ぜんぶ秦恒平文学の話

心について 1999年~ 2003年

 

 

* 「心」は無尽蔵に容れ得るが虚無にも帰れる。八方に関心を広げ得るが、ただ一つことに集中も出来る。どのような状況にあっても、心は内奥に「静」の質を金無垢の一点のように抱いている。そういう趣旨を荀子は説き、漱石は小説『こころ』の「奥さん」にだけ、ひとり「静」さんという実名を与えていた。「先生」も「K」もその「静」を真に我がモノには出来ずに自殺した。得たのは「私」だった。「私」と「静」の仲にはもう「子」の影がはっきりさしている。

 

* 心の内奥に、静かなものを。それが、さっき「全部の価値をストンと見捨ててしまうことで気楽になる」意味に繋がる。心は働かせるけれど、心そのものを虚しくする意味で、「心=マインド」の「奴」になってしまわない意味で、「静」を見失わない。そんなようで在りたいのである。出来なくはないのである。いや、出来ないことなのかも知れないが。

1999 7・8 3

 

 

* NHKが、相も変わらぬ「心の時間」みたいな宗教番組をつづけている。たまたま東大名誉教授が仏教のはなしをしていた。いろんな「文句」を引き出して話していたが、語り手の話と聴き手アナウンサーの合いの手と、引用されている文句のあるもの例えば道元の言葉などとが、なんだか、ばらばらに齟齬している印象をもった。

そもそも仏教の要諦を「心」で話そうというのが無理である、「無心」ならばともかく。「心=マインド」をアテには出来ないことを、わたしは「からだ言葉」に次いで「こころ言葉」を調べ始めた昔から、痛いほど感じていた。乱れ、砕け、くじけ、呆け、喪われ、「心ここにあら」ぬような、心。根があり、構えがあり、底が見え、熱くもなり、冷えもし、苦しくなり、「心も空に」なるような、心。こういう「こころ言葉」を無数に持つことによって、どうしようもなく「つかみ所のない」その本性を示している、心。そんな頼りない心など頼んではイケナイというのこそが「仏教の確信」であり、核心であろうに。「無心」の明静を求めてゆくのが、禅の根底であろうに。

「心」とさえ口にしていれば、鬼の首でも取れると言いたげな誤解から、はやく脱却しないと、人間の心はますます千々に砕け乱れて、果てない混乱のなかで不幸の種をまきひろげて行くに違いない。「心」はもともと数知れぬ「?礙=障り」に囲繞されている。それどころか「心」こそが即ち「障り」なのであるが、その障りがなくなる、つまり心が心ではなくなる「心無?礙」「心に?礙無」き「無心」に成ろうとするのに、「心」に頼ってそう成ろうとは、それ自体が、はなから矛盾し撞着している。仏も達磨も道元禅師もそんなことは言っていない。「心」が諸悪の原因なのだ。

しかし、そのように説いているかずかずの経典があるではないかと、手当たり次第に引用されるものだから、それらの中でまた混乱や齟齬が生じてしまう。経典に対するクリティクはむろんされて来たのだけれど、根本の批判はどこかで都合よく匿し込まれてしまう。すなわち、大方の経典は、殆ど全部といってもいい経典は、釈迦没後の、遅いものでは数百年も千年ものちに書かれている。無数の解釈と潤色と創作とにより、いろんな弟子筋門弟筋の都合と主張とに合わせてつくられたものである。仏教「的」な主張の言語「的」な多様の表出、意図的な表出なのであり、釈迦自身に帰属するものはいたって薄い。アテには出来ないし、とくに「心」に関しては誤解や曲解が渦巻きながら、なにかしら「心=仏」かのような、とんでもない話に俗化して、それが今日でも、NHKだの大手新聞だの感化力の強大なマスコミの安易安直極まる「売り物」になっている。

しかし、正しくは「無心=仏=覚者=ブッダ」なのである。名誉教授はしきりに「仏様」とわれわれとを別物に話しているかに聞き取れたが、深い仏の「教え」は、われわれはみな「仏」になれる存在、「仏」を抱き込んだ存在なのだが、「心」に惑わされ、その貴い真実真相にたんに「気づいていない」のだという指摘の「中」にある。

いっさいの言語的表出に過ぎない経典から厳しく離れ、「心」の拘束や干渉を排して、本来抱いている仏性を「無心」の寂静として気づかねば、自覚しなければ、とうてい安心もない。むしろわれわれは「心」などという文字から、おぞけをふるって身を反らせることを思わねばイケナイのである。

 

* 禅。ここに安心の基本があった、釈迦の悟りのなかにそれがあった。

わたしは、もともと法然や親鸞の念仏に深い敬愛を持ってきたし、今も変わりはない。彼らはなぜに「南無阿弥陀仏」だけで安心には足りていると徹していったのか。その基本には、さきに言ったいわゆる経典成立の事情に対する批判や不審が据えられていたのではないか。凡夫衆生のだれが百万の経典を読破して理解できるか、たとえ出来てもそれで得られる「安心」が有るわけでない。抜群の経典の知識を称賛されていた法然が、その「知識=マインドによる理解」を決定的に批判し棄却してしまって、念仏の易行を「選択」したのだった。すべてを捨てたわけではないと言う建前のために浄土三部経をのこしつつ、それでも死に際に「一枚起請文」を書いて、「南無阿弥陀仏」だけで足りていると念を押していった。法然は、おそらく、「禅定」は凡夫衆生には難行であることが分かっていた。それに匹敵する安心の無心のために「南無阿弥陀仏」という、いわば「抱き柱」を建てて民衆の救いに道をつけたのに違いない。

 

* わたしも、数少ないながら、かなりの数の経典を教科書のように読んできた過去をもっているが、それは仏教とも限らないが、とどのつまりそれらから「安心の無心」は得られるものでなく、「心=知識」ではない「無心の信」を非言語的に自覚して行くしかないと思うようになっている。バグワン・シュリ・ラジニーシの導きが大きかった。彼と出逢ってから、もろもろのいわゆる「宗教的まやかし」にまったくといえるほど動じなくなっている。

1999 8・29 4

 

 

* 「本来は家庭で両親が育てるはずの『心』を、幼稚園と在宅保育サービスのシッターが共に家族を援助しながら育てていこうという試み」についてメールしてきた人がある。この括弧付きの「心」という意味が分からない。「心を育てる」とは、正しくはどういうことを謂うのだろう。こういう表現や評論はしばしば耳にも目にもしてきた気がするが、さて、どういうことを指し、どうなると「心を育てた」ことになるというのか、実に概念がアイマイなままに頻用されている。

子どもの心を、どうして両親が育てられるのだろう。どんなふうにして「幼稚園と在宅保育サービスのシッターが共に家族を援助しながら育ててい」けるのだろう。「心」とは何か、把握しての話だろうか。

子どもは育つ。ものの苗も育つ。育てるとは謂っているが育つのに手を貸しているというのが正しいだろうと前にも書いた。「育てる」意識で接してくる親や大人への反感や反抗が、かなりの力になり現代を混乱させてきた。反感をもち反抗的になった子どもにだけ責任を問うのは筋違いで、子どもの心が育てられると過信しながら、我が心根はけっこう勝手次第に腐らせてきた親や大人の愚と責任とは、計り知れないのではないか。疑問を呈したい。

1999 12・6 3

 

 

* マインドで書かれた人生論=生き方論が多かった。どこまで行ってもなにも解決しない、するわけがない。「心」を無に仕切った人の生きそのものに触れたいと思う。なかなか、無い。それならいっそ古人が「自然(じねん)のことあらば」と謂っていた自然の方へ歩みたい、「問う」ことすら忘れて。いま瞬時、日なたの、草野の匂いや色にさゆらいでいる嵯峨野の風情が、胸にとびこんできた。その一瞬は、百万のことばよりも美しくて深かった。

1999 12・23 3

 

 

* 最近知りあった或る若い、ハイデッガー哲学などを学んできたという、著書もある高校の先生の、歳末の手紙を読んだ。「哲学で人は救われるでしょうか」と前便に書いたのへ、返事ともなく返事があった。

正直に、率直に言って、そんなことを考えて哲学の勉強をしている研究者は、今の時節、ひとりもいまいと思います、自分もそうです、興味深いから、面白いからやっています、というのが、返事の主意であった。率直な表明で気持ちよかった。

 

* その一方で、全く予想通りの返事であり、今の時代、哲学がほとんど「人間」の自立や安心の役には立たないワケも、よく分かるのである。言うまでもなく、彼ら、所謂「哲学」を勉強している人たちは、哲学者ではない。「哲学学」の学者・研究者に他ならず、それは「文学学」の学者研究者と文学者とが異なっている異なり方よりも、もっと差が深い。「知を愛する」と訳してしまえば、なにやら「研究」や「詮議」もその内のようであるけれど、だから哲学がもともと「人を救う」ものかどうかには異論が出て当然かも知れないけれど、ひるがえって思えば、わたしを救ってくれない哲学になど、何の魅力も感じなくなっている。そんなものは知的遊戯的詮索の高級で難解なものに止まる。つまり哲学がつまらないモノになってしまっている証拠だと思う。世間には「哲学者」などと麗々しく名乗っている人もいるのだけれど、おれは「哲学学者」ではないぞという意味なのか、いややはり「哲学学者が哲学者なのである」意味なのか、どういう積もりであるかと時々教えを請いたくなる。老子は哲学者などと言われたくもなかったろうが、とびきりの哲学者に思われる。ソクラテスもキリストも仏陀もそのように思われる。しかし彼らの、また彼らのと限らず優れた「人の師」の教えを、ただ「祖述」し「解析・解釈・解説」して事足りている人たちを哲学者とは思われないし、ただの評論家を哲学者とは呼びたくない。いや哲学者だとつよく主張されれば、もうこの年になってそんな哲学なら何の魅力も用も無い。そんな哲学とは、ただ「心」のコンプレックスに他ならない。エゴの凝った「心」の、こてこてした、ややこしい塊に過ぎない。所詮は捨て去るより意味のない負担に過ぎないのである。安心や無心は到底得られない。

1999 12・31 3

 

 

 

* 京都で、美術賞選考の席で、染色の三浦景生さんから、『死から死へ』のなかで触れていた「心」の問題について、自分は同感だという趣旨の話をされかけて、そのままになって戻ったのを気にしている。

「心」の文字は、ますますちまたに氾濫している。へんだなあと思っている。わたしは、ずいぶんいろんな異説を立てている方かも知れないが、中でも「心は頼れない」とする説は今日容易に世間さまに通じない。すこし余裕のあるときに思いを語ってみたい。

2000 3・12 5

 

 

* 闇に言い置くこともこのペイジで、ま、存分に書いているが、こう、多方面にでなく、ある主題の追及へ、収斂可能なことも言い置きたい気がしている。小説ではない、思索であるが、何が、いちばん言いたいか。

『一文字日本史』を雑誌「学鐙」に三年間連載して本にした。あのデンで言えば、わたしが最もいま念頭に置いている一字は、「静」だと思う。『静の思索』が書いてみたい。休息したいのか、そうではないのか。あまり静かな心地でわたしはいないらしい。困ったものだ。

2000 4・9 5

 

 

* 元院生でもう立派に社会人になっている若き友から、おそらく、同じ東工大の卒業生と限らず刺激を受けるであろうメールが、届いた。この人なりの、わたしへの「挨拶」だが、ぜひここに書き込んで置きたい。意見も欲しい。先日書き込んだ同期卒業生のメールへの反応でもあり、それに対し私が返事していた内容への「挨拶」でもある。

 

*  こんばんは!秦さん、お久しぶりです! 今年は、かなり唐突な、嵐の梅雨入りでしたね。

「湖の本」ありがとうございます、ちゃんと届いています。

先日の秦さんのホームページの書き込みで、『大嫌いになるべきは、「精神的向上心のない者は莫迦」という言葉のほうです。これは害だけがあって益も実質もない・・』という一節に、考えさせられています。

実は自分も、「精神的に向上したい!」とずっと思い、その正しさを信じていたにも関わらず、いつからか、ちょっと、その価値観に違和感を感じるようになり、この違和感は何なのだろうと、おぼろげながらに探っていたところでしたので。

ちょっとずれたところから書きますが、最近「努力するって、どういう事なのだろう?」と、今更ながらに考えていました。「努力、頑張り=善」と、言い切ってしまって良いのかと。

世の中では、努力することは誉められこそすれ、否定されることは余りありませんよね。逆に、何もしないことが誉められることも、ほとんどありません。その価値観はおそらく意外と根深く、自分の場合でも、頑張って仕事して、時に人から認められるとやっぱり嬉しいものです。

日常の中で忙しく走っていると、一体自分が何のために頑張っているのか、分からなくなる事があります。そんな時、認められ誉められる嬉しさが、努力した「結果」から「目的」に、いつの間にかすり替わっていることに気付く事があるのです。

でも自分たちは、本来、人から認められるために努力する訳ではないはずです。それがそんなに大した意味を持たないことは、ちょっと冷静になれば気付きます。

そうではなくて、人はみんな、それぞれが幸せになるためと思えばこそ、努力もでき頑張れるのだと思います。

それならば、努力などせず、特別に何にもしなくても幸せを感じられる人にとっては、「努力=害」以外の何物でもないのではないでしょうか。

さらに一歩進めて、幸せになるための努力とは、それでは何なのでしょう? 幸せとは、努力で得られるものなのでしょうか? と、自分に問うと、やはりそれも違うのではと思うのです。

幸せを感じるために必要なのは、努力よりも、「受容」であり「気付き」なのではないかという感じがするのです。(これは、物的には豊かな日本にいるから、そう思うだけかも知れませんが。)

確かに、努力というプロセスの中で喜びを見いだす、ということはあるでしょうが、それすらも無いのであれば、そんな努力は、ただナンセンスなのではないだろうかと、思ってしまうのです。にも関わらず、「努力=善」という漠然とした価値観に動かされ縛られて、深く考えずにただ頑張って疲れてしまっている人が、結構多い気がしてなりません。

それじゃあ、人間に一切努力は必要ないのか?と考えると、それも違う・・・と、いつものように、「これ」という答にはたどり着けません。

それで話が戻るのですが、精神的な部分でも、それは同じなのかも知れません。「精神的向上心」が直接の目的になり得ないのは、「努力すること」それ自体が目的になり得ないのと、似ていると思うのです。

何のための「精神的向上心」なのか?いくら「精神的に向上」しても、幸せも感じられず、生きて在ることへの感謝も感じられないとしたら、その「向上」は余りにも無意味です。(そんな「向上」は、本当の向上ではないのでしょうが。)

いわんや、漱石『心』の「K」の場合のように、人間を不自然に窮屈にさせる「精神的向上心」であるのであれば、それは、無意味どころか有害でしかありませんね。

ですが、自分の場合「精神的向上心」の価値を信じることで、励まされ支えられた時期があったことも、まぎれもない事実なのですが・・

まとまりのない内容になってしまいました。

お体がよろしければ、またぜひお会いしたいです! それでは、お元気で。

 

* 暗闇にちかい不良画面で読んでいるので、頭が十分反応して行きにくいが、問題点がよく出されている気がする。「頑張る」という物言いについて疑問符を付けた原稿を、随分昔に書いた覚えがある。それでも「努力」「努める」と言っていることは、自分にもしばしばあった。今でもあるかも知れず、むしろお気に入りの我が信条に近かった。それなしにわたしは有り得なかったとすら思う。そう思いつつ、そこから、少しずつ意識を落としてきた昨今だとも、自覚している。少なくも「精神的向上心のない者は莫迦だ」などという底意のあるあの「先生」の「K」への挑発には、昔からあまり賛成できなかった。そんな「向上心」は、いやらしくさえあり、言葉としても嫌いだ。

 

* 本当の問題は、だが、「心」にこそ在る。なにかといえば、無反省・無限定に「心」を持ち出し、二言目には「心」とさえいえば問題が高尚で有効であるかのように考えている世の知識人やコメンテーターたちの錯覚を、わたしは苦々しく感じている。嗤ってすらいる。「心」ゆえに、人は惑い、苦しみ、悩み、混乱していることは明らかすぎるほど明かで、その、とらえどころ無く頼りなく、とても頼れるようなシロモノでない事実を、我々の日本語が抱えた無数の「こころ言葉」がよく証明している。「心ここにあらざる」「心」を厳しく無に帰したところでしか、人は本当の意味で静かには生きがたい。それを、真実察知し、嗟嘆し、ほぼ絶望していたのが、小説『心』の「先生」であり、作者夏目漱石にほかならなかった。バカの一つ覚えのように世の大人たちが無思慮に「心」を言うのをやめないと、ますます「心の病んだ」社会の、よろめきも、暴走・暴発も、無くならない。「静かな心」とは、「心に囚われない状態」を謂うのである、わたしは、そう考えている。安易に「精神的向上心」など謂うべきでなく、そんなことからもっと自由自在になった方がいい。それが、わたしの真意だ。反論があれば耳を傾けるにやぶさかではないが。

 

* バグワン和尚に叱られ叱られ、わたしは、すこしずつラクになってきた。この実感は、深いのである。

2000 6・12 6

 

 

* あれだけ、オーム真理教や統一協会やその他もろもろの宗教集団による「マインドコントロール」の厄介さについて報道されながら、同じマスコミが、殆ど「マインド」と同義語的に無限定に「心」「心」と頻発して、根の問題として「心とは何ぞや」を棚上げしたままなのは、じつに奇妙な現象だ。筑紫哲也氏など、最たる「心」派であるが、ニュースキャスターとして彼の吹聴する「心」とは、という根の理解がはなはだ曖昧に放置されている。それでは「開けゴマ」に等しい。教育や道徳の畑で「心」が語られる安易さは目を覆いたいほどだが、ことに寒心に耐えないのは、その「心」がいかにも「マインド」であり、その「コントロール」が教育や道徳の管理と同義語的意図されている例が多すぎる。これでは先に挙げた、また挙げなかった宗教集団の悪しき「心」支配と何ら変わらない。とんでもない話だ。少なくも「ハート」が感じられない。

2000 8・8 6

 

 

* ある夕刊が、またしてもお定まりの「心の言葉」をいろんな人で連載している。自分の言葉でなく人から受けた言葉を挙げる趣向だが、昨夜は、ある人が、わざわざ、「銭のとれる文章を書けよ」と、勤め始めた社の編集長の言葉を披露していた。人が人で、びっくりした。宗教学の山折哲雄氏である。びっくりした。

 

* 文章で銭をとりたいなどという次元は、とうに越えてきた。銭をとらない文章をこう書いていて、これが文章というものだと、わたしは今切に感じている。だが、若い人がそうではなるまい。

2000 11・8 7

 

 

* ペン理事会でいちばんの話題は、政府諮問の「教育基本法改革会議」提言の中に、十八歳一年のボランティア労働奉仕といった提案が含まれていて、それにペンは反対したいという梅原会長の意向をうけた討論だった。ボランティアと奉仕義務とはくいちがうものがあるし、徴兵に繋がりかねない試みであるし、基本的にそんなものに賛成できるわけがない。提案趣旨には理解できる一面もある、が、それはもっと別の工夫で生かされていいことであり、もっと年若い時点でカリキュラムのなかで訓育ないし薫育されれば済むと思う。

議論があって、そして会長がその趣旨を文書化し、次回理事会までに声明なり要望なりを準備することになった。その中へ、もっと「心の教育」をという梅原会長の発言もあり、わたしは、それに対しては異論を述べた。

この時代と社会とに沈澱している、いわば広義かつ深刻な「偽善性」の原因は、あたかも免罪符かのように余りに安易・安直に「心」ということが謂われ過ぎていることに起因しているのではないか。「心」こそは諸悪の根源であるかも知れぬという反省がなさ過ぎ、「心」の一字で示そうとするモノが、或いはmindなのかsoulなのかheartなのかも突き詰めないまま、ただもう「心」とさえ口にしておけば用が足りるような軽薄な「心」の持ち出し方こそ、厳に自戒しなければならぬ、と。梅原会長は「心こそ諸善の根源かも」と謂われたが、それは謂われなき理解で、「心」がそんなにも頼れる確かなものであるのなら、日本語の中にこんなに無数の「こころ言葉」が錯綜し相矛盾して存在するわけがないのである。だいいち、「心とは何か」と問われて、万人に通用する定義の述べられる誰が有ろうか。謂えることは、吾が心でさえ把握できない、頼りたくも頼れないのが心だということだ。そういうことを踏まえないで、あまりに安易に「心」を便宜に持ち出すから、それに隠されて偽善的なものがはびこってしまう。むしろ「体」を通してものに触れものに通じる中で心の健康をこそ計らねばならないと、わたしは思う。

心こそが諸悪の根源であるかも知れないと発言したとき、隣席の瀬戸内寂聴さんが、即座にその通り、あなたの言う通りですよと相槌を打たれたのが印象的であった。

2000 11・27 7

 

 

* 昨日の「心」の話に、こんなメールが入っていた。

 

* こんにちわ。 11月27日「つづき」を、「そうそう・・」なんて、同じ気持ちで拝見いたしました。

「心」がそんなにも頼れる確かなものであるのなら・・の言葉にふと、日々の心遊びの事を考えました。「心遊び」などと書くと、何やらお叱りを受けそうな気のひける思いが無いでもありません。

私にも当然のことながら、自由になるものとならぬものがあり、また自由になるのだけれど敢えて自由にしない事もありますし、逆にそうされる事もあります。自分がされると「いけず」と思ったりしますけれどね。

先日「俗に謂う赤い糸の人」と交わした会話で、『あんまり凛としててもなぁ』という人に、『凛ってどんなん?』と尋ねたところ、『着物を着た女の人が座ってはる』という応えがありました。

『私はね、障子があってはんなりした光が透過している中で、向側を観ている事、開けばあかる、倒せば壊れる間仕切りなのに、敢えて開けぬ事』と申しました。『そうか、そうか』と、うなづかれました。

心というのは、この「間仕切り」を自由に行ったり来たり出来るもののようで、遊びほうけて頼りにもならず、捕らえ所がないから、決して確かなものではありませんね。

以前、二人で「魂の色」についても話したことがあります。魂がどんなものなのかも解らないままに、ただこれは感じるものなんだよ・・という事で終りましたが、近頃、それだけでは無い、触れも出来、見も出来るものなのだと話し合うようになりました。

古人がいう魂の緒を繋げて枕元に立つような不思議を、互いに経験しているからです。

ですので、秦先生の主旨からは随分と逸脱している、ごく私的な見解ではありますが、「体」を通してものに触れものに通じる中で、心の健康・・は、私なりに受け止めさせて頂いたつもりなのです。自由になれるすべを知らない心は、遊びもならず、病気になってしまうでしょう。「体」を通してものを感じる事を子供に限らず知ってもらいたいと思いました。

 

* 「身と心」とのかかわりに、どれほど古人の多くが悩み苦しみ嘆いてきたか、和歌や物語に、無数の証拠がある。心だけを引き抜いてきて、体を疎外した形で善玉かのように祭り上げてみても何にもならない。昨今の「心」のハナシは大方が要するに心理とか心理学とかの心なのだ。

2000 11・28 7

 

 

 

* 斯く在りたい。現実に翻弄され埋没し己れを見失って、あげく苦悶しなくてはならない時節というものも必ずあり、そこを通過するのをさけるのとは事実不可能である。わたしの元の学生君たちも、いままさに日々の塵労をこそ生き甲斐として働かねばならない時機にあるが、それにはそれで誠実に直面して、塵労じたいを生産的なものになし得る踏み込んだ工夫を、日々重ねてもらうしかない。逃げ出せ、捨てよとはわたしは言わない。だが、どこか芯の一点に「清」ないし「静」なる価値ある空白を抱いていてほしいと思う。

放心のどこかで(   )を使う音  時実新子

 

これぐらいな句なら記憶していられるだろう。入浴の時でも、手洗いのときでも、やっと床に入ったときでもい、ふうっとこんなふうに句を思い浮かべて、さてこの虫食いの一字はなどと考えてみるのもわるくない。

禅は梵音のままで、意義は「静慮」「清思」である。ないしはその慮も思をも落とした状態である。そういう状態を芯の一点に人は抱え持ちながら、日頃気づかないまま怱忙に明け暮れる。よほど怠け者は知らず大方は明け暮れざるを得ないから明け暮れているのだが、この芯の一点にふと立ち返れる瞬間を持ち得れば、どんなに穏やかに静かになれるだろう。『こころ』の「先生」は「静」という名の「奥さん」を愛しながら、ついにその「静かな(無)心」を持ち得ずして自決した。漱石はそういう理屈だけは察していたから、他の者には「先生」「私」「K」などと名付けながら、三人の男がひとしく愛した「お嬢さん=奥さん」にだけ「静」という美しく価値ある名前を付けていたのである、東洋の禅の、道の、遠い伝統を憧れるほどに意識しながら。

この人にはそれが役に立ちそうだと思うと、わたしは、大学の頃と同じに、上のような虫食いの詩歌を「清=静」のよすがに呈題している。役に立っているかどうか分からないが。

2001 2・15 8

 

 

* いますぐ初出の場と年次は分からないが、筆者肩書に東京工業大学教授とあるから平成初年代のもので、「私のマインド・トゥデイ」と題した固定欄の最初に掲載されたことがコピーの頁数でわかる。わたしの「心・身」に対する基本の思いを述べている。だがこれを書いたとき、バグワン・シュリ・ラジニーシにまだ出逢っていなかったのが、バグワンのつねに「落とせ」とつよく警告する「マインド」なる「欄」の名付けに少しも反応していないことで分かる。しかも、「心」に対し戸惑いと疑念をすでにさしはさんで、「心」は「身・体」にたしかに繋いで置かねばと覚悟している。

この原稿、ここ数年、どこへ見失ったかなと捜していた。ふと、うまくプリントコピーが見つかったので、ここに採録し、「e-文庫・湖」にも掲載しておきたい。

 

* 身にしたがう心     秦  恒平

「こころ」という言葉を詠みこんで「心」を詠じた和歌は数知れない。が、心ひとつで心の歌には、なかなか、成らない。

「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人(よひと)さだめよ」という業平の歌も、「色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける」という小町の歌にしても、「夢」「花」といったシンボルとの取り合わせで生きている。取合わせ抜きにさも絶対境めいて「心」を純然抽出してみようと、どう「心見て」も、それで「心」が見えるものではない。

わたしの造語で恐れ入るが「こころ言葉」といえるような表現が、日本語にあって、日常にじつに多用されている。「心根」とか「心配り」とか「心地」とか「下心」とか「心ばえ」とか「心掛け」とか「心得る」とか、際限がない。それらの「こころ言葉」をもし用いずに、同じ趣意を伝えたりしなければならぬとなれば、どんなにかくどく、まわりくどく言葉を費やさねば済まないか、「心細い」はなしになる。

ところで、わずかに、こう拾ってみただけでも、じつに「日本語」感覚の把握している「心」には、根や底があったり、分配できたり、地や構えがあったり、下や上になったり、映えたり掛けたり獲得したり出来るもののようである。さらには太くも細くも、広くも狭くもなるようなものとして、「心」は、あたかも形ないし象を成しかつ備えて想われて来たことが分かる。

もとより「こころ言葉」は「こころ」にだけ熟してはいない。「気は心」というように「気」にも「魂」や「意」にも熟していて、表現の多彩さ巧みさには「心奪われ」てしまうほどである。「気」には味あり色もあり、遠くも近くもなる。「魂」は消えたり入ったりする。「意」には内外があったり注げたりもする。こういう全部をひっくるめての「こころ言葉」であり、それ即ち「日本の心」の具体を、よく指し示している。この指示にしたがわずに、ただ観念として「心」を語ろうとしても、かえって「心ない」ことになる。

いま「具体」とわたしは言ったが、もう一度和歌の話へもどってみると、じつは、「心」が「身」つまり「からだ」に取合わせて意識されている時に、往々、おもしろい「心」観察が成っている。とりわけて天才の、内省的な胸に芽生えたこんな一首に、感じ入る。

 

かずならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり  紫式部

 

心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり     西行

 

心が身で身が心というような、統制のつかない微妙な関与と反発との隙間を縫い取るように、われわれは生きている。暮らしている。心だけ、身だけで、喜怒哀楽はしていない。しかもなお紫式部ははっきりと「身にしたがふは心」と呻くほどに認めている。西行も心任せにすれば「身を苦しむる」と嘆いている。「身」に「心」をしっかと繋ぐこと。それは、「心」を、「具体」の連関においてのみ働かせてしか、「身」の安堵つまりは「安心」もないとの認識であったのか。

興味ふかい詮索の余地が、ここに、在る。 2001 2・24 8

 

 

* けさ、ある人から質問まじりのメールをもらい、答えたと言うほどではないが返事をした。

 

* おとといは花粉が舞い、昨日は雨、今雪が霧雨に。

MIND  と  HEARTとは同義かな、英語のニュアンスは少し違うなとか、心を落すとは、執着しない事かな、と、二三日 これが頭を離れません。スポーツのゲーム中にミスをしたパートナーに、しばしば「ドンマイ」と言葉を掛け合いますね。

 

* ドンマイは、たぶん、ドント マインド 気に掛けるな、気にするなでしょうね。それが、深く謂えば心=マインドを「落とす」意味とみてよく、たんにゲームでの失策やエラー程度でなく、「生」の全面において言われているのが、バグワンの教えです。マインドはコントロールでき、裏返せばつまりコントロールされてしまうものです。そこに、あらゆる「トラワレ」が、執着が、欲が、怒りが、妬みが、つけ入ってくる。おかげで、人間は安心の状態、無心の状態に入れぬまま、ジダバタともがき生きて、死んでゆく。

バグワンに出逢って、ほぼ七八年か、わたしは、とてもラクに、かなりラクになっています。気にしない、気にかけない。そしてハートフルに生きられるように。聖典にとらわれなくなり、ことさらに祈らなくなったし、理屈よりも、感情よりも、それらを忘れる方へ方へ自然に意識をふりむけて。

鏡は、自分から出向いていってものを映さない。しかし自分の前を通ってゆくものは、明瞭に映しとる。しかし何一つにもとらわれず、所有しようともしない。去る者はきれいに忘れてしまい、気に掛けない。来るものはきれいに映して、そして、ただ見ている。

無心。マインドに毒されない、ハート。

知識、理屈、執着はマインドの特質、だからわたしは心=マインドこそ諸悪の根源だとおもい、その辺の理解浅いままに世をあげて「心」とさえ言うていれば済むような、いいかげんなマスコミの宣伝や識者の煽動を信用しないで、眺めているのです。ドンマイ。

 

* 脳、頭脳はマインド=心の源泉であり、ここにのみ関わっていると、世界を知識と分析と理論でしか捉えようとしなくなり、それも、甚だ心理的にしかものをみなくなる。人間とは心理なりのような薄い人間観におさまってしまう。河合隼雄氏のような心理学者が率先して「心」を世に広めた気がするが、他にも「脳」を大いに啓蒙宣伝した生理学者もいたと思う。ジャーナリストでは、筑紫哲也がなにかというと「心」をもちだすが、どんな意味で心を語るのかしかと立場を明かしていたことはない。二言目には「心」と言い出す人はうさんくさい、あるいは、甚だうすい。ことに仏教の方の人がまことしやかに「心」が大事だと言い始めるとき、わたしは眉につばをつける。心を滅すること、心を落とすこと、無心ということを謂うのなら耳を傾けるが。子弟の教育には「心」が大切だと、まるで切り札のようにペンの理事会で梅原会長の口走られたときも、わたしは、即座にそんな軽率なことを謂うべきでは無かろう、見ようによれば「心こそ諸悪の根源ですよ。今の世の中の収拾のつかぬ曖昧さの原因に、そういう心の安易な横行がある」と抗議した。即座に瀬戸内寂聴さんが「そのとおり。秦さんの言われるとおりですよ」と発言されて、なんだか、話はすべてぐずぐずになった。つい暫く前のことだ。

 

* 心をむげに謂う気はない。心にはどうしようもない苦しい限界があり、けっして人間の内奥の大事を簡単にゆだねるわけには行かないのだと謂うことを、わたしはバグワンに学んでいつも胸に置いている。

2001 3・2 8

 

 

* 気がかり原稿を三つ、書き送った。一つにはこんなことを書いた。

 

* ちかごろ、わたしの気にしているのは、何だろう。

手短かにいえば「心」の安売りである。

テレビでも新聞でも雑誌でも「心」を看板にした企画が多い、いわく「心の時代」いわく「心の教育」いわく「心のページ」などと。『心の問題』という本もあった。「心」とさえ謂うておれば、世の中、問題なしかの風潮になっている。

「心」とは、それほどのモノだろうか。「心」が諸悪の根源ではないのか。

いいや「心」は諸善の根源であり、教育の場では少年少女にもっと「心」を教えねばと、つい最近にも或る文学者の会議で、座長格の哲学者から聞いた。これが世間でも常識かのようである。

そうなのだろうか。「心」は、そんなに頼れるものであるか。さきの会議では、座長の「心」善玉説に即座に否認の声も上がった。声を上げたのはさすがに仏徒であった。尼僧であった。だがNHKのテレビ番組で、禅門や浄土門の高徳らしき僧の口から、どれほど空疎な「心」尊重の説法を聴かされてきたことか。もう一度問うが、「心」は、そんなにも頼れるものであるか。

「心」の原初の意味は分かっている。心臓の象形文字である。だが「こころ」の語源は指摘しにくい。普通の辞書はたくさんな「意義」が挙げているが、語源の詮索は避けてある。出来ないらしいのである。仏教語辞典なら「意・識」を中心に無数の熟語を挙げている。英語で謂えばまさに「マインド」である。言い換えれば分別である。頭脳の働きに同調または伴走している。

人の常識では「こころ」は目に見えない。形もない。在るとしてどこにどう在るかが分からない。つかみどころがない。

だからつかまえようとは「試み」なかったか。そうではない。「心見」の試みは、いろいろ為された。工夫された。あんまり日常的な努力・工夫であったために、気づかずに見逃しているけれども、人の「こころ」との取っ組み合いは久しく久しいのであり、証拠は山ほど積もっている。その一つが、私の謂う「こころ言葉」である。

例えば文学の表現は、心の微妙なところへさしかかればかかるほど、「こころ言葉」のお世話になり続けてきた。あまりなり続けて決まり文句めき、文章に新鮮な冴えが無くなりかねぬところまで、ずいぶん、ご厄介になってきたのである。

「こころ」に、温度というものがあろうか。立証はできない、が、「心が寒い」「冷たい心」「心暖かい」「熱き心」「心温まる」「心も凍る」などと謂うてみることで、心の在りようを分かりよくしたには相違なかろう。「こころ」には、堅さ・大きさ・形など

無い筈と分かっていながら、「心やわらぐ」「堅い心で」「心を大きく」「小心な」「歪んだ心」「心を真っ直ぐに」などと謂う。なんとも分かりが早い。「赤き心」「心を暗くする」「明るい心で」「心の闇」「心が晴れる」などとも謂う。

本来は無いのであろうことを、自在に比喩し付託し示唆して、「こころ」を、可能な限り、つかみどころ有りげに仕立てて来たのである。

「こころ」を、「閉ざし」たり「開い」たり、われわれは、しているようだ。「心の隅」「心の奥」「心の底」「心の内」「心の襞」などと、さも容れものめいて想ってもいるし、「心構え」だの「心の扉」などと建造物のように眺めたり、どこかしら底知れぬ世界へ「心根」を下ろしているのだとも推量している。

それどころではない。

「一心に」打ち込んでいるかと思うと、たちまち「こころ」は「騒ぎ」「乱れ」また「舞い」「浮かれ」たり「病み」「やつれ」たりして「心ここになく」荒れ「狂う」こともあり、また一転、「心静かに」「心澄み」「心清く」冴え渡ることもある。

「心づかい」しても「こころ」は減らない。遥か天涯に「心を馳せ」てもたちまちに戻って来れる。「心行く」ことも「心残り」なこともあるのが「こころ」であり、「無心」にも「有心」にも「一億一心」にもなり、「こころごころ」に「心砕け」ることもある。

「心を配る」ことも「心掛ける」ことも「心を用いる」ことも「こころ」には可能であり、「心弱く」も「心細く」も、また「心丈夫」にも「太ぇ心」にもなれる。「心得て」いるのかと思っていると「心を失っ」ている。「きれいな心」も「きたない心」もある。「心化粧」がちゃんと利くのである。「良き心」にも、「悪しき心」はもとより、「直き心」にも「ねじけ心」にもなり、「深い心」にも「浅い心」にもなる。

「心あて」「心任せ」「心次第」「心のままに」何でも出来ると思っている。成行きによっては平然と「心にもない」「心得違い」もしてしまう。

挙げれば大事な有効な「こころ言葉」は、もっともっともっと沢山有る。

問題は、何故そんなに有るのかだ。何故なんだろう。「心知った」人と共に生きたい。「心安く」「心親しく」交わり、生きて行きたい。「安心」が何よりだと、たいていの人は願っている。だが他人の「こころ」はもとより、自身の「こころ」ですら容易に把握できないのが正直な感想ではなかろうか。「心知る」ことが大事な希望でありながら、その「こころ」というヤツの正体は厄介きわまって、屁にはあるにおいすら、無い。形象も色彩も大小も硬軟も温度も働きも、見れども見えず、掴みたくても掴みとれない。どこに存在しているのか、心臓か頭脳か全身にか、どこか空中に浮遊しているのか、みな分からない。今でも本当のところは分かっていなくて、諸説紛々がいいところのようである。

人の心は知られずや 真実こころは知られずや

と、室町時代の人々が小歌にして、嘆いている。洋の東西古今の別なく同じ嘆きを、今も続けている。自然科学がなにもかも明らかにしたなどとは、自然科学者自身がいちばん言いづらい筈なのである。

なににせよ、「心知る」ことは容易でない。その分からない「こころ」を分かりたい・知りたいと思って「心見」た最たるものが、「こころ言葉」の発明と運用であり、日本人の知恵のひとつとして、たいした遺産なのである。観念的などんな「こころ」論よりも、存外に具体的に「こころ言葉」の収拾と解析とが、多くをもたらすのではないかと思いつつ、日本人と日本文学の「心」をわたしは考え続けてきたが、道は遠い。言えるのは安易に「心」は頼れないという真実だ。

ブッダは、「心」が肝腎だなどと説かれただろうか。般若心経の「心」はいわゆる我々の多用する「こころ」の意味でなく、中心にある大事な、根本のと謂った評価・形容語であり、大事に説かれているのは「無」「空」であろうと誰もが読んできた。いわゆる「心」も、無に空に、つまり「無心にあれ」とこそ説かれていて、「心=マインド」という「分別」を根源の「ケイ礙=障り」としている。障りが失せ無心が得られれば、何の恐怖有ることもなく、一切の顛倒夢想を遠離しついに涅槃に至ると。「心」とは「顛倒夢想」の巣であることをみごとに証明してみせるのが、無数に生まれた、生まれざるを得なかった日本の「からだ言葉」である。無に帰する以外に所詮は把握もできず意義も確かめ得ない「心」なのであり、「心」を説いてやまない人の多くは、いわば「顛倒夢想」の範囲内でより好都合に心理的な「心」操縦術を賢しげに説いているに過ぎぬ。いわば銘々が勝手な「こころ言葉」を用いて自説を補強しているのであり、だから言うことは勝手次第にさまざまで、ちょうど何を食べると健康によいという類の「情報」と、少しも違わない。あっちではああ言い、こっちではこう言っている。そしていよいよ現代人の「心」は乱れ・騒ぎ・砕け・散って「心ここになく」貪瞋癡(とん・じん・ち)に狂奔する。するしか道がないかのように「心=マインド」が祭り上げられ、あたかも強要されているのである。

「心に、ふりまわされてはなりません」と、なぜ説かないのか、現代の僧や宗教家たちは。根本をまちがえた哲学学や宗教学や心理学のエセ説法がはびこり過ぎ、世を過っている。安心とは無心であるとまっすぐ説く仏徒、「心」よりもいっそ「体」を大事にしなさいと説く思想家・教育者に出会いたい。

2001 5・22 9

 

 

* 小泉首相もいちはやく反応した池田小学校無差別児童殺傷事件などに、どんな政治の対策が可能であるか、こんなに難しい人間的な対応は無い。心過剰時代に心を病んで沈んでゆくモラルと自覚。そういえば、こんなメールも届いていた。

 

* 少し、鬱状態かなと。

気候も相まって、一つ二つ胸の内を占める不安なものがあり。私はこんなに神経質だったかなと思ったり。

まあ、明日は明日の風が吹くでしょう。

昨日、友人とおしゃべりをして聴いた話、以前から少しは耳にしてはいましたが、私もよく知っている彼女の仲良しが、ここ五、六年の間にじょじょに神経を病み、今は脅迫観念に捕らわれて、異常な行動だというのです。

日中から耳栓をし、セロテープで押さえ、シンクの排水溝から誰かに侵入されるとその都度塞ぎ、ある時は水栓を閉め忘れて、団地の階下に大量に漏水して、私の友人も含めて大迷惑をかけたり、痩せているからと無理に食事をするので、食べたものは通過するだけか骸骨の様にやせ細り、それでも家族は神経内科には診せたくなく、友人もそこまで立ち入るのは憚れて、やきもきしていると言います。

勿論買い物にも殆ど出ないようで、良かれと思い無理にも毎週のお稽古に声を掛けると、やっと出てきて、作法通りにお手前は出来るのですが、それでも窓際には襲われるからと怖がって座れない。気の毒と思いながらも、手を差し伸べるすべもないのよと。

身近かにあるこの話は、ご本人にはお気の毒ですが、立派な反面教師です。

その後べつの友人の家にも立ち寄り、そこでは孫の話で盛り上がり、明るくなって帰りました。

 

* みな、足下に地雷を感じながら日々にすり抜けすり抜け暮らしている。バグワンに出逢ったことを、わたしは、たぶん妻も、今はかなり確かな支えにし得ていて、幸せである。

ある仏門の雑誌に請われて書いた「心の問題」をここに書き込んでおく。

 

* 心の問題

ちかごろ、わたしの気にしているのは、何だろう。

手短かにいえば「心」の安売りである。

テレビでも新聞でも雑誌でも「心」を看板にした企画が多い、いわく「心の時代」いわく「心の教育」いわく「心のページ」などと。『心の問題』という本もあった。「心」とさえ謂うておれば、世の中、問題なしかの風潮になっている。

「心」とは、それほどのモノだろうか。「心」が諸悪の根源ではないのか。

いいや「心」は諸善の根源であり、教育の場では少年少女にもっと「心」を教えねばと、つい最近にも或る文学者の会議で、座長格の哲学者から聞いた。これが世間でも常識かのようである。

そうなのだろうか。「心」は、そんなに頼れるものであるか。さきの会議では、座長の「心」善玉説に即座に否認の声も上がった。声を上げたのはさすがに仏徒であった。尼僧であった。だがNHKのテレビ番組で、禅門や浄土門の高徳らしき僧の口から、どれほど空疎な「心」尊重の説法を聴かされてきたことか。著名なキャスターの中にもことある都度「心」を言い続けている人もいる、が、もう一度問うが、「心」とは、そんなにも頼れるものであるか。

「心」の原初の意味は分かっている。心臓の象形文字である。だが「こころ」の語源は指摘しにくい。普通の辞書はたくさんな「意義」を挙げているが、語源の詮索は避けてある。出来ないらしいのである。仏教語辞典なら「意・識」を中心に無数の熟語を挙げている。英語で謂えばまさに「マインド」である。言い換えれば分別である。頭脳の働きに同調または伴走している。

人の常識では「こころ」は目に見えない。形もない。在るとしてどこにどう在るかが分からない。つかみどころがない。

だからつかまえようとは「試み」なかったか。そうではない。「心見」の試みは、いろいろ為された。工夫された。あんまり日常的な努力・工夫であったために、気づかずに見逃しているけれども、人の「こころ」との取っ組み合いは久しく久しいのであり、証拠は山ほど積もっている。その一つが、私の謂う「こころ言葉」である。

例えば文学の表現は、心の微妙なところへさしかかればかかるほど、「こころ言葉」のお世話になり続けてきた。あまりなり続けて決まり文句めき、文章に新鮮な冴えが無くなりかねぬところまで、ずいぶん、ご厄介になってきたのである。

「こころ」に、温度というものがあろうか。立証はできない、が、「心が寒い」「冷たい心」「心暖かい」「熱き心」「心温まる」「心も凍る」などと謂うてみることで、心の在りようを分かりよくしたには相違なかろう。「こころ」には、堅さ・大きさ・形など無い筈と分かっていながら、「心やわらぐ」「堅い心で」「心を大きく」「小心な」「歪んだ心」「心を真っ直ぐに」などと謂う。なんとも分かりが早い。「赤き心」「心を暗くする」「明るい心で」「心の闇」「心が晴れる」などとも謂う。

本来は無いのであろうことを、自在に比喩し付託し示唆して、「こころ」を、可能な限り、つかみどころ有りげに仕立てて来たのである。

「こころ」を、「閉ざし」たり「開い」たり、われわれは、しているようだ。「心の隅」「心の奥」「心の底」「心の内」「心の襞」などと、さも容れものめいて想ってもいるし、「心構え」だの「心の扉」などと建造物のように眺めたり、どこかしら底知れぬ世界へ「心根」を下ろしているのだとも推量している。

それどころではない。

「一心に」打ち込んでいるかと思うと、たちまち「こころ」は「騒ぎ」「乱れ」また「舞い」「浮かれ」たり「病み」「やつれ」たりして「心ここになく」荒れ「狂う」こともあり、また一転、「心静かに」「心澄み」「心清く」冴え渡ることもある。

「心づかい」しても「こころ」は減らない。遥か天涯に「心を馳せ」てもたちまちに戻って来れる。「心行く」ことも「心残り」なこともあるのが「こころ」であり、「無心」にも「有心」にも「一億一心」にもなり、「こころごころ」に「心砕け」ることもある。

「心を配る」ことも「心掛ける」ことも「心を用いる」ことも「こころ」には可能であり、「心弱く」も「心細く」も、また「心丈夫」にも「太ぇ心」にもなれる。「心得て」いるのかと思っていると「心を失っ」ている。「きれいな心」も「きたない心」もある。「心化粧」がちゃんと利くのである。「良き心」にも、「悪しき心」はもとより、「直き心」にも「ねじけ心」にもなり、「深い心」にも「浅い心」にもなる。

「心あて」「心任せ」「心次第」「心のままに」何でも出来ると思っている。成行きによっては平然と「心にもない」「心得違い」もしてしまう。

挙げれば大事な有効な「こころ言葉」は、もっともっともっと沢山有る。

問題は、何故そんなに有るのかだ。何故なんだろう。「心知った」人と共に生きたい。「心安く」「心親しく」交わり、生きて行きたい。「安心」が何よりだと、たいていの人は願っている。だが他人の「こころ」はもとより、自身の「こころ」ですら容易に把握できないのが正直な感想ではなかろうか。「心知る」ことが大事な希望でありながら、その「こころ」というヤツの正体は厄介きわまって、屁にはあるにおいすら、無い。形象も色彩も大小も硬軟も温度も働きも、見れども見えず、掴みたくても掴みとれない。どこに存在しているのか、心臓か頭脳か全身にか、どこか空中に浮遊しているのか、みな分からない。今でも本当のところは分かっていなくて、諸説紛々がいいところのようである。

人の心は知られずや 真実こころは知られずや

と、室町時代の人々が小歌にして、嘆いている。洋の東西古今の別なく同じ嘆きを、今も続けている。自然科学がなにもかも明らかにしたなどとは、自然科学者自身がいちばん言いづらい筈なのである。

なににせよ、「心知る」ことは容易でない。その分からない「こころ」を分かりたい・知りたいと思って「心見」た最たるものが、「こころ言葉」の発明と運用であり、日本人の知恵のひとつとして、たいした遺産なのである。観念的などんな「こころ」論よりも、存外に具体的に「こころ言葉」の収拾と解析とが、多くをもたらすのではないかと思いつつ、日本人と日本文学の「心」をわたしは考え続けてきたが、道は遠い。言えるのは安易に「心」は頼れないという真実だ。

ブッダは、「心」が肝腎だなどと説かれただろうか。般若心経の「心」はいわゆる我々の多用する「こころ」の意味でなく、中心にある大事な、根本のと謂った評価・形容語であり、大事に説かれているのは「無」「空」であろうと誰もが読んできた。いわゆる「心」も、無に空に、つまり「無心にあれ」とこそ説かれていて、「心=マインド」という「分別」を根源の「ケイ礙=障り」としている。障りが失せ無心が得られれば、何の恐怖有ることもなく、一切の顛倒夢想を遠離しついに涅槃に至ると。「心」とは「顛倒夢想」の巣であることをみごとに証明してみせるのが、無数に生まれた、生まれざるを得なかった日本の「からだ言葉」である。無に帰する以外に所詮は把握もできず意義も確かめ得ない「心」なのであり、「心」を説いてやまない人の多くは、いわば「顛倒夢想」の範囲内でより好都合に心理的な「心」操縦術を賢しげに説いているに過ぎぬ。いわば銘々が勝手な「こころ言葉」を用いて自説を補強しているのであり、だから言うことは勝手次第にさまざまで、ちょうど何を食べると健康によいという類の「情報」と、少しも違わない。あっちではああ言い、こっちではこう言っている。そしていよいよ現代人の「心」は乱れ・騒ぎ・砕け・散って「心ここになく」貪瞋癡に狂奔する。するしか道がないかのように「心=マインド」が祭り上げられ、あたかも強要されているのである。

「心に、ふりまわされてはなりません」と、なぜ説かないのか、現代の僧や宗教家たちは。根本をまちがえた哲学学や宗教学や心理学のエセ説法がはびこり過ぎ、世を過っている。安心とは無心であるとまっすぐ説く仏徒、「心」よりもいっそ「体」を大事にしなさいと説く思想家・教育者に出会いたい。

 

* 心を軽視するから心を病む人が増えているのだとは、わたしは考えていない。逆である。心に過大な荷物を負わせすぎて心が潰されているのだ。安心、気楽、こういう言葉が大事にされ求められてきた背後には、とかく心を酷使しようとする人間のご都合主義がうごめいている。無心になって安心したいものだとつくづく思う。哲学も心理学も宗教学も精神分析も、一切役に立たない時代である。むしろそれらが人間をわるく、こすからく、ちいさいモノにしてきた元凶=ケイ礙そのものであったろう。

2001 6・12 9

 

 

* 京都の仏教本の版元がくれた年賀状に、二十一世紀は「心の世紀」と書いてあり、そのつもりで本を作って行くとも。

途方もないことである。イスラムもアメリカも日本も朝鮮やロシアも、みな己の「心=マインド」を重んじて、エゴイズムに走っている。とんでもない。「心の世紀」というのが痛烈な皮肉であるのなら賛同するが、「心」を頼んで平和に幸せに安寧にと願う気なら、真っ逆様の誤謬である。いかに「心」が人間社会をわるくわるく複雑な欲の世にしているかを思い知ることなしには、二十一世紀は、破滅の世紀になる。「心を忘れる世紀」「心を静める世紀」「心を無に返す世紀」でなければならない。「もとの平らに帰る楽しみ」はそれでしか得られないことを、かつがつ、わたしは理解している。

善人になろうなどという話ではない。わたしは悪人でも善人でもない、いい人でもワルイ人でもない。そんなことはどうでも宜しい。「今、此処」で生きているとおりの者である。「今、此処」しか自分の世界の在るワケの無いのを、やっと分かってきたのが嬉しい者の一人である。

2002 1・3 12

 

 

* 五時に起き、古語の「こころ言葉」を大辞典で全部読見直した。信じられないほど多い。妙なもので、初めて知ったという「こころ言葉」は、二、三もなかった。日本語の特徴とも謂えるが、一つの語に多彩に意味が重複している、それを押さえてゆくととても面白く語のふくらみが理解できる。起き抜けに本を一冊読んだような勉強をした。日本人が心というモノをどう捉えてきたか、どう捉えきれないで、惑い、迷い、翻弄されながら適当に付き合ってきたかがよく分かった。

2002 2・8 12

 

 

* 心のはなしに戻るが、茶の湯の道の始祖というべき珠光に、大和古市の播磨法師澄胤に与えた「心の文」「心の師」と呼ばれる一紙がある。「此の道、第一悪きことは、心の我慢我執なり」と書き出している。「功者をば嫉み、初心の者をば見下すこと、一段勿体なきことなり。功者には近づきて一言をも歎き、又、初心の物をばいかにも育つべき事なり」と続けている。そこからは茶や道具に触れているが、やがて総括して「ただ我慢我執が悪き事にて候、又は我慢なくてもならぬ道なり」と、微妙だけれど尤もな所を言い切っている。

そして、「古人」の言として、こう締めくくる、「心の師とはなれ、心を師とせざれ」と。

 

* 心にいろいろ有ることは、日本語の「こころ言葉」だけでなく、英語でも、マインド、ハート、ソール、スビリットなどがある。普通には前の二つが漠然と混用されていて、現実にはハートを尊重している口振りや身振りでも、よくみているとマインドに終始した心の働きが多い。マインドは頭脳的な心、ハートは心臓的な心と謂えるなら、日常生活で駆使している人間の心は、大方が思考、知識、利害、判断にかかわるマインドであり、わたしが、頻りにいう「心は頼れない」「頼ってはならない」というのも、このマインドのことである。ドンマイである。マインドは人をえてして我慢我執へ導き、トータルなものを分割に分割して多元化し混乱させ、あげくハートを苦しめる。珠光の「心を師とせざれ」とは、マインドに導かれては成らぬ、「心の師とはなれ」とは、マインドをハートに替えよといった意味にもなる。

 

* ハートで話す稀有の政治家かのように期待されていた小泉純一郎が、更迭人事で血迷ってからは、ことごとくハートの抜け落ちた形骸と化した打算と弁解のマインド言葉に終始している。あの薄笑いがでてくるとき、彼の言葉はハートを裏切る自己保身と虚勢のウソを語っている。

だが、もっともっとひどい自民党員があんなに大勢なのだ、それを見誤っていい訳がない。野党も、小泉を無謀に引き下ろしたときに自分たちが整然と政権交代へ結束して勝算があるならば知らず、小泉の百倍も愚かしく党利党略のまえに政治を私する旧来自民政権の復権を導き出すのでは、藪をつついて蛇の愚の骨頂となる。冷静に政局と改革日本の筋道を見つめて欲しい。こきおろすだけが政治ではない。政権のために政治が有りすぎたのが不幸だった。国民のために政治があるはずではないか、民主主義とは。

2002 2・8 12

 

 

 

 

* フィリピンでテロかと。いやだなあ。

街頭で、マイクをむけて「いま、幸せですか」と聞いてまわっていた。思わず笑った。即答を強いれば、自分は不幸ですと応える人は少ない。幸福である事象を「捜し」て応えるからだ。少し、己の闇におりて、独りでしばらく自問し自答しなければ答えは出ないし、また質問は、こう、すべきである。「いま、真実、幸せですか」と。わたしの学生達がぐっと息をつまらせ考え込んだのは、この「真実」の二字にであった。

この問いから、しかし、ほんとうに知らねばならぬコトは、不幸ということぬきに幸福はなく、逆もしかり。したがって幸不幸は表裏してつねに在るという認識と、幸も不幸もそんなものはともに無いという認識との、どちらに行くかを迫られていること。

「かなふはよし。かなひたがるは悪しし」と利休は云った。幸福も不幸も、陥りやすいのは、とかく幸せ「がった」り、不幸せ「がった」りして、とらわれてしまうこと。「捜し」て応えているというのは、それである。それは「心」のなせるわざにすぎず、だが「心」はあまりに強い力をもった「諸悪の根元」であるから、そのような幸福も不幸も瞬時の投影、流れ走る白雲や黒雲をながめているに過ぎない。「有」情の境涯であり、それは、いつまでも変転する。変転しないのは、雲が覆い隠したその奥の、澄んで「無」窮の「空」だけ。

 

* がる、のは何かにつけて悲しい自己満足。かなふはよし。かなひたがるはあしし。

2003 3・5 18

 

 

* 人の心は知られずや 真実 心は知られずや  室町小歌

 

* このうめくほどの「嘆息」は、次に、いったい、どの方角へ身を転じようというのだろう。自棄か断念か暴発か狂気か、放埒か、無頼か。「心」などという、何とかに刃物ほども危ないものを、或いはたわいなくロマンティックに頼み、或いは小ずるく政治的に利用し、或いは偽善のために或いは打算のために或いは虚飾のために担ぎ出す。「心」が良くしてくれた現代とは、何が在るの? むちゃくちゃになった人間達の世間。いやになる、つくづく情けない。何故かなら、私自身無罪でないから。私自身むちゃくちゃだから。けちくさい心にしがみついて、口にする言葉はたちどころにウソになるばかり。

 

* 京の、家の近くの、白川の、狸橋の上から川波に眼を凝らして、少年のわたしはいつも時を忘れた。ちいさくするどくかすかに音たてて、わたしのちいさな視野は躍るように不変だった。不変の川波は、わたしの眼玉のまるで鱗と化し、あれから六十年、わたしは鱗の眼で生きてきた。いやだ。いやだ。だが、どうにもならない。嘆息するのは人の心ではない。わたし自身の心が知れない、あたりまえだ。あたりまえと思えるようになっただけが、終点前の、かすかな希望である。けれど、すごく寂しい。

2003 7・17 22

 

 

* すこし酔って帰ってきました。ごく近所で毎日曜日ジャズを歌うご夫妻と知り合いになり、焼酎をいただきながら聞いてきました。

ちょうど、無性に人を恋しくおもう気分のところでした。秦さんに甘えたメールを送ったら笑われるかも、とちらと思っていたら、メールをいただいていたので、うれしくて。

この数週間でめざましく元気になりました。

健康感を取り戻したいま、いかに自分が参っていたかがわかります。数週間前の自分さえ、今の私からみれば途上にありました。参っているさなかにその自覚がないのは、危険かもしれませんが、私にとっては救いでした。

声をかけてくださること、どれほど有難いことか。どれほど嬉しいことか、いつも胸にあります。ほんとです。

HP、PC上でできたものを、yahooのサーバーにつなぐ作業が残っています。しょうじきにいえば、すこしこわいのです。かざってはいません。かえって、読まれることを思うと、そがれるものがあります。それもウソになりはせぬかと、自分の弱さを振り払おうと。

ごめんなさい、こんなこと。ちょっと酔っているのです。おゆるしください。ひと恋しくて。

 

* この人、やっと、こういうふうに思いが流れ出るようになった、強張って守っていたものが。元気になってきたのは確かだろう。この人も、いわば「こころ」派の人であるから、その意味では「こころ」に対しては慎重に懐疑的に、少し冷淡に付き合って欲しいなと思う。いつかまた結婚したいと思う人に出逢うだろう。その時までに、少し用心して自身の「こころ」を忘れるていたほうがいい。むしろ「からだ」をいたわり、優しく励まして鍛えておくのがいい。慰め、また鍛えた方がいい。「こころ」に従順な人は「からだ」を傷めてまで「こころ」をふりかざすが、そんな「こころ」のアテにならないことは甚だしいのである。「こころ」派の人で「静かな心」の人のめったにいないことでも、わかる。

2003 7・27 22

 

 

* 京では大文字とも想えないほどの涼しさ、冷えこみよう。

『ゲド戦記』の終巻「アースシーの風」が示唆していたように、地球が、根底のところで傷ましく病んできたような不気味さ。アメリカ、カナダの広域大停電が、二昼夜に及んで原因すら掴めず、復旧にも手間取っているおそろしさも、肌に伝わってくる。科学的には理由は簡単につけられるのだろうが、テロでなかったとも断定できていないし、たとえテロでなくても、そうする気なら出来てしまうのが、サイバーテロの恐ろしさである。映画「ザ・インターネット」のように政治的経済的に迫るテロもあれば、停電やダム破壊や列車妨害のような生活線から侵してくるテロもありうる。

だが、どこかで人の内側が侵されている、ともいえる。安易にお題目や空念仏のように「心」に頼んで、その心が軽薄で実のない要するに分別心でしかないとなれば、いまの世、人の分別心は利害の利の方にばかり働いてしまうのだから、「心」を振り回せば振り回すほど、現代の蟻地獄は深く凄くなってくる。わたしだとて、何の例外であろうや。

 

* 絶やさず来ていた人のメールが、ひたと止まることがある。機械の故障も待ったなしに突如起きる。起きてしまえば、どうにもこうにもならないのが機械というヤツの傲慢さ、お手上げになる。回復には金と時間がかかる。よくよく考えれば傲慢なのは機械でなく、人間の無神経さにある。わたしだとて何の例外であろうや。

2003 8・16 23

 

 

* ちょっとした「こころ」論議が続いている。漱石の小説ではない。心、のハナシ。

その人は、確信的な「心」大切の信仰心をもっている。わたしの「心」不信が容認出来ない。容認などしたくない。自分の「心」を愛し、信頼しているらしい。

わたしは何度も書くように、心はアテにならない、時々刻々変容し変貌して果てしなく、一つ間違うとそんな心に惑い、ただもう、うろうろしてしまうことが多いと感じている。それはお前の心が定まっていないからであると云われれば、その通りで、心の鍛錬も改造も、じつに難しい。わたしは人によって傷つけられた覚えよりも、自身の心によってしばしば戸惑い傷つきさえしたという思いが、子供の頃からつよい。

できれば「心に頼る」よりも、心など「無いもの」かのようにし、心に振り回されまいと、ついつとめる。心は、「お前は逃げるのか」と咎めてくるが、そういう心ほど、はなはだ危険なトリックを仕掛けてくる。心を落とさずに、心を蜘蛛の糸のように「他」へ絡みかけ寄りかかれ、それが「安心」というものだと途方もないことを指示してくる。自身を喪っても、心そのものに成れと教えてくる。もっともっともっと願え、願望せよと司令してくる。

心にもじつはいろんな心があり、一概に云えないのだが、人を凝り固まらせたり、ひっきりなしに分裂的に悩ましたり攻撃的に他に向かわせる点で、諸悪の根源じみるとわたしは理解して、もう久しい。ほんとうは、心のことなどあまり考えたくないのが本心である。無心に近く、静かな心でいたいが、そのためには自身を「心の餌食」にしてはならぬと想うのである。

しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの(   )食となさず

石川不二子

すぐれた姿勢だと思ったし、学生たちにもそれを伝えた。

喜怒哀楽や情熱や執着や努力が、心というものを離れた仕方では不可能なのか。それをわたしは考えてきた。

心はすぐ、目の前のそれが善か悪か、好きか嫌いか、大か小か、欲しいのか欲しくないのか、などと「対立」させ、「選べ選べ」と教えてくる。その騒がしい拘泥りが、人を、静かな心からむげに遠ざけてしまう。

心をめぐる論議は、かなり、しんどい。

2003 9・2 24

 

 

* 人は人のことを、ほんとうに知らない、知ろうとしないで、自分の思いのままにならないと嘆くものだ。しかもその「自分」のことだって、実はよく知らない、分かっていない。そのこと自体が、分かっていない。雲の足場に幻覚の城を建てているようなものか。

堅実に把握しないと、なにもかも表現は、ただもう泡のように頼り無い。無反省に「こころ」を信奉している人に、晴雨ただならぬ空模様のように、それが現れる。

頭脳と心臓。この語に「こころ」とルビをふるなら、どっちにふるか。四の五のいわず、あえてどっちかを選んで見て、そしてなぜか、考えてみたい。

2003 9・18 24

 

 

* 漱石の「こころ」であった、先生と私とが散歩に出て、広い植木屋の庭中へ入り込んで休息しおしゃべりをする場面がある。わたしの脚色では、此の場面で、二人に大事な会話をさせている。原作にもあったが、こういう静かなところにいると静かな心になりますねと私が云い、それから「こころ」の話になる。会話は微妙な問題に触れていって、先生が私に念を押されて応える。なんでも遺産か財産か金のはなしであった。先生ははなから悪い人間はいない、人間を悪くするのは金だとか何とかいい、あまりの「簡単」さに若い私が鼻白むと、先生は即座に逆襲して、さも心、心ときみは言うが、そのきみの心が、じつに簡単に騒いだり乱れたり変心したりするじゃないかと窘める。

漱石は「心」の頼りなさをよく分かっていたのである。

心だ心だと騒がしいほど心をタテにとる人がいるものだが、そういう人に限って、いわば変心躁鬱の度合い甚だしく、感情の平静が保てない。その上、わるいことに、そのようにバタバタする心をもっていることが、さも純真で素直で自身を刻々誠実に偽っていないのだと錯覚している。浅瀬をはしる水はせいせいとして清いようであるが、さわがしく落ち着かない。よくもあしくも軽薄軽躁である。流れも見えぬ深い淵瀬の静謐がない。そして大事な物を見失うのである。喪失してゆく。

2003 10・31 25

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