ぜんぶ秦恒平文学の話

心について 2004年~2006年

 

* 一人暮らしは気楽なようで安易にもなりやすく、翻弄もされやすい。十分気を付け、あらゆる意味で「鍵」掛けを、慎重に、と。若い人の自宅をあえて離れた一人暮らしでは、なにかしら、女の人の場合の最終的な破綻のケースが多そうに感じられるから。自由のつもりがいつ知れず不自由に拘束され、ときに支配されてしまうこともある。

「ビューティフル・マインド」か。題を聴くだけで、つらそう。「マインド」はけっしてビューティフルにはなれない。ハートとかソウルならばとにかくも。「マインド」の機能は、迷・惑、そのもの、つまり思考・思索・論理・分別。そして自我の肥大増殖が残り、どこかで失調する。ふつう手ひどい失調にまで陥らずにすむのは、よくしたもので人間様がどこかで分別や思索を投げ出しているからだ。失調もしないかわり、たいした論理も残らない。理屈の断片だけが貝塚のように積まれ、人はのんきにそれを自分の思想だなどというが、ナニ、ただの堆積だ。これは自嘲。

2004 1・4 28

 

 

* 深夜であるが。ぎりぎりの瀬戸際からの声がとどく。若い人である。

 

*  生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ 大島史洋

追うべき幸福ではないと実感したら、引き返すように。そう伝えたら、「こころの声に、耳を傾けて。その声に従うのみです」と云ってきた。

むろん、花は後悔するために咲いたりしない。後悔しないために花は咲く。若い人の恋はそうであろう。それでいいと思う。が、それにしても、またしても「こころ」の声にとは。「こころ」こそいちばん頼れなどしないのに。心は一瞬にしてまっさかさまのことを云う魔物のようなもの。それぐらいは、若くても体験的に知っているだろうに。

「こころ」とは、鏡のように澄んだ青空の前を、ひっきりなしに去来する「雲」のようなもの、別名は、思考・分別。澄んだ無限の青空が、人根源の本来か。だが青空を、ともすれば隠そうとして働く黒雲白雲のような、所詮はよそから来ては去って行く「こころ」が自分なのか。少し本気で考えてみれば分かるではないか。何のために、人は「無心」という澄んだ在りようを理想にしてきたか。

「こころ」より「からだ」の方が信頼できるかも知れない。「こころの声」ほどアイマイでいい加減で頼り無くて変わり身の早い悪党は、世の中に他に無いのではないか。

頼めるほどのものは、そう、有るものではない。頼むとは、それに抱きつく・しがみつくこと、わたしの謂う「抱き柱」だが、そんなものに所詮は頼っていられないだろう。自分で自分を騙すような真似になる。

考えを強いて、押しつけている気はなかった、向こうは若いのだ。若くて惑っているのだ、「こころの声」にしたがい戻れない橋を渡りたいというのだ。ああ、「心の声」にしたがうなんていう実体のない恰好の言葉でなく、ただ眼をとじて深い闇に沈透(しず)いてみるといい。そこに何が有るか。そこに自分がいるか。心なるものが存在するか、其処には。肉体すらその闇には無い。

闇は無限定に深い。その闇が、そのまま澄み切った青空に、一枚の何も写さぬ鏡になる、か、どうか。わたしは、日頃じっとそれを「待って」いる。努力して頑張って成れるようなことではないし。

 

* 後悔のないように。これだけは、一貫しています。

こころの声。

わたしは、不確かな声を聞こうとしていましたね。

 

* 若い人は、そう呟いてきた。人生は危ういのか。黙。

2004 3・22 30

 

 

* 若い人もほんとうにいろいろである。男も女も。そして老人だっていろいろであるに違いない。よくよく見ていると、みな、それぞれに闘っている相手は、孤独、か。孤独はいいのである、すばらしいクスリだ、が、孤立してはいけない。

恋というのは心でするものだと、ある人は云う。そうかも知れぬ、が、違うのと違うやろかとも思う。心が人を幸福にすることはない。無心なら、べつだが。

人は痛々しいまでに求めるけれどけっして「静かな心」なんてものは無いのだ。無い、と確信したある瞬間に無心が来る、かも知れない、永遠にそんな境地は来ないかも知れない。わたしは、いまいちど「風」を考えてみたいと思う。「日本の美学」に書いた「風」の説は半端であった。

 

* 風は、吹いたり、やんだり、するものです。吹こうがやもうが風に実体はない。無いものです、存在としては。風は、待ってもいないし、わすれてもいない。花を咲かせ花を散らせ、しかしそれもまた新たに花咲くために、です。花は繰り返しのシンボル、風は実存の譬喩。

花はすなおで、美しい。ねじけていなくて、やわらかい。

花は、いま、幸せでしょう。

胸の内に、思いの底に、懐かしく静かに深い闇を知ったことは花のいのちを久しくすると思う。すこし強くなり、無用の柱に抱きつき泣きつかずに独りで立てるように、歩けるように。

少なくもあと五十年が花を、それこそ待っている。

ごく自然に、常のママに風に抱かれて美しく花咲きますように。無心に。

2004 3・23 30

 

 

* 歌  葛西アナ司会の番組の新企画。榊莫山書の円、○を、己の心と見て、いま、ご自分の心中を占めているものを其処にかいてください、と。第一回のゲスト、梅原猛さんは、思った通り、墨くろぐろ、大きく、× をお書きになりました。秦さんも、そう、かしら?

数回のちご出演の、堺屋太一さんは、円グラフに。万博自慢の話の果て、広田三枝子の「♪こんにちは、こんにちは」をリクエスト。彼女の歌が先と、初めて知りましたの。可愛らしい前半と、パンチの効いた後半の歌いぶりが彼女らしくて、好かった。

 

* わたしの思いなら、墨を消す白墨をつかい、○ そのものを消したい。

2004 4・11 31

 

 

* 卒業生の、またも「片思い」に疼きつつ希望を持っているメールが来ていた。美しい言葉で語られている。美しいというより、上古の物言いでなら、うるはしい、か。「希望」は、人間の持つ最良の強みであり最悪の弱みである。そしてうるわしい言葉は、リアルとの間に隙間を生みやすい。餅を焼くと、焦げて硬い皮とやわらかい中身との間に浮き上がった隙間が出来る。自分のうるわしい言葉に酔ってしまわず、「今・此処」に一つの肉体としてシャンと立ってモノを見詰めたいと、わたしは、自分に課している。自分の心がいかに瞬間瞬間にゆすられて右往し左往し定まりがたいモノかを、わたしは悲しいほど痛感している。それは波打つ波頭に過ぎない、心理に過ぎない。

 

* あまりに大勢が二言目に「心」というが、よく聴いていると、それは動揺果てなき「心理」「サイコ」の波立ちをしか言い得ていない。ひっきりなしに揺らぐモノの影に過ぎないのである。朝令暮改や朝三暮四どころの大きなハバでなく、ものの一分五分のあとにはちがう心に揺れている。その揺れをゴマカソウとすると小泉総理のような死んだ目をして、言葉だけをうるわしく飾らねばならなくなる。

そうではない、心とは「ハート」だと云える言い訳が幾らでも効くかのようだが、それならば「ハート」とは、心ではなくむしろ「からだ」と同じか、からだに膚接した真の意識にほかならないことが、分かっていない。ハートは、「虚妄の影に過ぎない心理=心=分別という実は無分別な動揺=サイコ」とは、ちがう次元、に働いている。ハートが人間のからだを働かせている。ハートは一つの概念でなくリアルな働きだから、人のからだが千差万別なのは、ハートもまたそうだからである。きれいなハートもきたないハートもある。しかしいずれにしても、それは心理でなく、からだを働かせるちからだ。だからハートは「心臓」の名になっている。

だれも人にむかい、わたしの「心理を愛して」とは云わない。云うときはむしろわたしの「ハートを愛して」というだろう。人によれば、それが「からだを守る」意識にむすびついて、そうして「からだとハートとは別」なのだと錯覚する。錯覚である。サイコが、ではない。ハートがからだと、からだがハートと呼び交わしている。

サイコは落とされていいゴミなのだ。ただの波立ちなのだ。少なくもそんな「心は頼れない」のである。そこへ加わって「いやよいやよも好きのうち」式に言葉というサイケデリックなゴミが舞い上がると、よけいややこしくなる。リアルはみえにくくなる。このみえにくくする雲や霧を払って、青空をきちんと把握するのが大切だと、わたしは感じている。

 

* バグワンはたしかなことを云う。流れる河の岸にゆったり座れと。ただただ河を眺めよと。むろんこれは喩(メタファー)であるけれど、そうするのが人の「心」と向き合っている姿勢だと彼は云う。「心」は流れ流れ流れ続けている河の流れのようなもの。しかしそれは岸に静かに在る自身とイコールではない。明らかに自身の外を「来ては去って行く」ものに過ぎないと。それに囚われたり、それが自分だと思いこんだりするのは、虚妄に身を委ね売り渡し奴隷になるようなものだと。「方丈記」の書き起こしに似ていて、さらにバグワンは冷静で的確である。

二言目には、「心の教育」などとエラソーな、実(じつ)の無いことを提唱する人達に、流れ来て流れ去る我が身の「外」の雑念=心理にむかい、どういう教育が可能なのか、そもそも教育の対象になるというその「心」を、あなたは措定できるのですかと問いたい。きれいな心でもきたない心でもいい、お見せなさい、わたしの目の前に、と云いたい。

だが、ハートは、岸に坐してゆったりと静かに河の流れをただ見守っている「わたしやあなた」のその「からだ」にいつも寄り添っている。一つなのである。ハートが「今・此処」に「からだ」として在るから、からだは生きている。「こころの教育」とは健康な、病的に陥らないための「からだの教育」でなければならない、そんなことは聡い古人はみな知っていた、あたりまえのことだ。

 

* 頼りない心理に身を任せて恋をするから、恋そのものも危うくなる。ハートとは「からだ」であると信じ思い、ハートとからだとの親密な相談を大切にすること。「静かに定まる意思・意識」が、そうして人を活かす。そうわたしは、いま、思っている。言葉は美しくしたい、が、自分の言葉がうるわしいと感じたら警戒警報ではなかろうか。うるわしい相貌を持ちやすいのは「理」と「言葉」である。理に落ちれば実とのあいだに無用のスカスカの隙間をよびこみやすい。それが怖い。ことばで生きていながら、わたしが、ことばを(自分のことばをすら、)全面的には信じも認めもしないのは、それだ。

2004 5・15 32

 

 

* なんでそんなに「心」が有り難いだろう。きれいもきたないもない、動揺きわまりない実態のない影の去来に過ぎないのに。

わたしも昔、判断という二字に大人の自負をかけていた。判断に、自信が欲しかった。

だが「わかる」という言葉の虚しさ空しさを知っていった。例えば繪は「みる」もので「わかる」為に観ることの浅さや薄さを語ったことがある。わかる(= マインド)とは、無限にし解剖し分断・分割し分別することに他ならないが、そうして行って何が残るのか。空疎な結果だけがリクツとしてのこるのだ。心という「分別の聖職者」は、切り刻んで、無くなってしまうだけの空疎へ空疎へと人を唆す。似非(えせ)の道徳家だ、心とは。

マインドは、ソウルでもハートでもない。ところが巷間の「心の教育者たち」は、若者にいい分別をつけねばならぬ、ならぬと言い立てるマインド教徒だ。彼等はうっかりハートやソウルをもちだせば、それがからだ=BODYと直結していることを知っている。だが彼等はからだを恐れている。きたないと思っている。きたないことでは、分別心という自己中心慾の心の方が、もっとたよりなく、きたないだろう。

からだは人をだまさない。こころは人をだますためにリクツを産み出す、分別があると称して。

 

* とても孤独な少数意見なのである、わたしのこういう「心」批判は。笑えてしまう。三十分「同じ静かな心」でいるような人をわたしは殆ど見たことがない。くるくるくるくる変わる心の人なら、吐きけのするほど大勢知っていて、残念ながらわたしもその一人。どうか私のこころなんか、だれもアテにしないで欲しい。わたし自身がわたしのマインドなんぞアテに出来ないのだから。それなのにわたしは自分が不幸でも孤独でもないと思えているのは何故だろう。大海の一人しか立てない孤島の上にたち、しかも高貴な錯覚に謙遜に身をあずけ、人と倶に立つと信頼しているからだ。

2004 5・19 32

 

 

* 死別のかなしみすら、二人の愛と幸せとを全うする小さな一部分だと思って欲しい。そう夫に言い置いてアンソニー・ホプキンス演じる大学教授の美しい妻デヴラ・ウィンガーは、病に斃れた。名匠リチャード・アッテンボロー監督のあの映画「永遠の愛に生きて」は美しかった。

どんなに愛し合っていても、いろんな悲しみや怒りに襲われることはある。現世の人間関係はゴタクサしたものだ。所詮そんなもの、ブッダとイエスとが出逢うようなわけに行かない。そんなとき、「苦しいのも事実ですが、それも大きな幸福の一部ではないのですか」と、真実言い合えるなら、どんなにか人は救われる。安堵できる。身をゆだねられる。

 

* と、同時に、ともすると人が、「心で=分別や判断で=実は動揺果てない心理で=マインドで」生きているからゴタクサしてしまうのだと、慨嘆せざるをえない。「マインド・コントロール」とはなんてイヤな言葉だろう。歴史上のどんなに優れた何人もが、「無心に」「静かに」と諭し続けてくれたか。それなのに人は口を開くと、「心」が大事「心」を育めと云っている。似非の人ほど偽善の顔付きでコントロールしたがる。教育基本法をいじくり回して自分達に都合良かれと画策したがる。自身の「心」がどんなにはかなく頼りなく始終乱れがちなのにも、平然と眼を背けて。

信じている。ハートとは、ソウルとは、「からだ」なのだ。サイコでもマインドでもない。心理ではない。「からだ」がハートなのだ。心理は平気でウソをつくが、「からだ」はへたな分別より正直だ。

 

* 自分の心理と「闘うな」と言う人の言葉に、わたしは聴きたい。喜怒哀楽、それら外から割り込んでくるすべてと、あらがい闘う必要は少しもない。それらをただ流れゆく川の波立ちを眺めるように眺めて、逝くにまかせよと。喜びが湧けば純真に喜ぶがいい、怒りを圧し殺すことはない必要なら爆発させよ、悲しければ泣けばよい、楽しみは尽くせばいい。ただ、それらの一切は、来てまた逝くものでしかない。自分でも自身でもない。ただ来ては去って行く川浪に過ぎないと「岸に座って眺めて居よ」と。

わたしは、そうしようとしてずいぶんラクになった。喜怒哀楽をピュアに開放しつつ、それは自分自身ではないのだ、それこそ「心にうつりゆくよしなしごと」に過ぎないと分かっていよう、と。

 

* 秦の叔母は、生意気な若造にどんなにくまれ口をたたかれようが、「好きに言うとい(やす)」と取り合わなかった。大概なことは自分の外を、泡のように流れ来て流れさる。その連続である。時にどんぶらこと桃が流れてくる。拾いたければ拾い、拾いたくなければ眺めていればよい。「好きにおしやす、」いずれは総て「うたかた」なのであり、自分でもまた自身でもないのだから。自分が在る在ると思っているうちは自分はいない。見つかっていない。無い。自分は無い。そう腹から思えたときに初めて、自分が、海面の無数の波立ちの一つではなくて、底知れぬ海そのものだと分かるだろう。それまでは「好きに言うとい」と眺めているのがいい。何もしない意味ではない。したいようにしていればいい。余計なことをしなければいい。怒り笑い泣き楽しみ嬉しがればいい。毎日をそういう祭り日にすればいい。

わたしは、そのように聴いている、優れた先達から。感謝している。

2004 5・22 32

 

 

* ジャンヌ・ダルクは私が出逢った最初の西洋人であった。最初に見た天然色映画のヒロインであった。戦後の新制中学三年生。学校から総出で見にいった。わたしには、あれ以前の西洋も西洋人も存在しなかった、鬼畜米英などと聞かされていた以外に。

ジャンヌを演じたのはイングリット・バーグマン。いまでも最良の女優と敬愛している。そして、幼かった私の心身に焼き付いたのは、「聖職者」への軽蔑と「王権力や貴族」への憎しみ蔑み。その線上に、いま、小泉純一郎が薄ら笑いでものごとを小馬鹿にして得意がっている。ミラ・ジョヴォビッチ演じる映画「ジャンヌ・ダルク」でも、今少し苦々しさが加わって、わたしは、つくづく人間への希望を喪いかける。

そんなとき、わたしは、ただただわたしの奥底を走り流れる清冽なエロスの呼び声に耳を傾ける。アガペーを空念仏にしないために、わたしはエロスの愛を恋しいと思う。まかりまちがっても、「心」になど頼らない。

2004 6・3 33

 

 

* 「江戸文学」三十号が贈られてきて、ああもうこんなになるかと驚いている。「湖の本」が八十巻、十八年。われながら信じられない。この午前中にも出来て我が家に届く予定。それからが、我が家は戦場。

その「江戸文学」巻頭に深沢昌夫氏の『近松の「闇」』という論文が出ている。冒頭に興味深いのは、いまネット上で検索すると、「心の闇」が約二万八千、「闇」だけなら約九十四万六千件に達するとある。確かめてみたが、今はもっと増えている。凄い。

長崎の少女間殺人事件をひきがねに、またしてもマスコミは少女達の「心の闇」を盛んに指摘しているが、笑止にも、その「心の闇」が、そんな言葉だけの域をこえて具体的に追究され解明されたという話を聴いたことがない。出来る話ではないらしいことを証してあまりある。

せいぜい彼等が語るに落ちるのは、心とは「心理」のこと、心理的ケアというようなことになる。ケアといえば聞こえはいいが、コントロール、マインド・コントロールといえば、あのオーム真理教や統一協会のおぞましい所業と何処が違うのかと問わねばならなくなってくる。つまり、そういうことが、ますます「心の闇」をかたくなな地獄に変えてゆくのではないか。

「心を育てよう」と識者はすぐいう。「心」は育てられるモノではない、サガしても容易に把捉できないのが心という非在の機能。育てるなら「体育」の方がいいにきまっている。健康な肉体に健康な精神は宿るといわれてきた平凡そうな人類の智慧が、置き忘れられて、機械オタクを、幼稚園小学校からツクリだそうとするから、不幸な事件にもなってくる。彼女が機械のエキスパートになる前に、校庭や戸外でかけまわる楽しさを十分体感していたら、どうだったろうと、昔を思い出し出し、わたしは嘆く。

コンピュータは偉大な「杖」である。若いというより幼い世代に「杖」は無用ではないか。放っておいても彼等は電子的な技能など、社会の波に揺られながら自然に覚えてゆく。それは彼等には「准・母国語」にひとしい。慌てることはなかったのである。莫大な数の機械を小学校へ持ち込んだのは、政治的な利権がらみの手配であったろうと、わたしは疑わない。その段階でいわば「生徒の心の闇」は当然に棚上げされていた。そうしておいて、事件が起きると「心」の責任にしている。政治の責任、ないしは大人社会の責任でなくて何であろう。コンピュータは、老人にこそ適性と言い続けてきたわたしの、これが真意である。

2004 6・14 33

 

 

* 自分が今、おそろしくカラッポに感じられる。イヤな意味でもイイ意味でもない。空腹感に似ている。戦時戦後の欠食児童であったからあの頃の空腹に快感のともなうわけはなかったが、老いてきて、満腹よりも空腹の心地よしと想われる時も自覚している。身軽という心地に近い。

荀子は心に虚と壱を説き、さらに静を説いた。無尽蔵に溜め込める心が一瞬にして虚にもなれる。無際限に関われる心がただに壱へと集注もできる。そして心はその芯に深い静を湛えているが、人はそれに気付かない。

カラッポのママデいられたら、それがいいに決まっているのかどうか。考えて済むことではない。闇に沈透(しず)いて静かに眠るのが今はふさわしい。

2004 6・27 33

 

 

* 心なんて、なにの頼りにもならない。 あら何ともなの さても心や と昔の人も身にしみて知って嘆息していた。「さても(ひと=他人)のこころや」とは呻いていない、そこ(底)が、深い。マインドでこだわるから嘆くことになる。欲も深いのだ。なんてかなしい生き物だろう、人間は。

2004 11・19 38

 

 

* ありやなしや  シャアル・ゲラン 荷         風訳

 

よしや反響のきかれずとも、物には凡て随ふ影あり。

夜来(よるきた)れば泉は星の鏡となり、

貧しきものも人の恵に逢ひぬべし。

澄みて悲しき笛の音(ね)に土墻(ついぢ)は立ちて反響を伝へ、

歌ふ小鳥は小鳥をさそひて歌はしめ、

蘆の葉は蘆の葉にゆすられて打顫(うちふる)ふ。

憂ひは深きわが胸の叫びに答へん人心(ひとごころ)、

あゝ、そはありやなしや。

 

* 告白  アンリイ・ド・レニェエ 荷風訳

 

まことの賢人は永遠(とこしへ)の時の間(あひだ)には

一切の事凡(すべ)て空しく愛と雖(いへど)も猶(なほ)

空の色風の戦(そよ)ぎの如く消ゆべきを知りて

砂上に家を建つる人なり。

 

されば賢人は焔の燃え輝き消ゆるが如くに

開きては又散る薔薇(さうび)の花を眺め、

殊更に冷静沈着の美貌を粧ひて

浮世の人と物とに対す。

 

疎懶(そらん)の手は曉の焔と

夕炎(ゆふばえ)の火をあふらざれば

夕暮は賢者に取りて傷(いたま)しき灰ならず、

明け行く其の日は待つ日なり。

 

移行くもの消行くものの中にありて

我若(も)し過ぎ行く季節に咲く花の枯死(かれし)すは、

これそが定命(ぢやうみやう)とのみ観じ得なば

亦我も賢者の厳粛にや倣ひけん。

 

然(しか)るに纏綿(てんめん)たる哀傷の心切(せつ)にして

われは悔いと望みと悲しみに

又慰め知らぬ悩みの闇の涙にくれて

わが身を挫(ひし)ぐ苦しみの消ゆる事のみ恐れけり。

 

いかにとや。砂上の薔薇(さうび)の香気(かんばせ)も

吹く風の爽(さわやか)さ、美しき空の眺めさへ

永遠(とこしへ)の時の間(あひだ)にも一切の事凡て空しからずと、

我が哀れなる飽かざる慾の休み知らねば。

 

* 仏蘭西の詩人達も日本の詩人も、心に嘆き傷ついていた。なんといういとおしい生き物だろうか、人間とは。

2004 11・19 38

 

 

* 補陀落渡海と身内幻想

秦さま 丁寧にお答えをいただきまして、ありがとうございました。「身内」幻想と言ったら、お叱りを受けるでしょうか。

人間のエゴ(利己性)は体から生じるものだと思っています。意識は体を保全する目的で生じたのではなかったでしょうか。ひとりしか立てない島に二人、あるいは多数で立つ、きっと体を乗せる余地はないでしょう。観念上でしか、あるいはネット上にしか、存在しえないと思うのです。

「ネット心中」については、マスコミは報道を自主規制しているようですが、沈黙して過ぎ去らせるなんて、言論の敗北ではないですか。

インドネシアの大地震&大津波のニュースになんともいえない傷ましさを感じます。目の前で濁流に流されていく家族を見送らねばなかった人たちのことを思います。中世という時代には、疫病、飢饉、戦争、天災、こういう死が日常茶飯事であったことを思えば、浄土信仰というのは、生き残った人間がなおも生き続けるための智恵とすら思えてきます。死が日常茶飯事になってしまえば、人間はあまりにも恐怖したり、脅かされたりしないように適応していくも

のではないでしょうか。

イラクの人たちにとっては、どうなのでしょう。

「こういう天災にあえばあうほど、人間の手で防げる人災だけは、せめて起こすなと望む。」――同感です。不幸は人間がつくりださなくても、地上にあふれていますのに。

来年、来年こそは、少しはちがった風が吹いてくれればと祈ります。

どうぞ、よい年をお迎えになりますように。

安物のワインの力を借りて、メールを送り出します。ぜーんぜん知性的でも理性的でもないので、恥じ入りつつ。

大阪・まつおより

 

*「身内」は「貴重な錯覚=愛」であると思いつづけ、書き続けてきた。「幻想」と言い換えてもいい。しかもなお「愛」ゆえにそれの「在る」ことも、わたしは知っている。「絵空事」の不壊(ふえ)の値を。現世の論理や常識から百尺竿頭なお一歩を踏み出す勇気があれば。

ひとつ、わたしには課題というか、気になる分岐点がある。

「人間のエゴ(利己性)は体から生じるものだと思っています。意識は体を保全する目的で生じたのではなかったでしょうか。」

後段の議論は措く。前半の「体」についていえば、わたしは逆に感じている。思っている。

人間を「エゴ」の苦へ誘い込み追い込みイタブるのは、「体」ではなく、「心」の方だと。モノとしての「体」など影のように実体がない。色即是空。物理学もそれは認識している。心という我執がすべて影を形にし働かせていると。「静かな心」「無心」「平生心」を久しい人の歩みが容易に得られなくて苦しんで来たのは、それかと。

2004 12・31 39

 

 

 

 

* 夜中に二度三度起きてしまう日がつづくと、いやおうなく寝床の中で真の闇にむきあうことになる。わたしはこの機会を、むしろ、珍重している。ふしぎな体験ができるから。

ほぼ完璧な闇であるから眼は明いていても閉じていてもいい。「闇」には、深さを感じても、限定された広さは感じない。無際涯に広いし、深い。闇って、なんて美しいんだろうと鑑賞しているときもあるが、ふつうは何も考えないようにして、じいっと闇に向き合っている。

すると、いつ知れず自分の「体」感覚が尽く消滅消尽し、内蔵は愚か語感も体感も無くなっている。体というものがなく「意識」だけがまだ生きている。「生」とは「意識」のことで、必ずしも「意識」に「体」は係わっていないのだ、「体」はもともと空無なのだ、と、そう分かる。意識そのものにだけ、成る。成れる。わたしはそれが嬉しいので「闇」の中にいるのが好きなのである。闇の宇宙=全体=トータルに、「体」という個体としてでなく、「意識」として溶け込んでいる安心と静謐。

この「意識」も、いつか失せるだろう、それが「生」「死」の転帰。「体」もまた生死には関わっていない。まして頼りない「心」なんて。

 

* ま、わたしはそんなふうに眠れない夜中を「闇」に包まれて過ごしている。

 

* 体をそのように見切ることによって、わたしは断然心より「体」に親しい。体の望むことは叶えたいと思う。体にしたがっている方が、心=分別=マインドにしたがうより、同じ「しくじり」でも軽くすみそうな気がしている。つまり体と意識とをハートフルに仲良くさせ、分別に縛られずに自由に過ごしたい。心に振り回されるのはマッピラだ。

2005 1・24 40

 

 

* 永かった連休の最後の日曜。「帰ってきました」の便りが届いてくる。

> 日常の雑事を離れ、新しいこころをだいて戻りました。  などと。

「こころなんてもの、旅先で捨て去って戻りました」とありたいところ。「新しいこころ」は、今日にももう「古く」なるにすぎないのだから。こころほど動揺常なきもの、われわれには、ほんとうのところ、リフレッシュなどできない、できるのは身体のリフレッシュ。旅からは「新しいからだ」にハートを抱かせてもどるのではなかろうか。

2005 5・8 44

 

 

* ま、簡単に「恒以平恕」とはいかないと、いやほど承知している。だからわたしは安易に「心」に頼らない。

2005 6・28 45

 

 

* 和歌山県に住まわれる男性年輩の読者からお便りを戴いている。「湖の本」が続く限り「継続読者」ですので配本して欲しい、さしあたり「百巻」をたのしみにしていますと。

この方は今回のお便りで、今日の仏寺・僧侶ないし佛教に対する期待と不信感とを吐露されている。同様の不審ないし批判の声は、他からも耳にしないではない。文面を紹介するまえにおよそを察している人も少なくないであろう、が、残念ながら仏教者ないし聖職者からの真摯な反応は、聴きたくともめったに聞こえてこない。前回の「わが無明抄」を読まれ触発されたメールであろうが、わたしに、なにか「返辞」が欲しいとも。

文面はすこし語気けわしいところもあるが、先ず紹介しておく。

 

* >> もう何年も前から「寺」のいかがわしさのようなものが我慢できません。「寺」自体ではなく、本当は僧侶もしくはその周延と書くべきなのかもしれませんが、どちらかと言うと「寺」本来のもつ雰囲気等は大好きなのですが、どうも本堂なりに一歩上がるともうダメです。

仏像のいいかげんさもさることながら、その周囲の飾りつけ、たたずまい、佛教って本当にこうなの? と思ってしまいます。そこへ僧侶など出てくるものなら、俗人より俗っぽい人ばかり…、私の出会い、知っている僧だけがそうなのかもしれませんが、生臭さ、もっといえば俗臭プンプンの学校の教師以上に油断のならないような人物ばかり……。佛教、といいましてもごく一部の経文をかじった程度にしかすぎませんが、なにか全然佛教とは違ってしまった佛教があまりにも多いようでなりません。NHK教育の「心の時代」などに出てくる僧兼大学教授の人たちも、です。

この(本来ありし佛教からの)この落差はなんなのでしょうか。佛教を学びながら何一つとして仏の教えに近づいていない、もっと言えば「寺」の事業(職業)として佛教を利用した葬儀等行っている単なる儀式を商売にしている…ように思えてなりません。

我が家の近くに**寺がありますが、話しになりません。もっともここは観光地、観光寺なのでガイドでいいのでしょうが、本当に朝晩のお勤めや教学の研鑽など行っているように見えません。商売としての勤行や佛教の教義等の勉強はしているのでしょうが、商売としてのであってそれ以上のものには見えません。

 

* ここまでの批判について言えば、おおかた世上のそれに近く、またどうしても一概な物言いになり、広範囲の実情とはかけ離れているかも知れず、そうでないかも知れず、なかなか難しい。

だが、この方にはいわば「佛教本来の佛教」という観念があり、それとの落差に対する憤りが噴き出している。ところが、「佛教本来の佛教」というのが、観念として推量し得ても、具体的にはなかなか把握しづらい。

例えば此処にも「仏像のいいかげんさ」やいわゆる佛荘厳のはでさや粗末さにたいする厭悪が語られていて、難しく議論すれば、ことは「偶像崇拝」の是非論に至る。

佛教は元始偶像否認の教義であったが、歴史的に偶像容認に転じたために一定以上の大効果をもち、教線を大きくインドより国外へ押し広げたことが認められている。厳格な禅の実践においてのみ、これと少しく異なる姿勢や覚悟のあることは知られているが、日本の禅院にも、仏像・如来像・釈迦像は、ふつう、排されていない。

およそゴータマ・ブッダその人の根元の教えと信ずるに足る「言葉」は、多く伝わっていない。大部の経典は、ほとんどが釈迦没後、かなりの、ものにより数百年も後の編纂であり、始祖の教えに対する、弟子や後生の「理解・解釈」が無慮無数に加上されている。

わたし自身は、それら聖典・経典に多くを頼むこと自体から「脱却」せねばという気が強くしている。その意味でも、「不立文字」の禅に、気持ちは大きく傾いている。

教義も行儀も規矩・準縄も、それを「抱き柱」にしたとたんに、迷惑し、執着すると観じている。また、僧らしい僧、教らしい教、という概念に惑わされることにも危ういものがあると思う。優れたブッダ、優れたイエス、優れた老子らと、もしありのまま目前に出会ったとき、われわれ凡俗はどんな反応をみせるだろう。先ず以て石を投げ、下等な賤民めと悪罵を浴びせたかも知れないのだから。

 

* おそらく根元の佛教は、「覚性」であろうか。自己の本性に「気付く」こと。「夢」見ている状態から覚め、自身の本来具している「佛性」にはっきり「気付く」こと。そのためにも一切無用の「抱き柱」という執着と偏見を離れねば。

わたしは、そのように少なくも今は観じていて、これが不動かどうかも、敢えて確言出来ないでいる。情けない、それがわたしの現状である。

 

* >> 相当厳しいことを先生も書いておられましたが、佛教というのはもっともっとすごい思想であり哲学でもあると思うのです。その理論一つとってみても、今までにない西洋の思想などには見られない哲学性に富んだものだと思います。しかし現実にそれを修業したら多くの僧のようになってしまう。いかがわしさの固まりのようになってしまう……

これは何んなのでしょう。

 

* この一條は、ブッダの本来から、どう後生が逸れまた逸らせてきたかを、端的に示している。この方も、誤解されている。

ブッダは決して「教学」を提示したりはしなかった。そんなものは要らないということをむしろ示されていた。

しかし教学無くして教団は形成しにくい。それで、致し方なくブッダが「言葉を超えて」示されていた、たとえば「拈華微笑」のような境地を、都合をつけ、整合化した「教義の言葉」に置き換え、強いて「論理化・理論化」し「哲学化」してきた。それを、ブッダ没後に忽ち分散した「宗派・宗団」のめいめいの旗印に掲げた。

根元の佛教は、なんら哲学ではない。哲学はもともと宗教ではあり得ない。哲学は、人間をけっして救わない。「救い」とは何であろうか、少なくも百千万の哲学をもってして、人はけっして根から救われたりしないんだという「真実」を、かろうじて人に察知させるためにのみ「哲学」は存在価値をもってきた。そういうものだと、優れた哲学者は承知していた。哲学では、竿頭をさらに一尺先の空へは踏み込めない。哲学的な学業において最高の智慧者といわれた法然上人が、そういう哲学(分別)一切の無意味を抛擲し、ただ一念の「南無阿弥陀仏」に帰したことは、真に驚くべき先覚の例であった。

思い出すが、高校性の頃、当時ベストセラーであった、高神覚昇の『般若心経講義』をはじめて読んだとき、わたしを夢中にさせ鼓舞したのは、「無」や「空」や「無心」の自覚ではなく、この「心経」がはらんでいた壮大な論理構成・論理的な世界把握であり哲学的認識であった。わたしは先ずそっちへ夢中で惹かれ、手を拍って興がった。うわあ、うわあと声に出し、心経が披瀝しているリクツ・分別の精緻さに感銘を受けた。だが、肝腎の般若の智慧である「無心」や「無」「空」の方は、棚上げどころか何一つ「気付き」も「気付こう」ともしていなかった。

佛教に惹かれる人は、大方がまず例外なく、壮麗で雄大な哲学だ、理智の理論だといわれる。そうしてまんまと邪路・迷路に落ちこんでしまわれる。法然のように、蓄えたその手の学識を真に抛擲することは容易でない。一度哲学として佛教を観じ、扱い、学習した、僧も俗人もまた聖職・教学者も哲学者も、ブッダの根源からは離れ離れ、遠ざかって行く。「覚性」から遠ざかって行く。そして彼等が誇らかに、しかし実はバカげてかかげる旗印が、分別・理義としての「心」と称するアレなのである。「無心」ではないのである。平然として、本来「諸悪の根源」というに等しき「心」で以て、仏や人生を説くのである。ひいては「教育」の護符にするのであるが、そのために教育の現場はますます混濁してしまっている。

 

* もう一度繰り返しておくが、ある日のペンの理事会で「教育」が話題になり、当時ペンの会長であった哲学者梅原猛氏は、学校でもっと「心」の教育をし、学童にもっと「分別」をつけなくてはいけないと猛弁された。

わたしは、即座に、安易に「心」をふりまわすなどとんでもないこと、「心=マインドは諸悪の根源」でもあるのだからと言い、そのとき隣席していた瀬戸内寂聴さんは、間髪を入れず、「秦さんの言う通り」とその論議に決を下した。「心」を軽々しく口にする人ほど「心」の不確かに危ういことを知らない。

これだけでは誤解も招くか知れない、が、わたしは「心は頼れない」と観ている。心を頼ってたやすく支離滅裂に陥ることは、日々の自身の心の動きをよく観察していれば、すぐ分かる。

千々に砕けて乱れやすいのが「心」だ。何故か。心の働き・方法が、まさに「分別」することだから。アレを棄ててコレをとる。際限なく分別して行き、しかし本質は掴み出せない。

端的に言う「静かな心」で在れるなら、すばらしい。つまり「無心」に成れるものならばすばらしい。禅那とは「静寂」「寂静」即ち「無心」に在ることであって、われわれがやたら振り回す「心」とは、この「無心」とは遠く離れた、似も似つかない諸悪の根源、ただの「心理」という玉葱の皮なのである。ブッダの教えも般若心経の教えも、まさに「無心」を通じて「覚性」つまり見性に至れ、「安心」とはそれだということであったろうと、わたしは察している。

だからこそ、わたしは、佛教を、学問として、知識として、教義として、哲学として聖職の虚名のもとに切り売りしている業者たちを、ほとんど信頼しないのである、聴いていたらすぐ分かる、二言目にはじつに安易に「心」を売りに持ち出すから。

 

* >> 仏像にしてもそうです。美術品として素晴らしい仏像も多いのは知っていますが、末寺の仏像の(阿弥陀にしろ大日にしろ、各観音像にしろ)スキだらけで、とても手を合わそうなどとは思えません、ましてやその周囲の飾り付け……、果てはカーペットの敷いてあるような本堂、何をかいわんやです。一体どういうことなのでしょう、私などのように佛教にうといものでも佛教ってこんなもの? と思ってしまいます。

 

* 人とは、意識し無意識にも、いろんな何かに抱きつき、しがみつき、そんな「抱き柱」を頼んで、辛うじてこの世に立っている存在である。信念と言おうと、覚悟と言おうと、それ自体が容易で安直で無意味な「抱き柱」以上のものでない例が、じつは殆どであろう。

「抱き柱は要らない」と自覚したのは、わたしの場合、数年前であろうか、しかしそのわたしも、「要らない」のは確かだけれど、では「抱いていないか」と問いつめれば、はいと断言しにくい。自分の言説を少しでもわるく意識すれば、それ自体が忽ち新たな「抱き柱」に変ずるのを知っているからだ。

わたしは、他の人にむかって「抱き柱」を離れなさいなどと、けっして言わない。人は、それぞれである。ただ、「抱きつく」という執着のママで「覚性を得る」ことはあり得なかろうなと、うら悲しくなることがある。

俗宗教のわるいところだと思うが、修業や苦行で「無心になれる」などというのは、悪しき錯覚に過ぎない、それ自体が無心からあまりに遠い我執なのだから。

わたしは、なるべく無心に、ただなにかを「待つ」だけで、そのほかにしたいことも、出来ることも、有るとは思われないで居る。

上のようにこの手紙の方が苛立たれるのも、「そんなこと、放っておかれては」と言ってあげたくなる。「佛教ってこんなもの?」という不審や不信は、実際は成り立ちにくい疑念なのである。ブッダに直に帰るしかないとすれば、やはり「拈華微笑」を覚るのが早いのではないか。

 

* ま、こんなふうに、お返事しておこう。わたし自身が、なあんにも分かっていないし、分かろうという意欲もない。「分かる」という言葉自体が、あれかこれかの「分・別」を指し示しているが、分別をどこまで続けても玉葱の皮を剥くに過ぎないだろう。

ああだこうだではない、ああだこうだ、あれはダメでこれがイイと「分別する心」そのものが、いわば地獄の苦でしかあるまいに、と思うのである。この苦を抜くのは、容易でないが、それに気付いているから、わたしは無理な苦行をしないで、「待つ」のである。

2005 12・4 51

 

 

* 和歌山の読者から前に、お手紙をもらって「佛教」の話題に及んだが、おおむね納得されたようでも、根本にまだ残る問題があるようだ、「佛教本来の佛教」としてSさんは、「佛教って何を説いたのだろう」と自問され、本当は「人間としてのふるまい」ではなかったのか、と自答されている。

「佛教本来の佛教」を、「ブッダ」として大悟されたゴータマブッダ=釈迦如来の本源の導きと意味するなら、このSさんの自答は、まだ、よほど隔たった遠いもので。

「ふるまい」というと、善き行いの意味ともなり、取りようでは、いわゆる「道徳=モラル」に近づいてくる。人間社会に道徳モラルは大切であろうが、菩薩が大乗の船にみちびいて、多くと共に彼岸に赴こうという慈悲の向かうところが、「人間としてのふるまい」よろしき善男善女をというのは、やはり「佛教本来の佛教」とはかけはなれた、後生の解釈になるのではないか。

もとより「無心」「無作」のうちにあらわれる善行は、尊い。だが、「無心」「無作」はそのように簡単な前提ではあり得ない。それこそが、在りたき真の核心であり、人は、容易に容易にはとても「無心」にも「無作」にもなれない、「静かな心」になれない。もし、そうなれるなら、忽ちに善悪、美醜、賢愚等の世の常の二元対立=単なる分別心から離れられる。自身を離れて自身の本性そのものが、分別ならぬ「ブッダ」であると気付く。

この「気付き」に到れば、極楽も地獄もない、善も悪もない、道徳でもふるまいでもない「無心自在」「自然法爾」を示現して、生死を超越する。釈迦は、そのように根元の佛教を体験し提示されたのであろう、あやしげに私が推察するに。

「人間として」という前提にも、我執、が出る。「ふるまい」に善悪や美醜を分別して善につき美につこうとする、その際にも我執・我慢や我褒めが生じるのは防ぎようがない。それらはみな「心=マインド=分別=我」の働きにあり、「無心」「無作」とは成りようがない。「困っている人が手助けをする」「自分を育んでくれているものへの報恩感謝」「慈しみの気持ち」「悪に対する怒り」「善に対する賛同」等々、みな善きことであり、人間社会の道徳モラルとして結構であり、誰も反対したりしない。しかしそれらが「無心」「無作」の「行為」たりうるかというと、容易ならぬ、場合により自己矛盾や撞着を示すだろう。前提になっているそれら善行自体が「無心」「無作」と直ちには重なりにくいからである。「有心」の「作意」に成りやすいからである。

大事なのは、善行か無心かなどと「択一」の問題にすべきではない。ブッダは善行せよ、宜しく振る舞えとは教えていない。自身のうちなるブッダに「気付き」なさい、そうすれば四苦八苦も滅し、生死の苦を超越できる。そのためには「静かな心=無心=無作意」の「無我」を「見性」「覚性」すること、と。

こう言葉に置き換えるだけなら、愚かな私にも出来る。これの真の体験は、しかしながら、容易でない。が、つまるところ、そうなのだ。それだけだ。それが難しい。成ろうとして成れるものでないからだ。わたしは、ただ、「待って」いる。

 

* もう一つ、Sさんの呈されている問題で大きいのは、「不立文字(言葉に頼らない)」か「経典信頼」か、ということ。

Sさんは大切なのは「経典」を「どう読むか」ではないか、と言われる。「不立文字」「教外別伝」となると、一寸……と。

これは大問題であるが、わたしの率直な思いは、いわゆる仏法僧という、「法」は、大蔵万巻の「経典」にあるのか、あの「拈華微笑」にあるのか、むろん後者だということ。見性し覚性し無心に達した人であるならば、はじめて万巻の聖典は(例えば)己の境地の確認の為だけの役に立つであろうが、それへ達していない者には、ほとんど何一つの役にも立たないのが聖典というもので、強いて役に立てようとすると、忽ちに経典が即座にただの通俗な「道徳書」に変じてしまう。そのようにのみ使われてしまう、と。それどころか、ますます自我について離れがたく、無我の無心へは遠のくばかりになる、と。

知識や解釈のための聖典・経典では何の意味もない。道徳的な意味でのみの善男子・善女人をあるいは量産するかもしれないが、一つ間違うと道徳を我褒めしてしまうエゴイズムに走ってしまう恐れがある。悪人も困るけれど、自分は善人であると善行を勲章の替わりにしていると、偽善になる。偽善だって善のウチだからいいと思いますがという言葉を、以前やはり読者のひとりから聴いたことがある。議論のしようもない。

大蔵万巻の佛教の経典の全部が、釈迦ではないはるか「後生の著作」であり、著作者の理解と解釈と主張とをこめた意見であり、同じく佛徒でありながら、正反対ともいえる立場をとっている。菩薩(大乗)派と阿羅漢(小乗)派とはずいぶん違い、互いに他を否定し合っている。

ところが「佛教本来の佛教」において釈迦はその「双方の在りうること」を容認している。それが「佛教」である。その釈迦は、生涯に一巻の聖典も自身の筆で書いていない。厳格なこの「事実」をどう「読む」のか、それが大事である。わたしは、万巻の後生の解釈より、「拈華微笑」の伝説に尊いものを覚える。おなじことは「イエス」の聖書にも謂えるだろう。

2005 12・12 51

 

 

 

 

* 全幅の敬愛をもってもう十年読みついでいるバグワンの言葉を、いましもまた繰り返し読んでいる『ボーディダルマ』から、スワミ・アナンド・ソパン氏の訳を有難くかりて、年初の想いとして、少し書き写しておきたい。

 

* バグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚)は語る。

あなた方が世界のなかに見るものは、実在(リアリティ)ではなくて現われにすぎない。見かけの形、仮面の奥深くには実在がある。実在を知るには、見かけの形から自由にならなければいけない。だが、執着のすべてがあなたを阻んでいる。あなたは仮面に執着してしまっている。私たちが成長し、成熟するのはまれなことだ。私たちはただ自分の玩具(おもちゃ)を取り替えつづけている。私たちはずっと子供のままだ。あなたは自分の〝ぬいぐるみのクマ”(テイディ・ベア)を次から次へと取り替えてゆく。

鉄道の駅や空港で見かけたことがあるかもしれないが、小さな子供が汚いぬいぐるみのクマを引きずりまわしている。だが、彼らはそれをどうしても手放せない。それがなかったら眠ることができない。ぬいぐるみのクマは彼らの仲間だ。彼らは大きくなるとぬいぐるみのクマを手放すが、ほかのぬいぐるみのクマが見つかって初めてそれを手放す。次のぬいぐるみのクマがどんな形をしているかは問題ではない……それは、金銭だっていい。

 

あなた方は醒めていないから、自分では気づいていないかもしれないが、ちょっと目を向けてみなさい。なにが自分のぬいぐるみのクマなのか、見つけることができるかもしれない。

この世界のあらゆる形象は、あなたがこの世界の実相(リアリティ)、自らの存在の実相を知ることを妨げている。現われているものは実在(リアリティ)ではない。実在は現われの背後に隠されている。この実在と調和しないかぎり、夢と同じ素材からできているさまざまな形象は、絶えずあなたを苦しめつづけるだろう。誰もが苦悩や惨めさを感じているが、それを落とす方法があるようには思えないので、それを生きつづけている。

だが、ボーディダルマ(達磨)はその方法を敢えている。そしてこれはあらゆる宗教にとって本質的な方法だ。それは離脱、「見せかけの形」から自由になることだ。

 

経文に言う。「離脱すなわち悟りであるのは、それが形象を無に帰するからだ」。

三つの境界は、貪欲、怒り、妄想だ。

 

あなた方はこれら三つの境界をよく見守らねばならない。というのも、これらが光明(エンライトンメント=悟りへの至近状態)を得る上での三つの障害になっているからだ。

ボーディダルマの言明はきわめて簡潔で、凝縮されている。彼は哲学的な議論には立ち入らない。彼はただ事実のみを語る。それが彼の美しさだ。彼は宗教全体を、その抜け出す方法を、ごくわずかの言葉に還元している。

貪欲とはあなたの攻撃性のことだ。

それは「さらに多くを求めつづける」欲望だ。

それはけっして止まることがない。その欲望はさらに多くを求めつづける。さらに多くを求めつづけるので、あなたはいつも惨めなままでいる。どんなものを持っていても、あなたはそれを楽しむことができない。「もっと多く」を持っていないからだ。だが、あなたがもっと多くを持つようになる頃には、欲望は、さらにその先に行ってしまっている。それ(貪欲)はつねにあなたよりも先にあって、さらにさらに多くを求めつづている。

 

さあ、なにかを期待してばかりいる人が、幸福で喜びに満ちていられるだろうか? あなた方はつねに現実の許す以上のものを期待している。いつも挫折の感覚がつきまとうのはそのためだ。あなたの存在のどこかにはつねに悲しみが潜んでいる。

貪欲とは〈存在〉に対する攻撃的な姿勢だ。あなたはできるだけ多くをつかみ取り、さらにさらに多くのものをつかみ取ろうとする。生涯を、全知性を、もっともっと多くをつかみ取ろうとすることに費やして、それがいったいなんになるのか? 死は一秒たりとも遅れては来ない。死はつねに正しいときにやって来る。つかみ取ったすべてのもの、生涯を費やしたすべてのものを、あなたはここに残して行かねばならない。

 

世間にはあらゆるたぐいの強欲な人々がいるし、自分の内側にもあらゆるたぐいの強欲さが見つかる。そしてこの強欲が満たされないとき、怒りが起こってくる。欲求不満が起こってくる。あなたは世間に対して怒りを覚え、自分に対しても怒りを覚える。誰に対しても怒りを抱くようになる。

どの年寄りにもそれを見ることができる。なぜ彼らはあんなにいらだっているのか? どうして彼らはあんなに鼻持ちならないのか? 彼らは欲求不満の人たちだ。彼らはその一生を、「もっともっと多く」をつかみ取ろうとすることに費やした。だが、その「もっと」に満足できたためしはなかった。いまや彼らは生に怒りすら感じている。ほんのちょっとの口実を見つけては怒りだす。強欲がその根本原因だ。強欲が満たされないとき、あなたは結果として怒りや失望、いらだちや挫折感を味わうことになる。

そして怒りや失望や挫折感から第三のものが生じてくる――妄想だ。妄想は、ひとつの慰めになる。

妄想は、あなた自身をなんとかひとつにとりまとめておくためのものだ。

 

誰もがなんらかのたぐいの妄想を抱いている。誰もが自分の実情とは違うものごとを考えている。だが、これらの妄想は潤滑剤としては役に立つ。それはあなたがどうにか生きていくための助けになる。

それ(妄想)はたいへんな慰めだ。たとえ首相になることができなくても、少なくとも自分は首相だという妄想を生み出すことならできる。現実には大金持ちになれなくても、自分は大金持ちだと「信じる」ことならできる。自分の妄想を確固たるものにしてしまえば、誰ひとりそれを変えることはできない。

 

妄想は、あなたのなかにあまりにも深く定着してしまっている。人が妄想を抱くのは、休みなく失意のなかで生きることがきわめて難しいからだ。あなたは自分が手に入れていないものを自分のものだと信じはじめる。自分自身の心(マインド=分別・思考)のなかをのぞき込んで、どれほど多くのものがたんなる妄想にすぎないかを確かめてみるといい。

ボーディダルマは言う ー

 

これらの三つの境界は貪欲、怒り、妄想だ。三界を離れることは、この貪欲、怒り、妄想から退き、徳行、瞑想、智慧に立ち戻ることだ。

 

道徳性と瞑想と知恵は、実のところ三つの別々のものではない。ただ名前が三つあるにすぎない。

確実なのは「瞑想」だ。瞑想はあなたの生に一方では道徳性をもたらし、他方では知恵をもたらす。だが、直接、知恵を達成しようとしてもなにひとつできない。直接、道徳的になろうとしてもなにひとつやれない。だが、瞑想についてならなにかをすることができる。瞑想ならあなたは直接することができる。道徳性と知恵の両方はその副産物として生ずる。あなたの行為には道徳性が備わり、知恵はあなたの英知、(気づき)、最終的な(光明=エンライトンメント)となる。

 

たしかに私の見方からすれば、すべてはいずれ奪い去られてしまうものだ。それなら奪い去られてしまう前に、それを使い、費やし、楽しむほうがいい。なぜ死がそれをもぎ取ってゆくまで待っているのか?

宗教は、あなたの心臓の鼓動のようなものになるぺきだ。

瞑想は、あなたの呼吸のようなものになるべきだ。なにをやっているときでも、呼吸はかならずそこにある。それは遊離した行為ではない。そうなって初めて、あなたの存在のすみずみにまで瞑想性が染みわたる。

 

心は空であると知ることが仏陀を知ることだ。十方の諸仏には心がない。心などないと知ることが仏陀を知ることだ。

 

さあこれでわかるだろう、なぜ私が(ボーディダルマの)弟子たちは誤って(師の教えの)記録を取っていたと力説したのか。これこそ正真正銘、ボーディダルマの言明だ。覚者(ブッダ)には心がない(無心がある=ハブ・ノー・マインド)。心などないと知ることが仏陀を知ることだ。

だが、なんとも奇妙なのは、これらの語録は千年ものあいだ存在してきたのに、誰ひとりこの矛盾に気がつかなかったということだ。おそらく宗教的な人々は盲目なのだろう。彼らは盲信の人だ。だから、それが目の前にあり一目瞭然であっても、少しもその矛盾に気がつかない。

 

* 心は諸悪の根源になりうる。無心=静かな心になれるかどうか、だとわたし(秦)も思う。

2006 1・2 52

 

 

* 国内で百万人も加入者をもつという、会員の推薦がないと加われないソーシャルネットワーキンクへ、思いがけなく推薦紹介されていた。乱暴狼藉の防ぎようがないサイトも沢山ある。チャットというか、掲示板というのか、殴り込みの卑劣愚劣な書き込みが割り込んでくるサイトの噂、たくさん聞いている。防止するために会員制を厳重にし、その信用度によりひろげてきた「仲間集団」らしい。入会の登録その他、無料。

仕組みはまだ飲み込めていないが、「日記」が書ける。わたしに新日記の必要はないが、試みの思索を書きつづっておくことは可能であり、わたしの記載は、ここ当分、紹介し推薦してくれた人の他にはほとんど誰の目にも触れないであろう。その意味でわたし独りの「部屋」静かな「孤室」になる。だれに気兼ねない静かさが気に入るだろう。

で、断片的にでも、思うままある主題への思案を書きためて行こうと思い、昨日から書き始めた。最初の書き込み分を、此処に転載しておく。どう、どこまで書き継げるか、成心にとらわれず淡々と進める。

 

*「静かな心」のために 一

「美しい」という感嘆を漠然と自覚したいちばん最初が、何に向かってであったか想い出そうとするとき、あれだったろうと容認できる記憶は、一つしかない。

花でもない、景色でもない。そういうものに自然と目が行くには、幾らか年齢が必要になる。

吸い寄せるほどの魅力や威力があり、言葉で置き換えようのない、わたしの場合、それは、仏壇の灯明であった。そんな気がしている。

狭い、綺麗とはいえない、貧しい家の奥の襖内に仏壇は据えてあった。襖をあけ、真塗の観音びらきの扉をひらき、御飯を新しく炊くたびに、母は金色したちいさな高坏に熱い白飯を高く盛り、わたしに、仏壇へ供えさせた。そのつど幼かったわたしは、ぺたんと仏さんの前に正座し、チーンと鉦を打ち、形ばかり手を合わせ頭をさげた。そうせよと教わった。南無阿弥陀仏とは唱えなかった。家の宗旨も、本尊の如来がどなたかも知る由ないほど小さかった。

そのような家常の習いに、一度一度お蝋燭を立てて火をともすほど我が家は裕福でも信心にまめでもなかった。灯明の立つのは、父の母親か、祖父の両親らの命日ないし盆と正月ぐらいのことで、だからこそその火の色はめずらしく、あたらしく、もの畏ろしげにわたしを捉えた。ありていにいえば、かなり怖かった。こわごわ、美しいと見入って、ゆらゆる炎の静かさに身を縛られた。

炎は必ずしも静かなものではない、絶え間なく揺れ動いていると見え、それなのに、微動だもしないと見える永遠の刻がある。そんなとき、炎の色は透明感を増しながら、底知れない深みを想わせる。美しいものは、かくも静かに清いかと子ども心に感じていた。畏怖しつつその感じを楽しみ悦んだ、深々と。

炎ほど清浄に美しいものはないといえば、事実に反する例が多いはずだ、業火あり猛火もある。黒煙にまみれた紅蓮の炎を静かに美しいとはいえまい。

それはそれ、原体験として、清くて静かなことは美しい極みかのように想わせてくれたのが仏壇の灯明であったことは、今にして仏恩のごときものであったと言いたくなる。

この感覚は、だが、体験とはいえ異色・異態のもので、火は、不動明王が背に負うた火炎も、絵巻の中で応天門を焼き落とす炎も、金閣炎上の猛火も、地獄変の火相も、また瞋恚の炎も、心清しいものばかりではない。それどころか心清しい火などに出逢ったといえる体験は、他に…無かった。だから仏壇の蝋燭の灯が印象にのこった。その灯は、いつ見てもわたしのちょうど目の高さで、いかにもいかにも静かだったのである。

2006 2・16 53

 

 

* 「心が揺れる」と謂う。心とは絶え間なく「揺れる」もので、ホンのちょっとしたことで「揺れて、傷つく」ことは、だれしも気が付いている。指摘されてみると分かる。

昨日も「静かな心のために」2を書き継いだ。現世への厭悪という吐きけに悩み、しかし遁れどころは無い。在るとすれば「静かな心=無心」しか無い。わたしは、とりわけて無心になれる人ではない。充満する「ことば」を身に抱いたまま無心になるのは矛盾であり撞着であると、内心の声にいつも嘲笑されている。

2006 2・17 53

 

 

* まこと、冬ざれ。わたしは七日つづけて「静かな心」のためにMIXIに書き続けている。ただの一太郎では、はずみがつかず書き起こしにくかった。ひょっとして大勢に覗き込まれているというプレッシャーを利している。

2006 2・21 53

 

 

* MIXIに、八日にわたって連日「心」論を書き続けている。漱石の『心』論ではない。まさしく「心」を、まっしぐらに論じようとしている、少なくも語ろうとしている。場所も場所、場違いすぎて、反応は全く期待していない。立ち往生する怖れも大いにあり、とは言え、いまぶん順調に書き進んでいる。少しずつでも、三十枚をもう越したかも知れない。短く毎日区切れることで、いい働きができるかも知れない。

MIXIの中に、作品は読めないが小説を書いている人、かなり熱くなって書いている人もいるようだ。読んでみないと分からないが、いい若い書き手に出会いたい。すぐれた読み手にも出会いたい。そう思うようになった。

いまのところわたしより年寄りには出会わないが、年輩の人もいる。二三日前のわたしの「静かな心」のためににコメントして、伊勢物語第一段の「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず」という和歌を書き込んだ人など、いい年のようであるが、どういうことか。

「返歌さほどならず」とわざわざ書き添えてあったのは、例の「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに」に当たるが、「さほどならず」というのは、べつの返歌を要求されたのか。即座に一首。

みちのくのしのぶもぢづり誰ならで色染む花としるや知らずや

2006 2・22 53

 

 

* MIXI連載、十一日めの原稿を、「日記」欄に書き込んだ。場違いなのははなから分かっているが、気にかけない。背負ってきた荷を前へ前へ半ば強制して運んで行くのに、恰好の場。この思い切りがなければ、書き起こせそうになかった。どこまで遠い道か、分からない。しょせん「静かな心」へは行き着くまい、この仕事自体がまさしくエゴトリップでないと言えないのだから。ま、いッか。

2006 2・25 53

 

 

* MIXIに、ひたすら『「静かな心」のために』書き継いでいる。今日は新井奧邃に筆をすすめた。誰も彼もを引き合いに出せば、混乱だけが烈しくなる。「心」を語って、、見当はすこしべつにしても、江戸の「心学」は触れて通らぬワケに行かなかったが、明治にすすんで「静かな心」というと、存外、これが流行りであった。座禅には漱石も通った。森田草平の恋人平塚明子も参禅していた。参禅のようなそうでないような「静座法」が流行っていた。

だが、そんな一々に触れていてもわたしの思う「静かな心」へなかなか肉薄できそうにない。

それならば、と、わたしはあえて「新井奧邃」と、たとえ二日三日でも対座してみようときめた。たとえば臼井吉見先生の大長編『安曇野』にも奧邃は現れる。野上弥生子も書いている。わたしが東工大にいた頃からいつかこの人にはたとえ短時間でも向き合わねばなるまいと、なんとなく予期していた。純真で、しかし、とても変わった人のように見えている。

2006 3・1 54

 

 

* 新井奧邃(おうすい)は、わたしにとって、初めて村上華岳の深さにふれたときと似た感銘を与えた明治人で、昨夜もその評伝を読み返しながら、静かに興奮して眼が冴えてしまい、夜中、床の上に坐して三十分、静座したりした。こころよい体験であったが、三時間と眠らず、はやく床を離れた。

彼のことは、今暫く「静かな心」のために書き、またあらためて書く機会があろう。もういまの世にこんな素晴らしい人物の名すら憶えている人はあるまいか。

2006 3・3 54

 

 

* いったん新井奧邃をしめくくって次へ繋いだ。「静かな心のために」第十八日めの原稿をもう書き込んだ。

2006 3・4 54

 

 

* 『「静かな心」のために』十九日めも、mixiの「日記」欄に送った。志ん生の大曲「大津繪」などを聴いた。機械で音楽や落語も聴けるし、録音も出来る。映画も観られる。撮った写真も採拾した写真も観られる。

目が疲れると音楽を聴くようにしている。

リソースの不足と機械が危険状態ですという「警告」に脅される。メモリをふやせば切り抜けられるが、それぐらいなら新しい機械を買う方がやすいですよと言う人もいる。この使い慣れた機械になんとか頑張ってもらうには、外付けのハードにバックアップさせるしかない。ものすごい量のコンテンツが機械に隠れている。ディスクに大切なものはみなコピーしてあるが。

2006 3・5 54

 

 

* 八犬伝に読みふけって、寝そびれた。ずいぶん読んだ。そのまま起きて、「静かな心のために」の二十四日めを書いて送っておいた。朝から、MIXIに若い女の子のいちびった記事が出ていて、気色が悪かった。

2006 3・10 54

 

 

* 熟睡。かなり、なにもかも時間的にきつくなってきている。毎日、「静かな心のために」を書いて欠かさないとなると、問題が内向して具体的でもないため、かといって、うわずった思いつきではやって行けない難題だけに、自分で自分に気遣いしてしまう。昨日のように終日出かけているときは、前日に心用意して行くが、京都へ二日三日と出かけるときは。ま、そう気にすることでもなく、拘泥しているわけでもない。やすやすと、出来ることをしていればいい。

2006 3・11 54

 

 

* 目覚めて、昨日の体調違和から少し解放されていると感じられ、よかった。「静かな心のために」をちょうど三十日間、思うまま書き継いできた。百何十枚ほどに成っているだろう、どこかで、わたしは自分の「バグワン」読みを書こうとして、その「前座」を興行していたのである。もう一日、まるまる一ヶ月の「前置」になる。

来週には少し東京も留守にするから、半月ほど書き休んで、また新たに日に日を継ぐ気でいる。その間に湖の本の新刊を入稿してしまいたい。一ヶ月、思うままにとは言え、思案の筆を欠かさずに運ぶのは久しぶりのことであった。ま、日記を「私語」と「MIXI」と二種類書いていると思えば済むようなモノのか、そうでなかった。かなり力業になっていた。しかし休み休みではやはり書けなかったろう。

2006 3・16 54

 

 

* 三十一日間、ちょうど一ヶ月書き続けた『「静かな心」のために』が、ほぼわたしの動機を明かして、次への展開をまつところに届いた(初稿であるが)。半月ほど休んで、次の『「静かな心」とは何か』が書き出せるよう、呼吸を整えたい。小さな旅など控え、また湖の本の新入稿にも手を掛けたいから。

読む・読まぬは問わず、この一月の連載に、五百数十の「足あと」が残っていた。そのうち、mixi以前からの知人は、東工大の昔の学生で、今も仲良しの読者が一人だけ。その人がmixiとは知らなかった。足あとを追って見つけた。他の人たちとは始めて出会った。

じつは、もう一人知ったmixiのいるのも知れ、その日記や仲間うちの対話が、どうしても日々に見えたり聞こえたりする。現に大学生の内面とは思いにくい、渋谷辺の辻辻にしゃがみこんでいる少女達の(それとは似つかぬ贅沢な)嬌声やいちびりを聞くようで、そんなことは彼女たちの勝手、わたしもまるで知らない人ならただ通過してしまうけれども、なまじいに識っているだけ、つらいほど恥ずかしく、愉快でない。いっそmixi なんてやめよかという気になるほど。

もう一人、ある仲良しも mixi 仲間とは聞いたが、この人はあえてわたしの記事に「足あと」をのこさず、わたしの方からは探索も検索もできない。

mixi は厖大な会員を擁しているらしく、一度その存在が確認できると、一気にその人の交際範囲が、たとえ行き当たりバッタリの構成にせよ、見えてしまう。仲間内での「喋り」などもみな聞こえる。匿名に隠れ、そこで(だけ)変身願望を満たしている人もいて当然で、必ずしも実像が反映しているのではないが、それだけに、別の現実で知り合っている人には、あまり覗かれたくない言も行もあるのだろう。

見も知らなかった(見るということは事実上あり得ない)人たちの声や言葉を聴くのは、無責任な気持ちでは、それなりに面白くもある、びっくりする広い広い多彩な世間が無数に在ると分かるから。だが、なまじいに知った人とは出会いたくない広漠とした世間ではある。隠れあっているのが賢明なようだ。

わたしの期待は、どのみち、そのような「世間」に対して有るわけでない。雑踏する街頭をひとり「物思い」にふけって歩いて行く、そういう「道」が有るのを好きに利用しているだけ。この先、どう変わるか、変わらないか、いまは、分からない。

2006 3・17 54

 

 

* 「MIXI」に紹介されたとき、真っ先に思ったのは、その「場」が、わたしの執筆の「場」に成りうるだろうか、という期待だった。「場」があり、日から日へうつるならば、一度書き出せば、書き継がねばならない。そのためには、むしろ易しい仕事よりも、ぜひ手を付けたい仕事が良いなと思った。

それで、「いわゆる日記」は書かず、いきなり「静かな心のために」という無謀なほど難しい連載の仕事に取り組んでみた。取り組んで良かったと思っている、大きい、これからの仕事の、ま、手慣らしが、一里塚が出来た。

2006 9・10 60

 

 

* 幼い日の娘の写真を見ている間は、老いた父と母はひととき心癒されている。なんという皮肉なことか。

 

* だが必ずしもそれだけではない、『千夜一夜物語』を文庫本で読み始めると、わたしはあっというまに他界に翔んでゆける。午前・午後、葬儀からの帰りの電車で本をポケットから出すとたちまち、わたしはシェヘラザーデのお噺に溶け込んでしまい、気が付くとクツクツ笑っていたりする。四百十九夜「男女の優劣についてある男が女の学者と議論した話」には吹きだした。わたしの妻にもどうか、こういう何かしら別世界をもって溶け込み、何の意義もない不愉快を押しやり押し払って日々過ごして欲しいと思う。

 

* ブッダは無益な修業をしないと、こんなことは、達磨だから言える。獅子吼とはこういう言明をいう。

 

* 無心の本性は根源的に空であり、清浄でも不浄でもない。心(マインド)のレベルであれこれしている限り、だから当然、無心にはなれない。心はいつも思考で溢れて在る。心とは思考の容器にひとしい。そしてそんな心の働いている過程は、清いか汚いか、なにしろ容易に空ッぽに成れないのが心(マインド)である以上、それは清浄か不浄かのどちらか。心はけっして二元対立を超えることはできない。いつも賛成か反対かであり、いつも分割・分別されていて、分裂症の状態にしかない。けっして全一(トータル)にはならない。なれない。二元対立を免れうるのは「無心」という静かな、心ではない心だけだ。それは曇りなき大空のようなもの、トルストイの『戦争と平和』でアンドレイ公爵が戦場で斃されて見上げていた無限の青空がそれだった。

 

* いまわたしのマインド(心)の世間は黒雲が渦巻いておはなしにならない不浄な世間だけれど、わたしはそれがそういう世間だと知っていて、無明の闇にいる自分を感じているが、そこから抜け出せるときを持っていないのではない。雲に目をむければひどいものだが、雲と雲のかすかな隙間を通して広大無辺の澄んだ大空を垣間見ることもそれに気づくことも出来る。そのとき★★●も★★夕日子もない、何の価値もないただの雲屑とすらも意識しないでいられる。

それなら大空になればいいではないかという催しがあるにしても、まだそれが理であり言葉であるあいだは、わたしは慌てて覚り澄ますフリなどしたくない。まだマインドで分別してなんとかしようなどと思う自分を完全に否認し得ていない間は、ま、現世風に闘わねばならず、苦しまねばならない。

2006 10・18 61

 

 

* この機械のある身のそばにも、機械とかけはなれた何冊もの本が置いてある。機械の毒性を、使い始めた昔から痛く自覚し批評してきたわたしは、いくらか自戒ないし自省のよすがとして、そういう本をそばに置いて、題字をいつも眺めている。唐木順三『日本の心の歴史 季節美感の変遷を中心に』 生方貴重『利休の逸話と徒然草』『茶心の背景 和歌と仏道』 谷村玲子『井伊直弼 修養としての茶の湯』など。手のとどくところにそれらはバグワンの何冊かとともに立っていて、思い屈するとき素直に手をのばす。立たねばならない左手の書架には鏡花全集、森銑三全集、福田恆存全集・翻訳全集、井上靖全集、漢籍、古寺巡礼全集などなどが置いてある。身のそばには漱石も藤村も潤一郎も柳田も折口信夫もみな置きたいが、家が傾いても困る。書庫にある。書庫に入るのに寒い季節がやってきた。

今朝は唐木先生の「心の歴史」をずうっと読んでいた。季節感はわたしの子供の頃からでもウソのように日本中がサマ変わりしている。まして唐木先生の「現実」に生きていた季節感そのものが、今の若い人にはとらえにくかろう。それでも日本は四季の国である、いまもなお。現象にゆらぎは覆えないが、根はまだ生きている。そう思う。

問題は「心」か。

この「心」という字がくせもので、包含する意味があまりに広汎かつ深遠、それをこの漢字一字に押しつけるからアイマイにかつ混雑する。唐木先生の「心」はハートやソールに近い。しかしマインドの意味で現実に「心」を用いて、心とは思考や分別と同義と感じている人がやはりきわめて数多い。モグラの頭叩きのように心を追いかけていると、頭が痛くなる。

頭脳と心臓とのどっちに「こころ」とフリガナするかと問うたことがある、東工大の教室で。あの学生諸君にいまもう一度同じことを尋ねたら、思いが変わっているだろうか変わらないでいるのだろうか。

あの頃、予想は七・三の割合で「頭脳」と。ところが千人の学生が逆様の答を出した。しかしながら自分でなく東工大の他の学友達はどう応えるだろうか「推測」ほよとも問うたのに対し、自分以外の学生達の十に七人は「頭脳」に「こころ」とフリガナするに違いないというのが結果であった。

ちなみに教授先生達は口を揃えて「頭脳」派であったのも印象に残った。

 

* わたしは。わたしは「頭脳」はマインド=思考・分別・意志、「心臓」はハートと感じている。いずれも大事であるが前者を無心にかえすこと、落とすことが何よりも大事と感じている。

マインドを意味する「心」は頼りにならない。思考や分別心こそ頼りになると常識のように思うのが「諸悪の根源」だと観ている。無神経に「心」を追い求めるのをわたしはおそろしい外道に感じている。「静かな心=無心」はそういう騒がしい、変転ただならぬ「心」を見切って、はじめて得られるだろうから。何が何でも心、心と唱える人をわたしは怖いとさえ感じている。教育基本法はどうなるのだろう。

2006 11・13 62

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