」と周辺の歴史で{莫大に教えられ続け」ている。「寶モノ」のように大事に参照し、秘蔵秘愛してきた。
が、いつ何処で買ったろう。東京へ出てきてから、きっと、国電御茶ノ水駅にくっいた駿河台上、病院間近な古書店だろう、めったに「本」のために神田まではお茶の水坂をおりず、私史的に「貴重な古書の買いもの」は、このお茶の水駅回りで果たしていた。古本屋の二階には喫茶店もあり、取材外出中、恰好の「サボリ場」だった。小説も書いていた。
2023 8/18
* 相原精次さん 新著『再考「鎌倉史」と征夷大将軍 「古代みちのく」と家持・文覚・頼朝』 いただく。私のいま仕懸かり中の創作とも、少しく触れ合う。今も必要会って愛読中の、水戸光圀編『参考源平盛衰記』でも少し前、盛んに文覚と頼朝との出逢いを愛読していた。
2023 8/18
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『徒然草諸註集成』田邊爵 昭和三十七年(1962)五月刊 右文書院 新刊を昭和三十八年(1963)三月一日購読 もう東京本郷台の「医学書院」に編集職で勤務し、長女朝日子も生まれていて、もう小説を書いていた。社には近代文学(鷗外・康成等)研究の泰斗長谷川泉が編集長としてあり、師事。本書は長編『慈子』成稿のために是非に必要な優秀な参考書であった。光広本、正徹本の写真、序、凡例、六頁の目次 六九〇頁の本文、一〇〇頁の概説・索引。精微に深切、文字通りいろいろに愛読し参照し学んだ。
『徒然草』を岩波文庫で買ったのは新制中学三年生、物語本ではなく、随感随想の叙事が手強く、難渋したが、しかも敬意を保って常に愛読、高校で二人の友人と放課後に教室で輪読の記憶がある。この大部、「壱千七百圓」の高価を押して本書を買ったのもよくよくであった。それのみか、勤務時間内に私は、目の前の東京大学文学部の研究室書庫に、医学部の先生の紹介状を戴いて、数ある『徒然草』参考書を読ませて貰いに入れて貰って、一篇の論攷を母校「同志社美学」誌に寄稿までしていた。作家として世に出たい願望は強かった。
2023 8/19
* 『左道變』を読み返す一日で終えた。心神結滞。モノもコトも見えない。
2023 8/19
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『梁塵秘抄』 岩波文庫 古本 古本屋の棚から購読
高校一年生の教科書で出逢った『梁塵秘抄』が好きで気に入って、以来しみじみと久しくも久しい付き合いになった。「信仰と愛欲の歌謡」と副題して「nhkブックス」に、もう一冊「孤心恋愛の歌謡」と副題して『閑吟集』もならび、各一冊の「書き下ろし出版」している、ラジオ、テレビでも「講話」出演している。「歌謡」とはよほど性が合っていた。和歌は和歌。しかし厳然として和歌よりも年久しい通うの歴史があった。しかもじつに「おもしろく」「おしえられる」のだ。
私は、和歌・短歌・歌謡には傾倒できるのに、不器用にも、現代語で書かれた近現代「詩」の、藤村、白秋、朔太郎らのほか、ほとんどが理解できず、味わえない。要は気取った「散文」のただ行替え「分かち書き」のようにしか感じない。味わえない。「詩歌」に期待しているのは「ことば・日本語」の旋律・リズムの美なのに、たいていの近現代詩は奇妙な哲学の「演説」「講話」「露表」のよう、詠んで、舌を咬みそう。かりにも私の魂とは無縁に遠い気疎いおしゃべり。
だが「梁塵秘抄」「閑吟集」また「謡曲」などは、ことばの「音と働き」とが胸へ、しかと「うた」に成り、徹ってくる、人間の生き生きとした「うた聲」として。人間は「うた」が好き、それなしに太古来生きて来れなかった。「うたを忘れた」詩人たちのまるで「演説」詩は、胸に美しくも有難くも響いてこない。
そんなことを、私は、和歌や物語や『梁塵秘抄・閑吟集』に教わってきた。感謝している。散文作家たちの魅力や精力の読み分けにも、評価にもこれが生きて関わる。
2023 8/20
* 秦の祖父鶴吉の旧蔵、明治四十年、鳴雪・内藤素行著『鳴雪俳話』博文館蔵版を、私、少年來 折に触れ手にして頁を繰る。愛読書と、謂うか。
2023 8/20
◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇『西洋紀聞』 新井白石 岩波文庫 古本 購読
この辺で、もう私の「青年期」も果ててよい、歳若くより「読書」を介しての生活態度も、もう「作家」という自意識が道しるべしている。ただの興味で無く「仕事」としての必要が「本」を呼び立てている。
「中世」への関心はかなり執拗であり、「近世」に「近代味」を体して「学識と政見」とに生きた新井白石へも、その延長で「意識し」て近寄った。が、それ以上にも、もう、吾が「日本国」の『北の時代』へ「窓」を立派に開いていった「最上徳内」や田沼政見への関心と敬意とが、「必然を逆に行く」かたちで『新井白石』を「呼び戻した」という自覚もあった。
幼少成年時の興味を押し超えて「作家」である秦恒平が、つよい関心で『最上徳内そして新井白石』を「必要」としたのだった、もう青年時の「卒業」とその「先」への「論攷」に近寄っていた。
この「シリーズ」での、ただ「回顧・懐旧」とは色合いを変えた読書史、『古事記』に始まり『新井白石』まで…。成るほど、と。合点。
2023 8/21
* さいわいまだ、本は停頓無く和文も漢籍も読める。『史記列伝』 王充の『論衡』 『参考源平盛衰記』 『明治維新史』 『聊齊志異』 『水滸伝』などを他の支那デイ、藤村も秋聲も。目が心配だが。
2023 8/24
* 疲れ切っている。床に就いて、王充『論衡』 陳彦『主演女優』と『参考源平盛衰記』を読み継ごう。
2023 8/27
* 目が覚めて、真夜中三時すぎ、ちと早すぎるがそのまま起き、二階機械の前へ来た。「夜中起き」も「早起き」も珍しくなく、いま、四時六分。このところ「書く」「書くために調べ読む」が芯になり、いわゆる「讀書」は「おやつ」なみ。超大作の陳彦『主演女優』も、全五十冊ちかい和本漢文の『参考源平盛衰記』も、仕事の、恰好の「中やすみ」になってくれる。
實は、いま、節に読み入りたい一冊は、もう二度三度熱中して読んだ『浄土三分経』のうちの『大無量壽経』阿弥陀如来の出生譚が「懐かしい」のであるず、本は手にしていながら、もう少し身辺も心境も静まってからと、いつも岩波文庫をただ手に持って重みに感じ入っている。『浄土三部經』も『法華経』も、それはもうしみじみと惹かれる「聖書」であるよ。
2023 8/29
* 自作ながら、発表して即「芥川賞候補」にあげられ、瀧井孝作先生、永井龍男せんせいからともに「美しい、美しいかぎりの小説」と声をそろえ激賞し推薦して戴いた『廬山』を読み替えも閉ちゅ、声を放って泣けた。私のこんな意識よりはもかに以前、早くより実兄北澤恒彦(生まれてより一つ屋根に両親兄弟で暮らした覚えの、全然無い兄)が指摘して呉れていたように、今して、脱稿初出より優に五十㊿余年、初めて「啼いた」の゛ある。身の深くに備わってきている阿弥陀如来への信仰と亡き生みの両親、育ての両親や兄恒彦への哀悼が地から噴くくように共鳴してきたものか。読み貸す機會をつくりえて、良かった。
20223 9/2
* 「湖の本」の用意に『隠沼(こもりぬ』という小説を読み返していた。ヒロインに濃やかに懐かしい想いが凝っていて、読み返すのがすこし辛く怕くなる。生けるヒロインと書かれている仮構のヒロインの、もう、とうにとうに両方に死なれ死なせている。ああ、そろそろ呼びに来たのかと思い、なぜか「まあだだよ」と応えにくい。場面と情感を切り接いだような作柄、私には稀か、珍しくもないか、咄嗟に判じられない、ただ懐かし「すぎる」自作だけになかなか読み返そうとしてこなかった。「龍ちゃん」の死は、現実にも作中でも痛過ぎるほど早過ぎた。
2023 9/7
* 小説 ことに長い小説はとても歌詠みとは同断で無い。ことに長い小説を周到に「読み直す」のはおおごと。軸はもとより、句読点の一つ一つまで思い直す。私はそうする。
そんな気振も見えぬままだらしなく書かれた日本語にコトに「小説」で出会うと情けない。
2023 9/11
〇 『湖の本164少女 』をご恵送いただき、誠に有難うございました ”始筆書き下ろしの「創作」”或る折臂翁を拝読、戦中・戦後にまたがる話の院櫂に惹かれました。初樹の父・弥繪・康岡それぞれの人格が゛心に迫り、崖が重要な役割を持つ構成と結末の急展開に驚かされました。白楽天詩からの発想にも独創性を感じました。秦さんの幼稚園生にして真珠湾攻撃を無謀と案じ、ぜったい「兵隊さん」になりたくなかったとの感覚は凄いと思いました。「不敬」「非国民」といった言葉が散見し、何の留保も無く自衛隊への好意的な論調が流通している昨今に危機感を持ちます。 励 名誉教授
* 此の、祖父鶴吉旧蔵、國分青厓閲 井土靈山選『選註 白楽天詩集』(明治四十三年八月四版)を手にした国民学校時期に巻中の七言古詩『新豊折臂翁』加えてに感動的に出会ったのが、加えて敢えて云えば「敗戦前に戦時疎開」していた丹波の山奥の借り住まいで、裏山深く独り登って見つけたある「崖」の誘いが、この、作家生活へ向かう第一筆処女作の「原点」となった。作家になってからも直ぐには世に出さなかった。期するあり、温存していた気がする。
いま此の様な「的確な読後感」を頂戴できたことを、生涯の喜びに数えたい。佳い「詩集」を遺して行ってくれた畏怖に値した秦鶴吉祖父に深く深く感謝している。秦家へ「もらひ子」された幼少はまことに幸福であった。
2023 9/23
* 夢も見ず目も冴えて、真夜中に灯り付け床の中で本を読むのは憚られたので起きて二階へ来た。かすかに瞼は未だ重いが。
* 私の『廬山』を読んだ。感動して泣いた。「小説」を読んで、心底湧く涙に斯く深く動かされた覚えは無い。芥川賞に強く推して下さった瀧井孝作先生、永井龍男先生ともども国を極め、「美しい小説、まことに美しさを極めた小説」とまで推奨して下さったのを想い出しながら、久々一気に読了した。「代表作」と何方からも推されてきた、納得できた。吉行淳之介ですら、外に思惑有って芥川賞にはおさなかったけれど、「廬山」よかつたよと、或る会合で、わざわざ寄ってきて云って呉れたのが懐かしい。
2023 9/26
◎ 「幼少に聞き覚え唱った、妙な唄」を 記憶の儘に、 歌詞の一、二番のみ。
〇 『カチューシャの唄』 島村抱月・相馬御風作詞 中山晋平作曲
一、カチューシャ可愛や 別れの辛さ
せめて淡雪 とけぬ間に
神に願いを ララかけましょうか
〇 「カチューシャ」が人の、女の、名らしいとは察しても 他の何ひとつ 一切を識らないで、ただ聞き覚えに「カチューシャ可愛や」と唱っていた。大正の名女優松井須磨子が舞台でうたったとも識りようのない、昭和十年代の、国民学校下級生時期の私だった。トルストイ、『復活』といった背後の文学史には遅そ遅そに追いついていった、トルストイの「戦争と平和」「アンナレーニナ」「復活」こそが世界三大名作なとも追い追いにおぼえては「讀書」の大目標にしていった。実感として『アンナカレーニナ』が一、『戦争と平和』が継ぐと評価し、『復活』はやや気重もであった。そんな知識とは未だ全然触れ合うたことのない、ただの耳に入った流行り唄をうたっていた。カチューシャの「カ」という音のきれいな反覆を好感していた。
2023 9/27
* 6時。昨日の『廬山』について、『三輪山』を読み直している‥身に沁みて懐かしい,謂わば巧緻に組み立てた身の上ばなしだ。なに覚えもない「生みの母」わたくしを呼ぶ声が作中を流れる。ここに出る「三輪君」には、課長職に付いたとき新入りで配属されてきた七尾清君の風貌や物言いを借りた。
2023 9/27
* 舊作『三輪山』を、良しと読み返した。いささかも手をぬいていないことに、安堵もし喜んでいる、相次いで自愛作の一つ『隠沼』を読み返す。
舊作を アタマの働いている内に楽しんで読み返しておきたい。丁寧な気の入った仕事をしていたと胸を撫でる。
2023 9/27
* 漢の王充は、「型破りに本格」の「異端思想家」で論著『論衡』は実に面白く興深くサンザンに𠮟られ教えられる。久しく坐右から手放せない。
* いま、心して久々再読三読したいのが、『大無量壽經』の謂うならば阿弥陀如来伝。
私は大体がいわゆる宗教の信仰・信奉者では、ない。しかるにまた幼来「仏様」というと南無「阿弥陀仏」とごく限定されて、今も、今日只今も音無しい口誦「南無阿弥陀仏(ナムアミダブ)」は私・秦恒平の血潮のよう、窓一つ明けるにも、階段上がり下り一つ一つにも「ナムアミダブ」が欠かされない。
誰も識らぬ事だが、私、一青年が阿弥陀如来と成られるまでの『大無量壽經』が欠かせぬ愛読書でもあるのです、「南無」と常に頼んでやまないのです。
他人に話したことは無い、が、数ある私の著作・創作には諸方で表れている。私のような弱い男にはただ頼む方なので。告白しておく。
2023 10/7
〇 秦さん メールありがとうございます。血圧も正常で体重もだいぶ回復されたようですね。小生も血圧は貴兄と同じくらい、体重は63Kgです。できるだけ運動と徒歩を欠かさないようにしています。米寿(来年4月)は目前ですが、90才を元気に迎えたいものです。
最近はむかし読んだ本を読み返しています。大江健三郎「救い主が殴られるまで」、大岡昇平「野火」、北杜夫「輝ける碧き空の下で」など。年を取って読書の習慣はありがたいです。 西村明男
* おなじ「讀書」と謂うも、ひとにより当然「向き」がちがう。大江、大岡、北など、ほとんどそでを擦ったかしか覚えが無い。大方、明治にデビューした紅露鴎藤聲また直哉・潤一郎・康成・由起夫らに接していた。海外作はロシアに大きく傾いていた・むしろ日本の平安鎌倉古典にめりこんでいた。海外文學は,何故か「姉さん 梶川芳江」を介して借覧がが多かった。恵山は私のためにどうやら讀書酢の同級生から借りて私へ回してくれていたように思う。
2023 10/10
* 病院の永い待ち時間をりして耽読していた『参考源平盛衰記』での高倉天皇と小督局との戀物語などにもふれて、懐かしい極みの京都「清閑寺陵」の思い出も書いたのに、消え失せていた。機械のご機嫌はとかく荒れ模様で恐縮する。』
2023 10/16
* 起きてても寝ててもわたしは「唄っている」ひとで、一の「お気に入り」は、
サッちゃんはね
さち子っていうんだ ホントはね
だけど ちっちゃいから 自分のこと
「サッちゃん」テ云うんだね
可愛いね サッちゃん
日に、三十ぺんほどは唄っている、小声で、だけど。もひとつ云うと、
垣根の垣根の曲がりかど というのが、口をこぼれて出る。
わたたしは「歌」を詠むが「唄う」も好きで、岩波文庫の「日本唱歌集」は一冊をボロにし、二冊目を愛翫してるのです。
2023 10/23
* 読むには今は『参考源平盛衰記』がいちばん歯ごたえ良し。
2023 11/1
* やはり妻の或いは入院手術かというを考えては気が重く沈む。独りの留守居に慣れているワケが無い。 疲れで、視野視力の濁りも物憂い。大酒が呑みたいタチの酒好きではない。ま、目の前の仕事に向き合うしかない野暮な書斎人と謂うに尽きるか。ま、本をよく選んでうちこむが上策。
現代モノの中国『主演女優』か七、八分がた読んでいる『水滸伝』をもう二冊程か。じつは『大無量壽経』の三度目ほどの再読も望ましく、五十冊近い『参考源平盛衰記」を半ばまで、清盛の最期まで読み進んでいて、現代語訳したいほど惹かれている、が何十年ぶりかで『モンテクリスト伯』もいいなあと、欲が深い。『古文眞寶』の詩にも惹かれている。本が無いので無く、在りすぎるほど在るわけだ。いいではないか。
2023 11/11
* 今治の木村年孝さん、川崎市の森千尋さんら、善いお便りを戴いていた、が。私、疲労の度が強すぎる。午後から宵までほとんど寝入っていた。それしか凌ぎようが無い。妻の入院時が思い遣られる。疲れを取らねば。
* 今西祐一郎さんの、「東方學」146輯にまとまつた『片仮名版と平仮名版 江戸時代出版の一風景』を読み終えたいのに。
2023 11/16
* 何とも判別のつかない茫然とした機械作業に時間をとられて居た。どうすりゃいいのさ、この、わたし。
* わけもなく、と謂うしかないが、ガクッと心身が崩れている。気の弱り、弱気、臆病が取り憑いている按配。寝入るか、吸い込まれるほとの本を読むか。「独り」を懸命にイヤがっている自分を感じる。妻とだけの世界。朝日子も建日子もみゆ希もいない。感覚できない。メールも来ない。 寝入るのが賢明と思われる。いま、心惹かれているのは『浄土三部経』か。寝入るのが賢いと思う。
*『参考源平盛衰記』第二十五冊に進む。源平が初めて大河を中に対峙。文字通りの「源平盛衰」時季にさしかかる。
2023 11/18
* いま、どんな作家がどんな小説を読ませているのか、不勉強で知らない。しかし私は核なら小説を、と、忘れていない。
2023 11/18
あとがき
一九八六年 桜桃忌に「創刊」、此の、明治以降の日本文学・文藝の世界に、希有、各巻すべて世上の単行図書に相当量での『秦恒平・湖(うみ)の本』全・百六十六巻」を、二〇二三年十二月二十一日、滿八十八歳「米寿」の日を期しての「最終刊」とする。本は書き続けられるが、もう読者千数百のみなさんへ「発送」の労力が、若い誰一人の手も借りない、同歳,漸く病みがちの老夫婦には「足りなく」なった。自然な成行きと謂える。
秦は、加えて、今巻末にも一覧の、吾ながら美しく創った『秦恒平選集 全三十三巻』の各大冊仕上がっていて読者のみなさんに喜んでいただいた。想えば、私は弱年時の自覚とうらはらに、まこと「多作の作家」であったようだが、添削と推敲の手を緩めて投げ出した一作もないと思い、,恥じていない。
みな「終わった」のではない。「もういいかい」と、先だち逝きし天上の故舊らの「もういいかい」の誘いには、遠慮がち小声にも「まあだだよ」といつも返辞はしているが。 過ぎし今夏、或る,熟睡の夜であった、深夜、寝室のドアを少し曳きあけ男とも女とも知れぬソレは柔らかな声で「コーヘイさん」と二た声も呼んだ呼ばれた気がして目覚めた。そのまま何事もなかったが、「コーヘイさん」という小声は静かに優しく、いかにも「誘い呼ぶ」と聞こえた。
誰と、まるで判らない、が、とうに,還暦前にも浮世の縁の薄いまま、「,此の世で只二人、実父と生母とを倶にした兄と弟」でありながら、五十過ぎ「自死」し果てた実兄「北澤恒彦」なのか。それとも、私を「コーヘイさん」と新制中学いらい独り呼び慣れてくれたまま,三十になる成らず、海外の暮らしで「自死」を遂げたという「田中勉」君からはいつもこう呼んでいたあの「ツトムさん」であったのか。
ああ否や、あの柔らかな声音は、私、中学二年生以来の吾が生涯に、最も慕わしく最高最唖の「眞の身内」と慕ってやまなかった、一年上級の「姉さん・梶川芳江」の、やはりもう先立ち逝ってしまってた人の「もういいの」のと天の呼び聲であったのやも。
応える「まあだだよ」も、もう本当に永くはないでしょう、眞に私を此の世に呼び止められるのは、最愛の「妻」が独りだけ。元気にいておくれ。
求婚・婚約しての一等最初の「きみ」の私への贈りものは、同じ母校同志社の目の前、あの静謐宏壮な京都御苑の白紗を踏みながらの、「先に逝かして上げる」であった。心底、感謝した。、いらい七十余年の「今」さらに、しみじみと感謝を深めている。
私の「文學・文藝」の謂わば成育の歴史だが。私は夫妻として同居のはずの「実父母の存在をハナから喪失していて、生まれながら何軒かを廻り持ちに生育され、経路など識るよし無いまま、あげく、実父かた祖父が「京都府視学」の任にあった手づるの「さきっちょ」から、何の縁もゆかりも無かった「秦長治郎・たか」夫妻の「もらい子」として、京都市東山区、浄土宗總本山知恩院の「新門前通り・中之町」に、昭和十年台前半にはまだハイカラな「ハタラジオ店」の「独りっ子」に成ったのだが、この「秦家」という一家は、「作家・秦恒平」の誕生をまるで保証していたほど「栄養価豊かな藝術文藝土壌」であった。
私は生来の「機械バカ」で、養父・長治郎の稼業「ラジオ・電器」技術とは相容れなかったが、他方此の父は京観世の舞台に「地謡」で出演を命じられるほど実に日ごろも美しく謳って、幼少來の私を感嘆させたが、,加えて、父が所持・所蔵した三百冊に及ぶ「謡本」世界や表現は、当然至極にも甚大に文学少年「恒平」を啓発した、が、それにも予備の下地があった。
長治郎の妹、ついに結婚しなかった叔母「つる」は、幼少私に添い寝し寝かしてくれた昔に、「和歌」は五・七・五・七・七音の上下句、「俳句」は五・七・五音などと知恵を付けてくれ、家に在ったいわゆる『小倉百人一首』の、雅に自在な風貌と衣裳で描かれた男女像色彩歌留多は、正月と限らない年百年中、独り遊びの私の友人達に成った。祖父鶴吉の蔵書『百人一首一夕話』もあり、和歌と人とはみな覚えて逸話等々を早くから愛読していた。
叔母つるからの感化は、さらに大きかった。叔母は夙に御幸遠州流生け花の幹部級師匠(華名・玉月)であり、また裏千家茶道師範教授(茶名・宗陽)であり、それぞれに数十人の弟子を抱え「會」を率いていた。稽古日には「きれいなお姉ちゃん・おばちゃん」がひっきり無し、私は中でも茶の湯を学びに学び叔母の代稽古が出来るまでにって中学高校では茶道部を創設指導し、、高校卒業時には裏千家茶名「宗遠・教授」を許されていた。
私は、此の環境で何よりも何よりも「日本文化」は「女文化」と見極めながら「歴史」に没入、また山紫水明の「京都」の懐に深く抱き抱えられた。大学では「美学藝術學」を専攻した。
だが、これでは、まだまだ大きな「秦家の恩恵」を云い洩らしている。若い頃、南座など劇場や演藝場へ餅、かき餅、煎餅などを卸していたという祖父・秦鶴吉の、まるまる、悉く、あたかも「私・恒平」の爲に遺されたかと錯覚してしまう「大事典・大辞典・字統・仏教語事典、漢和辞典、老子・莊子・孟子・韓非子、詩経・十八史略、史記列伝等々、さらに大小の唐詩選、白楽天詩集、古文眞寶等々の「蔵書」、まだ在る、「源氏物語」季吟の大注釈、筺収め四十数冊の水戸版『参考源平盛衰記やまた『神皇正統記』『通俗日本外史』『歌舞伎概論』また山縣有朋歌集や成島柳北らの視し詞華集等々また、浩瀚に行き届いた名著『明治維新』など、他にも当時当世風の『日曜百科寶典』『日本汽車旅行』等々挙げてキリがないが、これら祖父・秦鶴吉遺藏書たちの全部が、此の「ハタラジオ店のもらひ子・私・秦恒平」をどんなに涵養してくれたかは、もう、云うまでも無い。そして先ずそれらの中の、文庫本ほどの大きさ、袖に入れ愛玩愛読の袖珍本『選註 白楽天詩集』の中から敗戦後の四年生少年・私は、就中(なかんづく)巻末近い中のいわば「反戦厭戰」の七言古詩『新豊折臂翁』につよくつよく惹かれて、それが、のちのち「作家・秦恒平」のまさしき「処女作」小説『或る折臂翁』と結晶したのだった、「湖の本 164」に久々に再掲し、嬉しい好評を得ていたのが記憶に新しい。
2023 11/28
* もつぱら読み継いでいるのは明治早々の和本『参考源平盛衰記』の、今、巻二十五だが、並行して、「かなり戻って」の巻十六。
私は、もののあはれに逼られてか「源三位頼政」という武人に昔から同情を寄せ、ひととなりも、武人、歌人としての風貌にも心惹かれている。時間と躰との余裕さえあれば、『頼政』語りを抜粋して現代語譯の『頼政ものがたり』にもしたいのだが。
2023 12/1
* 真夜中に、ふと枕元へ灯りを入れ、今は、今も、が正しいか、陳彦の『主演女優』の真まん中辺を 大部の『参考源平盛衰記』いましも木曾義仲のくりから奇襲の辺を、そしてエドモン・ダンテスが「船長」職の希望と歓喜をだいて、独り住まいで留守居の父の胸へ喜び帰って来た邊を、それぞれに大いに大いに楽しんでい、るが、加えて、毎朝の「漢詩」鑑賞選別書写も曰わく言いがたい喜びで。
2023 12/14
* 四時に床を起った。夜中、一度、二度、床のママ源平背衰記を読み継いでいたり、寝は浅かった。
もう六時五十分、空腹を覚えているが。
昨日、触って触って痛くてグラグラの下前歯一本、びっくりほど大きい一本が、竟に落ちた。落ちてくれた。飲み食いがラクに成った。これで,下に入れ歯が落ち着いてくれる。上は恰好は造れていてもお話にならバカでかい總入れ歯がどこかで遊んでいる。いまのままで、とくに故障はなく、いまさら恥ずかしくもない。
2023 12/17
* 夜中、醒めて『参考源平盛衰記』 そして森鷗外の短編を読んでいた。五時前には床を起ってきた。
2023 12/24
* ゆうるりと目覚め 枕元の灯で『参考源平盛衰記』少し読み進み、そして二階に。世界、静粛。
2023 12/29
◎ 寅日子忌 珈琲の苦味かぐはし寅彦忌 牧野寥々 ○ 寺田寅彦 十二月三十日 理学者 随筆家 俳人
* いくほどの歩みとも無く見返ればこやこの世とは地獄の隣り 恒平
* もう大人として世に出ていたか,大学生であったか、寺田寅彦の「随筆」に浸っていた。いずれ寅彦には師の、夏目漱石世界を経てきてのことであったはず。私には所詮縁遠な「科学」「理学」の匂いにかすかに触れ得たのが、いつも新鮮にもの珍しかった。
2023 12/30