ぜんぶ秦恒平文学の話

名言集 2012年

 

* 朝から原稿の配置と量調整にかかっている。仕事の手は、適宜かけるほど、仕上がりに納得が行く。掛けすぎると大きく破綻してしまうこともある。
2012 1/28 124

* 最晩年の荻原井泉水さんにお目にかかったとき、「起一」という言葉を語られて、その場で「生二」と揮毫して下さった。
「一」を起こせば、「二」の生まれることも期待できる。一の儘でもよく、二を生んでもよい。一期一会、一作一会。渾身の一会であるならば。
2012 2・6 125

* 大学生の頃、「認識」ということばを尊重していた。月給取りになってからは、「判断」ということばを大事がった。小説家になってからは、「批評」ということばをしきりに遣った。それらの共通したベースいわば分母には、「知識」という言葉が鎮座していた。湖の本を創めてからは、「自由」ということばに覚悟した。
いまは、どうだろう。知識の軛をのがれ、認識や判断や批評を解きはなってしまいたい。ほんとうの自由がいい。
2012 5・22 128

* 昨日、大学生の頃、「認識」ということばを尊重していたと書いた。わたしより一世代も先輩の学者と話したとき、しきりに「認識」という言葉を聴いた。
フアウスト博士は喝破していた、「いや、その認識と称するやつが問題なのだ」と。
世の中には「認識」というあやふやな只の言葉が、えらそうに闊歩している。
2012 5・23 128

* 懸命に書いて語っている者なら、「コトバをそう高く評価すること」に深い躊躇いがある。だからこそ表現しようとする。
2012 6・4 129

*「第一印象というものは、たとい必ずしも真実ではないにしても、それはそれとして貴重な価値のあるもの」と、ゲーテは言う。
第一印象を徐々に改めていった経験は少なくないが、その際にも第一印象の鮮鋭であったという事実がブラスに働きつつ、見方や考え方が錬磨されて視界を新たにしてゆく。
2012 6・24 129

* 文学は音楽を根にし、絵画の花を咲かせる。
2012 7・13 130

* ものごとには終わりが来る、そして作家には初めが来る、「書く」と謂う「初め・始め」が。
2012 7・16 130

* わたしは、今日日本の政情等々に苦痛を覚えながら、「優れた世界」に限りなく愛されている。「ラ・マンチチャの男」も出光美術館で観てきた「東洋の白磁」たちも、わたしが愛してきた以上に、じつはわたしが愛されてきたのである。
2012 8・19 131

* 真澄の鏡の上を流れる雲や雨のように、物・事・人は流れ来て流れ去る。来る者は来させ、去る者は去らせ、呼び求めず、呼び追わず。来べきは必ず来る、帰るべきは必ず帰ってくる。命の今の根かぎりは、真澄の鏡のように涯てない青空とともに在りたい
2012 9・21 132

* 美しい佳いものへの感受力は、われわれ凡人ほど相応に人生のいろんな場面で鍛えていないと身に付かない。百万円だと思い込んで五千円のしろものを買い込むのは、低俗な読み物やエンターテイメントがおもしろいと思い込んで純然の藝術文学を知ろうとしない姿勢に、全く同じ。
とはいえ、本物・本作から逸れた「似せ物」にも、思いがけぬ勉強の跡か゜真摯に垣間見える例も、在るのを馬鹿にしてはならない。そういう例を甘んじて発見し愛好することも美の体験には実在する。藝術の創作は、体験や心理のどこかに「模倣」の必要や必然が忍び入っているのがむしろ本来なのである。「藝も美も」体験して身につけるより王道も捷径も無い。
2012 10・28 133

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