* 謹賀新年 二○○五年 (平成十七年) 土 元旦
百禄是荷 手にうくるなになけれども日の光 六九郎
雪といふ不思議なもののふる我ぞ 恒平
あけぼのは春と定めてためらはず 湖
ご平安・ご多祥を祈ります。
歳末、六十九歳になりました。今年は、六十の坂を登りつめます。
年頭の感慨とて、ありません。昨日が今日に。慶びはそれで十分。
何病息災か知れませんが、われわれ夫婦も、相変り無い翁嫗です。
今年も、どうかよろしくお付き合い下さい。
West-Tokyo Hoya e-OLD 湖(うみ)の本 秦 恒平
2005 1/1 40
* 君がため。 風音激しい雨がいっとき暴れた人日に、
カナリヤの餌に束ねたるはこべかな(子規) の句を見つけました。飼っていた十姉妹やカナリヤのために、帰り道に草摘みをした幼い日のことを思い出しました。除草剤の心配が要るようになる時代の入り口でした。
今日は、まさしく「わがころもでに雪…」。
そちらも冷えているでしょう。どうかお大切に。 雀
* 昨日七草の節会だと、ひとしお時にかのうた。光孝天皇はこの歌ゆえに永遠である。神代の気品がある。「きみがため」はもう一首「惜しからざりしいのちさへながくもがなとおもひけるかな」の藤原義孝がいる。この切情もいい。
わたしに題もあつかましい『秦恒平の百人一首』(平凡社)があった。あれは作者略紹介だけ追加して早めに「湖の本」に入れたいのだが、逸機を重ねてきた。ピンからキリまで私の好み一つで一首一首を批議したもの。来年の正月には間に合わせたいが。
2005 1・8 40
* 成人の日なんて、なにも感じなかったし記憶もない。大学時代の途中というだけ。どんな二十歳であったのか。盲腸の手術をした年か。ひとりの汽車旅で九州まで各駅停車に乗った年か。十九、二十歳の頃、こんな歌が歌集『少年』にのこっている。
たちざまにけふのさむさと床に咲く水仙にふと手をのべゐたり
日ざかりの石だたみみち春さればわがかげあかし花ひらく道
踏みすぎし落葉ばかりをあはれにて歌の中山夕ぐれにけり
夕月のかたぶきはててあかあかと遠やまなみに燃えしむるもの
山のべは夕ぐれすぎし時雨かとかへりみがちに人ぞ恋ひしき
ぐわっぐわっと何の鳥啼くわれも哭くいさり火の果てに海の音する
2005 1・10 40
* 今朝方、目覚めて時計を見ると、起きるに早く、小一時間はぬくぬくと朦朧と夢うつつに、今度の「湖」は何が出るのかしら、と。
平凡社の『百人一首私判』、あれはたしかまだだったけれど、あの類いは、大抵年末に出る本やから、歳明けでは六日のあやめ、十日の菊になるから、違うやろなあ。
今年の近江神宮での歌留多取りクイーンは連続クイーンのお姉様を抜いて、気迫充分の中学三年の子やったけど、そうそう、私の中学三年間も一月から二月にかけては、友達やら家族と歌留多取りに夢中だったんだわ。外で腕を磨いていたから、家では父を唸らせたなあ。今はあれ程覚えていないかも。
一枚札の「むすめふさほせ」には皆の熱気が集中したし、意味をろくに解せず、十八番をそれぞれに持っていたけれど、いくらオクテでも、いやに、こひ、こひの字の多いのには、気が付いていたなあ。
一等好きだったのは、純白な少女(笑うな! 当時はそうやったから)の心をうっとりとさせた「心あてに、折らばや折らん初霜のおきまどわせる白菊の花」、心で始まるもう一首、「心にもあらで・・・」もついでに十八番にしておいた。
「みかきもり・・・」は二番めに好きだった。
とにかく、当然、京都、奈良の周辺、見知りの土地名の詠まれているのが、馴染み易かったのでは。京の昼寝。
今「みかのはら、湧きて流るる泉河、いつ見きとてか恋しかるらん」に心を奪われ、そして、和泉式部の歌を送ります。
あの本は解説書ではなく、私判であるのが、マニヤックな本といえますね。あなたは小学生、私は中学生の頃だったけれど、似たような思いもあって、フフフと笑いながら、読み直しています。
一言。 主婦業に満ち足りていてめでたいとは、見当違いです。
普通、四十五年もやってきた主婦業が、今も楽しい筈はありません。日常茶飯事、味気ない作業です。ただ、生きる為に、まだ放棄できないだけです。
ご飯のスイッチがもう入れてあるけれど、ほら、もう夕食の用意の時間でしょ。京都市
* 百人一首で誘惑されるとそぞろ心うごくけれど、いま、ピンと頭へくる一首をいえば、とてもそんな、なまめかしいものではない。
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわがみなりけり 入道前太政大臣
いま一段、俗をあらわしていえば、
山里は冬ぞさびしさまさりけるやはり市中がにぎやかでよい 太田蜀山人
2005 1・24 40
* 高校二年頃、角川文庫が創刊されてまだピカピカの頃、なけなしの貯金をはたいて高神覚昇という人の『般若心経講義』一冊を買った。昭和二十七年暮れか翌新春に買っている。今、背は、ガムテーブで貼ってある。表紙の角はちぎれ総扉も目次も紙が劣化してぼろぼろ、全体にすっかり赤茶けている。
この本について思い出を語り出せばながい話になる。
よく読んだ。一つにはこれがたしかラジオ放送されたそのままの語りで、姿無き多数聴衆を念頭に話されているため、耳に入りやすい譬えや説話がふんだんに入っていて、高校生にも読みやすかった。
一つには、日吉ヶ丘という、頭上に泉涌寺、眼下に東福寺という環境に人一倍心から親しみを感じていたわたしは、知識欲にもまたもう少ししんみりとした感触からも、しきりに鈴木大拙の『禅と日本文化』だの、浄土教の「妙好人」だのに関心を寄せていたのだった。社会科の先生の口癖のような倉田百三の、たしか『愛と認識との出発』や阿部次郎の『三太郎の日記』なども覗き込まぬではなかったが、同じなら同じ倉田の戯曲『出家とそま弟子』にイカレてもいた。
もう一つは、まだ仏典に手を出す元気はなかったものの「般若心経」とだけは幼くより仏壇の前でワケ分からずに親しんでいたという素地があった。あのチンプンカンプンに少しでも通じられるならばと、勇んで『般若心経講義』を自前で買った、その本が、いまこの機械のわきに来ている。高神覚昇のことは皆目識らないも同じだったし、今も同じだ、が、この文庫本からは多くを得た。ことに知識欲に燃えていた少年は、講話もさりながら、佛教の理義に触れたいわゆる「註」の頁にそれは熱心に眼を向けた。感じるよりも遥かに識りたがっていたのだ、何でも彼でも。
泉涌寺の来迎院で、「朱雀先生」や「お利根さん」、わけて「慈子」と出逢った少年の学校鞄には、まさしくこういう知識欲も、詰まっていたのだった。
青竹のもつるる音の耳をさらぬこの石みちをひたに歩める 東福寺
ひむがしに月のこりゐて天霧(あまぎ)らし丘の上にわれは思惟すてかねつ 泉涌寺
十七歳の高校生が、まさにこの頃から短歌をわがものにして行った、いつしかに小説世界へ心身を投じてゆく、前段階として。『般若心経講義』を読んでいたのと、こういうわが『少年』の歌とはひたっと膚接している。
そして四十、五十年。わたしはバグワンの『般若心経』になかなか落とせなかった眼の鱗を幾つも落とせたと感謝している。
2005 1・28 40
* 鴉さま メール、ありがとうございました。委員会にでかける刻限でしょうか? 雪が積もったりしましたが、今日の東京はいかが。あまり寒くありませんよう、花粉が飛び散りませんよう。
「老け込んでバサマになってはいけません。・・逆に年を取ってゆくこと。」と書かれていて、それが今のわたしには痛切に響いてきます。理由も可能なら説明してほしいのですけれど・・。
「老け込んでジサマになっては駄目、逆に年を取っていきましょう。」と、わたくしもエール送ります。
今のわたくしは・・想像されるとおり、きっと老け込んでいます。父が死んだ時、もう十六年半になりますが、もっと鋭い悲しみと、突き上げてくる痛さに泣きました。母が死んで・・時折こみ上げる感情と涙はありますが、人から見れば、きっと平常のように食べて眠って暮しているように思えるでしょう。時間が過ぎるのをじっと耐えているようで・・それでも細かな用事も予定もありますから。説明しがたい皮膚の荒れた症状と、一種の「退行現象」・・気力の衰え、欠落に苦しんでいます。
バサマにならないように、気概をもっていきたい、まだ弱い声しか出せないけれど、誓います。
中陰のうちも動いています。昨日メールを戴いたのはバスツアーの帰りの車中でした。飛騨と富山の五箇山、金沢を廻りました。
16日から姉夫婦とインドに行きます。二つとも1月から2月初めに予約してしまった旅です。インドには初めは2月16日出発を申し込んで、座席が取れず三月を予約・・結果的にはそのために母の葬儀に不参などということにならずにすみました。父や母の遺灰や髪を少しですけれど ガンジス川に流したいと姉が言っています。供養の旅にするつもりです。インドから戻って、四月三日の納骨には静岡に。
梅も桜も、今年は無常の思いで眺めることになりそうです。
書きたいこと、多くありすぎて・・。 鳶
* いまもペンの事務局から或る委員の訃報が送られてきた。風立ちぬ、いざ生きめやも。また胸に蘇る…
手に享くるなになけれども 日の光 湖
2005 3・7 42
* 常楽会 梅原さんは佐渡のお寺で御覧になったとのことですが、鈴鹿の龍光寺にもあるそうですの、猫のいる涅槃図。
あと一幅、真如堂でしたかしら。
猫もきて釈迦を弔うめでたさや 梅原猛
夜更けから水蒸気が立ち上り、朝霧となりました。暦は「菜虫化蝶」。
うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉 (蕪村) の句がそえられています。今月初めには、やはり蕪村の
細き灯に夜すがら雛の光かな も書かれていましたの。“春のひと”って感じですわねぇ。ケシカランジイサンは。
花粉、どうかお大事に。 雀
* 梅原さんの句は弔うだのめでたいだの、あらわでいけない。
猫もきて涅槃のはるに顰みたる で、どうだろう。
蕪村にはとてもかなわない。「つまみごころ」の句は「あやつり春風馬堤曲」やその他にも、ひとくさり弁じるところがあったけれど、「雛の光」は読みおとしていた。これはまあ、たしかに「ケシカランジイサン」で。この句ひとつをみてもわたしの蕪村の読みは適切であったように思われる。なんという「ケシカランジイサン」なれど、なんという佳い句だろう。「ほ、ひ、ひ、ひ」とうち続く優しい音楽、「夜すがら」というぞくっとくる色気。参りました、まなびたい、この風情。
* 正直に言って、六年前にはじめてメールをもらったころのこの未知の読者が、かくも風情の佳いメールの書ける人とは思いもしなかった。渋谷新宿ふうの素っ頓狂だろうと思っていた。
2005 3・16 42
* 以前、「ペンの日」であったか、会場で、ある俳人から「電子文藝館」に作品を出したいと希望があり、あらためて奨めたところ、師匠の出稿「許可」を得なければならないと返辞があり、のけぞるほど愕いた。かりにも日本ペンクラブの会員が、自作の発表に一々「師匠の許可」を要するとは何事かと、呆れてしまった。俳壇や歌壇にかなりの知人をもっているわたしも、こういう例には出会っていない。
で、その人のことも忘れてしまっていた今日、手紙が来てまた仰天した。
「(前略)実はこの度、私は先生(=師匠)より俳号を先生に返すよう命じられました。四年間先生に指導を素直に受け、先生の怒ることをしたおぼえがないのですが。
今後いかなる雑誌、本に発表禁止、ペンクラブの会員証を先生に返すこと、以後先生の紹介した人及びその紹介者を通じて知った人には会ってもいけないこと、あらゆる会に出席禁止。
大変驚き、このあまりに暴力的要求に、とうてい承服出来ず、今後は自分の考える道をひとりで歩んで行く決心をいたしました。(後略)」
唖然とし、ひょっとしてこの手紙の差出人がどこかおかしいのだろうかとさえ思ったけれど、有るんだろうなあこういう権力支配の後進性がと、夥しい結社のネットを思い浮かべ憮然とし、言葉を喪った。古くは、破門ということがあり、虚子による女弟子のそれが有名であったが、なるほど、今も有りそうに思われる。主従のケンカ沙汰はいろいろ耳に届くといえば届くなあと思い当たる。それにしても上の例は凄まじいではないか。こういうのは「支配」そのもの。
* 今大話題のホリエモンが口にした「支配」は、こういうスカタンな支配ではない。そもそも支配という言葉は今でもホテルの支配人などというように通用しているし、江戸の幕府では勘定方支配だの若年寄支配だのとふつうに用いていた。経済用語だとホリエモンは言う。そう思う。ま、少なくとも上の俳句の師匠が、女弟子にむかい日本ペンクラブの会員証も自分に返却せよなどという馬鹿げて傲慢な支配欲とはべつの意義で用いられている。
2005 3・17 42
* 紅椿 紅やゝぬけてかはゆしと便座に居りて穏(おだ)しき朝よ 遠
* 妻も、六十九歳。花をみにゆく。
2005 4・5 43
* 高田欣一様
今度の(通信の)西行論 ひときわ面白く、今までの中でも突出して面白く読みました。西行という人は歌が佳いので、自然、その歌を引用されての議論は読み手を惹きつける徳があるのでしょうか。かなりの分量の論ですが、長いとも煩うことなく、花粉症の眼をしょぼつかせながら一気にずんずん読みました。ありがとう御座いました。
和歌で用いる「人」ということばは恋人のような「特定の人」をさす、とばかりは言いにくいと思います。
「ひと」は、だいたい「他人」「他者」を意味していたように思います。「世をうぢ山と人はいふなり」「夢の通ひ路人目よくらむ」「人に知られでくるよしもがな」「人目もくさもかれぬと思へば」「ものや思ふと人の問ふまで」「人づてならでいふよしもがな」のように。「他人事」を、「たにんごと」などとばかげた読みをこのごろの人はしますが、むろん「ひとごと」ですね。例の谷崎の、「われといふひとのこころはわれひとり」などと「人を我と」示す例は稀少のようです、いえ、めったに無い。「人をも身をも恨みざらまし」のように、自分のことは、「われ」のほかは「身」が普通でしたから。そして、この「人」など、特定の恋しい誰かに宛てて読むのがむしろ自然ですね。
高田さんのいわれるように、「ひと」を読む魅力はなかなかのもので、可能性も、実例も「いでそよ人を忘れやはする」「うかりけるひとをはつせの山おろしよ」「来ぬ人をまつほの浦の」など多々あり、和歌を読む楽しみが増えます。「人には告げよ海士の釣舟」「人知れずこそ思ひそめしか」「人こそみえね秋は来にけり」「人こそしらね乾く間もなし」「人もをし人もうらめし」などを、恋しい人かのように読むと、がぜん歌の面白さが物語めいてきますものね。
おなじように、「世」も、根は、男女の仲にあると、私は、読んできました、好色一代男の「世之介」という名にまで伝わる伝統としても。「よのなかはちろりにすぐる ちろりちろり」の「世間」もそう読んでこそ、幾重にもこの室町小歌は面白く生きてひびくものとも。
いろいろ想って、楽しんで読みました。
またまた読ませて下さい。 お元気で。 秦 恒平
2005 4・6 43
* 酒も呑み夜桜にも手をふれて、帰ってきた。ペン本部のちかく、茅場町の地下鉄からまっすぐ、桜並木が望外の満開、ひっきりなしの自動車がなければ恰好の花名所。谷崎ゆかりの坂本小学校や、わきの小公園も。兜町の帰りは、地下鉄だけではつまらないので、地上の電車で、沿線の花、花、花の影も楽しんだ。
花は春 春はさくらに匂ふ夜のうらがなしもようつつともなく
関の扉をくぐれば闇に雪とふる桜のいろのゆめかうつつか
久しかった肩の荷を下ろせるかも知れない。とにかくその時までのこりの仕事を仕遂げておきたい。
2005 4・8 43
* 春ですね 秦先生 この週末は、お花見日和でしたね。
花だけでなく、鮮やかな若葉もいっせいに吹き出して、目がくらむほどのまばゆさです。
ご存知ですか? 鎌倉の山は吉野ほどではないにしても、山桜が多く、この時期は山が白くなります。市の木は山桜に指定されているくらいです。
年齢(とし)のせいでしょうか、今年はいつもにも増して、春の息吹を「美しい」と感動します。ここ数日、京都に奈良にと飛び回り、東京出勤の日も陽のある時間にはなかなか体が空かず、挙げ句の果て、せっかくの土曜日である昨日は学会誌の編集委員会があり、よりにもよって担当号で一日拘束と、なかなか花を愛でられません。編集委員会
くらいは早く帰りたいと思っていましたのに、会議が長引きはじめた時は、思わず殺意を覚えたくらいです。なぜだか不思議なくらい今年は「花は盛りに」見たくてたまらず、いま見逃したら、もう取り返しがつかないような気がしてならないのです。段々と取ってきた年の故(せい)で、「生命」への感動が大きくなってきたからでしょうか。
せめても花を見たい、と、電車も新幹線もひたすらに窓際に座り続けたりしています。
いのち、といえば、先日俵万智さんの記事を日経で読み、初めて彼女の歌に涙しました。
万歳の姿勢で眠りいる吾子よ そうだ万歳生まれて万歳 俵万智
俵万智もここまで来たのだな、と。(えらそうな言い方ですけど。)
実は、彼女の歌にも未婚の母という生き方も、それほど強く共感したことはなく、特に彼女の歌は口当たりはよいのですが、詠まれている思いや表現が皮相的な気がしていたのです、が、その彼女がついに感情ではなく、いのちを歌いはじめたな、と。
「そうだ」が効いていますね。「その通りだ」とも読めるし、「そうだったよね」とも読める。「その通り、その通り、よく生きていってね、イケイケドンドン」とも読めますし、一方で、何か辛いことがあったのかもしれませんが「そうだ、あなたが生まれたこと万歳と思っているのよ」と心を新たにしているような。
母になると、詠み込む感動も色濃く深くなるのかもしれません。受け手のほうも。
もう一つ、命の喜びに関連して。
先生のHPで**君が結婚したことを知り、なんとも言えずほっとしました。彼とは直接知り合いではなかったのですが、共通の知人が数人いて、その人柄を聞いていただけに、よい方と巡り会って結婚されたと知って、心の中
にぽっと明るいものが灯りました。
花粉症も治まりつつある頃でしょうか。よい春をお過ごし下さいませ。 鎌倉
* ある日の教授室へ、このメールの人がひょっこり訪れてくれて、これからさき社会に出ての希望の仕事などを話してくれていた。いつものことで、他に男子学生が三四人いて、彼等がさかんに挑発ぎみに彼女に尋ねたり批評したりするのだが、この人、一騎当千揺らぐこともなく応対して男どもはやがて沈黙、そんなときわたしは、だいたい口出ししないで行司席に腰掛けたままおもしろかった。文化財修復等に自身の専攻学問をきっと生かしてよい仕事が出来るとこの人はほぼ姿勢を決めていて、それが今にその通りに繋がっている。結婚して姓も変わり子供も出来てとても大切に愛しているいいお母さんだが、わたしはその学生時代の姓も、アイサツに書かれてくる鉛筆の文字の感じも忘れていない。しかし、たとえ道で会っても、とてもわたしからは分からない。
あの日の教授室にはその**君がいて、彼がいちばん元気に彼女を質問攻めにしていた、昨日のことのように、懐かしい。まるで無縁だった二人かと思っていたので、メールに、思わず微笑がもれた。
* 俵万智といえば、先日の理事会で隣り合い、わたしの教室にいた彼女の弟が、七ヶ月ほどの赤ちゃんの父親になっていることや、かつて、つかこうへい氏がらみに少し縁のあった息子建日子の仕事ぶりに、彼女の方から触れてくれていたことなど思い出す。しかし俵さんの私生活のことなどは何も知らなかった。挙げてある短歌一首の風も表現もさほどむかしと変わった感じはもたないけれど、そして事情を知らなかったら、むかし架空の恋唄時代からいま架空の母親時代へ移動したのかな、などと想ったかも知れない。お互いにとしをとったと想ったかもしれない。質感のある大人の生命感がいつまでも芽生えない歌だなあと想ったであろう。
2005 4・10 43
* 昼過ぎにふらりと出て、神楽坂で、京の北大路に本店のある少し凝ったラーメンを食べ、隣の、やはり少し凝った喫茶店でレアチーズのケーキを一つとり、うまいコーヒーをゆっくり。
神楽坂は、われわれが東京へ出て来た最初におぼえた小粋に静かな商店街だったが、いまは若い人達むきの店でいっぱい、人気のスポットになっている。毘沙門天に参り、坂をひとわたり登ったり降りたりして、飯田橋から市谷までの西濠公園、土手の桜や、濠の向こうのながい桜並木を見歩いてきた。法政大学のまえで写真も撮った。土手の桜はもうなかば散って、なお花吹雪。おだえなく散りついでいた。有楽町線市谷からまっすぐ保谷に帰ってきた。保谷にもあちこちに大きな佳い桜が咲いている。
* さめざめと泣くおもひして目薬は頬をつたへり憎き花粉よ 遠
2005 4・10 43
* 伊勢うつくし逢はでこの世となげきしかひとはかほどのまことをしらず みづうみ 2005 4・12 43
* 「今日の歌 万葉集2391 巻十一」というメールが来て、おやおやと。しらべてみると、こうある。
(たまさかに 昨日の夕 見しものを 今日の朝<あした>に 恋ふべきものか・・)と。初句の読みには異説もある。
昨日や一昨日にこういうだれとも逢っていない(出光を見て鰻を食った卒業生クンにはこういう真似はゼッタイ出来ない。)からビックリだが、これも誘われているのだろうと拝誦。
こういう際に返辞をするなら、たとえば、すぐお隣2392の歌など、いい。
(なかなかに 見ざりしよりも 相見ては 恋しき心 増して思ほゆ)
万葉集をこういうふうに現代の人が恋文に利用した例はいくらも有る。研究者の手で歌に番号がつけられ、番号が今では確実に確定しているので、容易にその歌番号だけを言ってやれば、(万葉集を手元に備え持った同士なら)気持ちがすぐ伝わる。
手当たり次第に頁をめくって、例えばわたしから、 2723 と伝えられるような相手がいれば、けっこうなんですがねえ。歌は、
(あまたあらぬ 名をしも惜しみ 埋もれ木の 下ゆぞ恋ふる 行くへ知らずて)
たいした名でもない名を惜しんで埋もれ木のようにひっそりと恋いこがれていますよ、先行きも知れないのに、と原歌は歌っている。「もの」に寄せて思いを表した歌の多い巻十一の歌で、この歌は「埋もれ木」に寄せている。「埋もれ木」か。ウン、これはいいかも。
2005 4・18 43
* いいお天気ですね、お変わりありませんか。
いま、昼休みです。
先日のお誘いはやんわりと断られましたが、私は簡単にあきらめませんので(笑)。
でも、花盛りを「執拗に追いたくない」には、ちょっとこたえました。
「閑吟集」も読み始めました。13番やはりいいですね。 ゆ
* この頃、お寺のながい石段も堪えるようになっているので、「山」登りというのに、ヘキエキしました。
閑吟集の 13 は、……よしそれとても春の夜の 「夢のうちなる夢なれや」 の一句に凝縮。
閑吟集の魅力は、やはり室町小歌のいろいろに。例えば一つ。96番。 め
* 96 ただ人は情あれ あさがほの 花の上なる露の世に
* 13 の「夢なれや」の「なれ」は読み落としがちな含みをもっていて、これは「夢であれ」「夢であっていいのだ」「夢なんだ」「そうだ」と漸増する希望や期待や覚悟や観念を滲ませている。
漠然とした不審や疑念ではなくただの情緒でもない。
2005 4・21 43
*「私語」を整えていてこんな歌を書いていたのにぶつかった。忘れかけていた。
伊勢うつくし逢はでこの世となげきしかひとはかほどのまことをしらず みづうみ
この数年に、私語やメールにかなり数多い、出たとこ勝負のようなこんな歌や句を書き散らしてきた。口をついてぞろぞろ出来てくるのは、谷崎派らしきこれも「汗」のようなものか。「ひとは」は、ここでは「大概な人は」の意味でも「あなたは」の意味でもいい、それが日本語の「人」の意味である。
「大概な人」にも「あなた」にも、だれでも成れる。成り変われる。それが人生だ。
2005 4・29 43
* 花ぬけし濃みどりの葉の椿の葉うつくしければ目(ま)じろぎもせず 遠
* 赤い椿は手洗いの白い陶にぬけ落ちていても美しい。一重の花芯だけを残した濃い翠の葉。ひとしお美しい。
2005 5・1 44
* 昨深夜、二三年前にある女性詩人に貰った二冊の詩集を懐かしく読み返していた。
* 鋏
いままで見えていたものが
どこへ行ってしまうのか
忽然と姿を消してしまうことがある
それはたった一つの装身具であったり
生活の調度品であったり
あたたかな思いであったりする
在ることが当然であったときから
もはやないことが当然であるように
日常の心を変えていかなければならない
それはやわらかな春の日から
突然の汗ばむ日のために
衣服を脱ぎ捨てる程度のものではない
庭のバラの花を切り落とすように
何もかも断ち切る鋏があったとしても
私はそれを使いこなせない
夏がそこまで来ているというのに
色あせたままの洋服一枚さえ
まだ脱げないでいる
* 詩はむずかしいが、ときどき、詩人とのいい出逢いがある。
2005 5・1 44
* 布川鴇会員の詩稿十数編を入稿した。しっとりとした佳い詩に思われた。
* 今日ものんびり過ごした。
2005 5・1 44
* 藤田湘子さんが先日なくなった。主宰された「鷹」とはお付き合いが永い。わたしがまだ私家版の頃、作家以前、編集者として板橋の日大病院小児科へよく通っていた昭和四十一(1966)年に、医局で知り合った広澤元彦先生に頼まれ、「石と利休の茶」と題した原稿を書いた、あのときが出逢いだった。湘子さんとは、本のやりとりがずうっとあったけれど、ついに一度もお目には掛からなかった。
似たことは誰にも言えて、けっこう何人もの方と知り合いながら、顔を合わすことはわたしの方でしなかった。そのうちに亡くなって仕舞われた、岸田稚魚さんも「秋」の石原八束さんも。「みそさざい」の上村占魚さんとだけは、親しく何度もお目に掛かったのなど、珍しいほどだ。
一度も言葉すらかわさず亡くなって仕舞われた、しかしわたしのとても敬愛した俳人に、能村登四郎さんがおられた。この人の『芒種』ははじめて頂戴した句集で、好きな句のこんなに満載された句集になど、めったにお目に掛かることでなく、今も、懐かしい。
それで、堪らなくなり嗣子研三氏に電話して、『芒種』から句を私に選ばせて戴き「ペン電子文藝館」に「招待」させてもらえまいかと頼んだ。お留守だったのでお嬢さん(らしい方)に言伝てた。実現すれば嬉しい、句はもう選んである。
ペンの総会までに、少しでも心残りないようにしたい。連休がありがたい。
2005 5・3 44
*「沖」の現主宰能村研三ペン会員にお願いし、亡くなられた能村登四郎さんの句集でわたしの好きな『芒種』から、選抄のおゆるしを貰い、今日一気に選んだ。選ぶと云うより、わたしは殆どが好きな句なので、殆どを貰うことにしたまでである。こんな句集とはめったに出会えるものではない。
2005 5・16 44
* 能村登四郎さんの最晩年の句集『芒種』を「ペン電子文藝館」に招待できて、嬉しい。選抄、入稿。
2005 5・17 44
* ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や
* 室町小歌のむかし人は、このように、云ってのけた。わたしの思いも同じ。だから「意識」して楽しむのである、所詮意味のないことも。おそらくバカげたことも。絵空事が不壊の値をもつのは、その先だ。ほんとうに花の咲くのも。匂うのも。その先。
2005 5・28 44
* 「ドラゴン桜」のタイトルに建日子さんのお名前があって、「阿部寛と秦建日子コンビだ、これはきっと面白いぞ」と、「最後の弁護人」ファンの夫婦ともども、親しみを感じながら拝見しました。
「ブスとバカは東大へ行け」、「頭のいいやつが作ったルールが、バカには理解できなくて、またわざと分らないように作ってあって、バカはいつも騙されている。それでもお前らはいいのか」
このような本音をづけづけと言わせるので、若干心配しながら、「そうだ、そうだ」と拍手。
ドライな批評性が、日本の社会システムをストレートに抉っていて、実に爽快なドラマです。
もちろん次回もたのしみにしています。
(今回湖の本下巻の)「わが無明抄」 16,7歳の頃の短歌作品 感動しました。
こんなに繊細に哀切に青春を詠まれていたとは。
日だまりの常楽庵に犬をよべばためらひてややに鳴くがうれしも
たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは
茂吉の「おひろ」なども思い出しつつ、若く淡い罪悪感や悔恨を、むしろみずみずしく感じ、できれば先生の全歌を拝読できたらと思いました。
「安心への道」は、「悟る」よりも「安心」が大事、と思うことがありまして、共鳴しつつ拝読しているところです。
最近の先生の日記に、「潮時」を感じさせるようなお言葉が見られますが、どうかお元気でいつまでも続けていただきたいと思っております。
ありがとうございました。 葛飾
* 短歌にふれていただくと、頬のほてるほどに嬉しい。『少年』一冊がわたしの全小説や全評論と均衡しているのを、作者として感じているから。
2005 7・9 46
* 今日も午後から街へ出る。俳人で「鷹」主宰の亡くなった藤田湘子さんの遺影と、お別れしてくる。告別式ではない。偲ぶ会である。
2005 7・16 46
* 日照りの暑さの中、涼しい恰好でよかろうと思いつつ東京會舘へ出向いたが、偲ぶ会、みな黒づくめの喪服。しかも大会場に椅子席がびっしり正面の遺影へ向いた設え、立ち歩きの可能な席であろうと予期したのが完全なハズレで、これではいろんな話を椅子に掛けて聴くことになるが、この体力ではムリと思い、会の始まる直前であったので、会衆の前をつうっと通って遺影の前で一礼し、暫く亡き藤田湘子さんと向き合い、そして失礼した。
街へ出て、喫茶店で汗をひかせたものの、今度は冷房でぞくぞくし、体調につよい違和を覚えて帰宅した。
なにしろ嗜眠気味に眠さへ落ちこんで行く。一時的な低血糖かと心配しながら眠かった。しんどかった。
2005 7・16 46
* 歌集「少年」に再会
95年晩夏、御歌集『少年』を、しっかり拝読していたはずでした。
再び開いて見ますと、特に好きな歌にしるしがしてありました。
歩みあゆみ惟(おも)ひしことも忘れゐて菊ある道にひとを送りぬ
はりひくき通天橋(つうてんけう)の歩一歩(あゆみあゆみ)こころはややも人恋ひにけり
汚れたる何ものもなき山はらの切株を前に渇きてゐたり
別れこし人を愛(は)しきと遠山の夕やけ雲の目にしみにけり
舗装路はとほくひかりて夕やみになべて生命(いのち)のかげうつくしき
遁れきて哀しみはわれにきはまると埴丘(はにをか)に陽(ひ)はしみとほりけり
うつつなきはなにの夢ぞも床のうへに日に透きて我の手は汚れをり
朱(あか)らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり
君の目はなにを寂ぶしゑ面(おも)なみに笑みてもあれば髪のみだるる
まだまだありますが・・・。
古典的響きを整えた美しいしらべを、十六、七歳で手中におさめられていて本当に驚かされます。
写実を踏まえた想像喚起力は、若葉のように新鮮な生臭さをもって読者を包み込みます。
ひらがなと漢字の配置における美的趣味性は、若くして培われた美学からくるものでしょうか。
上田三四二は、「恋の思いが歌の初めであることほど、短歌にとって自然なことはない」と評しておりますが、先生の「母と『少年』と」を拝読し、恋の思いとは、母恋に発するのではないかと考えました。
母である阿部鏡様の歌と、空の高みで響きあっていたのだと思うと、こころの痛みの深さがひしひしと伝わってきます。
玩具店のかど足ばやに行きすぎぬ慈(いつく)しむもの我になければ 阿部鏡
ありがとうございました。 葛飾
* 知己の言、有難い。こと短歌に関しては、歌集『少年』に関しては、仰有って下さるすべてを心より嬉しく受け入れたいのである。
* わが生母のことは、いずれ血縁の孫達の誰かが書くだろう。わたしはすでに千枚近くをあらまし書いて持っている。だれかがそれを利用してくれればいい。
2005 7・16 46
* この2日ほど、夜幾分涼しいのでうれしいです。
「閑吟集」や「万葉集」をいつも手の届く所に置いて親しんでいるので、付箋だらけになってしまいました。85番も好きな歌。女たちが洗濯場にでも集って仕事をしながら唱和している、そんな光景も思いうかべたりして。 ゆめ
* ちなみに『閑吟集』八十五だと、 (思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば)だが。労働歌のようには読みにくい。万葉集だと、巻二の冒頭、仁徳の磐姫皇后の相聞歌として名高い。 (君が旅行(ゆき)日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ)で、洗濯しながら謡う歌かどうか…。
わたしの『閑吟集』では、こう読んでいる。
* 85番と86番とは、それぞれの中に対話をふくむ感じです。
思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば
思ひ出さぬ間なし 忘れてまどろむ夜もなし
日ごろあたしのことを忘れているから「思ひ出す」なんて薄情なことが言えるわけね。そうね。そうでしょ――と、つめよる。しよせん屈理屈なンです。深い情愛が仲立ちしないでは、とても成立たない可愛い言いがかりなンですね。
ほう。それじゃお前は思い出してもくれないわけか、ただ忘れないッてだけで。そうだね。そうなんだろ。この薄情もの――と、男もやり返す。
どっちが男でも女でもいい。仲良く、愛情のほどを口争いめいて競っているのです。85番と86番が唱和なのでなく、それぞれの歌の中で、唱和しているのです。そう読んだ方がずっと面白い。
87番と88番とも、唱和です。年輩の男(女)と年若な男(女)同士の佳い唱和です。耳を澄まして、よく口遊(くちずさ)んでみてください。
思へど思はぬふりをして しやつとしておりやるこそ 底は深けれ
思へど思はぬふりをしてなう 思ひ痩せに痩せ候(そろ)
辛抱のいい、静かな愛の毅さ良さが出ていると読めないでしょうか。87番の「しゃっとし」たも、88番の「思ひ痩せ」も、美しい日本語ですね。「おりゃる」とつめて読みましょう。ここに恋愛する日本人の一面の理想像が出ていると言っては、笑われるでしょうか。私は、好きです。 (NHKブックス『閑吟集』より)
2005 7・21 46
* きみが行きけながくなりぬ という万葉集巻二冒頭にかかげた磐姫皇后の歌は、また少し字句を変えて軽皇女の歌とも云われている。こういう例はたしかに民謡風にひろく唄われた歌のバリエーションである例が多かろう。洗濯場で洗濯しながら女達が唄った可能性もむげに否定できないかも。
2005 7・23 46
* 明日は立秋・・ とはいえ厳しい暑さはまだまだ続きそうですね。9月1,2日に越中富山・八尾の「風の盆」にいく予定にしていましたけれど、「解散・9月11日総選挙」などということにでもなれば、旅行はキャンセルせねばなりません。我が職場、選挙になるとお祭り騒ぎのように興奮し、気が立つので、そういうときに休むわけにもいかなくて。(とほほ・・・)
秋の初風たちくれば
今年もなかばを過ぎにけり
多くの年月なにをして
ここぞともなく 過ぐすらん
そんな詩句が気持ちにすんなりくる季節になりました。(今様らしいですけど、出典は知りません。)
人の一生が「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」であるなら、私の位置は「朱夏」の終わり? それとも年齢的にいえばすでに「白秋」でしょうか?
おげんきで・・・ ゆめ
* 上の今様はメールの主の即興かも知れない。
暁静かに寝覚めして
思へば涙ぞ抑へあへぬ
はかなく此の世を過ぐしては
いつかはあの世へ渡るべき
2005 8・6 47
* 流れ星に‥
今夜は、ペルセウス流星群が多く見られる晩だそうです。あいにくの潤んだ月夜に夫婦星は逢えなかったけれど、私の星への願い、叶うかしら。
君待つと吾が恋ひをれば吾が屋戸の簾うごかし秋の風吹く (額田王)
お大切に。 姫
* 凝ったメールである。額田姫王(ぬかたのおほきみ)とも書く。その一字を抜いて名乗ってある。天智天皇にされたような気分になるが、お戯れである。顔がみてみたい。返辞? しない。相聞歌ではない。
それよりも額田王のこの歌もそうだが、「秋(飽き)」風を詠んだ女の歌は妙にうらみがましく感じられる、必要以上に。この歌でも、待ちわびているのに、あの人は飽きたのか来てくれそうにないと、怨みの気分に深読みが利く。それかあらぬか百人一首の誇り高い女達は、誰ひとりも「秋」を口にしない。男の歌には、天智天皇以下幾度も「秋」が出て来て、それらもみなまことに微妙な深読みが利いておもしろい。天智の歌も、たとえば「女のおもひを」と詞書をつけてもよく、「鹿の声きく」猿丸大夫でも「秋の草木のしをる」る文屋康秀でも「わが身ひとつの秋」の大江千里でも「風の吹きしく」文屋朝康でも「人こそみえね」の恵慶法師でも「いづくも同じ秋」の良暹法師でも「もれいづる月」の左京大夫顕輔でも「霧たちのぼる」の寂蓮法師でも「山の秋風小夜更けて」の参議雅経でも、心中どのような「秋(飽き)」心地を秘めていたか、いい古典の勉強が出来るだろう。
2005 8・12 47
* 新聞もテレビも、眼洗いたく耳すすぎたいニュースばかり。
「絶望は老樹の幹の洞(ほら)よりも深し」 荷風 昭和二一年
「絶望は老樹の花の散るよりも迅(はや)し」 遠 平成十七年
2005 8・18 47
* 月様
長兄が八月五日に亡くなりました。七十五歳でした。
八年前、私の長男の結婚式に兄弟姉妹八人が揃って逢えたのが嬉しかったのか、そのとき撮った記念写真の顔はとてもにこやかでした。
今はまだ他人事のようで…腑に落ちてません。 花籠 四国
* はな籠の花に水うつ女かな 月
一閃のいのちか光(かげ)か夏逝くか 湖
お力落としと想いますが、静かにまた立ち上がって下さい。 遠
2005 8・18 47
* 率爾ながら、お許しをいただき、どうか私のサイト「e-文庫・湖(umi)」を、お開き下さいますよう。「人と思想」また「著者カ行」で、『甲子述懐』を、文藝として思想として人として掲載させて戴きました。お許しが有ればご本名もと思いましたが、さしづめ「甲子」署名とし、総題は『甲子述懐』と掲げてみました。このままであれば、あまり気詰まりもご迷惑もなく、心おきなくお書き次ぎくださると思いました。ご無礼な即決で恥じ入りますが、お聴き届け下さい。私の日録に、ただ紹介するだけでは惜しいと思いました。
東工大での教え子佐和雪子の『黒体放射』というたくさんなエッセイ断章も「e-文庫・湖(umi)」に掲げてありますが、「甲子」さんの述懐は、「人と思想」にふさわしいと思いました。心行くまで、いついつまでもお書き下さるよう祈ります。
残暑厳しく、地震などもあり、政界はあのていたらく。思わず今日も荷風の詩「絶望」の一節をふっと思いだしてしまいましたが。お怪我なく、お大切にと心底願いおります。
私は大酒飲みですが、呑んでも騒ぎませんし、何日呑まなくても平気なタチですので、涼しくなれば、いちど、しらふでお近くまで遊びに参ります。河があるなら河をみたいと思います。東京へ来て、山もめったに観ず河もめったに観ません。
山みざる日は
心のそこの底に
それはあの
木蓮の
そらさす枝の
花をもたず
冬かたむき果つるゆふべ
人恋ふる
胸の痛さを
おもふなり
そんな駄句を、ピアノを好きに叩いて即興に絞り出した頃、そろそろ小説を書き始めたことでした。湖
2005 8・18 47
* 敬愛する人の詩句や文章を一字一句書き写して行く嬉しさには、独特の時空体験がある。書でいう「臨」や「模」の謙虚にちかいか、等しかろう。好きな歌を好きな歌い手にならって唄おうとする素朴な心理もこれに繋がるか。
電子文藝館でも、詩歌の気に入った人と作品とは、スキャナーで写すよりも、時間をかけ書き写したものが、わたしの場合幾らもある。荷風の『珊瑚集』も井上靖の『北国』も登四郎の『芒種』も石久保豊の『兜』も布川鴇の『湖の向こうに』も篠塚純子の『ただ一度心やすらぎ』も。藤村も白秋も朔太郎も中也も。手がけた掲載詩歌の大方がそうだった。その嬉しさに励まされてこの作業をすすんで受け入れてきた。
2005 8・27 47
* 王朝の和歌をたくさん読んでいる、今も。世ばなれることがこの時節、閑事清涼をえる頓服の名薬。
2005 9・1 48
* 思いの騒いだり乱れたりやたらに興奮するとき、わたしは、選りすぐりの和歌を読む。優れた和歌は、恋の歌でも季節の歌でも叙景歌でも述懐歌でも、いつしれずわたしを静かにさせる。リクツは何もない。日本の精神の根幹に和歌があるのだと痛切に感じて嬉しくなる。難しく探し回るまでもない、小倉百人一首の幾つかを目に読み口ずさめばそれが頓服の名薬になる。
* 頓服の妙薬???
虫の声が幽かに聞えてきます。まだ、愛らしい声です。
命あらば いかさまにせん 心なき 虫だに秋は 鳴きにこそ鳴け
大好きな和泉式部の和歌です。ついでに、
黒髪の 乱れも知らず 打ち伏せば まず掻きやりし ひとぞ恋ひしき
長い髪の毛を、背中に敷いてしまって引き攣れたときの痛さ。その髪の毛を掻きやって、枕上につかねて置いた恋人の仕草。悲しみに打ち伏すという体の動きがまた恋人を思い出させる。どちらも帥宮を失ったあとの哀傷歌だったと思います。こんな歌を詠んだ女性をどう評価なさるのでしょうか。
ついでに。
わがTVに 世界のニュース集まりて 世界の悲惨 注ぐが如し
似ても似つかぬ駄歌で、申し訳ございません。 松
* 夜ふけて和泉式部の歌を読む。新秋のけはいしるし。
* あらざらむこの世の外の思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな
近代短歌以前にいわゆる和歌時代があったとして、そこからもし男女一人ずつの歌人を選べといわれれば、男歌人には迷っても、女の方はためらいなく和泉式部を推す人が多かろう。わたしもそうだ。定家卿は、その式部の一首としては温和な歌を選んだものだが、温和なりにさすがに間然する所ない気持ちのいい歌だと思って来た。この人に歌われてみると、この大きな上句(かみのく)の歌いぶりも、さこそと思えてしみじみしてしまうのだから、もう仕方がない。
もう今にもわたしはこの世にいなくなりましょう、今生の思い出にせめてもう一度あなたに逢ってから死にたい…と。この時、作者は「心地れいならず」つまり病気に悩んでいた。『後拾遺集』ではそんな時に「人」におくった歌だとある。どんな人でもいい、「うかれめ」とまで時の人にはやされたほど恋多い女だった和泉だが、この歌を通して感じとれるのは、清純とも言いたいくらい素直に溢れ出た若い愛だ。澄んだ愛だ。妙な掛引も、遊戯的な馴れあいも感じられない。「あらざらむ」から「逢ふこともがな」への展開もなだらかだし、一首の座りも佳い。
和泉式部には、自在に他界や異界へ呼びかけるとでもいった歌がまま見えるが、「あらざらむ」の一句にも此の世と彼の世とを、言葉の意味からでなく「うた」の気合いで大きく架けわたす不思議な「働き」がある。平明な歌一首が一転美しい情念の象徴歌に読めてくる、それが和泉の人ならびに歌の底知れない深さだ。謎だと言ってもいい。
* 和泉式部はまさに「魅力」の女人で、わたしは「うかれめ」の類とは思っていない。偽書の疑いは濃いが「和泉式部日記」に書かれてある彼女の真率には、いつ読んでも心うたれる。 2005 9・3 48
* この野分過ぎれば、名実ともに秋めくのではと、心待ちにしています。
また『梁塵秘抄』を少しづつ読み返しています。
常に恋するは
空には織女 夜這星
野辺には山鳥 秋は鹿
流れの君達 冬は鴛鴦(おし)
お逢いできるのはいつかしら? 風の音を楽しみに待っています。 ゆめ
* 池の涼しき汀には 夏の影こそひそみたれ 木高き松を吹く風の 声を秋とは聞くなかれ
* さ、今日の言葉はみな使い終えた。
2005 9・4 48
* (夫のため、子のため、また愛する人のため)「ふさわしくありたい」と願うことは間違いだそうですが、わたくしはは「ふさわしくありたい」と願ってきました。女が愛する人のために「ふさわしくありたい」とか、「美しくありたい」と願わないとしたら、それは一種の開き直り、傲慢。「愛されたいと願わない」ということと同じです。男ならぬ身の女とは、愛する者達のために「ふさわしく、美しくありたい」と願う、そういうものです。たぶん。 東京の女
* 亭主の好きな赤烏帽子 という。この駄句の作者、男であったか女であったか。これぞ良風美俗だといわれたらわたしは感心しない。しかし、これが無難なんですといわれれば、分かる。まして、女性に、これが自分の「愛」なんです「愛する」ということなんですと言われば、わたしは柔らかに道をひらくだろう。だが、これが「愛されたい」願いゆえの女の心掛けですと聞いては、かなり情けない。
* 新秋の女静かに身をまかす 湖
2005 9・5 48
* 春曙という発見はこれこそ清少納言の独創であった。漢詩のあれほどの集積にも「春曙」の美をとらえた詩句が無いと謂われる。大陸の地勢や風土性からして或いはさもあろうと想うが、日本の国で、万葉集にも三代集(古今、後撰、拾遺和歌集)にも「春の曙」は全く見当たらないのにはおどろく。
ようやく後拾遺集に、やっとへたな歌が一つ見つかる。その後、俊成撰の千載和歌集にあらわれ、そして新古今和歌集になり、どっと十三例も見つかる。それも清少納言の感化が強烈でほとんど「春の曙」ばかりだが、きわめてまれに、「秋の曙」も。
あけぼのや川瀬の波の高瀬舟くだすか人の袖の秋霧
うまい歌ではない。「あけぼの」の歌に、めざましい成功例がほとんどない。枕草子にひとり名をなさしめ、王朝のエピゴーネンに生彩がないのだ。平成の日本にも、いま自然とむきあい新しい美の発見を想うどれだけの人があるだろう。都市でも田舎でも、ケイタイの氾濫。
2005 9・13 48
* 中秋の名月も十六夜の月も、お声を聴かず一人で眺めていました。そして今夜は月が隠れてしまいました。湖はもう夢の中でしょう。
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
いまの心境です。 秋
* 歌の作者は、正三位、皇太后宮大夫俊成で、自身千載集の選者であり、新古今集や小倉百人一首の選者である定家卿の父親でもある。長命したひとで、俗にいえば当時歌壇の大御所的存在であった。大家族御子左(みこひだり)家を率いた長老であり、艶福の子沢山であった。
この歌の従来の理解は、かなり可笑しい。「秋」さんが歌に託した心境がどんなものか、著名な学者二人のいわゆる「歌の意味」とされるところを列記してみよう。
お一人は、「ああ、世の中というものは逃れる道とてないのだなあ。深く思い込んではいったこの山の奥にも、(つらいことがあってか)鹿が鳴いているよ」と読んでおられる。繰り返し読めば読むほど、奥歯にものがはさまりながら、曖昧模糊としている。
もうお一人の「現代語訳」は、これに先行しているが、「世の中というものはまあ、逃れる道はないものだ。深く思いこんで、分け入って来たこの山の奥でも、やはり憂きことがあると見えて、もの悲しく鹿が鳴いているよ」とある。この人は俊成の述懐は「俗世をのがれ」て「遁世の身」から出ていると解釈されている。政道批判かとも読めるのだが勅撰集には政道がらみの和歌は載せないという不文律が厳しく、そう読むことは正しくないが、わたしの読みでは、上の野お二人の「読み」にも首を傾げる。しかしこれが動かぬ通説である。ではあるけれど、やはり可笑しい。
わたしは、早くから、こう読んでいる。
* この歌は誤解され過ぎてはいないのだろうか。作者がわずか二十七歳の歌だ。九十過ぎた老大家の「述懐」ではない。少なくも「世の中よ」の一句は、近景に遠景をダブらせて読むべきものだろう。「道」も、政治の道などではよも有るまい。せいぜいこの世を生きて行く人の道、もっと直かには行方も知らぬ恋の道と取るのが素直な、男と女の「世のなかよ」だろう。鹿がなくのは、妻を求め夫を恋してなくのが和歌の道ではふつうのこと。ふつうをふつうと素直に取らないから、抹香くさい説教くさい読みをしてしまう。俊成という人は若くから人一倍色好みだった。妻も子も大勢いた。「思ひ入る」を遁世の志などとして読み過ぎてはつまらなくなる。途方にくれ、いっそ、こんがらかった女のわずらい、まさに「世の仲」から袴どりして山へなり逃げ出そうと思うのだけれど、山の奥でも鹿は鹿で恋に身をやつしているだろうし。所詮は色の世じゃなァ…と、はっきり読み切るのが先決だ。その上で、また一段の遠景、背景を深切に解説してみるのは自在。そのようにして一首の歌を、いっそう面白く出来るならそれでよい。いきなり高飛車な説法歌にして読まされては叶わない。「世の中はちろりに過ぐる ちろりちろり」という室町小歌にしてもそうだ。猿丸大夫の「声きくときぞあき(秋、飽き)は悲しき」も、そうだ。この「鹿ぞなく」など「然(しか)ぞなく」でもあり、女に現に目の前で泣かれて弱っている事態とも想いたい。
(一一一四 – 一二○四 藤原定家の父。千載集勅撰、あらゆる面で歌壇の重鎮。古代和歌を清艶に中世へふり向けた。)
* 何度も何度も言うてきたが、「世を知る」とは男女の仲を覚えた意味であり、「世づれる」とは女がそういう道に深入りした意味であり、「世の仲らひ」とは今日の若者風にいうなら性的に「付き合っている」意味であり、「憂しとみし世ぞいまは恋しき」とは、あのイヤでたまらなかった恋もいまは懐かしくおもいだされてならない」意味である。かくてこそ西鶴は『好色一代男』の主人公を、まさしく「世之介」と名付けたのである。
* 秦さんは深読みのムチャ読みをすると思っている学者先生も多かろう。「わたしたちの立場では、そう思っていてもそこまで言えないんです」と率直に歎かれた人もあった。さもあろうけれど、いまあげたお二人の「歌の意味」「現代語訳」のなにが面白いだろう、それで意味らしい意味が汲めるだろうか。詩歌のこころは深く汲み取って自らも寄り添いつつ和歌の心境を楽しまねばいけない。何かをみつけて汲み出さねばいけない。
メールをくれた「秋」の心境とは、はたなにもの、なにごとであろうや。
2005 9・21 48
* 明月に 戯れに
明月にひとり芝居のをんな哉
明月にかこち顔なるをんな哉
明月にふみを呉れよとをんな哉
明月に忘らるる身のをんな哉
明月を指さして泣くをんな哉
逢ひたくもないと月みるをんな哉
逢はばなほ逢はねばつらき女かな 遠
2005 9・21 48
* メール、うれしく。
鳶は憂鬱に捉えられておりますよ。だからメールを書けなかった。鴉のメールがいつ来るかしらとずっと想っていました。
昨日は部屋の片づけをしていて、戸袋に荷物を持ち上げて入れようと・・椅子から転落しました。これも書いてはいけないのだけれど、頭を打って、でも幸い? 大丈夫だった。一日経過を見届ければ、おそらく心配ないでしょう。
転倒する時、ああこれから転んでしまう、転んでいる、と経時的?に、コマを眺めるように観察している自分がいました。ばたっと意識がなくなって真っ暗になり、記憶が全くない経験とは僅かに違う、さまざまな発見をした感じです。鴉に叱られるのは予測して、ただあったままを書きます。
ご想像は少し外れましたが・・海外には来週はじめに行きます。一昨日、あなたは「アジアとヨーロッパのあわいに拡がった草原世界・・」と書かれていましたが、アジアとヨーロッパのあわいに拡がった乾燥世界・砂漠世界に行きます。シルクロードを辿る道がかなり進むことになります。ホータン、カシュガル、クチャなどに行きます。
旅行することは、バグワンの、「あなたこそ真理だということだ。どこにも行く必要はない。むしろ”行く”ことなどやめなければならない。そうしたら真理の在る”我が家”にとどまることができる。」を機械的に解釈したら、愚かな行為以外のなにものでもありませんが、鴉にとっての演劇や映画に似たものだと解釈して、どうぞただ笑ってください。特別な修行も勿論いたしません、あまり努力もいたしません、ただ飄々と「在るべき場所に」うつろって在るでしょう、わたしは。それがわたしにとっての「瞬間から瞬間を内発的に生きよ。」ではないかと思います。
暑熱の夏に負けそうになって、迎える秋。それでも秋は嫌いです。釣瓶落としは嫌いです。自分の人生の時間と重ね合わせる想いからでしょうか。
詩のこと・・言葉は生まれます、が、瞬間の言葉、音声に近いものを更にまとめていくには膨大なエネルギーが要ります。言われているものも、最近のわたしの散漫と優柔不断、弱さから最終的なものをまだ提示できません。許して下さい。早く区切りをつけたいのが本音ですけれど。
「西域」の冒頭部分、いくつか書いたものの一つですが・・ 播磨の鳶
予め閉ざされたもの
既に 予め閉ざされたもの
夜の向う側 隠された多くの・・
暗闇を列車は走る or闇を列車は貫く
古より史書に記され 詩に詠まれた 西域
現実の過酷 憧憬の無惨
列なす錯誤と失意
河西回廊に無数の夜が重ねられた
烏鞘嶺を越え 西へ向かう
潜むものの 烈しさと哀しみの気配
窓外の闇に朱が燃える
身に沁む寒さ 眠られぬ夜を追う
無言無為
今 紛れようなく違えず
あなたに向って 手探りする
祁連の山並みに 夜のしらしらと明けるまで (河西回廊)
* 紛れなく違わず ではないでしょうか。これだけ、取り急いで。
他は、佳い。毅くなり語の渙発力も。 鴉
とにかくも気を付けていってらっしゃい。帰りはいつ頃ですか。
* 闇を列車は衝き刺す ではないか。 鴉
2005 9・22 48
* 誰にも暮らしの根があり、そこでの独自の言葉を身に抱いている。それは創作の場合、適切に生かしていいし、またそれゆえに不慣れな読者を躓かせすぎてはならない。生かす大切さを基本に、配慮すること。
* 違える・・他動詞。違えず、はおかしいでしょうか?
暗闇の暗は不要に感じました。闇を・・衝く、刺すも考えましたが。「衝き刺す」は強
すぎはしませんか。
闇を衝く。闇を刺す。闇を貫く。・・列車は闇を通り抜けていきますが、闇は何の痛痒
も感じない、亡羊不確かにして強固なもの。ただし時間軸・・歴史的なものや現在進行
形の列車の走行距離・・を加えたい、と思ったので「貫く」にしたのです。列車の「無
力」を考えると「闇を衝く」がいいと思いますが、弱いでしょうか。 鳶
* 予め閉ざされたもの
既に 予め閉ざされたもの
夜の向う側 隠された多くの・・
暗闇を列車は走る or闇を列車は貫く
隠された多くの・・ の ・・ が読者に的確に読み取れるでしょうか。「多くの暗闇を」と続けて読まれるのでは。
「くらやみを」で息づかいが間延びするより、「やみを」がつよく、「走る」も「貫く」もいかにもこの場面では普通すぎる。
茫漠の闇にむかい、「槍」にも似た細みの「列車」が突っ込んでゆくのですから、 衝く とか 衝き刺す とかはどうかと思いました。 ただし 衝く の二音では、 闇を列車は衝く では、音の寸がつまる感じ。それなら 暗闇を列車は衝く か。 衝く のイメージ喚起は、意外に弱いでしょう。それで 衝き刺す を挙げた次第。作者がきめること。
無言無為
今 紛れようなく違えず
あなたに向って 手探りする
祁連の山並みに 夜のしらしらと明けるまで (河西回廊)
紛れようなく違えず は、いかにも間延びかと。 「よう」 の二音の弛みは意味がない気がします。
紛れなく は自動詞。それなら 違(たが)えず より 今 紛れなく違(たが)わず が一気に、毅い表現かと感じました。 違(ちが)えず と読むのはよくない。 鴉
2005 9・22 48
* 妙なことを言うようだけれど、ゲーテは、不朽の大作『フアウスト』のなかで、「男と女」につよい関心を披瀝し続けている。
第一部がフアウストとグレートヒェンの悲劇的な恋の経緯であり、それに倍する第二部がフアウストとヘーレナとの時空を超えた恋慕の出逢いと別れであってみれば、当たり前のことであろう。
その上で場面場面に立ち止まってよく耳を澄ませば、聴かずにおれない厳しい至言にしばしば出逢う。例えば、今は世俗の大学者をもって任じているかつての学生ヴァーグネルは、悪魔メフィストフェレスを前に神妙に述懐している、「今までわたしは年寄、若者、いろんな人にいろんな問題を持ち込まれて、赤面させられてきたのです。一例を言えば、『霊と肉とは、こんなに見事に適合して、けっして分離しないように、堅く結び合っている、それなのに、しょっちゅう日々の生活を辛くしている、それをこれまで誰ひとり会得した者がない』というようなことです」と。
老碩学に化けている悪魔は、即座に「お待ちなさい! それを問うほどなら、むしろ『男と女とはなんでこう折合が悪いか?』と問いたい。あなたなんぞには、所詮この点は分かるまい」と突きつける。霊肉一致なんかではない、もともと男と女は一体であったはずでないかと、悪魔の皮肉はきつい。作者ゲーテは往々悪魔メフィストフェレスの口を借り、痛いまで辛辣で厳粛である。
「男と女とはなんでこう折合が悪いか?」
これほど普遍的な不審を、他にそう多く人間は持たない。この難問を突き抜いて行くのも名作『フアウスト』根底のモチーフであろう、少なくもその一つの。
ペネイオス河の下流で、レーダと白鳥の相愛を幻想するフアウストその人の詩句は、うっとりするほど美しく艶めかしい。
彼はやがて、探し求めた「フィーリュラの名高い息子」ヒーロンの通りかかるのを呼び止め、その背にのせられ、憧れの世界へと運ばれるが、フアウストはその背中でヒーロンに問いかけるのだ、ヒーロンの出会ってきた最高の男(ヘラクレス)のことや、「いちばん美しい女」について話してくれと。
「なんと言う!……女の美などはつまらんぞ、とかく凝り固まった外形に堕しやすい。美としてわしが褒めることのでききるのは、いそいそとして生を喜ぶ心から湧くもののみだ。美女は自分だけがいい気になっているけれど、優雅こそは抗いがたい魅力を人に及ぼす、いい例が、わしの背中に乗せてやった時のヘーレナだ」とヒーロンは答えている。自分があの「ヘーレナ」と同じ背中に乗っていると知りフアウストは感激する。
「女の真の美は凝固した外形の美にはない、活きた優雅(=エレガント、グレースフル)のうちにこそあるとは、レッシング、ゲーテ、シルレル等の見解」であったと佐藤氏は訳注に書いている。ファウストは美(ヘーレナ)、メフィストは醜(魔女)へのいわば愛欲をもって作品世界を宏大に飛翔しているのだった。
『フアウスト』は形而上学へ希釈される観念の作ではない。
男と女との情念を殺さずに昇華される、信仰の告白なのである。
それに似た信仰をわたしは、遠い昔、例えば百人一首、伊勢の御の歌などに教わっていた。
* 難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこのよを過ぐしてよとや 伊勢
2005 10・4 49
* しづかやとひとりごとしてゐる秋ぞ 遠
2005 10・4 49
* 能村登四郎さん最晩年の句集「羽化」と、文庫本になった生涯の選句集を、嗣子である能村研三氏より贈られた。嬉しく。文庫本を早速鞄にいれ、午後一番の電子メディア委員会に出席した。
2005 10・6 49
* 昨日は、もう一つ二つ三つほども、ま、いいことが重なった。
* 一つは、三年四年越しに短歌新聞社で文庫歌集「少年」がやっと前へ動き始めそうになった。解説を自ら「奪い取るように」引き受けた田井安曇氏が、いざ書こうとなると書けずに放置していた。その由をつぶさに書いた「解説」! ゲラが版元から遅滞を詫びて送られてきた。
それはそれで良い。わたしの「少年」の解説ならむしろ田井さんの多年盟友であり宿敵!かもしれない岡井隆さんや、他にも適任は何人も歌壇におられる。田井さんは書きにくいだろうにと初めから彼のために案じていたのである。一文を読んでみると、ほとんどわたしの知らない、聴いたことも意識したこともない田井さんのジレンマが書かれていて、この久しいお付き合いの歌人のまた一面をみせてもらい、興味深かった。
いずれにしても、数年の淀みがこれで前へ流れたと思いたい。わたしからの詰責が「火」のようであったなどと書いてあるが、わたしからは日頃の贈本のついでに二度ほど、短歌新聞社は、田井さんに解説を頼んであるのだが書いてくれないと言っているが、その通りでしょうか、と尋ねただけである。田井さんが引き受けているともわたしにはハキとは分からないので。ま、よかった。
さて、ほかのことは、書くほどのことでない。「昨夜(のメール)は少し書きすぎました。ごめんなさい」というのもあった。気負って一人でいろいろ書いてきては、あやまってくる。なくて七クセのようなものか、あやまられる何ごとも無いのが、おもしろい。
頼まれ原稿の処置をあやまった或る編集室からお詫びの原稿料らしきが届いていたが、開封しないまに、ものの下に紛れたか見つからない。それも、どうでもいい、無くなるわけはない。原稿はうまく処理されるだろう。 2005 10・9 49
* 鏡花の親戚筋であるはず、松本たかしの俳句をまとめて読み始めている。生前親しくして頂いた「みそさざい」上村占魚さんの先生の一人。登四郎俳句も読みかえしかえししていて、このところ俳句とも和歌とも仲がいい。
2005 10・12 49
* 春愁ににて非なるもの老愁は 登四郎
2004 10・13 49
* もうそろそろ卒業生クンが家まで来てくれる。どんな演奏が聴かれるか、妻が楽しみにしている。
* 隣の機械部屋で聴いていると、いろんな曲を一時間あまり弾いてくれていた。妻は傍で聴いて、ときどき賑やかに話していた。わたしも二度ほど顔を出した。
六時にちかくの「ケケデプレ」に出かけてワインで洋食を食べてきた。そばの天神社が雨の中で賑やかに秋祭り。わたしたちは、この神社の「祭り境内」の賑わいを初めて通りすがりに見たことである。
歓談に時をうつし、小雨の中、保谷駅までわたしが見送った。駅のポストへ短歌新聞社あての「少年」の底本たるべき湖の本とプリント原稿を送った。正確には送り直したのである、数年前にみなきちんと届けてあった。
2005 10・15 49
* 名古屋の河文の女将、「なるみ」さんが、もう二三年も前に亡くなっていたと、今夜電話をいただいて暫く話し合った名大名誉教授の鈴木先生から聞いた。ビックリした。わたしよりだいぶ若かったと思うのに。
鈴木先生が退官されたとき、医学書院の長谷川泉編集長と私とが招待され、桑名の船津屋で宴会し一泊したとき、終始世話をしてくれたのが「河文」の若女将だった「なるみ」さんで。
この人は桑名の有名な蛤問屋から河文に嫁いでいた。鏡花の名作「歌行燈」の舞台で名高い船津屋は当時河文の経営であった。
あの一夜の宴席は楽しかった。「なるみ」さんは自ら大太鼓をうってくれた。鏡花の小説の女主人公のように美しい人であった。
東京へ帰って、お礼のハガキに、ただ「33」と書いて送った。NHKブックスで『閑吟集』を出した頃で、それが宴会でも話題になっていた。
さて何とせうぞ ひとめみし面影が 身を離れぬ これが閑吟集の「33」番の室町小歌
折り返し「123」と返事が来た。
なにとなるみの はてやらむ しほに寄りそろ 片し貝 これが「123」番。
「なるみ」には女将の名前と、愛知県「鳴海潟」という地縁とがかさねられ、きれいにわたしがフラレたようなやりとりとなった。こんなに鮮やかな応答の出来る、さすがに一流の粋な女将であった。感嘆した。嬉しかった。
鈴木先生にその「河文」にまた連れて行って頂き、もう一度だけ女将に会ったことがある。
亡くなったとは。声も出ない。
2005 10・16 49
* ただ 175 と、夢のようなメールが来ていた。
* 人を松虫 枕にすだけど さびしさのまさる 秋の夜すがら 閑吟集 175
* 千里も遠からず 逢はねば咫尺(しせき)も千里よなう 閑吟集 185
2005 10・19 49
* 前京都国立博物館の館長をされていた興膳宏さんから、研文書院刊「日本漢詩人選集 別巻」の『古代漢詩選』が贈られてきた。先ず読んだ「あとがき」がおもしろく、おのずとこの別巻の成る経緯も知られた。
それよりなにより、日本の漢詩は和歌の隆盛と尊重におされ、かなりワリを喰ってきた。致し方なき点もあるが、当然とも言いかねるのであり、興膳さん、その辺を力説されている。この一冊、また座右の書に加えたい。
試みにこのシリーズが本巻で採り上げている十七人の日本の漢詩人の名前に、趣味を感じつつ、此処に並べ直しておきたい。
菅原道真 が古代でただ一人。これでは別冊に「古代漢詩選」が当然必要になる。
中世にとび、 絶海仲津 義堂周信 の禅坊主ただ二人。これも寂しい、一休さんなども欲しいが。
わたしはもともと、しかし、詩禅一味だの画禅一味だの茶禅一味だのというお題目は信用していない。あれらは禅である前に、禅趣味に過ぎない。
次いで近世に入り、ぐっと増える。
伊藤仁斎 新井白石 荻生徂徠 服部南郭 柏木如亭 市河寛斎 菅茶山 良寛 頼山陽 館柳湾 中島棕隠 広瀬淡窓 広瀬旭荘 梁川星巌 人選に異存はない、けれど、詩をつくるために詩をつくっていた人が近世には多い。和臭の詩も少なくない。日本人が日本人めく英語やフランス語で詩を書いて得意であったような時期が近世であり、いやどの時代も外来知識とはおおかたそんなものであり、そうだとすると、わたしなどは万葉集以前に、孤独に熱中されていた少数の詩人の漢詩が懐かしい。興膳さんの本はその辺をかなり大きく補って下さる。あえて増補別巻の意義であろう。
ことの序でに別巻が目次に採り上げている上古・古代の詩人達の名を拾っておく。
大和・奈良時代には 河島皇子 大津皇子 文武天皇 大伴旅人 山上憶良 大伴池主 大伴家持 下毛野虫麻呂 刀利宣令 長屋王 安倍広庭 百済和麻呂 藤原房前 藤原宇合 山田三方 吉智首らがあり、大友皇子の名前も欲しいところ。
平安時代には 嵯峨天皇 有智子内親王 淳和天皇 朝野鹿取 良岑安世 小野岑守 菅原清公 巨勢識人 滋野貞主 空海 島田忠臣 そして 菅原道真に到るわけである。
2005 10・20 49
* 片敷き カレンダーにあった藤原良経のうたに “あ” とオツムに火花の、このうれしさ。「百人一首」のご本を引っぱりだし、また、ひたって、たのしんでいます。
母から電話がかかってまいりました。用が済んだあと、「百人一首のきりぎりすのうた」と言った途端、「きりぎりす? 泣くや霜夜のさむしろに、衣かたしきひとりかも寝む、ね」と一気に。
雀が「かわくまもなし、の沖の石見てきたわよ」「みかのはらに行ってきたわ」など言うたび、即座にすらすら一首口の端にかける母。
衰えは雀にこそあり、ですわ。主人がカレンダーを見ながら、「かたしきって片敷きなんだぁ! じゃ二人のときは何ていうの?」と問うたのにつまってしまいましたもの。田辺聖子さんの百人一首の本を見たら、熊八中年が同じ質問をしていました。
帰ってきたら、みせたげよっと。
紅葉してそれも散り行く桜かな (蕪村)
鞍馬山の紅葉はどのくらい進んでいるのでしょう。防寒着と懐炉を用意の支度です。 囀雀
* こういう世離れたメールを読む、もう一方で、ある女作家が記者会見し、某文学新人賞の選者たち(その作家もその一人)が一斉に版元にクビにされたのはケシカラヌ、ナゲカワシと詰問し、論難している新聞記事を読んだりすると、どっちが真実世離れているのかと、コングラカって来る。
ともに「夢」にすぎぬとおもうとき、この両方のどっちがよりハカナイかなどといってはいけないようである。どっちも所詮は、夢。しかし、それでも雀の囀りの方にイヤミも後味の悪さもないとは思うなあ。
興膳宏さんの『古代漢詩選』から一首の読み下しをひいて、読もう。
* 山斎 河島皇子
塵外 年光満ち 塵外年光満
林間 物候明らかなり 林間物候明
風月 遊席に澄み 風月澄遊席
松桂 交情を期す 松桂期交情
* ひとしおバグワン・シュリ・ラジニーシが慕われる。
2005 10・21 49
* 松本たかしの俳句を読む。
さてこれから来月の文化の日まで、息がつける。四日から十四日までは予定でびっしり。湖の本の発送が、その間に可能か、十五日からになるかは、凸版の印刷と製本の進行次第である。ま、おちついて、日一日を着々迎え、送るまでのこと。
2005 10・22 49
* 秋扇や生れながらに能役者 松本たかし
代々の宝生流座付能役者の家、松本長の子と生まれて初舞台もふみながら志半ばに病弱で藝道をはなれたたかし述懐の代表句である。愛弟子上村占魚の『松本たかし俳句私解』に多くを教わりながら句を書き写していた。
2005 10・23 49
* 青井史さんがとうどう『与謝野鉄幹』を、稀有の大冊にし出版した。馬場あき子のもとを離れて歌誌「かりうど」を主宰し始めてから、まさに果てしなく根気よく書き続け、この巨人の生涯を覆い尽くしたのは偉業であり、顕彰に値する。いま、一つ二つ優作の推薦を求められているが、恰好の大作が目の前に成ったのがよろこばしい。
2005 10・25 49
* 能村研三氏に貰った亡き登四郎さんの最後の句集『羽化』を側に置いて、機械にほっこりすると箱から出して、一句一句ゆっくり読んで行く。最期の句集が『羽化』とは何という佳い題であろう。「淡淡」と題された平成八年九年の句から好んで書き写す。
白絣着やすきほどの黄ばみかな
終りしと思ひしころの遠花火
白服の旅一度きりに終りけり
秋風の銀座にいくつ路地稲荷
七夕の竹負うて来て孫の家
露滂沱たる中に音あるいのちかな
朝の間にきく盆経をよしとせり
盆燈籠とうに捨てたる家長の座
老人に追ひ抜かれをり秋の暮
新藁の束を貰ひて富むごとし
穴惑ひめく逡巡のわれにもあり
何かゐて小春の池の水ゑくぼ
うすき肌着重ねしごとき小春の日
羨(とも)しとも息長き鳰の水潜り
母の世の玉虫いでぬ錆箪笥
残菊や老いての夢は珠のごと
牡丹散りし後の風雨のほしいまま
肉色に殻透き若きかたつむり
ちちははのあまりに杳(とほ)し迎へ盆
苧殻折る音やさしくて折りにけり
秋口までといふ約束のありにけり
晩景に逢ふたのしさの白絣
羊歯叢にたしかひそみし蛍かな
月の下椅子二つあり誰もゐず
湯壺まで這ひ来し葛の花もてり
墓洗ふ月射すころを思ひつつ
とつくりセーターより首出して今日始まる
* 衝撃のまま、瞑目。 月の下椅子二つあり誰もゐず 登四郎
2005 10・25 49
* 何年かかったろう、粘りに粘り、わたしも粘って「e-文庫・湖(umi)」の一つの詩集が、ほぼ完成の域に到達した気がする。ひとごとながら、よろこばしい。これで著名詩人にもいくらか安心して読んで貰えそうな気がする。
歌人青井史さんの大作『与謝野鉄幹』も孜々として仕上げていった粘りづよさで、すばらしい本になった。中断していたらそれきりだった。同じことで、わたしはやはり有る歌誌にねばり強く連載されている或る女性歌人の「浅井忠の写生」論にも期待している。
* 「西域」 ようやく仕上がったと思います。この詩集は恥ずかしくないものに完成されたと思います。ご苦労様。
安心していないで、少なくも次のもう一冊に取り組んで完成させて下さい。
怪我を早く治すように。あれもこれもは出来ませんよ。怪我などしてはいけません。 鴉
* ほっとしています。ずっとずっと引っかかっていました。今もまだ同じ。いくらかの重さを肩から下ろします。
他のものも並行して見直しています。
最終的な決め手は声に出すこと、これを繰り返してできるだけ簡素にしたいのですが。
音声として耳にどのように響くか、実は最も大切なことと思っています。まだ混乱しているものが2,3あり、それを突破しないことには進めません。
台所仕事はビニール手袋をして三日目から頑張っています。今日は朝からカレーを仕込んで、もうかなり味が沁みた頃です。
友人が乳癌になったりさまざま・・わたしの怪我など悩む部類に入らない、でしょう。 鳶
2005 10・26 49
* 文庫歌集『少年』の校正刷りが届いた。かなづかいだけを徹底的に正せばよい。歌はもとのまま触りはしない。これが出ると、わたしの出版が、私家版の「少年」に始まり文庫版「少年」で一結びに成るかも知れない。師走の誕生日に間に合うかどうか知れないが、恰好の「古稀の自祝」になる。校正をはじめた。
2005 10・29 49
* 『少年』を校正していて頭をかかえるのは、いざとなると歴史的仮名遣いが頭の中であいまいになっていること。わたしは、かなり音便形をつかっていて、音便では仮名遣いが変わってくる。「言う」の古い仮名遣いが「言ふ」なのは分かるが、「言うてください」が「言ふてください」なのか「言うてください」でいいのかは簡単に確信できない。「言つてくれ」は「言ひてくれ」の音便でもあるが、「言ひてくれ」から「言うてくれ」という音便もあるのではないか。昔はこういうのが得意で間違えなかったのに、頭の中がきれぎれの網になってきて、いとも怪しく。
2005 10・31 49
* 歌集「少年」の文庫本を校正しおえた、と思う。必要な写真類も送ったし、あとは「略年譜」を書けば済む。歌数は厳選してあり多いとは言えないが、何といっても故上田三四二、また竹西寛子さん、田井安曇氏の文章が添い、わたしもあとがきだけでなく一文を添えている。小冊ながら味わいの佳い、ほぼ「定本」が出来上がるだろうと楽しみにしている。
楽しみの一つにして佳いかどうか、わたしはもともと題のように「少年」時代から短歌をはじめ、小説を書く前に歌集を自編していた。小説以前の文学暦はわたしの場合一冊の歌集、一冊だけの歌集ではじまった。そしてそこへいましも戻ろうとしている。大きいか小さいか一つの円を描いて、「少年」から「古稀」の爺になるのである。
願わくは、いわば8という字の一つのマルを描いたこの先に、もう一つのマルを小さくても大きくても不格好でもいいから、描いてみたい。それが文藝・文学のマルになるのかどうか分からないが、わたしに出来ることはおよそ知れている。まちがっても政治家になどならない。
2005 11・3 50
* > 「百人一首」では、作者の名前も歌のうちと私は楽しんだ。 考えたこともありませんでしたから驚き、また、新鮮な視点を与えてくださいましたことに感動しました。そう読むと、なるほど、名前も歌の世界です。今まで何を読んでいたのでしょう。心魂に徹した文藝愛にふれ、ぞくっとしました。 一読者
2005 11・3 50
* 診察はサッパリであった。階級でいえば「入院」が一番重い宣告とすると、三番目程度に響きそうな注意で、血糖値以外は「ぜんぶ、わるくなっている」そうであった。悪玉コレステロールもふえ、脂肪肝のおそれもあり、血圧も高く、ほかにも何とか彼とか。酒とあぶらがわたしの好物。共に宜しからずと。
* 糖尿病が難儀なコワイ病気ということは、医学書院の編集者時代からよく承知している。最小限血糖値のコントロールはしているが、それだけて済むモノでないことも分かっている。しかし何となくではあるが、それ「以外の何か」も感じている、わたしの勝手ごとではあるが。
* 節食していたので、検査後、院内食堂でステーキを食べながら『少年』を念校した。上田さん竹西さん、また田井さんの有難い文章を読んでいると胸が熱くなる。
診察後に、銀座で松井由紀子さんの小さな個展をみたが、数年前に観たときは夫君の恒男氏が健在だった。NHKのドラマディレクターであった松井さんは、わたしが作家になりたての昔から変わらぬ有りがたい読者であったが、二年前に亡くなった。湖の本はその後も由紀子夫人がつづけて読んで下さっている。
繪は、前に観たときよりぐんと胸に触れてくる抒情の詩性にあふれ、簡略に似た筆法でありながら美しい音楽が画面からよく聴こえてきて、魅せられた。感心した。さりげない小品がよくみると緻密に描かれてあり、それが画面の上で昇華されているので静かに美しいのである。感心した。恒男さんから、ワイフが繪を描いている、観てやってくれませんかと声が掛かって初めて知った。
今回は、グンと佳い内容で、二十点ほどの小品のすくなくも半数ぐらいには心惹かれた。気に入った小品を一つ、家へ届けてくれるように画廊に頼んできた。
* 泉屋博古館へは脚の便がわるいとみて諦め、予定通り牡蠣フライでビールをと、ニュートーキョーに行った。牡蠣はやはり美味かったから、大ジョッキのビールもじつにうまかった。シーフードのパスタは余分であったかも知れないが、そのおかげで居座る時間がとれ、甲子さんにあずかって読んでいた小説を、また読んだ。
今まで読んだ甲子さんの他の三作より、この作がいちばん完成度の高い短編に感じられた。ごく幼い男の子のめから親たち大人の世界を眺めるというむずかしい書き方をわざわざ選ばれている。そして成功している。それにともなう瑕瑾はある、が、小説の力学や美学を歪めるほどではなく、やむをえない。むしろ、それらを蔽いとり、この作は深みも優しさも静かさも、あるもののあわれに光っていると感じた。しかも「時代」の鼓動が正確にとらえられている。ビックリするうまさである。川端康成賞の候補作ぐらいの妙味がある。
* で、気持ちよく満腹し、それ以上の寄り道もせず保谷まで帰り、しかし「ぺると」でちょいと歓談、歩いて家に帰った。家でまたすこし夕飯に肉を食った。今日はそういう日と決めていたのだから、それで、よい。
柿の木に柿の実が生りそれでよし 遠
2005 11・4 50
* 文庫歌集『少年』のために略年譜を書いた。歌集の成る基盤の少年期に詳しくし、あとは作家活動を中信に略記した。明日投函する。
2005 11・6 50
* 幸四郎の本の表帯に、「神の春とふとふたらりたらりらふ」という彼自身の句が引かれているが、「とふとふたらり」はもしや歌舞伎台本の何か手控えにでも拠っているのか。能の「翁」または「神歌」に名高い呪言・呪詞である。「鳴るは瀧の水」ともあるように瀧ないし激湍・奔流などとの近縁が推知されている。とすると「滔々」「蕩々」あるいは「どうどう」に近く、仮名遣いは「とうとう」「どうどう」で、すくなくとも「とふとふ」という仮名遣いは当たらない。これは気になった。
ついでもう一つ初代吉右衛門が祇園の茶屋「吉つや」に遺している句の一つに「冬ぎりや四條をわたる楽屋入」があると幸四郎は書いている。その軸も写真で出ているが、字は微妙に小さくて読み切れないのである。
おそらく、四條大橋を渡って、または四条大通をよぎって南座へ「楽屋入」するのであろう、「冬」だから明らかに南座の顔見世興行以外に考えられない。わたしはこの初代吉右衛門の顔見世興行で生まれて初めて南座顔見世歌舞伎を観たのである。
しかし「冬ぎりや」という句語が解せない。これは「冬の霧」か「冬限り」を歎息した「や」でしかありえないが、前者でも後者でもピンとこない。鴨川に霧がたたないでもないけれど、京の市内で、ことに南座の近辺で暮らしていたわたしの記憶では、「霧」を口にしたり嘆じたりしたことは、まず、ない。大通りで霧をみた記憶はない。四條大橋の上で川霧をけっして見ないとは言わないが、乾燥のすすんだ冬期、秋霧のようには冬霧は立たない。「冬霧」という用語もまず簡単には見ない。
わたしの率直な感想では、これは、「冬ざれや」ではないのだろうか。
叩けば鳴りそうな乾いた底冷えの京の師走は、よく「冬ざれ」という実感を催したものだ。胴震いのする冬の寒さと奇妙に乾いた空の明るさ。まして四條の橋の上では、ぞくっと来る。
冬ぎりと冬ざれ 写真では判明しないが、走り書きだと混同の可能性のあるひらがな二字ではある。「気になった」と言っておく。
2005 11・12 50
* 昨夜、就寝前からひどく気分が悪くなり、寝床での読書は「千夜一夜物語」のほか省いた。三時半頃えも言われない不快感にヘキエキし、加えて偏頭痛と左の肩胸部の凝痛に唸らされた。痛み止めをのみ、血糖値を計った、101。結構な低い値だが、妙に気味の悪い経過でもあり、しかたなくそのままムリに寝入った。
朝目覚めると全身が野蛮に痛む。腰の苦痛があんまりひどいので下着による締め付けだろうと思い、着替えたりしているうち、短歌新聞社から本文の再校、略年譜の初校などが出揃った。もうわたしから手を放して責了も可能なところへ来ている。
2005 11・13 50
* 午になるが、明日の木挽町を考えて今日はもう休息しよう。発熱してもいけないし、全身痛はひどく堪える。幸い郵便も来ない。とりあえず歌集『少年』の手が離れればありがたい。
2005 11・13 50
* つよめに振ると痛みが両側頭に巣くっているのが分かるけれど、気分はよほどよく、少し冒険かも知れないが入浴し、そのかわり早く寝ようと思う。
歌集「少年」をもう明日は手放していいところまで入念に繰り返し読んだ。また「役者幸四郎の俳遊俳談」に「付(つけたり)」の「父幸四郎(先代)との対話」をスキャンし校正しておいた。二三の不審個所について、いま夫人に問い合わせのメールを入れておいた。
2005 11・15 50
* 文庫歌集『少年』責了紙を版元へ郵送した。古稀の日までに出来るかどうか。
2005 11・16 50
* 福島美恵子会員の自選歌「きまじめな湖」をスキャンし校正し入稿した。秋元千恵子会員からも自選歌が届いて、やはりスキャンし校正したが、秋元さんの四冊の歌集からの自選歌はとても立派なもので感心した。よく選歌されていて一首一首が粒だって光っている。胸板を敲いてうったえて来る。うったえる、それが「うた」の原義であろう、しっかり現代を生きている自覚とまたそれだけに痛みも鬱も深い大人の短歌に成っているので敬服した。いま、入稿した。「地母神の鬱」と表題した。
2005 11・16 50
* 妻は聖路加へ、わたしは留守番して、気になる連載「本の少々」随筆を二本、送った。また「高麗屋の女房」さんと、エッセイの不審個所でメールを往来。一等気にしていた初代吉右衛門の句が、わたしの希望どおり正しくは「冬ざれや四條をわたる楽屋入」であったと確認され、ああ、それで佳い句が佳い句になったと安堵した。
奥さんの出稿作品も『高麗屋の女房』から中ほどの一章分を全部もらうことにし、『私のきもの生活』から「付」を少し出してもらうことに決めた。
幸四郎丈が前回湖の本の『日本を読む』を「座右の書」にしていると聞いてよろこんでいる。わたしの書くモノはかなり伝統藝能や庶民の歴史と交叉している。どこかしら交響しあうものがあるだろうと望んでいる。
2005 11・17 50
* 手をもんでさて秋冷えの文遣らん
冬まつり 音もなく来て菊枯るゝ 遠
* 梅の井主人に和し、返辞の手紙に添えて送った。
2005 11・23 50
* このところ立て続けに「ペン電子文藝館」に入稿していた。今日も小田実氏からの和文と英文とのエッセイをスキャンし校正していて、疲れた。あすは息子の仕事場を覗きに行き、あさっては「ペンの日」の理事会とパーティ。
それが済めば、月末に狭心症検査がある。とくべつ自覚はないけれど、医者の勧めにしたがう。
さて師走。少なくも「湖の本」の発送はせずに済み、穏やかな歳末であって欲しい。忘年会…。とくにそういう気分でもない。あるがままに過ぎて行くだろう、今年も。あるがままに迎えるだけだ、新年も。
もし七十になる日の前後、今年のウチにも文庫歌集『少年』が出版になれば、わが出版史の嬉しい記念碑になる。楽しみにしているが。
2005 11・23 50
* 二十日までに、短歌新聞社、文庫本歌集『少年』を刊行の予定という。文庫歌集は一律七百円とか。心嬉しい自祝の引出物になる。
2005 12・1 51
*「古稀」自祝の文庫本歌集『少年』(短歌新聞社)の見本が、二冊届いた。ほんとうに小冊子であるが、清やかに、こざっぱりと出来ていて、嬉しい。
国民学校の四年生、昭和二十年、戦時疎開して、敗戦後も一年余居座っていた丹波の山奥で、空行く雁の列に触発された拙い口ずさみが、最初の詠作であった。
二十二年か、京都の小学校へ帰ってのち、四條大橋からまだ明かりも疎らな川岸の家をうたったのが、第二首めであった。
中学時代に相当数の短歌らしきものを帳面に書きのこし、市立日吉ヶ丘高校時代、十六歳から十八歳までに、わが短歌は燃焼しつくした。
朝日子の生まれた昭和三十七年頃までぽつぽつと歌作はあったけれど、以降小説にすっかり心をうつして、久しく離れきっていた。
それでも、つぶやくようにときどきにその辺の紙切れに短歌を書き付けてはうち捨ててしまう。今もそんなふうである。
最初に歌集「少年」と題して自編したのが、活字の私家版巻頭へいれたもので、昭和三十九年ごろ。わたしの文学体験の第一歩は和歌であり短歌であった。人生の二学期を締めくくる通知簿のようにこの文庫本歌集『少年』が出版されたことに深い痛切な感慨を覚えている。ほんとうは二年前にも出来るはずであったが、事情でノビノビに今になったのも、必然の回り合わせ、むしろ、まことにタイムリーな天与の出版になった。
2005 12・13 51
* 日光をさえぎった機械部屋に入っていると、いつもいつも外は、曇天か雨天のように感じられる。時に雨戸をあけると黄金色の日光に溢れているのに気付き、慚愧の思いに駆られる。出かける予定がないと、天恵かのように部屋に籠もっている。十五日はことし最後の理事会。
歌集が届いたら、古稀記念に多年お世話になった先へ発送する。そして二十日、妻と京都に。誕生日の二十一日、昼の南座を観たら、その足で帰ってくる。二十四日には榮夫さんの能「定家」を観て。
「湖の本」新刊の本文初稿も出揃ってきた。ゆったりと「川」は流れている。
2005 12・13 51
* 歌集『少年』の出版が、いま、実感になりわくわくと嬉しい。言い得ようもない大切なものを、親しく今わが手に「取り返した」という、初々しい嬉しさである。
2005 12・13 51
* 歌集『少年』の註文分がたくさん届いて、国会証人の訊問を聞きながら、送りだしの宛名書きなどしていた。
2005 12・14 51
* 歌集『少年』が、もうかなり広く読まれているようで、声が次々に届いてくる。ありがたい。
* 少年
逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の
桃のはなちる道きはまれり
誰を詠んだのか、なんてヤボは聴きません、が、この歌が好きです。 泉
* 『少年』は湖の原点。十五歳で、すでにらくらくと身内に「天才」が萌え出すのを予感していらした。
佳いご本です。歌集も詩集も、文学の精華はこのように清潔でなければ。バッグの中にいつも持ち歩きましょう。頁をひらけば、読むのもつらくて、読めば清められるお歌にみちています。そして、湖の、笑顔のお写真があります。大切に愛しんでまいります。
アキレス腱の具合はいかがですか。歩けますか。 冬
* 少年 手のひらにすっぼり入る しかし中身は重いすばらしい文庫本。お誕生日も間近。なかなかお目にかかれませんが。お元気でお過ごしくださいますよう。 波
* 歌集「少年」。
古稀到達おめでとうございます。今朝新聞を取りに出てみましたら郵便受けに短歌新聞社から歌集『少年』が届いていました。
手許の不識書院版をあらためて開いてみました。書院主人のハガキがあって次のように書いてありました。
「拝承 『少年』のご註文をいただきありがたく存じます。右歌集は六月中旬頃の刊行となりますので、発刊になり次第こちらから直送申しあげたく存じます。取急ぎ御礼旁々ご連絡まで申しあげます。 不一」
その後間もなく届いた『少年』の歌に瑞々しさを感じ、心澄む思いがしたのをよく憶えています。
いつも同じものになりますが岡山のお酒をお送りしています(20日に届くことになっています)。お祝いの言葉としては “I wish you many happy returns of the day (=your birthday)!” を選びました。 毅
* 記念の出版の短歌集。 12月21日は、まだ先のように思っていましたが、本当に師走に入ってからは早い時間の経過です。いつも、いろいろなことをこの日になさっていたことを想い想い、心からおめでとうを申し上げます。
21日はもう少し先です。京都をお楽しみなさって、素晴らしい古希のお祝いをなさいますように陰でお祈りいたしております。どうぞお風邪など召されませんようにお気をつけくださいませ。 司
* 古希を良いお祝いで迎えられおめでとうございます。
掌にすっぽりと収まってしまうご本が新鮮に感じられます。また今までに読ませていただいたときより一首ごとに心に染み入るように思えます。先を読み続けるのも勿体無いような、でも秦様の以前のお気持ちを思えるようで、私には迪子様、朝日子さま、建日子さまのことも。つい読みふけってしまいました。
側において何度も読ませていただきます。
迪子様にもどうぞお風邪など召されませぬよう、ご無理をなさいませぬように、よろしくお伝えください。 晴
* もしわたしが、世のふつうの書き手のママであれば、わたしは、こんな仕方で読者の皆さんと向き合うことは、あり得も、あろうとも、しなかったろう。いまわたしは、日本列島の諸方に、国外にも、こうした「身寄りにひとしい」読者を大勢もっているし、フルネームやアドレスとともに、なにとはなしに、「今・此処」で「共々に」生きているという気がしている。
倶会一処…。
「湖の本」刊行ということを二十年つづけてきた意味は、いろいろであろうが、これなければ、心温かい実に大勢の人たちをわたしは知らないまま、古稀を迎えているであろう。言うまでもない今回のこの文庫本『少年』は、「湖の本」の一冊ではない、短歌新聞社の市販本で、ご注文は版元が受けています。
2005 12・17 51
* 歌集『少年』 そして古稀、おめでとうございます。お茶を教わってから半世紀以上に成るんですね。その頃私は何を考えて居たのでしようか。昨日で日吉ヶ丘の集いを終え、後は顔見世、楽しみです。 来年も良き年でありますように。 門
* 「少年」拝受感謝
秦さん。まもなく、古稀を迎えられることをお喜び申し上げます。
その記念の歌集「少年」安着しました。ありがとうございます。
南アルプスの甲斐駒ヶ岳の麓から、夕方、戻って来ましたら、我が家の郵便受けに入っておりました。
きょうは、全国的に大荒れの天気で、日本海側では、大雪でした。
南アルプスの向う側、長野県は、海はありませんが、天気は、日本海側の天気になるので、大雪です。大雪を降らしている雪雲が、甲斐駒ヶ岳の山稜を越えて、こちら側、山梨県側の谷に、一気に下って来ている様が、時時刻々と判ります。
強い風が吹いています。
山稜に溢れ出た雪雲の上には、青空が拡がっているのです。
歌集「少年」を、私は、3冊持つことになりました。
初めて手にしたのは、不識書院刊行のものでした。洒落た表紙が印象的でした。
2冊目は、もちろん、「湖の本版」です。
そして、3冊目は、今回の短歌新聞社文庫です。早速、拝読し始めました。
不識書院版は、甲斐駒ヶ岳の麓の書庫にあります。
湖の本版は、**市の自宅にあります。
短歌新聞社文庫は、いま、我が手のなかにあります。
多感で、優秀で、初々しい少年の息吹が伝わって来ます。
「道ひとすぢに瞑(く)れそめにけり」と18歳にして、詠みあげた青年も、無事、古稀を迎えたことを、心から慶賀します。
アキレス腱は、大丈夫ですか。ご自愛専一にてお過ごし下さい。
カバーの写真が良いですね。髪を一部白く染めたような少年の顔に見えますよ。
歌集は、じっくり、味わいながら、拝読します。ありがとうございました。 雄
* ありがとう存じます。
* 目が疲れている。今日はもうやすむことにする。
2005 12・18 51
* 『歌集少年』嬉しく拝受いたしました。いまの会社に席をおいた余得は、短歌を読む(詠むではありません)楽しみを知ったこと。恥かしながら今回始めて『少年』を拝読し、<世界>と真向対峙している少年だけの体現する透明感ある哀しみ、怖れ、憧れ、喜びが少年とは思えない端正な表現とリズムで詠み出されていて圧倒されました。上田(三四二)さん、竹西(寛子)さんの文章にあるように、秦さんの根を見る思い、とりわけ「光かげ」が胸に染みました。お礼申し上げます。
厳しい寒さです。呉々もご自愛下さい。 元出版部長
* 拝復 お元気で古稀をお迎えになりましたとのこと、お慶び申し上げます。(私は四月に迎えました。)御鄭重に記念の『歌集少年』を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。上田三四二氏、竹西寛子さん、それに「母と『少年』と」を先ず拝読致し、この歌集が秦文学の原点であることがよく感取されました。殊に「山なみの…」の叙景のなかに開かれた御心情の深さに感銘致しましたが、御自身が五首の筆頭に選ばれているのを知り、納得致しました。又、御母上の歌碑の歌にもこの秀歌の調べが通底しているように存じました。じっくりと全て拝誦致しますが御芳情のほど心から厚く御礼申上げます。
併せて呉々も御自愛の上、佳き新年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。敬具 元文藝誌編集長
* 冠省 すばらしい御歌集『少年』ご恵送賜り厚く御礼申し上げます。今まで若き日日に作歌をなさっていること知りませんでした。それにしても、
朝つゆにくづれもやらでうす紅のけしはゆらりと咲きにけらしな(70頁)
この一首をとりましても、繊細で華麗なお作と拝読いたしました。豊な感性を感得しました。
よい年をお迎え下さい。右御礼まで 不一 国文学者
* 私は短歌については全くの浅学で、お恥かしい限りなのですが、これらの歌を十五歳から二十四歳というご年齢でお作りになっていた事実に感嘆いたしましたし、同時に(恐らくはお若かったが故に)作品にあふれる瑞々しさに惹きつけられずにはいられませんでした。
古稀をお迎えになったとのこと、おめでとうございます。
どうか御自愛の上、良いお年をお迎え下さい。 文藝編集者
* 古稀をお迎えになられたとのこと、もうそんなになられたのかと思いました。
水かれし渓ぞひの笹は霜にあれて通天橋(つうてん)の朝の底冷えにをり
一番ナイーブな頃、泉涌寺、東福寺をさまよった経験のある私には、この歌が響きます。十八歳で、これからという時代に、この哀愁を帯びた諦観のようなものは一体、何なんでしょうか。怖ろしいほどの老成ですね。
それから実のお母様のお歌はとてもいいですね。ピーッと芯が張っていて、すばらしいです。
どうぞくれぐれもお大切に。よいお年をお迎え下さい。 歌人
* 寒波が押し寄せお寒い毎日です。
古稀御記念の歌集、素敵です。これから我々もせっせと勉強します。
有難うございました。 高麗屋
* 秦さま、 祝詞を述べる前に古希の御自祝歌集『少年』を頂戴しました。
白髪紅顔、千秋萬歳、優遊自適、琴瑟相和、重ねての御上梓、心よりお祝い申し上げます。
老いは見た目で分かるもの、ですね。若さは見た目で…….
.いただいた『少年』を襟を立てたコートのポケットに入れ、暮れはやい雑踏をかきわけていたら、横断歩道の彼岸から、寒風で頬を真っ赤に染めた美少年が足早に此岸へ……….。やはり老いの目に、若さはようく分かります。お風邪めさぬようご自愛下さい。御礼と御祝いまで。 ペン会員
* まごころの籠もった御状は、みな、胸に沁みてくる。
2005 12・19 51
* 鎌倉に住む、むかしは同じ中学に通った一つ下の読者から、古稀を祝う電話をもらった。
* 歌集『少年』 嬉しく ほんとうに嬉しく拝受いたしました。ありがとうございました。
二昔も前に古書市でめぐりあった湯川書房刊の和本『少年』とならべて しみじみとながめています。
先生から御著書を贈られる日がこようとは夢のような心地です。 詩人
2005 12・19 51
* 品川から池袋へ、そして帰宅。
阿川弘之氏、竹西寛子さん、瀬戸内寂聴さん、小松茂美氏、倉橋羊村氏、大久保房男氏、清水徹氏、白河正芳氏、小山内美江子さん、、久間十義氏、島尾伸三氏ら、年賀状と間違えそうなほど、大勢のお祝いの、また歌集「少年」への手紙やハガキが、たくさん届いていた。
名古屋市大の谷口さんのお花など、何人もの方のお祝いも留守のうちに戴いていたらしく、みな、明日あらためて頂戴する。忝ない。
そして、メールも沢山に。 とくに選ぶのでもなく、少しだけ書き写してみる。
* おめでとうございます!
無事に古希を迎えられたこと、藤田家一同、心よりお祝い申し上げます。
そして、すばらしい記念のプレゼント、ありがとうございます! 「少年」、どうやって手に入れたものか、注文することになるかなあと思っていたところです。新潟の実家には、湖の本と、何万円するのだかわからない豪華限定本があります。僕も家族も大好きな一冊で、何度も読みました。大半の歌は今の僕(二十三才)よりお若い
ときにつくられているのですね! そのことに今さらびっくりしています。昨日から読んでいます、好きな音楽を聴くように、一句一句口ずさみながら。
「好き嫌い百人一首」も、楽しく口ずさみました。百人一首かるたにはじめてふれたのは、中学の国語の授業でした。授業の時間を使ってかるたとりをするというので、家で覚えてきなさいと言われました。言われたままにただ暗記するのがいやで、けっきょくほとんど覚えませんでした。ヒネた中学生でした。
和歌は好きです。現代の短歌や俳句でヘンに抽象的なものよりは、意味がとれなくても「音の響き」で楽しめます。高校に入ると「和歌の現代語訳」がもっぱらでした。せっかくの「歌」をかたくるしい文章にするのはつまらなくて、ろくに勉強しませんでした。
秦さんの「私判」がつくと、古代から中世のまさに「歴史」ですね。こういうふうに日本史を教えてくれる先生はいません。こういう時代をとりあげる「歴史小説家」もいません。そこが秦さんの真骨頂といえますが、秦さん以外の人は何をやっているんだとも思います。
前回の通信で、「僕なりにめざす企業間取引」という表現について、それは甘いと。厳しいご指摘でした、おっしゃるとおりです。就職活動のあいだ、ずっと「わたしなりに」「わたしなりの」と志願書に書き、面接で話してきました。振り返るに、採用担当の顔色をうかがうような態度だったと思います。秦さんに教えてもらわなければ、安心したままだったかもしれません。目が覚めました。
就職先の企業では、もう配属先が決まっています。当面は研修ですが、数年後には自動車の部品や資材を買いつけるバイヤーになっています。近年は大株主の米企業にならい、一年目からバイヤーの仕事にたずさわる可能性もあります。
もともと日本の自動車業界は「系列」を大事にしてきました。地元の部品メーカーに資本参加し、大半の仕事を発注しました。それが部品業界の競争をさまたげ、コスト高をまねいてもいました。今は、各社とも系列にとらわれず、世界中の部品メーカーと幅広く取引しており、地元や子会社であることは優先されなくなっています。
近隣の系列部品メーカーでは、他の自動車メーカーとも取引を強めつつ、中国など他国にくらべ不利なコスト高をおぎなうべく、より高い品質をめざすなど、かなりの企業努力がなされています。それでも競争はつづきますし、僕はその競争のいわば行司役を担うことになります。
耐震偽造問題で、「コスト削減」という言葉がいいわけのように使われています。
自動車業界も他人事ではありません。三菱グループのリコール隠しで明らかなとおり、品質の問題は人命を奪う事故に直結します。自動車は国際的産業であり、ひとつの企業の不祥事は、世界的な問題になる可能性をもっています。本社の生産・品質管理部や、取引先の品質を評価するバイヤーには、そういった問題を防ぐ使命があります。
性能は大事、デザインも大事、価格も大事です。が、品質面の信頼性あってこそ、当社の「小さい規模でも高い評価」は築かれてきました。近年、自動車のハイテク化、特に電子化は著しく、大手メーカーでさえシステムの誤作動、不具合は実は少なくありません。ハイテク工業製品としての品質には課題がたくさんあります。
僕はコストに厳しい、それに輪をかけて品質に厳しい「行司」になることをめざします。入社後しばらくは工場で研修を受けます。製造現場がどのように高い品質を実現させているか、その取り組み、必要な技術と知識、どんどん吸収するつもりです。
京都は寒かったことでしょう。福岡も今年は寒波するどく、新潟の師走はこんな感じだったなあと、僕はわりに平気ですが、九州に生まれ育った人にはたまらないようです。
今日は一日雨と雷、水曜は講義もとっていないので、この「挨拶」にじっくり向かっています。今夜は平野部でも積雪のおそれあり、朝は凍結のおそれありと。明日は今年最後の講義なので、ちょっと困ります。
この冬は、僕にとっても記念の年になります。秦さんとの文通をはじめて、十年になります! 手紙を送ったのが中学一年の冬でした。まさかご返事をいただけるとは思わなくて…今こうして秦さんに呼びかけていることの幸せを、改めて感じています。
秦さんの日々の「生活と意見」、作品にふれ、これからも、これまで以上に、学び、楽しみ、励まされ、力づよくありたいと思います。迪子さんともども、おからだお大切になさってください。
来週からしばらく新潟に帰ります。年賀状を送信されるとき、実家のアドレスに送っていただけると、家族も年賀状を読めてありがたいです。可能でしたら、よろしくお願いします。
それでは、よいお年を! 史
* ああ、十年。中学一年生の初めての手紙が、どんな大学生や大人達の手紙よりもきっぱりと美しく書かれていて、驚嘆しまた嬉しかったのを忘れない。あの中学生が、明春には企業社会に入る。感慨、わたしもまた無量。この年少の友の未来を胸を膨らませてわたしは観てみたい。
* お誕生日おめでとうございます 風。
夢でも、お祝いしていました。 花
* お誕生日おめでとうございます ゆ
そしてめでたく古稀を迎えられましたこと、お慶び申しあげます。
先生と、先生のなかに今も生き続けているみずみずしい「少年」に乾杯いたします。
どれも感受性ゆたかな先生の若き頃を彷彿とさせて好きですけれども、私としては「保谷野」のうたのなつかしさにとくに惹かれます。
あかあかと野ずゑの杜にしづみゆく遠き太陽が身にしむ夕べ
いまだに武蔵野の面影を残す都下の街、こんな感慨を私も持ったことがありますもの。
先日親友の主催する朗読会の納会があり、彼女のお母様の形見のブルーのウールの和装コートをきてでかけました。きものは小豆茶のちりめん、ピンクの不規則な格子のあいだに小さな文字で笑、門、来、福の文字と小さなおたふくの顔が飛んでいて私の好きなものです。旅のおみやげの赤い五百目蝋燭を携えていきましたら、偶然にも「梁塵秘抄」の朗誦があるとのこと。灯りを消して蝋燭一本を灯し、みごとに幽玄な世界となりました。
いよいよ年の瀬となり、このちょっと心はずむようなにぎわいが子供のころから好きでした。どうか佳いお年をお迎えください。 ゆめ
* ハッピーバースデー。おかえりなさい。京都の夢かないましたか。
湖の古稀をお祝いできる喜びは言葉に尽くせるものではありません。同じ時代に生きられて、間に合ってよかった、遅れないで幸運でした。巡り逢えたことの必然を、胸深く刻んでいます。「今、此処」にいてくださることを深く感謝します。
二十日、二十一日とお留守でしたので、明日ささやかなプレゼントが届くように手配しています。
何をプレゼントしようか色々悩み、シャンパンと苺という組み合わせを考えました。シャンパンは一人で飲むものではなくご家族のお祝いで飲むものなので、酒量が少しは減りましょう。
が、苺は泣く泣くあきらめました。同じ便で送ることが出来なかったということもあるのですが、「やり過ぎ」という印象で、思い直しました。お散歩のついでに苺を買って、シャンパンと一緒にどうぞ。
ブラン・ド・ブランは、ふつうのシャンパンのように黒ぶどう(ピノ・ノワール種、ピノ・ムニエ種)と白ぶどう(シャルドネ種)のブレンドによりつくられているものではなく、シャルドネ種100%のみからつくられていますから、泡も細かく香り高く、シャンパンの中でも特に苺と相性がよいように思います。 89年のヴィンテージですので、みづうみ五十四歳の時のもの。
自分ではグラス二杯分ほどの小さなヴーヴ・クリコのシャンパンのボトルを買いました。今夜遠くから一人で祝杯をあげます。お誕生日おめでとうございます。新しい一年の益々のお幸せとお元気をお祈りいたします。 冬
* 古稀、おめでとうございます!!
(日付が21日になりました。この時間まで、待っていました!!)
先生、古稀をお迎えになり、心からのお祝いを申し上げます。誠におめでとうございます。(万歳、万歳です。)
長寿大国となった今、古稀は「稀」ではなくなってしまいましたが、それでも70歳をお迎えになられたことは、大変なことと存じます。(40代、50代、 60代で亡くなられた方をたくさん知っています・・・。)
これまで70年分以上の大きくて大切なお仕事をこなしてこられた先生には、是非とも、これからは御身を御大切になさっていただきたく存じます。(余談ですが、90歳で他界した祖母は、父が60歳を迎えたときに、「50,60は、洟垂れ小僧」と申しておりました・・・。)
今後もますますお元気で、私のような不勉強な後進たちをお導きくださいますように。なお、甚だ失礼とは存じますが、お記しの品を手配いたしました。ご笑納いただければ幸いに存じます。
まずは、略儀ながら、メールにて古稀のお祝いまで。 澄
* おめでとうございます。秦さん。 卒業生 在英
古稀、従心、不踰、致事、致仕と、70歳を意味する語は随分と多いのですね。昔からそれだけ大きな節と捉えられてきた、という事でしょうか。ですが現在、70歳という年齢、もちろん当たり前のものではないでしょうが、
また逆に、少しも稀なものではないと思われます。
無事に節目をお迎えになられました事をお喜び申し上げますとともに、まだまだ、本当にまだまだ、お元気でいらっしゃる事を、心よりお祈りいたします。
* 《古希を迎えられ》おめでとございます。
秦 恒平先生 昨日《歌集少年》が届きました。しばらくの間『何でしょう?』と心当たりがなく恐る々々開封したのです。
開けてビックリ。秦先生からの古希記念の歌集でした♪ ありがとうございます。
時計の針が廻ってしまいましたが。。。 ☆ お誕生日おめでとうございます♪ ☆
そして ☆ 古希をお迎えられましたこと おめでとうございます。☆
お体に充分お気をつけてご活躍なさいますことをお祈りいたします。
『 窓によりて書読む君がまなざしの・・・
ひそり葉の柿の下かげよのつねの・・・
枯れ色の木の葉にうづみ夕ぐるる・・・』
のお歌が私の《お気に入り》となりました。
再度寒波の到来とか どうぞご自愛下さいますように。(二十二日の冬至はCAに滞在中の長男の誕生日です。) 一枝
* 白い桜花のようです
hatakさん
おめでとうございます。お誕生日をいかが過ごされましたか?
白い歌集をそばにおいて楽しんでいます。よい記念になりました。
秦少年が、後に、はなれた、はなしたものが、三つあります。京都、歌、茶の湯。
この三つには何の関連もないのか、三脚の足のように三つで支えていた何かをある意思で離れ、離したのか。
秦文学の小説を桜桃の実りとみれば、歌の数々は白い桜花、はなびら。初々しいなかにも桜の花のもつ妖しさやはかなさ寂しさを感じます。また、この花が咲いたからこそ後に豊かな実りが生まれたのだと。
札幌は小雪。すこやかに新しい年を迎えられますよう。 maokat
* 幸せな、わたくし。湖。
2005 12・21 51
* かねてより、秦さんはよい歌集をお持ちだと思っておりました。短歌新聞社文庫に収められた「少年」のご恵与にあずかり、まことにうれしく存じました。ありがとうございます。ようございましたね。平成十七記念のご本の出版、心よりお祝い申し上げます。 竹西寛子
* 竹西さん、故上田三四二氏の『少年』に添えてくださった文章ほど私をながく強く支えたものは少ない。心より御礼申します。今度は田井安曇氏の一文も加わり、これはこれで後々に残る一つの名解説となるだろう。感謝しています。
2005 12・22 51
* 『少年』を拝受御作をしみじみ拝見していて、そのあと年譜にいたり、長谷川泉とお親しかった事に気づきました。
亡くなった彼と私とは東大国文科の同級生でした。 藝術院 小説家
* 十七歳の少年がこのような端正な歌い方をしていることに驚嘆しております。 文藝批評家
* 『少年』 簡素な装幀と清々しい中味。やっぱり本はすき。持っているのがうれしい本があるのは、すくいです。 沙
* 美しさと透明感に心洗われる思いです。 日大名誉教授・小児科学
* 明朝より一首づつ声にして読ませて頂くつもりです、とても勉強と収穫があるように思いますので。 脚本家
* 若々しくお変わりない先生が古稀をお迎えになられたとは少々驚きですが。
大好きな「少年」が、こんなに美しい本になって届き、本当にうれしくてたまりません。 銀行理事・高校後輩
* 素晴らしい作品を読みつつ、少年の日々が次々によみがえってきます。 読書人に紹介したいと思っております。 文藝評論家
* 大兄の詩情の原郷『少年』拝受 お礼の申しようもございません。ただただこの清純な抒情の泉の水を掬するばかりでございます。 お茶の水大名誉教授・英文学
* 私も二十歳まで短歌を作っていましたので、郷愁のようなおもいのする歌集です。
ほろびゆく日のひかりかもあかあかと人の子は街をゆきかひにけり
心に沁みる歌でした。 小説家
* 十五、六歳の少年とは思えぬ見事さに感嘆いたします。 詩人
* お若い時分の秦さんの姿に想いを馳せながら拝読しています。 三島賞作家
* 文庫本には、跋から年譜まですべてがまとめられてあり 読者にとってありがたくうれしい限りです。ハンドバックにしのばせてもちあるくことが出来るのもうれしいことです。大切にもち歩きます。 歌人
* 日吉ヶ丘高校の頃、こんなに立派な歌を詠んで居られたとは全く知りませんでした。早い時点から文学に目ざめて居られた事がよくわかりました。 同期生・医大名誉教授
* 歌心のない小生は、秦さんに、このような歌集があること、知りませんでした。太宰はデビュー作品集を『晩年』としましたが、秦さんは古稀の記念刊行に『少年』をあえて…。向こうを張っての営為なのでしょうか? いずれにしても、たいへんお洒落で若々しさを感じます。出発点となる御歌集。 太宰賞作家
* 迪子さんの歌もあり、あちこちに、とてもなつかしく思い出つきない光景が目に浮かびます。ありがとうございました 益々ご健勝で、作品を書き続けて下さいませ。 妻の親友
* 若き日からかくも言の葉が湧いているのを見て驚いています。古稀記念歌集嬉しく頂きました。 書家
* 先生の小説の根になっているとされる短歌に、今回改めて拝読の機会を得て、少年期の先生の清朗な魂の詩的表現のすばらしさに感銘しております。先生の文学をつらぬく孤高の精神・独自性が、すでにこの歌集に芽生えているように拝読しました。 大学教授
* 古稀をお迎えのお祝いを心から申し上げます。記念の御本をありがとうございました。自分の齢も棚に上げていますが、いつも以前のままの秦さんとお話し (心で)しているので、改めて考えると不思議な思いです。 勤務時代の同僚・読者
* 私にとって一番の驚き、不思議は、自分のすぐ近い(地理的に)所にこの様な和歌を詠む「少年」のが存在していたこと! です。全くの別世界で(同じところを往き来しながら)くらしていたのが、今こうして御縁の出来たのもうれしいめぐりあわせです。不出来ではありますがあの頃私の心を占めていたものを思い出してスケッチしました、お礼にかえて。(花の絵) 藤
* ご記念の歌集「少年」をありがとうございます。「湖の本」、インターネット「「e-文庫・湖(umi)」などと、常に文壇をリードされてこられました。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。 妻の従姉弟
* 眠る前に一首一首ゆっくり詠ませていただいて居ります。お若い頃に良い時間を過ごされていらっしゃいますね。歌もすごいです。少し私の背筋ものびる感じがいたします。 H氏賞詩人
* 歌集「少年」を贈って下さりありがとうございます。「山上墳墓」の「炎口(えんく)のごと日はかくろひて山そはの灌木はたと鎮まれるとき」「勲功(いさをし)のその墓碑銘のうすれうすれ遠嶺(とほね)はあかき雲かがよひぬ」、「光かげ」の「遁れ来て哀しみは我にきはまると埴丘(はにをか)に陽はしみとほりけり」「閉(た)てし部屋に朝寝(あさい)してをり針のごと日はするどくて枕にとどく」「偽りて死にゐる虫のつきつめた虚偽が蛍光灯にしらじらしい」など、とりわけ好きです。私も数え年で古希、殆ど在宅ですが、たまの美術展、音楽会が楽しみです。 元出版社役員
* 9月からチェコのプラハ大学のほうに出かけており、先週末帰国したばかりです.
早速、溜まったメールを整理し始めたところですが、先生からの「少年」「湖の本」を見つけ、そちらに関心が移ってしまいました.いつものご高配に感謝もうし上げるととも、とりあえず帰国ご報告まで. ペンクラブ理事
* 歌集「少年」有り難うございました! これからゆっくり読ませて頂こうと、楽しみにしています。少しぱらぱら見た感じでは、「難しそう」というのが本音ですが、何かきっちりとつまった玉手箱のようで、私の理解出来るものもこぼれ出て来るかも――と思っています。私自身が短歌を書くことは、もうあきらめ、読んで楽しむことにしています。
高円寺の短歌新聞社の前をよく通ります。
古稀 おめでとうございます。 義妹・詩人
* 歌集『少年』いただきました。古希にして振り返る『少年』時代をお持ちになっていること、うらやましいかぎりです。
加賀では、時雨と木枯らしの季節がなきにひとしく、いちどに雪になりました。除雪と融雪が行き届いていて生活にはそんなに差し障りはありません。
その後お体いかがでしょう。お大事になさってよいお年をお迎えになるようお祈りしています。
たどたどしくキイをたたいて御礼とします。思うように言葉をつづることはできませんが。 哲
* 封書で頂戴したお手紙に、懐かしく嬉しいお便りが多いのであるが、それはしばらくおいて、ハガキの方から、ご挨拶のものは割愛し記念に少し抜き書きさせてもらった。
* 京都で撮ってきたたくさんなデジカメ写真を、機械に入れ、題などつけて整理を終えた。
2005 12・22 51
* 詠歌のむづかしさを常々痛感 私に一首も文字を並べた経験はありません。 深い造詣の中に選び抜かれた言葉が光っています。 机上に奉安 日夜 開かせていただきます 御厚情嬉しく 心から御礼申し上げます。 古筆学
* 「跋」「母と『少年』」「解説」を読みました 歌をこれから心を据えて鑑賞させて頂きます 多少たかぶっております。
茂吉が好きで生家をたずねたり、「白き山」に魅かれて大石田に行ったり ちかくは斎藤史を良しとしたりしています。左千夫の墓に参り 墓塔の字は不折らしいと思ったり つまり短歌が好きです。 俳人
* たまたま京都に行く用事がありましたので 頂戴した歌集「少年」をポケットに入れ 比叡おろしの中で 秦”少年”の みずみずしく 感受豊かな日々を偲んで参りました(カバーに当時の御写真もあればと思いました。)
ただ 無責任を承知で申しますと ”根の哀しみ”の切なさは切なさとして 根の在り処が 京都、それも昔の京都でいらしたことは (ウナギ屋の前を通って匂いだけかいできたような私などからしますと) まぶしく羨しいことのように思われてなりません。
ともあれ 本当に 有難うございました。 厚く御礼申上げますとともに 末永い御健康をお祈り申上げます。(御子息の御活躍も 素晴しいですね。) 文藝春秋 編集者
* 『少年』は何回目かの拝読ですが、やはり大いなる感銘を受けました。それにしてもこの文学的早熟ぶりには改めておどろかされます。先生ご自身の「跋」、上田三四二や竹西寛子氏のご文章も、重ねて、よいものだと
存じます。 元岩波書店編集者
* 私も昭和八年生れ、戦中戦後のきびしい中をのりこえました。
笹原のゆるごふこゑのしづまりて木もれ日ひくく渓にとどけり
はりひくき通天橋の歩一歩(あゆみあゆみ)こころはややも人恋ひにけり
むづかしい言葉のないのが心にしみて、少女の頃を、なつかしい京都がしのばれて好きでした。
東福寺から、今熊野、そして泉涌寺へと、一度はひとり旅、一度は主人とお詣りしました。 子供の頃から祖父のおともでお寺詣りは好きでしたので 今でも心落着く場です。 泉涌寺の静かさは忘れられません。
いつまでも 湖の本が続きますようにとお願い申し上げます。有難うございました。 群馬県桐生市
* 「歌集 少年」有難うございました。いろいろ考えましたが今日は思いきってご無礼をかえりみず手紙をしたためました。
思いおこしてみますと先生の作品に初めて接しましたのは弘文堂「死の文化叢書」の『死なれて死なせて』でございました。
何故今回先生の全作品をと思い至りました経緯は「NHK週間ブックレビュー(放送日・平成十三年一月)『日本語・ニッポン事情』(現在この番組の司会の一人長田渚左さん)の照介で知り感銘を受け「湖の本版元」へ註文かしましたのが事の始りで、その時は未だ全巻とは考えていなかったのですが、『みごもりの湖』を読みまして、大袈裟に申し上げれば心の震えを覚えたと申しましょうか その時全作品をどうしても取り揃えたいと決意を致しました。
先回までで全巻取り揃えることが出来ました。長い間お手数をお掛け致し誠に申訳ございませんでした。改めて深く御礼申し上げます。
小生今年満七十八歳となり徒食の日々を過している老人ですが計からずも先生の作品にお会い出来ました幸せを心より嬉しく時に任せ読ませて頂いております。重ねてお礼申し上げます。 千葉県八千代市
* 歌集『少年』のジャケットの写真がとても佳い雰囲気です。御元気の御様子何よりと存じます。私の目には今でも大阪(出張所)での入社試験(を担当)の際の様子が浮かんで来ます。長谷川(泉・編集長役員)さんの到着が遅れたために、一緒に(受験の秦と)二人だけで相撲のテレビを見ていた様子がはっきりと浮んで来ます。
詩歌に疎い私ながら引き込まれて読み進み、理解したつもりになりました。 私は八月から浪々の身になりました。ふり返れば医学書院に五十年の歳月を埋めたことになり、その長さに自分でも驚いているような始末です。 今年こそ 言ひつつまたも年の暮 勤務時代の上司
* 寒い十二月をいかがお過ごしでしょうか。
お心づくしの歌集『少年』ありがとうございました。おすこやかに七十才をお迎えになりお祝い申しあげます。”湖の本”創刊以来二十年近く、又その前からも私の傍にいつも先生の御本があったことを幸せに思っています。
頂戴致しました御本は 小さく愛らしいので バッグに入れて折々に好きな場所で拝見したいと楽しみにしています。
「目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの」の一首を是非口ずさみたい風景があります。 奈良の唐古鑓遺跡、ここからは二上山に沈む夕陽が切ない程美しく見えます。
京都へは月に二度行きます。その時以外にも気のむくままに仏様や花や木を訪れます。 引っこしが多く居場所の定まらない日々を過ごして参りましたが 毎年同じ場所に同じ仏様や花や木を訪ねるという 何ということのない時間を楽しめるようになりました。
先生がお小さい頃 多分 走り回っていらっしゃった知恩院へは 通り抜けるのも含めて度々行っています。
今年は夏以降、”無言館”の絵を初めとして 村上華岳 小林古径 伊藤若冲 上村松園 源氏物語絵巻と 日本の絵を沢山見ました。”無言館”に小野竹喬さんの御子息の絵がありました。竹喬さんのあの空色を思い出しました。
寒い日が続くようですので、 くれぐれもお身体 お大切になさって下さい。
無理をなさいませんように。 温
* この最後のお手紙の人ほど、メールが可能なら、どんなにかいろいろ風雅な優雅な話題で楽しみ合えるだろうと思う人は少ない、無い、といってもいい。とくに万葉集、そして文面にもある木や草や花のことで教わることの多い人であった。昔、隣街の大泉学園の南に住まわれていて、ときどきお目にかかり、心おどろく新鮮な知識を与えてもらうことが何度もあった。謙遜な、しかも勉強家で、お知り合いの何人もを湖の本の読者に紹介してくださり、それらの何人もと今も久しいお付き合いが続いている。早くに北海道へ、また関西へとご主人の転勤につれて移ってゆかれ、もう十数年も逢う機会なく、それにわたしがもっぱら機械をつかい、この人はまるで機械に縁のなげな人なので、文通もずうっと途絶えがちであったけれど、昔に変わりない、もの静かな佳い便りが受け取れて、「少年」に、感謝している。
* 歌集『少年』を拝受いたしました。ありがとうございました。十五・六歳にしてすでに万葉・古今・新古今を連想させる歌を詠まれていることに、改めて驚かされます。
弥栄中学では生徒会長として、日吉が丘高校では先輩として記憶していた秦さんに、本郷(東大)のキャンパスで偶然お会いしていなかったら、今のようなご縁は存在しなかっただろうという気がします。京都での生活は中二から高二までの足掛け四年に過ぎなかったのですが、秦さんの作品を通じて、京都について、さらには日本的なものについて知り、考えることが出来ているように思います。
私も来年の秋には《古稀》 を迎えますが、十年近く前から体調が優れず、正直なところ、目出たいという心境にはなれません。しかし、体力のある限りは何かをしなければと思い、おぼつかないパソコンで見聞や感想を記したりしています。
同封の石川布実訳『娘が尋ねる 左翼って何』は昨年の出版ですが、私にとっては最新のものということになります。中学・高校生位が対象の本を、年輩の人々が、面白かったとか、ためになったとか評価してくれたのは「想定外」のことでした。御笑覧いただければ幸いです。
地球上の至る所で、思いもよらぬ天災、人災の続いた一年でした。せめて来年がすこしでも安らかな年でありますようにと願うばかりです。 どうかご一家でよいお正月をお迎えください。 2005年12月22日 府中
* 一年下におっそろしく出来る女の子が転校してきたそうだと、噂に聞いた。弥栄中学でのこと。根津美術館にふくよかで親しめる好きな「仏頭」がいつも展示されているが、その前に立つと石川さんを思い出すが、京都時代には一度も言葉を交わしていない。お父さんは京大で有名な仏文だか独文だかの教授とコレも噂に聞いていた。
再会したのは、わたしが東京本郷の医学書院に勤めていた頃、取材にしょっちゅう出入りする東大のキャンパスでぱたりと出会った。石川さんは院生であったのだろう、お互いによく顔を見覚えていたものだ。
以来一度も会わないでいるけれど小説家になってこの方、ずうっと応援して貰って、湖の本もぜんぶ買ってもらっている。佳い翻訳で本を何冊も出されている。心友である。
* 一頁目を開くと同時に、「窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる」という瑞々しい感性の歌に触れ、懐しくなりました。小生は今春から*大芸術学部文芸科で「小説論」「創作実習」を担当しています。そこでも、秦さんの作品をテキストに使わせていただいているのですが、ぜひ『少年』も紹介させていただきます。 作家
* 歌集『少年』ありがとうございました。昭和の万葉歌とでもいったつややかさに想わずひきこまれますね。
私の大学(教員)生活もあと数ヶ月 お別れの文章教室(何と選択必修のゼミなのです。)の学生たちに読ませてやりたいと思います。7部ほど、お送り下さい。
まったく寒いです。くれぐれもご自愛下さい。 ペンクラブ会員
2005 12・23 51
* 秦先生 古稀おめでとうございます。(今頃になって、失礼しました。)
先日、深夜、郵便受けの中に短歌集を見つけたときは本当に驚きました。これは…とおもって、早速その日、風呂の中で頁をめくりました。(深い意味はなく、最近は、風呂の中でも本を読んでいます。)
率直に言って、私は、残念ながら、短歌は苦手です。
まず解説には頼らずに読みますが、淡々とした光景にしか見えてこず、その後、「解説」を読んでようやく、ああなるほど、と、その色合いの深さに気づかされ悔しがります。
(それ以前に、たとえば「樫の葉」がどんな葉か、すぐに思い起こせない、といった課題があります…。)
ただ、漠然とした印象なのですが、特に15・6歳の短歌を読んでいて、若い人たちの写真集を見ている気になりました。
少年の歩いている路・日々が次々に「カシャッ」と音を立てて切り取られ、色々なアングルで、続けざまに繰られていく、ときには、「見つけたぞ」と言って、なんてことなさそうな場所のある一瞬を狙い撃ちしている、そんな感じでした。
先生の奥さんが詠まれた短歌には、巧くて驚くとともに、こういっては失礼かもしれませんが、歌を交換しあっている若い二人の生活がとてもほほえましく思えました。(どんな顔で、どんな紙に、どんな風に…と、余計な想像ばかり広がります。)
こうしてみていくと、ここまで完成された形の、少年の日々という彩り豊かな写真集をもって、古稀を祝える、というのは、本当に素敵なことですね。
あと、蛇足ですが、「いさおし」(勲功)には、ハッとさせられました。私にとっては、武士の時代の墓碑などは、完全にお伽噺のものですが、先生が詠んだ時は、もっと身近で、空しさの色も濃いものだったろう、と思います。歴史感覚…連続感覚も、私たちは随分違うんだろうと思います。
それでは、寒さ対策を入念に、よいお年をお迎えください。
# 私も先生に遅れること一日、二歳の息子にアピバーデーウーユーと
# 祝ってもらいました。 森林・卒業生
* 佳い感想。 勲功の歌は遠い昔の武士ではなく、近代現代の兵士・兵卒たちの。そんなお墓が高校のすぐわきの丘墓地にいくつも並んでいた。生徒達はそんな中ででも朗らかに昼弁当を食べていた。
2005 12・24 51
* このたびは、歌集『少年』をご恵送いただき、ありがとうございました。
いつも実に精力的にお仕事をされていて、私などは遙か裾野から先生の文学的営為を仰ぎ見ている次第です。
お送りいただいた歌集を拝見し、まさに「少年」のころから、大きなエネルギーの塊をお持ちであり、しかもそれを明瞭に形象化されているところ、驚きました。太宰の中学時代の習作を見ていても、凡百の文学少年とはやはりどこか違うところがあるように思われるのは、多分、〈形〉を先験的に持っているという一点だと思っています。しかし、その一点こそが何かの分かれ道でもあるようです。 大学教授・現代文学
* 若き日の歌集『少年』味誦しまして心清しくなりました。座右におき勉強の資とさしていただきます。 俳人
* 短歌は好きで、自分でもたまに口ずさんでおりますので、たいへんうれしく思いました。 看護学教授
* ひと時、純粋で若い静かな心に触れた思いで拝見いたしました。古来稀なるおとしまで励んでいらっしゃるお姿に感銘を受けます。どうぞせお揃いで佳い新年をお迎え下さいませ。 東京西荻
* 十代の心のみずみずしさ、言葉の含蓄の深さに、ああ、矢張り…と思わせられました。昭和萬葉集が亡き姑の本箱にあり、とり出してひらき読みました。
「菊ある道」が好きです。『少年』ゆっくりくり返し読ませて頂きます。 熊本市
* お珍しいお方から、歌集を頂きました。有難う存じます。退職して随分になりますが、古典と、古藝能に通じていらっしゃるお方が、ホームページなど、自在に操っていらっしゃるのかと、一寸驚きでございます。それにしても、”京都”にぞっこんでいらしただけあって、歌のひびきの美しさ、言葉遣いの巧みさ、素晴らしいと思います。歌言葉、歌の心は関西が長けている、と、よく思います。 元「新潮」編集者
* 少年時代の処女歌集とは思えないお作ばかりで、ほとほと感にたえているところです。なんといっても秦文学の原点といった印象が深く、一読後いろいろな思いにふけりました。小生は十年の年長ですが、一筋の道を歩んでこられなかった過去をふりかえって忸怩たる思いを禁じえません。 文芸評論家
* しみじみと栴檀は双葉より芳しと感じ入り、心して拝読いたしたく存じます。 札幌市
* 『少年』はかねてから拝見したいと願っていたものでした。その早熟の才華もさることながら、伝統的なうたのこころとことばが、やはり秦文学の原点にあるものだとあらためて思い知らされました。「母と『少年』と」に貫かれたご母堂さまとの不思議なご縁も息をのむばかりの思いでよみました。古希の賀を迎えられましたとのこと、ますますのご挑戦ご健筆を祈りあげます。 国文学・名誉教授
* 短歌新聞社版は不識書院とは版型も違って新鮮な思いが致しました。「跋」がそれぞれの版をまとめてありましたのもありがたいことでした。「母と『少年』と」も心に残りました。拝読させていただきながら短歌をつくることの難しさを実感しておりました。実作の経験のない私には、「十五、六歳」の少年の表現への感性、あるいはことばへの感覚が驚きでした。不識書院を拝読した時もそうでしたが、この度もそのことをやはり最初に思いました。 心に残りました歌をここに記させていただきます。
八頁「樫の葉の」 十一頁「炎口(えんく)のごと」 十三頁「うす雪を」 十六頁「日だまりの」 十八頁「瞬間(ときのま)の」 二十三頁「新しき」 二十七頁「舗装路は」 二十八頁「そむきゆく」 三十五頁「いしのうへを」 三十八頁「目に触るる」 四十七頁「木の間もる」 五十三頁「木もれ日の」 五十四頁「ひそめたる」 五十六頁「わくら葉の」 六十二頁「日ざかりの」 七十頁「あさつゆに」 七十一頁「真昼間は」 七十四頁「迪子迪子」 七十七頁「そこに来て」 八十二頁「さわさわと」 八十三頁「枝がちに」
以上の歌を書きとめながら読了致しまして実に懐しい気持が心をしめておりました。
久しぶりに忘れていたものを思い出したような気持が致しております。
誠にありがとうございました。 詩人・大学名誉教授
* 長い間、お仕事、ご勉強、御研究とお続けになられながら、第一線で常に御活躍遊ばされましたのは、さぞ健康面も、その他いろいろ大変なことでございましたでしょうと、心より尊敬いたし、敬服の他ございません。
貴重な先生の御歌集『少年』 美しい言葉と心、志の高さと、気品、何もかも勉強になり心豊かにさせていただいております。いつも御心におかけ下さいまして感謝申し上げております。 俳人
* 今夜からまた雪もよいの寒さでございます。近江らしいと言えば近江らしい足早やの冬です。ホームページのにこやかなお写真ではとても考えられないのですが、古稀をお迎えになられお祝い申し上げます。
歌集『少年』ご恵送賜りもう有頂天によろこんでおります。
先生のご著書はいつも生半可な気持で読みたくなく、時間をかけ、しっとりと鎮むこころを大事にしながら読みとうございます。こんな(五個荘の)古い家屋敷を後生大事に抱え込んでしまったものですから、未だ勤めの身、あと二、三年は致し方なく、おゆるしください。
此の路やかのみちなりし草笛を吹きて仔犬とたはむれし路
十字架に流したまひし血しぶきの一滴をあびて生きたかりしに
(=ともに恒平生母阿部鏡の作)
五個荘から能登川へと抜ける繖山(きぬがさやま)のトンネルを毎日車で近江八幡へと通っております。あの辺り(に阿部鏡の歌碑が)と覚しきを尋ね拝する日もご著書にお出会いする気持と同じくして、是非とも歩一歩歩みつつと温めています。その方がいいのです。私にとってもその方がふさわしいのだと決めています。
石馬寺はすっかり変りました。『みごもりの湖』のあの分厚い茅葺きの本堂も鉄筋の建物となってしまいました。やんちやな住職の仕業と苦笑しています。いろいろお話ししたきこと山ほどございますが、いづれゆっくりと。 (秦のホームページの)雀さん楽しいですね。驚きますね。いいですね。そんな傾向の話題をひとつお報せします。
実は、いつの時代からか分からないのですが、わが塚本村に毎年正月三日の佳い日に、山本源太夫率いる伊勢神楽がやって来ます。午前中は各戸をかまど祓いということで廻るのですが、そのカマドが村中でも我が家だけ残っています。今度、何でもNHKハイビジョンの撮影隊が一行を追い、そのカマド祓いを是非撮影させて欲しいと区長さんから申し出がありました。古い家、水廻りを改修する余裕もなく放って置いたのがヒョンなことと苦笑ものです。十月頃放映予定ということらしいのですが、多分、カットされることでしょう。おくどさんの周囲、急ぎ掃除をしてきれいにしました。
でも、寒風に舞う神楽、それは見事なものですよ。本多安次先生が、里神楽の中でも最も洗練されていると言われておられました。
ことことと雪起こしの風。 どうかご健勝のほどを。 滋賀県五個荘
* お宅に泊めて頂いたことが二三度ある。近江商人の豪家がずらりならんだ閑静な五個荘は、「みごもりの湖」女主人公達の故郷である。近江、ことに湖西は、伊賀、伊勢また南山城や大和との縁が濃い。
ここにいわれている伊勢神楽の山本源太夫一座は幾久しい来歴をになった「日本」の一つのルーツでもある。里神楽、聞くだに心懐かしい。わたしの生母はおとなりの能登川で生まれている。近江はわたしには母国なのである。実父方の故国は、南山城の当尾(とうの)の里。浄瑠璃寺や岩船寺や石佛たちの里である。
2005 12・24 51
* 会社勤めの頃の上司の一人で、入社試験を受けた最初から御縁の石原隆良さんから、二つの文章を送ってきてもらった。そのうちの一つを書き写してみたい。以下に挙げる現代短歌の一首に対する、読みの問題。産経新聞の「産経抄」に載った読みへの石原さんの反論であり、わたしは、この石原説に概ね推服する。
* ガス弾を浴びし黒髪いまはもう
涼しき銀河となりて梳かれぬ 吉竹 純
* 男が自分で「髪を梳く」か 石原 隆良
平成一七年六月四日(土)産経新聞「産経抄」に紹介された、東京都練馬区・吉竹純氏の、第一一回与謝野晶子短歌文学賞・文部科学大臣奨励賞の入選作である。
「産経抄」には、「作者は恐らく団塊の世代だろう、大学紛争の洗礼を浴びた若き日の黒髪に、今は白髪が入り、それも減ってしまったことを詠んでいるようだ」とあり、続けて「実は受賞作の作者は男性だが、みなぎる若さに恋の情熱をほとばしらせた晶子のイメージがあってこそ、銀河と表現した白髪によせて、おのが人生を静かに回顧する姿が鮮明に浮かぶ」と記されている。
しかし、私の解釈は少し違う。
産経抄子は作者が男性であることに意外性をほのめかせ、その作者が「おのが人生」を回顧していると評しているが、私はそうは思わない。この髪は男性である作者の髪ではなく作者の妻の髪であると受け止める。
この御夫妻は、あの六〇年安保の頃に青春を過ごし、ガス弾を浴びる下でスクラムを組んだ同志として結ばれた御夫妻であろう。それからの長い歳月を経て、還暦も遠に過ぎ、お互いに髪に霜を戴くようになった。その髪を櫛けづる妻の姿を見て、しみじみと二人の来し方を回顧している夫の様子が私の目には浮かんで来る。
そのように受け止めた理由は、第一に「梳かれぬ」という表現である。先ず、男が整髪する際に「梳く」とは言わない。更に、ここでは受け身表現になっていることである。自分で目分の髪を梳かすのであれば、「髪を梳(と)きながら、そのように感じた」という形の表現になる筈であろう。「梳かれぬ」という受け身表現は「梳かれている髪」を端(はた)で見ている情景を髣髴とさせる。つまり、妻が梳いている髪を少し離れた所から見ている位置である。
第二には、「涼しき銀河」は矢張り女性の髪と受け止めたい。「涼しき」という形容は男が自分で自分の髪につける形容ではあるまい。それに、「銀河」と言うからにはある程度の長さがほしい。しかも、この「銀河」は「黒髪」を受けているのであるから、当然女性の髪であろう。
夫が、苦楽を共にした妻が銀色の輝きを帯びた髪を櫛けづる様子を見ながら、あの激しかった青春の日々を思い起こしている心境ではないのであろうか。安保闘争の激しさは、その頃の二人の情熱の激しさと二重映しになっているのかもしれない。
そう思えば、作者が男性であることは当然のことと理解出来る筈である。 (平成一七、六、四)
* 石原さんも私も、同じ会社の労組から、あの六十年安保闘争の時には、連日国会をとりまくデモに参加していた。若い組合員の中には夫婦で参加していた人もいたかも知れない。それを想うと、この歌のこの石原さんの読みは、少なくも「産経抄」の読みよりかなり的を得ている。この石原さんの一文がどのように人目に触れてきたか、こなかったか、を、わたしは何も知らない。ひょっとすると今はじめて此処に公開されるのかも知れない。
もう一つ戴いている一文もじつに興味深く、やはり此処に転載したい気持ちが強い。転載してもいいというお気持ちで送ってもらったのだと、勝手に想うことにしているが、この方は、もっと問題が難しいのである。
勤務の頃、わたしを強く創作活動へと刺戟した人として、上司であり重役編集長で、しかも国文学者としても著名な長谷川泉さんのおられたことは、何度も書いてきた。彼は詩人でもあり書家でもあり、わたしが受賞したとき「文質彬彬」の大字を贈って下さった。扁額にして今も身近に掲げている。
石原さんの件(くだん)の文章は、譬えて謂えばこの論語に見える四字を、咄嗟に外国人に英語で、あるいはドイツ語で「通訳する」難しさに触れている。
「e-文庫・湖(umi)」に貰おうと思っているが、この「闇に言い置く私語」の聴き手にも関心を覚える人があるだろう。欧米在住の読者にもうったえてみる。
この一文は石原さんの母校の印刷物に卒業生として寄稿されたもののようである。その頃彼は本社を定年で退き、株式会社「医学書院出版サービス」におられたようである。東外大を1956年に卒業されている。
* そっ啄(そっ=口ヘンに、卒)の英訳を試みて 石原 隆良
『そつ啄』の『そつ』は、鶏の卵が孵化する時に雛が内側から殻をつつくこと、『啄』は、その時母鶏が嘴で外側から殻を突き破ることであり、両者を合わせて「機を見て両者が相応ずる」意味を表し、更に、「二人の気持がぴったり合う」「師弟の機縁相熟する」の意となり、教育の神髄を示す譬えに用いられる。
この『そつ啄』を英語に訳すにはどのようにすれば適切に意味を伝えることが出来るであろうか。
それについて、もう二昔余りも前に、私が経験したことを述べてみたい。
私が東外(東京外国語)大卒業以来勤めていた医学書院は、医学専門図書の出版と関連領域の洋書輸入を業としており、当時私はニューヨークにある子会社に出向していた。
子会社の社員は10人足らずであったが、日本人は私1人で、社内では日本語は一切通用しない環境であった。
或る時、本社の長谷川(泉)社長が米国出張の機会にこの子会社を訪れ、社員一同との懇親の場で各人に色紙を進呈されたことがあった。
長谷川社長は森鴎外や川端康成の研究で知られる我が国有数の国文学者であり、同時に書の達人でもあって、屡々揮毫される墨蹟は誠に見事なものであった。その社長が好んで揮毫される言葉の一つが『そつ啄』であり、その日に青い目の社員達に贈られた色紙の中にもそれが入っていた。
その他には『邂逅』『観自在』『柳緑花紅』『一期一会』『天紙風筆』等があり、私はそれぞれの色紙の内容を説明しなければならない破目になったのである。
私の拙い知識と未熟な語学力では、これらの意味を英語で説明するのは正に至難の技であったが、中でも最も苦労したのがこの『そつ啄』であった。
種明かしをすれば、これらの色紙の内容については前日社長から連絡を受けていたので、私はアメリカ人のマネージャーに相談しながらそれぞれの英訳を作成してみたのである。しかし、それぞれを英訳する場合に直訳しただけでは何の変哲もないので、その背景こある思想にまで触れてみようとすると、『邂逅』と『一期一会』、『柳緑花紅』と『観自在』とは究極のところ同じことになってしまいそうで、東洋の深遠なる哲理を西洋人に説くことの難しさを如実に思い知らされたものである。
ところが、『そつ啄』の場合にはそれに加えてもう一つ、異質の戸惑いがあったのである。
私が苦心の未に作成した英訳は次の通りである。
SOTTAKU…Cracking Eggs
A motber hen cracking the shell of eggs
to help her chickens coming out
at the moment just they are hatched.
Everything is all right and good timing.
私はこの英訳に満足している訳ではないが、意を尽した表現を思いつかぬままにこれで諦めたというのが本音である。この表現では母鶏の動作に偏っていて、『そつ啄』の真意を表しているとは言えないであろう。
真意を表し切れない最大の理由は、彼ら(米人)の中に卵が「孵(かえ)る」という自動詞的な発想がないことである。
我々が中学生になって英語を習い始めた頃に、“I was born” という表現に出会って、英語と日本語の違いを認識させられた経験は、多くの人達が持っていると思うが、それと同様に卵が孵ることも “be hatched” と受動形で表すのであり、「捕らぬ狸の皮算用」に相当する諺として “Don’t count your chickens before they are hatcbed” というように、卵は常に親が孵すもの、一方的に親によって孵されるものという概念しかないのである。それ故に、彼等の感覚としては、雛は親が孵してくれるのを卵の殻の中でじっと待っているのであり、自ら殻を破って出て来ようとする雛と外から嘴で殻を割ってやろうとする母鶏とが相呼応する、という光景は思い描けないのである。
卵が‘かえる’という自動詞的発想がない為に、それにピッタリ合う言葉もないのである。雛が孵って殻から出る寸前に中から殻をコツコツとつつくことを、日本語では「はしうち」と言うのだそうであるが、それに匹敵する
英語は見当たらない。確かに、英和辞典を引いてみれば、batch にも incubate にも自動詞としての訳が添えられてはいるが、実際にはその用法は殆ど無いと言えるのであろう。我々は通常「生まれる」は “be born” と覚え、‘be hatched”を「孵る」と訳して、そういうものだと思っているが、このような事態に遭遇すると大いに戸惑うことになる。
私はアメリカ人のマネージャーに「卵が孵る」という日本語的発想を何とか理解させようと試みたが、遂にそれを分らせることは出来なかった。 “growing up and coming out by itself” などと説明してみても、“no” という反応しか返って来ない。孵化してchickenになってしまえば自ら grow するが、egg は自分では grow しないと考えているようである。それを科学的な合理性と言えるのかどうか知らないが、彼等の理解では、卵は incubate されなければ自ら雛にはならないのである。
苦心惨憺、無い智慧を絞ってみたが、結局のところ彼等は、「長い間卵を抱いて暖めて来た母鶏がいよいよ最終段階に来て自らの嘴で殻を割り、中から雛を出してやる」という程度の理解しかしてくれない。そうなると、母鶏が殻を割るのは最後の仕上げということになり、むしろ、『画竜点睛晴』に近い意味になってしまう。これでは到底、教育の神髄や師弟の機縁にまで及んだ話には辿りつけない。
これは言葉の違いというよりも、文化の違いとも言うべきものであり、このような処にも洋の東西には埋め難い差があるものかと考えさせられたものである。
誰方か名訳を御教示戴ければ幸である。
その後、私が本社に帰任した頃には、この長谷川社長は会長として社業を見ておられたが、海外との重要取引先との会談には出席され、その際にも同様に色紙の贈呈をされることがあった。その場合には、海外経験豊富な新社長が堪能な英語を駆使して説明されたので、私は苦手な英語から解放されていた。しかし、上記の他にも『芳草生車轍』とか『大愚難到』などというものもあり、同席した面々の間では甲論乙駁賑やかであったが、私には到底歯が立たぬ思いであった。
ところが、英語から解放されて暫く経った頃、今度はドイツの古い取引先である Springer 杜の会長が75歳の誕生日を迎えられた時に、私は長谷川会長から墨痕淋漓と揮毫された大きな色紙を渡され、その独訳を仰せつかったのである。色紙の揮毫は『山青花欲然』であり、贈呈先の名は『月杖大人』となっていた。
『月杖』というのは大の親日家であるその会長が、かねてから Gotze という御自分の苗字に自ら当てておられた漢字である。
長い間ドイツ語から遠ざかっていた私にとって、この独訳は英訳以上の難題であったが、親しいN常務の協力を得て、2人の合作で漸く以下のような挨拶状を作り上げることが出来た。
この色紙と独文の説明に月杖会長は大層御喜びになり、早速、長谷川会長宛に鄭重な御礼状(=此処には割愛する。)が届いた。その御礼状の中には、この説明に対して次のように記されており、N常務も私も大いに安心することが出来た。
Sie baben mir mit Ihrer schonen und eindrucksvollen Kalligraphie und Ihrem liebenswurdigen Brief mit der Aussprache und Ubersetzung des Textes eine groβe Freude gemacht. Sie haben mich in den Mai des Leben s versetzt -das bedeutet fur mich Freude und Verpflichtung! Ich werde mich bemuhen,Ihrer Vorstellung zu entsprechen soweit das nur irgend moglich ist.
このケースでは、洋の東西を問わず共通するものがあると感じるが、『そつ啄』のようにどうにも手に負えぬものもある。『一期一会』には “One meeting, One opportunity.”という訳があるが、簡潔に同じ意味を伝えられる表現があれば素晴らしいことであろうと思っている。
* わたしには論議できないけれど、翻訳の苦労はおもしろくよく分かる。独文のウムラウトがうまく出せないので、分かる人は補って読んで欲しい。
なにしろ長谷川さんは漢字型の発想者で、機械で字の出せない言葉を鉄砲玉のように繰り出せる人だった。わたしが四文字熟語を「湖の本」の挨拶に書き添えるのも、長谷川さんの感化であろうか。
* ところで「一期一会」の英訳が “One meeting, One opportunity.”とあるのは、私の「理解」を伝え得ているのだろうか、堪能な人たちにぜひ教えて貰いたいが。
ちなみに簡単に言うが、「一期一会」とは一生涯に一度の出会いをなぞ謂うのではない、というのが私の理解である。限りない同じ琴の繰り返し繰り返しを生涯に一度「かのように」新鮮に心を射れて繰り返す覚悟を謂うのである。
2005 12・24 51
* 昨日の日曜にも今日にも、まだ続々と『少年』への声が届く。郵便だけでもと妻の用意した袋は、とうにはちきれて。有難いこと。
* 寒一段と厳しくなります 過日は展覧会御覧賜り有難度御座居ました 先生のホームページも拝見致しました。 作品を以テ人の心と結ばれる事は 独りでの制作時とは違った豊かな嬉こびを感じます。
歌集少年 楽しみに拝読させて戴きます 御禮申し上ます。
残日少く多悦の歳の瀬 御自愛賜り万須様 御禮まで 樂吉左衛門拝
* 毛筆の美しさに惹かれて拝見。じつは、招待券がもう一枚あり、もう一度展覧会に出かけるのを楽しみにしている。ただ、あの脇坂の度はずれて急なことに怯える、アキレス腱はあそこで伸ばした。車に頼るのが賢明か。
* 二十一日が古稀のお祝いでしたとか、まことにお目出とうございます。現代ではもはや稀とはいえないご年齢ですから、「少年」の再刊は、老いの自覚を日々重ねている身には、心あらたまるようでございました。
早速に何度も読ませていただき、澄んだ気配と、そこに照り翳る少年の心の韻(ひび)きが、沢山の年輪を重ねてきた今だからこそなぜか心に沁みるような気がいたしました。
目に触れたものや場を介在として、現実にはつかみ難いものをひきよせ、立ちあがらせ、三十一文字のことだまとされている歌集に、その後の小説の世界を見るようでございました。小説でのことばのこだわりも、少年時代の、この短歌から出発しているのでしょうか。
竹西寛子氏が書かれている「根の哀しみ」は、私の感じていたことを、きっちりと形にしていただいたようで、一つ一つ頷きながら読ませていただいたことでした。
いろいろ思うこと感じることはございますが文章にすればかえって消えてしまいそうですので、その手がかりになるかとも存じ、丸印をつけたい沢山の中から約く十首を書き抜いてみました。
舗装路はとほくひかりて夕やみになべて生命(いのち)のかげうつくしき
ほろびゆく日のひかりかもあかあかと人の子は街をゆきかひにけり
目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの
しのびよる翳ともなしに日のいろや吾が眼に染みて瞑(く)れむとすらむ
落葉はく音ききてよりしづかなるおもひとなりて甃(いし)ふみゆけり
山ごしに散らふさくらをいしの上に踏めばさびしき常寂光寺
わくら葉の朱(あけ)にこぼれて木もれ日にうつつともなし山の音きく
ふみまがふ石原塚のみちはてて木もれ日に佇(た)つ人もありけり
おほけなき心おごりの秋やいかにわが追憶(おもひで)の丘は翳ろふ
うつつあらぬ何の想ひに耳の底の鳥はここだも鳴きしきるらむ
そして、かつてあった日への、あるいは亡き人がいま在りせばの想いでしょうか、
良き日二人あしき日ふたり朱(あか)らひく
遠朝雲の窓のしづかさ
が、しんと心を占めております。 ありがとうございました。 小説家
* なんたる寒さ! ”夏より冬の方が好き”とのたまう私も連日の寒波襲来、”北山しぐれ”に粋がっている余裕もありません。お元気ですか、ごぶさたばかり。歌集”少年”頂戴いたしました。ありがとうございました。
あのフツウのノートに書きとめられた短歌の数々を、今、こうして活字になり行儀よく並んでいるのに、なつかしいという想いより、少年の、恋、死…への その時々の深い感傷を、ちょっと背のびした歌いぶりで歌いあげたんだなあと、いとおしいような気持ちで読ませていただきました。 お体お大切に、良いお年を。 京都 正
* 歌稿にしていたフツウの雑記帳の三冊ほどに、和菓子の店の美しい包み紙や、英字新聞などでいちいちカバーを付けてくれていた、日吉ヶ丘での古典読みの親しい友、たしか女校長先生まで勤め上げられたと聞いているが数十年、会わない。この人も、メールを使わない。
「少年」の冒頭に「窓によりて書(ふみ)読む君」と歌われているのは、高一の国語の教室にいた、いまの玉三郎の素顔ににた、すばらしくよく出来た少女で、卒業までは在籍してなかったのではないか、人の噂でははやくに亡くなっているといわれている。
この人からわたしは堀辰雄のいろいろな作品を借りて読んだ。わたしは、まともな本の借りられそうな人へは、遠慮なく、頼んで借りていた。この人はいつも物静かに、言葉などほとんど片言も口にもしないまま、惜しみなく貸してくれた。ときに手の甲で口をかくして声なくわらうこともあった。玉三郎もいいが、後に松園の「娘深雪」を観たときにもまっすぐ思い出した。正確な氏名すら忘れかけているが「沢守和美(和見)」さんといいはしなかったか。堀辰雄の薄命な「風立ちぬ」のヒロインや「美しい村」「菜穂子」などとつい重なってくる。ほんとうに亡くなったのか、分からない。「畜生塚」「慈子」「冬祭り」などのヒロインたちに感じが伝えられているかもしれない。
* 歌集『少年』ありがとうございました。 年少よりの深い感性に驚嘆致しました。 九十歳になります。明年四月奈良万葉文化館で、五月六月高島屋京都、東京で個展の準備中です。年少の頃より体が弱かった私が今迄仕事が続けられたのは全く不思議千萬の他力であると思っています。
今後共よろしくお願い致します。 染色・陶藝家 京都美術文化賞選者
* 急いで読むのはもったいないような感じがします(そうらしい)ので、しばらくはごちゃごちゃの机の上の一ばん上にそっとのせておいて、そのうちゆっくり拝読させて頂きます。 江戸女流文学研究者
* 東福寺はよく友達とエスケープして行った所、あのよき頃の東福寺を想い出すことができました。日吉ヶ丘高校で先生と、せめて学年が同じであったなら、一度くらいお目にかかれたかも知れないのにと今にして思います。 俳人
* 掌に収まる瀟洒な御本、添えられた御写真もとても素敵で、大切にさせて頂きます。
古稀にして少年のかなしみは瑞々しく、ますますのご活躍を楽しみにしております。 現代文学研究者
* 御歌集『少年』貴重な天才少年のお歌に感嘆するばかりです。 高年齢になった文学少年方にこのごろ圧倒され物思う歳末です。 詩人
* 研ぎ澄まされた感性に驚嘆しながら鑑賞させていただいています。 文藝評論家
* 十五、六歳の頃から、こんなにも完成度の高い御歌を書いてられたとは。感嘆します。
教養豊かな家庭環境に育たれ、岡見(一雄)先生にも習われた由、その底深さに初めて気づきました。
戦災の渦にも翻弄されることなく成長された幸運に別世界を見る気もいたします。
ますます大きいお仕事をされますように。 名誉教授・大阪(同年令)
* 小生 今、『少年』私家版を机辺に置いて居ります。偶然、不思議という感じで、今回の再刊本を頂戴いたしました。
小生還暦前に退職、十年は摂生――、で、昨春古稀、依然、糖尿病、網膜症の進行に抗う日々。葬式はどうでもよいといった話題の夫婦暮しです。
小生の死に支度では、数冊の珍蔵本が気懸りで、珍蔵筆頭の『少年』私家版本は、親しい歌人の還暦祝いに、年明け早々呈上しようと、手許に取り出していたというわけです。
「一陽来復」にも「笑門来福」を、前日年賀印類彫上げたところで、一人勝手に御縁を感じて居ります。
年末の雑事が片付き次第、四つの版の『少年』を展げ、味読しながら越年させていただくつもりです。冗語連ねました、御容赦下さい。
どうか御自愛のうえ、お元気でお仕事を重ねられますよう、祈念申しあげます。
お慶びと御礼申しあげます。 敬具 歌人・篆刻家 神戸市
* 秦 恒平様 拝啓歌集『少年』有り難く、本当に有り難く御礼申し上げます。『一陽来復』は、そうですねえと、本の裏表鰍こ貼りました。さて…田舎の爺・婆は手に取っては、「むつかしいねえ…」「…ほんと…でも、一所懸命なのがわかる気がする…」「十五歳でねえ…」と、開いたり閉じたりしては炬燵の上に置いてあります。
むすめが来て、「うーん…これは…DNAがちがうと思う…」とみなでうなっています。こたつの中のねこにこんばんわのようですが、この新鮮な驚きを喜んでいます。縁先にメジロが降りてきて覗いています。
実は、Eメール送受信ができなくなり修復もまだです(セキュリティソフトで混乱)。それで郵メールです。冬があるから春がくるんだとがまんしています。
転倒骨折風邪肺炎。くれぐれもお大切に。敬白 千葉 E-OLD
* 誰に送ったのやら送り忘れたのやら、分からなくなった。こういう年の瀬になったことを景気と眺めている。
* お礼 先日は歌集「少年」を贈って戴いて有難うございます。
前に戴いた小説の「山名」君のデッサンは、小生の目には素晴らしいものだと映りました。
勿論彼も子供の頃はあんなデッサンの描き方は教えられなかったと思います。みんな我流で始め、それを教師に矯められて正しいデッサンの描き方を教わるのです。
殴り書きみたいな運筆で、モチーフの特徴をきちんと捉えてあっという間に描き上げるくらいのことは、彼の能力からすれば朝飯前の事と小生には思えます。
八坂神社の拝殿の絵は、美術クラブの夏休みの宿題でした。
あの絵を最初に見たのは、美術クラブ担任の西村敏郎先生と小山光一君? と小生でした。
あの絵については、機会があればまたお話します。
本年は何かと有難うございました。
良い年を迎えてください。 福 同窓
2005 12・26 51
* 和歌山のE-0LDさん 一つ率爾ながらお伺いするのですが、私の文庫本歌集は、届いて居りましょうか。
と、申すのも、お送りの控えにお名は有りますのに、宛名だけで宛先住所を欠いた封筒が一つ残っているのを見つけました。たしか住所表記が変わったはずと、躊躇したまま宛先を書き漏らし、そのままに成っていたのかも知れぬと、家で心配して話しています。久しく久しいお馴染みのあなたに差し上げないワケがなく、うかと重ねるのもおかしいしと、メールでお尋ねするとしました。粗忽なことで恐縮です。
そちらは雪は降りましたか。 寒い寒いと、いろんな地方からお便りがあります。お大事なさって下さい。 湖
* 有難うございます
「私語の刻」で、「少年」への皆さんからの謝辞を拝見しながら 分不相応とは思いながらも羨ましく存じていました。今日 和歌山市まで出て大きな書店で調べてもらったのですが、在庫も版元の出版リストもパソコンに見当たらず、申し込みできない との返事で、どうしたものかと思案していたところです。お送りいただけると有難いことです。
建日子さんの「推理小説」元版は既に読んでいますが 文庫になって平積みされていましたので買ってきました。1月10日から放映だそうで、家内共々楽しみにしています。
古希の日は 顔見世をお楽しみと伺っていましたのでお祝いも申し上げず失礼しました。
ご健勝で良い新年をお迎えください。 和歌山 E-OLD
* 粗忽なことで、同様のご無礼がかなり有るやも知れない。お詫びしておく。
秦建日子の文庫本『推理小説』が出ると聞いていたが、まだ見ていない。
昨日から連続で再放映している毎日系列の「ドラゴン櫻」は、見直しても、骨格たしかで、モノの感じ方・考え方に頼もしく同感のところも多く、阿部寛・長谷川京子のコンビが気持ちいい。「特進」教室へ入ってくる生徒諸君にも親しみを覚えている。凡百の学園モノのなかで、一等地を抜いた一つであろうと、贔屓目なく思う。今日二回目を見てもそう感じた。あと十時間分ほど、明日からは、何回も取りまとめて再放映するのだろうか。
2005 12・26 51
* 秦さま。いよいよ暮れも押し迫って参りましたが、お元気の様子。
このたびは”古希”!おめでとうございます。
歌集『少年』頂戴いたしました。ありがとうございました。
建日子君ご活躍ですね。 西東京 謙
2005 12・26 51
* (数が少ないと言っていた) 曙の歌を一つ見つけました。
み吉野の高嶺の櫻散りにけり嵐も白き春の曙 後鳥羽院
こういう大物の詠んだ和歌について、詩人の前では感想を述べません。(述べられないので。)湖が好き嫌い、佳い悪い、面白い面白くない、どう評価をなさいますか。とても興味あります。 冬
* 歌屑ではないでしょうか。上句はあまりに陳腐。「散りにけり」というぶっきらぼうな区切れも面白からず、さらに院自身は手柄と歌われたか知れない「白き」が、よくハマッていない感じです。
尋常に「紅き」としてかえって異色を表現しえたのではないか。櫻は「暖雪紅雲」と映じ、ことにも散り急ぐ吉野の山一面をイメージすれば、「嵐も紅き春のあけぼの」と「あ」音のきこえに文字の風情をとらえ、完了形とみず、進行形ととらえていた方が、おなじ作り歌ならば、よほど面白くはなかったか、と。「白き」はきこえも奇妙に瘠せ、ちいさくて、寒い。
異論があろうと思いますけれど。
2005 12・27 51
* いかがお過ごしですか。静かに歳末を暮していらっしゃいますか。
なんだかとても久し振りのような心持でHPを読みました。歌集への皆様の感想、本当に良い古稀のお祝いになりました。どうぞ元気に七十代を乗り切ってくださいますように!!!
家に戻って、さすがに疲れを感じています。舅が介護用ベッドとトイレ風呂の行き来にほぼ限定された状態になり、介護の人を週三回頼むことになりました。姑はこれまで他人を家に入れたくないと頑張っていましたが、遂に諦めて、彼女自身も介護認定の手続きを進めることにしました。これからどのように状況が変わっていくか、さまざまに問題を抱えています。
この二、三年は二階にわたしたちが上がることも嫌がられていましたが、今回は介護の人が入るので一階を中心に大掃除をひたすらしました。
年を取るということは否応なくエネルギーが減少していくこと・・身辺を綺麗にして暮すことがどれほど大変なことか身に沁みて感じます。
家に戻って仕事が山積しています。この場所も、今日明日と少しは片付けませんと! 娘たちが帰ってきます。長女は元旦から仕事が入っているので31日には東京に戻りますから、三日間だけの帰省です。例年とは大いに異なった正月です。
昨日はインド洋の大津波から一周年、テレビを見ていて・・子供を亡くした母親たちの溢れ流れる涙、成り立たない暮らしなど・・本当につらいものがあります。ささやかなことしか自分にはできませんが、常にさまざまな人たちのことを思います。わたし一人の悩みなど贅沢なものです。
先日ハリーポッターを映画館で見ました。久し振りの映画館でしたが、それがハリーポッターとはいささかヘンでしょうか。が、この類のもの嫌いではありません、純粋に楽しめますから。CGのおかげでこれまで映像化できないだろうとされていたものが続々映像化されて、ゲド戦記も来年夏に、ナルニア国物語は春に上映される運びとか。
先日「少年」を下さると書かれていましたが、わたし宛に送ったでしょうか。HPから多くの方に本が届いたことが窺えるのですが・・わたしは受け取っていません。催促ではなく問い合わせ、です。
今日も寒く、風が吹いています。どうぞ風邪などひきませんように、元気に元気に。 鳶
* 古い住所録で間に合わせたのが間違いの元。転居する人の場合は必ず古いのを消さないといけないのに。妙な心理なのだが、また此処へ戻るかも知れないしなあと、つい消さない変なクセがわたしに有る。御免候へ。
これから図書館へ何十冊と単行本を寄贈にはこぶ。自転車でダイジョブかな。ほんとは何回も往復したいが、一度で息があがるだろう。
* 文庫版歌集『少年』 心の内側に深く垂鉛の降ろされた硬質な抒情を放つ短歌に感銘をいただきました。つよく烈しい御歌にも清澄な境地が漂うのに惹かれます。それにしても、これほど高い調べの、豊穣な短歌を十代でよまれたということに、改めて驚きを覚えます。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。 小説家
* 御歌集ありがとうございます 釜井先生、給田先生のおなつかしい御名前に誘われるようにお作品の懐旧の世界に引込まれております。今の私のどもに学ぶべき多くのご示唆のあり 学ばせていただいております。私も八十才をすぎました。
耳もとに振ればさや鳴るこばん草傘寿といふは他人(ひと)ごとでなし 綾
腰折れお笑い下さい。
御多忙のご日々かと存じます ご存分にご自愛下さいませ。よきご越年とご迎春をひたすら念じ上げております。一筆の御礼まで かしこ 歌人・弥栄中学の恩師
* 歌集『少年』誠に有難うございました。
少年時代の秦さんの甦りのごとく、興味をかきたててくれます。 牧師
* 他にも、『みごもりの湖』担当編輯者の初見氏や国文学の小松先生、喜多流の友枝昭世氏らのお手紙を戴いている。
2005 12・28 51
* わかくさのきしののゆめはふかかりきあづさのゆみをひきもならさで
くるとしのはるはたかなれあづさゆみゆめぢはとほきやごろなるらめ
* 梓弓引津辺にあるなのりその花咲くまでに逢はぬ君かも (万葉集)
2005 12・29 51
* 歌については、私はしろうとでございますが、(歌集『少年」は、)新鮮なお気持がほのぼのと感ぜられ、拝読後、私はまことに清らかな感じになり嬉しうございました。いづれも美しく明るい歌が多くとくに印象にのこった歌を挙げさせて頂きますと、「歌の中山」のうちの、
たちざまにけふのさむさと床に咲く水仙にふと手をのべゐたり
とは、特に 私は何とも言へぬ情緒を感じました。その他に挙げれば切りがない程有り、こんな美しい歌集を今まで知らないでいた私が、うかつであったと思っております。
青年時代の全く清らかなお気持が、しみじみと浮び上っており、座右の書として、今後常に開いて見たいと思っております。 東大名誉教授 国文学
* 珠玉の歌集 いつもながらのご芳情深謝いたします。
うす雪を肩にはらはずくれがたの師走の街にすてばちに立つ
など、このような少年の時代もあったのかと、思わずほほえんでしまいます。やはり年を追いながら思索的な深まりがあるものと、さまざま先生の若い頃に思いを馳せております。ありがとうございました。 阪大名誉教授・国文学
* 良い歌は何度読んでも良い歌です。
木の間もる冬日のかげにくづれゆく霜のいのちに耐へてゐにけり
など何度も復誦いたしました。お健かに新年をお迎え下さい。 東大教授・国文学
* 御高著『少年』を御送付下さり、まことに有り難うございます。厚く御礼申し上げます。(大学の)雑事に振り回される毎日ですので、頂いた歌集で、文学の香を味わいたいと存じます。
無事に古稀をお迎えになられた由、おめでとうございます。
今後ともご健康に留意なされて、益々のご健筆、ご活躍を心からお祈り申し上げます。
よい年をお迎え下さい。 金沢大学教授・近代文学
* 装幀も誠に快く手に取るのが楽しうございます。座右の文庫本用の小さな本箱に(百人一首)一夕話や幸田成友の古事記、有朋堂文庫の謡曲集などと竝べて納めました。厚く御礼申上げます。 福田恆存先生奥様
* 過日はお手紙を頂き、又、この度はご本をお送り下さり、誠に有難うございます。お誕生日おめでとうございました。
毎日、色々な事が有り、耐えられない気持ちで、その事を書いたり、話したりすることが怖かったです。
夕方残業していました時 先生にお電話してお声を聞かせて頂くことにより、心を強く出来るかしらと思いましたところ、電話番号を持参していない事に気付き、寂しさと悲しさとで やっと仕事をする事が出来ました。
何のお祝いの言葉も、お祝いの品物もお送りせず申し訳ございませんでした。
私の方は奥様から昨日お葉書を頂き、そのお心優しいお手紙、さわやかさで、心救われました。感謝致しております。
『少年』のご本の先生のお写真ですが、いつ頃なのか、今もお変わりないのかしらと思っております。歌は、お若い時に作られた作品とは思えない美しい言葉を大人の女性が作られたように感じます。
人生を深くみつめられて、景色をも敏感に受けとめられている若き少年は、夢の世界の人のように思って読ませて頂いております。愚痴を言ってはいけないと思いながらも心の弱さにまけている自分、別次元で物事を考えて生活出来るようにしてまいりたいと思いました。
古稀を迎えられおめでとうございました。百歳を目標にお過ごし頂きたいと願っております。 群馬県
* 歌を挙げてくださるのが、お一人お一人、みな異なっているのが面白い。歌の好き好きとは、そういうものであって、百人一首のおはこがいろいろなのも当然という話。
いま、機械のディスプレイの両脇に、同じ文庫本でわたしの文字通り処女作品集であった『少年』と、秦建日子の処女小説『推理小説』とが、立てて置いてある。わたしの表紙は簡素に清寂そのもの。息子の本の帯には篠原涼子扮する敏腕美貌の刑事姿が大きく、TVドラマ「アンフェア」原作 2006年1月10日スタート! フジテレビ系毎週火曜よる10時 と案内してある。
2005 12・29 51
* 御著『少年』をお贈りくださいまして、まことにありがとうございました。
暮の忙(せわ)しない日々を過ごしている合間に、しんとした空気を運んでくれたような珠玉の御作にひとつ、またひとつと触れては心清らかにさせていただきました。
どれもそれぞれに心に沈むものがありましたが、不遜を顧みず1首あげさせていただくと、
目に触るるなべてはあかしあかあかとこころのうちに揺れてうごくもの
が幾度か立ち戻って読みなおしたくなるひとつでした。
今年は3月に新しい職責を得て幾つかの公立中学校・小学校の卒業式に来賓として列席いたしました。先生の御作を読ませていただいたとき、ふいに、ある学校で出会った一人の男子小学生の姿が思い浮かびました。
今の卒業式は、壇上で校長先生が証書をひとりひとりに渡すとき、次に受ける順番の生徒が壇の端で待ち、さらに次の生徒が壇の下で待っています。そして名前を呼ばれると「はい」と返事をした後、自分の抱負をひとこと大きな声で場内に向かって述べて、それから校長先生の前に歩み寄るのです。
小学6年生ですから、成長の個人差はまだ大きく、大人のような生徒もいれば子どもとしか言えない生徒もいます。印象に残っている生徒は、ひときわ小柄で、着ているのもほかの生徒たちのように紺ではなく、灰色の服でした。頭は丸狩りで、顔つきは幼いながらきりりとしていて、指先までぴんと伸ばした姿勢は辺りをはらうような清々しい空気を醸し出していました。彼は壇上にあがり、名前を呼ばれると、少し高い、美しい声で言いました。
「ぼくは数学者になりたいと思います」
ほかの生徒たちは、おおむね中学生になったら部活動をやりたい、勉強をがんばりたいというような言葉が多いなかで、彼の言葉は天から響くようでした。
すみません。先生の御作から心に浮かんだことばかりを長々と書きました。
長いついでに、まったく別のことですが、もうひとつ書いてよろしいでしょうか。
先日(十二月二十四日つづき)、ある方の現代短歌とその読みについて、どなたかの反論をお書きになっていらっしゃいましたね。大変興味深く読ませていただきました。
ただ私の「読み」はどちら(産経抄および反論男性)とも違うものでした。二つの「読み」とは関係なく、私の第一印象を確かめようとしばらく日を置いて、再読いたしましたが、やはり私には違って読めました。
* ガス弾を浴びし黒髪いまはもう
涼しき銀河となりて梳かれぬ 吉竹 純
作者は男性で、髪の主は女性であることは、それ以外考えられません。
でも私のイメージは、作者が懐かしい同級生に会ったものとしてしか浮かばないのです。共に闘い、数十年の歳月を経て再会した昔の仲間です。
なぜ、と論を展開するほどの技量を持っておりませんが、私には、あげられた二つの「読み」はどちらも浅く感じられました。雑駁な思いのみ書き連ねて申し訳けございません。
どうぞお身体お大切に、よいお年をお迎えくださいませ。 都内・区教育長
* ありがとう存じます。一冊の歌集を介してめぐる思いをお寄せ頂いた。まごころのメールである。
2005 12・29 51
* 美ヶ原 能、歌舞伎、和歌、旅の風物詩、ご著書へのご感想が、琵琶の湖に比良の白い山稜が映えるように行き交う賑わいは、ある舞台の、舞いのようです。
おそくなりましたが、古希をおめでとうございます。
また「河上徹太郎氏」との東京會舘風景は、いいですね。
今年の秋の写真ですが、ご家族お揃いで雪の高原を楽しまれますように。 川崎E-OLD
* うまいことを言ってくださる。
* 歌集届きました。嬉しく拝受、ありがとうございます。
よいお年をお迎えください。 鳶
* では、機械をしめて階下へ。
2005 12・29 51
* 『少年』が無事に手許に届いたのかどうか、何となく宅急便も頼りない気分が残る。それでも、送り出しはもう一応終えた。送るべきが漏れ、同じ人に二冊送ったりしている形跡もないではない。やれやれ。
2005 12・30 51
* 先日送ったメール、短歌集『少年』を催促してしまったようで恥ずかしいです。返信のメールで、送りましょうとおっしゃっていただけたのですが、売られている本をもらうというのも、悪いような、図々しいような気がして申し訳なく思います。とりあえず、住所は書いておきます。
野付湾まで車で10分のところが実家です。手間がかからず、時間があるときに、よろしかったらお送りください。
今日は、母が、ジェンキンスさんの『告白』を買ってきました。私はその手の本があまり好きではないのですが、母が本を買う姿を初めて見たということがあって、「どんなものでも本を読むのはいいんじゃない」と言っ
ておきました。
ちなみに私は、建日子さんの『推理小説』を買いました。かぎ括弧の使い方が、普通と違うなと思いました。
それでは、忙しい時期、体調を崩さないようお気をつけください。 昴
* 『少年』ありがとうごさいました。十八年のお正月の楽しみがふえました。金沢はまだ雪。いよいよ魚のうまいときです。 劇作家
* かわらずご健筆、ご発言のこと拝し お教えいただくこと多く敬服いたしおります。ご記念「歌集 少年」たまわりありがとうございました。
早くから諸藝ご堪能の趣、京の都の底力と圧倒されます。国文学、古典を楽しく読ませることを仕事にしておりますが、やはり自身創作の喜びを実感せねばと痛感いたしまして、湖の本、当女子大の図書館にも備えておられますが、学生達もぜひ感化していきたいものと念じております。
ご多忙の折、お揃いでお大事に。
退隠の友初雪を報せくる 大学教授・兵庫県
2005 12・30 51
* 四国の花籠さんから、古稀と新年へのお祝いが届いた。
* 月様 今年も今日一日で終わりますね。
去年は風邪で声が全然でない状態でしたが、今年はどうにか咳が少しでるだけで済んでいます。でも、残業は夜半までが数日続いていて睡眠不足がちに。今年最後の多忙な一日を頑張って、明日は寝正月になるかもわかりません。
歌集「少年」嬉しく拝受。
十七歳 「たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは」
重ねられる思いが、その歳の私にもあったこと。何を見、何を聴いても、恋する多感な胸は切なくうるんでいたことを懐かしく思い出しました。
喪中で静かなお正月となりますが、ゆっくり歌集を楽しめることが嬉しいです。
お体の不調、やはり冷えが一番よくないと思われます。温かくなさって、くれぐれもご自愛のほどを。
建日子さんたちとのご旅行の由、佳い旅を楽しまれてくださいね。お土産話が楽しみです。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。 花籠
* 折角、お大切に。
私はこれから下命を受けている買い物に、街へ。
2005 12・31 51
* 神戸の***です。遅くなりましたが、古稀を迎えられ、おめでとうございます。
日々の雑用にふりまわされ、久しぶりに「私語の刻」を拝見しますと、歌集「少年」が話題になっていることを、はじめて知りました。
過去の私語の刻を辿っていきますと、これは市販本である事がわかりまして、28日に短歌新聞社に注文のメールを入れました。すると、年末にも関らず昨日の30日に到着しました。
私は「湖の本31」の『少年』も持ってはいますが、この歌集は鞄に忍ばせてちょっとした時間に味わう事ができるようで便利ですね。短歌には疎いのですが、新年に詠ませていただきたいと思っています。
また今年も丹波市島・山名酒造の「奥丹波」をお送りしております。今年は寒波のために、蔵元では出荷に手間取っているようですが、今日にはお手元に届くかと思いますので、ご笑納ください。
では、よい年をお迎えください。
# 私はテレビを見ないのですが、子供が建日子さんのテレビ番組「ドラゴン櫻」を楽しく観ているようです。道
* 忝なく、また申し訳なく。こういう「少年」の贈り漏れが諸方で重なっていることと。
ご免なさい。
* 歌集『少年』 先生の御作全部の原点かと拝見し、又、母上様との不思議な絆を深く心に感じました。私自身今だに母への想い強く、心に響くものがございました。
この初冬、東欧の旅に行ってまいりました。重層的な歴史がどの街にも降り積もっておりました。
厳寒の折柄、御身大切にお過ごし下さいませ。 元中央公論社・編集者
* 歌集「少年」 有難く頂戴いたしました。
好きな歌二首 真っ先に声に出して読ませて頂きました。
青竹のもつるる音の耳をさらぬこの石みちをひたに歩める
柿の葉の秀(ほ)の上(へ)にあけの夕雲の愛(うつく)しきかもきみとわかれては
有難うございました。
新しい年 ご息災であられますよう。 和歌山 E-OLD
* 歌集「少年」 先ず、十五歳にしては言葉づかいの巧みさ、感情のゆたかなことを感じとりました。
少年のころから、身辺におきたことを、自然を通してこのように表現出来る力に感服致しました。 「栴檀は双葉より芳し」とはこのことを言うのであろうと思います。
私の好きな歌を申し上げますと次の歌があげられます。
歩みこしこの道になにの惟ひあらむかりそめに人を恋ひゐたりけり
勲功(いさをし)のその墓碑銘のうすれうすれ遠嶺(とほね)はあかき雲かがよひぬ
苔のいろに雪きえてゆくたまゆらのいのちさぶしゑ燃えつきむもの
たづねこしこの静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは
新しき卒塔婆がうりて陽のなかにつひの生命を寂びしみにけり
生々しき悔恨のこころ我にありてみじろぎもならぬ仰臥の姿勢
朱らひく日のくれがたは柿の葉のそよともいはで人恋ひにけり
わくら葉のかげひく路に面(おも)がくり去(い)ななといふに涙ぐましも
訃にあひてほとほといそぐ道ゆゑに夜の明滅をにくみゐにけり
みあかりのほろびの色のとろとろと死ににき人はものも言はさぬ
吹きゆけば霜のこぼるる笹はらの道ひとすぢに惑ひゐにけり
特に「弥勒」に集められた歌は秀作が多いと思いました。ちょうど今ここまで詠んで参りましたが先生の歌の力に感歎した次第です。このあとはこれからゆっくりと読ませて頂きます。
本当に有難うございました。奥様にも宜しくお伝え下さい。 専売公社元役員・読者
* 皆さんの、おもいおもいにお好きな歌を挙げて下さるのが、ひとしお嬉しい。思い切りみなさんでいろいろであるのが、さらに嬉しい。
* 歌集『少年』をお送りいただきありがとうございました。沈み込んでいた心が「わたしのような者にまで」と、ぽっと明るみました。
お歌は、おおどかで伸びやかな言葉遣いなのに、一首のうちにくっきりとした美しい情景と時間の流れさえとらえられていて、歌の世界の広がりをしみじみ感じさせられます。
「遠山に日あたりさむき夕しぐれかへりみに」の歌が、いちばん好きです。
たわむれに。少年の日は過ぎやすし。老年の温容こそは慕わしきかな。
古希おめでとうございます。ますます佳き年をお迎えになりますよう。ますますお幸せに、よいご旅行を! 松
2005 12・31 51