観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
久しく山澤の遊を去り 浪莽たり林野の娯しみ
徘徊なす今し丘壠の閒 依依とし見ず昔人の居
一世 朝市を異にすと 此語 眞に虚しからず
人生 幻の化すににて 終に 當に空無に帰す
明旦 今日に非ざるに 歳暮 余れ何を言はん 陶淵明に借りて
去年の歳暮に
☆
窮居 人用寡く 時に 四運の周るをだも 忘る
空庭 落葉多く 慨然として 已に初冬を 知る
今我れ 楽しみを為さずんば
来歳の 有や否やを知らんや 陶淵明に借りて
一昨年の歳暮に
2022 1/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (プラトーンは哲学者の手に政治をゆだねることことをもって理想としたが、この理想が歴史上ただ一回実現した例がある。マルクス・アウレリウス・西暦二世紀の治世であった。 訳者・神谷美恵子の序より。)
◎ 父からは、つつましさと雄々しさ(を、おしえられた。) (第一章 二)
2022 1/1
○ 幾むかし経てぞならひし色いろを
吾(あ)に教へてぞ逝きし人らはも
○ 八十六(やそろく)と佳き名賜ひてさき立ちし
面影の数に掌(て)を合はす元旦(あさ)
○ 幸(さきは)ひに汝(な妻)と吾(あ夫)を生きて壽(いは)ふ元旦(あさ)の
雑煮が美味し 忘れざらめや
○ いま幾とせ生きてし吾の為しうべき
何あるも無きもなに惑ふべき 八十六翁 南山 秦 恒平
○ 散り敷いて隠れ蓑の葉さにわ邉に
花やいでわれらを祝い染めてし
○ 忘れじの行く末までは難きとや
なげきし昔ひとのなつかし
2022 1/1
* 和漢の古典研究の優れた専門誌「汲古」に、根を詰めた研究を連載の浦野都志子さんの新年の挨拶も在った。「黒川春村」という江戸時代の研究家の業績を丹念に精緻に再検討されている。元、東大綜合図書館の司書をされ,「湖の本」にも親しんでもらってきた。なにごとでもそうだが、「研究」と「評論」との烈しいほどの差異を教えられる。「汲古」は一見小冊子だがモーレツな顔ぶれの「研究委員会」の討議を経て、質の高い研究論文が厳選されていて、凄いほど。なぜか私は、汲古書院から毎冊頂戴し続けているが、一冊に七八篇、浦野さん「ご批正」を請うてられるが、なかなか、らくらく読みこなせる物で無い。近現代の「文学研究」誌にかかる水準のせめて一冊でもあってしかるべきだが、おおかた、研究ならぬ、読者水準からの作文的批評どまりが多いのである。残念。
2022 1/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 母からは、神を畏れ、惜しみなく与え、簡素な生活をすること(を、教えられた。) 2022 1/2
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 家庭教師からは、労苦に耐え、寡欲であること、余計なお節介をせぬこと、中傷に耳をかさぬこと(を教えられた。) (第一章 三)
2022 1/3
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (画家にして哲学者の)ディオグネートゥスからは、つまらぬことに力をそそがぬこと、率直な話を許容すること(を教えられた。) (第一章 六)
2022 1/4
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (哲学者にして親しい相談相手のユーニウス)ルスティクスからは、自分のせいしつを匡正し訓練する必要のあるを自覚すること、人の眼を見晴らせるようなポーズをとらぬこと、美辞麗句をしりぞけること、手紙を簡単に書くこと、注意深くものを読むこと、冗舌家たちにおいそれとどういせぬこと(を教えられた。) (第一章 七)
2022 1/5
* 新年の不通のスタートと謂いたいが、オミクロン株を含め新型コロナ感染者の第五波が日々に急拡大へ向かっている。何らの安心感も保証されていない。我々としては極力前年の用心を踏襲しつつ、少なくも手洗い、マスク、籠居に徹したい。が、最低の必要に応じて外来の客も迎え入れねばならない。機械の修復は、私の「生きる」ことと意義として直結しているのだから。回復の成功を切望している。
2022 1/5
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (ストア派哲学の)アポローニウスからは、独立心を持つことと絶対に僥倖を恃まないこと。同一人でありながら、一方で烈しく、他方で優しくありうるということ。ひとに説明するとき短気を起こさぬこと、友人からの恩恵を卑下もせず、厚かましくも無く承ける自然さ(を、教えられた。) (第一章 八)
2022 1/6
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (ストア派哲学者で、ブルータルコスの甥の)セクストゥスからは、親切であること、てらいのない威厳、こまやかな思いやり、あらゆる人を適切に遇すること、怒りやその他の激情を色に表わさず、動ぜず、このうえもなき愛情にみちていたこと、多くの知識を持ちながらそれをひけらかさないこと(を、教えられた。) (第一章 九)
2022 1/7
* 秦先生。
ご無沙汰しております。この未曽有の混乱期の中で(世界の先進国の中で最も対応ができない日本の政治の貧困さ、低俗さにのみクレームを申し上げているのですが)超然と執筆活動を続けられておられる秦先生に、ただ、ただ脱帽、感嘆の声を上げ、同時に健康であられることを再確認でき、これほど勇気づけられることはありません。これからじっくりと1ページ、1ページをかみしめながら読ませていただきます。有難うございました。
それにしても日本の政治家のテイタラクには絶望どころか、憤りさえ感じる昨今です。
高齢者のワクチン予約受付がはじまりましたが 毎日どれほどの老人が電話、メールに縛り付けられ少なくとも午前中いっぱい予約ができることを願いつつ徒労に終わっています。彼らの限られた時間がどれほど無駄に費やされているのか、むしろ政府は高齢者の命を搾取し続け、絶望に追いやっています。
ウエブサイドの受付を見ていると、自治体はすべて外部に委託、その専門家集団さえ本当に高齢者に適したシステムを開発できているのか、それすら疑心暗鬼になってしまいます。
まあ、次の世代には少なくとも日本は決して一流国ではないことを口酸っぱく訴え、教え続ける必要があるのではないでしょうか。
と、まあ老人の愚痴話に終わってしまいましたが、とにかく自分たちでもこの危機を乗り切り、新しい人材発掘ができるまで頑張りたいものです。
くれぐれもご自愛のほど。 堀武昭 世界ペンクラブ会長
* 堀さんは、日本ペンクラブ時代を僅かに懐かしめる とても大切で大事な知己、ほとんど唯一人の知己であった。世界を駆け巡ってられる、またそう願わずにおれない視野と見識を持ってられる。いつも励まして戴きながら、何かの都度、美味しい洋菓子を選んで、送って下さるのである。興趣増しつつ喜んでいる。
* テレビのコマーシャルに出て、顔としゃべりとを「売って」いる肩書き「作家」を眺めながら、むかしはテレビなど無かったなあと思い、ついでながら、もし明治にも、大正、昭和敗戦までにも、テレビがもうあって、あの方達は、漱石は、藤村は、荷風は、鏡花は、秋声は、直哉は、潤一郎は、康成は、「文学の作家」と名乗りながら「てれび・コマーシャル」に顔を売って世事や世辞で余に知られただろうか、決して、と思う。
貧苦にあえいだ作家たちならば。ああ、いや、それも、むしろそれ故に、決して無かったと私は思う。太宰治ならば、三島由紀夫ならば、いやいや。
例外か、化粧品宣伝をしていた老女作家はおられた。あの亡くなった尼僧作家はどうだったか。なにをしても勝手じゃないか、という声に今の時世なら賢げに嗤われるだろう、か。そうかもな。自恃とは謂うまい。覚悟と謂う。覚悟の欠けた文学も文学者も意味が無い。張りとばされるかな。
2022 1/7
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ ( 文法学者の)アレクサンドロスからは、口やかましくせぬこと、つつましやかな注意によって、用うべきであった表現そのものをうまく対話会話の中に持ってくること(を、教えられた。) (第一章 十)
2022 1/8
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ ( マルクスの教師で、最も信愛した修辞学者の)コルーリゥス・フロントーからは、一般に我々の閒で貴族と呼ばれている人たちは、多かれ少なかれ親身の愛情の欠けていることの観察(を、教えられた。) (第一章 十一)
2022 1/9
* 午后、久しぶりに 岸惠子 佐久間良子 吉永小百合 古手川祐子競演の、谷崎松子夫人ことば指導の 映画『細雪』の もののあはれ を堪能・感嘆した。ただ豪華な画面作りなのでは亡い。昭和十三、四年、もう日本の国は間近に迫る太平洋戦争へ、敗戦へと大きな地滑りを予感していた、その時世の崩れゆく家と人と美しさとの避けがたかった「あはれ」に打たれて泣けてしまうのだ。
私は此の映画の制作中から撮影の現場にも立ち会い、俳優、女優そして撮影家たちとも話し合う機会を幾度も持てたし、新潮社からの華麗な写真集に、エッセイ、解説等の原稿も頼まれて書きのこしている。松子夫人もお元気な頃であった。
そして今なお新ためて谷崎先生、ご生涯一の御作は『細雪』と申したい。
『細雪』は私の、敗戦後新制の中学高校のおりに爆発的に名作の誉れを浴びた。かつがつの小遣いでやっと一冊本を手にし、当時 誰よりも大事に、いまでも遠く離れたまま大事に無事健康を祈っている梶川道子と、分け合うようにして読みふけったのだった。後年に、私が谷崎潤一郎論で小説よりもさきに認められ、松子奥さんにお声もかけられ、お亡くなりになるまで家族みなを可愛がっていただけた、その深くて大きな「根」 それが新聞連載で真っ先に驚愕した『少将滋幹の母』であり、さらに胸打たれた『細雪』との出会いであり、岩波文庫の『蘆刈』『春琴抄』であり、後年上京後の『夢の浮橋』であり、それらの自信に満ちた論攷であった。浩瀚な『秦恒平選集』全三三巻のうち、私は谷崎論攷のために第二十巻 第二十一巻を宛てている。その基盤を得たのが懐かしい『細雪』だったと言い切れる。
はしなくも映画をまた観かえって私は思わず「もののあはれ」という古典的な一句に心寄せたのを、それだ、と、懐かしくいま肯っている。
2022 1/9
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (ギリシャ人の秘書であった)プラトーン学派のアレクサンドロスからは、「私は暇が無い」ということをしげしげと必要も無いのに人に言ったり手紙に書いたりせぬこと。また緊急な用事を口実に対隣人関係のもたらす義務を絶えず避けぬこと(を、教えられた。) (第一章 十二)
* 朝に書いた 奇怪な「夢」の記事が、保存されず失せている。肌寒くなる。
2022 1/10
* 見落とし 取りこぼしも多かろう、たくさんなメールを、九ヶ月の機械欠損の閒に戴いていたのを、やっと、取捨調整できたかなと。ハアーッと息を継いでいる。この「私語の刻」へ取り入れたのもそうでなく承け納れたのも、思案のうえでなく、機械操作での成り行きで有った、とても疲れた。この現代での機械通信の欠損、それも九ヶ月にも及べばどんなことになるかと、つくづく降参した。
* さらにまだ、親切を尽くして多年し遂げては送って下さるお一人の読者から、最新一年の「全部の私語」を三十余の部類項目に分け整備し収拾して下さった大量のメールが、届いている。感謝に堪えない。それあってこそ、私は「湖の本」を興趣の題目に分けて編成し出版し続けられる、まだ何十巻でも。
こんな幸せな「現役作家」が日本に、世界に、おいでだろうか。浩瀚美麗の『秦恒平選集』三十三巻、継続刊行中の『秦恒平・湖(うみ)の本』現に進行の「第156巻」その一環はすべて優に単行本一冊の分量を凌いでいる。しかも私はこれらを「売らない」で刊行している。私は「売らない」現役作家として「やそろく翁」の今を生き続けている・世界に例が無いと思っている。マルクス・アウレーリウスのような私は聖帝でも皇帝でもない。敢えて刺激的に謂うておくのである。続く人が有るなら、続けともおもう。そのためには「作」の量も「作品」としての質も、不可欠だと。
2022 1/10
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (ストア派哲学者の)カトゥルスからは,友人が抗議を申し込んできたならば、たとえいわれなき抗議でであろうと軽視せず、平生の友好関係に引き戻すべく試みること。自分の先生たちに関して、心から善いことを云うこと。自分の子供たちに真の愛情を持つこと(を、教えられた。) (第一章 十三)
◎ ドグマを、自分に発した言葉として突き出さない。アウレーリウスは、他者の善意や見識、フィロソフィーに共感して「教わった」という気持ち、姿勢で『自省録』を遺してる。私のような勝手者の云うのはまことに可笑しいけれど、この一冊に優しい共感を送り続けてきたのは、だから、である。
2022 1/11
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (私の兄弟の)セウェールスからは、家族への愛、真理への愛、正義への愛。万民を一つの同じ法律の下に置き、権利の平等と原論の自由を基礎とし、臣民の自由をなによりもまず尊重する主権をそなえた政体の概念を得たこと。恒に哲学にたいして変わらぬ経緯を抱くこと。親切をほどこすこと、すすんで与えること、希望を持つこと、友人の友情に信頼すること(を、教えられた。) (第一章 十四)
2022 1/12
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (執政官ほかの重任を命じた)クラウディウス・マークシムスからは、克己の精神と確固たる目的を持つこと。、たとえば病気の場合でさえも、機嫌良くしていること。彼の言動はまさしくんれの考えに出ていて悪意の無いことを万人が認めていたこと。慈善をなし寛大であり、眞実なこと。なんぴとも自分が彼に軽蔑されていると考える者も無ければ、自分が彼よりも優れているとあえて考える者もいなかった至極の自然さ(を、教えられた。) (第一章 十五)
2022 1/13
* オミクロンの急激な猖獗におそれをなす。木村氏の来訪願いにも、ためらいがあ。基礎疾患の有る高齢者に感染が増え、重症死亡者も出かけている。
いま、わたくしに必要なのは、永く生きて「読み・書き・読書」の上に作を、文を遺すことでは無いのか。
2022 1/13
□ 湖の本 156
私語の刻
一巻をくくって「老蠶、繭を作(な)す」と題したのは、旧套、冬至をもって「八十六(やそろく)翁」と化け、なお、文藝・文筆にいそしむ気概とも気恥かしさともいう気分に照れたまでである。隠そうとも胸を張ろうとも思わない、背に、浩瀚の『秦恒平選集』全三十三巻、はや百五十六巻を超えてゆく『秦恒平・湖(うみ)の本』等の所産を負うて、あの菱田春草が描いた、満天の夕焼けをあび小さな小さな樵夫婦のしみじみと山を下りて行く名画『帰樵』を想うばかり。かの樵夫婦、明日もまた山に入って仕事をするにちがいない。いつ、どう躓いても、それはそれでなかろうか。
今巻は、前半を「湖山夢に入(い)る」と題してみた。ともに生涯ついに同じ一つ夢もみぬまま、生まれて死なれた「生みの母」ふくが渾身闘いの生涯を、数奇な出自とともに、いっそ簡素な筆でスケッチしてみた。多くを補い得て、私には感動の母が生涯旅愁の短歌集『我が旅 大和路の歌』を、「つらい時は母の肩によれよ」と「遺書」もを遺された「恒平」が心して「選抄」しておいた。筆名「阿部鏡」の母も私・秦恒平も、生来の「歌人」だったのである。
後半は「故山已(すで)遠し」と題して、昨年、コロナ禍に惑い続けた前半の日々を「私語」で顧み、加えて、懐郷眷恋の「京都」へ、もう十余年も帰って行けないでいる悲しさを預けた。
それにしても、危ない国に日本はなってきた、いやいや、もう、なつている。
アメリカ頼み。これは徒夢である。アメリカは戦勝国当然の驕りで、日本国土と日本の資金をほぼ好き勝手に要求し食い齧っているが、幸い武力支配はしないで呉れた。が、一朝大きな事があれば、波の引くように更に好餌をかかえこんで撤退するだろう、米軍と本気でともに闘う武力も政治力も「外交」という「悪意の算術」もまるで日本は持ち合わせていないから。あくまで日本と協力して極東日本を保全する、もはや利得も無いのは明瞭なのである。
中国、ロシア、北朝鮮、韓国、どの一国とても日本に親身の同盟感覚を持っているワケが、ない。日本は戦勝国気分で好き放題を過去のアジアに演じていて、彼らが今度はわれわれの番よと、勝者顔でなにを日本に徹底仕掛けてきても不思議は無い。空からも、海からも、海底からも、瀬戸内海の至る所からも、原発などの狙い撃ちすれば、日本列島と日本国民とは放射能だけでも腐りはてるのは間違いない。
平和はなにより大事である。平和憲法も誇りである。日本文化と文物は世界史に誇れる高い品質・資質に輝いてきた、が、外国人の目にはミソやクソと異ならないだろう。
「あぶない」なあと思っている。「やそろく老」は、そんな無残を見ずにあの世へ疎開できるだろうが、子や、孫や、曾孫や、さらに孫達はただ「マゴマゴ」して済まない文明奴隷に身を屈して屈辱を嘗めかねない。
日本政府は、まさかと、多寡をくくっているのだろう。多くの若者達も、まさか、と浮かれているのだろう。しかし、世界史は、何度も、繰り替えして支配と屈服の無残な実例を遺してきている。 何としても、当面、先見の明に「悪意の戦術」と謂う「外交力」をしかと蓄え発揮しうる政治家達の政治を、国民こそが育てねばなるまい。」
2022 1/13
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (養父でもあるローマ皇帝の)アントーニーヌス・ピウスからは、父として、熟慮の結果一旦決断したことは揺るぎなく守り通すこと、いつ緊張し、いつ緊張を緩めるべきかを経験によって知ること、神々に対しては迷信を抱かず,人間に対しては人気を博そうとせず、卑属に堕さず、新奇も衒わなかったこと、人が接するには弱すぎ、享楽するには耽溺に過ぎることを此の父はよく節しまた楽しんだ。強く忍耐深く節制しうることは、不屈の魂を持った人間の特長だということ(を、教えられた。) (第一章 十六)
2022 1/14
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 誰ひとり私を恥ずべきことに巻き込む力は無い。また私は同胞に対して怒ることもできず、憎むこともできない。なぜなら私たちは協力すべく生まれついたのだから。互いに邪魔し合うのは自然に反することである。 (第二章 一)
2022 1/15
* 子供の頃、「明治」は遠いむかしに属してみえた、蔚然とした秦の祖父鶴吉は明治二年に生まれていた。そしていま、私の生まれた「昭和」を少年らは遠いむかしに感じまた知識しているだろう。
わたくしは、幼少来「大正」よりはるかに「明治」に関心していた。本を読むなど「極道」と云う父より、口はきかないがたいへんな蔵書家であったその恩恵を、子供心に痛感していたのだ、そして「やそろく」」の翁と成っている今にしてなおである。「明治」に向かう関心はなおなお今もなお深まっていて、それは祖父の蔵書から生まれる。
* 「末は博士か大臣か」と明治の人は目標にしたという。おおなんと「令和」の今日「博士も大臣」も紙のように薄く軽い,吹けば飛んでなにふしぎもない虚名に近づいている。明治の夏目漱石は、「文学博士」になってくれと国に頼まれても「御免」と払いのけ、受けなかった。そういう明治人漱石を私は敬愛した。東工大教授に聘されたとき、いつなりと、何なりとけっこう、「博士」にすると大学の持ちかけるのを、私も「無用」のことと辞退した。さらに紙衣をまとうほど心寒くは無かった。
* 明治の人たちは「教養」に眞実飢えていて「勉強」に心から励む人がどの世間にもいた。秦の祖父は息子から「学者や」と謂われていたが、商売は「餅つき屋」で、芝居小屋の南座へ下ろす「かき餅」などを製していた人であった。本は読まない父にしても、芸妓舞子らの錺職から、一転して日本で初の「第一回ラジオ技術認定試験」に合格し「ラジオ屋」になった。昭和初年から戦時中の「ラジオ屋」は晴れがましい技術職としてなかなかの存在だったのである。私がそれを嗣がず、というより機械バカで嗣ぐにつげず歌を詠み文章を創作する方へ傾いたなど、ひとによれば「もったいない」「不心得」なことと想われていた。
このアトを書き続けて私の「明治」を論じてみたい意欲が、じつは、あるのだが、「寄り道するな」と戒める気もある。なににしても、またまた早起きしたことだ。
2022 1/15
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ すでに死につつある人間として肉体にとらわれるな。こう考えるがよい、おまえは(五十を過ぎた)老人だ。これ以上理性を奴隷の状態におくな。利己的な衝動にあやつられるがままにしておくな。また現在与えられているものにたいして不満を持ち、未来に来るべきものにたいして不安をいだくな。 (第二章 二)
2022 1/16
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 神々のわざは摂理に満ち、運命のわざは自然を離れては存在しない。もしそれが信条(ドグマ)であるとするなら、それで自ら足れりとせよ。
書物に対するきみの渇きは捨てるがよい。そのためにぶつぶつ言いながら死ぬことのないように。かえって快活に、眞実に、そして心から神々に感謝しつつ死ぬことが出来るように。 (第二章 三)
2022 1/17
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 思い起こせ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えて戴いておきながら、これを利用し活用しなかったか。
しかし今こそ自覚しなくては成らない、君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明を取り入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会はもう二度とたやすくは君のモノとならないであろうことを。 (第二章 四)
* まことに。まことに。
2022 1/18
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 一つ一つの行動を一生の最後のもののごとく行い、またすべての偽善や、利己心や自己の分にたいする不満をすて去れ。そして見よ、平安な敬虔な生涯を送るために克服する必要のあるものの、いかに少ないことかを。 (第二章 五)
2022 1/19
* もうとうに書き始め書き進み、しかも追尾の分のかなりを消失していた創作、かりに『なまなり 岩片・綾子・光子』と題していた作を気を入れて読み継いでいる、目下はとても順調に気の入った叙事になっている、が、はてはては相当に難しい創作になる。中途で諦めるようなことはしたくない。しない。
もう一つ、『信じられない話だが』と題して、東工大に出講のむかしから念頭に置いた作も、ほどほどに進んで展開を作自体が待望気味にある。
この二作、捨ててしまわない。
2022 1/19
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 私の魂よ。自分を後生大事にする余裕などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、君は自己に対して尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしている。 (第二章 六)
2022 1/20
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 外から起きてくる事柄が気を散らすと云うか。それなら自身に暇をつくり、もっと善いことを覚えて、あれこれとりとめなくなるのをやめよ。もう一つ。活動しすぎて人生に疲れ切り、善き衝動と思念を向けるに足る目的を持たない、持てないのも愚かしい。、 (第二章 七)
2022 1/21
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 他人の魂の中に何が起こっているか気をつけていないからといって、そのために不幸になるなど、そう有ることで無い。しかし自分自身の魂のうごきを注意深く見守っていないと人は不幸に陥りやすい。 (第二章 八)
2022 1/22
* 今は昔、思いがけない太宰治賞が向こうから飛び込んできて、すぐ、新潮社から新鋭書き下ろしシリーズへの依頼が来た。苦心して、さらなる出世作『みごもりの湖』へ連絡連携、集英社から書き下ろし『墨牡丹』も一気に雑誌掲載されて、私は、十五年半の医学書院勤めから身を退いた。
その間の一つの記念品が、今も手もとで愛用されている、新潮社の編集者池田さんの呉れた、久松潜一監修『新潮国語辞典 現代語・古語』で。もうガムテープで、背も表紙も裏表紙も痛々しいまで「包帯」されてあり、奥付など崩れている。一字一語もゆるがせにしない新潮社の新人指導だった、厳しかったが絶対に正しいことだった。この半世紀を超えて愛用の「辞典」は、私の師でも友でもあった。
監修の「久松潜一」という名も、忘れがたい。医学書院に入社してほどなく、社の重役「編集長」で国文学者でもあった長谷川泉先生が、「久松潜一賞」を受けられた、新聞で知った。これは、私には、もの凄いまでの刺激だった。医学書院には月刊誌だけで数十誌、その上に日本の医学研究最前線の書籍を企画し出版していて、長谷川泉先生はその「全部を統べ」ておられた。たいへんな仕事の量であったが、実は、それが長谷川先生には副業で、本業は、国文学研究であり、森鴎外や川端康成研究では学界をリードされていた、そんなことは新入社員は知らなかったが、「久松潜一賞」を受けられたことで多くを知り得た、そして、
あんなに忙しい人に出来ることなら、自分もアトを追いたい、研究者には成れないが「作家」に成ろうと、早くからの希望を決意に換えた。その「決意」のほどを、さきの『新潮国語辞典』は、導き、見定め、応援し続けて呉れていた。感慨無量。 やそろく 記
2022 1/22
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ (アリストテレスの弟子で後継者の)テオプラストスが、快楽(や色欲)をもって過ちを犯す者は、(怒りや)苦痛をもってこれを犯す者よりも、もっと大きな非難を受くべきであると云っているのは、正しい。 (第二章 十)
2022 1/23
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 今すぐにも人生を去って行くことの出来る者のごとくあらゆることを行い、話し、考えること。人類の中から去って行くことは、少しも恐ろしいことでは無い。なぜなら神神は存在し、そして人間のことを心にかけておられるのだ。 (第二章 十一)
2022 1/24
* 親友のテルさんから,「外交」は「悪意の算術」という私見に、ドイツのメルケル首相などを挙げながら、「首肯しにくい」とメールをもらった。
○ 湖の本152巻、153巻と長文のメール拝受。ありがとうございました。
恒平さんの最近のお考え、また諸兄姉からのお便りを読んでどういう気持ちであと短い命を生きるか、またあの世に渡るかを考えさせられました。
・秦さんの(外交は)「悪意の算術」論には納得のいかない気持ちがあります。
トランプやプーチン、習近平など自国の利害のみを言い立て他国の人々に配慮することをしない国際社会はまさに悪意に満ちているといえます。しかしこの世界に善意はないのでしょうか。メルケルさんの評伝(「メルケル」カティ・マートン著 文春刊)を読みました。ドイツの首相として16年間ドイツの復興とEUの危機に対峙した外交実績は自国の利害のみを優先したものではありませんでした。なかでも2015年中東からの難民100万人をドイツに受け入れた決断は「世界の良心」を世の中に示したと思います。
次元はちがいますが、私も仕事の関係で外国(アメリカ・中国・ヨーロッパなど)たびたび交渉を行いました。もちろん主張すべきは自企業の利害ですが相手会社の事情をよく聞き共存・共栄をめざすことが重要課題でした。悪意の算術だけでは外交は成り立ちません。
憲法の前文で「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して。我らの安全と生存を保持しようと決意した。」とあります。井上ひさしはこの解説で「二度と武器では戦わない。これは途方もない生き方ではないか。勇気のいるいきかたではないか。日本刀をかざして敵陣に斬りこむより、もっとずっと雄々しい生き方ではないか。度胸もいるし、智恵もいるし、とてもむずかしい生き方ではないか。」と語っています。(「子どもにつたえる日本国憲法」講談社刊)そのとうりと思いますが、日本には中村哲医師のようなひともいる。憲法九条をみんなでもっと大事にしていきたいです。。
・山県有朋の評伝は立派なお仕事だとは思いますが、私には違和感があります。
山県のの遺産とメンタリティーがその後の日本陸軍にどれだけ影響力を残したかは定かではありません。しかし暴力非人道の内部体制・中国への侵略戦・南京大虐殺・日独伊軍事同盟・日米開戦時の策動・玉砕の強要・沖縄戦の展開・敗戦時期の延伸(国体維持のためどれだけの貴重な人命が失われたか)どれをとっても旧陸軍が日本と人類に残した罪科は永久にきえることはありません。「椿山集」に残されたやさしい詩歌と旧陸軍の傲慢な所業の折り合いをつけるのは難しいことです。
山県の覚悟「戦争は安易にシテはならない。だがシカケられたらもっとよくない。負けたらお仕舞い」も当たり前のことで、軍の責任者の誰もが考えていることと思います。
西村明男
* 分かる。私も、妻も、メルケル首相への賛嘆と敬意とは,実に山のように送りづめだった。
井上医師の活躍なども感謝に堪えず心より賞讃する。が、外交は「政治」の概念であって、私的な善行や英雄的努力や奉仕とは混同できない。私は、そういう善意や活躍の話を外れて、国家が政治的に苦心惨憺する「外交」は、よくもあしくも「悪意の算術」になり、ソレへ徹していないと、いたずらな国家的危険や損害がでるということを云っている。そこの混同はこの際の議論の外にあること、まず指摘し断っておく。
問題を、世界の歴史、人間の歴史、の大きな様態にみて、つまり端的に世界史的に眺めて、「概して謂うを要する」とき、「外交」は、やはり「悪意の算術」として、遺憾にも殊に大国において歴々といつも強硬に用意され、訓練され、行使されつづけてきたと云うしかない。
メルケル女史の外交は、遺憾にも「稀な」ほどの少数例、希少例と謂わざるを得ないのではなかったか。ノーベル平和賞にも優に値いしただろう、だが、遺憾にもソレは「それだけ」で、すぐ、人間の歴史は「悪意の算術」へと駈け去って行く。
「悪意の算術」 それが善いと、良いと、是非にも然かあれよと、私は言わない。云いたくないのが本意である。けれど、エジプトであれ、ギリシャ、ローマであれ、中国であれ、印度であれ、近代の帝国主義に奔走した欧米各国であれ、遺憾にも「善意の算術」で礼を尽くし善意に花咲かせつづけた「外交例」は探しようもなく、有っても希少に過ぎるということ。そんな「人類史的事実」に基づいて各国・各国民は、余儀なく政治的に政治として思案し用意し、要心していないと、大変な国家国民の不利や危険を蒙ってしまう。屈辱の苦難が覆い被さって来る。事実わが日本国へも津波のように、蒙古まで遡らずともペリー以後繰りかえしそれは来ていた、あげく不平等条約に四苦八苦してき国よと、私は、言いも想いもせざるを得ないのです。
残念至極、メルケル風の外交配慮は、歴史上の結果として一過性に過ぎ、後継者がそれを嗣いで育てるかどうかは、どんな国のどんな国民の政権も、ほぼ百パーセント近く保証し確約などしてくれない、出来ない、のが遺憾にも「史的現実」に成っている。しかも「悪意の算術」が成功する保証も実は無い。
だから「善意」でか。
だからこそ「悪意の算術」に徹して長けて聡明であるべきなのか。
これは思案のしどころでしょう。
わたしは、「日本」という国と国民と国土とを、他国の支配や陵略には任せたくない、「世界平和」という言葉での幻惑に「日本の未来」を唯々として、易々として、委ねたくないと思っているのです。
* 山縣有朋等、近代日本の「軍」の、近隣諸国等へ為し続けた暴虐無道は、全く弁明の余地無く、「湖の本」に 一冊は山縣の歌集『椿山集』を紹介し、もう一冊では新聞人として山縣内相の悪辣に抵抗した文人成島柳北を採り上げたのでした。
繰りかえし云うていますように、「山縣有朋」を私は少年の昔から忌避し嫌悪していましたし、それでも、また軍人政治家としての「人」とも見、お互い「一人の人」としても見る視点が大切だとは、山縣にと限らず、いつも考えています。
日本の、明治以降昭和の敗戦に至るまでに、一山縣有朋の占めていた栄爵よりも、一日本人としての覚悟と資質と風雅とを、私は今も興味深く眺めます。また昭和天皇が「名将」と評価されていた意味も、やはり日本の「国と国土と国民」との上に重いなと感じています。彼の「主権線、利益線」といった支配と利益の思想はとてもやすやすとは肯定できませんが、しかも重い「示唆」ではあり、日本の明治から昭和を、西欧の帝国主義なみに懸命に山縣は学習していたのだなと感じます、肯定とか否認とかではなくて。
大切な、思考を再確認の刺激を呉れて、ありがとう。とても嬉しかった。
お元気に、感染の猖獗をくぐり抜け抜けお過ごしあれ。 お互いに やそろく翁
2022 1/24
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 死からその空想的要素を取り去るならば、それは自然のわざ以外の何物でも無い。自然のわざを恐れる者があるならば、子供じみている。 (第二章 十二)
2022 1/25
* 岩波文庫の新版、校訂者のお一人今西祐一郎さんから全巻頂戴していた『源氏物語』の、今夕、『夢の浮橋』を恙無く渡り終えた。今回の読みは、新版の精到隈無き註を楽しみ読むことにも心寄せて、読み急ぐことは一切せず、しんみりしんみりと読みまた読んできた。はじめて与謝野昭子の口語訳本に手も目も触れ始めた敗戦後新制中学一年のころ、ついで高校二年生頃から手にした岩波文庫原本、これが旧本ら新本に変わってじつに読みやすくなり、そして此の、今西さんらが校訂校注の『最新版岩波源氏物語』を今日また観終えて、ま、「やそろく翁」少なくも十五度は此の五十四帖をとぎれなく通読しつづけてきた。それほど興趣に尽きない『源氏物語』なのであって、私の「読み、書き、読書の日々、真の中核に『源氏物語』があった。漱石、藤村、潤一郎も、トルストイ、ゲーテ、バルザック、ロレンスなども、その外郭を成したのだった。
そし、いまも、併行し読み継いでいるのが、何度も言う、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 ミルトン『失楽園』 ツワイク『マリー・アントアネット』 『アベラールとエロイーズ』 ルソー『告白』 『法華経』 マルクス・アウレーリウスの『自省録』 そしてパトリシア・マキリップ『イルスの竪琴』で、さらにまた漢文の長尺『史記列伝』もゆっくり読み継いでいる。みなみな、気をいれて愛読している。読書が心底楽しめるとは、なんと幸せなことか。
2022 1/25
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何物をも生きることはない。なんぴとも過去や未来を喪うことはできない。持っていないものをどうして奪われ喪えよう。喪いうるものは現在だけなのである。 (第二章 十四)
2022 1/26
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 人が自身を最も損なうのは、自分の行動や衝動をなんら一定の目的に向けず、でたらめに、関連なしに、なんでもお構いなしに、ちからを浪費すること。
理性的動物たる人間の生きるとは何か。最も尊ぶべき都市および国家の理法と法律に従うことである。 (第二章 十六)
2022 1/27
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生は戦いであり、旅宿の境涯であり、死後の名声は忘却にすぎない。 (第二章 十七)
2022 1/28
* 私の眠りは剣呑とは云わずも安穏でない。人と夢の話題を支わした記憶が無い、人の場合は分からないが、私は怖い夢を見る、怖い同じような夢を見る。怖い同じような夢が茫漠と曖昧よりも、かなり精微にかつ同様な情景と背景で顕れ、かつ、夜を隔て日を隔てながら何度も繰りかえされる。人とのゆめは滅多になく、いつも自分独りで行歩または自転車のことが多い。若い頃には歩く人らを眺めて中空を飛行遊泳したり、鬱蒼の山林を見下ろして高くから舞いおりる夢を何度も見たが、それはもう無い。今は、蕪村であったか句を借りて云うなら、「月天心貧しき町を通りけり」のこどくな怖さを夢見てることが多い。これはもう繰りかえし書いているが、その一方、夢におびえない夜は奇態なほど「うた」を歌い続けている。雅な和歌や短歌でない、なんでもない、近頃は テレビで耳にし耳に付いた「うた」の端切れを、夜っぴて、夢ともなく口ずさみ続けて、惘れるほど。「あーかり瞬ぁく黒門町に」とか「遠く下谷の、遠く下谷の鐘が鳴る」とか、寝ながら夢のなかで唄っている。自分の声が聞こえ続ける。歌は他にもある。子供心に憶えた、歌わせられた「金鴟輝く日本の 栄えある光り身に承けて」とか「雲に聳ゆる高千穂の 高嶺おろしに草も木も」とか、ことにこれは好きで、いまでも「君が代」の代わりの国家にすればいいと思う「見よ東海の空あけて 旭日高く耀けば 天地の正気ハツラツと 希望は躍る大八洲 オー晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ 金甕無羯ゆるぎなき わが日本の誇りなれ」とか、と思えば「垣根の垣根の曲がり角 たき火だたき火だ 落ち葉焚き」とか「母さんボクのを貸しましょか キミキミ此の傘さしたまえ ピッチピッチ チャプチャプ らんらんらん」とか、「ボクならいいんだ母さんの 大きな蛇の目に入ってく ピッチピッチ チャプチャプ らんらんらん」とか、寝ながらの「夢」ともないまま、歌い続けている。淋しいことにこの「雨降り」の歌で私自身はいつも、「ボクならいいんだ母さんの」のボクでなく「きみきみこの傘さしたまえ」のキミなのだ。それでもこの歌が繰りかえし寝ていながら唱われる、繰りかえし繰りかえし。子供にかえっているのか。それとも「やそろく」の翁想いであるのか。
とにかくも謂えるのは、私は、概して「くちびるに、さまざまの歌」の有る生涯をたどってきたということ、ただ流行歌や演歌は好みも憶えもしなかった、美空ひばりだけで十分足りていた。
* 体調は整わず、疲労感は心身をびしょ濡れに。それでも、想いはせて、おそろしい怪談へくぐり込むもうと昼間は藻掻いていた。晩の食事、二口三口とも入らぬまま、思い立って、心底好きな映画の『ロシュフォールの恋人たち』の歌とダンスと恋の、ロマンチック・ミュージカルに没頭、楽しんだ。みじんの邪気も無い懐かしい歌とダンスと街景色の映画で、疲れ果てていた心身の心地よく優しくもほぐれる嬉しさだった。いま書いている小説世界は、さながらの地獄なのだ、すくなくも私の構想において。
2022 1/28
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 人生は一日一日と費やされて行き、あますところ次第に少なくなって行く。たとえ寿命が延びても 耄碌し始めると、生理の機能は失われずとも 自分自身をうまく用い、義務を明確に弁別し、現象を分析し、人生を去るべきに近いかを判断し、その他、よく訓練された推理力を必要とする事柄を処理する能力が衰退して行く。
急がなくてはならない。死に近づくからでは無い。物事に対する洞察力や注意力が働かなくなってくるからである。 (第三章 一)
2022 1/29
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自然の出来事の随伴現象にもまた雅致と魅力があるのに気づいていたい。一つ一つ切り離してみればとうてい美しくもないが自然の働きの結果が、ふと美しいと心を惹く。類するものごとは沢山有るが、それは萬人の心をひとしく惹くていの物でも事でもなく、ただ真に自然とその技に親しんだ者の心にのみ訴えてくるのだ。 (第三章 二)
2022 1/30
* 真夜中に、一昨日印刷所へ送った表紙責了紙に間違いを書き入れてしまったのを思いだし、起きて、訂正便をメールした。よなかのせいか「大機」クンの稼働停頓気味なのに閉口した。寝ぼけた私の朦朧であったのだろう。日に日にボケて行く感じ。やれやれ。
* 疲れて寝たり、酒を呑んで寝たり、それでも錦衣の前へ戻っては、書き継いでいる新作の一つを「八」節までこころして推敲、読み返していた。もう幾節かも書けている、それでもまだだいぶ先があるだろう。ほんとは、他にも三、四書きかけて書き継いである作にも向き合いたいのだが、出来ない。心身、ぐたッとしていて、根気にそれが触っては芋がない。九時半になっている。今朝は不慮の衝動で四時半に機械前へ来ていた。老耄、「寝る」のも仕事の内と心得ていた方が良い。
2022 1/30
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ ヒッポクラテースも、皇帝アレクサンドロスや英雄ポンペーイウスや皇帝カーイウス・カエサルも、みないつの日にか人生から去って行った。どう高邁に物を言うていた者らも、残りなく死んで行った。もはや苦痛や快楽を堪え忍ぶ必要はなくなり、体という器に仕える必要も無くなったのだ。この器は、コレに奉仕するものより遙かにいやしい。なぜなら後者は叡智でありダイモーンであるが、前者は、体は、土であり凝血にすぎないのである。 (第三章 三)
2022 1/31
* 一月が逝く。刻寒の二月、それも良し。十一日の、昔なら紀元節。神話は国民のひとつの夢で希望で共生の基盤。今は何と謂うているのか、紀元節でよいのに、善い云い方を吾から捨てたなど、敗戦ボケとしか謂いようが無い。国の紀元伝説、起源神話は、どんな国民にももてて幸せなこと。安価な理屈で国の紀元節を棄てたなど、私には、バッカじゃないのと思える。
雲に聳ゆる高千穂の 高嶺颪しに草も木も
靡き伏しけむ大御代を 祝ふ今日こそ嬉しけれ
天皇制の支配のと忌避したのなら、愚かしい。これは「神話」であり、「神話」の持てる国民はそれ自体に独自文化の淵源を得られている、ソレが分からなくては「国」の本性も国民の一体感も成りようが無い。
今日の日本と日本人のうすっぺらさは、国と国民との一帯一体の根源で眞につながり合うていないからである。政治も経済も社会も人間も、文化と歴史とを法的に近く見失っているのだ。政治家と自称の連中から、日本文化へのあいとほこれとが明晰に語られるのを聴いたことが無い。日本と日本人の劣化は、ここに発していて、気がつかない。紀元節へ信愛の寄せられないいわば無国籍人らのひからびて慾の深いだけの寄せ集め「日本」に堕落している。
2022 1/31
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 公益を目的とするのでないかぎり、他人に関する思いで余生を消耗してしまうな。思想の連鎖において、でたらめなことや むなしいことを 避けなくては成らない。また、あらゆる人の意見を守るのでなく、ただ自然に従って生きる人の意見を尊重するが良い。自分自身をさえ満足させられない人たちの口説などなんら問題で無い。 (第三章 四)
2022 2/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 公益を目的とするのでないかぎり、他人に関する思いで余生を消耗してしまうな。思想の連鎖において、でたらめなことや むなしいことを 避けなくては成らない。また、あらゆる人の意見を守るのでなく、ただ自然に従って生きる人の意見を尊重するが良い。自分自身をさえ満足させられない人たちの口説などなんら問題で無い。 (第三章 四)
2022 2/2
* 昨夜寝入る前に、ルイ十六世の王后マリー・アントアネットがパリ人環視の中で断頭台におさえこまれ、一瞬に血にまみれた首の落ちたのを読み取った。なんと「野蛮な文明」か。『モンテクリスト伯』でも、同じ斬首が公開の中で愉快げに「見物」の窓まで出来ていたのを、さすがに深いに何度も読んできたが。
内匠頭は庭先とはいえ、しつらえた場で、辞世の歌も書き、家来にも言葉をかけて、自ら切腹の瞬時に、練達介錯の剣が皮一枚のこして首打っていた。謂いようではあるが「文化」が感じられた。あの平安時代は、末期の保元平治の乱に到るまで斬首の刑は三百年余絶えて行われてなかった。武士の世になれば、死はむしろ儀式とさえ化している。平家物語には刑死の血の色はほぼ見られない。
東京裁判での死刑は、斬首でなく絞首刑であった。戦前、戦中には銃殺があった。戦中であったが、軍用の秘密裏に「まるた」と称し捕虜など生きながらの体を用いた細菌戦などのための実験が密かに為されていたのは、ナチでも日本でも、おそらく文明各国では公然の秘密に等しかったと想われる。そういう秘密が、戦後にも関係者の口で語られていた。一医学編集者の耳で私は、医学部教授の口から、事実「茶飲み話」のように聞いている。
コロナが世界的に蔓延のとき、どの国からとなく「第三次世界大戦」といわれていることに、私は遺憾にも、驚かなかった。「文明」の陰部が世界を駈けて行くのだ。
2022 2/2
* 『源氏物語』そして『アベラールとエロイーズ』とを卒讀した。『マリー・アントアネット』は今晩にも読み終える。
日本の古典は、源氏から平家物語という筋はあるが、思い切って、巻之四十八まである和本『参考源平盛衰記』をいっそ通読しようときめている。参考書として諸方読み散らしてきたが通して読みたくなった。古色の機の本箱に入って、これは京都古門前で踊りの「おッ師匠はん」、むかしどおりに謂えば林貞子の骨董商のお父さんから、大学の頃、ある日、唐突に叔母を介して「コヘちゃんに」と貰ったもの。小説『花方』に、互いに高校生だったヒロイン颫由子のワケありげな佳い「おかあさん」から突然にもらい受けている。いつも身の傍に、第一巻だけを置いている。総目次伊賀にも編纂の参考事項に満たされていて日本紀、續日本紀にはじまり薩州禰寝氏家譜、紀州色川氏家譜まで「通計一百四部」もの「引用書」が列挙してあったり、とにかくも「もの凄い」のである、いわゆる平家物語異本、異聞の満載本で、小説のタネもまた満載、ならば、読み通すのが遅すぎたかと「やそろく爺」には悔いもある。漢文と和語との混淆は独特で、いろんなあらたな日本語の勉強も出来るだろう。
『アベラールとエロイーズ』では、中世の基督教ことに修道士、修道女らの修道院生活のくさぐさを徹底的にのぞき見させて貰った。そして別にミルトンの『失楽園』を愛読紙耽読して三度目を読み継いでいるので、旧約聖書の難所とかんじてきた『ヨブ記』にまたしても挑戦しようと書架から枕辺へ運んだ。
これで、毎夜々、手にして欠かさず少しずつ読み進む本は、漢文の『史記外伝』和語の『参考源平盛衰記』聖書から『ヨブ記』関連してミルトンの名著『失楽園』ジャン・ジャック・ルソーの長編自叙傳『告白』ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』マリー・アントアネットを死刑判決した異様異色のフランス革命家『ジョセフ・フーシェ』を伝記作家として卓越のツワイクにより、そして『法華経』 結びの楽しみに、マキリップの『イルスの竪琴』を読み継いで行く。私の「読み・書き・読書」のひびである。生来の好きなことを楽しんでいるだけ、と謂える。これは、気むずかしい機械クンにも大きくは制約されない。
2022 2/2
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 何かするときいやいやながらするな。利己的な気持ちからするな。無思慮にするな。心に逆らってするな。きみの考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉や行いをつつしめ。・曇り無き心を持ち、外からの助けを必要とせず、人にまっすぐ立たせられるのでなく、自らまっすぐ立て。 (第三章 五)
2022 2/3
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 理性と公共精神という善きものにたいして、大衆の賞讃とか権力とか富とか快楽への耽溺のごとく本質の異なるモノをいっさい対抗させてはならない。君は単純に、自由に、より善きものをえらび取り、これをしっかり守れ。より善いものとは有利なモノのことだ。もしそれが理性的存在としての自己に有利ならば、それを守るが良い。思い上がること無く、自分の判断を維持せよ。 (第三章 六)
◎ アウレリウスは、他者に命じ教えているので無く、自分自身に語っているのである。
2022 2/4
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 悲劇のまねごとをせず、泣き声を出さず、荒野をも群衆をも必要としない。何物をも追いもせず避けもせずに生きる。もう今すぐにも去って行かねばならないとしても、つつしみと秩序をもって行いうる他事の場合と同じように、いさぎよく去って行く。唯一の念願は、自分の思いがいかなる場合にも理性的な、市民的な存在としてふさわしくある、この一事である。 (第三章 七)
* つとめて視野に容れていたいのは、方々の当否には不安定があるとしても、ワールド・ニューズ。テレビでは、海外事情にこそめを向けている。バベルの塔という辛辣な人間批評を紙のすべとして言い置き書き置いた古人の知恵と胸の痛みをわたしは尊重している。日本と日本語の感性や理知だけで外国と外国人をきめつけては危うい。そう心している、私は。
2022 2/5
* ごく初歩的と思われる操作手順を忘れかけていて、試行錯誤に転じてよりややこしくしている。大老の老中のと若年寄も威張っていたが、はたして善かったのだろうか。あまりに何も鴨を鋭敏に判って、権力で采配されては迷惑も生じたろう、其処の微妙を老耄、耄碌がうまく緩和して、若年当たりの健常が政治を動かしたのだと想像できる。「翁」や「大老」はめでたい存在として祭り上げ押したい申してこと安穏に人の世が働いたモノと私は昔から思っていた。「やそろく老」のボケ加減、多めに眺めながら、時に杖を与え大目に見てやって貰いたい。と願いつつも家に今若年寄も若い衆もいない。四月には二人ともの「やそろく老」夫婦となる。無事にありたい。
* 昼食後 潰れたように機械のまえで、椅子のまま二時間近く寝入っていた。それを喪った時間と悔い思うことは無い。体の求めたことと承け納れる。
以来二時間、吾ながら何をしているのか判らない。何も出来ていない。機械の毒を嘗めて、翻弄されているよう。
逼塞の日々。気分を変えることが出来ない。京都の新門前なら、表へ出て、ちょっと彼我へそして北へ折れればすぐ白川の狸橋。お気に入り、流れを見下ろしてしばし瞑想、時を忘れる。川の左岸を東向きに、東山線を越えて、知恩院古門前の太鼓形り白川石橋。北から流れ来る白川の両岸は柳並木、ほそい石橋がいくつか望めて視線を高く挙げて遠望すれば、比叡山。マーロン・ブランドが日本一と好んだ景色。
ああだめだめ、このまま北へ東へきままに歩けば限りない憩いの散策に時を忘れる。この仕事部屋へ帰って来れなくなる。湖山已に遠し。泣きたくなる。
2022 2/5
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自らを戒めている人間の精神には、膿瘍も、汚れも、表面はきれいていて内で膿んでいる傷の如きも見られない。いささかの奴隷根性もわざとらしさもなく、他への依頼心も離反もなく、責任を問わるべきもなければ、こそこそと穴に隠れることも無いのである。 (第三章 八)
2022 2/6
* アレクサンダー大王、秦始皇帝、エジプト王、フビライ、カエサル、ナポレオン、を多面的に検討し優劣を順位で決定していた番組、またたボンペイの考古学的発掘の現場報告など、面白く見入っていた。
世界史的視野をより正しく教わって持つのは、現代人にも必須の勉強と私は考え、努めてもきた。フビライが最高に識者らに評価されていたのも、なるほどと面白かった。
私は、日本のモノは古典、他は西欧と中国の史書か人物像を好んで読んでいる。小説を読むにも、海外モノが多く、日本語の文藝作からはかなり遠のいている。人や時代をつかむスケールにおいて日本の作はちいさいのである、私と手例外で無く忸怩たるものがある。
中国と中国人を知るには、漢文を苦にせず『史記列伝』にあふれかえっている「悪意の算術家」たちが絶好のモデル。そして「詩」が抜群に佳い。
西欧を識り味合うにはには、基督教という視野を下地に培っておきながら、個々の人間像やいろんな国情に歴史感覚で向き合うのが良い。
* 一日 何にうつつを抜かしていたのかと惘れながら機械の前を立つ。
2022 2/6
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 意見を創る能力を畏敬し尊重せよ。この能力こそが我々の軽率に向かうを防ぎ、人間に対する親しみと神々に対する信従とを約束するのであるから。 (第三章 九)
2022 2/7
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 記憶せよ。人は、ただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみをいきるのだと。他は、已に生きられてしまったか、もしくは、まだ未知のものに属すると。 (第三章 十)
2022 2/8
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ まこと、人生において出逢う一つ一つを、誠実に組織的に検討しうることは、心を錬成するに資すること大きい。 (第三章 十一)
◎ 一瞬という現在が、計画と反省を孕むことは認識したい。恒平
2022 2/9
* 中国での陶器オリンピックは、間違いなく不当で悪意の政見から各種の妨害が起きるのは目に見えていたので、はなからテレビでも殆ど「無視」してきた。習政権は良識と遠慮に欠けた一種の悪ガキとみてきたし、善政より悪政が千萬倍してきた「永い中国史」が今なお尻尾を大きな顔で振っているにすぎない。
この中国政権今日のザマが恥知らずに居直り続けていられる一つの大きな病根を、私は指摘しよう。中国伝統の「詩」は冠たる精美にあふれていたが、もう遠い昔話でしか無い。そして、十八世紀以降の中国にすぐれた「現代文学」は成果をを得ていない。
ロシアはああいう国ではあるが、明治の日本へ来て、現代文学の健闘と達成によって日本も一流国たれと熱祷して呉れたラフカディオ・ハーン先生の言葉に在ったように、ロシアは久しく西欧世界の野蛮国と愚弄されていたのが、一朝、プーシキン、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフらの輩出とその文学の輸出により、すぐれた「世界文化国家」と容認されたのを見よと。
中国には、あれほどの巨大国ながら、この三、四百年に、かろうじて魯迅の程度の何人を世界へ発信してきたか。その貧困が、習近平の高慢の表情に露わに見えている。
ああしかしながら、日本は、とも思い直さねばならぬ。私、あの敗戦までの日本の文学家は健闘して下されたと誇らしく思う。戦後は、ボツポツとごく少数の名はきこえても、やや貧寒の度を温め得ているとは謂いにくいのでは。
その症例がないし証例が、やはり政治家たちの日本語に露骨に痩せ痩せて貧寒に露呈されている。吉田茂、田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎総理らにかすかに感じていた日本語のちからが、麻生、野田、安部、菅、串田と来てはその言葉の貧しさと無意味さとに「恥じらい」も無い。
しかし、それも一つは「国語」「日本語」「文学・文化」への「政治による自殺的な蔑視軽視に原因」するところ大きい。それを為さしめ続けてきた「現代日本文学」の力無さも大いに恥じ入らねばならない。
2022 2/9
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 目前の仕事を正しい理性に従って熱心に、力強く、親切に行い、けっして片手間仕事のようにやらず、自然に叶った現在その仕事に満足するなら、幸せな人生を送れる。それを阻みうる誰もいまい。 (第三章 十二)
2022 2/10
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 医者がつねに救急処置用の器具やメスを所持しているように、つねに自身の信条を持しているが善い。しかもいかなる人間的な事柄といえど、これを神的なみちびきと関係づけて行うが善い。 (第三章 十二)
2022 2/11
* 亡くなっている縄手「今昔」の龍ちゃん、愛おしかった茶の湯の妹弟子で有済小学校後輩の龍ちゃんが変わらぬ笑顔で夢に現れた。ほんの數瞬であったのだろうが喜ばしい気持ちのまま夜中の夢から覚めた。このところの苦渋に満ちた日々を励ましに来て呉れた、そう思えて嬉しかった。無垢の和と喜と楽にいつも満たされて仲良く親しんだ子。妹。
* 思うまでない今、わたくしは正真正銘の「やそろく爺」で、それとはなく末路の景色も目に観ている、のに、あの敗戦後の新制中学生の年頃に得た「真の身内」と許し合えた梶川三姉妹を今も一日として忘却したことなく「むかし」」のままに思慕もし親愛もして変わりなく「少年」のままに胸に抱いている。「今昔」の龍ちゃんも、また右の三姉妹に同じい愛おしさで日々忘れたことがない。この人達と「結婚したい」などということは、まったく思いも寄らない、次元外のこと、それ故に慕情や愛情の深い真実が光るようにいつも潜在した。
私は、そのような『少年爺』として、奇跡のようにそんな「今」をいつも抱いている。今も「人生の原始期」で燃えた焦点のように彼女たちは私の人生に炎えつづけている。
四人の三人は、もう亡くなった。
今日も存生と想っている妹の一人は、京都での所在こそ知れているが文通一つ無く、六、七十年も顔を見ていない、けれど、『選集』も『湖の本』もみな届いている。電話一つ掛けたことが無い、そんな「必要が無い」のである。姉の亡くなったときは、何必館夫人の義妹を通じて知らせてくれている。臨終の折り、姉は、恒平には必ず「間をおいて」から知らせてと言い置いていった。龍ちゃんも、子息の手紙で知らせてもらえた。「今昔」の弟は、いつも「龍ちゃんの日頃」など、便りしてくれていた。
私は、生まれつきリアリストでは無かったし、そう生きて来れた、来れている、此の人生を、感謝している。双親を識らず「もらひ子」として幸せに成人した私の、それは寂しさを克服する命がけの「フィロソフィー」であった。
2022 2/11
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ なによりもみじめな人間は、彷徨き回って隣人の心の中まで推量せんとしておきながら、しかも自身の眞実・現実に盲目的に自覚のない連中である。 (第三章 十三)
2022 2/12
* なんで、こんな私語を書き置くか。
じつは、文章表現を稽古しているのです。「私語」といえども「表現」なのです。とはいえ、目の衰えに罪を着せておくが、限りなく書き損じたまま、が多くて、恥じ入る。
2022 2/12
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ なんぴとも今失おうとしている生涯以外の何物をも失うことはない。またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何物をも生きることはない。何人も持っていない過去や未来を、今、失うことは出来ない。
人が持ちまた失いうるものは現在だけである。 (第三章 十四)
2022 2/13
* 今日は「おやじどの」と機械のうちで対話していた。「はは」と母という了解の儘対話した一度も体験していない。「ちち」とは、すくなくも一度だけ、私から声を掛け川崎まで会うべく出向いている。しかし対話した中身の記憶は絶無で、寿司を食い、腕時計と金属製のネクレスを貰ったが、手もとには残っていない。縁のうすい父子だった。
* 「私語」ないし「私語の刻」という発見ないし創意は,善かったと思う。絶して多くの古今東西の言語的表白や創作はことごとく「私語」に徹していればこそ眞実に逼っているのだ。秦に「私語」でないものは「空語」なのだ。
2022 2/13
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ すべては主観である。(ディオゲネースの弟子であった)モニモスに帰せられている言葉「万物はむなし」は明白である。この言葉の有益な点を、その眞実であるかぎり受け入れるならば、その効用も明白である。 (第二章 十五)
2022 2/14
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ すべては主観である。(ディオゲネースの弟子であった)モニモスに帰せられている言葉「万物はむなし」は明白である。この言葉の有益な点を、その眞実であるかぎり受け入れるならば、その効用も明白である。 (第二章 十五)
2022 2/15
* 「おやじどの」との向き合いに、発見と刺激が加わって来そう、この歳になって、なおいろいろと視界が動いて行く。
2022 2/15
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 魂が自己を最も損なうのは、自分の行動や衝動をなんら的確に必要な目的に向けず、でたらめに、関連なしに、何にでもおかまいなく力を浪費してしまう場合。大切にすべきは、都市および国家の理法と法律に心明らかなことである。 (第二章 十六)
* この二、三日。とうに亡い、生涯ただ三面に終えた実の「おやじ殿」との対話に気を入れてきた。生涯を懸命に戦い抜いて果てた生母「ふく」にくらべ、実父「恒(ひさし)」へ私の思い入れは終始浅く薄かったのを、大きく反転させえようかと、莫大な父自筆の書き置きに読みふけって、熱を増している。
2022 2/16
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 身体には感覚、霊魂には衝動、叡智には信念。誠実に、謙遜に、善意に生活しているのをたとえ人が信じてくれなくても、腹を立てず、道を踏み外さない。純潔に、平静に、執着もなく,強いられもせず、運命に適合して終局を迎えよ。 (第二章 十六)
2022 2/17
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ いかなる行為・行動も、でたらめに行うな。 (第四章 二)
2022 2/18
* 実の父の像をたくさんな筆録等を介して探訪しているが、えも言われぬ感想に、いま、びっくりしている。このまま押して探索して行く。こんな思いをするとは予期できなかった。
2022 2/18
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠れ家が見つかるのはいかにも安らかな幸せである。私のいうこの安らかさとは、よき秩序とも謂い換えられる。絶えずこの隠れ家を自身に備えて元気を回復せよ。そこに簡潔であって本質的ななにか信条を用意しておくと佳い。気を散らさず、緊張しすぎず、自由であること。 (第四章 三)
2022 2/19
* 父・吉岡恒の長文を読んでいて、心底、おどろいている。派手に言えば一部の隙もまた私に異論も無い。よく斯くも書いたものよと敬服する。久しく久しい實父「おやじ殿」への批判が誤解として蹴散らされそう。敬服している。嬉しいほどの出逢いになろうとしている。
2022 2/19
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 死は、誕生と同様に、自然の神秘である。同じ元素の結合、その元素への分解、難儀ななにものでもない。 (第四章 五)
2022 2/20
* 亡実父吉岡恒が昭和三十年の『建国記念日』に書き下ろして時の内閣総理大臣鳩山一郎に為していた「提言」には、仰天した。「あばれ親父のたぶんたわ言」と予期していた、それとても亡き「おやじ殿」の実像理解に遺児の一人として向き合わざるを得まい、ままよと或いは泥濘に踏み込む心地だった。
まったく違った。戦中戦後そして昭和三十年と限られた時点を顧慮し回顧しつつ見た、読んだ筆者の長文には揺らぎがなく相当に広く永い視野とともに言句の無様など一抹もなく、清心誠意の論旨としても、驚くほど揺らぎも晦渋もないのに、感心という前に仰天した。まことに嬉しいことであった。
2022 2/20
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 「自分は損害を受けた」という感じを取り除くが善い。そうすればそ損害も取り除かれてしまう。 (第四章 七)
2022 2/21
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 害を与える人間が抱いている意見や、その人間が抱かせようと狙っている意見を抱くな。あるがままの姿で物事を見よ。すべての出来事は正しく起こる。注意深く観察するならばこれに頷くだろう。 (第四章 十、十一)
2022 2/22
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 人間は、賞められてもそれによつて悪くも善くもならない。 (第四章 二十)
2022 2/23
* 午后三時 1200冊の発送を終えた。以前は,一冊3000円と頒価を定めて「支払い読者」のみなさんから送金を得ていた。しかしその為の簿記出納操作がもう煩わしくなり、全冊「呈上本」と切り替え、おかげで「封筒」に『謹呈』ないし『贈呈』と押印さえしておけば他に一切挨拶抜きで本をどんどん封筒に入れるだけで発送できることになった。作業の簡素化が徹底し「発送」にかかる労力や心労が激減、ほぼ二日で送り出せるようになった。制作費製本費等はまるまる私の「出費」となったが、幸いにそれが出来る、有り難いことと思う。浩瀚な『選集』三十三巻も、九割余は「贈呈」で済ませた。「売る」作家であるのが煩わしく、それが可能なほど、多年殺到の依頼原稿を書きに書いて暮らしてきた。
私達夫婦は、結婚以来、いわゆる遊興費や飲食費や生活費を過剰に費やす愚を一切為さず、ともに八十六歳にまでなんとか恙が少なく生きて来れたのである。
ただ、今回の発送で、「ダンボール箱に55冊ずつ」詰めて、キッチンから玄関への廊下を抱き抱えて持ち運ぶ「重さ」が、かつて感じたことの無いキツさで「重かった」「腰が砕けそう」だったのは、初体験。次回からは別の工夫が必要になる。
* 世間のいわゆる「作家」を生業とし看板を掛けている人の暮らしは、一つには「依頼原稿」への「稿料」、一つには「著書」の売れ行きへの「印税支払い分」そして「講演」料やテレビ・ラジオ等への「出演」料などで暮らしている、その余は、「副業」として教授や講師や教員としての給料が加わる。団体への「名義貸し」もタマにある。ま、そんなところが精一杯の財源として普通であり、実情から謂うなら、依頼原稿が「降る雨」のように来る作家など滅多にはなく、著作として、低俗な売り物は知らず、まともに文学文芸の著作者として「本」の幾らも出版できて売れる人は稀も稀で、生涯に一冊「本」が出せたよなどと喜ぶ人のほうが多い。まして講演や出演など、名義貸しなど、給料の出る副業など、ふつうは有るワケが無い。
大方の、殆どの文士・作家の「貧乏」は、「出版」という営みが世に現れて以来の当然の常識に類していた。「作家」で飯を食い家族や子女を養ってきた人数は「作家志望者」の万分の一だと識っていた方がいい。
* 幸いに、私は、太宰賞作家として文学の世間に送り込まれて以来、時節時代にも恵まれたのだろうが、上の条件の全部をほぼ思うままに手にしながら生活して来れた。
年譜にすべて詳しいが、出版した著作は共著も含め
百冊にあまり、原稿依頼は矢玉のように飛んできて、書きに書き、書きに書いて原稿料を稼ぎ、それらから又さらに沢山な本の出版が出来た。各地各所での講演だけでも数十度イヤそれ以上も話して来たし、放送での古典や歴史や美術の講座体験も繰返した。働きに働いての「挙句」然として定年までの東工大教授や、20数年ものあいだ京都美術文化賞選者もつとめ「功労賞」までもらった。
私は根から金銭的な吝嗇のない、同時にバカな散在などしない男で、自動車も運転せず、世界旅行もしない。余分な者を勝って狭い家をさらに狭苦しくする愚もなさず、しかも幸いに妻も家庭的で無用に出歩くこともせず、つまるところ、豪勢に著作『選集』を編もうが、35年に余って155巻を越す『湖の本』を売り続けてきたのを、ピタッと無料「呈上本」に切り替えて制作費はきちんと支払いつづけても、大病しなければ、まだ「寄る年波」に脅かされずに済むのである。
いわゆる「ベストセラー作家」さんのことは、縁もなく何も言わないが、私は、多産で豊作の作家として希有にまた素直に生きて来れた、ああよかった生き甲斐だったと文運に感謝している。
威張って言うのではない。「秦家」に育てられ、「京都」に養われ、こころして日本の文化と歴史その他に熱いほど学んできた「御陰」と思っている。深く深く感謝している。
* 夕食に、暫くぶり部厚な中とろ刺身と真っ白い大きな貝柱を、生協配給の酒で楽しんだ。そのまま焚くに俯して寝入り、気がついて寝室へ行き、八時まで熟睡していた。過ぎねば済まぬ関所のような『湖の本』の出版を無事に済ませたのだ、今の私にはた何時歩の前進なのだ、そして懸案のあれこれへ安心してまた打ち込める。なによりとは、これだ。 2022 2/23
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ これ以上さまよい歩くな。終局の目的に向かってしかと歩め。もし自分のことが気に掛かるならば、空しい希望に足を取られず、許されてある間に自分自身を励ませよ。
(第三章 十四)
◎ 私は、マルクス・アウレリウスが『自省録』をほぼ最晩年近くに書いていると承知し、念頭にそれを置いている。字句に執せず主意を、趣意を汲んでもいる。
2022 2/24
* 父の『宗教界の指導者へ』と題した長文は、批評や要請や提言であるより、「信仰と宗教」を自然科学として理解し直そうとする「長編」の論攷で、意図は理解できる。背後ないし下敷きにある前世紀おそらく中葉来の、世界における在来の宗教学ならぬ「宗教科学」乃至「信仰という自然科学」が、ためらいも致命的な揺れや混乱もなしに円繪と語られている。父吉岡恒の信仰を、ないし基督教への親和や接近をかたるものとは違っている、と思われる。誰にもできる思いつきの議論や主張では亡い、その意味では慎重を欠いてもいない。
何にしても書き写すも苦労な長文で在り、でたらめの言いたい放題とは見えていない。
2022 2/24
* 信仰は科学的に説明が付くか。父吉岡恒による是非は如何。
2022 2/24
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 時とは、いわばすべて生起するものより成る川であり奔流である。忽ち運び去られ、また持ち去られる。 (第四章 四三)
2022 2/25
* 父 吉岡恒が、次女ひろ子(恒平の年若い異母妹)に最愛を込めてて贈られた堅固に厚い帳面に、父は、長短四篇の述懐ないし論攷を書き入れている。
その最後の最長篇『宗教界の指導者へ』は、まこと驚嘆ないし仰天の、希有かつ強硬独自の論述であり、のけぞってる。筆致は緊迫し形成で、言辞に激越も乱暴もない、ひたすらに指導的立場の宗教権威者がの「信仰指導」の根拠の無さを「科学」的に衝いている。
予感はできていた。父は無数に断片的に 「主」や「神」に訴え頼み伏し従う言句を書き置いているが、私はそれらの浮薄または空語の気味を覚え続けていた。これは「ことば」であっても「こころ」とは受け取りにくいなあと。
上記の長広舌には、父の捨てがたい実感が爆発している、しかもかなり冷静に。
* 父恒の (私からすれば)祖父誠一郎の「基督者ぶり」を軽侮し非難し続けてきた性向が、かかる論の基盤に死灰のように溜まっていたのではと察しられて傷ましい気がする。
2022 2/25
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 何よりも気を散らさぬこと,緊張しすぎぬこと、自由であること。人間として,市民として、死すべき存在として物事を見よ。 (第四章 三)
2022 2/26
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ あらゆる衝動において、正議の要求に添い、あらゆる思念において理解力を堅持せよ。 (第四章 二二)
2022 2/27
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 背後に永遠の時の淵が口を開けているのを見よ。また見よ、前にももう一つの無限があるのを。この無限の中で、三日の赤児も、人の何倍もを長生きした老王ネストールのさらに三倍も長生きした人間とても、何のちがいがあろうか。 (第四章 五○)
2022 2/28
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ すべて自然にかなう言動こそ自身にふさわしいと考えよ。その結果生ずる他人の批評や言葉ゆえに横道に逸れるな。自分自身の自然と宇宙の自然に従うが佳い。
(第五章 三)
2022 3/1
* 私には父方祖父になる吉岡誠一郎が、兄恒彦や私の単立戸籍造作に関わって父恒に与えた自筆の呈書を、長時間、苦心して読み且つ書いた。疲れた。ぞつとしないモノだった。九時半。
2022 3/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自然にかなう道を歩み、時が来れば臥して休息し、毎日吸い込んできた空気へ最期の息をはいて、地に心身を託するだろう。地は私を迎えて呉れる。 (第五章 四)
2022 3/2
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 人に善事をなして、その恩返しを望むのは見苦しい。葡萄はひとたび自分の実を結んでしまえばそれ以上を何も望まず,時が来れば新たに房を付ける。人もかく在れ。 (第五章 六)
2022 3/3
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 広大無辺の宇宙があらゆ理由あっての処方により斯く在るように、人の運命も然り。苦い処方もあるが、希望とともに受け入れ生きようではないか。 (第五章 八)
* ウクライナとコロナと。苦い処方やなあ。
2022 3/4
* 「虚幻焚身」とでも謂うか、実の父が敗戦の生涯におよそ泪しつつ,一まづは取り纏めた。生みの母を書いたよりも苦渋を呑むしんどい仕事では、あったけれど。
是ともあれともなく、川崎に暮らす異母妹ふたりの妹「ひろ子」に初めて電話で話した、七十にもなっていよう、近年に夫を見送っていると聞いていたが、元気で、正真正銘「神」に護られた深甚の基督者だった。少女以来、一貫して毫末の崩れもない、ほんものの信仰に生きていると聞こえた。そういう生き方を私、自分は出来ないが、感嘆して受け入れるに吝かでない。我々の父親は終生「神」を頼みにしていたようであるが、空疎に逸れていた。妹に聞いてみた。「成りきれてなかった」と即答され、頷いた。
亡兄恒彦をうみ私を産んだ「母・ふく」に関しては、「父を誘惑した、うらんでいる」とハッキリ。正、その頃の父も母も、後年父の妻に、妹達の母親となる人の、毛筋一本の知識も絶無の時期であったし、母ひとりが必ずしも誘惑したとは謂えないとわかっている。私が芥川賞候補に挙げられた作品「廬山」の掲載発表とちょうど同時に雑誌「展望」に、なだいなだ氏が、当時フランスで沸騰したの「ガブリエル・リュシェ(の恋愛)事件」を批評し周到に論攷していた「小さい大人と大きい子供と」を読むのが、私や兄恒彦を生みの両親のためには至当であり、「實父・吉岡恒」は、当時親族らに精神病院へ監禁されながら、「時の人」息子の小説より以上に、同じ「展望」の、なだいなだ氏論旨に深く大きく救いまた癒やされたと、その「感動」を興奮気味に書き置いている。ガブリエルははるか年長の女教師で、リュシェ少年はハイティーンの生徒だった。世論と検察とに追い詰められガブリエルはひとり自決したが、我々の生母は生涯を闘い抜いて、なお「生きたかりしに」と呻木中きながら病死した。父の方にはそんな闘志はなく、崩れ去るほど孤独に、膨大な「落書き」めく述懐を大和積んで「敗戦」死した。
いま、実の弟である私は、人も讃えた市民活動家でありつつ実兄の北澤恒彦が何で自死したのかと、胸痛めつつ想い思っているのだが、その兄のまだ若い快活だったラガーの次男もまた、はるか年上の外国女性の死を追い追うように、異国のウイーンで傷ましく自殺したと伝わったのも、ごく近年で。生きる難しさに頭をたれながら、かつがつ「実父・吉岡恒 焚身虚幻」の「敗戦」としか謂えない生涯をスケッチし終えたのである、今日に。 2022 3/4
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ いつも信条通り正しく行動するのに成功しなくても、落胆したり嫌になったりするな。失敗したらまたそれへ戻って行け、知恵もつかって。実際、知恵ほど愉快な働きは無い。理解と知恵の能力があらゆる場合に於いていかに佳い働きをし、どう成功を収めるかを想ってみれば判る。 (第五章 九)
* 知恵のおとろえを嘆く日々なんですがねえ。
2022 3/5
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 生活を共にする人らの性行に目を向けて見よ。その中のもっとも洗練された人でさえもなかなか我慢し難いものであり、まして人間は自分自身を我慢するだけでもなみ大抵でない。 (第五章 一○)
2022 3/6
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 人間に人間として与えられていないことを人間の本分と呼んではならない。 (第五章 十五)
2022 3/7
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 生きることの可能な所なら善く生きることも可能である。忘れるな。 (第五章 十五)
2022 3/8
* 「虚幻焚身」 脱稿、終日がんばった、今、九時半。何年越しかの宿題だった。安堵している、ヘトヘトに疲れたままに。
* ここに今私語するのももう余力無い。だが満足している。}
2022 3/8
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 不可能事を追い求めるのは狂気の沙汰である。 (第五章 十七)
2022 3/9
* 昨夜に、新作「父の敗戦 虚幻焚身」をともあれ一稿脱稿できた。「はは」を追うよりはるかに難儀な道のりであったが、私 従来の八十余年、の出ようの無かった実父像のともあれ素描であり、実感、一先ずはほっとしている。
2022 3/9
* 昨夜に、新作「父の敗戦 虚幻焚身」をともあれ一稿脱稿できた。「はは」を追うよりはるかに難儀な道のりであったが、私 従来の八十余年、の出ようの無かった実父像のともあれ素描であり、実感、一先ずはほっとしている。
2022 3/9
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 時として、無知と自負のほうが知恵よりも力強いとはまったく奇妙なことだが。泰然として立ち、傷つきもしないでいる。不思議だ。 (第五章 十八)
2022 3/10
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 物事自体は我々の魂をどう左右することも出来ない。ただ魂のみが自分自身の向きを変え、身を働かせ、自身にふさわしく思われる判断に従って、外側から迫ってくる物事を自分のために処理するのである。 (第五章 十九)
2022 3/11
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 人間の中には 私自身に特有の活動を邪魔し妨げる者があり、束縛を受けてしまうことがある、が、そんな妨げをくつがえし、妨げそのものが逆に目的達成に役立つものに替えてしまうことが出来る。 (第五章 二十)
2022 3/12
* 「湖の本」全巻で「生みの母」を私の内に決定づけ、従来むしろ打ち捨てたような「実の父」を今回、有り余る父自筆の材料等を選別しながら、批評的にも情意としてもかなり突き詰めて書き置いた。「父・吉岡恒」ととうとう不孝の息子は出逢い、そして最期を「お父さん さようなら」と結んだ。善し悪しの評価は自分で出来ない、通り抜けるしかない道を通り抜けた、ほっとしたと謂うこと。
* 暑さから一転、背などうすら寒い。冷えてきたか。
2022 3/12
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自身の内にあるもっとも優れたものを尊べ。一生は其れにより支配されている。 (第五章 二一)
2022 3/13
* 立憲民主の福山哲郎君 ツイッターでの発言など物足りません
ウクライナ支援に関わるアメリカの腰の引け具合、米ロの,また戦線の拡大を恐れてでしょうが、其の理屈はやがての日米安保にも持ち出されて、ロシアの北方四島から北海道への侵攻、ほぼ必然かと観ていますが、その時は、ウクライナへとほぼ同様の逃げ腰でアメリカは逃げ出す恐れあり。
日本の「北の時代」ははやく江戸時代の「最上徳内」時代から物騒の気配でしたが、樺太を取り千島を取り、北方四島にロシア人口を優先的に増やそうとしている現ロシアの、久しい北海道への野望に、日本の政治は、国防は、日米同盟のさらなる緊密化等々は「恐るべき」足下の課題の筈。
ウクライナの二の舞を踏む恐れは いま世界中で日本が第一という認識で、しかと勉強し用意して要心して欲しい、高見の見物の時機では無いでしょう。 やそろく翁
* 福山君は大学の後輩 発言の素早さや着眼に期待してきた。
いま日本はまこと危険な下り坂にかかっていると覚悟し、よそ事もともあれ、我が事、国防の用意要心を忘れていては物騒きわまりない。前の大戦争でロシアのアジアへの参戦と侵攻ののけぞるほど速かったことなど、政治が、いま、忘れていては落第で済むまいぞ。
2022 3/13
* 山なす亡父資料をようやくまた大きな風呂敷包み二つに片付けたと思った。と、机に掌に握って収まる小さな、しかし部厚い前頁に様々に書き入れの手帳が残っている、手荒なほど書きッぱなしの筆跡は様々に乱筆ながら独りのもの。それが実父のそれとは全く異なる。実父吉岡宏の筆跡は、こっちが恥じ入るほどのよく整った達筆で、厖大な書き置きの、時に乱文であろうと乱筆は無かった。
なら、誰の手帳か。「松岡洋右全権の帰朝の際發したるステートメントの一節」など書き出した頁もあれば、「ヱホバ言ひ給ふ 人我に見られざる様に密なる處に身を匿し得るか、ヱホバ言ひ給ふ 我は天地に充るにあらずや ヱレミヤ記23-24」などとも。優に戦前へ遡れる大人ないし老人のおおかた走り書きで、しかも基督者めく引用や言辞が混じっている。
「説くよりも見せよ」とか
「變といふ逃げ道 醫者は明けて置く」とか、 皮肉めく見解も無数に混じっているようだ。
ふと開いた頁に、明らかに「當尾村社」なる四文字が見えた。「當尾村」は実父が生まれ育ったの岡本家が大庄屋を務めた南山城の一画で浄瑠璃寺などを抱えている。父の父、私には祖父の吉岡誠一郎の筆記帳を長男恒が手に入れておいたのか、確認は出来ないが、やはりこれも父恒所縁の遺品一冊と謂うて良いように思われる。当分机辺に置いて個人の口吻に馴染んでみよう。古人述懐の和歌なども随所に書き置いてある。なかに自作もあるか知れない。面白いものを亡き「おやじ殿」は私に遺して逝った。目から鱗の落ちるような新発見があるやも知れない。
2022 3/13
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ すべての存在は絶え間なく流れる河のようで、常なるものは殆ど無い。此処にあって、得意になったり、気を散らしたり、またいつもつまらなく苦情を絶やさない人間は、どう見ても愚か者でしかない。 (第五章 二三)
2922 3/14
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ もうしばらくすれば灰か骨になってしまい、単なる名前に過ぎないか、もしくは名前ですらなくなってしまう。感覚的なものはことごとく移ろいやすく、魂とても血から発散する煙に過ぎない。 (第五章 三三)
2022 3/15
* 戦後六三制中学に、粟田小学校からの女生徒に「三節」と評判の「節子」が三人いた。中村、渡辺、安藤。その渡辺節子から「湖の本」へ礼状と極上の煎茶が届いた。おすましで、講堂のグランドピアノが弾けて、そういうのは当時人気悪く、男子も女子も遠巻きに意地悪だった。小学校の異ったわたしには縁もゆかりもない子だった、三年間に、高校も同じだったから六年間に口を利いたような覚えがないが中学では学級委員和していたから委員会議に顔を出していた。一年の頃、渡辺節子と同じ一組で、やはり学級委員だった中村時子という優等生がいて、短編ながら永井龍男先生にいたく賞められわたしの出世作になった『祇園の子』のヒロインを演じてくれた。評判の子だったが、当時祇園の此のならわしめいて、学業途中から先斗町へ舞子で退学していった。渡辺節子はいいトコのお嬢めいて済ましていたので皆が敬遠気味にいじめていたようだ、私は、よその組でもあ、結局中高六年無援の儘だった。当時の名簿住所録がみつかったので「湖の本」を二度三度ほど最近贈ってみたら、礼状が届いて恐縮したが、苗字が變ってないのにも何となく頷いていた。私のことは憶えているだろうと思った、なにしろわんまん生徒会長などつとめてヤカマシイ男だったのだから。中学で大きなピアノの弾ける女子は、渡辺と石塚公子のふたりだけ。石塚は、私の家の斜め向かいの子で、幼稚園へも園のバスで一緒に通ったが、強烈個性の子で、やはり短編に書き入れている。
わたしは物覚えが良く、この調子で目星を付ければハナシの種に成ってくれる友達は、男女とも何人も何人も覚えがある。おまけに、地理の上でも、祇園に甲部と乙部という嶮しい差別が在り、私の有済校も近隣の粟田校もかなりの範囲に被差別地区を抱えていた。けわしい人間劇はちいさいころから見知りも聞き知りもしていた。私を育てた「ハタラジオ店」は祇園町と被差別地区にはさまれた「総本山知恩院の門前通り古新二筋のうち、祇園町と細い抜け路地一本で背中を合わせの新門前通り中之町に在った。この新門前通りには、東大路に接した東寄り梅本町に京都美術クラブが在り、西の縄手(大和大路)に接した西之町には能の「京観世本家と京舞井上流家元」の屋敷が在り、真ん中の中之町は温和な住宅町だった。総じて外国人相手の美術骨董商の店が数多く、それぞれのウスンドウは幼かった少年以来青年までの私の「美術館」になっていた。ガラス窓に鼻の脂をつけると叱られるほど飽かず狩野派の繪や焼き物や仏像に魅入られ歩いた。
この調子で思い出を書けば幾夜も夜通し出来るだろう。
さきの「三節」の渡辺節子は蹴上の都ホテルから山科向きに日ノ岡へんから祇園石段下の弥栄中学まで、さらには九条東福寺や泉涌寺山寄りの日吉ヶ丘高校まで通っていた。中村節子の家は粟田山麓で三条大通りに面していた。安藤節子は知恩院下白川沿い様々に小売りの店々が並んだ古川町に間近く暮らしていた。三人とも「出来る」女生徒だった。
* 「湖の本」呈上本を送るのも、必ずしも読む人と見極めているのではない,昔の住所録が見つかれば、やれ懐かしと知った名前を選別したりしている。びっくりされるのも面白く,幸いに私が作家稼業を半世紀以上も続けてるのは、ま、少なくも小・中の同窓なら大概知られている、学年が幾らか逸れていても知られている。ワンマンを振り回してた「生徒会長」役は、なかなか今日にも有用に生きてて呉れる。
2022 3/15
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自身の義務を果たすのに寒かろうと暑かろうと意に介すな。眠かろうと眠りたりていようと、ひとに悪く謂われようと賞められようと、まさに死に瀕していようと、構うな。死ぬと謂うこともまた人生の行為の一つ。それゆえにこのことに於いても、やはり「現在やっていることをよくやること」で足るのである。 (第六章 二)
2022 3/16
* 朝の「私語」が出ない。世界は既に三次の大戦を予感以上に体感しつつある。しかもわが国会議員諸氏の呟きの「ちっちゃく」て「うすい」ことはどうだ。中学高校の生徒達の「メール遊び」の水従名で「吾が為にのみ。小旗を振っているよ.日本中にかの「真珠湾」同等の危地を抱えているのに、いつ「ニイタカヤマノボレ」の号令一下の奇襲が同時に何ヶ所にも起きる。それはもう世界史的必然として近づいてるのを、のーんびり実感できない見識無き政治家達の迂愚のもと、日本人は、今のウクライナの人々と同じ目をみるよと、私はもうあやふやな危惧よりも覚悟に近い逼迫を覚えている。昭和天皇をして「名将」山縣有朋の無きをなげかせ、むざむざ山本五十六を早死にさせた、あの大戦。その何層倍の無残さで日本列島は放射能焦土と化し、労力は国外へ拉致され、背水にも冠たる部下剤はことごとく破棄されるか持ち去られるであろう。「ウクライナ」の人たちに今しも重々学ぶべきである。
* ブッシュとチェイニー時期のアメリカがいかに「抜け作」で、外交という「悪意の算術」に零点連続というばかさ加減だった。あんなのを選んでいたアメリカ国民の以後の「」支払い超過」はプーチンをしてますます侵略と制圧の軍事政権化に口実を与え続けた、それが今にも禍し、アメリカはプーチン算術の前でバイデン以下うじうじしている。アメリカが動かないならnatoも「ふて寝」を決める。日本などすべて内幕のうしろへ出されてその場凌ぎの「おバカぶり」へ棚上げの体。だれも本気で相手にしてくれない、それの浸透と定着とをプーチン・ロシアは爪を研いで日本の北へジワジワと寄り切ってくる.何をいつ頃から言い出されるか、日本の外交は所詮算術の棚上げか放棄になって行く。ミーンナ阿呆づらをのんきに晒して官僚の作文を間違えなく読むだけがエライ人とうぬぼれている。
2022 3/16
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ もっともよい復讐の方法は、自分まで同じ行為をしないことだ。 (第六章 六)
2022 3/17
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 物事があまりにも信頼すべく見えるときは、赤裸々によく見極め、その賞讃される所以のものを剥ぎ取ってしまうがよい。自負は恐るべき詭弁者であって、価値ある仕事に従事しているつもりになり切っているときこそ、もっともたぶかされていると思え。
(第六章 一三)
2022 3/18
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 絶ゆる時の流れが永遠の年月をつねに新たに保つがごとく流転と変化が世界を絶えず更新する。この流れの中にあって、吾々の傍を奔りすぎて行くもの、その上にしっかりと足を踏まえるところも無いような者のうち誰を尊ぶことが出来ようか。
(第六章 一五)
2022 3/19
* 国際情勢は血が騒ぐほどいつも危うい。しょっちゅう、ぬるま湯よりぬるいコメントをツイッターでばらまいてくれる国会議員達のおしゃべりには寒けがする、国民よりも散歩も五歩も前で現実を生きて行く痛さ、厳しさを先に語って、民心を引き締めよ。ことに野党議員の諸君よ、心して話題を選び掘りさげて私達を頷かせよ。アホかと嘆かれる。
* 何とかして、この私語の刻だけでも(写真や飾りは無くて良く)毎時毎日ネット配信できないだろうか、より広く私の意図がつたわるものなら伝えたい。
2022 3/19
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 吾々と共に競技しているともいえる人たちに対し、多くのことを大目に見てあげようではないか.人を疑ったり憎んだりせに避けることは可能なのだから。 (第六章 二○) 自分にとって自然であり有利であると思われるものに向かって行くことを人に許さないのは、なんと残酷であろう。 (第六章 二七)
2022 3/20
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。 (第六章 二九○)
* 私の場合、肉体の方が先にへこたれている。今朝の寝起きもひどかった、かつがつ朝食したが全部もどして、身動きも為らぬまま、午前いっぱいまた寝入っていた。
2022 3/21
* やわらかな春の雨のような、しかも美しく引き締まった日本語作家を論攷した単著の題「位相」と括ろうという人に感想を求められた。やそろく翁としてどれほど人の本題や論題で出逢ってきたか知れないが、そういう哲人や文学者に「位相」とはと、平易な日本語で分からせてくれた人は、少ないよりも、いなかったとすら云いきりたい。臆面無く私と手、用いなかったわけはあるまいが、こういう物言いで私見を適切に話せる機会も人もすくないというより、無いほどだった。簡単に口や字で持ち出されると、繭につばを付けた。
* 機械とうまく折り合えない。それでいよいよ疲れる。
2022 3/21
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ あらゆることにおいて養父にして先帝アントーヘニーヌス・ピウスを手本にする。理性にかなう行動に対するはりつめた努力、あらゆる場合におけるむらのない心情、敬虔、穏やかな顔、優しさ、むなしい名誉に対する軽蔑、物事を正しく把握しようとする熱意、そして、なにごとをなすにもまずよく検討し、はっきり理解せずにはてをつけず、また自分を不当に非難する相手を非難し返すこと無く忍耐し、何ごとにも慌てず、讒謗に耳を貸さず、人の性質や行動にしかと目を留め、やかましやでもなく、卑怯者でも無く、猜疑家でも無く、詭弁家(ソピステース)でもなかったこと、住居、寝床、衣服食物、等には簡素かつ、同じ指呼とでも必要な限り長く続けられ、友人等には忠実で常に変わらず、公然と反対意見を言われても聴いて堪え、もっとよいことを教えてくれる者や言葉があれば喜んで受け入れ、神を畏れつつも迷信には陥らなかった。よくよく見習い教わり、いつ最期の時が来ようと良心の安らかであるようにしておけ。 (第六章 三○)
* アウレーリウスのこの『自省録』に類した本は古今東西に数あるであろう、が、私はこのアウレーリウスの本を岩波文庫の昭和三十一年十月二十五日一刷本を買い求めて以来、最も敬愛してきた。遠く遙かに及ばないが、疲れ汚れた心を洗い流したいときはこの一冊に帰って眞実休息する。その程度であるのを恥じ痛みながら。
『親指のマリア』でシドッチ神父を書いたとき、彼の「日本」へと目指した、当時として最も危険きわまりない旅立ちに、あえてこの『自省録』を親からの愛の手向けとして持たせている。
2022 3/22
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自己を取り戻せ。目を覚まして、悩まされていたのは夢であったと気づき、夢の中のものを見ていたように、現実のものを眺めよ。 (第六章 三一)
2022 3/23
* 「父」を語った「湖の本 157」を初校した。案じていたより、簡潔ながら触れるべきにはしかと触れていて、ほっとした。前巻の「母」と。併せて 生涯背負ってきた実の両親との「お別れ」を遂げた。あとは、カーサンと、歩いて行けるだけを歩いて行く。 2022 3/23
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自然によって組み立てられたものには、これをこしらえた力はその中に内在しそこにずっと存在している。人はそれを尊重しなくてはいけない。内在しているその意思にしたがい身を持し行動するなら、人は自然の儘に成りまた為し得よう。 (第六章 四○)
2022 3/24
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自分に選択の自由の無いものごとについて、自分にとって善いの悪いのと考えると、とかくその言い訳や責任を神々や他人に持ち込み怨んだり憎んだりし、あげく多くの不正を犯してしまう。自身自由にならぬ物事で他を責めたり自身驕ったりしては、まま過ちに陥る。 (第六章 四一)
2022 3/25
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ もし神々が私について、また私に起こるべきことについて協議したとするならば、必ず賢い協議をしてくれたのである。なぜなら思慮の無い、悪意に働く神は想像さえも難しいではないか。 (第六章 ㈣四)
2022 3/26
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ ある者に有益なことは誰しもに有益と謂えよう。ただこの際の有益とは善でも悪でもないどうでもよい意味と心得ているのが、よい。 (第六章 ㈣五)
2022 3/27
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 単調で退屈でうんざり、それは人生の全体に覆い被さる通例であり、上にあるものも下にあるものも一切合切が同じく同じ物事の結果なのである、と、心得ながら賢く生きねばならない。 (第六章 ㈣六)
2022 3/28
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ あらゆる種類の人間、あらゆる職業、あらゆる種族の人間が死んでいったいう事実を念頭に置くがいい。ことごとく、いかなる人と謂えど、みな行ってしまっている。なんのおそれることがあろう。 (第六章 ㈣七)
2022 3/29
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自分に楽しい思いの日々をと願うなら,一緒に暮らしている人の長所を思ってみるがよい。德、美徳、長所などが、ともに暮らしている人の行為や性質にあらわれていることほど、しかも、それがふだんのことであるほど、喜ばしいことはない。それらをいつも彷彿と想いみるがいい。 (第六章 四八)
2022 3/30
* 昨夜に、新作「父の敗戦 虚幻焚身」をともあれ一稿脱稿できた。「はは」を追うよりはるかに難儀な道のりであったが、私 従来の八十余年、の出ようの無かった「ちち」像のともあれ素描であり、実感、一先ずはほっとしている。疲労しきっている。
2022 3/30
* 西側諸国は、ウクライナをモルモット視して、ただ吾が為にのみ学習しながら高みの見物しているに過ぎない、率先バイデン米未来の死せて画さよう硬直している。アメリカとの「協同」という徒夢に安心していては、遠からず日本列島は沈没の悲惨を嘗めるに違いない。今にして、私、謂うので無い、前世紀から何度、何十度警鐘をを鳴らし続けているか。「日本」よ「日本人」よ、「北」を必死に護れ。
2022 3/30
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自身の体重が57キロで100キロでないからと嘆いたりしない。同様に自身の寿命が何年かで、それより永くないと嘆くべきでない。自身に割り当てられた物の量で足りて大過なく暮らしているように、時や寿命にも、そうするが良い。 (第六章 四九)
2022 3/31
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 名誉を愛する者は、自分の幸福は他人の行為や思考の中にあると思い、享楽を愛する者は、自分の感情や他者の好意の中にあると思うが、ものの分かった人間は端的に、自分の行動の中にあると思う。 (第六章 五一)
* これやこの強情我慢 花吹雪
これやこの強情我慢 福壽草
2022 4/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 蜂巣にとって有益でないことは蜜蜂にとっても有益ではない。 (第六章 五四)
2022 4/2
* わたしは、京も祇園町のまぢかで育ち、祇園町のまんなかの中学生で「先生」無用の茶道部を立ち上げて作法を指導し、高校は泉涌寺の下、東福寺の上の日吉ヶ丘に在り、学校にあった「雲岫」と名付けられた佳い茶室に「根」を生やし、茶道部員に茶の作法を熱心に教えていた。
秦の叔母は生涯、裏千家の茶道(宗陽)、御幸遠州流生け花(玉月)の師匠だった。私は小学校五年三学期からこの叔母に茶の湯をならい、高校を出る出ない内に茶名「宗遠」を受けて、のちのち上京就職結婚まで、叔母の代稽古もつとめ続けた。つまりわたくしはまさしく「女文化」に育っていた。親しい男友達は、指折り数えて大学までにせいぜい十人か。友達とは言わない叔母の社中も含め、わたしが教え、また互いに親しんだ女性、女友達は、今日までに優に百人どころでないだろう。
「女文化」という言葉を発明しながら、京や日本の歴史や自然や慣行をゆるゆると身に帯びてきたのは、必然の、ま、運命の賜物のようなものだった、「好色」「女好き」というのとは、まるで違う。それが、私の「生活」なのであった。
秦の父は,素人ながら京観世の能舞台で地謡にも出る人であったし、日頃、謡曲の美しさ面白さを家の内ででも当たり前に「聴かせ」てくれていた。
祖父鶴吉は、一介市民「お餅屋」さんの家としては、異数に多彩な、老荘韓非子・史記列伝等々の漢籍や「唐詩選」ほか大小の漢詩集、大事典辞書や、また『源氏物語湖月抄』や真淵講の『古今和歌集』『神皇正統記』また『通俗日本外史』『成島柳北全集』『歌舞伎概説』等々の書物を、幼い私の目にも手にも自由気ままに遺していってくれた。
言うては悪いが実父母と生活していても、とてもこんな恵まれた素養教養の環境はあり得なかったろう、じつに秦家へ「もらひ子」された幸福の多大なことに、心の底から驚きそして感謝するのである。
その意味では、私は、作家秦建日子や娘の押村朝日子に、何ほどのかかる教養・素養を環境として与えてやれたかと、忸怩とする。もっとも、当人に「気」が無ければどんなものも宝の持ち腐れなのは謂うまでもない。宝は、だが、その気で求めれば広い世間の実は至る所に在る。しかし、それもまた、ウクライナのようなひどい目に遭ってはお話にならぬ、とすれば、今我が国の「為すべき備え」は 知れてあろうに。
2022 4/2
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 私と一緒にこの世に来た者のうち、はや何人世を去って行ったことだろう。
(第六章 五六)
2022 4/3
* 京都で生まれ育って、戦時疎開の丹波での二年足らずを含めて上京、就職、結婚までの二十四年間が私の『京都』時代。『東京』時代巣以降六十年にもなる、のに、遙かに遙かに「京都」が私に刻み込んだ感化は何層倍も深く広い。江戸・東京の歴史も自然も、体験として知識として、京都のそれに比すれば遺憾にもごく浅く、薄い。
今朝も、藤吉郎劇を観ながら思ったこと、あんなに京から至近の「浪速・大阪」というおもしろい都市を、もっと親しく深切によく識り学んでおけば良かったという、痛恨に似た残念で。西鶴近松を育て秋成を生み育てた街ではないか。もったいないことをしたなと残り惜しい。
2022 4/3
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 一般にあらゆるものごとに対し、これは屡々観て為たことがあると心得ているが好い。上を見ても下を見ても至るところ同じものごとが見出され、新しいものごとはめったに無い。およそお決まりで、かりそめである。 (第七章 一)
2022 4/4
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 信条を絶えず新たな炎に燃え上がらせることは、ひとえに自身にかかっている。物事について自分の信条は誰にも言える。其れが出来るなら、心を悩ませるな。私の精神の外にあるものは,私の精神に関わりがない、これを学べ、そうすれば真っ直ぐ立てる。更生が必要なら更生せよ、自身の信条に随え。 (第七章 二)
2022 4/5
* もう、いつ時分の試筆とすら判然しない、しかし相当量の創作草稿をみつけ、つかれ安めにもと、今日、読み返していた。筆が若くずさんに奔っているのを気を入れて書き直していると、文章という「おもしろい生きものの生い立ち」に立ち会う心地がする。
自身の日々を「読み・書き・読書」と人様にも吹聴している。
「読み」とは広範囲に散らかる「読み・調べ」仕事を謂うており、「書き」は、もとより創作第一ながら、日々の厖大な「私語こそ捨て置けない。私は、多彩多方面に「私語する」ことで「文を、書く・創る」稽古を重ねる気でいる。推敲も添削も「私語だからお手軽に」とは毫も考えない。そしてそれが、私の文体をいつとなく日々に確かに養ってくれる。
豊富に健常に私語できる日々が、宝である。
2022 4/5
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 人に助けて貰うことを恥じるな。 (第七章 七)
2022 4/6
* 一つ異を唱えてしまうが、こと私に限つて「葬儀」も「墓」も無用と家族に言い聞かせてある。遺体はよく灰にして、ひとつかみ庭の「ネコ・ノコ・黒いマゴ」達の奥津城に同居のていに撒けと。他は、それとなく京都のゆかりの場所へそれとなく撒いて呉れと。位牌が欲しいなら、仏寺を頼まず、「秦恒平 宗遠」とだけ業者に注文し簡明に「刻」して貰うように、と。「私の墓」は、すべて自身の著書・著作以外に無いと。
2022 4/6
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ すべてのものの記憶はすべてやがて永遠の中に葬られる。 (第七章 一○)
2022 4/7
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 自分に起こったことを悪いことと考えさえしなければ、まだなんら損害を受けていないのだ。その自由は私にあるのだ。 (第七章 一四)
2022 4/8
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳による。)
◎ 誰がなにを仕ようと、なにを言おうと、私は善くあらねばならない。善しと覚悟の私を保たなくてはならない。 (第七章 一五)
2022 4/9
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 変化なくして何が生じ得よう。宇宙の自然にとってこれよりも愛すべく親しみ深い本来があろうか。自分自身の変化も同様に必要な本来と分かってねばならぬ。
(第七章 一八)
2022 4/10
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ あらゆる体はあたかも奔流に流さるるごとく運び去られ、全体に結びついて協力する。何人のホメロス、何人のソークラテウス、何人のエピクテートスを時が既に呑み尽くしてしまったろう。いかなる人・事柄についてもこのことを思え。 (第七章 一九)
2022 4/11
* 体調全からず、午后は寝入っていることが多かった。暫くぶりに心身を労っていたとでも言い訳するか。プーチン・ロシアのウクライナ侵略の惨虐を映像で目の当たりにすると、否応なく思い出される、明治初期に招かれて日本の文化・文学教導に来日したラフカディオ・ハーンは第一声にこんなことを言うたと伝えられる。
ロシアという國は、欧米先進の目からは類を絶した野蛮な國とと思うのが常識であった、が、ひとたび、プーシキン、ツルゲーネフ、ド゛ストエフスキー、トルストイらが現れまた知られるや、忽ちに文化の一級国と敬愛された。どうか、日本もそうあれよと。
想えば、昨今ロシアに、かの文豪達をあとを襲う誰あるかを過分にして知らない、誰もいないのではないか、それがプーチン如きをしてロシア國とロシア人の野蛮にして非人道のシンボルにしてしまっているのではないのか。
日本も、心して然るべし。力足りなきを私恥じている。
2022 4/11
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 遠からず私はあらゆるものを忘れ、遠からず私をあらゆるものが忘れ去るであろう。 (第七章 二一)
2022 4/12
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ すでに存在するものの中からもっとも有難いものを数えあげ、もしこれが無かったら、どんなに是を追い求めたであろうかということを忘れぬようにせよ。しかしこれを楽しむあまり重要視すぎる習慣に陥り、是が無くなったら「気も顚倒」ということにならぬよう、心せよ。 (第七章 二七)
2022 4/13
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 自分の内なる理性に集中せよ。理性は本来正しく働き、それによって平安を得るときに自ら足れりとするものである。 (第七章 二八)
* 上の『自省録』は、まだ大学三年生時期の昭和三十一年十月二十五日の第一刷 定価「☆二つ」八十円本を、鉛筆書き「40円」で買っている。半値の古本をいつか、どこかの古本屋で買ったのだが、。院の哲学研究科へ直行を当然のように思っていた頃に出た本であり、買う気になる先入主は持っていたのだろう。
実は、今、この文庫本を手にしていて「初めて」気づいた・見付けた、のだ。本の本編が終えて、裏白。次いで見開き左から「解説」なのだが、その見開き右の「シロ」頁のツマミ(右の端)に、もう全く覚えがの無く、もはやかすれたように淡い鉛筆のさも走り書きで、「安んじて死ぬための本」と私自身の筆跡が残っている。ほう…と息を呑んだ。
2022 4/14
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人生では 先のものは 跡から来るものにまもなく覆い隠されてしまう事を考えよ。名誉など思うな。 (第七章 三四)
2022 4/15
* 幸い「読み・書き・読書」に障りはないが、「憶え・忘れ」の停滞・顕著には困惑する。てれびを観ていて、好きな男優・女優が老若の顔には濃い記憶があり、出ていた映像なども思い出すのに、姓名を忘れがちになり、今夜も映画作品してはこぢんまりとかっちり出来た佳作なのに、女優の「宮澤りえ」は問題なく、ナレーションだけで『岸恵子」と分かるのに、主演で気に入りの男優の名が、妻もわたしも最後まで「真田広之」と思い出せなかった。それでも私は途中「サナダやなかったかね」と口に出てはいた。彼が出演で印象的な『阿部一族』という名作のあったのも憶えている。
* 「憶える」は昔から勉強の本義と謂うに近かった。小さい頃から『日用百科宝典』などという便利事典がぐさぐさになるほど読んで、山や川や都府県や大和・武蔵などのむかしの國の名、源平北条足利徳川の歴代、ことに神武綏靖から大正昭和までの歴代なども「記憶したい」いうより「すべき」項目として不動だった、そして実に近年までたくさんな「記憶」を脳という嚢に溜め込んでいた。
昨夜中、暗闇の床の中で「このごろ覚えが消えて行くなあ」と「忘れがち」な現実に思い当たって試みにいろいろやってみると無残に忘れている、天皇の歴代は、まだ百代後小松までゆくが、つづく25代があやしい。「般若心経」もトコロドコロで欠け落ちる。今日の都府県は通せても、昔の国名はややちらほらと行き詰まる。
昔から苦しいのが「赤穂四十七義士」今ではとてもフルネームをソラで数えられない、むかは憶えていたのである。京都でなら寺の名を、宮の名、仏様の顔をなど沢山記憶していたが。惘れたことに、コロナ逼塞のせいもあろう、都内山手線、順の駅名にもつまってしまう。
2022 4/15
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 顔はつごうよく装い振舞っていながら、心は思いのままにならぬとは。恥ずかしいではないか。 (第七章 三七)
2022 4/16
* 今世紀も極くの初めから、私は警告し続けてきた、日本はロシア、北朝鮮、中国からの包囲的な軍事圧に必ず遭遇し、最悪の防衛ないし応戦を強いられて敗北、被占領、国土の分け取りに遭うおそれは明白至極ぞと警告しつづけてきた。「湖の本」で山縣有朋や成島柳北を相次いで取り上げたのも、彼等が実体験を通して確信に達していた「闘わざる限り、決して負けては成らない、それは国土と国民の壊滅的不幸を意味するという懸念をしかと思い起こして置きたかったからだ。
もとより平和は願われる最上のものであるが、「悪意の算術」で仕掛けられる軍事侵攻を甘んじて受けるとは国家民族の自滅をまねくにすぎず、日米安保の保証といえど脆弱、絶対に過信ならないと心得てなければならない。
ウクライナへ攻撃したロシアは、北方の占拠諸島にすでに軍を増派し軍事訓練とともに日本の漁業を圧迫している。さらには日本海で砲撃用の爆弾実験を為し、北朝鮮は再々に日本海へのミサイル実験とみせつつ空爆等の脅威を突きつけ続けている。
ロシアや北朝鮮の意図ないし意志は那辺にか、問うまでも無く、明らかなのは日本の政治外交防衛のあんかんにちかい無防備にある。非戦を誓う平和憲法を尊重してくれるロシアの侵略意欲かどうか、ウクライナの悲劇は猛火と婿の国民の惨死の山と共に明白に過ぎている。観念のきれい事では國土と国民は決して守れない、何よりも「悪意の算術」にほかならぬ必至の外交努力が日々に満たされていなければならないのに、政府・与党も、野党の叡智もそれへ向けてはまるで働いていないも同然の暢気さ。ウクライナ国土などと異なり日本列島はただ細長く湖に囲まれ、海辺防備、成島少年がつとに著し説いて求めた「海警」の実は、あまりに今日頼りない。敵性の潜水艦は、大阪、東京のすぐ足下へも自在に入ってこれるのではないか、海外の諸島嶼など、あっというまに選挙されてしまうだろ繪う、其処に本土攻撃のミサイル拠点がなれば、殆ど一週間と日本国土は打ち砕かれかねない。然し日本の政治外交防衛対策は安閑とも見えて脆弱に過ぎている。
* 過剰に不安を言い過ぎなのかどうか、その点検よりも、より手早い防衛のチカラと備えとの備えへ國も国民も安閑の痴呆をしかし顧慮し革新せねば危ないぞ。危ないぞ。
2022 4/16
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 自らそこが一番よいと考えて身を置いた場所、あるいはすぐれた先賢先達によって奨め置かれた場所、そこに、よく踏みとどまりあらゆる危険にも堪えて生きかつ行い、不名誉を除いては、死にもその他にも顧慮拘泥すべきでない。 (第七章 四五)
2022 4/17
* メールが読めなくて、案じていました。愛知のコロナ事情善いとは言えないのでは。用心して下さい。繪は、届いているのか、どう見るのかわからず浄瑠璃寺、確かめ得ていません。法界寺の如来さま いい写真が撮れたら送って下さい。山科から醍醐寺へ宇治川・平等院への道をもう一度通いたいと願っています。洛北円通寺、鞍馬、貴船へも。琵琶湖も観たいなあ。三十三間堂、京博、清閑寺、清水坂、六波羅蜜寺、建仁寺、花見小路、祇園さん、円山公園、知恩院、白川 キリが無くて泣けるなあ。もう一度で好いから帰りたいなあ。
鳶は、もしかして、
あの知恩院下の白川に架かった細い太い何本かの石橋のなかでも、やや幅のある「土居ノ内橋」を西へ渡り、小商店の居並ぶ「古川町」を挟んだ東山線までの粟田地区内「白川西界隈」の、そこを細く区切った「路筋や民家」に具体具象の印象や記憶が何か無いでしょうか。
さらに言えば、東山線を西側へ渡って西へ西へ、有済地区内の縄手(大和大路)まで広がり続いたいわゆる「三条寺裏、古名で謂う天部村」に具体具象の印象や記憶が何か無いでしょうか。あれば、ちいさなことでも聞かせて下さい。今謂う界隈の比較的詳細な古い地図などお持ちで現在ご不要なら、拝借できませんか。 わたしは、有済地区では最も南、祇園と背を接した(知恩院)新門前通り仲ノ町で育ちました。一筋北に同じく古門前通りが在り、この通りに背を接して三条大通りにまで、上に謂う寺浦・旧天部村がありました、わたしは、この三条寺裏地区を、学校時代を通じ状況まで殆ど足を踏み入れたことが無かったのです。
鳶は社会学的にこういう通称被差別地区に踏み込んで学術調査などしていたかと聞いた記憶がちらと残っていまして、助けて貰えるかなと希望を抱いているのです。
* 上に関わって尾張の鳶、重ねて来信あり。
* 晩年も煮詰まってきて、畢生と云うほどの仕事に取り組むなら、是れという主題を自覚的に少し吐露して、尾張の鳶さんと「京の闇」にかかわりメール往来。
脳裏にまずはスケッチを重ねたい。
2022 4/17
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 考えて見よ。寿命ということは たとえそれがどう永かろうと 短かかろうと大問題とはすべきでない。 生命に執着すべきでなく なんぴとも自己の運命は避け得ないと考え 自身の生くべき時をどう善くあるか それを考慮すべきである。
(第七章 四六)
2022 4/18
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ あたかも、すでに死んだ人間であるかのように、現在の瞬間が生涯の終局であるかのように、自然に随い意欲に応じて、余生を過ごせ。 (第七章 五六)
2022 4/19
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 角力のように備えよ。攻撃、予期せぬ攻撃 に対しても聡く素早く用意し、びくともせず構えていよ。、 (第七章 六一)
2022 4/20
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 「すへての魂は、その意志に反し真理を奪われている」とプラトンは謂う。正義や節制や善意やその他あらゆる德についても同じだ、これを大切にいつも念頭におく必要がある。それによって、もっともっと他者に優しくなれるだろう。 (第七章 六三)
2022 4/21
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ エピクーロスの言葉を聴くが善い、「苦痛は堪えられぬものでなく、際限ないものでもない。」ただし自身の想像を加うべきでない。多くの不快事は、一見そうは見えないか知れないが、実際は苦痛と同然のもの。眠気、暑気、食欲不振等々、これらで不機嫌なときは自分に言い聞かせればよい、「わたしは苦痛に降参してるだけだよ」と。
(第七章 六四)
2022 4/22
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 完き人間・人格の特徴は、毎日をあたかもそれが自身最後の日であるかに過ごして、動揺もなく麻痺もなく偽善もないことにある。 (第七章 六九)
2022 4/23
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ なんぴとも利益を受けることに倦み疲れはしない。しかるに自然にかなった行為こそ有益なのである。ゆえに人を益することによって自分の身をも益することに倦むな。 (第七章 七四)
2022 4/24
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人がこの自分をなんと思うかなどと気にするのは止めて、自分の余生が永かろうと短かかろうと、これを自然の欲するがままに生きることができたら、満足せよ。自然がなにを欲するかをよく感じ見極めて、他へ気を散らすな。 (第八章 一)
2022 4/25
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人がこの自分をなんと思うかなどと気にするのは止めて、自分の余生が永かろうと短かかろうと、これを自然の欲するがままに生きることができたら、満足せよ。自然がなにを欲するかをよく感じ見極めて、他へ気を散らすな。 (第八章 一)
2022 4/26
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ よし君が怒って破裂したところで、恥知らずの相手は、すこしの遠慮も反省もなく同じ事をしかけて来る、そういものだ。 (第八章 二)
2022 4/27
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ なによりもまず、いらいらするな。すべては宇宙の自然に随っているのだし、しかも間もなく君は何物でもなくなり、どこにもいなくなる。内なる自然の要求するところをわき目ふらずやれ、ただし善意をもって、つつましく。うわべを取り繕うこと無しに。
(第八章 五)
2022 4/28
* 私は 買ってもらった「携帯電話」の遣いようも未だに覚えられず、脚もとに投げ出したまま。「スマホ」とか謂う類いの機械の何一つも持たず、興味も関心も無く、その手の世間に氾濫しているという文や写真や繪の類いを見たことも見たくも無い。
辛うじて只今出来るのは、この故障がちな機械(パソコン)で創作し此の雑記に同じい「私語の刻」を仕事の合間に書き散らしているだけ。他人様のホームページその他の記事も全然目に触れない、そもそも技術的に観方も知らない。ああ逢いたいなと想う人がいても、病院通い以外、外出して人と会うこともこの数年まるで無く、人と電話で話すのも苦手で、掛けもしないし掛かっても来ない。「秦恒平・湖の本」刊行で触れ合うた心親しい読者の皆さんからお手紙を戴いたり御厚意を頂戴したりはあるが、お返事やお礼すらおおかた失礼している。
文字とおり「外」世界との「出入り」も「見聞き」も無し、まるまる「門を閉じた」生活をしている。どんな「噂」を秦恒平としてされているか、賞められようが悪聲を浴びていようが関知も関与もしない、まして愚痴な「噂ばなしのお相手」など持たない欲しくも無い。親しい友人、ああそれは幸せに、人さまよりあるいは大勢もてていて、孤りぽっちで暮らしてはいない。
2022 4/28
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ よし君が怒って破裂したところで 彼らは何の思慮も遠慮も無く同じことをやりつづけるであろう。 (第八章 四)
2022 4/29
* 昭和のむかしは「天長節」とも謂うた日だ、しかし、天皇さんわ否認はしていないのに「天長節」という三字を私は大仰に感じていた。敗戦後のいつ頃からか「天皇誕生日」と変わった。国民学校時代は、「今日のよき日は大君のーぉ 生まれたまひし吉き日なり」また「み光りのーぉ」などと講堂で全生徒歌ったが、イヤミな歌詞に感じていた。「陛下」という物言いも好きで無かった。敗戦後、私は私の勝手で「天皇さん」「皇后さん」と口にしたり書いたりした。「象徴」は判り難く、天皇制は「日本の文化」と認識し続けてきた。
2022 4/29
今、朝の八時半。『湖の本 157』最終のツキモノ校正が届くだろう、「責了」できるだろう、すると、「発送」という力仕事が待ち受ける。「作家」と世に出て53年、それ以前四冊の私家版刊行から数えれば「単行書」100冊を超え、「選集」33巻、「湖の本」157巻を出版し、送り出し、健康でさえ在ればまだ創作も執筆も途絶えることは無い。それが「私」だ。何が可能にしたか。「勉強」に他ならない。
2022 4/29
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 自然は虚偽や曖昧なことに同意を与えない、好き嫌いも、われわれの力でどうにでもなる程度のことにかぎり、勝手をゆるしてくれる。 (第八章 七)
2022 4/30
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 後悔とはなにか有益なものを取り逃がしたことへの自責のようなもの。しかるに善きものは必然有益なものであり、眞に善き人により追求さるべきものごとである。とはいえ、眞に善き人は、或る快楽を取り逃がしても後悔などしない。つまりは快楽は有益でもなく善くもないのである。 (第八章 一○)
2022 5/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 眠りから覚めにくいときは思え。睡眠は、理性の無い動物にさえも共通のこと。睡眠ないし嗜眠が各個人の自然に適っているなら、その人にとって何より固有特有なふさわしいことなのであり、したがって快適な筈。寝たいだけ寝られるなら、天恵であろう。 (第八章 一二)
2022 5/2
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ なんぴとに出會おうとも、即、自問せよ、「この人は、善悪に関してどんな信念の人か」と。 (第八章 一四)
2022 5/3
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 無花果の樹が無花果の実をつけるのを驚いては恥ずかしい。本来結ぶべき結果を驚くのも恥ずかしいことである。 (第八章 一五)
2022 5/4
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 記憶せよ。自分の意見を変え、自分の誤りを是正してくれる人に従うのも、また一つの自由な行動である。なぜならきみの衝動と判断と、しかりきみの叡智に従って遂行される行動はきみ自身のものであるのだから。 (第八章 一六)
* 時に、自分が、今どこで何をしているのか見喪う気分に嵌まっている。永く、生くべく生きてきたが、逝くべく生きている気のする時がある。
2022 5/5
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 死んだものとて 宇宙の外へ落ちはしない。ここで変化し、分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、きみの元素でもある。さらにこれらもまた変化し、ぶつぶつ呟きはしない。 (第八章 一八)
2022 5/6
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 万物はそれぞれ目的のために存在する。馬も。葡萄の樹も。太陽すら云うであろう、「自分は仕事を果たすために生まれた」と。神々も同じこと。では、君は何のために?「快楽のために」この考えが許容されるかどうか考えてみよ。 (第八章 一九) 2022 5/7
* 医学書院の頃は「一部抜き」と謂った、「刷りだし」とも。製本前の「刷了」分を抜き取って頁通り折って畳んで、表紙はつけずに一冊分の印刷分に誤りが無いか点検できる。その段階では「刷り直し」が効く。凸版印刷は、この「一部抜き・刷りだし」を手折状態で三部呉れる。点検は「パス」して既に「表紙製本済み」の本がが注文部数、届いている。「刷り直し」が必要だったことは「無い」というておく。
私は此の『刷りだし』『一部抜き』を便宜にクリップで掴んでおき、読みたければ「是れ」で「読む」。気に入ったなら、随時に「愛読」して感慨を得る。
この数日は、たまたま 『湖の本』の第149巻『流雲吐月(三)歴史に問い・今日を傷む』「2020 令和2年3月14日(結婚記念日)」の一部抜きに手が出て、これが縷々、歴史や時節に向かい辛口で適切、なかなかに筆者としても新ため「共感」でき、面白く「拾い読め」ている。この手の「編修・編成」巻はきままに「拾い読める」「日録の私語」に成っていて読み煩うこと無く、敢えての「通読」は要しない。
このシリーズは、第118巻『流雲吐月(一)歴史・人・日常』第119巻『流雲吐月(二)堪え・起ち・生きる』として「2013 平成25年12月5日」「2014 平成26年3月14日(結婚記念日)」に送り出されている。
謂うまでもない私の「私語の刻」はいわゆる「日記・日録」でない気ままな四通発達の批評的な随感随想。それも延々とは論じない、まさに「只今」の認識・感想・批評批判を簡潔に書き置いている。順序は求めず、日々の流れにたまたま棹さしているだけ。求めてるのは理解と謂うより読者の共感か批評。これが幸いに「独自な文藝」として受け入れられている、らしい。嬉しい。
2022 5/7
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人生は短い。褒める者にとっても褒められる者にとっても、記憶する者にとっても記憶される者にとっても。しかもすべてこの地域のこの小さな片隅でのこと。その上そこでは万人互いに一致しているわけでなく、個人にしても、一人として自分と一致している者はない。また地球全体は一点に過ぎない。 (第八章 二一)
2022 5/8
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ そんな目に遭うのは当たり前だ、今日、善い人間に成るより、明日、成ろうというのでわ。 (第八章 二二)
2022 5/9
◎ 前略 今日 突然 「湖の本 御中」「代表者 秦 恒平様」宛名で
『ぜひ全国同人雑誌協会にご参加下さい』とのお誘いがありました。なにか「お間違え」でないかと 喫驚しました。「代表理事」の五十嵐さん名義の来翰でもあり余計ビックリしたのですが、本は毎々お送りしていてご承知のように 私が、36年前の「一九八六年桜桃忌に創刊」以来、旬日の内に「第158巻」を刊行の『秦 恒平・湖(うみ)の本』は、「編集者」があり、複数のいろんな筆者が参加されての所謂「雑誌」では全然なく、私「秦恒平」が独立、事実上の「単行著作本」として刊行し続けてきました。そのことは、五十数年来お付き合いのある加賀さん、三田さんも また勝又さん、川村さん、富岡さんらも、そして五十嵐さんも、「三田文学」編集室でも、実の『湖の本』を手にも目にもして下さりご承知と思います。私はこの「刊行」の「代表者」でなく「実の本人」で、奥付の「発行者 秦 宏一」は、私自身幼少時の実名なのです。小説も戯曲も論攷もエッセイも詩歌集も、序も、後記も、すべて私の「創作」と「執筆」で例外はありません。つまり謂われますところの『雑誌』では全然なく、一切「私版」の実質『単行・単著』なのです。
べつに、そんなことにコダワリもガンバリも持ちませんが、思い違いをされてのお誘いなのであろうと思われましたので、申し上げたまでのことです、ご諒恕下さい。
ほんとうは、一現役作家としての念願は、この『湖の本』と軌を一にして多勢の力在る作者達が、自身の著作を自身の意志と美意識とで出版し続けられたなら、日本の文学界もよほど容貌を一新するだろうと思うのですが、亡くなった鶴見俊輔さんとの対談で、氏も、それを熱望し期待するけれども、それには編集術、出版知識、何よりも一定以上の愛読者が確保でき、何より「質的に値い」する自身の創作・著作を「うんと持ち、かつ書けなければ、更には家族の熱い協力がなければ」とても「為しも成しも得ないでしょう」と笑い合うた事でした。本の発送がどんな力仕事かは本屋さんとしても、よくご存じでしょう。
私は、妻も、いま八十六歳ですが、もう旬日には二人して「第158巻」めを「発送」するのです。創刊以来、夫婦二人で刊行し続けてきたのです。亡き鶴見さん半ば泣き笑いの慨嘆を懐かしく思い出します。
私は「雑誌」を編集して出版するという気は、微塵も持ちませんでした。上京結婚以来十五年半の「出版社勤め」で卒業していたのです。太宰賞作家として歩き出す以前でにも、貧しい中で、私は自身の「小説」私家版本を四冊作り、その四冊めの表題作『清経入水』が、回り廻って小林秀雄や円地文子らの推薦、怖い六選者(石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫)の満票で、太宰治文学賞賞に当選していたのでした、私は自作が選考に持ち込まれていた経緯一切を知らなかったのです、仰天しました。
ま、そんな経歴から、いつか『秦恒平・湖の本』が誕生したのでして、「雑誌」でなく分量的にも内容的にも現在158巻の全冊が、まったくの「単行本」作品集なのです。
お誘い戴いたのが何故か知れませんが、もし「雑誌」として誤認なさっていては却ってご迷惑になるので、率直にお返事のみ申上げました。 時節柄 日々どうぞお大事に。
五月九日 夕
* 妙なことも、あるものである。
妙なことに惑わず、次の巻の出来てくるまで、せいぜい「創作仕事」を先へ押したい。 2022 5/9
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 多くが、今やすべてに近くが順を追うように次々に、とうに、また間近に、逝ってしまった。ある者はつかの間も記憶に残らずある者は伝説化し、ある者はとうに記憶からも失せてしまった。心得よ、わたしと謂う一小化合物は、分解してしまうか消滅してしまうか、それとも場所を変えてよそにおかれるか、だと。 (第八章 二五)
2022 5/10
* ウクライナでのプーチン・ロシアの蛮行・愚行といいコロナ禍の延々継続といい、どうしようも無く地球のこんにちはガタカセタし続けて、人はみな、安泰の歩みも得られない。ほとほと迷惑、まるまるマスクを顔からはずさず、旅はオロカ街歩きもしない二年半になる。あの戦時下でも、幸い京都は空襲も九割九分免れたし、丹波へ疎開しても半年未満で敗戦集結した。列島に空爆を浴び始めて敗戦までと同じ長期間をなんと一感染症に祟られ行動と暮らしを束縛されていて、先はまだ不透明。命を縮めている点で戦争と変わりない。
十連休にも用心を云われていながら、京都など嵯峨嵐山も清水寺も文字通り満杯に人出で溢れていた。その上に外国からの入国を水際で緩めると。
「愚や愚や ナンヂを如何にせん」
* こんな際に岩波文庫で『旧唐書倭国日本伝 宋史日本伝 元史日本伝』を書架から抜いてきて、禍何時をも愉しみ読みながら簡潔をきわめた古史の本文をフンフンと読み始める。興味深く、憂き世離れもして、いっそ風流めく。風流の愉しめる性と才とを、生み・育ての親に感謝する。
2022 5/10
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 得意にならずに受け、いさぎよく手放すこと。 (第八章 三三)
2022 5/11
* 気を替え 落ち着いて他へ向き合う。「読み 読み調べ」か「書き 創作や私語執筆」か「読書」か。 現在日々の読書九冊に、またもまたも岩波文庫新版の『源氏物語』を加えた。一気に量を追わない、文章文体と世界とのそれぞれを楽しみ味わう。選りすぐっているので期待外れは無い。
2022 5/11
* いま此の私の機械からは、メールの機能以外に 広い世間へ電送公開の何も無い。在来お付き合いの親しい読者や同業系の諸兄姉には「湖の本」の創作と私語とで次期こそ遅れるが大凡はお届けできている。広い世間と用意無く電送公開でかかわりくる妨害行為に出遭わないで済む方が安心と思っている。「ホームページ」の強いての復旧は望むまいと。
2022 5/11
* 日々に老い衰えの深まり行くのが感じられる。体力や脚力のそれであるより、記憶と脳力の沈下と。幸いに、しかし「読み(調べ)書き(書字・文章)読書」も大過なく不自由なく出来る。たいした段数でないが二階への階段上下も、まだ苦痛でも負担感もない。生命欲とでも謂うか、まだまだ挑む活気をもちつづけたい、「老い」とはむしろ競って生きたいと思う。老境を気取ることは無用と。「孤立無援」では無い、久しい読者が日本の広範囲からみてくださる。ときに手伝ってもくださる。
それにしても、ま、深夜のこの六畳書斎の「雑然」よ。これで善い。これが安心でこれが嫌いで無い。
* 十二時になる、日をまたぐ。明日の日記を起こし、階下へ降り、もう少し寝床で「読んで」から寝よう。明日も穏和にとねがう。
2022 5/11
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 現在の時を自分への贈り物として心がけるが善い。死後の名声を追い求めるほうを選ぶ人は、次のことに気づいていない。すなわち、未来の人たちも、現在重荷に呻く人とまったく同類の人間たち達であり、やはり死すべく死んで行く人間であること。いずれにせよ、その人たちがきみや私について、あれこれ態度を示し言説を用いようとも、それがいったいきみや私に何であり得ようか。 (第八章 四四)
2022 5/12
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 平静とは、自分が自分らしい、自分にふさわしい態度と行動を為しかつ成し得れば、それで満足という意味である。それがそんなに成しがたいことか。 (第八章 四五)
2022 5/13
* 夕方 撮って置きの映画、鏡花原作第一等の名作『歌行燈』を、美しくも懐かしい花柳章太郎と山田五十鈴とで、感動した。鏡花世界の確かさに泪がこぼれた。久し振り底知れぬ鏡花世界に身を浸し心奪われた。嬉しく、うれし泣きした。謡曲の、仕舞の、美しさに身震い。作の舞台の桑名の宿も懐かしかった、まさしくあの宿で招待を受けたことがあるのだ。
学研の選集『明治の古典』で、「泉鏡花」の巻は私が編選し、「歌行燈」と「高野聖」を選び、「龍潭譚}の口語訳も加えた。『古典選集』の方では「枕草子」口語訳を担当した。働き盛りであった。
* つづいて川端康成原作の映画『山の音』は、原節子と山村聰でありながら物足りなく、世界も展開も総じて、鏡花の堅固な絶景に比し、浅く薄く、私も妻も途中で投げた。
川端康成には、ことに晩年、昭和も果てるまでに、堅固な文学の部厚さ独特な世界観が浅く流れ、文藝の深い怖さがうすく、概して尋常な身の回りの「おはなし」に甘んじている。処女評論集『花と風』のなかで「川端康成」を「廃器の美」と極めているのを今も然りと信じる。
2022 5/13
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人間に、人間的でない出来事は起こりはしない。満足も不満もあるまいに。 (第八章 四六)
2022 5/14
* 詰め込みの抽斗の一つから、大学ノートに「 1984 昭和五十九年元旦 より 1988 昭和六十三年元旦 まで」の日記が現れた。四十年近い過去で、記憶からは遙かに遠のいていたが、日記を見ると、目の前のように記憶が蘇る。なにもかもが善かった出なく悪かったでもないだろうが、浦島太郎の玉手箱のように想われる。1988 昭和六十三年元旦の記事をそのまま書き抜いてみたが。
(いま、参照までに)
◎ 1984年 昭和五十九年 元旦 日曜日
今、新年を迎えた。天神社の太鼓が急に威勢よく、お囃子も聞こえてきた。建日子が 寒い中を とび出して行った。 朝日子はまだ湯にいる。迪子は、去年の初出本記録のカードを作ってくれている。
無事に新年を迎えられて嬉しい。ネコが暮に容態わるく だいぶ泣いて心配したが、幸いもち直して よく鳴いて甘えてくれる。よかった。
昨冬は、総選挙で久々野党の旗色よく よかったが、その後の与党の収拾のうまさにも 呆れながらかんしんしてしまった。
カレンダーを新しくし、時計の針を正し、さて酒でも呑んで、ゆっくり寝よう。だが、めざめてからは、元日も暮もない 私の戦場だ。仕事は山積みだ。けっこうなことだが、それは 仕事が済ませて行ってこその けっこう。
新年早々というのは 緊張がきつい。ダレて居れない。いつになっても私は若い学生のような気分だ。私は今年、少年に帰るだろう。さあ起とう。平静心で起とう。いろんな事があるだろう。
ほっと目醒めたのが 九時半だった。雑煮を祝ってから、建日子にベートーベンのシンフォニイをレコード3枚で、迪子にはハイドンのバイオリンコンチェルトなど1枚、朝日子には トマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」(岩波文庫)と ブーツとを。建日子には他に岩波文庫で短いのを5冊。
谷崎松子夫人からのプレゼントが 朝日子にハンドバッグ、私にネクタイ。なんと!
十一時に天神社へ初詣でに。すばらしい快晴、うらうらと。静かで。佳いお正月だった。
年賀状は元日だけで、私の分だけで300枚を超えたろう。一日がかりで返礼の宛名書きをした。昨冬の父(実父・吉岡恒)の死があったので、賀詞は今年は省いて、ただ、賀状の来た人にだけ 返礼の出来るように用意しておいたのだ。それでも200枚余りしか書けなかった。晩おそくに、歩いてポストへ入れて来た。
除夜の鐘を聴いてから、一本、「ジャッカルの日」という映画を独りでみて(tv)、そのあと、「最上徳内」の手入れを開始してから、床に就いた。一時半に、電話が必鳴った。すぐ切れた。
徳内の 第一回分を読んだ。「四度の瀧」を1枚分ほど追加した。エッセイも1枚分ほど打ち初め(ワープロ)た。
朝日子が腰を痛め、豊福君のデートの誘いを 結局 断るハメになったのが 元日の残念となった。
さて、あれもこれも着手してみたかったが、やはり賀状に時間をとられてしまった。まァ かっかしてはいけない。確実に。今年は時間の配分と併行作業とが大事な配慮になろう。
お年玉を渡してから、 キリストに倣いての4巻57章を読み、お祷りをした。
* 幾つか、思い出せる。
キリスト教と「お祷り」にびっくり。 シドッチを書く心用意だったかか、あるいは実父教会葬の縁か。
松子夫人のお年玉。 懐かしい。
朝日子と豊福君。 結ばれてたら、親は、どんなに嬉しかったか。
年賀状の300通。 「新年」の発進に障ると、年賀状一切「おやめ」と決心した。。
* 此の、上の日録ノート、一年分取り纏め書き起こして置くと、いわば私の「中年・働き盛り」の色合いが、分かりよく見えるのかも。ま、この先々の仕事優先が当然です。
2022 5/14
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 激情から解放されている精神は、一の堅い城砦である。人間にこれ以上安全堅固な場所は無い。これを建設できない者は無知であり、是を堅持できない者は不幸である。 (第八章 四六)
2022 5/15
(いま、参照までに)
◎ 1984年 昭和五十九年 正月十二日 木曜日 晴 寒
もう十三日に入っている、三十分。そして一週間ぶりに今日(十四日)は白い日(=外出・来客等の所用の無い、カレンダーに予定書き入れの無い日)だった。十一日には 『春は、あけぼの』出来(評論集 創知社刊 第60冊目の自著単行本)、中堀信行(創知社)社長、陣内君、田辺兵昭氏(文化出版局 ミセス)、島尾伸三氏(写真家)も来訪、酒は六時間に及び、私も、迪子もバテた。こういう客は出田興生氏(平凡社 太陽)と元の家族とが都合五人みえた日も同じ。この一家のことは、いずれ書く時もあろうか。(NHKブックス)の本山氏も来てくれた。
六日には 国立小劇場で、(藤間)由子の會が、 私の詞 荻江壽友の曲で『細雪 松の段」を舞ってくれた。小林保治(=早稲田大学教育学部教授)夫妻や武田典子さんを招んだ。むろん谷崎松子夫人に捧げたもの、夫人も(娘の=)観世夫人もみえて下さった。そして 私は 成功したと思う。もう、京都先斗町が温習會に使いたいと言っているので許可をと、壽友氏より当日にも 今日にも 挨拶があった。 小林夫妻を寿司幸へ誘った。 十日には 俳優座の「テンペスト」を家中で観た。小沢栄太郎らがよくて、これは私は十分楽しんだ。この日 (朝日新聞)夕刊「新人国記で ハデな写真入りで(私=)登場した。
七日には(上野の博物館=)東洋舘で静かに佛頭など観て来た。
『四度の瀧』を130枚まで書き進んでいる。『徳内』も一応、前沢さん(筑摩書房)へ戻してある。
武蔵野女子大(=教授として聘したいの陽性が既に在り)のことを決め兼ねている。
あれあれというまに、もう十三日、 午後には(中公新書)の青田吉正氏が来訪の予定になっている。
京都論の案、 出来ていない。(朝日ジャーナル)の連載、 シドッチ・白石の進稿 四度の瀧 の仕上げ、 (新潮)の書き起こし、 私家版の四編 講談社詞華集の進行
すくなくもこれだけの大仕事(一つ一つが大変な仕事)がある。そこへ 月に十日をさいていて(限度)、大学への出講(三コマ、二科目)が可能だろうか。参った。
(サントリー美術館)に書いておいた 正月と晴着 の一文が(東京新聞)ちょうかんの筆洗で 正月早々にとりあげられていた。林伸太郎氏、目配りのいいのに驚き、感謝。
ゆうべ谷崎(潤一郎)の「アヱ・マリア」 面白く再読。
* 目の舞う忙しさだっただけは、よく思い出せる。フーンという感じ。
2022 5/15
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ なにか外的の理由で苦しむとすれば、悩ませているのはそのこと自体でなく、それに関する判断なのだ。そんな判断は、考え一つでたちまち抹殺してしまえる。何にせよ苦しめてくるものが、自身の心の持ちようにあるものならば、それを決然正すのを誰が妨げよう。 (第八章 四七)
2022 5/16
* 雨。懐かしいネコ・ノコ母子、黒いマゴの奥津城間近に根ざして、隠れ蓑が天を仰いで大屋根まで枝葉を密に広げ、テラスを青々と美しい蔭で覆っている。
メールも無く郵便も来ず、さびさびとした日頃だが、「読み・書き・読書」は十二分に豊か、そして「撮って置き」の映画200以上、選抜きのクラシック演奏盤も100を越し手の届く處にある。古今亭「志ん生江戸物語」まである。六畳間の西半ばの壁き堅固に見栄えの作り付け書棚は、私三十三巻の『秦恒平選集』33巻も含んで、大事典の各種、敬愛の全集も数えれば八種に満たされてある。刊行半ばの「秦恒平・湖(うみ)の本」157巻も揃い、大小諸機械8台が働いている。秋艸道人筆『学規』 井泉水揮毫『花・風』の大字額、南洋の大豆鞘に一字ずつ書かれた『鴛鴦夢園 潤一郎 書』と夫妻のお写真、グルジアの旅で貰って帰った美しい巨角盃の吊りもの。朝日子が頭部を石膏自造の「顔」。妻の描いた亡き「やす香」ネコの娘「マコ」の小肖像。 そして
* 敬愛久しい医学書院金原一郎社長が、自身私の仕事席ヘまで持ってみえた「秦恒平君 社長 (ご自身の、そして自筆で=)写真一枚 お贈りします お受取下さい」と添えて下さった「温顔の自影」一葉。
これは、信じがたいまでの驚嘆だった。ほぼ岩波書店と同規模、医書の業界では抜きん出ていた「医学書院の金原社長」といえば業界でも著名、社内では「怖い極み」「(愚図と不届きを真っ向)怒鳴る社長」の代名詞で社員はみな兢兢・恐々の方であった。
私は、しかし在社十五年半、只の一度も怒鳴られも𠮟られもしなかった。側へ寄って行きもしなかった。ただもう、高度の医学・看護学の研究書・教科書の企画編集者としては文字通り「猛烈」に成果を積んで倦むを知らず、平社員の間から毎週一度「社長主宰の企画会議」に目次と筆者・監修者を具体的に用意の「出版企画」をひっさげ、ほぼ年柄年中出ずっぱり、社長・編集長の決定・認可で次から次へ企画を通していった。むろん専門の研究医家やナースに執筆依頼し、取材・製作・出版した。
企画書を持たずに平社員は出席できない企画会議だった。そして、そのうちには突如、筑摩書房の「太宰治賞」作家にも成った。社長は祝って授賞式にも出て下さり、他社の社長達に金原社長までが口々に「祝われ」て、見たことも無い大にこにこだったのが、今もしみじみと嬉しく、忘れられない。
医学になど全く無縁の美学芸術学で院を中退、妻と上京して、とにかくもと就職した医学書院だったが、手も出せない「医学」と「医家」という堅い高い壁がむしろ「幸い」し「向き」もして、医学看護学に敬意も好奇心も持って熱中気味に各界・各科の「先生」がたと付き合い信頼もして貰った。出しゃばらず、ただ手堅く企画・取材に携わって「企画会議」に企画書を出しつづけた。
手も届く間近い『金原社長』自筆添え書きの写真は、今もこの部屋の宝もの。社長はこの自影像を「告別」の用に撮られたのだった。葬式は無用と云われていた、私も同じ事をはっきり言うている、私のために葬儀は一切無用、墓も無用、雑然と謂わば雑然を極めたこの「六疊の仕事場」の何処へなり遺骨であれ遺灰であれ、小さく置いて欲しい。この部屋、あまりきちんと片付けたりしないで欲しい。それほど、此の書斎が私は居心地善く大好きなのである。妻と建日子のほかは入ってきて欲しくない。
* ひとつ付け加えねばならない、この暖かなほどものの溢れた書斎に、帝劇の舞台や楽屋へも招待してくれた沢口靖子の、清潔に美しい笑顔が、大小いろんな写真で、四方から私の仕事振りを見てくれている。ひょいとテレビへ初登場の日から、最良の日本の美女と愛して憚らない私であるよ。
2022 5/16
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 行動においては杜撰になるな。対話会話においては混乱するな。思想においては迷わずかつ善く正せ。人生に余裕を喪うな。悪は多く在る、が、自身の精神が潔く賢く、つつしみ深く正しく在り続けることに、何の関わりがあろう。いつでも善意と誠実と慎みをもち、自由なと自己を守り抜け。 (第八章 五一)
2022 5/17
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 自分を取り巻く叡智とも思索をともにせよ。叡智はいたるところにゆきわたり、誰しもの周囲に瀰漫しているのだから。 (第八章 五四)
2022 5/18
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 私の自由意思にとって隣人の自由意思は無関係の事柄である。彼の息と肉が私に路関係なのと同様である。たとえ吾々が医家に特別にお互い同志のために創られたとしても、吾々の指導理性(ト・ヘーゲモニコン)はそれぞれに自己の主権を持っている。さもなければ隣人の悪徳は私のわざわいとなってしまう。しかし神はこれを善しとされず、互いに互いを不幸にする自由を与えぬようにして下さった。 (第八章 五六)
2022 5/19
* 昨日妻と観た やはり撮って置きの映画「小石川の家」が素晴らしい名品だった。幸田露伴の蝸牛庵。露伴に森繁久弥、娘に田中裕子、孫娘に田畑智子。これはもう絶品の演技でみせる完璧の映像と会話。むろん何度目かを観たのだが、そのみごとな科(身動き)白(言葉)の美しさたしかさ、よくも名優の名演技をを選んで魅了して呉れた。演技派としては現代第一と躊躇いなく目している田中裕子の美しいたたずまいに心底から惚れ惚れした。森繁は謂うまでもない。二人になにもかも教えられての祇園の子田畑智子ちゃん懸命の初々しさにも惚れ惚れした。
* 当節の日本の文壇(在るのか無いのか)で、明治の露伴、鴎外、紅葉、逍遥、また藤村や漱石ほとにいったい誰が居られるかと、マルの外野から私はわらっている。自分がそうと謂うているのではありません、残念と思うけれど。
2022 5/19
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 精神の拡散と波及は太陽の光のごとくあるべし。けっして枯渇することなく拡張し、障害物と出遭っても猛烈にはぶつからず、倒れ落ちもせず、自分を受け入れるモノの上にしっかり立ち、是を照らすべきである。
まことに、この光を受け入れぬモノは、自分で自分から自分の光を消し去ってしまうのである。 (第八章 五七)
2022 5/20
* 今回はいろいろに遅れてやっと「湖の本 157」の刷りだし、一部抜き、表紙口絵など届いた。口絵の実父の顔や姿が呆れるほど私に肖ている。とうとうコンナものを書いたかと感慨に迫られる。すこしドキドキして読み返す。
* 彬彬として楽しむと謂う。そういう想いで回顧の日々へ誘われている、らしい。そんな自身を赦そうという心地にもなっている。嗚呼とも感じない。すでに夢か。十時過ぎ。
2022 5/20
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人はお互い同士として創られた。ゆえに、彼らを教えるか、そもなくば、耐え忍べ。
(第八章 五九)
* 立ち向かう。 意識するとせぬにかかわらず、新しい一日は斯う肇めている。今朝も。
2022 5/21
* 尾張の鳶が、京都で、洛東の一部、地域を限って依頼した「写真」を、昨夜、たくさん電送して呉れた。私の「記憶をもとに地区を限定」したが、何というても六七十年も以前の、しかも孰れもほぼ一度として立ち入りも実見もしたことの無い見聞と想定による依頼で、珍しい驚きで、今日、写真に見入った。感謝、感謝。少年の昔に知り得ていた限りではいっそ草莽と貧寒が、開明の高層建築等に埋められたようなのに、感慨しきり。いわばそれが当然とも謂えよう。戦時下には、かつて鼻をつままれても見えないほど漆黒に包まれていた祇園町花見小路が、文字通り幅5メートルと無かった小路が、俄然強硬な人家取り毀しで四条大通りから三条大通りにまでブチ抜かれ、何らかの思慮配慮も加えられびっくりする高層建築が通り脇に建っていたのも記憶にあるのだ、まして爾後数十年である。
全く見知らなかった光景や建物や界隈に、やや息を呑む心地もした。
鳶さん、有難うと繰り返し言わずにおれない。
もとより、「書こう」というのである「仮構」の物語を。芯になるだけの人と物語とには「用意」がある。問題は、此の今の私の時間的な現況。ゆっくりはしてられない、体力能力の窶れに負けてられない。
2022 5/21
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 矢の動き、精神の動きは、異なる。それにもかかわらず、精神が慎重に自己を省み、また、或る考察に専念しているときは、矢のそれに劣らずまっすぐ飛んで目的に向かう。
(第八章 六○)
* 慕わしいという気持をもてない人を気の毒に思う。「やそろく」の爺にして、夢にも慕わしい人らに出逢うと、嬉しさに泣いて追い縋る。
2022 5/22
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 宇宙の自然は人間を互いに益し合うようにし、互いに害し合うようにはしなかった。この自然の意志に背く者は不敬虔である。嘘つきも不敬虔で或るである。快楽を追い求める者は不正から離れ得ず、明らかに不敬虔である。 (第九章 一)
2022 5/23
* 本の姿になった本は手にして傷めるに及ばず、各巻に一部抜きをキレイに断裁し整えて閉じてくれたのが毎度三部届いている。読み返しは気ままに、それでする。特に手洗いの便座で、用を足すよりも「湖の本」一部抜きを気ままに捲る。今朝は『オイノ・セクスアリス』上巻を持ち込んでしばらく、気ままに、読み返していた。
この三冊に成る長編が、私ひそかにも気に入っている。語り口、展開、深く迫ってくる新字の懐かしさが仮構されていて。すこうし読者の皆さんに「遠慮」もした遠慮の無い表現や描写や歌が満載もされている。部分的に「露骨」と読む人の有って防ぎようもないので、ま、自分勝手に気に入ってきた、が、あるときに旧友の「テルさん、西村明男君」が、「ハタくんの代表作は、『オイノ・セクスアリス』と冷やかしでもなくキッパリ告げてきて呉れた。中学以来敬愛してきたもと日立の重役君で、わるい冗談を言う人でない、じつに我が意をえて嬉しかった。体験の記憶があってでは全然無いフィクションに徹して書き通しただけに「世界」が身にしみ懐かしいのである。
今朝早くも、気ままに開いたほんの数頁を静かに独り読み返していた。妙な作者と笑われるか。
* 今朝には湖の本157『虚幻焚身 父の敗戦』が出来て玄関へ積まれる。三日ほどは発送に追われるが、済めば「次」へ元気に進んで行ける。午前に妻は定期的な診察を受けに近くの病院へ。どうぞ無事でと願っている。
* このところ、まんざらにサボッテいるのではなく、1984年(昭和五十九年)から翌年への克明な「(私語でない)手書きの日記」を「読み」返している。目的あって、ではなかったが、前年の内容は凄まじ迄の私の文筆・作家活動なのだ、次の年へ移ると、我が家のある意味容易ならざりし、愉快とは言いかねる疾風怒濤に襲われている。その破壊的に不快な余波余風は、世紀をまたいで四十年近く今も「秦家」を曇らせている。部厚い大学ノートにペンの細字で半ばを埋めている。決して愉快でも懐かしくもない。
* 父の吉岡恒は、もの凄い嵩のさまざまな書置きを遺して逝った。その「父の敗戦 虚幻焚身」の生涯を、私も結句は続演し焚身してきたのか。
2022 5/23
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 精神の堕落というものは、吾々を取り巻く空気のいかなる汚染や変化より、はるかにひどい疫病である。人間性に悪しく影響するからである。 (第九章 二)
2022 5/24
* 二日目の発送を、三時半頃に一休みとし明日もう一日で終える。「やそろく」夫婦とも疲労を溜めると先々へ障る、ゆっくり遣ろうと申し合わせている。第157巻を送っている。大勢でいろいろの「雑」誌ではない。「157巻」各巻を通して、「単行本」並みの分量と「秦恒平」独りの創作や著述で編み続け、創刊依頼36年間、途切れたことがない。読者は各界の各地に幸い散開していて、有難い。「創る」「書く」「出版刊行する、三つとも出来ねば「続く」ワケがない。真似したい人はたくさんいると漏れ聞いているが出来ている独りもしらない。
それも、もう何年続くか。本の中身に不自由しないが、夫婦して八十七歳へ歩んでいて、もう体力が限界へ来ており、手伝ってくれる同居の若い家族がない。今は破損して稼働していないが、あの東工大田中孝介君が目の前でまこと手早に仕上げてくれた魔法出来のようなホームページ『秦恒平の文学と生活』のようなのが「新建築」できたら「それで」ともと思うことはあるが、やはり電子文字で読む文章と、本の体裁も美しく備えた活字編集は「チガウ」なあと妻と苦笑し合うことではある。
* と言うてるところへ、もう、次の『湖の本 158』初校が届いた。微細なまでをかけて創った創作を巻頭に、部厚い初校ゲラ。このお置き路のパソコンのデスクトップには日々の日録のほかに、創り始めて書きかけの小説や記録が五つも轡を並べている。我ながら難という忙しいお爺さんか。『閑事』と二字、茶の家元の軸をさしあげた石川の懐かしい井口哲郎さんにわらわれているだろう。
2022 5/24
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 死を恐れるな、軽蔑するな。これもまた自然の欲するものの一つ、自然に待って受け容れよ。もとより、人も受け容れよ。しかし、きみももう知っている。人びととともに暮らすことの不調和がどんな疲労をもたらすかを。 (第九章 三)
2022 5/25
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 或ることをなしたために不正である場合のみならず、或ることをなさないために不正である場合も少なくない。 (第九章 五)
○ ことに上の、後半が、身にしみ痛いほど思い当たる。
2022 5/26
* 新刊の『父の敗戦』を読み返していた、もう何の遠慮も為しに書き抜いている。生涯の縁薄き両親、生母を先に書き、実父を今度書き、「最後ッ屁」ではないが、書き置いたぞと言うている筆触・筆致ではあるなあ。もう先は短い、のだろう。
2022 5/26
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人間から 完全に孤立した人間 など無い。 (第九章 九)
2022 5/27
* 何故と、ハキとは言えない、分からない、が、しんから草臥れてわたしは萎えている。なにもかも、もういい、もういやという落胆で、終わりにしたい気持に落ちている。したい、が、死体と書けてしまう。死にたいのではないが死んでもいいという気持だ。なぜか分からない、穴へ押し込まれるような敗亡感。
思いがけず手に触れた、今年の元旦に大きな用箋に気張って書いたもの、その末行にこんな一首が書いてある、
いま幾とせ生きてし吾の為しうべき
何あるも無きもなに惑ふべき 八十六翁 南山 秦 恒平
と。四首の歌の最初はこう詠んでいる。
幾むかし経てぞらひし色いろを
吾(あ)に教へてぞ逝きし人らはも
と。その「人ら」の方へ顔を向けているのか、ちから果てて。
2022 5/27
* 烈しい雨だった。書庫内の一部絨毯がぐっしょり水に浸された。
* 何がしたいのか、どうしたいのか、それがハキとしない。思えば新刊を送り出しおえているのだし、是が非でと追われる要事はないのだ、三日ほど寝続けたとしても誰も困らない。好きに本を読み続ければ良い。なにを悲観的なのか自分でも分からない。ハキハキと、テキパキとと自身に強いすぎているのでは。
2022 5/27
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 寛大という心持ちが人には与えられている。寛大な者には神もまた寛大であられる。それのみか、ある種の事柄のためには協力さえ惜しまれない。 (第九章 十一)
2022 5/28
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 働け。みじめな者としてでなく、人に憐れまれたり感心されたりしたい者としてでもなく、働け。その一事を志せ。 (第九章 十二)
* 耄然と生きていて生きがいはない。生きていたいなら堅固に覚めて生きよと我と我が身に言いつける。もう、外の世界に振り向ける強い好奇心も警戒心すらも薄れているのなら、野放図に自身の描く地図の中で生きよ。
2022 5/29
* あれやこれやと 要事を仕上げまた片付けていた、「生きる」に息苦しく疲労の色濃い一日だった。発作的になにもかも投げ出し了いかねない、それも良いかまだ早いか。
2022 5/29
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 今日、私はあらゆる煩労から脱け出した。というよりも寧ろあらゆる煩労を外へ放り出したのだ。なぜなら、それらは外部になく内部に、みな、私自身の「気分」の中にあったから。 (第九章 十三)
* なにが一等疲労しているか、眼 視力と言い切れる。
なにが一等混雑しているか、この部屋 と言い切れる。
2022 5/30
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 他人が 非難したり、憎んだり、これに類した感情を口に出して来れば、彼や彼らの魂に入り込み 彼や彼らがどんな人間かを見てやれ。彼や彼らがなんと言おうと気にする必要の無い相手だと、すぐ分かる。 (第九章 二七)
2022 5/31
* なぜか手近へこぼれ出ていたようなも大昔の雑誌「思想の科学」を手にし、亡兄北澤恒彦のかなりな力編と謂えようか「革命」を語った長い論攷と、この兄が、私恒平の昔の作『畜生塚』のヒロイン「町子」の名を、生まれてきた娘に貰ったよと手紙で告げてきていた北澤「街子」が連載途中のエッセイを、朝飯前にさらっと眺めていた。この「思想の科学」は今は亡い鶴見俊輔さんを中芯に結集した人等の大きな拠点であったようで、兄恒彦はその中核の一人、老いの黒川創もその「編集」等に参与していた、、ま、一種の京都論派の要であるらしかった。京都で盛んにウーマン・リヴを率いて後に東大教授としても活躍した上野千鶴子さんも仲間のようであった。姪の街子はオーストラリアの学校へ遊学していたのを下地のような、長い連載エッセイを書いていた、らしい、健筆のちからを見せている。創や街子の従兄弟にあたる私の息子秦建日子も、いささか八面六臂に杉目ほどの小説作家・演劇映像作家として多忙に過ごしている。
近年にウイーンで「悼ましい死」をとげてしまったと聞く下の甥北澤「猛」が文藝・文章を書き遺していたかどうかは知らない。聞いていない。彼かあとを慕って追った人はよほどの年長であったと聞くから、我々の実父母、彼には実祖父母に当たる間柄に似ていたということか。
私たちの娘で建日子の娘である押村朝日子も、謙虚に謙遜に続ければ、また夫の理解があれば、けっこう達者な物書きへの道へ入ってたろうに、早くに潰えた。心柄と謂うしかないのだが。
とはいえ、こうしてみると「私たち兄と弟」を奇しくも此の世に産み落としていった亡き実の両親は、文藝の子らを、少なくも二た世代は遺して行ったことになる。
「北澤」という家を皆目というほど私は知らないで来た。今も知らない。
私方では、妻の父は句を、母は歌を嗜み、息子は「保富康午」の名で詩集を遺し、テレビの草創期から関わって放送界で創作的に働いていたし、妻の妹は『薔薇の旅人』という自身の詩集を持ち、画境独自の繪も描く。妻迪子も、実はしたたかに巧い絵が描ける。
* たまたま、とも謂うまい、意図して私は「湖の本」新刊の二巻に、恒彦・恒平兄弟実父母の、いわば「根」と「人としての表情」を、ならび紹介し得た。出逢って忽ちに天涯に別れて生きた男女、恒彦と恒平とを世に送りだすためにだけ出逢って忽ち別れた母と父とのため、私の思いのまま、それぞれの墓標を建てたのである。
* 仕事や予定に「辻褄」を合わせようとしすぎ、自分で頸を絞めている気配がある。気配どころでなく、事実そんなことをしている。
もぅ、ええやないか、成るにまかせてチャランポランも愉しいと覚えたらと、アタマの芯で二人のわたしが言いあっている、気がする。チャランポランの口実をほしがっているわたしが居るようだ。
2022 5/31
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ もし、すべてが偶然に過ぎないのならば 自分までが行き当たりばったりに生きないようにせよ。 (第九章 二八
2022 6/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 喪失は変化に他ならない。その自然に従って万物は巧い具合に生起し、永遠に生起して行くであろう。 (第九章 三五)
2022 6/2
◎ (坪谷善四郎著『明治歴史上巻』第一編 維新前記)
維新の革命は開闢以来の大革新なり (以下 抄出す 秦)
慶應三年十月十四日は實に我日本帝国 歴史上に於て最も重大なる革新を招致せる日なり 徳川幕府が二百七十年間握有せる政権を捧げて之を朝廷に還し奉り久しく虚器を擁して實權を有せさせ給はさりし皇室に於て親から萬機の政務を行はせ給ひ 普天率土王化周ねく施し及す端を發したる日なればなり
* だいたい私は幼来 祖父鶴吉所蔵の旧本に先ず親しんだため おおよそはこういう文体をのみ音読また黙読して幼稚園 小学校 新制中学の頃を過ごした。父は少年の読書を目を痛める極道と厭い、本を買ってくれることの絶えてない人だった。幼稚園で提供された「キンダーブック」が唯一外来の新刊だったが、それを祖父の重たい本の数々よりも愛読したという思いは記憶に淡いのである。
しかし、講談社の絵本の比較的揃っていたご近所の家へ上がり込んで読んだ生々しいまでの繪と物語は、ふしぎなほど私には怖い怕いと思われた。万寿姫も百合若も阿若丸も、一寸法師ですら、なまなましくて怖かった。貸して貰った漫画のたぐいも「のらくろ」は楽しんだが、「長靴三銃士」などは怖かった。そして漫画は好かなくなった。敗戦後の京都へは戦火を避けたり海外から引き揚げてきた家族や少年少女が多くて新鮮な文化革命を実感したのは、彼や彼女らがみたこともない「本」のもちぬしたちであったこと。少年少女小説という分野が有り、菊池寛 川端康成 吉屋信子 佐藤紅緑などの名は何よりそれらで覚えた。しかし、大病が幸いして入院していた町医者の家の敷いた寝床の頭に書棚があって、漱石全集も ああ無情も モンテクリスト伯も そこで手にしていた。甘味に寄る有りのように私は本という本に魅されていった。ご近所のおじさんが呉れた蒟蒻版『一葉全集』すら中学の初年には愛玩していた。いやもう「本」をめぐる想い出には際限が無く、もっと知付いて一度順序立てて書いておきたい。
2022 6/2
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ もう沢山だ。なんで、ぶつぶつ、いらいらするのだ。なにか新しいことでもあるのか。観るがいい。よく見るがいい。なにも無い。 (第九章 三七)
◎ そうは謂われるが。 蝕むと謂う、心を蝕む今もっとも憎むべきは、ロシアの、プーチン大統領の無残を極めた悪行。反吐をつく。毎朝に報道を聴くのが苦痛、だが目を逸らせないとは。ほんとうに、なにもない、のか。
* 自分が今何をしているのか解らなくなることがある、機械処理のせいもあるが、私理理解力の混乱もあるか。どうでもいいやという気分も、ある。
2022 6/3
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 自己の自然に従いあれやそれを行ったということで十分ではないのか。報酬を求めるのか。眼が見るから、足が歩くからといって報酬を求めるか。 (第九章 四二)
2022 6/4
* ことに漢字・漢語を覚えそのおもしろみに馴染むのが、和語・やまとことばの其れより覚えやすく分かりよくことに幼少時には「得意」であった。いま「湖の本」のなかみにまま漢語を用いているのは、なにもその由来に知識が行き渡ってのことでなく、字面に於いてオモシロイなと自ままに流用している程度である。
そういうところから、老荘の孔孟のは恐れ多くも、ことに漢詩の五絶、七絶また律詩にははやくに惹かれ、祖父鶴吉の蔵書のなかでも唐詩選、ことに白楽天詩集は、むろん解説や語釈つきであるが、まことに早くから親しんだ。ことに「新豊折臂翁」など感動し、感化され、将来小説を書くならこれに就いて書きたいと殆ど決意して、その通りに「或る折説臂翁」を処女作に持った。一九六○年の頃であった。自然(返り点がついてだが)漢文には親しみやすく、高校国語でも「漢文」を選択し、教科書などみなすらすら読めて岩城先生に驚いてもらったりした。同じ教室で返り点の漢文でも苦もなく読める一人もいなかったのを思い出す。但し現中共中国のあんな新体字はだめ。読めない。
* なにより漢字漢語には「熟語」があり、これが親しんで教えられ面白い魅惑の手がかりとなった。祖父は、いわゆる小説の類は蔵してなかったけれど、老子莊子韓非子また四書五経の類、歴史書、詩集に加えて漢字漢語の大冊の事典・辞典を何種も遺してくれていた。今も史記列伝を愛読最中で、四書講義や十八史略もありがたく、書架に場所を塞ぐけれどもな大事にまもって時に教えて貰う。辞典・事典の好きな祖父であったのは実に実に有難かった。
それでいて、いま「湖の本」の書題に借用している四字熟語などもべつに原意や由来にそくしてなどいないで、字面を好き勝手に愛用している程度。
老蚕朔繭 水流不競 哀樂處順、優游卒歳 流雲吐月 濯鱗清流 一筆呈上 虚幻焚身 等々、なにも難しくは考えていず文字面に感興を覚えている程度。和語ではこうは締まらない。
* 早朝に目覚めてはこんな「私語」に時を遣っていてはもったいと思いつつ、しかし私の此の『私語の刻』という「文藝」の自覚と集積ははとても大切な大きい発明で実践と思っていますと、文壇作家達には恐かった「大編集者」が云うて下さっている。読者の中にも秦恒平最大の文学かと受け容れて下さる方もある。嬉しいことである、かまけてはおれないけれど。
2022 6/4
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ すべての出来事は、生まれつきこれに耐えられるように起こるか、もしくは耐えられぬように起こるか、いずれかである。ゆえに、耐えられるようなことが起きたら、ぶつぶつ云うな。生まれついているがママに、これに耐えよ。しかしもし耐えられぬようなことが起きたら、やはり、ブツブツ云うな。 (第十章 三)
2022 6/5
◎ ある人に応えて。
下に引いたあなたの文言に沿って、少し、書きます。
▼ 作者と同時代に、近くに生きている人間には本人から直接訊ける特典があり、それを活用しない手はないとしても、何かを訊くことは、それも目上の方に訊くことは大変失礼なことです。お怒り、失笑をかうものです。もし記者ならそれでも突き進むべきでしょうが、そこまで厚かましくはなれそうにありません。私は取材は出来ない人間でありましょう。ただ一つわかっているのは、「秦恒平」が生きる甲斐ある「問い」を私個人に与えてくれることだけです。
とにかく今取りかかっている評論は、現代性のある着眼点であるという自負は少しだけあります。目の前の一行一行大事にして良いものを仕上げたいと願うばかりです。
◎ 文学評論には 作品論と作家論とが綜合して溶け合っている。異なる二つではあり得ない。評論と謂おうが評伝と謂おうが、それが「評者」の内に溶け合って精緻に発酵していなければ、偏見と独断と独善の高慢に陥ってしまう。あらゆる「取材(人・場所・時期)」への「詮索に同じい探索・精査・検討」の無い作品論・作家論は、評者の自己満足という「雑文」に過ぎないことを露表するのみです。その意味で、貴方が誠心誠意、自慢高慢を棄てて本当に立ち向かう覚悟なら、その仕事に「都合・勝手の土俵を設けて、独り相撲を興がるに過ぎなくなる過ち」を、真っ先の「覚悟」として確かと持たねば「お遊び」に終わるだけです。
一例、あのツワイクは、いわゆる「伝記作家」として卓越していましたが、いわゆる文学上の「作家論」者では「有りません」という遁げ道、抜け道の用意が出来ていたお見事な仕事師でした。
あなたは、こと文学作品と文学者とに区別など付けようもなしに自身の誠意と力を持ち合わさねばならない「仕事」をするのだと表明している。「これはします」「これはしません」などと自己都合の前提や言い訳の立ち得ない「しごと」に人生を賭すると言い出しているのです。立派です、為遂げて欲しい。
しかし秦恒平の「仕事」は少なくも、「作品・私語・日記・書翰の授受、戸籍と血縁、交際・交友の人間関係、信条や趣味」の量、嵩において 本人でさえ戦くほどです。あなたは、その万分の一も手に入れていない。
一例が、『罪はわが前に』を関連の作や論と倶に「評論」するとして、下支えた「材料、環境、人たち」をどう調査するかの手立ても足場ももってない。ここには「三姉妹」という秦恒平の人生で親や妻子ともならぶ存在がであり、その生き残った私と一歳差の一人がかろうじて京の一画に今も潜むように生きているのにも、何の接点も持っていない。私でさえ、辛うじて住所を聞き及んでいるだけ、しかし、上記作の「評論」で、その取材無しに何が語れるかと思う。「作の表現だけで論じる」のだとは、ただの遊戯的な自己満足に過ぎない。原善や永榮啓伸その他の論者の論もほとんど知らないでしょう、雑誌や研究會等でどんな特集が組まれ議論があったかも知らない。「取材はしない」と昂然と云う。それでは、誰がどうしてその「評論」を読んでくれるのか。
私は、少なくも上京・結婚以来の一切の受信書翰を保存していますが、もの凄い山です。そんなのは「評論」の何の役にも立たないと精査の手間をケチるのでは、あのツワイクの徹底した書翰収拾と精査からも、あまりにほど遠い。同じことが私自筆の日記帳や愛蔵の所持品にも云えるでしょう、そんなのは「作の評論とは無縁」という見解では、怠けた学生の卒論並みにも届かなくなる。完璧を期さない安価な「自称の文学評論家・研究者」をどれほど多く嗤ってきたことか、おそらくあなたも嗤ってきたはず。評論なので評伝でない、或いはその逆 などの言挙げは、ことが定まって、読まれてこそ決まるのですよ。
創作も評論・評伝も・根底は「取材力」でこそ、ごまかしようのない差が生まれる。はなから「取材」を自ら封じている論者の達成を だれが、どう信じられるのか 再考を願っておきます。「作者本人の口」に確かめてあるなどは、寝言に過ぎない、「作者」とは「うそ」を云い且つ書くことで勝負しているのですよ。外濠、内濠を埋めに埋めて本丸攻略に精がそそがれること、「評論」であり「評伝」であれそれが鉄の前提と覚悟して掛かられるのを奨めます。
* すこし云いすぎているかも知れないが、真面目に取り組もうという方なので、言を切しておく。
2022 6/5
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 「思慮深い」とは、各々の事柄に向き合う細心の注意と集中力を意味する。「心の大きい」とは、我々の精神的な部分が肉体の硬軟こもごもの動きや虚しい名誉や死やその他同様のものごとを悉く超越できると云うこと。 (第十章 八)
2022 6/6
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 神々が望まれるのはお世辞ではなく、あらゆる理性的動物 人間が 彼らとともに生きてあることなのである。 (第十章 八)
2022 6/7
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 行動に際して、自ら問うてみよ。「死ねばこれが出来なくなるという理由で死が恐るべきものとなるだろうか」と。 (第十章 二九)
2022 6/8
■ 先日、市川では激しく雹が降りました。講義の最中に雷鳴も轟き、帰宅する時には上がりました。
今日は、、録画しておいた「あの胸が岬のように遠かった」を観ました。永田和弘の著を原作にしたドキュメンタリードラマですが、ご覧になりましたか。永田と河野裕子の歌を、詠み直したくなりました。
(やそろくさんは、最近は作歌なさっていますか。「私語の刻」は、「湖の本」でしか読めないでしょうか。)
不安定な気候が続きますが、どうぞ体調を崩されませんように。 晴
* 亡き河野裕子は、斎藤史に継いで、最も優れた歌人と東工大の教室で推奨した私最も贔屓の歌人。永田は夫君。ドラマは観ないが、裕子歌集は書庫に愛蔵している。
わたしは、昔からそうだが「作歌」という施政からでなく歌は成るがママ、谷崎先生がいみじくも喝破されたように汗や涙や、まあ排泄物なみに流れ出染み出てくるのを書きとめるだけ。作り立てた歌にはどうも浸透力が無い気がする。「作」ではない「うた」であるからは「うたう」から「うた」と思っている、はや議論する気は無いが。
2022 6/8
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ なにを見るにも行うにも、目前の務めを果たしながら同時に思索の能力を働かせるように心がけ、各々の事柄に関する知識から来る自信を人知れず、しかしわざわざ隠しもせずに保ち続けよ。 (第十章 九)
2022 6/9
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ つぎの二つのことで満足している。現在の行動を正しく果たすこと。現在自分に分け与えられているものを愛すること。心労や野心を棄てる。真っ直ぐに歩むことで神にしたがう。 (第十章 十一)
2022 6/10
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 残された時は短い。 山奥にいるように生きよ。自然に適った生活で生を全うせよ。善い人間のあり方如何を論ずるのはもういい加減に切り上げて、善い人間になったらどうだ。 (第十章 十五、十六)
2022 6/11
* 徳川氏の祖宗が子孫に胎した政策にしてまた衰亡の原因を爲したのは、
一 京都の権を抑ゆ
二 親藩の權を養う
三 諸侯の力を弱らす
四 門閥格式の制を嚴にす
五 外国との交渉を避く
六 天下の富を江戸に集む
と断じた『明治歴史』著者坪谷善四郎の冒頭の掲示は、数百枚を擁したであろう「徳川」政治の表面の長、本性の短を洞察し喝破して、十二分なことに驚嘆する。感嘆する。まだたった7頁しか繰っていないのだ。
それはそれ、本の表紙には著者坪谷の氏名に先立って「従二位東久世通譆伯題辭」と麗々しいのは明治の本では「お定まり」のようで、少年以来しばしば目にした。あれで中学の頃、行きつけの古本屋に部厚い『明治大帝』が比較的廉く売っていたのを私は気張って買った。明治天皇にはさしたる興味は無く、その本の大半を占めて明治に華族制が出来て公侯伯子男の爵位者全員の頁大顔写真と行跡が略述されてあるのが「便利」と買ったのだった。公家華族に加えて新華族ができ、明治時代を制覇していた連中の顔と名とを見知っておくのは「歴史好き」には必需の知識だ、と考えたのである。そのために、まことに子とのあれこれに纏わり携わった連中の名を昭和の少年ながら私は多く記憶していた。訳にはたったのである雑知識の人的支えとして。
* 序でに思い出して置くが、家から近い東山線の白川に近い古本やはもっぱら立ち読み、「ボン、もうお帰り」と帳場の小母さんに追い出されるほど長時間読み耽ったが、むろん「買う」金はお年玉の残りぐらいしか無かった。で、かったと記憶しているのは、中高生じだいを通して、三冊。一冊が『明治大帝』もう一冊が斎藤茂吉の自選歌集『朝の蛍』これは立派な感動的な買い物だった。もう一冊は失敗『地学』という教科書だったが、あまりに難しくて投げ出した。
* もう一つ序でながら河原町の新本やで、生まれて初めての岩波文庫シュトルムの「みづうみ」☆一つ(10円)を買い、すぐ☆の値段が一つ15円に上がった中学二年のお年玉で『徒然草』、三年のお年玉で『平家物語』上下巻を買ったのを忘れない。
* 本は人に借りて読むのが一番と思っていた。小学校五年の二学期に大病して懇意な松原通の樋口医院に入院の頃、医家の本棚で漱石全集を見つけたが手に合わず、新潮社の全集ではじめて『モンテクリスト伯』『ああ無情』を手にした。中学時代はかりられる先からは見境無くかりて、バルザックの一冊に魂を抜かれるほど感動した。のに、いまその大が出てこない、が、ヒロインは「モルソーフ夫人」、そうそう『谷間の百合』だった。
2022 6/11
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ あらゆるものはいわば死ぬために生まれるのだということを考えよ。 (第十章 十八)
2022 6/12
◎ 若し禍機の導火を誘ふもの無んば朝廷も諸侯も志士も皆未だ起つ能はず 幸か将た不幸か外交の難問題起り幕府之が處置を誤りし爲に朝廷諸侯志士皆其の失政を責め攘夷の二字を以て幕府を苦しむるの唯一武器と爲し勤王の二字は幕府に抗する者の標章と爲りこの標章と此の武器を以て遂に幕府を倒したり 幕府滅亡の遠因は具さに備はりたるも近因たる外交の事起らざれば未だ遠因をして發表せしむるに至らざりしなり 『明治歴史』
* 明瞭の指摘と承諾する。
「外交は、悪意の算術」という私の認識は人間の個人的、集団的、国家的折衝において為され成され続けてきた不可避の営為であった。そう心得ない者は、人も、団体も国家も他に蹴落とされた。例外は無いであろう。
2022 6/12
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 誰が私の誠実で在り善で在るのを妨げるか。そう生きると決心さえすれば善いのだ。 (第十章 三二)
2022 6/13
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 真の信念に身をよせている者には、ごく身近な陳腐な物言いすらも哀しみなく懼れなく有るべきを思わせるに足る。「吹く風のまに地に撒かるる木の葉にも似た人間よ」と。信ずるに足ると喝采し賞讃される人も、する人も、また呪ったり、蔭で責めたり嘲ったりするものらも、みな木の葉。また死者生前の評判を次から次へ受け継いで行く人らも、みな木の葉。いつか風がみな吹き散らし、また別の葉が代わる。
いつしかに人はみな眼を閉じよう、そして墓へ運んでくれる者らのために、またやがて他の者が挽歌を詠うのだ。 (第十章 三四)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 夫れ外交は實に幕府を倒ほす革命の導火たりき而して外交が明治維新の以前に於ける作用は單に幕府を倒ほすの政變を誘ふに過ぎざりしも局面一轉して明治の新舞臺を出現してより彼の制度、風俗、文學、美術、宗教、教育、交通、運輸、商業、生産等の事を擧げて盡く其舊面目改めしめたるものは皆外交の影響なり外交の二字が我近世史に向つて如何に至大の影響を被むらしめたるか
* 明治の外交は幕末西欧諸国との不平等条約の重荷を懸命に緩和しつつも各般に新生近代国家へと面目を新たにし続けた努力には感謝せざるを得ない。それにひして、この敗戦後日本政府の外交上のトンマ振りは嗤うに笑えず「外交とは、悪意の算術」で在らざるを得ない基本の姿勢がまるで成ってなかったし、いまも成ってない。
2022 6/14
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 健全な眼は、何でも見える物を見るべきであって、「私は緑色のものが見たい」などと言うべきでない。これは眼を病む者の言うことだ。健全な精神もあらゆる出来事にたいして用意がなくてはならない。「何ををしようとも私が賞讃されますように」などという精神は緑色のものだけを見たがる眼、やわらかい物だけをほしがる歯と同じである。
(第十章 三五)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 抑そも歐羅巴諸国の我國に交通することは固より嘉永癸丑の米艦来航に始まりしにあらず足利氏のに西班牙、葡萄牙の二國人が来朝して種ヶ島の鐵砲を傳へし頃に始まり織
田豊臣氏の頃にも之を禁ぜず一斑に南蠻と称し織田信長の如きは彼等を延いて帷幕の内に参せしめたることあり徳川家康も亦た之を拒まず英吉利、葡萄牙、西班牙の各國に對し全国随意入港の朱印を與へたることあり會たま将軍家光の時代に島原の亂ありて外交の内亂に關係を有することを悟り俄かに鎖港の主義を執り寛永中異国船の近海に出没するあらば直ちに打拂ふべきの命令を發したり
* 朝鮮半島の南端に日本が任那府なる拠点を保っていたのはまことに遠い古であり、新羅からの本州への来寇こそ確認できないが、島嶼をめぐっては確執はあり、むしろ日本は百済とちかく新羅との紛糾を、高麗へまでも出征はあったと記録されている。蒙古からは明らかに侵略意図の来寇であたし、日本の海賊は彬瓶と朝鮮や中国の沿岸を荒らしていた。そういう歴史をやはり年頭に、この二十一世紀の禁獄との外交は聡明にして堅固な外交「悪意の算術」を磨いていべきは無論と思う。人類が地球上に拡散し盤踞してこの方のこれは常識の宇智野採用の常識で在り続けてきた。平和が新に必須の願望なればこそこれは忘れていては危険きわまりないのである。増長我慢は拙の拙に自ら陥るが、平和ボケは國と国民とに向かい単に無責任という以外に無い。平和憲法が國をくれるのではない。価値あるその「表札」を護るべくは責任を持ってきっちり心構えして備うべきはしかと備えねばあやういこと、久しい人類史も今日の世界事情もあかあかと教訓している。
2022 6/15
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 斯く問うてみる習慣を持て、「この人は何をこの行為の目的にしているのか」と、但し、第一番には自分自身の行為について確かめよ。 (第十章 三七)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 抑そも歐羅巴諸国の我國に交通することは固より嘉永癸丑の米艦来航に始まりしにあらず足利氏のに西班牙、葡萄牙の二國人が来朝して種ヶ島の鐵砲を傳へし頃に始まり織
田豊臣氏の頃にも之を禁ぜず一斑に南蠻と称し織田信長の如きは彼等を延いて帷幕の内に参せしめたることあり徳川家康も亦た之を拒まず英吉利、葡萄牙、西班牙の各國に對し全国随意入港の朱印を與へたることあり會たま将軍家光の時代に島原の亂ありて外交の内亂に關係を有することを悟り俄かに鎖港の主義を執り寛永中異国船の近海に出没するあらば直ちに打拂ふべきの命令を發したり 6/15と重複
2022 6/16
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 人生の終止符が、孰れ、何れに置かれようとも、自己に必然で固有と自覚の目的を真摯に達成する。あらゆる場合に於いて、またいずこで不意打ちを食おうとも、眼の前の、手の内の要件を欠くところなく成し遂げる。遂げようと力める。よく生きる、それが意義である。 (第十一章 一)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 抑も井伊直弼は其の施設の政策當時正義の士に憎くまれ天下の怨を買ふて非命に斃ほれたるも其人の才幹機略は幕府の政務を一身に擔ひ斃るヽまでは止まざるの気概を有し頗ぶる政治家として見るべきものあり不幸にして此人斃ほれ幕府又一人の大難の衝に當るに足る者なく益ます天下の望を失へり。
元来幕府の舊制諸侯にして匹夫の爲に首を非命に喪ふが如きあれば其封土を奪ふの例なりしかば彦根藩士は皆主家の滅亡を憂へ大に騒がんとする色ありければ幕府は事の穏便を謀る爲に故らに死去と認めず負傷の届出を爲さしめ數回慰問の使者を送り首級は浪士の手に奪はれたるに尚ほ見舞として鯛の味噌漬氷砂糖等を贈りて以て其の騒擾を制し四月七日に至りて喪を發し其子に本領安堵を命せしかば天下皆其の事の児戯に類するを笑ひ益ます幕府の威信を減じたり (頁78 79)
○ 委曲を尽くして精は精、略また機微に触れて詳しく、名著かなと嘆賞を隠さない。
2022 6/17
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 哲学するには、自身の現在あるがままの生活状態ほど適しているものは、ほかにないのだ。 (第十一章 七)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 説者或は水戸前中納言(斉彬)は世界の大勢に暗らし彼我の形成を量らず攘夷の無謀なるを悟らずして強ひて之を實行せんとする者と爲し若し其の説をして不幸にも行はれしめば社稷の存亡知る可らさりしと称す是れ未だ老公を見るの淺きものなり老公亦攘夷の終に行ふ可らず開港の遂に免かる可らざるを知る然れども若し此の如く戰ふの決心なくして和せば彼れの要求する所得て知る可らず一歩を譲り二歩を譲りて際限なく我歩を譲るに隨ふて益ます彼をして傲らしむ此の如くんば實に社稷の存亡を知る可らず老公能く之を知る故に先づ戰の意を決せしめて全国の士気を振起せしめんと欲するなり見るべし嘉永六年七月十日老公より閣老阿部伊勢守に與へたる海防愚存の中に言へるあり曰く
太平打續き候へば當世の態にては戰は難く和は易くへば 和を主と遊ばし萬々一戰に相成候節は當時の有様にては如何とも被遊候様無之候得ば 此度は實に御打拂の思召にて號令いたされたく 拙策御用ひに相成事も候はヾ和の一字は封じ候て海防掛ばかり而已に(防衛傍線厳重)致し度事に候右故本文には和の字は一切不認候
と之に因て察すれば老公は無謀の攘夷論者にはあらず寧ろ前後の思慮なく条約に調印したる井伊大老の開国政策に比すれば遙に思想の緻密なるを見る
然れども其の性執拗にして自身の念厚く 完全無瑕の人にあらず 又 疎放無謀の人にもあらざるを察すべし
2022 6/18
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 同じ幹の上で成長せよ。ただし意見は同じうしなくともよい。 (第十一章 八)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 其頃京師にても幕府にても又浪士の間にも征夷大将軍と云ふ官職の上に一大誤謬を抱きたり 征夷の二字は本來西洋諸國の人を制するの意にあらさりしに今は圖らず外国人を称して夷狄と爲し 既に征夷大将軍の職を奉ずる上は須らく攘夷の實を擧げざる可らずとは京師の廟議にして天下の志士は之に和し幕府又之に對して一言の辯解を爲さずして承服したるぞ不思議なれ
攘夷黨は必ずしも眞に攘夷を行はんと欲するが爲にあらず實は攘夷の二字を運動の標識として幕府に迫り 他年幕府を倒すの翌日より亦一人の攘夷を唱ふるもの無きによりて知るべし 然らば幕府が何が故に斯かる憎悪の念を一事に激發せしかと原ぬるに近く外交の事起りて以來 一事和して戰備を整ひ然る後に攘夷を實行すと称し而して遂に攘夷の事を企つるの念なく 之が爲に朝廷怒り諸侯憤ほり志士奮ふて幕府の亡狀を責むるや捕へて盡とく嚴刑 其反對は發して浪士の暴行と爲り井伊大老を斃し安藤閣老を傷つけ尚ほ止まず今は幕府を倒さヾれば止まざるの勢 京師を以て攘夷黨の本營 攘夷の二字は實に幕府を倒すの旗章として利用せられたり
2022 6/19
* 今、幕末・明治を顧みるのは現下日本の安閑気味の外交・防衛を深く懼れるからである。なによりも、緊急の要事は我が国が幕末來なお危急をはらんだ「北の時代」にあるという現実。私はすでにはやく『最上徳内 北の時代』を書いて余の自覚を求めたが、時機やや早かったのだろうか。「北」といえば大方派一つ覚えのように徳内の命で樺太へ代行した程度の「間宮林蔵」探検行でお茶を濁しているが、よくよく心して「老中田沼意次」希世の北方開明の探検家「最上徳内」の活躍に視線を据えよと重ねて云うておく。
2022 6/19
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ まっすぐな理性に従い進むのを邪魔しようとする人たちも、きみを健全な行為から脱線させることは出来ない。彼らに腹を立てるのは、一つの弱さ、持ち場からの臆病な脱走者になり終わる。 (第十一章 九)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 時に當り長藩(=山口縣)士に長井雅歌なる者あり蚤とに天下の形勢を達観し又た海外各国の事情にも通じ方今の計は皇武合躰ならずんば國家の危急を救ふ可らず開國の勇氣有りて始めて鎖港も行はるべく鎖港の勇気あらば開國も恐るヽに足らず唯だ一國の内二論行はれ互に他を陥擠せんと欲し氷炭相容れざるが如きあらば開も真の開にあらず鎖も真の鎖にあらず故に今日の計先づ皇武合躰國論を一二するにあり而して之を爲すには朝廷は攘夷の論を棄て幕府は尊王の實表し以て内を固めて外に對するにありと論じ 藩主に容れられ 京師 嵯峨大納言實愛に徒来て善とせらる元來佐幕と勤王及び開國と鎖港は二個の異りたる問題なるも京師にては鎖港主義を執り幕府は開國主義を奉じたれば佐幕開港は一となり鎖港勤王亦一となりたり長井雅楽は之を分解して佐幕鎖港の二項を消滅せしめ開國勤王の二項を存して以て朝廷幕府の一和せんことを謀りたるなり
2022 6/20
○ 夏至の朝を愉しむらしきおとといのアコとマコとははや駆けるりをり
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 「いかなる自然も芸術より劣ることはない。(=引用か)」 なぜならば、諸芸術は種々な自然の模倣なのである。そうだとするならば、あらゆる自然の中でもっとも完全でもっとも抱容的な自然が、巧みな芸術にひけをとるはずがない。 (第十一章 十)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 永井雅楽(開国勤王=)の意見f京師に於て嵯峨大納言より上覧に供し嘉納あらせ給ふと傳聞するや長州侯は雅楽を率ゐい(文久元年)十月十三日不時に江戸へ出府し十二月十六日を以て具さに皇武合躰の議を建て更に翌文久二年三月十五日登城して閣老に面し論ずる所ありしかば幕府は固より望む所なるを以て其議を容れ更に永井雅楽を召して其説を聞き遂に京都周旋の事を託し同廿二日御目附淺野一學と共に江戸を發して京都に赴かしむ然れども此頃は京都の議論前年に比して一層激烈なる攘夷説に傾き加之長州よりも久坂儀助寺島忠三郎等の徒藩を脱して京都に來り頻りに攘夷を唱ひ永井雅楽が長藩士にして幕府の爲に奔走するをと論じ遂に之を誣ひて永井は閣老久世大和守の家臣杉山耐軒と親しき爲に其委嘱を受けて皇武合躰の爲に力を盡くし事成らば重く用いらるヽの密約ありと論じて之を中傷し會たま此際島津和泉守も上京して天下勤王の志士は夥多しく京畿の間に集り過激の徒は直ちに島津公を推して主將と爲し錦旗を捧げて倒幕の師を起さんと欲し其の勢ほひ頗る盛んなりしかば今は永井の盡力も盡とく畫餅に帰し幕府の委嘱を空しくし長藩の面目をも損するに至れり而して長藩も亦漸く勤王攘夷を唱ふる者多数を占め藩論此に定りしかば雅楽は益すます志を失ひ終に藩論を亂る者と爲し自裁を命せらるヽに至りしは惜むべし
* 尊王と謂うも攘夷と謂うも佐幕と謂うも 国内政権のとりあいにすぎなかったことは、明治政権が露骨にあらわしていた。開港も鎖港も本義からみれば政権争いの二の次で諸国との『外交』が國の存亡を賭するほどの「悪意の算術」たるを朝廷も幕府も志士と自称の連中もまだ目が開いていない。海外、世界を実地に見ないままの憶測では対策できない事に気づくのは、結句、自信で海を渡った少数、またその知見を受け容れた少ない聴衆だけ。所詮は大政奉還の、明治新政府のという関心、俗慾のまま徳川時代は終えて、所詮はまだ、西欧との誣いられた不平等条約という大荷物を担いだままに、やとこさ髷を切って断髪し、日本の刀を腰からはずした、ま、それぐらいな明治早々の態であった。永井雅楽の見解に比して薩長等の浪士・志士たちの乱暴狼藉は、だれもが懼れてくちにしなかったとしても、押し込み強盗なみの政権争奪に過ぎない。そしてその悪弊が今日の、ことに永井雅楽に自裁を強いて殺した「長州」感覚あのアレ・アキレた安部晋三らが政治を我が物顔しているという始末なのである。そういうチャチな「維新」感覚で旗を振っているのもいるから嗤えるしやりきれない。
2022 6/21
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ これを避けたり追究したりするのが「悩みの種」になるような事柄へ、いわば自分から出向いて行くのならば、少なくともこれに関する自身の判断は平静な深切なものにしておかなくてはいけない。 (第十一章 十一)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 此時薩州侯島津和泉守 方今の形勢を見て黙過すべからずと爲し皇武合體國論一致の目下に必要なるを悟り 自ら出府して大に力を盡くさんと欲し 藩中の俊秀を率ゐて (文久二年 1862)四月十日大坂に着す 時に京摂のに間に徘徊せる各藩脱走の志士は 夥多しと雖ども 畢竟烏合の衆に過ぎざるを以て雄藩の英主を得て盟主と爲さんと萬口一聲に望む所なりき故に島津の東上を聞き必ず之を擁立して大事を企てんと欲し天下の志士は靡然として大坂に集まる 薩藩士中亦蚤とに志を義徒に通じ急激に大事を擧げんとする者多し當時西郷吉之助の如き久光の命を奉じ暴徒鎮静の任に在りて却つて率先力を擧兵に盡したれば久光は其の亡状を攻めて大島へ流竄したりき形勢此の如くなるを以て久光は藩士中過激の徒は大坂に殘し 十六日京師に入る即夜勅して浪士鎮撫の命を蒙る
大坂に留りたる薩藩士及び各藩の浪士は遅疑して大事を誤らんことを恐れ 志士相携へて京師に入り 公武一致上下同心以て夷狄を掃攘すべし幕府若し命を奉ぜずんば直ちに違勅の罪を問ひ先づ倒幕の師を起すべしと軍粗ぼ定り 廿三日船に乗じて淀川を遡り伏見に上陸し旅館寺田屋に集りて結束す飛報此事を久光に傳ふ久光浪士の輕擧して天下の大事を誤らんことを慮り奈良原幸五郎等をして赴き制せしむ幸五郎等八人寺田屋に至り先づ薩藩士 を呼び君命を傳へて之を制す服せず 遂に激徒八人を斬る各藩の浪士皆起つ幸五郎 制して曰く我藩主見る所あり濫りに噪きて大事を誤るを慮り來り制す而して藩士中拒みて服せざる者あるを以て彼等を斬りたるのみ其他の人に對しては毫も他意あるにあらず請ふ静止して時機を待てと衆始めて止む世に之を伏見寺田屋の格闘と称す當時若し久光の浪士を制するなく其の爲す所を縦にせしめんか王室の威權未だ甚だ盛んならず幕府の勢力も未だ甚だ衰へず而して諸侯の幕府に對する敵意も深からず畢竟一擧して幕府を倒さんとするにはこと時機未だ熟せず故に若し一旦暴発せんか維新の大業は爲に敗れて主権を回復するの期なく或は承久の變亂を再演したるも知るべからず其隙に乗じ外国の侵畧吞噬を被るあらば社稷の存亡測る可らざりしなり幸に久光能く制して機の熟するを待たしむ其功大なりと謂ふべし
* それぞれの時機にそれぞれの人在って大事に対応在ってこそ國は穏当に維持出来る。目下日本はけっして安政ないし文久の昔に変わりない外寇の虞れを持っているが、政治の与野党ともに眞に対処具眼能動の人を得ているか、まこと、心許ない。
* プーチン・ロシアを「帝国シンドローム」という「居丈高」なる「劣等感」で説明しているロシア人の「劫を経た」報道系評論家の解説に頷いた。ツアー、皇帝、天皇と謂う君主なき似而非民主主義に起きやすい独裁独善政権の最も陥りやすいど壺に今日のロシアは墜ちいていて、これこそひとらー・ドイツらの悪しき洗礼を追う「ネオ・ナチ」にほかならない。笑いも凍り付く不幸と謂うしかない。ロシア国民の真正の開眼を望む。日本は未だ幸いにも天皇の「御前会議」で戦争終結、敗戦を受け容れて結果國と国民生活を救うことができた。「帝国シンドローム」で無意味に硬直していたら、ヒロシマ、ナガサキはさらに頻発しつつ、は結果敗戦後の占領政策は国土の分割占領、国民の国外労力化まで陥落していたに相違ない。作用の虞れががもはや消え失せた気でいるなら、嗤うに足るボケた錯覚に過ぎないと、誰より政治家と自称の諸公に自覚して欲しい。
2022 6/22
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ いま、自身の内なる自然に適ったことをなし、いま、宇宙の自然にとって時を得たことを受け容れるならば、どんな悪事が自身に起こりえようぞ。 (第十一章 十二)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 京都の威權日に盛んなるを見て幕府は之に抗するの不利を察し先づ閣老久世大和守の上京を決し 且つ政務に非常の改革を行はんと欲し六月朔日在府の諸公を召し将軍自から上洛の事を達す是れ毛利大膳大夫の建議を容れたるもの當時大膳大夫は尚ほ公武合躰の説を持し京都に於て島津和泉(久光)周旋して公武合躰のことを行はんとするを聞くや事尚ほ爲すべしと爲し建議 幕府之を容れ将軍親しく大膳大夫を召見て建議の親切を謝し大膳大夫亦た大に公武の間に周旋せんことを期せり
京都にては幕府が 上京 發程の期 躊躇して浪士の暴擧 を慮かり島津和泉は勅使を江戸へ發し且つ自から之に従はんことを請ふ 萬一幕府其命を拒まば大に決する所あるべき大任なれば泉は隋行して其間に周旋せんと欲し 勅使は五月廿二日に發程 六月七日江戸に着す 當時の勅命は幕府若し命を拒むとはきは公武の間直に破裂を生ずべき大任なるを以て其勅書は最も愼重を加へ京都にて先づ在朝群臣に下問せらる
京都の百官皆な之を賛成し 勅使江戸に入り勅命を傅ふるや 之を奉じ七月八日大に政度を釐革 勅書の第一策をも遵奉して将軍上洛に決したり
長藩主松平大膳大夫は 江戸に在るときには公武合躰の穏和なる主義を取りたれども 京都に上りしに 公卿間には浪士斷へず出入し其意見は最とも急激なる攘夷論にして之を以て幕府に迫り若し命を拒まば直ちに倒幕の師を起さんと欲し其勢ほひ甚はだ猖獗にして亦公武合躰の姑息策を以て甘んぜず事に長藩士中の多数は既に世子毛利長門守を奉じて攘夷黨の牛耳を執るあり又公武合躰論を唱ふるは島津の糟粕を舐るの嫌あり此に於て今は長州全藩の意見を勤王攘夷に決し 大膳大夫の命を奉じて公武合躰論を公卿間に遊説したね永井雅楽に命じて自裁せしむ此に於て長藩は爾来天下急激黨の中堅となり 此等の事は後遂に薩長確執の大原因たるを免かれざりき
* 此の「薩長確執」ないし「長州閥の猖獗」こそが「維新の明治」のみならず「日本の今日」までをも「壟断」しているとも謂え、私はこれに頷かない。
2022 6/23
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 誠実で善い人間というものは、善い香を放つ者の如くある。人が近づくにつれ、いやおうなくそれに気がつくようであれ。 (第十一章 十五)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 抑そも諸侯をして参勤せしめ妻孥を江戸に留めしむるは萬一事あるの日に之を以て人質として其の離背を防ぐの目的に出でたる祖宗の大謀なり然るに會たま今事あらんとする之時に臨み之を放ち還し祖宗の遺制をして全たく効無らしむ 却つて諸侯浪士は益ます幕府を輕んじ其の暴横の力を増したり 幕府之實権既に此時に去れり 大政返上の事外面の儀式は慶應三年に至りて決行せれたりと雖ども實権は既に此時に移りたるものななり 憐れむべし幕府は 一時の安を偸んで無事を希ひ遂に甘じて其の實権を失ふたり 此時に既に王師と戰ふの覚悟を爲さば中興の業其成敗未だ知る可らさりしなり幕府の計此に出でざりしは幕府之爲に憫むべしと雖ども國家の爲には最とも慶すべきなり
2022 6/24
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ もしそれが今の自分に具合わるくできているからと言って不平を鳴らすな。どうすれば自然に適うかを思案し追求し、それへ向けて努力せよ。自己の追い求めることは万人に許されている。 (第十一章 十六)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 實に當時京都に於て廟議は過激論の公卿によりて決し此等公卿の意見は浮浪の壮士によりて決したれば浪士の勢力は隠然廟議を左右し 殆んど無政府の観あり 浪士の暴行は益ます増長し遂に 等持院に入り従來安置する所の足利将軍三代の木像を斬り首を三條河原に梟し 暗に(徳川)将軍を威嚇するに至れり 守護職松平肥後守は 其徒を捕縛せしめ各之を刑したり
将軍家には斯かる紛擾の中へ三月四日に着京 公卿の待遇も甚だ禮を缺き 参内して以外の變あるを慮り一橋中納言先づ参内し 将軍をして天下の政務を掌とらしむること舊の如くなるの叡慮ならんには軍國のこと聰べて一人在らんことを請ふ 朝廷の上は頗る圓滑なるを得直ちに一橋中納言の奏請を嘉納あらせられ詔して大將軍職掌故の如く政事委任の旨を命ず因て将軍には三月七日参内せらる 斯く ありたれども 非難の聲は朝野に満ち無禮の事多かりければ将軍には速やかに東帰せんと 然れども守護職松平肥後守 一旦上洛せられながら其の主眼の目的たる公武合體の實効を見ずして早急に東帰せらるヽは得策にあらずと論じて之を止め僅かに滞京と決したり
是より前浪士の暴行は江戸へ蔓延し去年十二月十三日御殿山に新築せる外国公使館に日を放ちて焼失せしめたる者あり 同月十九日 英國より さきに生麥に於て島津三郎(薩摩藩主)の従士の爲めに其國人を斬り殺されたる談判の爲に軍艦を派遣し 三條の要求を呈出したり其一は英人を斬りたる島津三郎の家來を厳罰すること其二は幕府が外人保護の責を盡さヾりし償金として金十萬磅(凡そ我五拾萬円)を出すべきこと其三は死者の遺族扶助料として島津氏より一萬磅を出すべきことヽす而して幕府若し之を承諾せざれば直ちに兵力に訴へんとするの色を示して強迫せり江戸の幕府は將軍不在の故を以て回答の延期を請ひ急に使を飛ばして京都に報じ東西往復の飛使項背相望み江戸の市民は今にも戰争の始まるかと疑ひ皆恐怖して市外に遁れ去り關東の騒動甚だし
2022 6/25
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 有徳の生涯を送った先人、古人の誰かをいつも念頭に思い浮かべていること。 (第十一章 二六
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 元来京都に於ては最も深く長州に依頼して攘夷實行を賞せさせ給へるに一朝其議を變じ るに至りしは畢竟薩(摩)會(津)諸藩志を幕府と合せ衆生の英明を蔽い奉り手私威を奏するものなれば須らく君側の姦を攘ふて車駕を戴き再び幕府に對して號令するの果斷を行はざる可らずとは當時長(州)藩の意見なりし故に 兵を率ゐて洛外に屯集し 陣して形勢甚だ穏かならずコレり前浮浪の徒の 長藩士にして姿を變へ京師に入る者甚だ多く將さに内外相應じて暴發せんとすしかして朗の首謀者は三條小橋の邉なる旅宿池田屋 に潜伏す幕府の有司課して之を知り六月五日の夜會津桑名及び新撰組の兵を以て圍みて之を襲ひ 其の京都に在る者は稍や一掃せられたりと雖ども多くは洛外に逃れて長藩の兵に投じ其の軍数千に上り勢ひ 京師を壓せんとす
朝議先づ 幕府も亦頻りに(其兵の)引拂を命ずるも従がはず七月に至り長州の世子長門守亦大兵を率ひて上京せんとするの方り此に於て幕府は彼の未だ發せざる先に打拂ふ可しと決し 遂に激戦を洛中に開き双方死傷夥多しく長人遂に退き久坂儀助寺島忠三郎久しく志士の間に牛耳を執りたるの徒多く此の役に戰死し長軍は皆本国へ遁れ帰る此時長州の世子長門守は大兵を率ゐて海路より上京し讃岐多度津まで來りけいしの敗報を聞き引返したり
此役京中の諸邸より市街に至るまで大半兵焚に罹り京洛の惨状は應仁以來曾て見ざる所其戰の激しき砲丸は御所中へ達し たることありしと云ふ
長軍の退きたる跡に藩主大膳大夫其の臣下に下したる軍令状を遺棄して幕府の士に得らる故を以て今度の一擧は明かに藩主の命を以て禁闕へ發砲したる責を免かるヽ能はざるの運に臨めり此に於て朝廷赫怒同月二十三日直ちに長州征伐の勅詔を下させ給ふ の後翌廿四日に至り長藩主父子の官位を褫奪して以て其罪を天下に鳴らし之と同時に幕府は三都に於ける長州の藩邸を毀ち盡く長防二州の士を追ひ令を諸侯に下して征長の師を起す
* 「明治」への道は未だ未だ斯く瓦礫を積んで愚かしく政権の与奪を闘い、「世界」への視線は細く視野は狭く、有為の滲出に待たざるを得なかったが、その彼等にして、結句は倒幕の薩長藩閥の「明治新政府」支配を引き寄せていたに過ぎない。西欧諸勢力の悪しき干渉や支配をなんとか凌いだ凌げたのは、僥倖というしかない。
* 『明治歴史』胸を衝かれてつい詳記してしまうが、能う限り原文ママに執着するとえらく時間をとられる。しかし仮名遣いはもとより。明治人の文体と佳い口気といい、わたしは秦の祖父明治の人鶴吉が多く蔵書の感化を過剰にも受けてきたと頭を搔く。
2022 6/26
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 自分でまわり道しつつも到達しようと願っていることは、これを自ら自身に拒まぬ限り、いかようにも手に入ると思ってよいのだ。 (第十二章 一)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 文久三年(一八六三)五月十日以後長州藩は攘夷を實行するが爲に下の關通行の英佛米蘭四ヶ國の船艦に砲撃しければ四國は之を詰りて談判を開きたるも 空しく一年を過ぎ今元治元年の夏に至るも其効を見ず當時の形勢幕府は既に天下縦まヽにすること能はざるの狀を呈したれバ四國は意を決し自ら軍艦を下ノ關に進めて長州の罪を問はんとす幕府は陽に之を止めたるも陰には却て悦び長州征伐の爲に一大應援を得たるを祝し四國が横濱を出征根據地と爲し英艦九艘佛艦三艘蘭艦三艘米艦一艘を以て艦隊を組織し七月下旬舳艪相喞み長州に向ふたるも幕府は手を拱して之を傍觀せり故に四國艦隊八月五日進んで下ノ關に迫り激しく砲撃したり此時長藩には去月十九日精兵既に京師に敗れて瘡未だ癒えず幕府は遠からず大軍を發して來り征せんとするに當り今亦外國軍艦の精を盡して來り襲ふに逢ひ百難一時に集り之を防ぐに堪へず故に下ノ關砲撃の軍に對しては能く敵愾の氣を鼓舞して防戦するも勞を以て逸に對し器械の鈍を以て鋭に當る勢ほひ抗すること能はず戰闘四日にして勢ほひ屈し九日和を請ひ遂に下ノ關海峡の通航を諾し償金三百万弗を渡すことを諾したり
此の一戰長藩は甚だしき敗を受けたりと雖ども之により外国兵鋒の強を知り攘夷の容易に行ふ可らず舊來り兵制は迂拙にして彼に抗する能はざるを知り急に兵制を銃隊に改め盛んに武を練りたれば後來其兵の強き幕府が天下の兵を集めて征するも勝つ克はざるの勢力を養ふに至りたり故に當時長藩は戰ひに負けたるも實際は勝ちたり之に反し幕府は外國軍して長藩を征せしめ自ら戰はずして征長の實を行ふたるの觀ありしと雖ども此一事を以て其の實権は全國を制すること能はず長防二州は自己の政權統治の外に在ることを示し以て外に對して其威權の微なるを表白し遂に後來外國をして幕府は眞の日本政府に非ることを思はしむるに至れり加之當時長藩は三百万弗の償金を約したるも終に之を幕府の手より支出するに至りたれば幕府は最も不利の地位に立ちたり故に外國軍の下ノ關砲撃は其敗長州にあらずして實は幕府之敗と爲れるものなり
* 外国艦の砲撃に傷ついて山縣有朋がめざめ、また終末期の幕閣に参じた成島柳北が愛想を尽かして江戸の市井に一身を捨てて隠れた経緯を見事に上の一文は説得してくれる。
云うまでもな、いましも日本列島は、幕末、四國列強の軍艦猛烈の砲撃にあえなく屈した下関、長州藩の為すなき惨状を他所のほかとは云い切れない世界事情下に置かれてある。そのじじつを無視したままの「平和」の要望ではあまりにたわいない。
この『明治歴史』抄記は、しかし、あすからは「湖の本」発送等に時間と体力を要するので、「四國連合軍艦の砲撃」と程もよく読み終えたので、少なくも一旦休止する。
『山縣有朋の「椿山集」』『山縣有朋と成島柳北』を「湖の本」にしかと加え得たのを喜びとする。
生母の生涯を抄して『湖山夢に入る』を、實父のそれを『父の敗戦 虚幻焚身』に竟に書き置けたことも、また、老境の大きな一歩であったよ。
2022 6/27
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 君は三つのものから成っている。肉体、息、叡智。内の最初の二つは君が面倒を見てやらねばならない意味に於いて君のものである。しかし真の意味ではただ第三のもののみが君の所有物である。 (第十二章 三)
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 而して 幕府 後来彩度の(長州征討)を爲すに至りて長藩は國論一變し天下の兵に抗するも戰はんと欲する敵愾の氣は全藩に充満し其の勢力の強き亦前日の比にあらず 顧みて幕府之爲す所を見れば諸侯亦戰ふの意なく 然れども騎虎の勢ほひ止む可らず兵を進めて戰ひ連戦連敗して幕威値に墜ち將軍陣中に薨じ 一橋氏代つて軍職に就くも其の頽勢を如何ともすべからずして遂に政権の返上を爲すの止を得ざるに至りぬ 王政維新の爲めには一大便宜を與へたり其事は後に至りて知るべし
偖長州にては 壮年血氣の徒 就中高杉晋作山縣狂介(有朋)井上聞多(馨)能村和作(靖)等の徒は其爲す所に平らかならず故に恭順を旨とするの徒を呼で俗論黨と偁
之を斥けて 死を決して之を拒まんと欲す 高杉等は今は兵力を以て君側の奸を除き國論を一定せざるべからずと爲し 奇兵隊、狙撃隊、御楯隊、膺懲隊、八幡隊、南園隊等に別れて漸やく俗論黨を打破り 正義黨は藩主父子を擁し全藩の政権を占むるに至れり 此の如くして長防二州の今は勇猛血気の正論黨を以て國論を一にしたり ( 「湖の本 158」発送のため、休止)
2022 6/28
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 苦手と思うものにも慣れよ。左手は習慣が無いためにおおかた不器用ではあるが、馬の手綱は左手でしかと握られる、慣れてるからだ。 (第十二章 六)
2022 6/29
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 偶然を責めることも、摂理に罪を帰することも してはならない。
(第十二章 二四)
2022 6/30
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 主観を外へ放り出せ。そうすれば、助かる。誰も妨げない。 (第十二章 二五)
2022 7/1
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 忘れるな。すべて起こってくるものごとは、いつでもそのように起こったのだし、将来にも起こるし、現在も至る所で起こっている。そして各人の生きるのは現在であり、失うのも現在のみであるということ。 (第十二章 二六)
2022 7/2
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 無限の時という測りしれぬ深遠の、なんと小さな部分が各人に割り当てられていることよ。それは瞬時にも永遠の中へ消え去ってしまう。それを思い知り、内なる自然にしたがい行動する以外には、何ごとにも過剰に重きを置くまい。 (第十二章 三二)
2022 7/3
* 「文士」としての自分の日々を「読み・書き・読書」と要約しているのは、私の場合、ほぼ言い尽くせている。
最初の「読み」とは、現在・未来を分かたず「書くため」の資料文献の調査や検討・研覈・吟味・鑑賞、つまりは、必要な勉強。たがって私の関心や意欲が多彩多般に亘っているときは、余儀なく、多く時間を割いている。勉強と禁欲との釣り合いを見失うと、膨張破裂を招いてしまう。
「書き」とは、事実上の執筆・創作行為。
そして無差別に広範囲の「読書」。
ほんとうは、善き人との「対話」「検討」の加わるのが望ましいが、今の私には人も機会も、望んでも得にくい。
* ボー然と過ごした。それでいいと許していた。
2022 7/3
◎ マルクス・アウレリウスの 『自省録』抄 (神谷美恵子の訳に依りて。)
◎ 時に適って来るものを善しと観、世界を眺めている時間が長かろうと短かろうと構わない、こういう人には死も恐るべきもので無い。 (第十二章 三三)
◎ 愛読の「鈔出」を、これで終える。
◎ 明日からは清水幾太郎の役に助けられながら、ジンメル(一八五八 - 一九一八)がその完成と園熟の頃の日記抄『斷想』(岩波文庫 昭和十三年(一九三八)八月の三刷本)を選んで、聴こう。大学院に学んだ頃、古本を買った。以來六十年の余、手放さない。
* 戒(いまし)めと謂う。縛(いまし)めるとも謂う。生きようを自身に「戒め」ながら、つと、自身を「縛め」ているかと「感じ」ては逃げ口上でないか「戒め」る。蒙昧の境に這い回っているのだ。情けない、が、いまも目を開けてられないほど睡い、午前ももう午へ長けているのに。
2022 7/4
* 二本の手へ十本の手が握手を求めてくる感じ、気の動いて仕掛けもついてある「書き仕事」が幾つも「お手を拝借」と誘ってくる。どれも払いのけるワケに行かなくて目が舞う。映画など観ているなと𠮟られても、これまた観るべきは観て栄養を摂るのだし。 2022 7/4
◎ 今日からは 清水幾太郎の訳に助けられながら、ジンメル(一八五八 - 一九一八)がその完成と園熟の頃の日記抄『斷想』に聴こう。大学院に学んだ頃、岩波文庫の古本を買った。以來六十年の余、手放さない。
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 自然現象は斷えざる變化と變遷の中にあるが、しかも自然は永遠に同一であり、動揺なきものであり、一なるものである。然るに、思想は多様であり、變ずるものであり、對立と単なる相對性とのうちにあつて 自然の周囲に漂つてゐる。 (四)
2022 7/5
* すこしは食も増えたか体重が戻って、にわかに58kg台にもと思っていたが、昨日、つくづく両脚の「浮腫んで太い」のに不審し、妻が投薬されているという薬を気休めほどの気で一錠貰って服した。とにかくもこのところ尿意しきりで感覚が短すぎると閉口してもいた。
で、一時間も経ったか、ふと観ると両脚がしゃきっと堅く細くなっているのに驚いた。浮腫んでいたのだ。「このところ以前」の、しかと細い脚に変わっていた、有難し。
今朝の体重は、56.3kg ほぼ2kも減っていた。腕も、手指も、自分で云うのも変だがほっそりと気もがいい。想い出すが、就職した年か翌年か、会社をあげて熱海か伊豆かへ一泊しに行った晩、どうも宴会が苦手で、独り抜け出して近くの飲み屋の暖簾を潜った。小さな例の L字を囲んだ止まり木に三人も客がいたか。わたし極韓ソに普通の酒・肴を頼み、黙然と独りで飲み食いしている内、急に女将がこえを掛けてきた、「きれいな手をしてるわねえ」と。赤面モノの世辞だが意表に出てわたしは、思わず日本の手指や袖を抜けた腕を見た。間違いない自身のソレであった。そだけのことだか、忘れない。女将の世辞をかすかにも受け容れている意識があった、理由もあった。
私は、敗戦からまぢかな小学校五年生正月ころ、同居していた秦の叔母、宗陽社中の初釜に加わって以來、猛烈に熱を入れ日々に稽古し、勉強してモノもたくさん覚え、いつしかに土曜の稽古日に通ってくる自分よりも年嵩なひとや小母さんたちに叔母の代稽古を勤めて、叔母ならただ点前作法の手順をおしえているのに、少年の私は茶道具の手での持ち扱い、運び・歩き、その姿勢を、見られて美しく、自身はごく自然に作法出来るようにと、ウソ゛なく、思いを籠めた。むろん社中におしえただけでなく自身も好き好んで機会ごとに稽古した。腕と指と、それは、重くはない華奢な茶道具を持ち扱って遣う絶対のまさに「手段」、それを繊麗に磨いて身につける、それが茶の作法を稽古する大なる意味となる。
新制中学でも、高校へ進んでも、佳い茶室の在ったのをさいわい、すぐ、率先茶道部をつくり、指導できそうな部長先生よりも生徒の私に任せた方が早いとみられて、稽古の指導は一切私が差配して過ごしたのだった。
「きれいな手…指」と熱海の飲み屋の女将が世辞とも本音ともつかぬ声を掛けてくれたとき、のちのち思えばあの女将からなにか免許を授かったように思い出せて、他他田大事に忘れなかったのである。
いま、機械のキイを終え蘭で押している私の手・指は、いわゆる熟練の「機械上手」のあの手早さとはまるで違う。私は文章を「速く」打ち出す必要を持たない。思案しながら作文して行く。細い、比較的長めな十本の細い指は 左右 相い逢い相い別れるようにキイを求めて黒い鍵盤上をむしろ躊躇いがちに静かに舞う。茶杓や棗や袱紗を扱うほどの気でわたしたしかに自分の手・腕・指をだいじに感じている、いまも。浮腫んではいけない。
2022 7/5
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ それ自身必要な条件というものが、具体的なものを生み出すに十分とは限らない。また十分な条件というものは是非に必要なものではない。 (五)
2022 7/6
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 形式の豊かさは無限の内容を取り入れうることに在り、内容の豊かさは無限の形式に入りこめることに在る。二つの無限が相逢うて豊かな創作が生まれる。 (六)
2022 7/7
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 「哲学者」には三類ある。一類の哲学者らは、「物」の心臓の鼓動を聴き、次なる哲学者らは「人間」の心臓の鼓動を聴き、第三類の哲学者らは、「概念」の心臓の鼓動のみを聴こうとする。さて「哲学の教授先生ら」はどうか。、かれらは「文献」の心臓の鼓動しか聴かない人たちと見えるのだが。 (八)
2022 7/8
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 證明出来ることは凡べて論争できることである。論争の餘地のないものはただ證明出来ぬことのみである。 (一○)
2022 7/9
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 信じることの出来ないもので而も吾々の知っているものがある。これはただ知っているというだけのことである。また、識ることができないものであって而も信じることだけは出来るものがある。これは、本当に識っている。
2022 7/10
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 誰でもきっと 生命というものを世界観の中心に据えて尊重したに違いない。その結果彼等の知ったことは、生命はこれを守るべきでなく、却って棄つべきであるということでなかったか。 (二二)
2022 7/11
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 自然科学は可能的必然を目指し、宗教は必然的可能を目指す。 (二三)
* 「実験・結果」と「信仰・神」とか。
2022 7/12
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 藝術は、世界と人生に対する吾々の感謝である。 (三一)
2022 7/13
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 人間は問題そのものに到達はしても解決そのものには到達しないような存在であり、それ故に人間は未来を正確に知っているかのように行動せずにいられずーーしかも一歩先のことも正確には知れない、それが人類の内的必然性であり、典型としての人間の本質なのであろう。 (三三 三四)
2022 7/14
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 人間の可能性は無限である。人間の不可能性も無限である。この両方の間、人間の為し得る無限と人間が為し得ざる無限との間に彼の故郷がある。 (三五)
2022 7/15
* 亡くなった安部晋三元総理を「国葬」するという。外交に利するなどと理屈を付けている。関わる一切を無位してやり過ごす。私には氏への謝意も敬意もまったく無いのを独り自覚し、この上に死者にむち打つ気も必要も無い。
2022 7/15
* 岸、安部、安部らの絡んでいた「統一教会」の吐き気のするはなしばかりテレビは聴かせた。ああいうのにマンマとひっかかる人たちがどうにも判らない。マンマとひっかける手合いの首領格には途方も無い他者を支配欲と財欲とがあったのだろう。信仰という名の魔の手に引っかかるのは、気の毒だが愚の骨頂。
* 目近にならべた杉本吉二郎描く祇園町「ろーじの風」のすがすがしさ、木田泰彦が創るはんがの「コンコンチキチン 祇園祭」の版画のなつかさ。広い世の中には,美しい心地よいものがたくさんある、それを自身で見つけること。あくどい人たちらの口車に乗ってはいけない。
2022 7/15
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 自己自身に適せず踏み迷って休むことを知らざる存在こそ人間である。如何にすべきか。 (四一)
* まさしくそういう人間で私はある。如何にすべきか。如何ともすまじ。
2022 7/16
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 認識の確実性と重要性とは、多くの人と場合で、通常逆比例する。 (四二)
2022 7/17
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 人は、精神的な狭さと広さとの中間でのみ生存できる。それ故に老人は生き難い。 (四五)
2022 7/18
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 多くの人々は陰鬱の中で生活する。高きに到った人は明るさと暗さの中に生きる。陰鬱とは、明るさと暗さとの間の、曇って発展の無い混沌である。 (四六)
2022 7/19
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 自己の上に、より高きものを持たぬという意味の、絶対に謂えるのは、常に低きに在るという事実である。高き人間とは、より高きモノを自己の上に持つというに他ならない。 (四八)
2022 7/20
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 最高に精神的な人間は、理想の実在性や目に見える実現を信じねば済まぬ必要を持たない。そんな必要無しに理想への信頼のままそれへ向かい勉める力を持っている。そうでない者らは、理想が實は無限に遠いと認めねば済まなくなるや、たちまちにそれを打ち棄ててしまう。 (四九)
2022 7/21
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 硬直しているか溌剌としているかは、人間を二つの原理的な群れに分かつ大きな範疇的区別である。怠惰が人間の根本的な悪と考えられているのも、この意味である。 (五一)
2022 7/22
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 現実的でないものは凡て価値なきものと考える人と、価値なきものでない限り凡ては現実的と考える人、高貴な限りに於ける人間性の、これは両極である。 (五一)
* またまた奇態きわまって心身の愚にゃ愚にゃに成り行く「活劇夢」に息を喘いでいた。どこやら大都会の深夜を、文壇のエライ先生方の罵倒に追っかけられ、美女と手を取り合い、二人の「ローマ」や「京都」や「銀座裏」の「休日」を、笑い叫びながら駆けずり遁げ回っていた。
どうなってるのかな。わたしの脳みそは発酵しすぎでは。
それでいて、ジンメルの斷想から上のような「想い」の「後者」の極を「良し」と読み取っている。
2022 7/23
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 現実的でないものは凡て価値なきものと考える人と、価値なきものでない限り凡ては現実的と考える人、高貴な限りに於ける人間性の、これは両極である。 (五二)
2022 7/24
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 人生を生き抜かんがために人間が掴むもの、それ以上に人間としての水準の深さを示すモノは無い。 (五六)
2022 7/25
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 人間の本質と特徴は、彼等に「絶望」の存するところにある。 (五七)
2022 7/26
* 書いたと思い、取り纏めた思う記事や箇所が、紛失、見当たらない。機械が馬鹿か私がバカか。刻々に「まあだだかい」と呼ばれる心地、「まあただよ」と返辞しにくい気持。なにより費やした労力と時間がいたましい。いたましいものよ、生きるとは。
2022 7/26
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 人生の無意味と束縛は往々にして人が全く絶望せざるを得ぬほど極端な、抜け道の無いものと人を捕らえる。これを超越しうる唯一は、これをさよう認識し且つ絶望することである。 (五八)
2022 7/27
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 吾々の潜在的な苦悩の全部が、なにも現実的なものでないと確信を抱けることは、慰めになるより、却って恐怖を誘う。それを現実には持っていないが、その全部を必然かのように抱き持っているのだから。 (六一)
2022 7/28
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 「慰め」は、ふつう人々が与えているよりも遙かに広く深い意味を持っている。人間とは慰めを求める存在である。救助とは異なる。救助は動物も之を求める。
一般に人間を救うことは出来ない。それ故にこそ人間は慰めという不思議を創り上げたのである。 (六四)
* 贅言は加えないが ジンメルは、まこと広い深い基盤に独創を建築した、信頼と賛嘆に値する哲学者であった。
2022 7/29
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 生涯を通じて私は空虚な場所、何も描いてない輪郭に過ぎない。それ故にこそこの空虚な場所を填めるという義務と課題が与えられている。これが、わたくしの「生活」である。 (六六)
* 昨日は、汚点のように私にむごい日であった。平穏でありたい。
2022 7/30
* 尾張の鳶、私の「兄恒彦」を書いておきたいという思い爲しに、甥の恒が編成した「父」を主題の本二冊を手に入れて送って下さった。感謝。
とにかく、識らない「兄」なのである。今から見ればほぼ同年の兄弟なのだが、鮮明に異なった人生をあゆんで、兄は、自死した。どう死んだのか知るよし無かったが息子の「恒」は躊躇いなく「首を吊って」と語っている。言葉を喪った。識らなかった故のショックがあるにしても、それに拘る気はない。理由があってか無くてか、兄は、江藤淳の自死の半年後に自ら首を吊っていたと。
生母を書き、実父を書いた。兄も書こうと決めている。母にも父にも幸いに私のもとに厖大と謂えるほど生な資料が在ったが、兄のことは、實はほとんど知れていない。それでも駆けるだろう、明らかに、短期間では在ったが兄晩年に、淡いが懐かしい兄と弟としての接点や折衝はあったし、それは、子供達も識らないままの一面に相違ない。どこまでその一面が表現できるか、遣ってみようと思う。
2022 7/30
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ とかく人生は一つの袋小路に入って行く。吾々の内部における個性的なものと吾々の外部に於ける個性的なものとの関係の内に、豊かさと無限への過程とを見失わぬということは、吾々の偉大なおそらくは解けがたき問題である。 (六八)
2022 7/31
* 「気になること」 それのあるのが常、それで良いのか、良くないのか。気になることが重石のように肩に載っているのは、やはり、しんどい。生きているとは、こうなのか。
2022 7/31
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 人生の本質的な問題はこうである。 あたかも今日が最初の日であるかのように毎朝新しく生活を始めること。しかも一切の価値ありき古き体験や記憶をかならず前提とすること。 (六九)
2022 8/1
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 独自の価値は、論證すべきものであつて、主張すべきものではない。 (七〇)
* まあだだよ。
* なにもかも、向き合って、成るべく成るように事を済ませ済ませ根をつめていた。それしか無いのだ、それがいいのだ。それでいいのだ。
2022 8/2
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ より高きものたらんと努める精神的な人間の、何より先ず避けねばならぬ事は、物事を自明なものとして受け容れてしまうこと、及び、偏愛することである。 (七一)
2022 8/3
* 父母を倶にした実兄「北澤恒彦」でありながら、一つ屋根の下で暮らした只半日一日の記憶も私には欠けている。同様に一つ屋根の下で暮らした只半日一日の記憶も欠けている「母」を書き「父」を書いたので、「兄」のこともと思うが、なまじいに同じ世代を似た世間へ名も顔も文章も出して「生き」てきただけに、しかも兄の生涯にたった二度三度しか逢って言葉を交わしたことが無い。兄の著書は尾張の鳶さんの好意と配慮とで、甥の「恒」の編著二冊をふくめて、やっと四種四冊手に入っているが、内容で、「兄弟の触れ合う記載」のありそうな箇所は希有というしかない。ただ、初めて顔を合わす以前にも数通手紙を貰った記憶があり、出逢って以降「兄の自死」までの短期間には、書簡そしてメール往来の記録が、やはり数多く歯無いが幸い残っている。「書く」程のほどの何があり得ようか、識っているのはいわば接点の無い「風聞」なのである。兄の自死後の「想い出を語り合う」らしき会への呼びかけにも私は応じなかった。「なあんにも識らないで」離ればなれに生きてきた兄の、大勢の「他者」の口から聴かされる「想い出」にはとても私は耐え得ると思わなかった。「識らなかった」ことを人の口からでも識りたいか、「ノー」であった。そんなわたくしを「水くさい人」と謗る「甥・姪」を含めて大勢のあったらしいが、「私」の悲痛には無縁のものの心ない軽率の罵声にすぎない。
で、どうするか。私が手持ちの、抑も戸籍謄本にはじまる「内容ある」資料を手もとへ揃えること。すでに妻は兄の晩年の書簡を「清書」朱修してくれているが、兄恒彦の自認の「悪筆」は、これはもう、もの凄いのであるよ。兄が、パソコンに触りはじめ、初牛久メールを暮れ始めたのは、あれは自死以前の半年餘もあったろうか。あの年の六月に江藤淳が衝撃の自死を遂げ、半年後にきた澤恒彦もまた自死して逝った。「湖の本 20 死から死へ」はその慟哭の時機を記録している。「一九九九 平成十一年 七月二十二日」闇に言い置く・私語の刻は、「江藤淳氏自殺の報で夜が明けた」と書き起こしている。そして十一月二十三日 早朝 兄のこと として「兄北澤恒彦が死んだという」と書き起こしている。二十四年の昔ばなしと成っている。
さ。書けるかなあ、そんな「兄」を。毀誉にも褒貶にもモノがない、私の手に。
2022 8/3
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 此の世に生きる最高の術は妥協すること無く適応することである。。 (七二)
2022 8/4
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ いくつかの偉大な思想だけは本当に自分のものにしておかねば成らない。明るくなるなどと思いも及ばなかったところまで、それが光を投げかけてくれるから。 (七六)
2022 8/5
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 情熱に負けて客観性を喪うことの無いようにするには--結局、礼節の士で在りさえすれば良い。しかし、客観性のために情熱を喪うことの無いようにするには--倫理的意志だけでは出来ない。 (七三)
2022 8/6
*「恒彦」の関連本など、 尾張の鳶の親切で手に出来た、感謝。
この「兄」のこと、しかし、私には「理解が届くまい」かと思う。似た、感じがしない。懐かしがるほどの「つきあい」がなかったし、「理解の手づる」がみつけにくい。やってきたことが「互いに違いすぎる」のか。
書いたものを読んでも、文体もそうだけど、呼吸づかいがちがう。私に気をつかい気を配ってくれていたとよくわかっているけれど、呼吸している「世界」がちがう。「感覚」もちがう。知的に理解するのは不可能で無いが、いわば「女文化」の花がまったくこの兄には咲いていない。だから「懐かしさ」が湧いてこない。生母にも実父にも感じ得た「一体感」が湧いてこない。寂しい情緒でなく、淋しい無縁を覚えているのでは、と我が身を抓っている。
2022 8/6
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 発展の観念が支配する限り、凡ての人は先駆者であり、而もまた何人と雖も實に完成者なのである。一切の完成者の先駆者であるかのように、そして一切の先駆者の完成者であるように振舞い努めよという二つのことは、並存するのである。 (七四)
* わが事は超えたことながら、ジンメルの確信には耳を傾ける。
2022 8/7
〇 昨日メールを戴いていました。
煩雑な原稿処理など、その幾らかはわたしにも分かりますが、「今しがた、通過できました。」とあり、直後にメールを書いてくださっている・・。感謝。
もういいかいとしきりに呼ばれている気が・・そして「まあだだよ」とこれまでにも何度かメールに書かれているのを、わたしは間違った解釈こそしないものの、やはり言及してきませんでした。まあだだよと言い返せるうちはまだ大丈夫。鴉にはまだまだ残されているお仕事があるのです。わたしも言います「まあだだよ」
北沢氏に関して、鴉は全く理解が届くまいと感じ当惑されている。世界が違う、感覚も違う、女文化の欠如、懐かしさがわかない・・
北沢氏の本、わたしは全く読んでいないので、彼に関して述べようがないのですが・・。
(京都)大学で部落研に入り「挫折」した自分の経験から言えることは、筋金入りの活動家の人とどんなに話しても理解し合えなかったということです。
一番大事なことは階級の打破、経済的な問題の解決。宗教はアヘン。社会主義国の現状にある問題や矛盾は資本主義社会の悪影響によるもの、理想社会に至るプロセスに過ぎないと、中国の農業政策の失敗による飢饉餓死、ソ連のスターリンの粛清恐怖政治などには目を瞑り、際限なく彼らは「力説」しました。更に組織とか政党の中での個人の在り方など。いずれにも絶望的な「隔たり」を感じました。
北沢氏は高校生の時、既に確信に満ちた活動家で裁判にかけられた、彼にはその時点で他者の眼からも自分自身としても「立ち位置」が定まってしまったのだと思います。どんなに矛盾や困難を抱えても彼は責任感や義務感、そして身近にある人々との連帯感(活動から離れた場合には諸刃の剣になって強かに打撃を与えるものですが)の枠内で呼吸していたのかもしれません。連帯感や同志愛は孤独と背中合わせです。
生涯の長きに亘って一すじの道を歩んできたと自負できると同時に、プライベートでは孤独だったのでしょうか。彼にとっての家族・・。
自殺した知人、その人たちにとって家族は どんな意味をもっていたのか、理解できない場合も多いです。自殺という行為のその瞬間に何を感じ思っていたのか、死ぬ勇気? エネルギー? わたしにはあるでしょうか?
途中でごめんなさい、今はここでストップ 勝手なことをとりとめなく書いたかもしれません、
保谷の鴉 くれぐれも くれぐれも お身体大切に大切に 元気で 尾張の鳶
* 正直に言い切るが、私「やそろく」人生に、「鳶」さんの用いたような「批評」「言句」はゼロであった。こういうふうに批評できる心地・心事・言語を知らなかった。謂われている「活動者」ふうの誰一人とも事実出逢わず、識りもしなかった、例えば鶴見俊輔さんのような文筆の大先輩や、かつての労組での執行委員のような人達の他には。まっささきに想うべきは私自身が 甚だしい「現代のハンパもの」「我れ勝手な孤立者」であったのだ。
* どうだろう、生母や実父を「書いた」と同じ感触で、兄の生きて生活・活動していた「埒の外」からの視線と感想とで「私の兄」を書き綴っては。いま、そう思いついている。
2022 8/7
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 精神の自由とは精神に依る拘束のことである。何となれば凡ての自由は、やがて支配を意味するからである。 (七七)
2022 8/8
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 罪は凡べて神に対する罪で在ると謂うのは、誰か自分の罪を許し得るような人を需めようとする絶望的な方法である。
苦痛による購いは、全く比較を許さぬ二つの要素を天秤に掛けようとする、全く外的な機械的なもので、一の浅薄な自己欺瞞である。 (八三)
2022 8/9
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 吾々は先ず自身を客観的に見ることで、そこから自我一般を排除しひたすら客観に生きる爲の「橋」を得る。これが高められ最高潮に達したのが「創造的精神」である。
創造的な営みに於いては、精神的客観性は主観の對立を克服して、主観をもその内に摂取している。 (八八)
2022 8/10
* なににしろ「葛藤」の夢は息苦しく覚める。消すことも払うことも出来ない。
なににしろ「葛藤」の夢も名残なく失せる。消すことも払うことも出来る。
2022 8/10
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 天才は、人格的なものと非人格的なものとが未だ分れていない存在の層から生まれていると想われる。 (八九)
2022 8/11
* 能動という推力が発動しない。寝入ったように凝然、目は明けて。こんな時は逆らわぬがよく、しんんの気ままに任せるのがよい。生きるのを励ますビタミンのような何かと出逢いたいが、この時節、私の健康や年齢からして、やはり書物世界から「力」を見つけるのが順当か。なにしろ人とは出会わない出逢えない、郵便は愚かメールの往来も微かになっている。何とやらの「解除」で目を見張って呆れる程の人出が報じられる。所詮はあんな洪水並みの人出に加わるスベも気も無い。「読み・書き・読書」とはレながら「決めた」ものだ、他にナニも無いのだ。
知識は、もう欲しくない。観たことも聴いたことも無い誰かに本の中で声を掛けられたり掛けたりしたい。漱石なら苦沙弥先生がいい『心』の「先生」は要らない。芥川や川端は要らない、藤村や潤一郎がいい。直哉が佳い、太宰治は要らない。自殺という手段で人生の幕を切って堕とした人とは話したくない。平然として傲然として生き抜いてたじろがなかった人と出会いたい。神や仏は要らない。たりまえに浩然と生ききった人の手を掴みたい。
わたしの身内・身近には、なんと自殺した人が多いか。生母は闘いきって病床に自ら死んだらしい、が、実兄の自死は、得も謂いよう無く何かしら自身で追い詰めて崩折れ死んだとしか思えない。話からない。妻の父は母に死なれアトを追った、育ち盛りの三児を遺して。甥の一人はいこくの地で愛おしい人のアトを追い「傷ましく」自ら逝ったという。
新門前で育ったあの「秦家」の父も母も叔母も祖父も、ぶち殺されても死なないほど平然と頑強だった、私はいま、この育ての親たちの心身のふてぶてしいほど健康に憧れて敬愛し信愛し感謝している。自殺者には学びようが無い。
2022 8/11
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 天才とは中間の関門を飛び超えるの謂である。経験という橋を渡る必要なく、学んだことのないものを知っている。藝術は本当の意味で天才の仕事である。その他の人間の企てに於ける如き中間の関門を持たず「常に目的に達する」のだから。 (九二)
2022 8/12
* 祇園花街と三条裏とに南北を挟まれた、浄土宗總本山知恩院前に「新」「古」二筋の「門前通」、その新門前通りは、北を白川の清流に画され川向こうの古門前通りと隔てられていた。新門前通りはおおよそ東大路から西へは外国からの旅行客相手の和漢の美術骨董商のショウ・ウインドウがならび、西の縄手筋から東向きには静かな和風の家が並んで、京観世・井上流京舞の家元や、超級の仕出し料理で聞こえた「菱岩」などがある。懐かしい佳い「花屋」もある。わが「ハタラジオ店」は、そんな新門前通りの中程に店を開けていた。すぐ東お隣に京都植物園長の、また清水焼六兵衛家の奥まって静かな門屋敷や露地や土蔵が並び、北の古門前通りへ抜けた脇道には、白川を渡して今では名の聞こえた「狸橋」が、幼時私らの遊び場・集い場であった。橋した白川の流れから、時に長い蛇があがってきて仰天もした。白い飾り石の橋桁に凭れ込み、川波の流れにじいっと見入るのが私の夢見時であった。有難かった。生みの母一人にか、実の父一人にか、所定まらずうす暗く貧しく育てられるより遙かに遙かに、結果私は新門前でとても幸せであった。
* 京都大学に間近い吉田辺の「お米屋」北澤家へ貰われた実兄恒彦は、どうだったのだろう。気の毒に、結果、不運であった。養母は亡くなり、実母にはまとわりつかれ、戦後の学生闘争にいちはな立って爆走した京大生たちに「高校生」の内に身近に感化され、火炎瓶を投げ、追われ、牢に入り、前科として判決され、それはそれとして兄恒彦の「身にも力にもなった部分」もあろうが、闊達なごく当たり前に普通の大人には、あたかも成り損じ、自身に「市民」「社会」「家」といった丈高い表札を建てて、才能ある三子を得ながら、妻とは離別し、自らは「市民活動家」という自負からいろんな世間を右往し左往した心の瘠せや疲労の蓄積か、何かしら不満足や重い負担や所労があってか、死病の養父の枕元で首を吊り壮年にして自死したとは、長男が克明に記録した「履歴」に明記されてある。妻子は誰も最期のその場近くに居なかった。
視野の確かな、思想や思索を重んじて、一見豪快に「身働き」の効く活躍の知識人には相違なかった、が、思いの外に健全健常な「生きる喜び」に支えられないまま、結果「斃死」に等しい自死へと墜ちた。
アトを追うようにして、次男「猛」また、異国ウイーンで「いたましい」と人の伝える自死を遂げた。ほがらかに、無邪気な、ラグビー好き、大学までにもうドイツ語自在で外務省がやとったという、心優しい可愛い甥っ子だったのに。
* 兄の、わが子等への命名に、私ならしない或る風があった。長男にはあのフクザツに人生を追った実父の名とまったく同じ「恒」一字を与えている。次男の名にあのの「梅原猛」氏の「猛」をもらったと、兄の口から一度ならず聞いた。娘「街子」にはどちらが先であったか、「きみの小説『畜生塚』の町子と通い合うたよ」と父親は私に微笑していた。
何れも、私ならしないことだ、私は久しく実父「恒」をいとわしく見棄てていたし、梅原「猛」さんにそんな敬愛は感じてなかった。梅原猛と北澤恒彦と。私にはよく見えない景色であった。自分たちの子供の名は、親が愛しく新しく名づけてやりたかった、姉は朝日子と、弟は建日子と。ちょっとかわってるねえ私は兄の「子に名付け」のセンスが妙に訝しかった。
* 私は、いま、しかと心する。,此の自死に墜ちた兄や甥の足跡を決して追わない、踏みたくない、と。
私は、はっきりと、京・東山新門前通りの「秦」家が、「ハタラジオ店」が堅固に持して愉しんでいたと思われる「文化と生活」をこそ受け容れ、健常に生きたい。
大量・厖大な和漢の書籍・事典・辞典を秦の祖父鶴吉は孫の私に譲り伝えた。やわい読み物など一冊もなかった。
父長治郎は、女向きのの「錺職」から、一転、日本で初、「第一回ラジオ技術検定試験」に合格し、当時としては最先頭にハイカラな「ラジオ店」を持ち、電気工事技術も身につけ、戦前戦中をむしろ世の先頭で技術者として生き、戦後は、真っ先にテレビジョンで店先を人の山にし、電気掃除機も電気洗濯機も真っ先に商った。しかも観世流の「謡」を美しく私に聴かせ、時に教え、囲碁や麻雀も教えてくれた。一時の浮気や金貸しで母とも揉めたりしたが、私に此の今も暮らす家屋に費用の援助もしてくれた。九十過ぎて、その東京の家で、吾々の看取る前で静かに亡くなった。二軒ならびの西ノ家には今も「秦長治郎」の陶磁の表札が遺してある。
同居の叔母ツルは、若くから九十過ぎて東京で亡くなるまで、裏千家茶の湯、遠州流生け花の師匠として多勢の女社中を育て、少年以來の私のために花やいだ環境や親和親交を恵んでくれた。文字どおりのまさに「女文化」を目に観、耳に聴かせてくれた。.
母のタカは、私を連れて独り丹波の奥に戦時疎開生活をしてくれ、私の怪我や病気にも機転の対応で二度、三度大事から救ってくれた。今思えば家事万端に私の妻よりずっと種々に長けていた。弱げでいながら、夫や小姑よりもなお健康に、百に届きそうなほど永生きし、吾々の看取る前で亡くなった。
秦家には「死の誘い」を感じていたような大人は一人も居ず、居たと想われず、それぞれ亡くなる日まで「当たり前」のように頑強に死ぜんんに自身を生きていた。父も母も叔母も、少年の私の目の前で「組討つ」ように躰ごとの大喧嘩をしたこともある、が、誰も、一言も「死ぬ」などと口走ったことは無かった。
* 北澤の兄の書いた、また北澤の兄に触れた都合四冊の本を、私は堅くものの下へ封じた。私は秦の「恒平」であると。敢えて感傷のママに「読む必要は無い」と思い切るのである、少なくも「令和四年真夏」の現在、只今。
2022 8/12
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 吾々が「創造する」ときにのみ吾々の態度がそのまま必然的となり、一つの方向に固定する。そうなるほかない。
創造的精神とは「大肯定」の比較級である。 (九三 九四)
2022 8/13
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 単なる生存のための闘争が既に否応なしに向上のための闘争であるとは、生物進化ににおける驚異である。 (九五)
2022 8/14
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 生活は自己のうちにその規範をもち、生活の形式に於いてはまたこの形式に則してのみ実現さるべき理想的要求を含んでいる。この要求は、藝術から借りてくることの出来ぬものであり、藝術には別に藝術の要求がある。生活を藝術品にせねばならぬと云うのは無意味である。 (九六)
2022 8/15
* 観ていた夢は、忘れた。思い出せそうで思い出せない。
敗戦の日。想い出は多々、疎開していた丹波の山奥へ走る。南桑田郡樫田村字杉王生。初めは山上の田村邸を借り、耐えがたく街道脇の長澤市之助邸の隠居を借りて母と二人で暮らした。多くを良く覚え忘れ得ない。敗戦の詔勅は長澤の前庭で、ラジオて聞き知った。飛行機のように手を広げて駆け回った。負けたことに何も負担は無く、京都へ帰れるかと胸を弾ませた。あれから、早や77年。いい意味での生きる緊張を忘れ得ない戦中の、また永い戦後の日々であったよ。
2022 8/15
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 生命が本当に自覚に到達するのは吾々が創造的と呼ぶものに於いてのみである。創造的なものは生命と内容との関係の内にある。内容がそこから直接に生じ来る限りに於いて生命を意味する。 (九七)
2022 8/16
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 生活を藝術品にせねばというのは無意味である。生活は自己の内にその規範を有し、生活の形式に於いてまたこの形式に則してのみ実現さるべき理想や要求を含んでいる。この要求は藝術から借りてくることの出来ぬものであり、藝術には、別に、藝術の要求がある。 (九六)
2022 8/17
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 高い精神的な関心に生きることは、老人になったときひどい退屈と生活の倦怠とに対して吾々を守りうる唯一のものである。 (一一八)
2022 8/18
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 青年に於いては過程が内容に優越し、老年に於いては内容が過程に優越する。生命の眞の成熟とは何か。内容を生き生きとさせる多くの生命があり、過程を完全に充たす多くの内容がある、ということ。青年の空虚な鈍い衝動、憧憬と、老年の頑なな智慧とは二つの極端である。 (一一九)
2022 8/19
* 少年の昔に聴いたことが有り、いいことだと寒心した。フランスでは、国語の美しい正しさを「放送局」の放送が努めて守っているのだと。佳いこと、そうあって欲しいものと思ったのを今もそう願いつつ忘れないが。近年の日本のテレヒ「放送・放映」関係者らの「日本語」を、率先して汚し乱してくれるのには情けなさを禁じ得ない。「日本語」を「日本文化」としてまもり育てる責任感など、率先して放送局が放置放擲している。
天皇さんの「お言葉」なる習慣を是非する気は無い、が、「お言葉」集はかちある「日本語」の模範としてもっと意識されると佳い。
2022 8/19
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 軽薄と退屈の他なら何であろうと我慢できる、しかしながら大多数の人にとっては何れか一方に陥ること無しに他方を避けることは全く不可能である。 (一二四)
2022 8/20
* 「姉さん」の夢を見た。どこかへ帰ってゆく人であったが、そのまえに元気にみなと草野球を愉しみ、「頑張るのえ」と頬に手をそえてくれてから、バスでどこかへ帰っていった。微塵も気取らない、聡いひとであった。見送って、寂しかった。
2022 8/20
〇 つみためしかたみの花のいろに出でてなつかしければ棄てぬばかりぞ
* 走り書きや思い付きのママ書き捨てたまま、散った花びらのようなものが、機械のあちこちで埋もれて在る。無数にある。なにとはなく「花筺 はなかたみ」に投げ入れておいてやろうと。
私の場合、「書く」とは「描いておいて化ける」のであろう。「花」とは、なにかの化けた証しなのではないか。「私語」とすこしちがう。いや、全然ちがう気がする。秦恒平を騙った魑魅魍魎のつぶやきに近いか。
2022 8/20
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 幸福とは、高い精神力が低い精神力によって煩わされることの無い境地であり、気楽とは、低い精神力が高い精神力によって煩わされることの無い境地を謂う。 (一二五)
2022 8/21
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 幸福というものは他の心的状態と同じく決して単純に繰り返されるものではない。明日「新しい」幸福を創り出すことの出来る人のみが、明日もまた今日と同じ幸福を持つことが出来るのである。 (一二七)
2022 8/22
* 夢は見なかったが、気づいた不審を、調べる手立て無いまま考えていた。私の生まれは1935年師走も余す十日しか無い歳末。兄北澤恒彦の出生は、長男恒作成の恒彦履歴で確認できるように前年1934年4月下旬、当然に懐妊はさらに前年初秋へも遡る。父と母とは,私が生まれて歳越えの早い時期に生木を裂くように父方の手で引き離されている。数えれば、それより以前じつに二年数ヶ月も以前から、父と母とは若い学生と一女三男をもう産んでいた寡婦とに「性の関わり」が出来ていたことになり、それは近江能登川の旧家である母方親族からも、南山城の旧家である父方親族からも好ましいことでなかった。父方がそれと知って、嗣子でもある長男の奪還と幼兄弟を戸籍から「峻拒」の対策を強硬に嵩じたのは、昭和十一年1936年早々であった。それにしても、様子に気づくのにそんなにも永く気疎かったのか、高みの見物めくが驚いている。恒彦誕生から恒平のそれへほぼ20ヶ月も「無事!!」に我らが両親は京都の西院辺に隠れ住めていたとは、経済も生活者としても、いささかならず想像し難いナ、と、夢うつつに想いまわしていた。
何の役にももう立たないが。ま、私なりに両親の墓標は立てたよと、もう、この辺で、私ももう今年冬至には「やそしち」歳の爺になる、永く握った掌を開いてやろうと思う。
2022 8/22
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 虚栄心の強い人間はその自己意識からすれば他人に依存していない。潜在的に彼は、自己への極めて高い見識を持っている、が、それを実現する力を持たず、それへの勇気も持ち合わせていない。彼に他者他人が必要なのは、ただこの自身への見識を保証してくれるためである。自己に関する彼自身の自負や見識を肯定するコーラスとして必要であるに過ぎない。そうでないと、そんな自負や見識は斷えず滑り落ちて行くからである。
それ故に虚栄心の強い人間はしばしば大衆を軽蔑するにかかわらず,大衆なくしてはついに存在することが出来ない。 (一三六)
2022 8/23
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 幸福を求めることには矛盾がある。自我を生の中心にして世界の価値を全く主観的反応の上に据え--しかも客観に依存していることを告白し、その上この自我が自ら爲しうる以上のことを熱望するという、矛盾がある。 (一四〇)
2022 8/24
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 十分と謂うことは既に、多すぎると謂うことである。幸福主義的な享楽主義的なものと吾々の生の總対との関係にひそむ、これは深刻な矛盾である。すべてこういうモノは吾々にとって少な過ぎるか多過ぎるかなのである。十分という均衡領域が無く、前者は一変して後者になる。 (一四五)
2022 8/25
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 詩人、特に劇詩人は、不正なものにもなお権利を与えるすぐれた愛を持っている。藝術品に於いて悪が存在するのは、その権利があるからに過ぎない。 (一五〇)
2022 8/26
* 夏は、よる。真夏という時期が、真冬と同じに気に入っていた。
中学一年のb¥、武徳会に入会し、京の疏水で、好きに泳ぎ回れた。高い橋から跳び込んだり、潜りたいだけ潜り続けたりしていた。
一度は記録したかと想うが、疏水端のかんかん照りの舗装路を炙られながらてくてく歩いて家に帰ったが、三條通りへつく少し手前の川端に、あれは図書館なのか、公立か私立かの、がちっとした石造の建物が石段を七、八つ上に、シックな重いドアを明けていた。中に入って自由にいろんな書籍が読めた。信じられないほどだ、気に入った本の二冊まで持帰り借用も許されていた。日焼けで真っ赤っか、濡れた褌を袋にさげた中学少年が、厚さ十センチにあまる大冊で立派な『絵本太閤記』を持ち帰りたいと頼むと、何の斟酌もなく許可されたのだ、こっちで驚いた。一人前の大人になった気がしたが、ま、むさぼるように読んだ読んだ、大きめの活字と沢山な刺激的に美しくも怖くもある「繪」の数々に、抱きつくように読み耽った。
私は人に借りた本は、貸してくれた先のたとえ家ででも必ず「最低二度」繰り返し読んで了うまで帰らなかった。それが私の読書常儀だった。抱くのも重いその『絵本太閤記』も、この好機逃せるかと、繰り返し繰り返し座って読み寝腹ばって読んだ。口語ではない和漢混合のナニ会釈もない書き下ろしであったが、それはもう祖父鶴吉旧蔵本の『神皇正統記』などで十分読み慣れていた。親房本もこの太閤記も、純然歴史書であったのだから、じつに多く「言葉・文字/・史実や人名」を覚えた。
京の真夏のかんかん照り、水泳の武徳会通いのあれはもう「偉大な」とおもう好い土産であった。「やそろく」爺が生涯に嬉しかったことの「五十」の内には数える。
2022 8/26
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 中世人ないし中世的の感覚では、絶対に自然的なものこそ魔術的なものであった。吾々にとっては反対に自然的なものがおそらく全く「自然的」なものになってしまったのであろう。それ故に吾々の時代に宗教を見出すことは過去の何れの時代よりも困難なのであるが、それ故にこそ吾々の時代は、宗教を一層必要とする、善し悪しはついて回るにしても。 (一五三)
2022 8/27
* 朝はいちばんに、煎茶を惜しまず、茶を点てた。朝一番の美味い茶は、新門前の昔から秦家では「ならわしごと」。夏には母がかならず障子を張り替えていた。観るから涼しくて好きだった。狭いながら泉水の水を替えて金魚をはなすのも、笹が青青とそよぐの浅賀の作のも好きだった。昔のわが家には小さいなりの爽やいだ文化があった。母にも叔母にも、たとえ漬け物漬けにしても毎年観られる生活上の年中行事があった。好い物だった。
今のわが家では障子の張り替えなど想いも寄らない、ありとある障紙「マ・ア」ズに攻撃されて失せており、妻にも張り替える手技が無い。家政と謂うことでは年寄りや男の沈黙の目に見られて、母も叔母も、想い起こせばいろいろな「ならわしごと」をを手早にきびきび遂げていた。掃除と洗濯と食事の用意だけでは無かった。それらにも「機械」の手助けなどナニも無かった。
* 「ならわしごと」と書いて、胸の痛い想い出に触れてしまった。
よのつねのならはしごととまぐはひにきみは嫁(ゆ)くべき身をわらひたり
謂うまでもないがここで「まぐはひ」とは目と目を合わせての意味に歌っている。上皇を謂う「みとのまぐはひ」ではない。あの、祇園石段下、屋さん中学の前、四条大通り路上での、のこり惜しい、よぎない、ただ数分に満たなかったまさに「立ち別れ」だった、いまも手を結び合うた「あのとき」のままに思い出せる。いらい、七十年怒濤の人生はいまにも静かに濤を退こうとしており、あの「ねえさん」もすでに亡いと、妹、またその義妹により、あたたかな心遣いと共に伝えられている。
あなたとはあなたの果てのはてとこそ吾(あ)に知らしめて逝きし君はも
2022 8/27
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 個人の異なるに応じて時間の長さが異なる。同様に、どの民族にとっても時間の長さは異なる。そこから多くの特色有る結果が生じる。 (一六三)
2022 8/28
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 単純な真理、普遍的に妥当するもの、基礎的なものが吾々にとって平凡になり、それ故に軽蔑を受けるに至ったため、吾々はいかに多くの価値や動機を喪ったことであろうか!! (一六四)
2022 8/29
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 予言者や指導者が言ったり望んだりした通りのことがこの世の中に行われたことは一度も無かった。だが予言者や指導者がなかったら、全く何も「行われ」無かったであろう。 (一六五)
2022 8/30
◎ ジンメル(一八五八 - 一九一八)の 『斷想』日記抄 (清水幾太郎の訳に依りて)
◎ 「余の味方にあらざるは、余の敵なり」とは、これは私(ジンメル)の考えからすれば、半面の眞しか伝えていない。
私が生命を献げている究極的問題に対して味方でも敵でもない無関心な人だけが私の敵である。
しかし、積極的な意味で私の敵である人、私が其処に生きている場を共にし,同じその場で私と向きあい闘っている人、(妻のような)この人こそ、最高の意味で私の「味方」である。 (一六六 了)
〇 ジンメル(一八五八・三・一 一九一八・九・二六)はベルリンに生まれ、テーニエス、デュルケーム、フッセル、ベルグソンらと時代を共にし、メトポリタン賭して生まれ、コスモポリタンとして生きて死んだ。驚くべき視野の広さと、人間生活のあらゆる側面に食い入る貪欲なまでの関心は彼の真骨頂であった。(清水幾太郎)
2022 8/31
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサの訳に依りて)
◎ 「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」
吾々が美徳と思いこんでいるものは、往々にして、さまざまな行為とさまざまな欲(アントレ)の寄せ集めに過ぎない。それを運命とか人間の才覚とかがウマク按配してみせるのである。男が豪胆であったり、女が貞淑であったりするのは、かならずしも豪胆や貞淑のせいではない。 (一)
〇 ラ・ロシュフコー(一六一三 - 一六八〇)公爵は、フランス貴族の中でも屈指の名門の出、軍人として、文人として、藝術ともいうべき社交術であらゆるサロンの名士であった。とはいえ、時代は彼ら封建大貴族にとって、リシュリューやマザランが暴れ、百年後のフランス革命へ傾斜して行く難しい時代であった。
『箴言集』はそんな時代を風靡し愛読され、さらに世界の「古典」の名声を得続けている。
2022 9/1
* この機械クンの収容負担を軽くしてあげたいと思うのだが、なんだか逆に逆になっているのかも。自分でも何をしているのやらと戸惑う。
* 「私語の刻」覧のホームペー化を意図したのを、やめようと思う。現状なら私的なール等の往来も操作の試みや着想なども書き込んでおける。公開の必要は無いのだ、斷辰は『湖の本』で、時点こそ後日にズレルが、必要の場合は個別にメールで送るので足りよう。今のままなら、なに憚り無くその時々に思ったまま考えたままをみな書きとめておくのに遠慮が無い。
〇 **様 昨夜はご足労かけました。ホームページつくりは、断念し、現状の範囲で「執筆」「通信」等をつづけるだけで、もう晩年、「可し」と心決しました。
ぜんぶ ご放念 お忘れ下さい。 秦生
2022 9/1
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 自己愛(アムール・プロブル)こそはあらゆる阿諛追従の徒の最たるもの。 (二)
自己愛は。天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である。 ( 四 )
2022 9/1
* この機械が抱きこんだ文章や記録は、言語道断に多様で大量、重複もあろうを,少しでも整理しようと今朝の早起きいらい、書き進むべきも書き進めつつ、手を付けかけている。視力の衰え、目の痛みも進んでいるが「読み・書き・読書」は斷めも休みもならない、で、休憩に床に横になると、其処には読みさしの本がいつも十数冊。いまほどは、光源氏が父帝の中宮藤壺との秘密の仲になした「皇子」を父帝の抱いて光中将にも見せるのに、藤壺も光君も心中恐懼にたえない『源氏物語』の一場面、ドストエフスキー『悪霊』一組の男女交際の生き生きとした批評的な書き始め、アンドレ・ジイドの警抜で適確なその『ドストエフスキー論』が彼の作家としての特異な性格を暴くように指摘してみせる確かさ、『参考源平盛衰記』で平重盛か父清盛の後白河法皇に対する非礼を懇々として警める、流布の本ならせいぜいに頁と無い経緯をえんえん本の藩札も費やして記録しているのを、また『明治歴史』では最幕末、図らずも同日に、片や薩長への倒幕の密勅と、片や将軍慶喜による大政奉還の奉呈とが交錯する史実の不思議を、またトールキンの、ホビットバビンズやドワーフたちや魔法使ガンダルフの旅の宿り、等々を欣喜の想い出それぞれ読み進んで結句眠りもしなかった。「読む」「読める」嬉しさが「書く」「書ける」励みと一日でも永く好みに添うていて欲しいもの。
2022 9/2
* 日々「私語の刻」の外への電送を断念、というより自身に対しても中止した、ということは、もう私からは強いて外界への折衝や伝達・電送はやめたということ。『湖の本』刊行が続くあいだは、時期がすこし遅れてずれるけれども、きちんと手の入った「私語」「日録」は読者には従來のままお届けできる。メールというのも、戴いた方には有難く喜んでお返事するが、私から不断に送り届けることも、ま、控え控え過ごすように成って行くだろう。「やそろく」「やそしち」「やそはち」 まあそんなにも行くまいよ思っている。からださえ動くなら、お金を使ってでもこれまで慎しんできた娯しみ楽しみが味わえるといいのだか、こうよろよろとしててはお笑い草も生えまいよ。
2022 9/2
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 情熱はしばしば最高の利口者を愚か者に変え、またしばしば最低の馬鹿者を利口者にする。 (六)
情熱は人を承服させる雄弁家、それは自然の技巧とも謂うべく、しくじることがない。それで、情熱のある最も朴訥な人が、情熱の無い最も雄弁な人よりも、よく相手を承服させるのである。 (八)
情熱には一種の不当さと独善があって、それが情熱に従うことを危険にし、たとえこの上なく穏当な情熱に見える時でも、警戒しなければならなくする。 (九)
2022 9/3
〇 出版社から、「修正箇所が全体的、かつ多くあり、六校を出して確認する必要があると考えます。」と連絡がありました。
九月下旬からの後期が始まる前に帰省が出来ればとも思っておりましたが、もう一頑張りいたします。
今日は、少し涼しかったですね。
やそろく様、例年になく厳しかった夏の疲れが出ませんように。 澤
* 有難う。
この短文に「が」という濁音が六ヶ所も。
文章の印象を「雑に汚く」するのは、こういう「濁音」の「無神経な多用」 すこし心すれば避けうること。
川端先生の研究家なら、たとえメールにしても、自身の文も清明に美しくと常に心していて欲しいナ。
一流の批評・研究者は一流の文章を読ませましたよ。 やそろく翁
* 私自身及ばぬことながら、この「私語の刻」では「推敲」を考慮していると、いつか書いている。推敲もまこと勉強のうち、此処に書き放した雑文も「湖の本」へ移すときは気を入れて手直しているつもり。
2022 9/3
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 情念は往々にして正反対の情念を産む。人はしばしば弱さから強かになり、臆病から向こう見ずになる。 (一一)
どれほど念入りに敬虔や貞淑の外見で包み隠しても、情念は、必ずその覆い布を通してありありと見えるものである。 (一二)
2022 9/4
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 善に報い、悪に復讐しようと、ひたすら心がける、それが人間には実は容易でない。受けた恩誼やヒドイ仕打ちの記憶を喪い、かえって、良くしてくれた人を嫌ったり,踏みにじられた相手と握手したりしている。 (一四)
◎ 主権者の寛恕や謙虚は、往々にして、民心を得たい術策に過ぎない。 (一五)
2022 9/5
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 人びとが美徳とする「寛恕」なるものは、ある時は虚栄心、間々怠惰、しばしば危惧、そしてほとんど常にこれら三つ全部の協力により実践される。 (一六)
◎ 人はみな、と謂える、他人の不幸には耐えられる強さを持っている。 (一九)
2022 9/6
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 哲学は過去の不幸と未来の不幸をたやすく克服する。しかし現在の不幸は、哲学を克服する。 (二二)
◎ 人はふつう、覚悟を決めてでは無く、愚鈍と慣れで死に耐える。そして大部分の人間は、死なざるを得ないから死ぬのである。 (二三)
2022 9/7
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 太陽も死も、じっと見つめることはできない。 (二六)
◎ 妬みは、人が敢えて自認することのできない惰弱で恥ずかしい情念である。嫉みは、他人の幸福が我慢できない、一種の狂気である。 (二七・二八)
2022 9/8
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ われわれの持っている力は意志よりも大きい。だから、事を不可能と決め込むのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。 (三〇)
◎ 人は決して自分で想うほど幸福でも不幸でもない。 (四九)
2022 9/9
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 人間の幸不幸は、運命に左右されると共に、それに劣らずその人の気質に左右される。 (六一)
◎ 率直とは心を開くことであるが、ふつう観られる率直は、他の信頼をひきつけるための巧妙な隠れ蓑に過ぎない。 (六二)
2022 9/10
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 正義を愛するとは、大部分の人にとって、不正を身に被るのが怖いというのにほかならない。 (七八)
◎ 沈黙は自分自身を警戒する人にとって最良の安全策である。 (七九)
2022 9/11
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ われわれが不信を抱いていれば、相手がわれわれをを騙すのは正当なことになる。
人間は、もしお互いに騙され合っていなければ、到底長い間 社会をつってき続けられないであろう。 (八六 八七)
◎ 誰も彼も自分の記憶力を慨嘆し、誰一人自分の判断力を慨嘆しない。 (八九)
2022 9/12
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 年寄りは、悪い手本を示すことが出来なくなった腹いせのように、教訓を垂れたがる。 (九三)
◎ 人が知性(エスプリ)と判断力(ジュジュマン)を別々のものと思ったのは、間違いであった。判断力とは、知性の光の大きさを謂う。この光は事物の奥底まで突き抜いて、そこで、観るべきすべてを見、見えないと思われるモノすら観てとる。判断力の効能とされているものごとは、ことごとく知性の光の宏大さのもたらすもの、と、認めねばならない。 (九七) 知性(エスプリ)の嗜みは、上等(オネット)で繊細なことどもを考えまた思うところにある。 (九九) 知性(エスプリ)の:軽妙洒脱(ギャラントリ)は、人を喜ばせることどもを、感じよく口に出来ることにある。 (一〇〇)
2022 9/13
* ここまて生きてくると 「血縁」ということを時として深刻に思う。「実の父」と「生みの母」との血をうけた者の意味で有る。
朝日子 私の 一人娘 押村家に嫁いで、もう何十年 絶えて交渉無し
建日子 私の一人息子 作家劇作家映画作家として自立 健康
結婚せず ながく同棲中 子無し
押村みゆ希 私の孫 朝日子の次女 没交渉 姉(長女やす香、病死)現在何歳とも 覚えず、最期に生前の姉とひな祭りに来訪以後、もう久しく無音、住所その他 一切不明、今何歳とも、結婚したか、子があるかも不明
北澤 恒 作家黒川創 亡き実兄北澤恒彦の長男 生年月日不明 鎌倉市に在住か
結婚・家族も不明 相互に自著のやりとり程度の折衝 日常の交際無し
北澤街子 作家 亡き実兄北澤恒彦の長女 生年月日不明 京都市に在住か 日乗の交 際亡し
* いかに貧寒と侘びしく寂しい「血縁」かと 我ながら慨嘆し呆れる、が、一つにはむろん私に「問題」がある。「血縁」は頼めないという生まれながらの断念、拒絶に近い断念か有る。
京都の新門前で全く血縁ない「秦家」に育てられた幼少以来、「眞の家族」はと思い定めて、それは自分独りしか立てない小さな島に、いつしか二人で三人で、五人でも十人二十人倶にでも立てている、そういう愛した「身内」のことよ、と決して来た。「妻」がその一人だったのはいうまでもなく、中学いらい指折り数えて「身内」と心許せた人は、人生八十やがて七歳で、老若男女の十数指には優にあまるだろう、遺憾にもしかしその多くがすでに亡き人の数に入って、あの「オールド・ブラックジョー」を呼び招くように天上から「おいで」と誘っている。
* 繰り返すが、幸いに私には、自身の著作・著述を介して 多年に及んで親しみ愛し信じ合ったかななりの数の「身内」にほかならぬ人たちがある。私を昨日も今日も明日も力づけ生かしているのはただ「血縁」より以上に、常に「身内」の人との信愛‥親愛である。心底感謝している。いまからでも、なお、一人、二人、三人と出逢って得られないとも限らない。私が案じるのは、それよりも、私自身の「生きる」意欲、「自殺」という誘惑なである。
ことに理解の行き届かない、実兄北澤恒彦の自殺。
重病の養父を一つ家に寝かせていながら、遺書もなく、独り首を吊っていた。それほどに自身病んでいたのか、私には分からない、が、一両日前には東京の私に電話は呉れていて、妻が受けていた。死の当日には離別していた妻、三人の子の母親を久しぶりに呼び出して逢って別れて独り病父の家へ帰宅し、自決したのである。父恒彦の死をウイーンで報された次男北澤猛は、すぐ東京の私へ電話で報せてきた。
ところが、なんと、この若い甥の猛が、ウイーン暮らしで思慕していたという年長の女性の死を、追い慕うように「傷ましく」自殺したとは、事情通の京都のあ0有る人が私に伝えて呉れた。
妻の父は、妻の母の死を切に悼んで跡を追ったのである。
私人で作家でもあった妻の兄は、遺書らしきも遺さず、はたと急に死んだ。自死と謂う。
生涯を倶にすべくなかった、恒彦・恒平の生母阿部ふくも、病床で独り0自死したかと親しかったらしい若い神父が伝えている。
実父は、川崎市に老いて独り暮らしのある朝、近くに住む娘(私の異母妹)らに「死んでいる」と寂しく見出されていた。
葬儀に呼ばれ、一日として倶に暮らしたことものない次男の私は、恒彦や私を遂に父生家戸籍から「峻拒」した親族らから「弔辞」を強いられた。バカげていた。
* サテ私はどうこの生を完うできるか。批評家で詩人の林富士馬さんに、「ホンマ、小説を書くためにうまれてきたんだよ、秦さんは」とわらわれた昔を、いま、カラッとした気持で懐かしむ。
2022 9/13
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 正しく判断するのに、近くで見なければならぬことも在れば、遠目に隔たってでなければ正当に判断しかねるものもある。 (一〇四)
◎ 物事をよく知るには細部まで見逃せない、が、細部はほとんど無限だから、われわれの知識は常に徹到を欠いて皮相に戸惑う。 (一〇六)
2022 9/14
* やや高めに画面の大きめの機械、一段下に、機械と繋げてない横長のキイボード。これの向こうにやや上段に凭れて二枚の絵はがきが立っている、左に、2020日展に杉本吉二郎が出した彩色「ろーじの風」が京の川ひがし、祇園町も北側街に覗き見かける「ろーじ」の風情で風の動くさまもさながら克明の筆遣い。半開きの扉そとに藍染めに白い〇が風にそよぐ暖簾の様も、部分的に赤のきいたちいさな子供乗り自転車も、さりけなく奥のみぎへ逸れて行く「ろーじ」の息づかいも、左右の塀も奥の屋根瓦も敷石の路も、すこしもうるさくなく克明に描かれてあって、つい今し方自分も通ってきた抜けロージのように実感される。
もう一枚はわが友の洋画家池田良則クンの手になって独特濃淡の墨が美しい、これもやや奥深い「ろーじ」の覗けるいりくち、の繪、京都では珍しくない造り独特の入り口が描いてある。わたくしなどひとしお見慣れ遊び慣れていた瓦屋根天井の「ろーじ」入り口が懐かしくも描いてある。
こういう「ろーじ」入り口は、雨降りの日も子どもらのかたまって、めんこでも、おはじきでも出来て遊べる安全に嬉しい世界であった。屋根天井のその上は左右へ渡った民家の二階になっている。屋
入り口屋根の下、「ろーじ」の軒には奥何軒かの住人の表札が並び架けてあって、ズーンと「のぞきこめる」ろじ奥は青天井、左右に奥にまた奥にまで小家が建ち並んで、もし「抜けろーじ」でもあるならもっと家は多く存外に陰気ではない。
* こんな京の「ろーじ」二枚の絵葉書の間は、むかしもむかし、まだ建日子記せいぜい中学生、姉の朝日子は院へも進んでいた頃か、そしてわれわれ両親も横並びに、にこやかに、なんとバー「ベレ」のカウターで、ままに写真に撮られているのが立ててある。わが家の親子四人の一等和やかに幸せであった頃の写真一枚。私はいつもいつも京の「ろーじの風」をなつかしみながら、家族の幸せを想い想い、手したのキイを叩いては文章を書き私語の刻を重ねている。誰にも干渉されない、私の「場所」である。
2022 9/14
* アンドレ・ジイドの『ドストエフスキー論』に多くを教えられて、読了。現在の読書中を指三本で数えるなら、順不同『源氏物語』が朧月夜へ、そして『参考源平盛衰記』が巻七成親卿流罪事から俊寛等移鬼界島事を、そしてドストエフスキーの超大作『悪霊』をジリジリと読み進んでいる。圧倒の面白さ美しさ烈しさ。ドストエフスキーとの出逢いが余りに遅過ぎたと痛く痛く悔いている。『悪霊』についで、『カラマゾフの兄弟』へ。彼が到達の最高度の達成をしかと読み詰めたい、何としても。
他に、もう拾冊余を夫れぞれに楽しんでずんずん読みんでいる。『水滸伝』は桑原さんの訳本だが、『十八史略』『史記列伝』『四書講義』は漢文で。明治十年代に書き下ろしの上下『明治歴史』全二巻は、本格かつ詳細のまさしき幕末維新新明治史。往年の日本語がきびきびしている。
2022 9/14
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ われわれは余りにも他人の目に自分を偽装することに慣れきって、ついには自分自身にも自分を偽装するに到る。 (一一九)
◎ 単に無知だから、利口者に騙されずにすむ、ということも間々ある。 (一二九)
◎ 弱さこそ、ただ一つ、どうしても直しようのない欠点である。 (一三〇)
2022 9/15
〇 秦 兄
兄からの8月27日付メールを受信後に メール専用パソコンが不具合になり失礼してしまいました。
しばらくのご無沙汰で、ご心配を掛けていますが、私も齢相応に生きていますのでご休心ください。齢相応とは言っても 比較する友は急激に少なくなり、年に一度の賀状も今年限りで失礼します、や メールの返信も途絶え勝ちになってきています。
道楽の音楽の会もマスク着用は呼吸困難のために 外出は控えて自室でBGMを聴きながら読書三昧の日々です。ジャンルは法哲学や分子生物学など、若い頃から親しんだものが中心で、今はラートブルフ著作集全11巻の法哲学を尾高・碧海の訳で読んでいます。
並行してコロナ禍に対する政府の対応に業を煮やしてメールに添付したような本を書き始めました。分子生物学の両巨星によるメガビタミン論を展開紹介したものですが、弥栄中の佐々木葉子先生や日吉ヶ丘高の福島武兵(=三尺=あだ名)先生が知ったら、どんな顔をするでしょう。三尺先生はまだ存命だろうか・・・・
福盛君は腎臓を病んで透析を受けはじめて、だいぶ経ちます。
9月19日はエリザベス女王陛下の国葬日ですが、同居の長女と私の誕生日でもあり、女房に何か祝膳料理をつくってもらって祝杯を挙げることにします。あと何度誕生日が迎えられるか。呼吸器官がアキレス腱の私の場合は、誤嚥性肺炎にさえ留意すれば百歳までは自信があるのですが、その意味からも人体の神秘について勉強のし直しです。十代の後半から二十代の後半までの10年間、人体のメカニズムほど精巧で神秘的なものはないということを痛感しました。
メールの交換で 互いの安否を確認しながら、残された日々を愉しく有益に生きましょう。 京 洛北 森下辰男
* 心嬉しく、大いに励まされる。お元気でと祈る。 私からは、どう送っていたか。
◎ 森下兄
私は、かつての86キロを55キロに減らし、食欲無く、蟄居を強いられたまま、ただただ「読み・書き・読書と創作」の日々で居ります。一種の逃避に他なりませんが、人間の「歴史」は、東西に宏大で、惜しみなく迎え入れてくれます。退屈と謂うことがなく、ただ、現代現実に背いている自覚に時に苦痛を感じます。
幸い、読者というかけがえ無い友人たちが、生涯のどの世代にも、学校時代にも、東京で作家生活を始めてからも、大勢有って、メールでの交流繁くとまで謂えませんが、有難く励まされます。とはいえ、同世代となると、殆どが老境に隠棲されています。オドロキ嘆くほどもはや故人多く。寂しいことです。
籠居逼塞の日々で私はひとり「私語の刻」を大事に培い続け、「生ける言葉」を見失わないように努めています。「私語の刻」こそ老境には妙薬です。
森下兄 お元気で。 昔話、また昔の友達の消息や現住所など教えて下さい。横井ちえこさんの引っ越し先を見失っています。福盛勉君は健常でしょうか。寮や園へ入られている方も増えているでしょうね。及ばずながら励ましたいと願います。
秋の足ははやく、やがて、冷え冷えとしてきましょう。この冬至にはわたしも「やそしち」爺になります。思えば永く生きてきました。
お元気にお大事に。 音楽はいつも楽しんでいます。 秦 恒平
* 読み返してみると数カ所の余も、熟語の同音異記、誤変換が混じっていた。これをしばしば遣っていることと思う。耄碌の内である。
◎ 何を していると思いますか 何もしていません これは かなりキツイことです 何をしていますか
〇 ワクチンの副反応が続いています。普通にくらしております。
〇 夏ものを片付け始めています しはらくテレビをみていて、英国と日本の「国葬」の差を 孫と「評論」しあっていました。今、こちら、強い雨です。
* タイプの違いが見て取れる。抽象へ結ぶ 返辞。 現状を数える 返辞。「人」を書き分ける参考に。
2022 9/15
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 他人に対して賢明であるのは、自分自身に賢明であるより容易い。 (一三二)
◎ 時として人は、他人と自分とが別人であるのと同じくらいに、自分自身と別人になる。 (一三五)
◎ 人は、自分について何も語らずにいるよりは、寧ろ自分で自分の悪口を言うのを好む。 (一三八)
2022 9/16
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 会話を交わして、思慮深く感じのいいと思える人が寥々然としているのは、一つには、言われていることにきちんと返事をするよりも、自分の言いたいことばかり考えている人が多すぎるから。うわの空な気持と、自分の言いたいことに話題を戻したがっている焦燥とが ありありと看て取れる。よく聴きよく答えることこそ 会話の妙味の最たる一つであるのに。 (一三九)
◎ 少ない口かずで多くを理解させるのが大才の特質なら、小才は多弁を弄して 何一つ語ってないという天分の持ち主である。 (一四二)
2022 9/17
* グレン・ゴールドのすばらしいバッハを聴いている。
音楽は機械的に部屋へ持ち込めて、有難い。美術工藝は簡単に行かない。まてこんな狭くて雑踏の書斎では。それでも、私は此処が好き。生きながらのさながら温かな墓室に思える。ミサイルに攻められれば私は、此の席を動かないで死にたい。
2022 9/17
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 自分をあざむく賛辞よりも 自分のためになる非難を喜ぶほど賢明な人は、めったにいない。 (一四七)
◎ 自身思い上がっていなければ、他人の追従に毒されはしない。 (一五二)
2022 9/18
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ すぐれた素質を「持つ」だけでは不十分。活かさねば。 (一五九)
◎ 希望はしばしば人をたぶらかすが、それでも役に立つ。 (一六八)
2022 9/19
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 自分の過ちや悪徳が自分だけにしか知られていない時、われわれは容易にそれを忘れてしまう。 (一九六)
◎ 本当の紳士(オネトム)とは、自分の欠点を知り尽くし、それを率直に言う人である。 (二〇二)
2022 9/20
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 狂気は生涯のどの時期にもわれわれについてまわる。それがどう人目に見えようと、それはただ彼の狂気振りが年齢と立場に釣り合っているだけのこと。 (二〇七)
◎ 狂気なしに生きる者は、自分で想うほど賢くはない。心の病にもぶり返しがある。全快だと思い込むのは、たいてい、病状の変化に過ぎない。 (二〇九)
2022 9/21
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 豪胆とは、大きな危難に直面したときに襲われがちな胸騒ぎ、狼狽、恐怖などを寄せ付けない境地に達した、桁はずれの精神力である。英雄たちがどんなに不測の恐るべき局面に立たされても己れを平静に持し、理性の自由な働きを保ち続けるのは、この豪胆によるのである。 (二一七)
◎ 重々しさは精神の欠点を隠すために考案された肉体の秘術である。 (二五七)
2022 9/22
* さらに「老耄」の証し、昨日出てきた「湖の本 160」初校ゲラの主要部と全く同じ内容を現に次の「湖の本 161」入稿する気で、原稿読みと整理とを続けていたことが判明、曾て無い信じがたい「錯誤」。途中ながら、発見できて好かった。ヒヤッとする。「年貢のおさめ時」なのかなあ。
2022 9/22
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 愛の喜びは愛することにある。人は、相手に抱かせる情熱によってよりも、自身の抱く情熱によって幸福になるのである。 (二五九)
◎ 精神の狭小は頑迷をもたらす。われわれは自分の理解を超えることを容易に信じない。 (二六五)
2022 9/23
* テレビでは、韓国ドラマ「緑豆の花」が、我が明治期朝鮮支配への抵抗の歴史を苛酷に描いて見せている。比較して、報道は、バカゲてつまらない。旧統一協会の霊感商法に乗せられつつ選挙支援を頼み続けていたあの安部晋三系自民議員らのていたららくを報じるばかり、その先へは進まない。経済も外交も興産も豊富な教育環境も、みな、犬のクソのよう。なさけなくてアホラシイばかり。
* 眞の信仰とは、「神」と「私」一人が向き合ってのモノ、それを「協会」だの「宗派」だの「派」ま「閥」と腐りハテさせて、要は、世俗の利と権勢とに癒着する。
新門前の秦家では、いちばん大人しい母ですら、「神、ホトケ。ヘッ」と嗤いとばしていたのを懐かしくも確かにも想い出す。神仏を嗤いたくない人も、我一人で「神」と向き合いつねに語り合えばばいい。
私は、「神」的実在を、少なくも否認していない.宇宙と大自然と世界の不思議を思えば「人間」の仕業とは到底思われない、が、教会や教会や寺院や宗派などいう一切を信用していない、神は私独りの向き合い相手サマである。
「仏」は「かみ」とべつもの。仏とは「悟った人」であり、それに干支セイルなら独りで「悟る」べく努めればいい。大寺院も大宗派も私には不用である。余儀ない接点は「墓」と墓を管理の「寺」。
私はだから「墓は要らないよ」「骨灰」を懐かしい京の川東、東山、知恩院下、八坂神社石段下辺へそれとなくまき散らしてくれと謂うてある。
2022 9/23
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 自分がしている悪の全部を知り尽した知恵者は、めったにいない。 (二六九)
◎ 青春と、は間断なき陶酔、理性の熱病である。 (二七一)
2022 9/24
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 他人のよい忠告を身のこやしにするのは、時として正しく自戒するのにも劣らぬ怜悧さがあってこそ出来る。 (二八三)
◎ 粧った実直は巧緻な瞞着である。 (二八九)
2022 9/25
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 気質には頭脳よりも多くの欠陥がある。 (二九〇)
◎ 人の偉さにも果物とと同じように、旬(しゅん)がある。 (二九一)
2022 9/26
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 人生には 時として 少々狂気にならなければとても切り抜けられない事態が起こる。 (三一〇)
◎ 弱い人間は 率直になれない。 (三一六)
2022 9/27
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ ある種のすぐれた資質には五感と同じところがある。 (三三七)
◎ 自分の幸も不幸も、つい、自己愛に見合う分しか感じられない。 (三三九)
2022 9/28
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ お国訛りは、考え方や感じ方にも.言葉のなかと同じように残る。 (三四二)
◎ 偉きな人物になるためには、自分の運を余すところなく利する術を知らねばならない。 (三四三)
2022 9/29
* 『ラ・ロシュフコー箴言集』はふらんす革命の頃の高級貴族で軍人で文章家、その謂うところの「箴言」はかなり辛くね時にヘキエキする、が、「よう謂うよ」と脱帽もする。ローマ皇帝マルクス・アウレリゥスの『自省録』は、時代はるかに先立っているが傾聴、愛読してきた。
私の読書は、おもしろい小説、物語ならいい、というものでは、ない。いま、枕元に常備の{文庫本}5冊のうち、物語は『源氏物語』五四帖、全九冊、これはむしろ選ぶと謂うより殆ど手放したことがない。もう一つ『水滸伝』全十巻は、小説でも物語でも無い、中国での、日本で謂う「講談・講釈」なのである。豪傑の豪腕勢揃いでまことに面白く、『源氏物語』とは比較を絶したべつものであるかが、ともに愛読に値して古典に属する。
もう三冊の文庫本は、順序なく、ジャン・ジャック・ルソー『人間不平等起源論』 十九歳高橋貞樹の超絶の名著『被差別部落一千年史』 そしてニーチエのまこと狂気の真言といえよう『この人を見よ』 しみじみと愛読・耽読している。
他に小型版でと謂うなら和本、和字・和綴じの『史籍集覧 参考源平盛衰記』全五十冊の第八冊、清盛に嫌われ絶海の小島へ流された丹波康頼、少将成経、俊寛僧都らの悲嘆のサマを読み耽っている。この本は、異本異文集でもあり、同じ事績の様々をその場その場で聴かせてくれる。なにとも言えぬ貴重な本なのである。ポンと、仮名箱入りの全冊を、「コヘちゃんに上げまひょ、お読みやす」と、大学生の頃、ご近所の小父さんから頂戴したのである。手放さずに読み継いでとめど無い。
2022 9/29
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 欠点の中には、上手に活かせば美徳よりもっと光るものがある。 (三五四)
◎ 小人は小さなことでむやみに傷つくが、大きな人物は、そんなことでは以降に傷つかない。 (三五七)
2022 9/30
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 自分が間違っているとはどうしても認めようとしない人以上に、たびたび間違いを犯す人はいない。 (三八六)
◎ 運も健康と同じに管理の必要がある。好調なときは十分に楽しみ、不調なときは気長に構え、よくよくの場合で無い限り 決して荒療治はしないこと。 (三九二)
2022 10/1
あとがき
きつい残暑だった。疲労と病いに沈み、心励ますなにも得られずまた月が革まった。
神無しといはでめざめて為すすべも忘るるままに腹すかしをり
誰がうへと想ひもなくにけふの日のやすくといはふ神無月かや
撮ったという色んな写真を、若い友らが盛んに送ってくれる。遊楽、団欒、佳景。
わたくしは、若い彼れらが、この「今」に迸る「明日」への「ことば・言葉・発言」を聴きたい。老いの野暮か。そう思い、ふと口噤めよと自身を𠮟ってしまう。「人にも理を見ようと思わなくなる時は、もう自身にも理はない」とラ・ロシュフコーは嗤うが。
止まるを知って定まるあり 定まって而るのち能く静まり、静まってのち能く安けく、安けくしてこそ能く慮り、能く慮ってこそ、能く「得る」ぞ。 大学(孔子)
斯く「現代」もありうるか。、ただ「古代」の異習に過ぎぬのか。
2022 10/1
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ われわれが自分のすべての欠点の中で最もあっさりと認めるのは、怠惰である。
怠惰は柔和な美徳の凡てに一脈通じるところがあり、且つその他の美徳も完全に打ち崩すわけではなく、単にその働きを遅らせるだけ、と信じこんでいる。 (三九八)
◎ われわれは、たとえどれほどの恥辱を自ら招いたとしても、ほとんど必ず自分の力で名誉を挽回できるものである。 (四一二)
2022 10/2
* 二時間ほども寝入っていたか。体調 とても平穏と謂えないけれど、焦ることなしに時の流れに穏和に身を寄せていたい。遅くも此の七日には本包みの持ち運びという力仕事から解放されているだろう。その先は、「読み・書き・読書」と創作に集中出来る。師走冬至、一年で一番日の短かな「八十七歳」誕生日を、心静かに穏やかに迎えたい、妻と二人して。
* 目が泪にしみて痛いほど。疲労の徴と体験的に知れている。と云うてすぐ寝入れるものでもない。五体に不穏な不快感が往き来する。本を読み疲れて寝入るのが賢いか。
『悪霊』への挑戦はまだ半途に届いていない。これを終えたら本格に、ドストエフスキー絶筆の名作とされる巨峰『カラマゾフの兄弟』を登りつめたい。
『源氏物語』は、「葵」の巻をすべり出て、「須磨・明石」の方へ重い脚を光源氏と倶に運んで行く。与謝野晶子現代語訳の豪華大冊を古門前の大家林さんに借り受け、夢中で読んだ、返すのが惜しくて繰り返し三疊の勉強部屋で読みに読み、またまたせがんで借りては読み耽った中学生高校生の昔が懐かしい、はや、七十年も過ぎたか。高校二年から岩波文庫での原文に転じ、『源氏物語』こそ世界の古典の筆頭かのように私の心身から離れなかった。なんという幸せであったか。
2022 10/2
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 才気は、時にわれわれに手を貸して敢然と愚行を犯させる。 (四一五)
◎ 年を取るほど壮んになる血気などというモノは、狂気から隔たること遠くない。 (四一六)
2022 10/3
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 老人たる術を心得ている人はめったにいない。 (四二三)
◎ われわれは実際に持っているのと正反対の欠点で自分に箔を付けようとする。気弱であれば自分は頑固だと自慢する。 (四二四)
2022 10/4
* 孔子の孟子のといえば古くさい代表のように言い慣れてきたひさしい歴史の尻ッぽに現代日本人はくっついているけれど、さて現題日本にどれほどの「哲学」が生まれて生きて人を導けているか、貧寒として無にひとしいのを自覚しているか。
「大学」の巻頭は、こう謂う、「大学の道」とは「明徳を明らかにするに在り、民を親しむに在り、至善に止まるに在り」と。更に継いで、「止まるを知りてのち、定まる有り、定まってのち能く静か。静かにしてのち能く安し、安くしてのち能く慮る、慮ってのち能く得る」。 國にも政治にも我一人にも言いえて、たがわない。
また言う。 物に「本末」有り、事に「終始」有り、「先後」するところを正しく知れば、即ち「道に近し」と。
さらに言う。 古え(人)の、明徳を天下に明らかにせんとせし者は、まづその國を治む、その國を治めんと欲する者は、まづその家を齋(とと)のふ、その家を齋ふと欲する者は、その身を脩(おさ)む、その身を脩めんと欲する者は、先ずその心を正(まさ)しくす、そのこころを正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす、 その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す、知を致すは物を格(きた)すに在り。
物格(きた)して后(のち)知至る、知至つて后、意、誠なり、意、誠にして后、心正し、 心正しくして后、身脩まり、身脩まりて后、家齋(ととの)ひ、 家齋ひて后、國治まる。國治まり而して天下は平なり。
天子より以て庶人に至るまで、壱に是れみな身を脩むるを以て本と爲(な)す。其の本亂れて末治まる者 否(あら)ず。
* 簡明にして感銘を尽くしている。「修身・齋家・治国・平天下」とは、私など戦後の小学生の頃から、史上の偉人たちの行状と思い合わせながら「至難かな」と感嘆していた。二十一世紀の今にして、これら、啻(ただ)に陳腐な贅言であろうか。これらを超えた新たな哲学は、日本の何処にどう芽生えていたと認められるのか。孔子の「大學」とはかく簡明にして至難の教育なのであった。古くさいと、しんじつ此の先を言い切れるどんな「現代人」が何処にいるのか。
2022 10/4
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 自然に見えたいという欲求ほど自然になるのを妨げる者はない。 (四三一)
◎ 人間を一般に知ることは、一人の人間をよく知るよりも容易い。 (四三六)
2022 10/5
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 頭のいい馬鹿ほど はた迷惑な馬鹿はいない。 (四五一)
◎ 大事に当たっては 欲張った好機を狙って待つよりも、到来した好機に乗じるのを心がけたがよい。 (四五三)
2022 10/6
* 四書五経 いまや顧みる人は少ない、無いに同じいかも知れぬ、が、今日の高校生が目指す大方派「大學」ではないか、『大學』は「四書」の筆頭であり、その概要に当たる字句を昨日、こに掲げておいた。其の旨は、何一つ古びるどころがこの二十一世紀に唱えられて毫も古びていない、古び於呂得て無自覚なのはいわゆる現代人と自称の実はたんなる「今日人」に過ぎない。
* 「ちゅうよう」という言葉を今日人もおもいのほか日常にしたり顔に用いているが、程ほどに中を採っておこうぐらいな意味を謂うている。が、始原の語は「四書・大學」の次なる「中庸」であるなど、もはや誰も意識も記憶すらもしていないと見える。
* 「天の命(めい)」之を「性」と謂う。「命」とは「本然」ほどに受け取っていいか。れはまた「本性」であり、今日の人の好きな「セックス」とは大きく超えたすべて「モノ・コト・ヒト」の本質をいうのであろう、それならは首肯定できる。
その「性」に「率(したが)」うて歩み生きる率土や本徒をすなわち「道」と『中庸』の教えは指さす。その「道」へ導き体得する、それが「教」という指導で在り会得に他ならないと。「道」は瞬時とても逸れていもので無く、逸れるはを即ち「非道」と。
現題のわれわれも「非道」ともちいており、より便宜には「ひどい」ヒト・もの、ことを指さしている。ひどくてはならぬ、と、それが「中庸」の教えのまさしく肝要なのである。そのどこにも古くさくていまや無意味・無価値と擲っていい物は無い。
今や当たり前のように「古くさい」代表のように忘れられた、これら「大學」「中庸』は実に孔子が「初」の発言・発語であった。覚えていて佳いではないか。
2022 10/6
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ いかに世間が判断を誤るとはいえ、偽の偉さを厚遇する例の多さは、眞の偉さを冷遇するのに幾層倍もしている。 (四五五)
◎ ありのままの自分を見せる方が、ありもしないものに自分を見せかけけようとするよりも、ほんとうは得になる筈なのだが。 (四五七)
2022 10/7
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 吾々の敵は、吾々について下す判断に於いて、われわれ自身では及びもつかないほど眞実に逼る。 (四五八)
◎ われわれは、自分の情念が自分にさせることの全部を知り尽くすどころか、およそほど遠い。 (四六○)
2022 10/8
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 罪はずいぶん庇い立てされるが、無実の方はそんな庇護を見出せるどころではない 世の中である。 (四六五)
◎ 虚栄心は、理性よりもいっそう数多くのわれわれの好みに反することを、われわれになさしめる。 (四六七)
2022 10/9
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 吾々の素質はすべて善とも悪とも不確かでアテにならず、ほとんど全部がきっかけ次第でどうにでもなる。 (四七〇)
◎ 自負心にも、他の情念と同じく支離滅裂なところが有る。 (四七二)
2022 10/10
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 同情されたい、もしくは感心してもらいたいという欲望は、しばしばわれわれの打ち明け話の最大の要素を為す。 (四七五)
◎ 毅いところのある人だけが眞の優しさを持つことができる。優しそうに見える人は,たいてい弱さしか持たず、その弱さはしばしばとげとげしさに変わる。 (四七九)
2022 10/11
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 眞の善良さにも増して稀なものない。善良だと自分で思っている人さえ、ふつう、愛想のよさか弱さしか持っていない。 (四八一)
◎ 精神(エスプリ)は、怠惰と慣れから、自分に楽なこと、もしくは自分の気に入ることにしがみつく。この習性が常にわれわれの知識を一定の限界に閉じ込めてしまう。 (四八二)
2022 10/12
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ われわれは肉体よりも精神の中にいっそう大きな怠惰を抱えている。 (四八七)
◎ 人間はたとえどんなに邪悪でも、敢えて美徳の敵を標榜する勇気はないであろう。そこで人は美徳を迫害したい時には、それを偽物だと信じるふりをしたり、美徳に罪をなすりつけたりする。 (四八九)
2022 10/13
* 四時過ぎに三度目の手洗いに起ち、そのあと、床の内で夢うつつ無く「一つの発想」を揉み揉みし続けていた。創作ではない、いわば方面と時期を限った史料の記録蒐集、出来はするが、大変な労力精力と時間を要するのは知れている。しかし、私なりにもし成れば大事なモノにも成るだろうと。しかし今の私にそんな体力や精力や尽きぬ根気が残っているか、心細い。暫く苦吟、首を捻るか。
2022 10/13
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 極度の吝嗇はほとんど常に勘違いする。これほどしばしば目的から遠ざかる情念はなく、これほど現在に強く支配されて将来を犠牲にするケチは無い。 (四九一)
◎ 世間サマへ仲間入りの若者が、有能そうに落ち着いていると、不躾けだとやられるのが常である。 (四九五)
2022 10/14
* ラ・ロシュフコー公爵フランソア六世(一六一三 – 八〇)の、岩波文庫の訳・解説者二宮フサによれば「愛され親しまれる古典というよりも」「あくの強い刺激的な古典」と、あのジャン・ジャック・ルソーからサルトルにいたるまで,後生、高名な読者に「反撥、怒り、苛立ちを感じさせ」た相当に嵩の高い古典と、暫く付き合ってきた。「私語の刻」の此処へ先だって潜は登場の上古ローマ皇帝マルクス・アウレリウスや近代にさきがけた哲学者ジンメルの「ことば・述懐」とは多く異なった、が、あきらかに聴き捨ての成らない「箴言』週には相違なしと私は承服したのだった。
さ、次なる登場者は。楽しみに、いま、思案している。
2022 10/14
◎ ラ・ロシュフコー『箴言集』抄 (二宮0000フサ「岩波文庫」 の訳に依りて)
◎ 当を得たわずかな才気の方が、奇を衒う豊かげな才気より、長い間には人をうんざりさせる事が少ない。 (五〇二)
◎ 嫉妬はあらゆる不幸の中で最もつらく、しかもその元凶である人に最も気の毒がられない不幸である。 (五〇三)
2022 10/15
◎ フローベール『紋切型辞典』抄 (小倉孝誠「岩波文庫」 の訳に依りて)
* フランスの作家 ギュスターヴ・フローベール(一八二一–一八八〇 主著に『ボヴァリー夫人』など。) の遺稿。知識を提供のいわゆる辞典でなく、この作家特有の辛辣なアイロニーと犀利な諷刺にいろどら れた、箴言集と読みたい。「紋切型」である妙をどう汲み汲めるかは人次第と「見られ」ている。
◎ アキレス 「俊足の」とつけ加えるべし。ホメロスを読んだと ひとに思わせる ことができる。
◎ あくび あくびが出たら、「失礼。退屈だからじゃなくて、胃のせいなんです」 と云いなさい。
2022 10/16
* 源氏物語を「日に一帖」などと息巻くように若い頃は奮励して読んだ。それは、ま、それなりに私の「源氏物語体験」として生きもし役立ったけれど、本来は先を急く読み方は邪道におもわれる。今は、むしろ十行二十行のしみじみと奥深く静かな物語りよう、物言いの妙味にこもる「時・空」「人がら」の美しさ、視野のやさしさをしみじみと堪能するよう、聲・言葉にして読み耽っている。素晴らしい美味妙味であるよ。
さきを急ぐなど、私にはもう全く要がなく、たとえ数行であれ、その音楽美、感想の眞味妙味に誘われゆく嬉しさで接している。
ここまで、ようやくこれたなあと嬉しがりながら。
2022 10/16
* フランスの作家 ギュスターヴ・フローベール(一八二一–一八八〇 主著に『ボヴァリー夫人』など。) の遺稿。知識を提供のいわゆる辞典でなく、この作家特有の辛辣なアイロニーと犀利な諷刺にいろどら れた、「箴言」集と読みたい。「紋切型」の妙をどう汲み汲めるかは人次第と「見られ」ている。
◎ 悪夢 胃に原因がある。
◎ 顎ひげ 精力のしるし。 顎ひげが濃すぎると髪の毛が抜け落ちる。
さまざまな刈り方がある。
2022 10/17
* フランスの作家 ギュスターヴ・フローベール(一八二一–一八八〇 主著に『ボヴァリー夫人』など。) の遺稿。知識を提供のいわゆる辞典でなく、この作家特有の辛辣なアイロニーと犀利な諷刺にいろどら れた、「箴言」集と読みたい。「紋切型」の妙をどう汲み汲めるかは人次第と「見られ」ている。
◎ 厚かましさ 常に「たえがたい」あるいは「ひどい」と形容される。 ◎ アメリカ 世間の不当さを示す好例。発見したのはコロンブスだが、アメリカ という名称はアメリゴ・ヴェスプッチに由来。
アメリカが発見されていなければ、梅毒やネアブラムシ(ブドウに 寄生する害虫)は蔓延しなかったろう。
それでも、とにかくアメノカを賞讃すべし。特に行ったことがない 場合には。
自治(self-government)について長広舌を振るうこと。
2022 10/18
◎ フローベール『紋切型辞典』抄 (小倉孝誠「岩波文庫」 の訳に依りて)
* フランスの作家 ギュスターヴ・フローベール(一八二一–一八八〇 主著に『ボヴァリー夫人』など。) の遺稿。知識を提供のいわゆる「辞典」でなく、この作家特有の辛辣なアイロニーと犀利な諷刺にいろ どられた「箴言」集と読みたい。「紋切型」の妙をどう汲み汲めるかは人次第と「見られ」ている。
◎ 過ち 「それは罪よりも悪い。過ちだ」 (タレーラン ナポレオンの命令で
アンギャン公が処刑されたときに 政治家タレーランが云った。)
「もはや過ちを犯すことは許されない」(ティエール 一八六六年 に フランス議会で 政治家ティエールが発言した。)
この二つの句は深遠な調子で口にすべきである。
2022 10/19
◎ フローベール『紋切型辞典』抄 (小倉孝誠「岩波文庫」 の訳に依りて)
* フランスの作家 ギュスターヴ・フローベール(一八二一–一八八〇 主著に『ボヴァリー夫人』など。) の遺稿。知識を提供のいわゆる「辞典」でなく、この作家特有の辛辣なアイロニーと犀利な諷刺にいろ どられた「箴言」集と読もう。「紋切型」の妙をどう汲み汲めるかは人次第。
◎ 医学 健康なときは愚弄すべし。
◎ 医者 いつでも「立派な先生」と云われるが、くだけた会話の席では、「いやは !」と付け加え、「いやはや ! 先生!」と言おう。
信頼されているうちは名医だが、仲違いすればたちまち藪医者に過ぎなく なる。「メスの先に信仰が見出されるわけじゃないからね」
2022 10/20
* フローベールの『紋切型辞典』は、西欧世間の感覚に偏しているとみて、断念する。岩波文庫『王朝秀歌選』樋口芳麻呂校訂の「歌合」を私なりに批評し鑑賞することに。これは楽しめよう。
2022 10/20
* 『四書』「中庸」にこんな句が。「凡そ天下国家を爲すに九經有るも、之を行ふ所以のものは一也」と、そして此の「一」に「豫(あらかじめ)」の「一字」を以てしている。「凡そ、事、豫すれば則ち立ち、豫せざれば則ち廢す。(言ひて)前に豫め定まれば則ち躓かず、則ち困(くるしま)ず、則ち疚(やま)しからず、則ち窮せず」と。
* 「豫」一字一語の含蓄、まことに深く思い当たる。私は少年、学習の昔から「豫定」の必要と大事さとを、いつも「期末試験」をメドに、忘れなかった。
今でも「当面の必要と豫定」と名づけた「備忘」メモを恒に機械の中に置いている。
2022 10/20
* それでも、仕事は仕事、読書は読書。ただ、容易に「食べ」られない。赤間の雲丹と、尾張の鳶が京都から送ってくれた「鰊蕎麦」だけを、長い日かずかけ、ありがたく細々と食べ継いできた。俄然、次の「湖の本」の発送と入稿とが近寄ってきている。「湖の本」創刊以来じつに160巻を越えて行く。「湖の本」一巻の「質・量」ともども優に一冊一冊の「単行本」に同じい。つまり、もう目前の「八十七・やそしち」歳に手を掛けながら、昨日も、今日も、明日も秦恒平、「本」を書き続け出版し続けている、ということ。出版社からは、単著・共著あわせ、筑摩書房、新潮社、講談社、文藝春秋、平凡社、中央公論社、放送出版協会、春秋社、淡交社等々から、とうに100冊に余っている。書き殴った一冊も無い。昨今、そんな作家が、いたか。いるか。東京へ駆け出てきて就職した医学書院での編集者体験が、多彩に実を結んでくれた。
2022 10/20
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。 ◎ 前十五番歌合 一番
* 櫻散る木の下風は寒からで 空に知られぬ雪ぞ降りける 紀 貫 之
* 我が宿の花見がてらに來る人は 散りなむ後ぞ戀しかるべき 凡河内躬恒
〇 上代平安朝和歌を率先・堪能・著名の二人。「寒からで」「空に知られぬ」は理に執くが貫之の歌は美しい。躬恒作は「花 見がてら」「花見がてら」と紛れ、「がてら」も汚い。下句も「理」に陥ちている。
* 疲弊の日々にも、毎朝の これは心行く楽しい作業になるだろう。
2022 10/21
◎ お元気で都心より願いながら
心より親愛の テルさん
わたしは、疲弊の極 86キロもあった体重を 弥栄中学時期の52キロにまで減らし 笹のように細く揺れ動いてます。「食べられない」のです。「読み・書き・読書」と「私語の刻」はまだ保っていますけれど。 昨日・今朝の様子で、お察し下さい。
(略)
テルさん. 内閣は やっとこさ 寝言なみに 「防衛」 という事を口にし始めましたが、手の内は 空っぽ。私など 20年前から案じてきたことを やっとこさ。
何処の國でも「憲法」という「表札」は、惘れるほどリッパですが。「表札」は「表札」 イザの際には ただに無力であるか あの優れたワイマール憲法をただ「表札」の ヒトラー・ドイツのようにも成る。
「防衛」は必至です、が、「海に囲まれた」日本列島の「危うさ」は言語に絶しています。対馬、隠岐、佐渡、能登、淡路島、沖縄、小笠原等々の「島嶼」は素早く奪われて攻撃拠点化し、浸攻の潜水艦は、瀬戸内、大阪湾、紀伊水道、伊勢湾、東京湾の奥深くまで、「今日只今」でも浸入不可能では 無い。 武力で防ぐ防衛など、茶番にもならないでしょう。
いまこそは「外交」それも精度と確信にみちた私の所謂「悪意の算術」に拠らねばならぬとき、いま、日本の「外交力」は、その自覚や覚悟は、如何?
もう残り少ない吾々の世代は、壇ノ浦に「みるものはみた」と叫んで海中へ沈んだ平知盛を演じられても、子孫たちの「未来」や如何? 案じています。誰が眞に日本を「防衛」して呉れるのか。平和憲法」という立派な「表札」を眞の「防衛力」に生かす優れた「悪意の算術=外交」家たちの登場を切に待望しているのです。 ペリー来航から「明治維新」までには日本の「外交力」はいい「算術」役を果たしていました。井伊直弼、水戸烈公、徳川慶喜、勝安房、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文、等々。 今の日本は???
「核」戦力を誇示のプーチン、習近平、北朝鮮らに立ちはだかられ、戦かざるを得ません。今や「防衛」は「戦力」では成るまいと。真剣無比な「悪意の算術=外交力」こそと。
テルさん。 こんなふうに思っています。 お元気で。 秦 生
2022 10/21
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 二番
* 今來むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出つるかな 素 性
* 散り散らず聞かまほしきを古里の 花見て帰る人も逢はなむ 伊 勢
〇 待つ女に身を換え坊主らしからず色めいた素性のうたは、上句を下句へ繋いで二た色の「月」のかさねも「の」の連動も、巧みに聲美しいが、下句「出(で・いで)つるかな」の紛れが一首を「もたつかせ」た。才媛伊勢の歌は聲韻美しく斬り込む上句ではあるが、下句「人も」の「も」は適確でなく、一首を曖昧にした。
2022 10/22
* いま、いっとう代表的な読書はと謂うと、源氏物語とドストエフスキーの『悪霊』 これが面白いほど、場亂張らんとして気ままな、しかも逸れないブレない語り口に於いて至極似通うて思われる。紫式部とドストエフスキーとの「物語り」ように親縁を感じるなんて、読書の恵みで或る。
「手」の出るままの漢籍、ことにいわゆる『四書』の面白さにも只今「イカレて」いる。
◎ 天の「命」 これを「性」といふ。性に率(したが)ふ、これを「道」といふ。道を「脩」むる、これを「教」といふ。
なるほど、斯く『中庸』の一節を読んで 「性質」また「脩養」の本意に触れる心地する。「天」と謂う眞意に思い致すことの浅かったナと、今にして、ふと気づく
2022 10/22
〇 (京都 同志社校内クラーク記念館の色絵葉書に) 拝復 『湖の本159 花筺 魚潜在淵』をご恵送いただき、誠に有難うございました。 私も 里井陸郎先生(『謡曲百選』の著者)に感化されて、謡曲を卒論にとりあげる気でいたのですが、途中から泉鏡花に変更したのです。秦様と似た経緯があって、おもしろく思いました。「筒城宮」跡の碑は、同志社大学京田辺校地の敷地内にありますね。一般の歴史フアンは、受付で申し出なければならない。 戦後京都の写真集、楽しんでいただけたようでうれしく思いました。 まもなく時代祭です。 草々 田中励儀 同志社大名誉教授 国文学
* 懐かしいなあ、同志社。京都。帰りたいなあ、もう一度でいい、帰りたい。
* よく秦さん、なんで京大でなく同志社へ、と聞かれたものだ。あの当時の京都の高校でそこそこの生徒なら、皆が皆、「京大」受験に文字通り血道を上げ、教室の授業よりも「受験勉強」にカンカンだった、だが私は「受験勉強」というバカげたことに大事な青春を費消するのは断然イヤで、むしろ京都の歴史や自然や文化の堪能に時間を割き、茶の湯や短歌や和洋の読書を心底楽しんで過ごした。熱中した。当時「ハタ」が受験して京大を「すべる」と思う友達は一人も無かったろう、中学でも全校試験で首位をゆずったことはなかったし、高校生になって「三年共通試験」をされても、国語や社会科など一年生のころから三年生より上位の成績を取っていた。それでも私は茶道部のために茶室で助勢とたちに点前作法を教えたり、先生方お楽しみの短歌会に生徒の身で呼び込まれていたり、教室に居るより、間近い泉涌寺や東福寺に埋もれているか、市内や郊外の寺社や博物館にいる方が心底好きで気楽だった。のちのちの歌集『少年』や小説『秘色』『みごもりの湖』太宰賞の『清經入水』などはみな此の高校時代そして続く同志社時代に育んでいた。同志社へは「あたりまえ」に推薦され無試験入学したのであり、京都大学二敗って国立感覚に嵌まるのはハナから好まなかった、むろん受験もしなかった。実兄の北澤恒彦は三度筐体受験にすべっていたとか、彼の養家には京大生が下宿していたりして、かぶれて高校生で火炎瓶を投げたりし、有罪判決まで受けていた。「京大」にはその気が有りそうともわたしは横を向いていたのだった。むろん、受ければ良かった、入れば良かったなど後悔などしたことが無い。同じ大學の同じ専攻から妻までも私は得てきたのだ。
* 国文科の田中励儀教授から、時折り戴く「同志社」の写真はがきや、正門から真ん前、広やかな京都御苑淸寂の想い出など、飽かず懐かしい。私、西棟の書斎には、母校正門内の真の正面に立つ校祖新島襄先生の美しくも丈高い碑の言葉を、軸にして掛けてある。
一度は、書き置こうと思っていた「述懐」に時間をかけた。一仕事終えた程の気がする。
2022 10/22
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 三番
* 世の中に絶えて櫻のなかりせば 春の心はのどけらまし 在五中将=在原業平
* 末の露本の雫や世の中の 遅れ先立つためしなるらむ 遍昭僧正
〇 業平は、散りに散る櫻の美しさに胸さわぐまでの春を いとひ顔にしかし賛嘆している。上句、「理」に執くくどさは感じるが、一首の趣意には王朝びとの季の盛りを待ちまたいと愛しむ歓びを謂ひあらはし、實感によく逼っている。
高位の「僧」遍昭の抹香くさい「きまり文句」でお茶を濁したしたり顔は見にくく、「葉末」の露に番えている雫の「本」一字に謂い足り無さ露わで、取り柄の何も無い。
2022 10/23
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 四番
* 春立つと言ふばかりにやみ吉野の 山も霞みて今朝は見ゆらむ 忠岑(壬 生)
* 千年まで限れる松も今日よりは 君に引かれて万代や経む 能宣(大中臣) 〇 忠岑歌に、一首の、謂わば「音声・音調」の美しさは優に認められる、が、「言ふばかり」という予期・推量で一首の幻像が成ると便乗し期待しているのは、乗れない「理くつ」である。
能宣の一首は、敦實親王が正月子の日の遊びに、要は「おべんちゃら」、一首に多用の「カ」行音の連弾も工夫の不足、和歌として無神経に粗い。
2022 10/24
* あの「習近平」は、まちがいなく中国に「清朝」以來の「王朝」を布いて長期に「王政」が世襲されるだろう、トランプもプーチンも彼の前には「メ」じゃないと、私は世紀の「初め」から予見し「私語」し置いていた。習近平は化け物であり、かつ日本に最大の脅威である。国会議員らよ、日本の青年壮年らよ、わかってるのかね、何か思案と対応の策は「お有り」なのかね。
今日の日本國に、あの明治維新を実現し構築し支持した一人の勝安房も大久保利通も伊藤博文も岩倉具視も、いない。なんという心細さよ。
今ほど若者らが、興国の意気に燃えた明治青年らの如く在らねばなるまい「危地」を踏んでいてその懸念も自覚も無いとは。危ないぞ。危ないぞ。
敗戦後の旧日本軍日本の海外兵士らは、多くがシベリアや中国で強制労働に追われて苦役し、年経てかろうじて「帰り船」で異国の丘や砂漠から日本へ帰れた、が、おそらくこのままノンビリした享楽日本人、ことに能生の薄い若者らがただ向こう見ずに怠けていたなら、今世紀も半ばするにつれ、故国の国土と歴史を喪い家庭と文化を喪い見も知らぬ異国の地や丘や谷間」に拉致さ移住を強いられ、ただの「労力」として追い使われかねないのだ、判っているのかねえ。習近平も、キム・ジョオウンも、プーチンも、すぐ目の前で露わに脅して来ているのに。 日米の協力…それは「おとぎ話」に過ぎません、さっさと退散しソッポを向くでしょう、あめりかサンは。私がアメリカ人なら、危ない日本には関わりたくないと思う。
2022 10/24
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 五番
* 行きやらで山路暮らしつ時鳥 今一声の聞かまほしさに 公 忠(源)
* さ夜更けて寝覚めざりせば時鳥 人伝にこそ聞くべかりけれ 忠 見(壬生)
〇 公忠の一首、意味は通っているが上三句がぶつ切れの「説明」 下句「聞くかまほしさに」と理付けの鈍くささ、和歌ならぬ不味い散文に過ぎぬ。音
忠見の一首、上句の「ざりせば」が音汚く執濃く、下句の「にこそ」「べかりけれ」も「うた」として淸らでなく押しつけがましい。「ほととぎす」の置場のたまたま揃ったのを番えたにしても、美しい利きとはいえず、二首ともに「理屈」を「述べ」ただけ。
2022 10/25
◎ 前十五番歌合 六番
* 人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな 堤中納言(兼輔)
* 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも怨みざらまし 土御門中納言
〇 「子を思ふ」藤原兼輔 「逢ふ恋の情動」藤原朝忠 ともに表現に遜色なく、過不足なく真情を詠いきり 吟誦に耐えて読む胸に鳴ってせまる。「秀歌」と謂う
2022 10/26
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 七番
* 夕されば佐保の川原の川霧に 友まどはせる千鳥鳴くなり 友 則 (紀) * 天つ風吹飯の浦にゐる鶴の などか雲居に帰らざるべき 清 正
〇 友則歌の下句「友まどはせる」は、夕暮れに友鳥を「見失っている」意。上句「さ さ」「か か」の音色の「追い」がきれいに効いて夕景色が美しく目に見えるよう。秀歌と謂えよう。おい
淸正歌には昇殿をはなれて地方官として宮廷をに出る感情の渋みが一首の「翳」をなしている、また殿上の日々へ帰って来ずにいないと。地方に「ゐる」という一語に、「などか」「べき」と気張って返すもの言い、音を上げた感触、いかにも。お気の毒、だが。
2022 10/27
* 映画『パリは燃えているか』 日本人は故郷や国土を占領されて、幸いにもドイツがパリと市民とを拘略したようなメにほぼ遭わずに済んだが、一つには闘う日本人の強さや怖さを穏便な支配のために考慮したから。日本人はたしかに闘って強い国民であった。が、敗戦して八十年近い歳月にみたされた日本人にそんな「歴史的な」強さが消え失せているとしたらそうは遠からぬ将来に苦痛の被支配、被占領の事態が、無いとはとてもいい切れないことを案じる。
やっとこさ、最近になって「防衛」を口ににするように政府も国民も強いられはじめている。防衛の一の力は「武器武装」ではない「悪意の算術」に徹した「外交力」だ、が、じつにじつに心許ない。国民はしかと気づいてその空気を總がかりでつかみ強化しておかねば。其処へ気づいている議員や大臣を選びたい。
2022 10/27
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 八番
* 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞ有りける 小野小町 * 秋の野の萩の錦を我が宿に 鹿の音ながら移してしがな 元 輔 (清原) 〇 小町の透徹した心眼が、無駄音一つ無く 「の」音連弾の成功、この効果で「ぞ」という強調の濁音も場を得て響き、倶に完璧に表現されている。歌意にも深切の含蓄あり、躊躇わず秀歌と云う。
元輔歌は、これでもかと、いささかにふざけも見える趣向で、独り笑いにいちびっている。しかも韻のいきおいは濁って、結句にも締まりが無い。
2022 10/28
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 九番
* み吉野の山の白雪積もるらし 古里寒くなりまさるなり 是 則 * 年ごとの春の別れをあはれとも 人に遅るる人ぞ知りける 元 眞 〇 是則、「山」とばくぜんとより「峰」とおいて「み」音の連繋に「うた」をひびかせたかっ、上句まつの「らし」という推測も聴く耳に硬く、言い切りが過ぎて上下句くのなみうつ協奏をえぬまま「おっさん」天気予測終わった。
元眞歌には「ひとに死なれた、死なれようとする」悲しみが、花の春という盛りの季のいましも去り離れ行く哀情とが歌い手の胸をついている。秀歌と謂える。
* 毎朝の一番に「王朝和歌」の名だたる歌合わせを評し審判するなどいう丈高い行為には、おろそか無きを期している.令和の世に、かく「千年の昔」の風雅と心して向き合い楽しんでいる文士が、いるよ、と謂うこと。
2022 10/29
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 十番
* 有明の月の光を待つ程に 我がよのいたく更けにけるかな 仲 文
* まだ知らぬ古里人は今日までに 來むと頼めし我を待つらむ 輔 昭
〇 有明を待って、夜の「更け」は、当たり前のはなし。だが、「よ」は、夜と謂う以上にわが老境の自覚・感慨を託した一字一語で在ろうよ。
輔昭の地方官に認知へ赴く者の代作といわれる一首 なにをか云わむ。、
2022 10/30
〇 絶不調の九月十月でした 生きた心地しなかった 辛うじて食と体重が微かに戻ってきたかと。判りませんが 「読み・書き・読書・創作」は続けています。
前便で 鳶は なにやら「花筺 はなかたみ」のことを やもや謂うてましたが「花かたみ」とは、 鴉が少年のむかし 枚朝夕に 大原女がアタマに笊話を載せ、「花やあ 番茶ぁ」と売り歩きにきた あの笊と同意。気に入り目に付いた花や草や小枝や木の実などざっくり容れる「笊」を雅に謂うた女のモチモノです。「はこ」と打てば「筺」と出る。容れものです。雑然と気ままに気に入りを 摘んだり取ったり拾ったり容れて、中身に大小や種別の統一感は無用。その気楽さを愛した「花筺 花かたみ」です、そのように雑多に書いた文や作を投げ容れていたでしょう。 書き放したままの切れ端も拾って置いてやろうという「老境の遊び」と笑って下され。
2022 10/30
◎ 前十五番歌合 十一番
* 琴の音に峰の松風通ふらし いづれのをより調べ初めけむ 齋宮女御(徽子女王)
* 岩橋の夜の契りも絶えぬべし 明くる侘しき葛城の神 小 大 君 〇 「のね に ねの」とさながらに遠山風の「通」い流れる上句の感嘆に価する「うた」声のうつくしさ「希有」の表現と褒めたい。しかも下句の「いづれの」「を=緒 峰」よりという「調べ」と把握した適切と適確には驚嘆する。一首の「うた」が遠山なみを流れる風を、人智を越えた大自然という楽器が奏する「さながらの音楽」と成りきっている。いささかの渋滞なく「魂」に協和して「日本の和歌史」に卓越の「名歌」と賞讃してやまない。{
小大君の一首も渋滞なくたくみではるが、何と謂うても総じて各句とも葛城、岩橋という伝説と神話に負うており、それが、容易くは越え難い高い観賞の限界を自ら爲してしまっている
2022 10/31
* 弥栄中學三年生のむかしの、西池先生がたもおいでで、盛大に群集しての楽しい夢をみた。学校生活として最良最高に楽しいいい時代だったなあ。三年担任の西池先生はむろん、一年の音楽小堀八重子先生、二年の英語給田みどり先生、国語の釜井春夫先生 図画・体操橋田二朗先生、理科の佐々木葉子先生、社会科の高城先生、数学の牛田先生、教頭の喜尾井先生、秦一郎先生、寺元慶二先生、
小学校でも高校でもこうは覚えていない、が、小学校の中西秀夫先生は私の作文力をしかと後押しし、卒業式では五年生送辞、六年生答辞を寄せて下さった。高校では国語科の歌人上島史朗先生により短歌人へと強力に背を押され、太平記への詳細な注釈を遂げられた碩学岡見一雄先生には源氏・枕なと古典の朗読と愛読に火を点けていただき、創作者への背をぐいと推して戴いた。三年担任の先生には、受験勉強は嫌いですというと、そかそかと即座に三年間の成績表を調べられ、これは無試験推薦に有り余るよ、推薦しようかと、ボボンと同志社へほとんど先生が即座に決めて仕舞われた。この先生は、我が家打ちの大人らの超絶不穏を聞かれたか、ふっと家に見え私話祇園円山へ誘い出して励まして下さった。今にしてしみじみ有難く思い起こされる。
「先生を慕う」とは「先生に励まされる」のと表裏の同義、そういう方との出会いがあったから永く満たされて歩いて来れたとは、決して忘れては成らない。
2022 10/31
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 十二番
* 嘆きつつ独り寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る 傅殿母上(道綱母)
* 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな 帥殿母上(高階貴子) 〇 ともに百人一首で馴染みの歌。道綱母は兼家の夜離れを嘆き訪れを夜通し待ちわびて訴える嘆き歌、女の肉声が聞こえるようで、間然なき秀歌を成している。
高階貴子のほうは、「忘れじ」の肉声をもちこみ、「理」で責めて、甘えたイヤミを、音韻の躓きなくたみに歌っている。
いい勝負だが、かすかに上句で道綱母がすぐれ、下句は貴子の直の物言いが歌(うったえ)に化(な)っている。
2022 11/1
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 十三番
* 焼かずとも草はもえなむ春日野を ただ春の日に任せたらなむ 重 之(源)
* 水の面に照る月次を数ふれば 今宵ぞ秋の最中なりける 順 (源)
〇 重之歌。「野焼き」を、火に任せずとも、柔らかな「春の日」に任せた方が、若草も美しく萌えように、と。「もえなむ」「たらなむ」の、「春日(かすが)」「春の日」の、意図的な「置き」が調和の美をえているかどうか。初句の「ずとも」が「理」に落として毀していないか。技巧が巧みを得ていないと観る。
順の歌。指を折って「数ふれば」、そうか、今夜は秋の十五夜、だから月も月影も美しいと。「数ふれば」と一首を先ず条件付け、「満月」と「秋の最中」を「理」に填めて打ち重ねたただ「戯れ言葉」に仕立てている。
両歌とも「うた」の自然が生きないで「くさみ」を余している。
2022 11/2
* 「湖の本 160」 三校を、責了 本紙・表紙 全部 午後 宅急便で送った。
納品までに余裕は十分。その間に「読み・書き・読書」の外の「創作」に手が尽くせるだろう、すこし長めの作に集中している。
責了紙を自転車で運べなかった、脚が上がらず向こうのペダルへ脚が届かず ムリすれば転倒したろう。自転車、諦めるか。歩くしかなくなったか。
「湖の本 161」初校出を待つことになる。
それにしても、一九八六年の創刊から、160巻を超えたとは。創刊を支援して戴き凸版印刷株式会社の古城さんを紹介して下さった、のちに文藝春秋専務に成られた寺田英視さんに感謝しきれない。他社の編集者らからは、半ダースと出せまい、作家の敵前逃亡などと面罵も同然に冷笑されたものだ。それからもう36年が経ち、嗤った編集者らはみな消え失せたが、「秦恒平・湖の本」は160巻にも達し、私が健康でさえ在れば、どう老境に達しようと作品や原稿や資金の果てることは無い。常にその「用意」はしてある。
2022 11/2
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 十四番
* 数ふれば我が身に積もる年月を 送り迎ふと何急ぐらむ 兼 盛 (平)
* 鶯の声なかりせば雪消えぬ 山里いかで春を知らまし 中 務 〇 兼盛歌。 「數」えなくても、誰しも老いの歳月を積み重ねるのは、通常。あたかも齷齪と年取るモノを諷し嗤いもしているか。だが初五の「数ふれば」に「うた」としての映えがなく、俗言のまま。
〇 中務歌。 陳腐な「理」にあてて気取ってみても、「なかりせば」の卑俗な口調といい「雪消えぬ」と上三句を「云い切った」に同じい寸づまりで、下句「山里」を棒立ちにしてしまっている。才気を気取って陳腐な一首に堕している。
両歌とも「うた」の自然が生きないで「くさみ」を余した咎は、「十三番」に同じい。
* 但し此処に謂う私の批評は、あくまで21世紀令和の一歌人・文士の思いようであり、原作者らが生きた時代のいわば「常識・風儀・趣味」は斟酌していない
2022 11/3
◎ 前十五番歌合 藤原公任 撰 時代の異なる歌仙の歌各一首を左右に選び出し歌合 の形に番えている。勝ち負けの判は無い。私(秦恒平)なりに読みと感想を添えてみる。
◎ 前十五番歌合 十五番
* ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れ行く船をしぞ思ふ 人丸 (柿本)
* 和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る 赤人 (山部)
〇 人丸歌 「ほ ほ あ う あ」とア行音を柔らかに響かせながら「明石の朝霧」の「あかるさ」を難なく歌いあげる人丸歌の至妙美妙、「島隠れ行く船」には歌人に心親しい人の載っているであろうこともごく自然に読み取らせて、誠に絶妙。
〇赤人歌の叙景の美しさたしかさ、「うた」声の高らかに自然を極めた見事さ快さ、我らが短歌史のともに「絶巓」に位して微動もしない。奈良という時代のある意味雄々しいますらおぶりとも読みたく、平安和歌にもうこの丈高い強さは流れ去って行く。
2022 11/4
* 昨日見た映画『ドクトル・ジバゴ』は文字通りに凄い境涯で、震え上がる心地がした。ツアー(皇帝)を銃殺したいわゆるソ連国家への「革命」を濃厚に下に敷いてジバゴの、家庭や家族や親族や恋人たちが悲惨を極めて刻寒のロシア大地を彷徨し逃亡し隠れ住んでなお虐げられる。國の警察力もレジスタンスの革命意識も 普通の家庭や人を安堵させない。そして流浪そして病や死やシベリヤへの放逐。
私は映像に竦みながらそれを「ドクトル・ジバゴたち」の物語とは見ていなかった、もしも、萬一とも最早謂えないもしも日本の国土と国民とが異国・異民族のつと支配とに屈服を強いられた「年々日々」を十二分に懼れて然るべき確たる危惧に、その方に、戦いていた。幸いにも、と思うが私たち老夫妻の生きてあるウチぐらいは保ってくれよう、が、朝日子や建日子らの、孫みゆ希らの時代に、日本国が、少なくもロシア、朝鮮、中国とどんな破壊的危機を迎えて「いる、いない」は薄紙一枚の表裏に過ぎまい。敗戦後に破れた日本兵は、シベリアや満州等々の「異国の丘」に強制労働の日々を過ごして、實に實に大勢が死んでいる。私は当時「ソ連」の作家同盟が招いてくれた折に、ハバロフスク近辺のものすごいほど宏大な「日本人兵士らの「墓地」と謂われる場所へも連れて行かれた。想うだに「凄惨」の感に想い屈した。
* いまの日本人は大方が忘れたか識らないでいるだけで、遠からぬ過去に、異国の民族民衆にあだかも君臨し、横暴をほしいままにしてきた形跡は、ましてその記憶を憎んでいる他国の人らが、歴然と処方に遺されいま生きてもいる。同じ「メ」に、日本が負けて屈して陥りかねぬ近未来を、国家国土国民国史文化財の確保・安寧のために「政治」はいま、どんな叡智や配慮・対策を為し得ているか、慄然とする。
* 現下の日本人は政治家たちを一に、国民もまさかに自分達が「ドクトル・ジバゴ」の境涯なんぞとは徹底無縁と感じている、と見える。
が。
脅すのでは無い、本気で私は思っている、危ないぞ。危ないぞ。ものすごく危ないぞ。
2022 11/4
八代集秀逸 古今集から新古今集まで八代勅撰和歌集から、各集十首を選抜した秀歌撰。隠岐に流されていた後鳥羽院の企画を、藤原定家が京都で撰。定家による小倉百人一首の八ヶ月以前に撰され重複も多い。『十五番歌合』同様、秦恒平が現代歌人として二首ずつ斟酌なく鑑賞批評する。
◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* 花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に 小野小町
* 鳴き渡る雁の涙や落ちつらむ 物思ふ宿の萩の上の露 よみ人知らず
〇 小町歌 花の色と己が女色との衰移を巧緻を極めて嘆いている。花には、「降る長雨」を、我が身には世(男女の仲)に齢いかさねた嘆きをうちかさね、「理」に絡みやすい上句「けりな」の嘆きを女の美声とひびかせ、「いたづらに」との述懐をも「うた」と化しえている。下句の「ふる 古る 降る・ながめ 詠め 長雨」の利かせもなんらの不自然に落ちていない。小町ならではの「絶世の秀歌」と謂える。
〇 よみ人知らずの歌 「鳴き渡る」「雁の涙や」「落ちつらむ」の過剰が一首を「くさく」した。ただ下句の「八、八」音を敢えてしている巧みは認めて賞することが出来る。
* 昨日までの『十五番歌合』を結んだ、人丸、赤人の丈高く男性的な万葉集は、平安王朝歌人らの「うた遊び」に、もう転移している、と、私は觀る。
2022 11/5
* 大政有関して明治維新とは成っても 大なる旧態依然が居座っていた。幕府は、徳川は、紀伊も尾張も水戸も、薩摩、長州、仙台、會津、越前等々の諸侯は以前して何百、何十万石もを抱えていた。それでは維新政権は身動きも成らない。長州藩の木戸孝允は主君島津侯に膝詰めに説いて、率先「版籍奉還」を奨めて承諾させた。「版籍奉還」こそが維新の実質となり得たのである、夫れなしには政府予算も国家保持もなにより「経済 経世済民として成り立ちようが無かった田。木戸孝允の功績は感動的に絶大であった。『明治歴史』上巻をよみすすみ、漸くに漸くに江戸以北、東北、北陸、奥羽、北海道の旧幕府支持、反政権精力を苦心惨憺攻め落としても、この諸侯版籍がそのまま居座っていたなら、、維新の実行は忽ちにうやむや、なし崩しの後戻りになるのは必至だった。
幕末から明治維新までの歴史を詳細に顧み学んでいて。じつに燦然たる偉勲の人の力量や人間性が光っていたかに感動する。公家にも諸侯にも、その臣下にも幕臣にも、志士・壮士らにも、實に志気優れ知能も抜群の「政治家」たちが実在していた事実に感嘆する。拾遺の反感やあつりょくがあっても、成すべきは為し遂げようとした人たちである。徳川慶喜、水戸、會津。越前、長門、薩摩、土佐等々の諸侯も、井伊直弼以来 勝安房、山岡鐵太郎らにいたる少なからぬ幕臣も、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛、坂本竜馬らほか少なからぬ陪臣の逸材、加えて三条実美、岩倉具視ら公家俊秀も大切に働いてくれた。諸外国の侵略の野望を躱しながら、日本は彼等の盡力に救われ、前へ歩めた。眞実、感謝する。
2022 11/5
八代集秀逸 古今集から後撰 拾遺 後拾遺 金葉 詞花 千載 新古今集まで八代勅撰和歌集から各集十首、計八十を選抜した秀歌撰。隠岐に流されていた後鳥羽院の企画を、藤原定家が京都で撰。定家による小倉百人一首の八ヶ月以前に撰され、重複も多い。
『十五番歌合』同様、秦恒平が現代歌人として二首ずつ斟酌なく鑑賞批評する。
◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* 白露も時雨もいたくもる山は 下葉残らず色づきにけり 紀 貫之
* 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に触れる白雪 坂上是則
〇 貫之歌。 白露・時雨のあたかも重複は、「し」音を効果的に継いだ気の技巧にも救われず、「もる山」というほぼ無意味、下句の「残らず」という直拙も加わって、「うた」の妙趣・妙韻を圧殺の気味、貫之にしてと嘆かれる。
〇 是則歌。 上句に重ねた「あ」音の階調、「有り明けの月と」と八音にしての「有り明けの月」の明るい印象により、「見るまでに」というくどい強意をすら効果に変じた技巧は「うた」一首をすでに響かせ、下句はもうありのままの景色を直叙して、優に美しくも明瞭に足りた。月光に白雪が「うた」ひ合うている。名歌と謂うに足る。
2022 11/6
〇 拝復「湖の本」159 花筺 魚潜財淵」拝受いたしました、厚く御礼申上げます。
このたびも、お送り頂きましてから 机の脇に置き、いつでも時間のあります時に読み進めるようにしております。居間は、先生が「清經入水」ご執筆のきっかけになりました清經の平家物語の中での記述部分を知ることが出来ました。秘められたものへのご興味,そして淋しく命を落とした貴人へのお優しさがくみとれます。
これから(紅書房主として引き受けた)自費出版の寄贈発送の作業をいたしますが、先生の毎回(呈上発送=)毎回の量を知りびっくりです。
ご自愛下さい。ありがとうございました。 紅書房 菊池洋子
* 前半の感想、今にして、かとビッくリした。『清經入水』私家版の「初版」から謂うと半世紀以上になれり、繰り返し版も替えている。
版元に注文依頼しての自費出版希望者の製本は、よほど多くても二、三百。わたくしの「湖の本」呈上本は、少なくも現在1100。一冊と謂えど「売っていない」。
もう「本を売る」など飽きてしまい、ごく初期の「私家版本」時代へ戻っているが、あの頃でも「見かけ」の「定価・頒価」を付けていたが、今は一切なし、間然「無料」の「呈上」である。出納の手間暇掛からなくて済む。そういうことが出来るほど「よく書いて売ってきた」のだ、「よく働いた」と謂うこと。
新婚の日々、何の蓄えも用意も無く、月給、最初三ヶ月11000円の八掛けから生活しはじめた。生活していた。もともと資産があったのでは、全然、無い。ただ働いた、働いた、働いた、のである、ようかるに「読み・書き・読書」を基本に「執筆と創作」とで達してきた。アルバイトも肉体労働も経験が無い。
2022 11/6
◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り來む 在原行平朝臣
* このたびは幣も知りあへず手向山 もみぢの錦紙のまにまに 菅原朝臣(道真) 〇 行平歌。 いわゆる「縁語」「掛詞」の自然な駆使に於いて卓越している。「いなば」は別れて「去ねば」、また「いなば」山という名にもかかわりながら、上三句の「生ふる」は「松」が「生えて」いて、しかもこの「松」、わたしの帰ってくるのを「待つ」ていてくれるのなら、「いま」にも急いで「帰って」こようよと、終始一貫、腐りのように詞を繋いで巧みを極めている。しかも総じて語聲・語音にいささかの渋滞も無理も成しに一首の意味をかんぺきにちかく表現しきっている。心優しい歌意が美しい「うたごえ」となって完成している。「生ふる」と「まつ」とに微妙な「間あい」を活かし得ているのにも感嘆する。此の手の「巧み歌」でも聳立の秀歌と言おう。行平はあの業平の兄である。
〇 道真歌。 此のたびは、恐れ入ります、崇敬をあらわす手向けの「おみやげ」の心用意が成りませんでした、が、なんと手向山の美しい紅葉でしょう、なまじいの手向けものよりも、どうぞ心行くまで全山紅葉のこの美しさをご堪能ありますようにと、これは「うた」を仮りてのごアイサツであり、ま、末句の「まにまに」に微かにかるくちめくものはあるが、それもご愛嬌、天神様なればの達意の一首と読んで置く。
2022 11/7
* なにかしら一気に、ものの湧くように、俺も書け、わたしも書いてと向こうから攻め寄ってくる感じに、すこし戦き慌てている。「まあだだよ」と手を横に振ってたじろいでしまいそう。
2022 11/7
◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし 壬生 忠見
* 名取川瀬々の埋れ木現れば いかにせむとか逢ひ見初めけむ よみ人知らず 〇 忠見歌。 「有明のつれなく見えし別れかな」で、足りている。下句は、「慨嘆」の實よりも、タダに露骨な「言い分」に堕ちている。
〇 よみ人知らず歌。 「名取川瀬々の埋れ木」とは美しい「うたひ出」で感じ入ったのに、舌足らずな、舌を噛みそうな「現れば」の稚拙が、ブチ毀してしまった。忍びつ逢ひ初めた恋の、露見と浮き名とを、なげくがごとく、じつは心浮き立っている「佳いうたごえ」なのだ、一句一語の未熟で秀歌が毀れるコワイ一例である。
2022 11/8
◎ 八代集秀逸 (古今集 十首)
* わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に 藻塩垂れつつわぶと答へよ 行平朝臣
* たが禊ぎゆふつけ鳥か唐衣 竜田の山にをりはへて鳴く よみ人しらず 〇 行平歌。 「須磨」とあるが、行平は紫式部より先の時代を生きた朝臣。光源氏の「須磨隠れ」の方がこの「行平歌」にならったことであろう。「わくらばに」は、「もしも、たまたま、たまさかに」訊ねる人がいたら、の意、「わぶ」は「侘び住まふ」のであって、一首の奥行きとしてはなぜ「須磨」か、に拠ろう。行平の「好み」と汲んで過たないがうら銹びて「住まふ」の含みを読みたい。渋滞無い、佳い「うた」声と聴ける。
〇 よみ人知らず歌。 上句チグハグと鈍く混雑し、下句で、「唐衣」を「たつ」「織る」の「縁」を謂うに過ぎず、秀逸の一首とはとても「詠み」難い。
2022 11/9
◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* つつめども隠れぬものは夏虫の 身より余れる思ひなりけり よみ人知らず
* 白露に風の吹きしく秋の野は 貫き留めぬ玉ぞ散りける 文 屋 朝 康
〇 よみ人知らず歌。 上二句が「夏虫」の条件付き説明になっており、この「夏虫」が蛍であることは「思ひ」という「火(光り)」とぐわかる。判ってしまえば歌一首が「ほたる」を謂うかに早合点されてしまいやすく、「つつめども隠れぬ」「こひ」という「火」と理会するのに五句一巡の「間」が要る。その遠回りを、歌の「妙」と酌むか、理に嵌まった「説明」と嫌うかは、人に拠ろう。気取って読めて、秀歌とは思われない、私には。
〇 朝康歌。 表現完璧の美しい名歌と賞讃する、風に散りこぼれる無数の煌めく「露」を、首飾りのように緒糸に繋げない「玉」ととらえた視線は健康で、吹きしく「秋風」の野もせを歌読む肌身にまで感じさせる。
2022 11/10
〇 喜怒哀楽の未だ発せざる、これを「中」と謂ひ、発してみな節に中(あた)る、これを「和」と謂ふ。「中」は、天下の「大本」なり。「和」は、天下の「達道」なり。
「中和」を致(きわ)めて天地位するなり、萬物、育するなり。 中庸
* 以前にも「感じ」て、引いてたかも知れない、四書のうち『中庸』の一至言と読む。
この『四書講義』上巻は大阪偉業館蔵版、明治廿六年二月十日の刊、三十壱年四月廿八日再版本で、秦の祖父鶴吉は三十歳、父長治郎誕生直前の本。それを令和四年の私が手にし眼にしている。本の綴じは、手にするつど端から崩れて行く、百数十年むかしの一冊、読み崩すまいか、読みたいか。読みたい。
「四書五經」と謂う。『中庸』は「四書」のうち。
今、もう一冊手に持っている『詩經講義』は「五經講義第二」本に当たっていて、私の久しく苦手として、どうも判らないで来た「詩」なる一字の大義が、学び識れるかと期待している。
すでに巻頭「凡例」の一に、
「詩」ニ六羲アリ 曰ク「風」 曰ク「賦」 曰ク「比」
曰ク「興」 曰ク「雅」 曰ク「頌」 是レ也
これ、 門外漢なりに、「短歌」を詠作し「俳句」を鑑賞する一人として、体験的・具象的に理会も納得も出来そうに思われる。「詩」とはと訊ねて、どの昨今の「詩人」らもこうは答えてくれなかった。
わたしは日本文化を早くから「花と風」に託して、説きかつ主張してきた。上の「六羲」と噛み合うている。そう思う。
東京山手の懐かしい庭園に「六義園」がある、忠臣蔵に絡んだかの将軍家御用人柳沢吉保の旧邸だ、名園の少ない東京では筆頭格の好環境、かつてはe-0ld勝田貞夫さんと夕暮れる迄しみじみ逍遥散策を楽しんだことがある。
また久々に行ってみたいなあ。勝田さんとも会いたいなあ。せめてもう一度。
* 京の街なかには無数に「ろーじ」や「抜けろーじ」や「パッチろーじ」が隠れ潜んでいる。何故か。そんなことに気づきもせず「京」には神社やお寺が多いなど程度の理会で識った顔をするのは、お笑いぐさ。
大阪という大きな市街の特色はと問われ、「堀・川と橋」と答えられずに大阪を書いたり語ったりするのでは、軽薄・軽率に過ぎる。東京の都心部には「ろーじ」も「抜けろーじ」も少ない、「堀・川と橋」も少ないが、大阪京都には少ない「坂」が多い。
そういう都会の特異な顔つきを発見も自覚もできず書かれた「環境」小説は、どこかに無知の軽薄がついてまわる。気づかない、気づけない、それは書き手には根幹の欠損である。判って貰いたい。
2022 11/10
◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
* 秋風に誘はれわたる雁がねは 物思ふ人の宿をよかなむ よみ人知らず 〇 天智天皇歌。 上三句「苫をあらみ」の字余りが絶妙、下末句を収めた「つつ」にかすかな不満は有りといえば在るが、ほぼ完璧の秀歌と頌えうる。
〇 よみ人知らず歌。 上二句の、誘はわれ「わたる」が鈍く、雁がね「は」も鈍く重く、上句がそのまま主語の名乗りと終えて読めるのも、宿を「よかなむ=よけてくれないか」との「{持ち込み」も鈍くて重い。
2022 11/11
* 「写真」を送って見える方のその3センチ弱四方のそれらは、私の機械では、技術足らずで大きくしては眺め得ない。やむなく、即、消去している。「写真」より「言葉」が有難い。同じ言葉でも人により表しようにより、異なる意味と世界とが見える。写真は、この「日乗」冒頭を飾った「桜花満開」のように圧倒的に美しいのが有難い。スナップというのは言葉通りに気宇も視野も小さくて励まされない。
2022 11/11
◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 思ひ川絶えず流るる水の泡の うたかた人に逢はで消えめや 伊 勢
* 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど 余りてなどか人の恋しき 源等朝臣 〇 伊勢歌。 「水の泡」と「うたかた」は同意羲の音調を「響かせかえ」ての技巧でありながら、「消えめや=消えるものか」「うたた」つまり一通りでなく、心して、必ずやと、微妙・美妙の意思表示にまで鮮やかに、鮮やか過ぎるほど「転変」させている。言葉を自在に操って巧緻の極を、むしろ、尽くし過ぎたほどの巧い一首、才長けて意気高い平安女性の一の典型歌。
〇 源等歌 「忍ぶれど」は漏れて現れそうな恋心を「まだ浅いので」韜晦の振りをみせつつ、下三句の「直情」を隠れなく打ち出している。男性的なつよみを自覚した断乎とした表白に技巧を超えた魅力がある。秀歌と推して躊躇わない。
2022 11/12
◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 東路の佐野の舟橋かけてのみ 思ひわたるを知る人の無き 逸 名
* 逢ふことは遠山摺りの狩衣 きてはかひなき音をのみぞ泣く 元良親王
〇 逸名歌。 舟を繋いで渡す舟橋はいわば 佐野の名物・名所。その橋を「かけ・わたる」を縁語に引き出し 秘めて甲斐無き恋路を懸命にわたっているのです、分かつてよと、いささかは胸を張っている。後の斡旋に手慣れたものがあり、巧み歌と謂うところか。
〇 元良親王歌。 上句は、逢いたいあの人になかなか逢えないと身を摺り揉む気持を「狩り衣」なる衣類へ掛けながして、下句の「着ては(幾度逢いに来ても)」甲斐無くてただ声に出して「泣く」ばかりです、と。 縁語の斡旋がお得意と見せた感じの、実意に淡い「つくり」歌に止まっている。
2022 11/13
◎ 八代集秀逸 (後撰集 十首)
* 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の 千代の古道跡はありけり 行 平
* 是や此の行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬも逢坂の關 蝉 丸
〇 行平歌。 何らかの伝承ないし古傳を頼んだだけの歌はただただ古びて行く。「千代の古道」なる「伝わり名」を京育ちの私は知っている。「嵯峨の山」はもとより「芹川」も知っている、が、おそらく「深雪」にも掛けたろう「御幸」をこの歌から意味ありげに伺いみることは到底ムリというもの。行平という実在した古人の個人的な逍遥や見聞は、固有名詞をならべられても「うた」ということばの音楽たる美しさ楽しさとしては伝わらない。
〇 蝉丸歌。 これは、もう完璧に「うた」いあげて「人の世」の「行き交い」が奏で合う「常も無常も」を歌いきって胸を打つ。古今に生きてつたわる絶妙と賛嘆する。
2022 11/14
◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 春立つと言ふばかりにやみ吉野の 山もかすみてけさは見ゆらむ 壬生忠峯 * 八重葎茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は來にけり 恵慶法師
〇 忠峯歌。 「前十五番歌合 上古」の「四番」ですでに読んだ。一首の、謂わば「音声・音調」の美しさは優に認められる、が、「言ふばかり」という予期・推量で一首の幻像が成ると便乗し期待しているのは、乗れない「理くつ」であると。
〇 恵慶歌。 まことに素直にそのままの意味を「うた」っている。「人こそ見えね」には、「来客は無いが」「人目には見えまいが」「秋はもう来ている」と巧みに重ね言うている。秀歌と謂えよう。
2022 11/15
◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 天の原空さへさえや渡るらむ 氷と見ゆる冬の夜の月 逸名
* いかにしてしばし忘れむ命だに あらば逢ふ世のありもこそすれ よみ人知らず
〇 逸名歌。 私は、末句「冬の夜の月」を「よの」と型通りに詰めて詠まず、あえて「冬のよるの月」と字余りに、空も月もを大きく詠いたい。字句も「うた」としても巧者に月の空晴れやかに詠いあげて魅力の秀歌と謂おう。
〇 歌人不明歌。 平生は煩わしさに何とか忘れていたいほどの「命」ではあるが、それ「在らば」こそ恋しさに逢いたい見たい「世」にも行き会える、と。「世」とは、本来が男女相愛の「仲」を謂うほどの一字一語。下の句に見よ聴けよとばかり巧みに「あ」音を連ねた意気とも稚気ともご自慢ともみえるのも面白い。
2022 11/16
* ゆうべは、九時半か十時にはもう床に就き、校正したり本を読んだりもしたが寝付きは早かった、か、就寝前に、利尿薬、そのうえ「むくみ」除りも服したので、一時間ごとに尿意に起こされた。昨晩はよほど両脚が浮腫んでいたのも今朝は退き、体重も最低水準。一度、右膝下へ久しぶりきつい攣縮がた来たが、抑えながら用意の水分をたっぷり含んで、すぐ失せた。体に、水分多寡調節の大事さが、判る。
また、目に見え手脚が細くなった。視力の落ちが日増しにすすみ、明治版の「四書五経」や「史記」等の講義本は、本章と講義箇所との文字の大小が極端で、どうしても裸眼をさらに凝らして読まねばならない。文庫本もいつも今古の十数種は手近に備えて読んでいるが、文字は小さく、行間の狭いのにもまま悩む。それでも優れた古典籍や小説の名品からは遠のいて居れない。
しかし、強かに私自身の歳久しい誤解や了見違いで「漢字・漢語」誤用ないし他用してきたことの少なからぬにも「閉口」する。漢倭、遠く海を隔て遙かに時を歴史を異にしていて安易に思い直すのも覚え直すのも学び直すのも難しいが、謙遜して差異の程をあらため識るのを拒んでは成らない。私の久しく重んじ続けてきた「風」一字、これを『詩経』発端から読み直してみたいと思っている、先日も拾い挙げておいた「詩に六義有り」と。「一ニ曰ク風」とある。続いて「賦・比・興・雅・頌」と。此処には「比興」と、日本でも慣用されて熟語化した二字も目に付く。「コトをモノに託して面白がること」と国語辞典には出ている。『詩經』では、どうか。
「風雅頌ノ三ツハ實ノ詩ノ作リヤウナリ 賦比興ノ三ツハ風雅頌ノ内ニコモルト云フ コレハ文句ノ異同ヲ分ケタルナリ 風ハ國風ナリ 風ハ詩ノツクリ様體裁ヲ以テ云フ 文句ドコトナクアサハカニテ 婦人ノ作或ハ賤しキ者ノ作ナドニテ 眼前ノササイナルコトヲ作ルヲ風ト云フ タトヒ王公貴人ノ作ナリトモ其詩ノ體裁然レバ皆風ト云フ」と。斯くみると「詩」六羲の筆頭「風」はむしろ軽率な女人風に即して落ち着き無く観られている。私の『花』と対偶の『風』とはほど異なってみえるけれど、それとて深く押して入れば、重なる寓意が生きてくるかも知れない.漢語も和語も軽率に読んでは、言葉から生命観も消耗させてしまう。わたしは用心している。
* ただ「私語」と謂うには、和歌に、漢籍に、創作に、と。少し気張り過ぎかなあ。目も、身も、思いも重いナ。十時前か。時計の文字も針もシカと見えないが。
2022 11/16
◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はんとぞ思ふ 元良のみこ
* あしひきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を独りかも寝む 柿本 人丸
〇 元良歌。 どう焦れようが嘆こうがこのままで今は何になろう、あの難波の舟路をみちびく「澪つくし」よ、こうも苦しい切ない恋に「身を尽くし」滅ぼしてもいい、何としてもあの恋しい人と逢い逢わずにおれない、道びいてくれ澪標よ、と。この親王さん、お手のものの恋歌、実意よりも巧者な言葉、声音のかなでる「うた」を聴くべし。
〇 人丸歌。 「あしひきの」は「山(登り)」に掛かる枕詞、その山で出逢うた山鳥のみごとな「しだり尾」の「長さ」よとおどろき顔で、寝返りむなしく「独り寝の夜長を」嘆いて、「長」夜独り寝のあじけなさをこの一字一語にみなオッかぶせ、いささかヤケ気味に長くノビている。万葉歌人一の先導者の「歌聲」としてはいささか貧相にいじけていないか。
2022 11/17
◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな 右近(藤原季縄女)
* あはれとも言ふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな 藤原伊尹
〇 右近歌。 一首の主格を、「忘らるる身(わたくし)」でなく、神かけて「誓ひてし人(あなた)」と読むべく、どうせ忘れられるのに、そんな安請け合いを誓った「あなた」に、神様の罰が当たるのでは、心配ですわと、皮肉な一首に成っている。「和歌」が、恋し合う男女丁々発止の「具」として活躍した「場と時代」とが偲ばれる。
〇 伊尹歌。 「ああ、あなた」とも「恋しがってくれれば嬉しい人とは出会えぬまま」「悶々と老いてしまうのか、なさけないな」と。こういう男(一条摂政)ほど、日頃は「勝つ恋」を鼻にかけているのかも。「和歌」そのものが爛熟してゆく「時と場と」が窺い見られる。
2022 11/18
◎ 八代集秀逸 (拾遺集 十首)
* 小倉山峯のもみぢ葉心あらば 今一度のみゆき待たなむ 貞信公(藤原忠平)
* 限りあればけふ脱ぎ捨てつ藤衣 果てなきものは涙なりけり 藤原 道信
〇 貞信公歌。 なんと美しい小倉山の紅葉よ 心あるなら もうやがて御幸にな
る天子のお目をもお慰めできますよう、美しい極みのこのもみぢの盛りを保っていておくれ、どうか、と。いささか大仰の嫌いも在るが、一首に隠れて通底の「み」音が綺麗に鳴っている。 〇 道 信 歌。 「藤衣」は手を尽くして織った色濃い喪衣。誇示との遠にしたがい服喪の期間が定まっていて、其の日が来れば「藤衣」も脱ぐ習い。たとえ喪衣は脱ごう
とも悲しみの涙は絶えず流れ続けますよ、と。誰しもの上に言いえている一首ゆえに、ひろく長く歌い継がれた。句ごと、寸づまりに句切れて流暢な「うた」の美しさに乏しい。 2022 11/19
◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * み吉野は春の気色にかすめども 結ぼほれたる雪の下草 紫 式 部
* 榊取る卯月になれば神山の 楢の葉柏本つ葉もなし 曽根好忠
〇 紫 式 部歌。 「かすめども」が「理」に落ちながら「ども」が鈍く重たい。「春の気色」「雪の下草」の対照もわざとめき、紫式部の和歌としては、何とも冴えない。
〇 曽根好忠歌。 「榊取る卯月」とは賀茂の神祭り月、賀茂社背後の「神山」の神木の枝葉を信者らが競って採りに来る。「になれば」は鈍く、「楢の葉柏本つ葉」という把握も強引に過ぎて「うた」もつべき美妙を甚だ損じている。好忠は歌人としての秀麗と無骨さとの落差がまま観られるのでは。
2022 11/20
*「私語」を読み返していると、ぽつりぽつりと「うた」が書き込まれていて、それなりの境涯歌、述懐歌になっているのをおもろく自覚した。散逸させないでお香と思った。
2022 11/20
◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * 寂しさに宿を立ち出でてながむれは いづくも同じ秋の夕暮 良暹 法師
* 君が代は尽きじとぞ思ふ神風や 御裳濯川の澄まむ限りは 民部卿経信 〇 良暹歌。 実情としても真情としても抜群の秀歌。「宿を立ちいでて」と美しい字余りの「うた」と「動感」とに 類いない静かさと奥行きとが生まれ、穏和に尋常な下句の物言い「いづくも同じ」と静めた表記が「いづこも同じ」で無い繊細に行き届いた感性を賞讃したい。ただのいちおんでも「うた」は立ちも崩れもする。
〇 経信歌。 法師の「うた」の静かな美しさにくらべれば、決まり文句に頼んだ「うたこゑ」の乱雑は目にも耳にもあまって、拙なる一首と切り捨てるしか無い。
2022 11/21
◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな 道信朝臣
* 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな 左京大夫道雅
〇 道信歌。 夜を籠めての愛樂の、朝ぼらけで終えるのを惜しむのに、どうせまた日は暮れて呉れるけれどもと、持って廻っての「思いつき」得意で、実情としても真情としても浮ついた「うた」に過ぎない。
〇 道雅歌。 あなたとの恋はもう諦めますとつれない相手に、せめて直かに告げたいと。いわば、やはり「思いつき」に鼻のうごめく自慢歌で、「和歌」が軽い薄い遊びの浅瀬へただ浮いている。
2022 11/22
* 亡き井上靖さんに関わりの数百人もの会合に出ていたが、一時間余も何事も始まらないので独り失礼して会場を出てきた。蹴上げのホテルだったような、三條らしい広道を降ってきたような、もう白川筋のような気がしたが、目が覚め、そのまま起きて二階へ。相変わりない井上さんの賑わい会と思えたが,何事の会とも誰も知ってないようで雑然と手持ち無沙汰な会場だった、だが「井上靖」の会に違いなく、私は背広の胸に縦書きの大きな名札を貰っていた。名札をつけた人はほかに誰も観なかった、肩をすりあわせるほどの雑踏に,一人も識った顔がなかった。親族の控えのような場へ「失礼します」とアイサツによると、不思議にも、当然ながらよほど老いられて奥さんがおられ、しばらくハナした。一緒に中国へ行ったこと、「息子のように思っていた」などと、にこにこそばの人たちにも話されていた。
* 井上靖夫妻を団長に中国へ心弾んで旅したことがあった。年配の井上夫妻はもとより、巌谷大四さん、伊藤桂一さん、清岡卓行さん、辻邦生さん、大岡信さん、みなさん、とうに亡くなって、うぶな若輩だった私独り生き存えている。もう何十年にもなり、。懐かしい。当時の中国では、毛沢東が亡くなり 周恩来も亡くなって、周首相夫人のトウ・エイチョウさんが副首相格、人民大会堂議長として吾々一行を迎えられた。「秦恒平 チン・ハンピン」とそのまま中国人の氏名と読める私の名に、「ハタ先生は、お里帰りですね」と諧謔の笑いも湧いた。当時、四人組が追放されたばかり、中国全土がまだ激しい大字報(ビラ)で溢れていたが、各地で「熱烈歓迎」してもらえた。残念ながら、老耄、多くの「名前」がもう思い出せないのは情けないが、何を見て、何に驚き、どう感激したか、アレコレの対話・会話などはくっきりと覚えているのである、老耄とは妙なものだ。
2022 11/22
◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首) * 契りきなかたみに袖を絞りつつ 末の松山波越さじとは 元 輔
* 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ 相 模
〇 元輔歌。 泣きながら涙の袖を絞って約束を交わしたでないか どんな。荒波も越え得ないあの「末の松山」のように、互いに愛を喪うまいと。「契りきな」と、元輔という男の、女に背かれ嘆いているていが可笑しくもおもしろく読める。巧いと言おう。
〇 相模歌。 恨んで泣いて涙に袖も朽ちそうな上に、この情けない恋の浮き名ゆえにわたしまでよからぬ噂に塗れてしまうとは。「袖だに」と濁音を二つ混ぜたうっとうしさが一首に生気を添えているのが、これも巧いと言うておく。
2022 11/23
◎ 八代集秀逸 (後拾遺集 十首)
* あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今一度の逢ふこともがな 和泉式部
* 沖つ風吹きにけらしな住吉の 松の下枝(しづえ)を洗ふ白波 經 信
〇 和泉歌。 思ひ出(いで)に 今一度(ひとたび)の と「い」音の落ち着いた字余りが「絶唱」にちかい美しい「うた」を奏でる。始終は逢っていない、いや、これまでに胸とどろくただ一度の「逢い・愛」があっただけとも想える。だからこそ、「この世のほか=あの世で」の宝に同じい伊思い出に、せめて「もう一度の逢瀬がふみたい」のだ。泉式部ならではの実意に満たされた秀歌。
〇 經信歌。 「けらしな」はすこし喧しい、あら波ゆえにとゆるすにしても。景観歌として尋常の域にあり、それ以上では無い。
2022 11/24
* 『わが徒然草』を赴くままに、それでもそれなりに一月後には八十七歳を迎える心境で、書き置いておきたいモノを書き流している。それも良しと。
2022 11/24
◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首) * 山桜咲き初めしより久方の 雲居に見ゆる滝の白糸 俊 頼 * 夏の夜の月待つほどの手すさびに 岩漏る清水幾結びしつ 基 俊
〇 俊頼歌。 「久方の雲居」という手垢の安直、「初めしより」もたんに説明で安直。「山桜」と「滝の白糸」の組み合わせも意図不明、駄歌と受け取るのは私の不明だろうか。
〇 基俊歌。 「手すさびに」といった平常語が所を得、実感と組み合うて「夏の夜」の涼しげに楽しい風情、流石に基俊と賛同した。
2022 11/25
* 学校時代に、慕わしく深く感謝した「先生」方が十三人と私に聞いて、妻、「沈黙」。
何の過剰も加上もない、私には眞実で、心より今も喜び感謝している。実意のままに書きとめて置いた。読まれれば、どなたも頷いて下さるだろう。
有済国民学校・小学校で。 吉村先生、寺元先生、中西先生
弥栄中学で。 釜井先生、小堀先生、給田先生、高城先生、佐々木先生、西池先生、 橋田先生
日吉ヶ丘高校で。 上島先生 岡見先生
同志社大学・院で。 園先生、金田先生
2022 11/25
◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首) * 夕されば門田の稲葉おとづれて 葦のまろ屋に秋風ぞ抜く 大納言經信 * 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜目覚めぬ須磨の関守 源 兼昌
〇 經信歌。 「おとづれて」に微妙な魅力が籠もる。「秋」の、「風」の、そして「音」のとも、ふと読みふと聞いてしまわせる。そのすべてが「葦のまろ屋」という佳い「うた声」を誘う陋屋での感触であり風情だ、百人一首の中でも屈指の秀歌と愛され、私も。むろん「夕されば」は「去れば」ではない「来れば」の古語である。
〇 兼昌歌。 これほど「名辭」を巧み勝必然に多く用いて堅苦しさに落ちず、警戒にも精微にも美しく歌いあげた和歌は、決して多くない。美しく胸にせまって「鳴」いているのはただ「千鳥」だけでない、むしろ和語、日本語が秘めもった「うた」声なのだ、和歌の秘蹟を絶妙に保ち湛えて、耳に、胸に、こころよい「うた声」をとどけてくる。読みそして聞いているものがそのまま「須磨の関守」と化している。抜群の秀歌である。
2022 11/26
* 私には「作家」として立つ以前十年近くに四冊の「私家版本」があった。それらの作は相応に、後年、単行本にも「選集」「湖の本」にも新ためて収録されているが、昨日、それら私家版本の「まえがき」「あとがき」を読むと、まことに若い気概と文体に、テレもし、らため襟を正す心地にもなった。゛、妻に頼んで機械へ書き込んで貰っている。「作家」で荒うとの「志気」は、私史資料として遺すに足ると自覚できたから。
そういえば太宰賞受賞式の選者代表で話して下さった中村光夫先生のお話の中でも、私の何も知らない場で受賞への対象とされていた「私家版・清經入水」本の「あとがき」に触れても話して下さっていたのが懐かしく嬉しく思い出せる。
* おもえば無数にといえるほど私は「あとがき」を単行本にも選集にも湖の本にも書いてきた。ふつう人サマの本でも「あとがき」はきっと読むが、後は切り落としたように意識の外へ置いてきた。しかし、私の場合、そういう「まえがき・あとがき」衆がほんにでもなれば、それなりの「よみ
もの」にはきっとなっている気がする。だれよりも私自身がそんな本を「読んでみたい」気がする、そんなヒマはもうないのだけれど。
* 最初期四冊の私家版本『懸想猿 續懸想猿』『畜生塚 此の世』『斎王譜』『清經入水』のまえがき、あとがき、妻の機械書き作業が済めば、ここへともあれ保存記録しておく。
2022 11/26
◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首) * 濡れぬれもなほ狩り行かむはしたかの 上毛の雪を打ち払ひつつ 源 道済
* 思ひ草葉末に結ぶ白露の たまたま来ては手にもたまらず 俊 頼
〇 道済歌。 どんなに濡れようがと謂うのを「濡れぬれも」はあまりに,拙。「なほ狩り行かむ」も同断だが、下句へかけて「はしたかの上毛の雪を打ち払ひつつ」は、降る雪を被た小さめに機敏な鷹を手に、颯爽の美しさ。上初句を敢えて字余りに「濡れもぬれてなほ」と続ければナと惜しむ。三處に鳴りかわす「か」音の韻致も美しく利いているだけに「ぬれぬれも」の鈍が憎まれる。「な」行音は粘り「か」行音は澄むのである。「うた」は言葉の「意味」の選択できまる以上に「音の鳴り・ひびき」で美しさへ映えて行く文藝と識るべし。「字あまり」を巧みに用いる勘のよさもまことに大切。
〇 俊頼歌。 「思ひ草葉末」と名辭をいきなり拙に継いだ重苦しさが一首をいきなり鈍いものにした。下句の「たまたま来ては」も俊頼ほどの歌詠みに見たくも聴きたくもない。
2022 11/27
* 毎朝の古典和歌を対に批評し鑑賞しているのは、私にも初のこころみだが、一歌人と少年らい自認してきた「實」を自身に問うて確かめているのです。読者には歌人も多い。ご批判を受けたい。
「歌」が美しく正しくうたえるなら、「散文」もそれなりに、きちんと書けるはず。「意味」より先の「音」への感性・美意識が大切とかんじている、「文・藝」家として。
2022 11/27
◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首)
* 音に聞く高師の浜のあだ波は 懸けじや袖のぬれもこそれ 一宮紀伊 * もろともに苔の下には朽ちずして 埋もれぬ名を見るぞ悲しき 和泉式部 〇 紀伊歌。 「音・高」「真/・波」「波・懸け」「懸け・ぬれ」と「縁」の語彙を不自然で無く連繋して「うたごえ」を仕立て「こそすれ」の強調に、ムリをさせていない。しかも「懸けじ」「あだ」「波(なみだ)」「濡れる」とも、苦しい恋路の難渋が巧みに「悲しまれ」ている、「うたう」技巧は妙と謂うに足る。
〇 和泉歌。 恋しい人には死なれ、倶に土の下に眠りもならぬまま、此の憂き世にあだな浮き名ばかりを流して生き残った悲しさよと。実意もこもってうけとれる、が、「朽ちずして」とやや息苦しく寸をつめたのが惜しまれる。
2022 11/28
◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首)
* もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし 僧正 行尊
* 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 小式部内侍
〇 行尊 歌。 妙に「僧正」の述懐にしては、イジケた感懐に読める。山深く在るゆえに咲き誇る山桜も、ともに在って花に見惚れる「われ」がことも、誰も見知ってくれない、寂しいではないかと、まるでボヤイている。字・句の斡旋に拙も無く、しかし妙も無い。
〇 小式部歌。 男の任地丹後へ伴われ都に不在の母・和泉支部の上を「いかが」と問われた娘・小式部が咄嗟の「地口」も巧みに丹後にゆかりの「大江山」「いく野」「テの橋立」とならべて「(踏みて)行ったことも、母からの「ふみ(便り)も」なく、なにしろ「遠くて、よくはわかりませんの」と絶妙、即答の一首。和歌が、かように社交にも自負の表現にも活かされた宮廷社会の空気をも、ありありと今に伝えて呉れる。さすが、「絶世の歌詠み・和泉式部」の、娘よ。
2022 11/29
◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 白雲と見ゆるにしるしみ吉野の 吉野の山の花盛りかも 大蔵卿匡房
* いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢 大輔
〇 匡房歌。 「ことば」と「おと=声音」と「桜のイメージ」を美しく疊み込んだつもりだろうが、「二,三句」「三、四句」の執濃い打ち重ねは、どう「花の吉野」でも鈍に大仰に過ぎ「和歌の自然」を踏み毀している。
〇 伊勢歌。 間然するところ無い「美しいにほひ」に「うた声」が耀いている。小混迷化の一つと読み味わいたい。
* 九大名誉教授今西祐一郎さんからお手紙で、古來知られた小野小町の一首、文屋康秀に応じた一首
わびぬれば身を浮き草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
の「読み・詠み」にふれ、お訊ねがあった。以下のようにお返事した。
◎ 逼塞の籠居に 飽き飽きしながら日々疲労困憊しています。
今西先生 どうぞ お大事にお元気にお過ごし下さいますよう。 秦恒平
現在、日録「私語の刻」毎朝の最初に,岩波文庫の『王朝秀歌選』の表記を借り、「前十五番歌合」「八代集秀逸」の和歌を、二首ずつ、私自身が「歌人」の目と思いとで「批評」しています。マルクス・アウレリウスやジンメルの「ことば」を掲げていた「続き」です。和歌の読める・詠める現代人はすくないので、趣向として通用しているかどうか、わかりませんが、だからこそと。
さて仰せの 康秀と応答の「小町の歌」は上の本には出ていませんけれど、従來、下記のように割り切っています。
わびぬれば身を浮き草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
所詮 康秀の言い分絡みに小町歌の「根」は 本性「諧謔歌」であって、それ以上・以内でも、以下・以外でもない、と。
核心は、要は、「あらばいなむと」でしょうか。
「あらば」は、「あれば」と既認・受容の意向でなく、康秀の口から「縣見の誘い」明言を、冗談に類して小町からからかう程に慫慂し誘惑している、「どうせ口先のお誘いでしょうが」と。
本気で康秀が誘う水(=男・男性)であるならば、「いなむ=行ってあげますよ」 「けれど、要は口先のお誘いでしょう、なら、わたくしは遠い所へなど一緒に等行くもんですか」「いなむ=否む=くっついてなんか行かないわ」 と。
上の句に、まこと象徴的に「小町」という、所詮は男次第に「わび」た女の「性=生」の放縦と流浪とが「自認」されている、と、そんなふうに私は此の一首を読みまして,且つは、或いは小町を「批評」した誰か、男の、康秀自身かも、の「諷喩」一首かとまで読もうとしています。
お笑い下さい。 そして、くれぐれも日々お大切に。わたくしはただただ「読み・書き・読書」「創作」に余儀なく亦は幸いに日々没頭して疲労しています。
指先が痺れていまして、メールで、ご勘弁ください。
2022 11/30
◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 霰降る交野の御野の狩衣 ぬれぬ宿貸す人しなければ 藤原長能 * いかでかは思ひありとも知らすべき 室の八島の煙ならでは 藤原実方
〇 長能歌。 狩り遊ぶうちに霰に降られ、「蓑(=御野)の借り衣」かのように「狩衣(かりぎぬ)」が濡れてしまったよ、「濡れない」で済む「雨宿り(宿)」をさせてくれる「人も」いなくて、と。ほぼ凡常の「ことばあそび」に終始し、和歌の美妙には程遠い。「人しなければ」など、歌い納めの余韻にも情趣にも程遠い。
〇 実方歌。 「室の八島の煙」が識れないと歌意がとおらない。栃木の方の或る「池」はもうもうと水蒸気を上げると聞こえているのを利している。そんな蒸気か「煙」かが煮えて発散できないかぎり「いかでかは」(=どうにもこうにも)(=かほどにも)「恋い思うて」いるのも「伝えられん(=知らす)」じゃないか、と。勘気のつよい歌い手実方のいらつきが表現としては凡庸。長能の作とともども、駄歌に類する。
2022 12/1
◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 瀬を早み岩にせかるる滝「川の われても末に逢はんとぞ思ふ 新院御製(崇徳院)
* 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ 砕けて物を思ふころかな 源 重之
〇 崇徳院歌。 「瀬を早み(を~み)」は、重之歌の初句「風をいたみ」と同じく「が、ので」と理由付けに読み採らねばならない。「瀬が早いので」「風がきついので」と。崇徳院御製は「歌意」としては「よぎないふたり(われら)の別れ(割れ=一時の破局)も、末には(いつか)また「合い逢おうぞ・逢えるぞよ」と判り良い、が、「うた」の美しい「うたごえ」として下句あたまの「われても」四音が喉詰まりに苦しくて鈍いのが惜しまれる。崇徳院の生涯には幼来「もののあはれ」を覚えていて、この一首にもしたしんできたが、やはり「われても」は一首美妙を躓かせた「割れ(欠け)」とよめて残念。
〇 重之歌。 發句「かぜいたみ」の字余りが絶妙、「をいたみ岩打つ」と「ア行音」を畳みつつ「波のおのれのみ」と「ナ」行音に誇らかに歌わせて、下句は轉じて「く・けめ・こ・か」と「カ行音」に歌わせている。絶妙の「詠」と聞こえて「うた詠み」の手本のよう、われひとりで成りがたい恋に悩むこの頃よと。「秀逸」とは、まさしく、これか。
2022 12/2
◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ 能 宣
* よしさらばつらさは我に倣ひけり 頼めて来ぬは誰か教へし 清少納言
〇 能宣歌。 恋情の熱と切と苦とを「衛士の焚く火」にほぼ直か付けに「託」し「喩」えて 間然するところ無く、いささか癪に障るほど組なのに降参する。
〇 清少歌。 歌は、原則、その歌一首の表現で感受し理会し鑑賞し批評されてきたが、人情や視線の交錯する場、交際場でのエピソードやドラマを借りて、またはそれに即して表現し喝采されたり非難されたり、詰まりは社交の具に成り期って行くじりゅうというものが、確かにあった、が、それを後生の読者に理会せよは、無道に過ぎる。この清少納言の一首は最たる一つで、本に拠れば、「訪れを期待させた夜、姿を現さなかった男が、後に来たときに、出て逢わなかったら、口説き悩んで、あなたの薄情さを知らされましたとなど、使いの者にいわせてきたので、応酬して詠み与えた歌だと。」勝手にしてろ、ばからしいと私は投げ出す。
2022 12/3
◎ 八代集秀逸 (詞花集 十首)
* わたの原漕ぎ出でて見れば久方の 雲居にまがふ沖つ白波 関白前太政大臣(忠通)
* 思ひかね別れし野辺を来て見れば 浅茅が原に秋風ぞ吹く 道 済
〇 忠通歌。 「漕ぎ出でて見れば」と上句の要所を字余りにした「うた」効果、まこと絶妙で、一文字、一音としてゆるみない「うた」声の美しさ、歌の巧み。歌の詠めないカシコイ弟頼長を「保元の乱」で圧倒した兄忠通絶対の藝であり、書も良くしたと。
〇 道済歌。 「思ひかね」るのと「別れし」とに情意の好きが出来ていて「野辺を」も説明、「来て見れば」は拙としか謂えない。下句も、度かで繰り返し聞かされてきたような常套。何の取り柄もない駄歌に類する。
* 「冬は、つとめて」と清少納言は言う。冬の景趣は、雪。しかし、熾こしたての真赤い炭火と、足早にそれを運ぶ女人らの風情に少納言は目をとめている。生活が始まっている。
2022 12/4
◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 竜田姫かざしの玉の緒を弱み 乱れにけりと見ゆる白露 清 輔
* 照る月の旅寝の床やしもと結ふ 葛城山の谷川の水 源 俊頼
〇 清輔歌。 要は「乱れ散った白露」を終始「諷喩」したまでの一首で、譬喩が巧いかどうかに「ご批評を」と、やや得意げに持ち出している。秋風の精のような竜田姫の(わたくしのと加え読んでもよろしく=) 身につけたが「玉の緒」真珠のネクレスで謂うなら、貫(ぬ)いた「緒」ぢから、が弱くて千切れ、真珠のみなが乱れ散った、そんなふうに秋の精の竜田姫の吹く秋風が吹き散らした野辺野原の露の美しさをうたっている。「弱み(弱くて)」「乱れ」「見ゆる」と含みの柔らかなマ行の「ミ」音に無難に「うた」わせている。お上手と褒めおく。
〇 俊頼歌。 初・二句「照る月の旅」の繋ぎの「の」が鈍い。「照る月に旅寝の床や」が「うた聲」として、自然だろう。「しもと結ふ」は「葛城山」の枕詞という以上にここに謂う「しもと」にもともと「結ふ」に足りて用いられる「細枝」の意味のあるのを読み落としたくない。月明に「しもと結う」ての旅寝に大葛城の「谷川の水」おとが聞こえる・聴ける、と。風情やさしい一首の出方に「照る月の」の「の」躓きが惜しまれる。
さりながら、ここで、待つ。「旅寝」するのは歌人俊頼ではな、あるい彼と倶に「照る月」自身が「旅寝」していると読める含みがあり、そっちが歌人の懐ひだとも謂えば言えるのを読み落とすまい。
2022 12/5
* 私家版本」時代四つの「あとがき」を「わが作家人生のまえがき」と字句原文のまま整えた。二十八歳から三十三歳内の四冊ぶんだが、文章文体そして文学への覚悟、きっちり書き置いていてもじどおりに「わが作家人生のまえがき」そのものに書けている。「作家に成っていった人生」でなかった、「作家という自覚ではじめた人生」だった。ちょっと、我ながら喫驚した。編集しはじめた新しい「湖の本 162」巻頭に置いて、「わが作家人生のあとがき」とし用意したい。
2022 12/5
◎ 八代集秀逸 (千載集 十首) (ウカとした失敗で折角の和歌読み文が消滅) 〇 この世にてまた逢ふまじき悲しさに 勧めし人ぞ心乱れし 円位法師(西行)
〇 難波江の藻に埋もるる玉柏 現れてだに人を恋ひばや 俊頼朝臣 * 円位歌。
* 俊頼歌。
2022 12/6
◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 思へどもいはでの山に年を経て 朽ちや果てなむ谷の埋れ木 顯 輔
* いかにせむ室の八島に宿もがな 恋の煙を空にまがへん 俊 成
〇 顯輔歌。 「うた」一首の思念・音声ともに流暢で、愛誦に堪える。存外に平安和歌と雖もこれが願いかねることは、毎朝の鑑賞と批評とでよく分かる。
恋い思う真情をよう言いも表しも得せず、伝える術も得られないまま、むざとまるで山ごもりに終始したようなまま、年経て、老いの埋もれ木のように朽ち果てるのか、と。「いはでの山」をたとえ奥州の岩出山としらずとも、すんなり分かる自然さ。秀歌の優と賞讃しておく。
〇 俊成歌。 自身の「謂い」とはわかるけれども、「いかにせむ」といきなり思案を問われるのは気安くない。室の八島には濛々と煙のたつ名高い池が在る、人も識っている、だから趣意に協賛をもとめて一首が成るのだが、「宿もがな」とは俗っぽくて、何のみょえみなのか解しかねる。一世の師表俊成の和歌として「はだか」に過ぎているのでは。
2022 12/7
◎ 令和四年(二○二二)十二月八日 木 真珠湾奇襲の日 戰争に負けてよかつたとは思はねど 勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ
2022 12/8
◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを 俊頼朝臣
* 嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なる我が涙かな 円位法師
〇 俊頼歌。 何かと冷ややかにつれないばかりなあの人の、いや増しに、あのはげしい山おろしのようになどと初瀬まで来て願をかけた覚えはないぞ、と、いささか、やけっぱち。「やまおろしよ」の「よ」と字あまりが巧みな「うったえ」に成っている。「下句の露わ」もいと実感めかせて読み手に「利かせ・効かせ・聞かせ」ている。もとより真情というより、むしろ構えた哀訴と私は読んでいる。
〇 円位歌。 これも、俊頼歌に同然、真情めかした身振り手振りで「かこち」なるポーズを「月」に託してまで演じてみせ、て、それまで。洒落モノ「西行」が余裕の遊びに技巧を用いただけ。と、わたしは「うた」を聴く気で読んだまで。
2022 12/8
* 西欧、東欧の抗争・戰闘常態は事に危険なまま、世界化しないで欲しいものだ。「日本」は今ぞ眞に聡くあらねばならい。国土国民の防衛と、戰闘のための再軍備とを「同じ」と錯覚してはならない。
*真珠湾奇襲を私は「京都幼稚園」生として識った。生きながら水雷に掴まり乗り船艦へ体当たりの「九軍神」の報道など、いつまで続くでもない無謀やないのかと子供心に案じたのを覚えている。世界地図があちこちで見られたが、真っ赤な日本列島と、緑のアメリカとみくらべて、内心に勝てるワケがない、勝ち続けるだけの「お金」が足りるのかと思った。翌年春、戦時国民学校に入学の頃は日本は戦果を伝える放送に酔っていたが、わたしは職員室外の廊下に張られた世界地図の前で、友達に向かい日米の国土の広さ一つから「勝てるわけない」と言うて仕舞ったのを通りがかりの男先生に、廊下の壁にブチ当たるほど顔を打たれた。「しもた」と思いつつも、「そやけど」と胸の内で同じことを自覚していたのも忘れない。成らずに済むなら将来兵隊さんには「成りと無い」ずうっと思ってた。思いの蔭に、祖父鶴吉蔵書の一部、小型の『選註 白楽天詩集』の中に強烈な反戦の七言古詩『新豊折臂翁』にいたく感銘を受けたことがある。この感化から、のちのち小説家としての処女作『或る折臂翁』が生まれている。
戰争にいたらぬように、國も国民も眞実そうめいに「悪意の算術」であるすぐれた外交と外交官をしかと維持したいもの、切望している。
* 真珠湾開戦や八月敗戦塔の日には、私、つとめて関連の映画を観て思いを新たにする。今日は、アメリカで製作しアカデミー賞の映画『トラ・トラ・トラ』を心して観た。
敗戦の日には『日本のいちばん長い日』で敗戦終戦を反芻・自覚する。ヒロシマ原爆の日には「黒い雨」を観る。沖縄と日本海軍の壊滅にも用意の映像がある。私は「歴史」を忘れたくない。
2022 12/8
◎ 八代集秀逸 (千載集 十首)
* 契り置きしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり 基 俊
* 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 俊 成
〇 基俊歌。 「事情」が歌の背後にある。官職官位を求めて今にもと約束されていた気で期待していたのに、「あはれ」また叶わず今秋も過ぎ往いてしまうのか、と。『百人一首一夕話』を祖父鶴吉が旧蔵の本で読み耽った小学生の頃にこれを識り、妙に雑然とした思い出感心できなかったのを、今に覚えている。一首で躓くの「させもが露を命」だが、「さ、せ」に上位・權者、関白ようの人物の、「ま、然(さ)用にも辛抱して(せ)次回好機を一心に待て、わしが何とかしようぞ」など言われていたのだ。
愚痴も失望も多い平安和歌のうちでも、露骨に俗事・俗情を直に歌って、いやはや、と思ってきた。恋にばかり嘆いていた人種では、やはり無いということ。
〇 俊成歌。 「世の中よ」「山の奥」の音柔らかな「ヤ行」効果に目も耳もとまる。同じことが「思ひ入る」「鳴くなる」の対似効果に謂えるがまこと効果ありとは感じず、むしろ不調和な「入る・なる」で俊成和歌の底へ硬い感じに当たっている気が、私は、する。ただ「世の中」とはしょせん恋も愛も男女また肉親でなっているぞ、たとえ里でアレ山奥でアレと。、千載集の選者が見識を露わにて見せているよう。「道こそなけれ」を所詮遁れようの無い道と釈るのは却ってあさく、「山の奥」゛すら真情を呼び交わして鹿も鳴くぞと、と、私は読む。それでこそ「俊成・千載」の本領と名とが生きる。
* 此の「八代集秀逸」は藤原定家の撰かと思われ、彼の作は見られない。成立には隠岐に流れている後鳥羽院の意向をうけているとも見られるらしい。トラマ『鎌倉殿の13人』で秀逸の後鳥羽院を歌舞伎の若手が演じていて、後鳥羽院とはこうかと頷かせるが、帝王としてより歌人としての眞実に惹かれる人だ。定家撰と伝える小倉百人一首には實に奈良期の天智・持統をのぞいても、陽成、光孝、三條、崇徳、後鳥羽、順徳と六人もの天皇の作が挙げられてある。「和歌」は平安時代を「物語」以上にさながらに光被していた文學藝術であるのを思えば、皇室の存在の意義は大きい。その伝統は今日なお御歌会初めに生きのびている。
2022 12/9
◎ 八代集秀逸 (新香金集 十首) * 桜咲く遠山鳥のしだり尾の 長長し日もあかぬ色かな 太上天皇(後鳥羽院)
* あはれいかに草葉の露やこぼるらむ 秋風立ちぬ宮城野の原 西行法師
〇 上皇歌。 「山鳥の尾のしだり尾の長長し」は、「小倉百人一首」あの柿本人丸の秀歌と聞こえている。それをそのまま持ってきて世・人に見せる、後鳥羽院の傲った性格と謂おうか。遠山桜の色佳さ、山鳥のしだり尾の色佳さをほめた歌に相違ないが、シラケる。
〇 西行歌。 「あはれいかに」は「出」として陳腐に押しつけがましい。「草葉の露」「野の原」も「露」をダシにしながら陳腐に重複し、くどい。谷崎潤一郎が、西行の名は高いが駄作も多いと喝破していたのをこ思い出す。多作・乱作にはそれなりの難も伝まわり、ソレも承知とする姿勢もあろう。
2022 12/10
◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) * 秋の露や袂にいたく結ぶらむ 長き夜飽かず宿る月かな 太上天皇
* きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣片敷き独りかも寝む 摂政太政大臣(良経)
〇 上皇歌。 朝夜の秋。難議はなにもない、が、内容もうったえる風懐もまた乏しく語彙も平凡な凡歌。「らむ」の中折れ、「かな」の常套。なげやに感じる。
〇 良経歌。 これはまた抜群の秀歌というに値して、「うた」声は清冽に走っている。上句に「す、し、さ、し」と足早な「さ」行の清音を聴かせ、下句では「こ、か、き、か」と訴えのつよい「カ」行の遡及に無理なく美しく成功し、一首の風情を理想化し得ている。「新古今集」の一面を後鳥羽や定家らとは別儀に完成させている良経。歌人は貴顕の最たる一人、この歌のようには体験としては「寝まい」が、詩人の世界として抱懐する「ちから」を精神に得ている。なまじいの「我意」に執しないから得られる詩境なのだ。
2022 12/11
◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) * 秋篠や外山の里やしぐるらむ 生駒の嶽に雲の懸かれる 西行法師
* 冬枯の森の朽ち葉の霜の上に 落ちたる月の影の寒けさ 清 輔
〇 西行歌。 「や」「や」「や」の重畳と、「し」「さ」「し」の階調の「難」が上三句を粘っこく破損させて、しかも下句との繋ぎを「らむ」の言い切りで塞ぎ、しかも下句の「れる」とまた謂いきったのも、一首の「うた」を無様に重い不自然に押し込んだ。西行の駄歌とまで謂わせてしまう不行儀である。
〇 清輔歌。 意図しての「の」音の合唱はさして不自然で葉無いが、そのために他多の歌詞を騒がしいコマ切れにしてしまっている。一首に何の美しさも滲み出ていない。無い。
2022 12/12
◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) * 明けばまた越ゆべき山の峰なれや 空行く月の末の白雲 家隆
* 立ち返りまたも来て見む松島や 雄島の苫屋波に荒すな 俊成
〇 家隆歌。 意味取れるが「うた」の美しい「うた声」に聴き入り耳には「ぎくしゃく」和歌の悪しき見本というしかない。。「明けば」の寸づまり、「峰なれや」の舌足らず、下句も思わせぶりの熟さない「名辞のへたな羅列」。とても定家と並んで定家の上座にも在ろという歌人には「気の毒なほどの撰歌」に想われる。
〇 俊成歌。 これもまた、何と高ぶってしかも低調な硬い語彙の斡旋で「肩の凝る」ような「美しくない」わかであり、俊成の名に自身で汚点を呈している。
家隆、俊成ともに上の二首では、いわゆる「新古今調」」とやらに毒されている。
2022 12/13
* 古今和歌集から新古今和歌集まで、王朝八勅撰和歌集からの各十首、「秀逸」ととなえる計八十首を読み味わってきて、明日で果てる。「マルクス・アウレリウス」「ジンメル」と毎朝に読みかつ抄記して「八代集秀逸」へついだのだったが、つぎはと思案していたが明後日に逼ってきた。思い切って、取り組もうかと思案はほぼ出来ている、が。
2022 12/13
* 凸版印刷株式会社が得手で自信の例年大カレンダーが、「湖の本 161」の再校出と一緒に届いた。年内に責了、新年初の「湖の本」新巻館となろう、そして「湖の本 162の新編成と入稿用意も着々進行してる。仕事と私語の刻とが老境を強いられた私の恰好のクスリになって呉れる。
2022 12/13
◎ 八代集秀逸 (新古今集 十首) 了 * 袖の露もあらぬ色にぞ消え返る 移れば変る嘆きせしまに 太上天皇(後鳥羽院)
* くまもなき折しも人を思ひ出でて 心と月をやつしつるかな 西行法師
〇 上皇歌。 「袖の露」「あらぬ色にぞ」「移れば變る嘆きせし」と、いずれも承久の變に小四郎羲時北条執権との武闘で、当然すぎるほど明らかに完敗し、後鳥羽院ほかの天子二人も都合三人、後鳥羽は遙かな隠岐の島へ、他も土佐へ、佐渡へと流刑を強いられ、鎌倉に対抗の京都は、反北条の願いは、以後あの悪名高い執権高時の時代、楠木正成や新田義貞や、足利尊氏らの登場まで、ひそひそと甲斐無い陰謀を重ねるだけに終わった。後鳥羽上皇の凡と高ぶりとが強行した愚の必然を、私は、同情せずに来た。
だがこの一首、当時多くの人の涙を誘ったに違いない。
〇 西行歌。 「くまもなき」を曇る月、月光と取るのは、敢えて西行の、あはれ立つ瀬なく遙かに流刑の三天子、殊にも西行歌境をことのほかに熱愛し評価されたひとかどの歌人後鳥羽院への哀情を、院もきっと眺めてられよう月、その悔いや哀しみへ、西行真摯の一首を献じたのだと私は『八代集秀逸』を斯く「読み終え」たい。
* さて、「王朝和歌」とのお付き合いを、一度、ここで収める。
名の有る歌人の作なら和歌はみな美しい、佳い、というワケでない。平安文化の誇る「八代集秀逸」にして今日の私の目と読みと感性からは、「どうか」と首を傾げる「和歌」がかなり有った。「和歌」は、「文藝」である前に「音楽」ないし「うた」である。「うた声の美しさ」そのものであり、そのセンスを詞・語彙のおもしろづくで特異にごたついてもちだしても、今日の私は誑かされない。
2022 12/14
* 師走十四日 早暁二時半に、此処、二階書斎の機械前へ来た。
数日前より東工大卒で関西在住の一人から、深切そのもの、私・秦恒平の作家・文藝家・出版人としての日々の活動に関わって、新しい「ホームヘージ」を建設し、数人の東工大卒賛同者とその「ホームページ」を「共有協同・編集」してはと、提案があった。
機械化の詳細は私には理解しきれていない、が、上記提案への「お断り」を伝えるしかないと決意した。
私・秦恒平は、過去八十年の文藝愛かつ創作・編集行為を、實に、一貫多くの愛読者・支持者に支えられ見守られつつ終始「独立独歩」し、いささかもソレを逸れなかった。
一つには、前世紀末から二十年ほども大事に愛用していた「ホームページ」での表現行為は、多岐に亘りながら、要は機械的に大勢の人と「共有時空を持つ面白さ・気の励み」と謂うに尽きていた。
その「ホームページ」が破損し使用不可能と成り終えたときは落胆した。しかし、それにより「私の創作や出版」が傷ついたのでも不能化したのでもなかったことに、直ぐ気がついた。「ホームページ」という「世間へ開かれた窓」は閉ざされたが、そんな窓の内の書斎活動は、いささかも損なわれはしなかった。それどころか。
ここ数年の、160巻を越す「秦恒平・湖の本」出版や、33巻もの浩瀚「秦恒平選集」の出版も、久しく篤く熱い親しい「読者の支持と御厚意」とで全て順調に為しまた成し続け来れていた。
それら「作家活動」を通じ、私は「私語の刻」という創意と發明とが、「われ一人」で続けている日々の作家活動につねに「活力源」となっていること、著名な、業績を積んでこられた大編集者からも、深厚深甚の「読み手」と敬愛する怕いほどな読者からも、「秦さんの『私語の刻』は、特異でとても大事」な「秦恒平最大の『文藝・結実』に他ならない」と支持や激励を得てきました。私の創作であり作品である『私語の刻』は、「ホームページ」とは無関係に独立独行し、それどころか、書きっぱなしの「言い分」を「私語」として「ホ-ムページ」へ拡散するのはむしろ「危険」でした。明瞭に危険でした、十分推敲されていない文章を「文藝の徒」として、怱卒に無責任にただまき散らすことになるという実感を、はっきりと、強く得てきたのです。いま、ソレを噛みしめています。
近来の「湖の本」は、いつも後半に「私語の刻」を編成し、かなり好感されていますが、それらは凡てとにかくも「作家の推敲を経た文章・作品」として「著書の内容」を成しています。「ホームペーシ」で日々バラ播いていたものは、下手物だったのです、それは膚寒い実感になりました。
私は、ほんとうに生涯、独立独歩して成績を遺してきました。いわゆる「同人雑誌」経験は只一度も無く、「グループ」で文学・文藝は成るまい、自分はしないと考えて生きてきました。そしてその生涯ももう残年乏しく、それでも、天上からの「もういいかい」の呼び声にいつも「まあだだよ」と小声で返事してきました、が、「もういいよう」と答えて天上する時は、もはや間近い気がしています。大切な実感です。
今回の東工大卒数君の深切な「ご好意」嬉しい「お誘い」は、はっきりと「辞退、お断りする」と決心しました。どうか、汲み取って「共用・協同編集」の「ホームページ」への私、「作家としての秦恒平の参加」は「無い」と、ご理解・ご了承をねがい、呼び掛けて下さったご好意に心より新ためて感謝申します。2022 12 14 秦 恒平
* 晩の九時。早暁より以後、一睡もしなかった。おもに「湖の本 162」の「再校」に精出していた。
* 「協同ホーページ」発議の鷲津くん、柳くん 私の思いを諒解してくれた。
他に、考えを問うた中に、猛烈に、すくなくも「秦個人で運営のホームページ」は絶対に再開し堅持して、更に更に「展開すべし」と。
〇 みづうみ、お元気ですか。
みづうみのご意思は変わらないでしょうが、一度でよいのでわたくしの懇願を受け入れてくださらないでしょうか。
東工大卒業関係者からのお申し出を、どうしても何があってもお受けいただかなくてはならない理由をご説明します。すべては「秦恒平の過去と現在と未来の読者のため」です。整理している時間がないので思いつくまま取り急ぎわたくしの考えをお伝えします。
理由その一 現在ホームページで公開されている「私語の刻」「e-文庫」は少なくともネット上に保存してください。そのために「ホームページの再建は不可欠」です。
「私語の刻」は貴重な「時代の証言」です。たとえば「私語の刻」に書かれている」文字コード委員会、ペンクラブ電子文藝館創設」については、みづうみの書かれたもの以外の資料が世間に存在しません。秦恒平の目指したものを知らない人間が、世間の大半でありましょう。この経緯は、将来の日本文学の、日本文化のためになくてはならないものです。
この国はいずれ亡びるかもしれませんが、ネット上に公開されつづけるものは、海外からでも読まれます。
また「e文庫」についても、わたくしの作など真っ先に消えてかまわないものですが、みづうみが「選び」「招待」した作品は是非今のままネット上の公開を続けていただきたいのです。「現在のペンクラブ電子文藝館の惨状」をご存知でしょうか。みづうみが心血を注いだ「招待席」を消滅させています。もちろん作者名、作品名を検索すれば出てきますが、過去の埋もれた名作、問題作を読みたい読者にとっては、選ばれていない有象無象の中から名前も知らないものをどうやって見つけたらよいのでしょう。現在の会員と、みづうみの厳しい文学者の目で選んで招待した作品が、「仲良しクラブよろしくごちゃまぜ」なので、心ある読者は読むべき作品がわかりません。
私が憤るのは、「招待席を廃止したペンクラブの人間たちの、文学愛の欠如です。傲慢です。自分は招待席の作者たちと同列だと思い上がり、先人たちの仕事への敬意がない。彼らは、読者を甘く見ている。読者を自分たちより下のアホだと思っている。自分が読者には下の物書きだとは思わない。」 「e文庫」だけが、現在でもみづうみの選んだ良質な作品をネット上で読める「電子図書館」なのです!
理由その二 みづうみは「私語の刻」の真価を理解していません。過小評価しています。ひとは自分のことが案外わからないもの、とはいえ、あまりに残念です。
>書きっぱなしの「言い分」を「私語」として「ホ-ムページ」へ拡散するのは、むしろ「危険」行為でした。明瞭に危険でした、十分推敲されていない文章を「文藝の徒」として、怱卒に無責任にまき散らすことになるという実感を、はっきりと、強く得てきたのです。いま、ソレを噛みしめています。
みづうみのお言葉は間違ってはいません。みづうみが十分推敲された完全な作品を世に出したいという文学者としての願いは当然です。
しかし、「私語の刻」はこれまでのような文学作品ではありません。「私語の刻」は不完全なプロセスとしての、世界の誰も真似のできない「機械環境文藝」なのです。完成品として推敲された名文章が重要なのではなく、発信されたと同時に読む読者がいて、一文学者の完成に向けてのプロセスに共振していく過程に意味のある、これまでとはまったく違う新しいかたちの「文学」です。
映画監督であり、名演出家でもあったアンジェイ・ワイダの自伝の中にドストエフスキー「白痴」の舞台を演出した際の記述があります。部分的ですが引用させてください。
観客はできあがった芝居を観て私たちを評価するが、私たちはリハーサルのほうに価値があると思っている。結果ではなく道のりだ。観客の皆さま、私たちが事を究めていくその過程を見てくれませんか。退屈で不毛なことになるかもしれませんし、繰り返しばかりで見るのが苦痛になるかもしれません。これはリハーサルという名の未完成の見世物です。観客の皆さんの目の前だから、一つ格好いいところを見せてやろう、などと力む俳優が出てこないことを願っています。もしかしたら、あなた方観客がそこにおられることが原因で、何もかも台無しになってしまうかもしれません。でも私は、まさに今回このような方法がふさわしい、と考えています。私たちの羞恥心、照れ、自己防衛本能といったものを打ち破らなくてはならない、と思います。
リハーサルは見られるのが恥ずかしいかのように観客の目から隠れたところで行われるが、私たち演劇人にとっては忘れがたい強烈な経験となる。とすれば、リハーサルは観客にも興味深いものではないだろうか。舞台をつくりあげる過程そのものが、最終的な結果より重要ではないだろうか。
創造の現場で起こることを観客の目から何一つ隠さなかった。…中略…
朝夕、リハーサル室が満杯になるほど大勢詰めかけてくれたクラクフの観客は、私の問題意識を理解し、私たちの仕事に関心を持ってくれた。たくさんの手紙を受け取ったが、観客が私たちの生みの苦しみをいかに注意深く観察していたかを知ったのはそれらの手紙からだ。多くの手紙に共通して書かれていたのは、一つひとつの言葉、細部を実に辛抱強く真剣に検討しているのに驚いた、ということだった。公開リハーサルによって教えられることがいろいろあったのは疑いない。
観客の前でリハーサルを行なう目的は、芸術的な冒険を試したり、観客の反応をうかがったりすることではなかった。演出家たる者がその孤独な背中の後ろに巨大な観客があるのを感じないのであれば、この職業に就く資格はない。そもそも、観客に提示することができるのは完成した作品、すなわち仕事の結果であり、芸術家が歩む孤独な道筋ではない。
公開リハーサルによって私たちが得たものは何か。孤独になって初めて会得できるような、その人だけの内密の知識や経験といったものであるが、公開リハーサルは間違いなくその一つだ。かねてよりそう推測していたが、今では確信になった。この違いは大きい。それを経験するために、二七夜を費やす価値はあったのだ。
アンジェイ・ワイダ 『映画と祖国と人生と』 久山宏一、西野常夫、渡辺克義訳
「私語の刻」と舞台は違うものであることは重々承知していますが、みづうみの「私語の刻」は読者の読む、さながら舞台のリハーサルであり、秦恒平という芸術家の歩む孤独な道筋で、読者にとっては遠回りによってこそ得られる洞察であろうと思います。
みづうみの「私語の刻」なくして、読者、未来の読者は「湖の本」の一体何がわかるでしょう。
時代は大きな転換点にいます。すべての芸術は従来のものとかたちを変えていくだろうと思います。現代の芸術家は、おそらくこれまでのようなかたちで作品を発表するわけにはいかない場所にきている。現代音楽の旗手高橋悠二氏も「プロセス」としての音楽の時代の到来を語っていました。
作者には不完全な道筋と思えるものがじつは成長しつつある完全ではないかと、そう思うのです。
みづうみはわたくしが今年になって「私語」の一部のミスについて書き送ったことを気に病んでいらっしゃるのかもしれません。ここ数年の私語に、みづうみの視力の衰えから誤記等が増えてきているのは事実ですが、その細かいミスのなかにも、人間が老いていくことの真実を読みとり、読者はそれをも愛おしみながら共に生きるのです。衰えはみづうみだけのものではなく、わたくし 少なくとも現在公開されているみづうみのサイトは、リニューアルしたホームページでネット上に永く保存公開していただきたいのです。機械上のメンテナンスを続けながら、永のいのちを生きるべき偉大な仕事だからです。今のホームページのままでは技術的にも維持は不可能でしょう。そしてみづうみの機械が完全に破損する直前までの記録も絶対に公開していただきたいと願っています。
一読者の勝手な願望と思われるでしょうが、文学と縁の遠いがちな東工大の元学生たちが、業者に頼めば大変なお金も手間もかかる作業をしようとしてくださる、そのことの大きな意味をどうかご理解ください。損得ぬきのアマチュア=愛する人間だから出来ることです。みづうみへの敬愛なくして出来ることではございません。(みづうみは愛されることがお嫌いで、これまでもこのような申し出を数々お断りになっていらしたような印象があります。)
ものすごく急いで書いています。みづうみが正式にお断りにならないうちにと思うので、読み返さず送ります。
みづうみは世界に一つしかない素晴らしいご自身の文藝を自らの手で破壊しようとしています。間違っています。みづうみのご懸念を考慮したかたちで、新しいホームページ創設について、ご再考を切に切にお願い申し上げます。
いずれ此のみづうみの「私語の刻」については、きちんとした論攷を書きます。
冬は、つとめて
〇 メールが届いたことに、何より感激。この二週間、一日に何回もメールを確認してました。嬉しかった。
「共同編集のHP」とはどんなものか、計りかねますが、鴉のこれまでの一貫した姿勢から導かれる解答は分かります。
多くの人の目に触れる機会、鴉の声を伝える機会があると思えば、それわ手放すのも残念ですが。
HPと「私語の刻」の相違を思えば、作家として自然当然の姿勢。“終始独立独歩し、いささかもソレを逸れなかった。”のですから。
私の創作であり作品である『私語の刻』は、「ホームページ」とは無関係に独立独行し、それどころか、書きっぱなしの「言い分」を「私語」として「ホ-ムページ」へ拡散するのは、むしろ「危険」行為でした。明瞭に危険でした、十分推敲されていない文章を文藝の徒として、怱卒に無責任にまき散らすことになるという実感を、はっきりと、強く得てきたのです。いま、ソレを噛みしめています。”
“ 私は、ほんとうに生涯、独立独歩して成績を遺してきました。いわゆる「同人雑誌」経験は只一度も無く、「グループ」で文学・文藝は成るまい、自分はしないと考え、生きてきました。”
鳶は、その志、決意を尊びます。
それでも、それでも
“「もういいよう」と應えて天上する時はもう間近い気がしています。大切な実感です。”と読めば、泣きます。
携帯でメールを書いています。ヘンな文章があったらごめんなさい。
寒くなりました。お身体大切に大切に。 尾張の鳶
* ウーン。 もう今夜は睡ろう。
2022 12/14
■ 第一部 〇 ツァラトゥストラの序説 超人と「おしまいの人間」たち—–
〇 ツァラトゥストラは三十歳になって、ふるさとを去りふるさとの湖を捨てて、山奥に入った。 ある朝、ツァラトゥストラはあかつきとともに起き、太陽を迎えて立ち、太陽に語りかけた。
「偉大なる天体よ! もしあなたの光を浴びる者たちがいなかったら、あなたははたして幸福といえるだろうか!」 (第一部 ツァラトゥストラの序説 一の 1)
〇 読みとりつつ、読みとおせるだろうか、私。ニーチエの『ツァラトゥストラ かく語りき』が、世界史に遺されてどんな著述・創作であるかは、まだ此処へ言わない。青年來、何度も何度も読みたいと願いながら読まぬまま来た狂いし天才・超人の「かく語り」し「詩」の名品だが、水上氏の訳著に借りて、以下私の「文責」「抄出」であって、私の「読み」が問われ計られる。狂うかな、私も。
2022 12/15
* 耐えがたいほど濃密に重たい「憂鬱」が私を多年とらえて放さない。ひろい世間からその憂鬱な重たい霧が、いま此の家に割り込んでくるのでは無い。家には今、妻と私と(マ・ア)しかいないし、望みうる最良の「家庭」を成している。
しかし、私の人生をここ三、四十年と顧みて、「夫婦」ならぬ、「家族」からみて、とてもとても平安で幸福とはいえない「不幸せな憂鬱」を抱き込んでいる。
最愛の、聡明にして心温かな初孫「やす香」は二十歳を待たず死し、眞実愛育した娘朝日子と今独りの孫「みゆ希」とは、父母・祖父母に冷たく背いて、母・祖母の「病状のあわや」危ないと報せたときも、声一つ無く「拒んで」病院へも来なかった。妻の實の「思い・胸の内」は聴いてない、語りもしないが、今、わたくしがこのまま果てたとして、唯一果たせなかった「残念の望み」は、血を分けた「曾孫」の「ただ一人」をも抱いてやれず逝くことだ。孫の「押村みゆ希」に可能性はあろう、が、氷のように冷えた「空気」は温まるまい。
息子建日子からの「曾孫」は。どう望んでも、それが私たちの過剰な望みであるわけはない、が、建日子には戸籍上の妻がなく(無いらしく)、日常には不可欠らしい久しい内縁の「人」のみあり、もう出産は不可能な年齢。この「人」、病院へ一二度の見舞いの他は、吾々保谷の家庭に、正月「年賀の雑煮と初詣で」に、また他にも建日子と連れて時に車で訪れる以外には、老妻の手伝いを含め、一度として記憶が無い。かと雖も、建日子がまるまる「他所」で「私たち両親の曾孫」を生産などしては来れない。
* なんという薄い淡い「血縁」に、私は生まれながら見放されてきたか。
「夫妻」で無かった實の父と母とに生まれ、共に無縁の他家に育てられた「實兄」は、世間へ出て活躍していながら、五十にして自死し、「甥」の一人も、若くしてはるかなウイーンで自死したという。
もう一週間と待たず満八十七歳になる私は、もとより「自死天上」を望んでいない、が、満たされた幸福を心合わせて共有できずそれぞれ天外に果てた「実父吉岡恒、生母阿部ふく」のためにも、二人の血をついだ子孫の一人、私たち夫婦には「曾孫」の「便り」を携えて逝きたいとは思い続けてきた。
もし私、字義どおり「活そして躍」の生涯に「満たされない失望」があったとせよ、それは上記一事の濃密な「憂鬱」一つであると「明記」しておく。
どう払いようもなく「憂鬱」である。
2022 12/15
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (秦の、抄。水上英廣訳(岩波文庫)に依って。)
〇 ツァラトゥストラは、太陽に語り継いで、「見てください。あまりにもたくさんの蜜を集めた蜜蜂のように、このわたしもまた自分の貯えた知恵がわずらわしくなってきた。 わたしは分配し、贈りたい。人間のなかの賢者たちにふたたびその愚かさを、貧者達にふたたびおのれの富を悟らせて よろこばせたい。 夕がた、海のかなたに沈み、さらにその下の世界に光明をもたらすように。あまりにも豊かなる天体よ! わたしを祝福してください。どんな大きな幸福でも妬まずに見ることのできる静かな眼であるあなたよ! ツァラトゥストラは、もういちど、人間になろうと思うよ」
(第一部 ツァラトゥストラの序説 一 の 2)
2022 12/16
〇 やそしちと老いてし嗤ふ背ぢからの瘠せて胡座もならず仆るる
〇 坐しもならず立つにも起てず幾たびぞま転びころび老い達磨とよ
〇 もの食はで気に入り盃の一盃の酒にかしこみ仕事へ向かふ
* 清算など付かない思い患いはうち捨て、すべく、仕度くもあることへ身籠もれよと自身に仕向けている、仕向けたい。ままになる世と思わない。できない。
* 老耄制しがたく、機械は難敵のよう。困惑という姿勢を対抗の用意とし、すり抜けるようにとにかくも次なる先へ自分をほうり投げる。
2022 12/16
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、ひとり山をくだって行った。ひとりの白髪の翁が、ふいに彼の目の前にあらわれた。森の中で草の根をさがすために、聖なる庵を出てきたのだった。聖者は、ツァラトゥストラをみとめて、こう言った。「そうだ、これはツァラトゥストラだ、ツァラトゥストラは変わった、ツァラトゥストラは幼な子なった。ツァラトゥストラは目覚めた。あなたはいま、眠っている者たちの所へ行って、何をしようとするのか?」
ツァラトゥストラは答えた、「わたしは人間を愛しているのです」と。「わたしは人間たちに贈り物を與えに行くのです。」 (第一部 ツァラトゥストラの序説 一 の 3)
2022 12/17
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは森の聖者に答えた、「わたしはわずかの施し物などはしません。それほどまでにわたしは貧しくないのです。」
聖者はツァラトゥストラのこしばを聞いて笑い、人間たちのところへは行きなさるな。森のなかにとどまるがいい ! 」
ツァラトゥストラはたずねた。「聖者は、この森で何をしておられるのです。」
聖者は答えた。「歌をつくって、歌う。そうしてわしはわしの神である神を頌える。ところで、あなたは、われわれにはなんの贈物をしてくれるのかね?」
(第一部 ツァラトゥストラの序説 一 の 4)
2022 12/18
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは聖者に一礼して言った
「あなたにさしあげるような何物があるでしょう! 今はあなたから何物も取らないように、わたしを早速立ち去らせてください!」こうして二人は、少年が笑うように笑いながら、別れた。
しかしツァラトゥストラがひとりになったとき、かれは自分の心に向かい、こう言った。
「いやはや、とんでもないことだ! あの老いた聖者は。森のなかにいて、まだ何も聞いていないのだ、神が死んだ ということを。」
(第一部 ツァラトゥストラの序説 二 の 3 )
〇 「神が死んだ」 このニーチエの戦慄をよぶ宣告と確認こそが、地球と生類ことに人間に、痛切に難しい『近代』の発足だったことが、安易に言及も説明もできないが「自覚」は出来る。
「神は死んだ」のでない、
「神が死んだ」 という宣言に、足下に動く「今・現在・未来」の認識が言い尽くされる。神に信愛する人はまだまだ多いが「神は死んだ」と感じている人も猛烈に増えていよう。だが「神が死んだ」 という自覚はどうか。私は、どうか。
2022 12/19
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 杜のはずれにある最初の町にはいったとき、ツァラトゥストラは町の人たちにむかい、こう云った。
「わたしはあなたがたに超人を教えよう。人間は克服されなければならない或物なのだ。あなたがたは人間を克服するために、何をしたというのか?
これまでの存在はすべて、自分自身を乗り超える何物かを創造してきた。あなた方はこの大きな上げ潮にさからう引き潮になろうとするのか。人間を克服するよりもむしろ動物に引き返そうとするのか?」 (第一部 ツァラトゥストラの序説 三 の 1 )
2022 12/20
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちに云った。
「かつてあなた方は猿であった。だが、いまもなお人間は、いかなる猿よりも以上に猿である。
わたしはあなたがたに超人を教えよう。超人は大地の意義なのだ。
わが兄弟たちよ、わたしはあなたたちに切願する。大地に忠実であれ。そして地上を超えた希望などを説く者に信用を置くな、と。かれらは生命の軽蔑者だ。
(第一部 ツァラトゥストラの序説 三 の 2 )
〇「やそろく」を今朝あらたまの「やそしち」と歩み運びて冬至る哉
2022 12/21
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちに云った。
「かつては神を冒涜することが、最大の冒涜であった。しかし、神は死んだ。いまや最も恐るべきことは、大地を冒涜することだ。
かつては霊魂は肉体に軽蔑の眼をむけていた。--霊魂は肉体を、瘠、醜い、飢えたものにしてしまおうと思った。おお、この霊魂自身のほうが、もっと瘠せて、醜く、飢えていたのであった。
しかし、わが兄弟よ、あなたがたの霊魂も、貧弱であり、不潔であり、惨めな安逸なのではあるまいか?」 (第一部 ツァラトゥストラの序説 三 の 3 )
2022 12/22
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちに云った。
「まことに人間は汚れた流れである、不潔にならないためには、われわれは大海にならねばならない。
見よ。わたしはあなたがたに、超人を教えよう。超人は大海である。あなたがたの大いなる軽蔑は、この大海の中に没することができる。あなたがたが体験できる最大のもの、それは<大いなる軽蔑>の時である。あなたがたの幸福に対して嫌悪を覚え、同様に、あなた方の理性にも、あなたがたの徳にも嘔吐をもよおす時である。
あなたがたがこう言う時である。「わたしの幸福は何だろう!それは貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸であるにすぎない。わたしの幸福は、人間の存在そのものを肯定し、是認するものとならねばならない!」 (第一部 ツァラトゥストラの序説 三 の 4 )
2022 12/23
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
あなたがたがたいけんできる最大のものは、何であろうか?それは「大いなる軽蔑」の時である。
あなたがたがこう言う時である。「わたしの理性は何だろう! それは獅子が獲物を求めるように、知識をはげしく求めているだろうか? わたしの理性は、貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸であるにすぎない!」
あなたがたがこう言う時である、「わたしの徳は何だろう! それはわたしをいまだかつて熱狂させたことがない。わたしの善、わたしの悪に、わたしはなんと退屈していることだろう! すべては貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸であるにすぎない。」
あなたがたがこう言う時である、「わたしの正義は何だろう! どう見てもわたしは燃えあがり、燃えつきる者ではない。だが正義の人は、燃えあがり、燃えつきる者だ!」
あなたがたがこう言う時である、「わたしの同情は何だろう! 同情とは、人間を愛する者がはりつけにされる十字架ではないのか? だがわたしの同情は、すこしもわたしを十字架にかけない!」
あなたがたはすでにそう言ったか? すでにそう叫んだか?
ああ、あなたがたのそうした叫びを、わたしがすでに耳にしたことがあったら!
(第一部 ツァラトゥストラの序説 三 の5 )
2022 12/24
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちに云った。
「あなたの罪が天の審きを求めて大声をあげているのではない。叫んでいるのはむしろあなたがたの自己満足だ。あなたがたの罪のけちくささそのものだ!
だが、その舌であなたがたを焼きほろぼすような稲妻はどこにあるのか? あなたがたに植えつけられなければならない狂気はどこにあるのか?
(第一部 ツァラトゥストラの序説 三 の6 )
2022 12/25
* 夢で、唱歌を評論為続けていた。「雨、雨 降れ降れ 母さんの蛇の目でお迎え 嬉しいな」「あれあれあの子は ずぶ濡れだ 柳の根方で泣いている」「母さんぼくのを 貸しましょか きみきみ この傘 さしたまえ」」
わたしがこの唄を、幼少の昔、どんなに憎むほど嫌ったか、人は知るまい。
わたしには、こんな「母さん」を「生まれながら見喪って」いた。雨に降られ、濡れて泣いている方の「あの子が自分」という自覚に屈していた。「ボクならいいんだ 母さんの 大きな蛇の目に入ってく ビッチビッチチャップチャヤップ ランラン」がうらやましさにこの唄を憎んで啼いた。こう書いている今、「やそしち」の「爺」が、愚かしくも涙をいっぱいに目に溜めている。
むごいと思う童謡が、幾つもわたしには、在ったのだ。「青い月夜の浜辺には 親を尋ねて啼く鳥が」とか。
* かと思うと、歌詞の佳い歌を夢中、探していた。「磯の火ほそりて更くる夜半に 岩打つ波おとひとり高し」「とまれる友船ひとは寝たり たれにか語らん旅のこころ」のことに歌詞前半を、少年のわたしは「音」楽の「詩」「うた」として絶賛していた。
「音」「韻」の濁って強張った日本語を「うた」に持ち込んだ例をつよく嫌った。
私の和歌・短歌「批評」の根底が、幼少の感性で生まれ育っていたのだ。
2022 12/25
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちに云った。
「見よ、わたしはあなたがたに超人を教えよう。超人こそ、この稲妻、この狂気なのだ!---
ツァラトゥストラがこう言ったとき、民衆のなかの独りが叫んだ、
「綱渡り師についてはもう十分に聞いた。さあ、実際にやって見せてくれ!」
それを聞いてすべての民衆はツァラトゥストラを笑った。しかし、綱渡り師は自分を指して言われたのだと思って、さっそくかれの芸当にとりかかった。
(第一部 ツァラトゥストラの序説 三 の7 )
2022 12/26
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちにこう言った。
人間は、動物と超人とのあいだに張りわたされた一本の綱なのだ。---深淵のうえにかかる綱なのだ。
渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。
人間における偉大なところ、それは彼が橋であって、自己目的ではないということだ。人間において愛さるべきところ、それは、かれん゛移りゆきであり、没落であるということである。
わたしが愛するのは、没落する者として以外には生きるすべを知らない者たちである。かれらは。彼方へ移りゆく者たちであるからだ。
わたしが愛するのは大いなる軽蔑者たちである。なぜならかれらは大いなる尊敬者でもあり、かなたの岸へのあこがれの矢であるからだ。
ツァラトゥストは さらにがこう言った。 (第一部 ツァラトゥストラの序説 四 の1 )
2022 12/27
* トルストイの映画『戰争と平和』 ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』
比較を絶した大作家。シェイクスピアだけだろう、並びうるのは。
2022 12/27
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちにこう言った。
わたしが愛するのは、おのれの没落し,犠牲となる理由を、星空のかなたに求めることをしないで、いつか大地が超人のものとなるように大地に身を捧げる人たちである。
わたしが愛するのは、認識するために生きる者、いつの日か超人があらわれるために認識しようとする者である。こうしてかれはおのれの没落を欲するのだ。
わたしが愛するのは、超人のために家を建て、超人のために大地と動物と植物を準備しようと働き、工夫する者である。なぜなら、こうしてかれはおのれの没落を欲するのだから。
わたしが愛するのは、おのれの徳を愛する者である。なぜなら徳は、没落への意志であり、あこがれの矢であるから。
わたしが愛するのは、一滴の精神もおのれのために残しておくことなく、まったく徳の精神そのものになりきろうとする者、こうしてかれは精神の霊として橋をわたってゆく。
わたしが愛するのは、おのれの徳を、おのれの執着、おのれの宿命にしてしまう者、こうしてかれはおのれの徳のために,生き、また死ぬのである。
ツァラトゥストは さらにがこう言った。 (第一部 ツァラトゥストラの序説 四 の2 )
2022 12/28
* 『ツアラトゥストラ かく語りき』を、わたくしはまだ何も理解できていない。呼び掛けてくる「声」に惹かれてただその「言うこと」聴いている、いつか何かが「来る」かと冀いながら。すくなくも、聴いて応じている自分の動悸を自覚して居る。
2022 12/28
* 書きついでいて、かなり進んでいたのに他にあれこれ追われ中途になっていた小説を,慎重に読み返してきて、なかば。思いのほかマゴついてないのに、やや気をよく、いや安堵している。このまま書き次いで行く。も一つ、やはり幾分見当も付けて進んでいる作も有るが、それにはも少し待って貰うか。新しくテを架けておきたい想いもあるので。 2022 12/28
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちにこう言った。
わたしが愛するのはあまりに多くの徳を持とうとしない者だ。一つの徳は二つの徳にまさる。なぜなら一つの徳は、宿命が引っかかる、より大きな結び目だからである。
わたしが愛するのは、その魂が気前よくできている者だ。ひとから感謝を求める気持もなく、返礼など知らない者、というのは、かれはつねに贈物をするのであって,自分のために何一つ残して置こうとしないからである。
わたしが愛するのは、幸運な采の目がろがりこむと、これを恥とし、自分の賭博は不正だったのではないかとたずねる者だ。 なぜなら、かれは没落を欲しているからである。
わたしが愛するのは、自分の行為にさきだって黄金の言葉を投げ、自分の約束よりもつねにより多くを果たす者だ。なぜなら彼は没落を欲しているからである。
わたしが愛するのは、未来の人々を正当化し、過去の人々を救済する者だ。なぜならかれは現在の人々によって破滅しようと欲しているからである。
わたしが愛するのは、、かれの神を愛するがゆえに、その神を懲らしめる者だ。なぜならかれはかれの神の怒りによって破滅しなければならないからである。
わたしが愛するのは、その魂が傷つくことにおいて深く、小さな体験でも破滅することのできる者だ。こうしてかれはすすんで橋をわたって行く。
ツァラトゥストは さらにこう言った。 (第一部 ツァラトゥストラの序説 四 の3 )
2022 12/29
* ニーチチエは、あたまから敬遠してきた。『この人を見よ』にとりついたのも何と「やそろく翁」としてで、やっとこさ『ツアラトゥストラ』へ、いま、抱きついた次第。関心か。好奇心か。ただに読書欲か。読んでみたくなった、と謂うことだろうが。だが惛い深層から立ち上ってくる煙か霧かのように、いま、わたしは手招きされている、ツアラトゥストラに。天の人らには「まあだだよ」と返事し続けねばならない。
2022 12/29
* けさも五時起き。
夢には、戦時の唄、ことに「父・夫」や「兵隊さん」への唄に怒りまくっていた。これはもう何度も同様に書き置いたこと。「父よ、あなたは強かった」「勝ってくるぞと勇ましく」等々。
「兵隊さんよアリガトー」の「よ」の語感に不快を覚えた少年時代があった。
明日の命も知れぬ野戦の兵士が、「夢に出てきた父上に死んで帰れと励まされ」るなど、そんな「父」がいるものかと絶対に少年・私は拒絶し、怒った。
「勝ってくるぞと勇ましく誓って國を出たからは、手柄たてずに死なりょうか」が本音なものか、「進軍喇叭聴くたびに、瞼に浮かぶ母の顔」こそと、ぜったい「兵隊さん」になりたくなかった私は、卑怯に臆病な非国民であったのだろうか。それは、永い青年期まで私の抱えもった公案のようであったよ、そして「小説を書き」始めたのだった。
2022 12/29
* 身辺を少しでも片付けたいと積み重なった箱、箱を点検すると、未発表のまま積み余した生原稿などが、ドヒャどひゃ遺っていたのに顔を渋くした。どうすりゃいいのさという唄があったなあ。受け取った書翰の山にも愕く。捨てては成らない物も多く、選別に弱る。結局そのまま残してしまうのか、来年の今日には、ハテ、どんな山が積んでいるか。
2022 12/29
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 ツァラトゥストラは、さらに、町の人たちにこう言った。
わたしが愛するのは、その魂がみち溢れるほどの豊かさで、そのため自分自身を忘れるにいたり、一切の事物がかれのなかにあるという者だ。こうして一切の事物がかれの没落となる。
わたしが愛するのは、自由な精神と自由な真情の持主だ。かれの頭脳はたんにかれの心情の臓腑にすぎない。そして心情はかれを没落に駆りたてる。
わたしが愛するのは、人間たちのうえにかかっている暗雲から、一しずくずつ落ちてくる重い雨滴のような人々である。かれらは稲妻がくることを告知し、告知者として破滅するのである。
ツァラトゥストラは、言う。
見よ、わたしは稲妻の告知者であり、雲から落ちる重い雨滴である。そして、この稲妻の名こそ、超人なのだ。 (第一部 ツァラトゥストラの序説 四 の4 )
2022 12/30
* 書き継ぐべく読み返している小説の新作は、期待と自負とを動員して謂うなら、或いは晩年を光らせる力作になるかもと気が入っている。とはいえ、胸の内の勘定ではやっと半途かとも、とすると、アト道はよほどに険しい。よろけずに踏み分けて行かねば。幸いに正月になる。「湖の本」の作業も今分は印刷所に預けてある、その間を活かさねば。ここへ集中し、シカと想い、シカと書き継ぎたい。
2022 12/30
* よく想えば、落ち着いて安堵の息のつける歳末でなかろうか。これでいいのかと想うほど目前の難題も不始末も無い。つかれてはいるが、これは、老耄の平常と謂うまで。
穏和に歳をこしたい、そう願ながら、すべきをして、明日歳末を、あさって正月新年を迎えたい。
コロナを案じて、かつて無かった、新年の雑煮をたけひこたちと祝えない。あえて,仕方なしと諦めて、それよりも無事を祈り願うのみ。妻と二人だけでのお正月、想えば東京へ来た明くる年、まだ朝日子の生まれる前の春だけか、いやいや、あの年も新門前へ帰っての両親や叔母と一緒のお雑煮だったろう。と、全く初めての二人だけのお正月になるか。ただただ誰も皆の無事安堵の春を祝いたし。
2022 12/30
◎ ニーチエの『ツァラトゥストラ』に聴く (水上英廣訳(岩波文庫)に依り秦文責の抄出)
〇 これらの言葉を語り終わったとき、ツァラトゥストラはふたたび民衆を眺めて,口をつぐんだ。
「かれらはっている」とかれは自分の心に言った。「かれらは笑っている。かれらはわたしの言うことを理解しない。わたしはこれらの耳に聞かせるための口ではない。」
「れらには、その誇りとするものがある、それをかれらは、教養と呼んでいる。それならこんどはわたしは、かれらの誇りに訴えて、語ってやろう。
かれらに最低の軽蔑すべき者のことを話してやろう。すなわち、「おしまいの人間」たちのことだ。」
こうして、ツァラトゥストラは民衆にむかって、つぎのように言った。
見よ! わたしはあなたがたに「おしまいの人間」を描いて見せよう。」 (第一部 ツァラトゥストラの序説 五 の1 )
2022 12/31
〇 カーサンいてタケヒコがいて「マ・ア」ズいて 天地神明 幸せであるよ
2022 12/31