ぜんぶ秦恒平文学の話

名言集 2008年

 

* 画家のいいお話であるが、一つ間違うとつまらないことにもなってしまう。
作品の真価というものを、人により受け取り方がちがうので、良い、つまらないは一概に言えない、と。
こういうことを、享受者も創作者もわりに平気で言う。相対化の可能な、つまりは観る人も創る人も「わたしなりに」という言い訳をしてしまう。
それはちがう。
何が何であろうと、衆目の差をとびこえてより大きくより優れた秀でた作というものは在る。それを創り、それを見分けて行く、それが創作者の意気であり、それを享受者の真の喜びにしないといけない。「解説」の域とはかけ離れたことで、自己満足は赦さないそれが厳しい藝術の誇りなのである。
いいモノだとおもって美術や骨董を買う。幾つか買う。ところがそれらを束にしてもそれよりもずっと優れたものに出会うことがある。出会わねばいけないのである。
そしていいと思ってきた全部を売りはなってなりとも、さらに積み増してでも、より優れた作品をわがものにする。わがものにする、買うというのは、この際の方便で言うのである。
「絵は自由に各個人の感性で見て欲しい。良いと思う作品、つまらないと思う作品は人によって違うし、それで良いと思う」などというのは、創作や鑑賞の厳しさを舐めたはなしであることに、だんだん気づいてくる。
藝術の達成には、厳しく言えば上には上がある。上をはなから見捨てていては、鑑賞も創作も、つまりその程度でおわるだけだ。
そうなんだよ、「松」くん。
2008 1・30 76

* いま、手洗いに入るのが楽しみで仕方ない。
京都の道具屋が「これは大事におしやっしゃ」とまるで釘を刺すように誉めていった唐銅の筒に、妻が、草花を。それをわたしは、棚でなく、床におろし、便座から目の真前に見下ろすのである。
草花は見上げるものでない、上から眺めるのが最も綺麗。下に緑の葉もいい千両の赤い実。その上へ白い子花のかすみ草をひろげて、真ん中へ黄のフリージャを数本、やや低めのワキ座にほの赤い小菊。幾重にも層を成して花たちが匂う。目にも匂う。花の美しさが極限に満開して匂っている。
棚に上げたらフツーになる。みおろすと、かかやくように花が宝物になる。わが家で今、いちばんいい場所に「手洗い」がなっている。
2008 2・3 77

* ものごとを具体的に把握して表現する力、以上に意志、が無いから事柄も、例えばまた文章も曖昧模糊とする。曖昧模糊は風情でもお洒落でも何でもなく、たんにダメなだけである
2008 2・23 77

* 一流の人は、少なくも、井の中の蛙でない。青年時代に怠けていては、一流には成れない。
いい青年が、ただ持ち前の能力だけで、身の丈にそぐわないことをトクトクと幾らしてみせても、違いの分かる人の眼には、貧相な「はだかの王様」ただの「小山の大将」に過ぎない。
2008 2・23 77

* 上村淳之氏の展覧会で、選ぶならこれだなと、二つ三つ頭に入れて帰ってきて、図録をみた。今度の三越の展覧会はパリで開いてきた展覧会と同内容、図録にもパリでの模様が報告されていた。向こうの人たちのお気に入りベストテンのような記録もあり、面白いことに、第一位二位の作は、わたしの思っていた作と合っていた。わたしは、それにもう一つごく初期の作一つを思っていた。それだけ。
いい絵は、物理的にではなく、画品の容量が、懐が、「大きく」なくてはいけない。『雁金』にはそれが出ていて、この分では此作がこの画家の代表作と後々まで言われそうだと初の発表時に感じた。それ以上の作をむろん期待してきたが。
もう一つ、どんなに静かな繪も「活躍」が感じられなくてはならない。世界が停止しているのと静かとはちがうのであるから。どんなに静かな構図でも、描かれた鳥は生きて翔ぶなり呼吸するなり、生彩鼓動していなくてはならない。『憩い』にはそれがまずまず感じられたとパリの人もみたのであろう。
綺麗なパタンでは、つまらない。松篁さんの遺作「白鷹」と淳之さんの「白鷹」とにはまだ大差がある。
2008 3・5 78

* 昨日「mixi」のマイミク「風人」氏が紹介されていた四川省での銃撃虐殺の写真は凄惨眼をおおわしめた。悲惨な情況を伝えてあまりがあった。おなじものか、テレビでもちらりと報道されていた。
この十七日にやはり「mixi」に出たマイミクさんの日記に関連して、飛び入りのコメンテーターとわたしとに、意見交換があった。その一部を此の「私語」に報じておいたが、「当事者ではない」のでとコメントしていた人が、「自分の娘や友」が虐待や屈辱をうけているなら「盾になり守る」けれどという考えを、また洩らされていた。
ちょっと合点が行かない。むろんわたしにもカサにかかって正論を云うような具合のわるさはあるが、正直に反応しているつもりで言うなら、やはり、こうなる。

☆ あなたのお嬢さんでなく、あなたの友人ではない、そういう人、人たち、が、あなたの目の前で虐待され屈辱を受けていても、あなたのお嬢さんでもあなたの友人でもないのだからという理由で、その「虐待や屈辱」から守る「盾」になど「ならないよ」という意味に読めました。
仮にそんな場合でも「盾」が一枚(あなた)だけでは守り抜けないことの、あまりに多いのが、想像出来ないでしょうか。
「盾」「盾」「盾」が連帯し協働しようとしなければ、その一枚の「盾」自体もまた、不当な「虐待や屈辱」に脅かされてしまうでしょう。
娘だから友だからは、たしかに大切なモチーフですが、そこに立ち止まっていては、結局、娘も友もとうてい守りきれないだろうという世の中の過酷な力学に気づきたいと思います。
あなたのようにして小さくエゴをまもろうとすれば、命に関わるほどの「いじめ」や「差別」を、自分とは無関係なら見て見ぬフリしてしまう社会や世界が、出来ていく道理ですね。
「娘」や「友」への情愛はあるが、「虐待や屈辱」への批判や批評が無い。情愛を生かすためにも、その批判や批評や抗議や対抗こそが必要であり、それには一枚の「盾」だけでは足りないのが、ややこしい人間社会のように私は思えています。  湖
2008 3・20 78

* これら先達・先輩の教えは、有効で尊い。だが、また、成功者の気炎でもあり、よく聴いて考えれば、この人達のこういう言葉にすら囚われてはいけないよと云う意味にもなっている。それでも、「自分を(社会や世間や時代の強いてくる=)枠に填め込もうとするな」という一言は大きい。
「枠」とはいわば悪しき教育の強いてくる、牢獄。そこへ安易に進んで落ち込めば、もう立ち上がれなくなる。出られなくなる。
わたしもこの「枠に填らないでいたい」流儀でやってきたと思っている。思っているが、「自分の好きなことを、好きなようにやれ」という流儀は、あまり安易には人に奨めなくなっている。「我は我と云うことやめよ 奴凧」と、年初に述懐した。自分で自分の口に轡をはめて得意そうな人はいるのである、この世間には。大勢いる。
全てのコーチから縁を切って大事のマラソンに臨んだ高橋尚子の、あの失敗もあった。適確なコーチの助言を真摯に聴き、世界の頂点にしっかり立ってきた、モーグル上村選手の偉業もあった。
「名伯楽」は、いる。しかし出会うのが難しい。その気がなければ絶対に出会えない。
2008 3・22 78

* 身を「要なき者」となげく老い人の声は古典にもしばしば聞こえてくる。過剰なこんな「なげき」は、強い酸のように身を蝕む、すこしも早く擲ち捨てることだ。何の「要」だれの「要」と思い返すまでもなく、おおかた愚痴に過ぎない。身近なただ身内のために、怪我無く事故無く過ごして負担にならないよう心がけていればいい。老境は「要」で生きるのではない。無用の用を、道の落ち葉を拾って美しいと眺めるように「今・此処」「今・此処」をいつくしむことだ。なにもせず、なにも思わぬことではない。「要」を求めないことだ。できることはすればいい、思うことは百万思えばいい、喜怒哀楽もすべていい。「身の要」を「抱き柱」のように他に求め酬われようなどと願わなければ、歎くなにも、有りはせぬ。それが「老いの自由」だ。
2008 4・19 79

* 「あの疫病、飢饉、地震、戦争の時代に日本の平等思想が醸成されたということ、不思議でなりません。どうお考えでしょうか。」

* わたしには「当然」に思われるが。下降史観を強いられ続けた日本で、それが極限へ来れば、恨みがち、歎きがちに切望されるのは「なぜ平等ではないのか」という呻きに裏打ちされた革命志向になる。しかし政治的に革命のエネルギーを持たない日本の人たちには、信仰という「抱き柱」は、それしかない幻想として魅惑の吸引力をもった。安定して幸福な人は、平等など意識もしないで我が世を謳歌するのが人の世の「常」なのでは。「無常」の思いは多くの場合極度の不幸の自覚にひきがねを引かれてきたように思う。
2008 5・12 80

* 誰かがひとり壮絶なのでなく、気を入れて生きている人は、いろいろに壮絶にけわしい稜線を踏んで、時空の刃の上を渡っている。のどかなように、たのしそうに、余裕ありげに過ごしてゆくのは、それこそ人さまざまの心術というべきか。
四川省のとほうもない大震害、ミヤンマーのとほうもない大風難・大水難。そこに露出したアンフェアな政治の悪意。悪意の算術がはじく、とほうもない算盤玉の騒音、地球の行方。
2008 5・17 80

* 「出来ナクナッタラ」のタイムリーな好判断こそ、最もむずかしく、大方が失敗していそうな気がする。その伝では「出来ルウチハ」の自己診断がまた難儀を極める。体力だけならきまりはいいが、能力となると、甘えも誤信も過信も断念も、渦巻いてこよう。

出来ると思うな 出来ないと思うな それはオレの問題じゃない。したいだけ、やれ。 湖

こんなことではないかしらん。と、思っていますが、さきは暗闇です。
2008 5・18 80

* たまたまのことであったけれど、数日前に、こう書いたのを、もう一度思い返しておく。

出来ると思うな 出来ないと思うな
それはオレの問題(ジョブ)じゃない。 したいだけ、やれ。 湖
2008 5・20 80

* この静けさより輝く宝玉は無い、のである。
「拍手という害悪」もあることを藝術体験者は心得ていたい。活字の案内文にとらわれず、きっちり自分の思いと言葉とで書かれた感動の一文には、嬉しいものがある。
2008 6・3 81

* わたしの著書には、「死」の字を表題に孕んだものが幾つかあるのに気がつく。処女作の小説は初め『折臂翁の死』だったのを出版のさいに『或る折臂翁』と替えたのだった。エッセイでは『死なれて・死なせて』があり『死から死へ』があり『死なれることと生きること』があり、最近の『かくのごとき、死』がある。小説や評論の主なる事件や主題が死であった作は数え切れないだろう。わたしは、子供の頃からいつ来てもおかしくない死と一緒に歩んできたし、いまも、むろんそうだ。死に憧れるなどという不健康な思いでは全然ない。死は生の裏打ちであり、生は死への表現だと感じている。「死から死へ」生きている。
『死から死へ』は湖の本エッセイが第二十巻を迎えた記念の一冊になったが、同時に、江藤淳の自殺から、わたしと同じ血をわけた兄・北澤恒彦の自殺へ、数ヶ月の日々をそのまま記録したのである。表題は大勢の読者を動かした。
いましがた、巻頭の江藤淳の死を悲しんだ一日の日記を読み返した。フシギに胸は水を打って澄み切った。そのまま一片のエツセイになっていた。「日記」は文藝である。下手な小説よりもはるかに純な文藝であり創作であることを、『かくのごとき、死』でもわたしは言いたい。
2008 6・30 81

* 五時間も寝たか。昨夜は哲学史、ことにヒュームにひきこまれていた。理性よりも感情を世界への優れた触手として信頼するヒュームに、わたしは荷担する。理性はともすると分別に陥る。分別は、果てしなくものごとを分割し、小さく小さくしてはその小さい把握の完璧性に満足する。完成感に達成の満足を誇る。
それはダメだ。ものごとを全体トータルとして生きていない。健康によく働く感情は優れた感性との協力で実感のある世界に迫ることが出来る。
2008 7・4 82

* ナボコフが語った「いい読者の四箇条」とは、順不同にいうと、
一 記憶力のある読者
二 想像力のある読者
三 辞書を億劫にしない読者
四 少しでいいから藝術的センスをもち作品に参加してくれる読者
わたしはこれに付け加えて、
五 再読からを本当の読書だと分かって繰り返し読んでくれる読者
を「いい読者」「ありがたい読者」と思っている。平凡なようで、なかなかどうして、ナボコフの四箇条は奥が深い。「湖の本」二十余年の読者の皆さんをわたしは敬愛する。

* いい読者は、いつも「いい作者」を待望し選択している。読者の権利である。
同様、作者も「いい読者」を待望している、選択は出来ないのだが。
「いい作者」像は、上の五箇条を、ちょうどそののまま立場を変えるだけで見つかる。漱石も藤村も潤一郎も鏡花も康成も、シェイクスピアもゲーテもトルストイもドストエフスキーも、同じである。
通俗作家は、読者に何も期待しない。期待できないものと読者を下目に思いこんでいるから、記憶力も想像力も求めないで、みな通俗・俗類型で説明的に提供してしまうし、まして辞書など無用、ただただ呑み込んでくれればいい、講釈と変わらない。根が時間つぶしの読みもの、再読どころか、煙草と同じ、済んだら吸い殻ナミにさっぱり屑で出してしまう。
「いい作者」はそうでない。だが、向き不向きがある、読めない人には「いいもわるいも無い」こと、言うまでもない。はじめから本になど手は出さないし、それはそれでいい。本だけが、小説だけが、藝術ではありません。魅力でもありません。
2008 7・10 82

* 「小説の書き出し」にはいつも苦心がいる。作品の「空気」はそれで決まる。「空気」を見定めるのに苦心惨憺。
この数日、戯曲をふくめ受賞作など四つの旧作の冒頭部を、校正かたがた書き出してみた。人さまに見せようと謂うより、自分自身の「呼吸」をさぐっている、今今の創作仕事のためにも。とにかく間違いなく「わたし」といえるものを原稿用紙に刻みつけてきたと思う。
文体の創出、それが作家のIDだ。ゴールは無い。さらにさらに深まり行かねばならない。
2008 7・15 82

詩も歌も「うた」にほかならず、音楽の美を見捨てて言葉の藝術が成るはずがない。ただに音の美を言うのではない。言葉の一つ一つが十分な「詩化」を遂げているかどうか、そういう基本の語感が歌でも詩でも俳句でも大切なのは言うまでもない。のに、それがなかなか実作者らにも分かっていない。
2008 8・9 83

* 書いている人は書いている。書きたい人は、いつも書きたい人。「書きたい」から「書いている」へは、無限の距離。ほんとうに書きたい人は書くしかない。文豪も、未知数も、これは同じ。
2008 8・29 83

* 人間にとは限るまいが、人は、「逆らう」と「従う」という、両面の生き方を覚えて行き、結果として「逆らわず、従わず」という境へ自然に落ち着きたいもの。だが、概して人それぞれ「逆らい」型、「従い」型に、ま、偏して生きることになる。後者が圧倒的数多くて世の中穏便にいっている、が、穏便だけが支配すると、誰のための穏便かという盲点が瀰漫してくる。
価値観を「逆らう」「逆らわない」「従う」「従わない」のどれへ近接してもつか、個人により属する世間により種により国によりいろいろだろうが、「従う」ばかりを、覚え「させられる」、覚え「させる」のが普通の大人社会であることは、誰しも体感しているだろう。ルール社会を人は造ってきたのだから或る程度ムリないが、ルールは変更されてゆくからこそルールだということも覚えねばならない。
一概に言えぬにせよ、「逆らう」「従わない」の意義を覚えた大人達による、平衡のとれた変更の利くルール社会が望ましい…と、それは、わたしの考えです。
2008 9・5 84

☆ 有難うございました。いちずな方はすこし恐ろしい気もいたします。いい絵を描くためにいろいろと努力されているご様子は伺えますがすこし軌道をはずされているようにも思われます。私などあの熱心さがあればもうすこしなんとかなるのでしょうが 自分でもあと一歩で退いてしまいます。 強引につきすすめばいいのでしょうが今はそんな気力も欲もなく、ただ自分の納得した絵を描きたいと
それのみのようです。 あれだけ恒平先生からも後押しして頂いておりますのに申し訳なく思っています。
御身体のお具合を案じております。 くれぐれもご自愛をと祈っております。  郁

* >強引につきすすめばいいのでしょうが
強引と言うのは、決して良いことではないのです。
>ただ自分の納得した絵を描きたいと それのみのようで
これもダメなんです。ものを創るものがこの台詞を口にしだすと、つまりストップしています。つまり「自分なりに」「自分の納得したように」という「言葉」が、結果的にいつも「逃げ道」「逃げ口上」として使われているからです。「自分なりにやりました」なんてのは、自分一人の自己慰安・自己満足の「ごまかし」になるのです。
真剣に創りたい描きたいなら、口かまがってもこの手の言葉の誘惑に負けないよう。口にしないよう。
「自分の納得ッて、何?」「そんなものあんたにあるの?」「それに何の値打ちがあるの?」と問われたら、絶句してしまうだけです。
納得どころか、暗闇の中を無我夢中で歩いているのが創作ですよ。
把握が強くないと表現も弱く、美しいホンモノは出来ません。対象を睨み付けてよく掴んで。 湖
2008 9・7 84

わたしは、今度ある種の本をつくる時、題を『非常識な存在』としようかと期待している。物書きやもの創りが「常識的な存在」になったら、お嗤いモノである。ただ非常識を「死」で表現してしまうのは、或る意味で常識的な選択であり表現であると、わたしは肯定していない。
2008 9・8 84

* 詩歌という「うた」は、人渾身の「うったえ」であることを忘れ、遊具に見立てて詩精神は縊られて行く。情けないことになろうとしている。
2008 10・5 85

* 志賀直哉の文体を特徴づけて、「ラコニック」という。ラコニア即ちスパルタの別名に拠っている。いわゆるスパルタ教育の厳しさと直哉とに関係はないが、その文章の削ぎ落とすべきは徹して削ぎ落とした、文飾のない簡素・簡朴の極みのような表現を「ラコニック」と評するのである。バッハの無伴奏曲のような印象か。無類の音楽美。
これを悟ることが、文学に志す者の、第一のとは言うまいむしろ究極の門であろう。そして不思議にも対蹠の感をもちやすい谷崎文学の流暢な音楽も、漱石文学中期以降の簡潔な音楽も、それぞれにラコニックの空気を擁している。優れた文章はみなそうなのである。
2008 12・10 87

* 「日記」「メール」という、書き流し書き飛ばしても構わないという気楽さ、あるいは安易さで書かれる言葉には、長もあるが短が大きい。ことに文学・文藝に気のある人が垂れ流すように日記で満足していてはいけないことを、わたしはよく承知している。
せめて少なくとも、ひとまとまりする「エッセイ作品」の下地を創っているぐらいの気で、下地から、いい「随筆」作品やいい「批評」作品へ仕上げて行くと良い。
2008 12・25 87

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