述懐 平成二十七年(2015)一月一日
劫初より作りいとなむ殿堂に
われも黄金の釘一つ打つ 与謝野晶子
ゆく水のとまらぬこころ持つといへど
をりをり濁る貧しさやゑに 若山牧水
くさかげの なもなきはなに なをいひし
はじめのひとの こころをぞおもふ 伊東静雄
橋一つ越す間を春の寒さ哉 夏目成美
朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 種田山頭火
大いなるものしづしづと揺れうごき
はたと静まりなにごとも無し 恒平
手にうくるなになけれども日の光 遠
あけぼのは春と定めてためらはず みづうみ
京祇園 八坂神社西楼門
2015 1・1 159
* やっぱり浴槽で読んだ、まずは「吉備」の歴史、これには昔から濃い興味を持ち続けていて、遑無く手が出せなかった。「吉備」は備前、備中、備後、美作の旧四カ国の広域であり、瀬戸内海の島々へも広がっていた。わたしの感心の契機は、神武東征神話の途中で吉備に数年もの足止めないしは停頓を余儀なくされていたことと、日本海側出雲文化圏との連携ないし葛藤に在る。べつだん今更になにを目論むのでもない興の趣くままにである。一つには今書き継いでいる新しいいわば「清水坂」小説を「瀬戸内」にまで想を拡げうるならばと願っているので。
ヒルデイ『眠られぬ夜のために』の第二巻、『南総里見八犬伝』第九巻、ともに残り少なく、しっかり読み上げたいと思っている。
そして「後撰和歌集」「拾遺和歌集」の撰歌と称しつつ一首一首をもう幾たびも繰り返し繰り返し読んで楽しんでいる。
2015 1・12 159
* 25年ぶりに処女作①の「少女」を読み返した。書いたのは1962年十一月だった。これより早く書き始めて歳末に仕上げたのが処女作②の「或る折臂翁」だった。半世紀の余も大昔だ。いま白楽天の長志井和夫読み返すとき、まざまざと安倍政権の好戦姿勢への疑念と厭悪の思いをもつ。
多くの読者は知らない、わたしの処女作ははげしい反戦反征の小説であったことを。
2015 1・13 159
述懐 平成二十七年(2015)二月一日
あはれなりわが身のはてやあさ緑
つひには野べの霞と思へば 小野小町
はかなしとまさしく見つる夢の世を
おどろかで寝(ぬ)る我は人かは 和泉式部
皆人の知り顔にして知らぬかな
必ず死ぬる習ひありとは 慈円
閨ちかき梅の匂ひに朝な朝な
あやしく恋のまさるころかな 能因法師
一枚の餅のごとくに雪残る 川端茅舎
朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし 種田山頭火
なにしにぞわれは生まれしあら笑止
なにしにわれの問ふ問ひでなし 有即斎
春霞まちがてにけふも生きてある
われの狭庭(さには)に梅咲きそめぬ 遠
二月 隅田川黄昏
2015 2・1 160
* 唐銅(からかね)の筒に挿されて四つ五つむつまじく咲く薔薇の薔薇色 湖
* 戴いた百もの大薔薇を、一籠ではあんまり可哀想で、間引いては他の花器にも挿しうつし盛りうつし、家中を飾って楽しんでいる。
2015 2・11 160
* 手洗いを百花園のごと花やかし
妻は歌える 昭和の歌を
はろばろと昭和は遠くうす澄みて
なにも見えねば目をとぢてゐる
あなたとは彼方のこととおもひ知る
さびしきかなや 生きてあること
ひとゆえにひとはかなしく生きてある
なすすべもなきこの世ながらも
2015 2・18 160
述懐 平成二十七年(2015)三月
文章 世において もと繊塵
ただ恐る 頽波の旧津を没するを 頼山陽
人を恋ひ雛おき去りし娘かな 中村伸郎
手洗いを百花苑のごと花やかせ
妻は歌へる 昭和の歌を 宗遠
はろばろと昭和は遠くうす澄みて
なにも見えねば目をとぢてゐる
あなたとは彼方のこととおもひ知る
さびしきかなや 生きてあること
ひとゆえにひとはかなしく生きてある
なすすべもなきこの世ながらも
地震(なゐ)もきて見送る花の三津五郎 湖
平成十八年二月二十五日 孫・やす香とみゆ希とで飾った我が家の雛たち
その七月にやす香は逝き、みゆ希とは以後逢うを得ない。健やかであれよ。
2015 3・1 160
吹くからにアベノミクスのうそくさい屁よりも軽い自画自賛かな
2015 3・5 160
述懐 平成二十七年(2015)四月
かくまでも黒くかなしき色やある
わが思ふひとの春のまなざし 北原白秋
少年貧時のかなしみは烙印のごときかなや
夢さめてなほもなみだ溢れ出づ 坪野哲久
ししむらゆ滲みいずるごときかなしみを
ぬぎてねむらむ一と日は果てつ 田井安曇
うそくさいモノ・コト・ヒトやワレもしかと
痛いほど眼とぢなみだこらへつ 遠
白い椿赤い椿が咲いてをり みづうみ
夜もふけの手洗ひに立てば
ま椿の赤きが二つわれにもの咲(い)ふ 湖
2015 4・1 161
* ウソでないホントのオモ火に身を燃して
オロカなままに歩き果てばや 宏
2015 4・3 161
述懐 平成二十七年(2015)四月
かくまでも黒くかなしき色やある
わが思ふひとの春のまなざし 北原白秋
少年貧時のかなしみは烙印のごときかなや
夢さめてなほもなみだ溢れ出づ 坪野哲久
ししむらゆ滲みいずるごときかなしみを
ぬぎてねむらむ一と日は果てつ 田井安曇
うそくさいモノ・コト・ヒトやワレもしかと
痛いほど眼とぢなみだこらへつ 遠
白い椿赤い椿と咲きにけり みづうみ
夜もふけの手洗ひに立てば
ま椿の赤きが二つわれにもの咲(い)ふ 湖
ウソでないホントのオモヒに身を燃して
オロカなままに歩き果てばや 宏
(最後の歌を追加)
夜色・八坂神社より祇園の街を望む
左の明るい店は、フルーツパーラー「八百文」 背後に、「市立弥栄中学」があった。
二人で横断歩道を右へ渡り「祇園の子=菊子」は、目の前の路地へ消えていった。
「祇園の子=菊子」は、「選集第六巻」の巻頭に。
2015 4/3 161 ?
* ちなみに父母を倶にした亡き兄北澤恒彦は、生前に瀬戸内寂聴さんとこの母を主題に対談していた。母が臨終の直前までかけて仕上げた詩歌文集『わが旅 大和路のうた』へは、信じがたいほど著名作家等の心のこもった激励や感動の便りが届いていた。富裕な名家にお姫様のように生まれ育ち、兄のことばを借りるならさながら「階級を生き直して」人のため子等のため敢闘苦闘の後半生を生き切った母であった。もっと生きて闘いたい母であった、「生きたかりしに」と辞世歌をのこして病躯を投げ出すようにして逝った。「変わった母」であったと今こそわたしは驚嘆する。
2015 4・15 161
* 気疲れはする、仕事もしている。
あす、聖路加の循環器外科でり妻の検査と診察に同行する。手術の日程なども決まるだろう。外来で、かなりの待機時間があるだろう、校正ゲラを三種類鞄、に入れて行く。
今夜ははやくやすむ、と云いながら寝床に躰起こして、昨日も二時頃まで校正していた。気分転換にはいま「後撰和歌集」の撰歌の四回目。五回選んでみる気。この勅撰集には贈答歌が多くも自然詞書の量も多くて、短篇小説の場面に触れている心地もする。しかし撰歌は結局は歌だけで自立し自律しているものを好んで選び残すつもり。べつにそれで何をする気もないが。「後撰・拾遺・後拾遺」三和歌集の秀歌を自分なりに選んでおいて楽しもうと、それだけ。撰歌は、どんな短時間にも、どんな場所・場合にでも、好きに楽しめて退屈しのぎには最適。
2015 4・19 161
述懐 平成二十七年(2015)五月
ひとつ脱いで後ろに負ひぬ衣がへ 芭蕉
夕燕我には翌のあてはなき 一茶
夕霞棚引く頃は佐保姫の
姿をかりて訪はましものを 谷崎松子
さみどりはやはらかきもの路深く
垂れし小枝をしばし愛(かな)しむ 遠
逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の
桃のはなちる道きはまれり 湖
谷崎松子夫人より初のお手紙 「蝶の皿」へ、
色美しい巻紙も ながながと
2015 5・1 162
* 渡部泰明教授の放送大学古典和歌の講義を、歌枕としての各時代の吉野山について、また和歌・俳諧の伝統に於ける「霞と時雨」について、とっくり聴いた。放送大学の講義は概して講義のすすめかたが陳腐であったり鈍重であったり独り合点に過ぎたりして時に聴くに堪えないのが混じるが、今晩の渡部さんの古典和歌の語りは聴きやすく分かりよく、大いに共感して妻と一緒にこころよく楽しませてもらった。和歌、好きだなあとしみじみ思った。
2015 5・3 162
* 晩がた、渡部泰明さんの古典和歌の講話、それも今晩は和泉式部の名歌を数々引き合いに、男、女、子、神までふくめ生の悲しみにも死の重みにも幾重にも触れて聴き応えのする話されようだった、ふと涙ぐむほどだった。
あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな
暗きより暗きみちにぞ入りぬべしはるかに照らせ山の端の月
まことや…と胸にとどく。男なら西行でもよい、女なら和歌は和泉式部に極まると久しく思ってきた。拾遺、後拾遺また千載集の和歌を繰り返し返し読んでひたすら愛でて飽きないには、和泉式部への愛がある。
2015 5・4 162
* 後撰和歌集、六撰も繰り返したろうか。この和歌集はひときわ贈答、相聞歌や詞書の多い集で、たんに短歌を読むと云うより、まさに「和する歌」である和歌を読み楽しむ集になっている。わたしのように、自立し得た短歌としての秀歌を選びたい者にはいささか難儀であり、しかし「読む」面白さには多く恵まれた和歌集だと謂える。贈答や相聞は、当然に男女間に多く、詞書の伝える事情も男女間の消息をより色濃く伝えている。そこに物語めく状況が浮かんでいて、短歌一首の妙を鑑賞するという気味にはむしろ総じてやや離れている。その点を心得て読めば、時代史の感情的基盤すら観て取れる。
一人の男が、また一人の女が、幾重にも女たちと、また男たちと関わり合っていて、関わり方は淡泊というより多彩に恋愛や性交渉を露わにしている。寝たり、寝取ったり寝取られたり、飽きたり飽かれたり、またくっついたりしている。そんなのにまともに付き合っていると歌よたんに状況に奉仕してしまう。詞書の示す状況をかき消しても良しと読み取れる和歌の一首一首をわたしは選びたい。状況はすこぶる興味深くても歌は不充分なのは最終的には見捨てるのである。数は、少なくなるが。
☆ 後撰和歌集 春上中下より (秦恒平撰)
春霞たなびきにけりひさかた月の桂も花や咲くらむ 紀貫之
かきくらし雪は降りつつしかすがにわが家の園に鴬ぞ鳴く よみ人しらず
春くれば木がくれおほきゆふづく夜おぼつかなしも花かげにして よみ人しらず
大空におほふばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ よみ人しらず
ねられぬをしひてわがぬる春の夜の夢をうつゝになすよしもがな よみ人しらず
うちはへて春はさばかりのどけきを花の心やなにいそぐらん 清原深養父
あたら夜の月と花とをおなじくはあはれしれらん人にみせばや 源信明
しのびかねなきて蛙の惜むをもしらずうつろふ山吹の花 よみ人しらず
折りつればたぶさにけがるたてながら三世の佛に花たてまつる 僧正遍昭
みなぞこの色さへ深き松が枝に千年をかねて咲ける藤波 よみ人しらず
散ることのうさも忘れてあはれてふことを櫻にやどしつるかな みなもとの中朝臣
暮れて又あすとだになき春の日を花のかげにて今日はくらさん みつね(凡河内躬恒)
三月つくる日、久しうまうでこぬ由いひて侍る文の奥にかきつけ侍りける
またもこん時ぞと思へどたのまれぬわが身にしあれば惜しき春哉 つらゆき(紀貫之)
かくてその年の秋、つらゆき身まかりにけり
* 次の拾遺和歌集へくると、和歌がずんと和らいで美しく一人立ってくる。拾遺和歌集の撰もほぼ終えている。後拾遺和歌集の撰も終えている。とても愉しいこころみで、寸暇を繋いでは活かしながら和歌世界に遊べる。ありがたいことだ。
2015 5・10 162
☆ 後撰和歌集 夏より (秦恒平撰)
時わかずふれる雪かとみるまでに垣根もたわに咲ける卯の花 よみ人しらず
みじか夜の更けゆくまゝに高砂の峯の松風吹くかとぞ聞く 兼輔朝臣
夢よりもはかなき物は夏の夜のあか月がたのわかれなりけり 壬生忠岑
よそながら思ひしよりも夏の夜のみはてぬゆめぞはかなかりける よみ人しらず
逢ふとみし夢に習ひて夏の日の暮れがたきをもなげきつるかな 藤原安國
五月雨にながめくらせる月なればさやかにもみず雲隠れつゝ あるじの女(坂上なむまつが女)
ふたばよりわがしめゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな よみ人しらず
うちはえて音を鳴き暮す空蝉のむなしき恋もわれはするかな よみ人しらず
つねもなき夏の草葉に置く露を命とたのむ蝉のはかなさ よみ人しらず
人しれずわがしめし野の常夏は花さきぬべき時ぞきにける よみ人しらず
つゝめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれるおもひなりけり よみ人しらず 2015 5・14 162
☆ 後撰和歌集 秋 上中下より (秦恒平撰)
ひぐらしの声きくからに松虫の名にのみ人をおもふころかな よみ人しらず
わがごとく物やかなしききりぎりす草のやどりに声たえずなく よみ人しらず
来むといひし程や過ぎぬる秋の野にたれ松虫ぞ声のかなしき よみ人しらず
穂には出でぬ如何にかせまし花すゝき身を秋風にすてやはてゝん 小野道風朝臣
浦ちかく立つ秋霧は藻塩焼く煙とのみぞ見え渡りける 紀貫之
秋の田かりいほの宿のにほふまで咲ける秋萩みれどあかぬかも よみ人しらず
秋萩の色づく秋をいたづらにあまたかぞへて老いぞしにける 紀貫之
秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつゝ あめのみかどの御製・天智天皇
白露を風の吹き敷く秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける 文屋朝康
月かげは同じひかりの秋の夜をわきてみゆるは心なりけり よみ人しらず
秋風にいとゞ更け行く月かげを立ちなかくしそ天の河霧 藤原清正
白妙の衣かたしき女郎花さける野べにぞこよひねにける 紀貫之
女郎花にほふさかりをみる時ぞわが老いらくはくやしかりける よみ人しらず
花すゝきそよともすれば秋風の吹くかとぞ聞くひとりぬる夜は 在原棟梁
秋風にさそはれわたる雁がねは雲のはるかにいまぞきこゆる よみ人しらず
誰聞けと声高砂にさを鹿のながながし夜をひとり鳴くらむ よみ人しらず
秋の夜に雨ときこえて降りつるは風にみだるゝ紅葉なりけり よみ人知らず
わたつうみの神にたむくる山姫のぬさをぞ人は紅葉といひける よみ人知らず
おほかたの秋の空だにわびしきにもの思ひそふるきみにもあるかな 右近少将季縄女
わがごとくもの思ひけらし白露の夜をいたづらにおきあかしつゝ よみ人知らず 2015 5・15 162
☆ 後撰和歌集 冬 より (秦恒平撰)
初時雨ふれば山辺ぞおもほゆるいづれのかたかまづもみづらん よみ人しらず
吹く風は色も見えねど冬くればひとりぬる夜の身にぞしみける よみ人しらず
神無月時雨許(ばか)りを身にそへてしらぬ山路に入るぞかなしき 増基法師
神無月時雨ふるにも暮るゝ日をきみ待つほどはながしとぞ思ふ 人の女の八つになりける
けさの嵐寒くもあるかなあしびきのおまかきくもり雪ぞふるらし よみ人しらず
白山に雪ふりぬればあと絶えていまはこしぢに人も通はず (式部卿親王絶え絶えのおもひ人)
年ふれど色もかはらぬ松が枝にかゝれる雪を花とこそみれ よみ人しらず
故里の雪は花とぞふり積もるながむるわれも思ひ消えつゝ よみ人しらず
冬の池の水に流るゝあし鴨の浮ねながらにいく夜へぬらむ よみ人しらず
物思ふと過ぐる月日もしらぬまに今年は今日にはてぬとかきく (藤原)敦忠朝臣
22015 5・17 162
* 「月の定家」(しゆんぜい さいぎやう さだいへ)を読み終えた。わたしの和歌観である。わたし自身に気概の在った頃の作だと思われた。
ついで短編集の「修羅」を読み直す、初めて読むほどの感慨がある。
2015 5・23 162
* 奥田杏牛さんから、「素(そ)の俳句 瀧井孝作先生名句鑑賞」「生(き)の俳句 句集釈迦東漸自注」という小冊子二冊を一つ函にいれたのを送ってこられた。瀧井先生の随筆「素のまま生のまま」から分けて題されたもの、瀧井先生の「名句」はさすが際だって「素のまま」胸に届く。「俳句ハ物体ヲ示ス」と。懐かしさに胸が熱くなる。巻頭巻末から引いてみる。
やはらかい春の夕日の伊目の山
夏姿真向(まむき)に甍急なりけり
短夜の鐘のねいろに目覚めけり
浮寝鳥別別になるうねりかな
春淋し居るべき人がもう居ない
硝子戸の中の句会や漱石忌
もう一冊奥田さんの集も、同様に。
霧の 橋車のわれは渡りゆく
李白哭詩晁衡碑惨菊花かな
雙塔や華厳寺草の枯るる丘
少陵原苅田の道を興教寺
鵲の遊ぶ華厳の寺の庭
がまずみの実や純白の佛坐す
相変わらず漢字過多で句境まっつ黒く重たい。俳諧の軽みおかしみの妙味にあまりに乏しい。文字を弄くり用いて胸を張っているとみえる。すくなくもわたしの愛する俳句の妙は、こうではない。残念。とても「生(き)」のままとは見えない、漢字に靠れて造り立ててある。
もう一度瀧井先生の方を観て行くと、
鮎の川西日になり手賑へる
白牡丹花びらのかげほの紅み
しぐれ行く山が墓石のすぐうしろ
かなかなや川原にひとり釣りのこる
落葉焚く煙の中のきのふけふ
これが俳句だ。
漢字一字の字義に頼んで、五七五になんでもかでもやたら押し籠もうというのは無粋な邪道であり、当節の俳人たちのやたら落ち込んでいる見当違い、「俳」知らずの堕落である。
「鷹」巻頭、小川軽舟の「利休忌や刃短き花鋏」も、短剣に自ら伏した利休ではあれ、「刃短き」が俳句の妙にとどかず武骨に寸足らずで、「花鋏」への詩的な繋ぎに欠ける。
俳句は難しい。さればこそ佳句名句に出逢う嬉しさ、曰く言いがたい。上の瀧井先生の句、みごとではないか。
2015 5・24 162
* 危うく歯科約束の時間に遅れかけた。まだ当分歯医者通いから解放されない、終わるかなあと思っていると、歯が欠けたり抜けたりする。あらゆる医療機関のなかで、通っている歯科との縁がダントツに永く久しく、数十年。
* 帰路、中世フランスのコント集『結婚十五の歓び』 ポール・ヴアレリーの『ムッシュー・テスト』 そして或る日本史の論著を、みな岩波文庫で買ってきた。車中では『後拾遺和歌集』の何度目かの撰を愉しんだ。校正するゲラがめずらしく手元になかったから。
2015 5・25 162
* 正午予約で、診察室から声のかかったのが午后二時。めずらしく校正ゲラが無く、「生きたかりしに」上巻を読み返してきた。生母の短歌を多く点綴して、わたしの歌もところどころに置いたのが、唱和ではないけれど呼び合っていて、ときどき胸を熱くした。また後半の七十頁に及ぶ大和路、近江路の旅を建日子と倶にしていたのも、子と父とのかけがえない懐かしい記録になっていて、この小説がただもう一途の探索で終わっていない余裕も見せていると、喜ばしい気がした。
幸い、検査データ、肝臓ほか全てに問題なく。次の診察は九月。
何一つ道草食わず、帰宅。暑さに草臥れるが、少し元気にもなっているか、と。
とはいえ、頸のまうしろから肩が重く痛む。やはり疲労と思う。すこし休む。
2015 5・27 162
* キムタクと大の贔屓の上戸彩とが演じている「アイムホーム」を時折見ている。血縁家族のあいだの微妙な断絶を問題提起の断続の中にあらわしていて、わたしのように複雑に過ぎた幼少期をへて大人になってきたモノには、ややゆるくは有るけれど大方の人には見過ごされている微妙な危機的罅割れを上手くドラマへ持ち出している。
生みの母のことをひとまずは形にした。実の父のことには、手は掛けかけてはいるが、どうなるとも分からない。母の場合は大げさには名誉回復してあげたい気持ちが働いた。それだけ、わたしの内側に愛情ではない敬意が生まれていた。少なくもわたしが懸命に整理し得た母の短歌には、真摯なつよいリズムが息づいていて、強く肯くことにためらいがない。生きる短歌、うったえる「うた」としての短歌を母は死ぬる日まで胸の奥から噴き上げていた。けっして泣き言の歌なんかではなかった。
父の遺している文章や記録は大量にのぼるけれど、終始謂えることは、歎きと逃避と敗北のグチに近い。だれもが穏和で頭のいい坊っちゃんだったと教えてくれるが、敬意はくみ取れなくて、触れて行くのはかえって気の毒という気がしてしまう。
* 今度の上巻では、兄恒彦と息子の建日子を、それぞれに等身大に紹介できていたのではないか。母と兄とは「同志」的に近づいて行けた。わたしは、母を嫌い抜いた、たぶん血の疼きから。わたしは共産党じみはしなかったし火炎瓶とも無縁の少年。青年時代を過ごした。短歌と読書と茶の湯と少年らしい恋と。だから、その後の人生でわたしは闘えた。今でも秦さんは烈しく闘っていると見ている人が少なくない。ナニ、したいことをしたいようにしていて、それが出来るように努めているだけの話。この後のわたしに立ちふさがって来かねない問題は、一つだと思っている、即ち、死、自死。生母はおそらく自死したろう、それは兄恒彦の確信に近い推測でもあった。実の父も、と想われる。そして兄恒彦も自死した。あとを追わねばならぬ理由は何一つ無い。しかし先のことは分からない。
* ま、仕残しているしたい仕事の山登りをせっせと楽しもうと思う。みなさん、くれぐれも自愛せよと誡めて下さる。有り難い、が、したいことが有る、有るという生きる幸せを、大事にし満喫して生涯を終えたい。仕事に終わりはない。
2015 5・28 162
述懐 平成二十七年(2015)六月
はかなしや命も人の言の葉も
頼まれぬ世を頼むわかれは 兼好法師
くすむ人は見られぬ 夢の 夢の
夢の世を うつつ顔して 閑吟集
水すまし流れにむかひさかのぼる
汝(な)がいきほひよ微(かす)かなれども 斎藤茂吉
ほろびゆく日のひかりかもあかあかと
人の子は街をゆきかひにけり 湖
鐵(かね)のいろに街の灯かなし電車道の
しづかさをわれは耐へてゐにけり 湖
生母(はは)といふ他人(ひと)を厭ひて遁げてきし
六十余年 すべもすべなき 恒平
生きたかりしにと 闘ひ 死にし母なれば
生きのいのちの涯てまでもわれは 恒平
生きの緒の根ざせる身内 慕ひつつ
人とし生きて生きてあらめやも 恒平
2015 6・1 163
* 飲まず食わず帰ってきた。もっていた「徳内」再校ゲラ、全部読んできた。「後拾遺和歌集」の最後の撰も終えてきた。
2015 6・1 163
☆ お母様もまた、
書かずにおれない火の魂を抱いていた方だったのだと、胸に迫る歌を読みながら思いました。 黍
* 母の歌には敵わない。本からわたしが好き勝手に抄録し「裸形の旅」と題していたのを機械の中で見つけたが、途中で跡絶えている。もういちど、丁寧に全編を読み直しておきたい。なにしろ死にまぢかい身動き成らないまま編まれた本であり、短歌にも、表現や文法や用字に不充分もまま見られて、おなじ歌人であるわたしにはそれが辛くも有るのだが。拙いは拙いなりの「裸形の旅」を苦闘した母であった事実を尊重したい。その裂帛の語気語勢は、とうてい少年私の及びがたい境涯であった。
* 「うた」って、何? 「うったえ」であろう。母の歌は「うったえ」であり「さけび」であった。母の歌には、敵わない。
2015 6・6 163
* 凶悪な犯罪報道があまりに多い。情けなくなる。
* 幸い、わたしには上のような不愉快からたちまちに離れてしまえる他界がある。自作の掌篇でも短篇でも長篇でも。あるいは古代の和歌の世界へでも。後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、各五撰より以上を楽しんで終えた。平安王朝が円熟の時期の三集であり、特徴的に前詞書が多く、和歌が短篇小説化している。詞書きもろともの面白さを汲むか、あくまで和歌一首一首自立し得たよろしさをとるか。わたしは後者に重きを置いたうえで詞書きも、あるいは唱和・相聞も大事に読んだ。楽しんだ。今日、現代日本のまともな作家で日頃こんな世離れた楽しみと共に創作し執筆している人は、探すのに鉦と太鼓とが要るだろう。現代作家の胸の内の寸法や深みがあまり足りなくなって居はしないか、お節介の気はないが、かさかさと味気ない気はしている。小説や文章の世界が騒がしすぎる。
2015 6・8 163
* 機械HPの中へ、「後撰和歌集」の自選秀歌を書き写している。ついで「拾遺」「後拾遺」も予定している。選んでおくと、いい楽しみに何度でも読み返せるし、改撰も利く。
2015 6・13 163
述懐 平成二十七年(2015)七月
世の中はいづれかさして我がならむ
行きとまるをぞ宿と定むる よみ人しらず
草づたふ朝の螢よみじかかる
われのいのちを死なしむなゆめ 斎藤茂吉
この言葉も亡びるのかと嘆かひし
こともひそかに吾は思はむ 土屋文明
人おのおのこころ異なりわが歌や
われに詠まれてわれ愉します 窪田空穂
世の中は夢か現か現とも
夢とも知らずありてなければ よみ人しらず
愛しきやす香 逝きて幾としぞ
天の川を越えてやす香のケイタイに
文月の文を書きおくらばや おじいやん
秦恒平選集第七巻に
惚けたる老いそれなりに花やいで みづうみ
2015 7・1 164
懐紙 星河秋興和歌 正二位 飛鳥井雅章 筆
あまの川 つきのみふねの追風も
さこそすずしき雲のころも手
* 七夕とはいえ暦の上では季節逸れのまだ梅雨さなかではあるが、ふと思い出して巻いてあった軸をひろげ写真に撮った。
雅章は江戸初期、後水尾院いわば子飼いの和歌の弟子で、ながく院の歌壇に重きをなし従一位大納言に至った。歌のよみにまちがいがあれば、私の咎である。飛鳥井藤原氏は伝統の蹴鞠の宗家でもあった。亡き藤平春男さんに頂戴した『和歌大辞典』に「雅章」の記事がある。
* 季節外れを犯してまで、湖の本発送の途中でもあるのにこな和歌軸をひもといたり、昨日、一昨日と「私語」を通さなかったのも、言うに堪えないある私ごとの「にくしみ」を心に抑えがたく、縷々激越で不快な私語を書いて了っていたのを洩らすまいと耐え忍んでいたからである。
この歳になっても、なお、さような煩悩にわたしは襲われ、怒りのママにものを書いてしまう。ウソ偽りを書くのでは全く無い、事実をあったまま踏まえて書くのではうるが、その不快、身を焦がすほど炎を上げる。静かな心になりきれないどころか、遙かに遠い。その恥ずかしさ故に「私語」を送り出すことを懸命に抑えていた。
いまその箇所を他所へ移した。これまでも、何度もそんな愚かしいことを重ねてきた。
* さて幸いにも、「生きたかりしに」完結編の発送は今日にも終えてしまえる。もう少し、午后に作業をつづける。
あまの川 つきのみふねの追風も
さこそすずしき雲のころも手 雅章
* なにとなくあのかぐやひめの舟あそびのようにも想像される。
2015 7・7 164
* 歯科への通い、暑いのにも参ったが、風の激しさにも面食らった。空は明るく晴れ渡っていた。
それとなく木蔭をつくる日照かな
閑かさや日照の坂を二た折れに
海棠の紅(こう)も翠も梅雨の花
帰りにバー「VIVO」でうまい赤ワインとおすすめのサッポロビールを、ブルーチーズで。そのあと、まつたくの気まぐれでラーメンをひざびさにどうか知らんと小さい店へ入ったが、失敗。
帰宅後、豆腐の味噌汁だけを。これまた食べ方がわるくて、苦しいほど執拗にえづいた。
2015 7/14 164
* 京大名誉教授、元の京都博物館長の興膳宏さんから、吉川幸次郎著・興膳宏編の『杜甫詩注』第九册を頂戴した。九、十册は杜甫の「成都」時代、もっとも完成された杜甫詩の盛期である。有難う存じます。
大邑焼瓷軽且堅 大邑焼の瓷器は軽くて堅い
扣如哀玉錦城伝 扣けば哀切な玉の響きと当地の評判
君家白盌勝霜雪 君の家のお盌は霜や雪より白い
急送茅斎也可憐 急ぎ拙宅にお送り下さい 珍重します
2015 7・28 164
述懐 平成二十七年(2015)八月
戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ みづうみ
遺品あり岩波文庫「阿部一族」 鈴木六林男
馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなり
キャベツなどが大きくなりゆくに似る 安立スハル
独(ひとり)して堪へてはをれどつはものの
親は悲しといはざらめやもい 半田良平
煙草ふかして口笛吹いて あてもない夜のさすらひに
人は見返るわが身は細る 街の灯影(ほかげ)のわびしさよ
こんな女に誰がした
飢えて今ごろ妹は何処に 一と目逢ひたいお母さん
ルージュ悲しや唇噛めば やみの夜風の啼いて吹く
こんな女に誰がした 清水みのる
勲功(いさをし)のその墓碑銘のうすれうすれ
遠嶺(とほね)はあけの雲かがよひぬ 恒平
染色 三浦景生老 涼夏書簡
2015 8・1 165
* 田原総一朗を最高齢世代に、各世代が集ってNHKWが「玉音放送」全文を仔細に読んで語っていたのは有り難いことであった。天皇の声と 言葉とに涙が噴きこぼれた。
今年の夏は、この種の番組に「アベ政治を許さない」必死の気組みがくみ取れる。
* 終戦を国民に告げられた昭和天皇のポツダム宣言受諾および国民の復興への邁進を願われた NHKラジオ放送にかかわるドキュメンタに近いテレビ映画を観た。感動した。いわゆる玉音放送の実現に到る下村宏、当時、鈴木貫太郎内閣の情報局総裁その 他の懸命かつ聡明な努力に深い感謝を覚えた。
こういう人達が、いま、暴走する安倍好戦内閣の近隣に、党内に、閣内にいないらしいことの情けない不幸を、哭き歎かずにおれない。そして、また、
戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ みづうみ
の実感も濃い。東条内閣のまま、もし対欧米、対中国で勝っていたなら、日本の政治はどうなっていたか。おそらく天皇制なども紙屑のように劣化していたのではないか。欧米の帝国主義をはるかに凌ぐ軍政帝国主義が吹き荒れていたであろう。
* 平和憲法は、しみじみ有り難かった。よかった、ともなう瑕疵の幾らかが仮にあっても平和裡に憲法の定めに従いつつ改正可能であったろう。
2015 8・1 165
* 九十一歳の高田芳夫さんからは短歌集と俳句集とを一緒に頂戴した。毛筆の美しいお手紙も。
☆ いつも
御本を御送り頂き申しわけありません。
私は、先生の著、「死なれて死なせて」の中で、ひとりっ子というのと「貰い子」といわれてという境遇と同じ身ですゆえ、ひどく感動して読んだ思い出があります。
どうか先生が長命であられること お祈り申しあげます。
私の家集「いのちあふれて」 句集泊牡丹」など お読み頂くものではありませんが、丁度この二册でき上りましたのでお送り申しあげます。 七月三十一日 高田芳夫 2015 8・1 165
* 百人一首、曽禰好忠の名歌に由良のとをわたる舟人かぢを絶え行方も知らぬ恋の道かな」というのがあり、少年の昔から百首のなかで五指のうちに 数えたい好きな歌だが、ふと、というより、今つくづくと顧みて、わたしは「恋」という一字、一儀を、じつは少年の昔から、あまり重きをおかなかったと気が つく。京で育って「おんな」文化と世間のなかで、ちいさいときから女をかなり赤裸々に観察し、また異色独特の観察眼ももっていたと自分で思うけれど、その あげく、子供からみて、年長の大人たちはしらず、心惹くほどの年格好の女の子に対しては、「この人はいつか自分のお嫁さんに<なれる>人か、どうか」とl 眺めていた。むろん擦れ違って行くだれもかれもが「問題外」だった。およそ、わたしのこのような偏った志向は、しょせん「恋」ではなく、より広くはむしろ 「愛」を求めていたにちかく、より極端にわたしの物言いに煮詰め且つ置き換えると、この人は、「自分の真に身内」と思えるほどの人か、存在であるか、というに極まるのだった。つまり「恋」なんて気持ちは、ある意味わ たしには、生活感覚として範疇外のこと、ことば、であった、他人事としてなら、百人一首にあれほど没頭できたように、深く深く懐かしく理解し知識はしたけ れども、自分自身に向けては、「恋びと」であるよりも「身内」であり得るほどに愛し愛し合えるかが絶対的に大事だった。「妻」は、一人で足りている。妻と は恋をして結婚した。恋は、もう不要だった、妻を「身内」と信愛したのだから。
だれでもが思い当たれる筈だ、わたしが常々謂うような「真実の身内」など、めったにいやしない、出逢えやしない。たいがいが簡単明瞭に「身内崩れ」を起 こすのだ。だからこそわたしは、まるで「尋ね人」を探すように、愛するに足る「身内」のヒロインを創作世界で造形するのだ、わたしは、さような創作行為 を、自身に是認している。「恋」の次元は低く狭く、魅されはしない。「行方も知らぬ恋の道」などといものにわたしは惑わない、そんな道は他者には在るのか 知れないが、わたしには「身内」の思いしか実在しない、少なくも結婚して以来は。
人が人にとって真実「特別な存在」でありうるのは、恋や欲や、いまふうに謂う「つきあい」ゆえではない。「真に身内であるか」だけできまる。ところが「真の身内」はまこと稀有なる真実で、少なくもさまざまな<欲望>に誘い出されつつ成る人間関係ではまったく無い。
2015 8/23 165
* 久しい読者でもある岩手八幡平市の歌人伊藤幸子さんの『口ずさむとき』と題した一冊は、一頁に一人一首をあげて都合416首416篇のエッセイが綴られている。
私の、歌集「少年」の一首が、はやくも第九番に挙げてある。「『少年』の心」と題され、こんなふうに書いて下さっている。
☆ 「少年」の心 伊藤幸子
たちざまにけふのさむさと床に咲く水仙にふと手をのべゐたり 秦 恒平
「旧臘古稀を迎え、文庫本歌集『少年』出版を以て自祝。京都で、また東京で、二百三十一年ぶりの坂田藤十郎襲名狂言を楽しんだ。妻もこの四月には古稀。 けわしい新世紀の老境とはいえ、逃げ腰ではとても…と、夫婦してもうしばらく怯まず過ごして行きたい。美しいものや楽しいことと、せいぜい仲良くして行き たい」。
作家秦恒平先生の06年「湖の本」に寄せられた「私語」である。
私は昨年の今ごろ、生まれ日の祝いにさる方より『少年』初版限定本を頂いた。それは表が濃紺、内側が黄色の帙に包まれて、桜色の表紙、限定ナンバーが附され先生の署名落款入り、昭和49年10月刊行の特装本である。この歌は昭和30年、作者19歳の時の作品という。
はるかな時を経て、先生は昨年この歌集を短歌新聞社から文庫本として出され、古希のお祝いとされたということである。
京都生まれの作者の少年時代、叔母上に裏千家の茶道を学ばれ、中学生ですでに代稽古までしておられた由。
余寒の床の間の水仙にふと手をのばしたのは、ほんのりと上気した女生徒であろうか。上句に硬質な感性が揺らぎ、茶室の静寂をふと揺らした空気の層が見える。
また二十歳のころの作品「逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の桃の花ちる道きはまれり」は、岡井隆撰「昭和百人一首」に採られている。
幼少期、百人一首はすべてそらんじておられたという文雅の冴えがゆき渡り、節調、聴こえの良さに口ずさむ楽しみが倍加する。
すでに百冊を超える著書を出しておられる先生はまた、こうも語られる。
「古稀を迎え送り、人生の一、二学期を終えたと思っている。8という数字で譬えれば、もう一つの0がどうまた結べるか気負いはなく、ゆっくり三学期を歩い てゆくだけのことーー」。そして「七十路(ななそぢ)に踏ン込んでサテ何もなし有るはずがなし夢の通ひ路」と詠まれた(ちなみに短歌作品は『少年』の み)。
「人生はすべて、創作も生活も人間関係も夢の通ひ路にうかぶ幻影にすぎない」と観じておられる作家の『少年』の心をうけとりたくて、この季節 私はまたこの本に遊んでいる。
* 恐縮です。
生涯で二番目の歌集は、この後、『光塵』と表題して、「秦 恒平・湖の本109=2011-11」に出版している。晩年三番目の歌集も心づもりしている。
2015 8/26 165
述懐 平成二十七年(2015)九月
なにが不沈空母名なものか原発の三基も
ねらい撃てば日本列島は地獄ぞ 秦 恒平
ひとをいかる日 われも 屍のごとく寝入るなり 八木重吉
しずめかねし瞋りを祀る斎庭(ゆにわ)あらば
ゆきて撫でんか獅子のたてがみ 馬場あき子
生涯の影ある秋の天地かな 長谷川かな女
あの夏の数かぎりなきそしてまた
たつた一つの表情をせよ 小野茂樹
新秋のをんな静かに身をまかす 遠
夕月のかたぶきはててあかあかと
遠やまなみに燃えしむるもの みづうみ
山口薫 牛と少女
2015 9/1 166
* ▲(三角)の帆がけのやうに耳あげて熟睡(うまゐ)の黒いマゴが愛しさ
▲(三角)の帆がけのやうに黒いマゴは耳だけ上げて熟睡(うまゐ)のときぞ
2015 9/2 166
* もう干支をひとめぐりした昔に、井上宗雄さんの『百人一首を楽しく読む』一冊を著者か版元かから戴いて、これこそ座囲一尺を離したことのない必需愛読 書として、なにか有れば、無くても、手にとっている。目次がいたって便利、解説の多彩な史料性も抜群で、版が大きく字も大きくてじつに助けられる。用など もうほとんど無くて、ただ百首を目に入れるだけになっているが、一首をまるまるね読みもしない。たいがいは、どこかの七音句をふっと目に留めくちにするだ けで満足できる。つまりは引き歌のように一句を立てて現在の心境や好みに添わせるだけ。妙薬ほどに効く。ありがたい本である。
2015 9/4 166
☆ 陶淵明 九日閑居より
酒は能く百慮を祛(はら)ひ 菊は解きて頽齢を廃す
如何ぞ 蓬廬の士 空しく時運の傾くを視るや
塵爵に虚罍(きょらい)を恥じ 寒華は徒らに自ら栄ゆ
* 今日も美味く呑んだ。おもえば、このところ四升の美酒を、日に二合半平均呑んでいた。そばで心配されなければ倍も呑んでいたかも。ただし呑んでいるだけではいない。
2015 9/9 166
* 昨日来、おやみもなくて雨の秋
雨がいやではなく安倍の秋不快
2015 9/18 166
☆ 秋が好き、暮れ方が好き、月が好き。
金木犀の香り。式部の実。百舌鳥の高鳴き。杜鵑草の花。
良夜が続きます。
お健やかにいらっしゃいますでしょうか。
たくさん囀りたいことがあって、
…本音…機械書きはあまり好きではないのですよ。 名張の雀
* 雀どのお宿はどこかしらねども
ちよつちよと御座れ酒の相手に 四方赤良
* 良夜かな 赤子の寝息麩のごとく という句のあったのを思い出す。
2015 9/30 166
述懐 平成二十七年(2015)十月
秋のはじめになりぬれば 今年の半ばは過ぎにけり
我がよふけゆく月影の かたぶく見るこそあはれなれ 慈円
いかならむ明日に心を慰めて
昨日も今日もすぐす頃かな 順徳院
月天心 貧しき町を通りけり 蕪村
雀どのお宿はどこかしらねども
ちよつちよと御座れ酒の相手に 四方赤良
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
みづうみをみに行きたしとおもひつつ
雨の夜すがら人に恋ひをり 遠
あすありとたがたのむなるゆめのよや
まなこに沈透(しず)くやみの みづうみ
『修羅』より 十六・敦盛
2015 10/1 167
* 道浦母都子歌集「無縁の抒情」新装版が贈られてきた。
2015 10/1 167
* 獅子の仔の兄弟(えと)の三(み)匹に目守(まも)らえつ
われは尿(しと)する夜半(よは)の便座に 遠
* 家中でいちばん好きで落ち着く手洗い。便座につくとやや伏し目のまんまえに三匹の仔ライオンが揃ってわたしと視線を合わせてくる。可愛くて、いつも話しかけている、「げんきでいろよ」と。太郎、次郎、小次郎と名が付けてある。
ライオンのすぐ真上に、犬のヘンリーと猫のモーリーの漫画像が夫婦然と座って微笑んでいる。大好き。さらにその上に、太刀を横たえた横綱白鵬と日馬富士との腕を張った立ち写真が大きい。見上げては、「はやく快くなって、またガンバレヨ」と励ます。
そして、しばしば、そのままの姿勢でへたな歌を按じる。妻が、きれいに花を挿して置いてくれると自然と気持ちゆっくりする。
* 昨日、家の内の照明をいくつか取り換えた。
2015 10/5 167
* 現状を冷静に見ていると、一種の栄養失調かも、と思ったりする。食欲が無く、朝などもビスケット一二枚と少量の蜂蜜や飲み物と大量の服薬やインスリン 注射で済ませている。食べると、腹が張ってしんどくなるので、つまみ食いの程度、量を極度に抑えたくなる。体重も増やしたくない。ワインを薬用のように口 にしている。ビールはもう冷たくなってきた。
* これやこの生くも死ぬるもわけもなく
知るも知らぬも泡ときえゆく 有即斎
2015 10/6 167
* 機械を開けながら (起動までに十分はかかるので)手をのばして「後撰和歌集」をひらくと、目にとびこんできた。
うたたねの夢ばかりなるあふことを
秋の夜すがら思ひつるかな よみ人しらず
昔の人は、美しいことばづかいで「おもひ」という「ひ」を燃すことが出来たんだ。文庫本でたった一行。それでいて一冊のほんを耽読したほどの佳い感傷を胸へとどけてくれる。
2015 10/15 167
☆ お元気ですか、みづうみ。
さわやかな秋晴れの一日でした。みづうみのご体調のこといつもいつも心配しています。 それでも、みづうみの小説が噴出さ れていく日々を、何より嬉しく想って過ごしています。毎日みづうみに関わる書き物をしているので、わたくしはみづうみと一緒に生きているようであまりさみ しくありません。もしわたくしがみづうみのような才能であったら、書いたものの中にわたくしを感じていただくことができたでしょうに、決してそうはならな いので残念で申しわけないような気持ちです。
今月の述懐のお歌
みづうみをみに行きたしとおもひつつ
雨の夜すがら人に恋ひをり 遠
このお歌は「君に」恋ひをりではなく「人に」恋ひをりであるところが、恋の歌を超えて身内愛への渇望が切々と伝わり佳いなあと思います。
あすありとたがたのむなるゆめのよや
まなこに沈透(しず)くやみの みづうみ
このお歌が字足らずであることを指摘なさった読者の方がいないようですが……。
まなこに沈透くやみの○○○○
入りそうな言葉の察しはつきますが、間違っているかもしれません。なぜあえて字足らずのまま掲載なさったのか。理由がわかりかねています。
選集到着 心待ちにしています。 秋 深秋といふことのあり人も亦 虚子
* ありがたく。ただし二首め、字足らずでなく、この場合、すこし離して名のりも兼ねたのですよ。
2015 10/19 167
☆ 秋田の刈穂
hatakさん
先週から出張に出ておりまして、つくば、世田谷を回り、今は秋田へ来ています。
日曜に、秋田新幹線の車窓から広がる刈り取りを大きいように感じられます大きい終えた田圃を眺めていて、ふと「秋の田の・・・」の歌を想い出しました。 秋田に到着し街を歩いていると、つい今しがたの歌にあった「刈穂」という蔵元の大吟醸が目にとまりました。これはhatakさんに、と早速一本お送りしま した。
今年の札幌は、残暑もなく、あっという間に初雪が降りました。
明日の夜札幌に戻ります。 maokat
* 秋の田の刈穂し抱きて大空の青を仰げば生きざらめやも 湖
名酒「刈穂」をありがたく戴きました。
2015 10/27 167
* 各務原の山中さんから、名酒「三千盛」二升、頂戴した。
みちみちて盛りの秋を吹く風の夕べしづかに心たらへり 遠
2015 10/27 167
* 出版物も変わりなくいろいろ来る。
今日は、大宮の布川鴇さんから新詩集「沈む永遠 始まりにむかって」、そして亡き能村登四郎さん創刊の俳誌「沖」の創刊45周年記念号が目立っている。 来信やこういう出版物の到来も几帳面に記録していたが、選集をはじめてからは、その手の「記録」をほとんど廃してしまっている。
布川さんの詩集、装丁、凝っている。
巻頭の詩が、
心の在りかを証すために
どんな文字があっただろう
何年も何十年も空を見上げ
海の匂いを辿っても
たしかな道標を見つけられないまま
固い石の地面にうつむいて
かすれた文字を書こうとする……
ひと拭きで消えてしまうだろう文字を
と最初の小節を書き出してある。おもわず、にこっとした。
この詩人と、むかしペンの懇親会の席で言い合ったのを思いだした。
人間にとって「心」ほど大事なものはない、と、詩人は繰り返し、ひねくれた小説家のわたしは、心ほど頼りないものはないと揶揄った。生真面目な詩人を揶 揄ったのだ、わるかったが、いま語り合えば詩人は何というかなあ。ペンの会合ではそういう機会もあったが、もう一昔にも二昔にもなる。
それにしても詩なるうたの、ムズカシサよ。
* 「沖」の記念号、巻頭に登四郎句をたくさん読みたがった。虚子以降、俳句で唸らせてくれた極めて数少ない真の俳人は登四郎さんだった。金子兜太さんが 「ありき」と題して「能村登四郎ありき向日葵畑ゆく」と。これに極まる。後継研三の記念作「孤高なる飛鷹の空は高貴なり」なんてのは勘弁願いたい。いかに 挨拶句とはいえ、鷹羽狩行の「冬耕のをちの一人は研三か」では、めでたくもない。俳句はじつにじつにムズカシイ。
* もう一冊、宗内敦さんの雑誌「琅」を開くとわたし宛の私信が挟まっていて、「加齢するほど怒り易くなって、つくづくわが身にあきれます。くれぐれもご自愛下さい」と。この誌の眼目は敦さんの「二言、三言、世迷い言」。いつのまにか29号になっている。
稲瀬という人の小説が一編、書き出しが、「夏の酷暑が尻切れに萎み、寒ささえ感じられる八月末の夕暮れだった。」と。はじめの一区切りだけで、アトを読 む気になれない。歌誌「熾」の沖ななもの巻頭言「モイスチャーな日本語」には趣旨、うなづけたが、わざわざの「モイスチャーな」は、語るに落ちたか、敢え てしたか。
2015 10/28 167
述懐 平成二十七年(2015)十一月
とことはにあはれあはれはつくすとも
心にかなふものかいのちは 和泉式部
皮にこそをとこをんなのいろもあれ
骨にはかはるあとかたもなし 一遍上人
秋に堪へぬ言の葉のみぞ色に出づる
大和の歌も唐(もろこし)の歌も 藤原定家
生涯の影ある秋の天地かな 長谷川かな女
あはれこの雨に聴かばやうつつとも
夢とも人にまどふ想ひを みづうみ
橋といふふしぎの界(もの)を風が渡り
人影ににて立つか電柱 宗遠
ドルチ画 悲しみのマリア
同図で、親指だけ見せた「親指のマリア」が
よく知られ、日本へ最後の潜入神父シドッチ
が所持(東博蔵)、審問の新井白石に感銘
を与えた。 (秦 恒平選集第十巻所収)
2015 11/1 168
* みるままに淡紅(とき)の花びら崩れゆき
かくも愛(うつく)し さざんくわの名は 遠
2015 11/7 168
* 今日の歌舞伎座は夜の部なので、出かけるまで発送の仕事をしてもよかったが、昨日奮励の疲れがしっかり遺っているので、「本日休日」ときめている。眠気がのこっている。
* さんさくわといひし花あり山茶花と
いふ人もあり愛(うつく)しきかな 遠
2015 11/11 168
* 寒さへ向かうほど機械起動に随分時間が掛かり、「待つ」ことを教えられる。眼をいたわって瞑目するか、手の届くところの詩や歌を読んでいる。今朝は、詩を読んでいた。
詩の鑑賞は、むずかしい。手に余り思いに余り、佇立しぼんやりする。書庫には戴いた詩集が何十冊もある。も少し身近においてしばしば手に触れたいが場所なく、数冊しか座右におけない。
幸い、古典和歌は十分楽しめる。古典は行くも楽しめる。漢詩も楽しめる。ぜいたくに楽しめる。流れる時間のアチコチに泡のように浮かぶ空白を、それらは美しく満たしてくれる。日本の現代詩は、そんなときわたしに向かい、いつも幾分手厳しい。
それでも「読む」。詩よりも詩人をわたしは愛しているのだと気付く。この気づきこそが「詩」なのかも知れぬと頷く。
* 後撰和歌集恋五のあたまから、いくつか書き抜いていた。
巻第十三 恋五
ひとりぬる時は待たるゝ鳥の音もまれにあふ夜はわびしかりけり 小町姉
女の怨みおこせて侍りければつかはしける
空蝉の空しきからになるまでも忘れんと思ふわれならなくに 深養父
題しらず
うたゝねの夢ばかりなるあふことを秋の夜すがら思ひつるかな よみ人しらず
しのびたる人につかはしける
しづはたに思ひ乱れて秋の夜のあくるもしらず歎きつるかな 贈太政大臣
男のつらくなりゆくころ、雨の降りければつかはしける
降りやめばあとだにみえぬうたかたの消えてはかなき世をたのむかな よみ人しらず
思はんと我をたのめし言の葉は忘れ草とぞ今はなるらし よみ人しらず
ものいひ侍りける人の久しうおとづれざりける、からうじてまうで
来たりけるに、などか久しうといへりければ
年をへて生けるかひなきわが身をばなにかは人にありとしられん よみ人しらず
* パリで烈しい同時多発テロあり、身のきしむほど歎き怒りながら、このようなわが十、十一世紀の恋の歌を読んでいる自分を、やや、もてあましてもいる。
2015 11/15 168
* 寒さへ向かうほど機械起動に随分時間が掛かり、「待つ」ことを教えられる。眼をいたわって瞑目するか、手の届くところの詩や歌を読んでいる。今朝は、詩を読んでいた。
詩の鑑賞は、むずかしい。手に余り思いに余り、佇立しぼんやりする。書庫には戴いた詩集が何十冊もある。も少し身近においてしばしば手に触れたいが場所なく、数冊しか座右におけない。
幸い、古典和歌は十分楽しめる。古典は行くも楽しめる。漢詩も楽しめる。ぜいたくに楽しめる。流れる時間のアチコチに泡のように浮かぶ空白を、それらは美しく満たしてくれる。日本の現代詩は、そんなときわたしに向かい、いつも幾分手厳しい。
それでも「読む」。詩よりも詩人をわたしは愛しているのだと気付く。この気づきこそが「詩」なのかも知れぬと頷く。
* 後撰和歌集恋五のあたまから、いくつか書き抜いていた。
巻第十三 恋五
ひとりぬる時は待たるゝ鳥の音もまれにあふ夜はわびしかりけり 小町姉
女の怨みおこせて侍りければつかはしける
空蝉の空しきからになるまでも忘れんと思ふわれならなくに 深養父
題しらず
うたゝねの夢ばかりなるあふことを秋の夜すがら思ひつるかな よみ人しらず
しのびたる人につかはしける
しづはたに思ひ乱れて秋の夜のあくるもしらず歎きつるかな 贈太政大臣
男のつらくなりゆくころ、雨の降りければつかはしける
降りやめばあとだにみえぬうたかたの消えてはかなき世をたのむかな よみ人しらず
思はんと我をたのめし言の葉は忘れ草とぞ今はなるらし よみ人しらず
ものいひ侍りける人の久しうおとづれざりける、からうじてまうで
来たりけるに、などか久しうといへりければ
年をへて生けるかひなきわが身をばなにかは人にありとしられん よみ人しらず
* パリで烈しい同時多発テロあり、身のきしむほど歎き怒りながら、このようなわが十、十一世紀の恋の歌を読んでいる自分を、やや、もてあましてもいる。
2015 11/15 168
* 押し入れの隅から、そんな場所に在るべきでない二册を見つけた。国漢文叢書第四、五編、あの北村季吟による『和漢朗詠集 註』上下巻で、自分で買って手にした本でなく、明らかに秦の祖父鶴吉の旧蔵書。明治四十三年六月七日の初版本であり、表紙の傷みをともあれ手当てしたのは わたし、記憶がある。袖珍本で手にし易く、平安時代原著の和漢の詩歌の版組が大きく、(註は細字だが、ま、読めねば読めなくても差し支えなく、)ありがた い。楽しみたいのは採られた詩歌であり、原著者藤原公任の秀才を堪能するには、重くて大きい古典文学全集を手にするよりはるかに有り難い、ま、文庫本をや や幅広にした、しかも上下二册本であって、ポケットにも入れて歩ける。
季吟の本では帙二つに十巻余の源氏物語註釈、名高い『湖月抄』もあって少年のころから名前一つでいたく尊崇していたが、木活字変体仮名で源氏の原文は及 びもつかぬ私蔵というより死蔵していたのを、近年、国文学研究資料館へ寄付した。幸い今度の本は読むに苦労のない本で、また拾いモノをした気持ちで朝か ら、頁をしきりに繰っている。
季吟の漢文自著の冒頭に「朗詠」の語義というより意義に端的に触れてある。
朗詠者厥風起於催馬楽風俗之後、而我邦中世以降。上自朝廷。下達於郷党。歌謡之者也。
「朗詠」とは、詩歌を読んで鑑賞するのてなく、催馬楽や風俗など歌謡・郢曲の史的流れを承けて、しかも貴賎都鄙のべつなく謳歌したものだと。この意味を汲 めば、あやまりなく「朗詠」のアトへ来るのは「今様」であり、今様謡いの大衆味をくみながら平家語りの「平曲」も生まれてきたに違いない、其処の処へわた しは足場をおいて梁塵秘抄や平家物型を、後白河院や、正佛資時や、慈円や行長らを想像し創作してきたのだった。
今日われわれに朗詠集和漢の詩歌を謳歌歌謡するすべなく、ついつい「読む」本にしてしまっていて余儀なくはあるが、詩歌という文学の畑の花である前に、歌謡という藝の花であったことは忘れない方がよい。
春 立春
遂吹潜開不待芳菲之候。
迎春乍変将希雨露之恩。 紀淑望
年のうちに春は來にけり一年を
こぞとや云はん今年とやいはん 在原元方
漢詩も和歌も、まさしく声を発してこれを謡った。読んだのではない。むろん漢詩の方は先ず日本語に読みほどいておいてそれを謡ったので、読替えの、つま り飜訳の、その機微に面白みがあって、物語りの多くもそれを引いて興趣を盛り上げていた。公任の飜訳はそれとして、自分ならどう読み替えてせめて朗唱する かと思案するのも楽しいのである。
* 今日の眼の酷使はまたは不調は限度へ来ていて、今も、キイの字はほぼ見えないままで書いている。
「清水坂」の先へ展望がひらけ、そして、晩には、必要も感じて急に思い立ち、わが三十二歳時の「創作ノート」を手書きの大学ノートから写し始めた、が、 大変も大変、たった数行を読み且つ書き写すのに、一つには視力無くて手書きの字が読めない上に、機械上の画面もほぼ見えなくて、宛て推量で見えないキーを 叩くのだから、ま、時間がかかって絶望的になった。たまたま用があって部屋へきた妻が、見かねて横でノートを読み上げてくれ、辛うじてわたしはキイを打っ ていった。正しい字が出ているかどうかも妻が背後から確かめ確かめしてくれて、やっと一頁半ほどを機械に書き写した。優に小一時間はかかっていたが、独り で読んで書き読んで書きしていたら、小一時間では頁の三分の一も進まなかったろう。心がけているのは、割愛しても、大学ノートのビッシリ書きで二十数頁あ る。しかし、是が非でもその作業を活かしたいのである。「湖の本129」は一月半ばにもと予定していたが、かなり遅れるかもしれない。作者でもあり、しか し編集者でもあるわたしは、遅れても、その方が良いと判断している。機械用に距離を測ってつくった眼鏡がまるで役立たないとは、どういうことなのか。怪談 である。青山までも、ツクリ慣れた「保谷眼鏡」まで出かけなければ仕方ないのか、遠いのでなあ。
* 九時だが、もうとても何も出来ない。少なくも機械からは立ち去らねば。
2015 11/24 168
* 午前、眼の比較的働く間にと、妻にノートを読んでもらって、昨日の分より多くノートの電子化をはかった。数十年前の認識であるが、変更を必要とせず書けていて、愚管抄に没頭した昔が今のように甦る。
こういう熱のある仕事が、当然のように作家生活にはいって直ぐはじまる、「秦 恒平の中世論」と呼ばれたような中世観、「花と風」「女文化の終焉」「趣向と自然」「中世と中世人」などの著書へ繋がっていった。わたしの作家生活は、 「慈子」の徒然草をも経過しつつ、なにより平家物語、平曲、梁塵秘抄、そして愚管抄等に最初の太い根を得ていたのだった。
2015 11/25 168
* 日比谷へまわって、クラブで飲みかつ食事しながら、舞台を反芻していた。「生きたかりしに」を湖の本にしたばかり、その主題とも状況ともグイッと重な り合う主題があり、驚いたことに若い主役の名は「コーヘイ」君であり、彼は生母を知らずに生母を捜し求め、母なる人は母と名乗らずに「コーヘイ」君に手を 取られ抱かれて尊厳死していた。わたしが退屈などして、舌打ちなどして、平気に見ておれるような舞台の推移では無かったのだ、わたしも、横の席の妻も、泣 いていた。
* ま、「演劇」ということの意義や意味は、これからも考え続け楽しみ続けたい。
* じつは劇場へ出かける前に、生母の遺した歌文集からわたし自身が心して編んだ「短歌抄」の校正刷りが届いていて、行きも帰りもずっと電車の中で読みかつ校正して、幸いに全部を一読できた。
母の短歌は小説「生きたかりしに」でも大勢の方の有り難い評価と称讃を得ていたが、あらためてしみじみ通読してみて、短歌の質じたいわたしは母に「敵わ ない」という実感さえ得て、正直、ふくざつな気分であった。表現の藝としては知らず、短歌へ籠めた生活的実感のきびしさ、それに堪えて歌おうとした母の気 概は烈しくて熱い。
ああ、よかった…と、真実思っている。「少年」の昔はともあれ、年たけてのわたしの短歌など、谷崎がいわく「汗のような」排泄で終わっている、
それでも、わたしはたったの一度も一首も母とは交叉し合えなかったけれど、短歌、和歌が好きである。
2015 11/26 168
* 書きたいことがあっても視力がすり切れている。徹底的に視力に応じて仕事以外の書き物は抑制するしかない。
赤間うに関のうにたべ酒たべて浅き夢見てあご撫でてゐる
2015 11/27 168
述懐 平成二十七年(2015)十二月
なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ 閑吟集
冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子
照る月の冷(ひえ)さだかなるあかり戸に
眼は凝らしつつ盲(し)ひてゆくなり 北原白秋
あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる 石川啄木
紅の花枯れし赤さはもうあせず 加藤千世子
こがらしや日に日に鴛鴦(をし)のうつくしき 井上士郎
うつつあらぬ何の想ひに耳の底の
鳥はここだも鳴きしきるらむ 二十四歳 恒平
傘かりて老いの余りを相合ひに
ゆきゆく年の瀬は冴えわたる 傘壽 恒平
生母二十二歳 「生きたかりしに」
2015 12/1 169
* 小倉戯れ歌百首がまだ四十六首。眠れぬ真夜中にうとうととつくるので、よしよしと思っても書き留めずに寝入ってしまうと、ぜったいにもえ思い出せない。
1 秋の田のかりの此の世とおもはざれいねもやらじの庵のひと夜を
2 春すぎてなにはの夢も色さめし夏の日ながに酒くむわれは
といった按配に、原歌の初句と、二句の一二音をかりて創ってゆく。世のまじめな歌人たちは巫山戯るなと怒るだろうが、わたしの老境短歌は、遊びそのものと粧っています、ゆるされよ。
番号をふって 出来たのも出来てない紙に印刷した。どこへでも持ち歩けば、電車であれレ病院であれ退屈することがんい。目も痛めない。
2015 12/4 169
* 先頃、山梨県立文学館が、俳誌「雲母」百年を記念した「俳句百景」展の佳い図録を送ってきてくれた。俳画もあるが、大方は俳人たちの志木市や短冊への 揮毫句であり、俳句と書との相乗の美景がたっぷり楽しめ、座右に於いて飽かず見入っている。いつしかにわたしも毛筆で字を書いてみようかなどと思ったり。 小学生のころ、丹波へ疎開の以前に一年ほど「めやみ地蔵」寺へ出かけて習字を稽古していたが、てんと気乗りせずやめた。秦の母はめつたになく、「いいスジ してるのに」と惜しがってくれたが本人はとんでもなく苦手だった。
春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子
小野の鳶 雲に上りて春めきぬ 蛇忽
谺して山ほととぎすほしいまま 久女
どの子にも涼しく風の吹く日かな 龍太
愛されずして沖遠く泳ぐなり 湘子
海に出て木枯帰るところなし 誓子
除夜の妻 白鳥のごと湯浴みをり 澄雄
こんなのが、その人人の筆で書かれてある。宝物のようである。
* 「一休」さんの図録も愛読に堪える。すばらしい図録の難は手に大きくて重くて保管にも場所をとることだが、内容は、良書の何冊分にも当たって、読んで も眺めても楽しめる。和洋百種に及んでいるがみな大事にしている。ほかに、でっかい画集もずいぶん溜まっている。浮世絵、障壁画、華岳、松園、忠、国太 郎、ほか。いちど手にしてしまうと時間を忘れてしまう。
2015 12/6 169
* 「祇園囃子」という、懐かしい懐かしい木暮実千代と若尾文子の映画も録画した。高校時代に観た数少ない大映映画だった。原節子ははるかな聖女だった が、次いで夢中になった若尾文子は、まるで手の届きそうな愛らしいきわみの、しかし演技に腰の据わった未然の大女優だった。
「大女優」というに値したどんな十人が映画人として居たろうか。
順不同だが、山田五十鈴、田中絹代、原節子、高峰秀子、京マチ子、若尾文子、そのあとは、岩下志麻、吉永小百合、倍賞千恵子、もう一人という…と躊躇す る。山本富士子か。木暮実千代か、若くて上手くて存在感でいうなら、何人か念頭にあるけれど。「大」というのは意味深い。いい仕事はしたが森光子はわたし のなかで外れる。
十えらぶのや。順番つけるのや。それの出来るのが「京都人」やでと中学の先生は「歳末」に教えられた。批評の楽しみ。
* 「祇園囃子」 木暮実千代の深切な情味、若尾文子の一途な愛らしさ、浪花千恵子の完璧な京言葉と巧緻な現実感。感嘆久しくして涙にもくれた。溝口健二 の映画としては、「雨月物語」よりも「祇園の姉妹」よりも、佳いと思えた。昭和二十八年、わたしの高三のときの映画だ、そのころ、わたしは一人の歌人だっ た。岡井隆編著の釈迢空にはじまり斎藤茂吉で結ばれた『現代百人一首』には、上の溝口映画とおなじ昭和二十八年、わたしが十七歳の歌一首、「たづねこしこ の静寂にみだらなるおもひの果てを涙ぐむわれは」という東福寺での詠が採られている。「みだらなるおもひ」というむきだしの表現に思春期のつらい実感があ り、そんな実感を抱いて「祇園」の藝妓、舞子の悲しみに胸苦しまでの共感を寄せていたのだ、わたしもまた一人の祇園の子であった。通った中学は祇園町の真 ん中にあった。
2015 12/7 169
* 湖の本128のあとがきを今、電送した。いま、それを此処にひらくのは先走っているけれど、日付の意味も私なりに重いので述懐・私語の意味で転写しておく。
☆ 私語の刻 湖の本128
今巻の主な編輯意図や経緯については、巻頭に十分述べておいた。後段には気儘に或る一年の「京都散策」を添えた。四方八方から大もての「京都」のこと、なにを加え得てもいまいが、秦にこんな「京都」がと思って下されば有り難い。
このあとがきを、実を言うと平成二十七年(去年)の師走に書いている。明日二十一日には、傘壽、満八十歳の誕生日を迎える。
明けての春四月には、妻も傘壽を迎える。つつがなく互いに達者に暮らしたい。
傘かりて老いの余りを相合ひにゆきゆく年の瀬は冴えわたる
しんしんとさびしきときはなにをおもふおもひもえざるいのちなりけり
幸い「秦 恒平選集」も、この師走半ばに、第十巻、長編『親指のマリア=シドッチ神父と新井白石』を無事出版できたし、「秦 恒平・湖の本」も、此の今回本が第一二八巻、年明けて六月桜桃忌までには、第百三十巻まで用意の編輯も出来ていて、じつに「創刊・満三十年」を迎える。
同じ一人の著者の創作とエッセイとを、騒壇余人、著者自身の手一つで、順調に「三十年、百三十巻」もを、趣味や道楽でなく国内外の読者の方々、各界、各 大学高校研究施設等へ送り続けられた、かような「文学・出版活動」が近代以降の日本国内で達成された前例をわたしは知らない。体力と気力との続く限りは 「書き」つづけ、「出版」しつづける気でいる。
胃癌と診断されて胃の全部と胆嚢を手術で喪って、満四年がちかい。手術後にも、癌の転移がなお認められ、一年の抗癌剤服用に堪えた。その後さいわい癌の 再発は認められていないが、眼も歯もひどくなり、食はすすまず、聖路加病院だけで腫瘍内科、感染症内科、内分泌内科、眼科、泌尿器科、そして今度は循環器 科での検査のために新年早々に四度目の入院が待ち受けている。この四年、一度も京都へ帰れず、今年(昨年)二月の京都府文化功労賞の受賞式にも欠席した。 ほんの小旅行すら一度も出来なかった。いつも全身疲れていてしんどいのである。
しかし、文学・文藝の、がオーバーなら「書いて」「本にする」仕事は、むしろ壮年期にもまして渋滞も停頓もなく、信じられないほど多彩に多忙に元気いっ ぱいに次から次へ積み重ねて、送り出している。それで、わたしはいいのである、どんなに疲れてしんどかろうとも元気に満ちている。
次の「湖の本」も、また一癖有る珍しい小説の出版になるはずだし、創刊三十年を記念の作には、ごく恣まな長編の「珍」新作を提出できようかと頑張っています。ムチャクチャ叱られそうだけれど、ガマンして下さい。 秦 恒平
2015 12/20 169
* ひと日ひと日 日長になり行く日に生(あ)れき
いとも夜長の夜に逝くらむよ 冬至傘壽 自祝
2015 12/21 169
☆ バグワンから今しもわたしは聴いている。
宗教的な人間は風変わりになるものだ、彼は多くの人とは違う現実の中に生き、しかもこの世界から逃げ出さない。彼は日常世界のなかを、非日常的に生きている。一休は、典型だ。彼は風変わりに自己を実現ししかもその自己を無に帰している。
生まれる前にあなたは自分の顔を持ってなかった。マインドという精神作用を持っていなかった。あなたは何にも同化していないまさに無私だった。今日只今 のあなたはどえか。うじゃうじゃと無数のあれこれに同化した怪物のように暮らしている。幾重にも襤褸を着込んで暮らしている。
あなたが身体でも心でもなかった生前の本来を思いだし自覚すること、それこそがあらゆる瞑想の、禅の、めざすところだ。回帰せよ、源へ。われわれは短い 此の人生で日々にボロを着重ねながら「ひとやすみ」「たちどまり、たちまよい」している。回帰せよ、源へ。「ことやすみ」は一瞬だ。死後にも終わりのない 時があなたのあとを引き継ぐ。
すべては去って行く。ひとりでに去って行く。何であろうと過ぎて行く、河の流れのように。
ほんらいもなきいにしへの我なれば
死にゆくかたも何もかもなし 一休
2015 12/21 169
☆ みづうみ、お元気ですか。
何もしないお誕生日如何お過ごしでしょうか。何もしないことは大切なことです。佳いお誕生日です。
拙稿、秦 恒平論 本日宅急便にて送らせていただきました。明日届くと思います。書き始めると長くなりそうで手紙はあえて入れなかったのですが、愛想のないことでお許しくださいませ。
原稿の出来については棚上げして、みづうみのために書いた想いだけでもお届けできれば幸せです。
来年は「湖の本」創刊三十周年とのこと、気の遠くなるような偉業達成でなんとおめでたいことでございましょう。この国に望みがなくてもみづうみの文学には何の関係もないことです。
どうぞ益々の花盛りの新年でありますように。
曙 あけぼのの恵方を染めて静かかな 2015 12/21 169
☆ 漢書に曰ふ
百里奚ハ食ヲ道路ニ乞ヒシカドモ、
穆公 之ニ委ヌルニ政ヲ以テス。
寗戚子ハ牛ヲ車ノ下ニ飼ヒシカドモ、
桓公 之ニ任スルニ國ヲ以テス。
* 百里奚(ひゃくりけい)も寗戚子(ねいせきし)も賢人。ともに見出されて国政を委任された。寗戚子が外出する桓公の門外に停泊していて邪魔にされたおりに「南山燦々 白石爛々」等々歌い掛けた歌もおもしろい。
よき人が見出され、よき人を見出す眼がある幸せを、いま、我が国は所有しているか。「和漢朗詠集」をふと開いて上の詩句に出逢った。こういう嬉しさに、この本は満ちあふれている。
2015 12/24 169
☆ バグワンに聴く。
心には、「ふたつ」在ると思うが良い。ひとつは、大きな、宇宙的な、全体そのもの存在そのものに満ちわたっている意識。ブッダが「無」といい、また澄み 渡って動じない鏡のような「空(くう)」とよんでいる「永遠」がそれだ、「大きな心」だ。「神」と名付けてもかまわない。
もう一つの心は、人がつねに囚われ惑わされ引き摺られながらも頼みがちな「分別=mind」だ。
あれとこれとそれと、どれがいいかと分別し選択しながら随従してしまっている日常的な「小さな心」だ、人はもっぱらこれを指針として、しばしば惑乱し混乱してしまう。
われわれの小さな心は、大いなる永遠の無・空・意識の「かげ」に過ぎない。鏡のような満月を地上にある無数の湖は、海も河も池も水たまりも、それを映 す。月(大きな心)は一つ、かげ(小さなマインド・分別)は無数にある。人の小さな心には始まりも終わりもある。大きな心に始まりも終わりもない。
はじめなくをはりもなきにわがこころ
うまれ死するも空の空なり 一休
* 和漢朗詠集から拾った詩句
烟 門外に消えて青山近く
露 窓前に重くして緑竹低し
唐人の詩、「晴」と題されてある。京都に暮らした風雅の人たちには身に沁みて愛唱されたろう。
風雲は人の前に向ひて暮れ易く
歳月は老いの底より還り難し
和人の詩、「歳暮」と題されている。
おもひかねいもがりゆけば冬の夜の
河風寒みちどり鳴くなり 紀貫之
古今和歌集の中でも一二に好きな歌。鴨川の京都がぱあっと目に浮かび肌に迫ってくる。
もうどうにも分別つかずに愛する人のもとへ歩みを運ぶ
「冬の夜」
河風のあまりな冷たさ寒さに千鳥たちも鳴いているよ、と。
* そこに和尚バグワンの声が聴け、ここに古人の詩歌によせた思いが酌める。幸せであり豊かである。世情政情の現況は、健康をはなはだ損じ、その顔は醜く歪んでいる。末世。
* 独和辞書の表紙がポロボロに剥がれてきたのをガムテープで補修した。英和辞典も新潮国語辞典も補修してあり、今朝も手にした國漢文叢書第四輯「和漢朗 詠集註」上下巻の背にもガムテープが張ってある。それだけ、何十年も愛玩し使用してきたわけ。無数にそんな本が多く目に付く家のあちこちで。
* 高木冨子の詩集『優しい濾過』は身近に置いて、いつも、とめどなく愛唱に堪える美しい詩編の精選である。わたしは、それを、秘めた珠のように、此処へも書いたことがない。ちからづよく踏み込んだ新しい第二詩集が心待ちに待たれる。
2015 12/27 169
富士・筑波を望む美ヶ原の曙
あけぼのの恵方を染めてしづかかな
2015 12/28 169
* 小倉ざれ歌百首、ずんずん出来て行く。
80 長からむこの道のはてにたが待つと知るも知らぬも宵の三日月
81 ほととぎす な啼きそ今はなき人のかへらぬ空に月もおぼろに
2015 12/29 169
* 新年が「来る」のではない新年へわたしが「行く」のだ杖ついて 遠
* 朝いちばんに桐生の住吉一江さんから例年のように下仁田の美味しい葱をどっさり頂戴した。
近年は簡明に簡素な煮〆だけ煮て、どこかのお節料理を妻は買っている。暮れは暮れ、正月へは揃ってわたしらの方から参る。迎える新年でなくわたしらが出向いて行く新年なのだ、土産はないが、と感じている。
2015 12/31 169
* それにしても、すこしく落ち着けた大歳であった。あれやこれや感慨をかきたてずに、静かに新年へ歩みを進めたい。怪我だけは、われわれ、こころして避けたいと願っている。
* 親愛なるみなさま、よいお年を。
来る春をすこし信じてあきらめて
ことなく「おめでたう」と我は言ふべし 湖
* ところが、この程度の気持ちにもなりにくい大晦日だといわねばすまない不愉快に溢れた今年であった。口惜しい。どんなに黙々と頑張ってみても、生ける 甲斐ありとどうしても思いにくい。自分自身の内なる暗闇に沈んで、まるくなってたて籠もるしかないほどの絶望感と不快感が、実は有る。絶望と深いのアタマ を撫で撫で生き延びる気になれない。
2015 12/31 169